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[32204] 【習作】 無限の旧神 (IS×クトゥルフ神話)
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/03/17 19:00

はじめまして、HPL信者と申します。
この度は、筆をとらせて頂きましたが、本作はISとクトゥルフのクロスとなっております。
自分でクトゥルフ神話TRPGをやりたいと思ったのですが、友人もいなければTRPGにおいてはドがつく初心者でもあったので、他の卓に入れずSSにて表現させて頂こうと思い立ちました。
文章や設定などにおいてラヴクラフト御大が書かれた原作は勿論、とても文学とは言えない稚拙な表現が多く、大きく雰囲気が違うものとなってしまっており、さらに、初めの方は設定上ISが目立つ事が多くなってしまっています。
不快に感じられる方も多いかと思いますが、ご了承頂ければと思います。

また、設定(特にクトゥルフ神話)において大きな間違いがあれば、感想の方でご指摘頂けると嬉しいです。
私は一応ラヴクラフト全集、及びダーレス氏の作品の一部も拝読させて頂きましたが、理解が追いついているとは言えない次第ですので。

最後になりますが、拙作を楽しんで頂けると嬉しいです。





[32204]
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/03/25 01:01
恐怖への扉は、音もなく開かれる。

近隣で不穏な噂がささやかれる不吉な場所や、俗にパワースポットと呼ばれるような霊地と呼ばれる場所、光の届かぬ未踏の地。
恐怖の影は、何もこの様な場所にだけ存在している訳ではない。
それこそ何処にでも居そうな人づきあいが嫌いな隣人、時折夜中に聞こえてくる犬の吠える声。
そのような何でもない日常にですら、それらは潜んでいるのだ。
そして、何も知らない哀れな犠牲者を容赦なく抜け出せない深みまで引きずり込み、狂気と腐敗に満ち溢れた死に浸すのだ。

例え、その犠牲者がどれ程強い力を持っていたとしても、狂気はその全てを冒涜する。

例え、その犠牲者がどれ程知恵と知識を持っていたとしても、暴力はその全てを嘲笑う。

例え、その犠牲者がどれ程勇気に満ち溢れていても、恐怖はその全てを踏みにじる。

ましてや、凡人などそれらに抗える筈がない。
関わった全ての者に破滅的な最期を振りまいた後、扉は始まりと同様に音もなく閉じられるのだ。



私の場合、それはありえない『姉』の言葉から始まった。


『おねえちゃん、あそぼ?』


『うるさい、あっち行け』


帰ってくる応えは無感動に辺りに響いた。
私がまだ幼かった頃、それこそ年を数えるのに片手で足りる頃、姉はいつも私を邪険にしていた。
いや、正確にいえば歯牙にもかけないほど相手にもしていなかった。
いつも一人で本を読み、当時あり得ない事に既に両親から買い与えられていたパソコンを弄り、時折思い出したように食事を取って眠る。
ほぼ自分と言う存在だけで世界を構成している天才幼児。
例え、私や両親を身内と認識してはいても、興味対象たりえない絶対者。

それが姉だった。

その日、私が声をかけた時も、現在の私にですら到底理解できない内容の本を読んでいた。
しかし、私はいつもそんな姉に臆する事なく声をかけるのだ。
私の実家である篠ノ之神社は剣術道場なども開いていたが、流石に幼すぎる私に合うような子供は入門していなかった。
そのため、私にとって遊び相手になり得る存在は、姉しかいなかったのだ。

もちろん、遊ぼうと言っても姉は決して頷いてくれなかった。
むしろ、必ずすげなく追い返されて一人で遊ぶ毎日だった。

ただ、その日の私は何時もと違った。
普段ならば一度追い返されたらそれで諦めるのだが、その日は姉と遊ぶ為の『ひみつへいき』を持っていたのだ。


『それなら、このごほんをよんで!』


そう言って私が取り出したのは一つの巻き物だった。
いや、正確に言えばそれは墨で鮮やかに絵が描かれた絵巻物だった。
それが、私の『ひみつへいき』だった。

私は、それをその前日に普段、母や父から入ってはいけないと固く言い聞かせられている神社の宝物庫に勝手に入って持ちだしていた。
父は仕事であったし、母は家事。
宝物庫のカギの場所を知っていた私は、簡単にその中に忍び込む事が出来た。

そこで、私は姉の興味を引きそうな物を持ち出した。
その時、目に付いたのがこの巻物。
それまで私が見たことも無いような物が沢山書かれてあって、私にはそれがとても面白い物に見えたのだ。
これならば、姉も興味を持ってくれるに違いない。

そう確信した私は、それを持ち出したと言うわけだ。

そして、姉は私の予想通りに、彼女にしては非常に珍しい事に、私が持っているそれに興味を持った。


『…何それ? と言うか、それ絵本じゃないよ?』


『え? でも、きれいなえがかいてあるんだよ? 』


『はぁ? と言うか、それ宝物庫から勝手に持ち出したでしょ? お父さんとお母さんに怒られるね』


『ううっ、あとでちゃんとかえすもん。それより、これよんで!』


『……まぁ、良いけどさ』


姉は無表情にその絵巻物を私のてから乱暴に奪うと、そそくさと紐解き巻物を広げて見せた。
姉はそのまま私を尻目にしばらく読み進んだかと思うと、彼女にしては珍しい事に本当に私に声を出して読み聞かせてくれた。
それは、姉が私に対して、初めて何かをしてくれた瞬間だった。

だから、当時の私は気がつかなかった。
この巻物こそが、扉を開く鍵であると言う事を。


『――――なに、これ――――』


姉はいつの間にか、いつもの岩の様な無表情を崩していた。
今まで私が見たことも無い満面の笑みをたたえ、目をギラギラと光らせていたのだ。

当時の私は、姉が本を読んでくれることや笑ってくれた事が嬉しくて、姉が今まで誰にも見せた事が無いような笑みを見せてくれた事が嬉しくて。
ただ無邪気に喜んでいた事を覚えている。
そして、姉は約束の通りに私にその内容を読んで聞かせてくれたのだ。


『惨之七秘聖典――』


正確にはその写本の一つであり、内容も完全な物ではなかった。
そして、その中身は、思い出したくもない物であった。
あれほど美麗な絵が前文には差しこまれていたにも拘らず、後半になればなるほどその絵は歪み、冒涜的なものへと変貌して言ったのだ。
もちろん、それは姉が読み聞かせるその内容もだが。

未だ幼く、夜に一人でトイレに行くにも闇を怖がっていた私は、その内容に震えあがった。
ここにきて、私はようやくその巻物の異常に気がついたのだ。
だが、時すでに遅く熱に浮かされたように話す姉の傍らを離れることも出来ず、私はブルブルと震えていた。
それより何より、姉が一言話すたびに周りの空気が冷えて行き、得体の知れない何かが辺りを覆うような感覚を覚えた。
その事で、何か悪い事が起きるのではないかと私はいけない事をしたことを後悔した、

そして、話が異形の神々のモノへと移り変わった時、私に限界が訪れた。

私は恐怖のあまり涙を流して泣きだしてしまったのだ。


『……なんで、泣いてるの?』


ふと気がつけば、姉が不思議そうに泣いている私を見つめていた。
私は涙を流しながら、なんとか言葉を紡いだ。


『ひっぐ、ぐすっ、だって、だってぇ、』


『これはアレでしょ? くだらない神話の自己解釈。
だいたい、こんな生物やこんなものがある訳ないよ。全然科学的じゃない。
そもそも、如何にも古い巻物のように書いてるけど、使われている字はどれもこれも新しい物ばっかり。
たぶん、昭和ぐらいに書かれた物じゃないかな?
まあ、妄想もここまでいくと一種の文学足り得るんじゃないかな?
それにしても、そこまで怖がるようなものでもないでしょ』


とは言え、意味のある言葉を吐き出せなかった私を、姉は興味深そうに見つめた。


『変なの』


『へんじゃないもん、ひぐっ、だって、こわくて…』


『ぷっ、酷い顔。涙と鼻水でぐちょぐちょじゃん』


この頃の姉にしては珍しい事に、彼女は私をからかった。
もしかしたら、純粋に疑問に思ったが故の質問だったのかもしれない。

だが、子供の頃の私はその時の気持ちをうまく表現する事が出来なかった。
今ならば、その時の気持ちを言い表す事が出来たかもしれない。

いや、今ですら無理だろう。
あの感情はもっとも原始的であり、当時すでに理性を手に入れ、自意識を確立いした姉にとっては尚更、理解できない物であった。
それは、現在の私にも一応は当てはまるだろう。
同じような恐怖を感じないと言う意味では。

そう、この時、私はそれらを知ったのだから。

だが、恐らくそれで良かったのかもしれない。
何故ならば、姉はそれ以降その本に対する興味を失くし、二度と触れようとする事もなかったのだから。
そして、それはそのまま捨て置くことこそが正解の物だったのだから。
それより何より、



『箒ちゃんって、おもしろいね!』



私は、初めて『姉さん』に名前を読んで貰えたのだから。


その日、彼女は私の『姉』となった。

だから、私は彼女を心の底からは嫌えない。

どれだけ裏切られても、どれだけ遠くに行ってしまっても、生贄にされても。

この日の思い出があるのだから。


そして、




『ふんぐるい・むぐるうなふ・くとぅるー・るるいえ・うがふなぐる・ふたぐん』




この日の思い出の夢は、いつもどこからか聞こえてくる言葉で終わる(汚される)。






[32204] 一話
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/03/17 19:03





篠ノ之 箒は幼い頃、恋をしたことがあった。


『やーい、男女!』


箒は中学三年生の時に剣道の全国大会で優勝した。
それは幼い頃から培ってきた箒自身の力の集大成と言って良いだろう。
しかし、箒は幼い頃その強さや些か特徴的な喋り方、つっけどんな態度から男女と言われ、虐められてきた。


『男女のくせにリボンなんて巻いてやんの!』


『気持ち悪い!』


『おい、待てよ』


そんな時、そんな謂れのない暴力から彼女を守ってくれた少年がいた。
その名を織斑 一夏。
彼女の実家でもある同じ剣道道場に通い、最初はそれほど仲が良くなかった相手だ。
正確に言えば、箒自身が嫌っていた。
何故か姉とも仲が良く、しかも自分と同様に剣道をやっていた彼は、箒の居場所を取る異物であった。
しかも、彼は彼女の姉である篠ノ之 束に好かれていたのだ。
当時、姉と話せるようになるまでかなりの苦労をした事が記憶に新しかった箒としては、許せるはずのない存在だったのだ。
だから、箒は彼に対し敵対的な言動をよくとっていた。
それに触発されてか、一夏も箒を嫌っていた。
そもそも、箒が虐められる原因となったあだ名『男女』は一夏が口喧嘩の時に使っていたものだったりする。

しかし、彼はその時それ程仲が良くなかった彼女を助けてくれたのだ。
例え、それが元々彼が原因であったとしても救われた事に違いはない。
彼には感謝しても仕切れない。
もしかしなくとも、その時箒は、恋をしていた。
その思いは現在も続いていると言えなくもない。
だが、それでも箒は絶対に自分が現在も恋をしているとは認めなかった。
いや、認められなかったのだ。
何故なら、彼女のその甘酸っぱい筈の思い出は、既に混沌の汚泥に彩られていたのだから。


『箒、ここには何があるんだ?』


『む。そこはほーもつこだ。篠ノ之神社の宝物がおいてある』


『え! 宝物!? 俺、見てみたい!!』


『こら、一夏。そう言う物はそう簡単に見せて貰えるものでは…』


『オッケー、いっくん! こんなこともあろうかと、じゃじゃーん♪ ほうもつこのかぎー(某青狸風)』


『……何をしているんだ、束』


『もう、ちーちゃんは相変わらずノリが悪いなー。大好き。
それはさておき、いっくんよ! ここには束さんと箒ちゃんがラブラブになった秘密アイテムがあるんだぜ!?』


『え、マジ!? 俺、見てみたい!!』


『ね、姉さん!』


『箒ちゃん照れないのー。ほらほら、それじゃあ皆いくよー。
レッツオープン!!』






『やあ、いらっしゃい愚かな子供達――』








「はっ!?」


急速に浮上した意識。
ベッドの傍らに置いてある目覚まし時計が電子音を出し、もう目を覚ます時間であると箒に告げていた。
箒はノロノロと目覚ましのスイッチを押し、電子音を止めると今見た夢を反芻する。


「…………最悪だ」


呟く言葉重く、輝かしい朝だと言うのに箒の心に暗雲をもたらした。
今の時刻は6時30分。
いつも箒が起きる時間帯だ。
辺りを見回すと、そこはどこかホテルの部屋を連想させるような室内であった。
ただ、その室内のベッドの足もと側の壁、つまり箒が体を起こすとちょうど正面に来る一の壁に大きく不思議なマークが白いペンキで描かれていた。
それは、炎の瞳を持つ目が中心に描かれた五芒星であった。
その隣には、三本の脚を鉤十字の如く組み合わせた不気味な印が、これまた同様に白いペンキで描かれている。

箒は、ホテル風の室内には決して似合わないその印を、心を落ちつけるかのように執拗に眺めた後、やがてベッドから腰を上げた。

その段になって、箒ほ自分がいつも寝起きしている場所とは違った場所に居ると言う事を思い出した。


「ああ、そう言えばIS学園に来ていたんだった」


IS学園。
そこは、ISと言う兵器の操縦者育成を目標とした教育機関であり、アラスカ条約に基づいて日本に設置された超国家的な特殊高等学校だ。
ISに関連する人材は、ほぼそこで育成される。
また、学園の土地は日本にあるにも拘らず、あらゆる国家機関に属さず、干渉されないという特性を持つ。
さらには、条約国国籍を持つ全ての者に門戸を開くことが義務づけられていおり、多国籍な人種が集う人種の坩堝の場所だ。

ただ、一つ例外がある。

そこには、どのような人種であろうと男子の学生は一人もいない。

IS(インフィニット・ストラトス)。
宇宙空間での活動を想定し、開発されたマルチフォーム・スーツ。
既存技術で開発された全ての兵器を凌駕する最強の兵器。
ただし、本来の用途とされていた宇宙空間への進出は一向に進まず、代わりに兵器としての側面が強調されている。
現在こそ各国の思惑から『スポーツ』という形で落ちついたが、水面下でその力の誇示を目指し、目下開発が進められている飛行パワード・スーツ。

その最大の特徴は、女性にしか使用できない事。

その為、当時は世界のパワーバランスが大きく変化してしまい、社会的に女尊男卑となるなどその影響はとてつもなく大きい。


『真実』はどうあれ、世間ではそう言う事になっている。


それはともかく、彼女が現在いるIS学園は、その名の通りこのISの操縦者を育成する学校なのだ。
箒は何としてもそのIS学園に入りたかった。

その最大の理由は、彼女の『親愛なる』姉がそのISの開発者であるからだ。

篠ノ之 束。

天才の名を欲しいままにし、圧倒的なまでな才能で世界を席巻した存在だ。
現在では、行方不明となっており世界各国が指名手配をしてまでその行方を追っている。
ただし、箒は彼女への連絡先を持っている事から度々彼女と連絡を取る事が出来、現在でも姉妹仲は『悪くない』。
そして、姉立っての願いもあって、彼女はISに乗る事を決意し、IS学園に入学したのだ。

ちなみに、今日はその入学式。
箒は一足先にその学生寮へと身を寄せており現在、その寮で目を覚ました所だ。

とりあえず起きようと、彼女は寝巻にしていた浴衣もそのままに洗面台に向かい顔を洗う。
慣れないベッドのせいか、僅かに体が軋むものの彼女の鍛えられた体はすぐに活性化し、スムーズに動き出す。
そのまま顔を洗った彼女は、水の冷たさに爽快感を感じつつふと視線を目の前の鏡へと移す。
そこには、いつも通りの箒の顔があった。
やや落ちくぼんだ眼窩に、色濃く残った隈。そして、やや釣り目がちな瞳は濁り、まるで死んだ魚の様な眼だ。
そして、頬も少しこけてしまっている。


「……また、痩せたか」


箒は苛立たしげにそう吐き捨てると、洗面所を出た。
次いで、自分の服が収められたクローゼットへ向かう為だ。
ふと、その途中で彼女のベッドの横にあるもう一つのベッドが視界に入る。


「…結局、同室の者は当日まで来なかったな」


IS学園の寮は基本的に二人一部屋であり、本来ならば彼女にもルームメイトがいる筈であった。
どうやら、同室の者は準備が遅れているらしく入学式の今日であっても荷物も届いていない有様である。
よほど親元が恋しいのか、はたまた準備が遅れてしまったのか。
何れにせよ、相手が見えないと言うのはなんともやり辛い物である事から、一刻も早く来てくれないものかと彼女は考えた。
もっとも、彼女の同室となるものには同情を禁じ得ないと、彼女自身ですら思っていた。
何故なら、彼女の部屋にはでかでかと何やら魔術的な印が描かれているばかりか、その同居人である箒自身も不健康に痩せた不気味な存在であるからだ。
もしかしたら、学園側はそれも考慮に入れて箒を一人部屋にしようとしているのかもしれない。

そんな事を考えながら、箒は手早く寝巻である浴衣を脱ぐと、これから行われる剣道部の朝練で使う胴着に身を通す。
彼女は中学の剣道部で全国大会を優勝している事から、剣道部では期待の新星として入学式前から声が掛けられており、正式に入部はしていないものの練習に顔を出していた。
正直に言って、箒は団体行動に向いていない。
彼女自身口下手な事や普段から放つ不気味な雰囲気に大部分の人間は彼女を倦厭する。
しかも、彼女自身も積極的に人と関わろうとせず、つっけどんな態度を取てしまうのだ。

そんな彼女が、誘われたからと言って部活動に参加した理由、それは部活など何かに集中している間はあの『声』を忘れられるからだ。

そして、今日も入学式があるとはいえ、練習がある為彼女は胴着に着替えると静かに鏡台へと向かう。
隈やこけてしまった頬を隠すために化粧を施す為だ。
酷い有様では有るが、箒とて女だ。多少は外見と言うものを気にする。

化粧が終わると、彼女は竹刀と『燃料』を片手に部屋を出た。
廊下は、未だ早朝である為か、殆ど人が起きている気配はなく静謐な空気で満たされていた。
既に多くの生徒が入寮しているので、人の気配こそあるがその静かな雰囲気に箒はゆっくりと息を吐いた。
なるべくならば、人と出会いたくない。

朝に見たくな過去の夢を見た為に沈みがちだった箒だが、その空気を吸い込む事で身が引き締まるような思いと共に暗い気持ちを吹き飛ばした。


「よし、頑張ろう」


彼女の朝の悪夢。
それは、思い出したくもない幼馴染との馴れ染めであった。
なんて事はない。

虐められていた箒をその幼馴染、織斑 一夏が助けてくれた。

それだけだ。
字面だけを見れば、むしろ箒にとっては喜ばしい思い出なのではないかと常人ならば思うだろう。
しかし、その常人には計り知れない出来事がその想いを反転させた。
ちなみに、4年生になった時に束がISの開発の関係で注目されてしまい、転校する事になったのだが、箒としては姉に感謝しても仕切れないぐらいの恩を感じている。
何故ならば、そのおかげで彼女は織斑 一夏達から離れる事が出来たのだから。

そして、このIS学園は彼女にとっては楽園の様な場所であった。
何故ならば、ISを動かせるのは『女性のみ』。
それはつまり、男がこの学園に入学する事は『あり得ない』のだ。
ようするに、彼女が二度と会いたくないと思っている織斑 一夏を含めたトラウマの要因と再会する危険に怯えなくてすむのだから。
加えて、ここにいる女生徒は殆どがエリート。
かなり高度な教育を受けてきた者たちであり、箒がどれ程孤立してもIS開発者の妹である彼女に『軽率』な行動を取ろうとする馬鹿はいない。

それが意味するところは、


「嗚呼、素晴らしきかなIS学園」


箒の平和が約束されたと言う事だ。

我知らず、浮足立ち始める箒の足。
ほんの少し前から彼女を観察していた者ならば、その光景に愕然としただろう。
少し前までの彼女はまるで世界を拒絶するかのように仏頂面をして、自分以外の全てに威嚇しているかのようだったのだから。。

ともあれ彼女は、そのまま足取りも軽やかに朝の栄養補給をする為に、食堂へと向かった。
そのIS学園の食堂はとてつもなく大きい。
加えて言うならばそのメニューも豊富であり、国が金を出しているとは言え些か豪華すぎるような場所である。
揃えられている各国の料理。
和食や中華、フランスやイタリア料理などメジャーな料理は勿論、一部のマイナーな田舎料理までもが並んでいる。

箒はその中で、和食を選択した。
ご飯に納豆、みそ汁とサケの切り身に漬け物が少々。
パン食が流行している現代では、食べるものが少なくなっていそうな典型的な日本の朝食だ。
その量は、「朝からしっかり食べないと力が出ない」と言う日本人らしいやや多めの量だった。
ただ、箒はここ数日で再び体重を落としてしまっている。
それを取り戻すためにも栄養を取る事は、急務であった。

しかし、そこは流石のIS学園。メニューには完璧なまでに栄養バランスを考えられていた。
しかも、そのバランスを考えられている朝食は、国立であるからか中々に味の方もいけている。
加えて、ご飯は配膳してくれるおばちゃんに頼めばどんぶりでも食べられるのだ。

IS学園に入学して本当に良かった。
まだ早朝である事から、殆ど人がいない食堂でそう考えながら、箒は手を合わせて「いただきます」と口にした。
その姿勢は剣道をやっているからか、背筋が伸びており大変綺麗だ。
立てば石楠花と言う言葉があるように、その彼女の姿は百合の花のように美しかった。
ただし、そのやせ細った姿からは『枯れた』と言う言葉を連想してしまうが。

箒はまず味噌汁を手に取りそっと一口啜った。
そこに彼女と同じ剣道部の先輩達が現れる。


「おはよう、篠ノ之さん。相変わらず朝早いねー」


「おはようございます、先輩」


箒は、自分の傍に座った先輩達にそう言って頭を下げた。
それ程まだ親しくはない上、箒自信あまり社交的な性格ではない為些かぶっきら棒な言葉遣いとなってしまった。
しかも、これ以上会話を続ける気が無いとでも言いたげに、食事を再開する有様だ。
だが、春休みの間世話になった先輩達はそんな彼女の性格が分かってきたのだろうか、特に気にした風もなく言葉を続ける。


「いやー、やっぱり箒ちゃんは真面目で良い娘ねー。これで剣の腕も立つんだから」


「本当、今年のIS学園は豊作ね。これは、今年もインターハイの優勝は頂いたわね」


「そんなことは……」


箒は一方的に投げかけらるそんな言葉にイライラとしながら、鮭の切り身を箸でほぐす。
ただその為、鮭フレークの如くバラバラにしてしまっているが。

先輩達は、箒のそんな様子を見て苦笑する。
相も変わらずこの後輩は、人づきあいが嫌いのようだと再確認したのだ。
正直、彼女たちにしてみてもこのまま箒の横で食事をするのは厳しかったが、それでも先輩としての義務感か、彼女を輪の中に入れようとしてその場に留まった。

その時、一人の先輩がふと思い出したように口を開いた。


「豊作と言えば、専用機持ちが3人入ってくるんだっけ? しかも、主席はあのイギリスの代表候補生のセシリア・オルコットだとか」


その名前には、箒も聞き覚えがあった。
イギリスの次期主力機と言われている『青い雫(ブルー・ティアーズ)』のパイロットで、数年後にはイギリス代表になるだろうと今、IS界の中で注目を集めている者の一人だ。
ISはそれを作る為のコアの数が限られている。
と言うのも、開発者であり世界で唯一コアを作れる箒の姉である束が作るのを止めたからだ。
しかも、他国が作ろうにもコアはブラックボックスだらけ。
とてもではないが、開発出来ない代物だ。
そもそも『材料からして手に入り辛い』為、束ですら作るのに苦労する様な物だ。
幾ら国と言えども、簡単には解明できまい。
そのため、コアは467個と限られており、専用機を持っている者、しかも国の代表候補生になると超が頭にいくつ付くか分からないほどのエリートだ。

しかも、件のセシリア・オルコットはBT兵器という最新兵器で、歴代適正NO1をたたき出している。
トップエリートである代表候補生達の中でも体一つ飛びぬけている化け物だ。

ましてや、ISの適性検査で『Cランク』と余り高くない適性を出した箒には、雲の上の存在と言っても良いだろう。


(……代表候補生、か。そんなに死に急ぎたいのか?)


それとも、ISの真の用途を知らないただの雛鳥か。
箒は雑誌でこそ見かけた事はあるセシリア・オルコットの姿を頭の中で思い出しつつ、沢庵を咀嚼する。
どちらにしても、国家代表などと言う生贄に選ばれた彼女は、箒からしてみれば哀れな存在であった。

箒は、不意に沸き上がってきた苦みにみそ汁を飲みほさんと口をつけ、


「後は、史上初の男の子のIS乗り織斑 一夏くん!」


「ぶふーーーーっ!?」


聞きたくない名前が、あり得ない立場で聞こえてきた為盛大に噴き出した。


「きゃあ!? ちょっ、篠ノ之さん大丈夫!?」


「げほっ、げほっ、せ、先輩。今の話は本当ですか!?」


驚く先輩に対し、箒は鼻からみそ汁を噴き出すと言う乙女にあるまじき暴挙に及びながらも、必死に問いかける。
その形相はさながら、夜叉の如く。
ただし、鼻からみそ汁の具であったワカメが出ているのがシュールで、笑いを誘っている。
しかも、普段は他人を拒絶して寄せ付けない箒が問いかけてくるのは、異様に思える。

先輩の少女は、迫る彼女にハンカチを渡しつつもどこかひきながら口を開いた。


「え、えっと、篠ノ之さん知らないの? 男性初のIS操縦者、織斑 一夏クン。
今、世間じゃ凄い噂になってて毎日ニュースでもやってたし、新聞にも載ってたよ」


「あぅ…そ、そのここ数日は忙しくて――」


「えー? でも、3月の頭頃にはもう噂になってたよ?」


箒はここ数日とても忙しかった。
受験が終わって直ぐに何故か姉に呼び出され、何やらいくつかのISのデータ取りや、普段何もしない彼女の身の回りの世話に追われてしまい、3月末までほぼ世間から隔絶されていたのだ。
しかも、ここ最近は新しい場所に移るにあたり引っ越しや日用品の買い出しなど、それこそ息をつく暇もなかった。
もっとも、姉がわざとそのように忙しくさせて他の事を考える必要がないようにしてくれた事は理解している。
しかし、だからと言って世界で初めて男性がISを動かしたと言う歴史的なニュースを知らない事態になりうるか?
その答えに、箒は一つだけ心当たりがあった。


「すみません、コレお願いします!」


彼女はそう言うと、心配そうに自分を見る先輩に食べかけの和食セットを託し、携帯を片手に食堂を飛び出した。


「え、ちょっ、篠ノ之さん!?」


「…何これ、食べろってこと?」


「無理でしょ。あの娘みたいに胸に全部栄養がいっている感じじゃなきゃ、夜に体重計を見て悲鳴を上げる事になるわ」


「あ、あとそういえば知ってる? 最近、地下鉄で猿を見たって言う人が多くて……」


後ろで、特性のどんぶりご飯の和食セットを預けられた先輩達が、何やら言っているのが聞こえたが、箒はそれらを一切無視すると走りながら携帯電話を操作する。
登録番号は000。登録名は『姉さん』。
そもそも、箒の携帯のアドレス帳にはその番号以外には両親のそれしか存在しない。
箒は寮のはずれの誰も来ない場所まで移動すると、すぐさま通話ボタンを押した。
コール音が数回なった直後、いつもの底抜けに明るい声が受話器から響く。


『もすもす、ひねもすー!? 皆のアイドル篠ノ之 束だよー!』


「ね、姉さん……」


『やあやあやあ! 我が愛しの妹の箒ちゃん! この前振りー。うんうん、話は分かってるよ。アレでしょ、いっくんのことでしょ?』


「どういう事ですか」


姉の舐め腐りきった対応に遂に箒はキレた。朝のIS学園内に箒の静かな怒声が響く。
小さな声であったものの、その迫力からか庭に止まっていたらしい何羽かの鳥達が飛び立った。


『だってー、箒ちゃんはー、いっくんがIS学園入るって分かったら絶対に入学やめるしー』


「当たり前です。 むしろ、アイツくを遠ざける為に私はIS学園に入る事にしたんですよ?
これじゃあ、これじゃあ、意味がないじゃないですか!」


『あはは、まさかいっくんがISを動かせるなんてねー。束さんもビックリだよー』


束はそんな言葉で誤魔化そうとしているが、要するに彼女は織斑 一夏がIS学園に入る事を知っていてそれを箒に知らせないようにしたと言う事である。
どのようにしたのかは分からないが、箒に織斑 一夏の情報を掴ませないようにしたのは絶対にこの姉でる事は間違いない。
その理由も箒には分かる。彼女自身の為なのだから。

しかし、だからと言って、いずれは分かる事を此処まで隠したのは単純に姉が自分を驚かせたかったからだと分かる。
そう、これは束なりのサプライズと言ったところか。
箒からすれば迷惑極まりないが。


「とぼけないでください。それより、姉さん。もしかして、私と一夏は一緒のクラスなんでしょう?」


『あれ、良く分かったねー。流石、束さんの妹。感心感心』


クラリと猛烈な頭痛が箒を襲う。
束のおかげで箒は転校を繰り返しており、友達らしい友達が出来た事はなかった。
体育の時の「はい、じゃあ二人組作ってー」や、修学旅行の班決めはなかなかに箒をしてきつかった事を覚えている。
そもそも、修学旅行に至っては来て一カ月も経たない間の出来事だったので、尚更辛かった。
しかし、それでもあの時の地獄よりは幾分も『マシ』であるが。

だから、それを意図したものではなかったが、連れ出してくれた姉には箒はそれなりに感謝をしていた。

だと言うのに、これは裏切りではあるまいか。


「もう結構です。姉さんの、お姉ちゃんの馬鹿」


『え、ちょっ、箒ちゃんマジギレ!?』


箒は本気で怒りながら静かにそう口にすると、束の謝罪も聞かずに乱暴に電話を切った。
いつの間にか時刻は朝練開始の7時となっていた。

彼女が彼と再開するまで、後2時間。

そうとは知らない彼女は、どうすれば同じクラスでも一夏関わらずにいられるか、姉と比べれば遥かに足りない頭を必死に動かすのだった。
そんな彼女の苦悩する姿を、彼女の影が嘲笑った気がした。





あとがき
以上が今回の更新となります。
低い文章力でお目汚しとなったかもしれませんが、今後拙作のレベルを上げていくためにも感想を頂けると助かります。
それでは失礼しました。



[32204] 二話
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/04/01 22:13





一人一人生徒が自己紹介をしていく。

その様はさながら、死刑囚が絞首台の13階段を上っていくようだと箒は感じた。

彼女が所属する一年一組では、現在SHRを利用して生徒たちの自己紹介を行っていた。
それは副担任であると名乗った山田 真耶の指示によるものだったが、箒にとっては地獄の試練であった。
今最も会いたくない男、織斑 一夏は彼女の席のすぐ傍におり、周りが全て女性である事からいささかグロッキー状態になっているのが見える。
今こそ教科書で顔を隠している彼女の存在に気が付いていないが、自己紹介で彼女の順番となれば気がつかれるかもしれない。
いや、確実に気がつかれるだろう。
もちろん、一夏と箒が最後に会ったのは小学校4年生の時であり、彼らの容姿はそれなりに変わっている。
事実、箒もIS学園に唯一入学した男子生徒が織斑 一夏だけでなかったとしたら、その容姿だけで判別は付かなかっただろう。
それはつまり、これだけ女子が大勢おり、元から箒が同じクラスに居ると知らない一夏は、彼女に気がつけない可能性があると言う事だった。

自己紹介をしても、ばれないかもしれない。
箒は自分でも可能性が低いと言う事が分かっているそれに賭けた。
もしかしたら、彼は彼女のことなど忘れているかもしれない。
そう思い込む事にしたのだ。

自分でも無駄だと理解しながら。


「織斑 一夏です。よろしくお願いします」


そして、遂にIS学園初の男子学生にして、人類初のIS男性操縦者である織斑 一夏が挨拶を始めた。
彼は、その姉であり最強のIS操縦者として名高い織斑 千冬に良く似た顔に笑みを浮かべてそう自己紹介を行う。
多くの女子たちは、彼に注目し次に彼が何を言うのかと身を乗り出すようにして聞こうとした。

その顔を見て、箒は幼馴染という関係である彼にある思いを抱いた。


(……意外と格好良くなったな)


これまた残念なことであるが、一夏の容姿は箒の好みを押さえていた。
目つきは少し悪いながらもどこかさわやかさを感じさせる目鼻立ち。
髪の気も黒のままで、染めたりしていない所に好感が持てる。
制服の着こなしもどことなく清潔感が溢れ、どこか着慣れているようにも見える。
キチンとアイロンが掛かっていることもプラスとなる。

と、そんな事を考えた自分がおぞましくなり、箒は目を閉じる事で自分の思考を撃ち消した。


(イヤイヤイヤ! 待て待て。思い出せ、私はアイツに関わる訳にはいかぬのだ。
アイツをこれ以上、引き込ませては取り返しのつかない事に……)


そう彼は、昔男子に虐められていた箒を助けてくれた事があった。
その事で彼にはとても感謝した。
しかし、それ故に彼女は彼と関わる訳にはいかないのだ。

あの時、見たモノのせいで。


「…っ。はぁっ、はぁっ」


当時の事を思い出し、トラウマが再発した箒は自分の体がガタガタと震えるのを感じる。
そんな彼女の突然の変貌に彼女の隣の席の女子が心配そうに「だ、大丈夫?」と小さく声をかけてくれる。
そもそも、箒自体がやせており目の下に隈があると言う出で立ちだ。一見すると病弱と言う印象も無いではない。
箒は無言で彼女に手を振り、自分は大丈夫であると告げると彼女は、すぐに注目の一夏の自己紹介に視線を戻す。

その間も彼の自己紹介は続いていたが、如何せん彼は何を話せばいいのか分からなかったのか、最初の名乗り以降口を開く事はなかった。
そして、一夏はしばらく悩んだ後に徐にこう言った。


「以上」


恐らくは、続きで他の情報を期待してのだろう女子の一部がずっこける音がした。
同時に、ほれぼれするほど流麗な動きで教室に入ってきた人物の手によって彼の頭が出席簿で盛大に叩かれた。

スパンッ!!!!

どこか重みがあるその音から察するに、相当の衝撃が彼の頭に加わった事は想像に難くない。
そして、彼の頭を殴った人物は、痛がって頭を押さえる彼を冷めた目で見下ろしながら口を開いた。


「貴様はまともに自己紹介すら出来んのか?」


まるで、オオカミの様な鋭い目に整った美貌。
その顔の作りはどことなく一夏に似ている。

その人物の名は、織斑 千冬。

一夏の姉であり、IS学園の教師。
昔から箒を一夏を、束すら魔の手から守ってくれようとした存在だ。
箒は彼女に畏敬の念を感じると同時に、とてつもなく哀れにも感じた。


(織斑 千冬――っ!)


実際に会うのは、久しぶりであったが箒は一目で彼女が千冬であると分かった。
彼女はISの国際大会として名高い大会で優勝した事がある『世界最強のIS乗り』としてこの世に名を馳せており、テレビなどのメディアに多く出演しているからだ。
所謂、女子たちの憧れ的なのだ。
だが、それだけではない。
箒の目はそんなブリュンヒルデ(建て前)の彼女ではなく、あの時のままの彼女が透けて見えていたのだから。
そう、全てを捨てて彼を選択した彼女が。
一夏が驚くと同時に、箒は僅かないらだちと共に唇を噛んだ。


「ち、千冬姉!?」


「学校では、織斑先生だ。馬鹿もの」


彼女は予想もしなかった姉の出現に驚く一夏に対してそう吐き捨てると、ぐるりと教室を見まわした。
その途中、箒の姿を認めるとその研ぎ澄まされた刃の様な瞳が別の色を得る。
その事に気がついた箒は、彼女の現状を真実の意味で察してしまい、気まずい思いと共に彼女から視線を逸らし窓の外に視界をやった。

一夏が幼馴染であるように、千冬もまたその関係が当てはまる。
彼女は幼い頃から束と組んでISの操縦を行っており、束からの信頼も厚い。
そのせいで、彼女もアレと直面してしまったのだ。

しかも、一夏ですら巻き込んだ箒や束に思う所があるはずなのだ。
恐らくは憎悪。
良くも巻き込んでくれたなという激情が。
箒としては、彼女に行ってやりたい事も多々含まれているが、彼女がそう思う事も仕方がないと、むしろそう思ってしかるべきだと考えている。

しかし、彼女は何事も感じていないかのように箒から視線を逸らすと、そのまま教壇に立ち、声を張り上げた。


「諸君、私が織斑千冬だ。私の仕事は弱冠一五才を一六才までに鍛え抜くことだ。
私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。
そして、逆らってもいいが、私の言うことは聞け。いいな」


「キャ――――――ッ! 千冬様、本物の千冬様よ!」


「ずっとファンでした!」


「私、お姉様に憧れてこの学園に来たんです!」


「あの千冬様にご指導いただけるなんて、嬉しいです!」


「私、お姉様のためなら死ねます!」


その瞬間、教室が爆発した。
殆どの女子が立ち上がり、感極まって歓声を上げる。
その勢いに目を剥きつつも、箒は虚像に縋ろうとする愚か者たちを嘲笑したい気分になる。

――もっと良く見てみろ、その女を。不様に地に落ちたブリュンヒルデを!

ともあれ、千冬自身にとってみれば正直辟易しているようで、彼女は嫌そうに顔をしかめて言った。


「……毎年、よくもこれだけ馬鹿者が集まるものだ。感心させられる。
それとも何か? 私のクラスにだけ馬鹿者を集中させてるのか?」


しっかりとした拒絶の言葉。
これを言ったならば、普通なら生徒との関係が悪くなるはずなのだが、『最強』は格が違った。


「きゃあああああああああっ! お姉様! もっと叱って! 罵って!!」


「でも時には優しくして!」


「そしてつけあがらないように躾をして~!」


再び轟く歓声。
最早、色々とかなぐり捨てた少女達のセリフは過激で、さしもの千冬もその表情がひきつる。

そして、箒もその騒ぎ方がどことなく白痴を思わせるトラウマを刺激するもので、テンションがさらに下がっていくのを感じた。
もしかしたら、SAN値に大打撃があったかもしれない。
彼女は、女でありながら女らしい黄色い声が大嫌いなのだ。

とは言え、千冬の登場により混沌とした場は、すぐに終わりを見せる。
いつの間にか時間が経っていたのか、チャイムが鳴ったのだ。
どうやら、一つ時間が終わったようだ。
千冬は、その事を確認すると頭の可笑しい歓声を無視するように声を張り上げた。


「さあ、SHRは終わりだ。諸君らにはこれからISの基礎知識を半月で覚えてもらう。
その後実習だが、基本動作は半月で体に染み込ませろ。いいか、いいなら返事をしろよ。よくなくても返事をしろ、私の言葉には返事をしろ!」


その言葉に対する答えは、なんとも艶めかしい生徒たちの嬌声だった。
千冬はもう完全に呆れ切り、さっさと授業を始めるべく教科書を開いた。

一方、箒は自分と学校との間にあるギャップに泣きたくなりつつも、自分が自己紹介をしなくても良くなった事実に気がつき、小さく安堵のと息を吐いた。
このまま行けば、いつかはバレるかも知れないが、それなりの期間は彼と関わらなくて済むかもしれない。
それに、自分の外見はハッキリと言って見ていて気分が良い物ではない。
ともすれば、忌避のきっかけにすらなるだろう。
そう考えれば、最初から関わらなければ良いのだ。

だから、箒は小さく誰にも見られないように薄く微笑んだ。
その笑みはおぞましく、怖気の走る類の物であった。
未だ千冬の熱から冷めやらぬ教室内では、誰も彼女の事を気にかけてはいなかった。

彼、唯一人を除いて。








そして、事件は一時間目の休み時間に起きた。


「ちょっと、良いか?」


次の時間の準備をしていた箒は、唐突にそう言葉を掛けられた。
今、最も聞きたくなかった少年の声で。

ビクリと体が反応する。
何故、と言う言葉が脳内を埋め尽くす。
箒の見た目は幼い頃から大きく変わった。
肌にはりはないし、隈だって出来ている。
あの時から少しずつ、そうなっていったのだ。
一夏が夢想する過去の自分の面影など、残っている筈もないのに。

同時に、周りの女子たちから息をのむ声が聞こえた。
恐らく、自分達が何時どのように声をかけようか悩んでいた少年が、誰かに声をかけた事に驚いたのだろう。
それも、とてもではないが化粧で隠しきれない隈を持った魅力的とは言えない少女に。


「え? 何々?」


「知り合い? 織斑クンの?」


ザワザワとざわめきは広がっていく。
箒は思わず準備をしていた手を止めてしまい、声をかけた主である一夏を見た。
彼はいつの間にか箒の席の傍らに立ち、座ったままの彼女を見降ろしている。
見上げる形になった箒は、マジマジと彼の顔を見てしまい視線を合わせてしまう。
それに気を良くしたのか、一夏は少し戸惑うそぶりを見せつつも口を開いた。


「篠ノ之 箒、だよな? あの篠ノ之 束さんの妹の」


途端、大きくなるざわめき。


「え、ちょっ、束さんって篠ノ之 束!?」


「そう言えば、篠ノ之さんと同じ名字じゃん!」


「じゃ、じゃあ、妹ってまさか、本当に!?」


いきなりの爆弾投下に盛大に引火したクラスではざわめきを突破し、喧騒が巻き起こる。
その事に箒は、頭が痛くなった。
箒には、友達と呼べる人間はいない。
その理由として挙げられるのは、箒自身のコミュニケーション力不足の他に、度重なる転校や陰鬱とした容姿であったりするが、それらに加えて篠ノ之 束の妹である事が挙げられる。
IS開発者と言う雲の上の存在の妹であると言う事は、どうしても箒を近づきにくくするのだ。
ただ、その事を箒は嫌だと思ったことも、恥じた事もない。
そもそも束の妹であると言う矜持が箒を支えていると言っても過言ではないのだ。

しかし、


(ああ、今回も煩わしい奴らが出てくるかもな…)


どこか慣れてしまった感覚であるが、その事実は箒の心に影をさす。
そして、その原因を作りだしやがった一夏をありったけの眼力を込めて睨みつけた。


「…うっ」


一夏は周りのざわめきから、流石に不味い事をしてしまったのかもしれないと判断したのか顔をひきつらせる。
気のせいか、半歩ほど箒との距離を開けたように見えなくもない。
それを見た瞬間、箒は酷く傷つくと同時にやはりと言う感情が芽生える。

――やはり、自分は闇の中でのたうちまわっている事がお似合いなのだ。

箒は僅かに顔を俯け、一夏を視界から外す。
そうでもしなければ、彼にヒかれたという事実に耐えられそうもなかった。

ただ、その異変にクラスメート達は気がつかない。
彼女達は、未だ箒が篠ノ之 束の妹である事に驚愕しているほか、一夏との関係を邪推していた。
だから、その全てを断ち切るべく箒は口を開いた。



「誰だ、貴様」



その瞬間、空気が死んだ。
一夏は何か信じられない者でも見るかのように箒を見ているし、周りの女子もそれは同様だ。
いや、一部の女子はやはり一夏との関係は無かったのかと安堵している。
箒はどこか苛立たしげに鼻を鳴らして、さらなる追撃を放つ。


「私は貴様など知らないし、知る気もない。唯一の男性操縦者だかなんだか知らないが、話しかけてくるな」


「お、覚えてないのかよ。ほら、小学校一年から四年まで一緒だった幼馴染の一夏だよ!
そんな冗談言ってんなよ!!」


「そうだったか? それで、何か用か?
用がないならさっさと私の傍から消え失せろ、目障りだ」


箒はどこまでも辛らつに、そう吐き捨てた。
同時に、一夏が酷く傷ついたような表情になるが、あえて無視をする。
そもそも、箒とてこの様な言葉を吐く事はしたくない。
しかし、それでも一夏に自分と関わってほしくないと思い、敢えてきつい言葉を使っているのだ。
それで自分から離れてくれたなら、万々歳だ。

むしろ、このままIS学園も辞めて貰いたい。
そうなれば、待っているのは研究所でのモルモットの日々かもしれないが、『真実』を知るよりかは何百倍もマシだ。

それにしてもと箒は思う。

何故、お前はIS(鋼鉄の棺桶)に関わってしまったのか。


「と、取りあえず教室じゃなんだし廊下に出て話さないか?」


「…………良いだろう」


明らかに乱れている一夏の呼吸。
箒に忘れられていた事がよほど応えたのだろう。
その事から未だ一夏が自分を覚えていてくれたと分かり、僅かに嬉しく思うと同時に、嫌な予感を感じつつ箒は素直に頷いた。
ここで断る事は出来ても、そうなれば周りの女子が介入してくるかもしれない。
と言うか、現在までの箒の言動で確実に周りの女子の半分は箒に悪感情を持っているはずだ。
初日からいきなり敵を作りすぎるのは、得策ではない。
い既に手遅れな気はするが、何にせよこれ以上は一線を越えてしまう。
下手をすればIS学園に入学できるほど優秀な少女達にイジメをさせてしまうかもしれない。
そうなると、色々と面倒だ。主に、自分の姉であり信奉者でもある束が。
その前にとどめておきたい。
それに、箒は今の今まで気がついていなかったが、いつの間にか教室の前には人だかりが出来ていたのだ。
恐らく、織斑 一夏を一目見ようと集まって来たのだろう。
既に彼女たちにも束の妹であると言う事は聞かれてしまったが、これ以上変な噂を流されない為にはここを離れるのが得策だろう。

そもそも、自分が束の妹である事をばらす前に場所を変えろよとは思いはしたものの、彼にそのような配慮が出来る筈がない。

箒は自分の席から立ち上がり、教室の外へと足を向ける。
その瞬間、教室の前に出来ていた人だかりが、モーゼを前にした海の如く道を開けた。

もはや、自分達の扱いは珍獣の類なのだろうと頭痛を覚えた箒は、頭を抱えたくなりつつその道を通って教室を出る。
後ろでは、何やら慌てた様子の一夏がしっかりとついてきていた。
そして、ギャラリーたちも。
どうやら、こんな面白そうな現場を見逃したくないとでも考えているのか、皆一様に目を輝かせている。
箒は頭痛が強くなるのを感じた。

これでは、場所を変えた意味がない。
そう考えた箒は、廊下の適当な場所で動く事を止めて立ち止り、一夏へと声をかけた。
そう言う事ならば、さっさと要件を済ませよう。
そう考えての事だった。


「それで、何の用だ?」


「あ、いや、その……久しぶりだな」


厳しめ。キツイと言い換えても良いような言葉に、一夏はどこか戸惑い気に口を開いた
それは、旧知の間柄を懐かしがるかのような言葉であった。


「お前は、覚えてないのかもしれないけど、その俺たちは幼馴染で良く遊んでたから俺は覚えている。
それに、箒は昔から同じ髪型だろう? だから、6年ぶりだけど一発で分かったよ」


一瞬、箒は彼の言動が理解できなかった。

繰り返し言うが、箒は彼と小学校4年生の時に分かれた。
それはつまり、実に7年近い年月を離れて暮らしていたと言う事になる。
その分だけ忘れてしまっていたのだ。
織斑 一夏がどういう人間だったのか。
一夏はこう言う人間だ。
さらりとなんでもない事のように他人を魅了して、なおかつ無自覚。
それがあの事件から発生してしまった彼自身であったとしても、今の箒には劇物同然だった。

咄嗟に箒は咄嗟に口に手を当てて、彼から距離を取りたい気分になる。
しかし、それでは彼に何か悟られてしまうかもしれない。
今の彼女は、飽くまで大切な幼馴染を忘れた薄情な女なのだ。
だから、箒は取り繕って平然とした調子としで言い返した。
そもそも、箒はこんな事は馴れている。
もっと心を根幹から抉り、犯し、踏みにじってくる暴虐に比べれば、この程度の痛み何するものだ。


「挨拶などどうでも良い。私は貴様の要件を聞いているんだ」


「い、いや、用件はお前に挨拶して旧交を温めようかなと…」


「なら、それも済んだ訳だ。失礼させて貰おう」


箒はつっけどんにそう言い放つと、さっさと踵を返して教室に戻り始める。
もうじき、チャイムが鳴る時間だ。
担任である千冬は遅刻を許さないだろうと思ってのことだった。

しかし、一夏はまだ何か諦めきれないのか戻っていく箒に小走りで追いつき、その横に並んで口を開く。


「なあ、本当に覚えていないのか? ほら、道場でも一緒に剣術を習っていただろう?」


「くどい。そんな奴居た気はするが、どうでも良い事だ」


「まんま家族みたいだったじゃないか。お前の家で飯食わせて貰ったり、泊まらせて貰ったり」


その言葉に、ついてきていた人垣からざわめきが起こる。
いい加減に一夏の問題発言をポンポンとする脳みそを摘出したくなってきた箒は、額に青筋を浮かべる。
しかし、怒ってはいけない。
ここで無駄に相手をしては、相手のペースに乗せられてしまう。
一夏が特に狙ってやっているわけではないが、彼は無意識に相手の弱点を付ける男だ。
落ちつかなくてはいけない。
暴虐達には、感情を爆発させて立ち向かうのが常の箒としては、中々に応える精神攻撃であった。
いや、むしろそれは終わっていない。


「あ、じゃあアレは? 
箒が大好きで毎週録画していたアニメのビデオが、途中から束さんのホラー映画に変えられていて、知らずに見た俺たちがその晩トイレに行けなくなったってやつ。
ははっ、そう言えばあの時、箒はトイレに行けなくておもらししちゃってたな」


「」


箒は。ビキビキと自分の頭だけと言わずに顔全体に青筋が張っていく事を感じた。
痩せている事も考えると、相当に恐ろしい事になっているのは分かるが、それでも箒は必死に耐えようとした。
それにしても、一夏は悪意があると言った方がまだ信じられる有様になってきた。
そして、ついに彼は最大の爆弾に触れる。


「そう言えば、お互いに名前で呼び合おうって決めた後に、あだ名も考えようってなったよな。
確か、そこで俺が思いついたあだ名が『もっぴー』。確か、その前の仲が悪かった時は『男女』」


「その名で呼ぶなあああああああああああああああああああ!!」


限界だった。
元来、箒は姉の束とは正反対の性質であり、束の動く前に全て計算して終えると言う事の真逆の何か考えるより先に行動を終えている傾向にある。
要するに、脳筋なのだ。

侮辱されれば、怒る前に相手を打ちのめすのが当然なのだ。

箒の怒声と共に奔った手刀は狙い過たず一夏の顎を的確にとらえた。


――全身、是刀也


箒の全身は鍛え抜かれ、刀の様な鋭さを持っている。
たとえ、痩せてしまってその体重は減ってしまってもその体に余分な脂肪は乳房にしかない。
そんな箒の一撃は確実に一夏の脳を揺らし、彼に脳しんとうを起こさせる。

直後、一夏が糸が切れた人形のように倒れ、周りの女子達が悲鳴を上げるが、箒にとっては知った事ではなかった。
小さい頃から、そのあだ名だけは許せなかったから。


『一夏の、バカ』


どこかで、幼い少女が頬を膨らませてそう呟いた気がした。





あとがき
今回から学園での話となります。
神話性生物の登場は今しばらくお待ちください。



[32204] 三話
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/04/01 22:12




「それで? 登校初日に生徒指導室に呼び出された気分はどうだ、篠ノ之?」


「端的にいえば、今の貴方と同様に最悪です。さっさと自室に帰して下さい」


放課後、箒は千冬に生徒指導室に呼び出されていた。
理由は、朝の一夏に対する暴力、ではない。
それについては、確かに多くの生徒が目撃していたが、同時に一夏の発言を聞いていた者も多く居て、一概に箒のせいとはされなかったからだ。
いや、それも真実ではない。
本当は篠ノ之 束の妹であり防波堤である箒と、人類最初の男性IS操縦者でありブリュンヒルデの弟である一夏との間での問題が複雑である為、どちらも罰する事が出来なかったのだ。
そもそも、あの後すぐに目を覚ました一夏は自分が足を滑らせて転んだと主張し、箒に一切の責を負わせなかったのも一因とも言えるが。
あれから一夏は箒を度々遠巻きに見つめるようになった物の、声をかける事は無かった。
いや、その隙が無かったと言えるかもしれない。

彼は、セシリア・オルコットと言うイギリスの代表候補生に絡まれたのだから。
彼女はイギリスの第三世代IS『ブルーティアーズ』のパイロットであり、それを誇りに思っていた人種だった。
加えて言うのなら、女尊男非の思考にも塗れていた。
そんな彼女はただ『挨拶』する為に一夏に声をかけた。

唯でさえ針の筵の状態であった一夏にとってもそれは有り難いものになるはずだった。
彼女が高圧的に話しかけてこなければ。
女尊男非という考えにそまった彼女の受けら目線の『挨拶』は一夏の肌に合わなかったらしく、対立してしまう事となったのだ。
加えて、クラス代表を決める際にも彼女ともめた一夏は、彼女との決闘を約束してしまう事になった。
一夏は未だにISに殆ど触れた事が無いど素人。対してセシリアは代表候補生であり最新鋭機のパイロットに選ばれるほど、つまりは世界有数のISの腕前を誇っているのである。
勝敗はどちらの目にも明らかだと言えるだろう。

その事があったから、一夏は現在多くのクラスメートたちからの質問攻めにあっていた。

曰く、特訓に付き合おうと。
クラスメートたちも未だ専用のISを持っていないとは言え、唯一の男性操縦者である一夏との関係は魅力的だ。
ましてや、一夏の姉は世界最強と名高いブリュンヒルデ。
皆が必死になって繋がりを持とうとしていた。

そんな中、箒はさっさと自室に戻ろうとしていたのだが、その時ある異常が彼女を襲った。
普段彼女の周囲に広がっている知覚範囲が急速に狭まってきたのだ。
端的に言えば、それは燃料切れだ。

だから、彼女はいつも携帯しているスキットルからそれを少量口に含んだ。
だが、それを見とがめた者がいた。
それはちょうど一夏に用があったのか、HR後しばらくしてから再び居す何時に戻ってきた千冬であった。
彼女は、信じられない事だが、箒が僅かに口に含んだそれの匂いに教室に入った瞬間に気がついたのだ。

それからの彼女の行動は速かった。
一夏に後で職員室に顔を出すように命令すると、慌てて逃げようとした箒を捕まえて生徒指導室へと叩き込んだのだ。

罪状は飲酒。

そう、何を隠そう箒が飲んだ物とは、酒だったのだ。
それは一般的に蜂蜜酒(ミード)と呼ばれる酒で、強い甘みの後に仄かな苦みが来るれっきとした酒であった。
北欧ではブドウが育たないので、ワインの代わりに飲まれてもいたようだ。

ともあれ、飲酒である。

日本の飲酒可能な年齢は20歳。箒はまだまだ年齢が足りない。
それは、到底認められない事なのだ。


「はぁ、貴様の場合事情が事情だからな。『飲むな』とは言わん。
だが、場所を考えたらどうだ? それか、錠剤にした物を服用しろ」


だと言うのに、千冬はまるで箒の飲酒を認めるかのような発言をした。
何故なら、箒にとってその蜂蜜酒は必要不可欠な物なのだから。
千冬は飲んだ事を咎めているのではなく、場所が問題であったようだ。

これには、箒も自分に非があるとは思ったモノの、何となく治まりがつかずに反論した。


「お言葉ですが、普通はまず酒などとは思わないでしょう。その為にスキットルに入れているのですから。
そもそも、私に話しかけてくる人間なんていませんから、ばれようがありません。
そして、錠剤にするには手間がかかります。それに、効果も低下しますし」


しかし、その言葉を千冬は真っ向から叩き潰した。


「成程、錠剤の方は分かった。だが、バレ無いと言うのは果たしてどうかな?
自信満々の割には、今日うちの弟から話しかけられていたようだが?」


「ぐっ」


その強烈な切り返しに、箒は思わず言葉に詰まった。
同時に、千冬は呆れたような表情となった。


「貴様がアレを遠ざけようとする判断は、間違っていないと思うがな。
いや、それどころか姉としては拍手喝采してやりたい気分では有るが、アレを見縊ってやるな。
恐らくは無意識のうちに、そちら側まで踏み込んでいくぞ?」


「分かって、います」


「そうか、なら良い。それについても余り飲酒しすぎるな。
恐らくは束による疑似再現の物だろうが、効能は同じであるんだろう? 使用しすぎると、魂が飛び出して戻らなくなるぞ?」


それはこちらとしても困る、とうそぶいて千冬は席を立った。
恐らく、このまま一夏の待つ職員室に行くのだろうと、それを見送りながら箒は思った。
千冬の背中はまるで箒の事など歯牙にもかけていないようにさばさばとしている。

その後ろ姿を見ると沸き上がるイライラさせられるような感覚に、箒は頭をかきむしりたくなった。


――■■■くせに


――■■■■のくせに


ザワリと感情が湧き立つような感覚。
ともすれば爆発しそうな激情を、手をきつく握りしめる事で堪える。
彼女は、悪くない。
そう思い、憎しみの対象をすり替える。
無貌のあの屑野郎に対する憎しみに変える。
そうでもしなければ、彼女の正気は保つ事が出来なかった。

いや、正確にはその程度ならば容易く耐えられるだろう。
しかし、耐えたくなどなかった。
そうでなければ、地獄を知る前に壊れられたのだから。

箒はそこまで考えると、唐突に立ち上がり生徒指導室を出た。
そいて、そのまま両の自室目がけて駆け出す。
まるで狂ったかのようなその様子に、通り過ぎた何人かが驚いたようにこちらに視線を向ける。
だが、今の彼女にそんな事は関係なかった。

早く自室へ。
あの温かい印がある場所へ。

彼女は逃げ出した。
彼女は決して狂ってなどいない。何故なら、狂えないように出来ているのだから。





自室に戻った彼女は、まっさきにバスルームへ向かった。
そこでシャワーから噴き出る温かいお湯を頭からかぶりながら、いつの間にか張り裂けそうな程高鳴っている鼓動を鎮める。
熱いお湯は、脳内で浮かんでいた様々な事を綺麗さっぱりに洗い流してくれる。
余計な考えが次々と自身から剥離して行く感覚。

それは一種の禊であったのかもしれない。
箒は篠ノ之神社と言う実家で巫女をしていた事もある。
その時、みそぎとして冷たい井戸水を浴びて精神集中の訓練をした事があるが、それと同じだ。
余計な感覚も、想いも無くなり唯自分と言う個が浮き上がってくるのだ。

広い無限の宇宙において、どうしようもない程ちっぽけな存在。
それが箒だ。
そして、敵は――――


その時、不意に扉が開く音が聞こえた。


「!?」


箒は即座に精神の集中を脱却して、シャワーを止めた。
すると、扉越しである為かくぐもったような音になった扉を閉める音と、誰かの声が聞こえた。


「…んだ…、これ?」


もしかしたら、昨夜からずっと来なかった同室の者かもしれない。
そう思った箒は、つい口元が歪むのを堪え切れなかった。


――遅れるぐらいなら、来なければそんなものを見る事もなかったのに。


そんな想いと共に、バスルームの外に声をかける。


「誰かいるのか?」


しかし、その言葉に返事はない。
良いだろう、ならばこちらから出向いてやろう。箒はそんな尊大な気持ちで軽く体をバスタオルでふくと、それを体に巻いたままバスルームの外へ出る。
正直、相手は痩せていながら筋肉質で腹筋が割れている自分の体にどん引きするのだろうと思いつつも、そのルームメートが悲鳴を上げて逃げる姿を夢想して苦笑する。
ともあれ、扉を開けて外へ出た彼女が見たのは――


「っ!?」


「――箒」


誰あろう、織斑一夏だった。


一夏はまるで信じられない物も見たかのように、箒の体を見て茫然としていた。
幸い、胸や恥部、そして腹筋が浮かんだ腹はバスタオルで隠されている。
しかし、それでもある種の衝撃が箒を襲った。


――見られてしまった。


他の誰でもない一夏には、この醜い体を見てほしくなかった。
しかし、それでも箒の鋼の精神は揺るがなかった。


「また貴様か。いつまで見ているつもりだ」


そう冷たく吐き捨て、一夏の前を通り過ぎて自身の服を取りに行く。
まず最初にバスルームに駆けこんだために、バスルーム内に持ち込んでいなかったのだ。
そんな箒の姿に、一夏はどこか悔いるように視線を逸らした。


「ご、ごめん」


「ふん」


箒は、一夏が視線を逸らしているのを良い事にそのままその場で着替えを始める。
まるで、彼女が一夏の事など毛ほども気にしていないと証明する為に。
事実、箒が着替え始めた事を察知した一夏は慌てたように口を開いた。


「お、おい! 着替えるなら別の所で…っ」


「断る。と言うか、織斑だったか? 貴様がさっさと出て行け」


「わ、わかった!」


短く返した箒に、一夏は怒鳴るように声を張り上げると、顔を逸らしたまま部屋の外へと飛び出していく。
それをしり目に箒はごく自然に着替えを終えると、室内に供えられた机に向かって頭を抱えた。
一夏の前では取り繕ったものの、箒の内心は乙女回路ギュンギュンの暴走オーバーヒート状態だ。
そもそも、何故一夏が自分の部屋に来た方と言う問題だが、それは少し考えれば分かる事だ。
束の妹である自分と唯一の男性操縦者である一夏は、ほぼ同じレベルでの護衛対象なのだろう。
それならば、纏めておいた方が管理しやすいと考えるのは当たり前だ。

恐らくはずっと以前から決まっていたはずだ。

そして、千冬辺りはそれを知っていただろう。
ならば、先ほど教えてくれれば良かったのにと箒は悶絶した。

それからしばらく、一人で箒が悶えていると部屋の外から一夏の声が聞こえる。


「あ、あの、入って良いか箒?」


どうやら、外にずっといるせいで注目を集めてしまっているらしい一夏は、声も弱々しい。
箒は一瞬どう答えるか迷ったが、結局は一言で応えた。


「好きにしろ」


その瞬間、一夏が最小限ドアを開くと中に飛び込んできた。
何やら顔が真っ赤に染まっているが、大方女子高特有の無遠慮な格好で歩いている女子を見つけてしまったに違いない。


「助かった。もう、いい加減こんなパンダ見たい扱いはこりごりだ」


一夏はそんな事を言って、深くため息をついた。
そして、自分の前に居る箒が呆れたようにこちらを見ているのが分かると、慌てたように正座になって頭を下げた。


「すいませんでした」


目の前で深々と土下座する幼馴染の姿を前に、箒は盛大に溜息を漏らすでもなく、呆れたように口を開いた。


「まあ、どうでも良いさ。今度やらかしたら、織斑先生に報告するだけだ」


「以後気を付けます。マジすんませんでした」


姉の名前を出した途端、一夏はより深くそれこそ埋まってしまうのではないかと言う程頭を下げる。
それに対し、箒はにべもなく告げた。


「申し訳なく思うなら、さっさと出て行け」


「いや、だって、政府からここの部屋を割り当てられたらしくてさ…勘弁して下さい」


そう言って小さくなる一夏をしり目に、箒はやはりかと小さく毒づいた。
彼女が大嫌いな老害たちは相も変わらず下らない事を考えているようだ。
恐らく、一夏が箒を籠絡してくれれば彼女を、ひいては彼女の姉を自分達の手駒に出来るとでも考えているのだろう。
その事に苛立った箒がむっつりと黙りこむと、それを自分のせいで不機嫌になったと勘違いした一夏は、話題を変えてきた。


「それはそうと、箒。この部屋、なんなんだ?」


そして、堂々と地雷を踏み抜いてきた。


「なんか、訳分からん印が壁に書いてあるし、その、なんつーか、ちょっと不気味だぜ?」


一夏が疑問に感じた印こそ、箒は触れたくない物だった。
その知識を欠片でも開示してしまえば、一夏はそれこそ戻れなくなってしまう。
例え、敬愛する姉が狙っている事と正反対でも、箒は全力で誤魔化す事にした。


「芸術だ。私の渾身の作品だったのだがな」


そして、わざと不機嫌になったような表情を作った箒に、一夏は面白い程慌て始める。
普通に考えれば自室とは言え、寮の壁に絵を描くなどと言う事はあり得ないのだと言う事に、一夏は気がつけない。


「あ、あー、そっか。なんか現代美術なんて、俺は全然分からなくてさ! なんつーか、本当にごめん!」


「ふん」


箒は鼻を鳴らすと彼から視線を外した。
もうこれ以上話し合うつもりはないと言う意思表示のつもりだったが、一夏はまだ諦めていないようだった。


「なあ、お前体調悪そうだけど大丈夫か? なんか、目の下の隈とかすごいんだけど…」


「貴様には関係ないだろう。政府の命令だ。同室になる事は認めてやるが、それ以上は知った事ではない」


そう言って、箒は木刀を片手に立ち上がった。


「お、おい、どこ行くんだよ?」


「貴様には関係ないだろう」


そう冷たく吐き捨てると、箒はさっさとドアの方に向かう。
そして、ふと思い出す。
もしかしたら、この部屋に居続けると印の意味は分からないものの、それによって一夏の精神に影響が出るとも限らないのではないか。
そう思った箒は、出て行き様に一夏に声をかける。


「おい」


「なんだよ」


いい加減に箒の態度が頭にきたのか、ふてくされたように返事をする一夏。
その様に少しだけ心を痛めつつ、箒は手短に言葉にする。


「あんまりこの印が気持ち悪いように感じたら、寮長室に行け。
織斑先生が寮長だから、事情を話せばしばらくは寝かせて貰えるだろうさ。
政府の命令だろうが、あの人はそう言う人だ」


「っ、お前、やっぱり俺の事覚えて――」


箒は一夏の言葉を皆まで聞かずにドアを閉めた。
その廊下には、一夏目当てだろう女子達が沢山待ちかめていたが、出てきたのが箒だと分かると一瞬固まる。
中にはヒッと息を飲んでいる者もいる。
どうやら、箒の狂相は女子には恐ろしい物のようだ。

箒はそんな彼女たちを無視して、木刀を片手に階下を目指した。
何の事はない。明日から部活が始まる為、その自主練習だ。
だから、そんなにざわつく必要はないのにと箒は小さくため息をついた。







[32204] 四話
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/04/13 23:48





織斑 一夏が久しぶりに会った幼馴染は、変わりきっていた。

まずは、その見た目がそうだった。

一夏は外見のその人間を判断する事はないと言いたいが、久しぶりに合った篠ノ之 箒はそれでも異常だった。
幼い頃、ややつり目がちだったが瞳はきらきらと輝いていたし、頬は薔薇色で今にして思えばかなり可愛らしく、正直に言えば一夏の好みであった。
もしかすると、最初は彼女と話す事が照れくさかったから、あまり仲良くなれな方のかもしれないと一夏は思い苦笑した。

だと言うのに、現在の彼女は眼の下に化粧でも隠しきれない濃い隈があり、瞳は此処じゃないどこかを居ているかのように濁っていた。
頬は少しやつれすぎなぐらいに痩せていて、薔薇色の昔の面影はなかった。
何より全身から放たれる陰鬱とした雰囲気が、清廉潔白で抜き身の刀のようだった彼女とは似ても似つかない。

だが、それでも一夏は彼女が篠ノ之 箒だと気がついた。
まずは髪型。頭の上で綺麗に整えられたそれは、昔ほどの艶は無くなっていたけど箒のそれであった。
そして、仕草。昔の彼女に共通する癖を見つけた時、一夏は彼女が箒なのだと確信した。
しかし、



「誰だ、貴様」



そう言われた瞬間、一夏の頭は真っ白になった。
4年生で箒が引っ越してから、政府からの命令で連絡先を知る事も直接会う事も出来なかった。
その為、一夏も忘れられていることを覚悟していた。
だが、それでも心のどこかで覚えていてくれる事を望んでいた。

何故なら、彼女は千冬以外で初めて一夏と一緒に居てくれた子だったから。

だからこそ、絶対に自分の事を忘れないと言う夢を見ていた。
元々、一夏は親の顔を覚える前に親に捨てられたのだと千冬に教えられてきた。
その為、共に居てくれると言う人間は『特別』であったのだ。
それこそが、一夏が箒を特別視する原因だろう。
それに、加えてあの時も箒は一夏を――


『■■、■■っ■ゃ■■■■■■達――』


――――ん? あれ? 俺、今何を考えていたんだっけ?


ふと気がつけば、一夏はいつの間にか思考が飛んでしまった自分に気がついた。
箒について想いを馳せていたはずなのだが、いつの間にかウトウトとしてしまったようだ。
そう、自分に言い聞かせた。

何故なら、それは一夏にとって『良くある事』なのだから。

一夏は『ウトウトしかける前』に自分が考えていた事を何とか思いだし、思考を続ける。

そう、アレは箒に忘れたと言われた直後の事だった。
箒に忘れたと言われた事が『何故か』悔しかった一夏は、本当に全部忘れているのか試しに昔の事を引っ張りだした。

案の定、箒はわざとそんな事を言っていたようで、少しだけ恥ずかしい過去を話すと、昔の箒と同様に簡単に怒った。
箒は元来、怒りやすい子で一夏は昔、束と共にからかってはよく怒られたものだ。
そして、怒気に誘われるように陰鬱とした雰囲気を切り裂くようにして現れた刀の気配。
それこそ篠ノ之 箒の本質であり、昔の幼馴染としての彼女だった。

それからはセシリア・オルコットと言う代表候補生が一夏自身に絡んでくると言う邪魔が入ったせいで何も聞けなかったが、代わりに寮に住めと言い渡された時に千冬に話を聞く事は出来た。

だが、一夏が箒について尋ねると千冬の態度は途端におかしくなった。


「やめろ、アイツの話をするな!
お前だけは、関わるな。いや、篠ノ之と旧交を温めるのは構わない。
だが、絶対アイツの現状(いま)に触れるな。話を聞くな、見るな、感じるな、探ろうとするな。
アイツとお前はただの幼馴染。幼い頃共にいただけの間柄だ。それ以上アイツに近づくな」


どこか怯えるような、世界最強の称号を持つ姉のあり得ない態度に一夏は度肝を抜かれた。
同時に、少しだけ憤った。
箒は一夏にとってただの幼馴染ではない。それこそ、家族同然の繋がりを持ったかけがいのない存在だ。
そんな彼女に関わるなとは、納得いかない。
珍しく語気を荒げた一夏であったが、そこに山田教諭が紛れ込んだため、その話はそこで打ち切りになった。

そして、自分に割り当てられた部屋、箒と同室の部屋に辿りついて中に入った瞬間、一夏はほんの少しだけ姉の言っていた言葉の意味が分かった気がした。


部屋の壁にでかでかと描かれた二つの印。


一つは、炎の瞳を持つ目が中心に描かれた五芒星。
もう一つは、三本の脚を鉤十字の如く組み合わせた不気味な印。


どう考えても正気じゃない。
何か吐き気を催す何かと紙一重の存在。
一夏自身、そんな者に関わるなど冗談ではないと考えてしまいそうになる、そんな印だった。

だが、それでも箒は一夏の幼馴染なのだ。
放っておくことなど出来ない。

それに、今日一日一夏は箒を見ていて分かってしまったのだが、箒は他人を拒絶している。
一夏に暴力を振るった事で確かに皆が箒を怖がり、話しかけなくなった。
それでも、ISの開発者である束と繋がりを持とうと言うのか、何人かの逞しい者達は話しかけようとしていた。
だが、それすらも箒は拒絶した。
まるで、自分に他人が触れる事が汚らわしいかのように徹底的に。
恐らく、その一環で一夏の事も『忘れた』と言ったのだろうと彼は推測した。

そんな風に自分から一人になりに行っている箒を放置していたら、大変な事になるのは良く親友である彼女に『鈍感』と称される一夏でも分かる。
だから、一夏は何としても俺がアイツを繋ぎ留めないとと言う気分になっていた。

その為、一夏はそんな事を思いながら、寮の『自室』で眠りに着く事にした。
もちろん、気分の悪くなるような印は足元の壁に未だデカデカと描かれている。
一時は、箒の忠告の通り大人しく千冬の部屋に行こうとも考えたが、思いとどまってこの部屋で眠る事にした。

ただ、彼は隣の開いたベッドを意識が落ちるギリギリまで眺めながら、


――――箒は今、何処で何をしているのだろうか?


そんな事を思った。





一夏が夢の世界へと旅立った時、箒は学園の屋上で一人鍛錬に励んでいた。
いや、正確に言えば一人ではない。
その傍らには千冬がいた。

彼女は厳しい視線を木刀を振るう箒に向けつつも、特に何かを指摘する事はしていなかった。
いや、正確には出来なかった。
確かに箒の剣技は千冬の目から見ればいくつも問題点が見え、指摘するべき個所は沢山あった。
しかし、同時にその箒の剣技は彼女に最適化されたものでもあったのだ。
まるで、何か自分を補助する物を纏った事を前提としている攻撃。
それは、ISを纏う事を前提とした剣技であった。

そして、ISから逃げ出した身である千冬には今なお戦っている彼女に口を出す資格はなかった。

不意に、箒は木刀を振っていた手を止め、軽く乱れ始めた息を整えつつ千冬に問いかけた。


「何か、御用ですか?」


言外にとっとと目の前から消えろと言う意味が含まれたその言葉に、複雑な思いがあったものの千冬はそれらを全て隠し切り、告げた。
ちなみに、顔は既にあらぬ方へと向けてある。
なるべく、彼女に自分の表情が見えないようにと。


「別段、私個人からの用事はない。だが、貴様も一応は要人なのでな。
その護衛を含めた『監視』だ。嫌ならさっさと部屋へ戻って眠ることだ。そうすれば私も自分の部屋へと戻れる」


「ちっ」


箒は千冬の言葉に、誰からの指令かを察したのか舌うちはしたものの、それ以上何かを言う事なく大人しく素振りに戻った。
それを横目で確認してから、千冬は箒の姿を改めて視界に収めた。
必死になって取り繕ってはいるのだろうが、やせ細った体。
中学に上がる前までは平均より発育が良かったらしい体は、既に見る影もない。
その理由は分かっている。
何故ならその原因は他でもない千冬なのだから。

IS競技における最強を決める大会モンテグロッソ。
千冬はその第一回大会において優勝を飾り、その翌年に開催された第二回大会においても優勝が確実視されていた。
しかし、その第二回大会において決勝戦まで破竹の勢いで勝ち上がった物の、決勝戦で危険をする事となった。

その理由は、一夏の誘拐だ。

その時、千冬の応援に来ていた一夏は何者かの手によって誘拐されてしまったのだ。
誘拐犯たちはその様子を克明に記録し、映像を決勝戦の為にピットにて機体を調整していた千冬へと届けた。
彼らの要求は唯一つ、千冬がモンテグロッソを棄権する事。
それと、金輪際ISに乗らない事。
そして、千冬はその要求を飲んだ。
その結果、他の物たちが、箒がどうなるかと言う事を全て踏まえて。

要するに、彼女は肉親である一夏を選んだのだ。

その選択は間違いではない。
しかし、同時に人類に対して途方も無い負債を背負わせる事となった。
そのしわ寄せは全て箒へと向かった。
元々箒は、何れはそこに堕ちて行かなければいけない運命であったが、千冬は確実にその時期を早めた。

こうして、千冬は箒に負い目を負った。
一時期は箒たちへ逆恨みもしたが、現在冷静になった彼女は箒に対して罪悪感を抱いている。
それこそが、彼女が監視任務を引き受けた理由と言っても良い。
本来の監視は彼女のプライベートを無視するレベルの物であったが、千冬は意図的にそれよりも簡易な者にしている。
気休めにしかならないが、せめて心労を少なくしようと言う考え方だ。

だが、それも意味は無いのかもしれない。

何故なら、箒は――


――そもそも、その程度の事で摩耗する精神など持っていないのだから。


「……先生?」


不意に飛んだ思考がとぎれとぎれの声によって引き戻される。
慌てて意識を取り戻した千冬であったが、いつの間にか素振りを止めた箒が怪訝そうにこちらを眺めている。
千冬は慌てて彼女の視線から逃げるように視線を背けると、つっけどんに口を開いた。


「なんだ、終わったのか?」


「ええ、先ほどから声をかけてましたが…」


「ふん、私とて呆けることだってある。それより終わったのなら部屋に戻るぞ、明日も授業があるのだからな」


「はあ」


気のない返事を返す箒をひきつれて、千冬は屋上の出口へと向かう。

千冬は、箒と目を合わせる事が出来ない。
それは、彼女に負い目があると言う事が理由だが、本当はもう一つ別な理由がある。
その理由とは、箒の目が余りにも似ているからだ。


自分達を深淵の淵から吠え笑うあの存在と。


不意に吹いた生ぬるい風を受け、ブルリと体を振るわせつつ千冬は屋上を出たのだった。
誰もいなくなった屋上では、闇にまぎれて蝙蝠の羽ばたきが聞こえた気がした。






[32204] 五話
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/04/22 15:16




「ひっ! ……あ」


翌日、いつものように朝5時と言う早朝に目を覚ました箒は、荒い息を吐きながら目じりから絶え間なく零れおちる涙を擦りながら置き上がった。


昨夜は夜の鍛錬を終えて部屋に戻った時は、既に日付が変わっており一夏も眠っていた。
鍛錬の疲れと千冬と共にいたと言う気疲れに、さしもの箒の体も耐えきれなかったようだ。
無理もない。
箒の精神が幾ら頑強であろうとも、その資本となっている体は『人間』の物でしかない。
平均睡眠時間が3時間程度では耐えきれるものではない。
いくら『悪夢』から逃れるためとは言え、通常の人間ならば発狂してしまうだろう。

しかし、箒はそうはならない。

それこそが彼女の『特別』であるが故に。
ともあれ、目覚めた彼女がする事は壁面に描かれた印を見る事であった。
一夏の感性においては不気味と評された印であったが、箒にとっては草原を駆け抜ける風の如く清涼さを持っている物であった。
この印を眺めている時だけ、彼女は心が安らげた。


「…うん、まだ大丈夫」


箒はそう呟くと早々に制服へと着替え始める。
本日は剣道部の朝練は無いので本来ならば早起きする必要などない。
しかし、箒は刹那でも長く夢の中に『滞在』したくないので早々に起きる事を選んだのだ。
箒がなるべく音をたてないように着替えていると、不意に隣のベッドの一夏がモゾモゾと動いた。
どうやら、起こし掛けてしまったようだ。
箒は何故か一夏を起こさないようにさらに慎重にしかし急いで着替えを続ける。

彼女とて乙女。
元意中の人物に度々柔肌、とは言えない程醜く痩せさらばえた体であったが、ともかく体を見られたくはない。
大至急準備を終えると泥棒よろしくに忍び足で室外へと出、いつもの如く食堂へと向かおうとする。
しかし、意外な事に未だ早朝と言える既に起きている者がいた。


「あら、こんな時間に人がいらっしゃるなんて、珍しいですわね」


不意に聞こえてきた声。
その声に箒は一切聞き覚えが無かった。また、廊下にいたであろうその人物の気配に気がつけなかった自分を恥じつつ、声のした方へ顔を向けた。
そこには、身目麗しい少女がいた。
先ほど上ったばかりの曙光を受け、きらきらと輝く金糸の髪に晴れ渡った蒼穹をそのまま瞳にしたかのような目、整った顔立ちはどこか気品を感じさせる少女。
箒は彼女を知っていた。


「……セシリア・オルコット」



「そう言う貴女は、同じクラスの篠ノ之 箒さんでしたわよね? おはようございます」


箒の名前を呼ぶだけのともすれば無礼な物言いに気を悪くした風でもなく、セシリアは朗らかに微笑んで挨拶をした。
対して、箒は彼女に挨拶を返すでもなくただ視線を逸らした。
箒は、これまでISの情報誌やファッション雑誌に数多く掲載されている彼女の写真は見た事があるものの、実際の彼女を見た事は無かった。
そして、それ故に思い知らされた。
篠ノ之 箒と言う存在がどれ程女として目の前の存在に劣っているかと言う事を。
それ程までにセシリアと言う少女は美しく、また輝いていた。
箒はその屈辱的なまでの差に暗い嫉妬の炎を燃やしながらも、心の中で彼女を嘲笑した。


――今のうちだけだ。すぐにお前は侵され、穢され……


「どうか、されましたの?」


ふと箒が己の薄汚い思考から回帰すると、目の前に心配そうに彼女を見るセシリアの顔があった。
思わず箒は後ろに下がった物の、セシリアは純粋な善意から彼女を逃す事は無かった。


「っ!?」


「…篠ノ之さん、自己紹介の時も思ったのですけど、もしかして眠ってらっしゃらないのですか?
すごい隈ですわ。それに、お化粧で隠していらっしゃるようですけど顔色も悪いですわ…。
もしかして、何か悩み事があるのですか!?」


「心配される事じゃない」


箒は自分を見つめる純粋な好意に耐えきれなくなり、ただそう短く吐き捨てた。
まさしく相手を拒絶するような言葉であるが、セシリアは怒るような事はなかった。
むしろ、呆れたような視線を箒に向ける。


「…日本人は酔っているのに酔っていないと言う『KENKYOSA』を持っていると伺いました。これがそうなのですね。
ですが、体調が悪いのに無理をする必要はありませんわ! さあ、私と共に保健室へ…」


「だから、大丈夫だと言っている! そもそも、今起きたばかりだぞ私は」


「あら、でしたらご自分の部屋に戻って眠られる事をお勧めしますわ。
大丈夫、まだ授業開始まで時間がありますので仮眠を!」


「お前、私の話し聞いていないだろう」


どこかゲンナリとした気分で箒は頭を抱えた。
元々、慢性的に感覚を広げている為にある偏頭痛がますますひどくなている気がする。
だが、それを意にも介さずセシリアは微笑んだ。


「おほほ、篠ノ之さんは『KENKYOSA』がすごいのですわね。
何と日本らしい方なのかしら、貴女の様な方を『YMATONADESIKO』と言うのですね」


箒はそこでようやく悟った。
こいつとまともに会話してはいけないと。


「……分かった。ちょうど此処が自分の部屋なのでそうしよう」


箒はそう言ってセシリアの言葉に従うふりをして、さっさと逃げ出そうと画策した。
正直、今の騒ぎで一夏が起きてしまっているかもしれないが、これ以上セシリアの相手をするよりはマシだからだ。
幸い、彼女は本当に自分の部屋の前に立っている。
これ幸いに逃げ出すべきだ。

だが、箒は失念していた。
いや、そもそも有象無象に対して興味を払わなかったツケなのか知りもしなかった。
自分と同室のIS学園唯一の男子が、目の前の少女と諍いを起こしたと言う事実を。


「…その部屋は、織斑 一夏の部屋では?」


唐突にセシリアの声から色が消えた。
同時に、箒にとっては嗅ぎ慣れた気配を感じた。
そう、ほの暗い闇の気配が。


「…だから、ですのね? あのような男と同室になってしまったからこそ、貴女は『そんな隈を作ってしまった』」


セシリアの言葉はつじつまが合っていなかった。
そもそも、箒の隈はここ数年の物であったし、一夏が入寮したのが昨日であると言う事は周知の事実だ。
何より、セシリアは箒の隈が昨日の自己紹介の時からあったものだと、『自分から』指摘していた。
だと言うのに、今は全てを一夏に擦り付けようとしている。
いや、正確には『男』と言う存在に。

箒は直感した。
セシリアのSAN値(正気度)はかなり下がっていると。

セシリアは今度は箒をいない物とでもしているかのようにブツブツと呟く。


「……ああ、お父様。貴女はいつもそうですわ……
許せない。これだから、男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は
男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は!!」


遂には関係のない『父親』まで持ち出してきた時、箒は咄嗟に取り出した物をセシリアの鼻先に突きつけた。
すると、今度は一拍置いてからセシリアが驚いたように箒から離れた。


「きゃっ、な、なんですの!?」


箒はとりだした物をてで弄びながら、その言葉に応えた。


「自作のポプリさ。リラックス効果がある匂いを調合してある。
突然『ぼうっとし出した』お前の方が、私より危なっかしい。それはくれてやるから、少し落ちつけ」


「あ、あら、そうでしたの……また、やってしまいましたのね」


箒は耳に小さく聞こえてきた最期の言葉は無視しつつ弄んでいたポプリを彼女に押し付けた。
本来、それは箒が『落ちつく』用の物であったが、学園に多く持ち込んでいる為特に困る事もない。
そもそも、未だこの程度で立ち直れる程度とは言え、輝いていたはずの存在がただの『張りぼて』で会ったと教えてくれた事は嬉しかった箒にはその程度安い物であった。
暗い笑みをたたえつつ、貰ったポプリをしげしげと眺めるセシリアを一瞥すると箒は彼女に背を向けた。


「あ、篠ノ之さ…」


「お前と話していて『気分も良くなった』。先に失礼する」


何か言いかけたセシリアを遮り、箒はさっさとその場を後にする。
箒の心は暗い喜びで満たされていた。
しかし、箒のその気分はすぐに胡散霧消することとなった。

事の始まりは、その日の昼休みであった。

未だ二日目であるからか、既に女子達の間にはグループと言う者が形成されていた。
それは容姿が同程度の者たちの集まりであったり、入ろうと考えている部活動が同じであったりと様々な集団で、一種社会的な集団であった。
勿論、その中には代表候補生であるセシリア・オルコットを中心とする物もあった。
彼女は大勢の中で日本に対する暴言を吐いた物の、それでも一夏が絡まない状態で話すと物腰も丁寧で、実に優雅な雰囲気を醸し出す少女だ。
そんな彼女は代表候補生と言う肩書きも相まって、女性との間で人気を持っていた。
言うなれば、有名人効果だろう。

一方で、その有名人効果があるにも拘らず全く人が集まっていないのが一夏だ。
と言うのも、彼は唯一の男性IS操縦者と言う事であまりにも有名すぎるのだ。
そのため、多くの少女たちは積極的に関わりを持とうにも尻ごみや牽制が起きてしまい、声を掛けられない状況にある。
そう言う訳で、一夏が現在唯一気軽に話しかけられるのは『同室』であり『幼馴染』であり、篠ノ之 束の妹として水面下で『有名人』である箒だけであった。
よって、現在一夏は金魚のフンよろしくに授業が終わり次第さっさと食堂へと移動した箒の後を追っていた。


「おい、待てよ箒! 一緒に飯を食おうぜ」


「……ふん」


箒は、そんな事を言って自分の後を追いかけてくる一夏に小さく鼻を鳴らした。
本来の箒ならば一夏と食事を共にする事に嫌はない。
むしろ、乙女回路ギュンギュン状態となり夢の国に旅立つレベルの慶事だ。
しかし、現在の彼女は一夏を『これ以上』巻き込む訳にはいかない。
その考えが姉のそれと対立するとは分かっていても、箒にはそれを変える気はなかった。

だから、彼女は一夏の声を掛けられると同時に僅かに歩く速度を速めて、彼を引き離しにかかる。
だが、彼女と一夏との間には歩幅と言う越えられない壁が存在する。
次第に追いつかれてしまい、箒は一夏にその手を握って止められてしまう。


「だから、待ってくれって……」


一夏は箒の手を掴んでそう言ったモノの、次の瞬間には自分が掴んだものの現状が分かり、硬直してしまう。
箒の手は、一度見た裸から想像はできていたがかなり痩せていた。
枝の様とは筋肉がついているので言えないが、その筋肉特有の硬さも相まって鉄の棒の様であった。
無論、それは通常の女子の様に柔らかさなど備えてはいない。

箒も一夏が固まった理由をすぐさま悟り、乱暴に腕を振って彼の手から逃げ出す。
再び一夏に自分の怖気が走るような体を知られてしまったと鈍い痛みが箒の胸に走るが、その程度で折れてしまう彼女ではない。
心中で盛大に女性らしくない自分の体を痛罵しつつ、それを表に出すことなく、威嚇も兼ねて低い声を出した。


「気安く触るな」


「…箒、お前」


「一夏!」


箒の威嚇も一夏には通じない。
それどころか、再び箒の手を取って一夏が何かを言おうとした瞬間、それにかぶさるように甲高い少女の声が響いた。
それは一夏の下の名前を呼ぶ物であり、箒にとっては衝撃的な、一夏にとっては慣れ親しんだ者の声であった。

食堂へ向かう人ごみの中で、それをかき分けて出てきたのはツインテールの少女であった。
彼女は一夏たちの前で立ち止まると、そのやや釣り目がちな目を柔らかく弓なりに微笑ませてもう一度一夏の名前を呼んだ。


「久しぶり、一夏」


「お前、鈴、凰 鈴音か!?」


そこにいたのは一夏の幼馴染の一人凰 鈴音であった。
彼女は悪戯が成功した子供のように驚く一夏を見て相好を崩す。


「ふふ、ビックリした?」


「ビックリしたも何も、お前なんだってこんな所に居るんだよ?」


一夏はそう言って驚きに目を白黒させたが、箒はそんな事も気にならないほど黒い感情に染めれられていた。
彼女は一夏と彼女がどういう関係であったかは知らないが、それでも凰 鈴音と言う少女の事は知っていた。

一時、と言うかつい最近になって突如として中国のIS広告塔となった代表候補生。
今一番の成長株と言われ、実力も僅か一年と言う余りにも短い期間で代表候補生になり、専用機を手にした事からも分かる通りかなりの物の少女。
容姿もIS雑誌においてグラビアの表紙を飾る、まさに才色兼備の少女だ。
そんな存在だけでも充分嫉妬の対象だと言うのに、彼女は一夏ととても親密そうに会話をしている。
これで、嫉妬に狂わなければ箒は箒ではない。


「私? 私はあれから中国に戻ったらIS乗りにならないかってオファーが来て、気がついたら中国の代表候補生になってたのよ。
それに、なんでこんな所に居るってのは私の台詞よ。
まさか、アンタが男性唯一のIS操縦者になったなんて、ニュースを見た時は心底驚いたのよ?」


「いや、俺も自分が何でISを動かせるなんて知らなかったけどさ。
でも、代表候補生か……うちのクラスにも一人いるが、エリートって奴なんだろ?」


「まあ、そう言えばそうなんだけど、実際そのエリートよりも希少価値の高いあんたに言われても嫌味にしか聞こえないわね」


「おいおい、お前までそんな事言うのかよ? まあ、何にせよ久しぶりだな、鈴」


「うん、久しぶり一夏」


そう言って一夏と鈴は微笑みあった。
その姿は正に幼い頃から互いを知っているからか、とても自然でそれでいて気安い物であった。
そこは、他の誰が入れても幼馴染である事を『忘れた』と言ってしまった箒だけは決して入れない空間であった。


――負けた。


別段勝負をしている訳でもないと言うのに、箒はそう思ってしまった。
自分は一夏の隣に相応しくないと眼前に突きつけられ、彼女の心はさらに絞られるような激痛が走る。

だから、箒は彼らに背を向け止めていた足を再び動かしだす。
すると、それに気がついたのか一夏が箒に声をかける。


「あ、ちょっと待てよ箒!」


「ホウキ?」


一夏の言葉に小首を傾げる鈴。
一方で、一夏は歩き始めた箒の手を再びとって引き留めた。
その瞬間、鈴は瞳が肉食獣の様に鋭くなる。


「離せ」


「だから、ちょっと待てよ。今鈴に紹介して……」


「……ちょっと、一夏誰よその女」


「え?」


鈴はそう言うと不機嫌そうに箒を睨みつけながら、一夏の片腕をとる。


「お、おい、鈴?」


これに驚いたのは一夏だ。
何故、鈴が不機嫌になっているのか『分からない』彼は、ただ困ったように笑うしかない。
一方で、箒も驚いていた。

何故ならば、目の前の少女は感情を露にしていると言うのに、そこから『闇』の匂いを感じ取れないからだ。

通常、IS操縦者と言う者は多かれ少なかれ、気づいているにしろ気づいていないにしろ『闇』に触れ合っている。
いや、そもそもIS自体が『闇』なのだ。
だと言うのに、目の前の少女はどう言うからくりなのか?
箒は彼女にしては珍しく驚きの表情で目の前の少女を見る。
それに対し、鈴も負けじとばかりに箒を睨みつけてきた。
その様はまるで大事な餌を口にくわえつつ相手を威嚇する猫の様。

一夏はそんな二人の間に流れる空気に首を傾げつつ、口を開く。


「誰って、前に話した事があるだろう? 俺の一番最初の幼馴染、篠ノ之 箒だよ」


「ああ、あんたがファースト幼馴染とか言ってたやつ?」


一夏の説明に納得したのか、鈴は箒を睨む事を止めると一夏から腕を離すと箒の前に立ち、手を差し出す。


「よろしくファースト幼馴染さん。一夏の幼馴染…こいつ曰くセカンド幼馴染で中国代表候補生の凰 鈴音よ」


箒は差し出されたその手を見た。
IS訓練をしていると言うだけあって鍛えられた手のようだったが、箒には分かった。
誰よりも闇に浸っている彼女だからこそ分かった。
その手は、自分が触れて汚してはいけない、綺麗な物なのだと。
そして、


――――一夏の隣に居るべきなのは


「ふん」


箒はその差し出された手を無視して今まで向かっていた食堂とは反対方向へと歩き出す。


「お、おい、箒?」


一夏は慌てたように箒を呼びとめるも、今度こそ箒は振り返ることなく歩き続け途切れる事が無かった人ごみの中へとまぎれる。
後ろで一夏が呼びとめる声が聞こえてきたが、彼女は止まることなど出来なかった。


――負けた。


箒はどうしようもない劣等感にさいなまされていた。
自分などと言う穢れきった存在よりも相応しい存在が一夏の隣に居た。
その事実が、彼女の鉄壁の心を僅かに欠けさせていた。
そして、そんな彼女に追い打ちをかけるように携帯が鳴る。

歩きながら、ノロノロとした動作で携帯を取り出した彼女を迎えたのは、メールの受信の表示。
彼女が操作して確認したそれは、つい先日箒が怒って一方的に電話を切った相手、姉である篠ノ之 束からのものだった。


『from:姉さん
 件名:お姉ちゃんからのお願い☆ミ』


それは、箒の汚泥に塗れた『日常』の始まりを告げるメールだった








[32204] 六話
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/04/30 01:18




『やあやあやあ! 調子はどうだい箒ちゃん!!』


「…悪くはありません」


逢魔が時。

そう呼ばれる時間に、箒は制服のままIS学園の外に居た。
正確には、何故か無人となった地下鉄駅へと繋がる地下街を、だ。

IS学園のせいとであるはずの箒が、放課後とは言え平日に学校の外に出ている。
それはとてつもなく異常な事である。

IS学園とは基本全寮制の学校だ。
それは海外からも多くの学生を募っている事や、集中的に学習を行わせる事、そしてISの機密保持がその表の理由だ。
しかして、その裏の理由は貴重なISパイロットの保護にある。
いくら世界最強の兵器ISを扱えると言えども、専用機持ちと言う一部の例外を除けば彼女たちは普通の女性に過ぎない。
女性優位の世論であっても、その身体能力まで変わる訳ではない。
その為、幾らでも良からぬ事を考える輩はいるのだ。
そのような輩から身を守る為に平日、IS学園の生徒は外出は禁止されている。
だと言うのに、何故箒は外に出る事が出来ているのか。

寮監は千冬であり、また彼女は箒を監視している。
唯でさえ困難な事がされに困難になっているように思われるが、答えは簡単だ。

正面から堂々と学園側に許可を取ったのだ。

『姉』からの支持。
そう言えば、箒には単独での行動許可がすぐに下りる。
もっとも、その代償としてやりたくもないお仕事を依頼される事も多々あるのだが。


『なら、大丈夫かなー。今日のお仕事は簡単な屑掃除だし』


「掃除、ですか? 何のですか?」


箒はそう自分の携帯電話に問いかける。
通話相手は勿論束だ。
何故か、背後で「テケリ・リ!」と言う悲鳴のような何かの鳴き声と同時に、何か肉を踏みつぶす様な音が聞こえてくるが、箒はその一切を無視して会話を続ける。


『んー、最近噂になってる糞犬どもかなー。って言うか、その為に地下鉄に呼んだんだから絶対分かって言ってるでしょ、箒ちゃん』


そうどこか拗ねたような声に再び鳴き声がかぶさるが、箒は無視しつつ辺りを見回した。
彼女が現在いるのは、地下鉄のはずれの駅に付属された地下街だ。
とは言え、昨今ではISの技術を用いられたリニアレールや車などが人気であり、地下鉄の利用率はそれに反比例している。
その為、その地下街も殆どがシャッターを閉めており、利用者も殆どいないのか人の『気配』も未だ距離がある改札口でやる気なさそうに立つ駅員程度しか感じられない。

それを受けて、箒は納得した。


――ああ、ここは実に奴らが好みそうな場所だ、と。


『ちなみに、その駅の傍には霊園があるね。なんと、そこは昨今増えた外人向けの土葬も受け付けてるらしいよ?
いやー、もうこれだけあからさまなのに、今まで無視してきた政府の糞どもには本当に腹が立つよね。
そもそも、こんな神話生物の存在を許容していること自体が束さんには訳分からないね。
何考えてんだろ、死ねばいいのに。ああ、もう…』


どうやらその考えには束も賛同しているらしく、まるで箒の思考を先読みしたかのように束は語り始める。
箒は初めこそ大人しく束の言葉を聞いていたが、次第に不穏な発言が増えてきた事から彼女の発言を遮った。


「姉さん、落ちついて下さい。『地』が出てます」


『っと、危ない危ない。助かったよ箒ちゃん。また狂気に飲み込まれちゃうところだった』


束は箒のその一言で『正気』に返ったらしく、幾分落ちついた声でそう返してきた。
その答えを聞きつつ、箒はほんの僅かに姉に釘を刺す。


「一時期よりはだいぶマシになりましたけど、まだまだ落ちつきませんね。
しっかりと薬は飲んでるんですか?」


『うーん、最近は少し量を減らしてるからね。しょうがないかな』


「なら良いですけどね。ああ、そう言えば今日学校で面白い存在を見つけましたよ」


箒はそう言って、自然な風を装って話題を変えた。
とは言え、姉の興味を引くような面白い人物など一人にしか会っていない。
箒としては、その人物『凰 鈴音』の事は思い出したくもない。
ISを纏っているにも関わらず、いまだ闇に染まらない彼女はハッキリ言えば異常であり、死ぬほど羨ましい嫉妬の対象だ。

しかし、その異常こそが姉の興味を引くのではと覚悟を決める。


「中国代表候補生の凰 鈴音と言う者です。ISを一年使っているにもかかわらず、全く闇に染まっていませんでした」


『えー、何それ。そんなのある訳ないじゃん。
箒ちゃんも知っての通り、ISってのは闇と深く同化する事でその稼働率が上がっていくんだから、染まっていない奴なんかが代表候補生に慣れる訳ないよ』


「ですが、私は実際に彼女を目の前にして、いっさい闇の匂いを感じませんでした」


『…んー、そこまで言うならそいつのフラグメントマップを見てみるよ。
ちょっと待ってね―』


そう言うと同時に、電話の向こう側で凄まじい速度でキーボードがタッチされる音が聞こえた。
そして、それから数分も経たない内に再び束の声が電話口から聞こえ始める。
その声にはどこか納得したような響きがあった。


『あー、成程ね。これなら、箒ちゃんでも騙されてもしょうがないね』


「何か分かったんですか?」


『…こいつ、実験体だよ』


その瞬間、箒は自らの唇がつり上がるのを堪える事が出来なかった。
何故なら、彼女は安心してしまったから。

セシリアと同様に、いやそれ以上にあの綺麗だと思っていた凰 鈴音が汚泥に塗れていると言う事実が、たまらなく嬉しかった。


「姉さん、それは……」


『うーん、説明してあげても良いけど、残念ながら時間切れかな。
もう、改札口に着いてるでしょ箒ちゃん』


そう言われて箒が顔を上げると、確かにそこは地下鉄の改札口であった。
駅の窓口には箒が感じた通りに駅員が一人だけいる。
駅員は、なにやら立ち止まってしまっていたらしい箒を不審に思ったのか、事務所を出てこちらにやって来る途中であった。
箒は携帯を切ることなく、束に話しかけた。


「…もっと早く教えてください。駅員が不振に思ってこっちに来てます」


『好都合じゃない。どうせ、処置はしなきゃいけないんだし、しばらくここから離れていて貰えば?』


「…分かりました」


そう言うと、箒は携帯を耳にあてたまま、こちらへ向かって来る駅員へと歩みを進める。


「あの、何かお困り……」


そして、駅員が彼女に声をかけた瞬間、彼女は動いていた。


「眠れ」


相手の意識の間隙を突くかのような踏み込み。
次いで、一瞬にして箒を見失い呆ける駅員の隙だらけの首筋へ手刀の一撃。
鈍い打撃音と同時に駅員は白眼を剥き、どさりとその場に倒れた。


『わお、流石箒ちゃん! でも、首筋への攻撃は達人でも相手を殺しちゃうから、お姉ちゃんはお勧めしないよ!』


「大丈夫ですよ。ミリ単位で微調整しているんで、余程の事が無い限り」


『いや、だからそれでも危ないんだってば。そもそも、気絶させるなら顎を狙いなよ』


「首筋に手刀はロマンです」


『やだ、この娘ってば脳筋』


そんなくだらないやり取りをしつつ、駅員を端に寄せておく。
次いで、箒は僅かな助走と共に飛び上がり安々と改札を飛び越えた。
そして、着地と同時に獰猛な笑みを浮かべる。


「脳筋ぐらいでちょうど良いんです。一々考えていたら、一歩だって前へ進めない」


そう嘯き、彼女はホームへと足を進めた。






一方、その頃一夏は鈴にISについて勉強させて貰う事が決まっていた。
それは鈴からの申し出であり、卑近にセシリアとの決闘が舞っている一夏には有り難い物だった。
だが、唯一つ予想外であったのは


「だーかーらー! そこは気合いだって言ってるじゃない!
溜めてからの感覚で!!」


彼女の言っている事が何一つ理解できないと言う事だ。

鈴の操縦技術は一年で代表候補生になっただけはあり、実際には見れていなかったがその知識だけでも凄まじい物があった。
だが、如何せんその技術の全てを彼女は感覚だけでやって見せているらしく、驚くほど抽象的な事しか言わなかった。


「だから、分かんないんだっての!!」


「なんで分かんないのよ! てか、アンタの操縦には粘りが足りないから…」


「関係ないだろ! ってか、やめだやめ!! 幾らなんでも2時間ぶっ通しじゃキツイ!」


一夏は未だ煩く騒ぐ鈴をしり目に、貸出申請をして借りうけた練習機、打鉄から降りる。
すると、頬を膨らませて私は不機嫌ですと主張している鈴が傍に近寄ってきて、ぶっきら棒にスポーツドリンクを投げ渡した。


「サンキュ」


「あのねぇ、私は一応あんたにお願いされたからやってやってんのよ? そこんとこ分かってる?」


「分かってるって。鈴には感謝してる」


一夏はそう言いつつ苦笑しその場にへたり込む。
授業が終わって直ぐに始まったこの練習は、鈴の訳のわからない指導も合わさって一夏にかなりの体力消耗をもたらした。
とは言え、実際にISに触っていると言うのが大きく、一切のらないで試合に臨むよりはかなりマシになっていることも事実。
一夏は素直に感謝の気持ちを鈴に述べた。

すると、たちまちのうちに鈴の顔は真っ赤になり、しどろもどろになって視線を逸らす。


「あ、あっそう、ふ、ふーん。まあ、こっちもあんたに頼まれた訳だし?
引き受けたからにはしっかり見てあげるわ」


「…助かるよ。それにしても、こうやって夕方にお前といると昔を思い出すな。
中学の頃はいつも一緒に帰って遊んでたもんな」


「そうね。弾のバカも一緒にいたけど」


一夏の言葉に、鈴も昔を思い出したのか笑顔になる。
ニコリとまるで太陽の様な彼女らしい、昔のままのその笑顔に一夏はついつい思い出話を始めてしまう。


「そうそう、それで皆で鈴の家の中華食堂で飯を食ったりな! ああ、そう言えば親父さん達元気にしてるのか?」


そう一夏が問いかけた瞬間、鈴の表情が笑顔から一転暗い物へと変わる。
そのあまりな変わりように驚いた一夏は、さしもの鈍感な彼でも自分が触れてはいけない所に触れしまった事に気がついた。


「……父さんは、いないわ。私が中国に行ったちょっと前に、失踪したの」


そう言った彼女の顔は、夕日のせいで顔の半分が陰で染まっていた。







[32204] 七話
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/05/05 19:00




「なんだって?」


一夏は息を飲んだ。
近年、それこそISが世界に広まってから年年男性の失踪者が出てくる事は珍しくはない。
しかし、一夏にとって自分の身近な人間、それも中学時代は良く遊びに行った鈴の父親がいなくなったと言う事は衝撃であった。
一方、鈴は少しだけ悲しそうに目を伏せる。


「…父さんが可笑しくなったのは、失踪するちょっと前。おばあちゃんのお墓参りに行ってからだった。
それから、突然私と母さんを遠ざけるようになって、しばらくしたら離婚届と『探すな』っていうメモだけが残されて父さんはいなくなってたの」


「そんな、親父さんが? 嘘だろ……」


茫然とする一夏であったが、鈴は悲しそうな顔をしていても語る事は止めなかった。


「それで、私と母さんは母さんの故郷の中国に帰ったの。
入国審査の時、女性はIS適性を調べられるから、私はそこで『S』を出したからスカウトされて、代表候補生になったって訳」


「そうだったのか…」


一夏は、胸が締め付けられるかのように苦しかった。
彼自身は気がついていないが、彼が感情にたいしてここまで『敏感』になるのは本当に久しぶりの事であった。
気がつけば、鈴の瞳には小さな涙の粒が産まれていた。

鈴はそれを慌てて拭うと、慌てて笑顔を取り繕う。


「あ、あはは、ごめんね。なんだか湿っぽくなっちゃって。
それより、あんたの訓練よね! まずは、訓練機の申請に行くわよ!!」


「あ、待てよ、鈴!」


誤魔化すように駆け出した鈴を追いかけて一夏も駆け出す。
その背中を見つめながら、一夏は思う。
もう二度と『誰か』が無く姿を見たくないと。

何故か、彼の脳裏には目の前の少女ではなく顔がハッキリとしない幼い少女が描かれる。
だが、一夏はそれを気のせいだと振り払うと前を行く少女に追いつく為に少しだけ走る速度を上げた。

そして、切に願う。


(どうか、無事でいてくれよ鈴の親父さん)





暗い地下道の中に赤い光が飛び跳ねていた。
一つや二つではない。無数の赤い光が、まるで誘蛾灯に誘われる虫の如くある一点に集まっていく。

その光の正体は闇に紛れた異形達の目であった。

その異形は犬のような顔に灰色のゴム質の肌を持ち、獣臭さを放っていた。
赤い光、つまり彼等の目が飛び跳ねていたのは、彼らが歩く際に前かがみで飛び跳ねていたからだ。

彼らの名は『グール』。
人間から変質し、地下世界に生きるしかなくなった哀れな屍食鬼、人間のなれの果てだ。
彼等はその名の通りに人間などの生物の屍肉を食い漁る化け物で、光に弱い為地下鉄や下水道の中に潜んでいるのだ。
現在彼等がいる地下鉄も一部の区間では運行が行われなくなっている為、人は入ってこず光すらも差し込んで来ない、正に彼等の為の環境であった。

そんな彼は現在一つの場所に集まっていた。

と言うのも、仲間の一人が『バカな得物』を見つけたと言ってきたからだ。
その正体は少女らしく、どうやら友人と喧嘩した挙句『地下鉄の猿』の噂の真相を確かめに来たらしい。
『美しい少女』だった。
恐らく、『どこかの学校』の制服を着ている事から、高校生程度だと推測出来たが黒い艶やかな髪に釣り目がちな美しい顔、そして高校生とは思えない体をした少女だった。

そして、その獲物の少女は懐中電灯で辺りを照らしつつ、携帯電話に向かって何やらわめき散らしていた。


「だから、さっきから言っているだろう! お前が言うような猿なんていない!
嘘なんか言ってない! 私は今地下鉄に居るんだ…だから!!」


どうやら、口論しているらしい。
そう判断した彼等は益々音をたてないようにしつつ、少女が持つ懐中電灯の光へと集まっていく。
いつの間にか、地下鉄の線路の上には100を超すグール達が集まっていた。
それはこのあたりを根城とするグールほぼ全てだ。
何故か、彼らがいる地下鉄には政府の手も入らない為、彼等はそれほどまでに数を伸ばしていたのだ。
そして、それだけの数が集まれば当然問題も生じる。

それは、食糧不足。
付近にある霊園から遺骨や土葬された死体を盗み出し、喰らっているものの100を超してしまうと死体が足りなくなってくる。
そうなった時、彼らが選んだ選択は至極原始的な物であった。

『狩り』だ。

死体が足りないのなら、自分達で死体を作ってしまえばよいとそう考えたのだ。
その考えを思いついたのは、最近グールになったにもかかわらず統率力を発揮し始めた個体で、彼等の多くはその個体に従い狩りを行い始めた。
まず、行うのは深夜殆ど人がいなくなった地下鉄の利用客を襲うと言う物。
そして、幾度か襲えば当然その話は噂として広まり、モノ好きな物はその真相を確かめるべく地下鉄にやってくる。
次に、それらをいきなり襲うのではなく、少し自分達の姿を見せる事で噂に真実味を持たせる。
その結果、自分達の存在がバレて政府の介入が入るかもしれないと言うリスクを負ったものの、安定して『餌』を手に入れられるようになった。

そう、ちょうど目の前の愚かな少女のように。


「だいたい、先ほど写メールも送っただろう! 何故、信じてひっ!?」


電話先の相手にまくし立てる少女が唐突に悲鳴を上げ、固まる。
それは、彼等の仲間の一人が意図的に線路の意思を蹴飛ばして音を立てたのだ。
狭い地下鉄内。
その音は良く辺り一面に響き渡った。
その音に否応なしに気がつかされた少女は、立ち止まって必死になって辺りを懐中電灯で照らし、見回す。


「い、いや、何でもない。少し物音が反響してビックリしただけだ。
自分で蹴った石に気がつかなかっただけひぅっ!? ま、また!?」


再び響いた音に、少女は再びビクリと体を震わせた。
それもその筈、今度は少女は動いていないのだ。
当然ながら、石を間違って蹴ることなどあり得ない。

少女は懐中電灯を持つ手をブルブルと振るわせつつ、音がした方へ懐中電灯を向ける。
そして、先ほど電話先へ怒鳴っていた時とは打って変わった弱々しい声で、深淵を讃える暗闇に問いかけた。


「誰か、いるのか?」


その一言に応えるかのように、彼等の仲間の一匹が暗闇から懐中電灯が照らす場所へと姿を現した。


「っっ、きゃぁぁぁああああああああああああああ!!」


少女はその余りに冒涜的な姿に悲鳴を上げ、懐中電灯こそ取り落とさなかったものの、ガタガタと震え腰を抜かしてしまう。
同時に彼等は少女を件のリーダーの支持により囲む。
すると、その気配に気がついたのか慌てたように少女が懐中電灯で周囲を照らす。
今度は闇ではなく大勢の灰色の肌が見えた為、少女は目を見開き悲鳴を上げる事も出来ずに震えるだけとなった。

そんな少女を見つめつつ、彼等は嘲笑した。
そして、彼等の意思を代弁するかのように未だ人間としての言語を使えるリーダーが口を開く。


「愚カナ少女ヨ。君グライノ少女ヲ喰ラウノハ抵抗ガアルガ、コレモ私達ガ生キル為。
許シテクレ」


彼等はその言葉を合図に少しずつ少女との距離を縮めて行き、遂にはその体に手を触れられそうな距離まで近づく。
その間、リーダーの個体は心苦しそうにその光景を見ていた。
しかし、これで彼等は餌を確保できたこととなる。
自然界においては、弱肉強食が当然であり、人間もその例外ではない。
そして、遂に彼等の一人が少女の体に手を掛けた。



「屑どもが」



その瞬間、辺り一面が『爆ぜた』。
悲鳴を上げる猶予すらなく、少女を取り囲んでいたグール達の半数がその爆発に巻き込まれる。
その瞬間、懐中電灯が消えたのか辺りは暗闇へと戻り、謎の爆発のせいか土埃ももうもうと立っていた。

グール達は混乱した。
今現在何が起こっているのか全く理解できない。
自分達が襲いかかっていたはずであった。
しかし、この現状は何だと言うのか。


「グェ!」


不意に、未だ晴れない土煙の中何か重たい物が刃物で切られる音ともに、崩れ落ちる音がした。
続けざまに二つ斬音が続く。
どうやら、煙の向こう側の存在はグール達の居場所をどう言う訳か正確に把握しているらしい。
そして、狩る物と狩られる物の立場はいつの間にか入れ替わっていた。

そこからリーダーであるグールの判断は平均以上に迅速であったと言える。


「逃ゲロ!」


だが、同時に遅すぎた。


「そんな姿になってまでまだ生きようとするか、見苦しい。
とっとと死ね」


その言葉と同時に土煙の向こう側で発光を確認。
同時に土煙に、『引火した』。


「アッ…」


轟音、衝撃。

辺り一面に舞い上がった粉塵を利用し行われた粉じん爆発は、先ほどの爆発とは比べ物にならない程の凄まじい熱量と衝撃を持って辺り一面を吹き飛ばした。
当然、その爆風には多くのグールが、いや殆どのグールが巻き込まれた。
何せ狭い地下鉄内だ。
かなりの広範囲に広がった爆風からは一匹たりとも逃れる事は出来なかった。

いや、正確には一匹だけ逃げ延びた個体がいた。

それは、支持を飛ばすと同時に咄嗟に伏せたリーダーのグール。
だが、それも爆風に飲まれた事から当然のように無傷とはいかず、その不快なゴム質の灰色の肌に重度の火傷を負っていた。
そして、急激な爆発によりその場の酸素も焼き尽くされたのか、苦しそうに喘ぐだけとなっていた。

そんなグールの傍らに何かが重さを感じさせない動きで舞いおりた。

それは、鎧であった。
少女の体の腕に、足に、胴体にそして顔にまるで彼女を守るかのように赤い機械が付着されている。
グールはそれを知っていた。
未だ人間であった頃の記憶を色濃く残している彼は、それを忘れていなかったのだ。

地上の度の兵器をも凌駕し、人類の世界を次なる段階に強制的に押し上げた兵器。
そして、社会を大きく変質させた凶器。


「ア、ガッ、I、S」


「うん? なんだ、貴様はまだしっかりと『覚えている』のか。
それなら、もう貴様らが助かる筈がないと分かるだろう?」


バイザーで隠された顔の口からは、先ほどまで自分達が得物として狙っていた少女の声が聞こえてきた時、グールは自分達こそが狩られる物であった事を悟った。
そして、少女が言ったように最早自分達は根絶やしにされる道しか残されていない事も。

だが、それでも彼は諦めなかった。
酸欠と火傷で動かせない体を無理やりに動かし、少しでもISを身にまとった少女から距離を取ろうとする。


「イ、ヤダ。私、ハ人間ニ、モドッ、ゲハッ!」


「人間に戻る? 貴様らが?」


その時、彼の呟きを聞いたのだろう少女が少し驚いたように言った。
その瞬間、彼はそこに生き残る道を見出した。
即ち、少女の同情を買うと言う事を。


「ウ、グッ、私ハ、人間ダッタ。
妻、娘、イタ。モウ、一度、会ウ……」


それは掛け値なしのグールの本音でもあった。
今を生きる事の為に使ってしまったが、同時に今を生きる事がその目的を果たす事に繋がるのだ。
彼には、他に選べる選択肢など存在しないのだから。

ポタリと雫が落ちた。
霞みかけた目でグールが確認すると、少女のバイザーの下からとめどなく水滴が零れて来ていた。
それを見て、グールは確信する。
この少女は自分に同情してくれていると。

動く気配の無くなった少女から、距離を取るべくグールは動き始める。

しかし、次の瞬間、少女の耳にだけ聞こえてきた声にそのすべては覆された。


『――箒ちゃん?』


何かを問いかけるような女性の声だった。
その声は、唯冷徹に唯厳格に少女、箒へと言葉を捧げる。


『約束、忘れちゃ嫌だよ』


「くっ、くははははははははは!!」


直後それに応えるように、箒が狂笑する。


「分かってます! 分かってますよ、姉さん!!
こうなってしまったら、もう戻れる手段などありはしない!
そもそも、人間を襲い喰らってきた貴方達が人間であるはずがない!!

だから、殺します」


その言葉の直後、少女の手には一振りの刀が握られていた。
そして、その刀は迷うことなくグールへと振りかぶられる。


「恨んで下さい。憎んで下さい。
それが、私に対する信仰です」


「鈴音、■■……」


「慚悔と悲嘆と憎悪と恨毒の階段を上り、私は奴らの喉元に刃を突き立てよう」


グールが誰かの名前を呼ぶ。
しかし、箒はそれらを一切合財断ち切るように手にした刃を振り下ろした。


鈍い、重たい命を奪う感覚と共にグールは息絶えた。
そして、箒以外誰もいなくなったその場所で箒は大きく深呼吸する。
酸素は一切少なくなっても彼女は『宇宙用』であるISに積まれた酸素を吸引して呼吸をしているので、問題はない。
彼女はその酸素を何度か深く吸い込む事を繰り返すと、不意に口を開き誰にともなく語りかける。
もう、彼女の顔には涙は流れていなかった。


「…助かりました、姉さん。どうしても、霊的感覚を広げ過ぎると、同程度の思考回路の持つ相手の『感情』まで読み取ってしまうので」


『構わないよー。それを承知で私は蜂蜜酒の服用を許してるんだから。
それに、それは『必要な行為』だよ。感情がイカレちゃってる束さんには良く分からないけど』


箒の耳に唐突に女性の声が聞こえる。
それは遠く離れた場所に居る姉の声。何故、彼女の声が箒に聞こえるかは種も仕掛けもある。

束が開発し、箒が現在身に纏うISにはそのコアを用いたネットワークが存在する。
そのネットワークを用いればIS間での会話も出来るのだ。
そして、束は開発者であるからこそその回線を利用して通信を行う事など朝飯前だ。
箒は、その回路を通じて姉に語りかけた。


「大丈夫です。どれだけ体が壊れても、私だけは姉さんと共に居ますから」


『…うん、知ってる』


箒はその声を聞くと同時に全身を覆っていたISを酸素供給機能だけを残して解除する。
すると、箒の体を覆っていたパワードスーツであるISは光の粒子となって消え去り、その下からはIS学園の制服に身を包んだ箒が姿を現す。

しかし、その姿は普段の箒とは大きくかけ離れていた。

いつも隈があり、頬もこけ、肌も荒れていた顔は健康そのものに変わり、やせ細り枯れ木のようになっていた体は女性特有の丸みを帯びていた。
加えてその胸部にはたわわに実った果実が存在した。


『それはそうと、やっぱり、『同調』してる方が調子良さそうだね、箒ちゃん』


「…ええ。普段は殆ど魔力やらなんやら搾り取られていますからね。
借りは返してもらわないと割にあいません」


『だよねー。それにしても、良いおっぱいしてるじゃないか、ぐへへへ』


「姉さんにも同じような物がついているでしょうに。
それに、これは私のイメージです。実際には『あのまま』ですよ?」


箒はもうすでにふざけ始めた姉に呆れ半分、感謝半分に言葉を返す。
束は、箒の精神状態を思ってこの様な言葉を掛けてくれているのだ。


『私は一向に構わん! 取りあえず、箒ちゃんのおっぱい揉みしだきたい』


思って言葉を掛けてくれるはずなのだ。


「…それはともかく、依頼は完了です、姉さん」


『うん、お疲れ様ー。今日はもう『戻れない』でしょ? ちーちゃんには言っておくから、学園の外に泊って行きなさい。
朝には優しくモーニングコールしてあげるから』


「はい、分かりました」


箒はそう答えると、何処からともなく懐中電灯を取り出し、度重なる爆発ですっかり原形をとどめなくなった線路を悠々と歩いて帰る。
途中、箒は何度か地面に転がるグール達に視線を向けたが、その瞳には何の感情も浮かぶ事はなかった。
誰もいなくなった地下鉄の闇の中、闇が粟立った気がした。







[32204] 八話
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/05/13 13:03



セシリア・オルコットにとって男とは『父』であり、惰弱な存在である。
彼女の父は入り婿であり、いつも母に頭が上がらない気弱な男性であった。
幼いセシリアにはいつも事ある毎に母や周りに頭を下げる父が情けなく、とても恰好悪く見えたものだ。
だが、そんな父は同時にその気の弱さゆえにか、セシリアを貴族として育て上げようと厳しく接していた母と比べてセシリアに甘く、優しかった。
むしろセシリアの気性がねじ曲がらなかったのは、どれ程母が厳しくてもその父の優しさが逃げ場になっていた事が大きいと言える。

その為、セシリアは父が大好きであった。

つまるところ、オルコット家では通常の家庭とは反対であったのだ。
当時、ISもまだ無かった頃にそのような状態になっていたのは、非常に珍しい事だと言える。
ともあれ、セシリアは毎日、母の厳しい教育終わってから父の元にやって来ては、その日習った事を父に教えていた。
それは父が知識をつけた自分をほめてくれると言う事もあったが、同時にセシリアなりに格好の悪い父をどうにか格好良くする為に考え付いた事だ。
それは、教育。
格好が悪いのならば、格好良く自分が変えてしまえばいいと思ったのだ。

父はそんなセシリアの想いを知っていたのか、常に優しく微笑みながら見守ってくれていた。
少し特殊かもしれないが、そこには父と子の団欒があり、貴族と言うかなり特殊な立場であったが、何処にでもある当たり前の幸福があった。

しかし、そんな幸せもセシリアが幾度か誕生日のケーキの火を消し、父から愛らしい小鳥の誕生日を受け取ると共に崩壊する事になる。

セシリアが所謂、お嬢様としての最低限のマナーを身に付けた頃の事。
父がおかしな宗教にはまった。
彼女は何故父が宗教に走ったのかも、その宗教がどんな物であったかも知らない。
ただ、父が毎晩燃える三眼の偶像を祭壇に奉じ、その前で生贄を捧げるようになってから全てが変わった事だけを知っていた。

生贄。

そう、父はその為に小動物を殺すようになったのだ。
初めは、どこからか買ってきた犬や猫。
次第にその量は増えて行き、いつしか野生の小鳥やウサギなども捕まえて殺すようになった。
そして、その魔の手はセシリアが大事にしていた、父が自らセシリアにプレゼントした小鳥にも及んだ。

セシリアは自分の小鳥を、父からのプレゼントを奪われた事を悲しんだ。
同時に、父を酷く軽蔑した。
それは、小鳥を殺されたからという理由だけではない。
当時、彼女が母から名乗っていたのはノーブリス・オブリーシュと言う尊い立場の人間の義務だ。
その中でセシリアは弱い存在は全て守らなければいけないと刷り込まれていた。
その為、弱い存在を積極的に害する父は許容できない存在だったのだ。
セシリアはあれ程懐いていた父と会話をする事がなくなった。
惰弱かつ最低の下種として見下し、事あるごとに痛罵した。

それからしばらくして、母は父を精神病院に連れて行く事を決定した。
宗教にはまった父は、いつの間にか常に虚空を見つめ怪しげな呪文を口ずさむようになってしまったからだ。
それまで、愛した存在の変化を認めなくなかったのか、普段通りに接していた母もついに決心したのだ。
そして、その決定の翌日、首都のロンドンまでの列車に乗る為に、車に乗り込んだ両親を父を冷めた目で見送った。
父も父ならば母も母だ。
以前はあれ程父に偉そうにふるまっていたにも拘らず、最近は狂った父に献身的な姿を見せている。
セシリアには理解不能であった。
そして、父はその姿すらも変わってしまっていた。
以前は豊かな金髪があった頭は禿げあがり、痩せさらばえて枯れ木のようになった醜い姿に変貌していたのだ。
その姿は憐れみを誘うと同時に、セシリアにどうしようもない不快感を抱かせた。
セシリアは心の中で罵った。


――二度と帰ってくるな。


そして、それは現実の事となった。
大規模な列車事故。それも、訳のわからない男が体に爆弾を巻いて自爆したと言うそれに、セシリアの両親は巻き込まれたのだ。
彼らの遺体は、脱線し、横転した電車内でまるで母を抱きしめるようにした父が見つかった。

セシリアにとって衝撃だった。
父は、狂ってまで母を守ろうとしたのか、と。
だが、セシリアはそれを認めようとはせずに全てを父のせいにした。

父が精神を患わなければ、父が宗教に嵌らなければ、父が気弱でなければ!
そして、父が男でなければ。

おりしも、その直後に世界はISと言う兵器に蝕まれた。
これにより、女性優位の社会が形成され、セシリアのその極端な考えを否定する物は一人も現れなかった。

男は惰弱だ。だから、悪夢の中で三眼が吠える事は全てでたらめなのだ。
セシリアが『二度と帰ってくるな』と願ったからではない。
父が悪いのだ。
そう、父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が

父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父

が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が

父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父

が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が父が!!!!!!

だから、セシリア・オルコットは認めない。
世界初の男性IS操縦者、織斑 一夏を。
認めてはいけないのだ!

だから、セシリアは一夏(父)を全力で潰すのだ。
だと言うのに、


「なんで貴方はまだ飛んでいるんですの?」


IS学園の訓練用アリーナ。
そこで、セシリアは一夏と一組の代表を決めるべく決闘をしていた。
この状況に持ちこむべく、セシリアは一夏をわざと挑発し敵対してきたのだ。
セシリアはイギリス代表候補生。
今まで殆どISに触れ事もない男など、なぶり殺しに出来る筈であった。
だと言うのに、現実は違った。

ブルーティアーズと言う、セシリアが身に纏う青いISと同名の二機のビット兵器、空中を高速移動する浮遊砲台から放たれるレーザーはことごとく一夏に当たる事はなかった。
一夏のその身に纏われたISは白くまるで矢のように移動してセシリアの攻撃を避け続けるのだ。
上下左右全ての角度から、直射や屈折射撃(フレキシブル)を織り交ぜたもはやレーザーの雨の中を、一夏は最小限の被弾で飛んでいた。

事前に、一夏が二組の代表であり、中国の代表候補生である凰 鈴音から指導を受けていたのは知っている。
だが、それにしても一夏の動きはISをまともに動かし始めて一週間の素人の物ではなかった。
屈折射撃は予測不能の曲がるビーム。そんな物を全方位から撃たれて僅かな被弾で済む芸当が、素人に出来てはたまらない。


「おおおおおおおおおおお!!」


まるで何かに導かれるように雨を潜り抜け、セシリアに突貫してきた一夏は咆哮と共にその手にした刀を振るってきた。
セシリアはその動きに合わせるように移動し、再び一夏との距離を空けると攻撃を再開する。
そして、一夏は再び回避行動に移った。

先ほどからこれの繰り返しであった。
刀しか装備が無いらしい一夏はセシリアの弾幕を潜り抜けて攻撃。
セシリアはそれを回避して、再び弾幕を張る。

一夏は落ちていないだけであり、少しずつダメージが溜まっている。
結果的にはセシリアが勝利するように思えたが、自体はそれほど単純な物ではなかった。
何故なら、攻撃を仕掛けてくる度に一夏の攻撃はより鋭く、より強力になっていくのだから。
もし、仮にセシリアに攻撃が当たっても一撃で落とされる事はないだろうが、そんなものはセシリアが考えていた男を潰すと言う予定には存在していなかった。

だから、セシリアは焦っていた。
試合に勝って、勝負に負ける。

そんなもの彼女は、望んでいなかった。


「このっ! いい加減に落ちなさいな!!」


そして、焦った彼女はついに僅かばかり本気を出す。
操るビットの数を倍の四つに。
そして、自ら手にしていた狙撃銃『スターライトmkⅢ』を用いた。
最早、一夏を素人と侮る事は出来なかった。

彼女は目の前の敵を全力で駆逐するべく攻撃を開始する。

高速で動きまわるビット。
そして、その合間に打ち抜かれる高威力の狙撃銃。
これぞイギリス代表候補生とでも言うかのような光の暴力の嵐。
観客が余りの光景に息を飲んだ中で、その渦中にいて攻撃にさらされた一夏は驚くほど落ちついていた。
なぜか、誰かが常に自分を見守り、攻撃がどこから来るか教えてくれるような感覚。
先ほどから従っているそれが、その攻撃を受けても絶対に大丈夫だと言っていた。
だから、一夏は目を閉じて、光の奔流に身を晒した。


『ああ、良い子だ。僕の可愛い――』


その瞬間であった。
突如、光を放ち始める一夏のIS。
光に飲み込まれる直前にその光景を見てとったセシリアは、心当たりを叫ばずにはいられなかった。


「まさか、ファーストシフト!? 今まで初期状態で戦っていたと言いますの!?」


ファーストシフト。それはISの調整が未だ終わっていない状態である初期状態から、ようやく個人データのフォーマットが終わり、戦える状態になった事を差す。
それを知らずに攻撃していたセシリアは未だ戦闘態勢を整えていなかった相手をなぶっていた事になるのだ。


「っ! 馬鹿にしてぇ!!」


直後、激情に駆られたセシリアの怒声に応えるかのように溢れた光が収まり、光の奔流から一機のISがその姿を現した。
真っ白い、まるで雪のようなIS。
他ならない、織斑 一夏が身にまとった『白式』だ。
その姿は先ほどまでのどこかがっしりとした物から、細身の鋭角なそれへと姿を変えていた。
同時に、先ほどまでセシリアから受けていたはずの機体の破損は見受けられず、完全に回復したようであった。
そして、そのISを纏った状態の一夏は、『此処』を見ていなかった。


「にゃる…………しゅたん」


ポツリとつぶやかれた言葉。
その言葉に、セシリアはなんともなしに不快な予感を感じ、眉をひそめる。


「なんですの?」


どこかで聞いた事のあるような、とてつもなく嫌な確信めいた予感。
そして、その予感は的中する事となる。


「にゃる・しゅたん!  にゃる・がしゃんな!!」


直後、一夏は不吉な呪文を吐き散らしセシリアへと突貫する。
不意をつかれ、そして聞き覚えのありすぎる呪文で思考に空白を作ってしまったセシリアは、一夏の突貫をビットで妨害する事も出来ず、慌てて『スターライトmkⅢ』を量子化させ、取り出した近

接武器『インターセプター』で攻撃を受ける。
そして、鍔ぜり合うような形で一夏と顔を突き合わせたセシリアは驚愕する。
一夏は何処も見ていなかった。
セシリアが目の前に居て、睨みつけているはずなのにその瞳は空虚で、まるで暗い穴の様であった。

そして、先ほど口にされた呪文。
それは、かつて父が毎晩口にした物であった。

それを理解した瞬間、セシリアの精神は恐慌をきたした。


「いやぁぁぁぁあああああああああああ!!」


悲鳴とともに一夏をはじき飛ばし、再び取り出した『スターライトmkⅢ』をビットを滅多打ちにする。
思考も何もされていない反射的なその攻撃は、当然のように一夏に回避される。
そして、一夏は再びその何も見ていない瞳でセシリアを見つめる。その『燃える三眼』で。


「み、るな」


セシリアは震えた。
瞳が見つめている。セシリアを、彼女の罪を!


「私を、みるなぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!」


闇を彷徨う者が笑う。
愚かな少女を。

セシリアの精神が限界を迎えた時、ISのハイパーセンサーが不意に彼女の後方のビットから原因不明のエネルギーをキャッチする。
もはや何千回も繰り返したために習慣となっている為、思わずそちらを確認するセシリア。
そこには、一人のクラスメートが立っていた。

篠ノ之 箒。
その彼女はビットからセシリアを見ることなく、一夏を睨みつけ手に持った何かをかざす。
そして、セシリアに向けて叫ぶ。


「撃て!!」


その声に反応したセシリアはいつの間にか一夏が眼前まで迫っていた事に気が付き、これもほぼ反射で『スターライトmkⅢ』の引き金を引く。
直後、再び箒の声が聞こえた。


「失せろ、邪神の影!!」


その言葉と共に箒がかざした物が光を放つ。
そして、それが一夏に当たると共に『スターライトmkⅢ』の一撃が一夏に直撃した。






[32204] 九話
Name: HPL信者◆539c8cd0 ID:d0675f60
Date: 2012/06/02 18:17


熱を帯びた荒い息を吐き出しながら、セシリアは眼下に墜落して行く一夏を眺めた。
箒が出した光にひるんだのか、はたまた何か別な理由があったのか、一夏はそれ以上何かに導かれるように攻撃を避けることなくセシリアの狙撃を正面から喰らった。

轟音と共に大地へと墜落する一夏。
その額には、既に燃える三つ目の瞳は存在していなかった。

先ほどの事を思い出してしまったセシリアは、自分の体が震えているのを感じた。
くしくも一夏が大声で唱えたそれは、父が夜毎に唱えたそれで額に浮かんでいた瞳は、あがめていた物にそっくりであった。
それがいったい何なのか、セシリアには理解も把握も出来ない。
それどころか、知りたいとさえ思う事が出来なかった。

関わりたくない。
理解したくない。
気付かれたくない。

まるで、上空を舞う鷹から逃げる為に地を這う鼠のように息をひそめたい。

そんなマイナス思考がセシリアを支配し、彼女は願った。
一夏がもう置き上がる事がないように。

もう一度あの燃える三眼を前にした時、彼女は逃げ出さない自信がなかった。
いや、確実に逃げ出すだろう。
そもそも、今精神の均衡を保てている事すら奇跡的なのだから。

だから、セシリアはISに内蔵された通信をもって、管制室からこちらを見ているであろう千冬へ通信を行った。


『…勝負はつきましたわ、織斑先生』


だから、もう止めてくれ。
私の勝ちで終わらせてくれ!

そう祈りつつ、口にした言葉は訴えかけた千冬にではなく、急に割り込んできた声にかき消された。


「まだだ」


それは、通信によるものではなかった。
それどころか、本来ならば聞こえないほど小さな声であった。
それも観衆が歓声をあげてセシリアの勝利を讃えている現状では聞こえるはずがない声であった。

その声の出所は大地に大の字に倒れ伏す、織斑 一夏。

すでにセシリアに負けたはずの化け物の声であった。
ISの優秀すぎるハイパーセンサーは、その音声を拾ってしまったのだ。


「まだ、俺は負けてない」


そう言いつつ彼は、大地に倒れ伏すその体に力を込めてゆっくりと起き上がる。
その光景に、それまで歓声を上げていた観客達が一様に黙り、辺りは沈黙に支配された。

だが、不思議な事にセシリアはその姿に嫌悪感を感じなかった。

先ほどまで、あれほど倒れ伏したままでいてほしいと願った相手であるにも拘らず、彼女が唾棄し嫌悪していた男であると言うのに!
その不様にも立ちあがろうと足掻く姿をもっと見たいと、セシリアは、いやこの場に居合わせた女たちは臨んでいた。


「…っー、また『いつも』みたいにボーっとしちまったけど…」


その言葉にセシリアは眉をひそめる。
いつもがどう言う事かは分からない。
だが、それはもしかしたら先ほどの『神がかった回避』と燃える三眼に関係があるのではないか、セシリアの直感はそう囁きかけていた。


「あなたは、まさか先ほどの事を……」


「でも、俺は決めたんだ。まずは千冬姉の名誉を守るって……手伝ってくれた鈴の期待を裏切らないって!」


しかし、問いかける言葉は一夏の決意表明にかき消される。

瞬間、セシリアは自身の鼓動が高鳴るのを感じた。
恐ろしく真剣なまでのまなざし。
先ほどまでのそれとは打って変わってセシリアしか見えていないかのような瞳。
その目に見つめられるだけで、鼓動が早まってしまう。

同時に一夏が身に纏うIS『白式』から猛烈な光が溢れ始めた。
性格には、その手に握った剣から。

先ほどまでのブルーティア―ズの分析によればその一夏のISが持つ剣の名前は『雪片弐型』。
打鉄の接近戦ブレードよりも丈夫と言う程度にしか特徴が無いはずの武装であったはずだ。
だと言うのに、その剣はまるで刃の部分が展開するかのように反転すると、その白い刀身を光のそれへと変化させていた。

途端、セシリアのブルーティアーズが警告を発する。


『警告、敵IS装備の変異を確認。膨大なエネルギーを感知、退避を推奨。』


しかし、その時セシリアはすぐさまその警告を停止させつつ、一夏を凝視した。


「はあああああああああああああ!!」


光の剣を手にした一夏は裂帛の気合と共にセシリアへと突貫を開始する。
その速度は尋常ではない。
瞬時加速。正に一瞬にして自身の持つ最高速度に達した白式がセシリアへと迫る。

先ほどまで恐怖を感じていた相手。しかも、今正に警告が出るほどの攻撃が目の前に迫っていると言う状況。
だと言うのに、セシリアの中には少し前まで彼女を苛んでいた恐怖など微塵も存在していなかった。


――欲しい。


目の前の、絶望的な戦力差を持つ自分に攻撃しようと、先ほどまでの技術は何処にいったのか、素人同然に不様に突貫してくる相手が、欲しくて欲しくてたまらなかった。

父の様に貧弱ではない男。
何かを守ろうと言う気概がある男。
顔も実はセシリア好み。

完璧であった。
まさにセシリアの理想の男。
少々、自分に反抗的なのが玉に瑕かもしれないが、そんなものはいくらでも『調教』すれば良いだけの話だ。

もしかしたら、父のあの弱さは母に調教された結果なのかもしれない。
そう考えれば、母が父を見捨てなかった事にも得心がいく。

そして、彼を手にする為にセシリアがしなければいけない事は?

簡単だ。


「良いですわ、もう一度落として差し上げます!」


相手の撃墜。自分の足元にこの男を屈服させる。
それだけだ。

セシリアの言葉と同時に、再びビットと狙撃銃から光の集中豪雨が降り始める。
しかし、一夏はそれらを避ける事はしない。
いや、出来ない。


「がっ、っぐぅっ!? っこのぉ!!」


『一夏』は『素人』だ。弾幕を避けることなど、出来る筈がない。
しかし、その光景はセシリアに違和感を与えた。
それもそのはず。先ほどまで自分の攻撃を避けて見せた存在が自ら攻撃を受けるように突貫してきたのだ。
疑わない方が難しいと言うものだ。


「な、何を…」


セシリアは戸惑った。
一瞬では有ったが、その攻撃が止む。
その一瞬はIS戦闘では致命的とも言える時間であった。
最高時速600kmのIS戦闘、一夏の白式のような近接系のISにとって距離など幾ら開いていても詰めるのに一瞬あれば事足りる。


「もらったあああああああああああ!!」


「しまっ!?」


気がつけば、セシリアの眼前には光の剣を振り下ろす一夏の姿が映っていた。

その直後、アリーナに勝負の終わりを告げるブザーが鳴り響いた。



『勝者――――セシリア・オルコット』


アリーナは沈黙に包まれた。




そして、その光景を何の感慨も浮かべずに見下ろしていた存在がいた。

箒だ。


彼女はセシリアに協力するかのように、一夏に光を照らした後早々にその場どころか、アリーナから姿を消していた。
そもそも、箒があの場所に居たのは一夏に光を浴びせる絶好の機会であったからに他ならない。
そう、だから決して一夏が心配であったとか、格好の良い姿が見たかったとか言う事はないのだ。


「これで、あの邪神が一夏から私に鞍替えしてくれると助かるのだが……」


箒がそう呟いた時、不意に横合いから声を掛けられた。


「あら、一夏がなんて言ったのかしら?」


しかし、箒はその声に動じる事はなかった。


「さあな、貴様の空耳だろう。凰 鈴音」


すると、箒の背後の建物の物陰から鈴が現れる。
その瞬間、箒は思わず顔を歪めた。

濃密な闇の気配。

以前、一夏の前では欠片もしなかったそれが箒の鼻をついた。
箒が目を細めると、彼女の目の前まで歩いてきた鈴はどこか獣じみた笑みを浮かべた。


「ふぅん? 気がついていたんだ。何時から?」


「さあな。それより――」


箒は鈴の質問をはぐらかしつつ、彼女の瞳を見つめる。
彼女の瞳は腐りきった魚の死体の目のように光が無く、以前の彼女とは全く違った。

そして、箒はすでにその答えを知っていた。


「誰だ、貴様は?」


その言葉に、目の前の少女は唇を釣りあげた。






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