第15話 『ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは衛宮切嗣と交戦する』
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Side - ゴゴ
アインツベルンの森の上空に滞空するブラックジャック号、その飛空艇から雁夜がつき落とされる一時間ほど前―――間桐邸で事は起こった。
間桐邸に残ったものまね士ゴゴは思案する。アサシンの宝具、『妄想幻像()』によって分裂している自分自身と連携が取れると気付いたのはいつだろうか? と。
おそらく間桐邸で使い始めた最初から『妄想幻像()』は本来の持ち主である英霊の使うそれとは別のモノに変質していたのだ。
分裂した相手もまた自分であるが故に、改めて何をするか確認する必要がなかった。同一人物でありながらも『己が栄光の為でなく()』で別人を装って言葉を交わしたから、心の中で自問自答する必要もなかった。
だからこそ気付くのが遅れたのだが、現在、分裂した全てのゴゴは誰もが等しく同一であり、全ての思考が並列で繋がる『全にして個、個にして全』に近い状態である。これは物真似したアサシンの宝具の能力を超えた事象だ。
その上で、ものまね士ゴゴは更に思案する。『ものまね士ゴゴ』が『物真似』の領域を超え、操れる事象に変質が起こったのはいつだろうか? と。
おそらく鬼神、魔神、女神の力を―――元々はゴゴから分け与えられた三闘神の力を全て取り戻した時であろう。
三闘神の力を我が物にしようとしたケフカ・パラッツォは破壊にのみ三闘神の意義を求めた。事実、三闘神とは破壊の神であり、互いが互いを封じ合わなければ星を一つ破壊してしまうほど、強大な力を有している。
しかし三闘神の力とは―――ゴゴが本来持っていた力とは―――『与える』に本質があるのではないかとものまね士ゴゴは考える。
かつての世界では三闘神と言う楔を失い、魔石は砕かれて全ての魔法が世界から姿を消した。実際はゴゴの中に全て戻って来ただけなのだが、その総力は星一つを破壊する力が可愛く思えるほど膨大だった。
三闘神は、幻獣に、モンスターに、人々に、魔法という力を貸し与えて数千年維持してきた。
星に生きる者達に力を分け与え、それを数千年続けさせた。それが『力』としてゴゴと言う存在の中に戻って来た時、『ものまね士ゴゴ』はものまね士ゴゴだけではなくなってしまったのではないか。
ものまね士ゴゴは確かに自分と言う存在を定着させる一つの名前であり、何者でもなかった自分が『ゴゴ』という名前で一つの存在になれた喜びでもある。だが『力』を取り戻した時にそれだけではなくなった。
ものまね士ゴゴとしての在り方を維持しながら、内包する力は桁外れに膨れ上がった。きっとその時、『ものまね士ゴゴ』は変質してしまったのだ。
扱う力もまたその影響を受け、本来であれば物真似の範疇に収まっていた起こせる事象に変化が現れてしまった。
これはもう『物真似』ではない。基本的に誰かの起こした現象に対する『物真似』で現象をそのまま再現できるが、それを変質させて全く別の何かに作り替える事も可能になってしまった。
あえて言えば『創造』が近い。
当初、桜ちゃんの属性『架空元素・虚数』のものまねで変質が起こったのかと考えたが、出会う以前にものまね士ゴゴは既に別のモノになっていた。
ものまね士ゴゴはもっと思案する。現状を喜ぶべきなのか? 悲しむべきなのか? と。
ゴゴは無知故にものまねを繰り返し、恐れ故にものまねを繰り返した。孤独ゆえにものまねを繰り返した。
自分と言う存在が何者であるかを知る為に、自分が何であるかを知る為の指標として物真似に答えの道しるべを求めた。
その結果が今であり、ものまね士ゴゴが誕生して、別のモノになってしまった。
何も分からず、唐突に存在のみを許された自分が多くの事柄を行えるようになったのは喜ぶべきだろう。
しかしこれまで積み上げてきたものまね士ゴゴとしての証が『莫大な力』というただそれだけで否定されてしまった気がするのは悲しむべきだろう。
意思ある者が動く時、目的があり、仮定があり、原因があり、思惑があり、存在がある。ゴゴはものまね士として目的を定め、その経過を物真似によって成そうと行動してきた。
ものまね士であるのならば、『物真似』こそが本来行うべき事象だ。しかしその在り方を『力』を取り戻したゴゴが自ら破壊している。
ものまね士ゴゴは思案する。
ものまね士ゴゴは熟考する。
ものまね士ゴゴは考慮する。
ものまね士ゴゴは憂慮する。
ものまね士ゴゴは問いかける。間桐邸でマッシュ・レネ・フィガロの姿をした自分自身に問いかける。
「気付かなかった俺を馬鹿だと笑うか?」
「元々、お前の『物真似』は常識じゃ計れなかった。ダンカン師匠は俺に夢幻闘舞を授けてくれたけど、あの必殺技は俺が師匠の癖をよく知ってるからこそ会得できたんだ。それなのにお前は見ただけで物真似しやがった。威力は俺の方が上かもしれないが、正直、格闘家として嫉妬したぜ。言わせてもらえば、軽々と新しい技に発展させられるのを羨ましく思ってるよ」
エドガー・ロニ・フィガロの姿をした自分にも問いかける。
「それでもこれは『ものまね』じゃない、ものまね士ゴゴが使うべき技じゃない。そう思わないか?」
「大抵のモノは先人達の積み重ねの上に成り立ってる。俺だって親父からフィガロ王国を受け継いだだけで、一から国を作った訳じゃない。同じモノだったとしても誰かに引き継がれた時点でそれは違うモノだと俺は思うがね。さっきマッシュが言った『夢幻闘舞』を例にすれば、お前の夢幻闘舞がマッシュの夢幻闘舞を物真似したとしても、それは同じモノじゃない、物真似した時点で別物さ」
ものまね士ゴゴは自問自答を繰り返す。
間桐邸で物真似の尺度を乗り越えてしまった存在は『ものまね士ゴゴ』として自分に問いかける。
今の自分は正しいのかと訴える。
「『ものまね』は『同じ』じゃない、か?」
「全く同じならそれはもう『ものまね』じゃない、違うからこそ物真似は成り立つんだよ」
「ものまね士ゴゴが使えるようになった技はもうお前だけの技になった。それに『自分が何者か?』と問い続けるなら、絶対に『他人とは違う自分の道』が必要になるぞ」
「兄貴の言うとおりだ。ダンカン師匠は強くなる方法を俺に教えてくれたが、猿真似しろとは言わなかった。自分の技を作り上げろ、そう言ってたな」
「ものまね士ゴゴの――『物真似』した技もそこから発展させた技も、等しくものまね士ゴゴの技か・・・」
「こだわり過ぎるなよ、ゴゴ」
「そう言う事だ、あんまり悩み過ぎるとレディに嫌われるぞ」
目の前に立つマッシュもエドガーも本人ではなく、ゴゴがそう見せかけているだけの偽りに過ぎない。それに話している言葉すらゴゴと言う総体の一つであり、改めて言葉にする必要もなく、何を言うかなど判り切っている。
自分の頭の中で問いかけるのと何も変わらない。
それでもかつての仲間の姿でそう言われると、少しだけ心が洗われる。
マッシュとエドガーの姿をした自分がものまね士ゴゴに向けて言ってきた。
「俺達の技は敵がいて初めて成り立つ、せっかく聖杯戦争なんて物騒な催しがあるんだ。色々試そうぜ」
「俺の仲間はただの『物真似』に収まる程度の『ものまね士ゴゴ』じゃなかったぞ、ここで立ち止まるなんてみっともない真似はするなよ」
もっと大きく、広く、沢山の技を物真似して昇華しろ―――。
結局、自分が何者であるかと言う根本的な結論には殆ど近づけていないが、それでも『ものまね以上の技を使う何者か』でも構わないという結論に落ち着いていく。それでいい、構わない、そう思えるだけで心は軽くなる。
莫大な力を取り戻したものまね士ゴゴ以上の何者か。ものまね士ゴゴではあるが、それ以上でもある誰か。
それは小さな答えであり、謎が更に広まった事でもあるのだが、その回答にたどり着いた瞬間。目の前に立つマッシュとエドガーの姿が消えて、間桐邸の部屋の中に三人のものまね士ゴゴが並ぶ。
『己が栄光の為でなく()』を解除したこれが自分。
この姿が自分。
この形が自分。
これこそが自分。
ものまね士ゴゴの形に定着しながら、決してそれだけではない存在。もっと大きな存在。もっと別の存在。
それでも『ものまね士ゴゴ』は一度『桜ちゃんを救う』と決めた。ならばそれをやり遂げなければならない。たとえ、『物真似』の範疇を超えた多くの技を扱おうとも、それでもいいと自らを定めた。
むしろ、多くを知る為に、多くを得る為に、多くをものまねして、多くを試さなければならない。今まで以上に―――、この一年で溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように―――、もっともっともっともっと行動を起こさねばならない。
「俺は、ゴゴ。ずっとものまねをして生きてきた」
「俺は今、『間桐臓硯』として、沢山の人間を騙してる」
「ならばもっと多くの技を使って『間桐臓硯』を物真似してみるとしよう」
三人のゴゴがそれぞれ言った。
ゴゴの中にある膨大な魔力を別の形で現界させる為の技術。それこそが101匹ミシディアうさぎを作り出した『スケッチ』であり、今は桜ちゃんの使い魔となったゼロを呼んだ『スロット』であり、雁夜をたった一年で戦士にまで鍛え上げた『魔石』なのだ。
少し考えれば、かつての世界で使っていた『スケッチ』『スロット』との違いに気づき、自分が勘違いしていた事を思い知れた筈。いや、むしろその自分の変化を認めるのが怖くて、『ものまね士ゴゴ』である自分を否定するのが恐ろしくて、一年間、目を背け続けたのかもしれない。
しかし一時の答えを得て、ものまね士ゴゴを制限していた楔が一つ外れる。
結果、ゴゴは『間桐臓硯』として振る舞う為に、ものまねして得た技から全く別の結果を作り出す。
本来であれば『スケッチ』は戦闘時において対象となる敵をスケッチして、幻影を具現化させて攻撃させるモノだ。ゴゴはこの『敵』という括りを外し、『幻影』を更に実体に近づける為、注ぎ込む魔力の量を増やす事でミシディアうさぎを大量に生みだした。
つまり一年も前に既にゴゴは『ものまね士』としての領分を乗り越えてしまっていたと回答を得られていたのだ。ただ考えなかっただけで―――。
『己が栄光の為でなく()』を解除した為、間桐邸に残った三人のものまね士ゴゴは全員が元の姿に戻っている。ファッションと呼ぶには少し奇抜すぎる用途不明な鳥の尾羽に片方だけの角。道化師を思わせる姿は一度見たら忘れられない衣装は強烈な色彩を放っている。
だがゴゴにとってそれは慣れ親しんだ自分自身の姿。たとえ鏡を介して映した訳ではないのに、当人そのものが目の前に立っていたとしても、それは間違いなく自分なのだ。
「――スケッチ」
その『ものまね士ゴゴ』を自分で描く。
本来の用途とは異なる『ものまね』を実行し、スケッチブックの上に自分が描かれていく。
ただし、真に自分の分身を生み出すのでは、アサシンの宝具『妄想幻像()』と何も変わらない。それでは興醒めだ。
同じであっては困るので、込める魔力を極小に―――正しくオリジナルコマンド『スケッチ』が本来なすべき用途で、ただし全く別物の『スケッチ』で幻影を作り出していく。
「・・・・・・・・・」
五秒ほどかけて目の前に立つ自分を描いた結果、間桐邸の中に四人目のものまね士ゴゴが誕生した。しかしこれは幻影に過ぎず、自分がそこに居るように見せかけるだけの張りぼてでしかない。魔力供給を止めてしまえば消えてしまう現の夢だ。
それでも『スケッチ』を更に幅広いものへと変えて行った成果だ。上々の結果と言える。
世の中には監視カメラという、自分がその場に居なくても出来事を映像として捕えられる機械がある。世の中には電話という、自分がその場に居なくても声を届けられる機械がある。そして魔術の中には使い魔と五感を同調させて術者がそこにいるように錯覚させる技術がある。
ミシディアうさぎとものまね士ゴゴとの繋がりがある。桜ちゃんとミシディアうさぎのゼロとの間に繋がりがある。雁夜でさえ、ミシディアうさぎを介して繋がりを作り出した。ならばものまね士ゴゴが自分の幻影との間に繋がりを作れない筈がない。
間桐雁夜と遠坂桜、そして沢山のミシディアうさぎと一緒に居るゴゴ。
間桐邸に残り、拠点に残る間桐臓硯で振る舞うゴゴ。
カイエン・ガラモンドとして冬木市を闊歩するゴゴ。
セッツァー・ギャッビアーニとして、ガウとして、モグとして、ウーマロとして、遥か彼方のドイツへと向かっているゴゴ。
その全てと繋がっているのならば、今更一つ増えた所で大した意味は無い。故に幻影として新たに存在を確立させたゴゴを操って行動を開始する。
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Side - ケイネス・エルメロイ・アーチボルト
ケイネスがキャスター討伐よりもアインツベルン強襲を優先したのはそれなりの訳がある。
自分が使い魔を通して追跡していキャスターを横から掻っ攫われるのは気分が良くない。加えて監督役の申し出にあった『キャスターを討伐した者には令呪一画』という報償にも心動かされたのは事実。それでもキャスターを素通りしてアインツベルンの城に攻撃を仕掛けたのは、自分が今すべきことの優先順位の最も上にあるモノが何であるかを再確認したからに他ならない。
冬木ハイアットホテルを破壊された今、ケイネスの婚約者であるソラウに生活苦を与えてしまっている。
だからこそ、何よりもまず―――失った令呪一画や自分の苛立ちよりも、まずソラウの為に行動を起こさねばならない。そう結論に至った時、ケイネスはキャスターの問題と後回しにした。
ランサーは子供達を殺そうとするキャスターに我慢がならず、言わずとも判る『主()よ、私にキャスター討伐をお命じ下さい』という雰囲気を醸し出しているのだが、極東の島国の子供の命がいくつ消えようとケイネスには関係ない。
それに監督役は『互いの戦闘行動を中断し』と宣言してきたが、聖杯戦争の参加者はその言葉に従う義理は無い。そもそも、キャスター討伐の報償については明言されているが、積極的に参加しない場合の罰については何もないのだ。ケイネスにとってそれだけで戦闘行動を中断しない理由は無くなる。
そしてこれも重要な事なのだが、ケイネスはソラウに語り聞かせた言葉を事実として証明しなければならない立場にいる。
「貴様は一度ならず二度までもセイバーを圧倒しておきながら二度とも決め手を逃した。この私の令呪を一つ削いだ上でも、なお、だ」
「あれはとりわけ強力なサーヴァントだ。総合力ではディルムッドを凌いで余りある。あの場で、着実に倒せる好機を逃すわけにはいかなかった!」
そうソラウに語り聞かせた言葉を確固たる形で証明する為にも、まずセイバーを倒さねばならない。
もしセイバーが万全の状態であったならば、わざわざアインツベルンの城の中にいるであろうセイバーの前に姿を見せようとは思わなかった。だが、今のセイバーはランサーの必滅の黄薔薇()によって片腕に大きな制限をかけられており、真正面から戦えばランサーに分がある。
加えて自分の魔術礼装、『月霊髄液()』を使えば、セイバーのマスターが戦いに加わったとしても負けは無い。ケイネスはそう戦況を読んだ。
厄介なのはアインツベルンの森に張り巡らされた結界だったが、かつて冬木ハイアットホテルのフロア一つ丸ごと借り切って作り上げた自分の結界に比べれば、お粗末かつ穴も多い。
これが始まりの御三家と謳われるアインツベルンの本気であるならば興醒めもいい所である。むしろ幾つかある結界の穴が『誘い込ませる為』だと願いながら、ケイネスはアインツベルンの城を目指した。聖杯戦争は魔術師と魔術師の戦いであり、自分の腕を存分に披露する場でなければならない。
その為に倒すべき敵は強大でなければならないのだ。格下の魔術師相手に勝つ等と当たり前の事をやり遂げても、ケイネスにとっては何の意味もないのだから―――。
当初はキャスター陣営とセイバー陣営の戦いの趨勢を見極めてから仕掛けるつもりだったが、間桐陣営が―――正確にはバーサーカーがキャスターの相手をし始めたのを使い魔の目を通して確認した後、アインツベルンへの攻撃が確定した。
ランサーの宝具がバーサーカーの『どんな物でも手にした物を宝具とする』その能力に非常に有効であるのはケイネスも認めている。ならばセイバーを倒し、この城を新たな拠点とした後に改めて間桐陣営を排せばいい。キャスターの方が生き残ったならば、そちらも改めて殺すだけだ。
ランサーを含めて四体のサーヴァントが集まった新たな戦場。ここでケイネスがまず倒すべき相手はセイバー陣営だ。
ケイネスはいっそ無造作とも言える歩みでアインツベルンの森の中を歩き、一直線に結界の基点を目指す。キャスターの戦場に遭遇しないように通る場所を選び、進んだ先にあったのは石造りの巨大な城だった。
おそらくは聖杯戦争が始まった時よりこのアインツベルンの森の中で時を刻み続ける城、冬木市の中でも個人の住居としてこれに比較する建造物は無いだろう。ただし、アーチボルト家の御曹司であるケイネスにとっては物珍しい建造物ではない。歴史はあるだろうがそれだけだ。
遮蔽物であり結界の一部でもあった木がなくなって視界は開かれている、左右を見渡せば城が一望できたので、ケイネスはアインツベルンの城をじっくり見つめ―――、この拠点ならばソウラに苦労をかけないで済みそうだ。と満足する。
拠点として自分が使う為にも、建物の破壊は最小限に抑えなければならない。
ケイネスの斜め後方には実体化したランサーが控えており、敵の襲撃や結界の罠が発動すればすぐ対処できるように身構えている。けれど、ケイネスにとってセイバー陣営への強襲は魔術師としての自分を腕前を披露する為の場であり、サーヴァントがではなくマスターが敵の拠点を奪ったと言う状況を作る為の餌だ。
もちろんセイバーの相手はランサーに任せるが、アインツベルンのマスターと対峙して屈服させるのはあくまでケイネス当人でなければならない。今もケイネスの耳に、冬木ハイアットホテルでソラウから言われた言葉が残っている。
「どうして貴方、セイバーのマスターを放っておいたの? あんなに無防備に突っ立ていたアインツベルンの女。ランサーがセイバーを引きつけている隙に、貴方は敵のマスターを攻撃できたんじゃなくて? なのに貴方がしたことはといえば・・・最後までただ隠れて見てただけ。情けないったらありゃあしない」
他の何よりもまず―――ケイネスはソラウの事を優先させる。だからアインツベルンの城の大きさに満足しつつ、小脇に抱えてきた陶磁製の大瓶を地面に置いた。
軽く持ち運んでいる様に見えるかもしれないが、その重さは実に140キロ。ケイネスが使う魔術の一つで『重量軽減の術』をかけなければ持ち歩くのは不可能な重さである。
「沸き立て(),我が() 血潮()――」
ケイネスが呪文を唱えると、大瓶からドロリと銀色の液体―――水銀が姿を見せて外に溢れだす。
「自律() 防御():自動() 索敵():指定() 攻撃()――」
続けて呪文を重ねて行くと、液体は大瓶の中におさまっていた流動的な液体から、全く別の形を成していく。一言で言えばそれは銀色の楕円を形作り、ケイネスの足元に跪くように展開されて、中型犬ほどの大きさを維持した。
形状から人によっては『可愛い』と思える代物かもしれない。
だが、これこそが冬木ハイアットホテルでケイネスの命を救った魔術礼装であり、ケイネスが持つ数ある礼装の中でも最強の名を冠する逸品。魔術師として稀有な『水』と『風』の二重属性を持つケイネスが得意とする流体操作の術式。その粋を究めて作り出した魔術礼装『月霊髄液()』だ。
形を持たぬ液体であるが故に水銀は自由自在に姿を変える。矛にもなる、盾にもなる、剣にもなる、壁にもなる。ケイネスの魔力によって何にでもなるそれを率いて前に進む。
歪な球形の水銀はケイネスの後をしっかりついて来て、前から見れば月霊髄液()とランサーを両側に従えている様に見える筈。
「ランサー」
「──は」
「貴様の騎士の誇りにとやらに賭けて、今度こそセイバーを殺せ」
似た問答は冬木ハイアットホテルで既に行っているので、あの時に比べればランサーに向ける怒りは幾ばくか少ない。だが決して無くなった訳ではなく苛立ちは怒声に似た言葉となって背後に控えるサーヴァントに向けられる。
それでもかつての状況を繰り返さなかったのは敵の姿がすぐそこにある事と、ソラウの為に一秒でも早く結果を作り出さなければならないからだ。
ここでランサーへの怒りを言葉にして浴びせかけても何の意味もない。
「必ずや、あのセイバーの首級を御約束いたします」
そう返すランサーにケイネスは何も言わなかった。ケイネスにとってランサーが残る六人のサーヴァントを全てを斬り伏せる事は契約を結んだ時に定められた聖杯戦争の大前提だ。故に、セイバーを倒すなど当たり前に起こる未来であり、予定調和の中のほんの一幕に過ぎない。
ランサーが倉庫街の戦いでセイバーとの戦いを愉しみなどしなければ、そもそもこんな状況には陥らなかった。
もう一度それを言葉にしてランサーにぶつけたい衝動にかられたが、優先すべきはセイバー陣営の打倒であり、目の前にあるアインツベルンの城を新たな拠点とする事だ。
更に大きく一歩踏み出し、ケイネスは月霊髄液()に命じた。次の瞬間、鞭のように唸りを上げた超高速の一撃が城の扉を閂ごと破壊する。
ケイネスは戦いを開始した。
全てはソラウへの愛ゆえに―――。
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Side - 衛宮切嗣
「アーチボルト家九代目頭首、ケイネス・エルメロイがここに推参仕る。アインツベルンの魔術師よ! 求める聖杯に命と誇りを賭して、いざ尋常に立ち会うがいい!」
セイバーとアイリが出迎えるホールの扉が轟音と共に崩れ落ち、土煙が収まる前にその中から三つの影が姿を見せる。
先頭に立つのは堂々と名乗りを上げた時計塔からやって来たケイネス・エルメロイ・アーチボルト。そして彼のサーヴァントであり、倉庫街でセイバーに手傷を負わせたランサー、今は二槍の宝具、破魔の紅薔薇()と必滅の黄薔薇()をそれぞれを両手に持っており、臨戦態勢を整えている。そして最後に目に入ったのは銀色に輝く楕円の塊だった、大きさはケイネスの太もも程の高さだ。
切嗣はその様子をアイリの後ろ側―――つまりはホールに至る通路の壁から目視で確認し、同時にホールの階段上でケイネスを待ち構えているセイバーとアイリの両名の背中も見た。
踊り場に立つセイバーは既に風王結界()で聖剣を隠し、ダークスーツから白銀の鎧へと武装を変えている。その隣に並び立つアイリが事前に打ち合わせた通りの言葉をランサーのマスターに向けて言い放つ。
「始まりの御三家が一角。セイバーのマスターにして今代の聖杯の守り手。アイリスフィール・フォン・アインツベルンが受けて立ちましょう」
気品を漂わせながらも、何の躊躇いなく堂々と言う姿はまさしく『姫君』に相応しく、騎士として守るセイバーと合わせてみれば物語の一幕の様な光景だった。
背中しか見えずとも二人の組み合わせの良さが判る。だが、そんな美しさすら感じる光景など切嗣にとっては何の意味もない。
ケイネスの視線が間違いなくアイリに向けられている事を確認すると、切嗣は手の中にあったスイッチ―――、クレイモア対人地雷と呼ばれる残忍な設置式爆弾の起爆ボタンを押した。
炸薬の破裂によって直径1.2ミリの鋼鉄球を扇状に、しかも700個あまりの膨大な数を撒き散らす兵器だ。それが広いホールの四隅にそれとなく配置された四つの花瓶から中央にいるケイネスにめがけて一斉に放たれる。
鳴り響く轟音。
標的は避ける間もなく極小の鋼鉄球の嵐を喰らい、人の体を粉微塵へと作り変えるだろう。ただし、それは敵が普通の人間だったならば、だ。
クレイモア対人地雷が鋼鉄球を放つと同時にケイネスの足元にあった銀色の塊が形を変えて、彼の周囲を円形に覆い尽くしたのだ。切嗣はその瞬間を目で確認できなかったが、合計2800発の鋼鉄球の嵐が止むと同時にそこに現れた銀色の球体を見て『防がれた』と理解する。
切嗣は起こった事象から敵の魔術礼装を分析し、人の反射神経では防げない超速の攻撃を『自律防御』で防いだと読む。予め術式を設定すれば、迫り来るすべての攻撃に対して防御するのは難しくない。
そして手に持つ武器が何もない所を見ると、扉を破壊したのはランサーではなくあの銀色の塊である事は間違いないだろう。あの魔術礼装は攻撃と防御を共に行える兵器なのだ。
ランサーはその銀色の球体の外にいたが、サーヴァントは元々霊体なので通常攻撃は効果が無い。設置されたクレイモア対人地雷が何らかの概念武装だったならば話は変わるが、あれはただの兵器でランサーに手傷を負わせられる効果は無い。
銀色の防御膜が解かれてケイネスが再び姿を現した時、攻撃の余波でホールのあちこちに大小様々な破壊跡が刻まれていた。壊した扉の前に立つケイネスとランサー、そして銀色の球体の構図は変わっていない。全員、無傷だ。
「切嗣っ!!」
事前にアイリには重火器による攻撃をしかけると説明していたが、まさか口上を述べるタイミングで実行されるとは思っていなかったのだろう。後ろを振り返り、攻めるような顔でこちらを見ている。セイバーもまた自分の戦い方を責めたいのだろうが、生憎とすぐ目の前にサーヴァントがいて隙は見せられないのでセイバーは振り返れない。
アイリが伏兵の存在を敵に知らしめるのは汚点でしかない。そういう意味ではアイリスフィール・フォン・アインツベルンは正しく『姫君』であり、『戦士』ではなかった。
ただしそうやってアイリが切嗣の存在を敵に教えてしまう事もまた予測の範囲内であり、切嗣は自分が持つキャレコ短機関銃を見せびらかすように掲げつつ、物陰からゆっくり姿を見せる。
そしてケイネスがこちらを見ている事を確認した後、アイリに向けて言い放った。
「――僕が依頼されたのは『他のマスターの抹殺』だ、君たちは君たちで勝手に戦えばいい。それに僕の依頼主はアハト翁であって君じゃない、僕のやり方に口出ししないでもらえるかな?」
暗に協力関係は無いと言いながらも、アインツベルンと言う枠組みの中では間違いなくアイリと切嗣は協力者であるとケイネスに教える。
あえて自分が敵陣営の一人であるとほのめかすと、悠然と佇むケイネスの顔が少しだけ怒りで歪んだ。
「聖杯戦争でこのような機械仕掛けのカラクリの力を借りるとは――。そこまで堕ちたか、アインツベルン!!」
おそらくケイネスはクレイモア対人地雷の攻撃と自分が持っているキャレコ短機関銃で、冬木ハイアットホテルを爆破したのが切嗣であると見抜いただろう。
魔術礼装も銃もまた等しく『武器』の括りでありながら科学を軽視する魔術師の思考そのままだ。切嗣はケイネスが攻撃ではなく言葉によりこちらを威嚇してきたのを喜びながら、表向きは表情を変えずに淡々と言ってのける。
それはケイネスの意識を完全に切嗣一人に向けさせる魔法の言葉だった。
「傷一つ無いとは大した礼装だな――、魔術師。それのおかげであの高さから落ちて無事だったのか」
単なる錯覚だろうが、切嗣がそう言った次の瞬間。ケイネスの方からブチンッ! と何かが切れる音が聞こえた気がした。
時計塔の教職についているとは言え、イギリス人であるケイネスが日本のことわざなど知らぬだろう。それでもケイネスは今、『堪忍袋の緒が切れた』を体現してみせたのだ。無論、切嗣の勝手な想像だが。
わざわざ教えてやる必要などないのだが、これで自慢の工房をホテルごと爆破した犯人が切嗣だと完全に理解したに違いない。
「宜しい。ならばこれは決闘ではなく誅罰だ!」
切嗣の確信を裏付けるように、ケイネスが朗々と語る。
「仮にも魔術の薫陶を受けながら、下賎な小細工に頼る卑劣漢めが。死んで身の程を弁えろ」
ケイネスの意識がこちらに向いた事を確認すると、切嗣はまだこちらを睨んでいるアイリに背を向けて城の奥に向けて駆けだした。
アイリをあの場に放置する危険性は重々承知しているし、セイバーだけではケイネスとランサーの組み合わせを相手にするには力不足だと判っていた。それでも、事前に仕入れた情報から名門アーチボルト家の家風を引き継いでいる魔術師のプライドの高さを刺激してやれば、ケイネスの意識を切嗣だけに向けさせられると踏んだ。
聖杯戦争に限らず、『戦い』とは単なる力と力をぶつけ合うものではない。多くの情報と多くの選択肢、それらの中から最善を導き出して、敵の命を奪う事なのだ。
その辺りをあの魔術師は判っていない。
「あのネズミを殺したら次は貴女の番だマダム。精々、少ない余生を楽しむといい」
背後から小さく聞こえてくるケイネスの声を聞き取った瞬間、切嗣はケイネスが戦士として二流以下だと判断する。
敵を前にしながら攻撃せず、前後から挟み打ちされる危険性をそのまま残す馬鹿がいたようだ。
「ランサー、その女は殺すな。聖杯の器の持ち主だ、『器』の場所を秘されたまま死なれては面倒だからな」
「はっ!」
そんな話し声が聞こえた。
ホールから早足で移動を開始して、幾つか角をまがった後。切嗣はスーツの内側からインカムを取りだして装着し、別の場所に陣取っている舞弥へと呼びかける。
「状況は?」
「ランサーのマスターは二人を素通りして貴方を追っています、ランサーはホールにてセイバーと交戦状態に入りました」
「予定通りか」
舞弥の声が教える情報はほぼ切嗣が思い描いた予測そのままだ。ランサー陣営は気付いていないだろうが、サーヴァント対サーヴァント、マスター対マスターの構図を作り出している。
現在、舞弥はケイネスがやって来た方向とは別の場所―――アインツベルンの城の外に並び立つ木々の影に潜んでおり、外からアインツベルンの城の情報を切嗣に送っている。
もっとも、外側から城の中を見通すのには限界があって、ホールや通路の様子は予め設置しておいたCCDカメラや聞こえてくる音からの予測となる。現場にいる当人たちよりもどうしても情報の精度は落ちてしまう。
加えて、舞弥に渡してある折り畳み式ラップトップ式のコンピュータにはCCDカメラからの映像が常に送られるが、コンピュータを開いて画面を覗き込む時は画面の明かりが外に漏れて、舞弥の居場所を察知される危険を増やしている。
もっと時間があれば、隠密の為に時間を費やせて、舞弥を完全に隠した状態で出迎えられたのだが、今は舞弥が上手く隠れている事を願うしかない。
状況に応じて、外部からの狙撃でケイネスを暗殺する事も考慮したが、あの魔術礼装がある限り視覚外からの攻撃も無意味となる。今の所、舞弥には情報収集を徹底させるしかない。
「引き続き状況を監視して、異常があれば伝えろ」
「了解」
状況はあまり芳しくないが、切嗣の中に不安はなかった。
銀色の魔術礼装―――ケイネスの魔術属性を考えるにおそらく水銀を操っていると思われるその姿は、これまで『魔術師殺し』の衛宮切嗣が殺してきた魔術師と何も変わらないからだ。
誰もが自分の操る魔術を最上のモノと思っており、こちらが重火器で攻撃すれば魔術と科学の間に存在する強固な壁を意識して、こちらを格下と決めつける。
一度防げば調子に乗り、二度防げば自分の優位を疑わない、三度防げば完全にこちらを見くびってくれる。戦術としては最も貧弱に見えるアイリから始末するのがこの場での最良の戦い方だと言うのに、魔術師はそれをしない。ケイネスもそうだった。
弱い者から殺すのは兵法の基本なのに、後でも出来るからと自分の感情をまず優先させるのだ。今のケイネスの行動はこれまで切嗣が殺してきた魔術師たちのパターンから何一つ外れていない。
それはつまり『魔術師殺し』の必勝パターンに見事にはまってくれたと言う事。切嗣よりも先にアイリが攻撃された場合の備えもしていたが、どうやら杞憂に終わったようだ。
セイバーがランサーの足止めをしている隙にマスターを殺す。間桐とキャスターの戦いは今だ未知数だが、アインツベルンの城の中での戦いは全て手の中に収まるだろう。まずは手中の問題から片づける。
切嗣は頭の中で城の見取り図を検討しながら、獲物を殺す最良の場所へとケイネスを引きずり込む算段を立て始めた。
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Side - ???
声が聞こえた。
「無様だな雁夜。もう少し上手く戦えなかったのか? 限界ぎりぎりの戦いに挑むのはいいが、魔力消耗を計算に入れずにバーサーカーへ供給する魔力も底をつくなんて馬鹿としか言えないぞ。あそこでキャスターが退かなかったらバーサーカーごとやられてたか、バーサーカーに魔力を吸い尽くされて廃人になってたな」
「やかましい! 言われなくたって自分の失敗ぐらいよく判ってんだよ。『ブリザガ』の魔力消耗があんなに大きいと思わなかった・・・。訓練の時はもっと少なかったからキャスターに一太刀浴びせるまではもつと思ったんだよ」
「実戦で力を入れ過ぎて込める魔力の調整に失敗したな。表向き平常心を装いながらも、殺し合いで急いた結果だ」
「雁夜を責めないで。あの状況でよくやったと思うわ」
「お前もゴゴだろうが! 紛らわしいからその姿とその声で喋るのは辞めてくれ――、頭が混乱しそうだ」
聞こえるけど判らない。
「確かに私の本質は『ものまね士ゴゴ』だけど、今の私は『ティナ・ブランフォード』でもあるの。だから別人として扱って」
「無理だ!」
「女を前にすると別人だな雁夜。確かに『誓いのヴェール』と『ミネルバビスチェ』の組み合わせは目の毒だが、殺し合いの熱気にやられて発情したか? 戦場では性欲が溜まりやすく、本能剥き出しの性行為になるらしいが、そうなってるのか?」
「ゴゴ、桜ちゃんの前で変な事言うな! 同じゴゴから別々の説得って・・・、どんな拷問だこれは」
聞こえるのに聞こえない。
「桜ちゃん。別におじさんはそこのティナの色気に参ったんじゃなくて、正体がゴゴなのに見た目女性で女言葉を話すのがおかしいと思ってるだけだからね。本当だよ」
「浮気した時の弁解みたいだな、雁夜」
「横から余計な事を言うな!」
「雁夜おじさん・・・」
何を言ってるのか判らない。
「皆を助けてくれて、ありがとう――」
「桜ちゃんの頼みだからね。おじさんに出来る事なら何だってするよ」
「子供達を助けたのは桜ちゃんだがな」
「だから余計な事を言うな! ここは黙って俺と桜ちゃんの話を聞く場面だろうが!!」
「事実を曲解するのは良くないぞ雁夜。お前だって桜ちゃんに助けられたからこそ、こうしてブラックジャック号まで戻ってこれた」
どうして聞こえるのかも判らない。
「・・・・・・子供達は大丈夫なのか?」
「全員は眠ってるだけよ。もうしばらくしたら起きるから心配しないで」
「どうにもティナと話すと調子が狂う。同じゴゴだからだな、面倒な」
「慣れろ」
それでも、近くに誰かが居るのは判る。
「俺はてっきりお前が子供達に事情を説明してるんだとばかり思ってた。戻ってみたら皆寝てるから何があったのかと思ったぞ」
「途中までは話をちゃんと聞いてたんだがな、安全だと判ると途端に図々しくなって話を聞かなくなった。女の子の方は良かったんだが、男の子の方が『魔法を見せろ』と言うからバトルフィールドを張って一発使ったら、威力に目を回したぞ」
「・・・・・・何を使った?」
「『レベル4フレア』だ、都合よく誰にもダメージを与えられない状況だったから、向けて撃ってやったんだが、爆発した瞬間に倒れて寝た。殺せない魔法で『グラビガ』にしようか迷ったんだが、『レベル4フレア』なら痛みは無い」
「子供に向かって何してやがるこの野郎! せめて『ファイア』を誰もいない場所に撃つ位にしておけ!!」
すぐ傍に誰かが居る。
「女の子は男の子が倒れたのを見て半狂乱。下手をすると甲板まで上がってブラックジャック号から飛びおりそうな雰囲気だったからな、『スリプル』で眠らせた」
「だから皆寝てるのか・・・・・・」
「魔法使いの存在については懐疑的だったが、お前に助けられた事は感謝してたぞ。よかったな雁夜」
「あれを見ると複雑な気分だ。集団昏倒なんて見るもんじゃない」
「でも雁夜おじさんのおかげで助かったんだよ」
「桜ちゃんは優しいなぁ・・・」
声が聞こえる、誰かが喋ってる。
「あとの問題はその子か――」
「体の傷は治したわ。余程怖かったのか・・・、起きてるのに目覚めようとしない――」
「普通だったら聖杯戦争に関わった一般人は教会に預けて記憶処理が施される。あっちの子供達は後で璃正神父の所に連れて行って後始末は任せよう。『間桐臓硯』はまだ間桐邸に居る事になってるから、雁夜とティナで行ってくれ」
「だったらわざわざ説明しなくても、魔法を見せる必要もなかったんじゃないか?」
「子供の知的好奇心は成長に必要不可欠だからな。記憶は消されても魔法――いや、魔術に対する恐怖が刷り込まれたら二度と関わろうとはしないだろ。危ないと思ったら逃げてくれる大人になるといいな」
話している。語っている。
「『ケーツハリー』が聖堂教会に知られると面倒だが仕方ないと割り切るぞ。何か言われたら『新しく手に入れた力』とでも言って誤魔化しておけ」
「聖杯戦争の間はそれでいいかもしれないが、後が面倒になるな――」
「今更だぞ雁夜。もう聖堂教会は『間桐臓硯』が何かしらの新しい力を手に入れた事を掴んでる。ほんの少しだけ小出しにして意識を誘導させないと、力任せで全部暴こうなんて無茶をやりかねないぞ、人の欲には際限がない」
「それじゃあ私と一緒に子供達を連れて行きましょう」
「あ、ああ・・・」
「やっぱりティナが相手だと別人だな雁夜」
「これで同じ『ものまね士ゴゴ』なんだから――、詐欺だ」
声が聞こえる。沢山の声が聞こえる。
「それじゃあ桜ちゃん、この子の手を握っていてくれない?」
「私?」
「出来れば私が付いて上げたいけど、教会に桜ちゃんを連れていけないの。だから『ケーツハリー』の魔石は私が使うわ。代わりに桜ちゃんには少しの間、この子を見ていてほしいの。この子が落ち着けるように――」
「・・・・・・うん、わかった」
「『ソウルオブサマサ』は外して行け。それにしても綺麗と可愛いが一緒になると絵になるな。そう思わないか雁夜?」
「自画自賛か? 片方はお前だろうが」
暖かい何かが手を握った。
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Side - 言峰綺礼
冬木ハイアットホテルを破壊して、ランサー陣営を丸ごと敗退させようとした衛宮切嗣が次に打つ手は何か? 綺礼がそう考えた時、すぐに答えは得られた。
何しろ『キャスターがセイバーをつけ狙う』という行動理由について、セイバーとキャスターが邂逅したその瞬間から分裂したアサシンによって捕捉しているのだ。他のマスターにはキャスターの目的を連続誘拐事件を引き起こすマスターの手助けと思わせているが、キャスターの狙いはセイバーただ一人。
むしろ連続誘拐事件の方が余興である事は綺礼にとって周知の事実である。
ならばアインツベルンは強固な拠点で守りを固め、キャスターが来るのをひたすら待てばいい。セイバーが自分から打って出てキャスターを倒しに行く可能性は考慮したが、あくまで綺礼の目的は衛宮切嗣ただ一人であり、必ず同様の戦略に行き着くであろうと確信する。
ならばこそ、衛宮切嗣はアインツベルンの森の中にいる。
目標の居場所を定めた綺礼は、アインツベルンの森の西側―――キャスターの根城がある冬木市とは反対の方角に身をひそめ、機が訪れるのをひたすら待ち続けた。
あの狂気をそのまま形にしたようなサーヴァントがわざわざ遠回りするとは考えにくい。だからこその冬木市とは逆方向で待機して、情報収集と斥候の役目は霊体化させたアサシンに任せてある。
遠坂邸では事前の打ち合わせで見つかる事が前提だったので、アーチャーには呆気なく捕捉されてしまったが、元々アサシンの気配遮断スキルを惜しみなく使えば誰にも気づかれることなく結界の内部を行き来できる。
流石に結界の中心に近づけば近づくほど察知される危険は高まるが、綺礼はキャスターが仕掛けた状況を利用してアインツベルンの拠点に仕掛けようとしているので、結界の奥深くにアサシンを潜り込ませるよりも、何者かがアインツベルンを強襲するタイミングを知る方が重要だ。
そして綺礼の目論見通り、キャスターが森の東側から結界内部へと侵入した。
隠れようとする気が無いので見つけるのは容易かった。
衛宮切嗣がセイバーと共にキャスター討伐に赴くなら自分もその場にはせ参じる。キャスターが結界の最奥部にまで侵入しようとするなら、足並みをそろえて仕掛ける。そしてセイバーが迎撃に出るならば、拠点に残る衛宮切嗣に向かって赴く。
状況を見極める為にアサシンに監視を続けさせていた所、どこからともなく間桐雁夜が降って来た。
そして見た事のない紫色の巨鳥が表れ、キャスターが引き連れていた子供を救いだしてどこかに飛び立ってしまう。さすがのアサシンにも飛行能力は存在しないので、空へと逃げる敵を追うのは断念するしかない。
可能ならばアサシンを接近させて得体の知れない『間桐陣営』の情報を集めたい所だが、既に間桐の手によって何人ものアサシンが殺されている。無暗に近づけば、殺されたアサシンの二の前になるのは目に見えていたので、あえて距離を離して監視を続行させた。
聖杯戦争のサーヴァントが持つスキルの中には『千里眼』と呼ばれるモノがあり、それは視力と動体視力を向上させ遠方の標的をいち早く捕捉する為のスキルだ。
しかし第四次聖杯戦争で召喚されたアサシン達にそのスキルは備わっておらず、肉眼で見える距離以上のぎりぎりまで離すのが良策となった。
そして綺礼は間桐雁夜が使う一工程()の魔術に感心しながらも、ただの魔術師であるならば自分が求める答えを持ち合わせていないだろうと落胆する。
他のマスターならば間桐雁夜があそこまで力を付けた理由に食いつくかもしれないが、綺礼はそうではない。
やはり狙うべきは衛宮切嗣ただ一人。
そして間桐雁夜の戦いを監視するアサシンとは別のアサシンが、アインツベルンの森へと入り込むケイネス・エルメロイ・アーチボルトとランサーの姿を捕捉した。
遠坂氏が手に入れた情報と倉庫街の戦いで得た情報を統合して。ランサー陣営の戦力では衛宮切嗣がいるセイバー陣営は倒せないだろうと分析している。しかし世間に流布されぬよう魔術は徹底的に隠匿されるので、綺礼が予測した勝敗を覆す切り札をランサー陣営が持っていても不思議ではない。
ランサー達が衛宮切嗣を倒してしまう可能性はある。故に綺礼は今が動くべき時だとアインツベルンの森への潜入を決心した。
これまで隠れ潜んでいた結界外周部の更に外側に佇み、目の前に広がる大森林を目視する。一歩踏み込めばそこはアインツベルンの領域、アサシンの気配遮断スキルなど持ち合わせていない綺礼の存在はすぐに感知されるだろう。
だが、それでも構わない。
意を決して森の中に踏み入れようとしたその瞬間―――、森の中にぼんやりと浮かび上がる人影が見えた。
「むっ!?」
その人影はこちらに向かって歩いて来ているらしく、徐々に輪郭が形を成して足音を響かせていく。しかし左右の手に二本ずつ、合計四本の黒鍵を構えた綺礼は目に見える何者かの存在の希薄さに首をかしげる。
見えている。そこにいる。しかし肌で感じる存在感とも言うべき、気配が妙に薄いのだ。
幻覚か―――?
ありえない話ではない。まだ、アインツベルンの森の中に踏み込んではいないが、目の前に広がるのは始まりの御三家の一つが莫大な財を駆使して作り上げた巨大な拠点なのだ。森に張り巡らされた結界の効果の中に『誰かが居ると思わせる』術式が合っても不思議はない。
獲物をあえて結界の中におびき寄せて一気に殲滅する方法もあれば、結界の中にそもそも立ち入らせない方法もある。入り込もうとする者に弱い存在を匂わせて侵入させ、あえて攻撃を仕掛ける場合もありえる。
罠とは二重三重に仕掛けるのが普通であり、見える事柄だけが全てとは限らない。敵はここにいるぞ―――と、意図的に情報を流して、結界の外に居て油断している敵に別方向からの攻撃をしかける可能性もあった。
少なくとも何も関係のない者がいきなりそこに現れるなどという事態は除外する。アインツベルンの森に居ると言うだけで、間違いなくその人間は聖杯戦争の関係者だ。
綺礼は黒鍵を構えたまま様子を探る。
そして森の中からやって来た人影が完全に森の外に現れると、天から降り注ぐ月光によってその姿が露わになる。
綺礼がその人影を見て真っ先に思ったのは、ありえない―――という動揺だった。敵が居る状況は驚くに値しないのだが、そこに立つ敵はあまりにもこの場にそぐわない人物であるからだ。
アインツベルンの者ではない。綺礼とは別の場所から侵入したランサー陣営の者でもない。そしてキャスターでもキャスターのマスターでもなかった。
「てっきりアサシンの目を通してワシの接近に気付いておると思ったゾイ。その顔を見るとワシがここに居ると判ってなかったようじゃな。歴戦の代行者の勘も当てにならず、拍子抜けじゃ」
薄暗い夜でも色あせない鮮やかな衣装の派手さが見る者を圧倒する。
盲目の人間でもない限り、一度見れば決して忘れない異相。それは冬木市に住まう一般人、あるいは聖杯戦争に参加する魔術師やサーヴァントと比較しても明らかに異質な格好だった。
綺礼も一度、全てのマスターに対して父が教会に招集をかけた時、その姿を目撃している。
「間桐、臓硯――か?」
「いかにも。ワシが間桐臓硯じゃ」
アインツベルンの森の中に居る筈のない存在。道化師のような格好をした老魔術師が目の前に立っていた。
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Side - 衛宮切嗣
ケイネスが使う魔術礼装の全容は時が経てば経つほどに暴かれていく。敵があの水銀の塊を使えば使うたびに切嗣の中に新たな情報が積まれていって、魔術礼装の強さと弱点が組み上がっていった。
だがもちろん代償なしに得られる情報ではない。
「固有時制御()――二倍速()!」
迫りくる水銀の一撃―――まともに喰らえば切嗣の体などすぐに切り刻まれてしまう攻撃を交わす為、切嗣は使える数少ない魔術の中で代償の大きな『時間操作』の魔術を使わなければならなかった。
魔術の中でも『時間操作』は固有結界の一種に大別され、魔法には及ばずとも大魔術に分類される。衛宮家は代々この時間操作についての魔術探求を継承し、切嗣もまた背中にある魔術刻印によりその恩恵を受けている。
ただし時間操作は元々消耗する魔力がとてつもなく大きく、儀式の複雑さも干渉する時間に比例して大きくなっていく。そこで切嗣はその『魔術行使の大きさ』を減らす為、体内に時間操作の固有結界を展開すると言う術式を考案し、自分の体の中にそれを組み込んだ。
血流、ヘモグロビンの燃焼、筋肉組織の運動、反射速度、それら全てを二倍速にして、背後から忍び寄る水銀の攻撃を避ける。それこそが切嗣の魔術『固有時制御()』である。
魔術の複雑さを自身の体の中に収めた代償として、切嗣の肉体にかかる負荷は通常の魔術よりも膨大になった。元々、時間操作の魔術は行使する魔術の外側と内側に時間差が出来てしまうので、その反動―――いわゆる『世界による修正』を必ず受けてしまう。大規模な術式はその反動を極限まで抑え込む為のものだが、切嗣の体がその反動を補っているのだ。
作り出した時間差は切嗣の体を容赦なく切り刻み、倍速を一度使っただけで心臓は早鐘を打つように暴れまわり、筋肉は軋んで、骨が悲鳴を上げる。
それは背後から迫りくる攻撃を回避する為に使うにはあまりにも大きな代償と言えるが、切嗣にとっては分の悪い勝負ではない。むしろ、ケイネスが無造作に攻撃を放ち、初手で切嗣を殺せなかった時点で勝機がよりいっそう近づいている。
敵は調子に乗っている。いつでもこちらを殺せると高を括っている。それは『魔術師殺し』の衛宮切嗣にとっては格好の的となる。
たとえどんな攻撃であれ、それを破る方法は必ず存在する。それを探る為、切嗣は予めCCDカメラを設置していた廊下でケイネスを待ち構えて、そこで魔術を発動させて敵の初撃を避けつつ、映像を舞弥へと送った。
背後に鳴り響くアインツベルン城の破壊音を耳にしながら、切嗣は更に角を曲がって敵の死角へと移動する。
「舞弥」
「敵の魔術礼装の基本種別は三種類。『索敵』『攻撃』『自律防御』この三つです。攻撃には必ず術者の指令があり、自律防御の膜状防御は一定の厚みで広がっています」
久宇舞弥は衛宮切嗣という戦闘機械を完成させるパーツだ。一語一句が切嗣の求める情報になり、無駄な言葉は一切挟まない。
舞弥からの報告を聞き、自分が体感した情報を上乗せして、切嗣は必勝の構図をくみ上げて行く。既に切嗣に向けるケイネスの怒りは尋常ならざるものに膨れ上がっているが、それでも万全を期するならばもう一手挑発する必要がある。
切嗣は更にアインツベルン城の奥に向けて走り、背後から迫りくるケイネスから死角になる柱へと身を隠した。一瞬だけ顔を出して見れば、背後からだけではなく自分が今向かおうとしていた廊下にも銀色の輝きが、糸のように細長く伸びている。
おそらく『索敵』を行うため、網目状に伸ばした水銀を城の至る所に向かわせて退路を塞いでいるのだろう。
あの水銀がもし人の目と同じ役割をしていれば、今この瞬間にも切嗣の居場所はケイネスに感知される。しかし水銀はあくまで水銀でしかなく、使い魔の様に目を持った生き物ではない。魔術師が操る単なる道具でしかない。
空気振動から音を探り、気温の変化から生物の熱源を探る。視覚、聴覚、味覚に関してはどれだけケイネスが優れた魔術師であろうとも、水銀と言う道具を介している以上、再現は不可能である。水銀に命を与えて五感を持たせればそれも叶うが、あれはそう言った類の道具ではない。
まだこちらの存在を感知できていない水銀を見つつ、このまま何もしなければあと数秒後には確実に発見されるであろう状況で切嗣は先程唱えた倍速ではなく、逆に停滞の呪文を唱える。
「固有時制御()――三重停滞()!」
生体機能を本来の三分の一にまで減速させ、呼吸を遅らせて、心拍も脈拍の速度も遅らせる。結果、代謝の止まった全身から体温が一気に失せて、すぐに外気温と大差ない状態まで冷却された。
三倍に膨れ上がった外界の光が切嗣の網膜に強烈な光を映し出すが、その向こう側に見える水銀の蠢きは切嗣の存在を感知できていない動きだった。
もし発見されていたとしたら、自分の顔の10センチ横を通り過ぎるなどと言う状況は決して起こらない。切嗣の浅くなった呼吸と微量の血流は自然界に発生する音に紛れこんでしまい、水銀の向こう側に居るケイネスには見破れないのだ。
そして水銀が切嗣を見失い、この周辺には敵はいないと判断したケイネスによって引き戻されていく。
三倍に引き伸ばされた外界の状況が切嗣の脳を焼き尽くさんとするが、切嗣は迫りくるケイネスの足音を聞きながら機会をジッと伺い続けた。
切嗣が待ち構える廊下を無人と思い込んだケイネスが何の警戒も抱かずに接近してくる。そして自分の魔術に絶対的な自信を持ち、何の警戒もしていないケイネスが姿を見せたその瞬間、切嗣は固有時制御()を解除してキャレコ短機関銃を構えた。
まだこちらに気付かないケイネスに向けて一気に9ミリの銃弾を浴びせる。
装填し直した50発の銃弾が一斉にケイネスに襲いかかるが、水銀に付与された『自律防御』によって球状に展開された防御膜がケイネスを守る。
「馬鹿めが。無駄な足掻きだ」
切嗣がここにいるのを判っていなかったからだろう、多少驚きを含ませながらも、同じ攻撃を繰り返す切嗣への侮蔑が銃弾の嵐の中で僅かに聞こえる。だがキャレコ短機関銃から放たれる弾幕を防御するのは切嗣の計算の内だ。
左手に持ち替えたキャレコ短機関銃から撃ち出される弾幕が途切れるよりも前に、切嗣は空いた右手でスーツの内側からトンプソン・コンテンダーを引き抜く。
そして球状に展開した防御膜のど真ん中―――その向こう側にいるケイネスに向けて発砲した。
一度広がった水銀の防御は強力無比であり、キャレコ短機関銃に収まった50発の9ミリの銃弾程度では貫通出来ない。しかし、より強い攻撃があれば広がった水銀では対処できなくなる。
広がってしまった水銀の防御膜の一部を強化させる為には別の場所から水銀を補給しなければならない。もしケイネス自身が水銀の防御を自分の意思で行っているならば難しくはない。しかし今、人では反応できない超高速の攻撃から身を守る為、予め仕込んだ術式に全て任せている状態だ。
9ミリの銃弾を上回り、ケイネスの防御を突破する切嗣の武装の一つ。トンプソン・コンテンダーから放たれた30-06スプリングフィールド弾がケイネスの守りを易々と突破する。
弾丸初速は9ミリ拳銃弾の実に3倍弱。その破壊力は7倍にまで相当するので、水銀の守りで全てを防げると過信していた獲物の一部を大きく抉った。
水銀の膜に空いた大きな穴、その向こう側から聞こえてくるケイネスの悲鳴を聞き、切嗣はとりあえず30-06スプリングフィールド弾が標的に当たった事実をほくそ笑む。水銀の防御膜が展開される前のケイネスが立っていた構図を元に照準をつけたが、ちゃんと狙いをつけて撃った一撃ではなかったから当らない可能性もあったのだ。
これで頭部や心臓を破壊できれば戦いは終了するのだが、今だに敵の魔術が―――水銀がまだ形を成したままなので、打ち込んだ弾丸の高さから肩か腕の一部を貫く程度で終わったようだ。
殺しきれなかったのは残念だが、ケイネスがこちらの攻撃手段の中に水銀の自律防御だけでは守りきれない武装があると教えただけで十分である。
「斬()!!」
怒りに満ちた詠唱が鳴り響くと同時に水銀が形を変えて切嗣に襲いかかってくる。しかし不意を突いた訳でもなく、ケイネスとの距離は10メートル以上離れている。
拳銃と言う遠距離攻撃の為の道具が作り出した絶対的な距離。
固有時制御()を使用する必要すらなく、紙一重でその攻撃を避ける。水銀の攻撃は確かに強力だが、操るケイネスの戦い方は単調で、近接戦闘に長けた切嗣にとっては避けるのは難しくない。
確かに水銀の攻撃は早いが、攻撃が来る場所が判っていれば人の反射速度でも避けられる。
切嗣は迫りくる一撃をスーツの一部を削られるだけで避ける、そのまま逃走を再開した。ケイネスは今の一撃で単なる自立防御だけでは不足すると気付いた筈、もし同じ攻撃が行われれば、その時は今まで以上に魔力を注ぎ込んで、どんな弾丸でも防ぐ鉄壁の壁を作り出すだろう。
装填数一発のトンプソン・コンテンダーに新たな弾丸をセットしながら切嗣は考える。そうでなければ困る、と。
状況は『魔術師殺し』の衛宮切嗣の思惑通りに進んでいた。
「アイリの方はどうなってる?」
「セイバーとランサーの戦いは今の所拮抗しております。なお、戦闘の余波でカメラは残り一つになりました。状況から二分ともたずに使用不能に陥ります」
「判った」
時折聞こえてくる破壊音はケイネスが怒りにまかせてアインツベルン城を壊しているものなのか、それともホールでセイバーとランサーが戦っている音なのか判別できなかった。
微かに足元が揺れるも、駆け足で逃走する今の状況では戦闘の影響か、大自然の地震なのか判断できない。
全ての神経を集中すれば城の中で何が起こっているか判るかもしれないが。『魔術師殺し』の衛宮切嗣が、獲物をしとめる最終段階に入った時、ケイネス以外への気配りはどうしても散漫になってしまう。
その為の舞弥だ。インカムを通して伝わってくる情報をもう一度整理して、最良の狩猟場を頭の中で思い描く。
「・・・・・・」
切嗣が事前調査で知った『ケイネス・エルメロイ・アーチボルト』という人間は生粋の魔術師であり、名門の血統と生まれ持った才によって挫折知らずの人生を歩んできた。そのプライドは非常に高く表の世界の人間が惜しみなく広げる『科学』などに『魔術』が負けるなど合ってはならない、そう考えている輩だ。
本人にその自覚があるかどうかは不明だが、切嗣によって手傷を負わされたケイネスの意識は間違いなく怒りに支配され、何があっても『魔術』で切嗣を殺そうとするだろう。切嗣はそう分析する。
一度標的を見失った経験を生かしてか、今は水銀による『索敵』を行わず、ただひたすらに破壊の限りを尽くして切嗣を追いかけている。
行く手を阻むドアは水銀の重みで叩き壊し、花瓶も絵画も家具も、壁と一緒に破壊しているようだ。さすがに床を壊せば自分を追えないので、足元を破壊する暴挙には出てないようだが、絶えず聞こえてくる破壊音がケイネスの怒りを教えている。
もしかしたら中にはセイバーとランサーの戦いの音も含まれているかもしれないが、それを確かめる余裕はない。
ケイネスが迫りくる廊下には幾つかトラップが仕掛けられており、ワイヤーをひっかければ設置した手榴弾が炸裂したり、カーペットの下に置いた地雷が敵を焼き殺さんと破裂したりする。
迫りくる破壊音が途切れない所を考えると、水銀の自動防御は健在のようだが。トラップの目的はあくまでケイネスを挑発する意図で作動させており、殺す為のモノではない。
お前が盲信する魔術はこんな近代科学の武器に貫かれたんだぞ。そう言葉なき声で語りかける。
治癒の魔術を施したり、止血したりしても、時間と共に『手傷を負わされた』という事実がケイネスのプライドを傷つける。魔術師特有の自尊心が屈辱によって上書きされていくだろう。
「舞弥、仕掛けるポイントに到着する。そこから僕は見えるか?」
「いいえ。私の位置からは死角になっています」
「・・・ランサーのマスターはこちらで始末する。引き続き、セイバーとランサーの戦いを監視してくれ」
「了解」
出来れば、これから行おうとしている攻撃の補佐を舞弥に行わせたかったが、不可能ならば仕方がない。切嗣は意識を切り替えて自分一人でケイネスを始末する方法を組み立てて行く。
大筋は既に戦う前から組み上がっており、ケイネスが城に入って来た瞬間からそうなるように導いてきた。
前には行き止まりの廊下、振り返れば今まさに角を曲がってこちらを発見したケイネスの姿があり、彼の足元には水銀の塊が歪な球形の形を維持しながら脈動していた。必死に抑え込もうとしている主()の怒りを体現しているようだ。
二人の距離30メートル弱。廊下の幅は6メートル余り。遮蔽物はなく、切嗣には退路はない。
予定通りだ―――。
「まさか同じ手が通じるなどとは思ってはいるまいな? 下種めが」
切嗣は左手に弾丸を再装填したキャレコ短機関銃を持って、右手にはトンプソン・コンテンダーを持って対峙している。はた目から見れば、なるほどケイネスの言うとおり『同じ手』に見えるかもしれないが、今、トンプソン・コンテンダーに装填されている弾丸は先程の30-06スプリングフィールド弾と同じではない、切嗣の切り札たる『魔弾』が装填されている。
「もはや楽には殺さぬ。肺と心臓を治癒で再生しながら、爪先からじっくり切り刻んでやる」
拳銃と言うのは持ち手の体調や精神状態に左右されず、常に強力な破壊をまき散らす強力な武器だ。しかしその反面、攻撃は常に限定されてしまい、銃弾を撃つという攻撃以外の方法を行えない。
そんな『科学の素人』であるケイネスが禍々しい笑みを浮かべながら一歩一歩近づいてくる。手に持つ拳銃を見ただけで銃弾を別の物に入れ替えているなど予測すらしていない歩みで、その隣に水銀の塊も並び迫る。
「悔やみながら、苦しみながら、絶望しながら死んでいけ。そして呪うがいい。貴様の雇い主の臆病ぶりを――聖杯戦争を辱めたアインツベルンのマスターをなぁ!!」
今だにアイリの事をセイバーのマスターと勘違いしているケイネスに思わず切嗣の口元が緩みそうになった。しかし意識はしっかりと獲物を捕える狩人のそれを維持しており、ケイネスが15メートルまで近づいた所で最後の狩りを実行する。
左手のキャレコ短機関銃を構え、言葉を交わす間もなく装填し直した50発の銃弾の嵐をケイネスに浴びせる。それは先程の状況の再現だが、受けるケイネスは先程と違い、自律防御に任せずに自分から動く。
「滾れ(),我が() 血潮()!!」
切嗣の左手が動いた瞬間、ケイネスは呪文を唱えて水銀の防御を展開した。先程はケイネスを中心にした球形の防御だったが、今回はケイネスの前に何十本もの柱―――いや、床から天井までを埋め尽くす刺を生やしたのだ。
密集した竹林の様に隙間なくケイネスの姿を隠す銀色の刺。それは飛来する弾丸の全てをはじき返す鉄壁を固持している。
おそらく渾身の魔力を注ぎ込み、水銀の防御力を格段に跳ねあげているのだろう。結果、廊下に生えた銀の林が切嗣とケイネスを両断しているが、別方向の防御は無防備になっていると思われる。
もし舞弥が城の外から狙撃できる状況だったならば、ここでケイネスの脳天に銃弾を叩き込めばそれで終わっていた。
切嗣は叶わなかった『もし』を切り捨て、右手のトンプソン・コンテンダーも前に構えて二つの銃を並ばせた。程なく50発の全ての銃弾が撃ち尽くされ、弾幕の嵐に隙間が出来ぬよう右手で引き金を絞って新たな銃弾を叩き込む。
その一撃は刺上に並び立つ水銀の群れも破壊する威力が込められている。しかしその弾丸が水銀の刺の一つに触れると同時に、一斉に全ての刺が銃弾を包み込んで一本の太い柱へと変形した。
強大な破壊力を誇る30-06スプリングフィールド弾を包んで止める。運動エネルギーの全てを水銀の巨大な重量によって押しつぶす。その見事な流体操作の魔術の手並みは、アーチボルト家が名門と名乗るに相応しい冴えだった。
ケイネスが全身全霊をかけて作り出した魔術。だがそれこそが狙いであった切嗣は、この瞬間に自分の勝利を確信する。
「坊やの起源は切断と結合、切って繋ぐ・・・。破壊と再生と呼ぶには些かニュアンスが違う。一度切れて結び直した糸は結び目だけが太く変わるだろ? そんな風に『不可逆の変質』という意味合いを込めてある」
「この弾丸には坊やの肋骨を粉状にすり潰して入れてある。これで撃たれた対象には坊やの起源が具現化する」
「こいつは魔術師には脅威だ、何しろこの弾丸に魔術で干渉すると坊やの起源のせいで魔術回路が壊れてデタラメに繋がる。魔術師として優秀であればある程、魔術回路は暴走しショートする。当然、相手は再起不能だ、魔術師としても、人間としてもね。これが坊やの霊装『起源弾』だよ。全部で66発――、大事に使うんだね」
一瞬すらなかった刹那の時、かつてこの弾丸を受け取ったその瞬間の光景が浮かんで消えた。
衛宮切嗣の大別は『火』と『土』の二重属性。詳細は『切断』と『結合』の複合属性。それこそが切嗣の生まれ持った魂の形、即ちケイネスの魔術目がけて撃ち出した『起源弾』の由来そのものである。
ケイネスは切嗣の銃弾から身を守る為、水銀に渾身の魔力を注ぎ込んで切嗣からの攻撃を防御してしまった。魔術によって切嗣の『起源弾』に干渉してしまったのだ。
結果、衛宮切嗣の起源『切って繋ぐ』に則り、ケイネスの魔術回路はズタズタに引き裂かれて全く別の形で繋ぎ直され、一秒前には存在した本来あるべき魔術回路の姿を別物に作り替えられてしまう。
絶叫よりも前に血反吐をまき散らし、全身の筋肉は痙攣し、歪に蠢く血管が顔の上に浮かびあがる。一瞬遅れて、柱上に展開されていた水銀が単なる液体になって床に零れた。
今のケイネスには初歩の魔術を行使する力すらない。いや、そもそも自分の身に何が起こったかを理解していないだろう。
自分の意思とは無関係に躍動する筋肉により、奇怪で不気味なダンスを強制的に踊らされたケイネスはそのまま水銀と自分が吐いた血反吐が広がる廊下へ突っ伏した。
再起不能。切嗣はその言葉を思い浮かべる。
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Side - ランサー
時は主()が魔術師らしからぬ風体の男を追いかけた所まで遡る。
アインツベルンに雇われたと思わしきその男はとても魔術師とは見えず。こと『聖杯戦争』に限り魔術を駆使した戦いにおいて我が主()が負ける姿など想像できなかった。間違いなく魔術の腕は勝っているのだから―――。
そしてマスターから仰せつかった『セイバーを殺せ』という勅命を完遂する為、セイバーとの一騎打ちを行う。
「我が主()は貴様の首級を望みだ、セイバー。今度こそ、獲らせてもらう」
「私は騎士として尋常なる勝負を挑むだけだ。ランサー、そう易々とこの首が獲れると思うなよ」
そして破魔の紅薔薇()と必滅の黄薔薇()を駆使した二槍での戦いが行われる。
セイバーは必滅の黄薔薇()により片腕の動きを制限されるも、魔力を噴射してその制限を補い、互角の戦いを演じた。
我が主()との戦いをあの男に任せたらしく、輝く宝剣を隠す風の結界は解除された。
見えぬ剣が見える剣に変わったが、倉庫街での戦いを再現するように、共に決定的な決め手を作り出せぬまま時間だけが経過していく。
だがこのまま戦い続ければ勝利するであろう予測はたった。
主()はマキリが完成させた本来の契約システムにアレンジを加え、サーヴァントとマスターとの間に本来ならば一つしかない繋がりを二つに増やし、令呪の縛りと魔力供給のパスを分割して別々の魔術師と結び付ける荒技を成功させた希代の術者なのだ。
この身を現界させている魔力供給はマスターの婚約者であるソラウ殿から行われており、扱える魔力の総量は他のマスターよりも格段に多い。
そしてセイバーは左腕の不利を補うため、魔力噴射で足りない膂力を継ぎ足して戦っている。倉庫街の戦いよりも余計な魔力を消耗しており、マスターから供給される魔力をこちらより多く使っている。
共に扱える魔力が有限であるならば、戦いに魔力を使わないこちらが有利。
剣を隠す風を使わない分、魔力消耗は減っているが、それでもこちらより多い。
無論、セイバーにもこちらの破魔の紅薔薇()と必滅の黄薔薇()同様に宝具があるのは判っている。
倉庫街の戦いで見せた超高速の踏み込みに使った風以外にも、別の宝具を持っているのは明らかだ。何せ相手は世に名高き騎士王―――その手に握られた金色の宝剣が『セイバー』の宝具だと強く訴えている。
油断は出来ない。戦いは一瞬の油断で死を招きいれる。敵を前にして気を緩めるなど相手にも自分にも失礼だ。
ただひたすらに槍を振るい、騎士として敵に勝つ。そう思いながら変幻自在の槍術を繰り出し、その攻撃をことごとくを捌くセイバーとの戦いに心が躍らせる。
倉庫街で見せた技は一度使った技なので、セイバーもそれに対処してくる。だから長槍である破魔の紅薔薇()を使うと見せかけてそれを囮とし、あえて必滅の黄薔薇()で攻撃するなど攻撃のパターンを更に増やして戦った。
それでもつき崩せない見えぬ剣の守り。時に破魔の紅薔薇()がセイバーの頬をかすめるが、必殺には届かず、二本の槍のどちらもセイバーには届かない。
どんな状況に追い込まれても騎士の誇りを貫いてきたのだろう。
どれほど危機的状況に陥ろうとも、その剣に全てを託してきたのだろう。
その小さな体で、どれだけの修練を積み、どれだけの苦悩を重ね、どれだけの力を蓄えてきたのか?
戦いの向こう側に騎士王の生き様が見えるようだ。
こちらも二本の槍も防御で容易に敵を懐に踏み込ませないが、後一歩が果てしなく遠く感じる。長期戦ならばこちらに分があると判りながら、それでもそこに至るまでの時間がとてつもなく長い。
「そんなにも愉悦だったか? セイバーとの競い合いは。みすみす決着を先送りにしたくなる程に?」
脳裏に一瞬だけ我が主()より責められた言葉が通り過ぎるが、それを否定出来る材料を持ち合わせていない。認めよう―――攻め切れぬ状況に歯噛みし、長期戦に持ち込まねば勝てないであろう状況でありながら、自分は喜びを感じている。
セイバーの剣技の冴えはこちらと互角、二本の槍―――長物の武器に対して長さで劣る剣一本で匹敵するその強さは見事の一言に尽きる。
こんなにも存分に戦える戦場はどれだけあるか?
こんなにも互いの力を引き出し合える戦場に巡り合えるか?
英霊となる以前の数ある戦いの中でも、こんなにも心躍る戦場は合っただろうか?
おそらくこんなにも騎士として戦える戦場は片手で数えられる程度だ。そもそも聖杯戦争という戦場に出会えた幸福を喜ばずにはいられない。
主()の為にセイバーを倒す。そう認めながらも、こんなにも強大で曇りなき闘志を誇る敵と戦える喜びがあふれて止まらない。
人外のパワーとスピードで駆使される宝具と宝具がぶつかり合う、倉庫街の再演でありながら、城と言う限られた空間の中で衝突の余波が周囲をどんどん破壊していく。速度は時間経過と共に早くなり、剣戟の音は間を置かずに鳴り響く。
最早、常人の目では追い切れぬ速度にまでこちらもあちらも入り込み、命を獲り合う瀬戸際にまで踏み込んでいく。
戦況は一進一退を繰り返す。何度も何度も繰り返す。
叶うならばこのまま一生戦っていたい。そう思ってしまうほどの接戦が続き―――、唐突にセイバーに向けた意識を強制的に引き剥がされた。
「な──ッ!!」
敵を前にして、互いの武器を合わせている時に他の事を意識を割くなど自殺行為だ。特に相手が自分の力量と拮抗している場合、隙を見せればそれは『殺してくれ』と相手に語っているに等しい。
これが武器を合わせている時だったなら、自分の命はなかっただろう。
一旦距離を取り、再び武器の間合いに踏み込もうとした、正にその瞬間だったからこそ、眼前の敵から意識を逸らしつつもセイバーからの攻撃を受けずに済んだ。
幸運なのだろう。
しかしここではない別の場所で起こっている事態はとても幸運とは言い難い。
「ランサー、どうかしたのか?」
唐突な戦闘の停止に思わずセイバーが問いかけてきた。当然だ、自分が逆の立場だったならば、いきなり敵とは全く別の方向を見るそのおかしさの真意を問わずにはいられないのだから。
そして自分が見つめる方向がホールの壁と天井の境目―――特に注目すべきモノなど何もないであれば、尚更いぶかしむ。
問いを投げながら、それでも宝剣を構えたままのセイバーに対し。同じく二槍を構えたまま、しかし視線は全く別の方角に向いたまま返す。
「――我が主()が危機に瀕している」
「・・・・・・・・・」
短く語られた言葉を聞き、セイバーはこちらが見つめる方向に何があるかを察したに違いない。
令呪の束縛によって結ばれた者同士であれば、どちらか一方が命に関わるほどの窮地に追いやられれば、気配が乱れてそれを察知する事が出来る。だからこそ、主()の窮地を―――あの魔術師には見えなかった男の勝利を感知する事が出来てしまったのだ。
自分が聖杯戦争への招きに応じたのは『主()への忠節を果たし、勝利を捧げる名誉を――』という願いを果たす為に他ならない。
故にセイバーとの戦いに心躍らせたとしても、主()が危機に瀕しているのならば救わなければならない。それはランサーとしての―――ディルムッド・オディナとしての存在意義そのものなのだから。
しかしその為には目の前に居るセイバーという名の障害を排除しなければならない。
令呪による繋がりがまだ主()の生存を伝えているが、敵が主()を瀕死に陥らせたのならば間違いなく殺すだろう。聖杯戦争とはそういうものなのだから。
主()が殺されるより早くセイバーを倒し。そして主()の元へとはせ参じて救助する。しなければならない。
出来るのか? 今まで、決め手に欠けて戦いを長引かせていた自分に、そんな奇跡が起こせるのか?
「ランサー」
迷う自分に向けてセイバーの声が届く。おもむろに顔を向けてそちらを見ると、何と構えを解いて剣を下げた姿が視界に入って来た。
黄金の宝剣は右手と一緒に下がっており、体勢は闘う者のそれではなくなっている。何の真似か? そう問いかけるよりも早く、セイバーが行動の真意を言葉にした。
「急ぐがいい。己が主()の救援に向かえ」
「騎士王・・・」
この場を見逃す、と―――。戦いは一時中断だ、と―――。構えなき姿がそう語っている。
淀みない声が意味を成して頭の中に飛びこむと同時にまず目を見開き、そしてセイバーはこのような形での決着を望んでいないと知る。
セイバーの行動は聖杯戦争のサーヴァントにあるまじき行為だ、自陣営の味方に対する造反も同然の判断なのだから。
「セイバー!」
「いいのです、アイリスフィール」
そのセイバーの決断を暴挙と受け取ったのか、セイバーのマスターであるアイリスフィール・フォン・アインツベルンと名乗った白い女性が声を荒げる。見ると、戦いの余波でホールは無残な有様になっており、まだ城の内部の形を保っているのが奇跡と思えるほどボロボロになっていた。
女性はすぐに物陰に隠れられる位置に立っていたが、セイバーを諌める為にその身をさらけ出している。
戦力を削る好機ではある。
しかし、セイバーが騎士として互いの決着を後に回すのならば、このような形での決着を望まないのだならば、同じ騎士として応じなければならない。
それが騎士の誇りだ。
自分達は聖杯戦争にサーヴァントして招かれた。しかし同時に自分達は英霊であり、騎士の誇りを貫く同志でもある。たとえ敵であろうとも、戦場に立つ上での譲れない信念がある。
こちらも武器を収め、女性から視線を外し、セイバーに向けて深く頭を下げた。
「――かたじけない」
「良い。我ら二人は騎士としての決着を誓ったのだ。共にその誇りを貫こう」
心地よい騎士の言葉を聞きながら、自らの体を霊体化して一陣の旋風へと姿を変える。向かうは己が主()が待つ戦場―――、今この瞬間にも殺されてもおかしくない絶体絶命が起こる場所だ。
あと一秒遅ければ主()は銃弾の雨に晒されて命を奪われていただろう。破魔の紅薔薇()を回転させて、襲い来る銃弾と主()との間に割って入ったランサーはそう考える。
主()の身に何が起こったかは定かではないが、礼装である『月霊髄液()』はただの水銀となって床に広がっており、その上に横になってビクビクと痙攣していた。
敵はこちらが現れると思っていなかったのか、現代の武器―――まだ余韻の煙を残す拳銃を構えたままこちらを見ている。その手の甲に刻まれた三画の聖痕を見返した瞬間、ランサーは敵の正体にたどり着く。
「貴様を串刺しにするのがどれだけ容易いか判っていような? セイバーのマスターよ」
一見すると目の前で銃を構える男は魔術師には見えないが、それでも手の甲に刻まれた令呪が聖杯戦争のマスターである事を教えている。
城のホールでは意図的に見せないようにしていたが、今は拳銃を構えているが故にしっかりと見える。
マスターであるならば、そうは見えずとも魔術師である可能性は高い。だからこそ主()に瀕死の重傷を負わせられたのだ。
男は動揺しながら自分を見ているが、氷の様な眼差しでそれを見返しつつ攻撃には出ない。まず救うべきは主()の命であり、敵の首級ではない。もしここで、この男の命を奪えば、それはこの場に導いてくれたセイバーの騎士道を踏みにじる事にもなる。
共に騎士としての決着を誓ったのだ。
破魔の紅薔薇()と必滅の黄薔薇()をぞれぞれ右手で束ね持ち、空いた左手で主()を肩に抱え上げる。それは無防備な姿に見えるかもしれないが、敵がサーヴァントでないならば恐れるに足らない。
心臓の鼓動が命ある証として動いているのを確認しつつ、床に広がる血反吐と主()の損傷を見比べる。
少なくとも見える地肌の部分には外傷らしいモノは見当たらず、衣類も何かの外的衝撃で破けたり千切れたりしていない。何か魔術的な攻撃を受けたのか、どうやら内側から体を破壊されたようだ。
これでは令呪によって自分を召喚する事も出来なかっただろう。
ただし、自分はランサーでありキャスターではない、魔術に関しては素人といってもいいので、それ以上何が起こっているかは判らなかった。
一秒でも早くこの場を離脱し、主()の婚約者であるソラウ殿の元に送り届ける。それこそがこの場で行うべき最善だ。
「俺のマスターは殺させない――。セイバーのマスターも殺さない――。俺も彼女もこのような形での決着は望まない――。ゆめ忘れるな、今この場で貴様が生き長らえるのは騎士王の高潔さ故であることを」
言葉に刺を込めてそう告げると、傍らの窓を突き破って城外へと身を躍らせる。
何者が襲いかかろうとも必ず主()を拠点にまで送り届ける。そう行動指針を定めながら、アインツベルンの森に降り立ち、キャスターが居たであろう場所とは別方向に向けて駆けだした。
急げ、急げ、急げ。
心が叫んでいた。