<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

スクエニSS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[31830] リリサたんLevel100(ドラクエ3 チートハーレム)「完結あとがき追加」
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/08/09 14:51

 まえがき(読み飛ばし可)。

 ドラクエ3が好きです。

 ロトの設定とか個性あふれるモンスターとか物語を彩る音楽とか可愛らしいドット絵とか、FC時代特有の凶悪なエンカウントとか一度洞窟に入ってしまうと、二度と出て来れないんじゃないかと思うぐらいおどろおどろしい雰囲気のダンジョンとか。

 というわけで、SFC版の性格システムとか小さなメダルとかすごろく城とかブーメランをはじめとした全体攻撃武器とかに馴染めないわけですよ。あのスルスル動く移動速度が許せないわけですよ。じめじめした白と茶色と黒で構成された洞窟をやたら高いエンカウントと大量にでてくる敵に怯えながら、あっちでもないこっちでもないとダンジョンを攻略する喜びがスーパーファミコン版には欠けているわけです。人食い箱に一撃で食いちぎられる喜びが欠けているわけです。画面内にキャラが横に六人も重なると点滅するところとかが足りないわけです。
 
 回顧厨の戯言として言ってしまうと、ファミコン版ドラクエ3で一番輝いていたのは魔法使い(女)なわけです。レベルアップ画面でじゅもんをひとつおぼえた、で、ステータス画面で覚えた呪文を確認するまでの一瞬だとか、MPが切れたときの絶望っぷりだとかが一番面白いところですよね。
 ファミコン版は、ブーメランなんてないしいばらの鞭も単体攻撃だわで、たいてい全体攻撃は魔法使いに任せることになるわけで、魔法使い(女)に装備を最優先に買い揃えていたような記憶とかしかないわけです。大金はたいて理力の杖を買ってあげて、あ、呪文撃ってた方が効率いいわと思った大昔の話。
 
 このゲームが発売された当時は、とてもこんな高難度RPGをクリアできるような年齢ではなかったので、何度もやり直しつつ、クリアまで三年ぐらいかかったような気もします。

 で、SSの話です。
 ゲームからなにを感じるかは人それぞれなのですが、ドラクエ3のSSを漁っていると、やさぐれた感じの勇者設定が多いなぁと感じました。
 それは流行りのひとつで片付けられるわけですが、意外なのは自分がずいぶんとショックを受けていたこと。それでなんかこんなことにショックを受けた自分に驚いた記憶があるわけなのです。
 
 だって、勇者の旅立ちというのは希望に満ち溢れていたはずだった。壮大な音楽に物語の導入部は、街の人間たちはお約束をひとつひとつ教えてくれて、アリアハンという街に息づく人たちに感動したことを覚えている。

 そういうわけで、この話は主に勇者の旅立ちとか存在理由とかを、最大まで肯定的に描くことをを決めています。

 それで、張り切って、モンスターの生態とかレベルの概念とか魔法の概念とか勇者の概念とかひとつひとつの国の設定とかをガンガン付け足していきました。
 想像力を邪魔する設定とかが基本的にないので、ドラクエ3は正直どんな設定でも付け足せるし無限に付け足せるわけですけど、どうやらやりすぎると話に統一感がなくなるっぽいです。

 はい。結局そこらへんの説明は最終的にすべて削ることになりました。

 結論。
 ドラクエ3は、ゲームの時点で世界観がすべて完結している。

 なにひとつ付け足さずに、プレイしている人の想像力でちゃんと魅力的に世界が表現できてるあたりが、ファンに長く愛されているひとつの理由なのですね。ドラクエ3の凄さを感じ取れました。

 なんかスーファミ版のファイアーエムブレム(紋章の謎)を思い出します。攻略サイトを隅々まで見てわかったのですが、あれって支援要素とかアイテムによる成長率補正とか、後のシリーズで初登場したと思い込んでた要素がなにげに全部入ってたりしたのにたまげた記憶があったり。

 だからといって、無駄がまったくないのもどうかと思ったので、主人公は設定を語るがてら商人にしてみました。経済の流れから世界観を表現できたらな、と。どうせヒロインは魔法使い(女)で無双することは最初から確定しているわけですし。

 そうやってできたものが、このリリサたんLEVEL1こと、このスーパードラクエ大戦です。

 しかしよく筆が進むと思う。
 大好きなゲームの世界を書くことは、やはり楽しいのだなぁと思いました。

 長い文章を読んでくれた方に感謝を。早く本編へ進みたい方は、本編へどうぞ。






[31830] 彼女が放つあらゆるものは、すべてが爆弾。
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/03/30 15:04





 イオグランデの極光が、天を灼いた。

 局所的ながら、太陽そのものに匹敵する爆発は、降下しようとしているヘルコンドルやキャットバットの群れを屍も残さず焼き払った。イオ系の頂点に君臨する最高位呪文のひとつが、イオナズン341発分のエネルギーを上空に炸裂させた。

 それがこの大戦のダメ押しとなった。
 たった一発の呪文の一撃だけで、魔王軍は、投入した戦力の三分の一を失うことになる。イオグランデ。最大最強の爆裂呪文であり、この世界において、彼女以外に使い手はいない。数万の軍団を一撃で叩き潰すその威力は、まさしく広域殲滅爆裂呪文の名に相応しい。

 地上にあるあらゆるものから影を引き剥がし斑模様を見せる球体が、爆縮しつつ弾けとんだ。
 上空に漂っていた雲をすべて吹き飛ばし、煙が晴れてきたころには、原型も止めず黒こげになったモンスターの破片が地に落ちていく。爆発に流され、放射線状に切り取られるように広がった雲だけが、破壊の爪痕を伝えていた。

 自分たちを襲った地獄のような光景が、戦意もなにもかもを奪い尽くす。
  第四次アリアハン攻略戦争に参加していた魔王軍地上方面軍は、たちまちに潰走状態に陥った。魔王軍の衛生兵隊が、前線にベホマをかけ続けているのだが、そんなものでは到底間に合わない。

 シャドーや魔導士たちが呪文による弾幕を貼っている。それらはアリアハン兵たちから見て遥か手前で着弾し、わずかに足止めをする結果を伴うだけだった。ほとんどの航空戦力を失い、獣族モンスターたちの援護も期待できないとあっては、彼らに戦果を期待することもできない。
 
 ならば――、と。
 前線を見ればどうかというと、キラーエイプやガメゴン、ごうけつぐまなどの獣族モンスターの状況は、さらに悲惨だった。
 混乱どころか、同士打ちを始めているものたちすらいた。野生の本能のみで理解したのだろう。あれに抵抗する以上、逃れられぬ死が待っているということを。
 
 恐慌に陥っているその場所を、レベル30台で固められたアリアハンの兵隊たちが追撃していく。ホーリーランスやはがねのやりが突き出され、稲穂を刈るようにモンスターの命が消えていく。数万同士の生命が互いに潰し合う戦場は、人間たちの一方的な狩場と化している。
 
 ――勝敗は決した。

 一度こうなってしまえば、あとは地の果てまで逃げ続けるしかない。
 今回から投入された魔王軍の飛船たちも、その優位性を発揮する前に叩き潰されている。

 力でなにもかもを奪おうとする魔王バラモスのアリアハン侵略は、さらに強い力によって砕かれた。力も暴力も恐怖も、そんなものではなにも奪えないと、この光景が証明している。
 
 アリアハンには、彼らを守護する最強の女神がいる。
 魔王軍の首魁である魔王バラモスも、彼女を打ち倒すこともできない。数万のモンスターを一瞬で蒸発させるなど、人が努力して到れる領域を超えている。これが可能なのは世界広しといえど、世界最強の魔法使いと呼ばれる少女、リリサ・カークシュタインのみ。









 そして、そこからの展開は想像した通りだった。
 言い換えれば定石ともいえる。敗走しているモンスターたちを守るために、一人の男はアリアハン軍の前に立ち塞がった。
 
 飛翔呪文を使っているのだろう。高度100メートルほど。戦場そのものを俯瞰できる場所にいる。全身を黒のローブで固め、立派なヒゲをピンと生やしている。青白い顔をした男だった。
 
 名のある高位魔族なのだろう。
 だいまどうから異種進化したモンスターだと当たりをつけてみる。本来なら、同じ場所に立っただけで震えが止まらないほどの威圧感を発している。

「ロニ・ガーシオン。この軍の総司令官にして、魔王バラモス様の右腕だ」
「リリサ・カークシュタイン。なんかこのアリアハンに住む、ただの宿屋の娘よ」

 リリサは欠伸を噛み殺した。
 燃えるような赤毛の美少女である。先日16歳を迎えて、その美貌はさらに磨きがかかってきていた。

 やる気なさそうな目つきが特徴的である。
 ツリ目がちの瞳を半分ほど開いている様は、それだけで世の中を180度ほどひねくれて見ていることがよくわかる。
 
 先ほど数万の魔王軍を纏めて殺戮したばかりの少女は、なんというかものすごくダルそうだった。さきほどのイオグランデで、最大MPの約三分の一を持っていかれているとはいえ、戦場の緊張感とは無縁のように見える。

 この時代で並ぶものもなく最強の地位にいるふたりの魔法使いは、百メートルほどの距離を置いて、向かい合った。
 バキ系を改良して生まれた音声伝達呪文(バルシオン)が、彼女のぼそぼそとした声を戦場すべてに届くように拡大している。そして、魔族の男は単純な声量のみでその効果に追随した。
 
「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よッ!! 我こそは今こそ世界最強の魔導士を討とうとするものなり。ロニ・ガーシオン、今、参るッ!!」
「おー、がんばりなさい勝手に」

 魔族の名乗りに、少女のやる気ない返事が戦端を開いた。
 ロニ・ガーシオンの両手から放たれたべギラゴンが、リリサが片手で放ったべギラマにあっさりと打ち破られる。
 
 レベルが違う。
 基本的な放出魔力量に、雲泥の差がある。

 さらに、装備の違いもあった。
 飛翔呪文に魔力の数割を喰わせ続けなければならないロニ・ガーシオンに対し、リリサの場合、身にまとっている空のトーガが、勝手に飛翔呪文をかけ続けてくれる。ここまで相手にとっての不利な条件が重なっているなかで、彼女は目の前の男がなぜ空中戦を挑んできたかまでに、思慮を巡らせるべきだった。

 ――空に一条の閃光が走った。

 まったく別方向から打ち出された閃熱呪文(ベギラマ)が、リリサを後ろから直撃した。空中にあって、彼女がよろめく。一回使い捨て、掛け捨ての呪文無効結界(マホステ)が、圧縮された熱のすべてを殺しきる。
 慌ててリリサは、背後を見た。が、なんの姿も見とがめられない。

「透明化呪文(レムオル)っ!!」

 伏兵。
 リリサはそこまでを思い当たった。
 背後に布陣し、このような状況に対応するために傍観していたアリアハン魔術兵団が動き始めた。リリサの背後を狙いすまし、火炎系や氷結系や真空系の攻撃呪文が、やっためたらに打ち出されている。

 ただの奇策だ。
 これだけなら、彼女に傷のひとつも与えられない。
 だが、敵の対応速度はそれを上回った。

 魔力強奪呪文(マホトラ)。

 あちらこちらから一斉に放たれたマホトラは、大呪文を連発して底をつきかけていたリリサのMPを、さらに深くこそぎ取った。

 おそらく、埋伏していたのはベビーサタンの集団か。
 彼女の魔力が、玉葱の皮を剥くように削り落とされていく。
 どれだけの魔力があっても、MPが尽きてしまっては、世界最強の魔法使いもただの人間と変わりがない。

 そして、光の帯が全方向から殺到した。
 べギラマとベギラゴンの光が網膜を焼く。詳しい数は数えられないが、閃光の数は二十を超えている。呪文反射障壁(マホカンタ)では、一方向の呪文しか防げない。呪文無効結界(マホステ)は、ただひとつの呪文しか防げない。残りの残存魔力量では、重圧(ベタン)系呪文での相殺もできない。

 仮に、彼女に向かって放たれる攻撃呪文が、イオやヒャド、ドルマ系のものであったなら、なすすべもなく彼女の命は尽きていただろう。

 だが、運命は彼女に味方した。
 
 リリサは残りの魔力量を概算し、そこからとるべき最善の手段を選択した。予測された爆発は起きなかった。放たれたベギラマとベキラゴンは、爆発も拡散もせずに、収束させられたまま彼女の周りを回転している。




   マホ・ブラウズ
「  収 束 呪 文  」




 術者目掛けて放たれたメラ・ギラ・バギ系の呪文エネルギーを自らの体に保持し、そのまま自分の呪文エネルギーを加えて打ち出す、禁呪と呼ばれるもののひとつ。

 これを使うのには、レベルもMPも、一掴みの努力も必要ない。
 必要なのは、数十の癖も威力も違うエネルギーを纏め上げる異常なまでのエネルギーコントロールと、放たれた術者の呪文エネルギーの悉くを握りつぶす、魔法使いとしての握力のみ。

「さようなら」

 勝者だけが持ちえる傲慢さをもって、リリサは不可視の魔物たちに別れを告げた。

「残りのMPすべてを注ぎ込んだ一撃。倍にしてお返しするわ」

 コントロールされた閃熱エネルギーが、リリサの右手に収束していく。
 彼女の周りを無秩序に巡る数十のべギラマとベギラゴンが、ただひとりの術者の命によって再構成されていく。精神集中を切らした瞬間、暴発したエネルギーはすべて自らに跳ね返ってくる。ともすればはじけ飛びそうな超絶的なエネルギー量を、彼女は才能だけで抑え込んだ。
 
 再練成。
 ――そして、励起。



 彼女の手のひらのなかで、光の塊は完成する。

 リリサ・カークシュタインは、終わりの言葉を紡いだ。
 世界が白く塗り変わる瞬間を、彼女は祈りとともに見届けた。
 








     ギラ・グレイド
「  広域殲滅 閃熱呪文  」

















 収束させられたエネルギー光が、魔王軍の残党に向けて打ち出された。すべては一瞬のできごとである。

 収束した閃熱エネルギーは、逃げ遅れた魔王軍ごと、すべてをなぎ払った。

 奴隷化した人間たちの、文字通り血を振り絞って造り上げられた魔王軍の飛船たちは、
ひとつ残らず海の藻屑と化した。飛船の外皮(エンベローブ)は貫かれ、中に入っていたヘリウムガスが暴発する浮力で飛船そのものをむちゃくちゃに掻き回す。カテナリーカーテンが引きちぎられたのが見えたのも一瞬、数キロに広がった破壊の帯は、直進しながらあらゆるものを塵とかえしていく。

 飛船の居住空間(ゴンドラ)にすし詰めにされていたトロル二百人隊は、活躍の場も与えられずに原子レベルにまで分解され、逆襲の機会をうかがっていたスカイドラゴンとスノードラゴンたちはなにもできずに光に呑まれていく。
 敗走しかかっていた魔王軍の後方部隊は塵と化した。山が消し飛び地面が抉られて、パッと見、ギアガの大穴と遜色のない圧倒的な暗闇が口を開けていた。

 リリサは身に纏った空のトーガの浮力にまかせて、あとは浮いているだけだった。すべてのMPを使い果たしているために、浮力調節もままならない。
 こうなってしまうと、抵抗力は普通の村人と変わらない。
 
『――呪』

 奈落のような、声がした。
 ありえない情景だった。ロニ・ガーシオンは、即死だった。死体も消し炭になって、生きている痕跡すら見つからない。
 
 その通り。
 肉体は滅んだ。

 ――ならば、魂は?
 
 ロニ・ガーシオンの怨念が、黒い霧となってシャドーの姿を形作る。バラモスへの忠誠心と執着が、魂だけになってもなお彼を現世に留まらせた。

『呪呪呪呪呪呪呪呪呪』

 自らの魂そのものを呪いと化して、黒い霧はリリサの体を被った。魂魄そのものに封じをかける魔封じの呪文(マホトーマ)が、彼女の全身を魂ごと拘束した。黒い雷のようなものに、リリサは全身を絡め取られていた。

 死者の魂が集まってきている。
 苦痛に喘ぐ彼女に、手を出せるものはいない。攻撃呪文は、リリサ本人を巻き込んでしまう。集まりくる屍の嘆き(ザラキーマ)に、彼女の生命力は確実に削られていた。このままなら、あと一分もせずに彼女の命は尽きてしまう。

 ――光が、空を駆けた。
 勇者アレルの唱えた神聖電撃呪文(ライデイン)が、リリサの体を透過して、纏わりついていた黒い霧だけを撃ち払った。














 ここまでが戦史に刻まれ、いつか人々の口の端に昇りながら誰もが思い返すことができる第四次アリアハン防衛戦争のすべてだった。
 
 リリサ・カークシュタインと後の勇者アレル・ロートグラム。この二人の活躍を余すところなく堪能できる、後の世まで長く語りづけられていくはずの英雄戦記。

 だが、世界はそんな英雄ばかりではなく、僕のようないわゆる普通の人間には、ここまで一方的な展開でさえ、まったく油断できないものがあるわけだ。
 
 そろそろ、僕の話を始めなければならない。
 僕がいるのはレベル10以下で纏められた義勇兵隊だった。新兵たちばかりであって、この戦乱の時代で、ようやく剣や槍を持ち始めた連中である。僕、ことアーサー・ヘベネルもそこにカテゴライズされる。

 僕の本日の戦果。
 キャタピラーが一匹。
 おばけアリクイが三匹。
 バブルスライム七匹。
 
 ――上は果てしないが、まあ赫々たる戦果ではある、と思う。
 ときたまリリサのバラまくイオラで半壊した敵の集団を狙って、愛用武器を突き入れていただけなのだが
 
 これだけやれば報奨金も色をつけて貰えるだろう。
 そこで、悲鳴が耳をうった。動揺が広がっていく。鯨波のように広がっていく悲鳴と混じり合う喧騒。
 
 ――グリズリーだ。
 
 ヤバイ。マズイ。おかしい。
 対抗するには最低でも完全武装したレベル20の兵士が必要がいる。
 
 数でなんとか押さえ込んでいるが、パワーとスピードとタフネスは看過できるものではない。あれ一匹だけで、素人同然の義勇兵隊は壊滅しかねない。僕は愛用武器である正義のそろばんを手に、戦場を駆けた。
 
 ――これは、誰でもない、僕の戦争だった。


 よって。 
 魔族と人類の存亡を賭けた死闘も、長い旅の末に精霊神ルビスの力が篭もった七つのオーブを使い、バラモス城への道を切り開く勇者の長く苦しい戦いの行方のすべても――これからはじまる本編にはまったく反映されることはない。

 このストーリーはアリアハンの片隅にある、ボロっちい一軒のよろず屋からはじまることになる。
 
 
 
 







[31830] スライム退治はもう飽きた
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/03/08 12:23

 
 



 



『馬鹿じゃないの、アンタ』

 グリズリーの痛恨の一撃で、右半身を原型を留めないほどめちゃくちゃに破壊された僕は、医療班の必死の介護によって、ギリギリ一命を取り留めた。
 
『鉄の槍を持ったレベル7の駆け出し商人が、グリズリーに挑む。うわーすごいカッコイー。頭からぱっくりといかれなかっただけマシよね。馬鹿の見本市みたい。生きてて恥ずかしくないわけ?』
 
 二メートルを越える大柄な体躯に、それに見合うだけの膂力。さらにそのグリズリーの異常なまでの速度に、僕の体はあっさりと宙を舞った。後方に運ばれてきたころには、蘇生呪文が必要かと担当神官が迷うほどのひどい有様だったらしい。
 
 あの第四次アリアハン防衛戦争から、すでに半月が経っている。何度も生死の境をさまよった挙句に僕を待っていたのは、とある少女からの辛辣なお小言だった。
 
 奇跡は起こらない。
 僕の体は、ベホマでも骨がちゃんとくっつかなかったらしく、僕は家での養生を余儀なくされている。
 近くに規格外そのもののような少女がいるせいで、自分でもなんでもできると勘違いしがちだった。
 
『どうせ、これが僕の戦争だ、とか痛いこと言いながら、自分から的になりにいくアンタの姿が目に見えるわね。是非その場に立ち会いたかったわ』

 中二病っていうのはあくまで中二病だと、彼女は付け足している。
 伝説の勇者とやらには、どうやっても届かないのだと痛感させられる。痛恨で痛感。ああ笑えねえよ。
 
『だいたいなにこれ。鉄の槍にヘンな十露盤(ソロバン)つけて、なにか意味あるの?』

 さっきから毒舌を吐きまくっているリリサが、僕の愛用武器を手をとっている。
 僕の愛用武器である正義のそろばんになんて酷い言い草だ。

「なにって、商業神ユミスの祝福を与えられた、あらゆる商人たちが憧れる正義のソロバン(レア☆☆☆ 攻撃力110)のレプリカだ。正義のそろばん(レアなし 攻撃力17)を使い続けることで、こう一人前の立派な商人になるという決意をだな」
『わかったわわかったわわかったわ』

 リリサは、眠そうな眼差しで、僕の話を打ち切った。

『わかったから、そこらへんの端っこでスライムでもつついてなさいよ』

 このアマ、いつか犯したる。
 それで、僕はさっきから気になっていたことをようやくリリサに問いかけた。
 
「――で、リリサ。さっきから変なボードで文字疎通しているが、なんで喋らないんだ?」














 リリサの話によると、僕の家(アリアハン郊外に存在するさびれたよろず屋である)に半月ぶりに顔をだしたのは、アリアハンの王城に軟禁されていたから、ということだった。
 魔王バラモスの右腕と自分で名乗っていたモンスターの魔封じの呪文(マホトーマ)が、未だにリリサ・カークシュタインの魔法力の大半を封じ込めているらしい。いずれ、半年か一年もすればいずれ効果は薄れていくという試算らしいが、今の彼女はつまりただの置物だった。
 
 この半月、さらに現在もアリアハンの王族や学者や神官たちが、全力でリリサにかかった魔封じをとく手段を探しているらしいが、なにもかも彼女を取り巻く黒い呪いに跳ね返されていたということだった。秘密裏に呼び寄せられたダーマ神官長のシャナクでどうしようもなかったらしいので、彼女の呪いを解く手段は、実質的に存在しないということになる。
 
 試算だと、レベル90クラスの解呪(シャナク)で、どうにかなりそうということらしいが、地上にそんな高レベルの神官はいない。

「ネクロゴンドも、落ちたか」

 僕は新聞の一面に目を通していた。
 あっさりとこんな情報が紙面に載るのも、アリアハンに住むすべての人々が、敵の侵攻をリリサがどうにかしてくれると信じているからである。
 
 魔王軍が日増しに勢力を拡大してくるなかで、アリアハンの防衛力の八割を担っているこの娘が使い物にならなくなるのは致命傷である。最高レベルの戒厳令が敷かれているらしいが、隠していてどうにかなるというわけでもないし、敵にはすでにバレているだろう。このままあのクラスの侵攻作戦があったら、アリアハンは根こそぎ灰燼と化す。

 さてさて。
 どうするのやら。

 リリサ・カークシュタン。
 ここであらためて、人の家に入り込んで惰眠を貪っている根暗娘について紹介しておこう。
 推定レベルは100ほど。たったひとりで人間のレベルを塗り替える規格外娘だった。
 ただし、現在マホトーマがかかったままで、呪文のひとつすら使えないただの置物と化している。
 
 子供のころからつきあっている俺から見ても、美少女の範疇に入るのだろう。赤毛のショートボブに、つり目がちの瞳が、高慢かつとっつきづらい印象を与えるが心配はいらない。彼女の場合、見た目と内面の印象はだいたい一致する。

 つまり性格は最悪ということなのだが。

 パーティーに入れる仲間としては破格中の破格であって、勇者とは本人の資質ではなく、彼女の口説き落とした者に与えられる称号であるとすらいわれていた。

 そんなジョーカーでありながら、アリアハンに32組いる勇者候補のうち、パーティーを組もうと誘いに来たのがたった4組であるというあたりに、彼女の壊滅的な性格が感じ取れるだろうか。

 さきほどから呪文どころか言葉すらも失って、もともとの根暗かつ高慢な態度に磨きをかけていた。いや、元からこんなだったような気もする。
 
 なお、彼女の現状としては借金まみれである。

 王様からの報奨金を見込んで、高価なマジックアイテムにせいれいせき(レア☆)や天使のソーマ(レア☆☆)、あまつゆの糸(レア☆☆)など、最高クラスのマジックアイテムを買いあさった結果だった。彼女の愛用武具である、かがやきの杖(レア☆☆☆☆)も空のトーガ(レア☆☆☆☆)も、国家予算に匹敵する巨額の大金を注ぎ込んで、開発されたものだった。

「思えば、コスパ悪すぎだな。さて、僕に考えがあるんだが、謁見の許可をとれるか?」
『どういうことよ』

 手にしたマジックボード(レア☆☆)にそんな文字が浮き出る。
 ボードに魔力を通すごとに、黒い電流のようなものがリリサの体を流れていく。呪文封じ(マホトーマ)による抵抗力が、呪文の練成を妨げている結果だった。
 
 直接手に触れれば、どうにかなるらしい。試しに売り物である理力の杖を使わせてみたら、普通に使えた。

「――不死鳥ラーミアを復活させる。よって、王様に謁見したい」
















「できれば加圧封入式にしたかったんだがなぁ。まあ、ガスでどうにかするしかないか」

 僕の提案は、王様に対して二つ返事で認可された。
 魔王軍が、飛船の建造に積極的だったのも、それを後押しした。あんなものを量産されたら、リリサ・カークシュタインを用いても勝ち目はなくなる。
 
『そういえば、あんた熱気球研究会とかやってたわね』

 バチバチと黒い稲妻に自分を感電させながら、リリサはボードに文字を浮き上がらせる。
 
 我々研究会の熱気球は、さきほどの大戦で物見に借り上げられ、そこそこ懐は潤ってはいたのだが、この際国家そのものをスポンサーにするという野望を全力で展開することにした。
 
 メンバーはすでに、リリサがギラグレイドで砕いた飛船の残骸を回収済みである。気球と飛船では大きさはまったく違うが、使われている技術はそう変わりない。ヘリウムの係数は1.4363であり、あとはそこから浮力を導き出すか考えればいい。
 
『この気球って、どんな仕組みになってるのよ?」
「なんだ、知りたいならどうか教えてくださいと言え」
『さっさと教えないよグズ』
「………………」

 このアマ。いつか必ず後ろからヒィヒィ言わせたる。
 
「基本は、魔法で織り上げた球皮の内部に、空気より軽い水素かヘリウムを入れて浮力を得る。望んだ場所に行くためには真空系呪文の力を借りるしかないのが実情だな。浮力を上げるには、積んだ石や砂を排出する。逆に下げるには、内部のヘリウムを上部から逃がしてやる』
『上部から逃がすって?』
「上部排出口に、滑車が繋がっている。これをリップと呼ぶんだが、下からロープを引っ張ると滑車が連動して、上部の排出口が開く仕組みだ」

 アリアハン兵士たちの奥様がたが駆り出され、研究会の会長にレクチャーを受けている。すさまじく高度な作業であって、部品一つとっても妥協も設計の狂いも許されない。僕が命名した、アリアハンの飛船『RAMIA(ラーミア)』は、いかなる困難のすえにも、不死鳥のようによみがえってくるだろう。
 
 もちろん、これは古代の言い伝え。勇者の時代によみがえるとされる、尾羽から金色の粉をまき散らしつつ飛ぶ神鳥の伝説から取ったものである。
 
『なんか、最初から墜落を前提にしてない?』
「うるさいだまれ」

 布ひとつとっても、裂けたときにこれ以上裂け目が広がらないよう、格子状に補強糸を練り込む必要がある。ゴンドラも衝撃吸収のために軽く丈夫な機材を探すところからはじまっている。

『それで? どうやって王様を説得したの?』
「まあ、新しい時代の戦術展開とかこれから出来上がる飛船が、根暗ポンコツ魔法娘に対して、どれだけ優れているのかを力説してきただけだが。具体的に言うと、前回魔王軍が戦場に投入した飛船が、どれだけヤバイ代物なのかとか」
『すごく狙いやすかったけど、図体ばっかりでかいし。すごく脆かったわよ?』
「あんなのでも、戦場の要所に陣取られたらこっちに打つ手がなくなる。ただ単に上空から爆弾岩でも投げ落としておけばいい。
 落ちただけで爆発して、軍隊が消えていくぞ。時間差をつけて、自己犠牲呪文(メガンテ)を唱えさせ続ければ、いかなリリサたんでも手の出しようがないだろう」
『リリサたん言うな』

 たったひとりが起こす奇跡など必要がない。ここにいる人間のすべてを結集して、魔王バラモスを打ち倒す。
 
 ひとりで、世界は救えない。
 今は違っても、これからはそういう時代が来る。
 
 これは――個人が戦場にて覇を唱えられた、最後の時代の歴史絵巻である。









[31830] 気ままなアリアハンでの、スローライフ。
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/03/13 16:03





『今夜は鍋料理なのよ』
「さいですか」

 どこぞの魔王の右腕との戦いのときに名乗っていたと思うが、リリサの家はアリアハン屈指の大きさを誇る宿屋である。王室御用達でもあり、看板に王家の紋章を刻印することを許されているアリアハンで唯一の宿だった。
 
 おかみさん(リリサの母親)は、言葉を失ってからさらに引きこもりがちになった娘を心配しているのか、食材の買出しがてら家から追い出したところなようだった。魔導士セット一式を家に置いて、彼女は久方振りに年頃の女の子らしい格好をしていた。
 
「アレルの出征式も近いだろう。正式に勇者だって認められるのは、今日だったか」
『めんどくさい』

 めんどくさいめんどくさいと手にしたマジックボードに文字が浮き出てくるが、おかみさんはこの娘と生まれたときから付き合っているわけで、対処法もわきまえている。食材を買ってくるまで帰ってくるなと言われて、リリサはぶーたれていた。

 勇者を決定する式典ということで、アリアハン王城までの沿道は、祭りを楽しむひとたちでごった返していた。
 両脇には屋台が軒を連ね、民芸品や粗雑な造りのアーティファクト、アンティークや飾り物などが売られていた。食べ物も無料で振舞われており、ダメな大人たちが昼間から地ビールを飲んでいる。
 ポップコーンやトウモロコシを焼く匂いが、なにやら食欲をそそる。
 本日の主役といっていい大道芸人たちが磨いた技を見せ、子供たちが精霊ルビスのコスプレをして街を練り歩いている。
 
 赤、青、白、黄などの紙吹雪が空を舞う。
 ありとあらゆる年代と人種の人々が底抜けの笑顔を見せているなかで、リリサはひとりスライムみたいにプルプルと震えていた。
 
『人ごみに酔った』
「あれは人ごみに酔ったというのとは違うだろう」

 街中を歩くだけで、さんざんリンゴ飴やブラッドソーセージやジェラードを押し付けられ、羽飾りや帽子やらなにやらで被せられて、リリサはボロボロになっていた。いろんな人々に純粋な好意を向けられて、いちいち対応しなければならない。
 人の感情に酔った、みたいな感じなのか。なのやら。

 リリサ本人に協調性はまったくないのだが、まがりなりにアリアハンの守護女神であることと、母親がここらへん一体の顔役を務めているので、彼女はそれなりに愛されている。

『王城が遠い。キメラの翼で飛んでいっていい? むしろもう帰っていい?』
「まだなにもやってないだろう。人付き合いは大切にしとけ。お前みたいな根暗娘と友達づきあいしてくれる、数少ないできた人間なんだから」

 あと、この人ごみでルーラなんて使ったら目立つぞ、と言い含めておく。

『そういうあんたはアレルになにか贈ったの? 勇者になったお祝いとか』
「くさりかたびらを贈ってみた。
 鎧は洞窟に潜ったりするときに邪魔になるだろうし、剣を肌までほとんど通さないように考えてみた。儀式礼装に着替えても、防御力を失わないように」
『あー、でも本人、サイズが合わないとか言ってたわよ。胸のあたりがキツイとか』
「あれ? 目算で採寸したとはいえ、僕、いままで寸法を外したことないのにな。まあ、くさりかたびらはミリの狂いで着心地がかわってくる。せっかくだから横着しないで、直接寸法をとってみるか」

 果たして、本日、話す機会はあるのか。
 式典会場は、人でごった返して近づけないほどだった。

 リリサは、人ごみも目に入らないようでなにやら考え込んでいる。

『アレルに渡した、くさりかたびらって、男物?』
「当然だろう。なんでわざわざあいつに女物なんて贈らないといけないんだ」
『んー』

 リリサは、なにやら考え込んでいる。手にしたマジックボードが『?』、『☆☆』、『でも』、『うーん』、『それだと』、『どうかしら』とかなんとか表示がめまぐるしく変わっていく。

 で、最後に『まあいいか☆』とか浮き出たところで止まった。考えていることが漏れているのだが、僕にはリリサがなにを言いたいのかさっぱりわからない。














 そのあとは門番の兵士がリリサの顔を見た途端に、トントン拍子で話は進んだ。貴賓席を用意するといった兵士の提案を断って、僕とリリサは立ち見をしている。

「あ、シノばあちゃん」

 八百屋のばあちゃんだった。
 鍋料理の具材を買うというミッションが最優先な以上、リリサの本日の最終目的地でもある。

「ああ、アーくんとリリサちゃん」
「こんにちは」
『こんにちは』

 マジックボードで返答を返すリリサに、シノばあちゃんは不思議そうな顔をしていた。どう説明するべきか困っているリリサの代わりに、僕が口を開く。

「ボードで会話するこの娘のことなんですが、ガルナの塔に一週間ほど篭もり、常人ではたどり着けない悟りの果てに、もしかして喋らなければ疲れないんじゃね? という悟りにたどり着いたらしいわけです」
「そういうことかい。ダメだよ。若いものがそんなことじゃ」

 おお、信じてくれた。
 その代わりに、リリサの機嫌は急降下した。
 シノばあちゃんの死角から、『あとでシバくから覚えとけ』という返答があった。
 
「あれ、ばあちゃん。宝石は?」
『あんたまた人を見るときに、アイテムから見てく癖やめなさいよ』

 シノばあちゃんは、いつも胸に宝石をつけている。
 そこそこ値の張る魔法石であって、本人によってはなによりも大切な、十年ほど前になくなったおじいさんの形見だという。

「うん。あれはね。王様に寄付したよ。今の時代、魔法石は貴重だから、私が持っているより国の役に立てるために使ってくれるだろうし」

 さらり、と――本当に、さらりと放たれた爆弾発言に、僕たちは一瞬息をするのを忘れた。

「だって――」
『あれ、唯一残ったおじいさんの形見じゃあ』
「いいのよ。私にできることはこの程度だもの。こんな老人が生き残って、若いものたちを死なせていくのは辛いんだよ。自分が、なにもできないのがなにより堪える。私も私にできることをしないと、死んだおじいさんに怒られてしまうわ」

 シノばあちゃんは声に震えも淀みもなく、そんなことを、言い切った。
 
 けれど、僕は知っている。
 僕たちは知っている。

 そんなはずがない。
 そんな軽いものであるはずがない。

 シノばあちゃんは、家族もなく長年連れ添ったおじいさんの墓を掃除するのを日課にしている。
 楽しそうに、まるでおじいさんが生きてそこにいるかのように、その日あった些細なことを語るシノばあちゃんの姿を、僕は何度も見たことがある。それを笑えるような立派な人間がいるのなら、是非僕に教えて欲しい。

 おそらく、シノばあちゃんの魔法石は、僕が提案した飛船ラーミアの素体構造を強化するのに使われる。僕があれを提案しなければ、そんな考えが心の隙間から忍びこんでくる。
 
 
 
 ――僕が、
 
 あのばあちゃんから、
 想い出を、
 
 ――奪った。
 
 
 
 目が眩む。
 ここで見ているというシノばあちゃんから、リリサの手を引いて、逃げるように、逃げ続けるように前に進む。

 後悔があるわけではない。
 だが。言葉にならない僕の考えを、隣のリリサが代弁してくれた。
 
『すごいね。あんな想いを背負うなんて、私には、絶対にできない』

 まったくだ。
 人一人の想いに考えを馳せただけで、全身が竦むようになる。そして、ここは勇者を任命する式典会場だ。全世界の想いを背負うことを宿命づけられたアレルは、今どんな気持ちだろうか?

『――強くなってもどれだけ魔法を覚えても、まったく、横に並べた気がしない』
 
 勇者アレル・ロートグラム。
 16歳。
 剣、魔法と共に人類トップレベル。
 かつての勇者オルテガの息子だった。式典の催しは、順調にプログラムを消化しつつあるらしい。王様や各国の来賓、この国の長老衆から激励の言葉が続く。驚いたのは、ジパングの卑弥呼女王が、わざわざこのために足を運んできていることだった。
 
「ジパングは、勇者を出さないんだったか」
『代わりに、武器でも渡しておくみたいよ。ロマリアかイシスあたりの勇者じゃなくて、アレルに全額張ることに決めたみたい』
「武器、ねえ」

 贈呈が行われ、アレルが観客に見えるよう、その刀の鞘を払う。
 ため息と感嘆が漏れた。
 
「――ああ」

 見ただけで、震えがきた。
 商人としての僕の鑑定眼が、いや、素人目から見てもそれが凄まじい業物であることを告げていた。曇りひとつない水に濡れたように光る刃は、それ自体に魔力が宿っている。――あめのはばきり(攻撃力110 キラーマシーンレアドロップ1/1024)、そう呼ばれているらしい、ジパングの宝刀だった。
 
『あんたね、レアアイテムを見たときに恋する乙女みたいな表情になるのやめなさいよ』
 
 リリサのツッコミも、目に入らない。
 あたりのざわめきを残して、式典は続く。そしてあとは式典のメインイベントを残すのみになった。
 
 
 
 最後に、アレルに対して王様からメダルが授与される。

 勇者としての身分証明に使うメダルである。
 これ自体には、何の魔力も破邪の力も付与されてはいない。それどころかマジックアイテムですらない。 
 蒼い宝石を嵌め込んだ外観は見惚れるほどである。メダル自体は、飾りとして置いておけば、部屋に彩りを与えてくれるだろう。
 
 だが、それに伴い与えられる勇者権限は、飾りでもなんでもない。
 
 高価なルラムーン草(レア☆)を呪法で精製された薬液に一年間漬け込んで完成されたものは、ちぎれた腕さえ一瞬で繋ぎなおす特殊な草となって店頭に並ぶ。それは薬草(売価ひとつ8000G)と呼ばれ、一般冒険者ではとうてい手の届かない高価な薬となっている。
 また、天然記念物に指定されているキメラの羽を潤沢に使ってできたキメラの翼(レア☆☆ ひとつ25000G)は、一度行った場所なら地球の裏にでも一瞬で移動することができる。

 このような最高クラスのマジックアイテムを、勇者は本人とパーティーだけが使える勇者特約によって、王家が指定した道具屋で(というか王家は薬草諸々をそこにしか卸していない)を、ケタを三つほど飛ばして買うことができる。8000ゴールドが8ゴールドになり、25000ゴールドが25ゴールドに変質する。
 
 同じように各国にひとつずつ用意された宿や武器屋等では、同じように相応の割引をうけられる。
 煌びやかな王家の威光と、外交におけるありとあらゆる責任と権利を委託され、他人の家のタンスを空けようがなにをしようが、その支払いと責任はすべてアリアハン王家が立て替えなければならない。
 
 アレルに与えられたメダルは、勇者を証明するものであると同時に、あらゆる無理を通す勅許状でもある。

 ――勇者という、人類の希望には、それほどの権限がある。

 戯れも悪用も、決して許されない。
 その国の勇者がひとつ道を踏み外そうものなら、その人物にメダルを発行した王とそして、その勇者を肯じたアリアハン国民すべての無能を、あまねく天下に知らしめることになる。
 
 ――だからこそ、勇者は尊敬される。
 
 アリアハンに住む者皆が歯を食いしばって、限界ギリギリまで高い税を収めている。これは市井に生きるひとひとりひとりの力を集めた、人類そのものの総力戦である。このメダルを持つものは、絶え間なく全世界の人々に勇気を与え続けなければならない。

 アレルは、その重さを、まっすぐに受け止めていた。
 青年団が結成した楽隊が、壮大な楽曲を奏でている。
 
 万歳、と観客の誰かが叫ぶ。
 勇者アレル万歳、と津波のように叫びは広がっていく。そしてそれは、ほどなく式典会場全体を揺らすほどの歓声に膨れ上がった。


 













「なんだ。くだらないことで悩んでるんだね。アレルは、人を信じることを知っているだけさね」

 拉致られた。
 拉致られた。
 ――拉致られた。
 
「ルイーダ姐さん。相変わらず人の悩みを一刀両断にしますね」
「うっさいよ。大人を舐めんな。歳を重ねればわかるよ。アンタみたいな十数年しか生きてないガキの悩みなんて、紙クズみたいなもんさ」
「さいですか」

 式典会場で、知り合いに拉致られた。
 ルイーダの酒場という国家運営職業安定所で、そこのボスにカウンター越しに説教を受けていた。人はそんなにいない。まあ、今日は祭りだからと納得しておく。なお、こんなのが国家公務員なあたり、世界はいよいよ終わりだと思う。

 なおリリサはあまり関わりあいになりたくないのか、隣でコクコクと出されたミルクを飲んでいる。一日に山と来るリリサに対するパーティーの誘いを断るのは、この人の仕事なので、この根暗娘はまったくこの人に頭が上がらない。

「じゃああんたら、オルテガさんが臆病者だの、魔王に対して尻尾を巻いて逃げたとか言う奴がいたら、どうするんだい?」
「リリサに言いつける。具体的に言うと、生きていることを後悔させる」
『丸こげにする。具体的に書くと、ロープで逆さにして教会のでっぱりにでも吊るしておく』

 ルイーダさんは、おもしろそうに目を細めた。
 
「そういうことさね。
 アリアハンのみんなは勇者って存在に敬意を抱いてる。十八年前なのに、勇者オルテガの偉大さは道ゆく子供で答えられない奴はいないぐらいだろ。あんたらみたいなひねくれて困っしゃくれたガキどもにもちゃんとそこらが浸透してるんだ。親御さんの教育がよかったんだろうねえ。帰ったら肩でも揉んでやんな」

 偉いのは勇者オルテガではなく、それを風化させず一言も責めなかったアリアハンのひとりひとりなのだと、ルイーダさんは言っている。

「父さんが偉いわけじゃない。尊敬すべき人は、歴史上でもなく伝説のなかでもなく、自分の隣にいるんだって。アレルは、そう言ってたよ。頑張りな。だれに後ろ指を刺される理由もない。あんたたち三人とも、人に誇れることをしてるんだって、みんなわかっているよ」
『姉御ー』
「きゃーすてきー、姉御ー」

 リリサが姉御に抱きつく。
 男前すぎて惚れてしまうかもしれない僕も、ついでに抱きついた。



「――ちょっとー。イイ話だけど、こんなんじゃ全然話が進まないジャン☆」



 なんか割り込んでくる知らない声があった。
 はて、ルイーダ姐さんの腰に抱きつきながら視線を巡らせるが、それらしき人影はない。こっちこっちという声に導かれるままに視線をさまよわせると、なにやら真正面にパタパタと羽をそよがせる妖精がいた。
 大きさは、僕の指先から手首まで、といったところだった。

「なんだ、この虫」
「うん。アーサー。あんたを拉致ってきたのはこのためだよ。婆ちゃんの代から、数えてはじめてだけどね。妖精から呼び出されるような奴なんて」
「待て、リリサじゃなくて。僕、か?」
「そう。あんた以外いなくね? アーサー・ヘベモル」
「僕、なのか」

 人の世俗にまみれて生きてきたので、妖精なんてファンシーな存在とはついぞ関わりがない。どっちかというと妖精を捕獲して闇ブローカーに横流しするような立場の僕に、妖精が降ってくる理由なんてひとつもないと思うのだが、はて?

 僕はパタパタ飛んでいるこの羽虫をとっつかまえて、とりあえず剥いてみた。

「え、なにこのジョーキョー。いきなり私の服を脱がせるとかいったいなにこれ。なんかありえなくね?」
「や、妖精って生でみたことないし。とりあえず隅々まで鑑定してみようかと」
「いやー、妖精虐待ー。おーかーさーれーるーっ!!」

 一分後。

「ああ、メスだった」
『ああそう、どうでもいいけど』
「ううっ、あたし汚されてね? 絶対今夜のオカズにされること決定じゃね? 男のリピドーを沈めるために使われる。ユミスさまたずけて。メイアはもうくじけそうじゃん』
「ひどい侮辱だ。僕がまさか、そこらへんに飛んでる羽虫の生殖器を見て興奮する異常者だと思われているとは」
「あれ、もしかしてあたしの扱い、虫と同ランクだと思われてね?」

 ぶつぶつと文句を言う虫の愚痴を聞き流していると、どうやら虫コロは最初の使命とやらを思い出したらしい。
 
「世界で一番商業神ユミスさまへの信仰が厚いあんたに、ユミスさまからのプレゼントを持ってきたじゃん。わーぱちぱちー。えいっ☆』

 ぼわっ、と転移魔法に伴う時空の揺れで、前方の空間がゆがむ。
 時空の向こうから呼び出されたのは、古い壷だった。
 
「珍しいね。錬金釜じゃないか」

 薬草を煎じたり、武器防具をより高位のものに生まれ変わらせるために使われるレアアイテムだった。この大国アリアハンにも、おそらくふたつぐらいしかない。ひとつは国家が所有し、もうひとつはリリサが使っている。

「なにか裏があるな」
『ぜったい、なにか裏があるよね』
「裏があるねえ。そんな気がするよ」

 タダほど高いものはない。
 僕はルイーダさんから煮えたお湯を貰い、羽をテープで巻きつけて飛べないようにしたあとで、ヒモで羽虫の四肢を封じた。

「ぎゃー。人の親切はそのまま受け取るべきじゃーんっ!!」

 本当に親切ならな。
 そもそも、商業神ユミス?

「それが一番の疑問点だ。神になったとはいえ、商業神ユミスは商人だぞ。タダでモノをくれるなんて、天地がひっくりかえてもあるはずがない」
「それただの偏見じゃね?」
「さあ、吐け。僕になにをさせようとしている?」
「し、強いていえば――」





「――世界を救ってほしいじゃんっ!!」





 ばたばたと拘束されつつ暴れている羽虫はそう言った。

 僕はリリサと顔を見合わせた。
 そして、俺はその返答として、ナイフでロープを一本切り落とした。

「え。なにこれ。意味わかんないじゃん?」
『残り三本』

 説明が必要なようなので僕はこの虫に対し、お望み通りに説明を始める。ロープは四肢を拘束しており、四本すべて切断されると、下に配置してある煮えたぎった熱湯にドボン、となる。

「さて、真面目な話をしようか。僕になにをさせたいって?」
「せ、世界を救って欲しいじゃんっ!!」
「なぜ?」
「ゆ、ユミスさまと他の四人の神様がケンカしたじゃんっ!! そ、それで地上で代行者を選んで、代理戦争をさせたいじゃんっ!!」
『そんなことだと思った』
「こんな小さな釜ひとつ抱えて、それと戦えとか? この釜に、どんな力がある?」
「どんなものでも作成できる錬金の釜じゃん。他の神さまの秘宝と並ぶ、五大秘宝のひとつじゃんっ。女神ユミスさまが常に全能力の三割を注ぎ続けている神代のアーティファクトじゃん。レアで換算すればレア9ぐらいで、地上に並ぶものなんてなくね、ぐらいの性能じゃん。オリハルコン(レア☆☆☆☆)もたいようのいし(レア☆☆☆☆)もこれに比べればゴミクズ同然じゃね?」
『えっ』

 リリサは、露骨に興味を惹かれたらしい。
 
「まあ、実際に試してみようか」

 ルイーダさんは、ぽいぽいと錬金釜の中に野菜やらなにやらを放り込んでいる。物怖じしないそんな姉御はとても素敵だと思うけど、ちょっとばかり自重してもらえないだろうか?

「こ、これはすごい」

 入れたものはごはん。ニンジン。ジャガイモ。豚肉。各種スパイス。三分待つと、なんととてもおいしいカレーができていた。光り輝くそれは、見ただけでどんな料理人の作ったものをも上回ると、それだけで判断できる。みただけで、ヨダレが止まらなくなってしまう。

 なるほど、たった三分で、おいしいカレーを作る能力、か」

「却下」
『ダウト』

 ロープを切る。
 残り二本。



「ぎゃー。使い方が悪いだけなのにー」











 神々の五大秘宝。

 ラティノスの指輪。
 この指輪をはめたものに、女神ラティノスの祝福が与えられる。
 装備した者に、バイキルト・スカラ・ピオラ・バーハ・インテ・マジックバリア・バイシルド・キアリク・キアラル・ベホマ・リホイミ・リザオラルをかけ続ける。永続効果のため、この効果は凍てつく波動によって無効化されない。
 また、自動蘇生(リザオラル)がかかり続けるために、この指輪の所持者は、戦闘で死ぬことができない。また、この所持者が死ぬと、復活するときにレベルとステータスがちょっとだけ上昇する。
 
 カヌーザの杖。
 死霊使いの杖。歴史に名を馳せた勇者、冒険者、魔王などを召喚させ隷属させシモベとする。制限時間などはなく、呼び出す対象に限界もなく、使用制限もないが、対象は生命活動を行なっていないためにそのままだと肉が腐り落ちはじめる。
 なお、蘇らせる対象は、杖そのものが決定するために、状況に応じた英雄などが出てくるとは限らない。
 
 メタタノークの本。
 この世の記録の断片。
 過去から未来に至るまで、ありとあらゆる種類の呪文が記録されているといわれる本。触れているだけで、記載されているすべての呪文を使うことができる。この本を装備していると、一歩歩く事に10ポイントMPが回復する。
 
 破壊剣ガルヌ。
 この世のあらゆる呪いを招き寄せるとされる剣。
 敵の弱点に突き刺さり、痛恨の一撃を与え、二回攻撃を強制する。敵の動きを読み取り、絶対の先制攻撃を可能とし、目に映る限り、その剣閃は距離を超越する。
 また、この剣は敵のHPではなく、最大HPに傷を負わせる。つまり敵は、減らされたHPを永遠に回復できなくなる。
 
 ユミスの錬金釜。
 商業神ユミスの祝福が与えられた錬金釜。
 材料を入れることで、おいしいカレーを作ることができる。
 
 







[31830] おとなとこどもと、おにーさんと。
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/03/19 10:59





『すごいクマね。もしかして寝てないわけ?』
「ああ、なかなか興味深いものがあった」
 
 流石に、カレーを作るだけの能力であるはずがなく、一晩丸々かけて弄り回したあげく、随分といろいろなことがわかった。
 
 錬金釜。
 アイテムとアイテムを掛け合わせて、まったく新しいアイテムを作り出す神秘のアーティファクト。例えば鋼鉄の鎧にまもりのルビーと祈りの指輪を掛け合わせることで、魔法の鎧を生み出したりできる。
 
 無から有を生み出すことはできないものの、アイテムの力をブーストすることで、人工的に伝説のアイテムを作成することができる。世界に数いる錬金術師が、一度を手にすることを夢見るアイテムであり、普通の錬金釜ですら売れば小さな国ひとつぐらいは買えるかもしれない。
 
 さて、このユミスの錬金釜なのだが、入れるものに制限がないのが特徴だった。
 あの小うるさい羽虫から貰ったレシピブックには、ほぼ一生かかっても制覇しきれないぐらいのアイテムレシピとモンスターレシピと食べ物のレシピと、魔法のレシピが記されている。

 宿屋地下に据え付けられたリリサの実験部屋を貸してもらって、今はちょうど夜が開けたところなんじゃないだろうか。
 リリサが朝ごはんを持ってきてくれたことからして。

 というか、地下だから当然として窓すらない。魔力光だけがわずかに揺らめいているなか、気づいたら丸一日篭っていたなんてこともありそうだ。こんな実験室に篭っているから、この娘はひきこもり気味になるんだ。

「なにかわかったの?
「そうだな。例えば――」

 魔法で仮死状態にしてあるスライム二匹を、ユミスの錬金釜に放り込む。
 材料の数によって、出来上がりの時間は異なる。材料がふたつなら、完成まで十秒もかからない。
 チンという音がして、出てきたのはただのスライムより、三回りほど大きなスライムだった。レシピブックには、『スライム+スライム=もりもりスライム』と書かれていた。

『うわっ、キモッ!』
「ピキーッ!」

 大きな体を撓ませて、リリサに襲いかかるもりもりスライム。
 カウンター。
 リリサが腰に差していた理力の杖が、もりもりスライムの顔面を痛打する。べちっ、と床にたたき落とされて、もりもりスライムは泡となって消失した。

「とまあ、モンスターの配合すら可能なんだが、でてきたモンスターは普通にこっちに襲いかかってくるせいで、あまり有用性はないな。配合したモンスターをあやつるのは、モンスターマスターの領分らしい」

 装備にも同じことがいえる。
 僕が伝説の武具など振り回せるはずもなく、錬金するのは消費アイテムが中心になるだろう。

『薬草でもつくる? バレないように』
「うーん。でもなぁ」

 アリアハンで薬草の密売は重罪であり、横流しして利益を得ていると判断された時点で、極刑が妥当とされる。
 薬草は特別なことがない限り王家により認可が与えられた店でしか買うことができない。それはつまり塩などと同じく、国が専売制を敷いているということなのだが。つまり個人が薬草を作った時点で、王家の利益を損なったと判断される。
 
『素直に許可もらってきたら?』
「それはそれで問題がだな」

 リリサの提案は、問題点が大量にある。
 もし認められても、問題ごとを大量に抱え込む結果になりかねない。
 
 アリアハンは、みっつの勢力により色分けされている。

 王家。
 長老衆。
 そして教会がそれにあたる。
 
 この三つは、明確にこそ敵対はしていないが、だからといって手を取り合うことは原則的にはない。それぞれアリアハン内で、利益を競合しあう関係だった。商売敵と言い換えてもいい。例えば、薬草が売れれば売れるほど、回復呪文の有り難味が減り、教会への寄付も減る。
 
 というよりも、大抵の国はこんなものである。
 
 国家と教会など、べったりとくっついているか、蛇蝎のごとく嫌いあっているかのどちらかだ。ルビス主義がさかんな国家で、教会の主義に呑まれた勇者が、かつてひとりいたらしい。旅立ちの際、国家より贈られたものが、こん棒と、たびびとの服数着、あとは100Gだけだった、なんて笑えないような説話もあったりする。


 アリアハンでは、ひとつ味方を作るなら、ふたつ敵を作る覚悟をしなければならない。勇者という存在がアリアハンで広く支持を集めているのも、この三つの利益のどことも競合しないからというのは穿った見方ではあるのだが、全面的に否定もできない。
 
 飛船ラーミアを提案し、長老衆の発言力を強めた自分としては、あまり国家や教会に隙を見せるわけにもいかない。

「黙っとくか」
『いいの?』
「いいんじゃね。どうせ証拠なんて出てこない」

 僕が手を振ると、煙を吹き上げて、錬金釜は影もカタチもなく消えた。所有者の意思ひとつで出し入れ自在なのが嬉しいところだった。

『あらまあ便利』

 リリサは、僕の新しい玩具を羨ましそうに見ていた。

『それはそうと、どれだけ使ったの?』

 リリサが両手に持ったマジックボードに、そんな質問が浮かぶ。
 入れるものがなければ錬金釜は使えず、てっとりばやく性質を把握するために、僕はリリサの実験室と、秘蔵のアイテムの数々を使わせてもらうことになった。
 使った消費アイテムは、それを妥当な金額に換算し、後で現金で支払うと約束していた。それで、僕が一夜で使い切ったアイテムというのはこちらである。
 
 花のミツ×3 
 清めの水×1
 ときのすいしょう×3
 かがみ石×5
 月の恵み×2
 夢見の花×5
 仮死状態になったスライム×4
 戻り石×4
 
「――、とこんなところか」
『よくもまあ、こんな遠慮なく使ってくれたわね。うん、出た。――75644G』

 僕の頬が、ピキッと引きつった。
 節度を守れば、一般家庭が数年暮らせるレベルの金額である。
 十年から数十年かけてローンで支払うことを決意するなら、無理なく返済できる金額なのか。

「もっとまからないか。僕を破産させるつもりか」
『うっさいわね。私が借金まみれなのはあんたも知ってることでしょうが。アンタがこと金の扱いについて下手をうつわけないし、ちゃんと返済するあてとかあるの?』
「ああ、あるぞ」
『へー』
「なんだ。その疑わしげな目は。せっかくプレゼントを用意してやったのに。できたアイテムがひとつある。口を開け』
 
 ――え?
 そういう形に開いたリリサの口に、僕は半ば無理やりさえずりのみつを流し込んだ。きちんと残らず嚥下したのを確認して、手にした力を緩めてみる。
 
「えほっ、えほっ。いきなりなにするのよ。って、アレ?」
 
 そこで、リリサは違和感に気づく。声が戻った。
 リリサは、あーあーあー、と喉の調子を確かめたあとで、恐る恐る、メラ、とだけ唱えてみていた。
 ボウゥ。
 小さな火が、リリサのてのひらのなかで膨れ上がった。
 
「戻った。――戻ったよう」
 
 リリサがぽろぽろと涙を零している。
 
 マホトーマは、きちんと解かれた。
 僕がユミスの錬金釜で錬成した、さえずりのみつの効力は、魔王クラスの呪いでもなければたちどころに解呪してくれている。
 
「ううう、よかった。なによ魔王の右腕とか。死を賭した呪いも、結局あんまり意味なかったんじゃない」
 
 ぐすぐすと涙をごしごしと拭きつつ、リリサはそう言った。
 
 ――けれど。
 果たして、それはどうか。
 自分をもっとも効果的に使ってくれる者の元に宿る。
 神々の五大秘宝の特性であるらしい。そして、そのうちのひとつ、メタタノークの本は、リリサ・カークシュタインの元に現れなかった。

「どうかなぁ。魔封じがかかっていたことで、メタタノークの本を手にする機会を逸した。リリサがこれを手にいれられなかったことで、もしかして歴史が違う方面に流れ始めてしまう、なんてことも考えられる。いまさら考えてもどうにもならない話だけれど」
「いいえ、なにも変わらないって、断言できるわよ。歴史なんて」
「ふぅん。その心は?」
「私のお零れをもらった魔法使いをぶちのめして、本来私のものになるはずだったメタタノークの本を取り戻せばいいのよ。誰も文句なんて言わないでしょう。元々私のものになるものだったんだもの」
「あー、そーですか」

 完全復調、なんて言葉がよぎる。
 リリサは、ようやく調子を戻してきているらしい。

「それはそうと、材料費分はこっち持ちで計上しておくから、あと59921Gね」
「もうちょっとまけようという気概はないのか?」
「じゃあ59920Gで」
「1G減っただけじゃねえかっ!!」

 待て。
 ぐー、と腹が鳴った。
 思えば夜からなにも食べていない。この根暗娘との交渉は後に回して、今は食べ物にありつこう。リリサが持ってきてくれた朝食を手を伸ばす。
 
 ふと、添えてある封筒に気づいた。
 
 おかみさんがなにかおつかいでも頼んできたのかと思って、手にしたところで正面の文字が目に入る。
 
 招待状。
 ――そう、書かれている。
 
 差出人の名は、フォーラ・バーゼルファル。
 
「知らない名前だな」
「って、バーゼルファル家の人間?」

 その招待状に書かれた名前に、リリサが飛びついた。
「世界でも有数のまほうつかいを輩出する、たしか今代で没落したランシールの貴族だったような。そこの一人娘だったはず」
「強いのか?」
「ううん。たしか、逆だったはずよ。バーゼルファル家歴代のなかで、一番の落ちこぼれだとか。それが没落の原因にもなったのよ。魔法適正(スキル)の継承は、失敗すると二度と取り戻せないし。血族の価値で財を築いたなら、それが失われたら没落するだけね」

 ふむ。
 イメージしづらいが、つまりはマホトーマがかかったリリサと同じような目にあったわけか。マジックアイテムの買い込みすぎで、借金が回せなくて信用を焦げ付かせてあっという間にすべてを失う貴族の姿を想像すれば間違いないだろう。
 
 金色の鷲の家紋が入った封筒の封を切る。
 
 さて、問題はなんでここにそんな手紙があるのか。
 中に入っていた手紙を開いて見てみる。リリサが、後ろからのぞき込んでいた。


 
『五大秘宝を得たもの同士、顔合わせのお茶会を開きたいと思い、ご案内申し上げます。なお、場所はバラモス城を予定しております。不参加の方は今からかけられる魔法に抵抗することで意思を表示ください。バーゼルファル家当主。フォーラ・バーゼルファル』



 そこで――

 ぐしゃり、と。
 視界が波打つ。
 
 移転(ルーラ)系呪文。
 
 いや、これはバシルーラか?
 
 それを理解したときには、僕の体は遥か遠くの地に転移させられていた。















 
 初めに目に飛び込んできたのは、壁に立て掛けられた天使と魔族の終末戦争の絵画だった。
 周りには等間隔に円柱が並び、気が遠くなるほどに長い絨毯の先に玉座が据え付けられていた。魔力で燃え盛る松明が光源となって、辺りに神秘的な印象を与えている。整然としていた。周りに万色の結界が張られ、悪魔の意匠がそこらかしこに置かれていた。
 
 見たことがない光景だった。
 
 大気が鳴動している。
 高圧の魔素が充満し、大気中に黄金色の飛沫を散らしていた。
 
「――リリサッ!!」

 いない。
 いるわけがない。あわよくば隣のリリサも巻き込むべきだった。あのときどうやっても手をつかんでおくべきだったという後悔がはしるが、もうすでにどうしようもない。やばい。明らかに危険極まりない。

 たったひとりでこんな場所に放り出されて、生きていく自信などあるはずがない。まだ砂漠のど真ん中か大海原にでも放り出されたほうがマシだった。
 
 僕は、おかみさんが作ってくれたおにぎりを、口に入れた。すりつぶすと口のなかで米粒がばらける。腹が膨れると少し落ち着いた。
 
 そうすると、辺りを見回すだけの余裕も出てくる。
 
「メイア。いるか?」
「はいはい。呼んだじゃん?」

 錬金釜の付属物である妖精の姿が、僕の前に姿を現した。まあ、ひとりでないだけマシか。

「今の現象を、説明できるか?」
「うーん。時空間転移みたいじゃね? 帰還呪文(リリルーラ)かと思ったけど、ちょっと違ったみたい。場所だけじゃなくって、時間に干渉された気がするような気がするけど、多分そんな感じ」
「は、はは。太陽が沈み始めてやがる。指定の場所、かつ指定の時間にまで吹き飛ばされた、ということなのか」

 歩く。
 どこともなく広い廊下を歩く。

 悪趣味なオブジェに目を奪われるが、こんなもの多分、誰もほしがらないために、美術的価値はゼロに近い。
 
 耳を済ますと、哭き声が聞こえている。
 はじめは風が建物の隙間を渡る音かと思ったが、突然、それを直感した。
 意味するものを理解して、僕は思わず吐きそうになった。
 
 壁一面の、顔、顔、顔、顔、顔。
 壁に塗り込められた人々の魂が、嘆きの声を発している。なんて悪趣味な。そして、僕は薄々と、ここがどこなのか分かり始めていた。
 
「――何者か。我が居城に無断で足を踏み入れんとする者は」

 場を制圧して余りある威厳。
 そして、その巨体から漲りあふれ出そうな絶大な魔力。
 紫の外套を纏った、一本角のモンスター。
 
 この世に存在するあらゆる生態系の頂点に君臨する。
 
 ――魔王。
 
「――バラモス、か」
 
 魔王と呼ばれ、常に恐怖と共に語り継がれる伝説の存在が、僕の目の前にいた。
 
 ――バラモス城。

 あの手紙の言うとおりだ。
 お茶会とやらを本当にやるつもりなのかもわからないが、敵の拠点のただ中に放りこまれたということらしい。バラモス城の噂は枚挙にいとまがない。ただ、わかっているのは、敵の本拠地として、異常なまでのモンスターの総数。そして、数万とも数十万ともいう人間たちが奴隷として飼われていること。
 
 城部分は、ほんの一部でしかなく、地下部分にはアリの巣状の広大な地下都市が広がっているということだ。

 脱走が繰り返され、そのなかの幸運なごく一部の人間がどこかの国に流れ着く場合があり、その様子は彼らの口から語られる事実のみでしか知ることができない。人質が傷つくことを恐れて、人類側は大規模な侵攻作戦をとれず、リリサが直接バラモス城にイオグランデを叩き込めない理由もこれで説明される。
 

 
 僕は戸惑っていた。
 誰の仕業かはわからない。ただ突然、魔王の前に転移させられて恐慌に陥ったわけではない。
 
 僕の心は波一つ立たない湖のように静かに落ち着いていた。
 
 僕の心を満たしていたのは、一種特殊な感情。生涯の友誼を結べる友達ができたような、そんな溢れるような感動だった。
 
 ――僕と同じように。
 魔王の居城で、辺りを見回しているのが、あと、三人いた。

 同種。
 資質に差はあれど、それぞれが神器に選ばれるだけのそれぞれの器を備えていると直感する。

「魔王というのも、この程度か。ならば、貴様らは少しは面白い余興を見せてくれるのだろうな」

 ひとりは、全身を漆黒の鎧に包んだ男。
 全身のフルプレートに包まれて素顔はよくわからないが、そこそこ歳はいってそうだ。三十代後半ぐらいの大男だった。僕は商人らしく、身に付けているアイテムから値踏みをはじめる。
 手にしている盾も、全身鎧も兜も首飾りも、すべてがレア☆☆☆☆クラスのものだった。そして、問題は手にしている剣だ。この世のすべての呪いを引き寄せるのではないか、そんな錯覚すら起こさせる。
 
 ――破壊剣ガルヌ。
 あれが、そうなのか。僕のユミスの錬金釜と並ぶ、神々の五大秘宝のひとつ。
 あれはマズイ。この世の悲嘆も嘆きもいっしょくたに、すべてを背負って男は立っていた。

「ねえ。ママが見つからないの。一緒に探してくれない?」

 もうひとりは、五、六歳のほどの女の子だった。
 相当に整った顔をしているはずなのだが、木の枝にひっかけたのか、ボロボロになった衣服を着ている。手や足に生傷が耐えないようだった。これは多分、長い間原生林かなにかをひとりで歩いていたんじゃないだろうか?
 
 諦観や諦めに染まりきった瞳がなぜか印象的だった。彼女はふらふらとしながら、生き物の骨で作られた杖に寄りかかって、なんとか身体を支えているみたいだ。
 
 ――カヌーザの杖。
 考えてみれば、幼子でも使えるような秘宝は、これしかない。本人の意思に関わらず、ただそこにあるだけで死霊使いの杖は十全に地獄を演出してくれる。
 
 向こうを見れば、ハープの調べが聞こえてくる。
 
「やあ、こんにちは。つまりは、ここにいる四人が互いに女神にパシらされる関係のお仲間ってことでいいのかな。よろしくね。僕の名前は、ルシル・コーティベル・サマンオサだ。サマンオサっていう国で王子なんてやってる。もう今日は仲間にあえて嬉しいなぁ」

 なんかカルい金髪の兄ちゃんだった。
 出会えた記念にと、祝福めいた音を鳴らしているあたり、なにも考えていないように見える。ただ、右手人差し指には、しっかりと金の指輪が嵌められていた。
 
 ――ラティノスの指輪。
 身体能力を限界まで引き上げ、不死を約束する女神の祝福を付与する、やっかいな秘宝のひとつ。
 
「つーか、僕はもう帰りたいんだが。僕だけパジャマ姿で呼び出されて、なんか間抜けじゃないか? というよりも、ひとり足りなくないか。メタタノークの本の所有者はどこにいる?」
 
 なんか順番に話していく流れらしい。
 魔王バラモスを目の前にして、ずいぶんな流れである。
 ここまできてなんだが、主賓であるメタタノークの本のマスター、フォーラ・バーゼルファルの姿だけがない。
 
「僕はあれだなぁ。庭園で薔薇の選定をしてたんだが、侍女から渡された茶会の招待状とやらを手にした瞬間、ここにいてね」
「ママを探してるの。ママはどこ?」
『うむ。我が主はまだ混乱しているようだ。説明は私が引き継ごう。我が主の境遇も、同じようなものだ。おかしな招待状に触った瞬間に、ここに飛ばされた。昼前で、森で木の実を探しているところだったかな』

 ケタケタと、カヌーザの杖の頭頂部についている頭蓋骨が声を発している。しゃれこうべの不気味な外見と違って、随分と社交的だった。
 
「メタタノークの本の所持者が、フォーラとかいうのに間違いないのか。早々に自分たち以外の秘宝所有者を噛み合わせて、あとは自分だけ様子見を決め込むつもりらしい」

 ならば。
 ここで、潰し合うことだけは避けなければならない。そんな僕の考えは、次の一言で完全に否定された。
 
「そこの青年は、ひとつだけ勘違いをしているな。どんな奸計を巡らそうが、相手が何人だろうと、早かれ遅かれ俺に殺されるということだ。ならば、その思惑に乗るのも悪くはないか。――いいぞ。三人がかりで」

 破壊剣ガルヌが開放される。
 あまりの魔力が大気を滑り、建物そのものが鳴動している。悪意が沸騰し、それが物理的な法則へと転じようとする刹那――
 
「貴様ら、我をおちょくっているのか?」

 数にすら入れてもらえない魔王バラモスが、両腕を広げた。イオナズン。両腕に集まった閃光エネルギーが収束しつつ塊を成す。
 
「ねえねえ、ママはどこ」

 あ、止める間もなく、カヌーザの杖をもった少女が、男とバラモスの前に割り込んでいた。虞風が薙いだ。バラモスの尻尾の一撃が、少女を打ち据えていた。
 
「――あ」

 少女の首の骨が、ありえない方向に捻じ曲がっていた。
 止める間もない。少女は魔王の餌になり下がった。内臓から下を噛み砕かれ、はらわたを喰いちぎられ、人形のように四肢をちぎり落とされた。
 
「ま、ま?」
『えー、テドンに帰ってママを探すよー。ミリティちゃんファイト一発だよー』
「なんだこのガキは、テドンの生き残りか。ならば、ママとやらもすでに生きてはおるまい」

 口の端に返り血を滴らせて、魔王バラモスは、くっくっと笑っている。

 ほんの一年前まで、ネクロゴンド大陸に、テドンという街があった。

 魔王軍の最初の標的となり、街は焦土と化したといわれる。
 バラモスがはじめたこの時代最初の侵攻作戦であり、人類すべてへの見せしめとした意味合いが強く、戦士も魔法使いも、そして抵抗するものも無抵抗なものも、女も子供も赤ん坊も、ひとり残らず命を刈られたと云われている。

 つまり、この少女はテドンの最後の生き残り。
 ああ、はらわたを生きたままかき回されながら、母の名前をぶつぶつとつぶやいている。簡単に想像できる。街を守るために、圧倒的な戦力差の末も、戦うことを決めた彼女の父と母。
 
 子供の元に、二度と帰れないと知ってなお、彼らは勇敢に戦ったのだろう。すべては消えない悪夢となってテドンという地獄だけが残って、あとは取り残された少女だけが残された。
 
「ねえ――ママは、どこ?」

 そこで、ようやく、そこにいる全員が異常に気づいた。
 少女は、腸を食いちぎられている。明らかに全身の半分以上の血液が流れ出ている。四肢など粉々に飛散した。
 
 ならば、
 なぜ――
 
 まだこの幼子は生きているのか。
 
「――あなたが、ママを奪っていったの?」

 首だけになった少女の声は、明朗に、玉座の間によく通った。

 ああ、そうだ。
 少し考えればわかる。
 
 生き残って、魔王軍の侵攻からただひとりだけ生き延びて、そして――いったいどうなるのか。果たして焦土と化した街で、誰の力も借りられず、母の手も引けない幼子が、どうやって生きていくのか。
 
 少女は、すでに死んでいる。
 自分が死んだことすら気づけずに、最後の母との約束にすがって。
 カヌーザの杖は、そのマスターを生きた死体として、操り続けている。
 
「ねえ、カヌーザさん」






「――こいつを、殺して」





 
『はいはいよー。おいでませ、『暗黒神ラプソーン』』

 異界の魔王の真名、なのだろう。
 本能的にそれが理解できた。高位の存在体系には、名前にすら魔力が宿る。聞いただけで全身が痺れた。およそ、人に与えられていいような名前ではない。
 
「なんだ。こけおどしか。なにも起こらぬではないか」

 横たわるのは静寂のみだった。
 一瞬だけ、カヌーザの杖から禍々しい魔力の光が立ち上ったのだが、なにもない。なにも起こる気配はない。

「――茶番は終わりということか。ならば全員ここで朽ちていくがよい。ふたたび蘇らぬように、そなたたちのはらわたを喰らい尽くしてくれるわっ!」

 そして、
 それが魔王バラモスの最後の断末魔となった。

 漆黒の剣士が、顎をあげた。
 視線は上へ。ぴしり、と世界が撓んだ気がする。

 天井が爆縮した。 
 衝撃の大音重に意識が攪拌される。天井だったもののカケラが降り注ぎ、数億数十億の石材の破片が地面へと注がれていく。
 
 襲ってくる衝撃波に身体をこわばらせながら、僕は歯を食いしばって耐えた。
 
 ――拳の一撃。
 理解してしまえば笑えるほどにシンプルだった。全長100M強の雲の巨人が、バラモス城の天井をぶち破り、そのまま右拳を目的に向けて落着させた。
 
 見えたのは、玉座の間に落ちた拳骨と、魔族の蒼い血だまりのみ。大魔王の身体をコナゴナに砕き散らし、魔王バラモスの生体活動は、永遠に停止した。
 
 
 
 
 ――――続く。

 
 
 
 
 
 
 



[31830] 空前絶後なバッサリ感
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/03/23 02:39








 雲の巨人の拳は、魔王バラモスの身体を一撃で打ち砕き、天井を崩落させた。
 
 バラモスは全身の骨を砕かれ、魔王と呼ばれたものの結末としては、あまりにあまりな結末を迎えた。
 
 だが、僕としては他人事として受け流すわけにもいかない。
 落ちてくる瓦礫の一欠片にでも当たれば、あれと運命を同じくすることになる。
 
 僕は、召喚したユミスの錬金釜を天へと掲げた。
 直上から落ちてくる数千数万の瓦礫の全てが、たちまちに錬金釜に吸い込まれていく。そのさまはまるで暴風のようで、下手な賢者や僧侶の使うバギクロスの威力を凌駕している。

 ユミスの錬金釜の特性のひとつだった。
 あらゆるものを吸い込み、無限の数を吸い込み続ける魔法の釜。そこに上限はないし、限界もない。リリサのギラグレイドもイオグランデも無条件で吸い込み、魔法すら錬成して跳ね返してくれる。
 
 そして、僕は天に錬金釜をかざしながら、他は三人はどうなっているのか視線を巡らせた。
 
 吟遊詩人の扮装をしているサマンオサの王子の対応は、よりシンプルだった。
 
 ただ、こう囁いただけ。
 
『――防御呪文(スカラ)×30』

 ラティノスの指輪が、ひときわ強い輝きを放つ。
 全身が淡い光に包まれたルシル・コーティベル・サマンオサは、落ちてくる瓦礫の群れに対し、ただ手を広げただけだった。

 瓦礫の群れが、避けていく。
 そうとしか見えなかった。正しくは、重ねがけされた防御結界にすべて弾かれているのだろう。凡百のまほうつかいが、ほぼ最初期に覚える初期呪文は、多重に重ねがけしただけで、恐るべき効力を発揮している。
 
 あんなもん便利すぎて、もうなにもいえない。
 
 ラティノスの指輪の効力を侮っていた。
 どれだけの強化呪文を使おうと、あくまでやっかいなのは不死の力のみで、攻撃に対しては、あくまで人の手により再現できる範囲に収まると思っていた。が、いまのを見ただけで、どれだけの応用方法があるのか、まったくわからなくなった。

 そして、破壊剣ガルヌの持ち主である漆黒の戦士は、さらにその上をいく。

 駆けた。
 雲の巨人を目指し、全身武装していると思えない速度で大地を蹴っている。歩幅が普通ではない。おそらくは速度強化ではなく、重力を操っている。
 重力系の呪文を、自らの手でアレンジしたその結果なのだろう。
 
 壁を駆け上がり、不自然極まりないアクロバティックな動きで、天井に空いた穴から雲の巨人を目指す。
 
 ――巨人に立ち向かうただの人間。
 その光景は、まぎれもなく英雄と呼ばれるものの姿だった。
 雲の巨人は、獲物を視界に捉えたようだった。圧倒的な破壊をもたらす拳が、もう一度振るわれた。
 
 威力など、今更語るまでもない。
 かすめただけで、人の肉体など粉々にされる、が――
 
 ――遅い。
 いや、速度など最初から問題にならない。
 
 はかぶさの剣の力を纏った二重の剣閃が、距離を超越し、巨人の右腕を斬り飛ばした。重なった二撃目が胴体を直撃し、巨人の体積の三分の一を吹き飛ばす。
 
 動きに迷いも恐れもない。
 異界の魔王との戦いも、男にとってはただの日常と違いはないのだろう。対象を殲滅する動きに、まったくの無駄がない。
 
 まるで、職人芸だな、と思った。
 なお、僕といえばはユミスの錬金釜から、吸った瓦礫を放出しているところである。なんでも吸い込めるのはいいが、もちろん入れたものは出す必要があり、その隙をあの漆黒の戦士が見逃してくれるとは思えない。

「隻眼?」
「――え?」
「あの剣士のことだよ。左目がくり抜かれていた。あの兜でわかりづらかったけれど」
「なら、つまり」
「そう。どこかで見たと思ったら、隻眼の剣士なんて僕の知る限りひとりしかいない」
「――カディオ・イルマか」

 吟遊詩人の言いたいことを、僕が引き継ぐ。
 
 子供でも知っている、世界最強の剣士の名だった。
 紙芝居や絵本やらで、男の活躍に目を輝かせた時期もあった。勇者オルテガと同格の神格化された四英雄のひとり。
 
 ――カディオ・イルマ。
 
 そう、名前をつぶやく。
 ダメか。
 
 錬金釜はピクリとも反応しない。

 本来ならば。
 吸い込めるはずなのに。
 
 錬金釜に直接吸い込んで、そのまま無力化してしまおうという僕の試みは無に帰した。

 人だろうがなんだろうが、このユミスの錬金釜に吸い込めないものはない。
 吸い込めさえすれば、そこらの瓦礫と混ぜて、石人間なんてものが錬成できるのだが。メイアから聞いたところによると、このユミスの錬金釜の前のマスターは、よくそうやって人を石像にして、自分の主催するオークションの目玉商品として売りさばいていたらしい。
 
 吸えないというのなら、その理由はひとつしかない。
 手にした五大秘宝が、商業神ユミスの力に反発しているのだろう。流石に相手を無条件で無力化できるようなうまい話があるはずがないと思っていたが。
 
 つまり、こちらの勝利条件のひとつは、あの五大秘宝を手放させることだ。
 
 アレらを手放させた瞬間、こちらの勝利が確定する。が、どうしても現実的ではない、という結論に行き着く。考えるだけむなしくなるような仮定だった。生命線である五大秘宝を手放すようなら、もうその命を好き勝手にできるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「僕に忠誠を誓うつもりはないか。我がサマンオサが世界すべてを呑み込んだ末に、君を十九番目の功労者として迎えてあげよう。たかが剣士ひとりに対して、十分すぎる報酬だろう?」

 吟遊詩人ルシルは、パチパチパチと今の漆黒の戦士の手並みに対して、拍手を惜しまなかった。
 王族に生まれたものの性質とでもいうのか。
 その言い方は、あまりに無礼だった。ほとんどの人間が、いや、ここにいる僕たち以外は、まずその態度を本気にはしないだろう。

 完全に、安っぽい挑発ととるのがせいぜいだ。
 ただ。同じ神器に選ばれた僕たちにはわかる。
 
 ――この男は、本気で言っている。
 
 気がふれたわけでもなく、
 精神に異常をきたしたわけでもなく、

 吟遊詩人ルシルは、本気で漆黒の戦士に対して、誘いの言葉をかけていた。僕は内心ちょっとグラリときていた。専用のハーレムとかを建設してくれるのなら、検討してもいいのだが、十九番目だとなんか無理そうである。
 
 無言のまま、二重の刃が閃いた。
 つまりは、それが漆黒の剣士の返答だった。
 
 必殺の確信をもって放たれた一撃は、本人の意思を裏切って、むなしく空を切った。
 
 放たれた衝撃波はただの一滴の血も吸えず、吟遊詩人の背後に大きな剣閃を残したのみである。
 
『速度強化呪文(ピオラ)×30』
 
 彼の残像だけを斬り裂いて、破壊剣ガルヌは空撃ちされた。

「――遅いよ。そんなつまらない技が、神器の持ち主に通じるとでも思っているのかい? 悪いけど、不死の指輪を持っているからとはいえ、ただの一度だって、殺させてあげるつもりはないんだよ?」

 漆黒の騎士を見下したままで、吟遊詩人ルシルはつまらなそうに呟いた。
 
 
 
 次の瞬間に、
 ――吟遊詩人ルシルの首は、宙を飛んだ。
 
 
 
「え?」

 なにが、起こったのか、横で見ている僕にもまったくわからなかった。
 首から上がなくなり、命令を遂行できなくなった身体は、そのまま前に倒れ付した。一瞬遅れて、盛大に噴水のような流血が飛び散り、出来た血溜まりに身体を沈ませていた。

「なん、だ。今の」

 やばい。
 分からない。
 目の前で起こったことに、なんの説明も付け足せない。

「――んー、多分、因果の逆転じゃね?」
「なんだそれ?」
「そのまんまの意味。避けられたという事実そのものをなかったことにした、みたいな」
「どっちみちヤバイじゃねえか」

 耳元で囁くメイアの考察で、状況は好転、するはずもない。
 僕は助言をくれた妖精に対して、隠れてろと一言付け足した。

 つまりは絶対に避けられないという呪いだということだ。
 そしてかすり傷でも与えられてしまえば、その傷は永遠に回復できなくなる。
 どう考えてもヤバすぎる。
 
 ――戦闘に特化した五大秘宝というのは、これほどまでに性質が悪いものか。
、 
「いやぁ。まいったなぁ。殺されるってのはこういう気持ちなのかぁ」

 リザオラルとベホマの祝福の光が、吟遊詩人ルシルの全身を包み込んでいる。切り落とされた首をコキコキと鳴らして、男は立ち上がっていた。流された血もすべて再生し終えたらしい。
 
「噛めば噛むほどに味が出るような男だな」
「それはどうも。褒められているということでいいのかな?」

 ふたりの視線が絡む。
 男がふたり、どこか深いところで通じ合ったらしい。
 
「――さて」

 漆黒の戦士は、こちらを見もしなかった。
 
 二重の剣閃が、僕の身体を切り刻んだ。
 
 灼熱の痛みが身体を駆け巡る前に、僕の意識はブラックアウトする。
 
 ――即死だった。
 もっとも、そうでなくともなにも変わらなかっただろう。破壊剣ガルヌで斬られたキズは、薬草もあらゆる回復呪文をも無効化する。
 
 これを無力化するためには、死霊使いの少女のように自らを死体と成すか。
 あえて一度死ぬことで、呪いの効力を無効化するか。
 
 もしくは――
 
「――いてえな、おい」

 再生する自分の身体を見るのは、実に貴重な体験だったが、もちろん二度としたいとも思わない。
 
 ふたりの男は、普通に立ち上がった僕に目を見開いていた。

「お仲間か?」
「まさか。まあ、神器に選ばれた人間が、こんなことで死ぬはずもないか」

 ――いや、死んだんだよ。一度は。
 ふたりが、僕の傷口を良く見ていれば、まるで時間が巻き戻るようにして傷口がふさがっていくのがわかったはずである。

 釜の付属物である妖精は、指示通りに仕事をこなしてくれた。
 おそらく、今は崩落した瓦礫の隙間あたりに身を潜めているはずである。

 メイアにあらかじめ持たせてあった『時の砂』は、僕の身体を三十秒前の状態に巻き戻す効力があり、何回使ってもなくならないという、レア5クラス相当のマジックアイテムである。
 
 他の神器への対策アイテムであるのだが、リリサに借金(59920G)までして、一晩かけて完成させられたのは、これひとつが限度だった。
 
 破壊剣ガルヌを無力化するには、時を巻き戻すしかない。
 だが、これはあくまで応急処置だ。ラティノスの指輪のように、無限の蘇生を確約するものではありえない。
 
 戻せる時間は最大で三十秒。
 つまりは、攻撃呪文でバラバラにされて、メイアが僕の死体を見つけるのに手間取ったら、それだけで終わってしまう。
 もちろん、あらゆる攻撃で破壊不可能な五大秘宝と違い、メイア本人か、『時の砂』そのものを狙われただけでこちらに打つ手がなくなってしまう。
 
 このように事故死を防ぐぐらいの役にしか立たない。まともに対策する時間がなかった。いや、時間があっても金が足りなかっただろうが。
 
「――、返して。返して。返して。あなたたちもあのカバ夫くんの仲間なの?」

 バラモスは、ついにカバ扱いされていた。
 ミリティと呼ばれていた少女の後ろで、カヌーザの杖のしゃれこうべがケタケタと笑っている。
 
 再び、大気が歪む。
 この世の法則が、掻き回される。
 
 新しく召喚された死体は、三体。
 
 バズズ。
 ベリアル。
 アトラス。
 
 それぞれが、シルバーデビル、アークデーモン、ギガンテスの上位種族だった。
 
「――目まぐるしいな」

 ぽつりと、僕は呟いた。
 このままだと、遅かれ早かれ死は免れそうにない。
 これはもう、死にものぐるいで牙を突き立てるしかない、と覚悟を決める。そもそもが突然斬りかかられて、一度は絶命させられて、なにもせずに引き下がれるはずもなかった。仕返しは、倍返しにすると相場が決まっている。
 
 ひとりの商人として、売られたケンカはきっちりと精算する必要があった。
 
 未だ姿を見せないフォーラ・バーゼルファルの姿も気にかかる。
 二度はおそらく通じない。
 
 だが、もうアレを使うしかない。
 
 錬金というものは、つまり突き詰めれば、人の進化。つまりは不死にいきつく。
 
 レシピブックには、アイテムなら進化の秘宝というアイテムについて、そして他にとってだが、人体錬成についてかなりのページが割かれていた。
 
 命を数式のみであらわし、正常な人間ならば見ただけで気が狂うか人そのものを呪うだろう。一目見て、吐き気がするほどだった。
 
 ほんの少しふれただけで、人の善悪がわからなくなり、世界に絶望するだろう
 
 僕が商業神ユミスに選ばされた道は、そういう道だ。
 
 錬金術師に英雄はいない。
 どこの戦史や英雄戦記も紐解いても、錬金術師が人を救ったなんて記述はでてこない。死霊使いにすら、いや畜生にすら劣るような職業は、歴史の表舞台に姿を表すことは絶対にない。
 
 レシピブックを見れば。
 当たり前のように、幼子の眼球×24とかが書いてある。それが錬金術師の正道だ。ゆえに正義なんてうたえるはずがなかった。

 ひとり殺せば、おそらくあとは転げ落ちていくだけだ。
 殺人の正当化がはじまる。人を踏みにじるだけの人生が始まりを告げる。そのすべての可能性を踏まえたうえで、僕は――

 

 ――このままこの機会を逃さず、ここにいる全員を鏖(みなごろし)にする決意を固めた。












[31830] 人間性を捧げよ?
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/04/01 08:47


 ――魔物と魔物の配合。
 
 神に届かんとする錬金術師たちの、そしてありとあらゆるモンスターマスターたちの夢物語。現代ではすでに失われた技術であり、とうの昔に伝承者は絶えたと云われている。歴史上に記録は残っていないが、おそらくはすべて太古の魔女狩りのように、狩り出されて殺されたのだろう。

 そして、その技術を現在に再現するのが、僕の持っているユミスの錬金釜の力だった。
 
 だが、課題はほど多い。

 漆黒の戦士カティオ・イルマと破壊剣ガルヌ。
 吟遊詩人ルシル・コーティベル・サマンオサとラティノスの指輪。
 少女ミリティとカヌーザの杖。
 そして――未だ見ぬフォーラ・バーゼルファルとメタタノークの本。

 この連中に生半可なモンスターを配合したところで勝てるとは思わないし、だからといって制御のきかない魔王級モンスターを解き放つことなど、自殺と変わりない。嫌になってくる。この世に絶望したくなるわこんチクショー。
 
「いつまでも、こんなキチガイどもの宴につきあってられるか」
「どうするじゃん?」

 打ち捨てられている魔王バラモスの死体は、まだかろうじて原型をとどめていた。

 魔王級と配合させられて、自我を保てるものなどいない。
 だが、それが死体ならば、最初から自我が抜け落ちているのなら、魔王とはいえその能力そのものの乗っ取ることは可能だろう。
 
「ちょ、マスター。人であることをやめるつもりじゃん? 本人の情報が書き変わったら、ユミスさまの錬金釜も使えなくなるし、二度と戻れなくなるじゃんっ!!」

 メイアが、僕にすがりついてくる。
 僕の考えは、変わらない。誰にも変えることはできない。僕は、彼女にそっと優しく、こう答えた。

「あん、そんなことするわけないだろうが?」
「は?」
「だいたい、僕がバラモスごときと配合したところで、最善の結果を引いたとしても最下級の魔王系モンスターが出来上がるだけだぞ。そんなんであの連中に勝てるとでも思ってるのか?」
「まあ、ふつーに考えて、プチッと潰されて終わりじゃね?」
「まあ、そういうことだ。錬金術師にとって、究極のパワーアップとはなんだと思う?」
「誰にも負けなくなることじゃん?」
「違う。自分の手を一切汚さず、一切傷つかずに一方的に相手をボコ殴りにできることだ」

 ――ユミスの錬金釜には、とある裏技が存在する。
 ある特殊な素材を掛け合わせることで、スライムをダイヤモンドスライムの位階(レベル)にまで引き上げることができる。

 魔物と魔物を掛け合わせると思うからいけない。
 この世界で定義されていない、まったく別の素体を入れてしまえばいい。僕は哀れみをもって、メイアの身体をつまんだ。
 
「――あれ、なんでこの話の流れで、あたし摘まれてるじゃん?」

 これからのおおよその展開を感づいたのか、メイアは震えていた。
 僕はそのまま錬金釜にぽいっと、メイアを放り込んだ。なお、昨日徹夜して、きちんと実験と検証は終わらせてある。

 自我も抜け落ちないことを確認してある。街ぐらい一匹で灰塵と化すことのできる最上級モンスターたちは、寝ている妖精とまったく同じ表情で間抜けにヨダレを垂らしていた。もっとも、魔王級で検証はできていないので、賭けの要素がないわけではない。
 
 なお、三回ほど試した結果はこんな感じである。
 
『スライム + 妖精メイア・ルア = ダイヤモンドスライム』
『大がらす + 妖精メイア・ルア = にじくじゃく』
『一角ウサギ + 妖精メイア・ルア = 闘神レオソード』

 釜が沸騰する。ユミスの錬金釜が、内部で暴発しかかっているエネルギー量に悲鳴をあげていた。
 僕が手にしたレシピブックが光り出す。
 新たなる世界を開く配合に、僕は全身が武者震いで震え出すのがわかった。

『魔王バラモス + 妖精メイア・ルア = オムド・ロレス』

 冥界の霧が晴れて、配合という概念の終着点にいるモンスターが姿を現す。
 魔王系モンスターの最上位種。

 いや、あえてこう呼ぼう。



 ――魔王神メイア・ルアは、ここに生誕した。
 














 ――メイアは、すでに人のカタチをしていない。
 
 メドーサボールとマジックミラーを組み合わせて巨大化させ、さらに数億倍おぞましくしたような、巨大な目のモンスターである。

 鏡と天秤と歯車が、なんともいえないデザインで融合している。生態系には決して存在できない機械的要素と、工業的なデザインでは決して理解できない生理的な嫌悪感を相まって、辺りに独特の威圧感を振りまいている。

 カヌーザの杖によって召喚されたバズズ、ベリアル、アトラスの三匹は、メイア・ルアが放った『れんごく火炎』によって、骨も残さず蒸発させられた。

「カヌーザさん。あれ、怖い」
『はいはーい。いらっしゃいなー。『オルゴ・デミーラ』『サイコピサロ』『デスタムーア』』

 流石に、少女もカヌーザの杖も、魔王神メイア・ルアに対して、手加減とか様子見とかいう概念はもちこまなかった。
 カヌーザの杖が召喚できる手持ちのなかでも、おそらく最強クラスの魔王系モンスターなのだろう。一匹一匹が、世界を統べる大魔王と云われて、器にも威圧感にもなんの不足もない。

 だが――

 放った『凍てつく冷気』が、大気ごとを三体の大魔王を凍りつかせた。
 魔王神メイア・ルアの全身が震えた。
 
 ジゴ・ブラスト。
 
 数千の雷の矢が解き放たれた。
 魔界より召喚された地獄のいかずちである。ジゴスパーク1160発分のエネルギーが雷の流星雨となって大地に降り注ぐ。

 三体の大魔王たちを、まるでアリのように踏み潰しながら、魔王神メイア・ルアは高く吠えた。

 最高クラスの異界の魔王が、まるで足止めにすらならない。身震いする。これで僕の実験結果が間違っていたら、間違いなく世界は今日終わりを迎える。

「思ってたより、数十倍凄まじいな」
『凄まじいですむかぼけーっ!!』

 巨大な一つ目の魔王神は、テレパシーみたいなものでこちらに話しかけてきていた。少女や吟遊詩人や漆黒の戦士も耳を抑えていることから、ここにいる全員に通じているらしい。

『愛らしいあたしのカラダが、こんな無残なことに。もうお嫁にいけないじゃんっ!! マスターを殺して、あたしも死ぬじゃんっ!!』
「――なんだ、元に戻れなくてもいいのか?」

 充血した一つ目をギョロリとこちらに向けてくるメイアに対して、僕は悪魔の取引を持ちかけた。
 懐に入れておいた虹色の珠を、これみよがしに見せつける。

「これは『戻り石(リサイクルストーン)』といって、アイテムやモンスターの種類に関わらず、配合前の状態に戻してくれるアイテムだ。四つ用意して、まあ昨夜三つまで使ったが、ちゃんと元に戻せることを確認している。
 最後のひとつなんだが、こちらを睨んでくる四人がとても怖くてなぁ、もしかしたら落として割れてしまうからもしれない」
『さ、最悪じゃん。魔王をアゴでこき使う最悪の悪党がここにいるじゃんっ!!』
「人聞きが悪いな。僕は商人として、まっとうな取引きをしようと言ってるだけなのに。ちなみにひとつ3000Gするんだぞこれ。リリサでも簡単に手に入れられないぐらいのレアアイテムなんだからな」
『う、うううっ』

 渋々と、メイア・ルアは巨大な一つ目を、残りの神器のマスターたちに向けた。あとは、勝敗はどうなるのかわからない。
 漆黒の戦士も吟遊詩人も死霊使いの少女も、手加減も出し惜しみもない戦争になるだろう。バラモス城の地下で働かされている数十万の人々には諦めてもらうしかない。
 下手をすれば、大陸そのものが地上から消え去るほどの死闘になる。

 だが――
 
 僕が腕飾りにつけていた、ももんじゃの尻尾がつい、と上を向いた。
 明らかに、片割れに反応していた。
 
 ももんじゃの尻尾。
 そういうモンスターの尻尾に似ていることから名前がつけられたマジックアイテムである。本当はなんのモンスターの尻尾を使っているのかは公表されていない。オスとメスの二組セットになっており、片方が片方に反応する。
 
 使うと、もう片方の居場所を指し示すだけのアイテムであるが、結局一度も使わなかった。というか、僕はもう付けてたことすら忘れていた。あいつこれ捨ててなかったのか。

「――リリサ?」

 ラプソーンが拳で開けた天井の穴から、少女が叩き落とされてきた。

 埃をまき散らしながら飛翔呪文で体勢を立て直す。
 魔術で練り上げたケープを身にまとっている。大陸で最もポピュラーな賢者の様相だった。リリサや僕と同じぐらいの歳で、屈辱にまみれたような表情で、頭上を睨みつけている。
 
 おそらくはこの娘が――
 
「さて、決着をつけましょうか。フォーラ・バーゼルファル」

 真打だ。
 本物の魔王だ。
 そんな空気を全身で表現しながら、リリサ・カークシュタインは愛機であるエフペケ(魔力放出型飛行用、魔法のホウキ)から地面に降り立った。

「あのね。――リリサ。なんでも暴力で解決はいけないよ。まず話し合いしようよ」

 あれ、アレルがいた。
 リリサのエフペケに二人乗りしていたらしい。勇者アレル・ロートグラムはよいしょ、と緊張状態にある僕らの中心まで歩いてきていた。
 
 背の低さを気にしている、中性的な少年である。
 この間ジパングの女王から貰ったあめのはばきりを背負って、高らかに宣誓した。

「勇者の名前を使い、この決闘をボクの名前をもって仲裁を宣言します。これに応じない場合、ただちに世界の敵として認定されることになります」

 アレルの非戦宣言に対して、漆黒の戦士はただ破壊剣ガルヌを握り直しただけだった。風切り音と共に、距離を超越する刃が、アレルを斬り刻む。

 その寸前に。
 はやぶさの力を付与された破壊の風は、アレルに直撃する寸前に跡形もなく掻き消された。
 呪いの力など、精霊神ルビスの代行者たる勇者に通じるはずもない。勇者アレルを取り巻く女神の祝福に、すべて弾かれている。

 極限まで高まった緊張は、解き放たれることでしか解決しない。こうして、一方的なアレル無双ははじまった。

 アレルは、漆黒の戦士までの距離を、二歩で埋めた。対応が間に合わない。漆黒の戦士は手甲を装備した両腕で全身を固め、

「勇者パンチッ!!」

 デインブレイク。
 
 ――防御はなんの意味もなく、全身をうち砕かれた。
 
 白い光を纏った勇者アレルの右拳が、漆黒の戦士の鳩尾を打ち砕いている。
 数十トンの衝撃に耐えられるはずの漆黒の全身鎧は、防御力の意味を成さず、紙細工のように砕かれる。

「暗黒系最終呪文(ドルマゲスト)ッ!!」
「勇者サンダーッ!!」

 漆黒の戦士の魔法に対抗するのは、アレルの神聖雷撃呪文(ライデイン)だった。
 相性差だけで、二ランク上の暗黒系最終魔法(ドルマゲスト)を一方的に蹂躙する。神聖な雷に全身を貫かれ、漆黒の戦士カティオ・イルマは全身から煙を吹き上げながら動かなくなった。

『あれヤバくね? なんでライデインでドルマゲストを打ち破れるじゃん?』
「あれはライデインではない。勇者サンダーだ」
『えっと、マスター。それどう違うじゃん?』

 僕はメイアのその質問に答えられなかった。
 あいつに関しては、すでに常人の定義を当てはめること自体が空しい。

『速度強化(ピオラ) ×100』

 そして。
 吟遊詩人の音の壁を突破した奇襲は、ナイフを持った右腕を掴まれて一呼吸で投げ落とされたことで、失敗をむかえた。

 呼吸投げ。
 掴まれたことで、ラティノスの祝福すら無効化し、そのまま床に叩きつけられる。
 
「か、かはっ!!」

 受身も取れずに背中から叩きつけられた吟遊詩人ルシルは、満足に息も吸えない有様だった。怪我はさせていないものの、呼吸もできずに地獄の苦しみを味わっているはずである。

 ラティノスの指輪の効力が、まるで働いていない。
 ただそこに存在するだけで、外れた理のすべてを正常に戻す。勇者という存在が、魔族や魔王の天敵と呼ばれる所以だった。
 
「馬鹿な。勇者が神々の代理戦争に介入してくる権利はないだろう。暴走する正義など魔王より性質が悪い。そうは思わないのかっ!!」

 ルシルはそこまで一息で言い切った。
 正論である。一言も反論しようもない正論だった。そして、それで力尽きたのか全身の痛みに耐えながら荒い息を吐くだけだった。

 なお、それに対し、アレルはかわいく首をかしげただけだった。頭にハテナが飛び交っている。果ては、僕に聞いてきていた。

「ねえ、アーくん。この人むずかしいこと言ってて、なに言ってるかわからなんだけど」
「とりあえず、無力化してから考えてみたらどうだ?」
「うん。そうだねっ」

 ボギッ!!
 
 ――耳にこびりつくような、骨の折れる凄惨な音がした。

 ルシルの左腕が、曲がってはいけない方向に曲がっている。四肢を砕かれ、もつれて打ち捨てられたパペットマンみたいな無惨な姿を晒していた。
 痛みに寝返りも打てずにもがくさまは、陸に打ち上げられた海洋生物のようである。エグッ。
 
 僕とリリサが、こいつには逆らおうとは思えない理由である。暴走天然勇者は、力づくで自分の主張を通して、今日もいい仕事をしたと自己満足に浸っている。たしかに間違ってはいないのだが、なんか一言言いたくならないだろうか?

「カヌーザさん」
『うん、あれやばすぎ。――無理』

 アレルの周りを旋回しているセブンスオーブが、あらゆる魔の力をかき消す結界を作っている。死霊使いの王の杖はすべての能力を剥奪され、ただの喋るだけの珍しい杖と化していた。

 そして、最後に残ったのは巨大一つ目モンスターではあるが。

『プルプル。あたし悪いモンスターじゃないじゃん?』

 ――おい、お前はもうちょっと頑張れ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 おおむね片付いてしまったようだったので、僕はユミスの錬金釜にメイア・ルアを吸い込み、戻り石を入れた。釜のなかで淡い光が満ちると、釜のふちに妖精の手がかかった。

『プリティーフェアリー。メイアちゃん大、大復活じゃんっ!!』
「あーはいはい。かわいいかわいい」

 僕は復活したメイアの顔のあたりを、人差し指でなでくりまわした。再び錬金釜の中に逆戻りする運命は嫌なのか、むぐーっとなって抵抗している。

 そして、残ったのはフォーラ・バーゼルファルだけである。
 メタタノークの本のマスターである賢者の少女は、白けたように言った。

「もういいわ。興が削がれたし、日を改めてリターンマッチといかない?」

 まあ、たしかにもうお茶会とかやる雰囲気でもない。
 そして、賢者フォーラとリリサは、一度本気でぶつからないといけないのだろう。ここからは、まったく僕には関係しない話だ。フォーラの提案に、アレルが付け足した。

「だって、リリサ。ちゃんと聞き分けてよ?」
「いやよ。元々私のものになるものだったものを取り戻すだけよ。そこに理由なんて介入する余地はないわ。そこの落ちこぼれさんは、さっさと本を置いて去りなさい」

 リリサは、あからさまにコミュ障っぷりを見せつけていた。
 こいついいかげん空気読めないよな。

「リリサ」

 ――僕は、この娘に一言だけ、言いたくなった。



「メタタノークの本は、お前を選ばない」

 

 僕なりに、考えて出した結論だった。
 
 五大秘宝に選ばれたひとりとして、そして短い間だが、本気で殺しあって芽生えたものも、そしてわかったことも少しだけある。最後にはアレルの乱入で茶番にまで落ちたこのバラモス城での死闘だが、その過程は僕になにも与えてくれなかったわけではない。

「どういうこと?」
「この五大秘宝の力は、人には過ぎた力だ。人の主張も信義もなにもかも、白を黒に塗り替えてしまう。それは本人の信念も才能も努力も、全部なかったことにするのと同じことだ。果ては、そいつ本人である理由さえ奪われるってことだろう」

 お前は自分の力だけで輝ける。
 他人の力や信念や主義を自分のもののように剽窃したうえで、自分自身を貶める必要はどこにもない。

「お前は自分の力でなんでもできる。だから、リリサ・カークシュタインにメタタノークの本は、必要ない、と、俺は思う」

 シン、と辺りが静寂に包まれた。
 それに、五大秘宝は、その人間の伸びしろと、どれだけ神器を効果的に使えるかでマスターを決定づけているらしい。だから、己の器を遥かに通り越した力を求めるフォーラ・バーゼルファルの元に降り立ったのだろう。

 ならば、最初から――リリサ・カークシュタインが選ばれるような道理はない。

 笑い飛ばされるのが当然の、そんな意見だと思う。そして、リリサは当然のように僕の意見は一息に笑い飛ばした。

「ねえ、アーサー。あんたの真剣な顔とか見てると、気持ち悪くなってくる」
「おいこら」
「そういうわけで、吐きそうだから今日のところはお開きにしてあげるわ。さっさと帰りなさいよ。目障りだから」

 ――伝わった、のか?
 リリサはフォーラ・バーゼルファルをしっしっと追い払う仕草をした。

「今日の屈辱は、必ず熨斗つけてお返しするわ」

 行くところないならうちにこない?
 死霊使いの少女の手を引いて、賢者フォーラはキメラの翼を天に放り投げた。



















「ボクはね、弱くても情けなくても、今のままのアーくんが好きだよ」
「っていうか、強いあんたとか想像つかない。多分、ものすごく気持ち悪いと思う」
「なんていうか、慰めてくれるのはわかってるが、せめてもうちょっと僕を労わる気持ちを持て」

 いつの間にやら、漆黒の戦士の姿はない。多分、キメラの翼で逃げ帰ったのだろう。

 そして、こりない男はもうひとり。

「問題はこの下にいる数十万の奴隷たちだな。食料の自給体制は整っているだろうから、おそらく干上がることはないだろう。我がサマンオサに任せたまえ。同盟国として、最善の対応を約束しよう」
「いや、そこは八箇国会議で決定されるところだろう」

 アリアハン・ロマリア・イシス・ポルトガ・サマンオサ・ランシール・エジンベア・ジパングの八国が、協議して対応にあたるのが普通である。

 ちなみに吟遊詩人ルシルが言った言葉には、あからさまな罠がある。
 
 吸収するでも属国でも植民地でもなく、同盟国というのがミソだ。
 監査官を派遣して、不平等な関税をかけ、事実上の属国として搾り取れるだけ搾り取るつもりなんだろう。

 世界征服の足がかりとしてちょうどいいとか思っていそうだ。

「というか、これはもうアレルがバラモスを倒した、ということでいいのか?」
「いいんじゃない? 誰も責任とらなさそうだし」
 
 リリサが乗ってきたエフペケを回収している。やれやれ、僕らはルーラの光に包まれ、飛び立っていく吟遊詩人ルシルを見送った。
 
 
 
「さあ、アリアハンに帰ろう」



 終わりと、さらなる伝説のはじまりを暗示するかのように、アレルの手からキメラの翼が天に放り投げられた。

 この一ヶ月後に、大魔王アスラゾーマが人類の抹殺を宣言するまで、とりあえず世界に、ほんの少しだけ微妙な平和が訪れるのだった。



 ――そして、伝説は巡っていく。






(五大秘宝編、了)











[31830] それが彼女の選択である
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/04/01 09:00

 ふと、自分以外の誰かの気配を感じた。
 朝なのだろう。カーテンから朝日が漏れてきている。

 眠りでばらけた意識を集めていく。寝起き特有の倦怠感を振り払うために、僕は数分の時間を使わなければならなかった。

 目を開くと、見知らぬ少女が僕のベッドにいた。

「――はい?」

 眠気が吹き飛ぶ。
 見ていて、思わずベッドから転げ落ちそうになるぐらいの美少女だった。腰まで伸びているくせっ毛でまとめられた金の髪。布団の上からでも、スタイルの良さは想像できる。

 この娘を自分のものにできるのなら――
 すべての財産をなげうっても、火山や滝壺の洞窟でリングをとってこいなんて言われても従ってしまう男たちは大勢いるだろう。
 
 どこかの亡国のお姫様だとか言われても、疑う要素はなにもなかった。

 なんだろう。
 状況がまったく把握できない。

 あれ、もしかして僕の人生において、これがハーレムルートのはじまりになるんじゃないだろうか、とか。

 どこかの姫君が悪の大神官に国を乗っ取られ、追ってから逃げる途中、僕の家でついに一歩も歩けなくなった、なんて妄想すら信じてしまいそうだった。

 ――少女は、目を開けた。
 う、ううんと喉から声を絞り上げ、少女はしぱしぱと目をこすりながら、僕の名を呼んだ。

「あれ? マスター、おはようじゃん」

 お前かよ。
 僕はいつのまにやら人型サイズに巨大化しているメイアの全身を舐めつけた。

「どこぞのお姫さまかと思ったぞ。なんだその格好は」
「あー、着るものなくてマスターのシャツ借りたじゃん」

 あー、盲点だった。
 まあうちにお姫様がやってくるなんて超展開が繰り広げられても困る。捕まえたカマキリとかカブト虫とかを飼ったとしても、顔面を正面から見る機会なんてまずないだろう。故にこいつの顔なんて把握してなくても、まったく矛盾はない。

「ちゃんと寝床用意してやっただろうが。むしろ自然に還れ妖精だろうがお前は」

 僕は部屋の棚のほうを指し示す。

 魚を二十匹ぐらい飼育できる水槽を、この妖精ひとりのために空けて使わせている。妖精といえば自然と共存できなければいけないと、底に園芸用の腐葉土を敷き詰め、止まり枝や餌台や広葉樹の葉などを設置してやっている。
 しかも一匹だと寂しいかと思って、同居人のカブト虫まで用意してやっている徹底ぶりだった。
 
 そこまでやって作ってやった住処を、この妖精は「ものすごく手間のかかった嫌がらせじゃね?」と切り捨てやがった。

「土で汚れるじゃんっ。植物が刺さって痛いじゃんっ。カブト虫の羽音がうるさすぎて眠れないじゃんっ」
「妖精にあるまじき苦情だな。せめてちゃんと寝床を用意してやった僕の心意気を酌め」
「だったら、マスターをモシャスで小さくしてあげるから、あそこで寝てみればいいじゃん」
「馬鹿いうな。なんで僕があんな寝心地が最悪そうなところで寝ないといけないんだ」
「心意気はどこ行ったじゃんっ!?」

 メイアはぎゃーぎゃーうるさかった。

「それでその格好はなんだ?」
「だって、マスターのベッドに忍び込むと、寝返りで潰される未来しか見えないじゃん?」
「それはそうだ。起きたら妖精の轢死体があったら僕も困る」
「モシャスでちょっと巨大化してみたじゃん。あと、マスターが人間扱いしてくれると思って」

 なんていう無駄に芸達者なんだこいつは。
 仕草が無駄にかわいらしいのがうぜえ。
 『賃金未払いを許すな』、『人間の扱いをしろ』、『命の価値を忘れるな』などのプラカードを立てて、僕に抗議をはじめていた。いや、むしろ錬金釜を貰ったとはいえ、働かされてるのは僕のほうだろうが。

「これであたしもお姫様みたいな扱いをされるじゃんっ!!」
「やかましいっ。さっさと脱げっ。元に戻れ」
「ぎゃーっ、おっきくなっても結局扱いが変わらないじゃーんっ!!」

 ベッドの上でドタバタ劇が繰り広げられているなか、元気よく扉が開かれていた。


「こんにちはっ。アーくん。いい天気だよっ」


 勇者アレルは、いつもながら暑苦しそうな格好をしていた。厚手の鎧は防御力は高いが、少し着膨れしているように見えるのが欠点である。

「って、――え?」
「よく来たアレルっ。こいつを押さえつけるのを手伝え」
「ぎゃー、助けて犯されるーっ!!」

 アレルの目に入ったのは、金髪の少女を押さえつけて馬乗りになっている僕の姿だったんだろうな、と思う。

「やかましい黙れっ。近所に聞こえたらどうするっ!!」
「ムグーッ、ムグーッ!!」

 ベッドにメイアをうつぶせに押さえつけて、頭を沈みこませて悲鳴を殺させ、動きを止めた。ずかずかと僕の間合いに入ってくるアレルは、なにやら顔を真っ赤にしてぷるぷると震えていた。

「勇者パンチっ!!」
「なぜっ!!」




















「はじめて人間らしい扱いをされたじゃんっ!!」

 僕はこの妖精の態度に戦慄を禁じ得なかった。
 こ、こいつ図々しくも自分が本格的に人間になった気でいやがる。

「あ、うん。服は持ってきてあげるね。あ、でも全部男物なんだけど、そこは我慢してね。うん、全部男物だけどね。うんアハハハハハハ」

 いつの間にかアレルがダークサイドに堕ちかかっていた。

「あれ、アレルさんなにがあったじゃん?」
「腹の調子でも悪いんだろきっと。おいアレル。便秘にはバナナが効くらしいぞ」
「違うよっ!!」

 朝食の時間である。
 僕の母親は、食卓のメンツが増えたことで、随分と嬉しそうだった。

「ボスから、呼び出しだよ」

 アレルは、ルイーダの姉御のことをボスと呼んでいる。
 なんていうか姉御はどう考えても勇者組織の大元締めであるので、僕はまったくその呼び方に異論はない。

「またかよ。姉御最近働きすぎじゃないか?」
「パーティーの誘いだって」

 ――僕を指名してくる。

 その時点で、相手がロクでもないということを証明している。

 前回呼び出された相手は、この妖精だった。
 魔王バラモスが滅ぼされ、アッサラーム資本のデパートでは連日還元セールが行われ、国そのものが戦勝ムードに湧いているなかで、僕を指名してくることのきな臭さを感じ取れないほうがおかしい。

「リリサの宿屋に泊まってるから、そこに向かってくれって」
「あの、それよりマスター。あたしの朝食、なんでバナナばっかりじゃん?」
「いや、スイカとかメロンとかキュウリとかか? 水分ばっかりで下痢しやすいからあまり与えるなって書いてあるぞ」
「マスターが読んでるそれ、カブト虫の飼育本じゃんっ!!」



 そんなやりとりがあったそののち。

 少しばかり寄り道したあとで、リリサの実家である『海猫亭』の一階はランチタイムを終えたぐらいだった。太陽も中天から少しばかり傾いてくるころであり、リリサの起き出してくる時間ともだいたい合致する。

「あらはー」

 見知った顔は三人ばかりいた。

 吟遊詩人ルシル。
 賢者フォーラ。
 死霊使いミリティ。

 嫌々ながら、改めて自己紹介を交わす。

 アレルを連れてきているので、今回は戦闘にまでは発展しないだろう。
 吟遊詩人ルシルなど、アレルの姿を見ただけでトラウマが喚起されたのか、食堂の隅でぶるぶると震えていた。

 壁画に書かれた賢者の姿を、あえて忠実に再現している。フォーラ・バーゼルファルは、ミリティ・コーレットに対して、じゅうじゅうと焼けたはなまるハンバーグを切り分けてあげているところだった。

「マスター。あれ食べたいじゃんっ!」

 五、六歳児と同じレベルのものを要求するこの妖精は一体。

 うるさいので黙殺しておく。
 食事中にもカヌーザの杖を手放さない良い子であるらしいミリティ・コーレットは、幼児のようにわめく妖精がかわいそうになったのか、ハンバーグをひと切れ食べさせてあげていた。

 五、六歳児に同情されて、ハンバーグを恵んでもらうこの妖精は一体。

 辺りの客は、複雑そうにそれを見ていた。
 傾国といえるぐらいの美貌をもった金髪美少女が、こんなみっともない姿を晒しているのが信じられないのだろう。

 ていうか、いいかげんモシャス解けこの虫は。

「お前の昼食は別に買ってきてやったから、そういうみっともない真似はやめてくれ。飼い主の僕まで品性を疑われる」
「え、なにか嫌な予感しかしかしなくね?」

 メイアは、とても複雑そうな顔をしていた。
 そうか、そう期待されると一時間並んで買ってきたかいがあった。

「ほれ。最高級のしもふりにく6ピースだ。魔物のエサの中でも最高級で、さらに揚げたてだぞ」
「マスター。どうして人間の食べ物を食べさせるって発想がないじゃん?」
「お前人間じゃないだろうが」
「――妖精さん、かわいそう」

 ぽつり、と死霊使いミリティ・コーレットは言った。あれ、アレルもフォーラ・バーゼルファルも、僕を責めるような顔でこちらを睨んでいる。

「どーだ。これでマスターの味方はいなくなったじゃんっ!!」
「それは誤解だ。いいかそこの幼女。この妖精さんはこれが大好きなんだ」
「そうなの?」

 くりん、とした純粋無垢そのものな視線で、ミリティ・コーレットはメイアに問いかける。さすがに、この問いかけを、幼女の夢を壊すようなことはできまい。

「――えっ、まさかの逆王手じゃんッ!!」

 メイアが悲鳴をあげて、アレルは「うっわー」とか言っている。なにげに、今起きたらしいリリサが、寝巻きのままで湯を張り替える前の浴室に向かうのが見えた。

「ううっ、じっくり見られてると食べにくいじゃん」

 揚げたての魔物のエサ(しもふりにく)は、さすがに一ピース40Gもすることもあって、きらきらと油に輝いている。

 そこらの道具屋で売られている二十キロパック200Gの魔物のエサと、根本的な違いがあった。

「あれ、これけっこううまくね?」

 当然だ。
 これ以上のランクを望めない最高級品だぞこれ。
 ユミスの錬金釜でも、これ以上のものは錬成できない。魔物ショップのおばちゃんが毎日手作業で二十年間揚げ続けてきた愛情は、ユミスの錬金釜の神性すら上回る。

 がつがつがつがつばりばりばりばりばりもぐもぐもぐもぐもぐもぐごくんっ!!

 犬歯をむき出しにして、口に入れた骨付き肉を骨ごと噛み砕くメイアを見た周りの客が、なにか見てはいけないようなものを見てしまった気になって、あからさまに視線を逸らしているのがわかった。

 うん。やはり僕の見立てに間違いはなかった。
 妖精とかじゃなくて魔物の仲間だこいつ。













 吟遊詩人ルシルは、勇者アレルに対して微妙な距離をとっていた。前回の全身の骨を砕かれて生きたパペットマンにされたことが、まだトラウマレベルで精神に刻まれているらしい。

「それで、アーくんを呼び出した用事はなに?」

 いつまでも話が進まないのはアレなので、アレルは賢者フォーラに本日の要件を切り出した。

「いえ、ユミスの錬金釜の所持者に用事があったわけではないんだけど、彼を呼び出せば、あなたたちのどちらかはついてくるかと思って」
「ボクと、リリサに用事があるんだね」
「ありていに言ってしまえば、そうね」

 フォーラ・バーゼルファルは、アレルの全身を蛇のような視線で貫いた。

「――やっぱりあなたには早々に消えてもらいたいなと思って」
「やる気?」

 アレルの所持しているセブンスオーブが、外界からこのテーブル周りだけを切り離した。ここではアレル以外の神聖も魔力も行使できない。五大秘宝の力は、なんの意味もないものに成り下がる。

 詰みだ。
 が。
 この状況に陥っても、フォーラ・バーゼルファルは微動だにしなかった。



「――勇者、オルテガ・ロートグラムは生きている」



 ただそれだけの手札で、フォーラ・バーゼルファルは勇者アレルの戦闘意欲も、なにもかもを奪い去った。

「どういうこと?」
「そこのエビルワンドさん情報よ。最初のプランとしてはあなたの天敵として、勇者オルテガをぶつけようとしたんだけど、どうも呼び出せないらしいの。勇者の祝福はすでにあなたに移ってしまっているし、死んでいるなら呼び出せないはずがないわよね」
『マジだよ。ワシ嘘つかないもん』

 エビルワンドのカタチをとっているカヌーザの杖が、ちょいワルを演出していた。

「じゃ、あ、父さんは」
「生きているわ。私の千里眼呪文でも見通せない以上、多分、アレフガルドにいるはずね」

 十数年前、アリアハンの勇者オルテガは、ネクロゴンドの火山で消息を絶った。
 それが生きている彼を見た最後であり、ずっと消息不明とされていた。いや、アレルは懸命に父親の死を認めなかった。

 それが、勇者オルテガが地下世界にいて、大魔王アスラゾーマとの決戦に臨もうとしている。

 待て待て。
 なんだそれは。

 地下世界とか大魔王アスラゾーマとか、初出の単語がぞろぞろと出てきて、なにひとつ整理しきれない。父親の生存を知らされたアレルの混乱は、それ以上だろう。

「今日は、それを伝えにきただけよ。私たちの決着は、あなたがいなくなったあとで、ゆっくりつけさせていただくわ。どうしようもないわよね。あなたは勇者で、世界的な危機を救わなければならないんだもの。

 ――もちろん、重ねて言っておくと、大魔王アスラゾーマは強大よ。あなたならともかく、勇者の祝福の切れたただの人間が、立ち向かえる相手じゃないわ」

 アレルが、ドサッと椅子に腰を下ろした。
 いや、上下すらわからなくなって、糸の切れた人形のようになっているといった方が近い。

「てめえ」
「勘違いしてもらっては困るわよ。私は親切に教えてあげているのよ。きちんと選ぶべきね。『――あなたは、どちらを切り捨てるのか』を」

 その言葉は、なぜかアレルではなく、僕に言ったように聞こえた。

「――そして、言うまでもないことだけど。リリサ・カークシュタインに決闘を申し込むわ。断ってもいいけど、そうなったら、『この嫌がらせ』を毎日やり続ける、とでも伝えておいて頂戴」

 視界が歪む。
 座標を吹き飛ばされる浮遊感が全身を襲う。

「またこれかよっ」

 僕がバラモス城に飛ばされた移動系呪文だ。術者の思い通りの場所と時間を指定して、対象者を飛ばすルーラ系呪文で、僕の体は強制的に転移させられていた。





















 おい、まさかレイアムランドとか、さっき聞いたばかりのアレフガルドにでも飛ばされるんじゃないだろうか、とか考えた。

 ――あ、ヤバイ。
 少なくとも逆の立場なら僕はそうする。
 地球の裏側とかならともかく、地下世界の端まで、リリサは迎えにきてくれるだろうか?

 暑い。
 ぐにゃりと歪む視界が安定するまえに、肌で感じたのはやけに水っぽい空気だった。むしろ暖かいぐらいだ。湯気で一面が覆われていて、僕はそこがどこなのか一瞬戸惑ったほどだった。

 柔らかいものが手に触れる。

 ――リリサと、目が合った。

 そして僕は、今日のオチを理解してしまった。ああ、この間は地球の裏側のバラモス城にまで転移させられたが、今日はほんの数十メートル先に転移させられただけだった。フォーラ・バーゼルファルは最初からこのタイミングを見計らっていたらしい。
 
 そこは宿屋の浴室だった。
 大浴場になっていて、狙ったのかはわからないが、僕は裸になっているリリサを正面から押し倒す形になっている。

 もみもみもみもみもみもみもみもみもみ。

「で、なにやってるのあんたは」
「いや、どう考えても僕がこのあとぶん殴られる流れだなぁと思って、とりあえず今日死んでも悔いのないように揉み倒しておこうかと」
「時世の句は、それでいいわけね?」

 僕が気を失う前に最後に見たものは――
 一糸纏わぬ姿のまま、刺付きこんぼうを振りかぶるリリサの姿だった。


 ――以下、略。








[31830] ふたつの世界に、ひとつのファンタジー
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/04/07 08:00
『僕は女湯を覗いた変態です。是非罵ってください』

 という看板を首から下げされられて、僕は『海猫亭』の食堂隅で正座させられていた。リリサにこん棒でぶん殴られた頭がまだ痛む。
 彼女が持っている『はかいのこん棒』は、対象に怪我ひとつさせることなく衝撃と痛覚にダメージだけを浸透させるという、ずいぶん使い勝手のよい武器となっている。

「ときにリリサ。なんでフォーラ・バーゼルファルがすぐそこにいるのに喧嘩を仕掛けないんだ。そんなの僕の知っているリリサじゃないぞ」
「母さんに『なに客に喧嘩売ろうとしてるんだいっ!!』って言われてフライパンで殴られたのよ」
「そうっすか」

 敵の喉元が一番安全だというのは、どうやら本当らしい。
 なんでフォーラ・バーゼルファルがリリサの宿に泊まっているのかという疑問が、これで払拭された。

 なお、僕を転移させてくれた元凶の賢者少女は、リリサと同じテーブルでわけ知り顔で食後のコーヒーを飲んでいた。彼女は彼女で、目の前の光景に目を奪われているようだった。

 テーブルの上には専属の料理人たちが作った、アリアハンの王族ですらここまでのモノは食べないといえるぐらいに贅を尽くした料理が並んでいた。

 周りの木のテーブルと造りからして違う朱色のテーブルに、色取り取りの山海の珍味や冷菜が並べられている。

 アレルはそれを片っ端から口に詰め込んでいた。
 魚、エビ、豚肉のすり身合わせと、ダチョウの砂肝を調味料と一緒に炒めたものが、一口で皿から消えていく。ナマコ、フカヒレと干し鮑をゼラチン状にして、高麗人参と合わせたスープを飲み干す。

「それで、なんなのこれ?」
「なにと言われても、ランシールの勇者を見たことはないのか? 精霊神ルビスの祝福による弊害というか副作用だな。あれだけの奇跡的な強さを実現するのに、相当量のカロリーを注ぎ込まないといけない。燃費が最悪なのがこいつの唯一の欠点だ」
「へえ」

 賢者の少女は、苦い顔でコーヒーを飲み干す。
 ミリティ・コーレットは、賢者の少女の膝の上で、クリーム煮にした甘露子と紫芋羊羹をパクついていた。元々アレルに出された箸休めのお菓子だった。このぐらいの歳の子供にはロマリア風のケーキの方がいいとは思うのだが、アレルひとりのために厨房はフル回転しており作ってもらう暇がない。

 こうやって話している間にもテーブルの料理はどんどん追加されており、空の皿がガンガン積み上がっていく。
 見ているだけで胸焼けするような光景だった。
 もちろん、こんなのが通用するのは、この宿が勇者特約で割引が利くからだった。

 勇者アレルの給金だけでは、自分の食費さえ賄えない。ゆえに、精霊神ルビスの祝福をまとった勇者は、国家の援助なしに成立しえない。

「それで、そこの世界最強の魔法使いさんは、私の挑戦を受けてくれるのかしら」
「受けるわよ。毎回風呂場に現れたこの男を半殺しにするのも気がひけるし」

 リリサが、感情がわかりにくい目で僕の方をみた。
 当然だがそこに、同情なんてわかりやすい感情は浮かんではいない。

「なんだリリサ、そんなことを気にしてたのか。心配するな、お前の仇は僕がとってやるからな。リリサがやられた分だけ、僕があの女の乳を揉みしだいてやるから」
「なに真顔で最低なこと言ってるのあんた」
「ごめん。私、彼の言っていることが、一言も理解できないんだけど」
「安心してそれが正常よ」

 膝の上に置いてある幼女をそのままに、フォーラ・バーゼルファルは自分の胸のあたりを隠すような仕草をした。

 なんか生娘らしい。
 ほのかに顔が紅潮しているあたり、こういうことに耐性がないのかなんなのか。しかし、この二人、ふつーに息があってると思うんだが、僕の気のせいなんだろうか。



「――あれ、全員揃ってるんだね」



「姉御?」と、リリサ。
「あ、ボス」と、アレル。
「なんだ姉御か」と、僕の声。

 賢者フォーラが、現れたルイーダ姐さんに対して、この人どれだけ大物なんだろうという目をしていた。

 僕とフォーラ・バーゼルファルは、パーティー結成の判を無理やり押させられた。

 互いを裏切らないための血の血盟書であり、あらゆる裏切りを束縛するレアアイテムである。

 姐さんが持ってきたのはレベル1の血盟書であって、パーティー全員の同意がなければゴールドの使用ができないなど、パーティーの絆を深めるため、ありとあらゆる不便な制約がついてくる。
 
 判を押すのは考え物だったが、考えればそう悪い条件でもない。今日明日で決着がつくわけでもないだろう。いちいち後ろから撃たれることを警戒するのも疲れるだけだった。

 
 つまり、フォーラ・バーゼルファルはいずれ行われる魔法使いと賢者の闘いに対して、中立な審判を僕に要求してきているということか。

 そしてなぜか、
 そこからはメイアが姐さんに相談する流れになっていった。

「マスターを、あたしに振り向かせる方法を教えてほしいじゃんっ」

 なお、これはガールズトークに入るのか、ただの妖精人生相談なのか微妙なトコだなとか、聞いていて僕は思った。

 というわけで、妖精は僕の悪行(だとメイアは主張している)を片っ端から姐さんに並べ立てている。ああ、自分の行動を客観的に言われると、なんか針のむしろのようになったりしないだろうか?

 初対面で、自己紹介も終わらないうちから裸に剥かれ、
 そのまま縛り上げられて拷問というか尋問を受け、
 さらに寝ている間に数々の悪戯をされて、
 なんども錬金釜のなかに放り込まれ、
 スライムや大がらすや一角ウサギの相手をさせられ、
 さらに魔王バラモスの死体と融合させられて、
 脅迫させられて無給で働かされ続けている。

 さらに今日はいきなり起きたら服を剥ぎ取られて犯されかけ、
 魔物のエサを食べることを強制された、

 とか――僕はいったいどれだけ鬼畜外道なんだと思わざるをえない。

 うん、あれ、そこまでヒドイことやってたかなぁ?

 ちょっと首をかしげてみる。
 女性陣+アレルの僕を見る視線が、なにやら畜生とかに対するそれだったが、深く考えないことにしておく。

 視線が集まったせいで、知らず背筋が伸びた。正座を続けているせいで足が痺れているが、僕はいつまでこの格好を続ければいいのだろう。

「というわけで、マスターは間違ってるじゃん」

 論破終了。
 人型サイズの妖精は、ふふんとわりと形のいい胸を張った。

「いや、アーサー坊やは正しいよ」

 ルイーダの姐さんは、そう言った。

「え」
「え」
「は?」
「――え?」

 リリサ、アレル、フォーラ、僕の順番で、疑問の声が木霊した。
 まったく予想外かつ期待してないところかつ、嫌に説得力のありそうなところから救いの手が差し伸べられていた。

「ボスは、アーくんを庇うんですか?」
「だって、こういう相談で男をボロクズにけなすのはありえないだろうよ。相談はあくまで、『この坊やを振り向かせる方法を教えてください』――なわけだからね」
「………………」
「そうだけど、マスターは人を人だと思ってないじゃんっ」

 だから、お前は人じゃないだろうが。メイアは、まだ食い下がってきた。

「妖精界随一の美貌とか言われたあたしに全然反応してくれないし、ほかの女の相手ばっかりしてるし、だからといって一人に決めるわけでもなくフラフラしてるし、なのに道具に対する扱いはちゃんとしてるし、お客さんに対する気遣いを忘れないし、たまに変なところで繊細だし、今までのマスターの中で一番、ユミスの錬金釜の扱いが丁寧だし、店の道具を一日中磨いてたりするし、とにかくなんでマスターはああなってるじゃんっ!!」
「なんで途中から褒めてるのよ」
「アーくんはアーくんだからね」

 アレルが一言でまとめていた。
 いつの間にかテーブルの上の料理は半分ほどが下げられていた。
 アレルは子豚の丸焼きとサメの姿煮に取り掛かっているところだった。ガニラスの丸ごとボイルと、特上のアワビステーキをオカズに、山を切り崩していく。


「ああもう、そこの妖精。ちょっと来な」
 
 
 ルイーダ姐さんは、頭をかきむしると、金髪美少女の姿をとっている妖精の手を引いた。正面玄関ではなく、勝手口から出ていく。そのあとで、「ぎゃあああんっ」とか「な、なにするじゃーん」とか、低くメイアの悲鳴が聞こえてきていた。

 メイアは、すぐに戻ってきた。
 戻ってはきたのだが――

「泥まみれにされたじゃん」

 花壇かなにかに顔を押し付けられでもしたのか、メイアの顔は泥でグシャグシャにされていた。
 
 泥パック、みたいな生易しいものでもない。
 童話のお姫さまのように汚れひとつない金髪が、泥と水にまみれて実にひどいことになっている。

 果たして、これはどういった類の嫌がらせなんだろうか?

「なにこれ、もうありえなくね?」
「――ああもう動くな」

 僕は長く続いた正座を止めると、ランチタイムが終わって手の空いたウェイトレスからタオルを数枚貰った。
 髪を傷めないように、汚れを落としていく。

「おおっ☆」

 繊細な金の髪に、櫛を通す。

「おおっ、くしししししっ!!」

 汚れを払ってやると、僕に寄生している妖精が、変な笑い声をあげていた。なんだこいつ気持ち悪い。

「まあ、返答になったかい? この男を振り向かせるにはこうすればいいのさ」
「…………拍子抜けしたような感じになったよね」
「でも、この方法はアーサーにしか通じないけど」
「なんだい。私はちゃんと今日から役に立つ方法を教えてあげただけさね。男の落とし方が必要なのは、そこの賢者の娘ぐらいだろう。ほかの男を相手にするわけじゃないし、あとはもう今の方法で事足りると思うけどね。それとも――この坊やのほかにいい男でも見つけたのかい?」

 メイアが、それもそうだと納得顔をしていた。
 リリサが、ピキッと顔をひきつらせるのがわかった。
 アレルは、黄金チャーハンを掻き込む手を止めた。夕日みたいに頬に朱が差していた。

 そしてフォーラは、三人の様子を面白そうにみている。

「なんか身も蓋もないっすね」
「初々しくて笑っちゃうもんだねえ。駆け引きとか必要ない恋愛とか、もう一度してみたいもんさね。わたしもあと五年も若かれば、ちゃんとときめいてたってもんさ」
「そこはサバを十年ぐらい読んでませんか?」

 姉さんは、なにも答えなかった。
 そういうわけで、ルイーダ姐さん(年齢不詳)は、妖艶に笑うのだった。





















 ――翌日のことだった。
 
 勇者権限のひとつに、謁見の権利というものがある。
 まあ、王様への謁見そのものは民衆の権利であって、誰でもできることにはなっているが、勇者権限は諸々のめんどくさい『決まり』のほとんどを省いてくれる。

 本来、謁見とは大臣が事前に申し上げる内容をすべてチェックし、侍従官が、民衆に代わってそれを読み上げるだけのものである。謁見する方は、ただそれを聞いているだけだ。最後に王様が『可』か、『不可』とだけ答える。

 謁見とは、そーゆーものである。

 勇者権限はそういう堅苦しい作法のほぼすべてを省略できる。
 王様と直接話を交わせるのはもちろんのこと、御三家や御三卿へのご機嫌伺いもすべて省いてくれる。

 なにより謁見とは、する前よりもした後の方がやっかいだ。
 慣例となっている周辺への贈り物やご機嫌伺いで、金や精神がすり減らされていく。リリサはもう完全に謁見を嫌っていて、気を使って王様の方が非公式に出向いてくるほどである。

「あんまり色良い返事をもらえなかったよ」

 アレルはしょげていた。
 大魔王アスラゾーマの存在と、勇者オルテガが生きているということ。
 地下世界アレフガルドへの出陣許可を貰いに行ったのだが、そんな簡単に答えが出せるような問題ではないだろう。

 魔王バラモスがようやく倒され、世界に平和が戻った矢先である。

 

「アスラゾーマをどうするのか」

 

 かつての勇者オルテガをどうするのか。
 実にめんどくさい話であるともいえる。王様が言葉を濁しているのもわかる。ここで全兵力をもってアレフガルドに討伐する、などという決定を下すようなら、現アリアハン王は後世において、否応なしに愚王の名をほしいままにできるだろう。

「大魔王ゾーマは、地下世界アレフガルドの八割ほどを占拠しているわ。生き残っている街や集落はいくつかあるけど、王国はラダトームひとつしか残っていない」

 フォーラ・バーゼルファルが、使い魔を飛ばしていって得た情報らしい。リリサも僕も、手持ちのすべての偵察用マジックアイテムを放出しているのだが、なにせ昨日の今日だ。まとまった情報を手にして、分析を終えるまでに、あと二週間はかかる。

「果たして、ラダトームに親書を贈る、なんて決定ができるまで、どれぐらいかかるのやら」
「ボクとリリサなら、一日とはいかなくても、一週間ぐらいでカタをつけられるよ」
「まあ、そうだが――」

 僕は出された水でテーブルに『の』の字を書く。
 アレルの出した数字は最短だ。
 しかも、勇者という存在を浸透させたうえで、アレフガルドすべての協力が得られたと仮定した場合の数字である。

 いかに勇者という職業が化け物じみていても、まったく見知らぬ世界で誰の支援も受けられず、世界の八割を敵に回したうえで、一週間で敵の首魁を討ち果たせるほどのデタラメさはない。
 
 普通に考えると、勇者アレルがアレフガルドを平定するまで、二、三ヶ月かそこらか。

 勇者不在の地上世界に、なにか深刻な問題が起こるのに十分すぎる時間だ。

「アタマの痛くなるような問題だなぁ」
「くすくす。勇者なしで持つほど世界は安定してはいないしね」

 賢者の少女が、こちらを見下ろして他人事として事態を見ていた。ミリティ・コーレットは宿屋の二階で昼寝中らしい。

「仮に一週間で済むとしても、その間に人間同士の戦争が起きかねないがな」
「なんでそんなことになるの?」
「勇者のシステムというのは、むしろ魔王を倒したあとにこそ真価を発揮するように構成されている。精霊神ルビスの力を、自国の富国強兵のために取り込もうとする制度でもある」
「うん」

 アレルはうつむいている。
 このあたりは、アレルもわかっている。僕が、昔言い聞かせたことがある。

「勇者ってのはつまり国家公務員だからなぁ、国民の税金で動いている以上、アリアハン国民の利益になるように行動することが求められる。名前も聞いたことのない国のために命を賭け、国民全部が汗を流すことを、アリアハンのみんながどう思うかだ」
「いい顔はしないわね」

 リリサは、彼女なりに精一杯オブラートに包んで言った。
 世界を救うにしても、なぜアリアハンばかりが苦労を背負い込まないといけないのかという問題もある。どうあっても、今単独で勇者アレルがアレフガルドに赴くことを、肯定するような存在はいないだろう。

「それより、問題はアフレガルドの国家、ラダトームがどう思うかだ」
「どう思うかって?」
「他人が力をふるって、まず思うのは恐怖だからな。知らない相手が、大魔王アスラゾーマを打ち倒したとして、果たして歓迎なんてされるのか。大魔王アスラゾーマを倒したということは、大魔王アスラゾーマより強い相手が世界征服に乗り出したんじゃないか、という疑念はもたれる。
 勇者というのは、あくまで暴力を正当化するための容れ物でしかない。そして、その理屈は地下の世界では通用しない。――考え直すべきだ。人は自分の視界に映る範囲しか守れない。せめて、半年待てば、ラダトームとの話はつくだろう。万全の支援で、大魔王アスラゾーマに挑めるはずだ」

 そして、それは――勇者オルテガを生還を諦めるということである。
 この理屈を、勇者アレルが理解できないはずもない。自分自身が、どれだけの力で支えられているのか。アレルは誰よりもよくわかっている。

 逆に言えば、それが勇者の限界だ。
 アレフガルドは、見捨てる必要がある。
 勇者という存在は、あくまで民衆の力を束ねた『願い』でなくてはならない。

「勇者の力にも、限界はある。できないこともある。アレルは、それを一番よくわかっているだろう?」
「随分な皮肉ね。一番勇者の力が必要なときに、貴方はなんの力にもなれない」

 くすくすくすくす。
 賢者の少女の、耳障りな笑い声が響いていた。

「――ねえ、そんなつまらない一般論をいつまで続けるつもりなの?」

 リリサは、あくびを噛み殺していた。
 彼女には、勇者アレルが最終的に出すべき答えが、すでに分かっているのだろう。

「そうだね」


 そして、

 勇者アレルの答えは明快だった。

 目を閉じて、アレルなりの回答を下す。

「――ボクは、困っている人たちを、助けられる命を見捨てられない」

 それは、勇者アレルのなかの、当たり前の理屈。



「――助けられる命を助けられないなら、ボクは勇者の称号なんていらない」



 フォーラ・バーゼルファルが、ゴクリと息を呑むのがわかった。
 彼女としては、先日バラモス城での死闘を邪魔された意趣返しも含んでいたのだろう。個人の理屈として父親を助けるか、勇者としての理屈として国家の理屈に呑まれるか、二律背反に精神を引き裂かれるアレルを望んでいたはずだ。

 けれど。
 僕には最初からわかっていた。そんな浅い策略で、勇者アレルの足を止められたりはしない。
 ここで折れるぐらいの軟弱な決意しか持っていないなら、僕が言ったような誰にでも言えるぐらいの正論で足を止めてしまうようなら、そもそもこんな忠告はしない。僕はここにさえいないことだろう。

 リリサ・カークシュタインが、アレルと親友でいられる理由も、こいつがこういう奴だからだ。

「それで、アーくんの口から一般論は聞いたけど、アーくんはどう思ってるの?」
「聞くまでもないだろ」

 僕は、言い切った。


「――行くべきだ。今すぐにでも」


 今度こそ、賢者の少女は目を剥いた。

「貴方、そんなキャラクターだったの?」
「むしろ、アーくんから悪影響を受けたところがいろいろ」
「なにを驚くことがある。天邪鬼な僕らしいだろう。今すぐ大魔王の居城に切込んで、勇者の評判をまったく落とすことなく地下世界を救う。限りなく難しい課題ではあるが、不可能というほどじゃあないだろ」
「そうね。誰にでも言えるような正論は聞き飽きてるし」

 リリサが、それに追従してくれる。

「それで、地上のほうはどうするの? どこぞのサマンオサ王子とかがアレルのいない間に策謀とかを練ってそうだけど」
「ああ、それなら問題ない」
「あ、なにか策があるんだ?」
「いっそ全員拉致って、アレフガルドに連れていけばいいんじゃないか」

 フォーラ・バーゼルファルは椅子からずるずるとずり落ちていった。

「いい案だね。えーと、あの吟遊詩人さんは二階に泊まってるんだよね」
「そうね。えーと、202号室のはずね」
「じゃ、ちょっと『説得』してくるね」

 アレルは、二段飛ばしで宿屋の階段を昇っていった。僕はそれを見送ったあとで、
 
「さて、カティオ・イルマはどこにいる?」

 九割がた想像はついているが、僕は改めて聞いてみた。

「はいはい。想像はついてるんでしょ? アレフガルドで破壊剣ガルヌを振り回して嬉々として魔物狩りをしているわよ。アスラゾーマの配下の一割ぐらいは、今の段階で削り取りそうな勢いよ」
「見知らぬ土地で使い魔を飛ばすなんて、無謀すぎるからな。あの漆黒の戦士に取り付けてあるわけか」
「そうよ。再生魔法(リベオラル)で、防具を修復してあげた見返りにね」

 二階から、どこかの吟遊詩人の悲鳴が聞こえ始めた。




た だ い ま 、 勇 者 ア レ ル に よ る
  説 得 が 行 わ れ て い ま す 。

 し ば し 、 こ の 聞 き 苦 し い 
  悲 鳴 を お 楽 し み く だ さ い 。




「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 悲鳴や断末魔の声、肉を削ぎ落とす音や骨を叩き割る音が、聞こえるはずもないのに聞こえてくる気がした。

 死ぬこともできず、ただ痛みだけを繰り返し与えられ続ける。
 不死の指輪を持つのも考え物だなぁ、と他人事のように僕は考えていた。













[31830] プレゼントに最悪最低!
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/04/13 10:58






「――悟りの書、というアイテムを知っている?」
「遊び人(ニート)が賢者になれる、なんて伝説のことだろ。いわゆる登竜門と同じような意味だろうな。――鯉の滝登りか。急流を昇りぬき頂上にたどり着けた鯉は龍になれるという俗説だな」
「その言い草だと、貴方は実在を信じてなさそうね」

 賢者の少女はメイキングされたベッドに座って、しきりに足を組み替えていた。
 フォーラ・バーゼルファルの部屋は、さきほど不幸な事故があった202号室の隣である。隣はちょうど人一人が破裂したぐらいの血痕が部屋中に飛び散って、ひどいスプラッタな様相を見せていた。
 見るからに元に戻すのに莫大な清掃費用がかかると予測されたのだが、ラティノスの指輪の効力は偉大だった。死んだほうがマシだろうなぁというぐらい破壊された吟遊詩人の体は、神々しい光に包まれただけで、すべてが復元していた。飛び散った血液も時間が巻きもどるように本人の身体に戻って脈を刻み始める。

 ――けれど、肉体は元に戻っても、精神的なトラウマは深く刻み込まれたはずだった。

「ふつーの部屋だな」

 賢者の少女の部屋は、本人にとって旅の仮宿ということもあって、こちらの一切の想像を裏切らなかった。
 
 荷物といえば革袋ひとつ。
 そして無地の人皮装丁本と、世にも不思議な喋るドクロの杖ぐらいだった。

 それから。
 この部屋のもうひとりの主であるミリティ・コーレットは、僕の背中にべったりとひっついている。
 これは懐かれたのか?
 胸も膨らんでいないガキに用はないので、とりあえず勝手にやりたいようにさせていた。思えば僕がアレルやリリサと出会ったのも、この幼女ぐらいの歳だった。思えばあれから十年も経っている。

「それで僕を呼んだ理由はなんだ?」
「別に警戒しなくていいのよ。ちょっと聞きたいことがあったの」

 パーティーの誓約書のサインがある以上、この娘は僕に危害を加えることはできない。僕のことなどリリサのおまけ程度にしか思っていないだろうから、死霊使いの少女を使っての騙し討ちもおそらくはないだろう。

「悟りの書のことが?」
「そうよ。貴方のそのレシピブックとやらに、『悟りの書』というアイテムは載っているのかしら」
「載ってなかったな」

 悟りの書、などというアイテムはこの世に存在しない。
 この世界のどこにもない。
 伝説はあくまで伝説で、後に人の手で書き換えられていったものだ。

 僕が持っているユミスの錬金釜に付属しているレシピブックに、そのような記述はない。人間に僧侶と魔法使いの資質を分け与えるような同類項のアイテムの記述はあるが、それは純然なエネルギーそのものであって、書のカタチはしていない。また、エネルギーをその場に固定できないために、すぐ人体に埋め込まないと数秒で消失してしまう。

 つまりは伝説は伝説で、底辺から抜け出し努力した人へのやっかみや羨望の連なりが、そのような存在しない便利アイテムを生み出したのだろう。

「――じゃあ仮に、つまり『悟りの書』というアイテムがあると仮定して、それを手に入れた人間はどうなると思う?」
「それはつまり、うん」

 考えてみる。
 悟りの書というぐらいだから、悟るのだろう。この世のすべてを理解した気になって、すべてを知るわけだ。なんでもできるようになる反面、なんにもできなくなるのかもしれない。とりあえず賢者になって苦労を背負い込むような生き方などありえないだろう。きっと遊んで暮らせる方法を探すはずだ。

「――そうだな、『悟りの書』なんてモノがあったとしたら、それを読んだやつは遊び人にでもなるんじゃないのか?」
「素晴らしい結論ね。真理といっていいわ」

 くすくすくす、と彼女は笑っていた。
 相手を小馬鹿にするような笑いなのだが、今回は誰に対しての嘲りなのか。

 この娘のパーソナリティがわからない。
 代々英華を極めた大貴族のお嬢様が、自分の才能の無さのせいで家を潰すことになり、そのせいで彼女がどんな地獄を味わってきたのか、僕はカケラも理解できていない。ところでさっきからミリティ・コーレットが僕の背中を滑り台のようにしていた。ずりずりとずり落ちるのが気に入ったようだった。
 
「結局なんの話なんだ? この世に『悟りの書』がない以上、この話題になんの意味がある?」
「そのままよ。『悟りの書』の話。魔法が使えなくて、賢者になった少女の話。『悟りの書』がないですって? ふざけないで」

 彼女はテーブルの上に、それを置いた。

 ――メタタノークの本。
 本人の適正を一切考慮せず、あらゆる呪文に対する知識と適正を付与する五大秘宝のひとつ。 

「でも――私は手にしてしまったわよ。――賢者になるための方法を。『悟りの書』を」

 フォーラ・バーゼルファルは。
 賢者の少女はそれが罪深いことのように言った。
 いや、メタタノークの本。それが司るモノはなんだったかと思い返して、僕は彼女の芯を、彼女がなにと戦っているのかを少しだけ理解できた。

 『商業』神ユミス。
 『死霊』王カヌーザ。
 『呪い』の戦神ガルヌ。
 『慈愛』の女神ラティノス。

 そして――『学問』の神、メタタノーク。

 人の皮で作成された装丁からして、僕はまったくこれに触る気にもなれない。ところで今僕が裏切ったらどうするつもりなんだ?

「私ね。だいたい貴方の思考が読めるのよ。呪文なんて使わなくても」
「ほう」
「商業神ユミスも学問の神メタタノークも、大きく括れば同じようなものよ。だから、貴方と私の五大秘宝の能力も、そこそこ似通っているでしょう?」
「これで似てると言われたらなんでもありな気もするが、完全に否定できるわけでもないな」
「そういう意味で、世界で一番、貴方は私に近いし、その逆であるとも言える」
「ふむ」

 五大秘宝なんて奇特なものに選ばれる時点で似た者同士という気もするわけなので、特に否定できる材料はない。
 ミリティ・コーレットはカヌーザの杖をブンブン振っている。「ぎゃふん』としゃれこうべが悲鳴をあげた。
 ぱらぱらとスライムが召喚され、彼女は自らに絶対服従を誓うスライムを積み木変わりに遊んでいた。
 スライムを縦に積んでいる。スライムタワーを作る気らしい。

「きのーは、四たいまでつめたの」
「そっか。今日は五体にチャレンジだな」

 ミリティ・コーレットの頭を撫でた。限りなくおざなりに撫でているのだが、それでもえへへと笑っている。
 笑顔は素晴らしい。なにせタダだ。

「貴方はもう少しだけ自分自身に対する評価を改めるべきじゃないかしら」
「ふむ?」

 死霊使いの幼女のおでこに、僕はスライムを載せていく。
 ちなみにスライムはけっこう重い。一匹で二キロぐらいか。スライムのほぼすべてが粘性のある水分で出来ているので、体積的にも妥当といえば妥当である。

「貴方はバラモス城でこう言ったでしょう?」

 賢者の少女は、人差し指を一本立てた。

『この五大秘宝の力は、人には過ぎた力だ。人の主張も信義もなにもかも、白を黒に塗り替えてしまう。それは本人の信念も才能も努力も、全部なかったことにするのと同じことだ。果ては、そいつ本人である理由さえ奪われるってことだろう』

 リリサに、僕が言った言葉。
 メタタノークの本への未練を断ち切った言葉。

「――たしか、こんな感じだったと思うんだけど」
「言ったな」
「普通の人間なら、貴方の言った通りになるでしょうね。でも、実際に選ばれた五人はどう?」

 そろそろこの娘の含みのある話し合いにも慣れてはきたが、不快さは隠しようもない。

「どういうことだ?」
「あの漆黒の戦士カティオ・イルマは、破壊剣ガルヌがなくても三十数年ああやって生きてきたことがわかるわよね。破壊剣ガルヌがなくても、戦闘力は少しも衰えないということも」
「ああ」

 あれは規格外だ。
 オリジナルの重力系魔法を極め、最上位の暗黒系の魔法を使う。
 破壊剣ガルヌも、男の戦力の一端でしかない。ずっとあの男はそうやって生きてきたし、その生き方は、破壊剣ガルヌごときで揺らぐものではない。

「あの金髪の王子である吟遊詩人もそう。
 女神の祝福がかかった不死の指輪を、ただ世界征服のための手札が増えた、ぐらいにしか思っていない。あればあったでその覇道のために最大限利用するでしょうけれど、なくなっても手札のひとつが使えなくなった、ぐらいにしか思わない」
「まあ、破壊剣ガルヌをもった漆黒の剣士を、十九番目の待遇で迎えようとか言うぐらいだしな」

 それ以上に大切かつ厚遇すべき人材が、彼にとってあと十八人いる、ということだ。本人に聞いたところによると、兄弟姉妹が多いらしい。権謀術数渦巻く王宮で、血のつながりは互いを結ぶ強固な絆に成り得る。

「貴方だって、ユミスの錬金釜もなしで、それ以上の奇跡を実現している」

 彼女の言葉の意味がわからなかった。
 記憶の底を攫ってみると何秒もかからずに結果は出た。当たり前のことすぎて、逆に脳の配線がつながっていなかったようだ。
 彼女が言っているのは、アリアハンの職人が必死で組み立ているあれのことだろう。

「――飛船ラーミアか」
「そうよ」

 僕は働きかけただけだ。
 それでも、飛船ラーミアはこれからの戦争のすべてを担うことは間違いない。願わくばそれが同じ人類に向けられるようなことがなければいい。

「分かりきった質問だけど、あの飛船は貴方の錬金釜で再現できるの?」
「分かりきった質問だな。無理に決まってる。なにせ部品の数がいくつあると思ってるんだ。千や二千できかないんだぞ」

 仮に、できても浮力を得られる気球内温度とか、球皮の耐熱限界とそれに伴うロードチャートの計算ができなければ対した成果は得られない。ここまで複雑化してしまうと神の祝福も、どうやっても人の叡智にはかなわない。

 レシピブックの記述には、ベルゼ・レナードの殺人絡繰人形『初級』や、高天の算命學(お試し版)などが存在する。作った人間のアタマがイカれすぎてて、『中級』以降はユミスの錬金釜でも再現ができないのだろう。
 
 人は神になど掌握されてはいない。
 世界は素晴らしいと胸を張っていえる瞬間である。

 僕は実はアレフガルドに行くことに対して、誰よりもワクワクしているといっていい。世界地図が出回りだし、今このとき『未知』という言葉が世界から消え去りそうになっている。そこに丸々ひとつの暗黒大陸の出現だった。興奮するなと思う方がおかしい。

 ところで、この幼女にはどんな適正があるんだ?
 ミリティ・コーレットは召喚したスライムを壁にぶん投げて遊んでいた。スライムが変形してそれを受け止めていたり、全体防御呪文(スクルト)の光がスライムたちの全身を包んでいたりしている。
 思えばこれは英雄やらなにやらを蘇らせる杖だった。
 僕にはまったく区別もつかないが、この一匹一匹が魔王級に比肩するモンスターなのだろう。見た目はどれもこれもただのスライムではあるが。

「――私はね、勝たなければならないの」

 己が己だけに誓った、誓約なのだろう。
 できるなら、『メタタノークの本』になど頼らず、自分だけの力で。

 しかし、どう考えても不可能だ。
 並みの魔法使いが、リリサの前に立って一秒も持つはずがない。
 彼女には元々魔法使いとしての才がないから、力がないから家を守ることすらできなかった。僕には想像することはできないが、自分の力が足りないばかりに掴めずに零してきたものがたくさんあるのだろう。

「私はこんな本ひとつで、人生を捻じ曲げられたりはしない。ささやかでせせこましいけれど、私自身というプライドはそれほど安くはない」
「目指すものは?」
「世界最強の存在よ」

 賢者の少女は、花嫁を夢見るように夢を語った。

 彼女がリリサに執着するのは、そういう理由か。
 彼女の信念は、矛盾と屈折とコンプレックスに塗れている。
 この方法で最強の称号をつかんだとして、それが本来彼女の欲していたものから随分と変質してしまっているだろうことも、誰よりもよくわかってるのだろう。だからこそまっすぐに最強の座に座っているリリサ・カークシュタインが許せないのか。

 賢者の少女は、パーティーの契約書を取り出した。
 彼女は特殊な筆で、一筆入れた。契約書に描かれた文字が一瞬だけ、明滅する。それだけで、僕を守ってくれるはずのパーティー特約のすべては効力を失った。

「え?」
「対象催眠呪文(メダパーニャ)」

 あ、迂闊だった。
 抵抗など考えることすらできない。
 削られていく。
 無くなっていく。
 しっかりとしたカタチを保っていた思考が、砂のように崩落していく。

「ひとつだけ訊くわ。リリサ・カークシュタインの弱点は?」

 畜生――呪いの言葉すら思考の泡と消えて、僕は意識を手放していった。直前に、フォーラ・バーゼルファルがなにか言っているのが聞こえたが、僕にはもう意味を拾い上げることすらできなかった。



















「ッ!!」

 身体を跳ね上げる。
 自分の状態を確認して、なにも違いはない。
 ミリティ・コーレットを確かめると、飽きずにスライムを壁にぶつけていた。この幼女はだいたい五分ぐらいで飽きて他の遊びを始めているので、そこから気を失っていた時間を割り出す。
 三分。
 いや、もしかしたら一分もかかっていないかもしれない。
 
 思考に問題はない。身体になんの制約も受けてはいない。整理されて、むしろ爽快さすら感じさせるのが余計に苛ついた。

 そして、僕はリリサの何を曝け出してしまったのかに考えを走らせた。

 ――リリサ・カークシュタインの弱点は?

 性格の悪さ。
 余計なことを言いつつ母親にフライパンで殴られている。
 貧乳。
 低血圧。
 ぼっち。

 こんなこと、いちいち呪文を使って聞き出さなくてもわかることのはずだ。
 フォーラ・バーゼルファルに掴みかかろうとしたものの、ふと考える。リリサの弱点なんて僕にもわかっていない。

 ――いったい、僕はなにを言った。

 是非、誰か教えて欲しい。腹に溜まっていた怒りも忘れて、そんな疑問を覚えたのはフォーラ・バーゼルファルの様子が、明らかに尋常ではなかったからだ。

「なによ。なんなのよそれ――」

 雪山で遭難したように、全身が小刻みに震えていた。
 押さえ込もうとした心の震えが、正直に身体に跳ね返ってきているようだった。私はそんな相手に勝つために努力してきたの、などと切れ切れの言葉の断片を呟いている。
 
 なんだこの娘。

 まるで、自分で掘った穴に自分で嵌ってもがいているようだった。
 元々、神経そのものが細いのだろう。
 戦闘スタイルからして、辺り一面を踏み固めて、勝率をできるだけ上げてから勝負に挑むタイプだと思っていた。
 彼女にとっての賭けという言葉はリリサに対しての社交性と同じような関係性だろうなと思う。ゆえに、ここで僕を敵に回すような真似はしないとは思っていたのだが。

 もう一度、問い直す。
 焦燥を含めた、心からの疑問だった。

 ――僕は、いったいなにを言った?

「アーくん。大丈夫っ?」
「マスター。応援を呼んできたじゃんっ」

 部屋のドアが開かれて、勇者アレルと妖精サイズに戻ったメイアがなだれ込んできた。
 僕になにか危機が迫った場合、アレルに助けを求めてくれと言っておいた保険が、ここにきて効力を発揮したらしい。

「なにがあったのとりあえずぶん投げていい?」
「この女がマスターに変な呪文をかけたじゃんっ。舌を引っこ抜くべきじゃんっ!!」

 ――待て、と。
 僕は一人と一匹を押しとどめる。
 もっともその必要はなかった。勇者と妖精は、震えて自分の身体を抱え込んでいるフォーラ・バーゼルファルに戸惑っているようだった。

 ふと、脳裏によぎった光景がある。

 ああやって泣いているリリサの姿が、賢者の少女に重なる寸前で、明確なイメージをとれずに泡になって霧散していった。

 塗りつぶしたのは、別の情景だった。

「あ」

 ――気づく。
 リリサの弱点など、考えうる限りあれしかない。

「大変だ」
「どうしたの、アーくん。なにが、あったの?」

 魂の抜けたような僕の声に、アレルの表情に緊張がはしった。

「リリサの、弱点がバレた」
「ッ!!」

 奈落を見たようなアレルの表情だった。
 賢者の少女に対しての、殺意まで研ぎ澄まされた意識がアレルのなかで練り上げられる。ああ、とあまりにも重大な問題だと再認識させられる。アレルのこんな表情、少なくとも僕は見たことはない。

「リリサが、――10歳までおねしょが治らなかったことがバレた」
「あのアーくん? それ絶対違うと思うよ」

 アレルはなんかげんなりとしていた。

「用は済んだからもう出ていってくれる? 四人も揃うと、ここも狭いのよね」

 フォーラ・バーゼルファルは手を払うような仕草をしていた。
 なげやりで、瞳に光が入っていない。だが、そんなことでごまかされる人間もいない。落とし前のひとつもつけてもらわないといけない。
 僕は降って沸いたチャンスを逃すほど甘くはない。

「ふん、その前にそのむちっとしたバストを揉ませてもらおいか。誠意を見せろ。誠意。誠意。誠意。断ったらアレルをけしかけるぞこのアマぁっ!!」
「マスター、最低じゃん」

 そこらのチンピラじゃんとパタパタ飛んでる妖精は、そこでミリティ・コーレットの目に止まっていた。
 目と目が合った。
 瞬間に、幼女の手がメイアをはたき落とす。

「ギャフッ!!」

 ベッドに墜落した妖精は、そのまま幼子の玩具を化した。果ては着せ替え人形とかと同じ末路をたどっている。まあ、あれはあれで妖精の死に様としては上等だろう。僕は勝手にそう決めつけると、そこからの妖精の悲鳴とかを一切意識から閉め出した。

「あ、アーくんのことはともかく、なにもなかったで済まされるとでも思ってるのかな?」
「――脅しても無駄よ。もう勇者さんの弱点はわかってるから」
「ふふん。なにそれボクにそんな弱点なんて――」







「――この子、女の子よ」



 


 世界が停止した。
 少なくとも、僕の中の常識は今日崩壊した。

 フォーラ・バーゼルファルは勇者アレルを指さしてそんなことをのたまった。

 改めて、まじまじとアレルを見てみた。
 僕はここまで人を真剣に観察したことなんて、人生に一度もない。

 厚手の鎧に隠されて、体のラインは極めてわかりにくい。中性的というか美少女とも見紛う容貌は、なんか見ているとこっちまでそちらの道に引きずり込まれそうである。
 同年代の男子と比べて低いとしかいえない背も、ちょうど同じぐらいの少女のものなのだと考えれば、むしろ納得できる。

 僕とアレルの目が合った。
 もの凄い勢いで目を逸らされた。
 それが、そのままフォーラ・バーゼルファルの言った事実の信憑性を示している。

「お、おおおおちつけ。そ、そんんなことはない、よな。ああはははは。十年一緒にいて、アレルがおん、なだなんてて気づかないなんてそんなはずがないよなああああはははは」
「そ、そ、そ、そうだよアーくん。ボ、ボクがお、女だとか、そ、そんなことあるはずがはずがないよねええ。も、もちろんボクがしているサークレットに言霊と認識強化の呪文なんてかかってないからねアハハハハハハハハハハ」

 アレルは完全に動転しまくっているのか、さきほどから致命的な自爆を繰り返していた。あ、なんか思い出してきた。
 疑問はあった。
 確かめようとしたことも幾度となくあった。
 そのたびに、あと一歩のところでごまかされてきた気がする。まさか、そんなカラクリがあったとは。

「あ、アレル。ひとつだけ、頼みがある。僕がすべてを賭けて言う一生のお願いだ」
「う、いやな予感しかしないけど、聞くだけ聞いてはあげるよ?」

 僕は仕込みに入った。ミリティ・コーレットがどこかの妖精に夢中で、先程から放置されているスライムを三匹ほど持ち上げた。

「これを、手を伸ばして両手で掲げてくれないか?」
「え、あれ? そんなことでいいの?」

 アレルは拍子抜けしたみたいだった。
 ひとつ二キロほど。常人ではそこそこしんどい作業ではあるが、勇者アレルはスライム三匹を自分の胸に抱き込むと、そのまま両手を真上に伸ばした。

 スライムがそのまま天井に向けて掲げられる。
 もちろん、この動作に意味などない。だが、僕にとっては別だ。アレルは両手でそこそこ重い物体を持っていて、両腕が一時的にまったく使えなくなっている。

 ――すまないアレル。

 僕は一応、これからこいつにやることに対して、カタチだけの謝罪を済ませておいた。そのまま僕は両手が塞がっているアレルの前に立ち、警戒されないように自然な動きで彼女の前に屈み込むと、彼女の腰に手をかけて、一気にズボンとパンツをズリ下げた。

「――え?」

 アレルは、下半身を丸出しにして呆けていた。
 僕の目に飛び込んできたのは、薄紅色の無毛の砂漠(全年齢表現)だった。衝撃の事実を突きつけられて、僕は完全に固まっていた。

 現実逃避が始まる。
 ところで、こいつが男だったら場合、周りから見たときに実に弁解に困るような構図になってたな、とかそんなことを考えていた。

 五秒か。
 そして、十秒なのか。

 アレルの表情が変わっていく。
 目のふちに涙が溜まっていた。ドサドサドサとスライムが床に落ちていき、手入れの整った床をほんの少し軋ませた。だらん、と力の抜けた両碗が、なにかをつかむようにうごきはじめた。

 そして――



「う、う、うう、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんっっ!! アレルの馬鹿ああああああああああッッ!!」
「ええっ、それボクの台詞っ!!」

 背後からアレルの台詞が聞こえてくる。
 僕はあまりの現実に耐え切れなくなって、泣きながらリリサの宿を飛び出した。

 畜生。
 畜生。
 畜生。

 死にたくなる。どの面を下げて生きているんだと幻聴が僕の精神を壊していく。二度とめぐってこない機会に、僕は自己嫌悪で焼き尽くされていた。

 そして僕の脳裏に巡る後悔は、たったひとつだった。

 アレルが、アレルが女だと知ってさえいえれば、あの時もこの時もさらにあの時も、自然な動作でセクハラができたのにいいいいいいいいいいいいいいいいいっっ!!

 疑問の余地も、間違いの入る余地もない男として絶対的に正しい魂の叫びを振りまきながら、僕は夕日に向かって全力で疾走をはじめた。







[31830] 少女は倒れたままなのか
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/04/18 03:07




「アーくんに、ボクが女の子だってことがバレた」
「ふーん」

 どこにも響かない鍋の底が抜けるような声を出して、リリサ・カークシュタインは作業に戻った。

「え、それだけ?」

 感情を押し殺しているわけではない。
 ただまったく、これっぽっちも興味がないのか。
 勇者アレルは魔法使いの友人の変わらなさに不満を抱いた、のだろう多分。

 紙一枚を通して、羊皮紙に羽ペンの先を叩きつける音だけが響いていた。

 リリサは論文を書くのに忙しいらしく、朝からずっとからテーブルにかじりついていた。このポンコツ魔法使い娘、さっきから僕とアレルが限りなく嫌そうな気難しそうなオーラを出しまくっているんだけれど、さっきからこっちを見ることすらしねえ。

 夕日に向かって全力で走り続けようとも、頭が冷えてしまえばそれまでである。どうやってアレルと顔を合わせればいいのかと一晩通して悩んだあげく、リリサと同じテーブルで固まっているのが今の状況だった。

「それでアレル。昨日のことなんだけど」
「アハハハハハハ、アーくん。おいしいよねこのケーキ。アーくんも注文すれば?」

 アレルは、普通の会話には乗ってはくるのだが、話が自分の性別の話に変わろうとすると、無理やりに軌道修正をかけてきたりしている。あとそれはケーキじゃない。ルイーダ姐さんの酒場に据え付けられてある観葉植物だ。

「まあ、いいか」

 話したくないのなら、それ相応の理由があるのだろう。
 別にいい。拗ねているわけではない。むしろこの状況でしかできないセクハラがあるのだと前向きに考えてみよう。フォーラ・バーゼルファルの胸を揉みそこねた分、その穴埋めはアレルにやってもらわなければならない。

「?」

 あれ?
 リリサが書きかけの論文から顔をあげて、あたりをキョロキョロを見回していた。

「どーした、リリサ」
「なにか今、胸のあたりがイラッときたわ。きっとあんたがよからぬことを考えてたのね」
「ああそう」

 僕はため息を吐いた。

「ところで僕がリリサの考えてることがさっぱりわからないのに、リリサは僕の考えてることが理解できてしまうって、なんか不公平だと思わないですかね?」
「なんで敬語なの? それはあんたが人から褒められるような、真っ当な人生を送ればいいだけの話じゃないの?」
「ええい。リリサのくせになまいきだ」

 僕はテーブルを両手で叩いた。
 衝撃で横に置いていたインク瓶から黒い液体が溢れかけて、僕はリリサにすごい眼差しで睨まれた。

「畜生。負けるな僕」

 リリサは別に感情はないわけではないのだが、ひたすらに外見からわかりにくいのが欠点だった。誕生日を祝ってやろうと思って、それを伝えたあげく。当日の朝、表情一つ変えずに、なんかひたすらパーティーグッズで豪華に部屋の飾りつけをしていたあたりに、リリサのリリサである所以が表れているといえるだろう。ひたすらシュールな光景だったことを付け加えておく。

「はぁ――」

 平和である。
 フォーラ・バーゼルファルとリリサの決闘が翌日に控えていたりはするが、とても平和な一日なのである。
 ああ、そうか。バラモスがどこかの幼女に葬られて、表向きは勇者アレルによって平和がもたらされ、大魔王アスラゾーマのことなんて今の時点では誰も知らない。

 僕が感じているこの気持ちは、アリアハンにいるすべての人々が共有しているかけがえのないものなのだ、きっと。

「こういう平和が続けばいいなぁ」
「なに言ってるじゃん。決戦は明日じゃんっ」

 観音開きのドアが開いて、少女が入ってきた。人の余韻をぶち壊しにしてくれるのは、誰かなんて振り向かなくてもわかる。

 例によって僕の飼っている妖精だった。
 今日のところは人型サイズになっていた。
 僕はできれば止めさせたいところではあるが、なぜかこいつはこれだけは僕の言うことを聞かない。おかげでベッドが狭くて寝るのがきつい。他にも理由はいろいろあるらしい。
 多分、そのなかにはミリティ・コーレットに着せ替え人形代わりに弄ばれたこと云々が含まれているのだろう。

「で、なんだその格好は」

 金髪を振り乱し、国を買えるぐらいの宝石ですら羨むぐらいに文句もつけようのない美貌を晒しながら、うちの妖精は王侯貴族のようなドレスを身につけ、『アリアハン商店街連合組合応援中』というタスキを肩にかけていた。

 いまいちこの虫のやりたいことがわからないが、今の時点で断言できることがひとつだけある。こいつは阿呆だ。

「決まってるじゃん。ミス・アリアハンコンテストに出場を表明してきたじゃんっ!!」
「ほう」

 魔王バラモスが葬られたことに端を発するアリアハンでのお祭りは、もう一週間もぶっ通しだった。ならば初耳ではあるのだが、そんなよくわからないイベントもあったりするのだろう。ちなみにリリサとフォーラの決闘もそのお祭りの一環として組み込まれている。

「これでグランプリを取ろうものなら、マスターのロクデナシっぷりが世間に公表されること間違いなしじゃね?」
「なんだそれ」
「くしししししししっ。手始めに商店街を味方につけたじゃんっ。商店街を味方につけたということはこのアリアハンの三分の一を握ったってことに間違いなくね? マスターの悪評を流したうえで、あたしに頼るしかないボロボロになったマスターをそっと抱きしめてあげるじゃん」

 そう言いながらメイアは頬を赤らめて、身体を左右にくねらせていた。
 自分の評判を上げられないからといって、逆に人の評判をたたき落とそうとするあたり、こいつの腐れっぷりがよくわかる。

「なんだその遠まわしな嫌がらせは。あと地味に効果的だからその嫌がらせをやめろ。アレルもなにか言ってやれ」
「……妖精って飼い主に似るんだね?」
「おいアレル、余計な一言を付け足すな。こいつが残念なのは前々からだ」
「その通りじゃん。このプリティーでラブリーなこのあたしが、生ゴミと同列に語られてるマスターと同じ扱いとかなんかありえなくね?」
「へえ、調教が必要だなこの虫には。出てくる飯がこれから三食ずっとスイカの皮になることを覚悟しろ」

 ぎゃー、マスターごめんじゃん、っとこっちにすがりついてくるメイアを、さてどうしようかと考えて、返事を保留しておく。

 メイアの投入で、少しだけ場が和んだ。
 このダメ妖精も、たまには人の役に立つこともあるようだった。うん、出す飯をスイカの皮の漬物にランクアップさせてやろう。
 
 アレルは勇者として全世界の希望を謳っている。ゆえにどれだけの重いものを背負っているのか僕には想像することしかできない。
 
 僕がアレルに言えることなんて、そう多くはない。やけにダボついた厚手の服のなかに、どれだけのものを仕舞いこんでいるのか、まったくわからないところである。

「――アレル」
「え?」
「おっぱいを揉ませてくださ――」

 ガスッ!!
 リリサの放つ『はかいのこん棒』の一撃が、僕を直撃していた。

「なにトチ狂ったことを言い出しているのかしらこの男は」
「たまに感極まると、思ってたことを不意に口にだしてしまうこととかあるだろ」
「ないとは言わないけど」

 あの、リリサは絶対にこれ、論文がなかなか進まない憂さ晴らしをしているだけだ、なんて真理にたどり着いてしまったんだがどうしてくれようか。

「男のロマンに決まってるだろう。たとえば、親友の男がある日突然、女の子になってしまったら」
「へー」
「突然女の子になってしまった混乱と、誰にも相談できない心細さとかなんとか、はじめての性欲をもてあますその様とか、周りの人たちがどういう態度をとるのかとか、そして自分自身の心の移り変わりとか、――萌えないか?」
「あのアーくん? ボク生まれたときから女の子なんだけど?」
「もしかしたらこの男。アレルが女の子だったっていう衝撃の事実を突きつけられて、まだ混乱している最中なんじゃないの?」
「え、あ、そっか。アーくんいつも通りすぎて気づけなかったよ」
「仕方ないわ。元から狂ってるせいで、どれだけ壊れたかなんてわからないものね」

 幼馴染ふたりは、酷いことを言ってくれていた。
 泣くぞ。
 僕しまいには泣いちゃうぞ、いいのかこいつら。

「ところでリリサ。あの賢者との決戦を明日に控えて、準備とかしなくていいのか?」
「あんたが全部任せろとか言ってたじゃないの」
「言ったけどな。いや、ちゃんと終わらせてあるけど、僕が言っているのはリリサ自身の体調とかコンセントレーションとかそんなのだが」
「私を誰だと思ってるのよ。闘うのに準備なんてしたことないわ」
「あーそーですかー」

 僕には理解できない境地である。
 強者のみ持ちえる傲慢さは、むしろ心地よいとさえ言える。

「ねえリリサ。いちおう聞いておくんだけど、勝利条件とか決めてあるの? リリサたまにやりすぎるから困るんだけど」
「お前にだけは言われたくない」
「アレルにだけは言われたくない」

 僕とリリサのツッコミが、同時に唱和した。
 アレルは、あう、とだけ言って、貝のように口を閉じてしまう。

「言われなくても、勝利条件はちゃんと決めてるわ。私かあの女か、先に泣いたほうが負けよ」
「なんだそのヌルいと見せかけて、やけにエグめな勝利条件は」

 どう考えてもロクな結末にならなそうである。
 嫌な予感しかしないので、僕はそこで考えることをやめた。
















「はふぅー。くしししししっ、マスターマスター。褒めて褒めて」
「あー、はいはいかわいいかわいい」

 『祝、ミスアリアハングランプリ獲得』というタスキをぶら下げて、メイアは凱旋中だった。実に総投票数の八割を獲得した上での圧勝だったらしい。周り一面の男どもの視線を独り占めにしているあたり、こいつの魅力は相当なものなのだろう。まあ、僕にはどうでもいいことだが。

 メイアはどこぞの大貴族の娘だと勘違いされがちだった。
 チケットもなしで、貴賓席に通されるあたり、なにか美貌とかがを基準を振り切っているのだと思う。

「リリサさんが今一とっつきづらいせいで、あたしにたくさん票が入ったじゃん」
「へーへー、すごいすごい」

 なお、そういうわけで僕らは式典会場にいた。リリサVSフォーラの対決が行われるということで、会場は満員御礼である。
 老若男女合わせて三千人を超えている人々が詰めかけて、客席はずいぶんと暑苦しい光景を見せていた。
 観客席にまで魔法が飛び火しないように、アリアハン魔術兵団が二百人がかりでマジックバリアを張っている。

 オッズが算出されていた。

 賭け金はあらかじめチケット料金にねじ込まれており、あとはどちらが勝つか決めて札を貰うことになっている。

 オッズはリリサ2.3対フォーラ15で、ほとんどがリリサに賭けられている。
 チケットが売れまくっているので、おそらくリリサのオッズを少しばかり盛ったのだろう。少々客に料金を還元しようという運営委員のサービスのはずだ。実際はもっとリリサのチケットが売れているはずだった。
 リリサに世界最強の魔法使いという肩書きがある以上、倍率はもっと偏らなければおかしい。

 なおこの場合のオッズは人気を意味しており、払い戻しには影響されない。
 
 会場のうえでは、フォーラ・バーゼルファルが静謐な雰囲気で佇んでいた。
 怜悧極まりない美貌に、決意の表情が浮かんでいる。
 雰囲気だけで場を圧するそのカリスマのようなものは、リリサには決して身につかないものである。間違いなく、リリサが今まで戦ってきた誰よりも強いということを、彼女はその佇まいだけで観客に納得させていた。

 極限まで自らの知識と技術と叡智を磨き抜いたものだけが立てるステージである。
 高まる観客の期待をじりじりと炙りながら、司会進行を任されている勇者アレルが、細かいルールの説明を続けている。

 ちなみに僕は徹夜でこの原稿を書いていたせいで、とても眠い。とはいえ、僕がやったのは細かい手直しだけで、大まかなルールは太古から培われてきた魔法使い同士の決闘のルールそのものである。

「――使う呪文に制限はありませんが、魔術兵団たちが魔術を弱める結界を張っているので、このなかでの呪文は普段の十分の一ほどの威力に減退されることになります。メラゾーマを放っても、強めのメラが出てくる程度だと言えばわかりやすいでしょうか」

 アレルがよく通る声で説明を進めていく。
 決着方法は大きく分けて六つ。

 テンカウントによるノックアウト。(スリーノックダウン制)
 レフィリー判断によるテクニカルノックアウト(レフィリーストップ)。
 判定。
 引き分け。
 反則による失格。
 それ以外の理由による無効試合。

 ギブアップはない。
 必要はない。戦う意欲がくじけてしまったなら、そのままテンカウントを待てばいい。無理やり引き起こしたり、明らかに戦う意欲を失った相手への追撃は悪質な反則として罰せられることになる。
 
 リリサはルールなどなく泣いたほうが負けだとかいう俺ルールを持ち出してはいたが、無論そんなわけのわからないルールが認められるはずもない。

 リリサが現われて、会場のボルテージが一段階上がった。
 緑衣の服と赤のマント。黒のトンガリ帽子という、一般的な魔法使いの服装だった。
 外見とは裏腹に、チートクラスのマジックアイテムが裏打ちされている彼女の切り札のひとつではあるのだが、会場そのものにかかっている魔力無効結界にすべて無効化されているため、さしたる意味はない。

「私が勝ったら、あなたのメタタノークの本を譲り渡してくれるってことよね?」

 なお、リリサは素敵にも語られたルールに縛られることなく、勝手にルールを追加していやがる。さて、余裕綽々だが、どうなるのか。

 僕には検討すらつかない。
 実践経験と魔力の量ではリリサが。
 横紙破りな戦闘形態と使える呪文の量は、圧倒的にフォーラが勝っている。

 なにより――フォーラ・バーゼルファルにはアレがある。
 僕から聞き出した、リリサの弱点。

 僕にはまったく分からないそれが、勝敗を決する鍵になるのかどうか。




















「先手を、あなたに譲ってあげるわ」

 リリサは、賢者の少女に対して、挑むように手を差し出した。
 むろん、先手だとか後手だとか、元々そんなルールはない。たった今、リリサが勝手に言い出しただけのものだ。

「そう、後悔しないことね」

 舐められている。
 対等の相手だとすら認められていない。

 むろん、賢者の少女は与えられた機会を無駄にはしなかった。
 詠唱。
 一点への魔力集中。
 呪文の構成ののちに、魔力を編みあげ始める。
 
 彼女の頭上に現れたのは、炎で飾られた大火球だった。先手の優位性を極限まで利用して、注げるだけの魔力を注ぎ込んでいる。

 ――メラガイアー。
 火炎系呪文の頂点に君臨する、火炎系最終呪文。

 最大の手札を、最初に切った。
 十秒近くの精神集中ののちに出来上がったものは、密度といい威力といい彼女の手持ち呪文のなかで最強の一角を占めるものなのか。

「これで、終わりッ!!」

 妥協もなにもない。
 初手に切り札を晒して、力押しのみの一撃が放たれた。

 リリサは、動かなかった。
 着弾の寸前まで、詠唱のひとつもしていない。

 そして。
 手のひらの後ろに隠していた火球が、リリサの手から放たれた。

「――メラ」

 メラガイアーとメラが激突した。
 そして、圧倒的な魔力同士がせめぎ合った結果は、会場にいる人々すべての常識を崩壊させるものだった。
 超圧縮されたリリサのメラが、その数十倍する大火球を打ち砕く。

 ――おい、マジかこれ。

 あれだけの魔力を注ぎ込んだ大火球が、跡形もなく一掃される。呆けたような表情を見せたのは一瞬のみ。フォーラ・バーゼルファルは戦術を一変させた。
 
 数による力押しに切り替える。
 構成された魔力を、呪文にかえて放出していく。
 べギラマ。イオラ。ヒャダイン。バギマ。ドルマ。ライデイン。ラナスティス。ドルクマ。メラミ。イオラ。ベリア。べギラマと、属性も威力もバラバラな呪文たちがほぼ無詠唱で繰り出されている。

 ――メタタノークの本。

 過去、現在から未来に至るまでありとあらゆる呪文の使用を約束させる五大秘宝のひとつ。電撃、真空、閃熱、爆裂、暗黒、氷結、火炎、神聖、鋼鉄、星辰、見覚えのある呪文から聞いたことのない呪文まで、フォーラ・バーゼルファルが短い間に繰り出した呪文はおそらく数十に達する。

 ――その呪文の数々を、リリサ・カークシュタインは両手に集めたメラだけで相殺している。
 ギラグレイドやイオグランデなど、リリサが使える呪文の数の総数はたった32である。それに比べて、フォーラ・バーゼルファルが使用可能な呪文は、実に6000を超えている。理屈で言うならリリサの圧倒的な不利だったはずだ。

 いや、それはあくまで常識的な理屈のひとつということなのか。
 そんな理屈が通るのなら、バーゼルファル家が没落するようなことはなかった。
 その光景は、生まれながらにフォーラ・バーゼルファルが家を継げなかった理由を実証するかのようだった。才能というのはこれほどまでに格差を生むものなのか。

「三分持たせてくれ」

 フォーラ・バーゼルファルが生き延びているのは、あらかじめ僕がリリサに言い含めておいたこの言葉のせいなのだろう。
 もしかしたら一瞬で勝負をつけに行ってしまうリリサのKYっぷりを案じて、金をとっている以上、せめて見せ場を三分ぐらいは作らないと、という余計なことに気をまわした結果だった。

 だから――

 五。
 四。
 三。
 二。
 一。

 ゼロ――、と――時計の針が開始から三分を刻む。




     ベタ レーア
「――広域殲滅重力呪文」




 猶予期間が終わる。
 三分が終わってしまえば、リリサはフォーラ・バーゼルファルを磨りつぶすのになんの躊躇もしなかった。

 本来、アリアハンの領地の半分を覆うだけの効果範囲をもつ、リリサの所有する中での最大最強呪文である。

 それを、範囲を狭めて、ただひとりを拘束するためだけに使っている。

 たとえ――呪文の威力が十分の一に減退していても、これだけの威力ともなれば実質なんの意味もない。この重力呪文は魔法へのカウンターとしても有効なために、まずこの重力波をどうにかしなければリリサに傷のひとつも負わせることはできない。

「ぐ――」

 賢者の少女は、上から降りかかる重力の波動によって地面に這いつくばらされていた。なんの身動きもできない。息を吸うだけの力すらないために、このままではいずれ窒息死することは明らかだった。

 彼女の頭上に、魔力の障壁が現れた。

 マホカンタ。
 高位の魔法使いのみが使用を許される、魔力の反射結界だった。

「ゼエッ――ゼエエエッッ――」

 賢者の少女は、殺された息をなんとか吸い込んでいた。重力波は、すべて魔力の反射結界によって遮られていた。

 だが、事態は好転したわけではない。

 重力というものは上から下に降り注ぐものだ。

 ゆえに、魔力反射結界(マホカンタ)でも術者目掛けて跳ね返せるわけではない。賢者の少女のマホカンタは、リリサのベタレーアをそのまま相殺し続けている。消費MPからいって、どちらが優勢かは明らかだった。

 このままだと、リリサのマジックポイントが先になくなる、そのはずだった。



 ズンッ――ッ!!



「か――はっ!!」

 ベタレーアの重力波の威力の桁が、なんの予備動作もなく上がった。フォーラ・バーゼルファルは歯を食いしばって、全力でマホカンタを展開する。

 多重展開した魔力障壁が、展開する端から打ち破られていく。

 フォーラ・バーゼルファルはこのままの状況は負けを意味すると、それだけを判断して反撃に移ろうとし――



 ――そして、絶望した。



「わりとよく出来ているでしょう? 私の魔術師殺し(ベタレーア)に捕らわれたなら、あとは朽ちていくだけよ」

 リリサの声も、マトモに聞こえているのかどうか。

 ここから逃れる手段がない。
 ベタレーアを打ち破る手段がない。
 マホカンタを多重展開するのが精一杯で、他の呪文を展開する余裕がない。

 多重展開をしなければいけない魔力障壁のために恐ろしい速度で、残りのMPが削られていく。


 ――詰みだった。
 フォーラ・バーゼルファルの表情に、あからさまな焦燥が浮かぶのが見えた。










[31830] これ以上なにを望もうか
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/05/01 08:02







 アリアハンが、曾て世界全てを手中に収めていたという記録が残っている。
 そこらにいる老人の与太話だと思われがちだが、その説を補強する記録のようなものはあちこちに点在していて、今もその名残を見ることができる。

 昔、世界はひとつの王国だった。
 
 削り取られた歴史は、歴史に存在する空白は果たしてなにを意味しているのか。そういう命題を一生を賭けて追求していくのが世の歴史家たちの仕事らしい。

 ぼやーっと、そんなことを考えてみる。
 黒を幾重にも重ねたような色が、辺り一面を被っていた。月明かりとあちこちで焚かれている篝火たちが、夜の闇を切り裂いていた。

 夜は長い。
 街はリリサを心配する声で溢れている。時折僕の姿を見かけては、労りの声をかけてくれる人たちもいた。街のいたるところに露店が溢れ、鳴り物が響き、丁半博打が行われている。

 僕はカフェでコーヒーを頼んでいた。
 この飲み物は脳への覚醒作用がまともに解き明かされていなかった頃、一度は教会に異端と認定された経緯がある。しかし、コーヒーの味はすでに上流階級には浸透済みであり、そこからただ美味いからという理由だけで教会の異端認定を覆したこの黒い液体は、飲んでいてなんというか感じ入るものがある。

「彼女の傍に、ついていてあげなくていいの?」
「いいんじゃないのか。僕がいますべきなのは、そんなことじゃない」
「そう。いい男ね、貴方」

 賢者の少女は、着替えていた。
 道具屋で10ゴールドで買った布の服に身を包んでいる。

 賢者からただの村人の少女へと戻っていた。

 彼女の元にメタタノークの本が戻ることは、おそらく二度とないだろう。そういった決意の表れなのかなんなのか。
 僕にはさっぱりわからない。
 それでも彼女は彼女なりに、自分自身が選択した結果を最大限受け止めようとしているのだろう。
 
 ――フォーラ・バーゼルファルは負けた。

 あのあと、なんのハプニングも土壇場での逆転劇もなにもなく、リリサとフォーラの決闘は決着した。グダグダになった末、顔面アリルールのキャットファイトを心の底で期待していた僕には、すごく残念極まりない結果に終わっていた。

「どうして負けたんだ?」
「変な質問ね。私が彼女に劣っていただけでしょう?」

 彼女はこちらを真っ直ぐに見ていた。
 はぐらかされたかなと思ったが、そういうわけでもないらしい。

「あんたにはリリサの弱点が、わかっていたはずだ」

 いまさら、あの狼狽ぶりを演技だったなどとは思わない。
 僕にはまったく見当もつかないことだが、僕の口からフォーラがなにかの糸口を掴んだのは確かなはずだ。

『なによ。なんなのよそれ――』

 彼女の動揺した姿は、まだ記憶に新しい。
 そのカードは、結果として切られることはなかった。
 リリサへの工作が失敗に終わるどころか、彼女はなにかを試みた形跡すらなかった。僕が疑問に思うのは当然だし、彼女には答えるべき相応の義務がある。

 五大秘宝に、リリサのベタレーアを打ち破れるぐらいの柔軟性がないはずもない。彼女は挑戦者の権利を投げ捨てて、ただメタタノークの本を失っただけだった。遠まわしなことを聞いている。僕は聞きたいのはただひとつ。

 今の事態を、狙って引き起こしたのかどうか。
 とまあ、リリサへの嫌がらせとしては彼女の失うものが大きすぎる。それはわかっているが、この苛立ちをどこかにぶつけなければ気が済まない。

「あまり触れてほしくない話題ね」

 彼女はウェイターにアイスクリームとコーヒーを頼んでいた。備え付けの調味料を、人差し指で弄んでいる。フォーラ・バーゼルファルはこちらの視線に耐えかねたのか、ひとつだけ息を吐くと、

「そうね、どうしてやらなかったのかしら。きっと私のプライドに差し障ったのね」
「嘘を言っていないのはわかるんだが、もっと――なんかこう……」
「言わないでよ。今現在進行中で、後悔しているところよ」

 彼女は、つまるところ拗ねているらしい。
 ただ彼女のプライドとやらがなにに起因しているのかがわからない。
 メタタノークの本を使って、あちらこちらをさんざん引っかき回してくれた元賢者の少女が、いまさら相手の弱点を突くことに良心の呵責を感じるとも思えないからだ。

「とんだ間違いだったわ」

 言葉を履き捨てるようだった。

「どれだけ汚い手を使っても、ありとあらゆる手練手管を駆使しても、たとえ自分以外の力に頼ったとしても――」
「…………」
「やっぱり勝たなきゃダメね。人生は」
「…………」
「負け続けて、そんな当たり前のこともわからなくなってたみたいだわ」

 僕は口を挟めなかった。
 その結論はある意味健全で、少なくとも同意できるものではあった。

 リリサの圧倒的な才能にでも幻惑されて、五大秘宝の力を借りずに自分自身の力だけで戦ってみたくなった。結果はどうなっても構わない。そうやって、自分自身の精一杯を振り絞った末に出た結論なら、なにも後悔はない。

 そんなことを言われていたら、彼女をこの場でくびり殺していたかもしれない。そんなセリフを万人に納得させられるのはアレルぐらいである。



















 ――魔力暴走。

 制御から外れた大質量の魔力が、物理的な破壊を伴って暴風域を形成している。
 勝者であるリリサ・カークシュタインが、敗者であるフォーラ・バーゼルファルから景品とであるメタタノークの本を受け取った瞬間のことである。

 その本のカタチをとった秘宝から光が溢れ出ると同時、破壊の風が辺り一面をなぎ払った。細かい悲鳴があちこちであがり、帽子が空に投げ出され、会場に設置された天幕が吹き飛んでいく。辺りに集まった観客たちは本能のままに頭の上を過ぎていくそれに対し、黙ってやりすごすしかなかった。

 駆け出しの魔法使いが魔力のコントロールを失って、火傷や凍傷にかかることは珍しくはない。だがリリサがこんな単純なミスをやらかしたことは一度もない。というより、自分自身の魔力コントロールに絶大な自信を持っていないのなら、不特定多数の呪文をひと束に束ねる収束呪文(マホブラウズ)など、怖すぎて使えるはずもない。

 神の力に呑まれた、ということか。
 五大秘宝の譲渡が可能であるのか、メイアにはすでに聞いてあった。
 最近その美貌を活用することを覚えて調子に乗ってくれているうちの妖精によると、やはり人は選ぶらしい。

 所有者(マスター)は、その時代、世界にひとり限りということはないけど、流石にひとつの神器につき五人もいれば多いぐらいじゃね、とメイアは言っていた。これが神から与えられた恩寵であるのなら、やはり『神に気に入られるのか』という一点のみによって決定づけられるものか。

 意志の力でも触媒にしているのか、
 これが本来神々の力を借りたバトルロワイヤルであるのだが、ただその五大秘宝に相応しいかどうかだけを算盤で弾いているような気もしている。フォーラ・バーゼルファルが選ばれている時点で、単純な戦力比に対した重点も置かれていないのもわかっている。人の愚かさ、欠点、驕慢さも含めて神にとっては自身の敗北よりも価値のあることなのかなんなのやら。

 現在、式典会場はアリアハンの兵士たちによって封鎖されている。
 怪我人がひとりもいないのは、勇者アレルの使役するセブンスオーブがリリサの周りを取り囲んで、五大秘宝の能力ごと無力化してしまったからだった。

 今現在、リリサ・カークシュタインは城のベッドに運ばれ、神官や僧侶たちの治療を受けている。果たして、いつ目を覚ますのか、アリアハンに住むお人好しの人々たちは、城野入口を遠巻きに囲んで、神に祈っている。

「まあ、私にはどうでもいいことだけれど」

 当事者のひとりであるこの少女は、まったく悪びれた様子もない。
 いや、彼女に当たるのもまったくのお門違いなのだろう。なおメタタノークの本は飛散してひとつひとつのページが風に吹き散らされながら光の粒になって、大気に溶けていった。よって現在の彼女の賢者としての実力は、ほぼないに等しい。

「意志の力と心構えとか。リリサ・カークシュタインには、最初から五大秘宝を手にする資格などなかった」

 ――ということじゃないの?
 フォーラ・バーゼルファルはそれだけを呟いた。

「検証もできないしね。貴方のユミスの錬金釜でも、同じことが起こるんでしょうけど」

 ウェイターが運んできたアイスクリームにスプーンを突き立てる。
 彼女はクロスのかけられたテーブルの下に目を落として、『アリアハン観光ガイド』に目を滑らせていた。人生の目的の大部分が消失した以上、なんか自分を見つめ直す旅にでも出るつもりなんだろうか?

「ところで貴方はどう思ってるの? 私の意見に賛同してくれるのかしら」
「まったくなにも絞り込めてないな。例えば、結果的に失敗はしてしまったが、あれがメタタノークの本に認められるための試練とかな。新たなるマスターを迎えるための」
「大外れね。カスリもしていない」
「ああそう」
「でも、私の意見で間違いないわ」
「根拠は?」
「元マスターとしての勘」
「ふむ」

 彼女から言われるまでもない。
 
 リリサが五大秘宝に認めらなかったという可能性が、もっとも高い。

 普通に考えて、AにBは気に入られているとする。そしてCとBは仲が悪い。利害の関係とか単純な問題ではなく、歩んできた道筋とかも含めて、打ち解けることも分かり合えることもない。ならばそこでCとAは分かり合えるのか。一般論だが、無理と答える人の方が割合としては多いはずだ。

 補足する必要もないが、
 Aが学問の神メタタノーク。
 Bがフォーラ・バーゼルファル。
 Cがリリサである。

「――仮説でいいかしら?」
「構わない」
「貴方から聞き出したリリサ・カークシュタインの弱点が、五大秘宝を扱う上で致命的だったと思うの」

 僕の探るような視線に、彼女は肩をすくめた。

「そのリリサの弱点っていうのが、僕にはわからないんだが」
「はぁ?」

 アタマが湯だっているんじゃないか。
 とかそんな目で見られても、わからないものはわからない。

「聞き出したというより、無理やり脳みそほじくられたようなものだっただろうが。聞き方を考えないから自分から落とし穴にハマるんだ」
「そうね。心の隅に留めておくわ。もうその忠告が役に立つこともないでしょうけど。つまり、リリサ・カークシュタインはね――」

 二人がけのテーブルに、影が落ちた。
 そこに居たのはアレル・ロートグラムだった。あちこち引きずり回されて、流石に表情に疲労が滲んでいる。アレルは頼まれるでもなく、フォーラ・バーゼルファルの言葉を引き継いだ。

「――リリサは、自分自身の意思で魔力の使い道を決定づけることができない」

 ん?
 アレルの言葉が――
 十年付き合ってきた友人の言葉が、まるで理解できなかった。
 こいつは嘘はいわない。冗談もいわない。それでも今度ばかりは冗談だって言ってほしかった。

「どこの世界でも、派閥争いなんて幼児たちの諍いですらありえることよ。公園の所有権とか遊具の所有権とかね。無責任に決まって本人の意思なんて考慮されないのよね。彼女は、それにどれだけ心を痛めてきたのかしら」

 いつもならくすくすくすという笑いが入るところなのだろうが、今回ばかりは彼女も茶化すようなことはなかった。

「彼女はそのすべてに目を背けて、なにもかもを無関係だと、自分の心に蓋をしていなければならなかった。誰かのためになにかをしてあげることが苦痛としか思えない。世界最強の魔法使いと奉りあげられても、彼女にとってそれはなにひとつ誇れることではなかったんじゃないの?」
「…………」

 アレルは、フォーラ・バーゼルファルの台詞を、一言も否定しなかった。いや、できなかった?

「まあ、好きなようにとればいいわ。全部貴方から聞いた情報から組み立てた、私の想像だもの」
「好き勝手言うな。そうやって迷っているようなら、僕が気づかないはずがない」
「逆だよ。アーくんに言われたからだね」

 バラバラで意味の繋がらないフォーラの言葉を、アレルが翻訳している。
 このまま聞くべきなのか。なぜか、じわりと手が汗ばむのがわかった。明文化できない気持ちが胸に澱のように溜まっている。
 
「リリサは、アーくんに全部丸投げしてた。気づかれないようにね。選択もなにもかも、徹底的に自分で決められることもなにもかも」
「答えは出たんじゃないの? メタタノークの本から認められない理由としては、これ以上のものはないんじゃないかしら」

 本当に、そうだったか?
 僕は――リリサに対して、そんな無責任な言葉を吐いたのか?
 そんな生き方を強要したのか?

 ――僕が抱えている苛立ちの、その源泉はなんだ?

「お笑い種ねえ。自分でなにも決められない。自分の力に責任のひとつも取ろうとしない人間に、神様が微笑むはずもない。そうは思わないかしら。あれが世界最強の魔法使いであるというのなら、私のしてきた今までの努力はなんだったというの?」

 フォーラは僕に訊いていた。
 自分自身に問いかける言葉なのかと、最初は思った。
 その怒気の強さとこちらを串刺しにする視線の強さからして、ほんとうに答えを待っているのかもしれない。

「思ったんだが」
「ええ?」
「これ、選民思想だよな。神とか神とか神とか出てくるし。いつから俺たちは神様の代行者になった?」
「はあ?」
「僕の結論はいつでも同じだよ。リリサにメタタノークの本は必要ない。結果的によかったんじゃないか? 僕によりかかってるならまだしも、戦う理由を神様に求め出したらヒトとしてどうかと思うし」
「私が、神様に依存してるとでもいうの?」
「お前さんのリリサに対する苛立ちが、なんか同族嫌悪な気がして」

 凄まじい目で睨まれた。口を空けて笑う。引きつった顔を隠すにはそうするしかなかった。

「アーくんはカミサマの力を得ても変わらないよね」
「それはまあユミスの錬金釜は元手がかかるからな。あれがまったくの無条件であらゆるレアアイテムを生成できるとしたら即叩き割ってたぞ。人間を馬鹿にすることこの上ない」
「――どこかで気づいてたわよ。メタタノークの本に頼っても、私はきっと喜ぶことはできない。それでも最強を諦められないということも。勝つということが、全然別の意味になっていくことも。その方法で、私が救われることはないということも」
「そーだなあ。リリサが僕に依存するように、お前さんはメタタノークの本に依存したわけだ。神様が人の努力なんかに価値を見出しているなんて聖職者の戯言だ。五大秘宝に選ばれた時点で、これまでの努力もなにもかもが意味をなくしたということだ」
「私は、間違ってる?」
「いいや。ただひとつだけ、胸を張って自分自身のやってきた努力を語れなくなっただけだろう」
「そう」

 と、フォーラ。

「貴方が言うのなら、そうかもしれないわね」

 そうして彼女はなにかが昇華されたような、驚くほど自然な感情表現を見せた。

 アレルが後ろで頭を抱えていた。
 うーんうーんと唸っているのは果たしてなんだろうか。

「アーくんが、また女の子を堕としてる」
「人をタラシみたく言うな。おっぱい揉むぞこら」

 アレルが胸を隠すように両手で壁をつくった。
 なんだろう。こちらの気の持ちようひとつで色気を感じるあたり、こいつ本当に女の子なんだなぁとしみじみと思った。

「ところで、フォーラさんの仮説はザックリと否定されたよね。リリサが眠り続けてる理由ってなんだろ?」
「否定っていうか。無機物の意思なんて、誰にもわからないんじゃないか?」

 仮説をぶつぶつと重ねてはみたが、堂々巡りして最初に戻ってきていた。
 手詰まりなのかと暗雲が立ち込めてきたそのときに、人ごみをかきわけて姉御が僕たちの前に立った。
 
「はぁようやく見つけたよ。こんなところにいたのかい」

 ルイーダの姉御は、人ごみではぐれないようにミリティ・コーレットの手をしっかりと握っている。

「カヌーザさんが、言いたいことがあるって」
『やっほう。忘れられているようで淋しいわし。ところでこーゆーときにはわしみたいな知恵袋に最初に相談を持ち込むべきだと思わん?』

 幼女が杖にしているエビルワンドが、フレンドリーに話しかけてきている。
 あー、無機物のことは無機物に聞くべきだという原則を守るべきだった。
 というか、この喋る杖に聞けばいいなんて、選択肢にすら上がらなかった。

「それでカヌーザのおじーちゃんは、リリサが昏倒したことになにか心当たりでも?」
『多分アレじゃね? メタタノークの本に認められたじゃん?』
「おいコラ。うちの妖精の口調を真似するのやめていただけませんかおじいちゃん」
「えっとそれより杖のおじいさん。リリサが認められたって?」

 アレルが疑問を引き継ぐ。

『メタタノークの本は、アレ仕組みをバラしてしまうと、過去と現在と未来を多元位相空間にして本のカタチに纏めたもんだから』
「アーくん。多元位相空間ってなに?」

 知らん。
 僕は商人ではなく数学者ではない。
 なけなしの知識をふりしぼって知ったかぶりをしてみる。

「概念を絵や図で情報化したもの、だったっけ?」
『だいたいあってる。ざっくりと言ってまうと、本のカタチをとった図書館だよだよ。いくつもの歴史から魔法に関する情報だけ掬いとってるわけだーね』
「それで、リリサは?」
『そこの図書館の司書にスカウトされたよ。死ぬまで引き篭れるよ、やったね』
「なっ!!」
『さてどーするどーなる』

 杖の先についているしゃれこうべが、ケタケタと状況を煽ってきてくれている。結果から言ってしまうとその効果は絶大だった。
 いいようのない不安感が、黒く染み込むように全身を侵食してくる。あいつは、ついに世界からも引きこもるつもりか?

『このままだと、連れてかれるっしょ?』

 怨念を呼ぶ杖。
 これに咎はないと分かってはいても、やはりこんなものが状況を連れてきたのだと錯覚してしまう。

 気持ちが。
 届いていなかったのなら、もう僕にできることはない。

 ここに、リリサがいなくなったことを悲しんでいる人間がいる。
 それで十分だろう? 

 それが僕たちの世界に骨を埋める理由にならないなら、もうなにを行っても無駄だろう。胸のなかに湧き出た問いは、果たして答えなどあるのだろうか。










[31830] 恋も愛も好きにすれば?
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/05/13 04:22







「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
「なによ奇声をあげて。ついに頭までおかしくなったの?」

 寝起きで腫れぼったい目を指の腹で揉みながら、リリサはそんなことを言った。
 彼女の着ている戦闘服は、泥まみれになっていた。目覚めたあとで、城から直帰してきたのだろう。戦闘の際は気付かなかったが、フォーラ・バーゼルファルはリリサに擦り傷ぐらいは与えていたらしい。メラガイアーの余波かなにかか、自身の魔力暴走で火傷まではしないはずだから、それで間違いないのだろう。
 
 問題はそんなことではない。――おい。
 なんでこいつがここにいて普通に起きて動いているんだ。はた迷惑な眠り姫は、さっぱりこちらの空気など読みはしない。

 ――本物か?
 とか一瞬思ったが、この人の都合を無視するKYっぷりは決してニセモノでは再現できないものだった。

「幽霊とかじゃないだろうな」
「あいにくだけど、足も生えてるし死んだつもりはないわ」

 夜明けで太陽が山間から顔を出したあたりの時刻。
 思う存分に魔力を暴れ回らせて、そのあとの昏倒ののちに、一日の四分の三ほどを寝て過ごしたらしいリリサは、祭りでテーブルに残されていたらしい骨つき肉やパンをもぐもぐとかじっていた。

 さて、僕たちはあのあと――
 リリサをどう救うのか方針を纏めて、あとはアリアハン城の正門が開く時間まで寝ておこうということになった。
 僕がユミスの錬金釜で作り出したエルフの至宝『めざめのこな』が、効力をきちんと発揮するのかが問題だった。けれどそういった懸念はリリサが自力で起き出してきたことで、まったくの無為に帰した。
 結果としては最良なのだろうし、手放しで喜ぶべきなのだろう。あいにく僕はあれだけ事態の急変に振り回されて素直にこれを歓迎できるほど人間は出来てはいないのだが。

 あの杖がガセネタでも掴ませてくれたということなのか。
 それともリリサがあちこち破壊したあげく、また敵でも増やしてきたのかと僕は疑いの眼差しを向けざるをえなかった。

「えーと、体調に問題はないか? リリサがメタタノークの本に取り込まれたとか、あの杖に聞いたんだが」
「なんだ。そこまでわかってるなら、説明の必要もないと思うけど」
「いや、説明しろよ」
「学問の神様とやらに誘われたのよ。ここで、ありとあらゆる多重世界の魔法使いたちの生涯を見届けないかって。そこそこ魅力的ではあったけどね。戦う相手に不自由しないことと、得られる知識の量に限界はないってこと。アリアハンっていう世界のはじっこで一生を過ごすよりも、ずっと退屈しない生涯を遅れるとか言われたわ」
「それで?」
「断ってきたわ。ちょっとお土産にひとつだけ持って帰っていいっていわれて、ついつい本選びに熱中しちゃって、あいにく門限には間に合わなかったけど」
「あ、ああそう」
「心配した?」

 あまりに軽いリリサの言い草に、僕は腰砕けになった。
 ――即答だったのだろう。
 彼女が選んだ選択肢。彼女には彼女なりの考えが、これから進むべき道が見えているのだろう。リリサはその選択を提示されたところで、まったく迷わなかっただろうことが、彼女の様子を見ていてなんとなくわかってしまう。

「ああ、すごく」
「うん。ごめんね」

 ここで瞳でも潤ませていればまだ可愛げがあった。むろんそんなことはなく、リリサは腹に食べ物を詰め込むのに夢中だった。ピザにバハラタソースをかけすぎて、表情もそんなに変わらないままで、舌を襲う辛味にのたうっていた。

「うっわ、この辛さは完全に殺しにきてるわよ。ところで寝すぎて寝られないわ。なにか話しなさい」
「偉そうだなおい。そうだな、これ買い取ってくれるつもりないか? 僕がユミスの錬金釜で作った『めざめのこな』っていうんだが。なにやらありとあらゆる生物を強制的に目覚めさせる効力があるらしい。精製するのに5000Gぐらいかかったんだけど、こんなの汎用性なさすぎて売れないよなぁ」
「へえ。これって起きてる人間に使ったらどうなるの?」
「三日ぐらいは眠れなくなるんじゃないか。実験してないから、そこそこ誤差はあるんだろうが」
「そう」

 リリサは袋に詰まった光の粉を、指ですくったりしている。現代ではエルフの女王のみが精製法を知っているといわれる世界でも数個とない希少品だった。彼女はテーブルに肘をついたままでなにやら考え込んでいる。

「いいわよ。今日のところは、私が買い取ってあげる」
「は? マジでか?」

 後先考えず、相手の言い値で発注してしまったので、この申し出はありがたい。当日中に揃えるのが困難だったとはいえ、かなりふっかけられた。しかし自分で言っておいてなんだが、リリサはいったいどんな使い道を見つけたんだろうか?

 しかし、この娘の浪費癖は相変わらずだった。
 魔力を封じ込められたときの教訓が生きてくるのかとも思ったが、失敗をなんども繰り返して懲りないのが人間ということか。きっと仕方のないことなのだろう。人が本当に失敗から学ぶことができるのなら、今では道行く人たち誰もがみんな聖人になっている。とかいって話をワールドワイドにまで広げてみたが、なんの慰めにもならない。

「それでどうやって使うの。これ?」
「そのまま、対象に向かって振りかければいい」
「こんなふうに――?」

 なにを思ったのか、リリサは僕に向けて袋の中身をぶちまけた。へぷっ、と思わず変な声が出た。粉が器官に詰まって、数瞬息ができなくなる。
 嫌がらせか。
 これは嫌がらせなのか。
 思いっきりぶっかけられて呼吸が妨げられて、こんなの理不尽としかいいようがない。光の粉にむせながらはっきりと目を開くと、『めざめのこな』は対象者を見つけたのか、発光しながら実態をもたない光の粒子となって、僕の身体に染み込んでいくのが見えた。違和感はない。ただ脳は冴えている。すうっ――っと、コーヒーをがぶ飲みしたかのように、ハキハキと目が冴えるのがわかった。
 ああ、できたものを自分の身体で実験するのはやぶさかではないが、はたしてリリサのこの行動にいったいどんな意味があるのか。

「単価のわりに効力がショボイわね。がっかりだわ」
「冷静に言うな。おいリリサ。なんのつもりだこれは」
「言ったでしょ。ちょっと寝すぎて眠れないのよ。ここであんたに寝直されると、いったい私はどうすればいいのよ」
「知らんわっ!!」

 僕は思わず叫んでいた。
 ただの嫌がらせとでも考えていいのか。それとも、神経が鋭敏にでもなっているのか、どっちみち僕に傍にいてほしいなら、最初からそう言え。

「……あのまま帰ってこないかと、少しだけ思った」
「あいにくね。私はそこまでこの世界に絶望してないわよ」

 やや皮肉げに言う。リリサはややモノの見方がひねくれてはいるが、ただそれだけだ。人が人の助けなしで生きていけないこともきちんとわきまえている、と思う。

「神の尖兵か狗か。そんな誘いに乗るのは、英雄か大馬鹿者のどちらかだな」
「そうね。中途半端ね、私は」

 リリサの声音に後悔の色が混じる。

「おい。お前の反省点はそこなのか?」
「難しいわよね。誠実に生きることも自分を投げ出すことも、私にはどちらもできそうにないわ」

 リリサはそんなことを言った。
 流してもよかったのだが、ほぼ無意識のうちに僕は口を挟んでいた。

「初耳だなぁ。お前は誠実に生きようとはしてるのか」
「そうよ。知らなかったの?」

 しばらくリリサの台詞に相槌を返したり、ただ手や足をぶらぶらとさせて暇を潰したりしていると、おかみさんが起き出して朝食の仕込みを始めていた。リリサがいるのに気づいて、やや目を細めて「今日だけは門限を破ったのを不問にしたげる」とだけ言った。おかみさんとしては、ちゃんと帰ってくるのがわかっていたのだろう。

 あとは宿屋の客がぽつぽつと起き出してくるころには、すっかりと陽の光が窓から差し込み、往来からの喧騒が聞こえてきていたようだった。

「ああなんなのかしら。意表をつかれたわね。まさか普通に帰ってくるとは思わなかったわ」

 少女の呆れたような声が降ってきた。
 フォーラ・バーゼルファルはいつも座っているテーブル横の席にミリティ・コーレットを座らせながら、朝食のオーダーを二人分出していた。
 
 メラとヒャドぐらいしか使えなくなったらしいただの少女が、死霊使いの幼女の首にナプキンを巻いている。フォーラは寝起きに自分の髪を気にしていた。どうしても毛先が跳ねるらしくハーフアップして横で髪を結んでいる。

 リリサとフォーラ。
 お世辞にも盛り上がったとはいえない闘いだったのだが、それでもメタタノークの本を賭けての試合は終わった。遺恨を水に流して、新しい関係性を築く意味で握手でもできればいいのだろうが、このふたりにそれを求めるのは最初から無理なような気もしないでもない。

 間。
 間。
 ――間。

 あ。
 ――と、リリサが息を吐いた。

「ああ、うん。大丈夫なの、あんた特徴がなくなりすぎよ?」
「……ねえ信じられる? 今この女、私のことを認識するまで三秒近くかかったわよ」
「そこはむしろ三秒で気づいたことを褒めてやってくれ」

 無理くりなフォローだと自分でも思ったが、リリサはリリサで満足そうだった。

「あ、なにか微妙に誇らしそうなのが、実にむかつくわねえ」
「それでそこの女。いつまでここにいるのよ。用事済んだならさっさと帰りなさいよ」
「思ったんだけど、この子。もしかしたら私の名前すら覚えてないんじゃないかしら。あと、今日は荷造りで忙しいのよ。ミリティちゃんと一緒にデパート行くんだもんねー」
「ねー」

 フォーラの台詞に、ミリティ・コーレットが両手をあげて追従した。
 
「なにを買うのよ」
「キャンプ用の器具とか着替えとかね。幸いといっていいのかしら、先行の偵察用マジックアイテムからの情報だと、アレフガルドの気温はこことあまり変わらないみたい。防寒具みたいなのはいらないようね」
「――まさか、付いてくる気なの?」

 戦慄している。
 リリサは嫌そうな顔を隠さなかった。

 メタタノークの本が消失した以上、ここにこれ以上とどまる理由はなにもない。オルテガさんを助けるために、一刻も早く地下世界アレフガルドに出発するべきだった。今日はまだリリサの体調が万全ではないが、早ければ明日にでもアリアハンを発つ必要がある。

「もちろん。この子が行くのなら、保護者も必要でしょ」

 フォーラはミリティ・コーレットの肩を優しく掴んだ。
 どう思う、と僕の方に視線を向けてくる。その視線の意味合いは、明らかなほどに明らかだった。

『――リリサは、自分自身の意思で魔力の使い道を決定づけることができない』

 これはアレルが言った言葉であり、おそらく一面の真実をついている。僕がフォーラの帯同を許せば、リリサはそれ以上食い下がってくることもないだろう。
 断る理由はとくにない。
 どちらかといえば、こちらから頭を下げて付いてきてくださいと言うべきではないのかとすら思った。

「今さら戦闘力がモノを言うわけでもないんでしょ」
「そうだなー」

 言うまでもない。
 戦闘要員など、アレルとリリサだけで十分すぎておつりがくる。

「明日の朝までに荷物を纏めておいてくれ。明日発つとは限らないが、いつでも宿を引き払えるように。手間取ったら置いていくからな」
「ええ、わかったわ。おやつは5ゴールドまでね」

 フォーラ・バーゼルファルは軽口を叩いていた。リリサにあてつけるように、機嫌のよさを隠そうともしない。
 くるりとあらためてリリサに向き直ると、フォーラは右手を差し出した。握手、という概念ではあるが、なんのつもりなのかリリサは図りかねているようだ。握手――は、親愛の証ではあるがそれに込められた意味合いは立場や関係性によって、多少異なる。

「遅ればせながら言わせてもらうわ。おかえりなさい」
「え、ええ。ただいま」

 リリサはおっかなびっくりと、フォーラの手を握った。
 この握手の理由は、普通に考えてt、これから仲良くやっていこうという意思表示なのだろう。

「うちのお爺様が言っていたわ。人が生涯に歩ける距離には限界があるって。そのひとが手と手をつないでいける距離が、そのひとの見られる世界だそうよ。あなたの往く道は、花の生えない荒野というわけではない。なにを実らせるのかは貴方次第ではあるけど、ひとつだけ確かなことはね」

 フォーラは影のない笑みを浮かべた。

「おめでとう――貴方はきっと正しい選択をしたのよ」
「むう」

 リリサはどう対応していいのかわからないのか、困っていた。
 多分、この瞬間に、ようやくフォーラ・バーゼルファルはリリサ・カークシュタインに勝てたのだと思う。
 メタタノークの本に押さえつけられていた心の芽が、正しく花を咲かせたのだと実感できた。
 おそらくこれが本来の、素のままの彼女なのだろう。
 プライドを殺すこともない。
 家のことで背負いきれない責任を被ることもない。
 彼女は彼女なりに敗北からなにかを掴んだということか。
 五大秘宝のくびきから解き放たれたフォーラ・バーゼルファルは、今までよりずっと魅力的に見えた。





















 祭りも、いつか終わってしまう。
 何日続いていたのかわからないアリアハンの祭りも、最終日を迎えていた。
 もう朝も昼も夜もないようなもので、陽が昇っても徹夜でハイになっている左官屋のおじさんや、道端で植木に突き刺さるようにして寝ている酔っ払いがそこらかしこにいた。

 リリサが朝日が指す大通りを歩いていく。
 なにか違和感があった。いつもと勝手が違う。なんだろうかと考えて、すぐにその理由に思い当たった。
 
 いつも僕の後ろを歩いているリリサが、僕の前を歩いているからだ。
 彼女なりに、心境の変化みたいなものがあったのだろう。歩幅を合わせることなんて最初からなく、自分のペースで歩いていた。白いワンピースとつばの深い帽子を被っている。彼女の特徴的な赤毛は、帽子から少しだけのぞくだけである。
 『世界最強』なんて枕言葉のついている少女は、今日のところは正しく街の風景に埋もれている。

「あるくの、つかれた」
「まだ五分も歩いてないぞおい」

 リリサがダウンした。
 こいつの運動不足も度を超えてしまっている。
 大通りから少し外れた森林公園のベンチに腰を下ろして、この葉のせせらぎに身をゆだねていた。どこにいても人の声と影からは逃れることはできない。くっきりと地面に影がふたつ伸びている。

「子供のころを覚えている?」

 子供たちがグループに別れて、それぞれの遊びに興じている。フットボールに影踏みやらなにやら。夕日が沈むまで、泥だらけになって虫やらを追いかけていた昔のことを懐かしく思ってしまう。
 まあ、今もそんな変わってないわけではあるが。

「缶けりの人数が足りなかったんだ。僕が挨拶変わりにスカートめくりしたら、いきなりメラを連発してくる常識はずれなメスガキがいたような」
「ほんとにまったく成長が見られないのねあんたは。無駄なことばっかり覚えてるし」
「さもしいことを言うなよ。無駄は人生を彩るんだぞ」
「ああ、そっか。だからアーサーはいつも人生楽しそうなのね」
「僕の人生は無駄しかないって言いたいのかこのアマ」

 リリサは否定しなかった。とか思ったら否定した。
 そういうのじゃなくて、あんたのそういうところに救われているところもあるの、と。

「あんたは昔から楽しそうだったわね。あまりに楽天的な生き方に感動すら覚えるわけだけど、私が真似しても、どこか上手くいかないのよね」
「そんな兆候はまったく感じ取れなかったわけだけど」
「そう、不思議ね。それは」

 リリサはベンチに完全に身体をあずけている。リラックスしすぎて腹に力が入っていない。だから口から飛び出てくる声にも鷹揚がない。
 彼女の瞳には、空しか映っていなかった。刷毛で引き伸ばしたみたいな雲が、空の青を薄めている。

「これでも忙しかったのよ。あんたに会う前は朝から晩まで、自分のことだけ、考えていればよかったのにね」

 リリサは噛み締めるように言っている。

「実を言うと、ホントはちょっと学問のカミサマの言葉に揺れ動いたりもしたの。今のところ私が目指すもののためには最善の道のりだったし。それもいいかなと、一瞬思ったけれど」
「思ったのかよ」
「でも、なんでかしらね。不意にこうして、あんたと祭りの喧騒のなかを歩いてみたくなったの」

 息が止まった。
 なんでもないことのように、目を閉じて、リリサは続きを口にした。

「理由があるとするならそれだけよ。祭りも、今日で最終日だものね。喧騒は嫌いだけれど、さすがに一切関わらないで終わるのも淋しいものだわ」
「う、うーん。このさい、これをひとつのチャンスとして対人関係スキルを磨くのに費やしたらどうだ?」
「そうね。でもアーサーは、才能の無さを人間関係でフォローできると思う?」
「んー、できるだろ。というか人間関係の構築も才能の一種だろ?」
「だったら、逆もしかりよね。だったら最初から圧倒的な才能を見せつけて、問題ごと吹き飛ばしてしまったほうが楽でいいじゃない。だから、私には対人関係スキルなんて、別に必要じゃないのよね。」

 それでも――ときにそれが、まばゆく見えることもある。
 彼女の言いたいことは、そういうことだろう。

「実に傲慢かつお前らしいけど、それはそれで僕にはリリサの方が人生を楽しんでいるように思えてならない」
「――そう?」
「あと、勘弁してくれ。地下世界アレフガルドまでならともかく、なんで異世界までお前を連れ戻しにいかないといけないんだ」
「ああ、そういえば連れ戻される可能性について、まったく考慮してなかったわ」

 いやそこを反省するまえに、人として考慮すべき点がいくらでもあると思うが。

「なによ。だったら、私は結局ひとりにはなれないってことなのね。悩むだけ無駄だったんじゃない」
「だな」
「無駄な時間を過ごしたわ」
「その結論もどうかと思うけどな」
「だったら、どんな結論ならいいのよ」
「リリサはこの世界が好きだった、でいいんじゃないのか?」

 リリサは僕の言葉にはてなマークを浮かべていた。えーと大丈夫か、と訊くと、リリサは「うん、だいたいわかる。言ってることは」と答えた。彼女のなかでいろいろなことが弾けて、カタチを成していく。

「昨日まで知らなかった他人がずかずかと踏み込んできて、猥雑だと思ったこともあったけど。そのことで私の世界っていつのまにか、広がっていたのよね。へんなガラクタを持ち込んだり、良いことばかりでもなかったと思うけど、悪いことばかりでもなかったわ。そう考えてみれば、人と関わることが不思議と誇らしいように思えてくる。これは誇るべきことなのかしら?」
「好きって気持ちに勝てる概念を、人は持つことができない。ひとりで生きていくのが正しくても、それはきっと間違ってる。だからそこは悩むことじゃないだろう」
「そう。だったら――」

 世界は美しい。
 汚い事ばかりでも、背筋を伸ばして生きている人たちが僕の周りにもいる。愛情だって探せばそこいらに転がっている。



「私は、きっとあなたのことが好きよ」



 だから、これもひとつの答えなのだろう。
 黒色の瞳に、魂が吸い込まれそうになる。そうやって喉を震わせた言葉は、こちらの言葉をすべて奪ってしまうような神聖さを帯びていた。

 ――って、あれぇっ?
 心臓が止まるかと思った。明日の天気でも語るように滑り出た言葉が、僕の心臓を直撃していた。不意打ちを食らってバラけた思考が漂白される。
 二の句が告げない、というのはこういうときに使う言葉なのか、とか考えていた。

「え、ええと」

 僕は返事を返さなければならない。
 彼女の気持ちに、彼女の心に報いることができるぐらいの。

「さて、帰りましょうか。太陽の光を浴びるのも限界だし」
「……ん?」
「なにしてるの? 早く歩きなさいよ」
「待て。返事を、言わなくていいのか?
「え、返事って何の?」
「……リリサ、お前はさっきなんて言った?」
「え? 人と関わることが誇らしいことに思えてくるとかなんとか」
「多分、そのあと、僕のことが好きだとか」
「――言ったわね。あなたが好きだって」

 リリサが、ダルそうに言った。なお、言うまでもないがこの時点でこの告白にありがたみのカケラもなくなった。嫌な予感というかこの先に待ち受けるいろいろと台無しの予感にうち震えながら、僕はこの無為な詮索を続けざるをえなかった。
 
「ロマンとかムードとか、最低でも顔を赤らめたりはしないか?」
 はぁ、なにをわけのわからないことを言っているの?」

 そ れ は 完 全 に 、
  こ っ ち の 台 詞 だ。

 リリサは僕に疑いの視線を向けてきた。まるで、ドブに半身を沈めているネズミの死骸を見るような目だった。

「私の目には世界がどう見えているかって話だったでしょ。だから、世界のついでにあんたの雑感を話してあげただけよ」
「あー、あーあーあー、そういうことか」

 あ、ああ、そうかなるほど。
 十年以上つきあって、ようやくこいつのことが理解できた。
 なにかがおかしいというよりは、自分の気持ちだけで完結する癖がついてやがるんだこの娘。だから自分の気持ちがどう揺れ動いたか理解した時点で、それを受け止めたところでその先に興味が失せたのだろう。

 というわけで、自身の気持ちを平然と受け止めているリリサに対し、僕は乾いた笑いを返すだけだった。

「なにやってるの?」
「待て。いまいく」

 眩しげな太陽に目を細めてみる。
 しばらくこの太陽も見納めだ。アレフガルドに陽は射さない。
 きっと、リリサを相手にしたときの苦労は、大魔王アスラゾーマといえど変わるものでもないだろう。
 はじめから結果のわかった勝負だ。これについては特に記すべきことはなにもない。それよりはもっと楽しげな話をしよう。

 ――季節が巡る。世界のすべてに祝福されながら、僕たちはもうすぐ16歳の夏を迎える。









(おしまい)








[31830] あとがき
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/08/09 14:54




 あとがき。

 連載から三ヶ月も四ヶ月も経って、なんでいまさらあとがき書いてるの、と思った方は正しいです。自分もそう思う。

 ところでドラクエ10はクソゲーでしたね。
 オーガシナリオで、俺のマイユたんをモブキャラ同士で争奪しあったうえ、最初から最後まで主人公が蚊帳の外とかふざけてるの、死ぬの?

 オーガ村の民度の低さがネットのあちこちで問題になっておりますが、仕方ないんだよ。ほぼ戦士と武闘家しかいないんだもん。僧侶、魔法使いとかなにそれってレベルなんだもん。六回パーティー組んだけど、全員戦士と武闘家だけだったよオーガ大陸。回復はすべて薬草。ただA連打して殴り続けるのみ。ただレベルを上げて物理で殴るのみ。それでパーティーのお約束などわかるかこの野郎。

 そして鉄道で他大陸行って敵の強さに絶望するという。
 オーガは優遇されてるのか冷遇されてるのかよくわからない。

 ところであのオフとオンでスライムナイトやキメラの強さに非常に差があるんですが、いったいなにがあった。絶対罠だよねアレ。

 あと、スライムナイトですが、鎧騎士はスライムから生えてるとかいうデマが広がってたみたいだけど、今回完全に否定されましたね。あの上の騎士、普通に降りてたよ。アーサーって名前で始めようかと思ったけど、もう47人ほどいたのでやめになりました。ドラクエでお馴染みの名前だしねアーサー。ルシルですらふたりいたよ。だれかリリサで試してください。

 というわけで、DQ10のことに対して延々と喋りそうなので、さっさとあとがきと言う名のライナーノーツというか、以下すべて反省文です。




 一話。

 そこそこ気合入れて書いた話。
 当初、アリアハンから一歩フィールドに出た勇者がスライムとエンカウントし、苦戦しつつも倒すというのがドラクエ小説一話のお約束なのですが、え、マジで書かないといけないのだろうかこんな茶番、と延々悩んだすえ、ほんのちょっとだけ派手にしてしまいました。

 イオグランデぶちかますのは苦肉の策でした。決してノリノリでやったわけではありません。獣王激烈衝とか大地斬とか海波斬とかもドラクエに逆輸入されたんだし、そろそろマホブラウズがくると作者は信じてます。

 二話。

 世界観と人間関係を描写するはなし。
 リリサたん周りは人間関係が狭いせいであっさりと書くことなくなったのです。

 三話。

 正直、ここまでは真面目に書いてた。
 昔オリジナルで勇者と魔王の話とか書いてたわけですが、勇者が魔王側に論破されるという自体になって、話としては一応まとまったんですが、これってどうなんだろう。話がまとまったとしても、勇者が魔王に論破されたままってのは、まずいだろこれ。というわけで、そこらへんの反省を生かした話。正直ここで書きたいことの九割を使い果たしてたというマジバナシがあったりしました。

 四話。
 五話。
 六話。

 マトモにやると五大秘宝編だけで六十話ほどかかる完全にエタることが判明したので、まともにやることを放棄した回。

 バラモス城に飛ばしての在庫一掃セール回。
 いわゆるソードマスターヤマト。

 ちなみにメイアを入れると魔王がランクアップするのは作者の願望。これ書いてるのと平行してジョーカー2やってた。ダイヤモンドスライムまでの長い道のりを知っているのなら、メイアの能力も感慨深いとおもわれる。
 全員の能力をちゃんとインフレ寸前まで書くのは、実はけっこう苦労してたのでした。ところでドラクエ10のラスボス(なのか?)である冥王ネルゲルが普通に天を切り裂いてるあたり、インフレが足りなかったか、とちょっと後悔しております。

 七話。

 完全にやることなくなったので完全に手癖で書いてたあたり。
 後先考えずタイトルにチートとかハーレムとか入れてしまったので、いきなりハーレムになった回。プロット? ねえよそんなの。
 主人公はおっぱいのある方に突き進むようにしてみた。

 メイアが文句のつけようのないレベルで働いてくれたので、優遇したげようと思ってあんな扱いになったのでした。よく読み込むと主人公がメイアのために甲斐甲斐しく世話してるのがわかると思う。

 手癖で書いてたこの回が多分、一番出来がよいという悲劇。
 プロットってなんだっけ?

 八話。

 やべえ。あまりに適当に書きすぎたせいで、なに書いたかすら思い出せない。

 九話。

 作者にチートものに対する拒否反応が出る話。
 いろいろ理屈をつけてごまかしております。あと後半でアレルが女の子であることがついにバレる。

 いや、話の都合上ここにかねじ込むところがなかったのよ。
 プロットではちゃんと「ボクは、アーくんのことが好きです」と実際シリアスになったり、主人公のセリフの一言一言を支えにして生きてきたことを吐露するシーンとかあったんですが、別に書かなくてもわかるよなそんなん、ということで直前で差し替えになりました。ふう、プロットってなんだっけ?

 十話。

 今思えば、ベタレーアなんざ使わなくてもズッシード(味方のパラメータ『おもさ』を増やす呪文 DQ10で初出)でいいじゃんと言われそうだなぁ。

 本当はベタレーアを使うのがフォーラのほうで、過去未来のすべてを編纂するメタタノークの本はリリサの未来の切り札すら盗み取る、みたいな展開とか。リリサの切り札であるリオフラム(神竜変化呪文)とフォーラの切り札であるエボルシャス(究極変化呪文)とかがぶつかり合う展開とか考えてたんですが、書くのがめんどくさかったのですべてオミットしました。

 って違うよ。
 フォーラたんは本気を出せばここまでやれたんだけど、十一話で書いてたあれこれのせいで本気を出せなかったんだよ。

 十一話。
 十二話。

 なにごともなく終わる話。
 ゾーマ戦とか誰も期待してなかったと思うので、作品タイトルを尊重して終わらせてみました。

 いや、二ヶ月で完結するつもりで書いてたんですが、三ヶ月もかかってしまいました。プロット全体で見た場合の87%ぐらい切り落としたので、いろいろとっちらかった話になりましたね。まあいいか。

 むしろ自分が完結するためには、ここまでいろいろなものを犠牲にしなければいけないのかと課題がいろいろ見えて正直自分でちょっと引いた。

 この三ヶ月で終わらせてみるシリーズはいろいろやれて書いてて面白いので、次は銀英伝とかでやるかもしれません。溜まっていくばっかりのプロットを簡単に消化できていいよね。

 では。
 ドラクエ10もほどほどにして次の作品を更新しまーす。


 
 


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.23206901550293