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[31071] ゲート ZERO(ゼロ魔16巻時点 × ゲート 自衛隊彼の地にて、斯く戦えり)
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:1d38ce4d
Date: 2012/01/07 14:08
ゲート ZERO

1 日本国内閣総理大臣の憂鬱

「総理、防衛省より緊急連絡が入っております!」

 執務室に秘書官が駆け込んでそう報告した時、夏目内閣総理大臣は、総理執務室の中で
数名の閣僚とともに室内に設置された大型TVの画面に見入っていた。

「わかりました。一応確認しておきますが、緊急連絡とは今TVに写っている『アレ』につ
いてですね?」
「は、はい。」

 TV画面の中では『緊急報道特番』と表示がされたスタジオの中でアナウンサーと数名の
解説者が、レポーターから画像付の現地報告を受けていた。

『現地の西山さん! 状況に何か変化はありますか?』
『はい、先ほど自衛隊と機動隊が到着し『門(ゲート)』ではないかと思われる物体……
といっていいかどうかわかりませんが、その回りを包囲しています。なお自衛隊は武器、
それも小銃以外に迫撃砲やバズーカ、さらに火炎放射器ではないかと思われる装備で武装
しています。我々も安全の為距離を取るよう警察より指示を受けました。その為、先ほど
より300メートル程離れたところから取材をおこなっています。なお『ゲート』自体にあ
らたな動きは確認されておりません』

 レポーターの報告が終わると現地のカメラは機動隊と自衛隊の隊列に数秒レンズを向け
た。だがそれはほんの数秒であり、すぐに機動隊と自衛隊が100メートル程の間をおいて
取り囲む中心に焦点を合わせなおす。
 そこにはぼんやりとした光に包まれ空中に浮かぶ、信じがたいまでに巨大な『扉』のよ
うな何かがあった。

……21世紀初頭、日本は他国からの侵略を受けた。相手は北朝鮮でも、韓国でも、中国で
も、ロシアでもなかった。銀座中心部に突然石造りの門(ゲート)が出現し、そこから異
世界の侵攻軍が雪崩れ込み『銀座事件』と呼ばれる無差別殺戮を引き起こしたのだ。しか
し異世界の侵攻軍は地球には存在しない技術体系、魔法とよばれる地球の科学者を困惑の
極みに叩き込んだソレ、を有していたものの、幸いにしてそれ以外の組織、装備、技術が
地球の中世レベルに留まっていたため、自衛隊による反撃によってあっさりと殲滅された
。だが多数の犠牲者を出す原因となった門と侵攻軍を送り込んできた敵勢力を放置するこ
とは到底できず、日本は門の向こう側に自衛隊と調査・交渉の為の人員を送り込むことに
なった。調査隊による調査と数回の戦闘の後、侵攻軍を送り込んできたのは自らを『帝国
』と称する異世界の国家である事が判明、日本は外交団をその首都に送り込む。その後さ
まざな紆余曲折はあったものの日本は最終的に賠償を勝ち取った上で『帝国』との講和と
通商を含めた国交を結ぶことに成功し、さらに実験レベルではあるが異世界との交流を続
けることとなった。

『……以上が現地の状況です。あれは『ゲート』なのでしょうか? またゲートだとすれ
ばどこの世界に繋がっているのでしょうか? なお現在までのところ日本政府からの正式
発表は確認されておりません。その後、なにか動きはあったでしょうか? 官邸の大川さ
ん』

 現地中継が終わったあと画面は一旦スタジオに戻された。そして今度は官邸付近に送り
込まれているレポーターと連絡をとろうとする。それを見て防衛庁からの緊急報告を聞き
終えた西野官房長官が苦笑した。

「無茶いわんでくれ。方針も何も今知ったばかりなんだ。大体アレがでてきてからまだ2
時間もたっていないだろうに」

 数十年前ならいざしらず、現代において最も迅速に情報をつかむのは大抵の場合国家で
はなく、マスコミである。アメリカ合衆国大統領でさえ、TVから自国の諜報機関より早く
重要な事件の情報を度々得るような時代なのだ。特に東京のような大都市の中心部で突発
的に発生した事象となるとその傾向は特に顕著となる。
 夏目はざわつく閣僚達を静めるため力を込めて宣言した。

「とにかく冷静に正確な情報を集めてください。そして周囲住民の避難を急がせてくださ
い。またアレの向こうから何かが出てきて、それが友好的な存在ではなく危険だと思われ
た場合は即座に自衛隊が攻撃してください。武器については現地指揮官が必要と判断する
すべてを、必要であるならさらなる増援も含めた全てを、『適当に』使用してください。
責任は内閣総理大臣であるわたしがとります。あと対策本部の準備を急いでください。準
備出来次第すぐにそちらに移ります」

ここで夏目がいう『適当』とは無論、『いい加減に』という意味ではない。「自らが保有
する全ての能力を使用し、適切に対処する」という意味である。総理自身が首都で自衛隊
に全力での武器使用を許可した命令ともいえる。だが夏目は自身の命令が大げさなもので
あるとは微塵も感じてはいなかった。

(できれば『門』(ゲート)であってほしくはないが、あれはどう見ても「扉」だ。『門』
(ゲート)の同類である可能性が高い。だとすればどこに繋がっている。どんな生物が
いる世界なんだ)

 以前発生したゲート関連の事件において、一時的にではあったが日本は『帝国』が存在
する世界とは異なるさらなる複数の異世界と結ばれたことがあった。それらの異世界の中
には地球に招き入れれば想像を絶する惨禍を引き起こしかねないと思われる生物がいた世
界もあったのである。つまり現状ではあらゆる想定が可能な状況であり、最悪現代の地球
の技術水準を遥かに超える技術をもつ異世界軍による侵略という事態さえ考えられるので
ある。
 夏目が自身の内心の不安を懸命に押し殺しながら新たな報告を待っていると、今度は経
済産業省から出向してきた秘書官が駆け込んできた。

「報告します。「新たなゲート出現か」との一報のあと、急落していた東証の株価が急反
発しています。どうやら新しいゲートの規模が確認されたことで不安要素より将来性を当
て込んだ海外投資家が動いている模様です」

その報告に今度は大川経済産業大臣が苦笑した。

「とらぬ狸の皮算用にもほどがあるな」

「扉」出現の一報のあと株価が急落したのは銀座事件のような異世界から侵略を警戒した
ものだと大川は見ていた。だがその後の皮算用はその後に伝えられた新たな「扉」のサイ
ズによって発生したものだろう。TVからの情報でおおよそのものではあるが、扉のサイズ
は実に縦150メートル、横200メートルという想像を絶する規模だったのだ。

「アレがゲートだった場合、確かにあの大きさなら資源や物資の移送は容易だろう。だが
そもそもあれの向こうが「商売できる」世界かどうかさえわからん状況でよくやる」

『帝国』が存在する異世界との交流は現在も続いている。だが当初期待されていたような
大規模な資源・物資の貿易という形での交流は不可能だった。現状ではごく短期間に極め
て狭い『門』を開き、極めて限られた物資、人員を交流させるのが限界であり、正直生物
資源の探求先や学術的な研究材料ぐらいしか使い道がないのである。異世界との貿易を当
てこみ流入した海外資金で一時的にバブル期レベルまで高騰した東証株価も、あっという
間にそれ以前のレベルに戻ってしまっていた。だがそれもサイズの問題が解決された新た
な門があるのならば状況は変わってくる。

・・・・・・結局日本政府の公式発表が行われたのは「扉」の出現から4時間後だった。

「新たに出現した扉と思われる物体の周辺は既に自衛隊と機動隊で完全に包囲済みであり、
銀座事件の如き惨劇は全力で阻止する。また「扉」が「門」同様、異世界への通路であ
るかについての調査は周辺住民の避難と調査チームの準備・編成が完了次第開始し、調査
結果は随時発表する」

 発表通り「扉」出現6時間後には自衛隊と警察、さらに文部科学省から依頼を受けた学
者達によって構成される調査チームが扉の調査を開始した。これほどまで迅速に事が進ん
だのは銀座事件の影響が大だった。少なくとも二度目の事例に対する対処に関して日本の
官僚は無能ではない。

 扉の調査は調査チームのメンバー自身が意外な思うほど容易に進んだ。そもそも数百メ
ートルサイズの扉をどうやって「開ける」のかという根本的な命題があったがこれは調査
チームが扉に長い棒を接触させることであっさりと解決した。扉に実体はなく、あたかも
3Dホログラムの如く、接触した物体をそのまま通過させたのである。しかし通過した棒の
先端を扉の反対側から確認することはできなかった。扉は自らを通過した物体を地球以外
の「どこか」に送り込んでいたのである。この時点で「扉」が「門」と同類の存在である
ことは明白となった。
 その後有線式カメラが送り込まれ、扉の向こう側に大地と大気が存在することが確認さ
れた。同時に向こう側の大気の採取と成分分析も行われ、その他諸々の調査の結果、最終
的に扉の向こう側は人間の活動に何ら問題のない環境にあると結論づけられた。

 この時期になるとそれまで情勢の変化を見守っていた諸外国が動き始めた。アメリカは
「扉」の調査に全面協力し、日本から求められれば米軍を含めた大規模な調査隊を派遣す
る意志があると公式に発表した。中国とロシアは「扉」は一国で独占すべきものではなく
今度こそ安全保障理事会直轄の管理下に置くべきであると共同で発表した。しかし両国は
先に発生した「大震災」の影響で国内が未だ混迷を極める状況にあり、要求を拒絶されて
も実力行使は到底不可能であると見られている。

 最終的に調査隊は自衛隊と学者で編成されたチームで構成された。自衛隊の規模は前回
異世界のアルヌスに派遣されたものとほぼ同規模の三個師団。自衛隊は無論学者の護衛お
よび扉の向こう側近辺を確保する為のものだったが、これには野党及び左派系のマスコミ
から反発の声が上がった。

「銀座事件の際は明らかな武力攻撃を日本は受けた。だから自衛隊を投入したのは理解で
きる。だが今回は別段攻撃を「向こう側」から受けたわけではない。現在の状況で自衛隊
を「向こう側」に進入させてよいのか? 仮に「向こう側」に国家が存在した場合、我々
は許可なく他国の領土に軍隊を進入させることになる。それは新たな戦争の火種を自分か
ら巻く愚行ではないのか」
これらの反対意見に対して夏目総理大臣は国会で以下のように反論を行った。
「だとすれば誰が学者チームを護衛するのですか。どのような危険があるかもわからない
世界での護衛を警察にやらせるのですか。装備や訓練、組織としての自己完結性を考える
ならば、やはり今回も自衛隊を投入するしかないとわたしは考えます。無論、向こうで国
家とよびうる組織と接触した場合、可能な限り平和的に国交を結べるよう努力し、国交樹
立後は速やかに自衛隊を撤退させたいと思っております」

この頃、日本国内の左派勢力はいわゆる「銀座争乱事件」の影響でその発言力を大幅に減
退させていた。無論、中国、韓国、北朝鮮といったいわゆる特定アジア諸国は「扉」の向
こう側への自衛隊の派遣について、日本国内の左派勢力と歩調を合わせた非難を行ったが、
銀座争乱事件の影響で日本の世論はこれら特定アジア諸国と左派勢力に対し極めて否定
的な傾向が強まっていた。結果として反対意見はそれ以上大きくなることはなく、調査隊
の派遣は予定通り実施された。

『「扉」の向こうは新たな異世界と判明。日本政府は「第二特地」と命名。扉周辺に知的
生命体の存在は確認できず』
『周辺調査斑、現地住民との接触に成功。中世レベルの文明を保有する「人間」と判明』
『大規模油田及びレアメタル鉱山の可能性! 資源調査チームを編成準備』

 夏目は官邸執務室で机の上に国内の新聞各紙を時系列に並べ、眉を潜めていた。掲載さ
れている発表自体は無論把握している。どのマスコミも「第二特地」への立ち入りは現状
許可されておらず、日本政府が公式発表した内容を報道するしかないからだ。ただし割合
としてはそれほど多くはないもの、報道の中には日本政府が未だ公表していない事実を記
載した記事が相当数存在した。以前の失敗を避けるため、夏目は「第二特地」に関する情
報管理の徹底を閣僚と官僚に命令していたのであるが、どうやらうまくいっているとは言
い難い状況のようだ。
夏目がさらに情報管理の改善に関する命令を出すべきかと迷っていると外務省出身の秘書
官がアメリカ合衆国大統領マハナからの電話を告げた。

『夏目総理、「扉」に対する対処でお忙しいところ申し訳ない。ですが我々の友好と共通
の利益の為に、あなたに直接確認しておきたいことがあってお電話を差し上げました』

マハナは弁護士出身であり、いささか粗暴ともとられかねない言動で知られた前任者のデ
ィレルとは異なり、丁寧で隙のない喋り方をする人物だった。政治的なスタンスもリベラ
ル的傾向が強く、軍事力の行使に比較的慎重な立場をとっている点でも前任者とは対照的
である。無論自国の利益が最優先であり、その為に必要と判断したならばいかなる行動に
も躊躇しないであろうことは前大統領となんら変わりないだろうが。

「いえ、マハナ大統領かまいません。それで一体どのような?」
『無論、扉の向こう、あなた達が「第二特地」と名付けた異世界の調査状況に関する件で
す』
「待ってください。「第二特地」についての情報は外務省より、どこの国よりも早く詳細
な内容をお知らせしているはずですが?」
『確かに貴方は嘘は言っていません。我々はあなた達より他のどの国より早く、より多く
の第二特地に関する情報を知らせてもらっています。ですがそれでもなお、あなたが現在
我が国を含めた他国に対して秘匿している事実の割合は全体から見ていささか多すぎはし
ませんか?』

また情報漏れかと思わず脱力して溜息をつきそうになる自分を夏目は必死で押しとどめた。
ともかくどの件に関しての情報が漏れたかと、アメリカ側の要求を確認しておく必要が
ある。

「では具体的にどのような件についてお知りになりたいのですか?」
『まず扉の向こうが「帝国」が存在する世界とは異なる、新しい異世界であることをどの
ように確認されたかです。最初の調査報告から異世界と断定されていましたがなぜ判明し
たのか理由が説明されていません』
「それについては天文学者による検証を改めてすませた時点で公表する予定でしたが・・・・・・
まあいいでしょう。異世界と判断した理由は極めて単純です。
月が二つあるんですよ、第二特地には。まあ世界というか宇宙自体は同じで別の惑星に扉
が繋がったという可能性も否定できないのですが、異世界も異星も現状では大差はないと
考えています」
『なるほどわかりました。しかし月が二つとはずいぶんと幻想的な世界のようですね』

マハナは一旦は夏目の回答に納得したようにそう答えたが、最初の質問はほんの軽いジャ
ブに過ぎなかった。

『ですが第二特地という呼び名はいただけない。現地の人間は自分達の世界について彼ら
自身の呼び方を持っているはずです。それを無視する形で勝手に他人が名前をつけるとい
うのはかつてコロンブスがアメリカ大陸をインドと思いこみ先住民に勝手にインディアン
と名付けた愚行と同列の行いではないかと思いますよ』
「いえ大統領、「第二特地」という呼び名はあくまで便宜上のものです。言語学者による
現地の言語の解析と翻訳が終了次第、呼び名については現地の単語に変更する予定です」
『いや即座に名前を変更すべきですね』
「大統領、スタッフに確認をとっていただいて結構ですが、言語の解析とは一朝一夕にで
きるものではありません。それも地球とはまったく異世界の言語の解析となると専門の言
語学者チームでもどれだけ時間がかかるか検討もつきません」

ここでマハナは切り札をテーブルの上に置いた。

『「ハルケギニア」と現地の人間は自分たちの世界の事を呼んでいるようですね。』
「・・・・・・・・・・・」
『完璧な形での言語解析が終わっていないというのは確かに事実でしょう。ですが現地で
使用されている言語が信じられないほどフランス語と共通点を有している為、驚異的な速
度で解析が進み、既に日常会話程度なら全く問題ないレベルまで達しているというのが実
情ではないのですか? 確かに『学問的に完全なレベル』にはほど遠いでしょうが、我々
は専門の学者ではない。意思疎通が十二分に行えるなら実用には十分すぎるでしょう』

最重要機密が完全に筒抜けだった。夏目はアメリカの諜報能力が高すぎるのか、日本の防
諜能力が低すぎるのか判断に迷った。そして無駄かも、とかすかに絶望を抱きながらも新
たな防諜対策の命令を決意した。

『さらに付け加えれば現地側は調査チームから接触するまで「扉」の存在自体に気づいて
おらず、当然こちらがわへの侵攻の意志も準備も有していないそうですね。
そして接触した住民は槍程度の武器すら有している者はまれで、主な産業はワイン作り。
実に牧歌的で平和で結構な事ですが、これらの事実を日本の野党やマスコミが知ればいさ
さか面倒な事になりませんかね?』

なる、絶対になる。野党やマスコミはこれで安全上の問題はなくなったとして、交渉を行
う際の重要な見せ札となりうる自衛隊の即時撤退を声高に要求するだろう。
銀座争乱事件を含む諸々の事件で安全保障に関してようやく意識を持ち始めた世論も、相
手が現状無害で悪意がないと知ればあっさりと危機意識を眠らせかねない。
夏目は内心で舌打ちしながらもマハナに反論した。

「大統領、現状で接触できた現地住民はあくまで村落レベルの人員にとどまります。国家
や領主といった統治組織・現地支配者階級との接触までは行われておらず、彼らと安全保
障に関する何らかの協定を結ぶまでは安全を確保するため自衛隊は絶対に必要です」
『わたしもそう思います。仮にこの事実が漏れた場合、日本の野党とマスコミが貴方の見
解を受け入れてくれるといいですね』
「・・・・・・大統領、一体何をおっしゃりたいのですか。そろそろ真意を明かしていただけま
せんか」
『簡単な話です。貴方達は扉の存在する領域を領有する領主と近く直接交渉を行おうとし
ていますね? そしてその領主を通じ、さらに上位の国家と国交を結ぼうと考えている。
それらの交渉の席に我が国の外交官も同席させていただきたいのです。無論貴国の交渉内
容は一切制限するつもりはありません。護衛については米軍からの派遣を考えていますが、
日本が安全を保証していただけるのであれば無しでもかまいません』

マハナの要求は要するに「一人で抜け駆けするなよ、やるなら俺も混ぜろ」ということで
ある。夏目は予想外のスピードで進んだ言語解析から得られた時間を使い、他国に先んじ
て「第二特地」いや「ハルケギニア」諸国と国交を結び、あわよくば有利な条件での協定
や条約締結を狙っていた。如何に出入り口が日本国内にあるとはいえ、時間が立てばハル
ケギニア側が扉を通して外交官を送り込んでくる可能性があるからである。これを拒否す
るのは難しい。そうなってしまえば日本が独占的に交渉を行える強みは失われてしまう。

『この申し出を受けていただけるのであれば、先の心配は確実に杞憂になります。そして
次のサミットで「尖閣諸島は日本の領土であり、そこで武力紛争が発生した場合、米国は
米日安全保障条約に基づき全力で介入する」との声明を私自身の口から言明させていただ
きます。どうしてとおっしゃられるなら竹島の帰属について日本側の主張に完全に沿った
形での声明を出してもいい。その後韓国と発生するであろう軋轢についてもこちらで処理
します。そう、私は「ちゃんとできますよ」』

大統領の最後の言葉にはいささかならぬ嫌みと怒りが混じっていた。それを敏感に感じ取
り、夏目は渋面にならざるをえない。
(ルーピーの野郎、どこまで日本に迷惑かければ気が済むんだ!)
夏目がルーピー(キ○ガイの意味)とよんでいるのは民自党が野党だった時代に内閣総理
大臣だったある人物の事である。この人物は学問的な意味でいえば確かに頭は悪くなかっ
たのかもしれないが、一国を預かる宰相としては致命的に不適任な人間だった。自分の発
言が周囲にどのような影響をあたえるのか一切考慮することができずに無責任な発言を繰
り返して周囲を振り回し、できもしない約束を内閣総理大臣の名前でばらまいた。そのあ
げくマハナ大統領自身から「自分の発言通り、ちゃんとできるのか?」と公衆の面前で詰
問されるという醜態をさらした。当時この人物の年齢は60代半ばでマハナは50代であ
る。いい年をした大人、それも一国の総理が同盟国の大統領とはいえ一回りの年下の相手
から、未熟な新入社員に対し課長、部長がかけるような言葉を投げられたのである。最終
的にその人物は政権と一緒に自分の無責任な約束を放り投げ、既に確定していた米軍との
基地移転に関する協定・計画を完全にぶちこわし、「トラスト ミー」(私を信じてくだ
さい)と言い切った相手を裏切った。その裏切られた相手こそがマハナだった。

「マハナ大統領、現日本国総理大臣としてあのルーピーがしでかした愚行については、改
めて深くお詫びいたします。当時我が党が野党だったとはいえ、あのルーピーがやったこ
とは到底許されることではありませんでした」

夏目はまずマハナに先任者の非礼を謝罪した。現代の先進国では建前上、国家同士の付き
合いに指導者の個人的感情が反映されることはまずあり得ない。しかしそれはあくまで建
前であり、無意味に相手側指導者の感情を害して利益があるはずがない。まして既に交わ
していた約束を一方的に反故にし、口先だけの弁解を重ねたあげく、すべての責任を放棄
した「日本国総理」に対してマハナ大統領がどのような感情を有しているかは容易に想像
できた。夏目はまず先任者が残した膨大な負の遺産の処理から始めなければならなかった。

『言葉だけの謝罪はもう結構です。わたしは国家間の関係において、謝罪とは「ごめんな
さい」という言葉だけでなされるものではないと考えています。それで夏目総理、どのよ
うなご回答をいただけるのですか。私は十分な代償を準備させていただいたと思っていま
す。本当に申し訳ないと思っているのなら今この場でご回答をいただきたい。なお回答次
第では我が国は貴国との関係のあり方を決定的に見なおす可能性が有ることをあらかかじ
めお伝えしておきます』

マハナの言葉はどこまでも丁寧で紳士的で、そして氷のように冷たかった。
その冷たさに夏目は一層の危機感を感じた。マハナは本来口調こそ丁寧ではあるが、気さ
くな人柄と熱意で知られている人物だった。また日本以外の指導者に対しても同様の態度
で接している。その人物から自分だけがこのような態度をとられているという事の意味を
理解できないほど夏目は愚かではなかった。

「・・・・・・ご提案の件については基本的に了承させていただきます。ただ細かい内容に関し
ては後で外務省を通じて内容を詰めたいと考えますがよろしいですか? 無論調整がすむ
まではこちらから現地の領主との交渉は行いません」
『了解しました。こちらの申し出を受け入れてくださった事に感謝します。・・・・・・ああ、
あともう一つだけ教えていただきたいことがあるのですが』
「なんでしょうか?」
『扉が出現した地域の地名とそこを統治する国家の名前です。まだ報告がきていないなら
後でお知らせいただいても結構ですが』

それはこの電話会談直前に、第二特地いやハルケギニア側から送られてきた最新の報告書
に記載されていた情報だった。流石のアメリカもこの情報までつかむことはできなかった
ようだ。最早隠す意味もないと観念し、夏目はこれから交渉することになるであろう相手
の名前をマハナに告げた。

「国家名はトリステイン王国、地名はオルニエールとの事です」

(続)



[31071] ゲート ZERO 2話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:1d38ce4d
Date: 2012/01/07 17:23
2 サイト・シュバリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエール子爵

「御館さま、御領地に関する調査結果が纏まりましたので報告させていただきます」

 豪華な装飾が施された部屋の中で、三十代半ばの黒い執事服をまとった淡い金髪の男性
が一人の少年に恭しげに頭を下げていた。少年は黒髪、黒目で比較的小柄な体格をしてお
り落ち着かない様子で椅子に座っている。少年の隣にはこちらは寛ぎきった様子で椅子に
腰掛けるピンクがかったブロンドの少女がおり、さらに二人の後ろにはメイド服を着込ん
だ黒髪の少女が立っていた。少年の顔立ちはほぼ平凡といってよかったが少女達はいずれ
も抜きんでた美少女だった。特にブロンドの少女はその美貌に加えて妖精の如き華奢な体
格をもち、豪奢なドレスとともに生まれたときから多数の他者に傅かれる人生を送り続け
た者だけが持ちうる気品と高慢と増長をその身に纏っている。
 少年の名前は平賀才人。ただしこれは彼の母国での名前であり、ここトリステイン王国
では正式にはサイト・シュバリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエールとなる。
 金髪の少女の名前はルイズ、正式なフルネームはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・
ド・ラ・ヴァリエール。このトリステイン王国において屈指の大貴族であるヴァリエール
公爵家の三女である。最後にメイド服の少女の名前はシエスタ、彼女は平民であり姓は
ない。

「ムスカーさん、その、立ったままだと疲れるでしょうから座ってください」

才人は申し訳なさげに眼前の男性に椅子を勧めた。自分より明らかに年かさの男性を立た
せたまま自分が椅子に座っているという状態に現代日本で育った才人は耐えられなかった
のだ。だがその才人の申し出を執事服の男は礼儀正しく拒否した。

「どうぞムスカーと呼び捨てなさってください。また家令が主人と席を同じくする訳にも
まいりません。気後れされるのはわかりますが貴方は今やこのトリステイン王国の子爵で
あり、私は家令として貴方にお仕えする者なのです。直ぐには難しいと思いますが、部下
に対する態度は早く身につけておかれるのがよろしいかと存じます」
「ええっと……はい。」

 才人の乏しい人生経験では、現在の状況にどのように対応すべきかまるで見当がつかな
かった。それゆえ曖昧に眼前の男性、自分が雇った家令であるムスカー、の言葉を首肯し
てしまう。

「そうよ才人、自分の家令相手に一体何を緊張しているのよ。やっと姫様から拝領した領
地の調査が終わったんだからさっさと結果を聞いちゃいましょう」

才人とは逆にルイズはまったく現在の状況に気後れしていなかった。いや公爵家の姫君で
ある彼女にとっては家令が眼前で傅く現在の状況こそが魔法学院に入学するまでの間、実
家でずっと過ごして来た「本来の日常」なのだ。

「ええっと、じゃあムスカーさ……ムスカー。報告をお願いします」

才人の言葉を受け黒衣の家令は、ルイズのお願いしますじゃなくて、報告しろでしょうが、
という呟きを丁重に無視し、新たに子爵位を得た眼前の少年に丁寧に調査結果の報告を
始めた。

……平賀才人という少年はそもそもごく平凡な日本の高校生だった。そのままいけば平均
的な日本人の高校生としてそれなりに平穏な人生を送れていただろう。ところがある日、
彼は突然異世界であるハルケギニアに「召喚」されてしまう。彼を召喚したのはトリステ
イン魔法学院の生徒であったルイズだった。彼女が進級試験の一環として使い魔召喚の儀
式を行った際に呼び出されたのが才人だったのだ。
 本来小動物、珍しいケースでも幻獣の召喚で終わるはずのこの儀式において「人間」が
召喚された例は記録上ほぼ絶無という状況であったが、ルイズは才人本人の意思を無視し、
強引に使い魔の契約を才人と結んでしまう。人間を使い魔とするという現代日本ならば
「人権的にそれどうよ?」という行いが何の問題視もされなかったのは、ハルケギニアが
「魔法使い」を支配者階級の貴族とする封建制社会だったからである。才人は貴族である
「魔法使い」ルイズの「財産兼使い魔の平民」として扱われたのだ。当時の才人にハルケ
ギニアに関する知識は当然なく、生きていくために彼はルイズの「使い魔」、実質的には
従者、としての立場を受け入れざるを得なかった。もっとも才人本人は「主人」として貴
族ならでは高慢さを振り回すルイズにぶちぶちと不満を溢しながらとくに堪えた様子もな
く直ぐに環境に順応した。これは彼が生来持っていた図太さと楽天性と柔軟性の為であっ
たが、それ以上にルイズがその性格上の絶大な難点を補ってあまりある美少女であったこ
とも大きいだろう。ついでに言えばルイズという少女は確かに甘やかされて育った大貴族
の令嬢ではあったが、本当の意味での冷酷さとは程遠い人柄であり、さらには少なくとも
生まれもってのハンディキャップとそれを乗り越える為の不断の努力を知りえる人間でも
あったのだ。
……その後、才人は半ばルイズに引きずり回される形でさまざまな無謀というしかない冒
険に付き合わされることになる。そして数々の冒険を繰り返す間にトリステイン王国の王
女(現女王)アンリエッタの知己と深い信頼を得、ついに魔法使いに在らざる身で騎士位
(シュバリエ)を、さらに先日のガリア王国における活躍の褒章として子爵位と領地を授
けられるまでに至ったのだ。


「まず御領地の広さですが全体でおよそ三千アルパンとなります。」
「へっ?」

才人は慌てて頭の中で計算を始めた。

(ええっと、確かこっちの1アルパンが3.3平方キロぐらいだった筈だから……1万平方キ
ロメートル、つまり100キロ四方。……おい、ちょっと待て。計算間違えてないか、俺!)

 100キロ四方、日本で言えばちょっとした県一つが完全に入るだけの面積が自分の所有
物となる。才人は自分の計算結果を受け入れることができずに硬直する。

「おめでとうございます、才人さん!」
「へぇ、姫様も随分と奮発してくれたものね。子爵の領地としては破格の広さじゃない。
それでどんな所なの? 産物、収入はどれぐらいなの?」

才人を尻目にシエスタが歓声を挙げた。ルイズも上機嫌な様子で説明の続きを促す。
するとムスカーは手に丸めていた地図を広げ、そこに三色に色分けされた扇状の図形が現
れる。

「御領地の全体図です。ご覧の通りほぼ北に開いた扇状の形で、北端はそのままトリステ
イン王国北端の海岸線となっています。この地域全体が広義の「オルニエール」となりま
すが便宜上、ここに色分けされた通りに北部、中部、南部の三つに分けて管理されており
ます」

ルイズがここで疑問の声を上げた。

「ちょっと待ってよ。北部、中部、南部って言っているけど随分バランス悪くないかしら?
地図じゃほとんどの部分が北部扱いになってるじゃない」

ルイズの指摘通りだった。地図上の扇は大部分が「北部」とされる部分に含まれ、中部、
南部は扇の下の端部分の、全体からみればごく僅かな箇所にそれぞれ点のように存在して
いるに過ぎない。ルイズの疑問にムスカーは淀みなく回答した。

「北部、中部、南部の区分けは風土に応じて行われております。御領地は9割以上が北部
の風土であり、残りの部分が中部と南部の風土に当たるわけです。それぞれの風土の詳細
についてはこれから各地方の説明をする際に合わせてお話します。
 まず中部です。面積は凡そ三十アルパン。現在は寂れておりますが元々領主の館があっ
た場所で歴史はもっとも古く、現在この地域全体を指す「オルニエール」の名はそもそも
ここの地名だったとのことです。土壌は穀物の生産には向きませんが、ワイン用のブドウ
の栽培に適しており、主な産物もワインで市場での評価もそれなりに高いとの事です。以
前は相当に賑わっていたのですが、現在は大部分の住民が近くの街に移動した関係もあり、
ここからの収入は凡そ年二千エキューといったところです」

この時点で才人は自身の領地収入の総額がいくらになるのか、まったく見当がつかなくな
っていた。子爵位を得る前のシュバリエ(騎士)としての収入がおよそ年600エキュー、
だが全体の1%の面積の時点ですでに以前の3倍以上の収入が確定しているのだ。呆気にと
られる才人だったが、ルイズは対照的に当然とでも言いたげな様子だった。

「二千ね。まあ狭いし、ここはこんなものでしょ。広さから考えても本命は北部でしょう
しね、ってあれ? この地形どこかでみたような……」

ここでルイズは唐突にいぶかしげな表情になり、地図上で北部とされる部分を凝視し始め
た。

「次に北部ですが面積は約二千九百アルパン。海岸部分と周辺部分の山地を除くほぼ全域
が盆地ですが、ごく僅かな零細村落、漁港を除き、現在この地域に居住するものはおりま
せん。ほぼ全域が無人に近い状況です」
「えっ」

その説明に才人は驚いてルイズと同じように「北部」の部分に目をやった。
無人? こんなに広いのに?
才人が理由を尋ねるより早く、ルイズがムスカーに確認するように尋ねた。

「ちょっとまって。ここまさかとは思うけど、もしかして「黒泥の死地」?」
「ご存知でしたか。確かに正式な地名よりそちらの名前のほうが遥かに有名ですからね」

「黒泥の死地」、その地名を聞いた途端、才人は猛烈に嫌な予感を感じた。いやどう考え
ても感じざるを得ない。

「なんなんだよ、そのあからさまに呪いかなんかがかけられてそうな地名は?」

才人の質問にルイズは大きく溜息をついた。

「トリステイン王国の中で間違いなく最悪の土地よ。ほぼ全域が人の住めない、いえ獣ど
ころか雑草さえ生えない不毛の地。何度も調査が行われて、別に魔力とか呪いとかのせい
じゃないことははっきりしているんだけど……」

ルイズの説明をムスカーが補足した。

「人の住めない理由は、飲料用に使用できる水が手に入らない為です」
「水が無い? それじゃ確かに人は住めないだろうけど井戸とか掘れないんですか?」
「掘ったら水の代わりに『黒泥』が吹き出してくるのよ、ここ」

ルイズの返答の中にある聞きなれぬ単語に才人は戸惑った。

「『黒泥』?」
「『黒泥』は『黒泥』よ。「燃える泥水」なんて呼ばれ方もしているわね。真っ黒な粘り
気のある油っぽい泥で、火をつけたら凄い臭いを出して燃えちゃうのよ」

そのルイズの説明に、才人は元の世界に存在したある物質を連想せざるを得なかった。
もしかして、それって原油……。

「ちなみにそれ売れたりはしない?」

才人の質問にルイズは何馬鹿いってんのよ、と心底呆れた表情になったが、ムスカーは几
帳面に主人の質問に答えた。 

「現状ではほとんど使い道はございませんな。ただ最近、魔法学院の教師の依頼でかなり
の量の「黒泥」が集められたといった話がありましたが、おそらくは研究用であると思わ
れます」

コルベール先生だ。
じゃ、タイガー戦車の燃料のガソリンはここの「原油」から作ったんだ。
才人は自分同様元の世界から「召喚」されていた戦車を動けるようにした、怪物級の技術
者である知人の事を思い出した。コルベールが他人に依頼して原油を集めていたのならば、
当然費用がかかっていたはずだ。ここが自分の土地になった以上、今後コルベールにガ
ソリンを作ってもらう時には自分で原料の原油をもっていくことにしようと才人は思った。

「このような事情ですので北部の収入は港や村落からのものを集計して年間五百エキュー
あるか、ないかといったところです」

才人は何百年か先なら、ここはもしかしたらトンでもない価値を持つようになるかもしれ
ないと思ったが、もちろんその頃に自分が生きてるわけがない。
こーゆーオチかよ……と才人はすこしガックリしたが、落ち着いて考えてみるとむしろ気
は楽になった。

「今の時点で総収入二千五百エキューか。ま、こんなところだよな。姫さまが男爵をすっ
とばしていきなり子爵位をくれるって言ったときにはホント驚いたけど、とりあえず領
地はほとんど名義だけなわけだ」

才人はアンリエッタが自分に領地と爵位を与えるといった時の事を思い出していた。
その際、彼女は当初は男爵位を与えるつもりだったが、あちこちから反対されたのでよく
考え直した結果、子爵位にすることにしたと言っていた。才人は回りから反対されてなん
で上の爵位になるんだと思い、直接質問もしたのだがその時点ではアンリエッタは明確な
理由を説明しなかった。あれはつまり爵位は上の分をあげるけど、領地は実質的な実入り
のないところで我慢してね、って意味だったのかと才人は思った。
その結論に才人はむしろ納得したが、ルイズは対照的に一気に不機嫌になった。

「冗談じゃないわよ! これで本当にやっていけるの? 領地持ちの爵位貴族は戦争のと
きに兵隊も出さなきゃなんないのよ。領民のほとんどいない年二千五百エキューの領地で
何人兵隊連れていけるのよ、他にも子爵としての体裁を整えるために必要な費用もあるっ
ていうのに。姫さまがいくら世間知らずだといってもこれはちょっと酷すぎない?」
「ルイズ、まだ説明はおわったわけじゃ……」
「全体がほぼ三千アルパンでいままで説明した部分の合計が約二千九百三十アルパン、も
う全体の九割以上でしょ? 残りで今までの同額程度の収入があったとしても合計は五千
エキューか六千エキュー、「格」で言うなら村持ちの準男爵級の収入よ。領地持ち子爵の
相場は最低三万ぐらいだからぜんぜん足りないわよ!」

貴族でも女ってやっぱ金勘定に関しちゃうるさいのかね、と才人は内心で苦笑しながら同
じ女性であるシエスタに助け舟を求めようと視線を向けた。しかし

「すいません、才人さん。1千エキューを超えた時点で金額が大きすぎて私にはまったく
理解できない世界にいっちゃってます」

そう小声で申し訳なさそうに謝られてしまった。一介の庶民である彼女にとってこの話は
あまりに荷が重過ぎたらしい。
結局ルイズの激昂は黒衣の家令の冷静な声によって遮られた。

「ルイズ様、訂正させていただきますが南部の収入はこれまでの収入と同程度ではありま
せん」
「それ以下ってわけ。……これは、あんたと結婚する相手は大変だわ」

ルイズはやれやれと言いたげな視線を才人に向けた。ただし大前提となる「大変」なこと
になる人物が「誰か」という点については微塵の疑いも持っていないようだ。
しかし続くムスカーの言葉は彼以外の全員の意表をついた。

「いえ、逆です」

えっ、と才人達の視線がムスカーに集まる。ムスカーは落ち着いた声で説明を続けた。

「まず南部の面積は約百アルパンです。土壌は比較的肥沃な部類に入り、領内には穀物を
主要な産物とするかなりの規模の村落が2つ存在します。ですがこの地域の最も重要な点
はこちらになります」

ここでムスカーは地図上の南端部分の一点を指差した。そこには川に面している場所にか
なりの大きさの点が書き込まれていた。

「この点は街を表しております。新規街道の開通に伴い、最近急激に発展してきている所
で、トリステイン国内の東西の新規街道と南北の水路物流との交差点でもあります。ここ
が御館様の領地に含まれております」
「街って、そうか中部が寂れたのってこっちに人が移ったからなんだ」

才人達は中部の説明を思い出して納得した。なるほど街というからにはちょっとは人もい
るだろう。当然収入も少しは期待できる。そんなふうに考えていた彼らに黒衣の家令は最
後の説明を始めた。

「街の名前は地域名と同じオルニエール。南部の収入ですが近辺の村落からの税と都市か
らの税、そして交易に対する課税の合計で、年二十万エキューほどになります。
以上で御領地に関するとりあえずの御説明を終了させていただきます。」

ムスカーはそう説明を終えると絶句している才人達に向けて完璧な一礼を行い、優雅な手
つきで地図を丸め始めた。

(続)



[31071] ゲート ZERO 3話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:1d38ce4d
Date: 2012/01/11 07:21
3 アメリカ合衆国大統領の憂鬱

アメリカ合衆国ホワイトハウス
大統領執務室

『……そう、私達は今、未曾有の危機の真っ只中にいます。世界中を埋め尽くさんとする
暴力と無秩序の連鎖、経済の疲弊と破綻、数え切れない試練を私達はこれからもくぐり抜
けていかねばなりません。しかし私達の父母が、祖先が、かつて成し遂げてきたように私
達もまた必ず全ての試練を乗り越える事ができるしょう! 自らの手で新たな輝かしい未
来を作り上げていけるしょう! そう私達はできる! 自分自身の手で未来をより良いも
のへと変えていくことができるのです!……皆さんに、そしてアメリカ合衆国に神の祝福
があらんことを』

「大統領閣下。東京に現れた『扉』に関する第4次報告です」

 自身の演説リハーサル時の録画を確認しながら休憩をとっていたマハナは、首席補佐官
から報告書を受け取ると録画再生と自身の短い休憩をすぐさま打ち切った。
そして真剣な面持ちで報告書に目を落とし、素早く、しかし細かい箇所まで内容を確認し
始める。やがてマハナは報告書を読み終えると丁寧な手つきでデスクの上に置いた。

「スティールマン補佐官。この報告書の信憑性、特に油田関連の記述に関する信憑性をど
う考えますか。あなたの見解を聞かせてください」
「大統領閣下、ご説明いたします。まず報告書自体の信憑性は極めて高いと考えます。前
回の電話会談以後、日本側の我が国に対する露骨な情報隠蔽工作は確認されておりません。
国務省に対する連絡はほぼ遅滞無く行われておりますし、外交使節団の共同派遣準備も
順調に進んでおります。特に油田の有無に関しては、我が国と日本は現在共通の利害関係
にある状況です。そして前回ご報告いたしました通り、我が国は日本側の要請に基づいて
既に油田調査の専門技術者と装備をハルケギニア側に送り込んでおります。今回の油田に
関する調査も半分の地域は我が国の技術者が実施したものであり、彼らの能力・実績を考
慮すると調査結果はほぼ事実であると断言できます」

マハナは部下の回答にしばしの間、沈黙した。そしてそれからデスクの端に置いてあった
『ウォール・ストリート・ジャーナル』に視線を移す。そこには

『原油先物価格1バレル当たり250ドルを突破、過去最高値を更新!』

との見出し記事が1面に大きく掲載されていた。マハナは大きく溜息をつくと再び報告書
を手に取り、その中から油田に関する報告が記載されたページを抜き取った。
そのページには

『超大規模油田の存在を確認。埋蔵推定量約1500億バレル。複数の箇所で原油の強力な自
噴を確認。油質は軽~中油質。政治的問題がクリアされ、設備資材および建設人員を日本
側より派遣した場合、極めて短期間で超大規模な生産体制を構築することが可能と思われ
る』

と冒頭に記されていた。

……1バレル(約159リットル 原油の取り扱い単位)250ドル。
 本来、ここまで急激な原油価格の高騰はありえないはずだった。産油国は生産調整とい
う形で生産力に余力を残していたし、新たに発見され将来の需要を慎重に計算した上で開
発される油田も世界中に多数存在していたからだ。
だが「大震災」が全ての計算を根底から粉砕した。
この「門」を巡る事件によって発生した震度5の、ただし一切減衰することなく地球全土
を襲った、地震は広範な地域に絶大な被害を引き起こした。日本とは異なり、世界にはそ
もそも地震対策をほとんど施していない、また本来その必要の無い地域が多数存在したか
らだ。
 それでも多くの先進国は組織的な救助、復興作業によって比較的速やかに被害を回復さ
せた。発展途上国の多くもゆっくりとではあったが同様に元の状態を取り戻していった。
……元に戻らなかったのは原油価格だった。
震災の為、世界中の産油施設に多大な被害が発生した結果、原油価格は一気に暴騰してい
たのだ。無論、産油国はその潤沢な資金に物を言わせて短期間に設備を復旧したのだが、
地球本来の物理法則に従わずに発生した大震災の影響は施設の破壊に留まらなかった。震
災後、ほとんどの油田において、その産油量に大きな変化が現れたのである。それらの変
化は必ずしも減少とは限らず、場所によってはむしろ増大した所もあった。しかし全体と
してみた場合、産油量は明らかな大幅減少となっていた。
 その上、震災の影響で多くの油田が震災前に見積もられてた時期より遥かに早い時期に、
生産不能とならざるを得ない事が判明する。それら全ての要素が原油価格の高騰を加速
させた。
 無論マハナを初めとする各国首相も可能な限りの対策はとった。協力して全世界の新規
油田の開発を急速に推し進め、可能な限り増産体制の構築を支援し、投機資金の原油市場
への流入を法的に規制した。しかしその全てをもってしても原油価格の高騰を押しとどめ
ることはできなかった。需要に対し、供給量が絶対的に足りないのだ。
 現代文明は原油無くして成立し得ない。代替エネルギーの開発も急ピッチで進められて
はいるが、それらの多くはいまだ研究中で大規模な実用化は難しい状況である。そんな状
況においてハルケギニアで発見された、技術的には極めて開発容易な超大規模油田はまさ
に砂漠で見つけたオアシス、但し正当な所有権は明らかに他人にある、に等しいものだっ
た。

「一刻も早く相手方の同意を得た上で生産設備の建設ができるよう、可能な限り現地勢力
との交渉を急がせてください。また油田開発が可能になった場合の日本側との事前調整も
現時点で詰めれる所まで詰めておいてください。人員、予算は必要と思われる全てを投入
してかまいません」
「了解いたしました」

マハナがそう命令を下すと首席補佐官は一礼してそれに応じた。すると後ろに控えていた
次席補佐官の一人がマハナに進言した。

「大統領閣下。これほどの規模の油田の存在が確実になった以上、以前提案した『Cプラ
ン』の詳細な立案検討チームの編成を許可していただけないでしょうか?」

『Cプラン』、その言葉を聴いた途端、マハナは露骨なまでに一気に不機嫌になった。

「……本気で言っているんですか? 君は、今のこの時代に、このわたしに、このアメリ
カに、コルテスになる為の計画を本気で練れといっているんですよ」
「あくまで最悪の状況を想定したプラン作成です。大統領閣下ご自身の命令が無い限り、
作成されたプランが実施されることは絶対にございません」

『Cプラン』正式名『コルテスプラン』、それはかつてアステカ文明を完璧に征服、滅亡
させたコンキスタドール(征服者)の名前から取られた計画だった。
直接的な軍事力によって現地勢力を完全屈服させ、ハルケギニアの一定区域を長期間に渡
って実質的な統治下に置く事がその目的となっている。

「当たり前です! そもそも作ったところで目的が余りにも露骨過ぎて実行できるわけが
ない。どこをどうみても一方的な侵略でしょう。やったが最後、我が国の信用は地の底ま
で落ち、『自由と正義』は泥に塗れきります。無論、諸外国の反発もイラク戦争の時とは
比べ物にならないものになるでしょう」

 マハナは純粋な博愛精神や倫理観からこの計画に反対しているわけではない。むしろ彼
はアメリカの利益となるのであれば何でもやるつもりだった。他国との貿易交渉などでも
それなりに「エゲつない」手段を用いた交渉を許可してもいる。ただし彼の利益計算の方
程式は『Cプラン』が絶対的に割に合わないものだとの結論を出していた。そもそも「ア
メリカの利益」というものは必ずしも資源や金銭上のものに限らない。国際的な信用や評
判といった抽象的なものも非常に大きなウェイトを占めるのだ。そして現時点での地球の
世界秩序は(さまざまな異論・反論があるとはいえ)「世界の警察官」たるアメリカに負
う事が大だった。その「警察官」の信用が完全に失われれば表面上かろうじて保たれてい
る現在の世界秩序は根底から崩れかねない。

「それともハルケギニアの情勢に関しては、北朝鮮や中国のような徹底的な情報統制でも
かけろとでもいいたいのですか? 『自由の国』たるこのアメリカで! 賭けてもいいで
すが、その場合、必ず現地に派遣された部隊の中から帰国後にインターネットで告発を行
う兵がでてきますよ!」

 米軍の一兵士がインターネット上の告発サイトにアメリカの外交機密文書データを大量
に漏らして世界中に公開させたことは記憶に新しい。この時は無意味に外交関係を混乱さ
せたとしてこの兵士を非難する声の方が比較的大きかったが、圧倒的な技術格差を有する
相手に対する侵略戦争となればどちらが非難されるかは明白だとマハナは考えていた。
『Cプラン』の立案を提案した次席補佐官はマハナの興奮が収まるのを待ってから反論を
行った。

「大統領閣下。他国が反発するとしても、それは我が国と日本だけが利益を独占するので
はないかと考える為です。相応の利益を保証し、名目上でも『共同出兵』という形をとれ
ばこちら側に引き込むことは十分可能です。産油国以外はどこの国も、そう日本さえも、
現在の原油価格には悲鳴を上げているのです。また大義名分に関しては現地が強固な封建
制社会である事を利用すればいくらでも作り上げる事は可能ではないかと思われます。
 なによりこのままの状態では2年以内に確実に原油価格は300ドルを突破します。5年後
には500ドルに達するとの予測さえございます。その後は新規油田の生産が見込めるため
状況は少しは改善されるでしょうが、それでも現在の原油価格とそれにともなう物価高騰、
特にガソリン価格の高騰は我が国の低所得者層が耐えられる域をとうに超えております!」
「……」

 アメリカは徹底的な車社会である。車が無ければ普通の生活を送る事さえ難しい。だか
らこそアメリカは昔から安価な原油の確保に徹底的に拘りつづけていた。その事はマハナ
も十二分に理解しており、それゆえ次席補佐官の言葉を否定する事ができなかった。

「勿論『Cプラン』は全ての外交手段が失敗した場合の最後の、そして最悪の手段です。
実行する場合は我々全員が歴史に最悪の悪名を残す覚悟が必要となるでしょう。しかしそ
れでも早急な原油の大規模供給先の確保は我が国の、いや地球全体の至上命題です。そし
て原油生産設備の建設が可能になったとしても、安定的供給の為には長期にわたる現地の
政治的安定と契約が遵守される環境が絶対不可欠です。
大統領閣下。今後、どのような展開にも対応できるようどうか『Cプラン』立案検討チー
ムの編成及び派遣使節団への専門調査員の随行をお許しください!」

 次席補佐官の言葉には、その進言内容がどれほど非道非情なものであれ、まぎれも無く
純粋に祖国の未来を案ずる真摯な熱意が宿っていた。
マハナは目を瞑り、しばらく無言で沈思した後、彼を知るものにとっては非常に珍しいと
感じる疲れきった声で命じた。

「……わかりました。チームの編成とプラン作成及び専門調査員の派遣使節団への随行を
許可しましょう。ですがあくまでプランだけです。わたしの許可が無い限り、実行には絶
対に移らないでください。専門調査員もあくまで現地情勢の合法的な情報収集に徹し、現
地への直接的工作は現時点では厳禁してください。現在の我が国の方針はあくまで平和的
な交渉に基づく合意による原油資源の確保、それは徹底させておいてください」

その言葉に次席補佐官は深々と一礼した。

「ありがとうございます、大統領閣下。
……最悪、我々は全員天国に行くことはできなくなるでしょう。ですがその場合、地獄に
落ちるその時にはこの私が先陣を切らせていただきます」

(続)



[31071] ゲート ZERO 4話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:1d38ce4d
Date: 2012/01/16 00:33
4  ギーシュ・ド・グラモン

「いや、実にいけるね、君の領地のワインは! それに料理も素晴らしい。才人、いい料
理人を雇えたみたいじゃないか!」

 金髪の少年が上機嫌で酒盃を傾けながら料理に舌鼓をうっていた。
少年はまず美形と呼んでよい顔立ちと、育ちの良さを反映したであろう品のよさ、そして
どこかお調子者めいた底抜けの陽気さを有しており、非常に人好きのする陽気な雰囲気を
その身に纏っている。この少年、名前をギーシュ・ド・グラモンといいトリステイン王国
近衛隊の一つで、才人が副隊長を務めている水精霊(オンディーヌ)騎士隊の隊長を務め
ている。

「そりゃタダ酒、タダ飯、こんだけ好き放題飲み食いできれば美味いだろうさ」

 才人が呆れてそういうとギーシュは臆面も無くこう言い切った。

「勿論さ! 他人が用意してくれた酒と食事だからこそここまで美味い! いやぁ! 君
が会計主任になってくれたおかげで、わが隊の財政的不安は完全に払拭された。実に素晴
らしい話だよ!」

 こいつホントに貴族か? と今までに幾度と無く抱いた疑問を胸にしまいこみ才人は自
らも手にした酒盃を傾けた。

……ここはトリステイン王国王都トリスタニアにあるオルニエール子爵邸、つまり才人の
館である。才人自身は館(というか家)など領地の都市にある分で十分と考えていたのだ
が、家令のムスカーから爵位と領地を持つ近衛隊の副長として首都に館は絶対必要である
と強く進言されたため、王都にも邸宅を購入せざるをえなかったのだ。
その大広間で、水精霊騎士隊メンバーによる宴会が行われていた。
名目は才人の館の開館祝いという事になっている。「引越し祝い」ではないのは才人以外
の水精霊騎士隊のメンバーが全員魔法学院の学生であり、正式に近衛部隊としての王宮勤
めを開始するのは彼らの卒業後だった為である。才人自身もそれまでは最初に顔出しをす
るだけでこちらに移るつもりはなかったのだが、夏休みで時間が出来た水精霊騎士隊のメ
ンバーが押しかけこの宴会となったわけである。もっとも彼らは才人が子爵位と莫大な収
入を保証する領地を得てからというもの、何かにつけてタダ飯、タダ酒を才人にたかって
いるのであるが。

(まあ、こいつらも部隊としての訓練はキチンと続けているからいいんだけどな。収入全
体からみたら大した金額じゃないし)

 金銭に関して割と小心な才人は掛かった費用について、定期的にムスカーに確認をとっ
ていた。その報告を聞いた限りでは現状の飲食費は収入から見てまったく問題無いレベル
に思えた。むしろ家令のムスカーはより積極的に彼らを宴に招き、関係を強化すべきだと
まで言い切っている。

(貴族同士の社交ってやつか? 姫様からは貴族としての付き合いに関しては近衛部隊と
して正式活動するまで行わずに済むよう手配してあるって言われたけど)

 才人は既に正式に爵位と領地を受け取っている。しかし近年連続した戦争とその後始末、
そして新領地拝領とその他諸々の手続きに時間が必要として、「オルニエール子爵家」
のお披露目等は近衛隊としての活動開始時に同時に行うとの通達がアンリエッタ女王自身
の名前で上位の貴族達に出されていた。

(なんていうかこれ以上宴会増やしたら、タダの「駄目貴族」になっちまいそうで怖いん
だが)

そんな才人の懊悩など欠片も気づかず、ギーシュを初めとする少年騎士達は酒と料理相手
の胃袋を使った戦闘を続行し続けていた。才人は駄目元でいいかと思いながらギーシュに
以前から抱いていた疑問を尋ねる事にした。

「ギーシュ、ちょっと教えてもらいたいことがあるんだが」
「なんだい、藪から棒に?」 
「いやな、爵位と領地をもった貴族は戦争のときに兵隊出さないといけないんだろ? 
で、部隊というか『兵隊としての部下を指揮する』ってぶっちゃけどうやるんだ?
 いやどう考えても一言で言えることじゃないことぐらいはわかるんで、なんか最低限の
心構えとかコツとか教えてくれないか?」

 それが目下、才人の頭を悩ませている最大の問題だった。
才人自身はこの世界で既に数え切れないほど多数の戦闘を経験している。しかしそれらは
ほとんどが自分自身で敵と戦う。あるいは味方が魔法を完成させるまでの時間稼ぎをする
といった形であり、「魔法使いでもない普通の兵隊を指揮して戦わせる」といった事は一
切やったことがなかった。一応水精霊騎士隊の副隊長を務めてはいるが、その戦い方も基
本的には自分が切り込み役をつとめ、全体指揮はギーシュとレイナール等の中枢メンバー
がとるという形になっている。加えて彼らは全員が魔法使い、すなわち貴族だった。はっ
きりいって才人は軍隊の大多数を占める「魔法をつかわない兵隊」の指揮について何も知
らないのだ。
 無論、領地経営についてはムスカーに時間を割いてもらったり、学園の友好的な教師な
どから教えて貰ったりしている。けれどその中に「普通の兵隊」について詳しく知ってい
る人はいなかった、いや一人だけ徹底的に詳しいかもしれないという人もいたが、その人
は現状軍隊との関わりを極端に嫌っており、とても直接聞く気になれなかった。
そんな時、才人にムスカーが進言した。
 ギーシュ殿にお尋ねになってみてはいかがですか? グラモン家はトリステインきって
の武門の名家。現党首は元帥位にあり、高齢でなければ間違いなく先のアルビオン相手の
戦争で総指揮を執っていたであろう御方です。その御子息であるギーシュ殿ならばなんら
かの有用な助言をしていただけるのではないでしょうか、と。
 学園でギーシュの振る舞いを常々見続けていた才人にとってその言葉は大いに疑問だっ
たが、他にあてもない為この機会に聞いてみることにしたのだ。 

「お前、アルビオン相手の戦争の時に中隊長として150人とか凄い人数の指揮を執ってた
だろう。おまけにその部隊で勲章もらえるぐらいの手柄も挙げている。あれってなんかコ
ツかなんかあったのか?」

その才人の質問にギーシュは唯でさえハイになっていた機嫌をさらに急上昇させた。

「おお、才人! 君もアルビオンの戦いにおける僕の華麗な武勇伝を聞きたいというのだ
ね! いいだろう、流石に君の武勲には遠く及ばないが、この僕の戦場における大活躍を
ここで再び語ってあげようじゃないか!」

才人はため息をついてギーシュにストップをかけた。

「いや、真面目に聞いているんだが」
「悪かった。まあ親友である君の頼みなら断る事はできないな。いいだろう。役にたつか
どうかわからないが僕の知る限りの事、僕が戦争中にやっていた事を説明しよう」

ギーシュはあっさりとテンションを落とし、今度は真面目な表情で語り始めた。

「といってもぶっちゃけ、戦闘になった時は全部下士官の軍曹の言うとおりにやってただ
けだった、で終わってしまうんだが」
「まてや、コラ」

才人はやっぱコイツ役にたたねぇと頭を抱えた。

「じゃあ戦闘以外の時はお前なにやっていたんだ? 訓練の指揮とかか?」
「まさか! ほんの数ヶ月訓練受けた程度の学生士官が本物の兵隊相手にどういう訓練の
指揮ができるというんだね? そういうのも全部下士官の軍曹に任せたよ」
「だったらお前、戦っていない時、何をやっていたんだよ。まさかモンモンに送る手紙の
文面考えていたとか、帰ったときの贈り物の準備とかしてたんじゃないだろうな」
 
ちなみにモンモンとはギーシュの恋人であるモンモランシー・マルガリタ・ラ・ フェー
ル・ド・モンモランシの名前を才人が(勝手に)略してつけた渾名である。

「勿論当然それはしていたとも! 僕を馬鹿にしているのかね、君は!」
「お前な……」
「まあ真面目な話、戦闘の無いときは金勘定と部下の食べ物と酒の手配ばかりやってたな、
うん」
「はぁ?」

その言葉に才人は呆れた声を挙げた。

「お前、確か部下は国が用意した兵を指揮してたんだろ。だったら食べ物とか酒とか給料
とかは国のほうで配ってくれるんじゃないのか。何でお前がそんな事しているんだよ」

その質問に今度はギーシュが疲れたような声で答えた。

「まあ、建前上はそうなっているんだが……才人、ぶっちゃけた話、軍隊ってのは 仕官、
つまり魔法使い以外の「兵隊」の給料は凄く安い。おまけに食べ物も名目上の配給量より
少なかったり、遅れたり、酷い時は無くなったりする事がしょっちゅうなんだ。
 そして手柄を立てた時の報奨金も末端の兵たちまで来ることはほとんどない。上の士官
連中が自分の手柄にしちまうからだ。
 そんな状態じゃあ下の兵達はよほどの理由、たとえば王族の方々が直接前線に出てこら
れるとか、がないとなかなか真面目に戦おうとはしない。当然だな。安い給料に食い物も
ろくなもんが無い状態で、評価もされないのに誰が命を賭けて本気で戦うかって話だ。そ
して仮に勝てた場合でも、安い給料と足りない食料の埋め合わせとして、戦場付近で略奪
とか女性に対するけしからん振舞いとか、名誉とは程遠い行いに及ぼうとしてしまう。勿
論そういう軍隊が強いわけがない。これも当然だ、彼らは軍隊としての命令より自分の目
先の欲望を優先してしまうんだから。まあ、この辺りの事情は僕も事前には父上や兄上達
から聞かされていただけだったんだがね」
「じゃあ、それでお前はどうしたんだよ?」
「勿論自腹で用意したんだよ。部下達の食料と宴会用の酒と手柄を立てたときの報奨金を」

その答えに今度こそ才人は驚愕した。彼の知る限りギーシュはまぎれもない「貧乏貴族」
だったからだ。

「自腹って、お前、んな金もっていたのかよ」
「僕の金じゃない。実家が用意してくれた金だ。前にもいってただろ? うちの実家は戦
争に金を使いすぎるからいつも借金でピーピーいっているって。それはこういった事に使
う金が多すぎる事が原因のひとつなんだ。まあ、これはあくまでウチの人間が戦争にいく
ときの先祖伝来の『伝統』だ。他の貴族がどうしているのかまでは僕は知らないね」
「……」
「話を戻すが、兵隊達に準備してやらなければならないものは報奨金と食べ物と酒だけじ
ゃない。それだけでは命を掛けるにはまだ足りない。それを埋めるものはなにかというと
だね。その、なんだ。世の中には金さえ払えば男にとって非常に素晴らしいサービスを提
供してくれる女性達がいる。無論相応の費用は掛かるんだが、部下達のそういう人達相手
の「交流」費用を持ってやることも我が家の『伝統』の一つだ。まあ手配自体は下士官に
頼んだがね。あ! いっとくが僕自身は誓って「交流」はもってないぞ! モンモランシーに
変な話は吹き込まないでくれたまえ!」

ギーシュはいつになく真剣な表情で才人にそう迫った。

「……い、いや、少し興奮した。ともかくだ。才人、100人とか200人ぐらいまでの少人
数の部隊なら初めの間は信頼できる古参の下士官のいう事を聞いて部隊のことはそいつに
任せた方がいい。……悪い、君の場合はその下士官自体のアテがないんだったな。わかっ
た。実家の下士官から何人か君の所に派遣させられないか聞いておこう」
「実家ってグラモン伯爵家が? いや、普通の領地持ち貴族は「普通の兵隊」は戦争無い
ときは雇わないんじゃなかったか?」
「ああ、普通の領主貴族はそうだ。よほど大きな所を除き、「普通の部隊」は戦争の度に
平民を徴兵して軍隊を一から作る。だがウチの実家は戦争に備え、下士官を常時結構な数
雇い続けているんだ。無論それなりの待遇でだ。そいつらを何人か君の所にやって最低限
中核となる部隊を育てさせる。規模は大きくなくてもそういう部隊があるかないかで戦争
の時にはとんでもない差が出る……と父上や兄上達からは聞いている。
 まあなんだ。軍隊に関してはそこそこの規模で十分だと思うよ。ウチのレベルまでやろ
うとしたらいくら金あっても足りなくなるから正直とてもお勧めできんね。やった結果が
領地持ちの伯爵でありながら貧乏貴族という稀有な存在である我がグラモン伯爵家なんだ
から」

ギーシュはここで一旦言葉を区切りワインを全て飲み干した。

「他に君の為になりそうなうちの『伝統』としては……そうだな、これは僕も先の戦争中
にやっていたことなんだが、戦争中はずっと部下と同じものを食べたまえ。士官と兵隊は
食事にも明らかに差がついているんだが、士官同士の付き合いはともかく、少なくとも配
下の部隊にいる間、戦争中は常に部下と同じものを食べろ……と僕は父上や兄上達に子供
の頃から耳に蛸ができるほど繰り返し言われ続けていた。これらの『伝統』が具体的にど
の程度効果があったのかはよくわからないが、生きて帰れて手柄を立てることができた以
上、少なくとも無意味じゃなかったと僕は思っている。
あとは……ウチと付き合いがあり信用できる酒保商人の名前と連絡先を何人か後で紙に書
いて渡しておこう。食料類の手配は基本的に彼ら酒保商人に頼るしかないんだが中には相
当悪辣な事をやる連中もいる。うちの名前を出せばそれなりの対応は受けられるからカモ
にされる事はないと思うよ。僕から君に言ってあげられるのはこんな所だな」
「……わかった。ありがとう」

才人は真剣に礼をいった。才人にもギーシュがいつに無く真剣に答えてくれていた事が理
解できたのだ。こういう話が聞けるなら宴会やるのも確かに悪くないかもしれないなと才
人は思った。

「話は変わるが、才人。君は自分の領地の北の方、「黒泥の死地」だったか、には行った
ことはあるのかい?」
「えっ、いや行った事はないぜ。俺も一度は見てみようかなと思ったんだけど、ルイズと
ムスカーにほとんど意味のあるものは無いからって止められた。ま、確かに今は覚えなき
ゃならない事が山積みだしな。暇になった時にでも行こうと思っている」
「そうか。いや数ヶ月前からその辺りに妙な連中が現われだしたって話を聞いたんだが君
は何も知らないのか?」
「いや何も聞いてないけど。妙な連中ってどんな奴らなんだ? ってかなんでお前がそん
な話を知っているんだよ」
「いやなに、コルベール先生が例の『がそりん』とかいう奴を作るために君の所の『黒泥』
を集めていただろう? で、学院生の中でバイトとしてそれを集める作業を引き受けた
連中がいるんだ。そいつらから聞いたのさ。最近あの辺りの村落に妙な風体をした連中が
度々現われているって。どんな風に妙かといわれたら僕も又聞きだし詳しい事はいえない
んだがね。
どうだ、才人。水精霊騎士隊の訓練がてら一度見に行ってみないか? 盗賊の類だとして
も水の無い場所じゃ大した数はいないだろうし、いい演習になるぜ」

才人はその申し出に少し考え込んだが、確かに盗賊だった場合は放っておけない。
訓練にもなるしやってみようと考えた。

「判った。じゃあ準備もあるし、来週に行けないか予定を調整してみよう。もし本当に盗
賊がいてそれの退治になった場合は、俺の方からみんなに礼金をださせてもらうよ」
「さすが子爵閣下! 太っ腹だねぇ!」

ギーシュがそう囃し立てるのを聞きながら才人は内心で、俺が領地持ちの子爵ねぇと、呆
れたような呟きをもらした。実際あまりにも急な話すぎて現在でも実感が無いのだ。
ファンタジー世界の貴族で(使い道はないが)油田持ちの領主貴族、日本の人間がこれを
知ったらどんな顔をするだろう。驚くだろうか、呆れるだろうか、それとも笑われるだろ
うか?

(考えても意味ないか。それよりこれ以上「あっち」を放っておくとエライ事になるな)

才人は酒の酔いを醒ますため、用意しておいたコップの水を飲み干すと先に酒の飲みすぎ
で退室したルイズの所に向かうため席を立った。

(続)



[31071] ゲート ZERO 5話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:1d38ce4d
Date: 2012/01/27 23:15
5 とある日本人外交官の憂鬱

「何度お見えになられても、紹介状の無い方はお取次ぎ致しかねます!」

 都市オルニエールの子爵邸留守居役を勤める執事は眼前の奇妙な風体をした一団に対し
キッパリとそう言い切った。

「いえ、ですから我々は日本国とアメリカ合衆国より派遣された共同外交使節団の者でし
て……」

 奇妙な紺色の服を着た男が、変な訛りのある言葉で必死に自分達は異国の使者であり、
サイトン・シュバリエ・ド・ヒリーギル・ド・オルニエール子爵にお目にかかるためにや
ってきた云々、というのを聞くと執事は思わずいいかげんにしろ、この詐欺師ども! と
怒鳴りつけたくなる自分を必死に押さえ込んだ。
サイトン・シュバリエ・ド・ヒリーギル・ド・オルニエール子爵?
この時点でもうボロが出ている。
彼の主人であるオルニエール子爵の正式なフルネームは「サイト・シュバリエ・ド・ヒラ
ガ・ド・オルニエール」なのだ。確かにオルニエール子爵は巷、特に平民の間ではサイト
ンやヒリーギル、もしくはサートームといった名前であると思われている事が多い。これ
は彼の武勲を元に作成され、首都のタニアリージュ・ロワイヤル座で公演された劇「アル
ビオンの剣士」の影響だろう。オルニエール子爵の正確な名前を平民で知るものは極めて
少ないのだ。だがしかし、いやしくも一国、いやこの場合二国の代表団が訪問する相手、
それも爵位をもつ貴族の名前を間違えるだろうか?
 加えて執事はニホンとアメリカという国の名前など聞いたことが無かった。ハルケギニ
アは戦乱が多く、極めて弱小な国家が滅んだり、再興したり、建国したりといった話は、
非常によくある話なのだが、そんな国が存在した、あるいは新しく独立したといった話を
執事はまったく聞いたことがなかった。
 止めにこの自称外交使節団、紺色の服の男は自分は本隊派遣前の下準備にやってきた外
交官であるといっている、には杖を持ったメイジ(魔法使い)が一人もいない。そして貴
族はおろか、まっとうな信用ある商人からの紹介状一枚持ち合わせていないときている。
こんな連中をどう信用しろというのだ。

詐欺師か詐欺まがいの手法で持って子爵家に取り入ろうとする異国の商人。

 それがここ最近、何度も館に訪れ、子爵本人もしくは家令のムスカーとの面談を図々し
く求め続けるこの紺色の服の男とその一団に対してこの執事が出した結論だった。
 本音としては警備の兵に命じ、すぐさま叩き出したい所だったが、それが出来ないのは
男の後ろに緑色と茶色の斑の服を着た兵士と思われる一団がいる為である。ただこの兵士
の一団には奇妙な事に小柄な、どう見ても女性としか思えない兵士が一名混じっていた。
メイジを除けば、ハルケギニアでは女性兵士など通常まずありえない存在であり、その事
がこの一団の珍妙さを一層強いものしている。それでも私語も交さず静かに控えている辺
り、それなりの腕前の連中である可能性が高いため執事は自分の側から実力行使に出よう
とはしなかった。
 紺色の服を着た男はけんもほろろに面会依頼を断られながらも、せめて子爵への贈り物
だけは受け取ってほしいと様々な品物を持ち出した。だが執事はこれらの受け取りも全て
拒否した。確かにそれらの贈り物は売れば相当な値がつくのではないかと思えるものが多
かったが、受け取るには余りにも相手が怪しすぎた。加えて子爵家使用人のトップである
家令のムスカーより、微妙な立場にある子爵の名誉と立場を確実に守る為、胡乱な相手と
関係を持つ事は可能な限り避けろとの指示が出されてもいた。
 オルニエール子爵はまだ正式にお披露目はされていないとはいえ、既にこの交易都市オ
ルニエールの実質的支配権を握っている。加えてアルビオンとガリアという2大国相手の
対外戦争に連続して勝利を収め、今や絶大な威信を有するに至ったアンリエッタ女王の第
一の寵臣との噂さえ囁かれている。そんな彼とどんな手段を使ってでも関係を持ちたいと
いう輩は、既に掃いて捨てるほど出てきているのだ。無論、そういった胡乱極まる連中を
いちいち取り次ぐ事はしない。いや、子爵はおろか家令であるムスカーに取り次いだだけ
でも、執事としての能力なしとして最悪、職を失う事にも成りかねない、
 執事は魔法の使えない平民階級の出身だったが、いくつかの専門技能を有する従卒とし
ての経験を積んでいた。彼はその能力を買われて、オルニエール子爵家において家令に次
ぐ地位の執事として採用されたのだ。これはこのトリステインでは平民として常識的に考
えられうるほぼ最高の栄達といえた。加えてメイジの執事とほぼ同程度というまさに破格
の報酬を受け取ってもいる。執事はそんな自分の幸運を目の前の胡乱な連中の申し出によ
って投げ捨てる気は毛頭無かった。

「よろしいでしょうか? 子爵様へのお手紙が届いております」

 ある程度時間が経てば入ってくるようにあらかじめ言い含めておいたメイドが、子爵宛
の手紙を持って室内に入ってきた。それを機会に執事はこの不毛な会見を打ち切った。

「お帰りください。我々も忙しいのです。どうしても子爵様や家令のムスカーとの面談を
お望みなのでしたら、何度も申しておりますが、しかるべき貴族の方か、聖職者の方々、
せめてキチンとしたギルドの商人の方からの紹介状をご用意ください。わたくしにも立場
というものが在るのです!」

 その言葉にこれ以上は無駄と観念したのか紺色の服を着た男は、一応急な訪問の侘びを
述べた上で立ち上がろうとする。すると男の隣に控えており、今回初めてやってきた黒服
の男がこちらは訛りのほとんどない綺麗な言葉で述べた。

「いや執事殿、本日はお忙しいところ真に申し訳ありませんでした。今日の所は帰らせて
いただく事にしましょう。「ヒラガ・ド・オルニエール」子爵によろしくお伝えください」

 それは紺色の男のそれとは全く異なる、生粋の貴族の如き堂々とした物言いと態度だっ
た。詐欺師であるにしろ、少なくとも隣の男とは全く別物であることは間違いないようだ
と執事は考えざるを得なかった。


「はあ、まいったな。まさかここまで門前払いを喰らい続ける羽目になるとは」

 及川啓介は今日も全く進展の無かった交渉結果に大きくため息をついた。彼は第二特地
問題対策委員会に出向している外務省の職員であり、現地領主との事前交渉と情報収集が
その任務だった。しかし現在の状況は何処をどうみても最悪に近かった。

「そもそも「向こう」は「こっち」の存在自体を認識してくれてないんだからなぁ」

 相手と関係を持ち交渉を行おうとする場合、そもそも相手が「自分の存在」を認めてい
ないと話にならない。そして現状ハルケギニア側は日米両国の存在を「判っていてしらな
いフリをしている」のでは無く、「素で存在自体を認識していない」状態なのだ。正直交
渉どころの話ではない。及川が頭を抱えていると、黒髪オールバックの若い白人男性が励
ますように声をかけた。

「及川さん。あなたもお分かりでしょうが焦りは禁物です。我々はまったくの未知の世界
とのネゴシエーションをおこなっているのです。焦らずゆっくりと知識を集め、信頼を積
み重ねていくのが現状では最善の手段です」

 男は大柄な体を髪同様の真っ黒な背広で包み、黒地に白いストライプのネクタイを締め
ていた。一見威圧的な印象を与えかねない外見だったが、穏やかで紳士的、なおかつ堂々
としたその態度が悪印象を大いに弱めている。
男の名前はロジェ・ブラック。今回の事前交渉にアメリカ側が派遣したネゴシエーター(
交渉人)である。

「確かに仰られる通りです。落ち込んでいる場合じゃないですな。一旦拠点に戻って他の
チームが新しい情報を集めていないか確認してから対策を考えましょう」

 服のセンスはともかく、付き合いにくい人じゃないのは助かるなと思いながら及川は警
護の自衛隊が準備した軽装甲機動車の後ろの席に乗り込んだ。ロジェもまたその隣に乗り
込む。
 日米両政府上層部の話し合いの結果、両国はハルケギニアにおいて基本的に同数の外交
官を一つのチームとして、常に同時にハルケギニア側と接触する協定を結んでいた。これ
は無論、互いの抜け駆けを阻止するためのものだったが、それでもコンビを組む相手との
相性のよし悪しはチーム全体の効率に影響を与える。その意味で今回自分は運に恵まれた
ようだと及川は感じていた。車が走り出すと及川はロジェに苦笑して話しかけた。

「今にして思えば「帝国」との交渉は、今回の交渉に比べるならゲームで言うイージーモ
ードに近かった気がしますね。少なくとも「帝国」は日本に攻め込んできた時点で「こっ
ち」になんらかの国家が存在する事は認識していましたし、その後のアルヌスを巡る攻防
では10万の兵を自衛隊が撃退することで改めてこちら側の軍事力を帝国側に誇示する事が
できました。他にも付近の住民から恐れられていたドラゴンを撃退したり、街を襲う盗賊
を退治したりと、「日本」が相手にとって無視できない存在である事を比較的に容易にア
ピールできていたんです。加えて当時はピニャ殿下、今は陛下ですが、が仲介役となって
くださる事で最初から「帝国」中枢の要人と交渉する事も可能でした。しかしこちらでは
……」
「攻めてくる10万の敵も、村人を襲うドラゴンも、街を襲う盗賊も、仲介役を務めてくれ
る皇女様も全部居ないというわけですか」
「それに加えて現在「オルニエール子爵」との唯一の接点であるあの執事を我々は完全に
怒らせてしまっています。紹介状についても零細な末端レベルの商人ならともかく、ある
程度以上の規模の商人には作成を全て断られています。他のチームが担当している貴族や
聖職者からの紹介状の取得となるとこちら以上に論外な状態だとか」
「あの執事殿を怒らせた件に関しては私の前任者の落ち度と伺っています。なんでも執事
殿個人に「贈り物」を無理に渡そうとしたら、激怒されて叩き返されたと。……プライド
を持って仕事をしている相手に賄賂はむしろ逆効果といった程度の事も忘れてしまうとは、
相当に焦っていたようですな」
「まあそちらも事情は同じでしょうが、第二特地側扉付近の巨大油田の存在が確定してか
らというもの、毎日矢のように現地領主との交渉を急げという指示が来ています。経済産
業省の方では既に生産設備の資材の手配すら始めているとか。おそらく上は「オルニエー
ル子爵」相手の交渉が済んだ時点で、王国政府との交渉を待たずに生産設備の建設を始め
るつもりでしょう」

 現在の日米共同外交使節団の方針は、まず最初に現地領主である「オルニエール子爵」
とコンタクトを取って友好関係を結び、彼を通してトリステイン王国上層部との交渉を行
うというものだった。
 その理由は三つ。まず子爵がハルケギニア側の扉の存在する場所を領有している事、つ
いでその領内の石油資源の全面的所有権に有する、ハルケギニア社会の慣習として領主は
その領内の資源類について完全な所有権をもつ、人物であるという事。最後に「魔法使い
至上主義」ともいえるこの世界において、魔法の使えない「平民出身者」でありながら爵
位と領地を持つ例外的存在であり、なおかつ近衛隊副隊長として王国中枢と強力なパイプ
を有する事である。
 日米両政府の使節団の中には当然ながら「魔法使い」は存在しない。そのことによる交
渉上の不利益は既に各チームより使節団本部に散々報告されていた。しかし子爵が「魔法
を使えない平民出身者」であるなら、こちらに魔法使いがいないことは不利益にならず、
むしろ有利に働くのではとの予測から、交渉窓口として理想的であると見なされているの
である。だが現実には交渉相手との直接接触という最初の「門」にさえ入れない状態が延
々と続いており、それでも上層部からは交渉を急げ、急げとの指示が降り続ける。
再び落ち込みかける及川だったが、そんな彼にロジェは明るい声であっさりとこう告げた。

「しかし今回の会見で今まで門前払いされ続けていた理由の一つはハッキリしましたし、
光明も見えてきました。少なくともこれは収穫です」
「えっ」

驚く及川にロジェは丁寧に説明した。

「我々はずっとこの地の領主の名前を「サイトン・シュバリエ・ド・ヒリーギル・ド・オ
ルニエール子爵」だと考えていましたが、これは間違いだったようです。さっきメイドが
持ってきた手紙の表紙には「サイト・シュバリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエール子爵殿
へ」と書かれていました。つまり我々は交渉相手の名前自体を間違えていたんです。おそ
らく伝言ゲームのどこかでミスがあったか、最初の情報自体が間違っていたのでしょう。
これでは門前払いもしかたがない」
「……」

 面談終了直前、手紙を持ったメイドが室内に入り、自分達のすぐ傍を通った事は及川も
覚えていた。だがあの一瞬でそこまで読み取ったのかと驚愕する及川にロジェは自らの幸
運を喜ぶような笑みを浮かべて言葉を続けた。

「もっとも多少強引な手段でも直接子爵本人と会えれば一気に話が進む可能性が高くなり
ました。及川さん、本部に戻ったら日本国内の行方不明者リストを調査するよう手配して
ください。年齢は比較的若い、そう高校生前後の男性の失踪・行方不明者です」
「は? ロジェさん、どういうことですか?」
「わかりませんか? サイト・シュバリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエール。シュバリエ
は「騎士」を意味し、オルニエールはここの地名です。そして「ド」は英語のofに該当す
る。称号・地名を全て取るとどうなりますか?」
「サイト・ヒラガ? ……な、まさか!」

ここで及川は初めてその「可能性」に気づいた。

「そう、姓を前にもってくるならヒラガ・サイト。どうです? 貴方のお国の方の名前で
はないですか? そしてオルニエール子爵は黒髪、黒目の若い男性だという情報でしたね
?」
「……」

及川はロジェの指摘に一瞬絶句していたが、指摘の重要性に気づくと前の席に座っていた
護衛部隊の隊長に慌てて声をかけた。

「小暮隊長! 無線で本部と連絡をとってください。大至急本部に報告しなければならな
い情報があります!」

 大慌てで外交使節団の日本側本部と連絡をとる及川を横目で眺めながら、ロジェは、や
れやれ仕事熱心ではあるが、紳士としてはいささか落ち着きにかける御仁だな、と内心で
小さな苦笑を浮かべた。

 第二特地側の扉付近に準備された外交使節団本部に軽装甲機動車が到着すると、及川は
慌しくロジェに礼を述べ、追加報告の為に大慌てで日本側本部に駆け込んだ。
 ロジェはそれとは対照的にゆったりとした仕草で護衛隊隊長の小暮と運転手役を務めた
勝本という自衛隊員に礼を述べてからアメリカ側の使節団本部に足を踏み入れた。すると
彼を待ちかねていた他のアメリカ外交官達が、瞬時にロジェを質問責めにし始める。
 ロジェが同国人の短気さに溜息をつきながら報告を始めると、別の外交官がロジェ宛の
電話を告げた。ロジェからの聞き取りを行っていた外交官の一人は今忙しいからあとにし
ろ、とその外交官を怒鳴りつけたが電話を掛けて来た相手の名前を知ると絶句してロジェ
を解放した。ようやくロジェが電話、但し気が遠くなるほどの費用をかけて防諜対策を施
されたもの、をとると受話器の向こう側から、彼の直接の依頼人の皮肉っぽい砕けた物言
いの声が流れてきた。
 
「やあロジェ、首尾はどうだね?」
「首尾も何も初めての異世界ですからね。まだなんとも。今回の報告書はすぐに他のスタ
ッフが作成するでしょうから遠からず貴方の手元に届くはずですよ」
「いや、まずは君自身の口から聞きたい。印象だけでもいい」
「とりあえず極め付けに健康にいい職場であることは間違いないですね。タバコの煙も工
場の排煙も、自動車の排ガスもまったくない。実に健康的だ」
「それは確かに羨ましいな。で領主とのコンタクトはどうなった」
「生憎招待状に書く相手の名前をずっと間違えていた事が判明しまして、これではシンデ
レラに会う事ができないのは当然です。ただし我々がご機嫌を取らなくてはならないこの
シンデレラ、といっても男性ですが、どうやら日本人のようです。名前は「ヒラガ・サイ
ト」、男性でおそらく失踪時は高校生程度だった可能性が高いですね」

電話の向こう側にいる人物はその言葉にわずかに驚いた様子だった。

「事実か? 拉致・誘拐……いやそのシンデレラボーイは現地の領主だったな、その線は
薄いか?」
「現状では詳しい事情までは」
「この事は日本側には?」
「伝えましたよ、勿論」
「なぜだ?」
「現状では日本側に恩を売っておいた方が得策ですよ。ああそうだ。日本側とは別に姫君
に対して点数を稼ぐ準備をしたいので少し力をお借りしたいのですが」
「何が必要だ」
「グリーンベレーでもアルファでもデルタフォースでもシールズでも何でもいいですから、
その手の荒事向きの特殊部隊を一つ回してください。任務は要人警護。ただし相手にな
るのは常識外れの本物の魔法使いの暗殺者になると思うので、想定外の事態に対し可能な
限り柔軟な対応ができる人材が望ましいですね」
「暗殺者?」

ロジェが口にした不穏な言葉に電話の向こう側の声も低くなる

「ええ、件の姫君。ヒラガ・サイト殿、狙われてますよ。少なくともその部下は明らかに
暗殺を警戒したシフトを引いていました。まあ報告書にもあったと思いますが、この世界
は基本的に魔法使いである「メイジ」至上主義です。そこでいきなり魔法使いでもない平
民、それも異国人が子爵と領地を得たとなれば妬む連中が相当数でてくるのは当然ですな」
「……この事は日本側は?」
「同盟国のよしみで一応遠まわしにヒントはあげています。気づくかどうかは神のみぞ知
る、ですね」
「こちらの世界の人間が油田の権利を持っているなら話は早い。その人物を全力で保護し
ろ」
「私はあくまでタダのネゴシエーターですよ。そういう話は日本政府に事情を伝えて自
衛隊を動かすか、こっちの兵隊を送り込んでからにしてくれませんか」
「よくいう!」

 ロジェの言葉を聞いた途端、電話の向こう側の人物は可笑しくてたまらない事を聞いた
とでもいうように大きな笑声を挙げた。ロジェは平然とそれを無視し、相手の笑いが収ま
るのを待ってから言葉を続けた。

「ついでに日本側がヒラガ・サイト氏の出身地を確認したらすぐにその家族と親しい知人
の居場所も調べてください。そして家族と知人の周囲に警護の要員を配置するようお願い
します。彼が油田の権利を有している事が知られたら中国が彼の家族と知人に手を出して
くる可能性が極めて高い。基本的に日本側が情報をつかめば、ほぼ同時に中国側に情報が
漏れるぐらいのつもりでいた方がいいでしょう」
「……どこまで情報管理がザルなのだ、あの国は。少しはマシになったと思っていたのだ
が」
「公安が一時期頑張ったそうですがあれは葉と茎を刈っただけで根は依然として健在です。
そして根は一見目立ちませんがそれだけに厄介だ。……特に外務省のチャイナスクール
が危ないですな。さすがに表立って現在の政権には逆らっていませんが、裏では中国とズ
ブズブです。機密保持という視点から見ればF-22を議会が渡そうとしなかったのは当然で
す」
「だが夏目がそのシンデレラボーイの家族に対する警護の必要性に気づき自国で警備を付
けたらどうする? 彼は少なくとも首相としての最低限の意思と能力は有している。中国
に対しても引く事はあるまい」
「別に何も? 手柄争いはする必要はないでしょう。単に次の政権交代を待つだけでいい。
それもそう遠くない未来におこるであろうね」
「ふむ」
「今日本では与党議員の汚職とスキャンダルに関するニュースが連日新聞とTVを賑わして
いるそうですね。それも今までなら大臣になってから暴露されていたようなスキャンダル
や、以前中国とズブズブだった議員の汚職情報までもが一切無差別かつ徹底的に流され続
けている。まあいつも通り「何故か」他に掴んでいるはずの野党議員側のそれは触れてい
ませんが。
……子飼いの議員の汚職情報まで出している以上、中国も完全に形振り構っていられない
状況のようですな」
「「大震災」以後、あの国は「毎日が天安門」な状況だよ。毎日国土のどこかで武器を持
たない自国民を戦車でひき殺しているのが現状だ。追い詰められているのは中国側の上層
部自身も判っているのだろう」
「さて中国側の目論見通り、次に日本が政権交代となった時、件のシンデレラボーイの家
族・友人に加えられる危害をその時の日本政府は守ろうとすると思いますか?」

その質問に電話の向こう側の人物は冷淡な声で答えた。

「まったく思わないね。むしろ脅迫を受けた自国民に中国側へ「妥協」するよう積極的に
説得するだろう」
「甘いですな、私は裏取引をして自国民、この場合シンデレラボーイの家族と友人、こと
によっては本人を中国側に売り渡す方に賭けますよ」
「……」
「まあ民自党にしても全員が中国の危険性を認識しているわけじゃありません。
一昔前までは中国とズブズブの連中が主流派だった党でもあります。
そして今の党首はともかく、その後の党首が現在の中国に対する態度を維持できるかは
わかりません」
「……なるほどそういうことか」

この時点で電話の向こう側の人物はようやく納得いったと言いたげな様子になった。

「そういうことです。彼自身、あるいは彼の家族と友人の身柄が日本政府の手で中国側に
売られた瞬間に、我々はホワイトナイトとして、彼と彼の家族を救助し、誰がどのように
彼らを売ったかの事実を証拠付きで包み隠さず説明するんです。そして彼に対して彼が望
めば、我々がいつでも安全保障付きでアメリカ市民権を彼にプレゼント可能であること説
明すればよろしい。ついでに我が国が二重国籍を容認している事も合わせて説明すればな
お効果的でしょう。ああ、ただしマッチポンプの類は絶対にやらないように! 
ばれた場合のリスクが大きすぎますからね。ハッキリ言って我々は嘘をつく必要はまった
くないんです。単なる事実を告げ、それに納得してもらうだけでいい。
……日本という国は自国民の生命と安全と財産を自分の力で守る意思も能力も有していな
いという極めて悲しい事実を」
「だがロジェ、政権が交代しても日本に最低限の意思と能力を有する首相が続くという可
能性もあるぞ……自分で言っていても限りなく可能性はゼロに近いとは思うが。その場合
はどうする?」
「別に何も? 同盟国に信頼するに値する首相が続いてくれるというのはむしろ極めて喜
ばしい話じゃないですか。変に焦って欲張りすぎない方がいい。現状ではあくまで誠実に
シンデレラボーイの信頼を得る努力を積むのが一番ですよ。そして日本側が愚行をしでか
せばその瞬間にヒーローとしての我々を売り込めばいいんです」
「ふむ」
「最後に話は変わりますが、どうも国防総省の方であまり紳士に相応しくないごっこ遊び
を始めた連中がいるようですな。まあごっこ遊びだけなら笑い話で済みますが、実行する
となると冗談では済まなくなりますよ。世界征服なんてパソコンの中だけで十分です」

ロジェがそう皮肉ると、電話の向こうの人物は絶対的な信頼を込めた声でハッキリと告げ
た。

「もちろんそれは私もわかっている。そしてそうならないために君をそこに送り込んだ。
私が地獄に行かずに済むかどうかは君の働きにかかっているんだ。頼んだぞ、ロジェ」

依頼人からのその言葉に、交渉人ロジェ・ブラックは眼前にその依頼人がいるかの如き
大仰な一礼をして言葉を返した。

「了解しました。貴方が天国にいけるよう微力をつくさせていただきますよ。ミスタープ
レジデント」

(続)






[31071] ゲート ZERO 6話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:fd7d0262
Date: 2012/06/09 19:10
6 トリスタニアの影

「へえ、ここが軍用品市場か」

 先日の宴会の際に決まった「黒泥の死地」への訓練を兼ねた遠征、それに必要な物資を
調達する為、才人達と水精霊騎士隊のメンバーは王都トリスタニアの市場の一角、軍用品
を主に扱う商店が軒を並べるその場所を訪れていた。
 複数の店の軒先に皮鎧や金属鎧、槍、弓といった武具に馬具、そして干肉や燻製肉、携
帯用の堅焼きパン、ビスケットといった保存食が並んでおり、傭兵と商人がそこかしこで
交渉を行っている。
 これまで経験したことのない荒っぽい、しかし活気のある市場の雰囲気に才人達が物珍
しげな視線を向けながら足を進めていくと、複数の商人たちが何事かと訝しげな表情を彼
らに向ける。本来ここは魔法を使わない「普通の」兵士や傭兵を客層としている市場であ
り、身分を顕すマントを身につけるようなそれなりの地位の貴族が物資を調達する際は、
より「品のよい」大商人の店に足を運ぶか、使用人を代理で派遣するのが普通なのだ。し
かしその商人達も若い貴族達の先頭に、この場所を勝手知ったる様子で歩く金髪の少年の
姿をみると、皆納得のいった表情となり視線を元に戻す。中には気軽に声をかける者さえ
いる。

「ギーシュ坊ちゃん! どうです、いい干し肉が入ってますぜ。二千以上ならいつもより
一割値引きしやすぜ」
「いや、悪いね。今日は家の用件じゃないんで、そこまでの数はいらないんだ。君の所に
頼むには数が少なすぎる。まあいずれ我が隊の規模が大きくなったらその時はよろしく頼
むよ」

ギーシュはいつも通りの陽気な声で商人達に応じながら先頭で進んでいく。その手馴れた
応対に才人達は呆気に取られていた。

「ギーシュ。おまえ、もしかしてここに自分でよく来てるのか?」
「ああ、子供の頃から父上や兄上達に連れられてね。水精霊騎士隊で入用な物も大体ここ
で仕入れている。まあこの辺りは貴族相手の店に比べればガラが悪い事は確かだが、店と
品をちゃんと選べば費用はかなり安く抑えられるぜ」」

自慢する様子もなく当然の様にそう述べるギーシュに才人は、彼に対する評価を修正す
る必要を改めて感じずには居られなかった。

……先日の宴会の席で助言を受けて以降、才人はギーシュに対し軍隊に関する相談を度々、
持ちかけるようになっていた。その際驚かされたのは、今まで水精霊騎士隊が活動する
に当たって必要とされる食料、酒、その他諸々の物資の手配をギーシュが全て行っていた
という事だった。
 無論、先方が物資の準備をしてくれているような場合は相手に任せていたとの話だった
が、それでもこれまで自分達が食料・物資類についての不自由を一切感じた事が無かった
事を思い出すと、才人はギーシュに対し、こいつ実はかなり凄い奴だったんじゃないかと
いう感想を抱かざるを得なくなっていた。今回、軍用品市場に才人がついてきた理由も物
資調達に関する知識と経験を少しでも得ようと考えたためである。ちなみに他のメンバー
がついてきた理由は単なる暇つぶしである。

「ここだ。今回の遠征で使うぐらいの量ならこの店がちょうどいい」

 やがて一向は市場の奥まったところにある商店にたどり着いた。ギーシュは店番をして
いた中年の商人に親しげに声を掛けるとさっさと商談を始める。

……これは品はいいが割高すぎる。
……確かに安い事は安いが、モノが古すぎる。
……これだけ纏め買いするならここまで単価は落とせ。

等々、それは対象となる商品を熟知し切った者同士による簡潔な交渉であり、交渉が終了
した物品があっという間に才人達の目の前に積み上げられていく。商品の品質や相場に関
する詳しい知識を持たない才人達はそれを唖然とした面持ちで見ているしかなかった。

「……うん、これでいい。これを全部トリステイン魔法学院に届けてくれ。払いは水精霊
騎士隊会計主任サイト・シュバリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエールに頼む」

取引終了後、様々な物品に関する商談を驚くほど手早く纏め上げたギーシュにルイズが皮
肉っぽい感嘆の声を挙げた。

「驚いたわよ。ギーシュ、あなた貴族やめても商人でやっていけるんじゃないの?」
「よしてくれたまえ。僕がわかるのははっきりいって軍でつかう類の物だけだ。……それ
に本物の商人ってやつはガチで魑魅魍魎の類だからな、正直物資の調達以外じゃ関わりた
くないんだ」

ギーシュは最後は何か苦いものを交えた口調で小声でそう答えた。

「これで用件は済んだ。後は適当に食い物でも買って帰ろうぜ」
「だな」

才人達は店を出ると出店がある表通りに一旦戻ってから館に帰ろうとした。ただ軍用品市
場のある場所は表通りからかなり離れた場所にあり、戻るまでに数本の裏道を通る必要が
あった。その裏道で事件は起きた。


トンッ

 才人達が細い裏道の角を通り抜けようとした際、小走りで駆け込んできた十二、三歳前
後の金髪の小柄な少年がルイズに軽くぶつかった。少年はお世辞にも身奇麗といいかねる
古ぼけた衣服に身を包み、顔も泥か何かで浅黒く汚れており、平民でも相当下の階層に属
するように見えた。

「あ、すいません」

少年は自分が当たった相手が貴族と知ると恐縮しすぐにルイズに頭を下げた。

「気をつけなさいよ」

 ここが大通りで、以前のルイズであれば「貴族に対し平民がなんたる無礼っ!」などと
言い出しかねない状況だった。しかし今彼らがいる場所は舗装もされていない裏道の角、
それも無計画に建てられた雑然とした建物の間を、蜘蛛の巣のように張り巡らされている
極めて視界が悪い細い道の角だった。そしてこんな場所を大人数で通っていた以上、ある
程度は仕方がない……と考えられる程度にはルイズも大人になっていた。
しかしルイズから許しの言葉を得た少年が再び駆け出そうした瞬間、才人とギーシュが叫
んだ。

「ルイズッ! 財布!」
「止まりたまえ、キミッ!」

才人は純粋な視覚で、ギーシュは自身の経験によって何が起こったかを把握していた。だ
が少年は二人の叱責を受けた瞬間に、弾かれたような勢いで一気に駆け出し始める。

「へっ?」
「スリだ!」

ようやくルイズと他の水精霊騎士隊のメンバーが事態を把握した時には少年は既に別の脇
道に駆け込み、一行の視界から姿を消そうとしていた。

「畜生っ! 貴族の財布を狙うなんざガキの癖にいい度胸してやがる!」

 若い騎士達は慌ててスリの後を追いかけ始めた。だが少年スリは細い悪路を驚くほどの
速度で駆け続け、さらには地形を熟知した者のみができる迷いの無いルート選択によって
追跡者を引き離し続ける。水精霊騎士隊のメンバーの中には呪文の使用を考えた者もいた
が相手は網の目のような道を曲がり続ける事ですぐに視界から消えてしまう。そしてよほ
ど特殊な術以外、魔法は自身の視界内の相手にしかかけられない。
水精霊騎士隊のメンバーが少年スリに「撒かれる」のは時間の問題だった……ただ一人を除
いては。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」

 少年スリは根城とする区域に逃げ込むとようやく足を止めた。そして乱れきった息を整
えながら、懐より掏り取った財布を取り出しその重みに笑みを浮かべる。貴族の集団に手
を出すのは明らかにリスクのある賭けだったが、それに見合うだけの稼ぎはあったようだ。
誤算だったのは、仲間が掏られた事に気づく相手が二人もいた事だったが、ここまで逃
げればもう安全だろう。ここはトリスタニアの外れ、それも貴族が足を踏み入れる事は絶
無と言い切れる場所である。込み入った裏道を通り抜けた上で、自分の居場所を突き止め
ることなどあのボンクラ貴族共には不可能だろう。だが少年スリが財布の中身を確認しよ
うとした瞬間、横から伸ばされた手があっさりとそれを奪い取った。

「返してもらうぞ」
「!」

 少年スリが驚いて視線を向けるとそこに先ほどの貴族の一人と思われるマントを身に着
けた若い黒髪の騎士がいた。驚くべきことに息をまったく乱していない。少年スリはここ
までの逃走で既に限界の状態だというのである。
黒髪の騎士、無論才人である、は小さくため息をついて少年スリに告げた。

「さっさといけよ。今回だけは見逃してやるから」

その言葉に少年スリは一種動揺した。しかし才人が杖をもたず、代わりに背中に剣を担い
でいる事に気づくと、むしろ勢いづいた様子で叫んだ。

「やかましい! その財布をよこせよ! ここをどこだと思ってやがる。人一人殺(バラ)
して始末する事なんざ屁でもねぇんだぞ!」

少年スリはそうまくし立てると錆の浮いた古いナイフを取り出し才人に向けた。

「……ここがどこかっていわれてもなぁ」

だが才人は周囲に視線を向けた後、緊張感の無い声で答えた。無論トリスタニアの一部だ
ろうが土地勘の無い才人に地名はわからない。いやそもそも「ここ」に地名自体があるの
かどうか。

……そこは日当たりの悪いジメジメとした陰気な雰囲気を漂わせた場所だった。そして現
代日本で育った才人の目から見れば、粗末極まる今にも崩壊しそうな廃屋としかいいよう
の無い小さな建物が密集した状態で無秩序に建てられていた。加えてそこらじゅうに残飯
を初めとするありとあらゆる種類のゴミや人間や家畜の糞尿と思われる汚物、果ては犬や
猫をはじめとするあらゆる種類の動物の死骸が始末もされずに散乱し、酷い悪臭を放って
いる。才人の感覚からすれば到底人間が住める環境とは思えなかったが、才人と少年スリ
の居る場所から少し離れた所には、少年スリと同じような汚れた衣装を着た多数の少年達
がいて、荒んだ視線を才人に向けている。

 才人は日本に居た頃、「ここ」と同じような場所に行った事はなかった。だがTVや本
の知識によって「ここ」をどう呼ぶべきかは知っていた。おそらくこのハルケギニアにお
いても事情は変わらないだろう。いや全体の技術レベルが地球よりも低い分だけ、その実
情の陰惨さはより惨たらしいものである可能性がある。
 スラム、その都市の中でも最下級の生活を強いられている人々が住んでいる所。往々に
してその治安状況は最悪の状態とされる場所。
少年スリはナイフを構えたまま、少し離れた場所にいる少年達に呼びかけた。

「お前ら、分け前出すから手を貸せ! こいつ貴族だけど杖はもってない。魔法がないな
ら取り囲めばどうにでもなる!」

少年スリのその呼びかけに、才人はもう一度溜息をつく。

(財布も取り返したし、面倒だからもう逃げるか)

周囲に居るスラムの少年達の数はざっと二十人、魔法使いと思われる者は含まれていない。
仮に敵に回った場合、相手が使うであろう武器は粗悪なナイフか棒切れといったところ。
このまま戦う場合、最悪の状況を仮定するなら数で二十対一。つまり
 
(ぶっちゃけ、簡単に勝てる)

 それが個人戦闘ではもはや百戦錬磨といえる域に達した才人が、少年達の身のこなしと
力量を冷静に評価した上で出した結論だった。だが、同時に彼はスラムの住人である少年
達の死体をあえてこの場所で量産したいとも思っていなかった。
それゆえ逃亡という普通の貴族ならまず選ばない方法を選択しようとしたのだが、しかし
その才人の目論見は実施される前に不要となった。少年スリに声を掛けられた少年達の中
でも最年長と思われる一人が、呆れた声で誘いを拒絶したのだ。

「馬鹿か、フラン。そいつ「剣持ち」の貴族だぜ? ってことは最近の戦争で出世した奴
ってことだから魔法使えなくても絶対無茶苦茶強えよ」

フラン、それが少年スリの名前なのだろう、は仲間の拒絶に対し、成功時の報酬をちらつ
かせる事で翻意を試みた。

「それでも一人しかいない! こんだけの数でとりかこめば絶対やれる。あの高そうな財
布を見ろよ、あれ絶対かなり上の貴族の財布だぜ? きっと金貨がぎっしり詰まってる。
山分けしてもとんでもない稼ぎになるぜ!」

フランが口にした「金貨」という単語に周りの少年達の中から金銭欲で目の色を変えるも
のが出始める。しかしそんな少年達に茶化すような新たな声がかけられる。

『よせよ、ガキども。お前ら程度じゃ100人居ても相棒にゃ傷一つつけられねぇよ。
いらん怪我するだけだから止めとけ、止めとけ』
「!?」

姿の見えないその声に少年達は驚きの表情を浮かべた。そしてその声が才人が背中に担い
でいる「剣」、魔剣デルフリンガー、から発せられた事に気づくと驚きは、恐怖に変わり
始めた。加えて少年達の一人が才人のマントとその首元にある紋章に気づく。
「しゃべる剣だって? それにあいつのマントもしかして近衛のやつじゃねぇのか?
……そうだよ。ありゃ水精霊騎士隊のマントだ。あそこで喋る剣を持った「剣持ち」貴族っ
ていったら……。駄目だっ、絶対勝てるわけねぇ! あいつ、アルビオンで七万人を止め
たっていう化け物だ!」
「じゃ、あいつがサイトーンとかいう『アルビオンの剣士』? 冗談じゃねぇぞ、そんな
んとやり合えるかよ!」

才人の素性に気づいた少年達は瞬時に顔色を変えると、蜘蛛の子を散らすような勢いで一
斉に逃げ出し、あっという間に姿を消した。才人は拍子抜けになりつつも、不要な戦いや
逃走の手間を掛けずにすんだ事に安堵したが、すぐに呆れた声を出した。

「お前は逃げないのか?」

フランと呼ばれた少年スリ、いやもはや強盗未遂犯と呼びうる少年はナイフを才人に向け
たままの姿勢で体を凍りつかせていた。才人の正体に気づいた為か、その顔色はもはや死
人のそれに近い程に青ざめたものとなっている。

「さっさと殺せよ。あんたとんでもなく強い爵位持ちの貴族なんだろ? だったら簡単だろ」

そう捨て鉢に吐き捨てるフランに才人は溜息をついた。

「いいから、おまえも行けって」
「……もう足が動かねぇよ」

弱々しい声でそういうと、フランの手の中からナイフが地面に落ちた。同時に尻餅をつい
て地面に崩れ落ちる。

そうして動きを止めた少年の姿に、才人はまた厄介な相手と係わり合いになってしまった
という嫌な予感を感じていた。

(続)



[31071] ゲート ZERO 7話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:fd7d0262
Date: 2012/05/29 00:39
7フラン

(はぁ、どうしたもんかな)

 才人は眼前で完全に脱力し、地面に崩れ落ちている少年スリを前に内心頭を抱えていた。
彼に対し才人が取りうる選択肢はざっと思いつく限り次の通りである。

選択肢その一、治安組織に引渡す。
 目の前の少年は明らかに犯罪者である。だから衛視隊などの治安組織に引渡し、そこか
ら裁判所に送ってもらうなりなんなりで相応の処罰を加えてもらう。もしここが日本であ
れば才人は間違いなくこれを選択していただろう。だがここはトリステインである。ハル
ケギニアである。魔法なんてものはあるが基本的に完全無欠の中世封建社会である。そん
な社会における「相応の処罰」、それも自分のような一応爵位を持った貴族に対し、スラ
ムに住む平民が窃盗、というか強盗未遂をやった場合のそれがどれほどのものになるのか……。
才人が知るわずかな例だけでも、この世界の刑罰は基本的にホントにそこまでやる
必要あんのか、といいいたくなるほど苛烈である。おまけに少年法なんてものも無いので
ある。この選択肢を選べば眼前のまだ幼いとさえいえる少年はトリステイン王国の法の名
の下、ほぼ間違いなく神(ブリミル)の元に送られることになるだろう。

(却下)

目の前の少年は確かに罪を犯したとはいえ、才人の感覚ではそれが死に値するほどのもの
とは到底思えなかった。ましてこの年齢でスラムのような劣悪な環境に住まざるをえない
境遇を考えるとまずいと判りつつも、むしろ同情さえ感じてしまう。

選択肢その二、このまま放っておいて帰る。
 実の所これが一番無難な選択肢に思える。ルイズの財布は取り戻したし、これ以上余計
な手間も掛からない。さすがに今回の件でボンクラが多い貴族の中にも手を出したらまず
い相手がいることぐらいは理解できただろうから、ここで帰ればもう関わり合いになるこ
ともないだろう。

(……けどなぁ)

 才人の純粋な理性はこの選択を強く押していた。だが理性以外の部分、多分良心とか優
しさとかと呼ばれる酷く愚かで、同時に限りなく尊いものが潜んでいるあたりは、眼前に
いる全てを諦め、この世の終わりにいるかのような絶望の表情を浮かべている少年を放置
する選択について
「それってちょっとばかし冷たすぎるんじゃね? キミ一応金持ちの貴族でしょ? 他に
できることあるんじゃないの?」
と内側から才人を責めたててくる。

選択肢その三、許してやる。ついでにかわいそうだし面倒もみてやる。
 この選択は理性が大反対をしている。確かに今の才人なら目の前の少年の苦境をあっさ
りと救う事ができる。それだけの権力と財力が「サイト・シュバリエ・ド・ヒラガ・ド・
オルニエール子爵」にはある。しかし

(こいつを助けてそれからどうなる?)

 この少年のような境遇の人間はおそらく無数にいる。一人助ければ次は十人が助けてく
れといってくるだろう。その先は百人、千人ときりがない。その全てを救う事はいくら子
爵として破格なまでの裕福といえる才人でも到底不可能だ。
……やはり無視して帰るのが賢明な選択である。それが才人の純粋な理性の結論だった。
しかしそこでその「賢い」選択をできないのが平賀才人という少年でもあった。

 結局才人は第四の選択をした。

「ほら立てよ。……お前な、貴族相手にスリやって、おまけにナイフまで抜くなんてつか
まったらマジで殺されるぞ。そんな死に方したら親も泣くだろ」

 才人はフランにまず自分がどれだけ危ない橋を渡ったかを説教することにした。その後
の話の持って行き方もある程度考えてはいたのだが……

「親がどっちかでも生きていたらこんな所に住んでねぇよ!」
(うわ、いきなり地雷踏んだ……)

才人は思わず本気で頭を抱えたくなった。しかし才人が踏んだ地雷はいわば連鎖式のもの
であり、ここから先が本番だった。

「……親、死んじまったのか?」
「父ちゃんは前のアルビオンへ攻め込んだ戦争の時、荷物運びやれって軍隊に無理矢理連
れて行かれて、後で向こうで戦いに巻き込まれて死んだっていわれた。母ちゃんは父ちゃんが
いなくなってから、無理して働いたせいで体壊して病気で……」
「で、でも確か戦死者には国から補償金が出るんじゃなかったか?」
「そりゃ貴族にはたっぷりでるだろうさ! 兵隊の遺族にも少しはでるって聞いてる。
けど父ちゃんは兵隊じゃなくて荷物運びの人夫で、敵と戦ったわけじゃないから戦死扱いに
ならないって……」

その後、フランは途切れ途切れに事情を語った。
 妹が一人居る事、親戚も皆戦争で税金が上がった上に男手を徴用された影響などで生活
が苦しくなり引き取ってくれる者はいなかったこと、借りていた部屋の家賃を払えなくな
り追い出された後はスラムに移り、スリやひったくりなどで小金を稼いでいた事等々。

(……やっぱ聞くんじゃなかった)

 才人は自分の選択を本気で後悔していた。聞かないでいれば今まで薄々気づいてはいた
が、あえて見ないようにしていた事実に直面せずに済んだのだ。
 そう、基本的にいままで才人が行った場所、住んでいた場所は即ちルイズの居た場所だ
った。つまりそこはトリステイン王国最高位の貴族であるヴァリエール公爵家の姫君であ
るルイズの生きる世界である。それはトリテイン、いやハルケギニア世界の中で最も美しく、
どこまでも澄み切った、いわば極々一部の上澄みのような世界なのだ。時折用事で
「外の世界」に出る事があったとしても、それはいってしまえば短い旅行で通り過ぎるだけ
の通過点に過ぎない。無論、才人は貴族以外にも平民であるシエスタや魔法学園コック長
のマルトー、「魅惑の妖精」のカメロン店長にその娘のジェシカ等といった人々と交流を
もってもいる。しかしその彼らもまた貴族ではないにせよ、平民の中では破格に裕福で恵
まれているといえる階級に属する人々なのだ。爵位を持つ貴族の子弟ばかりが通う名門校
のメイドとコック長、裏通りとはいえれっきとした自前の店をもつ店長とその娘。彼らも
またこの世界のほとんどの平民から羨望の眼差しで見られる立ち位置にいる。そして才人
が目にすることのなかった、いや見ないことにしていた場所では、泥の中で這いずり回る
ような生き方をせざるをえない数え切れないほど多くの人々がいる。
もっともだからといって

「ハルケギニアの社会は間違っている」

などと単純に考えてしまえるほど、才人は短絡的でもなかった。
 才人はあまり歴史に詳しくないが、それでも地球で先進国といわれている国でも数百年
ぐらい前はどこもハルケギニアと大差の無い状況だったのだろうと思っている。自分が
現代日本に生まれついたのは単なる偶然であり、今の地球がハルケギニアより進んだ技術
を有している事もまた同様の偶然なのだ。才人は単なる偶然で発生した技術上の優劣で、
世界そのものに評価を下すつもりは毛頭無かった。
無論、現代日本に生まれた才人の感覚からすればハルケギニアの社会に個々の問題は数え
切れないほど存在する。
貧困、富の不平等、魔法至上主義、平民に対する貴族の蔑視・横暴、福祉制度の欠落……
 だがそれらの問題はきっとほとんどがこれまでハルケギニアで積み上げられてきた歴史
とそれによって生み出された社会的な制約、そして純粋な技術的限界が複雑に絡み合って
生み出されたもので、「外」から来た事情もよくわからない人間が口をつっこんで、誰か
一人、何か一つの存在を糾弾、排除して片付く問題とは到底思えなかった。むしろ下手に
手をだせば事態を益々悪化させるのではないかと思う。
だから才人はこれまでこのあたりの事情、ハルケギニアあるいはトリステインの社会的な
問題、については深く考えようとはしなかった。
いやそもそも才人にとっては自分自身とルイズ、そして周囲の友人達に直接的に関係する
問題に対応する事が最優先であり、同時にそれで手一杯な状況だったのだ。自分に直接関
係しない所でトリステイン王国に社会的な問題があったとしても。それは王族とか大臣と
か領主とか、この世界の「偉い人達」がなんとかしろよ、というのが本音だったのだ。
……そう、これまではそれでいいはずだった。
今の自分は一介の平民の使い魔でも、ただの騎士でもない。
領地と領民をもった領主で子爵、「偉い人達」の一人になってしまったのだ。
ハルケギニアに民主主義の概念は無い。
王領内の全ての決定権を王が有するように、領主には領内の全ての決定権があり、領民は
ただその決定に従うのみ。逆をいえば領内で起こる全ての物事の責任は領主にあるといえ
る。フランはトリスタニアの住人だが、才人は自分の領内にフランと似たような境遇の人
間がいないとはとても思えなかった。
 今更ながらに才人は自分が生まれた日本という国、いわゆる先進国と呼ばれる世界が、
どれほど豊かで恵まれた環境であったかを痛感する。少なくとも日本には極々まれな例を
のぞけば飢餓は無かったし、生活保護などの最低限の生きる権利を保障する福祉制度が整
えられていたのだ。それを可能としたのはハルケギニアより少なく見積もっても数世紀以
上進んだ科学技術と社会的な経験の蓄積そしてそれらによって生み出される莫大な生産力
だろう。

(かといってこっちの世界の事情もよくわかっていない俺がいきなり改革とかできるわけ
ないし)

 才人はこの世界における最高位の風の魔法使いを一人で倒した事がある。十を超える竜
騎士を一人で全滅させた事もある。人間には対抗不可能とまでいわれたエルフの高位術者
を退けたことも、伝説とされる魔法を用いる大国の王の狂気を止めた事もある。だがしかし

(ちくしょう。どうしろってんだよ。「貧困」なんて倒しようがないぞ)

 剣で倒せる相手なら、どんな相手にも対抗できる自信が今の才人にはある。
しかし実体の無い「概念」や「社会問題」といったものが相手となると、どうすればいい
のか具体的な方法はまるで思いつかなかった。
しかしそれでも眼前の問題はなんとかしなければならない。
だから才人はハルケギニアに来てからずっとそうしてきたように、現在の状況における自
分の能力とそれで出来る事、そしてやりたい事を冷静に判断し、その上で考えた案を実行
することにした。

「お前さ、なんか売るものもってないのか? スリとかひったくりとかやってるなら何か
盗んだものを残しているんじゃないか? 物次第じゃそれなりの値段で買ってやるから見
せてみろよ」

 これが才人が考えた妥協点だった。正直どんなガラクタでもそれなりの値段で買ってや
るつもりである。自分でも明らかに詭弁の類だと思うが、一方的に金を恵んでやるという
形はまずいと考えたのだ。どれほど稚拙でも金を渡す一応の建前というか理由は必要だった。

「…………」
「おい?」

才人に「売るものはないか?」といわれ、フランは一瞬黙り込んだ。しかしやがて何かを
決心したように強い口調で答えた。

「……あるぜ。それもとっておきのやつが。ついてこいよ」

そしてそれまで凍りつかせていた体を翻して歩き出す。不意打ちする気じゃないだろうな、
と内心で警戒しつつも才人はフランの後を追って歩き出した。


「……ここだ。入れよ」

 才人がフランに案内されてたどり着いた場所は廃屋という表現すら生ぬるい、今にも崩
れ落ちそうなまでに老巧化しきった小屋だった。そのくたびれ切った扉をくぐると、隅に
いくつかの盗品と思われる物品が積まれた以外ほとんど物の無い狭い殺風景な部屋の中に、
六歳程度と思われる金髪の幼い少女が膝を抱え込むように座り込んでいて、無表情な人
形のような視線を向けてきた。遠めに見ても顔色は良いとはとても言えず、粗末な衣服を
着込んだ手足は年齢を考慮しても酷く細く見える。

「悪い、ペリーヌ。ちょっと外にでていてくれ」

ペリーヌというのがフランの妹であるこの幼い少女の名前なのだろう。ペリーヌはフラン
の言葉に素直に従い部屋の外に出ようとした。だがフランの後ろにいた才人とその衣装を
見ると驚いた様子で立ち止まり小さな声で呟いた。

「騎士様?」
「ああ、この騎士様とこれからしばらく大切な話をしなくちゃならない。ひょっとしたら
夕方ぐらいまで時間がかかるかもしれないから、呼びにいくまでどこかで遊んでいて」

フランがあやすようにそう語りかけるとペリーヌは再びその小さな足を動かし扉の向こう
に消えた。

「分かった、お姉ちゃん」

との一言で才人を絶句させた後に。


 ペリーヌが部屋を出て行った後、才人はしばらく呆然としていた。フランの事を「少年」
だとばかり思っていたのだ。その間にフランは部屋の隅に置かれていた古い布切れを手
に取り、それで自身の顔を拭い始めた。すると汚れの下から驚くほど白い肌とこれまで数
多くの美少女を見てきた才人の目から見ても相当に整っている部類に入ると思われる目鼻
立ちと青い瞳が明確になり始める。後数年成長し、髪を整えれば脳内の美少女リストの中
でも相当高ランクに入ると思われる文句なしの美少女になるんじゃないかと才人は思った。

「……お前、女だったのか」
「なんだよアンタ、『分かっていたから着いてきた』んじゃないのか?」

 才人が呆然と漏らした言葉にフラン、おそらく略称か男に偽装するための偽名、は少し
驚いたような表情になった。そして顔の汚れを全てとり、手櫛による乱雑なものではある
が髪を整えおえると、間違えようも無い一人の「少女」が才人の前に居た。

「まあ、どっちでもいいや。どのみちやることは変わらないんだし」

フランはそう何かを吐き出すように言うと一瞬手を震わせてから自分の服に手を掛けた。
そして一気に服を脱ぎ始める。才人は慌ててそれを止めた。

「おい、ちょっと待て! 何する気だ」
「『何か売るものはないか』っていったのはアンタだろう! 売り物は俺の体だ! 喜べ
よ。男は知らないからアンタが最初だ。けどこんなガキでも処女を抱けるんだからそんだ
けの代金は払ってもらうぞ!」
「ちょっと待て! 俺はそういうつもりでいったんじゃ!」
「やかましい! 金になりそうな物なんてとっくに故買屋に売っちまったよ! ここにあ
るのはガラクタだけだ。……頼む。俺の事はこれから犬でも奴隷でもどう扱ってくれても
いいから、妹をアンタのところに置いてくれ。下働きの下女見習いって扱いでいい。爵位
持ちの貴族の家で働けるなら、飢え死にも冬に凍え死にすることも無い。それだけでもこ
ことは比べ物にならないほどマシなんだ。だから俺を、いや私を買ってください。お願い
します……」

最後は涙声になり、頭を床にこすり付けんばかりにしてそう懇願するフランの姿が余りに
も痛々しすぎて、才人は思わず視線を逸らしそうになってしまう。
だがそれでも才人にも引けない一線はあった。

「悪いけど、お前は買えない。いやお前に魅力がないとかそういう話じゃなくて、お前を
買ったら、あとで絶対まともに顔を見れなくなる奴がいるから駄目なんだ。」
「……それってアンタの好きな人?」
「ああ」
「……きっと貴族でとっても綺麗な人なんだろうな、それも綺麗な服とか宝石とか沢山持
ってる本物のお姫様の。……そりゃそうか、アンタ、英雄だもんな、この国で剣一本で爵
位とれるぐらい物凄い。やっぱ、それぐらいの人じゃなきゃ釣り合わないよな。……最初
の相手がアンタなら俺も諦めついたんだけど、それじゃしょうがないか」

 フランは再び才人に追い詰められたときに見せた諦めと絶望が混じった表情を浮かべた。
才人はそのフランの顔を見ることができず、部屋の隅に置かれた物品を物色し始める。
これ以上は耐えられそうに無かった。今の才人はたとえ石ころ以下の価値の無い物にでも、
金貨の山を積みたくなるほど追い詰められていた。そして薄汚れたガラクタの中で一つ
だけ比較的新しい布が付けられた竿のような何かを見つける。一瞬どこかの旗かとも思っ
たが普通のそれとは異なり、竿の先端部分には直角に交差するように短い棒がつけられて
いる。

(これは幟か? 珍しいな) 

日本では良く見かけるものであるがこれまで才人はハルケギニアで幟を見たことはなかっ
た。無論、構造自体は単純なのでこっちでも作る事は極めて容易だろうが。
興味を引かれ、才人は幟につけられていた布を手に取り広げてみた。
……そして時が凍りついたように動きを止めた。
 
「……出て行ってくれないか? アンタが俺を買ってくれないなら他に「客」を探さなく
ちゃいけないんだ」 

 動きを止めた才人にフランは怪訝な表情を向けたが、やがてこれ以上は話の無駄とばか
りに投げやりな口調で才人を追い出しにかかった。しかし才人から返ってきたのはいまま
でとはまるで異なる、必死とすらいいうる程の真剣な問いかけだった。

「これをどこで手に入れた?」
「え?」
「答えろ! これはどこで手に入れたんだ?」
「……露天商からかっぱらったやつだよ。けどその旗にかいてある「模様」はわけわかん
なくて不気味だし、他に同じのが数え切れないほどいくつも持ち込まれていて買い取れな
いって故買屋に言われた。……最近通りに店を出す許可も買えないくらい小さなモグリの
露天商連中がこれと同じものを店を開く時に立てまくっているんだよ。本当か嘘かしらな
いけど、露店を開くたびにこれを立てる事を約束するだけで馬鹿高い手間賃くれる連中が
オルニエールの方にいるって……」
「わかった。お前、名前は? フランってのは本名か?」
「……フランシーヌが本名だよ。それを縮めてフラン」

フランシーヌは才人の剣幕に押され、戸惑いながらもその質問に答えた。
そして才人は質問を終えると彼女にはっきりと告げた。

「分かった。フランシーヌ、俺のところに来い。お前と妹の面倒は見てやる」
「……えっ! じゃあ俺を買ってくれるのか?」

才人の言葉に、気が変わったのかとフランシーヌの顔色が生気が戻る。だが才人は彼女に
むしろ感謝を込めてこう告げた。

「いや、代金は今俺の方が貰った。それも十分すぎるほどのやつを!」

 才人の手の中にはフランシーヌの目にはまるで意味の通らない「模様」のような何かが
描かれた布が握られていた。しかしその「模様」は才人にとっては「文字」以外のなにも
のでもなかった。そしてその布には日本語ではっきりとこう記されていた。

「平賀才人様へ、連絡求む。日米共同外交使節団 連絡先は……」

(続)



[31071] ゲート ZERO 8話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:fd7d0262
Date: 2012/06/11 21:48
8 接触

「第二特地情勢分析更新連絡」

「……注意 本分析更新連絡はあくまで現時点で入手できた第二特地に関する情報を統合し、
推論を多数含む形で作成されたものであり、今後内容は大幅に変更されうる事に留意されたし。
  
気候
 地球における西部ヨーロッパ地域に近いか、やや温暖と呼びうる気候と推測される。
ただし現状では調査範囲、期間とも極めて限定された状況につき今後長期の調査が必要。
現時点の詳細な調査結果は添付の自然環境調査班第六次レポートを参照の事。

地理
 現時点では現地で三角測量などの実査に基づく詳細な地図等は確認されていない。
「門」(ゲート)の存在する現地文化圏(以後ハルケギニア地域と呼称)全体で地球における
西ヨーロッパ全土とほぼ同じ程度の面積と現時点では推定される。
第二特地側の「門」が存在する場所の地名はトリステイン王国オルニエール子爵領である。
なおハルケギニア地域の上空にはアルビオン浮遊大陸と呼称される
「空中に浮遊し続ける大陸」
が存在し、(現時点では原理不明)ハルケギニア側と交流をもっているとの情報を入手。

政治情勢 
 ハルケゲニア地域のみで少なくとも二十以上の国家と呼称しうる勢力が確認されている。
明確な単一の覇権国家は存在しないが、諸勢力の中で現在「ガリア王国」「帝政ゲルマニア」
「ロマリア連合皇国」「トリステイン王国」の四国が特に突出した国力、影響力を保有している。
諸国家間の会議や条約は普通になされており、状況は地球における17世紀ウェストファリア条約期以降の
それに近く、主権国家の概念はハルケギニア地域では既に成立しているものと推察される。
議員・マスコミより単純な全体像を求められた場合は
「封建制を維持した状態で新大陸等外部に進出する事無く、緩やかな発展を続けたヨーロッパ」
といった説明が適当かと思われる。
全体の詳細については添付の政治情勢分析班の第七次レポートを参照の事。

トリステイン王国
「門」の存在する地域を支配する王政国家。現時点でのハルケギニア地域最有力勢力の一つ。
元首はアンリエッタ・ド・トリステイン女王。
 ハルケギニア地域最古の国家の一つであり、行政、司法、議会などの官僚機構も確立されていたが
最近までは絶対的な王権が確立されたとはいいがたい状況だった。
ただし後述する二つの戦役の影響により、トリステイン国内の王権に対する求心力は
現在急速な拡大傾向にあり、地球における中世後期封建制から絶対主義への移行期に近い状況に
あると推測される。

アルビオン戦役
 アルビオン王国(アルビオン浮遊大陸支配勢力)において発生した革命より勃発した戦役。
アルビオン革命政権によるトリステイン王国への武力侵攻が直接の発端で、保有戦力の差より
当初トリステイン側が圧倒的不利との予測だったが、防衛戦でトリステイン側がアルビオン侵攻軍に完勝。
その後トリステインはゲルマニアと同盟を組んだ上でアルビオンへの逆侵攻を実施し、これに成功。
アルビオン革命政権を崩壊させ同国を占領した。
 なおアルビオン革命政権を裏面より支援し、実質的支配下に置いていたのは当時のガリア王ジョセフ
(前王、故人)であり、革命の発生よりトリステイン侵攻までの全てがジョセフ王の陰謀だった、というのが現在の
「ガリア王国」「帝政ゲルマニア」「ロマリア連合皇国」「トリステイン王国」の共通見解である。
(ただしアルビオン革命政権の敗北を決定付けたのは最終局面でトリステイン・ゲルマニア連合軍に味方する形で
参戦した当時のガリア王国軍であり、四勢力の見解が完全な事実であるかについては疑問の余地がある)

ガリア王後継戦役
 ガリア王国によるロマリア連合皇国への武力侵攻より発生した戦役。
当初はガリア側が優勢との観測だったがガリア侵攻軍は撃退されロマリア側に投降。
その後ロマリア側はトリステイン及びガリア王国内の反ジョセフ王勢力と連合を組んだ上で
ガリア王国に逆侵攻した。最終的に連合軍はジョセフ王を戦死させ、その姪であるシャルロット姫を
新たなガリア王位につけた。

両戦役の影響(トリステイン)
 両戦役以前、トリステイン王国はガリア王国の十分の一程度の国土面積であり、歴史こそ最古だったが
小国に分類される規模だった。
(建国当初はガリア、ゲルマニアに匹敵する領土面積があったとの事)
しかしアルビオン戦役の結果、旧アルビオン王国領の半分近くとアルビオン王国が大陸側に飛び領地として
保有していた領土の全てを賠償として割譲取得。
さらにガリア王後継戦役においても自国より一部隊のみを参戦させるという形式的参戦に近い形であったにも関わらず、
その部隊が戦役全体に決定的な影響を与えるほどの大戦果を挙げ、戦後ジョセフ王による一連の陰謀工作が
公表されたこともあり、戦勝国としてガリア側から大規模な領土割譲を受けている。
最終的にトリステイン王国は二つの戦役後、領土を以前の約四倍に拡大させ、ハルケギニア地域における
新たな大国としての地位を確立した。
加えて両戦役でトリステインが取得した領土は、ほとんどが中央政府の直轄領となっており、地方領主に対する
中央政府の決定的優位も確立されつつある。これはトリステイン内の地方領主の大部分が戦役に極めて非協力的で
会った上、戦役で功績のあった領主貴族もその多くが戦死した結果、戦勝後に報奨を与える必要のある領主貴族が
極めて少ない状況だったことが原因と思われる。
 また国力、兵力的に圧倒的優位にあった敵国に短期間で連勝した実績より、元首であるアンリエッタ女王の威信は
トリステイン国内において現在絶大なものとなっている。
なお現在中央政府で実質的な宰相として実務を統括しているのはマザリーニ枢機卿なる人物であるが、本人は
最近勇退の意思を示しているとの事。

衛生環境
 現時点では伝聞ではあるが天然痘、ペスト、チフス、コレラ等に該当すると思われる伝染病が確認されており、
第二特地側より地球側に移動する際は十分な検疫が必要である
ただし現地の技術では細菌の存在は認識されていないが、トリステイン王国内に限定すれば衛生観念は
既に確立されている。清浄な飲料水の必要性と蚤、虱などの伝染病媒介者の駆除、身体を清潔に保つ重要性は
広く認識されており、衛生環境は地球の近世ヨーロッパのそれより格段に良好な状況にあると推察される。
さらにトリステイン王国首都トリステインにおいては、既に緩速濾過法に該当する形式での浄水設備と
都市中枢地域への給水設備が設置されており、下水道も存在するとの事。
加えてトリステイン王国内に限定されるが、既に全自国民に対する種痘(牛痘法)の実施が制度として確立されている。
 なおこれらの衛生観念の確立と上下水道の設置及び種痘制度の整備を行ったのは、
先々代トリステイン国王フィリップ三世の宰相であったエスターシュ大公という人物である。
ただし彼は後にフィリップ三世に反逆を企てたとして失脚しており、その業績を公式に認めることは
現在のトリステイン国内ではタブー視されている。

食料事情
 化学肥料及び農薬は存在しないがトリステイン王国内では既にジャガイモ栽培と、地球における改良穀草式農法が
極めて大規模に実施されている。同時に初期の方式ではあるが作物や家畜の組織立った形での品種改良も進められている。
(あくまでトリステイン国内に限定された事情であり、それ以外の地域は三圃式農業が主流でジャガイモ栽培や
品種改良は一般的ではないとの事)
その為、トリステイン王国の農業生産性は地球の中世ヨーロッパや他のハルケギニア諸国のそれより遥かに高いものであり、
食糧事情は極めて良好で国外への大規模な食糧輸出が行われている。
なおジャガイモ栽培と改良穀草式農法の大規模導入を強力に推進したのも前述のエスターシュ大公であり、
やはりその業績を公式に認める事はトリステイン国内ではタブーとされる。

注 エスターシュ大公はこの他にも司法、行政、財政、貨幣制度、産業育成、芸術家の保護、
さらに原始的なものではあるが一般国民に対する無償教育制度(失脚後廃止)や医療保険制度(失脚後廃止)など
数多くの分野で極めて先進的な改革を実行した人物で、彼の改革でトリステイン王国は一時的に大国に近い地位を
取り戻している。ただし彼の失脚後、フィリップ三世は周辺の国家と頻繁に領土紛争を起こし
一時的に領土を倍近くまで拡大したもの、結果として周辺のほぼ全ての国家を同時に敵に回すことになる。
その後フィリップ三世は獲得した領土を全て放棄し、さらに一時的ではあるが自国領のほぼ全てを周辺諸国の連合軍に
占領されることになるが、最終的には痛み分けとしての講和と戦争前の自国領の維持に成功する。
 現在フィリップ三世は戦場で生涯ほぼ不敗であったことより、大部分の「トリステイン王国貴族階層」からは
極めて偉大な君主であったとの評価を与えられている。
ただし、それ以外の階層からは、(表立ってのものではないが)無意味な戦争で国内に絶大な惨禍をもたらした
最悪の君主という評価が一般的である。
逆にエスターシュ大公は大部分の「トリステイン王国貴族階層」からは最悪の反逆未遂犯として扱われているが、
それ以外の階層からは(やはり表立ってのものではないが)極めて有能かつ公正、なおかつ慈悲深い統治者だったとして
今なお絶大な声望を有している。(エスターシュ大公は現在も存命)
この両者が話題に出た場合は細心の注意を払った上での対応が望まれる。
追記(重要報告事項)
アメリカ外交団一部スタッフがエスターシュ大公への接触を計画している模様。

サイト・シュバリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエール子爵(平賀才人氏)
 六年前に日本国内より失踪した平賀才人氏本人であるとほぼ確実に推定されている人物。
第二特地に至った理由等については不明であるが、トリステイン王国では一年半程前よりその存在が確認されている。
前述した二つの戦役ではトリステイン側で参戦し、多大な功績を挙げたとしてアンリエッタ女王より子爵位と領地を
与えられている。アンリエッタ女王の近衛隊副隊長でもあり、アンリエッタ女王第一の寵臣との評価がトリステイン王国内
では一般的である。存在が確認された油田及びレアメタル鉱山の権利を保有すると見られる人物でもある。
邦人であり身柄の保護は無論重要な案件ではあるが、トリステイン王国中枢との仲介役や、資源開発及び領内通行の許可を
求める対象となる人物でもある為、対応には細心の注意が必要。
 なお彼のトリステイン王国内の地位については他国、特に特定アジア諸国より日本側に都合が良すぎる、
自衛隊の武力でトリステイン政府を脅迫し捏造したものではないかとの異論がでる可能性が極めて高い。
「門」が開かれる以前に彼が現在の地位を得ていた事を証明する証拠・情報を収集する必要性有り。
追記 1
 彼の功績に関するより詳細な情報収集が必要。
現状では
「七万の敵兵を一人で阻止した」
「竜騎兵(現地の航空戦力)を二十対一で全滅させた」
「一騎打ちで百人抜きした」
「前ガリア王と直接戦い、討ち取った」
などのプロパガンダ情報しか得られていない。
(追記 2 外務大臣、外務副大臣、外務大臣政務官より平賀氏との最初の直接接触の際に、自分が立ち合えないか
との問い合わせ有り。検疫の問題がある上、詳細な状況を本人に直接確認するまでは政治家との直接接触は避けた方が
適切である旨をご説明し納得いただいた。
 ただし可能であれば今後発生する平賀氏との直接接触は「存在しなかった」事とし、最初に直接接触したのは
日米両国の政治任用職者であった事にできないか平賀氏側と交渉するようにと外務大臣ご自身からの「依頼」あり。
可能であればその際の写真撮影の許可も得るように。なおこの追記事項が記されたページは確認次第処分し、
最終報告書でも該当部分を削除しておく事)


「及川さん。このワインはなかなかいけますよ。我々の世界の物と比べるとかなり渋みは強いですが、口当たりは
柔らかいですし酸味、苦味とのバランスも悪くない。貴方も一杯いかがですか?」

 手にした銀製のゴブレットを優雅に傾けながらロジェ・ブラックがそう語り掛けると及川啓介は苦笑して
目を通した書類をテーブルの上に置いた。いつもの事とはいえ政治家サイドからの余りに身勝手な「お願い」に
軽い頭痛を感じていたこともあり、及川もまた躊躇無く用意されていたゴブレットに手を伸ばした。

「確かに出されたものに手をつけないというのも不味いですからね。分かりました、一杯だけいただきます」

 及川が手にしたゴブレットにロジェは流れるような手つきでワイン、オルニエール産のそれの中でも最上品、を注いだ。

「これはすいません」
「いえ、一人で飲んでいるのも味気ないですからね。
とりあえず『サイト・シュバリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエール子爵』あるいは日本人平賀才人氏と間接的であれ
連絡が取れたことに乾杯しましょう」

 ロジェがそういってゴブレットを掲げると及川もまたようやく山を一つ越えつつあるとの実感に微笑して応じた。

「ええ、乾杯」
「……できれば一緒に飲む仲間がもう少し増えてくれて、なおかつその中に御婦人が居てくれれば、このワインも
もっと美味しくなると思うのですが」

ロジェはさらに同じ部屋の中に居る他の人間にそう水をむけた。すると

「我々は護衛任務中ですのでご遠慮させていただきます」

と緑の迷彩服を着込んだ自衛隊員、及川とロジェの護衛兼従卒役部隊の隊長である小暮二尉、が生真面目な声で応じた。
その小暮の後ろで栗林志乃一曹は、
(また始めたよ、このエセ紳士……)
と心の中で大きくため息をついた。

……及川達日米共同外交使節団先遣班が現在逗留しているのは都市オルニエールのオルニエール子爵邸である。
及川達はこれまで数日毎にこのオルニエール子爵邸を訪問しては執事に追い返されていたのだが、二日前に訪問した際に
相手側の対応が劇的に変化した。
 なんでも伝書鳩で子爵本人から指示があったとのことで、及川達は近日中に子爵本人が到着するまでの間、賓客待遇での
館への逗留を求められたのである。無論及川達に異論は無く、彼らは本部に報告を行った上でこの申し出を受け入れた。
そしてオルニエール子爵、ほぼ間違いなく日本人平賀才人、の到着をさらなる情報収集を行いながら待つこととなったので
ある。

「任務に極めて忠実であることが貴方達自衛隊の素晴らしい美徳である事は重々に承知しています。
ですが気を張り詰めすぎるのも良くない。交代で一杯ずつワインを味わう程度なら任務に支障はきたさないでしょう? 
どうです、とりあえずレディファーストで始めませんか?」

ロジェは小暮の控えめな拒絶にもまったく気分を害した様子はなく、さらに酒盃を隊員たち、というより栗林に薦めた。
半分遊びだろうがあからさまにモーションを掛けている。
小暮は半ば頭痛を感じながらこの申し出を受けるべきか判断に迷った。
このロジェ・ブラックという人物は小暮達の護衛対象ではあるが、彼らに対する命令権限は有していない。
しかし同時に小暮達は護衛任務に支障をきたさないのであればロジェの、アメリカ合衆国大統領直属の交渉人の、
希望や要望に可能な限り応ずる様にとの正式な命令を受けてもいたのである。
 無論この場合、飲酒を行う事でわずかでも護衛任務に影響が出ると突っぱねる事も十分可能なのだが、現状そこまで高度
な警戒が要求される状況とも小暮は考えてはいなかった。

結局、彼は部下を生贄にすることにした。
まあこの生贄は供物を食べにきた怪物を軽く返り討ちにしかねないある種の猛獣なのであるが。

「栗林一曹、現時点より休憩をとれ。ローテーションについては後で調整する」
「了解しました」
(売りやがったな、この野郎)
内心で毒を吐きながら栗林は自分の直属の上官はどうしてこうも「逃げる」のが上手い人間ばかりなのかとため息をついた。
そして彼女が準備されたゴブレットを手にとるとロジェが

「勇猛なる黒髪の戦女神に捧げます」

と真顔で述べてワインを注ぎ込む。その気取った仕草に栗林はこんなことならアルヌスに残った方が良かったかもと
内心でゲッソリとなった。
栗林の見たところ、このロジェ・ブラックという人物はいわゆる性悪と呼ばれる類の人間ではない。
むしろ好人物・熱血漢と呼ぶべき人間である。
その事はすぐに理解できた、できたのではあるがしかしその言動は一々芝居がかっており、どうにも彼女の波長に合わない。

(おまけに服装のセンス、最悪だし)

さらに本人は紳士・フェミニストを自負しているようなのであるが、案外頭に血が上りやすい部分もあり、
これは親しくなったら直ぐに本性を出すタイプだなと栗林は見ている。

「暑苦しい本性を黒スーツと芝居がかった振る舞いで隠している「エセ紳士」」

それがロジェ・ブラックに対して栗林が下した評価だった。
つまり悪い人間ではない。むしろかなりの善人。
……だからこそ対応に困るのである。
ついでにアメリカ合衆国大統領直属の交渉人という普通なら最低でも尉官級が対応しろといいたくなるような肩書きまで
もっているのである。ちなみに同じ隊の勝本二曹はロジェに対し

「なんか腕時計に仕込んだ無線つかって巨大ロボットをどこでも好きな時に呼び出せそうな感じがする人ですよね」

という評価を下している。そして何の話かと尋ねた栗林に

「いや、いいです。今のメモリーは忘れてください」

というさらに分からない回答を返している。結局以前所属していた隊の隊長の趣味に勝本が汚染されてきている事を
理解するのが栗林の限界だった。



「栗林さんは、第一特地での勤務が長かったと伺っています。
このオルニエールのワインと第一特地のワインの味の違いについての感想等をお聞かせ願えませんか?」

ソムリエやら外交官やらじゃあるまいし、ワインの味なんてわかるか!
と叫ぶ事もできず栗林は引き攣った笑顔を作りながらロジェの相手をせざるを得なかった。
正直、第一特地でドラゴン相手にドンパチやるほうがよほど楽だった。

(続)



[31071] ゲート ZERO 9話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:fd7d0262
Date: 2012/07/01 20:20
9 貴族達の事情

「うーん、そうね。やっぱり家具はロマリアの同じ工房で統一するべきね」
「はぁ?」

隣でルイズがいつものように唐突にそう切り出すと、才人は今度は何だと呆れた声を挙げた。

カタン、コトンッ

ここは都市オルニエールに向かって走る四頭立ての大型馬車の中である。
馬車のサイズは一度に十五人程度が乗れる程、高級なサスペンションが使われている為、
走行中の振動は極めて小さい。
そこで才人は前の席にルイズと並んで座り、彼女に声を掛けられるまでぼんやりと外の景色を
眺めていた。ちなみに馬車の後ろの方は酒と雑談に興じる水精霊騎士隊のメンバーにより
さながら酒の入ったバス旅行の如き雰囲気となっている。

「なんでいまさら家具なんているんだよ。屋敷にもうあるだろ。あれ、確か結構高かったはずだぞ」
「今ある家具も悪くはないけれど、ちょっと地味すぎるから嫌なの。
舞踏会や晩餐会を開いたりするときのことのを考えたらもっと見栄えのするものが欲しいのよ。
アンタは近衛の副長だから場合によってはアンリエッタ様御自身が公式におみえになることだって
ありえるのよ?」

そういってルイズは才人に数枚の詳細な図面の如きものが描かれた紙を差し出す。
どうやら家具のカタログらしい。図面の中にいかにもルイズが好きそうな瀟洒な細工がそこかしこに
施された椅子やらテーブルやらが鎮座している

「いくらするんだよ?」

またかと溜息をつきながら才人が尋ねるとルイズがカタログの下部分を指差す。
そこに書かれた数字に才人は一気に渋面になった。

「アホか、いくらなんでも高すぎる。却下だ、却下。本当に必要なものならともかく、
こんな無駄遣いなんかできるかよ」

それらの家具の値段は平民の収入から考えるなら明らかに正気を疑われる域に達していた。
だがオルニエール子爵としての才人の収入からすれば、実の所決して買えない金額でもなかった。
しかし才人は自分の領主としての収入はいわば一種の公金としての性格をもっていると考えるように
なっていた為、到底無駄遣いをする気にはなれなかった。
無論「貴族としての格式」とやらに必要なものについては一種の必要経費と考える事にしていたし、
ルイズが欲しいと言い出すものもこれまでのところ大抵は、しょうがねぇなぁ、といいつつも
買ってやってもいた。
しかし今回の「お願い」はいくらなんでも度が過ぎるように才人には感じられた。

「俺の金って結局領民から集めた金なんだぜ?
ってことはなんか災害とか問題とか起きたときはその金で対策しなくちゃならないってことだろ。
お前の親父さんだってそうしてるって前にお前自身がいってただろうが?」 

才人に自分の父親であるヴァリエール公爵の話を持ち出されるとルイズも流石に分が悪いと感じたようで
ムゥっと不満げな表情になりながらも才人につきつけた家具のカタログを戻し、
自分のすぐ後ろの席に座っている専属の「侍女」に手渡した。

「フラン、それしまっといて。後でまた使うから」
「かしこまりました。ルイズ様」

きっちりと髪を整えメイド服を着込んだ金髪碧眼の美少女メイド、フランシーヌは恭しくルイズの手渡した
カタログを受け取り、それを手にした旅行用鞄のなかにしまいこんだ。

……スラムより才人がフランシーヌ姉妹を館に連れ帰った後、当然のように騒ぎが起きた。
ルイズは無論自身の財布を掏り取ったフランシーヌに怒ったが、フランシーヌが少女である事と
その面倒を見る為に才人が彼女達を館につれてきた事を知るとそれ以上に才人に対して激怒した。
彼女に撒かれ面子を潰された形の水精霊騎士団のメンバーも同様だった。
 しかしその彼らの怒りはフランシーヌ達の境遇を知ると一気に冷めた。
いってしまえば彼らは良くも悪くも良家のお坊ちゃん、お譲ちゃんであり、実にあっさりと
フランシーヌの境遇に同情しきってしまったのだ。
 特にルイズのそれは激しく、国の為に犠牲になった人間の家族の面倒を見るのは貴族として当然、
などと言い出し彼女達を自分専属の侍女にする、侍女としての作法は私が躾けると言い出したのである。
(ただし給料は才人持ち、実質的な指導もシエスタが行う事となった)

もっとも才人はそんな彼らに

(だったら視界に居ないところにいる同じような境遇の人間はどうすんだよ)

と思わずつっこみを入れたくなったが話がややこしくなるのが目に見えていた為、自重した。
ただギーシュの反応だけは他の者とは異なった。彼はフランシーヌの父親が人夫としてトリステイン軍に
徴用され、現地で死亡したが戦死扱いされなかったという話を聞いた途端に顔色を変え、
そのまま急ぎの用件が出来たと皆に告げ才人の館を出て行ったのである……


「こんな隅っこで何をウダウダやっているんだ? 特に才人、こっちは君の故郷の手がかりが見つかった事を
祝って一杯やってるんだ。君も来いよ!」

いつのまにか後ろで宴会をしていたギーシュが才人を誘いにきた。
既にかなりの量の酒を飲んでいるらしく顔はかなり赤い、ろれつさえ少し怪しくなっている。
それでもいつものように薔薇の造花製の杖を持って格好をつけたポーズを作っているのだが、
見るからに酒が回っている今の状態ではいつも以上に滑稽で傍目には只の馬鹿にしか見えない。

「本当に申し訳ございません。ギーシュ様、才人様はルイズ様とお話中なんです」

もっとも極一部の脳内補正の掛かった人間にすればそんなギーシュの姿も滑稽どころか神々しいものに
見えるらしい。フランシーヌは心底申し訳なさそうに、しかし心底から賛嘆を込めた視線を向けて
ルイズの代わりにギーシュに答えた。
確かに主人の貴婦人の代理として回答する事も侍女の仕事の一つなのであるが、フランシーヌの
ギーシュに対する態度はあたかも敬虔なブリミル教徒がブリミル本人に回答しているかのように
見えるほど恭しいものだった。

(俺と話するときとは全然違うよな。……まあ、しょうがないけど)

……ギーシュが才人の館に戻ってきたのは二日後の朝だった。
そして彼は戻るとすぐフランシーヌ達の父親が公式に「戦死者」として認められた事と、
役所で補償金や遺族年金を受け取る為の手配が済んでいる事をフランシーヌに告げた。
 フランシーヌは号泣してギーシュに礼を述べ、それ以来彼に対し直接の雇い主である才人や
直接の主となったルイズに対するそれより遥かに恭しい態度で接している。
ちなみに才人はいくらなんでも余りに話が上手すぎると感じたので、後で二人きりになった時に
ギーシュに詳しい事情の説明を求めた。
彼が(いささか間がぬけているところもあるが)かなりの好人物と知っている才人にしても、
平民の一少女に対し彼がここまでするのはいささか以上に不自然に思えたのだ。
ギーシュはあっさりと理由を説明した。

「そりゃ君、放っておいたら我が国、特に軍関係の今後に明らかに実害のある話だったからね。
徴用した平民は戦死扱いされないって話が広まったままだったら、今後戦争が起きたときに徴用した
平民の逃亡やら徴用逃れやらが大量に発生しまくる事は目に見えてる。
というか今回の彼女の父親の場合は本来遺族に対して補償が行われるべきケースなんだよ。
そうならなかったのは補償関連の新しい責任者になった財務の役人が業務に不慣れだった事が原因さ。
平民の戦死者に関する補償は正式に法律にはなっていない、いわば慣例だったからある意味しかたないとも
いえるんだが……」
「けど責任者の役人が仕事の事をわかっていなかったって酷い話じゃないか。よくあんのかこんな事?」
「いや、この間の戦争で我が国の領土が一気に広がっただろう? それ自体は結構な事なんだが、
それで業務に一番精通している中堅官僚がかなりの数新しく領土になった地域に派遣されちまったらしい。
お陰で首都にいる官僚の層が一気に薄くなって新規採用された新人やら、今まで冷や飯食わされていたような
連中やらが表にでてこざるをえなくなっているそうだ。
ただ時間が経てば問題のある連中は淘汰されて新規採用された連中で有能なのが上にあがるだろうから
その辺はあまり問題ないと思う。トリステインはその辺りの制度は割と良くできているんだよ。
……大きな声では言えないけどね。まあ父上を通してデムリ財務卿に話をつけてもらったから
この問題は今後は発生しなくなるはずだよ」

才人はギーシュが出した名前に驚いた。軍部の重鎮であるギーシュの父親と財務大臣のデムリ卿の事は
あまり貴族の名前に詳しくない才人でもさすがに知っていたのだ。

「グラモン元帥からデムリ財務卿に話を通したって? んな大事になっていたのかよ」
「いや僕や君でも財務大臣のデムリ卿と直接話をすることはできたんだぜ?
近衛の隊長と副隊長だから実際に動かせる部下の数とか影響力とかはともかく、一応格式「だけ」は
軍の元帥、将軍クラス扱いで宰相、大臣とほぼ同格だ。
もっとも僕や君みたいな若造が父親ぐらいの年齢のデムリ財務卿相手にそれをやったら相手の顔を
潰す事になりかねないし、絶対に周囲から反発くらいまくることは目に見えていた。
だから父上を通してお願いした。軍全体に影響のある話だし父上も快く引き受けてくださったよ。
 才人、君の性格上まずないとは思うがこの手の話があったときにアンリエッタ様に直接お願いするのは
本当に最後の手段だぜ? 近衛の地位を使った相手との直接交渉もできるだけ避けたほうがいい。
伝手があるなら出来る限りそれを使って相手の顔を立てれるようにすべきだ。
君は面倒くさいと思うだろうし、僕もそう思っているんだが残念ながらこれが貴族社会の現実ってやつだ」

いささか複雑な表情でそう答えるギーシュに才人は内心で、今後役所とかお偉いさん相手に交渉する必要が
ある場合は全部こいつに押付けようと実に友達がいの無い事を考えていた……


「ギーシュ! 才人はまだわたしとの話が残っているの。……家具の話はとりあえず置いておくとしても、
ちゃんとした専属の庭師は雇う必要があるわ。今は使用人や一時雇いの庭師に庭園の手入れをさせているけど、
庭園で園遊会を行う時の事を考えたら絶対に必要よ」

新しい家具の購入が困難と見たルイズは今度は館の庭園とその管理を任せる庭師についての話を持ち出した。
才人は彼女の話を聞きながらも、内心でこれなら先に馬でオルニエールに行ったほうがよかったかもと
溜息をついた。




「放っておいていいの、あれ?」

少し後ろの席で褐色の肌を持つ若い赤髪の美女が、隣に座る黒い執事服を着た三十台半ばの男に
面白がるようにそう問いかけた。

女の名前はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー、ゲルマニアより
留学生としてトリステイン魔法学院にやってきた女性で才人とルイズの共通の友人でもある。
黒い執事服の男はムスカー、才人に雇われた家令としてオルニエール子爵家を実質的に差配している人物である。
ムスカーはキュルケの問いかけが理解できないというように軽い口調で応じた。

「はてさて、なんのお話でしょうか?」
「惚けるのはやめたら? 内装とか家具の配置とか、ルイズがオルニエール子爵家内部の運営に
直接口を出してることよ。才人はもうれっきとした爵位を有する一家の長。いくら公爵家とはいえ、
婚約者でもない他家の一令嬢に過ぎないあの子にあそこまで口を出させるなんて普通ありえないでしょう?
 ましてあの子達はまだ婚約者同士にすらなってないいってしまえば「ただの恋人同士」に過ぎないわ」
「いえいえ、我が主は子爵位を得てまだ日が浅いものでして、王家に連なるヴァリエール公爵の姫君である
ルイズ様より直接ご助言をいただける事は光栄の極みと申せましょう。
それに我々は直接ルイズ様からの指示を受けているのではなく、あくまでルイズ様のご助言を受け入れた
御館様のご指示に従っているに過ぎません」

問いかけるキュルケに答えるムスカー、どちらも会話自体を面白がっている様な微かな笑みを浮かべている。

「クスッ、実質的な正妻扱いを続ける事で既成事実を積み重ねさせようってことかしら?
 そうね、ルイズはもう才人の屋敷を「自分の屋敷」だと完全に思い込んでる。
これじゃ実家のヴァリエール公爵家があの子を連れ戻そうとしてもさぞかし手間取るでしょうねぇ。
でもそれでも婚約者でもないルイズを自分の屋敷にとどめ続けている事はオルニエール子爵家の落ち度に
されかねないんじゃないかしら?
「娘を傷物にされた!」といってヴァリエール公爵が激怒して直接兵を率いて攻めてくる可能性だって
あるでしょう?」

単なる恋愛ならいざ知らず爵位を持つ貴族同士の婚約、結婚は通常党首である親同士、「家同士」の
話し合いによって決められる。そこに当人同士の意思が介在する余地など無い。
その「家同士」の合意も無しに一方の令嬢を自分の屋敷に留め続けることは、
それがたとえ令嬢本人の意思であったとしてもその実家に対する敵対行動と看做されてもしかたがない、
キュルケはムスカーにそう指摘しているのである。
だがムスカーは自家を上回る力を持つ公爵家と敵対するかもしれないという指摘にもまったく動じた様子を
見せなかった。

「ハッハッハッ、それは怖いですな。……ですがそういった形でヴァリエール公爵が動かれる可能性は
ありませんよ。他の高位貴族の方々ならともかく、今のヴァリエール公爵家だけはない。
賭けてもよろしいですよ」

明確な確信をもったムスカーの言葉にキュルケは苦笑した。

「やれやれ、これじゃ賭け自体が成立しないわね。私も同感。
……ってことは貴方もやっぱりあの話を知ってるわけ?」
「それこそ「どの話」についてでしょうか?
若き日のヴァリエール公爵が嫡男だった時期に今の奥方であるカリーヌ夫人と駆け落ちした事でしょうか?
その後、偽名で男装した奥方とともに魔法衛士隊に入隊し、さまざまな武勇伝を立てられたことでしょうか?
それともそれらの功績で奥方が男爵位を得た後、フィリップ三世陛下直々の仲介によって実家に、奥方を
正妻として正式に認めさせたことでしょうか?
もしくは結婚後奥方との間に三人の姫君を得たものの、男児の後継者を得られなかったにもかかわらず、
周囲の勧めを拒み一人の側室も置かないほどの愛妻家であり続けておられることでしょうか?」
「さすがにその手の話には強いわね。確かに自分がそれだけ好き放題やっているのに娘に恋愛結婚は
認めないとか、相手が子爵家じゃ家格が足りないとか言えるわけないわよねぇ」
「加えて当家との縁組は現在の公爵家にとっても利益となる話です。先の戦役においてヴァリエール公爵家は
出兵反対派でした。その前のアルビオン侵攻軍相手の防衛戦でもさしたる働きはみせておりません。
無論、アルビオン側に通じていたわけではないのですが、本来王家にとって第一の盾となるべき公爵家が
なんの働きを見せなかったというのは相当に不味い。
王家の力が以前とは比較にならないほど強大となった現在ではなおさらです。
そして今の状況下でアンリエッタ女王陛下より厚い信頼を得ている当家と縁組する事の意味、
逆に敵対する事の意味を理解できない程ヴァリエール公爵は愚かでは無いでしょう。
はっきりいえば現在のヴァリエール公爵家は公的にも私的にも御館さまとルイズ様の関係を
到底咎めだてできる立場ではないのです。そう、よほど状況が理解できない愚か者でもない限りね」

ムスカーは不敵な笑みを浮かべてそう断言する。
キュルケもまた笑みを浮かべながらムスカーの言葉に付け足すように続けた。

「そして今のヴァリエール公爵家に男児の跡継ぎはいない。次女は病弱で子供は望めそうに無い。
長女は性格に問題がありすぎて到底結婚できそうにない。
……あらあらこのままいったらルイズの相手、つまり才人が次の公爵家の跡継ぎってことかしら?」

間違いなく目の前の男はその新たな公爵家の跡継ぎの腹心となる事を望んでいる野心家である。
キュルケはそう確信したが、欲の無い才人の部下としてはこれぐらいで丁度いいだろうとも思っていた。

「それは余りにも先走りすぎたお話ですなぁ。ヴァリエール公爵家長女のエレオノール譲がご結婚なされれば
それまでの話です。そう御年27歳で破談33回、公式婚約破棄1回、非公式の婚約破棄6回で
「結婚は人生の墓場」が現在の座右の銘であるエレオノール譲が御結婚なされれば……ね」
「……本人が目の前にいない場所でも女の歳を口に出すのは止めといてあげなさい」

キュルケは「若さ」という特権と多数の恋愛経験という絶対的アドバンテージを持つが故の優越感から
生まれた慈悲心で、ヴァリエール公爵家長女の良縁を祈った。
もっともブリミル御自身でもこの祈りを適えるのは多分無理だろうなと確信してもいた。

(続)



[31071] ゲート ZERO 10話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:fd7d0262
Date: 2012/08/15 15:36
10 故郷からの使者

「始めまして。平賀才人さんですね? 第二特地問題対策委員会の及川と申します。
お会いできて光栄です」

 一筋の皺も無い紺色のスーツをピシッと音が鳴りそうな程キッチリと着込なした年上の
男性から「日本語」でそう話しかけられた瞬間、才人は

(もしかして本当に日本からきた?)

と半ば呆然となっていた。
いや、あの「連絡求む」の幟を見た時には才人もこれは間違いなく日本からの救援だと
一度は歓喜し、確信していた。
だがその後フランシーヌ姉妹の処遇などで手間取っている間に熱も冷め、正午少し前に
都市オルニエールの屋敷入り口まで来た頃には

「さて今度はどーいうオチがつくのかね」

と斜に構えてさえいたのである。
 そう、ルイズによってハルケギニアに召喚されて以来、さんざんいらん苦労を重ねて
きたお陰で才人はあの「幟」のような上手すぎる話の類は徹底的に疑ってかかるように
なっていたのだ。
なにしろこのハルケギニアは魔法有り、いいかえれば何でもありな世界である。
(ルイズ達にいわせれば魔法にもそれなりに制約なり、厳格なルールなりがあるのだが
才人はその辺りの詳しい法則までは理解できていない)
なんらかの魔法、もしくはドラ○もん級の便利マジックアイテムで才人の故郷の知識を
集めた「誰か」が才人を引っかけるためにあの「幟」をつくった、あるいは才人自身にだけ
通用する幻覚魔法・マジックアイテムあたりが使用された、「幟」自体は確かに日本製だが
ブリミルが残した召喚魔法で「幟」だけがハルケギニアに呼び出されてそれを「誰か」が
加工した、いやいやいっそ夢オチとか、などと可能性はいくらでも思いつくのである。
(一応幻覚系の魔法を掛けられていないことはルイズや水精霊騎士隊のメンバーに確認を
とっていたが)
 だがそこまで捻くれてしまった才人でも、どこをどう見ても日本人であるスーツを着た
男性から、「日本語」で話しかけられ、最後に止めとばかりに
「日本国外務省一等書記官 及川啓介」と日本語で書かれた名刺を渡されると
流石に眼前の現実を受け入れないわけにはいかなくなった。
  
「はぁ、どうも。平賀才人です」

 名詞を眺めながら返したそのしまらない回答が、自分が久方ぶりに使用した
「日本語」であることに才人は気づかなかった。
続いてあっけにとられている才人に黒いスーツを見事に着こなした長身の白人男性が
堂々とした態度で一礼し、こちらはハルケギニアの言葉で自己紹介した。

「アメリカ合衆国より派遣されたネゴシエーターのロジェ・ブラックです。
サイト・シュバリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエール子爵殿、ようやくお目にかかる事が
できた幸運を「こちら」の神「ブリミル」に感謝させていただきます」

 そのひどく芝居がかった仕草に才人は一瞬ギーシュの同類かと思いかけた。
だがロジェの振る舞いにはギーシュと違い隙がほとんど感じられない。
むしろジュリオ、ロマリアにいる完全無欠の美貌と隙の無い言動を併せ持つ「知り合い」
(友人ではない)の美少年、に近いものを連想させ、才人に警戒心を抱かせた。
ハルケギニアに来て以来、才人はこの手の「完璧なまでに隙のない美形の同姓」からは
散々な目に遭わせられ続けているのである。
(ちなみに後でルイズたち貴族組にロジェに対する意見を聞いた所、実に「貴族らしい」
振る舞いの人物であるとの全員一致の感想が帰ってきた)
ただロジェからは今までに叩きのめしてた連中程冷たい印象も受けなかったし、初対面の
相手にあまり先入観をもつのも不味いだろうと思い才人は意識を切り替えた。



「世界扉がオルニエールの領内に開いているですって?」

 日米の外交官達が自己紹介を終えた後、情報交換が行われた。
お互い少しでも相手側の情報が欲しかったのだ。
そこで才人は自分が探し求めていた日本への帰還手段がオルニエール領内に存在している事を
知らされ絶句した。外交官達は「門」(ゲート)と呼んでいたが、才人の知識ではそれは
「世界扉」とよばれる特殊な魔法で生み出されたも異世界への扉としか思えなかった。
加えて才人を驚かせたのは「時間」の問題だった。才人はハルケギニアに来てからの時間を
正確に数えておらず、大体一年半程度だと考えていたのだが目の前の及川と名乗った役人によると
日本では既に六年が経過しているという。

「あくまで推論の域を得ませんが、平賀さんがハルケギニアに来た際に俗にタイムスリップと
呼ばれる現象に巻き込まれたか、あるいは現在地球と繋がっている「門」が時間軸を超えて
ハルケギニアに繋がっているか、このどちらかではないかと思われます。
正確な所は学者に調査してもらうしかないでしょう」

 呆然とする才人に及川は続けて才人の家族の現況を伝えた。
幸いにして才人の家族は全員が無事であるという。
ただ才人がハルケギニアにいるという情報は今現在まで詳細が確認ができなかったこともあり、
まだ連絡していないとの話だった。

「御家族への第一報はこの後無線で本部に連絡した後、本省(外務省)より行う事になるでしょう。
そして設営地の外交使節団本部には地球側と通話可能な電話が既に設置されておりますので、
これから本部に向かえば夕方には御自身で御家族とお話しすることができると思います」

及川がそう才人を誘いをかけるとそれまで神妙な面持ちで才人達の会話を見守っていたルイズが
及川に問いかけた。(最初の挨拶以降、会話は全てハルケギニアの言葉で行われている)

「貴方達、飛竜でも連れて来ているの? 
「世界扉」のある場所って「黒泥の死地」のちょうど真ん中あたりなんでしょう。
馬で行ってもここからなら一週間近く掛かるはずよ」

 才人達は元々「黒泥の死地」への訓練を兼ねた調査計画を立てていた。
そして都市オルニエールから「黒泥の死地」の目的地まではおよそ120リーグ(約120キロ)であり、
全員が馬を使い片道5日で到着する予定だった。
ハルケギニアの感覚では空を飛べる騎獣でも使わない限り120リーグ(約120キロ)という距離は
どう考えても半日で到着する距離ではないのだ。
ルイズの質問に少し及川は驚いたようだったが、この見るからにプライドの高そうな貴族の御令嬢の
機嫌を損ねないよう丁寧に説明した。

「いえ空の移動手段は準備しておりませんが、街の外に我々の世界の車を待機させています。
こちらの馬車よりかなり早い速度で長時間進めますので、安全を配慮した運転でも半日で
十分到着可能です」

 無論ルイズは地球の自動車を見たことはない。
しかしこれまでに数々の「場違いな工芸品」、地球からハルケギニアにやってきた物品の総称、を
見てきたこともあり、同種の車ならできるのだろうと納得した。

「120リーグを半日で走る車ね……流石は「場違いな工芸品」の本家本元ってところかしら」

 ルイズの賛辞に及川は、自動車に関しては歴史的に本家本元はむしろアメリカさんの方なんだが、
と考えたがあえて異論を唱える必要も無いので反論しなかった。
恐らくこの場で唯一反論する権利を持つ隣にいるロジェを見れば、こちらは隠しようもない苦笑を
浮かべている。恐らくかつての偉大な先達達とは程遠い状況にある現在の自国の自動車産業の
「ていたらく」を思うと異議を唱える気にもなれないのだろう。

「無論平賀さんにも御事情があるでしょうから、あくまでこれは提案です。ただ御家族への連絡に
関しましては御家族より捜索願が出されている以上、平賀さんの御意思に関係なく報告せざるを
得ませんので御了承願います」

 勿論才人にこの申し出を拒否する理由は無い。しかしそのまま自動車で調査隊設営地に
向かう事もしなかった。これは才人が調査隊設営地に向かうに当たり、ルイズや水精霊騎士隊の
メンバー、さらにムスカーまでもが同行を希望した為だった。
及川達が準備した自動車はあくまで才人と及川達、そして護衛部隊の分だけであり、単純に車両が
足りなかったのである。結局及川達が無線で本部に連絡し、同行者分の車両と人員をオルニエールに
追加派遣してもらった上で、翌朝に才人達は調査隊設営地にある外交使節団本部へ向かうこととなった。

「才人の凱旋帰郷を祝ってカンパーイ!」

 その晩、豪奢な飾り付けのされた館の大広間で、もはや恒例となりつつある水精霊騎士団
メンバーによる宴会が行われた。名目は才人の故国への凱旋祝いである。
無論いつものメンバー以外にも及川とロジェといった日米共同外交使節団先遣隊のメンバーも
宴会に招かれている。ただ水精霊隊騎士団のメンバー達は本音としては及川達から才人達の世界の
事を聞き出したそうな様子だったが、異世界の国交の無い異国からの外交使節団という
下手に関係を持つとややこしい事になりかねない相手に対する警戒感とようやく故国の人間に
再会できた才人への配慮から、及川達とは少し距離を置いていた。
そして才人は及川とロジェから自分が居ない間に地球、そして日本で発生した事件についての
大雑把な説明を受けていた。

「はぁ、そっちもそっちで随分と大変な事になってたんですね」

銀座に開いた「門」より発生した異世界の「帝国」からの侵略。
自衛隊による反撃と「帝国」への逆侵攻。
「帝国」との講和と国交樹立、その後の帝国内の講和反対派との戦闘
尖閣諸島で発生した事件による中国との対立
銀座騒乱事件と「門」の崩壊および再開通
「門」崩壊時に発生した地球規模の「大震災」とそのおよそ1年後に発生した「東日本大震災」
「東日本大震災」によって発生した原発のメルトダウン
2度にわたる日本の政権交代

6年という時間があるにしろ、ざっと並べるだけでもこれだけの事件が起きていたという。
ハルケギニアもたいがい物騒だったが、自分の居ない間の日本もまた負けず劣らず剣呑な
状況だったのだと才人は思わざるを得なかった。

「そうするとあのライオンみたいな髪型の人。そう、北条さんはもう総理大臣じゃないんですね」

 才人にとっての「総理大臣」のイメージはほぼイコールで「銀座事件」当時に内閣総理大臣を
務めていた北条重則だった。なにしろ日本において5年間という「超長期間」
(諸外国なら普通レベルなのだが)総理大臣の地位にあり続けた人物である。
才人にすれば小学生高学年というそれなりに知恵がついてきた時期からハルケギニアに
召喚されるまでずっと総理大臣だった政治家である上、北条自身があまり政治に興味のなかった
才人にさえいろいろな意味で強烈な印象を与えざるをえないほど強い個性、いいかえればカリスマと
いうべきものを有していた人物だったのだ。

「北条元首相は銀座事件の後、「帝国」への対処方針を定められた後に任期満了で退任されて
おられます。その後の衆院選挙にも立候補はされず、議員活動に関しては引退された状態ですが
政治活動自体は継続されておられます」

及川が説明した北条元首相の現況について、ロジェが隣から皮肉の入った声で論評した。

「我々の立場から言わせていただくと北条元首相は議員活動を隠退されるのが10年程
早すぎましたね。ずっと首相でいてくれればとまではいいませんが、民自党の中に
残っていただくだけでその後の状況は「いろいろな意味で」良い方向に「随分と」
変わっていたのではと思いますよ」

 ロジェが「いろいろな意味で」と「随分」の所にかなり力を入れてそう述べると及川は
自分の顔が引き攣るのを抑える為の努力を必死で行わざるを得なくなった。
北条の議員活動引退理由は明確ではないが、彼の引退後民自党は内部権力闘争と方針の迷走を
繰り返し、最終的に総選挙で大敗北、政権を失うに至る。

……「その後」の事は及川、いや普通の日本の官僚にとっては思い出したくも無い程の悪夢の
連続だった。まっとうな政治的・外交的な常識と配慮を一切有さず、自身の妄想的な思いつきを
自慢げにマスコミ相手にばら撒き続ける「キ○ガイ」、重大な情報を国民に隠蔽し外交問題から
発生した事実上の指揮権発動の責任を検察に押付ける「無責任」、大事故発生直後に
その指揮本部に押しかけ、危機的状況を益々混乱させた上に、責任を他人に押付けて
ヒステリックに怒鳴り散らす事しかできない「無能」、そういった面々がこの国の中心で
権力を握り続けていたのだ。
 その後の総選挙で民自党が政権党の座を取り戻し、状況はなんとか正常といいうる状態に
戻ったものの現在は民自党所属の政治家の過去の汚職に関する記事が連日TVと新聞各紙を
埋め尽くしている状況であり、次に解散総選挙が行われれば民自党が政権党の地位を
維持できるかは極めて微妙な状況にあると見られている。
そして今の野党第一党にして前与党である「主民党」が再び政権を握った場合、
日本の外交方針がどうなるかはわからない。本当にわからない。
中にはかろうじて「まとも」と評しえる人間もいるが、最低限の現状認識すら有さず思いつきで
何をいいだすか全く分からない連中が党内で多数を占めている状況なのだ。

 無論これらの思いを表に出す事は及川達官僚には許されない。
彼らにできるのは少しでも「まとも」な政権である内に、条約なり協定なり日本国の利益を
少しでも確実に保証する約束をトリステイン側と取り付け「最悪の事態」となった場合に
日本国自体へ悪影響がでる可能性を少しでも下げる事だけだった。

(そろそろ「仕掛ける」か)

一通りの情報交換が終わった後、及川はそろそろ「攻め」の手番が回ってきたと判断した。
彼はこれまでの優先目的を「行方不明の邦人の安否確認と保護」としていた。
だが得られた情報から判断するに「邦人平賀才人氏」には差し迫った危機も、周囲から脅迫を
受けている様子もないようである。
唯一ハルケギニアに来た理由については明らかに何か隠している様子ではあるが
(無論及川は気づいた様子は見せなかった。後で別ルートで徹底的な調査を行う予定である)
日本の家族への連絡、帰国についても積極的だ。
となるともう一つの(はっきりいえば本題ともいえる)目的である「日本国の権益確保」
に移っても差し支えはないだろう。
及川は第一特地で「帝国」の高官相手に猛威を振るった自分達の「武器」を持ってくるよう
従卒役の自衛隊員に依頼した。

(やれやれ本当に仕事熱心な御仁だな。その勤勉さは尊敬には値するが力みすぎているのは
上手くない。もう少しこのワインを楽しむぐらいで丁度いいだろうに)

そしてその及川の様子を横目で眺めていたロジェもまた自身に宛がわれた従卒役の自衛隊員に
メモを渡して「準備」を依頼する。自衛隊員はメモの内容に少し驚いたようだったが、
すぐに一礼を返し、準備の為に広間を出て行った。



その頃、館の庭に駐車した軽装甲機動車の中で栗林ら数名の自衛隊員が本部からの無線連絡を
受けていた。内容は先刻依頼した車両、人員の増派依頼についての回答である。
それによると依頼通りの台数、人員が早朝にオルニエールへ到着するという。

「さすがにあの人数を連れていくとなると結構な台数が必要になりますねぇ。
キャリア(73式中型トラック)やカーゴ(73式大型トラック)の後ろにまとめてぶち込むって
わけにも行きませんし」

栗林から連絡内容を教えられた勝本が護衛対象が増えた事をぼやくと、栗林もうんざりした様子で
それに応じる。

「向こうの面子みたでしょ? この国の近衛隊らしいけど見た感じノリは高校生の修学旅行って
感じよ。上も本音じゃ可能な限り少人数しか連れて行きたくないんでしょうけど、こっちは断れる
立場じゃないからしょうがないわ」

 第一特地における帝国側との初期接触の際、帝国皇女であるピニャが自衛隊の占領地である
アルヌスを訪れようとした事があった。その際自衛隊側はピニャに最小限の人数の同伴者しか
認めなかったのだがこれはあくまで当時の帝国と日本が戦争状態にあり、その日本側の占領地を
ピニャが訪れようとした為に可能だった拒否である。
現状ではトリステインと日本は戦争状態になく、いうなれば日本側が
「戦争状態でもない相手の領土に無許可で入っている」状態なのである。
はっきりいってトリステイン側から

「こっちは用は無い。さっさと帰れ、もう来るな」

と言われても拒否もできない状況なのだ。無論日本は現在トリステインいやハルケギニアの
いかなる国とも国交を結んでいない。いいかえれば国と認めていない状態であるので

「ハルケギニアに国家の存在を認めない。従ってハルケギニアは「無主地」(所有者のいない領土)
である」

と理論上は主張する事もできるが、無論現実的には到底行えるものではない。
(主民党には極少数ではあるがこの主張を大真面目に行い、中国と共同領有という形で第二特地を
開拓し、現地民を「援助・指導」しようと主張する派がありチャイナスクール以外の
外務省上層部を恐怖させている)

「政治家の中には、トリステインから日本に攻撃してきてくれないかなぁ、とか思っているのも
いるんじゃないの。そうすれば「帝国」の時みたいに大手をふって反撃できて、今度は思う存分
賠償分捕れるし」
「「第二特地」で起きる「第二の奉天事件」ですか。……起きた場合きっと最初に吹っ飛ばされる
のは俺達なんでしょうねぇ」
「ま、先のことは兎も角、明日の移動に関してだけは安心しときなさい。増援隊の指揮官は
「逃げる」事だけは陸自最強のオタクだそうだから」

栗林がそう賞賛だか罵倒だか分からない言葉で増援隊指揮官の事を告げると勝本は心底驚愕した。

「「あの面子」から第二特地まで逃げてきたんですか!
……流石だとは思いますけどこっちまで「追撃」に巻き込まれるのは御免蒙りたいですねぇ」
「安心なさい。今は直接の上官じゃないから見捨てた所で別に問題ないから」

栗林はそうあっさりとかつての上官を「見捨てる」宣言をした。
勝本は

(「あの面子」から助けた事あったのかよ!)

と心の中で全力で突っ込みを入れたが、栗林が怖いので口には出さなかった。

(続)




[31071] ゲート ZERO 11話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:fd7d0262
Date: 2012/10/28 22:50
11 人生色々、国も色々、贈り物も色々(上)

「皆様に我が国の産物を手土産として持って参りました。ささやかなものではございますが、ご笑納いただければ幸いです」

 才人との情報交換を終えた後、及川は「オルニエール領主」としての才人と、才人が副隊長を勤める水精霊(オンディーヌ)騎士隊に歓迎の礼としての贈り物を申し出た。
 貴族同士の付き合いにおける贈答品のやり取りや、外国からの使者が自国の産物を土産として持ち込む事はハルケギニアでも珍しい話ではない。申し出は当然のように受けいれられ護衛件侍従役の自衛隊員達が手土産の入った多数の箱をパーティ会場の広間に運び込み、文字通り山と成る程に積み上げ始める。
 西陣織、友禅織、結城紬など日本全国より集められた色鮮やかな絹布、繊細な絵付が施された大皿の磁器、漆器、細工物、その他多種多様な小物や日用品等々、箱の中から取り出された品々を一品ずつ目にする都度、トリステイン側の出席者の表情が絶句と驚愕で埋め尽くされていく。
 これらの物品は以前「第一特地」での交渉時に贈答品として用いた物品の中でも特に評価の高かった品々を中心に集められたものである。さらに事前調査で得た情報を元にハルケギニアで特に珍重されると判断された品を重点的に揃えてもいる。
今回の贈答品を全てオルニエールの市場で処分した場合、その総額は捨て値でも領地を有する子爵級貴族の年収を超えると及川達は見ていた。  

(これでとりあえず初っ端に「向こう」に「かます」事は成功だ。あとはこの面子全部に贈り物をばら蒔いてそれぞれの実家とのコネを作れば接触可能な対象が一気に広がる。得点高いぞ、こりゃ)

 これまでの苦労が実を結び始めたという実感と漸く見え始めた未来への希望を胸に、及川は熱を込めた口調で手土産の説明を行い始める。
 なにしろ今自分の前にいる水精霊(オンディーヌ)騎士隊の面々は全員が「トリステイン魔法学院」の学生であるという。そしてこれまでに得た情報によれば、この学院の生徒はほぼ全員が爵位を有する高位貴族の子女や、爵位こそ有さないが高額の授業料を支払えるだけの経済力を有する、言い換えればそれなりに有力な貴族の子弟であるという。彼らと良好な関係を構築できれば、その仲介によるトリステイン王国上層階級との接触が期待できる。つまり及川のような外交官にとって目の前のお気楽なボンボンやお嬢様連中は言ってしまえば「人の形をした人脈という宝の山」もしくは「贈り物という餌で釣り上げられる魚の群れ」なのだ。
 ハルケギニアのそれを遥かに凌駕する技術で作成された数々の贈り物に目を奪われている面々の中から及川は才人以外に特に重要視すべき対象を脳裏でリストアップし始めた。
 まず第一にほぼ確実に平賀氏の恋人と思われるルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢。このトリステイン王国において王家に次ぐ最高位の貴族であるヴァリエール公爵家の三女であり、なおかつ現女王アンリエッタの幼馴染で公的には女王直属の女官としての地位を有する少女である。
 外見的にはまだまだ幼い(特に胸)のであるが、アンリエッタ女王への影響力を考慮するなら到底粗略に扱ってよい人物ではない。これまで収集した情報によると、彼女のような高い身分を持つ女性が女王直属の女官を務める場合、ハルケギニアの慣習ではその任務は往々にして「女王本人の代理人」となる。今後この少女が「アンリエッタ女王の代理人」として日本と関係を持つ可能性は到底排除できない。
 第二に水精霊(オンディーヌ)騎士隊の隊長であるギーシュ・ド・グラモン。グラモン伯爵家の四男で平賀氏と同年代の少年ではあるが既に近衛隊の隊長という公的な地位を得ている。
 トリステイン王国における地位の序列として近衛隊の隊長は宰相や軍の元帥に匹敵する「格」があるされる。この少年がおそらくは血筋と親の七光りだけでその地位についているにせよ、そのバックにあるグラモン伯爵家の勢力は到底軽視できない。彼の実父のグラモン伯爵はトリステイン軍内に絶大な影響力を持つ有力者であり、三人いる兄も既に全員が陸軍の将軍や空軍の提督(艦隊指揮官)といった将官級の地位に有るのだ。トリステイン王国内において軍と女王の関係がどのような状態にあるのか詳しい事情まではまだ把握できていないが彼とコネをつくれば有用な情報を得られる可能性は高い。
 第三にキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー嬢。トリステインの隣国で同盟国でもあるゲルマニアからの留学生だという。
彼女は水精霊(オンディーヌ)騎士隊のメンバーではないが、彼女もまたゲルマニアの高位貴族の子女であり、彼女と良好な関係を結べれば、それを糸口にゲルマニアの上位貴族と接触を持つ事は十分可能だろう。
 及川は才人以外に特に重要視すべき対象としてルイズとギーシュとキュルケの三人を選んだ。内二人は若い女性である。それゆえ彼は手持ちの「武器」の「切り札」をこの三人に対して切る事に決めた。手元に置いていた箱の仲からビロード張りの小箱を取り出し、中に保管されていた真珠のネックレスをルイズ達女性陣に差し出した。

「我が国の伊勢志摩産真珠のネックレスです。どうです、ご試着されてみませんか? 皆様であれば、どなたでもとてもお似合いになられると思いますよ」
「!!!」

一粒一粒のの大きさが優に1センチを超える大粒真珠のネックレスの輝きが全員に露になった途端、地球側出身者を除いた室内の驚愕は頂点に達した。

「嘘! これ全部真珠? それもこんな大粒のなんて姫様だってもっているか……」

 ルイズ達が驚愕するのも当然だった。地球と違いハルケギニアに真珠の養殖技術は存在しない。極めて低い確率で自然生成されるものを膨大な数の貝の中から偶然に頼って集めるしかないのだ。その上得られた真珠が真球形態をしている事も極めて稀で、大きさもまちまちである。端的に言えばハルケギニアでは傷の無い真球真珠の一粒は同じ大きさのダイヤモンド程の価値がある。ましてこれほどの大きさの真珠を連ねたネックレスとなると、ハルケギニアの基準であれば大国の王族の結婚式や戴冠式に使われるようなレベル、つまりは国宝クラスの宝飾品なのである。

(やはり子供でも女性相手には光物に限るな)

 無論及川達日本側外交団はこの辺りの事情、地球における真珠養殖技術確立前の真珠の価値や第一特地における珍重度、そしてオルニエールの市場における真珠の取引価格等、は事前に把握している。
それゆえ及川達は貴族の子女への贈答用として、比較的小粒の物を含めると100以上の真珠のネックレスを用意していた。今回取り出したのはそれらの中でも最高レベルの物である。
流石にこのレベルの品だと日本での調達費用も一つ100万を越えるが、相手に与えるインパクトを考えればコストパフォーマンス的には全く問題ないと及川や外務省の上層部は判断していた。そしてその予測どおりの反応を現に相手は示している。この時、及川は内心で

「計画通り!!!」

と悪党面そのものの笑みを浮かべていた。
……それゆえ彼は少し離れた場所で苦笑の混じった人の悪い表情で自らを眺めるロジェの様子にまったく気づかなかった。


「使者殿、一つ確認させていだきたい事があるのですが」

 日本側外交団が準備した贈り物の搬入と説明が全て終わり、室内がさながら日本全国の物産展の如き有様になった頃、それまで無言で及川達の説明を聞いていたギーシュが低い静かな口調で及川に問いかけた。彼との付き合いが長い人物であれば、その落ち着いた丁寧な口調が普段の彼のそれと明らかに一線を画するものであることに容易に気づいただろう。だが生憎及川がギーシュに紹介されたのはつい先刻だった。

「なんでしょうか?」
「見せて頂いた品々はどれも本当に素晴らしいものです。自分の語彙の乏しさを本当に痛感させられる程にそれ以外の言葉が出てきません。ですが下世話な話で申し訳ないのですが、これらの「贈り物」はどれが誰宛のものなのでしょう? 基本的に全て「日本国よりアンリエッタ女王陛下宛」の物で、水精霊(オンディーヌ)騎士隊全体として一品、領主としてのオルニエール子爵つまり才人が一品いただき、残りを陛下にお届けさせていただくといった理解でよろしいでしょうか?」
「いえいえアンリエッタ女王陛下宛の贈り物は別に準備してございますので、今回の手土産は全て皆様でお分けください。欲しい品の数が足りないといった場合は、お話いただければ直ちに手配させていただき……」
「使者殿、非常に申し訳ないがそういうお話なら水精霊騎士隊としてはこれらの品は一切受け取る事ができません。それと少しここでお待ちいただきたい。……才人ちょっとこっちに来てくれ」

ギーシュが非常に強い口調で及川の言葉をさえぎると、才人を連れて部屋の隅に移動した。そして小声で才人に尋ねる。

「才人、一つだけ聞きたい。君はあの贈り物をどうするつもりだ? まさかあれ全部受け取るつもりか?」
「つーか姫さん宛てならともかく、そもそも俺には受け取る理由がないだろ。というか貰ったらなんか後が怖そうだ」
「……いや「領主としての」君宛ての贈り物については理屈の上だけなら外から文句をつけることは難しいんだが。ともかく君も一切受け取らないという事でいいんだな? だったら後の話は僕に全て任せてもらえないだろうか?」
「それでいいぜ。はっきりいって俺は外交とかまったくわかんないし」
「外交というよりどっちかというと「常識」の問題なんだけどな。判った。僕が彼らと話をつける」

ギーシュは才人との意見調整を済ませると及川達の所に戻った。

「近衛隊長殿、何かご無礼を働いてしまったのでしょうか? そうであれば深くお詫びさせていただきます。なにぶん我々はこちらの世界に不慣れなものでして」

すると及川が焦燥を隠しきれない様子でギーシュにそう問いかけた。自分がなんらかの重大なタブーを犯してしまったのでないかという焦りがそこにはあった。
そんな及川にギーシュはゆっくりとした口調で言葉を選びながら話しかけた。

「使者殿、恐らく貴方に悪意はないのでしょう。ですが我々の役職を思い出していただきたい。我々水精霊騎士隊はアンリエッタ女王陛下の「近衛部隊」です。陛下の手足として誰よりもその命に忠実に動かなければならない部隊です。その我々が他国の使者からこれほどに高価な贈り物を受け取る事の意味をお考えください。無論、使者殿にもお立場があるでしょうから、陛下宛ての贈り物を我々がお預かりし、その中から「部隊として」一品程度いただくという話なら許容範囲とさせていただくつもりだったのですが……そちらの意図を伺ってしまった以上それもできません。お手数をお掛けして真に恐縮ですが、これらの品はお持ち帰り願います。これはオルニエール子爵も同じ意見です。
無論、別に用意されているという陛下宛の贈り物については「一品残らず」陛下にお届けする事を我々の名誉にかけて誓います」

ギーシュの拒絶は言葉こそ柔らかかったが極めて明確なものであり、その後及川がどのように言葉を尽くしても一切揺らぐ事はなかった。及川は途中で同国人である才人に遠まわしに助けを求めさえしたのだが、才人もまた交渉は全てギーシュに任せるという立場を貫いた為、結局才人と水精霊騎士隊に対する贈り物という名目の買収工作は諦めざるをえなくなった。
だが及川としてもここで成果ゼロで済ますわけにはいかない。

「そ、それでは女王陛下に対する贈り物は後日、皆様宛にお届けさせていただきます。ですが御婦人方は水精霊騎士隊の皆様と違い公的な軍務に就かれているわけではありませんよね?」

及川はギーシュに確認をとったあと、キュルケに懇願するようにそう話しかけた。
優先順位的にはルイズの方が上だったが彼女にも公的な立場を理由に受け取りを拒絶される恐れがあると判断したのだ。その点トリステインにおいて外国人であるキュルケであれば特に問題はない。成果ゼロを避けるという意味でもこの派手な外見の美女になんとしても贈り物を受け取らせる必要があったのだ。

「確かにこのネックレスはどこの宮殿の舞踏会でもまったく見たことがないぐらい素敵だわ」

キュルケは真珠のネックレスから視線を戻すとニッコリ微笑んで続けた。

「でもここまで露骨な「女は物で釣れる」って態度も、このネックレスと同じぐらいまったく見たことが無いわね。最低だわ」
「!」

余りにも辛辣なキュルケの評価に及川は完全に絶句せざるを得なかった。その及川にキュルケはなお笑みを絶やさず語りかける。

「貴方達のお国がとんでもないほどお金を持っているって事はよくわかったわ。でもお金と物さえあれば人の心なんてどうにでもなるって態度ははっきりいって不愉快よ。
そういうのはこっちでは「金貨の詰まった袋で相手の頭を殴りつける」っていうのよ」




(第一特地での成功体験が仇になりましたね、及川さん)

蒼白となって弁解を行っている及川を横目に眺めながら、ロジェはいささか人の悪い笑みを口の端に浮かべていた。

(確かに「帝国」相手ならそのやり方は完全に正解だった。宣戦布告なしに武力侵攻を掛けてきた相手を、自国の圧倒的に優越した財力、技術力に物をいわせて威嚇する。
実にスマートで見事だ。
だが交渉における正解は常に同一ではない。正解は相手と状況によってどうとでも変化する。
まったく相手との交渉が存在しないこの第二特地において潔癖な相手に対しその手は完全な失着ですよ)

ロジェは自分が「準備」を頼んだ自衛隊員が戻ってくるのを視界に確認すると自分のターンの行動を開始する事にした。

「及川さんとのお話は終わったという事でよろしいですか? でしたら今度は我々からの贈り物をご確認願いたいのですが」

及川とキュルケのやりとりによって部屋の中には気まずすぎる雰囲気が満ちていた。
そんな状況を平然と無視しきって、そう切り出したロジェにキュルケは皮肉っぽい口調で問いかけた。

「あら貴方のお国は何を見せていだけるのかしら? どれだけお金持ちかということを見せ付けたいならこの部屋一杯に金銀の延べ棒を詰め込んでもらえれば手っ取り早いのだけど」
「ご要望であれば簡単に出来ますよ。もっともそういったスマートではないやり方は私の流儀ではありませんがね。……どうやら品が届いたようです」

ロジェに宛がわれた侍従役の自衛隊員は紙製の大きな手提げ袋を複数両手に下げていた。
そして手提げ袋の中から薄い紙に包まれたこぶし程度の大きさの物体と、鈍い光沢を放つ透明な瓶上の物体を多数取り出し、机の上に並べ始める。

「これってもしかして……」

薄い紙に包まれた物体からはうっすらと湯気があがり、瓶状の物体の表面にはハルケギニアのそれとは異なる文字が描かれ、瓶の中には黒い液体が詰められている。
それらを目にした途端、才人の口から思わず言葉が漏れていた。

「これらは我が国を代表いや、象徴する食物と飲み物です。紙の包まれたものはハンバーガー、瓶に入っているのはコーラといいます。まあ詳しい事は後で平賀さんに確認していだたくとしてとりあえず食べてみてください。なに及川さん達の品と比べると恥ずかしくなるほど安価な代物です。我が国のごく普通の市民が毎日食べられる程にね」

ロジェは包み紙の中からハンバーガーを取り出すと見せ付けるようにそれに齧り付いた。続けてペットボトルのキャップを開き、逆さにして勢いよく飲み干していく。

「というように食べるわけです。どうです、平賀さんもお一つ」

半分程度中身が無くなった時点でロジェはコーラを机に置いた。そしてあっけにとられているハルケギニア出身者達を尻目に才人の前に別のコーラとハンバーガーを置く。コーラの種類は無論ロジェのものと同じだったがハンバーガーの包み紙はロジェのものとは異なり、表面に大きなアルファベットで「TERIYAKI」という印刷がされていた。

照り焼きバーガー。

才人の好物だった。無論ハルケギニアに来てから一度も食べた事はない。
才人は一瞬躊躇った後、それを手に取り、包み紙から取り出して齧り付いた。久方ぶりに味わった照り焼きバーガーのタレとマヨネーズから故郷のなにかを感じられたような気がした。
 そして才人とロジェがハンバーガーを口にする様を目の当たりにした他のハルケギニア出身者達も、恐る恐るといった様子ではあったがハンバーガーとコーラに手をつけ始める。
ハルケギニアの常識ではありえない程、多彩な香辛料と調味料によって味付けされたそれに彼らが驚嘆の声を挙げるまでほとんど時間は掛からなかった。

(続)



[31071] ゲート ZERO 12話
Name: フェイリーン◆2a205fc8 ID:fd7d0262
Date: 2012/12/10 22:44
12 人生色々、国も色々、贈り物も色々(中)

 ロジェによる応対は、当初キュルケより棘と皮肉の混じった言葉を向けられたものおおむね良好な雰囲気で終わった。これはロジェの気取った、しかしウィットのある芝居めいた言い回しや態度がトリステイン側の貴族達より好意的に受けとられた、言い換えると互いの感性と波長があった、ことが大きい。
もっともそれらのやりとりは一般的な感覚の日本人が見れば

「お前ら、芝居でもやってんのか」

と突っ込みをいれたくなるであろうこと間違いなしの程、気障かつ大仰な言い回し満載のものだったが、当人達が納得し合っているのだからまったく問題無い。
(ちなみに才人は一般的なハルケギニアの貴族が好む大仰な言い回しに未だに慣れていなかったが、もはや諦めの域に達した達観により異議を唱える努力を放棄していた)
 そんなロジェの活躍もあり、宴会は途中で発生したトラブルを考えるとかなり「盛り上がった」状態で終了する事が出来た。もっとも明日の移動もある為、二次会、三次会などは行われず、トリステイン側の参加者達は明日に備えて早めに床に着いた。ハルケギニアではよほど羽目を外す場合でもない限り、宴は日本よりかなり早い時間に終わるのだ、
だが正規の「仕事」として宴会に出席した人間は部屋に戻った後、そのままベッドに直行するといった贅沢は到底許されない。宴会の経緯、新たに得られた情報等を箇条書きに近い簡単な文面であっても第一報という形で本部に報告を行わねばならなかったのだ。
 そのとりあえずの報告を自衛隊の無線で済ませると及川は自分の部屋に戻る前に休憩と気分転換を兼ねて、邸内の庭園に足を向けた。

「……これは凄いな」

及川は眼前に広がる光景に思わずそう感嘆の声を挙げた。
高い生垣に囲まれたオルニエール邸の広大な庭の中に多数の剪定された樹木が幾何学的に計算されて配置されている。それだけなら及川も目を和ませはしても驚きはしなかったが、木々の一本一本に装飾用の弱い「明かり」の魔法が掛けられ、淡い光につつまれているとなると話は別だ。加えてちょうど空にあるのは満月に近い「二つの」月である。
なるほど確かに自分は今異世界にいるのだと改めて及川は感じていた。
 正直な所、余りにも情報収集や交渉、報告といった煩雑な作業に追われ続けていた為、自分の居る場所を「異国」とは認識していても「異世界」とまでは実感できていなかったのだ。
 及川は眼前の幻想的な景色を眺めながら初めて外交官として外国に赴任し見上げた夜空を思い出していた。あの頃の自分には紛れも無い野心と未来への希望が満ち溢れていた。
だが今の自分には……。

「及川さんも漸く休憩ですか。余計なお節介だと思いますがもう少し肩の力を抜かれた方がいいと思いますよ? 何しろまだ先は長いんですから」

掛けられたその声に及川はこの幻想の庭園に先客、アメリカ合衆国の交渉人ロジェ・ブラック、がいた事を知った。ロジェが黒ずくめの衣装で闇の中に溶け込んでいたため気づけなかったのだ。

「残念ながらロジェさんと違って肩の力が抜けるような余裕はとても無い状況でして。自業自得といえばそれまでなんですが」
「宴会での件はそれほど深刻に考えられる必要は無いでしょう。向こうもこっちも正規の大使ではありませんしね。現時点はあくまで交渉の前段階です。第一特地の成功体験そのままに突っ込みすぎた事はまずかったですが、あれは運がなかっただけともいえますし」
「運ですか?」
「ええ、この世界に来てからの私の個人的な感触ですが、この国の比較的地位のある貴族層は最初のきっかけさえつかめれば、9割以上が買収可能であるとみています。その9割以上の多数派に対してなら及川さんのやり方で正解だったでしょう。……生憎、今回は一割未満の少数グループに当たってしまったようですが。私も彼らの『匂い』に気づかなければ、同じ傾向の失敗をしていた可能性が高かった」
「『匂い』? 何のお話でしょう。……彼らから特に気になる特別な香りは感じなかったように思うのですが」

及川の怪訝そうな様子にロジェは軽く頭をかいて苦笑した。

「失礼、『匂い』というのはあくまで比喩表現です。ただ私の語学力ではこれ以上に適切な言葉が思いつかなかった為に使わせてもらいました。
……そうですね。あえてどのような『匂い』か表現させてもらうとするなら

『硝煙と血河の荒野を走った事のある人間の匂い。悲鳴と轟音と爆音と嗚咽を自分の体に刻み付けた人間だけが放ち、理解できる匂い』

といった所ですか。かすかですが、私はまぎれもない『それ』を彼らから感じました」
「…………」

ロジェの言葉は彼自身もまたかつてその『匂い』を知る立場にいた事を示していた。

「『それ』さえなければ私も彼らを単なる生まれに恵まれたティーンエイジャーと考えていたでしょう。……及川さん、彼らを我々の世界における普通の高校生と同じように考えない方がいい。彼らは我らの世界とはルールが異なるとはいえ、自国の元首から厚い信頼を得るに値する「軍人」です。第一特地でも高位の軍事指揮官に対する買収工作が成功した例はなかったんでしょう?」

ロジェの指摘に及川はようやく自分の失敗の本質を悟った。
宴席においてギーシュを「近衛隊長」と呼びながらも、彼は本当の意味でギーシュ達を「軍人」とは見ていなかった。及川が見ていたのはギーシュ達の実家と後ろ盾であるアンリエッタ女王の影であり、彼らを一人の自立した人間と見なしていなかったのだ。そしてその傲慢と油断の対価が先の失敗だった。

「しかし護衛の自衛隊からは彼らについてそんな話は聞かなかったんですが……」
「まあ、彼らの大部分は本当の意味での「実戦経験」が無いですからね。流石に気づけというのは無理でしょう」

このロジェの発言は流石に及川にとって無視できるものではなかった。

「ロジェさん、それはどういう意味ですか? 我が国の自衛隊は銀座事件の際、そして第一特地に置いて完璧にその任務を果たしています。確かにアメリカ軍のそれと比べれば経験は劣るでしょうが、「実戦経験が無い」というのは言いすぎです!」
「全員に実戦経験が無いとまではいいません。ですが数百年どころか、下手をすれば千年単位の技術格差がある相手を何十万蹴散らしてもそれは到底「実戦経験」と呼べるものではないですよ。魔法についても部隊としての使用例は極々僅かで無視できる程度。相手の装備は小銃どころかマスケットさえなく、軍のドクトリンは榴弾や迫撃砲の絶好の的である戦列歩兵。少数での敵地潜入任務をこなした部隊などであればともかく、中東のゲリラにさえ劣る装備の相手を絶対的な技術格差で一方的に磨り潰した事を「実戦経験」と考えられるのはお止めになった方がよろしいでしょう。特に第一特地での戦いが普通であるといった感覚を持ってしまうと、地球で日本が本当の意味での武力衝突に巻き込まれた際に、その損害に悲鳴を挙げることになりますよ」
「…………」

ロジェの言葉に自らの力を誇るもの特有の傲慢さは感じられなかった。純粋に自らの経験に基づく事実を指摘し、忠告してくれていると判断せざるを得ず、及川は返す言葉が無かった。

「とにかく明日から先が本番です。彼らの仲介でトリステイン王国の中心部と直接交渉が可能になれば全ての話が一気に進む。これまで積み上げた努力を収穫する絶好のチャンスです。お互い頑張りましょう」

励ますようにそう話を締めくくろうとしたロジェだったが、及川の返答は彼の期待を裏切った。

「励ましていただいてありがとうございます。ですが私は明日本部に到着した時点で現在の任務から外れることになっています。その後は別の者が貴方と組んで平賀氏やトリステイン側との交渉に当たる事になるでしょう。ご忠告については確実に申し送りを行っておきます。私はこの後アフリカの小国に派遣され続ける事になると思いますのでもうお会いする事も無いでしょう。これまで本当にありがとうございました」
「?! 今日の件をそちらの上層部はそれほどに重要視しているんですか? 正規の大使同士ならともかく、交渉の下準備段階ならあの程度の衝突など珍しくも無い。まして言い方が悪いですがこれからようやく「収穫」というタイミングで担当者を変えるなど普通ありえない」
「いえ、今日の件がどうこうというわけではなく、初めから決まっていた事なんです。初期の情報収集や事前準備が済み、ある程度の安全が確認され将来の明確な見通しがついた時点で私がお役御免になることは。公式な書類に私の名前が載ることもないでしょう。」
「……理解に苦しみます。今日までこのハルケギニアにおける最前線で日本の外交活動に従事していたのは貴方だ、及川さん。右も左も分からない場所で、いかなる危険や病原菌があるかも分からない異国で、貴方は体を張って極めて職務に忠実にその任を果たされてきた。無論、異世界であるがゆえの多数の失敗はありましたが、それは私も同じです。どう考えてもこれはこれまでの功労者に対する処遇ではありえない。……あくまでよろしければですが理由をお聞かせ願えませんが?」

及川は一瞬迷ったが特に緘口令を出されているわけでもなく、調べれば直ぐに分かる事なのでロジェに事情を説明する事にした。

「一言で言ってしまえば贖罪ということになりますか」
「贖罪?」
「ええ、私がこの第二特地での最初期の調査に従事した上で成果を挙げ、その成果を次の担当者に全て譲り渡す代わりに、派閥の後輩達に対する人事昇進上のペナルティを全て解除するという確約を、官房長より頂いています」
「……派閥ですか?」
「はい、ご存知でしょうが我が国では何処の省でも多数の派閥による出世競争という名前のパワーゲームが行われています。……こういっては何ですが私が所属していた派閥はトップが次期事務次官就任を確実視されるほどの勢力がありました。そしてその勢力をバックに第一特地での「帝国」相手の交渉担当の役職を手に入れました。軍事的、技術的な絶対的優位がある以上、楽に成果を挙げられる極めて「美味しい」役職だと思われたからです。そして実際に途中まではかなりの成果をあげることができました」

及川はここで一旦言葉を切った。ロジェは先を促す事はせず無言で及川の言葉の続きをまった。
やがて及川は再び口を開いた。

「……私も先輩や同僚達と一緒に第一特地に赴きました。そして日本側に大使館として提供された翡翠宮に入り「帝国」との交渉に当たっていたのですが、そこで帝国内の反講和派による講和派への弾圧事件が発生しました」
「帝国のゾルザル元皇太子による反対派への弾圧ですね」
「ええ、当時多数の講和派の要人が弾圧から逃れるために翡翠宮にやってきました。彼らは日本への亡命を求めていたんです。ですが本国からは「亡命を認めるな」という強い命令がだされていました。……一人でも助ければそこから際限なく亡命者が増え、状況を悪化させるという判断でした。
恐らくそれは大局から見て正しい判断だったんでしょう。
ですがそのうち高官の親族である一人の幼い少女が亡命を求めてきました。私の派閥の先輩の一人と親交があり、その縁を頼りにやってきたのです。無論、相手が誰であれ国家として方針が「亡命を認めない」以上、追い返すしかなかったのですが……その先輩はその少女を翡翠宮に迎え入れて保護してしまいました。その場にいた私たちもそれを止めず、結局その少女の保護をきっかけとして反講和派との無秩序な武力衝突が発生し、多数の死傷者がでました」
「…………」
「その後の帝国との和平及びゾルザル派との衝突については割愛します。とにもかくにも最終的に第一特地とのゲートは一旦閉じ、政府内部でも後始末としての論功行賞が行われる事になりました。
……そこで命令に反し少女を保護した事が大問題とされたのです。
 少女の保護は当初マスコミが美談として大きく取り上げた為、一般国民からの批判は無かったのですがある政治家の方が絶対に看過できない大問題だと極めて強い批判を行われました。
 その方は既に議員職にはあられませんでしたが我が国で極めて長期間総理の座にあった方で、さまざまな方面にいまなお絶大な影響力を持たれている方です。
 結局その方の意見が通り、少女の保護に関連した人間は厳罰に処される事となったのですが、少女を助けた先輩本人はゲートの接続が切れた際に第一特地側に残ってしまったため、直接処分することができません。それゆえ先輩の行動を止められなかった回りの人間、すなわち同じ派閥の上司、先輩、私も含めた同僚、さらに後輩全員が「粛清」されることになったんです。
……勿論「粛清」とはいっても北朝鮮などとは違い、直接的な生命の危険があるわけではないのですが、一度ブラックリストに載せられてしまった人間が省内で浮かび上がる事は絶対にありえません。
延々と重要度が最底辺とされるランクの国々を短期間に回され続け、極めて早期に退職を勧告されるという未来しか残っていません。……いえ、あの時先輩を止められなかった自分がこんな目に会うのは当然でしょうが外務省に入ってわずか数年だった後輩達の未来が失われるのは余りにも酷すぎる。
 だから今回の第二特地の調査は私にとっての最後のチャンスなんです。馬鹿な先輩達によって将来を奪われてしまった後輩達への贖罪を行うための」

及川はロジェに語りながら自分達への厳罰を主張した政治家の言葉を思い返していた。
半ば偶然に近いとはいえ一度だけ直接会う機会があったのだ

『政治の不作為により方針が定まっていなかったために現場で判断をせざるをえなかったのであればまだ理解できるが、今回「亡命を認めない」という政府の明確な方針と命令があったにもかからず、それを無視し、結果として多数の死傷者を出した。これは戦前における関東軍の暴走にも匹敵する言語道断の行いであり、当人は無論、それを看過した周囲全体を厳罰に処さざるをえない。人道上の問題というものもいるが、君達日本国の公僕が最優先に考えなければならないのは「日本国民」にとっての人道であり人権であり、日本国の国益だった。君達は眼前の帝国人の少女の未来の運命ではなく、銀座事件で命を落とした無数の無辜の日本国民の惨劇を思うべきだったのだ』

『幼い少女に外交官が真珠のネックレスをプレゼントし、それをきっかけに始まった親交。なるほどほほえましい話だ。
……その外交官が休暇中に自分の負担でその場所に赴き、自分の収入で真珠のネックレスを購入してプレゼントしたのであるならば。
だが実際にその外交官が帝国に赴いたのは職務の為であり、真珠のネックレスを贖った費用は国民の血税である。ならばそれらによって発生した外交官の人間関係もまた全てが日本国の利益に為に用いられるべきものである。断じてその外交官個人の私物ではない!
それを私物化した外交官を、その私物化を看過した組織を私は断じて許す気はない!』

及川はそれらの糾弾に一切反論する事ができなかった。
そして及川が所属する派閥への「粛清」は徹底的に行われた。
その後、第一特地とのゲートの接続が再開し、発端となった及川の先輩もまた日本に戻ってきた。
だが彼は第一特地にいる間に帝国の皇帝及び周辺諸国の首脳部との間に極めて強固な個人的信頼関係を構築する事に成功していた。その実利上の利益を考慮した当時の外務省上層部は結局その人物を表立って処分することはなく、引き続き第一特地とのパイプ役を担当させた。
……及川達に対する「恩赦」は行われなかった。



及川の長い独白が終わった。
ロジェは沈痛な眼差しを及川に向けていた。普段は饒舌な彼も及川に掛ける言葉を選びあぐねているようだった。

「結局、私はあの時先輩を止めるという自分の役目を果たす事が出来なかった。本気で止めようとすれば簡単だったにもかかわらず、あの少女の悲鳴を耳にすると止める事ができなかった。
……人は皆、与えられた役割と義務の中に生きていて、それは雨の中、傘を差すのと同じくらい当たり前のことなのに、その当たり前の事が私にはできなかったんです」

ロジェは及川に静かな視線を向けた。その視線には断じて冷たいものでなかった。

「及川さん、私の立場からは、貴方の先輩と貴方の判断、そしてその判断に対する日本政府の対応の是非を語る事は一切出来ません。……ですが貴方も、貴方の先輩も紛れもない「人間」だった事は間違いないと思います。
 貴方は雨の中、傘を差すのは当然の事と仰られましたが、私は雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいいと考えています。自由とは、そういうことだと。……勿論、その自由の代価は自分自身で負わなければなりませんが」

(続)


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