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[32266] 機動戦士ガンダムSEED BlumenGarten(完結)
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2023/10/28 22:20
 ご存じの方も数多いと思われますがにじファンで投稿規定が厳格化されました。その結果移転を決めた者です。

 この作品は先述の通りにじファンにて連載していたガンダムSEEDの2次創作を手直しして再投稿したものです。
 大きな特徴として、原作なんて参考程度という前提で描かれています。オリジナル・キャラクターが2桁を越え、既存のキャラクターも設定がいじられていない人なんてまずいません。
 展開こそ敢えて似せましたが基本的にどうしてSEEDの2次創作として描く必要があったのかという一歩手前の作品です。少なくともガンダムの2次創作としてはともかく、ガンダムSEEDの2次として読むことはお勧めしませんし不可能です。
 またとにかくテーマが重い。原作ではおざなりであった遺伝子調整、デスティニー・プランの論理的、法哲学的、生命倫理の観点からの考察を試みた作品であるため、非常に人を選びます。
 更新は基本的に不定期を予定しています。
 題名は独語でブルーメンガルテン、花園です。

 ガンダムは宇宙世紀派でした。そんな作者が描くガンダムSEED。
 SEEDはともかく、ガンダムが好きだという方に読んでいただきたい作品です。
 Destiny編で完結することを予定しています。

 後書きにかえて。
 現在、まだDestiny編を残すためまだ後書きとするには早いのですが、SEED編がひとまず完成をみたこと、オリジナルの執筆に移ることから二次創作に関しては一度筆を休めることから、ひとまず完結したと考えまして後書きを少々ですが残しておきます。

 この作品は、注意書きにもあるようにガンダムSEEDという作品を参考程度にしか捉えていない作品です。そのため、設定変更著しく、キャラクターもせいぜいだいたいのイメージと容姿くらいしか採用していません。ではなぜオリジナルで書かなかったのかと問われると、これが私にとって練習と試練であったからです。
 正直なところ、私はSEEDの二次創作を書いていたつもりはありません。原作者と同じコンセプト、大まかな流れを与えられて、では後藤正人がSEEDを描いたらどうなるか、そんな意識で書いた非常に冒涜的であり、しかし意欲作であったと自負しています。
 原作を知っている方がかえって読みにくいという二次創作らしからぬ性質を持つとともに、しかし原作にはあったコーディネーター至上主義を生命倫理の観点から見直した場合どうなるかという異なった視点から切り込んだ作品として原作と並べて見てもらいたいという面もあります。正直、一体どこにターゲットを絞っているのかわからない問題作だとも理解しています。
 この作品がどのように受け止められているのか、ぜひご意見ご感想およせください。
 では、Destiny編はオリジナルの執筆状況にもよりますが早くても11月に入ってからになると思われます。感想に対しては返信不要をご希望されない限り答えていくつもりですので、どのようなご意見でもどうぞ。
 では、少々毛色の違う二次創作に戸惑われた方も多いかもしれませんが、SEED編はこれにて完結です。
 Destiny編では設定を変更しつくしている以上、あまり意味があることではないかもしれませんが、シン・アスカを主人公として、SEED編同様、にじファン時代とは内容が大幅に異なった展開となることを予定しています。



[32266] 第1話「コズミック・イラ」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/12 23:49
 人類が本格的に宇宙進出を始めたことを機に年号が改められた。世界各地にマスドライバーが建設され宇宙への玄関口が作り出されるとともに、各国が程度の差こそあれスペース・コロニーを建造。人はその版図を広げることとなる。資源衛星の確保に動き、宇宙への植民を進め、人はその住処を地球に限ることはなくなった。
 コズミック・イラ。C.E.と略記されるこの年号がようやく馴染み始めた頃、正確にはC.E.16年、1人の男が世界の注目を集めていた。
 その男の名はジョージ・グレン。
 当時、この男の名を知らない者などいなかった。スポーツの分野ではいくつもの記録を打ち立て、彼によってなされた新たな発明、発見は数知れない。ありとあらゆる、そう形容せざるを得ないほどその功績は多岐にわたる。天賦の才を与えられた男の名を誰もが知り、憧れを抱いていた。自分もあのようになれたらと。あの男のように生きられたとしたならどれほどいいだろうかと。そんなことは不可能であると理解しながら、才能を偶然と諦め、あるいは受け入れ、世界はその実力と成果に酔いしれていた。
 それが偶然ではなく、あまりに意図的で人為的、必然に他ならないと知るまでは。
 ジョージ・グレンは数々の偉業を成し遂げた。それは誰しもが認めることである。国を、民族を超えて誰もが賞揚した。だが、ジョージ・グレンの知識、進歩への貪欲さは果てがなかった。誰よりも高く、誰よりも早く、至高を目指すことを決してやめようとはしなかったのである。
 稀代の天才は前人未到の地、太陽系第5惑星木星への往復14年にも及ぶ遥かな旅に出ることを発表した。いまだに他の惑星に達したことのない人類にとって、それは歴史に残る偉業であった。
 偉大なジョージ・グレンは自ら木星圏往還用探査船を設計。全長1kmにも及ぶ、まさに航行する都市とも言えるツィオルコフスキーを作り上げた。すでに宇宙船の類が珍しい時代ではないとはいえ、この規模の大きさ、その目的の崇高さゆえに人々はこぞって空を見上げることとなる。
 人類の新たな一歩を記す旅路に人々の関心が集う。かの偉人が、人の可能性をさらに広げようとしているのだから。人はどこまでも遠くにまで行くことができる。
 街ではカウントダウンの数が日ごと数字を減らしていく。反対に人々の興奮は高まっていった。
 そして、その日は訪れた。この日は、人類の新たな足跡を宣言するためにあった。そう誰もが考えていた。
 ただ1人、ジョージ・グレンを除いて。
 その日地球では映像という映像がジョージ・グレンを捉えた。未踏の境地にまで達した男は、威風堂々とその姿を全世界へと晒した。やわらかく、くすみのない金髪に青い瞳。その端正な顔立ちは優しげに世界を眺める。ジョージ・グレンがモニターに映し出されている間、犯罪が激減したと伝説的に語られる演説はごく有り触れた出だしからはじめられた。

「親愛なる世界の皆さん。私は大変感激しています。今日というこの日を迎えることができたからです」

 この言葉は世界で最も多くの人が耳にした言葉であろう。よどみなく、語弊はあるが流暢に言葉を手繰るジョージ・グレンの声は人々の間に染み渡り、誰もが彼がこの旅の成功と成果を約束してくれるものと彼の言葉を待つ。ジョージ・グレンは、しかし人々の期待に応えることはなかった。
 それは、自分の功績を高らかに謳い上げるものではなく、これまでの協力者すべてへの感謝でもない。
 それは告白であった。それは暴露であった。

「私の能力や功績は、才能だとか幸運、そんな曖昧で不確かな根拠に基づいたものではありません」

 誰もがその言葉の意味を理解できない。世界中が凍り付いてしまったような静けさに包まれる中、ジョージ・グレンは淡々と、その美声を響かせていく。その美しい容姿とあわせ、詩吟でもするかのように。

「誰もが一度は考えるはずです。遺伝子は不確かで、子が親の才能を受け継ぐとも限らなければ、親の望む子どもが生まれてくるとは限らない。ですが、仮にこうしましょう。遺伝子を自由に組み替え、発現させる形質を選択できたなら。親が子に与えて上げられる才能を選ぶことができたなら」

 誰もが考えたことはないだろうか。都合よく遺伝子を組み替え、発現させる形質を選ぶことができたなら、どれほど優れた人間が生まれるであろうかと。
 足の速い子どもを持つのもいい。その子はその優れた脚力で偉大なスポーツ選手になるかもしれない。そうでなかったにしても速く走ることができる力は決して邪魔にはならない。この子の未来は明るい。
 視力がいい子どももどうだろう。目がいいと、それだけ危険に気づくこともできれば、眼鏡や視力の矯正に余力をさく必要もなくなる。その子は少なくとも1つの苦難から開放されることができる。それはすばらしい。
 頭のいい子もいいかもしれない。その子がやがて発明、発見に多大な貢献をしてくれるのなら、人類全体に利益をもたらす。この子は自分ばかりでなく、周りの人すべてを幸せにする。
 病や障害を持って生まれてくる子どもに、まっとうな未来を与えてあげることもできる。誰もが平等な生を受けられることを、誰も反対はしないはず。

「私は、人々の幸福と明るい未来のために生み出されました。すべて偶然ではないのです。優れた才能を発揮するよう遺伝子を組み替え、劣った形質が現れないよう取捨選択する。私は、そうして生み出された存在の最初の1人に過ぎないのです」

 才能も能力も決して偶然ではない。受精卵に調整を加えられ、より高い能力を持つ存在として誕生したのである。

「誰もが私のようになれるのです。いいえ、なっていただきたい。私が人類の未来と希望を担うために誕生したように、私の跡に続く未来の担い手になっていただきたいのです」

 遺伝子に調整を加えられた新たな人類のことを、ジョージ・グレンはこう称した。

「人類を新たな世界へと導く調整役として、コーディネーターの誕生を強く望むのです」




 聡明な頭脳を発現する遺伝子を組み込み、強靭な肉体を持つよう改変し、見目麗しい容姿を獲得するよう組み替える。すると、思い通りの子どもを得られることをジョージ・グレンは示した後、星の海へと旅立つ。
 残されたのは戸惑う人々。ジョージ・グレンの演説は両極で受け入れられた。
 素晴らしいと絶賛した人々がいる。子どもの幸せを望まない親はいない。遺伝子調整には倫理的、技術的な問題は懸念されたが、ジョージ・グレンの実績、公開されたデータはその垣根を低くした。子を塾に通わせる。習い事をさせる。高い学費を支払って有名学校に送り込むことの延長線としか捉えない風潮が蔓延した。世界各地でコーディネーターが次々と誕生し、天才児と呼ばれる少年少女がこぞってメディアに取り上げられた。1歳に満たない頃には言葉を話し、5歳で大学への入学を認められた子どももいる。コーディネーター技術が確からしいと報道されるにつれ、子に遺伝子調整を求める親は爆発的に増加した。
 ジョージ・グレンが14年もの旅路についている間、彼の望んだとおりに後に続く者が、コーディネーターが世界の各地で誕生したのである。
 だが、世界はひずみ始めていた。
 それは命の恣意的な選択にすぎないと不快感を露にした人々もいたのである。コーディネーターを命への冒涜であり、唾棄すべき所業と断じた人々が声を上げ始めた。宗教関係者、生命倫理学者が先頭となり反対運動もまた各地で巻き起こった。
 C.E.16当時、遺伝子操作は明文、不文ともに禁止されていた。反対派の人々は安易に手を出していい領域ではないと声を高らかに非難した。誰もが遺伝子を都合の良いものにしようとすると、選択される遺伝子型が偏り、種としての生存力を減少させることになる。遺伝子調整が過ぎると親子関係が証明できずに法律上でも様々な問題が発生する。何より、その技術を悪用する者が現れたとき、それに対する歯止めがかからなくなってしまう。
 反対派はコーディネーターに沸いた世界へと警鐘を鳴らし続けた。
 賛成派はコーディネーターをつくり続ける。反対派はコーディネーターをつくらない。その結果は明白だった。コーディネーターは着実にその数を増やす。反対派を無視する形で既成事実を積み上げていった。
 双方が歩み寄らず、コーディネーター容認派の1人勝ちが続く環境は、反対派の中からより急進的にコーディネーター反対を訴える過激派の台頭を招いた。言葉で止められないなら力で従わせる他ない。あまりに安易な思想はそれだけ理解に容易く、反対派内部で一大勢力となることにさして時間はかからなかった。ある世界的環境保護団体の中から独立した勢力がやがてその勢力を束ねることとなる。
 遺伝子調整された人をコーディネーターと呼ぶのに対して、調整を受けていない人々をナチュラルと呼称するようになったのはこの頃からである。
 C.E.30年。
 ジョージ・グレンが地球圏への帰還を果たした時には、ナチュラルとコーディネーターの対立は表面化。反コーディネーターを謳う過激派がテロ行為を起こすまでに発展していた。
 事態を重く見た各国政府は速やかに事態の収拾を試みることとなった。ジョージ・グレンをコーディネーターの代表として招集。ナチュラルは地球最大国家である大西洋連邦を中心に話し合いが始められた。
 大西洋連邦の上層部ではコーディネーターを厄介者と考える者が少なくなかった。コーディネーターなど存在しなくとも世界は問題なく動いていた。わざわざ誕生させる必要のないものの誕生が人種、性別、国家、民族宗教に続く新たな垣根を世界に植えつけてしまった。余計な異物以外の何者とも認識しなかったのである。この大西洋連邦の意識は、コーディネーター技術の徹底した封印を望む声が決して無視できないほどの影響力を持ち始めたことを如実に意味していた。
 ジョージ・グレンはこれに強硬に反対。コーディネーターはすばらしい人類であり、より世界を安定かつ効率的に動かすことができる存在であるとの主張を繰り返した。
 悲しくも互いの干渉を疎ましく感じている点においてのみ、ナチュラルとコーディネーターは共通していたのである。解決策として、ジョージ・グレンは一つの奇策を提示した。それは、このような言葉であったと伝えられている。

「新たな国を作りましょう。それはすばらしい理想郷になるはずです」

 宇宙空間に大型の居住施設コロニーを建造し、コーディネーターの国を建国する。一見途方もない提案であったが、地球圏での遺伝子調整を原則禁止することでナチュラルをなだめると同時に、コーディネーターには国を与えることができる。両者を立たせる良策であると、その政策は推進された。
 国はプラントと名付けられ、ジョージ・グレンを筆頭にコーディネーターの、コーディネーターによる、コーディネーターのための国造りが始まった。ナチュラルの世界に居場所を見出だせなかった多くのコーディネーターはプラントに移住し、夢の新天地に希望を抱いた。
 だが、実際は理想からはるかにかけ離れたものでしかなかった。
 大西洋連邦を始めとする地球連合各国はプラントを野放しにするつもりはなかった。プラント国内での食糧生産を禁止し、連合国家から購入することが義務付けられた。食糧を抑え、資金を制限することでプラントを植民地として扱ったのである。
 国境にも、人種にも、宗教、民族にもこだわることない理想郷をつくるという夢は早くも裏切られた。コーディネーターの反感は不穏な空気を生み、そのことに大西洋連邦をはじめとする連合国は過敏に反応した。防衛力を持たないプラントを守るためとの名目で駐留軍をおき、監視と管理を強めたのである。これにプラントは自警団を結成し、これに対抗した。後のプラント国軍ザフトの前身である。
 不必要に高まる緊張は、しかし、プラントが国として体制を整えるまでは大きな事件を引き起こすことはなかった。同時に、それは時間の問題でしかないと誰もが理解していた。
 C.E.53.06.06。
 互いが不信感を強めていく中、ついに事件は起きた。
 「マンデンブロー号事件」。
 プラントは独自に食糧生産施設を持たないため、連合から割高と知りながら食糧を輸入せざるを得なかった。食糧生産コロニーの建造は無論許されない。だが、このまま連合にへりくだるつもりはコーディネーターにはなかった。秘密裏に食糧生産コロニーの建造を進めるとともに、連合に参加しない国々と独自に交渉を始めた。このことはプラントは安く食糧を得られるとともに取引相手である国家は安定した取引相手を得ることができることを意味する。
 だが、連合を通さずに食糧輸入しようとする試みはやがて知られるようになる。大西洋連邦は強く反発。他国への干渉を強めるとともに、プラントへは輸入の即時停止を強く働きかけた。
 プラントはこの訴えを拒絶。この交渉決裂を受け、両国の関係は急速に悪化していく。
 マンデンブロー号とは、そんな折に発生した事件の主役とも言うべき輸送艦であった。大西洋連邦軍がプラント船籍の輸送艦マンデンブロー号を撃沈したのである。その理由は現在でさえ明らかでない。大西洋連邦軍はマンデンブロー号が飛行禁止宙域に接近したことが原因であると主張したが、プラント国内ではマンデンブロー号が食料の輸入に使用されていたことから見せしめであるという説が支配的となるとともに大西洋連邦に厳重に抗議を繰り返した。しかし大西洋連邦は講義を黙殺する。
 自国民が犠牲となった事件にプラント国内では独立機運がかつてない高まりを見せた。
 プラント政府でさえ抑え切れないほどに急激に独立運動が激しさを増した。プラント国民の独立機運を受ける形でザフトは自警団から軍隊へと性質をかえ、駐留軍と小競り合いを繰り広げるまでになる。さらにプラントは独自の食糧生産を開始し、大西洋連邦はその影響力を削るべく運動を始めた。
 コーディネーターという飼い犬から鎖が外れようとしている。大西洋連邦議会ではより排他的で急進的な意見が飛び交うようになった。
 プラントがザフトを作ったように、ナチュラルは過激派を束ねる思想団体を構築していった。この団体は反コーディネーター感情をくみ取り、その勢力を急速に拡大した。プラントで高まる独立機運に不安を覚えた、本来は中立の人までもが団体支持に回らざるをえなかったことは歴史の皮肉であろう。
 この団体は後に軍需産業に資金提供を受け、絶大な資金力と政権内部にまで浸透した支持者によって政策にまで影響力を波及させていく。これは公然の秘密。政策はあくまで人民の総意である。しかし、実際は偏った意志を具現し始めていた。
 連合とプラント。互いの緊張が人々に戦争という言葉を連想させるにまで至った頃、確実に歴史に刻みつけられる事件が起きた。
 C.E.61.02.14。
 舞台はプラント12市の一つ、ユニウス市第7コロニー、ユニウス・セブン。独自の食糧生産を目的として建造された農業コロニーである。プラント独立の象徴であるこの場所に、コーディネーター排斥を謳う思想団体に感化した一部将校が、こともあろうに核攻撃を命じたとされている。軍事施設があるはずもないコロニーに防衛力があるはずもない。
 警告もなく、核の衝撃が襲った。一瞬の閃光が24万3721名もの人命を消し飛ばした。
 犠牲者の中にはプラント建国の立役者であり、後にファースト・コーディネーターと呼ばれるジョージ・グレンの姿もあった。プラントは、コーディネーターは泣いた。悲しみに、嘆きに、そして怒りに。
 ここにナチュラルとコーディネーターの対立は決定的になる。日時が2月14日であったことから、「血のバレンタイン事件」と呼ばれることになる出来事である。
 プラントは軍事力を増強し、大西洋連邦と正式に国交を断絶する。そして戦線布告の代わりとして、地球へとニュートロン・ジャマーと呼ばれる核分裂抑制装置を送り込んだ。連合にならい無警告で、復讐として徹底的にことはなされた。連合と言わず、地球中にニュートロン・ジャマーを投下したのである。
 地球はエネルギーの大半を原子力発電でまかなっていた。ニュートロン・ジャマーは原子力発電に使用される核分裂を封じ、地球は化石燃料にまで時代を遡ることになった。結果として地球では慢性的なエネルギー不足が発生。寒冷地では暖房器具が使用できなくなり、夜は闇に覆われた。
 プラントの報復として行われたこの行為は、C.E.65.04.01に発動したことから「エイプリルフール・クライシス」と呼ばれることとなる。この報復によって、地球では副次的なものも含めて10億もの死者を出すこととなった。
 「血のバレンタイン」。
 「エイプリルフール・クライシス」。
 切っ掛けはこれほどなく苛烈に催された。どちらが仕掛けるともなく、戦争が始まった。しかし、宗主国と植民地では国力の違いは明白であった。大西洋連邦及びその同盟国とプラントの国力差は実に10倍。戦いは呆気なく終わるものと思われた。ところがプラントはナチュラルとコーディネーターの物語は、幾度となく人の予想を裏切り続けてきたという事実は、ここでも例外になることはなかった。
 ザフト軍はモビル・スーツと呼ばれる汎用の人型兵器の導入。人型という荒唐無稽な兵器は、しかし宇宙空間において類稀な性能を発揮した。善戦どころか瞬く間に連合軍を押し返し、地球降下を果たした。重要拠点を次々制圧することにより、地球の勢力を分断することに成功した。
 電撃戦が成功したかと思われた頃、連合はあっさりと籠城戦の構えを見せた。
 プラントは国力に乏しい。前線では急拡大しすぎた戦場に補給が機能しなくなり始めていた。戦いが長引けばそれだけ多くの物資が必要となる。地球軍はザフトの補給部隊を執拗に攻撃した。占領地を奪還されることはなくとも、ザフトの当初の勢いは失われた。地球軍もまた、大規模な反撃に討って出ることもなく、戦線は完全に膠着した。
 地球軍は技術力の違いを覆す決定的な材料にかける。ザフトはこれ以上範囲拡大をする余力はない。前線での小競り合いを繰り返しながら、戦争状態は血のバレンタインから数えて10年になる現在でも継続されている。
 プラント政府は分離独立という当初の目的は達成されたと判断。再三地球側へ停戦を持ち掛けた。だが、占領地を返還するなどのどれだけ有利な条件を掲示されようとも大西洋連邦は決して首を縦に振ることはなかった。
 まるで戦争そのものを望んでいるかのように。
 例の思想団体の影が蠢いている。これは誰もが知っていて、そして誰もが知らないはずの公然の秘密。
 彼らの目的はコーディネーターの根絶。
 目標にあまりにひたむきな彼らは、手段を選り好みしようとはしない。そのためにどれほどの血が流れようと。
 彼らの名はブルー・コスモス。
 青き清浄なる世界のために。
 この言葉と3輪の青薔薇。それが彼らを象徴する。




 血煙と寒さ。地球の現状を端的に表現するとなるとこの言葉がよく似合う。
 プラントによって投下された核分裂抑制装置ニュートロン・ジャマーは、地表落着と同時に地下深くに自らを埋設する機構が組み込まれていた。個々の除去が困難であることに加え、その数が膨大であることから今後50年は撤去が不可能と試算されている。
 地球でのエネルギー供給率は以前の6割ほどにまで低下。慢性的なエネルギー不足に陥っていた。限られた資源をめぐり争いが起きると、さらに国力がやせ衰えエネルギーが不足していく。穀倉地帯では栽培、刈り入れに必要な電力を確保できず、食糧の多くを腐らせるほかない。寒冷地帯では暖房器具の使用が制限されたことはそのまま命に直結した。停電も多く、治安が悪化したことも統計的に証明されている。
 正確な数は知れないが、公式発表では10億もの人命が失われたとされる。その数は地球人口の14%にも及び、誰かが見知った誰かを失っていた。知人の名前を7人数え、その度ごとに1人、死者として削っていく。さて、あなたは何人の知人、友人を失っただろうか。
 もっとも大きな打撃を受けたのは大西洋連邦を始めとする先進諸国であった。電力の大半を原子力発電に依存し、エネルギー不足は大量消費社会にとって致命的である。だが、もっとも早く復興への道歩みだしたも先進諸国である。化石燃料、風力、波力、地熱など原子力に代わる発電施設が豊富に存在していたことがその一因としている。
 発展途上の国々では元々原子力発電を行っていない国も多く、先進諸国に比べ打撃は少なかったかのように思われていた。
 しかし、先進諸国が化石燃料の再利用を始めたことで価格は高騰。資金力が潤沢な大西洋連邦をはじめとする各国は資源を確保。支援という形でエネルギーを分け与えることで発展途上国への影響を強めていく。
 結果として、地球連合に属さない国々においても連合への依存が強まり、地球は7割にも及ぶ国々と地域が今では連合の影響下にあると言われている。
 正確には連合を主導する大西洋連邦と、大西洋連邦を影から操るブルー・コスモスの悪意に蝕まれつつあった。
 コーディネーターが自らに向けられた悪意への憎しみと怒りとして行った復讐がさらなる悪意を招きよせることは、これまで幾度となく見受けられた歴史の皮肉、ほんの一例でしかない。
 C.E.71年。地球では戦争が続いている。
 戦争状態の正確な時期は諸説分かれるが、連合、プラント双方が戦時条約を結び、戦争開始を宣言したC.E.67.08.13が戦争開始の日時であるとされている。すでに4年の月日が経っていた。戦争はわずか開戦半年でプラント国軍ザフトの猛攻により地球軍が篭城する形で膠着した。それからの3年は最前線以外は比較的小規模の戦闘に終始していた。だが、確実に戦争は続いており、少なくとも連合とそれに連なる国々ではまだ緊張は微塵も解けてはいない。
 連合には属していない。独立性が高く依存の度合いも少ない。そんな国々が、少数とはいえ存在している。オーブ首長国に代表されるような中立国は、ただただナチュラルとコーディネーターの争いを傍観していた。
 オーブ首長国。本土は、太平洋西岸に位置する島国である。国土は決して広くはないが、三大軍需企業の1つに数えられる半国営軍企業として有名なモルゲンレーテ社を有し、高い技術力、軍事力で連合、プラント両国から一目置かれている。
 だが、理念として侵略行為の一切を禁じており、中立を維持していた。侵略せず。侵略を許さない。この理念は国土すべてで適応されており、オーブが保有する宇宙空間での人工大型居住区コロニーでも中立地帯が堅持されていた。




 密閉された筒。それが宙間居住用大型建造物コロニーの基本的な形状である。人々は空洞となった内側に発生した擬似重力を足がかりに暮らしている。内部には山に木々。川が流れ、昼と設定された時間帯には壁の一部が展開し、露出したガラス面から太陽光が取り入れられる。壁1枚を隔てた先に宇宙が広がっていることさえ除けば、そこは地球と同じ生活が営まれている。
 ヘリオポリス。
 オーブが所有する資源コロニーの名前である。筒の一端が資源採掘用の衛星に突き立てられた独特の形状をしている。その他の多くのコロニーとは一線を引く独特の形状をしている。
 しかしここはオーブの国土である。国土である以上は理念によって守られていた。中立地帯として、ここでは戦争など遠い世界のことだった。
 学校が終わり、授業から開放された学生が我先に帰路につく。その流れの中で、どうということはなく、しかし目立って歩みの遅い少年がいた。
 キラ・ヤマト。
 勉強も運動も平均的。整った顔立ちこそしているが、絶えず回りの様子を伺う気弱な態度が災いし、女性の関心をひくことはない。キラの長所を問われたなら、多くがまじめな人とお茶を濁す。そんな少年だった。
 放課後でも、何か特別なことを期待していないように、キラは友人を待っていた。校内の木の下に据えられたベンチはほどよい木陰がある。キラはそこにゆっくりと腰掛けた。日は優しいが、まぶしさを感じないではない。それでもキラは、瞬きをしようとはしなかった。
 ベンチに座りながらやや前かがみで、人が近づくと筋肉が緊張して手の皮が張った。その視線は落ち着きなく辺りの様子をうかがっている。
 そんなキラがふと、人込みの中に目を止めた。そこには3人の少女が並んで歩いていた。ほとんど話したことはないが、皆、キラと同じクラスの生徒である。
 真ん中の少女は、フレイ・アルスター。長い赤みを帯びた髪は枝毛1つない。その服装から小物にいたるまでおしゃれに気を使っていることが見て取れる。クラスの中ではある種のファッション・リーダーであるらしく、それは同時に彼女の気の強さを象徴していた。主導権を握ろうとする性格の一端を示していたからだ。
 その横にはミリアリア・ハウがいる。髪が首の後ろで扇状に広がった独特の形をしている。そんなことが彼女の最大の特徴と言えた。正直、この少女はどこにでもいそうな、平凡な雰囲気がよく似合う。いつもフレイのそばにいるが、それでも腰巾着のような負の印象がないのはミリアリアの明るさゆえだろう。
 そして3人目。フレイをはさんでミリアリアの反対側にいる少女に、キラの視線は向けられていた。
 一度も話したことはない。だが、キラは彼女のことをよく知っていた。
 理由は2つ。
 少女は成績優秀、スポーツ万能で評判の美少女と男子たちの間では噂されていた。特定の相手ができたという噂もなく、高嶺の花という言葉がしっくりとくる。加えて、キラと少女は、出生が同じだった。血縁関係にあるというわけではなく、キラ・ヤマトと少女は同じく、コーディネーターであった。比較的遺伝子調整に穏健なオーブでもコーディネーターは珍しく、何にしても目立つのだ。
 キラが少女たちを見ていると、少女がこちらの様子に気づいた。
 目が覚めるほどに鮮やかな桃色の髪が目に飛び込んでくる。首の後ろであまり飾り気のないリボンでゆるく結ばれ、目鼻立ちの美しさの割りに純朴な様子だった。厚手の上着とロング・スカートも、少女が異性の目を意識したことがないことをうかがわせる。
 アイリス・インディア。それが、キラと目を合わせる少女の名前。
 つい目が合ってしまったことに、気まずくなって顔をそらしたのはアイリスの方である。それでも、キラは目を背けることができなかった。そんなキラの肩を、誰かが叩いた。
 アイリスに気をとられすぎていた。キラはあわてて、ついそこから飛び退いてしまった。先ほどまでいた場所、そのほんの少し後ろでは驚かすつもりが逆に驚かされてしまった友人の姿があった。

「トール……、なんだ、君か……」

 少し驚かすはずが、キラの想定以上の挙動に友人トール・ケーニヒは戸惑っていた。

「いや、そんなに驚かすつもりなかったんだけどさ……」

 癖の強い髪をいじりながら謝ってくるその笑顔は人懐っこい。怒ってなんていない。そう返事している内に少年が2人、トールに追いつこうとしていた。
 サイ・アーガイルとカズイ・バスカーク。どちらもキラの友人だ。
 トレード・マークでもある眼鏡を拭きながら、サイは驚いたような顔をしながら歩いてくるところだった。

「そんなに集中してたのか、キラ?」

 アイリスのことを見ていたことに気づいてはいないのだろう。ところが、カズイの方はそうはいかない。顔にそばかすを浮かべた純朴そうな少年はキラが見ていた方向に首を向けると何かに気づいたような瞬きをしながらキラへと顔を戻した。

「アイリスのこと、見てたのかい?」
「いや、別にそんなわけじゃないんだ……」
「そういえばキラはまだアイリスとは会ったことなかったよな」

 サイが手を振ると女性3人組の先頭のフレイが手を振り替えした。友人の呼びかけに応じる形で少女たちがキラたちのもとへとやってくる。このグループの中でアイリスと面識のないのはキラだけだ。
 意図してそうしてきたのだから当然と言えば当然だろう。遠くならまだ見ていられた。ただ、近くに来られるとずいぶんといたたまれない気分にさせられる。徐々に視界の中で大きくなるアイリスの桃色の髪がまぶしくさえ思えた。

「サイ、僕はもう帰るよ。今日は星を見に行く日だから」

 用事がある。それは決して嘘ではないが、今すぐに出向かなければならないほどの急用でもない。それでもキラは足早にここを立ち去ることにした。サイは戸惑ったようながらも見送りの言葉をかけてくれる。こちらに向かってくる少女たち、正確にはアイリスから逃げるように、キラは下校する学生の列に混ざるようにその場所を後にした。




 ヘリオポリスは資源採掘用のコロニーであり、その半分は工場、研究施設、あるいはそれに関する施設で占められている。それらは資源衛星と接する側に集中している。コロニーに入るには通常、円筒の両端に備えられた宇宙港を通らなければならない。ヘリオポリスの場合は片側が衛星に突き立てられているため、宇宙港は1つしか存在していない。
 この宇宙港から順にコロニー内部を眺めていくと、倉庫群、格納庫など港を構成する施設をまず眺めることになる。続いて、学校、住宅、各種生活施設が並ぶ居住区、あるいは都市部と呼ばれる区画を通る。その奥に工場は置かれているが、工業地帯と都市部の間に自然公園が緩衝地帯として置かれていた。
 学生の場合、用がなければ港には行かない。自然公園は散歩する者も多いだろうが、工業地帯に立ち入ったことのある者は稀だろう。
 都市部が生活の中心であることは間違いない。
 そんな都市部の一角、目立たぬようとめられた車があった。その中には女性が1人。
 短い髪。糊の利いたスーツをしっかりと着込んだその車の中で電話を受けていた。その外見と違わず、その声は凜として、厳格な受け答えをしている。
 彼女はナタル・バジルール。アイリスの送迎を行っている保護者であり、電話の相手もアイリスであった。今日は友達と遊びに行くと報告を受けていたのだ。ナタルはまだ若く、とてもアイリスの母親には見えない。歳の離れた姉のような印象である。だが、2人に血縁関係はなく、ナタルにとっては任務の一環にすぎない。
 特に問題はない。夜遅くまで出歩かないことと、保護者の定型句を述べてから電話を切った。
 その車の前をアイリスたちが楽しげに通り過ぎた。ナタルは保護者として、アイリスを目の届く範囲においていた。だが、アイリスがその監視に気付くことはなかった。




 ナタルの視線に気づくこともなく、アイリスは友達と街を歩いていた。人影はまだまばらな時間帯でサイたち少年3人に、アイリスたち少女3人がかたまって歩いていても誰かの邪魔をすることもない。アイリスが携帯電話の通話を終えた時、ちょうどフレイが話を始めた。

「ねえ、サイ。あのキラって子、誘わなくてもよかったの?」
「今日は星を見に行くんだってさ」
「よくわからないけど、どうしても外せない日課なんだって言ってたよ」

 サイの言葉を補足したのはカズイだった。普段から集団の後ろを歩きたがるカズイは少し声を大きく前のアイリスたちに聞き取りやすくしてくれているようだった。
 アイリスは整った眉をしかめて、よくわからないといった表情をした。別にカズイの言っている意味がわからないだとか、声が聞こえなかったからではない。このコロニーでは夜間採光部は閉じられ外の様子をうかがい知ることはできない。星は望むべくもないのだ。試しにアイリスは空を見上げてみた。すると、街を構成するビルの先には空ではなく逆さまのビルがかすかに見えた。
 コロニーは円筒状で、内壁に人々は暮らしている。昼の時間帯は壁の一部が開き太陽光を取り込むが、夜間は密閉される。どれだけ高性能な望遠鏡を用いても星を見ることはできないだろう。

「キラさん……、どんな星を見るつもりなんだろ?」




 昼夜の区別のない宇宙空間でも人には夜と昼が必要である。
 コロニーの採光部がゆっくりと閉じられる。地球上での日没と速度を合わせて外から入り込む光が徐々に制限されていき、短い夕焼けに空を曝してから夜の帳が幕を降ろす。ヘリオポリスが存在するラグランジュ・ポイントの標準時で夜の時間帯。
 そんな時間のこと。
 鳥のさえずりは聞こえない。音らしい音はほとんどない。もしかすると、自身の心音が一番大きな音であるのかもしれない。
 コロニーの一画に設営されている自然公園。地上に似せて湖がつくられ、川が木々の間を流れている。昼間には休憩の場所に、休日にはピクニックに訪れる人が多い憩いの場所だった。残念ながら、現在は循環システムの不具合で閉鎖されている。加えて、忍び込んだ不届き者が工事資材を盗み出した事件があったらしい。そのため、昼夜を問わず警備員が巡回していた。
 そんな穏やかな公園も夜ともなると外灯の明かりは弱く、散歩に適してはいない。こんな時間帯に、しかも警備の目をかいくぐってまで自然公園にいるのはよほどの変人か、よほど後ろめたい事情を抱えた人物だけだろう。
 では、この少年はどちらであろうか。キラは警備員に見つかることもなく自然公園に侵入を果たしていた。放課後と同じ私服姿で暗い中を、しかし特に警戒した様子もなく歩いてく。適度に湿った土は音を立てない。外灯の明かりは目立つからと避けて歩いていた。必ずしも歩道を選んで歩く様子はない。それどころか道の脇に生えた木を一瞬周囲の様子を確認するしぐさを見せた後で一気に登り始めた。枝に鉄棒のように手をかけて次々に上へ上へと上がっていく。見上げるほどの高い木でありなあら、キラの姿はわずかな時間で公園を軽く見渡せる程度の高さにある枝に座っていた。
 公園を見渡せる、しかし、周りからは見えにくい位置を選んだ。
 採光部は完全に閉じられ星はその姿を隠していた。キラはそのことを気にした様子もなく、首にかけていた双眼鏡を水平に構えた。
 はじめから星を見るつもりなどないのだ。キラがいったい何を見ているのか、それを知る者は誰もいない。何を見ているのか、何が知りたいのか。それを誰にも告げないまま、キラはそっと双眼鏡を下ろした。その顔は特に何か感慨が浮かんでいる様子はない。ただわずかだけ眉をひそめて見せた。
 携帯電話を取り出し番号を打ち終えてからしばらく待つ。

「サイ。僕だよ……」

 枝にすわり木の幹に背を預け、キラは街に遊びに行っているはずの友人へと連絡をかけた。




 電話が来た。サイが確認すると、それは意外にもキラからのものであった。普段電話なんてかけてこないキラが珍しい。サイがそんなことを考えているうちにキラは短く用件だけ告げると、あっさりと電話を切ってしまった。その内容は意図のよくわからないもので、釈然としないまま、しばらく携帯を眺めた。

「誰から?」

 こんなに気軽に聞いてくるのはトールならではだろう。特に聞かれて気まずい内容でもない。サイは携帯をしまいながら答えた。

「キラからだった。よく分からないけど、今日は早く家に帰れってさ」

 このやりとりのどこにきっかけがあっただろう。仲間との話し声。雑踏の喧騒。道路をこするタイヤの音。都市部に満ち満ちていた音。そのすべてを飲み込む破裂音が大気を震わせながらサイたちを通り抜けていった。音そのものが胸を叩いたような息苦しさを一瞬感じた。仲間たちの叫び声や、戸惑う人の声が響く。
 離れた場所であった。ビルの向こう側に巨大な火煙が立ち上っているのが見えた。破裂音、いや、爆発音はすぐにやんだ。しかし、もう都市部の音は戻ってこない。音の間隙を狙い澄ましたかのように、突如、サイレンが鳴り響く。
 一体何が起きているのだろう。サイたちは慌ててあたりの様子をうかがった。首を右に向ければ戸惑う仲間の顔。首を左にすると呆然とする通行人。
 そして、首を上に。灰色の甲冑を着込んだ一つ目の巨人が轟音と突風とともに都市を飛び越えていった。



[32266] 第2話「G.U.N.D.A.M」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/13 00:29
 宇宙空間に大気はない。音を伝えるものがない。しかしそれは静寂を意味してはいなかった。光を拡散させることもない。よっていつも暗闇に包まれている。だが今の宇宙は彩りにあふれている。
 ヘリオポリス宙域で今まさに戦争が行われていた。
 中立であるはずの資源コロニーを目指すのは白い戦艦。前方へと突き出された一対の細長い構造が脚を思わせる。宇宙戦艦にしては珍しい大型の水平翼を備えたそれは、大西洋連邦所属アーク・エンジェル級アーク・エンジェル。追いかけてくるような光線を背景にその戦艦はヘリオポリスへと推進を続けていた。
 追いかけるのは2隻の戦艦。
 濃緑色の戦艦は、空気抵抗を考える必要がない宇宙戦艦らしく、大型のコンテナを両脇に抱えたような独特の構造をしていた。ザフト軍所属ローラシア級ガモフ。 水色の戦艦は左右と下から細く長く艦体を突き出し、ブリッジを後方に据えた宙間航行を想定した形状をしていた。ザフト軍所属ナスカ級ヴェサリウス。
 大西洋連邦の戦艦を敵対する2隻の戦艦が追撃している。これはまさに戦争の光景である。戦い合う国の戦艦同士は、やはり戦争を行っていた。




 市街地では混乱の極みにあった。誰も状況を把握してはいない。事故か事件か、テロか暴動か。誰も戦争が起きているのだと理解できないままあわてた足取りでシェルターを目指している。シェルターの入り口は一つではなく人々が思い思いのまま走るため人の波が右往左往と交じり合う。ところが、人の流れに一定の規則性が現れた。方向はばらばらながら、しかしある地点から明らかに離れようとしているのだ。
 その地点にまずは影が、そして、重苦しい駆動音。鉄が軋む音をたてながら、一つ目の巨人がゆっくりと降り立った。
 全長は約20メートルほど。全身が灰色に塗装された装甲で覆われており、手には人が扱うアサルト・ライフルをそのまま10倍に拡大したかのような火器を携えている。背には左右に展開した大型のスラスターが設置され、噴出口に除く青白い炎はその勢いでビルの窓ガラスを砕くほどである。
 型式番号ZGMF-1017。名称はジン。
 原則1人のパイロットが乗り込む独立人型の機動兵器の総称として、モビル・スーツという造語が用意されている。ザフト軍がコロニーを含めた宇宙での戦闘を前提に開発した人造の巨人たちのことを指す言葉である。このジンとはモビル・スーツの中でも代表的な存在であり、この姿を目にした人々はザフト軍の侵攻を確信するとともに恐怖した。
 70tもの鋼鉄の塊がそうと思わせない軽やかな動きで歩く。それだけアスファルトは陥没と隆起に見舞われ、車が吹き飛ばされるように横倒しに転がる。
 現代戦術において最強と認識されるモビル・スーツ。それはただ歩くだけでその力強さを見せ付け、市民を逃げ惑わせた。




 モビル・スーツの襲撃に人々は怯え取るもの取らず逃げ惑う。無理もない。積極的に攻撃する意志こそ示さないが、ビルにして6階ほどの高さの巨人が歩き回っているのである。それだけで十分な恐怖だと言えた。なりふり構わず走り回る人がいる。人にぶつかることもいとわないその行動は副次的な負傷者を増やしていく。
 アイリス・インディアもその被害者の1人だった。かすり傷程度の軽傷だが、髪を束ねていたリボンをなくしてしまった。桃色の髪がたなびくと、普段とは違う髪型が妙に落ち着かない。
 友達たちはそれどころではない様子だった。逃げる人々に巻き込まれないよう、小さな路地に集まっている間、ほんの小さな物音や衝撃に過剰な反応を見せていた。
 アイリスは不思議と冷静だった。冷静というよりも、何か、冷めている気さえする。この程度の惨状を惨状とは呼ばない。以前はもっとひどい光景を目にしたはず。ただ、その論拠となるはずの記憶は、アイリスにはなかった。結局、戸惑っていることは周りの人々と何ら変わりない。その原因が違うだけで。
 震えているしかないアイリスたちのもとへ車がけたたましい音を立てて乗りつけた。運転席には女性が1人。ショートヘアでスーツ姿。見覚えのある人物だった。
 車のドアが開かれる。すぐに響いてくる女性、ナタル・バジルールの声は力強い。

「アイリス、乗れ!」

 路地から飛び出したアイリスはすばやく助手席に滑り込んだ。

「みんなも早く!」

 友達はアイリスに促されてようやく路地から出てくる。やはり怖いらしく周囲、特に何かを見上げるように警戒しながら後部座席に次々と乗り込んでいく。5人乗りの乗用車に7人で乗り込むことになる。どうやって入っていいものかと躊躇している仲間たちへ、運転席のナタルは声を張り上げた。

「何をしている!? 早く乗れ!」

 これでようやく覚悟を決めてくれたのだろう。仲間たちはとにかく乗れる人から乗り込み、あっというまに後部座席は5人の少年少女ですし詰めとなった。普段からおしゃれに気を使うフレイ・アルスターからは髪のセットが乱れると苦情が出るにもかまわないで、ナタルは車を発進させた。座席に押し付けれらるほどの急発進で助手席にゆったりと座ることのできるアイリスはともかく、仲間たちは悲鳴に近い声を上げた。
 それでも、安全運転なんてしている余裕のないことくらい、アイリスにもわかっていた。窓ガラスを通して、遠くにジンの姿が見える。1つ目に見えるモノアイ・カメラを左右にせわしなく動かす様はひどく不気味でさえある。

「どうしてヘリオポリスにモビル・スーツが……?」

 アイリスの問いかけに答えてくれる人は、ここにはいなかった。




 コロニーに進入するためには、宇宙港を通る必要がある。それ以外の場所は機密性を保つために厚い壁に覆われている。道など望むべくもない。
 だが、それは正規の手段に限っての話だ。
 それはちょうど自然公園の区画だった。外部からの攻撃が壁を吹き飛ばし、木々を高く放り上げた。開いた穴はモビル・スーツが余裕を持って通り抜けられる大きさである。0気圧の宇宙空間。1気圧のコロニー内。気圧の差が風を巻き起こし、その穴は付近一帯のものを吸い込もうとする。その流れに逆行して、3機のジンがヘリオポリスへと侵入を果たした。モビル・スーツ戦術論において1個小隊に相当する戦力である。
 1つの都市を、その武装の程度によっては十分壊滅させることができるほどの戦闘力を有する小隊を率いるのは、まだ少年と呼んで差し支えのない男性だった。ヘリオポリスの空へと侵入を果たしたジンのコクピットの中で赤いノーマル・スーツを身に着けた少年は眼下に広がる森を目にして、すぐに周囲へと鋭く視線を飛ばす。年に見合わない精悍な目つきが印象的な少年である。
 少年の名はアスラン・ザラ。ザフトに所属するパイロットの1人であり、この3機のジンを率いている小隊長である。

「自然公園への侵入を確認! 計算どおりだな」

 ほぼ計画通りの場所に出ることができた。目的地である工場地帯はもう目と鼻の先である。市街地に穴を開けずにすんだことは、心優しい部下の機嫌を損ねずにすむ。コクピット脇のモニターには僚機であるジンのコクピットの様子が示されている。アスランがふと盗み見ると、赤いノーマル・スーツの中で、小柄な少年がそのあどけない顔に焦りを貼り付けていた。
 このジンが穴の周りへとアサルト・ライフルを森へと向けて乱射する。気圧差の吸引にかろうじて耐えていた木々は弾けとび、穴へと吸い込まれていく。
 通信からは部下の声が聞こえてくる。

「早く、早くふさがないと……」

 小隊長であるアスランに比べ、さらに若さを感じさせる声だ。事実、このニコル・アマルフィはアスランよりも年下である。どんな相手にも気遣いのできる少年であり、コロニーに穴を開けて侵入口を確保するという作戦に反対していた事実がある。
 ニコルのジンに薙ぎ払われた木々と土砂が巻き上げられ、穴へと殺到する。すると、それぞれが重なり合い、やがて見事穴をふさいだ。恒久的な処理ではないが応急処置としては十分だ。
 ニコルが一息ついたことを確認してから、アスランはジンを森へと降下させた。すぐにニコルを含む2機の僚機が続く。
 目的は大西洋連邦の新型5機の奪取。予定では、すでに別の小隊が潜入し、新兵器の捜索と奪取にあたっている工作員の援護をしているはずである。アスランの部隊もすぐに工場地帯に向かわなくてはならない。しかし、ここまで派手に侵入した以上、敵軍に気づかれていないはずはない。当然妨害は予測していた。

「よし。2人とも無事だな。俺たちはこのまま……」

 それは、アスランの予想を遥かに上回るものであった。
 そのことに最初に気づいたのはニコルとは反対側を守るジンのパイロット、ジャスミン・ジュリエッタだった。アスランと同い年の少女は、若い女性特有の高さのある声を張り上げた。

「敵! 左です!」

 ジャスミンの警告に、小隊はすばやく反応する。各々が回避のために飛びのくと、ちょうどアスランのいた場所に一筋の光が吸い込まれた。
 正体不明の熱線兵器は、木といわず、土とかまわず、膨大な熱量でまとめて吹き飛ばした。巨大な爆弾でも炸裂したような有様である。着弾点では森の光景が一変していた。黒煙が立ち上り、ただれた何かが周囲に散らばっている。
 アスランは思わず息を飲む。敵のたった一撃は、しかしジンのアサルト・ライフルで再現しようとするならこのこの小隊の攻撃力を加算してもまだ足りないのではないだろうか。
 一体どんな敵がいるのか。少なくとも、アスランはこれほどの攻撃力を持つ兵器を知らない。

「油断するな。小隊行動を維持していればそうそうやられることはない!」

 アスランを中心にニコル、ジャスミンの機体が左右へと配置する。攻撃の方角へとアサルト・ライフルを一斉に向ける。すると、そこには確かに敵の姿があった。
 見たこともない、モビル・スーツであった。胸部、肩、膝など、各所に青を配した薄い灰色の装甲に包まれた巨人だった。ザフト軍のみが保有しているはずのモビル・スーツ。驚きこそすれ、信じられないことではない。そもそも、大西洋連邦軍がヘリオポリスで開発している新兵器、5機の新型モビル・スーツの奪取が任務であるのだから。

「動いている機体があったか……」

 敵モビル・スーツの右手にはライフルが握られていた。これが先程の攻撃を行った武器なのだろう。ジンの構えるアサルト・ライフルと同規模の携帯兵器にしては冗談のような破壊力である。あんなものの直撃を受けてはジンの装甲でさえ危うい。
 アスランは隙なくライフルを構えながら、敵モビル・スーツに既視感を覚えていた。

「顔を持つモビル・スーツ……、以前もどこかで……」

 ジンのようにがっしりとしたシルエットではなく、細身でより人のシルエットに近い。顔には目が2つと口を思わせる構造。アンテナと思しき角がV字型に額に取り付けられていた。ずいぶんと擬人化がきつい。ジンがサイクロプスなら相手はどこか英雄の彫像のようにも思える。ザフトのものとは明らかに意匠が異なる機体で、非常に特徴的であることに間違いない。
 だが、それをどこで見たのか、どうしても思い出すことができなかった。




 ナタルの車は3人がけの後部座席に5人を詰め込んだまま郊外へと脱出していた。
 フレイは文句を言うことに始終していたが、そろそろ他の学生からも苦情が出始めていた。サイ・アーガイルがずり落ちた眼鏡も直せないと抗議すると、体を無理に動かそうとしたトール・ケーニヒがある事情からミリアリア・ハウに叩かれていた。ただ、カズイ・バスカークだけが黙ってその状況を受け入れていた。
 やがて車が道路が街を見下ろせる小高い丘の上を通ると街の様子がとてもよくわかるようになる。ところどころで火の手が上がり、夜間であるにもかかわらず薄暗くも明るい不気味な景観が作り出されていた。蠢く炎が赤黒く街並みを映しているのである。
 居住区には孤児であるアイリスを除いて友達の家族がいる。いつこの街を燃やす炎が類焼していくかわからないこの光景に、誰も騒ぐ続けることはできなかった。




 コロニーの中心軸では重力の空白帯となっている。そのため、立ち上る煙の多くはここにとどまり、一筋の黒線をひいていた。この黒く立ち込める煙を引き裂いて、白い艦体を有するアーク・エンジェルがヘリオポリスの人工の空を横切った。
 擬似重力発生のためにコロニーの外壁は時速数百キロもの高速で回転している。例外としてコロニーの蓋にあたる部分に設置されている宇宙港は回転から独立している。通常、艦船は艦体そのものを回転させ、相対速度を0にしてからコロニー内に進入する必要があった。しかし、アーク・エンジェルは緊急のため、相対速度をあわせることなくコロニー内へと進入した。地上、コロニー外壁の人々から見れば、アーク・エンジェルは横へと大きく流されていくように見えることだろう。
 アーク・エンジェルは徐々に地表と相対速度をあわせていく。すると、次第に擬似重力にとらわれる。コロニーの大地と相対速度をあわせる対価として墜落しようとしているのである。
 ブリッジでは艦長が指示を飛ばし、操舵手が舵を切る。
 艦長席に座っているのは女性である。大西洋連邦軍の白を基調とした軍服にあしらわれた階級章は大尉であることを示している。やわらかく長い髪とひかれたルージュが似合う大人の女性であったが、その表情は軍人らしく厳しいものだった。マリュー・ラミアス大尉。アーク・エンジェルを任せられる艦長である。
 アーク・エンジェル艦長は手を前へと突き出した。この行為自体にあまり意味はないが、発せられる命令をブリッジに響き渡らせる演出である。

「アーク・エンジェルは自然公園に強行着陸を試みます。総員、衝撃に備えなさい!」

 軍服を律儀に着込み、切りそろえられた髪をした若い男性操舵手アーノルド・ノイマンは一瞬躊躇した様子を見せたが、すぐさま決心したように舵を握る手に力をこめた。アーノルド操舵手がためらわざるを得なかった理由。それは、相対速度にまだ差異が残されていることに加え、着陸のための減速が不十分であるためだ。しかし、このままでは工場地帯へと墜落してしまう危険性もあった。
 アーク・エンジェルは高速のまま、木々をなぎ払い着陸する。しかし、それだけでは勢いを殺しきれず、森をえぐりながら滑走する。わだちと呼ぶにはあまりに仰々しい痕跡を刻んでいった。



 アスランは仲間に警告を発した。大西洋連邦の戦艦がろくな減速もしないで自然公園へと降下してきたからである。その大きさは鋼鉄製のビルがそのまま落ちてくることにも等しい。ジャスミン機ははじめから墜落コースを外れていたが、アスランとニコルは大きく飛び退く必要があった。スラスター出力を上げ、上空へと飛びあがったのである。
 森の木々を薙ぎ払いながら滑っていく戦艦をやり過ごして、アスランは率先して敵機へと攻撃を仕掛けた。上空という有利な位置から口径が76mmにも達するアサルト・ライフルを連射する。森の中、動こうとしない敵機をあわよくば撃墜してしまう気でいた。
 敵モビル・スーツは動こうとせず攻撃をすべて受け止め、そしてこともあろうに無傷であった。かすかに装甲が淡い輝きに包まれている。光る装甲に弾かれた弾丸は周囲の木々を容易く切り刻んだというのに。
 これまでどのような敵に対しても十分な攻撃力を維持してきたはずのアサルト・ライフルが効果がない。この事実はアスランを戸惑わせた。
 気だるげ。そう表現してしまえるほどに緩慢な動作で、敵のライフルが上空のアスランの機体へと向けられる。このことについ反応が遅れてしまうほど、アスランは目の前の現実を認識しきれずにいた。
 発射される光線。
 スラスター出力の調整。四肢の運動による重心位置の変更。アスランは瞬時にこれらの操作を行い、光線をかわそうとする。だが、初動が遅れたことで光線は直撃のコースを描く。
 無理に体を横へと引っ張り出す。そんな強引な回避によて直撃はさけられた。だが、ジンの右腕に吸い込まれた光線は、ただの一撃でジンの腕をアサルト・ライフルごともぎ取り、貫通して飛び去っていく。背部のスラスターの片側も損傷させられ、推力のバランスは一気に乱れた。光線のあまりの熱量に胸部に搭載されたジェネレーターも熱にやられたのだろう。
 コクピット内にけたたましく流れる警報音。出力の急速な低下を示している。スラスターの出力さえ低下し制御がきかないまま、アスランのジンは工場地帯へと流されていく。

「アスラン!」

 ニコルの声だ。コクピットを揺さぶる衝撃の中、必死に歯を食いしばりながらそんなことを考えた。そしてそのまま、モニターに映った何かの格納施設に激突し、屋根を突き破って内部へと落下する。
 それが幸いであったらしい。衝撃は思いのほか小さいものだった。モニターは死に、狭いコクピットには火花さえ散っている。これは完全にいかれてしまっている。ジンは衝撃で完全に動かなくなってしまった。モニターは半分以上が死んでいる。しかし、一部は生きているのだ。そこには施設に横たえられているモビル・スーツの姿が映りこんでいた。
 ジンが倒れる格納施設の床。その先に寝かせられた大西洋連邦の新型モビル・スーツ、その2機目があった。




 アイリスたちは声もなかった。
 ナタルが急に車を止めた。何事かといぶかしがるアイリスをよそに、今が好機と仲間たちが後部座席から這い出た。まるで生き返ったように体を伸ばす彼らの前で、戦艦が落ちてきた。白い戦艦が自然公園へと落ちていった。斜めに突入して、ずいぶん不恰好な着陸に見えた。それが、相対速度がずれているために、やむなく不時着しようとしているのだと気づいたのは戦艦がけたたましい音を立てて自然公園をえぐり始めたときだった。
 一瞬で憩いの場が変わり果てた。
 戦艦が自然公園を蹂躙する様を想像した人なんているだろうか。あまりに現実離れした光景に、誰もが何も言い出せない。
 アイリスとナタルは無言のまま、車を降りた。仲間のところに行こう。そうして歩いていると、トールが慌てて叫んでいた。

「キラ、今日星を見に行ったんだろ!?」

 キラ・ヤマトと面識のないナタルを除く全員が一斉にトールの方を見る。そのまま、恐ろしくて、自然公園へと自然を戻せない。それでも1人、また1人がゆっくりと、戦艦が落着した地域へと首を戻した。戦艦が大きく滑ったため、地形がほとんど変わってしまっている。それこそ、不吉な予感を覚えずにはいられないほどに。




 広くも暗い室内。その床には血溜りがどす黒い色をして広がっている。そこにキラの足が浸っていた。血を踏みつけて、その周囲に血がぽつりぽつりと雫となって落ちる。

「ようやく見つけたんだ……」

 キラの言葉はどこか浮かされたように取り止めがない。暗闇の中、甲高い音を立ててナイフが落ちる。それは肉厚の刃に血を滴らせて、広がり続ける血溜りにゆっくりとその冷たい金属の塊を浸らせていった。

「僕は守りたかったんだ、君との約束を……」

 キラの足が動きだし、歩き出す。その足は思いのほかしっかりと床を蹴り、行く先には開かれたままのハッチから光が差し込んでいた。
 その光が描き出す、キラが踏みつけた血の訳を。まずはナイフ。主の手を離れたそれは静かに血に浸っている。その血をたどると、緑のノーマル・スーツに身を包んだザフトの兵士たちが絶命していた。皆喉を正確に切り裂かれている。それぞれがアサルト・ライフルを首にかけているが、満足に使用された形跡なく10名ほどのザフト兵が倒れたまま、命を失ったまま光差す方向へと歩んでいくキラを見送っていた。
 そして、その光の中、白い巨人がキラを待つかのようにたたずんでいるのが見えていた。

「ゼフィランサス。……だから、貸してもらうよ、君の力を」




 工場地帯では使用している火器がそれぞれ異なる3機のジンが破壊を行っていた。
 小隊長機のジンは身長ほどもあるミサイルを両腕のハンガーに各2発ずつ保持していた。左右から同時に1発ずつ発射すると、煙の尾を引くミサイルが突き進み着弾点を中心として一角が吹き飛ぶ。
 僚機のジンはバズーカを肩に担いでいる。配備されていた戦車の攻撃をかわしながら接近、上から叩きつけるように発射。戦車は玩具のようにはじけ飛び重たいはずの砲塔の残骸が地面を転がっていく。
 ここにモビル・スーツを、ジンを制圧できる戦力は存在しない。圧倒的な力でただただ弱者を蹂躙する。ジンとはまるで地獄の悪魔のよう。
 火が地べたをなめ尽くし、煙となっては空を蝕もうとする。それを背景としてジンが破壊の限りを尽くす。ここを地獄と呼んでも許されるのではなかろうか。
 そして、そんな地獄を1人の少女が眺めていた。
 工場地帯を見下ろして生える尖塔。窓はなく敷地面積は狭い。ただ、工場のどれより、ジンのどれよりも高い。壁は白塗り。オベリスクを思わせる外観でありながら荘厳さはみじんもなく、それは不気味な印象しか与えない。
 そんな尖塔の壁、頂点に近い位置に穴が開けられ、人1人が寝そべることができるほどの広さしかない床が突き出していた。
 そこに少女が座っていた。
 両手を前につき、足をそれぞれ外側に開いて人形のように座っている。遠目に見たなら、それこそ人形にしか見えないことだろう。
 黒を基調として少女の肌を包み隠すドレス。白いフリルがところどころに織り込まれ、暗い色調の装束を鮮やかに飾りたてていた。リボン、チョーカー、ヘッドドレス。衣装の所々を装飾品が補完し、少女を人形へと仕立てあげる。
 だが、こんなドレスだけが少女を人形たらしめている訳ではない。
 少女は赤い瞳をしていた。美しく例えたいなら、鳩の血を思わせる紅玉のよう。一言で片づけてしまうなら血のよう。
 少女は白い肌をしていた。前例に倣うなら、穢れない雪のよう。言ってしまうなら、人の肌とは思えない異常な白さである。
 色素欠乏症。紫外線から身を守る色素のことごとくを持たない少女の居場所は、現在のように日の光が閉ざされた夜闇の世界しかない。闇に包まれ、戦火だけが照らし出すこの世界こそが、少女の住まいだった。
 美しく整った、しかしその顔は無機質、無感情に眼下の地獄を眺めている。小さく開かれた口からは音色がこぼれ落ちる。
 それは歌。母親が子に聞かせるような子守歌だった。この黒き聖母から、この地獄へと産み落とされた子たちへの。




 GAT-X102デュエル。
 大西洋連邦はザフトのジンに対抗するためのモビル・スーツを極秘で開発していた。デュエルはプロト・タイプとも言える機体であるため、特徴らしいものを持たない。ジンに比べ人体に近い構造と、背中のスラスターを搭載したバック・パックがコンパクトにまとめられている。
 大西洋連邦製のモビル・スーツ、その雛形に当たる機体である。
 現在、デュエルは自然公園で2機のジンと交戦していた。
 小隊長機であった、アスランのジンを一撃で沈黙させたため、残された2機は連携に狂いが生じていた。
 ニコル・アマルフィは仇をとろうと攻撃しようとするも市街地近くにまで戦場が移動し、積極的な攻撃を仕掛けることができないでいた。しかし、若いニコルの躊躇よりもジャスミン・ジュリエッタの動揺の方が2機の足並みを乱していた。
 そんな状態では満足に戦闘行為を行えるはずがない。
 デュエルは鋭くはない動きで、それでもジャスミン機への接近を果たすとあいている左手で胸部を殴りつける。
 分厚い装甲に覆われた胸部が陥没し、細かな装甲が複雑に組まれた指、マニピュレーターは無傷。ジンは足を浮かせ、飛び上がるように後ろへと倒れた。
 動けないジャスミンを見降ろして、デュエルの左拳が淡い光に包まれていた。




 GAT-X103バスター。
 デュエルに撃墜され、動かなくなったジンを乗り捨てたアスランは大西洋連邦の、ナチュラルの機体へと体を滑り込ませていた。
 その機体は上半身は胸部から肩にかけて濃緑色をした厚手の装甲をしていたが、そのほかの部位はクリーム色でまとめられている。両腰に連結されたアームの先にはそれぞれモビル・スーツの身長ほどもあるランチャーが備えられ、重装歩兵のような姿をした機体である。

「無事でいてくれ、二人とも……」

 わざわざ立ち上がる時間が惜しい。バッテリーの状態、武装が施されているかどうか確認を終えると、アスランは一気にスラスターを吹かす。上体を弾けるように起き上がらせ、その両腕で天井を左右に引き裂く。モビル・スーツが起き上がるために十分な空隙を開いて、アスランはバスターを外気へとさらした。
 
「よし、動く!」

 バッテリーの残量など試験起動程度が想定されていたのか十分とは言いがたいが贅沢を言っていられる余裕はない。操縦レバーを握りなおす。操縦システムそのものはザフト軍機と驚くほどよく似ている。これなら戦うこともできるはずだ。
 そう、アスランはスラスターの出力を徐々に高めていく。ジンよりも出力が高い。バスターの体は空へと飛び上がった。
 するとすぐに、デュエルの前に倒れるジンの姿が見えた。とっさに思いついたのはジャスミンのことである。
 ランチャーは左右で違う武装が備えられている。右は件の熱線兵器。左は電磁誘導によって実体弾を高速で射出するレールガンである。レールガンはすでに既存の技術だが、光線はわからないことが多い。より確実なレールガンを選択すべきだろう。引き金を引くと、デュエルへと向けて高速弾が飛び出す。
 大気を鋭角に切り裂いて弾丸は敵機の右胸に直撃する。ジンなら爆発四散してしまうほどの会心の当たりである。
 だが、敵は後ずさるだけで、装甲はレールガンの直撃に耐え抜いた。被弾箇所が淡い光に包まれていること以外、損傷のような変化は微塵もみられない。装甲が強固なことは今更だが、レールガンでさえ攻撃力が足りていない。
 衝撃に敵が体勢を崩したでよしとして、アスランはジャスミンと敵モビル・スーツとの間にバスターを割り込ませる形で着地させた。

「援護する。立て、ジャスミン!」
「え! アスランさん!?」

 思いのほか元気のいい声が戻ってきた。どうやら無事なようだ。
 アスランの目はすぐに敵の姿を捉える。敵機がライフルを構えようとしていた。大西洋連邦製のモビル・スーツは人間に近い動きができるらしい。フレームがしなやかで、鈍いながらも動きがなめらかだ。そのため、呼吸と間合いがわかりやすい。
 バスターが右のランチャーをデュエルに向けて構えた。いくら威力が高かろうとも光線が輝く装甲を貫通できる保障はない。ひとまず武器を奪うためにライフルを狙い撃つ。
 ランチャーはライフルに比べ、長く、チャンバーも大型であった。当然その威力は極めて高い。
 発射された光線は一瞬でライフルを貫通。その威力は微塵も衰えない。そのまま光の軌跡を描きながら自然公園を抜け、居住区へと飛び込んでいった。射線上、降り注ぐ放射熱に木々は弾け、家々は火に包まれる。灼熱の轍はそのまま突き進み、マンションと思われるビルを直撃して巨大な閃光が噴出す。焼け爛れた巨大な穴が開いた。膨大な熱量は鉄筋を歪め、コンクリートを溶かす。ビルは、窓という窓から炎を嘔吐しながら崩れ落ちた。
 アスランは呼吸も忘れ、目を大きく見開いた。これなら戦艦どころかコロニーの外壁さえたった1機のモビル・スーツで破壊できてしまう。

「連合軍は……、ナチュラルはこんなものを造ってまでコーディネーターを滅ぼしたいのか……」




 GAT-X207ブリッツ。
 工場地帯。格納庫ではザフトと大西洋連邦とが機体を挟んで銃撃戦を繰り広げていた。
 全身が漆黒で染められた機体は、両腕に独特の形状をした武装が取り付けられていた。右手には盾と思われる板状の兵器が腕に沿って取り付けられている。左手は寄り合わされた3本の黄金の爪が鋭い三角錐を構成するユニット。ブレード・アンテナが大きく広い形状で、特殊任務を担当する間者のような出で立ちである。
 このブリッツが立ち上がると、緑のノーマル・スーツを着たザフトの工作員は引き上げ始めた。それはブリッツがザフトの手に落ちたことを意味した。
 ブリッツが格納庫の天井を突き破り地上へと姿を現すと、ミサイルを装備したジンがそばに降りた。
 この小隊長機からは、妙に気取った声で通信が入る。

「無事、ナチュラルどもの鼻をあかしたようだな、ディアッカ」

 ディアッカと呼ばれたザフト兵はコクピットの中、エリート兵の証である赤いノーマル・スーツの下で褐色の肌に軽薄そうな表情を浮かべていた。雰囲気をそのまま返事にまとわせる。

「当然だろ、ナチュラルどもにモビル・スーツなんて豚に真珠だ」

 いい気分に浸るディアッカを邪魔するように、敵の戦車隊が攻撃を仕掛けてくる。左手のユニットはザフトにはない兵器だ。少し、試しに使ってみることにしようか。そんな気分で、ディアッカはブリッツにユニットの射出を命じた。それはブリッツを細いケーブルで繋がれたまま、小型スラスターで加速しながら戦車を挿し貫いた。そればかりか、土を撒き散らしながら戦車をなぎ払う。進行方向にあった施設さえ切り裂いて、ようやく腕に戻った。
 その破壊力に、ディアッカは上機嫌で口笛を吹いた。




 GAT-X303イージス。
 工場地帯最奥の資源衛星を削岩して作られた格納庫にその姿はあった。
 全身が赤く染められ、そのシルエットは他機とは違った印象を与える。頭部のセンサーは縦に長く、鶏冠のよう。袖口、つま先に備えられた白く長方形のプレートが妙に目を引く。
 いささか趣の違う機体を前に、それでも人のしていることは大差ない。白の連邦と、緑のザフトが撃ち合いを繰り広げていた。
 そんなありきたりの光景に飽き飽きしたのか、イージスが突然立ち上がった。バスターのように、ザフトが撤退を開始するでもなく、連邦軍さえあっけにとられていた。どちらの勢力も預かり知らぬ内に、イージスのライフルはコロニー内へと続く大型ハッチを撃ち抜いた。ただの一撃で、溶解し丸い風穴を開いた。
 破壊されたハッチの断面は分厚い。その厚さを確かめるようにイージスがハッチを潜り抜け、コロニー内部へとその赤い足を接地する。
 そこにはジンが待ち構えるように立ち尽くしていた。正確には完全な鉢合わせである。イージス、そしてジンはそれぞれ満足な狙いをつけることなく互いの武器を向け合い、発射した。どちらも命中などしない
 ジンの担いでいたバズーカの弾頭はイージス脇の小惑星の壁へと激突しその表面を崩しただけである。
 イージスの放った光線は施設の一つに飛び込むと、中から膨れ上がった巨大な爆発が施設を吹き飛ばし生じた突風がジンの体さえ揺り動かした。




 そして、GAT-X105ストライク。
 工場地帯の制圧を担当するのはミゲル・アイマン率いるジン3機からなる小隊だった。新型の奪取に成功したディアッカを逃がし、残された破壊工作を存分に堪能しているのである。
 小隊長であるミゲルは派手好きで、破壊力こそ高いが利便性の悪いミサイルを好んで使用する。だがそれでは戦車や機動兵器には対応できず、それを補うために部下のどちらかが使い勝手のいいライフルを使用する必要があった。
 そんな貧乏くじをひかせられたジンが1機。あたりの様子を油断なく探っていた。それゆえか、そのジンは尖塔の上に少女がいることに気づいた。
 尖塔は破損がひどく、いつ崩れ落ちてもおかしくない。そうであるにも関わらず、少女は無表情で恐怖を感じているようには見えない。時折口が動いているのは、もしかすると震えているのだろうか。あるいは、歌っているのか。
 ジンは尖塔に近づいた。まさかその振動が引き金ではないだろうが、尖塔が傾き、少女が投げ出される。ライフルを下げ、左手を伸ばす。少女を助ける理由を見出す必要はなく自然と体が動いた。
 漆黒の少女は空中から落ちながら、その紅い双眸は手を伸ばすジンを捉えていた。
 それは違う。少女の瞳はジンから若干はずれていた。わずかに右側。そこには白いモビル・スーツの姿がある。
 胸部の青い装甲が目を引くが、装甲の多くは純白で染め上げられている。デュエル同様特徴らしい特徴のない機体で、バック・パックさえ存在していない。満足な武装は左手のダガー・ナイフのみ。
 5機の大西洋連連邦製モビル・スーツ、その最後の1機であるストライク。その機体もまた少女を目指し、すれ違いざま左手のナイフをジンのコクピットへと突き立てた。そのままジンを押し倒すように腕に力を加え、その勢いさえ利用してストライクは少女へと飛び出した。
 ジンのように手で掴もうとはしない。ストライクは少女へと飛び上がり、驚くべきことにコクピット・ハッチを開いていた。
 少女の瞳には、少年の姿が映る。コクピットから身を乗り出している少年。どこにでもいそうな格好で、逆を言えば、どこに潜り込んでも印象を与えない姿を装う少年を。
 少年は手を伸ばした。落ちていく、そのことに微塵も恐怖を感じさせない少女へと。白い髪、赤い瞳、着飾ったドレスはお人形が空を舞っているよう。
 少年の名前はキラ・ヤマト。少女の名はゼフィランサス・ズール。
 少年が少女の名前を叫んだ。

「ゼフィランサス!」

 少年が少女両手を広げ、少女の体はその中へと飛び込んでいった。長く波立つ白い髪が少年の腕に包まれると、キラはコクピットのシートへと倒れ込む。キラはすぐに操縦に戻る。右手で操縦桿を手にしながら、しかし左手はしっかりと腕の中の姫君を抱いている。ストライクは着地の際、膝を降り、身を低くしながらゆっくりと衝撃を拡散する。コクピット内の2人を守るための仕草は、かしづく騎士のようでもあった。
 キラの腕の中で少女は小さく身をゆだねていた。表情に乏しいその赤い瞳がキラを見ている。キラは少女の白い髪を撫でながら静かにささやきかけた。

「久しぶりだね、ゼフィランサス……。でも……」

 警報が鳴った。ミサイルを装備したジンがこちらに向かいつつあった。
 キラの行動は早かった。コクピット・ハッチが閉じられる。すでにその手は操縦桿を掴み、瞬きをしないその眼差しはコクピットのモニターに映るジンの姿を捉えていた。

「話はあとにしよう!」

 何が変わったわけでもない。キラは決して感情を大きく表現することはなく、周囲を気にする視線、瞬きをしない瞳は普段と何も変わることはない。しかしここは戦場である。日常の何かをそのまま持ち込むことなどできるはずがないのだ。戦場、このたった一つの違いがすべてを変えていた。気弱な少年は、しかし寡黙な戦士である。それは気弱さではなく警戒と用心。瞬きを忘れた目は敵の一挙手一投足を逃すことはない。
 ジンが右ハンガーに固定されたミサイルを飛ばした。鋼鉄の柱が一直線にストライクを目指す。
 ゼフィランサスはキラの首に両手を絡め、しっかりと体を固定する。もはやキラの枷は何もない。
 キラがフット・ペダルを強く踏み込み、ストライクは前へと駆けだした。ミサイルに飛び込もうとしている。モニター中央で急速に大きさを増していくミサイルを、しかしキラは目に捉えて離さない。
 突如ストライクがミサイルの軌道から消えた。ミサイルの下をくぐり抜けるように体を地面へと投げ出したのだ。ミサイルはストライクの背中をかすめるように飛び去り、ストライクは倒れながら体を大きくひねる。背部に装備されたスラスターが火を噴き、発生した推進力がストライクを支えるとともにそのままジンへと押し上げる。
 さらに180度体をひねる。スラスターによって十分に浮き上がった体はしっかりと大地を踏みしめ、手にはすでに抜き放たれた第2のダガー・ナイフが握られていた。ジンはあわてて左手に残された最後のミサイルを盾として構えた。
 ダガー・ナイフはかまわず鋼鉄と破壊で構成される柱へと突き立てられ、ミサイルを切り開いていく。ミサイル内部が露出するほど深く広く。その刀身が砕けて折れるその時まで。
 ストライクのコクピットの中で少女を守るために戦う少年の前に表示された単語の羅列を読み上げよう。
 General Unilateral Neuro - link Dispersive Autonomic Maneuver
 G.U.N.D.A.M
 ガンダム。それが母より子へと与えられた5機の総称であった。



[32266] 第3話「赤い瞳の少女」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/14 00:33
 放課後、気の合う友達と遊びに出かけたら、つい羽目を外して補導員にたしなめられた。まるでそれくらいのことでしかないように、戦争は突然やってきた。なぜヘリオポリスが戦場になったのか。どうして戦場にならなくてはならなかったのか。
 このことは誰も答えてはくれない。ただ、何もしないだけでは死ぬだけと肌で感じていた。ナタル・バジルールにつれられて、アイリス・インディアは友達と自然公園に不時着した白い戦艦へと乗り込んだ。
 ここはブリッジなのだろう。広い空間に白い軍服を着た人たちが壁際の椅子についている。一段高いところに座っているのは女性で、綺麗な人に思えて、それでもどこか厳しい人のように見えた。

「民間人をブリッジにあげるなど……!」
「ですが現在は緊急事態です! 要人の親族保護の任務からも受け入れを希望します」

 ナタルがその艦長らしい女性と話をしていた。互いに自己紹介をしていたのでマリュー・ラミアス大尉だとわかる。民間人をブリッジに上げることを渋っているようだが、ナタルは怯むことはない。軍人を相手にそんな直談判ができるのも、ナタルが小尉の位を持つ軍人だからなのだろうか。このことを知ったのもつい先程、ラミアス艦長にナタルが名乗った時のことだった。
 こんなにも冷静に2人の話に耳を傾けているのはアイリスだけだ。仲間たちはそろってブリッジのモニターに目を取られている。天井や床、大小さまざまなモニターにはヘリオポリスの現在の状況が映し出されていた。
 港は破壊されたコンテナが不自然な形で折り重なっている。工場地帯は破壊しつくされ見る影もない。その中に見えた戦車のものと思われる残骸は中立国オーブの中で戦闘が行われたことをまざまざと見せ付けていた。そして、燃え盛る炎の中を巨大な人型のシルエットが映しこまれていた。

「何なんだよ、これ……?」

 サイ・アーガイルが呆然と瞬きさえ忘れてモニターを眺めている。普段は明るいトール・ケーニヒも、物静かなカズイ・バスカークでもその態度は何も変わらない。みんな首をめまぐるしく回し始めた。それはモニターをそれぞれ確認しているためだ。ただ、その様子は、映像の中、自分の見知っているはずの場所にそれでも変わり果てた光景を必死に否定しているようにも思えた。
 ヘリオポリスの光景は、変わり果ててしまっていた。




 戦闘は続いていた。
 灰色の大西洋連邦軍のモビル・スーツはライフルを失った。GAT-X103バスター。そうモニターに表示された機体に乗り込むアスラン・ザラにとってそれは千載一遇の好機であった。鹵獲機を実戦に直接投入するという異常な状況に、アスランは少なからず焦りを覚えていた。不慣れどころではない機体なのだ。
 バスターの左腰にアームで連結された長大なレール・ガンを放つ。腰だめに保持された銃身から飛び出した高速の弾丸は燃える木々をなぎ払い土砂を吹き飛ばす。
 やはり精度が甘い。試作機であるバスターがいきなり実戦に駆り出されるとは開発者も考えていなかったのだろう。

「アスラン、このままだと居住区の方に出てしまいます。早く決着をつけないと!」

 ニコル・アマルフィの言うとおりだ。武器を持たない敵は身動きを封じられないよう、木の少ない方へと逃げよう逃げようとしている。当然、開けた場所へと向かわざるを得ない。意図してのことかどうかはわからないが敵のモビル・スーツは市街地の方へと向かっていつつあった。

「お願いですからとまってください!」

 ニコルのZGMF-1017ジンと並んでジャスミン・ジュリエッタの機体がアサルト・ライフルから弾をばら撒く。戦車さえ破壊する攻撃力を有する弾丸が、しかし敵モビル・スーツの装甲を破壊することはない。流れ弾が木々を吹き飛ばしていく中、敵の機体は装甲を輝かせるだけで傷つくことはない。
 光線のあまりに巨大な火力。傷つかない装甲。すべての性能がザフト軍の主力機であるジンを超えている。国力に劣るプラントはザフト軍の保有するモビル・スーツの質的優位のみで戦争を優位に進めている。そのことを理解するアスランにとって敵機を逃すという選択肢はありえない。
 敵のモビル・スーツが距離をあけようと飛び上がる。スラスターを吹かせた跳躍は70tもの機体を木々の高さを越えて跳ね上げた。
 チャンスは今しかない。
 アスランは狙いを絞る。右のライフルを、本来は右腕のみで使用できるよう設計されているのだろうが、アスランは敢えてそこに左腕を添えさせた。まっすぐに敵機へと向けられるライフルがその長大さを示して突き出される。
 連邦の新型とザフト軍モビル・スーツの基本構造は似通っているように思える。腹部にコクピットがあり、胸部にジェネレーターが内蔵されていることも共通している。新型のジェネレーターは、強力な光線を使用するため相当高出力のバッテリーが搭載されているはず。ジンのジェネレーターでさえ、爆発したら周囲への被害は計り知れない。
 コクピットだけを一撃で撃ち抜く必要があった。
 敵は武器もないまま少しでも距離を開けようとこちらに背を向けていてスラスターの光がよく見える。それはちょうど腹部の辺りだ。
 ロックオン・カーソルが思った地点を指し示したところで、アスランはトリガーを引いた。
 一筋の光が敵へと伸びると、敵の装甲が一際強烈な輝きを放つ。思わず目を背けたくなるほどの輝きの中、アスランは確かに光線が敵を貫通したことを確認した。本体は正確にコクピットだけを破壊できたようだ。破壊されたバック・パックが爆発し、その衝撃に押し出されるように敵は落ちていく。
 爆発が予想外の出来事を招来することとなった。撃墜後、森に墜落すると思われていた機体がその軌道をそらし市街地の方へと落ちていったのだ。
 ニコルがスラスターに火を点した。

「無駄だ! ……もう間に合わない」

 部隊長でもあるアスランの言葉を命令と受け取ったのか、それとも冷静な判断なのか。ニコルはジンを無理にでも突き進ませようとはしなかった。アスランの機体を戦闘とした1個小隊はそのまま落ちていく機体を眺めている他なかった。
 70tにも及ぶ鋼鉄の塊が、破壊されない装甲強度を遺憾なく発揮しながら墜落する。それがどのような被害をもたらすか、想像するまでもない。直撃を受けたビルが一瞬で瓦礫と化して倒壊した。砕け散った瓦礫は凶器となって周囲に撒き散らされまるで爆弾を放り落としたような有様であった。
 その衝撃は大地に不自然な振動を生み出した。軍用でもないコロニー内でモビル・スーツ同士の戦闘が行われたのだ。戦艦が不時着同然で着陸するという暴挙も行われた。このコロニーは、ヘリオポリスは崩壊しつつあった。




 ヘリオポリス崩壊を決定づける出来事が工場地帯深奥で起きた。
 GAT-X303イージスがバズーカを装備したジンは向き合う。互いが初撃を外した後の睨み合いはほんの数瞬のこと。ジンが肩に担ぐバズーカの引き金を引いた。戦艦から要塞、地球軍の主力機動兵器にまで幅広い汎用性を誇る弾体は、しかし敵を捉えることはなかった。イージスが高く飛び上がったのである。ジンの動きは完全に遅れていた。そのことをパイロットの無能となじることはできない。それほど高いスラスター出力でしてイージスは対峙していたジンの頭上へと到達したのである。
 そして眼下へと向けて、ライフルを標準を定めた。
 降り落ちる光線がジンの装甲の厚い部位、薄い部位を鑑みることなく貫通する。頭からそのまま大地へと突き抜けた光線はまだ飽き足らず爆発とともに巨大な穴を開いた。それはただの一撃で分厚いコロニー外壁を突き破り生じた突風が宇宙空間とつながったことを伝えている。
 度重なる戦闘があった。ビルの倒壊も経験している。戦艦の墜落を受け止めたコロニーはそうはないだろう。そして、撃ち込まれた光線。
 蛇腹のような不気味なうねりがコロニーの大地を走る。いくつものプレートを組み合わせた構造の外壁の接合部がまず損壊し、擬似重力発生のために時速数百kmで回転するコロニーの運動エネルギーがその体躯そのものを揺るがせていた。均衡に分散されない偏ったエネルギーがまず弱い点から集中して破壊を始めていくのだ。
 大地は隆起し、陥没し、それは次第に大きさを増していく、全体へと広がっていく。もしもこの光景が地球上のものであったのなら、それこそ人々は世界の終わりを想像することだろう。事実、ヘリオポリスは崩壊しようとしていた。




 ディアッカ・エルスマンは敵から奪い取ったGAT-X207ブリッツ--起動時にモニターに表示された--のコクピットの中でヘリオポリスが壊れていく様子を眺めていた。スラスターの出力を頼りに無理やり機体を浮かせている。上空からなら事態がどれほど深刻なのかよくわかる。

「まずいな。ミゲル、そろそろ撤退した方がいいんじゃないか? ……ミゲル?」

 つい先程まで一緒にいたはずの友軍からの連絡はない。仲間が奪取に失敗した最後の新型の破壊に向かうとディアッカを逃がしたばかりのことだ。時間にしても10分とかかっていない。そんな短時間にミゲル・アイマンが撃墜されたとは考えにくい。通信の故障か。しかし技術力の高さで知られるザフト軍、そう、軍用品がそのように脆いのではお話にならない。
 嫌な予感がする。
 最悪の事態など起こりうるはずがないと考えながらも心のどこかで冷静な自分がいた。ディアッカはブリッツを翻し来た方向へと機体を再加速させた。

「このコロニーはもう駄目だな……」

 揺れは収まるどころか徐々に激しさを増している。後は時間の問題だ。張り詰めたゴムと同じで限界を超えた途端に弾けるしかない。
 隆起は目に見えて土壌を持ち上げプレートの境界線がはっきりと見えるほどだ。このコロニーが巨大なプレートの組み合わせによって成立していることが空からならよくわかる。
 ミゲルのZGMF-1017ジンはそのプレートの中央にいた。まるで爆心地のように溶けて燃えるクレーターの中でミゲル機は新型と組み合っている。一目見ただけでは、そうとしか見えなかった。
 ミゲルのジンがゆっくりと後ろへと倒れた。そう見えた。だが、正確には違った。倒れたのではなく崩れたのだ。立ったままの下半身を残して上半身が後ろへと崩れ落ちた。無傷のように見えていたのは背中だけだ。前面の装甲は焼かれ、破片が多数突き刺さった痕跡も見て取れる。コクピットがあるはずの腹部はまるで獣に食い破られたように完全になくなっていた。

「ミゲル!」

 しかし敵の新型は無傷だ。何故か装甲が淡い光に包まれ、その光を目印にディアッカはブリッツの標的を定めた。右腕に装備されたシールド状のウェポン・ラック、設置されたライフルの発射を促すトリガーを吐き出した言葉の勢いとともに強く押す。
 新型はバック・ブーストを吹かせた。瓦礫が散らばる、上下に揺れる道路の上を器用に下がっていく。ライフルから発射された光線は新型が先程までいた場所をわずかに遅れて次々に道路へと命中した。光線は一撃でコロニーの外壁まで貫通する破壊力を見せる。それが敵が回避する度、ディアッカが発射を命じる度にコロニーの大地を破壊していく。
 だが当たらない。命中しない。

「本当にナチュラルの造った機体なのかよ!?」

 そして、本当に敵のパイロットはナチュラルなのか。敵軍がザフト軍の技術力を上回る機体を造り出したという現実的な危惧。身体能力ではナチュラルを上回るコーディネーターによって構成されたザフト兵である自分が有効打さえ与えることができない不可思議な不安。頭のなかをかき乱す戦死した仲間の存在がディアッカを余計な焦燥へと駆り立てた。
 それも、唐突に終わりを告げた。
 ただでさえ破損していたコロニー外壁が、このブリッツの度重なる攻撃によってついに破壊された。小さな住宅街ならまるごと乗ってしまいそうなほどのプレートが一気に崩壊した。上空のディアッカの眼下で突如宇宙の暗闇が目に飛び込む。ばらばらになった1枚のプレートが一息に宇宙へと吸い出され突然巨大な奈落が口を開いたのだ。
 機体の姿勢制御がままならないほどの暴風が吹き荒れる。敵の姿はとっくに見失っていた。




 ヘリオポリスは崩壊を始めていた。
 炎と街のわずかな明かりが照らしていた夜の光景を、突然光が包み込んだ。何のことはない。破断したプレートの結合部から入り込んだ陽光がコロニー内へと差し込んだからに過ぎない。
 日の光は一時こそ雲間から差し込む光の柱のように美しい光景を演出していたが、それはすぐに滅びへととって代わられた。入り込む光と入れ違うように大気は急速に吸いだされていく。すると、光は拡散してくれるものを失ってしまう。コロニーを満たしていた光が次第に細く、消えていく。大地が崩壊していくその光景の中で。
 戯れる光を闇が喰い荒らしていく。コロニーを形作っていた外壁が一斉に崩れ落た。それがいつのことであったのか誰にも判別はできない。しかし事実として、コロニーの中と外、大地と宇宙とはその境界をなくした。区別が曖昧となった。
 ここはもはやヘリオポリスではなく、デブリ漂う衛星近郊宙域でしかなかった。




 ヘリオポリス崩壊のわずか前のことである。コロニーの外ではザフト軍と大西洋連邦軍との戦闘が行われていた。
 白く細長い機体。その下部に長大なレールガンを備え、それを抱え込むようにスラスターを備えるユニットが2機左右に突き出されている。TS-MA2メビウス。それがこの機体の名前であり、世界最大手の軍需産業であるラタトスク社製、大西洋連邦を初めとする地球軍の主力宙間兵器である。戦車並みの装甲に戦闘機ほどの攻撃力を両立させた新機軸の兵器として期待されていた。
 だが、仮にメビウスが前評判通りの戦果をみせていたならこの戦争は大西洋連邦の圧勝で終わっていたことだろう。仮にザフト軍がモビル・スーツを開発しなかったならば、歴史は大きく変わっていた。
 地球軍の主力であるメビウスとザフト軍主力モビル・スーツであるジンのキルレシオは3倍、時には5倍と考えられている。ジンを1機撃墜するためにはメビウスが5機破壊されなければならない。このような歴然として性能の違いがこの戦争を象徴していた。
 国力で圧倒的に劣るプラントが地球軍に対して優位に戦争を進めたこられた理由のすべてはこれである。モビル・スーツの圧倒的性能。この一言に尽きた。
 メビウスがレールガンを放つ。その弾丸は確かにジンを破壊するに十分な攻撃力を誇るが、しかし当てることができない。ジンは宇宙空間の中で軽々とそれをかわす。四肢を振り動かし重心位置を変更し推進剤を消費することなく体の向きを変えると、その視線の先には必死に旋回しようとしているメビウスの無防備な上面が見えていた。連射されるアサルト・ライフル。ジンの腕の中から飛び出した弾丸はそのことごとくがメビウスを捉え、その白亜の装甲に鋼鉄の塊をめり込ませていく。もう十分とジンが攻撃をやめた途端、メビウスは爆発の中に消えた。
 そしてジンの右腕がライフルごと吹き飛ばされる。
 何が起きたのか、ジンのパイロットは理解していない。モニターに映る右腕部欠損の表示が、機器の故障ではないかと疑う一瞬の逡巡。その瞬間にはジンは頭部を吹き飛ばされ、それをパイロットが認識する間もなくレールガンがコクピットを貫通していった。
 爆発に消えるジン。その爆煙を突き破り姿を現したのはメビウスとよく似た、しかし明確に姿を異にする機体であった。
 細長い機体とレールガンまでは共通する。だが、その全身は派手な橙色で覆われ、樽型のユニットが4機、本体を等間隔に取り囲んでいた。
 大西洋連邦にこの人ありと謳われるエースがいるのだ。TS-MA2-mod.00メビウス・ゼロと呼ばれる、そのあまりに煩雑な操縦性からわずか30機の生産にとどまったメビウスのプロト・タイプを駆り、モビル・スーツを相手に互角以上の戦いを繰り広げる。
 正面に現れたジンがアサルト・ライフルを連射しながら接近する。まずは機体を大きく動かし攻撃をかわすメビウス・ゼロ。そして4機のユニットが前触れなく本体を離脱した。わずかに見えるケーブルに繋がれたままユニットは縦横無尽に動き回り、いつの間にやらジンを方位するように配置を終えた。ユニットから突き出された銃身。ジンが本体を狙いアサルト・ライフルを向けた。すると上から撃たれた。ライフルが破壊され、次は左から左足を吹き飛ばされる。前から後ろから。一瞬にして機体が中破させられたジンは、メビウス・ゼロのレールガンが撃ち抜く。
 ユニットが再び本体との合流を果たす頃には、ジンは残骸をさらしていた。
 大西洋連邦軍にエースがいるように、ザフト軍においてもその名を知られたパイロットは存在する。
 メビウス・ゼロへと曳光弾が降り注ぐ。その弾雨は、白いモビル・スーツから放たれたものであった。ジンとは異なり細身のシルエットに、肩から突き出した数枚の放熱板が優雅でさえあった。その左腕にはシールドと一体化したガトリングガンが取り付けられており、弾丸の雨を降らせたのはこれである。ZGMF-515シグー。ザフト軍の中で指揮官用にごく少数が配備される高性能機である。
 シグーは射線を巧みな操縦で横切るメビウス・ゼロへと執拗に攻撃を続ける。回転する銃身が突如マズル・フラッシュを吐き出すことをやめ、銃身はゆっくりとさえ見える動きで横へと動かされた。その直後、どこからともかく飛来した弾丸が数秒前の銃身を撃ち抜いていった。シグーが飛ぶ。すでに周囲を取り囲んでいたメビウス・ゼロの4機のユニットすべてが攻撃を続けるも、シグーは踊るように弾丸の間を飛び抜けていく。
 それは演舞のようでさえある。初めから示し合わされ高度に完成された動作を互いのエースが演じあい、見るものを虜にする。だが悲しいかなこの戦場に彼らの姿を見る者はいない。メビウス、ジン、あるいはそれ以外の何かが残骸として客席を占領しているだけなのだから。
 スラスターの出力を限界まで高め、機体のうなり声が聞こえてくるほどの速度でメビウス・ゼロが加速しながらレールガンを撃ち出した。加速された弾丸は、しかしシグーによって射線の脇をすり抜けるようにかわされる。急速に距離を縮める両機の動きに合わせてシグーが右腕に保持された重斬刀--剣の形をした鉄塊--をして薙ぐ。両者の勢いさえ利用した必殺の太刀筋は、しかしメビウス・ゼロの機体をひねらせる、そんな最低限の動きで空をかすめる羽目となった。
 そして、両機はすれ違う。
 並みのパイロットならば絶命を約束されるほどの一撃を放ちながらエースは互いに無傷。旋回し、再び激突せんとスラスターの燐光を瞬かせていた。
 その時のことだ。舞台が崩壊した。背景でしかなかったヘリオポリス。それが突如として崩壊したのだ。プレートが結合部から分離を初め、撒き散らされた残骸がデブリとして周囲を埋め尽くし始めた。ばら撒かれるデブリはそれ自体破壊力を持って周囲の宙域を席巻していく。
 2人のエースは崩壊に巻き込まれてその戦歴を終えることをよしとはしない。放出されるデブリの間をかいくぐり、しかし、両者の求める戦場はすでに残されてはいなかった。戦いは完全に中断。デブリの波の中で、英雄の姿は消えていた。




 ヘリオポリスの瓦礫の中を漂うモビル・スーツ。GAT-X102デュエルはバック・パックを失い、腹部に風穴が開いている以外は無傷の姿で残骸に混ざりこんでいた。その物言わぬ巨人の躯へと牽引用のロープが射出され、先端部の吸盤がしっかりとデュエルの装甲をかんだ。
 ロープを辿る。するとそこには橙色の機体、メビウス・ゼロが浮かんでいた。
 メビウス・ゼロのコクピットの中でそのパイロットはヘルメットを脱いだ。通常使用されている白いものとは異なりノーマル・スーツは機体同様橙色に染められている。ヘルメットから除いた髪は金。背の高い男性で決して威圧的ではなくつい先程まで命のやり取りをしていたとは思えないほど柔らかい空気を纏う。猛々しくはなく、そしてその物腰が優雅とも見える。それは鮮やかに空を舞い獲物をさらう猛禽を思わた。
 大西洋連邦軍のエースとして知られるムウ・ラ・フラガ大佐。

「ガンダムを回収。だが、この様子だと今回は奴の勝ちだな」

 先程から通信は繋がっていない。母艦であるアーク・エンジェルが撃沈されてしまったとは思わないが、この混乱だ。ガンダムの多くは奪われてしまったと考えた方がいいだろう。
 だが、まだ戦いは始まってさえいない。
 ムウはデュエルガンダムを牽引しながらデブリの海を掻き分け進み始めた。




 ザフト軍はナスカ級ヴェサリウスとローラシア級ガモフ。この2隻に合計で9機のジンを詰め込み、1個中隊規模の戦力でこの作戦にあたった。だが帰還したのはアスラン隊の2機のみ。残るは指揮官機であるシグーだけである。
 この戦果を指揮官の無能と判断する者は、少なくともヴェサリウスの格納庫にはいない。この作戦の指揮をとったのはラウ・ル・クルーゼ。ザフト軍きってのエースであり、その名声は支配的に部隊内に浸透している。
 ヴェサリウスにはアスランが率いたジンが2機。奪取したブリッツ、バスターの2機の新型がすでに格納されている。シグーを含めた5機が格納庫には並べられていた。このシグーのコクピットから、ラウ・ル・クルーゼは格納庫に姿をさらした。
 ザフト軍において指揮官が身に着ける白い軍服。驚いたことに彼はノーマル・スーツを身に着けることもなく軍服姿のままで戦闘を行っていた。そのため、その顔は語弊を恐れぬならヘルメットを覆われていないためよく見えた。金の映える髪になでられるのは目元を大きく覆う仮面。誰に素顔をさらすことなく、しかしその口元は楽しげとも見える不敵な形を形成している。
 ラウは奪取に成功した2機のガンダムを眺めていた。 

「たいしたものだ。よくぞあれほどの機体を造り上げた」。

 わずか一度の作戦行動で7機ものジンを失った事実に落ち着きを取り戻せぬ整備士たちと対象を描くように、仮面の男は笑っている。




 第8軌道艦隊所属アーク・エンジェル級1番鑑アーク・エンジェル艦長マリュー・ラミアス大尉はルージュのひかれた唇をややきつめに閉じていた。
 現在、艦長室の殺風景な光景の中にはマリューを除いて3人の姿がある。アーノルド・ノイマン曹長及びムウ・ラ・フラガ。この2人はこの艦の乗員であり、見知った間柄であった。マリューはこの中でただ1人机に腰かけ、生真面目な操舵手の報告を受けていた。

「ヘリオポリス崩壊時、多数の緊急脱出艇の射出が確認されています。ですがコロニー内で戦闘を行った例は決して多くはありません。被害の全貌が判明するまでにはしばらくかかるものと思われます。また、新型機につきましてはゼフィランサス女史から」

 マリューはつい顔をしかめた。それはこのアーノルド曹長のせいではない。壁に背を預け、軍服を着崩したムウ・ラ・フラガ大佐の態度はこの軍人として指摘すべきかもしれないが、そのことも今は大目に見るつもりでいた。問題は、アーノルド曹長が語った女性のことにある。
 マリューのつく机に、ほんの一歩だけ近づいてから女史は特に資料を見る様子もなく話を始めた。
 名前はゼフィランサス・ズール。軍需産業ラタトスク社の技術主任であり、この度の新型機開発の総責任者を若くして任せられる才女である。マリューが顔を合わせるのははじめてのことだが、その有能ぶりは耳に届いている。とにかく優秀であり、若い女性だとまでは聞かされていた。

(ただ……、これは若すぎじゃないかしら……?)
「デュエルはバック・パックとコクピットが破壊されたけど時間さえもらえれば修復できると思う……」

 まるで小鳥のさえずりのような声である。小さな声で、とてもかわいらしい。
 ゼフィランサス女史は赤い瞳に白い肌、対照的な漆黒のドレスを身にまとっていた。女性としてあまりファッションに詳しい方ではないマリューだが、これがゴシック・ロリータ・ファッションと呼ばれるものであることくらいわかる。そんなひどく人を選ぶ衣装を完璧に着こなしたその姿はまるでお人形のようにかわいらしいとしか形容のしようがない。

「ストライクは交戦で2機のジンを撃墜したけど損傷は軽微……。簡単な整備と……、バッテリーの交換くらいで出撃できるよ……」

 報告の中で一番耳に触りがいいが、マリューの表情からは猜疑的なまなざしが拭い切れない。どうしてもこの少女がモビル・スーツの開発責任者であると心が認識してくれない。若すぎはしないだろうか。黒いドレスがよく似合う。体を縁取る白い髪はウェーブがかけられ、つい撫でてしまいたくなるほどかわいらしい。人形のよう。そんな形容詞がしつこいほど頭を巡る。
 そしてもう一つ気にあることがあった。ゼフィランサス主任は報告の間ほとんど表情を変えることがなかった。まだ15、6の年頃だろう。この歳なら箸が転がってもおかしいはずだが、そんな様子は微塵もない。感情を無理に押し殺しているようにも見えるのだ。
 そろそろ冗談だと誰かが笑いながら本物のゼフィランサス主任とともに艦長室に入ってきてはくれないものだろうか。だが、一番そんなことをしでかしそうなムウ大尉は壁にもたれかかっただらしない姿勢のまま、主任に親しげに話しかけている。

「ところでゼフィランサス、デュエルの修復にはどれくらいかかりそうだ?」
「まだ状況は確認しきれてないからはっきりとはわからない……。でも、今日とか明日には無理だと思う……。それに、パイロットはどうするの、ムウお兄様……?」

 口調は若いが、ほとんど表情を変えないで話す様は違和感がきつい。少なくとも年相応の普通の少女でないことだけは理解できた。そろそろ艦長として会話に参加しないわけにはいかない。こうなったらゼフィランサスが主任であるということにして付き合ってやろうと覚悟を決めた。

「テスト・パイロットはどうなっているの?」
「ナタル・バジルール少尉を除いたヘリオポリス駐在の部隊とは合流することができませんでした。現在アーク・エンジェルにはモビル・スーツの操縦できる人員はいません」

 ナタル少尉とはブリッジに民間人とともに乗り込んできた髪の短い女性のことだ。要人警護の任務で工場地帯から離れていたことが幸いしたらしい。
 資料を手繰りながら報告するアーノルド曹長に、マリューは再び顔をしかめた。パイロットがいない。では、ゼフィランサス主任を連れてストライクを持ち出したパイロットは一体どこにいったのだろうか。
 ふと視線の中で、ゼフィランサス主任がその小さな手を挙げていた。一度も日の光を浴びていないような白い手を。

「1人なら、当てがあるよ……」




 アイリスは仲間たちとともに艦内の一室に移された。仲間たちで一つの長テーブルを囲んで座って、徐々に失われていく重力に心地の悪さを感じていた。ヘリオポリスが崩壊する映像を直接見たわけではなかった。それでも誰もが壊れてしまったに決まっていると想像していてそのことを言い出せないからこそ訪れた重苦しい沈黙が、皮肉なことに重量を失っていく感覚とともに胸に重くのしかかる。
 ヘリオポリスが崩壊してしまったのだと実感できてしまった。
 アイリスは視線だけで仲間たちの様子を眺めてみた。整然と並べられたテーブルに椅子。クルーの休憩室や談話室として使用されているらしい部屋の中、それぞれ思い思いの方法で落ち込んでいるように見える。孤児であるアイリスとは違い、ほかのみんなはヘリオポリスに家族を残している。心配で仕方ないのだろう。
 突然、仲間たちが小さく体を震わせた。スライド式の扉が開いて、誰かが入ってくる気配があったからだ。唐突な状況に疲れてしまったアイリスたちは何か諦めたようの扉の方を見て、それぞれが瞳を大きくした。

「みんな、どうしてここに?」

 キラ・ヤマトが放課後--ほんの数時間前のことだ--に別れた時のままの姿でそこには立っていた。こんな状況なのに普通に驚いたように瞬きを少し繰り返しただけで。

「他に言うことがあるだろ、キラ」
「無事だったんだな!」

 サイやトール。無言のままであったカズイもどこか急いだ様子でキラの元へと走っていく。キラと面識らしい面識のないアイリスでもその無事は正直に嬉しい。フレイ・アルスターやミリアリア・ハウも嬉しそうに少年たちを眺めていた。
 そんな再会の様子に水を差すように、スライド式の扉が再び開いた。そんな小さな音が再開に沸き立つ人たちの声を消して、みんなの視線はまた扉の方に集められた。
 扉にはナタル・バジルールが軍服を着込んで立っていた。白い軍服に、それがどれくらい偉いのかわからない階級章。帽子をしっかりと被っている。普段とても真面目な人だからなのか、軍服が怖いくらいによく似合っていた。

「ナタルさん、どういうことですか……?」
「まずは座ってもらいたい。機密上話せないこともあるが、できうる限り説明はさせてもらうつもりだ」

 指示されるまま、アイリスたちは長テーブルに着きなおした。キラが加わった分、ほんの少し手狭になった。
 ナタルはテーブルの端に立って、まずアイリスたちを一通り眺めた。それから帽子を直す。その仕草は、覚悟を決めるためのある種の儀式であったらしい。いつものようにしっかりと目を見開き、ナタルは口を開いた。

「私はナタル・バジルール。大西洋連邦軍の少尉をしている。任務としてヘリオポリスにおける機密事項にかかわり、要人警護を担当していた。君たちも察していることと思うが、ヘリオポリスはラグランジュ3標準時1236時をもって崩壊した」

 どよめきが広がる。ただ、アイリスと、そしてキラはその中に加わることはなかった。
 サイが代表して声を上げた。

「それじゃあ、みんなはどうなったんですか?」
「被害の正確な把握はまだできていない。希望的観測になってしまうが、脱出艇の射出は多数確認されている。少なくとも壊滅的な人的被害は発生していないと期待している」
「ザフトが攻めてきたことはわかります。でも、こんな中立コロニーを攻めても何にもならないでしょう!」

 ナタルはなかなか返事をしようとしない。機密にあたるからなのだろうか、それとも、話しにくい内容だからなのだろうか。アイリスはここで聞くことができるのは自分だけであると考えていた。他の人には聞きにくいかもしれないし、ナタルに聞いてあげられるのは自分だけだろうと考えていたから。

「ナタルさんが、ここにいたことが原因なんですか? ここ、オーブなのに大西洋連邦の軍人さんがいるなんておかしいですよね……?」

 中立を謳い戦争と距離を置くオーブと大西洋連邦は直接的な同盟関係にはないはずだ。特に軍事的な繋がりはないとオーブの現在の代表であるウズミ・ナラ・アスハ代表がニュース番組で語っていたことがあったような気がする。
 ナタルは目を閉じて、また開く。それを切っ掛けにして静かに話し始めた。

「大西洋連邦とプラントの国力差を君たちは知っているだろうか。実に10倍を超える。同盟各国を含めればさらにそれは広がることだろう。しかし地球軍はC.E.67年の開戦以来劣勢を強いられてきた。モビル・スーツと呼ばれる新機軸の兵器が極めて高い威力を発揮し、わが軍を圧倒してきたからだ。この窮状を打開するためにはどうすればよいか。それはこちらもモビル・スーツを持てばよいということになる。第8機動艦隊司令官であるデュエイン・ハルバートン少将総指揮の下、ラタトスク社、オーブのモルゲンレーテ社の協力を仰ぎながら極秘で開発が続けられていた……」
「ヘリオポリスは隠れ蓑に使われたってことなんでしょうか……」

 カズイだった。もともととても演説している風でもなかったナタルの言葉は、カズイの指摘に小さく消えてしまう。そうだ、そんな肯定の言葉がかろうじて聞き取れた。
 地球軍にとって一発逆転の一手なら、プラントの人にとっては何が何でも防がなければならないということになる。ヘリオポリスはそんな両者の争いに巻き込まれてしまった。それは理由であっても言い訳にはきっとならない。
 それではヘリオポリスが攻められた理由になっていない。フレイがそうテーブルを叩いた。

「それとあたしたちとどう関係あるのよ!?」

 普段から感情表現の豊かなフレイらしい。それでも周りのみんなも同じ気持ちなのだろう。表情は違ってもみんなナタルのことを見ている。

「許されないことだとはわかっている。だが、モビル・スーツは開発されなければならない! そう、考えていた……」

 その声こそ力強いが、ナタル自身も確信が揺らいでいるらしい。ヘリオポリスが戦闘に巻き込まれるかもしれないと考えていたかもしれない。しかし、まさか崩壊までさせてしまうとは思っても見なかったのだろう。直したはずの帽子を脱いだ。テーブルの上に置くと、そこに視線を固定する。まるで、単に帽子を見ているだけで、うつむいているのではないと強がっているみたいに。
 まだ長いつき合いとは言いがたいが、そんな顔をするナタルを見るのは初めてのことだった。

「ナタルさん……、あなたが悪くないなんて言えません……、言えませんけど……」

 これからどう言ってあげるつもりだったのだろう。自分でもわからない。慰めてあげたいけど、家族をなくしたかもしれない友達のことを考えると言葉が続かない。ナタルは帽子から目を離して、アイリスたちを一通り眺めた。

「現在、大西洋連邦は二つに割れている……」

 そう言って話し出されたのは、きっと、ナタルが話してはならないと言っていた機密に触れることなのだろう。場の空気が変わって、皆が真剣な面もちで聞き入るようになった。

「ブルー・コスモスを知らないことはないと考えるが、コーディネーター排斥を謳う過激思想団体のことだ。この団体は潤沢な資金力を背景にの影響力を強めている。だが何も大西洋連邦が、ひいては地球連合全体がその影響下にあるわけではない。現在熾烈な争いが水面下で行われている。確かに戦争継続を望む急進派が主流ではある。だが、終戦を望む穏健派も確かに存在しているのだ。今ここで主導権を急進派に握られてしまうようなことになれば戦争は一気に激化の一途をたどることになる。そのためにはありとあらゆる手段を採用しなければならなかった。ブルー・コスモスとの関係が疑われるラタトスク社、そのような軍需産業のゼフィランサス主任が開発責任者であったようにだ」

 ナタルはゼフィランサスという名前をさも知っていて当たり前のように語ったが、アイリスには心当たりがない。他のみんななら知っているのだろうか。様子を確認しようと少し視線を移したところで、ナタルはかまわず話を進めようとしてしまう。

「ラタトスク社の協力を得ながら急進派に勘付かれないためには開発が行われている事実をなんとしても秘匿する必要があった」

 ラタトスク社から資金と人材を借り受けながら、開発に極力かかわらせないことで穏健派の手柄としたかった。そうナタルは付け加えた。敵からも、味方からも、中立の民間コロニーは隠れ蓑にされたということなのだろう。

「新型モビル・スーツ開発に成功し、戦況を覆すほどの功績を挙げれば穏健派が太平洋連邦を主導することができるようになる。戦争の早期終結も可能となる」
 
 ナタルは調子を取り戻したようだった。言葉には力がこもる。でも、それは強がりにも近いようにアイリスには思えて仕方がなかった。言葉をとめる度にナタルは息を吸い込み勢いを無理につけて話し出そうとしていたからだ。一度言葉がとまると妙な間が空いてしまう。普段口数が多いように思えないカズイが唐突に呟いた。

「平和を望んでる人たちが、兵器を造るんですか?」

 返す言葉もないとはこのことだろう。悔しさをかみしめる。この言葉はきっと、今のナタルの顔を示すためにある。テーブルから帽子をかけなおしながら、頭を下げた。

「すまない。どちらにしろ、君たちには関係のないことだったな……」

 誰もがナタルの言葉に耳を傾けていた。だから、扉が開かれたことに気づいた人はいなかった。白い髪を揺らして、赤い瞳を輝かせて、少女がそこに立っていることに気づくものはいなかった。

「そう、何も関係ないよ。クライアントが平和主義者でも戦争狂でも私が造るのは同じもの……」

 みんながいっせいに扉の方を見た。少女が1人立っている。ただそれだけのことなのに、誰もが息を飲んだ音が聞こえる、それくらい静まりかえってしまった。
 少女は赤い瞳をしていて、白い髪をロング・ウェーブに伸ばしていた、身に着けているのは黒いドレス。お人形と見まがうくらいに似合っていて、この世の人とは思えないほどであった。そんな黒白の少女の、それでもその美麗さだとか変わった格好、あるいはアルビノであるという身体的な特徴がアイリスたちの意識を捉えた訳ではない。

「ゼフィランサス主任、何故ここへ……?」

 少女のことを呼ぶナタル。
 舞踏会の主賓みたいにみんなの視線を少女は集める。そして、その視線はアイリスと交互に行き来する。そんな視線にかまっている余裕はなかった。目がとても乾燥していた。大きく見開いて、そのまま瞬きすることを忘れてしまったから。

「あなたは……、誰ですか……?」

 名前をはもう知っている。ただ何者であるのか確かめたかった。
 黒い少女は、赤い瞳をして、足にかかる白い髪にウェーブがかかっていた。
 アイリスは、青い瞳をして、桃色の髪を背中につくくらいに伸ばしていた。
 色が違う。髪型も、服装も違えば、表情もまるで違う。いくらでも違いは見つけられるが、ただ一つ同じものがあった。それは、2人が同じ顔をしていること。一瞬鏡を見たと錯覚するほど、同じ顔をしていた。ナタルは姉妹だと早合点していたのだろう。無理もないが、アイリスはまるで心当たりがない。だが黒衣の少女は無表情のまま、落ち着き払っていた。
 スカートの裾をつまみ上げて、それこそ淑女のたち振る舞いでゼフィランサスと呼ばれた少女はうやうやしく頭を下げた。

「始めまして? アイリスお姉さま……。私は、ゼフィランサス・ズールと申します……」

 その顔に肉親の情はまるで浮かんでいない。
 アイリスは今一度訪ねた。

「あなたは……、誰ですか……?」




 ヘリオポリスでの戦闘では敵の新型2機を奪取し1機を撃墜することに成功したザフト軍だが、その戦果は少なくとも生還したパイロットたちを沸き立たせるものではなかった。ザフト軍ナスカ級ヴェサリウス。その格納庫すぐ脇の待機室にはノーマル・スーツを着たままのパイロットたちが疲れた様子で備え付けの長椅子に座っていた。ここは休憩室も兼ねている。
 アスラン・ザラは周囲を見回した。いや、見回すほどのこともないだろうか。ここにはアスランを除けば2人しかいない。赤いノーマル・スーツのニコル・アマルフフィはうなだれた様子で椅子に座っている。仲間たちの死も、結果としてコロニーに大損害を与えてしまった事実もこのあどけなさを残す少年には答えたのだろう。
 アスラン自身背もたれに寄りかかったままなかなか動けないでいる。こんな時に限って動かなければならない理由ができた。もう1人のパイロット、一般兵であることを示す緑色のノーマル・スーツを着た少女がヘルメットを脱ごうと苦戦していた。ジャスミン・ジュリエッタのヘルメットは特殊なもので、1人では脱ぎづらい。自分も手伝おうと立ち上がろうとするニコルを手で制して、アスランは腰を浮かせた。

「ジャスミン、手伝おう」
「あ、ありがとうございます、アスランさん……」

 やや大型のヘルメット。ひっかかっていないかを確認しながらゆっくりと外す。すると、短く切りそろえられた赤い髪が見えて、それでもジャスミンの顔は見えない。隊長であるラウ・ル・クルーゼのように仮面をつけている訳ではない。顔の半分を完全に覆ってしまうほどの大型のバイザーをつけているからだ。先天的に視力を持たないジャスミンはこのような視力供与バイザーの存在を必要とする。

「これくらい構わないさ。それより、ジャスミンも疲れただろう。ゆっくり休んでくれ、ニコルもな」
 
 仲間を失った気疲れや想定外の戦闘にさらされたことの心労もあるだろう。ジャスミンはともかく、ニコルはこの任務が初陣同様のことだった。
 扉を開くなり、ディアッカは怒鳴った。

「ミゲルがやられた! オロールもマシューもだ!」

 伊達男を気取る彼にしては珍しく、髪のセットが乱れている。聞いた話では目の前でミゲルを撃墜されたらしい。手にしたヘルメットを投げつけるまでに激昂している。ヘルメットは長椅子に囲まれるようにおかれていたテーブルにぶつかり甲高い音をたてた。ジャスミンが小動物のように怯えた。ジャスミンを怖がらせたことにディアッカも気付いたのだろう。乱した息を無理に抑えようと不自然な深呼吸を繰り返していた。
 もう少し騒がせておいてやりたい気持ちもあったが、ジャスミンやニコルの前でこれ以上騒ぎを起こしてもらいたくはない。

「ディアッカ。悲しんだり、つらい思いをしているのは君だけじゃない。そんなことくらいわかっているはずだな」

 歴戦の勇士という訳ではない。いつかは戦死という別れがくることを覚悟していたが、まさかこんなにも突然に仲間を失うとは考えてもみなかったのだろう。ディアッカは長椅子に乱暴に腰掛けると、小さく舌打ちをした。




 ゼフィランサスが部屋に入ってきて、アイリスは混乱した様子だった。無理もない。あの頃の記憶がないなら、ゼフィランサスのことも知らないだろうし、そうなると同じ顔をしている理由に心当たりはないだろうから。しかしそのことを、キラはそのことをアイリスに教えようとは思わなかった。それはゼフィランサスが望んでいない。
 表情を変えないまま、ゼフィランサスはキラのことを見ていた。周りのみんなもそのことに気づいたらしい。視線がキラに集まって、ゼフィランサスは無重力の中、ふわりとテーブルについたままのキラのもとへと飛んだ。
 ゼフィランサスの唇がかすかに動く。

「名前は……?」

 名前を忘れられているとは思えない。だとしたら、今名乗っている名前を聞かれているのだろう。つい周りの人のことを気にしながら答えた。

「キラ、キラ・ヤマト」
「じゃあ、キラ……。ストライクガンダムに乗って……、そして私を守るために戦って……」

 みんながわからないとといった顔をした。ストライクガンダムが何かも知らなければ、キラがそれを操縦した事実もまだ話していない。

「キラ、一体何のことなんだ?」

 トールはいつも素直な少年だ。気になることがあったら聞いてきて、その純朴さはこの少年の美点でもある。だがどうしても答えにくいことはある。嘘はつかない。それでもどう誤魔化そうかと悩んでいる内に、ゼフィランサスはトールの方にその赤い瞳を向けた。トールが一瞬たじろいだような様子を見せる。

「キラはストライクガンダムに乗って2機のジンを撃墜した……。だから正式にパイロットになることを求めてる……」

 素人が何の訓練もなしに操縦なんてできない。それが常識だ。仲間たちの様子は驚きというよりも戸惑いとした方が正確だろう。ただ、嘘だとも確信できていないようだ。確かめるような視線が徐々にキラへと集まり始めた頃、しかし、ナタル少尉は事実を冷静に見据えていた。

「民間人がストライクに乗り込んだとは聞いていたが、まさか君が……?」

 否定することはできないでいると、キラへと集まっていた仲間たちの視線は途端はっきりとした光を持つようになった。戸惑い瞬きが多かった目が大きく見開かれた。それこそ弾けるような勢いで立ち上がったのはサイだ。

「これ以上あんたらの都合に振り回されてたまるか! キラにそんなことさせられない!」

 ゼフィランサスは、サイに睨みつけられても平気な顔をしていた。表情を変えることがなくて、サイのことなんて相手にしてないようにすぐにキラへと視線を戻した。座ったまま、ゼフィランサスが見下ろしてくる。その波立つ白い髪がかすかに揺れた。

「いいよ……、キラが決めて……。私のために戦うか……、それともこの艦から降りるか……?」

 すぐに立ち上がることはできなかった。ただそれは返事を悩んでいたからじゃない。仲間たちをどう説得させられるだろうか、そんなことばかり考えていた。そう、結論なんてゼフィランサスに頼まれる前から、サイが怒ってくれる前から出ていた。それこそ、10年も前から。
 一瞬同じテーブルに座る仲間たちの様子を眺めた。みんなキラがどんな返事をするのかを気にした様子で見てくる。きっと断ってくれると期待しているのだろう。それでも、ゼフィランサスの方に顔を戻すと悩みや躊躇いは簡単に消えた。
 立ち上がる。すると小柄なゼフィランサスよりも視線は上に出た。赤い瞳と視線を混じり合わせて、キラはそっとゼフィランサスの髪を撫でた。

「僕はいつだって君の味方だよ、ゼフィランサス」



[32266] 第4話「鋭き矛と堅牢な盾」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/14 00:46
 アーク・エンジェル級1番艦アーク・エンジェルには3つの選択肢が与えられていた。
 白旗を上げること。残存する戦力はTS-MA2.mod.00メビウス・ゼロと、実験機にすぎないGAT-X105ストライクガンダムしかない。とても実戦に耐える戦力ではない。だが、艦長であるマリュー・ラミアスは、ザフトもまた多くのモビル・スーツを失い条件は同じであるとして頑強にこれを拒否。
 月を目指すこと。現在、月は、地球連合軍とザフト軍が緩衝地帯をもうけながら二分している。宇宙で唯一戦力が拮抗している場所であり、連合軍最大規模の宇宙基地もここに存在している。たどり着くことさえできればモビル・スーツの量産を迅速に行うことができる。それは操舵手、アーノルド・ノイマンが反対した。制空権はザフトにある。ここから月に行くためにはザフトのただ中に飛び込むようなもので、無謀どころではないと主張した。
 そのため、選択肢は事実上1つしか残されていなかった。最寄りの友軍基地に寄航し、協力を仰ぐことである。アーク・エンジェルはアルテミスと呼ばれる宇宙要塞を目指すことが決定した。




 アーク・エンジェルは、これまでの連合の戦艦とは違ってモビル・スーツの運用を前提として格納庫が広めに造られていると聞かされた。そうは言われても、ほかの戦艦を知らないアイリス・インディアにとって、違いがわかるはずはなかった。たしかに広く、GAT-X105ストライクが壁のハンガーに固定されていてもまだ頭の上には隙間があるほどだ。その機体のお腹の辺り、コクピットの部分に目当ての人影を見つけることができた。
 格納庫全体のちょうど半分の高さにあるキャット・ウォークの上でアイリスは声を出した。

「キラさ~ん!」

 ここは格納庫である。整備士は男性の方が多く、また女性にしても10代の人はいそうもない。アイリスの少女特有の高い声は思いの外響いて、格納庫中の関心を集めてしまった。気恥ずかしい思いをするアイリスの元へ、目的の人物はすぐに現れてくれた。ストライクのコクピットから無重力を漂って、キャット・ウォークの手すりに着地するように降り立った。
 初めて会った時の服装は平凡で、どんなものかもよく覚えていない。今のキラ・ヤマトは青のパイロット・スーツを着ていて、顔も心なしかりりしく思える。これから戦うことになるのかもしれないというのに、とても落ち着いていた。

「アイリスさん、どうしてここに?」

 緊迫感はあまり感じられない。そんなところは、どんな時でも変わらない。放課後にちょっと見た時でも、ヘリオポリスの崩壊を聞かされていた時でも変わることはなかった。

「その……、フレイさんたち、今部屋の方で休んでます。こんな言い方ないですけど、キラさんが戦ってくれるから本当は軍人さんたちが使う部屋を使わせてくれるみたいです。ありがとうございます」

 まるでキラを人質に差し出したみたいな気分の悪さをみんなが感じている。アイリスとして罪悪感と感謝の狭間で、それでも感謝の気持ちくらい伝えようとした結果、つい曖昧な表情になってしまったと思う。笑顔のつもりでも、きっとどこか笑顔になりきれないで。
 キラははにかんだ笑顔で、照れくさそうに小さく笑ってくれた。感謝したい気持ちくらい、伝わってくれたのだろうか。それでもすぐに表情を曇らせてしまった。
 手すりに掴まって、キラの足はキャット・ウォークに立っている。それはちょうど手すりを壁みたいに挟んでアイリスと話をしているみたいだった。少しでも足を踏み外してしまえばキャット・ウォークから落ちてしまうのに、キラは安全なアイリスの方、通路の上にこようしない。

(考えすぎ、かな……?)

 まるで距離を開けられているみたいに、世界が違っているみたいに。
 同い年、同じ学校につい先日まで通っていたはずの少年はどこにでもいそうな、どこでも見ることのできそうなおとなしい顔をしていた。その背後をガントリー・クレーンに吊り下げられた巨大なライフルが通り過ぎる。

「それは嬉しいけど、あまりここには来ない方がいいよ。危なくない兵器なんて矛盾もいいところだから」
「キラさんは……」

 こんなところにいて平気なんですか。こんなことを聞こうとして、その言葉はうまく言葉にならなかった。目の前のキラにさえ拾ってもらえない。
 
「そうだ。ちょっと後ろ向いてくれないかな?」

 突然の指示についアイリスは振り向いた。髪に触るよ、そんな一言があった後、するとキラの手が髪に触れてきた。慣れた手つきで髪を梳いて、束ねられたような感触があった。首だけで髪の様子を確認すると、ヘリオポリス崩壊の混乱でなくしたはずのリボンで束ねられていた。もちろんなくしたリボンそのものではなく、新しいリボンは黒い色をしているものだった。

「ゼフィランサスから分けてもらったんだ。初めて会ったときはつけてたから、なくしたのかなって思って。……余計なことだったかな?」

 少し目を細めた狼狽した顔は、今度は別の意味の違和感があった。こんな兵器の置かれた場所でも静かな顔をしていられるのに、同い年の少女の反応が気になって不安になる。そんなキラの顔が見られたこと、それに、リボンをくれたことも正直にうれしい。

「ありがとうございます、キラさん」




 アイリスはリボンのことを喜んでくれた。そんなに大したことでもないのに、とても嬉しそうに笑ってくれた。仲間を偽って、アイリスにも本当のことを言わないという意味で嘘をついている。キラ・ヤマトとは、そんな人間なのに。そんな人間のことを、彼らは友人だと思ってくれる。

「君たちは本来ならこんなところになんていなくてもいい人たちだから……」

 戦争という異常な世界に、本当ならかかわらなくてもいい人たちだから。キラは視界が狭くなっていることに気づいた。つい目を半目にして、落ち込んだ表情をしていたらしい。まさかその死角に入り込まれたとは思わない。それでも、ゼフィランサスがキラの横に音もなく降りたことに、気づくことが遅れた。
 ゼフィランサスは手すりに腰掛けると、キラと目を合わせようとはしない。アイリスが立ち去っていった方角を見ていた。

「いいの……? アイリスお姉様に本当のこと言わなくて……」

 アイリスに対してばかりではない。みんなにも嘘をついている。

「君だってアイリスに真実を語る機会ならあったじゃないか? それに、僕たちのことを世界が知るには早すぎる」

 目を閉じて頷いて、それでゼフィランサスは興味をなくしたらしい。手すりから降りて通路の上に立とうとする。ゼフィランサスがスカートを翻してキラに背を向けた。本人は聞かせないつもりで言ったのかもしれない小声を拾うことができた。

「リボン、何に使うのかと思ったら……」

 よく言葉の意味がわからない。聞いてみるより先に、その白い髪に隠された背中から今度ははっきりと聞こえる言葉が届いた。

「ついてきて……、ガンダムの説明するから……」

 逆らう理由なんてなかった。ゼフィランサスに嘘をつくことも、傷つけることも、もうしないと決めたから。




 ゼフィランサスに与えられた部屋は、特別にブリーフィング・ルームとしても機能するようになっている。大型のモニターが備えられ、おかれたテーブルも例外的な大きさがある。
 ムウ・ラ・フラガは椅子にだらしなく座りながら話を聞いていた。このアーク・エンジェルに残った唯一の正規パイロットとして参加するよう言われたのだが、集中力は持続できない性分なのだ。ゼフィランサスがモニターの前でガンダムに関する説明をしている。それは興味のあることではあったが、集中力がもたないのは癖のようなものだ。どうしても、別のものに気移りする。
 今の場合、同じテーブルを囲んでいる小僧だろう。
 どこにでもいそうで、この手の少年は生真面目と相場が決まっている。それこそ授業でも聞くかのように真剣な眼差しをゼフィランサスに向けていた。しかし、椅子の座り方がおかしい。片足を外側に投げだし、右手はいつも開かれた状態でテーブルにおかれていた。一匹狼の殺し屋でも気取っているのだろうか。いつでも椅子から立ち上がることができて、いつでも懐の銃に手を伸ばせるような姿勢だ。
 用心深い少年はゼフィランサスを見ていたはずだが、その視線がこちらを向く。ムウのように興味がそれたわけではない。単にゼフィランサスがムウの横に来ていただけだ。少女の赤い瞳--座っているムウとあまり視線の高さは変わらない--が表情に乏しいままでムウを見ていた。だが、それが無感情であるとは別だ。

「ムウお兄様……、話聞かないなら整備の時、機体からネジ1本抜きます……」

 脅し文句くらい、表情を変えて言ってもらいたいものだ。ただ、ゼフィランサスは本当に細工をしかねないので降参する。両方の掌を見せるように振る。
 ゼフィランサスが話に戻ろうとモニターの前に戻ろうとしていた時のことだ。そのわずかな時間に、意外にも少年が話しかけてきた。そんなに社交的には見えなかったが。

「僕は、キラ・ヤマト。よろしくお願いします」
「ムウ・ラ・フラガだ」

 簡単に返事をしておく。握手でもするのかと思いきや、キラはそんなことをすっ飛ばして話に入った。

「ゼフィランサスと知り合いなんですか?」
「上司とは知り合いでな。一応プライベートの付き合いがある。そのせいか兄さんなんて呼ばれてる」
「じゃあ、ゼフィランサスとは……」

 今度はこの小僧とゼフィランサスとの関係を聞くつもりだった。だが、時間切れらしい。モニターの前に戻ったゼフィランサスが話を再会しようとしていた。題目は、ガンダムを守る新装甲素材について。

「フェイズシフト・アーマー……」

 心なしか、普段よりも声が大きい気がする。話を聞いていないことに怒っているのか。

「相転移を利用した装甲のこと……。でも、これはニック・ネームみたいなもので本当の原理はちょっと違う……」

 モニターには装甲の断面図らしいものが映し出されていた。素材はチタン系の合金。何でも特殊な環境下でしか精製できない特殊合金で、ZGMF-1017ジンのようなザフト軍機に使用されているスチール製の合金に比べると硬くしなやかな素材なのだそうだ。ただ、ゼフィランサスは合金そのものの説明は簡単に終わらせてしまった。
 その腕を伸ばしてモニターの上、合金の上に表示された被膜状の構造を指し示した。実際はフリルがふんだんに用いられた袖が広がったせいでよく見えないのだが。

「相転移についてわざわざ説明する必要もないと思うけど、一次相転移と二次相転移があって、ここでは二次相転移と性質が似ていることから二次相転移装甲、フェイズシフト・アーマーと名前をつけたの……」

 正直言って、ムウにはよくわかっていない。とりあえずゼフィランサスの話が乗ってきたようなのでわかったような顔をして聞き続けることにする。
 装甲表面に塗布された特殊な粒子が電圧を加えられることで分子膜を構成するのだそうだ。その単分子膜の性質は衝撃を受けた際、運動エネルギー、熱エネルギーを吸収するとともに衝撃を垂直方向で受け止める。敵の攻撃のエネルギーを点ではなく面で受け止める。その上で、吸収したエネルギーを光に変換し放出する。そして軽減された攻撃はチタン系の合金が受け止めるというわけだ。攻撃を受けた分子膜も電圧を加えることで自己組織化を起こし瞬時に再生できるらしい。
 ガンダムが敵の攻撃を受けた際に光るのはこのためだそうだ。

「モビル・スーツが携帯できる規模の兵器ならすべて無効化できるよ……」

 絶えず電圧を加える必要があり、バッテリーの消耗が激しいが、その防御力は極めて高いのだそうだ。
 モニターには別の映像、ひげの親父が映し出された。見覚えのない男だ。

「特殊な粒子はC.E.33にドクター・ミノフスキーによって発見された……。だからミノフスキー粒子と呼ばれてる……。元々核融合の実験中に発見されたレプトンの1種で、ニュートリノと電子の中間みたいな物質で平均寿命はいまだに未知……。ミノフスキー粒子が発見された当初、学会の見解は机上の空論で一致……。現在でも……」

 ゼフィランサスはそうまくし立てていたが、ムウは正直まるでわかっていない。キラの方も真剣な表情が、どこか険しいものに変わっている。要するに男2人でゼフィランサスの話がまるで理解できていないのだ。

「あ~、ゼフィランサス? 余計な理論は省いてくれないか?」

 急に動きが止まった。これまでの経験上、怒らせたと判断するのが妥当だろう。背筋に冷たいものを感じた。すると、意外な場所からフォローが入った。キラが手を上げ、自分に注意を引いていた。

「僕たちパイロットが知っておかないといけないことって、まとめるとどういうことかな?」

 幸いにも、ゼフィランサスは動きを再開する。

「フェイズシフト・アーマーは強度が高いから艦砲、それも主砲クラスの攻撃を受けなければ破壊されることはないよ……」

 それは対モビル・スーツ戦では無敵であることを意味する。モニターには一つの実績として、ザフト軍の主力機であるZGMF-1017ジンを相手にガンダムが圧倒的であった事例がすでに存在する。ミサイルの爆発にさらされた時もその爆圧に耐えた。しかも無傷で。
 この場合、爆圧をミノフスキー粒子で構成されたフェイズシフト・アーマーが受け止め、緩和した上でチタニウム合金が衝撃を無効化。フェイズシフト・アーマー自体が受け止めたエネルギーは光に変換し放出する。光って攻撃を無効にするとは、まるで魔法のような装甲だ。だが、そうそううまい話はないだろう。そう考え、ムウは新たな墓穴を掘った。

「弱点はあるんだろ?」

 ゼフィランサスがまた動きを止める。前回同様、キラが助け船を出してくれた。

「戦う上で、何か注意しておくことってあるかな?」

 行動再開。多少のニュアンスの違いでこうも違うものだろうか。この男、ゼフィランサスの扱いに妙に慣れている。キラ・ヤマト。覚えておいて損のない名前のようだ。
 ゼフィランサスはフェイズシフト・アーマーの弱点、いや、注意点について話し始めた。
 フェイズシフト・アーマーは、発動中、絶えず電圧を必要とする。また、被弾時には単分子膜を再構築するためにさらに電圧が必要となる。よって、燃費の悪さがついて回る。ただ、ガンダムに搭載されたバッテリーはザフト機に比べても大電量のもので、稼働時間が短いということはない。

「ただ、質量弾は避けた方がいいよ……」

 フェイズシフト・アーマーは衝撃を吸収する性質こそあるが、たとえばバズーカのような質量弾にさらされるとその衝撃は緩和しきれず内部に伝わってしまう。装甲自体が破壊されることはないが、内部機構にダメージが蓄積されてしまう。

「なるほど、それが弱点か」

 つい口が滑った。あわてて口を押さえるが、言葉は出てったきり、戻ってこようとはしなかった。ゼフィランサスは動きをとめようとはしなかった。代わりに、ムウの方に近寄ってきたかと思うと、固いブーツでムウのすねを蹴った。

「克服すべき課題ってこと……」

 急所を蹴られ、足を押さえる。うめき声を出さなかったことは賞賛されるべきだろう。

「そんなにニュアンスが大切か……?」

 それにしても、今のゼフィランサスはずいぶんと機嫌が悪い。地雷を2度、いや、3度ほど踏んだ気がするが、部屋に入ってきた時から悪かった気もする。キラはやはり、怒らせないような聞き方をする。

「これから、ザフトに鹵獲されたガンダムと戦うことがあるかもしれないけど、そのときはどんな戦法が考えられるかな?」
「方法は2つ……。1つはもちろん、戦艦に搭載されるような、大口径、大火力の兵器を使用すること……。2つめは……」




「ビームを使用することだ」

 ザフト軍ナスカ級ヴェサリウスのブリッジを兼ねたブリーフィング・ルームで、ラウ・ル・クルーゼは集められたパイロットたちにそう告げた。
 この中ではモビル・スーツ技術に造詣が深いアスラン・ザラでさえもビームという単語の意味を理解しなかった。無理もない。このことが兵士としてのアスランの評価を下げるものとは考えていない。ビームはまったく新しい技術体系の兵器であるからだ。
 新型の用いた携帯兵器。それは可視の速度で飛来する光線という不可思議な兵器でありながら、モビル・スーツを一撃で破壊し、コロニーの外壁に穴さえ開けてみせた。この兵器の正体こそがビームである。新型の使用したライフルは、さしずめビーム・ライフルというところだろう。

「ビームの威力を今更説明する必要はないだろう」

 ラウが、そしてパイロットたちが囲む台座に備えられたモニターには、ビームの破壊力を示す映像が投影されてはいるが、パイロットたちはわざわざ見ようとしない。記憶の中にしかと刻まれているはずだからだ。
 このビームがフェイズシフト・アーマーを貫通できることは、すでにアスランが実証している。アスランの部下としてそのことを目撃しているはずのニコル・アマルフィはそれでも納得のいかない顔つきをしていた。

「でも、ビームなら破壊できるという理由がわかりません」

 ニコルは若さ故か引っ込み思案に思われがちだが、主張すべき時にはためらうことはない。パイロットとして、それはよい傾向でもあるが、前に出るものは同時に死神にも好かれやすい。どちらに転ぶかは時の判断に任せるとしよう。

「ビームにはフェイズシフト・アーマー同様ミノフスキー粒子が使用されている」

 ミノフスキー粒子はその存在が予言された際、ある性質が予見された。それは、ミノフスキー粒子は擬似的にエネルギーを質量として貯蔵し、それを見かけ上は消耗することなく取り出せるというものだ。論理的にはエネルギーが加わった際、ミノフスキー粒子がその質量のごく一部をエネルギー変換し、メガ粒子と呼ばれる高エネルギー状態の粒子に変化することによってもたらされるらしい。
 小難しい理屈を除けば、10のエネルギーを10のままで保管できることを意味する。たいしたことはないようだが、これは実に恐ろしいことを意味する。
 熱力学の第2法則によると、熱を伴う反応は不可逆であることが証明されている。これは、エネルギーは状態を変える場合、そのうちの何割かが熱として放出されてしまい、目減りしてしまうことを法則化したものだ。
 たとえば、ジンの扱うアサルト・ライフルの場合。薬莢の火薬が炸裂し、弾丸が飛び出す。さらに弾が銃身を抜け、大気がある場合には大気の抵抗にさらされる。最後に、目標表面で銃弾が砕け、残されたエネルギーで破壊を行うのである。
 薬莢内の火薬が持つ爆発力が10としよう。まず、弾倉内の爆発で発射時の反動が起こるように、ここですでに7から8のエネルギーしか弾丸には伝わっていない。さらに飛び出す弾丸は銃身との摩擦、大気との摩擦でエネルギーを大きく減らしてしまう。また、目標に到達した段階でもエネルギーのロスは続く。
 結果、ジンの攻撃力は本来の2、3割しか出ていない計算となる。爆薬を直接投げつけても結果は大差ない。爆発が四方に飛び散る上、結局は爆発と目標とのエネルギーのやりとりの問題となるからだ。4割に手が届く程度だろう。
 ところが、ビームにはその問題がない。10のエネルギーを10のまま弾丸へと変えることができる上、目標とのエネルギーのやりとりもスムーズに行うことができる。無論、銃身、大気との磨耗はどうしようもないが、それでもエネルギー効率は7、8割を誇ることになる。
 このデータに、ディアッカ・エルスマンは口笛を吹く。ジャスミン・ジュリエッタは呆然としていた。個々の違いは見受けられたが、誰もが驚いていることに変わりない。
 モニターにはジンのアサルト・ライフルとビーム・ライフルが並べて表示されている。同じ規模の兵器である。そのエネルギー効率を鑑みるなら、同程度のエネルギーを用いる両者の威力は2倍から3倍を超える違いができることになる。加えて、ジンと新型のエネルギー・ゲインはすでに溝をあけられている。その火力は4倍程度にまで開くことだろう。
 今になって怖くなったのか、ジャスミンが口を押さえた。パイロットとしては優秀だが、いつまでも気の弱さがとれない。問題ではあるが、今は目をつぶることにする。無理もないと考えたからだ。
 この中では一番の使い手であるアスランでさえ、肝を冷やしているらしい。

「ジンでは相手にならないこともうなずける。水鉄砲で拳銃に挑むようなものだ……」

 ニコルがうなずく。

「わかりました。ビームが、艦砲並の攻撃力を持っているということが」

 モビル・スーツが携帯できる兵器ではフェイズシフト・アーマーを破壊できるほどの攻撃力を獲得できない。だが、ビーム兵器ならば同規模の兵器で3倍の火力を得ることができる。フェイズシフト・アーマーを貫くほどの火力を得ることができることを意味する。
 隊長として、理解の早い部下が誇らしい。だが、まだ一歩考察が足りていないようだ。ラウは眼鏡を直すしぐさで仮面に手をかけた。

「フェイズシフト・アーマーが最強の盾であるのなら、ビームは最強の矛と言える。最強の盾を破るには、最強の矛で臨むほかない」

 その判断の早さに差こそあるが、すぐに全員が気づいたようだ。

「ガンダムを破壊するには、ガンダムをもってあたるしかないということだ」




 サイ・アーガイルは与えられた部屋で壁に埋め込まれる形のベッドに寝そべっていた。仲間2人と相部屋だが、狭いとも感じない、いい部屋だ。ベッドの寝心地も悪くないし、休むことができるのは正直ありがたい。それがたとえ、仲間を、キラを売ったも同然で手に入れたとしてもだ。キラはあのゼフィランサスという少女と昔何かあったらしい。それがどんなものか聞けずじまいだが、キラがモビル・スーツに乗ると言ったからサイたちに部屋が与えられたことに変わりはない。
 まだ寝る気にはなれなくて、眼鏡はかけたままにしている。見慣れない天井を眺めていると、これまでのことが思い出される。
 何気なく1日が始まって、突然日常が終わりを告げた。ザフトが攻めてきて、街を逃げ回った。キラが死んだかもしれないと慌てたが、幸い、それは杞憂に終わった。そして、キラはゼフィランサスに言われるままパイロットになった。
 何がなんだかわからない。
 それはほかの2人も同じらしい。人が動く気配がして、トール・ケーニヒがサイとカズイ・バスカークに声をかけた。

「2人とも、起きてるか?」

 カプセル型のベッドからは周りの様子はよくわからない。ただ2人の声は聞こえてきた。カズイも寝そべっていただけらしい。トールの呼びかけに応える声がした。トールは何か話がしたそうな様子だったので待っていると、それでもトールはいつまでたっても話を始めようとしない。

「ごめん……、やっぱなんでもない……」

 トールがそうなることもわかる気がする。漠然とした不安があって、どうしても何かしていないと落ち着かないのだろう。
 今日はいろいろなことがありすぎた。そういえば、ゼフィランサスみたいな格好をしている女性を見たのも初めてだ。似合ってはいたが、相当人を選ぶ服だ。

「ゼフィランサスさんだっけ。あの人、ガンダムの開発責任者だとか言ってたけど、技術者が何であんな格好してるんだろうな?」

 からかうような口調になった。それでも許されるだろう。あの女はキラを戦争の道具にしようとしているのだから。

「趣味、だと思うけど」

 トールの答えは的を得ているだけあって、見も蓋もない。会話はいきなり終わってしまった。
 やはり、無理にでも寝ておくべきかもしれない。この先、何が起こるかわからいのだから。ただ、最後に、カズイが話しに乗っかってきた。

「でもキラにとって、ゼフィランサスさんは大切な人なんだと思うよ」

 なぜなら、友のことを気遣いながらも、その手は、漆黒の少女を離そうとしなかったから。




 アーク・エンジェルは最寄の要塞であるアルテミスにまずは寄航することを決定した。現在宇宙はザフト軍に事実上支配されており、地球軍の勢力圏にまで到達するにはあまりに多くの危険をかいくぐる必要があった。月に向かう選択は非現実的であったのだ。
 宇宙は広い。仮にザフト軍がアーク・エンジェルの動向を掴んだところで、航行中の戦艦を捉えることは難しい。現在、戦争開始当初から発生が確認されている謎の電波障害においてレーダーの信用性は低下している。待ち伏せを行うためには行き先が明確でなければならない。反対に月を目指すということはザフトに待ち伏せの好機を与えるにも等しいことであった。
 そのため、アーク・エンジェルはアルテミスを目指すことにしたのである。
 仮にヘリオポリスを襲撃した部隊がその手を読んでいたとしても補給も他の部隊との合流も間に合わないだろう。航行中に不幸にも発見されてしまったとしても切り抜けることも不可能ではないとの判断が働いた。
 しかしアーク・エンジェルの航行は不気味なほど静かなものであった。ザフトの影もなく、ヘリオポリスでの激戦が嘘のように平穏な時間が流れた。
 そして、アルテミスの姿がブリッジのモニターに捉えられた。
 アルテミス。アーク・エンジェルが所属する大西洋連邦の同盟国であるユーラシア連邦が保有する宇宙要塞である。
 それは宇宙空間に浮かぶ巨大な岩の塊のようであった。採掘を終えた資源衛星の内部に要塞施設を建造した比較的小規模の基地である。その建設方法故に、表面は岩盤に覆われている。近くで見ても宇宙港の開口部とその近くに備えられた管制塔が見える程度で、単なる衛星にしか見えないだろう。ザフトが制空権を握っている。このような宇宙において、この要塞が存続できた訳は衛星に偽装して隠れ仰せたからではない。残念ながら、侵略価値がないとして見逃されていたからである。
 現在、プラントと交戦状態にある国家は大西洋連邦をはじめとするその同盟国、地球連合各国である。しかし戦争に積極的に参加していると言える国は大西洋連邦であり、その他の同盟国はエイプリルフール・クライシスからの復興に余力を傾けているのが現状であった。ユーラシア連邦と言えどその状況に変わりなく、ザフト軍にとって攻略順位は自然と低いものとされてきたのである。
 しかし、エイプリルフール・クライシスから6年、戦争開始から4年が経過した今、その状況は徐々に変化を見せ始めていた。
 傷つけば人は癒すために時間を必要とする。傷が言えてしまえば次は復讐をもくろむこととなる。
 そして、青い薔薇を掲げる思想団体は、血と涙を土壌に、如何なる場所であろうと咲くのである。
 アーク・エンジェルは、アルテミスへの入港が許された。




 アーク・エンジェル艦長として、マリュー・ラミアスはアルテミスの会議室へと出向いた。格納庫に面した部屋で、壁一面の窓ガラスからアーク・エンジェルがよく見える。
 小さな円形のテーブルにマリューを含めて4人が座っている。3人はアルテミスの幹部たちだった。いずれも男性で年配。愛想笑いを浮かべている。プラントによって引き起こされた戦乱前まで大規模な戦争をこの世界は長らく経験していない。ただ椅子を暖めていただけの軍人というものは年齢が上であるほど見られる。ただ長年勤めていたというだけで位が高く、前線に出る必要もない士官は少なからず存在しているからである。無能かどうかは別として、危機感が欠落している点において始末が悪い。
 部屋にはもう1人。白いスーツの男性がこちらに背を向け、アーク・エンジェルを眺めていた。軍人ではないようなのだが、会議室にいることを見咎められることもない。
 まるで男性がいないかのように、話は進んでいた。

「我々は特務を帯びて行動中です。同盟国として、ご協力願いたいのです」

 補給をしてくれるだけでいい。そう暗に匂わせたが、一筋縄ではいかない。こちらの意図を知りながら、さも気づいていないかのように振る舞ってくる。
 マリューの正面に座る禿頭の指令官は仰々しく首を振った。

「無論そのつもりです。そのためにも、新型のデータをお預けいただきたい。有事の際には我々の命をとしてデータをお守りする所存です」

 アーク・エンジェルのみが所持していては消失のリスクが高い。データを分譲することは理にかなっていると言えなくもない。だが、渡してしまっては穏健派の実績がかすれてしまう。本当なら睨みつけてやりたいところだが、そうもいかない。目をそらすにとどめた。

「しかし、それではあなたがたを危険にさらすことになります」

 どうせろくな戦力も抱えていない辺境の基地でしかないのだ。戦力としては、一切の期待をしていない。実際、データを預けたところで消失のリスクを分散するどころか流出の危険性を増すだけだろう。だが、右側の人物がこの事実を逆手にとった。

「危険は承知の上。加え、貴君は我々を頼ってきてくださった。そんな我々を、多少ご信頼くださってもよいのではありませぬか?」

 まさか補給だけで十分、たかりに来ただけだと言うこともできない。さて、どう言い返そうか。これ以上、あなた方にご迷惑をかけるのは忍びない。このあたりが妥当なところだろう。
 マリューが言い出そうとすると、窓辺の男性に動きがあった。何のことはない。振り向いただけ。しかし、そんな小さな足音にさえ、アルテミスの幹部たちは一斉に男の方を見た。つられて、マリューも視線を同じ向きに合わせる。
 白いスーツを着た男性は、同年代の男性であるためか、ムウ・ラ・フラガ大尉とよく似ているように思えた。だが、それも振り向くまでのこと。いざ顔を眺めると印象はだいぶ異なる。ムウは野生的で猛禽のような印象だが、この男は優雅とも怜悧とも思える。柔らかい金髪に青い瞳がなんとも麗しい。マリューがつい見ほれるほどであった。好青年。紳士。名士など、好印象な単語が自然と頭に並ぶ。

「くすぶってはいたくはない。たとえ、どのような危険に身をさらすとしても。みなさまの覚悟はよくわかります」

 声をかけられたアルテミス幹部は一様に顔がこわばっていた。男は小気味よい足音をたてながら歩み寄ってくる。何をしても様になる。そう言いたいところだが、幹部たちの様子はただ事ではない。訝しがるマリューに、男は優しげに微笑んだ。

「職務はまっとうしなければならない。たとえ何を犠牲にしても。その覚悟はすばらしい」

 マリューにかけられたのは、ただ一言。ヘリオポリスの民間人を犠牲にし、今アルテミスを踏み台にしようとしていることへの皮肉だろうか。男はやはり笑顔のまま。笑顔のままで、一言命じた。

「その真摯な思いへ応えるべきと、私は考えます」
「わかりました……。ラミアス大尉。補給は速やかに行わせよう。それでよいだろうか?」
 
 マリューの正面に座る禿頭の男性が急に改まった態度を示した。戸惑いながらも、マリューは感謝を言葉と、敬礼することで示した。しかし、視線はすぐに立ったままの男性へと向いてしまう。
 軍人ではない。まだ30にもなっていないような若造である。そんな男の命令を、快諾には程遠い顔をしながらも、アルテミスの幹部はあっさりと受け入れた。この男は只者ではない。小規模とはいえ、要塞1つを牛耳る。敵に回すには恐ろしいが、味方陣営で見かけた顔ではない。
 身構えるマリューに対して、男はあくまでも笑顔で礼儀正しい。左肩に右手をあてて、仰々しく頭を下げた。テレビ・ドラマに出てくるような執事以外で、こんなお辞儀の仕方をした人を見たのは初めてのことだ。

「申し遅れました。私はエインセル・ハンターともうします。以後、お見知り置きを」

 動きをとめ、息をとめ、心臓さえ止まった心地がした。
 その名は、最大手の軍需企業であるラタトスク社の代表として知られている。そして、ラタトスク社代表は、反コーディネーターを掲げる急進派の中でも特に強い影響力を有している。マリューたち穏健派にとって、この男は最大の敵に他ならなかった。
 エインセル・ハンター。
 この男の美しさは、研ぎすまされた刃のようなものであるのかもしれない。存在は凶器以外の何者でもないが、ときに人を魅了してやまないのだから。




 アーク・エンジェルが無事アルテミスに寄港した。
 それは喜ばしいもののように思えたが、ナタル・バジルール小尉にとっては、ことはそう単純には片づかない。
 マリュー艦長はうまく補給を取り付けたらしい。だが、同時にラタトスク代表がこんなにも早くガンダム開発を嗅ぎつけていることもわかった。社内の部局一つをまるごと借り受けていたのだ。いつまでも隠し通せるものとは考えていなかったが、露見してしまうにしてはタイミングが悪すぎる。何かと悩みはつきない。
 ナタルは現在、格納庫の奥まった通路の先にある休憩室に立ち寄っていた。訳は自分でもわからない。ただ、難民とともに来るよう、そうアルテミス側から指示されていた。椅子とテーブル。観葉植物がおかれた、特に際だったもののない、普通の休憩室である。ナタルと、6人の少年少女でもはや手狭になっている。
 こんなところに何があるのか。そんなことを考える間もなく、格納庫とは反対側の通路から黒いスーツを着た女性が現れた。
 上品な眼鏡をかけたなかなかの美人である。物静かで知的な印象は、彼女が軍人でないことを物語る。加えてこれは偏見かもしれないが、化粧の仕方は女性としての作法というより、男を喜ばせる為に思えて仕方がない。
 一言でいうなら、ナタルは女性に言いしれない反感を抱いた。この意識は、名乗り上げられたことで確信へと変わる。

「メリオル・ピスティスと申します。エインセル・ハンター軍事顧問の秘書を任せられている者です」

 あくまでも事務的に差し出された手に、礼儀として握手する。大人げないとは思うが、政敵相手に心穏やかにもなれない。エインセル代表と言えば急進派の筆頭と言っても過言ではないのだから。だが、そんな反コーディネーターの頭目が難民に何の用があるのか。自然と、キラ・ヤマトとアイリス・インディア。コーディネーターである2人のことが頭に浮かぶ。まさかとは思いながらも、疑念は晴れない。
 相手の出方を待つ。メリオルはそんな駆け引きをあざ笑うかのようにいきなり本題に入った。

「ヘリオポリスにおける人的被害の調査結果が出ています」

 ナタルを押し退けるようにして、子どもたちがメリオルの前に出る。ただ、孤児であるアイリスはその場に留まっている。
 サイ・アーガイル。トール・ケーニヒ。カズイ・バスカーク。ミリアリア・ハウ。それぞれの家族は無事が確認されたと告げられる。その度、ナタルが見ることができなかった屈託のない笑顔で彼らは喜んだ。
 その中でフレイ・アルスターだけが浮かない顔をしていた。メリオルも意図的に報告を遅らせた様子だった。だが、それは形式的なものであったらしい。悲劇の報告は、きわめて事務的になされた。

「アルスター夫妻の消息は確認されておりません」

 フレイよりも、周りの人の方が反応が顕著だった。自分たちばかりが喜んではいられないと引け目を感じたのだろう。まるで水を打ったように、あたりは静まり返った。フレイの、力ない声が、それでも響くほどに。

「そう……、ですか……」

 覚悟を決めていたのか。あるいは疲れてしまったのか。フレイは放心したように立ち尽くしていた。その痛々しさに耐えられなくなったのだろう。アイリスは友人の手を引いて、せめて椅子に座らせていた。そんな2人にメリオルが歩み寄る。その顔から、冷静さは一切損なわれていない。

「アイリス・インディア様に、相違ありませんか?」
「はい、そうです」

 フレイの方に手を置きながら返事をするアイリス。メリオルは唐突に話を切り出した。

「アイリス様はエインセル様が支援されている事実をご存知と考えます。エインセル様はアイリス様のことを大層お気にかけておられました」

 ナタルの驚きとは対照的に、アイリスはメリオルの言葉をごく自然に受け入れている。ナタルはアイリスをザフィランサス主任の妹だからこそ警護対象にされたのだと考えたが、実際はエインセル・ハンターの指示であったのかもしれない。

「エインセル様は100を越える子どもたちに資金援助をされています。ですが、そのお1人お1人を覚えておられます。アイリス様も例外ではありません」

 唐突にメリオルがナタルへと首を曲げた。

「ご苦労様でした。難民である彼らは我々が安全にオーブ本国にまで送り届けます」
「そんな急な話は……!」
「急も何も、本来彼らは戦艦に乗艦しているべきではないのではありませんか?」

 メリオルの言っていることは正しい。だが、あっさりと少年少女を手渡すことはできない。不安を押さえ込もうと楽観論が心を引っ掻く。同時にここで安易な結論を出してしまえば後悔することになると警鐘を鳴り続けている。問題ないだろうとうすうす感じながら、しかしいざ最悪の事態が発生した場合に何故あの時あのような決断をしたのかと胸をつんざく後悔に襲われることが想像できてしまう。

「わかりました。ですが、そちらに引渡しを確実に終えるまでは我々に警護義務があります。しばしお時間をいただけませんか? 手続きとして形に残しておかなければなりません」
「かしこまりました。ではその旨、エインセル様にお伝えします」

 丁寧に頭を下げて、メリオルは来た方向へと戻っていった。歩き方さえ律儀で厳格。その一挙手一投足までエインセル・ハンターのご威光を傷つけてはなるまいと気を張っているようでさえある。エインセル・ハンターがどのような人物をそばに置いているのか、それは痛いほど伝わった。
 みんなで安全な艦に移れるかもしれない。この事実に、サイがアーク・エンジェルの方へと駆けだした。

「キラも来るよう言ってくる!」

 トールとミリアリアがあとを追った。ナタルもまた、今は行動するにうってつけと考えていた。

「アイリス、少々時間をもらえないだろうか?」

 そう、アイリスを誘い、格納庫へと出た。アーク・エンジェルはすぐ正面に見えているが、すぐに横を向き、壁に沿って通路を進む。あまり人に聞かせたい話でもない。アーク・エンジェルを修理している整備士に声が届かないであろう場所を選んだのだ。通路の突き当たりで通行人の心配もない場所だった。
 ここでいいだろう。

「どうしました、ナタルさん?」

 アイリスはまるで心当たりがないという顔をしている。ずいぶんと無邪気なものだ。皮肉ではなくそう思える。そんな少女に聞かせる話ではないかもしれない。

「陰口になってしまうが……」

 ナタルは覚悟を決めた。

「ブルー・コスモスという組織を知っているだろうか?」

 アイリスが怯えたような顔をした。それだけで十分だった。

「ブルー・コスモスの代表はムルタ・アズラエルという男だとされている。だが、わかっているのはこの名前だけだ。世界的規模の組織にしてはこのことは異常としか言いようがない。実在しないという話もあれば、誰かの偽名であるという話もある。アイリス、君に聞いておいてももらいたいのは、その候補者とも言うべき人物の中にラタトスク社代表であるエインセル・ハンターの名前があるということだ」

 信じられない。そう言いたいのだろう。アイリスは挙動に落ち着きがなくなり、何を言っていいかも悩んでいる様子だった。

「え、でも……、エインセルさんに、お会いしたことはありませんけど、お手紙じゃ……、すごく優しい人で……」
「すまない。だが、今の世界は決してコーディネーターに優しくはない。コーディネーターという存在そのものに悪意を持つ人がいるということを、心に留めておいて……!」

 不条理なほど突然のことだった。宇宙要塞の貴重な大気を力任せに震わせた轟音が響いた。




 ゼフィランサスは歩いていた。
 格納庫から通じる通路を抜けると小部屋に出る。休憩室と思われる場所。この部屋には、2人の先客がいた。少年と少女が1人ずつ。少年は寡黙だった。椅子に座って、沈黙に身をゆだねていた。キラと一緒にいた。名前は知らない。少女は涙を流さずに泣いていた。うつむいて、その目は何も見えていない。キラの同級生で、名前を聞いたことはなかった。
 そういえばこの部屋に通じる通路の脇でナタルとアイリスが話をしていた。ここで何かあったのだろうか。考えてもわかることではない。ゼフィランサスは立ち止まらず通り抜けようとした。
 すると、誰かが勢いよく立ち上がる音がした。つい振り向こうとすると、腕を掴まれて無理矢理振り向かされた。掴む手の先で、少女がゼフィランサスのことを睨んでいた。

「あんたがあんなもん造らなきゃ、パパもママも死なずにすんだ!」

 少女がゼフィランサスを掴んだままその手を振り上げた。頬を叩かれる痛みに耐える準備をしていると、少年が少女の手を止めていた。腕を掴んで、離そうとしない。

「やめなよ、フレイ」
「離してよ、こいつらがあんなの造ってなきゃ、パパもママだってぇ!」

 取り乱す少女に比べて、少年はひどく冷静だった。
 でも2人とも気づいていない。この場所にいては危険だということに。
 無重力下である。意識して前へと弾みがつくように床を蹴る。心臓が高鳴った。杭でも打ち込まれたかのように鋭い痛みが伴う。これは言いつけを破った罰。2人を巻き込むように、ゼフィランサスは倒れ込んだ。
 その直後に噴出した体中を締め付ける膨大な圧力に、ゼフィランサスの意識は刈り取られた。




 爆発が起きた。そのことはなんとなくわかる。
 ゼフィランサスにフレイごと突き飛ばされたとき、カズイは3人がいた場所を火と煙が勢いよく通り過ぎていったことを目撃した。爆発が収まると、休憩室は一変していた。煙が充満し、何かが溶けたような独特の臭みが鼻につく。見ると、アーク・エンジェルへと向かう通路が瓦礫とくすぶる炎で通行できなくなっている。
 フレイは大きな叫び声をあげていた。ただでさえ平静ではない少女の心は、あやうく死ぬところだった現実を受け入れることができないのだろう。半狂乱になって、隣にいたカズイを突き飛ばした。とめる間もなくフレイは格納庫とは反対側の通路から飛び出てしまった。

「フレイ!」

 カズイには見送るほかなかった。追いかけることができない事情もある。
 近くにゼフィランサスが浮かんでいた。意識はあるようだが、苦しそうに胸を押さえ、あえぎ声がもれている。もし、ゼフィランサスが突き飛ばしてくれなかったら、カズイもフレイも爆発に巻き込まれていただろう。そのために無理をしたのかもしれない。
 ここがいつまでも安全とは限らない。カズイはゼフィランサスを早くアーク・エンジェルに運ぼうと決めた。ゼフィランサスの片手を、自分の首の後ろを通して半身を支える。運ぶことが負担にならないよう、ゆっくりと足を進める。
 アーク・エンジェルに直接行くことはできない。しかし、アーク・エンジェルから見たとき、格納庫には他にも道があった。迂回すれば戻れるはずだ。
 カズイはゼフィランサスをつれて、フレイが逃げていったのと同じ通路に入った。通路自体は短い。あっさりと通り抜けると、その先にも格納庫が広がっていた。
 アーク・エンジェルが格納されている場所に比べて非常に細い。カズイたちの前に一直線に伸び、突き当たりで左右にT字に続いているのが見える。TS-MA2メビウスなどの戦闘機のための場所なのだろう。メビウス、正確にはその残骸がいくつも並んでいた。
 メビウスが、壁ごと破壊しつくされていた。この攻撃力は見覚えがある。見忘れることなんてできない。

「ガンダムだ……、ガンダムが来たんだ……」

 光景の中には死体や、苦しんでいる人の姿もあった。これが戦争とはとても思えなかった。一方的な虐殺。聞こえてくる声は、ただただ逃げ惑っている人々の悲鳴しかない。その悲鳴が、徐々に近づいていた。
 T字路の右側から、黒いガンダムがその横顔を見せた。目が2つあって、口に見える部分がある。
 ガンダムは右手のライフルから光線を発射した。直撃を受けた壁には大きな穴があき、穴の周りは熱で歪んだ。穴から火が噴出し、要塞内部を嘗め尽くしていく。
 このときになって、初めて怖いと感じた。つい足が強く床を蹴った。急いでここから離れたい。

「う、あ……」

 ゼフィランサスが苦痛にうめいていた。いきなり強く動かしすぎたようだ。でも、急がないと戦闘に巻き込まれてしまう。

「ごめん……、あと少し、我慢して」

 なるべくゼフィランサスの体を支えるようにして肩に担いで、左手は、罪悪感を感じながらも女性の腰にまわしていた。その方が、より負担を与えることなく運べると考えたからだ。それが我慢ならなかったのだろうか。ゼフィランサスはまだ苦しいはずなのに、胸を押さえていた手で、カズイを押した。まるで力は入っていないが、カズイに離れてほしいのだとわかる。
 あいつ以外の男に触れられたくないというのも、わからないではない。

「悪いとは思ってるよ。でも、今はこうでもしないと……」

 ゼフィランサスは弱々しく首を振った。

「違う……。あの子の狙いは、……きっと、私だから……」

 一瞬、何のことかわからなかった。ただ、ゼフィランサスが子どもと表現したことで、心当たりが1つだけある。この少女はガンダムの開発責任者で、わが子とも言えるガンダムは、すぐそこにいる。
 カズイは首を回した。すると、ガンダムの無機質な双眸と、カズイの怯えた眼とが交じり合った。
 ガンダムがこちらを見ている。カズイの目には、ブリッツが右手を掲げ、銃口をこちらに向けている姿が映っていた。



[32266] 第5話「序曲」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/14 15:26
 ゼフィランサス・ズールは床の冷たさを感じていた。それくらいの感覚は戻りつつあった。だが、視力はおぼろげで、横に倒れている少年の顔さえはっきりとは見えない。床に触れているはずの指に、それでも伝った温もりはぼやけた像の中で赤い色だけを確かに見せていた。
 胸の痛みは収まりつつある。体を動かすこともできた。ゆっくりと上体を起こすと、それでも立ち上がることはできない。座り込む姿勢が限度で無重力であるにもかかわらず手で上体を支える必要さえあった。呼吸が次第に落ち着き視力が輪郭を取り戻していく。その光景の中で、風穴の開けられた壁のただれた断面と、そして横たわる少年の姿があった。背中から破片を生やした少年が床に倒れていた。ゼフィランサスの指にもりを与えたものは少年の血液であった。
 倒れる少年。それを見下ろす少女。その少女へと、GAT-X207ブリッツガンダム、その黒い腕がゆっくりと伸びていた。




 ことはわずか数十分前に遡る。
 ディアッカ・エルスマンは仲間たちの見送りを受けていた。出撃する際、順番は多少前後するし最初と最後では時間差がある場合もある。だが、誰かが出撃する際、他のパイロットもスタンバイを終えていることは当たり前であり、ディアッカの前に仲間が立ち並ぶことは例外的な光景である。
 つまり、今回の出撃は、ディアッカ1人が先行するのである。単独任務という危険きわまりない任務だが、ディアッカの気持ちは早く出撃したいと急いているほどである。
 GAT-X207ブリッツガンダム。ヘリオポリスにて地球軍より奪取したディアッカの乗機である。この機体の腹部、コクピット・ハッチの縁に足をかけてディアッカは外に並ぶ仲間たちを眺めていた。すぐ横にまできている可動式のリフトの上に仲間たちは並んでいる。
 隊長であるラウ・ル・クルーゼは相変わらず仮面をつけたままだ。この作戦の発案者は隊長であり、部下を1人で死地に送り込むというのに冷たいものだ。

「この作戦は君の働きが重要になる。期待しているぞ、ディアッカ」

 正直、この隊長の本心はつかみにくい。とりあえず額面通りに受け取っておく。略式の敬礼をしておいた。

「了解です、隊長」

 隊長の隣にはやはり目を隠した少女が1人。バイザーをつけたジャスミン・ジュリエッタは本当にこちらを心配してくれているようだった。

「危なくなったら逃げてください」

 こんなことを言ってくれるのはジャスミンくらいなものだ。敵前逃亡をしようものなら軍法会議ものなのだが。そんなことに考えが及んでいないことが、かえってジャスミンの純粋さが伝わってくるというものだ。同じ仮面組なのに、えらい違いだ。
 ただ、ジャスミンの心配は度を越して、不安と呼ばれる域にまで達しているようにも思えた。それを和らげてくれたのはジャスミンの横にいるニコル・アマルフィ。

「ディアッカほどの使い手なら心配ありませんよ」

 ニコル以外の奴が言ったら嫌みにしか聞こえない。皮肉には聞こえないのは、ニコルの素直な心ゆえだろう。
 そんな素直な同僚のさらに横では、普段はしたり顔でアドバイスしてくるアスラン・ザラがなにやら眉をつり上げていた。何か悩みでもあるのか。だが、人生相談に乗るつもりはない。コクピットに乗り込もうとしたところでアスランはおかしなことを切り出した。

「ディアッカ、一つ言っておきたいことがある。実は、新型の開発者に心当たりがある」




 単身アルテミスに侵入を果たしたディアッカはそんなやり取りを思い出していた。こんな話を思い出したのは、基地内である少女を見つけたからだ。
 正面モニターに拡大された光景が映し出されている。モビル・スーツのちょうど腹部の高さにある奥まった通路、そこで座り込むドレス姿の少女の姿がアスランに言われたものとよく似ていた。
 黒いドレスを着て、白くてウェーブがかけられた髪は柔らかそうに見えた。ブリッツの手がゆっくりと少女の下へと伸びていく。潰してしまわないよう、できるなら傷つけてもしまわないようゆっくりと。すると少女もこちらに気づいたのだろう。向けられた顔には赤い瞳が輝いているかのようだ。

「アスランの言ってた通りだな)」

 アスランは言っていた。新型の設計思想を以前見かけたことがあったそうだ。その施設ではモビル・スーツの研究をしている少女がいた。その少女が扱っていた研究分野が合致している。偶然かもしれない、記憶違いもありうるだろうと前置きしておきながら、アスランはその少女の特徴を挙げた。
 極度のアルビノであり、色素を一切持ち合わせていない。そのため髪は白く、眼球を通る血液は何に隠されることもなく瞳を赤く染め上げていると。
 そして、アスランはこうも加えつけた。もう10年も前の話だと。10年前の技術者となると現在ではすでに若くても30を越えているだろう。ディアッカが女性の想像図を考えているうちに、アスランは事も無げに答えた。生きていれば、ジャスミンと同じ感じだろうと、まだ15の少女だと。
 そう言われた時、つい妙な顔をしてしまった。5歳の子どもがモビル・スーツの開発に携わっているなど信じろという方が無理な話だ。だが、アスランは冗談が通用しない奴ではないが、人を騙すような質の悪い話をするような男ではない。信頼と言えるのか、言われた通りの少女がいるかもしれない。そんな妙な期待感は、条件に完全に合致する少女を見たときに信頼へと変わった。

「あんたの名前も聞いてないが、俺と一緒に来てもらおうか」

 音声は外部に出力していない。よって、ディアッカは独り言を言ったにすぎない。こちらの意図は少女にはわからないはずだ。ただモビル・スーツが手を伸ばしているのが見えているだけだろう。それなのに、少女は落ち着いていた。恐怖を感じていないのだろうか。波立つ髪に隠されて、顔ははっきりと見えない。
 ただ、赤い瞳がこちらを見据えてくる。混ざりものなんて何もない。ただ純粋であるということはこれほど人の目を引きつけるものなのだろうか。白状しよう。ディアッカは、少女に見とれていた。
 それが大きな隙になると理解することさえできないまま。
 ブリッツの巨体が揺れ動く。いや、揺れ動くではすまない。横からの衝撃に機体ごと弾きとばされる勢いでモニターが激しく動き、風景があわただしく通り過ぎていく。何が起きたかわかるはずがない。だが、それではあまりに癪だ。ディアッカはもはや意地とも言える視力で、敵の姿を捉えた。
 ブリッツと同じ顔をした姉妹機だった。GAT-X105ストライクがブリッツのいた場所を奪い取って立っていた。




「ゼフィランサスに触るな!!」

 キラ・ヤマトはストライクの中で1人猛った。
 総質量70tもの体当たりをまともに浴びせてやった。ブリッツは尻餅をつくように壁に突き刺さっていた。壁と接触した箇所が淡く光り、壁に一方的な破壊を押しつけていた。ゼフィランサスが造った機体がこんなことで破損するはずがない。急がなければブリッツはすぐに立ち上がってくる。
 キラはコクピット・ハッチを開けるなり跳びだした。
 ゼフィランサスは通路に座っている。いや、立ち上がることができないのだろう。
 両膝の下に右手を通して、背中には左手を回す。やはり、今のゼフィランサスにはこちらの首に手を回して上体を安定させるだけの力も残っていなかった。かまわず、抱き上げるしかなかった。
 早くコクピットに戻らなければならない。だが、キラに躊躇を強いたのは傷つき倒れる友の姿であった。出血量がおびただしい。口の周りの血痕には飛沫状のものが混じっていた。肺が突き破られ、喀血した証拠だ。緊急に手当をしなければ5分ともたない。そして手当てを施したとしても助かるかどうかは五分五分だろう。
 キラはゼフィランサスをより強く抱き寄せた。

「カズイは……、置いていく!」

 ゼフィランサスの体は軽い。ほんの一跳びでストライクのコクピットに飛び移ることができる。シートに座るなりもう一度ゼフィランサスの様子を確認する。息が弱々しい。苦しげな吐息を聞く度、キラの中で焦燥と躊躇がせめぎあった。それを一方的に焦燥で押しつぶしたのは、10年越しの約束があったからだ。開かれたままのコクピット・ハッチからは倒れたままのカズイの様子が見えていた。見えていたにもかかわらず、キラはシステムを再起動し、ガンダムにハッチの閉鎖を命じた。
 見えなくなるカズイ。モニターには映し出されているはずだが、キラは意図して意識の矛先を変えた。
 ブリッツがこちらに右手の複合兵装に備えられたライフルを向けている。側面のモニターでそれを確認するとともキラはすばやく反応した。足が床を陥没させ、ストライクが跳びのく。ビームはストライクがつい先ほどまでいた場所を素通りした。後方で生じた爆発が格納庫をいたずらに苛んだ。
 命中させられなかったブリッツはすぐに第2射を放とうとする。だが攻撃を焦りすぎだ。体勢を整える前に急いで攻撃したのだろう。まだ壁に寄りかかるように不自然な姿勢のままならば、ストライクの方が早い。初撃を回避したときには、すでにブリッツの方へと跳びだしていた。
 一気に距離を詰める。複合兵装を左脇の下で挟み込み封じる。右手はすでに腰から抜き放たれたダガー・ナイフが逆手で装備していた。ダガー・ナイフは、フェイズシフト・アーマーに包まれてはいない。単なる鋼鉄の塊でしかない。

「それが、何だって言うんだ!」

 ストライクがキラの命じるまま、ナイフをブリッツのデュアル・センサー、人で言うところの目に当たる部位へと突き立てようとする。複数の高性能カメラを覆うカバーにフェイズシフト・アーマーは採用されていない。刺し貫けば、内部構造を直接破壊できる。
 上体をわずかにずらされる。それだけのことで、キラの目論見ははずれた。ブリッツはブレード・アンテナで受け止める形でナイフを防いでいた。ブレード・アンテナが輝き、ナイフは刃こぼれさえ起している。どれだけ力を加えても、フェイズシフト・アーマーは破損する様子がない。
 ブリッツはいつまでも攻撃させておくつもりはないようだった。左手の射出兵器がストライクへと向けられ、寄り合わされていた3本の爪が展開する。爪が三角形に配置され、鳥の足のように形状を変えた。勢いよく発射されると、ストライクの胴体にぶつかり、そのまま一気に突き飛ばした。射出兵器はスラスターが絶えず圧力を加え、ストライクの胴体に張り付いていた。
 アルテミスの床に轍を刻みながらストライクが後退する。だが、キラも敵の思うままにはさせてはいない。
 射出兵器が射出されたと同時に右手を引き、ユニットとブリッツとを繋いでいたケーブルにナイフを刺していた。効果はない。ケーブルにもフェイズシフト・アーマーが使用されていた。ケーブルは光を放ち、ナイフはへし折られていた。
 ユニットが引き戻される。ブリッツは左手にユニットを戻し、ストライクは距離を開けられていた。すでにビーム・ライフルの有効射程である。ストライクの右腕にあったナイフは根元から折れ用を成さない。投げ捨てると無重力の中、ゆっくりと漂っていく。
 キラは左手の力を強めた。自分を支える力も残されていない少女をしっかりと抱きしめるために。
 キラは片手だけで操縦を行っていた。ゼフィランサスに害をなそうとする敵の存在を、決して許すつもりはなかった。




 アーク・エンジェルに、艦長であるマリュー・ラミアスはまだ戻っていなかった。
 新型機受領後に、合流したヘリオポリスのスタッフと再構築を行う形で正式なクルーは構成される予定であった。そのため、現在のクルーたちは暫定でしかなく、副艦長の役職がこの艦には事実上存在していなかった。それどころか、空席の役職も多く存在した。そのため、1人が複数の職務を兼任することでかろうじて機能を維持していた。急進派の動きを睨み、動かせる人材に制約が課せられていたからだ。
 だが緊急事態に及んでそんな言い訳は何も役にたたない。暫定的にアーノルド・ノイマン操舵手を副艦長として体制の強化がブリッジでは図られていた。

「出港準備を急げ。いつマリュー艦長が戻ってもいいようにしておく!」

 格納庫におかれたままでは鎖に繋がれているにも等しい。ブリッツに発見されれば一巻の終わりである。アルテミスの構造上、ブリッツのいるメビウスの格納庫と艦船とは独立していることが幸いした。
 マリュー・ラミアス艦長のほかにも、ムウ・ラ・フラガ大尉、それにゼフィランサス主任が戻っていない。難民の子どもたちは、はじめからアーク・エンジェルに乗っていたサイ・アーガイル、トール・ケーニヒ、ミリアリア・ハウの3人はもちろんのこと、すぐ近くにいたアイリス・インディアもすでに戻っている。
 しかし、カズイ・バスカーク、フレイ・アルスターはまだであり、同じ難民からの志願兵であるキラ軍曹はストライクで跳びだしていった。
 その状況は把握できていない。同じ要塞内である。たいした距離はないはずだが、なぜか通信がうまくつながらない。新型機の開発に関わったナタル・バジルール少尉が自然とモビル・スーツとの管制を担うこととなっていた。ナタル・バジルール小尉はブリッジの片隅で必死に呼びかけを続けていた。

「キラ・ヤマト軍曹、ヤマト軍曹……、く……」

 近年報告されている謎の通信障害。それが何の脈絡もなく生じていた。




 自分を偉大だとも、賞賛に値する人物だとも考えたことはなかった。勉強はほどほど。赤点をとったことなんてないけど、学年主席をとったこともない。スポーツは運動音痴ではないけど、プロをめざせるような練習はしてこなかった。もっと努力はできたと思う。友達と遊んでる時間や、おしゃれをしたり、好きな本を呼んでいる時間を努力にまわすこともできたはずだ。
 それをしてこなかった。さぼりもした。嫌なことから逃げてもきた。誉められる生き方ではなかったと思う。でもそれが、果たして父と母を失い、こんな地獄に放り出されるほどの罪だろうか。
 フレイ・アルスターは逃げていた。
 どこをどう逃げたのか覚えていない。ここがどこかもわからない。なぜなら、どこもかしくも同じ光景であったから。壁には焼き切れた傷が刻まれ、火がくすぶっている。ものが焼かれる焦げ臭さに混じって、鼻孔の奥をくすぐる匂いがある。食卓やレストランでかいだことがある匂いだった。
 肉が焼かれる匂い。こんなところで調理をしているはずなんてない。これは人の死体が燃える匂いだった。そんなものが空気として鼻を通して肺にまで送られている。喉の奥から酸味がせり上がってきて、胃酸を嘔吐した。酸に焼かれ、喉と口腔がひりひりと痛んだ。そんなことよりも、つい吸い込んでしまった息が気持ち悪い。胃が空になって、もう吐くことさえできないのに。

「何でよ……、何でこんな目に遭わなきゃいけないのよ……」

 涙なんて流せない思っていた。それでも涙は目にたまり、拭うこともできない。手は耳に強く押しつけていた。聞こえてくる爆音と悲鳴が届く度、体が過敏に反応してしまう。体を震わせると、涙が水滴となって漂った。
 恐怖のあまり、目も開けていられなくなる。もう何が起きているのかもわからない。知りたくない。
 一際大きな爆音が聞こえた。空気を裂くよくような音に、何かが突き刺さる音が続く。
 今度は目を閉じていることが恐ろしい。ゆっくりと見開くと、フレイのすぐ前に金属版が深々と突き刺さっていた。壁の構築板だろう。それだけで人の何倍もの大きさがあるものが不自然にひしゃげていた。
 あと少しずれていたら即死だったに違いない。怖くて瞼が開いたまま硬直してしまった。
 板はいくら大きくても、視界すべてをふさぐほどではない。その後ろに、赤い巨人の姿を隠してはくれなかった。
 GAT-X303イージスガンダム。この名をフレイが知ることになるのは後のことである。名前なんて何の意味もない。知っていようがいまいが、脅威であることに何の違いもない。
 フレイは再び目を閉じた。今度瞼をあけるとき見えるのは死んだ両親の姿かもしれない。そんな諦めにも近い覚悟が芽生えていた。
 だが、死は思ったよりも優しく、包み込んでくるようだった。抱き上げられて、まるでお姫様みたいにどこかに運ばれているみたい。フレイは目をおもいっきり見開いた。そんな摩訶不思議な死の正体を見極めてやろうとした。
 フレイを抱き上げていたのは男性だった。それもとても格好いい。涙でぐしゃぐしゃな顔を見られることが恥ずかしくなるほどだ。
 男性はそんなこと気にした様子もなく、フレイに微笑みかけた。

「少々ご辛抱ください」

 フレイを抱えていることなんて何の問題にもしないで、降り注ぐ破片や炸裂する轟音をものともしないで、男性は素早く格納庫から離れた。騒音と喧噪、何より肉の焦げる匂いが急速に薄れていったことでフレイは一度大きく息を吸い込んだ。格納庫からハッチを抜けた通路を男性はフレイを抱えたまま疾走する。そのまま飛び込んだのは格納庫から離れたどこかの部屋だった。そこは指令官だとか、そんなお偉いさんが使う部屋のようだった。妙に広くて、机とかの調度品が妙に偉そう。

「ここならば当面安全でしょう」

 男性は落ち着いた様子でそう言うとともに、フレイを優しく降ろす。
 白いスーツがよく似合った紳士で、とても軍人には、こんな要塞にいる人のようには見えない。
 
「私はエインセル・ハンターともうします。兵器を取り扱う商社に所属する者です」

 そう言って、男性が差し出したのは、何の変哲のないハンカチだった。顔がひどい状態であることを思い出して、火がでるような思いだった。

「女性の涙は美しい。ですが、悲しみの涙はそれを十分に堪能させてはくれません」

 今度は別の意味で顔から火がでるかと思った。受け取ったハンカチで顔を拭きながら、赤くなった頬を隠した。まだ気恥ずかしさから解放されない顔を見せたくなくて、ハンカチをずらして目元だけを男性へとさらすようにして視線を合わせることにした。

「わ、私はフレイ・アルスターです。危ないところをありがとうございました」

 名乗ると、エインセルはこちらのことを知っているらしい。フレイの頬にハンカチの上から手を添えて、その顔はとても同情的だった。

「ご両親のことは、お気の毒でした」

 せっかく涙を拭いたのに、また流れ出してきた。エインセルがフレイをそっと抱き寄せた。下心なんて微塵も感じられない。こんなにも安心して身を寄せられる人が両親以外にいるなんて信じられなかった。ヘリオポリスが襲撃されて以来、初めて感じる安堵感だった。涙は止まらない。この人にすがってしまいたい気持ちが大きくなる。

「どうして……、どうしてパパとママが死ななきゃならなかったの……?」

 エインセルは抱きしめたままフレイの頭を撫でてくれた。

「地球連合、正確には大西洋連邦がガンダムの開発地にヘリオポリスを選択したからです」
「でもザフトが、コーディネーターが攻めてこなかったら……」

 コーディネーターがいなければこんな戦争は起きなかった。コーディネーターはどうしても必要というわけではなかったはずだ。誕生する以前だって、世界は何の問題もなかったのだから。そう言っていた人がいたことを思い出す。今ならその人たちの言っていたことがわかる気がする。

「コーディネーターなんか、いなければよかった……」
「ですが、コーディネーターがいなくとも、世界は大なり小なり、戦争が途絶えたことはありませんでした」

 ではどうすればいいのだろう。何が悪いのだろう。何を憎めばいいのだろう。民間人を巻き込んだ大西洋連邦。攻撃を辞さなかったコーディネーター。

「それじゃあ、どうしたらいいんですか……? 許せないのに……、絶対許さないのに……!」

 どこまで憎んだらいいのかわからない。全部を憎むのは乱暴に思えて、でも、すべてを許すことなんてできるわけがない。エインセルは安心を伝えてくれるようにフレイを抱く手に力をこめて、そして左手でスーツの懐に手を入れた。

「あなたに力を」

 そう言ってエインセルが差し出したのは、彼の細くて長い指に比べてあまりに無骨に見える拳銃だった。

「あなたはこれから怒りを誰かに向けることがあるかもしれません。その時、あなたは力を望むことでしょう。これはそのための力です。復讐をしない。そうご決断されたならそれは僥倖。ですが、復讐をできないこととしないことは同義ではありません。これはあなたの力です」

 復讐のための力を、エインセルは差し出した。金属製でその見た目の重さの分だけ存在感を放っている。

「安全装置はこれです。弾丸はカートリッジ内のものだけをお使いください。目的を果たすためには必要なだけを、しかし過剰な暴力の誘引が目的ではありません」

 エインセルの指が銃の側面についていた小さなレバーを撫でる。そのまま差し出された銃に、フレイは魅せられたように手を伸ばした。恐る恐る、手にしていいものなのかなんてわからないのに、手は止まってくれない。銃を掴んだ。重いとも、軽いとも思える感触が手に妙に馴染んだ。
 フレイは力を得た。




 ストライクとブリッツ。
 武装面では圧倒的に不利なストライクは、攻撃性においてブリッツを圧倒していた。
 休まず攻撃をしかけ、相手に強力な武器を使わせない戦法を選んだのである。パイロットに多大な負担をかける操縦であったが、ストライクのパイロットはうまく戦っている。
 振り下ろされたビーム・サーベルを、ストライクは真剣白刃取りの要領で複合兵装を両手で挟むように受け止めた。シールドとしての機能も期待される複合兵装だが、いくら大きいとは言え受け止めることは簡単ではない。パイロットの技量だけならストライクの方が上である。ストライクの鋭くも苛烈な蹴りがブリッツの腹部を打ち据える。フェイズシフト・アーマーの輝きが格納庫にほとばしる。
 だが、一撃の威力では圧倒的にブリッツが有利であることに変わりはない。結局のところ、戦いは互角であるといえた。どちらが勝つかはわからない。
 ただ、1つだけわかっていることがある。それは、この戦い自体がアルテミスに多大な損害を与えているという事実である。
 ストライクが床を踏みしめる度、巨人の散歩を想定していない床は波立って砕け散る。ブリッツの放つビームは壁をたやすく貫通し、溶け出した煙と炎は格納庫に地獄の景観を添えていた。すでに無事な壁面は1つもない。炎にさらされていないものなど何1つない。
 そんな光景を眺めるには最適の場所があった。戦闘を行う2機からは適度に離れている。位置はモビル・スーツの頭上よりもやや高い。そこに柵のない通路が突き出していた。
 通路は人1人が立つことができるくらいの幅しかない。だが同時に、1人であれば確実に立つことができることを意味する。
 そこには少女が1人立っていた。ゼフィランサスと、そしてアイリスと同じ顔をしていた。
 ゼフィランサスによく似ている。
 身につけているドレスは同じデザインをしていた。リボンとフリルが多用され、だが、色はすべての色を拒絶した、純白だった。2人の少女は、まさにドレスの色の通りであるのかもしれない。
 ゼフィランサスは黒いドレスで着飾っている。黒とは、すべての色が混ざり合ったものである。まわりのすべての出来事を抗いもせず、しかし喜びもしないで受け入れる。この様は、無表情で、感情の抑揚を見せなくなった少女の顔と合致する。
 この少女は白いドレスで着飾っている。白とは、すべての色を拒絶したものである。自分を穢すすべてを認めず、受け入れもしない。すると、感情を押し殺した、つくられた無表情な顔となる。白い少女はまさにそれだった。
 アイリスと同じ桃色の髪をゼフィランサスと同じく長く波立たせている。アイリスと同じ青い瞳は、ゼフィランサスとは別の意味で表情がない。表情がないのでも乏しいのでもなく、無表情という表情を意図的に作り出している。
 白の少女は近くに攻撃が被弾しようと驚くということを拒絶する。表情を決して変えようとしない。
 その声の質まで、ゼフィランサスとアイリス、同じ顔をした少女たちと大差ない。

「戦いなさい。お父様はお望み。もっと大きな戦火とより大きな戦禍を」




 アルテミスの指令室は混乱していた。ブリッツの奇襲によって幹部との連絡がつかず、指揮系統に不都合が生じているのだ。
 要塞中を監視できるモニターに、20人を超すオペレーターが張り付いている。暗く、そして決して広くもない。おまけにオペレーターそれぞれが事態の報告をしているため、その喧騒たるややかましいほどである。
 ムウ・ラ・フラガはそんな中でただ1人、何もせずに座っていた。指令室で一番高い位置にある椅子は、主がいないのだからと勝手に使わせてもらっている。足を目の前の机に投げ出すと、椅子のすわり心地のよさがよくわかる。
 このことを見咎める者はいない。職務に忠実なオペレーターたちばかりでモニターの方しか見えていない、というわけではない。ムウの階級がこの中で一番高かったというだけだ。暫定的に指揮をとることになったのだ。
 事態は決していいとはいえない。
 ストライクとブリッツが戦闘を繰り広げていた。格納庫という狭い空間で暴れまわっているのだ。まったくたまったものではない。すでにアルテミスそのものへと影響が波及していた。
 そして、もう1つ、予想外の事態が発生していた。
 ブリッツの奇襲を許したことで、監視の手を緩めてしまうほどにアルテミスは混乱していた。結果、GAT-X303イージスガンダムがどこからともなく、アルテミス侵入を果たしたのだ。現在アルテミスは2機のガンダムの襲撃にあっている。
 イージスの真紅の体がブリッツたちとは別の地区で暴れている。その動きは破壊そのものが目的というより、何かを探しているかのような動きだった。その上、ブリッツを同調している様子がまるで見られない。

「ザフトじゃないのか……? なら、誰だ?」

 この宙域でザフト以外で連合軍と対立している勢力はないはずだが、イージスは第3勢力が扱っていると考える方が自然なようだ。戦争は普段は隠された事柄を暴くこともある。ムウはプレゼントを開ける前の子どものような顔でガンダムが暴れまわるさまをただ眺めていた。
 手が叩かれる乾いた音がした。ムウが手を叩いた。このことをきっかけに、オペレーターたちは臨時の司令官に注目を集めた。

「ブリッツはストライクに任せておけばいい。防衛はイージスに専念しろ」

 モビル・スーツ同士。それもガンダムの戦闘に介入することは難しい。賭けではあったが、イージスにのみに集中すれば、撃退可能であるとムウは判断した。
 管制室のモニターにはイージスの深紅が映し出されている。必ずしも攻撃的ではない。時折攻撃の手を休めることが確認される。やはり、何かを探しているようだった。それが何であるのか、今は関係ない。
 すでに罠は存在している。
 アルテミスの格納庫はメビウスの収納効率を上げるため、小さな路地にラックを設置し複数のメビウスを積み重ねて格納している。1つラックからは一度に1機のメビウスしか出撃できない。カタパルトの数に比べて1度に出撃可能な数が少なく非効率的なシステムと言わざるを得ない。だが、路地の煩雑さは迷路のように機能し、ガンダムたちの侵攻を遅らせている。カタパルトの多さは、これから役に立ちそうだ。
 イージスがある路地にさしかかった時、ムウは命令を発した。

「狙いはでたらめでいい。遠隔操作で発射できるな?」
「可能です」
「よし、準備でき次第ぶっぱなせ」
「了解!」

 路地の中にはメビウスが3機積み重ねられている。格納庫内を飛び回ることは不可能なメビウス--こんなところもモビル・スーツに汎用性で劣る--だが固定砲台としてなら十分に利用可能だ。メビウスに備えられたレールガンはビームほどの威力はない。しかし、鋼鉄の弾を電磁誘導で加速させて発射するため、ゼフィランサス・ズールが危惧していた質量弾による衝撃を加えることができるはずだ。
 ラックに並んだメビウスが同時にレールガンを発射する。タイミングは絶妙。路地の前にイージスが出た直後、完全に不意をつく形で弾丸が発射される。そのすべてが直撃した。
 ところが、ゼフィランサスの愛し子は、そんなにやわな造りにはなっていなかった。イージスはしなやかに、かつ力強い動きを見せた。
 1発はシールドで受け流す。2発、3発は体をそらし、肩と足をかすらせただけだった。フェイズシフト・アーマーが輝くばかりで内部に衝撃が伝わっているはずもない。

(パイロットはコーディネーターか?)

 反応速度が速い。優秀なコーディネーター、あるいは優秀なナチュラルなのだろう。結局、優れた兵士であるとううことしかわからない。
 お返しとばかりに、イージスはライフルからビームを放つ。メビウスをいとも簡単に撃ち抜くと、巻き上がる炎が路地を埋め尽す。
 ここに、ムウの狙いがあった。この路地は比較的浅い。そんなところにビームを撃ち込もうものなら生じた炎と煙はイージスにまで届く。お手製の煙幕となるのだ。

「7番ハッチを開け。開き次第、メビウスをスタンバイだ!」

 無人のメビウスがカタパルトに乗せられた。ハッチが開かれ、進路の確認が行われる。通常なら進路上に危険物がないことを確認する。だが、今回に限ってはあってもらわなくては困る。

「イージスをカタパルト上に確認。いけます!」

 若い女性オペレーターからの声に気分をよくする。無論、報告内容が満足できるものであったからだ。

「メビウス、発進!」

 カタパルトによって加速されるメビウスがイージスへと迫る。敵パイロットはこちらの作戦に気づいたようだったが、かわすほどの時間は残されていない。
 2機がぶつかると、光る装甲に守られたイージスは無傷で、一方的にメビウスの機首がひしゃげて潰れた。
 だが、直接的なダメージを期待したわけではない。
 メビウスは残骸と化してもカタパルトは生きている。イージスは踏みとどまろうとするが、足から火花とミノフスキー粒子の輝きを発しながら押し出されていく。その行く先、第7ハッチが口を開いている。カタパルトに押し出される勢いのまま、イージスは要塞の外へと吐き出された。
 その時にはすでにアルテミスの砲塔がイージスへと向けられている。内側からの攻撃には脆い要塞だが、外へならその攻撃力を最大限に発揮できる。岩盤の上に多数配置された高射砲がメビウスの残骸とともに投げ出されたイージスへと砲火を撒き散らす。
 命中はしている。メビウスの残骸は瞬く間に粉々に引きちぎれ、イージスはその赤い装甲を輝かせる。まったく効いていないとは思わないが、高射砲程度ではフェイズシフト・アーマーを貫通できないようだ。結局メビウスを破壊し尽くす形で相手を自由にしてやっただけであるようだ。
 イージスは飛び上がるとともに身を翻しアルテミスから離脱する形で加速を始めた。
 来たときと同様、去るときもずいぶんあっさりとしているものだ。どうやら撤退を決めてくれたらしい。

「後は坊主にまかせるか……。俺はアーク・エンジェルに戻る。警戒を怠るな。この混乱に乗じてザフトの戦艦が来るぞ」

 オペレーターたちの敬礼に見送られながらムウは司令室の扉をくぐり抜けた。すると、意外な組み合わせと出くわした。ハッチのすぐ前にラタトスク社代表エインセル・ハンター殿と、難民の少女フレイ・アルスターの2人が立っていた。エインセルはムウに気づくと、まるでエスコートでもしているかのようにフレイの手を引いた。

「フレイをお願いできますか、ムウ・ラ・フラガ大尉?」

 いつも通りの揺るぎない笑顔がなんともまぶしい男だ。

「それは構わないが、俺はアーク・エンジェルに戻ることになる」
「今はフレイもそちらの方がいいでしょう。お願いします、ムウ」

 エインセルはフレイに目配せをした上で歩き去る。
 ではフレイを連れていこうとして、フレイの異変に気づいた。こちらに目を合わせようとしない。いや、目を合わせないのではなく、別のものを見ているだけらしい。フレイの視線は立ち去っていくエインセルへと向けられていた。




 エインセルは歩く。すでにザフト軍の襲撃から時間を経てアルテミスは要塞としての機能を大きく損なっていた。進む通路は証明が明滅し薄暗い。時折響く音と伝わる振動。今なお戦いが続けられていることを示している。
 ただ歩く。それこそここが自宅の廊下を歩いていることと何ら変わらない。通路の先に眼鏡の女性が決してエインセルの通行の邪魔をしないよう、脇にたたずんでいた。メリオル・ピスティスである。アーク・エンジェルの難民の少年少女を連れだす任務を与えられていた女性は、エインセルに深々と頭を下げた。

「アイリス嬢にお会いできなかったことは残念ですが、あなたの失態ではありませんよ、メリオル」

 ザフトの侵攻は誰も想定できないほどに早いものだった。

「あなたのせいではないのです」

 手をメリオルの顔に添えて、強引に上を向かせる。エインセルと目が合うと、メリオルは可愛らしく頬を赤くした。

「お父様」

 すでに光が落ちてしまった通路の中から歩み出るのは白の少女。白いドレスの控えめな色調が、少女の桃色の髪を鮮やかに引き立てている。その姿はゼフィランサスと同じであり、アイリスと同じ顔をしている。普段表情に乏しいその顔は、しかしエインセルがほかの女に手を触れていることに怒りを見せて瞳を大きくしていた。

「お迎えにあがりました、お父様」

 白の少女は、速いと思える速度でエインセルに近寄る。エインセルとメリオルの間に割り込んだかと思うと、2人を引き離した。その上でエインセルの腕に抱きついた。今度不満を表明するのはメリオルの番であった。少女ほど露骨ではないにしろ、眼鏡の奥に見える眼差しは穏やかではない。

「ヒメノカリス、如何でしたか、ガンダムの力は?」
「ストライクは及第点。でも、ブリッツはだめ。私の方がもっとうまく扱えます」
「まだその時ではありません。わかってくれますね、ヒメノカリス?」

 少女は、ヒメノカリスはそれ以上不満を示すことはなかった。ただ父であるエインセルの手に触れていられる、そのことで満足しているようである。エインセルが歩き出したとしても、ヒメノカリスはその歩調を邪魔することなく従っている。メリオルにしてもそのすぐ後にそっと付き従っていた。

「すべては、青き清浄なる世界のために」

 完全に照明の落ちた通路の中に、彼らの姿は消えていった。




 アルテミスの命運は決まっていた。攪乱は十分と判断したザフト本隊が総攻撃にでたのである。
 ナスカ級ヴェサリウス。ローラシア級ガモフ。さらにGAT-X103バスターガンダム、ZGMF-1017ジン2機のモビル・スーツが一斉にアルテミスへと接近する。
 要塞アルテミスの防衛力は大きく低下していた。対空砲火が十分ではなく、まず2機のジンの接近を容易に許してしまう。ジンはアサルト・ライフルで要塞表面の砲台を撃ち抜いていく。徹底的に攻撃力を奪わんとしているのだ。
 十分な火力がない故に敵機の接近を許し、許すが故に砲塔の破壊が加速していく。敵を寄せ付けないための力が減じていく。対空放火を失ったアルテミスは、ガモフの接近まで許してしまった。
 ガモフはモビル・スーツの輸送に優れた独特の形状をした戦艦である。モビル・スーツを安定して運用するために艦の機能、火力の大半を集中し、下部にモビル・スーツの格納庫とカタパルトをおいた構造をしているのである。航空力学を一切考慮にいれていない独特の形状、ザフト軍で広く使われている事実から代表的な宇宙戦艦であると言えた。
 戦艦は高い攻撃力を誇るとともに脆い。要塞の砲撃に耐えられるほどの装甲は有していない。そのために、ジンは動いていた。アルテミスから攻撃力を奪っていた。相手の攻撃力を奪うまでは前面に出ない。このことは戦艦の不文律なのである。
 アルテミスは沈黙している。ガモフが戦艦としての能力を最大限に発揮できる機会はここをおいて他にない。
 ガモフはアルテミスに肉薄していた。艦体を横に向け、回転する砲塔が水平に並んだ。砲撃が炸裂する度、アルテミス表面の岩が剥がれ、爆発の中に要塞が露出する。
 そして、バスターが今まさに攻撃を加えようとしていた。
 母が与えた力は破壊。バスターは2丁のライフルを両腰に装備している。右側はビーム・ライフルが用いられているが、左はレールガンという実績がある反面威力はビームに及ばない兵器。なぜ開発者は両方をビームにしなかったのでろう。その理由の一つを、バスターは実践しようとしていた。
 アームが器用にライフルを横に倒した。ビーム・ライフルとレールガンとが横一直線に並んだ。ビーム・ライフルの発射口とレールガンの銃底が向き合っている。バスターはライフルを鷲掴みにすると、両者を力強く連結させた。はるかに長大となったライフルを右腰に構え直される。ビーム・ライフルのチャンバー内にビームが充填される。引き金を引くと、ビームは銃身を通り、レールガンへと送り込まれた。レールガンとは電磁誘導という現象を利用した兵器であり、荷電粒子であるビームを直接加速させる。連結したレール・ガンはビームを受け取ると、一気に加速させた。
 鋭い矢を思わせる速度でビームが射出された。それはアルテミスにビームが突き刺さり、加速によって貫通力が高められたビームは岩盤を貫いて要塞内部で炸裂する。衛星表面に十字の亀裂が走った。破壊はまだ終わらない。銃身が急速に冷却される。バスターは再度ビームを発射する。2撃、3撃と楔が撃ち込まれ、その度走る亀裂が合流しながら岩盤を蹂躙していく。
 そして、4度目の光の矢が放たれた時、アルテミスは土くれのように砕けて割れた。




 アルテミスが崩壊した。
 様々な機材が放り出され、一帯は瞬く間にデブリで覆われた。宙を舞う瓦礫に混ざっておびただしい数の人が生身のまま真空へと投げ出されていた。
 宇宙空間に大気はない。酸欠になることはもちろんのこと、気圧の急激な低下は人体に多大な影響を与えることになる。極端な例となると、血液の沸点が急速に下降し体温でさえ気化を始めるようになる。酸素が肺に送り込まれないことに加え、その酸素を運ぶ血液そのものが気化してしまう。体の内と外から窒息させられるのである。
 もはや助けることはできない。すると、軍人というものはひどく冷淡な考え方をする。救えるかわからない命を救うことに努力するよりも、外敵の排除を優先する。
 アルテミスを出撃することができたメビウスの一団があった。数はわずか3機。しかしこれが現在アルテミスに残されたメビウスのすべてであった。
 彼ら3人のパイロットは元々別部隊の隊員である。仕方なく即席の小隊を組んでいた。しかし、隊長経験者はおらず、連携は望むべくもない。それぞれが勝手に戦闘を始めようとしていた。まずは索敵。それぞれのパイロットはレーダーを睨みつける。
 後方にいたはずの1機がレーダーから反応が突然消失した。デブリが多く、レーダーが不調であることは確かである。何らかの誤作動を起したのだろうか。だが、通信は繋がることはなかった。
 間もなく、2機目の反応も消えた。
 メビウスは設計上、レーダーを頼りに対象の位置を確認せざるを得ない。モビル・スーツのように頭部を回す、振り向くなどで視界を変更することができないからだ。また、機動力に乏しいメビウスではそんなに細かい情報となると生かすことができない。空気抵抗を利用できない宇宙空間ではその旋回半径が極めて大きくならざるを得ない。結果、細かい機動は行えず、レーダーで大雑把に位置を掴むだけで十分なのである。モビル・スーツが有視界戦闘に重きを置いているのに比べ、メビウスはレーダーに頼った戦闘を基本とする。
 最後のメビウスは大きく旋回した。大回りに僚機の反応が消失した地点を視界に入れようとする。
 レーダーには何の反応もない。そこには何もないと告げている。ではこれは何だ。目の前、漆黒のモビル・スーツが輝く剣をメビウスへと叩きつけようとしているではないか。レーダーには一切反応がない。この距離でまったく反応しないことなどありえない。ありえない現実が、膨大な熱量を伴いメビウスを両断した。ビームの熱量は燃料を爆発させ巨大な火花が咲いた。
 ブリッツガンダム。それがこの機体の名である。
 母が与えた力は隠密。フェイズシフト・アーマーのために添付されたミノフスキー粒子は電波さえも吸収することができる。フェイズシフト・アーマーの感受性を調整することで電波のような微弱な衝撃を吸収し、微弱な力でしかない電波はほとんど見えないようなかすかな光に変えてしまう。ブリッツには完全なステルス性能が与えられていた。
 アルテミスの警戒網をかいくぐり、単機で侵入を果たしたのは、ガンダムの力ゆえであった。




 アーク・エンジェルはアルテミス崩壊によって、放り投げられる形で宇宙へと出ていた。デブリにまぎれるにしては、その白い艦体は目を引きすぎる。アルテミスに肉薄していたらしいローラシア級がいち早くアーク・エンジェルを発見した。まだアーク・エンジェルはエンジンが温まっていない。すぐに動き出すことはできない。つい先ほどまで格納庫の中にいた状態から、単に周りが崩れ落ちただけなのだ。
 せめて幸いなのは、主だったクルーが皆帰艦していたことだろう。ナタル・バジルールが簡単にブリッジを見渡しただけでも、そのことは確認できた。マリュー・ラミアス艦長はすでに艦長席に座り、指揮に戻っている。ムウ・ラ・フラガ大尉は難民であるフレイ・アルスターを連れてブリッジに顔を見せていた。ここにはいないが、アイリス・インディアをはじめとする少年少女たちもこの艦に乗り続けることが決まっている。
 だが、ゼフィランサス主任とカズイ・バスカークはいつまでも帰ることがなかった。新型の開発責任者であるゼフィランサス主任がいなくてはアーク・エンジェルの価値は半分以下にもなってしまう。
 このことへの苛立ちを、マリュー艦長は隠そうとしない。

「ヤマト軍曹との連絡はま……!?」

 敵の攻撃に艦長の言葉が中断する。アーノルド操舵手が必死に回避しようと試みるが、十分な推進力が得られていない今、艦の動きは鈍い。
 攻撃にさらされる度、アーク・エンジェルが揺れる。ブリッジ内の者は各々の方法で衝撃に耐えていた。ナタルはオペレーターとして与えられた椅子にしがみついていた。
 通信を通して、キラ・ヤマト軍曹の声が届いたのは、ちょうどそんなときであった。

「こちら、キラ……。アーク・エンジェル、聞こえ……か?」

 多少聞こえづらいが、通信は回復したらしい。アルテミスの壁には電波を通しにくい素材でも使われていたのだろうか。

「ゼフィランサスが苦しんでるんです! 船医に準備をさせてください!」
「了解した。だがアーク・エンジェルは現在ローラシア級と交戦している。すぐの合流は……」
「時間がないんです!」
「バジルール少尉。ズール主任の安否は本艦の最重要事項です」
「しかし……」
「これは命令です!」

 ナタルの抗議にも命令は撤回されることはない。キラ軍曹にしてもこのままにしておけばナイフ1本でローラシア級に挑みかねない。
 ナタルは覚悟を決めた。一語一句伝えもらさないよう、口元のマイクの位置を調整する。

「ヤマト軍曹、今からストライカーを射出する」




 母が与えた力は換装。ストライクガンダムには3種のバック・パックが用意されていた。
 完璧な兵器などというものは存在しない。巨大な剣は遠距離では多大な負担となり、長大な銃器は白兵戦では文字通り無用の長物と化す。すべてにおいて万能であるということは、同時にどの環境においてもその性能を最大限に発揮できない機構を背負い込むということに他ならない。この矛盾を解決する方法は簡単である。白兵戦においては銃を捨て剣を持てばよい。距離が開いたなら剣の変わりに銃を手にする。
 ストライクには3種のバック・パックが用意されていた。大剣、翼、火砲。それぞれを状況に応じて使い分け、適時換装することであらゆる環境において最大限の性能を発揮する。
 アーク・エンジェルのカタパルトが展開する。突き出された足を思わせる一対の構造。その右側のハッチが展開し、リニア・カタパルトの橋がかけられた。本来ならばモビル・スーツが出撃するべきカタパルトからバック・パックがそのまま単体で射出される。それは脇に巨大な剣を持ち、大西洋連邦、ザフトの両軍の戦艦が砲火を交える戦場に飛び出した。
 ザフト軍ローラシア級はその正体を理解したわけではないだろう。しかし敵艦が突如射出した物体を看過するつもりもないのだろう。本来ならば接近する機動兵器迎撃用のファランクスの砲塔はユニット目掛けて弾丸を撒き散らす。だが破壊されたのはファランクスの方であった。ストライクが頭部に装備されたイーゲルシュテルンを命中させた。対モビル・スーツ戦では威嚇にさえ使用できないほどの小口径の弾丸は正確にローラシア級の砲塔を撃ち抜いた。
 ストライクはバック・パックへと接近し背を向けた。ガイド・ビーコンに導かれてストライカーと名付けられたバック・パックが背中へと接続される。ストライクは瞬時にストライカーを認識。薄い水色の装甲が増設される形で左肩を覆い、左手に小型シールドが装着される。
 大剣が抜き放たれる。
 それは右の肩越しに抜かれ、全長がモビル・スーツほどもある長大な剣であった。しかし剣には刃がなく、ただ切先に硬質な刃が埋め込まれているにすぎない。
 そのことがローラシア級の油断と慢心を招いた訳では決してない。万全の警戒。完全な体制。対機動兵器用の布陣でもってローラシア級は接近するストライクを迎え撃つ。そのすべてが無意味であった。
 ストライクは突き進む。艦砲をかわし、ファランクスをフェイズシフト・アーマーの防御力を頼りに突破する。装甲から淡い光を放ちながら接近していく。
 剣に光が灯された。それは刃を補い刀身がビームの輝きによって構築されていく。それは剣であり、ビーム・サーベルであり、途方もなく巨大な熱量とで破壊を使役する兵器であった。
 対艦戦のセオリーは装甲の弱い部分を集中的に攻撃することである。事実、ローラシア級は接近するストライクに対して装甲の厚い上甲板側を向けて防ごうとしていた。そう、対策は何ら間違ってなどない。
 ストライクは腰をひねり、大剣を横に大きく振りかぶる。そして、ビーム・サーベルをローラシア級へと叩き付けた。
 熱が光に変わってあふれ出す。滂沱となる輝きの濁流の中で分厚い装甲がたやすく切り裂かれていく。切り口と呼ぶにはあまりにただれた傷跡を残してサーベルが振り抜かれた。そして再度、ストライクは頭上に掲げたサーベルを一息に振り下ろす。光と熱によって刻まれた傷は十字に重なり深く深く熱を戦艦の内部へと伝えていた。
 飛び立つストライク。ローラシア級に刻まれた傷跡から炎が吹きだす。
 万全の警戒。可能な限りの対空砲火でストライクの接近を妨げようとした。完全な体制。攻撃をもっとも頑丈な箇所で受け止めるとの判断に何ら誤りなど存在しない。戦術的誤謬など何一つない戦艦に与えられた過酷な末路、それは、燃えて千切れる戦艦そのものであった。爆発と閃光。噴出す黒煙の中で、ローラシア級の艦体は二つに引き裂かれていた。



[32266] 第6話「重なる罪、届かぬ思い」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/14 15:43
 ビームやレーザーのような粒子や波長にすぎないものを特定の形にとどめることは難しい。それでも敢えて挑みたいのなら、強力な磁場で抑え込むことが一番現実的と考えられている。磁力で粒子や波長を目的の形に封じ込めるのである。
 だが、これには膨大なエネルギーを必要とし、わざわざ形作ることにエネルギー・ロス以上の意味があるようには思われない。特に、兵器に転用する利点は何もない。
 ガンダムがかざしたのは、まさに荒唐無稽、絵空事である光の剣だった。ビームを剣の形に固定した、ビーム・サーベルとも呼ぶべき代物であった。
 仮に磁場に形成を頼っている場合、攻撃力のほとんどを形の維持にもっていかれていることだろう。しかし、GAT-X105ストライクガンダムは一撃でザフト軍ローラシア級ガモフを斬り裂き、GAT-X207ブリッツガンダムのサーベルはたやすくTS-MA2メビウスの装甲を両断した。
 ミノフスキー粒子という魔力でもって使役されるビームという魔法。それを操る魔術の正体を示すには、今一度ミノフスキー粒子にご足労願うこととなる。ミノフスキー粒子は、フェイズシフト・アーマーを構成するように、GAT-X207ブリッツガンダムのステルス機能を具現したように、散布した膜の波長や濃度等を調整することで様々な性質を発揮する。
 性質の一つに、ビーム化を引き起こさない程度に高いエネルギーを持つ状態にしたミノフスキー粒子で膜--Iフィールドと呼ばれている--を作ることで発現することものがある。その性質として、高エネルギー状態のIフィールドとビームとが触れ合うと、接触面でエネルギーの交換が行われる。Iフィールド表面のミノフスキー粒子はビーム化し、ビームはミノフスキー粒子に還元されるのである。ミノフスキー粒子にしろ、ビームにしろ、同一のものは集まる性質がある。ビーム化した粒子はビーム側へ移動し、ミノフスキー粒子に還元された粒子はIフィールド側へと移る。すると、またエネルギー交換が行われ、ビーム化した粒子はミノフスキー粒子に還元され、ミノフスキー粒子となったはずの粒子はビームへと戻る。そして、再び互いの位置を取り替えるのである。
 この行程が幾度となく繰り返される。そのため、反応は表面に限定され、擬似的なライデンフロスト現象を引き起こすことで平衡状態に陥る。
 早い話が、Iフィールドはビームを弾くことができるのである。
 そして、自己組織化を起こすビームやミノフスキー粒子は、レーザーなどにくらべると遙かに容易で小さいエネルギーで形を維持することができる。特にIフィールドはエネルギー値が低いため、より容易な形状管理が可能なのである。
 わかりやすく言うなら、Iフィールドで無色透明の筒を作って、その中にビームを流し込めば、ビーム・サーベルが完成するのである。
 また、Iフィールドそのものは物理的強度が弱い。目標に切りつけると、その衝撃でIフィールドは破れ、ビームが目標へと漏れ出すことになる。ビーム・ライフルのように発射時や、目標到達までの間に磨耗するようなことはなく、ビーム兵器の中でも特に高いエネルギー効率を誇る。接射に特化したビーム・ライフルのようなものである。目標破壊後は再びIフィールドが構築され、剣はもとの形を取り戻す。
 ストライクガンダムはこの力で戦艦を、なんと切断してしまった。従来の戦術においてモビル・スーツといえども単機で戦艦に挑むことは無謀であり、まして白兵戦を仕掛けるなど論外である。それをたやすく成し遂げたビーム・サーベルという兵器は、すでに従来の兵器の概念を逸脱している。
 ストライクガンダムの用いた大剣はそれどころか当初から対艦戦が想定されてさえいた。
 対艦刀。それが、ゼフィランサスがストライクに与えた剣につけられた、新たな兵器の分類であり、ガンダムはすべての戦術、開発、戦場のあらゆる既存の概念に一石を投じていた。




 敵戦艦を撃沈。そのことがキラ・ヤマトに何かしらの喜びや勝利の余韻というものを与えることはなかった。ただ邪魔な障害を一つ排除した。それだけのことだった。
 大西洋連邦軍アーク・エンジェル級アーク・エンジェルの医務室にて、キラはノーマル・スーツ姿のまま壁に背を預けていた。腕組みをしたままその表情は厳しく、時折カーテンの向こう側へと視線が動いた。
 カーテンの向こうからは船医と、それに受け答えるゼフィランサス・ズールの声が聞こえていた。声を聞く分には心配することもないらしい。一つの不安が取り除かれると、まだ何も問題は解決していないことが思い起こされる。
 ゼフィランサスのことも、そして、それ以外のことも。
 医務室は広い部屋だった。壁には引き出すと簡易ベッドになる装置が仕込まれ、キラに見えている範囲だけで1度に10人以上が治療を受けられることになる。重傷患者が同時に生じえる環境。ここが戦艦であると見せつけられる。

「結局、僕たちの居場所はこんな場所しかないのかな、ゼフィランサス……」

 独り言だった。だから誰からの答えも期待していないし、誰からの返事もない。ゼフィランサスの治療が終わるまで、キラはここにいるつもりだった。もちろんゼフィランサスが心配だから。
 そして、もう1つの理由は、くだらない時間稼ぎ。
 よほど用心深い人でもなければすぐにでも艦内の構造を頭に入れようとはしないだろう。一度行ったことのある格納庫ならともかく、医務室にたどり着くまでには多少時間を必要とする。
 ノーマル・スーツの手袋を外して、時計の秒針を眺める。普段なら気にもしない、時を刻む音が妙に耳障りに聞こえた。時計と、医務室の扉を交互に見て、予想した時間で扉に目を止めた。
 残念ながら仲間の到着まで、1分近く扉を見続ける必要があった。やがて扉が開く。次々と仲間たちがキラにいろいろな声をかけてきたが、こんな時どうしたらいいのか、未だにわからない。とりあえず、軽く手を振ってみた。
 ここが静かにすべき場所だとみんな、声を抑えていた。

「キラ……、無事だったんだな……」

 真っ先に声をかけてくれるのは、いつもサイ・アーガイルだった。ほかのみんなも欠けることなく揃っている。ただ、1人を除いて。

「ゼフィランサスさんも……、無事みたいだな……」

 清潔なカーテンの向こうからゼフィランサスと医師の声が聞こえている。ゼフィランサスの無口な様子に、医師は苦労しているらしい。
 サイは急に眼鏡を拭き始めた。たしかにサイはトレードマークともいうべき眼鏡を大切にしていた。しかし、今サイが必要としているのは、視力の矯正ではなく、決心をつけるための時間なのだろう。
 その姿は痛々しい。
 どれだけ悩んだとしても、キラが言ってあげられることも、サイたちが聞く事実も変わらない。

「カズイは……、おいてきたよ」

 要塞の床に血溜まりを作って倒れていた。血液には表面張力があるため、一度床にへばりついた血液は無重力下であって這うように広がっていく。おびただしい出血、内臓にまで達する重傷。そんなカズイ・バスカークを、キラは置いてきた。
 一度はとめかけた手でサイは眼鏡をかけなおした。その顔から曖昧な笑みはなくなっていた。サイばかりではない。みんながみんな、同じような顔をしている。
 その中で唯一空気を変えようと務めたのは、アイリス・インディアだった。キラのあげた黒いリボンがつい目に付いた。暗い色であることに何の責任もないはずだが、アイリスの表情そのものを沈めている元凶にさえ思えた。

「キラさんは……、とても立派ですよ……。戦うなんて、とても怖いことなのに務め上げてます。それに……カズイさんのことも、必死に助けようとしてくれたんですよね……?」

 暖かいと感じたはずの笑顔が目を背けたくなるほど辛く思える。

「キラ……」

 トール・ケーニヒが名前を呼んできた。その手はミリアリア・ハウとしっかり結ばれている。もしかしたら、この2人は付き合っているのかもしれない。これまで気づきもしなかったことに気づくのは、意識を意図的に散漫にしている証拠だろう。

「カズイは、僕が見つけたときにはもう瀕死の重傷で、助けられる可能性に比べて、リスクの方が大きすぎた……」
「カズイを助ける気なんて初めからなかったんでしょ……!」

 フレイだった。
 感情的とさえ言いがたい目をしている。瞬きが極端に乏しく、それでいて見開かれてもいない。憎悪というより、気だるい殺意にも近い眼差しでキラを捉えていた。

「同じコーディネーターがそんなに大切? あの女さえ助けられればそれでいいの?」
「言い過ぎだぞ、フレイ!」

 制止しようとするサイの手を振りきって、フレイは扉の方を目指した。スライド式の自動ドアが開くまでの少しの時間が惜しかったのだろうか。最後にキラを一瞥するだけの余裕を見せた。ひどく冷たく、1つの感情しかないという意味でとても澄んだ瞳で。
 フレイは部屋を出ていった。

「フレイさん!」

 アイリスが追いかけて後に続く。
 残されたのはキラたちと、重たい沈黙。息苦しさに耐えられなくなって、トールとミリアリアが部屋を出ていった。ごめん。そう、何に対して謝っているのかわからない言葉を残して。
 キラもサイも2人を見送って、それから視線を戻したものだから、つい目があった。サイの方から目をそらす。それは、敵意の現れではなく、単に人と視線をあわせる気恥ずかしさだろう。
 視線はそらしたまま。しかし、照れくさそうに髪をかきながら、サイは話を始めた。

「俺さ、お前のこと勘違いしてた。気が弱くてさ、そのことで損ばかりしてると思ってた」

 そう思われるよう、目立たないよう過ごしていた。演技が思いの外うまくいっていたことについ自嘲したくなって、それを堪えた。

「でも違ったんだな。お前はすごい奴だった……。モビル・スーツの操縦なんて、簡単にできることじゃないんだろ」

 訓練を積んでいない者が動かすことは不可能に近い。そのことを教えてあげる気にはなれなかった。キラの過去を類推する材料を与えることになるからだ。
 そう、黙っていると、サイは目をそらす。今度は、敵意をにじませて。

「正直、カズイを置き去りにしたこと、俺は納得してない。本当にどうしようもなかったのか……?」

 キラは何も答えない。答えることができない。サイは言葉を続ける決意に、若干の時間を必要としたようだった。
 
「でもな、キラ、俺は、お前が平気で人を見捨てたりするような奴じゃないってことくらい、理解してるつもりなんだ……」

 複雑な表情とは今のサイのような顔を言うのだろう。軽い興奮を示して瞳孔が大きく、何かを言い出しそうに口が不規則で不必要に動いていた。

「フレイのこと、気にするなって言っても無理だと思うけど、あまり思い詰めるなよ……」

 何も答えないままのキラを置いて、サイもまた部屋を出ていこうとする。扉の前でフレイと同じように一度だけ振り向いて、今度は悲しそうな顔が見えた。
 そんな顔の友人にさえ、キラはかける言葉がなかった。サイが医務室を出ていく。まさかそのタイミングを見計らった訳ではないだろう。カーテンが開いて、ゼフィランサスが姿を現した。
 その赤い瞳にすがるように、キラは少女の双眸から目を離せないでいた。




 医務室を抜け出したフレイをアイリスは追いかけた。無重力ではどんなに急ごうとしても、走ることはできない。フレイが普通に進んでいても、追いつくまでには時間がかかってしまった。

「フレイさん……!」

 フレイはかまわず進もうとした。だが、ここはアイリスの知る限り、艦内でもっとも長い通路だった。まくことなんてできないし、人が来る様子もない。
 観念したらしく、フレイは振り返った。その顔は、これまで見たこともないくらい、怖い顔をしていた。

「あいつがカズイを見殺しにしたのは事実でしょ!」

 キラがしてしまったこと。それよりも、カズイはもういない、そんな事実を突きつけられた思いだった。今更どうすることもできない。
 どれだけカズイはもういない。助けることができないと言い聞かせても、焦りだけが心の中に取り残される。

「アイリスだって憎いんでしょ、キラや攻めてきたコーディネーターのことが!」

 そんなことない。そう言おうとして、しかし、口を開けることしかできなかった。日常と友達を奪われて、心穏やかにいられるほど、アイリスは強くない。
 友達が偏った考え方に毒されてしまうことだけはとめたい。ただそんな思いだけが、唯一アイリスを支えた。

「で、でも! コーディネーターがみんな悪いだなんてそんな……」

 フレイは口の端を歪めて、そこから吐息をもらした。おしゃれで、しっかりした彼女がこんな皮肉めいた顔ができるなんて、これまで考えてもみなかった。

「あの人もそう言ってた。コーディネーターなんていなくても、ナチュラルはナチュラル同士で争ってきた歴史があるって」

 誰のことを言っているのか見当がつかない。ただ、とても素敵な人なのかもしれない。その人のことを言っているフレイは、女の子の顔に戻っていた。
 それもつかの間のこと。フレイは再び、瞳を怒りに染めた。

「でも! ヘリオポリスを攻めたのもコーディネーター! カズイを見捨てたのもコーディネーター! この戦争だって、コーディネーターがいなかったら、起きなかったじゃない!!」

 事実の積み重ねを否定することはできない。アイリスは一方的に聞く側に回っていた。

「キラが、あいつがカズイを見捨てて、あの女を助けたのは事実でしょ!」

 そう言い捨てて、フレイはアイリスに背を向けた。今のアイリスに追いかける気力はない。

「……私もコーディネーターですよ……、フレイさん……」

 フレイがコーディネーターを憎みつつある中で、自分はどう扱われてしまうのだろう。そのことは、とても怖くて、聞く事ができなかった。




 精密検査を要求する医者を無視する形で、ゼフィランサスは部屋に戻っていた。自分の体、というのもおかしな話だが、ゼフィランサスの心臓はそれほど弱くない。検査をする時間があるのなら、ガンダムの戦闘データをまとめておきたい。軍務を邪魔するつもりかと脅しつけて自由を得た。
 そのはずが、余計なものがついてきた。
 医務室からキラがついてきて、図々しくもゼフィランサスの部屋に上がりこんでいた。椅子に腰掛け、こちらの様子をうかがうばかりで何も言い出そうとしない。椅子の座り心地が気に入ったわけでもないだろう。
 このままでは仕事にならないかもしれない。
 ゼフィランサスはキラの顔を覗き込んだ。

「男っていうのは本当に身勝手……。普段は、一人でも平気って顔しながら……、何かあるとすぐ女にすがろうとする……」

 目をそらさないくらいの気概はあっても、言い返すことさえできないらしい。

「10年前と今日……。キラはそれぞれ1つずつ罪を犯した……。1つは私を救ったこと……。もう1つもやっぱり私を救ったこと……。そんなに後悔するくらいなら……、私なんて……」

 キラが突然、腕を掴んできた。どれだけ気が弱っていても、力は強く離そうとしても離せるものではない。掴ませるままにしておく。

「君を助けたことに、後悔なんてしてないよ……」

 では、掴まれた手を通じて伝わってくる震えは何だろうか。キラを震わせている原因は一体何だというのだろう。
 ゼフィランサスは指先をキラの額に当てる。特に意味はない。ただ、こうして見ると、自分の肌が如何に白いかがよくわかる。

「あの少年を助けていてはストライクが危険にさらされた……。あなたの判断は正しい……。そんなことを言ってもらいたいの……?」

 キラは涙さえ流し始めた。涙なんて、10年前に1度見たきりだった。あの時、キラは抱きついてきた。こんなところは昔のまま、変わらない。

「違う……。違うんだ……」

 ゆっくりと手を引き寄せられ、キラはゼフィランサスに抱きついた。正確には、すがりつかれたとする方が正しい。まるで子どもでもあやしているような気分にさせられる。子どもにしては、抱きついてくる腕の力がとても強い。髪が傷んでしまわないか気になった。

「僕は判断が間違いだったとは思わない! でも!」

 涙声がずいぶんと力強い。単なる強がりなのだろう。

「もし君とカズイが逆の状況だったとしたら……、僕はどんな危険を冒してでも君を助けようとした。……結局、僕はカズイを……、友達を見捨てたんだ……」

 どうして男は自ら進んで傷ついて、それを女に慰めてもらおうとするのだろう。
 キラの傷つくことを恐れない強さも、傷ついた体を休める場所を求める弱さも、どちらもゼフィランサスには受け入れがたいものであった。特に何かしてあげることもなく、ゼフィランサスは抱きつかれるままにしていた。




 アーク・エンジェル艦長であるマリュー・ラミアスは一番高い席に座り、集まった主立ったクルーたちの前にいた。

「これはエインセル・ハンター代表より渡されたヘリオポリスの被害状況の報告書です」

 アルテミスで、エインセル・ハンター代表から別れ際に渡された資料が手元にある。まだ日が浅いため詳細とは言いがたいものだが、アーク・エンジェルに関わりのある出来事を中心に報告書はまとめられている。この中に気になる記述があったことを、マリューは問題としたのである。

「この報告書によると、ヘリオポリスの住民票の中にキラ・ヤマトという名は存在しません」

 このことに1番反発したのは、ナタル・バジルール少尉だった。

「スパイの可能性がある、そう仰りたいのですか?」

 艦長席を立ったまま囲むクルーたちの中で一番姿勢が整っているのはこのバジルール少尉である。それが少尉の生真面目さの表れだとはそろそろ気づくようになった。

「たしかに、モビル・スーツはマニュアルもなしに、それも少々乗ったくらいで戦闘が行えるほど簡単なものではありません。しかし、彼は難民です。民間人を徴用しておきながら、今度はスパイの疑いをかけるなんて、私は反対です!」

 続いて意見を述べたのは、椅子の背もたれに座るムウ・ラ・フラガ大尉。こちらはいつも姿勢がだらしない。

「俺も理由は違うが、坊主がスパイとは考えてない。戦火を恐れて逃げ回って、偶然モビル・スーツに乗り込んだら操縦できて敵を撃退できました。俺がスパイだったら、こんなシナリオは使わないな」

 マリューは髪を書き上げながら頭を抱えた。確かに、ヤマト軍曹がストライクに乗ることになったのは偶然があまりに絡んでいる。ただ、疑問は消えていない。
 1つは、ヘリオポリスのザフトにしろ、アルテミスのエインセル・ハンターにしろ、極秘で開発されていたはずの新型の情報が漏れている気配があること。
 そして、ヤマト軍曹とゼフィランサス主任との距離があまりに近いことが妙に気にかかる。
 すると、まるで見計らっていたかのように、ゼフィランサス主任がブリッジに姿を現した。相変わらず妖精か何かのように不思議な雰囲気の少女である。大人が顔を突き合わせて話をしているというのに、重苦しい空気をものともしないで無表情を貫いている。
 こんな摩訶不思議な娘の相手を、付き合いが長いはずのナタル少尉は心得ているようだった。その方法とは、特に何も気にしないで話かけることであるようだ。
 軍艦にドレス姿の少女が乗っていることに何の違和感も感じていないように、ナタルは話しかけた。

「ゼフィランサス主任。キラ軍曹についてお聞きしたいのですが?」
「泣き疲れて……、寝てる……」

 返事は意表を突くほど早かった。そのせいか、マリューも、ナタルも、反応が遅れた。つい2人の関係を邪推して、否定して、また邪推して。その繰り返しが頭をめぐった。まだ2人とも若い。しかし、若いからとも言えなくもない。
 こんな中で、ムウ大尉が妙に真剣な顔をしていたことが印象的だった。

「ゼフィランサス。あいつと何があった?」

 真顔のままで、ムウはその頬をゼフィランサスに引っ叩かれた。
 マリューとナタル。2人の女性は、偶然にも口をそろえて呆れ果てた。

「……あなたは、思春期の娘を持つ父親ですか……」




 まるで、親にお説教部屋に連れていかれる子どものような居心地で、ラウ・ル・クルーゼは立っていた。
 隊長室には専用のモニターが備えられている。これさえなければ、デスクがおかれているだけのずいぶん殺風景な部屋だ。そのことを嘆くつもりはない。ラウが私物を持ち込んでいないだけのことだからだ。必要最低限のものしかこの部屋にはない。
 たとえば、一番上の引き出しを開けると、仮面のスペアがいくつも並んでいる。手前の一つを取り出して、今つけているものと取り替える。
 誰かに素顔をみられる恐れはない。部屋には鍵をかけてある。これから、モニター越しとはいえ、上司にお説教を受けなければならない。部下にそんな姿は見せたくないものだ。
 通信が入ったことを知らせる呼び鈴を聞いてから、ラウはモニターの前に立った。
 ザフト式の敬礼で出迎える。すると、モニターの男は気だるげに手を上げて、敬礼を解くよう仕草で示す。ラウが手を降ろしたことによって、決まりきった挨拶がようやく終わる。
 男は薄い紫色の礼服、議員の制服がさも重いかのような勿体ぶった動作で椅子にもたれ掛かった。

「ラウ・ル・クルーゼ。私は、お前に期待をかけておったのだがな」

 しわの混じった彫りの深い顔つきに、さらに深いしわが刻まれる。

「ご期待に添えず、返す言葉もありません。パトリック・ザラ国防委員長」

 彼には2つの肩書きがある。ザフト軍を統括する国防委員長。そして、プラント最高評議会副議長である。敢えて付け加えるとすれば、部下であるアスラン・ザラの父親でもあった。

「しかし、ご子息の御活躍は素晴らしい。新型を撃墜したばかりか、奪取にも成功いたしました」

 もう2、3、美辞麗句を並べてみようかと考えたが、パトリック国防委員長は眉をつり上げてこれを制した。

「民間コロニーの破壊。このことは評議会でも問題視されている。貴様を被告として召喚せよとの声もあがっているのだがな」

 次のテストもこの点数なら、怖い母さんに言いつけられてしまうらしい。

「成果を見せることだ。さもなければ、私もお前をかばいきれん」

 手土産がなければ口添えはしない。なるほど、物は言い様とはこのことだ。

「では、新型の開発者の身柄では如何でしょう? これはご子息によって判明した事実ですが、開発者は見目麗しい少女です」
「ヴァーリか……!」

 つい発してしまったのだろう。ヴァーリ。その言葉を、ラウは聞き逃さなかった。しかし、黙して国防委員長の反応を待つ。

「ジンを6機ほど回す。必ず連れてこい。そうすれば、功績として認めてやらんでもない」

 モニターは一方的に打ち切られた。こんなところも親からのお叱りによく似ている。もっとも、ラウにとって、親とは嘲笑と侮蔑の対象でしかないのだが。




 カズイ・バスカークが突然いなくなった。
 7人いた友達が6人になった。単に1人減っただけ。それでは説明がつかないほどの孤独を、アイリスは感じていた。
 フレイはみんなを避けることが多くなった。
 トールとミリアリアは2人でいることがほとんどで、邪魔をすることがためらわれる。
 サイ・アーガイルは雑談に応じてくれる。でも、サイも周りとの距離に戸惑っているようで、アイリスと同じような立場で孤立していた。キラは格納庫に籠もりがちで、いつもゼフィランサス一緒にいるらしい。
 誰かといると、かえって孤独が強調される。1人でいたい。アイリス自身、そう考えることが多くなった。
 部屋は相部屋。食堂や休憩室はトールたちがいることが多い。この戦艦の中で、1人になれる場所はシャワー・ルームくらいしかなかった。
 無重力で水滴を発生させるのは窒息の危険がある。そのため、シャワー室は脱衣所の奥に、まるで試着室みたいに個室が並んだ構造で上から降らせた水を床で吸引する装置が各部屋に備えられていた。曇りガラスの扉を閉めると、1人になることができる。
 ここはあくまでも戦艦であった。水資源節約のため、1度に使用できる水量は決まっていた。規定量の水を使いきると、お湯はでなくなる。それでもシャワー室を出る気にはなれない。濡れた体のまま立ち尽くして、体に張り付いた髪が冷たい。手足もすっかり冷えてしまった。

「そろそろ、出ようかな……?」

 出たところで何も予定なんてない。そもそも軍事的な計画なんて知らせてもらえるはずがなくて、ただ仲間たちとの距離を感じながら無為に時間をすごさなければならない。
 そんな時、誰かが隣のシャワー室に入ってきた気配があった。妙に静かな足音で、アイリスの隣の個室に入ったようだ。シャワーを一浴びしたくらいの事件で水の流れる音がとまった。
 扉が開く音。もう一度足音がする。あまりにあっさりとした行動は、ある人物を連想させた。
 気になってつい、扉をあけた。すると、予想通り、ゼフィランサスがタオルで体を拭いていた。波立った髪が水で伸びて、床についてしまいそうな長さがある。そんな長い髪から丁寧に水気をとっていた。
 ここで、扉を閉め直すのは不自然に思えた。体も冷えてしまっている。もう頃合いだろうと、脱衣室に敷き詰められたフローリングに、そっと足を降ろした。
 木の軋むかすかな音がして、ゼフィランサスが振り向いた。表情のない顔がアイリスを見る。

「こ、こんにちは……」

 挨拶してみる。すると、ゼフィランサスは別のタオルを手にとって、差し出した。少し考えて、タオルをとってくれたのだと気づく。

「あ、ありがとうございます」

 あわてて受け取ろうとしたため、動作がずいぶんぎこちなくなった。それでもゼフィランサスは気にした様子はない。すぐに髪を拭くことを再開する。
 本当に長い髪で、アイリスが体を一通り拭き終えた後でもまだ終わっていなかった。アイリスが服を着終わったところで、まだ下着姿をしているくらいだ。
 下着はずいぶん露出が少ない。レースが編み込まれたシャツに、たしかドロワーズとかいう名前がつけられている膨らんだパンツを身につけていた。
 まるでお人形のよう。そう考えたのは何度目のことだろう。
 それにしても、普段身につけているドレスは一体どんな手順で着るのだろう。単純な好奇心からつい視線を向けすぎていた。視線に気づいたゼフィランサスが、アイリスを見た。
 見すぎていただろうか。そう気づいたときにはすでに遅く、ゼフィランサスがゆっくりと近寄ってくる。表情がないため、本当に何を考えているのかわからない。

「アイリスお姉さま……」

 声にしても、抑揚らしいものがなくて、息がつまる思いがした。
 ゼフィランサスは、手をアイリスの顔へと伸ばした。耳を隠すくらいに伸びている髪に白い指が触れて、そのまま止まってしまった。

「髪……、少し梳いた方がいい……」

 今度は手を掴まれて、鏡台の前にまで連行されてしまった。床に固定されている円椅子に座らされると、ゼフィランサスは慣れた手つきでアイリスの髪に櫛を入れ始めた。 髪が長いゼフィランサスだけあって、とても慣れた手つきが心地よい。 

「ありがとうございます……」

 返す言葉は、つい短くまとめたものに限られてしまう。同年代なのにどんな話題を振ればいいのかまるでわからなくて会話をどう広げてよいものかわからない。
 固くなった体に、それでもゼフィランサスは優しい手つきで髪を梳いてくれている。
 この頃、どうしても気が沈みがちで、髪のお手入れをする余裕がなかった。思えば、キラに黒いリボンをもらった時以来ではないだろうか。

「キラさんに手櫛で梳いてもらって以来ですから、とても助かります」

 気のせいだろうか。急に手つきが荒くなった気がする。鏡越しにゼフィランサスの顔をうかがうと、表情は変わっていない。それなのに、どうしてだか怒気を含んでいるように見えてしまった。

「キラって妙に思わせぶりなとこあるから……」

 声の調子は変わっていない。ただ、その言い方はまるで、その程度のことで勘違いするなと念を押されているようにも思える。
 両手を足の上で強く握りしめて、つい緊張してしまう。
 鏡の中では、色と髪型が違うだけ。同じ顔をして少女が2人、緊張した顔と無表情な顔を見せていた。本当に、よく似ている。

「ねえ、ゼフィランサスさん……、私って、あなたのお姉さんなんですか?」
「そう……。でも……、アイリスお姉さまはそんなこと知らないはずだし……、知らない方がよかった……」

 これはきっと、何も話してくれないということなのだろう。物心ついた時には児童福祉施設に預けられていてエインセル・ハンターの援助を受ける形でヘリオポリスの学校に進学した。コーディネーターであること、ただそれだけで少し人とは違う。それくらいに考えていた。
 ゼフィランサスは櫛を鏡台へと戻した。それは単に髪を梳くことが終わっただけで、それ以上の意味はないらしい。アイリスを残して鏡台を離れていきながら、言葉だけは続けてくる。

「だって私たちは……、ヴァーリだから……」

 ゼフィランサスはそうとだけ言うと、ヴァーリが一体何なのかを答えてくれることはなかった。それだけ言いにくいことなのか。それとも聞かれるとは考えてなかったのか。
 でないとしたら、服を着ることに集中し過ぎているからかもしれない。
 ゼフィランサスの黒いドレスは一筋縄ではいきそうにない。袖にフリルが施されたシャツを着る。スカートは二重構造で、内側のレース部分独立していた。波打った独特の質感をだすためか、ボタンの位置がばらばらで、いろいろなところでとめながら腰に巻き付けていた。外側のスカートもボタンが多い。中にはデザインのためだけのボタンも含まれていて、もうどこをどう止めたのかもわからなくなってきた。上着は比較的単純な構造ながら、リボンや紐を結ばなくてはならないことがやたらと多い。
 そんな面倒な服を身につけているゼフィランサスの姿に、アイリスはつい笑ってしまった。一生懸命な様子がとてもかわいらしい。




 単機で敵要塞への破壊工作を行う。そんな危険任務を成功させたディアッカ・エルスマンはずいぶんと上機嫌な様子だった。
 ザフト軍ナスカ級ヴェサリウスには、クルーが休憩に用いる部屋がある。そんなに広いものではないが、クルーが交代制であることを鑑みるなら、十分な広さがあるはずだった。
 ただ、現在の休憩室は大いに込み合っている。特例としてブリッジ・クルーたちが同時に休憩をとることが許された。その上にその大半が押し寄せているのだから、手狭になるのも当然である。
 アスラン・ザラは休憩室の入り口付近にもたれ掛かっていた。群衆からは離れた位置だ。
 ソファーは3つしか用意されていない。そのため大半の人が立っていた。ディアッカは、ソファーの1つを独占していた。手を背もたれにそって大きく広げ、足を前に突き出す。
こんなディアッカの態度も今回ばかりは許される。何といっても、主役だからだ。

「俺は1人神経を尖らせてた。いくらレーダーに完全に写らないとは言ってもだ、目撃されればそれで終わり。たとえ要塞にたどり着けたとしても、侵入する前に見つかっちまえばそれでも終わりだ」

 ディアッカが1人で要塞の機能を麻痺させたことの武勇伝を、大げさな手振りで語っていた。
 クルーたちは、新型の想像外の性能に強く興味引かれているのだ。同行していたローラシア級ガモフが撃沈させられた事実も手伝って誰もが無関心ではいれらないのだろう。アスラン自身、ディアッカの話には強い関心を寄せていた。

「だが、俺もブリッツも敵の警戒網をかいくぐり、そしてハッチを発見した。後は思い切りだ。恐怖や不安なんてなかった。ただ、ハッチを破壊して、後は獅子奮迅の大立ち回りだ」

 話の内容には、いささか誇張が含まれているようだ。報告としては問題だが、群衆からはどよめきが起こる。ディアッカは両手で何かを押さえるような仕草で群衆に静聴を促すと、すぐに話に戻る。

「戦いに明け暮れる俺の目の前に現れたのは、なんと黒いドレスを着た少女だった」

 アスランは壁から背中を離した。ようやく、聞きたいことを聞くことができそうだ。

「その少女は白い髪に、透き通るような肌をしていた。まるで、天使や妖精、でなけりゃ吸血鬼か死神みたいだった。俺は一目でわかった。この娘が、新型の開発者なんだってことがな」

 群衆の中からとても技術者に見えない娘を開発者だとわかった理由を問いただす声がした。ディアッカは余裕の笑みで返す。

「感じたからだ。俺の相棒が、ブリッツがあの娘を傷つけたがってないってことをな」

 髪をかきあげ、ずいぶんと気取った様子だ。ただ、この話の中にアスランから特徴を聞かされていたという事実は含まれていない。沸き立つ群衆の後ろで、アスランはやれやれとため息をついた。これくらいの誇張は見逃していい範囲だろう。
 それよりも、ディアッカがアルビノの少女を見たという事実を確認できたことの方が重要である。

「やっぱり、生きていたんだな、ゼフィランサス……」

 ここまで喧騒が激しいと、アスランの独り言を聞いている人などいない。そう考えていたが、実際はそうではないらしい。
 アスランは腕を引っ張られる感覚に、後ろを振り向いた。ジャスミン・ジュリエッタがここを抜け出してついてきてほしいと目配せしていた。視力供与バイザーで目をうかがうことはできないのだが。
 ジャスミンに手を引かれたまま休憩室を抜ける。すると、ジャスミンは休憩室のすぐ外で止まった。単に声が通りさえすれば十分と判断したためだろう。まだ休憩室の声が聞こえているが、会話の邪魔になるほどではない。

「ゼフィランサスのことか?」

 聞いておきながら、これ以外の話題であるとは微塵も考えていない。
 ジャスミンは律儀に首を縦に振る。バイザーは重いだろうに。

「はい。アルビノで、それで技術者と言ったらやっぱりゼフィランサスですよね」

 そのどちらかならともかく、両方がそろってしまえば間違いはないだろう。

「それに新型はゼフィランサスが話していたものとよく似ている」
「私も人伝で聞いたことがあります。たしか、ガンダム。そう呼んでいました」

 2人は等しく、かつての仲間が描いた鋼鉄の巨人を心に浮かべていた。




 整備士ほど緩急がはっきりとした職業もそうはないのではないだろうか。ナタル・バジルールは格納庫を見下ろす総合管理室から作業の様子を眺めながらそんな感想を抱いた。
 たとえば、GAT-X105ストライクガンダムの周りでは幾人もがあわただしく動いていた。装甲の強度確認をする者がいたかと思えば、装甲を取り外しフレームの点検に取り組む者がいる。連戦をくぐり抜けた機体は、それだけ入念なメンテナンスを必要とする。
 それに対して、TS-MA2mod.00メビウスゼロの周りでは、わずか数名が定期チェックを行っているだけだった。
 コロニー内、要塞内など室内戦が続いた。メビウスゼロでは対応できない戦いだったのである。ストライクの高い汎用性と比べると、メビウスがどれだけ限定された戦場でしか戦えないかがよくわかる。
 アーク・エンジェルに乗ってからの短い間でさえ、幾たびこの戦争の縮図を見せつけられてきただろうか。
 格納庫を見下ろしていると、ノックがされた。扉のすぐ脇にはインターフォンがついているのだが、この艦の構造に慣れていない誰かなのだろうか。
 とりあえず直接声で返事をしておく。すると開いた扉から桃色の髪が中をのぞき込んで来た。

「ナタルさん」
「アイリス、こんなところにどうした?」

 部屋に入ってきたのは顔なじみの少女だ。騒動に巻き込まれて、この頃ふさぎ込んでいるように思っていた。しかし、今の表情はどことなく明るい。何か、いいことでもあったのだろうか。アイリスは胸の前で手のひらを合わせて、その手をやや傾かせていた。この仕草は、アイリスが機嫌のよいときに行うことが多い。

「ナタルさん、ゼフィランサスさんて、かわいい人ですね」

 ナタルは首を傾けた。これはよくわからないときする、ナタルの癖だった。アイリスはそれを知ってか知らずか、親切丁寧に解説してくれた。

「お話しする前は、無口で不愛想で、少女趣味の血も涙もない人なのかなって思ってましたけど」

 アイリスは笑顔だった。どうやら、ゼフィランサス主任の意外な一面が観られたことが嬉しいらしい。
 ただ、人の思いも寄らない一面を見たのは、ナタルも同じである。

「君も案外と口が悪いな……」

 つい身構えてしまう。人懐っこいアイリスの笑顔が、今は恐ろしいものに見えていた。

「それで、私考えたんですけど、やっぱり理解するためには、一度しっかりとお話した方がいいと思います」

 アイリスの笑顔に、突然寂しさが混じった。もしかすると、これは彼女にとって、精一杯の自嘲であるのかもしれない。本当なら、戦艦に乗っていたいわけではないはずだ。しかし、事態が悪いなら悪いで、そこで最善を尽くそうとするアイリスの前向きさがようやく出てきたようだ。

「私たち、もしかしたらこの艦に長い間乗るかもしれないじゃないですか?それならもっとクルーの人のこと、知っておいた方がいいと思いませんか?」

「親睦会を開きたいということか?」

 アイリスは笑顔を取り戻してうなずいた。
 思えば、アイリスとはそう短い付き合いでもない。送り迎えと身辺警護が主な接し方であったが、アイリスの気さくな人柄は人として好感のもてるものだった。状況が悪いなら悪いなりに。そんな彼女を後押ししてあげたい気持ちになる。
 クルーはナタルが、難民たちはアイリスが話を持ちかけることで意見の一致をみた。

「私自身、マリュー艦長とは日が浅い。確かにいい機会だ。首に縄をかけてでも集めてみせよう!」

 自分でも驚くくらいはっきりとした声が出た。コンソールに手をおいて身を乗り出すと、管制室の窓を通して格納庫の様子が見えた。

「お願いします、ナタルさん!」

 完全に笑顔を取り戻したアイリスが敬礼してみせた。厳密に言えば、姿勢がおかしく、正規の敬礼ではない。しかし、そんなことは些細な問題だ。 

「任せておけ。整備の連中がほどよい縄を持っていたはずだ」

 眼下には、格納庫の脇に固定されている縄が見える。命綱にでも使うものなのだろう。強度、太さは申し分ない。
 だが、なぜだか、アイリスは敬礼した姿勢のままで顔を引きつらせていた。

「ナタルさん……、冗談ですね……?」



 その後、ナタルはクルーを回ることとなった。
 ブリッジ・クルーは厳しい交代制が守られている。戦闘中はもちろんのこと、航行中も一定の人員が配されているのである。何人の人が集められるか、ナタルには確信はなかった。
 しかし、アイリスとの約束を守る覚悟だけは固まっていた。
 懇親会のことを、ブリッジの艦長席に座るマリュー・ラミレス大尉に打診した。
 その姿を見るときはいつも艦長席に座っている印象がある艦長は、取り付くしまもないぶっきらぼうな返事をした。

「認めません」

 現在は敵との遭遇がまず考えられない航行中だとは言え、クルーを持ち場から離すことはできない。また、難民はいずれ本体と合流次第安全な経路でオーブに帰す。それまでは辛抱させておけばいい。それが、ラミアス大尉の説明、その要約である。
 それはナタルとて理解している。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

「彼らは我々の戦闘に巻き込まれたばかりか、大切な人まで失っているのです! それを単なる難民として扱うことに、私は反対です!」

 普段、階級が上であるマリュー艦長には、話しかける前に敬礼していた。ところが、今回はそれを失念していた。自分でも考えていた以上に熱くなっているようだ。
 マリュー艦長は席に備えられたコンソールを操作している。もはや、ナタルの言葉に耳を貸すつもりもないようだ。職務に忠実なことは結構だが、納得はできない。

「ラミアス艦長!」

 怒鳴りつけるように名前を呼ぶと、ようやくこちらを向いてくれた。無論、意見に耳を傾けてくれるのではなく、耳障りだと視線を飛ばすためだった。

「そんなものを開いて取り繕ったところで、私たちがしたことが帳消しになることもないでしょう」

 一触即発とはこのことだろう。互い互いに睨み合う。
 ブリッジのクルーたちが心配そうな様子でこちらを見ていた。すまないとは思うが、ここで引くことはできなかった。言い返そうと息を吸い込もうとしたところで、割ってはいる人物がいた。
 特にすることもなく、開いた席に座っていたフラガ大尉が、読んでいる本を閉じようともせずに声を出した。脚をコンソールへと投げ出し、そもそもナタルたちの方へ振り向いてもいない。ずいぶんといい加減な様子には、もう見慣れてしまった。

「懇親会くらいしてもいいだろ。敵さんも戦艦まで失ったんだ。すぐには来ないさ。ブリッジのことなら、俺が留守番しててもいい」

 マリュー艦長は無論、こんなことで納得していない。呆れたように頭を抱えた。ナタルでさえも援軍と判断していのか、掴みかねていた。
 マイペース。そんな言葉がとても似合う様子で、ムウは次のページを開いた。そのついでのような口調で言葉を続けた。

「それに、難民にヘリオポリスでの一件を悪く言ってもらいたくないなら取り繕ってでも心証をよくしておいた方がいいんじゃないか? 穏健派が民間人のいるコロニーで兵器を開発していた。俺が急進派なら、プロパガンダの材料に使うな」

 この言葉には、マリューとナタルは顔を並べて絶句した。
 たしかに、難民が家族や友達を奪われたと証言すれば、穏健派は戦争犯罪者のレッテルを貼られてしまう。そうすれば、大西洋連邦は、ひいては地球連合は急進派が牛耳ることになる。
 ナタル以上に、マリューは深刻な顔をしている。

「でも、まさかそんな……」
「フレイ・アルスターだったか。あの子とエインセル・ハンターがいっしょにいた」

 間髪いれず、ムウは答えた。
 マリュー大尉は口元に手をやった。唇で親指を軽く挟むのは、艦長の悩んだときの癖なのだろうか。




 アイリスは扉の前にいた。この扉の先はアイリスたち女性3人の相部屋である。眠るときはもちろん、ここで床につく。ただ、それ以外のときは別の場所で時間を潰すことが日課になりつつあった。
 この部屋は普段、フレイが篭っているから。
 サイは懇親会の話に興味をもってくれた。トールとミリアリアは正直乗り気でないのだろう。それでも開催されるなら参加を約束してくれた。
 キラは忙しいと断られた。まだ付き合いが短くて、どんな人なのか捉え切れていないにしても、それは意外な感じがした。その後、そばにいたゼフィランサスがあっさり参加を表明した。すると、キラがやっぱり参加すると意見を翻した。
 現金な少年の様子と参加してくれることについ笑みをこぼしてしまった。
 その時はみんなが参加してくれることが嬉しくて、気分も軽かった。ただ、それはこの扉に近づく度に重く沈んでいった。
 フレイとは、満足な会話をこの数日していない。朝の挨拶と、寝る前の挨拶くらいしかしていない気がする。でも、それだからこそ、フレイには参加してもらいたい。意を決して、扉を開いた。
 スライド式の扉が開くと、中は真っ暗だった。

「フレイさん……」

 声をかけると、奥の方でかすかに動くものがあった。よく見えなくても、フレイの綺麗な赤い髪が部屋に差し込むわずかな光にかすかに映っていた。
 手を扉の縁にかける。これで、扉が閉じることはない。

「ナタルさんと相談して、クルーの人たちと懇親会を開こうってなりました。いろいろな人のお話が聞けると思いますよ……」

 返事はない。

「知ってます? ゼフィランサスさんて、ああ見えて、結構やきもち焼きなんですよ。キラさんに髪を梳いてもらったこと話したら、ちょっと怒ってました……」

 どうしてだろう。声を明るくしたいはずが、言い終える度、語尾が小さく消えていく。どうしても、部屋に足を踏み入れることができない。
 来ない返事を待っていることが怖い。

「フレイさん……、私、待ってますから……」

 アイリスは返事を待つことなく、扉から手を離した。扉が、ゆっくりと閉まった。



[32266] 第7話「宴のあと」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/16 09:59
 アーク・エンジェルはクルーは交代制で仕事につく。そのため、昼食時といったような決まった時間に混雑するということはない。集中して混むことはない代わり、いつも食事をする人の姿が見られた。今回ばかりは例外であった。
 どうしても手を離すことができない仕事を持つ人や夜勤明けで仮眠をとる人、そんな人たち以外はほぼ全員が食堂に集まっていた。縦に並べられた長テーブルの両側に座る形で席が適度に埋まっている。この時点では、懇親会は成功していると言えた。
 懇親会開催の挨拶は、この艦の最高責任者であるマリュー艦長がつとめた。座る人々の前で1人立ちあがる。

「この度は集まってくれたことに感謝します」

 そう言って始まった挨拶はマリュー艦長の堅苦しい雰囲気に後押しされ、演説じみている。

「私たちは新型を3機まで失い、今なおザフトの追撃にさらされています。ですが敵戦艦を撃沈する殊勲を上げ、無事な航行を続けています」

 熱がこもってきたのだろうか。拳を握りしめる。手振りが大仰になるなど、もはや演説以外の何者でもなくなっていく。

「しかし、新型を友軍に引き渡すまでは私たちの戦いは終わりではありません」

 そして、演説の終わりはこう締めくくられた。

「最後まで気を抜かぬためにも、あなた方には親睦を深めていただきたい!」

 難民の少年少女はともかく軍人たちは姿勢さえただして上司の発言を聞いていた。何はともあれ、懇親会が始まったのである。




 座席は意図して同じような立場の人が集まらないようにし向けられている。そのため、サイ・アーガイルは周りに友達が1人もいない状況にあった。周りは軍人ばかり。慣れない環境だが、1つ幸いなことがある。話相手が軍人とは言え、多少面識のあるナタル・バジルール小尉であったことだ。
 いつも生真面目に軍帽をかぶっている小尉も、さすがにここでは帽子をとっていた。懇親会を開こうとするなど、意外と融通のきく性格であるようだ。会話の中にもそれはあらわれている。

「ナタルさんは、モビル・スーツ開発を担当してたんですか?」

 アーク・エンジェルのクルーではなく、ヘリオポリスにいた理由を聞いたときのことだ。この時浮かんだ疑問が、ナタルが技術系の軍人ではないだろうかと考えたことだった。
 ナタルは右手を上げて、指を動かして見せた。

「こう見えて技術士官だからな。ゼフィランサス主任には遠く及ばないが、OSの一部は私も関わっている」

 もしかすると、指の動きはコンソールを叩く動きであったのかもしれない。それでも、その動きで技術士官を連想しろと言うのは無理だと思う。

「OSってことはモビル・スーツの操縦方法も知ってるんですよね。どうやって人型のものを動かすのか、どうしてもわからなくて」

 こう言うと、急に難しい顔をされた。機密に触れることなのかと、つい緊張で体がこわばった。ナタルはこちらに目を合わせていない。どこかで聞いた話で、人は考え事をするとき右側を見るのだという。今のナタルはまさに右を向いていた。しばらくして顔を上げると、もう難しい顔はしていない。

「君は、ゲームをしたことがあるだろうか?」

 今度難しい顔をして右側を向くのはサイの番だった。これは単純に、モニターで遊ぶ、テレビ・ゲームそのものを指していた。

「モビル・スーツの操縦は、言ってしまうならばゲームとは大差ない」

 スティックを前に倒せば歩き出す。トリガーを引けば所有する武器に合わせて攻撃する。ただ、その動作に関わるOSは、無論ゲームとは比べものにならないほど高等で高価なものであるらしい。現実はゲームと違って様々な要素が絡む。歩く1つにしてもそれは言える。たとえば、床が固く平らなコンクリートとは限らない。ぬかるんでいるかもしれないし、砂のように脆いかもしれない。岩が転がっていることもありうる。あるいは、それらが複雑に絡み合って地面を構成しているかもしれない。
 モビル・スーツのOSは諸要素を計算して、最適な歩き方で進むことができるのだそうだ。また、特筆すべきは格闘戦なのだという。

「私が君を殴るとしよう」

 ナタルはそう言って、サイへと拳をつきだした。まっすぐ前から。鋭く横から。弱くすぐ拳を戻す。ボクシングで言うところのストレート、フック、ジャブ。単に殴るというだけでも3種があげられた。
 パイロットが行うことは、狙いを定め、殴るよう操作する、ここまでで肝心の殴り方はOSが決定する。あらかじめ設定された動作の中から最適と判断したものが選ばれ、実行されるのだそうだ。ただ、パイロットも何もせず殴らせているわけではない。腰を捻る。一歩踏み込む。攻撃を中断し、別の攻撃に切り替える。そんなことが許される、いわば遊びが設定されていた。

「ゼフィランサス主任は特に格闘戦に重きをおいた設計をしていた。それは、モビル・スーツに搭載されたOSに学習機構が組み込まれていることに理由がある。熟練兵は限られた動作でも、それをアレンジ、あるいは組み合わせて様々な動きをする。すると、OSはその動きを学習し、登録された動作をより実戦的に、柔軟に変化させる。実戦を数多く経験したOSは、まるで格闘技の達人のような動きをするようになると考えられる」

 もちろん、学習型のOSは大変高価で量産機にはとてもではないが、積むことができない。搭載できるのはガンダムのような高級機に限られる。逆を言えば、高性能な機体が戦闘を経験することで動きがしなやかになり、その戦闘データが量産機にあまねく反映されることになる。

「たった1機の活躍が、場合によっては戦況そのものを変えかねない。主任からこのことを聞かされたとき、私は心が踊った」

 技術屋冥利に尽きるということなのだろう。ナタルの様子は、本当に楽しそうだ。
 このことから、モビル・スーツの性能や、兵の熟練度の違いが如実に現れるのは格闘戦になるのだそうだ。

「キラ・ヤマト軍曹とストライクガンダムなら、ジン程度徒手空拳で破壊できるだろう」
「それじゃあ、反対に射撃戦なら兵隊の経験値はあまり関係ないんですか?」
「一概にそうとも言えないが、格闘に比べたならば違いは自ずと小さくなる」

 結局狙う、かわすというだけの動きはよほどのエースでもない限り、そう違いがでるものではないそうだ。極端な話、基礎訓練しかできていない新兵であってもとりあえずさまにはなるのだそうだ。

「ビームが開発され、モビル・スーツは高火力化の道を歩むことだろう。それでも最高峰には格闘戦に主眼をおいた機体がその名を連ねることになるだろうと、私は考えている」

 モビル・スーツがどれほど特殊な兵器で、ナタルがいかに熱意を注いでいたのかはわかった。しかし、射撃を行うことに技能は重要ではないということが、サイの耳には妙に残った。




 ゼフィランサス・ズールの前には、一組の男女がいた。女性は男性をトールと、女性は男性をミリアリアと呼んでいた。おそらく、これが2人の名前なのだろう。
 2人は互いの名を呼びながら、何やら小声で相談していた。いくつか拾った単語から類推するに、ゼフィランサスと話をするきっかけを掴みかねているらしい。仕方ないのでこちらから話しかけようと、ゼフィランサスは声をかけた。すると、2人はそろって困った顔をして、また相談を始めた。今度は、話題探しに苦労しているらしい。
 ゼフィランサスの仕事と、彼らの学生生活に共通点があるとは考えにくい。何か共通の話題があるとすれば、キラのことくらいだろう。

「キラの話でもする……?」

 ここでようやく、2人の話はまとまったようだ。トールと呼ばれていた癖の強い髪をした少年が率先して話を切りだした。

「あのう、ゼフィランサスさんとキラは、以前からのお知り合いだったんですか?」

 ゼフィランサスは頷いた。

「そう……。幼なじみかな……」

 次に話しかけてきたのはミリアリアという少女の方。ずいぶん変わった髪型をしている。扇状に広がる髪なんて、どうやってセッティングしているのだろう。
 そう考えているうちに、少女は話を始め、勝手にしどろもどろになっていった。

「キラ君とは、どんな関係だったんですか……?その関係というのは、恋人だとかそんなことじゃなくて……、その……」

 頬を赤くしている。恥ずかしいなら聞かなければいいと思いながら、それでも聞いたからこそ、顔を赤くしているのだろう。ゼフィランサスは妙に納得した。

「恋人だったよ……。昔の話だけど……」

 ミリアリアは顔を赤くしたままでトールの耳に口を近づけた。手で口元を隠している。音漏れを防ごうとしているのだろう。ただ、動揺しているため、声は聞き取れてしまうほど大きい。

「別れた理由なんて聞いて平気かな……?」
「それはまずいだろ、いくら何でも……」

 2人は示し合わせたようにゼフィランサスへと視線を戻した。疑問を発したいという欲求と、それはまずいと押しとどめる理性が拮抗して、口元が緊張しているのが見て取れた。

「話そうか……?」

 2人はすごい勢いで顔を見合わせると、今度は首の角度がそのままで、視線だけがゆっくりとゼフィランサスへと戻った。トールが緊張を綻ばせながら口を開いた。

「できれば……」

 ゼフィランサスは視線を落として、2人から視線をそらした。そうした方が思い出しやすい。とても大切で、永遠に失われてしまった。それをすべて奪っていった男は、10年の月日を経てゼフィランサスの前に現れた。
 その力を鍛え上げ、姿を偽って、新たな名とともに。

「キラが私を傷つけたから……。だから、私はキラを許さない……」

 顔を上げる。すると、トールは完全に慌てふためき、ミリアリアは限界まで顔が染まっていた。何か、この話に思うところがあったのだろうか。ただそれは、ゼフィランサスにはどうしてもわからないものだった。




「キラ・ヤマト軍曹。いくつか聞きたいことがあります。まず、モビル・スーツの操縦をどこで覚えましたか?」

 そう、キラに問いかけたのは目の前に座るマリュー・ラミアス艦長だった。
 思えば、こうして対面するのは初めてのことだ。GAT-X105ストライクガンダムのことはゼフィランサス1人で十分。艦との直接の通信は、ナタル小尉が務めていたからだ。

 艦長には決して高圧的ではないものの、融通のきかない人という印象を受けた。懇親会開催時の演説にしても、今の会話の内容にしてもその傾向は見受けられた。

「以前いた施設です。そこでは、英才教育として幼い頃から訓練を受けさせていましたから」

 マリュー艦長は右手を、キラに掌が見えるようにしてかざした。何の癖かはわからないが公の場で何かを証言する前の宣誓にも思える格好だった。
 つい苦笑しそうになる顔を抑えながら、続く質問を聞いていた。

「では続いて、ゼフィランサス・ズール技術主任との関係は?」

 恋人ですと答えることは、ゼフィランサスが許してくれないだろう。恋人でしたと答えるには抵抗がある。

「その施設にいた頃の仲間です」

 適当に濁しておいた。すると、話し方に不信感を抱いたのか、マリュー艦長は眉間に浅くしわをつくってキラを眺めた。
 無言の駆け引きが行われる。答えをはぐらかした。そのことは見抜いていると、キラを見ている。キラは一度視線を逸らし、はぐらかしたことを認めた。しかしすぐに視線を戻して、今度はまっすぐに見据えた。これは、だからといって、これ以上答えるつもりはないという意思表示。
 マリュー艦長が目を閉じることで、キラの行為を許した。代わりに、ほかの質問に対して、そんな甘えを許すつもりがないということは、見開かれた瞳の力強さが語っていた。

「わかりました。では……」

 そう言いかけたマリュー艦長を制止した人物がいた。隣にいた癖毛の若い軍人が、声を割り込ませた。

「艦長、これは懇親会であって尋問ではありません……」

 そう言われた艦長は、目を泳がせた。きっとこれは失態に気づき、それをどう取り戻そうかと思案するための時間稼ぎだろう。




「戦艦て、こんなに少ない人数でも動かせるんですね。知りませんでした」

 アイリスは懇親会に集まった人を見回した。ブリッジ・クルーの人数が10名足らずである事実に、思わず感想がでる。
 アイリスの前にはその内の2名が座っていた。アーノルド・ノイマン曹長と、ジャッキー・トノムラ軍曹である。
 アーノルド曹長はアーク・エンジェルの操舵を担当していると紹介された。切りそろえられた髪が特徴的で、しっかりとした大人の人に思えた。ジャッキー・トノムラ曹長は、いろいろ説明はしてくれたがアイリスに理解できたのは、レーダーを担当しているということだけだった。アーノルド曹長に比べて、快活な雰囲気のある男性で、そのため親しみやすさも感じていた。
 まず答えてくれたのはアーノルド曹長である。

「たしかにこの艦は少人数での運用が可能なように設計されています」
「ほかにも整備の連中が大勢いる。今はストライクの整備で忙しいようだが、全員あわせれば6、70人くらいにはなるさ」

 ジャッキー軍曹の手は、まるで花束でも差し出すかのようにアイリスへと向けられていた。身振り手振りの大きな人なのだろうか。

「そうなんですか?」
「元々この艦には5機の新型が運用される予定でした。そう考えるならばまだ少ないほどです」
「ただ、キラ・ヤマト軍曹は相当操縦が荒っぽいらしい。整備の連中がどう動かせばこんなに機体が痛むんだと嘆いていたよ」
「でも、少ない人数で艦を動かすなんてすごいですね」
「自動化が進められた艦だからね。クルーとしても扱いやすくて助かっているよ」

 軍人なんて言うとつい厳つい人を想像してしまうけれど、こうして見る2人はごく普通の人。命のやりとりをしている姿が思い浮かばないくらいに。

(フレイさんもくればいいのに……)

 親友の姿はこの部屋にはない。
 視線は2人の軍人を通して扉の方をその視野に捉えていた。開け放たれた扉を通して見える通路のほんの一画。そこを見慣れた赤い髪が通り過ぎたことを、アイリスは見逃さなかった。
 アイリスに迷いはなかった。立ち上がるなりテーブルを飛び越えて通路の方へと飛び出す。2人の軍人の間を飛び抜けた体は不必要に浮かび上がってしまっていた。扉を通り抜けたまではいいとしても、すぐに壁へとぶつかってしまった。額をぶつけて、痛みが浸透してくるように広がっていく。
 悲鳴と、ぶつかったときの音に注目を集めてしまった。そうでなくてもアイリスが飛び出した姿を多くの人が目撃している。
 食堂を素通りしたフレイ・アルスターも立ち止まり、首だけで振り返っていた。だが、すぐに振り向き歩き出そうとする。

「フレイさん!」

 立ち止まってはくれた。それでも振り向いてはくれなくて、いつ歩きだしても不思議ではないくらい意識が前を向いている気がする。

「少しお話していきませんか? 皆さん、いい人ばかりですよ……」

 また、フレイは首だけで振り向いてアイリスを見た。これまでは気づかなかったが、フレイの目のしたにはうっすらとくまができていた。そのことに気づかないくらい、アイリス自身がフレイのことを避けていたのだという事実に愕然とさせられた。フレイの口が開くたびに、いつ、アイリスのことをコーディネーターと一くくりにしないかと恐れていた。
 フレイが話し出そうとしただけでも、アイリスは必要以上に怯えてしまった。つい腕を抱いて、身を小さくする。

「馴れ合ったところで、あいつらがヘリオポリスでしてたことは変わらないし、カズイが帰ってくるわけでもないでしょ」

 去っていくフレイを、アイリスはどうすることもできなかった。

「それなら悪いのは俺たちであってこの子じゃないんじゃないか?」

 思わず振り向くフレイにあわせるようにしてアイリスもまた首を曲げた。食堂へと通じるドアの縁に手をかけた姿勢でジャッキー軍曹がフレイへ手を振っていた。呆気にとられたように手を振り返すフレイ。しかしすぐに自分のしていることの違和感に気づいたのだろう。怒ったように顔を赤くして早足で歩き去ってしまった。

「よくない傾向だな。自分でもどうしていいかわからなくて無理にでも敵を作ろうとしている頃だ。だが見捨てないでやってくれ。ここを乗り越えないと君にとっても彼女にとってもいい結果にはならない」
「はい……」
「まあ、頼りないかもしれないが俺でよければいつでも声をかけてくれ。アーノルド共々相談に乗るからな」

 今頃になって顔を見せたアーノルドにヘッド・ロックを仕掛けておどけてみせてくれる。アーノルド曹長本当に苦しそうだったが、思えば曹長の方が軍曹よりも階級は上なのではないだろうか。




 ムウ・ラ・フラガは自らの宣言通りブリッジに1人留守番をしていた。今頃懇親会が盛り上がっている頃だろう。
 マリュー艦長がいないことをいいことに、艦長席に足を組んで座っていた。人がいないと決して広大とは言えないブリッジが妙に奥行きをもって感じられる。特に目の前に広がる宇宙の闇はどこまでも奥深く、獲物を虎視眈々と待ち伏せる奈落の口にさえ思える。
 ではその先に、地獄というものは本当に広がっているのだろうか。
 そんなことを、ムウは通信機越しに友に問うてみた。

「知らんよ」

 艦長席備え付けの通信機から聞こえてくる声はずいぶんと素っ気ない。ただ、冗談に乗ってくれる気はあるらしい。

「だが、プラント本国でよければ間違いなくその奈落の底にあるがな」

 この言葉にムウは額に手をあてて笑った。

「おいおい、自国をそんな風に言っていいのか?」

 笑わせてはもらったが、それが精一杯の冗談であったらしい。友はやはり愛想がない。すぐ話を切り替え本題に入ろうとする。

「聞いておきたいことがある。イージスガンダムを所有しているのは君か?」

 GAT-X303イージスガンダム。ヘリオポリスにおいて奪取された機体である。無論、大西洋連邦は、アーク・エンジェルは所有していない。しかし、ザフトが運用しているとも、ムウは考えていない。アルテミスで見られたイージスの行動には、ザフトとの同調がまるでなかった。誰かが混乱に乗じて火事場泥棒を働いたと見る方が正解だろう。

「いや、俺は持ってない。お前も違うようだな」

 では、イージスの目的は何か。ムウと友の意見は一致していた。互いが同じ固有名詞を答えると、その言葉は偶然重なり合った。

「ムルタ・アズラエル」

 ブルー・コスモス代表の名前だった。この名前こそがイージスが目標としている存在だろう。ムウがつい口の端を歪める。通信機越しに友の皮肉めいた吐息が聞こえた。

「たしかに、あの宙域にはムルタ・アズラエルがいたのだからな」

 ムルタ・アズラエルを暗殺できたなら、確かに歴史が変わる。
 ムウは今一度含み笑いを漏らした。

「物騒な世の中になったもんだな。お前も気をつけろよ」
「君に心配されるほど私は柔ではないつもりなのだがね」
「ならいいが、俺たちの次の目的地はユニウス・セブンになりそうだ。言っとくが別に狙ったわけじゃないぞ。単に位置的に都合がよかっただけだ」

 物資についてはそれほど逼迫していないが、待ち伏せを仕掛けるには適度な大きさがある浮遊物はそうざらにはない。

「お前も逃げ込むとしたらここしかない、くらいに説明してついてこい。ヘリオポリスじゃとんとんだったようだが、次が勝負だな、ラウ」

 ラウ・ル・クルーゼ。そう、友の名を呼ぶ。

「覚悟しておくことだ、ムウ」

 ムウ・ラ・フラガと返事があった。そろそろ懇親会も終わる頃だろうか。




 C.E.61.2.14。
 ユニウス・セブンはプロメテウスの火に襲われた。
 プラント型のコロニーは、諸外国とは異なった形状をしている。2つの三角錐を頂点で向き合わせた、砂時計のような構造をしており、側面の硬質ガラスが人々が居住する底面へと太陽光を透過させている。従来の円筒状密閉型コロニーに比べ、はるかに地球環境に近い、快適な住環境が約束されたこの構造は、その対価として強度が犠牲にされていた。
 プラントの公式発表では、核爆発は三角錘の頂点の連結された中央部分で発生したとされている。
 ガラス壁は熱で瞬く間に融解し、人工重力を生み出していた遠心力は2つの三角錐を泣き別れにした。三角錐1つは遙か宇宙の彼方へと放り投げられその行方は明らかでない。残りの1つは衛星軌道に捕らわれた。
 その骸は、底の丸まった皿のような形をしていた。縁からは焼け残ったガラス壁がまるでクラゲの触手のように、あるいは、地獄から立ち上る黒煙を体現しているかのように伸びる。地獄のような出来事の墓標が地獄のような姿とともに、未だ世界を回り続けているのである。
 10年という時間が、何ら慰めも償いももたらしてはいないことを証明しているかのように。




 同胞たちの巨大な墓標を戦場とすることに、コーディネーターたちは躊躇しなかった。
 クルーゼ隊には、新たなローラシア級1隻が加わり、ヘリオポリス戦当時の戦力を取り戻していた。ZGMF-515シグー。ZGMF-1017ジン。GAT-X103バスター。GAT-X207ブルッツ。総数で11機もの戦力、そのすべてがユニウス・セブンへと向けられる。
 多数のスペース・デブリにとり囲まれながら浮かぶ地獄の皿。その皿の底に敵艦アーク・エンジェルは浮かんでいる。遠距離射撃を加えるにはこの宙域に浮遊するデブリが邪魔をする。接近するには残骸をさけながら迂回する間、敵に無防備な姿をさらさなくてはならない。
 ナスカ級とローラシア級。2隻の戦艦の攻撃力を生かすことはできない。モビル・スーツがザフトで早くから取り入れられた理由の一つとして、このような大型戦艦では接近不可能な戦闘を予測していたことが挙げられる。
 モビル・スーツの性能の範疇でしかない。ザフトは何ら焦りを抱いてなどいない。モビル・スーツならば砲撃もデブリもかいくぐることができる。一度デブリ帯を抜け、ユニウス・セブンに降りたってしまえば、今度身動きを封じられるのは敵の方である。
 モビル・スーツに囲まれ撃沈されるか、あるいは、デブリの迷路の中を艦砲の集中砲火に遭うか。選択肢は2択。大西洋連邦は、敵は自ら進んで地獄の釜へと飛び込んだも同然だった。




 ラウ・ル・クルーゼ自ら率いる部隊は、シグーにジン3機の合計4機で構成されている。
 シグーを先頭に、遠回りながら比較的障害物の少ないルートでアーク・エンジェルを目指す。ジンはみな一様にアサルト・ライフルを装備している。
 ラウがこのルートを選択したことには無論、意味があった。
 敵艦に搭載されている機動兵器は2機。GAT-X105ストライク。及びTS-MA2mod.00メビウス・ゼロである。モビル・スーツであるストライクはともかく、ゼロは広い場所でしか戦うことができない。自然と、この部隊の迎撃に当たらざるを得ないはずなのだ。
 ラウはムウ・ラ・フラガと戦うために、敢えてこのルートを選んだのだ。

「さて、君はどうでる、ムウ?」

 シグー右手の剣が鈍い輝きを放つ。左手のバルカン砲がシールドからその銃身を覗かせていた。その仮面の下で、ラウ・ル・クルーゼは楽しげに、そして妖しく笑っている。




 ブリッツに搭乗するディアッカ・エルスマンは、後輩であるニコル・アマルフィ、ジャスミン・ジュリエッタの2人を部下として与えられていた。小隊長とはいえ、初めての隊長職である。そのことは、俄然、ディアッカの意欲を掻き立てる。デブリ帯を分け入り最短で敵艦に接近するルートを担当させられているならなおさらだ。
 ここでアーク・エンジェルを撃沈できればそれは大きな手柄になる。ディアッカが意気揚々機体を進ませているのも理解してもらえることだろう。
 ただ、何も問題がないとも言えない。ユニウス・セブンの崩壊に伴い発生したデブリは大小様々だが、元々が建造物に由来するため平均してモビル・スーツほどの大きさがある。中には原型をとどめているものもあり、不必要にユニウス・セブン在りし日の情景を想起させた。ディアッカは意識して、デブリを単なる障害物、作戦行動を阻害するものでしかないと考える必要があった。
 中には同胞の遺体が残されたデブリもあるかもしれない。だが、そんなことに構っている余裕などないのだ。
 ディアッカは意識を前に向けるためにも、意識して作戦内容を思い返す。
 敵は最短のルートでブリッツが接近していることを確認したなら、対抗するためにストライクを向かわせざるを得ないはずだ。そこをストライクと唯一戦闘経験のあるディアッカと、その性能の恐ろしさを知るニコル、ジャスミンの2人で抑える。すると、敵はすべての手駒を失い母艦が丸裸になることになる。
 もしもブリッツを無視するならそれはそれで構わない。ディアッカは自らの手で殊勲を挙げるつもりでいた。アーク・エンジェルをこの手で落とすチャンスだ。

「派手に暴れてやるとするか!」

 そんなディアッカをたしなめるのは、普段からジャスミン・ジュリエッタの役目であることが多い。

「ディアッカさん、私たちの役目はあくまでも囮ですよ」

 ブリッツのすぐ後ろを併走するジンからの通信は、ジャスミンの少女特有の高い声を伝えていた。ジャスミンが口をかわいらしく尖らせた様子を想像しながら、ディアッカは気のない返事をする。

「わかってるさ。だが、戦場じゃ、なかなか作戦通りにはいかないもんだろ」

 だが、ディアッカはブリッツのステルス機構を使用することはなく、敢えて敵に発見されやすいよう移動している。言っていることとは裏腹に、作戦内容を完全に把握していた。命令を受けた以上は、それに違えるわけにはいかない。
 ブリッツ、そして2機のジンは確実にデブリ帯を潜り抜け、アーク・エンジェルへと向かっていた。
 それぞれがそれぞれの任務を全うする。その覚悟を言葉で示したのはニコル・アマルフィだ。

「アスラン、後は頼みます。気をつけて」

 自分たちは任務を遂げてみせる。自信の中にも他人への気遣いがにじんでいる。なんともニコルらしい言葉だった。




 敵艦にはストライクとメビウスしかない。その両者を別動隊が抑える手はずになっている。こちらは3であり、敵は2。戦争とは乱暴なまとめ方をするなら引き算でしかない。
 3から2を引けば1である。もう敵艦に手札は残されていない。
 ザフト軍第3の部隊の部隊長として、アスラン・ザラはGAT-X105バスターの歩みを着実に進ませていた。後ろには3機のジンがついてきている。
 ここはユニウス・セブンの地下に張り巡らされた通路である。モビル・スーツが2機並んでも歩けるほどの幅がある。高さは、2機分とはいかないまでも手を伸ばして届くところに天井はない。
 バスターの手をふと壁につかせてみる。その手の近くに、古い傷跡があった。もう10年以上も前につけられたものだ。アスランは懐かしいと、つい見入った。
 そうしている間に、バスターの後ろを歩いていたジンが1機、横を通り抜けて路地の1つをのぞき込んだ。その道は5mと待たずに行き止まりになっている。ジンがあわてて引き返した。アスランは隊長として、一度も直に顔を合わせたことのない部下に注意を促した。

「気をつけて。ここは迷宮のように入り組んでいます」

 ジンのパイロットはまだ若い女性だった。そうは言ってもアスランよりは年上なのだろう。慣れた調子で、了解と返事があった。
 あくまでもアスランが先頭を歩く。それは隊長であるからというよりも、この通路を唯一知っているからにほかならない。
 部下たちはアスランに続きながら、あたりを見回していた。

「ユニウス・セブンの地下にこんな施設があったなんて……」

 ジンのモノアイが小刻みにあたりの様子を確認している。それが警戒ならばいいのだが、単なる興味では注意が散漫になっているだけだ。しかし、相手はビームという矛に、フェイズシフト・アーマーという盾で武装した新型である。ジン程度の性能ではどれだけ用心してもし過ぎにはならない。
 ディアッカの部隊をニコルとジャスミンに担わせるラウ隊長の判断は正しかった。いくらベテランでも、いや、反対に考えればベテランだからこそ戦術論とかけ離れた相手を敵にすることの戸惑いは大きいだろう。
 この通路を抜けてしまえば、敵艦のすぐそばまで行くことができる。新型のない敵艦なら、このベテランたちもその力を遺憾なく発揮できるはずだ。
 それにしてもここは本当に懐かしい。かつて仲間たちとモビル・スーツの操縦訓練に明け暮れたのは、もう10年も前のことだ。ゼフィランサスの開発した機体に乗って、またここを訪れることになろうとは、これはもう、運命とさえ思えた。
 そういえば、ゼフィランサスにはいつも付き従う騎士殿がいたことを思い出す。

「あいつが生きていたなら、黙っちゃいないだろうな」

 通信は繋がったままであったが、部下たちには聞かれずにすんだらしい。通信が入ったことに一瞬警戒したが、それは別件でのことだった。

「道が崩れておりますな」

 そう指摘したのは女性パイロットとは別の中年パイロットだった。
 道が壁から突き出た支柱で塞がれていた。柱は壁に内在していたコードの類を巻き込んでおり、見える隙間以上に進路を阻害している。
 バスターのセンサーで状況を確認させる。モニターには、モビル・スーツが通れるほどの隙間は映し出されてはいない。武器で除外できないこともないが、それでは敵に察知される恐れがある。
 打開策を模索している内に、アスランはあることに気づいた。

「この傷は新しい……」

 この壁に刻まれた傷に錆は浮いていない。偶然この時にできた傷が、偶然アスランたちの進路を塞いだ。そして、もう1つの偶然が重なっていた。

「こちらに平行な通路があります。進行可能なようです」

 アスランがバスターを振り向かせた時にはすでにジンがその通路へと入り込んでいた。
 たしかに、そこには今いる通路と薄壁1枚を挟んで平行に延びる通路がある。迷路のようなこの場所で、唯一長く、わき道のない通路になっているはずだ。
 3度、偶然という言葉を繰り返した。あまりにできすぎではないか。
 意識の変化に筋肉が緊張をみる。アスランはこの直後、自らの判断の正しさを確認するとともにその遅さを呪うこととなった。
 熱源反応があった。真空中でありながら察知できるほどの熱量である。平行する通路とアスランのいる通路とを隔てる壁が赤熱し、膨れ上がり、ところどころ爛れできた穴から輝きが漏れた。
 まっすぐで逃げ場のない通路。それは狙撃に最適だといえた。それが通路の中心を大きく占めるような射撃ならなおさらのことだ。
 通路の中へとまんまと誘い込まれたジンが撃墜されたことは反応の消失と、この迷宮を震わせた振動が証明していた。敵はわざと通路を塞ぐことでジンを通路へとおびき寄せ、強力なビーム砲で攻撃したのだ。
 壁は爛れ、吹き出した熱風に混ざった黒煙が一挙に視界を塗りつぶす。

「一体何がいる!?」

 通路に飛び込むことは危険が大きい。アスランはバスター両腰のライフルを敵がいると思われる地点めがけて壁ごと撃ち抜く。ビームとレールガン。それぞれの破壊の痕跡を残しながら吹き飛ばされた壁の向こうには、しかし敵の姿はなかった。
 残された2機のジンはスラスターを噴かせ、別々の方向へと散開した。いや、してしまった。確かに敵の火力が高い場合、被害を拡散するために2機以上が同じ場所にとどまらないことが定石である。しかし、ここは入り組んだ迷宮も同然の場所だ。
 ニコルやジャスミンなら指示を出さなくともアスランの考えを察し、そうでなかったとしても指示を待っていてくれる。気心のしれない相手を従わせるということの難しさを感じるとともに、アスランは自らの隊長としての未熟を恥じた。
 長時間直進していては二の舞になると警戒したのだろう。ジンは路地に入り込もうとした。しかしそこは、かつて女性パイロットが入ろうとして、すぐ行き止まりになっていることにあわてた場所である。飛行するジンは、突入した時と同じ勢いで壁に跳ね返され、通路へと戻る。正面の装甲がひしゃげ、パイロットのうめき声が聞こえた。
 無重力空間で敢えて歩行していた理由は、推進剤の節約ばかりではないのである。
 動けないジンを、敵は見逃そうとはしなかった。通路の先から熱源反応があった。助けている余裕はない。アスランはバスターをすばやく別の路地へと避難させた。ビームがジンと通路とを焼き払う。壁、通路をかまわず呑み込みながら爆炎へと変えてしまう。戦艦やコロニーの外壁さえ簡単に破壊してしまうビームの火力は一瞬にして光景を変えてしまう。
 アスランは反撃にでた。この迷宮の地図は頭に入っている。ビームの火力で壁ごと貫かんと右腰のライフルを構えた。ビームは圧倒的な熱量で壁を爆発させながら貫いた。
 煙と熱でセンサーはまともに働かない。しかし、アスランが敵の立場だとしたら、この攻撃で位置を確認し、攻撃を仕掛けてくる。
 バスターを急いで退避させると、予測通り、敵の攻撃がアスランのいた場所を単なる通過点として、ビームが射線上のすべてを焼き払いながら貫通していった。
 今度位置を察したのはアスランの方である。敵を確認することなく反撃する。そして、移動し、敵の攻撃を待ってさらに反撃する。
 圧倒的な攻撃力の応酬が行われた。哀れなのは間にたたされた迷宮の構成物である。みるも無惨に破壊され、迷宮というよりは廃墟。それも、戦いで焼き払われた古城のような光景をさらしていた。
 もはや視界を遮るものはない。
 壁という壁は撃ち抜かれ、溶解したあらゆる物質が至る所にへばりついていた。3機目、最後のジンの反応はいつのまにやら消失してた。壁に行動を阻害されるというのに、相手は壁を無視して攻撃してくる。迷宮の構造を理解していない限り、かわせるはずがない。
 それは相手にも言えることだった。敵は構造を知っている。
 そして姿がない。
 風穴だらけの迷宮の中、それでも敵は姿がない。2丁のライフルを構えながら油断なくあたりの様子をうかがう。周囲には瓦礫が浮遊している状況であり、まだ壁も穴だらけとは言え柱状に残されている。
 もしも敵が仕掛けてくるとすればどこかに隠れて待ち伏せをしていると考えるべきだろう。特殊な電波障害が発生しているようだ。ただでさえ障害物の多い中だ。レーダーもまるで役に立たない。
 熱量計が一際熱量の高い地点を示した。もはや柱同然の壁の後ろに向けてアスランは躊躇うことなく引き金を引く。放たれたビームが壁をつき崩し、そして敵の姿を露わにする。
 長大なビーム砲、そしてそれが接続されたバック・パック。しかしそれだけだ。新型の換装ユニットのみがビームの直撃をくらい破壊されていた。
 瓦礫の山が吹き飛ばされる。モニターの隅には瓦礫から飛び出した敵の新型が映し出されていた。挙動が完全に遅れてる。敵の拳がバスターの頭部を打ちつける衝撃にアスランは歯を食いしばって耐える必要があったほどだ。
 反撃するため崩れた体勢のまま右腰のライフルを突き出した。砲撃に特化したバスターは、しかしそのために銃身が長すぎる。新型はビームの直撃の危険を省みず突進してくる。結果としてそれは正解だろう。敵はビームが発射されるよりも早く懐に入り込み、その蹴りがバスターの腹部を強打する。
 放たれたビームは目標を失ったまま天井に吸い込まれ、炎を吹き上げながら貫いていった。




 ラウ・ル・クルーゼの覚えた違和感は、戸惑いと言ってもよいものである。
 予想通りラウの選択したルートに現れたのはメビウス・ゼロである。だが、その動きはムウのものではない。3機のジンの攻撃を回避し続けているが、その動きには獲物を狙う鋭さというものが感じられなかった。
 敵の母艦は完全にこの部隊に狙いを定めたらしい。砲火が曳光弾の輝きをモビル・スーツへと投げはなっていた。
 誰かは知らないがパイロットはよほど戦艦の動きに熟知しているらしい。回避技能もさることながらその逃げ方がうまく戦艦の射線上にジンたちを誘導するように動いている。
 この機体がムウの手によるものでないのだとすれば、この部隊は名もなき兵士に足止めを食っていることになる。
 では、肝心のムウはどこへ行った。
 この奇策に、ラウはゼフィランサスの意図を感じずにはいられなかった。
 ガンダムの開発者、モビル・スーツのことを誰よりも知り尽くした少女の布陣を、今しばらく眺めてみることも悪くない。
 ザフト軍において指揮官に優先的に配備されるシグーはユニウス・セブンの空を漂いながら、戦闘の様子を傍観さえしていた。




 クルーゼ隊長が攻めあぐねいている中、ビームの光がユニウス・セブンの地表を横切った。一直線に爆発が列をなし、その爪痕を刻む。地下で、新型同士の戦闘が行われている証拠だ。どうやら、敵の新型はアスランの方へ行ったらしい。
 作戦を変更する。ディアッカは瞬時に判断した。
 敵艦はこの部隊で落とす。そうと決まれば、わざわざデブリを避けて進む必要はない。
 ブリッツが右手の複合兵装を構える。装備されたライフルからビームが放たれる。行く手を塞ぐかつてはユニウス・セブンの建造物を形作っていたであろうデブリへとビームが命中する。
 ビームの熱量は、付近のデブリを2、3まとめて吹き飛ばすほどの爆発を生じさせた。
 すると、その爆発が届いたぎりぎりの場所で、もう1つの爆発が起きた。ビームのせいではない。そう考えなければ2回目の爆発は不自然なタイミングだった。そこに、別の爆発物があったのだ。
 ディアッカは叫んだ。

「2人とも止まれ!」

 ブリッツが前進を停止するに合わせて、ジン2機が静止する。

「迂闊に動くなよ、爆弾が仕掛けられてやがる」

 どうやら、敵はこちらの侵攻ルートを予測しデブリ帯に爆弾を仕掛けていたらしい。これが初めての爆弾なのか。それとも、偶然、これまでの爆弾に触れずにすんでいただけなのか。どの規模、どの程度の範囲に爆弾が仕掛けられているかわからない今、迂闊に動くことはできない。
 フェイズシフト・アーマーを有するブリッツなら爆発に耐え切れるだろうが、ジンでは致命傷になりかねない。それにも関わらず、先に動こうとしたのは脆弱な装甲に守られたニコルの方だった。あたりの様子を確認しながら進もうとする。

「このまま立ち止まっていたら、それこそ相手の思う壺です!」

 ディアッカはヘルメット越しに額に手を当てた。
 まったくこの後輩は仲間のことを優先しすぎる傾向にある。人として誉められることであるのかもしれないが、戦場に出るにはこの少年は優しすぎる。できるなら、とっととママのところに追い返してやりたいところだ。
 そのためにも、それまでは生きていてもらわなければならない。
 ブリッツを加速させる。新型の優れた推進力はジンをあっさりと追い抜く。

「道は俺が作る。2人はあとからついて来な」

 それを隊長命令ととったのか、ニコルもジャスミンも、ブリッツから一定の距離を開けてついてくるようになった。
 デブリ帯は決して厚い層をなしていない。しかし、これから、もっともデブリの密度が高まる場所を通らなければならない。爆弾が仕掛けれられている可能性がもっとも高い場所だ。
 モニターから片時も目を離さす、あたりの様子をうかがう。すると、ディアッカの目の前に思いも寄らない敵が現れた。
 卵を橙色に染めて横に倒したような機体だった。灰色のアームが左右に2本ずつ前後に伸びて、機体の下にコンテナを抱えていた。コンテナは、片側に申し訳程度のミサイル・ポッドと思しき武装が取り付けられている。これが、こいつの唯一の武器のようだ。
 ミストラルとか呼ばれる多目的ポッド。民間でも使われているような代物で、いくら武装を持たせようとメビウスにさえ及ばない。件の言い方を借りるなら、ミストラル5機でメビウスと対等。そのメビウス5機でジンと並ぶ。では、ジンは一体何機並べれば新型に匹敵するだろうか。概算でブリッツを抑えるために必要な最低でもミストラルは125機にもなる。
 それだけの数はそろえられなかったらしい。確認できたミストラルは全部で3機。
 ディアッカは思わず声をあげて苦笑した。

「おいおい、これは何の冗談だよ」

 爆弾設置に夢中になるあまり、逃げ遅れでもしたのだろうか。ずいぶんと間の抜けた話だ。ディアッカはミストラルをロックオン・サイトに収めた。ビームでは広範囲を攻撃しすぎる。左手の射出兵器を発射する。

 漆黒の体に黄金の爪を備えた射出兵器が、一番目立つ位置にいたミストラルへと突き進む。戦車さえ一撃で破壊する攻撃に、作業用の小型機が耐えられるはずがない。
 こいつを撃墜したら、他の2機は武器を使うまでもない。素手で破壊してもいいかもしれない。そんなことを考える余裕さえあった。
 ただし、その余裕も、ミストラルが予想外の動きで射出兵器を回避するまでの話だった。機体を回転させることで重心をずらし、爪が本体をかすめるほどにぎりぎりの間合いで攻撃をかわしたのだ。
 命中した際の衝撃に備え、ディアッカはブリッツに構えさせていた。ところが当てが外れたことで、ブリッツがおかしな動きをする羽目になった。妙に前のめりになり、ディアッカは慌てて制御する必要に見舞われた。

「何の冗談だ!」

 射出兵器を急速に引き戻す。思ったよりも、ユニットを戻した反動が大きい。左手で受け止める形で、機体が左に傾いた。普段なら問題にならない程度の反動だが、小型で軽やかな動きを見せるミストラル相手には大きな隙となった。
 もっとも、そんな動きを見せるのは回避した1機だけだ。その1機が、ミサイルを発射する。ジンの装甲さえ貫けるかわからないほどに小さなものである。フェイズシフト・アーマーを破壊できないことくらい、敵さんの方が詳しいだろう。
 残念ながら、敵にこの皮肉は通用しなかった。わざわざ、頑強なフェイズシフト・アーマーを狙ってはくれない。
 ミサイルはブリッツの後ろにあるデブリに命中した。すると、小さな爆発が起きて、すぐさま生じた大きな爆発が、小爆発を呑み込んで一気に膨れ上がる。その爆発はブリッツの背中を強く叩きつける。
 歯を食いしばり、衝撃に耐える。その間、ディアッカの名を呼ぶ、ニコルたちの声を聞いたような気がした。
 ミストラルはさらにミサイルを発射する。ディアッカの援護に来ようとしていたニコルたちの近くにあったデブリが、大きな爆発を起こす。2人は接近を中断せざを得なかった。
 ブリッツがたかだかミストラルに翻弄されている。これは残念ながら事実以外の何者でもない。しかし、民間機が軍用機を撃墜することができないことも、同じく事実である。
 ライフルを構える。ビームの破壊力ならばミストラル1機破壊しても十分おつりが来る。そのおつりが問題だった。威力が高すぎるため、いつどのように爆弾が誘爆するかわからない。ニコルたちが巻き込まれれば命取りになりかねない。躊躇が、ディアッカにトリガーを引かせることを遅らせた。
 その時のことだ。右手に何やらワイヤーが撒きついた。すぐさま、左手も捕縛される。戦闘に参加していなかったミストラル2機がコンテナに装備されたワイヤーガンでブリッツと繋がった。出力では雲泥の差があるが、腕1本で振り回してやれるほどの違いはない。
 ブリッツの攻撃力は腕に依存していた。右手の複合兵装。左手の射出兵器。それしか武器と呼べるものがない。動きとともに、武装まで封じられた。

「離しやがれ!」

 動こうと足掻くが、敵も必死だ。まっすぐにはられたロープが一時も緩むことがない。1機のエースが注意を引いて、残り2機で捕縛する。まんまとしてやられたらしい。
 エース機が正面からミサイルを発射した。今度の目標は間違いなくブリッツそのものだった。ミサイルが顔面に命中し、小規模の爆発が起きる。フェイズシフト・アーマーがこの程度で破壊されるはずがない。

 その証拠に、モニターは爆煙で覆われていたが、死んではいない。ただ、視界を塞がれたこの状態はまずい。ブリッツの上半身を少しでも動かして、煙を払おうと画策する。
 このとき、ブリッツが操作を受け付けないことに気づいた。ハッチが独りでに開いていく。モニターが上下左右に格納され、コントロール・パネルが道を譲るように床下に沈み込んだ。内部ハッチが完全に展開すると、外部ハッチはすでに開ききっていた。
 宇宙空間が見えるはずだった。しかし、そこには、宇宙を押しのけて存在感を主張する男が立っていた。クルーゼ隊長を思い出させるような長身の男は不敵な笑みを浮かべながら、ディアッカへと銃を向けていた。



[32266] 第8話「Day After Armageddon」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:21
 アーク・エンジェルのブリッジから眺める戦況はマリュー・ラミアスが想定したものと様相を異にしていた。戦力の絶対的な不足を、ゼフィランサス・ズール主任はわり算のような奇策で解決した。
 GAT-X105ストライクはマリューが知り得もしなかったユニウス・セブンの地下通路でザフトの侵攻を完全に押しとどめている。
 TS-MA2.mod00メビウス・ゼロはメビウスでの戦闘経験のないアーノルド・ノイマン曹長が担当した。ここがこの作戦のもっとも眉をひそめた部分であったのだが、アーク・エンジェルの操舵を担当するアーノルドは戦艦との連携を非常に得意としていた。時間稼ぎに徹することで、4機ものモビル・スーツを足止めしていた。
 そして、正規のパイロットであるムウ・ラ・フラガ大尉はミストラルという作業ポッドだけでGAT-X207ブリッツを無力化することに成功した。

「まさかこれほどの戦果が……」

 思えば、ゼフィランサスという少女との出会いは疑惑から始まっていた。このような少女がモビル・スーツの開発者であるはずがない。その疑問は、すでに払拭され、この戦果を疑うはめになった。
 だがぎりぎりの戦いであることに変わりはない。一つのイレギュラーで何もかもが台無しになってしまう危険性があった。マリューは自らの危惧が決して杞憂であるようには思えずにいた。




 それは、投擲されたナイフのようであり、研ぎすまされた槍の穂先のような外観を赤く染めあげていた。
 ただ1機の重戦闘機がユニウス・セブンを目指していた。大西洋連邦のものではない。ザフトに所属しているわけでもない。
 それは、先端に備えられた4枚の白いプレートをザフト軍ローラシア級へと向けていた。何のことはない。標的にローラシア級が選択された理由はわからない。単にユニウス・セブンに展開する部隊の中で最も外周に配備されていたのがこのローラシア級であるにすぎない。
 標的とされたローラシア級が一斉に艦砲を向ける。しかし、それはすばやく大口径の砲塔では標的を捉えることができない。小回りのきくバルカン砲はまるで効果がなかった。
 それは、フェイズシフト・アーマーの輝きに装甲を包み、攻撃を無効化していた。
 それの機首部分が開いた。4枚のブレートが四角形の頂点を維持するような位置関係でそれを広げていく。その様は、人が指を開くようとも、白い牙を持つ悪魔がそのいびつな口を開くようにもとれる。
 掌。それとも喉元だろうか。そこに大型の銃口が開いていた。その口径は大きく、近距離ならば多大な攻撃力を発揮する事が見て取れる。
 それは対空砲火をかわしながら器用にローラシア級の正面へと回り込むと、その口からビームを吐き出す。膨大な量の粒子が寄り集まり、光の柱となってローラシア級のブリッジを貫通し、戦艦はあらゆる場所から炎を吹き出しながら沈んでいく。
 ザフト軍は一瞬にしてローラシア級を失った。そればかりか、それはラウ・ル・クルーゼが率いる部隊へと襲いかかった。
 戦術の常識として、TS-MA2メビウスに代表される重戦闘機がモビル・スーツに勝てるはずがない。高い推進力の対価として旋回軌道が大きくならざるを得ず、高い機動力を有するとモビル・スーツにあっさりと優位な位置を取られてしまうからである。
 ジン2機が迎え撃つ。アサルト・ライフルを無意味に乱射する様を、隊長であるはずのラウ・ル・クルーゼはただ眺めていた。
 アサルト・ライフルの掃射を受けながら、それは美しく輝いていた。攻撃がまるで効果を上げないことに、ジンのパイロットは今更ながら慌てふためいた。後ろへと下がろうとするジンの姿は怯えているようにさえ見える。
 再びそれが口を開く。だがそれは火砲をさらすためではなかった。2枚のプレートはつま先に、2枚が袖口に配される。指とも口とも言えた構造を構成していたのは四肢であった。四肢がまず人型を形作ると、胸部、続いて頭部が縦に回転して定位置に固定される。腰のバインダーにセットされていたライフルとシールドがその腕に掴まれると、GAT-X303イージスがその姿を完成させる。
 母に与えられた力は可変機構。ザフト軍でさえいまだ実用化の目処さえたっていない機構を見せながらイージスは体を翻しその赤い機体を加速させる。
 イージスはつま先のプレート先端からビーム・サーベルを発生させた。蹴りの動作に合わせて、ビーム・サーベルは逃げるジンの背中を捉えた。ジンに触れた部分からサーベルは形を崩し、ビームを一斉に浴びせかける。
 焼き尽くされたのか、切り刻まれたのか。区別を求めることに意味はなく、ジンはその跡形を失った。
 露払いのように、イージスのライフルからビームが2度発射された。1発は2機目のジンを撃ち抜く。2発目は、メビウス・ゼロへと向かった。
 ビームはガンバレルと呼ばれるタル型のスラスター2基をかすめた。寸前で回避した技能は見事なものだが、ビームの熱量から完全に逃れることはできなかった。2基のガンバレルが爆発し、メビウス・ゼロは流されるままデブリに激突した。
 これで、邪魔をする相手はすべて排除したと考えたのだろう。ラウと、部下である最後のジン1機を残して、イージスはユニウス・セブンへと降りていく。
 次の標的に選ばれたのは、アーク・エンジェルであった。対空放火を繰り広げるが、それが無駄なあがきであることはローラシア級の末路によって証明されている。ライフルを起源として、ビームがアーク・エンジェル左舷、カタパルト・ハッチが格納されている部位を破壊する。爆発が、アーク・エンジェルを激しく揺らした。




 ユニウス・セブンの焼け焦げた大地を突き破り、2機のモビル・スーツが破片をまき散らしながら滑走する。
 GAT-X105ストライクガンダムはスラスター強度を高めたその勢いでGAT-X103バスターガンダムへと肉薄していた。ストライクの拳が振るわれる度、フェイズシフト・アーマーの輝きが放たれる。
 一見するなら、バスターの重火器を完全に塞いだストライクが優位に戦闘を運んでいるように認められることだろう。しかし攻撃力においてはビーム兵器を有するバスターが依然圧倒的有利である。
 ストライクは攻めるほかない。バスターは虎視眈々と一撃必殺の妙手を狙う。2機のガンダムは拮抗していた。
 飛び出したストライクの拳をバスターが受け止め、反撃として放ったバスターの拳打はストライクが防ぐ。拳と拳の鍔迫り合いの体勢のまま、両者は引くことはない。スラスターには煌々と火が灯され、踏みしめる大地は砕けた破片を飛び散らせる。
 バスターのパイロット、アスラン・ザラには相手の戦い方に覚えがあった。

「この無鉄砲ぶりは、まさかお前なのか!?」

 10年も前の2月14日、奇しくもこの大地で命を落としたはずの仲間を思い浮かべる。
 ストライクの操縦士、キラ・ヤマトは敵の動きをかつて知る人物と重ねていた。

「この動き、君か! アルファ・ワン!」

 拳と拳で接触する2機は装甲の振動そのものを介して通信を行うことができる。接触通信と呼ばれるこの方法をどちらからともなく実践した。

「アスラン・ザラだ。今はそう呼んでもらおうか、テット!」
「僕の名前はキラ・ヤマトだ!」

 アスランは改めて周波数をバスターに最初から設定されていたものに変更する。これでストライクと通信が行えるはずだ。通信の声質が変わったのは成功した証だろう。

「ではキラ! まだゼフィランサスのことが忘れられないのか?」
「当然だろ。ゼフィランサスは僕のすべてだ!」

 キラが動く。ストライクが拳をずらし、自由になった上体を大きく揺らした蹴りを放つ。バスターは左腕で蹴りを受け止めながら、右からビーム・ライフルを突き出した。

「どうしてお前は今頃現れた!?」

 発射されたビームをストライクは大きく体をひねってかわす。ビームが一筋に炸裂する。この爆圧さえ利用してストライクは鋼鉄の拳をバスターの顔面へと叩きつけた。

「あの男はゼフィランサスを、ヴァーリを利用しようとしかしてない! アスラン・ザラに選ばれた君とは違うんだ!」

 踏みとどまる足が大地を砕き、バスターが殴り返す。まるで子どもの喧嘩だ。両者殴りあい、互いに拳の応酬が続く。
 フェイズシフト・アーマーが輝き続ける淡い光の中、一際大きな光があたりを照らした。イージスガンダム。この赤いガンダムが撃ち抜いたアーク・エンジェルの悲鳴じみた光が届いたのだ。

「新手の新型か!」
「ゼフィランサス!」

 ザフト軍であるアスランにさえこの事態は予定されていない。キラにしては目の前に敵がいることも忘れアーク・エンジェルの状況を確かめようとモニターを見つめる。
 左舷の足部分が撃ち抜かれているが、本体そのものは無傷であるらしい。
 イージスはこれで十分と満足したのか、それともガンダムをより優先しているのか、次にビームの落着点とされたのはストライクとイージスの間であった。引き離される形で2機のガンダムは飛び退く。
 ライフルを持つバスターがレールガンをイージスへと発射する。肉眼では見えないほどの速度で発射された弾丸はたやすくかわされ、イージスは上空を旋回する形でビームを降らせてくる。

「アスラン、ここは任せた!」
「何を言っている!」

 走り出すストライクの背中へとアスランは怒鳴った。イージスも高い攻撃力を誇るバスターを警戒しているらしい。目標をバスターに限定しているようだった。
 だがキラの焦りをアスランは理解していた。アスランの隊長であるラウ・ル・クルーゼがこの好機を逃すはずがないのだ。




 敵艦はいまだにイージスからのダメージを立て直せないでいる。対空砲火が弱い。砲火の隙間を駆け抜けて、ラウはバルカン砲の一つに狙いを定めた。引き金を引くなり、左腕のシールド先端のガトリング砲が次々と弾丸を突き立てる。
 バルカン砲が引き裂けるように破壊され尽くしたところで、シグーは敵艦の正面にいた。
 ずいぶんと楽に接近できたものだ。モニターにはブリッジの様子さえ見えている。ガンダム3機の三つ巴の争いを後目に、漁夫の利とはまさにこのことであろう。
 モニター内に映るブリッジの様子を拡大し観察する。クルーたちが一様に、シグーを見たまま動こうとしない。
 艦長席に座っている髪の長い女性がおそらく艦長だろう。ひかれたルージュの似合うなかなかの美人だが、怯えた顔では台無しだ。そして艦長殿のすぐそばに目的の少女、ゼフィランサスはいた。こちらは、まるで恐怖などなく、美しい少女のままだ。
 通信はオープン・チャンネルで繋ぐ。

「こちら、ザフト軍所属ラウ・ル・クルーゼ。状況はすでにご承知だとは思うが、貴君らの命はすでに我が軍の手中にある。だが、我々とて無益な殺生で手を汚したいわけではない」

 名も知らない艦長は、こちらの要求を聞くために身構えた。体から震えは抜けていないようだが、艦長たる資質はあるようだ。

「我々の目的はゼフィランサス・ズール女史の身柄にある。引き渡すのであれば、この艦を無傷で解放すると約束しよう」




 要求が全面降伏であれば、ゼフィランサス主任を盾にしてでも賭にでる価値はあったかもしれない。しかし、ゼフィランサス主任の身柄だけとなると、リスクの方が大きいとように考えられてしまう。
 相手はザフトきってのエースとして知られるラウ・ル・クルーゼである。
 マリューは艦長席にしがみつくように手に力を込めた。渡すしか方法はない。しかし、問題は相手が約束を守る保証がどこにもないことだ。
 時間はない。ではどうすればいい。目を堅く閉じ、様々な考えを巡らせるが、思わしいものには巡り会えない。そんなマリューの手を、そっと誰かが触れた。見ると、ゼフィランサス主任である。少女らしい小さな手をマリューの手に添えていた。近くで見ると、その顔はまだあどけなさが残っている。
 ゼフィランサスはマリューの心を見透かしているかのようだった。

「私を引き渡して……。ラウ・ル・クルーゼは約束を違えないから……」

 その言葉にどんな根拠があるのか、聞く気にはなれない。ただ、この少女を疑うつもりももはやなかった。マリューはその言葉にすがりついた。
 一度だけ、目をきつく閉じて、それから敵をに睨みつけてやるつもりで目を開く。

「こちら、アーク・エンジェル艦長マリュー・ラミアス大尉。貴殿の要求通り、ゼフィランサス主任を引き渡します」

 ブリッジの空気が一変した。特に大きな反応を見せたのは、ゼフィランサスと一番関係の深いナタル・バジルール小尉だった。

「ゼフィランサス主任……」

 言いたいことも聞きたいこともあるのだろう。だが、時間がないことも事実だった。言葉を続けられないナタル小尉へと、ゼフィランサス主任は静かに語りかけた。

「大丈夫……。何も心配いらないから……」
「では格納庫を開放してもらおう。なお、私の部下が手を汚さずにすむかは貴君等の動き次第だ」

 アサルト・ライフルを構えたジンがブリッジに正確に狙いを定めている。当然のことだが、猶予を与えてくれるつもりもないらしい。ゼフィランサスとナタル少尉にお別れをさせてあげられる時間などないようだ。

「交渉はやはり紳士的に行いたいものだな、ラミアス大尉」

 銃を向けておきながら紳士的も何もないだろう。ずいぶん皮肉を好む男のようだが、その気配にはみじんの隙も見せていない。
 シグーが格納庫へと移動を始めたためブリッジの視界から消える。

「ナタル少尉、ハッチの展開を」

 命じられたとおり席に戻ろうとするナタル。マリューはゼフィランサスの手をとって艦長席から降りた。ゼフィランサス主任の様子をうかがうと、これから敵に引き渡されるというのに恐怖を感じているようには見えない。
 ゼフィランサスを引き連れてブリッジの出口へと進んだ。それからブリッジまでの間に関する記憶は曖昧だった。様々なことを秩序なく考えすぎた。
 ゼフィランサス主任を奪われたなら大西洋連邦は、穏健派はどうすればいい。ストライクを持ち帰っただけでは主導権を握ることができないのではないか。何より、軍籍にない少女の身柄と引き替えに生きながらえることが軍人として許されることなのだろうか。
 どれも答えを見る前に格納庫へとたどり着いた。格納庫後部のほぼ中央。ここからなら全体がよく見渡せる。
 左側奥ではイージスに攻撃された影響で加圧室へと通じるハッチが大きく歪んでいた。幸い、空気漏れはないようだが、こちらの発進口は当分使用できそうにない。片隅では修復中のGAT-X102デュエルが横たわっていた。
 そして右奥。ハッチが開かれシグーが姿を見せる。新型、人の顔を思わせる形を見慣れたせいか、こちらを捉えるために動くモノアイは不気味に思えた。
 整備士たちは遠巻きにシグーを眺めている。敵の間を、しかしまったく意に介することなくシグーは進む。ご丁寧にマリューたちのすぐ前にまで歩み出た。コクピット・ハッチが開く音さえはっきりと聞こえるほどだ。ちょうど、マリューの視線とコクピットの高さが水平に並ぶ位置にあるのだ。
 コクピットから現れたのは、白いノーマル・スーツを身につけた仮面の男である。白は部隊を率いる者のみが着ることを許されると聞いている。ラウ・ル・クルーゼはコクピットから一飛びでマリュー、いや、ゼフィランサスの横へと着地する。ヘルメット越しに見えるその顔は、一瞬ムウ大尉を思わせたが、それは髪の色と質が似ているためであったらしい。
 仮面をつけているせいではっきりとはしないが、少なくともムウ大尉ならこんな皮肉じみた笑い方はしないだろう。
 ラウはゼフィランサスを一瞥した後、今度はマリューへと向かって、なんと敬礼を行った。

「ラウ・ル・クルーゼだ。貴君の賢明な判断に感謝する」

 長年の軍隊生活で染み着いた習性から、つい敬礼をしてしまった。ずいぶん高度な皮肉をするものだ。ついお返しをしたくなる。

「マリュー・ラミアスです。お褒めいただき、至極恐縮です。では、今度聡明なご決断を見せていただくのは我らの番と考えます」

 ゼフィランサスは渡した。約束は守らないというのでは承知しない。
 いかにも真剣といった表情をつくると、それは自然と睨みつけるような眼差しになった。皮肉屋は口元を歪めながら笑う。
 ゼフィランサスという姫君を連れてこれからラウ・ル・クルーゼがシグーへと飛んでいく。
 その時だった。
 格納庫内に通信が響く。ナタル小尉の声だった。その声音は錯乱しているようにも思える。焦っているとも、恐れているとも感じられるのだ。

「マリュー艦長、ストライクが、ストライクが……!」

 一体何が起きているのか。マリューはつい、見えもしないブリッジの方を見上げた。




 外では、蹂躙とも殺戮とも暴威とも言える世界が展開していた。
 ジンが1機、その無残な姿をさらしている。右手は手首から先がもげていた。左足は膝から先がねじ切れて失われている。首が支えであるフレームを砕かれたことでわずかなコードのみで肩にぶら下っていた。
 満身創痍。それでもまだ、死神に手渡されてはいない。傷だらけのジンは文字通り、ストライクの手にあった。
 ストライクの左手がジンの大腿部に食い込んでいる。右手は首が置かれていた穴を指がかりに上半身を掴みとっていた。ストライクが、ジンを仰向けの姿勢で頭上にかつぎ上げていた。
 音が聞こえてくるはずのない宇宙でも、金属の軋むいやな音が聞こえてきそうだった。
 ジンの体が小刻みに震える様から、恐ろしいほどの力が加わっているのだとわかる。その振動が突然やんだとき、ジンの腹が割け、腰が砕けた。あり得ない方向へと、一つ目の巨人の体が折れ曲がる。
 ブリッジでは誰もが凄惨な光景に息を呑んでいた。




 ラウはシグーのコクピットにゼフィランサスを連れて戻っていた。よって、部下の断末魔はここで聞いた。

「隊長! 隊長ぉー……!」

 通信を通してその部下はラウの名を呼んでいる。コクピットに亀裂が入る音が届く。一際大きな破断音がしたかと思うと、それは悲鳴を飲み込んでノイズへと変わった。
 ラウは膝の上に小さく座った少女へと、素直な疑問を口にした。

「ストライクのパイロットは何者だ?」
 
 赤い瞳がラウの仮面を眺めてから、小さな唇が動く。

「キラ・ヤマト……。以前はテット・ナインて呼ばれてた……」

 聞き覚えのある名に、ラウはヘルメットの上から顔を抑えた。意味のないことだとわかっているが、こうでもしたいほど、おかしくてたまらないのだ。
 ラウは声を上げて笑っていた。
 これほどの皮肉があるだろうか。まるであの日と同じではないか。10年。決して短くはない時間を経てもなお、同じ光景、同じ場所で繰り返されようとしている。なんたる皮肉か。ラウの笑いは、この侮蔑と嘲笑に満ちた世界への賛歌である。

「すばらしい……、何とも傑作ではないか!」

 シグーの手をコクピットの前にまで寄せる。ハッチを開き、ゼフィランサスに移動を促すためだ。

「君は降りていたまえ。男は姫君を抱いたままでは戦えぬものだ」

 無言のまま、ゼフィランサスはモビル・スーツの手へと移動する。戦闘に巻き込まれない場所として、格納庫の一際高い通路を選んだ。少女の体をそこへと移した。
 コロッセオの主賓席に鎮座する姫君を待たせるほど、キラ・ヤマトという男は無粋ではないらしい。まもなく、宇宙と格納庫をつなぐ加圧室の扉が開き、ガンダムがその白い体をさらす。
 ガンダムという機体は何とも美しい。たとえジンの体内を循環する冷却液を返り血のようにまとわせていたとしてもだ。ゼフィランサスの作り上げた彫像のような美しさは微塵も損なわれてなどいない。
 キラ・ヤマトはゼフィランサスのことには気づいているのだろう。格納庫上を意識しながら、しかし、シグーから目を離すことはない。ここには空気がある。外部に音声を出力するだけで、ストライクはこちらの声を拾うだろう。

「聞こえるかね、キラ・ヤマト? いや、テット・ナインの方がお好みかね?」

 シグーと対峙する。そう表現しやすい位置でストライクの動きがとまった。

「どうしてあなたがザフトにいる!?」

 ずいぶんと荒々しい声が返ってきたものだ。10年前のことが昨日のことのように思い出される。あの時も問答があった。

「我々はゼフィランサスを救いたいのだがね」

 ストライクは腰から2本のナイフを抜き放つ。シグーもまた重斬刀を腰から抜く。

「あなたもあの男と同じだ。ゼフィランサスを利用することしか考えてやしない! そんな奴にゼフィランサスを渡せない」

 すべては10年前と同じ。決して相容れることなく、戦いこそが必然の称号を与えられる。過ちを、それでも行うと決めた我らの道は等しく拒絶と否定にさらされる。だが、それこそが選びとった道なのだ。

「ザフト所属、ラウ・ル・クルーゼ」
「大西洋連合所属、キラ・ヤマト」

 互いの名乗りを終え、では決闘を始めよう。愛しき姫君を賭けて。




 血の香りに魅せられた。始源の闘争を懐かしむ。知性、理性、文化、芸術、あるいは時計塔を飾る鳩時計の対価として失ったものを見せ物とする施設が、かつての大国には存在した。
 そこでは神代の物語を人が演じ、戦いは血を流すことが求められた。殉教者の墓標である。だがそれ以上に、それが劇場であった事実は堅く変わることはない。
 ゼフィランサスが2人の男を眺めるように。戦いは、流血は、死は見せ物にされてきた。それが騎士によって演じられようと、剣奴に課せられたものであろうと。ゼフィランサスは通路の手すりに腰掛ける。昼下がりの休日、清流に足を入れて楽しむように、その眼下の流血の死闘を眺めている。

「ねえ、キラ、覚えてる……?」

 まるで、その仕草を合図としていたかのように、戦いが始まった。

「あの日、私がいて……、キラがいて……、ユッカお姉様がいて……」

 シグーが突きを繰り出すとストライクが重斬刀を手の甲で叩き上げた。光が、刀の刃をこぼした。

「一緒に笑って……」

 ストライクのナイフが荒々しい勢いで重斬刀の刀身へと突き立てられる。途方もなく甲高い音がして、折れた剣が壁に突き刺さる。砕けて割れたナイフはいっさいの未練なく投げ捨てられた。

「一緒に話して……」

 だが、剣はまだ役目を終えていなかった。シグーは鋭い動きでストライクの左手首を捉えると、その折れた刃を深々とねじ込んだ。

「一緒に約束して……」

 シグーの膝蹴りを、ストライクが刀が食い込んだままの左手で受けると、甲高くも鈍い音がして手首が飛んだ。

「とても大切な日々だった……」

 いつの間にかストライクのナイフがシグーの足に突き刺さっていた。防御と攻撃を同時に行う。キラが得意とするカウンターである。シグーの蹴りが左手を破壊している間に、右手のナイフを突き立てていたのだろう。ストライクが力任せに足の関節をねじ斬ると、ナイフが突き刺さったままの足が格納庫の備品を薙ぎ払って転がっていく。

「それを奪ったのはあなた……」

 シグーの右手がストライクの頭を鷲掴みにする。格納庫の狭さをかまわずにスラスターが火を噴き、ストライクを格納庫の壁へと叩きつける。

「あなたが私の元に戻ってきた時……、きっと私はあなたを許せなかった……」

 身動きのできない巨人に、ラウ・ル・クルーゼが向ける慈悲はなかった。シグーのバルカンがその銃口を突きつけるようにしてストライクの顔面へと掃射される。デュアル・センサーを守るカバーが砕け散り、内部構造を引き裂いていく。あれではフェイズシフト・アーマーも役にはたたない。

「あなたは何も変わっていなかったから……。あの時から……、あの日から……」

 機体性能はストライクの方が上であることは間違いない。それでもパイロットの腕は、すべてにおいてラウ・ル・クルーゼが一段上にある。
 シグーがその全質量をかけてストライクの右肘を踏み撃つ。頭部を大きく変形させたストライクは体勢を崩したまま右腕を壁とシグーの足との間に挟まれた。フレームが破壊されたのだろう。破断音とともに肘から先が鈍い動きでストライクから離れていく。

「あなたは何も変わってない……。だから私は10年前と同じようにあなたに怒るの……」

 キラ・ヤマトの反撃があった。スラスターは使わず、機体の出力だけでストライクが勢いよく蹴りあげる。格納庫の床を軸足が陥没させ、鋭い蹴りはシグーの左手を打つ。盾がひしゃげて、バルカン砲がいびつな方向を向いた。

「あなたはいつになったら過ちに気づくの……?」

 攻撃を受けたシグーは大きくバランスを崩した。それさえ利用して、シグーはさらにスラスターで加速させる。狭い格納庫をかまうことなく回転したシグーは、その足を戦鎚のようにストライクの軸足を撃つ。
 フェイズシフト・アーマーが一際大きく輝いた。

「いつまで罪を重ね続けるの……?」

 シグーはすねが完全に破壊される。それほどの衝撃にも装甲こそ突き破られなかったストライクは、床へと背中から激突する。その巨大な運動エネルギーは戦艦をも鳴動させた。
 キラではラウには勝てない。この狭い格納庫の中でさえスラスターを利用できるラウとでは速度、勢い、攻撃力、そしてその動きの繊細さにおいてキラは劣っているのだから。
 たとえ何度戦っても結果は同じだろう。
 ストライクは両腕を破壊され、足は無事な装甲の外見以上に破損がひどいことだろう。勝負はあった。

「今世界はあなたの考えている以上に複雑に動き出そうとしている……」

 ゼフィランサスは手すりから落ちるように飛び出した。無重力の中、漂うようにストライクの上に降り立つ。腹部のコクピット・ハッチはすでに開いていた。中からは這い出すようにゆっくりとノーマル・スーツ姿のキラがその体を持ち上げていた。
 キラのヘルメットのフェース・ガードがひび割れて、うっすらと血がついている。意識が朦朧としているのだろう。それでもまだ戦うつもりでいるらしい。震える手がシグーへと銃を向けようと動く。
 震える少年の手を、少女は優しく包み込むように握りしめた。

「やっぱり、あなたは私の前に現れるべきじゃなかった……」

 その手から拳銃を抜き取ると、キラの体はストライクに寄りかかるように倒れかかり、それでも倒れようとはしない。シグーが格納庫の照明を遮り、コクピットに暗い影を落とした。少女の顔は暗く沈み、その表情を誰にも悟らせることはない。

「もう、私の前には現れないで……」




 そこは、静かな部屋だった。艦内なのだろう。プレートが並び、壁を構成している。強度と整備性に優れた、有り触れた艤装であった。ただし、そのプレートは縁が装飾されており、場所によっては絵画さえ立てかけられていた。
 床には絨毯が敷かれている。天井にはシャンデリアを模した電灯が絨毯の鮮やかな赤を照らしていた。おかれたソファーは天然木を使用した高級品で、背もたれ、手すりの木製部分は木特有の柔らかさを気品あふれる意匠がまとめ上げている。
 まさに貴族の邸宅を思わせる部屋だった。
 主の名はエインセル・ハンター。爵位は持ち合わせていないが、これまで貴族と呼ばれた誰よりも優雅にソファーで読書に興じていた。その本でさえ、格式だった装丁が施されている。この部屋に存在を許されたすべてのものは、主の思いのそのままになくてはならない。
 エインセルは右手で本を開いている。左手には別の任務があった。
 豊かな桃色の髪をエインセルの膝へと投げ出して眠る少女がいる。白いドレスで着飾り、父にその身のすべてを委ね深い眠りに落ちていた。アンティーク・ドールを思わせる少女の髪を、エインセルの左手はいとおしげに撫でている。
 愛娘であるヒメノカリス・ホテルを撫でる手が、急に止まった。本が音もなく閉じられる。
 小気味のよいリズムで足音がする。エインセルの領内に現れたのは、礼装のように黒いスーツを着こなした女性。眼鏡の通した彼女の視線は、エインセルの後姿に向けられ、離れることはない。
 本がその任を解かれ、ソファーの上に横たえられる。その頃には、眼鏡の女性、メリオル・ピスティスはエインセルの傍らへと歩み終えていた。
 主人の好みを反映した薄い紅色のルージュのひかれた唇が開かれる。

「ゼフィランサス・ズール技術主任がザフトに渡りました」

 エインセルはそのまぶたを閉じた。目が閉じられると、その端正な顔立ちは彫像のような印象を与える。目が閉じられていたのはほんの数瞬。再び目が開かれた時、その瞳には波一つない水面のような静けさが内在していた。

「すべてが、10年前と酷似していますね。役者は変われど演目が同じであれば舞台も、その顛末も等しいかのように」

 メリオルの瞳は、それとは対照的に静かに揺らめく炎のように妖しい色を含んでいる。

「よろしいのですか? ゼフィランサス主任がザフトに移ることになれば、ガンダムの技術が流出してしまいます」

 エインセルの手が、傍らで眠る愛娘を再び撫でだしたことと、メリオルの様子は無関係ではない。同時に、そのことをエインセルが留意することもなかった。

「それでよいのです。力は独占しなければ意味がありません。ですが、情報は独占しては価値を成しません。適度にあまねく、知っていてもらわなくては」

 右手が細やかに動く。その手には、見えない指揮棒が握られている。様々に異なった音色を持つ女性たちが、エインセルの望むままに音を奏で、楽曲を作り上げていく。

「ゼフィランサスはその役割を誰より確かに演じてくれるでしょう」

 その力と心を、いまだに黒いヴェールで隠している少女を思って。

「ヒメノカリスが、私のためを思って、その身を賭してくれるように」

 その愛の証明として、白以外の色をまとう事を拒絶する少女を撫でながら。
 指揮棒を取り落としたエインセルは、メリオルの手をそっと包み込むように掴んだ。抵抗の意志が感じられないその手を口元に寄せると、エインセルは優しく口付けをする。

「このあまりに小さい戦争は、自ずと我らの手に転がり込んでくれることでしょう」

 主人の寵愛を受けたメリオルは、恋に焦がれる少女のように、その頬を鮮やかに染めた。




 どことも知れない場所だった。誰に知られてもならない。
 暗く、しかし辛うじて見える壁面は平たく金属質。壁に備えられたハンガーに、GAT-X303イージスの真紅の体が固定されている。すでに整備士がとりつき作業に入っていた。
 コクピット・ハッチが開らかれ、橙色のノーマル・スーツを着たパイロットが飛び降りた。無重力のゆっくりとした動きで床に足をつけた。
 小柄で、女性特有の丸みを帯びた体つきから、少女であるとわかる。
 少女がヘルメットを外すと、まだあどけなささえ感じられる顔が露わとなる。くすんだ金髪は無造作で、長さにしても特筆すべき様子はない。かわいらしさや愛らしさよりも、凛々しさや逞しさをこの少女からは覚える。
 カガリ・ユラ・アスハ。それが彼女の名前である。同時にオーブ首長国代表ウズミ・ナラ・アスハの娘の名でもある。

「レドニル。レドニル・キサカ」

 オーブ軍の軍服、地球連合軍のものに比べて青みがかった制服を着た男性がカガリに駆け寄る。屈強な体つきに彫りの深い顔は、軍服さえ着ていなければ最前線の兵士と見紛うほどである。オーブの姫君の側近だとするには、あまりに精悍な男性であった。
 レドニル・キサカは、普段から固い表情を特に変えることなくカガリの前で敬礼した。

「敬礼などいいと言っているだろ」

 そう断りを入れた後で、カガリはヘルメットを脇に抱え、向き直った。

「しかしバスターは思ったよりもいい動きをしていたな。様子見のつもりが、熱くなりすぎたようだ。それでどうした? また本国あたりがせっついてきたか?」

 カガリはうんざりしていた。
 モルゲンレーテ社はカガリの父であるウズミ代表の承認もとらずに大西洋連邦に協力し、ガンダムを開発した。ウズミ派とは別の一派がオーブでは幅をきかせているのである。モルゲンレーテ社に協力を命じたその一派にあれこれ言われることに、カガリは強い反感を覚えていた。
 感情を隠しきれるほど、カガリは器用ではない。つい歯を噛んで、目が細くなる。
 レドニルは仏頂面を変えようとしない。

「いえ、直接抗議したいと仰っています」

 直接。この言葉の意味をカガリは計りかねていた。すると、格納庫の一角があわただしくなる。その騒がしさが次第に近づいてきた。
 少女が先頭を歩き、その後ろに整備の連中を引き連れていた。正確には、少女を止めようとしても止めきれず、あわてる整備士が何かできるわけでもないのに少女の後を追っているだけだ。
 先頭の少女は不敵とも、ふてぶてしいとも言える顔でカガリの元に一直線だった。短いズボンに、薄手のシャツ。長袖の上着に袖を通しただけのずいぶんラフな格好をしている。コーディネーター固有の緑色の髪を三つ編みに束ねて、左肩に乗せるようにして前に垂らしていた。
 そして何よりこの少女を印象づけるのは、右目が赤く、左目が青いというオッド・アイだろう。異なった色にカガリを映す。

「お前、また好き勝手やったそうだな!」

 カガリの前に来たとたんにこれである。腕を組み、高圧的な眼差しを向けていた。もっとも、どんなに口が悪くても、高く澄んだ声にそれほどの凄みはない。だがカガリはたとえ悪魔に睨まれたところで怖じ気付くつもりなどない。

「それは貴様等の方だろ、デンドロビウム。こんなものを造らせて、オーブの立場を危うくするだけだ!」

 イージスを顎で示す。少女は、デンドロビウム・デルタはイージスを体を見上げた。その顔はイージスの開発者であるゼフィランサス・ズールと同じもある。
 デンドロビウムも同じヴァーリであるからだ。
 しかし、ゼフィランサスほど愛着はないらしい。不機嫌な顔のまま機体を見上げ、気分を害したような面もちで視線をカガリに戻した。
 またデンドロビウムの怒声が飛ぶ。

「お前は何もわかっちゃいない! ことはもう、オーブ一国の問題じゃないんだ!」

 カガリはレドニルにヘルメットを投げ渡した。こうでもしないと口げんかでなくなった時、凶器に使ってしまいかねないからだ。

「私はお前等の都合で動くつもりはない。できることなら、この手でお前たちのお父様を殺してやりたいくらいだ!」

 売り言葉に買い言葉とはこのことだろう。デンドロビウムは両手でカガリの胸ぐらを掴んだ。

「ふざけんな!」

 身長はほとんど同じであるため、オッド・アイがまっすぐにカガリの顔を睨みつけた。カガリは負けじと視線を外さない。反対に腕を掴み返した。

「計算高い割に向こう見ずなところはユニウス・セブンにいた頃とかわらないな!」

 デンドロビウムは力任せができるタイプの人間ではない。カガリは胸元からあっさりと手を引き剥がす。顔を真っ赤にしているデンドロビウムに対して、カガリは涼しい顔で完全に抑え込んでいた。
 力ではかなわないとようやく思い至ったのだろう。デンドロビウムがふりほどこうと手を振る。カガリには掴み続けるつもりはなかった。デンドロビウムはあっけなく解放された。
 掴まれていた手が赤くなっている。デンドロビウムはその部分をさすりながらも、その視線から敵意は減じていない。

「お前がオーブを守りたいってなら、あたしらと組んだ方が利口なんだぞ。それだけは覚えとけ!」

 それが捨て台詞だった。顔をしかめるカガリと終始無言であったレドニルを残して、デンドロビウムは着たときと同じあわただしさで去っていった。




 主のいない部屋はずいぶんと広く感じる。ディアッカ・エルスマンはいなくなってしまった。部屋にはもう誰も帰ってこない。消えた明かりが部屋を暗く沈ませる。開かれた扉から差し込む光が、2人分の影を作っていた。ニコル・アマルフィとジャスミン・ジュリエッタである。
 ニコルが意を決したように部屋に足を踏み入れると、ジャスミンが続いた。ニコルの手には抱えられる程度の大きさをした空箱があった。ジャスミンが明かりをつけた。
 2人がここを訪れたのはディアッカの私物をまとめるためだった。戦艦に私物を多く持ち込むことなんてできるはずもない。手分けして作業を始めると、ものの10分で私物は箱に収まった。
 来た時と同じように、ニコルが箱を持って先に部屋を出る。ジャスミンが明かりを消して部屋を無人に戻した。
 あっさりと終わった作業だった。しかし、終始話をしないままでいるには、その時間は足りなかった。通路を移動中のことである。ジャスミンが絞り出すように声を発した。

「ディアッカさん、きっと無事ですよね……?」

 やや前を歩いていたニコルは、歩く速度を落としてジャスミンの隣に並ぶ。不安に打ち勝つだけの強さのないジャスミンに代わって、努めて明るく振る舞おうとする。

「ディアッカがあんなことで死ぬはずありません。大丈夫、きっと生きてますよ」

 この言葉にジャスミンはほんの少し、バイザーに隠された顔を明るくした。
 あれはユニウス・セブンでのことだった。2人がブリッツにたどり着いてみると、コクピット・ハッチが解放されディアッカの姿はどこにもなかった。捕虜として連れて行かれたのだろう。そう判断するしかなかった。主をなくしたブリッツだけがヴェサリウスへの帰還を果たした。
 ニコル自身、励ましはしたものの、これ以上言葉を続けると不安を口にしそうな気がしていた。それではジャスミンを元気づけることにはならない。自然と2人は沈黙した。
 そのせいか、通路正面から言い争う声が聞こえていた。格納庫の方角だ。元々倉庫は格納庫の脇にある。興味の多寡に関わらずニコルとジャスミンは声のする方向へと引き寄せられていった。
 格納庫へと出ると途端に視界が開ける。声は下から聞こえていた。ニコルたちが歩く通路の下、格納庫の床で言い争っているらしい。聞こえる声に既視感を覚えてニコルは箱を抱えたまま手すりの下をのぞき込んだ。
 アスランとクルーゼ隊長。そして見覚えのない黒いドレスの女性が話しているようだった。主にアスランが一方的に話している状況らしい。

(珍しいな、アスランがまくし立てるなんて……)

 いつもは冷静な人だから。
 ニコルがのぞき込む横でジャスミンも手すりを掴んで下を望む。重そうなバイザー--無重力だから重さは関係ないとはわかっている--を下に向けて、突然飛び退くように手すりを離れた。
 その様子はニコルがつい心配してしまうような動きであった。

「ジャスミン、どうしました?」
「すいません……、後のこと、お願いしてもいいですか?」
「ええ、もちろん……」

 保管場所にこの箱をおくだけの仕事である。1人でも大丈夫だとニコルは伝えた。すると、ジャスミンはまるで逃げるように、そうとしか表現しようのない様子で足早にこの場所を離れていった。
 何か嫌なものでも見たのだろうか。アスランとクルーゼ隊長の他は、ただ1人少女が加わっているだけなのに。もう一度のぞき込んでみると、少女はアルビノであった。プラントには障害者を差別する人も少なくないが、ジャスミンがそんな人だとは思わない。
 少女は白い髪をしていた、見える顔はある女性を連想させた。プラントの歌姫と呼ばれる少女と、どこか雰囲気が似ているように思えたからだ。




 アスランは目の前に固定されたZGMF-515シグーを見上げていた。クルーゼ隊長は新型を中破させるなど多大な戦果をあげていた。しかし、その対価として乗機であるシグーは無惨な姿をさらしている。左足がもげ、左手は強い衝撃を受けたらしくひしゃげている。右手もよほどかたいものを無理に掴んだのだろう。指の破損が著しい。
 修復するよりも造り直した方が安上がりだろう。クルーゼ隊長は乗機を含めて8機のモビル・スーツをただ一度の戦闘で失っていた。それだけの損害を被って、唯一得られた戦果が人々を格納庫へと導いていた。それは、たった1人の少女だった。
 ゼフィランサス・ズール。いつも微笑みを絶やさない子だった。アスランを見つけたならきっと満面の笑みで再会を驚くことだろう。アスランの予言は的中し、予想はものの見事に裏切られた。
 クルーゼ隊長に導かれながら、ゼフィランサスはふわりと格納庫に足を踏み入れた。
 相変わらず7月の生誕を祝う宝石のように鮮やかな瞳をしている。ただ、それを愛らしく飾っていたはずの微笑みはどこにもなかった。白い頬は固く、人工物さえ思わせた。記憶と現実が一致せず、その混乱を是正するために意識の大半が使用されてしまった。呆然と立ち尽くすアスランのわきをゼフィランサスが通っていった。
 すれ違いざま向けられた瞳は、ずいぶんと冷たい。

「お久しぶり……、今はアスランだよね……」

 こんなに表情に乏しい娘だっただろうか。
 追いかけようとつい手が伸びたが、肩に手をかけるつもりにはどうしてもなれなかった。やがて手が届かない範囲にまで離れていく。そのことへの焦りで、つい大きな声をかけた。

「ゼフィランサス……!」

 振り向かれた顔は、記憶にはそぐわない、現実そのものの顔をしていた。笑顔ではなく、凍りついた表情。

「キラは……、アスランほど驚かなかったよ……」

 そう言われて、思い当たることは1つだった。やはり10年前のことだ。キラとゼフィアンサスの2人が当事者で、思い出したくないほど忌まわしい出来事だった。
 歯を強く噛みしめる。その痛みが記憶を曖昧にしてくれる気がした。しかし、不快感は消えることはない。噛んでいても無駄だと、口を開くことにした。

「あれは、悲しい出来事だった……」

 ゼフィランサスの瞳は相変わらず冷めた色をしていた。
 同時にアスランはその眼差しを他人事のようにも感じていた。この少女がそんな視線を向けるとしたらそれはアスランが対象ではなく、キラ・ヤマト以外に考えられない。
 案の定、ゼフィランサスはあっさりとアスランから目をそらし、歩きだそうとする。それでも、ただ一言だけ、アスランには言っておきたいことがあった。

「ユニウス・セブンでキラと戦ったばかりだ」

 足を止めるも、ゼフィランサスは振り向こうとさえしない。かまわず続ける。

「そんな俺が擁護するのもおかしなことかも知れないが、あれはキラのせいじゃないし、あいつを責めるのは酷だ!」

 首だけで振り向いて、見せた赤い瞳は感情の機微に静かに揺らめいているかのように映る。そんなかすかな違いが、ゼフィランサス唯一の表情とも言えるものだった。
 黒い衣装を白い影が覆った。ラウ隊長がアスランとゼフィランサスの間に立っただけだ。それでもどこか結界のようにゼフィランサスとの接触を禁じられてしまった感がある。
 それは、隊長独特の厳しく、他を寄せつけない雰囲気故かもしれない。

「アスラン、旧交を温めたいこともわかるが、そろそろいいのではないか? ゼフィランサス技術主任にご足労願ったのは、君と談話させるためではない。機を改めたまえ」

 わずかに見せた変化も、いつの間にやらゼフィランサスの顔から消えていた。隊長命令に逆らうわけにもいかず、敬礼して会話を打ち切った。




 GAT-X103バスターガンダム及びGAT-X207ブリッツガンダム。2機を見上げる位置にラウはゼフィランサスと並んで見上げていた。

「どうかね、10年ぶりのアスランは?」
「あまり変わってない……。キラもそうだったけど……、男の子ってそんなもの……?」
「男の大人と子どもの違いは玩具にかける値段だけだと言う話がある」
「それはわかる気がする……。ラウお兄様もムウお兄様も同じだから……。でもわかってるよね……。私たちはお父様には絶対に逆らえない……」

 聞き流してもいい内容だ。ラウは顔に手を伸ばし仮面をはめ直すことに意識を傾けた。いい具合に収まったところで、改めてゼフィランサスを見る。

「君は知っているかね? 我らがどれだけ、君らのお父上をこの手で引き裂く日を心待ちにしているかを」

 仮面を付けていることの利点に、表情を隠すことができるということが挙げられる。今のラウは、自身が恐ろしい顔をしていることを自覚していた。それは決して、この清らかな少女には見せられないものだった。



[32266] 第9話「それぞれにできること」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/17 00:49
 左舷を撃ち抜かれた。ユニウス・セブンで受けたイージスからの攻撃は思いのほか深刻な損害をアーク・エンジェルに与えていた。直撃を受けた箇所には加圧室とカタパルト・ハッチが存在し、主砲が上に格納されていたことも被害を拡大させた。ビームは1撃で艦体を貫通したのである。熱量は上記の施設を瞬く間に焼き払い、主砲に至っては誘爆さえ起こした。
 幸い格納庫への被害は抑えられたが、爆発によって整備士の中から7名の負傷者と3名の死者を出していた。そして、ゼフィランサス・ズールを失ったこと。これらを対価に、アーク・エンジェルはその所属部隊である第8軌道艦隊へと合流することに成功していた。
 第8軌道艦隊旗艦メネラオス。その背景には地球が大きく青い輝きを発している。その隣ではアーク・エンジェルが傷ついた艦体を痛々しくさらしていた。
 メネラオスのブリッジは新鋭艦であるアーク・エンジェルほど少人数で運用できるほど洗練されてはいない。決して広くはない空間に所狭しとモニターが取り付けられ、それぞれオペレーターがその前に座っている。今は客人を向かえ、さらに手狭な印象を受けていた。
 マリュー・ラミアス大尉がアーク・エンジェル艦長としてメネラオスのブリッジを訪れていた。体が自然と緊張し敬礼の姿勢で固まったまま、1人の男性を前にしていた。
 男性はメネラオスの艦長にして第8軌道艦隊の指揮官、マリューをはじめとするアーク・エンジェルの直属の上官であった。口ひげを生やした初老の男性で、しわの寄った顔つきは高圧的でも威圧的でもないが気迫を纏っていた。威厳ある、そんな言葉がなんとも似合う穏健派きっての名将である。
 このハルバートン少将の前では、マリューなどいつも身がすくむ思いがする。もちろん、芳しくない戦果を報告し終えたばかりだということも、その理由の1つである。
 ハルバートン少将は何か考えているように顔をしかめると、それでも早速話に入った。

「ゼフィランサス主任を失ったことは、あまりに大きな損失であることに間違いない」

 敬礼の姿勢を崩さないまま、マリューは肯定の返事をした。それは軍隊式の受け答えであったのだが、ハルバートン少将はこのような形骸化した形式というものを嫌う。敬礼を解くよう、そして、そのような堅苦しい物腰は必要ないと告げた。

「私は君たちに感謝こそすれ、非難するつもりはない。ザフトに制空権を奪われ身動きできない我々に代わってよくここまで新型を運んでくれた。よくやってくれた、ラミアス大尉」

 威厳とは物腰の柔らかさとさえ同居できるほど度量の広いものであるらしい。上官からの労いの言葉に、マリューは安堵以上に認められたことへの達成感が芽生えた。つい敬礼してしまい、ハルバートン少将の苦笑を招いてしまう。気恥ずかしく手をおろす羽目になってしまった。

「だが、まだ終わりではない」

 途端にハルバートン少将が表情を厳しくする。マリューは指示を待つべく、緊張を高める。

「アーク・エンジェルは修理が終了次第、アラスカ本部へと降下、新型を届けてもらいたい」

 アラスカには大西洋連邦の総司令部が存在する。たしかにここへ新型を届けることができれば、一気に量産体制が整う。同時に、本部に新型を持ち込むことで穏健派の影響力を高める絶好の機会となる。メネラオス級に大気圏突入する性能はない。汎用母艦として開発されたアーク・エンジェル級の真価を見せるなら、今ここしかない。
 今度は敬礼しないよう注意する。それは、敬意を示しつつ、決意を表明する方法をマリューは他に知らない。ここでは敢えて、敬礼する。すると、ハルバートン少将も敬礼を返してくれた。




 プラントは12の市より構成されている。最高意志決定権はプラント最高評議会によって担われる。この議会はプラントが実質合衆国制を採用しているため、12市それぞれから選出された議員によって運用されている。12名の議員が公式の会議場にてコーディネーターの総意を定めるのである。
 ひどく天井が高い。12名が余裕をもって座れる円形テーブルが敷地面積の大半を占めている程度の狭い部屋ながら、閉塞感はまるでない。吊り下げられたシャンデリアがその光で日光の下にいるかのような解放感を与えていた。円形テーブルにはそれぞれの議員の前にモニターが埋め込まれている。テーブルの中心は開けており、そこは証言台としても機能する。
 現在は仮面を身につけた白い軍服の男が立たされていた。
 本来、円形のテーブルは議長、副議長と言った要職の違いこそあれ、各議員、ひいては12市が対等であることを示すためのものだ。しかし、証言に立つものにとっては、これが詰問の場とも思えることだろう。12議員があらゆる方向から証言者を取り囲んでいるのだから。
 今回の証言者、ラウ・ル・クルーゼは軍隊式の厳粛な姿勢こそ崩さないが、緊張した様子は見受けられない。議員の方がかえってどう話を切りだしていいものかと思案している様子であった。
 議題は民間コロニー・ヘリオポリス破壊の件について。ザフト軍とは関係の遠いプラント穏健派議員からはこの男を戦争犯罪の被告人として召喚すべきとの意見もあった。それは地球連合との戦争継続を望むプラント急進派によって握りつぶされている。大西洋連邦が二派に分かれていることと同じように、プラント最高評議会でも戦争継続か和平模索かで割れていた。そして、急進的な意見が優勢であることも等しい。
 急進派議員は5名。穏健派議員は4名。両者の勢力は偏りを見せているとはいえ大差ない。その緩衝地帯であるかのように、証言者への質問が遅れていた。まず手を上げたのは、どちらにも属していない中道派の議員だった。
 波立つ長い髪をしているが男性である。髪には白髪が混じり、顔のしわは深い。ただ、この容貌は老いを強調するよりも、この人物の厳格さを示していた。タッド・エルスマン議員。フェブラリウス市選出の議員である。中立の立場こそ守りながらも穏健派よりの意見をすることで知られている。

「証言と関係のないことで悪いのだが、仮面は外せんのかね?」

 ラウがタッド議員へと向き直る。手を仮面に当てはしたが、それは外すためではなく、少々位置を直しただけだった。

「以前戦闘で醜い顔になりました。また、この仮面の有無が証言の正当性を脅かすものとは考えません」

 タッド議員とて仮面を外すことを望んではいなかったらしい。あっさりと質問をやめ、他の議員に発言を譲った。それを引き継いだのはアイリーン・カナーバ議員。タッド議員同様波立つ髪をしているが、こちらは女性である。大人の女性を形容するには不適切かもしれないが、利発な印象を受ける強い眼差しをしている。
 穏健派を率いるプラント最高評議会議長の片腕として知られるやり手である。

「戦争にもルールと礼儀というものがあります。民間人の虐殺など軍人の倫理にもとる行いと捉えざるを得ません。そのことを、クルーゼ隊長はどのようにお考えですか?」

 今度はアイリーン議員の方へと、ラウは振り向いた。質問の内容がどうであれ、その程度のことで変化は見られない。

「その質問の仕方はお止めいただきたい。私は被告としてではなく、事実確認の証人として参ったにすぎません」

 ザフトの行為がいきすぎたものだと判断さえれば世論は穏健派に傾く。そのために、アイリーン議員はこの機会を逃すことはできないと考えていた。

「しかし、貴君の指揮した戦闘行為によって、民間人だけで死者、行方不明者合わせて500名を越す惨事を招いた……」

 そして、急進派も同様に、この事件を最大限に利用するつもりであることは共通している。突然立ち上がったのはパトリック・ザラ副議長である。厳つい顔をさらに険しくしその剣幕たるやすべての議員の耳目を一身に集めながら揺るがぬほどである。

「勘違いも甚だしい! 今問題にすべきはこの男の処分などではない。プラント存亡に関わる大事なのだ!」

 議員各のモニターへと、ヘリオポリスでの作戦の映像資料が映し出される。この画像に関しては、三派の態度は一致していた。誰もが驚愕に目を見開き、モニターから視線を外そうとしない。
 そこにはガンダムと呼ばれる大西洋連邦の新型がその姿をさらしていた。
 ガンダムは、ザフト軍の主力であるZGMF-1017ジンの攻撃力をことごとく無効にした。
 ガンダムは、ただの一撃で艦砲並の攻撃力を有し、ジンを、コロニーを破壊した。
 映像が続くさなか、パトリック副議長の言葉は続く。

「ガンダムの堅牢性は異常以外の何者でもない。このような装甲が量産されたと仮定していただきたい。こちらの戦力ではどうにもならない軍勢が押し寄せることになる。その結果はどうだ!?」

 まさに無敵の軍団だろう。物資、人的資源に劣るプラントではひとたまりもない。

「ではガンダムの攻撃力は如何か! この力をナチュラルどもがあまねく手に入れた日には、我々に安息の日は永遠に訪れることはない」

 国土のすべてが脆弱なコロニーであるプラントは脅かすには、ただ1機のガンダムがあれば十分であることを意味する。

「私はこの男を、ラウ・ル・クルーゼを讃えたい。この危機に誰よりも早く気づき、行動をもって我らに警鐘を鳴らしたのだからな!」

 もはやパトリック副議長の独壇場であった。居並ぶ穏健派議員は言葉もない。そして、パトリック・ザラはまだ隠し玉を用意していた。

「そして、これもこの男の成果だ。このガンダムの開発者は今や我らの手にある」

 ラウが通ってきた証言場への道。それは円形テーブルの一角を切り崩して会議場の外にまで続いている。高く、軽い音が響いた。高い音は固い、ブーツのような靴音。軽い音は足音の主の体重の軽さ。闇から紡いだドレスを身に纏い、くすみのない雪がその化粧。先見の明持つ者が神より盗み出した宝と同じ色をした瞳。天からの光を、もっとも強く受ける部屋の中央へと少女は歩みでた。

「ゼフィランサス・ズールと申します……」

 スカートをつまみ上げ最上の礼を持って、少女はプラント最高評議会の場で名乗り上げた。




 プラント最高評議会の会議場はプラントの要人がすべて訪れる場所と言っても言い過ぎにはならない。会議場どころか、その建物自体に入ることさえ難しい。ところが、アスラン・ザラとニコル・アマルフィはそろって施設へ入ることを許されていた。それは2人がエリートの証である赤い軍服を身につけているからではない。ラウ隊長が議会に召喚されているからでもなかった。
 アスラン、それにニコルは議員の父を持つ。最高権力者の子息には警備も手薄になる。2人の目的は、大きく分けて2つ。父に会うことと、ディアッカ・エルスマンの私物を家族に手渡すためだった。
 ディアッカの父親も議員として会議に参加していているのだ。
 会議場の出口は1カ所しかない。そこは開けたロビーになっており、両脇に小さなテーブルがおかれていた。アスランとニコルは出口から見て右側に腰掛けていた。テーブルの上にはディアッカの私物を詰めた箱が置かれている。これが互いの視線を遮るせいか、会話は弾まない。話し出してもすぐに途切れてしまう。
 そのたびに、アスランは時計に目をやった。
 証人としてクルーゼ隊長とゼフィランサスが入って行ってからずいぶん時間が経つ。そろそろ出てきてもいい頃ではないか。

「クルーゼ隊長は大丈夫でしょうか……?」

 一瞬、何を言われているのかわからなかった。ただ、考えてみれば何のことはない。新型であるガンダムを取り逃がしたことで責任を問われるのではないかと心配しているのだ。この後輩はアスランにはできないくらいに他人を気遣うことができる。つい考え込んでしまった自分がおかしくて、たまらず笑ってしまった。
 このことを自分が笑われたのだと勘違いしたのだろう。ニコルが怒り出す。もっとも、この少年ほど怒りという感情が似合わない人も珍しい。決して本気で人を非難するものでもなければ、一言お詫びするだけで許してくれるからだ。

「すまない、そんなつもりじゃなかったんだ」

 この一言だけで、ニコルは柔和な様子に戻る。

「クルーゼ隊長なら心配いらないさ。戦争被告人として裁かれることもないだろう。それに、ゼフィランサスを連れてきた功績は決して小さくない」

 何の気なしに言った一言だった。それが、ずいぶんとニコルの心に引っかかったらしい。不安げな顔をした。それは彼なりの訝しがっている顔である。

「ゼフィランサスさんは一体どんな人なんですか……? いくらコーディネーターでも技術者としては若すぎます。それにその、顔があの人とよく似ているようにも思えます……」

 ガンダムの開発者だと言って欲しい訳ではないだろう。あの人が誰を指すのかも見当がつく。アスランは悩んだ。それは、明かすか否かという段階のものではなく、どこまで話してもいいかということに対してだった。妙に目が乾いた気がして、瞬きを故意につく。それだけのことでも、話しだす決意を固めるには十分なこともある。

「これから話すことは、決して他言しないで欲しい」

 ニコルが吹聴して回るとは正直考えていない。それでも口止めせざるを得ないほど、ことは大事だった。彼が頷くのを待ってから話を始めた。

「彼女たちはヴァーリ。一言で片づけるならクローンだ」

 遺伝子操作が当たり前のプラントでもクローンを、遺伝子を複製された人間を作ることは建前では禁止されている。違和感があるのだろう。ニコルの顔が強ばり、緊張したことがわかった。

「一つの胚を複製して、複製された胚それぞれに別々の遺伝子調整が施された。その結果、顔は同じでも髪や瞳の色、能力が違う姉妹が生まれた」

 それがヴァーリと呼ばれている姉妹たち。ゼフィランサスはその末妹に当たる。

「ニコルはまだ顔を見たことはないかも知れないけど、ジャスミンも、ジャスミン・ジュリエッタもその1人だ」

 このことには本当に驚かされたらしい。同僚である少女がそのような生い立ちだと知らず、気づかず過ごしてきたことの反動だろう。ニコルはずいぶん悲しい顔をして黙り込んでしまった。ジャスミンは絶えずバイザーで目元を覆っているため、顔を知らないのは無理もないことなのだが。
 しばらくして、ニコルが疑問を絞り出したことと、会議終了のサイレンが鳴ったのはちょうど重なった。

「一体、誰が何のためにそんなことを……」

 会議が終わった。そのことを告げるサイレンにニコルの言葉はかき消された。そんな風を装ってアスランは席を立った。会議場へ続く入り口へと歩くと、ニコルが箱を抱えてあとからついてきた。
 目的の議員にいつ会えるかはわからない。会議終了後、議員は各派閥で集まって情報交換をすることが通例だからだ。すぐに出てくるとも考えにくい。わかっていることは、それでも決して遅くはないだろうということだ。目的の議員は中道派に属している。中道派は派閥というより両派に属さない議員をひとまとめにしたもので、所属する3名の議員はそれぞれ孤立している。そんな中道派が最初に出てくるだろうという予想があった。
 その予想は想像以上の形で的中した。
 重苦しい扉を開いて、最初に姿を見せたのはタッド・エルスマン議員。中道派の議員にして、ディアッカ・エルスマンの父親である。この親子は、正直なところ、あまり似ていない。タッド議員は息子と違い褐色の肌はしていないし、厳格な顔つきをしたディアッカは想像もできない。
 会うこと自体初めてのことだが、そんな印象は顔を合わせたことでより強いものとなった。箱を持つニコルはともかく、アスランは敬礼した。ここには議員の子息としてではなく、同僚の私物を家族に返却する軍人として来ている。
 タッド議員は足を止め、こちらを見た。息子が行方知れずになっているというのに、ひどく落ち着いた様子が印象深い。

「アスラン・ザラ、及びニコル・アマルフィ。子息ディアッカ・エルスマンの私物の返却に参りました」

 ニコルがそっと箱を手渡すと、タッド議員は静かに受け取った。手が空いたことでニコルもまた、アスランの横で敬礼した。

「ディアッカは戦闘中に行方不明になりました。でも、状況から考えて生存している可能性は十分にあります」

 気休めはいらない。それは決して強がりではなく、タッド議員は本当に息子の行方がわからないという事実をただ受け止めているようだった。

「そうか。ありがとう」

 そんな短い言葉を残して、タッド議員は箱を抱えたまま歩き去った。
 タッド議員を見送った後、2名の中道派議員が2人の前を通り過ぎて、4名の急進派議員が通った。急進派議員の中にはアスランに対して会釈さえする者もいた。
 アスランは2つの意味で顔をしかめた。1つはパトリック・ザラの息子だから急進派議員はアスランに会釈をしたのだ。そして、アスランと父の関係は一言で片づけられるものではない。
 扉が開かれて、姿を見せたのはクルーゼ隊長だった。ニコルが話しかけようとするが、クルーゼ隊長は先に扉を抑える姿勢を見せた。
 開かれた扉から、パトリック副議長が姿を現し、そのすぐ後ろにゼフィランサスが付き従っていた。ゼフィランサスは関心を示さなかったが、パトリック副議長はアスランを一瞥はした。
 その隙を逃さず、アスランは話しかけた。

「パトリック・ザラ副議長……」

 話しかける。こうでもしなければ足を止めてもらえなかっただろう。

「アスランか、話は聞いている。励んでおるようだな」

 表情は厳しいままで、父は議員としての顔を崩そうとはしない。

「だが、お前ならばより大きな戦果を得られるはずだ。お前はそういう存在なのだからな」

 パトリック副議長はそうとだけ言い残して、歩きだした。ラウ隊長も、そしてゼフィランサスもその後に続く。その姿を目で追いながら、アスランは自然と気持ちが沈んだ。父に相手にしてもらえなかった。そのことに加え、父であるパトリック・ザラがゼフィランサスを利用しようとしていることがわかっているからだ。
 今頃になってキラ・ヤマトの言葉が突き刺さってくる。ゼフィランサスを利用する者は許さない。そんな声が今にも聞こえてきそうな気さえした。
 父と隊長、そしてゼフィランサスの後ろ姿を見送ってからも、気づかぬうちに呆然としていたらしい。いつの間にか、穏健派議員が会釈なしにアスランの前を通り抜けていた。穏健派2人目の議員が通った時のことだった。ニコルがその議員へと駆け寄った。
 議員の名はユーリ・アマルフィ議員。国防委員を兼任するニコルの父親である。
 会議では穏健派にとって思わしい結果が出なかったのだろう。難しい顔をしていたが、ニコルの姿を見るなりユーリ議員は笑顔を取り戻した。
 ニコルと同じ癖のついた髪質が特徴の中年男性で、アスランとも面識がある。父親同士は対立する派閥にあるが、アスランが挨拶すると、返事を返してくれる。
 パトリック副議長は急進派の国防委員長。ユーリ議員は穏健派の国防委員。同じ委員会に勤める者として、戦争が激化し、派閥に分かれる以前には両家に交流があった。
 アスランにとって、ユーリ議員は初めて知った普通の父親であった。端から見ていても、ユーリ議員がどれだけ息子を気遣っているかがよくわかる。

「なにやら大変な事態に巻き込まれたみたいだが、怪我はしていないみたいようだね」

 ニコルはおどけて敬礼してみせた。笑顔でする敬礼など、この時初めて見た。ユーリ議員にしても、たどたどしい動きで敬礼し返した。

「時間はとれるのかい? それなら一度家に戻ろう。ロミナもお前に会いたがってる」

 ユーリ議員の妻、ニコルの母のことだ。とても優しく、温かい人で、ニコルの性格は母親譲りなのだと思える。ニコルも会いたいはずだ。しかし、それは叶いそうにない。

「いえ、本国には一時的に帰投したにすぎません。すぐにでも追撃に戻らないと」

 ユーリ議員はやはり笑顔を曇らせた。そのままの表情でニコルを抱きしめた。

「お前にはすまないと思っている。私に力がないばかりに、お前のような若者を戦場に送らなければならない」

 国防委員からは4名が最高評議会に参加している。その内3名は急進派であり、唯一穏健派として活動するユーリ議員を戦う覚悟のない臆病者とそしる風潮もある。息子であるニコルが戦場に出ることは、そんな父へのいわれのない非難をかわすことにも繋がっている。
 そんな、息子を危険な目に遭わせなければならない自身をユーリ議員は責めているのだろう。ニコルは優しく父の背中を撫でた。

「この作戦が一段落すれば、お休みが取れます。そしたら帰ってきます。その時は、またピアノを聴いてください」

 生物学的な父が曖昧なアスランにとって、この親子の様子は何とも不思議でしかし価値のあるものであるのだとは理解していた。




 アーク・エンジェルには捕虜を監禁する専門の施設は用意されていない。しかし、軍規に反した軍人に反省を促す懲罰房は存在している。ベッドが部屋の半分をしめるような狭い部屋で扉は無論、外側からしか鍵をかけられずいつも閉じられている。
 現在は例外的に開放されていた。
 ベッドには1人の男が座り、もう1人の男は室内で立っていた。さらに扉の縁に背をつけて男が立っていた。この部屋には合計3人の男がいる。
 立っている1人はずいぶんと背が高く、また年齢も残り2人よりも高い。ムウ・ラ・フラガ大尉である。ムウ大尉は扉にもたれかかっている男に注意を向けているようだった。扉の方では腕を組んで、キラ・ヤマト軍曹が話に耳を傾けていた。その額には包帯が巻かれている。

「いいか、お前は防御や回避よりも攻撃を優先し過ぎる。攻撃されると同時に反撃できる技能は褒めてもいいが、機体にダメージをためすぎる」

 手振りだけでムウはキラの戦い方を再現していた。右手の人差し指で左の掌をつく。同時に、左指は右人差し指に突き立てられていた。

「こんな戦い方をしてるから上位の相手には押し負けるんだよ」

 ラウ・ル・クルーゼとの戦いは1歩差の敗北であった。しかし、その戦いを何度しても1歩差で負けるだろうということを、キラは理解していた。

「でも少しでも攻撃して敵の数を減らさないとかえって不利になることがあります。少なくとも、僕はそうして生き延びてきました」

 ムウは首を振る。

「攻撃するなと言ってるわけじゃない。回避してから攻撃しろって言ってるんだ」

 口で言うだけなら簡単だろう。キラはそんな反感も相まって、表情は晴れない。若者特有の反骨精神というより自信の現れのとしてムウの言葉を聞き流そうとしていた。ムウもそれには気付いているのだろう。嘆息するほかなかった。そして、もう1人ため息をついた男がいた。
 男はベッドに座っている。キラやムウのように軍服を身に着けてはいない。白無垢の簡単な衣類だけである。この男、ディアッカ・エルスマンは捕虜として連れてこられたザフト兵である。ため息の理由は捕虜の尋問に来たはずの2人が、ディアッカに名前を聞いただけですぐに互いの戦術論をぶつけ合っているからである。もう一度ため息をついてから、ディアッカは不満を口にした。

「俺が言う事じゃないかもしれねえけど、……尋問はいいのか?」
「ディアッカ、だったな。俺は艦長殿より捕虜からできうる限りの情報を聞き出せと仰せつかっている。だが、優秀なザフト兵である君がそうそう情報を明かしたりもしないだろう。すぐに諦めましたじゃあ、怖い艦長殿は許してくれない。否応なしに一応頑張りましたってことを見せなきゃならない。そのためには時間はかけたと言っとけばいい。だが、時間を無駄にしたくもない。だから、今のうちに坊主と話を詰めておきたい。わかるか?」

 ディアッカは大げさではないが、それでも大きなため息をついた。ムウはかまわずキラとの会話を再会する。

「伝説的な技術がある。聞いたことはないか?」

 キラもディアッカも反応を示すことはない。

「敵に最も速く接近するためにはどうすればいいか。簡単だ。一直線に全速力で突っ込めばいい。だが、必死な敵さんは攻撃してくる。速く近づきたいが、痛いのは嫌だ。そんな時どうする?」

 相変わらず答えない少年2人に、ムウはいたずらっぽく笑う。

「これも簡単だ。敵の攻撃をミリ単位で見切ってかわせばいい。そうれば限りなく直線に近い動きで敵機に接近できる」
「机上の空論だな。できるはずがない」

 これはディアッカの指摘である。キラは、以前より真剣な眼差しでムウを見ていた。人間の格闘技においてもミリ単位で見切るなど達人の域に達する。それを巨大なモビル・スーツや重戦闘機で行うとすればどれほどの技能が要求されるかわからない。

「もしできるとしたらどうだ? モビル・スーツのように格闘戦で絶大な威力を発揮する機体がこんなことをしてのけたとしたらどうなると思う?」

 ムウは指を鳴らした。その音は極めて大きく、この話の雰囲気と良く合う。ディアッカにとっては、その誇張され加減が。キラには、その戦法が持つ意味の大きさが。

「ハウンズ・オブ・ティンダロス。俺はこの技を体得している人間を、少なくとも3人知ってる」




「スカイグラスパー?」

 作務衣に油で汚れた手袋。髪留めではまどろこしいとバンダナを額に巻いた。無論、化粧など論外だ。技術屋の正装をその出で立ちとしてナタル・バジルールは格納庫に吊り下げられた重戦闘機を見上げていた。
 翼を持つ明らかな大気圏内用の機体である。白と青で塗装され、配色はGAT-X105ストライクガンダムと似ているように思える。要するに、視認性など度外視した実験機ということだ。これが2機並んでいる。
 ナタルのすぐ横に立つコジロー・マードック主任が髪を書きながら答えた。

「へえ、いや、はい。ラタトスク社が押しつけてきたもんでアーク・エンジェルを体のいい宅配便にしたいんだじゃないですかね?」
「実戦には?」
「ちょっと手を入れればすぐにでも使えるようになりますよ。あの会社、実験機の方が量産機よりも強いってことがざらですからね」

 ガンダムなどその最たるものであろう。同じラタトスク社製のメビウスもその試作機であるはずのメビウス・ゼロの方が高性能である事実もあるのだ。ラタトスク社としてもアーク・エンジェルが無事アラスカに降りられれば試作機を送り届けることができる。仮に地上で交戦することになっても新兵器の実験ができるくらいに考えているのだろう。

「余計なものを……」

 ラタトスク社としてもアーク・エンジェルがストライクを頼りにここまでたどりついたことでよい宣伝になったことだろう。軍需産業の手の上で踊らされているようで腹が立つが、如何ともしがたい。今の大西洋連邦、そしてアーク・エンジェルにはガンダムが必要なのだ。
 ナタルは歩き出すことにした。格納庫にハンガーで固定されたストライクの修復はまだ完全には完了していない。

「シャトルかなんかで新型だけでも先に降ろすとかできないんですかね?」
「ザフトも警戒していることでしょう。ザフト地上軍の制空権が広大な中、戦闘能力を持たない大型シャトル単体での降下は撃墜の危険がどうしても拭えない」

 最悪撃墜されて終わりだ。
 さっさとストライクだけでも降ろしてしまいたい、そんな気持ちは理解できる。しかしザフトも最後の意地を見せてくることが考えられた。ユニウス・セブンの戦闘で中破したストライクの修復。コジローのくたびれた姿からその苦労はうかがい知れる。だが、まだまだ苦労してもることになるだろう。

「ストライクの修復状況は?」
「いかれてたフレームを取り替え終わったところです。正直ぼろぼろでパーツをかなり喰われました」

 ストライクにはすでに整備士がとりついている。マードック主任の言葉通りフレームこそ形を取り戻しているようだが、まだ完璧にはほど遠い。特に頭部周りは複雑な配線と高級センサーの取り扱いから難儀させられそうだ。
 歩いた分だけストライクに近づく。よりストライクの頭部の惨状が目に付くようになる。整備士の一人が絶妙なタイミングで設計図を手渡してきた。西暦からC.Eに変わって70年が経つというのにこのような現場ではいまだに紙が重宝される。決して故障しない。そんな言葉の魅力が痛いほどよくわかっている人の群だからだろうか。
 設計図には子どもがクレヨンで殴り描いたように幾本もの線が混沌とのたうっている。ゼフィランサス・ズール主任なら作業の進捗さえ把握した上で完璧な指示を送っていたのだが。

(こんなこと主任でなければ不可能ではないのか……?)

 設計図から顔を上げると、頭部の周囲に張り付いている整備士たちがナタルの指示を待っていた。

「主任がいないとこうも大変だとはな……」

 覚悟の決め時だろう。格納庫の奥をふと見やると、アーク・エンジェルの修復に奔走している別の班の様子が見える。

「あちらの修復班とは競争だな。マードック主任、不眠不休とまではいかないが、まだこれからが正念場となりそうだ」
「そうそう、デュエルの修復もだいたい終わりました。OSやアプリやらのの確認、後でお願いします」

 作業に取りかかろう。そう一歩を踏み出したところで、ナタルは早速足がとまった。

「ゼフィランサス主任……」

 どんな複雑なプログラムでも感覚として把握し、バグを取り払う少女がいたことを、ナタルは思い出していた。




「軍人になるなんておかしいですよ、フレイさん」
「どうしようと私の勝手でしょ」

 こんなやりとりを頭の中で反芻して、アイリス・インディアはブリッジのハッチをくぐり抜けた。ヘリポリスで1度だけ足を踏み入れたアーク・エンジェルのブリッジはひどく閑散としていた。癖の強い髪をした若い男性が手に持つ資料から顔を上げて人の良さそうな顔を見せた。

「民間人の立ち入りは禁止だよ」

 見たことくらいはあるかもしれない。アーク・エンジェルの軍人で、でも誰かなんてわからない。焦る気持ちと整わない呼吸はアイリスから名前を尋ねる、そんなありふれた選択肢さえ奪っていた。

「あの……」
「ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世」
「ダリダさん、そのフレイさんが軍人になるって!」
「ああ、志願兵としてね。……聞かされてなかったのかい?」

 驚いた時人は同じ顔をする。目を開いて、瞳孔を広げて。きっと、フレイが志願したと聞かされたアイリスも同じ顔をしていたのだろう。

「やめさせてもらうこととかできませんか?」
「いや、私は担当者じゃないから……」

 まだ若い人で階級--階級章の見方なんてわからない--も低い人なのだろう。話は何だか要領を得ないで頼りない。

「ナタルさんは、ナタルさんはどこですか?」
「格納庫で急ピッチで作業にあたってる。よほどのことじゃないと連絡は……」
「アーノルドさんていますよね。アーノルド・ノイマンさん!」
「いや、あいつは医務室の方に。ユニウス・セブンの出撃で搭乗機が撃墜されて……」

 メビウス・ゼロにムウ・ラ・フラガ大尉の代わりに搭乗していて時間稼ぎをしていた。そんなアイリスは知らないし、今知ってもどうしようもない情報をわざわざ教えてくれる。

「ジャッキーさんに会わせてください!」

 これで、アイリスが面識のある軍人さんの名前を全部挙げてしまった。そろそろ息が整ってもいい頃なのに、なかなか動悸が収まらない。
 ダリダはなかなか話し出してくれない。こちらは焦っているのに。

「あいつは……、ユニウス・セブンで戦死しました。ブリッツを攻撃する班で、ミストレルじゃジンから逃げ切れなくて……」

 だからどうでもいい。一つの事実として、アイリスはローラハの言葉の半分は聞こえていなかった。きっとまだ何かつけくわえているのだろう。その言葉を無視するように、アイリスは言葉をしぼりだす、ただそれだけのことに喉を酷使することを強いられた。

「私は……、どうすればいいんですか? フレイさん、ちょっと自棄になってるだけなんです!」
「しかしすでに志願は受け付けられている。私ではどうにも……」

 そう、どうしようもないことなんてわかってる。何かしようとしてもできることなんてないことも。ブリッジの扉が開く音がした。もしかしたら誰か知っている人かもしれない。何分の一かの期待で振り向いて、神様のいたずらを呪った。

「フレイさん……」

 白い上着にタイト・スカート。ナタルが身につけていたのと同じ軍服を身につけたフレイがアイリスの横を通り過ぎた。ローラハの前にまで来るとまるで見せつけるように敬礼の姿勢をとった。

「敬礼って、これでいいんでしょうか?」
「ああ、うん。少し足が開いてるから力を入れて、後、指はそろえてまっすぐ伸ばせばいいと思うよ」
「フレイさん!」

 特に何でもない。フレイの横顔はそんな顔をしている。感情がこもらない、そんな人の顔はこうも冷たく見えるものだろうか。ゼフィランサスは努めて感情を表に出さないようにしていただけだとしても、今のフレイは無理矢理押し殺していた。

「ここは民間人は立ち入り禁止だって。早く出てったら?」

 もう振り向いてもくれない。
 胸にそのままのし掛かってくるような重さに息ができなくなる。実際はかすかに肺は呼吸を続けていて、その分だけ息苦しさが実感となってアイリスの言葉を詰まらせた。
 また扉の開く音がした。もう、期待することはやめてしまうと振り向く必要がない。

「フレイ! 軍人になるって……」

 声からわかる。サイ・アーガイルだ。フレイに詰め寄ろうとしてその軍服姿に唖然としたのだろう。何かの間違いであってほしい。そんな期待を一息に吹き飛ばされる気持ちなら、今のアイリスには理解できた。
 足音はまだほかにもしていた。きっと仲間たちがそろっているのだろう。

「今なら志願取り消しもできるかもしれない。友達も心配している。君は本当にそれでいいのかい?」
「別に私が死んでも困る人なんていませんから」
「フレイ……!」

 アイリスの脇を抜けてフレイに詰め寄ろうとしていたサイを、フレイは睨みつけるだけで拒絶する。鋭い眼差しにサイは明らかにたじろいでそれ以上近づけない。

「あんたたちはとっとと家族のところに帰ればいいでしょ!」
「ちょっとフレイ、そんな言い方!」

 ミリアリア・ハウの言葉にも、フレイは鼻で笑ったように哄笑を作る。アイリスを含めた女子3人でいる時には、恋人であるトール・ケーニヒとの関係を相談するミリアリアに呆れることはあっても一度だって馬鹿にしたような顔なんてすることはなかった。

「いいよね、あんたたちは。パパもママも無事で。それで私の何がわかるって言うの? 私の悲しみなんてわかってもない癖に! お願いだからやめて。私のことわかったふりして同情するの!」

 帰るところがないから、迷惑をかける人がいないから軍人になる。そんなことはどう考えてもおかしい。軍人になる真っ当な理由なんてアイリスには想像もつかない。それでもおかしいことだけはわかる。
 わかるからとめたくて、とめられないことも理解していた。自分の境遇を盾にするならその盾を外してみせる。

「ダリダさん! 私も志願します」

 手を挙げた。仲間たちが驚く中、ダリダはある意味ではさすがに軍人である。驚くよりも先に現状の把握を優先しようとする。

「だから私は担当者じゃ……」
「じゃあ担当の人、呼んできてください!」

 煮えきらない態度の軍人をアイリスは手でブリッジの外へと押しだそうとする。
 家族がいないということならアイリスも同じだ。他の仲間たちにはできなくてもアイリスなら軍人になることができる。フレイと同じ状況になることができる。そうすればフレイもきっと話を聞いてくれる。

「同情で死ぬつもり?」
「フレイ、いい加減に……!」

 動いたのはサイだった。フレイにわからせようと今度は怯むことなくフレイに歩み寄るとその肩を強く掴んだ。力では男性の方が強い。フレイの体は揺さぶられてその胸元から、黒い塊が宙を漂った。
 始めは何かわからなかった。拳ほどの大きさで、筒状のものにグリップがついていた。フレイがサイの手を強引にふりほどいてそれを上着の下にしまいこむ。その直後に、それが何かわかった。
 拳銃である。
 
「フレイさん、そんなの、一体どこで……?」
「どこだっていいでしょ!」

 仲間たちを突き飛ばす勢いでブリッジを離れようとするフレイを誰もとめることはできなかった。




 化粧などすでに拭い、身につけている服はつなぎの作務衣。格納庫脇にいくつも並べられた寝袋の中で、ナタルは目を閉じていた。突然アラームが鳴り始める。警報ではない。ありふれた目覚まし時計の音である。
 すると、寝袋の芋虫たちが一斉に起きあがった。即座に腕時計を確認するナタル。

「よし! 2日で2時間。上出来だ!」

 休んでいる時間はない。整備士たちが作業に戻り始める中、ナタルもまた足早にストライクを目指す。




 射撃訓練場に銃声が幾度となく響きわたる。人型のスコア・ボードの頭及び胸の部分に穴が開いてしまうほどの弾痕が見られた。銃声がやむ。キラが銃に新たなカートリッジを差し込むまでの間、射撃場は静寂に包まれた。
 そして新たな銃声。ボードの額に新たな穴が開く。

「思ったより集弾率が悪いな。これだから粗製乱造の量産品は」

 この銃は大西洋連邦軍に所属する際に支給されたもの。銃の構造は200年前からそんなに大きく変わっていない。ケースレス弾に低反動。低重力下で使用されることを想定した改良こそされているが、キラにはどうしてもオートマチックが手に馴染まない。リボルバーに比べて引き金が軽いせいだ。
 次に放った一撃は狙った箇所よりもやや上にずれた。リボルバーに慣れた指が力を込めすぎてしまうことが原因だ。射撃ではいつもアスラン・ザラに及ばなかった。やはりキラには殴り合いが似合っているらしい。

「ハウンズ・オブ・ティンダロス……」

 大尉の言っていた技術は理論上は可能だ。直進できれば最速で接近できる。反撃を必要最小限の動きでかわせば接近軌道は直線に限りなく近くなる。生身でさえそのような見切りは達人の境地だ。モビル・スーツで実践するとなると誤差が10倍にも跳ね上がる体で敵の攻撃をみきる必要がある。人間業で可能なのか。この言葉はキラにとってより大きな意味を持つ。

「ゼフィランサス。僕は必ず君を取り戻す」




 船医の許可がおり、久しぶりのブリッジでまず話しかけてきたのはローラハ伍長であった。ローラハ伍長はアーノルドの額に巻かれた包帯と腕をかばうような仕草を気にかけているようである。

「アーノルド少尉、もう動けるのかい?」
「ああ、心配かけてすまない」

 しばらくベッドの住民であったが、ブリッジは特に大きな変化を見せていない、はずだった。
 だが、クルーたちの中に鮮やかな桃色の髪を見つけた時、その衣服が軍服に変わっている事実をアーノルドの目は目敏く認識した。懇親会では戦いの服など着ていなかった。

「インディアさん……」
「アイリスでいいです。まだ二等兵ですから」

 いつもは首の後ろでまとめているだけの髪を今は三つ編みに束ねている。少しでも動き易さを重視してのことだろうか。詳しい事情を訪ねるまもなく、ブリッジの扉が開く鋭い音がした。姿を現したのはラミアス艦長と、そのすぐ後ろの少年兵。

「新しい志願兵を紹介します。サイ・アーガイル二等兵」

 艦長に促され、少年兵はたどたどしいながらも敬礼の構えをする。

「はい。サイ・アーガイルです。若輩者ですがご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」




 第8軌道艦隊の船団が並ぶ光景が徐々に遠ざかっていく。
 オーブ首長国を目指して降下を開始したシャトルの窓には2人の少年少女の顔があった。トール・ケーニヒ。ミリアリア・ハウである。
 2人は大艦隊の中にそれでも目立つ純白の戦艦を、その姿が見えなくなるまで眺め続けていた。
 宇宙は静かに、アーク・エンジェルとシャトルとを隔てていた。




 プラントの国防を担い、兵器研究からザフトの指揮権を有する部署である。パトリック・ザラ最高評議会副議長が委員長を兼任し、委員会からはパトリック副議長を含め4名の議員が選出されている。地球連合との戦争が長引くにつれてプラント市民の支持を獲得し、その影響力と資金力が年々の増加している部署である。
 国防委員会委員長室とはまさにプラントの力が束ねられる中枢ともいえる場所だった。だが、そこに血なまぐささはない。硝煙の香がすることもなかった。前線の兵が感じる死とも恐怖とも無縁の場所だった。そんな場所が、一体誰を死地に送るのか、どれだけのナチュラルに死を強いるのかを定めるのである。
 天井は通常と同程度の高さしかない。しかし、面積は50平方mはあろうかという広さがある。1つしかない扉から離れた位置に机一式が置かれている。だがそれだけで、他に調度品の類はない。天井には証明が均等に並べられているが、一部しか灯されていない。扉から机にいたる道と、机そのものを照らしているだけである。
 光の道には仮面の男を従えた漆黒の姫君が、光の照らす机にはいかめしい顔をしたこの部屋の主が鎮座していた。
 パトリックは少女を眺めていた。淡い光の中で、少女はその赤い瞳をそらそうとしない。

「ナチュラル共に与する同志がガンダムを作った。それがヴァーリだと知ったとき、私は笑ったよ」

 表情は変わらない。ただ口が動いて少女の声がした。

「お笑いになった……?」

 副議長は笑っているつもりなのだろう。しかし、その表情からいかめしさは消えてはおらず、不敵とも高圧的ともいえる笑みになっている。

「失われたズールが敵に捕らわれながらも兵器の開発を続け、そしてその技術を今もってわれらのために使ってくれるというのだ。腹が立つより、いじらしいではないか」

 今度は、ゼフィランサスからの返事はない。かまわずパトリックは続けた。

「君の生み出したガンダムだが、ビームにフェイズシフト・アーマー、実に素晴らしい。ガンダムとは、この2つの力によって定義付けられる最強のモビル・スーツの名称となることだろう」

 すると、ゼフィランサスは右手をまっすぐにパトリックへと伸ばした。単に呼びかけるための仕草にすぎないのだが、まるで、呪文でも唱えるかのような雰囲気がある。

「いいえ……。私はガンダムに3つの力を与えました……。ビームというすべてを貫く矛と……、フェイズシフト・アーマーという強固な盾……。それに心を……」

 心。
 この言葉の意味をパトリックは理解しなかった。だが、そんなことをおくびにも出すことはない。国防委員長としての威厳を崩さないまま、あくまでも偉丈夫であることを固持して声を張り上げる。

「その力を、今度はプラントのために造りたまえ!」

 大げさな手振りであった。パトリックはいつもこのように敵を萎縮させ、味方を鼓舞してきた。だが、ゼフィランサスは静かに、その言葉を受け止めるだけであった。

「ガンダムを造ればいいの……?」
「誰がガンダムを造れと言ったかね? ガンダムを超える機体を……」

 反対にゼフィランサスの仕草は小さなものだった。ほんの一歩机に近づく。

「いいえ……。私が造るのはガンダム……」

 何であれ、ナチュラルよりも優れた機体を生み出せるのであればそれで構わない。パトリックは嗜虐的な笑みを形作る。ナチュラルどもが頼りにしていた力がナチュラルどもを駆逐する。その抹殺すべき対象の中には白亜の戦艦も含まれているのだ。
 パトリックの意向に従いかつての仲間たちを害することも辞さない。コーディネーターの力はプラントのためになければならない。悪魔に魂を売った魔女を神の威光の下に取り戻した。高潔な司祭のような愉悦を、パトリック・ザラ国防委員長は味わっていた。



[32266] 第10話「低軌道会戦」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:21
 地球をその眼下に見下ろす低軌道上に、アーク・エンジェルはその白い艦体に青い光を写し取っていた。まもなく降下時間を迎えようとしている。アラスカの大西洋連邦軍総司令部ジョシュアへと降下をすべく時を重ねていた。
 大気圏突入における高熱に耐え目的の地点に降下するためには、タイミングと突入角が重要となる。定石をはずすことは許されない。定められた時間に定められた角度で降りなければならない。時間は計算によって求められる。すなわち、ザフト軍にさえその時刻を確かめることは容易であった。
 メネラオス級を旗艦とし第8軌道艦隊が布陣を描く。アーク・エンジェルを守るべく作れた壁は、ザフト軍の放つ燐光を前にしていた。
 出撃するTS-MA2メビウス。総数は約150。アサルト・ライフルを構えたZMF-X1017ジン。総勢約30機。ほぼ5倍の戦力差ながら戦術論に則るなら互角の戦力である。それほどまでに地球軍とザフト軍の技術力には多大な開きが認められた。
 しかし、利点は必ず欠点と対をなす。ザフト軍は30機のジンで十分と考えた訳ではない。30機をそろえることが精一杯なのだ。数を揃えることのできない国力差を、その技術力、パイロットの練度で補わざるを得ない。仮に地球軍がモビル・スーツの量産に成功すればザフトはその質的優位を失い、圧倒的な数に押しつぶされる。
 ザフトはガンダムを破壊しなければならない。この4年にわたった戦争のバランスをたやすく突き崩しかねない兵器であるのだから。大西洋連邦はガンダムを欲している。この止まった戦争を動かすために。
 第8軌道艦隊の布陣は戦艦1隻の護衛にしては何とも物々しい。ガンダム1機を守るにしては、それは妥当するとも不自然であるとも言えた。ガンダムにはそれほどの戦力を投入する価値がある。しかし、狼を守るために番犬をつなぐことなどあるだろうか。
 戦闘が開始された。メビウス、ジンの両主力機が前哨戦としてその砲火を交えた。
 放たれるレールガン。幾条もの高速弾がモビル・スーツの群に飛び込み、不注意なジンが胸部ジェレーターを撃ち抜かれるとともに爆散する。しかしほとんどのジンは小刻みな軌道を繰り返しレールガンの網を抜けてメビウスへと接近する。
 ジンの放つアサルト・ライフルの弾丸がメビウスの装甲に次々と穴を開け、撃墜されたメビウスは爆発することもなくコントロールを失い飛び去っていく。すると、ジンはくるりと体をひねり真後ろを向くなりさらにライフルを斉射する。ジンとすれ違うように飛行していたメビウスの無防備な腹を突き抜けた弾丸は今度こそ派手な爆発を披露した。
 推進力と機動力とは異なる概念である。メビウスは確かに最高速こそジンに勝るが、宙間戦闘における小回り、射角ではジンと比べるまでもなく劣っている。
 これが5倍とまで言われるキルレシオを支える理論であった。
 メビウスは、ジンの猛攻を前に驚くほどの早さでその数を減らしていた。




 GAT-X105ストライクのコクピットの中にも戦況は伝わっている。メビウスの劣勢。そんなことはわかりきっていたことだと、キラ・ヤマトはヘルメットをかぶる。
 ザフトは10年以上も前からモビル・スーツを開発し準備を進めていた。当時メビウスは存在しなかったが、宇宙戦闘機を仮想敵として武装、戦術も開発されている。一日の長はザフトにあるのだ。
 キラははじめから地球軍には期待などしていない。

「バジルール少尉、出撃します。ハッチの展開お願いします」

 モニターをつけるなりそこに声を吹き込む。ブリッジのナタル・バジルール少尉の顔が映し出された。

「君には待機命令が出ている」
「ザフトにはガンダムがいる。あなたにだってわかっているはずだ。ガンダムを倒すには、ガンダムであたるしかないことくらい」

 たとえメビウスがどれだけ時間を稼いでもガンダムが出てくれば防衛線なんて簡単に突破されてしまう。それがわからない技術士官でもないだろう。そして、アーク・エンジェルのクルーならガンダムの恐ろしさはよくわかっているはずだ。
 防衛対象が最前線に立つことは矛盾だが、ガンダムは守る価値があるだけ、戦わせる価値がある。それだけの性能を有する機体であるからだ。キラは確信していた。出撃許可は下りると。

「出撃は許可された。だがこれだけは心に留めてもらいたい。我が軍の最重要目的はあくまでもガンダムをアラスカに届けることなのだということを」
「了解」

 敬礼する。これまで大西洋連邦軍に在籍していたことはなかったが、主な軍隊の敬礼の仕方なら大体頭に入っている。
 ストライクはすでにカタパルトまで移動を終えている。暗く、周囲の視界は不鮮明。ハッチが開けられさえすれば地球の光が戦場を見せてくれる、与えてくれる。

「ストライカーはどれを選択する、ヤマト軍曹?」

 ストライクガンダムの換装用のバック・パックはストライカーと呼ばれ、3種が用意されていた。
 ソード・ストライカー。アルテミスにおける戦闘でザフト軍ローラシア級の撃沈に使用された白兵戦用の装備は、ビーム・サーベル、対艦刀と呼ばれる巨大な刀を武器に近距離に特化した武装である。
 ランチャー・ストライカー。ユニウス・セブンにおいてアスアン・ザラのGAT-X103バスターガンダムとの撃ち合いに使用した。高火力で敵を一方的に殲滅することを目的としている装備だが燃費が激しく、長時間の使用には向いていない。

「エール・ストライカーをお願いします」

 そして、今回キラが使用を選択したのは最後のエール・ストライカー。大きな水平翼が特徴であり、追加スラスターまで取り付けられている高機動装備である。汎用性を重視した装備であり、ビーム・ライフルとシールドが常備されている。
 地球降下までの限られた時間で広範囲の敵を相手にするためには都合がいい。何より、ハウンズ・オブ・ティンダロスの練習には機動力が必要となる。
 背部からウイングを備えたバック・パックがストライクに接続される。それは瞬時にストライク本体に認識され、モニターには新たな武装が追加されたことが表示された。ビーム・ライフルとシールド。
 やがてハッチが開かれ、地球の青い光が途端にカタパルトを照らし出す。リニア・カタパルトのブリッジが左右から突き出すように延びている。

「進路、オール・グリーン」
「キラ・ヤマト、ストライク、出撃する!」

 カタパルト脇のランプが進路クリアを伝えるべき緑に変わる。まず足下のカタパルトがストライクを押し進めるとともに、背中に取り付けられていたバッテリー・ケーブルが外される。中空に投げ出される形でストライクが飛び立つ。両脇に展開されていたリニア・カアパルトがさらに加速させた。
 アーク・エンジェルから飛び出したストライクの前には地球が眩しいまでの輝きを放っていた。
 そして、後ろではすでに戦闘が火花を咲かせていた。機体の向きを変え、スラスター出力調整用のアクセルを踏み込む。エール・ストライカーはストライクを軽やかに進ませた。
 大西洋連邦の艦隊がジンを寄せ付けまいと砲撃を途切れさせない。その間をジンがかいくぐり、アサルト・ライフルで攻撃を加えている。しかし戦艦の分厚い装甲を破壊することは簡単ではない。攻撃を加えては対空砲火に追い払われるジン。戦艦が壁としてザフト軍の侵攻を食い止めているようだった。
 キラは、攻めあぐねいているジン、その内の1機に狙いを定めた。ライフルを向ける。初撃で撃墜してしまうつもりはない。こちらに気づかせるために敢えて外して放つ。
 ビームの輝きが近くを通り抜けたことで、ジンはストライクにモノアイを向け、アサルト・ライフルを構えた。キラはさらに機体を加速させた。

「そうだ……、撃ってこい!」

 アサルト・ライフルの銃口から無数の弾丸が発射される。ストライクの体をひねる。弾丸は頭部をかすめるように通り過ぎていく。加速は止まらない。かわせた。
 しかし、ジンがほんの少し手首をひねっただけで、弾道は大きく軌道を変える。点ではない線としての攻撃はストライクの動きを捉え、装甲を輝かせた。最低限の動きでかわそうとすると相手が狙いを変えたときにすぐに反応できない。完全にかわしきろうとストライクを大きく動かすと、とても直線とは言えない軌道を描いてしまう。敵の攻撃を最低限の動きでかわし、最短距離を最速で駆け抜ける戦法は、聞いただけで再現できるほど生やさしいものではなかった。
 結局、フェイズシフト・アーマーの防御力を頼りに強引な接近を果たす。キラは迷わず引き金を引いた。ビームがジンの腹部を貫き、遅れて生じた爆発が胴を引き裂いた。
 まだ次がある。キラはすでに別のジンを捉えていた。距離は適度。もう一度技を試そうと加速する。味方が一撃で撃墜されたことを見ていたからだろうか。標的のジンは攻撃もせずに逃げだそうとした。
 エール・ストライカーの機動力で距離を詰め、後ろからコクピットめがけてビームを叩き込んだ。ジンが爆発する頃には、キラの関心は移っていた。

「ジン如きじゃ練習台にしかならない」

 ストライクが首を振った。センサーが集中する頭部が効率よく情報を集めようとする。

「アスラン、どこだ……、どこにいる?」

 ストライクのコクピットにヘルメットを通したせいか、低く、底知れない感情がこもった声がした。




 カタパルトに乗せられたMA-TS2.mod-00メビウス・ゼロのコクピットの中で、久しぶりの愛機での出撃にムウ・ラ・フラガは体を伸ばした。

「それじゃあ、俺も行ってくるとするか」
「出撃準備整いました。出撃、どうぞ」

 事務的で、ずいぶんあっさりとしたナタル少尉の言葉。キラの時とは偉い違いだ。

「ストライクはキラに譲ってやるべきじゃなかったか?」




 新型の動きを目にすることは、ハルバートン少将にとって初めてのことであった。高い攻撃力を誇る。それはメビウスに毛の生えた程度のことだと捉えていた。防御力が極めて高い。しかし、まさかジンの攻撃を無傷で耐えられるとは考えていなかった。
 ストライクは瞬く間に2機のジンを撃墜してみせた。まさに嬉しい誤算である。新型を開発したのも、それを操るのもコーディネーター。コーディネーターというものはいつも想像を越えることをしてくれる。

「コーディネーターとは、やはりすごいものだな」

 艦長であるハルバートン小将がこう独り言をもらす余裕がある。それほどに、アガメムノン級メネラオスのブリッジは緊迫感とは無縁だった。戦力はほぼ互角とは言え、条件ははるかに有利だった。アーク・エンジェルが降下してしまえば勝ちなのである。ストライクの活躍もあれば負けることはない。
 そんな空気を一変させたのは、やはり新型の一挙手一投足であった。
 ブリッジ・クルーの1人が友軍であるネルソン級が撃沈されたと声を張った。モニターにはありえないものが映っていた。戦艦が黒い煙を上げながらブリッジを消し飛ばされていた。この被害は十分に驚愕するに値するものだが、このことがブリッジの心胆を冷やしたのではない。
 レーダーにない、存在しないはずの機体が戦艦の残骸に立っていた。漆黒の体でありながら宇宙の闇に存在感を譲ることはない。GAT-X207ブリッツガンダム。この姿が、消し飛ばされた僚艦のブリッジの前にあった。
 たしかに高度なステルス性を有していると聞いている。だが、まさかこの時代のレーダーに、それも多数の戦艦、メビウスの誰もが気づかないほどとはとてもではないが考えてはいなかった。未知の電波障害が頻発してるとしてもだ。

「メビウスを向かわせろ。逃せば取り返しがつかん!」

 レーダーに映らない機体を野放しにしては、視野の狭い戦艦では完全に見逃してしまう可能性が高い。1個小隊のメビウスが向かう。ところが、ブリッツは突然レーダーに投影されるようになる。

「フェイズシフト・アーマーを展開したということか……」

 ハルバートン小将の予想の答え合わせを買ってでたように、ブリッツはメビウスのレールガンを事も無げに弾いた。ブリッツ右手のライフルと左手の射出兵器がメビウス2機を1撃で撃墜する。小隊最後のメビウスはブリッツの蹴りを機首に浴びて破壊された。
 ジンを相手にしたとて、こうも圧倒的ではない。ブリッジの誰もが絶望的な眼差しでこの光景を眺めていた。だが、誰もがこのことに絶望していたわけではない。中には、友軍との通信を怠らないクルーもいたのである。そのクルーは残念なことに、さらなる絶望をハルバートン小将に伝えた。別のネルソン級がGAT-X103バスターの接近をうけているというものだった。
 ミサイル艦として対艦、対要塞が期待されるネルソン級は高い攻撃力を誇るが、基本設計からはすでに40年が立ち、モビル・スーツとの戦闘などそもそも想定されていない。連続して吐き出されるミサイル。直撃すればモビル・スーツを一撃で破壊する攻撃力をミサイルが群となったバスターへと向かう。
 これほどの火力ならば撃墜できる。それが戦術というものだ。
 バスターはライフルを放つ。視認できる輝きがミサイルの間を斜めに横切る。その高熱は直撃することもなく次々ミサイルを誘爆させ、巨大な火花にミサイルが呑み込まれていく。
 メネラオスのクルーの誰もがバスターの姿を見失っていた。爆発の余波、衝撃、次第に落ち着きを取り戻す光景の中にバスターの姿を見いだした時、しかしすべてが遅かった。
 2丁のライフルを連結させたバスターの姿がネルソン級の上空にあった。ハルバートンはメネラオス級のブリッジにてただその様子を眺めていることしかできない。
 光の柱がまずはネルソン級のブリッジに突き立てられた。そして、裏側へと吹き出す。さらに2度の攻撃が装甲を吹き飛ばす。鉄槌を打ち込まれたように開けられた3つの穴は戦艦の上を一直線に並んでいた。穴からは火と煙が溢れている。炎は戦艦を縦断し、応力が艦体そのものを歪ませる。やがて、被弾箇所に沿う形で戦艦が2つにちぎれた。
 メネラオスのブリッジでは沈黙が重苦しい。
 脆弱な戦艦のブリッジが破壊されたなら受け入れようもある。だが、バスターは戦艦そのものを破壊してしまった。規格外の性能が奇想天外な光景を演出してしまったのだ。
 わずか数分の出来事であった。戦艦が撃沈されるにはあまりに乏しいはずの時間で、第8軌道艦隊はその防衛線に突破されてしまったのである。




 ガンダムの猛攻を、ナタル・バジルールはアーク・エンジェルのブリッジに響かせた。

「バスター、ブリッツ、防衛線を突破しました!」

 ブリッジ・クルー、特にマリュー・ラミアス艦長の焦りようは手に取るようにわかった。右手で口元を押さえている。だが、左手は艦長としての威厳を保っていた。マリュー艦長は左手をナタルへと力強く伸ばした。

「ナタル小尉、デュエルを出撃させなさい。出撃準備、急がせて!」
「しかしパイロットは……?」
「……アイリス・インディア二等兵に操縦させなさい」

 一瞬聞き間違えたかと我が耳を疑ったほどだ。

「アイリスを……? 何のご冗談かわかりませんが、アイリスは軍属になったとは言えただの学生にすぎません」

 そもそもアイリスが入隊すること自体、ナタルは反対だった。ストライクの修復に時間をとられていなければ止められたのだが、一少尉に決定を翻す力などない。
 座席を回し、艦長へと体を向ける。聞き違えたと考えた訳ではない。冗談だと片づけてしまうには、マリュー艦長の顔は--普段通りといえばその通りだが--真剣そのものであった。

「まさかコーディネーターを便利な道具とお考えか? ヤマト軍曹のようなことができるはずがありません。アイリスにそのようなことはさせられません!」

 訓練も受けていない。軍人になるまではただの学生だった。そんなアイリスがモビル・スーツに乗った途端活躍するなどあり得ない。みすみす、死にに行かせるようなものだ。
 コーディネーターがそんなに便利な存在であるはずがないのだ。
 ナタルはヘッドフォンを外す。これはそんな命令を格納庫には伝えられないという意志表示であるとともに、艦長に投げつけてやれる武器にもなる。そんなナタルの意志を挫くように、新たに友軍艦が撃沈されたという報告が入る。ナタルがそのことに気を取られた隙をつくように、マリュー艦長はまくし立てた。

「これは上官命令です!」

 ナタルはヘッドフォンを持つ手に力を込めた。

「あなたは卑怯者だ! 本当にアイリスを戦わせることで危機から脱出できるとお考えか? コーディネーターは万能ではない。あまりに安易な手にすがろうとしてるだけだ!」

 艦長からの返事はなかった。代わりに、撃鉄が引き起こされる小さな音。マリュー艦長がナタルへ銃を向けていた。

「これ以上は艦長批判と判断します、ナタル・バジルール小尉」

 ナタルには銃を携帯する権限はない。このまま粛正されるのもいいかもしれない。少なくとも、アイリスに対する言い訳ができる。しかし、ナタルが死んだところでアイリスが戦場に行かされることに変わりはない。それならせめて、彼女が生還できるようオペレートするほかない。
 ナタルはヘッドフォン・マイクをつけなおした。我が身かわいさにアイリスの命を差し出すのだと思うと、ずいぶんと冷めた気持ちになった。自然と表情が落ち着いた。
 椅子にかけなおす前に、ナタルは最後に問いかけておきたかった。

「ゼフィランサスをザフトに差し出した時はどんなお気持ちでしたか?」

 大切な手駒を失うことへの焦燥。それとも子どもを犠牲にしてしまうことへの罪悪感だろうか。正直、答えを期待してはいなかった。返事を待つことなく、ナタルは椅子に戻った。銃をしまいなおす音がしてから、マリュー艦長のお言葉があった。

「デュエルの出撃準備を急がせて」

 気のせいかもしれない。そうだとしても、この声には子どもを戦わせることへの躊躇と、それでも戦わせなければならないのだという決意、そして、心変わりが起きる前にことをすませてしまいたいという懇願が含まれているように感じられた。




 出撃命令。まだとても実感がわかない。軍人になるということ、敵と戦うということがどんなことか理解していた気でいても、それがどのようなものなのかなかなか想像できない。
 人を殺すとはどんな気分なのだろう。案外と簡単にできてしまいそうな気がして少し怖い。できないとしたら自分が殺されてしまう。殺意みたいな強烈な悪意をこれまでに向けられたことなんてない。結局、みんなみんなこれまでに経験したことのないことばかり。
 アイリスはノーマル・スーツ--避難訓練で一度着たことがあっただけだ--を着て、脇にヘルメットを抱えて通路を歩いていた。格納庫へと通じている。すでに地球は近く、明らかな重力を感じながら、アイリスは一歩一歩を踏みしめていた。

「フレイさん……」

 通路の脇にフレイ・アルスターを見つけたのだ。軍服姿のまま。厳しい表情で腕を組んでいる。アイリスに関心のないように視線をそらしているが、ただ、時折アイリスを盗み見ては気にしているようでもあった。
 どうしていいかわからない。ただ、ここで話ておかないと後悔してしまう。そんな意識だけがあった。もう、会えなくなる--実感なんて伴わないのに--かもしれないから。
 どんな顔でフレイのことを見ればいいのかわからない。顔を見ることなんてできなくて胸のあたりを見るようにして近づくことにする。その時、意外にも話しかけてきたのはフレイの方だった。

「アイリ……」
「アイリス! 話は聞いた。出撃するんだろ?」

 その声を男性の声が押し潰した。ノーマル・スーツ姿のサイ・アーガイルが慌てた様子で走ってきた。有無いわせない様子で、サイはアイリスの手を掴んで走り出した。

「フレイも早く!」

 アイリスは手を引かれて、フレイはその後ろに続いて走らされる。そしてたどり着いたのは、格納庫ではなくて倉庫に使われているような小さな部屋であった。

「ここって……」

 出撃に必要な何かがあるようには思えない。アイリスの横でフレイもわからないといった顔をしていた。ここに何があるのだろう。サイに確かめようと振り向いた。すると、その時ちょうど部屋の扉が閉められた。
 閉じこめられた。とっさに扉にとりつくと、やはり扉は開かない。フレイが扉を叩くも開く気配はない。

「ちょっとサイ!」

 扉の向こう側にいるはずのサイからは、何故か反応がなかった。




 デュエルがカタパルトに到達したことをナタルはモニターで確認していた。ただ、不可解なことがあった。格納庫から整備士の連絡が入ったのだ。慌てていて要領を得ない。子どもがデュエルに乗ったなどと、こちらの神経を逆なでするような報告を繰り返すので一方的に切ってしまった。
 まだほんの15にすぎないアイリスがパイロットとして搭乗させられるということくらい、わかっているのだ。
 デュエルの出撃は近い。アイリスにどんな言葉をかけてあげるべきか思案している内に、思いも寄らない人物がブリッジに入ってきた。
 声がした。高く、少女の声がナタルを呼んだ。

「ナタルさん!」

 それは聞き違えるはずのないアイリスの声だった。慌てて振り返ると、髪を振り乱したアイリスがナタルに飛びついた。椅子とアイリスに挟まれて、肺から声にならない声が出た。さらにアイリスは両肩を鷲掴みにして、ナタルを揺さぶる。首を起点に頭が前後に揺さぶられる。その間アイリスは友人である少年の名前を繰り返していた。

「サイさんが、サイさんがー」

 完全に混乱している。フレイが引き離してくれるまで頭を揺さぶられ続けた。フレイにしても不機嫌な表情を作っているようでも、瞬きが多く焦りを滲ませていた。
 子どもがデュエルに乗った。アイリスとフレイの焦りよう。それが揺れる脳内で混ざりあう。アイリスとフレイはここにいる。キラは出撃中。トール・ケーニヒ、ミリアリア・ハウはすでにオーブへと帰ったはずだ。では、残る1人が勝手に乗り込んだと判断することが一番妥当だろう。
 すっかりずれてしまったマイクの位置を直すとすぐにデュエルのコクピット内に呼びかける。

「サイ・アーガイル二等兵、君か!?」

 どこで覚えたのか、こちらからコクピット内を映せないよう操作されている。もっとはやくこのことに気づいていれば、みすみすカタパルトまで移動させなかったものを。



 
 以前ナタルに聞かされた通りモビル・スーツの操縦はゲームに近いものだった。コクピット内はパイロット・シートが大半を占めていた。正面には大型のモニターが大小さまざま取り付けられている。モニター下、シートの脇には細かいボタンやつまみがあったが、動かすだけならこれらの操作は必要ない。
 レバーの向きを変えると、機体もその方を向く。進みたい方向に向き直ったところでレバーを垂直に直すと、今度はその方へまっすぐ歩き出す。歩かせるにはアクセルを踏み込むだけで事足りた。足元に資材があっても、機体の方が勝手に最適な動きでかわして進みたい方向に歩いてくれた。
 加圧室に繋がる扉の前にカタパルトらしい足場があった。さすがにどうやってここに足を乗せればいいのかわからない。とりあえずカタパルトの方へと歩かせながら、モニターを眺めているしかなかった。すると、モニターに文字列が表示された。それはカタパルトを指し示すと、その名称を表示していた。カタパルトばかりではない。扉だの、そのノブなどが認識され名称が表示されている。
 ガンダムのコンピュータがそれがどのようなものか認識して、それをモニターに表示しているらしい。では、デュエルはカタパルトが何かを理解しているということなのだろうか。そう漠然と考えながらカタパルトを眺めていると、それを示していた文字列の色が変わった。すると、デュエルが自動でカタパルトに両足をおき、体を固定した。
 操縦は受け付けるようだが、デュエルと発進口に移動するカタパルトに乗せられたままにしておく。カタパルトはデュエルを乗せたまま細長い通路に出た。正面には両脇から突き出た細長い棒状の構造物に囲まれるようにカタパルトのレールが取り付けられた床が伸びていた。そして、そのさらに先には宇宙が広がっている。
 思わず見とれていると、機体側面を映している両横のモニターに文字列が新たに加わったことに気づいた。右にビーム・ライフル、左にはシールドが表示されている。カタパルトと同じ要領で文字列を眺めていると、やはり自動で武装を手に取った。
 思わず両手を握り締めて声を出した。

「よし!」

 すると、せっかくのいい気持ちをかき消すような声がした。

「サイ・アーガイル二等兵、君か!?」

 ナタル少尉の声だ。すぐにばれるかと思っていたが、思ったよりももった方だろう。ここまで来れば出撃の邪魔はできないはずだ。サイは確信をもっていた。

「ナタルさん、俺が出撃します。カタパルトの方、お願いします」

 案の定、すんなり出撃させてはくれない。

「待機命令が出ていたはずだ。上官の命令不履行は軍法会議ものの重罪だ! わかっているのか!?」

 だいたい予想したとおりの言葉が返ってきた。だから、言うことはもう決まっている。

「射撃なら素人でも形になる。ナタルさんはそう言ってましたよね? それなら俺にもできるはずだ」

 ナタル少尉からの返事は遅れた。だいたい理由は想像がつく。少しでも早くデュエルを出撃させないといけないのだが、ここでサイと押し問答をしていてはそれができなくなる。それをつく形で、サイは言葉を繋いだ。

「早く出撃しないといけないんでしょ?」

 もう一言、言っておきたいことがある。

「それとも、そうまでしてアイリスを戦わせたいんですか?」

 少しの間をおいて聞こえたナタルの声は、躊躇を含ませた小さなものだった。

「わかった……。出撃を許可する」

 通信を通して、ブリッジのざわめきが聞こえてくる。その中にはアイリスがサイのことを呼ぶ声が聞こえた。
 この子の声を、これまで無視したことは一度もなかった。これがはじめてのことで、そして、最後にしようと心に決めた。それをこれから戦いに行く覚悟と重ね合わせて、サイは真正面を見据えた。




 この戦いは2度目のことになる。
 ストライクはブリッツと交戦していた。以前アルテミスで戦闘したときとは当然ながらパイロットが違っている。現在のパイロットはディアッカ・エルスマンに比べて慎重で、攻撃に苛烈さがない反面安定した戦い方を得意としているらしい。
 うまく距離をつめることができない。ビームはアサルト・ライフルほどの連射こそきかないが、一撃でストライクの装甲を破壊してしまう。しかし、かわしながらではブリッツに追いつくことができない。

「あの技を、あの技さえ使えれば!」

 ムウ・ラ・フラガが言っていた荒唐無稽の技を、キラは疑いながらも決して絵空事と捉えてはいなかった。ビームをわずかな動きのみでかわし接近することができればキラが得意とする白兵戦に持ち込むことが可能となる。
 ブリッツからのビームを少しずつ小さな動きでかわそうとする。徐々に近く、ビームが装甲をかすめるほどの距離でかわすことができたとしても、ある程度接近してしまうと反応が間に合わない。これ以上接近すると被弾してしまう、そんなどうしても近寄りきれない距離の壁があった。

「なぜなんだ、なぜできない!?」

 苛立つ。歯を食いしばり、その隙間から強く息を吐き出した。
 不用意に近づいてきたジンを露払いとして撃ち抜いても、心は晴れるどころかわらなる苛立ちだつのる。

「力のない奴が戦場に出てくるな!」

 この攻撃は隙となってしまった。一瞬注意をそらした隙に、ブリッツが急速に接近していた。エール・ストライカーに装備されているビーム・サーベルを抜く時間はない。ブリッツが右手の複合兵装から腕と水平に伸びるビーム・サーベルが生じていた。
 すぐにシールドを構える。ビーム・サーベルを受け止めると、サーベルの形が崩れ、大量のビームがシールドに浴びせられる。赤いシールド表面が焼け爛れ、内部の装甲板が剥き出しになる。シールドを投げ捨てる形で離脱したところで、サーベルは盾を溶断した。
 シールドこそ失ったが、代わりに左手があいた。肩越しにエール・ストライカーのサーベルに手をやる。それは、柄しかない剣のような形状をしていた。ストライクに握られ、掌のコネクタからエネルギーが送り込まれると、光が刃となる。
 サーベルとサーベルとがぶつかり合い、漏れだしたビームがスパークする。出力は互角。このままでは埒があかない。2機のガンダムが離れ、距離をあけたところで睨み合う。その距離はちょうどキラがこれ以上被弾なしには接近できない、そう考える位置だ。
 これでラウ・ル・クルーゼには勝てない。
 突然甲高い声で通信が入った。エコーでも生じているのかとさえ思えた声は、アイリスのものだった。

「キラさん! サイさんが、サイさんがブリッツで出撃してぇー!」

 今にも泣き出しそうな声だった。




 カズイ・バスカーク。この親友を失った時、サイはもちろん悲しかった。ただ、戸惑うことも多すぎた。本当にカズイは死んでしまったのだろうか。キラはどうしてカズイを助けてくれなかったのだろう。本当に助けることができなかったのだろうか。
 キラは何も答えてはくれなかった。
 カズイのことが悲しいはずなのに、キラを問いつめることもできなかった。どうしてカズイを助けてくれなかった。そうもっと聞けばよかった。そうすると、今度はキラとの関係を壊してしまうそうな気がした。

「事なかれ主義って奴なのかな……?」

 もう死んでしまったカズイのことなんて忘れて、今あるものを維持しようとした。そんな自分の弱さがいやだった。
 軍隊に志願したのもきっとそんなことだ。アイリスやフレイに死んでもらいたくない。でも、キラには2人を守ることができない。それならサイが自分で守るしかない。もうカズイのような別れ方なんてしたくないから。
 コクピットの中、サイは一度息を大きく吸い込んでから吐き出す。
 デュエルはすでにアーク・エンジェルの甲板に足を着けて立っていた。まだ飛び回って戦うことはできなくても砲台としてならサイにも戦えるはずだ。アイリスやフレイを守ってあげることができる、キラに代わって。

「アーガイル二等兵、決して無茶はするな。我々の目的は時間稼ぎにすぎない。何も敵を撃墜する必要はないのだ」
「わかってます」

 それとも了解と言うべきだっただろうか。
 モニターには宇宙戦艦とその間を弾丸の光が飛び交っていた。

(これが戦場なんだな……)

 テレビでしか見たことのないような光景だ。もう一度ロックオン・カーソルの動かし方を復習してみる。視線入力と操縦桿を使用しての二通り。それはデュエルのOSがどちらを使用すべきか判断してくれる。敵をロックオンして、後は操縦桿の引き金を引く。
 よし、できるはずだ。
 敵がくる。何故かそんなことがわかった。誰かが意識に語りかけてくるような感覚があった。するとその通り、1機の一つ目--確かジンとか言う機体だ--がライフルを構えてアーク・エンジェルに接近してた。
 宇宙だと距離間が掴みにくい。そんなことをどこかで言われたことがあった。計器を見てみるとまだ遠いと思っていたジンは思ったよりも近くに接近していた。そう気づいた時には攻撃された。ライフルから弾丸が次々吐き出されて思わず操縦桿から手を離して叫んでしまった。

「うわ!」

 ジンは一度大きく飛び上がって離れていった。見ると、デュエルには傷一つない。衝撃だってほとんどなかった。

「無事か?」

 ナタル少尉--それが軍内でどれくらいの地位かなんてわからないけど--からの通信には大丈夫、そんな返事をしておく。
 大丈夫に決まってる。敵の攻撃は大したことがなかった。またジンが接近してくる。また同じように弾丸をばらまきながらモニターの中で少しずつ大きくなっていく。

(ライフルって、マシンガンみたいなこともできるんだな……)

 1発ずつ撃つだけかと思ってた。
 敵のライフルの弾はガンダムにまったく効かない。サイは自分を落ち着かせるようにゆっくりと操縦桿を動かして、ロックオン・サイトが敵に重なっていく。これで撃っていいのだろうか。とりあえず、そんな気持ちで引き金を引いた。
 光線が飛び出して、ジンの肩を撃ち抜いた。

「当たった!」

 ジンは肩が完全に吹き飛び、重力に引かれたように地球側に煙を出しながら落ちていった。そして、胸のあたりから火が噴きだして一気に爆発した。
 初めての戦果。俺にだってできる。気づくと、思ったよりも息が乱れていた。興奮しすぎたみたいだ。ただ、とても気分がいい。

「サイ! 何をしているんだ、早くアーク・エンジェルに戻れ!」
「キラ、見てなかったのか? 俺が敵を倒したんだ。俺にだってアイリスやフレイは俺が守ることができるんだ!」

 モニターには戻ろうとしているストライクが見えている。まだ戻ってくるまで時間がかかる。それなら、今アーク・エンジェルを守ることができるのはサイしかいないことになる。わかりきったことだ。

「カズイを助けられなかったのは僕の力不足かもしれない。でも、カズイはすでに瀕死の重傷だったんだ!」
「それならなんであの時そう言ってくれなかったんだよ!」
「それは……」
「別にいいさ。お前は特殊な訓練を受けたコーディネーターで、俺たちとは違うんだろ。お前がゼフィランサスさんを大切に思ってるならゼフィランサスさんだけを守っていればいいんだ。アイリスやフレイは俺が守る!」
「サイ!」

 確か通信はこれで切ることができるはずだ。ストライクのことが表示されているモニターのすぐ下のボタンを押す。するとキラの声は聞こえなくなった。これで敵を倒すことに集中できる。
 また新しい敵の接近がわかる。戦場に出て感覚が研ぎすまされているのだろうか。モニターの中にはデュエルと同じ顔をした機体だ。長いライフルを2つも持った奴で、全体的にゴテゴテした印象だ。

「敵のガンダムか。落ち着け……。落ち着けば、いけるはずだ!」

 ライフルを発射する。さっきのジンの時みたいに光線がまっすぐに飛んでいく。命中するに決まってる。命中する、そう思った瞬間のことだ。敵が横へと滑るように動く。

(かわされた……?)

 ジンには当たったのに。
 次こそ当てる。ライフルから次々と光線が放たれる。そのどれも当たらない。敵はかわしながらどんどん近づいてくる。操縦桿の引き金を押し込む指が痛くなってきた。何度引き金を引いても光線は一定の間隔でしか発射されてくれない。

「なんで当たらないんだよ……?」

 敵は見る間に大きくなっていく。ライフルは当たる気配なんて見せないまま、敵の蹴りが画面一杯に広がっていく。鋼鉄の足がモニターを覆い尽くした時、デュエルを強い衝撃が襲った。顔面を思い切り蹴られたのだ。
 備えなんてまるでしてなかった。衝撃が機体をそのまま揺らして、デュエルの体が後ろへと倒れていく。このまま地球に落ちてしまうような感覚に声さえでない。次に襲ってきた衝撃は、デュエルがアーク・エンジェルの甲板に倒れたことを意味している。
 まだ死んでない。敵はどこにいる。早く起きあがらないと。考えばかりが回って、それでもどうすればいいのかわからない。操縦桿を掴んでいるのは操縦のためではなくて、何か掴んでいないと落ち着かないからだ。それだけだ。
 再び訪れた衝撃。今度のは弱い。敵がデュエルを踏みつけて銃を突きつけていた。
 早く逃げないと。ライフルを向けようとして、でも右腕は踏みつけられていて動かせない。操縦桿をでたらめに動かして脱出しようにも敵はしっかりとデュエルの動きを封じていた。突きつけられた銃口の奥に光が見えた。

「うわああああぁぁぁぁぁぁー!」

 少しでも、少しでも逃げだそうとシートに体を押しつける。押しつけて、目を閉じることさえできないままサイは叫び続けるしかなかった。




「サイ!」

 ストライクの放ったビームがバスターのそばをかすめた。アスランは反応早く機体を飛びのかせると発射直前であったライフルの銃口からビームが撃ち出される。
 狙いをそらすには十分ではなかった。バスターのビームはデュエルのわき腹をかすめ、アーク・エンジェルの装甲を滑るように抜けていく。直撃はしなかったがフェイズシフト・アーマーに深刻なダメージを負っていることは輝きでわかった。アーク・エンジェルは入射角が鋭角であったことが幸いした。表面が溶解された程度のダメージだ。
 このままバスターを引き離す。ライフルで牽制しながらバスターをアーク・エンジェルから引き離し、間にわって入るようにストライクを移動させた。

「アスラン、君のあいては僕だ!」

 先程通信は切られてしまったためデュエルの様子は確認できない。モニターから判断するなら、装甲そのものは無事だ。内部機構に深刻なダメージが及んでいるとも思わない。ただ、コクピットにある程度の熱が伝わったことだろう。

「ガンダムを地球に下ろす訳にはいかないんだ、キラ!」

 アスランは手加減なんてしてくれない。2機のガンダムがビームを発射し、同時に飛び上がる。撃って、かわす。かわして撃つ。たかだかビームに直撃されるほどキラもアスランも間抜けではない。撃ち合いを続けていても決定打が存在していない。
 ここで仕掛けるしかない。アクセルを一気に踏み込む。加速したストライクがまずビームを頭部をかすめるほどのぎりぎりの位置でかわした。伝わった熱に頭部のフェイズシフト・アーマーが輝いた。そして、さらに接近をかける。
 そこに、鈍い衝撃が伝わった。レールガンがストライクの肩に直撃した。フェイズシフト・アーマーは破壊こそされなかったものの勢いは完全に殺された。
 バスターからの攻撃をかわすためにバック・ブーストをかけて、しきり直しにされる。こうしているうちに防衛線を突破してきたジンがアーク・エンジェルを目指していた。サイのことも気にかかる。
 アーク・エンジェル降下まで残りわずか。この時間をやりすごせばこちらの勝ちだ。




「ナタルさん!」
「サイ、聞こえるか、サイ・アーガイル二等兵!」

 アイリスに言われるまでもなくナタルはサイへの呼びかけを続けていた。通信は通じているはず。だが返事がないのだ。

「嫌だ! 嫌だー!」

 返ってくるのはこんな言葉ばかり。モニターには狭いコクピットで暴れるサイの様子があった。完全に錯乱している。無理もない。ゲーム感覚--言葉は悪いが、ナタルがサイに吹き込んでしまった言葉だ--の戦いが突然純然たる現実に変わったのだ。

「サイさん!」

 アイリスの言葉も届いていない。とにかく逃げだそうと手当たり次第操作している。操縦桿そのものはデュエルが異常を感じロックをかけているらしい。デュエルはアーク・エンジェルの甲板上に横たわったままである。
 だが、ナタルは映像の中に違和感を感じていた。特に明確な理由があったわけではない。サイはヘルメットをつけている。宇宙空間においてヘルメットをつけること、コクピット内を真空にすることは常識である。そうしなければハッチが破損した際の圧力差からパイロットが外へと吸い出されてしまうからだ。

「内圧を調整していないのか? ……馬鹿者! ハッチを開けるな!」

 コクピット・ハッチの緊急展開用のレバーに手を伸ばしたサイにナタルの声が聞こえたのかは定かではない。何かが一息に呑み込まれるような、そんな君の悪い音がブリッジに響いた。直後、サイの姿がモニターから消える。

「アーガイル二等兵! アーガイル二等兵!」

 この時、モニターに集中するナタルとアイリスは気づくことはなかった。デュエルはアーク・エンジェルの甲板に仰向けに横たわっていた。コクピット・ハッチから飛び出したサイの体は上へ上へ、それはアーク・エンジェルのブリッジの前を下から上へと飛び上がっていくこととなる。このことに、ナタルとアイリスは気づくことはなかったのである。
 唯一、モニターから目をそらしていたフレイだけが、その光景を目撃した。

「サイ……?」

 まるで人には思えなかった。小さな人形が吹き飛ばされていくような一瞬の光景。ただフレイがそれを目にした。




「サイー!」

 飛ばされていく人の体。宇宙はあまりに広大で人はあまりに小さい。レーダーで補足できない人体は一度見失ってしまえばもう見つけだすことはできない。
 ストライクが手を伸ばす。しかし、右手にはライフルを、左手にはサーベルを握りしめたまま。武器を握るその手では友を掴みとめることなどできなかった。
 サイとの出会いはいつのことだっただろうか。確かヘリオポリスに潜入して間のなくのことだ。話しかけてきたのはサイの方だった。
 キラには友人なんていなかった。同じ施設で育った仲間たちは友達とは違って、1人で生きていくことに友人なんて必要がなかった。ヘリオポリスでも1人で同級生たちとは交わるつもりなんてなかった。

「君、いつも1人だけど……」

 そんなキラに声をかけてきのは、眼鏡をかけた少年だった。一度も人を傷つけたことさえない。そんな屈託のない微笑みが印象的で、これまでキラが見てきた誰とも違った。
 利用されるためだけに生み出された少女でもなくて、戦うことしかできない人たちとも違う。そして、この世界の裏側の悪意とも無縁。そんな少年との出会いはよほどのことがなければ驚くことをやめてしまったキラの心に一滴を投げかけた。水面を揺らすように、染み込むように混ざり込んできた。

「いや、ごめん、1人でいたいならいいんだ」

 この時、キラは一体どんな顔をしていたのだろう。きっと、曖昧な笑みを返したいたのだろうと思う。

「別にそんな訳じゃないけど。元々アフリカの方に住んでて、まだオーブに馴染めてないだけだから」

 地球上で数少ないマスドライバーを保有するジブラルタル基地。それを巡ってプラントをはじめとして大洋州連合、アフリカ共同体、南アフリカ統一機構が入り乱れての激戦地にいた。その地にはいなかった。サイのような少年は。

「迷惑じゃなかったら案内でもしようか? 一応、俺の生まれも育ちもヘリオポリスだからさ。仲間にもそんな奴、結構多いし」
「じゃあ、お願いしようかな?」
「俺、サイ・アーガイル」
「キラ・ヤマト」

 沈黙という嘘に包まれた友情は、はがれ落ちた嘘とともに崩れてしまった。



[32266] 第11話「乾いた大地に、星落ちて」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/19 00:50
 たまにはバイザーを外してもいだろうか。ジャスミン・ジュリエッタは肩こりの元であるバイザーにそっと手をかけて、まずその電源を落とした。狭い車内の光景が消えて、外したバイザーを足の上に置いた。
 この車はマジック・ミラーであるから外から覗かれてしまう危険はなかった。光を持たない瞳を、特にプラントの国民には見られたくはなかった。それに、ジャスミンの顔は誰にでも見せてよいものでもない。
 視力が欲しくてバイザーをつけているはずなのに、何も見えないことで得られる安らぎがある。息を吹いて、1人暗闇の中で微睡む。
 ジャスミンはただ待ちぼうけの時間をすごしていた。ラウ・ル・クルーゼ隊長はゼフィランサス・ズールをつれて国防委員長の部屋に向かった。ジャスミンが1人で乗っている車は国防委員会の地下駐車場に止まっているのだ。
 同じヴァーリとして生まれてもゼフィランサスとジャスミンとではまるで違う。これは嫉妬だろうか、それとも焦り。ジャスミンの力ではお父様のお役には立てない。よくない。視力がないとつい余計なことまで考え初めてしまう。
 バイザーを戻そう。重たいバイザーを顔に乗せて電源を入れる。立ち上がるまでの間に、突然聞こえた声につい驚いた。

「待たせたかね?」
「そ、そんなことありません」

 車の扉が開けられる音。取り戻した視界--決して鮮明なものではないが--には運転席に乗り込むクルーゼ隊長が見えた。後部座席、ジャスミンの隣にはゼフィランサスが入ってくる。決して広くはない車内。ゼフィランサスと手が触れ合ってしまいそうでつい手を引いた。このことを見られてしまったらしい。

「ジャスミンお姉様は私のこと嫌い……?」
「そ、そうじゃないんです! ただ、私とゼフィランサスは違いますから……」

 彼女たちは特別で、私たちとは違う。このわかりきった事実はどうしても成功と失敗との間に壁を作り、溝を掘る。
 ベルトを閉めながら、車のキーを回しながら、クルーゼ隊長は普段通り何か含みを持たせたような話し方をする。

「ジャスミンはガンダムがゼフィランサスの作品だと気づいていたようだ」
「すぐにはわかりませんでしたけど、ユニウス・セブンで何となくおかしいなって。でも、隊長はゼフィランサスのことをご存じなんですか?」
「君を知っているからな」

 ヴァーリのことを知っている。きっと調べたのだろう。もしもプラントの裏の歴史を知りたければヴァーリのことを探る方が手っとり早い。まだ20代という若さでザフト軍のエースとして知られ、パトリック・ザラ副議長にも取り入っている英雄はその上昇志向の高さでも知られているのだそうだ。
 そのことが身を滅ぼさなければいい。そう、ジャスミンは思わずにはいられない。

「私を施設から連れ出してくれて、隊長には感謝しています。でも、あまり私たちに関わらない方がいいと思います……」
「ゼフィランサスを連れてきたことでザラ国防委員長の覚えがいい。おかげで首がつながった」
「クルーゼ隊長って野心家なんですね……」

 直接指摘なんてできない。遠回しな表現をするくらいしかできない。この人には恩があって、何よりジャスミンの忠告なんて聞いてもらえないだろうから。
 車が走り出す。狭い地下駐車場を抜けて出口前の警備員のところまで移動すると、警備は顔パス--仮面をつけているのだが--でシャッターを開いた。車はプラントの街の中へと走り出す。
 外はすでに暗くなっていた。街明かりと対向車線のヘッド・ライト。決して性能が高い方ではないバイザーには光がぼやけた光景しか見えない。明度を調整してみてもそれは変わらなかった。プラントではこの類の器具の開発が非常に遅れている。外の光景なんて見えない。
 車の中に視線を戻すと、ゼフィランサスが先程から無言であることに気づいた。

「ゼフィランサス、今日は静かですね」

 とてもおしゃべりな子なのに、今は座席に静かに座っている。どこで手に入れたのかわからないドレスを着たその姿は、きっと誰もがお人形のようだと思うことだろう。

「ゼフィランサス、君は語っていたな。ガンダムに心を与えたと。その意味を聞かせてもらってもいいだろうか?」
「アリス、そんなパイロット・サポート・システムをつけたから……。自己学習型のシステムで必要な情報をパイロットの脳裏に直接投影するの……。ただ、慣れない人が使うとある種の暴走を引き起こす危険性がある……」
「そのような副作用をそのままにしておくとは君らしくもないな」
「少し訓練すれば取り除ける危険だから……。それに、ガンダムは私たちの夢だから……。資格のない人に乗ってもらいたくないよ……」

 こんなことをただのパイロットが知りたがる情報だろうか。バック・ミラーに写るクルーゼ隊長の顔は仮面で覆われていてうかがえない。それでも、ジャスミンにはクルーゼ隊長がその素顔同様、何か隠し事をしているように思えた。




 友はGAT-X105ストライクガンダムの目の前を通り過ぎて宇宙の闇に吸い込まれていった。
 モニターが妖しげな光を放っていた。その光に魅入られるように、キラ・ヤマトの力ない体は心を失った人形のようにシートに投げ出されていた。目は虚ろ。ストライクはただ漂うばかりである。
 好機とみたZGMF-1017ジンが接近する。キラはその数も動きもはっきりと捉えていた。自然と付近の情報が脳内へと押し寄せていた。キラは初めて意識するこの現象にも何ら驚きを示すことはない。当たり前のことであったように受け入れ、まるで生まれる前から知っていた事実のようにその名が脳裏に刻まれていた。
 Advanced Logistic&In-consequence Cognizing Equipment。
 A.L.I.C.E。
 ジンがアサルト・ライフルを連射しながら接近してくる。そのことが、キラにはわかっていた。
 ストライクが動く。スラスターにともされた輝きが弾けた。あまりに鋭いその動きにジンは反応することさえできない。左手がビーム・サーベルを握りしめたまま振り抜かれる。斬るでは生やさしい。溶かすでは物足りない。引きちぎられたような切断面を見せてジンの胴が泣き別れとなる。
 爆発するジン。その爆煙にすべて塗りつぶされているにも関わらず、放たれたビームは次のジンを腹を喰い破っていた。
 動きがおかしい。それはこの戦場を目撃する者すべてに共通する。ストライクの動きは異常であった。敵を撃墜する。それは当然のことだが、敵の撃墜そのものが目的であるかのように攻撃は苛烈。そしてまるで戦場のすべてを把握しているような動きを思わせた。
 爆発に覆われて決して良好ではない視界。ジンが付近を警戒しながら飛行する。せわしなく動くモノアイに、ビーム・ライフルの銃身がそのまま突き刺さった。カメラを守るカバーを砕き、ライフルが頭部に深々と突き立てられた。
 そして、煙を突き破り迫るストライク。投げ捨てられたライフルの代わりにビーム・サーベルが握られている。右手でまず縦に、左手のサーベルが即座に横に胴を裂く。四つに刻まれたジンはもはや原型を残すことなく爆発する。
 これほど無惨な破壊にさらされたジンが開戦以来あっただろうか。
 ストライクの戦いは、完璧であり、完全であり、非情とも言えるロジックにつき動かされていた。




 戦いは終わった。すくなくとも、ムウ・ラ・フラガはそう判断した。
 ガンダムがその性能の一端を解放したのだ。終わりの名前を与えられた黒き聖母が、その深く暗い悲しみに沈んだ夢の中から引き上げた力が世界を浸食しようとしていた。
 これはもはや戦いではない。ただ一方的な殺戮に等しい。これだ。この力を、ムウは、我々は必要としている。ゼフィランサスは十分な力を生み出してくれた。
 ストライクはジンを次々と屠っている。キラの目的を敵の殲滅とアリスが判断してしまったのだろう。本来の地球降下とは別の動きを見せ始めている。まるで敵を求めるようにアーク・エンジェルから離れようとさえしている。これでは降下に間に合わなくなる。

「少々予定外だが、まあ、許容範囲だな」

 ヘルメットを脱ぐ。これで風防にひびでも入ろうものなら致命的な事態に追いやられることになる。だが、そこまでムウを追い込める者がいるだろうか。ムウの前には、ブリッツが、ガンダムが1機いるだけなのだから。
 スラスターを全開に、重戦闘機の推進力がムウを一直線にブリッツへと向かわせた。

「見せてやる。これが、お前に教えた技だ!」




 ストライクの豹変を、ニコル・アマルフィは眺めていることしかできなかった。いや、白状するなら怯えていたのだ。ガンダムにはまだ秘密が隠されている。ディアッカ・エルスマンに代わり、ブリッツを使用することになった。先輩の動きを見て機体の特性を理解していた気になっていた。だが、ガンダムの力は深い闇の底に沈んでいるように、いくら目をこらしているつもりでもその全貌は掴むことができない。
 ブリッツにも同様の力が備わっていることに疑いの余地はなかった。このことが、ニコルの不安を一層つのらせた。

「こんな時、隊長がいてくれたら……」

 ラウ・ル・クルーゼ隊長なら、今のストライクとも戦えるはずだ。しかし、急進派が穏健派への配慮として見せかけだけの処罰のために謹慎処分を命じてしまった。高度な政治取引といえば聞こえはいいかもしれないが、現場のことを省みない処遇には不満を隠せない。

「今日もまた、命が散っているのに……」

 この戦いは、双方の戦力が拮抗している状態で始まった。通常なら様子を見ながらの鍔迫り合いが続くはずだった。しかし、ザフトに時間はなかった。敵はそれを狙って防衛の布陣を敷いていた。
 GAT-X103バスターガンダムとブリッツが切り込み隊長を買ってでて、道を開いた。ザフトは一気に戦線を進ませることができた反面、戦いは混戦模様を呈し消耗戦が影をのぞかせていた。時間が経つごとに加速度的に命が失われる。
 ニコルとて、すでにネルソン級戦艦を一隻、TS-MA2メビウスを5機撃墜している。そうしなければ友軍が危険にさらされると理解していた。戦うことでしか守れないなら、戦うしかない。ニコルは歯を食いしばって操縦桿を握りしめた。
 ストライクを撃墜してみせる。アスランと協力しながらならできるはずだ。
 橙色をしたメビウスがこちらに急激なスピードで接近していた。そのことに何故か気づいた。無謀を通り越した接近だ。ただ一直線、加速した状況で近づいてくる。真っ正面から直撃させることができる距離だ。ニコルは迷わず引き金を引いた。ビームが直撃コースでメビウスめがけて飛び出す。すると、メビウスはビームを通り抜けた。

「なっ!?」

 確かに直撃したはずだった。気を奮い立たせ、もう一度ビームを発射する。この攻撃も、やはり素通りした。メビウスは速度を落とすことなく接近してくる。ニコルは左手から黄金の爪を投げ飛ばす。フェイズシフト・アーマーに覆われた必殺の爪は、やはりビームと同じ結果を招いた。
 3度目にして、ニコルにもようやく奇術の正体が見えた。メビウスは攻撃を最低限の動きですれすれにかわしていたのだ。確かに、射撃というものは線の攻撃でしかなく、その速度も相俟って点の攻撃であるとも言える。弾丸が通り抜ける一瞬さえ射線上にいなければ当たることはない。
 理屈では確かにそうだが、その一瞬の間に着弾点を予測してさらに回避まで行うことが現実に可能なのか。
 まるで起きがけに見る夢のように、目の前の光景が現実と幻とが混ざり合う。メビウスがブリッツの横を通り抜ける。そのすれ違いざま、レール・ガンがブリッツの腹部に突き刺さっていた。フェイズシフト・アーマーがなければ死んでいた。
 しかし、なまじ頑丈なため、貫通力が衝撃になってブリッツを大きく突き飛ばした。悲鳴は歯の間から漏れる吐息だけに抑えた。スラスターを吹かすと、ブリッツの挙動が少しずつ落ちつていく。同時に、重さというものを感じた。
 足下に地球が広がっていた。このままでは重力に取り込まれてしまう。ニコルが対応するよりも、敵の方がはるかに早かった。
 レーダーに5機もの敵に取り囲まれたような表示があった。見ると、メビウスから独立したタル型のスラスターが4機、銃身を展開していた。バルカン砲が降り注ぐ。その狙いはあまりに正確だった。ブリッツの装甲に垂直に弾丸がぶつかってくる。フェイズシフト・アーマーはこの程度では破壊されない。破壊されないからこそ、質量に由来する衝撃はまるで緩和されることがない。
 身動きがとれないまま、完全に重力に囚われた。断熱圧縮が高熱を生み、その熱を吸収したフェイズシフト・アーマーが輝きを発する。ブリッツは赤熱に包まれた光の塊となって落ちていく。




 キラの動きが明らかにおかしかった。ジンを狙い撃墜数を稼ぐかのような戦い方をしている。ずいぶんとキラらしくない。功名心に浮かされるような男ではない。
 アスランは自らの考えに背筋が凍る思いがした。

「お前は……、敵を殲滅するつもりなのか……」

 胸部をビーム・サーベルで滅多刺しにされたジンが爆発する。これが最後のジンだ。アスランとニコルで強引に切り開いた道を通り抜けたジンはすべて撃墜されてしまったことになる。まだ離れた位置に残存している機体はあるが、今からでは敵艦の降下に間に合わない。
 事実上、ザフトは全滅させられていた。
 まだアスランが残されている。ストライクがようやくバスターの方を向いた。両手に剣を構えバスターへと突進を開始した。
 これまでよりも明らかに早い。だが、軌道が単純すぎる。ビームとレールガンを同時に発射する。狙いを若干左右にそらし、直撃はしないまでもこのまま直進すれば被弾せざるを得ない。大きく軌道を曲げたところを狙撃する。モニター上に表示されるロックオン・カーソルを手動でストライクが回避すると予測される方向へと移動させておく。
 決して油断していたとは思わない。だが、ストライクが予想に反した動きはしないと思いこんでいた。ストライクは直進を続けたのである。
 ビームは確かに水平翼を撃ち抜いた。しかし、ストライクはそれを予期していたようにバック・パックをパージしてしまった。目的のために必要な犠牲。この割り切り方はあまりに異常で、アスランは虚をつかれた。瞬く間に距離が詰められた。ロックオン・カーソルを修正している暇はない。
 聞いたことがある。敵の攻撃を最低限の動きでかわし接近する技術が存在すると。それは絵空事だと考えていたが、ストライクは疑似的にそれをやり遂げたことになる。
 バスターめがけて振り落とされるサーベルをレールガンで受けとめる。無論、銃身はこのような使用法は想定されていない。ビームが浴びせられた場所から融解が始まっている。
 もって数秒。
 さらにストライクにはまだ左手のサーベルが残されている。アスランの決断は早かった。ビーム・ライフルに連結されているアームを目一杯後ろへと伸ばした。長大なライフルが引き下げられ、銃口が辛うじてストライクを狙える位置に移動する。超近距離射撃の引き金を引く。
 発射されるビームが激しい輝きを引き起こした。フェイズシフト・アーマーの光ではない。バスターの放ったビームを、ストライクは事もあろうにサーベルで切り払ったのだ。
 荒唐無稽な防御法にアスランの意識は奪われた。その間隙を貫いてストライクの足がバスターの腹部に突き立てられた。フェイズシフト・アーマー同士の激突は閃光の輝きを放つ。
 フェイズシフト・アーマーが懸念されていた質量攻撃。その最たるものはガンダムによる格闘攻撃であるのかもしれない。70tという質量に加え、同程度の強度を有しているのだから。
 弾きとばされるバスターの中で、アスランは薄れゆく意識を必死につなぎ止めていた。フェイス・ガードがひび割れていた。骨折でもしたのか胸に痛みがあった。急に視界が曇ったのは、額の血が伝ってきたためだ。
 そう、流体が下へと流れていた。警報音が地球に接近しすぎていることを告げている。だが、今のアスランにはどうすることもできない。
 フェイズシフト・アーマーに守られながら、バスターは天から落ちていった。




「メビウス・ゼロの着艦を確認」

 管制担当のナタル・バジルール小尉はそれ以上言葉を続けようとはしなかった。しびれをきらせたマリュー・ラミアスは自分から催促した。

「ストライクは?」

 現在帰還する様子はない。そんな答えしかない。もっとも、ここでナタル小尉を責めるのは酷だと言えた。彼女は職務を疎かにしているわけではない。

「キラ・ヤマト軍曹、何をしている!? 降下に間に合わなくなるぞ!」

 レーダーのストライクは未だ遠い。そうしている内に、操舵手であるアーノルド・ノイマンが声を発した。

「これ以上は無理です。降下を開始します!」

 前回の戦いで負傷した傷はまだ癒えていない。アーノルド曹長は片腕に包帯を巻き付けたまま舵をきった。すると、アーク・エンジェルの巨大な艦体が小刻みに震え始めた。降下に伴い生じた応力が艦全体を鳴動させていた。
 エレベーターで感じるような重力の変化による押しつけられるような感覚にはいつまでも慣れることができない。だが、不快感に甘んじているわけにもいかなかった。
 ナタル小尉が叫んだからである。

「ストライクが戻ってきます!」

 そのことはレーダーでも確認された。しかし、レーダーの調子がおかしく、正確な位置が掴めなくなった。モニターで確認する。
 とても降下に間に合うようには思われない。マリューは悩むとき、爪を噛む癖があることを自覚している。だが今はそんなことをしている余裕がないほど事態が逼迫していた。決断にかけている時間はない。

「ストライクを回収します。降下地点が変わってもかまいません。アーク・エンジェルを向かわせなさい」

 優秀なアーノルド操舵手は事態の緊急性を理解していた。異論を挟むことなく、短い了承の後、すぐさま舵をきろうとする。
 すると、一際大きな揺れがアーク・エンジェルを襲った。座っていても流されてしまうほど大きなものである。立っていて、しかも片手で舵を支えていたアーノルド曹長が床に投げ出された。
 操り手を失ったアーク・エンジェルは軌道が安定せず、揺れが収まろうとしない。そのことがアーノルドが舵に戻ることを妨げていた。
 すると、思いも寄らない人物が舵を掴んだ。
 赤い髪をなびかせ肩には2等兵の腕章が見える。フレイ・アルスターと名前を聞いている志願兵の1人だった。突然のことに、マリューも、アーノルドも呆気にとられていた。そんな中、ただ1人檄を飛ばしたのは、ほかならぬフレイ2等兵だった。

「キラの方へ行けばいいんでしょ。どうしたらいいのか早く教えて!」

 一刻も早く艦を安定させなければならない。そのことは1つの事実として受け入れなければならない。

「フレイ・アルスター2等兵、アーノルド・ノイマン曹長の補佐を命じます。一刻も早く、艦を安定させなさい!」

 これで正式な命令として、フレイが舵をとることを認めたことになる。アーノルド曹長なら適切な指示を行うことができるだろう。

「舵の台座に目盛りがついてるのが見えるかい? それを30と書いてあるところに合うよう、舵を左に倒して」

 指示通りに、フレイは舵を回し始める。なかなかうまいもので、現在大気の影響を受けていることを理解した丁寧な操舵である。

「舵は決して安定しない。絶えず小刻みに動かして微調整を繰り返して。……そう、その調子」

 次第に、艦が安定してくる。アーノルドもやがて立ち上がれるようになり、フレイの傍らに寄り添うように操舵を助けるようになった。
 これで、問題はストライクだけとなる。マリューはナタルの方に目配せした。この視線にナタルは気づくことはなかった。すでにストライクとの交信に入っていたからである。

「ヤマト軍曹、今から格納庫に入ることはできない。甲板に着艦しろ。そのまま地球に降下する」

 ストライクにもすでに高熱を帯びた大気がまとわりついていた。しかし、フェイズシフト・アーマーの光が熱を遮り、損傷は見られない。モビル・スーツの高い汎用性。それには単機で大気圏突入が可能であることは含まれていない。
 大気圏突入はまさにモビル・スーツ史に残る偉業であるはずなのだが、それをガンダムというものはこともなげに行ってしまう。優れた技術ほど、そのすごさがわからないものだと言うが、正にその通りだった。
 意識をつい他のことにそらしてしまうほど、ガンダムは大気の高熱に耐え続けた。マリューが関心を移してしまったものとは、大きく軌道を変えたアーク・エンジェルが一体どこにつくのか、そんなことだった。

「さて、私たちは一体どこにつくのかしら……?」




 アフリカ、サハラ砂漠に一筋の流星が落ちた。ここには、かつて多数の星が落ちた。開戦当初、ザフト軍は赤道に沿う形で地球に降下した。赤道は地球の遠心力が最大となる一帯であり、遠心力を地球離脱に利用することができるため地球の出口として多数の打ち上げ基地が建設されていた。
 ザフトはここを抑えることで地球連合を地上と宇宙とに分断し、戦いを優位に進める計画だったのである。特に、アフリカ北部、地中海の玄関口であるジブラルタルは地球有数の打ち上げ装置、マスドライバーを備えたジブラルタル基地があり、最重要攻略拠点とされた。
 作戦は成功。地球連合はジブラルタル基地を失ったことで宇宙への足がかりを損なうとともにヨーロッパとアフリカを地理的に分断された。他の赤道地域では一進一退の膠着状態に陥っているのに対し、ここは制圧を終えた地点としてザフトの地上における最重要拠点になっている。
 ジブラルタル基地は西を除いた三方にザフトの猛将がそれぞれ守備を務めている。北には狼が、東には鯱が、そして南、サハラ砂漠には虎が棲んでいる。地球連合軍の反撃激しいこの一帯を5年にわたって守り抜いた虎がいる。
 アンドリュー・バルトフェルド。
 その猛々しさは地球連合を震え上がらせた。その力強さはその実績によって証明されている。その名はプラント本国にさえ鳴り響いていた。いつしか、彼は虎と呼ばれた。敵からは畏怖を込めて、味方からは賞賛されて。
 砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルド。
 アーク・エンジェルは猛虎の縄張りに迷い込んだのである。




 日が沈み夜の船が漕ぎ出すと、砂漠というものはよく冷える。砂と岩ばかりでは保温性に乏しく、熱が逃げてしまうからだ。先ほどまで砂漠の夕日が綺麗なものだったが、そろそろ部屋に戻るべきだろう。
 男はバルコニーに椅子を置いて寝そべっていた。ハデな模様がプリントされたシャツに半ズボン。先ほどまで日光浴に興じていたのだ。日焼けした肌がたくましく、慣れた様子でサングラスをかけている。人生の楽しみ方をいかにも心得たような男である。
 この男こそが砂漠の虎、アンドリュー・バルトフェルドである。
 バルコニーに入ってきたのは、トロピカル・ジュースを運ぶボーイではなく、この地域のザフト軍特有の褐色の軍服を着た青年だった。髪の毛を逆立たせた髪型のせいか、歳の割にずいぶんと若く見える青年で、アンドリューはダコスタ君と呼んでいる。マーチン・ダコスタが彼の名前であった。
 ダコスタの横にエリート・パイロットの証である赤い軍服を身につけた少年兵がバルコニーに入るなり並んだ。この2人はいいかげんな格好で寝そべる男にも律儀に敬礼をした。
 少年兵はとても戦争をしているとは思えないほどあどけない顔をしている。

「ニコル・アマルフィです」

 敬礼にしろ姿勢にしろ、まさに軍人の鑑のような少年だ。アンドリューは以前指揮官たる者、兵の模範とならなければならないと言われたことがあったが形式主義にはいつまでも馴染めないでいる。寝そべった姿勢のままで、アンドリューはサングラスを上にずらした。

「堅苦しい挨拶はかまわんよ。ようこそ。呼び方はニコル君でいいかね?」

 堅苦しい挨拶、それをニコルは敬礼と捉えたらしい。単に手をおろしただけで、姿勢を崩そうとはしない。いっそ地べたに座り込んでもかまわないくらいのつもりだったが、ずいぶん生真面目な少年のようだ。

「はい。お招きいただき光栄です」

 定型の挨拶は聞き流しておく。サングラスを外しながら、中庭の方に目をやった。ここからの眺めはお気に入りである。
 両側の屋敷に沿う形でTMF/S-3ジンオーカーが2列に並んでいる。ジンオーカーはZGMF-1017ジンとは異なり、背中にバック・パックがなく、色も灰色から褐色を基調としたものに変更されている。砂漠での使用に耐えうるようカスタマイズされたバリエーション機であり、ここでの戦闘の主力を担ってきた。
 総数にして12。このモビル・スーツが並ぶ光景は砂漠の虎の力を象徴している。その中に、見慣れない漆黒の機体がたたずんでいた。まるで夜の闇に溶けて消えてしまいそうな機体である。謁見にはせ参じた騎士かのように、戦士によって形作られた回廊の真ん中にあった。
 何でも、ガンダムとか呼ばれる敵の新型なのだそうだ。

「君が乗ってきたモビル・スーツだが、宇宙から直接降りてきたとはにわかには信じがたいのだがね」

 現在のところ、単機で大気圏突入が可能なモビル・スーツは存在していない。それも無傷で降下したとなると、信じろという方が厳しいものだ。皮肉じみた笑い方をして、あからさまに疑ってみたのだが、ニコルは単に報告を求められたと判断したかのように淡々と返事をした。

「ガンダムなら、フェイズシフト・アーマーなら可能です」

 ニコルが嘘をつく理由があるとは思わない。しかし、ガンダムというものは1度の戦闘でジンを7機も撃沈したこともあるらしい。これだけの戦果を上げられたなら戦史に名が残るほどの名機である。それほどの機体ををモビル・スーツ開発のノウハウのない大西洋連邦が造ったと言われても受け入れる気にはならない。

「まあいい。すぐにわかることだ。ダコスタ君」

 ダコスタは体を傾け、ニコルの方を向いた。

「はい。敵艦の落着地点は確認済みです。今頃部隊が戦闘を仕掛けている頃です」

 ここでようやくニコルは姿勢を崩した。驚きのあまり、体を大きく震わせたためである。

「そんな……、危険すぎます!」

 いくら宇宙で活躍できようと砂漠は勝手が違う。汎用性に優れているとされているジンでさえ、防塵フィルターの増設などを行い、ジンオーカーに改修しなければ運用できなかったほどに過酷な環境なのだ。

「ジン・オーカー6機。2個小隊の戦力だ。それに、油断するなと言っておいた」

 小規模の基地ならかるく制圧できるほどの戦力を動員したと告げても、ニコル少年は安心してはくれないようだ。妙に深刻な表情を作っていた。

「お言葉ですけど、狼を前にした兎に気をつけろだとか、用心しろなんて忠告しますか?」

 こんな表現を使うような少年には見えなかったが、こちらの認識不足を責めているらしい。用心しろと言っているようでは敵の恐ろしさに何一つ気づいていないと言いたいのだろう。
 用兵も知らない子どもが一軍の将を相手にずいぶんと出すぎた真似をするものだ。

「では君はこう言いたいのかね? ガンダムとか言う新型はジンオーカーごとき物の数ではないと」

 椅子から立ち上がりニコルの前に立つ。小柄な少年に比べ、アンドリューは背が高い。これだけでも威圧感があるはずだが、空から来た戦士は決して物怖じした目は見せなかった。これほど度胸の据わった少年が恐れているのだとしたら、ガンダムの戦果もあながち嘘ではないらしい。
 固い音がした。バルコニーの窓が叩かれた音だ。この場の全員を注目を集めた。軽く握られた手で窓を叩いていたのは1人の少女だった。
 赤い髪を三つ編みにして首の後ろにたらしている。布を幾重にも巻きつけた服は直射日光を防ぎながら風通しのいいもので、砂漠にほどよく適した格好であった。褐色の肌に黒い瞳。彼女ほど砂の大地が似合う女性もいないだろう。
 少女は、カルミア・キロはさわやかな笑顔で手を振った。
 
「その子の言うとおりよ、アンディ。あなたご自慢の部隊は連絡を絶ったそうよ」
「馬鹿な……!」

 ダコスタは事実を否定する言葉を吐いて目を見開いた。アンドリューとてやれやれと髪をかきむしる。ニコルも目の前の現実に大いに戸惑っているようだった。ニコルにとっては予想通りのことのはずだが、なんのことはない。ニコルの目が捉えているのはカルミアであった。視線は釘付けとなり離れようとしない。まさか少女のこの世のものとは美しさに心奪われてしまったのだとしたら、それは安っぽい詩だろう。だが、ニコルがカルミアの顔から視線をそらそうとしないこともまた事実に他ならない。

「あなたも……、ヴァーリなんですか?」




 夜の砂漠に、アーク・エンジェルがその白い艦体を横たえていた。その周りにはジンオーカー焼け焦げた残骸が散らばっていた。どれも原型を保っていない。骸を拾い集めたとしてもモビル・スーツ1機分にも満たない不出来なパズルと化していた。
 唯一、機能を維持している機体があった。下半身を失い、左腕が幾本かのコードに引きずられて垂れ下がる。残された右手は砂を掴み、少しでもここを離れようとあがいていた。
 大剣が、ジンオーカーを無慈悲にも刺し貫いた。金属が無理矢理引き裂かれる甲高い音とともに、ジンオーカーの体が痙攣したように跳ねる。そして、そのモノアイから輝きは失われた。
 屍と化した一つ目の巨人を踏みつけストライクが刀を引き抜いた。淡い月明かりに照らされて、ジンオーカーのことなど一顧だにしないで砂漠の果てを見通すようにストライクは首をあげる。その姿は、血に飢えた狼が月へと向かって吠える様を彷彿とさせた。




 アスランは深い穴を落ちていた。
 ずいぶん深い穴のようでいつまでも底は見えない。自由落下に任せるまま高速で下降しているはずが、周りの壁の様子ははっきりと見えてた。手を伸ばしても届かない。そんな距離にある壁は白無垢であった。白無垢とはいささか不適切な表現かもしれないが、単純に色が白く無菌処理された壁なのだ。
 そんな壁が延々と続いている。こんな殺風景な光景が繰り返されるのかと思うと不安にさえなった。まるで子どもに戻ったかのようにアスランはパニックに囚われてしまいそうになった。
 そんな幼子を救ったのは、純白の壁に突き刺さるように飾られた幾枚もの少女たちの写真だった。髪が桃色の娘もいれば青い娘もいる。瞳が青い娘もいれば不揃いな瞳の娘もいる。肌の色が異なる娘も含まれていた。
 しかし、みんなが同じ顔をしていた。皆が同じヴァーリと呼ばれる存在だった。
 壁に手が届かないことはわかっている。それでも手を伸ばしたくなる衝動に駆られた。手を伸ばしても届かない。それでも写真が通り抜ける度に同じことを繰り返して、腕の筋肉が伸びきってしまった。苦痛が顔を歪ませる。
 結局、諦めるしかなかった。ひどく惨めな思いになって涙がこぼれた。どうして届かない。少女たちのことを知っているのに。少女たちが見えるのに。
 これは夢だということを唐突に理解した。その理由はもしかしたら、何の前触れもなく頭を撫でてきた少女にあるのかもしれない。少女の白い手が頭をそっと撫でていた。赤い瞳が穏やかな微笑みに包まれていた。

「ゼフィランサス……」

 語りかけたのは10年も前のゼフィランサス・ズールに対してだった。目の前のゼフィランサスはかつて着ていた白いワンピース姿で、それにずいぶん小さい。それに敢えて加えるなら、今のゼフィランサスはこんな笑いを見せない。
 ゼフィランサスは1枚の紙を差し出してきた。受け取るとそこにはずいぶんと拙い絵が描かれていた。以前にも見たことがある。キラ--あの時はテット・ナインと呼ばれていた--が描いたものでずいぶん不格好な巨人である。遠近法なんて用いられていない。多視点画の傾向もあり、本来見えていないはずの部位まで記されている。
 その巨人は角と2つの目を持っていた。巨人の名前が紙面の片隅に、しかし大きく記されている。
 フリーダム・ガンボーイ。
 幼少のキラが考えたもので、これをゼフィランサスの姉であるユッカ・ヤンキーは順番を入れ替えた上で短くまとめた。
 ガンボーイ・フリーダム。
 ガン・ダム。
 そう、ガンダムと。
 これはガンダム。慌てて紙から視線を離した。首を上に上げる。すると、幼いゼフィランサスの姿はもうなかった。
 突然、周囲の壁という壁が崩れた。その向こう側にあった闇が急速に広がり始める。その闇の中に光る双眸が見えた。まるでキラの狂ったデッサンの世界からそのまま抜け出してきたかのようないびつな巨人がこちらに手を伸ばした。その手はまるで爪のように形にまとまりがない。その姿も崩れた土くれのようでありながら、それが何であるかはっきりとわかる。
 それはガンダムだった。
 迫りくるガンダムに怯えながら、心の底から這い出たような叫び声を、アスランは上げた。
 自らの絶叫に、アスランは目を覚ました。
 落ちてた穴の白い壁とは違うむき出しの岩盤の不規則な壁面が目の前にあった。洞窟のようだった。しかし、冷たい夜風が入り込む入り口はすぐ近くにあり、ずいぶんと浅いらしい。
 外にはまばらな木々と、その先に広がる砂漠。
 どうして自分がこんなところにいるのか記憶にない。GAT-X105ストライクガンダムとの戦闘に破れ後、無意識、あるいはGAT-X103バスターガンダムが自動で大気圏突入を果たしたのだとしたら、体に感じる重力の説明はつく。しかし、体におかれた寝具や夜の寒さを感じさせないための焚き火がたかれている理由にはならない。
 まさかバスターガンダムが気絶したアスランを甲斐甲斐しく保護し、寝かせてくれたとは考えられない。
 焚き火を見ていると、次第に目が慣れてきた。すると、焚き火の向こう側に人影が見えた。
 飛びのくように立ち上がり腰に手をやった。銃をもつためだったが、そこに目的のものはなかった。人影は座ったまま、こちらに手を伸ばした。

「これは返しておく。もっとも、弾はさすがに抜かせてもらったがな」

 ずいぶんと野太い声だった。それもそのはず、人影は顎髭が立派な中年の男性であった。その手にはアスランの銃が握られていた。ひったくるように奪い返すと、その重さから言葉通り弾が抜かれていることがわかった。思わず、男性を睨みつけた。
 そうまでしかければならなかった理由は、男性がノーマル・スーツを着ていたことにある。そのスーツが地球軍のもの、つまり敵であったためだ。
 男性は飄々とカップから飲み物を飲んだ。温かい飲み物が入っているのだろう。コップからは湯気がたっていた。男性が別のカップをアスランのそばにおいた。おそらく同じ飲み物なのだろうが、異物混入を考えると飲む気にはなれない。

「そう警戒するな。俺があれを見つけてから丸一日になる。殺す気ならいくらでも機会はあった」

 男性が指で示した方向に警戒しながら視線を向けた。そこには岸壁に背中を預けて座っているバスターの姿があった。その横には同様の姿勢をしたTMF/S-3ジンオーカーがあった。しかし違和感がある。それも一目瞭然の形で。本来は褐色を基調とした色をしているはずが、このジンオーカーは青く塗装されていた。
 ジンオーカーはザフトの機体である。だが、男性のノーマル・スーツは間違いなく地球のものだ。

「あなたは、何者なんですか……?」

 男性は優々と飲み物を口に流し込んでいた。その落ち着きようは風格さえ感じさせる。敵であるにしろ味方にしろ、優秀な軍人であるに違いない。何か姑息な手段に訴えてくるような相手ではないだろう。座り直すことにした。
 すると、男性は青いジンオーカーを見やりながら言った。

「あのジンオーカーは鹵獲機だからな。味方から攻撃されたらかなわんからああして目立つ色にした」

 これで、男性がザフトでないことはわかった。男性はアスランへと視線を戻す。

「俺は大洋州連合軍所属モーガン・シュバリエ中佐だ。若いの、お前は?」

 ザフト以外の軍人に自己紹介されたのはこれがはじめてのことで、敬礼すべきか悩んだがそれもおかしなことだろうとそのままの姿勢で答えることにした。

「ザフト軍アスラン・ザラです」

 それから話が続かない。銃をわざとゆっくりしまう。そう時間を稼いで話題を探した。
 バスターがどうやって大気圏突入を果たしたかはわからないが、装甲に目立った損傷はなかった。アスランが記憶していないだけで自分で操作したのかもしれないし、バスターに自動制御装置がついていたのかもしれない。どちらにしろ想像はつく。わからないのはモーガンの行動だった。

「どうして俺を助けたんですか……?」

 この問いのどこが面白かったのか、モーガン中佐は含んだような笑い方をしながら答えた。

「お前が俺の死んだ息子に似ていたからだ」

 どう答えていいかわからない。戸惑っていると、モーガンは笑い方をより大きくした。

「冗談には冗談で返すくらいの余裕はあった方がいいな、アスラン」

 どうやらからかわれたらしい。このことで、こちらも気が抜けてしまったらしく、表情が崩れた。
 モーガン中佐が語った経緯はこうだ。
 モーガン中佐は友軍とはぐれ孤立してしまったらしい。仲間の元に帰るためには地元ゲリラが占拠している一帯を通り抜けなければならない。だが、ジンオーカー1機では突破は難しく、作戦を思案していた時にアスランが空から落ちてきた。
 ゲリラは地球軍、ザフト軍の両者を敵とみなしている。特に大洋州連合は戦前からこの地方に基地を駐留しており、目の敵にされているのだそうだ。こう聞かされた時、意図して嘲笑するための笑みを作った。

「自業自得です。そもそもあなた方がこんな戦争始めなければ、ここの人々も武器を取る必要さえなかった」

 正直怒りを買っただろうと考えていた。しかし、焚き火を隔てたモーガン中佐の顔に変化は見られない。炎の揺らめきがせいぜい輪郭をゆがめているだけだ。
 カップがおかれる小さな音がした。

「そいつは違うな。この戦争を始めたのはプラント。いや、コーディネーターの方だ」

 燃やされる木が弾けた音がした。それをまるで待っていたかのように再び立ち上がる。頭に血が上っていることは自覚していた。

「何を馬鹿な! ブルー・コスモスに扇動されたナチュラルが血のバレンタインなんて引き起こさなければこんな戦争起こることもなかった!」

 夜の静けさと猛る火。極めて対象的な二者の関係はモーガン中佐とアスランにもあてはまる。髭の男性は手振りでアスランに座るよう促した。気持ちが落ち着いたわけではないが、勧めには従うことにする。
 モーガン中佐は変わらぬ様子で続けた。

「そいつは順序が逆だ。ブルー・コスモスから反コーディネーター思想が生まれたわけじゃない、反コーディネーター思想がブルー・コスモスを生んだ」

 差し出されたカップにはまだ手をつけていない。それよりも話を聞くことにした。

「無論、ブルー・コスモスが反対思想を煽っている一面もある。奴らは否定しているが、血のバレンタイン事件を起こしたことも許されることじゃない」

 その語り口に感情というものは含まれていなかった。ただ見聞きした知識をありのまま口にしているような、まるで本でも読んでいるかのような気分にさせられる。

「あれはナチュラルの総意じゃない。一部の過激派が勝手に起こしたことだ」

 激情に振り回されることに、ようやく気恥ずかしさを覚えた。同時に、まだ怒りと反感が自分の中でくすぶってることもわかる。

「でもそのために、俺たちはたくさんの仲間を失いました……」

 この言葉には、怨念めいた調子が混じった。モーガンは静かに笑った。それは自嘲であった。

「そうだな。だが、そうしてお前たちはニュートロン・ジャマーを地球に放り込んだ」

 今度憎悪を含んだのは壮年の兵の番だった。先のあざ笑いは、感情に流される自身に対するものであったのかもしれない。

「地球にはナチュラルと生きているコーディネーターもいた。コーディネーターを支持しているナチュラルもいた。それをプラントは一緒くたに標的にしたんだ」

 その結果、死者だけで10億もの被害を出した。血のバレンタインの実に5000倍の被害である。

「彼らが何をした? 理解を示しただけでは足りないのか? 過激派を抑えられなかったことが罪なのか?」

 その問いかけはアスランを素通りして虚空に染み込み消えていく。モーガンは火に薪を投げ入れた。

「エイプリルフール・クライシスなんてものがなければ、ナチュラルすべてが戦争に巻き込まれることなんてなかった」

 大西洋連邦とプラント。単なる宗主国と植民地の争いで終わっていたはずだ。

「この戦争にナチュラル対コーディネーターの構図を持ち込んだのはプラントの方だ」

 投げ込まれた薪が今になって一際高い音をたてて弾けた。アスランは差し出されていたカップに、ようやくほんの一口、口をつけた。



[32266] 第12話「天上の歌姫」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/20 00:41
 プラントは理想郷となることが約束されていた。
 ファースト・コーディネーターであるジョージ・グレンはプラント建国の折り、このような願いをこめた。理想郷たれ。世界は幾度とない戦乱にさらされてきた。それは限られた資源を奪い合うためであり、信じる神の違いであり、領土の争いであり、利益を生み出すためであり、何に価値を与えるかであり、時に為政者の気まぐれであった。
 戦争は人の歴史の中に根付き、もはや切り離すことができない。ならば人の歴史を一からやりなおすべきではないか。ジョージ・グレンはそう提唱した。
 人はなぜか過ちを犯してしまった。するとそれが禍根を生み、止まらない憎しみの連鎖はもはや歯止めがかからず世界をさらに歪ませてしまう。それなら過ちが行われる前に立ち返ればよい。憎しみが生まれる前の始まりの世界の中で新たに歴史を紡ぐべきではないか。
 そうすれば人は憎しみから解き放たれ正しき歴史を歩んでいくことができるのである。ジョージ・グレンがコーディネーターに対して見た夢とは、まさに人類の未来そのものであった。遺伝子を調整する。そのことで優れた人間を作り出す。新たな人類が優れている点は能力だけにとどまらない。これまで人が犯してきた罪から解放され新たな歴史を刻むことができると期待したのである。新たな世界の調整役としてコーディネーターは誕生した。
 そのために、ジョージ・グレンはコーディネーターの国を宇宙に求めた。宇宙に眠る無限の資源を求めて、いくらでも作り出せる領土としてコロニーを、もはや地球の延長線としての国土ではなくまったく新しい大地を空に求めたのである。地球上に国土を持たない、コロニー国家としてプラントは誕生した。
 しかし、プラントはその出生そのものが人類の憎悪にさらされていたのかもしれない。反コーディネーター派との軋轢が国家建設を推進する動力であったことは歴史が証明している。コーディネーターの干渉を疎ましく感じたナチュラルの意向がプラントを空の彼方へと追放したとする見解も否めない。そのためにプラントは地球のあらゆるものを少しでもわずかでも排斥しようとしながら国を作り上げた。
 新たな法は地球の法を参考にすることなくコーディネーター独自に作り上げた。プラント独自の憲法は人々の自由、国家の自由を保障し、他に類を見ないほどリベラルであり自由を保障するものであった。
 新たな信仰は生み出されない。ジョージ・グレンは言っていた。信じる神の違いが争いを引き起こすのだと。ならば理想郷に神は必要ではない。誰が決めることもなく、プラント国内では地球上の宗教は信仰されていない。
 法も神も人々の争いを止めることなどできなかった。ならば、どちらも必要としない。プラントの人々は独自の法と、そして神を求めた。法は自らの手で作り上げた。神はジョージ・グレンの言葉であり、理想郷を希求するその心そのものである。コーディネーターはその理想として、戦争や争いのない理想郷を求め続けた。そのために、いつまでも戦い、憎み、争うことをやめることができない地球のすべてを嫌い、そして拒絶した。
 プラント建国当初、大西洋連邦をはじめとする宗主国の多くはプラントの自立を許さず鎖につなごうとした。そのことがコーディネーターの反発を招かぬはずがないのだ。理想郷を得られなかった者たちが、理想郷を得ようとしている我らを阻害している。この事実が、コーディネーターを奮起させぬはずがなかった。
 戦争はジョージ・グレンの言葉を信じるからこそ引き起こされた。
 ただ一度の過ちを犯そう。大いなる理想の灯火を決して消してしまわぬ為に。理想郷を作り出すと期待されたプラントは、まだその夢を諦めてなどいなかった。




 広い扇状の施設の中、唯一明かりが当てられているステージでは少女が歌を歌っていた。ここはコンサート・ホール。桃色の髪、青い瞳、シンプルながら味わい深い意匠のドレスを纏い、少女は歌う。
 軽やかなでたおやかな、その歌声に乗せられてつま弾かれるはジョージョ・グレンの半生。人類最初のコーディネーターとして生まれ、人類の偉大な可能性を締めし続けた。前人未踏とは、まさにこのファースト・コーディネーターのためにある。
 聞き入る人々は敬虔でさえあった。厳かな礼拝ではない。厳粛な儀式が執り行われているわけでもない。プラントの歌姫、そう称される少女の声に誰もが聞き入り、歌声の他は物音一つ聞こえてはこない。
 その歌声の向こうに死せる英雄の姿を求めていた。
 人類のゆくべき道を示し、卑劣なテロリズムに命を落としたジョージ・グレン。ユニウス・セブンを焼き払った血のバレンタイン事件はプラントに2重の悲しみと怒りを与えた。数多くの同胞の死と英雄の喪失。だからこそプラントは戦争という過ちに汚れることを決めた。
 仲間たちの死と、英雄の遺志を無駄にしないために。
 少女の歌は英雄を讃える。
 この歌は、戦いに疲れた人々を慰め、その先の栄光を約束していた。その瞳は青く、コーディネーターが捨て去った母なる海を象徴しているように澄んだ包容力を感じさせる。ナチュラルには存在しない桃色の髪の鮮やかさはコーディネーターの選択した未来の正しさを象徴する。
 少女はプラントの歌姫と呼ばれていた。
 その歌声響く会場はクラッシク・コンサートのように厳かに厳粛に、観客、いや聴衆は身動き1つなく音色を貪欲に拾い上げていた。その様子は、鑑賞ではない。神の御言葉に耳を傾ける信徒のようである。
 信教が人の歴史に争いの種を蒔いてきた。そのためにコーディネーターは神というものを放棄した。しかし、心のより所が必要なことに変わりない。はるかに高い理想を求め生み出されたはずのコーディネーターが戦争という旧き人の繰り返してきた愚行に巻き込まれ、その力を浪費させられている。
 この瞬間にも同胞が命を落としている。コーディネーターに安寧と栄光を約束する歌を与えるのはプラントの歌姫。少女の声楽。
 少女の名前は、ラクス・クライン。




 アーク・エンジェルは軌道を大きくはずれ、アフリカの大地に降り立った。そのことは大きな不幸であったが、数少ない幸運もあった。友軍である大洋州連合の基地に匿ってもらうことができたのである。
 このことはマリュー・ラミアスに大きなため息をつかせた。アルテミスにしろこの基地に関してにしろ、母国である大西洋連邦は基地施設の拡充につとめた方がよいようだ。
 ここ、キンバライド基地は、それは堅牢なものであった。
 岩盤をくり貫いた半地下構造の格納庫はアーク・エンジェルを隠匿することさえできた。壁にはところどころ剥き出しの岩肌が見えているがそれはこの基地の力強さを醸し出しているようにさえ思われる。
 アーク・エンジェルのブリッジから格納庫の様子を眺めただけでもここがアフリカ地方の重要拠点の1つであると理解できる。敵に傍受される危険性の少ない専用の通信機器まで貸してくれた。すでに外部ケーブルが接続されているはずで、艦長席から立ち上げることができるはずである。
 通信をつなぐ。正面のモニターが繋がる前に艦長席から立ち上がり、敬礼の姿勢をしておく。モニターには口ひげをはやしたデュエイン・ハルバートン少将が映し出された。敬礼をしてから、実直な指揮官は話に入った。

「ラミアス大尉、無傷とは言いがたいが、無事なようで何よりだ」

 当の本人も頬にテープを貼っていた。旗艦ネメラオスも被弾したと聞いたのは後の話だ。それほど低軌道における戦闘は激しいものだった。自身が傷つきながらもこちらを気遣ってくれることに、正直な感謝を伝えた。

「はい、ありがとうございます」

 手振りでこれ以上の敬礼は不要と示されたことで手を降ろした。これからが本題であるようだ。

「君たちの現在位置は最前線にあたる。よりにもよって、それが正直な感想だ」

 口ではそう言っておきながら、ハルバートン少将に悲観した様子はない。おそらく、この上官が取り乱した様子を見ることは今後もあり得ないだろう。

「君たちにアラスカに向かってもらいたいことに変わりはない。しかし、大西洋を渡るのではなく、東側ルートで目指してもらいたい」

 このことには2つの理由があると判断した。大西洋連邦本土に渡ることになった場合、急進派の干渉を受けかねない。それにザフトとてこのルートを予測し網を張っているおそれもある。
 染み着いた癖として、つい敬礼をしながら答えてしまった。

「了解しました」

 優秀な上司は融通のきかない部下のそんな行動をたしなめることなく、小さく笑っただけだった。だが、すぐに真顔に戻すと、マリューの方も自然と体が緊張する。

「君には教えておくが、私もこちらの処理が終わり次第アラスカに向かうことにした」

 その意図は正直なところわからない。だが聞き返すつもりもない。愚鈍な部下と思われたくないからではなく、ハルバートン少将は情報の足りないような不格好な話はしないからだ。

「急進派の動きが活発になってきている。何か大規模な作戦を計画しているようなのだ。今ここで動きを抑えておきたい」

 アラスカの総司令部は現在急進派が牛耳っている。その中に進んで目の上の瘤になろうとしているのだ。
 新型をなんとしてでも届けなければならない。そのためにこれまでいくつものことを犠牲にしてきた。それでもまだ足りないというのであればいくらでも生け贄に捧げよう。
 厳しい顔をしているのは、ハルバートン少将も同じである。すると、これまで聞いたことのないような声がした。

「今、そこには君しかいないかね?」

 小声で、抑えた声は威風堂々とした上官にそぐわないものだった。つい姿勢が乱れて、瞬きを3回余計にした。現在ブリッジにはマリューの他にダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世がいる。事実上の副艦長であったアーノルド・ノイマン曹長が療養中の間、マリューをサポートしてくれたのはこの男である。ダリダ曹長は命じるまでもなく軽く頭を下げてブリッジから退席してくれた。何かと気の回る男なのである。
 現在ブリッジにはマリューしかいない。ただ、念のため首を回してから、姿勢を整えつつ肯定した。ハルバートン将軍は目を細め、瞬きを1度した。それでも目はいつもの大きさにまで開かれることはない。まるを嘆いているかのような表情である。

「フラガ大尉のことなのだが、注意したまえ。現在はっきりとしたことは言えないが、急進派の息がかかっている恐れがある」

 せっかくなおした姿勢がもう一度崩れ、今度聞いたこともない自分の声に驚くことになった。

「フラガ大尉がですか……?」

 妙に高く、乙女の悲鳴のような声だった。気恥ずかしさについ口に手をあてた。上官がかまわず話を続くけてくれたのは幸いである。

「アーク・エンジェル乗艦にしても急進派が滑り込ませた節があることが今になってわかった。こちらでも調査を続けるが、警戒だけは怠らないようにしてくれたまえ」
「わ、わかりました」

 こうは答えたものの、ムウ・ラ・フラガ大尉に急進派は馴染まない。コーディネーターであるキラ・ヤマト軍曹や、捕虜にさえ気さくな様子で接しているからだ。
 疑惑は拭えぬまま、しかしマリューの中で一つ一つの疑問が結実を始めだしたのも事実であった。何故、ザフト軍はヘリオポリスにおけるガンダム開発の事実を知っていたのか、何故アーク・エンジェルの向かう先々にザフト軍が執拗に追跡できたのか。そんな疑問を解決するあまりに安易な方法が用意されたのだから。




 捕虜になって、当たり前のことだがすることがない。敵さんは地球降下を果たしたら本部に引き渡すつもりだったらしいが、その目論見は外れたらしい。これからも当分、天井をキャンパスにどうでもいい空想を続けるしかないらしい。
 ベッドに寝そべりながら、ディアッカ・エルスマンはそんなことを考えた。ずいぶんと静かなもので廊下を歩く足音さえ聞こえてくるほどだ。
 足音は懲罰房の前で止まった。首だけ持ち上げてドアの方を向くと、格子のはめられた覗き窓から言うことも背もでかいおっさんがいた。名前はたしかムウ・ラ・フラガだったか。ほかに人が来ないところを見ると、世話係はおっさんで決定してしまったらしい。

「飯の時間だぞ、ディアッカ」

 すっかり名前を覚えられてしまった。思えばこの艦に来て以来おっさんにしろ、キラ・ヤマトとか言うガキにしろ、野郎にしか会っていない。ずいぶんとむさ苦しい場所のようだ。
 首を再び横たえた。ジャスミン・ジュリエッタの声が懐かしい。ただ、女性がいないわけでもないようだ。配膳でも担当しているのか、おっさんに食事を届けに来たと話しかける高い声がしたかと思うと、短い悲鳴が聞こえた。
 こけたのか。面倒なことになったと立ち上がることにした。扉へと歩きながら頭をかいた。

「おいおい、これが唯一の楽しみなんだぞ」

 格子を掴んで廊下の様子をのぞき込む。どうやら転倒は免れたようで、おっさんが少女を支えていた。幸い、食事は死守してくれたらしい。大きく前のめりになりながらも手を伸ばして食事のおかれたトレイを保持していた。
 おっさんは少女の姿勢をゆっくりと起こす。桃色の髪がずいぶんと鮮やかで、コーディネーターであるようだ。それにしても、髪型三つ編みに黒いリボンが結ばれているだけ。ずいぶんと地味な女であるらしい。
 どんな顔かと想像している内に少女が上体を起こした。その瞳の青さが飛び込んできた。単に少女と目があったというだけのことだが、こうとしか表現しようのないほど脳裏を目の前の少女が占めていた。
 つい呆けたように少女のことを眺めていた。体勢を立て直した少女は、ディアッカの視線に気づいて照れ隠しの笑みをした。

「こ、こんにちは……」

 声の質までディアッカの心を捉えて離さない。少しでも近くで見ようと扉に体を押しつけ、格子の冷たさが頬を撫でた。

「お前……、いや、君、名前は……?」

 本来なら初対面の同世代はお前と呼びつけにする。しかし、それはどうしようもなく気が咎めて結局言い直す羽目になった。捕虜にこんな態度をとられて戸惑わない方がおかしいだろう。少女はトレイをムウに手渡しながらディアッカのことを観察でもするように眺めていた。

「アイリス、アイリス・インディアです……」

 やはり違うのだろうか。あの人に他人とは思えないくらい似ている気がしたが、姓は違った。しかし、あまりに似すぎている。どうしても腑に落ちず、少女を眺めていた。すると、横槍を入れてきたのはおっさんである。

「敵を口説きたいなら戦争が終わってからにするんだな」

 そんなんじゃない。首はアイリスに向けたまま曲げず、視線だけを向けた。ただ一言否定しておきたかっただけなので、すぐに目を戻す。よく見るとそんなに似ていないだろうか。ただそう考えたのも髪型が違うからかもしれない。それとも、表情が違うからだろうか。

「もっと上品そうな凛とした顔してみろ」

 アイリスは扉の前まで歩み寄った。それからディアッカへと微笑んだ。笑ってほしいわけではないと注文をつけそうになったところで、アイリスの手がまっすぐにディアッカの顔へと突き出された。
 上体を後ろへ大きく反らすことでそれをかわした。格子を通り抜けた少女の手はディアッカの顔の前で止まった。人差し指と中指が人の目の間隔で開いていた。典型的な目潰しの構えである。
 手が引き戻されたため、おそるおそる格子に顔を近づけた。すると、大仰な歩き方をしたアイリスの後ろ姿が見えた。

「失礼な人ですね!」

 上品でも凜ともしていないと言われたことにご立腹らしい。あの人と同じ顔をしていながら、ずいぶん凶暴なようだ。

「待て! 俺が悪かった。ただ、知ってる人によく似てたんだ」

 一応立ち止まってはくれたが、振り向いた顔には私は不機嫌ですと書いてあった。

「ゼフィランサスさんですか? もう何回も言われてます、そんなこと」

 ゼフィランサスという人物のことをアイリスはさも知っているかのように話したが、ディアッカに心当たりはなかった。

「ゼフィ、なんとか……、誰だそれ?」

 アイリスは体ごとこちらに向き直った。どうやら、興味を持ってくれたらしく、表情もどことなく落ち着いている。

「ラクス・クラインて知らないか? プラントじゃ、歌姫なんて呼ばれてて知らない奴がいないくらい有名なんだ。その人にお前は本当によく似てる」




 夜明けを待って、アスランはGAT-X103バスターガンダムに乗り込んだ。モニターには青いジンオーカーが立ち上がる様子が映し出された。モーガン・シュバリエ中佐がゲリラの勢力範囲を抜けるまで協力する見返りに、ザフト軍基地の場所を教えてもらう手はずになっていた。
 アスランがいたオアシスから一歩踏み出すと、完全な砂砂漠が広がっていた。これほど砂のみで構成される砂漠も珍しい。足がとられないといいが。
 先を歩いていたジンオーカーが砂を踏みしめた。さすがに砂漠用にチューニングされた機体らしく、扱いにくい砂の抵抗を把握した危なげない歩きをする。バスターはそうはいかないだろう。砂を踏むと、予想通り足下から砂の粒子が流れ出た。設置面が沈み込んだことにOSが対応しきれず、上半身が傾く。反対の足を動かしバランスをとろうとすると、今度はその足が砂にとられた。その繰り返しである。
 それを2度、3度繰り返した時だろうか。OSが砂の特性をあっさりと掴んだ。逃げる抵抗を計算に入れ、それを鑑みた上で機体を安定させるようになる。砂を意識することなく歩けるようになった。
 過剰と思えるほどの汎用姓だった。OSにこれほどの性能を与えるとはゼフィランサスらしいと言えばそれまでだが、小娘にそれほど潤沢な資金を提供するとはずいぶん思い切ったことをする。小国が1つ買えるほどの額が動いたのではないか。
 そんなことを考えていると、ジンオーカーが立ち止まりこちらを見ていることに気づいた。バスターの歩行速度をあげて追いつくと、2機が並ぶ状態で進むことになった。
 それからしばらく無言で歩き続けることになった。
 強い日差しが照りつけている。モビル・スーツには空調設備が完備されているため特に問題にはならないが、モーガン中佐に言わせればこの陽光が重要なのだそうだ。
 ゲリラである明けの砂漠は高性能のサーモグラフィを所有しているらしい。単なる地方ゲリラがそのような機器を有していることに、正直懐疑的である。だが、この地方の実状もわからない。夜間ではモビル・スーツの熱源が一際目立ってしまうため、敢えて昼の時間帯を選択した。その方が敵に発見されることを遅らせることができるからである。
 だが、モーガンはこうも言い加えた。敵さんの方が早くこちらを見つけると。
 ジンオーカーが突然立ち止まり、アサルト・ライフルを構えた。バスターを止まらせる。付近を警戒してみるが、敵の姿はない。不気味で、不愉快な緊張感がまとわりつく嫌な空気が流れた。
 突然、モーガンが叫んだ。

「くるぞ!!」

 いくつもの砂が塊となって舞い上がった。それが上に砂を被せられたシートだと気づいた時には、バスターのモニターにハーフトラック、ロケットランチャーという文字列が多数表示されていた。
 荒れ地の走破に向いた開放式の小型トラックに携帯ランチャーを抱えた人が3、4人乗り込んでいた。ハーフトラックの総数は15といったところだろうか。そのすべてにロケットランチャーが乗せられていることを考えると、その攻撃力は侮れない。
 走り出したハーフトラックから一斉にロケットが放たれた。一撃でモビル・スーツを破壊する威力はないが、この数を浴びることは避けた方がいい。ジンオーカーとバスターが別々の方向へ跳んだ。2機がいた場所を通り抜けたランチャーが砂漠に火の花を植え付ける。
 跳び出した先で両腰にライフルを構えた。発射はしない。威嚇の為に構えただけだ。生身の相手に武器を使用することがためらわれたわけではない。撃つことができないのだ。ビームもレールガンも使用にはエネルギーを消費する。今のバスターの懐具合は決して潤沢とは言えない。大気圏突入の際、フェイズシフト・アーマーを展開し続けたことでエネルギーがほとんど残されていない状況だった。これからの移動や空調の維持を考えると、ビームは使用できない。レールガンは銃身の損傷が激しい。使用すれば2度と使いものにならなくなる。
 弾を禁止された。それが戦車や戦闘機なら絶望的だろうが、モビル・スーツならではの戦い方が残されている。
 砲撃もかわす意味もかねて上へと跳び上がる。眼下にこちらを見上げてくるゲリラたちの顔を見ながら、地球の重力がバスターを砂の大地に投げ落とした。バスターは人と同じく膝を曲げ軟着陸するが、強い衝撃が砂を盛り上がらせる。この隆起に巻き込まれた数台のハーフトラックが転倒し、走行不能となった。
 残りの敵は数える気にもなれない。それだけの数が間髪入れず押し寄せてきている。ランチャーがバスターに直撃すると、微かな光と流れる煙を出して消えていった。
 まさか同じ戦法を何度もするわけにはいかない。ひとまず間合いを開けようと弾幕の薄いところを通るようにバスターを移動させる。
 モーガンの方はアサルト・ライフルでハーフトラックを着実にしとめる戦い方をしていた。こうして2人が別れ、敵戦力を分散することで徐々に包囲網を削っていく。
 この作戦は示し合わせて決めていた。モーガンから提案し、アスランが受け入れた形だった。そんな作戦を、先に反故にしようとしたのは他ならぬモーガンの方であった。青いジンオーカーがこちらへと駆けだした。合流しては戦力を集中させてしまう。そう、連絡しようとした時、モーガンからの一言が耳に届いた。

「罠だ!」

 突如、バスターの足下が崩れた。破れた薄いシートが見えて初めて、地面と考えていた場所が単にシート1枚被せただけの奈落であると気づかされた。砂漠における5mほどの段差をゲリラはほんの薄膜1枚で天然の落とし穴に変えたのである。
 落ちる感覚を覚悟していると、意外にも衝撃は横から来た。穴を通り抜け投げ出される。なんとか片膝をつくことで着地することができた。
 砂漠に不慣れな愚者が落ちるべき穴に代わりに陥っていたのは、モーガンのジンオーカーだった。落ちた衝撃で足が砂にくい込んでしまったらしい。上半身だけが穴の上に出ていた。これでは身動きがとれない。
 ハーフトラックが一斉に集まり始めていた。
 助けなければならない。それがどうして、自分でもわからない。無理矢理、理由をつけるならまだ友軍と合流できる場所を聞き出していないから。この理由はモーガンの手によってあっさりと瓦解させられた。

「行け! 北北東に行けばいやでもザフトに会える!」

 これでわざわざ敵を助ける理由はなくなった。それでも不思議とアクセル・ペダルを踏む足から力が抜けることはなかった。バスターを穴に降ろして、ジンオーカーを後ろから抱える。すぐスラスターの出力を上げるが、砂が思いの外固い。
 モーガンが文句を言ってくるが、これは無視することにした。

「何をしている!? お前も巻き添えを食うぞ!」

 キラが考え、ユッカが伝え、ゼフィランサスが生み出した力が、ガンダムがこの程度のこと、できないはずがない。

「ガンダムなら、これくらい!」

 まるで、その思いに答えるかのようにバスターがジンオーカーを抱えたまま上空へと飛び上がった。背面を映すモニターにハーフトラックが一団となってロケットランチャーを一斉発射する様子があった。
 次々バスターに命中し、生じた煙が前面のモニターにさえ映し出されるほどだ。だが、損傷はない。フェイズシフト・アーマーの輝きを振り払うようにバスターを振り向かせる。レールガンを構えるため、右手だけでジンオーカーを支えようとすると、過大な負担であるにも関わらずガンダムは耐えて見せた。
 レールガンを前へと突き出す。すると、銃身に刻まれた傷が痛々しい。正常に発射できるのはせいぜいが1発。傷ついた武器から目を外し、鋭さをました目つきは敵を捉えた。
 窮地は、必ず好機にも繋がる。ゲリラは攻撃を集中しようとするあまり、ハーフトラックを1カ所に集めすぎていた。レール・ガンがその命と引き替えに放った一撃によって、あっさりと勝敗は決した。一度に多くのハーフトラックを失ったゲリラは撤退を余儀なくされてのだ。
 ザフトと地球軍。この奇妙な組み合わせをした2機は無事、ゲリラの勢力範囲を抜けたところで膝をついた。コクピット・ハッチに備えられた昇降用のロープに足をかけ、初めて自分の足で砂というものを踏みしめた。日が高くなりはじめ、ずいぶんと暑い。ヘルメットを脱ぐことにした。
 見ると、ヘルメットを肩越しに担いだモーガンがアスランを見ていた。

「ずいぶんでかい隠し玉を持ってたようだな。……どうして助けた?」

 しかめられたその顔は、不機嫌というよりは単純に疑問を口にしているだけだろう。威圧的な様子はない。それでも答えに窮したのは自分でも答えを言葉にまとめ切れていなかったためだ。

「一宿一飯の恩義……でしょうか……?」

 そう言うと、モーガンは口を抑えて笑った。どうやら、冗談であると解されたらしい。心ならずお返しができたようだ。モーガンは破顔したままで忠告を発した。

「だが、次会う時情けは無用だぞ」

 今度会うときは敵同士。それは真実以外の何者でもないが、モーガンはずいぶんと調子軽く言ってのけた。振り向き歩きだした時には手を振ってくれたくらいである。1人の男がモビル・スーツに乗る込むところを見送ると、アスランはヘルメットを被りなおした。
 これが、月下の狂犬と呼ばれる大洋州連合のエースとの出会いであった。




 アスランという少年の助けによって、モーガンは基地にたどり着くことができた。
 キンバライド基地。モーガンが中佐として指揮を任せられているこの基地には、留守中珍客を招き入れていた。白亜の戦艦アーク・エンジェル。それに、今見上げている2機のモビル・スーツである。格納庫の反響する音を染み込ませたその顔は、アスランが搭乗していた機体と同じ顔をしていた。

「まさか顔つきがここにもあるとはな」

 独り言が短いエコーを発すると、それを塗りつぶすように足音が聞こえた。その音の主はちょうど隣で立ち止まった。それは物静かな少年であった。その顔はたくましさや凛々しさとは無縁であった。見るからに凄腕というようなわかりやすい様子は微塵もないのだ。
 いつも周りに神経を張り巡らせる。その態度と雰囲気を取り合わせれば周りのご機嫌うかがいしかできない気弱な少年のようでもあったが、瞳の奥底は静かに澄んでいた。瞳孔に一切の震えが見られないのは自信の現れであろう。
 牙を剥き出しにした子犬より、静かにたたずむ狼の方が恐ろしい。敵にはしたくない男のようだ。この歳でこのような気配を纏う男など、そうはいない。どこかしら、アスランとも似た空気を感じた。
 大西洋連邦軍の軍服の着こなし方が堂に入っている様子で、少年はモーガンに語りかけた。

「名前はガンダムです、モーガン・シュバリエ中佐」

 手を差し出され、礼儀として握り返す。握手した右手に加わる力はずいぶんと強い。

「僕はキラ・ヤマト。階級は軍曹。右側の機体、ストライクガンダムのパイロットです」

 白い機体だ。自分がいない間のことは報告書で読ませてもらったが、ジンオーカー相手に大立ち回りを演じたらしい。

「降下早々お手柄だったようだな。だが、覚悟しておけ。お前は砂漠の虎を本気にさせた」

 忠告はしておきたいが、萎縮されても困る。そのため、笑いながら多少冗談めかして言った。こんなことは余計なことであったようだ。表情は変わっていない。しかし瞳の奥に怪しげな光をキラは宿していた。

「僕は誰よりも強くなりたい……。猫とじゃれあってる暇なんてありません」




 アーク・エンジェルがキンバライド基地に入ってから今日で17日になる。本来ならすぐにでも動きたいところだったが、破損したデュエルの修復に志願兵の教育、現地の状況の見極めなどすることが山積であったためだ。
 ムウ・ラ・フラガはちょうど、FX-550スカイグラスパーから梯子を伝い降りるところだった。TS-MA2-mod.00メビウス・ゼロは無重力下での運用を前提としたものであり、地球では使用できない。これからの戦闘はこいつに頼ることになる。
 梯子を降りきってしまうと、すぐ後ろにアーノルド・ノイマンの姿があった。もう傷は癒えたらしく、包帯は巻いていない。

「フラガ大尉、少しよろしいでしょうか?」

 休憩用のテーブルに手招きしてまずは自分から腰掛けた。格納庫備え付けの金属を張り合わせたような不格好な作りだが、座り心地は悪くない。アーノルドも続いて座った。なんとも深刻そうな顔で、話とは相談事のようだ。

「何だ? 好きな女でもできたか?」

 生真面目な操舵手は笑いもせずに否定した。

「いえ、違います。そんなことではなく、私にスカイグラスパーの操縦を教えてもらえないでしょうか?」

 こちらは冗談ではすまない話のようだ。まっすぐにアーノルドのことを見てみるが、この男は目をはずそうとはしない。

「パイロットになりたいってことか?」

 アーノルドは頷いた。
 一度、スカイグラスパーの方を見る。2機が並んでおかれている。余剰パーツは別にあるため、残りの1機を遊ばせておくよりはいいことかもしれない。だが、問題が3つほどある。スカイグラスパーに目を向けたままで問いかける。

「マリュー艦長には話したのか?」
「すでに許可をいただいています」

 視線を戻すと、今度はアーノルドの方がスカイグラスパーを見ていた。かまわず話を続ける。

「しかし、お前は戦闘機を扱う訓練なんか受けていないだろ」

 こちらに視線を戻してから、返事がある。

「シミュレーター訓練なら受けています。それに、ユニウス・セブンでは自分は最低限の任務を果たしたつもりです」

 確かに不慣れな機体を操縦している割にアーノルドは戦艦と連携する形でこそあったが十分な時間を稼いだ。相手がラウ・ル・クルーゼでなければGAT-X303イージスガンダムの乱入こそなければアーク・エンジェルを守りきることはできたかもしれない。反対に現在のアーク・エンジェルでスカイグラスパーを扱わせることができるのは誰かといえば、すでにパイロットであるムウやキラ・ヤマトを除けばこの男の名前が挙がる。

「わかった。だが、お前がいなくなったら舵は誰がとる? アーノルド・ノイマンは2人いないんだぞ」
「それはフレイ・アルスター二等兵が現在訓練を受けています。飲み込みが早く上達が目覚ましい」

 この志願兵の少女は聞いたところによると緊急処置として舵をとったとも聞かせられている。アーノルドが言うには、現在訓練を受けており、すでに動かすくらいならできるらしい。当分の間、新兵の教官と見習いパイロットの二足の草鞋をはくつもりらしい。楽なことではないが、本人が大丈夫といっている。さらに艦長殿の許可まで加わってはムウに拒否する権限はない。

「話は分かった。アーノルド曹長は2号機を使ってくれ。細かい訓練内容については、いずれ話す」

 空を並んで飛ぶことになった仲間ははっきりとした声で返事をした。ただ残念なことは、この声をかき消してしまう歓声が上がってしまったことだ。
 何の騒ぎか。つい気になって声のした方へと行ってみることにした。アーノルドもついてきているようだ。格納庫をほぼ横断して、たどり着いた先はその入り口だ。モビル・スーツさえ通ることができる大きなゲートを抜けると、乾いた風が頬を叩いた。
 太陽光に炙られた岩肌に取り囲まれた、ちょっとした広場があった。キンバライド基地のほぼ中央に存在するここはモビル・スーツの実験や訓練に使用される。巨大な岩山の内部に設営されたこの基地において、隠匿性の観点からもここが唯一外にでられる場所だ。
 たしかに、まるで闘技場のような適度な広さと、このゲートのような見物席がある。ムウとアーノルドの他にも、手の空いた連中がゲートに並んでいた。
 残念ながらいいところは見逃してしまったらしい。すでに勝敗は決していた。
 青いTMF/S-3ジンオーカーが背中から広場の砂地に倒れていた。その前にはライフルを構えたGAT-X102デュエルガンダムが立っていた。
 仰向けのジンオーカーのコクピットから男が這いでた。訓練であるためか、ヘルメットはしていない。いかにも若造という言葉の似合う若者で、アフメドとか呼ばれていただろうか。この基地にモーガン・シュバリエ中佐を含めて5人いるモビル・スーツ・パイロットの中でも一番の新米だと記憶している。
 デュエルからは小柄な女性。ヘルメットを脱ぐと、リボンで束ねられた桃色の髪が風になびいた。アイリス・インディアだ。美少女の勝利に、若い男衆が沸き立つ。まるでこの基地のアイドルのようになってしまったが、当の本人は困ったような表情で、コクピット・ハッチの上から手を振って応えるだけだった。
 乗り初めて1週間で正規の軍人を負かすとは、アイリスは着実にモビル・スーツ・パイロットとして成長している。アーノルドは正直に感心しているようだ。呆気にとられたようにこの光景を眺めていた。
 ムウにはこの場で一番冷めているのは自分だという確信がある。

「至高の娘の妹なんだ、これくらいできても驚くに値しないな……」

 この声は誰にも聞かせるつもりはなかった。特に、アーク・エンジェルのクルーであるアーノルドには。
 新兵に舵を任せ、優秀な操舵手をパイロットに回す。本来ならあり得ない采配である。このことから導き出される答えは、艦長であるマリュー・ラミアスがムウへの依存度を減らそうとしているからだと考えられた。
 そろそろ潮時か。アーク・エンジェルは楽しいゲームだったが、遊んでばかりもいられないものだ。




 等間隔に降りていく。光はかすか。青磁に似た光沢が明かりを貪欲に貪りその形を示す。これを人は階段と名付け、そう呼んでいる。一時に跳び下りてしまえばいいものを、落下の対価を支払うことを恐れそれを一方的に分割するための道具であった。
 そんなものを頼っても、行くつく末は何も変わりはしない。そして、階段とは名細い通路の床を占有する主の名でもある。
 歌姫と呼ばれる少女が1歩1歩、その身を落としていた。やがて、扉を持たない小部屋が少女を迎え入れた。部屋には6角形のテーブルと6つの椅子。そして、2人の少女が歌姫を出迎える。
 1人は腕を組みながら座っていた。不揃いな瞳が、自分と同じ顔をした歌姫を見ていた。
 1人は人形かのように座っていた。真紅の双眸が、自分と同じ顔をした歌姫を見ていた。
 純白の小部屋。中央には6角形のテーブルがおかれ、それぞれに椅子が1つ添えられている。背もたれがひどく高く、凝ったデザインが彫り込まれている。
 大きな箱を2つかつぎ上げる巨人が描かれた椅子に座るはオッドアイの少女。不揃いな瞳と片側にだけ垂らされた三つ編み。手足を露出した姿がその活発さを印象づける。
 たなびく羽衣を纏う天女が描かれた椅子にはアルビノの少女。赤い瞳と白い肌。漆黒の衣装を身に纏い、表情に乏しいその顔は、まるで置かれた人形のよう。
 旗を掲げた女神が描かれた椅子には完璧な均整のとれた少女。桃色の髪は鮮やかに、青い瞳は澄んだ水の色を湛えている。華やかさが強調されたその衣装。
 そして3者は同じ顔をしていた。残りの3席は空席であった。
 まずはラクス・クラインが明るく透き通った声をこの部屋に染み込ませた。

「こうして6人の半分が集まるなんて、何年ぶりのことでしょう? デンドロビウムお姉さま、ゼフィランサス」

 3人はちょうど対角線の位置に座っていた。ラクスにとって右側に座っていたデンドロビウム・デルタは足をテーブルに投げ出していた。その様子はカガリ・ユラ・アスハに詰め寄った時と何ら変わりない。

「2年くらいかな。もっとも、メンバーは違うけどさ」

 そう言ってデンドロビウムはゼフィランサス・ズールを見た。ずいぶんと表情がおとなしくはなったが、おしゃべりなところは変わっていない。そんな印象を受けた。

「私はプラントをずっと離れてたから……。ここに来ること自体……、今回が初めて……」

 赤い瞳がゆっくりと部屋を見渡す。その瞳が姉であるラクスの青い瞳を捉えると、歌姫は妹へと柔らかな微笑を向けた。

「ゼフィランサス、あなたが無事でいてくれたことを、大変嬉しく思いますわ。あなたが成し遂げた成果を、お父様はお喜びになることでしょう」

 ゼフィランサスはラクスから目をそらした。それが彼女なりの照れ隠しであると気づくと、今度はデンドロビウムならデンドロビウムの、ラクスならラクスなりに微笑した。これも照れ隠しの1つだろうか。ゼフィランサスは唐突に話題をふる。

「ラクスお姉さま……、テットがキラって名前変えて生きてたよ……。今はストライクのパイロット……」

 苦いものを噛んだような顔をしたのはデンドロビウムである。

「あいつ、まだストーカーしてんのか?」

 ゆっくりとした動作で、ゼフィランサスはこの場で最年長である姉を見た。それが末妹の不機嫌ゆえの行動だとは、デンドロビウムは気づかない。ゼフィランサスにしてもすぐに視線を引き上げさせた。

「話は変わるけど……、デンドロビウムお姉さまは……、地球に戻るんでしょ……?」

 デンドロビウムは手をひらひらと動かした。それを肯定だと判断して、ゼフィランサスは姉へとケースに入れられた記憶媒体を差し出した。

「これを……、カルミアお姉さまに届けて……」

 デンドロビウムは記憶媒体を受け取るが、それが何かはわからないようだった。説明役はラクスが買って出た。

「お父様はビーム兵器の量産化を望んでいます。これはわたくしからお願いしてゼフィランサスにまとめてもらったデータです」

 この説明が理解できなかったわけではない。しかし、記憶媒体を見るデンドロビウムの表情は晴れない。このような顔をしたまま、デンドロビウムはゼフィランサスの方を向いた。

「いいのか……?」

 カルミアの手にこのデータが渡れば、アフリカ地区のザフト軍の戦力は大幅に強化される。そうすれば、危機にさらされるのは敵対勢力に所属しているキラ・ヤマトに他ならない。
 ゼフィランサスは誰にも視線を向けず、何を見ているでもない眼差しで答えた。

「お父様はキラのこと……、必要ないみたいだから……」



[32266] 第13話「王と花」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/20 22:02
 キンバライド基地のブリーフィング・ルームはなかなかしゃれた作りになっていた。長方形の部屋に入り口は1つ。入るなり段差があった。床一面が一段高くなっているため、どうしても上がらざるを得ない。ナタル・バジルールは段差を踏み越えると、床にこの基地近傍の地図が大きく表示されていることに気づいた。床全体をディスプレイにしているとは、空間の限られる戦艦にはできない贅沢な仕掛けだ。
 床に気を取られ気づくことが遅れたが、他の参加者はすでに集まっているらしい。軍服姿のモーガン・シュバリエ中佐が部屋の中央に陣取っている。癖なのか、顎髭に手をやっていじっている。すぐ横にはマリュー・ラミアス大尉がうつむいていた。無論、改悛ではなく状況を把握するためだ。
 床を眺めながら、岩山とおぼしき場所に立つことにした。2人とは適度に距離が離れ、かつ今回の会議に邪魔になるような位置ではないだろう。
 立ち止まり改めて薄暗い部屋を見回す。アイリス・インディアとフレイ・アルスターが並んでディスプレイの端に立っていた。この2人は少しでも戦況を理解してもらおうと会議にはできるだけ出席させることになっていた。
 ただ、暗がりの中にキラ・ヤマト軍曹の姿が浮かんでいることには違和感を禁じ得ない。この少年はいつの間にか明確な発言権を行使するようになった。呼んでいなくとも会議に顔を見せるようになったのである。単なる難民の少年とは考えていなかったが、あまりに戦場慣れしすぎている。
 会議が始まった。モーガン中佐が足でディスプレイを叩いた。そこには街と、その名前が表示されている。

「バナディーヤ。ここが虎の根城だ」

 では、ザフト軍の最重要拠点であるということらしい。砂漠の虎、アンドリュー・バルトフェルドはどちらかと言えば現場主義の将軍であると聞かされている。ジブラルタル基地南部の守りを任されながら、しかしその姿勢は攻撃的。バナディーヤのような出城から反対勢力に攻撃を続けている。
 続いてモーガンが指さしたのはナタルだった。正確にはナタルの足下の岩山である。

「そこが俺たちのいる場所だ」

 見下ろすと、確かにキンバライド基地と表示があった。ついつい慌てて、跳ねるように退いてしまった。アイリスが息をもらして笑っている。フレイは顔をそらしていたが、こちらも笑っているようだ。
 冷静なのは軍人としての経歴の長いモーガン中佐やマリュー・ラミアス大尉。それになぜかキラ軍曹もである。ただ正確には、艦長は別のことに気をとられていた。

「まさかこんな近くにあったなんて……」

 バナディーヤとキンバライド基地の間には等高線の間隔がとにかく広い、要するになだらかな砂漠が広がっていた。問題はその距離である。正確な縮尺はわからないが、せいぜい数百kmの隔たりしかない。車でさえ数時間でたどり着ける場所である。それに対しても、モーガン中佐は平然と笑っていた。

「そうだな、いつ見つかっても不思議じゃない」

 笑い事ではない。ようやく笑いをこらえることができるようになったのか、フレイが視線を正面に戻した。口元に手を当て不機嫌そうな顔を装っているが、表情を崩さないよう必死になっていることは明らかだ。
 フレイがわざわざ前を向いたのは、単純にわからないことがあったからのようだ。

「ねえ、虎って何のこと?」

 つい体の動きがとまった。すぐに、こんな基礎的な知識さえ知らないからこそ会議に参加させることにしたのだと、自分を奮い立たせた。
 その頃には、キラが口を開いていた。

「アンドリュー・バルトフェルド。この地域一帯の総指揮官のことだよ。その勇猛な戦いぶりから、砂漠の虎なんて呼ばれてる」

 その口振りは、さも自分は新兵ではなくこちら側の人間だと言わんばかりである。確かにその知識に間違いはなく、年不相応に落ち着いた態度は場慣れしている。纏う空気はモーガン中佐のものと近い。

「しばらくは大丈夫だろうな。北じゃ本隊が頑張ってくれている。東でも大西洋連邦とユーラシア連邦の合同軍の動きが活発なようだ。奴らも気がそれて仕方がないだろうからな」

 モーガン中佐のこの言葉に、マリュー大尉は視線を厳しくした。薄暗い部屋でそんな些細なことに気づくことができたのは、急進派の不穏な動きを予備知識として与えられていたからだろう。
 ただ、アイリスまで難しい顔をしていることには、当人が手を上げて関心を引きつけてくるまでわからなかった。

「すいません、どうしてもわからないんですけど……」

 床には近辺の地図、砂漠と岩山しかない地形が映し出されていた。アイリスの真剣な眼差しはそんな世界を見下ろしていた。

「この近くにお買い物できる場所はありませんか? そろそろ着替えが欲しくて」

 優秀な指揮官2人はあくまでも冷静だった。キラ軍曹は物静かな様子を崩さない。フレイはアイリスに近い感覚をしている。その結果、ある意味では冷静に事態に対応したのはナタルだけだった。

「この状況で何を言っている!?」

 妙な強さを持っている子だと思っていたが、こんな時に遺憾なく発揮させなくてもよいのではないか。アイリスはナタルの怒声もどこ吹く風である。

「でも、ナタルさんもアーク・エンジェルにいきなり乗ることになったのは私たちと同じですよね? そろそろ足りなくなってませんか? ……その、衣類とか……」

 確かに、衣服、特に下着の替えや化粧品の類が心許ない。これはこれで状況の適切な判断と言えなくもないのだろうか。そう、つい考え込んでしまった。追求の勢いが衰えた隙にモーガン中佐が床を叩く音がした。

「日用雑貨が欲しいなら、やはりここだな」

 音の発信源はバナディーヤ。モーガン中佐自ら虎の根城と評したその場所である。あまりのことに、声にさえならなかった。

「大きな街だ。1人2人紛れ込んだってわかりはしない。それに、ジープなら2、3時間飛ばすだけで着く」

 まだ声が出ない。その間に、話は動いていく。キラ軍曹が引き継いだ。

「運転なら僕がしようか?」

 モーガンがポケットから取り出した何かをキラに投げ渡した。流れからして、ジープのキーだろう。
 一度息を大きく吸い込んだ。こうすれば声は出せるようになると経験から知っている。だが、この時大切なことを忘れていた。忘れたまま、声を肺から吐き出される勢いのまま声を出した。

「な、何を勝手に話を進めている!?」

 こう怒鳴り散らした相手の中には、国籍こそ違うが自分よりも4階級も上のモーガン・シュバリエ中佐が含まれていたのである。




 砂漠の生活は思いの外快適だった。ここバナディーヤは近傍で最大の都市であるばかりでなく、指揮官であるアンドリュー・バルトフェルドがこの街一番の屋敷を徴用していたためである。
 高い天井が厳しい日差しを遮り、大きな両開きの窓からは乾いた風が心地よい。座るソファーは柔らかい。
 アスラン・ザラはここが最前線を担うザフト軍の中枢であることをふと忘れそうになる。目の前ではニコル・アマルフィがテーブルごしに座っていた。穏やかにティー・カップを傾ける様を眺めていると、プラント本国のアマルフィ宅に招かれた時のことを思い出してしまう。ユーリ・アマルフィ議員はご健在だろうか。ここで父であるパトリック・ザラ副議長のことが思い浮かばなかったことは、自分なりに衝撃を覚えた。
 ニコルを眺めていた。すると、あどけない少年はふと顔を上げてこちらを見た。視線に気づかれたからではなく、アスランの後ろ側から誰かが入ってきたかららしい。
 首だけで振り向いて誰かを確認するなり、立ち上がって敬礼をした。相手は砂漠の虎その人であった。その後ろではカルミア・キロがにこやかに手を振っていた。妙に砕けた服装と同じく、アンドリュー指揮官は威厳とはほど遠い軽い話し方をする。

「砂漠の暮らしには慣れたかね?」

 ニコルも同様に立ち上がっている気配はあった。ただ、ここではアスランの方が日が浅い。尋ねられているのは自分の方だろう。

「はい。ご用命とあればいつでも出撃できます」

 アスランとニコルが座っていたソファーとは別に1人掛けのソファーがテーブルの先に置かれていた。アンドリュー指揮官が座ったのはそのソファーだった。

「君たちは優秀だが堅苦しいのがいかんね」

 ラウ・ル・クルーゼ隊長も形式主義に固執する人ではなかったが、ここまで気さくにされると戸惑いの方が大きい。手振りで座るよう促されると、つい対応が遅れた。その間にニコルはあっさりと席についた。こんなところにも同僚の方に一日の長があるようだ。
 座るタイミングを逃したアスランを楽しげに眺めているのはカルミア・キロである。

「アンディ、そう意地悪しないで。アスランは昔から堅物なんだから」

 そう言うカルミアはまるで従者であるかのようにアンドリュー指揮官の後ろに立っていた。同い年相手に大人びた態度を見せるところは10年前から変わらない。

「君も昔と変わらないな、カルミア」

 その明け透けな態度は、確かにカルミアを大人の女性のように見せていた。同じ顔をしていても、反対にゼフィランサスは幼く見えるのだが。彼女たちの雰囲気は1人1人まるで違う。
 布を巻き付けたような服のどこから取り出したのか、さも楽しげに、カルミアは記憶媒体を取り出した。

「昔と言えば、懐かしい人からラブレターが届いたわ。デンドロビウムお姉さまが届けてくれたものよ」

 デンドルビウム・デルタは昔からたぐいまれな行動力の持ち主だった。それは今も変わらず、データを渡すとすぐに立ち去ったようだ。今は地球の第三勢力の間を飛び回っていると聞かされている。ヴァーリというのはどこにでもいて、そしてどこにもいないものであるらしい。

「デンドロビウムの方も相変わらずか……。それで、恋文の送り主は?」

 カルミアの冗談に乗ることにした。するとこのことに気をよくしたのか、一際明るい声で返事があった。

「私たちのかわいい妹、ゼフィランサスからよ」

 そのことには少なくない驚きを覚えた。アスランはそのことを顔に出したが、意外にもニコルは態度に見せた。

「ゼフィランサスさん、ですか……?」

 ニコルもゼフィランサスの顔は見たことがある。ヴァーリのことを聞かされて、意識していても不思議はない。
 記憶媒体のケースにはZ・Zと、ゼファランサスのイニシャルが流れるような筆跡で書かれていた。

「そう。長く行方不明だった妹から。テットくんが生きていたら喜んだでしょうにね……」

 飄々とした様子は努めて崩さないにしても、カルミアは目を閉じた。首の角度も伏せがちで、彼女なりの悲しみが伝わってくる。落ち着いた雰囲気の彼女はアスランたちにとって姉のような存在だった。沈んだ姿を見たくはない。幸い、そのための材料は手の内にある。

「カルミア、テットは生きてる」

 急に顔をあげたッカルミアは激しい瞬きをした。どのような人であれ、驚いた時に見せる反応は大差ないらしい。

「今はキラ・ヤマトと名乗ってガンダムのパイロットとして地球連合にいる」

 この言葉に反応を示したのは、意外にもアンドリュー指揮官だった。

「その話、くわしく聞かせてもらいたいね」




 砂を巻き上げてジープが砂漠を疾走する。キラがハンドルを握り、助手席にはナタル。後部座席にアイリスはフレイと並んで座っていた。最初に出会った時と同じ私服姿のキラは、やはり初対面の印象通りに寡黙な少年に戻っていた。ナタルとフレイはそろって難しい顔で、無言を貫いていた。この空気の悪さに耐えられないのはアイリスだけであるようだ。

「キラさん、運転が上手なんですね。ね、ナタルさん」

 ナタルが座るシートを掴んでその脇から顔をのぞかせた。ナタルは大きなため息をつくと、横目でキラを見やる。

「状況認識は不得手なようだがな」

 ナタルの機嫌と悪化してしまった空気は直らない。

「キラ・ヤマト軍曹。貴殿は己がアーク・エンジェルの貴重な戦力であることを理解しているのか?  それがこのように無防備に外出するなど!」

 運転手は前を向いたままで答えた。大きな声では決してないのにその声は妙にはっきりとしている。

「ナタルさん、僕がここにいるのはゼフィランサスに言われたからです。軍記に背くつもりなんてありません。でも、単なる部下として扱われても、正直困ります」

 火に油が少しずつ注がれている。運転席と助手席の間に張り詰める空気が怖くて、つい逃げるように体を座席に戻した。ただし、すぐ横には同じように何かを考え込んでいるようなフレイがいる。とても気の休まる環境にない。
 フレイが体を前に傾け、キラに話しかけようとしたとき、つい体が緊張してしまうほどである。

「ねえ、キラ……、あんたにどんな過去があるかなんて知らないけど、あたしたちとは同い年でしょ?」

 キラは答えようとしない。構わず、フレイは言葉を続ける。

「15で免許なんてとれたっけ……?」

 淀んだ空気が、固まった。
 ナタルがゆっくりとキラの方を向いた。それに習い、アイリスも運転席の少年を見る。決して18を越えているようには見えない少年はしばらく無言でいたかと思うと、ズボンのポケットから何かを取り出そうとした。ハンドルから片手が離れたことで、不必要に緊張が走る。しかし思いの外揺れは少なく、キラは簡単に取り出したものをナタルに手渡した。それがカードであることは後ろからでも見えた。

「免許なら持ってます」

 もう一度座席から乗り出してナタルの手元をのぞき込む。カードにはキラの顔写真が貼られていた。見終わったナタルはアイリスにカードを手渡しながら、素直に感嘆した様子だった。

「国際ライセンスか……。よくこんなものを持っている」

 国際ライセンスどころか、普通の免許さえ見ることは初めてだった。まじまじと眺めていると、おかしなことに気がついた。生年月日が、C.E.53になっていた。
 現在71年。キラは年齢が15であることを否定してはいない。つい、キラの方へ全力で振り向いた。

「よく、できてると思いませんか?」

 再び空気が凍り付く。こんな状況でも声をだす気丈さを保っていたのはフレイだけだった。

「よくできてるって……」

 その声さえ、不安を象徴するように震えていた。




 バナディーヤはこの辺りで最大規模の街であるだけあってずいぶんと人通りが多い。ビルとビルの間を抜ける道を人々が行き交っていた。舗装されていない路面と、テーブルをうっすら覆う砂埃さえなければ、ここが砂漠の真ん中であることを忘れるほどだ。
 この街には来たことがない。
 キラはカフェテラスに1人で腰掛けていた。時計を見ると、女性3人が買い物に行ってからずいぶん時間が経つ。だがそろそろ戻ってくる頃だろう。しばらくして、アイリスたちが袋を抱えて戻ってきた。

「おかえりなさい。ずいぶんたくさん買ったね」

 テーブルに積まれた紙袋を見ながら、それが正直な感想だった。
 フレイはキラと目を合わせることもなく紙袋を崩れないよう位置に気を配っていた。その顔はずいぶん不機嫌に見える。

「女は男と違って食べるものと着るものさえあれば生きていけるわけじゃないのよ」

 そう言うと、フレイは振り向き、また歩きだそうとした。ナタルはすでに少し先を歩いていた。アイリスだけはキラに手を振ってくれた。

「荷物おいていきますから、見ておいてください」

 もっとも、笑顔だろうと何だろうと、扱いがぞんざいであることに変わりはなかった。また待たされることになる。ただ、ちょうどいい頃合いだろう。時間ができた。

「女連れとはいい身分だな、坊主」
「僕が連れられてるんです、荷物持ちとして」

 声をかけてきたのはキラの後ろに背中合わせに座る男性だ。いくつものテーブルが並べられていてそれぞれの席で話に花を咲かせている。誰も気にとめる者などいないことだろう。キラも男も、まるで何も起きていない、そう装って振り向こうとさえしなかった。
 キラにはかつてこの大地で戦いを共にした髭を生やした熊のような男を思い浮かべていた。

「今の名前は知らんが、久しぶりだな。今は大西洋連邦のパイロットをしているそうだが、どうだ、久しぶりの空気は?」
「あなたもこそアフリカ共同体軍に未練はないんですか?」

 顔をつきあわせての会話ではないため聞き取りにくいが、男--こちらも今名乗っている名前は聞いていない--は鼻をならしたようだ。キラの皮肉に苦笑いを浮かべたのだろう。

「しかし、今更S&Wでいいのか? リボルバーなんぞ今じゃ数社しか作ってない骨董品だぞ」
「銃はリボルバーと決めてますから」
「まあ、俺が気にすることもでねえか」

 キラは椅子の右手側に紙袋を置いていた。男も同じデザインの紙袋を同じく右手側においている。なんともまぎわらしい位置で取り違えが怖い。キラは中に金を、男は銃と弾薬一式を袋には入れている。

「確認はいいんですか?」
「こんなところで確認なんぞできん。それに、お前との仲だ。一度くらい鴨にされても見逃してやる」

 実際、キラも銃の確認は後ですることになる。あくまでも女性陣の予定にあわせての行動だ。多少の不便は仕方がない。

「それとこれはサービスだ。お前さん、虎に目をつけられたな」
「後ろから3番目の人ですね」
「かわいげのないガキだ」

 街に入った時から、キラたちのことを尾行している男がいた。特に危害を加えてくる様子はなかったが、カフェテラスの一角で新聞を読みながら絶えずキラの動向を観察している様子であった。




 その少年は、特に際だった存在ではなかった。言ってしまうなら平凡だ。ただし、この世界で平凡ほど恐ろしいものはない。誰にも記憶されず、疑われず、しかし現実に存在している。これがスパイなら適任だと言える。この少年が、すでにジンを10機以上撃墜しているエース・パイロットだとここで吹聴しても、一体どれだけの者が信じるだろうか。だが、子犬とて牙もあれば爪もある。
 アンドリューは1人座る少年へと歩み寄った。無論、虎の牙も爪も隠して。

「やれやれ、女のショッピングは男には永遠の謎だね」

 少年は戸惑ったような顔をした。ただ、首筋に見える筋肉の緊張は、アンドリューを前に警戒態勢に入ったから故の反応であるようだ。相席を求めると、テーブルから荷物をどかしてまで応じてくれた。その間でもアンドリューから目を外すことはない。

「君は見ない格好だが、旅行者かね?」

 サングラスを外してテーブルにおく。普通なら手の動きに視線が釣られるはずだが、少年はサングラスを適度に無視した。

「はい、そうです……」
「こんなご時世に暢気なものだね」

 意図的に目を細めた。これは、そちらの素性はすでに見抜いているという意味の恫喝のつもりだ。ここで取り乱してでもしてくれればそれはそれだの楽しめただろうに。ところが少年も目を細め返した。いや、鋭くしたという方が正解だ。

「こんなときだから旅券も安いですし、それに今しか見られない動物もいますから」

 指を組んで両肘をつく。テーブルに前のめりに少年へと顔を近づける。

「こんな砂漠にかね?」

 少年はそんなこと意に介すまでもないのか、姿勢を変えようとはしない。

「ええ、砂漠にしか棲まない珍しい虎がいるって聞いてます」

 突然、少年は立ち上がった。攻撃に転じたにしてはあまりに遅く、そして礼儀正しい。手が差し出された。それは攻撃ではなく、親愛を表現する。早い話が握手を求められたのである。

「砂漠の虎、アンドリュー・バルトフェルド。お会いできて光栄です」

 座ったままでは非礼。こちらも立ち上がり、手を握る。まるで、こちらの実力を測るような握り方をしてくる。握手が終わると、力を抜いて背もたれに寄りかかるように座る。

「何だ、知ってたのか。つまらんね」

 虎を前にこの度量。外見で人を判断することは実生活で有効な方法だが、思いも寄らない取りこぼしを生むものだ。狼はどれだけ猫をかぶろうと狼以外の何者でもない。
 何者かが肩に手を置いた。振り向くまでもない。どうせ、カルミアの得意気な顔があるだけだ。

「だから言ったでしょ、キラくんはウサギの皮を被った狼なんだから」

 見なくてよかった。案の定、カルミアは実に楽しげで、何故か少年は怯えたように椅子を後ろに押し退けてていた。

「カ、カルミア……」

 少年の力なく上がる左手がカルミアとの間に差し出される。心許ない抵抗が精一杯。今の彼なら狼に出くわしたウサギだと言われても納得できる。非力な手はあっさりと払いのけられ、カルミアは驚くほどの早さで少年の胸に抱きついた。

「お久しぶり、キラくん。名前変えたんだって」

 2人の様子から若い男女というよりは姉と弟のような印象を受ける。カルミアなど少年の胸に顔を擦りつけてる。とても恋人同士には見えまい。何とか抱擁を解きたいが、女性に手荒な真似もできない。そんな矛盾する事態に挟まれた少年はあたふたと有効な打開策を打てずにいた。

「ごめん、僕には心に決めた人がいるから……!」

 大胆な告白だが、ほとんど悲鳴にしか聞こえない。カルミアは抱きついたままで首を大きく回した。すると、2人の顔が間近で向かい合うようになる。

「またゼフィランサスのこと~?」

 顔を真っ赤にした。必死に上体をそらすが、抱きつかれたままでは顔の距離はあまり変わっていない。それが少年ができたせいぜいの抵抗なのだ。
 おもしろ半分に若い2人を眺めていた。すると、何か、紙袋が潰れるような音がした。首を回すと、桃色の髪と青い瞳をしたカルミアと同じ顔の少女が愕然とした顔をしていた。足下には手から落とした紙袋が転がっていた。

「キラさん、その人は……?」

 反応を見せたのは呼ばれた当人ではなくカルミアの方だった。抱きついたまま顔を擦りあわせて桃色の髪の少女へ顔を向ける。カルミアの頬に胸を撫でられた少年は妙な悲鳴をあげて身悶えた。

「あら、アイリスと一緒なの? そんなにヴァーリ顔が好きなら私でもいいでしょ~?」

 カルミアは突然手を離した。体をそらしすぎていたためか、それとも足から力が抜けたのか。少年は危うく転びそうになるところを踏みとどまる。
 乱れた髪に手櫛を入れながら、カルミアはアイリスと呼んだ少女へと向き直った。髪を梳く仕草は反対の意味で年甲斐もなく艶を帯びている。自分を美しく見せる方法を心得ている。
 対して、アイリスはなんとも飾り気がない。このことは感情についても言えるらしく、瞳を大きく見開いたまま驚きを隠そうとしない。

「あなたもヴァーリなんですか!? ヴァーリって、私とゼフィランサスさん……、それに、ラクスさんて人だけじゃ……」

 ゆっくりとした動作でカルミアはアイリスに近寄ると、その頬を優しく撫でた。

「もっと大勢いるわ。でも、あなたは覚えていない。それならそれでいいじゃない。無理に知る必要なんてないもの」

 そう言って、カルミアは微笑んだ。その様は、まさに砂漠に咲いた花のようだ。だが、そう考えているのはアンドリューだけらしい。
 アイリスは納得などしていないらしく、表情に驚愕が張り付いたままにしている。すぐ後ろの女性2人はそれぞれ別々の反応を見せてはいるが、少なくとも花を愛でている様子はない。
 手を叩く。このことで注目を集めてから、話を進める切っ掛けを作ってみることにしよう。

「まあ、立ち話もなんだ」

 テーブルにはアンドリューしか座っていない。椅子は3つも余っていた。全員分はないが、カルミアは我慢してくれるだろう。
 座ったのはまず少年。そしてアイリスの連れである、ずいぶんと気難しそうな少女だけだった。いかにも堅物といった髪の短い女性はアンドリューのことをあからさまに睨みつけて警戒をあらわにさえする。おそらく、この中で唯一の正規軍人なのだろう。
 アスランたちにしろ、軍人というものはどうしてこうも堅苦しい連中が多いのだろう。ついからかいたくなってしまう。

「自己紹介は、一応まだだったね。僕はアンドリュー・バルトフェルド」

 思ったとおり、女性は手振りを使ってまで大げさに驚いて見せてくれた。ただ、驚かせすぎるのも悪い。まるで降参でもするように、おどけて両手を上げて見せた。

「今は非番でね。ザフトとして来たわけじゃないよ」

 これで女性が緊張を解いたというわけではない。それどころか、アイリスを近くに招きよせ、その手を握り締めた。少々脅かしすぎてしまったらしいが、たいした問題ではない。本命はなんと言っても、キラ・ヤマト。目の前の少年であるからだ。こちらからの視線を外そうともせず、口を開けばこちらの期待以上のことを仕出かしてくれる。

「非番という割に、監視はつけてるんですね。3つ隣の彼、肩に力が入りすぎてます」

 少年が首を向けた方向には、テーブルにつき、新聞を広げる男性が1人。帽子をかぶり視線を隠しているようで、素人目にもこのテーブルの様子を監視していることがわかる。少年の言葉につられてこの場の全員が見ているというのに、諦め悪く素知らぬ振りを続けていた。

「聞いていたかね、ダコスタくん?」

 もはや完全にばれているにも関わらず、性懲りもなくダコスタは居座り続けた。優秀だが融通がきかない。そんな男だ。テーブルについた赤髪の少女も呆れたような、それでいて感心したかのようなため息をついた。

「アーノルド曹長みたいな男って、どこにでもいるのね……」

 誰のことか興味がないではないが、聞いてはエチケットに反するだろう。
 そろそろ本題に入ってもいい頃ではないだろうか。キラ・ヤマトに視線を戻す。すると、待ち構えていたように目があった。カルミアに弄ばれていたときとはまるで違う。プラントに大型の肉食獣はいないが、想像してみるに、捕食者はこんな目をしているのではないだろうか。
 虎を捕食する生物など存在していないというのに。

「ちょっと聞いてみたくなってね? 君が同胞を裏切ってまで戦う理由が」

 軍人であるはずの女性が何かを言い出そうとして身を乗り出した。それを制止したのは意外なことにキラだった。勢いよく片手を上げただけで、女性は身動きを止めた。
 続きを話すことにしよう。

「この戦争は、どちらかが滅びるまで終わらんよ。ナチュラルにつくということは、コーディネーターそのものを否定することになる」

 大西洋連邦は幾度となく和平交渉を拒んできた。地球の反コーディネーター勢力は年々影響力を増している。同様のことはプラント最高評議会にも当てはまる。銃を向け合い、互いに降ろす気配がない。
 少年の眼光に負けるつもりなどなかった。負けじと視線を返す。

「それを君はどう考えるかね?」

 街の喧騒が止むことはない。その雑音から切り取られたように、静寂と沈黙がテーブルとその近傍を浸していた。不敵な眼差しを向け合う2人の男と、事態を見守るカルミア、そして、見守るしかない女性が3人。
 こんな緊迫した空気はずいぶんと心地よい。戦場であってもなかなか味わえるものではない。だが、どんな楽しみにも終わりは必ずあるものだ。
 少年が表情を崩し、小さく笑って見せた。それだけのことで、張り詰めた空気が、まるで泡が弾けるように瓦解した。

「男が命をかける理由なんて、せいぜい3つしかありません。金か、名誉か、でなければ女です」

 このエース・パイロットがもっとも力を入れて発音したのは、やはり女の部分だった。聞けば、1人の女性を10年以上も思い続けているのだそうだ。カルミアに言わせれば、相手は絶世の美女なのだそうだ。なんと言っても、カルミアと同じ顔をしているのだから。
 思わず笑い出してしまった。おかしいというよりは愉快で、滑稽と呼ぶにはあまりに気高い。ひとしきり笑い終わっても、上機嫌に高揚した気分は維持される。なんとも面白い少年に会えたものだ。
 テーブルからサングラスを取り上げながら立ち上がる。

「なるほど。できれば君を仲間に引き入れたかったが、まあ、それなら仕方がない」

 サングラスをかける前、最後に見た少年の顔は静かな自信に満ちていた。すでに進むべき道を知っている。その道の正しさを確信している。横槍を入れたところでこの少年には意味がない。
 振り向いて歩き出すことにした。少し歩いたところで、急に言い残しておきたいことができた。振り向き、サングラスを下にずらした。

「今度会うときは戦場だぞ、少年」




 ナタルは機嫌が悪かった。運転席の少年に怒り心頭であったのである。

「今日のことは、いくら何でも不用意ではないか? 仮に砂漠の虎が私たちから基地の場所を聞き出そうと企んでいたらどうするつもりだ?」

 すでに帰路についている。ジープを運転できるのはキラだけなので、結局運転手は少年兵が務めていた。キラは憎悪を平然と受け止める。その口元にはかすかな笑みさえあった。

「僕がそんなこと、考えていなかったとでも思いますか?」




 屋敷に戻るなり、カルミアはアンドリューに尋ねたいことを聞くことにした。あの場で聞くことはあまりに無粋な内容なのだ。
 アンドリューは趣味のコーヒーの調合に入っていた。コーヒー豆のブレンドをいろいろ試しているだけなのだが、机にいくつも並べられたフラスコ、ビーカー、薬さじ、アルコール・ランプを見せられると、ちょっとした実験ならできそうな気配である。
 こんなとき、アンドリューはずいぶん楽しそうな顔をする。それに、キラに出会ったことで機嫌をよくしていた。だから、こんなことを聞くのは無粋以外の何者でもない。せめて壁に背をつけてアンドリューの作業の邪魔はしていないと自分に言い訳しておく。

「ねえ、アンディ? あの子たちから基地の場所、聞き出さなくてもよかったの?」

 作業の手を止めて、アンドリューはいつものような余裕と自信に満ちた顔を向けてくる。

「僕がそんな大切なことを失念していたと思うかい?」

 考えてみれば簡単なことだ。何も当人から聞き出す必要はない。尾行をつけるなり、基地の所在を知る方法などいくらでもある。

「さすがね、アンディ」

 この基地に来て依頼、アンドリュー・バルトフェルドはいつも期待した以上のことをしてくれた。今回も例外ではなかった。アンドリューは精悍な顔立ちのままで、事も無げに言ってのけた。

「実はその通りなんだ。思いつきもしなかったよ」

 本当に、期待した以上のことをしでかしてくれる。こらえきれないため息がどうしても漏れた。

「さすがね、アンディ……」




「実はその通りです。考えもしませんでした」

 何ら悪びれる様子なく、キラはそう言った。




 すでにキンバライド基地に帰還を果たし、シャワーを浴びて軍服に着替えるほどの時間が経っていた。長袖の上着にタイト・スカート。白で染められた軍服。こんな軍服も、そろそろ着慣れつつある。軍人になったという実感ととも染み渡ってくるのである。
 格納庫を通り抜ける夜風を浴びながら、アイリスは歩いた。格納庫を抜けて、普段訓練で使用している広間に出た。周囲を囲む岩盤を避けるように見上げた空は、満天の星空であった。基地の場所を特定されないため、灯火は最低限。外に光が漏れることがないから見られる絶景であった。こんなところにも、戦争をしているのだという現実を突きつけられる。
 目を凝らすようにして、自分の掌を眺めてみた。別に何ともない。フレイ・アルスターやミリアリア・ハウと何も異なった様子のない、普通の手のように思える。
 それでも、自分は人と何かが違う。ヴァーリとは何なのだろう。
 ヘリオポリスが襲撃された時は既視感に襲われた。まるで、以前にもどこかで同じ光景を見たことがあるような。自分と同じ顔をした少女たち。その人たちはみんなヴァーリという言葉を唱えた。
 ここには誰もいない。だから、これは独り言以外の何者でもない。

「私は……、一体誰ですか……?」

 この独り言に答えるようにして、空が突然鳴き出した。突風が舞い降りる。思わず体を小さくして、乱れた髪を手で押さえながら見た漆黒の空には、ゆっくりと降下するヘリコプターがあった。
 前後にローターが備えられ、無音で風を切っている。細長い胴体をした大型で、黒い色調でまとめられた色合いは軍事用の機体であることを物語る。
 この広場に着陸しようと次第に大きくなるヘリコプターを眺めていると、側面のスライド式の扉が開け放たれていることに気づいた。そこから上品そうな白いスーツを着こなした男性が身を乗り出してアイリスの方を見ていた。
 月明かりの弱い光の中でも、男性の秀麗さがよくわかる。上質の絹を光にすかしたような髪に、服の上からでもわかる均整のとれた体つきは大理石の彫り物のよう。まるで絵本の中の王子さまみたいな人だった。
 夜の闇の中、ヘリコプターは地面をこする音をたてて着陸した。
 男性はヘリコプターから降りると、アイリスのことをまっすぐに見つめながら歩み寄ってきた。ちょうど握手ができるくらいの距離で立ち止まると、優しく微笑みかけてくれた。

「アイリス・インディアさんですね?」

 この距離に止まった理由は、やはり握手のためであったらしい。はい、と返事をしながら差し出された手を握る。男性は大きな手で包み込むように握り返してくれた。

「私はエインセル・ハンターと申します」

 その名前に聞き覚えがないはずがなかった。アイリスの支援者であり、軍需企業ラタトクス社の代表であり、反コーディネーター思想団体の代表と目される人物。

「あなたがエインセルさん……」

 優しく思えた微笑みが、今は違うもののように思える。

「はい。エインセル・ハンターと申します」

 握手が相手の方から解かれると、エインセルはこんな小娘相手に恭しく一礼した。

「ようやく、お会いできました」

 きらきらと輝いていて綺麗だった。だからつい拾い上げてみた。するとそれがナイフであることに気づいて、慌てて投げ落とす。そんな心地で、心ならずもお辞儀することを忘れてしまった。エインセルはそんな非礼を責めることなく、微笑みを絶やさない。
 気まずさがまとわりつく中で遠くから声がした。聞き慣れたナタル・バジルールがアイリスのことを呼んでいた。格納庫の方からナタルを先頭に数名の基地のスタッフが走ってきた。ナタルはエインセルの姿を認めるなり、露骨に驚きの表情を見せた。

「ガンダムは確かに御社の技術者によって造られました。しかし所有権はこちらにあります。あなた方は何ら権利を行使できないはず!」

 エインセルは静かな表情を崩さない。

「今日は物資運搬の任に同行させていただいたまで。アイリスさんとお話がしたいだけなのです」

 ヘリコプターからは確かにコンテナが降ろされていた。アイリスが聞かされていないだけで、補給の予定はあったのだろう。基地からフォークリフトが動員され、効率のよい作業に取りかかっていた。
 まだエインセルに食ってかかろうとするナタルを遮るように、女性が割って入る。黒いスーツを着て眼鏡をかけて、その雰囲気は如何にも秘書を思わせる。確かメリオル・ピスティスという人で、アルテミリスたちにヘリオポリスの被害を報告してくれた人だ。メリオルはナタルに書類を差し出した。

「補給物資のリストです。ご確認を」

 書類を、ナタルはこともあろうに基地のスタッフに文字通り丸投げした。受け取り損ねたスタッフが慌てて書類を受け止めようとした。

「アイリスも現在は我が軍のパイロットです。機密保持の観点からも、お話はお控え願いたい」

 かまわずエインセルに近寄ろうとしたナタルは、メリオルに制止される。ナタルは足を止めると、女性を睨みつけた。メリオル。そう、エインセルは女性を呼んだ。それだけのことなのに、女性は一目エインセルと目を合わせると、あっさりとナタルに道を譲った。
 これで何の遠慮をすることもなく、ナタルはエインセルに近づいた。白い紳士は突然、ナタルの手を取るとその手に口を寄せた。映画の中でしか見たこともないような挨拶に、ナタルは完全に虚を突かれたようだ。話のペースはエインセル主導で進む。

「あなたも同席ください」

 エインセルが手を叩いた。これを合図にヘリコプターから白くて丸いテーブルとデザインの凝った椅子が運び出され、エインセルのすぐ脇に並べられた。椅子は2脚。それぞれアイリス、ナタルを招き入れるようにエインセルが椅子を引く。まず、アイリスが座ると、ナタル渋々席についた。
 その間、夜会の主催者はランタンを手に取ると、マッチで火を灯した。淡い光が添えられ、お話が始まる。

「私の元に来ませんか? 私があなたを支援していた理由は戦争をさせるためではありません」

 ランタンを手に提げたエインセルは不思議な雰囲気を醸していた。どこか現実離れして、自分の意識を保つことが難しくなるような、そんな気分にさせられる。
 それでも、言うことは決まっている。

「……すいません。私には、置いてなんかいけない人がいて……」

 フレイはきっと軍に残るというだろう。するとエインセルは、まるで光に溶けだした心を読み説くようにアイリスのことを理解していた。

「彼女は両親を失い、友人を失い、自暴自棄になってしまった哀れな子どもです。あなたが友人としてしてあげられることは一時の激情に付き合うことではありません」

 テーブルの上にランタンが静かに置かれた。ほのかな明かりの中にナタルの顔がおぼろげに見える。その顔はすっかり困惑している様子だった。

「癒えぬ傷の痛みが和らぐまで側にいてあげることだとあなたもご理解されているはず。無論、休息の場はこのような戦場ではありません」

 エインセルは手を大きく広げた。それから腕をたたみ、閉じた右手をアイリスの前でさらすように開いた。まるで、そこに今掴んだばかりの世界が入っているとでも言うように。

「お望みでしたらお2人の軍籍を解き、安全な住居を提供いたしましょう。私にはそれだけの力がございます」

 灯された炎が揺らめく。ナタルがテーブルを叩いたからだ。

「民間人が何を!」

 軍籍があって、少尉なんて階級をもっているナタルにさえできないことをエインセルはできると言ってのけた。その顔は涼しいもので、気取ってもいなければ謙遜とも違う。息ができることを自慢する人なんていないように、できて当然と考えているのだろう。

「私には気の置けない友人が多いのです」

 それが軍上層部との繋がりを意味していることは、世事に疎いアイリスにでもわかる。相手はブルー・コスモスの代表と目される人物なのだから。

「エインセルさん、1ついいですか?」

 霧のようにまとわりつく疑念を吸い込むように息を吸う。その間、アイリスに向けられたエインセルの眼差しは優しく、問いかけを待っているようである。

「エインセルさんがブルー・コスモスのメンバーだというのは、……本当ですか?」

 ええ。そんな短い肯定の返事だけで、エインセルはあっさりと事実を認めた。ナタルが勢いよく立ち上がると、アイリスの手を引き、かばうように後ろに回した。
 突き飛ばされて倒れた椅子を、エインセルは丁寧に並べなおした。並べ終わったらこちらを向くのだろう。そう待ち構えていても、目が向けられた時、ついナタルの背に隠れてしまった。

「誤解なさらないでいただきたい。我々はコーディネーターを滅ぼしたい訳ではありません。その在り方に異を唱えているだけなのです」

 向けられた瞳は青く、怖いくらいに綺麗だった。

「足の遅い子は不必要ですか?」

 ナタルは答えない。

「目が悪ければ人として不適当ですか?」

 アイリスは答えない。

「愚かな子に生きる意味はないとでも?」

 それでもエインセルの話は進んでいく。それは演劇と同じ。1人明かりの傍に立ち、語られるのは定まった言の葉。観劇する者の意図など解せずに進んでいく。

「優れているとは何か? それは所詮社会にとって好都合でありか否かであり、親の価値観の強制に他なりません」

 エインセルの言っていることは、間違ってはいないと思う。問いかけられた3つの質問はどれも否定されるべきだと思うから。人の価値が遺伝子だけで決まってしまうなんて思いたくない。

「プラントのしていることは所詮、勝手に価値観を定め、それがさも素晴らしいかのように流布しているだけのこと」

 ランタンをテーブルから持ち上げ、エインセルはガラス部分を展開した。小さな炎が大気に触れて震えていた。光の当たり方が変わったせいだろうか。エインセルの顔がかすかに歪んでいるようにも見えた。

「未来を担う民だという植え付けられた選民思想。兵器として優れているという強者絶対の構造。時に感情に流される人と何らか変わることのない未熟さ」

 ほんの一息でエインセルはランタンから火を消し去る。急に闇が躍り出て、目がすぐには慣れてくれない。エインセルの姿が消えて、その声だけが響いてきた。

「安全装置のない拳銃は、不出来なそれに劣る」

 やがて、目が暗闇に慣れてくると、エインセルの白い姿が浮かび上がってくる。もうその顔には怖いくらい素敵な笑顔になっていた。

「一握りの者が世界を変えようなど思い上がりもはなはだしい。そうは思われませんか?」

 この頃にはメリオルと呼ばれた女性が引き渡し作業を終えてエインセルの傍に戻っていた。エインセルがランタンを手渡すと、2人は何も言わないでも互いを理解しているようだった。メリオルはヘリコプターの方へ行くと何かを受け取った。角度が悪くて、それを差し出した人の姿は見えない。白くて、かわいらしい手だった。エインセルの方へ戻ってくるときに、それが何であるのかはっきりとする。
 それは、とても鮮やかな青い薔薇だった。メリオルの手からエインセルへと手渡される。聞いたことがあった。ブルー・コスモスは、3輪の青薔薇をあしらった紋章を掲げていることくらい知っている。
 青い瞳がアイリスを映して、青い薔薇が差し出された。
 ナタルはとめようとした。それでも、どうしても、もう1度エインセルの前に出たかった。選んだ距離は、やはり握手できるくらいの場所にした。

「私……、エインセルさんの言っていることは間違ってないと思います」

 コーディネーターが万能であるはずもないし、ナチュラルを蔑視しているコーディネーターの人もいる。能力が劣っていても、それが人としての尊厳を奪われるべきものではないはずだ。
 エインセルの目をまっすぐに見つめる。息を大きく吸った。手に力をこめ、握り締める。

「でも! 正しいとも思えません!」

 血のバレンタインだけではない。大小さまざまなナテュラルとコーディネーターの軋轢はブルー・コスモスの扇動によるところも大きい。無用な争いを招いている。無用な死者を増やしている。
 青い薔薇はあっさりと引き上げられた。エインセルは何も言わず、何も見せず、アイリスの拒絶を受け入れた。もう話は終わったと判断したのだろう。ナタルが再び、エインセルとアイリスの間に割って入った。

「若い女を口説き切れませんでしたな」

 普段から固い口調のナタルの、精一杯の皮肉だったのだろう。まるで効果はなく、エインセルはメリオルの肩を抱いてヘリコプターへと戻っていった。どうしても、目を離すことができなくて、見送っていた。
 その視線の先に、見覚えのある人形が、いつの間にか置かれていた。ヘリコプターの座席に座ってこちらを見ている。フリルだとか、レースだとか、装飾以外の用途のない衣装は、ゼフィランサスが着ていたものとよく似ている。ただ、その色は漆黒でなく純白。波立つ長い髪はゼフィランサスと意図的に似せているとしか思えない。ただ、その色は純白でなく淡桃。
 青い瞳がアイリスを見て、アイリスの青い瞳がお人形を見る。鏡を見ているとしか思えないほどアイリスと同じ顔をしたお人形の頬を、ヘリコプターの乗り込んだエインセルはそっと撫でた。



[32266] 第14話「ヴァーリ」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/22 00:34
 レセップス級。この砂漠の虎を象徴するとしても過言ではないザフト軍地上戦艦は月が青く照らす砂漠を疾走する。それは長方形の箱に手足を取り付けたような姿はこの砂漠に鎮座するスフィンクス--首はないが--を思わせる。艦体が砂に這いつくばるように移動していた。砂のようなきめ細かい粒子に振動を加えると表面が流動化し、まるで水のような挙動を起こす。レセップス級は振動を加えることで砂漠を滑るように移動することができるのである。
 砂の海を行く。レセップス級に限って言えば、この表現は事実以外の何者でもない。
 ナチュラルが悪環境に悪戦苦闘していることを後目に、砂漠において高い機動力を発揮するレセップス級は前線を支え続けてた。
 レセップス級アンデレのブリッジでは艦長であるゼルマンが豊かな口髭を避けるよう器用にコーヒーを飲んでいた。このコーヒーは指揮官であるアンドリュー・バルトフェルドから押しつけられたもので、オリジナル・ブレンドなのだそうだ。
 まずくはないが癖が強い。濃厚というよりもくどいという表現が似合いそうだ。さて、このことを的確に伝え、かつ指揮官殿のご機嫌を損ねないためにはどのような言葉を選べばいいか。
 そう思案しながらカップをテーブルに置いた。
 宇宙戦艦ほどの大型のエンジンを搭載する必要のないレセップス級ではブリッジが広くとられている。艦長席の脇に机を置く余裕がある。ここから一段低い場所にある広間では壁にクルーが張り付いているが、中央部は開けている。男女が1組ならダンスに興じることも可能なほど余裕がある。そして、ゼルマンの正面。ブリッジの先には分厚い硬質ガラスの向こう側に夜の砂漠が広がっている。
 この一帯はナチュラルの抵抗根強い地域である。月下の狂犬と呼ばれるエースが幾度となく友軍に甚大な被害をもたらしてきた。特に、夜は彼の時間である。通り名になっている月下とは夜間戦闘に秀でていることから名付けられた。
 夜も更けたというのにゼルマンがブリッジを離れることができない理由はそこにある。脇の机にはコーヒー。眼前には夜の砂漠。難題を2つも抱えてしまった。さて、どうしたものか。




 息を潜める。こんな経験は人生で初めてのことに思える。でも、初めてだと断言はできない。記憶の引き出しがどこかに引っかかって引き出すことができない。そんなようにもどかしい。
 自分の手さえ満足に見えない暗闇の中で、不安に押しつぶされてしまわないためにも、アイルス・インディアは自身を奮い立たせる必要があった。

「考えてわからないなら、考えません! よし!」

 問題の先延ばしに他ならなくとも、ライオンに追いかけ回されている時に夕食の献立を考えても仕方がない。大きく息を吸って、そして吐く。それを待っていたかのように、目の前のランプが小さく点灯した。通信を受信したことを告げるもので、すぐに野太い声が響く。

「嬢ちゃん、時間だ。いけるか?」

 アイリスを嬢ちゃんと呼ぶのはモーガン・シュバリエ中佐だけである。中佐が告げてきたのは作戦決行の合図だった。

「はい!」

 返事をしながら手探りで探り当てたキーを回す。ジェネレーターに火が点り、バッテリーから供給された電力がモニターを照らす。モニターは真っ暗で映し出されるものはない。ただその光はノーマル・スーツを着たアイリスの体を浮かび上がらせるには十分だった。
 ここはGAT-X102デュエルガンダムのコクピット。
 シートの両脇には操縦桿が備えられていた。右側の操縦桿をゆっくり前に倒すと、体が浮き上がる感覚とレバーに抵抗を覚えた。浮遊感は長く続いている。抵抗は急に軽くなった。同時に、モニターから光が差し込んだ。か細い月明かりと大量の砂が視界を埋め尽くす。
 砂の大地と目線が平行になったところで、浮かぶ感覚は消失した。横ではTNF/S-3ジンオーカーが3機、肩から砂を流しながら立ち上がっていた。そして、デュエルのすぐ脇の砂が割れると、GAT-X105ストライクガンダムが立ち上がった。背には大剣を携えその白い体は月に照らされ淡い光を放つ。
 砂が完全に払い落とされる前に、ストライクはデュエルの肩を掴んだ。通信のためだ。

「アイリス、この戦いはデュエルでの初陣になる。無理はしないで、戦場の空気を掴むことに集中するんだ」

 キラ・ヤマトの声だった。
 この機体同士を接触させ、装甲の振動を介した通信は接触通信と呼ばれ、モビル・スーツならではの方法なのだそうだ。別名としてお肌の触れ合い通信なんて冗談みたいな名前のついているこの方法の利点は、第三者に傍受されてしまうことがまずないことらしい。
 作戦の開始を告げたモーガン中佐からの通信はいつの間にか途絶えていた。この事実は戦いが近いことを物語る。
 今一度、感触を確かめるように操縦桿を握りしめた。普段と同じはずなのにどこか手に馴染まないような嫌な感覚がある。こんな緊張を解消している余裕はなかった。
 レーダーに反応があった。大型のもので、目標であるレセップス級に間違いないだろう。ただ、同時にレーダーを過信するなとも言い聞かされている。この戦争では原因不明の通信障害や電波妨害が相次いでいるのだそうだ。
 アーク・エンジェルでも宇宙要塞アルテミスにおいてストライクと連絡がとれなくなった。この現象のせいかはわからないが、レセップス級は思いの外早くモニターに映し出された。
 足の生えた箱のような戦艦である。色が薄いベージュなのは砂漠の迷彩のためだろうか。箱の前には丸いハッチが備えられ、大きさはモビル・スーツが通り抜けられるほど。ハッチが展開すると、中から褐色のジンオーカーが次々飛び出した。
 発見された。モーガン中佐からの通信が再びつながる。

「嬢ちゃんとアフメドは後方支援。坊主、ジェシカは俺についてこい!」

 単純明瞭な指示に対して、少年2人と女性の声で了解という返事が通信に入り込んだ。すっかりタイミングを逃してしまった。

「りょ、了解です!」

 こんな遅れた返事をする頃には、モーガン中佐のジンオーカーを先頭に、3機のモビル・スーツが飛び出していた。




 敵はレセップス級1隻にジンオーカーが6機。整備の手間や積載量を考えると通常の戦艦が搭載できるのは2個小隊まで。つまり6機までとされている。出し惜しみ、戦力を損耗させることが最大の愚とされる。敵の指令官は決して愚かではないらしい。
 6機のジンオーカーを前にわかったことは2つ。敵の力量と、そして、練習台が6もあるということ。
 キラはペダルを思い切り踏み込んだ。スラスターが青白い光を放ち、ストライクは前を行っていたモーガン機を追い抜く。無茶をするな。そんな通信が聞こえてくるが無視する。今はただ前にだけ集中する必要があった。
 目標と設定したジンオーカーがアサルト・ライフルを構えた。発射される寸前に射線からストライクを逃がす。その動きは最低限のものになるよう注意した。
 ムウ・ラ・フラガ大尉が見せた技を、自分に使えないはずがない。
 アサルト・ライフルの弾丸を装甲をかすらせるほどの距離でかわした。ここまではできる。しかし、連射される弾はすぐに逃げた先に追いついてくる。
 ストライクに砂を蹴らせ、大きく横へと跳びのく。たしかに横へ払われたライフルをかわすためにはこれくらいの距離が必要だった。そのために軌道が大きく曲がり、とても最短距離で接近していると言いがたい動きをしたのでは意味がない。
 また失敗だった。

「何故だ……? 何故なんだ!?」

 どうしてできない。論理上可能であり、実践さえされている。できないはずはない。だが、どうしてもできない。
 もはや構わず、ストライクをジンオーカーへと直進させた。アサルト・ライフルから放たれた弾は全弾命中するようになるが、フェイズシフト・アーマーをいたずらに輝かせるでしかない。
 ストライクが目前に迫って、ようやくかなわぬ相手だと理解したように、ジンオーカーは逃げだそうとした。
 右の肩越しに対艦刀を抜き放つ。その動作の流れで、ジンオーカーの背中へとビーム・サーベルを叩きつけた。光の剣はジンをあっさりと斬り裂くと、ビームの膨大な熱量が火の塊となって炸裂した。
 まずは1機、練習台を潰してしまった。加えて、残り5機との距離が近い。これでは技を使うほどの距離はない。
 一度距離をあけるべきか。そう思案していると、敵から攻撃があった。3機のジンオーカーがバズーカを装備していた。部隊の半数が取り回しの悪い兵器を携帯していることは珍しい。砂漠で初めて戦った部隊も皆アサルト・ライフルを装備していた。フェイズシフト・アーマーとの戦いに備えて装備を選択したのだろう。
 ジンオーカーたちがバズーカをしっかりと構える様を、キラは冷めた眼差しで眺めていた。ゼフィランサス・ズールが生み出した盾がこの程度の攻撃で破られるはずがない。
 3発の弾丸が一斉に放たれる。確かにバズーカの質量はフェイズシフト・アーマーにとって厄介なことに違いない。そのために左の操縦桿を動かした。脅威とは言え、鈍角で浴びなければ問題ない。ストライクは左腕を突き出した。装甲に弾丸をかすらせるように当てさせると、バズーカの弾は光だけを残して大きく軌道を曲げた。
 虎の子の一撃を無効化され、ジンオーカーは明らかな動揺を見せた。ガンダムと戦えるのはガンダムだけだということが、ザフトにはまだわからないのだろうか。




「もっと動け! 弾をばらまけ! 死にたいのか!?」

 ともに訓練を積んだアフメドの指示通り、アイリスはデュエルを絶えず移動させていた。そうしないと、レセップス級の砲撃にさらされてしまうからだ。
 レセップス級はアイリスたちに狙いを集中していた。砲塔がこちらを向いたかと思うと、発射口から火花が散った。すると付近の砂が火煙をあげて爆発した。テレビのように発射された弾は見えてくれない。かわすというより、敵に当てさせないよう不規則に動き回ることが精一杯だった。
 時折、砲撃の合間に援護射撃をしてみたこともある。いつ攻撃されるかおっかなびっくりで、体が強ばっていたのだろう。つい進行を司る右レバーから力が抜けて、立ち止まってしまった。ビームを発射こそしたものの、敵のモビル・スーツもアイリスたち同様動き回っていた。当たらないばかりか、艦砲がすぐ足下に着弾して肝を冷やした。

「これが戦争……」

 仮想訓練とは違う。人を相手にするということの恐ろしさがフェイズシフト・アーマーにさえ浸透して、ひしひしと伝わってくる。ただ不思議と、それは胸をかきむしりたくなるような恐怖とは違う。1つの事実として受け入れそれに順応していくように馴染んでくる。久しぶりに走ったら、頭で考えていることと体にできることにギャップがあった。その誤差を埋めあわせている間、戸惑ってしまうような感覚。それを恐怖だと取り違えていたように。
 当たらないと諦めていた攻撃さえ、しっかりと狙えば当てられてしまうのではないか。そんな感覚さえ、アイリスは覚えた。




 重く冷たい風を切り裂いて、2機のFX-550スカイグラスパーが飛行する。前を行く1号機は白い機体のところどころが赤や青に染められている。配備された色そのままで、ムウ・ラ・フラガ大尉が搭乗している。アーノルド・ノイマンが乗るのは2号機である。カラーリングは青みがかった灰色に塗装しなおしてもらっている。目立つ機体で生き延びる自信などなかったからだ。
 アーク・エンジェルのブリッジが安全であったとはいわない。しかし風防1枚で戦場と接する緊張感があるはずもない。ユニウス・セブンでメビウス・ゼロを借り受けた時とは異なる感覚だ。
 戦場が近くなるにつれ、心臓が気色の悪いリズムを刻むようになる。手で抑えてもどうとなることでもなかった。こうなった時、操舵手であった頃からの癖として計器を眺めることにしている。着慣れないノーマル・スーツ越しとて、計器の見せる数値は変わることはない。正常な値を見る度に、自分は正しい操縦をしていると気分が和らぐ。
 やがて、砂漠に立ち上る黒煙が見えてきた。すでに戦闘が始まっている。操縦桿を握りしめる手に力がこもる。

「フラガ大尉、目標を確認しました」

 前方のエースが気づいていないはずはない。それでも声に出してしまったのは、それだけ気持ちが高ぶっている証拠である。いつものことではあるが、大尉からの返事は拍子抜けするくらい調子が軽い。

「お前がどんな戦闘機乗りになるかは知らないが、1つお手本を見せてやる。攻撃はしなくていい。とにかくついてこい」

 了解と返事をする前に、1号機は降下を開始した。急いで操縦桿を倒し、あとを追う。
 獲物を狙う鷹のようと評されるムウ・ラ・フラガ大尉の戦法は、まさに野ネズミをしとめる猛禽のようであった。スカイグラスパー1号機は一直線にレセップス級を目指していた。アーノルドのように敵の死角を選ぶような真似はしていない。鷹はネズミの牙を恐れない。
 ムウ大尉は見事な動きで対空砲火をかわすと急速に距離を詰めていく。敵の注意が大尉に向いているとは言え、そのすぐ後ろを飛行していて狙われないはずはない。緊張に強ばり、震える手を必死に抑えながら機体を左右に振り続ける。
 攻撃はしなくてもいい。この言葉には、どうやらどうせできもしないだろうからと続くらしい。ついて行くだけで精一杯だった。
 こんな状況でさえ、鷹は体を逆さまにする曲芸飛行を披露した。無論、余裕の現れである。しかし、遊びでは決してない。口径の大きな主砲は、機体上部に取り付けられ、砲塔によって上空を完全にカバーする。上下逆さまになった場合、主砲は眼下のレセップス級を射程に捉える。
 レセップス級に肉薄した鷹は鋭い弾丸を正確に敵艦主砲へと食い込ませた。箱のような構造の中腹で爆発と黒煙が立ちのぼる。立ち上がった直後の煙を切り裂いて、2機のスカイグラスパーは一気にレセップル級を通り抜けた。
 死中をくぐり抜けたことによる、ある種の高揚感がある。攻撃さえしていないとは言え、いつのまにか手から震えは抜けていた。実戦は演習10回分の価値があると聞いたことがあるが、本当のことらしい。得難い経験をさせていただいたことをムウ大尉に感謝しなくてはならない。
 同種の機体を扱っているというのに、大尉の飛び方は優雅でさえある。その憧憬が、口を開かせた。

「あなたが敵でなくてよかった」




 戦いは優位に進んでいる。その事実は決してモーガンを安心させはしない。レセップス級は上空からの支援攻撃で主砲を失っていた。しかし、その走破力は健在である。
 坊主が早速敵機を1機撃墜したが、2機目以降は苦戦しているようだ。無理に接近しようとしてバズーカの直撃を食らう。勢いを殺がれるかたちで身動きを封じられていた。
 時間をかけると敵援軍に合流される恐れが高まる。そうでないにしろ、撤退時期を見誤まれば相手にみすみす基地の場所を特定するための材料を与えかねない。
 どうやらここいらで、狂犬と呼ばれる所以をお披露目しなくてはならないらしい。隣でアサルト・ライフルを連射しながら敵を牽制しているジェシカに通信をつなぐ。

「ジェシカ、あれをやる。援護しろ」

 声にならない声が通信から聞こえてきた。

「む、無茶です、中佐! まだ敵は5機も残っています! それに、艦砲もその多くが……」

 わかりきったことを最後まで聞くつもりはない。スラスター出力を最大にし、ジンオーカーを加速させる。ジンオーカーにガンダムのような滑空を行う性能はない。前に飛び出して、落ちそうになったら足でふんばり、また飛び出す。
 足が砂を蹴る度、尋常ではない振動が頭を揺らす。できることなら目を瞑り、頭を押さえつけたいほどの苦痛である。
 1人突出したモーガン機は敵のいい標的だった。ジンたちからはバズーカやらライフルやらの弾が一斉にばらまかれる。レセップス級さえこちらを狙っていた。こんなことは百も承知であった。
 回避するために必要なことは冷静な判断力ではない。5機のモビル・スーツに狙われ、戦艦の火砲にさらされる。この状況をまともな頭で判断すれば、待つのは100%の死である。冷静では駄目なのだ。まともではならないのだ。
 モーガンはかまわず機体を加速させ続けた。ライフルが装甲を削る。致命傷でなければ無視すればいい。バズーカをすれすれの位置でかわす。こうしなければレセップス級への接近が遅れてしまう。かすった艦砲が肩を覆う装甲を消しとばす。それでも、加速の手を緩めない。
 いつかは止まるだろう。いつかは攻撃が当たるはず。そう考えているであろうザフトの期待を裏切り続けるように、モーガン・シュバリエは機体をまっすぐにレセップス級へと押し進めた。




「敵モビル・スーツが1機、こちらへ接近中!」

 ブリッジ・クルーからの悲鳴にも似た報告をゼルマンは受け止めていた。アンドリュー指揮官からいただいたコーヒーはとうに床のシミと化していた。

「モビル・スーツを引き戻せ。警護に当たらせろ!」

 不可能。そんな返事を聞かされ、強く歯をかみしめる羽目になった。誰も想定などしていない。単機で敵陣に突入し、母艦を直接狙う戦法などあり得ない。成功するはずがないのだ。集中砲火にさらされ撃墜されるに決まっている。途中で怖じ気づいて引き返さない理由もあるまい。
 こうしている間にも、青いジンオーカーは接近を続けている。

「バカな……。そ、そんははずがあるか!」

 思わず机を叩いた。まるでその気迫が伝わったかのように、バルカン砲がジンオーカーの左手をもぎ取った。ジンオーカーは大きくバランスを崩しながらも、まだ突進をやめようとしない。

「これ以上近づけるな! バルトフェルド殿からお預かりしたこの艦、みすみす失うわけにはいかん!」

 正規の褐色をしたジンオーカーが敵機の前に立ちふさがるようにバズーカを構えた。レセップス防衛に間に合うことができたのは、この1機だけである。だが、敵はまだ体勢を整え切れていない。1手差でこちらの勝ちは決まった。
 自軍のジンオーカーがバズーカを発射する。口径が大きいだけに弾速は遅く、弾はかろうじて目に捉えられる。バズーカが敵を破壊する様を想像しながら待っていた。それがいつまでも訪れないことなど、夢にも思わぬまま。
 一筋の光がすべてを追い越し、すべてを飲み込み、すべてを破壊した。ビームが追い抜いたのは青いジンオーカーと、そしてブリッジにいる者すべての意識。何が起きたのかわからぬ内に、ビームはバズーカの弾を貫通し、砲弾の主の胸に風穴を開ける。
 接近中のジンオーカーの遙か後方には、ライフルを両手で構えた顔を持つモビル・スーツ、ガンダムが灰色の体を冷たく輝かせた。
 このことを確認している時間があるのなら、ジンオーカーの接近を防ぐべく尽力すべきであったことだろう。ただし、それも主砲が残されていればの話であった。青のジンオーカーが甲板めがけて飛び上がる。レセップス級の艦砲では捉えることのできない位置である。
 もはや、打つ手は残されていなかった。
 甲板後方に突き出た形のブリッジの手前にジンオーカーは着陸した。70tの衝撃力に甲板が歪み、ブリッジの風防に亀裂が走る。多くの者が床へと投げ出されていた。机をつかみこらえるが、これではまともな指揮などできる状態ではない。床に叩きつけられなかったというだけで、何も変わることはなかった。
 結局見せられたのは、月明かりの下、ブリッジへとライフルを構えるジンオーカーの姿に他ならない。
 月下の狂犬。
 この通り名は、夜間戦闘を得意とし、常軌を逸した戦法を好むことから名付けられたのだということを、今になって思い知らされるはめとなった。




 人には休息が必要だ。こんな砂漠の基地にさえ、休憩室というものは存在する。ただし、狭い。背もたれもないベンチを1つ置いてあるだけの小部屋だった。
 キラはこの部屋に満足していた。基地の高い位置にあるここは壁一面が窓になっており、景色がとてもよい。特に夜間は照明の使用が禁止されているため、自分の姿さえよく見えない代わりに、星空が満天に広がっていた。
 ベンチに座りながら、ふと思い出したことがある。ヘリオポリスにいた時、ガンダムの開発状況を調べるために自然公園に行く際、友人には星を見ると嘘をついていた。本当は星を見ることに興味なんてない。それでもとっさの言い訳に天体観測を利用したのは、ゼフィランサスが星が好きだったからだ。
 今頃、彼女は何をしているのだろう。同じ星空を見上げていてくれているのだろうか。

「ゼフィランサス……、いつかは君と……」

 並んで、星を眺めたい。少々、感傷に浸りすぎただろうか。部屋の入り口に人の気配がある。休憩室にドアはない。直接廊下に繋がっている。完全に気を取られていたらしい。思わず勢いよく振り向いてしまった。こんなことも、ヘリオポリスでトール・ケーニヒに突然声をかけられた時に経験したことだ。

「アイリスさん……」
「少しお話してもいいですか?」

 断る理由はない。座る位置を少しずらしてベンチにあきを作る。キラに促されるように座るアイリスの様子は、ひどく消耗しているように見えた。

「教えてください……。私って、一体何なんですか……?」

 話すまいと決めていた。もし知らずにすむのなら、その方は幸せだと信じていたから。アイリスは捕虜に目つぶしをかけようとしたとも聞いている。よくない傾向だ。無理に自分の奮い立たせようとしているということは、それだけ気分が沈むことが多いということだから。

「1度聞けば、もう後戻りできない。それでもいい、アイリス・インディア?」
「……はい」

 まずは何から話そうか。特に意味もなく外を、見上げて月を眺めた。

「まず、僕の話を聞いてほしい。質問はその後。それでいいかな?」

 短く小さく、隣の少女から肯定の返事があった。

「昔、あるところに1人の男がいた。その男はどんな花よりも気高く、どんな宝石よりも無垢で、一点の穢れも無い、至高の美しさを持った究極の娘を望んだ」

 教育熱心な男性であったわけではない。今の時代は、そんな非効率的なことをする必要はない。生まれてくる子どもに才能が一片もないかもしれない。アヒルをいくら躾けても白鳥にはなれない。

「でも、男は自然発生のような偶然に頼るつもりもなければ、遺伝子操作のような未熟な技術に任せるつもりもなかった」

 現在の遺伝子調整技術では設定通りに能力が発現することはまれである。多くの場合、目減りした、親の期待未満の子どもが生まれてくることになる。まだ解析しきれていない遺伝子が作用しているからだとする話もあれば、母胎から供給される遺伝情報が原因ではないかとも言われるが、原因は判然としていない

「そこで男は娘となるはずの受精胚をクローニングによって26個にしたんだ。それからそれぞれに別々の調整を施して、その中から至高の娘が生まれてくる確率に賭けた」

 これだけすれば、中には十分な素質と能力を持って生まれてくる娘もいることだろう。もちろん、出来損ないの娘が誕生することも知っていた。

「そうして生まれてきたのが、君たちヴァーリと呼ばれる姉妹たち」

 アイリスはキラとの約束を守って、口を固く閉ざしていた。

「たとえば、君が名前だと思っているものだって名前なんかじゃない。アイリス・インディア。インディアを君がどう表記してきたかなんて知らないけど、インディアは単にIと表記する」

 指で中をなぞってみる。Iと印すことは何の苦もなくできた。

「フォネティック・コードと言ってね、航空、海運、軍事なんかでアルファベットの聞き間違えを防止するための言い換えがあるんだ。それだと、Aならアルファ、Bならブラボー、Iならインディア、Zはズールと言ったように変えられる」

 アイリスが大きく息を吸う。そんなかすかな音が耳に届いた。こんな静かな場所なら大丈夫。ただ、人混みなんかだと、BとDは聞き分けづらい。そんな場合の誤認防止のための言い換えで、Iはインディアと発音される

「アイリス・インディアはI、R、I、Sに、名字のI。イニシャルI・Iになる。ゼフィランサスはZ・Z。これは君がタイプIで、ゼフィランサスがタイプZであるということ」

 ひどく長いもののように感じた。次の言葉をつなげることを躊躇した。

「……名前なんかじゃないんだ」

 アイリスという名前とて、ゼフィランサスという名も、元々は花の名前でしかない。

「型式番号に文字通り花を添えただけ」

 当初彼女たちはインディアだとか、ズールだとか、単にアルファベットで呼ばれていた。

 26文字のアルファベットと、26人の娘たち。

「そうして26人の娘を得た男はその中から1人を選び出して至高の娘とした。そして、その娘だけを娘と認めて、手元においたんだ」

 その娘はアイリスと同じ桃色の髪をして、青い瞳をしている。

「残り25人の末路は様々。ゼフィランサスのように力だけを利用され続ける人もいれば、君みたいに市井に打ち捨てられた人もいる それがヴァーリ。花と名付けられた少女たちのお話」




 重厚な机が置かれ、床には一面に赤い絨毯が敷き詰められている。絢爛豪華な執務室には獅子の置物が埃を被っていた。そして壁に貼り付けられた大型のモニターには、ヘリオポリス崩壊とその責任者として豊かな髭を蓄えた男がやり玉に挙げられている。
 かつてオーブの獅子とまで呼ばれた為政者ウズミ・ナラ・アスハである。もっとも、現在は張り子の虎と言って差し支えない。中立地帯における兵器の開発の責任をとる形で代表の座を退き、すでに主導権は失われている。
 かつての為政者を糾弾するテレビのキャスターを眺める男こそ、ウズミその人なのである。机に腰掛け、疲れきったように椅子にもたれ掛かる。
 モニターの電源が落とされる。すると、その脇で存在感を主張するように大きく声を張り上げた少女が立っていた。

「父上。私はこのような不当な扱いを認めるつもりはありません!」

 娘であるカガリ・ユラ・アスハである。今にもモニターを叩き割りそうな剣幕で何とも勇ましい。男ものの軍服を身に纏うその姿は憂国の士としての資質を備えているように思われる。それに比べ、老いた獅子は何と情けないことか。

「カガリ、私はすでに名実ともにこの国の指導者ではないのだ」

 執務室の椅子を何度無念のため息で軋ませてきただろうか。すでにオーブの実権は手元から離れ、代表の座はとうに明け渡した。それも無理はない。半官軍需企業であるモルゲンレーテ社が大西洋連邦に協力しておきながら、そのことに気づくことさえできなかったのだ。
 中立国オーブ。そんな言葉はヘリオポリス以前からすでに形骸化している。
 裏ではプラントと手を結び大西洋連邦から得られた技術を不正に横流ししているのだ。この国は内側から乗っ取られてしまった。親プラント派の陣頭指揮を執った者は、カガリ同様、ウズミの娘である。
 ドアがノックされる 形式的な挨拶として入室してきた娘こそがその人である。カガリは新参者の姿を見つけるなり、敵意を露わにした。

「エピメディウム!」

 エピメディウム・エコー。それがこの少女の名前である。赤と青のオッド・アイ。短いズボンに長袖の上着を羽織る服装は、多数いる彼女の姉妹の内、デンドロビウム・デルタに合わせたものであるそうだ。髪型にしても、三つ編みを右肩に垂らして、左右対称を演出している。ヴァーリ特有の顔を、おどけた様子でカガリをなだめようとしている
 姉のデンドロビウムはカガリと一悶着あったようなのだが、ヴァーリというものは姿こそ似ているが、性質は驚くほど異なっている

「そう睨まないで。僕は確かにヴァーリだけど、デンドロビウム姉さんじゃない。僕なりにオーブのことは考えているつもりだ」

 降参にも似た構えに、カガリの方も毒気を抜かれたように黙り込む。ただし、その視線はエピメディウムを、正確にはその服装を睨んでいた。言っていることと服装の矛盾--デンドロビウムとは左右対称となるようにコーディネートされている--に、エピメディウムは照れたように笑った。

「まあ、服装は意識してるけどね」

 カガリはそれ以上追求しない。エピメディウムはウズミの机にまで歩み寄ると、堅苦しくはない程度に頭を下げた。

「すでに大西洋連邦は、いえブルーコスモスはオーブを仮想敵の1つに加えていると考えて差し支えありません。戦争はすでに時間の問題と言っていいでしょう」

 今のウズミにできることと言えば、無力感に歯を食いしばって耐えるだけだ。娘であるカガリ--今は両手を組んで壁にもたれている--の強気な態度は素直に羨ましいものだ。
 ブルーコスモス、単なる環境保護団体が明確な政治的発言力を行使し始めたのはわずか数年前。しかしそれがこの戦争開戦時期と不気味に符号する。

「ご存じの通り、ブルー・コスモスの現在の代表はアズラエル財団の代表であるとされています。いくつかの違和感こそありますが、それは事実でしょう。問題は、ムルタ・アズラエルの目的です」
「コーディネーターの滅亡だろ?」

 ぶっきらぼうとも思えるカガリの言葉に、エピメディウムは笑って答えた。

「まあね。でも、手段まで含めて考えるならそれはプラントの滅亡と言い換えてもいい。コーディネーターを滅ぼすなんて簡単だ。誰も子どもに遺伝子調整を施そうとなんてしなければわずか1代でコーディネーターは根絶してしまうんだからね」
「だがそうはならない。それはプラントというコーディネーターの誕生に熱心な大勢力があるから」
「そう。だからコーディネーターの根絶を狙うならプラントを滅亡させるべきというのはきわめて合理的な発想だよ。ジョージ・グレンはそんなことを恐れて国を手に入れたんだからね。そう考えた場合、オーブは目の上の瘤なんだ」

 技術立国として知られ、その技術力は大西洋連邦とて無視できない。同時に、地球上の国家で中立を決めている国々の代表的な位置にあるとすることもできる。何より、仮にオーブとプラントの裏の繋がりが知れているとすれば是が非でも攻め落としたい国家であろう。

「わかっている。だから私はムルタ・アズラエルを追っている」
「正直無駄だと思うよ」
「それもお前たちプラントのシンパがいるせいだろ!」
「カガリ」

 エピメディウムに飛びかかるのではないか、そのような危うさを見せたカガリをウズミは声で制した。聞き分けのいい娘2人はおとなしく言うことを聞いてくれる。父としてたった2人の娘に喧嘩などしてもらいたくはない。指導者の1人としては大西洋連邦がその影響力を拡大している中でその傘下にない国家同士が繋がりを持つことは理にかなっている、そう言い訳を脳裏で反芻する。

「カガリ、ムルタ・アズラエルは狡猾なんだ。まったく尻尾を掴ませないどころか、時折ブラフさえ交えてくる。アルテミスだという情報があったかと思いきや、アフリカにいるなんて情報が流れてくるくらいなんだ。これは僕の予想なんだけど、きっと三つ子だよ」

 冗談に笑い出す者はいない エピメディウムは頬をかいて自身の失策を笑う。

「それにもう一つ。オーブはすでに彼の術中にはまっているのかもしれない。ヘリオポリスのザフト襲撃なんだけどね、あれは大西洋連邦側からリークされた形跡があるんだ」
「そんなことをしてどんなメリットがある」
「消極的な理由として、オーブが盗んだガンダムのデータが無意味になったことかな。苦労したのにさ」
「結果は同じだろ」
「ところがそうもいかない。こうとも考えられないかな。大西洋連邦は中立地帯で兵器を開発していたことは認めていても、それがザフトに奪われたことは認めていないんだ」

 初めてウズミは娘たちの舌戦に加わることにした

「戦意発揚のためではないのか」
「きっとそうだと思います。でも、もしもここでザフト軍がガンダムの技術を再現したらどうなると思いますか? それは盗まれたものではなくてオーブがザフトに流したものだと非難する、開戦のきっかけにされかねない」

 床をこする音にエピメディウムが振り向く カガリが不機嫌そうにふてくされている様子に、エピメディウムはそれこそ子どもに諭すように立てた指をカガリに見せる。

「中立地帯における兵器開発の国際的非難においてオーブと大西洋連邦は一蓮托生なんだよ。新型のデータをいただくために信頼を勝ち得る必要があったけど、それが無意味だったことは、もう話したよね」

 カガリとしても理解しているのだろう。ことここに及んで原因や責任の追求をしても何も意味がないと。仮にエピメディウムの言葉が正しいとするのなら、ムルタアズラエルは停滞した戦況を打開するだけの新型を敵に明け渡してまでオーブ侵攻の橋頭堡を築いたこととなる。
 オーブは小国だ。大西洋連邦の侵攻を受ければひとたまりもない。
 壁を強く叩く音がした。それがカガリがこの部屋を出ていく合図であった。

「アフリカに飛びます。あの男さえしとめればオーブは守られる」

 姿もわからない。名前もわからない。そんな相手を倒すことができるものだろうか。すでにカガリは3度誤った情報に踊らされ取り逃がすどころか所在を確認することさえできなかった。それでもまったく諦める気配を見せないことは、カガリの意志の強さの証だと捉えるのは親馬鹿というものだろうか。
 カガリは勢いよくドアを閉め、出ていく。
 残されたのはウズミとエピメディウム。父と娘なのだ。気兼ねなどあってはならない。だが、話が途切れた沈黙はなかなか解消されてはくれない。ウズミの目を見ることなく、エピメディウムが口を開いた。

「お父様とお呼びすることを許していただけますか?」

 答えは決まりきっていた。それでも答えに窮してしまったのはエピメディウムのもう1人のお父上の存在ゆえのことだ。

「……もちろんだ。ただ、それでも私は君のお父上にはなれないのだね?」

 娘は始終目を合わせようとしない。

「……はい」

 その声は思いの外はっきりとウズミの耳に届いた。

「寂しいものだな……」

 ヴァーリと呼ばれる存在を、娘に持つということは。




 遮るものが何もない砂漠の日光はデンドロビウムの白い肌には厳しい。ゆったりとした布地を頭からかぶり、日傘をさしてもらっていた。砂の大地を踏みしめる度、日傘は当然と言えば当然だが、まるで影のようにぴったりとデンドロビウムの後をついている。こんな砂漠のど真ん中だというのにスーツにシルクハット。よほどの堅物か、でなければよほどのかぶき者。そんな男がデンドロビウムの日傘を手にしている。
 コートニー・ヒエロニムス。デンドロビウムに付き従う秘書か執事のようなこの男は、でしゃばることなくそっとデンドロビウムに耳打ちした。

「エピメディウム様から入電です。カガリ様がオーブを発ったと」
「あいつ、また戦場をかき乱すつもりか? 放っておくしかないな。それで、お父様は何て言ってる?」

 カガリに説得など通用しようものならGAT-X303イージスガンダムをヘリオポリスで強奪などしなかったことだろう。よほどの邪魔をするのでもなければ手をつけないに限る。実際、デンドロビウムは説得に失敗しているのだ。
 歩きにくい砂さえもどこかカガリのせいかのように思えてきた。

「アーク・エンジェルですが、もうよいとのことです。わかりやすく言うなら撃沈してしまって構わないと仰っています」
「となると後はゲリラどもに発破をかけるだけだな」

 目の前にはすでにテントが見えている。別に軍事拠点に立ち入るわけではない。周囲にはハーフトラックにほかのテントがいくつか。アサルト・ライフルを担いだゲリラ兵が退屈そうにタバコをふかしている。俗にいう顔パスでデンドロビウムはコートニーを伴って一番大きなテントに入る。ノックしようにもドアはない。約束の時間ちょうどだ。相手も待っていることだろう。
 直射日光を遮っただけでも砂漠はずいぶん過ごしやすくなるが気温の高さは如何ともしがたい。空調設備のないテントに入ったことでデンドロビウムはフードを脱いだ。日光に慣れた目にはテントの中は薄暗い。目を細めて部屋の中央を睨むとそこにはがたいのよい中年が座っていた。うっとおしいから切れと何度言っても聞き入れない髭面を、細めたままの目で睨んでやった。

「サイーブ・アシュマン。この頃作戦行動を起こしていないな。どういうことだ?」

 男は渋い顔をしたまま、よく見えない口元を、それでもかすかに動かした。

「天使を見たんでな」
「天使……?」

 あまりに似つかわしくない言葉に、口が大きく開いて塞がらない。サイーブは天使様とやらの様子をとうとうと語りだした。
 砂漠で月下の狂犬を追いつめていた時のことだそうだ。それはTMF/S-3ジンオーカーを高きに持ち上げると、ロケット・ランチャーの一斉攻撃をまともに浴びた。モビル・スーツでさえ撃ち抜く火力にさらされながら、それは輝いていた。背中に備えられた2丁のライフルが、さも折り畳まれた翼のように光に包まれていたそうだ。一言で言うなら、敵モビル・スーツの性能が怖くて恐ろしくて仕方がないということのようだ。

「明けの砂漠の名が泣くぞ」

 この地方では有力なアフリカ共同体系のゲリラは、見かけによらず思慮深い性格だがその分勢いが足りないといつも思わされる。カガリにしろサイーブにしろ、デンドロビウムの周りには聞き分けのない奴らばかりだ。特に、デンドロビウムの後ろに突っ立っている男はその傾向が顕著である。折り目正しく主の一歩後ろから、そっと耳打ちしてくるのだ、いつも。

「デンドロビウム様、今更ですがお言葉遣いが」

 今更は余計だろう。コートニーという男は堅苦しい分際でことあるごとにデンドロビウムをからかう隙をうかがっている極悪人である。決して相手のペースに乗るまいと敢え無視する。すると、コートニーも意外にもあっさりと関心をサイーブに移した。先ほどまでの忠心はどこに行ったのか。デンドロビウムの前に気軽に出て行くと上着のポケットから折り畳まれた紙を取り出すなりサイーブに手渡した。

「サイーブ様が目撃されたのは、おそらくGAT-X103バスターガンダムと思われます」

 紙にはガンダムについての簡単なデータが書かれているのだろう。サイーブは読み進める度に表情を険しくしていく。

「とんでもない化け物だな。弱みは何だ?」

 すでに話からデンドロビウムは外されていた。返事はコートニー1人で十分なようだ。

「フレームにフェイズシフト・アーマーは採用されておりません。また、モビル・スーツはモビル・スーツに過ぎません」

 ずいぶん抽象的なアドバイスのように聞こえたが、サイーブにはそれで十分なようだ。したり顔で紙を畳む。男には男同士、何か通ずるものでもあるのだろうか。

「あ~あ~、私がいない方がよほど話がまとまりそうだな」

 悔しいのでふてくされてみる。すると、サイーブは明らかな笑顔で応じた。

「ああ、次からはコートニーだけを寄越してくれ」

 歯ぎしりしてやりたいくらい、悔しさが増した。その様子を、コートニーは眉1つ動かさず眺めていた。




 砂漠の虎の居城にて、アスラン・ザラがニコル・アマルフィとともに目にさせられたのは横たわる巨大な躯であった。水に乏しい荒野のただ中とは思えないほど快適な屋敷の中でモニターに映し出されるのはレセップス級アンドレの艦影。
 モニターの前にはアスランたちの他、この地区の部隊長7、8名の顔がある。無論、アンドリュー・バルトフェルドもその列に混じって座っていた。
 モニターの脇で説明を行っているのはマーチン・ダコスタ。非常に厳しい顔で状況説明を行っている。正直、頼りなげな容姿をした男性だと考えていたが、砂漠の虎の側近だけはある。説明は滞りない。
 いつ、どこで、どのようにアンドレが襲撃されたのかが的確に伝わってくる。その中で特に気を引いたのが、大型陸上戦艦の被害状況である。

「ブリッジだけが破壊されている……」

 正確には主砲も破壊されているため、だけという表現は適切でない。それを差し引いたとしても、アンドレの艦体はほぼ無傷のままブリッジを破壊されたことは驚愕に値する。つい漏れた独り言を、前の席に座っているカルミア・キロが聞き取ったらしい。褐色の顔にいたずらっぽい笑みを浮かべて、カルミアはアスランの方に振り向いた。カルミアの隣ではアンドリューがいつもの調子で手をあげていた。

「ではダコスタ君、こんなことをしでかしてくれたのは誰だと思うかね?」

 ずいぶん挑戦的な問いかけであったが、マーチンは模範的な回答を示した。

「はい。生存者の証言、過去の戦闘データは口をそろえて、月下の狂犬モーガン・シュバリエであることを示しています」

 聞き覚えのある名だ。地球降下直後のアスランを救ってくれて、一時はともに戦った。敵としての再会を覚悟して別れたが、恐ろしい相手として出会うとまでは考えていなかった。ごちそうしてもらった紅茶の香りが、記憶となって鼻孔をくすぐった。
 そうしている間に、モニターは次の映像に映っていた。
 青いジンオーカーが直進しているだけの映像である。スラスターを限界まで吹かせ、脚部に多大な負担をかけながらの突進である。無謀な操縦をする。ところが、ジンオーカーは集中砲火をことごとくかわし、接近をやめようとしない。有り得ない光景であった。
 モニターを凝視する面々がざわめく。無論、アスラン、ニコルもその渦中に身をおいていた。ただ1人、濁流にあらがう虎を除いて。

「ハウンズ・オブ・ティンダロス。あんな無茶な技を律儀に再現しようとするとはさすがだね」

 アンドリュー指揮官の言葉に、辺りが静まり返る。こんな有様を、水をうったようにと表現するのだろうか。その水も、すぐに乾いてしまったらしい。隣でニコルが勢いよく立ち上がる音がした。姿勢をただし、指揮官の方を向く。

「バルトフェルド指揮官。ハウンズ・オブ・ティンダロスとは?」

 確かにニコルは必要な時は前に出ることも辞さない気概を持つ若者であるが、今日に限っては少々強引な気もしないではない。このことをどう受け止めたのかは知らないが、アンドリュー指揮官は自身のペースを微塵も崩すことはない。

「伝説みたいなものでね。敵の攻撃をぎりぎりでかわせば最速で接近できるという単純な理屈から編み出された技らしい」

 モニターではモーガン中佐の戦法が繰り返し流されていた。よく見ると少なからず被弾している。決して長生きのできる戦法ではない。

「僕も、その技を見たことがあります。地球降下目前に重戦闘機が同じような動きをしていました」

 注目を浴びた少年が語ったのは、攻撃が一切通じることなく、瞬く間に接近されてしまった、そんな夢のような体験であった。そして、その敵は恐らくアーク・エンジェルとともにあるとも付け加えられた。
 ニコルが話をしている間、この部屋のすべての者が彼を見ていた。アンドリュー指揮官も腕を組んで首だけで振り返っている。

「それはいい経験をしたね。なんと言っても、その技を使える者は世界広しといえど3人しかいないそうだ」

 間髪入れず、ニコルは聞き返した。

「その1人がモーガン・シュバリエ、でしょうか?」
「いいや、彼も優れたパイロットには違いないが不完全だ。この技を極めると、まるで攻撃が通り抜けたとしか思えないほど見事なものらしい」

 戦艦のブリッジを単機で破壊するほどの技能のさらに上がある。遙かな山頂を見上げるような心地で居並ぶ隊長格は呆然とした様子であった。こんな時でも指揮官殿は平然としていた。少しくらいうろたえて見せてくれてもいいのではないだろうか。

「敵にはその使い手がいる。これで戦いの楽しみが2つになったね、カルミア」

 1つはハウンズ・オブ・ティンダロスの完成形への期待だと理解できなくもない。では、もう1つの楽しみとは何か。
 カルミアがどこか楽しげに立ち上がる。モニター脇のマーチンの方へと歩き出すと、アンドリュー指揮官へと手を振った。

「アスランたちには見せてもいいでしょ。ゼフィランサスのおかげでようやく完成したの。ちょっと不格好だけど、どうかしら?」

 マーチンからモニター制御用のコントローラーを受け取ると、カルミアは長方形のごくありふれた形をしたコントローラーを操作した。すると、映し出されたのは、見たこともないモビル・スーツの姿だった。その姿はすぐに、立ち上がった指揮官の背中に隠されてしまった。

「量産にはどれくらいかかる?」

 カルミアは本来とは妖艶な笑みを浮かべて、男を満足させる言葉を囁いた。

「もう体制は整ってるわ、アンディ」




 地球は美しい。宇宙に人が進出してから、どれほどの人が、どれほどの回数そう口ずさんだことだろう。何度見ても見飽きるものではない。ザフト軍の地球上最重要拠点ジブラルタル基地に向かうシャトルの窓から、母なる星をラウ・ル・クルーゼは眺めていた。
 狭い船内は乗客の大量輸送を優先し、シートが効率的に敷き詰められていた。まるで子どものように、窓側の席が与えられたことをラウは密かに喜んでいた。
 だが、それもこれまでのことである。大気圏突入が近いことをアナウンスが告げる。すると、窓に隔壁が張られ、外の様子をうかがうことはできなくなる。
 仕方なく視線を船内に戻す。隣では、部下であるジャスミン・ジュリエッタが不機嫌そうに座っていた。バイザーで目元をうかがい知ることはできないが、女性というものは不機嫌を口元に出すものである。あくまで経験測にすぎないが、ゼフィランサスも口をとがらせることがある。

「アスランたちに会えるというのに、ずいぶんと不機嫌なようだな」

 ジャスミンは目を合わせようとしない。体もずいぶんと固い。かしこまっているというよりは、新兵が初陣前に見せる緊張に近い。

「クルーゼ隊長……、ゼフィランサスは、また兵器を作るんですよね……?」

 何かと思えば、妹君のことを心配していたらしい。

「ではゼフィランサスは大西洋連邦でガンダムの開発を続けていた方がよかったかね?」

 残念なことに、この一言でお話は終わってしまった。ジャスミンはうつむいて、口を開こうとしない。
 ゼフィランサスの力は素晴らしい。誰もがその力を求めることだろう。どこにいようと、誰といようと、ゼフィランサスに求められることは何も変わることはない。

「君たちは花ではないのかね? どれほど美しくとも摘み取る手にあらがう術を知らない」

 それはゼフィランサスに限らない。

「それが、ヴァーリというものではないかね?」



[32266] 第15話「災禍の胎動」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:20
 キラ・ヤマトから聞かされた話は戸惑いも驚きも同じくらいの大きさで与えてくれる。アイリス・インディアは感じたことはそんなこと。隣あって座るキラは一通り話し終えた後、月を見上げていた。

「じゃあ、私はヴァーリの中で9女になるってことですか?」

 もう話は終わったであろうと判断して手を上げた。Iはアルファベットの中で9番目の文字だから。アイリスの隣に座るキラは困ったように髪を掻きあげた。

「いや、そこがなかなか複雑なんだ。ヴァーリは9つの研究所が平行して開発してて、それぞれが第1世代から第3世代までロールアウトしたんだ」

 同じベンチに座っていることを利用して、ベンチを軽く叩いた。少しでも衝撃が伝わってくれたらそれでいい気持ちで。

「ロールアウトって……、その言い方嫌いです。機械っぽくて」

 少なくとも人に対して使う言葉には思えない。ただ、キラはそれ以外の言葉を示すことができないらしかった。自然と自分たちの出生の異常さを見せつけられる思いがした。

「ごめん。でも、え~と、それで、研究所にはそれぞれにヴァーリが3人ずつだから3つのアルファベトが割り振られたんだ」

 やむなく、キラは話を続けていく。

「たとえば第1研究所だと第1世代はAになるし、第2世代はBになる。長女はAだけど、次女は第2研究所の第1世代であるDになるんだ」

 反芻する。アルファベットの数え歌を口ずさみながら、A、D、G、Jと並べていく。第3世代に移ると、C、Fを経てようやくIにたどり着いた。

「第1、第2世代が9人ずつで、私は第3研究所出身だから……、21女!」

 指折り数えていたのだが、あまりに数が多すぎて途中から指を折ることはやめてしまった。冗談みたいな本気の姉妹関係である。キラは横ですまなそうにアイリスに声をかけた。

「それがまだあるんだ。第9研究所は第1世代が欠番になってヴァーリは2人しかいない。だから、君は20女」

 戸惑いの方が大きくなってしまったらしい。アイリスの両手は、数え損ねたままの状態で固まっていた。右手は小指だけが折れた妙に器用な状態である。

「どうしてそんなに複雑なんですか~?」

 月がキラの視線を独占した。それがこの少年が言いにくいことを言うための予備動作だとは、もうわかっている。唾を意図して飲み込んで、自身の緊張が高まっていることを自覚する。

「君たちが何番目の姉妹かなんて、君たちのお父様を含めて誰も興味を示さなかったんだ」

 驚きが失望を伴って台頭した。本当に、ヴァーリというものは望まれて生まれてきたわけではないのだと言う事を次々キラは語りだす。

「実際、研究所は縦割りなんだ。姉妹ではあってもほとんど交流がない場合もあるし、君とゼフィランサスも面識はあまりないんだ。それに、ゼフィランサスが君をお姉さまと呼んだのは形式上のことで、本当に姉妹としての絆を築いているのは同じ研究室の3人までであることが多い……」

 妹が急にできたと慌てたこともあった。それが実は単なる遺伝学上の姉妹だったと言われてしまうと、浮いた気持ちは着地点さえ失ってしまう。第3研究所の第3世代と、第9研究所の第3世代。
 同時に、どうしても聞きたいことがあって、キラの肩を掴んだ。

「じゃあ! 私にもお姉さんがいるって言うことですよね……?」

 不思議なことにまるで記憶にない。ただ目にしたエインセル・ハンター代表と一緒にいたヴァーリらしい少女は、アイリスと同じ髪と瞳の色をしていた。
 キラは指でGとHを空に描く。

「今はラクス・クラインと名前を変えているけど、ガーベラ・ゴルフ。それにヒメノカリス・ホテルの2人」

 やはり、G・GとH・Hである。第3研究所のG、H、I。
 三つ編みに束ねた髪を肩越しに体の前に持ち出してみる。その色は桃色で、やはりエインセルの傍にいた少女と同じ色をしている。

「私たち、髪や瞳の色が同じことってあるんですか?」

 ゼフィランサスとは違った。それは、研究所の違いなのかも知れない。キラの答えは期待通りであるとともに裏切りをも同時にもたらした。

「シンボル・カラーとして、それぞれの研究室で原則統一されている」

 予測は当たった。ではエインセルとともにいた娘は自分の姉ということになる。嫌な考えが結実しないまま頭の中を不快と不安で汚していく。考えがまとまりきる前に、キラが小石のように投げ落とした言葉が、心に静かに波紋を立てた。

「至高の娘は、第3研究所から輩出されたよ」




 扇形をした階段状に椅子が敷き詰められる。これですべての席から適度な距離が確保される。ごくありふれた講義室はより優れた人種の用いるものでも大差ないものであった。
 ここはプラントであり、コーディネーターの国である。部屋には100を超える座席だけでは足りず、立ち見の者さえいるほど、コーディネーターたちはこの講義に強い関心を抱いていた。男女問わず、多くが背が高く端正な顔をしている。また青い髪をした人物がその大半を占めていた。一時期、青い髪を発現する遺伝子は知能指数を高めるという説が広まったことがあった。
 ここに集ったのは学者、研究者である。彼らは国外から招かれたモビル・スーツ開発者の講義を聞くために集まっていた。
 ざわめきさえない。それだけの関心を払うに値する人物は軽い靴音を立てて、扇の基部に備えられた壇上に上がる。一礼。これからダンスでも始まるのではないか。ここで初めて聴衆がざわめいた。講師は黒いドレスを纏って現れたゆえに。
 講師はかまいもせずに名乗りを上げた。

「ゼフィランサス・ズールと申します……」

 見上げられた瞳は赤く、髪は白く艶めいている。少女がアルビノであることに、不快感を露わにする者もいた。あからさまな侮蔑の視線を少女は受け流す。
 名乗り上げだけを挨拶として、ゼフィランサスは講演を始める。壇上の脇に移動すると、モニターにその研究内容が示された。題目はミノフスキー物理学とモビル・スーツ開発について。
 マイクの力を借りながらゼフィランサスは静かに語りだした。
 ミノフスキー粒子。ミノフスキー博士によって予見、発見がなされた粒子のことである。この粒子の発見は、強い力、電磁力、弱い力の3種を束ねた大統一理論が完成したことに続き、第4の力である重力との統合の過程で予見されていた。重力が距離の2乗に反比例し影響力を減らす理由を説明できず、理論は長く統一されないできた。この矛盾を解決するために、膜宇宙説、重力子の仮定など様々な試みが行われてきたが、ミノフスキー粒子とはそれらに続く概念であった。
 膜宇宙説では、宇宙を薄い膜が折り重なった多次元構造として捉え、重力が隣接する他の次元に逃げ出してしまうと説明した。重力子は重力を引き起こす素粒子を仮定して事象解明の足がかりとしようとした。
 ミノフスキー粒子はこの重力子の概念に近い粒子である。
 物質の衝突とは所詮、それぞれの物質を構成する電子がもつ反発力にすぎないということは言うまでもない。ニュートリノのように微弱な質量を持ちながら、ミノフスキー粒子は極めて高い電荷を帯びている。そのためその親和力、反発力は非常に高い。
 それは密度、性質によっては大きな力となる。ミノフスキー粒子の集合が重力や質量として測定されたと考えられた。このようにミノフスキー粒子を重力の根元であるとした場合、様々な現象に説明がつけられる。
 本来の質量に比べて観測される質量が高い値を記録する。そのため、宇宙の質量の大半を占めながら、観測されずにいた暗黒物質の正体がミノフスキー粒子であるということはすでに定説である。また、ミノフスキー粒子の極めて高い親和力は中間子としての挙動を阻害して、遠方の物質に影響を与えづらい。そのため重力が急速に減少することの説明となる。
 無論、ミノフスキー粒子で重力のすべてを説明できるわけではなく、究極の統一論にはまだ高い壁が存在する。一言で言うなら、ミノフスキー粒子はそれ自体の質量は少なくとも、擬似的な重力は発する粒子であるということになる。
 ゼフィランサスはこんなことはミノフスキー物理学の初歩であると判断し、本題に入るべくモニターに次の写真を表示した。
 そこにはゼフィランサスの愛娘であるガンダムの姿が映し出されていた。ガンダムに搭載されたビーム兵器。これにはミノフスキー粒子の2つの性質が利用されている。
 1つ目は微弱ながら質量を持つと言うこと。詳細な原理は不明だが、ミノフスキー粒子は核融合を伴わずその質量をエネルギーへと変換することができる。ミノフスキー粒子は外部から取り込んだエネルギーをその質量を微減させることで疑似的な質量として保存することができる。強力な電荷を帯びているということは、銅板と同密度と仮定した場合にはガンマ線でさえ0.0057mmで透過不可能となってしまう。このことはそれだけ効率のよいエネルギーの貯蔵を可能とし、ビーム兵器の効率化に貢献している。
 ゼフィランサスはZGMF-1017ジンがビームで破壊される映像を示す。すると、聴衆は揃って驚きの声を上げた。
 続いて示されたものは、ある駆動系の設計予想図である。ミノフスキー粒子の性質を利用した核エンジンが群衆の前にさらけ出された。ミノフスキー粒子の親和性、エネルギーを貯蔵する性質を利用したエンジンである。しかも、それはモビル・スーツへの搭載を示唆するものとなっていた。これには並みいる科学者たちは絶句する他なかった。
 ニュートロン・ジャマーによる核動力の使用が不可能とされている以以前に、核動力を小型化するには技術的に大きな問題が残されているからである。
 冷却水のタンクが必要である。大型タービンがなくては電力を生み出すことはできない。何より、十分な厚みの隔壁がなければ、パイロットが致死量の数百倍もの放射線にさらされることになる。コーディネーターは超人ではない。
 人々の不安をよそに、ゼフィランサスは持論を展開する。無論、ミノフスキー粒子の力を借りて。
 ミノフスキー粒子がガンマ線でさえ止めてしまうことはすでに明示した。よって原子炉内に親和力を利用した高密度のミノフスキー粒子の膜、Iフィールドと呼称する膜で包むことで隔壁として作用する。同時に、Iフィールドが放射線、さらに原子炉内の熱量を吸収することでメガ粒子化を引き起こす。このメガ粒子を炉外に取り出すことで効率のよいエネルギーを得ることができる。また、メガ粒子そのものが依然電荷を帯びていることからIフィールドをミルフィーユ状に重ねることで電力を直接取り出すことができる他、メガ粒子をビームとして直接利用可能である。ジュール熱を利用してアクチュレーターを動かすこともできる。推進剤に添加することで、より大きな燃焼速度を得ることも可能であるとゼフィランサスはまとめていく。
 まるで魔導書でも読み聞かせられているように感じられたことだろう。ミノフスキー粒子という魔力を、この漆黒の少女は18mのゴーレムの中であまりに完成されたシステムとして組み上げて。
 だが、それはあくまでも机上の空論である。
 ニュートロン・ジャマーの影響下では核分裂は発生しない。そもそも、核動力を搭載したモビル・スーツがあったとしても、それをわざわざ造り出す意味はない。あくまでも学説の有用性を証明するための具体例の1つであろうと、人々は理解した。
 静かに始まった講演であった。よって、終わりも静かに迎えることになる。ゼフィランサスがいつもと同様に、スカートをつまみ上げて一礼する。
 拍手は起こらなかった。誰もが目の前で示された奇跡に現を奪われ、思い出したように疎らな拍手が起き始めたことでようやく会場は一丸となって偉大な技術者を讃えた。
 続いて、質問の受付が始まる。
 比較的前列に座っていた1人が手をあげる。ゼフィランサスは何も言わなかったが、質問者を見ることで起立を許可した。質問者は、青い髪をした女性であった。

「大変興味深く拝聴させていただきました」

 女性は形式として、軽く頭を下げた。

「質問ですが、ミノフスキー粒子がそこまで影響力の高いものであるならば、長く発見、観測されなかった理由はどのようなものであるとお考えですか?」
「ミノフスキー粒子の性質の1つに質量が大変微弱だから……。少しのエネルギーでも速度が高くなるし、物質を透過する力も強い……」

 ニュートリノが確認されたのもせいぜい200年前の出来事である。加えてミノフスキー粒子の電荷は電子機器に多少なりとも悪影響を与えているという実験報告はすでになされている。測量機器に生じた誤作動がミノフスキー粒子を逃していたとしても何ら不思議はない。
 この言葉を受けて、続く質問者が許可もなく立ち上がる。

「不躾ながら失礼します。では、あなたは近年多発する電波障害の原因はミノフスキー粒子であるとお考えでしょうか?」

 10年以上前から、ミノフスキー粒子を観測、あるいは生成しようとする試みは幾度となく行われている。その当時からミノフスキー粒子の電子機器に誤作動を引き起こす性質は知られていた。また、電波障害の時期とも合致している。電波の吸収、阻害と電子機器の誤作動を照らし合わせれば、ミノフスキー粒子が原因であるということは十分に考えられる。
 同時に、ゼフィランサスはビームが多用され、エネルギーを失ったビームがミノフスキー粒子に還元された戦場では電波障害が頻発した事例を挙げた。
 このことは同時に意味している。現在の戦場を作り上げているものの正体こそがミノフスキー粒子であるのだとすれば、そのミノフスキー物理学の申し子たるガンダムは戦術、戦略さえ書き換えてしまいかねないそして、それはたった1人の少女の手に握られている。
 この世界において、戦場の女神は赤い瞳をしている。




 下りゆくエレベーターの中でゼフィランサスへと微笑みかけたのはスーツ姿のラクス・クライン。長い髪を頭の上で束ねるだけでその印象はずいぶんと異なっている。ヴァーリが不用心に同じ顔を並べることは許されない。ゼフィランサスが顔を出さなければならないのであればラクスがその姿を変える。

「よい講演でした、ゼフィランサス」
「はい……、ラクスお姉さま……」
「今日あなたにこの場所で講演をお願いしたのは他でもありません。ある人に会ってもらいたいからです」

 エレベーターはやがて階下に到着する。少女2人は雰囲気が異なって同じであった ラクスは微笑みを絶やさず、ゼフィランサスは表情を作らない。どちらも表情に乏しい。
 ラクスがまず先にエレベーターを降り、続いてフロアに足を踏み入れたゼフィランサスの前には広い部屋が広がっていた。格納庫を丸ごと研究室に改装したのだろう 中央のハンガーには骨だけの巨人が吊されている。未完成のモビルスーツであり、その周囲には多様なクレーンが見える。現在は人影も疎らで、モビルスーツは打ち捨てられた屍のように鈍い色を放っている。

「ここはザフト軍のモビルスーツ研究施設、そしてあなたの職場になる所です 詳しいことはサイサリスに聞いてください」

 ラクスをエレベーター前に残ったまま、ゼフィランサスはフロアを歩き出す モビルスーツの方向へと歩いて、しかし目標となる地点はその手前であった ブリッジのコンソール並に雑多な機器が埋め込まれた机に手招きしている少女がいる
 青いストレートヘア まず髪の色が目に入って、手を頭上で大きく振るその顔はとても楽しげ。机に隠されたその体は白衣を着ているとわかった頃、ゼフィランサスは机の前に立っていた。
 少女はヴァーリの顔をしている。

「お久しぶりゼフィランサス、私のこと、覚えてますか?」
「はい、サイサリスお姉さま……」

 PのヴァーリはZのヴァーリにすぐに椅子を用意してくれる。軽くて手軽なパイプ椅子の上に資料の束が投げ出されていた。サイサリスは資料をまとめて床にどかすと、ゼフィランサスに座るよう促した。

「座って。謙遜じゃなく狭いところだけどぉ」

 促されるままゼフィランサスは椅子に座る。軽くてかさばらない、座り心地よりも利便性を優先した椅子は、サイサリスの性格をよく表しているように思える。サイサリスは技術の低コスト化、生産性の向上に関する研究に尽力している技術者である。1本の高価な槍よりも、10本の数打ちに値打ちを見いだす。
 量産機の開発、製造に深く関わる人物であり、ザフト製の量産型モビル・スーツ開発者のリストにサイサリスの名前が乗らないことはないだろう。高級機を中心に開発を続けるゼフィランサスとは異なった設計思想の持ち主だと言えた。
 コンソールを叩く姉の横顔を眺めていると、サイサリスは視線に気がついてこちらを向いて微笑んだ。こう自然と笑うことができることも、ゼフィランサスとは異なる。

「お招きいただきありがとうございます……。サイサリスお姉さま……」

 姉はさばさばとした様子で返した。

「かしこまらなくていいよぉ。どうせ、ここがゼフィランサスの職場になるんだし。ほら、これ見て」

 こちらに見やすいよう、机に設置されたモニターの画面が動かされる。表示されている内容は、どうやらこの部屋の中央にあるモビル・スーツの開発データであるらしい。その構造はザフト軍のどのモビル・スーツとも異なる。どちらかと言えばガンダムに近い構造をしていた。この機体の正体を聞いてみようと姉へ視線をずらすと、サイサリスは楽しそうに笑っていた。

「驚いたぁ? ザフト軍の次世代量産機として開発されている量産機なんだけど、開発がうまくいってなくて。だからガンダムを見たときは驚いたよ」

 これでザフトが2年がかりで開発していたこの機体とこれまでの築いたノウハウは一切合切無駄になってしまったと、サイサリスは笑っていた。ここにきて同業の姉の目論見が見えてきた。もう、この素体を開発し続けることに意味はない。しかし、これは裏を返せばガンダムの未完成品と取ることができる。
 サイサリスはやはり笑っている。

「ガンダム、造りたいんでしょ~?」

 ため息の代わりに、軽く息を吹く。

「サイサリスお姉さま……、厄介払いなされたいのですか……?」

 大袈裟なくらい大きく、サイサリスは首を横に振った。

「押しつけるって言って」

 ため息の代わりに、今度は吹く息を多少多めにした。

「同じことです……」

 姉は実力行使に出ることにしたらしい。ゼフィランサスの手を引き椅子から立たせるとモビル・スーツの方へと連れ出した。長方形を形作る骨組みに固定された機体は、まだ動力部がなく、主要なセンサーの集中する頭部はフレームさえ存在していない。本当に、開発途上であることがよくわかる。だが、逆にそれだけ、自由度が高いと言える。ここまで基礎が完成しているのなら、ザフト製のガンダムを開発はより低負担え行うことができる。
 モビル・スーツを見上げていた首を、姉の方へと曲げる。

「この子のコードネームは……?」

 指を1本立てる。こんな無意味な動作を差し挟んでから、姉は答えた。

「勇敢なる者、ドレッドノート」

 由来は、開発に5年はかかると思われている次世代型モビル・スーツを、現在ザフトで計画されている次世代機開発計画に間に合わせるためにわずか1年足らずで終わらせようという無謀への皮肉であるそうだ。元々は他の担当者がいたが頓挫し、サイサリスの部署に丸投げされた。サイサリスにしても新型量産機に時間をとられ、助手に一任していたと笑いながら明かしてもらった。
 名前の勇ましさに似合わず、不遇な生い立ちにある機体であるようだ。それもせめて、今日までの話にしよう。

「わかりました……。この子は私が引き継ぎます……」

 サイサリスは嬉しそうに笑い、手を叩いた。

「プレアく~ん!」

 そう、姉が誰かを呼ぶと、床に散乱する備品を蹴飛ばしたような大きな音がして、その方向から大きな白衣を持て余した少年が現れた。それとも、少年と呼ぶより子どもとした方がいいだろうか。背格好からして、10歳程度。癖のある金髪が鮮やかで、不自然なまでに整った顔はコーディネーターであることを確信させる。
 少年はサイサリスの横に立つと、ゼフィランサスへと頭を下げた。子ども特有の柔らかくも大げさなお辞儀である。

「プレア・レヴェリーと申します。講演には行けませんでしたけど、ご高名は聞きおよんでます」

 プレアは手を差し出した。それが握手を求めているのだとはじめはわからなかった。アルビノの肌に触れることを厭う人は少なくない。ただ、プレアは違うらしい。手を握ったとしても、屈託なく微笑んでいた。このプレア少年がサイサリスから厄介事を押しつけられた助手であるようだ。
 サイサリスはプレアの両肩に手をおいた。

「ドレッドノートはこのお姉さんが引き継ぐことになったから、プレアは手伝ってあげて」

 責任者の座を横取りされた形であるにも関わらず、プレアはまるで陰のない笑い方をする。引継ぎのための資料をとってくると、うず高く積まれた機材の中へ消えて行った。
 年齢を聞きそびれてしまった。コーディネーターの中には若くして第一線で活躍する人は決して少なくない。ただ、それは才能というよりも、その分野で活躍しやすい遺伝子調整を望んだ親がレールを引くからである。それでも、プレアほどの若さは特殊な例であると考えられる。
 色素のない手を自分の胸へと押し当てた。規則正しい脈動が手に伝わる。このことの意味を、サイサリスは知っている。ヴァーリなら誰もが知っているはずの自明の理。告げることもなく、言う必要もない。
 見ている必要さえない。サイサリスはプレアが駆けていった方を眺めたままである。

「かわいい子でしょ~。変に歳とってないから素直で聞き分けがいいの。プレア君のこと、よろしくね」

 この姉は昔から落ち着きがない。話したかと思うともうエレベーターの方へ走り出していた まだラクスも残っているらしい。
 ゼフィランサスはもう一度モビルスーツを見上げた。この子の名前はドレッドノート。この子は、ファーストザフトガンダムになる。




 ゼフィランサスを残して上るエレベーターに2人のヴァーリ。GとP。かつてのZとPに比べ何かが変わり、何ら変わることはない。ラクスは微笑み、サイサリスは笑い続けている。

「サイサリスはガンダムには関わらないのですか?」
「造ってみたいけど、今はアスランのパパにビーム兵器を搭載した主力機造れって言われてるから。まあ、ドレッドノートのフレーム構造は採用できないけどガンダムのデータはあるし、ちゃっちゃと造るよ」

 副議長、それとも国防委員長、あるいはアスラン・ザラの父親。どのような呼び方をするにしても、パトリック・ザラは引き金にかけた指を緩めるつもりなどないのだ。

「それほどまで大変な構造なのですか?」
「システムそのものが複雑だし、とても量産体制なんて整わないよ だからゼフィランサスには頑張ってもらいたいな。プレア君、あまり先が長くないから」




 お父様は賢い。
 お父様は強い。
 お父様は美しい。
 殺風景。無機質。センスの欠片もない。そんな基地の廊下でさえ、お父様と並んで歩くと心が弾む。ヒメノカリス・ホテルは上機嫌だった。お父様といられる。それだけのことで、纏い舞踏会に出かけるように心が弾む。
 だが、残念なことに、邪魔者が後ろから駆け足でやってきた。お父様に言われるがままの装束を身に纏う女だった。名前はメリオル・ピスティス。覚えたくもない名前でも、何度も聞かされる内に自然と頭に刻まれてしまった。
 お父様はわざわざ立ち止まってまで女の到着を待つ。

「エインセル様、ヴァーリから連絡がありました。新型モビル・スーツの量産に成功したとのことです」

 こんなどうでもいい話のために、せっかくのお父様との2人きりの時間を邪魔されたかと思うと腹が立つ。それよりもっと心をかき乱したのはお父様の態度だった。白くて長い指を1本だけ立てて、お父様はメリオルの唇に優しく触れた。

「メリオル。彼女たちをそのように呼んではいけません」

 その笑顔はとても素敵で、それが自分に向けられたものでないことが許せない。メリオルはヒメノカリスに睨まれていることさえ気付かずに惚けた顔をしていた。

「申し訳ありません」

 こんな女のことは早く放っておいてまた一緒に歩いて欲しい。それなのにお父様はちょっかいをやめようとしない。

「加えまして、私のことはエインセルとお呼び下さい」

 また手を出す前に、お父様に抱きつくことにした。手の動きを封じて、早く歩き出そうと促す。すると、お父様は叱ることもなく歩行を再開してくれた。メリオルはしつこくついて来ようとする。 少しでも気を引きたくて、以前から気になっていたことを聞いてみる事にした。

「お父様はどうしてゼフィランサスがザフトで開発することをお許しになるのですか?」

 歩きながら抱きついた腕がとても温かい。お父様はそれこそ、御伽噺でも話して聞かせるように優しい声で囁いた。

「たとえば、こんなお話はいかがでしょう? 人は武器があるから戦うのでしょうか? それとも、争いがあるから武器が必要とされるのでしょうか?」
「わかません、お父様」

 1つの事実として、戦いがあれば武器が求められ、武器が与えられれば戦いは続く。すると、さらに武器が必要とされる。この無限に続くとさえ錯覚してしまう螺旋の中で、利益を上げる者たちがいる。たとえば、ラタトスク社であり、モルゲンレーテ社のような軍需産業。
 需要があるからこそ企業として成り立つ。同時に、供給こそが需要を生み出す。こんな経済活動を行う産業は他にもあると、お父様は付け加えた。それは、麻薬のような依存性のある物品を扱う商売。

「いるのですよ。社会に巣食い、その生き血をすすっているダニというものは」

 お父様はいつも冷静。どんな話をしている時でも、微笑を絶やさないから。

「ですが、いくら必要とは言え品質が悪ければ誰も買ってはくれないでしょう。その点、モビル・スーツは申し分ありません」

 満を持した新商品ということだろう。ただ、それではザフトでゼフィランサスに開発を続けされる理由にはなっていない。解けない疑問に、背の高いお父様のお顔を見上げてみた。お父様は小さく笑って、ヒメノカリスの望みに応えてくれようとする。

「しかし戦争がすぐに終わってしまえば兵器は売れなくなってしまいます。ですが、泥沼化して大口顧客を失ってしまうことも好ましくありません」

 戦争がなくては武器は売れない。戦争が長すぎたなら、今度は購買力がなくなってしまう。

「適度に戦い、適度に休んでもらなわくてはなりません」

 ようやく、お父様のお心が少し、ほんの少しわかった気がした。歩くために前ばかりみているお父様の注意を引くために、袖を引っ張る。

「ザフトもビームを使用することで、戦争は適度に長引く。そう言うことですか、お父様?」

 何の前触れもなかった。お父様はいつもヒメノカリスが思いも寄らないことを、突然実行に移す。ヒメノカリスの両脇を抱えると、まるで子どもをあやすかのように抱き上げた。今年で15になる。決して軽くはないはずなのに、同じ高さになったお父様の顔は涼しいままで、重さを微塵も感じさせない。

「そう考えることもできますね。お金で命を買うことはできずとも、命をお金に換えることはできてしまう」

 ラタトクス社代表としてのお話をきかせてもらったのは今日が始めてのことになる。そのことがただ嬉しくて、お父様の綺麗なお顔に寂しさが混じりこんだことに気付く事はできなかった。

「こんな私を軽蔑しますか、ヒメノカリス?」

 お父様以外の人に笑顔を見せるのが惜しくて、ただお父様になら微笑む事ができる。抱き上げられたまま、ヒメノカリスは愛する父を見ていた

「いいえ。お父様のなさることですから」

 たとえ貴方が悪魔であっても、私のお父様であることに変わりはない。私に愛を注いでくださる人であることに違いはないのだから。
 お父様はヒメノカリスをゆっくりと床に降ろした。お父様のことばかりに気を取られ、つい廊下の変化に気付くことが遅れていた。通路の一部がガラス張りになっており、通路脇の大部屋がここから見えていた。この通路自体が渡り廊下になっていて、床は遥か下にある。
 お父様がその部屋へと体を向けたことで釣られて横を向く。お父様が何を見せたいのか、とてもよくわかる。それでも意地悪をしてみたくて、何もわかっていないようにお父様の袖を掴んだ。
 すると、お父様が手を握り返してくれた。

「アーク・エンジェルには感謝しなければなりません。我が社の宣伝塔であるとともに、優良な実戦データを与えてくれたのですから」

 GAT-X105ストライクガンダムが戦果を上げればそれだけ、ラタトクス社の製品の高性能ぶりを内外に知らしめることになる。そしてそのデータはさらなる兵器を生み出す糧となる。
 今、眼下にたたずむかの機体のように。
 それは人の姿をしていた。
 それは巨人の大きさをしていた。
 それは漆黒の色をしていた。
 何よりそれは、ストライクガンダムと似通った姿をしていた。お父様は物言わぬ巨人に名を与え、命を吹き込んでいく。

「GAT-X105EストライクガンダムE。元々は100系フレーム量産化に際して新装備の実験と強化プランの有用性の確認のための機体です」

 さらに、このストライクには専用のストライカーが開発されている。それは、その色から黒を意味するノワールと開発者の間では呼称されていたらしい。

「よって、これはストライクノワール。少々早いのですが、あなたの誕生日を祝う贈り物です」

 お父様の方へと視線を向けると、お父様もこちらを見つめていた。

「これで戦ってくれますか、ヒメノカリス? 私のために」

 この白いドレスはお父様が与えてくださったもの。髪の長い女性が好みだと聞いたから、髪を伸ばして、お気に召すようウェーブをかけた。

「はい。お父様」

 だから私を愛してください、お父様。




 強化ガラス製の窓に埋め込まれた鉄板。こんなものに守られた車でなければ外出もままならない。国防委員の1人でありながら、プラント最高評議会では穏健派の末席に名を連ねるユーリ・アマルフィには内外ともに敵が多い。ナチュラルにとってはプラントの要人であり、急進派からは手緩い臆病者と写る。
 だが、際限なく殺し合うことがプラントのためになるとはどうしても考えられない。
 運転手には目的地までできる限り遠回りをしてくれるよう頼んである。約束の時間まで余裕がある。それ以上に、約束の相手と会うことは気が重い。
 平日の昼下がり。人々が道路脇の公園でくつろいでいる様子が走る車からでも見て取れる。木々がコロニー内に降り注ぐ陽光を柔らかく変え、植えられた芝生は座る者に優しい。
 彼らを守るものは何もない。しかし、このような装甲車紛いの車の中にいるユーリに比べて、彼らははるかに安全だろう。さて、ここで憩いの一時を過ごす彼らは穏健派、急進派どちらの支持者であるのだろうか。どれほどの者が知っていることだろう。人工の大地でごく当たり前の生活を営むことは地球から送られてくる物資なくしては成り立たないという事実を。
 戦前は大西洋連邦からの施しとして与えられていた。現在は戦利品として搾取している。どちらにしろ、地球との協力関係なしにプラントは成り立たない。
 座り心地のよい座席に手をつく。

「これとて、プラント国内の純正品であるはずもない……」

 この独り言は、運転手にまで届いてしまった。何事かと尋ねる声に、あいまいな返事をしておく。運転手はすぐに運転に意識を戻した。車内の彼女にも、外の彼らにも責任のない話なのだ。
 敢えて考え事をしないようにするために、膝に肘をついて作った両手を組み合わせた隙間に、額を近づけた。目的地に着くまでこうして伏せているつもりだった。目的地であるプラント国防委員会に着くまで、気の利いた運転手は何事もなく車を進めてくれた。
 国防委員会ではまず地下に車は進められる。瞼に入る光が暗く変わったところで顔を上げた。どこにでもあるような地下駐車場には黒い軍服を着たザフトが警備として立ち並んでいる。何度も見慣れた光景であるはずだが、違和感はいつまでもこびりついて消えることはない。
 警備の前を通りすぎる度、律儀な敬礼を受ける。それが10ほど繰り返されたところで、車は扉の前で止まった。何の変哲のない扉である。その両脇に軍人が立ってさえいなければ。
 車から降りると、門番2人は機械のように完璧な同調で敬礼をした。声を出したのは向かい合って右側の者である。

「ユーリ・アマルフィ国防委員殿、お待ちしておりました」

 来る度繰り返してきた形式上の礼儀である。型にはめてこちらも右手を上げてそれに応えた。2人はやはり同じタイミングで休めの姿勢に戻すと、扉が開かれる。
 ここからは1人になる。目の前に開かれているのは、長い長い廊下であった。窓もなければ甲冑の置物も勇ましい角をした剥製もない。むき出しの床は靴音を甲高く響かせる。
 何もない。視界の四隅に走る4本の直線は何に妨害されることなく消失点へと殺到する。それはまるでこの館の主のようでもある。愚直にして実直。剛腕にして剛健。ただ目的をひたすらに、貪欲に追い求める姿勢に通じるものがあるのである。同時に、一度歩き出したらもはや逃げ道さえないという事が不気味に符号しているようにも思えた。
 ユーリにできることは、通路の奥、重厚な扉をくぐり抜けてエレベーターへと乗り込むことだけであった。委員長室への直通エレベーターである。浮遊感を味わったと考えた途端に、エレベーターの扉が開かれた。
 暗く、広い部屋である。足を踏み入れると、照明が光の道を作り出す。その先には国防委員長であるパトリック・ザラが普段通りの渋い顔をして座っていた。
 それは書類の散乱する机の前にまで来た時も変わることはない。国防委員長は弱気な部下の顔を見上げるなり、大きなため息をついた。

「君はジンのジェネレーター出力がどれほどか、知っているかね?」

 時に感情的に、時に論理的に自分が有利となる論点に持ち込む手法はザラ委員長の常套手段である。話が始まった段階で、すでに術が始まっているのである。
 できることと言えば、ラウ・ル・クルーゼを追求しきれなかったアイリーン・カナーバ議員の二の舞にはならぬように、出方をうかがう他ない。

「カタログ・スペックで976kwと記憶しています」

 返事の代わりに、ザラ委員長は資料をこちらがわへ放った。上司の顔を見ていると、その目は促すように資料へと向けられている。ここで初めて、資料を手に取る。資料には、議会でゼフィランサス・ズールと名乗った少女が開発したガンダムという機体群のデータが羅列されていた。
 5機のガンダムの出力は、平均して1800kwにも達する高性能なものであった。ジンの倍の出力である。単なる試作機にここまでの性能を与えることの無意味を笑いたいのだろうか。それとも、ジンの低性能ぶりを嘆きたいのか。
 このように考えている時点で、主導権はザラ委員長のものであると言える。

「パパとズールに試算させたのだがね、ビームとやらを安定して扱うためには1200kwからの出力が望ましいそうだ」

 パパとズール。フォネティック・コードでPとZ。つまりサイサリス・パパ、ゼフィランサス・ズールのヴァーリ2人を指している。
 まさかこんな愚痴を聞かせるために呼びつけたわけではないだろう。早く本題に入ってもらいたい焦りから、瞬きが多くなっている。書類を机に置く最中もザラ委員長から視線を外すことができない。

「私はビームを常備した量産型モビル・スーツの開発を急がせている。そのことをどう思うかね?」

 兵器工場の集中するマイウス市選出の評議会議員としてのユーリに意見を求めているのだとしたらどれほどで量産体制が整うか、そんなことを知りたいのだろう。しかし、ザラ委員長に話しておきたいことはそんなことではない。プラントの現状を、思い浮かべることにした。

「今のプラントが、そのような機体を量産するほどの余力を残しているとは考えられません」

 生産は可能である。量産も開発さえ完了すれば1月でそれなりの数をそろえることができるだろう。問題としたいのは、そのジェネレーター出力である。高出力化すればそれだけ高性能バッテリーを必要とする。そして、バッテリーを充電するには大電量の発電機が必須となる。ニュートロン・ジャマーの影響下ではプラントにおいても電力は決して潤沢ではない。そのことを説明する必要がある。

「仮に新型が主力を担うほど量産されたなら、電力消費量が増大します。現在のプラントに耐えられる負担ではありません」

 ザラ委員長はこちらを見ようともしなかった。投げ散らかされた資料の山から目当ての書類をあっさりと取り出した。一見無造作に見えてもすべて計算付く。なんとも委員長らしい。

「それについても試算を終えてある」

 背中に嫌な汗が流れた。今度は書類を手渡すこともなく、ザラ委員長は手元の文字を気だるげとも思える調子で読み上げた。

「現在開発されている新型が主力となった場合、電力消費量の増大とやらは、プラントに2時間の停電を強いるものとなるようだ。無論、連日でな」

 所詮、委員長の手の上で転がされている。委員長は果たしてすべての手札を切ったのだろうか。ギャンブルの趣味はないが、カードを握りしめた心理戦は通じるものがある。次にカードをきるべくはこちら。まるでカードを投げ渡すように、右手を振るう。

「地球の協力なしではこの国は成り立たない。啓発するにはよい機会になるかもしれません……」

 目を閉じて鼻息を大きく。その様子は無策な部下への落胆と捉えていたが、そんなはずはない。委員長にとってすべては予想の範疇なのである。失望ではなく、それは思いのままに動く操り人形へと向けられた賞賛に他ならないのではないか。

「民に負担を強いたくはない」

 使用電力に関する書類を机に投げ落とす。こんな何でもない動作にさえ、意図を感じずにはいられない。それとも、無意味な行動にさえ意味があるかのように思わせることが目的であろうか。こめかみがむずがゆい。汗をかいている。拭うこともできないでいると、擬似重力に引かれて汗が流れる。

「しかし、魔法でも使わなければ電力不足は解決されません」
「では、魔法を使いたまえ」

 委員長は両肘を机につき、指を組み合わせた。机に前のめりに、こちらの顔を覗き込んでくる。魔法を使え。それは戦争の負担を民に押し付けたくないからではなく、停電というわかりやすい現実を前に厭戦機運の高まりを警戒してのことだ。上層部はプラントが抱える問題をこうしてひた隠しにしてきたのである。
 厭戦気運が高まれば不利益を被るのは急進派と、その筆頭であるザラ委員長に他ならない。

「ザラ委員長のお考えはよくわかりました。しかし、賛同はできません」

 魔法は個人の私利私欲で利用されるにはあまりに大きすぎる力である。強く意見しようとすると、自然と体が緊張する。まるで評議会で発言するような心地で、頑強に拒絶する。
 突然、ザラ委員長が机を強く叩いた。道理と無茶を併用する委員長のパフォーマンスでしかない。

「この戦争は必ず勝たねばならん。我らコーディネーターは人類の未来を担う種なのだ。いつまでも持たざる者の嫉妬につき合ってはいられん!」

 上司を真似て、両手を机に強く押し付ける。

「あなたは勝つことを前提にしたお話しかされない。仮に駐留軍が撤退するようなことになればプラントは明日の生活さえままならなくなります!」

 自分では自分をおとなしい性格をしていると考えていた。周りもそう考えていてくれたとしたら、これはちょっとした奇襲になるのではないかとほのかに期待していた。相手がザラ委員長である以上、それは甘い考え以上の何者でもない。

「すでに資源は確保している。ザフトは10年は戦える。そこに貴様の魔法が加わればな」

 机から手を離し、元いた立ち位置に下がる。しかし、そこで踏みとどまることができた。戦場に送り出した息子が支えてくれたような気がするのである。ニコルは本来、戦いなどできる子ではない。優しい子なのだ。それでも父のため、仲間のために戦うことを決めた息子の強さが、ユーリを奮い立たせた。

「魔法と科学の違いをご存じですか?」

 険しい顔は、いまだにこちらに向けられている。正面から受け止める。

「魔法がどのようなものであるのか詳しくは存じません。しかし、科学とは再現性です。条件さえそろえば、いつ、誰にでも再現可能です」

 その力はプラントのみならず、やがてナチュラルが、ブルー・コスモスが手に入れることになる。必ずだ。その結末はあまりに恐ろしい。

「それをあなたはご承知か!?」

 そうあらん限りの声を出した。
 ユーリが訪れた時と同様に、ザラ委員長は息を吹いた。この男はそんなに周りに影響されることがないのだろうか。冷淡という言葉より、冷酷と決め付けてしまいたくなる。

「この戦争、我らがやめても終わらんぞ」

 だが同時に、急進派が戦争をやめようとすることもないだろう。大西洋連邦との和平交渉がことごとく失敗した遠因の1つは、急進派が条件に最後まで折り合わなかったということもあるのだ。
 戦うこと自体が目的であってはならない。なるほど。急進派は和平というものが苦手であるらしい。その証拠に、ユーリは委員長と手を組むつもりにはなっていない。

「失礼します」

 相手の反応も待たずに振り向き、来た道をそのまま引き返した。さて、この行動も、委員長にとっては試算済みのことなのであろうか。




 ずいぶんとくたびれた姿になったものだ。顎鬚をさすりながら、モーガン・シュバリエは傷ついた愛機の姿を見上げていた。TMF/S-3ジンオーカー。こいつを鹵獲して1年になる。どれほどの戦いを潜り抜け、そして死にかけてきたことか、もう忘れてしまった。装甲に刻まれた細かい傷のみが戦いの歴史を物語る。
 特に左腕が肘から先が丸ごと欠損している訳は記憶に新しい。ザフト軍大型陸上艦レセップス級にハウンズ・オブ・ティンダロスを仕掛けた際にもぎ取られたものだ。ハウンズ・オブ・ティンダロスは部下から無謀だと幾度もたしなめられた。そんな無茶に付き合ってくれるのは、いつもこいつだけである。もっとも、無理やりつき合わせていると言えなくもないが。せめて労ってやりたいものだ。しかし、それはモーガンの仕事ではない。
 ジンオーカーの足元から男が1人やってくる。
 右手のペンで頭をかきながら、難しい顔をしている。この際外見だけで判断してしまうことにする。男は伸びっぱなしの無精髭がいかにも職人と言った要望で好感が持てる。名前はコジロー・マードックとか言ったか。アーク・エンジェルの整備士である。

「どうだ? 直せそうか?」

 わかりやすく、コジローは両手を外側へ向けて開いた。お手上げということだろう。

「できなくはないんですがね、如何せんパーツ不足で」

 元々この基地の整備士ではないコジローよりもこちらの方が在庫状況には詳しい。ジンオーカーは元々敵軍が運用していたものである。そのことの弊害の1つは、予備パーツが決定的に足りないということだ。量産体制が整っているはずもなく、これまでだましだまし使ってきたというのが実情なのだ。
 コジローにジンオーカーの整備を依頼したのは、あわよくばアーク・エンジェルのパーツを回してもらおうという下心故である。

「ガンダムのはだめなのか?」

 情けなく口をあけるコジロー。その顔は、何か憔悴しきったように見える。

「それが……、ガンダムに使われているフレームはちょいと変わってましてね……」

 何でも、モビル・スーツと一言で言っても、ジンをはじめとするザフト機とガンダムではまるで構造が違うとのことだ。ザフト機は研究者の間では外骨格系と呼ばれる構造を採用しているのだそうだ。これは昆虫などと同じように、骨を持たず、体表の硬い殻が骨格としても機能していることから名づけられたのだそうだ。関節部にモーターを設置し、装甲同士を繋ぎ合わせることで機体を支えている。この外骨格系は言わば装甲という枠の中に内部機器を詰め込む構造であるため生産が用意で、様々な詰め込み方があるため拡張性に優れるという利点があるらしい。
 問題点は、装甲が骨格を兼ねているため損傷がそのまま機能低下に繋がってしまうこと。鎧が砕かれたら骨も折れるというなんとも笑えない話だ。
 これに対し、ガンダムはより人体に近い構造をしている。骨にあたるフレームは人体ほどしなやかな動きが可能な構造が採用され、各所に筋肉にあたるアクチュエーターが内蔵されている。まさに骨格と言える構造である。この新機軸の構造にはすでに名前があることを、コジローは付け加えてくれた。

「ザフィランサス主任はムーバブル・フレームと呼んでました」

 ムーバブル・フレームの利点は、なんと言ってもその動きが自由度の高さであるのだそうだ。無論装甲をかぶせるので人とまったく同じ動きができるというわけではないが、人の動きの再現性がより高い。さらに装甲とフレームが別になったことで装甲の損傷が機能に影響することもない。装甲に一定の厚みを確保する必要もない。このことのメリットを具体的に上げるなら、可変機構をモビル・スーツに付与することもできることである。
 その反面、構造は複雑であり、製造はもちろんのこと、整備には多大な負担を強いることになる。コジローが疲れきった顔をした理由がようやくわかった。
 少し視線を右に向けるだけで、ジンオーカーから離れた位置に置かれているGAT-X102デュエルガンダムの姿が見える。

「同じように見えて、中身はまるで違うんだな」

 パーツを分けてもらうことはできそうにない。落胆の表情を見せたつもりはなかったが、コジローはすまなそうに頭を下げた。

「まあ、この基地の備品でなんとか修理できますから、やらせてもらいます」

 頼む。そんな一言で、すべてを任せ、離れていくコジローが格納庫の壁に開けられた通路に消えるまで見送った。
 もう1度、ジンオーカーへ目を戻す。本当に、くたびれた機体だ。機体を支えるハンガーも塗装がはげかけている。この基地も、そしてモーガン自身もそろそろ限界が近いらしい。本隊と離れ、まるでゲリラのような戦いを続けてきた。砂漠の虎にとっては庭を徘徊する野良犬程度のことであったことだろう。しかし、野良犬には野良犬の意地がある。

「お前には付き合ってもらうことになりそうだ」

 青く染められたジンオーカーは何も言ってはこない。もし言葉を扱うことができるなら、どんな恨み言を聞かされるのだろう。それとも、敵に利用されることしかできないでいる自分のふがいなさを嘆くのだろうか。
 らしくもない。ずいぶんと感傷的になっている。こんな馬鹿げた考えを振り払うように、振り向き歩き出す。ジンオーカーから視線をそらしてもなお、胸をいたずらに苛む不安とも悪寒ともとれる焦燥感は消えてくれない。
 思い違いをしていたようだ。浸っていたのは感傷ではない。記憶である。以前にもこのような不快感に襲われることがあった。その時は、とてつもない嵐--ザフトの赤道降下による奇襲--に見舞われた。
 あの時と同じなのだ。つい立ち止まり、愛機へと振り返る。ジンオーカーは無言のままである。最期を共にするというのになんともつれないものだ。



[32266] 第16話「震える山」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/23 23:38
 とても静かなものだった。戦闘がなければ、人がいなければ戦艦のブリッジも静寂の虜になる。思えば、こうしてここを眺めるのはこれが初めてかもしれない。フレイ・アルスターは天井付近に取り付けられたモニターを見上げた。何も映されていない。以前はここに、焼けてただれるヘリオポリスの姿があったのに。それも昔の話。泣いてるでしかなかったフレイはもういない。代わりに、軍服を身にまとうフレイが残された。
 ブリッジから見える風防はほとんどの照明が落とされた格納庫へと通じていて暗い。ブリッジ内の明るさと相まって、まるで鏡のようにフレイの表情のない顔を映している。風防では右手、現実では左手で頬をついてみる。決して固くない手触りがある。何も石像のように固まってしまったわけではない。最後に笑ったのはいつだっただろう。下らないと風防から目をそらす。過去をどれだけ省みたところで変えられるわけでもない。
 目的はブリッジ前方の中央にある。宇宙さえ航行できる戦艦にはそぐわない古めかしい舵である。木製でどんなときも手に優しい。舵は直径が人の胴体と同じくらいあった。手に取り、教わったとおりに回してみる。難なく、舵は思い通りの動きを見せた。だんだん操舵も堂に入ってきた。元の位置に舵を戻すことも滞りなくできる。余裕がでてきた。これも、そのことを現れだろうか。舵が取り付けられた台座の横に紙が張られていることに気づくことができた。

「フォネティック・コード……」

 アルファベットの聞き間違えを防止するための言い換えらしい。これもこれから戦艦を動かす上で覚えた方がいいのだろうか。舵から離れ、台座の横、紙の前でかがむ。Aから順に指でなぞっていく。アルファだとかブラボーだとか、聞いたようであまり耳にすることのない単語が並んでいく。Hを抜けたところで、急に指を止めてしまった。Iはインディア。アイリス・インディアの姓と同じである。さらに読み進めていくと、最後のZがゼフィランサス・ズールの姓と同じズールと書かれていた。
 指を引き戻して、その手を唇に軽く当てた。

「あの2人って一体……」

 単なる姉妹にしてはあまりに似すぎていると考えてはいた。姓が異なることが疑問でもあった。いつか聞いてみようか。そう考えて首を振った。昔ならいざ知らず、今は会う気にもなれない。訓練が忙しい。こんな理由をつけてさけてきた。幸いなことに嘘ではない。ブリッジには遊びで来たわけではないのだ。
 ヘリオポリスから持ち出せた数少ないものの1つ、腕時計を見るとそろそろ時間であった。生真面目な曹長は時間に厳しい。間もなく来ることだろう。ただ、今回は時間になっても現れる気配がなかった。時計の長針が2周ほどした頃、ブリッジ奥の扉が開いた。確認するまでもなかったが、一応視線を向けてみると、予想通りにアーノルド・ノイマン曹長が乱れた息を整えながら立っていた。切りそろえられていた髪が汗に濡れている。

「すいません、お待たせしました」

 階級は下。年齢も10下の小娘相手にもアーノルド曹長は丁寧な対応を崩そうとしない。雑に扱ってほしいわけではないが、どこか壁を作られているようで堅苦しい。馴れ馴れしいよりはましと自分に言い聞かせる。

「また、訓練ですか?」

 こう聞いている間に扉からアーノルド曹長がこちらへと歩いてくる。あらかじめ舵の前に立っておくことにする。アーノルド曹長はまるで報告でもしているみたいな口調で答えた。

「はい。ようやく、感覚が馴染んできました。次の戦闘では何かしらの戦果をお目にかけることができるでしょう」

 そうは言われてもまだ戦艦の感覚さえ掴みきれてはいないフレイにとって戦闘機との違いなんて大きさくらいしか思いつきようがなかった。
 話には応じて上げられなかった。そのことを気にした様子もなく、アーノルド曹長はフレイの横にたった。舵を持つ手を眺めるようにこちらを見ていた。その視線に合わせる形で横を向く。今日は実際の器具を扱った実際航行する前の最終訓練を受けるはずである。アーノルド曹長は舵の備品を一通り簡単に説明すると、こう切り出した。

「これは戦艦に限りませんが、機械をうまく操るコツは、何ができるかを知ることより、何ができないかを知ることです」

 極論だと前置きして、できないこと以外はすべてできてしまうという理屈が成り立つと教えられた。たとえば、どの程度まで艦体を傾けることが許されるのか。設計上、アーク・エンジェルは翼の揚力に飛行能力の一部を依存しているため、長時間艦体を傾けると墜落する恐れがある。このことは反対に、艦体を180度回転させての飛行は可能であることを意味する。

「飛行機はバレル・ロールと言って……」

 そう言いながら、アーノルド曹長は舵を回してみせようと、フレイの後ろに回った。まだフレイが舵を掴んだままであることもかまわず、後ろから抱きつく形で舵を掴もうとしてアーノルド曹長の手がフレイの手と重なった。その途端、手が勢いよく離れた。フレイは舵を掴んだまま、慌てたように手を離したのはアーノルド曹長の方である。飛び退いた曹長をつい呆れたような眼差しで振り返って見てしまった。
 2等兵を相手に、曹長殿は明らかに恐縮した様子である。

「す、すいません!」

 ついため息をついてしまった。女性の肌に許可なく触れない態度は評価できたとしても、度が過ぎるとなんとも面倒くさい。

「別に年上だから横柄な態度が許されるなんて考えてませんけど、もう少し砕けてくれてもいいですよ」

 しばらく待つ必要があった。アーノルド曹長は姿勢を戻すと、咳払いを1つ。それから大きく息を吸い込んだ。これでようやく覚悟が決まったのだろう。ゆっくりとフレイの後ろから舵を持った。本当に紳士的で、踊りの相手でも申し込まれたかと思った。舵が回りだす。手に馴染ませるように動きを感覚として覚えようとする。頭上から髪をくすぐるように声が降りてくる。

「この動きはバレル・ロールと言います。その名の通り、タルに沿ったように回ることで、機体の上下を逆さまにする動きのことです」

 確かに、重ねられた手から伝わる動きはこれまでにしたことのない大胆で大きなものだった。これなら艦体を逆さまにしてしまうこともできるだろう。この技の利点は、武装が上部に集中した機体が、その攻撃力を任意の方向へ集中できることにある。実際この技術をアーノルド曹長は目の当たりにしたのだそうだ。

「フラガ大尉はこの動きで直下の敵を狙う荒技をしてのけました」

 初陣で見せられたフラガ大尉の技術はすばらしいものだった。そんなことを、アーノルドはまるではしゃぐ子どものように語っていた。

「ただ注意すべきは、180度逆さまにはしないことです」

 その理由を、アーノルドは冗談めかして答えた。アーク・エンジェルを逆さまにすると、構造上地上が見えなくなってしまう。確かに計器は作動しているだろう。しかし、どれだけ優れた機械であっても扱うのは人間であり、最後に頼るべきも人の経験と感覚である。
 一言で言うなら、地上にぶつからないように絶えず目を向けていること。なぜなら、飛行機とは地上に落ちることさえなければ、決して撃墜されることがないから。
 落ちたくて落ちる人なんていないし、選ぶことなんてできない。一体どんな顔でこんな冗談を言ったのか、気になって振り向こうとした。
 そんな時、聞きなれない音が、鋭く耳の奥にまで達した。




 警報が鳴り響く。ここキンバライド基地において警報が怒鳴りたてることははじめてのことである。所在地を秘匿するために音や光が外に漏れることを制限していた。破られた沈黙は危機を象徴していた。
 モーガン・シュバリエは愛機であるTMF/S-3ジンオーカーのコクピット・ハッチに脚をかけて身を乗り出していた。格納庫のあわただしさに足音をつけくわえてアフメドの搭乗するジンオーカーが前を通り過ぎた。足元ではリニアガンタンクが3台その後に続いている。鹵獲機を使用し始めるまではこの基地の主力はリニアガンタンクであった。耐久性向上のために無限軌道を4つに分け、機体の下ではなく横に配置されているため通常の戦車に比べて平たい印象を受ける。
 1機と3台。砂漠の虎の猛攻をしのぐには心もとない数だ。3台目の戦車が通り過ぎたところで、その後ろを歩いていたジンオーカーが目の前でとまった。装甲の磨耗具合--どの機体も綺麗な装甲などしていない--からジェシカの機体だとわかる。ジェシカ機はモノアイだけを横にスライドさせてこちらを見た。
 格納庫内は出撃を急ぐ駆動音でごった返している。とても声が通る環境にないが、モビル・スーツなら人の声を判別して拾うだろう。意識して大きく声を出す。

「レセップス級は何隻だ!?」

 すぐに声が返ってくる。モビル・スーツに常備されている拡声器からジェシカの声が届く。

「8隻! すでにモビル・スーツが多数展開しています!」

 こんな騒音に塗れた場所でなければ頭を抑えたくなるほどの大音量であったのだろう。雑音に慣らされた耳にもその声ははっきりと届いた。慣れというものは何に対して例外なく発揮されるものらしい。おそらく2個大隊に匹敵する戦力が迫りつつあるにも関わらず、不思議と恐怖という上品な感情はわいてこない。恐れを抱くにはあまりに長く戦場にいすぎた。
 ちょうど、あのアスラン・ザラほどの歳から銃を手にしてきた。ではあの少年兵は一体いつまで銃を持てば解放されるのだろうか。




 ザフト軍大型地上戦艦レセップス級。砂の海原を全速で疾走する戦艦の群れ。砂を荒々しく巻き上げ、8隻もの巨艦が作り出す轍は幾重にも折り合わされた砂の嵐である。彼らの前に道はなくその後ろには吹き荒れる砂嵐を引き連れる。その眼前には岩山が聳えていた。そして月光は等しく、すべてを包み込んでいる。
 青い月の光はレセップス級ペテロのブリッジにまで差し込み、最低限の照明に限定された空間に彩りを添えていた。
 レセップス級のブリッジは1段高い艦長席と、周りにクルーの座席が並ぶ開けた広間からなっている。月明かりは広間に入り込むと、広間の中央に椅子をおいて座る男の頬を撫でた。そして、男の後ろには褐色の肌をした少女が微笑んでいる。
 アンドリュー・バルトフェルド。指揮官のものとは思えないほど質素な椅子に、そのたくましい肉体をノーマル・スーツで隠して座っている。脚は伸ばし、背もたれに完全によりかかる。その肩に手を添えて、カルミア・キロは三つ編みに束ねられた赤い髪を軽く振るう。

「月下の狂犬相手に夜襲をかけるの?」

 疑念ではなく疑問。単に砂漠の虎の反応を楽しんでいる。カルミアもまた普段とは違い、ノーマル・スーツに体のラインを浮かび上がらせていた。そして、砂漠の虎もこれから戦場に出向くとは思えないほど砕けている。

「同じことをモーガン・シュバリエも考えているさ」

 アンドリューは右手を静かに胸の高さにまで掲げる。それは約束事である。限られた人の間で交わされ、それ以外の誰にも意味を明かすことはない。それが何を意味するのかを知る者は、真意を明かす必要性を覚えない。

「主役は遅れて登場するものよ、アンディ」

 カルミアはアンドリューの肩に両手をおいて、しなだれかかるように体重をかけた。アンドリューはその体を受け止めると、右手を前へと突き出す。

「そうかい? 僕は主賓が登場しなければパーティは始まらないと思うんだけどね」

 この言葉と動作、言動が意味することはやがて衆目にさらされる。




 振動する暗い格納庫。最低限の赤色照明に照らされ、4機のジンオーカーが2列に並んでいた。アスラン・ザラの搭乗するGAT-X103バスターガンダムはその後ろにGAT-X207ブリッツガンダムと並んでいた。ここはレセップス級ユダの格納庫である。ユダは砂漠の虎率いる本隊とは離れ、大きく迂回しながら敵基地を目指している。同じレセップス級のシモンとヤコブが併走しているはずである。
 バスターは右腰にビーム・ライフルを左腰にレール・ガンを装備している。しかし、無理な使用がたたってレールガンは使用不可になるほど破損してしまった。レールガンそのものはザフトでも珍しい技術ではない。だが、構築材であるフェイズシフト・アーマーをバナディーヤでは造ることができなかった。本国でライフルを拵えて空輸してもらえるほどの余裕があるはずもない。結論としてレールガンは取り外してしまった。代わりに、本来はジン用の携帯火器である特火重粒子砲がバスターの左腕には握られている。
 一見すると大型のバズーカ砲のような装備である。重比重の粒子に高熱を加え発射する兵器で、熱量と質量によるダメージを与えることができる。高熱の粒子を射出する点においてビームとよく似ているが、所詮現行の技術を用いただけの特火重粒子砲のエネルギー効率は比べるべくもない。カートリッジ式でバスター本体に手を加える必要がなく、レールガンと重さが近いことから機体のバランスを確保できるとこの武器を選んだ。
 レセップス級が砂を液状化させるために用いるスケイル・モーターの規則正しい振動だけがコクピットに響く。まだ戦場は遠い。
 シート脇のボタンを操作して、事前に設定していたチャンネルに合わせる。通信はすぐ前のジンオーカーに乗っているジャスミン・ジュリエッタに宛てたものだ。

「ジャスミン、カルミアには会ったかい?」

 急な話の振り方に、多少驚いたような声がしてから急に静かになる。それからしばらくしてようやく返事があった。

「カルミアも忙しいみたいで、結局会えずじまいです」

 ジャスミンの声は予備知識があるせいかとても残念そうに聞こえた。
 ジャスミン・ジュリエッタ、J・J。カルミア・キロ、K・K。J、K、Lを製造した第4研の第1世代と第2世代である。同じ研究所出身の姉妹は面識があり、その絆は深いことが多い。この2人の場合も例外ではないはずだ。それなのに、2人は離れ離れをよぎなくされてきた。

「カルミアもきっと、君がここにいることさえ知らないんだろうな」

 それは、ジャスミンが施設に収監されていたからに他ならない。ここまで言ってしまえば、ジャスミンが気にかけていることを思い出させてしまう。息を飲んで、そのことにようやく思い至った。ただし対応は息を飲んだ時間だけ遅れてしまった。耳慣れない機械音。それがジャスミンがバイザーを外した音だとは、なんとなく察した。

「私は、失敗作ですから……」

 視力を持たずに生まれたこと。それは、ヴァーリのお父様の眼鏡に適うものではなかった。ジャスミンは生まれながらにして捨てられた存在なのだ。目を力強く閉じる。こうしてジャスミンの境遇を真似ると彼女ばかりではない、うち捨てられたヴァーリのことが思い出される。

「すまない、そんなことを思い出させるつもりはなかったんだ」

 目を開くと過去と何ら代わらない現実があった。ゼフィランサスが兵器を造り続けるように、カルミアがザフトに加わっているように。そのことに歯がゆさを覚えながら何もできないことも、キラが怒りを隠さないことも何から何まで似通っている。
 ジャスミンは優しく嘘をついてくれた。

「気にしてません……。目なんてみえなくてもゼフィランサスくらい成果を示せていたならきっとお父様も……」

 私を捨てることなんてなかった。モビル・スーツでは拾いきれないほど小さく消えてしまった声が続けたかった言葉は、おそらくはこんなことだろう。

「きっかけを作ってしまったことはもうすまないと思う。でも、もうこの話はやめよう」

 返事はなかった。代わりに、割り込むようにして少年の声が聞こえた。

「すいません、盗み聞きするつもりはありませんでした」

 ニコル・アマルフィである。このチャンネルはこの小隊内での会話のために設定したものであるため、ニコルが入ろうとすればいつでも入ることができる。それにしても、言わなければ聞いていたなんてわからないのに、わざわざ盗み聞きを告白するところはなんともニコルらしい実直さである。嘘偽りのない素直さに話していて安心感を得られたことが幾度と無くあった。
 それはジャスミンも同じであるようだ。返事をする声は、心なしか普段の調子を取り戻しつつあるように聞こえる。

「ニコルさんは、ヴァーリのことをご存じなんですか?」

 さすがのニコルも、若干の躊躇を見せて返事までに間が空いた。

「アスランからジャスミンさんがヴァーリの1人であることや、ゼフィランサスさんのことも聞きました」

 先ほどの機械音が聞こえた。今度はバイザーを付け直したのだろう。今回は音声を繋いでいるだけで姿は見えていない。それでも顔を隠そうとするところに、ジャスミンの恥じらいを感じざるをえなかった。自分ごときが至高の娘と同じ顔をしていることが知られては恥ずかしい。ジャスミンがそんな考えをしていることをアスランは知っている。

「私のバイザーは顔を隠す意味合いもありますから……」

 それとも、仲間にさえ素性を明かしていなかったことを恥じているのだろうか。色々なことを考えると、どう行動していいのかわからない。こんな時、ニコルの素直さがとても羨ましく思える。
 ニコルは邪気のない声でジャスミンに尋ねた。

「今度、顔を見せてもらえませんか?」

 男性が女性にこんなことを求める時、理由は状況によって様々だろう。ただ、アスランは俗物的に、異性への好意を連想した。ジャスミンも同じらしく、押し黙ってしまった。最後に、ニコルがようやくその推論にいたった。

「べ、別に深い意味はないんです! ただ、肩を並べて戦った人の顔も知らないなんて、悲しいですから……」

 つい、小さく笑いをもらしてしまった。恐らく通信を通ることのできるくらいの声量だったろう。何故なら、ジャスミンの吐息をかすかにもらす笑い声が聞こえているからだ。

「カルミアと同じですよ。私、カルミアのお姉さんですから」

 ジャスミンの声はずいぶんと明るいものになっていた。ヴァーリの少女が見せたせっかくの微笑みを打ち消すように、戦艦が一際大きく揺れた。砂丘に乗り上げるほど間抜けな軍人はザフトにはいない。空気というものは目に見えるのではなだろうか。特に戦場にいるとそう考えさせられる。暗い格納庫の中、明らかに空気の色が変わった。

「ニコル、この戦い、おそらく俺たちの活躍が鍵を握る!」

 ガンダムの、ビームの攻撃力は攻城戦において絶大な威力を発揮する。宇宙要塞アルテミスを陥落させたように、2機のガンダムがそろえば十分な被害を与えられるからである。ところが、隣にたたずむブリッツガンダムのパイロットは、思いのほか反応が鈍い。

「ニコル?」

 ためしに呼びかけてみる。すると、少々の間が空いて、驚いたように跳ねた声が聞こえた。

「はい!?」

 先ほどの言葉をもう一度かけなおそうとすると、ニコルはそれを遮るように言葉を繋げた。

「いえ、わかっています。ディアッカの分も頑張ります、このブリッツで!」

 どうも様子がおかしい。ニコルはまだ若いが、戦場に出ることに不必要なまでの緊張感を見せたことはこれまでなかった。しかし、問い直そうにも事態はそんなに悠長に構えていてはくれなかった。
 単発で瞬間的な振動がユダを襲う。間近に敵の攻撃が着弾したようだ。ユダに格納されている6機のモビル・スーツすべてに聞こえるオープン・チャンネルで、ラウ・ル・クルーゼ隊長がブリッジと通信を繋いだ。

「何事かね?」

 食器を割ってしまった。では割れたのはどの食器か。その程度のことを確かめるように、クルーゼ隊長は落ち着き払っている。ブリッジ・クルーは若い男性である。その声の調子以上に、慌てたような声が若さとともに未熟さを感じさせる。

「イレギュラーです! 予測有効射程外からの砲撃を受けています!」

 ご丁寧に、敵はまるでこの言葉を証明するかのように友軍艦シモンを撃沈した。通信に紛れ込んだブリッジの様子からそのことはわかった。
 動いたのはクルーゼ隊長の搭乗するジンオーカーである。バスターのちょうど正面にいたジンオーカーが体を90°回転させ、ユダの側壁へと1歩近づいた。狭い格納庫ではそれだけで壁の間際に立つ事になる。そして、レセップス級の側壁には左右合計で6つのモビル・スーツ・ハッチが存在している。

「各機、出撃に備えろ」

 クルーゼ隊長の命令に、残りの5機が最寄のハッチの前に立ち並ぶ。バスターの横にはクルーゼ隊長の機体が、背中合わせの反対側にはニコルのブリッツがいる。だが、ハッチはすぐに開くことはなかった。

「ハッチを開きたまえ」

 隊長は始終同じ調子である。ブリッジ・クルーは次第に落ち着きをなくしているというのに。

「しかし、まだ出撃予定距離にまで達していません!」

 残念なことにこの言葉自体がクルーの未熟を証明していた。戦場では予定通りになることの方が稀有な話だ。無能というよりも、戦場に慣れていない様子である。そういう意味において、このクルーゼ隊は多様な戦闘を経験していることになる。クルーゼ隊長がクルーを言いくるめることなどたやすいことだった。論詰めで諭す必要もなく、ただ一言でクルーはハッチ開閉作業に入った。

「揚陸艇と運命をともにするつもりはない。君らも早々に戦線を離脱することだ」

 ハッチが開かれる。ハッチはそのままリフトとしても使用するため、足元を軸に徐々に上から倒れるように開いていく。真っ先に飛び込んできたのは青い月光。ユダの下では砂が高速で流れていた。そして、立ち上る砂の柱がユダを取り囲んでいた。ビームの輝きが一際大きな砂柱を発生させた。
 GAT-X105ストライクだ。ユニウス・セブンにおいて同様の高火力兵器を用いていた。
 横倒しとなり足場と化したハッチへと各機が急いで移る。バスターも完全に格納庫から外にでる。すると、度重なる爆発で吹き上げられていた砂が雨となってバスターを叩いた。着弾点が徐々に近くなっている。次はこのユダが狙われる。咄嗟の判断でバスターを飛び出させる。横のクルーゼ隊長もほぼ同じタイミングでジンオーカーをユダから離脱させた。その直後、ユダがビームの直撃を浴びる様子が後部メイン・カメラからの映像で確認できた。艦体にビームを直撃され、爆発によって生じた砂の隆起につんのめる形でブリッジを含む後方部分が宙で1回転して叩きつけられた。走行していた勢いのまま、残骸が砂の上を滑っていく。ビームの火力を侮っていたとは言え戦艦がわずかな時間に2隻も撃沈された。

(やはりガンダムは異常だな)

 ユダに加速させてもらっていた慣性はまだ十分に残されている。すでに進行方向へと向けて加速していることを利用して、バスターをすぐさま敵基地の方角へと加速させる。。スラスターで機体を浮かせるとともに推進させ、砂につま先がかすめるほどの超低空を滑空する。
 すぐ横にはクルーゼ隊長がど同様の姿勢で滑空していた。離れた場所ではジャスミンとニコルが並んで滑空していた。幸い、2人とも無事である。恐らくユダに生存者はいないだろう。加えて、この作戦を共にするはずだった2機のジンオーカーの姿はなかった。ビームの直撃をかわせず、ユダとともに撃墜されてしまったらしい。友軍とは言え、ほとんど面識のない人たちである。ただ、それが死別に無関心でいられるということを意味してはいないらしい。決して気分のよいものではなかった。
 仲間を奪った敵はごく見慣れた姿をしていた。夜の砂漠にさえ映える白い手足をして、暗緑色の大型ビーム・ライフルを左腰に構えている。ユニウス・セブンで1度見せた砲撃特化の装備をしたGAT-X105ストライクガンダムである。砂漠に大型のコンテナを打ち捨て、それを足場に再びライフルを構えた。
 モビル・スーツのほどの長さがあるライフルが膨大な熱量を撒き散らすビームを撃ちだす。焼かれた冷気が身をよじって悲鳴を上げた。急激な温度差に砂が焼け焦げるかすかな音がして、風景が歪んで見えた。だが大気も負けてはいない。ビームを減衰させ、弱ったビームから粒子として拡散させ始める。光る粉がほつれるようにビームの軌跡を描いた。最も遠い位置にいたレッセプス級ヤコブにまで光は続いた。威力も減衰していた。直撃を避けるための時間があった。ヤコブは右足に当たる部分をもぎ取られただけでかろうじて持ちこたえた。だがすでに戦闘として数えることはできない。このフィールドの戦艦は3席とも封じられた。モビル・スーツは脱出できた戦力で1個中隊程度。
 これ以上攻撃させてはならない。
 バスターを急がせようとすると、隊長とジャスミンのジンオーカーが目に見えて遅れだした。ジンオーカーでは推進力も滞空時間もガンダムにはるかに劣る。どうしても置き去り形にならざるを得ない。

「アスラン、ニコルは各個判断で敵基地に向かえ。ジャスミンは……」

 命令は途中で途切れた。バスターのカメラはその原因を捉え、コクピットの片隅にあるモニターに投影していた。重戦闘機が2機、ジンオーカーめがけて機銃を照射していた。隊長とジャスミンは完全に足止めされている様子である。静止したヤコブから這い出して来た仲間のジンオーカーも含めて重戦闘機はガンダム以外の機体を抑えようとしているらしい。機銃が砂の上を一直線に走り、逃げるジンオーカーの動きが制限される。

(ガンダムはガンダムで抑えるつもりなのか?)

 少なくともバスターとブリッツの動きを牽制してくる気配はない。アスランはバスターを加速させたまま、ストライクの放ってきたビームを大きく機体を横に滑らせることでかわした。砂がモビル・スーツの高さを超えるほどに舞い上がる。遠距離攻撃ならバスターとてお手のものだ。右腰のライフルを構える。左腕に装備された重粒子砲にレールガンとは異なる重さの違和感を覚えながらも、ガンダムはすぐに姿勢を安定させた。引き金を引くとビームが一直線にストライクへと伸びていく。
 ストライクはたやすくかわす。バック・パック--ビーム砲が装備されたものだ--を外すと、残されたバック・パックと足場に使用されていたコンテナがまとめてバスターの攻撃によって吹き飛んだ。相手は武器を失った、そう考えるのは楽観的というものだ。キラ・ヤマトは武器を捨てたに過ぎない。おそらくはエネルギー切れ、あるいはすでに不要なのか。どちらにしろ、相手にとって不測の事態ということはないだろう。
 やはりガンダムの存在そのものがこの戦いの勝敗を分けることになるようだ。

「ニコル! いくぞ!」

 声をかけてからフット・ペダルを踏み込む。スラスター出力が増大し、バスターの速度が増す。敵が新たな動きを見せる前に距離を詰めておく。だが、ブリッツはすぐには追いついてこなかった。明らかに遅い反応で、返事にも不自然なほど間があった。

「は、はい!」

 間を感じたことは何度目のことだろうか。ニコルの様子のおかしさを感じずにはいられない。反応が鈍いのだとも一概には言い切れない。その証拠に、バスターに追いつこうと加速するブリッツは性急に思えた。

「相手は武器を失っています! 一気に討ち取りましょう!」

 ニコルはストライクへと目掛けてビームを乱射した。だが、あせり過ぎた攻撃は一撃たりともストライクを捉えることはなく、外れたビームは砂地を、ストライクすぐ後ろの岩山に命中し火花を咲かせた。

「ニコル、前にですぎだ! 速度を落とせ!」
「え……?」

 バスターは両足を前に突き出し、足の裏からバック・ブーストをかけることですでに減速を始めている。だがブリッツは明らかに減速のタイミングが遅れていた。このままではストライクに不用意に接近しすぎる。
 ストライクはしゃがみこむような姿勢をとると砂中から何かを引き上げる。長い金属製のそれは、ローラシア級ガモフを撃沈した巨大なビーム・サーベルそのものであった。刃を持たない剣が光そのものを剣として、ブリッツを迎え撃つように振るわれる。ストライクは一息に飛び出すと、頭上に掲げた剣を力強く振り下ろした。

「ニコル!」

 通信機から聞こえたのは短い悲鳴。ニコルもまたブリッツのビーム・サーベルを展開し、危ういタイミングでストライクの大剣を受け止める。しかしまだとまりきっていない加速とストライクから叩きつけられた力でブリッツは砂地に叩きつけられるように体勢を崩す。何とか転倒こそ免れたものの妙な軌道で砂の上を滑り、ようやくとまった時には片膝をついてすぐには立ち上がれそうにない。体で滑るか足で滑るかの違いしかない。結局砂の上を転がされたことには変わりない。
 ストライクは、キラはすぐにでも追撃を加えようとする。

(やはり単なるコーディネーターでしかないニコルには荷が重いか……?)
「キラ、お前の相手は俺だ!」

 通信は繋いでいないが、バスターは急速に接近している。気づかないキラではないだろう。特火重粒子砲を突き出し引き金を引く。ビームのように派手な輝きを放つ粒子の塊が突き進み、ストライクはこともあろうにそれを構わずバスターへと迫った。かわす気がないのか。荷電粒子はストライクの肩の辺りをかすめ、フェイズシフト・アーマーの輝きが放たれる。一気にバスターとの距離をつめたストライクはすれ違いざまに特火重粒子砲の銃身を切断した。切断面が赤熱し、投げ捨てた途端に銃身そのものが爆発する。
 無理もない。ストライクに気づかせるために無理な攻撃を仕掛けた。残念ながらZGMF-1017ジンが携帯できる最強の銃はわずか1発でその役割を終えてしまった。そのかいあってブリッツからストライクを引き離すとともに、ニコルのそばに降りることができた。
 ストライクは大剣を構えたままこちらの様子をうかがっている。度重なるビームの攻撃に焼かれた砂から黒煙がいくつも立ち上っていた。

「何をそんなに焦ってるんだ、ニコル!?」

 ブリッツが立ち上がる。フレームに致命的な損傷はないようなことが幸いだ。

「アスラン……。僕はガンダムが怖い……。宇宙で見せたあのストライクの動きは何なんですか! あれは、僕たちを殺すためだけに戦っていた……!
「……わからない」

 キラという人間は敵に容赦はない。だが、冷徹と冷酷は意味が違う。必要だから敵を殺すことはあっても、敵を殺すことを目的とする戦い方はしないはずなのだ。だが、大気圏突入寸前の戦いで、キラが見せた戦いは殺戮、殲滅、敵の殺すことを目的としているものだった。
 ガンダムには秘密がある。ストライクはこちらの様子をうかがっているように動きを見せない。

「ガンダムには何か訴えてくるものがあるように思えるが、それが何なのかは俺にもわからない……」

 大気圏突入を果たしたアスランが無事に着陸できたのは、自動操縦の類であるとしてもガンダムを操る際、何かしらの違和感があると気づき始めたのは最近のことだ。ジンに乗っていた時に比べ視界が広くなったように感じられていた。

「だが今は戦闘中だ 目の前の敵に集中しろ!」

 飛び出すストライク。大剣をかざすその姿へと向けてバスター、ブリッツが同時にビームを放つ。その動きは何とも不気味なものだった。かわすとも直撃するとも言えない独特の距離でビームをかわし突進の勢いを止めようとしない。強引ともどこか危ういとも見える回避行動でストライクは一気に距離を詰めるとビームサーベルを振り下ろす。
 バスターとブリッツ、2機のガンダムが跳び退いたところ、ためらいなく振り下ろされたサーベルは砂を爆発させる。砂柱がストライクの姿を覆い隠すその瞬間には、キラは砂を突き破りアスランへと飛びかかった。
 獣じみた躍動につい反応が遅れてしまう。近接用の兵装を持たないバスターでは巨大なビームサーベルを防ぐことはできない。

「アスラン!」

 間に立ち入ろうとするニコルへと、ストライクは素早く目標を変更した 無理のない軌道で太刀筋を横薙ぎに変え、体をひねる勢いも加えてブリッツへとビームサーベルを振るう。その迫力たるやプレシャーを覚えるほどだ。
 通常のビームサーベルで受け止めるにはあまりの勢いに、ブリッツは盾としても使用できる複合兵装を構え受け止める。ビームの放つ強烈な輝きに加え、衝撃を受け止めきれなかったブリッツが後ずさる。砂にブリッツの足による轍が刻まれたほどだ。

「離れろ!」

 さて、これはどちらの対して発言したものなのだろう。アスランの放ったライフルはストライクの胴体が数秒前まであった場所を素通りする 素早くブリッツを離れたことでストライクは攻撃を回避したのだ。ビームは遠く離れた砂場を無為に吹き飛ばすだけに終わった。

「無事か、ニコル?」
「はい、なんとか」

 まさにその通りだろう。右腕の複合兵装の表面にはビームの痕が一筋に刻まれている。ガンダムにとってシールドなど保険程度のことなのだろう ビームの火力は高すぎる。後少し遅れていればブリッツは右腕を、最悪の場合胴裂きにされていた。
 ストライクは離れた位置でこちらの様子をうかがっているようだ

(何なんだ、おまえのその戦い方は?)

 執念じみているとも、どこか怨念じみているとも思える戦い方なのだ。




 キンバライド基地の格納庫は照明が明滅し、響く衝撃の度にむき出しの岩盤から埃が落ちた。
 そして、壁を突き破り漆黒のガンダムが床へと投げだされた。ブッリツが仰向けに倒れ込む。壁には大きな穴が開き、まだ無事であった部分に光が走ったかと思うと爆発が一斉に壁の一角を吹き飛ばす。その爆発の中から2機のガンダムが 格納庫へと乱入する。
 バスターは右に残されたビームライフルを発射するも、威力と引き替えに長大な銃身を持つライフルはとり回しが悪い。左右の振りがストライクの動きに追いつかず格納庫のガントリークレーンを壁ごと吹き飛ばすにとどまった。ストライクが強引に接近しようとすると後ろに下がるほかない。

「アスラン! この程度なのか? もっと攻撃してこい! できないと言うなら、この程度でしかないなら、僕はここで君を討つ!」

 キラが猛る。ブリッツが立ち上がるなり左腕から射出ユニットを発射すると、巨大な剣を力任せにぶつける。ビームの熱量を吸収したミノフスキー粒子が強い光を放ち、溶けて砕けたユニットを壁へと叩きつけることとなった。
 ブリッツもバスターとも戦闘を繰り返している。同じ手で何度もやられるつもりなんてなかった。
 アスランはともかくブリッツのパイロットはただのコーディネーターだろう。完全にガンダムの性能を持て余しているようにも見える。ブリッツは攻撃を仕掛けてくる気配を見せない。後ずさるばかりで、アスランのバスターと違いこちらの隙をうかがっているでもないのだ。キラはアスランとだけ気配を戦わせていた。
 数の上では1対2。だが戦力の比率はその限りではない。
 キラはアスランと睨みあい、ブリッツは視界の隅にとどめておくにしておいた。照明が半分死にかけている格納庫の暗さの中で、3機のガンダムがただずむ。

「ヤマト軍曹、聞こえるか?」
「シュバリエ中佐」

 突然の通信からはこの基地の指揮官の声が聞こえた。バスターと対峙する姿勢を解かないまま、キラは声だけで応じた。

「キンバライドは放棄する。お前はアーク・エンジェルで脱出しろ」
「しかし、それではガンダムは誰が……?」

 抑えるつもりですか。そう聞くよりも早く、月下の狂犬は動いた。

「俺がするさ」

 格納庫へとバズーカが突如撃ち込まれた。




 砂漠の虎は5隻もの戦艦に加え、20機を越すモビル・スーツを動員していた。このフィールドだけでモビル・スーツの数は5倍以上も差が開いている。
 レセップス級1隻につき6機のモビル・スーツが搭載されているとして、こちらにはジンオーカーが3機と、GAT-X102デュエルガンダムしかない。リニアガンタンクは5台。健闘こそしてくれているものの、戦力差は明らかであった。
 アイリス・インディアはGAT-X102デュエルガンダムの中で息を整えることにばかり必死になっていた。

「とにかく敵のジンオーカーを寄せ付けないことだけを考えて!」

 パイロットであるジェシカ--よくよく考えてみるとファミリーネームは聞いたことがない--の指示にアイリスは狙いをつけることよりもとにかく撃つことを優先した。
 砂漠に打ち捨てられたコンテナを隠れ蓑にライフルを放つ。ビームが前進を続ける褐色のジンオーカーの近くに着弾し、爆発する。これで敵の進行は目に見えて遅くなる。リニアガンダンクの砲撃は致命傷にはならなくともモビルスーツの分厚い装甲を十分に損傷させている。
 モビルスーツが開発され、文字通りの格闘戦が展開できるようになったとは言っても戦いの基本は射撃で相手の動きをいかに封じることができるかにかかっているようだ。
 爆発の火煙が夜陰を照らして、砂丘を塹壕代わりにした青いジンオーカー、リニアガンダンクが敵を寄せ付けまいと砲撃を繰り返す むかしの戦争もきっとこんな風な攻撃の応酬だったのだろう。
 敵の攻撃が近くに着弾して、あるいはデュエルが隠れるコンテナを直撃する度、アイリスは小さな悲鳴を必死に飲み込んだ。

「落ち着け! 敵の攻撃なんてそうそう当たるもんじゃない!」

 アフメドだ。この新兵とはよく訓練をともにした。若いのに真面目というか戦うことに熱心な人でノーマルスーツにヘルメット姿の印象しかない 。
 アフメドのジンオーカー--こちらは青く塗装しなおされている--は砂丘から身を乗り出すなり不用心に近寄っていた敵のジンオーカーにアサルトライフルの連射を浴びせた。逃げ遅れ、ライフルの連射を綺麗に浴びた敵機は仰向けに倒れ動かなくなる。
 爆発はしないようだ。そんなことまで観察していると、途端にアフメドが窮地に陥っていた。2機のジンオーカーから同時に攻撃されて砂丘に隠れても装甲に被弾を示す火花が散っている。砂丘も隠れみのに使えるだけで弾丸の貫通を防いでくれるわけではない。
 砂丘がつき崩され、リニアガンタンクが踏みつけられるとともに上からアサルトライフルの弾丸を浴びせられていた。
 はじめから戦力が違うのだ。このままではみんな死んでしまう。

「私が……、私が出ます!」

 ガンダムなら、フェイズシフトアーマーならジンオーカーの攻撃くらい何でもない、きっと。
 デュエルをコンテナの上に立たせた。こんな目立つ場所にいると、敵は即座にアサルトライフルで狙ってきた。

(大丈夫、フェイズシフトアーマーなら大丈夫だから!)

 アイリスは目を閉じたくなる衝動に耐えながらロックオン・カーソルを操作する 
 デュエルは敵の攻撃に完全に耐えていて。装甲が光輝いて被弾を示すものの損傷を告げるアラームは聞こえてこない。ゆっくりと狙うことができるなら、当てられる。
 ビーム・ライフルの引き金を引く。放たれたビームはジンオーカーの胸部に命中すると、何故か地面が爆発した。何でもない。ただ貫通したビームが先に地面で爆発しただけで、風穴のあいた敵機はゆっくりと倒れそうになって、その前に爆発した。
 撃墜できた。
 アイリスが自身の戦果の意味を捉えきれず呆然としている間、それは誰にとっても同じであったらしい。ほんの一瞬、砂漠の夜が静かになった。誰もが攻撃の手を止める。そのタイミングが偶然一致して静寂を作り出していたのだ。
 そして、再び戦いは動き出す。
 アイリスの拙い操縦は、反対に敵にデュエルガンダムの圧倒的な性能を見せつけることになったらしい。敵はデュエルを警戒して攻撃が散漫になって浮き足立っている様子だった。反対に味方は勢いづいてくれた。

「よし、敵を押し返す! 各員覚悟を決めろ、ここが正念場だ!」

 このフィールドの事実上の指揮官であるジェシカは乗機を砂丘から乗り出させてアサルト・ライフルの弾丸をばらまき始める。姿を不用心にさらしたジェシカ機に敵の攻撃が集まりそうになったところで、アイリスはビームを敵のいるあたりに命中させた。敵の隊列は明らかに乱れていた。デュエルがその存在を示すだけで敵は身動きを封じられてくれる。少しずつ、少しずつでもいいから押し返していける。
 ガンダムの力さえあれば。




 戦況は決して最悪の経過をたどっている訳ではないが、一時も気を抜くことができない状況が続いてる。
 マリュー・ラミアスは厳しい表情--この頃いつもそうだが--を浮かべたままアーク・エンジェルの艦長席についていた。Sフィールドではストライクが3隻のレセップス級を沈黙させるも2機のガンダムに基地施設内部への侵入を許した。Nフィールドはデュエルを中心として敵の本隊との戦闘は続いている。
 結論は決まっている。 辛うじて戦線を維持できたところで、アンドリュー・バルトフェルドが本気を出せばこの基地などひとたまりもない。

「フレイ・アルター2等兵、アーク・エンジェルの発進準備を進めなさい」
「でも……! まだアイリスが……」
「ガンダムならば後で合流することも可能です。アーク・エンジェルを失えば元も子もありません」
「……了解」

 これだから志願兵は扱いにくい。命令には従ったため叱咤するつもりはないが、軍人としての基礎がまるでなっていない。アルスター2等兵はその背中に不満を張り付けたようにぎこちなくどこか荒い動作でアーク・エンジェル発進の準備を始めた。
 砂漠の虎がこのキンバライド基地を襲撃したのはガンダムがあるからに他ならない。アーク・エンジェルが脱出に成功さえすれば砂漠の虎もこれ以上この基地に余分な戦力を割こうとはしないだろう。
 だが、何故この基地の所在がザフト側に露見したのだろう。これまでシュバリエ中佐はこの基地を隠し通せてきた。それがアーク・エンジェルが入港した途端にザフトの襲撃を受けるというのでは出来すぎている。

(一体今何が起きているというの……?)

 考えはまとまらない。それだけの時間など残されてはいない。
 ナタル・バジルール少尉が叫んだのだ。

「ラミアス大尉、Nフィールドが突破されました!」
「そんな、あそこはジェシカ中尉の部隊が……」

 ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世の慌てたような声にマリューは言葉を被せる。

「デュエルは!」
「わかりません。敵が新型機を投入した模様! 部隊は壊滅状態です!」

 ついさきほど戦線を押し返し始めていると報告されたばかりでなかったか。一時の気のゆるみも許されない。それがものの例えでない現実であって欲しいと一体誰が頼んだというのだ。




 牙を輝かせた獣が砂漠を駆ける。これは比喩でもなければ事実でもない しかし現実である。
 獣の四足に踏みつけられた砂粒が月明かりを反射する。その踏み砕かれた砂の道を疾走する獣はその口から輝く牙を覗かせていた。
 ヴァーリの1人、Kの花を冠するカルミア・キロによって開発された砂漠の虎の新たな牙である。
 不整地を進むにはモビルスーツの構造は決して適してはいない。簡単に足をとられる砂漠のような場所では二足では体勢の維持に努めることで手一杯となってしまう。何も遮るもののない環境で18mという背の高さはそれだけよい標的だ。
 よってカルミアは生み出した。人型であるというモビルスーツの定石を破り、獣の姿を与えた。その足は四足 無限軌道さえ備え、その背には回転式の砲塔が背負われている。暗い紫の体は月光をしみこませる。
 TMF/A-802バクゥ。
 何頭もの猟犬は砂漠へと放たれた。
 足に備えられた無限軌道を使うことで伏せの姿勢のまま砂地を疾走するその低い姿勢は、スケールこそジンオーカーと同規模でありながら正面投影率を減少させ敵への接近を容易とする。
 ザフト軍のジンオーカーを追い越したバクゥはリニアガンタンクへと迫る。ガンタンクは攻撃を繰り返すもこれまでのモビルスーツとは速度が違っている。駆け抜けるバクゥの後ろを追いかけるように着弾した砲弾はただ砂を吹き飛ばすでしかない。
 バクゥの背中の銃身が台座から回転し、その銃口がリニアガンタンクへと向けられると、レールガンによって発射された弾丸はたやすく戦車を吹き飛ばす。
 砂丘に隠れていた大洋州連合軍のジンオーカーへとバクゥが駆ける。 その四本の足がしっかりと砂を踏みしめ、横に上に跳ねるような動きを繰り返す。その姿はまさに獣であり、標準さえ満足につけられぬまま接近を許したジンオーカーへと飛びかかる姿は捕食者のそれである。
 体から突き出た細長い顔。その口にあたる部分にユニットが外付けされていた。むき出しのコードが見える後付けのパーツは口から左右に筒上の構造が伸びていた。その先端に見慣れた輝きが生えている。ビームサーベルが左右に伸び、獣の輝く牙を演出していたのである。
 最初に飛びかかったバクゥは喉を咬みきるようにジンオーカーの首をはねた 続くバクゥは腕に牙を突き立て、十分な長さを持つビームサーベルはわき腹さえ喰い破る。しんがりを務める3機目のバクゥはまだ倒れることさえできない敵機の肩に飛び乗ると牙を胸部へとそのまま食い込ませる。ビームの高熱は胸部エンジン、ジェネレーターを内部から喰い散らかしバクゥが跳びのくとともにジンオーカーは爆発する。
 上半身を綺麗に失い、下半身が砂地に崩れ落ちるジンオーカーのそのすぐそばでは口についた血を払うように首を振る3機のバクゥの姿。
 猟犬の飢えはまだ満たされてはいない。次の獲物を探し、獣は歩き始めた 四足のモビルスーツ。その異形を見せつけるように地を踏みしめ、砂をまき散らし、牙はビームに輝く。




「カルミア、僕の機体の準備はできているかい?」
「もちろんよ、アンディ」

 砂漠の虎が立ち上がる。その傍らに褐色の肌を持つヴァーリを侍らせて。戦場から離れたレセップス級のブリッジで見られたこの光景はクルーたちに張りつめた空気を与えた。

「ダコスタ君にばかり獲物をとられてしまうのも何だ。僕も戦わせてもらうとしようか」



[32266] 第17話「月下の狂犬、砂漠の虎」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:19
 猟犬の群れが砂漠を駆ける。
 足に設置された無限軌道をフル稼働させたバクゥは砂漠を縦横無尽にかけずり回っていた。散らばるリニアガンタンクの残骸。キンバライド基地の防衛戦力を喰い散らしながらザフトは新兵器の性能を見せつけていた。
 ジンオーカーは単にZGMF-1017ジンを砂漠で扱うためのマイナーチェンジにすぎない。当初地球侵攻を予定していなかったザフト軍は地上用モビルスーツの開発で大いに遅れているのである。バクゥは待望の陸戦機であり、その設計思想は奇抜さは他の追随を許さない。
 敵対する大洋州連合軍は鹵獲したジンオーカーを塗装しなおして使用している。そのジンオーカーそのものがすでに旧式なのだ。考えもしなかったことだろう。戦車ほどの堅牢さと素早さを持つ這うほどにも背の低いモビルスーツとの交戦など。
 マーチン・ダコスタの搭乗するバクゥは敵ジンオーカーの攻撃にさらされるも、攻撃のタイミングは明らかに遅れを見せている。まるでバクゥの動きに反応できていないのである。バクゥの描いた轍にアサルトライフルの弾丸をめり込ませているでしかない。何とも哀れなことだ。敵に捕らわれ、その性能を発揮することもできない。

「敵に下ったその姿、見るに忍びん!」

 せめて華々しく散らせてやる それがザフト軍人としての矜持である。

「ルーク! ゲイル! ジェット・ストリーム・アタックをかける!」

 マーチンと小隊を組む2機のバクゥへと檄を飛ばす。3機のバクゥは飛び上がるように足を延ばすとスラスターで加速される勢いのまま青いジンオーカーへと駆け出した。
 スラスターが砂を舞い上がらせ、踏みつける四足は力強く。だが、轍は一つ。足跡は一つの軌跡を描くでしかない。マーチン機を先頭に、そのすぐ後ろにルーク機、ゲイル機が縦隊で並んでいる。マーチン機の作り出すジェットストリームの中を2頭の猟犬が離れることなく続いている。
 ジンオーカーからはマーチンの姿だけが見えていることだろう。
 地獄の番犬は3つの頭を持つと聞く。マーチン機がまずは仕掛ける。そして、ルーク、ゲイルが追撃を仕掛ける。この三段構えの戦法は敵を地獄へと誘うための常勝戦術なのだ。
 ジンオーカーのアサルトライフルが火を噴くが、この速度、この動きにそうそう当てられるものでもない。何より敵は逃げを選択すべきであった。3頭の牙から逃れられる者などいないのだから。

「遅い!」

 まず仕掛けるはマーチン機。低く低く飛び出した。高さだけなら通常のモビル・スーツの腰までもないバクゥの突進はビームサーベルという牙を剥き出し、ジンオーカーの両足を喰い破る。両足を失ったジンオーカーは倒れることさえ許されない。それほどの時間はないのだ。即座に飛び上がっていたルーク機が腹を裂き、最後のゲイル機はさらに高くジンオーカーの首を跳ねた。高さ、時間、タイミング、これをずらした連続攻撃を回避することはできず、ジンオーカーは喰い散らかされた姿のまま砂漠へと倒れるとともに爆発する。
 まだ飢えも渇きも満たされない。
 マーチン機のモニターにはまだ1機残されているジンオーカー、そして、GAT-X102デュエルガンダムの姿が焼き付いてた。
 これが次の獲物だ。




「ジェシカ中尉!」

 仲間のパイロットであるアフメドの声をアイリス・インディアは呆然と聞いていた。目の前でほんの一瞬の間にジンオーカーが切り刻まれて破壊された。離れた場所では犬型モビルスーツの別の部隊がリニアガンタンクを全滅させていた。ザフト軍のジンオーカーは徐々に迫ってきている。
 もうデュエルガンダムのフェイズシフト・アーマーも絶対の鎧ではない。自分の平穏を守ってくれていたはずのものが突如として消えてしまう。それが物騒な兵器であっても何か異常な研究であったとしても。アイリスはこの光景に見覚えがあった。見たことがあるのではない。ただ、よく似た状況を知っている。

「何をしている! 来るぞ!」

 アフメドの声に無理矢理意識を覚醒させられた。ジェシカ中尉を倒した3機の犬型モビル・スーツが向かってきている。アフメド機とは反対方向にデュエルを逃がすと、先頭の1機はアイリスたちを分断するようにその間を抜けていった。残りの2機が左右に扇状に広がってそれぞれ攻撃を仕掛けてくる。
 アイリスを狙う犬が背中のライフルから放ったのはレールガン。シールドで受け止めた時衝撃がとにかく大きかった。幸いシールドは貫通していない。
 敵はすぐそばにまで来ていた。ビームの牙を発生させて飛びかかっていた。慌てて狙おうとビームライフルを起こす仕草に合わせられたように敵は牙を振り抜きデュエルの背中側へと駆け抜けていった。ライフルの銃身が熱で綺麗に斬り裂かれていた。

(ジンオーカーと全然動きが違う……!)

 とにかく速く、そして異質。ジンオーカーと同じように考えているとまるで動きについていけない。
 ライフルを投げ捨てて代わりに肩越しにバック・パックに取り付けられたビーム・サーベルを抜く。柄しか存在していなかったものが光の刃を獲得する。

「アフメドさん、敵はきっとすぐに……、アフメドさん?」

 連絡がない。モニターの片隅に倒れたアフメドのジンオーカーが見えていた。見えている範囲では片足が破壊されているらしい。ついさっき警告してくれたアフメドに代わって、今度敵機の接近を告げてきたのはコクピットのアラーム。
 3機の敵が一列になってデュエルを目指していた。
 こんな時、ヴァーリでない普通の女の子ならどんなことを思うんだろう。仲間が死んで悲しい。アフメドのことが心配。それとも死にたくない。ヴァーリであるアイリスはそのどれとも違った。敵と戦えるのは自分だけ。武装はビーム・サーベルのみ。そんなことを確認する。
 横に逃げても駄目だった。単純な陸上速度なら相手の方が上。上に逃げても無駄だと言うことはジェシカ機撃墜の時に見せてもらった。だから、アイリスは前にでると決めた。デュエルが走り出す。スラスターの出力を上げ、正確には足は体を支えるために動かしているだけで推進力の大半はスラスター出力が担っていることになる。先頭の敵が放つレールガンをシールドで受け止めるとともに、シールドを投げ捨てる。すでにシールドは疲弊していた。ビームを防げる保証なんてないのだから。
 接近する敵。口から伸びるビーム・サーベルは低い位置で防ぐことは難しい。そして足を狙ってくる。だから跳ぶ。デュエルは砂を踏みつけ先頭の敵機を飛び越えるほどの勢いで上へと跳んだ。完全に足を狙っていた先頭の1機は完全に反応が遅れていた。代わりに2機目がデュエルと同じ高さまで飛び上がって、3機目もそのすぐ後ろに続いている。
 スラスターに上に持ち上げてもらっても3機目が追いすがってくる。下に降りるには重力では遅すぎる。だからしゃがむ。デュエルは空中で膝を曲げ頭の位置を低くした。先頭の敵を踏みつけ足場とすることで本来ならばあり得ない、空中でしゃがんだことで2機目のサーベルはデュエルの頭上すれすれを素通りして、無防備な腹部をデュエルへとさらしてくれた。右腕のビーム・サーベルをその腹へと突き立て、左腕でもう一本のサーベルを抜こうと手をバック・パックへと伸ばす。
 時間が間延びして、1秒が10秒にも感じられる時間の中でアイリスは理解していた。間に合わない。飛び込んでくる3機目の方が早い。デュエルはまだビーム・サーベルに手をかけただけだった。1秒もない時間差で先に攻撃するのは敵の方。そんな短い時間に滑り込む機体があった。青いジンオーカー--こめかみの部分に傷があるのはダコスタ機である--が敵機へと横から抱きつこうとしていた。無謀すぎる。横へと突き出されているビーム・サーベルはジンオーカーの胸部に深々と突き刺さりそのまま貫通する。命は、アイリスに反撃を許す時間と引き替えられた。デュエルの振り抜く左腕は止まらずビームサーベルを抜き放つ型のまま、敵モビルスーツをその肩口から縦に引き裂いた。
 時間としてはほんの数秒のことだろう。デュエルが着地した時には、その背後にモビルスーツが3機分の残骸が転がっていた。
 腹部に風穴をあけられた敵と縦に裂かれた衝撃で爆発して細かい残骸となった敵。その残骸の中に混ざり込むようにアフメドのジンオーカーが横たわっていた。斬り裂かれた傷は胸部から腹部にかけて走りパイロットの死を教えていた。

「アフメドさん……」

 いつの間にか汗をかいていた。もしかすると息もとめていたのかもしれない。呼吸が荒くて、アイリスはついヘルメットを外した。




「俺を踏み台にするとはな!」

 デュエルに踏みつけられたことで一部機能に支障--オートバランサー--の調子が悪い--は生じていたが、ビームサーベル発生装置は無事であり、機体そのものもまだ動く。ビームサーベルはバクゥ完成後に急遽取り付けが決定したものであり、故障するとすればまずここなのだ。
 ルークとゲイルを失った。しかし敵にしても残りのモビルスーツはデュエルのみ。友軍のジンオーカーは徐々に前線を進めている。
 ガンダムは撃墜する。それこそがザフトの至上命題なのだ。
 マーチンはヘルメットを脱いだ。軽い脳しんとうでも起こしているのか視界が定まらない。だが、デュエルの姿ははっきりと見えている。左腕にビームサーベルを保持し、マーチンとは戦士たちの屍を挟んで睨みあっている。呼吸を読んでいるつもりかデュエルは動き出す気配はない。時間をかければ不利なのは相手の方だ。マーチンに焦るつもりなどなかった。砲撃とモビルスーツの駆動音とが徐々に近づいている。この区画の敵戦力はすべて片づけた。デュエルを除いて。その認識は決して誤謬を含んでなぞいなかった。しかしそれもイレギュラーを想定しなければのことだ。
 天から落ちた光が砂の大地に突き立てられた。バクゥとデュエルの間。砂をまき散らし、横たわるバクゥ、ジンオーカーの残骸をひとまとめに吹き飛ばす。不躾な火葬の主催者はザフト軍ではない。ビームライフルを装備した機体は量産されていない。2機のガンダムとアルトフェルド指令は基地攻略に向かっている。
 それは、やはり天から降りてくる。
 赤い機体だ。つま先、袖口の白いプレート以外が見事に赤く染まっている。ライフルにシールド--ザフト軍機でシールドを装備する機体は少ない--を持ち、何よりガンダムの顔をしたモビルスーツである。
 GAT-X303イージスガンダム。ザフトが奪い損ねたガンダムがマーチンとデュエルの間に降り立った。

「ガンダムか。ならば、敵だ!」

 バクゥが口元にビームサーベルを生やす。姿勢を前傾に、飛び出す勢いを貯める。イージスがこちらを向いたその瞬間に、猟犬は血を求めて飛び出した。バクゥの牙はフェイズシフトアーマーさえ喰い破る。ガンダムといえども絶対兵器などではないのだ。
 モニターに映るイージスの姿が急速に拡大していく。マーチンが勝利の確信を得たその間際、あまりに唐突で無遠慮な衝撃がマーチンをバクゥごと横から払った。イージスの肘がバクゥの首--ご丁寧にビームサーベル発生装置のケーベルを巻き込んでいる--を正確に打ち払ったのだ。そのまま横倒しに砂へと落ちる ビームサーベルは消えている メインカメラを有する頭部とコクピットとを繋ぐコードを内包する首が強打されたのだ モニターはひどく不鮮明となった
 砂嵐が走るモニターの中、しかしマーチンははっきりと見えていた メインカメラを踏みつぶそうと落とされるイージスの足を。




 イージスの足の下でもがくモビルスーツ。どうやら新型のようだ。首が破壊されショートしている。その衝撃が動力部を損傷させたのだろう。動きは次第に弱々しくなりつつあった。これはもういい。標的でない以上どうでもいい相手でしかない。
 一度強く踏みつけて、犬の頭部を完全に破壊してから足を浮かせた。次に足を置いたのは砂の上。わざわざとどめをさすつもりにもなれない。目の前にはビームサーベルを構えたままのデュエルガンダムがいた。

「GAT-X102デュエルか。行く先々にアーク・エンジェルがいるとはな。これは今回も外れか?」

 ヘリオポリス、アルテミス、ユニウスセブン。ムルタ・アズラエルがいるとの情報が指し示す先にアークエンジェルがいる。そして、ムルタアズラエルの影をつかむことはできないでいた。
 わざわざアフリカにまで来てこれとは、カガリ・ユラ・アスハは誰もみていないコクピットの中で遠慮なくため息をついた。
 オーブを守るためにムルタアズラエルは葬らなければならない。だが、オーブの地位を危うくする存在は何もブルー・コスモスばかりではない。モニターにはデュエルガンダムの姿があるのだ。

「まあいい。ガンダムには、消えてもらう!」

 オーブが中立国でありながら大西洋連邦に協力したという事実は消し去るに限る。イージスがライフルを向けるとデュエルは身構えた。
 ゼフィランサス・ズールが開発したガンダム しかし兵器だ。戦闘で破壊されることに、ゼフィランサスはカガリを責めることはないだろう。




 キンバライド基地の三つ存在する格納庫のひとつでキラ・ヤマトはザフトの2機のガンダムと交戦していた。しかしモーガン・シュバリエ中佐に命じられアーク・エンジェルを目指すことになったのはつい先程のことだ。
 つい先程まで戦闘をしていた第1格納庫を包む白煙を突き抜けてGAT-X105ストライクガンダムが月下にその身をさらす。キンバライド基地はドーナツ状の構造をしていてその中央部分は開けている。モビル・スーツ同士の格闘訓練に使用されていたこの広間を抜けることでアーク・エンジェルが格納されている第2格納庫へと移ることができる。
 キラに脱出を命じ煙幕を撃ち込んだシュバリエ中佐の命令通り、キラはアーク・エンジェルを目指してストライクを走らせていた。
 戦いの音と光を周囲を取り囲む岩盤が打ち消して争いは遠くに聞こえる。不気味なほどの静寂に包まれる広間に月光が斜めに指していた。岩盤に切り取られた月光が広間に白と黒のコントラクトを描いている。ストライクが広間の中央、ちょうど光と影の境目に来た時のこと。突然ストライクに巨大な獣の影が落ちた。18mのストライクを軽々覆う巨獣の影は明らかに実物の大きさを超えている。そうだとしても犬の大きさでおさまる影ではない。
 ストライクを立ち止まらせ、見上げた先には鋼鉄の獣がこちらを見下ろしていた。
 鋭い鋼の爪が黒光りを放つ。その体はくすんだ橙色。起伏が作り出す影がところどころ月明かりをくり貫いて縞模様を演出していた。胸から伸びるケーブルは口元のサーベル発生器に結ばれ、どこか鎖に繋がれているかのようにも見えた。
 四足のモビル・スーツが岩盤の上から見下ろしていた。
 オープン・チャンネルで声が届く。

「ラゴゥ。カルミアが僕のために作ってくれた機体でね、少年」

 アンドリュー・バルトフェルドの声だ。するとラゴゥと呼ばれた機体は崖を下り始めた。山猫のように崖の段差を左右に降りて瞬く間に広場に足をつけた。見た目ほど簡単なことではない。これほど完璧にモビル・スーツの操縦をしてのけるとは、砂漠の虎の異名はやはり張り子ではない。
 いかさまもしているようだ。ラゴゥからの通信には、若い女性の声が混じっていた。

「TMF/A-803ラゴゥ。この子ならキラ君が相手でも退屈はさせないから」

 副座式を採用しているモビル・スーツは珍しいが、1人のパイロットに任せるには業務が煩雑な場合、補佐役として副パイロットが乗り込む場合もとも聞いたことがある。
 ラゴゥという機体は、開発者であるカルミア自ら搭乗するほど、思い入れの強い機体であるらしい。恐らくは、機体の挙動をアンドリューが担当して、射撃はカルミアが制御するのだろう。背にはターレットに備えられる形で2門の砲台が装備されていた。レールガンにしては口径が小さい。口に当たる部分にはビーム・サーベルと思われる装備が外付けされている。この機体はビームを装備している。怖いのではない。単なる敵戦力の確認に過ぎない。これが強がりではないという確信が、キラにはあった。

「たとえ相手が誰であったとしても、僕は戦う! たとえ相手がどれだけ強くても、君であったとしてもだ、カルミア!」

 砂に深い足跡を刻む勢いで跳び出しながら剣を構えた。ラゴゥもまた、光で牙を発生させながら前へと歩き出す。その歩き出しは鈍重にさえ思えるほどゆったりとしていたが、ひとたび加速が始まると、今度は頑強としか思えない突進に早変わりする。砂を荒々しく踏みつけながら犬の俊敏性ではない、虎のたくましさでもってラゴゥが跳び上がった。光る牙をむき出しに跳びかかって来る。
 距離は瞬く間に縮まる。これまで幾度となく敵を屠った間合いに虎が迷い込んだところで、対艦刀を一息に振り下ろした。ラゴゥが両断される光景は、まるで予言か何かのように脳裏をよぎる。それほど必殺の間合いでの攻撃であったのだ。
 確信が油断を生んだとは思わない。そこまでの思い上がりは持てそうにない。
 ラゴゥは体を急速に回転させ、ストライクの左脇を通り抜けていった。それとも、透り抜けていったとした方がいいだろうか。対艦刀はラゴゥをかすめるほどの位置を素通りしただけだった。ラゴゥがストライクの後ろへ回った頃には、左肩に一筋の傷が残されていた。攻撃は命中したはずだった。手応えの錯覚さえあった。それでも攻撃は当たらない。この絶大な回避術を、キラは知っている。

「この技は……」

 構えなおすでもなくストライクを振り向かせた。食事を終えた獣が口に付いた血を振り払っているかのように、ラゴゥはのんびりと歩きながら首を回していた。

「ハウンズ・オブ・ティンダロス。まあ、僕のは未完成もいいところだがね」

 構えを変える必要がある。対艦刀を水平に、前へと突き出すように構えた。剣のリーチそのものを利用できる攻撃にも防御にも適した構えをとりながら、それでもキラは動けないでいる。相手の出方をうかがっていると言えば聞こえはいいが、より高度にハウンズ・オブ・ティンダロスを完成させている敵を相手に、物怖じしていることに他ならない。
 敵の動きが、次の一手がまるで見えない。
 砂漠の虎が動いた。背中の2門のライフルから、やはりビームが発射された。ストライクを低く沈み込ませる。2筋のビームを頭部のブレード・アンテナにかすらせるほどの近距離でかわした。この程度で、意趣返しになっているとは思わない。姿勢を低くしたまま、迫り来るラゴゥに突きを繰り出した。向かい合う双方の突進スピードに、突き自体の速度が合わされば相対速度は人の反応速度さえ超えるはずである。
 かわされると、しかし心のどこかで考えてはいた。
 ハウンズ・オブ・ティンダロスとの戦いは錯覚の連続である。ラゴゥは突き出された刀身を踏み台にしてストライクの頭上を跳び越えた。正確には、足の裏が刀身に触れているとしか見えないほどの近さで跳び上がり、ストライクを跳び越したのだ。
 急いでラゴゥの姿を追うと、ビームがストライクへと向かっていることに気付いた。かわしている余裕はない。左手で受け止めざるを得なかった。フェイズシフト・アーマーがこれまでないほどの輝きを放ちビームを受け止める。光の粒子が散っていくさまを目撃する。光が晴れると、ストライクの腕はその形を保っていた。ただし、装甲が丸く溶解していた。ミノフスキー粒子の膜、Iフィールドが欠損し被弾箇所の周囲は輝きを失っていた。白い塗装が剥げ落ちたことでチタン合金本来のくすんだ灰色が剥き出しになった。内部構造にまで損傷は及んでいないことは、せめてもの救いである。
 カルミアの仕業だ ターレットに乗せられた銃身が回転しストライクの方に向けられていた ラゴゥのビームはガンダムほどの威力はない。しかし、フェイズシフト・アーマーを破壊するには十分な攻撃力を有していた。
 通信が虎の咆哮をストライクのコクピットに響かせた。

「こんな不出来な技でも君よりも遙かにましだろう!」

 再びラゴゥが跳びかかって来る。どうしようもない。このまま斬られるわけにもいかない。対艦刀を両手で構えて叩き降ろす。
 ハウンズ・オブ・ティンダロス。ラゴゥは夢か幻、この世のものではないかのようにサーベルをかわすと、口から横へと突き出た牙をストライクの腹部へと喰い込ませた。強烈な輝きが瞬いて、光がやんだ頃には腹部の赤い塗装が一直線に剥げ落ちていた。コクピット内の温度が体感ではっきりとわかるほど上昇した。
 距離を開けられては対処の仕方がない。ラゴゥを逃がすまいと、振り向く勢いのままビーム・サーベルで薙ぎ払う。うまくいけば、ラゴゥを後ろから切断してしまえる。しかし、剣の向かう先に、すでにラゴゥの姿はなかった。あるのは、吹き上がる砂の柱。その先に、ラゴゥが跳び上がっていた。
 進行方向のベクトルをすぐさま垂直方向に変更するためには、モビル・スーツには強靭な四肢を、パイロットには並外れた体力を必要とする。
 突進の勢いを打ち消す前足と、スラスターの力を借りたとはいえ数10tもの機体を浮かび上がらせる後ろ足。そして、制動と加速の度にパイロットを強力なGが襲う。ラゴゥが120kmほどで走行していると考えた場合、重力加速度の4倍もの加重が加わったことになる。体重が軽いカルミアでも200kgを超える圧力を、アンドリューにいたっては300kgを超える衝撃に耐えなければならないはずなのである。
 そんなものは些事でしかない。そうとでも言いたげに、通信の声は嬉々としている。

「愉快な技だろう!」

 ラゴゥは首を横にひねり、牙の切っ先をストライクの胸部へと突き立てた。ストライクを守る光の粒子が零れ落ちる。今度強烈なGを感じるのはキラの番である。ストライクを後ろへと跳び退かせた。危うく、胸部のジェネレーターにまで熱が達するところだった。青い塗装が剥げ落ちて、爆心地さながらの解けたクレーターを構成している様子は機体各所に備えられたサブ・カメラからの映像で確認することができた。
 フェイズシフト・アーマーがなければ、ガンダムでなければ2回殺されていた。
 余裕を見せつけるように、ラゴゥはゆっくりとした足取りでストライクの周りを歩いていた。

「君のことはカルミアから聞いたよ。君は、ハウンズ・オブ・ティンダロスも、もしかしたらできてしまうかもしれない人種なのだとね。少々、青いがね」

 これほど完全な回避をしても完成しない技。その究極形は想像さえできない。

「僕は、誰にだって負けるわけにはいかないんだ!」

 操縦桿をこれまで以上に強く握り締める。すると、嫌な汗が手にまとわり付いていることに気付かされた。
 戦いが始まった途端に静かになったカルミアはそんなキラの思いを拾い上げた。強がっているようだが、さすがにGが辛かったのだろう。声には堪えているかのような妙な抑揚がついていた。

「キラ君が戦い続けることが、ゼフィランサスのため……になる。そう考えてるから?」

 ラゴゥはやはり、ゆっくりと歩き続けるだけだ。カルミアの気分を落ち着けるためだとは想像がつく。油断しているわけではないが、話に応じることにした。もっとも、油断していないとしても攻撃を防ぐ方法なんてありはしない。

「戦争が続く限り、ゼフィランサスは利用され続ける」

 誰も守ろうとしない。もたらされる恩恵があまりにまぶしいから。ビームだなんて、ガンダムだなんて力を、ゼフィランサス本人が望んでいまいと関係なく。

「いつだってそうだった。これまでもそうだった。ラタトクス社も、君たちのお父様も!」

 返事は恐るべき速さでもたらされた。

「お父様の悪口は聞かせないでちょうだい!」

 普段から穏やかなカルミアの怒鳴り声を聞くことになるなんて考えもしなかった。ただ、驚きはない。カルミアにとって、ヴァーリにとってお父様の存在は絶対であるからだ。それこそ、自分のすべてを、世界のすべてを犠牲にできるほどに。
 ラゴゥが立ち止まる。それだけのことに、つい剣を構えた。

「もう、いいかね?」

 聞こえてきたのはアンドリューの声である。誰に聞いているのか、正直判然としない。ただ、カルミアも、そしてキラも返事をしないでいると、ラゴゥが首を曲げストライクを見た。
 体が浮き上がるような錯覚。それは、浮き足立つという慣用句と共通する概念である。この場から逃げ出したい。ここに立っていたくない。そんな思いが一足先に駆け出した時の感覚を引き起こしていた。

「僕は、死ぬわけにはいかない……」

 決意の表明なんて大それたものではない。ただ、ここに踏みとどまるために自分を奮い立たせる根拠のない言い訳。乾いた喉に無理矢理唾を飲み込むように、キラはストライクに対艦刀を構えなおさせる。しかし、唯一、その思いに応えたものがあった。ストライクのコクピットに、光とともに文字が並び出す。論理と非論理の狭間の世界を旅する少女の名前が、A.L.I.C.Eが、アリスと呼ばれるシステムがキラへと見えざる手を差し出した。




 彼は何の気なしに言っていた。鹵獲したジンオーカーを青く塗装した理由は味方から撃たれたくないからだと。昼に作戦行動を行うのはゲリラのサーモグラフィに引っかからないようにするためだと。そうアスラン・ザラは言われたままに信じていた。それが嘘だと気づいた時、月下の狂犬という通り名が決して伊達や酔狂でつけられたものでないことを自覚する。
 照明が半分以上も死んだ格納庫の中は薄暗い。その暗さにジンオーカーの青い装甲は溶けて消えている。センサーの類も機能低下している現在、その姿は薄闇に隠れて見えない。夜間戦闘を得意とする猛将が手の内を明かすはずなどなかったのだ。
 加えて撃ち込まれたバズーカ砲の煙はまだ完全に晴れてはいない。そのためにストライクを逃がしてしまった。
 GAT-X103バスターガンダムとGAT-X207ブリッツガンダム。2機ものガンダムがいるというのにできる行動は限られている。同士討ちを避けるためにできる限り同じ場所に固まり敵の姿を探すことしかできない。

「アスラン、急がないとストライクに脱出されてしまいます」
「わかってる。だが、月下の狂犬がそう易々と……」

 攻撃があった。アサルトライフルの弾丸がバスターへと浴びせられている。フェイズシフトアーマーが光輝き--闇の中ではいい的だ--、ブリッツがマズルフラッシュめがけてビームを放った。ビームの輝きが突き進み弾けた一瞬にアサルトライフルだけが壁に固定されていたことを確認した。ライフルを遠隔操作していたのだ。
 では敵はどこに。
 聞こえたのはニコルの悲鳴とコクピットに直接届いた大きな衝突音。ブリッツが闇に紛れるジンオーカーの突進をまともに浴びていた。倒れるブリッツを庇うより先にジンオーカーへと手を伸ばす。しかし月下の狂犬は手榴弾を放り投げるとその爆発に紛れて消えてしまう。
 小型手投げ爆弾程度で破壊されるフェイズシフトアーマーではない。しかし再びジンオーカーの姿を完全に見失っていた。

(18mもの機体がこうも簡単に隠れられるものなのか)
「ニコル、立てるか?」
「はい、大丈夫です」

 ブリッツはゆっくりと立ち上がる。何か深刻な損傷を受けた様子は見られないことは幸いだ。ガンダムがたった1機の量産機に翻弄されている。にわかには信じがたいことだが現実である 攻撃力の関係上ジンオーカーがガンダムを破壊することは至難の業だが、モーガン・シュバリエはガンダムを破壊する必要はないのだ。ただストライクが脱出するまでの時間稼ぎをすればそれでいい。
 作戦目的と戦術とが見事に合致した戦い方だ。

「アスラン、やむ得ません! 手当たり次第攻撃しましょう」
「そんな混乱するようなことをしてはそれこそ相手の思うつぼだ」
「しかしこのままではストライクに逃げられてしまいます!」

 そんな時だからこそ冷静さが必要になる 今のニコルは平静さを欠いている ニコルは温情であっても臆病ではない 一体何がニコルをここまで駆り立てているのか、アスランには掴めないでいた。
 ニコルが不安視していたことは、どうやら現実となったらしい 基地全体を揺るがして鳴動する駆動音が突如響き渡った。




 岩肌に偽装した格納庫の天井は強固とは言い難い。外で継続する戦闘によって剥離した構造材が床へと落下した。
 アーク・エンジェルのブリッジからでは直接外の様子をうかがい知ることはできない。しかしその余波が格納庫にもたらす影響を、マリュー・ラミアスはしっかりと見つめていた。艦長席に座る者の責務は戦況を把握し、最善の選択をすることにある。
 できることならストライクかデュエル、ガンダムのどちらかの帰還を待って発進したかったがそれほどの猶予は残されてはいないようだ。ザフト軍は新型を投入。すでにキンバライド基地の防衛線は崩壊させられている。このまま格納庫に閉じこもったままではアーク・エンジェルは籠の中の小鳥も同然である。
 つい考え込んでしまったようだ。顔をあげると、数名のクルーがこちらを見ていた。何のことはない。指示を待っているのだ。ブリッジにはすでにクルーたちが持ち場についている。振り向いていた1人、舵をしっかりと掴んで話さない少女へとまっすぐに視線を飛ばした。 

「フレイ・アルスター二等兵、これよりアーク・エンジェルはキンバライド基地を離れます」

 これがアルスター二等兵にとって初飛行になる。アルスター二等兵は短く呼吸すると息をとめたようだった。しかしすぐに吸い込んだ息とともにたどたどしい敬礼をした。

「了解!」

 こちらに向き直ってもいなければ、左手は舵に残ったままで、しっかりとした敬礼とは言いがたい。まったくもって初々しい限りである。
 陸海空、そして宇宙。ガンダムの起動試験のために桁外れの汎用性を与えられたアークエンジェルの地球での初飛行である。それが戦場の空とは、ガンダムといいつくづく呪われた定めにあるものらしい、実験機というものは。




 鳴動する駆動音が岩肌に響き渡る。
 ここはかつて鉱物資源採掘のために岩山を切り崩して作られた廃坑であった。しかし機械特有の音色は採掘機器が奏でているのではない。
 ドーム状の屋根が中央で裂け、その裂け目を広げてスライドしていく。外からは岩山が割れていくように見えることだろう。擬装用の岩がドームの上から崩れ落ちる。直径が500mをゆうに超えるドームは鈍重で重厚な音を夜空に無遠慮に撒き散らす。
 月明かりが夜風に冷やされ、すっかりと寒々しい色を纏う頃、光は割く目から廃坑へと差し込む。そこには希少金属の塊が転がっていることもなければ、可燃物質の澱んだぬめりもすでに存在していない。採掘所としての役割を終えてから久しいのである。
 純白の翼は、金属の光沢とともに降り注ぐ月光を横一文字に受け止めていた。人頭獣身の魔獣のように揃えられた前足を持ち、しかし、その名は天使を冠する。3階層9階級の天使の列の第8位にして、地上の最前線を担う大いなる天使が、この艦の名前である。
 大西洋連邦軍アーク・エンジェル級強襲機動特装艦アーク・エンジェル。全長420mもの巨大な戦艦が開かれた空へと羽ばたくことなく浮上を開始する。艦底に備えられた複数のスラスターが仰々しく灼熱の吐息を吐き出す。天使を模した。それだけで神の恩恵を得られる謂れはなく、アーク・エンジェルも例外なく物理法則に従うままにその巨体をゆっくりとドームから離脱させた。




 ニコルは呟いた。

「戦艦が逃げる……」

 それは敵がガンダムを持ちだそうとしていることを意味している。
 ザフト軍と地球軍。その国力差は少なく見積もっても10倍とされている。人口比も大西洋連邦に限ってもプラントの10倍はある。ザフトの軍人が10人の敵を倒してようやく互角になるほどこの戦争は異常な不利をプラントが強いられている。もしもザフトが技術的優位を失ってしまったとしたらこの戦争には勝てない。
 だが敵は、月下も狂犬はその姿を闇に隠して見せようとしない。

(時間が……、時間がないのに……)

 何が何でも敵を逃がすことはできない。敵の殲滅こそが目的なのだから。




 上昇は成功。しかし事前に知らされていた通り戦況は思わしくない。マリューは冷静な指揮官たるよう心がけるとともに、しかし心労がすぐに顔に出る癖をなかなか修正できないでいる。
 ザフトの部隊はレセップス級までもがキンバライド基地に迫っていた 戦艦が前線に出られるということはそれだけ防衛戦力が沈黙させられていることを意味している できることならすぐにでも飛び去ってしまいたいものだが、ガンダムを失ってしまえばアークエンジェルの航行そのものが無意味になってしまう。

「フレイ・アルスター2等兵、ガンダムの回収を優先します 敵攻撃を回避しながら旋回を続けなさい」
「え……!」
「了解、は?」

 軍人らしからぬ口振りですごんでしまった。敵の頭上に滞空し続けることは極めて難しいことだとは理解しているが、無理でも命令ならば通すのが軍人というものだ。。
 アルスター2等兵から無理矢理了解との言質を引き出し、アークエンジェルは旋回を始めた。設計上ホバリングも不可能ではないが、燃料の消費が激しくまた恰好の的にされてしまう。旋回したところで攻撃にはさらされることだろう。
 すでにロックオンされたことを示して警報音が鳴り響いていた。眼下ではアサルトライフルを構えて見上げるジンオーカーの機影。アサルトライフル程度ならまだいいのだが、ジンオーカーの中にはバズーカを構えた機体もあった。一際大きな衝撃をブリッジに伝えたのはこの攻撃だ。
 さらにレセップス級の接近も確認されている

「レセップス級を引き離しなさい!」
「やってるわよ!」

 アルスター2等兵は必死に舵を切っているようだがここまで大型の艦ともなると簡単に動く訳ではない 攻撃が着弾する度、ブリッジが大きく揺れた。
 想像以上に攻撃が激しい。

「バジルール少尉、スカイグラスパーを戻して援護に当たらせなさい」
「すでに行っています。ですが……」

 バジルール少尉にしては要領を得ない。
 風防の向こう側にはすでに灰色のスカイグラスパー--アーノルド・ノイマン曹長の機体である--が見えていた。しかし、ムウ・ラ・フラガ大尉の機体の姿はどこにも見えないでいることに、マリューはつい顔をしかめざるを得なかった。




 FX-550スカイグラスパー。
 フラガ大尉の1号機は原色を多用しているが、アーノルドノイマンは全身を灰色に塗り直させていた。この戦闘機の特徴の1つには、ウイングが短く、大気圏内を飛行することを想定した機体でありながら揚力への依存が比較的低い、推進力に頼って飛行を前提に設計されていた機体であるということだ。
 その理由を、設計に関わっていないアーノルド・ノイマンはパイロットとして推測をめぐらせた。スカイグラスパーは宇宙空間での使用にも耐えられるよう、汎用設計がなされていたのではないだろうか。少々手を加えたならそれで宇宙でも使用できるとさえ考えられる。
 それとも、運動性を高めるためだろうか。揚力が小さければそれだけ機体の挙動は不安定となるが、その反面自由度は高くなる。
 アーノルドはスカイグラスパーのコクピットの中で息を大きく吸い込んだ。覚悟を決めるためではなく、決めた覚悟を実行するための暇。不鮮明なレーダーには大きな影が2つ映し出されている。母艦であるアーク・エンジェル、そしてその艦を狙うレセップス級である。
 操舵手としてアーク・エンジェルを操ったアーノルドにはレセップス級がアーク・エンジェルを狙撃しやすい距離に位置調整をしている最中であることがわかっていた。
 操縦桿を下へと倒す。スカイグラスパーはすぐに下降を開始する。揚力が他の戦闘機に比べて弱いため、機体の挙動は即座に反映される。
 急激な降下に、体が足の下から浮き上がるような感覚に見舞われ、血液が頭に集まってくる。頭痛が生じ、だが幸いにレッドアウト現象は生じていない。明瞭な視界にはこちらを迎撃しようとするレセップス級が見えている。
 この距離、この相対速度で対空迎撃がうまく機能しないことは以前、ムウ・ラ・フラガ大尉と別のレセップス級を相手にしたときに掴んでいる。ファランクスの曳光弾が視界を縦に横に通り過ぎていく
 フラガ大尉のような技能はない。あるとすれば、元操舵手としての意地だ。

「戦艦の動きなら!」

 自分を奮い立たせるためにも、アーノルドは猛った。
 すでにブリッジへのロックオンはすませている。戦艦がどのように動き、どのような角度からの攻撃を嫌うのか。その知識と経験ならフラガ大尉にも唯一誇れるものである。両手で握り締めるレバーに意識をすべて集中して、トリガーを引く。
 機体本体の上、両翼の根元に設置された機関砲が同時に閃光を瞬かせた。3門のバルカン砲から弾丸が一直線にレセップス級のブリッジに殺到する。
 無論、一瞬照射しただけでブリッジに十分な損害を与え続けることはできない。トリガーを握り締めたまま、スカイグラスパーをブリッジへと急降下させる。その間も、弾丸はブリッジへと呑み込まれ続ける。
 このままではレセップス級へと墜落することになる。操縦桿を左に倒す。同時に、全力で引き付けた。スカイグラスパーはレセップス級をかわしてもなお降下を続けようとする。砂漠へと叩きつけられることを覚悟するに至ったところでようやく、軌道が水平に戻り、降下の慣性を徐々に打ち消しながらスカイグラスパーは上昇を始めた。
 このような思いまでして得た成果は、スカイグラスパーの後方、地上でブリッジから煙を上げて制止するレセップス級であった。




 砂が一直線にえぐれていた。轍ほど規則正しくもなければ、足跡とは違い連続している。醜く刻まれた先に砂が盛り上がり山ができている。それは風や流砂でできたものにしては不自然で、付近の平らな大地の中で唯一の隆起である。その山が人工的に作られた証である。
 その山は、表面は砂で、内部は戦闘機で構成されている。墜落したスカイグラスパーが荒々しく砂を押し固め、山を作ったのである。
 スカイグラスパーの右翼は完全に山に隠されている。左翼は空へと傾き、鋼鉄で構成されているはずの翼は引きちぎられたかのように先端が欠けていた。機影の右半身が砂に覆われている。スカイグラスパー1号機は完全に沈黙していた。




「僕は! 僕はー!」

 大剣を、それこそでたらめに振り回すストライクの攻撃は、激しく的確な狙いでありながらそれは大きすぎる穴のようなものだ。落とし穴にしても事故で落ちるにしても、遠くからでも見える穴にわざわざ落ちる者などいないことだろう。ラゴゥにとって、それは穴であり簡単に見通せるものであった。叩きつけられるように振るわれる大剣。ラゴゥが横へと飛びのき、ストライクが一度は大地の砂を爆ぜさせた後、強引に剣を横へと振りかぶる。見えている。わかっている。そんなものにわざわざひかかる必要などない。ラゴゥはたやすく飛び上がり、鋼鉄で覆われたその前足をストライクの顔面へと叩き付けた。
 フェイズシフト・アーマーが輝く。よろけたストライクは、しかしすぐに持ち直し大剣を袈裟切りにラゴゥを襲う。すばやく的確。そう、その太刀筋の鋭さだけで評価するなら並みのパイロットではひとたまりもないことだろう。
 だが、見えているのだ。
 ハウンズ・オブ・ティンダロス。回避の極致は敵の攻撃を完全に見切り必要最低限の動きでかわす。どれほど鋭いナイフも、そのわずか1mmにも満たない断面積に触れられさえしなければ何ら脅威ではない。どれほど破壊力の大きな拳銃でさえその口径はせいぜい数cmにも満たない。いつどこにどのような攻撃がどれほどの時間だけ脅威となるのかが見えている。すると、ラゴゥは必要最低限の動きで、端から見たならまるで通り抜けたようにストライクの後ろにあった。

「つまらんね、実につまらん」

 ストライクは振り向きながら大剣を振るう。その軌道は確かにラゴゥを捉えたことだろう。少なくとも傍目にはそう見えたはずだ。だから不思議でならないことだろう。ラゴゥが無傷であって、大剣が根元から切断され、切り離された先端が宙を舞っては砂に深々と突き刺さる光景は。

「あまりに動きが単純すぎやしないかね、少年?」

 付近の情報を的確に入手し、それを最大限に生かす術は確かに心得ているようだ。だが、目的意識が強すぎる。何が狙いなのか露骨過ぎるのだ。

「やっぱりキラ君は、キラ君のままみたいね」

 カルミアは同じ出生を持つ仲間へと小さくため息をついた。




「アイリス、すでに戦線は崩壊している! 早く脱出しろ!」

 コクピットに響くナタルの声。アイリスはその声をゆっくりと聞いている余裕なんてなかった。
 イージスが飛び掛ってくる。まずはビーム・ライフルの引き金を引く。放たれたビームをデュエルが体をひねってかわすと、即座にイージスは蹴りの動きに合わせてつま先に発生したビーム・サーベルを振るう。デュエルが左手に残されたサーベル--これが最後の武器になる--で受け止めると、イージスはあっさりと攻撃をやめ、後ろへと飛びのいた。逃げたのでも距離を開けたのでもない。
 イージスが離れた途端に、デュエルの周囲には爆発がいくつも生じた。煙が立ち上り、破片が暴れるように飛び散る。砂は嵐となってフェイズシフト・アーマーの輝きさえ隠してしまう。周囲に展開するザフト軍からの攻撃である。ザフトにとってガンダムは2機とも敵。それでもイージスはまだライフルを持っている。ザフトにとって接近しやすいのはデュエルの方であって、自然と包囲網はデュエルを囲む方が小さく、攻撃はアイリスへと集中していた。
 アサルト・ライフルにバズーカ。フェイズシフト・アーマーを貫通できないにしても衝撃はアイリスを襲っていた。口の中を切ってしまったのだろう。鉄の味がして、頭が殴りつけられたように痛んだ。

「ナタルさん、もしもの時は、見捨ててくれていいですから……」
「馬鹿なことを言うな!」

 イージスの放ったビームは、正確にビーム・サーベルを撃ち抜いた。握っていたはずのマニピュレーターがばらばらに弾け飛び、その残骸の中に柄だけになってしまったビーム・サーベルが漂っていた。




 格納庫を揺るがすビームの砲撃。それは闇を吹き飛ばし、大気を震わし、形あるものすべてを根こそぎ破壊しようとしていた。

「ニコル! 何をしている!」

 ニコルのブリッツがビーム・ライフルを乱射--そうとしか言いようがないほど引き金を引き続けている--して、でたらめに放たれたビームが次々と壁へと突き刺さっていた。ビームの攻撃力だ。壁からは炎ふが噴出し、破壊された隔壁が燃えながら周囲に飛び散っていた。こんな光景がいくつも、デュエルが引き金を引く度に引き起こされるのだ。

「敵を殺さないと! 敵は殺さないと!」

 アスランにとっても安心できることではない。ビームの無差別攻撃は危うくバスターガンダムを巻き込みそうにさえなった。破壊された格納庫からは岩盤さえ崩れ落ち、この空間そのものが崩壊しようとしていた。
 あまりにらしくない。ニコルらしさがない。

「ニコル!」
「邪魔をしないで!」

 ブリッツの銃口は、バスターに、アスランへと向けられた。



[32266] 第18話「思いを繋げて」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:19
「仕方のないやつだ、お前は」

 そんな声が聞こえた。それは錯覚であったのかもしれない。アスラン・ザラの認識し得る現実のすべては、GAT-X207ブリッツガンダムに、ニコル・アマルフィにライフルを突きつけられ、間違いなくビームにさらされたということ。状況の把握とニコルに攻撃されるという現実を受け止めるために思考のすべてをとられて、まるで夢でも見ているかのように現実に時間が進んでいく。
 放たれるビーム。横から感じた衝撃。モニターの片隅に拾ったのは、GAT-X103バスターガンダムをかばうように突き飛ばす青いジンオーカーの姿。
 目の前の事実を意識が急速に追いかけていく。投げ出されたバスターの中。声は男性のもの。モーガン・シュバリエ中佐のものだ。そして、アスランをかばい、ビームの光の中に消えていくモビル・スーツは、月下の狂犬と呼ばれる男の機体そのものである。モーガン中佐が、光に消えようとしていた。

「モーガン中佐ー!」




 ザフト軍に完全に包囲され、GAT-X303イージスガンダムの攻撃にまでさらされている。ナタル・バジルールが管制として把握した状況は、アイリス・インティア、たった1人の少女が遭遇するにはあまりに過酷なものであった。

「艦長、デュエルの援護を!」

 返事はない。だがそれは無視されたというより、マリュー・ラミアス艦長自身も対応に苦慮しているらしかった。ナタルが振り向き眺めた先で、艦長は深く考え込むように口元を右手で抑えていた。

「不可能です。この艦は下方へ攻撃は想定されていません」

 空を飛ぶ戦艦が地表を攻撃できない。冗談じみた話だが、戦艦というものはえてしてそういうものだ。旧世紀、どれほどの戦艦が潜水艦からの攻撃で撃沈されたことか。また、アーク・エンジェルの飛行性能はあくまでも航空のためのものであり、空戦は想定されていないのだ。艦長が悪いと考えたわけではない。それでもつい席を立ってまで声を荒げることを、ナタルは自身を止めることができなかった。

「ではどうしろと!?」

 答えは、意外なところから返ってきた。ブリッジ前方の半円状に設置された全面ガラス張りの壁。風防に最も近く肉眼で直接外の様子を見眺めることのできる位置に舵は設置されている。ブリッジの中でもっとも戦場に近い位置に立つ少女、フレイ・アルスター二等兵はまっすぐ前を向いたまま、ナタルに届く声を出した。

「ナタルさん座って!」
「君は一体何を……?」
「いいから座って!」

 決意を感じさせる言葉に反論することもなく席に座ることにする。

「ラミアス艦長。今からバレル・ロールします。みんなに何かに掴まるよう言ってください、今すぐに!」

 ブリッジが騒然とした。慌ててベルトを締めなおす者もいれば、そのベルトが緩んでいないかを確認する者もいる。あるいは、艦長のように悲鳴にも似た声を出した者もいる。

「アルスター2等兵!?」
「早く!」
「艦内各員へ。これほり本艦は背面飛行を行います。何か近くのものに掴まり衝撃に備えなさい! とにかく急いで!」

 艦長の言葉を言い終えるよりも先に舵が勢いよく回され始めた。アーク・エンジェルが大きく傾いていく。ナタルは心の中でもう二度とジェット・コースターは乗るまいと固く誓っていた。




 空の上で世界がゆっくりとひっくり返った。アイリスは、いや、アイリスのみならず戦場の多くの場所で、モビル・スーツも人も、同じように首を上に向けていた。アーク・エンジェルの白い艦体が大きく傾いたかと思うと、もうこれ以上は回らないだろうと予測される角度を超えてもさらに回転し、艦体が逆さまになる一歩手前でようやく落ち着いた。

「フレイさん、無茶苦茶ですよ……」

 アイリスはこんなことをしでかした人物の顔を思い浮かべながら、アーク・エンジェルの各砲門が地上へと向く様子を眺めていた。途端に、砂漠に火柱が立ち上り、砂が弾け飛ぶ。どれだけモビル・スーツが高火力の道をたどっても、総合火力はどうしたって戦艦を上回ることはできない。ザフト軍は突然の砲撃にさらされ、散り散りとなった。デュエルに殺到していたザフト軍のモビル・スーツは、その勢いを完全に削がれていた。
 ただ1機。降り注ぐ弾薬の中をかまいもせずに突進してくるのはGAT-X303イージスガンダム。GAT-X102デュエルガンダムのそばにアーク・エンジェルは攻撃を仕掛けない。かえって安全だと踏まれているのだろう。実際、アーク・エンジェルの降らせる爆発はデュエルを包囲するザフト軍を中心に生じており、イージスはまったく危なげなくデュエルへと接近してくる。
 武器はすでにない。左手の指は破壊され、装甲そのものは無事であってもパイロットであるアイリス自身が負傷している。
 イージスはビーム・ライフルを使わずビーム・サーベルで決着をつけたいらしい。アーク・エンジェルの攻撃をかわす関係上、デュエルと距離を開けることができないのだろう。両足のつま先に発生させたビーム・サーベルを振り回し、アイリスは回避のために大きく動かざるを得なかった。バック・ブーストで飛びのく。砲撃に巻き込まれてしまわないよう後ろを気にしすぎてしまった。イージスは足を器用に動かしてサーベルを伸ばした。フェイズシフト・アーマーの強烈な閃光に装甲が破損したことがわかる。
 肩の装甲に一筋の溶けた筋が走っていた。アイリスがこのことを確認した直後に、胸部にもサーベルがなぞった後がついていた。
 敵の攻撃はアイリスの考えるものよりもひとつ分早い。

(あの時も、こうでしたね……)

 もう10年も前。あの時と同じだ。アイリスよりも強くなるよう生み出された人たちと戦ったことがあった。炎と煙。人の死がちっぽけに見える惨状の中、アイリスは戦っていた。覚えていないのに確信があった。だから知っている。あの時も、アイリスはこうした。
 デュエルの右腕が一直線にイージスの顔面へと突き刺さった。フェイズシフト・アーマーはマニピュレーターにも一部採用されている。それでもフレームそのものは単なる細い金属板をつなぎ合わせたものでしかない。ガンダム2機分のフェイズシフト・アーマーの輝きの中、右手の指が残骸となって散っている。イージスは完全に虚をつかれたのだろう。顔面を強打されたことでたじろいだようにのけぞる。指は砕けても、その方がかえって都合がいいこともある。左腕、イージスによって指を撃ち抜かれたことで袖口から先は欠損してしまっている。袖の装甲そのものを鈍器として使えるということ。
 アイリスは何かを振り切るように強く息を吸い、突きとともに吐き出した。デュエルの突きがイージスの腹部へと突き立てられる。正確なコクピットの位置なんて知らない。それでも強引な一撃は甲高い金属音を響かせて、光を輝かせて重たいはずのモビル・スーツをわずかに浮き上がらせてそのままイージスを仰向けに倒す。モニターには左腕のフレームに損傷が発生したことを示す警報が流れていた。
 これ以上の戦闘継続は不可能としか思えなかった。次第にアーク・エンジェルからの砲撃の音と煙とが少なくなっていく。上空では戦艦が元の位置に戻ろうとしていた。
 ザフト軍は追い払われたように遠くに離れている。イージスはすぐに動くことはできないだろう。今しかない。デュエルが走り出す。少しでも助走が欲しい。足をとってくる砂にわずらわしさを覚えながら、その腹立たしさを解消するように強く大地を蹴りつける。浮き上がったデュエルの体をスラスターが一気に押し上げていく。モビル・スーツに飛行能力はないと聞いている。それでもガンダムほどの余剰推進力を持つ機体なら飛んでいると思えるほど高く浮上することもできなくはないそうだ。
 デュエルはスラスターの推進力に無理やり機体を押し上げているため、振動が思いのほかコクピットを揺らしている。モニターにはアーク・エンジェルの白い装甲が次第に大きく見えてきた。こうして外から見ると、アーク・エンジェルはとても大きい。速度をあわせてくれているのだろう。アーク・エンジェルの横を通り抜けて、足のように突き出した構造の間の甲板へと目標を定めた。ブリッジのふもとにいるする甲板へ、デュエルをゆっくりと着陸させていく。見上げればブリッジの様子が見えるかもしれない。
 一息つく時とはきっとこんな時。デュエルは傷だらけで、アイリスも口の中を切ってしまった。

「見事だったぞ、アイリス。だが、君はそれほどの操縦を一体どこで?」
「私もよくわかりません。でも、モビル・スーツに乗ったの、デュエルがはじめてじゃない気が……!」

 モニターの隅に何かが映った。アイリスが気づいた時、それはモニター一杯に拡大されていた。デュエルの顔面に迫るイージスの足。衝撃にさらされたフェイズシフト・アーマーが放つ輝きはメイン・カメラを通してコクピット中を埋め尽くす。弾き飛ばされたデュエルはブリッジを持つブロックの壁に叩きつけられて、早く起き上がらなければならない、そんな意識は目の前に突きつけられたビーム・サーベルによって萎んでしまう。

「アイリス!」

 ナタルの声がした。アイリスは目を閉じてそっと訪れる死の瞬間を待っていた。それでも、それはなかなか訪れない。恐る恐る目を開けてみると、イージスはビーム・サーベルを消して、額の一部を点滅させていた。規則正しいようでどこかばらばらで、何かを伝えているようにも見えた。

(モールス信号……なのかな?)

 そうだとすればきっとイージスのパイロットはわかっていて当然として送ってくれているのだろう。ただ、アイリスには何がなんだかまるでわかっていない。どうしたらいいのか、何をすればいいのか。そんな頭を徹底して混乱させている内に、イージスはこともあろうにコクピット・ハッチを展開し、パイロットがその姿をさらした。何となく、コクピットを開けないといけないことはわかる。アイリスはハッチを開く。強風がとたんにコクピットの中に吹き込んでくる。無理もない。ここは飛行を続けるアーク・エンジェルの上なのだから。ただ、デュエルの前に立っているイージスのおかげでだいぶ風は柔らいでいるようだった。風に逆らいながらコクピットから身を乗り出すと、イージスのパイロットはヘルメットを外し、アイリスのことを見下ろしていた。
 くすんだ金髪はあまり手入れが施されているようには見えなくてどこか少年を思わせる少女だった。アイリスはこの人を知っている、そんな気がする。不機嫌そうにも見える厳しいまなざしでアイリスのことを見ていた。

「その髪に瞳。ヒメノカリスじゃないからアイリスか?」
「ギーメルさん……?」
「その名前で呼ぶな。私はカガリ・ユラ・アスハだ。その様子だと記憶を取り戻したわけじゃなさそうだな」

 記憶の引き出しがどこかに引っかかって開けることができない。後少しで思い出せそうで、それでも思い出すきっかけがなくて思い出せない。そんな煩わしさが胸に芽生えた。この人のことを知っている気がする。しかし確信が持てなくて、それでも相手はアイリスのことを知っていて、アイリスはこの人知っているような気がして仕方がない。

「時間はない。端的に答えろ。アイリス、記憶を消され市井に放たれたはずのお前が何故ここにいる?」
「え? その、成り行きで……」

 しどろもどろになりながらこうとしか答えようがなかった。ヘリオポリスで学校に通っていて、アーク・エンジェルに救助されて軍人になったところデュエルガンダムへの搭乗を求められた。それこそ成り行き任せにこうなったとしか説明のしようがないのだから。そんなアイリスの態度に、カガリは目に見えて表情を険しくする。

「バスターのパイロットはアスラン、お前にもわかるだろうが、かつてのアルファ・ワンが務めているそうだ。そもそもガンダムを開発したのはゼフィランサスだ。ドミナントとヴァーリがこれでもかというほどそろっている。これを偶然で片付けるほど私は夢見がちじゃない。そしてお前までもがここにいる。アイリス、正直お前に答えられるものなのかはわからない。だが私は聞かざるを得ない。今、一体何が起きている?」

 上空を吹きすさぶ風の音ばかりが響いていた。カガリの待機とアイリスの沈黙の間を、風がただただ吹いている。




 砕けた大剣を投げ捨てて、GAT-X105ストライクガンダムは両手にダガー・ナイフを抜き放つ。まだ戦うらしい。ラゴゥにはビーム・サーベルが装備されている。すでにガンダムの絶対性は神話と化している。ビーム・サーベルを振り回せたことに比べればストライクは、少年は不利な状況におかれていることは明白だった。それでも、少年はまだ戦うつもりでいるらしい。

「まだだ!」

 くじけぬ心を持つとたたえるべきか、現状を認識できない諦めの悪さをなじるべきか、アンドリュー・バルトフェルドはどちらでもいいと息を吹く。ラゴゥのモニターには迫るストライクの姿があった。カルミア・キロが放つビームをストライクはかわした。それは強引なもので、腰の辺りをかすめたビームはフェイズシフト・アーマーを輝かせる。

(ハウンズ・オブ・ティンダロスにこだわりすぎているようだね、君は)

 振り回されるナイフを恐れる必要などない。四足を動かしながらラゴゥは軽い身のこなしでナイフをかわし、後ろへと飛びのくことであっさりとナイフの間合いから離れた。

「何度やっても結果は変わらんよ。電卓をどれほど叩こうが、1+1は2だろう」
「お話にならないわね。手段と目的を完全に取り違えてる。キラ君、戦場では冷静さを欠いた人から死んでいくものよ」
「カルミアに何が……!?」

 言葉の勢いとともに突進してきたストライクへと、カウンターのタイミングで飛び出したラゴゥの前足が直撃したのだ。顔面を強打されたストライクはデュアル・センサーのカバーが砕けた。ガラス片を撒き散らしながらのけぞるストライクへと牙--ビーム・サーベル--で撫でてやる。額のブレード・アンテナが膨大な光の中で斬れて落ちた。
 あまりに動きがよみやすい。目的は砂漠の虎をしとめること。手段はハウンズ・オブ・ティンダロス。この2つの枠にはまったまま自ら進んで身動きを封じているようだ、この少年は。

「ハウンズ・オブ・ティンダロス。クトゥルフ神話に登場する異形の猟犬ね。この技はね、回避の極限的技巧を語ったものにすぎないわ。技ではなくて、単にこんなこともできますよ、そう言っているだけなのよ」

 射撃を担当しているはずのカルミアはビーム・ライフルの発射を忘れて話に集中しているようだ。後部座席から少女の声ばかりが聞こえていた。

「キラ君はどうしたいの? もしもハウンズ・オブ・ティンダロスを完成させたとしてもそれでどうするの? ただかわせた、それだけのことでしょう。あなたはいつもそう。なまじっかすべてを手に入れることができる力を持ってデザインされてしまったからすぐに力に頼ろうとしてしまう。苦しくはない? 力だけに頼る人は、もっと大きな力にいつも屈することになる」

 今度切り取られたのは腰を守るサイド・スカートの装甲。なるほど、致命傷を避けるだけの技術は持っているようだが、その動きは無駄がないだけに無駄だらけだ。今の回避にしてもハウンズ・オブ・ティンダロスを使おうとしなければ、もっと余裕をもってかわそうとすれば機体が損傷することはなかったことだろう。そして、わざわざ最低限の動きでかわそうとしたにしては少年は反撃はできないでいる。結局ラゴゥが攻撃直後に大きく距離をとったからだ。ヒット・アンド・ウェイ。もともとラゴゥのような機体にはこんな攻撃法がよく馴染む。
 アンドリューが戦っている間もカルミアの言葉は途絶えない。

「それとも、そんなことはありえない? あなたがドミナントだから」
「僕は僕だ!」
「また意味のない技を使おうとした。今の攻撃はわざわざハウンズ・オブ・ティンダロスでかわす必要なんてなかったでしょ。それなのにあなたは無理にかわそうとして機体を危険にさらした」

 呆れたようなカルミアの声。少年はまたハウンズ・オブ・ティンダロスを実践しようとして、ビーム・サーベルをすれすれでかわそうとして失敗する。右腕がビームに深くえぐられ、内部構造が露出するほどだ。これでマニピュレーターを司るコードが断絶したのだろう。右指が不自然に開いて、握っていたはずのナイフを取り落とした。指は不自然な形で固まり、これでストライクの武器は左腕のナイフだけとなったわけだ。そして、仮にこのサーベルを絶妙な回避でかわすことができたとしてもそれで反撃ができたわけではない。ラゴゥはすでに離れた場所にまで走り抜けているのだから。
 先程からこれの繰り返しだ。ラゴゥが駆け抜け、すれ違いざまにサーベルを振るう。それを無理にかわそうとしてストライクが装甲を欠損していく。

「あなたがそこまでがんばるのはゼフィランサスのため? ユッカのこと、まだ気にしてるの?」

 ユッカという名前は初耳だ。しかし、花の名前だ。要するに、そういうことであるのだろう。
 そろそろ会話に参加させてもらってもいいだろうか。カルミアはすべてをアンドリューに話してくれているわけではない。ヴァーリという存在は聞かされてもその存在理由のすべては明かされていない。10年前に起きたヴァーリが離散する事件の詳細についても聞いても答えてもらってはいない。そして、ドミナントと呼ばれる存在についても同様だ。このままでは話についていけなくされてしまいかねない。

「少年。結局、カルミアが言っていることなんだがね、君の動きは目的と手段を完全に取り違えているようだ。君の目的は何だね? 僕を倒すことかい? それとも華麗に敵の攻撃をかわしてみせることかい? 君はひとつの手段に囚われすぎだ。目的を達成するためには何でもしてみせようっていう強欲さが感じられんね」

 この少年は強くなりたいのだろう。そのための手段としてハウンズ・オブ・ティンダロスの力を必要としている。それがそもそも誤りだとはカルミアが言っていた。この技術はあくまでも回避手段の一つを体系化--あまりに単純な理論をこう呼ぶこともおこがましいが--したものにすぎない。回避手段の一つにすぎないのだ。その場に応じた最適な回避というものが存在してしかるべきだが、少年はあまりにハウンズ・オブ・ティンダロスを使うことに気をとられすぎている。その度に失敗し、機体を傷つけている有様だ。
 たたずむストライクは全身に傷を持つ。決して完璧ではない技術という点では大差ないアンドリューのラゴゥは無傷だというのに。少年とアンドリューの間にはせいぜい壁なんて1枚しかない。その1枚の壁を、少年は一つのやり方にこだわりすぎて乗り越えられないでいる。

「しっかりとなさい、キラ・ヤマト!」

 自分がしかられたわけではないというのに、カルミアの叱咤の声は何とも心に響く。

「あなたが強くなりたいのはゼフィランサスを救うためでしょ! 自分を見失わないで!」

 さて、そろそろいいだろう。少年の成長を見てみたい気もしないではないのだが、ガンダムという存在はザフトにとって危険すぎる。破壊すべき対象であることに変わりはない。たとえ、カルミアにとって弟とも言える少年を失うことになったとしても。
 ラゴゥを突進させる。すでに伏線は張り巡らせている。いたるところが傷ついたストライクの装甲ならば、胸部ジェネレーターを一突きにしてしまえる。少年がハウンズ・オブ・ティンダロスにこだわる限りその動きはアンドリュー・バルトフェルドの手の内にあるのだから。1+1は何度計算しようが2になる。だが、2が打ち込まれたとすれば話は別だ。
 ストライクは大きく距離をとってラゴゥの進路上からその身をどけた。当然、ビーム・サーベルは大きく空振ることとなる。偶然か、それとも故意か。砂をえぐりながらラゴゥの勢いをとめる。ストライクの方へと振り向く頃には完全に勢いをとめ、ラゴゥは停止していた。突進の勢いに任せた戦い方をするラゴゥにとってそれは隙だらけであったとしてもよい。ストライクがすでにこちらへと飛び掛っていた。

「少年、君は……!」

 悠長に言い終える時間なぞ与えてもらえるはずがない。やむなくラゴゥの首を振り回し、ビーム・サーベルを薙ぎ払う。するとストライクは機体をわずかに後ろへとそらした。ビームの曖昧な先端が装甲の表面を撫でる。触れていると確信させられる触れていない距離。ハウンズ・オブ・ティンダロスの見せる見切りの極致。そして、ストライクは攻撃を回避したにもかかわらず、まるでかわした事実などなかったように攻撃を続行した。左腕のナイフがラゴゥの肩口に突き立てられる。鋼鉄の塊が突き立てられる鈍い音がコクピットの中にまで響いていた。損傷を伝えるアラームが煩わしい。
 追い払うためにサーベルを振るう。するとストライクは大きくバック・ブーストを吹かせ、あっさりと距離をとった。ナイフはラゴゥに突き立てられたままである。追撃は不可能と判断し、ハウンズ・オブ・ティンダロスを使うことはなかったのだ。
 一体何が起きた。ストライクの様子に何か変化が見られるというわけではない。すべての武器を失ったというのに、ストライクは何も変わってなどいなかった。静か、そうと思えるほど自然にたたずみ、月光がその白い装甲を青く染めていた。全身を鳥肌が駆け巡る。これは武者震いというものだ。ストライクはもはや数瞬前とはまるで違う敵に成り代わっている。武器もなく、しかしその闘志は徒手であろうとまったく目減りを見せない。

「カルミア、君はいつから魔術を始めたんだ? 言葉一つでこうも男を変えるものかね?」
「私はちょっと背中を押しただけよ。キラ君は、やっぱりいい子なんだから」
「やはり君は惜しいね。どうかね? 今からでもザフトに来ないか?」

 我ながら無駄なことを聞いたものだ。ストライクの、ラゴゥの装甲を通してさえ伝わる戦意に、投降だの懐柔だの無粋なものは不要なのだ。

「それは僕にとってもあなたにとっても本意じゃないはずだ」
「やれやれ、僕は指揮官失格だね。君と僕はよく似ている。自分の力を試したくて仕方がないのだろう!」
「僕はあなたという存在を超えたい!」

 目の前の強大な敵。打ち破れるか否かという瀬戸際が面白い。勝つことができたならそれは誉れとなる。敗北を喫したとしても、敵はさらなる高みを見せてくれる。どちらに転んでも楽しくて仕方がない。少年も同じようなことを考えているのではないだろうか。
 少年は無能でもなければ弱くもなかった。その力の使い方がわからなかっただけの話だ。本人も気づいていたのではないか。自身の方法では駄目だということが。だから必要としていた。道を変えるためのきっかけと、心を押してくれる存在を。

「さて、勝つのはどちらかしら?」
「おいおい、君はどちらの味方だい?」
「私はいい男が好きなのよ」

 まったく、カルミアは本当に楽しそうだ。




 アリスはいつのまにか機能を停止させていたようだった。いや、機能はしている。それでも、キラは冷静に戦いが見えるようになっていた。特に何かが劇的に変わったことなどないつもりだ。ただ、ハウンズ・オブ・ティンダロスがより体に馴染んだような実感はあった。所詮未完成の技術。そう受け入れるだけの下地があったからこそ、月下の狂犬も砂漠の虎もエース・パイロットとして知られているのだろう。彼らの戦いにあるのは妥協ではなく、自分にできることすべてを使った強引、強欲なまでの目的達成のための志なのだから。
 ハウンズ・オブ・ティンダロスは手段にすぎない。使う必要がないなら使わない方がいい。
 キラとアンドリュー・バルトフェルドの間にあった壁とはそんなことだ。目的達成の貪欲さ。自己を見つめる冷徹なまでの観察眼。わかっていたはずのことだった。たとえラウ・ル・クルーゼを倒すことができたとしてもゼフィランサスを救うことはできない。力は手段の一つでしかないのだろ。

(自分を見失うな、キラ・ヤマト!)

 最強の力が欲しいと考えた。それはゼフィランサスを救うために必要なことだから。それを取り違えていた。最強の力があればそれでいいと考えていた。だが力を持つということとと強さを兼ね備えるということは意味がまるで違う。それを教えてくれたのが、カルミアであり、そして砂漠の虎である。砂漠の虎は圧倒的な実力を持っているわけではない。それでもキラを圧倒し、その強さを示した。
 ただ考えるだけでいい。目的は何か。そのためにすべきことは何か。カルミアが言ってくれたように、砂漠の虎が見せてくれたように。目的と手段を。

「決着の時だ、少年!」

 ラゴゥが走り出す。ストライクもまた走り出した。武器はない。必要ない。武器は手段。目的ではない。目的を達成するための手段が他にそろえられているのなら、武器なんて、力なんて必要ない。ハウンズ・オブ・ティンダロスを飼いならすとはそんなこと。拘泥してしまってはならない。アリスさえもその手段にすぎない。
 これまでのように飛び上がるラゴゥの動きは、目に見えて遅いものだった。突き刺さったままのナイフが前足の出力を低下させているのだ。そのために肩にナイフを突き立てた。敵を倒すという目的がキラの中で結実する。
 迫るビーム・サーベル。その下をくぐるように身をかがめ、前足の一撃はストライクの装甲を頼りに受け止める。そして、ストライクの両腕をラゴゥの首に回し、そのまま抱きしめる。突進の勢いを受け止めて足が砂を滑って跡を残す。それでも腕はしっかりと虎の首にかかっている。ビーム・サーベル発生装置から伸びるケーブルはその胴へと吸い込まれていた。膨大なエネルギーの奔流が首と胴との間を駆け巡っている。

「誇り高き砂漠の虎よ! 僕はあなたと戦えたことを絶対に忘れない!」
「光栄だよ、少年」

 腕にこめられた力が首をへし折り、虎の胴をひずませていく。膨れだした炎が爆発となって戦士2人の体を包み込んだ。




 C.E.65.04.01はよく晴れた日だった。星空は満天、とはいかないが、地上の光にもめげない数少ない星々は夜空に瞬いていた。カオシュン国際空港は快晴。朝の天気予報はものの見事に的中した。だが、正直な話、欠航便が出るほどの土砂降りでも、モーガン・シュバリエはかまわないとさえ考えていた。
 この空港に滑走路はない。正確には存在するが、それは多くの人が思い描く滑走路とは趣きが異なるものだ。空港の待合室には滑走路に面したガラス張りの壁がある。このガラスの前に立つと滑走路の様子が一望できるのだ。それは長いレールのようにも見える。地べたに這う形でレールが伸び、それがあるところから急激に反り返り空へと突き出されている。
 マスドライバーと呼ばれる打ち上げ装置である。
 独力で大気圏を離脱できない航空機などを全長1800mにも及ぶレールが電磁誘導によって加速する。これによって航空機は第1宇宙速度にまで到達し、宇宙へと旅立つのである。宇宙にしか国土を持たない国も存在する現在、カオシュン国際空港は真の意味での国際空港であると言えた。
 ライトにその輪郭を映し出されるマスドライバーから、少々焦点を引きつけると、ガラスには似合いもしないコートを身につけた中年の髭おやじが映し出されている。
 他ならぬモーガン・シュバリエ本人である。
 その隣りには大きな旅行鞄を持つ女性が立っている。同じ方向を見ているので、その顔は鏡の役割をするガラス越しに見ることができる。どうということのない女だ。髪が長いでも短いでもない。化粧が濃いということもない。どこにでもいるような女でしかない。ただ、平凡ながらもその素朴さに惚れたと言ってしまえば、それはのろけ話になってしまう。

「どうしても行くのか?」

 別に別れ話をしているわけではない。声は普段通りのしわがれ声である。女房にしても、世間話でもしているかのような気軽さである。

「何度も話し合ったことでしょ。血のバレンタイン以来、地球連合とプラントとの対立は強くなる一方。ブルー・コスモスなんて人たちがコーディネーター研究施設を襲撃したなんて話を聞かされて怖くならない方が変よ」

 過激な環境保護団体という奴はいつの時代もいるものだ。モーガンは特に気にしていないが、妻は神経を尖らせていた。無理もない。妻も子もコーディネーターであるのだから。
 地球で反コーディネーター思想が高まることを恐れてプラントへ疎開を始めるコーディネーターはこの頃多いのだと聞く。この待合室にはプラント行きの便に乗り込む人が集まっているはずだ。その多くはコーディネーターであるのだろう。
 モーガンは別段それが特異なこととは考えていない。

「地球にだってコーディネーターを理解している奴はいる」

 ガラスに映る妻の顔ははっきりこそしないが微笑したように見えた。

「あなたみたいにね」

 だが、それが地球に残る理由にはなってくれないらしい。大変、残念なことだが。
 妻はこちらを向いた。モーガンに比べ目線が少々低いため首を横へ向けるとともに下に曲げてようやく視線が合う。

「少し落ち着いたら、プラントにも顔を見せて。あの子もお父さんがいないと寂しがるでしょうから」

 首を少々上げる。するとモニカの頭上を通り越してシャトルの搭乗口が見えた。そこではこれから自分が乗るシャトルを目を大きくして眺める子どもが1人。モーガンの息子である。今年で10になる。そろそろ生意気になり始める年頃だ。ただ、シャトルを嬉々として見つめるその姿はまだまだ子どもだ。
 息子の様子を眺めたまま、モニカには返事をしておく。

「ああ。行くさ、必ずな」

 妻は手を小さく振ってから搭乗口へと歩き出す。そのすぐ後ろについて搭乗口にまで歩いた。息子は妻からチケットを渡されると、とっとと改札を抜け、シャトルへ繋がる通路に入ろうとする。

「じゃあね、父さん」

 通路に消えてしまう直前になってようやく振り向いて手を振ってくれた。もっとも、それはおまけのようなものであったらしく、すぐに通路へと入ってしまう。次は妻の番だ。息子とは違い落ち着いた様子だが、手を振ってくれたのは通路に入る直前だけというところは共通している。
 こちらも軽く手を振って、2人を見送った。
 今日は4月1日。エイプリルフールだ。だが、最後までプラントへ行くなんて嘘だとは、これからも側にいてくれるとは言ってもらえなかった。
 仕方がない。モーガンは元のガラスの前に戻ることにした。ガラスを通して見える光景の中に、家族が乗り込んだシャトルの姿がある。旧世代のスペース・シャトルとその形状はあまり変化していない。しかし安全性と燃費破格段に向上しているのだそうだ。
 マスドライバーなら、より安全に2人をプラントへと届けてくれるだろう。今時、宇宙に行くのはガガーリンのような熱意を持った一部の人間ばかりではない。
 ただ、出発までまだ時間がある。それがどれくらいか確認しようとして、腕時計を顔の前に持ってこようとした。
 そして、照明が落ちた。
 思わず顔を上げる。すると、この停電は空港中で起きていることがわかった。見える明かりは独立電源を有するシャトルの灯火と、空の星々しかない。代わりに、声は空港に満々ちていた。混乱して悲鳴を上げる人もいれば、見失った身内を呼ぶ声がする。
 モーガンは記憶だけを頼りに搭乗口を目指して走り出した。まもなく、改札の役割をかねるゲートらしきものに体を打ちつけた。出てきたのは苦悶の声ではなく、疑問のそれである。

「何があった!?」

 空港関係者の姿など見えてやしない。見当のみで怒鳴ったのだ。幸い返事は闇の中からあった。

「わからん! 急に送電がストップしたんだ!」

 慌てているのはあちらも同じであるらしい。コンソールを荒々しく叩く音こそ聞こえるが、それが成果を上げている様子はない。電力なしで動く機器などあるものか。

「補助電力があるだろう!」

 相手の姿を確認できないままの怒鳴り合いが続く。

「空港中の電力を賄えるものか! 誰も想定していなかったんだ! まさか、ツィマッド社とジオニック社からの送電が同時に、しかも完全に絶たれるなんてことはな!」

 どちらも子どもでも知っているような電力会社である。それがどれだけの電力を配給しているかは想像に難くない。しかし、それが同時に配給を停止した理由はどうしても思い浮かばない。まさかすべての原発が同時にテロにでも見舞われたのか。
 あり得ない。それほどの組織力を有するには国家規模の資金力を必要とする。そして国家はこのような大それたことは行わないものだ。考えごとをしている最中にも事態は刻々と深刻の度合いを増していた。
 轟音が響きわたる。人々が一斉に振り向いたような風を切るような音がした。ガラスに隔てられた外で火柱が黒煙を立ち上らせていた。暗闇に揺らめく炎が、傷ついたマスドライバーとその周囲に散乱するシャトルらしき残骸を照らしていた。
 この状態では管制塔も満足に機能していないはずだ。誘導灯も照らされているはずがない。目はやがて暗さに慣れてきた。目の前にあったものは、やはりゲートである。これを跳び越えたところで、誰も咎める者などいなかった。
 シャトルへと通じる通路の扉を開けようとするが、自動開閉式の扉は電源を絶たれた今、こじ開けようとしても開くものではなかった。
 再びゲートを乗り越える。続いて向かったのは窓の前だ。窓の外に灯火に縁取られたシャトルが見える。妻子が乗っている便だ。
 もう一度、耳を覆いたくなるような音が響いた。巨大な火花が、音の正体をまざまざと見せつけてくる。マスドライバーの大きく反り返った部位に着陸を失敗したシャトルが片翼を衝突させたのだ。
 マスドライバーには翼が深く食い込んでいる。シャトルの方は翼をもがれ、その姿勢を大きく崩した。そうしてシャトルが墜落する先は、こともあろうに妻子が乗り込むシャトルがある。
 モーガンは我を忘れて窓を殴りつけた。何度も幾度も。固いガラスの代わりに手の甲が裂けた。流れた血が窓を汚して、ここには不可侵の壁があるのだと見せつけようとする。
 夫の目の前で妻が、父の眼前で息子が、その命を落とした。
 エイプリルフール・クライシス。
 モーガン・シュバリエがこの名を、プラントによってなされた暴挙の名を知ることになるのは後の話である。




 肌寒い。しかし暖かい。月は夜風をしんと冷やしているのに、燃え残る戦火はアスランに温もりを伝えていた。焼け落ちた格納庫は天井の一角が崩れ、周囲で燃え盛る炎の光にも負けない星空が広がっていた。ここキンバライド基地は完全に沈黙していた。
 そして、アスランに支えられた男性が静かにその目を閉じていた。右半身の火傷がひどい。ノーマル・スーツは黒こげで、手には水泡が浮いていた。重度の火傷を負った証である。かすかに聞こえる呼気に空気が漏れるような音が混じることからは気管、あるいは肺に重篤な傷害が生じたことを意味している。もう長くはない。果たして意識がもどるかどうか。だが、月下の狂犬はそんなに柔な男ではなかった。うめき声とともに覚醒しておきながら、アスランの姿を目にするなり豪気にも笑って見せた。

「アスラン、お前か……」

 苦しいどころではないはずだ。この人と初めて出会った時のことを思い出す。焦げてしまったあごひげを揺らしてモーガン中佐は苦しげな咳をする。

「中佐!」

 モーガン中佐は左手が遅々とした動きで、痛みに耐えながら、苦しみにうめきながらそれでも胸ポケットから何かを取り出した。それは、ずいぶんと色あせ、端々が擦り切れた写真だった。中佐がどれほど大切に、肩身はなさず持ち歩いていたかがわかる。写真には中佐と、その隣りに女性が写っている。2人の間には男の子が楽しそうに飛び跳ねていた。男の子は心なしか中佐に似ている。

「息子さんがいらしたんですね……」

 こともあろうに、中佐は笑った。それでも中佐は笑う。笑う度に吐き出された血が唇に乗る。

「冗談だとは言ったが、嘘だとは言っていない……」

 たしかに、写真の少年はアスランとはまるで似ていない。死んだ息子に似ていたから助けた。中佐のこの言葉は嘘ではなくて、ほんの少し本当を歪めたお遊び。無理に笑ったことで、さしもの狂犬も一際多量の血を吐き出した。それでも写真が血に濡れないよう左手を動かしたのはさすがだというべきだろうか。支える手を通して、徐々にモーガン中佐の動きが小さく、死が忍び寄っていることがわかってしまう。

「C.E.65年、4月1日に死んでしまったよ。生きていれば、ちょうどお前くらいだった……」

 ニュートロン・ジャマーによってすべての核分裂は抑制され、我々はもはや核の脅威に怯える必要はありません。戦争の世紀と呼ばれた時代に生み出された悪しき負の遺産はもはや永遠に犠牲者を生み出すことはありません。ニュートロン・ジャマーの設計開発者であるオーソン・ホワイト議員の言葉である。この言葉はプラント中に流された。少々無骨な顔かたちをしたホワイト議員が誇らしげに演説台から身を乗り出している姿がとても印象的だった。これでもう「血のバレンタイン」のような悲劇は繰り返されることはない。子ども心にそう考えて、それは喜ばしいことだと考えていた。
 プラントでは情報に規制がしかれ、ニュートロン・ジャマーの投下によって結果として10億もの人的被害が生じたことを知ったのはそれから3年も後のことだった。その頃には地球での情勢も落ち着き、まるで過去の出来事でしかないというように単なる数字として受け止めた。プラントではすでにエイプリルフール・クライシスへの関心は薄れてしまっていたのだ。血のバレンタインを引き合いに出さない日など一日たりともないとして。もう6年になる。それでも、アスランが抱えている男性はいまだなおその苦しみから解放されていない。

「……俺は敵を殺してきました。敵以外の非戦闘員だってきっと。それは、そうしなければプラントが祖国が焼かれると考えたからです」

 搾り出すような始まりながら、話していく内に落ち着いたのか、徐々に言葉がはっきりとしてくる。なんとも簡単なことなのだ。モビル・スーツに乗るということは、モビル・スーツで人を殺すということは。コクピットの中に戦場の匂いは届かない。トリガーを引くだけで肉眼に触れないところで敵が死んでいく。敵のことなんて考えてこなかった。血のバレンタインを引き起こした、同胞の命を奪い去った敵が、実は敵もまた同じように奪われた者だとは考えもしなかった。

「間違ってはいないな。この戦争、どちらかが滅びるまで終わらんさ……」

 モーガン中佐はすでに写真を保持するだけの力も残されていない。左手は地べたを這い、指先が辛うじて写真を掴んでいるだけである。これ以上、声を出すことも辛いはずだ。それでも、アスランは問いかけをやめることができなかった。

「相手に焼かれることは許せない。でも、自分たちが焼くならかまわない……。そんな理屈がどこにありますか……?」

 モーガン中佐は小さく呼気を繰り返し、呼吸を整えようとしている。その間にも、アスランは言葉を繋いでおいた。

「血のバレンタインを引き起こしたナチュラルが許せない。そう考えて敵を討つことが当たり前だと思っていました……」

 それは小さな声で、それでもアスランに聞かせようとする強い意思を感じさせる声だった。

「お前は妖精のような奴だな、……アスラン」

 もちろん、言っていることの意味はわからない。するとモーガン中佐はまるで物語でも話すかのように滔々と言葉を繋いでいく。このことは初めてモーガン中佐と出会った時のことを思い出させる。

「天国と地獄の門が閉じられる時、地上に残っていた霊的な存在はそのどちらかに加わることになったそうだ……」

 言葉がとまる度、モーガン中佐は苦しげに小さな呼吸を繰り返した。それでも、物語は終わらない。

「そのどちらにも加わることができなかった奴らもいた。地獄に行くにはあまりに清浄で、天国に入るにはあまりに汚れている。そんな存在は地上に残り、妖精になった……」

 天国は天に在る国、プラントを。地獄は地球上の各国を示しているのだろう。ただ、それは単に地理上の比喩に過ぎないはずだ。アスランはプラントのためと割り切ることができないでいる。しかし、地球の国々のために戦うこともできるはずがない。

「俺が妖精なら……、俺はどうすればいいんですか……?」
「アスラン……。お前は逆立ちしたって、悪魔になんてなれやしない……」

 微笑んだまま目を閉じて、写真が指先からそっと離れた。息が不正な場所から漏れ出る息苦しい音が聞こえなくなるとモーガン中佐はまるで眠ったように穏やかになった。支える手からモーガン中佐の体温が急激に失われていってしまうような焦燥感に突き動かされ、アスランは叫んだ。

「モーガンさん!」

 10年前の2月14日、アスランは母になるはずの人を失った。大勢の仲間をうしなった。これからアスランは一体どれほど生きることになるかなんてわからない。後どれほどの別れを繰り返さなければならないのか。何にも手に入れてなんていないと思っていた。それなのにこの両手から大切なものが零れ落ち続けていく。それはどうしてもとめようなんてなかった。
 突然音がした。裂けた天井から吹き込む風とともに轟音が空から吹き降ろしていた。なんとも不吉に、黒い風が吹いていた。




 TMF/S-803ラゴゥの残骸は腹部から2つに裂け離れたところに落下していた。腹部ジェネレーターを砕かれたからだ。GAT-X105ストライクガンダムは残骸のそばでひざをついて座っていた。パイロットであるキラは乗降用のロープに足をかけ、砂地に足をつけた。ヘルメットはコクピットにおいてきた。夜風が火照った体を冷たく冷やし、熱を持った残骸からの放射熱がキラを苛むように熱している。
 キラの目の前には引き裂かれたラゴゥの前半分が見上げるほど大きな残骸と化して転がっている。ところどころ装甲が剥げ、裂かれ、それは腹部に近い場所ほど程度がひどいものとなっている。頭部は比較的原型を保っているとはいえ、トサカが半分に折れている有様だった。まるで喰い荒らされた巨大な骸のような有様だった。コクピットがあったと思しき胸部に近寄る。すると、キラの目線と同じ高さの場所に半壊したハッチがあった。損壊がひどく裂けた隙間に手を差し込んで引くと人の力でハッチは砂地へと落ちた。
 中は薄暗い。ハッチでさえこのような有様ではパイロットが生存している見込みはまずない。キラは自身を非情と感じたことがないではなかったが同時に冷静な分析ができる人間であると考えていた。パイロットの生存を期待していたわけではない。しかし、砂漠の虎を殺すことに、キラ自身は後悔なんてしないはずで、してはならないのだから。偉大な戦いをともにした先達の死を悲しみで汚してはならない。
 コクピット、いや、コクピットであった隙間から大きな塊が転がり落ちた。煤けて裂けたノーマル・スーツを着た大柄の遺体。砂に落ちたそれがキラに向けているのは背中だろう。虎と思しきエンブレムに大きな鉄片が突き刺さっている。首から先は爆発に飛ばされた破片に切断されていた。こんな時、信じる神を持たない者は無力だ。弔う術もしらなければ、死後の安寧を約束してあげることもできない。せめて敬礼でもしようと手を上げたとき、死せる虎が動いた。生きているわけではない。不躾と思わないわけではなかったが、亡骸を急いでどかした。

「カルミア!?」

 無傷とは到底言えない。ノーマル・スーツはところどころ裂け、細かい破片が飛び込んでいる可能性がある。それでも胸が定まったリズムで動いて確かに呼吸をしている。ヘルメットを脱がせると赤い髪があふれ出て、カルミア・キロが瞳を閉じていた。手を膝と背中の下に敷いて抱き上げる。ゼフィランサス・ズールよりも少し重い。それにしても特に歩くことが苦になるほどではない。助けられるかもしれない。
 ストライクの方へと歩き出すと、突然空が泣き始めた。轟音を涙として、その身を切り刻まれることを嘆いているかのように。
 月明かりに照らされた空を何機もの黒塗りの航空機が飛行していた。渡り鳥のように編隊を組み、総数は目算で7機。地球軍が一般的に用いる大型のVTOL輸送機で箱に無理やり翼を乗せたような不恰好な形は特徴的だ。しかし何故この場所にこの時に輸送機の編隊がザフトの勢力圏を飛行しているのかの説明は、今のキラにはできない。
 遥か頭上で、大型VTOL輸送機は後部ハッチを開いた。大きく、広く、口が開く。開かれた口の奥は深く暗い闇。そこから、月明かりに姿をさらした人の姿。右腕にはライフル。左腕にシールド。ゴーグル・タイプのデュアル・センサーを備えた巨人が輸送機から次々と飛び降り始めた。ザフトの機体ではない。その意匠はガンダムと似通った雰囲気をしている。しかし地球軍にとってガンダムは初めての試作モビル・スーツであるはずなのだ。量産機にしては開発が早すぎる。
 ありえないはずの機体が、空から降りてくる。



[32266] 第19話「舞い降りる悪夢」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/25 21:56
 それは人の姿をしている。この時代、この言葉が指し示す存在は3つしかない。ナチュラル至上主義者がコーディネーターを指して使う場合。でなければコーディネーター至上主義者がナチュラルを示して使用する場合。そして、その人の立場に寄らず、モビル・スーツはそうと呼ばれる。人の姿をした兵器だと。
 大型VTOL輸送機の格納庫から歩み出たのはモビル・スーツに他ならない。ザフト機とは異なるゴーグル・タイプのデュアル・センサー。右側頭部に直立するアンテナを備え、装甲にしてもストライクガンダムとGAT-X102デュエルガンダムの特徴を兼ね備え、簡略化したものが採用されている。それがガンダムを基に生産された量産機であることはようとして知れた。胸部は青く、腹部には赤。これはストライクと合致する。手足の大部分をくすんだ灰色が占めている。これはデュエルに近い形質である。武装は右手にライフルを、左手にシールドを構える。その姿はデュエルガンダムを彷彿とさせる。
 それもそのはず。この機体はGAT-01デュエルダガー。ビーム兵器をはじめて基本装備として採用した、地球最初の主力モビル・スーツであるのだから。地球のモビル・スーツ、ガンダムの系譜を受け継ぐ機体である。
 それが総数にして18。編隊飛行の左右を占める6機の大型VTOL輸送機から各3機が次々に砂漠へと跳び下りた。




 アーク・エンジェルのブリッジでは誰もが輸送機から降下するモビル・スーツの群れを眺めていた。艦長であるマリュー・ラミアスであろうと、そのほかのクルーであろうとそのことに大差ない。ただ呆然と、その光景に目を奪われていた。こんなことはありえない。あってはならない。大西洋連邦が有するモビル・スーツ開発のノウハウは穏健派が独占しているはずである。そして、穏健派が量産を開始したならマリューの耳に入らないはずがない。
 では、これは何だろうか。目の前のこの光景は。

「輸送機から入電です!」

 ここで、マリューは珍しい声を聞いた。ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世伍長は通信士である。単艦での活動が多いアーク・エンジェルが友軍と共闘することは極めて少なく、少なくとも実戦においてははじめてのことではないだろうか。マリューは一瞬何が起きたのか判断することが遅れてしまった。事態を把握するまで数秒必要とした。それから慌ててダリダ伍長の方を向くと、伍長は辛抱強くこちらを見ていた。
 そろそろ、威厳ある艦長に戻らなければならない。

「ダリダ伍長、入電の内容は!?」

 無意味に手を突き出して、伍長に報告を促す。時には、こんなパフォーマンスも必要だろう。

「はい! こちら、ニーレンベルギア・ノベンバー中尉。貴艦を援護する。早急にこの空域を離脱されたし。以上です!」

 ダリダ伍長が告げた名前に聞き覚えはないが、違和感がある。中尉程度の階級で2個中隊もの戦力を指揮する権限が与えられるとは考えられない。それに、わざわざ通信ではなく、電報を用いたことも謎である。口元に手を当てて考え込もうとする。ところが、その手は、突然だらしなく開いてしまった口を隠すためにその用途を変更されてしまった。だが、見開かれた目は隠すことができない。
 マリューが視線を向けるモニターには編隊の先頭を行く大型VTOL輸送機の後部ハッチが、正確にはそこから身を乗り出すモビル・スーツの姿を眺めていた。量産機などではない。ブレード・アンテナを鋭く伸ばし、顔を持つ。人がガンダムであると認識する、顔を持つ機体がハッチから身を乗り出していた。ガンダムが確かに、そこにいる。




 大型VTOL輸送機のコクピットは戦艦のブリッジのように動きやすさを考慮した広さにはなっていない。操縦士と副操縦士が席を並べて無数の計器の前に座るとそれだけで手狭な印象を受ける。シートのすぐ後ろにはドアがあり、機体の大きさの割りにこじんまりとしている。それこそ、1人が余裕を持って立つことができる程度の広さが余っているだけである。そして、シートの後ろにはすでに人が立っている。
 副操縦士は後ろを振り向くことなく、その人物へと声をかけた。

「各機降下を終えました。後はここのガンダムのみです。ノベンバー中尉」

 操縦士と副操縦士席の間の隙間に手が割り込んだ。女性の、それも少女の手だとわかる。白衣に包まれた女性ものである。その指が通信のスイッチを押す段階に至ってようやく、2人の操縦士が振り向くことなく少女を目にすることができるようになる。白衣を身につけ、漆黒の瞳と髪を持つ。律儀に切りそろえられた前髪に覆われて見えるその顔は、操縦士には知る術もないが、ゼフィランサス・ズール、ヒメノカリス・ホテルと同じものであった。ヴァーリである。
 通信スイッチに指を置きながら、声をかけてきた副操縦士を見る顔には微笑が浮かんでいる。

「私の階級なんて便宜上のものに過ぎませんのに。それとも、軍人さんは階級をつけた方が呼びやすいのかしら?」

 副操縦士は答えない。まだ30に差し掛かった程度の若い男性でヘルメットから覗く顔は明らかに困惑している。若い女性のあしらい方を心得ていない様子が見て取れる。ノベンバー中尉と呼ばれた少女はあっさりと副操縦士から関心を通信機へと移した。

「カズイ、あなた病み上がりだから無理はしないこと。いいかしら?」

 この通信は格納庫へと、正確には格納されている3機のガンダムへと繋がっている。この輸送機は本来モビル・スーツの運用を前提に設計されていない。よって通信は音声のみを通すだけである。少女の、ニーレンベルギア・ノベンバーの言葉に対して返事があった。それは少年の声で、しかしどこか幼い抑揚を帯びている。

「うん、わかった」

 ニーレンベルギアは続いて、隣りのスイッチへと指を移した。

「ロベリアはカズイの援護をしてもらえるかしら?」

 返事は少女の声音。どこにでもいるような、そんな雰囲気が通信を通り伝わってくる。

「やってみる」

 続くスイッチへ。

「ヒメノカリスお姉様、……本当にそんな格好でいいの?」

 副艦長が見せたような困惑顔を今度はニーレンベルギアが見せた。ニーレンベルギアはNのヴァーリである。13女にあたり、11女のHのヴァーリであるヒメノカリスは出身の研究室が異なるとは言え姉に当たる。しかしここからではヒメノカリスの姿は見えない。ただ、ニーレンゲルギアの記憶が確かなら、ヒメノカリスはドレス姿のままで機体に乗り込んでいた。お父様からいただいた純白の衣装を纏い、お人形のような髪型をしてパイロット・シートに座っていた。
 お姫様の恰好をした少女は、それこそ夢見る乙女のような返事をした。

「この方がお父様は似合うって言ってくれるから……」

 ニーレンベルギアは微笑みながらもため息をつくほかない。何はともあれ、舞台は整った。ニーレンベルギアは出撃を命じた。




 大型VTOL輸送機より、3機のガンダムが降下を順々に降下を開始する。
 GAT-X1022ブルデュエルガンダム。
 蒼を冠された、デュエルガンダムの追加装甲を扱う実験機である。その特徴は体の各所に施された沈んだ青をした追加装甲にある。脚、腕を守る装甲は武器コンテナを兼ねる洗練された形状をしたもので、決して鈍重な印象は与えない。胸部、肩部の装甲はまさに装甲といった重厚な堅牢性がデュエルを包む。右肩に取り付けられたシールドと、その盾に守られるように設置された小型レールガン。加えて、背部に増設されたウイング状のスラスター・カバーの下には、所狭しとスラスターがひしめいている。ブルデュエルガンダムが単なる防御力を強化された機体ではないことを強く主張して譲ることはない。
 ブルデュエルは脚に備えられたスラスターを逆噴射し着地の衝撃を和らげたかと思うと、砂に脚をつけた途端に一気に前方へと加速した。前傾姿勢で滑空するブルデュエルが目指す先ではザフト軍のTMF/S-3ジンオーカーが2機バズーカを構えた。ガンダムを守るフェイズシフト・アーマー相手にも、バズーカなどの質量弾は有効である。ジンオーカーは同時にバズーカを発射する。
 青のデュエルのコクピットの中では、少年は呆けていた。大西洋連邦軍のノーマル・スーツを着込んでいるがヘルメットはつけていない。その代わりとして、異様な数の包帯が顔、頭に巻きついていた。髪がわずかに包帯の隙間から覗くばかり。目の周りこそ包帯はどけられているがその目には生気が感じられず、まるで眠っているようでさえある。この少年を、ニーレンベルギアはカズイと呼んでいた。
 バズーカの弾丸がデュエルを直撃する。爆発が生じ、煙が立ち上り、そして光がそれらにとって代わった。バズーカはまるでブルデュエルに損害を与えることができなかったのである。胸部、肩部に施された装甲は前傾姿勢で突撃を行うことを前提に、最も被弾率が高いであろう上半身にフェイズシフト・アーマーと内側にショック・アブソーバーを仕込んだ追加装備を施した。被弾箇所を限定し、その部位に集中して装甲を増設することで重量を抑え、スラスターを増設することで爆発的な突進力を得るに至った。

「うん、フェイズシフト・アーマーは正常。問題ないよ、ニーレンベルギア」

 包帯の少年、カズイはやはり眠たげな目をしたままでその視線をモニターに表示される文字列へと向けた。
 表示はビームガン。小手の追加装甲の内側からピストル型の銃器がせり出し、ブルデュエルの両手にそれぞれ装備された。ブルデュエルはビームガンを同時に発射する。ライフルに比べ、初速、出力、エネルギー効率ともに悪い。しかし、輝く玉として撃ち出されたビームはジンオーカーの装甲を破壊するに十分な攻撃力を有していた。一撃は近い位置にいたジンオーカーのモノアイを貫き、頭部を破裂させる。もう1撃はバズーカに吸い込まれたかと思うと、やはりそれを爆発させた。そして、ビームガンはライフルとは比べ物にならないほど連射性能を獲得していた。これだけでは飽き足らず、次々撃ち込まれる弾丸はたやすくジンオーカーを引きちぎると爆発の中へと放り込む。
 残されたジンオーカーは距離をあけようと後ろへと跳ぶ。ブルデュエルは逃がさない。増設されたスラスターが生み出す爆発的な加速力であっさりとジンオーカーを射程内に収めると、右手のビームガンをすばやく装甲へと戻した。そして、脚の追加装甲に取り付けられたビーム・サーベルを膝関節の横から取り出した。

「敵は殺すんだよね、ニーレンベルギア」

 カズイはそう言いながら、逃げるジンオーカーの背へとサーベルを叩きつけた。背中を斜めに深々と切り裂かれたジンオーカーは爆発し、跡形を残すことさえない。




 GAT-X103APヴェルデバスターガンダム。
 与えられた名は緑である。GAT-X103バスターガンダムよりもより光沢鮮やかな緑色が各所に配色されている。肩、胸を覆う追加装備は重厚よりは頑強。肩には後部に突き出る形のスラスターカバーが増設され、その上にレールガンが各1門設置されている。より大型化した赤褐色のバイザーが顔を覆い、両腰にはバスターガンダム同様、アームで連結されたライフルは健在である。
 パイロットであるロベリア・リマはコクピット側壁からスコープを引き出して左目に当てていた。ノーマル・スーツを着込み、スコープとヘルメットに顔が遮られている。そのため、ロベリアがヴァーリと同じ顔をしていることを知ることしかできない。付け加えるなら、ロベリアはスコープを通して、遠く離れた場所にいるレセップス級へと狙いを定めていた。

「大気中でのビームの使用はビームの拡散に加え、熱量の減衰率を鑑みて長距離射撃には適さない。この距離でレセップス級に十分な損害を与えるためには、弱点を正確に狙い撃つ必要がある」

 さもマニュアルでも読み返すような口調でロベリアは言った。操縦桿を掴む指は他の機体には見られないボタンを1つ押し込んだ。すると、覗くスコープの中でヴェルデバスターが両肩に背負う2門のレールガンに特殊弾丸が装填されたことが表示された。
 装弾筒付翼安定徹甲弾。貫く。ただその目的に特化した弾丸である。弾丸の威力は運動エネルギーに、貫通力は断面席面積に依存する。限りなく細い弾体を、限りなく速く撃ち出すことができれば、万物、森羅万象、有象無象、この世に存在するものをあまねく貫く射撃が可能となる。現実はそこにまで達していない。細くし過ぎれば弾体は強度を失なってしまう。物質を理論上の最高速である光速にまで加速させることは現実的ではない。貫く。その理想を求めるための弾丸である。弾体はタングステン合金製であり、細く長い。まるで矢のように。レールガンは口径が比較的大型に限定される。タングステンの矢を撃ち出すために装弾筒で弾体を包む。口径に合わせるためにケースで包むのである。
 スコープにはカズイのブルデュエルを狙おうとしているレセップス級の格納庫がある部位へと標準を合わせていた。接近戦に特化したブルデュエルにはレセップス級は射程外にある。しかし、ブルデュエルの後方にいるヴェルデバスターには十分に射程内である。

「カズイをやらせたりなんかするもんか」

 両手に握られた操縦桿。トリガーを同時に引く。レールガンが装弾筒付翼安定徹甲弾を発射する。銃口から飛び出すや否や、役目を終えた装弾筒が砕けて剥離する。それは知識として知っているだけのことで、肉眼で確認することは不可能である。それほどの速度で、矢はレセップス級を目指した。着弾。派手な爆発など起きない。レセップス級の分厚い鉄板を貫通して、丸い穴がスコープに映し出される。ヴェルデバスターは両腰のライフルを構えた。ヴェルデバスターに装備されたライフルはバスターの物とは異なりスケールダウンが施されている。これに伴い有効射程は減少したが、その代わりに得たものもある。命中精度の劇的な向上である。
 ライフルから放たれたビームは輝きを纏いながら、装弾筒付翼安定徹甲弾が先ほど開けた穴へとそれぞれが入り込んだ。ライフルが小型化されたことで取り回しがよくなり、命中精度は格段に上昇している。だから、こんな芸当も可能だ。レセップス級は一見変化がないようであったが、すぐに影響は現れた。スケール・モーターが停止した。砂を滑るように疾走していたはずが、砂を掘り進むようになる。すぐに砂が艦体の周りに盛り上がり、レセップス級は動きを完全に静止した。




 GAT-X105Eストライクノワールガンダム。
 禍々しい機体であった。ストライクガンダムとは異なり、胸部などの主だった装甲が漆黒、手足は灰色が薄く被っている。肩からはスラスターが角か棘のように増設されており、機体を鋭角にまとめようとしている。何より、背負うストライカーは不気味な印象を与えている。単にウイングが取り付けられているだけである。しかし、そのウイングさえ黒い。そして縦に折りたたまれた様は、悪魔が翼をたたんでいるようとも、柩を担いでいるとも思わせる。
 何をするでもなく砂漠にたたずむ姿は、怯えた獲物が跳び出してくる時を待つ大鷲であろうか。
 コクピットの中には白薔薇の姫君が腰掛ける。波立つ桃色の髪を指で弄びながら、肘掛部分にしなだれかかる。シートは玉座であり、ヒメノカリスは退屈な謁見者を迎えた姫君に他ならない。
 父である王に命じられ、息を吹きたくなるような時を過ごす姫であった。




 この援軍は完全な奇襲であった。無理もない。ザフトは大洋州連合を、月下の狂犬の相手に手一杯であった。何よりナチュラルがモビル・スーツを、それもビーム兵器を搭載した量産機を有しているなど知らなかったのだ。デュエルダガーは盾を並べ、ライフルを突き出し前進していた。夜の砂漠を巨人の群れが壁となって進んでいる。
 TMF/S-3ジンオーカーはライフルで迎撃する。これまで太平洋連邦のどの機動兵器相手にも十分な威力を発揮したアサルトライフルは、しかしデュエルダガーのシールドを貫くことはできない。開戦から4年にわたって使用され続けたアサルト・ライフルの性能を地球軍は知り尽くしている。仮にシールドを製造するとすれば、それは必ずアアルト・ライフルを仮想敵として開発されるが道理である。そうしてデュエルダガーを守るシールドが確かにザフトの攻撃を無効とした。
 意外なことかもしれないが、ザフト軍のモビル・スーツは対モビル・スーツを想定されてはいない。想定される敵は要塞、戦艦、あるいはメビウスなどの重戦闘機。何にせよ自分たちよりも機動力の低い敵機と戦ってきたのである。だから誰にとっても未経験のことであった。自分たちと同等の機動力を誇り、モビル・スーツと戦うことを前提に作られた機体と戦うことなど。
 デュエルダガーのライフルから放たれたビームはザフト軍モビル・スーツの装甲をたやすく貫通する。ガンダム・タイプほどの火力はなくとも、バイタル・エリアに撃ち込まれたビームはザフト軍モビル・スーツをいとも簡単に戦闘不能にするのだ。コクピットを撃ち抜かれたジンオーカーが力なくその骸を、かまわず突き進むデュエルダガーの足元に横たえていた。その厚い装甲ごと胸部ジェネレーターを破壊されたザウートは下半身しか原型を留めていない。
 戦闘はあまりに一方的に行われた。レセップス級大型陸上艦でさえ3機、1個小隊程度のデュエルダガーがビームを浴びせかけるだけでものの数分を経て残骸と化す。
 危機は必ず好機につながり、好機は危機を孕んでいる。モビル・スーツ技術を独占していたザフトに、対モビル・スーツのノウハウはない。モビル・スーツとの戦闘を想定していない地球軍を相手に、開戦当初ザフト軍は快進撃を続けていた。それがたやすく入れ替わってしまったのである。皮肉なことにザフト軍には対モビル・スーツへの備えはなく、ジンを倒すことを至上命題として性能開発されたデュエルダガーがジンオーカーを圧倒しない理由はなかった。
 ザフト軍がガンダムを執拗に付け狙った理由がこれである。単なる技術の問題ではないのだ。新機軸の兵器を敵が手に入れるということは、ザフト軍が有していた軍事的優位のすべてを奪い去ることを意味していた。ザフト軍は混乱のきわみにあった。どんな戦術マニュアルにもモビル・スーツとの戦闘を想定したものは記載されていない。誰も経験などしていなかった。自身と同程度の性能を有する機体との交戦など。
 開戦以来保ち続けたザフトの優位性は、あまりに脆く瓦解したのである。




 ザフトは撤退を決めた。もっとも、わざわざ逃がすほどの戦力が果たして残されているだろうか。8隻あったレセップス級はすでに半数以上が失われている。モビル・スーツにも甚大な被害が生じていた。レセップス級ペトロはエンジンが焼け付くほど出力を上げ戦線離脱を試みていた。その格納庫は、皮肉な表現だがまさに戦場である。撃沈された艦から乗り移った負傷者が床にシート1枚の上に並べられている。格納されたモビル・スーツは無傷のものなどなく、その足元を白衣を着た衛生兵が走り回っている。

「動けないモビル・スーツなど捨てておけ! 回収している余裕などない!」

 アンドリュー・バルトフェルド亡き後、陣頭指揮をとるのはマーチン・ダコスタの仕事である。自らも頭に包帯を巻きつけながらも部下に対して的確な指示を飛ばすその様子を、格納庫の片隅で眺める2人がいた。そこは資材が放置された一角である。1人は立ちながら、その顔には仮面がつけられている。もう1人は資材の上に座りながら、頬に張られた絆創膏の上から傷を掻いている。

「もっと優しい撃墜の仕方はなかったのか、ラウ?」

 声を発したのは傷を触る男の方である。長身で捲り上げられた袖口からは鍛え上げられた腕が伸びている。軽い調子で笑いながらそれさえも男の自信を強調しているかのよう。だが何より、男はこの場にはそぐわない、大西洋連邦のノーマル・スーツを着ていた。
 仮面の男は、目元を隠したまま口元を歪ませた。

「私の機体を痛めつけてくれたことを棚にあげて、ずいぶんと贅沢を言うものだな、ムウ」

 仮面の男の名はラウ・ル・クルーゼ。傷をもつ男はムウ・ラ・フラガ。2人の纏う空気は明らかに異質なものであった。誰もが焦燥している環境にありながら、それを楽しんででもいるかのように会話を嗜んでいる。いつ、撃沈されるかもわからない環境であるにもかかわらず、その程度の状況が彼らを慌てふためかすことはなかった。轟音が響くと、負傷者さえ跳ねるように首を上げ、あたりの様子を少しでもうかがおうとする。格納庫からではいくら目を凝らしても見えるはずもないが、そう割り切れるほど、コーディネーターとは合理的に作られてはいない。だが、ムウとラウは互いを見るだけで死の恐怖など意に介しはしない。その顔には笑みさえ浮かべていた。

「派手にやってるな、ムルタ・アズラエルはな」

 ムウの言葉は、戦禍に紛れて消えた。




 現在、GAT-X103バスターガンダムはレセップス級ペトロの甲板に立っていた。空母ではないペトロは平たい甲板などないが、そこはモビル・スーツの汎用性を生かし、残された右手をブリッジを有する構造に掴まらせることで機体を支えている。反対側ではニコル・アマルフィのGAT-X207ブリッツガンダムが左手をバスターと同じように支えとしていた。
 アスランはモニターにブリッツの姿が映っていることは理解していたが、敢えて見ないようにしていた。ニコルが暴走したことに、モーガン中佐を殺害されたことに怒りを覚えているわけではない。戦場で敵兵を倒すことは当然であり、時には味方に被害を出してでも任務を遂行しなければならない場合もある。ただ、今、ニコルにどんな言葉をかけるべきか、何も浮かばなかった。
 そうして目をそらしていると、ペトロを追いかけるように走行していたレセップス級がビームの雨に晒された。スケール・モーターに損傷が出たのか、急減速して見る間に後方へと投げ出される。高速で走行しているペトロの上からではそう見えたが、実際はレセップス級が止まっただけだ。そして、レセップス級は間もなく追いつかれてしまうだろう。
 今のバスターでは振り落とされないようにすることが精一杯だ。だが、このままではこのペトロさえ追いつかれてしまいかねない。同時に打つ手もない。フェイズシフト・アーマーだとて、量産機のビームは貫通するだろう。
 考え込む。それは、ニコルへと話しかけないですむ言い訳になる。考えなければならないことがあるから話さないのだ。そう、自分に言い訳していると、唐突に通信が入った。それは、普段仲間内で使用しているチャンネルのもので、ニコルか、ジャスミン・ジュリエッタからのものということになる。ジャスミンである理由は思いつかない。ニコルとも考えにくい。すると、通信機から聞こえた声は、ニコルのものだった。

「生きてください、アスラン」
「ニコル?」

 意識が追いついてなんかいなかった。ニコルの言葉の意味を理解などしていなかった。声をかけられた。すると生じる自然な反応として、アスランは右を向いた。モニターの中で、ブリッツガンダムが、ニコルがペトロの上から跳び下りた。




 誰が悪いわけでもない。ザフト軍のキンバライド基地攻略作戦はアンドリュー・バルトフェルド指揮官が戦死しつつも成功した。敵にガンダムがいた以上、この程度の被害はやむをえない。たとえ敵の援軍に奇襲されたとしても、大西洋連合が新型モビル・スーツを開発していたなんて情報をそう簡単に入手できるはずがない。作戦に無理はない。敵の新型に圧倒されていたとしても、現場の誰かが悪いわけではない。誰が悪いわけでは決してない。それなのに、責任をただの1人でとろうとしている人がいる。そのことに、ジャスミン・ジュリエッタは我慢することができなかった。
 ザフト軍大型陸上戦艦レセップス級ペトロの格納庫。そこに格納されているTMF/S-3ジンオーカーの中で、ジャスミンは叫んだ。

「どいて下さい! 出撃します!」

 声はモビル・スーツの拡声器を通じて格納庫中に響く。ここには負傷兵が床に寝かせられていたが、そんな身動きさえとれない人でさえジャスミンのジンオーカーを見上げている。その中で頭に包帯を巻きつけた若者が1人立ち上がりジンオーカーを睨み上げた。負傷者は寝ている。看護の人は跪いて治療にあたっていた。よって、この人はそのどちらでもない。
 マーチン・ダコスタ。アンドリュー指揮官亡き後の代理司令官である。

「無茶を言うな! 今そんな余裕はない!」

 状況をよく見ろ。そうとでも言わんばかりにマーチンは手を大きく振った。その手が届く範囲にさえ、腹部に巻かれた包帯に血をにじませた負傷者が痛々しい姿を見つけることができる。 モビル・スーツを出撃させるにはこんな負傷者も動いてもらわなければならない。ジャスミンとて、それがわからないわけではない。無意味なことではありながら、バイザーの中でまぶたを強く閉じた。それでも、映像は視神経を経由しないため、マーチン代理の横に仮面の男性が歩いてきたことも見えてはいた。
 ジャスミンたちの隊長である、ラウ・ル・クルーゼである。いつも冷静な人で、しかし、今はそれが冷たいとしか思えない。

「ジャスミン、ダコスタ指令代理の言葉は正しい」

 レセップス級が逃げおおせているのは、ニコル・アマルフィが戦場に残っているからに、囮を買って出たからに他ならない。そして、アスラン・ザラもそんなニコルを助けようと戦場に戻ってしまった。そのことを、隊長は知っているはずなのだ。

「クルーゼ隊長、でも! アスランさんとニコルさんが!」

 どれだけガンダムが高性能だろうと、敵機は20機を超える2個中隊もの戦力である。さらにビームまで装備している。たった2機で覆る戦力差ではない。そのことだとて、隊長は、隊長なら理解しているはずなのだ。ジャスミンがどれほど激昂して見せても、クルーゼ隊長は冷徹だった。

「ジンオーカーの機動力ではたとえ2人を援護できたとしてもレセップス級に戻ることはできない。私としては部下をみすみす死地に出向かせるわけにはいかんのだがね」

 澱みない戦況分析をモビル・スーツが拾い上げ、コクピット内に再生される。

「でも……!」

 何か隊長を説得できる手札を用意していたわけではない。結局言葉は途切れて、繋げることができない。仮面に右指を当てて、その位置を修正する。隊長は、あくまでも冷酷だった。

「アスランなら心配する必要はない」

 どうしてニコルの名前が出てこないのだろう。怖くて、とてもそのことを聞くつもりにはなれなかった。




 光の鎧を脱ぎ捨て、闇の衣を纏う。
 1対18。絶望的な戦力差がある、しかし絶望の戦いではない。ブリッツガンダムはデュエルダガーの群れの中に単機で飛び込んでみせた。複数の敵を相手にする際、決してしてはならないことは敵に取り囲まれてしまうことである。しかしブリッツは敢えてセオリーを崩した。発生したビーム・サーベルがデュエルダガーを切り裂いた。周囲をとりか囲むデュエルダガーは、しかし攻撃を仕掛けることができない。うろたえたように攻撃をためらい、その隙にブリッツは動いた。
 ビームが幾度も使用され、還元されることでこの付近一帯のミノフスキー粒子濃度が上昇している。レーダーが不鮮明になりがちではあるが、GAT-01デュエルダガーの姿はレーダーに映し出されている。だが、あるべき影が存在していなかった。レーダーには、デュエルダガーの姿のみが映し出されていた。
 デュエルダガーたちはビーム・サーベルを抜き放ち、盾を前に身構える。ライフルは砂漠に投げ捨てられている。ライフルではだめなのだ。
 ブリッツには味方が1人もいない。ブリッツの選んだ戦法は無謀で無茶で、そして英断。意図的に混戦に持ち込んだのである。デュエルダガーは味方への誤射を恐れてライフルを放棄せざるをえなかった。殺陣を演じるならOSに優れるガンダムに分がある。
 そして、ブリッツガンダムはフェイズシフト・アーマーを解除した。エネルギーを吸収するIフィールドが電波を捉えることで、ブリッツガンダムはレーダーに映らない。見えているのに見えていない。デュエルダガーのパイロットたちは白兵戦に神経を尖らせていることだろう。モニターにしかブリッツの姿は映らない。混戦状態であり、正確に位置を把握すべき状況でありながらブリッツの姿はレーダーに映らないのである。
 それがどれだけデュエルダガーのパイロットを苦しめることか、想像に難くない。
 ブリッツが跳ぶ。正面にいたデュエルダガーがシールドを突き出す。すると、盾を避けるようにえぐり込まれたサーベルが、デュエルダガーの左胸に突き刺さった。ダガーの右肩からビームが生える。爆発と爆煙。視界からもブリッツの姿が消えた。デュエルダガーたちが不意打ちはさせまいと一斉に煙へとビーム・サーベルを振るう。しかし、同士討ちを恐れて、その動きは鈍い。レーダーがきかず、正確な距離を判断できない。
 煙が晴れた頃には、ブリッツはサーベルの届かない場所に退避を終えていた。これで、すでに5機のデュエルダガーが撃墜されている。たった1機のモビル・スーツが見せたにしては偉大な戦果である。デュエルダガーたちはサーベルを構えたまま、ブリッツから距離をおいて取り囲む。ブリッツがいつでも跳び出せるよう中腰の姿勢のまま首を動かすと、その視線に晒されたデュエルダガーの一団が後ずさる。
 まだデュエルダガーは10機を超える数が残されている。戦力では絶対優位に立つ彼らを黒い死神はただの1人で恫喝している。
 爆発に晒されたブリッツの装甲は劣化の兆しをすでに見せていた。フェイズシフト・アーマーの守られていない今のGAT-X207では通常のモビル・スーツと同程度の防御力しかない。装甲の端々が欠け落ち、装甲が剥げるほど深い傷が小さいながらも多数刻まれていた。それはそれこそ、幾星霜の時を経た骸布を纏うように、痛々しく、擦り切れた、傷だらけの姿であった。
 夜の砂漠に気の短い禿鷲が舞う。鷲は黒い姿をしている。ゆえに、それは黒と名づけられた。死を商う父から、その父を盲信する娘に送られた。
 GAT-X105Eストライクノワールガンダムが高い空の上からブリッツの前へ、死を待つ戦士の御前へと降り立った。




 戦いは終わった。大西洋連邦軍は5機の損失を出しながらも、敵部隊に甚大な被害を与えることに成功した。白衣を慣れた様子で着こなして、ニーレンベルギア・ノベンバーはキャットウォークの手すりに体を預けていた。両肘を突いて、両手があごを包むように顔を支えている。首を回す必要はない。今見える範囲の中に、見たいものはすべて存在している。広大な空間である。このキャットウォーク自体、4階ほどの高さがあるというのに、天井はまだ高い。まるで樹のように分枝する空中回廊の各先端にはハンガーが備えられ、中にはすでにモビル・スーツ、デュエルダガーが鎮座しているものもある。
 ニーレンベルギアは樹の根元。艦内へと通じる通路のすぐ脇にいた。そう、ここは格納庫なのである。大西洋連邦軍ハンニバル級陸上戦艦ベルフェゴールの大きな格納庫である。
 ハンニバル級はザフト軍のレセップス級に対抗する形で建造された陸上戦艦であり、レセップス級との違いはスケイルモーターではなく旧来のキャタピラーが採用されていることにある。機動力では大きく溝を開けられているが、その代わりにハンニバル級はより大きな重量に耐えることができる。モビル・スーツ搭載数が20を超え、まさに移動要塞といった大型艦である。VTOR大型輸送機より降下したモビル・スーツ部隊の回収を行うためにはせ参じたのである。
 格納庫に現れたモビル・スーツが次々とハンガーに固定されていく。
 ニーレンベルギアはキャットウォークを歩き出した。幹に当たる部分で、両脇にはモビル・スーツのすぐ傍にまで伸びる横道が規則正しく並んでいる。分枝部分に当たる度、ニーレンベルギアは降りてくるパイロットたちの様子を確認すべく首を右に、左に回す。パイロットたちは様々だ。若者もいれば老人もいる。男性も女性もいる。ただ、皆が揃ってニーレンベルギアに気づくなり手を振って自分の健在振りを示してくれる。
 そんな中、モビル・スーツのないハンガーを見ることは、決して気分のいいものではない。
 そうしたことを繰り返して、ニーレンベルギアは次第に樹上へと近づいていく。そこにはすでに3機のガンダムが戻っていた。黒いストライクノワールに、緑色のヴェルデバスター、青いブルデュエル。真っ先にストライクノワールのコクピットが開く。白いドレスを着た桃色の髪のお人形が姿を現す。ニーレンベルギアの姉であるヒメノカリス・ホテルである。ヒメノカリスはコクピットからすぐ脇のキャットウォークに跳び下りると、無表情ながら慌てた様子で走り出そうとした。まるで夜会を離れるシンデレラのようにスカートを摘みあげてニーレンベルギアのすぐ横を通り抜けた。
 目が合うことさえなかった。両方が両方とも、それだけの関心を向けることができなかったのである。ただ、気にならないことはない。ふと振り向いて見ると、走り去るヒメノカリスの後姿と、眼鏡をかけた女性がこちらに歩いていることが見えた。姉がこちらに少しでも関心を払ってくれるのではないかと期待して振り向いたつもりが、見えたのは少々苦手意識を持つ相手が近寄ってくることだった。
 ちなみに、ヒメノカリスは眼鏡の女性、メリオル・ピスティス相手にも目を合わせた様子はなかった。メリオルがここに到着するまでまだ時間がある。ニーレンベルギアは首を元の向きに直す。正面にはストライクノワール。その両脇にヴェルデバスターとブルデュエルが並んでいる。ほぼ同時にコクピットが開く。ヴェルデバスターから少女がヘルメットを脱ぎながら、ブルデュエルから少年がどこか寝ぼけたような足取りでキャットウォークに降りた。
 ニーレンベルギアはおどけた調子で手を振り、2人を出迎える。

「お帰りなさい、カズイ、ロベリア」

 顔中に包帯を巻きつけた少年、カズイは本当に子どものようにニーレンベルギアの傍に駆け寄ってきた。傷が開いてやしないかと頭に手を当てて優しく触ってみると、それこそ子どもを撫でている気分になる。

「うん、ただいま、ニーレンベルギア」

 思春期を迎えた少年ならうら若き乙女に触られたら照れるか妙な気持ちになるものだと勝手に想像してみる。カズイは、そのどちらでもなく嬉しそうにニーレンベルギアの触診を受けていた。これに気恥ずかしさを覚えたのはどちらかといえばロベリア・リマの方であるらしい。カズイの後ろで、ヘルメットを両手で抱えて手すりにもたれている。第4研究所特有の赤い髪を適度な短さでまとめた妹はこちらを直視しようとしない。それでも困ったように、時折視線がこちらを向いては、すぐに目をそらしてしまう。
 ロベリアはヴァーリである。そのためニーレンベルギアと同じ顔をしているのだが、その表情は俯きがちで態度は気弱に見えてしまう。ヴァーリの全員が全員、特別な力を持っているわけでもなければ精力的に活動しているわけでもないが、それでもロベリアはいつも人の顔色をうかがう態度は怯えているとさえ見えてしまう。Lのヴァーリはいつもこう。

「え~と、今回の戦闘の報告書だけど、すぐ書こうか?」

 傷は開いていないらしい。安心して手を離す。ロベリアを顔を向けると、メリオル女史の足音が近づいていた。

「そんなもの後でもいいわ。いいかしら、メリオルさん?」

 振り向くことなく聞いてみる。これですぐ後ろにメリオルが来ていなければいい赤っ恥になると内心戦々恐々としていると、幸いにも返事はすぐ後ろから来た。

「問題ありません」

 ひどく事務的な声である。世界最大手の軍需産業ラタトクス社代表の秘書を務めるには感情的であってはならないのだろうか。メリオルはニーレンベルギアの横に立つと、感情の機微を見せることなくカズイとロベリアのことを眺めた。黒いスーツに合わせるような色をしたクリップボードに何かを書き込む様子は、本当に有能な秘書を思わせる。

「許可も出たことだし、どうだったかしら、機体のご感想は?」

 2人のパイロットは示し合わせたかのように同じタイミングでそれぞれの愛機の顔を見上げた。ただし、視線をニーレンベルギアに戻したのはカズイの方が先である。顔を覆う包帯が動いたのは、彼が笑っているからに他ならない。

「ブルデュエルはいいよ。動きもいいし、何となく腕に馴染むんだ」

 続いてロベリアが赤い髪をふるってこちらを向いた。

「ヴェルデバスターは、ちょっと使える武器が多くて、面倒かな」

 なんとも頼りない手つきでヴェルデバスターの武装を指差している。ロベリアは改めてその多さにあきれ果てたようにため息をついた。

「ロベリアが頑張ってX103の有用性を証明できればバスターダガーなんて機体も量産されるかもしれないわ」

 ニーレンベルギアとしては励ましたつもりだった。しかし、ロベリアはどう返事していいものかわからないと言った顔をして、首だけ回してNの姉へと視線を送っていた。

「う~ん、頑張ってみる」

 格好いい男の子でも紹介してあげるとした方が効果的だっただろうか。この年頃の娘は難しい。ニーレンベルギアも同い年であることは、ややこしくなるのでここでは考えないことにする。それに、いちいち悩んでいる余裕はない。無視される形になったカズイがニーレンベルギアの両肩をいきなり掴んだからである。

「ねえ、僕は?」

 本当に、子どもと変わらない。それなのになまじっか力があるものだから、ニーレンベルギアの体はたやすくゆすられる。落ち着いて、そう声をかけることで揺さぶられることこそなくなったが、まだ手は離してくれない。ぐずる子どもをなだめるように、これは比喩でない。まったく、しょうがない子どもである。

「ブルデュエルは追加装甲の試験のための機体らしいから、デュエルダガーの性能底上げに貢献できるかも」

 女の子には通じなくとも、男の子にはこんな話題も受け入れてもらえるかもしれない。そんな軽い気持ちで、カズイに話しかける。すると、カズイは思いも寄らないことを言い出した。

「そうなったら、ニーレンベルギアは嬉しい?」

 思わず笑顔をつくることを忘れて、目を大きく見開いてしまった。広がった視界に映るのはカズイのあどけない瞳である。カズイはいい子である。そのことを再認識すると、自然と笑顔を取り戻すことができる。

「ええ」

 手がようやく離され、カズイは落ち着いた様子で包帯を動かした。

「じゃあ、頑張るよ」

 はじめ、ブルデュエルに乗せる時は不安がなかなか取れることがなかった。投与した薬物が精神にどのような影響を与えるかまだ人体のデータが不足している。戦場という極度の緊張を強いられる状況ではどのような行動を起こすか判断できなかったためだ。だが、それも杞憂であったらしい。そう、この女史は報告書に記すのだろうか。ニーレンベルギアの横で、メリオル女史がカズイを見ていた。視線を隠そうとなんてしていない。露骨にカズイのことを見ていた。それこそ、ニーレンベルギアに尋ねる時でさえ目を離そうとしない。

「カズイ軍曹は傷病兵出身とお聞きしました。カズイとは本名でしょうか?」

 メリオル女史の考えていることがいまいち掴めない。多少長く言葉を繋ぎながら、出方を見ることにした。

「いいえ。カズイは私が見つけた時には瀕死の重傷で、酸素不足から脳に損傷を受けてました。カズイという名前も、覚えていたことの中で唯一名前らしい単語だったからそう呼んでいるに過ぎません」

 特に反応らしいものを見せないで、メリオルはカズイの包帯を眺めている。予測されることとして、以前のカズイを知っているのではないかと期待させてくれる。カズイは戦場から瀕死の状態で引き戻された。体の傷もさることながら、脳が追ったダメージは大きく、ほとんどの記憶を消失していた。身元を確認することはどうしてもできなかった。ニーレンベルギアもロベリアも、そしてカズイ自身でさえカズイが何者であるかわからない。
 そう、ロベリアもニーレンベルギアと同じ懸念を抱えていた。

「カズイは顔の火傷もひどかったから、顔見てもわからないと思うよ。ところで、誰か心当たりがあるの?」

 そのための包帯である。5回にも及ぶ整形手術を終えてまだ日が浅いため、包帯を外すことはできない。もっとも、外したところで顔は変わってしまっているだろう。メリオル女史がカズイを特定できるとは考えていなかった。そうだとしても、悔しさも残る。メリオル女史は素っ気無いと思えるほどあっさりと身を翻した。

「いえ、恐らく思い違いでしょう。失礼します」

 規則正しいヒールの音を響かせて、メリオルはキャットウォークを歩いていく。そんな私設秘書の背中に悪態をついたのはロベリアである。

「感じ悪~」

 もっとも、抱いた感想はニーレンベルギアも同様である。2人のヴァーリは必ずしもメリオルにいい印象を抱いてはいない。ロベリアの方がその程度が少々強いだけである。そのためか、ロベリアはすぐに話を変えようと画策した。ストライクノワールの開きっぱなしのコクピットを覗き込もうと、ロベリアは首を体ごと傾けていた。もうHのヴァーリの姿はないというのに。

「ヒメノカリス姉さんは?」

 振り向いて聞いてくるロベリアに対して、ニーレンベルギアはどんな顔を見せたらわからず片手で顔の半分を覆った。その上で視線を泳がせた。

「……お父様のところよ」

 そこまでしても、ロベリアが露骨に不機嫌になったことはわかる。手振りまで交えて不満を示したからである。横目でも見えてしまう。

 手は何の役にも立たない。諦めて手を外すと、自然と口からため息がこぼれた。

「仕方がないでしょう。ヒメノカリスお姉さまは私たちとは違うんですもの」




 耳障りな駆動音と鼻につく機会油の匂いが漂う格納庫を抜けると殺風景な通路が続いている。こんなものを見る必要はない。覚える必要もない。事実、ヒメノカリスは周囲に満足な関心を払うことなく格納庫を、通路を通り抜けた。目的地はお父様のところ。その過程に意味などない。ハンニバル級の構造はすでに把握している。お父様がいる部屋の前まで走り抜けることに問題などあるはずもなかった。たとえあったとしても、そのすべてを排除してしまおう。
 お父様との出会いを邪魔するならそのすべてを。
 部屋の扉は軍艦らしく何の飾り気もない。それでも、ここにお父様がいると考えただけでそれが神殿に繋がるように荘厳に、庭園に通じるようにすがすがしく、開くまでの時間がずいぶんと長く感じられる。扉は開いた。士官用の広い部屋に絨毯が轢かれ、赴きのある調度品が持ち込まれている。お父様はいつだって気高い。花の香りが甘い花園であっても、血なまぐさい戦場であっても。戦艦であっても屋敷に住まう貴族のように、お父様は流麗なお姿で部屋の真ん中に立っていた。1点の曇りもないスーツはお父様に着られる資格を有してその純白を際立たせている。

「お父様!」

 ヒメノカリスはお父様の、エインセル・ハンターの胸に勢いよく跳びこんだ。エインセルはヒメノカリスと比べて頭1つ分は優に高い。ヒメノカリスは愛しいお父様の胸にその顔を埋めた。お父様の前でなら、ヒメノカリスは微笑を見せることができた。笑うだけの胸の高まりを得ることができた。大きくとも威圧感も圧迫感もないその手は、安心感のみを与えながらヒメノカリスを抱きしめ返した。決して力強くはないのに、ヒメノカリスは抱き寄せられたまま顔を上げることができなかった。
 ただ天から降ってくる声に心地よく身を委ねていた。

「戦果は聞いています、ヒメノカリス。よく、頑張りましたね」

 首なんて上げられなくてもいい。真っ赤に火照った顔をお父様に見られなくてすむから。

「はい。私、お父様のために頑張りました。お父様のために戦いました!」

 話す内に熱を帯びて、つい見上げてしまった。お父様はヒメノカリスの頬を優しく撫でて、その青い瞳はとても綺麗。赤面した顔を見られてしまったことが気になるよりも見惚れてしまう。この人のために戦えたことが、この人のために手を血で染めたことがとても嬉しい。

「だから、私を愛して下さいますか、お父様?」

 お父様は小さく笑って、それから微笑んでくれる。

「愚かな問いですね、ヒメノカリス」

 手が頭の後ろに回され、包み込むようにお父様はヒメノカリスを抱きしめる。とても暖かい。でもその代わりにお父様のお顔を見ることができなくなってしまった。どうして、そのお顔を見せてくださらないのだろう。お父様のぬくもりの中にいると、そんな些細なことは忘れてしまえる。お父様は愛してくださる。

「子を愛さぬ親など、はたしていますでしょうか?」

 ヒメノカリスはその手をゆっくりと、お父様の背へと回した。少しでも多く、この人に触れていたいから。



[32266] 第20話「ニコル」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:18
 目を開く。見えてくるのは見慣れた白い天井。体は清潔なシーツで包まれている。プレア・レヴェリーは自分の小さな体がベッドに寝かされていることに気づいた。もう何度目のことだろう。突然意識を失ってベッドの上で覚醒したこと。体を蝕む倦怠感に邪魔され口だけで失望を表現したのは。プレアは言葉をため息に含ませた。

「僕はまた……」

 もう何度も見てきたのだ。白い、あまりに味気ない天井を。ただ、それは単なる八つ当たりに過ぎないことをプレアは理解していた。別に白が嫌いな訳ではない。白い顔が赤い瞳でプレアの顔をのぞき込んだ時、不快感や嫌悪感は一切起きなかった。

「プレア……」

 プレアの直属の上司であるゼフィランサス・ズールはいつものように漆黒のドレスに純白の肌をして、ベッドのすぐ横に立っていた。ゼフィランサスが名前を呼んでくれている間に、何とか上体を起こすことができた。ただそれも、ゼフィランサスが支えてくれたからこそできたことだ。

「ゼフィランサスさん、すいません、こんなところで寝ていて」

 完全に上体が起きあがったところで、もう十分と判断したのかゼフィランサスは離れた。白状させてもらうなら、少し残念に感じた。元いたベッドの脇に戻ってから、まるで硝子ケースに飾られた人形のように動きを止めてから、ゼフィランサスはプレアに赤い瞳を向けた。

「問題ないよ……。肝心の部分はまだ手出しできないから……」

 ゼフィランサスの顔に表情はない。顔が判断材料にならなくとも、この人が優しい人だとは、ともに仕事をして学んでいる。同時に、妙な気遣いをしない人だとも。言葉に優しい嘘はない。プレアを気遣ったのではなく、新型の開発は本当にプレアの不在に耐えられるところまで進展しているのだ。
 それもすべて、ゼフィランサスのおかげである。口からは自然と感謝の言葉がこぼれた。

「ありがとうございます、ゼフィランサスさん」

 瞬きをただ1回だけ。これがゼフィランサスの見せた反応のすべてである。最初は戸惑ったが、今ではそれがゼフィランサス主任らしいと落ち着く。
 この人とモビル・スーツ開発に取り組んでそろそろ1月になる。プライベートな付き合いなど一切なかったが、どんな他愛のない話にも嫌な顔1つせず応じてくれた。そんな安心感は、今もプレアの胸に残り続けている。

「僕にとってこのプロジェクトは賭けでした。成功しないかもしれないってわかってましたけど、でも成功させればザフトに多大な貢献ができる」

 自分に残された時間の中で、何かを成し遂げるためには多少なりとも賭けは必要だと、そう判断して。

「そう、反対するサイサリスさんにお願いしました」

 プレアはゼフィランサスから目をそらしてしまった。なぜだか、会話の最中にほかの女性の名前を出すことが咎められた。

「でも、実際は厳しくて、だめかもしれないって諦めかけたこともあります。だからゼフィランサスさんのすごさはよくわかります」

 褒められたことくらいでゼフィランサスは表情を変えようとしない。欲を言うなら、喜しそうな顔を見せてもらいたかった。表情のない顔。それ以外のゼフィランサスを見たことがないことは、残念以外の何者でもない。きっと、お礼を言っても何の反応も見せてもらえないのだろう。

「本当に、ありがとうございます……」

 それでも、淡い期待をかけてお礼を言ってみる。ゼフィランサスは長めの瞬きをしただけだった。何も無視されているわけではない。もしプレアに関心がないならこんなところにはいないだろうし、すぐに出ていくはずだから。ただ表情に乏しいだけの人であることは1月仕事をともにしてわかっている。
 優しくて、仕事もできる女性である。プレアが心血を注いでいた設計をたやすく組み上げてしまえる人である。それがうらやましくないはずはない。この人は、プレアがどうしても手に入れることのできないものをどれくらい持っているのだろう。

「ゼフィランサスさん、好きな人って、いますか?」

 言い終えてから、自分でもどうしてこんなことを聞いたのかわからない。
 軽く自分の頬を撫でた。ゼフィランサスはこの程度の反応を見せただけで、あっさりと話に応じてくれた。

「親愛として……? それとも愛情の方……?」

 何か胸に詰まるような息苦しさを覚えるのは、きっと予想外に話に乗ってくれる事実に困惑しているためだろう。

「できれば、愛情の方でお願いします」

 胸にできた違和感はまるでしこりのように重く、肺を圧迫する。プレアは自分で望んだことでありながら言葉を繋ぐことに苦痛を感じていた。
 赤い瞳がまっすぐにプレアのことを見て、ゼフィランサスは躊躇というものを見せなかった。

「いるよ……。今ちょっと距離をおいてるけど……」

 このことを聞いたことで、何かが変わることはない。変わらず、胸には違和感がこびりついて離れない。笑顔を作ろうとすると、筋肉が妙な緊張に見舞われた。

「やっぱり、ゼフィランサスさんが羨ましいです」

 この一言に、プレアを襲う不愉快な想念の正体があるのだと理屈で判断することができる。このほかに考えようがない。プレアは嫉妬しているのだ。この人は自分にないものをすべて持っている。優れた技術も、研究者としての名声も、愛を語らう人も。
 ゼフィランサスのことを見ていると、苦しさは募る。それでも話を続けようとするのは、ちょうど毒素を吐き出していることと同じかもしれない。食道と口腔が焼けても嘔吐物を体内に残しておくよりはいい。

「僕の両親は……、僕に偉大な学者になって欲しかったそうです。そして、世界の役に立って欲しいって、通常では行わないくらいに過度な遺伝子調整を希望しました」

 それだけ遺伝子を弄くってしまえば、もう自分たちの子どもでさえなくなってしまうのに。現に、プレアの遺伝子型と親のものとを比べたところで親子鑑定は否定される。それどころか、親戚縁者とも判断されないほど、変わってしまっている。こんなプレアを、それでも彼らは息子と呼んだ。わずか1歳にして言葉を話し、5歳で大学入学が認められたことを我がことのように喜んでいた。その対価に人よりも短い時間しか与えられていなくとも、彼らは関心を払いはしなかった。永遠の灰色よりも一瞬の虹色の方が美しいからと。
 手に力がこもり、シーツを強く掴んでいた。

「僕は両親を憎んでいます。こんな蜻蛉の体を……、いえ、次世代を残せる分、蜻蛉の方がはるかに有意義な生を全うできますね」

 蜻蛉の一生が短いと感じるのは、人間の主観でしかない。彼らにとっては間違いなく一生であり、たとえ1000倍の時間がプレアにあったとしても、蜻蛉はその儚さを同情してくれるかもしれない。プレアが、プレアを憐れんできたように。

「物心ついてからいつも焦らされるんです。僕はこのまま、何もできず、何の貢献もできず死んでいくんじゃないかって!」

 手元に視線を落とすと、大きく皺をつくったシーツが見える。それだけの力くらい、プレアにも残されていることがおかしい、くやしい、馬鹿らしい。どうせ、生きられたとしても数年。何をしても、何を得ても、すぐに失われてしまう。握力なんてあったところで何の意味があるだろう。

「……それじゃあ、僕は何のために生まれたんですか?」

 もう涙も流れない。こうして眠れない夜は幾度となくすごして、その度に泣いてきた。耐えられないほど辛いことでありながら、耐えても待っているのは死以外の何者でもない。
 ただ、今日は何かが違った。それが何であるのかは、考えてみるまでもなかった。ゼフィランサスがいるのだ。こんなこと、誰にも話したことはなかった。父にも母にも、いや、プレアに生物学上の両親なんていやしない。ともかく、親では決してない2人に話したことはなくて、誰にも話したことはなかった。
 初めてのことだった。誰か、他の人に話すということは。こんなことを聞かされても、きっとゼフィランサスなら無表情で受け止めるのだろう。そう、顔を上げて様子を見ようとする。
 すると、甘い香りがして、顔にやわらかい布地が押し付けられた。頭の後ろにフリルをあしらった袖口の独特の感触がして、ゼフィランサスに抱きしめられたのだとわかった。

「同類への憐憫でもいいなら……、私はあなたを憐れんであげられるよ……、プレア……」

 泣くことに飽きてしまったはずなのに、暖かい腕の中でプレアは涙を堪え切れない感じを思い出していた。




 2週間。それがどのような時間であるのかは個人差が激しいはずだ。新型モビル・スーツの量産に成功した地球連合にとっては雌伏の時を終えた喜ばしい時期であったことだろう。ビーム兵器を装備した新型を相手にするザフト軍にとっては苦しい戦いが続いた期間でもあった。
 そして、アスラン・ザラには、親友を失ってから経過した時間そのものである。
 バナディーヤ。ほんの2週間前は砂漠の虎の威光で満ち満ちていたこの街も、この地区最大の防衛拠点として物々しい雰囲気に包まれる。街中の、ザフトが徴用している屋敷でも。
 アスランは開けた部屋のソファーに腰掛けていた。これまでは共同スペースとして利用されていた部屋だ。アスランのもの以外にもいくつもの椅子が並べられている。ただし、それに見合うだけの人は見いだせない。アスランを除いて、ここにはわずか2人しかいなかった。
 この屋敷にいた多くの兵は物量で広域に押し寄せてくる地球軍を相手にするため各地に散っていった。まだ敵の量産型モビル・スーツの数が揃っていないため押し負けることはないようだが、どこも苦戦を強いられている。
 ここに残っている者は2種に限定される。本来の勤務地がこことは異なる者。あるいは、こここそが戦場である者。前者はジャスミン・ジュリエッタ。アスランの隣に座ったまま、その視線はバイザーに覆われてうかがいしれないが、うつむいているようだ。
 先ほどからまったく話をしていない。一体何を話題にしてよいものかわからない。音の空隙である。自身の心音が一番大きな音に聞こえる。時折窓から吹き込む風が震える以外、何も耳に触らない。
 どんな些細な音でもいい。何かしら行動するだけでこの空間をその音は占有できることだろう。たとえば、規則正しい足音のようなものでも。聞こえてきた足音は次第に存在感を増していく。それは単に人がアスランたちに歩み寄っているからに他ならない。そして、足音はソファーのすぐ横で止まった。
 首を曲げて見上げると、そこには歳の割に若い印象を受ける男性が立っていた。明らかにアスランとジャスミンを見ている。

「マーチン・ダコスタ指揮官代理」

 そう相手を呼びながらアスランも、若干遅れてジャスミンも立ち上がり敬礼する。マーチン代理は敬礼を返した。

「君たちはこれからどうする?」

 何とも実直な聞き方である。軍人とは本来こういうものだが、アンドリュー・バルトフェルド指揮官にアスラン自身毒されていたらしい。感じたのは違和感よりも懐かしさ。もうバルトフェルド指揮官はいないという事実は、ニコル・アマルフィの不在とともに胸にいやな染みをつける。
 敬礼を解いて、休めの姿勢を維持する。こんなところも、変化を実感させる。

「自分たちはまたガンダムを追います」

 本来の任務に戻るだけ。それだけのことだ。ただそれだけのことに、不思議と寂しさがわいた。それは、ジャスミンが必要以上に感傷的な声をしているせいかもしれない。

「これまでお世話になりました」

 これが今生の別れであるみたいにジャスミンはかすかに声を震わせていた。ダコスタ代理は長い瞬きをした。もったいぶったように目を閉じて、開いた途端に話題を変えた。

「ニコル・アマルフィとバルトフェルド指令を引き合わせたのは私だ」

 亡き親友の名前は、あまりに唐突に聞こえてきた。

「はじめはいかにもお坊っちゃんだと感じたが、ガンダムを甘く見ていた我々を諫めた威勢はすばらしいものだった」

 厳めしい軍人の顔ではなく、代理は意識して微笑んでいるようである。声が柔らかい。

「私がここにいられるのも、彼のおかげだ」

 ダコスタ代理の手がゆっくりと側頭部へと持ち上げられる。敬礼にしてはあまりに緩慢としてその仕草は、それでも間違いなく敬礼であった。

「ニコル・アマルフィには軍人としてではなく1人の人として、敬意を払いたい」

 アスランは反応できなかった。どうしていいかわからなかった。代理はそのことを見咎めることなく来た時と同じような足音を響かせて部屋を出ていった。その後ろ姿が見えなくなると、体から力が抜けてしまったように、アスランはソファーに座り込んだ。ジャスミンは遅れて座りなおした。その位置は以前よりアスランに近く、まるで寄り添う恋人同士のような距離である。ただ、それが動揺を生むには、アスランの心は重く淀みすぎていた。

「ニコルさん、いい人でしたよね……、本当に……」

 ジャスミンはアスランの顔を見ようとしない。アスランも、その気にはなれなかった。

「そうだな……」

 この言葉を言い終えるよりも早く、ジャスミンの次の言葉は始まっていた。

「私たちを逃がすために戦って……」

 もう返事の必要もないだろう。膝の上で拳を握って前かがみになるジャスミンとは反対に、ソファーの背もたれに寄りかかる。

「何が、あったんですか……?」

 記憶の水たまりに触れたジャスミンの言葉は、その当時の情景を吸い上げる。2週間も前の戦いの記憶を。

「相手の方が強かった、それだけだ……」




 それは、陳腐な喩えを用いるなら悪魔のようであった。GAT-X105ストライクガンダムがただ黒く染まっただけではない。肩から飛び出た増設スラスターカバーは鋭く尖り、機体の印象を鋭角にまとめている。背部のウイングは翼と形容するにはまがまがしい。
 それに対して、GAT-X207ブリッツガンダムは墓所で風化した屍のようである。装甲のいたる所が損傷し、ちぎれ綻びた骸布を纏う姿にも似ている。パイロットであるニコル・アマルフィ自身、ヘルメットの中で荒い呼吸を繰り返す有様である。
 黒いストライクは強い。地球軍の量産機はこの機体が登場するやいなや、遠巻きに眺めるだけとなった。数だけなら量産型の方が遙かに恐ろしいはずが、感じるプレッシャーは黒いストライクの方が遙かに強烈であった。
 呼吸を読み、敵の隙を見つけ出し攻撃を仕掛ける。そんな上品な戦いのプロセスを、黒いストライクは一切合財無視した。駆け出す。地を踏みしめ、夜露を裂く勢いでストライクが近づいてくる。黒いストライクは早かった。踏み込み、重心移動、居合い。モビル・スーツの動きというよりは、抜刀のそれがブリッツとの距離を一気に詰めた。バック・パックから抜き放ったビーム・サーベルはまるで無駄がなく、太刀筋そのものが鋭さを感じさせた。反応は辛うじて。上体を後ろへと傾けるが、逃がし遅れた左腕があっさりと切断される。ビームの輝きとフェイズシフト・アーマーの灯火が混ざりあった独特の波長の光が切断面を覆い、爆発する。
 この爆発を隠れ蓑に、大きく跳び退く。接近しては強力な剣を持つ黒いストライクが有利。砂漠に着地すると同時に右手の複合兵装を突き出す。トリガーに指をかけるとともに、強い衝撃が全身を襲った。どこが狙われたのかも意識できない。ただ、撃ち抜かれたことだけは辛うじて理解した。ブリッツが3歩後ずさって踏みとどまる。
 流れる煙の先から黒いストライクがレールガンを突き出していた。ウイングに水平になるように持ち上げられて、サーベルが格納されていた側とは反対から起きあがったレールガンが肩越しにブリッツを向いていた。
 サーベルとレールガン。武装と戦力をバック・パックに集中するところはストライクガンダムと同様の設計思想が見て取れる。ストライクガンダムは3種のバック・パックを併用していた。それぞれの長所を残しつつ組み合わせることに成功している。レールガンをウイングに戻す黒いストライク。手にはサーベル。ウイングを横に広げたその姿はストライクガンダムがかつて1度だけ見せた高機動バック・パックを用いた姿を彷彿とさせる。かつて、ストライクガンダムがアリスの暴威を見せたその姿と。
 地球軍は一体いつの間にこんな新型を造り上げたのだろうか。ストライクがロールアウトしてからそんなに時間はなかったはずだ。そもそも新型を開発できるだけの十分なデータがあるのならわざわざヘリオポリスのような中立地帯で兵器を開発する理由がない。

(何にせよ、この敵をどうにかしないといけないようですね……)

 あらゆる意味において不気味な相手だと言えた。
 ビーム・サーベルを発現させる。身構えていると、何故か、黒いストライクに動きが見られない。その理由は、声として届いた。

「ニコル!」

 熱源反応。2機の漆黒のガンダムの間にビームが着弾し、派手な火花を咲かせる。砂を巻き上げる。そして、満身創痍のバスターガンダムが、アスランがブリッツの傍に降り立った。装甲のところどころに被弾の跡が見られ、頭部は半壊さえしている。
 救援が来たことの喜びを覚えるよりも先に、ニコルは自制を忘れ、声を荒げた。

「どうして来たんですか!?」

 バスターガンダムがブリッツと背中を合わせるようにして武器を構えた。背部を映すモニターにはデュエル・タイプとバスター・タイプが姿を見せた。3角形の頂点を構成する位置に敵のガンダムが並び、完全に取り囲まれていた。




 ブリッツは無事であった。ただ、装甲のところどころが剥げ落ち、左腕さえ切断された状態を無事だと言い張ってしまえばの話である。もっとも、同じ基準で判断すれば、こちらも無事ではない。こんな状態の2人を相手に、間合いや呼吸もないだろうが、敵のガンダムは囲みを維持したまま動かない。情報交換でもしているのだろうか。そんなことだけなら、こちらと条件は同じである。アスランもまた、ニコルと話をしていた。

「アスラン、ここは逃げてください……」

 別に音量の大小が傍受される危険性と直接関係するわけではない。それでも、ニコルの声はひどくひそめたものに聞こえる。そんなことする必要はない。アスランは意識して声を大きくした。

「お前を残していけるか!!」
「行ってください!」

 ニコルは決して臆病者なんかではない。だからこそ、続く戦友の言葉は現実的な響きをもって耳に届く。

「わかってるはずです! もう、足止めは十分です。でも、2機がそろってこの状況を脱出できるとは考えられません!」

 否定などできない。歯を食いしばり、その隙間から息を吐く。悔しさをこらえるための仕草だが、こうしたところで感情が抑えられるわけでもなければ、打開策が生まれるわけでもない。それがなんとも悔しい。操縦桿を握りしめる手が痛いほどだ。

「それなら俺が残る!」
「アスランの方が僕よりも高い確率で脱出できます!」
「お前を死なせることなんてできるか! アマルフィ議員になんて言い訳させるつもりだ?」

 父であるユーリ アマルフィ議員の名を挙げたことで、さすがにニコルも押し黙る。

「囲みを脱出してレセップス級と合流するぞ 今ならまだ間に合うはずだ」
「わかりました……」

 敵はストライクにバスターにデュエル。どれも新型の武装が施された機体だ。機体そのものを強化したというより扱い易さの向上が図られた機体であることはすでに確認した。

「デュエルの方を抜けるぞ タイミングを合わせろ!」
「了解!」

 返事をしている暇はなかった。デュエルもどきがピストルとレールガンを構え、バスターもどきがライフルとレールガンを突き出す。一斉に放たれるビームと弾丸が次々と爆発とともに砂柱を跳ね上げる。この爆発の勢いに乗るように、アスランとニコルは飛び出した。
 目標はデュエルガンダムの新型。追加装甲の施された白兵戦に特化した装備のようだ。アスランがこの機体を突破口に選択したのは無論脱出経路の問題もあるが接近がもっとも容易と踏んだからだ。バスターの新型はビーム・ライフルとレールガンが各2門。点ではなく面で狙い撃つことを得意とする仕様であることは見て取れた。
 アスランは射撃用の機体で白兵戦を得意とする敵に接近するという戦術を選んだのである。

「ニコル、デュエルは俺が叩く お前はバスターの牽制を頼む!」

 返事はなかった しかしブリッツはライフルを放ち、放たれたビームはバスターもどきのそばに着弾する。何も命中させる必要はないのだ。噴きあがった砂柱がバスターもどきを揺るがしてくれたならそれだけで十分な時間稼ぎが可能となる。
 だが、一瞬たりとも機動を止めてはならない。アスランはスラスターに火を入れたままバスターにライフルを構えさせた。高速で機動するバスターにとって、足下の砂はまるで流砂のように流れて見えた。右腰から長大なライフルを突き出し、右手で保持する。
 このビーム・ライフルがバスターに唯一残された武装である。
 ライフルを発射する。砂々を焼き焦がし、天空の星々に当てつけるかのような閃光が一筋に放たれる。デュエルもどきは青い残像を残して射線を逃れた。GAT-X102デュエルガンダムとよく似た機体である。全身のほとんどが灰色であるが、所々に配色された青が妙に目に付く機体だ。その青を頼りに横へと逃れた敵機を目で追う。デュエルもどきは一息に前へと、こちらへと跳び出した。
 何があっても道を譲ってくれるつもりはないらしい。
 ライフルを向ける。しかし、ビームは連射性能が決して高くない。そのために左腰にレールガンがあったのだ。ガンダムを破壊することは不可能でも、牽制くらいはできたはずだ。
 デュエルもどきは意趣返しのように、右肩に取り付けられたシールドと右腕の間に装備されているレールガンを銃口をバスターガンダムへと向けて回転させた。高速で放たれた弾丸はバスターの右肩を捉える。損傷はないが、輝く光量から少なからず衝撃がバスターを襲ったことがわかる。踏みとどまってなどいられない。バスターを強引に加速させ、2機のガンダムの距離は急速に縮まっていく。
 砂上を飛行するバスターの周囲にはバスターもどきからの砲撃が砂柱をいくつも立てていたが、それは次第に数を減らしていく。ニコルが善戦してくれていた。アスランから離れないよう加速を続けながら、ブリッツのビームは際どいところへ命中する。直撃弾こそないものの、バスターもどきは嫌がるように距離を開けた。
 これで目の前の敵に集中できる。
 デュエルもどきはビーム・ピストルとも言うべき小型のビーム発振装置を両手に握ったまま突進している。小さなビームの塊が次々と飛来するもかわす力も余裕もない バスターに命中する度、フェイズシフト アーマーが瞬く。

「基本性能は変更されていない!」

 ジェネレーター出力に手が加えられている様子はない。単にお着替えをしただけの話だ。もはや旧型呼ばわりされるであろうバスターガンダムでも十分に対抗できる。アスランは自分を奮い立たせるためにも分析を敢えて口にした。
 ビーム・ピストルの攻撃は一撃一撃が軽い。同じ箇所に連続して浴びなければそれでいい。フェイズシフト・アーマーは強烈な輝きを発してビームを防ぐ。

(接近するまでの間、保ってくれればいい!)

 フェイズシフト・アーマーはチタン合金はビームの猛攻に耐えた。全身の塗装がはげ落ちてしまったかのような満身創痍のバスターの姿は、デュエルもどきを確実に捉えた。
 その時のことだ。
 右肩のレールガンが再びバスターガンダムを向いた。これが奴の狙いか、だからビーム・ピストルによる攻撃を続けていたのだ。バスターは加速している。今更止まることなんてできるはずがない。

「アスラン!」

 アスランが重い描いたのは、破壊されるバスターでもなければ、案じてくれる友の姿でもなかった 狂犬と呼ばれた戦士が見せた、何よりも鋭い牙であった。
 ハウンズ・オブ・ティンダロス。

(たとえ、あなたの真似はできなくとも!)

 まるで自分がバスターガンダムになったかのように、まるでレールガンの軌道が見えるように、アスランは動いた。弾丸がバスターガンダムの頬を撫でた音が聞こえた気がする。突風が通り抜けたが、しかしバスターは加速を続けていた
 バスターが突進する勢いのまま蹴りを放つ。デュエルもどきはビーム・サーベルを抜く間もない。右肩を突き出して、肩に固定されたシールドで防ごうと身構える。

「お前には縁がある!」

 デュエルなら2度撃墜している。まだまだ勝ちを譲ってやるつもりはない。
 2機のガンダムの激突。足のフレームが悲鳴を上げ、デュエルもどきのシールドはひしゃげるとともにその体勢を大きく崩した。まだ互いの慣性は残されている。バスターは前に進もうとする力が残り、デュエルもどきには正反対の力が働いている。両機が接触していられるわずかな時間に、バスターは追撃として回し蹴りを敵の側頭部へと放った。正確に頭部を捉えた一撃はフェイズシフト・アーマーを輝かせ、完全に体勢を崩したデュエルもどきは砂に叩きつけられるとともに急速に遠ざかっていく。
 改めてバスターに加速させる ニコルのブリッツはすぐ横についてきていた。

「やりましたね、アスラン!」
「ああ」

 ニコルの言葉通り、アスランとニコルはガンダムの囲いと突破することに成功したのだ。ずいぶんと分の悪い賭けだったが、その分配当も大きい。
 月明かりが照らす砂漠の砂のその上を、バスターとブリッツがならんで飛行する ガンダムは飛行はできない。あくまでもスラスター出力に頼った滞空であるため高度を上げることはできず、また長時間の滞空も難しい。だが、それは敵にとっても同じことであり、量産型であればさらに低い機動力を強いられることになるのではないだろうか。
 一度距離さえ開けてしまえば相手が追いつくことは難しいのだ 後は味方のレセップス級に合流するだけでいい。
 この安堵が、油断を招かなかったとは言えない。
 突然月明かりを覆い隠した何かが降りてくる。モニターには、黒いガンダムの姿が映し出されていた。そして、強烈な衝撃。
 着弾したレールガン--肉眼で確認できたわけではないが、威力と初速からそう判断する--が発生させた砂柱が機体を揺り動かす。バスターとブリッツは左右に離れた地点に後ろ向きに着地した。加速していた勢いを殺すために足が砂を削る。
 ジンであれば関節がとっくにいかれていたことだろう。ガンダムというものは、何にしても規格外の性能を持っている。
 追いついてきたのもガンダムだった。黒いストライクが両手にビーム・サーベル--ストライクがかつて使用していた大剣を小型化したような剣だ--を構え、その背中には黒いウイングがある。たとえとして悪魔だとか死神を思い浮かべるしかないような姿だ。

「ニコル、無事か? 」
「はい、なんとか……」

 黒いストライクは他のガンダムとは何かが違う。敵を前にすぐに行動を起こすではなくゆったりと構えるその姿は余裕を持ってさえ感じられた。

「時間がない 一気にしとめるぞ」

 ビーム・ライフルをバスターとブリッツが一斉に向ける。まず攻撃するのはバスター。ビームが、しかし黒いストライクにはかわされると、敵の逃げた方向へすぐにブリッツが追撃をかける。ブリッツの攻撃もかわされると、すぐにバスターが追撃を仕掛けた
 数の上ではこちらが有利である。アスランとニコルはうまく位置を変えながら黒いストライクを追いつめていく。射線が十字になるよう連携しながらビームを放ち続ける 射撃をもっともかわしやすいのは横へと逃れることであり、反対に無意味なことは縦に逃げることだ。敵はアスランの攻撃を横にかわすとそれはすなわちニコルの射線上にとどまることを意味する。
 十字砲火は基本的な多数者の戦術なのだ。
 黒いストライクは無駄のない身のこなしで攻撃をかわし続けている。砂柱がいくつも立ち上る光景は、もはや砂漠戦で恒常的に見られる光景と化していた。だがそれも長くはないだろう。
 敵は焦るはずだ。反撃することも許されず、ただ危険な回避を迫られる。その焦りをつくつもりでアスランは機会を待っていた。
 黒いストライクはたまらず反撃にうってでた。バスターを狙い加速してきたのだ 向かってくる敵を撃つ場合の相対速度は最高に達する。アスランは冷静にライフルで狙い、引き金を引く。
 そして見たものは夢のような出来事であった。ビームが敵を素通りしたのだ。ハウンズ・オブ・ティンダロス。この概念を思い出す間もなく、バスターの長大なライフルが切断される 破壊された銃身が爆発するを待つこともなくストライクの蹴りがバスターの腹部に突き刺さった。
 衝撃にコクピットのモニターが砕けた。弾きとばされる衝撃はライフルの爆発のものとも区別できない。辛うじて踏みとどまったものの、バスターは片膝をついた。パイロット自身も口の中に血の味が広がっていた。
 ブリッツがビームを放ちながら敵を牽制してくれている。これが一つの幸いとしてアスランが追撃を受けることをとどめる効果があったが、今度はニコルが危険にさらされるおそれがあった。うまく声が声にならない。警告を発することもできないまま、あっさりと懐に入り込まれたブリッツが右腕に深いビームによる傷を刻まれた。
 ニコルは至近距離からビームを発射しようと複合兵装に取り付けられたライフルの銃口を黒いストライクへと向ける。引き金は確かに引かれた。
 黒いストライクは飛び上がり、ブリッツと距離をとった。ハウンズ・オブ・ティンダロスが完璧ではなく、近距離では使用できないのかもしれない。これは憶測 一つ確かな事実として、ブリッツはライフルを使用できない。腕を切りつけられた際、重要なコードを傷つけたのだろう。
 バスターのライフルは破壊されている。ブリッツのライフルは使用できない。敵が動かない理由がなかった。

「受け取って、アスラン!」

 ブリッツが右腕を大きく振った。複合兵装に装備されたビーム・サーベルが切り離され、器用に放り投げられた柄だけの剣をバスターは掴み取る。ビームが発生し、サーベルの形を形成するなり、バスターはサーベルを接近しつつあった黒いストライクへと振りおろした。
 敵としても虚を突かれたのだろう。回避はされた。しかしハウンズ・オブ・ティンダロスによるものではなく体勢を崩した形で砂上に降りた。
 思いの外、コクピットを強打された傷は大きいものであったのかもしれない。追撃をかけようと意気込む心とは裏腹に、体は踏み込みを躊躇した。まとわりつくめまいの向こう側で、黒いストライクはレールガンの銃口をバスターへと向けていた。
 それは銃身の奥まで覗きこめそうなほどまっすぐにバスターの頭部へと向けられ、衝撃がバスターの奥、深く深くにまで食い込む。
 ビームによる攻撃を受けすぎていた。フェイズシフト・アーマーは十分な防御力をすでに有していなかったのである。メイン・カメラ、チュアル・センサーを失いモニターが一気に不鮮明になる。
 敵はすでに動いている。動かなければならないが動けない。
 不明瞭な視界に不鮮明なモニターの中で、黒いストライクが急速に接近し、間に黒い機体が割って入ったことが見えた。ニコルの、ブリッツだ。
 黒いストライクのサーベルはバスターへと向かい、立ちふさがったブリッツの腹部に吸い込まれるように食い込み、そして膨大な光が砂漠の夜を包み込む。
 ひび割れたモニターにはブリッツのコクピットを表示させる。最低限の照明でしか照らされていないはずのコクピットに光があふれていた。
 ブリッツの体からはおびただしい光が吹き出していた。フェイズシフト・アーマーのミノフスキー粒子がビームの熱量を吸収し、必死に光として放出しようとしているのだ。しかし、その輝きも次第に薄れ始めた。
 フェイズシフト・アーマーの被膜が薄くなってきている。

「ニコル……」

 すでにブリッツのコクピットには光が差し込み始めていた。ニコルのフェイス・ガードはひび割れその顔をうかがうことはできない。

「アスラン……」

 かすかに聞こえたのは、間違いなくニコルの声だった。

「逃げて……」

 光がやんだ。これまで耐えきっていたことが嘘のように黒いストライクの剣が振り抜かれ、ブリッツの上体が不格好な軌道を描いて砂に落ちる。下半身はしばらくしてから、斬られたことを思い出したように崩れ落ちた。

「ニコル……」

 返事はない。コクピットを映していたはずのモニターはとうに映像を見せることをやめていた。

「ニコル……」

 破壊された上半身が砂に埋まっている。左腕を失い、右腕には深い傷跡があった デュアル・センサーの双眸は光を失い、どうしても墓標を思い浮かべない訳にはいかない。
 そう、ニコルは、死んだのだから。

「ニコルー!」

 仲間を失った。故郷で待つ彼の父に対する言い訳を。奪った敵への怒り。そのすべての区別が曖昧であった。
 ブリッツから手渡されたビーム・サーベルが風を切るほどのうなり声をあげて黒いストライクへと叩きつけられる。サーベルで弾かれ、いなされ、それでもアスランは攻撃をやめないやめられない。
 冷静な判断力を失うことを目が曇るという。まさにその通りだ 食いしばった口 止めどなく流れる涙はアスランの視界を完全に塞いでいた
 まもなく遅れていた敵の部隊が到着する 残されたのはビーム・サーベルをだだをこねる子どものように振り回すだけのガンダムが1機。量産機でさえしとめることはたやすい。
 そんなアスランの窮地を救ったのは、それこそ亡き友の遺志であったのかもしれない。
 叩きつけたビーム・サーベルが黒いストライクに止められる。何か遠めにきっかけを見いだすことは難しい アスランは思い出していた。ニコルがアスランの生存を願い、その身を挺して助けてくれた事実を、友の最期の言葉を。

「ニコル……、俺は、俺は生きる!」

 黒いストライクから距離をとったバスターの次なる標的は仇ではない逆手に持ち変えたサーベルを、アスランは雄叫びさえあげながら砂の大地へと突き刺した 膨大な熱量を約束されたビームが我が意を得たとばかりに暴れ狂い、砂を煙りとして柱として、嵐として煙幕としてまき散らす。
 その砂煙の中に、仇の姿も、友の亡骸もかすんで消えた。




 アスランの言葉を静かに聴いていたジャスミンは、静かにバイザーを外した。髪留めの役割をしていたバイザーが外されたことで、第4研究所特有の赤い髪が肩に落ちる。

「いつも自分のことより人のことばかりで、端から見ていても怖いくらい優しくて……」

 視点の定まらないその瞳から、涙が流れていた。

「自分が傷つくことよりほかの人が傷つけられることばっかり怖がってました……」

 そう、ニコルはそんな奴だった。両親から十分な愛を与えられ、だからこそ人にその愛を分け与えて上げられた。だからこそ優しくなれた。そして、優しい人は、ただそれだけで強い。ニコルは強いからこそ優しくて、優しいからこそ強い、そんな奴だった。
 何かを恐れることはあっても、怯えたりなんてしない。ここに考えが及ぶと、アスランは片手で目を覆い隠した。涙を隠したわけではない。ただ、あまりに自分がみっともなかった。

「そうか……、そうだったんだな……」

 戦いを前にニコルは不安を隠そうとしなかった。そのことを、アスランはガンダムの性能を恐れてのことだと、ストライクと交戦することへの拒否反応であると捉えていた。どれだけ勇敢かも忘れて。どれほど優しいかも失念して。勇気を奮い立たせろ。そんな見当違いな言葉しかかけてやれなかった。
 ニコルは戦うことも傷つくことも恐れてなんかいなかった。ただ、自分が誰かを傷つけてしまうことを恐れていただけだ。アリスに暴走させられ、アスランさえ傷つけようとしたこと。そのことこそがニコルを責めていた。

「お前は優しいから自分を責めて、こんな、こんな責任の取り方をしようとしたんだな……」

 命に代えてもアスランと仲間を逃がそうとした。どこかで自棄をおこしたように感じていた。仲間を傷つけた事実から逃げ出そうとしているのではないかと疑っていた。なんて馬鹿なことを考えたのだろう。

「俺は、お前のこと、何もわかってやれなかった……」

 目から手を払いのける。開けた視界の中で、ジャスミンはまだ泣いていた。涙を流して静かに。戦友を失ったのはこれで3度目になる。それなのに、いつまで経っても上手な慰め方というものは身につかない。
 ジャスミンと同じ顔をして恋人のことを思い出さないことはなかったが、せめて肩でも抱いてみようと腕を大きく隣りで泣く少女の背中側から回した。




 ここは部屋であり、長いテーブルとその両脇の長椅子が置かれている。言い訳程度に片隅に置かれた観葉植物が、ここを辛うじて本来の用途である応接間としての雰囲気をかもしている。地球から遠く離れたここプラントでも、地球を捨てた民が建国した国でも植物の使途はさして変わらない。
 空気を生み出すだとか、場の雰囲気を和ませるだとか。プラントの兵器開発局に身を置いたゼフィランサス・ズールが名も知らない前任者からこの部屋を引き継いだ際のおまけである。あまり関心はない。時折水を入れるくらいにしか世話をしていないせいか、葉が痛み始めている。ゼフィランサスが応接間で応対する人物は、どこかこの、しおれ始めた観葉植物を思わせた。
 ゼフィランサスは長椅子に体に合わない大きな白衣を意固地になって着ているプレア・レヴェリーと並んで座っていた。客人はテーブルを挟んだ反対の長椅子である。
 癖の強い髪をした中年男性。よく言えば優しげで、一言で片付けてしまうなら頼りなげなその男性はプラント最高評議会議員の制服を身につけていた。しかし、以前会場で見た時よりも頬がこけ、くぼんだ眼窩はその視線を影に沈めている。
 しおれた観葉植物。客人は、テーブルに置かれたアタッシュ・ケースの上を通して手を差し出した。

「ゼフィランサス女史とは議会で一度お目にかかったけれど、私はユーリ・アマルフィ」

 握手に応じながら、ゼフィランサスは自身と、隣に座るプレアの紹介を終えることにした。

「アマルフィ議員……。私はゼフィランサス・ズール……。助手のプレア・レヴェリーです……」

 アマルフィ議員はゼフィランサスとの握手を終えると、すぐにプレアとの握手に移った。ゼフィランサスの手には、成人男性と握手したとは思えない感触が残された。握手を終えたアマルフィ議員は長椅子に座り直すなり、アタッシュ・ケースに手をかけた。

「では早速話に入ってもいいだろうか?」

 プレアは律儀にはいと返事をしていたが、ゼフィランサスは無言を貫いた。不必要なことはしたくないわけではないが、わざわざ返事をする必要性は覚えなかった。ケースを開けながら、アマルフィ議員は話し出す。

「ザラ委員長のお願いでね、君にこのデータを委譲することにしたよ」

 開かれたケースが、ゼフィランサスたちにも中が見えるように90度回転させられる。中には記憶媒体や紙資料が雑多に放り込まれていた。整理されているとは言いがたい。よほどいい加減な人物か、よほど焦った人物がでたらめに詰め込んだように。ゼフィランサスはとりあえず記憶媒体のケースを手に取った。その瞬間、自身の失策を感じた。記憶媒体を直接読み取ることのできるコーディネーターなんていないし、そんなヴァーリも開発されていない。まったく意味のない行動をしてしまったのである。それに対して、プレアは冷静に資料を取り上げて軽く一読すると、途端に慌てた様子でアマルフィ議員へと視線を飛ばした。

「これはまさか……!?」

 一体プレアの慌てようが何であるのか、残念ながらわからない。何故なら、興奮した様子のプレアが資料を強く握り締め、横からでは文字をほとんど読み取ることができないから。

「プレア……」

 そう声をかけても、プレアは気づいた様子なくアマルフィ議員に熱く驚愕した視線を送っていた。アマルフィ議員はどこか疲れたようにその眼差しを受け止めている。

「ホワイト議員からも協力を受けているから、ほぼ完璧な品だよ。少々、手を加える必要はあるけど、それは君たちにお願いしたい」

 ホワイト議員。おそらくは最高評議会で急進派寄りの中道派で知られるオーソン・ホワイト議員のことだろう。ホワイト議員の名前はニュートロン・ジャマーの開発者として特にその名前が知られている。プレアは上司に状況を伝えることもなく勝手に話を進めようとする。

「よろしいんですか? 穏健派に属するアマルフィ議員がこんなことしたら!」

 激昂する様子に釣られて、ついプレアを見ていた視線をアマルフィ議員に向けてしまう。アマルフィ議員は乾いた笑みを浮かべていた。

「まだマスコミには流されていないけど、私は急進派に転向したよ。だから、穏健派に与する必要はもうないんだ」

 プレアが手にしていた資料は諦めて、ケースに残された資料から話の主題を探ることにする。目視でどの資料にしようかと悩んでいると、突然プレアが立ち上がった。身を乗り出してアマルフィ議員に詰め寄った。テーブルに身を乗り出しているため、ケースは現在、プレアの手の下で閉じられている。どうやっても資料は取り出せそうにない 訳知り顔の男の人たちは勝手に話を進めてしまう

「でも! アマルフィ議員は国防委員の中でも唯一の穏健派で、悪戯に戦争を広げたりしない人だって、見識ある人だって、皆さん言ってます……」

 プレアは残念だとか失望だとか、そんなことよりも悔しさが先行しているように歯を噛み合せていた。とても、資料を渡してだとか、ケースから手を離してと言って許される雰囲気とは思えない。事態を見守る中で、アマルフィ議員の無理したような笑い方がとても印象的であった。

「実は息子が戦死してね。ちょうど、ゼフィランサス主任くらいの子だった。親の贔屓目で見てもいい子で、私の政治活動が弱腰に見られないよう兵士に志願してくれるような子だった」

 ゼフィランサスは強く息を吸い込むとともに目を見開いた。色素のない瞳には、照明の弱い光でさえ痛みを覚えるほどである。しかし、そんな痛みが問題にならないほど、アマルフィ議員の言葉に心囚われて、子を失った父を見ていた。涙は枯れる。それは人体から水分が失われたというだけ。それでも人は泣くことができる。今のアマルフィ議員のように、涙を流さなくても泣くことができる。

「顔を合わせる度に妻が泣くんだ。どうして穏健派になどなったの。はじめから急進派であれば、ニコルは戦場になど行く必要はなかった、戦死することはなかった」

 プレアは力なく長椅子に体を戻した。手にあった資料はテーブルの上に置かれ、ケースはすでに解放されている。だが、そんなものはもう、見る必要がない。そんなものを見なくては事態を把握できなかった自身の不明を、ゼフィランサスは恥じた。もうわかる。愛する者を失った男が、すべてを失った男が手にした悪意そのものが。しかし、ゼフィランサスがそのことへと意識を至らせる前に、アマルフィ議員は止まることなく言葉を繋いでいく。

「私は過ぎた力は戦争を悲惨な方向へと導くと考えていた。だから穏健派として、過度な戦闘行為の抑制に努めてきた」

 その声はか細い。自信の拠り所を失った男の声は、いつ聞いても悲愴で、胸を締め付けられる。キラ・ヤマトがゼフィランサスにすがる時はいつもこんな声をする。そして、そんな声を出すのはもう1人。

「それは、間違ってません……」

 プレアは、それでも努めてアマルフィ議員を励まそうとしていた。その思想と理想の結果が子を失い、妻に憎まれることだとしたら、それが正しいと断定できずにいる。アマルフィ議員は髪をかきむしり始めた。柔らかい髪質が、見る間に傷んでいく。

「ありがとう……。でも、頭からどうしても妻の泣き声が離れないんだ。私が戦争を推進していれば、これを早く開示していればニコルは死なずにすんだかもしれないという考えが、どうしても離れてくれないんだ……」

 唐突に髪を掴む指が止まって、頭から手が離れる。そのまま、手はケースの上に置かれた。その姿は神に誓いをたてているかのように見える。

「この力は君たちが役立てて欲しい」

 このケースには災厄の力が封じられている。開かれた時点で、プレアが資料に目を通した時点でそれは解き放たれてしまった。もう閉めても間に合わない。それでもすべてを与えられた女が後悔と悔恨の内に箱を閉めたようにゼフィランサスもせめてもの救いを探そうとする。

「本当に……、これが正しいことだと考えてますか……?」

 議員はもう顔を上げようとさえしない。

「もしもこれが凄惨な結果を招いたとしたら、私が穏健派としてしていたことは正しかったということになる。そのことに、私は慰められる……」

 手がケースを離れた。災厄を縛り付けた最後の鎖が解かれたように。アマルフィ議員の顔が上げられると、そこには何もなかった。涙もなく、悲しみもなく、嘆きもなく、後悔も罪悪もなかった。ただ、空虚な微笑みだけが張り付いている。

「実は、これには名前がなくてね。便宜上NJCと呼んでいたけど、好きにつけてもらってかまわない」

 ゼフィランサスも、プレアも何も言い出せずにいた。このことを、アマルフィ議員は茫然自失ではなく、疑問と戸惑いと捉えた。

「NJCは、ニュートロン・ジャマー・キャンセラーの略語だよ」



[32266] 第21話「逃れ得ぬ過去」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/30 22:54
 静かな夜だった。窓の外には夜の砂漠が見えている。暗く、何もない平らな黒い大地にしか見えない。砂柱もなければ銃火器の轟音も聞こえてこない。
 アスラン・ザラは窓辺に腰掛け、キンバライド基地における戦いとは比べものにならない砂漠の夜を過ごしていた。与えられた個室には何もない。ベッドと必要最低限の荷物を包んだ鞄が床に放られている。椅子さえもなくて、アスランは窓枠に直接腰掛けている有様だ。すぐに転属する以上、この程度の設備でも十分だと言えなくもない。
 ヘリオポリスでガンダムを強奪し、敵の戦艦を追う形でプラントから40万km以上も離れた地球で友を失った。生涯忘れることのできないであろう月下の狂犬との出会い。色々なことが、様々なことが起こりすぎた。
 そのせいかもしれない。扉をノックもなしに開けられた時、アスランは大して驚くことができなかった。
 入室してきたのが見覚えのある女性であったからかもしれない。
 桃色の髪が長く伸びて、第4研特有の青い瞳は月明かりしか頼る光のない部屋でさえもよく見えた。ゼフィランサス・ズールが身につけていたドレスとは違うシンプルな衣装は、ラクス・クラインが好んで使用しているものだ。
 そう、プラントの歌姫が部屋を訪ねていた。

「ラクス、いいのか? プラントの歌姫がこんな砂漠の最前線に来ても?」
「つれませんのね、アスラン。私たち、許嫁ですのに」
「親同士、いや、家同士が決めたことだし、それに、今は君の軽口につきあってあげられるほど余裕がないんだ」

 ラクスはいつも静かな微笑みを絶やすことのない。それも今回ばかりは神妙な面もちで答えた。

「ニコル様のことは聞きました お悔やみ申し上げます」
「ありがとう……」

 思えばどうしてラクスがプラントを出たのか、少し考えてみるべきだったかもしれない。ラクスはゆっくりとした足取りで近づくと、アスランにそっと耳打ちする。

「アスラン、ユーリ・アマルフィ議員が核の封印を解きました」
「あの噂は本当だったのか!?」

 ニコル・アマルフィの父の名前を思いもかけないところで耳にする羽目となった。プラントは核兵器の恐ろしさから世界を解放するためと嘯きながら裏ではニュートロン・ジャマーを無効化する装置を開発している、地球ではまことしやかに囁かれる陰謀論だそうだが、人の憶測も馬鹿にはできないということらしい。

「ニュートロン・ジャマーは所詮、プラントに都合のよい形で核を使うための小道具にすぎません。地球側も動きを活発にさせつつあります」
「次の議長にはパトリック・ザラ議員がなる。どいつもこいつもそんなに戦争がしたいのか!」

 これではモーガン・シュバリエ中佐も、ニコルの死も浮かばれない。同時に、それほどまで追いつめられたユーリ議員のことを思うとやるせない。

「西暦1864年にジュネーブ条約が、1899年にはハーグ陸戦条約が。アスラン、人はどれほど遠回りしていても必ず前には進んでいるのです」
「それで人はどこにたどり着けばこんなことがなくなるんだろうな? 犠牲はなくなるんだろうな?」




 アーク・エンジェルの医務室に人の姿は疎らだった。キンバライド基地の激戦を潜り抜けてきた後とは言え、クルーに出たけが人はフレイ・アルスターが曲芸飛行した時のことくらいなもので、重傷者はいないからだ。
 キラ・ヤマトとて乗機であるGAT-X105ストライクガンダムほどの怪我はしていない。それでも医務室に用を覚えたのは、キラが脇に座るベッドの上にあった。純白のカーテンに周囲を囲まれている。この狭い空間の中で、キラは話をしていた。
 ゆったりとした入院衣を身につけ、体にコードを張り付けた姿でヴァーリが上体を起こしてベッドに腰掛けている。姉妹の中で唯一褐色の肌を持つカルミア・キロである。傷を負わせたのもキラであり、ここに連れてきたのもキラ。複雑な気持ちで、キラは声を潜ませた。

「カルミア、どう? 調子は?」
「大丈夫よ。それよりも私はあなたはどうなの 少しは周りが見えるようになったみたいだけど、まだ少し心配ね」
「君にそんなに心配かけるほどかな?」

 10年以上も前から姉であったこのヴァーリはいたずらっぽい笑いを見せることが多い。今回もそんな顔を見せて、それでも瞳だけは真剣にキラのことを見ていた。

「何があったの?」

 この10年の間のことを聞かれている。それも、必要以上にハウンズ・オブ・ティンダロスにこだわった訳を。

「10年前、君たちと別れてから僕はやっぱりゼフィランサスを探していてね。ヘリオポリスにいるって知ったのはまだ1年にもならない時のことだった。街に潜入したんだけど、その時、友達ができたんだ。カズイや、サイ。でも、2人とも死んでしまった。僕には力があるはずなんだ。それでも、誰も助けることなんてできなかった。自分でもよくわからなくなってしまったんだと思う」

 気ばかりが焦って、何かをしていないと落ち着かなくなった。それが目の前のわかりやすい目標であって、ハウンズ・オブ・ティンダロスという力を得るという手段であったのだろう。
 問題は、手段そのものが目的と化していたこと。戦うことが勝利や守護を目的とするのではなくて、ハウンズ・オブ・ティンダロスという手段のために戦っていた。

「僕には力がない。だから力が欲しかった。でも力を手に入れたところで自分の望む人を助けられるかどうかなんてわからない。だから僕はわからなくなってしまったんだ。力が欲しくて、でも失うことは怖かった。だからゼフィランサスだけを守ろうとしてしまった」
「手段と目的がまぜこぜになってしまったのね」

 やっぱりカルミアにはお見通しらしい。キラの見せた戦い方はゼフィランサスを助ける手段を得るためのもので、同時にゼフィランサス以外を見捨てるような戦い方でもあったから。ゼフィランサスを守りたいという思いと、ゼフィランサス以外を犠牲にすることは意味が違う。そんなことに気づかされた時、キラは少しだけ周りのことが見えるようになっていた。
 急に肩から力が抜けた、そんな感じだ。

「君にもバルトフェルドさんにも感謝してるよ。バルトフェルドさんは戦い方を見せてくれた。君は、やっぱり僕のお姉さんなんだと思うよ。ありがとう」

 正確にはカルミアは、12女。決してヴァーリの中で姉にあたる方ではないのだが、兄弟たちの中で末弟にあたるキラには姉のような人だった。そんな人の乗るモビル・スーツさえ撃墜できてしまう。ドミナントとは、もしかしたらそんな人種なのかもしれない。

「また来るよ、カルミア」

 重傷者を気遣うと言い訳して、キラは立ち上がった。カルミアは笑顔のまま手を振って見送ってくれる。こちらからも手を振り替えして目隠し用のカーテンをどかす。すると、外には思いがけず人が立っていた。

「アイリス……」 




 アーク・エンジェルの医務室。ここを訪れるのは、アイリス・インディアにとって2度目のことになる。初めて訪れた時は、カズイ・バスカークの、友達の死を告げられた。フレイ・アルスターと疎遠になった切っ掛けも、この部屋で起きた出来事に起因している。
 清潔すぎる白い壁はどこか近寄りがたい。消毒薬の匂いは足を遠ざけるに十分な理由であると思える。それでもアイリスがここを訪れたのは、会わなくてはならない人がいるから。
 その人はベッドに寝かされていた。ゆったりとした衣の下からケーブルがベッド脇の機械に繋がっている。装置の詳しい性能はわからないくとも、それが生命維持に重要なものであることは想像に難くない。この人が重傷を負ってここに運び込まれた。
 乗機を撃墜されたのだそうだ。それほどの体験をしておきながら、その人はベッド脇で立っているしかできないアイリスに対して微笑みさえ浮かべて応対する。この人は、褐色の肌と赤い髪をたらしたヴァーリだった。

「初めまして。私はカルミア、Kのヴァーリ」

 カルミアの立場は捕虜であるはずのなのに、アーク・エンジェルの正規搭乗員であるアイリスの方が畏まっている有様である。

「私はアイリスです。Iですよね?」

 ベッドの周りにひかれたカーテンの中で、2人のヴァーリの話が始まろうとしていた。




 フレイ・アルスターは意識して足音を立てないようにして廊下を歩いていた。特に意味なんてない。ただなんとなく、そんな風に考えていた。

「フレイ」

 声をかけられたのはちょうど医務室の前の廊下だった。声はヘリオポリスから聞き慣れた少年のもの。だから戸惑いがあった。すぐに振り返ることができずにいた。

「フレイ」
「何よ……!」

 結局振り返ると、白い軍服を着こなしたまるで若手将校みたいないでたちでキラ・ヤマトがいた。話をするには若干遠い位置ではあったが、睨みつける顔がはっきりと見える距離ではある。フレイはかつての友人を睨むことに、何の躊躇も覚えなかった。

「何の用!?」

 キラはフレイの言葉をまったく介することなく歩み寄ってくる。その顔はかつてのように、相手の顔色をうかがっているような様子はない。顔かたちはまるで変わらないのに、まるで別人のような印象を受けてしまう。

「だから何の用よ!?」

 2人の距離が会話に適したものに変わった時、改めて怒鳴ってやった。それでも、キラは涼しい顔で真っ直ぐにフレイの顔を見てくる。

「2人のこと、ごめん」

 何を言われているのかわからない。その戸惑いはそのまま、表情となってフレイの混乱を体現していた。キラはすました顔をしていた。それが気に食わない。

「僕はカズイを見捨てたし、サイを助けることもできなかった」

 カズイ・バスカーク。サイ・アーガイル。この2人の死を、フレイはキラのせいだと考え、そう当人をなじったこともある。キラの言っていることは当たり前のことで、別段目新しいものなんてない。それなのに、フレイは息が詰まるような思いを感じていた。怒りが呼吸のリズムを崩している。そう言えば以前にもキラに対して同じ感情を抱いたことがあった。

「急に何よ!?」

 どんなに怒鳴っても、どんなに責めても、どんなに迫ってもキラは怖気づくどころかフレイから目をそらそうとしない。なんて自分勝手なんだろう。自分だけ勝手に2人の死を受け入れて、それをフレイに見せ付けて、自分のご立派な人間性を見せたいだけのくせに。優越感に浸りたいだけのくせに。蔑みたいだけのくせに。
 馬鹿にして。見下して。まだ偽善を続けようとする。

「どうしても謝っておきたかったんだ」
「身勝手なだけでしょ! 馬鹿にして!!」

 間髪いれず、フレイの手がキラの頬を叩く。防がれると思っていたに。痛いのは嫌だって、キラが結局自己満足のためだけに謝罪しているんだって証明できるとばかり考えていた。それなのに、キラはかわそうとも、動こうとも、目をそらそうともしないで平手打ちを頬で受けた。その眼差しは一向に曇ることも、フレイから離れることもない。

「わかってるよ。でも、僕は君に謝らないといけない」

 赤い頬のまま、さすろうともしない。その瞳に迷いはなかった。フレイに謝ること。それを最優先に定めているから、痛みなんて二の次だと言っているみたいに。
 見れば見るだけ、惨めな気持ちにさせられる。先に目をそらしたのはフレイの方だった。そのままキラの脇を通り抜けて歩き去ろうとする。キラは止めようとはしなかった。止めるよりも先に、フレイが立ち止まったからだ。
 別に特別な事情があったわけではない。ただ、通路の先から歩いてくる男性が妙に気になった。癖の強い髪はブリッジで見たことがある。ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世だっただろうか。これまでに満足に話をしたことはなかったが、その目は明らかにフレイのことを見ている。
 こんな往来で怒鳴り散らしていたことを責めるつもりはないらしい。どうしてそんなことがわかったかというと、ダリダはキラと同じ顔をしているのだ。使命を遂行すると決めていて、他の何事にもかまうつもりはない、そんな顔をしている。
 フレイの前で立ち止まったダリダは薄く色のついた眼鏡越しに、こちらのことをこれでもかと見ていた。

「フレイ・アルスター2等兵。マリュー・ラミアス艦長の命により、懲罰房入りを命じます」




 カルミア・キロの言葉を、まるで反芻するようにアイリスは囁いた。

「私たちは26人のヴァーリで、1人だけが至高の娘と選ばれた。そうですよね?」

 視線は自分が座っている椅子に注がれていた。うつむいていた。しかし、言い終えることで意識と視線がカルミアへと向く。ベッドに寝かされた状態で腰掛けるカルミアへと。
 アイリスと同じ顔で、しかし褐色の肌をした少女は、アイリスが決して見せない大人びた仕草で首を振る。

「キラ君は嘘なんて言ってないけど、本当のことも明かしてないみたいね」

 カルミアはまるで、子どものいたずらを知った母親のよう。思いついたのはこんな表現しかない。

「アイリス、私たちは1人と25人じゃなくて、6人と20人よ」

 それこそ子どもの非礼を詫びるような表情を、カルミアはしていた。しかし、どこか視線を伏しがちであることにはそれ以外の情感が含まれている気がしてならない。カルミアの言葉の意味を完全に理解することもできずに、アイリスはただ体の緊張を強めた。

「26人がそろった段階で、私たちはまず、成功作と失敗作とに分けられた。成功作は乙女と呼ばれ、失敗作は奇形とひとまとめにされた」

 これまで自分が失敗作と判断されたのだろうと考えなかったわけではない。しかし、いざ告げられてみると、その事実は想像よりも重い。
 ダムゼル。古めかしい言葉で乙女を意味する単語であるのだそうだ。
 フリーク。遺伝学における失敗作のことを指す場合がある。その場合、複数形のフリークスを用いることが常のようだが、失敗作を数える必要などない。そう、ひとくくりにされた。

「6人のダムゼルと、20人のフリークがいたの。そして、私もあなたもフリーク」

 筋肉の緊張が嫌なくらいに高まっていた。アイリスが片手を上げたのは質問のための意思表示であるとともに、これ以上の緊張に耐えられなかったからでもある。

「ゼフィランサスさんは、ダムゼルなんですよね……?」

 カルミアの微笑みは静かなものと言えば聞こえはいいが、どうみても乾いた寂しさの混じるものであった。

「ダムゼルはDのデンドロビウム・デルタに、Eのエピメディウム・エコー。あなたのお姉さまにNのニーレンベルギア・ノベンバー、Pのサイサリス・パパ、そしてZのゼフィランサス・ズールの6人」

 この中に至高の娘はいる。

「あなたも私もゼフィランサスとは違うの」

 カルミアの微笑みは、もしかすると自嘲に近いものであるのだろうか。

「彼女たちは成功作。お父様にお目通りも叶う。でも、私たちは失敗作。お父様は見向きもしてくれない」

 手を額に当てて髪を掴む。そんな何でもない動作にさえ、カルミアは憔悴しきった様子で臨んだ。手の動きが妙に遅い。それは、カルミアが病床の身にあることだけが原因であるはずがない。自分では、どこにでもいる学生にすぎないと考えていた。事実が明らかになる度、その推察から大きく外れていく。

「教えてください。私がどうしてそのことを覚えていないのか……」

 返事はない。少なくとも、すぐには。そして、返ってきた言葉は返事ではなかった。

「お父様の話なんて、するものじゃないわね」

 カルミアはそう、首をゆっくりと回した。すると、その顔には、出会ったその時のように微笑みが戻る。

「それにはまず、私たちにかけられた呪いについて話さないと」

 呪い。そんな言葉を用いたのに、カルミアはどこか楽しげでさえある。

「人の人格や意識は記憶の積み重ねで形成される。たとえば昔母親に優しくされた男性はそのことを意識下に覚えていて、自分に優しくしてくれる可能性の高い女性、母親に似た女性をパートナーに選びやすいこととかね」

 男性は母親に似た人に恋をしやすい。確かに、そんなことは聞いたことがある。それをちょっと理屈っぽく話すとカルミアの言ったようになるのだろうか。そんな疑問は意図的に封じてしまおう。大切なことは、記憶が意識を作るということ。

「この理屈だと反対に、意図的な記憶を与えることができたとしたら人の意識さえ操れることになるでしょ」

 特に答えないでいると、カルミアは微笑んだまま、アイリスを眺めて放さない。あわてて相づちを打つ。

「洗脳できるっていうことですか……?」

 これに満足したように、カルミアは続ける。

「ええ。でも、そんな風に偽の記憶を植え付けようとしてもちぐはぐな記憶が障害になるし、記憶量を膨大にしようとするとコストの増大や被験者の負担が許容できないものになったそうよ」

 相手を愛しているはずなのに、憎んでいる意識も持っているとしたら。それは自分の愛に素直になれない恋愛下手な女性のお話ではなくて、記憶を操作された人の話。そのどちらが真実で、どちらが作りものかわからず、その人の意識は混乱してしまう。それが極端になるほど、記憶の操作をすればするほど、洗脳としては安定する代わりにその人の意識は壊れていく。手で何かを払うような仕草を見せながら、カルミアはこう片づけた。

「忠実な廃人を目が飛び出るくらいのお金をかけて作る意味なんてない。結局、計画は中断」

 この言葉に、アイリスはつい安堵のため息をついた。記憶や人格を操作してしまえるなんて事実、決して楽しいものではない。

「でも、このお話には続きがあるの。作り替えることができないなら、1から作ってしまえばいい。ヴァーリが作られたのはこんな考えもあったから。そして、まだ幼いうちにお父様を愛しているという記憶を植え付けてしまえばロー・コスト、ロー・ストレス。優秀で忠実な娘が出来上がる」

 そして、カルミアは妙な溜めを作る。言いにくいことをそれでも絞り出すように。

「そうして作られたのが私たちヴァーリ」

 正直な話、どう反応してよいものかわからない。確かに、アイリス自身が記憶操作にさらされていたという話は決して気持ちのよいものではない。それでも、戸惑いの方が勝ってしまった。目を大きくして、瞬きを繰り返すくらいがせいぜいである。

「思ったより淡泊な反応ね」

 似たような、というよりは同じ顔、同じ表情を、カルミアもしている。

「とても大切なことを聞かせてもらったことはわかるんですけど……」
「じゃあ、もっと怖いお話を聞かせてあげる」

 そう言うカルミアの笑顔は、なぜだか楽しそうで、でもどこか無理をしているようでもあった。

「あなたは思い出すことができないでしょうけど、ダムゼルは基本的に記憶操作が成功して、お父様への忠誠が強い子の中から高性能の6人が選ばれたの」

 個体差が激しい。こんなところも、洗脳技術が見直された理由であるらしい。

「でも、フリークの中にはダムゼル以上に強い忠誠心が発現した子もいたわ。でも、お父様は彼女を至高の娘どころかダムゼルにさえしようとはしなかった」

 話している内に、次第にカルミアの表情は沈痛なものに変わっていく。

「見ていられなかったわ。いつも猛って暴れて、日に日に心を病んでいく様子なんて。きっと、もう生きてはいないでしょうね」

 アイリスは、26人の内自分を含めて4人しか知らない。それでも、ヴァーリがどんな存在で、どう扱われてきたのかくらい、想像ができた。

「アイリスの場合、鈍いのか純なのか、あまりお父様への愛は発現しなかった。能力はどうだったかは知らないけど、お父様は自分の思い通りにならないことを極端に嫌うの」

 そして、もう1つわかっていることはヴァーリのお父様は、絶対に好きになれない人だろうということ。

「アイリスの他にも何人かのフリークは自分は覚えていないという偽の記憶を植え付けられたはずだから、忘れているというよりは、思い出せないようにされていると言った方が正解ね」

 ただ、カルミアはこう付け加えることを忘れなかった。記憶のいわば上書きがなされたのは5歳前後の頃。よって、洗脳は不完全な形にとどまっている可能性が高い。よって、思い出す可能性は極めて高いと。
 アイリスは目を閉じた。そうして意識を集中したところでそうそう都合よく思い出せるわけがない。ただ、これまでにも何度となく違和感を感じたことが意識に登る。ヘリオポリスが襲撃された時、どこかで見た光景だと感じたこと。モビル・スーツに乗った時、デジャブを覚えずにはいられなかったこと。
 瞼をあけると、カルミアと視線が合う。記憶を思い出せなかったことに引け目を感じてつい目をそらす。それでも、カルミアは暖かい眼差しを向けてくれていた。

「さて、ここまでがあなたが知っているはずのお話」

 そして、突きつけてくるのは選択である。

「ここからがあなたが知らなくて、もしかしたら、知らない方がいいかもしれないお話」

 もう、カルミアの顔に冗談めいた笑いはない。同じ顔でも、アイリスならどれだけ真剣になっても作れないような表情をしている。

「だから、そのことは次までにお手紙にしたためておくわ。読むか読まないかは、あなたに決めてもらうことにする」




 南極条約。軍学校の授業で聞かされていたが、ディアッカ・エルスマンはほとんど聞き流していた。地球連合とプラントがC.E.67にどの国の領土でない場所として南極大陸で結んだ戦時条約のことだ。その中には禁止兵器のリスト化や、戦争犯罪の規定、捕虜の取り扱いに関する取り決めなどが含まれていたらしいが、自分には関係ないことだと決めつけていた。
 BC兵器だの劣化ウラン弾、クラスター爆弾に対人地雷、ダムダム弾、レーザー失明兵器を使うなと言われたところで、現場の人間にどうこうできる話ではない。
 戦争犯罪なんてものは、勝った側が負けた側を叩く恰好の口実でしかないだろう。早い話が、自分が関わることは決してないと高をくくっていたのだ。だが、それも実際捕虜になってみるまでの話であった。
 今、ディアッカは敵艦の懲罰房の中にいる。何もすることがない。どうせなら条約違反だと、大して中身も知らない癖に叫んでみたかったが、扱いは決してひどいものではない。一度転換の天地が逆転して部屋を360度転がり回る羽目になったが
 飯も出るし、尋問などあってないようなものだった。そうすると、3食の食事だけを楽しみにベッドに寝そべり、天井を眺めているでしかない。ただ、今日はやや状況が違う。

「おい新入り、お前も捕虜か?」

 向かいの懲罰房へと届くくらいの声を出した。無論、大きな独り言ではない。つい先ほど、誰かが入れられた気配があったのだ。返事はなかったが、かまわず続けてみる。

「俺はな、モビル・スーツのパイロットしてたんだが、へましてな。お前は何しでかした?」

 大きな戦闘があった気配を感じたのは、確か10日くらい前だったろうか。もしザフト兵だとしたら、時期が合わない。おそらくは懲罰房本来の使われ方をしているのだろう。単なる暇つぶし相手なら、別にどんな立場の相手でもいい。

「ああ、言っとくが、俺が弱かったんじゃないぞ。相手のおっさんが強かっただけだ」

 おっさん。名前はムウ・ラ・フラガとか言っていただろうか。そう言えば、この頃顔を見ない。まさか戦死したとも考えにくいが、以前の戦闘があった時期とおっさんが顔を見せなくなった時期は符号する。
 相手が敵兵なら敵兵で、そんなことも聞き出せるかもしれない。しかし、それも反応があればの話だ。

「なあ?」

 頭の下に敷いていた腕を片方だけ取り出して、目の前で振ってみる。腕がしびれたからだ。ところが、こうしている内に反応があった。

「黙って!」

 若い女の声で一言だけ。以前食事を運んできたことがあるアイリス・インディアとは違う女のようだ。




 アーク・エンジェルのエンジンが不調をきたしたのは1週間ほど前になる。だましだまし使ってきたが、それでも限界は訪れる。ブリッジのもっとも高い位置に座って、マリュー・ラミアスは男3人の話を聞いていた。
 話しているのは修理責任者であるコジロー・マードック。様々な専門用語を並び立てて説明している。門外漢であるマリューはつい注意をそらして風防から見える夜の砂漠を眺めていた。
 アーク・エンジェルは現在飛行できない。その巨大な艦影を砂漠に横たえているだけである。こんな時に敵に襲われでもしたら大事である。よって、この原因を作り出した本人を懲罰房行きにしたのである。
 視線をコジローに、無精ひげをはやした整備主任に戻すと、彼はそろそろ詰めに入っていた。

「ええ、まあ、あの曲芸飛行がエンジンに影響しなかったといっちゃあ、嘘ですがね。でも、大半は戦闘時の過負荷が問題で懲罰房送りにすることのほどもなかったと思うんですが」

 前半の言葉を引き出したいがために話をさせていたというのに、後半は余計としか言いようがない。今なら、憂さ晴らしに艦長権限で無精ひげを剃らせても許されるのではないだろうか。
 コジローの隣りには、キラ・ヤマト軍曹が立っている。どこにでもいそうだ。初対面の時はそう考えたが、現在では一端の戦士を気取っている。軍服がずいぶんと様になり、ブリッジに違和感なくとけ込んでいる。

「僕も同意見です。あなたのしていることは結局、戦力に影響のない範囲で行っている見せしめにすぎません。フレイを一刻も早く独房から出してください」

 それは1つの側面を捉えるなら、そんな見方もあるだろう。飛べない天使は操舵手を必要としていない。しかし、これは厳正な処罰である。たかが1兵士に指図さることではない。
 厳格な艦長を演じて沈黙しておく。反論してしまえば、さらに相手の反論を招く。もはや、これは議論以前の話なのだ。わざわざ話し相手になってやる必要はない。
 そうして黙っていると、しびれを切らせたのは意外な人物だった。ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世である。ダリダはキラをなだめるような口調で対談に加わる。

「艦長の判断に文句があるのもわかる。しかし異論は挟まない方がいい。上官の命令には従う。そうしておかないと、指揮系統の混乱と停滞を招くことになるからだ」

 正確であろうと時節外れの命令よりも、多少不正確でも迅速な対応が軍には求められる。巧遅よりも拙速を それが命令遵守の理念なのだが、正規の軍人でないヤマト軍曹はどのような反応を見せるだろうか。
 部下の動向を把握できないのは艦長として失格かもしれない。そして、不測の事態がたて続くことは、艦長としての力量を試される。だが、予測はできていた。
 ブリッジに扉が開く静かな音が響くとともに、大きな声が染み渡る。

「ラミアス艦長!」

 声の主はアーノルド・ノイマン。そろそろ来る頃だと考えていた。フレイ・アルスター2等兵の教官を務めているアーノルド曹長はこの頃妙に肩入れしすぎている。まじめな男で、こんなことをしでかすとは考えていなかったが、堅物ほど1度つまづくと堕落が早いと聞く。小娘にうつつを抜かしているのだ。アルスター2等兵の処置に不満を覚え、抗議に来るとすればそろそろだろうと、見当はついていた。
 ただ、肝心要の予測は大きく外れていた。この地点はザフトの勢力圏の外れであり、敵襲はまずないと高をくくっていた。エンジンの修復が終わるのを待っていればいいと考えていたのである。
 敵襲があった。それを判断する必要などなかった。轟音が響き轟き、アーク・エンジェルを揺るがしたからである。何とも分かりやすい、宣戦布告ではないだろうか。
 レーダーに反応などなかったのは、敵がハーフトラックを用いて接近してきたためであるらしい モビル・スーツによる襲撃ばかりを警戒していた
 管制--人手不足からほとんど便利屋と化している--のナタル・バジルール少尉からの報告は状況が急速に悪化していることを如実に示していた。

「78番ハッチが突破されました!」

 敵の攻撃は恐ろしいまでに早い。歩兵部隊があっさりと艦内への侵入を成功させたのである。
 窮地にありながら、窮地にあるからこそ、マリューは爪を噛む癖を見せてしまった。だが、こんなことをしている場合でないことは理解している。爪を口から離す。同時に、その手を振りあげる。

「隔壁降ろして!」

 アーク・エンジェルには敵の侵入を許した場合に備えて隔壁によって主要な区画を隔離できるよう設計されている。問題は、乗員全員を隔壁内に収容できないことだ。報告を聞く限り、複数の侵入経路が存在している。これでは多くの乗員が敵の攻撃にさらされることになる。
 マリューは艦長席から受話器型の通信機を取り上げる。

「各員へ告げます! 現在この艦は敵の侵入を許しました。艦長の権限において、武器の携帯、使用を許可します。各自防衛に当たりなさい!」

 すぐ、通信機を置く。これで、艦内に命令は通じたはずだ。後は隔壁が閉まりさえすれば、ブリッジは安全になる。
 アーク・エンジェルのブリッジは、比較的単純な構造をしている。先端が空へと突き出した風防に囲まれた長方形で、基本的に平らな作りである。風防を見渡せる部分に舵が取り付けられ、奥へ進むと、その両脇は各種オペレーターの席である。幸い、ナタル・バジルールやダリダのような主要なオペレーターはその席についている。そして、中央やや後方で1段高くなっているところに、艦長席があり、無論、艦長は座っている。
 艦長席の後ろは谷になっている。両脇から階段で降りることができて、底に出入り口が設置されているのである。このような一見不便と思われる構造が採用されている理由は、このような非常時のためである。
 隔壁がこの階段に蓋をするように展開され、ブリッジを隔離するのである。
 幸運と不幸に、マリューは同時に見舞われた気分がする。まず、キラ・ヤマト軍曹とアーノルド・ノイマン曹長、2人のパイロットがここにいることである。隔離が完了しさえすればパイロットの安全は確保される。ただ、この2人が命令を聞いてくれるとは考えにくい。
 案の定、隔壁を降ろすという警報音の中、キラ、アーノルドの2人は明らかに出入り口の方向に目をやった。先手を打つ形で、マリューは2人へと命令を発する。

「あなたたちはここにいなさい!」

 こう命じて、反応を見せたのはアーノルド曹長の方だけである。もっとも、それはせいぜい、こちらを向いたか否かという違いでしかない。

「しかし!」
「パイロットを危険にさらすわけにはいきません」

 抗議を握りつぶす形で、間をおかず言葉を続ける。それも内心では無駄だろうと理解しながら。
 警報音がけたたましく、分厚い隔壁が閉まり始めると、まずヤマト軍曹がその隙間へと跳び込んだ。そして、すぐ後にアーノルド曹長が続く。結局、2人のパイロットは隔壁の向こうである。
 なんとか、爪を噛み直すことだけはかろうじて堪えた。

「どうしてこうも……」

 部下をうまく動かすことができない。加えて、どうしても腑に落ちないこともある。敵の攻撃が早すぎる。ハッチの位置は侵入防止のため、外見からでは確認しにくい作りになっている。それなのに敵は瞬く間に侵入を果たした。
 急進派がアーク・エンジェルの情報を入手した形跡はない。ムウ・ラ・フラガ大尉がスパイであったとしても、正確な設計図を入手できる立場にはないのだ。




「ノイマン曹長はこれを」

 ブリッジを出るなり、キラはアーノルドへとオートマティックの拳銃を手渡した カートリッジを外し、弾の有無を確認しながら、しかしアーノルドは釈然としない様子で聞き返した。

「銃なんてどうやって……?」

 通常戦艦では武器の携帯は禁じられている。ところがキラは懐からリボルバーの銃を取り出しながら曖昧な笑みを浮かべていた。

「バジルール少尉には秘密にしておいてください」




 珍しい艦内放送は、何とも耳障りの悪いものだった。
 敵が侵入した。捕虜であるディアッカ・エルスマンにとって、それは朗報とも訃報とも判断しかねる。ザフトなら救出してもらえるが、今回の急襲劇には違和感がある。
 ザフトは若い軍隊だ。プラント自体が建国されてまだ40年にもならない若輩者で、ザフトは元々自警団から発展した軍組織である。設立からまもなく、戦術、戦略のノウハウが決定的に不足しているのだ。モビル・スーツを用いた戦法にこそ一日の長があるが、その経験不足が地球降下以後の侵攻を停滞させた一因でもある。
 もちろん、白兵戦が行えない訳ではないが、そんな用兵を作戦に組み込める隊長は、ディアッカの知る限りラウ・ル・クルーゼ隊長くらいなものである。そして、クルーゼ隊長は所属は宇宙軍であるはずだ。
 ベッドに寝そべっているつもりにはなれない。もっとも、できることはせいぜい格子に顔を近づけて、外の様子を探る程度である。
 自動小銃の発射音が響いている。その音は残念なことにザフト軍で採用されている銃のものではない。敵の敵は味方。とはならないのはどこの世界でも同じだ。
 ディアッカは扉ののぞき窓をかねた格子に手をかけた。スライド式の扉が開くかと試してみたが、しっかりとロックされている。懲罰房が中から開けられないのは当たり前だが、腹が立たないでもない。
 毒づいて、扉を叩く。すると、照明が一斉に落ちた。辺りが闇に包まれる。このことは誰にとっても予想外のことであったのか、銃撃の音が一時的に収まった。

「発電施設が落ちのか?」

 こんな独り言が、はっきりと聞き取れるほどだ。やはり、襲撃はザフトではないらしい。この艦の構造を知りすぎている。
 やがて、予備電源が復旧したのか、照明が弱いながらも戻る。薄暗いが、敵の姿を確認するには十分な明るさだ。銃撃戦の騒がしさが戻ってくる。そして、ディアッカの焦りも同様である。
 もう一度、格子に力を込めると、なんと、扉が開いてしまった。一時的に電源供給がストップしたことでロックが初期化されてしまったらしい。何とも初歩的な設計ミスだ。
 扉を開ける。だが、いきなり飛び出したりなどしない。できる限り頭を出さないように通路の様子をうかがうと、幸いなことに、攻めている敵も、守っている敵の姿もない。
 まずディアッカが向かったのは、向かいの房。ここも、ロックが外れている。力を加えるだけで開くことができた。

「おい! お前も出てこい!」

 薄暗い照明に輪をかけて薄暗い部屋。声は当たりをつけて発しただけで、まだ相手の姿を確認しきれてはいなかった。ようやく目が慣れてきたところで、少女が1人、部屋の隅で膝を抱えて座っていた。大西洋連邦の白い軍服。赤い髪がコーディネーターであるのかと思わせたが、この質感はおそらく染めているだけだ。
 銃撃の音がする度に体を震わせている。腕の階級章は2等兵。要するに、戦い慣れしていない新兵だということだ。
 こういった奴の場合、いちいち状況の説明をして適切な対応を促すよりも引っ張っていった方が早い。腕を掴み、無理矢理立たせた。そのまま引きずり出そうとすると抵抗する。

「離してよ! コーディネーターのくせに!」

 感触からしてずいぶんと腕が細い。そのくせ、ディアッカの手を剥がそうと掴む手の上から掴みとろうとしてくる。大した力は加わっていないが、この女は相当コーディネーターがお嫌いらしい。至上主義者、原理主義者はどこにでもいるものだ。構うことはない。

「粋がんなよ、メダカのくせに」

 ちなみに、メダカとは以前刑事ドラマで見た初犯の受刑者の隠語だ。
 力ではこちらが圧倒的に強い。掴んだまま走り出してしまえば、女はこちらに引きずられるまま走るほかない。時々女のうめき声が聞こえるが、多少我慢してもらおう。早くここを離れる必要がある。そして、できることならどこか隠れられる場所を見つけることだ。
 通路はどこも似たり寄ったりの構造で、今どこを走っているのか見当もつかない。とりあえず、銃声から離れる方向を選ぶことにした。
 すると、扉のない、開けた部屋に出る。とりあえず立ち止まってから、女から手を離す。
 決して広い場所ではない。資材置き場に使われているのだろう。抱えるには辛い大きさのコンテナが整然と並べられていた。コンテナの後ろには適度な隙間もあるようで、ここなら隠れられるかもしれない。ただ問題は、この部屋にはディアッカたちが入ってきた通路のほかにも、2つ通路が繋がっていることである。
 出入り口が多いということは、それだけ警戒すべき経路が多いと言うことだ。
 面倒なことだ。だが警戒しないわけにもいかない。そう、何の気なしに最寄りの通路に目をやった時、サブマシンガンをぶら下げた男が大した警戒もなしに部屋に入ってきた。
 ディアッカはその瞬間に飛びかかった。相手は正規の訓練を受けたわけではないのか、ずいぶんと反応が鈍い。引き金に手をやる前に体当たりで引き倒す。固い床に頭でもぶつけたような鈍い音がしたが、まだ相手に意識がある。それでも、こちらの方が早い。相手が羽織っているジャケットの胸の部分にナイフがさしてある。いかにもゲリラといった格好は、こいつがこの艦の乗員でないということを知る手がかりにはなったが、目はナイフに向く。
 抜き取るなり即座に喉と頸動脈を切り開く。心臓に極めて近い動脈が切り裂かれ、驚くほどの血が吹き出す。喉を切ったのは悲鳴をあげられない為だったが、それは女が無駄にしてしまった。
 目の前で人が殺される光景など目にしたことがなかったのだろう。抑えきれない、そんな様子で少女特有の高い悲鳴を響きわたらせた。これでは敵が来る。

「隠れろ!」

 コンテナの方を示す。血がべっとりとついたままのナイフで指し示すのはいささかデリカシーにかけるという気がしないでもないが、今はそんな時ではない。
 女は怯えた様子で、目には涙さえ浮かんでいる。

「隠れろ!」

 こうして発破をかけることで、泣きながら女は走る。
 ディアッカはナイフを捨て、殺した相手の腰からハンドガンを取り上げた。サブマシンガンもいただこうとしたが、首からつり下げられていて、すぐに外すことはできそうにない。そうしている内に、死んでいる男が現れた通路の奥から武装した男たちが血相を変えて走ってくる。母親から、初対面の人に挨拶を欠かしてはならないとよく聞かされたものだ。だが、挨拶代わりのことならすでにしでかしてしまった。
 サブマシンガンを諦めて、ディアッカは走った。
 相手はサブマシンガンで攻撃してきたが、走っている相手にそうそう当たるものでもない。それに、相手はまだ通路の深いところにいるため、ちょっと脇に逃れるだけで壁が邪魔をし、死角に入ることができる。
 コンテナの後ろへと走り抜ける。コンテナ同士には隙間があいている箇所があり、それは通路として利用できた。
 すでに女はディアッカが選んだコンテナとは、この通路を挟んだ反対側のコンテナに背をついて座り込んでいた。頭を両手で抱え込んで、譫言のように泣き言を繰り返している。

「どうして……、どうしてよ……?」

 グリップからカートリッジを取り外すと、弾は1発も発射されていない。単なる拳銃では心許ない。だが、やるしかない。カートリッジを戻す。コンテナから手と片目だけを見せるようにして、弾丸を見舞う。
 相手は、確か3人くらいだったろうか。通路の入り口で、先ほどのディアッカ同様、壁を盾にしていた。距離は目算で10mいや、15mか。確認している余裕はない。身を乗り出して発砲する。すると敵の反撃が始まって、すぐにコンテナの影に身を戻す。この繰り返しだ。
 だが、状況は圧倒的に不利だ。
 銃が無限に弾を吐き出してくれるわけじゃない。こちらが1発撃つと、相手は10やら20発を撃ち返してくる。

「お前、銃はあるか?」

 頭を抱えて震えていただけの女は、泣きながらこちらのことを睨んできた。ずいぶんと器用なことをする。この女にとっては、ディアッカも敵でしかにないらしい。事実ディアッカは敵軍の兵士である。だが、状況をわきまえない態度には、苛立ちしか覚えない。

「大方、コーディネーターに仲間を殺されたんだろ」

 反撃をしながら、わざわざこの程度の女に目を合わせて話す必要もない。見てなどやるものか。どうせ、こちらを睨んでいるだけだろうから。

「お前だけが悲劇のヒロインのつもりか?」

 1、2発牽制として撃ち出す。これで、相手が部屋に踏み込んで来られないよう弾をばらまき続ける。

「これは戦争だ。殺すのが当たり前。死ぬのは当然だ」

 敵の攻撃がコンテナに瞬く度、貫通しやしないかとひやひやする。

「イライラするんだよ。自分だけが不幸だって思いこんでる面見てるとな」
「あんたに……」

 その声は突然聞こえてきた。会話ではない。相手が話している最中であったも構わず、ただ自分が言いたいことだけを言う。だからこそ、ディアッカが言い終えるとすぐに女は声を出した。
 声に釣られてみると、女はそれはそれはすごい形相で、そして泣いていた。結局これだ。所詮これだ。自分は何も悪くない。悪いのはみんな周りの人。

「どうした? 何か文句があるなら言ってみろ。自分だけが悲しんでるんだって、不幸なんだって証明してみろよ!」

 どうせ聞いてやしないだろう。周りの意見に聞く耳があったなら、ここまで偏屈で独善的な思考は形成されない。女は一方的に、身勝手に話しているだけだ。

「あんたなんかに……、あたしの何がわかるって言うのよ!?」

 言うや早いか、女は走り出した。突然のことで、止めることなんてできやしない。ただ、幸運なことに、銃撃がやんでいる間の出来事だった。まだ、タイミングを見計らう余裕があったのだろうか。
 だがどちらにしろこのままでは蜂の巣にされる。ディアッカはコンテナから飛び出た。この女を助ける義理もなければ義務もない。それでも、残りの弾数からして、勝負をかけるに悪くない頃ではある。
 ディアッカが飛び出したことで、相手は多少なりとも狼狽し、反応が遅れている。まず壁からもっとも離れている1人へと向けて発砲する。うまく胸の当たりに当たった。
 これで1人。しかし、残りの2人はすぐに壁に隠れてしまう。急襲は失敗した。この隙に女の方はディアッカたちが入ってきた道とも、敵がいる通路とも違う第3の出口へ走り出た。だが、ディアッカの位置はほぼ部屋の中央。隠れる場所はない。敵をかばって死ぬ。何とも間抜けな死にざまを覚悟しなくてはならなかった。だが、ただで死んでやるのも癪に障る。せめて相打ちにしてやろうと、銃を両手で構えた。

(さあ、撃ってこい。顔を見せた時、その眉間に風穴を開けてやる)

 ところが、飛び出してきたのは相手ではなく、短い銃声であった。2人が上半身を部屋に入れる形で倒れてきた。額を正確に撃ち抜かれているらしく、床が瞬く間に血に浸る。見事な1撃を見舞った人物には、見覚えがあった。確かキラ・ヤマト。おっさんと一緒にいた少年兵だ。あの女と同じくらいの年頃なのだろう。しかし、今の動きは少年兵のものではない。銃を持つ相手に躊躇ない攻撃を仕掛けられるのは天賦の才ではなく、訓練によって身に付く慣れでしかない。キラは、軍事訓練を、それも殺しの技術を身につけている。こんな相手に銃を向けるのはよそう。
 銃を降ろす。願わくは、キラがこちらを敵と判断しないことだ。キラは大して驚いた様子を見せなかった。捕虜が艦内をうろついていることを見咎めない。明らかに銃に目をやりながらも、そのことを指摘することもない。

「ディアッカ、フレイを見なかったかい? 君の向かいにいた女の子だ」

 答えるよりも先に、キラに続く形でもう1人の若い男が部屋に入る。髪を切りそろえている。ただそれだけが根拠だがずいぶんと生真面目な堅物という印象を受ける。

「あの女なら、ちょっと脅かしたらあっちの方に逃げてった」

 言ってから、後悔を覚えた。余計なことを言ってしまったからだ。まだあの女への不快感が払拭されていないことを自覚する。このことに過敏に反応したのが若い軍人の方であったのは、意外な感じがする。若い男はそれはそれは、あのフレイとかいう女を彷彿とさせる剣幕で怒鳴った。

「フレイに何をした!?」

 しかし、怒りに駆られながらも手に持つ拳銃をディアッカに向けようとはしないことには好感が持てる。それだけ自制がきいているからだ。それほどの人を怒らせたということも理解していた。同時に、ディアッカは自分がひねくれもので、まだ怒り冷めやらぬ状況であることも知っている。
 いい加減な調子で髪をかく。

「言ってやっただけだ。悲劇のヒロイン症候群には付き合いきれないってな!」

 男はディアッカを憎々しげに突き放すなり、指し示した方向へ走り出した 恋人にしては歳が離れているが、ただならぬ関係であることはうかがいしれる キラなど死体から銃器をはぎ取ることにご執心だというのに

「お前はいいのか?」
「ディアッカ、君も気づいているとは思うけど、この襲撃はザフトの仕業じゃない おそらく地元のゲリラだ」
「だろうな。で? 」

 投げ渡されたのはサブ・マシンガン。この手の銃身の短い銃は室内で扱うには正直ありがたい。

「協力してもらいたい 少なくとも利害に関しては僕たちは一致している」

 ゲリラに捕虜だと言っても聞いてはもらえないことだろう そういう意味ではこの戦艦とディアッカは一蓮托生の状況にある。提案を蹴ってもいいことはなさそうだ。

「わかった」

 キラを初めて見た時はもっと棘々しかったようにも思えたが、気のせいだったのだろうか。



[32266] 第22話「憎しみの連鎖」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/31 20:17
 星々に見守られる砂漠の上に、それこそ人面獣身の石像のようにその身体を横たえているのはアーク・エンジェル。白亜の戦艦である。エジプトの大地を幾星霜の時を越えて見守り続けた彫像をよじ登る粗忽者の姿があった。ジンオーカーがアーク・エンジェルの足に当たる構造に備えられたハッチをこじ開け、カタパルトを備えるその内部に強引に侵入を果たした。
 発進灯の灯されていないカタパルト・デッキは暗く、無理矢理開けられたハッチの隙間から差し込む月明かりだけが照らすその景観はまさに遺跡の内部を彷彿とさせる。
 盗掘者たるジンオーカーは宝を目指して歩き出す。




 ゲリラはブリッジへの攻撃を早い段階で諦め、戦力を格納庫へと集中させていた。ガンダムを渡す訳にはいかない。クルーたちも自然と格納庫に集まり、さながら戦場になっていることだろう。
 これではパイロットがガンダムに乗り込むことができない。それは侵入したジンオーカーに対処する術がないことを意味していた。

「まさかゲリラがモビル・スーツまで持っているなんて……」

 最新鋭の兵器であるモビル・スーツは決して安価なものではない。そもそもバッテリーを充電するには大電力の発電施設を必要とする。ゲリラごときに扱いうるはずのない兵器なのだが。
 だが、目の前の現実から目をそらすこともできない。
 マリュー・ラミアスは艦長席の手すりを強く掴むと、自分を奮い立たせた。

「バジルール少尉。アイリス・インディア2等兵は?」
「わかるわけがないでしょう!」

 ずいぶんと不機嫌な様子で言い返されてしまった。思い出す。アイリス2等兵のことを、ナタル少尉は日頃から気にかけていた。
 まったく、この艦には滅私奉公という言葉は概念から存在していないのだろうか。




 銃声が反響し残響し、何も聞こえなくなってしまうほどの轟音を響かせてた。人の悲鳴も聞こえない。人の声も聞こえない。人として当然の声を奪われた人たちはまるで人でないようにさえ思えて、ただ血を吹き出して倒れた時ようやく思い出す。この人も人だったんだと。
 敵が人だと思っていたら殺せない。でも殺せば確実に手に血がこびりついて、自分が殺したのはやっぱり人だったんだと思い出す。眺めた自分の手には、まだ血はついていない。まだ誰も殺していない。
 座り込んだまま、アイリスは呆然と自分の手を眺めていた。

「あの日と同じです。人が傷ついて、人が死んで……」

 アイリス・インディアが眺める光景は、かつてのあの日を思わせた。
 狭いアーク・エンジェルの格納庫に即席のバリケードを挟んで人と人が撃ち合いを続けている。背景にはモビル・スーツがたたずんでいる。そして戦っているのは侵入した者とされた側。
 何もかもがあの日と、あの場所と酷似していた。

「血のバレンタインが起きた……」

 CE61.2.14と。ユニウス・セブンの光景と。
 アイリスはちょうど、逃げてしまった蝶を追いかけるような心地で立ち上がった。蝶が逃げてしまう。後少しで触れることのできそうな記憶が自分の脳裏から消えてしまう前につなぎ止めようとした バリケードから顔を出し、風景を確認する。自分を狙うゲリラの銃口を眺めながら、青い薔薇の記憶が鮮明に思い起こされた。
 ブルー・コスモス。
 この言葉が閃いた時、アイリスは強い衝撃に襲われそのままバリケードの中に引き戻される。銃撃は確かにされたが、弾はアイリスの髪をかすめた程度で命中していない。誰かが横から体当たりをしてくれて、だからアイリスは助かった。

「こんなところに突っ立って! 死にたいのか!」

 お礼を言うことはできなかった。頭が記憶と虚偽との狭間でどこまでが現実なのかいまだに朧気であった。そもそもここにいるはずのない少年の姿は余計にアイリスを混乱させた。
 少年はバリケードに体を残しながら手首を返してサブ・マシンガンだけを上に出して攻撃している。この少年は捕虜として監禁されているはずの人物であったから。

「ディアッカさん……?」

 見間違いではない。捕虜に着せる質素な衣服を身につけたままで、懲罰房から抜け出してきた姿そのままのようだった。そうわかったところで、何があったのかまでは知りようがない。
 次にバリケードに滑り込んできたのはキラだった。見たこともないようなリボルバーに手慣れた様子で弾を込めている。

(キラさんなら当然ですよね)

 何故そう考えたのかはわからない。ただ、当たり前のようにキラが戦う光景を受け入れることができた。

「アイリス、今の状況だと君の方がデュエルに近い。出撃を頼めるかい」

 そうは言いながら、キラはGAT-X102デュエルガンダムの方を見てはいない。GAT-X105ストライクガンダム--位置が悪く、ゲリラの攻撃をかわしていくには難しい場所にある--を見ていた。デュエルなら走り出せば決して遠い位置ではない。援護さえしてもらえるなら乗り込むことも不可能ではない。

「こいつパイロットなのか、おい!」
「わかりました。私が出ます」
「援護する。僕が合図したら走って」
「はい!」

 ディアッカの言葉をほぼ無視する形で、アイリスは急いでバリケードの端に移動する。デュエルまでは決して遠い距離ではない。銃に身をさらすことが怖くないとは思わない。それは勇敢だからではなくて、怖いという感覚が沸いてこないから。

「走って!」

 キラの合図で走り出す。同時に味方の人たちがゲリラ側のバリケードに一斉に攻撃を仕掛けた。映画なんかでよく見る光景だと思う。ゲリラは銃撃されることを恐れて迂闊にバリケードから顔を出せない。狙いも満足につけられない銃撃は命中するはずもなくアイリスのそばの床に火花を散らすだけだった。
 デュエルまでたどり着く。まず足に設置されているスイッチを押すとコクピット・ハッチが開き、乗降用のロープが勢いよく降りてくる。ロープの先端に取り付けられた鐙に足をかけることでデュエルが反応。ロープは急速に巻き上げられ、デュエルの腹部、高さ10mを越すコクピットを目指す。
 つり上げられている最中、格納庫の様子がよく見えた。バリケードが綺麗に二つに分けられて、ゲリラ側からアイリスを狙って銃を構える人の姿があった。まだコクピットにはつかない。

(こんなこと、前にもありました……)

 アイリスを狙っていたはずのゲリラが額から血を吹き出して倒れた。数は3人。キラが狙撃したのだろう。
 アイリスは無事、デュエルのコクピットにたどり着いた。




 アフリカの大地では血が乾かぬことがどれほど多いことか。植民地にされ、入植者が勝手に引いた国境線は民族紛争を激化させた。豊かな天然資源はアフリカの呪いと称されるほどこの大地を潤してなどくれなかった。
 それは年号が西暦からコズミック・イラに改められたことでも何ら変わりない。
 ザフトは地球降下の最大目標地点としてジブラルタルとビクトリアを設定。まず北アフリカの大地に降下を開始した。大戦力を保有する大洋州連合を避け、マスドライバーを保有する2大基地を同時に睨むことができるアフリカ共同体が狙われたのだ。
 大西洋連邦とは何ら関係のない。ただ戦略的に有利であるというだけで北アフリカの小国は主権を侵害された。地球軍もまた宇宙からの侵略者に容赦はしなかった。アフリカ共同体はザフト軍に対抗する南アフリカ統一機構、大洋州連合、大西洋連邦からなる地球軍の戦場として生贄に捧げられたのである。
 軍事的に対抗する力を持たないアフリカ共同体政府は現状を事実上黙認している。アフリカ共同体系のゲリラが活発に活動しているのはそのことに起因していた。
 ゲリラにとってザフト軍も地球軍も侵略者であることには変わりなく、その両方を標的として活動している。しかしそれは建前にすぎない。プラント、あるいは地球側から資金援助を受けることで敵対勢力に攻撃を仕掛けることを求められるゲリラ勢力は確実に存在していた。大国の利益を代弁させられる代理戦争とも言うべき内紛は、それこそ西暦の時代から何も変わってはいないのである。
 ジンオーカー。闇に流されたものをゲリラが手に入れたという形でプラント側から供給された機体はアーク・エンジェルのカタパルト内を歩く。
 人の庭に土足で上がり込んだ連中に一泡吹かせてやれればそれでいい。それが、たとえ利用されたものであっても、明けの砂漠が私兵として扱われていようと。
 ジンオーカーのパイロットはカタパルトと加圧室をつなぐハッチを強引に押し開くと、モニター一面に広がる巨大な手を目にした。




 GAT-X102デュエルガンダムの手が格納庫へと侵入しようとしたジンオーカーの頭を鷲掴みにし、そのまま奥の壁へと叩きつける。後頭部から叩きつけられた衝撃でジンオーカーのモノアイを覆うカバーは砕けて割れる。
 まだ奇襲のアドバンテージは残されている。
 アイリスは敵の頭を掴んだまま、その身体を大きく横へと振った。カタパルトの方向へとジンオーカーはなすがまま流されていく。デュエルにはカタパルトに足を乗せさせた。

「ナタルさん!」

 意図をわざわざ説明するまでもない。管制であるナタルは半壊させられたカタパルト・ハッチを開き、リニア・カタパルトの展開も不十分なままカタパルトを発進させる。デュエルに抱き抱えられる形でジンオーカーはカタパルトの上を滑っていく。合計で100tを優に越える2機のモビル・スーツは簡単に夜の砂漠へと投げ出された。
 ジンオーカーは背中から叩きつけられまいと必死にスラスターを噴かしていた。デュエルは反対方向にスラスター出力を上げ、結果としてジンオーカーが背中から墜落。砂をひっかきながら滑っていく。デュエルはその上にまたがる形で墜落の衝撃から免れた。
 もはや動きが鈍いジンオーカー。アイリスはかまわない。バック・パックからビーム・サーベルを抜き放ち、逆手で首と肩の間に突き刺す。ここがモビル・スーツの急所なのだ 胸部ジェネレーターを守る装甲は頭部と肩にしかない。心臓を直に攻撃する感覚で、デュエルはサーベルにえぐりを加えた。

「私はヴァーリです! ヴァーリは、こんなことのために作られた存在なんです!」

 アイリスの中で、ヴァーリとしての意識が徐々にかつ確実に息を吹き返そうとしていた。




 背中から地面に叩きつけられ、ジェネレーターは深刻な破壊にさらされている。もはやこのジンオーカーは死んだも同然だ。
 モニターに大きな亀裂が走る。破断した壁の一部からは鉄筋が突き出て、パイロットの頭のすぐそこに突き刺さっている。そして、パイロットであるサイーブ・アシュマンはその豊かな髭を大量の血で染めていた。まだ意識はかろうじて保っているが、時間の問題であろう。そのことはサイーブ自身がよく理解している。
 このような状態でさえ、通信機を起動しようと手が動く。それはこのゲリラ部隊を率いる者としての意地がそうさせている。
 パイロット・シートが大きく変形していたため、かつてと同じようにうな位置には見つけ出せない。恐らくこれだろうと目星をつけたボタンを、サイーブは押す。

「撤退だ……、撤退命令を出せ……」

 言葉を発する度、喉から吹き出た血が膝を汚す。黒ずんだ血は消化器系由来のものだ。こんな知識を披露したところで、この状況で命を長らえる術までは思い至らない。
 もはや通信が届いたかどうかも確認している余裕はない。
 デンドロビウム・デルタに武器を与えられて戦った結果がこの様だ。連中に一泡吹かせてやれるなら悪魔にでも魂を売り渡すつもりでいた。コートニー・ヒエロニムスとか言う側近のアドバイスは悪くはなかったが、新型にパイロットが乗り込む前に破壊するということは、裏を返せば紙一重の優位であることに他ならない。
 どうやら悪魔とは法や倫理を軽んずる割に、取り立てだけは律儀な連中であるらしい。

「所詮、俺たちは捨て駒だ……」




 父と母はコーディネーターに殺された。サイ・アーガイルはコーディネーターの身代わりになって死んだ。カズイ・バスカークを殺したのも、見捨てたのもコーディネーターだった。この戦争を起こしたのもコーディネーター。
 それなのに、あの男は、捕虜だったあの男は何も悪びれてなんていなかった。怒りと恐怖。それがあの時に、いや、あの時ばかりでなくて、この戦争でコーディネーターに感じた感情のすべてである。
 フレイ・アルスターは逃げ出した。
 怖くて、許すことができない。そうこの戦争に、コーディネーターに覚えた感情のすべてを感じさせたあの男から逃げ出した。
 現在アーク・エンジェルは敵の攻撃にさらされている。こんな時に1人でさまようことがどれほど危険かは理解してはいても、あの捕虜に感じた嫌悪と憎悪はそれに勝った。
 ともかく、必死に逃げて、自分でもどこかもわからない部屋に逃げ込んだ。薄暗い部屋小さな音も怖くて、なかなか様子を確認できない。扉の前に座り込んで、肩を抱いているしかない。
 すると、手に固いものが触れた感触があった。上着の下から取り出して見ると、それは拳銃。フレイの手には余るような拳銃が、その手には握られていた。
 この拳銃をくれた人は言っていた。コーディネーターがいなくとも、戦争は起きる。だが、コーディネーターがこの世界をさらに歪ませていないという根拠なんてないと、フレイは信じようとしている。
 拳銃の重さは絶対ではなくとも、今のフレイに唯一頼ることのできる存在であった。グリップを握りしめるとせめて立ち上がるくらいの勇気はわいてくる。
 そして、フレイは安全装置に指をかける。まだ、解除することはできない。

「コーディネーターなんか……、コーディネーターなんか……」

 コーディネーター。この言葉を繰り返す度、自分にすべきことは何か、それが見えてきそうな気がした。涙が銃に落ちる。装置にかかる指に力がこもる。
 その時、声がフレイの耳に届く。

「誰か、いるの……?」

 ずいぶんとか細い。そんな弱々しい声にさえ、フレイは過敏に反応する。安全装置をはずすことさえ忘れ、とにかく銃を向ける。銃口が部屋の中へ向かうと、目線もまた、それを追った。
 ここは医務室であった。今まで気づかなかったことが不思議で、同時に納得もできた。フレイは逃げている際、自然と立ち寄ったことのある部屋を選んで逃げ込んだのだと。どこでもいいのにこの部屋を選んだことへの一応の説明はつく。
 この部屋が医務室であるのなら声の主は想像がつく。銃を構えたまま、ベッドを取り巻くカーテンを開いて中に入る。ベッドには褐色の肌をしたアイリス、名前はカルミア・キロと聞いている少女が寝ていた。いや、倒れているとした方が正解かもしれない。その体には力がなく、ベッドが上体を支える形で傾いている構造に体を預けているだけである。
 しかし、こちらを見る視線はしっかりとしている。

「訳くらい、教えてもらえる……?」

 カルミアは顎でフレイの手元、銃を指し示す。アイリスならあわてるなり怯えるなりしそうなのに、カルミアは随分と落ち着いているように見える。
 この女もコーディネーターであることに変わりない。

「あんたたちがいなければ、戦争なんて起きなかった! これで十分でしょ!」

 カルミアはやはり、アイリスが決して見せない顔をする。静かで落ち着いていて、まるで子どもをあやす母親のような。

「大切な人を亡くしたのね……」

 妙に言葉の間に間が空くのは、カルミアの様態が思わしくないことを示しているのだろう。よく見ると、汗が浮かんでいる。

「私もそう……」

 短い言葉。そんな言葉さえ、カルミアはもったいぶったように話す。それとも、それだけ言葉を大切に紡いでいるのだろうか。

「とても強くて……、頼れる人を亡くしてしまった……」

 小さくて、短くて、間が不自然にあいた言葉は、それでも妙に耳の奥にまで届く。

「でも別に仇討ちしたいなんて思わない……。死んでしまった人のために何かをしてあげたい……、そんな気持ちはあるけど……」

 それは蚊の羽音を連想させる。大した音でもない癖に、耳障りで、まとわりついて、苛立たせる。フレイは銃を突き出した。

「同情なんて! 説教なんていらない!」

 カルミアはこうまでしても表情を荒立てようとしない。それだけ、体が弱っているのだろうか。それでも、何があっても、カルミアは母親を強く意識させる。

「ごめんなさい……。でも、あなたはとてもいい人ね……」

 本当にこの人はアイリスとは違う笑い方をする。目元と口元をかすかに動かすだけで、微笑みを演出しようとする。

「死んでしまった人のために……、ここまでしてあげようとするなんて……」

 カルミアは目を閉じた。それは何かを演出するための手段ではないだろう。微笑みをはっきりと表現しない人は苦悶の表情さえ、小さく抑えようとする。

「私を殺すのにそんな物騒なものなんて必要ないわ……。その装置の電源コードを抜くだけでいいの……」

 指が小さく、震えて、ベッドの脇におかえた医療器具を指し示す。その装置から、幾本ものケーブルがカルミアへと伸びている。

 苦しそうで、それなのに自分と話をしている。語りかけている。

「でも約束して……」

 言葉が続く度、苦しげな息づかいが聞こえてくる。

「あなたも軍人である以上……」

 どうしてこの人はこんなことを言うのか、フレイには理解することができない。
 どうしてフレイのことをこうまで気遣うのか理解することができない。

「必要から人を殺すこともあるでしょう……」

 どうせこの人も、コーディネーターでしかないのに。

「でもせめて……、憎しみで人を殺すのは……、私を最後にして欲しいの」

 突然のことだった。頼りなげな照明の明かりが、完全に途絶えた。重く冷たい闇が、フレイの姿を隠した。




「作戦は失敗だな」

 ガンダムの戦いを見守っていたデンドロビウム・デルタは瞬きを繰り返した。アーク・エンジェルを見渡せる小高い砂丘の上、ただのジープに乗っているだけでは風に流された砂が目に入って仕方がない。冷える砂漠の夜を上着を羽織ることでしのいでいた。
 明けの砂漠にはオーブから手に入れたアーク・エンジェルの構造からモビル・スーツまで提供してやったがこの様だ。特に期待していなかったと言い訳して、デンドロビウムは運転席に座るコートニー・ヒエロニムスに出発を合図した。
 ジープが走り出す。
 意識はすでに別のことに移っていた。思いもかけない人物がこの砂の大地を訪れていたのだ。

「しかし、ラクスは一体なにを嗅ぎ回ってるんだろうな?」
「存じません」

 いつもスーツに口元を固く結ぶこの男はいつも曖昧なことは言わない。知らないものは知らない。そう、運転を続けていた。
 砂漠を走るジープに揺らされる中、仕方なくデンドロビウムはほんの数日前の出来事を思い出していた。バナディーヤでの話だ。何でもない応接間に、2つの対面したソファー。片側にはデンドロビウムが座り、向かい側にはカガリ・ユラ・アスハ、オーブの暴れ馬が座っていた。カガリもデンドロビウムも側近の男を席の後ろに立たせていた。上座に立つのはラクス・クライン こんな砂漠にまで足を延ばす物好きな歌姫だ。
 カガリはそれこそ露骨にラクスを睨んでいた。

「ラクス、まさかお前まで私に説教するつもりじゃないだろうな?」
「いいえ。レドニル様、簡単なものでかまいません。カガリのイージスに関わってからの行動を示すものはございませんか?」

 カガリのすぐ後ろに立っていた男、レドニル・キサカは躊躇なく記憶媒体をラクスに手渡した。カガリが出国する時にはいつも影のようにつきそうこの屈強な男は目立たないが、それが自主性の無いことにはならない。

「何故渡す?」

 カガリが眉をつり上げている様子を、デンドロビウムはおもしろおかしく眺めていた。こちらの言うことを聞かず好き勝手に動くカガリが他の人の行動を制御できないのはいい気味だと言えた。
 するとラクスは今度、デンドロビウムの方、正確にはその後ろを見た。

「コートニー様、デンドロビウムの方もお願いします」

 コートニーはいつものような静かな調子で記憶媒体を手渡した。

「なんで渡すんだよ!?」

 コートニーは答えない。いつもの調子でデンドロビウムの後ろに戻った
 カガリがこちらを見て嘲笑を浮かべている。睨み返してやると、カガリもカガリで目つきを鋭くした。ラクスはそんな2人の様子をかまうことなんてなかった。

「このデータは有効に使用させていただきます。イージスガンダムを奪取された。その犯人がザフトではないことは大西洋連邦は掴んでいることでしょう。ですが、イージスを奪還する動きどころか、その事情を探ろうとする動きさえ見られません。それは何故でしょう。ここでカガリが関わっていることが判明すれば、オーブを糾弾するためのいい材料になったことでしょう」

 思えばおかしな話だ。大西洋連邦軍は、どこかガンダムというものに熱意が感じられない。奪取されたガンダムは奪還、あるいは破壊しなければならないはずだが、データの流出には無頓着と言ってもよい。ストライクやデュエルなどの機体に関してもアーク・エンジェルを援護したのはデュエイン・ハルバートン提督くらいなものだ。いくら大西洋連邦軍内に内紛劇があるにしても停滞した戦況を打開する新型にしては扱いがあまりにぞんざいではないだろうか。
 地球軍がそれだけ無能だと言ってしまえるのなら、それが一番楽なのだが。

「地球軍が量産型モビル・スーツを実戦で使ったな。いくら何でもタイミングが早すぎる。お父様は何も言ってないのか?」

 ラクスは何も答えない。すなわち、計画に変更は必要ない。予定通りゲリラを使ってアーク・エンジェルに攻撃を仕掛けてもよいということだ。
 カガリが小さく手を上げた。

「ラクス、アーク・エンジェルにアイリスが乗っていたぞ」
「お父様は何も仰られてはいません」
「いいのか 同じ第3研の妹だろ?」
「お父様は何も仰られてはいません」

 息を吹いて、カガリは上げた手をおろした。 ラクスはいつも微笑みを絶やさない。

「ブラルタル基地で慰問コンサートを開きます。 よろしければどうぞ」

 そんな営業スマイルを残して、ラクスは部屋を出ていく。コンサートに詰めかけてもラクスは断らないだろうが、きっと来ることも期待していないだろう。それはカガリにしても同じであるようで、端っから鑑賞のつもりはないらしい。
 カガリは席を立った。

「私は一度オーブに戻る」
「あんまりわがまま言うなよ。エピメディウムに迷惑だからな」
「お前みたいな姉がいるんだ。今更だろ」

 デンドロビウムとカガリは再び睨み合う。その様子を、コートニー、レドニル、2人の側近は構うことなく平然と眺めていた。




 ゲリラの襲撃。それがアーク・エンジェルに与えた損害はこれまでザフト軍が与えたどの被害よりも大きなものであった。ブリッジ。主要なクルーが艦長席を囲む中で、クリップボード片手に報告するダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世の口調は重い。
 マリュー・ラミアスは艦長席の背もたれに体重を完全に預ける。

「死者6名。負傷者14名。それに、捕虜が1名死亡しました」

 人的資源に乏しいアーク・エンジェルにとって、その被害は決して軽視できるものではない。マリューは姿のないアイリス二等兵の姿を思い浮かべる。ダリダに聞きたいことが、まさにこの二等兵に関することであるからだ。

「捕虜……。カルミア・キロ。アイリス2等兵とよく似た子ね」

 前回の戦闘でキラ・ヤマト軍曹によって運び込まれたザフト兵で、アイリスやゼフィランサス・ズールとも不自然なくらいよく似ている。2人なら生き別れの姉妹だと言われれば納得の仕様もある。だが、3姉妹にしてはいささか偶然がすぎるのではないか。
 もっとも、今問題にすべきことはこんなことではない。マリューが考えている内にもダリダは報告を続けている。

「はい。直接の死因は2度の停電による医療器具の不具合なのですが……」

 一度言葉を止めて、ダリダは立ち並ぶクルーの様子を、特にアーノルド・ノイマン、キラ・ヤマトの盗み見る。

「2つほど気がかりな点がございます。1つはアーノルド・ノイマン曹長が医務室近辺でフレイ・アルスター2等兵の姿を見失ったこと。加えまして、死亡した捕虜は新たに肋骨の骨折が見られました」

 ノイマン曹長は否定しない。ただ、口元の筋肉に緊張が見られた。
 さて、ダリダの示した2つの問題点。それを結びつけるなら、余りに安易な解答が浮かぶ。それは誰にとっても同じことなのだろう。クルーたちは努めて平静を装っているが、目線が落ち着いていない。
 志願兵とは言え軍属である以上、捕虜の虐待は軍法会議ものの重罪である。ただし、まだそうと決まったわけではない。証拠も見いだせていない。マリューも努めて、冷静な艦長を演じることにする。

「確かなことがわからない以上、このことは口外を許可しません。いらぬ憶測をしないよう、各員心がけなさい」

 声を合わせて、動きを合わせて、クルーたちは敬礼する。調査は続けるべきだろう。ただ、今この問題は慎重にならざるを得ない。




 ゲリラ襲撃の時協力してやったというのに、薄情な地球連合の奴らは独房にディアッカ・エルスマンを押し込めた。別にこの処置に不満があるわけではないが、退屈な時間が戻ったことだけは間違いない。
 ディアッカはいつもの通り、ベッドの上に寝そべって天井を眺めていた。思い出すのは、あのナチュラル至上主義の女のこと。名前はフレイ・アルスターと聞いた。こいつは、まだ向かいの部屋にいる。
 声をかけるつもりにもなれなかった。声がかかることももちろんない。自分だけが被害者だと思いこんでいる奴は独善的で独断に走るようになる。そんな奴には何を言っても無駄だ。思い出しても胸が焼け付くだけなので、ディアッカは何も考えないようにして、時間を潰そうとする。
 そうしているうちに、足音が聞こえてきた。もう飯の時間は終わったはずだ。足音は独房の前で止まると、ロックを外す際に聞こえる電子音が聞こえた。もっとも、ディアッカの房に変化はない。となると、鍵が開けられたのはお向かいさんということになる。

「フレイ、もう出ていいって」

 キラの声がした。この声も、ディアッカの予想を補足強化してくれる。
 扉がスライドする音。するとすぐに誰かが走り去る軽い音がした。音の質から、体重の軽い方、フレイが逃げ去ったのだと判断しておく。ディアッカは、ベッドから体を起こす。こうすることで、覗き窓が見えるようになる。

「おい、キラ」

 覗き窓から顔を見せたのは、やはりキラだった。銃を持つ相手を軽く殺すほどのこの男は、まるで虫も殺したことがないような平気な顔をしている。だがこいつなら、いや、こいつしか考えられない。

「お前も新型のパイロットか?」

 おそらく、ディアッカはキラのことを睨んでいるのだろう。別に憎悪を向けるつもりはないが、そんなに自制がきくことを自負してはいない。
 睨んでも、キラは表情を変えようとはしない。少なくとも、ディアッカにどうこうして変えられるものでもないらしい。ただ、わずかにキラが眉をひそめたように見えたのは、表情を変えたとするよりも、単にディアッカの言葉をすぐに飲み込めたかったからにすぎない。

「新型? ああ、ガンダムのことなら、そう、僕がパイロットを務めてる」

 ガンダム。ディアッカがブリッツに乗っていた頃は単に新型と呼んでいたが、ずいぶんと取り残されてしまっている。もっとも、あれがどう呼ばれようと変わらないものがある。キラがパイロットであるということ。そして、ヘリオポリスで2機のジンを撃墜したという事実だ。
 1機は後ろからすれ違いざまにコクピットにナイフを突き立てられた。もう1機は至近距離でミサイルの爆発に巻き込まれた。
 どちらも、ガンダムと呼ばれる新型がしたことだ。

「ミゲル、それにマシューだ」

 指を1本、2本とたてながら呼んだのは、かつての戦友の名前である。何を言っているのかわからない。キラはそんな顔をしていた。では教えてやろう。

「ヘリオポリスだ。お前が撃墜したジンのパイロットだ。てめえが殺した相手の名前くらい知っといても、罰は当たらないだろ」

 反応を待つつもりはない。ディアッカはすぐさまベッドへ倒れ込む。天井が視界を覆う。

「あの女にも言っておけ。いつまでも被害者面するなってな」

 さて、キラはどう答えるだろう。期待はしない。予想もしない。ただ、待つことにする。あの女のような独りよがりな恨み言か、それとも涙の謝罪か。結局予想してしまった。
 すると、キラはそのどちらでもない返事をした。

「カズイ・バスカーク」

 意味がわからない。ただ、人名だろうと判断できたくらいだ。

「誰だ?」

 首だけ持ち上げると、覗き窓にキラの顔が見える。目がやや細く、視線が下向き。ここに何らかの感情を見いだすとすれば悲しみや寂しさ。少なくとも、楽しげな顔には見えない。

「僕が見捨てた、フレイの友達の名前だよ。彼はアルテミスでブリッツの攻撃に巻き込まれて死んだんだ」

 首を元の角度に戻す。寝そべる時はいつも両手を頭の下に敷いているが、今回はどうにも具合が悪い。何度か手の位置を変える必要がある。

「ユニウス・セブンまで、ブリッツのパイロットは君だったみたいだね」

 狭い部屋だ。静かな時間だ。キラの声は染み込むように消えていく。

「フレイだって後少しで命を落とすところだった。その時からだ。フレイが自分の気持ちをコントロールできなくなり始めたのは」

 足音。キラが覗き窓を離れたらしい。それでも、声は届く。

「きっと、これが戦争ってものなんだろうね、ディアッカ」

 来たときと同じ、規則正しい足音を響かせながらキラの気配が遠くなる。自分だけが悲しんでる訳じゃない。悲劇のヒロインぶるな。独りよがりもいい加減にしろ。さて、これは誰が誰に言い放った言葉だったか。

「被害者面するな、か……」

 誰かに聞かせるためではない。誰も聞いている奴なんていやしない。だから、これは独り言だった。自分以外の誰に聞かせる訳でもない言葉だった。




 この近傍でも1番の街であるバナディーヤに、砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルドはねぐらを構えていた。最大の屋敷を徴用し、子飼いのモビル・スーツを並べては悦に入っていたと聞いている。
 長方形の中庭に、まるで館の廊下を飾る甲冑の真似事をしたジンオーカーが並べられていたのだそうだ。それも昔の話になる。
 ムウ・ラ・フラガは窓辺に肘をついて中庭を眺めた。ジンオーカーはすでにない。代わりにGAT-X103バスターガンダムが、いや、バスターガンダムであったものが寝かされている。
 左腕は肘から先が欠損している。頭部は完全に破壊され、体中に被弾箇所が見られる。この損傷具合は、この機体のパイロットをどう評価すべきか悩ませる。ここまで機体を破壊された無能か、それともここまでの傷を負いながらも機体を持ち帰ったことを誉めるべきか。
 もっとも、ムウはザフト軍の人事査定に関わる立場にない。結論は、どうでもいい。

「ずいぶんとやられたな。バスターはどうするんだ?」

 振り向きながらムウは問いかける。
 広くも狭くもない、なんとも形容するに迷う部屋の中には仮面の男が1人。ザフト軍の指揮官クラスのみが着用を許される白い軍服を見せ付けるように、ムウの方へと歩いてくる。
 男が、ラウ・ル・クルーゼが歩いてくる間、ムウは視線を下に落とした。ムウが着ている軍服は緑色をしている。ザフトの占領地で大西洋連邦の軍服を着てもらっては困ると押し付けられたものだ。別にザフトの軍服はかまわないが、一般兵のものだというのがどうにも気にかかる。
 この話は終わったことだ。そんな話を蒸し返してもラウは相手にしてくれないだろう。ムウの隣りの窓辺に、ラウは立った。

「ジブラルタル経由でプラント本国に送る。サイサリス・パパ技術主任がご所望らしいのでね」

 ジブラルタル基地。地球でも有数のマスドライバーを有する基地である。そして、ザフト軍が占有する地上最重要拠点でもある。ここでならバスターも確実に宇宙へと送り返すことができるだろう。
 そう、バスターは確実にサイサリス・パパの手に届く。

「サイサリスか。ゼフィランサスと同じくらい優れた技術者だと聞いてるが」

 ラウもまた、バスターに視線を送っている。

「ゼフィランサス以上だ。ラタトスク社にいるのがゼフィランサスでなくサイサリスであったなら、この戦争はとうに終わっている」

 ドライだな。こうからかってやると、ラウは鼻で笑った。
 戦争は数。この理屈を突き詰めるなら、ゼフィランサスほど無能な技術者はいない。途方もない性能の機体を途方もない額の金をかけて造る。しかし、ガンダムがいくら高性能であろうと、それは点でしかない。点はいくら結んでも線にしかならず、量産機による面の防衛線を排除もできなければ、侵攻を押しとどめることもできない。
 どれだけガンダムが華々しい活躍をしようと、あくまで戦場の主役はジン、GAT-01デュエルダガーに代表される量産機に他ならない。
 クールな友はもうバスターを見ることに飽きてしまったのか、窓辺を離れ部屋に戻ろうとする。

「悪いが薬の時間だ」

 テーブルにおかれた水差しとグラス。ラウは普段持ち歩いている薬入れからカプセルを取り出した。山のように大量というわけではない。しかしその数は10錠を超え、異常な数の薬を頼りに生きている事実だけは明らかであった。

「まだだ、まだ死ぬな、ラウ。俺たちの戦いは、まだ始まってさえいないんだからな」
「言われるまでもないことだ」

 20年も前に誓い合った約束は、これから動きだそうとしているのだから。




 暗い部屋。明るくする必要などない。ここには見るべきものなど何もないのだから。正方形の部屋である。中央には椅子が置かれている。説明すべきことはこれしかない。他には何もない。その椅子さえ、座るという機能のみが求められた無骨なデザインをしている。
 これは、人1人を座らせておく、ただそのためだけの部屋である。こんな非生産的で非合理な機能を有する部屋は限られる。
 牢獄。留置所。監獄。懲罰房。どう呼んだところでその機能に大差ない。人を閉じ込めておくための牢である。
 付け加えよう。椅子だけではない。椅子には、すでに1人の少女が座っている。
 弱い光にさえ光沢を返す白い髪。その瞳は赤という存在感を何にも譲ることはない。纏うドレスは黒くとも、付近にたむろする闇とは異彩を放つ。ゼフィランサス・ズールは座っていた。牢獄に、その主として。
 この部屋へと通じる唯一の扉が重々しい音をたてながら開く。宇宙にまで進出した時代でありながら、扉は鉄板が張られた古風な造りをしていた。唯一人類の進歩が見られるのはそれがスライド式の自動ドアであることくらいではないだろうか。
 扉が開き、光が差し込む。色素を持たない瞳にはそれは極めてまぶしく、ゼフィランサスは目を固く閉じるとともに開けることができない。
 誰かの影。それが瞳を閉じる前に見えたものである。声が聞こえてくる。

「ゼフィランサス・ズール主任。釈放だ」

 若い男性のもの。ただ、どこか形式的で、堅苦しい印象が年齢を声質から想定よりも高いのではないかとも思わせた。
 続いて、聞こえた声は若い女性。

「はいはい、どいてください」

 どこか間延びした声音はゼフィランサスに1人の姉を想像させた。
 サイサリス・パパ。ゼフィランサスを兵器開発局へと導き、自身もまたモビル・スーツ開発において多大な功績を上げている、ゼフィランサスにとって尊敬すべき姉である。
 まぶたを通してもなお刺々しい光が、急に和らぐ。それは、サイサリスが光をその背で受け止める形でゼフィランサスのすぐ目の前に立っていてくれているからであるらしい。その証拠にその声は、すぐ傍から聞こえてきた。

「大丈夫ですか、ゼフィランサス?」

 瞳にゆっくりと光を取り込むと、目の前には長く豊かな青い髪をしたサイサリスの顔があった。服は相変わらず、ワンピースに白衣とアンバランスな格好をしている。

「サイサリスお姉さま……」

 予想通りサイサリスが、ゼフィランサスとは異なる微笑み方をしていた。ヴァーリは皆同じ顔をしている。すると人が与える印象というものは顔ではなく表情に寄るのだと教えてくれる。

「あなたの無罪は証明されました。真犯人は別にいますし、この件とあなたは関係ありません」

 それはわかりきったこと。わざわざ告げてもらうほどのことでもないためか、ゼフィランサスは自然と疑問を口にした。

「じゃあ、犯人は誰……?」

 目をそらす。これは後ろ暗いところや、隠し事がある人に共通する行動である。今のサイサリスの顔はまさにそれである。

「それは……」

 サイサリスは答えない。代わりに答えを発した人がいるため、もう2度と、サイサリスの口から答えを聞くことはできない。
 扉を開いた男性がまぶしい光の中から歩み出て、サイサリスの脇に立った。ここでなら、ゼフィランサスにも見ることができる。凛々しい顔をしていると言えなくもない。口を真一文字に結び、まじめを通り越して融通のきかない頑固な様子を演出している。来ているのは黒いザフトの軍服。それは艦船に関わるクルーが着ているものと同じ色であるが、細部の違いから、この男性の職種は知れた。
 国内テロの防止から、組織犯罪の調査、時には思想犯の抹殺を担当する公安組織の捜査員である。もう1つ種を明かすのなら、ゼフィランサスをこの施設に勾留したのが他の誰でもない、この男、レイ・ユウキであったのだ。
 ゼフィランサスも人のことは言えないが、レイもまた表情を作るということに頓着していない。堅苦しい表情で、堅苦しいことを話し出す。

「国家反逆罪、機密漏洩罪、及び国外逃亡を企てた犯人は、プレア・レヴェリー技術補佐と判明している」



[32266] 第23話「海原を越えて」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/10/31 21:07
 白い丸テーブルに白い椅子。フローリングが施された床は清潔感が溢れていて、ここがプラントの公安施設であるとは想像させない。この部屋は全面ガラス張りである。このことだけは、この施設の特殊さを強調する。こんな壁でさえなければ、ただ男女3人がおしゃべりに興じているようにしか見えないのではないか。そんなことをサイサリス・パパは考えた。
 テーブルにはサイサリスの他、妹であるゼフィランサス・ズールと公安職員であるレイ・ユウキがついている。レイは口元を堅く結び、努めて厳格な表情を作り出しているようだった。
 レイがこの事件の捜査を担当した。

「君の研究成果をプレア・レヴェリーが持ち出したことの確認はとれた」

 こう言われたゼフィランサスは表情の大きな変化を見せようとしない。部下が自分を裏切ったことへの憤慨も、無罪が証明された歓喜もない。当事者の動きが鈍い以上、サイサリスが動くほかない。

「でも、プレアにそんなことできるなんて考えにくいです」

 幼いあの少年が人を裏切るなんて考えにくい。きっとゼフィランサスも本心では考えているであろうことを、サイサリスは口にする。ところがレイは、それを性質ではなく能力の問題と受け取ったらしい。
 テーブルには椅子が4つ備え付けられている。3人で腰掛けているので、当然1つ余っている。そこには黒いアタッシュ・ケースが置かれている。それはレイの隣の席で、無骨な公安職員はおもむろにケースを開いた。取り出したのは1枚の写真。

「手引きした者がいる。この男の力を借りれば可能だ」

 写真はレイの手を離れ、テーブルの真ん中に落ちた。写真には穏やかそうな印象を与える男が1人。盲目であるのか両目を閉じ、身につけているのはどこか儀礼的。聖職者を思わせた。続いてケースからテーブルへと置かれた写真には、シャトルに乗り込むプレアと思われる少年と男の後ろ姿。

「国籍不明。本名不詳。マルキオ導師と呼ばれる男だ。この者は地球の第3勢力に属する国々への渡航歴が幾度もある」

 サイサリスもゼフィランサスも何も答えようとしない。ただ写真を眺めている間に、レイは捜査報告を続ける。

「きな臭い男だと考えていたが、まだ捉え方が甘かったようだ」

 わずか2枚の写真。それでも十分な証拠と言わんばかりに、レイは写真を片づけようとする。レイの手が伸びて1枚目の写真を掴んだところで、突然、ゼフィランサスがその袖を掴んだ。
 さすがにレイもゼフィランサスのこの行動に驚きを隠そうとはしない。明らかに狼狽した様子で、写真を取り落とした。ゼフィランサスは表情を変えていない。それでも、その眼差しはしっかりとレイを捉えている。

「プレアはどこ……?」

 一呼吸置く。レイはまさにそのことを実践した。ゆっくりと息を吸って吐いて、それで気分を落ち着けたらしい。ゼフィランサスの手をふりほどかないまでも、写真の回収を再開する。

「オーブだ。中立国であるためプラントも手を出しにくいと考えたのだろう。小賢しいことだ」

 オーブ。その言葉を聞くなり、ゼフィランサスはレイを解放する。2枚の写真がすんなりとケースへと戻るなり閉じられる。レイはケースを手に立ち上がると、ゼフィランサスへと敬礼する。

「ゼフィランサス・ズール技術主任にはご迷惑をおかけした。公安を代表してお詫び申し上げる」

 そう言い残すと、レイはこの部屋をあとにした。
 仕事に憑かれた男はどうしてこうも愚直なのだろう。融通がきかなくて扱いにくい。その点、プレアは仕事とプライベートのバランス感覚がよかった気がする。もっとも、今回はそれが裏目にでたのかもしれない。サイサリスはため息をついた。運悪く、そのことをゼフィランサスに見られてしまった。

「サイサリスお姉さま……、マルキオ導師って……」

 気恥ずかしさを覚えるサイサリスのことを少しもかまってはくれない。もう一度ため息をついても仕方がないので、話に応じることにする。

「ええ。お父様子飼いの運び屋ね。もしかしたら、今回の一件はお父様のお考えなのかもしれないかな」
「お父様は何も仰ってない……」

 そう、ある意味においては表情を変えるほどのことでもない。お父様は必要以外のことは決して口にしようとしない。それは、ダムゼルにとっての共通認識に他ならない。

「だから、この件は私たちが好きに動いていいし、動かないと怒られるよね~」

 もし、現時点での技術流出がお父様のお望みなら必ずそう声がかかる。ゼフィランサスはテーブルに手を突いて静かに立ち上がった。もう心はここにないように、視線はサイサリスを写していない。白衣に包まれた手をサイサリスは伸ばした。妹には届かないことはわかっていたが、関心を引くには十分効果的だと理解して。

「ゼフィランサスはどうしますか?」

 テーブルに手を置いたまま、ゼフィランサスはサイサリスへと顔を向ける。

「オーブへ行きます……」

 立っているゼフィランサスからだと見下ろされているためかその瞳は細く伏せがちに見える。プレアがいなくなったことがゼフィランサスに何の影響も与えていないはずがない。ゼフィランサスは無表情というより、周りからでは判別しにくいだけかもしれない。
 歩きだそうと体を傾けたゼフィランサスへと、サイサリスは改めて声をかけた。

「あなたの開発データ、コピーして私に預けてくれませんか?」

 サイサリスもまた、立ち上がる。それは、ゼフィランサスの苦境を知りながら、それでも職務は職務と割り切ることへの謝意か、でなければ研究を渡してもらうことへの敬意。それとも罪悪感であろうか。

「パトリック・ザラ国防委員長はこの度の一件で、データが損なわれてしまうことを危惧してるの。一時的にコピーすることが許可されてるから」

 研究者として財産とも言える成果を手渡すことに、ゼフィランサスはさしたる感慨もないように落ち着いている。この余裕に嫉妬や苛立ちを覚えないと言ったなら、サイサリスはまた1つ嘘を重ねることになる。

「わかりました……。後で届けます」

 そう言い残すと、ゼフィランサスはガラス張りの部屋を後にした。
 残されたサイサリスは椅子に座り直す。そして、その口元からはこらえきれず笑みがこぼれた。

「そうだよね~。お父様のためにモビル・スーツを造って上げられるのは、私1人で十分だと思わない?」

 多様な調整が施されたヴァーリでありながら、お父様に認められたダムゼルでありながら。サイサリスとゼフィランサスは貢献できる分野があまりにも近すぎる。

「ねえ、ゼフィランサス」

 ガンダムを生み出した妹へと、サイサリスは人知れず語りかけた。




 アーク・エンジェルは無事、とは言い難くも砂漠を抜けた。現在は洋上を航行している。
 現在アフリカ大陸北部はザフトの勢力圏にある。ビクトリア基地は激戦地。奪還と占領がザフト軍と南アフリカ統一機構軍との間で繰り広げられているのだそうだ。そして紅海では紅海の鯱と呼ばれるザフト軍の猛将がユーラシア連邦軍の侵攻を文字通り水際で食い止めているのだそう。
 アーク・エンジェルは自然とその間を抜けるようにアフリカ共同体ソマリア地区からインド洋へと抜けることができた。
 アイリス・インディアがそんなことを聞かされた。海上は緩衝地帯であり、交戦する危険性はほとんどないそうだ。ザフト軍はコロニーしか国土を持たない国家であるため海を知らない。また、海を制圧してしまうことは現在中立を謳う国家群にまで多大な影響を与えてしまう。
 戦略的にも政治的にもザフトは積極的に制海権を得ようとはしなかった。アイリスに政治の話はわからない。わかっていることは、海を船よろしく漂うアーク・エンジェルの甲板に出られることと、海風の心地よさを感じられることだけである。
 アイリスは手すりに肘をついて、遙か眼下に見える海を眺めていた。

「ねえ、キラさん。カルミアさんのことですけど……」

 話しかけたのは隣に立つキラ・ヤマト。アイリスとは違って手すりに体を預けるようなことはせず、ただ手をおいているだけ。手すりを頼ることはあっても信頼しきることはない。昔から、キラという人間はこうだった。
 カルミア・キロの死は、キラに大きな変化を与えているようには見えなかった。アイリス自身、どこか悲しみを置き去りにしてしまっている。

「友達とは違うけど、仲間を失うことはこれが初めてじゃないから」
「カルミアさんから聞きました。私、フリークなんですよね? どうして、教えてくれなかったんですか?」
「どちらかと言えば聞きたいのはこっちかな。ヴァーリになんて戻ってどうするんだい? ゼフィランサスだけじゃない。あの男は至高の娘はいつも手元に置いてるし、ダムゼルはよほどのことがなければ手放そうとしない。それも愛情じゃなくて使い勝手のいい駒への愛着でしかないんだ。ヴァーリをやめたくてもやめられない人だっている。なのに君はヴァーリに戻ろうとする!」

 手すりを掴む手には明らかに力が込められていた。アイリスは知らない。それでもどうしてキラが不快感を露わにするのか、特に疑問には思わない。

「僕にはそれが理解できない」

 キラは嫌いなのだ。ヴァーリという存在も、そのヴァーリを従えるお父様も。知らない癖に、それでもアイリスの頭は勝手に納得してしまう。それでも、アイリスは何も知らない。

「記憶って、その人がその人であるって言うことなんだって思います。今の私って中途半端なんです。ただの学生のアイリスと、ヴァーリのアイリス。そのどっちでもありませんから。女学生のアイリスならフレイさんに親身になって接してあげることができると思います。ヴァーリとしてのアイリスならフレイさんを守ってあげられます」

 戦争を知らない人が戦争の悲惨さを語るよりも戦争にすべてを奪われた人がその凄惨さを主張した方が説得力を持つだろう。反対に戦争を生業にしている人が平和を語ることは間違ってはいないとしてもどこかおかしさを感じてはしまわないだろうか。
 アイリスはそのどちらでもない。では吐きだした言葉は一体どの立場からの主張になるのだろう。アイリス自身、そのことはわからないでいる。
 手すりから身体を離して首を回す。キラは視線をあわせようとはしなかった。

「僕だってフレイのことは心配してる。でも……、ごめん。僕が君に話してあげられることは、もうないと思うから」

 手すりから手が離れた。キラはアイリスのことを見ることもなく歩き始めた。海風をかき分けながら、アーク・エンジェルの白い甲板を去っていくその姿を、アイリスは見送った。
 また1人。アイリスは軍服の内ポケットから封筒を取り出した。封筒には、アイリス・インディアへ、カルミア・キロより愛を込めてと書かれている。ほんの少しお話をしただけで言うのはおこがましいことなのかもしれないが、何ともカルミアらしい文面である。
 そのことにはつい笑みを誘われる。
 それでも、この手紙を開いてみるつもりには、まだなれない。封筒をポケットにしまう。その時、思いもかけず声がかかった。

「アイリス・インディア2等兵」

 甲板は複雑な形状をしている関係上、広間というものはなく狭い通路くらいのものが点在しているだけである。そのためか人はまばらで、振り向いただけで声の主は一目瞭然だった。1人しかアイリスの目には映らない。白い軍服をきっちりと着込んだ青年である。

「アーノルドさん」

 アーノルド・ノイマン曹長はやはりしっかりとした足取りでアイリスの隣り、手すりのところにまで歩いた。

「できれば、2人きりでお話したい。構いませんか?」




 とても大切な話がある。そのことを、アーノルドはアイリスに伝えた。
 アイリス2等兵は戸惑ったように顔をした。

「はい。大丈夫ですけど、どんなお話ですか?」

 アーノルドは手すりに体を預け、海を見ていた。特に意味のあることではないのだが、あまり話を得意としないアーノルドにとって慎重にならざるを得ない案件を抱えているため、どうしても間を必要とした。

「お話したいことは……」

 遠く、海を眺める。海はいい。ふと視線を逸らしたいときのいい口実にもなれば、どこか心を大きくもしてくれる。自分で適度と思える間をおいて、アーノルドはアイリスへと向き直る。

「フレイのことです。あなたも捕虜であったカルミア・キロが亡くなったことを存じていると思います」

 返事はない。同時に、必要がないとも言える。アイリスは胸に両手を当てると、その視線がアーノルドから外れた。同じ顔を持つ女性に浅からぬ繋がりがあることくらい、わかっていたはずなのだが。この姿に気が咎めない訳ではない。それでも、予定していた話を変更できるほど対応力はアーノルドにはない。

「これはラミアス艦長から口止めされていることですが、実は、フレイに、捕虜虐待の疑いがかけられています」

 アイリスの対応は早かった。この言葉を聞くなり、手を体の横へと大きく振り切り、その瞳は勢いよくアーノルドを捉える。

「フ、フレイさんはそんなことする人じゃありません!」
「私としてもそんなことはないと考えています。しかし私はフレイにとって単なる師事の相手にすぎません。彼女のことをわかっているとするにはあまりにおこがましい」

 アーノルドは再び、海へと視線を戻す。

「フレイさんのこと、もっと知りたいってことですか?」
「フレイは、見ていてあまりに危うい。このまま何もしないで手をこまねいているのは無責任のように思えてなりません」
「フレイさんて、本当はすごくいい人なんです。私がコーディネーターだってこと知っていても、それをどう捉えているだとか、そんなこといちいち言わないくらい分け隔てのない人でした。でもお父さん、お母さんを亡くして、それがコーディネーターのせいだって思いこむようになって」

 海を見つめるアイリスの束ねられた髪が海風に揺れる。この少女が髪を三つ編みに束ねることになったのは入隊を境にしたことであったように記憶しているが、軍服姿も今では見慣れつつあった。

「私もどうして上げたらいいのかわからないんです……。だから、せめてそばにいてあげたいなって、そんな風に考えてました」

 この少女は本当にフレイのことを気にかけている。コーディネーターとナチュラル。その垣根をまたぐことは簡単なことではないだろう。だが、この2人の少女が友人であることだけは間違いのないことのように思われた。
 この娘に聞かせることは辛い話だ。しかし、必ず耳に入れておかなければならない話であることも事実だ。
 アーノルドはようやく、意を決することができた。

「アイリス2等兵。あなたには聞いておいてもらいたい。もう1人の捕虜についてのことですが……」

 ディアッカ・エルスマン。ザフトの兵士はフレイを傷つけた。




 キラ・ヤマトは言っていた。あの女、フレイ・アルスターも被害者の1人であり、コーディネーターへの排他的な行動は偏見でなく怒りに起因するのだと。だが、そのコーディネーターとて、この戦争では多くの仲間を失っている。
 誰も悪くない。あるいは、誰もが悪い。
 フレイのことを横暴だと片づけてしまうこと資格を、ディアッカ・エルスマンは有していない。だが、一方的に怒鳴らせるつもりにもなれない。狭い懲罰房の中で、いつものようにベッドに寝そべって考えることはこんなこと。

「堂々巡りだな、こりゃ……」

 復讐は誰もが考える。大切な人を奪われたら復讐してやりたいと考えるだろう。そして復讐をしてしまったら、その相手にも大切な人がいる。そして、もう一度復讐が行われる。そうするとまた次の復讐が行われてしまう。どこかで、誰かがやめなくてはならない。
 だが、それが自分の番で、自分だけが泣き寝入りをしたいと考える奴はいないだろう。だから復讐は終わらない。
 そう、堂々巡り。ディアッカにしても、自分だけが仲間を奪われたことを許すつもりにはなれないでいる。何度考えても結論は出ない。そろそろ一休みしようかと考えていると、足音が聞こえた。
 こんなところに来る人は限られる。キラかと考えたが、それにしては音が軽い。興味があると、ベッドから起きあがる。足音が止まると、それはやはりこの部屋の前であった。

「ディアッカさん、お食事ですよ」

 聞こえたのはアイリスの声。のぞき窓から見えたのもやはりアイリスだ。

「アイリスか」

 せっかくのご訪問なので、立ち上がってドアの前まで出た。食事が扉の下部に備えられた搬入口から差し入れられる。メニューはスパゲティーのミート・ソース。一風変わったメニューに見えなくもないが、赤い色は何とも食欲をそそってくれる。
 配膳係の仕事は食器を片づけることだが、いつもは30分くらい時間をおいてから回収に来ていた。それなのに、今日は足音が遠ざかる様子がない。トレーをとりあえずベッドの上に運んでから、扉を叩いてみた。

「どうした?」

 低い位置から返事があった。どうやら扉の脇で座っているらしい。

「あの時はありがとうございます」
「別に大したことじゃない」

 ゲリラの襲撃のことだろう。たまたまその場に居合わせただけのことで、このことで恩を売ろうだなどとは考えていない。まさかこんな一言で終わるようなことのために座ったわけではないだろう。長い話になるのか。ディアッカはベッドに腰掛けた。
 互いの姿を確認できないまま、声だけの奇妙な会話になりそうだ。

「ねえ、ディアッカさん。こんなことってどう思いますか? あるところにお父さんがいて、お父さんは娘たちに自分を愛するように教育して、娘たちの中から一番自分を愛してくれて一番優れた1人だけを娘と認めて、それでもほかの娘たちが自分を愛してくれていることを利用して道具みたいに扱っているとしたら、どう思いますか?」
「おかしな話だな。結局、その優れた娘含めて娘のことを道具としか考えてないってことだろ」

 ずいぶんと奇妙な話だ。昔からたとえばの話や友人の話だと切り出されれば大概自分の身の上相談というのが基本だが、それにしたところで普通の家庭の事情というわけではにようだ。
 アイリスがラクス・クラインと同じ顔、同じ瞳に髪の色をしていることが何か関係しているのだろうか。

「ディアッカさんはコーディネーターですよね? やっぱりご両親も?」
「ああ。2人ともコーディネーターだ。だが、悩んでるようだが、どうしてそんなことを俺に話す?」

 さすがにプラント最高評議会の議員の1人だとまで話す必要はないだろう。どうせ親父殿のことだ。息子が行方不明になったとしても淡々と議員の職を全うしているに違いない。

「ディアッカさんと私、あまり親密じゃないからです。親しい人には、変な心配かけたくないんです」

 壁やお人形、ペットのオウム--こいつは声真似できるため少々まずいが--の代わりに使われているということなのだろう。ただの捕虜なら後腐れない。それならディアッカにしても遠慮はいらないはずだ。

「なあ、アイリス、お前はラクス・クラインと同じ顔なんだがそれと何か関係があるのか?」
「はっきり覚えてませんけど、私のお姉ちゃんです」

 アイリスが嘘をついているとは思わないが、ラクス・クラインに妹がいるなんて話は初耳だ。担がれているのか。それにしてはアイリスはラクスと似すぎている。それに、懲罰房壁越しに聞こえるアイリスの声は疑ってかかるにはリスクが大きい。ずいぶんと気分が沈んでいる様子で、これを嘘だと考えるのは気分が悪い。
 アイリスの言葉は、脈絡がないようにも思える。

「ねえ、ディアッカさん。プラントって、一体どんな国なんですか?」
「宣伝文句じゃ、人類の楽園だな。政治だとか宗教だとか人種だとか、そんなものに関係なく優れた人が正当に評価される国だ。実際、人種が問題になることもないし、若くても能力さえ認められれば重要な役目を与えられることもざらだしな」

 ラウ・ル・クルーゼ隊長や、特に有名どころだと砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルドが30前後の若さで部隊指揮を任せられるほどだ。もっとも、プラント自体若い国で十分な数の重鎮がいないということも原因だが。

「じゃあ、能力のない人はどうするんですか?」
「そりゃ、大した仕事も与えられないことになる。だけどな、力もないのに大きな責任背負わされるよりはましじゃないか?」
「でももらえるご褒美は、やっぱり力のある人の方がいいんですよね?」
「言ったろ。能力のある人が正当に評価されるってな」
「能力のない人って、やっぱりいらない存在なんでしょうか?」
「そうは言わないが、それなら努力した人や有能な人が評価されないのが平等だと思うのか?」

 何か反論が感情的になっているように感じる。大西洋連邦の軍艦に乗っている以上、大西洋連邦の軍人なのだから、プラントに否定的になることもわかるが、それだとラクス・クラインの妹ということとうまく繋がらない。
 錯乱しているほど不安定には見えないのだが。ただ、不安定ではあるらしい。泣き出すまではないにしても、声が震えているようで痛々しさが感じられた。

「ディアッカさん、私はヴァーリなんです」
「ヴァーリ?」

 聞き返すもアイリスの反応は鈍い。それこそ壁にまくし立てているようだ。

「娘たちです。お父様のお人形です。私はお父様に捨てられたんです。もちろん、私よりも優れたヴァーリはたくさんいます。でも、私が捨てられた理由は、お父様を愛さなかったから。それだけで、お父様は私を捨てました 思い通りに動かせないお人形はいらないそうです」

 何のことを言っているのか正直見当もつかない。とりあえずたとえばの話は自分のことだという公式は証明されたようだが。

「ディアッカさん、優れてるって何なんでしょう?」

 とりあえず話をあわせておくことにする。聞いたところで、ヴァーリだとかアイリスのことを話してもらえるとは思えなければ、変に刺激してしまうこともためらわれた。

「鎌形赤血球の話が有名だな。特殊な形の赤血球は酸素の運搬効率が悪いから劣った形質なんだそうだ。ところが、マラリアには耐性を持つ。マラリアが発生した地域では優れた形質だってことになる。こんなことか?」
「優れてるとか劣ってるとか勝手に決められて、それで勝手に捨てられるんです、私たちって」

 やはりわからない。最初に出会った時は凶暴な女だと考えていた。それから配膳を担当してもらっていたが、その時は何かに責め立てられている様子はなかった。

「何があった?」

 つい聞いてしまった。アイリスのことはまともに知らないが、どう見ても感情の起伏が不自然だ。

「思い出してるんです。少しずつ。ヴァーリって何だったのかって。私たちって何なのかって」
「俺は、ヴァーリのことなんて何もわからねえぞ」
「聞いてくれただけで十分です」

 やはり壁の代わりであるらしい。別に不愉快とは思わないが、何かしてやれることもなさそうだ。そろそろ料理が冷めてしまうだろうか。ベッドにトレーごと置かれているスパゲティーをいただくことにする。特に何か言ってもらうことを期待されていないのなら、相づちを打つくらいにとどめておいた方がいいだろう。
 フォークで巻き取り、赤いパスタを口の中に放り込む。何か口の中に違和感がある。何か異物が混入しているわけではないようだが何かがおかしい。トレーを脇に置いて、頬をさすってみる。特に何もないだろうか。そう、違和感を振り払おうとした時のことだ。
 ディアッカは床に突っ伏した。辛いというか痛い。口の中を炙られたかのような痛みが喉の奥にまで広がっていた。うめき声さえまともに出すことができない。口を開いて外気で少しでも口の中を冷やそうとするがまるで効き目なんてなかった。

「今日の料理は私が作りました。ハバネロを煮てトマトっぽくして、赤い色はがんばって唐辛子で出しました。私聞いてます。フレイさんにひどいこと言ったって」
(お前の仕業か!?)

 怒鳴ってやったつもりが、腫れた喉からはまともに声なんて出ない。扉を叩きつけて痛みを紛らわすともにアイリスに抗議するくらいしかできない。

「これ、お水です」

 差し入れ口からグラスに入った水が届けられた。なりふりだとかかまわずグラスをとると、水を一気に流し込む。水はあっさりとなくなった。貪っていた訳ではない。元からグラスの半分も水が入っていなかったのだ。

「これは聞いた話ですけど、お水って中途半端に口に含んだ方がかえって辛さが増すみたいです。それにそれくらいのお水じゃぜんぜん足りませんよね」

 そんなことわかるものか。青銅の棒よりも鉄の棒で殴られた方が理屈では痛いだろう。だが、激痛は激痛で一緒くたにされてしかるべきだ。
 グラスを扉に投げつけてやっても、捕虜に差し入れられる容器がガラス製であるはずもなくプラスチックのグラスは乾いた音を立てて跳ねた。
 痛みの第二波が来た。体中から汗が噴き出し、体温の上昇が著しい。辛さや痒みは弱い痛みだと聞いたことがあったが、こんなところで体感したいと願ったことなんて一度もなかった。

「フレイさんを悲しませた罰です。苦しんでください、ディアッカさん」




 艦長室は雑魚寝をさせられるクルーたちに比べれば遙かにましな環境ではある。ただ、あくまでもましと言える程度のレベルであることに変わりはない。備え付けられた机に、壁にはめ込まれたベッドがあるくらいだ。個室であるということ、これくらいしかアーク・エンジェル最高役職の部屋であることを示すものはない。
 無理矢理付け加えるなら、壁にソファーが取り付けられ、応接間としても機能することくらいだろうか。もっとも、この椅子を用いたことは主であるマリュー・ラミアスも含めて一度もない。
 だとすると、これが最初のこととなる。マリューは机に備えられた椅子に座りながら、来客を迎えていた。相手は女性。技術士官であり、小尉の階級を持つナタル・バジルールである。
 初対面の印象は民間人に甘い、しょせんは技術畑の人間だと片づけていた。だが、ナタルはマリューの目の前でそれは綺麗な敬礼をしていた。

「お呼びでしょうか? ラミアス艦長」

 手振りでソファーへの着席を促しておく。ナタルが座ろうとする間に、声をかけておいた。

「少し、お話をしましょう」

 まさかこれを命令ととったとは思わないが、ソファーに座ったナタルはずいぶん堅苦しい姿勢を崩さない。これには少し、苦笑してしまった。

「あなたとゼフィランサス主任は長いの?」

 思い出すのはお人形のような少女のこと。あの黒いドレスを着た姿を思い出す度、あの少女が本当にガンダムを作り出すほどの技術者かと疑ってしまう。どこか心細さに襲われているのは、いまだに少女が技術主任だと信じきれない心の弱さに起因するのかもしれない。
 こんなマリューを後目に、ナタルは毅然と答えた。

「いえ、私がガンダム開発に携わるようになって初めて顔を合わせました。噂には聞いていましたが、主任はすばらしいお方です」

 軍帽を脱ぎながらも、ナタルの強い眼差しはマリューに向けられたままである。

「ガンダムとは確かに兵器にすぎません。しかし、その造形はまさに芸術、いえ、荘厳とさえ言ってもいい。あれほど美しいプログラムは初めて目にしました」

 これから続く話を、マリューはほとんど理解できなかった。専門用語がとにかく多く、しかもナタルはどこか陶酔したように芝居がかって話すのである。それこそおとぎ話でも聞かせられているような心地にさせられる。
 何とかわかったことは、モビル・スーツとは膨大な試行錯誤の連続であり生半可な技術ではアンバランスな機体しか造ることができないということ。
 たとえばプログラムは巨大な織物を全体像も見えぬまま各所バラバラに編み上げるようなものであるそうだ。無理につなぎ合わせれば全体ではぼやけた作品となってしまう。織り目に誤りがあればそれはバグとしてやはり作品を台無しにしてしまう。しかし、誤りを直そうとして網目をずらすと、今度は別の場所で誤りが発生してしまう。
 モビル・スーツ開発とはそんな途方もない作業を繰り返しては修正をし続けるものであるらしい。ところが、ゼフィランサスという少女は感覚的に全体を捉え、まるで完成した設計図を頭の中に持っているかのようにプログラムを組み上げてしまうのだそうだ。
 安易に天才という言葉を使用したくはない。そうナタルは前置きしておきながら、ナタルはゼフィランサスのことを、天才以外の言葉では形容できないとした。このナタルという小尉はつかみ所がない。厳格な軍人としての一面を見せたかと思うと、まるで子どものように目を輝かせる。
 うまく話が途切れたタイミングを見計らって、マリューは問いかけた。こうでもしなければナタルの話はいつまでも終わりそうにない。

「キンバライド基地で見られた3機の新型ガンダムについてどう思うか聞かせて?」

 データは送られているため、型式番号、及び名前は判明している。
 まず黒いストライクはGAT-X105Eストライクノワールガンダム。新型ストライカーを装備した機体であり、恐らくはより汎用性を高める強化案が採用されたものであろう。
 火器を4門に増設したバスターはGAT-X103APヴェルデバスターガンダム。こちらもやはり、より戦闘に適した武装に変更されている。
 最後に装甲を追加したデュエル、GAT-X1022ブルデュエルガンダム。特徴のないデュエルを特徴づけようとする努力のあとが見られる。
 それぞれ高性能な機体である。恐らく、アーク・エンジェルが保有するどの機体よりも。マリューは部下の前だと言うのに、眉をつり上げ、不安げな表情を演出してしまった。それに対して、ナタルは鼻息荒く、明らかな嘲笑を演じた。

「あんなものは単なるマイナーチェンジにすぎません。ゼフィランサス主任の生み出したガンダムを凡夫ごときが手を加えられるものではありません!」

 そうなると、あの量産型GAT-01デュエルダガーはゼフィランサス主任が関わっていないものである確率が俄然高くなる。

「申し上げるなら、情報が洩れていたとしか考えようがありません。それも、深刻なほど高度に……」

 このナタルの言葉は、真実であるだろう。情報を流した者がナタルどころかマリュー以上に階級の高い者の中にいる。本来なら軍規に背く不貞の輩に憤怒を覚えなければならにのだろう。しかし、マリューの心に飛来したのは、寂しさだとか悲しさ、何にしろ内向的な感情だけであった。

「私は武門の家系に生まれたわ。両親はもちろんのこと、親戚縁者の中で軍に関わらない人を数えた方が早いくらいよ。任務は絶対。完遂できなければ友軍の誰かが犠牲になると教え込まれてきたわ」

 事実として、もしガンダムをアラスカにまで運ぶことができなければ穏健派はおろか大西洋連邦そのものが窮地に立たされることになるはずであった。

「ところが、大西洋連邦はもうガンダムを必要としていない」

 もうどうしようもない。そんなことを仕草で示すとすれば、だらしなく振られる手であろう。今、マリューがしているように。

「目の前に成果はないのに、それでも任務は達成しなければと焦らされるの」

 ついこんなことを話してしまったのは、やはりナタル少尉が女性であるということが大きい。軍内で男女差別を感じたことなどなかったが、それでも同性の相談相手というものはありがたいものである。もっとも、相談相手としてしまうのはまだおこがましい。
 ナタルの途端に表情を厳しくした。

「それが、フレイ・アルスターを見せしめに使ってまで規律遵守を押しつけようとされた理由ですか?」

 キラ・ヤマト、アーノルド・ノイマン、そしてアイリス・インディア。敵に回ったのはパイロットたちばかりではないらしい。

「たしかに、ヤマト軍曹やアイリスが主力を担うようになって、規律がゆるんだと言えばその通りです」

 ナタルは軍帽を被りなおしながら啖呵をきった。

「ですが、違反しようとしているわけではありません。私はあのような処置には反対です」

 マリューは何も言い返すことができなかった。代わりについたため息が、妙に相手の同情を買ったらしい。ナタルは咳払いを1つつくと、途端に口調を変えた。

「あなたは、こだわらなくていいところにまでこだわって、余計な苦労を負っているようですね」

 白状するなら、ナタルにこのような言葉をかけられることは大層堪えた。そんなに疲れたように見えていたのだろうか。つい手で目を覆ってまでうめいてしまう。

「あなたとは違うわ。私はね、ゼフィランサス主任を初めて見た時、フラガ大尉のいたずらだと警戒したものよ」

 ナタルならばきっと、そんなこと軽く流してしまったのだろう。少なくとも、今のナタルはしれっとした様子でマリューの言葉を受けながした。

「それは私もそうでした。本当にお人形のようにかわいらしいお方で、とりあえず写真を撮らせていただきました」

 見えないカメラでも操作しているような仕草で、ナタルは微笑んでみせた。マリューは手を額に当てたまま椅子により深く腰掛けた。

「本当に、あなたとは違うわ……」

 以前懇親会を許可したことがあったが、その時はキラ・ヤマト軍曹と話をすることができた。残念ながら現在軍曹とはフレイ・アルスター2等兵の処遇を巡って対立してしまっている。
 ナタルをわざわざ呼びつけたのは、本当に他愛のない話をするためであった。しかし、当のナタルは軍帽を膝に置き、本題が始まるのはいつかと身構えているようであった。今更世間話をしたかっただけとは言いにくい雰囲気である。慣れないことはするものではないと、マリューは何とか話題を探った。

「そ、それともう1つ。アーク・エンジェルはこれよりオーブへ向かいます」
「同盟国である赤道同盟ではなく、ですか?」

 思いのほか、ナタル少尉の食いつきがよい。破れかぶれの策ではあったが、上策であったようだ。

「そうなるわ。上層部からの命令なのよ」
「わかりません。確かに赤道同盟はいまだにエイプリルフール・クライシスの被害から立ち直れ切れていないところがあります。しかしあまり東よりの針路をとった場合、カーペンタリアの網にかかる恐れも」
「カーペンタリアは主にアラスカやパナマのための前線基地よ。基地の規模からしても西側に対する警戒は緩いとも考えられるわ」

 ザフト軍ではジブラルタル基地を除けば比較的大型基地に属するカーペンタリア基地はオーストラリア大陸カーペンタリア湾の奥に構えられている。軍事的に小国である東アジア共和国は事実上基地の存在を黙認し、大西洋連邦を初めとする各国から非難されている。
 マリュー自身、東アジア共和国の弱腰には辟易していたが、ここで非難を繰り広げても仕方がない。

「それに、これはあくまでも理屈付けにしかならないけれど、アルテミスではユーラシア連邦からガンダムのデータの提出を求められたわ。それを警戒してのことかもしれない」
「中立国の方が同盟国よりも信頼できると?」

 顔をわかりやすくしかめるナタル少尉。厳格な人柄かと考えていたが、任務には厳しくとも柔軟な考え方の持ち主であることでけは確かなようだ。

「そうね。だとすると、私たちは孤立無援なのかもしれないわね。穏健派としては急進派の影響が強い地域には入れたくないというのが本音なのかもしれないわ」
「覚悟していたことですが、アラスカまでこのままな何事もなくたどり着けるとは思えません」

 そのことに関しては、マリューとしても同意見だった。




 アーク・エンジェルはオーブへと向かっている。この情報はアスラン・ザラ所属するクルーゼ隊の次の目的地を設定するに十分な情報であった。その情報をもたらした男性は、今目の前にいる。
 ザフト軍がモビル・スーツの輸送に利用する大型輸送機に旅客機並みの快適さを求めることには無理がある。狭い客室は絨毯などひかれず、金属質の床がむき出しになっている。こんな場所に取り付けられた椅子が贅沢なすわり心地を与えてくれるはずもない。何よりも、扉1枚隔てた先の格納庫から響く音が会話をしずらしする。よって、アスランは2人がけの椅子が向き合っている、そんな近場にさえ、声を意識して張り上げる必要があった。

「フラガさんはあの白い敵艦でスパイ活動をされていたんですよね?」

 ムウ・ラ・フラガ。大西洋連邦軍では大尉の位にあったそうだ。アーク・エンジェルという名前もこの人から聞いた。ザフトの一般兵が着る緑の軍服こそ着ているが、いつ戦闘に巻き込まれるかわからない軍用機の中にいるというのに、落ち着き払った態度で椅子にもたれるように座っている。手にした雑誌は表紙に水着姿の女性が掲載されているもので、無理に褒めるならたくましいと言えなくもない。
 ラウ・ル・クルーゼ隊長と同じ金髪、年頃であるせいか、隊長とよく似ている気がする。アスランの言葉に対して、フラガ大尉は軽く手を振りながら肯定した。
 このことに反応したのは、アスランの隣りに座っているジャスミン・ジュリエッタである。今、この客室にはアスランを含めた3人しかいない。この内の2人が緑の軍服を着ている。緑色の方が多いため、これはごく自然なことのようで、それでも違和感を覚えた。
 この違和感はひどく寂しさが伴う。本来ここにいるはずの赤服のパイロットが2人も欠落していることを意味したからだ。ニコル・アマルフィ。心優しい彼はアスランの目の前で散ってしまった。ディアッカ・エルスマン。悪ぶってるだけの仲間は生死さえ明らかでない。
 ジャスミンが騒音の中でもはっきりと聞こえるほど大きな声を出したのも、アスランと同じ人物を思い浮かべたからだった。

「ディアッカ・エルスマンさんて人、知りませんか!?」

 今にも椅子から乗り出さんばかりにジャスミンはフラガ大尉へと意識を向けていた。バイザーに覆われ、目などうかがい様もないが、それでもジャスミンの動揺は十分に伝わってくる。ただそれも、アスランだけの話らしい。フラガ大尉は猫に子どもが生まれた、そん話をするくらいの気軽さで答えた。

「ディアッカか。奴なら元気にしてるさ。少々、退屈そうではあったけどな」

 そうとだけ言うと、また雑誌に目を落とした。
 気弱で繊細で、小動物のようなジャスミンでさえ、どう反応してよいものかと座り込んでしまった。沈黙ではあるが静寂ではない。エンジン音やら作業音の中でも、話題の途切れる気まずさというものは存在するらしい。
 もっとも、フラガ大尉にはそんなものを察するだけの感受性がないのか、それとも気にしない図太さがあるのか、どちらにしろ平然と雑誌を読んでいる。この沈黙に真っ先に耐えられなくなったのは、やはりジャスミンであった。

「ム、ムウさんはどうしてプラントに協力しようと考えたんですか?」

 フラガ大尉は雑誌を閉じた。それを片手で保持したまま話をしようとする。問題は、雑誌の表紙、早い話が水着姿の女性の写真がジャスミンへと向けられているということだ。フラガ大尉は意識していないのだろうが、これは軽いセクシャル・ハラスメントである。ジャスミンは困ったように顔を背けてしまった。
 無論、フラガ大尉に気づいた様子は一切ない。

「勘違いされたら困るんだが、俺はプラントだとかコーディネーターのために戦うつもりはない」

 とても大事な話をしているようで、今度は今晩何を食べようか相談されているような、言ってしまうならそれほどの深刻さは感じられない。

「ただ、世界をよりよい方向へ導きたいと考えたら、こうした方がいいと考えただけだ」

 ただ何にしろ、その話の内容はアスラン、それにジャスミンに鎮痛な面持ちをさせるに十分なものである。特に、モーガン・シュバリエ中佐との出会いの中で自身の戦う理由が見出せなくなりつつあるアスランには姿勢を正してでも聞く価値があるように思われた。

「別にニヒリストを気取るつもりはないが、この戦争は始まりからして憎悪戦争と言ってもいいひどい有様だ。プラントは独立戦争のように考えているようだが、地球だって侵略者から父祖伝来の土地を守るつもりでいる。少なくとも、現場の連中はな。だが、どちらにしてもそれを利用しようって奴らがいる」

 フラガ大尉は2つの害悪を並べた。
 大西洋連邦が主導する連合軍は公然の秘密として過激思想団体ブルー・コスモスとその資金源となる軍需産業が動かしている。その軍需産業は独自に兵器開発を行うとともにプラントとの対立を煽り、新兵器の実験場と顧客の確保を同時に行っている。穏健派期待の大天使とて、ラタトスク社のモルモットに他ならない。ラタトスク社は貴重な実戦データを得ることができるし、また、ガンダムがザフト軍モビル・スーツを圧倒するという事実はラタトスク社の評価を持ち上げている。

「アスラン、お前がしてることも、ラタトスク社のお株を上げてることになる。ザフトだろうと大西洋連邦だろうと関係ない。バスターの活躍が活躍すれば、そんな機体を開発したラタトスク社の評価は鰻登りだ。お前が敵を倒す度、ラタトスクは膨大な金を得ることになる」

 フラガ大尉の言葉は胸に嫌な塊を作った。アスランは意図せずとも苦いものを噛んだような顔になった。
 話を聞いている内に、格納庫へ通じる扉が開いた。現れたのは白い軍服に白い仮面をつけたクルーゼ隊長である。新型機の様子を見に行ったはずだが、普段と何ら変わらぬ様子でアスランたちの横に来た。
 そうしている間にもフラガ大尉は続けている。話はいつの間にかプラントの内情批判へと移っていた。

「プラントも理想郷のように嘯いているが、俺にはとてもじゃないが信じられん。コーディネーターは別に人類の新種でもなければ亜種でもない ただ優れているとされる遺伝子を取捨選択しただけの存在だ。だから絶えず子どもたちに遺伝子調整を施さなければならない。だがな、遺伝子調整は決して安価じゃない。結局、金の問題だ」

 資金が潤沢なほど子どもに優れた遺伝子調整を施せるため、富裕層ほど優れた子どもに恵まれやすくなる。親の財力の格差が子の能力格差に繋がり、そして能力が高い者ほどまた財力を得やすくなる。するとその子どもにさらに優れた遺伝子調整を行うことができるようになる。
 貧富の格差が能力の格差を生み、能力の格差が貧富の格差を肯定する構図ができあがるのである。

「結局そう言うことじゃないか。アスラン、お前のような最高評議会議員の子息がそろって赤服であることとかな」

 フラガ大尉は雑誌を椅子に投げ捨てた。こんな何気ない行動は、それこそ何の意味もない。
 ザフトの赤服は軍学校を上位10位の成績で卒業した証である。ニコルやディアッカ、それに軍学校でアスランと首席を争ったイザーク・ジュールという友人も、やはり最高評議会議員の息子である。
 だが、何故この人はアスラン・ザラがパトリック・ザラ副議長の息子であると知っているのだろう。

「争いが争いを呼ぶいびつな社会構造が地球で、格差を助長するのがプラントだ そしてそんなものに頼ってまで目的を達成しようとする勢力が地球とプラントには存在してるんだ」

 まるで銃でも突きつけられているような心境である。相手が子どもであれ味方であれ、凶器を向けられれば一方的に緊張を強いられるのはこちらである。
 フラガ大尉は変わらずだらしのない格好で座ったままだ。だが、アスランは身動きをとれずにいた。ジャスミンなど、今にも震えだしそうな有様だ。胃に重くのしかかる空気を裂いたのは、クルーゼ隊長がフラガ大尉の肩に置いた手だった。

「ムウ、おしゃべりがすぎるのではないか」

 かもな。そう一言だけ。フラガ大尉は再び、水着姿の女性の写真が表紙に描かれた雑誌を手に取り眺め始めた。



[32266] 第24話「ヤラファス祭」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/11/01 20:58
 オーブ内閣府官邸の一室に9人の少年少女が集まっていた。男女で分けるなら2人と7人。系統で分けるなら3人と6人。3人のドミナントと6人のヴァーリ。姿で分けても、3人と6人。キラ・ヤマト。アスラン・ザラ。カガリ・ユラ・アスハ。3人はドミナント。部屋は広く、壁の大型モニターを見るためのテーブルがいくつか並べられていた。室内ながらカフェテラスのように各人が好きな場所、好きな相手とテーブルを囲い、モニターを眺めているのである。
 キラは大西洋連邦の白い軍服を着ていた。アスランの身につけている軍服はザフト軍エリートの証である赤いもの。カガリのオーブ軍の軍服は白を基調とした男物であった。この3人はそれぞれ別々のテーブルについていた。
 そして、6人の少女はみな同じである。同じヴァーリであり、同じ顔をしている。
 Eのヴァーリ、エピメディウム・エコーは青と赤のオッドアイ。緑の紙を三つ編みにして肩に垂らしていた。足を露わにした短いズボンでモニターのすぐ脇に立っていた。ダムゼルの1人は明朗な声調でテーブルにつくドミナントとヴァーリに話しかけた。

「すごいよね、まさかこんなにヴァーリが揃うなんて。10年来なかったことだよ! それにドミナントも3人だなんて、これは記念写真を撮るべきだよ」
「そんな時間ないだろ。早く始めろ、エピメディウム」

 投げやりな様子で答えたのはDのヴァーリ。デンドロビウムはエピメディウムと左右対称の姿をしている。オッドアイの色が反対であり、三つ編みも反対側に垂らす。しかしその表情だけはどこか不機嫌そうにモニターを眺めていた。
 同じテーブルにはカガリが座っている。何かと衝突の多いこの2人は何故か同席していた。
 エピメディウムは同じ部署出身の姉の様子に笑いながら息を吹いた。モニターには少年の顔写真が正面と側面、2枚が表示される。

「じゃあ、始めようか。この子はプレア・レヴェリー。ゼフィランサスには紹介の必要はないことだと思うけど、ザフト軍の開発部で弱冠10歳にしてモビル・スーツ開発を任せられるほどの技術者だよ。この子はゼフィランサスと一緒にザフト軍の新型のモデル・プランの開発に当たっていて、その研究成果を持ち出したんだ」

 カガリがぶっきらぼうに言葉を差し挟む。カガリとデンドロビウム。いがみ合っているわりに、その言動は似ていることが多い。

「新型というと、地球侵攻のための専用機のことか?」

 ザフト軍は地球侵攻を当初目的としていなかった。そのため、宇宙空間では威力を発揮するモビル・スーツをやむなく地球に持ち込んだものの環境に必ずしも適合できず、ジンオーカーなどのマイナー・チェンジで辛うじて対応してきた事情がある。ザフト軍にとっても地球で扱うことのできるモビル・スーツの開発は急務であることくらい、少しでも戦争を知っている者ならわかることだ。

「それはもう古いよ。今はビームを搭載した量産機のことだよ。実弾に比べてビームは軽く3倍の火力を持つ。威力や破壊力というのは重要なファクターだよ。これからの時代はビームなんだ」

 エプメディウムの言葉は正しい。
 実際、ザフトでは砂漠などの局地用モビル・スーツとしてバクゥが開発されたが、急遽外付けのパーツでビーム・サーベルが搭載されることが決定した経緯があった。
 特にこの中にはバクゥを目の当たりにしたものもいる。アスランもその1人だ。

「しかし元々ビームは地球側、正確にはゼフィランサスの技術だ。今更奪われたところで何も問題ないように思えるが?」
「それももう古い発想だよ。ゼフィランサスはすでに次の段階に進んでいたんだ。ドレッドノート、……ガンダム、だよね?」

 エピメディウムは首を回して助けを求めた。視線を向けた先ではゼフィランサス・ズールが1人でテーブルについている。用意された紅茶のティー・カップにガム・シロップを次々と投入している最中で、エピメディウムに気づいた様子はない。それどころかガム・シロップを投入し続けていた。

「ゼフィランサス……?」

 ようやく気づいたゼフィランサスは表情を変えることなく小さく首肯する。もはや数えることさえ面倒なほど甘味漬けになった紅茶をためらわず飲み始める様子に、エピメディウムはその甘さを想像しながら苦い顔になる。
 気持ちを切り替えるように、エピメディウムは首を振る。モニターにはモビル・スーツと思しき数枚の写真が投影される。正式に撮られたものではなく研究のちょっとした記念のようなものなのだろう。どれも断片的で全体像を把握することはできない。ただ、兵器らしからにトリコロール・カラーに染められた、ゼフィランサスらしい機体であった。

「この機体にはね、核動力が搭載されている。そう、ニュートロン・ジャマーを無効化する機器なしじゃどうにもならない機体なんだよ」
「要するに、今のオーブには軍事的なパワー・バランスをひっくり返しかねない物が持ち込まれた、そう言うことだな?」

 手を挙げたのはカガリ。エピメディウムがうなずくなりその視線は一気に鋭さを増した。

「できすぎだな。本当にお前らの差し金じゃないんだろうな?」

 その眼差しは同じテーブルに座るデンドロビウムに向けられる。いわゆる嫌煙の仲である2人は、それなら何故同じテーブルにつくのか、そんな無粋な指摘をする者はここにはいない。
 ティー・カップに口をつけたままゼフィランサスが答える。

「カガリ、それは私が保証する……」

 開発責任者の言葉は信じる気になったのだろうか。ドミナントとダムゼルは休戦状態にはいる。
 ここで、アスランが話に加わる。

「それで、プレア・レヴェリーの居場所は?」
「現在調査中。ただ、そんなに時間はかからないと思うよ。何たって、この国は僕の庭だからね」




 ドミナントとヴァーリ。彼らが歴史を書き換えかねない技術流失について情報交換を続けている間、アイリスは部屋の隅のテーブルでストレート・ティーのカップを傾けた。
 ヴァーリが6人。そうは言ってもダムゼルとフリークは違う。エペメディウムもデンドロビウムもダムゼルであることはカルミア・キロから聞かされていた。ダムゼルは国家機密に近い場所にいても、アイリスはそうではない。自然と部屋の隅に流れて、同じフリークの少女と席を同じくしていた。
 バイザーに顔と赤い髪を隠したヴァーリ。

「アイリス、お久しぶりです」
「え~と、ロベリアさんじゃないですよね?」

 赤い髪をしたヴァーリは3人しかいない。第4研のJとKとL。カルミアは亡くなってしまった。だからJかLの内、アイリスはLに山をかけた。それは外れであったようだが。

「ジャスミンです。記憶が戻ってきてるみたいですね」

 言われると思い出す。ジャスミン・ジュリエッタは、Jのヴァーリは盲目で生まれてきたことを。ヴァーリの中で身体に何らかの障がいをもって生まれてきたのは、JとZだけだったから。
 そして、JはKの姉にあたる。

「じゃあ、カルミアお姉さまの……?」
「そうなります。あ、カルミアが亡くなったこと知ってます。でもいいんです。ヴァーリって、そう言うものですから」

 そう言われたことにアイリスは疑問に感じなかった。学生のアイリスはおかしさを感じても、ヴァーリとしてのアイリスはその疑念を押しつぶす。
 話は次の話題に移っていた。

「こんな話を聞かせてもらっても私じゃ何のことだかよくわからなくて。アイリスも?」
「まだ自分がヴァーリなんだって自覚だって曖昧です。ただ、一応オーブが国籍だから、ちょっとショックです。中立国って少し憧れてましたから」
「でもヘリオポリスじゃガンダムを開発してたりしてました。それに、オーブは空母を持ってるって話も聞いてます。空母って、部隊を遠洋に展開するためのもので、主に攻撃や侵攻に用いるためのものだって」

 そして、そんな国家体制を影に隠れて築きあげていたのはモニターの脇にたつエピメディウム・エコー。Eのダムゼルであるともアイリスは知ることになった。
 一体ダムゼルはどんな目的で動いているのだろう。

「私たちのお父様って、一体何が目的なんでしょう?」

 誰かも知らない相手だ。

「私にもわかりません。私もフリークですから。でも、お父様は地球にもザフトにも勝ってもらいたくないみたいです」
「それって……」

 考えが形になる前のことだった。突然話しかけられた。

「アイリス」

 アイリスと同じ桃色の髪に桃色の瞳。ディアッカ・エルスマンが初対面のアイリスに投げつけたように、気品のあるたたずまいをしたアイリスの顔がアイリスを見ている。

「少し、お話できませんか?」
「ラクスお姉ちゃん……」

 かつてガーベラ・ゴルフ、G・Gと呼ばれていたI・Iの姉が、アイリスをのぞき込むように微笑みを近づけていた。



 ヴァーリたちとの会合が終わると、アスランは椅子から立ち上がった。オーブを拠点にするエピメディウムと簡単な情報交換ができればいいと考えていた。ただ、たまたま向けた視線でキラの姿を見ることになったのは想定外であったと言える。キラは立ち上がると、ジャスミンに少しも目もくれずゼフィランサスに駆け寄った。

「ゼフィランサス、今日はオーブのお祭りなんだ。よければ、一緒に過ごせないかな?」

 赤い瞳でキラの姿を捉えながら、ゼフィランサスはゆっくりと立ち上がる。体の向きは正面を向いたままで、キラに関心を抱いているようには見えない。

「1人でいたいから……」

 申し訳程度にそう言い残すと、ゼフィランサスはキラに目もくれることなく歩きだしてしまった。
 キラはゼフィランサスを追おうとはしない。完全に振られてしまったらしい。まだゼフィランサスに未練があるようで、かつての恋人が歩き去った方に視線を固定していた。
 1度、キラの名前を呼んでみた。それでは気づかれなかったので、もう1度。そうしたことでようやく、恋破れた男はこちらを向いた。

「ここではなんだから外に出てみないか? 話しておきたいこともある」

 これまでの10年のこと。アーク・エンジェルに乗っている訳。聞きたいことはいくらでもある。
 弟--形式的にはアスランはキラの兄に当たる--は手を気だるげにあげる。これは拒否には見えないので、一応提案を受け入れてもらえたのだろう。
 嫌な習性がアスランをつい振り向かせた。たとえどのような状況でも、音もなく後ろから近寄ってくる相手には体が自然と警戒する。赤い髪にバイザーの少女。ジャスミンであった。

「私もご一緒してもいいですか?」
「ラクスたちとはいいのかい?」

 ジャスミンの肩越しに見ると、ラクスとアイリスが同じテーブルについていた。

「第3研同士、水入らずにしてあげた方がいいですよね?」

 それだけではないだろう。ジャスミンの出身は第4研。ダムゼルを輩出した部署にはある種の劣等感を覚えていることくらい、アスランでも知っている。ヴァーリの関係はダムゼルとフリームで分けられるほど単純ではない。
 拒む理由はなんてなかった。




 オーブは代表的な島としてヤラファス島、オノゴロ島、アカツキ島、カグヤ島の4島が挙げられる。このそれぞれがそれぞれ明確な役割を演じ分け、風景は共通していない。
 ヤラファス島は政治の中心。4つの地方都市と首都オロファト市によって成り立っている。その光景は牧歌的であり、永世中立国を標榜するオーブ首長国の顔として知られている。建造物は石膏の白い壁を持ち、屋根瓦には朱色が鮮やか。観光地としても著名なその景観は清掃が行き届き、花の季節ともなると色とりどりの花々が咲き乱れる公園が特に有名である。
 そして今日は年に1度のヤラファス祭。オロファト市は内閣府官邸前の広場を中心とした街は活気に満ちていた。
 1番高い建物が4階建ての内閣府官邸。蜘蛛の巣状に区画整理された街並みの中心にもうけられた広間から坂の上にうかがい見ることができる内閣府官邸は実直ながら荘厳な出で立ちで街を見下ろしていた。
 ここは首長国ヤラファス島オロファト市。中立を謳い、戦争を忌避する国家の表の顔である。




 ヤラファス祭。
 オーブにこのようなお祭りがあることを、大西洋連邦を母国とするアーノルド・ノイマンは知らなかった。
 現在、アーノルドは私服に身を包み、広場の噴水の前にいた。まさかお祭りがあるからではないのだろうが、マリュー・ラミアス艦長は外出許可を出してくれた。もっとも、外出しようにも慣れない異国である。艦内でおとなしく過ごすつもりであった。
 それがこのような場所にいる。フレイ・アルスターがお祭りを案内してくれるのだそうだ。そう、アイリス2等兵から聞かされた。
 アーノルドの脇を1組の男女が通ろうとした。立ち位置をずらして道を譲る。まだ若い2人は手を握り合って、前を見るよりも互いのことばかり見ている。恐らく、恋人同士なのだろう。軽く首を回して見回してみても、ずいぶんと恋人たちの姿が目に付く。オーブとは若い人が多い国なのだろうか。特に噴水の周りは恋人たちの姿しか見られない。
 噴水の脇にも時計台はあるのだが、どうしても腕時計を眺めてしまう。そろそろ待ち合わせの時間が近い。
 どちらから来るのかわからないので、つい辺りを見回した。すると、フレイの姿を見つけることができた。
 背が若干高くなったように見えるのはヒールを履いているかららしい。何を入れられるのかわからないくらい小さなポーチを肩にかけている。ずいぶんお洒落に気を使っているのではないだろうか。もっとも、アーノルドには服飾の名前さえわからない。上着にスカート。そんな大雑把なまとめ方をするほかなかった。
 フレイはすぐにアーノルドの姿を認めた。

「待ちました?」

 時計を見る。到着した時間と現時刻を確認する。見終えてから顔を上げると、フレイはすぐ目の前に着いていた。この距離で見ると、うっすらと化粧をしていることがわかる。女性というのは外出1つにも手を抜かないものらしい。

「到着から、大体13分ほど経過したところです」

 何か、失策を演じただろうか。フレイは目を細め、軽く睨らまれている気がする。おかしい。待ち合わせの時間には十分間に合っているはずなのだが。それにしたところで同じ艦にいるというのに、わざわざ噴水前で待ち合わせをする意味は、アーノルドにはどうしてもわからなかった。




 アーノルド曹長の格好は何とも冴えない。ジーパンにシャツを羽織っただけ。色の統一感もなければ、アクセサリー1つで塞ぐことができるようなお洒落の死角はいくらでも目に付いた。もっとも、堅物の曹長がばっちり決めていてもイメージが崩れるだけかもしれない。
 フレイは待ち合わせの噴水前のアーノルドを目指していた。
 ここはよくデートの待ち合わせに使用される場所である。アイリスから、アーノルドがオーブの案内を希望していると聞かされて、指定された場所がここである。
 まさかあのアーノルド曹長に限って他意はないのだろう。それでもこんな上官の誘いを受けたのは、自分でも気づかないくらい疲れているということなのかもしれない。
 それでも、フレイはある伝統的なやりとりが、ふとその脳裏をかすめた。

(待ちました?)
(いえ、今来たところです)

 こんなやり取りを。実際は、待った時間を分単位で告げられただけであったのだが。




 美しい街並みだ。そして、計画的に作られた都市には懐かしさもまた覚えた。プラントで生まれ、軍人としてしか諸外国に出向いたことのないアスランにとってプラントは故郷も同じ。計画的に作り出された街並みには既視感を覚える。
 島国であるということを最大限に利用しているように思える。市の役割を完全に分けることでそれぞれがその特徴を特化させることができているのだ。
 実際、世界第3位の軍需産業として知られるモルゲンレーテ--ガンダムの開発に協力した企業だ--はオノゴロ島という別の島を完全な軍事施設で固めている。そしてマスドライバーが設営されているカグヤ島と大橋で繋がれオノゴロ島からの大量の物資が宇宙へと送り出されている。
 永世中立国でありながら軍需産業が大きな比重を占める世界有数の武器輸出国。それがオーブのもう一つの顔なのだ。

「面白いところだな、オーブは」

 別に皮肉のつもりではなかった。幸い、周囲にはアスランの言葉の裏を探ろうとするものもいない。アスランが立つすぐ脇のベンチにジャスミンとキラが並んで座っている。キラは人のことに関心なんてないだろうし、ジャスミンは純朴だから。

「本当に綺麗な場所ですよね」

 ジャスミンもキラもジュースを手にしている。アスランが先ほど広場の周りに店を出している屋台で購入したものだ。ジャスミンはジュースのボトルを大切そうに両手で抱えて、ストローを口に運ぶことに苦戦しているようだった。バイザーのカメラが言ってしまうなら目から飛び出した位置にあるため口元が死角になる欠点がある。キラの方はというと、ベンチの背もたれに寄りかかり、片手で保持したジュースにはまだ口をつけていない。
 心ここにあらずとはこのことだろう。キラがゼフィランサスのことになると我を忘れることは10年前から何も変わっていない。
 アスランはストローを、一口ジュースを流し込む。ストローをくわえたまま、何の気なしに問いかけた。

「キラはゼフィランサスをどうしたいんだ?」

 少しずつ吸い上げ続けているため、口の中には甘い味が広がっていた。

「僕は……、ゼフィランサスをベッドに連れ込みたい」

 含んだジュースを吹き出してしまった。意地でも前に座るジャスミンに吹きかけてしまわないよう、首を思い切り横に向ける。飛沫化した飲み物が気管を刺激し、軽くせき込んでしまった。
 キラの様子はと言うと、落ち込んだ少年のようでしかない。とても、女性と積極的に恋愛関係を結ぼうとする類の人間には見えない。だが、見えないだけだ。

「もう少し、オブラートに包もうな」

 口周りについてしまったジュースをハンカチで拭う。取りあえず、ジュースを飲むのはキラの様子を見てからだと、アスランは心に決めていた。

「包んでるよ。もし僕が明け透けになったら、ゼフィランサスを押し……」
「わかった、もういい……」

 言い終わりを待つことはできない。すぐさま言葉を重ねて、キラにこれ以上言わせることを阻止する。白昼堂々、往来で口にしていいことではない。
 幸い、この話を聞いている人はいないようだった。周囲に人があまりいないのだ。その理由は、特別なことなんて何もなかった。アスランとジャスミンはザフト軍の制服を着たまま、キラは大西洋連邦の軍服を着ている。ザフトの制服くらいオーブの人でも目にしたことがあることだろう。それが敵対しているはずの国家の軍人と並んでいる姿に、人々は違和感を覚えているらしかった。
 そのためか、妙にアスランたちの周囲だけが人の密度が小さいように思われる。お祭りに繰り出すカップルたちはどこかアスランたちとは離れた場所を選んで歩き、盗み見るように通り過ぎていく。

(妙なところで目立ってしまっているな)

 オーブの内閣府に出向くのは表向き、入港の許可を得るためと理由の説明であるため、軍服を着る他なかった。それはキラにしても同じだろう。アイリスも思えば軍服を身につけていた。
 任務のためと割り切って、アスランは特に気にしないことにした。別に見られるくらい問題ないだろう。
 また1組のカップルがアスランたちの方を見て通り過ぎるはずだった。ところが、そのカップルたちは積極的に近づいてくるように見える。どこにでもいそうなごく普通の少年少女だ。少年の方は髪質が柔らかく、どこかニコル・アマルフィを、戦死した仲間を思い起こさせた。決して似ている訳ではないのだが、感傷的になっているらしい。
 少年の方が手を振りながら声をはる。

「キラ、キラだろ!?」




 その声はキラの耳に届き、そしてそれはキラの意識を掘り起こすに十分に値した。顔を上げるなら、キラもまた名前を呼んだ。

「トール、それにミリアリア」

 トール・ケーニヒにミリアリア・ハウ。地球降下を前にしたアーク・エンジェルを降り、オーブへと帰ると決めた友人たちである。
 ミリアリアが息を切らせながらも嬉しそうに駆け寄ってくる。

「ほんと久しぶり!」
「いつ帰ってきたんだ? どうして連絡くれなかったんだよ!?」

 2人はキラたちのそばにつくなり息を整えながらまくし立てた。そろって、この恋人たちは変わった印象を受けない。ほんの数ヶ月前、キラが単なる学生を気取っていた当時のままである。
 懐かしい友人との再会に、キラはベンチから腰を浮かせた。

「これでも任務中だからね。自由な時間が許された訳じゃないんだ」

 今日がお祭りでもなければ、きっと2人に出会うこともできなかったことだろう。軍服姿という人を寄せ付けない格好も、友達に見つけてもらうくらいには役だったようだ。
 ようやく呼吸が安定したトールは首を動かして、この場にいる人物を確認したようだった。

「サイたちは?」
「アイリスは内閣府官邸にいるよ。やっぱり任務でね。フレイはまだアーク・エンジェルの艦内だと思う」
「あの戦艦?」
「ああ、一つ山越えたヤラファス港に停泊してるよ」

 電車で30分はかかる場所だ。そんなオーブ国民ならわかるようなことを話題としてつなげて、キラは続く言葉を躊躇した。サイ・アーガイルのことを話す決意がなかなかつかないでいた。
 昔のキラならためらいなく報告できたことだ。相手のことなんて考え魅せずに。だが、友達に聞かせるには酷な内容を話すことははばかられて、キラは心地よい弱さにをゆだねている間、トールたちの方でもそれを察したらしい。
 黙っていても意味なんてない。

「まだ死んだと決まったわけじゃないけど……、サイは、ここにはいない……」

 低軌道会戦において、GAT-X102デュエルガンダムで出撃。敵機に中破させられたことで宇宙に吸い出された。ヘルメットはつけていた。だが宇宙で人なんてちっぽけなものだ。残された第8軌道艦隊が負傷者の救護に当たったと考えられても、容量の少ないノーマル・スーツの酸素がどれほど保つかわからない。示すにはあまりに頼りない希望であった。
 トールとミリアリアがアーク・エンジェルを降りてからどのように考えていたかなんて知るよしはない。友達を戦艦に残していくことがまったく気にならなかったはずもない。ただ、お祭りにかこつけてデートに出かけるくらいの余裕があることはよい傾向である。
 それこそ、2つの矛盾する心境の狭間で苦しんだのではないだろうか。
 少なくとも、今のトールからはそれが見て取れた。必死に考えようとして、考えて、結局結論が出ない。罪悪感を覚えて誤ってしまってはせっかく気を遣ってくれたサイの意志を無にすることになる。ミリアリアとの一時を与えられたことへの謝意を示すには、やはり後ろめたさを覚えているのだろう。
 トールは何とも表現しがたい表情をして、どちらともない言葉を返してきた。

「いや、キラたちが無事でよかったよ……」

 これ以上この話を続けるつもりはなかった。アスランに目配せをして、横にまで来てもらった。

「僕の古い友人でアスラン・ザラ。あちらはジャスミン・ジュリエッタ。ジャスミンはアイリスの親戚なんだ」

 サイを撃墜したのはアスランだとは、ここで言うべきことじゃないだろう。
 ミリアリアが明るい様子でアスラン、ジャスミンと握手をかわしている。ジャスミンのバイザーについ目を留めている様子は、正直なミリアリアらしい。盲目のヴァーリは口元を緩ませた。

「やっぱり気になります?」
「うん、ちょっと……」
「視力のない人にも視力を与えてくれるものなんです、これ。あまり性能はよくありませんけど、ミリアリアさんの顔ははっきりと見えてます」
「やっぱり外すと見えないの?」
「はい。だから外せません。顔をお見せできませんね」

 ジャスミンが自身の障がいのことを気楽な様子で話しているなんて初めて見たことかもしれない。それだけミリアリアの印象がよかったということなのか、それとも知っているのかもしれない。地球ではプラントほど障がい者差別が激しくはないということを。
 トールはアスランの制服に興味を持ったようだ。

「アスランはキラと制服が違うけど、何か意味あるの?」
「意味も何も所属が違う。俺たちはザフトだ」

 トールは瞳を大きくした。ただ、その顔は単純に驚きを示しているだけのように見える。よくも悪くも平和な国なのだ。このオーブというのは。

「じゃあ、キラとはいつ会ったんだ?」

 アスランは一度キラの方を見る。何かとドミナントの出生は機密が多い。どこまで話してよいものか確かめようと言うのだろう。

「トールたちには話してなかったけど、僕はもともとプラントの出身だよ。アスランたちとはそこで知り合ったんだ」
「へえ~」

 もちろん、ヘリオポリスを攻めた部隊にアスランたちが所属していることは伏せておくことにした。いつもこうだ。いつもこうしなければならない。何かを守ろうと嘘をついて、それがばれることに怯えている。
 キラは極力アスランとトールの話に立ち入らないように務めた。根ほり葉ほり聞かれて嘘を突き通せるほど生い立ちを設定してはいないからだ。そうして、どこか2人から視線をそらして広場の様子を眺めていた。
 気づくなという方が難しい。デートにしても着飾った黒いドレスに白いレースが陽光を照り返している。その日差しを遮る日傘にも過多な装飾が施されて周囲の人も興味を引かれている様子だった。考えてみれば当然だろう。内閣府官邸から街に出ようとすればこの広間を通ることになる。
 キラは、ゼフィランサスの姿を認めた。




 日傘は、ドレスとともに贈られたもの。
 横柄な太陽と無神経な空を黒く切り取って、光を辛うじてゼフィランサスにも耐えられる影へと変えてくれる。それでも燦燦と降り注ぐ陽光は色素を持たないこの瞳には害悪以外の何者でもない。きっと、ゼフィランサスは太陽と喧嘩をして産まれて来たのだろう。死神とばかり握手して、だから太陽は冷たくあたってくる。何も見せてはくれない。強い光の中だと、ゼフィランサスは目を細め、うつむいてあるくしかない。そうすると、視界は極端に狭い。水の香りと、飛び散る音から、噴水が近くにあるのだろう。
 確認しようとすると、水に乱反射する日光がやはり邪魔をする。周りからは恋人たちの楽しげな声がする。ゼフィランサスは日傘の加護から出ることさえできない。他の人にはできないことができて、その代わりに、他の人が当たり前にできることができない。
 ゼフィランサス・ズールは、何ともアンバランスな存在に思える。日の光の中を恋人と並んで歩くこともできない。海の見える教会で結婚式を挙げても、許されるのは海が見えない夜の時間だけ。休日の公園で、鳩が一斉に飛び立つ様を誰かと一緒に眺めることも許されない。
 光をさえぎる日傘は、ゼフィランサスを世界から隔離しているかのように暗い影を落としていた。
 これ以上こんな場所にいても仕方がない。ゼフィランサスは歩き出そうとした。日の光に対する過剰な恐怖心から、つま先さえ日傘から出ないように小刻みで遅々とした歩みで。
 周りでは紫外線を平然と受け止める人々のおぼろげな影が見える。あらかじめ道を譲ってくれる人がいる。こちらに気づかない人には、こちらが針路を変えて歩き続ける。すると、おかしな人に出くわした。こちらに気づいているのに道を譲る気配がない。こちらが避けようとすると、明らかに道を塞ぐ位置へと移動する。
 顔を上げて目を見開く。強烈な光に顔をしかめてしまった。サングラスを用意しなかったことが悔やまれる。瞳に光を入れてしまったため、すぐには目を開けることができない。何も見えないまま歩くことは危険なので立ち止まるほかない。
 聞こえたのは足音。ゼフィランサスを目指したそれは、ずいぶんと軽く、そして目の前で止まって消えた。目を開く。細めたまま、入る光粒子量が少なくてすむよう、うつむいたままである。それでも、相手の姿を確認することに何ら支障はなかった。

「プレア……」

 見下ろす視線と見上げる視線が合う。日傘に足を踏み入れているのは少年である。それも、ようやく2桁の歳を超えたばかりの。
 いつもぶかぶかの白衣を着ている姿しか見たことがない。今はその印象を変えない範囲で白い上着を羽織り、施された刺繍は普段着ではない、気合の入った格好であるとわかる。あどけない顔と柔らかい髪は、少年を敬虔な修道士かのように見せていた。

「お久しぶりです、ゼフィランサスさん」

 プレア・レヴェリーがオーブに入国していることは告げられている。あの公安職員レイ・ユウキの調査に誤りはなかった。
 ザフト軍最高機密に属するゼフィランサスの研究を無断で持ち出しておきながら、まるで共同研究していた時と同じように接してくる。このことに違和感を覚えないことはなかったが、ゼフィランサスとて、プレアを糾弾したいと後を追ったわけではない。
 ゼフィランサスよりも先に、プレアは動いた。日傘を持たない方のゼフィランサスの手を掴んだのである。奇しくも、2人とも手袋をはめていた。

「今日はせっかくのお祭りです。一緒に、いてくれませんか?」

 明らかにゼフィランサスを引いて歩き出そうとする姿勢をプレアは見せた。まるでデートに誘われているかのよう。少年の顔は期待と不安を入り混ぜにして、それでもそれを気取らせぬよう強がっている。その顔は、ゼフィランサスに始めて花を贈ってくれた時のキラの様子と重なる。男の子の真摯な態度は、その真剣さに比して可愛らしい。
 ゼフィランサスは笑顔を忘れたその顔で、それでも優しげな瞳をプレアに向けた。

「歩こうか……」

 緊張から一気に解き放たれ、破顔するプレア。意気揚々と歩きだしながら、それでもゼフィランサスの歩き方にあわせて決して早足ではない。
 2人は手を繋いで並んで歩いた。周りからどう見えるのだろう。弟を連れている姉だろうか。それとも背伸びした子どものデートごっこだろうか。では、プレア自身は一体何を考え、そしてこの時間をどのように捉えているのだろう。




 オーブ内閣府官邸。ベランダ。街並みを見下ろす場所である。ここに、4人の少女が並んで双眼鏡を構えていた。

「すごいなぁ、ゼフィランサス。あんなに若いツバメがいたなんて」

 楽しげなエピメディウム。ちなみに、ツバメとは年上の女性の恋人になっている若い男のことである。

「キラにあの子。魔性の女ですのね」

 ラクスは優しい微笑みはそのままに、しかしその声にはどことなく享楽的な響きが漂っている。

「男って言うのは影のある女に弱いと聞くが、それって日傘のことか?」

 色恋沙汰に疎いカガリは、何とも的外れな感想を述べるにとどめた。

「キラさんに見つかったら血を見るんじゃあ……」

 最後にアイリス。それぞれの少女が好き勝手に意見を並べ立てた。一斉に双眼鏡をおろしたのは単にゼフィランサスの姿が人混みに隠れて見えなくなってしまたから。
 興味を失ったようにカガリとエピメディウムがベランダを離れた。残されたのは第3研の2人。
 ラクスは絶えず微笑みを絶やさない。

「アイリス、少ししたらお散歩に出かけませんか?」



「なあ、キラ……」
「何だい、アスラン?」

 腰の高さくらいの生け垣の中から声がする。怪談の類ではない。アスランを初めとする5人が生け垣を壁として隠れているだけの話だからだ。

「さすがにこれはまずいんじゃないか?」
「君だって偵察の任務くらい軍学校で学んだだろ」
「だから気が咎めるんだよ……」

 現在、アスランがいるのは緑化公園の一角である。広場から海の方へ一直線に延びる道の先に位置するこの公園は特に有名なデート・スポットであるらしい。生け垣は繊細な剪定が施され天然の壁を作り、花壇がそこかしこに存在した。周りはデートを楽しむカップルばかりで、身を屈めて隠れる一団は奇異な視線にさらされていた。
 平気そうな顔をしているのはキラくらいなもので、トールやミリアリアは周りに気をとられてばかりいる。

「なあ、キラ……」
「静かに。気が散ると読唇ができないから」

 そう、今アスランたちがしていることは端的に言ってしまえば覗きだ。
 公園のほぼ中央に立つ巨木の木陰にいくつも置かれた丸テーブル。そこにゼフィランサスと例の少年の姿があった。プレア・レヴェリーという名前であっただろうか。
 この位置からならまず発見されることはない。動機や目的の幼稚さに目を瞑るならば絶好の位置であることに間違いない。この完璧ぶりがかえって悲しくなるのだが。
 だが、同時にプレア・レヴェリーを発見できたことには間違いない。アスランもまた、読唇を試みるため目をこらす。

「アスランさんも唇が読めるんですか?」
「一応な」

 見ると、ジャスミンは何かをとても気にした様子だった。それはミリアリアやトールにしても同じだ。周囲の視線が気になることはもとより、ゼフィランサスたちの会話も気になっているのだろう。

「ある程度になってしまうが、同時翻訳ならしようか?」

 ジャスミンは頷き、アスランは改めて生け垣の間からゼフィランサスのデートの様子を覗くことにした。
 2人が座れば手一杯のテーブルに、ゼフィランサスはプレア少年と向かい合って座っている。過度な装飾が施された日傘は椅子の脇に置かれている。2人の座るテーブルは公園中央の大樹の側にあり、青々と茂る葉が、日光を柔らかな木漏れ日に変えていた。
 ゼフィランサスは美しく容姿が設定されたヴァーリ。少年にしてもなかなかの美少年である。そんな2人が大きな樹の下で言葉を交わす様子はなかなか絵になる光景だ。少年は少々若すぎるが、背伸びした恋人にゼフィランサスが付き合っているように見えなくもない。
 ではこの2人は何を語らっているのか、アスランは目に意識を集中する。




 風が吹く。地球ではごく当たり前のことなのだとしても、管理された環境であるコロニーでしか生活したことのない者にとっては異質であり、初めてのことでもある。オーブにいるということ。このことがプレア・レヴェリーに与えてくれる初めては、他にもいくらでも思いつく。
 女性をデートに誘ったり、女性と肩を並べてあるいたり、こうして、女性と2人の時間を過ごしたり。もっとも、女性はきっと、これをデートとは捉えていないだろうけど。
 プレアが座る椅子の前、テーブルを挟んで女性は座っている。
 日影の中にいても、その何色にも冒されていない肌の白さは鮮やかに眩しい。見たこともない雪という気象現象に思いを馳せる。その瞳は真紅の輝き。宝石に単なる透明な石ころ以上の価値を見いだしたことのないプレアには、ルビーの方をこの人の瞳のようだとたとえたくなる。
 波立つ白い髪が風に揺られる度、粒子の流れごときがあの人の髪に触るなと怒鳴ってしまいたくなる。かつての上司と部下の間柄。それ以上でも以下でもないのに。

「プレア……、どうしてこんなことしたの……?」

 もちろん、ゼフィランサスが訪ねているのはデートに誘われた理由ではない。慣れない冗談を、それでも使おうとすると、声が妙に上擦った。それでも途中でやめることもできず、何とか言い切ることができた。

「ゼフィランサスさんなら追ってきてくれると信じてました。こうして、デートがしたかったからだって言ったら、信じてもらえますか?」

 表情に乏しいゼフィランサスは機微というものを見せない。個人的には、デートという単語に反応してもらいたかった。プレアは胸を圧迫する息苦しさを覚えた。幸か不幸か、これは発作ではない。
 ゼフィランサスがゆっくりと手を伸ばす。

「じゃあもういいよね……。返して……」

 もしかしたら、これはゼフィランサスなりの冗談かもしれない。プレアが持ち出したものは手渡しできるものでもなければ、そうそう返すことができるものでもない。
 これは冗談だと勝手な想像をして、プレアはつい笑みを漏らした。

「まだ駄目です」

 ゼフィランサスはあっさりと手を戻す。やはり冗談だったのか、それとも本気であったのか、プレアには判別仕切れない。少なくとも、今はデータについて不問にしてくれるようだ。
 それなら、色々と話しておきたいこと、聞いておきたいことがある。

「サイサリスさんから聞きました。お相手はキラ・ヤマトさん。ゼフィランサスさんとは幼なじみの間柄だってことも」

 かつて教えてもらった、ゼフィランサスが愛情を向けている男性の名前。この名前を出すと、ゼフィランサスは目を見開いて、その赤い瞳をことさら強調する。普段から表情に乏しい人である。それが突然表情を一変させたことに、プレアはつい目をそらしてしまった。
 テーブルに無造作においておいた手は、まるでしがみつくかのように力がこもる。

「……でも、どうしてゼフィランサスさんが避けているのかまでは教えてもらえませんでした」

 言い終えてから、ようやく視線を戻すことができる。その頃には、ゼフィランサスのは顔は元の乏しい表情に戻っている。唇が小さく開かれたと思うと、閉じられる。それは些細な仕草でありながら、ゼフィランサスと並んで仕事をしていたプレアには、それがゼフィランサスなりの躊躇であると気づいていた。
 ただ、話してもらえないとは考えていない。何故なら、ゼフィランサスの瞳はしっかりとプレアに向いていたから。

「プレアは……、ヴァーリについて知ってる……?」

 プレアは頷いた。

「あれはもう……、10年も前のお話……。私たちは、命を選ぶことを強いられた……」



[32266] 第25話「別れと別離と」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/11/04 18:40
 C.E.61初頭。
 白い部屋の中。汚れが見つけやすいように白く染められたこの部屋はそれを徹底していた。床、天井、壁には一面ガラス張りで通路の様子を目視できる構造があるがそこさえ除けばやはり白い。部屋の中央に置かれたベッドのフレームからシーツに至るまでやはり白い。照明のもたらす光が白く染め上げているのではないか。そう疑惑の念を抱くように、照明にも白色光が採用されている。
 この部屋の主たる少女はベッドで上体を起こして座っている。衣服は清潔感のある、やはり白。少女の白い肌の上を這う幾本ものケーブルさえ白を徹底していた。ケーブルの先はベッド脇の物々しい器具に消えている。この器具さえ白いのだと言えば、もはやくどい。
 何か別の色を探すとすると、少女の瞳の赤さと、その瞳が捉える1人の少年である。
 少年はベッドの脇に立っていた。少女と同じくまだ5歳程度の子どもであり、そのためベッドの上の少女とは視線の高さが一致している。そのためか、2人はその視線を外そうとはしない。

「テット、また実験機、壊したんだって?」

 少女が楽しげに笑うと背中まで伸びた白い髪が揺れた。少年は低い位置で手のひらを上に向け、大げさな仕草でお手上げだとか手に負えないといったポーズを見せた。

「サイサリスの設計が悪いんだよ。コスト・パフォーマンス、コスト・パフォーマンス。安物をどれだけマシにできるかしか考えてないじゃないか」

 濃い栗色の髪の少年は幼子特有の癇癪を見せるように口を尖らせる。床を軽く蹴って見せるなど、その言動には幼さ故の粗暴さが目立つ。少女の白い髪に無造作に手を伸ばした時も、少年は躊躇いや配慮というものを見せない。無遠慮にその指に少女の髪を絡ませた。

「やっぱり、一度君の機体に乗ると、もう他の奴が設計したのなんて乗れないよ」

 嫌がる素振りもなく少年の愛撫を少女は受け入れる。その顔から笑顔が離れることは決してない。

「でも、私のはお金がかかりすぎるってジャンさんにいつも怒られてるんだよ」

 感情を抑えることを知らない少年はやはり、露骨に顔をしかめた。

「今度あったら文句言ってやるよ!?」
「駄目だよ、テット」

 まるで少年ならそう言うとわかりきっていたかのように、少女の対応は早い。少年の頬を優しく撫でながら、まるで諭すような声をかける。そうされることで、少年も次第に落ち着いた素振りを見せ始める。
 少年はその代わりとして、熱にでも浮かされたような眼差しで少女を見つめると、ゼフィランサスと少女を呼ぶ。少女もまた少年をテットと呼ぶと、扉が開く音がした。
 少年は少女の髪に指を絡ませながら、少女は少年の頬を撫でながら、2人は扉の方を見る。通路の様子がわかる窓の脇に、この部屋唯一の出入り口として設置されている扉が開かれている。そこには赤い瞳の少女と同じくらいの歳で、同じ顔をして白い髪、ただし瞳は黒い少女が立っていた。
 赤い瞳の少女の柔らかい微笑みとは異なり、どこか不機嫌とも見える顔をして、その視線は少年を射抜く。

「テット、もう時間だ。寝床へ帰れ」

 声質もどこか重苦しい。大きなため息をついて、少年は黒い瞳の少女の来訪を露骨に嫌がる。

「またお邪魔虫がきた」

 この少女もまた、少年を睨むことを隠そうとしない。少年が一瞬だけ睨み返したのは、決して脅しに屈したわけではないという、子どもなりの自尊心の現れである。ベッドから離れながらも、少年の手は名残惜しげに赤い瞳の少女の髪を撫でていた。

「また来るよ、ゼフィランサス。それに一応ユッカも」

 赤い瞳には手を振って、黒い瞳にはそのすれ違いざまもう1度睨みつけてから、少年は扉から出ていく。扉が閉められた音を確認してから、黒い瞳の少女はベッドへと歩き出す。

「テットは相変わらず餓鬼だな。あいつのどこがいいんだ、ゼフィー」

 それは難しい質問だよ。そんなことを笑いながら言いながら、赤い瞳の少女は同じ顔をした少女がベッドの脇にまでたどり着くことを待つ。赤い瞳の少女は何かに祈るように胸の前でその小さな白い手を合わせた。

「私はテットが好き。でも、何かあって、テットが変わり果ててしまったとしてもきっと私は、テットを好きでいられると思うから」

 だから何が好きかと聞かれるとよくわからない。そう、笑いながら結論づける。ため息をついたのは黒い瞳の少女である。

「お前はまだ子どもだ。まだわからないとは思うが、男なんて考えてることはみんな同じだ。普段は1人で平気みたいな面しておきながら、ちょっと挫折するとすぐに女にすがってくるような弱虫だ!」

 力強く断言する黒い瞳の少女。赤い瞳の少女は大きな赤い瞳を丸くする。

「ユッカお姉ちゃんも同い年でしょ。それに、そんなところもかわい……」
「それはそうと、手術の日が決まったぞ」
「本当!」

 赤い瞳の少女は手を叩いてまで喜びを表現する。そのあまりの喜びように、対比として黒い瞳の少女が暗い顔をしているようにさえ見える。

「手術受けたらテットと一緒にいろんなところ行けるよね。動物園とか行ってみたいなぁ。夜行性の動物しか見られないかもしれないけど」

 努めて冷静に。黒い瞳の少女はそう自分に言い聞かせているようである。

「私は、どうした?」

 黒い瞳の少女は赤い瞳の少女の頭に手をおいた。これで、少女の黒い瞳からは赤い瞳が見えなくなる。

「だって、ユッカお姉ちゃんはこれからも一緒にいてくれるでしょ。男の人って、ほら、放浪癖あるから」

 ませたことを言うな。そう、ユッカ・ヤンキーは妹ゼフィランサス・ズールの髪をくしゃくしゃにかき回す。ゼフィランサスは苦情を言いながらも、笑って、姉との触れ合いを受け入れていた。




 部屋から追い出されても、テット・ナインはすぐ仲間たちのところへ戻るつもりにはなれなかった。仲間のことが嫌いなわけではない。アルファ・ワンは単純だけどいい奴だ。ギーメル・スリーはよく殴り合いの喧嘩はしても、反面1番よく話す。
 嫌なのは、テットだとかナインだとか、テットのことを9号機としか扱わない奴らのところへ帰ることだった。しかし、ゼフィランサスにもう1度会いに行ったとしてもユッカは許してはくれない。せめて顔を見てから帰ろうと、扉のすぐ横の窓を覗き込もうとした。
 まだ幼いテットでは少し背伸びする必要がありそうだ。そんなことを考えていると、足音が聞こえた。すると、テットの対応は早かった。足音から人数、距離、位置を素早く割り出す。足はすでに駆け出し、部屋のすぐそばの路地に身を隠した。
 部屋とは違い通路はまともに照明が照らされていないため、異常なほど静かに思えた。呼吸を整え、気配を殺し、路地で身動きしないよう息を潜める。こんなことならば何時間だって行える。あいつらからそんな訓練なら受けさせられてきた。
 やがて、足音が近づいてくる。数は2。革靴の音で、おそらくは男性。誰かは知らないくとも、どうせろくでもない奴に決まっている。テットはこのまま隠れてやり過ごすつもりだった。
 ところが、男2人は思いも寄らない場所で立ち止まった。距離からして、ゼフィランサスの部屋の前である。

「あれがズールか」

 聞こえてきたのは、これまでこの施設で聞いたことのない男の声だった。どうやら、窓の前で話をしているらしい。

「はい、ゼフィランサス・ズールです」

 こちらの声はわかる。ゼフィランサスに技術的な指導をしている技術者で、ジャン・カローロ・マーニとか言う奴だ。この施設の大人たちの間では比較的ましな部類に入るが、どうしたところでこんなところで働いている奴なんて高がしれている。
 テットはジャンの不必要とも思える軽い口振りが、やはり嫌いであった。
 また、ジャンではない方の男の声。何だか如何にも偉そうな声だ。

「確かに新機軸の兵器を生み出す力には優れているようだが、金がかかりすぎやしないかね」
「ですが、彼女の力はすばらしいものです。我々は1つの技術を得るために10の実験を行います。しかし、そうして得た技術の中でも実用に耐えるものは10に1つあるかどうか」

 自分で言ったことに勝手に興奮しているのだろう。ジャンの声はどんどん大きくなっていく。

「ところが、ゼフィランサスは頭の中にすでに完成品ができあがっているのです。10の実験? ナンセンスだ! ゼフィランサスなら1つでいい。そして得られた技術はそれはそれは見事な宝物です」

 10の実験を必要とせず、10の回り道も要らない。ゼフィランサスがどれだけすばらしい技術者であるのか、ジャンはまくし立てている。
 体を動かしては気づかれる恐れがあるため、相手の姿は見えない。それでも、テットは相手が何となく呆れ始めているのではないかと気づき始めていた。子どもでもわかることを、ジャンはどうしてわからないのだろう。
 相手はジャンの言葉を遮るように声を大にした。

「いいだろう。ズールをダムゼルに加えよう。第6のダムゼルにな」

 足を踏みならす音がしたのは、きっとジャンが小躍りしたから。ただ、ダムゼルとは何か、まるでわからない。これからも、わからない話が続く。

「だが、手術が成功しなければ意味がない」

 ゼフィランサスは生まれつき心臓が悪くて、車椅子なしだとベッドから出ることもできない。いつか手術を受けないと10歳まで生きられない。それなのにいつまでも手術の日程が伸びていることに、テットは周りの大人に怒りをぶつけたこともあった。
 それがようやく決まったことに、できることなら飛び跳ねて喜びたい。テットはあくまでも気配を消して聞き耳を立て続ける。どんなことがあっても気取らせてはならない。

「心得ております。移植心臓は遺伝型が近いものを用います」

 ようやくドナーが見つかったらしい。プラントの移植技術は優秀だって聞いている。免疫抑制剤を生涯にわたって接種する必要もないし、検査のために毎年細胞の一部を切り取る必要もない。1度移植さえしてしまえば、ゼフィランサスはきっと助かる。
 ジャンたち2人がいなくなったらすぐにでもゼフィランサスに報告してやろう。きっと、ユッカも喜んでくれる。そのためにもいつ、こいつらの話が終わるかが気になってしかたがない。そのためにも注意して聞いていると、思いも寄らない単語が耳に飛び込んできた。

「ユッカ・ヤンキー」

 どうしてユッカの名前が呼ばれたのか、理解することができなかった。それでもジャンは話を進めていく。

「同じ第9研です。近似の技術で作られた姉ならば拒絶反応の初期値を低いレベルに抑えられるでしょう」

 心臓が嫌な鼓動を刻む。

「ヴァーリを1つ潰すのか?」

 男はよほど演技派みたいだ。こんな時なのに、その声音はまるで変化を見せない。

「ユッカの才能は残念ながら妹には遠く及びません。生かしたところで見窄らしい人生を送るだけです。ところが劣った命で希代の才能が得られるのだとすれば素晴らしいではありませんか!? 妹のために姉が命を捧げるとは。正に命の贈り物。受け継がれる命のリレーです!」

 足音。大きさからして、ジャンではなくて相手の方がきびすを返したのだろう。

「だが、ヴァーリを公にするわけにはいかん。モビル・スーツ開発者はお前の名前を記すことになるだろう。ジャン・カルロ・マニアーニ」
「身に余る光栄です」

 ジャンの声がしてから、2人分の足音が遠ざかっていく。相手の気配が完全になくなって、それでもテットは動く気にはなれなかった。




 アスラン・ザラがつい伝えてしまったこと、それはゼフィランサスとキラ。そしてYのヴァーリであるユッカの悲しい物語。ゼフィランサスの口からアスランが拾い上げたその物語は砕けて割れて、代わりにキラがかけらを拾い集めた。

「僕はゼフィランサスにこのことを話さなかった。そして、手術は滞りなく成功した」

 遠くでゼフィランサスがあのことについて話始めた時、読唇術が使えるアスランは話をみんなに伝えようとはしなかった。だからみんなにはキラが話すことにした。ゼフィランサスが話すと決めたことを、隠したままでいることは卑怯な気がしたからだ。
 もう2人の様子を監視するつもりにもなれなくて、キラたちは近くの木を取り囲むように一周しているドーナツ状の椅子にバラバラに腰かけていた。
 だから誰もが誰の様子を見ることもない。傾きかけた日が、それぞれの顔に薄影を投げかけていた。あと1、2時間もすれば、あの日と同じように夜が来る。そろそろ地べたから伝わる熱も冷めつつあった。
 聞こえてきたのはミリアリア・ハウの声。事情を知るアスラン・ザラやジャスミン・ジュリエッタは押し黙ったままだ。

「それって……、ユッカさんが……」

 どんな顔して答えればいいかわからない。顔から力を抜くと、果たしてどんな顔になっているのだろう。

「死んだよ。いや殺された、それとも解体されたの方が正確かな?」

 実際、無駄なく利用されたらしい。角膜は移植用に摘出され、腎臓、肝臓、膵臓、脾臓はそのまま利用できる。筋繊維は引きちぎられて、骨髄を得るために骨格は取り出された。葬儀の必要もないからパイプを詰めて人の形に戻されたとも思えない。
 ふと思い浮かんだのは、見たこともない、鳥葬の光景。崖の上に安置された埋葬者は鳥にすべて食べられることで、死後の安寧を得るのだそうだ。喰い散らかされたユッカは、ではどうなるのだろう。
 ゼフィランサスを救うためにはユッカが犠牲になる他なかった。果たしてそうなのだろうか。少なくとも、キラはそう信じ、今も結論は変わっていない。
 もしもあの時を100回繰り返したとしても、キラは同じ決断をして、同じ結論を招くことだろう。キラはユッカを見捨てたのだ。ゼフィランサスという恋人を守るために。

「なあ……?」

 様子をうかがうようなトール・ケーニヒの声が聞こえていた。話しかけてくるのはヘリオポリスの友人ばかりだ。

「人工心臓とかないのか? 今なら、結構いいものができてるって……」

 皆が重く沈んだ中、せめて自分だけはと必死にもがいて、それでも抜け出すことはできない。
 自分の顔を覆うバイザーに手を当てながら、ジャスミンはまるで独り言のように小さくて、誰の顔も見ないまま語り出す。

「プラントは人工臓器とか、バイザーとか、その類の技術は驚くほど遅れてるんです」

 地球でならもっと小型で高性能なバイザーは存在する。ジャスミンが変更に踏み切れないのは、高性能パーツを手に入れられないプラントでは保全、修理ができないため恒常性を維持できないからだろう。機械よりも人の体の方がはるかに安価で安定して入手することができる。プラントとはそんな国なのだ。
 アスランがキラを呼んだ。

「俺は、お前が悪いなんて考えてない」

 無理矢理にでも力強く。そんな発声の仕方をアスランが選んだのは彼なりの優しさだろう。話すことさえ億劫だったろうに。

「でも、僕は選んだんだ。ゼフィランサスには生きてもらいたい。そのためにはユッカが死んでも仕方がないって」

 だからゼフィランサスには黙っていた。

「命は決して平等なんかじゃない。僕は選んでしまった。ユッカじゃなくてゼフィランサスを。カズイじゃなくてゼフィランサスを」

 姉が生きたまま心臓を抉えぐり出されそれが妹の胸に収まるまで、キラはゼフィランサスに黙っていた。

「命は等価なんかじゃないんだ。少なくとも、僕にとってはね……」

 気持ちでは動きたくないと考えていた。だが鍛えられた体は、いとも簡単に動かせてしまう。キラは立ち上がった。横から指してくる光が眩しい。

「僕は、ゼフィランサスからとても大切なものを奪ってしまったんだ……。そんなこと、わかってたはずなのに」




 ゼフィランサス・ズールはとても愛おしげで寂しげに、自分の胸を両手で押さえた。

「私の胸の中で……、ユッカお姉ちゃんはまだ私のことを守ってくれる……。お姉ちゃんが望むと望まざるとに関わらず……」

 ドナーがユッカであるということ。ゼフィランサスが知らないことをキラは知っていた。知っていて黙っていた。
 刻々と鋭さを増す陽光の中を1人の少年が歩いてくる。そのことにまず気付いたのはプレア・レヴェリーである。白い軍服を身につけたその少年は、見紛うことなくゼフィランサスとプレアの座るテーブルへと歩いている。
 プレアの視線に気付いて、ゼフィランサスもまた、少年を見る。少年はテーブルの側で立ち止まり、少年は少女の名を呼んだ。

「ゼフィランサス……」

 そして、少女は少年の名を呼ぶ。

「キラ……」

 この最中、プレアが起こした行動はまず立ち上がること。そして一語一句正確に発音された言葉を発すること。

「キラ・ヤマトさん」

 キラはプレアの方へと首を向けながらも、自身がキラであることを否定しない。この時点で、プレアはこの少年こそがキラ・ヤマトであると、ゼフィランサスの思い人であると確信する。
 プレアはおもむろに左手から手袋を外すと、キラへと投げつけた。

「あなたに決闘を挑みます」

 その手袋は白く、キラの胸へと衝突する。

「日没後、とても大きな花火を上げます。その時、最良の礼装と最高の力で、僕と戦ってください」

 プレアは歳不相応に落ち着き払って決闘を挑み、キラは身分不相応に覇気のない戦意でして応える。

「わかった」




 オーブの海に日が落ちた。日没を迎えたとは言え、打ち上げ花火が予定されているヤラファス祭はこれからが本番だと言えた。恋人たちが手を取り合い、夜空を見上げている頃合いだ。しかし、そんな華やかさはこことは無縁であった。
 山一つ挟んだヤラファス港にはトーチカの明かりが灯り、夜間航行の船が汽笛を鳴らす音が鈍く響きわたる。必要最低限。この言葉を絵に描いたような薄闇の光景の中、積み上げられたコンテナに隠れるように、闇に紛れる一団があった。

「配置完了しました、カガリさま」

 屈強な男が防弾チョッキを着込んでいる。レドニル・キサカはカガリ・ユラ・アスハの側近として、この少女の行く先には必ず同行している。そう、カガリもまたここにいた。
 止められた車のボンネットに広げられたタンカーの見取り図、狙撃班からもたられされる映像が小型モニターに表示されている。カガリを含め、その周囲にいる者はすべて防弾チョッキを身につけていた。カガリはその中で一際小柄であったが、物怖じしない態度はここの指揮官が誰であるのか語っている。

「よし、全員配置についたな。ターゲットはプレア・レヴェリーだ。そばにゼフィランサスがいるはずだが、2人とも殺すな。特にゼフィランサスにはかすり傷一つつけるな。いいな!」

 カガリが見渡すと、武装した一団は一斉に銃のチェックを終えた。彼らはオーブの警察ではなく軍人である。ことは機密に関わる問題であるため、司法職員に出る幕はない。まずはプラントから持ち出された物の回収を優先されるのである。
 カガリ自身、拳銃にカートリッジを差し込んだ。小気味よい音と、カートリッジがしっかりと拳銃に格納されたことを示す感触は心ならずもカガリを落ち着かせた。ガン・マニアではないが何かがはめ込まれる音というんは悪くない。
 銃を懐に戻す。そんなカガリへと話しかけてくる少女は、カガリ以上にこの場に似つかわしくないものであった。

「カガリ」

 桃色の髪に清楚な出で立ち。防弾チョッキどころかペーパー・ナイフさえ似合わない様子で、ラクス・クラインがアイリス・インディアを伴っていた。アイリスの方は軍服、周囲の光景に多少なりとも動じているらしい。軍人が動転し、歌姫が平然としている。何ともアンバランスな姉妹だ。

「ラクス。ここは私にまかせてもらおう。お前たちヴァーリにオーブで好き勝手されるつもりはない」

 どうせ監視のつもりで来たのだろう。別段、カガリは持ち出されたものを着服しようなどと考えてはいない。外交のカードにするつもりもなかった。何事もなかった。現在のオーブにはそれが一番いいのだ。物を押さえ、プラントに引き渡す。それで終わりだ。
 カガリが指示を出す。それで5分もすれば終わりだ。
 ところが、今夜は何かと客人が多い。

「ちょっと、何なのよ、これ!」

 隊員たちに男女が1組、連れてこられた。男はずいぶん地味な格好で、少女は気合いが入っている。自然界では派手なのは決まって雄の方だが、人間の世界では綺麗に正反対であるようだ。行動にしてもそうで、少女は暴れて、男は冷静に周囲の様子を観察している。この港はデート・スポットとは聞いていない。それに、恋人同士にしてはやや年齢が離れているようにも見える。風変わりな組み合わせに思えた。

「何だ、お前たちは?」

 カガリの前にまで連れてこられる2人。レドニルは警戒しているようだが、特に危険な相手でもないだろう。カガリは指示して隊員を下がらせた。
 意外にもアイリスの知り合いであったらしい。

「フレイさん……」

 しかしそれにしてはどこか対応がぎこちない。アイリスはラクスの後ろからでようとしないし、フレイと呼ばれた少女もアイリスと目を合わせようとはしていない。
 ただ、フレイという名前には聞き覚えがあった。すると自然に2人の正体もわかるというものだ。

「ああ、どこかで見た顔だと思えばフレイ・アルスターにアーノルド・ノイマンか。アーク・エンジェルのクルーの顔と名前くらい調べ上げてある」

 驚いたような顔をしたのはアーノルド--階級は曹長だっただろうか--くらいなもので、フレイはアイリスをぞんざいに扱うことに忙しいらしい。

「フレイさん、どうしてこんな場所に……?」
「あのゼフィランサスって女見つけたからつけてきたらこいつらに捕まえられたのよ!」
「あなたのご両親が亡くなられたことの直接の責任はゼフィランサスにはありませんわ」

 ラクスを見るなり、フレイは目を大きくする。本当に忙しいことだ。

「何なのよ、あんたたち……? アイリスにゼフィランサスにカルミアに……」
「私はラクス・クラインと申します。以後お見知り置きを」
「あんたはフォネティック・コードじゃないのね……」

 特にヴァーリのことを知っている訳ではないようだが、立て続けに同じ顔に遭遇すれば混乱もするだろうか。
 周囲の隊員たちは話など聞こえていないように配置にいっさいの乱れを見せない。ゴーグルに防毒マスク。息づかいさえないかのように思えるほどだ。
 レドニルはマスクをつけていない。

「カガリさま、相手に動きがありました」
「よし、全員時計を合わせろ。これから5分後に作戦を開始する!」

 アイリスのことは放っておいてもいいだろう。特に何かできるとも思えない小娘と下っ端だ。
 ラクスも同じように考えているらしい。もっとも、カガリにとってラクスも十分に邪魔なのだが。

「お帰りなさい。ここはあなたのような方がいてよいような場所ではありません」

 銃器の音にあてられたのか、フレイは怯えたような顔をする。

「アイリス、これ何なのよ……? 何なのよ、あんたたちって!?」
「それは……」

 興味のないことだと無視しようかとも思ったが、ヴァーリのこととなるとそうも言ってはいられない。ヴァーリはその存在を公にするなとお父様厳命されているはずだが、アイリスなら言うことも可能だろうか。もっとも、可能不可能以前に今のアイリスにその覚悟が備わっているようには思えない。
 友人である--資料にはそうあった--フレイに目を合わせることもできないでいるのだ。フレイは、友人と目を合わせることを諦めたらしい。

「友達だと思ってたのに……」

 まさに苦いものでも噛んだようだ。歯茎に力がこもり、苦々しく言葉が吐き捨てられている。

「フレイさん……!」

 慌てて差し出された手は、フレイにたたき落とされる。Iのヴァーリなら決してかわせない速度ではなかったはずだが、よほど気が動転しているのか、それとも視界が曇っているのだろうか。アイリスはなす術なく差し出した手を叩かれた。アイリスは泣いているのだ。

「あんたは私たちとは違うんでしょ! そうやって自分は特別な世界の住民ですって私たちのことバカにしてたんでしょ!」

 のどを痛めるほど声を張り上げている。時折声がかすれ、瞳には涙さえにじんでいる。それほど苦しいならやめればいいようにも思えるが、フレイは大げさな手振りさえ交えてまくし立てる。その手の動きは荒々しく、アイリスが近づくことを阻害しているようにも思える。

「モビル・スーツの操縦ができるから何? 怖くて、でも何もできなくて逃げ回って! その挙げ句パパもママも亡くしたあたしの気持ちなんて! あたしとは違う癖に、それでもあたしのことわかってますなんて顔して……。いらいらすんのよ、そういうの!」

 乾いた音が響いた。さすがに発砲音と聞き間違えることはないが、さすがのSWATも何事かと振り向いた者もいる。そうしてところで、フレイの頬をラクスがはっただけのことだ。隊員たちはすぐに視線を戻す。

「訂正してくださいな。あなたは妹の気持ちを踏みにじりました」
「悲しんじゃいけないの……? みんなそう! 悲しいのはわかる。でも前を向け、涙なんて見せるなって、そればっか! 地べた這いずる人の気持ちなんてわからない癖に、お説教なんて聞きたくない!」

 フレイは走り出した。ラクスはとめようとなんてしない。アイリスは涙を押しとどめられないほどで、ラクスに体を支えられているくらいだ。

「フレイ!」

 アーノルドがフレイを追いかけていく。
 5分が経った。

「よし。作戦開始だ!」




 徐々に、しかし確実に体から自由がぬけ落ちていくことがわかる。その兆候を感じたのはもうだいぶ前のことになる。なだらかに、削り落とすように体力が奪われている様は、蝕まれている、こんな表現がよく似合う。
 プレアは横になっていた。薄いベッドが背中に辛くて、それでも頭には温もりを感じる。この温もりだけで、プレアは蜻蛉の人生を一時忘れることができた。
 むき出しの板金にパイプで設えられた簡素な寝具。ここが、プレアの選んだ最後の寝室になる。タンカーの船室。オーブのヤラファス港に停留中のものだ。
 プラントを捨てたプレアはマルキオ導師の協力を得てあれをいくつものパーツに分けてオーブへと持ち込んだ。税関を抜け、このタンカーですべてのパーツが揃えられた時、プレアはそれを組み立てた。初めて買ってもらった模型を、心を躍らせながら作り上げる子どものように。
 ゼフィランサスの顔が、真下にあるプレアの顔を覗き込む。その手が、プレアの額を撫でる。

「プレア……、どうしても決闘するの……?」

 この歳になって気恥ずかしさを覚えないではなかったが、手を払いのけるには倦怠感がまとわりついて離れない。起きあがるにはあらがいがたい魅力がある。ゼフィランサスの膝枕を求めたわけではない、お願いしたわけではなかった。
 軽い発作に見舞われたプレアを、ゼフィランサスがこの方法で支えてくれているだけである。

「ドレッドノートは僕とゼフィランサスさんの力で完成させた機体です。この機体なら誰にも負けません」

 初めは単なるザフト軍次世代型モビル・スーツの試作機でしかなかった。これまでザフト軍の機体は装甲の間にモーターを設置し、装甲が骨格をかねる外骨格系と呼称される構造をしていた。ところがプレアの元上司であるサイサリス・パパがある日突然持ち込んだプランには、フレームに電子機器を埋め込むことで簡略化、そのフレームの上に装甲をかぶせる形で設計するまったく新しい発想の構造が描かれていた。
 外骨格系の弱点は装甲が骨格を兼ねていることから被弾すなわち構造の破壊につながるという矛盾にあった。この新たな構造だとモビル・スーツの形をより人間に近づけることができるため、より人に近い動きを可能とする。
 無論、ことはそう簡単なことではない。装甲に支えられていた負荷をフレームが独自に支えなければならない。材料工学の権威が呼ばれ100を越える合金が試作されたが、最適な組み合わせを見いだすまでには最低でも半年の時間が必要だとされていた。アビオニクスの配列はコンピュータに試作させた場合、装甲の配置、コードの素材選別、量産体制の構成、高機動時の負荷算出、従来の開発ノウハウだけではとても対応できない雑多な問題をはじき出した。
 ザフト軍とてモビル・スーツの実戦運用を開始してまだ5年と経っていない。新たな技術革新をもたらすにはすべてが足りていなかった。
 地球軍がガンダムを開発し、戦況が動きだそうとする今、悠長に開発している余裕などない、そのはずだあったのだ。
 それをゼフィランサスが関わることで協力で優れた機体に完成させることができた。今思えば、サイサリスが持ってきた計画そのものが、ゼフィランサス主任の発想であったのかもしれない。
 ドレッドノートは完全な失敗作だった。高すぎる目標設定は歪みを生み、完成しない傑作機として倉庫の埃を被る、それどこか機密保持のために処分されてしまう、そんな機体だった。そして、ゼフィランサスが来てくれたことで完成したとしても基本設計そのものは変更されておらず--そのため、原型を土台とすることでゼフィランサスは短時間でドレッドノートを完成させることができた--ガンダムとしての機体性能についていくことができない。
 本当に、ドレッドノートはプレアとよく似ている。

「まるで僕みたいな機体ですよね」

 バランスや安定性を、性能と引き替えにしているのだから。
 そのことがおかしくてつい笑う。赤い瞳を湛える顔は、やはり表情に乏しい。その顔色からゼフィランサスの真意を見抜くには、まだ一緒にいた時間が短すぎたようだ。

(キラさんならわかるのかな……?)
「ゼフィランサスさん、キラさんのこと、本当はどう思ってるんですか?」

 ゼフィランサスの白い髪は長くて、膝の上のプレアの頬をかする。波だった髪の間に残された洗髪剤の上品な香りの粒子が鼻孔に届く。話をするために必要だとかこつけて、鼻から吸い込む息を通常よりも大きくする。

「距離を開けてるって言ってましたけど、嫌っているとも、もうよりを戻すつもりがないとも言ってませんよね」

 人間、病に伏していると、妙に心細くなるとともに、変なところで気が大きくなる。今のプレアは、たとえどんな言葉が返ってきても受け入れられるような、そんな錯覚を覚えていた。

「キラさんのこと、どう考えてるんですか?」

 ゼフィランサスはプレアの髪を優しく撫でながらその瞳を閉じた。その様子は、子守歌を聞かせる母を思わせる。もっとも、生母とはここ数年会っていない。

「ユニコーンって知ってる……?」

 プレアも目を閉じて、その言葉に聞き入ることにした。
 ユニコーンとは、角を持つ馬で、その姿は様々伝わっている。馬の体に角を生やし、足は象だというのが一般的だっただろうか。もともとは、サイが誤って伝わったことが始まりではないかと言う説や、立派な角を持つ山羊ではないかとも言われている。しかし、最も広く流布されているユニコーンは、とても綺麗な姿をしている。

「伝説上の角を生やした馬のことですよね?」

 ユニコーンは白く美しい馬であり、額に生やした角には癒しの力がある。ゼフィランサスの手にはそんな力なんてないはずなのに、撫でられると心地よい。

「ユニコーンはね……、その角が万病に効き目のある妙薬になることから……、邪な人間たちに狙われ続けたの……」

 深い森の中、ひっそりと暮らしていたいだけ。自分の角にそんな力があるかなんてきっと、どうでもいいこと。それなのに、人はユニコーンをその欲望の犠牲にしようとする。

「そうして……、ユニコーンは心清らかな乙女にしか心を許さなくなってしまった……」

 頬が熱を帯びていくことがわかる。ここで言う心清らかな乙女とは、経験に乏しい、いや、経験のない女性のことを指す。それはつまり、男性と付き合ったことのない女性のことであり、つまりは、そう言うことである。

「そしてユニコーンは乙女を守ろうとする……。傷ついても、辛くても、乙女を守ろうとする……。でも……、もしユニコーンが心開いた乙女がその心を失ってしまったとしたら……、ユニコーンはあまりに可哀想……? 傷ついているのに、怪我までしてるのに……」

 キラがユニコーン。ゼフィランサスが乙女にたとえられていることはわかっている。問題は、当てはめようとすれば当てはめようとするほど、邪念がプレアの発想を支配しようとすることである。目を開いて、ゼフィランサスの顔を眺める。大きく息を吸い込んで、決意が固まるまでの時間を稼いだ。

「それって、性的な、意味ですか……?」

 今度目を開くのはゼフィランサスの番である。瞬きを繰り返して、その様子は明らかに事態を把握していない。こんな時ばかりは、ゼフィランサスの考え、戸惑いがわかってしまう。

「政敵……?」

 発音は同じでも、ゼフィランサスは明らかに別の単語を思い浮かべている。顔から火が出るという慣用表現があるが、今のプレアならこんな言葉を作った先人の思いが痛いほどよくわかる。

「いえ! 何でもありません! お願いですから忘れてください!」

 叫びながら顔を両腕で覆う。できることなら、のたうち回ってしまいたかった。体は幸い徐々に復調をみせている。すでに鼓動は落ち着き、動かせないほどではない。それでも膝枕への未練と、起きあがるきっかけが見つけられずにいた。
 それでもそろそろ決闘の時間が近い。男は戦いに出向かなければならない。
 プレアは声にせず乙女に問いかけた。もしも乙女の前に2頭のユニコーンが出くわしたとしたら、どうなると思いますか。




「なあ、キラ。俺はどうしてここにいるんだろうな?」
「哲学的だね」

 向かいに座るキラへと、ディアッカ・エルスマンは問いかけた。漠然とした問いだが、まったくもって哲学的ではない。

「常識的な疑問だ。俺は捕虜だろ?」
「そうだね」

 ユニウス・セブンでの戦いで捕縛され、それ以来この戦艦に乗せられている。自他ともに認める生粋の捕虜なのだ。それなのに、今のディアッカは戦艦の食堂で特に手錠をかけられることなくコーヒーをごちそうになっていた。
 キラはその前で何故かノーマル・スーツを着込み本を読んでいる。何か約束でもあるのか、しきりに時間を気にしている。

「そうだね、じゃなくてだな。あ~、ここの艦長ってずいぶんリベラルな人なのか?」

 そうでもなければ捕虜に外出--あくまでも艦内だが--を許し、食後のコーヒーをごちそうしてくれるはずがないだろう。軍規がまだ洗練されていないザフト軍でさえこのようなこと、あるはずがない。
 何故自分はここにいるのか、この問いは、至極常識的なものだった。

「いや、軍規に厳しいくらいでクルーと軋轢を起こすような人だよ」

 キラは本から目を離さない。
 そう言えばフレイ・アルスターとか言う女も理由は知らないが懲罰房に入れられていた。そう考えるとなおさら意味が分からない。
 コーヒーを口に含みながらこんなことを考えた。

(そう言えばどこかのマフィアは殺す相手に殺意隠して贈り物するなんて話があったな……)

 まさか毒なんて入ってないだろうか。そんなことを考えると、コーヒーの苦さが増す。どうやらアイリスにあんなもの食わせられたにしては味覚は無事であるらしい。
 訳が分からないというのが正直なところだ。状況も、現状も。

「キラ……、ヴァーリって何だ?」
「アイリスから?」

 キラは視線をずらすだけでディアッカのことを見る。

「ああ。ラクス・クラインとよく似ていることだとか、それにゼフィなんとか……」
「ゼフィランサス」
「そう、そのゼフィランサスって奴とも顔が似てるんだろ。単純に考えてクローンだが、さすがのプラントでもクローンはそうはいない。そもそもクライン家の息女は1人としか聞いてない。兄や弟がいるなんて話も知らないしな」
「26人だよ」
「何?」
「国に帰ったらお父さんに聞いてみるといいよ。きっと君のお父さんならヴァーリについても知ってるだろうから」

 タッド・エルスマン議員殿なら確かに何かを知っていそうだ。過激な中道派と呼ばれることもある、徹底した中立主義者でプラント最高評議会では完全に浮いているそうだ。そんな変わり者の議員なら一癖も二癖もある情報くらい握っていそうなものだ。
 淡泊--恐らく、実の息子が行方しれずだとしても一切狼狽えていることなんてないだろう--な父のことを思い浮かべながら、しかし同時に新たな疑問がわく。

(どうしてもこいつは俺がタッド・エルスマンの息子だと知ってる?)

 エルスマン姓が珍しいわけでもない。尋問でも知っているようなこと匂わせなかった。
 何かが自分の知らないところで動いている。




 日が落ちて夜が帳を下ろす。ヤラファス祭は佳境を迎えようとしていた。空一面に花火を打ち上げ、お祭りを締めくくるのである。街には昼間にもまして人が多く、店に入っていた人々も野外に繰り出して花火の時間を待つ人々が道に立ち尽くしている。
 そんな人々の間を一組の男女が歩いていた。恋人の集まるヤラファス祭において珍しい組み合わせでは決してない。多少歳が離れているとしてもそのことが問題になることはないだろう。それでも男女とすれ違う人々は決まって視線を奪われた。
 女性はまだ少女と言ってよい。着飾った姿に愛らしい微笑みを浮かべて男性の腕にしがみついている。愛しくて愛おしくて放したくない。男性の手を抱きしめていた。
 男性は背の高い青年である。ずいぶんと身長差のある少女にしがみつかれながらも相手を気遣い、歩調を完全に合わせていた。少女は不自由を感じる様子なく男性にそっと寄り添う。
 人々の視線と意識を奪って仕方がない。
 少女は着飾った姿をしていた。白いドレス。波立つ長い髪は桃色。西洋人形がそのまま歩いているかのように可憐で優美。男性は美しい。青い瞳。くすみのない金髪。彫像のように完璧に整った体形。まさに絵に描いたような、現実離れした男女が寄り添い歩いていた。

「お父様、私は幸せです」

 お父様が愛してくださるから。他の誰でもない、自分を愛してくれるから。自分を頼りにしてくれるから。だから今はメリオル・ピスティスは、あの私設秘書気取りの余計な女はいない。アフリカの砂漠ではGAT-X207ブリッツガンダムを仕留めて見せた。あの時、お父様はヒメノカリスのことを褒めてくれたのだから。

「ヒメノカリス、そろそろ花火の時間です。あなたはどのような花火を見たいですか?」
「お父様がご覧になりたいものがいいです。お父様と見られるならどんな花火でも麗しいです」
「そうですか。では今日はきっと美しい花火が見られることでしょう」

 ラタトスク社代表エインセル・ハンター。その娘、ヒメノカリス・ホテル。2人はやがて雑踏と夜の闇の中に消えていく。娘の桃色の髪は第3研の証。その名はHのヴァーリであることを意味している。



[32266] 第26話「勇敢なる蜉蝣」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/11/05 21:06
 人気のない港をフレイ・アルスターは無言のまま進んでいく。そんな少女の姿を、アーノルド・ノイマンはやはり無言のまま追う他なかった。
 アーノルドはこの少女のことを何も知らないでいる。ヘリオポリスで両親を亡くし、アーク・エンジェルにて軍に志願した。パイロットとして戦場に出るようになったアーノルドに代わり現在ではアーク・エンジェルの操舵手を務めている。アーノルドにとっては弟子にあたる部下である。
 ただそれだけのことだ。この少女が亡くしたというご両親の名前さえ知らないのである。
 フレイの足取りは港の倉庫群へと入り込んだ。倉庫と倉庫の間の狭い路地で、暗さも手伝ってフレイの速度が落ちる。声をかけやすい距離にまで近づくことができた。

「フレイ、君は自分のしたことがわかっているのか?」

 責めたいわけではない。極力声を落とし、あくまでも話しかけるように声をかける。
 フレイは立ち止まった。しかし振り向いてはくれない。

「アーノルドさんはアイリスのこと、ご存知だったんですか?」
「いや、よく似ていると考えていたが、まさかクローンだとまでは……」

 はっきりとクローンだと言われたわけではないが、同じ顔の人物がそうそういるものではないだろう。それも、単なるクローンでないことは、ゼフィランサス・ズール技術主任のことを鑑みればおもんぱかることもできる。
 それが一体どのような問題になるというのだろうか。たとえ出自がどうであれ、アイリス・インディアがフレイの友人であることに代わりはないように思えるのだが。

「友達だって思ってたのに、アイリスにとって私たちのことなんて現実でも何でもなくて、ただのお遊びだったってことじゃないっですか!」

 時折声がかれて聞こえるのは、泣いているのか、それともまだ涙をのどにつまらせているのだろうか。
 今のフレイはよくない傾向のように思えた。無理に敵を作り出そうとしているように思えてならない。しかし無理に言い聞かせたところで逆効果だろう。

「アーノルドさんは、人殺したこと、あります?」
「入隊して3年を超えたばかりになる。私が入隊した頃にはすでに戦争は膠着状態に突入していた。実戦らしい実戦は、アーク・エンジェルに配属されたからだ。生身で人を撃ったことはないが、スカイグラスパーで戦艦を撃沈したことがある。その時に恐らく」
「人殺す時って、どんな気持ちですか? きっと痛いだろうな、苦しいだろうな、なんて考えて撃ちます? そんなことないですよね……」

 フレイは一体どんな顔をしているのだろうか。背中を向けられたままでは察しようがない。どのようなことを考えているのかはなおさらだ。

「特に何も考えない。殺したいとも、殺したとも」
「アイリスだって同じじゃないですか? 私たちが戦争で怖くて、逃げ出してく手も逃げ出せなくて、苦しいのに……、自分だけ上から見てたってことじゃないですか」
「君も、軍に志願なんてしなくても……」
「そうすればパパやママが帰ってきてくれるんですか!?」

 振り向いた時、やはりフレイは泣いていた。涙は流れることなく瞳に貯まっている。

「フレイ。だからと言って……」

 どう言ってあげてよいものかわからない。わからないことはない。ただ、ご両親の悲しみに押しつぶされてしまうあまり、今度は友人まで失う愚をおかそうとしている、そう、言ってあげることは簡単だ。
 しかしフレイは言っていた。正論ばかり聞かされても悲しみは癒えない。それとも、悲しくないから正論が言えるのだと言いたかったのだろうか。

「フレイ、私は君に死んでもらいたくない。あなたがもう一度、誰かのことを考えてあげられるようになるまで、せめて私に守らせてもらえないだろうか?」




 遠く、遠く、銃声が鳴り響く。オーブ軍が突入したのだろう。プレア・レヴェリーがゼフィランサス・ズールに話しかけたのは大胆でありすぎた。プレアの目的はわからない。ただ、オーブに気取られることに無頓着のように思えた。
 ゼフィランサスは静かに座っていた。先程までプレアに膝枕をしていたベッドに腰掛けて、遠くの銃声が徐々に近づいてくる様子を聞いている。何をする必要もない。しようとしたところでできることもないのだ。
 タンカーは防衛には適していない。銃声が一方的に近づいてくることがそれを証明している。
 寝室の小さな扉。浸水を防ぐためかドアの縁が高く、扉と密着する構造をしている。船に特有、何となくそう思える扉は、それでも気体の進入を妨げることはできないでいる。白い霧が扉の隙間から室内へと漏れていた。オーブ軍が催涙ガスを使ったのだろう。まだ部屋の入り口付近に停留しているのに、すでにゼフィランサスはのどに痛みを感じ始めていた。咳が出る。
 荒々しい足音が聞こえて、扉が力任せに開かれた。途端に入り込む白い霧。その霧を突き破ってサブ・マシンガン、防弾チョッキにマスクを身につけた特殊部隊員が反応も許さない速さで飛び出してきた部隊員はゼフィランサスを抱き抱えると、口元に防毒マスクを手際よく押しつけた。

「目を閉じて息はここから吸え、ゼフィランサス」




 タンカーの格納庫に目標の物は寝かせられていた。18m。人から見れば大きいが、タンカーに比べたならば小さな巨人は、それでもその全身を眺めることは容易でない。カガリ・ユラ・アスハは格納庫の床で銃撃戦を行っていた。モビル・スーツはトレーラーの荷台の上に寝かせられている。ここからではせいぜい半身をうかがうことしかできないのだ。
 白い手足。それはカガリの知るガンダムとは一風変わっている。ガンダムはどちらかといえば四角い。ザフト軍の意匠は直線を好む。この機体はそのどちらでもない。曲線と直線を混ぜ合わせたような構造をしている。

(ザフトの特徴を持つガンダムということか……)

 YMF-X000Aドレッドノートガンダム。こいつにはニュートロン・ジャマーを無効化する装置が搭載されている。それがザフト以外の軍にわたった場合、勢力図を地形ごと書き換える必要に迫られる。
 思ったよりも敵の抵抗が激しい。銃撃から身を隠しながらタイミングをうかがい反撃する。その時に、バリケードから身を乗り出した時に見えた。プレア・レヴェリー--面識はないがこんなところにいる子どもは彼くらいなものだろう--がドレッドノートにかけられた梯子を昇っている。
 ドレッドノートを動かそうとしているのだろうか。
 そばの隊員が放った銃弾が金属製の梯子に火花を散らした。危うくプレアに当たるところだった。

「殺すなと言っただろう!」
「しかしこのままでは……」

 どちらにしろ外れた。プレアの姿はすでにここからでは見えない。
 聞けばプレアはドレッドノートの起動実験を行ったこともあると聞く。フット・ペダルに足が届かないなどという間抜けを期待することもできないことだろう。

「総員退避! 急げ!」

 作戦は事実上失敗である。カガリは檄を飛ばす。オーブ軍の精鋭たちはすぐさま動きを変えた。
 レドニル・キサマ。カガリはすぐそばの側近へと指示を出す。

「レドニル。軍にスクランブル要請だ! 最悪破壊してもかまわんと伝えておけ」

 この港から山一つ越えた先にはオロファト市がある。ここでなんとしてでも抑えなければならないのだから。




 オーブ軍の特殊部隊に連れ出された。形式的にはそういうことになる。しかしオーブ軍の隊員はゼフィランサスをカガリに引き渡すことなく、ある施設の屋上に降ろすにとどめた。

「もう外していいぞ、ゼフィー」

 言われた通り、ゼフィランサスは防毒マスクを両手で外す。あまりマスクをつけることに慣れていないため、息苦しさから解放された気分であった。口元を覆っていたぬめった空気が離れていった。

「ムウお兄さま……」

 隊員もまたマスクを外していた。背の高い金髪の男性。オーブ軍の特殊部隊員の格好をしているが、彼は間違いなくムウ・ラ・フラガであった。アフリカで撃墜されたふり--実際、乗機を墜落させられているそうだが--をしてラウ・ル・クルーゼに合流したと聞かされている。
 この人がいるということは、ラウお兄さまもいる。そして、あの人も来ているのだろう。ここオーブには、あまりに多くの人が集まり過ぎた。

「久しぶりだな、元気してたか?」
「はい……」

 ゼフィランサスは港を遠くに見渡す施設の屋上にいた。決して高い建造物ではない。3階立て程度のもので、ここからならタンカーの様子をはっきりと見ることができる。港の照明は大半が落とされ、タンカーの様子ははっきりとしない。
 ただ、月明かりを反射してわずかにタンカーのシルエットが浮き上がっていた。その中に、タンカーから突き出た不自然な人の影が浮かんでいる。

「あれが例の機体か?」
「はい……。ドレッドノートガンダム、核動力を搭載したザフトのガンダムです……」
「見事なもんだな。いくら素体を借りられたとは言え、よくもまあこんな短時間で開発できたもんだ。ユーリ・アマルフィ議員の決断は早かったようだな」
「急進派に転向されたそうです……。プラント最高評議会のパワー・バランスも変わってきています……」

 最愛の子息であったニコル・アマルフィを戦死という形で失い、やつれた様子であった。その行動は暴走と言っても差し支えなく、ゼフィランサスとプレアにニュートロン・ジャマーを無効化する装置を手渡し、そのデータを基にゼフィランサスはドレッドノートを形作る最後のピースをはめることができた。
 プレアがドレッドノートとともに消えたのはその直後のことである。
 ドレッドノートに動き出す様子はない。タンカーから立ち上がったまま、その姿を黒く塗りつぶされている。
 ムウはタンカーの方を見たまま笑っている。軽薄でも嘲笑でもない。どこか誕生日のプレゼントを開ける子どものように期待に満ちたまなざしで。

「上出来だ。まだ戦争はしてもらわないとな。俺たち風に言うなら、青き清浄なる世界のために」

 ブルー・コスモス。3輪の青薔薇をその紋章に掲げる人々はこの言葉を好んで使用する。
 ムウは屋上の床に座り込み、夜風が騒がしさを増した。サーチ・ライトを灯したヘリコプターが次々と港の上空に現れていた。タンカーを囲む一帯からは次々とライトが灯され、光は我先にと影の巨人へと殺到する。
 闇を丸くくり抜いた光の中に巨人の顔が浮かび上がる。
 顔を持つ機体である。デュアル・センサーに口を思わせる構造。額にはV字のブレード・アンテナを持つ。キラがまだテット・ナインと呼ばれていた時代に描いた巨人の顔。その特徴を、すべてのガンダムは併せ持っている。
 ガンダムの顔である。

「さて、核動力搭載機の性能とやらの高見の見物といくか」

 3人のお兄さまの中で、ムウは一番無邪気な笑い方を見せて、それでもその魂の色は変わらない。ドレッドノート、この程度の力ではまだ満足なんてしてくれないのは、3人とも変わらないのだから。




 花火がうちあがるまでまもなく。そんな時間帯になると喫茶店の客足はまばらになってしまうらしい。みんなそろって外に出てしまい、客席には空席が目立つようになっていた。
 アスラン・ザラが仲間たちと座っているのはそんな寂しい喫茶店の中であった。外が見えないわけではないのだが、窓は見上げることができるような作りにはなっておらずやはり花火を見るには適さない。アスランたちもまた花火が打ち上げられ始めたら外に出よう、そんなことを決めていた。
 少なくとも、今はまだ紅茶を堪能できる。ゼフィランサスが飲んでいたようなガム・シロップ漬けではなくストレート・ティーである。

「じゃあ、オーブはそんなに影響されなかったのか?」

 答えてくれるのはキラ・ヤマト--当人は公園での一件を終えるとすぐに戦艦に引き返してしまったが--を通じて知り合ったオーブの少年少女である。
 トール・ケーニヒが答えると、ミリアリア・ハウも続けてくれる。

「まあそう言うことかな。地熱発電とか波力発電とかそこらへんの発電がオーブじゃ活発だったからさ」
「でも、脱原発が進んだのって、ここ10年くらいの話だって聞いてるから、ぎりぎりだったのかも」

 エピメディウム・エコーがオーブ内部で親プラントよりの政権工作を始めた時期とほぼ一致するというわけだ。ただ、少なくともそれで救われた人がいた事実を、素直に喜んでおくことにする。

「地球じゃ、エイプリルフール・クライシスで大きな被害が出たって聞いてたけど、全部が全部そんなわけじゃないんだな」
「いや、オーブは平気だったけど、ユーラシア連邦とか赤道同盟はひどかったらしいよ。アスランたちの前でこんなこと言うのなんだけどさ、プラントってやっぱり、地球のことなんてこれっぽっちも考えてないんだなって思ったよ」
「核兵器を使わせないためだって言われても、血のバレンタイン事件はあったけど、実戦で使われたの、もう200年も前のことみたいだし」
「戦争でザフトが勝ってるなんて聞くと、やっぱり建前だったんだなって思うんだよな~」

 トールとミリアリアの話に入っていくことはなかなか難しい。ジャスミン・ジュリエッタは元々話の得意な方ではないし、アスラン自身、自分でふった話題とは言え心穏やかに聞いていていられるものでもなかった。
 モーガン・シュバリエ中佐。アスランが砂漠で出会った男性も、エイプリルフール・クライシスで家族を亡くした人であったから。
 外で音がした。トールが窓の方を向く。

「花火が始まったのかな?」

 だがまだ時間には早い。そして音の響き方に違和感があった。破裂音にはかわりないのだが、どこか遠く聞こえていた。花火はたしか見かけほど高くはあがらないはずなのだが。

「いや、何か様子がおかしい」

 窓の外に見える人の波も、何やら動揺しているように見えていた。
 無理にのぞき込んだ窓から見えた空には、燃える火の玉が降り注ぐ光景が映し出されていた。

「避けろ!」

 アスランと動揺に窓を覗いていたトールの肩を掴み、強引に後ろへと投げ飛ばす。同時にアスランもまたその場から飛び退いた。トールが床に背中から転がり、窓ガラスが砕け散る。落ちてきた火の塊がすぐそばの地面に落ちてその衝撃に窓が割れたのだ。
 窓の外からは悲鳴と、燃える火の影がくゆらせていた。
 倒れたトールに駆け寄ったミリアリアが不安げに声を上げた。

「何なのよ……、これ……」
「わからない。トールたちはここにいろ。俺は外の様子を確かめてくる!」

 落ちてきたのは何らかの機体の破片であるように見えた。事故だとすれば空中で爆発したということだろうが、撃墜されたと考えた方が火だるまであったことに合点が行く。

(こんな中立地帯で戦闘が行われているのか……?)

 それとも今更のことだろうか。アスランはラウ・ル・クルーゼ指揮の下、ヘリオポリスに侵攻しているのだから。
 喫茶店の扉に向かおうとした時、後ろからジャスミンの足音がした。

「私も行きます」

 特に返事はしなかった。ジャスミンもザフトだ。身の守り方を知っている。引き留める理由が見あたらなかった。
 扉を開けると、まず熱気が体を撫でた。店のすぐ先に落ちた破片はまだ火を放ち赤く燃えていた。エンジン、あるいはその周辺部分なのだろう。1人ではとても抱えきれない大きな塊が石造りの道路を砕いて燃え続けている。
 人々は騒然としていて悲鳴や慟哭は絶えることがない。どうやら破片は他の場所にも落ちたらしい。見渡す街並みには煙が立ち上り、明らかに周囲よりも明るい場所--何かが燃えている--があった。
 逃げまどう人々には、それでも一定の規則性があった。別に気取るほどの慧眼でもない。単に多くの人が見上げている方向が同じであるというだけのことだ。
 人々が見ている先、山を越えた向こう側が赤く空を染めていた。ちょうとヤラファス港があるあたりではないだろうか。

「アスランさん……、一体何が起きてるんでしょう……?」

 聞きたいのはアスランも同じだ。プラントから持ち出された機体が関係している可能性は蓋然性となるほど高い。だが、クルーゼ隊長からは何の指示もなければ、縄張り意識の強いカガリが情報をくれるとも考えにくい。
 山の向こうで何かが光った。それは光の矢となってヤラファス市を目指す。可視の光線。ビームであると判断したその時、アスランはジャスミンを覆い被さるようにしてかばう。
 町外れの公園に着弾したと推測されるビームは轟音を響かせ、その衝撃は街の窓を砕いた。




 アーク・エンジェル級強襲特装艦アーク・エンジェルの格納庫は、戦闘に巻き込まれる恐れが少ない中立国に停泊中ということもあり、静かなものであった。
 これまで2度撃墜され、現在はアーク・エンジェルの主力の一翼を担うという数奇な運命をたどるGAT-X102デュエルガンダムのすぐ脇で、整備士であるコジロー・マードックは簡単な書類整理を行っていた。つなぎ姿に、書類は壁に押しつけて書いているという豪快さは往年の整備士を思わせる。
 すぐ隣りでは18mものモビル・スーツが立っている。ハンガーに固定されているとは言え、一般人なら何らかの不安を感じても不思議ではない。しかし、今のコジローにとっての悩みは、現場肌の者らしく、形式だった書類の書き方に不慣れなことである。壁に書類を押しつけたまま、ペンを持つ右手は顎を撫でた。無精髭が刺々しい。こんなことをしてもいい書き方が浮かんでくるわけではない。
 これは苦戦しそうだ。そう考えていた時、横からコジローの名前を呼ぶ声がした。

「マードック主任」

 首を回すと、マリュー・ラミアス艦長がこちらへと歩いていた。艦の顔らしく、長い髪は手入れを怠った様子なく、化粧もしっかり決めている。どんなことにも厳しい艦長殿だと認識するコジローにとって、少々見られたくない場面である。慌てて書類を背中に隠した。

「お、おや、艦長、珍しいですね」

 失態を隠すことに手一杯で、敬礼を怠ってしまったことに、コジローは気づいていない。マリュー艦長はそのことを指摘しようとはしない。どこか疲れたように笑うだけである。

「ナタル小尉やゼフィランサス主任に任せきりだったから」

 格納庫に顔を見せたことがない艦長だと皮肉ったように受け止められたらしい。

「いや、そんなつもりで言ったんじゃないんですがね」

 つい手をかざして、否定の意志を伝えるために横に振る。すると、慌てて隠したため皺が寄った書類を見せつける格好になってしまった。やはり、慌てて後ろへ隠す。
 艦長殿は特に関心を示した様子はない。コジローの横、近すぎず、遠すぎない位置に立つと、デュエルを見上げた。

「艦長席に座って威張り散らしているだけでは、駄目だとわかってはいるつもり」

 そろそろ、コジローにも事が読めてきた。艦内の統制がきかず、締め付けようとすると反発ばかりが大きくなってしまう現状を悩んでいるのだろう。
 取りあえず書類を艦長から見えないと思われる位置へ放り投げておいてから、話に応じることにした。

「親しみある艦長になりたいってことですか?」

 押さえつけるのではなく皆が納得できる形でこの艦を動かしたい。その方がよいことはわかっていても、肝心の部下の姿をこれまでほとんど見てこなかったことを、マリュー艦長は悔いているらしい。
 デュエルから目を外して、マリュー艦長は眺めるように格納庫を見回した。艦長なりの努力が見て取れる。コジローも釣られて格納庫を眺めると、何やら似つかわしくない存在を見つけた。
 ノーマル・スーツ姿のキラ・ヤマト軍曹。こちらはまだいい。しかし、捕虜であるはずのコーディネーターの少年が走っていた。ディアッカ・エルスマンと聞いただろうか。何故か艦長殿が懲罰房からの外出を許可したようだが、この決定に関してはラミアス艦長の暴走のように思える。堅物が羽目を外そうとするとやりすぎる、このパターンだ。
 2人の少年はそれぞれガンダムに歩み寄ると、コクピット昇降用のロープのあぶみに足をかけ、モビル・スーツのコクピットへと消えていった。
 何事かと、コジローもラミアス艦長も呆然と眺めることしかできない。
 そうしているうちにヤマト軍曹の声で格納庫にガンダムの拡声器の音が響きわたる。

「これから出撃します。整備のみなさんは即座に道を開けてください」

 GAT-X105ストライクガンダムが片足を前に出した。GAT-X102デュエルガンダムもそれに続こうとする。たが、デュエルには捕虜が乗っていなかっただろうか。そんなことをコジローが呆然と考えているうちに、隣から穴から息が漏れでたようなおかしな呼吸音がコジローの耳には届いた。
 どうやら、マリュー艦長が目一杯息を吸い込んだことが原因らしい。
 マリュー艦長は歩きだしたストライクを追いかけながら大声で怒鳴る。
 モビル・スーツには人間の声の波長があらかじめ記憶されており、よほどのことがなければ拾い上げ、コクピット内に合成音声で出力される。そのため、怒鳴らなくても聞こえるはずだが、今のマリュー艦長にそんな説明を聞く余裕があるようには思えない。

「キラ・ヤマト軍曹! 中立国でモビル・スーツを動かして許されるわけがないしょう!!」

 コクピットを見上げることに意味があるとは思えないが、マリュー艦長の必死さは伝わってくる。

「艦長、男には多少のことに目を瞑ってでも戦わなければならない時があります。今がそうです」

 マリュー艦長の孤独な戦いは続く。

「何を訳のわからないことを!」

 走りながらまるで歩幅の違うストライクに追いつけるはずがない。それどころか、デュエルの引き起こす振動に足を取られて転んでしまったほどである。象に挑む蟻。何故だが、こんな言葉が、コジローには思い浮かんだ。
 ラミアス艦長は床に倒れたままの姿勢で、それでも声を張り上げ続けている。

「いいですか!? 私たち軍人は暴力装置にすぎません。しかし戦争とは理不尽であっても無秩序であってはならず、元来厳格な法規の下になければならないものです!」

 思えば、モビル・スーツが歩き回る音で相当うるさいはずのここでさえ、マリュー艦長の声は聞くことができるのは少々異常である。

「そこには確かなルールと規律があり、素人が考えているように無制限の暴力をふるうことができる場ではありません!!」

 よほど腹に据えかねているらしい。無理もないことである。中立国で武装したモビル・スーツを動かそうものなら、国際問題に発展する恐れがある。

「そもそもあなたはぁっ!!」

 おかしな音がした。声が突然途切れた。
 マリュー艦長は口を押さえ、その場で動かなくなってしまった。症状からして、原因はだいたい見当がつく。艦長は極度の興奮状態にあった上、あんなに大声で怒鳴っていれば呼吸も乱れる。酸素の吸いすぎで、血中の二酸化炭素が不足した状態。

「過呼吸だ。おい、誰か袋持ってこい! できれば穴の開いてる奴だ!」

 ただ何にしろ、何にしても全力を傾けるという艦長の姿勢は、良くも悪くもそう簡単には変わりそうにない。そんな時のことだ。ラミアス艦長を呼ぶ艦内放送がナタル・バジルール少尉の声でけたたましく鳴り響いた。




 GAT-X102デュエルガンダムもGAT-X207ブリッツガンダムも操縦方法に違いらしい違いは見受けられない。地球製のモビル・スーツはザフトとは基本設計が似ているようで異なる。少なくともディアッカにはZGMF-1017ジンをモデルに開発したものとは何故か思えずにいた。
 しかし何故だろうか。ブリッツに乗っていた時に比べ、拭いきれない違和感があった。コクピットの雰囲気が違うように思えるのだ。まるで何かが頭に語りかけてくるような。

(そんな訳ないか……)

 久しぶりのモビル・スーツに戸惑っているだけだろう。
 ディアッカは改めて操縦に集中する。視線入力--操縦といえるほどのものではないが--で壁にかけられていたライフルに手を伸ばすよう指示する。デュエルがライフルを掴みとり右腕に握る。ライフルのグリップと手のひらのアダプターが接続され、ライフルへのエネルギー接続と認識が終えたことがモニターに表示される。ビーム・ライフルはモビル・スーツ本体からのエネルギー供給を受けてビームを放つ仕組みであるため、接続が必要なのだ。
 デュエルはシールドも装備できるようだが、こんな重苦しいものを持ち運ぶことは躊躇われた。任務--こう呼ぶこともおこがましいが--によっては装備しないことっも視野に入れるべきだろう。
 ディアッカはモニターに移るストライクに目を向けてから問いかける。

「いいのか、捕虜にモビル・スーツの操縦なんてさせて?」
「今ここで操縦ができるのは君だけだからね。それに、逃げるようなら叩き斬る。それだけのことだから」

 ストライクは背中にバック・パックを装備していた。薄い水色の追加装甲に、巨大な剣。刃はないが、ビームの発振装置を持つビーム・サーベルだ。確かにこれほど巨大なビーム・サーベルならモビル・スーツなど簡単に両断してしまえることだろう。
 こいつは本当に10代なのだろうか。脅し文句などどこか熟練しているような気がしてならない。はったりにしては簡単に言ってのけた分だけ、ディアッカの裏切り--そもそも味方ではないためおかしな表現だが--を受け入れるだけの度量と自信が感じられた。
 ストライクと直接戦闘したことはないが、それはラッキーであったのかもしれない。

「地球のガキってのはお前みたいな奴ばかりなのか?」

 それならザフトの負けだ。70億と2500万。ただでさえザフトは300人分戦わなければならないというのに。

「いいや、僕は特殊な部類だと思うよ。実際、異常な生まれだからね。でもディアッカ、今回ばかりは君の力を借りたい」

 ストライクが歩き出す。宇宙でなら閉じていたはずの加圧室のハッチはすでに開いている。カタパルトを備える床がすでに見えていた。ストライクはそこから外に出ようとしている。ブリッツがそのすぐ後ろに続く。

「状況がまるでわからん。アイリスはどうしていない? 捕虜の俺に何をさせたい?」

 わざわざカタパルトで出撃するほどのことでもないらしい。ストライクが加圧室の先、直角にカタパルトと平行になるよう曲がると、そのまま歩いていく。デュエルも同じように突き当たりを直角に曲がらせると、すでに開いていたカタパルト・ハッチから外が見える。外は完全に夜だ。だが、デュエルの音声センサーは奇妙なほどの騒動を捉えていた。ただ事ではない。それこそ、戦闘が行われているほどの騒ぎが起きているようだ。
 キラは平然とした様子を崩さない。

「プラントから核の封印を解く装置が持ち出された。僕は核動力が搭載されたモビル・スーツと戦わなくちゃならない。君には、まだはっきりとはわからないけど、何が起こるかわからないから保険をかけておきたいんだ」

 危うく聞き流すところだったが、キラは今、核動力だとか言っていなかっただろうか。それが本当なら地球軍がいつでも核の封印を解くことができる状況にあるということになる。戦況は一気に動き出すことだろう。
 しかし、キラはあくまでも平然としている。ディアッカとしても状況を捉えかねていた。

「……助太刀でもさせるつもりか?」
「面白い冗談だね。でも残念ながら違うよ。だから何が起こるかわからないんだ。君には、状況によってはゼフィランサスを助けてもらいたいと考えてる」
「ゼフィランサス?」

 またこの名前だ。何度か聞いたが、一度も誰のことかのか教えてもらったことがないようにも思える。
 キラの言葉だ。

「アイリスの顔を思い浮かべて」

 青い瞳に桃色の髪を三つ編みにしていただろうか。ラクス・クラインによく似ていて、本人には言ってやれなかったが、プラントの歌姫と比べると確かに気品だとか気高さはないが、野に咲く花のような素朴な少女であったと思う。もっとも、これが誉め言葉になるのかわからないため面と向かって言うのだけはやめておこう。もう辛いものは食べたくない。
 キラが続ける言葉に合わせてイメージを修正していく。

「瞳を赤くして髪は白。腰を過ぎるくらい長くしてウェーブをかける。着ているものはフリルをふんだんに用いたドレスで、色は黒。アイリスをより可憐にして背中に花が見えてきそうな少女がゼフィランサスだよ」
「その言葉、アイリスには言うなよ。目潰しかけられるぞ」

 だが、与えられたイメージにピンとくるものがある。あれはディアッカがまだブリッツに搭乗していた時の話だ。アルテミスを襲撃した際のターゲットが、まさにそれであった。少なくともあれほど目立つ容姿の少女はほかにはいない。

「ゼフィランサスはアルテミスで一度見たな。お前の女か?」
「だといいんだけど、今少し距離を置かれてるんだ。それで、協力してくれるかい?」
「どうせ暇だしな。ただし、ザフトとはやらねえぞ。それだけは覚えておけ」
「それでも十分だ」

 さすがに裏切り者にまでなってやる義理はない。
 ストライクは開かれたままのハッチから飛び出した。デュエルもまたすぐ後に続く。
 夜の光景のはずだった。ところが、開けた視界は明るい。眩しいほどだ。場所は港。この戦艦は船と同じように接岸している。眼下には海が広がり、そこにさえ輝きが照り返している。
 港が燃えているのだ。炎が光を放ち、海にさえ照り返していた。まさに戦場そのものだ。燃えさかる炎、これだけ明るいというのに炎に妨害されてかえって視界が悪い。
 そのせいだ。炎の中、浮かび上がるモビル・スーツのシルエットが不鮮明ではっきりと見通すことができないでいた。




「アイリス、ここは危険です」

 姉の声も、ラクス・クラインの超えもアイリス・インディアには届いてはいなかった。少なくとも、言葉の意味を反芻するほどの余裕は、今のアイリスには存在していない。
 火が照らし、煙が立ち上る。砕かれた地面は不格好な隆起を見せてアイリスをまっすぐに立たせてはくれなかった。そして、見上げた空では戦闘が行われている。いつ流れ弾が落ちてもおかしくない。実際、オロファト市の方へ落ちていった弾を見た。
 危険。危ない。死ぬかもしれない。言葉をただの文字の羅列として受け止め、それでも実感も感慨も何もわいてこない。

「アイリス」

 同じような戦場の片隅に立っていながら、それでも微笑みを絶やさないラクスは再度声をかけてくれる。

「こうしていれば、少しはフレイさんの気持ちがわかるかもしれないじゃないですか。私、怖くないんです。戦うことも、人を殺すことも。だから、フレイさんのこと、わかってあげられない!」

 ヘリオポリスで戦闘に巻き込まれた時もそうだった。周りのみんなが慌てて、怖がっていても、アイリスはどこか平静で冷静に事態を把握しようとしてしまった。フレイが両親を亡くした時も、トールやミリアリアがアーク・エンジェルを離れたいという心境もわかってはいても理解なんてしてなかった。
 怖くなんてないから、悲しくなんてなかったから。
 爆発音が聞こえる。上空で撃墜された機体が破片をまき散らしながら墜落していった。
 ラクスがそっと差し出した両手は、アイリスの頬を支えて顔が向き合う形になる。同じ髪の色をして同じ瞳の色をして同じ顔をしている。鏡を見ているかのような錯覚は、体を必要以上に強ばらせた。

「それでこそヴァーリなのです、アイリス。私たちはお父様の先兵。世界はすべて夢現。お父様のお言葉、お望みのみが現であって、それ以外は胡蝶の夢。現実である必要もなく、夢でさえかまわない」

 ラクスの言葉は何一つ間違っていない。カルミア・キロに言われた通り、ヴァーリの中には、お父様のお言葉が根付いている。心の奥底に無条件でお父様のお考え、お言葉を肯定しようとする意識が働いている。
 アイリスのようなフリークでさえ、お父様への忠誠は機能している。砂漠で命を落としたカルミア、Kのヴァーリの言葉は嘘偽りのない真実。

「でも……、私そんな生き方なんてできません……」

 同じ第3研の姉は優しく、微笑んでくれる。そうだ。昔からそうだった。ラクス・クラインは、かつてガーベラ・ゴルフと呼ばれていた頃から優しくてアイリスに微笑みかけてくれた。

「花に生まれた者はどれほど空に憧れようと飛ぶこと叶いません。鳥と並ぶことも許されません。ヴァーリとはそんなもの。ヴァーリであるということはそう言うこと。それがヴァーリなのです、アイリス」

 ただその優しさは、どんな時でも変わらない。異常な日常の中でも、破壊の音轟く戦場でも。ラクス・クラインは、いつでもラクス・クラインであった。

「スカンジナビア王国の神話に語られる2柱の神。復讐のためだけに生み出され、復讐のために血を分けた兄弟の腹を裂く。復讐のために生み出された従者。それが、ヴァーリなのですから」

 血煙香る戦場の中、ラクスはアイリスの頬を掴んで離さない。青い瞳は、いつまでも向き合っていた。

「ラクスお姉ちゃん、教えて……。私たちのお父様は、何をしたいの?」
「変えたいのです。この世界を、本来あるべき姿に。誰もが平等に生まれ、評価され、平和な時を過ごす。そのような世界を希求されているのです」




「パンドラの箱。このお話をご存じでしょうか?」

 彼は語る。
 ここはどこだろうか。炎が燃えさかり、人々の悲愴が連なり綾なし被せられていた。人の姿をした、しかし巨大で、角を持つ怪物が我が者顔で暴れ回り人々を蹂躙していく。
 意地の悪い手がかりを差し上げよう。地獄ではない。これで、人は最も明瞭な解答を失ってしまう。そう、地獄ではないのだ。地獄のようでありながら、しかし地獄ではない、地獄のようなどこか。
 ダンテ・アルギエーリが語った地獄のように攻め立てる悪鬼が煮えたぎる沼地に亡者を追い込むものではない。あくまでも現実の、現世の光景に他ならない。
 ここはヤラファス港。地獄ならぬ地獄の現場である。

「あるところに女がいました」

 彼が物語を語り出すと、途端に風が強くなる。単なる偶然である。しかし、この男からはそれにどこか必然性を感じさせる超越的な威厳をまとう。

「神によって、類まれな美貌と、着飾る衣装と、優れた英知と、あらゆるものを授けられた女は、その通り、すべてを与えられた女、パンドラと名付けられました」

 夜闇に隠れて彼の姿は見えない。しかしそれでよい。かの全知全能なる神はその姿のあまりのまばゆさに人の身で見ること叶わず、その輝く姿を隠して現れると伝えられる。

「そして、神々は最後に決して開けてはならない箱をパンドラに手渡しました。この箱さえ開けなければ、皆が幸せでいられると言いおいて。それは神々からの悪意ある贈り物。誘惑に負けたパンドラがつい箱を開くと、箱に封じられていた災いが世界へと飛び散りました」

 子どもでも知っている神語りのお話である。パンドラが開いた箱の中にはありとあらゆる災厄が封じ込められてた。諍い、争い、疫病、疾病、飢餓、邪知、憤り。それこそありとあらゆる災いが世界へと解き放たれた。
 この物語、特に最後のくだりはことに有名である。

「それでも、悔いたパンドラが急いで箱を閉めたことで、箱の中には希望が残されました、お父様」

 彼に代わり、彼の愛娘が物語を締めくくる。
 彼は静かに笑い、娘を髪を撫でた。

「災いで充ちたその箱に、何故、希望など場違いな存在が入れられていたでしょう?」

 それは災いが封じられた箱ではなかったのか。何故災いの箱の中に希望など入れられていたのだろうか。人に災いをもたらした神の悔恨か悪戯か。
 何のことはない。彼は軽やかで流麗な言葉で物語の真実を語り出す。

「残されたのは希望ではありません。我先に箱から飛び出した災いは所詮小物でしかなかったのです。身が軽く、パンドラが箱を開けたとたんに飛び出しました。ところが、パンドラは慌てて箱を締めてしまいました。するとどうでしょう。最も大きく、最も重い体を持つ災いが逃げ遅れてしまったのです」

 それは最も恐ろしく、解き放たれれば世界を滅亡させてしまいかねない。そんな巨大な災いは、しかしその大きさ故、逃げ遅れ箱の中に閉じこめられてしまった。どれほどの災いが解き放たれようと、最大の災いだけは封じ込めることができた。
 それが、せめてもの希望である。そう、箱の中には希望が残された。災いにさらされた人類の、せめてもの慰めとして、人々はか細い希望を得たのである。
 パンドラの箱。それはすべての災いを封じ込めた箱。

「人は箱を開けてしまう。解き放たれた災いを再び箱に封じ込めることなど不可能なことなのです」

 産業革命以後、発展した科学技術は多数の公害、大量生産された兵器が過酷な戦争を生みだした。それでもなお、人は科学技術を捨て去ることはできない。技術は眠らせることはできても殺すことはできない。
 第2のプロメテウスの火と呼ばれた原子力の灯火は3つの都市を焼き、4つの発電施設を巨大な環境兵器と化してさえなお、人は捨て去ることができない。
 一度開かれた箱に災いを戻すことはできないのである。できることは、せいぜい最悪の事態を防ぐ程度のこと。かつてパンドラが失意と悔恨の中、それでも最悪の災いを箱のうちに封じたように。

「私は私と戦わなければなりません。それが、私がエインセル・ハンターと名乗る理由なのですから」



[32266] 第27話「プレア」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:16
 まだプレア・レヴェリーの吐息は荒い。残り少ない命が削り取られていくように胸が痛む。このまま潰れてしまうのではないかと危惧させるほどだ。機体に乗り込む際に銃撃されたことの緊張、無理な運動をしたことに心臓が抗議の声を上げているのだ。
 それでも、プレア・レヴェリーは生きている。まだ生きている。
 まだ若いプレアの体にはコクピットのシートは大きく思えた。試乗のためと無理を言ってフット・ペダルや操縦桿の位置を変更できるようにしてある。動かせるのだ。
 プレアの小さな体には大きなシートに寝そべりながら--機体が寝かせられたままなので自然とこの姿勢になる--12桁のパスワードを打ち込むべくコンソールを叩く。特に意味のない文字の羅列が機体へと吸収されて、起動に成功する。
 内部に光が灯り、コクピットの様子が露わになる。すると、プレアの体はシートごと浮いているような錯覚を覚えるほどだ。全天周囲モニターと呼ばれる、ザフトでも開発途上であるはずの新型のレイアウトである。機体が得た映像情報を自動で処理し、球形のコクピット内部に敷き詰められた全面モニターに投影する。すると、シートが空中に浮かんでいるように周囲の光景がそのまま表示される。
 閉塞感なんてものはない。従来のコクピットとはまるで違う情報量をパイロットは自らの視覚で得ることができるのである。この機体は、ゼフィランサス・ズールとともに作り上げた機体は、何から何まで従来の技術とは一線を画している。
 モニターには搭載されたOSの名称が表示される。プレアはその一語一句を丁寧に読み上げた。

「Generation Unsubdued Nuclear Drive Assault Module complex」

 その開発者たるゼフィランサスへの敬愛を示すかのように。そして、この機体に授けられた名前を高らかに宣言する。

「ガンダム! ドレッドノート、僕に力を!」




 波穏やかなヤラファス港は、突然の大荒れを見せた。タンカーが大きく揺られ、その振動が港内に波を巻き起こす。揺れるタンカーの屋根が突き破られ、中からモビル・スーツが起きあがった。
 手足を白く、胴には鮮やかな青。ところどころに赤が配された色鮮やかな機体である。そのシルエットはザフト軍、大西洋連邦軍両者の特徴を兼ね備え、何より顔を持つ。デュアル・センサーに口を思わせる構造。額の角に見えるV字のブレード・アンテナ。それは確かにガンダムの顔をしていた。
 右腕にはビーム・ライフル。左手にはシールド。勇ましくも神々しい戦士の彫像のように、それは立っていた。
 YMF-X000Aドレッドノートガンダム。
 ザフト軍における試作機につけられる便宜上つけられるYMF。実験機であるX。三つの新技術の実験機であることを示す三つの0。そして、禁断のA。
 それは勇敢なる者と名付けられた。
 届くかどうかもわからない果実に進んで手を伸ばす徒労を揶揄した言葉であった。誰もがこの機体が完成するとは考えていなかった。完成するはずもない機体に労力を浪費する、そんなことを進んで行える者はなんと勇敢なことであろう。
 それは勇敢なる者を必要としている。
 禁断のA。それは原子炉が搭載された機体であることを示している。人類がおそるおそる手を伸ばしたプロメテウスの火をその身に宿すこの機体は、あらゆる災いを友とする。人が手を出すには過ぎたる力の象徴である。
 この機体の名はガンダムであり、そしてドレッドノート。ドレッドノートガンダム。




「起きあがってくるぞ。ライトで照らせ!」

 カガリ・ユラ・アスハの指示の下、車に備え付けられたサーチ・ライトがタンカーを照らす。タンカーが軋み、揺れ、モビル・スーツが起きあがろうとしていた。天井部分を突き破り、姿を見せたのは何ともガンダムらしい顔をしたガンダムである。
 しかし、動きは鈍い。聞けばプレア・レヴェリーは技術者であってテスト・パイロットではない。
 ガンダムとて超兵器ではない。パイロットが素人なら如何様にも封じ込めることもできることだろう。オーブ軍の戦闘ヘリが到着し始めていた。上空から照らすサーチ・ライトが次々にドレッドノートへと殺到する。
 その時のことだ。
 ドレッドノートが、動かなかった指一本さえ動かすことはなかった。
 それでも突風が吹き荒れ、タンカーの軋む音が響いた。サーチ・ライトのレンズが次々と砕け、カガリ自身、側近のレドニル・キサカ--大柄な男なのだ--が支えてくれなければ吹き飛ばされ転倒していたことだろう。
 次々とライトの光が消えていく。それでも、そんなことを気にしている者など1人もいなかった。夜が再び暗さを取り戻す。それでさえ、ドレッドノートの姿がはっきりと見えていたのだ。
 ドレッドノートガンダムの全身は、淡い輝きに包まれ、夜の闇の中でもその姿がはっきりと見えていた。その輝きを、カガリは知っている。フェイズシフト・アーマーがエネルギーを放出する際の発光現象と非常によく似ている。突如吹き荒れた突風はドレッドノートの方角から吹き続けている。この突風も、離陸時のダウン・バーストと似ているようにも思えた。
 輝くことで風を起こす。そんな不可解な現象を、ドレッドノートが指一つ動かすことなく引き起こした。
 暴風の中、まともに指示などとばせるはずがない。ドレッドノートの一挙手一投足を見逃すまいと意地で瞼を開いていると、この巨人の体はこともあろうに浮き始めた。空へとゆっくりと浮かび上がっていくのだ。

「何なんだ、こいつは……?」

 スラスター出力で無理に飛び上がっているとも違う。明らかに体を浮かび上がらせて、ドレッドノートは空にその輝く姿をさらした。




 翼もなく、航空力学を無視した形状のモビル・スーツが浮いている。それも光り輝きながら。
 その周囲を漂う戦闘ヘリはミサイル・ランチャーを次々放つが、元々口径の小さなミサイルだ。ZGMF-1017ジン程度ならあたりどころによってっは十分な攻撃力を有するだろうが、ドレッドノートに命中したミサイルは無駄に煙を発生させているだけだ。白煙が晴れ渡る頃には再び淡い光が見え始め、無傷のガンダムが姿を現す。

「戦闘ヘリでガンダムと戦うにはまるで数が足りてないな。ゼフィランサス、光って空を飛ぶなんてどんな仕掛けだ?」

 そう、ムウ・ラ・フラガはすぐ隣に座るゼフィランンサス・ズールに問いかけた。ムウは足を伸ばし、体を大きくそらした姿勢で見上げているが、ゼフィランサスは小さく座っている。広がるスカートに足が完全に隠れてしまうようなその座り方はまさに人形のようだ。

「ミノフスキー・クラフト・システム……。普段はミノフスキー・クラフトって呼んでるけど、モビル・スーツの新しい推進システム……」
「それはわかるが、どんな理屈だ、言っておくが、専門用語並べられてもわからないからな。簡単に頼む」

 何か新しい推進機構が採用されていることはわかる。問題はその先だ。
 ドレッドノートは空中で向きを変えると--アンバックでは説明のつかない動きだ--銃口を戦闘ヘリへと向ける。慌てたように横へと逃げるヘリへと、ドレッドノートはかまわずビームを放つ。直撃などしなかった。それでさえ、余波を受けたヘリは大きく軌道を曲げ、やがて爆発四散してしまう。
 火力も大きく向上している。燃える破片となって落ちていく戦闘ヘリの姿を目で追いながら確認できたことだ。
 もっとも、開発責任者であるゼフィランサスは特に感慨を見せていない。

「ミノフスキー粒子は電荷を帯びる性質がある……。だから同じ電荷同士のミノフスキー粒子を形成することは比較的容易……。Iフィールドって言う膜構造を形成して電波を捕まえて電波干渉を引き起こしたり……、フェイズシフト・アーマーの形成が可能になるの……」
「それはわかるんだが……、いやすまない。続けてくれ」

 ゼフィランサスは無表情だが無感情ではなく、お喋りな面もある。とりあえず口を挟まない方が賢明だろう。

「でも、反対の電荷を持つミノフスキー粒子とは激しく反発して、とても大きな斥力を発生させる……。ミノフスキー・クラフトはミノフスキー粒子のそんな性質を利用したもの……」
「要するに、プラスのミノフスキー粒子の、Iフィールドだったか、膜にマイナスのミノフスキー粒子を近づけると互いに遠ざかるってことだな。まるで磁石だな」
「正確には違うけど基本的には同じこと……。そして、すべてのガンダムにはすでにIフィールドが用意されてるから……」
「どこに?」

 ガンダムが電波干渉なんてしただろうか。結果的に口を挟む形になってしまったが、ゼフィランサスはどこか上機嫌に見えなくもない。ご自慢の技術を披露できると高揚しているのだろうか。ゼフィランサスにそんなことはあり得ないようにも思えるのだが、だとすると技術屋というものは男も女も大差ないのではないだろうか。
 ゼフィランサスの指はまっすぐドレッドノートへと伸びた。

「装甲、そのもの……」

 フェイズシフト・アーマーの表面にはミノフスキー粒子が並んでいる。そのミノフスキー粒子が衝撃を吸収し、攻撃のエネルギーを光として逃がす機構だからだ。
 ガンダムの装甲はその表面がミノフスキー粒子の膜で覆われているということになる。

「装甲そのものが推進器ってことか?」
「うん……。だから装甲さえあれば機体をあらゆる方向に推進させることができるし、余剰推力も確保できる……。だから、もうガンダムは空を飛ぶことができるの……」

 従来のようにスラスター出力で無理矢理体を押し上げているだけではない。ドレッドノートは軽やかに空を飛び、戦闘ヘリを次々に撃墜していく。あるものはビームで撃ち落とし、蹴りがヘリを押し潰す。
 撃墜されたヘリが街の方へと流れていく。あれでは破片が多く街に降り注ぐことになってしまうことだろう。正規のパイロットでないプレアの放ったビームは流れ弾となって街へと落ちた。

「あのな、ゼフィランサス、俺たちはただ核動力搭載機さえ造ってくれればそれでよかったんだぞ」

 ムウが気軽に戦闘を眺めているに対して、ゼフィランサスが表情を曇らせた。しかしムウはそれを無視し、戦いの様子を眺め続けた。




 撃墜したヘリコプターの残骸が港中に散らばり、戦闘ヘリに搭載されていた武器弾薬が誘爆する形で港を燃やしていた。燃えるものなんてあまりなさそうな港の堅い岩盤の上にいくつもの火の塊ができあがっていた。
 すべてプレアのしたことだ。
 ドレッドノートを着地させる。起動良好。核動力、ミノフスキー・クラフトともに正常に稼働している。パイロットであるプレアはすでに息を切らせ、汗が止まらないというのに。
 早く呼吸を整えなければならない。すでに決闘のための邪魔者はみんな片づけた。後は相手を待つだけなのだから。これから命のやりとりをしようとする相手は、プレアを待たせることはなかった。
 GAT-X105ストライクガンダムが燃えさかる炎を裂いてドレッドノートの前に、プレアの前に歩み出た。ドレッドノートと似た配色に同じ顔を持つ機体。同じ母を持つガンダムなのだから。
 武装はソード・ストライカー。巨大な剣を背負っている。データでは戦艦さえ轟沈させた装備らしい。キラ・ヤマトは約束を守ってくれた。全力でこんな子どもの決闘を受けてくれる。

「ありがとうございます、こんなことに付き合ってくれて」

 ドレッドノートにはガンダムと交信を行うための専用回線が用意されていた。ゼフィランサスの遊び心なのだろう。

「そう自分を卑下することなんてないよ。僕だって、ゼフィランサスを他の誰かに渡したくない気持ちは同じだ」
「そんなんじゃありません。僕のしていることはただのごっこなんです。僕はコーディネーターです。でも、ただのコーディネーターじゃない。遺伝子を本来手を出してはいけない領域にまで調整された特異個体です。僕には生きていくことさえ難しい。こうしている間にも細胞のアポトーシスは進行しています。僕には時間がありません」

 すぐこの場で死ぬとは思わない。それでも1年はきっともたない。だから戦う。戦いたい。病院のベッドの上ではなくて、血生臭い戦場の空気を目一杯吸い込んでみたかった。
 プレアの手にはあまる大きさの操縦桿を握り、腕が震えていることに気づいた。緊張のしすぎだ。あがっている。それとも単純に疲れているだけだろうか。
 何でもいい。ほんの10分、もってくれさえすれば。

「だからしてみたかった。女性と一緒にお祭りを歩いたり、こうして雌を巡って戦ってみたりだとか!」

 視線入力。ロックオン・サイトがストライクを捉え、プレアが引き金を引くと同時に発射されたビームがストライクへと向かう。ほんの挨拶代わり。ストライクは教本のお手本のような見事な身のこなしでビームをかわすと、勢いを落とすことなく大剣を振りかぶった。ビームの刃が形成されるタイミングでサーベルが振り下ろされ、プレアもまた、サーベルを振り上げる。
 シールドの底にあたる部分にビーム・サーベルの発振装置が仕込まれている。発生したビーム・サーベルを振り上げ、振り下ろされるストライクのサーベルと激突する。
 生じたビームの火花があたりに飛び散る。
 ドレッドノートは片腕でストライクのサーベルを支えていた。両手で振り下ろされた大剣を支えているのだ。ジェネレーターの総合出力がドレッドノートと旧式のストライクとでは倍近くも違うのだ。

「このドレッドノートにはニュートロン・ジャマーを無効化する装置が搭載されています。でも、それが卑怯だとは思いません。この力は、僕とゼフィランサスさんとで得た力だからです!」

 押し返す。ストライクは体勢を崩したまま後ずさり、絶好の攻撃の機会が得られた。ライフルを放つ。完璧なタイミングで放たれたはずの攻撃は、それでもストライクを捉えることはできない。重心の移動が巧みで、キラはモビル・スーツをまるで自分の体のように動かした。ビームの射線上からストライクは逃れ、流れ弾となったビームはコンテナの山を吹き飛ばす。それだけでは飽きたらず港の施設を吹き飛ばす。
 ビーム・ライフルは銃身の冷却とエネルギーの充填の関係上、一定間隔でしか連射はできない。一度撃ってかわされる度、わずか数秒のラグを焦った気持ちで待ちながらまた引き金を引く。ストライクは滑るような動きで横へ横へとかわしていく。技術畑のプレアでは想像もしなかったような動きで、どんなシミュレータもあんな動きは見せなかった。

(これがエースの動き……)

 機体性能では圧倒的にプレアが有利であるはずなのに、余裕をもって感じられるのは相手の方。ただビームをばらまくしかできないプレアと違って、キラは確実に機会を待っていた。その機会がどのようなものなのかさえ、プレアにはわからなかった。
 ストライクが突然前に出た。ビームの射線上。それでもストライクはビームをかわしてみせた。まるでビームを通り抜けたみたいに目を疑うような動きを見せて。

「うわあああぁぁー!」

 立場は逆転していた。攻める側から攻められる側へ。ストライクが大剣を構え飛び込んでくる--ライフルはまだ発射できない--のを、ビーム・サーベルを強引に振りかざして防ごうとする。
 ビーム・サーベルがビーム・サーベルによって受け止められる。ただ防がれたのではない。反撃にあっていた。ストライクは大剣を棒高跳びの要領で地面に突き立て、ドレッドノートのサーベルは大地に生えたビーム・サーベルを打っただけであった。ストライク本体はドレッドノートのすぐ目の前で飛び上がっていた。サーベルで体を支えたストライクから繰り出された蹴りはドレッドノートの顔面を強打する。激しい衝撃に突き飛ばされ、コンテナの壁に背中から叩きつけられる。コンテナが支えとなって倒れることなく踏みとどまることがせいぜいだった。

「ゼフィランサスに力をもらったのは君だけじゃない」

 性能では圧倒的に不利であるはずのストライク。それでも体性を崩しているおはドレドノートであってストライクではない。幸いセンサーの類に損傷は見られない。モニターは鮮明で、ストライクの姿ははっきりと見えているのだから。

「この距離は、僕の間合いだ」

 とても剣の届く距離ではないのに。
 考えを改めよう。プレアはキラのすべてを超越したいわけはない。エース・パイロットと同じ土俵で戦ったところで勝てるはずもないのだから。技術屋には、技術屋の戦い方がある。
 ドレッドノートの装甲が輝きを増し、生じた斥力はコンテナさえ吹き飛ばす。上空へと舞い上がったドレッドノートは、確かに飛行している。スラスター出力に頼って浮いているのではない。確かに飛行しているのだ。

「勝負はこれからです、キラさん!」




「ザフトの機体なのか……?」

 ディアッカ・エルスマンはモビル・スーツに搭乗中であるにも関わらず惚けたようにモニターを見つめていた。光り輝く装甲を持つガンダム。それはところどころザフト軍の特徴を持つ機体であり、キラもプラントから持ち出された機体であると言っていた。
 ZGMF-1017ジンは3年以上も前、地球降下を果たした当初、地球の重力に苦しめられ足の各関節に不具合が続発したそうだ。その後ジンオーカーへと改修されたことで足まわりが強化されたそうだが、それでも飛行なんてもっての他。結局、モビル・スーツは人型の重戦車のような戦い方しかできなかった。
 それがどうだ。この機体は空を飛んでいる。空を悠々と飛び回っては上空からビームを降らせ続ける。さすがのストライクも空に逃げられては対処のしようがないのだろうか。危なげない回避ながら反撃の糸口は見いだせていないようだ。
 ビームが落ちる度火柱があがり、突風が燃えさかる炎を助長する。ここがどのような港であったのか知る由もないが、貨物の積み卸しには使えない。卸した瞬間に燃え尽きてしまうことだろう。
 こんな場所に生身の人間がいることは危険極まりない。キラに言われたのはゼフィランサスの救助であったが、モニターの人識別カーソル--元々は対歩兵用の装備だ--が捉えたのは、ごくふつうの男女であった。別にゴスロリでもなければ、アルビノでもない。同時に見覚えのある女がいた。女の方はフレイ・アスルター。助ける義務はないが、義理はどうかわからない。
 倉庫と倉庫の間の狭い路地。うまく火からは逃れているがここから逃げだす切っ掛けも掴めないでいるらしい。
 デュエルを近づけるなり屈ませる。元々デュエルは地球側の機体だ。フレイともう1人の男は特に警戒した様子を見せなかった。デュエルの左手--結局シールドは持ってこなかったためあいている--を差し出しながら、コクピット・ハッチを開いた。

「フレイだったな」

 爆発音を意識して声は大きく出す必要があった。

「どうしてあんたが!?」
「詳しい話は後だ。キラに頼まれた」

 フレイはわかりやすい反応でなかなかデュエルの手のひらに乗ろうとしない。無理もないが、ここは是が非でも信用してもらうしかない。

「こんなところでモビル・スーツ戦に巻き込まれるつもりか?」

 まだフレイの方は悩んでいる様子だったが、男--何とも冴えない格好をしている--の方は決断したらしい。フレイの方を掴んで促すと、2人をデュエルの手に乗る。恋人にしては歳が離れているように見えるが、こんな状況でも冷静に判断しようとしているところから、男の方も軍人なのだろう。
 デュエルの手をコクピットの前まで持ってくる。

「装甲には触れるな。モビル・スーツは廃熱の一部を装甲に蓄熱するからな」

 手のひらはものを掴むために特殊な緩衝材が敷かれていることが常だが、迂闊に装甲に触れると火傷しかねない。
 1組の男女は慎重な様子でデュエルへと乗り移った。コクピットは狭い。とりあえずシート後ろの隙間へと誘導するように手で示しておく。2人がシートの後ろに回り込んだところでハッチを閉める。

「ディアッカ・エルスマン、君が何故ここにいる?」
「ディアッカでいい。それに、俺もよくわかってない。それよりも、アイリスはどこだ? ここにいると聞いてるんだが」

 炎のせいで探しにくいことこの上ない。サーモグラフィーを使ってもこの熱では満足に探せるかどうか。探すならば何か手がかりが必要であった。
 男の方は知らないらしい。

「知らない……、アイリスのことなんて」

 知らないなら知らないでかまわないのだが、フレイの言葉にはどこかやましい様子が現れていた。はっきりとせず、どこかぐずったような話し方だからだ。

「お前なあ……」

 文句の一つでも言ってやろうかと振り向こうとした時だ。センサーに反応があった。どうやらロックオンされているらしい。モニターには、こちらにサーチ・ライトを向けている戦闘ヘリが映し出されていた。

「そこのモビル・スーツ、貴君の行動はオーブの主権を侵害している。ただちに武装を解除し……」
「ここは素直に言うこと聞いた方が正解か?」

 戦闘ヘリとは言え、スラスターやセンサーを直撃されれば十分な脅威になる。アイリスを探しながらでは危険が大きすぎる。しかし命令に従っていればアイリスを探せない。
 ディアッカが躊躇し先送りにした決断は、永遠に意味をなくしてしまった。突然戦闘ヘリが爆発し、レーダーには新たな機影が表示されていたからだ。
 ZGMF-1017ジン。かつてディアッカもお世話になったザフト軍の主力モビル・スーツだ。はっきりとしないが、数はだいたい3機ほど。夜空からスラスターを頼りにゆっくりと降下してきている。仲間の機体だが、彼らにとって今のディアッカは敵でしかない。

「まさかアスランたちが乗ってる訳じゃないよな……」

 さすがに同じ部隊の同僚とは戦いたくない。ジンは戦闘ヘリを吹き飛ばしたアサルト・ライフルの銃口をデュエルへと向けた。
 2機のジンによる十字砲火。逃げた方向から銃弾が横殴りの雨のように降り注いでくる。デュエルのフェイズシフト・アーマーは光り輝き、敵--所属としてはディアッカの味方のはずなのだが--の攻撃を防いでいた。
 ガンダムとジンでは攻撃力に雲泥の差がある。ビーム・ライフルを使えば1撃で撃墜できてしまうのだが、なかなか決断できずにいる。
 ライフルを向けながら、命中しないように発射するしかできない。
 フレイは大層ご立腹だ。

「ちょっとあんた、自分がザフトだからって、本気出してないんでしょ!」
「当たり前だと思わないか?」
「まあ、そりゃそうだけど……」

 敵に味方して仲間を攻撃したとなれば軍法会議ものだ。それくらいのことはフレイにでもわかることだろう。
 ジンの攻撃が港に停留中のタンカーを直撃する。まだ中に燃料が残されていたのだろう。タンカーは勢いよく燃えだした。

「こいつら、完全に周囲の被害なんて気にしてないな」

 元々港は開けた場所が多い。そのせいで燃える景観は爆撃され、破壊し尽くされたようで事態の凄惨さをより際だたせているように思える。

「フレイもう一度聞くぞ。アイリスはどこだ?」
「知らない……」

 今度の声は潜めたものだった。これを先程は後ろめたさだと捉えたが、実は違うらしい。
 フレイは弾けたように叫んだ。

「本当に知らないのよ!」

 肩越しに見たフレイの顔には、わずかに涙の跡が残っていた。感情的だとかヒステリックだとかはおいておいて、薄情とまでは考えるべきではないようだ。
 ただ、少なくともアイリスの手がかりがなくなってしまったことは残念ではあったが。

「ディアッカ君、最後にアイリスを見たのはあのタンカー、だったものそばだった。もしも逃げ遅れているとすればあの周囲だと思う」

 タンカーだったもの。確かに男が指さしたモニターには前半分が完全に水没し、魚礁に立候補したタンカーの姿があった。
 まずい位置だ。キラが戦っている場所に近い。

「わかった」

 タンカーの方へと急ごうとすると、逃がすまいとジンが追ってくる。アサルト・ライフルの弾丸をまき散らしながらどこか手当たり次第のように見える。

(クルーゼ隊長の命令か?)

 ガンダムを追っている部隊ならラウ・ル・クルーゼの指揮下にある可能性が高い。ガンダムの破壊を厳命されているのだろう。しかし、隊長は冷徹な人だが冷酷な人ではない。目的のために手段を選ばない、こんな周囲の被害を省みない戦い方をする人であっただろうか。
 ヘリオポリスでの一件は何とも言えないが。

「ザフトを撃墜は、さすがにまずいな」

 しかしこのままアイリスのところに行こうとした場合、ジンの攻撃に巻き込まれかねない。さて、どうする。
 ジンが剣--ビームと違い、ただの金属の塊だ--を大きく振りかぶり、デュエルへと飛びかかっていた。この期に及んでさえ、ディアッカはジンを撃墜するという選択を決断できないでいた。




 2機のガンダムが戦っている。1人はゼフィランサスに言われるがままに、1人はゼフィランサスと関わったことで戦っている。こんな戦いを、ゼフィランサスは望んだことなんてなかったというのに。

「ねえ、ムウお兄さま……。プレアは何をしたいの?」

 この場で唯一相談できそうな相手は、3人の兄の中でも一番良識的と言えなくもないムウだけである。ムウは星でも眺めるように座りながら、口元を歪めた。

「プレアには会ったこともないんだぞ。わかると思うか?」
「同じ男の子でしょ……」
「男の子ってなあ……。まあ、敢えて言うなら、好きな子にかっこいいとこ見せたいかな。他の言い方をするなら、死に場所を探してるんじゃないか?」
「どうして、そんなこと……」

 プレアの命が残り少ないことは知っている。そのことを気にかけていたことも。ただ、それがどうしてこのような一連の行動につながるのか、ゼフィランサスにはわからなかった。合理的でもなければ、こんな危険なことをわざわざしたがる理由がわからない。

「欠陥品として誕生させられて、親の望むままに優秀な科学者になって兵器を造って、そして蜉蝣みたいにあっさりと死んでいく。それが嫌だったんだろうな。結局、親が設定した遺伝子通りの生き方だからな。だがそれは、プレア・レヴェリーの生き方じゃない。ただのプレア・レヴェリーという遺伝子記号の特質でしかない。だから、プレアは戦いたかったんだろ。プレア・レヴェリーとして、ゼフィランサス、お前のためにな。まあ、女には理解しにくいことかもしれないけどな」

 その点だけは理解できる。
 ゼフィランサスは考えていた。プレアのためにもドレッドノートの完成した姿を見せてあげたい。その死を、できることなら看取ってあげたいと。ただ、それはまだ先のことだと考えていた。それがしてあげられることのすべてだと考えていた。
 ムウは気の抜けた様子でつぶやいた。

「永遠の虹色よりも一瞬の虹色の方が美しいか。俺は灰色も嫌いじゃないが、何にせよ押しつけられた色はごめんだな」

 プレアは死のうとしている。
 ゼフィランサスは立ち上がるなり走り出す。巨人が暴れ回る炎の戦場へと。




「見つけた!」

 フレイの声だ。アイリスを見つけたのだろう。しかし、ディアッカは確認することができなかった。ジンに重斬刀を押しつけられ、ビーム・ライフルを盾代わりに必死のつばぜり合いを行っているからだ。目を離すことなんてできやしない。

「ちょっと早く助けなさいよ!」
「ビーム・ライフルじゃ威力が高すぎて爆発する。それに、俺がザフトをやる訳にはいかないだろうが!」

 しかもフェイズシフト・アーマーが採用されていないライフルは軋み、下手に撃てば暴発の恐れがあった。撃てば暴発。それどころかこのままの体勢では銃口を向けることさえかなわないことだろう。仮に攻撃できたとしても大爆発。デュエルはともかく生身のままのアイリスがどうなるかわからない。

「足下見ながらの戦いがこうもやりにくいとは、な!」

 ジンの腹を思い切り蹴飛ばしてやると、ひとまず距離をあけることができた。ライフルには深い傷跡が一直線に刻まれている。これでは使用できない。サーベルを抜こうにも、ジェネレーターを破壊して燃料に引火でもしようものなら大爆発を引き起こすことには変わらない。
 ようやくモニターで確認できたアイリスは、立ち上る黒煙の間にその姿があった。フレイたちのように隠れているではない。ただ突っ立っているだけで危険極まりない。おまけにデュエル、ストライクとも決して遠くない場所にいる。
 下手に足を動かしてしまうとアイリスを蹴飛ばしてしまわないか不安にさせられる。ジンの方はこちらの都合をかまいもせずにご自慢の重斬刀を蛮族よろしく振り上げ、力任せに叩きつけてくる。本来ならばかわしてやるところだが下手に動き回ることはできない。上腕で受け止め、踏みとどまるしかできない。
 衝撃を受け流した足が破片を跳ね上げて、それがアイリスにあたりはしないかと冷や冷やさせられた。
 とにかくジェネレーターを爆発させないよう、ジンの身動きを封じなければならない。武器は使えない。そんな時に2機目のジンがアサルト・ライフルをこれでもかと連射しながら迫ってくる。
 踏みつぶしても終わり。流れ弾もアウト。流れ弾が跳ね上げた破片さえ人には致命傷だ。足首をひねった勢いが破片を跳ね上げるかもしれない。

(もうあんな辛い食べ物を口にする機会はないかもしれないな……)

 辛党を気取る訳ではないのだが。
 耳元に撃鉄を起こす音が聞こえた。

「早くそいつを倒しなさい!」

 目の前ではジンがいまだに重斬刀を押しつけている。こんなものではフェイズシフト・アーマーは破れないが、身動きがとれない。
 そして、ディアッカの側頭部には拳銃が突きつけられていた。真横にある。モニターから目を離すことができないためはっきりとした種類まではわからないが、フレイのような小娘が持つにはしっかりとした銃だ。この距離ならほぼ確実に人を殺せる。

「フレイ、そんなものどこから!?」

 軍隊支給の備品ではないらしい。男の方は拳銃のことを知らなかった。どこの誰かは知らないが、厄介な女に厄介なものを流してくれたものだ。

「早くしなさい!」
「俺を撃ったら誰が操縦するんだ?」

 デュエルは動けなくなる。撃墜され、アイリスも巻き添えをくうのが落ちだろう。

「フレイ、銃を下ろすんだ」
「アーノルドさんは黙ってて!」

 ぴしゃりとフレイは一喝する。それだけで男の方はあっさりと追求の手を緩めた。女の方が強いのは、地球もプラントも大差ないようだ。
 アサルト・ライフルの弾丸がデュエルの顔面に命中する。デュアル・センサーの近くであったらしく、遮光シャッターがかけられるまでの一瞬、火花がコクピット内にフラッシュとなって瞬いた。この程度のことにさえ、フレイは身を小さくする。
 ただ強がっているだけだ。銃を向けたところで引き金を引く度胸はないだろう。
 アイリスには以前フレイを悲しませたと激辛料理を食べさせられたが、かと2人の関係を教えられた訳ではなかった。

「アイリスはコーディネーターだ。コーディネーターは、お前の仇じゃないのか?」

 実際、カズイとか言う奴については、ディアッカが仇そのものなのだが。
 フレイは何も答えない。銃を持つ手が小刻みに震えていた。危なっかしい。指が引き金に触れてしまうのではないか。ジン2機の攻撃を受けているという現実を無視して振り向いた先では、フレイが泣いていた。

「何で泣くんだよ?」

 泣くようなことがあっただろうか。

「お願い……」

 すでに手に力さえなく、銃は自然と下ろされた。

「お願いだからアイリスを助けて……!」

 デュエルのビーム・サーベルがジンのコクピットを貫く。正確にコクピットを破壊されたジンは重斬刀を持った姿勢のまま後ろへと倒れた。ジェネレーターは一切破損していない。爆発することなくジンは機能停止する。
 アサルト・ライフルを構える2機目のジンには、デュエルは体当たりを食らわせるなり、その体を残骸と化したコンテナの山へと叩きつけた。
 別に反逆しようとした訳ではない。手が勝手に動いただけのことだ。

「こりゃ、始末書じゃすまんな」




 見たこともない新しいガンダムとストライクが戦っている。オーブ行政府官邸で聞かせられた、プラントから持ち出されたガンダムに間違いない。新しいガンダムはビームをまき散らし、その攻撃は洗練されたものではなく、流れ弾も脈絡なく落ちていた。
 だから何の先触れも連絡もなくて、新しいガンダムの銃口がアイリスと向き合った。光が見えた。
 それでも、怖いとは思えなかった。
 照明はすべて破壊されている。黒煙は月明かりさえ隠す。夜の火山のような光景の中をビームの輝きが直進してくる。
 影が光を遮った。
 モビル・スーツ。その巨体がビームの射線上に割り込み、フェイズシフト・アーマーの強烈な瞬きが見えた。デュエルガンダムがビームを身を挺して防いでくれたのだ。背中から肩みかけてビームが直撃したようで、右腕は肩から引きちぎれたように切断され、めくれあがったアスファルトの上を滑っていった。

「デュエル……? 一体、誰が……?」

 パイロットはアイリス・インディアが登録されている。別に識別パスワードの類を設定していた訳ではないが、少なくともアーク・エンジェルにパイロットはいないはずだった。キラは今ストライクで戦っているのだから。アイリスの目の前で。アイリスのすぐ後ろに立つラクス・クラインの目の前で。
 デュエルは失った右腕の代わりに左腕を差しだし、アイリスの前にひざまづく。開かれたコクピット・ハッチには、何から驚いてよいものかわからない。とりあえず真っ先に声をかけてくれた人に意識を集中した。
 フレイがパイロット・シートの後ろからフレイがこちらに目一杯手を伸ばしていた。

「アイリス、早く乗って!」
「フレイさん……」

 迷っている時間はない。

「ラクスお姉ちゃんも早く!」

 ラクスの手を引いてデュエルの手のひらの上に飛び乗る。2人が乗るとモビル・スーツの手は以外に小さく、手狭に思えた。そのためか、手はゆっくりとした速度でコクピット・ハッチの前にまでアイリス、ラクスを運んでくれる。
 まずコクピットに入ったのはラクス。パイロットであるディアッカの脇を抜けてパイロット・シートの後ろ--すでにフレイ、アーノルドの2人がいるため極めて窮屈そう--に体を滑り込ませた。
 続いてアイリスも同じようにシート脇を抜けようとして、突然生じた衝撃に手がすべり、体がシートの上に落ちてしまった。デュエルのどこかが小規模の爆発をしたのだろう。アイリスの体は横向きにディアッカの膝の上にあった。
 まるで抱き抱えられるお姫様のような姿勢である。

「ご、ごめんなさい! すぐに退きますから」
「いや、このままでいい」

 アイリスが体を固めるすぐそこで、ディアッカは真顔のまま、まずフレイに耳を引っ張られた。

「こんな時に何考えてんのよ、このスケベ!」

 反対側の耳をラクスが引っ張っている。

「ことと次第によっては、クライン家の総力を結集して、亡き者にさせていただきますわ」
「コクピットは狭いだろ。全員が座席の後ろって訳にはいかないんだよ!」

 一応なっとくしたらしいラクスもフレイも耳から手を離す。ディアッカは小さな声で悪態をつきながらアイリスを見る。

「アイリス、その何だ、俺に抱きつけ……!」
「その、こう、ですか……?」

 首に両手を回して体を固定する。本当に抱きついているようにしか見えない姿勢で、さすがに恥ずかしい。ディアッカにしても褐色の頬を赤くしていた。

「何顔赤くしてんのよ?」

 座った目のフレイと、微笑んだままのラクスが再び両側から耳を引っ張り始めた。
 いつの間にかハッチは閉じている。モニターにはアサルト・ライフルを構えたジンの姿があった。

「もう女の涙なんて信じねえぞ!」

 何があったのかなんて知らない。それなのに、ディアッカの声は魂そのものから発せられているみたいに覇気があって、その勢いのまま振り抜いたビーム・サーベルはジンの胴体を切り裂いた。
 アイリスも、そしてこの場の誰もが気づくことはなかった。ラクスが誰に聞かせるでもなくただ1人、呟いたことを。

「また死ねませんでした……」




「決闘に割り込んでくるな!」

 ストライクが割り込んでこようとしていたジンへとナイフを突き立てた。顔面に突き刺さったナイフは顔をそのまま押しつぶし、ジンは体勢を崩す。ストライクが飛び退いたところで、ジンを直撃したビームは大きな爆発を引き起こした。
 結果として協力して闖入者を排除した形だが、プレアはただストライクへ攻撃をしただけだった。たまたまそこにジンがいたにすぎない。プレアにはストライク以外のことに気を使っている余裕などない。ストライクドレッドノートの猛攻の中、ジンを破壊したというのに。

「キラさん、あなたは手加減してるんですか?」

 ドレッドノートは上空から一方的に攻撃を仕掛けている。それでも一撃も相手をかすめることはなく、攻撃している側に余裕がない。
 見下ろす大地はところどころに丸いクレーターが出来上がり、そこから黒煙が立ち上ってた。まさしく戦場の光景の中でさえ、無傷のストライクは悠然と存在していた。

「いや、積極的に撃墜を狙ってないだけで操縦そのものは本気だ」
「それを手加減って言うんです!」

 放つビームは当然のようにかわされる。地面を無駄に爆発させただけだった。プレア自身、回避されることを当然のように予定してしまっていた。それがなお一層腹立たしい。
 ライフルで駄目なら。ドレッドノートを降下させる。勢いをつけた状態で、どのように攻撃すればいいかなんて実はわかっていない。ただ闇雲に、モニターに表示される敵機との距離が0に近づいていくタイミングで左腕のシールド、その先端に発生したビーム・サーベルをふるわせる。
 ドレッドノートはすれ違いざま、縦にサーベルを振るう。どこに命中するかなんてわからない。ただ攻撃させることしかできやしない。キラ・ヤマトとは違って。
 ストライクは正確な太刀捌きで反撃に転じた。ドレッドノートのビーム・サーベルへと大剣を叩きつけたのである。ドレッドノートの手が伸びきるタイミングで、強い衝撃はドレッドノートの体勢を一気に突き崩す。
 地面へと辛うじて着地に成功するドレッドノート。着地の衝撃がショック・アブソーバーを通じてさえコクピットを揺らす。着地できた
ことさえプレアの技術ではなく、ドレッドノートのオート・バランサーの恩恵である。とうのプレアは着陸の衝撃から立ち直りきれずにいる。
 隙ならいくらでもあったはずなのだ。それなのに、ストライクは動かなかった。

「ゼフィランサスはきっと、君が死ねば悲しむ」
「決闘相手に同情なんてされたくありません!」

 ライフルを向ける。そこまで激しい動きでドレッドノートの腕を動かしたつもりはなかった。コクピット内に鈍い音が響く。スピーカーが拾った音ではない。音は構造を直接伝わった。
 ドレッドノートの右腕が肘から先がなくなっていた。手はライフルを掴んだままドレッドノートの足下に落ちていた。

「同情なんかじゃないよ。僕はただ、悲しむゼフィラサスを見たくないだけだから。それに、僕は決闘に真剣に望んでる」

 そう、攻撃された訳ではない。元々フレームが限界を迎えていたのだ。高機動を実現する度に、ライフルを発射する腕の振りの度、ドレッドノートの骨格は限界を迎えていた。

「その機体の動きを見てわかったよ。確かにガンダムの性能を持ってるけど、でも動きは量産機のそれに近い。ゼフィランサスがザフトに行ってからの短期間で新型を開発できるとすれば、元からあったフレームを流用したからだ。そんな機体に核動力なんて、スクーターにロケット・エンジンを積むようなものだ」
「見抜いて、いたんですね……」

 ドレッドノートを倒すためには撃墜する必要なんてない。ただ限界を越える性能を引き出させればいいだけだということに。

「勝利とは敵を倒すことじゃない。目的を達成することだからね」
「やっぱり、キラさんはすごい人だ……。ゼフィランサスさんが好きなことも頷けます」

 ドレッドノートの肘から先が千切れた腕はライフルを握ったまま転がっている。機体の状況を示すモニターには、ドレッドノートの全身が赤く表示されている。戦闘に夢中で、自分の機体の確認が疎かになっていた。これでは技術者としてもテスト・パイロットとしても失格である。
 機体の性能の差が、戦力の決定的な違いではなかったのだ。

「まるで僕みたいですね。このドレッドノートは元々、ザフト軍の新型量産機として開発が進められていたものを急遽ガンダムとして開発したものです。そうです。僕と同じで、本来の枠を越えた高望みの設計が行われてるんです。フレームは、ガンダムの高機動についていけるほどの強度は持ち合わせていません」

 ドレッドノートは試作機にすぎない。本来なら組み立てのデータを収集した後は解体され、機密保持のために別々の場所で処分されえるはずであった。そのパーツをオーブに集め、自分の機体としたのはプレアのわがままであり、そして、ドレッドノートとプレアが重なる部分でもあった。
 ともに、一瞬の生を許された蜉蝣なのだから。

「僕は、あなたになりたかったのかもしれません。勇敢な戦士で、ゼフィランサスさんの思いの人で……」

 プレアにはないものを、欲しいものばかりを持っている人だから。

「僕は技術者になんてなれなくてよかった。こんな力なんてなくてもよかった! 僕は戦士として戦って、戦士として死にたいんです! あなたのように、せめて少しでも!」

 ドレッドノートは装甲の輝きを極限にまで高めた。ミノフスキー・クラフトは発生させる推力が大きいほど、余剰となる斥力は光として放出される。ドレッドノートの最大推進でもって、プレアはストライクに、キラに最後の勝負を挑んだ。

「僕は! 僕はー!」

 もはや光の塊とさえ化したドレッドノートはビーム・サーベルを突き出す。もはや攻撃ではなく突進、さらには猛進。ありったけの力と勢いで、ドレッドノートの一撃はストライクの頭部に突き刺さり、2機のガンダムが激突する。
 放出されるフェイズシフト・アーマーの輝き。金属音が鈍く響く。ドレッドノートの勢いを押しとどめようとするストライクの足はアスファルトを削りとり、二筋の轍を刻み込む。
 そして、ストライクはドレッドノートの勢いをとめた。
 ドレッドノートはビーム・サーベルを振りかぶり、密着した姿勢のまま振り下ろす。ストライクの対艦刀は応じるように振り上げられた。ビームの衝突が火花を散らし、出力の違いからドレッドノートが徐々にサーベルを押し込んでいく。

「僕はあなたに勝ちたい!」

 すでにドレッドノートは限界なのだ。これが最後、最後の一撃になる。すでにフレームは疲弊し、足関節など満足に動かせないほどである。もはやそんな分かり切ったことを確認するつもりにもなれない。プレアはモニターに映るストライクの姿に集中しようとして、それでも、意識はいつもあの人を片隅においていたらしい。

「プレアー!」

 ドレッドノートの高性能集音マイクが拾った声は、間違いなくゼフィランサスのものであった。いくらガンダムといえども戦場の真ん中で遠くの音を拾うことなんてできはしない。ゼフィランサスの姿は近くにあった。
 モニターはしっかりとゼフィランサスの姿を拾っていた。

「ゼフィランサスさん……」

 ドレッドノートを必死に押し返そうとしているストライクの影の中に、ゼフィランサスは座り込んでいた。立てないのだろう。ストライクがドレッドノートの攻撃を受けたのは、後ろにいるゼフィランサスを守ろうとしていたから。そして、今もストライクは、キラはゼフィランサスを守ろうとしている。
 このままではゼフィランサスを巻き添えにしてしまう。ドレッドノートを戻そうとして、しかし反応がない。すでに脚部は踏みとどまることができないほど疲弊していた。見ようによっては倒れかかるドレッドノートをストライクが支えているにも近い。
 するべきことも、できることも一つしかない。

「キラさん、ゼフィランサスさんのこと、お願いします」

 こんなプレアのわがままにここまでつきあってくれただけで十分だ。キラには勝ちたかった。それは、ゼフィランサスを手に入れたいという願望の現れでは決してないだろう。ただ、短い命へのいらだちを解消する機会と動機が欲しかっただけ。その程度のことに決まっている。
 そんな子どもが、この2人から何かを奪うなどあってはならないこと。

「おこがましい……」

 ビーム発振装置のスイッチを切る。これで、ストライクがドレッドノートを押し返せない理由はどこにもなくなる。
 プレアは、十分な満足とともに、迫ってくる光の剣を受け入れようとした。




 ドレッドノートからビームの輝きが消える。もはやストライクの大剣を妨げるものは何もない。
 振り上げられた対艦刀はドレッドノートの胸部から左肩にかけて深々と食い込み、そのまま押し返す。まず足が折れた。膝間接が破断し、ドレッドノートの体は崩れるように倒れていく。その衝撃に首がもげ、不自然に隆起したアスファルトの上を不規則に転がっていく。
 フレームは、とうに限界を迎えていた。
 ストライクもまた、力つき、疲れ切った戦士のように膝を曲げた姿勢で地面に膝をつけた。頭部のないその姿は頭を垂れているようで、屍と化したドレッドノートのために祈りを捧げているかのようである。
 勝利とは目的を達成すること。ならば、戦いの終わりが勝利を生むとは限らない。
 ゼフィランサスは駆けだした。元々運動に特化したヴァーリではない。モビル・スーツのよる戦闘が行われたことでアスファルトは破壊し、溶けだし不愉快な臭いを漂わせていた。

「プレア……!」

 タール状になったアスファルトがブーツにへばりつき、危うく転びそうにさえなった。溶けだした臭いは心肺機能が優れている訳ではないゼフィランサスはに大きな負担となる。せき込んで、肩で息をするようになったところで、横たわるドレッドノートの躯はまだ遠い。
 それでも進もうとしたところ、体が悲鳴を上げた。前のめりに倒れそうになるところを、誰かの手が優しく抱き抱える。
 キラ以外の誰も考えられなくて、事実、ゼフィランサスを抱き抱えるのは顔はキラものであった。

「ビームの高熱がコクピット周辺を焼いてる。それがどんなことを意味するか、君だってわかるだろ。プレアは、君にそんな姿見せたくないよ」

 見える位置にドレッドノートの胸部--コクピットが存在する--がある。しかし、同時にビームが焼き払った傷跡も、胸部に刻まれていた。ビームの高熱はモビル・スーツの内部機構を焼く。モビル・スーツのパイロットを保護する機構に限界があることは、開発者であるゼフィランサスならば知らないはずのないことであった。
 ゼフィランサスは、これ以上ドレッドノートの痛々しい姿を見てはいられなかった。顔をそらすと、自然とキラの胸に顔を埋める形となる。

「みんな……、みんな私を置いていく……」
「僕は君を置いてなんかいかないよ、ゼフィランサス」

 ゼフィランサスの流す涙は、キラの胸ににじむように吸い込まれる。



 ガンダムの行く先、それはどこも地獄になる。ヘリオポリス、アルテミス、そしてオーブ。
 地獄が欲しい訳ではない。しかし必要なのだ。ブルー・コスモスが、3輪の青薔薇を掲げる者たちがプラントを駆逐するためには。そのためのガンダムであり、そのための地獄である。
 ムルタ・アズラエル。ブルー・コスモスの代表の名である。
 ムルタ・アズラエルは暗闇の中燃えさかるヤラファス港を眺めていた。施設の屋上にだらしない姿勢で座りながら、その顔は見ようによっては軽薄にも思える笑みを浮かべる。しかしその眼差しは猛禽の鋭さでして、ガンダムの戦いの一部始終をつぶさに観察していた。
 座るムルタ・アズラエルの元に、ムルタ・アズラエルが規則正しい靴音を響かせ訪れる。ムルタ・アズラエルはザフトをこの戦いに介入させたムルタ・アズラエルに対して茶化した様子で話しかける。

「少々やりすぎじゃないか? ムルタ・アズラエル」
「できるだけ派手にしてほしい。それが君らのリクエストであったはずだがね、ムルタ・アズラエル」

 ムルタ・アズラエルは仮面越しに戦場と化した港を眺めた。ムルタ・アズラエルの隣に座ろうともせず、開かれた口元には凄惨たる状況を揶揄するような侮蔑的な笑みを浮かべながら。
 続いて、軽い足音が響く。2人のムルタ・アズラエルは振り向き、座るムルタ・アズラエルは足音の主を見つけるなり口を開く。

「おや、我らがアイドルの登場か」
「勝手に見ないで、ムウおじさま。私を見ていいのはお父様だけ」

 白いドレス。着飾ったお人形のような愛娘の後ろから白いスーツを身につけたムルタ・アズラエルが姿を現す。

「お待たせしましたか? ムルタ・アズラエル」
「いいや。新型機はなかなか面白い見世物だった」
「私はジンを3機駄目にしたあげく2度の中立地帯での戦闘だ。そろそろ亡命させてくれるとありがたいのだがね」
「スパイは使い捨てが世の常だ」

 ムルタ・アズラエルの不躾な冗談も、ムルタ・アズラエルの歓心を買うことはない。
 金髪碧眼、お人形を連れたムルタ・アズラエルは語りかける。

「すでに大西洋連邦軍内の多数派工作は完了しました」

 仮面のムルタ・アズラエルは応えた。

「ザフトにも十分なデータを渡してわることはできたようだな。そしてオーブ侵攻への布石もおいた」

 座るムルタ・アズラエルはそれこそ退屈そうに息を吹く。

「俺は退屈でしょうがなかったよ。俺の出番を全部キラが持って行ったからな」
「キラ・ヤマトか。血のバレンタインの生き残り。私と君にとっては弟だな、エインセル・ハンター」

 仮面のムルタ・アズラエルから金髪碧眼のムルタ・アズラエルへと。

「俺は無視か、ラウ・ル・クルーゼ」

 座るムルタ・アズラエルから仮面のムルタ・アズラエルへと。

「ムウ・ラ・フラガ。我々の絆は誰に割り込むことさえ許さないほど強固なものです」

 金髪碧眼のムルタ・アズラエルから座るムルタ・アズラエルへと。

「ガンダム。すべては10年前のあの日に始まり、そして、今宵すべての鍵が我らの手元に揃う」
「すべては、青き清浄なる世界のために」

 さて、これはどのムルタ・アズラエルの言葉であったろうか。区別することに意味はない。彼らはムルタ・アズラエル。3者にして1の意志を持つ。
 ブルー・コスモス。これは、3輪の青薔薇を象徴に戴く組織の名。



[32266] 第28話「夜明けの黄昏」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:15
 小さな教会だった。入り口から見渡して左右の長椅子はすべてあわせても10にも満たない。窓には十字架の文様こそ施されているが、著名なステンドグラスほどの豪華さはない。壁に灯される小さな蝋燭たちだけで光は教会にうっすらと化粧する。
 礼拝はなどなく、静かなものである。
 教会であるということ。それが何の保証にもならないが、少なくともキラ・ヤマトはここを安全な場所だと判断していた。入り口すぐ脇の壁にもたれ掛かって内部を見渡した上の結論である。
 祭壇の前には敬虔な修道女がひざまづいて熱心に祈りを捧げている。ただそれは、全身を黒と白で包み、肌の露出を極力抑えた姿が、信徒のように見えただけだ。ゼフィランサス・ズールは、神になど祈ってはいない。手を胸の前で握り合わせて、仕草をまねてみせたところで、ゼフィランサスが語りかけているのは神ではない。

「この度の一件は……、お父様のご意志ですか……?」

 祭壇の横に、神父が立っている。聖書を胸の前で保持し、白を基調としたその服は世俗離れしたものである。大人の男性として落ち着き払った気配は、整えられた髪型と、そして決して開かれることのない両の瞳に起因している。
 マルキオ導師。この名前は本名ではないのだろうが、少なくとも、ゼフィランサスたちの間では、この名前で十分通用しているようだ。マルキオ導師はそれこそ信徒に語りかけるような声をしている。

「はい。もっとも、命じられたのは核動力と件の装置を国外に持ち出すということだけでした」

 もちろん、その内容はありがたい神のお言葉でもなければ聖書の一節でもない。

「ですから、オーブに行きたいというプレアの希望を叶えました」

 マルキオ導師はあっさりと言ってのけたが、ことは決して簡単なことではなかっただろう。一国の首都、その近郊の港に武装を施した状態のモビル・スーツを持ち込むなどたやすくできることではない。聖職者というものは何かと神の恩恵に預かれるものらしい。

「私にはわかりません……。プレアは、一体何をしたかったのでしょう……?」

 今のゼフィランサスの様子は、懺悔をしているようにさえ見える。ここは、懺悔室では決してないのに。マルキオ導師もまた、キラなどいないかのようにそのお言葉を続けていた。

「私は聖職者としてプレアと出会いました」

 いつも閉じられている導師の双眸は、今は追憶に浸っているようにも見える。

「あの子はあなたに好意を抱いていました。しかし、そのことに苦しんでもいました。あなたは単に一番近い女性というだけ。死を前にした焦りでしかないのではないか。それに、もし恋だと気づいても、待っているのは残り少ない時間の中での苦しみでしかないと」
「私がプレアにして上げられたことは……、同情にすぎません……」

 マルキオ導師は、まるで聖水でも振りかけるような仕草で片手をあげた。

「素晴らしいことです。プレアのことを真に理解し、その苦しみを共有していただけたのですね」

 まるで聖者のように、この運び屋は振る舞う。それとも、信仰に目覚めただけでは飽き足らなくなったて副業に運び屋をはじめたのだろうか。同じことはゼフィランサスも考えたらしい。言葉が普段とは異なった抑揚になっている。

「あなたは不思議な人……。どうしてお父様の運び屋を……?」

 掲げていた手を、今度は聖書の上においている。

「私の信仰は歪んでいます。神に祈るだけでは人は救われません。しかし、心のより所を、人は必要とするものです」
「お父様と手を組むことで……、人を助ける力を得ることができるとお考えですか……?」
「少なくとも、プレアの力になることはできました」

 言い換えるなら人を救うことにひたむきであるとできなくもない。ただ、本当にそう判断していいものか、キラにはわからない。しかし、ゼフィランサスは肯定的に判断したらしかった。

「私は神を知りません……。そんな私がプレアのために祈ることは許されるでしょうか……?」

 マルキオ導師は軽く頭を下げる。

「もし神がいらっしゃるのでしたら聞き届けてくれるかもしれません。もしいなくとも、大した労力ではないでしょう」

 たとえ神への道を歩みたい日が来たとしても、この人からだけは洗礼を受けたくない。ゼフィランサスはひざまづいた姿勢を変えないままで、それでも頭を深く、身をより沈めた。ゼフィランサスは、こんな生臭坊主の言葉を真に受けて、それこそ熱心に祈りを捧げているようだった。キラが殺したプレアという少年のために。もしかしたら、こちらもやはりキラが殺した姉のために。




 教会の前には白い砂浜、その先に暗い海が広がっている。押しては返す波が音をたてて砂を洗っていた。教会の明かりと、そばを通る道の街灯が林の木々を通って砂浜を照らしている。こんなわずかな明かりだけではとても明るいとは言えない。
 それでも、ゼフィランサスの赤い瞳は、キラにははっきりと見えていた。

「少し、歩こうか……」

 ゼフィランサスが歩き出す。黒いドレスを翻して、砂浜には小さな足跡が残る。

「私には男の人の考えてることがわからないよ……」

 キラはゼフィランサスのほぼ後ろで歩いていた。そのため、艶めく白い髪は目にすることはできても、その顔をうかがうことはできない。

「キラもそう……。どうしてガンダムに乗り続けるの……?」

 ユニウス・セブンでゼフィランサスを失った時、アーク・エンジェルを降りてしまうこともできた。そうしなかった理由は、1つには友人たちが残っていたから。ただ、これはゼフィランサスには関係のない話で、キラがガンダムに乗る理由ではあっても決意ではない。

「1つは、罪滅ぼしのつもりだった。僕は君から大切な人を、お姉さんを奪ってしまったから。後は、君への好意と、それに約束したじゃないか。僕が考えて、ユッカが名前を付けて、君がガンダムを造ったら、それには僕が乗るって」

 それは10年も昔、3人で交わした他愛のない約束だった。キラとゼフィランサスと、そしてユッカ・ヤンキー。
 キラが考えて描いたフリーダム・ガンボーイという巨大なロボットを、ユッカが名前がよくないと並べ変えて短くした。そして、こんな幼稚な発想をゼフィランサスはいつか必ず造ってみせると約束してくれた。今のガンダムにキラの原案が残されているのはせいぜい角と顔の造形くらいなものであっても、それがガンダムを印象づけている。
 ガンダムを初めて見たとき、どれほど心躍ったか、ゼフィランサスはわかってくれるだろうか。
 ゼフィランサスが立ち止まったのは、本当に突然のことで、反応が遅れた分だけ、キラとゼフィランサスの距離が縮まった。2人の距離は、ゼフィランサスが振り向いた時に、振り乱される髪がキラをかすめるほどの場所である。

「そんなことのために……?」
「死なない自信もあったし、死ぬつもりもない。それに、僕にとってこの約束は君やユッカとの数少ない繋がりだったから」

 決して大きくはない声である。波の音に消えてしまいそうな。それでも、それだからこそ、ゼフィランサスは波の隙間に音を差し込むように声を出している。

「この10年何してたの……?」

 キラの顔をのぞき込んでくるゼフィランサスの瞳はかすかに怒りをたたえていた。輝き、そして揺らめいている。軽度の興奮で瞳孔が開き光を普段より多く反射する。目元の筋肉の緊張は、そのまま眼球を震えさせる。

「まず、君を探した。奴らのところに戻っても殺処分されるだけだってわかってたから、1人で君がプラントにいないことを突き止めた。それからいろいろなことをしてきた。特にエイプリルフール・クライシスの後は社会の混乱や紛争が絶えなくてね。ザフト降下後はアフリカ共同体の民兵に紛れてモビル・スーツの操縦や戦い方を学んでた」

 ゲリラに混ざった時にお世話になった男はアル・ジャイリーと名乗っていた。アフリカでキラのためにリボルバーを用立ててくれた人だ。今の名前は聞いていないが、子ども相手にまともに技術を教えてくれたのはこのアルくらいなものだった。
 キラを救ってくれたのは、皮肉なことにかの場所で与えられた力と培った技術だった。

「僕はあの時君を守ることができなかった。だから力が欲しかった。それに、君を捜すにはあまりに時間がかかってしまった」

 兵器に関する情報を集め、目星をつけて。しかし、こんな情報収集を個人で行うは不可能に近く、また多大な資金を必要とした。後は、10年という膨大な時間である。

「それでもついにガンダムの開発情報を聞きつけた時は、いてもたってもいられなくなって、戸籍やビザを偽造してヘリオポリスに学生として潜り込んだんだ」

 キラ・ヤマト。この名前はこの時につけた。

「確信を得るまでに半年もかかって、サイたちとはその間に知り合ったんだ」

 単なる学生として生きた数少ない時間であった。もっとも、天体観測と偽って工場群の様子をいつもうかがってはいた。そしてキラの調査が大詰めを迎えた時、ザフトがヘリオポリスへと侵攻した。この後のことは、ゼフィランサスも知っていることだろう。
 10年という時間。それは距離を縮めることはできても、心は遠く離れてしまった。ほんの少し前に踏み出す勇気さえあれば、簡単に抱きしめてしまえる位置にゼフィランサスはいるのに。

「あの時、君をこの手に抱いた時、僕は嬉しかったよ。10年もかかって、ようやくたどり着けたんだって。ようやく、君をみつけられたんだって」

 思いだそうと思えば、あの時の手の感触は残っている。小柄なのに、波立つ長い髪がとても豊かに手を包み、柔らかくて、暖かくて、いい匂いがした。
 ゼフィランサスはあくまでも無表情で、見えない壁を突きつけてくるように思えた。

「今度は私の昔話をしようか……」

 そう言いながら、ゼフィランサスは振り向き、また歩きだす。キラもまた、距離を変えないようにその後に続く。

「あれから……、私はラタトスク社に身を寄せて……、兵器の開発を続けた……」

 砂を踏む小さな音。
 キラとゼフィランサスが離ればなれになるきっかけを作ったのはブルー・コスモスであった。そして、ラタトスク社はブルー・コスモスが出資している企業である。
 ゼフィランサスの辿った道筋を想像することはたやすい。ラタトスク社はこの10年で急成長を遂げた新興企業である。メビウスのような機動兵器という概念を初めて登場させた新機軸の兵器の開発に優れた会社なのだ。

「お兄様たちは優しくしてくれたけど……、これが正しいことなんだって言ってくれなかった……。ただ兵器を造って……、それが優れていたら……、殺傷力が高かったら誉めてくれた……」

 ゼフィランサスは努めて冷静でいようとしているのだろうが、歩幅が若干狭まっている。全人類に当てはまる法則とは思えないが、ゼフィランサスの場合、心細さが台頭している証拠であろう。

「ガンダムもそう……。お兄様たちは自分の手の上で世界を転がして……、自分たちにとって目障りな存在を消して……」

 普段からゆっくりとした話し方をするゼフィランサスだが、今は尋常でないくらいに言葉を詰まらせている。

「理想とする世界を導こうとしている……」

 キラには理解のできない話である。ゼフィランサスを苦しませて得られる理想郷など、少なくともキラは求めていない。

「たとえ……、どれほどの犠牲を支払っても……」

 ゼフィランサスが再び立ち止まる。今度は予想ができたため、不自然にならない程度に足を止めることができた。

「私はそのお手伝いをしていたの……」

 振り向いた時、ゼフィランサスは表情のない顔をしていた。昔のゼフィランサスはよく笑っていた。今のゼフィランサスは笑わない。それでも、ゼフィランサスは時々感情的な面を露わにする。無表情ではあっても無感情ではなくて、笑うことに疲れてしまった顔をしている。
 ゼフィランサスは歩き出す。今度は海に平行ではなくて垂直に。海岸に沿って植えられた防砂林の方へ。そこに何があるとも思わない。何でもない木、その一本に近づいたゼフィランサスはその幹に手を触れた。

「今日も……、私の造った兵器がプレアを殺してしまった……」

 この声は、とても小さくて、抱きしめてでもいなければ聞き取ることができなかっただろう。ただ、聞かせないための独り言にしては、はっきりとキラの耳に届いた。

「キラ……。私がどうしてもうキラに会いたくないって言ったか、わかる……?」
「ユッカのことを見捨てたからかな……?」

 別にゼフィランサスが手を置いている木がユッカとの思い出の何かというわけではなく、木が何かを想起させることもない。もしかすると、キラから目を背けていられる理由付けに利用しているだけなのかもしれない。
 ゼフィランサスは首を横に振る。やはり、キラに背を向けたまま。

「私には大切な人が2人いた……。でも、どちらもあの日、いなくなってしまった……」

 ユッカは死に、いや、殺され、キラはゼフィランサスのそばにいてあげられなくなった。

「キラはね……、キラって言う大切な人を、私から奪ったんだよ……。ずっと死んだって思ってた。もう会えないって悲しくて怖かった……。生きてたなら、すぐに出てきて欲しかった……!」

 そんなに大きな声ではなかった。それでも、今のゼフィランサスには精一杯の声音なのだと言うことくらいはわかる。

「ゼフィランサス……」

 声をかけながら伸ばした手は、ゼフィランサスが木を叩いたことに続行を躊躇わされた。普段、物にあたるような人ではないのだが、それだけ、ゼフィランサスの怒りと悲しみのほどがわかる。
 あの時、キラはゼフィランサスのそばにいられなかった訳ではない。ただ、子ども特有の反骨精神故に、キラは別れを選んだ。その時は正しいと思えていたことがことごとく、ゼフィランサスを傷つけている。

「キラは何も変わってなかった……。アルテミスでキラがカズイ君を見捨てた時、わかったから……。キラは何も変わってなんていないって……。また私のために傷ついてしまう人なんだって……」

 もう声から勢いは消えていた。今度躊躇われたのは、触れると砕けてしまいそうな弱くて儚い1人の少女に触ること。結局、伸ばしたままの手は決意のつかないまま宙を漂う。

「プレアもそう……。私の……、こんな私のためにキラが傷ついていくの、見ていられなかった……。だから、キラには2度と私の前に現れないでいてもらいたかった……」
「僕はそんな立派な人間じゃないよ。ただ、君を抱きしめたい。そのために周りの迷惑顧みない身勝手な人間でしかない」

 ユッカのことだってゼフィランサスに助かってもらいたいよりは、ゼフィランサスを失いたくない気持ちの方が強かった。
 カズイの時も、助けられるかわからない友達を助けようとするよりもゼフィランサスを救うことを優先したかった。

「言い訳でしかないことはわかってるよ。でも、あの時の僕にユッカも君も助けられる手段があったとは思わない。カズイにしたって、僕の見立てでは奇跡でもなければ助からなかったと思う。僕は、正しいことをしてきたとは思わない。でも、間違った判断をしたとも考えてない!」

 全部そうだ。すべてがそこに帰着する。キラは、ただゼフィランサスを抱きしめたかった。そのため、10年の間、ゼフィランサスを探し求め、モビル・スーツの操縦技術を身につけた。
 すべてゼフィランサスにもう一度触れたい、それだけが願いだあったのだから。
 目の前にはゼフィランサスがいる。触れるだとか触れないだとか、触れたいに決まっている以上、キラの手はもはや抑えようもなく愛しい少女へと伸びた。肩を掴んで振り向かせて、手を繋ぐ。固い操縦桿を握りなれた手には、ゼフィランサスの手はあまりに小さくて、力を入れることが怖いくらいだ。
 ゼフィランサスは瞳に涙を浮かべていた。赤い瞳が蠱惑的にさえ思えて、何もできなくなっていく。ゼフィランサスの唇はとても柔らかそうで、吸い寄せられたみたいに目をそらすことができない。

「ゼフィランサス……」

 これが当然のことのように体をすり寄せて、必然のように唇を近づけていく。こうなるとすべてが許される気がして、頭が解釈を都合よくねじ曲げていく。

「いや……。だめ、だよ……」

 それでもゼフィランサスと繋がれた手は拒絶するような力は込められていない。ゼフィランサスの背を木に押しつけておきながら、本当に嫌なら逃げるはずだと考えた。
 ゼフィランサスのことが欲しい。唇を触れ合わせたい。結論が過程を塗りつぶして、歯止めなんてあるはずもない。少しでもゼフィランサスが嫌がるそぶりをみせたらいつでもやめられる。そんなできっこないことを免罪符に、そっと近づけた唇を触れ合わせ、重ね合わせていく。
 触覚以外のすべてが余計で、音なんて聞こえない振りをして、目は閉じてしまおう。世界が2人だけになってしまったようにさえ思いこもうとした。
 ただゼフィランサスのことを感じていたかったから。
 だから気づいてしまった。頬をかすかな水の感触が撫でた。これが、ゼフィランサスの瞳からこぼれた涙であることを。
 意識が突然呼び戻されて、すぐにいたたまれない気持ちになった。それでもすぐに唇を離す気にはなれなくて未練を残したままゆっくりと引き離すしかできなかった。顔を離した時、ゼフィランサスは涙を頬に伝わらせて、唇を押さえていた。
 どうしようもなく申し訳ない気持ちで体は自然と逃げだそうとした。それを妨げたのは、他ならぬゼフィランサスの手だった。利き手である右手は口元を押さえたまま、左手はキラの服を掴んでいた。手つきこそ拒絶するようでありながら、しかしその手はキラを掴んで離さない。

「キスのこと、いやじゃなかったよ……。でも、辛いの……。体がキラの温もりを思い出してしまうと、またいなくなることがことも……、いないことも寂しさも……」

 だからと温もりを遠ざけてしまうなんて寂しいことではないだろうか。

「僕は君のそばにいるよ。君を守るから」

 無理に近づこうとすると、キラを掴む手は棒のようにキラを拒んだ。手を涙にこすりつけながら、ゼフィランサスはあくまでもキラとの間に一定の壁を作ろうとする。

「無理、だよ……。私はお父様に逆らえない……。キラはお兄さまには抗えないから……。だから、キラに抱きしめてもらいのけど、触れてもらいたくないよ……」

 涙がとまると、頬に涙の跡を残しながら、ゼフィランサスはいつも通りの表情のない顔を取り戻していた。温もりを知らなければ冷たさに慣れることができるかもしれない。ゼフィランサスはそうして、人を遠ざけながら生きてきたのだろう。
 ゼフィランサスは袖--フリルによって広がっており、確かに何か隠せてしまえそうではある--から一つの記憶媒体を取り出した。

「これ、何かわかる……? ニュートロン・ジャマーを無効化する装置、そのデータ……」

 何故こんなものをゼフィランサスが持っている。いくら開発責任者ではあっても機密情報をこんな形で持ち出せるはずがない。そもそも、ヴァーリの父はこんなこと望んでいないはずだった。
 ゼフィランサスはキラの知らない意志で動かされている。

「私がオーブに来のはプレアに会いたかったから……。もう一つは、お兄さまにこのデータを渡すため……」

 キラを掴んでいた手が放れて、軽い力で突き飛ばされた。道を開けさせられたことでゼフィランサスは再び砂浜へと歩き出した。後を追う形でキラも続いた。
 砂浜が何か変わっていることはなかった。静かに波が押し寄せ、わずかな照明だけが明かりである。それでも気づくことができた。存在を否定することが許されないように、キラは気づくことができた。
 教会の前、男と少女の姿がある。男は白いスーツ、少女は白いドレス。
 ゼフィランサスはとりたて急いだ様子もなく教会の方へと歩いていく。男の方は月でも見えているのか見上げたままの姿勢で、ゼフィランサスに応えたのは少女--ヒメノカリス・ホテル--の方だ。
 ヒメノカリスの身につけているドレスは色合いこそ白と黒の違いはあるがデザインはゼフィランサスのものと同じだ。顔や波だった長い髪まで同じで、アイリスやラクス、同じ第3研の姉妹以上にヒメノカリスとゼフィランスは同じ印象を与える。

「ゼフィランサス」
「ヒメノカリスお姉さま……」

 ここで初めて男の方が動いた。月から目を離して歩き出す。たちの悪い冗談のように整った容姿で完璧なリズムを刻みながら、男はエインセル・ハンターであった。
 軍需産業ラタトスク社代表にしてアズラエル財団の御曹司。巷説ではブルー・コスモスの代表と目される人物。

「エインセル・ハンター代表。あなたはゼフィランサスに何をさせたいんですか?」
「プラント、天なる国はあまりに歪にすぎています。遺伝子操作によって作られた人々によって作られた国土は、人を社会の都合によって作り替えることにあまりに寛容であり、人のために社会があるのではなく、社会のために人が生かされる。ゼフィランサスが、その意志と関わりなくモビル・スーツを開発していたように」

 その瞳はキラのことを見ているようで、しかし他の何かを見ているようとでも、見ていないとも、まったく別の何かを見ているようにも思えた。

「それはあなたも同じだ」
「故に、私はエインセルなのです」

 エインセル・ハンターの腕にヒメノカリスが飛びつくように抱きつく。その行動に違和感を覚えないでもなかったが、白のヒメノカリスと黒のゼフィランサス、2人の少女を従えるエインセル・ハンターの姿は妖しく映る。妖精を従えるオベロンか、娘とともに誘う魔王。ひどく現実離れした存在に思えた。

「キラ・ヤマト。いえ、ナインス・ドミナントであるあなたには伝えておくべき事実と言葉があります。あなたがゼフィランサスを思う資格と覚悟があるように、私もあなたと同じなのです。私にはプラントを糾弾すべき義務と責務を担っています。ドミナントととして」
「あなたは一体……?」

 完全に頭が混乱している。まず、何から驚くべきかわからない。疑問だってわく。この人は何者で、何をどこまで知っているのだろうか。

「私はエインセル。私はあなた自身」

 肌が乾く。張りつめた空気が筋肉を緊張させ、皮膚を感想したと錯覚させるほど張っていた。疑惑は疑惑で残り続けるのに、目の前の魔王は一切確信も欺瞞も許さない。そんなはずはない、嘘に決まってる、ブラフだろう、そんなキラ自身を誤魔化すための嘘を、キラ自身が信じられなくなっていく。
 この男はドミナントだ。

(この人は強い……)

 虎は寝ていてもウサギを怯えさせる。睨む必要もなければ凄む意味もない。存在だけが脅威で威圧する。エインセル・ハンターはそんな男であった。ただ見られているというだけで緊張を解くことができない。
 ふとエインセル・ハンターの視線が外れた時、キラは安堵している自分を見つけた。

「血のつながりはないとは言え、私はゼフィランサスを兄として保護してきました。このことの意味がわかりますか?」

 まず悪寒が生じた。

「あなたはゼフィランサスを林に連れ込み、やがて涙を流す妹が林から出てきました。このことの説明を求める立場にいるということです」

 そしてすぐに代わりに嫌な汗が出てくる。先程の緊張とはまったくべつもので、ある意味では余計にたちの悪い感覚に体中を縛り付けられる思いがした。銃を突きつけられた時でもこんなことを感じたことなんてなかった。

「ゼフィランサス、変なことされなかった? いきなり抱きつかれたとか、無理矢理キスされたとか?」
「そんなこと……、されて、ないよ……」

 ヒメノカリスの言葉に、ゼフィランサスはまず白い頬をわかりやすく赤くして、唇を意識したのか手を口に当てる。強力な状況証拠が示されたがキラには弁護士なんていない。
 そんなことしていません。恥じらうゼフィランサスと緊張のあまり片言になるであろうキラ、一体どちらが信じてもらえるだろう。
 同意の上でした。これこそ性犯罪者の典型的な言い逃れではないだろうか。実際、ゼフィランサスは拒みこそしなかったが、キラの行為をゼフィランサスが受け入れてくれただけで互いに求め合ってのことではない。
 誤解です、お義兄さん。駄目だ、完全に腰が引けている。先程まで啖呵を切って睨んでいた相手に完全に気圧されていた。

「あなたとは、同じドミナントとしてではなく、ブルー・コスモスの代表としてでもなく、男として話し合う必要があるようです」
「ちょっと待ってください、確かに僕もゼフィランサスもまだお互いの距離に迷っているところがあります。でも、僕がゼフィランサスを思う気持ちに、嘘偽りなんてありません!」

 つい先程までヴァーリやドミナント、世界の裏側や趨勢について話していなかっただろうか。この世の中には銃や力では解決できない問題の方が多くて、余計に息苦しいものであるらしい。
 キラの思いが通じたのか、エインセル・ハンターは首をゼフィランサスの方へと向ける。

「ゼフィランサス、あなたはそれでよいのでしょうか?」
「エインセルお兄さまにも、私とキラの間には……、あまり立ち入ってもらいたくありません……」

 エインセル・ハンターは息を吹く。

「わかりました。ゼフィランサスに免じて、このことをこれ以上追求することはよしとしましょう」

 エインセル・ハンターは歩き出す。砂を踏みしめ、ヒメノカリスがすぐ後に続いた。ゼフィランサスもまた、キラの方を一瞥するなりついていく。
 キラにとって、エインセル・ハンターという男はいつか倒さなければならない相手になるかもしれない。婿と舅の関係はともかく、ゼフィランサスの力を利用しようとする1人であることに代わりはないからだ。敵の背を見送りながら、キラは意識して声を出した。

「ゼフィランサス、君は必ず僕が助け出す」

 ふと、あることを思い出した。ゼフィランサスはデータを持っていた。これで、核兵器の封印を解く装置を、ブルー・コスモスとラタトスク社は手に入れたことになる。
 ただ、キラにはそんなことよりもゼフィランサスのことで頭を占領されていた。思い出せば確かに抱きしめて口づけを交わした。その温もりや感触が余韻として残っている今、世界の行く末のことなんて考えようとしてもなかなかどうしてできにくい。

「カルミアに叱られて、少しは周りのことが見えるようになったはずなのにな」

 苦笑して、しかしすぐに元の表情を取り戻す。4年前に戦争が起きた。3年の間膠着が続いた。それもすぐに終わる。まもなくプラント最高評議会では急進派のパトリック・ザラ国防委員長が議長に選出されると絶対視されている。ブルー・コスモスも十分な戦力を手に入れたことだろう。
 次にこんな静かに星空を迎えるのは、果たしていつになることだろう。




 夜が明けると、残されたのは残骸と残骸、見渡す限りの残骸であった。その最たるもの、GAT-X102デュエルガンダムの横たわる巨大な躯を前に、ディアッカ・エルスマンは欠伸をかいた。
 デュエルはアイリス・インディアをかばった際に被弾したことを原因として右腕を肩からなくしていた。さらにジェネレーターに熱が入り機能を停止。現在は右側を下に横たわったまま動かない。フェイズシフト・アーマーのおかげで装甲そのものは綺麗なものだが、オーバー・ホールでもしなければ使い物にならないことだろう。
 そして、周囲には破壊しつくされた港の瓦礫と残骸で埋め尽くされていた。
 思えばおかしな夜だった。捕虜なのに外出が許され、モビル・スーツで戦闘までした。挙げ句いまだに拘束されておらず、こうして朝日の中、昨夜の戦いの傷跡を眺めている。
 隣にはアーノルド・ノイマン--名前はフレイ・アルスターから聞いた--がディアッカとおなじように神妙な面もちでデュエルを見上げている。もっとも、こちらは貴重な戦力を失ったことに思いを馳せていることだろう。
 アーノルドはディアッカの視線に気づいた。

「昨日はありがとう。君のおかげで私たちは助けられた」
「別に大したことじゃない。それより、どうしてプラントがガンダムなんて持ってたのか、何か知らないか?」

 離れたところには核動力が搭載されていた機体--ザフトの機体であるはずが、なぜかガンダムだ--の残骸と、ストライクの回収作業が続けられていた。朝日を浴びるこの光景を眺めていると、やはり昨夜のことがふつふつと思い出される。
 アーノルドは答えた。

「私も詳しいことは知らないが、ゼフィランサス主任は一度ザフト軍に連れて行かれている。恐らくザフトでも開発を続けていたのだと思う」
「なるほどな。道理で同じ顔の機体がザフトにもあるわけだ」

 同じ顔をしているのは何かのこだわりなのだろう。アーノルドはさもゼフィランサスがガンダムの開発者であって当然のように言ってくるが、とりあえずそうなのだろう。話を合わせておくことにする。
 わかったことは、ザフトでもガンダムの開発が進んでいるということだ。ザフトでもビーム兵器の量産が始まれば戦いは大きく変わることだろう。それともう一つ。ディアッカたちの方へと大股で歩いてくる女は機嫌が悪いということもわかる。
 無造作な髪をした、まだ少女と言える年頃で、怪我でもしているのか腕を吊っている。よく見ると腕を通さずに羽織っているだけの上着はオーブ軍のものだ。

「言っておくが、昨夜の件は他言無用だ。今ここで核動力の存在を公にすることはできないからな」
「情報規制でもかけるのか?」
「目撃者が多すぎる。それに、オーブの報道機関は跳ねっ返りが多いからな。とりあえずザフトがモビル・スーツを持ち出して暴れ、大西洋連邦が応戦したという形にしておく」

 女は名乗りもしないでまくし立てる。しかしこんな子どもが機密について語っているところを見ると、それなりの立場にいるのかもしれない。実際、いつの間にやらそばにいた屈強な男性--こちらは頭を包帯で巻いている--は女をカガリ様と呼んだ。

「カガリ様、エピメディウム様がお話があると」

 このエピメディウムというのはオッドアイの少女のことだろう。厚ぼったい作業着姿の作業員たちばかりのこの場所をずいぶん軽やかな格好で走っている。その快活さ以上に際だって見えたのは、エピメディウムという少女がアイリスと同じ顔をしてるということだろう。
 ラクス・クラインとも、アイリスとも違う笑い方を、エピメディウムはしていた。

「ほらカガリ、また勝手に病院抜け出して。ひびが入ってるんだから安静にしてなきゃ駄目だよ」
「こんな時に寝ていられるか!?」
「言うと思ったよ」

 エピメディウムが指を鳴らす。すると女性看護士たちが一斉にカガリを取り囲むなり有無を言わせず連行し始めた。さすがにカガリも女性相手に--このカガリも女だが--暴力をふるうことはないらしい。とてもおとなしくとは言えないが、渋々と連行されていく。
 そして、エピメディウムもまた去っていく。

「ヴァーリか……」

 キラは26人と言っていた。あの時は何を言っているのかわからず、今はまだ実感が伴わない。ヴァーリという存在には。
 ディアッカはエピメディウムたちを見送り、アーノルドもそのはずだった。エピメディウムたちの去っていく方角、そこには規制線が敷かれ、野次馬たちが集まっていた。
 アーノルドが歩き出したのは、そんな野次馬たちを目指してのことだった。

「いや、見覚えのある人がいたんだ」




 オーブの人たちが張ってくれたテントの中は広くて、ゆったりとさえしていた。むき出しの床は昨日の戦闘の激しさを物語ってアスファルトが溶けてはめくれあがり、何とも言えない地面を作っている。
 フレイ・アスルターは椅子に座ったまま、床を眺めていた。
 耳には綺麗な鼻歌が聞こえている。ラクス--アイリスはそう呼んでいた--がテントの隅に立ったままで心地のよいリズムを刻んでいる。つい興味を引かれて顔を上げると、どうしてもすぐ前に座るアイリス・インディアのことを目にしない訳にはいかなかった。
 どんな顔していいのかわからないから床を見ていたはずなのに。目があってしまって、本当ならすぐにでも床に視線を戻したかった。でもできなかった。もう一度、アイリスを突き放すことなんて、したくなかったから。

「ねえ、ちょっと……、話聞いてもらえる?」
「はい」

 アイリスの短い返事の後、鼻歌が止まった。

「私はどうしましょう?」

 このテントにはフレイとアイリスのほかにはラクスしかいない。

「いてくれてもいい、かな」

 せっかくだから歌も続けてもらえないかな。それはさすがに図々しい気がしても、ラクスは自然とメロディを奏でてくれた。綺麗な音楽で、少しは気が落ち着くような気がした。
 アイリスの目は、まだあわせ続けられない。せめて視線を落としても、アイリスの顔がしっかりと見えるようにする、これくらいが精一杯だった。

「私さ、パパとママを亡くしてとても悲しかった。それで悲しくて悲しくて、私をこんな目に遭わせた奴が許せないって思ってた。それがコーディネーターなんだって。だからコーディネーターに復讐することがパパたちのためだって思ってた。軍に入ったのも、きっとそのためなんだと思う」

 何か、2人のためにしてあげたかった。そのための手段は、目の前にわかりやすい形で転がっていた。

「でも、何だか違うような気もしてた……。カルミアさん。あの人に、私会ったんだ。コーディネーターなんだって、パパとママの仇なんだって思って銃を向けた。それなのに、カルミアさんたら、怖がるどころか私のこと気遣って……。苦しい癖にさ……」

 少し言葉をとめてもいいだろうか。まだ、カルミア・キロの死を受け入れるには時間が必要みたいだから。会って、少し話をしただけの人なのに、フレイはあの人の死をなかなか受け入れられないでいる。

「……ディアッカの奴の無神経さはムカムカしたけど、別にカルミアさんには怒りなんてわかなかった。パパとママを殺したのは、別にカルミアさんじゃないし、アイリスでもないんだから。でも、銃を下ろすことができなかった。下ろしちゃいけない気がしたの……」

 ゲリラに襲撃された戦艦の中で、暗い照明の中で、フレイは自分がどんな顔をしていたのかわからない。怯えたような顔をしていたのかもしれない。泣いていたような気もする。でも、多分銃を向けた相手には、カルミアのことを睨んだままではなかっただろうと思う。
 憎いから銃を向けたのではなくて、銃を向けている以上憎い相手でなければならない。そんなあべこべでちぐはぐの思いがあったような気がする。

「その時わかったんだ。私は、憎いから銃を向けたんじゃないんだって。パパとママのことが好きだったから、そうしたんだって……!」

 ヘリオポリスの出来事がまるで10年も前のことのように思えた。まだ数ヶ月前のことでしかないのに。この数ヶ月の間に、フレイはたくさんの人を失ってしまった。
 涙は枯れたと思ってた。それでも今、フレイの頬を濡らすのは間違いなく涙だった。

「パパとママが死んで、だから2人のために何かしてあげなくっちゃって言う気持ちになってた。それができるのは娘の私だけなんだって、あなたたちの死を悲しんであげられるのは私だけなんだって、がんばろうって、思ってた。だから、パパとママの死を悲しんで、悲しんでますって態度をいつもとってないといけないんだって、周りに見せなきゃいけないんだって!」

 コーディネーターは父と母を殺しました。だから私はコーディネーターを憎んでます。コーディネーターを憎むということは、父と母のことを思っているからです。
 そんな考えがいつしか入れ替わって、コーディネーターはすべて憎んでみせないといけないに変わっていった。アイリスのことが憎かったはずなんてない。ただ、コーディネーターを許すという行為そのものを自分に許すだけの余裕を、フレイはなくしていた。

「コーディネーターってだけでアイリスのこと、責めたり……。軍隊に入ってみせたりして、パパとママのために必死にならなきゃ駄目なんだって、そうやって自分に無理矢理言い聞かせて……、アイリスのこと避けてた……」

 両親のために戦え、そのためには、コーディネーターを受け入れてはならない。そんなもう1人の自分がいつも邪魔をした。アイリスを避けて、アイリスを受け入れようとする自分を罵倒するみたいにひどいことを言った。カルミアからも銃を向けたまま下ろすことができなかった。

「こんなことしちゃ駄目だって、アイリスにあんなこと言うつもりなんてなかったのに、でも……、誰かを許してしまったらパパとママの死を悲しんであげられなくなる気がしてできなかった……!」

 アイリスの顔を見ていようとしたのに、涙で見えなくなって、手はひっきりなしに顔をこすっていた。アイリスが差し出してくれたのは1枚のハンカチ。受け取ったけれども、せっかくのハンカチを汚してしまうことに気が引けた。

「貸してください」

 ハンカチを取り戻して、アイリスは優しい手つきでそっとフレイの頬を拭ってくれる。

「ごめんね、アイリス……。本当にごめんね……」
「私、フレイさんはそんな人じゃないって思ってました。でも、フレイさんの気持ちにも気づいてあげることができませんでした。いつかフレイさんが元のフレイさんに戻ってくれるって信じるふりをして、きっとフレイさんに甘えてただけなんですね。謝らなければならないのは、きっと私も同じです」

 アイリスが拭ってくれる度、少しずつ涙がとまっていくような気がした。ラクスはまだ歌を奏でてくれている。両親を失った悲しみが癒えたとは思わない。それでも胸の奥に詰まっていたしこりが、これまでのしつこさが嘘のように抜け落ちた、そんな気がしていた。




 街にさえ被害を及ぼした一夜の混乱のため、アスラン・ザラがザフトの使用している輸送機に戻ってくることができたのは朝日が頭上を撫でた後のことだった。
 もちろん一睡もしていない。昨夜の報告はアスランだけで十分だろうとジャスミン・ジュリエッタには先に休んでもらっている。アスランは1人、隊長が待っているブリーフィング・ルーム--輸送機の中の多少広い部屋に机がおいてある程度のものだが--の扉をくぐった。
 ラウ・ル・クルーゼ隊長は仮面をつけていて隈がないように見えているためかもしれないが、特に疲れた様子はなく机の向こう側に立っていた。

「君たちには次の作戦に備えて療養してもらうつもりだったが、散々な結果になってしまったようだな」
「いえ。ただ……」

 敬礼を姿勢をとってから、これは言うべきか悩んだのだが結局言ってしまうことにする。

「街にも大きな被害が出ました。クルーゼ隊長もモビル・スーツを出撃させたと聞いています」

 ZGMF-1017ジンを3機。すべてが撃墜された上、ヤラファス港にも甚大な被害をもたらしてしまったと聞いている。隊長は確かに作戦に情を持ち込むことはないが非情な戦いを好むということもない。それを差し引いたとしても、今回の作戦はまたプラントで問題になるのではないだろうか。

「非難は甘んじて受け入れよう。だが、あの場所にはプラントの重要機密があると噂では聞き及んでいた。私としても賭けだったが、動くべきと考えた」
(隊長も焦っているのだろうか?)

 ヘリオポリスでは中立コロニーを崩壊させた責任を最高評議会でも追求されたと聞いている。その時はパトリック・ザラ--アスランの父にあたる人だ--に助けられたと聞いているが、今回も同様の責任に問われる恐れがある。
 仮面の奥に素顔を隠して、隊長は本心さえ見せようとはしない。

「アスラン、君は何かを知っているのかね?」
「どうして、そう思いますか?」
「君は私を責めるではなく問いかけた。ある意味では、誤った判断でもないと捉えたからではないのか?」

 反対に心を見透かされてしまいそうだ。隊長にはヴァーリのことは話していない。何か訳知りのように思えなくもないが、手の内を明かすには、隊長はどこか計り知れないものを感じさせる。
 アスランは曖昧な笑みでその場を誤魔化すことにした。

「所詮私も一兵卒です。非難めいた言葉遣いになってしまったのでしたら謝罪します。ただ、街で知り合った仲間を、亡くしました……」




 フレイがその気分をようやく落ち着けた時、テントの入り口の方から声がした。ディアッカの声だ。

「ノックはできないが、入るぞ」

 その態度は言葉ほど遠慮がちではなく、天幕をどかして姿を見せた。まだちょっと顔に泣いた跡が残っているため、顔を見せることはためらわれたが、ディアッカがつれてきた人物はフレイに顔を背けることをやめさせる。アーノルドの方ではない。ミリアリア・ハウ。オーブに帰ったはずのミリアリアだった。
 どうしたのだろう。顔はうつむきがちでフレイやアイリスと再会したのにその感動もないようだった。ミリアリアはテントの入り口に留まったまま、動こうとしなかった。
 話しかけたのはアイリス。

「街も攻撃されたって聞いたけど、大丈夫でした?」

 アイリスもミリアリアの異変に気づいているらしく、どこか遠慮したような話し方になっている。

「うん……。ザフト軍が攻めてきたんでしょ……?」

 ミリアリアは普段明るい性格で、よほどのことがなければこんな雰囲気を沈めた話し方なんてしない。
 ただ、ディアッカは特に気にした様子なんてない。ちょっと無神経なところは、やはりあるらしい。

「正確には違うな。ザフトとしてもモビル・スーツを出したのは事実としても、街を攻撃する意志があったわけじゃない。流れ弾や、撃墜されたヘリが街の方に流れただけだ」
「この人……」

 そのおかしな風袋はミリアリアの目を引いたのだろう。アイリスのような軍服でもなければ、フレイやラクスのような私服でもない。いたってシンプルな服装は囚人服を思わせたかもしれない。実際、ディアッカは捕虜そのものであるのだから。

「説明しにくいんだけど、捕虜、かな。本当はザフトなんだけど」

 ユニウス・セブンの跡地で捕虜になって、フレイと一悶着あった。その後なぜだか外出を許されていて、モビル・スーツでフレイたちを助けてくれた。こんなことをどう説明していいかわからない。
 説明の難しさにフレイは悩んだだけだった。それが、躊躇と受け取られかねないことなんて考えもしないで。
 アイリスは訪ねる。昨夜、ディアッカが見せた戦いの訳を。

「本当に、どうして私たちのこと、助けてくれたんですか?」
「フレイだったな。前は悪かったな。俺も戦闘で気がたってた。別に意見を変えるつもりはないが、親御さんを亡くした奴にあれはなかった。それに、食事くらいまともなものが食べたいからな」

 ディアッカは斜に構えた様子でテントに寄りかかっていた。このとらえどころのない捕虜につい目を奪われた。それはこのテントに集まる人全員がそうであったようだ。全員の視線が、ミリアリアから外れた。

「何で……?」

 特に誰かに聞かせたい、そんな声ではなかった。誰の声かも判断しにくい、そんな声なのだから。フレイは自信がもてなかった。ミリアリアの声のように聞こえた。

「ミリアリア……?」

 何の気なしに振り向いた。すると、ミリアリアが泣いていた。目から一杯の涙を流して、それでもそれは決して泣き顔でなない。怒りの形相のまま、涙を流していた。

「トールは死んだのに!」

 ミリアリアが跳び出して、フレイはつい反応が遅れた。ミリアリアはフレイを突き飛ばすと、そのままテントの隅に置かれたテーブルへと向かう。その上にはフレイのポーチが置かれている。そこには、普段から肌身話さず持ち歩いていた拳銃--エインセル・ハンターからもらったもの--がポーチの口から見えていた。

「ミリアリア!」

 フレイのこの声にほかのみんなも気づいた。でも、その時にはミリアリアはすでに銃を手にしていた。狙いはディアッカ。昨晩戦闘を行ったザフトの少年へと向けられた。

(そいつは違う!)

 意識だけが間に合って声が声にならない。ディアッカはフレイの知る限り、ただの一度も発砲しなかった。 

「トールはぁぁー!」

 その銃口はディアッカに向けられている。アーノルドが急いで銃を取り上げようと走るが、とても間に合いそうにない。引き金が引かれる。その殺傷力とは比べものにならないくらい軽い音がした。
 その直前のことだった。アイリスが手を広げて、ディアッカの前に立ったのは。
 銃から空薬莢が放出され、床へと落ちていく。薬莢が地面にぶつかり、甲高い音とともに転がるまでの間、様々なことが起きた。アーノルドがミリアリアから銃を取り上げる。ミリアリアはその勢いに倒され尻餅をついた。銃口の先で、アイリスが後ろへと倒れようとして、ディアッカが低い位置で抱き止めることに成功していた。
 時間にすればほんの数秒のことだと思う。その中にたくさんのことが起こりすぎた。
 ミリアリアが銃を撃つ。この動きが終わった後、みんな動きをとめていた。まるで、それぞれの一瞬に疲れ切ったみたいに。

「どうして……? 何で……?」

 涙を流しながら、ミリアリアの顔から怒りはぬけ落ちている。しかし、強い混乱が代わりに噴出して、その瞳が尋常でない色をたたえていることに変わりはない。

「庇うなんて……、何で……?」

 フレイには、ミリアリアの気持ちがわかる。怒りに身を任せると、自分だけが王様で、自分のしていることがすべて正しいと思いこんでしまう。普段はできるはずの、ほかの人のことを考えるということができなくなってしまうから。

「ア、アイリス!?」

 足は固まったように動かない。ディアッカに支えられるアイリスの様子を怖くて確認する気になれない。ディアッカは平気な様子である。少なくとも弾は貫通していない。弾は貫通した方がよかっただろうか、それとも貫通していない方がいいのだろうか。映画では何て言っていただろう。
 アイリスは、ゆっくりと手を上げた。

「大丈夫です。弾は当たってませんから……。ちょっと、驚いちゃいました」 
「脅かすなよ……」

 それでもまだ腰は抜けているのだろう。アイリスはディアッカにしがみつくように支えてもらっている。

「不発……なの?」
「いいえ、1発目には空砲が装填されていたようです」
「カートリッジには全部実弾が装填されているようだ。空砲は、はじめの一発目だけだということになる」

 ラクスとアーノルドだった。ラクスは床に落ちた空薬莢をハンカチで拾い上げて、その様子を観察している。アーノルドは銃からカートリッジを抜き取り、銃を思い切り後ろへスライドさせていた。
 どうして空砲が装填されていたのか、理由はわからない。わかるのは、ミリアリアが友達を殺さずにすんだということ。
 それでも、ミリアリアは涙にくれていた。ただ、その泣き方は、悲しくて泣いている。そんな自然な雰囲気を宿すようになっていた。
 フレイは近づいて、そっとその肩に手をおいた。

「ミリアリア、こんなこと、私から言えることじゃないと思うけど……。怒りに身を任せると自分が正しいんだって思いこむことはできても、実際はそんなことなんてない」

 迷いを持たないこと。それはある種の強さかもしれないが、迷いから逃げると世界から自分を隔離して独善的にならざるを得なくなってしまう。

「復讐は関係のない人まで苦しめてしまう」

 仇にも大切な人や、大切に思っている人はいる。どれだけうまくやっているつもりでも、そんな人を巻き込んでしまうしかない。

「トールのことを忘れて欲しいなんて言わないけど、もう1度自分を見つめなおして」

 簡単に復讐を諦められるとは考えてない。時には行動を起こすことも必要だろう。
 それでも、フレイはミリアリアを止めるように抱きしめた。

「それでも駄目なら……、その時は……、やっぱりもう1度考えて……」

 腕の中でミリアリアが泣いている。すすり泣く声を聞いていると、どうしても復讐なんてして欲しいとは思わない。ミリアリアは泣いているのだ。自分がしようとしたことの恐ろしさに怯えて、後悔に苦しみながら。



[32266] 第29話「創られた人のため」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/11/06 21:05
 砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルド戦死。
 この事実はジブラルタル基地の南の守り、ザフト軍アフリカ方面軍に多大な混乱を招き、地球軍反撃の切っ掛けを与えることとなった。大西洋連邦軍が軍需産業ラタトスク社の協力により完成させたモビル・スーツの存在はザフトから技術的優位を奪い去り、日に日に前線を後退させていた。指揮系統の混乱と敵軍新型機の配備。この両者が、まるで示し合わせられたような同時期に生じたことがアフリカ方面におけるザフト軍の危機を加速させたのである。
 3年という長きにわたって停滞を続けていた戦況は確実に動き出そうとしていた。
 地球軍は歩調をあわせジブラルタル基地奪還へと動き出す。大西洋連邦、ユーラシア連邦の同盟軍は紅悔を渡海する機会を虎視眈々と狙っている。アフリカ北部では南アフリカ統一機構軍、及び大洋州連合軍がザフトの勢力圏を徐々にこそぎ落としていた。
 そして、北部ヨーロッパ方面においても、大洋州連合の本格的な反攻作戦が実施されていた。
 大洋州連合、ブダペスト近郊。
 背の高い木々が整然と並ぶ森を巨人の足音が震わせている。巨人は自分の背丈ほどもある木に囲まれ、その首をせわしなく動かしてはゴーグル状のカメラで付近の情報を拾っている。右手にはビーム・ライフル。左手にはシールド。ライフルはともかく、シールドはまだ傷らしい傷のない新品同様の状態である。
 この機体、GAT-01デュエルダガーは配備後、満足な戦闘に参加したことがないのである。
 それだけ、この地区における大西洋連邦軍の優位を示していた。ジブラルタル基地を中心に地中海沿岸をその手中におさめたザフトであったが、モビル・スーツの投入によって戦況は急速に悪化。次第にジブラルタルへと追いやられていた。ザフトを押し返す最前線ならばともかく、残党狩りともなれば十分な戦闘経験を持たないものに当てられるのが常であるのだ。
 箱を重ねたように角の多い装甲とて、その灰色の塗装は削げ落ちていない。デュエルダガーは単なる偵察任務と高をくくっていた。この地区のザフト軍はすでに撤退を開始しており、遭遇する危険性は低いと見積もっているのである。
 すると、森の一角に不自然な倒木を目にすることとなる。そこは付近の木々が倒されたことで開けた空間になっていた。木は折り重なるように倒れており、デュエルダガーの腰ほどの高さの山となっている。
 見るからに怪しげである。
 デュエルダガーはセンサー、カメラを駆使し、その山を探りながら近づく。重なる木々の隙間を見つけ、徐々に倍率を拡大する。中の様子が倍率に比例して見えてくる。何やら見覚えがある。丸く、そして輝くもの。
 ZGMF-1017ジンのモノアイをその山の中に確認するなり、デュエルダガーはシールドを前に構え、そのすぐ脇からライフルを突き出した。
 標準がジン、そのモノアイに合わせられる。すると、そのロックオン・サイトは大きくずれた。システムの不具合でもなければ、操縦ミスでもない。デュエルダガーの体が大きく傾いたからである。
 木々に隠れるジンとは別のジンが、いつの間にやらデュエルダガーの背後をとっていた。そのジンはデュエルダガーの左肩に手をかけると、後ろへと引き倒している。これだけ後ろに傾かされもすれば標準などつけられるはずがない。それどころか、反撃さえおぼつかない。
 ジンは逆手に構えた金属の塊以外の何者でもない無骨な剣を、首と装甲の間へと突き立て、一気に貫いた。フレームが妙な形に破損したのか、途中までは死ぬ間際の虫のように手足を小刻みに動かしていたデュエルダガーも、刃が中腹までその体に埋められることにはすでに身動きを止めていた。
 ジンは死に絶えた敵を無造作に蹴り飛ばす。その亡骸は木々の山に頭からぶつかると、木をへし折りながらその山の内部を露わにする。そこには、破損し、首だけとなったジンの頭部が木に支えられているだけであった。明らかな罠であった。

「まだまだ甘いな、ナチュラル」

 この言葉は、ジンのパイロットの発したものである。




 偵察任務とは言え、小隊がばらばらに行動することなど馬鹿げている。敵ながらその行動が忌々しい。肩から頭と剣を生やしているデュエルダガーの姿を見下ろしながら、ジンのパイロット、イザーク・ジュールは苦いものでも噛んでいるかのような顔をする。
 イザークはザフト軍学校を10位以内の好成績で卒業した証である赤いノーマル・スーツを着ているエリートであるが、マニュアルにあるようなヘルメットは被っていない。前線では教科書通りの戦法など使えなければ臨機応変さが求められていることを、イザークは知っていた。
 だが外してはならないこともある。油断しなこと。見くびらないこと。1人でできることなど高がしれていることを知ること。このデュエルダガーはそのすべてを外していた。敵だったからよいものを、味方ならぶん殴ってでも修正すべき輩である。
 イザークの不機嫌の理由がこれである。上機嫌とは言えない顔の理由である。ただ、イザークはまだ若い。いくら顔ですごんでみせても、悪ぶりながら、どこか微笑ましい様子を残しているように、その顔にはまだ純朴さとあどけなさを残している。
 優秀なパイロットでありながら敵の挙動を逐一感情的に捉えてしまうのはそんな幼さの現れであろう。事実、イザークはまだ15であり、若くしてその才覚を認められることの多いプラントにおいても若い部類に入る。
 木々をかき分け、1機のジンが現れる。先程のデュエルダガーに比べるとずいぶんと装甲の欠損が激しい。右肩など装甲そのものがなく腕と胴体をつなぐ可動部がむき出しになっている。ジンの頭部に鶏冠状に延びるセンサーはへし折れていた。左手には敵から奪ったと思われるデュエルダガーのシールド。これも、本体以上にひどい損傷に見舞われている。
 幾度の戦いを乗り越えたのか、語らずとも伝えてくる。

「イザーク隊長、こちらも片づけました」

 イザークへと届いたこの通信は傷ついた機体から入ったものである。もっとも、イザーク自身の機体もまた、無事な箇所など存在していない。

「よくやった」

 そんな短い労いの言葉をイザークは発した。コクピットのモニターには友軍機のコクピットの様子が映されている。
 パイロットは少年であり、イザーク同様赤いノーマル・スーツにヘルメットを被っていない。黒髪を無造作に伸ばし、その顔はすでに大人としての落ち着きを帯び始めている。イザークの部下であるカナード・パルス。イザークが状況の確認をしている最中にも油断なく付近を警戒し、隊長を補佐しようとしている。
 モニターには他に森の不整地の中で、傾くように止まっている小型ホバー・トラックが映っている。索敵、偵察を担当するこのトラックは、戦場に出るため一応の堅牢性が確保された構造になっている。戦車ほどではないが、鉄板を繋ぎあわせた外観をしており、装甲車としてなら十分に機能する。ただし、戦力として脆弱であることに変わりはなく、その鉄製の箱を思わせる構造から動く棺桶と揶揄する者も多い。
 イザークはこの棺桶を見る度に、死者を運ばせるつもりはないと決意を新たにさせられる。

「アイザック、付近に敵影はないか?」

 トラック内部にカメラはないため、届くのは音声だけである。1人で索敵から管制塔の役割までこなす少年、アイザック・マウの返事があった。

「ソナー、レーダーともに反応はありません」

 とりあえず、追撃を振り払うことはできたようだ。その報告に満足するイザークへと、アイザックは不出来な報告を続けた。

「ただ、シホさんが……」

 カメラはないため、イザークは頭の中でアイザックの様子を思い浮かべた。イザークと同い年の少年である。顔は凡庸、性格は平凡、髪型1つとっても決して奇抜でないごくふつうの少年は、何にしても踏み出すことのできない優柔不断な様子を垣間見せることが幾度となくあった。

「報告ははっきりとしろ! シホがどうした?」

 少々怒鳴りすぎたせいか、報告がさらに遅れてしまった。そうしている内に、ジンが視界に現れる。カナード機とは別方向から現れたジンは、損傷が危険域にまで達している。左腕が肩から先が丸ごとなく、左胸の装甲が溶解しては内部機構がのぞいている。歩き方そのものもぎこちない。

「左腕をやられました。ジェネレーターに飛び火した恐れもあります」

 アイザックに比べると、はっきりとした報告である。
 モニターの中で、パイロット、シホ・ハーネンフースは気丈にも落ち着き払った表情をしている。シホもまた、赤服であるとともにヘルメットなど被っていない。手入れの行き届いた長い髪を背中に垂らしている。イザークやカナードがヘルメットを使用しないのは視界が狭くなることを嫌ってのことだが、シホの場合、髪が痛むのを避けるためであるのかもしれない。もしもそんなことが理由なら無理にでもヘルメットを被せたいところだ。
 シホ機が歩くこと自体に支障を見せていないことを確認してからイザークは自機を歩かせた。敵機を撃退できたとは言え、ここが敵の勢力圏であることに変わりはない。先頭を行くカナード機が付近の索敵を行いながら木を押し退け道を開く。そのすぐ後ろをホバートラックがつきしたがっている。
 イザークはシホ機を先に進ませ、自らは殿として最高尾についた。
 前にいるのは部下たちである。まだ若いイザークが初めて得た部下であり、かけがえのない仲間である。

「シホに限らんが、これだけは言っておく。俺の隊から戦死者を出すことは許さん。許可もなく死ぬな」




 隊長からの一括通信をシホは聞いていた。すぐさま入るのはカナードからの通信である。

「まったく無茶を言ってくれる」

 命令を故意に破ることはできても死なないことばかりはこちらの意志だけでは仕方がない。ため息混じりのカナードの愚痴はある意味では正論である。
 カナードの言うとおり無茶な命令に、シホはつい笑みをこぼした。

「ご命令なら仕方ないわ。もう少し、無理するとしましょう」

 冗談のようなことを本気で言う。それがイザーク・ジュール部隊長なのである。諦めるつもりでいたわけではないが、もう1戦程度なら戦い抜いてみせよう。幸い、乗機の右腕は無事であり、アサルト・ライフルにも十分な弾数が残されている。
 余談ではあるが、この通信は隊長には聞こえていない。暑苦しい隊長に付き合う内、自然と仲間内だけで通じるチャンネルを用意するようになってしまった。
 この仲間にはアイザックも含まれている。

「シホさん、もしまた戦闘になったりしたら、無理しないでくださいね」

 この隊の中ではイザーク隊長と同じくアイザックは若い。どちらも、本心を隠すことを苦手としているところまで共通している。

「心配してくれるの、アイザック?」

 モニターに顔は映し出されていないが、シホにはアイザックの今の表情が手に取るようにわかる。頬を赤らめ、見えもしない視線を反らしているのだろう。

「いえ、その……」

 そして、いつもこの先の言葉を続けることができない。
 シホはここで、通信のチャンネルを変えた。こう言うときは決まってカナードが話をふってくるからだ。それも、2人だけで使用できる回線を使って。

「わかりやすい奴だな」

 素直なアイザックに対して、カナードはひねくれている。1度も笑った顔というものを見たことがない。

「そんなところ、かわいいと思うわ」

 こんな冗談にも、返ってきたのは冷淡な声だけである。

「わかっているだろうが、今の俺たちにそんな余裕はない」
「もしかして妬いてるの、カナード?」
「言っていろ」

 即答である。本当にこの男はつまらない。




 ここは食事をとる場所であった。しかし、適度な広さと整然と並べられたテーブルは談話をするためにも最適である。実際、ここアーク・エンジェルの食堂では一度懇親会が開かれたこともあった。
 テーブルはただ効率を優先した細長いもので、その左右に椅子が1列に並べられている。
 キラ・ヤマトはテーブルの端に立って、左右に並ぶ面々に視線を配っていた。アイリス・インディアからマリュー・ラミアス艦長まで。捕虜であるはずのディアッカ・エルスマンの姿さえあった。

「突然ですが、今日ここで、ヴァーリについて少しお話しようと思います」
「今になって、唐突に思えるが?」

 ナタル・バジルールの指摘に、キラは苦笑しながら答えるしかなかった。

「本当は話すつもりなんてありませんでした。でも、ここにはアイリスがいる。あなた方はヴァーリというものに触れすぎてしまった。今後、身の振り方に悩んだ時、もっとヴァーリのことを知っていた方がいい。そう、判断しました。順番にお話します。まず、ブルー・コスモスから」
「ヴァーリじゃなくて?」

 次に疑問を発したのはフレイ・アルスター。ただでさえ長くなるのになかなか話に入れない。

「まずはヴァーリが生まれた背景を知っていてもらいたいんだ。今ここですべてを明かすことはできないけど、何故ヴァーリが生まれたのか、作られたのか、歴史的な背景として知っていてもらいたい。まずブルー・コスモスとは環境保護団体を前身にもつ思想団体にすぎません。それこそ旧暦から活動を続けている、多少過激な環境保護団体の一部所が始まりです。それが変わったのは、ジョージ・グレン。ファースト・コーディネーターの登場でした」

 遺伝子の操作は非倫理的であり、とうてい許されるものではないと、告白が行われたその年の内に大規模な反対運動を起こしたのである。その後、ブルー・コスモスは遺伝子工学を専門的に扱う環境保護団体として分離独立。当時の有力な人権保護団体と合併する形でその勢力を急速に拡大した。
 ただし、あくまでも環境保護団体であり、当初その活動は多少過激ではあってもテロ、あるいはテロ紛いの行動まで実行していた訳ではない。ただし、一部では過激なメンバーが遺伝子にまつわる研究所を脅迫すると言った事案も社会問題となった。

「元々食品、家畜の遺伝子組み替えにさえ警鐘を鳴らしていた一派です。コーディネーターなんて認められるはずがありませんでした。それでも社会は全体としてコーディネーター容認に動きました」

 それも歴史の講釈にあたる。容認派はコーディネーターを作り続け、否定派は作らない。すると自然と、コーディネーターは数を増やしていく。否定派は、作らないだけでコーディネーターの間引きを行ってはいなかったから。
 容認派は既成事実を積み上げていく。

「そのことを原因として反コーディネーター思想の中に過激な意見が台頭し始めたことは歴史の授業で学んだことではないかと思います」

 こう語っても、誰も表情を変えようとはしない。真剣なままである。これくらいは、少しでも社会に関心がある人なら知っていて当たり前なことだからだ。
 こうして、ブルー・コスモスは反コーディネーター思想を先鋭化。より過激な行動も辞さないという風潮が芽生え始めた。

「でもその当時でさえ、現在のように軍に意見できるほどの力を持っていた訳ではありません。あくまでも環境保護団体の域をでないものでした。では、ブルー・コスモスが何故このような力を持つに至ったのか、それを語るためには、ラタトスク社のことを知る必要があります」

 アイリスとフレイ。この2人が目に見えて目を細めた。聞けば、この2人はラタトスク社のCEOであるエインセル・ハンターと面識があるらしい。

「ラタトスク社は意外かもしれませんけど、まだ10年ほどの若い企業です。アズラエル財団の御曹司が親から受け継いだ遺産と、ピスティス財団の子女との婚姻で得た、それはもう膨大な資金を会社設立に当てました」

 なかなか想像はつかないことではあるのだろうが、それは大国の国家予算並みの資金が動いたとされる。

「その御曹司の名前がムルタ・アズラエル。今ではエインセル・ハンターと名乗っています」

 みな、反応は様々だが、一様に驚いたようだ。
 ナタル・バジルール少尉はエインセルとキンバライト基地で顔をあわせたことがあるそうだ。普段から微笑んでいるような印象を与える人では決してないが、今も厳しい顔をしている。

「あの男がいつも連れている秘書の名前はメリオル・ピスティスだが、ピスティス財団との関係は?」

 メリオル・ピスティスは眼鏡をかけた女性で、エインセルがキラとゼフィランサス・ズールの前に現れた時も側に侍らせている。アルテミスにも連れてきていたと聞かされている。

「メリオル・ピスティスはピスティス財団の人間で、あの2人は婚姻関係を結んだ夫婦です」

 この言葉に妙な反応をしたのはフレイである。

「やっぱり結婚してたんだ……」

 口元に手を軽く添えて、どこか落胆しているように見えなくもない。ただ、特に聞きたいことがあるわけでもないようなので、キラは先を続けることにした。

「このことは御曹司の贅沢なお遊びだと経済誌を騒がせました。当時、軍需産業は円熟期にあって新規参入なんで常識的に考えられない状況にあったからです」

 実際、銃器ならMEP社、戦闘機ならアナハイム社というように、すでに業界は確立しており、立ち入る隙はないと考えられていた。そこで、ラタトスク社は経営戦略として、新機軸の兵器を生み出したのである。満を持してのラタトスク社の新製品は世界を驚かせた。

「機動兵器というと、ジンやガンダムを想像するかもしれませんが、元々ラタトスク社がメビウスの発表とともに生み出した概念です。宇宙における戦闘は戦艦による撃ち合いが想定されていた当時に、とは言ってもほんの10年前のことですが、ともかく革新的なことでした」

 ラタトスク社は重戦闘機としてメビウスを開発。宇宙における戦闘を戦艦が担っていたこの時代において、独立して高機動、高出力を維持できる機体というものは斬新であり、瞬く間にシェアを広げたのである。

「そこにはゼフィランサスの力も大きかったのだと思います。ゼフィランサスは10年の間、ラタトスク社で働いていたようです。メビウス・ゼロのように高性能ながら使い手を選ぶ、そんなところが、ゼフィランサスらしいと思いませんか?」

 また、ラタトスク社は何故か、実戦配備の機体よりも試作機の方が強力なことがあるというおかしな矛盾をしばしば見せる企業だとも知られている。
 キラは左手前にいるナタルの方を見た。

「ナタルさんたちは認めたくないかもしれませんけど、現在の大西洋連邦は急進派、いえ、ブルー・コスモスとその代表であるムルタ・アズラエルによって牛耳られています。それもすべてラタトスク社の急成長ともに生じた膨大な資金源に加え、ラタトスク社製の兵器が地球各国の軍内に幅広く受け入れられてきたからです。エインセル・ハンターは軍事的、政治的影響力を同時に獲得するとともに、C.E.67年、ブルー・コスモスの代表につきました」

 軍事面でもラタトスク社の影響は大きい。地球の企業の中で唯一モビル・スーツの開発に成功し、GAT-01デュエルダガーの量産体制が整ったであろう現在、その影響はより強力になっていくことだろう。
 政治面とて、莫大な資金力を背景に政治家を抱え込み、ブルー・コスモスという巨大な大票田を有することで、ロビー活動を通じて政治的な権限さえその手中に収めている。
 プラントは野放しにはできない。そう考える人々がブルー・コスモスの意志と正当性を支えている。そして、その支えが厭戦機運を遠ざけ、招かれる戦いがラタトスク社を肥え、太らせる。そして、蓄えられた金が、ラタトスク、ブルー・コスモスの双方の地位をさらに盤石なものにしていく。

「エインセル・ハンターは財団の御曹司としての出自も、この戦争さえも利用して、自分の理想を実現しようとしています。それは濁流のように逆らう者を押し流して、川岸さえ自分たちの都合のいいように削り取って、そして着実に流れ続けています」

 アーク・エンジェルの、穏健派の戦いも抵抗も、結局同じ流れの中にある。ラタトスク社の開発したガンダムは各地の戦場で目覚ましい戦果を挙げた。すなわち、ラタトスク社の商品の広告塔であり、よりラタトスク社への信頼を高めることに繋がっている。
 誰もが言葉を失う中、意外にも声をあげたのはフレイだった。この頃、目に見えて表情が明るくなった気がする。

「ねえ、キラ。そのさ、どうしてエインセルさんはコーディネーターを滅ぼそうとするのかな?」
「そのことはこれから話すよ。まずラタトスク社やブルー・コスモスの現状を把握していてもらいたかったから。次にヴァーリについて話すから、答えはその時に一緒にね」
「物騒なことになってるな」

 ディアッカだ。椅子にもたれかかって、頭の後ろで両手を組んでいる。飄々としたところは、初対面の頃から変わらない。もっとも、当時は懲罰房の中、今は食堂である。
 ディアッカのほぼ真向かいに座るフレイは眉を寄せていた。

「前々から疑問に思ってたんだけど、捕虜が勝手に出歩いていいの?」

 怪訝な顔。それはディアッカも同じである。どこか自分のおかれている状況を信じることができずに、その視線はせわしなく泳いだ。

「いや、それが、いいみたいなんだが……」

 ディアッカの目は泳いだ。それは他の人々も同じで、視線は1人の女性に泳ぎ着く。マリュー・ラミアス。この戦艦の艦長である。代表して、アイリスが問いかけた。

「いいんですよね、ラミアスさん……?」
「ええ……、特に危険な人物とは思えないし、乗員を助けてくれたことには感謝しているわ」

 必死に笑顔を作ろうとされているのだろう。しかし普段厳めしい顔をしていることの多い艦長は微笑み方一つとってもどこかぎこちない。見ているだけで妙な息苦しさを覚えてしまった。




 キラたちが話をしている頃、アーク・エンジェルのブリッジでは、留守を守るダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世が艦長席の脇に置かれた小瓶に気づいていた。
 ダリダはアーノルド・ノイマン曹長が操舵手からパイロットに配属替えがあった後は実質的な副艦長としてブリッジを仕切っている。副艦長として艦長の身辺を見守る必要がある、そう、無理に理由付けができなくもないが、ダリダは興味からつい小瓶を手にとった。

「胃薬……」

 ストレスにまずやられるのは消化器系であると、誰かが言ってはいなかっただろうか。




「ヴァーリの前にもう一つだけ。コーディネーターは、言われているほど万能じゃない。たとえば、みんなが似たり寄ったりの形質ばかり選択したがるから血が濃くなる傾向にある。現在でも出生率の低下が起こりつつあるなんてデータもあるくらいです。まったく縁もゆかりもない人と親戚関係が肯定されてしまったり、反対に親子関係が否定されてしまうなんてことも実際起きています」

 これはプラントのお話。当然、反応を示すのはプラント市民であるディアッカである。この少年は、プラントの民でありながらどこか客観的に、悪く言えば斜にかまえているところがある。

「それは俺も聞いたことがあるな。よく言われる話だが、大体今の20代後半は青い髪のやつが多い。30年くらい前にプラントで青い髪の何とか、とか言うドラマが流行ったからだ」
「どっかファッション感覚なんだ」

 フレイらしい言葉のように思う。ただ、こんなことは予備知識でしかない。

「ここで問題にしたいのはそんなことじゃないんだ。コーディネーターは秀才は多いけど、反対に天才はとても少ないんだ。天才というのはある種のギャンブルだから。ナチュラルの中には優れた人も、残念ながら才能に恵まれなかった人もいる。そんな人をグラフに分布させると、平均的な人が一番多い山なりの図形を描くことになる。言い方は悪いけど、雑多な交雑の中から、時折天才が現れる。偶然天才という形質が構成されることもある」

 指で山の形を示す。それはキラの目の前を横切る形で一般的な人が想像するであろう、山の形を描いた。どちらでもいいが、この麓のどちらかが天才と呼ばれる一握りの人ということになって、山頂がいわゆる普通の人だ。

「ところがコーディネーターの場合、そんな遊びをなくしてしまう。現在優れているとされる形質を発現させようとして、すると今度はもしかしたら天才を生んだかもしれない未知の形質をわざわざ子どもに持たせようなんて親はいない。すると、平均値は確かに前進するけど、天才も劣った人も少ない、山裾の狭い尖ったグラフになる。とても人の幅が狭くなるんだ」

 右利きなので右側を天才とすることにした。よってコーディネーターの山はナチュラルの山頂よりも右側に、切り立った鋭い山の形を描くことになる。
 平均値はナチュラルよりもコーディネーターの方が高いことになる。しかし、人間像の幅が小さく、最小値が高い位置にある反面、最大値もまたナチュラルの天才には及ばない。
 もっとも、プラント政府はこんなことを認めてはいないが。

「だから時々、調整することが禁止されている形質にまで手を出す親も現れる。僕の知っているプレアっていう子は、わずか10歳にしてモビル・スーツの開発を任せられるほどの天才だったけど、同時に何らかの致死遺伝子が発現していた……」
「ゼフィランサスさんと一緒にいた子どもですよね……?」

 アイリスもオーブ行政府官邸でプレア・レヴェリーの顔は見ているはずだ。まだ10歳。本当にあどけない少年で、しかしその出生に苦しんでいた。

「コーディネーターは人の新しい可能性。でも、皮肉なことに人の、それこそ清濁併せ持つ様々な可能性を封じ込めて一辺倒の人間にしてしまったのがコーディネーターの現実なんだ。このことは公表はされていないと思うけどプラントでは建国当初から問題とされていた。ヴァーリはそんな現状を打破すべく生み出された」

 ようやく、本題に入ることができる。一度、アイリスの目を見た。何とも不思議な目をしている。決意を感じさせる強い瞳ではないのに、それでもまっすぐにキラのことを見ている。決意はなくても覚悟はある。そんな、後ろ向きとも前向きとも言えない顔をしていた。
 息を吸い込む。そんなことをためとして、キラは話し出す。

「プラントは天才を必要とした。そのための研究が、ヴァーリと呼ばれる存在です。天才を生み出す遺伝子は何なのか、それぞれの分野で優れた性質を発揮するために必要な形質は何なのか? それを探るため、一つの受精胚のクローンをいくつも作り出してそれぞれに別の遺伝子調整を施しました。元が同じだから形質の違いがはっきりとわかる。そんな対照実験のためです」

 はじめの条件をできる限りそろえておけば手を加えたことの違いがわかりやすい。ヴァーリが皆同じ顔をしているのはそのためで、クローンでありありながら髪や瞳の色、素質は異なっているのはそのため。
 だから彼女たちは同じ顔をしている。

「アルビノとして生まれたゼフィランサスは例外ですけど、他の姉妹たちはどの研究室出身かわかるように記号が残されました。アイリスが、同じ出身の姉妹と同じ桃色の髪と青い瞳を持つようにです」
「要するにヴァーリっていうのは、同じ顔が26人いるってことなのか?」

 そういえばディアッカには26人という数だけ伝えていただろうか。キラがつい苦笑したのは、別にディアッカの戸惑いが原因ではない。どう答えていいものかわからなかったからだ。

「その質問に答えることは難しいな。26人だとも言えるし、6人だとも言える。35人と言ってもいいし、やっぱり15人、あるいは無数かな」

 ヴァーリは26人。ダムゼルは6人。ドミナントである9人をあわせれば35人だし、成功作というくくりなら6人と9人で15人。失敗作をどこまでも含めるのだとすれば、数え切れない。
 ディアッカも他の人もわからないというように眉をひそめたが、キラは話の手順を変えることはしなかった。

「もう一つ、ヴァーリと平行して進められた実験がありました。こちらは単純明快に高い身体能力だとか知能指数、ヴァーリで得られたデータを還流する形で汎用的な天才を生み出すための研究です。ヴァーリから派生した研究で、そのため名前の由来が異なっています。生物学の用語で優占種を意味するドミナントと、それは呼ばれました」

 ヴァーリはスカンジナビア王国の神話に語られる神の名前である。

「ドミナントはヴァーリほど特徴的ではありません。対照実験の必要がないから男性も女性もいれば、容姿もバラバラです。ヴァーリはみんなアルファベットの名前を持つように、ドミナントの9体の成功作は数字で呼ばれました。古い言葉で1を意味するアルファ、そしてワン。アルファ・ワンは一号試作体。今はアスラン・ザラと名乗っています。9はテットとナイン。テット・ナインは僕のかつての名前です」

 他にもカガリ・ユラ・アスハはギーメル・スリー。3号試作体ということになる。他にも6人の仲間がいたが、あの日、その大半が死亡してしまったとされている。

「以前ラミアス艦長にはお話しましたけど、僕はドミナントとして生まれ、当初から投入が予定されていたモビル・スーツの訓練を受けていました」
「ようやく、合点がいったわ」

 ラミアス艦長は心底ほっとした様子で息を吹いた。聞いた話だが、一時期キラをスパイと疑う意見もあったらしい。この艦を守る者として気苦労が絶えなかったのだろう。
 その点、バジルール少尉はどこか飄々と、マイペースであるようにも思える。

「しかし、ジョージ・グレンはどうなる? 彼は希代の天才としてコーディネーターの代表する人物ではないか?」
「コーディネーターがナチュラルに比べて有利である点は一つしかありません。その才能を予定されていることです。たとえば、ゼフィランサスが天才的な才能の持ち主であることに異論を持つ人はいないと思います。でも、ガンダムを作ることができたのは彼女が天才だからではなくてヴァーリであったからです。仮にゼフィランサスが市井で生まれた普通の女の子であったとします。そんな子どもに誰が国家予算並の開発費を与え、兵器を開発させますか?」

 ゼフィランサスはすでに物心ついた頃から研究に従事していた。あくまで研究者のサポートという形だとは聞かされているが、ゼフィランサスの考えた新しい発想は大いにモビル・スーツ開発を推進したそうだ。

「何かを造るということはお金との戦いです。高性能なものほど一つ一つのパーツに目が飛び出るほどのお金がかかる。試作機一つ造る度に桁を指折り数えるほどの金額が動きます」

 それこそガンダムの開発には国家予算並という比喩も的外れでも大げさでもないはずだ。特に存在を隠蔽したままの開発となると機密保持にさらに莫大な資金を必要とする。そうなれば、国家規模の組織、あるいは世界有数の多国籍企業の後ろ盾、バックヤードの類を必要とする。
 ゼフィランサスには、まだ15でしかない少女にはそれが惜しげもなく与えられていた。このことの異常性を説明するためには、コーディネーター、ヴァーリという存在が必要になる。

「ゼフィランサスはもしかしたら工学博士の道なんて目指さないかもしれない。仮に志したとして、飛び級をして大学院に入ったとしても実際モビル・スーツの開発に関わることができるのは10年先か、20年先か、それでもガンダムを開発できるほどの潤沢な資金を湯水のように与えられるとは思えない。ゼフィランサスはヴァーリで、はじめからその才能を予定されていたからこそ、プラントも、そしてラタトスク社も莫大な予算を与えたんです。ナチュラルの中に同等の天才がいたとしてもこうはいかなかったでしょう。コーディネーターは別に優れている訳じゃなくて優れているように見えるだけです」

 それこそ天才の数だけで言えば埋もれて消えてしまったナチュラルの天才の方が遙かに数が多いだろう。かのアインシュタインも学校の成績は奮わなかったというのは有名な話だ。どんな数式も完璧に解くが、その過程を誰にも説明できなかったことが理由だそうだ。
 天才を理解するには、それこそ天才的な閃きが必要になるのかもしれない。

「それに、ジョージ・グレンは厳密には初めて発表されたコーディネーターであって、ファースト・コーディネーターではありません。遺伝子治療までさかのぼれとは言いませんけど、遺伝子を調整された人間はそれ以前に大勢いました。当然、当初は手探りだったことでしょう。ヒトゲノムが解析されたのだってほんの200年前。当初は人とという物語が描かれた本を手に入れただけでした。そこに書かれている内容がわかっただけでした。それを解読して、読み解いて、かみ砕いて、勝手に好きなお話に書き換えられるなったのはそれこそ100年も経っていません。そして現在でさえそれは完璧じゃありません」

 何かいい例はないだろうか。そう考えて、思いついた内容を口にする。

「この中で小説や詩を書いたことがある人は?」

 キラ自身挙手して、ここに集まった人の挙手を促す。すると手が挙がったのは1人だけだった。白い軍服に厳しい眼差し、マリュー・ラミアス艦長その人が顔の高さにまで手を挙げていた。
 キラを含めて、みな思うところがあったらしい。どんな顔をしていいのかわからず、その微妙な雰囲気を艦長も察したのだろう。

「な、何か問題でも?」

 イメージにあわない。そんなことは口が裂けても言わないことにして、キラは意識して話を続けた。

「それならわかりませんか? 文字も言葉もわかってる。でも、最初に書き始めた小説や詩は、見るも無惨なもので、小説の形をなしていない、詩になんてとてもなっていない作品だったとは思いませんか?」
「確かに、公表することは、できそうにないわ」

 小説なら燃やしてしまえばいい。詩なら記憶の隅にとどめて自分の歴史の中の暗部として忘れるよう努力に務めることもいいだろう。
 ただし、それが人間だとすればどうだろうか。燃やしてしまおうか。忘れ去ってしまおうか。

「コーディネーターもそれと同じです。たくさんのフリークスを生み出して、人として生まれてくることのできなかった大勢のジョージ・グレンを生み出して、廃棄して、その中からようやく得られた一人のジョージ・グレンに多大な資金を与え、教育し、宣伝にさえ膨大な予算を投じた。そうして作り出された虚構の天才はコーディネーターのすばらしさを吹聴し、世界はコーディネーター優位論に包まれました」

 実際は、秀才でこそあったジョージ・グレンに周囲が多大なサポートを行うことで、潤沢な資金を与えることで虚像の英雄を作り上げたにすぎない。貧乏な秀才よりも富める愚者の方がよほど立派な家を建てられるだろう。

「アイリス、君も知っているはずだ。ヴァーリの研究でも、人になれなかった姉妹たちのことを」

 一度だけ見たことがある。サンプルとしてホルマリン溶液に入れられた胎児が大きな倉庫の棚一杯にしまわれている光景を。その子どもたちは人の形をしていない者も多くあった。ただ、人でない胎児の方がまだ見ていられた。人の形をしているモノの中には、ヴァーリの面影を持つ胎児が数多くあったからだ。
 アイリスは口元を押さえうつむいた。すぐ隣に座っていたフレイがせなかをさするように手を伸ばしてから、キラのことを軽く睨みつける。

「ちょっと、キラ!」

 無神経だったとは言われなくてもわかっている。ただ、これが現実なのだから。人は失敗から学んで成功に近づいていく。この流れは必然であって、だからこそ兵器の開発には莫大な予算を必要とする。試行錯誤。膨大な数の失敗を繰り返しながら。

「ドミナントは僕を含めて9体。ヴァーリは成功作として6体のダムゼルと20体のフリーク。そして、名前も与えられなかったたくさんの兄弟姉妹たちがいる、僕たちにはね」

 ジョージ・グレンにも、初めてのコーディネーターとは呼ばれなかったたくさんの初期のコーディネーターがいたように。
 アーノルド曹長が声をあげた。寡黙ではなくとも積極的に話をする人ではないように考えていたが、それは不必要なほど消極的でもない。早い話が、必要と判断すれば話しかけてくるということだ。

「以前から疑問に思っていたことがある。ジョージ・グレンを作り出したのは、一体誰なのだろうか?」
「プラントという国を欲した勢力。今、言えることはこれだけです」

 これで十分だとは思わない。ただ、ジョージ・グレンを作り出した勢力について語るには時間も予備知識もまるで足りていない。ここでは高価たることしかできない。

「そしてもう一つ。ヴァーリのデータを流用する形でドミナントが作り出される事件が起きました。一部の研究者がデータを持ち出し、地球の富豪の依頼で彼のクローンを作りだし調整を加える。今で言うところのドミナントを作りだそうとしました」
「ブルー・コスモスが黙ってないな、こりゃ……」

 プラント、遺伝子調整に寛容にならざるを得ない人々が暮らす国家出身のディアッカでさえ、このように遺伝子を好き勝手に作り替えることについては違和感を覚えているらしい。不快感まではいかないにしても苦笑しているように見える。

「実際そうだった。この事件以来データの流出を恐れたプラント政府はすべての研究を一カ所に集めた。もう、10年前、ブルー・コスモスの襲撃にさらされ、破壊されしつくしているから今はもうないけれど」
「ユニウス・セブン、血のバレンタイン事件……」

 Iのヴァーリの言葉だ。まだフリークス--奇形を意味する失敗作を示す言葉だ--の記憶から立ち直り切れてはいないようだが、アイリスは強い。しっかりと自分と、ヴァーリという存在と向き合おうとしている。
 そう、血のバレンタイン事件にブルー・コスモスが関わっていることは事実だ。だが、それは世間で言われているほど単純な構図ではない。
 バジルール少尉は目で見てわかるほどに驚いていた。

「あの事件は地球がプラントの食料生産を管理しようとして引き起こした事件ではないのか!?」
「実際、食料生産もしていました。でも、みなさんの認識は作られたものです。プラント政府はヴァーリの存在をひた隠しにしています。ブルー・コスモスも何故か公表しようとはしなかった」

 そうして、いつの間にか血のバレンタイン事件は地球軍による核攻撃による悲劇だとされ、プラント政府はそれを否定しなかった。その結果、プラント国内では独立機運が急拡大し、政府はニュートロン・ジャマーの降下、及び開戦を選ばざるを得なくなった。
 それからの戦争のことは、軍人である艦長たちも詳しいことだろう。

「すべては10年前から始まっていたということなのかしら?」
「とんでもありません。もっと以前からです。僕はエインセル・ハンターに会いました。彼は僕の兄だと名乗りました。失われたはずの、プロト・ドミナントとも言える存在、それは、僕たちドミナントの兄にあたる」

 富豪に依頼された技術者が富豪のクローンを作りだし、ヴァーリのデータを元に遺伝子調整を施した。そんな未熟きわまりない技術が、それでもドミナントを生み出してしまったとしたなら、エインセル・ハンターの出自は不気味なほどムルタ・アズラエル、アズラエル家の当主との暗合を見せる。

「フレイ、君は聞いたね。エインセル・ハンターは何をしたいのか? それを想像するなら復讐じゃないかな? 僕たちドミナントもヴァーリも抱えている勝手に命を弄ばれたことへの憤り、それを彼が感じているとしたら、プラントを滅ぼす動機になる」

 これは何の皮肉だろう。コーディネーターの排斥を謳う組織の代表がその最先端技術で生み出された存在であったとしたなら。そして、だからこそ、彼にはプラントを滅ぼす意思と資格があると言えなくもない。
 そして、そんな彼が究極的に目標と定めるのはヴァーリ、そしてドミナントの開発に携わった二つの家。

「エインセル・ハンターの目的は恐らく、ヴァーリ、ドミナントを作り出した勢力への復讐だ。だとすれば、アイリス、君たちのお父様も標的だろいうことになる」

 ザラ家。そして、クライン家。

「プラント最高評議会議員を務めるパトリック・ザラ。そして、君たちヴァーリのお父様であるシーゲル・クライン」




 プラント最高評議会。12の市より選出された12の議員。その合議制によりプラントは動く。その立場は名目上平等であるために中心がくり貫かれた円形のテーブルを使用する。円をなし、どこを前とも後ろとも定義づけることに意味のないその場所で、1人の議員が立ち上がっていた。
 紫をした議員用の制服を身につけた女性である。銀の光沢を有するその髪は短く整えられ、化粧が完璧に施されている。女性として、議員として、その女性は一分の隙もなく立っていた。
 名はエザリア・ジュール。国防委員を兼任し、急進派代表を務めるパトリック・ザラ議員の自他ともに認める懐刀である。

「では、新議長に選任されましたパトリック・ザラ議員より、お言葉をいただきたいと思います」

 エザリア議員は司会を務めていた。1期4年、2期までの再選が求められる最高評議会議長の椅子を上司であるパトリック・ザラに与えるという言葉を、エザリア議員はそれはそれは高らかに発した。
 パトリック・ザラ新議長が立ち上がる。その堀の深い顔つきをさらに深くして、渋い顔をしている。エザリア議員は主の登場に、道をあけるべく物音1つたてずに着席する。
 新たな議長は、まず、居並ぶ議員全員の顔を眺めた。そして、その喉を震わせる。

「本来ならば、ここで抱負の1つでも述べるべきなのだろうが、そんなものに意味はない」

 会議場は静まり返り、ただ新議長のお言葉のみが響きわたる。

「何故なら、私のしてきたことも、するべきことも微塵も変わることがないからだ!」

 パトリックは拳を強く握りしめ、それを見せつけるように前へと突き出した。大げさなパフォーマンスでまず関心を引きつける。これがパトリック流の演説術であり、見知っている者にとっては演説の始まりを告げる合図である。

「人の歴史は、圧政者との戦いの歴史であったとしても過言ではない。自由と権利を求める先人たちの不断の努力と戦いの歴史でもあるのだ!」

 基本的人権、奴隷制度の禁止、身分差別の撤廃、宗教上の自由、真っ当な報道活動。上げれば切りがないこれらのことは、今では当たり前のことは、決して有史以来存在してきたものではない。時に運動を、時に革命を。市民が力となって動き、思想家が権力を抑える構図を描く。そうして長い年月をかけて徐々に培い、勝ち得てきたものである。

「我らはそれを引き継がねばならぬ」

 大仰な手振り。その手が指し示しているものを、周りの誰もが知っている。大西洋連邦。いや、もっと広く、果てなく、ナチュラルそのものである。

「圧政者に正義はない。自由は我らのものだ」

 パトリックは、その背後に歴史を証人として侍らせていた。プラントが建国時代に味あわされた屈辱は、歴史上幾度となく繰り返された植民地支配の1つでしかない。

「我らコーディネーターの輝かしき未来は、この戦いに勝利してこそ初めて訪れる」

 独立。旧き地球に毒されることのない理想郷を作り上げる。これはジョージ・グレンから脈々と受け継がれるコーディネーターの悲願である。

「ナチュラルに何ができる!」

 突然、パトリックは怒鳴った。この手法さえ、演説を平坦なものにしないための常套手段である。感情的。そう思わせる仕草さえ計算付く。それが、プラント最高評議会議長にまで上り詰めたパトリック・ザラという政治家である。

「知らず、学ばず。ただただ惰眠を貪っておきながらいざ先へ進もうとする者が現れれば声を張り上げこれを非難する!」

 宇宙へと進出する技術がありながら、本格的に宇宙に居住を始めたのはプラントに集ったコーディネーターであった。持つ者と持たざる者。コーディネーターとナチュラルはよくこう表現される。だが、ナチュラルは決して持たざる者ではない。持とうとしなかった者なのである。
 ジョージ・グレンはコーディネーター技術を世界へと公表した。では、何故自分の子どもをコーディネーターにしなかったのか。しないと決めたのはナチュラルたちである。その事実を忘れ、嫉妬に狂い、ただただ羨望のまなざしで見ていればいいものをテロや戦争のような凶行にまで走る。

「奴らの蛮行こそが人類の発展を妨げ、世界を軋ませてきたのだ」

 いつまでも地球を食いつぶすことしかできない。いつまでも他人を羨んでいることしかできない。いつまでも戦いをやめうことができないではないか。

「我らは戦わねばならん。我らのために、そして、人類の未来のために!」

 ここにパトリック・ザラ議長は大西洋連邦との徹底抗戦を宣言した。巻き起こる拍手。ただし、11名全員分のものではない。急進派、そして中道派は拍手を行った。ユーリ・アマルフィ議員が急進派に転向したことで、穏健派は急進派の半分の人数しかおらず、その勢力は衰えていた。よって、穏健派のボイコットは、さして拍手の音色を乱すほどではない。パトリック・ザラの威光は微塵も揺らいでいない。
 決して得意気ではなくとも、厳めしい面構えのまま、パトリックは円卓の一角を見やる。

「ご理解いただけますかな?」

 返事があったのは、しかし、そのパトリック議長が目標とした隣りの席からである。アイリーン・カナーバ議員。エザリア・ジュール議員が急進派の懐刀であるのならば、アイリーン議員は穏健派の腹心である。黙して語らない主に代わり、アイリーンが答えようとしたのである。強気とも見えるその瞳は、しかし狼狽している様が見て取れる。

「ザラ議長……」

 使命を帯びたアイリーン議員の言葉をとめたのは、主が小さく片手を掲げた、そんな些細な仕草であった。
 しわがれた声が、会場に断続的に響く耳障りな乾いた音とともに響く。

「パトリック、いや、今はザラ議長と呼んだ方がいいかな? 君は素晴らしい。その飽くなき理想の追求は、爪の垢を煎じて飲ませてもらいたいくらいだ」

 その声は加齢によるかすれた音を含みながらも、それを感じさせない快活さが聞こえている。そして、また音が響く。

「だがね、前ばかり見ていると、足下がおろそかになってよくない」

 パトリックが顔をしかめたのは指摘に憤慨したのか、それとも先程からとまらない音を不快に感じたものかはわからない。その音は、相手が床へと突き立てるように保持している杖、それを指で叩く音である。重厚な金属光沢を有する杖であり、指で叩く度、音が響く。
 少なくとも、政敵を苛立たせる小道具としては機能している。

「私の娘たちに核動力の研究をさせていることは聞いているよ。ただ、それを国外に持ち出されてしまったそうじゃないか」

 パトリックの顔から、厳めしさが訝しさにいつのまにか入れ替わり、その目は不快感を露わにする。

「サンプルを無事に回収できたのも、娘のおかげだろう。エピメディウムは気だてのいい子でね」

 声には笑いさえ混じり端から聞く分には、家族自慢をする父親にしか見えないことだろう。また、杖を指が弾く音がする。
 この音を、パトリックはその両の腕を机に叩きつけることで遮った。

「私がことを起こさねばならないのは、すべてあなたの弱腰にある! 違いますかな、シーゲル・クライン元議長殿」

 シーゲル・クライン。
 すでにその顔には皺が深い堀として刻まれている。その髪、豊かな口ひげにはところどころ白髪が混じり、初老と言って差し支えない特徴をしている。ただ、それが意味するものなど何もない。シーゲルは悠然と構えている。紺色の外套の下には衰えを感じさせるものなどなく、杖を掴むその腕は今にも金属を軋ませる音をたてるのではなかろうか。

「どうだろうね? 今のプラントは地球の資源なしでは成り立たない。違うかね?」

 杖の頭に両手を置いている。この体勢では、指が可動できる面積の狭さから力を込めることは難しい。シーゲルが指を起こすと、それは杖を叩くために降り下ろされる。金属同士を打ち合わせたような、音が響く。

「私は、プラントとは蛹になる前の蝶だと思うよ。少々葉が苦いからと言って、木を引き裂いてしまうのはどうだろうね。たとえ蝶になれたとしても、次の子どもたちの取り分がなくなってしまうじゃないか」

 パトリックは椅子に腰掛けた。ため息をつき、それはいつもと変わることのない、大げさな嘆きを演出する。

「その木が毒を持ち始めたとすれば別だ」

 何故そんなこともわからない。パトリックはその目に同情さえ浮かべて見せた。

「その毒というのは核のことかな?」

 シーゲルは笑う。子どものいたずらを見つけた親のように。ニュートロン・ジャマーを無効化する装置の国外流出の危機。そのことを揶揄しているのだと気づけないほど、パトリックは愚鈍ではいられない。
 嫌な虫でもかみ殺すように、現議長の口元が歪む。シーゲルはあくまでも笑っていた。

「力だけでも、思いだけでも、うまくはいかないものだよ」

 最後にもう1度、シーゲルは杖を鳴らした。



[32266] 第30話「凍土に青い薔薇が咲く」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/11/07 17:04
 空はもはや鳥のものではない。
 ザフト軍大型輸送機が大挙して空を埋めている。その姿は腹一杯に獲物を食らった鷹のようで雄大でありながら鈍重。周りを小うるさく飛び回る雀さえ追い払える様子はない。雀。大西洋連邦軍の使用するVTOL戦闘機が機銃というさえずり声で鷹を苛立たせていた。如何にも戦闘機という姿をしているが、垂直離陸に耐えうる高出力のエンジンを備えたことで、揚力をウイングに依存する割合が減少し、翼に比べ本体が比較的大型である。翼に比べ体が大きい。そんな姿は雀を想像させなくもない。
 モビル・スーツに主役の座を譲ったとは言え、戦闘機がその戦場を失ったわけではない。稼働時間の短さからモビル・スーツは輸送機を頼らざるを得ない。飛行できるモビル・スーツの不在から、空戦は戦闘機の独壇場である。
 戦闘機の掃射が鷹の頭をつついた。コクピットを潰された輸送機が煙をたなびかせながら眼下の海へと落ちていく。しかし、雀にしてもしとめた大物の血の味を堪能する時間は残されていない。
 戦闘機の背後をとったのはザフト軍戦闘機ノスフェラトゥス。吐き散らかされた弾丸はVTOL戦闘機の機関部に突き刺さると、溢れでた炎がVTOL戦闘機を呑み込んだ。ノスフェラトゥスは小型の戦闘機の後ろに戦闘機が連結されたような姿をしている。これはザフト軍が地上に確かな拠点を持つ以前に、前の小型戦闘機部分を前後にスライドさせることで性能を落とさずスペースを有効利用するために発案された形態である。
 VTOL戦闘機。ノスフェラトゥス。どちらも実力は大差ない。このノスフェラトゥスにも慢心している余力はないのである。
 ノスフェラトゥスのすぐ上で、曳光弾が交わる。見上げるまでもない。どこを見ようと、この空域では満腹の鷹を巡る戦闘機の空戦が繰り広げられている。
 ノスフェラトゥスがVTOL戦闘機を撃墜するとすぐに、別のVTOL戦闘機がノスフェラトゥスを破壊する。
 まさに混戦である。
 この規模の空戦はここ1年の間、例がなく、戦闘が激化していることを印象づけるには十分なことであった。戦場は大きく動きだそうとしている。この事実はもはや自明であるのだから。




 薄暗い部屋。ただそれも人の顔が見えないほどでもなければ、椅子の細長い背もたれに描かれた絵が見えないほどでも、やはりない。
 そこは部屋である。決して広くはない。6角形のテーブルが置かれてなお、狭さを感じさせない程度。照明同様、不必要な空間は求められていない。
 テーブルにはそれぞれの辺にあたる場所に椅子が備えられている。それぞれに異なった意匠が施され、6脚の内、5脚に少女の姿がある。
 椅子の1つには、鯨に突き刺さる幾本もの剣が描かれている。この椅子に座っているのはエピメディウム・エコー。赤い左の瞳と青い右の瞳。三つ編みを左肩から前に垂らしたヴァーリであり、そして第4のダムゼルである。オーブを背後から操るこのヴァーリは、しかし策謀や陰謀という言葉とは無縁の雰囲気を持つ。

「そう言えば聞いたかい? パトリック・ザラ議長が大規模作戦を展開中なんだって」

 語りかけているのは、他の椅子に座るエピメディウムと同じ顔をした少女たちへ。
 向かいに座るデンドロビウム・デルタが答えた。エピメディウムとは何から何まで左右対称の姿をしている。背を守る背もたれには2つの箱をかつぎ上げる巨人の姿がある。第1のダムゼルである。

「狙いはパナマか?」

 大西洋連邦軍の中で現存する唯一のマスドライバーがおかれた基地をデンドロビウムは挙げた。新たな議長となったパトリック・ザラは早速軍備の強化に走り、また大規模作戦を計画立案するようになった。
 特にアフリカ大陸のゲリラを相手に活動を続けていたデンドロビウムは、ジブラルタル基地を中心とするヨーロッパ、北アフリカ戦線が危ぶまれている状況を肌で感じている。今、起死回生の一手がほしいのが本音だろう。この作戦如何によってはザフトの今後の地球侵攻は大きく影響される。
 言葉をつないだのは、デンドロビウムの左隣りのダムゼル。青い髪が特徴的で、伊達白衣とも呼ぶことのできる愛用の白衣を着たままである。このサイサリス・パパの背もたれには、羽根飾りのついた槍が描かれている。このPのダムゼルは第3のダムゼルである。

「大西洋連邦はどう考えてるのか、ニーレンゲルギアは知らないの?」

 言葉はデンドロビウムを挟んだ2つ隣りの席へ。
 そこにはサイサリス同様白衣を見つけたダムゼルの姿。背もたれのデザインは、三角形の中に目が描かれたものである。ニーレンベルギア・ノベンバー。Nのヴァーリにして、第5のダムゼル。

「知ってても教えて差し上げられるはずがありませんでしょ。お父様のご命令ならいざ知らず」

 ニーレンベルギアは人差し指を立てて、それを左右に振ってみせる。
 地球軍において人体強化の研究を行っているこのダムゼルは雇い主を売るようなことはしない。事実、ニーレンベルギアは戦術的なことはともかく、戦略的なことはほとんど知らされていない。エインセル・ハンターはヴァーリのことを知っている。迂闊なことを漏らすはずがないのだから。
 そんなことがわからぬ者はこの場にはいない。ここはヴァーリの仲でも成功作と認められたダムゼルのみが立ち入ることを許された部屋なのだから。
 デンドロビウムが右隣りのニーレンベルギア、そして、2つ左隣りの少女を眺めてから、訝しげにオッド・アイを細めた。

「にしても、お前たちの格好、何なんだ? お父様に会うってのに白衣はないだろ、白衣は」
「私は学者ですもの、白衣は正装。でも、どうして工学系のサイサリスお姉さままで白衣を?」
「可愛いから」

 まるで要領を得ていない。デンドロビウムはサイサリスもニーレンベルギアも、両方の説得を諦めため息をつく。その頃、デンドロビウムの双子の妹とも言うべきエピメディウムは隣の席の妹へと手を伸ばしていた。
 5人目。この場にいる最後のダムゼルはお人形。ゼフィランサス・ズール、第6のダムゼル。背もたれには羽衣纏う天女の姿。椅子には、まるで人形のように赤い瞳、波立つ白い髪をなびかせて座っている。表情に乏しいその様子は、人形と見間違うほどである。

「ゼフィランサスの服って綺麗だよね。じゃあさ、僕たちみんなこの格好するっていうのはどうかな?」
「1度エインセルさんに勧められたこともありますけど、この格好はさすがに……」
「人を選ぶ、かな……」

 こんな時は、ニーレンベルギア、サイサリスの意見は一致する。エピメディウムはゼフィランサスのドレスを丁寧な手つきで弄び、デンドロビウムはその鋭い視線に神妙な表情を加味してゼフィランサスを眺めている。

「年頃の娘に好みの髪型させて着飾らせて、か……。なあ、ゼフィランサス、お前、エインセル・ハンターに変なことされてないだろうな?」
「変なこと……?」

 これが発言の極端に少ないゼフィランサスのきわめて貴重な肉声である。表情に乏しい顔で、何のことかわからないとチョーカーに包まれた首を傾けて見せた。
 デンドロビウムは頬を赤らめる。

「変なことは、変なことだよ……。お、男がいるならわかるだろ。かまととぶるな!」

 立ち上がってまで語気を強めるデンドロビウムに対して、ゼフィランサスはあくまでも何もわからないと言った様子である。こんなやりとりに誰もが気を取られていたせいであろうか。部屋に新たなダムゼルが加わったことに気づく者は誰もいなかった。

「こらこら、私の可愛い妹を虐めないでくださいな、デンドロビウムお姉さま」

 青い瞳。桃色の髪。かつてガーベラ・ゴルフ、Gのヴァーリと呼ばれ今は至高の娘、ラクス・クラインの名を戴く第2のダムゼルが穏やかな微笑みを浮かべていた。

「ラクス……」

 立ったままのデンドロビウムを除いた4人全員が立ち上がり、それぞれの椅子に脇で姿勢を正す。これからいらっしゃる方はヴァーリのお父様であり、最上の礼をもって接するべき相手なのである。
 ラクスはテーブルの中でただ1つ空席であった自分の席に立つ。優雅な帆船が描かれた椅子である。
 そして、父は、シーゲル・クラインはその姿を現した。
 プラント最高評議会に参加した時と同様、手には杖が握られている。だが、その杖を頼りにする様子はなく、その足取りはしっかりと部屋へと訪れた。その胸には、稲穂をくわえる犬を模した紋章がつけられている。クライン家の家紋である。
 ラクスを除いた5人のダムゼルたちはそのすべてが、手を胸の前で組み、その場にひれ伏す。
 シーゲルはラクスに導かれるままラクスが本来の主である席へとついた。

「せっかくの親子水入らずだ。顔を上げてもらいたいものだね。席に着いておくれ」

 どこであろうと、ダムゼルの父、シーゲル・クラインはその声音を変えることはない。相手が政敵であろうと、娘たちであろうと。ダムゼルは揃って顔を上げると、それぞれの席に着く。どのような些細なことであれ、命令に違えることはできない。
 シーゲルはまず、赤い瞳のダムゼルへと視線を向けた。

「ゼフィランサス。君と会うことは随分久しぶりだね」

 語りかけられたゼフィランサスは父の顔を直接見ようとはしない。その様子は、さも恥じらっているかのようである。

「はい……、10年になります……」
「君の造ったガンダムとやらは素晴らしいね。私も鼻が高い」

 ゼフィランサスは小さな声でお礼を述べる。そんな妹の様子を見るなり、不機嫌そうな顔をしているのは右隣りのサイサリスである。それをシーゲルは見逃さない。

「ああ、もちろん、サイサリス、君がザフトに残ってしてくれた仕事も私は忘れていないよ。これからも頑張ってくれるかい?」

 声をかけられた。その途端に、破顔して、サイサリスは満面の笑みを見せた。

「もちろんです、お父様!」

 続いて、シーゲルは首を右へと大きく回す。そこにはオッド・アイのダムゼル。エピメディウムの方だ。

「モビル・スーツと言えば、この度の一件では、君の手を煩わせてしまったね、エピメディウム」

 ゼフィランサスが研究に当たっていたニュートロン・ジャマーを無効化する装置と、それを積んだ実験機が持ち出されたことを言っている。オーブに運ばれた機体は交戦後破壊され、オーブ軍が調査の名目でパーツの細部に至るまで回収したのである。

「核動力搭載機はオーブの方で抑えました。この事件で技術が流出することはありません」

 エピメディウムは努めて平静でいるようで、しかし普段の朗らかさは出てきていない。
 ここで1人渋い顔をしているのはデンドロビウムである。ゼフィランサスやサイサリスのようにモビル・スーツ開発なんてできない。エピメディウムは1国を管理している。自分なりに貢献しているつもりでも、それが認めてもらえることなのかはわからない。
 そんなデンドロビウムの心を見透かしたように、シーゲルは微笑みかける。

「デンドロビウム、君が地味なことでも、確かに地球圏の混乱に貢献していることを、私は知っているよ」

 突然振られた話に、デンドロビウムは一瞬呆然とするが、すぐに頬を赤らめ、そっぽを向く。あからさまな照れ隠しである。次に姉妹たちが声をかけられていく中で、未だ視線さえ向けられていないのはニーレンベルギアである。

「お父様、わたくしは?」

 シーゲルはゆっくりとした動作で、娘の方を向く。

「ああ、ニーレンベルギアか。君のことはすっかり忘れていたよ」
「お父様!」

 すぐさま返された抗議の声に、シーゲルは笑うばかりである。

「冗談だよ。君には辛い立場を任せている。そのことはいつでも私の気がかりだ」

 この言葉に満足したのだろう。ニーレンベルギアはゆったりと、椅子に深く腰掛ける。一通り娘に声をかけ終わったところで、シーゲルはすぐ後ろに立つラクスへと問いかけた。

「ラクス。これからは君の力がとても必要になる。力を貸してくれるね?」

 シーゲル・クライン。お父様のお言葉を、至高の娘ラクスは一切の躊躇も、微塵の悔恨もなく、肯定する。

「もちろんです、お父様」

 そして、5人のダムゼル全員と視線を交わらせる。

「私たちダムゼルは、そのために存在しているのですから」




 アラスカ。広大な森と豊かな自然を有する北の大地は、一見戦争とは無縁の風景を演出している。木々は繁り、鳥は飛び、流れる水は川となって滝を形作る。
 そして誰もが知っている。
 この緑の大地の下には大西洋連邦軍の総合最高司令部ジョシュアが存在する。地下に埋設されているという隠匿性。強固な岩盤を有する堅牢性。そして保有する強大な戦力。
 ザフトが地球降下を果たした以後、地球において優位に戦闘を進めながら最重要拠点であるジョシュアを陥落することはできなかった。森という衣に隠され、岩という盾に守られたこの場所。
 アーク・エンジェルにとっては目的である約束の地であり、ザフトにとっては勝利のための悲願である。
 そして、青き薔薇を掲げる者には、礎でしかない。




 ジョシュアの1室。空調の行き届いたこの場所は、外の様子や季節感を一切感じさせることなく、快適な空間を演出している。それも、将軍に与えられる個室ともなれば、相応の豪華さは伴うものである。 カーペットに来客用のソファー。置かれた机は軍人の安月給など軽く吹き飛んでしまいそうな重厚な雰囲気を漂わせている。
 机についているのは大西洋連邦きっての知将として知られているデュエイン・ハルバートン少将。その確かな眼差しと、初老を迎えながらなお精悍な顔つきは、その将軍の肩書きがお飾りでないことを自ら証明している。
 豪華な椅子にふんぞり返るでもない。事実、低軌道において行われたアーク・エンジェル降下前の戦いにおいてハルバートン少将は自ら負傷しながらも部隊の陣頭指揮をとった。机に肘を乗せ、高圧的な印象を与えるでもない。ごく普通に座り、客人を迎えていた。
 机の前に並んで立つのは2人の女性である。マリュー・ラミアス。それにナタル・バジルール。強襲特装艦アーク・エンジェルの中で、主要なクルーである2人は、固い敬礼の姿勢を崩さぬままハルバートンと相対していた。
 微笑むというような親密さを表現することはないが、ハルバートンは決して重くはない口調で語りかける。

「まあ、堅苦しいことは抜きにしよう。よく、ここまでたどり着いてくれた」

 こうは言っても、2人は単に敬礼をやめただけで、その体から緊張は抜けてはいない。労いの言葉も効果なく、マリューは形式的な報告を行おうとする。

「いえ。しかし、ストライク、デュエルを大破させたこの不始末、申し開きのしようもありません!」

 はっきりとした声で状況の説明と自身の非を認める。確かに、軍人として立派なことである。しかし、このことは融通がきかないことも示している。そのことがこの優秀な軍人の唯一の悩みであるとハルバートンは見抜いていた。同時に、それでもここアラスカにまでたどり着いた実績は確かなものである。
 たしなめるまでもない。ハルバートンはかまわず話を続ける。

「君たちも知っているとは思うが、すでに大西洋連邦はモビル・スーツを保有し、ザフトへの反撃を開始している」

 まずは北アフリカ戦線にGAT-01デュエルダガーが投入された。ジブラルタル基地奪還を目指す作戦は、すでに進行しているのである。このことは、ガンダム開発のノウハウをこれ以上必要としていないということを意味する。そうすれば、ガンダムなど多少高性能とは言え、コスト・パフォーマンスに劣る厄介なお荷物でしかない。
 この事実を、ハルバートンは努めて冷淡に告げた。

「君たちには大変申し訳ないが、すでにガンダムにはそれほどの価値はない」

 マリューは明らかに表情を暗くする。上官の前であるというのに、顔を伏せてしまうほどである。それに対して、ナタルはまだ気概を残していた。

「ストライクに残された戦闘データは有益なはずです」
「確かに、1枚のカードにはなる。それに、モビル・スーツ開発を主導したのは我々であるという事実に変わりはない」

 せめて部下を元気づけるきっかけにでもなればと、ハルバートンは語気を強めた。しかし、それが劇的な効果を見せることはない。もはやガンダムは、急進派から主導権を奪い取るための切り札とはなり得ない。その正確な事実認識がこの部屋の空気を重く沈ませる。
 ハルバートンにしたところで、その事実から目を背けることはできない。

「どうであれ、今後の会議で方針が決定することは間違いないだろう。後は我々の仕事だ」

 大西洋連邦軍の最高幹部が集まる作戦会議が予定されている。そこにはあのエインセル・ハンター代表も姿を見せることだろう。仮に会議で急進派主導が明白になれば、もはや戦争の早期終結は望むべくもない。

「ところで、すでに辞令は受け取っていることは思うが、ラミアス大尉、いや、ラミアス少佐、君はアーク・エンジェル艦長の職務を解かれ、おって命令あるまで待機してもらうことになる」

 ハルバートンはマリューのことを敢えて少佐と呼んだ。アーク・エンジェルのクルーが皆、この度の功績を認められ、昇進を果たしたことを意識させるためでもある。
 ただ、マリューには少々刺激が強かったのか、また敬礼してしまう。その横で、ナタルは厳格な上官を一瞥してからハルバートンへ視線を向けた。

「何故、私がアーク・エンジェルの艦長を任せられるのでしょう?」

 マリューを見たことは、上官を押し退ける形で艦長の座を得たことへのある種の引け目であったようだ。あるいは、中尉の階級で艦長を任せられるのは時期尚早と感じたか。兵科の問題も考えられた。
 ハルバートンにしても、ついマリューの様子を見てしまう。そうしたところで、マリューは特に反応を見せない。再び、ナタルへ視線を戻す。

「アーク・エンジェルは確かにモビル・スーツの運用を前提とした特装艦であることに代わりはない。しかし、その広すぎる汎用性は他の艦船との足並みをそろえにくいことも事実だ。また、義勇兵の存在も、部隊の再編を厄介なものにしている」

 本来ならば少なくとも少佐に任せるべき役職である。ところが、わざわざラミアス少佐を外し、ナタル中尉を据えることを疑問と考えることに不思議はない。
 ナタルはまだわからないとでも言うように唇に力がこもっている。

「しかし、人員の補充もないとは……」
「あくまでも暫定的なものだラミアス君共々、正式な配属先が決まるまで骨休めでもしてくれたまえ」

 おかしな不安を与えぬよう、ハルバートンは言葉を被せるように言った。
 これは穏健派による決定なのである。だが、ハルバートン自身この采配に納得しているわけではなかった。モビル・スーツ開発技術の漏洩を筆頭に、穏健派の工作はその大半が裏目にでてる。このことに、何か言いしれない力が働いているのだと、ハルバートン自身が感じていた。




 ハルバートン少将の部屋から戻ったマリュー、そしてナタルを出迎えたのは水に浮かぶアーク・エンジェルの白い艦体と、居並ぶアーク・エンジェルのクルーたちであった。現在アーク・エンジェルが安置されているドッグは海中から進入するものであり、入庫後も水に浮かべられる形で置かれることになる。この構造であるため、壁に備えられた通路の他は、人が歩ける場所などほとんどない。ドッグ入り口の、それこそモビル・スーツを寝かせることができるくらいの広場しかないのだ。
 そこに、アーク・エンジェルのクルーたちが整然と並んでいた。マリューの姿を見るなり、一斉に敬礼する。
 どうやら、すでに艦長の職を解かれたことは聞き及んでいるらしい。ナタルにしても、クルーの中でただ1人前に出ているアーノルド・ノイマン曹長、いや、小尉の横についた。
 マリューはアーノルドの前にまで歩く。まず、アーノルド小尉が敬礼をやめ、休めの姿勢になる。すると、後ろに並んだクルーたちが一斉に倣う。
 その中に2人、テンポが遅れた者がいる。まだ周りの様子をうかがいながら、自分の姿勢を確認している未熟な様子を見せているのは少女2人。アイリス・インディア曹長。フレイ・アルスター2等兵である。余談ではあるが、同じく志願兵であるキラ・ヤマト曹長はずいぶん手慣れた様子である。
 思えば、この少年少女には振り回されたものだ。特にアーノルド小尉が小娘に現を抜かしたりしなければ、まだ楽ではなかっただろうか。見送りだというのに、花1つ用意していない主催者に、マリューはつい皮肉を言ってしまった。

「あなたにして粋な計らいね」

 こと女性問題以外に限っては堅物と評していいアーノルドは皮肉に気づいた様子もない。

「光栄です」

 気づかれなかったら気づかれなかったでかまわない。せっかく別れの場を用意してもらったのだ。マリューはアーノルドから距離を開け、横に広がったクルーを無理無く一望できる場所で足を止める。
 1人1人の顔を見るように視線をゆっくりと回してから、息を吸い込む。

「すでに聞き及んでいるとは思いますが、私は今日をもってアーク・エンジェル艦長の職を解かれました」

 大勢の前で話そうとすると、自然と姿勢が整う。最後まで、染み着いた軍人としての習慣は顔を出す。

「私はみなさんにとってどんな艦長であったか、今更聞きたいとは思いません」

 思えば、懇親会でもこんな話し方をしてしまった。あの時はまさか難民にすぎない子どもたちがアーク・エンジェルの主力になるとは考えもしなかった。
 そして、艦内の問題もあらかた、この若年に起因している。
 ふとフレイ、アイリスの2人を眺めてみる。少女は2人とも、真剣な様子でマリューの話に耳を傾けていた。軍服など着ていなければ、どこにでもいそうな子どもたちである。

「恐らく、不平不満を抱えている人もいることでしょう。それは軍務を遂行する上で仕方のないことだった。そんな言い訳をするつもりもありません」

 意識して瞬きを1度する。

「間違ったこともしてきました。正しいと確信のもてないことも多くあります」

 記憶の中から、窮地に陥る度、アーク・エンジェルを救ってきたのはゼフィランサスやフレイと言った若者の機転であった。そのことを否定するつもりはない。それは、艦の通常運行を支えてきたのは自分であるという自負が支えてくれている。

「それでも、このアーク・エンジェルがアラスカにたどり着くことができたのは、そんな艦長を支えてくれたあなたたちのおかげであると考えています。決して長い時間ではありませんでしたが、こんな私によく、ついてきてくれました」

 気づくと、体から余計な力が抜けている。

「あなたたちと戦えたことを、私は誇りとし、生涯忘れることはないでしょう。ありがとう」

 マリューが敬礼すると、クルーたちも皆、一斉に敬礼をしてくれた。もっとも、アイリスとフレイの2人はまだ不慣れな動作で、形だけの敬礼をしていることが、とても微笑ましい。




 円盤状のテーブル。席につく皆が等しく発言権を持つ理念は、プラント最高評議会と同様である。そして、出席者12名という人数も符合している。2名の大将。4名の中将。6名の少将。別の分け方をするなら、8名の急進派、4名の穏健派である。ただし、これらの区分はあくまでも名目上のことであり、プラント最高評議会ほど対立構造が明確になっているわけではない。
 ハルバートン少将は、険しい表情で座っていた。
 その理由は1人の男にある。その男は座ることなく、壁に描かれている世界地図の前に佇んでいる。白いスーツと柔らかな金髪が憎らしいほどに似合う男である。この13人目の参加者を、快く思わないのはハルバートンばかりではない。
 ハルバートンの隣りに座る男性、ホフマン少将が男へと発言する。ホフマンは何とも恰幅のよい男で、地図の前に居座る男の均整のとれた体つきと好対照である。

「これは重要な作戦会議になります。あなたに参加資格はありますまい」

 ホフマンを見たのは、急進派に属する面々である。男の方は静かに瞳を閉じている。誰も発言しようとしない中、静寂が重苦しい。それも、男がその目を開けるまでの話である。
 エインセル・ハンターは、あまりに澄んだ青い瞳をしていた。

「ホフマン少将の仰るとおり、私は招かれざる客にすぎません」

 男の後ろには世界が飾られている。

「ですが、この母なる星が脅かされていることは我慢ならない。この志に関しましては、私はあなた方に劣ることない思いを抱いております」

 何とも白々しい。この男の目的は戦争そのものにあり、そこから生み出される莫大な資金に他ならない。産業革命以降、脈々と受け継がれてきた人類の負の遺産である。もし仮に悪魔が実在するとしたなら、このエインセルのような姿をしているのではないか。不自然なほどに整った容姿に、人を引きつけてやまないカリスマ性。加えて、敵にするにはあまりに恐ろしい。
 エインセルが指を開き、その手を顔の横にかざす。何でもない動作さえ、まるで魔術の儀式の様相を呈する。

「まず、お話をお聞きください。追い払うのでしたら、それからでも」

 かざした指が鳴らされた。それを合図に室内の照明が落ちる。入れ替わり、円卓の中央部分に赤と青、そして黄色で色分けされた世界地図が示される。赤はザフト。青は大西洋連邦とその関係国。それとも、ブルー・コスモスのシンボル・カラーであろうか。そして黄色は第3国、各国である。
 一昔前は赤一色であった地中海沿岸域が、徐々に青で包囲されている。モビル・スーツの量産に成功したことで、その運用実験もかねた作戦が展開中である。このままいけば、ジブラルタル基地奪還も夢ではない。
 これは急進派にとっての大手柄である。まずはこのことを引き合いに出すのかと身構える。ところが、エインセルが示したのは、まったく別のものであった。
 世界地図にはアラスカを強調するサインが現れる。そして、敵部隊の進行を示す模式図が表示される。

「ザフトが大部隊を展開中です。目標はここ、アラスカ本部に他なりません」
「しかし戦略室の方からはパナマ侵攻が濃厚であると……」

 これにはさすがに急進派に属する将軍からも疑問の声があがる。
 大西洋連邦にはパナマ基地があり、大西洋連邦内でも唯一の大型マスドライバーの保有基地であることを含めると、その重要性は高い。要塞としての強度も鑑みれば、アラスカよりもパナマ基地を攻めると考える方が妥当なのではないか。
 暗いため、エインセルの姿は見えない。しかし、その声には寸毫の焦燥も感じられない。

「根拠としまして、部隊の移動です」

 すでに前哨戦とも言うべき空戦が行われたことをエインセルは示した。
 ザフト軍大型輸送機が編隊を組んで飛行していることを、哨戒中の戦闘機が発見。その結果、大規模な空戦に発展した。その結果、大西洋連邦軍は27機のVTOL戦闘機を失うも、輸送機を5機、ノスフェラトゥスを13機撃墜した。
 空戦の位置が地図上に示される。それは、どちらかと言えばパナマに近い。この矛盾を、エインセルは航続距離で解決しようと試みる。現在、ザフトはカーペンタリア基地を拠点に太平洋沿岸に迅速に部隊を派遣できる体制が整えられている。仮にパナマが目標であるのなら、アジア地域に展開中の部隊と足取りを合わせる意味においても輸送機は適さない。空母や潜水艦とは異なり、それ自体が橋頭堡足り得ないからである。

「ミノフスキー粒子の影響と思われる通信、電波の精度が減少している中で、敵部隊の動向を察知できたのは幸運でした」

 幸運。偶然。このような言葉はこの男には、わずか10年で自社を世界有数の大企業にまで押し上げたこの男にはそぐわない。
 すでに、会議場の雰囲気はアラスカが狙われているという統一意志で固まりつつあるようだ。特に急進派がそれを前提に話を始めようとしていることには、背筋に寒いものがある。

「では、防衛のために戦力を割く必要がありますな」

 声から判断して、ジェレミー・マクスウェル中将であろう。まだ40にもならない若造で、事実上親からの地位を受け継いだだけの小物である。ここまでこき下ろす以上、無論急進派のメンバーである。
 暗闇の中を歩いたのか、エインセルの声の位置が変わっている。

「いえ、もはや雌伏の時は終わりを告げつつあります。我々の目的は本部を守ることではありません。ザフトをこの地球から駆逐することです。現在、大西洋連邦が攻めあぐねいている理由は2つございます。戦術面、そして戦略面」

 今度は何の合図もない。世界地図がモビル・スーツの映像に入れ替わる。ガンダムをより簡素にしたような装甲だが、ライフルを構え、シールドを携えるその姿は威風堂々。デュエル・ダガーが夜の砂漠にてザフト軍を圧倒する姿が映し出されている。
 もはやザフトに技術的優位などない。そして、それを奪い去ったのは他ならぬラタトスク社であり、エインセル・ハンターである。

「モビル・スーツの数、質はそろいつつあります。では、戦略面において必要なものは何か?」

 また、画面が入れ替わる。元の世界地図である。ただし、新たに3カ所が強調される形で示されていた。中米パナマ。地中海の玄関口ジブラルタル。そしてオーブ首長国。

「現在軍事目的に耐えうるマスドライバーは3基。我々の手にはパナマ基地が。そして、ザフトに奪われたジブラルタル基地。加えまして、オーブ首長国が所有しています」

 マスドライバーが必要数揃えば、宇宙軍の拡充、及びプラント本国に攻め込むことも可能となる。コーディネーター排斥を謳うブルー・コスモスがプラントの滅亡さえ視野に入れていることに、もはや疑いの余地はない。10年前、独立機運高まるプラントのユニウス市第7コロニー、ユニウス・セブンに核攻撃が行われたのはブルー・コスモスの影響下にあった一部将校の凶行であるという見方が一般的である。
 当時ユニウス・セブン近郊にブルー・コスモス所有の艦船がいたことは証明されているのだ。
 もっとも、使用された核がどこの基地に保管されていたものであるのか、また、その使用許可を出したのは誰であるのか。この事件はいまだ未解決の問題を抱えたままである。
 10年前、この若者はまだ17、8の子どもであったことだろう。何ができるとも思わない。だが、ラタトスク社設立、血のバレンタイン事件がともに10年前と不気味に符合する。

「ジブラルタル奪還作戦は現在進行中です。ザフトの残党を駆逐しながらの前進であるため、一見芳しくないように思われるかもしれませんが、もはや時間の問題と捉えています。地球は、すべからく我々の手に戻らなければなりません。そして我々は次の目標を見据えるべきなのです」

 目的のためには手段を選ばない。それがブルー・コスモスのやり方である。このことが、ふと頭をよぎる。同じことを考えていたのはハルバートンだけではないらしい。
 ウィリアム・サザーランド大将。穏健派の筆頭とも言える将軍の声を聞くことになる。

「まさかオーブを攻めるおつもりか!?」

 サザーランド大将は良識派としても知られている。戦争に関与していない国を攻めるということに、反発を覚えないはずがない。

「そんなことをすれば国際世論が黙っていない。この戦いは我々が勝手に引き起こしたものであるとする意見は根強い!」

 しかし、すでに壮年を迎え、その声には以前のような覇気が見えないでいる。エインセル・ハンターの若さに満ちあふれた声とはまるで正反対である。これは、各派の勢いをそのまま体現しているようでもある。

「人を説得する上手な方法をご存じですか?」

 部屋に明かりが灯された。エインセルが再びその姿を衆目にさらす。揺るがず、怯まず、動じることはない。

「誠心誠意、真心をもって語りかけることに他なりません」

 自信と狂気に満ちたその声がこの場を支配していた。




 アラスカの地下深く。広大なドッグ内には並べられた何隻もの潜水艦に積み込み作業が進行していた。コンテナに箱詰めされた様々な物品が大型潜水艦に運び込まれている。
 その中にはモビル・スーツがそのまま納められてしまえるほどの大きさを持つ長方形のコンテナがある。コンテナは白く塗られ、大きさばかりではなく異彩を放つ。
 数は3。それぞれが別々の潜水艦へと積み込み作業が行われている。作業員の顔の真剣さから、それが如何に重要なものであるかはうかがいしれる。何が封印されているかは明らかでない。それを示す文言は見あたらず、誰もがそのことを話題にしようとしない。
 ただ1つの手がかりがあった。
 それぞれのコンテナに刻まれた文字と数字の羅列である。
 ZZ-X300AA。
 ZZ-X200DA。
 ZZ-X100GA。
 人には告げられない秘密の場所で、悪意を共有する者どもに守られ、崇められながら、それらは静かに眠っていた。




 ドッグを見眺めることのできる一面ガラス張りの壁をもつ部屋。ここに、3人の男女が、コンテナを眺めていた。2人は男性である。胸に青い薔薇の紋章を飾り、着ている軍服には大佐の階級章。
 1人は椅子に足を組んで座っている。その着こなしはどこかしらだらしなさを覚える。ZZ-X100GAと刻印されたコンテナを眺めながら、男は、ムウ・ラ・フラガは感慨深げに言った。

「いよいよ、俺たちの戦いが始まるな」

 ところが、向かい側に座っている男は素っ気ない。同じ大佐の階級と青い薔薇。仮面を直す仕草だけ見せて、すぐさま話題を切り替えてしまう。

「ところで、マリュー・ラミアス艦長だったか、彼女をアーク・エンジェルから降ろした理由は何故だ?」

 ラウ・ル・クルーゼである。
 答えたのはムウではない。椅子には座らず、2人から離れた位置に立つ女性である。丸い眼鏡こそ残されているが、普段着ている黒いスーツは白い軍服に成り代わっている。その左腕には、腕章のように青い布が巻かれている。
 メリオル・ピスティスは普段通りの事務的な口調で答える。ここにはいない夫に代わって。

「ラミアス少佐は階級にそぐわず穏健派一派の中でも上層部の信頼が篤いお方です。残しておいては禍根となりかねません」

 聞いてはおきながら、ラウは大きな反応を見せない。代わりに手を叩いたのはムウである。

「そう言えば、お前は艦長に会ったことがあったな」

 舞台はユニウス・セブン。ゼフィランサスをアーク・エンジェルから連れ出す際、顔を合わせた。敬礼さえ交わした仲である。

「ああ。確かに、判断力や決断力に関しては、まあ及第点ならくれてやれる」

 反応が大きいのは、いつもムウの役回りである。ムウは笑いながら友を茶化す。

「お前が及第点以上の点数つけてるところを見てみたいな」

 ラウが視線を向けたのは友ではなく、今積み込まれようとしているコンテナである。ガラス越しに、コンテナが積み込まれている光景が見えていた。
 刻印は、ZZ-X200DA。

「それは、ゼフィランサスのためにとっておくことにしよう」

 そして、メリオルはZZ-X100AAと描かれたコンテナへと眼鏡を透かしている。
 まずはムウがささやく。普段のようなお調子者ではなく、1人の戦士として。

「俺はジブラルタルを焼き払う」

 繋ぐのはラウ。普段と変わらず、その眼差しを隠したままで。

「では私は退路を塞ぐとしよう」

 最後に、メリオルは信頼を見せた。それは、自分に対するものではなく、愛しい夫への信仰にも近い思い。

「オーブは、エインセル様が攻め滅ぼすことでしょう」




 キラ・ヤマトは歩いていた。新しい曹長の階級章がつけられた軍服を身につけ、基地の通路を歩く。これまでにも色々なところに行ったが、大西洋連邦の本拠地に足を踏み入れることは初めてになる。もっとも、軍用施設は対して変わった印象を受けない。飾り気のないプレートがはめ込まれた廊下が延々と続いている。こんなところはアーク・エンジェル艦内と異なっているようには思われない。
 後ろをディアッカ・エルスマンとアイリス・インディアが歩いている。アイリスは軍曹の階級章を、ディアッカもまた大西洋連邦の軍服を身につけていた。階級は軍曹のものをつけている。
 ディアッカは釈然としない様子でキラに話しかけた。

「これで何度目かわからないが、地球軍はどうなってる?」
「わからない。ただ、今の大西洋連邦軍に軍隊式の常識なんて通じないと思った方がいい」

 こう告げると、ディアッカは心なしか神妙な面持ちになる。
 キラは基地からの出頭命令を受けた。それには何故かアイリス、さらにはディアッカを伴って連れてくるよう指示があり、それはディアッカが指摘したような捕虜の移送では決してない。何故なら、面倒が起こらないよう、軍服を着せるよう加えて指示されたからだ。
 指定された場所は51番ドッグ。アーク・エンジェルの置かれた場所から遠い場所ではなかったが、それでも2ヶ所の兵士に守られた扉を開けてもらう必要があった。話は通っているらしく、あっさりと通してもらったとは言え、それだけ厳重な場所であることに変わりはない。
 51番ドッグに通じる扉の左右にも、ライフルを首から提げた兵士が立っている。

「キラ・ヤマト曹長であります」

 敬礼し、階級を名乗る。アイリスとディアッカには敬礼だけしてもらうことにしていた。ディアッカの説明が面倒だし、アイリスまで名乗ってもらえばディアッカが名乗らないことが不自然になってしまうからだ。キラが代表する形をとった。
 兵士たちは特に訝しがる様子はない。扉のロックを解除し、両脇で敬礼した。開いた扉。扉の先には、まだ通路が伸びていた。それでも、ここが目的地に間違いないことはわかる。3人で扉をくぐった途端、桃色の髪を波立たせた白いドレスを着た少女が立っていた。
 艶やかな服装であるというのに、微笑みもなく、愛らしい仕草もない。ゼフィランサスと同じデザインの服を着て、髪型まで同じく整えた少女の名前をキラは知っている。ヒメノカリス・ホテル。Hのヴァーリにしてアイリスの姉にあたる第3研の出身者。ただそれは髪の色から導き出された認識であって、記憶と目の前の少女は必ずしも一致していない。ヒメノカリスはかわいそうな子だっったから。
 ヒメノカリスは片手を短く振る。

「お久しぶり、アイリス。私のこと思い出した?」
「大体なら……。それに、カルミアさんからいただいたお手紙に書かれてました。お姉ちゃんがエインセルさんのところにいるらしいって」
「10年前、あの場所で、私はお父様に救われた。だから私はお父様に無限の愛を捧げるの」
「あ~、まったく話が見えねえ」

 大げさに髪をかきあげたのはディアッカ。ヒメノカリスのことも知らない。ヴァーリのことも聞きかじった程度では無理もないことだ。

「ヴァーリは、幼少の頃にお父様であるシーゲル・クラインに都合のいい記憶を刷り込まれるんだ。発現する忠誠の程度は様々。アイリスみたいにほとんど出てこないこともあれば、ヒメノカリスみたいにそうでないこともある」
「そうでないこと?」

 キラは一度、ヒメノカリスの様子をうかがう。ヒメノカリスは表情のない顔をしていた。ゼフィランサスのように表情を作ることに疲れてしまった顔ではなくて、表情を見せるつもりのない顔だ。

「忠誠が強すぎて心のバランスを崩してしまうこと。実際、僕の記憶にあるヒメノカリスはいつも錯乱していた」
「要するに、愛するお父様がいつの間にかシーゲル・クラインからエインセル・ハンターに変わったってことか」

 ことはディアッカの言うほど簡単なことではないだろう。ただ、エインセル・ハンターがヒメノカリスの心のより所になっていることに関しては間違いないらしい。

「ヒメノカリス。君が僕たちを呼んだ理由は?」
「あなたたちのことを助けてあげる」

 そう、ヒメノカリスは身を翻し歩き始めた。狭い一本道の中、波立つ髪の幅だけ体よりも大きな幅をとりながら。鳴らす靴音は固い。ゼフィランサスと同じくブーツをはいているらしい。長いスカートでなかなか足下は見えないのだが。
 ついていく他ない。まずキラが歩き出すと、アイリス、ディアッカの2人の足音が追ってくる。ほんの少し進むと、通路は開けた場所にでるらしい。通路の照明とは違う明かりが差し込んでいた。開けた場所に差し掛かると、通路の壁がガラスに変わる。格納庫と思われる空間へと繋がっていた。
 半没式の格納庫で、床一面に張られた水に腰の位置までを浸したモビル・スーツが3機並んでいる。ちょうど、通路に沿って並べられていた。
 ヒメノカリスは歩きながら、それぞれの機体を通り過ぎる度に指し示していく。

「GAT-X207SRネロブリッツガンダム」

 GAT-X207ブリッツガンダム--アフリカでの戦闘で撃墜されたと聞いている--とよく似た機体だ。機体本体に大きな違いはないようだが、かつては右腕にだけ装備されていた複合兵装を両腕に装備している。加えて、バック・パックの形状が以前に比べて複雑になっているように思える。
 ヒメノカリスは次の機体を指さす。

「GAT-X303AAロッソイージスガンダム」

 今度はGAT-X303イージスガンダムと同型機だ。最近知った話だが、カガリ・ユラ・アスハがヘリオポリスで勝手に持ち出して以来好きに乗り回していたらしい。ただ、これは違う機体だろう。こちらも本体には大きな違いは見られない。やはりバック・パックに手が加わっているようだ。
 最後、そのフリルで包まれた手で最後の機体を指し示した時、ヒメノカリスは突然に立ち止まる。

「ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレ」

 これは見たこともない機体だ。額に生えた一本の角。装甲は継ぎ接ぎのようにところどころに切れ目が入っていた。何より、全体に箱をかぶせたように意匠が単純で、ガンダムの顔もない。そんな機体を、それでもヒメノカリスはこの機体をガンダムと呼んだ。

「ブリッツはディアッカ、あなたが乗りなさい。使い慣れた機体の方がいいでしょ。オーベルテューレはゼフィランサスがキラ、あなたにって。余ったイージスはアイリスにあげる。慣れないうちは無理に可変機構使わなくていいから」
「やっぱり話が見えねえ……」

 今回ばかりはディアッカに代弁してもらった思いだ。ガンダムを渡すと言われてもその理由も意味もまるで見えてこない。大西洋連邦軍として正式に機体を受領するならまだわかるが、ヒメノカリスがまるで玩具でも手渡すようにキラたちに機体--それもガンダムを--託そうとする。
 ヒメノカリスはあくまでも冷たい顔をする。ゼフィランサスの冷たさが拒絶したものなら、ヒメノカリスはまだ足りなくて突き放してくる。

「今からここでたくさんの人が死ぬ」

 これが、この言葉が何かの合図出会ったわけではないのだろう。しかし厳然たる事実として、突如サイレンが鳴り響いた。そして警報音に混ざる基地を揺るがす衝撃と遠くに響く爆発音。その場の全員が思わず上を見た。

「敵襲! ……ですよね?」

 不安げなアイリス。ただ、それは恐怖を感じているとするより、自分の予想の確かさに自信がもてないだけのようにも見える。だが、何もわかっていないという点ではキラも何も変わらない。
 ヒメノカリスは平然としている。

「ザフト軍の主力部隊が侵攻してる。パトリック・ザラ新議長は大きな賭けに出た。地上ではカーペンタリアを中心とする基地から多数の輸送機、潜水艦、空母がアラスカを目指してる。宇宙では賢いザフトは艦隊の網を見つけた」

 地球軍が艦隊を配備してまで堅守しようとしていた軌道を、ザフトはたやすく確保したということだ。ヒメノカリスの言葉に焦りはない。
 ここで友軍の活躍を喜ぶほど単純なザフト兵では、少なくともディアッカは違った。

「罠だってことか? 一体何を企んでる!」

 ヒメノカリスの胸ぐらにつかみかからんばかりの剣幕であったが、しかしディアッカは女性のドレスにしわをよせることをよしとしなかったのか、途中で手を止める。
 まだ爆発は続いている。宇宙高度からの爆撃か、それとも爆撃機でも出張っているのか、攻撃はかえって激しさを増していく気配さえあった。ザフトの本気がうかがいしれる。
 ヒメノカリスは手のひらを下へと向ける。

「ここの地下には大型のマイクロ波照射装置が埋設されてる。わかる? 範囲内の金属は発火して、電子機器は狂う。水分という水分は瞬く間に気化して膨張した蒸気は器を突き破ってしまう。たとえば、人体とか」

 電子レンジに卵を入れる。現在は安全装置が働くためそんな危険はないようだが、電子レンジが登場した当初は卵を入れて破裂させるのが定番の失敗であったそうだ。水は気化すると体積が1700倍に膨れ上がる。その分の圧力が逃げ場を探して暴れ回ることになる。人体の9割が水でできている人間ならひとたまりもない。
 敵をおびき寄せて一網打尽にするつもりだ。

「お父様は賢いの。すでにここは軍の中枢としては機能してない。お父様は邪魔者も一緒に葬り去るおつもり」
「穏健派とザフト。両方の勢力を削ぐつもりだね」

 キラ--これでも所属としては大西洋連邦軍穏健派に入る--が現在までここに残されている。アーク・エンジェルが防衛に回されていることを考えれば妥当な結論だろう。
 そして、地球からはザフト軍の主力と反対勢力が一掃されることになる。急進派の完璧な一人勝ちの状況だ。

「こんなことって……」
「寒気がするくらいご立派な作戦だな」
「お父様は賢いの。誰よりも、何よりも。この戦争はすべてがお父様の手の上で動いてる」
「おかしいだろ、お前も、お前のお父様もな!」
「あなたごときが計れる程度の人じゃないもの。お父様は尊いの。お父様は誓った。ヴァーリ、そしてダムゼルは殺さないと。だから差し上げる。このガンダムたちを。お父様を失望させないで」

 わざわざ助けることはない。力は与えよう。逃げ出してみろ。エインセル・ハンターの顔が浮かんでは、キラはあの夜に感じた恐怖が再び体を通り抜けた。
 ヒメノカリスはまるで詩吟にでも興じているかのように、自分の言葉に酔い続けている。正確には、お父様の命じた通りのことができる喜びに酔いしれているのだろう。

「この戦争は、すべてお父様の意のままに、青き清浄なる世界のために動いてる。ブルー・コスモスは3輪の青薔薇を象徴に掲げる。ようやく、花が咲く時が来た」

 青い薔薇。薔薇は青い色素を持たなかった。人が手を加えなければ決して咲くことのない薔薇を、遺伝子操作を糾弾する組織が掲げていることはドミナントが代表にあることに対する皮肉であろうか。
 しかしキラは、何故3輪の薔薇が咲いているのか、そのことの意味を、恐ろしさに気づくことはできなかった。
 凍りついた大地を震わせて、しかし戦火はまだ燃え上がってさえいなかった。



[32266] 第31話「大地が燃えて、人が死ぬ」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/11/10 00:52
 ならぶ3機のモビル・スーツ。1機はちぐはぐの装甲を白く染めている。黒い装甲を有するガンダム。赤い機体。この3機が並んでいる。ドッグには注水が開始されており、次第に水がそれぞれの機体を浸そうとしていた。
 キラ・ヤマトがいるのは、白い機体のコクピットである。
 従来のコクピットはシートの前にいくつものモニターが敷き詰められ、箱に押し込まれるような窮屈さがあった。しかし、ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレは違った。コクピット全体が球形をしており、シートはショック・アブソーバーを兼ねるア-ムで中空に固定されている。壁すべてがモニターとして機能することで、見渡す限り外の様子を知ることができた。全天周囲モニターと呼ばれるもので、閉息感がないばかりでなく、周囲の様子を的確に把握できる利点がある。まだ開発途上と聞いていたが、ゼフィランサス・ズールの技術力を常識で計ることはできない。
 操作性においてもこれまでのものとよい意味で大差ない。ちょうどパイロットの正面に張り出しているコンソールは小型化こそされているが、一目みただけで使用法がわかる。
 今頃ディアッカ・エルスマンやアイリス・インディアも、機体の様子を確認している最中だろう。

「キラ、まさかとは思うが爆弾でも仕掛けられてないだろうな?」
「僕たちを殺すためだけに?」

 モニターには表示されていないがディアッカのことだ、どこか皮肉じみた態度でシートの下でも探っているのかもしれない。

「でもディアッカさん、本当にいいんですか? このままだとザフトの人と戦うことになりますよ」
「外の連中に地球の機体に乗ってても味方であることを証明して地下にやばいのがあることを説明して撤退を説得して制限時間内に逃げ切る。そんな高難度のウルトラCかます気にはなれないからな」

 水はすでにモビル・スーツを完全に覆うほどの水位に達していた。全天周囲モニターから見るとガラス玉に入れられて水中を漂っているように見える。

「アイリス、ディアッカ、君たちはアーク・エンジェルの援護に向かって欲しい」
「キラはどうする?」
「僕は、ムルタ・アズラエルを追う!」

 Generation Unsubdued Nuclear Drive/Assult Module complex。
 オーベルテューレのモニターには、新たなガンダムの名が示されていた。




 焼き払われた荒野。ザフト軍はアラスカの大地にありったけ弾薬とありったけの火種を一度に放り込んだ。燃え尽きた木の躯が転がり、灰と化した木々に混ざるように破壊しつくされた何かの部品が、やはり転がっている。
 残り火が揺れる他に動くものはなく、乾いた空には雲一つない。ただ何か、砂を紙の上に転がしたような黒い点が空にはちらほらと見えていた。それが、一斉に拡大する。空は突如、広がった多数の円が白い空に無数の穴をあけていた。
 それはZGMF-1017ジンであった。巨大な落下傘につり下げられたジンがアサルト・ライフルを両手に保持したまま、空からゆっくりと降り下る。くすぶる炭化した幹を踏み裂き、鋼鉄の四肢が力強い。バクゥがその四足で体を支える横を、ジンの一団が隊列を組みながら早足で通り過ぎる。
 空からはジンが、陸からはバクゥが次々にアラスカの大地へと乗りつけた。100万tの鋼鉄の軍団が空から陸から押し寄せる。
 崖の中、岩山、地下に隠されていた高射砲が偽装を解かれ姿を現す。途端、空には曳光弾の帯が引かれ、直撃を受けたジンがパラシュートにつられたまま火の玉と化した。水平に放たれた弾丸はバクゥの前足を撃ち抜き、バクゥは頭から燃え残っていた木々に突っ込む。
 しかし砲撃の数がまるで足りていない。ジンは次々と降下を果たし、鋼鉄の進軍へと足並みをそろえていく。アサルト・ライフルの銃声は木々を薙払い、次々と砲台を沈黙させていく。
 スライドした地面から姿を現した滑走路からは戦闘機が出撃し、岩盤が展開することで姿を現したハッチからはGAT-01デュエルダガーが出撃する。このアラスカの大地は、それが大西洋連邦軍の本部であることを突然思い出したように反撃を開始する。
 しかし、数が足りていないのだ。防衛線が十分に機能していない。くすぶる木を踏み倒して現れたジンへとデュエルダガーから放たれたビームを直撃する。1機撃墜。しかし押し寄せるザフト軍はたやすく反撃へと打って出た。浴びせかけるように放たれたアサルト・ライフルの弾雨がデュエルダガーを破壊し、ジンは敵機の残骸に目もくれることなく進軍する。
 出撃するモビル・スーツも、配置につく戦艦さえ、ザフトの主力部隊の猛攻を抑えるにはまるで力を満たしてなどいない。ザフトはそれをナチュラルの無策と信じた。事実を知る者だけがその真意とその恐ろしさを知っている。




 ザフトの攻撃は激しさを増している。通路には運び込まれたけが人で溢れ、飛び交う声はあわただしいばかりである。明らかに防衛に当たる戦力が少ない。デュエルダガーの配備数が足りておらず、徐々にザフト軍に防衛線を突破されつつあるのだ。
 上層部は何をしているのか。
 マリュー・ラミアスはそう、爪を噛みながら通路を早足で駆け抜けた。基地の中心部に向かうにつれ、壁にもたれて倒れる人、その看護にあたる人の数が減っていく。その様には寂しささえ覚えた。いつの頃だっただろう。この寂しさが違和感、そして、焦燥感と疑念に変わったのは。
 マリューはふと足を止めた。
 足音が消えて、すると、音らしい音がすべて消失する。誰もいない。大西洋連邦軍の中枢に誰もいないのである。本来なら攻撃に備えてあわただしいことこの上ないはずなのだ。
 人の姿を探して、通路の両壁に並んでいる扉を手当たり次第に開けてみることにした。開閉ボタンを押してみてもまるで開く気配がない。次の扉も、その次の扉も、試しに手動での開けてみようとしてもまるで開く気配がない。10ほど扉を試した後だろうか、唐突に開く扉が見つかった。
 内部は薄暗い。照明はついているようだが、いかんせん部屋が広い。足を踏み入れてみると、部屋の奥は広大な空間が広がっているとわかる。響く足音が広く響くのだ。空間に音を響かせながら部屋の中心へと歩く。ただ、それはすぐに手すりによって邪魔されてしまう。手すりに掴まり、下を覗き込む。すると、そこにはいくつものパラボラ・アンテナが敷き詰められるように並んでいた。
 こんな地下で一体どんな電波を受け取ると言うのだろう。得体の知れない何かが起きている。司令部が空であること。そして、使途不明のパラボラ。それがどのように繋がるのかなどわからないが無関係であるはずがない。
 マリューは走り出した。
 この部屋はパラボラ・アンテナを設置してある一角を取り巻くように左右に弧を描いて伸びていた。壁には扉も見えれば、通路の口が開いてもいる。誰か事情を知る人物の1人くらいいても不思議はない。

「誰か、誰かいないか!?」

 声を張り上げながら走っているため、すぐに息が切れてしまう。ただ、幸いなことに、ただ1度声を出しただけですぐに人は見つかった。マリューが目指していた通路から、男が1人現れたのである。近くにまで走りよっていたため、男との距離は思いの外近いものになった。
 白い軍服。大西洋連邦軍のもので、階級章は大佐のものである。胸に青い薔薇の紋章を掲げ、その目は仮面に隠されている。
 一瞬、ここにいるはずもない人物の名前が浮かび、それを頭からぬぐい去るよう意識する。しかし、こんな仮面をつけた男など他にいるはずがない。

「あなたは……、ラウ・ル・クルーゼ!」

 以前会った時も白いノーマル・スーツを身につけ、目元を隠して柔らかな金髪に顔を縁取っていた。どこか皮肉じみた笑い方も変わるところがない。

「覚えていてくれたとは光栄だ」

 クルーゼが1歩近づいてくる。マリューは反射的に後ずさり、懐から取り出した銃を両手で構えた。

「ザフトであるはずのあなたが何故!?」

 以前はクルーゼに銃を突きつけられる形の出会いであった。現在は立場が逆転している。そのはずだが、力関係はまるで変わっていないようにさえ思えた。あくまでも余裕を見せるクルーゼに、マリューはどうしても主導権を握ることができないでいる。

「スパイとしてザフトに潜入していたと言えば、信じてもらえるかね?」

 それが愚かなことだとはわかりながらも、マリューはつい相手の顔から視線を下げた。胸に咲いた青薔薇を確認したのである。青い薔薇。それはブルー・コスモスを、コーディネーターの徹底根絶を謳う急進派の意志を示す。

「あなた方は……、一体何を……?」

 顎で円形の部屋の内側、大量のパラボナが植えられている広大な空間。あれが何なのか、マリューには皆目見当もつかない。しかし、得体の知れない恐ろしさが銃を構える腕に無用な緊張を与えていた。

「答えてもいいが、まずはその物騒なものを降ろしてはもらえんかね?」

 とてもではないが下ろす気にはなれない。こう自信に溢れた姿を見せられていると、どうしてもこの男を撃ち殺せるイメージが想像できない。悪い兆候である。頭で勝てないと思い込み始めてしまっている。
 クルーゼはかすかに笑った。あまりに必死なマリューのことがおかしくてならないのだろう。

「これはサイクロプス。マイクロ波を広域に照射する装置だ。早い話が、アラスカを電子レンジに放り込むと思えばいい」
「そんなものを使ったら友軍も……」

 これまで幾度考えたことだろう。軍人として、情けない顔や、頼り気ない声を出してはならないと。そして、幾度、後悔を繰り返したことか。
 クルーゼはサングラスの位置を直すほどの余裕を見せつけながら、口元を歪ませていた。

「穏健派を気取る諸君には、たしかにすまないことをする」

 この時、話がつながった。司令部の不在。そして、サイクロプスという大量破壊兵器。急進派は、穏健派の主要人物を抹殺して実権を握るとともにザフトの虎の子の戦力を奪うつもりなのだ。
 銃口の先で男は笑っていた。これから多くの人を殺すというのに罪悪感は微塵も感じられない。マリューの指先1つで左右されるほど危機的状況にあると言うのに、恐怖は覚えてなどいない。
 クルーゼは手を差し出した。マリューはつい引き金に指をかける。

「ここで私を撃てば君も死ぬ。どうかね。私を助けてくれるなら、安全な場所への船旅を約束しよう。それとも、今から装置をとめてみせるかね?」

 本気で命乞いをしているわけではないのだろう。このような状況でさえ、この男はゲームにでも興じているかのような態度を崩そうとしない。マリューは息を吸い込んだ。正義感や使命感ではない。圧倒的な恐れがマリューをつき動かす。この男を、ラウ・ル・クルーゼを生き長らえらせることがただただ恐ろしい。

「そうね、あなたを倒してから、そうさせてもらうわ!」

 心臓へとめがけて、マリューは引き金を引く。思いの外軽く聞こえる発砲音がして、手には反動からくる痺れ。そして、クルーゼはマリューが手にする銃を掴んでいた。何が起きたのかわからない。かわされた。そうとしか考えられないと結論付けたとほぼ同時に、マリューは腹部に鋭い痛みを感じた。
 クルーゼの腕が自分の腹部にめり込んでいる様を見下ろしながら、マリューの意識は沈んでいった。




 アラスカを流れる広大な運河。これがアーク・エンジェルに任せられた戦場である。その白い艦体はなだらかな河に浮かび、激しい攻撃にさらされていた。ザフト軍の戦闘機であるノスフェラトゥスが風切り音を発しながら河の上を通り過ぎる。水面には小さな水柱がいくつも立ち上がり、やがてアーク・エンジェルの装甲に火花が走った。

「左舷、弾幕薄いぞ、何をしている!」
「やってるわよ!」

 艦長であるナタル・バジルールの言葉に、苛立った様子でフレイ・アルスターが舵を大きく動かす。アーク・エンジェルは徐々に向きを変え、曳光弾の弾幕がそれに伴い動いた。

「フレイ、2機行った!」

 FX-550スカイグラスパーの姿はブリッジからでも見えている。現在の数少ない防空戦力としてアーノルド・ノイマン曹長はよくしてくれている。だが、大回りな旋回を必要とする重戦闘機は防衛に適していない。網を抜けたジンがアーク・エンジェルの脇を通り抜けるように飛び去っていく。

「防衛戦力が少なすぎる……?」

 周囲に展開する戦艦、モビル・スーツの数が十分であるようには思われない。実際、アーク・エンジェルの周囲に味方の姿はまばらで孤立しているように錯覚させられるほどだ。だが、ほとんどの部隊でアーク・エンジェルと同様の状況におかれている。
 このままではこの瞬間にもザフトに押し切られかねない。
 アーク・エンジェルでは慢性的な人手不足から艦長であるナタルが管制を兼任しているという極めて特殊な状況にある。そのため、アーク・エンジェルに所属するパイロットからの通信は、当然のようにナタルが受けた。

「こちらアイリス・インディア。ナタルさん、援護します!」
「アイリス? どこから……」

 その時のことだ。アーク・エンジェルへと向かっていたジンが、水中から飛び出したビームによって撃墜された。腹部を一撃で貫通されたのである。このビームの破壊力は、ガンダムのそれを思わせた。
 続いて水面を突き破り、黒と赤がアーク・エンジェルを守るように飛び上がった。




 GAT-X207ネロブリッツガンダム。ブリッツガンダムに比べ機体そのものに大きな変更は見られない。しかしバック・パックはより複雑な形状に換装されており、淡い輝きに包まれていた。光に包まれたまま、ブリッツは浮かぶではなく飛んでいる。ミノフスキー・クラフト。まさに光り輝く装甲そのものが揚力を与えるこの機構は、バック・パックという一部の装甲を包むだけでさえモビル・スーツに飛行を可能とする。
 ネロブリッツへと向けてバズーカが放たれる。確実に目標を捉えているはずの弾頭は、しかしネロブリッツが真横へと滑るように移動--スラスターの位置からすればありえない機動である--することでたやすくかわす。
 反撃として放ったビームはバズーカ砲そのものを撃ち抜き、破裂した爆発は保持者であったジンを大きく吹き飛ばす。
 アーク・エンジェルへと攻撃を仕掛けようとしていたジンはガンダムの登場に身を引き、入れ替わるように前にでる戦闘機が多数、一斉にミサイルを発射する。
 背後にはアーク・エンジェル。ネロブリッツには両腕にGAT-X207ブリッツガンダムと同様の複合兵装が装備されている。2門のビーム・ライフル。

「アイリス、合わせろ! 撃ち漏らしたのを頼む」
「はい!」

 飛来するミサイルへと2筋のビームが放たれる。直撃せずともビームの膨大な熱量はすれ違いざまにミサイルを一斉に爆発させる。爆煙の中、誘爆を免れたミサイルが通り抜ける。
 そこを、GAT-X303AAロッソイージスガンダムは右手のライフルで正確に狙い撃つ。残されたミサイルもまた、破裂して消える。
 ネロブリッツは軽やかに飛翔する。

「ミノフスキー・クラフトか。まさかモビル・スーツが空を飛ぶ日が来るなんてな」

 ジンはスラスター出力の関係上、連続して飛行することができない。地に足をつけるジンはアサルト・ライフルを上空へと向け、しかし飛び回るネロブリッツを追いかけ銃身を振り回すでしかない。そこへ、ネロブリッツから放たれたビームが地を焼き、ジンの足を破壊する。
 空からは輸送機からジンが運ばれている。後部ハッチから眼下にアーク・エンジェルを見据えたジンが空へと踏み出す。
 それを、アイリスは見逃さない。

「ディアッカさん、ここ、お願いします!」

 ロッソイージス。同様にバック・パックを輝かせ、生み出された推進力がイージスの赤い体を加速させていく。ガンダムは空を飛ぶ。ジンは浮かぶことしかできない。自由に動き回るロッソイージスに対して、降下を始めたジンは逆噴射を続け、降下を続ける他ない。
 ジンは迫るロッソイージスへとアサルト・ライフルを連射する。身を翻し接近するロッソイージス。それは奇妙な動きを見せた。四肢が不自然に四方へと引き延ばされ、人の形が崩れるとともに新たな形が構築される。それは巨大な腕。四肢は爪に、バック・パックから1対の構造が第5、第6の爪として加わり、6本爪の腕が覆い被さるようにジンを掴み。血塗られた手に鷲掴みにされたジンは完全に身動きを封じられたまま輸送機へ運ばれていく。
 ロッソイージスは手のひらに設置されたビーム砲を撃ち放つ。ジンの装甲をたやすく貫通し、ビームの塊はそのまま輸送機へと延びた。被弾箇所は左の翼。左翼のエンジンを破壊された輸送機は燃料に引火し、爆発に引き裂かれ破片が周囲に降り落ちる。 
 ザフトの攻勢が和らぐ。その隙を逃さず、ディアッカはネロブリッツをアーク・エンジェルの甲板へとネロブリッツを着地させた。

「バジルールさんだったか、今からデータを転送する。無理だとは思うが驚かず見てくれ」




 アラスカの冷たい海に水柱が立ち、海中に泡の柱が立つ。それが次々にキラの行く手をふさぎ、柱並ぶ海中宮殿の様相を呈していた。
 アラスカを脱出しようとする大西洋連邦軍の潜水艦の群めがけてザフト軍が空爆を続けているのだ。
 海中を進むZZ-X000Aガンダムオーベルテューレのモニターには十分な深度に達する前に爆撃を直撃され、吹き出す血のように泡を吐き出しながら沈んでいく潜水艦の姿が映し出されていた。
 脱出さえ許さぬ鉄壁の布陣でザフトはアラスカの殲滅を画策しているらしい。パトリック・ザラ新議長はタカ派で有名だが、この作戦は新議長の性格を顕しているというよりも焦りを感じさせる。まだ副議長であった頃、ザラ議長は当時のシーゲル・クライン議長の手ぬるい作戦が戦況を長引かせていると再三非難していた。議長となった今、何か劇的な戦果を見せつける必要があることは想像に難くない。
 何より、地球最大の要所であるジブラルタル基地は地球軍の大規模反攻作戦にさらされており、議長就任直後にジブラルタルを奪還されるような失態をザラ議長が受け入れられるはずがない。ザラ議長はパナマ基地襲撃のような生ぬるい作戦ではなく、アラスカの本部を急襲するという作戦を選ばざるを得なかったはずだ。

(すべて仕組まれていたのか?)

 GAT-01デュエルダガーの実戦配備。これを境にアフリカ戦線の戦況は大きく変わった。これは、本来ならば投入できないはずのタイミングであった。GATシリーズ--GAT-105ストライクガンダムをはじめとする5機の機体群--のデータを使用したにしては量産機の開発もパイロットの完熟訓練も早すぎる。
 もっとも、これ以上作戦、戦略にかけていられる時間もあまりなさそうだ。
 すでに逆さまの水柱が海中に突き立てられる戦場が近くに見えていた。深度を下げようと潜水艦が鯨の群のように動くその周囲をZGMF-1017ジンが、かつて銛一つで鯨に挑んだ漁師のように追いかけていた。
 ジンは元々水中用の機体ではない。汎用性の高さこそ認めるが相当無茶をしていることだろう。海中に降り注ぐ陽光を遮ってザフトの輸送機と思われる巨大な影が海の中に揺らいだ。そして、海面を突き破って落ちた爆弾が水中で爆発する。振動は離れたオーベルテューレにまで伝わってきた。
 ジンにこれほどの無理をさせてまで逃すことができない相手だとザフトは踏んだらしい。ならば、ここにムルタ・アズラエルがいる可能性は高い。
 視界はひどく悪い。昼間でありながら揺れに揺れる海面は陽光を乱反射して水中には光と影とが踊っている。降下した爆弾が炸裂する度、潜水艦が被弾する度に吐き出される泡が白く視界を塞ぐ。水中に嵐が吹き荒れていた。
 オーベルテューレを見つけたのだろう。ジンが1機、重斬刀を両手に構え突進してくる。水中ではモビル・スーツの装備は大半が使用できない。このような鉄の塊を振り回すしか方法がない。実際、キラもまたビーム・ライフルを腰にマウントし、左手にシールドを構えているだけの状況である。水中は抵抗が大気とは比べものにならないほど強い。ジンはその体を重そうに動かし、剣を突き出すように構えている。
 操縦桿にいつもとは違った手応えを覚えながら、キラは初めての水中戦を静かに受け入れようとしていた。アリス。この機体にも搭載されているOSが水の抵抗を計算し、それに適応した補正を行ってくれる。それが完成した時、操縦桿からいやな手応えがなくなった。
 剣を突き出すジン。重斬刀の切っ先をやすやすとかわすと、オーベルテューレはシールドを縁をジンの頭部へとカウンターの形で突き立てる。モノアイが砕きながら深々と突き刺さるシールド。動きを止めたジンから重斬刀を奪い取り、そのコクピットへと突き立てた。切れ味の鈍い刀は、それでもコクピット・ハッチを歪ませるには十分な攻撃力を有している。今頃ジンのコクピットには低温の海水が流れ込みパイロットを溺れさせていることだろう。
 ジンを蹴り飛ばす形で押しのけ、キラはオーベルテューレを加速させる。水中では思うように速度は出ないが、潜水艦の群に追いつくことくらいはできる。
 ジンの群が潜水艦にとりつき、重斬刀を突き立てていた。まるで鯨に人が抱きつくかのような光景で、なかなか見ることのできない光景ではあった。やがて装甲を突き破られた潜水艦は泡を吹き出しながら急速に深度を下げていく。水圧を考慮に入れていない無理な降下で、撃沈されたか、艦長が賭けに出たかのどちらかだろう。
 この周囲はそんな潜水艦が数多く、海中はほとんど泡の白さに包まれている。
 オーベルテューレを見つけて挑みかかってくるジンを、先程奪った重斬刀で頭部を一突きにして撃退する。さらに先に進む。すると、一際大型の潜水艦が、泡を吹きだしながらゆっくりと沈降を続けていた。
 大きいものは偉い。単純な理屈で、キラはこの潜水艦にムルタ・アズラエルがいると判断した。それはジンにとっても同じことなのだろう。次々にジンが大型潜水艦へと集まり始めているようであった。
 泡にまみれまともに見ることのできない潜水艦の姿。その泡の中から、輝く弾丸が突如ジンを撃ち抜く。明らかにビームの輝きだ。

「水中でビームを使える!?」

 一撃で破壊されたジンが泡の塊に姿を変えたように、この破壊力はビームに他ならない。だが、ビームは完全な熱量兵器だ。水中で使用すれば周辺の水が瞬く間に沸騰し、水蒸気爆発を引き起こす。しかし水中を走った光は間違いなくビームであった。
 潜水艦の甲板上に何かがいる。それは次々とビームを放ち、押し寄せるジンの勢いを完全に削ぐ形で次々に撃墜している。
 もはや何をどう判断していいかわからない光景だ。続く爆撃。ジンは燃える。潜水艦から吐き出される泡はその何かの姿を完全に隠す。
 この距離から得られるものは何もない。加速したオーベルテューレは攻勢を緩めたジンを追い越す形で潜水艦へと接近する。モニターが輝く。放たれたビームを回避すると、逃がし損ねた重斬刀がたやすくへし折れ、流された先で周囲の海水を巻き込んで爆発する。次弾はシールドで防いだ。直撃したビームはその身の熱を思い出したように海水を巻き込み爆発し、膨大な泡を生じさせる。シールドを前に、泡を突き破りながら、オーベルテューレは潜水艦をその視界に捉えた。
 極めて大型の潜水艦で、その広い甲板にはモビル・スーツが楽に立つことができる。そして泡もひどい。床にあたる甲板の隙間から吹き出す泡は立ち上る煙のように視界のほとんどを塞いでいる。オーベルテューレのセンサーで正面に別のモビル・スーツが立っていることはわかるが、その姿は判然としない。
 おぼろげなシルエット。ただ、水中の霧の中に光る双眸と、乱れる陽光にかすかに反射しては消えるブレード・アンテナの輝きは、それがガンダムであることを物語っている。
 攻撃してくる様子もなく、ガンダムはオーベルテューレと対峙していた。

「よう、キラ。どうだ? 新しいガンダムの乗り心地は?」

 通信は、オープン・チャンネルという訳ではないらしい。ゼフィランサスの悪戯か、ガンダム同士をつなぐ専用のチャンネルが設定されていた。
 声には覚えがあった。

「フラガ大尉……」
「大佐だ」

 アフリカにおける戦闘でM.I.A--作戦中に行方不明になったことを意味する--となったムウ・ラ・フラガ大尉の声だ。なかなかどうして殺しても死にそうにない人だと考えていたが、その飄々とした様子はいつ、どこでも変わらない。

「急進派のスパイだってことですか?」
「まあな。だが勘違いしてくれるな。俺は下っ端じゃない。俺もムルタ・アズラエルだ。3人いる内のな」

 ムルタ・アズラエルは神出鬼没だとは聞いていたが、3人いるのだとすればカガリ・ユラ・アスハが振り回されたことも頷けるだろうか。ブルー・コスモスは3輪の青薔薇を象徴に掲げる。当たり前のことを、今一度思い出した。

「キラ、別に俺たちが敵対する理由はないはずだ。お前はゼフィランサスを助けたい。それは俺たちも同じだ。プラントを潰し、シーゲル・クライン、パトリック・ザラを殺してな。エインセルやラウがどう言ったか知らないが、お前が俺たちの敵になる理由はない」
「僕はあなたたちを信用しきれない。この10年、あなたたちはゼフィランサスを利用するでしかなかった」
「確かにな。だが俺たちは決めたんだ。たとえ間違っていようと、行動を起こすってな。ゼフィランサスはよくしてくれた。このガンダムも、もちろんお前のガンダムもゼフィランサスが造ったものだ」
「はじめから計画されたたことなんですね、何もかも」

 泡は一層激しさを増していた。2機のガンダムを包み込み、さらに視界を白く潰していく。

「そうだ。モビル・スーツの開発を主導したのは確かに穏健派だが、俺たち急進派はすでにモビル・スーツの開発を終えていた。ヘリオポリスで造られたGATシリーズは所詮、見せ金にすぎない。大西洋連邦製のモビル・スーツの始祖はGATシリーズじゃない。このゼフィランサス・ナンバーズだ」

 早すぎるデュエルダガーの実戦配備の説明がつく。穏健派が、モビル・スーツ開発という成果を持ち出しても影響力を拡大できなかったこと、奪取されたガンダムの奪還に大西洋連邦が驚くほど無頓着であったこともだ。
 すべて、ただ目の前にぶら下げられた餌なのだとしたら。

「ゼフィランサスはすでに3年前にモビル・スーツの基本設計を完成させていた。ゼフィランサス・ナンバーズについてもな。だが、まだ時じゃない。ようやく時が来た。この戦争は、俺たちムルタ・アズラエルが創り出す」

 限界を迎えた潜水艦が最後の一息のように膨大な量の泡を吹き出しながら急速に傾いていく。甲板からオーベルテューレを浮上させると、すでにムウ・ラ・フラガの姿を完全に見失っていた。
 ガンダムは、海の深淵の中にその姿を消していた。





 いくつもの無限軌道に支えられる大型戦艦からバルカン砲を間断なく空へとばらまかれている。満足に狙いなどついていない。数に任せた攻撃を、時に弾幕と呼ぶ。戦艦が1隻でも存在すれば、その一体は戦艦の砲撃によって、敵機にとっては容易に通り抜けることができない空間と化す。
 拠点としてだけではなく、防衛線としても戦艦は機能するのである。
 アスモデウスの指揮官はデュエイン・ハルバートン少将。普段から冷静であろうと努めるこの指揮官でさえ、声を荒らげることはある。ブリッジ、艦長席の上でハルバートンは椅子から取り上げた受話器に向かって怒鳴った。

「それは事実か!?」

 現在は戦闘中であり、ブリッジには30名ほどのクルーが慌ただしい。モニターにも油断できない戦況が絶えず映し出されており、ハルバートンの声を気にするものはいない。
 通信を通して戻ってきた声はナタル・バジルール中尉のものである。

「残念ながら、蓋然性は高いものと」

 通信のこれまでの内容はこうだ。現在、ジョシュアの地下には広域にマイクロ波を照射する装置が秘密裡に設置されている。アラスカの防衛にあたる将校はその大半が穏健派に属している。そのことを、疑問に思わないわけではなかったが、作戦面にまで急進派の影響力は及んでいないだろうと高をくくっていた。穏健派ごと、ザフト軍の戦力を始末してしまうつもりなのだとすれば、あまりに多くのことが説明できてしまう。
 歯など砕け散ってしまえばいい。ハルバートンは悔しさと怒りに限界まで歯を食いしばる。

「急進派は! ブルー・コスモスは人の心を失ってまで戦争がしたいのか!?」

 この声には、幾人かのクルーが振り向いて艦長席を見上げた。ハンニバル級のブリッジは3層に分かれた階段状の構造をしている。最上段に艦長席が存在するため、クルーが艦長を見るためには見上げなければならない。見上げる手間にもかかわらず耳目を集めるほど、ハルバートンはいきり立っていた。

「何故……、このようなことを……!」

 受話器を持たない手で、ハルバートンは顔を覆う。できることなら泣き出してしまいたい。今、穏健派と急進派で争っている余裕などない。そう信じ、ガンダムのような力を産み出させてまでその争いを終息させようと努めてきた。軍人として、過度な戦争を行うでしかない世界を変えようと尽力してきた。その結果が、敵をおびき寄せる餌として焼き尽くされるとは、死んでも死にきれるものではない。
 そう、このまま死ぬわけにはいかない。
 ハルバートンは顔から手を取り払い、その手を座席のコンソールに叩きつけた。陸上戦艦アスモデウスと通信が繋がっている全戦艦へと一括で送信する。

「防衛にあたる各員に次ぐ! 現在サイクロプスなる大規模兵器が始動中である。この兵器はアラスカ全域を破壊するものであり、すでに基地機能は移設されている。よって、総合最高司令部防衛という我々の任務は事実上達成されたものと判断! 各艦、各機の戦線離脱を許可する!」

 無論、現在のハルバートンにそのような命令を発する権限もなければ、任務達成など言葉の遊びにすぎない。現時点で戦線を離れれば敵前逃亡に問われる恐れがある。果たして何人の兵が反逆罪を受け入れる覚悟があるだろうか。何人の兵がハルバートンの意を汲んでくれるだろうか。
 ハルバートンは今1度手で顔を覆った。結果はまもなくでることだろう。果たしてどのような通信が戻ってくることか。事態のさらに詳細な説明を求めるものだろうか。それとも免罪の確約を求める言葉だろうか。
 そのどちらでもない。
 このアスモデウスへ、そして、ハルバートンが撤退命令を送ったすべての戦艦へと、声が届いた。

「各員へ。現在の指令はハルバートン将軍の独断にすぎない。戦線離脱は許可されない」

 年を経た壮年の声音。忘れもしない、穏健派筆頭、ウィリアム・サザーランド大将の声である。

「サザーランド将軍、あなたは何を!?」

 このままでは穏健派、そして何も知らぬ兵が犠牲にされてしまう。そんなことを穏健派筆頭が認めていいはずがない。そもそもジョシュアを焼き尽くすほどの兵器を何故穏健派に気づかれることもなく設置できたのか。
 そう考えが至った時、ハルバートンは受話器を取り落とさんばかりに動揺を示した。目が見開かれ、口が力なく開け放たれる。ハルバートンの様子など構うことなく、サザーランド大将の声は一方的に話を繋いでいく。

「我々は穏健派などと呼ばれているが、勘違いしてはならんよ。我々はあくまでも軍人だ。国民の生命と財産を守る義務が我々にはある」

 ガンダムの機密が漏洩したために、急進派は量産型モビル・スーツの開発に迅速に着手し、穏健派の影響力向上には目立って役立つことはなかった。機密の強度を考えればわかることではないのか。情報源が穏健派の中でも上層部にいる者であるということを。それを、まさか将校が関わっているはずがないと意識に上らせることさえなかった。

「誰だとて戦争は嫌なものだ。傷つきたくなどない。殺されたくなどない。奪われたくなどない」

 その声は、あくまでも平静である。

「だが、それは臆病の言い訳であってはならない」

 もはやサザーランド大将の言葉など聞いてはいない。ハルバートンは心に溜まった暗い失望をいくらか汲み上げて、意図して言葉にこぼした。

「あなただったのですね……、急進派に寝返った裏切り者は!」

 言い終えると、思いの外自分の声が響くことに気づいた。もはやブリッジのクルーの大半がハルバートンとサザーランドとのやりとりに耳を傾けていた。誰もが待っているのである。最後の、ほんのわずかな希望をもって。
 息苦しい沈黙の後に聞こえた言葉は、さらに重くのしかかる。

「否定はせんよ」

 かなわぬわけだ。勝てぬわけだ。見透かされるに決まっている。急進派にとって、穏健派の足掻きなど手の上で踊る猿ほどにも考えていなかったに違いない。
 サザーランド大将からの通信は途切れた。
 クルーたちは仕事を忘れ、ハルバートンの方を見ている。言葉を、指示を待っているのだ。受話器に持つ手に力を込める。椅子に1度座り直す。ハルバートンとて、意識を改める必要があった。1度クルーの顔を眺めて、鼻から息を吸い込む。

「聞いての通りだ。戦線離脱は認められない」

 この声は各戦艦にも届いている。これまで幾度も戦えと命じ、何人もの部下を死なせてきた。しかし、1度も、ただの1度も死ねと命じたことはない。この場に残ればサイクロプスに焼き尽くされる。戦えと命じたならば、それは死ねと命じることと同義である。
 ではどうするのか。答えは決まっている。ハルバートンは声の限りに叫んだ。

「だが、私は決して死ねと命じることはできない!」

 デュエイン・ハルバートン。最後の意地を見せるべき時であるようだ。




「現時刻をもって、本艦はこの戦域を離脱する!」

 アーク・エンジェルのブリッジにおいて、ナタルは声を張り上げた。
 すぐさま反応を見せたのはダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世軍曹である。すぐさまナタルの方へと振り向き、薄いサングラス越しに慌てた眼差しが見て取れる。

「しかし、敵前逃亡は銃殺刑ものの反逆行為です」
「全責任は私が負う!」

 このような意見がでることはわかりきっていた。ナタルは被せるようにダリダの言葉を潰す。もちろん、この言葉でクルーたちが全員無罪放免になる保証はない。それでも、ダリダからの反論はなかった。穿った見方をするなら、この一言で死への恐怖と軍法会議への恐れを並べた天秤が逆転したのだろう。
 モニター、風防から見える戦場は様相に変化が生じていた。大西洋連邦軍から離脱する部隊が出始めたことで戦況が混沌とし始めている。残念ながら他の部隊との連携は望めそうにない。
 ザフトからの攻撃が激しさを増す。最後の総攻撃に出たとでも思われたのだろうか。戦線が勢いを増し、目に見えて曳光弾が文字通りの垂れ幕のように空を覆っている。
 アーク・エンジェルは流れに沿って河を下っている。大天使は空を飛ぶ。しかし今飛び立てばザフトの集中攻撃にさらされる。船旅を続けることもできない。

「留まるも地獄。行くも地獄か……」

 何か一つ、ザフトの包囲網を突き崩す切っ掛けを必要とした。

「私は命じよう! 反逆せねばならんのなら、反逆者の汚名を受けよ! 何があったとしても生き抜いて見せよ! 誰かが伝えねばならん! ブルー・コスモスの凶行を! 誰かが止めねばならんのだ!」

 猛将の言葉は、まるで直に耳にしたように響く。
 要塞がそのまま歩き出すほどの地響きと土煙。曳光弾のやまあらしと化したハンニバル級の巨大な無限軌道の生み出す駆動音がアラスカの大地を走り抜けていく。
 ハルバートン少将はハンニバル級を犠牲に活路を開くつもりなのだ。分の悪い賭けだが、少将なら付き合うに悪い相手ではない。

「アルスター一等兵! 本艦はこれより敵陣を切り裂いて離脱する。航行用意!」
「了解!」

 艦内全体を揺らす振動と鳴動に、体に徐々に圧力がかかっていく。艦体が加速を始め今、アーク・エンジェルは飛び立たんと水面を引き裂き傾き始めた。
 戦いの空へ。ザフトがひしめく戦場が待っている。
 2機のガンダムは左右に展開するアーク・エンジェルの脚状の構造に立っている。

「ここが、踏ん張りどころですね、ディアッカさん」
「今からでも、俺はザフトだと叫びたい気分だ……」




「全速前進! この艦を盾とする!」

 ハンニバル級陸上戦艦の巨大な体がそのもてる力の限りの走り出す。象の群が走り出すがごとく要塞が動く。焼かれた森を踏み砕きながら、凍土の空に弾丸、弾薬の限りをばらまき猛進する。
 前線を瘤一つ分盛り上がったハンニバル級など格好の的であろう。
 ジンの隊列が一斉にアサルト・ライフルを放ち、戦闘機が機銃を掃射する。爆撃の火柱がハンニバル級を狙い立ち並び、その振動にハルバートンは艦長席にしがみつきながらそれに耐えた。
 たかが戦艦一つにご大層なものだ。
 だが、それでもいい。アスモデウスに攻撃が集まった分だけ、活路を見いだす部隊が現れるかもしれないのだ。それだけでも命を捨てる価値はある。一軍の将としての責任を果たすことができるのである。
 ハンニバル級が大きく揺れる。ブリッジ付近に直撃をくらったのだろう。黒煙が入り込む、飛び込んだ破片がハルバートンの額を切り裂く。痛みにうめく。だが、怯んでいる余裕などない。ブリッジの中では負傷し、倒れたまま動かなくなったクルーの姿も見られた。

「君たちは脱出したまえ。ただ直進させるだけならば私だけで十分だ」

 声を通したつもりであったが、クルーたちは誰も振り向こうとしない。傷ついたクルーさえも起き上がりこの鈍重な戦艦に息吹を与え続けようとする。

「すまない……」




 傷だらけの戦艦は突き進む。装甲は砕け、剥き出しの構造からは火花と黒煙が立ち上る。焼き尽くされた大地を創痍の巨象が行進する。迎え撃つフラッシュ・マズルの輝きは巨象を照らす。
 それは巨木を倒すに似ている。斧を振り下ろす。倒れるだろうと、いつか倒れるだろうと木こりは考える。しかし木はいつまでも倒れない。苛立つように幹を刻む。それでも木は倒れない。倒れないから木こりは斧を振り回す。そして逃げ遅れる。天を覆うほどの巨木が、自分たちめがけて倒れてくるその時まで。
 もはや間に合わない。そう、ザフトが確信した時にはすべてが遅かった。突進を続けるハンニバル級は大地に巨大な轍を刻みながら、炎に包まれながらも突き進む。
 ジンが一斉に逃げ出し始めた。ライフルを投げ捨て、背を見せて走り出すその様は人の臆病を彷彿とさせる。牽かれ、足から無限軌道の下へと引きずり込まれていく。逃げ遅れた木こりは大木の下敷きになる。
 そう、すでに倒れているのだ。ハンニバル級を動かすのは巨大なエンジンであり、そして軍人の意地であった。
 ただ突き進む屍と化したハンニバル級の針路上にザフト軍地上戦艦がある。主砲がハンニバル級へと突き刺さる。倒れかかる巨木にどれほど斧をくれようと意味をなさない。ただ押し潰されるだけである。
 燃えさかるハンニバル級はザフト軍地上戦艦へと衝突する。世界中の銅鑼を一斉にかき鳴らしたような轟音。大気が震え、戦艦2隻分の爆発から生じた爆風はすべてを覆い隠す。
 爆煙は一向に晴れることがない。ザフトはこの壮大な特攻に完全に意識えを奪われ、攻撃の手をとめてさえいた。その一瞬、煙を突き抜けスカイグラスパーが飛び抜ける。思い出したようにライフルを向けようとするジンの群。だが、彼らは知らないでいる。スカイグラスパーは単なる水先案内人にすぎないということを。
 煙を吹き飛ばしながら白亜の戦艦が飛翔する。それは突風さえ生じさえ、スラスター出力を頼りに浮かんでいるだけのジンの中には吹き飛ばされたものの姿さえあった。必死に耐えようと踏みとどまるジンにアーク・エンジェルの巨大な艦体が迫る。
 甲板の上にはロッソイージス。小手にビーム・サーベル発振装置を有するロッソイージスはライフルを保持したままサーベルを発生させることが可能である。発生させたビーム・サーベルを肘打ちでもするかのような動作でジンの胴を裂く。
 二つに分かれたジンを残して、アーク・エンジェルは空を裂いて加速する。




 ここは場違いな部屋であった。絨毯が敷き詰められ、置かれた家具は調度品と気取った呼び方しか許されないほど豪奢なものが揃えられている。
 装飾が施されたテーブルを挟んで座っているのは男が2人である。1人は美しい男であった。後ろには妻と娘を侍らせ、ただ座っているだけのその姿でさえ絵画を切り取ってきたかのような優雅さを纏う。対して、向かいに座る男は憐憫を催すほどに惨めに見えた。老齢。ただそれだけでは説明できないほど、その顔に刻まれた皺は深く、その目は淀んでいる。
 この男、ウィリアム・サザーランドからは大将にまで上り詰めた覇気は感じることはできない。凍えるように身を縮め、手に持つ写真立てへと視線を落としていた。
 サザーランド大将は部下を死地に残しながらも、この写真だけは持ち出したのである。写真には花を抱える少女が写っている。まだ子どもと言った方が適切なほどに幼い娘であり、頭の横で左右に髪を束ねるツイン・テールの髪型がよく似合っている。
 向かい側に座る男、エインセル・ハンターはその写真に目を落としてから、その青い瞳は再びサザーランドを捉える。

「お孫さんでしょうか?」

 エインセルの言葉に、サザーランドは必死に笑ってみせた。その様は枯れ木さえ思わせる。

「エルと言いましてな。目に入れても痛くないほど、かわいい娘でした」

 サザーランドは写真立てをテーブルに置く。自分とはやや離れた位置に。

「私は、コーディネーターを信じていました。新たな人類。それは、人類がこれまでになし得なかったことさえ、成し遂げてしまえる者なのではないかと」

 プラントの謳う国境、民族、性別、思想、信条によって差別されることのない世界の実現を信じた。だからこそ、サザーランドは穏健派筆頭としてプラントとの柔和に努めてきた。

「ところが、実際は違いました」

 C.E.67.4.1。エイプリルフール・クライシスは地球に死者だけで10億という人的被害をもたらした。身内を失った者は多い。また、国力が疲労したことによる争乱のような副次的意味合いの強いものは10億の被害の中に含まれない。ただ、考え方を変えるなら、地球に住んでいるというだけですべて一緒くたに標的にしたプラントの凶行は、その理念にかなっていると言えなくもない。
 サザーランドは笑う。自嘲的で、滑稽で、あまりに乾いた方法で。

「こんな話をご存知ですかな? 人は、絶滅の危機に瀕している。それは人の心が病んでしまったからだとか、醜くなってしまっただとか、そんな叙情的な理由ではありません」

 人はそんなに変わるものではない。それどころか、絶対多数の幸福を実現するために民意を汲み取り、体制を精査し、権力の暴走を許さぬ仕組みを築き上げてきた。それでも、人が滅びの危機にあることは明白である。

「人は自らを滅ぼすだけの力を得てしまいましたからな」

 たとえば核兵器であり、このような兵器を得たことで人は滅びの可能性を手にしてしまった。

「コーディネーターだとて同じこと。蜘蛛は巣にかからないよう、蛇は毒で死なぬよう、力とそれに伴う自制を備えることこそが生物にとって必要なのです」

 では、コーディネーターにそれほどの生物学的な安全装置が果たして備えられているだろうか。自ら否定するように、サザーランドは首を交互に横に振る。

「あなた方の言葉を借りるなら、いえ、この言い方はよしましょう」

 あなた方ブルーコスモスの言葉。この表現は適切でない。確かにブルーコスモスの理念の1つであるとは言え、サザーランドとて同じ言葉を思い描いているのである。自らの言葉として、サザーランドは口を開く。その暗く淀んだ眼差しをエインセルへと向ける。

「コーディネーターという存在はただ人の危険性のみを肥大化させた存在に他ならない。新しい人などではないのです。ただ、社会にとって、一部の価値観にとって都合がいいというだけで」

 サザーランドはまた写真立てに手を伸ばす。決して重くもなく、脆くもない写真立てを愛おしげに拾い上げると、それをそっとエインセルに差し出した。

「預かっていただけますかな?」

 エインセルは首を回して、娘であるヒメノカリス・ホテルに目配せする。すると、ヒメノカリスが写真立てを受け取り、また父の後ろに侍る。

 開いた手で、サザーランドは懐から拳銃を取り出す。大西洋連邦軍に支給されるごくありふれたもので、新品同然の状態である。

「エルは死にました。まだ8歳。今頃、エインセル殿の娘さんのように可憐な娘になっていたことでしょう」

 拳銃を安全装置を指で外す。これでこの鉄の塊は致命的な意味合いを持つ。
 エインセルは身を崩すことなくサザーランドの言動を眺め続けている。

「ウィリアム・サザーランド。あなたの協力がなければ、我々の計画は始めることさえ難しかったことでしょう」

 サザーランドの笑い方は、やはり自嘲的なものに他ならない。

「笑ってくだされ。私は単なる裏切り者にすぎない」

 拳銃を自らのこめかみに突きつける動作に、迷いなどあるはずがなかった。穏健派を裏切ると決めた時から、この結末を待ちわびていたのだ。コーディネーターの暴威から地球を守るためならば、悪魔にこの魂を捧げようと、裏切り者の汚名を被ろうと、そしてそのまま死ぬのだと。

「では、お先に参りますかな」




 ムウ・ラ・フラガは姿勢を正して座っていた。コクピットの中、ノーマル・スーツ姿のまま、普段緊張とは無縁の生活をしているとは言え、襟を正さなければならない時というものは存在する。
 全天周囲モニターが全面に光の柱突きたてられる海の光景を映し出している中、ムウは膝の上にトランクを乗せていた。開かれたトランクの中には装置が埋め込まれ、備え付けられた受話器を耳にあてている。

「そうか、サザーランドのじいさんは逝ったか」

 さて、どのような男として見送るべきか。大西洋連邦大将として、あるいは計画に尽力してくれた仲間として。それとも、この計画を確実に実行に移す方がよほどの供養になるであろうか。
 トランクに唱えられたナンバー・キー。ムウは慣れた手つきで10桁ものパスワードを打ち込むと、半透明のケースが開き鍵穴が姿を現す。どこからともなく取り出した鍵を差し込むと、トランクは準備を終えたとばかりにランプが点灯する。 

「キーを回すタイミングは?」




 ラウ・ル・クルーゼの前にも、ムウと同様のケースが置かれている。しかし、キーはラウの手と空とを行き来している。右手の受話器で連絡をとりながら、椅子に座る。左手では破滅の扉を開く鍵を弄んでいる。
 すでにケースは開かれ、鍵穴が露出していた。

「一部戦線を離脱している部隊があるようだが、予定していた戦力は巻き込むことができそうだ。こちらはいつでも準備ができている」

 その視界の隅には、気を失ったままソファーに横たえられているマリューの姿があった。




 そして、エインセル・ハンターの前にも、同じケースが置かれている。その白い指はすでにトランクに差し込まれた鍵を掴んでいた。テーブルはウィリアム・サザーランド、かつての穏健派筆頭が流した血が赤く跡を残す。

「迷い、躊躇い、逡巡。私たちはそのすべてを、あの日に捨てたのですから」

 その指に迷いなく、鍵は回される。




 基地内部へと通じる大型ハッチをビームの光が切り開く。くり貫かれた分厚い隔壁が床へ落ちる。それを踏みつけにして現れたのはバクゥで構成された小隊であった。
 すでにザフトは多くの場所で防衛線を突破し、基地内部への侵入を果たしていた。大西洋連邦軍の抵抗は弱い。それをザフト軍は懸念することなく好機と捉えた。バクゥの小隊は身を低く屈め、無限軌道を接地すると、より深部へと向けて走り出す。
 侵入を果たしたというのに隔壁が降りることもなければ警報が鳴る様子もない。それを、ザフトは堅牢な要塞であるだけに、襲撃が想定されていない不手際であると捉えたのである。
 深く深く、アラスカの勢力圏の奥深くへ、基地の深奥へ。ザフトの軍勢は栄誉ある突撃に邁進していた。
 始まりは、3人の男の些細な出来事にすぎなかった。ただ鍵を回す。子どもでも足りる程度の力で、ただ鍵を回す。
 空を漂う雲が不自然な形でちぎれた。まるで内側から打ち据えられたかのように。大気が風景を歪ませる。河は見えない嵐に曝されていた。木々は悲鳴を上げていた。
 始まりは誰に気づかれないほどに穏やかであり、しかし苛烈である。人を蝕む病が密かに増殖を続けるように。国の終わりはいつもささいなきっかけを起源とするように。
 3輪の薔薇を掲げる彼らが、そうと決したために。
 まずは1本の木が火を噴いた。皮が直接燃え始めたように唐突に、しかし火は燃え広がることはない。燃え移るまでもなく木々は次々に燃え始めた。
 恐ろしい悪意と殺意の照射を知りたければ、木を見眺め、広がる炎を追えばよい。赤い円が拡大していくように炎が森に鮮やかな朱を垂らしているのだから。炎は残酷なほどに早く、無慈悲なほど確実で、遺した家族のために流す涙さえ焼き尽くす。
 地を這うバクゥは炎に舐め尽くされ、力なく四肢を折る。炎の抱擁に身を委ねた獣はそれ自体が巨大な火花となって参列する。
 空を舞うノスウェラトゥスのコクピットの内部では、血液、唾液、尿、リンパ液、胃液、胆汁、膵液あるいは涙、体液と呼ばれるすべての水が沸騰し、内側から主の肉体を切り刻んでいた。装甲の金属が火花を帯び、やがてその輝きを呑み込んだ炎が空に華開く。
 立ち向かう者は火に呑まれ、逃げ出す者は火に呑まれ、死を待つ者は火に呑まれ、誰もが等しく火に呑まれていく。火は寄り合わさり、炎を成す。炎は業火にくべる贄となり、業火は空さえその狂える舞踏の舞台に選ぶ。
 炎は大気を巻き上げ、巻き上げられた大気は突風となって酸素という助燃材を炎へと供給し続ける。赤い旋風が巻き起こり、すべてが燃え、盛り、消えていく。
 7人の天使がかき鳴らす、笛の高らかな音色を聞くことはない。
 虹の橋を守る神の角笛はいつ響くのか。
 3輪の青薔薇は、人の死と嘆きを啜り、業火を浴びて花をつける。




 バベルの塔。誰かがこんな言葉をささやいた。旧約聖書に語られるあまりに有名なその塔は天へと向けて造られた人々の高慢と反抗の現れであるとされている。炎が柱となって天をつかんばかりに燃えている。造物主を語るナチュラルに反抗したコーディネーターが崩壊する塔の中焼かれている。
 ただ一つ、バベルの塔の伝説とは異なることがある。
 バベルの塔は崩壊し、神は罰として人々の言葉を分けた。異なる言葉を話すようになり、人々はばらばらにされてしまったのである。だが、この世界は違う。バベルの塔はコーディネーターを焼き、穏健派を罰した。
 もはや軍内に急進派に意見できる勢力は残されておらず、地上に大西洋連邦軍に対抗する戦力は残されていない。すべてが一色に染まってしまった。
 誰もが言葉を失っていた。洋上に浮かぶアーク・エンジェルは先程までの激戦が嘘のように漂い、惰性に任せようように浮かんでいる。甲板に立つ2機のガンダムもまた、彫刻のように立ち尽くしていた。
 海面を突き破り、甲板に新たな機体が降り立つ。その白い体はそれこそ石膏像のようである。

「キラ、無事だったか!」

 無傷のオーベルテューレの姿に、ディアッカは声を上げた。その白い装甲には遠くで燃えさかる炎の色を写していた。 

「キラさん、その、エインセルさんは?」
「外れだったよ」

 アイリスに対して、キラは外れの意味を説明しようとはしなかった。代わりに、機体を甲板へと向けることさえなくブリッジと通信をつなぐ。

「ムルタ・アズラエルを確かに捕捉した。でも相手はエインセル・ハンターじゃなかった。バジルール中尉。ムウ・ラ・フラガ大尉は生きていました。そして彼もムルタ・アズラエルの1人です」

 言葉の意味をすぐに飲み込んでくれるとは考えていなかったのだろう。キラは周囲の反応を待つことなく言葉を続ける。

「ブルー・コスモスは3輪の青薔薇を象徴に掲げてる。ムルタ・アズラエルは彼ら3人のことだ」



[32266] 第32話「アルファにしてオメガ」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/11/17 00:34
 深く水の中を潜んで進む艦。アラスカをたった潜水艦の船団。その腹の中に本来アラスカに置かれているべきものをたらふくため込みながら誰に知られることもなく海中を進んでいる。
 アラスカにあるべきもの。それはたとえば、防衛のための戦力である。潜水艦の格納庫には複数のモビル・スーツが搭載されていた。GAT-01デュエルダガー。あるいは、GAT-X1022ブルデュエルガンダム、GAT-X103APヴェルデバスターガンダム。ヘリオポリスで開発されたGATシリーズの改修機が積み込まれている。どちらもGATシリーズの量産化を踏まえてのテスト機であり、その意味では真の意味においてのGATシリーズであると言えた。
 GATシリーズ。ムウ・ラ・フラガが奪わせ、ラウ・ル・クルーゼが奪い、キラ・ヤマトがGAT-X105ストライクガンダムで戦った。何とも複雑な経緯を持つこの機体群を、ラウ・ル・クルーゼは感慨深げに見上げていた。
 すでに仮面を外し、サングラスに変えている。その身を包むのは大西洋連邦軍の軍服であり階級章は大佐のものである。
 ブルデュエル--GAT-X102デュエルガンダムに追加武装を付与した姿をしている--を見上げていると、ちょうど機体の調整を終えたパイロットが降りてくる場面に出くわす。ノーマル・スーツではなく軍服姿。赤い髪を持つ少女が、コクピット・ハッチからロープを頼りに降りていた。ラウは単に機体を見ていただけっであったが、少女は自分が見られていると捉えたらしい。格納庫の床に降りるなり、ラウの前で敬礼する。
 赤い髪。そしてヴァーリの顔をしている。

「君は、ロベリアだったか?」

 何とも特徴がない。髪は長くもなければ短くもない。切り整えられていると言えなくもないが、ゼフィランサス・ズールやヒメノカリス・ホテルのロング・ウェーブのような特徴的な髪型という訳でもない。ヴァーリの顔だけが印象に残る。

「ロベリア・リマ。Lです。名前が似ていてよくカルミアお姉さまと混同されるんです。それに、ダムゼルの方々は特徴的な人が多いですけど、普通のヴァーリなんてこんなものです、クルーゼ大佐。それにもう、カルミアお姉さまと間違われることもなくなりましたから」

 当人としても自覚しているのだろう。ただ、比べる相手が悪いと言えなくもない。顔立ちは整い、ヴァーリらしくかわいらしい少女であることに変わりはないのだから。無論、ヴァーリであることも。姉であるカルミア・キロ。Kのヴァーリはアフリカ戦線で戦死している。ヴァーリはその半数がすでに死亡している。まだ二十歳にもならない娘たちがだ。

「いや、すまない。さすがに26人ではな。これは余計なことだが、大佐はつけなくていい」

 そもそもラウとて26人全員に会ったことなどない。出会ったヴァーリの方が少ないほどだ。
 気さくな指揮官を気取りたい訳ではないが、ザフトに慣れていると階級で呼ばれることに違和感を感じてしまう。何にせよ、ザフト時代が長かったということらしい。偶然にも、ロベリアが気にかけた点もそのことであった。

「クルーゼさんは、ザフトのエースだったとお聞きしました。お聞きしてよいものかわかりませんが、どうして大西洋連邦に?」
「それは反対だ。大西洋連邦の人間だからこそザフトに潜り込んでいた。私はスパイだからな」
「そうなんですか? でも、コーディネーターなんですよね?」
「おかしな認識だな。地球の国々にもコーディネーターは大勢いる。プラントにナチュラルがいるようにだ。そもそもこの戦争は、言ってしまうなら宗主国と植民地の独立を巡っての争いのようなものだ。コーディネーターという要素は確実に存在したが、ナチュラル対コーディネーターの構図を持ち込んだのはそれこそプラントの方ではないのかね?」
「そうでしょうか?」

 なるほど、感覚もどこかありふれている。ヴァーリとして世界の裏側を見てきた訳でもない、ごく普通の少女であると言えた。
 ロベリアはフリークとして放逐されたと聞かされている。ヴァーリであるロベリアが大西洋連邦軍に参加しているのはそれなりの訳と理由があるのだ。

「私はプラントを滅ぼしたいと考えている。それは君も同じだろう。それは何故かね?」
「プラントが私たちに辛く当たるからです」

 即座に返された言葉。ロベリアの瞳は妖しい色を帯びる。
 ロベリアもヴァーリなのだ。復讐の従者であり、1つの命を26に分け合った存在。そして何より個々の意志よりも道具としての価値を優先されてきた少女なのだから。その誰もが世界のあり方に含みを持つ。たとえ、ただ麗しい少女としか見えなくとも。

「プラントでは障がいを持つことは犯罪も同然です。最悪収容所送り。劣等遺伝子を持つことで社会を脅かして、その癖働くこともできない社会の病巣だからだそうです」

 優れていなければならないコーディネーターの中で障がいを発現させる遺伝子を持つということは、将来子どもを持つことを禁じる根拠となる。事実、プラントの憲法、その24条3項には国は国民と協力して優秀な遺伝子を次世代に伝える責任があるとされている。国は遺伝子調整を禁じることは許されず、国民は優れた遺伝子を残すための努力をしなければならないのである。

「当然ですよね。プラントは優れた人たちの国。劣った人の存在なんて本来あってはいけないことなんですから……」
「ジャスミン・ジュリエッタだな、君の姉君は。彼女のことはよく知っている。ザフト時代の部下だからな」

 ジャスミンは生来視力を持たない。このロベリアにしても両腕なく生まれてきたと聞かされている。しかしロベリアの腕は確かに存在している。まるですがるようにラウの手を掴んだのは、紛れもなくロベリアの右腕であったからだ。

「どんな様子でした、ジャスミンお姉さまは……?」
「優秀だが気後れする傾向にあった。自分をつまらない人間だと思いこんでいる節がある」

 失望か落胆か。あるいは姉の生存を確認したことへの安堵であるのかもしれない。ロベリアの手は力なくラウから離れた。

「プラントって、やっぱり何も変わってませんね。優れた人たちだけの世界なんて、まやかしでしかないのに……!」

 突如乱れた呼吸。ロベリアは声を出すことさえ苦しさを覚えたように不自然な息を吐き出すとともに足下から力が抜けたように崩れ落ちようとしている。前から抱き抱えるように受け止めると、少女の体は思いの外軽く、受け止めることができた。

「大丈夫……、大丈夫、ですから……」

 そうは言っているものの、体調が思わしくないことに代わりはない。ラウが支える手の中でロベリアは力なく、その足は自身の体重さえ支えられずにいる。




 ジブラルタル基地の通路。一面ガラス張りの壁からはこの基地が保有する世界でも有数のマスドライバーが海へと向かって反り返っている光景が見えている。軍事施設として特に重要な通路という訳ではないが、基地に所属する者にとって使い勝手のよい道である。
 アスラン・ザラはこの通路を利用している最中に、かつての同級生と偶然巡り会うことになった。
 銀髪を綺麗に切りそろえ、そのあどけない表情の割に目つきが厳しい。口を真一文字に結ぶ様子など、かつてと何も変わっていない生真面目な様子がたやすく見て取れた。偶然すれ違いそうになり、互いに互いのことに気づいて立ち止まる。声は、アスランの方からかけた。

「久しぶりだな、イザーク」

 イザーク・ジュール。かつて同じ軍学校に在籍し、同じく優秀生の証である赤服をいただいた仲間だ。

「ああ、軍学校で首席のお前の背中を見送って以来だな」
「あれはたまたまだ」
「すべての教科で万年次席だったんだがな、俺は」

 特に嫌みな様子ではないが、イザークは昔から何かとアスランに突っかかってきた。それは卒業後、それぞれ別の部隊に配属されてからも何も変わっていないらしい。戦争の体験はよくも悪くもイザークを変えていない。
 アスランは苦笑いを含む必要があった。

「君もジブラルタルに?」
「ここにいる以上当然だろう。ジブラルタル周囲のザフトは大体集められた。地球軍の反撃が勢いを増しているからな。やはりアラスカでの敗退は大きい」

 オーブを離れた後、アスランがジブラルタルに転属させられたのは、上層部がジブラルタルの防衛を強化するだめだろう。もっとも、ここを地上最後の砦にしなければならないとまでは考えていなかっただろうが。

「転属で命拾いしたそうだが、お前たちが追っていたガンダムというのは本当にそれほどのものなのか?」
「いつか目にすることがあれば、きっと驚くことになる」

 やはり皮肉というよりも事実の確認。このイザークという男はさばさばとしていて現実主義者な一面がある。決して付き合いにくい人間ではないが、どうもアスランは軍学校以来避けられているような気がする。
 実際、これ以上世間話をする理由も時間もなかった。

「アスランさん!」

 目的地とする方角にジャスミン・ジュリエッタがいた。バイザー越しにも焦ったような表情がわかる。

「すまない、俺はこれで」

 イザークは別れの挨拶らしい仕草さえ見せずに歩き出す。こう飾り気のないところも以前と変わらない。
 先を急いで、ジャスミンの下に小走りで移動する。

「ラクスお姉さまからお電話です」

 白状するなら、この言葉を聞かされた時、軽い緊張を覚えた。ラクスが怖い訳ではない。ただ、ラクスが電話まで使って話をしてくる時、大概途方もないことを告げられると体験として知っていたからだ。
 さて、今回はどれほどのことを聞かされるのだろうか。




 ソファーが特に規則性もなくいくつも置かれている。自由に座り、自由に話をすることができる。パーティーの会場のような部屋である。この部屋の主はここを応接間として使用している。型にとらわれない住民の気質がうかがえるような配置である。
 キラ・ヤマトは1人で座るには大きめのソファーに1人で腰掛けていた。

「アーク・エンジェルの亡命を受け入れてくれてありがたく思うよ、エピメディウム」

 この部屋の主、エピメディウム・エコーは離れたソファーの背もたれに腰掛けてながら微笑んでいる。

「お礼を言われるほど高待遇って訳じゃないよ。オーブとしても戦争を睨んで少しでも戦力が欲しいのが本音だしね」
「脱走兵か。多くは戦死するか、大西洋連邦側に拿捕。ことが落ち着き次第軍法会議にかけられるそうだ」

 カガリ・ユラ・アスハだ。4、5人がけのソファーの中央に1人だけで腰掛けて、占領するように背もたれに両手を広げている。この部屋には他にアイリス・インディア、ディアッカ・エルスマンの2人がいるが、この2人は同じソファーに座ってどこか遠慮がちに見える。
 わずか15でオーブを裏から動かすエピメディウムは余裕と思えるほど表情がやわらかい。

「恐らくことはすぐには動かない。裁判は公開が原則だし、今ここで味方を巻き添えにした作戦が露見することはブルー・コスモスにとっても喜ばしい時じゃないはずだからね」
「だがいつまでも隠し通せるはずもない。まるでプラントさえ滅ぼせれば後はどうなってもかまわんという口振りだな、ムルタ・アズラエルは」
「オーブもこれから大変になるよ。でも、亡命なんて大変だよね。国も帰るところももうないってことだからさ」




 アーク・エンジェルのブリッジでは、ナタルが艦長席の前で立っていた。座りながら応対できることではない。他にも、パイロットやブリッジ・クルーの主立った面々がブリッジには集まっている。
 ナタルの前に立ち、敬礼するのはまだ若い割に少々お腹に締まりのない青年である。これまで寡黙で目立つことがなかったロメロ・パル軍曹である。火器管制を1人で担当していた重要なクルーではあるが、オーブにて艦を降りると決めたのである。
 引き留めることはできないと、ナタルもまた敬礼する。

「短い間ではありましたが、ありがとう」

 ロメロは体に力を入れて、姿勢を今一度整えた。

「こちらこそ申し訳ありません。ですが私は、やはり祖国に弓引くことはできません」

 アラスカでは急進派に抹殺されかかったとは言え、それは大西洋連邦の総意では決してない。ロメロの気持ちは、わからないではなかった。周りのパイロット、クルーたちも敬礼をする。それは戦場を去る戦友へを見送るためである。敬礼の手を降ろしたロメロ軍曹の顔に、迷いはない。

「失礼します」

 ロメロ軍曹が艦長席の後ろに回り込み、ドアが開く音、続いて閉まる音が聞こえる。ようやく張りつめた空気が和らぎ、皆が思い思いのタイミングで敬礼を取りやめた。ナタルも艦長席に腰掛ける。
 人々の中から抜け出してきたのは、薄いサングラスに、癖の強い髪をしたダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世である。

「しかし、ロメロ・パル軍曹の除隊は痛手です。ただでさえ人手不足ですし」

 その言葉通り、たしかに現在のアーク・エンジェルは最低限を通り越した人数で運用されていた。オーブ軍に人員の補充を要請すれば人数は集まるかもしれないが、所属の異なる軍の装備をすぐに扱えるようになるとは考えられない。
 ナタルが口元に手を添えて頭を悩ませていると、問題ないと発言した人物がいる。まるで美容室で見せられるモデルのようにきっちりと整えられた髪型をしているアーノルド・ノイマン小尉。

「ダニロフ級が廃船になることに伴い、乗員が受け入れ先を探していました。ブリッジ・クルーを務めていたとのことです。恐らく、力になってくれることでしょう」

 ダニロフ級。大西洋連邦軍が使用しているイージス艦のことである。アラスカから逃れる際、ザフトの包囲網を突破できた友軍の艦船が何隻かあったが、その内の1隻の話であろう。はっきりと記憶していないとは言え、損傷がひどいものは確かにあった。
 まさに渡りに船である。
 ただ、この男は、アーノルド小尉はそんな根回しを行うようなタイプであっただろうか。どちらかと言えば、上からの命令を良くも悪くも実直に守るような人物である。この疑問は正直に口から出た。

「話はあなたが通してくれたと?」

 アーノルドは、つい皮肉交じりの口調となったことに気づいた様子はない。ブリッジの出口の方へと歩き出した。どうやら、すでに外で待たせていたらしい。アーノルドはあっさりと戻ってくる。若い、3人の娘を連れて。3人はナタルの前に並んだ。皆、大西洋連邦軍の白い制服を身につけている。
 まずはナタルから見て右側の女性。くすんだ金髪にしっかりと通った鼻梁をしている。偏見でしかないとはわかりながら、この3人のリーダー格のような印象を受けた。

「アサギ・コードウェルです」

 どこか笑顔が柔らかい。階級を名乗っていない。制服の階級章から、軍曹であると自分で確認せざるを得なかった。
 そうしている内に、隣りの女性が一応敬礼して話始める。

「マユラ・ラバッツです」

 髪を長くもなく、短くもなく整えている。それこそ偏見だが、このタイプの女性は概して気が強い。階級は伍長である。
 最後に、左端の女性。髪を肩にまで伸ばして縁取る顔には眼鏡をかけている。

「ジュリ・ウー・ニェンです」

 やはりこの娘も階級を名乗らない。ちなみに伍長である。女の勘と言うべきか、軍人としての本能と言うべきか、この三人に言いしれない不安を感じさせられる。

「ナタル・バジルール、中尉です」

 階級を語る声が不思議と意識された軍人であるということを疑っているわけではないが、何かがおかしい。

「アーノルド・ノイマン小尉、彼女たちとは一体どこで?」

 やはり、人材不足を見越して友軍と連絡をとっていたとは考えにくい。そう考え、アーノルド小尉の答えを待つ。ところが、返事は意外なところからあった。アーノルド小尉の後ろ、なぜか不機嫌そうに牙をむき出しにするフレイ・アルスターからである。

「軍服のままで喫茶店に入ってたら、話しかけてきたんです!」

 何故フレイがそんなことを知っているのか。考えるまでもない。その場にフレイもいたからであろう。恐らくはそう言うことである。
 眼鏡をかけたジュリ伍長がフレイへと向けて手を振る。

「あら妹さん、こんにちは」
「私は妹じゃありません!」

 粗方2人の時間を邪魔されて気分を害しているのだろう。アーノルド小尉とフレイ1等兵の年齢差を考えれば、確かに恋人同士にはなかなか見えにくいかもしれないが。クルーの補充ができることはありがたいが、気のせいか、余計な問題まで抱え込もうとしている気がしてならない。それでも、背に腹は代えられないという言葉がある。

「と、ともかく、あなたたちはブリッジ・クルーをしていたと?」
「は~い」

 3人は示し合わせたようなタイミングで、妙に間延びした返事をした。こんな返事の仕方、ナタルはプライベートでもしたことがない。ここは息は合っていると判断しておくことにしよう、多少、無理矢理ではあるが。

「わかりました。では、詳しい打ち合わせはクルーたちと……」

 言い終わる前に、ジュリ伍長がアーノルド小尉の腕に抱きついた。

「アーノルドさん、いろいろ教えてもらえますか~?」

 続いて、マユラ伍長がジュリ伍長とは反対側の腕に狙いを定める。

「あ、ジュリ、ずるい~」

 アサギ軍曹は3人のまとめ役であるのか。騒ぎに加わろうとしない。ただ、それは楽しみ方が違うというだけの話であるらしい。その顔は、明らかにこの騒ぎを楽しんでいるという様子である。
 当のアーノルド小尉は極めて冷静だが、気が気でないのはフレイの方である。

「アーノルドさんはパイロットです!」

 まずマユラ伍長を引き剥がす。マユラ伍長はそんなフレイの様子を面白そうに眺めながら、あっさりと身を引いた。
 その隙に行動を起こしたのはジュリ伍長である。

「素敵~。パイロットさんだったんですね~」

 上目遣いでアーノルド小尉の顔を見上げている。やはりアーノルド小尉は妙に平静である。フレイ1等兵がその分もまとめて引き受けているように顔を赤くしている。

「ちょっと、離れなさいよ!」

 フレイ1等兵の手で、ジュリ伍長もまた引き剥がされる。端から見せられているせいか、妙に気恥ずかしい光景である。何はともあれ、亡命先で、アーク・エンジェルは新たな人員を手にすることができた。




「ムルタ・アズラエルが3人いるというのか?」

 キラがムルタ・アズラエルについて切り出すと大方の予想通りカガリが一番の食いつきを見せた。聞いた話では暗殺を狙ってムルタ・アズラエルを追い回していたそうだから。

「エインセル・ハンター。それに、大西洋連邦軍大尉のムウ・ラ・フラガ。ザフトのラウ・ル・クルーゼも、たぶん間違いない」
「ちょっと待て! 隊長がブルー・コスモスだって……!」
「黙っていろ」

 カガリはディアッカ・エルスマンめがけて、正確なスローでソファー備え付けのクッションを投げつけた。話に横から入り込まれたことが気にくわなかったのだろう。キラのことを興味津々といった様子で、同時に睨んでいるほどに見ている。
 ディアッカの方は所詮クッションだ。顔面に直撃したようだが、特に怪我をした様子もなくクッションを手にしていた。すぐ隣のアイリス・インディアは気遣われていた。

「大丈夫ですか、ディアッカさん」
「ああ」

 小さく肯定の返事をするディアッカ。しかしこれ以上ディアッカの様子を気にしていてはキラが次の標的にされかねない。

「なるほど、道理で足取りが混乱した訳だな。ところで、どこかの誰かが三つ子だとか言ってなかったか?」

 横目でカガリが睨んだ先ではエピメディウムが手をひらひらと振っている。

「いくら何でも誤解甚だしいよ。それより僕も興味がある。詳しく聞かせてもらえるかな?」
「アラスカでムウ・ラ・フラガに会った。その時はっきりと言っていたよ、自分はムルタ・アズラエルの1人だって」
「でもわからないな。そんなことして何になるんだい? ラウ・ル・クルーゼがスパイならザフト軍がガンダムを狙っていることくらいわかりそうなものじゃないか?」
「それは逆にも考えられないかな? 共謀していたからこそ、好きなタイミングで襲撃を設定できるし、奪われた後のことも自由にできる」

 当時の大西洋連邦にとって最新鋭の機体であるGATシリーズの強奪を主導したラウ・ル・クルーゼ。このザフトきってのエースがムルタ・アズラエルだということに関してエピメディウムは懐疑的であるらしい。だがキラは知っている。クルーゼがブルー・コスモスとしてユニウス・セブンを訪れたことを。カガリも、まだ話を信じるつもりはないようだが。

「それでは説明になってない。そもそもガンダムのような最新機をみすみすザフトにくれてやる理由になってない」
「それも考えられないことじゃない。まず、ラタトスク社は企業だ。ガンダムという機体が活躍すればそれだけ自社製品の宣伝につながるし、ガンダムに対抗できるのがガンダムだけ。正確にはフェイズシフト・アーマーを破ることができるのはビームだけということになればこぞってビーム兵器を購入することになる。実際、ザフトはガンダムの追撃を鹵獲機であるガンダムを実戦投入するなんておかしなことまでして行ってる。ラウ・ル・クルーゼ指揮の下ね」
「いいや、まだ納得できん。それならガンダムでザフト機を圧倒させればすむ話だ。わざわざガンダムのデータをくれてやる理由にはならない」

 エピメディウムは片手をあげる。

「僕も同じ意見だよ。賛成するにはまだ根拠が弱いかな。まあ、ヘリオポリスでの一件のせいで、モルゲンレーテを通じて盗用した技術は無駄になっちゃったけどね。結構危ない橋渡ったのにさ」
「ムルタ・アズラエルは、ムウ・ラ・フラガはGATシリーズよりも高性能な機体に乗ってた。開発にかかる時間から考えて、恐らくもっと前に完成していたはずのものだ。それに、デュエルダガーの実戦配備が早すぎる。認識を改める必要があると思う」
「どういうことだ?」
「まず、ブルー・コスモスはオーブの盗用に気づいていながら放置している節がある。GATシリーズだって、結局データはオーブを通してザフトに流れる手はずだった、違うかな」
「まあね」
「だがそれならはじめからオーブを介在させなければいいだけの話だ」
「そこにロジックがある。大西洋連邦は一枚岩じゃない。勘違いしてるかもしれないけど、ガンダムを造らせたのはブルー・コスモスじゃなくて穏健派の重鎮であるデュエイン・ハルバートンだ」

 穏健派はラタトスク社、オーブのモルゲンレーテ社の協力を得る形でヘリオポリスでモビル・スーツを開発していた。そこで完成したGATシリーズのデータを基に量産機を開発。ザフト軍との戦いに備えるとともに大西洋連邦軍内部での立場を確立しようとしていた。
 穏健派にとってGATシリーズの開発計画は秘中の秘であり、そのためヘリオポリスのような中立地帯--条約に違反していると知りながら--で厳重に管理されていたことだろう。このデータは穏健派が握ったまま、しかし急進派はモビル・スーツをすでに開発していた。
 時系列が逆なのだ。GATシリーズから量産機が開発されたのではなく、少なくとも量産機とGATシリーズは平行して開発が進められていなければならない。

「だがゼフィランサスが関わってたんだろ?」
「穏健派は単独でモビル・スーツを開発できるほどの技術力はないからね。恐らく、ラタトスク社の一部署を取り込んだつもりで開発させていたんだと思う。ただ、それをザフトにも急進派にも気取られないよう、中立地帯であるヘリオポリスを必要として、資材と場所を与えてくれるモルゲンレーテ社に依頼せざるを得なかったんだ」
「要するにこう言うことか? 穏健派は自分たちが主導で話が進んでると思いこんで、その実、急進派が裏から手引きしていた。急進派にしても穏健派の切り札を封じることができるし、懸念される情報の流出も端から予定していれば問題ない」
「そう考えないとつじつまが合わないことが多いんだ。たとえばアフリカで投入された新型。アイリスやディアッカの含めたガンダムは一部改修機だけど、デュエルダガーの実戦配備はどう考えても早すぎる」

 仮に穏健派が目論見通りにモビル・スーツ開発を独占したいたのだとすれば急進派が量産機を開発することはできない。情報が流出していたとするだけではまだデュエルダガーの開発の時間が足りていない。しかしガンダム開発そのものが急進派の手によって行われていた、穏健派はただ踊らされていたと考えれば様々な説明がつく。
 エピメディウムとてそれだけは納得してくれたようだ。

「それは、言えてるね」
「繰り返すけどアラスカじゃ、ムウ・ラ・フラガがガンダムに乗っていた。GATシリーズのデータを利用したにしてはいくら何でも早すぎる」
「少なくとも量産機はGATシリーズと平行して、新型のガンダムはそれ以前から開発されていなければ辻褄が合わないか……。だが、穏健派を出し抜くにしてはいささか手が込みすぎてはいないか?」

 カガリは眉をつり上げていた。普段から感情を隠すということをしない人だ。わかりやすく、まだ疑問を抱えていることを示していた。
 キラはまだ話を続ける必要があった。

「もう一つ、ザフトを欺くためかもしれない。穏健派はGATシリーズこそが大西洋連邦初のモビル・スーツと考えていただろうし、そのように動いていた。ザフトもそのために北アフリカ方面軍の指揮官であるアンドリュー・バルトフェルドを動かしたくらいだ。でも、量産型モビル・スーツの投入はザフトが想定したよりも遙かに早いことになる」

 この事実は、キラがアフリカで直に目にしたことだ。アンドリュー・バルトフェルドを倒したのはキラだが、その後大西洋連邦軍によって投入されたデュエルダガーの部隊はザフト軍を圧倒している。今考えれば、アーク・エンジェルを囮にアンドリュー・バルトフェルドをおびき寄せるためであったのかもしれない。

「確かに面白い話だけど、まだ一歩かな?」
「ただ、今の状況はあまりにできすぎてるように思う。地球軍のモビル・スーツ投入によるザフト軍の後退がパトリック・ザラ議長を焦らせた結果、アラスカへの奇襲が敢行された。ブルー・コスモスは反対勢力と敵対勢力を同時に弱体化さることに成功したことになる。それに、急進派を勢いづかせる切っ掛けになったユーリ・アマルフィ議員の転向も、元はと言えば子息のニコル・アマルフィの戦死に……」
「ニコルが死んだ!?」

 立ち上がったのはディアッカだ。さすがに今回ばかりはカガリもそれを止めようとはしなかった。捕虜として情報から隔離されていたディアッカは戦友の死を知ったことになる。どうしていいのかわからないのだろう。勢いよく立ち上がったまま、ディアッカは呆然としていた。

「お前たちの部隊の隊長は、今思えばムルタ・アズラエルの1人とされる人物だったな」
「それどころかアスラン・ザラにディアッカ・エルスマン。プラント最高評議会の議員の子息が3人もあの部隊には所属していた」

 カガリもそろそろ気づきつつあるのだろう。偶然にしては、ありとあらゆる状況が重なり続けているということに。
 エピメディウムの方が一足先に状況の深刻さを受け入れる覚悟を決めたらしい。

「僕たちは、とんでもない人たちを敵にしているみたいだね……」




 ついたてで仕切られただけの簡単な個室に小さなテーブル。その上にモニターが置かれている。現在遠く離れたラクスと通信が繋がっている。モニターの中で、ラクスは暗い部屋の中腰掛けていた。
 アスランはジャスミンの方を手で指し示す。

「ラクス、ジャスミンもいるんだが別にかまわないだろ?」
「はい。ちょっとした戦略論についてお話するだけですから」
「と言うと?」

 モニターの向こう側でラクスは視線を落とす。何か資料を見ているのだろう。モニターの隅にめくれる紙が時折見えた。

「私はお父様の命を受け大西洋連邦の動きを探っていました。此度地球を訪問していたのもそのためです。幸いなことにいくつか確証を得るに至りました。結論から参りましょう。ムルタ・アズラエルははじめからガンダムをプラントに渡すつもりだったのです」
「ムルタ・アズラエルって、ブルー・コスモスの代表ですよね?」
「ああ。でもラクス、正直結論が早すぎて何を言われてるのかわからない」
「アスラン、ザフトでは地球用のモビル・スーツの開発が進められていたことをご存知でしょう。本来ならばすでにロール・アウトを果たし、地球でのザフトの前線を大いに押し進めるはずでした。ところが、現在においてさえ実戦配備さえされていません。それは何故でしょう。ジャスミン?」
「え、え!?」

 突然話をふられたことで、ジャスミンは目元を覆うバイザーを落としそうになるほど体を揺り動かす。ジャスミンにはそもそも新型機のこと自体知らないのだろう。

「ラクス、あまりジャスミンを虐めないでくれ」
「こうでもしませんと、ジャスミンはなかなか話してくれませんもの」

 まったく、意地の悪い姉--ラクスはG、ジャスミンはJ。ラクスは3女であり、ジャスミンは4女にあたる--だ。

「では正解です。それは、ザフトが急遽モビル・スーツ開発の人材と資金を別のことに流用を始めたからです。では次の問題……」
「ラクス」

 先回りして出題をふさいでおく。ラクスは少し朽ちを尖らせて不機嫌を装う。

「ラクス。だから……、ガンダムを造るためなのか……?」

 わかりやすく説明してもらいたい。そう言おうとしている内に、アスランは先に自分なりの答えにたどり着いていた。
 新型機の開発が滞っている。それはすなわち二つのことが考えられた。内部的、あるいは外部的要因だ。技術的な壁にでもぶちあたったのでもなければ、ラクスの言うとおり外部的、すなわち予算の削減がもっともわかりやすい。では予算はどこに流れて行ったのか。
 ゼフィランサスが造り上げたYMF-X000Aガンダムドレッドノートが唐突に思いついたのだ。
 ラクスはおかしそうに笑って、楽しそうに告げる。

「正確には不正解です。正解は、ビーム兵器を装備可能な量産機を開発するためです。国防委員長であるパトリック・ザラはビームに魅せられました。その高い攻撃力に。ご高見確かなことはジンでガンダムと対峙したことのあるお2人ならおわかりでしょう」

 うなずくまでもないことだ。ZGMF-1017ジン--ザフト軍主力モビル・スーツ--の攻撃力ではビームを前に手も足もでなかった。また、不意をつかれたとは言え、アフリカ戦線ではジンオーカーが圧倒されている。
 パトリック・ザラ、アスランの養父がビーム兵器の開発を急がせたことは決して間違った判断ではない。

「そしてラウ・ル・クルーゼはガンダムの開発者をつれてきました。パトリク・ザラの心は躍ったことでしょう。憎きナチュラルの起死回生の技術をたやすく手にできるのですから。そのために、ザフト地上軍の力となるはずのモビル・スーツの開発は後回しにされてしまったのです。ガンダムさえザフトの手になかったなら、ゼフィランサスさえプラントにいなかったとしたら?」

 ラクスの言葉をまとめるとすればこうだ。ブルー・コスモスはガンダムを敢えてザフトに鹵獲させることでビームに関する技術を意図的に流出させた。そしてその開発を促すことで新型機の完成を遅らせた。

「いや、ちょっと待ってくれ! クルーゼ隊長の奇襲は地球側にとって想定外のことであったはずだ。もしかしたらすべてが台無しになっていた危険性だってある」
「オーブでの戦闘行為。このことに関する証言を求められ、召喚されているはずのラウ・ル・クルーゼは行方をくらませました」
「隊長が……?」
「ラウ・ル・クルーゼは大西洋連邦と通じていた。こう考えることですべての説明がついてしまいます。これまでは、あれほど果敢に地球を攻め立てる将がスパイであるはずがない。そう、見過ごされてきたのです。本来ならば地球再侵攻用モビル・スーツは二月は早くロール・アウトされるはずでした。当初はそれでよいとされていたのです。地球側は未だにガンダムという試作機の段階であり、本格的な反撃は当面先の話だとして」

 ビーム兵器の開発がいつになるかはわからないが、それでもすぐに量産体制が整うとは思えない。完成すればそれは大きな力になることは間違いないだろうが、それまでの間、前線の兵は新兵器の恩恵を受けられぬまま戦い続けることになる。
 もしもそのすべてが計算されていたことであるとすれば、隊長は、いや、ブルー・コスモスは一体いつからアスランを、ジャスミンを欺き続けていたのだろう。

「この二月の間に様々なことが起こりすぎました。ユーリ・アマルフィ議員の転向にニュートロン・ジャマーの封印が解かれたこと。地球軍の量産型モビル・スーツの配備は地中海沿岸の勢力図を書き換えました。そして、新議長に選出されたパトリック・ザラ議長に功を焦らせた上でのアラスカの焦土作戦」

 すべてはガンダムによって始まり、そして1本の線によって結ばれている。

「現在、地球軍はオーブ、そしてジブラルタルのマスドライバーを狙い動き出しています。アスラン、これから何があっても心を強くたもってください」




「大西洋連邦は着々とオーブを攻める準備を進めている。まあ無理もない。地球からザフトを追い出せば、次は宇宙だ。マスドライバーが喉から手がでるほど欲しいはずだ」

 1から造るよりも奪う方が早い。そして、数少ないマスドライバーをオーブは有している。しかしそれは攻める理由であって動機ではない。そのことを指摘したのはディアッカである。

「しかし、オーブは中立国だ。自分たちに従わないから攻めるじゃあ、誰も納得しない」
「そうだ、お父様としても極力開戦を長引かせ、アラスカでの一件が公になって急進派、ブルー・コスモスの信頼失墜の時をまって厭戦機運を高めることを狙っている。奴らとしても世論を無視しては戦えないだろうからな」

 ここでカガリの言うお父様とはウズミ・ナラ・アズハ。オーブの元代表--ヘリオポリスでの兵器開発の責任をとる形で辞任している--であり、今は大西洋連邦との会議に出席している人物である。
 キラはあくまでも冷静に答える。

「あれほどの知略家であるムルタ・アズラエルがその程度見越してないとは思えない。ブルー・コスモスの代表をしているほどの男だ」

 エインセル・ハンター、ムウ・ラ・フラガ、ラウ・ル・クルーゼは世界的な思想団体であるブルー・コスモスの代表を務めている。人心というものを扱わせたならエインセルほどの者はざらにはいないはずなのだ。
 フレイがうつむきがちなままで発言する。

「エインセルさんて、そんなに悪い人なの?」
「極悪人だ」

 カガリは無げに答えた。フレイは気分を害したように口を尖らせ、エピメディウムは笑いを漏らす。

「僕には悪い人かどうかはわからないけど、まずは見てみようじゃないか」

 そう、エピメディウムが視線で指し示す先のモニターには、白いスーツを身につけたエインセルの姿があった。風景から判断するに、どこかの会議場であるらしい。縦に長いテーブルの両脇を赤褐色の上着を身につけた人々が座っている。オーブの重役の面々である。エインセルはその先に1人、立っていた。
 
「お父様のネクタイ・ピンにちょっとね。会議は本当は撮影禁止なんだけど、今回くらいは見逃してもらおうかな。みんなエインセル・ハンターには興味があるんだよね」

 そう、少年少女たちは現在、エピメディウムが座る机におかれたモニター画面を寄り集まってのぞき込んでいる。そんな仲間たちへ、オッド・アイのヴァーリはウインクをして見せた。赤い瞳が隠れ、緑の瞳が露わとなる。




 エインセル・ハンターはオーブ首脳陣を聘睨していた。
 性別年齢。生い立ち経験まで違う首脳陣とて、エインセルの前では等しく同じ反応を示す。目の前に差し出された書類を目の前に、誰もが息をすることさえ忘れていた。

「それが、我々の条件です」

 エインセルの瞳は海を青さを思わせて冷たい。激昂したのはオーブの前代表であるウズミ・ナラ・アスハ。豊かな口髭は顎髭とつながり、それは年相応の威厳を感じさせるものである。

「馬鹿な! これでは事実上の降伏ではないか!?」

 ウズミは書類の束をテーブルへとばらまいた。紙は長いテーブルを駆け抜け、一部とは言え、エインセルのそばにまで届く。
 エインセルは身じろぎもしない。

「オーブ代表はホムラ氏と耳にしておりましたが、オーブの獅子自ら応対していただけるとは光栄です」

 ウズミの隣り座っているのは、ウズミから地位を引き継いだホムラである。ウズミの弟であり、この会議の間は兄と並んでエインセルの正面に座っていた。先代のウズミに比べると、顔かたちに似通ったものは感じさせるが、その眼差しはどことなく伏せがちであり、エインセルを直視できないでいる。
 エインセルとて、その瞳はウズミへと向けていた。

「こんなものは誰が見ても呑めた内容ではない」

 果たしてそれがどのような内容であったのか、ウズミは並べようと口を開く。
 エインセルは腕を振るう。目前にまで迫っていた資料が舞い上がり、それは風が通りすぎていったよう。

「交渉の余地はありません。話し合いなどするつもりはないのです」

 最も優雅な髪をして、最も澄んだ色を持つ瞳、最も気高いとされた肌の色をしたその男は、何をしても美麗であり、優美である。

「私は世界に火をつけに参りました。剣を与え、親と子を、子と親を戦わせるために参りました」

 それは燃え盛る火。時に崇拝の対象となりながら、その存在は苛烈。火はただ燃えているだけであり、人への悪意も善意も持ち合わせてなどいない。それでも、人は崇めずにはいられない。焼かれずにはいられない。

「目前から嵐が迫っている。嵐はあなた方を蹂躙するでしょう。挑むか耐えるか。あなた方に与えられた選択は、それだけにすぎないのです」

 居並ぶ首脳陣はようやく気づかされた。ここは交渉の場などではない。祭壇の上で灯されようと、屍を片づけるためのものであろうと火は意に介しはしない。ウズミが受け入れようと受け入れまいと、エインセルは何も問題とはしないだろう。
 ならばせめて、意地を通す。それがウズミの選択であった。エインセルを見たまま、無言を貫いたのである。
 エインセルは、恭しく頭を垂れた。

「戦場でお会いしましょう」

 それは脅迫では決してない。声に格別の抑揚はない。単なる別れ際の挨拶でしかない。火はその恐ろしさを吹聴するまでもなく、誰もがその恐ろしさを知っているのだから。




 フレイはモニターに映るエインセルの様子から目を離すことができなかった。エインセルはあくまでも綺麗であり、得られる安心感は微塵も変化はみられない。格好いい大人の男性。その評価に修正を加えようとは思わない。
 それでも、冷静さが冷徹さに、存在感の大きさが威圧的に感じ始めていた。随分と強気な印象を受けていたカガリと呼ばれていた女性も、その表情はどこか強ばったものに変わっている。

「無茶苦茶だな。これでは引き延ばし工作などできるものか……」
「こいつがエインセル・ハンターか……」
「ディアッカ君、君にとって彼は仇の1人かもしれないけど、戦争では切りがない。それにここはオーブだ。申し訳ないけどやんちゃは控えてもらうよ」

 ディアッカの声に苦いものを感じたのだろう。エピメディウムは決して攻撃的ではないにしても、しっかりとディアッカの目を見ていた。

「安心しろ。迷惑かけるつもりはない」

 ディアッカはそれで納得したらしい。だが、フレイにはとてもではないができそうにない。
 エインセル・ハンター。フレイにとっては大切な恩人で、それでいてエインセルは戦争を起こそうとしている張本人である。復讐のための力を与えてくれて、それでも復讐しないように諭してくれた。
 どちらが本当なのだろう。フレイに復讐をさせたかったのだろうか。それとも、復讐に憑かれなかったことを誉めてくれるだろうか。確かめたい。そう気が急いて、フレイは走り出した。この建物の構造は大体掴んでいる。今すぐ行けば間に合う。

「フレイさん!?」

 応接間の扉を抜けようとしたところで後ろからアイリスの声がしたが、かまわず駆け抜ける。目的は内閣府の入り口である吹き抜けの階段である。会議場をすぐに退席したのなら、そこで追いつけると踏んだのだ。さすがに政府要人が集まる場所だけあって、角という角、通路という通路に警護が配されていたが、軍服--今はオーブのものを着ている--を着ているとは言え、子どもにすぎないフレイを本気で止めようとする人はいなかった。
 やがて、最後の角を曲がったところで、そこは2階部分、吹き抜けを見下ろすことのできる廊下に出る。
 貴族の邸宅のような踊り場で左右に分かれる豪勢な階段を降りている人たちが見えた。背の高いスーツ姿の男たちが前と後ろから挟むように歩いている。彼らがSPであることは容易に想像がついた。
 護衛に守られているのは3人。黒いスーツを着た眼鏡の女性とその隣りに白いドレスを身につけたアイリスそっくりの少女。
 そして、2人の女性の前で階段を降りる男性の姿を見紛うことはない。

「エインセルさん!」

 フレイは差叫んで手を振る。すると、エインセルもあっさりとこちらに気づいてくれた。笑顔が穏やかで、アーノルドとは違った大人の男性である。急いで近づこうと駆け出す。右側。そちらに階段がある。絨毯が引かれた少々変わった階段である。
 別に絨毯を踏みつけたことを咎められたわけではないが、SP2人に道を塞がれてしまった。

「ちょっとお話したいだけよ!」

 階段の中腹にいるため、フレイの方が高い位置にいる。それでも、SPの男の目線の方が高い。エインセルと同じ人間かどうかも疑わしい、ゴリラみたいな顔つきをしている。
 きっと、言葉が通じなかったのだろう。SPはまるで道を開けてくれる気配がない。

「通していただけませんか? その方は私の友人です」

 透き通った声がして、SPが道を開ける。すると、エインセルがフレイへと手を差し出していた。エインセルは踊り場に立っているため、フレイの方が頭の位置が高い。それはまるで、ひざまずいて踊りの相手でも求められているみたいだとするのは夢見がちであろうか。
 気のせいか、階段の下から白いドレスを着たアイリス--正確には別人だが、顔がよく似ている--がこちらを睨んでいる気がする。
 フレイはエインセルに導かれるまま、階段の踊り場にまで移動する。足場を等しくすると、やはりエインセルは背が高い。それでも、いざ向き合ってみると、威圧的でも高圧的でもなかった。

「いい目をするようになりましたね」

 その声はあくまでも優しい。
 こんな人が戦争を起こそうとしているとは、未だに実感として伴わない。宇宙要塞アルテミスでは、フレイの命を救ってくれて、力まで貸してくれた人なのだ。
 いただいた銃を取りだそうと、胸に手を入れる。すると、服の上からエインセルが銃を掴む手にそっと手をおいた。

「今ここで取り出してはいけません。わかりますね」

 見ると、SPたちが体を強ばらせている。たしかに、こんな場所で銃を持ち出すことは不自然どころか危険な行為そのものである。エインセルがそっと導いて、フレイはゆっくりと懐から手を出した。SPが緊張を解くのがわかる。

「教えてください。どうして空砲を仕込んだんですか?」

 ミリアリア・ハウが怒りに憑かれてディアッカのことを狙った時、弾は出なかった。第1発目だけに、空砲が込められていたのだ。結果として、ディアッカを庇おうとしたアイリスは命を落とさずにすんだ。ミリアリアは人を殺さずにすんだ。
 エインセルはフレイの頬を撫でた。いやらしさなんて微塵も感じない。

「激情に駆られて行動したとしてもそれは本意ではありません。やがて自分のしたことを知り、その後悔に襲われることがあるでしょう」

 まるで神を語る人のよう。ミリアリアが銃を使ってしまった時、友達を危うく傷つけてしまいそうになったことに怯えて、涙していた。

「それでも、犯した罪は消えず、失われたものは帰ってはきません」

 仮に実弾が込められていたとしたら、アイリスは死に、ミリアリアは一生消えない傷を負うことになっただろう。

「そして自分の成したことの恐ろしさに気づいたところで、すでに取り返しがつかなければそれはあまりにも悲しい。しかし、銃を撃ったのはあなたではないようです」

 エインセルは本当にうれしそうに笑う。1度もフレイが撃った訳ではないと言っていないのに、その青い瞳はすべてを見透かしたように。ただそれでもフレイが本当に知りたいことはまだ明らかにはなっていない。
 つい目を反らして、うつむいてしまう。

「教えてください。あなたがブルー・コスモスの代表だって言うことは本当ですか?」

 できることなら嘘だと言ってもらいたかった。こんな優しい人が、世界を戦乱に陥れている1人だとは思いたくなかったから。
 それでも、エインセルはあくまでも素直で正直な人だった。

「はい」

 澄んだ声。

「アイリスがコーディネーターだということも知ってましたか?」

 エインセルはアイリスの支援者であり、言わば養父である。エインセルはフレイがコーディネーターへの怒りを抱いていることを知っている。エインセルはフレイにコーディネーターへと復讐するための力を与えた。
 エインセルはやはりすべてを知っていた。

「はい」

 フレイが銃を撃たず、いまだ復讐を実行していないことをエインセルは本気で喜んでくれたと思う。それでも、仮に復讐を実行して、アイリスを傷つけようとしても、殺そうとしても構わなかったのではないだろうか。アイリスがコーディネーターだと知っていた。フレイの憎しみをわかっていた。
 涙がこみ上げてくる。

「結局何もかも知ってて、私のこと弄んでただけなんですね……」

 恨み言が聞こえなかったわけではないだろう。

「はい?」

 淀んだ声。何でもわかっている人なのに、さも事態を把握できていないかのように取り繕っているのだ。

「信じてたのに……」

 優しい人なんだと、頼れる人なんだと。フレイは腹の底からの大声で叫んだ。

「傷心の私につけ込んで弄んでただけなんですね! この変態! 死んじゃえ!」

 来た時とは違い、誰も止めようとはしない。フレイはその場から逃げ出すように走り去った。エインセルと、形成されてしまった微妙な空気を残して。




 SPが、エインセルと決して視線を合わせようとはしない。職務に忠実である以上に、見てはいけないものを見てしまったように。

「誤解です……」

 エインセルは努めて冷静でいようと心がけているが、普段は見られない不必要な動作が増えている。また、ある特定の方向を目にしようとしないことも、不自然な行動である。
 そちらは階段の下。

「お父様……」
「エインセルさま……」

 妻と娘の声がする。これまでに聞いたこともない、深い水の底から、耳を塞いでも、それでも届いてくるような声が。2人の女性の顔を見るほどの力は、エインセルにはない。

「年増に飽きたならどうして私に……」
「あんな小娘のどこが……」

 エインセルは生まれて初めて、冷や汗というものを背に感じていた。舌は渇き、喉は枯れる。その英知を結集してさえ、言い訳の言葉は思いつきはしない。

「ご、誤解です……」

 しかし残念なことに、この言葉が効果的でないことだけは、エインセルは理解していた。



[32266] 第33話「レコンキスタ」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/11/20 21:44
 警報鳴り響くあわただしい格納庫の中、誰にとっても見慣れない機体が並べられている。配備されたばかりの新型なのだ。アスラン・ザラは一言では言い表せない心地で機体を見上げていた。

「これが新型か……。これがもっと早く完成していたなら……」

 見上げる機体は大きなウイングを背負うもので、全体的に細い手足をしている。ザフト軍機の特徴であるモノアイをしている。ジンオーカーのような改修機ではなく完全に地上用に設計された新型である。AMF-101ディン。大気圏内での飛行を可能とし、この戦争最後の一手を打つはずであったこの機体は、ビーム兵器を扱うことができない生まれながらの旧型機の烙印を押されている。ガンダムの登場が、このディンを初めとして、水中用のUMF-04Aグーン、UMF-5ゾノ、新型3種の運命を狂わせてしまった。
 新型の配備は、しかし誰を喜ばせることもなかったのだ。ガンダムのパイロットであった者として、アスランはこの機体には忸怩たるものを感じていた。
 まもなくここジブラルタル基地には地球軍が攻めあがってくる。警報は、第1種戦闘体制に移行したことを示すためのものだ。いつまでも鳴り響き、そして決して鳴り止むことはないだろう。ザフトはジブラルタル基地の放棄をすでに決定していた。すでに脱出は始まっており、現在は志願兵を中心とした兵が殿を務めるべく残されている。
 格納庫の光景は、これまでに見たこともないものであふれていた。
 抱き合う男女。どちらかが残り、どちらかが宇宙に帰るのだろう。したためた手紙--遺書だろうか--を手渡す者もいた。あるいは1人機体を見上げる者の姿もある。
 残る兵士は、最後のシャトルが飛び立つぎりぎりまで波のように押し寄せる地球軍を防ぎ、その後に地球脱出用のシャトルに合流する。それがどれほど難しいことか、志願兵による部隊編成を見れば考えるまでもない。決死の覚悟がなければ挑むことのできない戦いなのだ。
 アスランもまた、ディンで出撃することになる。
 もういいだろう。今こうしていても気が滅入るだけだ。歩き出す。すると意外なことに気づかされた。ノーマル・スーツを着た人--出撃を待つ人だ--に限って、何故か胸に赤い薔薇の花をさしている。気にならないわけではなかったが、何事か確かめる前に注意を引くものを見つけてしまった。
 ディンの前で言い争っている人々がいた。その中の1人に見覚えがあったのだ。

「隊長、どうして私たちが迎撃部隊に参加できないのですか!?」
「ジンとディンでは隊列がくめない。シャトルの防衛も重要な任務だ」

 イザーク・ジュール。同じ基地に配属されてちらほらとみかけるこの赤服の男は、同じく赤服の少女に詰め寄られていた。長い髪が艶やかな少女で、イザークの部下なのだろう。イザークも迎撃に参加することは聞いていたが、部隊からは自分だけ加わるつもりのようだ。他には長い髪の少年と、見るからに気弱そうな少年。
 シホと呼ばれた少女に声をかけたのは髪の長い方の少年だ。

「ここで騒いでも結果は変わらない。あきらめろ、シホ」
「でもカナード……」

 納得はしていないが、無理を通すこともできないと理解したのだろう。釈然としない様子ながらも少女は押し黙る。イザークはイザークで一息つくように鼻から息を吹く。
 そんな時だ。イザークがアスランの姿を認めたのは。

「お前も参加するようだが、準備はいいのか?」
「君ほど未練は残してないつもりだ、イザーク」

 同じ部隊に所属する最後の1人、ジャスミン・ジュリエッタも迎撃にこそ参加しないが最終シャトルの護衛を担当することになっている。アスランも部隊の仲間を逃がすために戦う。イザークとあまり状況は変わらないことになる。もっとも、イザークはアスランの冗談に気分を損ねてしまったらしい。もしも声をかけられなければ歩き去っていたことだろう。

「あなたたちも迎撃に?」

 少女だった。まだ配属されたばかりに見える初々しさを残した軍服姿--迎撃には参加しないということだ--で手には大きな籠を下げている。籠には薔薇の花が、決して多くはない数入れられていた。赤い、赤い薔薇の花だ。
 答えたのはイザークの部隊の気弱そうな少年だ。

「はい。いや、僕じゃなくて、隊長とアスランさんです」
「じゃあ、この花受け取ってもらえませんか?」

 そう差し出されたのは薔薇の花。すぐに受け取る気にはなれなかったのは、青い薔薇を象徴に掲げる団体のことがつい頭をよぎったからだ。

「薔薇の花か……」
「薔薇は赤が好きです」

 少女は花を差し出したまま屈託なく笑う。この笑顔を見ているとブルー・コスモスに縛られることが馬鹿らしく思えてくる。

「ありがとう」

 花を受け取ると、他のみんなは胸にさしていたことを思い浮かべる。同じように胸にさそうにもノーマル・スーツにポケットなどない。どうしようかと悩んでいる内に、少女は安全ピンで器用にアスランの胸元に薔薇をさしてくれる。

「でも勘違いしないでくださいね。あげる訳じゃないです。後で返してもらいます。宇宙に帰った時に」
「ああ、わかった」

 死ねない理由ができてしまった。これは是が非でも宇宙に帰らなければならない。
 少女は新たに籠から薔薇を取りだそうとして、しかし送るべき相手はすでに目の前にはいなかった。イザークが無言のままここを離れようとしていたからだ。

「イザーク?」
「花など飾れるか!」

 照れているらしい。その声は怒声というよりどこか上擦った調子を含んでいた。少女も小さく笑いながら薔薇を籠へと戻した。

「この籠を、また薔薇で一杯にしましょう」

 そのためには1人でも多くの戦士が宇宙へとたどり着かなければならない。アスランは静かな決意を固める必要があった。




 アーク・エンジェルのブリッジには主立ったクルーが集められていた。なぜか捕虜であるはずのディアッカ・エルスマンの姿もあるのだが、もはや誰もそのことを気にしていない。
 多くが椅子なり机なり思い思いの場所に腰掛ける中、事実上の副艦長であるダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世はしっかりとした姿勢で立っていた。

「主戦場はオノゴロ島、及びその周囲の島々に限定したようです」
「連邦はヤラファス島に艦隊を派遣していないと?」

 艦長であるナタル・バジルール--艦長席についている--は口元に手を当てながら訪ねる。ヤラファス島は政治の中心であり、また軍事施設の塊であるオノゴロ島に比べるべくもなく防衛力に劣る。ナタルの疑問は至極まっとうなものであった。
 キラ・ヤマトはすでに十分な発言力を有してここにいる。

「大西洋連邦の開戦理由の中にはオーブの技術盗用を非難する文言がある。戦争というよりも強行査察だと言い張りたいなら、ヤラファス島のような人口密集地を戦場にするのは避けたいのが本音なんだと思う」

 ディアッカ・エルスマン、アーノルド・ノイマンがキラの言葉を繋ぐ。

「反対にモルゲンレーテ本社のあるオノゴロ島やカグヤ島は激戦地だな。で、オーブの作戦は?」
「抵抗して割に合わない相手だとわからせる。それから和平交渉に持ち込む。現状ではそんなことが想定される」

 ディアッカは椅子に浅く腰掛け足を延ばしているのに対して、アーノルドは何か式典でもあるかのように律儀に腰掛けていた。フレイ・アルスターはそんなアーノルドの側で相棒とも言うべき操舵輪に寄りかかっていた。

「アーノルドさん、そんなことできるの?」
「オノゴロ島の周囲には要塞として機能する島が複数ある。海上にはアーク・エンジェルのような戦艦を浮かべて壁を作る。防御に徹しさえすれば、決して難しい戦いじゃない」
「反対にどこか一部でも防衛線が突破されたなら厳しい戦いになるよ、フレイ。オノゴロ島の自己防衛戦力を鑑みた場合、一定数の敵戦力に上陸を許せば事実上陥落することになるから」
「今回の相手は地球軍。俺としちゃ気が楽だな」

 元々ザフトであるディアッカとは異なり、この場の多くのクルーにとって大西洋連邦は母国にあたる。誰も話し出そうとはせず、嫌な沈黙が流れた。ディアッカにしても失言だと気づいたのだろう。降参だと言った様子で両手を挙げて静観を決め込んだようだ。
 ナタルは一度クルーたちのことを眺め、意を決したように話を始める。

「今度の敵は祖国になる。仮にまだ迷いがあるのならば今この場で申し出てもらいたい」

 アイリス・インディアがまず答えた。

「私もフレイさんも元々オーブ国籍ですから、今の方がかえって自然です」
「迷いがないとは言いません。しかし私はここでこの物語から降りるつもりにはなれません」

 アーノルド・ノイマンに、新たにクルーとして加わったアサギ・コードウェル、ジュリ・ウー・ニェン。

「深刻ぶるなんて私たちらしくないって」
「そうそう楽しまなきゃ。アラスカで死んだ人の分まで」

 それぞれがそれぞれの思いでここにいると、戦いを続けると決めたのだ。今更のことであったのかもしれない。




 オーブ、及びジブラルタルは多数の共通項を持つ。
 マスドライバーを保有すること。アラスカで政敵と外敵を同時に葬り去った大西洋連邦軍は一挙に徹底抗戦、戦線拡大へと動き出した。ジブラルタルを最後に宇宙へと主戦場が移行すると目される現在、宇宙へと大量の物資を効率的に運搬可能であるマスドライバーを一つでも多く確保することは至上命題であると言えた。
 勝利は約束されない。戦力差は圧倒的であり、何らかのアドバンテージを見いだすこともできない。ジブラルタルではすでに撤退が決定している。もはや問題はどれほどの兵士が逃げ延びることができるかに限る。オーブでは水面下での和平交渉が続けられていた。どちらも戦闘による勝利は望むべくもない。
 そして両者は共通して、大西洋連邦軍の猛攻にさらされる。




 ジブラルタル基地の3頭の獣によって守られていた。南の砂漠を守るは砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルド。北の守りは密林の白狼シン・マツナガ。そして東、地中海の守りを一手に引き受けてきたのは紅海のシャチの名で知られるマルコ・モラシム。プラントには存在しない海を舞台に戦い抜いた猛将である。
 そして臆病な敗残兵であった。
 砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルドは大西洋連邦軍の新型であるガンダムとの壮絶な一騎打ちの末果てたと聞いている。
 密林の白狼シン・マツナガはジブラルタル基地へと逃れる仲間のため殿を務め行方しれずとなった。
 ただ1人、マルコ・モラシムだけが生きながらえている。
 大柄な男だ。筋骨隆々たくましく、まくり上げられた袖からは発達した筋肉が見て取れる。コクピットの中、ノーマル・スーツさえ身につけることなく腕組みをしていた。口元を完全に覆う豊かな髭に険しい、怒りをたたえた顔をしている。

「大馬鹿者の顔が見たいか? それなら鏡を見ろ。そうすれば見えてくるだろう。仲間を見捨て、自分だけが生きながらえている馬鹿どもの顔がな!」

 通信はマルコが配下とするすべての部下、すべてのモビル・スーツにつなげられている。大柄な体には狭苦しくさえ思えるコクピットの中、マルコの怒号は止まらない。

「貴様等は人間のくずだ。ザフトのために、プラントのために、コーディネーターの未来のためと志願しておきながらいざ死ぬとなると怖がる臆病者だ!」

 だからこそここにいるのだろう。大勢の仲間が死んだ。大勢の仲間の死を看取ってきた。それだなお生きながらえている連中の群なのだ。すべて例外はない。何を言おうと、どう言い訳しようと覆すことのできない事実に他ならない。
 マルコ・モラシム。紅海の鯱などというご大層な通り名を与えられたこの男も例外に甘んじるつもりなどなかった。臆病者の1人でありたかった。

「そんな貴様等に今一度機会を与えてやる。戦って見せろ、死んで見せろ! 生きながらえた命、使いたくば今しかない! 我々は魂となって空へと帰る! 仲間たちは生きたまま家族のもとへと返す!」

 未練など捨てろ。そのような資格などない。戦い、戦い、戦いの果てに死ぬのだ。それが償いであり、このようなくだらない贖罪が仲間の命を救うのであれば満足さえして死ぬべきだ。
 臆病者の群として。

「臆病者として生きた貴様等に、英雄として死ぬ最期の機会を与えてやる! 全軍、出撃する!」

 臆病な彼らは、ただの1人さえ上官に意見できるだけの勇気を持つ者などいなかった。誰もが自らの臆病を認め、黙して死地へと向かう準備を整える。




 ボズゴロフ級潜水艦は海を持たないザフト軍が地球の潜水艦をモデルとしている割に奇怪な形状をしていた。前方へと突き出た円筒を4本、四隅に配し、これが船首となる。対水圧が想定されているとは考えがたいその構造は潜水艦には不必要な奇妙な造形であると言えた。
 地球では必要とはされなかった。しかしザフトだけが持ち得るある兵器がその理由と由来になる。それはモビル・スーツのカタパルトであり、針路方向へとモビル・スーツを射出するための構造に他ならない。
 すでに地球軍の艦船が近づいていく中、ボズゴロフ級は水中を横並びに潜航していた。複数のボズゴロフ級がカタパルト・ハッチを同時に開いた時、錆び付いた新品は解き放たれた。
 それは三角形の頭をしている。首はなく、胴と直接つながったその巨大な頭部に手と足が取り付けられ、そのくすんだ白が目立つ。ヒトデを擬人化すればこのような姿になるのではないだろうか。ザフト軍特有のモノアイが輝き、尖った頭が水を引き裂きながら出撃する。
 その名はグーン。海という障壁に妨げられてきたザフト軍の怨嗟をそのまま形にしたかのように、海を切り裂き、白い泡を海の返り血のようにまとわりつかせながら水中を疾駆する。
 その姿は、あるいはイカの悪魔か。
 食腕を思わせる先端の膨らんだ腕がしなる。そこには魚雷の発射口が開き、多数のボズゴロフ級から出撃した魚雷はそれこそ小魚の群のように敵戦艦へと殺到する。魚雷は戦艦に回避さえ許すことなく次々と命中しては船側に巨大な水柱を立ち上がらせていく。
 炎と油。立ち上る黒煙の中に戦艦が沈んでいく。
 けたたましい警報音。大西洋連邦軍を中心とした地球軍はここで初めて敵襲を感じ取った。隊列を組んでいた戦艦はその足並みを乱す。それは何らかの作戦と呼ぶよりもその混乱を象徴していることだろう。
 上空では鋼鉄の翼を大きく広げ海鳥のように飛来するディンが両手に構えたアサルト・ライフルを垂直に海面へと向けていた。眼下の戦艦に弾丸は次々と突き刺さり丸い穴を開けていく。そして燃料に引火した時、船は爆発し、ディンは次の獲物を求めてその身を翻した。
 紅海の鯱は隙を見逃すことはない。
 一隻の駆逐艦が突如大きく傾き始めた。浸水、被弾の類ではない。重心が無理矢理横へと引きずり込まれたように傾き始めたのである。傾いた側、海が近くなった側を見た時、その理由は明白であった。巨大な怪物がその爪を深々と突き刺しながら船によじ登ろうとしていた。
 丸い卵。それを禍々しい緑に染め上げ、申し訳程度の足と、不自然なほどに延びた腕の先に爪をつける。モノアイが輝き、その爪は船の装甲を軋ませ、ひずませる。
 この怪物の名はゾノ。水中ではあらゆる兵器の威力、射程が減少することを鑑み、その巨大な爪を主力武器とする海の怪物である。少数の指揮官に与えられたゾノは、当然のようにマルコ・モラシムにも与えられた。
 鯱は、時にクジラさえ襲う海のギャングである。その獰猛さは漁師たちに恐れられ、クジラ漁を生業とする漁師たちでさえ、鯱に手を出すことはなかったと伝えられる。
 その鯱の名を与えられた男は、やはり鯱であった。
 ゾノがその体躯よりも遙かに巨大な駆逐艦に襲いかかる姿は他に何にたとえよう。傾く船体、軋む金属の音はクジラの悲しげな鳴き声でしかない。ゾノは無慈悲にその爪をさらに食い込ませ、ザフトの証であるモノアイは船のブリッジを覗き込み、振り上げた爪はそれを引き裂いて深い爪痕を残した。
 紅海の鯱はあくまでも恐ろしい捕食者であり、モビル・スーツの優位性は揺るぐことがない。




 モビル・スーツこそ戦場の覇者。この事実は、どこであろうと変わることはなかった。
 幾本もの水柱が立ち上がる。オーブ、オノゴロ島沖の海戦は旧世紀以来の様相を呈していた。敵味方入り乱れて艦船がめまぐるしく入れ替わり立ち替わり、海に白い轍を刻む。空には曳光弾の軌跡。戦闘機が飛び交う。
 そんな海戦の中の一つの光景。それは、遙か、1万5000km彼方のジブラルタルにて展開されているものとおぞましいほどに合致していた。
 駆逐艦が突如傾き始めた。浸水、被弾のせいではない。重心が無理矢理横に引きずり込まれ、船は目に見えて傾き始めたのである。傾いた側、海面をかすめる側を覗いた時、疑問はすべて氷解する。鋼鉄の体皮をした巨人が船縁にしがみついていた。
 GAT-01デュアルダガー。混戦下、あらゆるソナーの精度が著しく減少することを利用し、海中を潜み進んだモビル・スーツである。ザフト軍の技術的優位を奪い去ったその力は、オーブ軍相手にも遺憾なく発揮されていた。
 謎かけをしよう。水に潜れて地面を走ることもできる。極めて小回りがきき空を飛ぶ。その破壊力は戦艦さえ破壊する。潜水艦は陸に上がることさえできない。戦車は空を飛ぶことはできない。戦闘機、戦闘ヘリが水に潜る時は墜落した時だけだ。
 モビル・スーツは、その汎用性そのものが武器であった。
 デュエルダガーが魚雷よりも正確に船体に到達し、駆逐艦をよじ登る光景は従来の兵器のカテゴリに当てはめることはできない。やがて、ゴーグル・タイプのデュアル・センサーが駆逐艦のブリッジを覗き込み、肩越しに引き抜かれたビーム・サーベルはブリッジを船体ごと縦に引き裂いた。
 モビル・スーツは高い汎用性を誇り、その優位性は誰に対してであろうと揺るぐことはない。
 それはモビル・スーツを相手にした場合であったとしても。
 突如飛来したビームがデュエルダガーの頭部を正確に撃ち抜いた。




 頭部を破壊されたデュエルダガーは完全に体勢を崩し、酔った人のようなふらついた足取りで海中へと落ちていった。
 GAT-X207SRネロブリッツガンダムの放ったビームが命中したのだ。バック・パックを輝かせるミノフスキー・クラフトの推進力はガンダムを安定して飛行さえ、GAT-X207ブリッツガンダムと同様のステルス機構はデュエルダガーに気づかれることなく接近することを可能とした。加えて飛行できることはこのような海戦において大きなアドバンテージとなる。
 ネロブリッツが次の標的を探している頃、すでにGAT-X303AAロッソイージスガンダムは動いていた。高速で通り過ぎていく海面に機体が写り込むほどの低空飛行のまま敵駆逐艦に接近していく。対空砲火がロッソイージスの周囲に水柱を次々と立たせ、攻撃は確実に命中している。しかしフェイズシフト・アーマーに守られたロッソイージスは装甲を淡く輝かせ、強引に接近を果たす。そのライフルは強大な火力を誇り、ブリッジを一息に吹き飛ばした。

「アイリス、無理すんな。俺たちくらいしかオーブのモビル・スーツはないんだからな」
「わかってます。でも、もう少し頑張っておかないと勢いに押されます!」

 ディアッカの言葉もあまり効果はないらしい。ディアッカがアイリスと共同戦線をはることは初めてになるが、その戦い方にはどこか危うさを感じていた。思えば、オーブの港でもモビル・スーツが暴れ回る戦場の片隅で逃げるでもなく突っ立っていた。
 勇敢というより無謀であって、責任感の強さも相まってアイリスは恐怖を感じていないようにさえ、ディアッカには思えた。
 アイリスのロッソイージスは満足な支援もないまま、敵駆逐艦が集中する一体へと加速しようとしていた。

「まったく……」

 ほうっておくわけにはいかない。ディアッカもまた、ネロブリッツのアクセル・ペダルを踏み込んだ。




 現在のオーブ軍にとって必要なことは守ること、そして攻めること。
 オノゴロ島への上陸を許すわけにはいかない。しかし数の不利が圧倒的である戦場ではただ防衛線を固めるだけでは押し切られてしまう。適度に攻撃に打って出る必要があった。
 激戦地となっている海域を迂回するように飛行する戦闘機の群、それに加わって白い装甲、その全身を光り輝かせるZZ-X000Aガンダムオーベルテューレの姿があった。
 戦闘機は低空であるため速度を落とした飛行を続けているとはいえ、オーベルテューレは人型という航空力学を無視した形状ながらその隊列にしっかりとついていた。ミノフスキー・クラフトはバック・パックのような一部でさえモビル・スーツに飛行能力を与える。オーベルテューレのように全身に張り巡らせた場合に得られる推進力がどれほどかは想像するまでもない。
 完全な飛行。完全な推力。
 オーブ軍のこの編隊は大西洋連邦軍の後ろに控えた艦隊を攻撃対象に設定していた。第二波となる戦力を先に叩いておくことで敵の勢いを殺し、より防衛戦力の負担を削るのである。
 すでにオーベルテューレの全天周囲モニターには晴れ渡った空と、モビル・スーツを露天甲板に並べた空母が数隻視界に捉えられていた。
 オーベルテューレと並んで飛行する戦闘機の中にはFX-550スカイグラスパーが含まれている。

「アーノルド少尉、モビル・スーツの相手は僕が。少尉たちは戦艦を集中して狙ってください」
「了解!」

 空母の上、デュエルダガーたちがシールドを前に突きだし、縦に2列に並んでいる。前列は屈み、後列は立ったままビーム・ライフルを向けていた。接近するオーベルテューレによく統制された動きでビームが発射される。
 ここで無理な回避を行う必要なんてない。オーベルテューレを動かす。大きく横へと飛び退いて、ビームは海面で次々と大きな水しぶきをあげた。大きくかわす。それでも接近すること自体はとめない。速度を維持したまま、敵戦艦へと接近を続ける。
 射程距離に収めた。そう、キラは判断した。
 それは、まるで自分の意識がモビル・スーツの大きさにまで拡張されたかのように、目の前の光景がスロー・テンポで流れていくかのような回避の術であった。
 飛来するビーム。その線条をオーベルテューレは通り抜けた。命中と回避の狭間。わずか数cmの距離で敵の攻撃を回避するハウンズ・オブ・ティンダロスの動きは攻撃が敵をすり抜けたと錯覚させる。異形の猟犬は、狙った相手を決して逃すことはない。
 オーベルテューレはわずかな減速も、わずかな動きもないまま、空母へと接近を果たした。
 まず繰り出した蹴りは立ち上がっていたデュエルダガーの首を、根本から蹴り飛ばす。飛んでいく首さえ追い越してオーベルテューレは甲板の上を通り過ぎた。デュエルダガーたちは反応さえできていない。
 上体を折り曲げ、下半身に上へと反り返る動きを加える。オーベルテューレは加速を続けたまま逆さまの姿勢になり、ちょうど後ろを向く。スラスターの位置に左右されないミノフスキー・クラフトならばこのような曲芸じみた動きっも可能となる。天地が入れ替わったまま、キラは先ほど通り抜けた甲板にいるデュエルダガーたちへと引き金を引く。
 放たれたビームはシールドを貫通し、デュエルダガーをたやすく撃墜する。そのまま空母の甲板さえ貫いて生じた爆発は空母の一部を損壊、船は目に見えて傾いた。
 これでいい。この程度で十分だ。オーベルテューレ1機では元々すべての艦船を相手にしているだけの力はない。敵部隊の勢いを削ぐだけで十分だと言えた。
 後ろ向きのまま加速していた状況を、やはり体のひねりを利用して元の状態へと戻す。キラはすでに次の標的に狙いを定めていた。
 比較的大型の空母だ。甲板には多数のデュエルダガーを搭載し、この部隊の旗艦を思わせた。この艦を沈めればキラの任務は達成されることになる。
 しかし、敵も馬鹿ではない。護衛艦からは次々と高射砲が放たれ、周囲に展開する空母からはデュエルダガーたちがビームを縦から横から撃ち込んでくる。わずかな時間さえ動きを止めておくことなんてできない。やむなくオーベルテューレを引かせる他ないほどだ。

「数が違いすぎる……!」

 わかっていたこととは言え、視界を埋め尽くさんばかりの曳光弾の軌跡には大西洋連邦軍の圧倒的な軍事力が象徴されている。
 空へと逃げるしかなかったオーベルテューレのすぐ脇をスカイグラスパーが通り過ぎた。

「援護する! ヤマト曹長!」

 曹長。大西洋連邦時代のキラの最終階級を叫びながらアーノルド少尉--これも大西洋連邦軍当時のものだ--のスカイグラスパーが、オーブ軍の戦闘機が一斉に曳光弾の網へと飛び込んでいく。
 躊躇や満足な状況確認をしている余裕は、少なくとも戦場には存在しない。ただ反射的に、キラはオーベルテューレを加速させる。
 対空砲火は目に見えて減っていた。戦闘機へ攻撃が分散し、オーベルテューレの動きはそれだけ楽になる。ただし、チャンスは1度だけ。
 ビームの直撃を受けた戦闘機が派手な爆発とともに残骸をまき散らした。翼に被弾し、そのまま海へと墜落していったものもいる。その度、オーベルテューレへと集中する攻撃は数を増す。
 何より、戦闘機には致命的な欠点がある。一定の速度を維持しなければ失速してしまうため、旋回にはモビル・スーツから見れば驚くほど--機種にもよるが、1km程度--広大な旋回半径を必要とする。一撃離脱には優れていても連続した攻撃力を維持することは難しい。この攻撃が失敗してしまえば、今度、攻撃の機会が回ってくるまで、戦闘機は敵の攻撃にさらされ続ける。極端な意見として、肩幅程度の旋回半径で腕の振りほどの速さで攻撃範囲を変更するモビル・スーツの攻撃に。
 ハウンズ・オブ・ティンダロスの動きに、戦闘機の支援。オーベルテューレは全身を輝かせたまま、旗艦を見据えていた。
 甲板上に並ぶデュエルダガーのビームは時間稼ぎにさえならない。オーベルテューレの全身を包むミノフスキー・クラフトは微細な機動さえ可能とし、ハウンズ・オブ・ティンダロスの完成度を高めてくれる。
 ビーム・ライフルを腰にマウントし、ビーム・サーベルを振るうために右手をあける。このまま旗艦のブリッジを一撃で破壊する。十分な加速、捉えた間合い。キラはブリッジを備える構造を、睨みつけた。
 それは確信であって油断ではないはずであった。
 わずか一撃。ハウンズ・オブ・ティンダロスの技術を突き抜けて、オーベルテューレの肩に突き刺さった。ミノフスキー・クラフトの輝きに混ざって強烈な光を放つフェイズシフト・アーマー。ビームではない。十分な物理的な衝撃をもたらしたこの一撃は、オーベルテューレの勢いをそぎ落とした。
 命中させられた。速度は落ち、軌道からも外れた。すでに旗艦を狙うことはできない。オーベルテューレを離脱させる他なかった。巧遅は拙速に如かずとはよく言ったもの。最善ではないものの、離脱した直後、オーベルテューレがいたはずの場所に次々とビームが叩き込まれ、一際大きな水柱を生じさせた。
 残念ながら、最善ではないのだ。
 急速な軌道の変更はオーベルテューレから速度をはぎ取り、静止するような一瞬があった。その隙を、それは見逃さなかった。
 何かが急速に接近してくる。それはビームの輝きを振り下ろし、辛うじて抜きはなったビーム・サーベルでキラはその攻撃を受け止めた。ビーム・サーベル同士による鍔迫り合い。
 敵の姿が、全天周囲モニターへと大きく表示される。
 黒いストライクだ。アフリカ戦線においても確認した。大型のウイングにレールガン--先程オーベルテューレを狙撃したのは恐らくこれだろう--を備える専用のストライカーを装備した、GAT-X105Eストライクノワールガンダム。
 ガンダムとガンダムを繋ぐ回線はすでに開いていた。

「キラ、この戦いはお父様にとって大切なもの。邪魔はしないで」

 聞き覚えがあっても判別がしにくい。そんなヴァーリ特有の事情を持つ声がした。ただ想像はつく。オーブ侵攻の指揮はエインセル・ハンターがとっている。すなわち、エインセルに従うヴァーリだということだ。

「ヒメノカリス、君はどうしてエインセル・ハンターを父と認めるんだ? あれほど、シーゲル・クラインを崇拝していた君が!」

 出力ならオーベルテューレがストライクを圧倒できる。突き飛ばすように鍔迫り合いを解くと、ノワールは体勢を崩して弾き出された。しかし好機は訪れない。即座に援護射撃が加えられ、眼下の戦艦からビーム、実弾が次々と撃ち込まれる。
 ヒメノカリスも援護を予定していたのだろう。体勢を1度は崩したにも関わらずオーベルテューレが逃げた方向へとすぐさま対応し、ビーム・サーベルを幾度となく振るってくる。

「シーゲル・クラインなんて男、どうでもいい。私を見てくれなかった。抱きしめてくれなかった。でもお父様は違う。私を抱きしめてくれる。愛してくれる!」

 攻撃は苛烈で、ヒメノカリスは両手に構えたビーム・サーベルを次々と叩きつけてくる。ヒメノカリスは身体能力に優れたヴァーリであった。援護射撃も加わっては楽に戦わせてくれる相手ではない。
 ヒメノカリスをパイロットとして使用する。エインセル・ハンターの判断は、どこも間違ってはいない。

「そんなお父様が君を戦わせるのかい?」
「あなただってゼフィランサスのために戦ってるでしょ。人は愛する者のために戦うの」

 二刀流の攻撃は、右手のサーベルで防ぎ、左手のシールドでいなす。現状において、ビームに耐えられる装甲は開発されていない。シールドは見る間に疲弊し、仕舞いには切断さえされる。
 わかっていたこと。驚くに値しない。左手にビーム・サーベルを装備させ、こちらも二刀流となってノワールの攻撃を防ぐ。サーベルを振るう度、ぶつけ合う度、ビームの粒子がこぼれて輝く。

「僕には同じに見えるよ。10年前の君と、今の君は! シーゲル・クラインがエインセル・ハンターに変わっただけなんだって!」
「お父様を愚弄しないで!」

 互いに放った一撃は互いのビーム・サーベルにぶつかり合い、互いの体勢を崩した。
 思ったよりも高度が上がっている。艦砲、甲板のモビル・スーツからの攻撃は疎らになり、ちょうど戦場を俯瞰するにはいい位置にある。
 ストライクノワールがあくまでもストライクのマイナー・チェンジであるならスラスターの連続稼働時間の関係上、長くは飛行できないはずだ。それにも関わらず、ヒメノカリスから余裕は消えない。崇拝する父への偏愛は微塵も揺らいでいない。

「お父様は偉大なの。その志は高尚、理想を抱いているから。だから、邪魔をすることは許されない。オーブもあなたにも」

 はっきりと言葉にすることは難しい。確かに戦場の空気が変わった。眼下で、わずか、ほんのわずかだけ大西洋連邦軍の進軍速度が増したように感じられた。そのわずかな違いを、キラは空気の違いと感じ取ったらしかった。

「教えてあげる。象の道を塞げる蟻なんていない」

 進軍速度が増した理由。それは戦場から断片的に拾うことができた。見たことのない新型が投入されていた。
 モニターの隅に映る敵機は、オーベルテューレが命じるまでもなく拡大表示してくれる。デュエルダガーにより複雑な形状と装甲を与えた機体で、特筆すべき特徴は、バック・パックを装備していること。オーベルテューレが拡大して見せてくれた機体には、キラが見覚えのあるバック・パックが装備されていた。

「これは! ランチャー・ストライカー……」

 他にもエール・ストライカーを装備した機体も見られた。ストライク同様の換装機構を保有する、さしずめストライクダガーとも言うべき機体が大西洋連邦軍に勢いを与えていた。
 ただでさえ圧倒的な戦力差がある。それに加え新型機まで使われては、オーブの劣勢は火を見るより明らかだと言えた。嫌な汗が流れるような不快感が肌に張り付いて離れない。
 ヒメノカリスの恍惚の声だけが耳に届いていた。

「お父様は王だもの。象でしてそうなら、まして王の道を妨げることは許されない。そうでしょう、私の愛しい愛しいお父様」




 優位にある側が劣勢にある側の決定的な違いとは何か。それは、一つには余裕の大きさの違いである。優位でさえあれば、より優位とするべくあらゆる手段を講じることが可能となる。劣勢であれば現状を維持することに手一杯になってしまう。
 大西洋連邦軍はあくまでも貪欲に堅実に、優位を手放そうとはしなかった。オーブへと新型を投入することと時期を合わせて、ジブラルタルへも新型機を出撃させたのである。
 新型機を複数の戦場に一斉に投入するという一見無茶な戦法は、しかしオーブ、ザフトともにデータを得る暇もなく新型の脅威にさらされることを意味する。
 GAT-01A1ストライクダガー。ジブラルタル基地死守に尽力するザフト軍が後々に知ることとなるこの新型機の投入は、疲弊していたザフト軍防衛線を急速に磨耗させていった。
 水中では、ソード・ストライカーを装備したストライクダガーがゾノの丸い体にかつてストライクガンダムが使用していた対艦刀を深々と突き立てていた。
 長い対空時間を誇るエール・ストライクダガーはそのウイングの揚力を最大限に生かして海面のグーンの周囲を飛び回る。数機で包囲した途端、ビーム・ライフルは次々にグーンへと突き刺さり、固い三角の頭の内部から生じた爆発はモノアイ、装甲の継ぎ目、強度の弱い部位から優先的に外へとあふれ出す。
 火煙をあげながら爆沈していくザフト軍巡洋艦。それを見つめているのはランチャー・ストライカーのいくつもの銃口であった。
 油がまき散らされ、漂う残骸を黒く染める。ふと舞い落ちた火種は油を燃やし、海が燃えている。燃える海にザフトの兵が消えていく。

「イザーク、弾はまだ保つか!?」

 ストライクダガーへと両手に装備したアサルト・ライフルを斉射するディンの中で、アスランはすぐ近くで戦っているはずのイザークへと通信を放つ。イザークのディンは腰に備えられていたカートリッジを交換している最中である。

「こいつで底だ!」

 アスランも同じ状況である。
 アサルト・ライフルの攻撃によって装甲が穴だらけになったストライクダガーを蹴り飛ばす。すでに機能を停止していたストライクダガーは中破した駆逐艦の上から海へとたたき落とされ、代わりにアスランのディンが着地する。イザークの機体も同じ駆逐艦の上に降り立った。
 どちらもひどい状態であった。アスラン機は直撃こそないものの、度重なる攻撃にさらされたことでウイングに大小さまざまな損傷が見られた。イザーク機は頭部がすでにない。
 周囲などすでに残骸だらけで、立ち上る黒煙に周囲の状況も定かではないほどだ。

「無事か、イザーク……?」
「新型が後一歩でお釈迦だがな」

 まだ最後のシャトルが出航するまでには時間がかかる。ここで敵の快進撃を許すと言うことは、故郷に帰ることを望む多くの仲間を危険にさらすことと同義である。
 アスランも、イザークもまた疲れ切っていた。

「せめて敵がもっと早く攻めてきてくれるか、もっと遅かったなら状況は違っていただろうな……」
「弱音なら聞かんぞ」

 普段のイザークなら怒鳴り散らすところだが、それほどの余力は残されていないのである。

「ただの分析だ、イザーク。もしも敵の攻撃が早ければ、脱出を諦めてマスドライバーを破壊してゲリラ戦を展開することもできたはずだ。遅ければ全員が脱出してもちろんマスドライバーを破壊することもできた」

 宇宙への脱出を諦めるほどではなくて、だから人々は友軍の集結を待って順次空へと旅立った。そのため、地上に残されたザフト軍は、未だにゲリラ戦を繰り広げているアフリカ方面軍、オーストラリア大陸のカーペンタリア基地を除けば大半が地上を離れたことになる。これは裏を返せば、もはや地上に後顧の憂いは残されていないことを意味する。
 反対に大西洋連邦の襲撃がより遅かったなら、マスドライバーを跡形なく破壊し、仲間たちは安全に宇宙に帰ることができたことだろう。

「だが、今の状況では脱出も心許ない。マスドライバーを破壊することもまず不可能だ……」

 脱出できるかどうかという瀬戸際に、破壊工作など望むべくもない。

「やめろ! すべて敵の策略通りだというのか?」
「それが、今俺たちが戦っている相手だってことだ」
「それでも……、俺たちには戦う以外何ができる?」
「そうだな……」

 戦うしかないのだ。
 敵の揚陸空母が仲間の遺体とも言うべき残骸を押しのけながら突き進んでくる。その油にまみれた海の上には、幾輪もの赤い薔薇が漂っては波に呑まれて消えていく。




 オノゴロ島には、まだ戦火の羽音は遠く響くだけである。オノゴロ島、モルゲンレーテ社の格納庫をオーブ軍は本拠地として利用していた。有事に備え十分な強度と、機体をそのまま整備できる利便性を鑑みてのことだ。
 用のある者は走り回り、手の開いている者であっても急かされたように一つ一つの行動が慌ただしい。
 カガリ・ユラ・アスハが覗いた格納庫の様子はまさに臨戦態勢という言葉がよく似合う。しかしカガリのいる部屋の様子は落ち着いているとさえ言ってよい。ガラス1枚挟んだ格納庫とはまるで空気が違っている。カガリは窓越しに格納庫を見下ろしていた。

「レドニル・キサカ、戦況は?」

 カガリのすぐ後ろに立つ大柄な男の姿はガラスにも写り込んでいる。

「思わしくありません。大西洋連邦軍は新兵器さえ投入し、占領された島もいくつかございます」
「厳しいな……。他に報告しておくことはあるか?」
「エピメディウム様が、モビル・スーツの出撃を許可しました」

 思ったよりも驚きは少ない。何となく、わかっていたことだったのだろう。
 オーブのモルゲンレーテ社は確かに大西洋連邦と協力してモビル・スーツ開発に携わった。しかしそれは実験場の提供、末端部品の開発など限定された内容であり、協定にもモビル・スーツ全体の開発技術までの交流はないとされている。モルゲンレーテは、オーブは協約を破り技術を盗用していたのだ。
 大西洋連邦軍がオノゴロ島を重点的な攻撃目標に定めたことも、開戦理由の中に技術盗用という裏切り行為を理由に挙げたことも、オーブがモビル・スーツを保有することを睨んでのことだ。
 そしてその通りにモビル・スーツを投入してしまった時点で、大西洋連邦の言い分は荒唐無稽の絵空事から、オーブへの正当な非難にすり替わる。

「結局、あいつもヴァーリ、ダムゼルだったってことか……。人に国の立場も考えずに無茶苦茶していると非難していた癖に自分はこの様か!」

 窓ガラスを殴りつける。これでオーブを守ることができるのなら、皮が裂け、骨が砕け散るまで殴り続けよう。

「レドニル・キサカ、私も出撃する! 機体の準備をするよう、整備に伝えろ!」

 今殴りつける相手はガラスではない。カガリは身を翻し歩き出す。レドニルは敬礼し、そんなカガリを見送った。
 戦いはまだ終わってはいない。だが、確実に終わりが近づいている事実だけは揺るがすことができない。




 海岸に打ち上げられ、遺棄された空母の傾いた甲板の上、白いガンダムと黒いガンダムとが睨み合う。
 ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレ。そして、GAT-X105Eストライクノワールガンダム。互いにビーム・サーベルを抜いたまま、対峙している。
 すでに日は暮れようとしている。太陽は悲惨な戦場の光景を夜の月に押しつけようとしていた。

「ジブラルタルでもザフト軍が追いつめられてる。あなたたちがマスドライバーを守ろうとしても、結局大勢には影響しない」
「エインセル・ハンターの、ムルタ・アズラエルの狙いは一体何なんだ?」
「プラントの滅亡と、コーディネーターの消滅。ブルー・コスモスが望むものが、他に何かある?」

 それは、ブルー・コスモスという思想団体が半世紀--すでに古い言い方だが--も前から唱え続けた目標にほかならない。
 ヒメノカリスの声は夜の冷たさを含むように聞こえる。

「キラにだってわかってるはずでしょ。プラントは国として歪んでいる。優れた人の国を作ろうとするあまり、劣った人間を見下すことを当然のように捉えてる。ゼフィランサスだって、モビル・スーツ開発ができなければ処分されても不思議じゃなかった」
「それでも、ゼフィランサスを利用していることはプラントもエインセル・ハンターも同じだ」
「そう。それでどうするの? あなたはもう戦えない」

 ヒメノカリスの言葉に誘発されたように、突然オーベルテューレのコクピットに警報音が鳴り響く。モニターには自動に現在の機体の状況を伝える画面が表示され、これによると廃熱が深刻なレベルで蓄積されていることを示していた。

「オーバー・ヒート……!」

 そんなに激しい熱を生じさせるような使い方をしただろうか。

「その機体はゼフィランサスがお父様たちのために造った核動力搭載機の試作機にすぎない。排熱機構が不完全ですぐに熱が内部にこもってしまう。稼働時間が極めて短い欠点を抱えている。ミノフスキー・クラフトを全身に張り巡らせるためにどれほどのエネルギーが必要か知ってる? 現在の技術だと、それは核動力でないと解決できない」

 ではオーベルテューレには核動力が搭載されているということになる。大西洋連邦はYMF-X000Aドレッドノートガンダムよりも先に核動力搭載機を完成させていたことになる。
 世界の形は、キラが考えているものとは違って、遙かに大きく歪な形をしているらしい。警告音はけたたましく鳴り響いている。

「キラ、お父様の邪魔をすることは許さない。許されない。でも安心して。逆らったところで結果は何も変わらないから。どれほど蟻を踏みつぶしても、象は歩きたい方へ歩くことができるから」




 静かな部屋。ゼフィランサスが研究者として与えられた部屋は、決して広くはない。大人数で使うわけではなく、助手と自分の2人分さえ確保できれば十分であるからだ。
 ゼフィランサスの机しかない。助手であったプレア・レヴェリーの机は、公安職員が調査の名目で押収して以来、まだ返却されていない。
 公安と聞いて、レイ・ユウキ、口を堅く結んだ男性の顔が思い浮かぶ。返却を申請したらどんな顔をするだろう。きっと、表情を崩さず、後は調査の進捗次第。
 ゼフィランサスは部屋の入り口付近にいた。そこから室内を見渡していた。広くはないはずの部屋が、それでも広く感じる。
 応接間としても使われるため、ソファーやテーブルが置かれているが、それでも、プレアが抜けた隙間を自覚させないほどには場所を占有してはいない。
 ここが応接間として機能したのは1度だけ。他に人と出会う時は外で済ましてしまった。こんなことを思い出して、ソファーとテーブルの無為を高めても心は晴れない。そのただ1度の会談は、ユーリ・アマルフィ議員とのものであり、そこにはプレアも参加していた。
 プレアはもういない。
 ゼフィランサスはゆっくりとした足取りで自分の机に歩み寄る。引き出しを開くと、受話器とダイヤルが顔を見せる。傍受されてはならない通信は、このような仰々しい機器を介して行わなければならない。ある番号をダイヤルして、髪をかきわけて受話器を耳に当てる。繋がったことを確認してから、声を吹き込む。

「ユーリ議員ですか……? ゼフィランサス・ズールです……」

 相手は、ユーリ・アマルフィ議員。プラント最高評議会議員にして、国防委員を兼任する急進派。以前は穏健派として知られていたが、息子の死を契機に転向、そして、ニュートロン・ジャマーを無効化する装置の封印を解いた人物として知られている。
 会ったことはほんの1度だけ。物腰の穏やかな人で、悲しくなるくらい息子を愛していた。

「話は聞いています。ニュートロン・ジャマーを無効化する装置を完成させたと」

 受話器の声は、以前よりもやつれた印象を受けた。
 ユーリ議員はこう言っているが、基本的なものは手渡された時点で完成していたものであり、ゼフィランサスは安定性の調節とモビル・スーツに搭載できる規模のものを設計したにすぎない。
 それでも、1つ約束ごとを交わした。

「以前……、命名を任せていただけるとお聞きしました……。それは今も有効でしょうか……?」
「では決まりましたか?」

 ゼフィランサスは思いついていた名前を答えた。

「プレアと名付けたいと思います……」

 ニュートロン・ジャマーを無効化する装置の開発に携わり、命を落とした少年の名である。もしこの装置がなければ、プレアはYMF-X000Aドレッドノートガンダムを持ち出すこともなく、今も生きていたかもしれない。たとえ、余命幾ばくもなくとも。
 何か一つでも、この装置のために命を落とした少年の存在を残してあげたかった。
 ユーリ議員はこの名前を認めてくださるだろうか。返事は、よいでも悪いでもなく、意外なものであった。

「助手の少年のお名前ですね。亡くなられたのですか?」

 ユーリ議員もプレアには出会っている。データの引継を受けた時に。
 プレアはユーリ議員が急進派に転向することを悲しんで、それでもニュートロン・ジャマーを無効化する装置の開発を割り切って、そして、その力で自分の最期を飾ろうとした。
 ただ、そのことをユーリ議員が知っているはずはなかった。核動力搭載機が持ち出されたことは箝口令が敷かれ、詳細まで知っている人は限られるはずである。
 ユーリ議員は一瞬の躊躇を見せた後、種明かしを始めた。

「失礼ながら勝手な想像です。ただ、他にあなたが泣いている理由がわかりません」

 泣いている。ゼフィランサスはそっと、自身の頬に手を当てた。すると、そこには頬を伝う水の感触が確かにあった。自分が泣いていることにゼフィランサスはようやく気がついた。
 すぐには言葉にできなかった。その間に、ユーリ議員は話を続けている。

「私からもお願いしてもよろしいでしょうか? ニコルの名前も、息子の名前も付け加えてはいただけませんか? ニュートロン・ジャマーを無効化する装置は、プレア・ニコルと」

 肯定したくても涙で、うまく言葉にできない。

「ニコルはもういません。ただ、私は知ってもらいたい。息子が生きたということを。見せてあげたい。息子が命を落とした意味を」

 たとえ、それがどのようなものであっても。世界を滅ぼす名前になってしまうかもしれない。忌み名として記憶されることになるかもしれない。それでも忘れ去られるよりは、何の意味も見いだされなくなってしまうよりはいい。
 ゼフィランサスは知っている。
 あなたの息子が死んだのは、あなたにニュートロン・ジャマーを無効化する装置を解放させるためです。そう、伝えることはできなかった。あまりに残酷で、とても聞かせられることではないから。
 この残酷な事実に、ゼフィランサス自身関与しているとしても。

「ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 涙は止めようがなかった。こんな言葉がどんな謝罪になるとは思わない。口を押さえて、涙を流して、そして、謝罪の言葉は止めどなく流れ続けた。



[32266] 第34話「オーブの落日」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:13
 西の海にまもなく日が落ちる。早朝から開始された戦い--戦争そのものは洋上での小競り合いが四日前から行われていた--はすでに大局が決しようとしていた。オーブ軍は技術的には大西洋連邦に引けをとらないとは言え、その物量、モビル・スーツの開発技術においては溝をあけられている状況にある。辛うじて持ちこたえていた防衛線は、大西洋連邦軍が新型を投入したことで瞬く間に劣勢に立たされた。
 GAT-X303イージスガンダム。そのコクピットのモニターにはオノゴロ島を中心として、敵勢力があらゆる方向から進軍している様子が略図として描かれていた。それを見つめるカガリ・ユラ・アスハは歯を噛みしめ、苦い顔を隠そうとしない。

「プラントのために戦ってやるようで気に入らんが、これ以上、オーブを踏みにじらせるわけにはいかないからな」

 オノゴロ島の高台の上から、イージスは海を臨んでいる。激戦の様相を呈して、夕日の指す海からは黒煙が消えることはない。イージスの周囲にはモビル・スーツが並んでいる。赤いフレームを白い装甲で包む機体であり、機動力を優先して装甲はところどろこ隙間が存在した。ライフルにシールド。現在のモビル・スーツの基本的な装備を備えたこの機体の名はORB-01アストレイ。モルゲンレーテ社がラタトスク社のガンダムの技術を盗用して造り上げた機体であり、そのためか基本性能はGAT-01デュエルダガーと大差ないそうだ。
 そして、オーブがプラントのために秘蔵し続けた兵器でもある。この兵器を表に出せばオーブは国際世論を失うことになる。エピメディウム・エコーはオーブの信頼よりも大西洋連邦軍に少しでも多くの損害を与えることを優先した。アストレイの出撃を決断したのである。

(1人でも多くオーブの民が救われると思わなければやってられんな……)

 まだ一つ、プラントのためにできることがある。

「レドニル、アーク・エンジェルにカグヤ島へ移るよう命じておけ。ヴァーリと議員の子息をブルー・コスモスには渡したくないからな。いざとなればいつでも逃がせるよう準備しておく」

 了解しました。そんな太い声が通信を通って帰ってくる。レドニル・キサカ、カガリが国外に出る時はいつも付き従う頼もしい相方は、今イージスと並んでいるアストレイに搭乗している。

「カガリ様は如何されますか?」
「それを私に聞くのか?」

 堅物で、どこか気の利かないところも相変わらずだ。
 イージスの足が一歩前へと出る。それだけ、戦場の空気が近く、色濃さを増す。

「ヴァーリじゃないが、お父様のため、カガリ・ユラ・アスハ。この身朽ちるまで戦わせてもらう!」




 アストレイの投入。それはオーブ軍を確かに勢いづけることとなった。
 オーブ軍はオノゴロ島周囲の群島に部隊をそれぞれ配置し、海上を戦艦で埋める形で防衛線を年輪状に張り巡らす戦法を採用していた。対する大西洋連邦軍は艦隊による洋上突破と平行して大型輸送機による降下部隊によって各島を攻撃する二段構えの作戦がとられた。
 洋上の戦いは戦艦入り乱れる混戦模様を呈していたが、大西洋連邦軍がモビル・スーツを投入したことによってオーブ軍は艦船の損耗を拡大させていった。新型機の投入に至ってはそれが加速し、防衛線はところどころで綻びを見せ始めた。
 島では降下したモビル・スーツ部隊とオーブ軍の戦車隊との壮絶な撃ち合いの末、膠着状態が維持されていた。高い汎用性を誇るモビル・スーツとは言え、砲撃力、生産性に優れる戦車に防衛に回られてしまっては十分な威力を発揮できなかったのである。
 そして、オーブ軍はアストレイの出撃を決定した。
 各島にあらかじめ配置されていたアストレイは戦車部隊と合流。戦車の砲撃から隠れていたデュエルダガーをその走破力を最大限に発揮する形で次々と追いつめていった。不整地も小高い丘もかまわず進軍するアストレイの姿は、モビル・スーツの真価である、歩兵並の走破力に戦車並の防御力、戦闘機並の攻撃力の並立という性能を見せつけた。
 オーブ軍防衛戦力は、確かに息を吹き返したかのように思われた。
 しかし、それはオーブ軍に限られない。軍上層部には、ブルー・コスモスが勝手に決断した侵略戦争、そう考える者も少なくはなかった。事実、アラスカでは急進派と言われる面々からも反対意見が出ている。ここで、オーブ軍がモビル・スーツを開発していることが事実であるとすれば、大西洋連邦軍の開戦理由は単なる口実ではなく一定の正当性を得ることになる。少なくとも、大西洋連邦軍の将兵にとっては。
 戦う正当な理由がある。この事実は、オーブによって明らかにされた事実は、皮肉なことに大西洋連邦軍を勢いづかせた。
 各島ではオーブ軍が善戦している。しかし洋上ではモビル・スーツを搭載した空母がオーブ軍の防衛線を氷砕船のようにかち割りながら突き進む。
 戦況は二極化していた。島の防衛は機能している。しかしこれはもう一つの皮肉を浮かび上がらせた。島内防衛戦力は自身の持ち場を守ることに成功し、その反面撤退時期を遅らせてしまったのである。各島がすでに大西洋連邦軍が制海権を獲得した海の上、まさに孤島として孤立してしまうことを意味していた。オノゴロ島へと合流できるはずの戦力が島の中に封じ込められ、大西洋連邦は揚陸の準備を着々と整えている。
 もはや、戦局は決定していた。




 太陽はすでに半分以上が水平線の向こう側に沈もうとしていた。黄昏時。明るくとも暗く、最も見誤ることの多い時間帯でさえ、オーブ軍の劣性ははっきりと見えていた。
 開戦時は遠くに見えていたオノゴロ島がすぐそばに見えていた。
 GAT-X303AAロッソイージスガンダムはミノフスキー・クラフトの恩恵で絶えず空に浮いていた。見下ろす光景は刻々と変わり、美しかった海は油と火、兵器の残骸が漂う戦場へと変わり、防衛線に守られたオモゴロ島は最後の防衛線として機能しようとしていた。
 黒煙はアイリス・インディアのいる同じ高さにまで伸びていた。

「随分オノゴロ島が近くなりましたね」

 アイリスは並んで戦い続けたGAT-X207SRネロブリッツガンダムへと話しかけたつもりであった。しかし、返事のタイミングで返ってきたのはアーク・エンジェルからの通信であった。操舵手を務めているはずのフレイ・アルスターからの声だ。

「アイリス、アーク・エンジェルは負ける前にカグヤ島から逃げろって。戻れる?」
「ルートを送ります。機会を見計らって合流してください」

 今度こそ管制の人--確か、ジュリ・ウー・ニェンというメガネの人からだ--からの通信が入り、隅のモニターにはオノゴロ島とカグヤ島の間に針路図が描かれた。

「わかりました」

 そろそろまた補給に戻ってもいい時期でもある。
 ディアッカ・エルスマンにも図は送られているはずである。ネロブリッツが空中を器用に進みながらアイリスのロッソイージスへと並ぶ。

「負け戦だな……。機体は大丈夫か?」
「フェイズシフト・アーマーはビームの直撃さえ受けなければ無敵ですからありがたいです。細かい傷とか結構怖いですから」
「経験あんのか?」
「機会があったら教えてあげます、ディアッカさん」

 10年前の、血塗られたと名付けられたお話を。




 ついに太陽が沈んだ。オーブはもはや朝日を見ることはない。
 ここはちょうど島の影になっているのだろう。特に暗く、GAT-X105Eストライクノワールガンダムのモニターには暗闇の中、身動きをとらないZZ-X000Aガンダムオーベルテューレの姿が暗視で表示されている。
 オーバーヒートを起こし、これ以上出力を上げることはできないはずだ。今にも傾いた空母--すでに撃沈され、漂着したものだ--の甲板から滑り落ちてしまうのではないだろうか。
 そう、ヒメノカリスは考えなが眺めていた。お父様に与えられた機体の中に、お父様に与えられた衣装とともに。

「オーブは大西洋連邦から盗用した技術でモビル・スーツを開発。ザフトと共謀して大西洋連邦を脅かそうとしていた。故に討った。お父様の描いた筋書き通りにこの戦争は終結する」

 お父様はいつもそうだから。誰よりも正義を尊び、だからより大きな悪を滅するためには自身が悪に染まることさえ厭わない。傷ついて汚れた玉のよう。それなのに人はその美しさに見せられ、汚れがあろうと関わらず輝く眩しさを賞揚する。
 キラからの返事はない。まさかコクピットの中で茹であがってなどいないだろうに。

「聞いてる、キラ?」
「聞いてるよ。でも、僕はゼフィランサスを信じる」
「言ってる意味がわからない」

 キラは、テット・ナインと呼ばれている頃からそうだった。
 もう倒してしまおうか。お父様からドミナントを殺すことは控えるよう言われている。ただ、絶対的禁止が課されていることとは違う。
 ストライクノワールの翼から一対のレールガンを起きあがらせる。その銃口がオーベルテューレを向くとともに発射。肉眼では確認できないほどの速度で放たれた弾丸は、しかしオーベルテューレにかわされ、空母の甲板に新たな風穴を開けるに止まった。
 オーバーヒートしている以上、セーフティーが働いているはず。もうビーム兵器は使用できない。そんなオーベルテューレのまま、それでもキラはストライクノワールへと飛びかかってくる。動き自体は見事なもので、レールガンを必要最低限の動きでかわした末の反撃である。
 だが、動きは鈍い。ストライクノワールが腹部めがけて蹴りを放つと、かわすこともできずにオーベルテューレは体勢を崩した。そのまま踏みつけるように押し出す。オーベルテューレは背中から海へと落ち、ストライクノワールもまたキラを海へと踏み落とすように海中へと潜る。
 コクピットには水の抵抗からくる弱い衝撃。モニターには白い泡が所々を埋めていた。そして、海中はすでに闇に包まれている。
 ほぼ同じタイミングで海中に入ったはずが、しかしオーベルテューレの姿はすぐに見失ってしまっていた。それほどまで光が全くなく、深海に放り出されてしまったように海中は暗い。何も問題はない。海水程度で冷却がすぐに終わるとは考えられない。逃げ出してとしても熱量をばらまいての移動ならすぐにセンサーが拾うだろう。

「キラ、あなたがお父様に逆らうことさえなかったら、私はあなたを殺す理由なんてなかった」
「それは順番が逆だ。僕はエインセル・ハンターに逆らいたいから逆らってる訳じゃない。ゼフィランサスを守りたい。それが必然的にエインセル・ハンターと対立することだから戦ってるだけだから」

 センサーに反応があった。ただ、それは何の意味もない。センサーが機能したことは知っている。それでも、ヒメノカリスはそのことを直接確認はしなかった。モニターの中に映る姿に、目を奪われていた。
 暗い海の中。この事実は揺るがない。しかしオーベルテューレの姿は見えていた。何とも不思議な光景だ。赤い光に輪郭が浮かびあがり、それが人のシルエットを描き出している。闇に浮かぶ赤い巨人。それは赤い双眸を持ち、V字に輝く黄金の角を持つ、ガンダムの顔をしていた。
 ガンダムオーベルテューレはガンダムでありながら、しかしガンダムの顔はしていなかった。ではこの機体は何か。
 コクピットに揺れが走る。海流がかき乱され、大きな流れとなってストライクノワールを包んだのだ。その原因は、やはりガンダムであり、赤い巨人は海中を引き裂かんばかりの勢いでその手を突きだした。モニター上に赤い指が大きく開く。ガンダムはノワールの頭部を鷲掴みにすると、その勢いを殺すことなく突進んを続けた。
 頭を掴まれたままのノワールが海中を通り抜けたやすく空へと投げ出された。ガンダムはまだ掴んでいる。

「この! 程度でー!」

 ノワール・ストライカーからビーム・サーベルを取り外し、居合いの如く横に振り抜く。敵の腹を一刀で両断する。そんな感触が伝わってきそうなほど必殺のタイミングであった。
 モニターから赤い指が消える。ビーム・サーベルは空振りに終わった。敵は、ノワールのすぐ後ろに回っていた。

(いつの間に……!?)

 ハウンズ・オブ・ティンダロスの動きは、まるで通り抜けたような回避を可能にする。可能と不可能の狭間。論理的には可能で、しかし実現は可能なのか。ヒメノカリスは努めて自身のうちに芽生えた疑念を振り払い、振り払うようにして振り向きざま、ノワールのサーベルを薙払う。いや、薙払おうとした。
 敵は素早く、放った蹴りがノワールの顔面を直撃する。コクピットにさえ伝わる衝撃。メイン・カメラが砕け、モニターが一気に不鮮明となった。ノワールは蹴り飛ばされたまま後ろ向きにはね飛ばされた。下には海が迫る。
 それでも敵の姿がようやく見えた。
 赤い巨人。それは同時に白くもあった。装甲の白さは見覚えのあるもので、オーベルテューレのもの。装甲が変形、展開し赤いフレームが内側に光って見えた。その姿はかつてのものより逞しく、フェイズ・ガードが展開し、額の角は縦に割れてブレード・アンテナへと変わっている。
 それはガンダムへと姿を変えたオーベルテューレそのものであった。

「キラ、その姿は……?」
「ゼフィランサスがオーベルテューレに与えた強制排熱機構だよ。装甲を展開し、ミノフスキー・クラフトを利用して熱を強制的に外部へ逃がす。姿がガンダムに変わるのはゼフィランサスのお遊びなんだろうけど、僕は言ったはずだよ。ゼフィランサスが、機体にオーバーヒートだなんて危険を残したままにしておくはずがないって信じるってね」
「装甲を展開してフレームをむき出しにするなんてそれ以上に危険」
「確かにね。でも、これでオーベルテューレは戦える!」

 腰にマウントしたままであったビーム・ライフルへと、オーベルテューレの手が伸びていく。抜かせる訳にはいかない。ノワールのレールガンはそれより早く立ち上がり、左右のウイングから1発ずつ、2発の弾丸を電磁誘導によって放つ。モビル・スーツさえ1撃で破壊するのに十分な破壊力をもつレールガンは、しかしオーベルテューレを通り抜け、その銃を抜き放つ動作に一切の影響を与えることはできなかった。
 銃口が向けられ、ストライクノワールをその射線上からわずかに逃す。ビームが放たれる。かわせてしまえるはずのそれは、膨大な熱量でしてノワールの右腕をかすめた。それだけ、それだけのことで、ビームは右腕と背後にあったウイングとを吹き飛ばした。
 コクピットに鳴り響く被弾を告げる警報音。ヒメノカリスは呆然と右腕が消失していることを確認していた。怖いのではない。信じられないのでもない。信じてもいい。目の前の現実であるのだから。だから許せない。

「お父様からいただいた機体をー!」

 お父様に送られた。この機体で役に立ってほしいと頼まれて。だからこの機体で敵を倒し、ただお父様のために戦ってきた。キラはそれを壊した。
 まだ左腕、レールガンも一つは無事である。戦えないはずがない。戦わない理由がなかった。キラに償いをさせるために、ヒメノカリスはスラスターの出力を上げようとして、しかしそれは阻止された。

「ヒメノカリス」

 声がしたのだ。愛しいあの人の声が。体から自然と力が抜け、スラスター出力と直結するペダルを踏む足は踏み込むことをやめていた。

「お父様……?」
「ここは退きなさい、ヒメノカリス」
「お父様、私は!」

 まだあなたのお役に立てます。まだ戦えます。役立たずじゃありません。あなたに見てもらう資格のある人間です。だから。

「あなたを失うことはできません。退いてくれますね、ヒメノカリス」

 お父様のお言葉は、ヒメノカリスを優しく諭し、反論することを許さない。

「わかりました……、お父様」

 お父様が出撃されようとしている。誰よりも美しく、誰よりも賢くお強いあの人が。

「キラ、一つ忠告してあげる。あなたは、お父様には勝てない」




 西の海に日が沈んだ。あたりが闇に包まれ、燃えさかる戦火の輝きは、それでも夜闇を完全にぬぐい去ることはできない。
 この光景、ごくありふれた夜の光景は、何故か、かつて一度だけ目にしたことのある皆既日食を思い起こさせた。突然太陽の光が遮られ、世界が闇に包まれる。不思議と音さえ消えて、世界が一斉に凍り付いてしまったような出来事だった。
 日食なんて起きていない。これはただの日没だ。そう、カガリは自分へと何度も言い聞かせた。それでも世界は、太陽が蝕まれてしまった、そんな光景を投影していた。

「攻撃がやんだ……?」

 まるで日が沈むのと示し合わせていたように大西洋連邦軍の攻撃がやんだのだ。先程までうるさいほど放たれていた高射砲は見えない。攻撃対象をなくしたアストレイたちがビーム・ライフルをどこに向けてよいものかわからず、首だけを回していた。
 撤退を開始するには唐突すぎる。意味もなく、訳もわからず突如耳鳴りさえ聞こえてきそうなほどの静寂が帳をおろした。
 何が起きた。何が起きようとしている。切っ掛けがなく、予兆も見あたらない。しかし気づかぬほど小さな変化は着実に積み上げられ、それはやがて目に見えるほどの大きさを見せるようになる。
 誰から始めたのかわからない。カガリ自身、いつから彼らに加わったのかわからない。誰かが空を見上げ、誰かが続き、やがて誰もが空を見上げていた。

「何だ……、あれは……?」

 太陽のように厳かで、ダイヤモンド・リングの輝きのように人々はこぞってそれを見上げていた。日の沈んだ空。新月の夜空を我がもの顔で漂う黄金の輝きがあった。

(落ち着け、あれはただのモビル・スーツだ……)

 皆既日食など何ら関係がない。夜は毎日訪れる。新月の夜など一月もかからない周期で訪れる。あれが何か特別なものでなどあるものか。
 全身を黄金の装甲で包み、手足が細長く全体として大型の人型をしている。25m前後だろうか。モビル・スーツにしては大型の体を淡い光に包み込み、オーブの夜空を漂っていた。
 ガンダムの顔を持つ、ガンダムだ。
 手に武器はなく、その姿は黄金のまばゆさを伴い、彫刻、神を模した像のようにさえ思えた。それが単なる兵器であり、ガンダムと呼ばれる最強の兵器であるということを、カガリでさえ一瞬意識の外に投げ出した。
 それは背中からさも2対、4枚の翼を広げるように、腕を伸ばした。やはり黄金の装甲をもつ細長いユニットが4機、多節式のアームで連結され蠢いたのだ。ユニットの先端には、複数の銃口が開いているのが見えた。

「散れ!」

 この指示さえすでに時遅い。4機のユニットから計16門ものビームが降り注ぐ。ビーム・ライフルを束ね、まとめて発射するようなものだ。オノゴロ島に次々と着弾し、派手な爆発をいくつもまき散らした。

「気を抜いていたつもりはないが……」

 では何故先制攻撃を許した。ゼフィランサスの作り出す兵器はいつも見栄えよく、つい見とれてしまうことがある。あれはガンダム。である以上、ゼフィランサスが造り上げた機体なのだろう。
 イージスのライフルが上空を狙う。アルトレイたちが次々とビーム・ライフルの引き金を引いた。幾条ものビームが立ち上り黄金のガンダムを目指す。夜空に黄金。的にしてくださいと言っているようなものだ。
 嫌な感覚だ。ガンダムは兵器にすぎない。兵器である以上、必ず破壊することができる。しかしゼフィランサスの作品だと思いあたると、なかなか破壊される瞬間が想像できない。黄金のガンダムはその通り、ミノフスキー・クラフトの輝きに全身を包みながら、滑るようにビームを回避していく。そして再び16門のビームが火を吹いた。オノゴロ島の地表が焼かれ、木々の破片が飛び散っていく。
 イージスの側にいたアストレイが、正面から胸部を撃ち抜かれ爆散する。
 入射角がおかしい。上空から放たれたビームが正面から突き刺さる訳がない。気づくのは、いつも一呼吸遅れている。海岸線からデュエルダガーが足を使って、上空からデュエルダガーがスラスターで降りて、オノゴロ島へと揚陸しようとしていた。肝心要のアストレイがあたりもしない攻撃を黄金のガンダムに繰り返している最中にだ。

「黄金にばかり気を取られるな!」

 カガリも人のことをいえた義理ではないが、完全に策略に乗せられた。目立つ機体がこちらの注意を引き、主力部隊が隙をついて揚陸を果たす。ガンダムは究極の決戦兵器でなぞないが、では、たった1機の登場がオノゴロ島の防衛線を引き裂いた事実をどう説明する。
 アストレイたちは完全に浮き足立っている。すでに上陸したデュエルダガーへと反撃しようとすると、黄金のガンダムは狙い澄ました一撃でアストレイを撃ち抜いた。黄金のガンダムを恐れ空を見上げれば文字通り足下をすくわれる。
 辛うじて敵の猛攻をしのいでいたオノゴロ島は、急速に戦線が動き始めていた。最悪の方向へ。

(黄金の奴を潰さなければオーブは終わる!)
「レドニル、ここの指揮はお前がとれ! 私は奴をしとめる!」

 恐らく堅物のレドニル・キサカはカガリを止めようとすることだろう。あくまで推測なのは、イージスがすでに空へと飛び出していたからだ。
 すでに皆既日食は終わっていた。空はすでにやかましいほどに慌ただしい。黒塗りの輸送機からは次々とデュエルダガーが降下し、撃ち上げる弾と撃ち下ろす弾とが交錯する。
 全身が黄金。やはり大きさはイージスよりも一回りほども大きい。しかし巨大というよりは雄大。まるでその大きさに必然性を持つ芸術品のような機体である。あれほどのビームにさらされたというのに、その黄金はくすみもしていない。
 これまで大きさに怯えたことなどなかった。ただ大きいだけなら鼻で笑っていられたことだろう。血なまぐさい戦争の風景と硝煙の香りの中、それは神々しいばかりの姿でカガリのことを待ち受けていた。戦場のただ中で見せつける圧倒的な余裕は、プレッシャーさえ伴っているようにさえ思えた。
 神像にしては黄金はいささか俗な印象がある。ではこれは何だ。神の騙る膨大な悪意そのものか。かつて天使の長は、自らを造物主との対等を主張し、そして天の国から追放された。
 ならば魔王か。
 イージスがライフルを向けるとともに引き金を引く。大きな体は、それだけ回避が難しいことを示している。ガンダムがこれで終わるとは思えない。しかしどのように回避するのか想像もつかないまま、ビームは直撃の軌道を描いた。そして、その黄金の装甲に触れるもおこがましいかのように、装甲表面を滑って通り過ぎていった。

「ビームを弾く……!?」

 こんなことを叫んでいる暇があるのなら動くべきであったのだ。
 黄金のガンダムは、まったく無駄のない動きで空を滑るとイージスへと接近する。すわ体当たりかという軌道であったはずだ。それなのに、黄金のガンダムはイージスの体を通り抜け背後に移動していた。
 何をされたのかもわからない内に、ライフルとシールドが切断されていた。ただれた傷跡。ビームによって切断されたことはわかっている。両手からそれぞれ投げ捨てると、眼下の地面に届く前に両方とも爆発する。
 イージスを振り向かせる。黄金のガンダムは何事もなかったかのようにその体を輝かせていた。
 まったく不気味な光景だ。目の前にありながら、しかし実在を確信できない。その大きさ、その輝き、不可視のプレッシャーと相まって絵空事のようにさえ思えてならない。まさに魔王か。悪魔の実在を証明することは一般的ではないが、悪魔の実在を信じない人であろうとその恐ろしさは知っている。

「私は、おまえを倒す!」

 無理をして大声を出す。こうして自分を無理矢理にでも奮い立たせる必要があった。そのためのごくありふれた儀式であるとしていい。
 イージスにはまだ武器が残されている。つま先のプレート、袖口のプレート、計4枚のプレートからビーム・サーベルを発生させることができる。たとえ装甲がビームを弾こうとフレームなら破壊できるはずだ。
 スラスター出力を全開に、イージスは黄金のガンダムへ突撃する。
 こうして近づくと大きさの違いがよくわかり。1.5倍程度も違う。子どもが大人に切りかかるようなものだ。だが、問題はこの大きさではない。カガリを幻と現の狭間に追い込んでいるのはスケールではない。
 両手足。4本ものビーム・サーベルを振るい、振り回し、叩きつける。この攻撃をすべて防いだのは黄金の装甲ではなく、ビーム・サーベルそのものであった。
 黄金のガンダムは手から足から、それぞれビーム・サーベルを発していた。イージスと同様の機構で、しかしイージスよりも多大な出力を象徴して太く肉厚である。イージスのビーム・サーベルがフルーレなら、相手のは鉈のようなものだ。モビル・スーツなら4、5機まとめて両断してしまえそうなサーベルが軽々と振るわれる。
 守りに入れば一気に押し切られる。イージスのサーベルをとにかく振り回した。正確に狙っている余裕などない。ただ攻撃を繰り出し続け、敵に反撃の隙を与えないように動き回る。夜空の中、サーベルから漏れだしたビームの粒子にまぶしい。

(戦えない相手ではない!)

 まるで光の壁を叩きつけているかのように相手の防御を突破できる気配はない。ゼフィランサスもとんだ化け物を作り出したものだ。
 だが、それにも増してこのパイロットは一体なんだ。まるで激情や激昂というものを感じない。カガリ1人が必死で、機械の相手でもさせられているかのようにさえ思える。カガリを相手にそれほどまでに余裕でいられる敵など、これまでに考えたこともなかった。
 相手の型が変わった。四肢から延びるビーム・サーベルがイージスを襲い、そのすべてを防ぐ。鍔迫り合いなど生やさしいものではない。振り下ろされる一撃を、受け止めてなどいられない。こちらから迎え撃つようにサーベルを叩きつけ勢いを殺す。四肢の攻撃を四肢で防ぎ、そして反撃のために右腕を引き戻す。
 当然のことであるかのように、右腕は肘から先が消失していた。
 いつ、どのように斬られたのだ。確かに敵の攻撃は防いだはずであった。少なくとも、四肢にのばされたビーム・サーベルについては。黄金のガンダムは第5の、第6の、第7、第8の腕を伸ばしていた。バック・パックの4機のユニットがそれぞれビーム・サーベルを発生させていた。四肢と合わせて8本ものビーム・サーベル。
 もはや光そのものが瀑布となって襲いかかってくるとしか思えない。それほどまぶしく、激しく、意識さえ追い越してしまうほど速い。手が足が、頭が、イージスが切り刻まれていくわずか一瞬を、カガリは惚けたように呟くことしかできなかった。

「私は、夢でも見ているのか……?」

 黄金のガンダムの姿が、落ちていくイージスの中で急速に遠ざかっていく。




「カガリさん!」

 たたき落とされて助かる高さではない。アイリスはロッソイージスを変形させ、すでに胴体しか残されていないイージスを目指した。6本指の手のように機首を展開し、覆い被さるようにイージスを確かに掴み取る。
 ロッソイージスにかかる重量。余剰推進にゆとりのあるロッソイージスとは言え、突然の質量の増加は機体の機動に大きな負荷を与えていた。同時に落下中であったイージスを無理に持ち上げることは慣性からして両方に大きな負担となってしまう。
 アイリスは落下速度を弱めるように推力を調整し、海岸線を飛び越えてオーブの海へと降りる道を選んだ。
 うまい具合に周囲には敵影はない。イージスの残骸を掴んだまま、ロッソイージスは海面を裂いて海中へと入る。生じる泡の中、すでに側にはネロブリッツの姿もあった。暗い海の中ぼんやりとしか浮かばないネロブリッツへと、イージスの残骸を投げ渡すように指を開いて、受け止めてもらったことを確認してからロッソイージスを変形させる。水中での変形は初めてのことであったが、いつもより時間をかけてロッソイージスは人の姿を取り戻す。
 ディアッカと協力する形でイージスの胴体部分を運ぶ。浅瀬に横たえた。イージスの損傷は言うまでもなくひどい。機体はここに遺棄した方がいいだろう。コクピットのある胸部を2機のガンダムが覗き込むようにして確認する。

「無事か、オーブの姫さん?」

 ディアッカの言葉に呼応したわけではないのだろう。それでもコクピット・ハッチが開き、水が外へとあふれ出た。破損したことでコクピットの機密性が損なわれていた証拠だ。コクピットから姿を現したカガリは当然のように濡れていて、外に出た途端に、意識を失って倒れた。危うくイージスから落ちそうになったところをロッソイージスの手のひらで受け止めることができた。
 完全に意識を失っている。これでよくコクピットから出られたものだと思う。ディアッカも同じことを考えたようだ。

「気力だけでコクピットから這い出たのかよ……?」
「さすがですね……、その……」

 どんな誉め言葉を用意してもゴキブリ並の生命力だとかゴリラ顔負けだとか本人に聞かれたら怒られそうな言葉しか思いつかなかった。ゆっくりと言葉を考えている余裕もないようだ。近くの海面が爆発して、波が腰まで海水につけていたロッソイージス、ネロブリッツにかかる。

「アイリス、援護する。本陣まで運ぶぞ」

 ネロブリッツがビームを放ち敵を牽制する。その間にコクピット・ハッチを開き、ロッソイージスの手を誘導する。アイリスはカガリを背負うなりコクピットへと戻る。ノーマル・スーツを着たカガリのヘルメットを脱がせると額を切っているくらいで大きな外傷はないらしい。

「カガリさん、あと少し待ってくださいね」

 ハッチを閉じ、アイリスもまたビームで海に腰を浸している敵部隊の方にビームを撃ち込む。吹き出した水柱が視界を塞いでいる内に2機のガンダムはミノフスキー・クラフトの輝きを纏い飛び上がった。




 オノゴロ島。大西洋連邦軍が揚陸を果たし、各地で火が燃えさかり、夜空を削っていた。立ち上る黒煙を朱に染めている。
 黄金のガンダムは空にあった。それは万軍の王のように攻め進む軍勢を見下ろし、獄卒のようにその様を眺めている。そして、戦士のように対峙すべき敵を待ち受けていた。やがて白い装甲に赤いフレームを輝かせた、ガンダムが同じ空で顔を合わせる。ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレ。キラ・ヤマトの機体である。

「エインセル・ハンター……。その機体もゼフィランサスが?」
「ZZ-X300AAフォイエリヒガンダム。ゼフィランサスが我々ムルタ・アズラエルのために造り上げてくれたゼフィランサス・ナンバーズ。その初号機です」

 まばゆいばかりの機体である。巨大でありながら均整のとれたその造形はただモビル・スーツを大きくしたわけではないことを示している。
 GATシリーズで得られたデータを基にして作り上げたでは時間が合わない機体である。すなわち、GATシリーズよりも以前に造られた機体、GATシリーズこそが黄金のガンダムのデータを基に造られた、量産のテストベッドの一つであることを意味した。量産機であるデュエルダガーと平行して造られた、高級量産機のような位置づけなのだろう。

「10年前、我々の下に来た、失礼、我々が連れ去ったゼフィランサスはゼフィランサス・ナンバーズの開発から着手しました。その過程で生み出された技術、ノウハウを利用する形でメビウスが、GATシリーズが造られました。そしてそのデータを還元する形でゼフィランサスはゼフィランサス・ナンバーズを完成させてくれました」
「そのためにユーリ・アマルフィ議員の子息を殺害したんですね?」

 これほどの機体を動かすためには核動力を必要とする。そして核動力を使用するために必要なニュートロン・ジャマーを無効化する装置を開発したユール・アマルフィ議員が装置の封印を解く切っ掛けには、間違いなく子息の死が挙げられる。
 冷静と誠実は人の美徳だと誰かが言おうとも、それはすべての場合において適用される訳ではないらしい。エインセル・ハンターはあくまでも冷静で、嘘偽りない言葉で、しかし冷酷な悪意を語る。

「それだけではありません。議員は穏健派の議員でした。それでは困るのです。ザフトにはアラスカに攻め込んでいただきたかった。同じく子を愛する父として、議員の気持ちは痛いほどわかります」
「仮にそれが本心だとしても、それでもこんなことができるあなた方のことは、僕には理解できない」
「だから敵なのです。私とあなたは」

 血のような赤に包まれた純白の一角獣と黄金の輝きを放つ魔王。
 どちらもZと、終わりの花を名付けられた少女の手によって生み出され、そして少女のために戦うことを目的としている。




 戦時中であり、国防の中枢を担う指令室は誰もが職務に呑まれていた。他の軍事基地と何ら変わることはない。巨大なモニターに戦況が映し出され、オペレーターたちが各自のデスクを覗き込んでは矢継ぎ早に指示を飛ばしている。
 その中で、ウズミ・ナラ・アスハは上等な椅子に、ゆったりと座っていた。椅子は1番高い場所にある。ただし、それが意味するところは何とも虚しいものである。所詮文民にすぎないウズミが作戦指揮をとれるはずもなく、ただ焼かれる祖国と民の姿を眺めていることしかできない。
 所詮は象徴でしかないのだ。もはや、何事においてさえ。

「お父様」

 呼びかけられ、横を向く。ウズミのことをお父様と呼ぶ者は2人しかいない。カガリは戦場に出ている。だとすると、エピメディウム・エコーに他ならない。
 椅子が床より高い位置に置かれているため、程良い高さで娘と視線が交わる。赤と青の瞳を持つ少女である。とても指令の権限を有しているとは思えない軽やかな服装をしている。

「エピメディウムか。……防衛線は崩れてしまったそうだな」

 聡明な娘はウズミの顔を見たまま、目をそらそうとはせずに、同時に何も語ろうともしない。
 目をそらしたのはウズミの方であった。戦況を確認するためとかこつけて正面を向く。オーブを裏から操り、この状況を招いたのはエピメディウムによるところが大きいが、娘は大きな力に従っていたにすぎず、そして、それを抑えられなかったのはウズミの責任である。だがそれを、娘と向き合ったままでは恨み節の1つでも言ってしまうのではないか、それが恐ろしかった。
 視界の隅で、エピメディウムが何かを取り出している仕草が見えた。

「不忠の娘を、お許しいただけるとは思えません。そして僕は、役割を果たさなければならない」

 もう1度横を向く。すると、エピメディウムが手に何かを握りしめていた。グリップであり、その先端には何らかのボタン。ケースによって防備されているため、不注意で押されることなどない、厳格な基準の下使用されるものであることに疑いはない。

「これは起爆装置です。すでにモルゲンレーテ本社、及びマスドライバーに十分な量の爆薬を設置済みです。このボタン一つで、僕はオーブを大いに傷つけることができる立場にあります」

 エピメディウムは極めて淡々と事実を明かした。本来は朗らかな気質であるが、父であるウズミの前では伏し目がちで、明るい表情を見せることは少ない。
 愚かではあれ、無能な為政者になったつもりはない。わかっていたことなのだ。オーブが陥落すると、大きな被害を受けるのは無論オーブである。だが、不利益を被るのはプラントなのだ。モルゲンレーテ社の技術やマスドライバーが大西洋連邦に渡れば、宇宙への侵攻が速まることとなるのだから。エピメディウムをはじめとするオーブに潜入している工作員がそれを見過ごすはずがないのだ。そして、何よりもプラントの国益を優先するであろうことも。

「そんなことをすれば、オーブの戦後復興が大きく遅れることになる。それに、まだ社員や家族が残されている。わかっているのか、エピメディウム……」

 国家元首を1度は担った者として、そのような暴挙は決して認めることはできない。プラントに利するために民の財産と命を危険にさらすことはできないのである。
 エピメディウムは弱々しくあけられた瞳をしながら、その手は確かにグリップを握りしめている。

「君は……、私の娘ではいてくれないのだね……?」

 ひどいことをした。エピメディウムは自分のしようとしていることをすでに悔いている。悪いことだと誰よりも理解している。それを今1度蒸し返したところで、エピメディウムの心をいたずらに苛むでしかない。ウズミもまた、エピメディウムの父であることはできなかったのだ。

「それがヴァーリ。そしてダムゼルです……」

 エピメディウムがケースに親指をかける。それを、ウズミは止めようとは思わなかった。どこかで期待していたのかもしれない。娘が、このような暴挙を思いとどまってくれることを。
 その時、指令室の扉が勢いよく開いた。自動ドアであるため、速度は一定のはずだが、どこかのせっかちが手で無理矢理扉を加速させたらしかった。だいたい想像はつく。現れたのは、やはりウズミのもう1人の娘、カガリである。ノーマル・スーツを着崩し、ところどころに包帯やテープが貼られている。
 そのすぐ後ろからはエピメディウムと同じ顔をした少女と、褐色の肌をした少年とがいる。

「ちょっとカガリさん、まだ意識が戻ったばかりなんですよ」
「医者の言葉なんて聞いていたら、墓場に行くまでベッドから起きあがれん」

 医者の許可もなく飛び出してきたらしい。まったく、カガリは無鉄砲がすぎる。

「エピメディウム、それをよこせ」

 それ。エピメディウムが握りしめている起爆装置のことである。そのことを聞いていたはずはないが、カガリは確信じみて手を差し出した。妙に勘が鋭く、直感を疑わずに行動することが多い娘である。悪く言えば考えなしの猪突猛進であるが、行動力、実行力があると言えなくもない。
 エピメディウムは一瞬呆気にとられた後、小さく笑みをこぼした。

「駄目だよ。これは起爆装置で、モルゲンレーテやマスドライバーを破壊するための大事なものなんだから」

 ケースに再び指が置かれる。赤い色をした半透明のケースで、持ち上げてボタンを露出する仕組みである。

「わかるかい、カガリ? 僕はオーブを傷つけたくなんてない。でも、マスドライバーは壊さなければならない。そのためにオーブを犠牲にしなければならないのなら、そうせざるを得ないんだ」

 まだケースを開けようとはしないが、その指には力が込められていることがわかる。

「僕の苦しみを、君はわかってくれるかな?」

 エピメディウムは微笑む。ただそれは、どこか無理をしているような寂しさがある。カガリは睨む。自分の心のありようをありのままさらけ出している様子で、人に遠慮を感じさせない。

「ああ、わかった」

 言うなり、カガリは跳び出した。瞬く間にエピメディウムの腕をとると、あり得ない方向へとねじ曲げる。そのまま、腹部に強烈な膝蹴りを見舞うことで、エピメディウムを壁へと叩きつきた。見事な動きで、無駄がない。起爆装置はカガリの手に握られていた。

「爆破は私に阻止された! これでいいんだろ!」

 カガリに見下ろされて、エピメディウムは壁によりかかりながら座っていた。口の端に血がつき、起爆装置を握っていた右腕は不自然な形になっている。息が途切れがちでありながら、それでも顔は笑っているようにも見える。

「あ、ありがと……、でも、やりすぎ……」
「エピメディウムさん……」
「ここまでするかよ、普通……」

 痛みをこらえながら、苦痛にうめきながらも、エピメディウムはしっかりとした眼差しをしていた。

「でも、まだ終わりじゃない……。デンドロビウムが次の手を、打つはず……」

 この言葉を耳にした途端、ウズミは椅子から跳びあがるように立ち上がった。

「施設からの民を退避させよ!」

 オーブの主要な施設に爆弾が仕掛けられている事実を、ウズミはオペレーターの反論を一切許すことなくまくし立てた。議論をしている暇もなければ、押しつけてでも事態を把握させる必要があったのだ。
 張り子の虎でもよい。虚勢であろうとも、この一瞬に信じ込ませればそれでいいのだ。

「しかし、それでは市民が戦場に投げ出されることになります!」

 オペレーターの1人が声を張り上げる。だが、反論などさせている余裕はないのである。

「敵軍司令部に通信をつなげ! 当方にこれ以上の戦闘の意志はなく、貴君の冷然たる判断を期待すると伝えるのだ! 伝えよ!」

 ウズミの突然の指示に戸惑っていたオペレーターたちが、再び職務へと集中する。ここで、ウズミは息を吸い込んだ。わかっている。防衛線が突破され、戦況は混戦模様を呈している。この混乱の最中、どこまで指令が徹底されるかは疑わしい。
 市民に多大な被害が出るであろうことは、わかりきっているのだ。結局、民を危険にさらし、その命を奪うことしかできない。この事実に打ちのめされる思いが、ウズミを再び椅子へと座らせた。退避勧告が出ている様子がモニターに映し出されている。流れ弾がいつ落ちても不思議でない場所が、これから市民の逃げる先となる。

「カガリ、敗北の責任を負うのは私だけでよい。行くのだ……」

 目をそらすわけにはいかない。モニターを見つめたままで、カガリへと声をかける。

「お父様……」

 すがってくるような娘の声。だが、応えるわけにはいかない。そんなことをしている余裕はないのである。

「行くのだ!」

 返事はない。カガリの方を見てやることもできなかった。無言のまま、娘たちが走り去る音だけが聞こえていた。走り去る2人の娘。その姿を、ウズミは眺めようとはしなかった。そんな資格など、ありはしないのだ。
 エピメディウムに起爆装置を見せられても、ウズミは危機感を覚えることはなかった。だが、他のダムゼルの手に危機が握られていると知ると、それは圧倒的な焦燥感としてウズミを襲った。
 娘のことを信じてやれたのだ。ただ一つの慰めを、ウズミは抱いていた。




 眼下には地球が広がり、投下されたコンテナは瞬く間に赤熱しながらと落ちていく。降下先はオーブ上空。正確にはオノゴロ島、及びカグヤ島の上空である。
 ちょうど卵の殻が剥がれるようにコンテナが弾ける。すると、内部から露出したのはあらゆる方位から串刺しにされた球体であった。黒いコア・ユニットにいくつもの突起が取り付けられている。
 電磁パルス発生装置グングニール。
 強力な電磁パルスを生じることでその範囲内の電子機器を破壊することができる。数、規模さえ揃えられたのならモビル・スーツさえ機能停止に追い込むことのできる極めて強力な兵器であるが、これまで実戦に投入されなかった理由は2つある。いくら宇宙における制空権が確保されているとは言え、それぞれの地球国家は自国へ降下する物体へ目を光らせており、大規模に投下する前に発見されてしまうこと。また試作段階にとどまっているため、そこまで強力な電磁パルスを発生できないことが挙げられる。
 それでも、簡単な機器の誤作動を誘発することなら可能である。たとえば、事前に仕掛けられた爆弾の起爆装置など。グングニールが起動すると、それは人の目には何も変わって見えることはなかった。
 モルゲンレーテ本社、マスドライバーの要所に仕掛けられた爆弾、正確にはその起爆装置の基盤に不自然な電流が発生し、あってはならない誤作動が発生する。
 モルゲンレーテ社社屋の至るところで爆発が散発する。正当な起爆プロセルを踏んだ訳ではない爆発は各爆弾ごとにばらばらのタイミングで、あるいは爆発しないものとしたものとに別れ、建物全体を崩落させるまでには至らなかった。一角が崩れ落ち、それに伴い発生した粉塵が覆い尽くす。
 空へと反り返った巨大なレール。マスドライバーにも爆発は同時に発生していた。構造そのものは鉄筋でできたマスドラアイバーは、遙かに少量の爆薬でより深刻な被害を発生させる。土台から延びた鉄筋が破断し、マスドライバーそのものが大きく揺さぶられる。軋み、巨大な生物が断末魔の声を上げながら倒れていくように、マスドライバーは海へと倒れ込んだ。海水が吹き上げられ、巨大な白い壁を築く。
 太陽が完全に沈んだ夜はまもなく静けさを取り戻し、オーブの敗北を象徴していた。




 デンドロビウム・デルタの乗艦する艦は特異な形状をしていた。2つの長大なコンテナが平行に並べられ、その下にブリッジをはじめとする艦船機能が集中した小型ブロックが取り付けられている。それは飛行船を思わせる。
 ただし、何も補給物資しか運搬できない理由は用意されていない。事実、グングニールはこの輸送艦から投下されたのである。
 狭いブリッジ--輸送艦に戦艦ほどの機能は必要とされない--は暗い。風防から覗く地球の光の方がよほど照明の代わりを果たすほどだ。この艦長席に、デンドロビウムは体育座りのように膝を抱えて座っていた。すぐ後ろにはいつものようにコートニー・ヒエロニムスが立っている。

「マスドライバー、及びモルゲンレーテの破壊を確認しました、デンドロビウム様」
「そうか……」

 膝を抱えているのは、心細いとかそんなことでは決してない。少なくとも、コートニーは何やら勘違いしたようなのだが。

「エピメディウム様はオーブを守りたかった。違いますか? それなのにあなたはそんな妹君を裏切ってまでオーブを破壊しようとした。私にはそれがただのシーゲル・クラインへの忠誠だけでは説明できないように思われます」
「私の側にいたいなら余計なことは聞くな。そう約束したな?」

 デンドロビウムとエピメディウム。DとE。そして、同じ第2研のFのことは、姉妹だけの秘密でいいのだから。



[32266] 第35話「故郷の空へ」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/11/26 22:38
「ZGMF-X10Aフリーダムガンダム……?」

 アスラン・ザラが何気なく読み上げたのは、ザフト製のガンダムの名前であった。
 今、アスランはジブラルタル基地の一室、応接間の一つを借りていた。ソファーに腰掛けて、ヴァーリの1人--それともドミナントの1人と言うべきだろうか--であるサイサリス・パパの話しを聞きながら情報の書き込まれたボードに目を落としていた。サイサリス、青い髪のモビル・スーツ開発者は立ったまま、その顔はいつも以上に嬉々として見えている。アスランの他、もう1人イザーク・ジュールに向けて話している。

「そう、ザフトのガンダムですよ、アスラン」

 イザークはアスランの向かい側のソファーに腰掛けたまま、どこか渋い顔をしている。普段の彼と同じだと言えばそれまでもかしれないが。

「こちらはジャスティスか……。お前の前で何だが、パトリック・ザラ議長らしいネーミングだな」
「フラグ・シップ機が欲しかったんだろ。あの人はこの戦いをジハードと位置づけたいらしい」
「そんな機体をどうして一兵卒にすぎない俺に回す?」

 ようはこれか。イザークはサイサリスの方を睨みつけた。猜疑というよりもすでに確信じみているのだろう。イザークには心当たりがあることを、アスランは知っている。

「エザリア・ジュール議員の推薦ですよ」

 この言葉を聞くなりイザークは席を立ち歩き出す。部屋を出ていこうとしている。

「俺はこんなことが嫌で家を出たんだ!」
「イザーク。ここは意地を張っている場合じゃないだろ。それに、君のモビル・スーツの腕前は俺が保証する。それでだめなら、ジブラルタル基地防衛には少しでも多くの戦力が欲しい。これなら納得できないか?」

 ちょうどドアに手をかけたところで、イザークは立ち止まった。少しは説得がきいてくれたのだろう。不機嫌な表情こそ変わることがなかったが、イザークは渋々ながら元の席へと戻った。エザリア・ジュール議員はイザークの母親である。何かと過保護な母親で、イザークはよく反発していた。軍学校卒業後、内地勤務につかせるつもりだった母の意向を振り切って最前線に降りたとは聞いていた。家庭内の不和はいまだ解消されてはいないらしい。しかしそのことを割り切ってくれるあたり、イザークは軍人として優れていると言えた。

「サイサリス、この機体なんだが、ゼフィランサスは関わっているのか?」
「いいえ。私が作りました。GATシリーズのデータもありましたから大丈夫。フリーダムはGAT-X103バスターガンダムのデータを、ジャスティスはGAT-X105ストライクガンダムのデータを使ってます。換装機構は間に合いませんでしたけど」

 それにしたところで開発が早すぎる。武装こそサイサリスがかねてから開発していたものなのだろうが、素体はYMF-X000Aドレッドノートガンダムのものを使っているのだろう。そういう意味においては性能は保障される。だが、サイサリスはどちらかと言えば低コスト化、性能の安定化を得意とする。ガンダムのような高級機はゼフィランサス・ズールの得意分野であり、サイサリスの機体にしては違和感を覚える。

(いくらザラ議長の頼みとは言え、らしくないな……)

 アスランが手元のボードを見ている間に、イザークが声を上げた。

「カタログ・スペックとは言え4000kwの出力は下駄をはかせすぎではないのか?」
「核動力搭載機ですからそれくらい当然です」
「噂には聞いていたが……。自爆装置は完備されてるんだろうな?」

 サイサリスは頷く。普段プラントから離れたがらないサイサリスが地球に来てまでプレゼンするところを見るならよほどの自信作なのだろう。何を聞かれてもいいと言うほど、サイサリスは楽しげだ。
 イザークの方が根負けしたようにため息をついた。

「機体はいつ届く?」
「だいたい5日くらい」
「微妙なところだな」
「ああ。とりあえずディンに乗ることを前提に準備しておいた方がいいな、イザーク」

 この5日後、アスランとイザークは大西洋連邦軍の猛攻にさらされていた。




 真上に上った太陽が眩しい。降り注ぐ陽光を遮って立ち上る黒煙。そして、パラシュートで吊られて落ちてくる2機のコンテナ。丸みを帯びた円錐状のコンテナがジブラルタル基地上空へと出現した。
 傷だらけのAMF-101ディンの中で、アスランは疲れ切った眼差しで空を見上げていた。

「まさか今になって届くとはな……」

 それほど大西洋連邦の進撃は素早かった。本来の見込みではジブラルタル基地で受領してから防衛戦に臨む手はずであったのだから。
 もしも一つだけ願いが叶うなら、アスランはこう願うだろう。後少し、仲間たちが故郷へと帰ることができるだけの時間を与えて欲しい、そのための力が欲しいと。そう、ガンダムに対して。

「敵に機体を渡すことはできない。乗り込んで、動かせないようなら自爆装置を起動させる。いけるか、イザーク?」
「当然だ!」

 2機のディンは、傷だらけの翼を広げて飛び上がる。アスラン機はそのまま上空へ。コンテナに気づいた敵の戦闘機が急速に接近していた。イザーク機は海面に水平に飛び出した。コンテナの内一つはすでに海へと落ちる軌道に入っていた。すでに敵機が動き出す気配を見せている。
 2機のガンダム。たった2機の機体を巡って、両軍が動き出す。




 アスラン機は上空を目指して飛び上がる。
 戦闘機の群がコンテナを目指していた。地上から光線が立ち上り、戦闘機の翼を切断する。味方からの援護で、しかしビームではない。フォノン・メーザー。水中でも減衰しにくいメーザー砲、そして視認できない軌跡を見せるためのガイド・ビーコンの輝きである。グーンからの支援攻撃だ。
 地上からの攻撃されたことで戦闘機が旋回する。このタイム・ロスの分だけ、アスランの方が先にコンテナへと到達することになる。
 攻撃は味方からばかりではない。今度こそビームの輝きが地上から伸びた。ディンの翼をかすめ、しかし直撃でなければ問題ない。ディンは飛び続けコンテナを目指す。
 海面では白波が絶え間なく立ち続けていた。戦艦が縦横無尽に動き周り、爆発、炎上、海を揺らす出来事に事欠かない。すでに着水していたコンテナは半分以上が水没し、そばに着弾したビームが水柱を立てる。水柱は徐々にコンテナへと接近している。そして、列となって迫っていた。
 海に体を写すほどの低空飛行でイザーク機がコンテナを目指す。外れたビームが水柱を立て、それがいくつもディンを追いかけるように列をなす。水柱の立ち上がる衝撃。それさえ損傷したディンをさらに痛めつけるには十分な力を有していた。傷だらけのディンは、しかし一切の迷いも恐れもなくコンテナを目指す。
 2機のディンは、2人のパイロットはほぼ同時にコンテナへとたどり着く。まだパラシュートに引かれたままのコンテナは空にある。アスラン機は両手のライフルを投げ捨て、抱きつくような勢いと姿勢でコンテナへと張り付いた。水没を始めたコンテナにはイザーク機が、墜落と変わらぬ様子で飛びつく。激突と変わらぬ激しい音。
 そして、2機のディンは破壊された。
 戦闘機の放ったミサイルが群となってアスラン機とコンテナへと殺到する。度重なる爆発の連鎖が続く。破片が飛び散り、煙があたりを覆い、ディンが破壊されたことだけは確かに見えていた。
 たった一発のビーム。それがイザーク機を捉えた。ビームの破壊力はディンの瞬く間に吹き飛ばし、コンテナさえ破損させる。一気に水が入ったのだろう。コンテナは急速に沈降速度を増し、やがて見えなく沈んだ。
 空にはいまだに煙が立ちこめる。
 海はもはや今まで通り、戦いの波が揺らしていた。
 ザフトが戦いをやめていた。連邦軍が攻撃の手を緩めていた。状況の確認がまずなされなければならない。何が起きている。結果や如何。ただ煙が視界を遮り、海は波立つ。わずかな変化が、しかし訪れていた。煙が蠢く。それは恣意的な作為でして、煙を明らかにかきまわしていた。波が立つ。それは洋上に浮かんでいた連邦軍空母を明らかに自然のものとは異なる動きで揺らしていた。
 それは剣の翼である。
 それは鮮烈な光である。
 煙を吹き飛ばし、膨大な光の粒子があたりへと放たれた。粒子そのものが力を持つように煙をは晴らし、それは10の翼を広げた。
 鮮烈な輝きが波を分け海を割る。放たれる光そのものが圧力を持ち、海面が歪む。それは赤い輝きを身に纏う。
 そして、それらはガンダムであった。




 ZGMF-X10Aフリーダムガンダム。
 背負う5対10枚の翼は青く、剣ほどの鋭さを持ちながらそのガンダムの背にあった。この剣で切り裂かれたのだろう。煙は完全に晴れ渡り、その白い手足、何より青く輝く翼を完全に見せつけていた。
 フリーダムガンダムは空にあった。




 ZGMF-X09Aジャスティスガンダム。
 全身を朱に染めたその機体は、戦闘機そのものを背負っているかのように大きく巨大なウイングを備えるバック・パックを背負い、全身を輝かせている。海中からあがったばかりであるにも関わらずその身は濡れてなどいない。
 ジャスティスガンダムは空母を見下ろす高さにある。




 攻撃が再開される。その有様は、どこか常軌を逸したものであったのかもしれない。わずか2機。このたった2機のガンダムを撃墜するために大西洋連邦軍はその勢力を結集しているかのようであった。
 フリーダムガンダムへと巡洋艦、駆逐艦、戦闘機のミサイルが一斉に発射される。どこの要塞へ一斉攻撃を仕掛けているのか。それほどのミサイルが我先にとフリーダムを目指す。
 2隻の空母。10機を越えるモビル・スーツ。これがジャスティスガンダムへとし向けられた戦力の総数である。小規模の要塞ならば余裕をもって制圧できるほどの戦力は、対モビル・スーツにしては過剰すぎる。
 ガンダムという存在が、戦場の意識を支配していた。
 フリーダムはまさに飛ぶ。推進力など持ち得ないはずの10枚の翼。それはミノフスキー・クラフトの輝きに包まれ淡い光を放っていた。この光の生み出す推進力がフリーダムガンダムに自在の飛行を許し、ミサイルの網をかいくぐってすすむ。降り注ぐミサイルの中を縦に横に。スラスターの位置からではあり得ない機動で突き進む。
 やがてフリーダムはミサイル群を抜け、迫る戦闘機の眼前へと躍り出た。
 右腕にはビーム・ライフル。左手にはシールド。武装は至ってこれだけである。少なくとも見えている範囲では。
 フリーダムはライフルを構えた。迫る戦闘機の数にはしては物足りない武装。しかし、サイド・スカートが左右同時に展開する。それは折り畳まれた銃身であり、引き延ばされ構造が一直線に並ぶとそれは長大なレールガンの姿を現す。翼に沿う形で隠されていた起き上がり、回転し、肩に担がれる形で固定される。2丁のビーム砲、2丁のレールガン、そしてビーム・ライフル。合計5門もの圧倒的な火力を誇る火器が一斉に放たれた。
 光が瞬くほどの一瞬の光景。ビームはかすめる程度の距離でさえ戦闘機を破壊し、レールガンの弾速は敵を逃さない。10機を越える戦闘機が一斉に撃墜され爆発し、火の花は一面の爆発の壁を作り出す。
 ジャスティスは猛る。全身を包むミノフスキー・クラフト、バック・パックの戦闘機並の大型スラスターが生み出す推進力は爆発的な加速を生みだし、その姿は敵の目から消えるほどである。想定外の機動力に、モビル・スーツの機動力はせいぜいこの程度と限界を設定していたデュエルダガーのパイロットたちはたやすくジャスティスの姿を見失う。
 空母の甲板、複数のデュエルダガーが立つこの場所に、ジャスティスもまた立っていた。着地の衝撃で歪んだ甲板をさらに踏みつけ跳び上がる。跳んだ勢いでそばのデュエルダガーの顔面を膝で打ち付け、足を延ばす勢いで蹴り飛ばす。デュエルダガーは体勢を崩し、仲間たちの方へ背中から倒れ込む。
 ジャスティスのビーム・ライフルから放たれたビームは、デュエルダガーをまとめて貫通し、ブリッジのある構造に風穴さえ開けた。生じる数機分の爆発。しかしその爆発から、すでにジャスティスは逃れていた。
 空を飛び回り、次の空母を目指している。対空砲火など意味をなさない。複雑な機動を繰り返し、ビーム・ライフルを構えるジャスティス。そのバック・パックから肩越しに延びる2門のビーム砲、その銃口が空母へと向けられていた。ビーム・ライフルとあわせて放たれた三条のビームは、空母の船側へと吸い込まれ貫通。膨れ上がった炎が甲板を砕いて吹き出した。




 わずか2機。このガンダムたちの挙げた戦果は敵を押し返すには不十分であったとしても、ザフトの兵に今一度誓いを思い起こさせるには十分なものであった。
 仲間たちを故郷の空へ帰す。そのため、死さえ恐れず殿を進んで願ったのだと。

「全軍、ガンダムに続け!」

 紅海の鯱、マルコ・モラシムの野太い怒号が戦場に木霊する。声ならぬ声が響きわたる。誰も耳にしていない。しかし誰もが理解している。戦士たちの雄叫びが心の中に響いてるのだと。
 隻腕となったグーンの放った魚雷の爆発は巡洋艦を傾かせる。未だ空を飛び続けるディンは、何故飛行ができるのかわからぬほど傷だらけの翼を必死に羽ばたかせていた。
 ゾノの爪がデュエルダガーの胴を鷲掴みにする。左爪は腰を押さえ、右爪はデュエルダガーの頭部を覆うようにその爪を深々と食い込ませる。そのまま腰部、腰関節をねじ切り胴を裂く。
 誰もが理解していた。もしも連邦軍を押し返すチャンスがあるとすれば今しかないのだと。

「イザーク! 時間がない。ここで旗艦を落とす」
「斬り込み役は任せてもらおうか!」

 上空を飛び回るフリーダムから放たれるビームは的確に大型空母上のデュエルダガーを撃ち抜いていく。シールドでは防ぐことができず、飛行能力を持たないデュエルダガーは狭い甲板から降りることができない。連邦軍は満足な連携をとることもできずにフリーダムの猛威にさらされていた。
 その隙を、ジャスティスは強引にかすめ取る。全身を赤く輝かせ、その加速たるや戦闘機顔負けの速度と勢いを持つ。シールドを前腕に固定し、ライフルを腰にマウントする。自由になった両腕はそれぞれサイド・スカート上部に設置されたビーム・サーベルを抜刀する。
 空母甲板上へと現れたジャスティスはその勢いのままデュエルダガーの上体に蹴りを見舞った。靴底で踏みつけるように足を置き、仰向けに押し倒す。デュエルダガーは背中から甲板へと強打。ジャスティスは文字通りの踏み台として走り出す。
 咄嗟のことだ。デュエルダガーたち--換装機構を持つ新型も混ざっている--はいまだにライフルを握っていた。中にはジャスティスの強襲に気づかぬ者までいる。
 走っているようで、しかしそれは優雅でもなければ華麗ではない。甲板を軋ませるほどの力強い踏み込みに、振り抜かれるサーベル。デュエルダガーの胴を裂き、体を左右に揺らしながら踏み込み続ける、斬り続ける。敵のひしめく甲板の上を、ジャスティスは死と破壊とを突き抜けながら突き出た構造のブリッジを目指して走り続ける。
 破壊された敵機が爆発となってジャスティスの後を追う。怯えたデュエルダガーには逃げ出す間さえ与えず走り抜け、ジャスティスは力強く掲げた二振りのビーム・サーベルをブリッジへと叩きつけた。
 モビル・スーツが保有する最強の攻撃力を誇るビームの一撃はたやすくブリッジを引き裂き、ジャスティスは次の瞬間には高く飛び上がっていた。ミノフスキー・クラフトの輝きを放ちながら。

「アスラン!」

 空母上空。ビーム砲、レールガン、ビーム・ライフル。そのすべての火力を解放したフリーダムガンダムがジャスティスの離脱を見届けた。光の柱が甲板へと突き刺さる。それは分厚い装甲さえ通り抜け、船底を貫通したビームは海を湯立たせる。膨大な数の気泡が船を下から爆発的にあふれ出し、やがて空母そのものが内側から膨れ上がった爆発によって粉々に千切れ飛ぶ。
 敵旗艦の爆沈。このことは目に見えて敵部隊の勢いを殺した。

「敵旗艦沈黙! 今ならいけます」
「よし。シャトルに出航を急がせろ。我々はこのまま戦線を維持しつつ後退する」

 マルコ・モラシム指令の撤退の判断。
 ザフト軍の撤退が開始される。傷だらけのグーンを、こちらもやはり満身創痍のグーンが手を引き海面を泳いでいた。飛行機構が阻害され、満足に飛行できないディンは、しかし心なしか満足気にも見える。
 2機のガンダムは仲間たちの様子を見下ろして空にいる。

「どうだ、イザーク? これがガンダムだ」
「すごいものだな。これではジンには乗れない体になってしまいそうだ」

 イザークにしては珍しい軽口に、コクピットの中でアスランは笑みをこぼした。
 遠く海を越えた先には複数のシャトルがマスドライバーに乗せられている。防衛線に参加したすべてのモビル・スーツを乗せることは不可能ではあっても、モビル・スーツならば置き去りにしてしまってよい。人間の身勝手な見方であるのかもしれないが、役割をまっとうしたこの旧式の新型機たちは満足してれくることだろうから。
 アスランはふと胸元に目をやった。そこには赤い薔薇が飾られている。もっとしっかりとつけられていた気がしたが、止め方が甘くなっている。外れかかって揺れていた。ディンでは動き回り、フリーダムに乗り込む際にはコクピットからコンテナに飛び乗るなど曲芸紛いのこともした。それでも、赤い薔薇はアスランの戦いを見届けようとしてくれていた。
 紅海の鯱、マルコ・モラシムは最後までこの戦場に残ろうとしていた。ジブラルタル基地から最も遠い海洋に、ゾノの丸い緑の体が浮かぶ。ジブラルタルを守った虎、狼、そして鯱。最後の守り手としての責任を果たそうとするその男が、まず最初に変化に気づいたことは当然であると言えた。
 沖合に輝く強烈な閃光。ゾノの右腕が千切れて飛んだ。




「ロベリア。こういう時は互いに名乗りあげてから撃ち合うものだぞ」

 ムウ・ラ・フラガはノーマル・スーツの手袋をなおしていた。現在のところ全天周囲モニターの片隅にはGAT-X103APヴェルデバスターガンダムが映っている。やや腰を屈め、肩越しに背負ったレールガンが前に突き出されていた。

「すいませんって……、いつの時代の話しですか?」
「まだ2000年は経っていないな」

 返事はない。へそを曲げてしまったのだろう。Lのヴァーリは、本当にごく普通の反応を返してくれる。個性の強い普通のヴァーリに慣れすぎたようだ。
 反対側のGAT-X1022ブルデュエルガンダムのカズイは静かなものだ。

「よし、ロベリア、カズイ。俺たちはガンダムを狙う。ただし、絶対に無理はするな」
「はい!」
「うん!」

 ロベリア・リマもカズイも決して了解とは言わなかった。自分自身、大尉として遊んでいた時には軍規などいい加減にしか守ってはこなかった。人のことを言えた義理ではない。続く通信は部隊全体へと繋げた。

「目標はあくまでもマスドライバーの奪還だ。投降した奴まで撃つ必要はないが、手加減は不要だ。心してかかれ」

 押し寄せる大西洋連邦軍の船団。その先頭の空母には多数のGAT-01A1ストライクダガーが乗り込み、2機のガンダムがその前に出ている。誰より前に、戦場に近い場所に、ムウ・ラ・フラガ、ムルタ・アズラエルとそのガンダムはあった。
 ZZ-X100GAガンダムシュツルメント。それがガンダムの名である。




 もはや十分な時間を稼いだ。だがこれ以上はもはや限界であった。旗艦を撃沈し、確かに敵の構成は緩んだ。しかしそれは援軍の到着を待ち、部隊を再編するための時間であったのだろう。
 おまけに敵にはガンダムがいる。ガンダムによって支えられた志気がガンダムによって消し飛ばされることになるとは何とも皮肉がきいている。
 マルコ・モラシムは片腕を失った愛機の中で、通信に声を吹き込む。

「ガンダムたちを下がらせろ……」
「モラシム指令、俺たちも残ります!」

 通信を入れたか否かというタイミングでの返事だった。まったく、熱意のほどが伝わってくるというものだ。これで少しでも渋ろうものなら考えなくもなかったが、これほどの熱意ある若者がこんなところで死ぬべきではない。

「貴様等はこんなところで死ぬべきではない。生きろ。この戦争、まだ終わりではないのだからな」
「しかし……!」
「どうせこんなデカ物、シャトルには乗りゃあせん」

 太陽は燦々と降り注ぎ、何とも心地のよい風が吹いていることだろう。死ぬには悪くない日だ。アスラン・ザラとか言ったか。ザラ議長の子息というだけでガンダムを与えられたというわけではないようだ。

「ご武運を……」

 戦艦が群をなして迫ってくる中、マルコ・モラシムの横にグーンが、ゾノが並ぶ。どれも無傷なものなどいない。それどころか、スクラップ場に特等席を予約してしたきたかのような機体まで含まれている。
 モビル・スーツに顔などないが、それでもマルコにはそれが紅海を守り続けた部下の機体であるとわかっていた。どれも癖があるのだ。緊急回避のため、いつも左腕を犠牲にする者もいれば、何故か頭から吹き飛ばされていた奴もいた。それぞれの傷つき方、いや、戦い抜き方に生き様そのものを写しているかのように。

「まだくたばってなかったか、死に損ないども……」

 涙など流すな。それは弱さに他ならない。泣く理由などないのだ。仲間のために戦い、その命を燃やし尽くすことができるのだから。




 それは、古兵たちの最後の意地であったのかもしれない。
 時代はすでにビームへと急速に入れ替わろうとしている。ビーム兵器を装備できないゾノたちではこれ以上戦線を維持することはできない。停滞した戦況を打破し、ザフトに輝かしい勝利をもたらすはずであった彼らの任務をまっとうする機会は永遠に訪れない。
 しかし彼らは戦いを続けてきた。
 時代の変化を受け入れられないからではなく、時代の変化から死に逃げようとしたのでもない。
 よってそれは意地と呼ぶ他ない。彼らの誇りを守るための戦いが許される場所。
 最初で最後の主戦場。
 彼らは、ここを死に場所に定めた。




 フリーダムガンダムが身を翻しながら滑空する。地上からはビームの線条がいくつもフリーダムを追って光の筋を立ち上らせていた。
 銃身自体が長大で展開にした場合、増大した空気抵抗を無視できない。そのためのビーム・ライフルであり、翼なのだろう。フリーダムは基本コンセプトをサイサリスの言葉通りバスターガンダムを踏襲している。圧倒的火力で敵を制圧する。そしてそれをより確実にするために機動力と汎用性が与えられた。
 少しでも眼下の敵モビル・スーツを削らなければならない。ビーム・ライフルを向けようとして、命中軌道を描いた攻撃に回避運動を余儀なくされた。
 バスターガンダムの改修機--アフリカの砂漠で見かけた機体だ--が肩越しのレールガン、両腕のビーム・ライフルを構えてフリーダムの方を見上げていた。レールガンにビーム。武装のタイプがフリーダムと相手のバスターとはよく似ている。どちらもGAT-X103バスターガンダムのデータを基にした後継機だとよくわかる。
 射撃はお手の物だろう。狙いは正確でなかなか反撃の機会が回ってこない。いざライフルを構えたとしても、バスターの改修機はあっさりと攻撃を中断して身を引いた。すると敵の量産機たちがまたビームを撃ち上げてくる。
 イザークにしても状況は大差ないらしい。海面付近で両手にビーム・サーベルを構えたデュエルガンダム--こちらの改修機もアフリカで目にした--がジャスティスに猛攻を仕掛けている。ビーム・サーベルが縦横無尽にふるわれ、イザークもまたビーム・サーベルで防ぐ。ところがいざイザークが反撃に移ろうとするとデュエルはあっさりと攻撃をやめ、周囲の量産機がジャスティスへと攻撃を仕掛けるようになる。
 ガンダムたちの攻撃の手が緩い。彼らにとって、ガンダムを撃墜する必要などないのだ。後少しここに足止めしておけば、シャトルに乗り遅れとり残されることになる。そうすれば脱出の機会を奪われる。
 バスターの攻撃をかわす。直撃させられるような危うさはないはずなのに、余計に焦らされる。この焦りは、新たなガンダムを目にした時心臓を鷲掴みにされるような痛みとなって頂点に達した。
 それは赤銅色で全身を包んだガンダムだった。その姿はストライクガンダムをより強靱に、より頑強な鎧を着せたかのように思えた。特筆すべきはそのバック・パックだろう。前からも見えるほど大型で、拳銃のリボルバーを思わせる回転式の構造が左右に見えた。それぞれ3種ずつ武装らしきものが縁には取り付けられ、回転することで武装を取り替えるような機構が採用されているのだろうか。そして、両手にはビーム・ライフル。
 アスランがここまで相手のことを観察できたことには訳がある。攻撃が止み、宙に漂っていることができたからだ。敵と対峙していることが許されたからだ。
 この機体の登場が、敵に攻撃をやめさせた。

「いい機体だ。ゼフィランサスには負けるがな」

 突然通信機から聞こえてきた声。それには聞き覚えがあった。

「その声は……、まさかフラガ大尉!」

 アフリカからカーペンタリア基地へと向かう輸送機の中で、ラウ・ル・クルーゼ隊長--裏切り者であったことがほぼ確定している男である--に友人として紹介された人物は、さも当然のような声音でアスランの前にいた。敵として。

「大佐だ、大佐! 大尉ってのは世を忍ぶ仮の姿、ってやつだな。だがその機体のアリスもそういじられてはいないらしいな」

 それが通信が通じる理由なのだろう。アリス、ガンダムのサポート・システムであるこのOSには、やはりゼフィランサスらしい遊び心が見られる。正直、余計なものでしかないのだが。

「あなたもスパイだったんですね。クルーゼ隊長と同じく……」
「そういうことだ。ヘリオポリスははじめから俺たちで仕組んだことだ。本当はストライクには俺が乗るはずだったんだが、いいところは全部キラにもってかれたな」
「そうやって、あなた方はガンダムを奪わせたふりをして、同時に地球側にもガンダムを残した!」

 フリーダムのビームを放つ。それは当然のように回避され、敵のガンダムは滑るようななめらかな動きで飛ぶ回る。回避されるとわかっていたことだが、それでもアスランは引き金を引かずにはいられなかった。
 ヘリオポリスの戦いでは大勢の仲間が犠牲になった。その中には見知った顔もあった。
 フリーダムが動く。10枚の翼を輝かせ、ミノフスキー・クラフトの推進力が輝きとともにフリーダムを突き動かす。

「3機も持って行かれたのは計算外だったがな。くれてやるのは1機だけにするつもりだったが、ラウの奴思ったよりも用兵上手でな。ゲームは俺の負けだ」

 敵も全身をミノフスキー・クラフトの輝きに包んでいる。機動力は互角。放つビームもすべて回避される。

「そんなことまでして、あなた方ムルタ・アズラエルは何がしたい!?」

 敵のバック・パックのリボルバーが回転を始めた。回転して、武器コンテナのような箱が上にでる。それは間違いなくコンテナであり、垂直にいくつもの小型ミサイルが発射された。至近距離で放たれたにしては数が多い。回避を諦め、シールドをかざすと衝撃が重なる。シールドは幾枚も重ねられた構造材がばらばらになる形でシールドが破壊される。
 苦痛にうめきながらフリーダムの操縦桿を握り続ける。

「今更聞くのか、アスラン? プラントを潰してコーディネーターをなくす。何ならブルー・コスモスの会報誌を送ってやろうか?」

 その声は普段と何ら調子を変えているようには聞こえない。余裕に満ちていた、しかしそれは戦場で聞かされた時、嘲笑にさえ聞こえる。

「今はもうプラントに2000万ものコーディネーターが生活している。それを今更!」

 ひるんでなどいられない。
 敵の動きは決して速いものではない。フリーダムと同程度。これなら後少しミノフスキー・クラフトの強度をあげるだけで優位に立つことが可能となる。フリーダムが速度を増し、敵の上をとることができた。ライフルを必殺の確信とともに引き金を引く。ビームは、しかし敵を素通りしてしまう。外れたとも命中したとも確信できない現象だった。
 ハウンズ・オブ・ティンダロス。異常な回避技術によってなされる完璧な見切り。あのモーガン・シュバリエ中佐やアンドリュー・バルトフェルド指令でさえ完璧ではなかったと聞かされている技術だ。

「2000万? せいぜい1000万だろ。それにな、どうしてブルー・コスモスのような急進的勢力が反対派の中から現れたか、歴史を習わなかったか?」

 返事をしている余裕なんてない。逃げた敵を追ってフリーダムを飛行させる。しかし追いつけない。先程は確実に相手を上回る機動力で敵の上をとったというのに。

「推進派は満足な議論も経ないまま勝手にコーディネーターを作り続けたんだ。お前の言うとおり、一度生まれてしまったコーディネーターを始末なんてできないと二の足を踏む反対派を無視する形でな。いい加減にしろと反対派を怒らせて、それなのにまだそんなことを口走るのか?」

 ビームは敵を素通りし、敵の反撃として放たれたビームは危ういところを通り抜けていった。まただ。戦いに違和感がある。しかその違和感の正体を突き詰めることができないまま、戦いに集中する他ない。
 今度こそ、敵を上回る機動力を発揮するためさらに加速して敵に迫る。シールドを失った左手はサイド・スカートの上部からビーム・サーベルを抜き放つ。

「プラントは……!」

 確実に捉えた。確実に敵を上回る速度であった。それでも敵はアスランの攻撃をたやすくかわし、その姿は斬りつけたフリーダムの後ろへと通り抜けていた。

「いつもそうだな。自分たちの言いたいことだけ言って、それでさも議論は尽くされたと嘯いて勝手に既成事実を積み上げていく。この怒り、反対派はどこにぶつければいい? 一体どこで、誰が歯止めをかける?」

 不気味な戦いだ。違和感がいつまでも拭えない。こちらが10の速度で追いかければ11の速度で、10の力で斬りつければ11の力で打ち返してくる。いつまでもどこまでも乗り越えることのできない。そんな錯覚がいつまでも離れない。
 アスランは意識して声を大きくする必要に駆られた。

「それこそ身勝手だ。あなた方も自分たちの理論が正しいことを前提に話を進めようとしているだけだ!」

 コーディネーターは悪い。そんな前提に立つからこその行動だろう。コーディネーターの誕生に仮に問題があったとしても、コーディネーターの性質そのものがよいものであればそれを排斥していいということにはならない。
 放ったビームは、アスランが予想していたよりもわずかに速い速度でかわされた。ある意味では予想通りなのだが。

「だが、野放しにすればお前たちはすぐに勝手なことをし始める。プラント独立機運が高まった際、地球では歯止めがかけられなくなると大勢が声を上げた。ところがお前たちは独立を押し進め、エイプリルフール・クライシスさえ引き起こした」

 エイプリルフール・クライシス。この言葉は、アスランにアフリカの大地で出会った男の姿が思い起こされた。かの人も、家族をこの忌まわしい事件で亡くしていた。
 攻撃の手が緩み、その隙に、敵のガンダムはリボルバーを回転させた。今度上に出たのは、折り畳まれた銃身であった。展開すると長大な銃身が左右の肩越しに現れた。放たれたビームはフリーダムの翼をかすめ--それでさえて熱を吸収したフェイズシフト・アーマーは強烈な光を放つ--て、海面へと落ちていった。激しい水柱の立ち方はフリーダムのビーム砲と少なくとも同等以上の破壊力を持つことが如実に示されていた。
 すべてにおいてフリーダムの上にあり、どれほど力を高めようと追いつける気がしない。そんなはずがないとわかりながら。
 ムウ・ラ・フラガはなおも苛烈にアスランを攻め立てる。

「自分たちのしたいことだけする。歯止めをかけられるつもりもない。その癖、自分たちを認めない相手には残酷な攻撃さえ辞さない。お前たちプラントが、俺たちの何を責めることができる?」

 この声は本当に目の前のガンダムから聞こえているのだろうか。
 ガンダムは絶えずアスランを上回り、そして確実な死をもたらす。挑むことはできない。挑めど相手はさらに大きな力を見せるでしかない。抗えば、その反撃は容赦がない。決して逃れ得ぬ運命そのもののようであって、死神というものがいるのだとすれば、それはこのような姿と性質の持ち主なのではないだろうか。

「それでも……、プラントの民が殺されなければならない理由なんてありません……」
「そのためには地球で10億の民が死んでも仕方がない。それがプラントの言い分か?」
「それは……」

 意志を強く保たなければならない。それはわかっている。しかし声はうまく言葉にならず、意志はかき乱されている。
 全身を赤銅に輝かせながら飛び込んでくるガンダムに対して、アスランは反応が完全に遅れていた。その蹴りがフリーダムの腹部を捉え強い衝撃に大きく後ろへと飛ばされる。
 アスランは知っている。かつてプラントが引き起こした事件が、どれほどの悲劇を生んだのかということを。プラントは糾弾されてしかるべきであり、しかしアスランはザフトの兵である。プラントの民を守らなければならなかった。この矛盾を、アスランは解決する術を見いだせないでいた。
 その時、フリーダムと敵のガンダムとの間をビームが割り込むように通り過ぎていく。

「アスラン、何をしている! 敵の戯れ言に惑わされるな」

 フラガ大佐はアリスが通信を繋いでいると言っていた。それならフリーダムにも会話の内容が聞かれていても不思議なことはない。
 ジャスティスがフリーダムを庇うように前に回り込み、ライフルを敵のガンダムへと向けた。

「ここでガンダムを失えばまた多くの仲間が死ぬ。今はそのことだけを考えろ!」

 見たなら、すでに周囲では戦況は決しているようだった。海には至る所にザフト軍機の残骸が浮かび、イザークが押さえてくれていたのであろう2機のガンダム--GATシリーズの改修機だ--をはじめとする敵勢力は周囲を包囲しようとしていた。

「脱出するぞ。今ならまだシャトルに間に合うはずだ!」
「……わかった!」

 ジャスティスの放ったビーム。これは単なる合図の意味でしかない。攻撃は当然のようにかわされたが、アスランとイザークは同時に身を翻しジブラルタル基地の方角へ飛行を開始する。
 眼下からはビームが次々と立ち上りフリーダム、そしてジャスティスを狙う。当たるつもりはないが、回避のためにどうしても軌道を曲げざるを得ない。それだけ速度が削がれていく。これでは間に合わない。そんな焦り。しかしアスランにできることは何もない。操縦桿を握りしめ、少しでも速くフリーダムを飛行させていくことしかできない。
 それでも、敵の攻勢が突然緩んだ。モニターには、敵モビル・スーツへと最後の攻撃を仕掛けるザフトの機体が映し出されいた。グーンもゾノもどの機体も無傷なものなどない。それでも、その体を張ってガンダムへの攻撃を防ごうとしてくれていた。ディンの一団がフリーダム、ジャスティスの飛去った後を閉じるように敵のガンダムの前に立ちふさがる。
 敵のガンダム--結局まだ名前を聞かされていない--はさらにリボルバーを回転。第3のコンテナは、そのまま直接発射された。ある程度突き進んだコンテナは突如展開し、多数の子爆弾を周囲にばらまく。一撃一撃は弱くともそのあまりの数はディンの体の至る所に爆発の破片を突き刺し、ディンの体をずたずたに引き裂いてしまう。
 このままでは全滅する。引き返すべきではないのか。そんな迷いが操縦にでたのだろうか。それとも偶然か。
 イザークが叫んだ。

「振り向くな!」

 そう、今残ったところで命がけで送り出してくれた仲間の意志を無にしてしまうことに他ならない。
 フリーダムはその翼を一際輝かせ、ザフト最後の地上戦を後にした。




「隊長、早くしてください! シャトルが……!」

 シャトルの操縦室で操縦士たちの席から通信機をひったくっているのは少年である。アイザック・マウ。イザーク・ジュールが隊長を務める部隊のオペレーターであり、最年少の少年である。このような場合には決まって取り乱すのはアイザックであった。

「隊長!」

 しかしそのあわてようも無理はない。すでにシャトルは宇宙へと向けて動き出していた。徐々に加速をはじめ、動き出しているのである。もはや悠長に格納庫に乗り込んでいる余裕はない。アイザックの慌てようを理解しているのだろう。操縦士たちも迷惑気ながら止めようとはしない。
 落ち着いているのは壁を背に立つカナード・パルス、そばのシホ・ハーネンフースの両名。ともにジュール隊のパイロットであるが、その落ち着きようはアイザックとは反対に違和感を覚えるほどである。

「シホ。隊長は戻ると思うか?」
「ええ、戻るわ、必ず。だってあの人がとっておきの舞台を見過ごすはずがないもの」




 マスドライバーのレールの上、大型シャトルが徐々に加速を始めている。ジャスティスガンダムが全身の装甲を輝かせ、その手は目一杯にシャトルへと向けてのばされる。後少し。わずかずつ。その手はやがてシャトルの円柱状の構造を掴み、その体を一気にシャトルへと引き寄せる。
 しかしまだフリーダムが追いついていない。

「手を伸ばせ、アスラン!」
「くっ、イザーク!」

 フリーダムが手を伸ばす。ジャスティスは手すりを掴んだままその手を限界まで延ばし、それでもまだ届かない。互いが最後の限界を越えて延ばした手がしっかりと結ばれる。ジャスティスがフリーダムを一気に引っ張り上げ、両機はミノフスキー・クラフトの強度を上げていく。
 シャトルは光り輝く2機のガンダムを引き連れてその姿を空へと一気に加速させた。反り返るレールに導かれるまま、空へと飛び上がる。




 ジブラルタルのマスドライバーからいくつもの飛行機雲が一直線に空を目指した。シャトルは、そしてガンダムは空へと帰ったのである。
 ゾノが波間に漂う。周囲にはザフト軍機の残骸が漂い、ゾノもまた、無事な部分を探すことが不可能なほど装甲が破損し内部構造が露出していた。

「ガンダムは行ったか……」

 メイン・カメラが破損している。コクピットのモニターさえ縦に大きな亀裂が走っていた。パイロットであるマルコ自身、目には血がかぶり視界が不鮮明この上ない。それでも、マルコは確かに仲間たちが空へと帰ったことを見届けた。
 すでに戦闘は終息していた。海はかつての静けさを取り戻しつつあった。
 ゾノの上に日の光を遮り影が落ちた。赤い、赤いガンダムだ。航空力学なぞ無視した人型ながらかまうことなく宙に浮いている。日影だというのにかえってまぶしいほどに輝きながら。その輝きの中に明滅しているのは、モールス信号なのだろう。

「降伏勧告とは、なめられたものだ」

 右腕は失われ、しかし左腕は残されている。

「敗残の将は敗残の将らしくあらねばなあ!」

 いまだ健在であるその爪を、ゾノは振りかぶるなり自らの体へと突き立てた。コクピットを守るハッチが破損し、隙間から風が吹き込んだ。砕けた破片はマルコ・モラシムの体に突き刺さる。吐き出す血の味が口腔と鼻腔とを満たす。
 ここでは多くの部下が死んだ。紅海の鯱がジブラルタルを守りきれなかったばかりに。それでおめおめと生きながらえることなぞ許されない。
 まだ死にきれない。ゾノの爪をより深く、自らの体に沈ませる。
 ガンダムは、ライフルを向けてゾノを撃ち抜いた。
 死んでいく様をただ眺めていればよいものを、余計なことをしてくれるものだ。

「介錯、痛み入る……」

 ゾノの体は海へと沈み、二度と浮かび上がってくることはない。




「外から地球を眺めるのは久しぶりだ……」

 イザークがふと漏らした声を、アスランは聞いていた。フリーダム、ジャスティスは結局格納庫に入ることなくシャトルの周囲で飛行を続けている。その背後には青い地球が見えているのだ。全天周囲モニターの広い視野には青い星の姿が大きく見えていた。

「初めて地球に降りたのは戦闘中に重力に囚われた時のことだった。どうも、俺は地球と相性が悪いらしい」

 そして降下も脱出もアリスに助けられた。サイサリスは完全にガンダムを再現しようとフリーダムとジャスティスを造ったらしかった。やはりどこかサイサリスらしさがない。
 しかし、そんなことは、今はどうでもいいことだ。

「疲れたな……」
「ああ……」

 どちらも言葉が少ない。モニターにイザークの顔は映っていないが、どんな顔をしているのかだいたい想像がつく。シートに横たわって、視線が何かを見つめているようで何も見ていないような顔をしていることだあろう。今のアスランがそうなのだから。

「イザークはプラントに戻ったらどうする?」
「ボアズかグラナダへの転属を願う。まだ戦争は終わってないからな」

 ボアズは月とプラントとの間の宙域を守る宇宙要塞のことだ。グラナダは月面のザフト基地。どちらもザフト宇宙軍の防衛拠点である。戦線が宇宙に移った今、激戦地になることが予測される場所だ。

「イザークらしいな。俺は、きっと戦うんだろうな」
「煮え切らん態度だな」
「俺たちは、確かに地球を追い出された。ただ、地球の人たちから見れば、俺たちは侵略者もいいところだろう。突然ニュートロン・ジャマーなんてものを落として、利用価値があるからとマスドライバーを占拠までした。どこかで、ザフトが地球から離れてよかったようにも感じてる」
「そうか……」
「怒らないのか?」

 ザフト軍人としての心構えに欠けているだとか甘えたことを抜かすなと叱責されるかと思っていたが、イザークの様子は想像していたどれとも違っていた。

「地球の様子は、少なくともお前より見てきているつもりだ」

 軍学校卒業後、イザークは真っ先に地球に降りた。聞けば隊長がイザークの配属直後に戦死。その中で臨時に隊長を務めることで今までその状況が継続しているらしい。部隊単位での上下関係が緩いザフトらしい話だ。

「この戦争は終わらないだろう。ムルタ・アズラエルが銃を下ろすとは思えない。パトリック・ザラ議長は今更振り上げた拳を下ろすことはしないだろうから」
「ではムルタ・アズラエルを殺してクーデターでも起こすか?」
「悪くないな」

 冗談か本気か。イザークの場合なかなか区別しずらいが、とりあえず冗談だと考えて笑っておくことにする。イザークにしては上々のジョークだと思えたからだ。

「ただ先にプラントにまで帰らないといけないな……」

 モニターには複数のシャトルが見えている。全部で5隻。ジブラルタル基地からの脱出は適宜行われていたが、直前に脱出した船団と合流後、グラナダに寄港する手はずになっていた。予定では、まもなく合流地点にさしかかる。
 しかし、レーダー--ミノフスキー粒子の影響で精度は下がっているとは言え--には船団らしい影は表示されない。何かぼやけた像が投影されているだけである。デブリか何かのようにしか投影されていない。
 アスランは勢い顔を上げた。
 イザークが声を張り上げた。

「何だ、これは……!?」

 そこには多数の残骸が浮かんでいた。モニター上に拡大された映像をいくつも表示させる。その中には、ジブラルタル基地所属のシャトルであることを示す番号が記載されている破片があった。

「脱出したシャトルが……」

 ことごとく撃沈されている。この残骸の量からして、前のグループのシャトルはすべて撃墜されていることになる。
 レーダーにもはや仲間の船団が映ることはない。しかし、船団は映し出されていた。大西洋連邦軍の戦艦に、その周囲にスラスターの燐光が多数見えていた。モビル・スーツの部隊であり、その先頭、見覚えのない機体があった。全身を輝かせ、この距離ではまだ姿がはっきりとはしない。ただ全身を包む色だけが見えて、その顔がある特徴を持つことだけは理解することができた。

「白銀のガンダム……」

 まだ戦いは、終わりを迎えてなどいなかった。



[32266] 第36話「慟哭響く場所」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/12/01 22:30
 すぐ背後には地球が広がる。つい先程までこのあまりに大きく見える星の片隅、ジブラルタルでの死闘が繰り広げられていた。ここからでは見えない。ちょうど地中海西部は厚い雲に覆われ見ることさえできはしなかった。あまりに遠く現実離れさえして見える。本当にあの場所で戦いなどあったのだろうか。
 すべてが夢であった気がする。すべてが夢であって欲しかった。
 ジブラルタル基地を脱出した5隻のシャトルの周囲を大西洋連邦軍の軍勢が包囲していた。包囲されたまま、シャトルは地球を離れる方へと航行を続けている。大西洋連邦軍は攻撃を仕掛けてくることなくただ包囲を続けている。
 ザフト軍としては相手を刺激しないよう最低限のモビル・スーツをシャトルの周囲に展開するにとどめていた。
 その中にZGMF-X10Aフリーダムガンダム、アスラン・ザラ、ZGMF-X09Aジャスティスガンダムのイザーク・ジュールも守備隊--すでにZGMF-1017ジンも複数展開している--に含まれている。地球から脱出後、満足な休息もないままシャトルの警護を続けていた。
 接近してくる気配のない地球軍の機体を牽制するように動きながら、イザークが苦々しく言い放つ声をアスランは聞いた。

「奴らは何故仕掛けてこない?」
「わからない。何かを待っているのか?」

 待っているのはザフトの方だろう。シャトルは地球を脱出後、寄港地であるグラナダからの援軍と合流する手はずになっていた。現在もシャトルは合流予定地点へと向けて航行を続けている。
 アスランはグラナダの部隊が異常を少しでも早く察してくれることを祈るような心地で念じていた。

「グラナダが間に合えばいいが……」

 こちらは疲弊した部隊。それも、ジンを中心とした旧式しかない。ビームと実弾とでは以前にもアスランがたとえた通り、拳銃と水鉄砲ほどの違いがある。襲いかかられれば一溜まりもない。
 イザークのジャスティスがライフルを構えた。周囲のジンたちも一斉に同じ方向へと向けてアサルト・ライフルを構えた。遅れて、アスランのフリーダムも銃を向ける。
 銃口の先、漆黒の宇宙を背景に、輝くガンダムの姿があった。地球軍の部隊からただ1機だけ前進し、矢面に立ったその機体は、白銀に輝いている。
 見たことのない機体だ。特徴的なのはバック・パック。後光を背負うかのような円盤にいくつもの鋭いユニットが取り付けられている。どのような機能を有するのか皆目見当もつかない。それよりも右腕に握られている大型ライフルがどうしても目を引く。ビームと思われるライフルの威力もさることながら銃口が銃身に比べ極端に大きく、バック・パック同様その機能に疑問符がつく。
 白銀のガンダムは、しかし銃口をシャトルに向けることもなくオープン・チャンネルで宙域全体へと話しかけた。

「直ちに武装解除し投降してもらおう。当方には貴君等を捕虜として受け入れる準備がある。しかし逆らうようであれば、残骸の仲間入りを果たしてもらうこととなる」
「この声……」

 聞き覚えのある声だった。そんな、まさか、自身を疑い、確信を遠ざけようとする声が身のうちに幾度も現れては消える音を、アスランは何度も耳にした。
 そして、それをあざ笑い、白銀のガンダムはアスランにたやすく確信を与えた。

「こちら、大西洋連邦軍大佐、ラウ・ル・クルーゼ」
「クルーゼ隊長……。くっ……!」

 同じガンダムならばアリスを通じて通信をつなぐことができるはずだ。わずかな操作で、白銀のガンダムとは簡単に通信をつなぐことができた。

「あなたは本当に、地球側のスパイだったと言うんですか!?」

 隊長は何も変わってなどいない。冷静で、慧眼を持ち、そのどこか人を食った様子も何も。

「アスランか。君たちには感謝している。特にニコルはよくしてくれた。彼のおかげでお父上はニュートロン・ジャマーを無効化する装置、プレア・ニコルと命名されたそうだが、この装置を解放してくれた」

 アフリカの乾いた大地で、ニコル・アマルフィがしんがりをつとめた際、危険が大きすぎるとしてクルーゼ隊長は援軍を送ることを拒否した。そうだ。冷酷を冷静と、怜悧を姑息と捉え違えていただけなのだとすれば、あの男は、ラウ・ル・クルーゼはもはや隊長と呼ぶに値しない。してはならない。

「あなたは、あなたって人は!?」

 ライフルの引き金を引いた。放出されるビームは、やはりたやすくかわされ、白銀のガンダムはさも人のような仕草で左手を動かす。軽く振られた手は前進を指示しているように見え、その通り、地球軍が一斉に動き始めた。

「ZZ-X200DAガンダムトロイメント。ゼフィランサス・ナンバーズの力、お見せしよう」




 戦闘が開始された。合計5隻のシャトルは必死にスラスターを吹かせ少しでも距離を開けようとする。多数のジンが防波堤となるべく地球軍んお前に立ちふさがった。
 ジャスミン・ジュリエッタもまた、戦列に加わるためにジンを歩かせていた。シャトルの格納庫の中、人々の慌ただしい様子はジンのモニターの中に映し出されている。元々戦闘用のシャトルでなく、乗り込めるだけの人を乗せられるだけ乗せたシャトルは、少し通路の奥をのぞき込んだだけで、体に包帯を巻き付けたまま壁に寄りかかっている人の姿を簡単に目撃することができた。いつ気密区画が破壊されるかわからない中でも、ノーマル・スーツの数がまったく足りていないのだ。
 ジャスミンが現在使用しているノーマル・スーツは顔が窮屈に感じられた。視力を与えてくれるバイザーをいつも目にはりつけていなければならない関係上、ジャスミンはいつもヘルメットに関しては一回りサイズの大きなものを使用していた。今回はそんな融通はきかない通常のサイズのものを使用するしかない。こんなところにもこのシャトルの窮状は現れている。
 ジンはやがて加圧室のハッチをくぐり抜け、するとカタパルトもなくすぐさま宇宙空間へとつながっている。外ではすでに戦闘が始まっていた。

「アスランさん、それに……、クルーゼ隊長……」

 ジャスミン・ジュリエッタ。Jのヴァーリは仲間と、かつての仲間の待つ戦場へと、ジンを漂わせた。




 イザークがビームを放てど、白銀のガンダム--トロイメントだとか呼ばれていただろうか--はまるで通り抜けるような見事な回避でこれをかわす。必要最小限度の動きで攻撃をかわす。そんな超絶的な技法を、イザークは都市伝説のたぐいとして聞き流したことがあった。

(まさか実在したとはな……。しかし、何故対立勢力がそろって同じガンダムを持たねばならん!)

 特にザフトはわざわざ外装を似せ、同じ名を与えなくともよいようなものだ。大西洋連邦からの技術者が亡命したと聞いたことがあるが、それと何か関係があるのだろうか。
 しかし、これ以上考えると永遠に思考中断させられかねない。
 トロイメントはその奇妙な形をした銃口をジャスティスへと向けた。まさか直径に比した太さのビームが放たれる訳ではないだろう。放たれたビームは、やはり通常のライフルと大差ないものであった。しかし複数が大型の銃口から次々にバラバラの方向へと放たれた。銃口の向きからではどこが狙われているのか判別できない。同時に2カ所が狙われることもあった。初見で回避できるたぐいの攻撃ではなく、イークはやむなくシールドを前につきだしこれを防ぐ。
 一撃一撃は極端な破壊力を持たない。しかしシールドは2、3発防いだだけでたやすく疲弊し、ジャスティスはシールドが破壊されると同時に飛び上がった。とにかく逃げるべく、ミノフスキー・クラフトを輝かせ続ける。
 アスランのフリーダムが援護に入ってくれたことでイザークは体勢を取り戻すことができた。

「アスラン、こいつは俺たちで抑える!」

 すでに周囲ではジンとデュエルダガーとの撃ち合いが始まっている。アサルト・ライフルではモビル・スーツを破壊するためには一定の弾数を撃ち込まなければならないが、ビームをバイタル・エリアに浴びれば一撃だ。また、モビル・スーツ戦を想定していないジンはシールドを持たない。ガンダム・タイプの相手を量産機にしろというのはあまりに酷だと言えた。
 ジャスティスはビームを放ち、トロイメントが回避する。するとフリーダムが苛烈に敵を追い立て、ビームを次々放ってはすべて回避されている。

「頭に血が上っているな……」

 元の隊長との戦闘にやりにくさを感じることもわからないではない。戦友の死に関わっていたと聞かされればなおさらだろう。だが、よくない傾向であることに変わりはない。
 白銀の装甲を輝かせたまま、トロイメントは不気味な動きを見せた。バック・パックに備えられていたユニットを切り離したのだ。時計のように円盤状のバック・パックの12カ所にユニットは取り付けられている。切り離されたのは、等間隔に4機。それぞれがミノフスキー・クラフトの輝きを放ちながら飛び回り始めた。
 敵の意図を読み切れず、攻撃をつい中断させるイザーク。ただし、アスランはかまわずビームを敵めがけて放った。
 ビームは直撃の軌道を描いた。敵はかわさない。しかしそれが命中を意味することはなかった。ユニットの1機。それが射線上に割り込み、ビームの軌道を妨げる。その時のことだ。ビームが突如大きく軌道を曲げた。そして曲がった軌道の先、別のユニットがビームを受け取るようにさらに軌道を捻じ曲げ、ビームはフリーダムへと反射した。
 フリーダムの足をかすめるビーム。強烈な輝きが放たれ、やがて光はやむ。被弾した箇所の装甲から輝きが剥がれ落ちていた。ミノフスキー・クラフトが失われたのだ。フリーダムの機動力が低下したことは端から見てもわかった。

「ジェネレーター出力ではエインセルのフォイエリヒには負けるが、ビームには絶大な防御力を誇る。ゼフィランサスはナイトゴーントと呼んでいたが、このユニットは何故かビーム兵器が主流になりつつある今、大変ありがたい武器ではないか?」

 何かと気に障ることを言ってくる男だ。しかし並の相手ではない。

「アスラン! シャトルの守りに専念しろ!」
「しかしこの男は……!」
「今のお前は冷静さを欠いている。そんな状態で勝てる相手か!?」

 牽制の意味で放ったビームは、やはり立ちふさがったユニット--名前を言っていたような気がするが、いちいち覚えてなどいられない--によって軌道を曲げられてしまう。ビームは戻ってくることはなく、しかし付近で戦っていたジンの胴体へと突き刺さった。誤射ではないとは言え、自分の攻撃で仲間が撃墜されては気分が悪い。
 これでは攻撃ができない。さすがのアスランも攻撃の勢いを弱めていた。

「来ないのであれば、私から行かせてもらうとしよう」

 トロイメントのライフル--銃口が大きい奇妙な銃だ--からビームが放たれる。1発ではない。角度も射撃間隔も不規則に放たれたビームはジャスティスとフリーダムを襲い、あるいは明後日の方向へと飛去っていく。しかしまるで狙いを外したビームさえ軌道を曲げ、あらぬ方向からイザークたちを攻撃する。
 正面の敵だけに集中する。倒さなければならないのには間違いなく正面の敵だが、そんなことを実践していてはどこから狙い撃たれるかわからない。トロイメントに気をとられすぎては上から横から後ろからビームが迫る。ユニットの動きに翻弄されていると、銃口からでは狙いがまるで読めないトロイメントのライフルに直接狙われる。
 ミノフスキー・クラフトなしではとっくに撃墜されていたことだろう。スラスターの位置に影響されない--装甲がある方ならばどちらにでも移動できる--機動で横から来たビームを後ろにかわした直後、背後から迫るビームを体を縦に大きく傾けて回避する。その直後に大きく飛び上がる。こうでもしなければ回避することができない。
 アスランと2人がかりでありながら、相手を囲むどころかたった1機の敵にこちらが包囲されている。

「火力の化け物か!」

 声を出したことが原因ではない。わずかな気のゆるみ。まるでイザークが緊張を解く一瞬を知っていたかのようにビームがジャスティスの肩に命中した。直撃ではない。腕こそ無事だが、左肩の装甲は大きく変形し、ミノフスキー・クラフトの輝きが消失する。操縦桿にかかる負荷が増えたことで機動力の低下を実感させられる。

「イザーク!」
「問題ない。だが……」

 こんな相手にどう勝てばいい。トロイメントはユニットをバック・パックに戻していた。ミノフスキー・クラフトはエネルギーの消費量が大きいと聞く。充電に時間を必要とするのだろう。しかし今は隙とはならない。まだ使われていないユニットが8機も残されているのだ。4機3セット。そのための12機なんだろう。最悪、相手は半永久的にユニットを展開できることになる。
 トロイメントは何かをしているわけではない。新たなユニットを放つでもなく、銃を向けるでもない。それでさえ、イザークもアスランもまた、相手の動きを警戒して動くことができなかった。
 たちの悪い夢のようだ。非現実的ながらとにかく恐ろしく、そしてその実在に疑いを挟むことがどうしてもできない。朝方に見る夢の中で怪物に追いかけられる悪夢のようだ。

「もういいのかね? このままではシャトルは破壊されてしまうが?」

 そんなことは言われるまでもなくわかっている。ジンは必死に守ってくれているが、デュエルダガーの部隊は徐々に逃げるシャトルに追いつこうとしている。シャトルのような大型の艦船は航続距離はともかく、モビル・スーツから逃げきれるはずもない。

「裏切り者に言われるまでもないことだ!」
「ではどうするのかね、イザーク・ジュール?」

 アスランはイザークのことをイザークと呼んでいた。ガンダムをつなぐ通信は相手にも聞かれてはいたはずだ。しかし、フルネームで呼ばれたことはなかった。

「何故俺の名前を知っている?」
「君たちはプラント最高評議会の子息たちだ。考えたことはないのかね? 自分たちがどれほど政治的価値があるのかということを」

 舌の乾きとしびれは、連戦の疲れだけでは説明がつかない。

「何が言いたい……?」
「こういうことです、イザーク隊長」

 シャトルからの通信である。若い女の声で、イザークはこの声を知っている。シホ・ハーネンフース。部下のパイロットの声だ。
 この声が聞こえた途端、シャトル--5隻の中で最も大型であり、シホたちが乗り込んでいるものだ--がメイン・スラスターを止め、逆噴射をかけ始めた。徐々に速度が低下し、このままでは敵軍のただ中に取り残される。

「シホ、お前の仕業か!」

 イザークは自身の声に戸惑いを怒りで無理矢理塗りつぶしたようにどことない違和感を覚えていた。

「俺もいる、イザーク隊長。コクピットは制圧した。このシャトルは大西洋連邦がいただく」

 今度の声はカナード・パルス。シホと同じくイザークの部下である。

「私がアスラン、君らの隊長になったことは偶然だがね。イザーク君、君の部下は我々の誘いに乗ってくれた」

 大型シャトルとほかの4隻のシャトルが離れていくに従って、どちらを守るべきか計りかねたジンが隊列を乱した。防衛線が不自然に伸びていた。これではどちらの守りも手薄となって共倒れになる。しかしシャトルを見捨てるような決断もそうそうとできるものではない。
 大型シャトルにも、プラントへ戻ることを願う仲間たちが乗っているのだ。

「クルーゼ、大佐。シャトルの多くは傷病兵とその家族です。非戦闘員を攻撃することは条約の精神に反します!」
「だが、病院船と認定することはできない。これはシホ君から教えてもらったことだが、物資や機材も積み込んだ。違うかね? 武装した船に乗っている以上、そのすべてを戦闘員として扱わざるを得ないことは戦時法規に則って正当な判断と言える」

 アスランが説得にあたっている内にも大型シャトルはどんどん引き離されていく。

「だが、私とて無益な殺生は好まない。無駄な抵抗はやめ、降伏してもらえないだろうか?」




 シャトルのコクピットは飛行機ほの狭さどではないが決して広くはない。操縦士に副操縦士。後は通信士などのための横長の空間。現在はそれらの役職のもの全員が操縦席とは反対側の壁に手をついて状態で銃を向けられている。
 シホもまた監視にあたる1人であり、コクピットにはカナードの他、同じくプラントを裏切ると決めた数名がそれぞれパイロットたちの監視にあたっていた。
 風防からはジンがシャトルの目の前を横切る様子が見えた。仕草としてコクピットを狙う気配を見せたが、攻撃できるはずがない。コクピットを失えば、それこそシャトルは動きを止めてしまう。
 シホは銃を手にしたまま、その様子を眺め、通信機から飛び込んでくる音の波に耳を傾けていた。

「シホ! 何故だ、何故裏切らなければならなかった!」

 イザーク隊長は、クルーゼ大佐のガンダムと戦っている。風防から、時折3つの光の塊が激しい動きを見せて戦っている様子を見ることができた。

「プラントは不善だからです。次は、何故、悪を滅ぼすために戦うのかと聞きますか?」
「シホ!」
「隊長。プラントという国は、誕生してはならなかった。優れた人を優遇する。結構なことです。ただ、そのために劣った人間は当然のように見下す風潮ができあがってしまいました。プラントの何かが間違った訳ではありません。プラントという国は成立するとともに必然的にそう帰着せざるを得ないのです。そしてそれは差別を助長します。人は生まれ持った身分や性質によって差別されてはならない。それがこれまでの考え方でした。ところがプラントでは優れた人は優遇しなければなりません。優れた遺伝子は推奨されなければなりません。当然に生まれによる差別を予定していなければなりません。劣った遺伝子を持っている。その人の努力や成果で変えることのできないことで差別することが許される社会。そして、優れた遺伝子を持たせるため、親は子をどのように作り替えることも許される社会。考えたことはありませんか? 親の都合で勝手に作られ、押しつけられた能力と姿で一生をすごさなければならなくなってしまった子どもたちのことを? 卑怯な口上お許しいただけるなら、私やカナードを裏切らせたのは、プラントの方です」

 さて、隊長からの返事はない。あのクルーゼ大佐との戦いの最中よそ見できる者が果たしてこの世界で何人いることか。

「カナード、隊長は私たちのこと、ご理解くださるかしら?」
「無理だと踏んだから俺たちは隊長を切り捨てた。違うか?」
「そうね。本当にそう」

 シホは口元を歪ませる。それは嘲笑であることに代わりはないが、しかし、一体誰に向けたものであるのか、シホ自身捉えきれずにいた。




 ビームの攻撃を回避する。ジャスミンの操縦するジンは正面から放たれたデュエルダガーの攻撃を大きく迂回して回避して、アサルト・ライフルの連射を敵の胸部めがけて撃ち込み続ける。

「お願いですから壊れて……!」

 これまで2度シールドに防がれ、胸部に1度当てることができた。命中しても1撃で破壊するだけの攻撃力なんてアサルト・ライフルにはない。ビームは簡単にジンの装甲を破壊するのに。
 アサルト・ライフルの弾丸はうまく装甲を破りジェネレーターに飛び込んでくれたらしい。吹き出した炎が装甲を突き破りデュエルダガーが爆発する。これでジャスミンが破壊した機体はわずか2機。一撃必殺のビームをかわしながらの戦闘は、思いの外ジャスミンの体力を消費させていた。呼吸が乱れている。
 すぐに次の戦いに移ることはできず、モニター、バイザー越しでやっと脳に届く映像野中に大型シャトルを認めた。

「シャトルがこんなところまで……」

 アスランほどではないにしても、ジャスミンもザフトとして前線に出向いていたつもりである。そんなジャスミン機の近くまでシャトルは後退していた。いつビームがシャトルを貫いてもおかしくはない。それはジャスミンのジンでも同じことだと、目の前をビームの光が通り過ぎたことで痛烈に理解させられる。慌てて機体を動かす。
 飛び回る輝きがこちらの方に近づいてくる。ジンでは追いかけることさえできないほどの速度で通り過ぎた塊。ただ、その中に青い翼が見えた。アスランのフリーダムである。フリーダムは見覚えのない白銀の機体と交戦している。光の塊は、シャトルのすぐ上空にまで移動していく。

「アスランさん! そこで撃ったらシャトルに誘爆します!」

 動きを止めるフリーダム。白銀の機体も同じように動きを止めた。お互いにライフルを向けた姿勢のまま、張りつめた空気にジャスミンの方が息苦しさを覚えるほどだ。
 通信は、両方の機体から聞こえてくる。

「クルーゼ隊長。もう、あなたが裏切った理由なんて聞きません!」

 アスランはこれまでに聞いたことのないような怖い声をしていた。クルーゼ隊長は普段と何も変わった様子はなかった。

「賢明だ。私は裏切った訳ではない。最初からブルー・コスモスのメンバーであったにすぎないのだからな」

 隊長は裏切り者だ。そのことを、今更疑っていたつもりなんてなかった。本人の口から聞かされると、それでも自分でも驚くほど心臓が跳ねた。

「クルーゼ隊長……。私のこと、施設から連れ出してくれたのに……。どうしてですか?」

 裏切ってなんていないとは聞かされても、語ってくれたこと、してくれたことのすべてが嘘だとは思わない。
 隊長は、アスランと銃を突きつけあう姿勢を維持している。

「当然だとは思わないか? 私はブルー・コスモスだ。遺伝子、たかが4文字のアルファベットで差別される人々のことを放っておくことなどできない。ジャスミン、君はプラントにいるべきではない。私とともに来い」
「耳を貸すな、ジャスミン!」

 そんなこと言われても、クルーゼ隊長の言葉はふさぐことのできない--聴覚は、健常者と同じ--耳を通して脳に浸透してくる。とめることができない。

「プラントは君にとって辛い場所ではないのかね? 君は障がいを持つ。そのことに辛い思いをしたのは一度や二度ではないだろう?」
「血のバレンタイン事件を引き起こしたのはブルー・コスモスだ!」
「それは否定しない。しかし君も知っているだろう。君もあの日、あの場所にいたのだからな。知っているはずだろう。ジョージ・グレンの蛮行を。私も10年前あの場所にいた。ゼフィランサスを連れ出したのは私だ」
「それで素知らぬ顔で俺たちの隊長を務めていたのか!」
「話してもよかったが、一度も聞かれなかったのでね。あなたはブルー・コスモスですか、ユニウス・セブンを襲撃しましたかとはな」

 ジャスミンは話に参加することさえできなかった。アスランを肯定してあげることもできなければ、隊長を否定することもできない。
 思い出したのは、施設の暗い部屋。視力がなくて、明るさなんてわからなかったはずなのに、記憶の中であの部屋はいつも暗かった。暗くて暗くて、いつも部屋の隅で小さく震えていた。そんな部屋に外の明かりをそそぎ込んでくれたのが、隊長だった。隊長だけがジャスミンに光をくれた。

「クルーゼさん……」

 同じ部隊に入れてもらうまで、隊長のことはこう呼んでいた。

「ジャスミン、君は我々とともにいるべきだ。ロベリアも君には会いたがっていた」

 ロベリア・リマ。ジャスミンと同じ第4研のヴァーリ。JとL。Kは、アフリカの大地で死んでしまった。

「ジャスミン、耳を貸すな! 血のバレンタイン事件の真相がどうであれブルー・コスモスのテロが原因であることには変わりない!」
「ずいぶんと信用のないものだ。では、こうすればどうかね?」

 フリーダムに銃を向けられたまま、それでも白銀のガンダムはライフルを下ろした。降伏ではない。その銃口の先には、シャトルのスラスターがある。あんなところをビームで撃たれたりなんてしたら大爆発を引き起こす。
 通信からはアスランが思わず漏らした声を拾うことができた。

「ジャスミン、君さえ我々の元に来てくれるのであればシャトルを逃がしてもいい。即時攻撃停止を約束しよう」

 隊長はジャスミンたちに嘘をついていた。それでも隊長は嘘なんて言わない。そんな矛盾する2つの事実が、ジャスミンの中では当然のように併存していた。
 そして、隊長の恐ろしいくらいに優れた実力だけは、どんな嘘を並べられても変えることのできないことだから。

「アスランさん、私……」




 制圧されたコクピット。アイザック・マウはその他のクルーたちと壁際に並ばせられていた。皆、壁に手を突いた姿勢であるため、アイザックも含めてコクピットの様子を正確に把握するができる人はいない。
 決して振り向くな。そう厳命されている。アイザックは敢えてこれを無視した。手を壁から離さないまでも、首だけで視線を向ける。

「シホさん、カナードさん、どうしてこんなことを?」

 閑散としたコクピットの中を歩くシホの姿が見えた。拳銃を構えたままである。他にも名前も知らない人が銃を手にしていた。カナードの姿は見えない。このような無理な姿勢ではコクピット全体を見渡すことはできず、何人がこのクーデターに参加したのか把握できずにいる。
 死角からの手が視界へと入ったかと思うと、アイザックは肩を掴まれ、無理矢理壁へと押しつけられた。一瞬だけ見えたのは、カナードの顔である。

「こちらを向くなと言っただろ。俺は、お前の聞き分けのいいところが好きだったんだがな」

 声は間違いなくカナードだった。

「僕はカナードさんのすべてが好きだなんて言いません。でも、僕たち、仲間じゃありませんか!?」

 同じ部隊の仲間であること、それが手の力を緩める動機にはなってくれなかった。カナードは念を押すように1度強く肩を押してから離れていく。

「命を懸けてみんなでジブラルタルまで逃げ延びたことは、ただの演技だったって言うんですか!? カナードさん! シホさん!」

 返事はしてもらえない。それでも引くことはできない。

「やめてください、こんなことは!」

 重力はすでに完全に消失している。そのため、わざわざ足をつけて歩く必要なんてないはずである。それでも律儀な足音がこちらへ近づいた。

「私たちも悩んだ。でも、それでも裏切ると決めた。だから生半可なことで私たちを説得できるとは思わないで」

 普段と変わらないくらい芯の通った、しっかりとした声をしている。本当に、シホに普段と変わった様子は見られない。2人とも、ザフトの優れた兵士であった。強くて勇敢で、プラントを守りたい、そんな思いに満ちあふれている人たちだと信じていた。

「どうして何ですか? どうして祖国を裏切らなくちゃならなかったんですか!?」

 目の前には壁しかない。それなら、その壁に向けてでもいい。あらん限りの声を張り上げた。そのせいか、言い終えた後、コクピットが妙に静かに感じられた。

「1つは金だな。大西洋連邦の連中は一生かかっても使い尽くせないほどの額を約束してくれた」

 今度は、離れていく足音。シホが遠ざかっているらしい。だが、カナードの声はアイザックのすぐそばから聞こえていた。そうだとすると、側にはカナード1人しかいないことになる。機会は今しかない。

「そんなもののために、本当にそんなものが仲間を! 絆を捨てることの動機になると考えているんですか!?」

 さも激情に駆られたように首を振り向かせた。広がった視界。そこにはカナードの姿はあってもシホはいない。しかし、コンソールに取り付けられた警報装置の位置は確認できた。
 再び壁に押しつけようとカナードが近寄ってくる。

「アイザック。勘違いしているようだが、俺たちはお前の意見を聞いているわけじゃない」

 仲間だと思っていてくれるなら、お願いだから油断していてもらいたい。
 肩を押される。そのタイミングに合わせて体を低く、カナードの懐へと潜り込む。力任せの体当たりを食らわせた。アイザックに比べて身長が高いカナードの体は、それでも大きく体勢を崩した。衝撃を受け止めてもらう形で、アイザックはすぐに次の動作に入る。警報装置へと飛び出す。無重力に近いため、1度勢いをつけてしまえば、自分でも止めることなんてできやしない。
 そんなことはわかっているはずなのに、カナードはアイザックへと叫んだ。

「アイザック!」

 言葉に意味なんてない。そのことは先程から、カナード、シホの2人に嫌と言うほど思い知らされている。誤使用を防止するためのカバーを取り外し、装置のボタンを剥き出しにする。
 サイレンのけたたましい音を想像して、耳に届いたのは小さな破裂音。口の中には吐き気を催す鉄の臭い。痛みと認識できないほどの痛みが体を仰け反らせ、指が警報装置から離れた。視界が赤いのは、視力の異常ではなくて血が滴となって漂っているからだ。
 その血の赤の先に、それこそ赤い服を着た少女が銃をまっすぐに向けていた。重力がないため、どう漂っていいかわからない硝煙が不規則にくゆっている。

「シホ……、さん……」

 その瞳はまっすぐで力強くて、迷いだとかためらいだとか、その一切を感じさせない。かつて魅力を覚えた強い眼差しがそのまま、アイザックの体に空いた風穴へと向けられている。
 このクーデターはコクピットを制圧しているにすぎない。だから警報さえ流れれば立場は逆転する。ボタンを押しさえすればいい。別に何でもない動作である。アイザックの指が、警報ボタンを押し込んだ。




 大型シャトルのスラスターが息を吹き返す。これまでの沈黙を強引に引き裂くようにスラスターはスラスター・ノズルを焦がさんばかりの勢いで炎を吹き出す。
 その衝撃たるや、スラスターの直上にいた2機のガンダムを飛び退かせるほどであった。フリーダム、そして、トロイメントの輝きがシャトルから別々の方向へと大きく離れた。
 シャトルからは2機のジンが飛び出す。ハッチを破壊するほど強引な出撃であり、通常の出撃シークエンスを踏んでいない、非正規の機体であることは容易にうかがいしれる。2機のジンはザフト軍ではなく、トロイメントへと近づく。

「申し訳ありません。しくじりました、クルーゼ大佐」
「他の奴らは全滅です」

 シホ、及びカナードの機体である。

「そうか。では、船は沈めても何ら問題ではないな」

 ラウの言葉の示す通り、地球軍は着実にシャトルを包囲していた。大型シャトルは元より、先を行くはずの4隻のシャトルもまた次第に防衛のジンを失いデュエルダガーに包囲されつつあった。
 殺しを嗜む訳ではないが、それと殺さないとは意味が違う。ラウ・ル・クルーゼに、ムルタ・アズラエルに躊躇など不要。すでにすべて決している。倫理、道徳、法、そのすべてを自らの行動指針に決して加えまいと。
 そう、誓ったのでから。

「君たちは下がっていたまえ。この混戦具合だ。ジンではいつ誤射に巻き込まれるかわかったものではない」
「了解しました」
「私は、残した未練を拾いに行くことにしよう」




 大型シャトルにライフルを向けていたデュエルダガーが横からビームで貫かれ爆発する。大型シャトルは遅れを取り戻すべく加速していたが、すでに拿捕の可能性を失した大西洋連邦軍はなおより積極的な攻撃に打って出るようになっていた。デュエルダガーを撃墜したフリーダム。そのライフルは次のデュエルダガーを撃ち抜く。
 いつまでも攻撃を防ぐことができるとは考えていない。しかしグラナダからの援軍は確実に近づいているはずなのだ。たとえ分の悪い賭であったとしても、それまで耐えしのぐしか方法はない。

「逃げろ。少しでも遠くに逃げてくれ……!」

 アスランの言葉は、もはや祈りにも近い。




 シャトルが徐々に被弾していく。その光景は、見たことなんて一度もなくても200年以上前の鯨漁を思わせた。巨大な体に少しずつ銛が撃ち込まれて次第に弱らせていく。大きさ比べではあまりにちっぽけな人の放った銛が少しずつ、鯨の命を削っていく。
 デュエルダガーの攻撃が命中する度、シャトルの装甲が貫通して黒煙が吹き出す。場所によっては吸い出された人の体が一斉に宇宙に広がる光景も目にした。
 ジャスミンは動けないでいた。

「クルーゼ隊長……、私、わかりません……」

 プラントの正義を信じたことなんてなかった。戦争は正義のためにするものではないと考えていた。だから何のために戦っているのかを考えなければならなくなった時、ジャスミンは誰のために戦えばいいのかわからなくなっていた。
 ザフトにいる必然性もなくて、それでもクルーゼ隊長について大西洋連邦に渡る決断もできない。

「私、どうすればいいんですか……?」

 誰かに聞いてもらいたい言葉ではなかった。しかし通信を通じて放たれた言葉は、確かに隊長の耳に届いていた。

「残念だがこれ以上君を説得している時間がない。できれば、手荒な真似はしたくなかったのだがね」

 どこから。そんなことを考えている内に隊長のガンダムはジャスミン機のすぐ目の前にいた。反応なんてできない速さで飛んできたガンダムの拳--ライフルを持たない左腕--がジンの顔面に突き刺さりメイン・カメラが砕けて顔面がつぶれる。
 コクピットにまで伝わった衝撃。不鮮明になるモニター。ジャスミンはかろうじて操縦桿を掴んでいられた。軍人として培った訓練のたまものとして体はすぐに反撃に移ろうとする。ライフルを構えて、その直後に体を強い衝撃が駆け抜けた。
 一つの銃口から放たれたビームがジンの両腕を同時にもぎ取っていた。それから何をされたのかわからない。コクピット・ハッチが吹き飛んで、コクピットの中を2つに輝くガンダムの目が覗き込んでいた。




 ジャスミン機の信号が途絶えた。そのことはすぐにフリーダムのモニター上に投影された。撃墜されたのだ。モニターには両腕をもぎ取られたジャスミン機から離れようとするトロイメントの姿が拡大されていた。その映像の中には、左手に握られている人らしきものも映し出されている。

「ジャスミン!」

 何が何でもクルーゼ大佐はジャスミンを連れていきたいらしい。ゼフィランサス・ズールを利用するだけでは物足りないのだろう。
 フリーダムを加速させた。青く輝く10枚の翼が推進力を生み、機体が加速していく。
 デュエルダガーが立ちふさがる。ジャスミンをその手に握りしめたままでは大きく機動することができないであろうトロイメントは動きが鈍い。それを補うようにデュエルダガーが護衛に当たっている。
 次々と放たれるビームを左右に機体を揺らしながら回避して、隙あらばビームでデュエルダガーの胴を貫く。しかし次のデュエルダガーが戦列の穴を埋め、正面からではなかなか近づくことができない。
 無理にトロイメントを追いつめてクルーゼ大佐がジャスミンを見捨てないとも限らない。トロイメントが本来の機動力を発揮すれば人体など瞬く間に引き裂かれる。

「くっ……、ジャスミン……!」

 デュエルダガーからの攻撃は続く。機動力に優れるフリーダムとは言え、モビル・スーツの隊列をたやすく突破できるはずもない。制限された時間の中、トロイメントの背が徐々に離れていく。

「アスラン! それ以上は危険すぎる!」

 イザークのジャスティスがデュエルダガーたちめがけてビームを放ちながら近づいてくる。2機目のガンダムの登場に狙いを集中できなくなったデュエルダガーの隊列に乱れが生じ始めた。だがまだ足りていない。これでは突破できるほどの網のほつれにはつながらない。

「誰かを犠牲にしないでもすむ方法があるなら、俺はそれを諦めたくない!」

 どこか一カ所でもいい。穴が開いてさえくれるならジャスミンを助けでしてみせる。フリーダムは派手な機動を切り返し、左右へ上下へと動き回る。相手の集中を分散すればどこかに穴があくはずだ。

「この馬鹿者が!」

 そうは言いながらもジャスティスもまた機動を繰り返しながらビームを放つ。イザークも理解してくれているのだろう。仲間を失うことの辛さを。
 デュエルダガーたちは狡猾だ。攻撃は弱く防御に集中する。なかなか隙を見せることなく時間ばかりが浪費されていく。

(ジャスミン……!)

 意識ばかりが競ったのだろう。声にしようとした声が声にならない。代わりにコクピットに響いたのは電子音独特の甲高い音だった。モニターには、フリーダム、ジャスティスとはまったく別方向から飛来する機体の存在が示されていた。

「味方の識別信号?」




 新たな機体の存在を、ラウもまた気づいていた。味方ではないことだけは明白である。同時に、その姿は登録されているザフト軍機のどれとも違う。
 だが、顔の中央に輝くモノアイはそれがザフトの機体であることを示していた。右腕にライフル。左腕にはシールド。その灰色の姿は、ところどころYMF-X000Aドレッドノートガンダムの意匠を残している。ザフト軍が設計していた次世代機、その流れを組む機体であるらしい。
 新型はデュエルダガーへとビームを放つ。それは胸部に命中し、装甲を貫通。内部から吹き出した炎は爆発となってデュエルダガーを呑み込む。ガンダムほどの火力はなくとも敵を確実に破壊できるだけの攻撃力を有している。
 ザフトもビーム兵器を装備した新型の配備を始めたのだ。
 ラウは彼にしては珍しく、口元をゆがめ不快感を露わとした。

「ザフトの新型か。やはりすべてがぎりぎりのタイミングか……」

 10年という時間を、まもなく使い切ろうとしているのだから。




 新型機による援護は、デュエルダガーの隊列を突き崩す最後の一突きとなった。3方向からの攻撃にデュエルダガーたちは反応することができず、その防衛線を維持できなくなったのである。
 新型は急速に接近するなり左腕のシールド、その先端からビーム・クローとも言うべき2本の太く短いビーム・サーベルを発生させる。パイロットの腕も見事なもので、デュエルダガーのシールドをさける形で回り込むとすれ違い様、爪がデュエルダガーの胴を裂いた。
 ジャスティスのイザークもまた一気に攻撃の勢いを加速させた。大型バック・パックに装備されているビーム砲を放ち敵の動きを牽制する。少しでも隙を見せた敵機はライフルのビームが貫く。
 敵機の狙いが、ジャスティスと新型の2機に絞られた。
 機会は今しかない。
 ミノフスキー・クラフトは、これまでになかった発想の推進装置であると言えた。装甲そのものを推進器として利用するたため、その推進力は装甲の表面積に比例する。フリーダムの持つ10枚の翼はまさにそのための構造であった。鋭く、長く、そして薄い。体積ごとの表面積は極めて大きくそこから生み出される甚大な推進力はフリーダムを加速させる。この翼こそが、フリーダムの機動力を約束する。
 10枚の翼が輝き、膨大な光の粒子が放出される。フリーダムはその翼を大きく広げ光を放ちながら加速する。

「もしも……」

 デュエルダガーの部隊を追い抜き、さらに先へ。トロイメントを、ラウ・ル・クルーゼを捉えた。

「もしも……」

 ビーム・ライフルを投げ捨てる。右手で抜いたサーベルに左手を添えて、モニターにトロイメントの姿が大きく映し出される。

「もしもあなたがまだ俺たちが敬愛していた隊長だと言うなら!」

 ジャスミンを見捨てるような動きはしないはずだ。
 フリーダムが迫る中、トロイメントは最後までジャスミンを見捨てようとは、その機動力を発揮しようとはしなかった。
 接触する直前、アスランはミノフスキー・クラフトを切る。後は慣性だけを頼りに突き進むフリーダム。サーベルはそのすれ違いざま、トロイメントの肘を切断する。ジャスミンを握りしめたままの左腕が回転しながら宙を舞う様子を確認しながら後ろへと駆け抜けた。
 まだ、まだ終わっていない。ミノフスキー・クラフトを再起動。フリーダムは宇宙という大気の助けを得られない空間でさえ何かに支えられたような動きで半回転する。上下逆さま--宇宙ではあまり関係のないことだが--になりながらも振り向き、翼から2門のビーム砲を展開。放たれたビームはトロイメントを大きく飛びのかせた。
 これで諦めてくれたのだろうか。トロイメントは飛び去り、デュエルダガーの部隊もこれ以上攻撃を仕掛けてくる気配はない。
 アスランは慎重に、トロイメントの左腕へと近づいた。握られたままの指をフリーダムのマニピュレーターでそっと開き、救い出したジャスミンの体をハッチのすぐ前にまで運ぶ。
 戦闘中、ハッチを開ける危険性は危ぶまれたが、今はそんなことを言っていられない。ハッチを解放し、急いでジャスミンの体をコクピット内へと引き入れた。

「ジャスミン?」

 パイロット・シートの上でジャスミンの体を抱き寄せながら、その体には、確かに鼓動が宿っていた。生きている。

「どうだ? 女は無事か?」

 イザークからの声に左手でジャスミンを抱いたまま、右手だけで機体を動かす。

「ああ、気を失っているだけ」
「よし。援軍の到着も近い。だが油断はするな」

 なるほど、クルーゼ大佐がジャスミンを諦めた訳はそこにもあるらしい。ジャスミン救出に協力してくれた新型は先駆隊であったのだろう。モニターにはまだ遠くながらザフトの艦隊が接近してくる様子が見られた。戦力は地球軍と同規模。クルーゼ隊長としてもこんなところで総力戦を演じたいとは考えていないはずだ。
 後一息。後一息でみんなをプラントに返してあげられる。




「隊長、ご無事ですか……?」

 ジャスティスのコクピットの中、イザークは部下の声を聞いた。シホやカナードではない。裏切りの中で唯一名前の挙がらなかったアイザックの声である。聞き違えなどするものか。

「アイザック、無事か? どこからかけている?」
「いえ……、ちょっと無理みたいです……。申し訳ありません。最後まで、足、引っ張……」

 通信でさえ息が乱れていることがわかる。傷の具合など知りようもないが、そんな重傷の体を押してまで繋いだ通信が意味するところをイザークは頭から拭いきれずにいる。

「馬鹿なことを言うな!」
「これまで、ありがとうございました、隊長……!」
「アイザック! アイザック!」




 被弾したのは胸。ただし、心臓に銃弾を浴びたわけではなく、出血こそ多いが即死するほどではなかった。
 アイザックが警報を発したことでコクピットは混乱。反乱を起こしたクルーは多くが射殺された。見えている範囲にも死体となって浮かんでいる人々の姿が何人も見られた。その全員がザフトの軍服を身につけている。
 シホとカナードは逃げることに成功したらしい。状況がよく掴めていないのだ。こんな混乱の坩堝の中で誰もアイザックに構っている余裕などない。アイザックは1人、通信機のあるアビオニクスの上に寄りかかるようにして倒れていた。
 肺も一緒に傷つけられたのか、呼吸をする度に空気が抜けるような音がして、息苦しさに見舞われる。そして無理に息を深く吸おうとすると、胸に開いた傷が痛む。これまでにも兵士として傷を負ったことはあったが、傷の程度よりも、その状況の方がよほど堪える。

「シホさん……、カナード、さん……」

 仲間だと思っていた。信頼のできる人だと信じていた。まだ、それは心の片隅に残る気持ちである。金だとか、そんなもののために気持ちを曲げる人たちでは決してない。
 しかし、現実はこれだ。そんなことでも言ってくるように、胸が鋭く痛んだ。思わずうめくと、口に溜まっていた血が吐き出される。無重力の中、血液は水滴となって宙を漂う。
 どんどん脳から血液が流れ出ているのだろう。呆然として、考えがまとまらない。残された時間の中でアイザックが考えたのは不謹慎なことに別れを告げたばかりの隊長のことではなく、意中の女性のことだった。
 女性は強くて、しっかりとしていて、アイザックのような気弱な態度を見せない。あの人のそんなところに惹かれて、でも、思いを告げることなんてできなかった。そして、あの人はアイザックが好意を寄せたとおりの人で、かつての仲間にもわずかな躊躇も見せずに引き金を引く強さを持っていた。
 涙が出てきたのは、痛いのか、悔しいのか、悲しいのか、それとも怖いのか。もはやアイザックにさえわからない。

「シホさん……、僕は……あなたのことが……」

 好きでした。




「初めての被弾がまさか私とはな。これは賭けは私の負けのようだ」

 トロイメントの左腕は綺麗に切断されている。確かに人質を抱え大きく動くことができない状況ではあったが、アスランの判断、決断は見事なものであった。
 問題など何一つない。無理に挙げるとすれば、後でムウたちに一杯奢らされることになる。言い訳の一つくらい手土産に欲しいものだ。たとえば、任務は果たした、など如何だろうか。

「せめて任務だけでも果たさなければムウとエインセルに何を言われるかわかったものではないな」

 スラスター出力を全開に、シャトルが離れていく。合計5隻ものシャトルの群を、では一網打尽にしてしまおう。もはや時間は残されていない。しかしプラントに地球からの物資を与えることはできない。
 ラウ・ル・クルーゼは指示を出す。

「できることから、拿捕してしまいたかったのだがね。……各機、攻撃を許可する」

 デュエルダガーたちの後ろに隠れていた。しかしそれは弱いということを意味はしないGAT-01A1ストライクダガー。主役というものは遅れて登場するものだと言うことだ。ランチャー・ストライカーを装備したストライクダガーの小隊はそれぞれ抱えるほどもある長大なビーム砲を背にシャトルを目指す。
 火力ではデュエルダガーの比ではない。その左腰に腕で抱えられるように銃口を正面へと向けられたビーム砲は、まっすぐにシャトルのスラスターを狙っている。
 すでに許しはなされた。
 ラウ・ル・クルーゼ、ガンダムトロイメントもまた、その銃口に標的を招き入れた。射出される12機、すべてのユニット。大型シャトルへと飛来していく。破滅的な輝きを放ちながら。
 攻撃は苛烈に、容赦なく、一斉に行われた。
 ストライクダガーの放つビームは正確にスラスターに突き刺さり装甲を溶かし進んでは推進剤に引火する。燃料タンクはもはや巨大な爆弾と言って相違ない。膨れ上がった爆発はシャトル後部を完全に潰し、その圧力は前部を大きく歪ませては艦内で膨れ上がった圧力は装甲の隙間から膨大な勢いで吹き出す。
 シャトルはもはや蒸気機関そのものであった。発生した圧力が、それこそ巨大な汽船を動かすほどの圧力と熱とが艦内という容器に閉じこめられ、そして吹き出した。
 トロイメントがライフルを放つ。それは一つの銃口から連続して不規則な角度で次々に放たれる。12機ものユニットはビームを次々と拾い上げては、角度を曲げ軌道をねじ曲げビームを次々に大型シャトルに撃ち込んでいく。あらゆる角度からあらゆる場所にビームは撃ち込まれた。




 4隻のシャトルが炎に消えた。デュエルダガーの新型にスラスターを撃ち抜かれたからだ。
 大型シャトルは全身をビームで貫かれながらも形を維持していた。シャトルほど絶望的な損傷ではない。まだ誰かが生存しているかもしれない。
 アスランは全身から下部を覆うほどの黒煙を吹き出し、それでも推進を続けている大型シャトルの姿に一縷の望みを抱いていた。頭では理解している。ビームであれほど攻撃されれば中では狭い空間内に幾度も爆発が発生することになる。気密区画とて破損している危険性があった。
 それでも、アスランは自分の中に渦巻く嘘にすがってしまいたくなった。
 薔薇の約束を果たしていない。胸にさした薔薇をまだ返していない。地上で約束した。宇宙に帰ったら薔薇を返すと、薔薇で再び籠をいっぱいにすると。
 まだ返してない。返してなんていない。
 ジャスミンを抱きしめたままの左腕はそのままに、アスランはシャトルへと、その右手を伸ばした。届かない。届いたところで意味などない。
 ビームは全身くまなく突き刺さっていた。その火がやがて燃料、推進剤に引火することなどアスランにはわかっていた。アスランの目の前で、内部から膨れ上がった炎はシャトルを呑み込んでさらに大きな火花をあげる。その衝撃はフリーダムさえ揺さぶった。アスランの胸元を離れた薔薇の花が、延ばされたままの右手の前を、決してアスランには届かない位置で漂った。
 届かない手は握りしめられる。

「俺は……、どうして誰も救うことができない!?」

 コンソールを殴りつけたその腕は、心ほどには痛まなかった。



[32266] 第37話「嵐の前に」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/12/05 23:06
 グラナダからの援軍が到着したのは地球を脱出したシャトルが撃沈されてまもなくのこと。あるいは到着が見込まれたからこそ、地球軍はシャトルを撃墜したのか。少なくとも判明していることは、仲間を皆殺しにされながら帰る場所には事欠かなかったということだ。格納庫の中、イザーク・ジュールは乗機であるZGMF-X09Aジャスティスガンダムのコクピットから出るなりヘルメットを脱いだ。戦闘後は整備の音でうるさいことが常だが、今回ばかりは静かなものだ。それだけ帰還できた機体が少なかったことを意味している。
 ジャスティスの隣にはZGMF-X10Aフリーダムガンダム。この青い機体の脇にまで延ばされた通路に担架が寄せられ、ジャスミン・ジュリエッタが乗せられて行った。ジャスミンを救い出したアスラン・ザラは運ばれた担架につきそうように歩き出す。
 ついて行く必要はない。ジャスミンとはそこまでの面識はなく、またイザークにしても仲間を失っている。無理に踏み込む必要はない。

「これがガンダムか」

 見上げると、白いノーマル・スーツ--隊長であることを意味している--を着た女が漂いながらジャスティスの上にやってくる最中だった。ちょうどコクピットのある胸部、開かれたハッチの縁に立つイザークの側だ。

「私はミルラ・マイク。ZGMF-600ゲイツのパイロットだ」

 ゲイツという聞き慣れない名前は新型のことだろう。 ZGMF-1017ジンよりもより洗練されたシルエットをもつその機体は、格納庫の反対側にあった。女は着地するなりヘルメットを脱ぎ始める。まだ名乗っていないことを思い出す。

「お前には助けられた。礼を言う。イザーク・ジュールだ。あちらのパイロットは……」
「アスランのことならあいつがまだ4本足の頃から知っている」

 ヘルメットが脱がれると、緑の黒髪が流れた。パイロットにしてはずいぶんと長髪だ。シホ・ハーネンフースもそうだったが、髪を大切にする女であるらしい。この髪に気をとられ、気付くことが遅れた。この女に会ったことはないが顔は知っている。

「ミルラだったな。お前とよく似た顔を俺は少なくとも2人知っている。ラクス・クライン。それにサイサリス・パパだ」
「当然だ。私もヴァーリだからな。私はミルラ・マイク。Mのヴァーリにして、残念ながらフリークだ」

 ミルラと名乗った女は意味のわからない単語を数珠繋ぎにしたまま、イザークへと握手の手を差し出した。




 アメノミハシラ。オーブ首長国が軌道エレベーターの台座として建設を行っていた宇宙ステーションである。戦争が開始したことで建造は中断され、未完成のまま衛星軌道上を漂っている。地上ではオーブ本島をほぼ制圧した大西洋連邦軍だが、この遙か空の彼方にまで触手を届かせてはいない。
 ここは平穏であって、明かりが普段から落とされている展望室からは空の星が地球より3万5千km分だけ近くに見えていた。この場所にオーブは慰霊碑を建立する計画を立っていた。開けた展望室の中央ではすでに工事が始められていて、規則正しい音が響いていた。
 鹿威しというものがあるそうだ。それとどこか似ていて、静寂の中の雑音はそれでも決して耳障りなものではなかった。少なくとも、キラ・ヤマトが同じ長椅子に腰掛ける姉と話をする分には何も問題ないほどに。

「怪我の方は?」
「大したことはない。だがキラ、お前はエインセル・ハンターとは戦わなかったそうだな?」

 額に包帯を巻き、頬に絆創膏を張り付けている。それでもカガリ・ユラ・アスハは剛毅に椅子の背もたれに両腕を預けてよりかかっていた。自身はエインセル・ハンターとの戦いで文字通り手も足もでない状況にされたというのに、キラのことを睨みつける眼光の鋭さは普段通りのままだ。
 オーブが大西洋連邦軍の侵攻を受けた際、オノゴロ島上空で、キラは確かにエインセル・ハンターと対峙した。

「あの状況で勝てたとしても逃げ遅れたら意味がないからね。僕の目的はゼフィランサスを救うことじゃなくて救ったゼフィランサスと添い遂げることだから」
「お前よりも強欲で身勝手な奴なんていくらでもいるとは思うんだが、それでもお前ほどエゴイストという言葉が似合う男はいないように思えるのは何故だ?」

 キラが笑っていると、カガリは冷めた眼差しを向けてくるばかりである。

「ところで、カガリ。君は大丈夫かい?」
「だから傷は……」
「ウズミ・ナラ・アスハ氏、君のお父上が亡くなられたことだよ」

 オーブに、プラントが仕掛けた爆弾はモルゲンレーテ本社、及びマスドライバーを完全に破壊した。その際、オーブのかつての代表であるウズミ・ナラ・アスハもまた命を落とした。
 養父の死に、カガリは息を詰まらせたように目を見開き、そして息を吹いた。

「お前にそんな気遣いができるとはな」
「ウズミ氏とはどこで?」
「ユニウス・セブンを脱出した直後だ。当時、お父様は奥方をなくされたばかりでな。私とエピメディウムを養子にされたんだ。本当はデンドロビウムもいたんだが、あいつはとっととプラントに戻った。最初はドミナントとヴァーリのサンプルが欲しいだけかと警戒していたんだが、あの人はいい父親だった。正直、応えてる……」




 目の前には白衣を着た女医。黒髪のおかっぱに、目は悪くないはずだが眼鏡をかけてタイト・スカートに包まれた足を組んで座っている。明らかに誤った女医のイメージを、おもしろ半分に実践しているのだろう。もっとも、まだ二十歳にも満たない少女の仕草にはまだまだ色香というものが足りていない。ムウ・ラ・フラガは苦笑したい気持ちを抑えながら、女医の前で患者よろしく座っていた。
 女医--ニーレンベルギア・ノベンバー--はもう飽きたのか、眼鏡をそばの机に置きながら話を続けていた。

「プラントでは、潜在コーディネーターとも言うべき人々が人口の4割を突破したとされる研究も、非公式ながら存在しています」
「まあ、当然だな。遺伝子調整には金がかかる。誰もが子どもをコーディネーターにできる訳がないしな。コーディネーターは単に新たな遺伝子を投入したって訳でもない。結局のところ本来人が持っている遺伝子を取捨選択したってだけだ。新しい種でもないからな」

 人間と人間を掛け合わせても人間しか生まれない。コーディネーターというのは人類の新種ではなく、単に遺伝子を操作された人のことを指す。コーディネーターの子どもも遺伝子操作されていなければナチュラルだということになる。
 ニーレンベルギア、研究のためにはアフリカの砂漠にモビル・スーツ部隊引き連れて乗り込むほど行動的なヴァーリは非常に明瞭な話し方をする。

「それに加えてプラントは極端な能力主義です。能力のある人間は徹底して優遇され、破格の給与を与えられますが、反対にそうでないと冷遇されてしまいます。そしてコーディネーターは平均して能力的に優れている。するとコーディネーターはお金をもらえて、子どもをコーディネーターにすることでさらに子どもも能力を持つようになります」
「貧富の格差がそのまま能力格差につながり、さらに格差を拡大していく。プラントは地球のどの国よりもジニ係数が高いなんて話も言われてるな」
「ところが、プラントは人的資源の観点からは弱小もいいところです。2000万を越えることがせいぜい。地球との人口は300倍もの開きがあります。この中のコーディネーターとなるとさらに1000万ちょっと。プラント政府は潜在ナチュラルの存在をひた隠しにしています」
「コーディネーターの国にナチュラルが数を増やしていると公にすることはできないだろうからな。おまけに、コーディネーターが富を独占している形でナチュラルから搾取しているとはとてもな」

 ムウがニーレンベルギアに会う機会はこれまで決して多くはなかった。ニーレンベルギアはヴァーリであり、お父様であるシーゲル・クラインに絶対の忠誠を誓うダムゼルの1人でもある。そんな女医がプラントの内情を暴露する様子には、違和感を禁じ得ない。
 ムウの指摘や分析にも、このダムゼルは微笑みながら応じている。

「ブルー・コスモスの見解にはお答えできませんが、プラントには国内のナチュラルを戦力として軽んじることのできない戦力的な事情があります。ところが、4年前のザフト軍の快進撃はザフト軍内部にナチュラルへの蔑視を助長してしまいました。ナチュラルの兵は愚鈍であって、コーディネーターこそが優秀であると。そのため、ナチュラルを戦力として数えない風潮ができあがってしまったのです。それを憂うお父様は私に命じられました。ナチュラルの強化計画を」
「それがブーステッドマンだな。ニーレンベルギア、お前がプラントから出てまで研究を続けている理由、だろ」
「はい。潜在ナチュラルの存在さえ認めていない国内でナチュラルの研究なんてとんでもない。しかし、ザフト軍がナチュラルを使うためにはそれなりの説得力が必要です。たとえば、ナチュラルの肉体を強化して十分に実戦に耐えられるようにしましたとか」

 ニーレンベルギアは机の上のモニターを回し、ムウの方へと見せた。そこには大勢の顔写真が表示されているだけだが、まさに老若男女、雑多な人々の顔が映し出されている。彼らがすべてブーステッドマンと呼ばれる、肉体を強化した人々である。
 その中に、巻かれた包帯で顔面を隠した少年と、ニーレンベリギアと同じ顔をした赤い髪の少女も含まれている。カズイ、そしてロベリアである。どちらもガンダムのパイロットを任せられている。アフリカの砂漠での戦いに参加したそうだが、ムウが記憶しているのはジブラルタル基地襲撃の時のことだ。
 ムウがモニターを眺めている間、ニーレンベルギアはムウの目をのぞき込んでいた。

「歯に衣着せず言わせていただけるのでしたら、私は驚いています。遺伝子調整のように遺伝子操作、肉体改造に寛容なプラントとは比べるべくもなく人体実験には厳しい地球の国々でこのような研究を認めていただけるとは考えていませんでしたから」

 国によっては未だに遺伝子組み替え食品を禁じている場所もあるほどだ。そんな国が食物は駄目でも人体を作り替えることなら構わないとはならないだろう。大西洋連邦は遺伝子技術の最先端を走ってきた歴史からも比較的寛容とは言われているが、それでさえコーディネーターの作成は禁止されている。ニーレンベルギアの印象は決して間違ったものではない。

「元々再生治療の応用だからな。医療研究ってことで通してる。それにラタトスクは軍需産業だ。兵器開発の一貫とでもしとかないと株主が納得しない。これでも臨床試験には結構な額を使わされたが、一応のルールは守ってるんでな」

 カズイのような例外はあるが、被験者は必ず事前承諾をとらせるようにしている。インフォームド・コンセントが人体実験の免罪符になるとは思わないが、歯止めは必要だということだ。ブーステッドマンの多くは傷病兵であって、効果が未知数の新技術であっても賭けてみたいと志願した者が大半であるそうだ。多くは肉体を取り戻し、兵士として戦場に戻っている。これがいいことなのか判断は難しいところだ。
 ムウは意識して視線を鋭くした。

「だがそれも副作用が出るまでの話だ。ブーステッドマンたちは強化箇所によってばらつきはあるそうだが、副作用が散見されているらしいな。たとえば、ロベリア・リマ。意識障害が生じているようだ」
「ロベリアは元々両腕がありませんでした。治療の過程で両腕とともに未発達であった神経を増強した結果だと考えられます」
「こんなことを聞くのはルール違反とは思うが、妹を実験台に使うのはどんな気分だ?」
「ニュルンベルクを持ち出すまでもなく、なるべく考えないことにしてます」

 ニーレンベルギアは穏やかに笑う。普段からあまり怒り出すような人物ではないとは聞いているが、起伏のない感情はある種のストレス対処法であるのかもしれない。

(人それぞれってことか……)

「俺たちも人のこと言えた義理じゃないな。ニーレンベルギア、基本的に研究は認めるつもりだが、副作用如何によっては人権委員会を説得できなくなる。そのことは覚えておいてくれ」

 話の切りもいい。時間もそろそろだろう。ムウは立ち上がり部屋を後にしようとする。

「フラガ様」
「ムウでいい」
「ではムウ様」

 本当は様も抜きでいいのだが、人それぞれと言うことだ。ここは様付けくらい認めるべきだろう。

「何故、プラントの、コーディネーターの根絶を標榜するあなた方が私のようなヴァーリに力を貸してくれるのでしょう?」

 少々ため息をつきたい気分になった。ブルー・コスモスはどうしても勘違いされることが多いが、一度たりともコーディネーターの抹殺をもくろんだことはない。

「それは目的と手段を取り違えてる。俺たちがコーディネーターを何人殺したって、コーディネーターを作り出す奴がいなくなれなければ何も解決しない。反対に、1人のコーディネーターを殺さなくても、コーディネーターを作ることさえやめさせることができれば俺たちの目的は達成される。俺たちがコーディネーターを事実上殺しているのは、コーディネーターを作り出すプラントがコーディネーターの国でコーディネーターの兵士がいるからだ。俺たちはコーディネーターが憎いんじゃない。コーディネーターを作り出す奴が許せないだけだ」

 だが、現実はなかなかうまくいかないものだ。ムウは苦笑を交えて笑うしかなかった。

「もっとも、コーディネーターの支持者は大概、コーディネーターなんだがな」

 結局コーディネーターを作る人をなくすということはコーディネーターを殺すことを有効な手段として選択しなければならない状況にある。

「ムウ様。もう一つ質問してもよろしいでしょうか?」

 ムウは頷いた。

「エインセル様はヒメノカリスやゼフィランサスみたいにどうして私にドレスを送ってくださらないのでしょう?」

 ドレスというと、フリルやらふんだんに使って人形に着せるような奴のことだろう。

「……着てみたいのか?」

 エインセルには他意なんてないことだろう。ヒメノカリスは愛しい娘で、ゼフィランサスは妹のように思っている。そんな近しい人に服を贈ったくらいの感覚で、美少女と見れば誰彼構わずドレスを着せるような嗜好の持ち主とは、一応聞いていない。

「ちょっと興味があります。私も女の子ですもの」
「ちょうどこれから会う約束がある。聞いておいてやる」




 ロベリアがその両手を使い、カズイと呼ばれる少年の頭に巻かれた包帯を締め直している。ラウ・ル・クルーゼは背もたれのない長椅子に腰掛けながら何の気なしにその様子を眺めていた。

「カズイか……。この名前は、この少年が唯一覚えていた名前だと聞いたが?」
「はい。宇宙に瀕死の重傷で漂っているところを発見されて、もうほとんど手遅れだったそうです。それをニーレンベルギアお姉さまが治療を施したって聞いてます」

 答えてくれたのはロベリアの方だ。カズイは惚けたように視線を泳がせているばかりで心ここにあらずといった様子だ。

「記憶は戻らないか?」
「記憶? 記憶って何……?」

 この有様である。心が完全に子どものようで受け答えも満足にできていない。包帯を巻き終えたロベリアは改めてラウの方へと向き直る。この赤い髪を短くかりそろえたヴァーリを話し相手と、ラウは定めることとした。

「ロベリア、ニーレンベルギアの報告書を読ませてもらったのだが、意識障害が現れるそうだな」

 純朴な印象のヴァーリはわかりやすく体を固くする。

「決して長くはない時間のようだが、戦闘中に起きようものなら命取りになりかねない。私は君をパイロットから降ろすことも考えているのだがね」
「お、お願いします! 戦わせてください。ガンダムじゃなくてもいいんです。何でもします! お願いです!」

 勢いよく頭を下げると、今度はなかなか顔をあげようとしない。

「ジャスミン・ジュリエッタのためかね?」

 顔こそあげてはくれなかったが、全身の筋肉が緊張した様子が見て取れルウ。やはりこの娘はわかりやすい。

「話したくないなら無理に話す必要はないが、一つ、昔話を聞いてもらえるだろうか?」

 こちらの顔色をうかがうように顔をおずおずとあげるロベリア。仮面をつけた顔からどれほどのことが読みとれるのかは疑問だが、ロベリアはなんとか元の体勢を取り戻す。では、話を始めることとしよう。

「ある男の話だ。アル・ダ・フラガ。アズラエル家の入り婿であったこの男はコンプレックスの強い男だった。そのため、人一倍の努力を惜しまなかった。高い能力と実績をアズラエル家の息女に見初められ、2人は結ばれた。ここまでなら劣等感を糧に邁進した男のサクセス・ストーリーで終わったことだろう。だが、男は狭量な男だった。妻との間に子をもうけようとも、人を愛するということができなかった。そのため、男は途方もない手段に打って出ることとした。自らのクローンを作りだし、その当時最高の技術で遺伝子調整を施させた。今ドミナントと呼ばれている技術、その先駆けとも言える存在が誕生した」

 ドミナントという言葉にもカズイはもとよりロベリアもさしたる反応は見せない。体を緊張で強ばらせて反応できないだけかもしれないが。

「実験は幾多の失敗を繰り返しながらも2体の成功作を誕生させることに成功した。男は喜び、2人をアズラエル家の子息として、自らの養子とした。ドミナントである2人は男の息子とすぐに打ち解け、兄弟でありながら友であり、その子息の名、ムルタ・アズラエルを共有するほどの友情を築いた」
「だが、ここで一つの問題が発生した。その内の1人に遺伝子上の欠陥が見つかった。テロメアが極端に短い。細胞の劣化が激しいという問題がな」

 外見でそうと判断することは難しいが、一つだけ、老化の激しい部位が失敗作には現れた。ラウは仮面を外す。すると見えるはずだ。親子であるムウ・ラ。フラガと、クローンであるエインセル・ハンターと似た印象を与える顔、その左目の周囲に刻まれたような深い皺があることを。

「男は出来損ないを処分しようとした。その矢先のことだ。屋敷が火災に見舞われ、男は死んだ。残された3人の兄弟は遺伝子を操作することの恐ろしさと矛盾に気がついた。勝手に作り替えられ、勝手に失敗作だと処分されてしまうのだからな。その後、彼らは様々な無茶をした。ブルー・コスモスの過激派に加わり遺伝子操作を行う実験施設を襲撃したりもした。デモ行進で警察のご厄介になったことは一度や二度ではなかった。傭兵紛いのことをして死にかけたことも数えきれん。そして兄弟たちは今、プラントを滅ぼそうとしている」

 アズラエル家の子息の名であるムルタ・アズラエルと名乗り、ブルー・コスモスの代表として。
 いつの間にやらこの部屋で物音を聞くことがなくなっていた。ロベリアに聞かせようとした話だが、他の誰に聞かれたとしてもかまわない話だ。声を潜めるなどしていなかった。すると周囲で休んでいたはずのブーステッドマンたちの視線がラウへと集められていた。
 そんな時だ。静寂の中、あくびをする鈍い音が響いた。カズイだ。

「こら、カズイ!」

 ロベリアがたしなめるもカズイはどこ吹く風だ。少々長話がすぎただろうか。取り付けた仮面に、ラウは苦笑を隠す。

「退屈な話だろう」

 命のあり方、人が人として生きるということの価値を考えたことのない者にとっては。

「では、ロベリア。仮にドミナントの失敗作が君の処遇を決める立場にあるとすれば、彼は君をどのように扱うだろうか?」

 しばしの長考。ロベリアはうつむいて、そしてあげられた瞳はラウを正面から見据えていた。

「きっと、わかってもらえると思います……。自分じゃ変えることができないことを勝手に押しつけられて見下されることの悔しさが……」

 やはりヴァーリとは素晴らしい。このような娘から戦う術を奪うほど悪趣味にはなれそうにない。

「君たちの部隊は私が預かろう。私の下で戦うこと。それが条件だ」
「あ、ありがとうございます!」

 立ち上がり歩き去るラウに対して、ロベリアは長く長く頭を下げ続けた。




「お父様」

 甘えた声で、娘がエインセル・ハンターの膝に乗り体をしなだれかけている。ヒメノカリス・ホテルは身につけた白いドレス--エインセルが与えたものだ--、その桃色の髪でエインセルの体を覆い隠すほどその身を預けていた。
 エインセルは片腕で娘を抱き留めながら、残された手は本を開いている。こうして娘を抱きながら読書に勤しむ。エインセル・ハンターにとってごくありふれた光景であった。この愛娘との触れ合いを阻害されたことを、しかしエインセルは不快に思うことはない。
 メリオル・ピスティス。愛しい妻の声が聞こえた。

「ヒメノカリス、ここで何をしてるのですか? あなたには、機体の定期点検があったはずです」

 部屋の中央に置かれた円卓。決して大きなものではなくともエインセルの座る椅子は備え付けられた三脚のうちの一脚。椅子は円卓へと向けているため、妻の声は体の向きからすれば横から聞こえている。

「そんなの後でする」

 ヒメノカリスの声は、先程エインセルに囁きかけたとは似ても似つかない不機嫌なものであった。スーツ姿。普段から愛用しているめがねの奥でメリオルは厳しい眼差しを娘であるヒメノカリスに向けている。

「今なさい!」

 メリオルとヒメノカリス。妻子が睨みあう様に、エインセルは本を閉じた。

「メリオル、戦闘は直ちには予定されていません。特に急ぐことでは……」

 メリオルの必死の眼差しは、エインセルの声をとぎれさせるに十分であった。

「ヒメノカリス、今日のところは折れていただけませんか?」

 不満。納得してない。そんな感情を顔に張り付けたまま、しかしヒメノカリスは渋々とエインセルから降りる。父から引き離す原因を作ったメリオルのことを睨みながら--メリオルもまた睨み返している--部屋を後にした。
 扉の閉まる音。メリオルはさらに目を向けてヒメノカリスがいなくなったことを確認してからようやく本題に入ろうとエインセルを見る。

「エインセル様、あなたはヒメノカリスを甘やかしすぎます。あなた様は二つの財団の総帥にして、ブルー・コスモスの代表です。ご自覚ください」
「私があなたと出会ったのは、すでに20年も以前のお話です。父であるアル・ダ・フラガを火災で失い、支援の手をさしのべてくださったお義父上に連れられたことが始まりでした」

 当時のピスティス財団の代表を務めていたエインセルの義父に手を引かれた少女の姿を思い浮かべる。あの時はまだ眼鏡をかけてはいなかった。エインセルたち3人の兄弟を前に萎縮した様子で父の手を離そうとしなかったことを覚えている。

「はい。昨日のことのように思い浮かべることができます」
「私にとってのあなたは、より大きな力を得るための手段でしかなかったのかもしれません。私はよい恋人ではありませんでした。コーディネーター排斥運動に私財を投じ、時に研究施設破壊の手引きさえしました。あなたをおいて危険な行動をしたことも指折り数えれば疲れてしまうことでしょう」
「ゲリラとの武器の密売。テロリスト養成所に潜り込んで銃器の扱いを学ぶ。コーディネーター推進派の大臣を誘拐し特殊部隊と一戦交えたとも聞いています」
「あの時肩を貫通した傷はまだ残っています。あなたには、見せるまでもないことでしょう」

 そう、シャツの胸元に片手をかけて開いてみせる。互いに知らないほくろの位置などない間柄にも関わらず、メリオルはまだ恋を知らない乙女のように顔を赤らめ視線をそらす。

「お戯れを」

 妻はずいぶんとかわいらしい。このような女性をおいてまで、10年も前、若かった自分は無謀な行動を切り返していた。ムウとラウ。2人の兄弟とともに。

「そんな私たち3人がブルー・コスモスの過激派と接触するのは時間の問題でした。それまでは金を持て余す御曹司の危険すぎるお遊びでしかなかったことが、私たちが真に戦うべき存在に気づかされたのです。それはプラント。ヴァーリ、そしてドミナントの研究を続けているプラントという国の存在でした。私たちは怒りに震えました。かの国は、なおもこのようなことに手を染め、そして省みることさえない。何度でもより最悪の形で過ちを繰り返そうとしているのだと気づかされたからです」

 だからこそ血のバレンタイン事件は引き起こされた。

「ゼフィランサスという手段を得て、ヒメノカリスという力を得て、プラントを滅ぼすという目的を得た私たちはこの10年を準備に費やしました。ラタトスクを作り、ブルー・コスモスの指導者の地位を得るとともに政治的な影響力拡大に邁進しました。そして始めたのです。誰もが望まぬ戦争を」
「私は、あなた様の助けになればそれこそが喜びです」
「ありがとう、メリオル」

 そして時間が訪れる。ノックの音。そしてスライド式の扉が開かれる。円卓が用意された部屋へとムウが、そしてラウが訪れた。20年前、3人ですべてを始めた。故に、すべては3人で終わらせなければならない。




 世界の帰趨を決するだけの力を持つ男たちの集まりである。その会話の内容は、たやすく危険と秘密をはらむ。円卓を囲みながら。
 ムウは屈託のない微笑みを絶やすことはない。どれほど鋭い刃も装飾の施された鞘に納められていれば芸術品と判断される。
 ラウは仮面を外すことはない。瓶のラベルを剥がしとる。猛毒を、どのように隠そうとその恐ろしさは変わることはない。
 エインセルは穏やかに微笑む。悪魔とは、得てして紳士的である。契約を結び、その魂を奪い取るまでは。
 まず言葉を操るはラウ。

「エインセル、事後承諾の形で悪いのだが、ブーステッドマンを私に預からせてもらいたい。かまわないだろう?」
「もちろんです、ラウ」
「となると俺はどうする? 例の部隊のこともある」
「ムウには先駆隊を結成し、露払いをお願いしたいのです」
「まったく、厄介事押しつけやがって」

 二言、三言。これだけのことで歴史は変えられていく。
 ムウは決して気を張らず、大軍を動かす算段を巡らせる。
 ラウは仮面に笑みを隠して、軍団を一つ手中に納めた。
 エインセルは誰よりも穏やかな表情を浮かべたまま、しかし彼は万軍の統帥権を握っている。

「では、今後の作戦は如何するかね、エインセル・ハンター代表?」
「プラントを守るは、グラナダ、そしてボアズ」

 エインセルの細く長い指先が円卓をなぞり、月面、そして地球。両者の重力が拮抗するラグランジュ・ポイントが描き出される。月面、及び月からプラントの存在するラグランジュ・ポイントへの直線上、この2点に光点が表示されている。
 そして、各宙域から集結しつつある艦隊が略式記号で示されている。
 ムウは指先で描く。地球軍の艦隊をボアズへと向かわせる。そして、ボアズからの攻撃。グラナダからの部隊が地球軍を挟む様子を。

「グラナダを無視してボアズに向かうと挟み撃ちにされる危険性がある。何より、月面に中継基地を維持するためには目の上の瘤だ」

 ラウはさらに艦隊をすすめ、それはボアズを抜けプラント本国にまで達した。

「だが我々には何より時間がない。グラナダを攻めていては致命傷になりかねん。一刻も早くプラント本国にまで攻め上る必要がある」

 両者の意見を勘案し、エインセルは三者が当然のように抱いていたであろう戦略、それを敢えて口にする。

「故に我々は、グラナダを落とす。レコンキスタ。領土奪還のための戦いは、やはりグラナダで終わりを迎えなければなりません」

 図は書き換えられた。地球軍の艦隊が、まずはグラナダへと向けられている。




 無重力の中、アーノルド・ノイマンは飛び上がるなり、戦闘機の上に降り立った。通常の戦闘機に比べれば大型の機体ではあるが、当然のように上を人が歩くようには設計されていない。アーノルドの他、少女2人が立てばそれだけで手狭に思えるほどだ。
 少女の1人、緑の髪を三つ編みに束ねたエピメディウム・エコーは翼の上にまで歩いて移動していた。右腕は包帯で吊されている。重傷を負っているにしては屈託のない話し方をしている様子が印象的であった。

「コスモグラスパー。メビウスの次世代機として開発が続けられた機体です。もっとも、モビル・スーツがメインになるとわかって以来開発予算を削られて、まだ量産が始まったばかりの機体です。おそらくこの戦争には間に合わない、そんなかわいそうな機体です。基本的にスカイグラスパーの宇宙版みたいなものですから、アーノルドさんならきっとすぐに乗りこなせますよ」
「感謝します」
「いいですよ、これくらい」

 塗装の施されていない灰色の装甲。スカイグラスパーと大きく設計が変えられたようには見えないが、機体のところどころに補助ブースターが取り付けられていた。大気の抵抗を借りられない。そんな宇宙戦闘機としての特徴が現れていた。

「ねえ、アーノルドさん、これ色ついてないみたいだけど、何色にするの?」

 肩の乗るもう1人の少女、フレイ・アルスターだ。この少女とは操舵について教える立場にあることから何かと接触の機会が多い。

「特に考えていない。有視界戦闘では視認性の関係上、黒が妥当だと思える」
「黄金などどうだ?」

 上から声がした。こちらもやはり少女が無重力の中をゆっくりと漂い、装甲の上に着地する。カガリ。そう呼ばれていた--正式に自己紹介されたことはない--少女はエピメディウム同様ウズミ・ナラ・アスハ氏の息女であると聞かされている。そうであればこの2人の関係は姉妹にあたるはずだが、エピメディウムはそんな様子を見せない。
 黄金という平気らしからぬ色合いに苦言を呈したのはフレイの方だ。

「金ピカ~?」
「目立つことこの上ない。よほどの勇者か、でなければよほどの馬鹿者でなければできん色だ」

 金色に思うところがあるのだろう。カガリ嬢は明らかに言葉に含みをもたせた。

「色はともかくとして、いいタイミングだよ、カガリ」
「というと?」
「君にも見せておきたいものがあるんだ。じゃ~ん」

 そう、エピメディウムは手元でリモコンを操作する。今気づいたのだが、格納庫の一角が布で覆われておりボタンを押す音とともに布が左右に取り払われた。
 姿を見せたのはGAT-X105ストライクガンダム。ただし色が異なる。ストライクは白を貴重としたものであったが、こちらは赤を主体としたものにまとめられている。そして何より、バック・パックが異常であった。水平翼はともかくとして、大口径のキャノン砲が左右の肩越しに2門伸びている。脇の下に見えるのは鞘に納められた剣。左腕のガトリング砲に加えビーム・ライフルまで装備されている。

「ストライクガンダムを予備パーツやらオーブ製の部品で完成させたんだ。どうかな。バック・パックは通称I.W.S.Pって言う複合装備で、乗せられ得るだけ乗せたって印象だけどカガリの希望にはできる限りそったつもりだよ」
「歩く武器庫じゃないの……」

 フレイの言葉に、アーノルドは静かに頷いた。換装することで無駄な武装をなくし汎用性を高めようとしたストライクガンダムとは正反対の設計思想である。これでは機体のバランスさえ崩してしまいかねないのではないだろうか。
 とうのカガリ嬢は満足げなのだが。

「完璧だな、エピメディウム」

 同時に腕組みし、何かを憂慮しているようでもある。

「もっとも、これでエインセル・ハンターに勝てる保証はないがな……」
「黄金のガンダムだね」
「ああ、異常な奴だったよ。ひどく非現実的で、それなのにそれが恐ろしいものだとはわかる。悪魔の実在を信じていようと信じまいと、誰もがその恐ろしさを知っているようにな。まるで、魔王のような奴だった」

 あの黄金のガンダムの力は。




「アスランさん、シャトルは?」

 医務室のベッドの上、ゆっくりと目を覚ましたジャスミンの横でアスランは座っていた。どうしても上体を起こしている気にはなれず、うなだれたように体を縮こまらせていた。

「駄目だった……」

 最後に地球を脱出したシャトルの一団はすべて撃沈されてしまった。後一歩のところで、彼は二度と故郷に戻ることはできない。

「ジャスミン、俺たちは一体何をしているんだろうな? 地球に攻め込んだ時はたくさんの地球の人を殺して、追い出された時にはたくさんのプラントの民が殺された」
「それがきっと戦争なんですよ、アスランさん……」
「そうかもしれない。いや、そうなんだろう。でも、どうしてもやりきれなくなる。誰も犠牲にならないですむなら、きっとそれが理想的なんだと思う。でも、何度考えても……、どうしても、戦争を終わらせることも何かを犠牲にしないですませる方法も思いつかない」

 ジャスミンが寝たままでは話しにくいと考えたのか上体を起こした。今のジャスミンはバイザーをつけていない。ラクス・クラインと同じ顔をして赤い髪の少女は焦点を定まらない目をしてアスランの方を向いた。

「そんな方法、本当にあるんでしょうか?」
「わからない……。もしかしたらないのかもしれない。だとしたら、俺は一体何を犠牲にすればいいんだろうな?」

 犠牲が必要だと言うのなら、どうすれば必要最低限の犠牲ですませることができるのか教えてもらいたい。犠牲そのものを犠牲を支払うことの免罪符にだけはしたくない。かつて地球で、プラントのために家族を犠牲にされた男性に出会ったから。

「アスランさん……、もしかしたらクルーゼ隊長も、私たちとは違うものを犠牲にしているだけなんでしょうか?」
「あの男は非戦闘員さえ殺したんだぞ!」

 思わず怒鳴りつけたことで、ジャスミンは怯えたように体をすくませてしまった。すぐに謝り気にはなれない以上、気分が自分では抑えきれないほど高ぶっているようだ。乱れた息を深呼吸で無理矢理整える必要があった。

「それはプラントでも同じことだな……。ジャスミン、フラガ大尉のことを覚えてるか?」
「はい。地球軍にスパイとして潜入している人だって……」
「あの人も、地球軍のパイロットとして俺たちの前に立ちふさがったよ」

 ジブラルタル基地の防衛隊はフラガ大尉にことごとく殲滅されてしまった。ジャスミンの言葉を借りるなら、彼らはプラントの民を犠牲にして地球を救おうとしている。ザフトが地球を犠牲にしてプラントを救おうとしているように。どちらも何も変わらない。自己の利益のために他者を犠牲にしているだけだ。アスランには、どちらも納得できないでいる。

「嫌な相手だった。こちらの努力も力もすべて一枚上手で乗り越えてきて、まるで宿命か何かのように死を強いてくる。死神がもしいるなら、きっとあんな姿をしてるだろう。そう思わせてくれた」

 あの赤銅のガンダムの戦い方は。




「それがヴァーリだ」

 どう説明したものか、イザークにはわからないでいた。格納庫でミルラ・マイクと名乗る女と出会い、現在はキャット・ウォークの手すりに寄りかかる形で2人並んでいる。問題は聞かされた話だ。ヴァーリ。26人もの姉妹のお話を粗方聞かされてしまったらしい。

「そんなことをどうして俺に話す?」

 ミルラは飄々としている。

「聞かれたからだ。それに私も君に興味がある。君が戦った、例の白銀のガンダムは何者だ?」
「俺が知るはずがないだろう」

 ビームを弾くユニットを備えたラウ・ル・クルーゼの機体。そんなことくらいしかイザークには知る術がない。ジブラルタル到着まで一部隊の部隊長を務めていただけの一兵卒なのだから。
 それが何の因果かガンダムに乗せられている。
 イザークは遠く離れたジャスティスガンダムを眺めていた。ミルラは手すりから半身乗り出してそんなイザークの顔をのぞき込む。

「では戦闘の経験でかまわない」
「夢にでも出てきそうな相手だった。奴のユニットはビームを弾く。実弾なら効果があるのかもしれないが、このご時世、今更ビームを手放すことができる奴もいないだろう。あっという間に取り囲まれて、後はあらゆる方向から攻撃がくる。もがいても抜け出せない。そんな、悪夢の中の怪物だ」

 例の白銀のガンダムの姿には。




 決して広くはない部屋である。その部屋の大部分を巨大なモニターが占め、サイサリス・パパはその前に座っていた。白衣を通した腕が、気だるげにコンソールを叩く。
 モニターに現れるのは白銀のガンダム。ジブラルタルを脱出したザフト軍の船団に襲いかかり、これをことごとく撃沈してしまった。射出された独立機動兵器は、大西洋連邦軍のTS-MA2.mod.00メビウス・ゼロが搭載するガンバレルと呼ばれるものにコンセプトが似ている。複数の独立兵器を運用できれば1機で敵を取り囲むこともできる。それは、逆を言えば1人で複数の視点を同時に処理することでもある。
 続いて赤銅のガンダム。ジブラルタル基地を強襲した機体である。バック・パックに武装を集中する機構はストライク、ジャスティスと共通する。残された映像からは多様な武装を使いこなす技術以上に、時折人間に耐えられるのか疑わしいほどの機動を繰り出している場面が見受けられる。
 最後は黄金のガンダム。大きな機体だ。約25m。通常の1.5倍ほどもの大型の機体を完全に制御している。8本ものビーム・サーベルに機動力に優れているはずのGAT-X303イージイスガンダムさえ翻弄する性能を、このパイロットは扱いこなしていることになる。
 こんなことができる人間を、サイサリスは知らないでいた。
 操縦できる人間がいないのであればどれほど高性能な機体を作っても意味はない。マン・ポイントだとか呼ばれる、技術力、時間、予算、必要性、量産性、挙げれば切りのない制約の1つである。
 人が扱えないものを作る意味はないのだ。そして、量産機の多くは平均的な人間が扱えるように調整されている。サイサリスもそうして来た。この観点から鑑みたなら、軍事兵器というものは世界で最もお粗末な武器だということになる。誰にでも扱えるものでしかないからだ。
 しかし、それこそが兵器なのである。どれほど高性能であったとしてもガンダムのように扱える人を限定してしまうようなものは兵器とは呼ばない。呼べるはずがないはずなのだ。
 だから考えもしなかった。もし仮に人の枠をはみ出てしまうほどの人がいるのだとしたら、そんな人を基準として機体を作ったとしたら。それはどんなに化け物じみた力を有するモビル・スーツになるのだろう。
 荒唐無稽な前提に則った絵空事のガンダム。
 そう、いつものことだ。ゼフィランサスの周りにばかり条件、材料が集まる。
 ガンダムなど、あれが何になる。多大なコストを必要としながら、パイロットを選び、戦況を左右できるはずもない機体。量産機の方がよほどコスト・パフォーマンスに優れ、戦いを支配する主役である。それなのに、量産機はまるで実験機の劣化版のように扱われる。それも全部ゼフィランサスのせいだ。大西洋連邦ではまずガンダムが開発され、それを簡易量産される形でデュエルダガーは開発され、ザフトで量産が進められている新型も結局ガンダムの技術が使用されている。
 サイサリスはコンソールに腕を荒々しく叩きつけた。

「ゼフィランサスは……、ゼフィランサスはいつも私のことを馬鹿にする!」

 派手な機体しか作れないくせに、金食い虫しか用意できないくせに。叩きつけた腕に頭を乗せるように突っ伏す。ゼフィランサス・ナンバーズには間違いなく核動力が搭載されている。では、ゼフィランサスはどうやってプレア・ニコル--ニュートロン・ジャマーを無効化する装置--のデータを持ち出せたのだろう。
 データのコピーは禁じられている。いくらゼフィランサスでもあれほど膨大なデータを再現することは難しい。仮にコピーできたとしても確実に記録として残り、それを国外に持ち出すことは難しいはずだ。
 考えてみると、何のことはない。データは1度コピーすることが許可されている。それは、プレア・ニコルが国外に持ち出された時、データ保全のためにサイサリスが予備の名目で依頼して、そのデータを利用する形でフリーダム、ジャスティスを完成させた。
 データをコピーすれば記録に残る。しかし、コピーされたデータをコピーしても記録には残らないのである。
 そもそも、ゼフィランサスは何故核動力搭載機など造ったのか。最初は講演会で発表されたミノフスキー粒子の応用例でしかなかった。しかしビーム兵器を搭載する量産型モビル・スーツの運用には多大な電力が必要と判明し、核動力は一気に現実味を帯び始めた。そこに、国防委員長でもあり、現プラント最高評議会議長であるパトリック・ザラがユーリ・アマルフィ議員に命じてプレア・ニコルのデータを譲渡させた。もしもゼフィランサスが核動力搭載機のアイデアを出していなかったとしたならプレア・ニコルに触れることさえなかっただろう。
 そして、ビームという機構そのものも、ゼフィランサスが造り上げたガンダムに由来する。
 すべてが繋がっている。最初から、最後まで。
 どんな手品もわかってしまえばつまらない。サイサリスは口を押さえて笑い始めた。こうでもしないと笑い転げてしまう。それでも、結局堪えきれずに大きく体を仰け反らせた。そして、突然、笑っていることに飽きた。

「……そっか、ゼフィランサスにはみんなわかってたんだね……。みんなわかってて……、私のこと、馬鹿にしてたんだね!」

 立ち上がって、目に付く物を叩く。手がとても痛んだが、そんなことに構ってられない。

「先に進んで高い場所にあがって! 手を差し伸べて悦に浸ってぇ!」

 出し抜いたつもりだった。データさえあれば、条件さえ同じなら同等以上の性能の機体を造れるつもりだった。手からは血さえ滲んでいる。

「フリーダムじゃ駄目? ジャスティスじゃ勝てない?」

 暴れている最中、足に力を入れてしまった。体が浮き上がり、なすすべなく体が反対側の壁へとぶつけられる。大した痛みではないにしても、暴れる気は失せてしまった。突然糸が切られてしまった操り人形のように、サイサリスは動きを止めた。無重力の中漂いながら膝を抱いて、体を小さくする。

「でも、でもね、ゼフィランサス。教えてあげる。お父様が本当に必要としているのは、この私なんだってこと……!」




 ディアッカ・エルスマン。タッド・エルスマン議員をその父に持つこの男は白い軍服に身を包んでいた。何故か着慣れつつあった大西洋連邦の軍服ではない。ザフト軍のもの。それも隊長が着ることを許された白の軍服である。
 ディアッカは扉の前で簡単に身繕いをした。特に堅苦しい現場に乗り出す訳ではないが、最初の印象というものは大切だ。腕を後ろに組んで特徴的な歩き方をして、老獪な司令官を演出してみようか。そんなことしても失笑を買うだけに決まっている。仕方なく、ディアッカは普段と何ら変わらぬ様子で扉を開けた。
 スライド式の扉が開き、格納庫へと足を踏み入れた。待ちかまえているのはアーク・エンジェルのクルーの面々。主立った者ばかりではない。整備士の最後の1人に至るまで集められ、弧を描くように座っている。ブリッジ・クルーは椅子に座っていたが、途中から足りなくなったのだろう。大半の人物は資材などの上に腰掛け、そして全員がディアッカのことを見ている。弧はディアッカの側で切れており、そこに座れとばかりにお誂え向きの椅子が置かれていた。
 座って、まず肩をすくめてみせる。最初に話しかけてきたのはフレイだ。

「馬子にも衣装っていうのは本当ね」
「それ、ほめ言葉じゃないって知ってるか?」

 少なくとも隊長のみが着ることを許されるこの服が似合っていないとまでは言われなかっただけよしとしておこう。
 続いてこの艦の代表であるナタル・バジルール中尉--すでにあまり意味のない階級だが--がディアッカの正面から声をだす。

「しかし君がまさか最高評議会議員の子息であったとは知らなかった」
「キラやあのムウのおっさんは知ってたみたいだが、俺の親父はタッド・エルスマン。正真正銘議員様だ」
「話には聞いたことがある。中道派の議員で、確か法務委員会の代表でもあったように記憶している」

 アーノルド少尉のこと名は正しい。

「俺にはただの変人だけどな。ニコルの親父さんは我が子を亡くしたあまり急進派に転向したって言うのに、こっちはそのまま。家に帰っても、何だ、帰ってたのか、だったしな。俺はどこの家出息子だよ」

 集まった人たちの中で多少笑いをとることはできたが、広がることはなかった。それよりも先にキラが表情一つ変えないまま言った。この男は一見優男のようだがおそらくこの中で一番の武人肌だろう。

「ディアッカ、そろそろ結論を聞かせて欲しい」

 余計なおしゃべりはできないらしい。ディアッカは上着の内ポケットから親書を取り出した。量子コンピュータが電子があるだのないだの騒いでる時代に、なんと手書きの紙だ。

「第3師団機動隊、要するに遊撃隊のポストに無理矢理入れてもらった。ザフトはその辺緩いからな。まあ、民兵の集まりだ。まだそれぞれで市や町を守っている気でいる。俺たちはタッド・エルスマン議員の新任を受けた部隊として傭兵の扱いでザフトに参加できる。だが、本当にいいのか?」

 ここにブリッジ・クルーやパイロットはおろか、この船に乗っている人員すべてが参列しているのは、それだけ重要な話があるからだ。

「大西洋連邦を抜けたのはまだともかく、ザフトにつくとなるともう国には戻れなくなるかもしれない。オーブが安全とは限らないがよほどの理由がないならこれまで戦ってきたプラントのために戦う訳にはならないだろう」

 やはりざわついた。人々は顔を見合わせている。もっとも、誰もが誰彼かまわず顔を見ているという訳ではない。親しい人の顔をうかがう人が多く、観察しているとだいたいの人間関係が掴めるような光景だ。特に、フレイがアーノルドのことを見ていたことに気づいた。師匠を頼る弟子か、それ以上かはわからないが。キラはまったく動じた様子はない。当然だろう。ただ、アイリス・インディアもまた、強い眼差しとは言えないまでもディアッカから視線をそらそうとはしない。それぞれ、思い思いの考えがあるのだろう。

「ここで一度はっきりとさせておこう」

 本当に国を捨て、ザフトにつくのか。それともオーブに残り戦争の行く末を見守るのか。女のこと以外で悩むことのなさそうなキラは、やはり悩みをいっさい見せない。

「僕は……」
「聞かなくてもいい。どうせゼフィランサスを探しに1人でも戦争に飛び込むつもりなんだろ」
「よくわかったね」
「少しずつわかってきたからな」

 何だかんだこいつとは数ヶ月のつきあいになる。簡単な略歴聞かされただけでも、普段の様子からでもどんな価値観に準拠して生きているのかくらい簡単にわかる。キラにしても言葉ほどは驚いていない。軽く笑っていた。

「ゼフィランサスは戦いのある場所にしか居場所を与えられないできたんだ。だから、ゼフィランサスを探すため、僕も戦場に行く」
「ディアッカさん、私もそうしたいです。この戦いがどうして始まってしまったのか、どんな終わりを迎えるかなんてわかりません。でも、私たちヴァーリが関わってる戦いですから」
「私も行く。アイリスを1人置いてくことなんてできないからね」

 アイリスにフレイ。ナタル艦長がアイリスたちを置いていくはずがないだろう。聞く方が野暮というものだ。
 ただ、同時に整備の方から何人ずつか静かにこの場を歩き去っていく。彼らの決めたことだ。無理に引き留めるよりは静かに送り出すべきだろう。ディアッカは立ち去る人々を見送ることなく、ただこの場に残っている人々の様子を見ていた。たとえば、古参--まだ若いが、アーク・エンジェルの正規のクルーのことだ--の2人のこんなやりとりがあった。

「君はどうする、アーノルド?」

 ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世。男性クルーが脱落、転籍するなどして女性ばかりになってしまったブリッジの中で副艦長として艦を支え続けるいぶし銀の男性だ。薄いサングラスの奥から隣に立つアーノルド少尉に問いかけていた。
 ただ、アーノルドに気づいた様子はない。手元のマニュアル本に視線を落としていた。表紙を見るに、新型の操作手引き。戦いから降りるのであれば必要のないものだ。

「ああ、すまない。聞いていなかった」
「いや、何でもない……」

 何にせよ、見知った顔は全員残ることになりそうだ。
 ばらばらと離脱者が出ていたがそれもやがてなくなる。離れていく足音が聞こえなくなると、人々の弧は、さして大きく変わっているようには見えなかった。

「降りるなら今のうちだぞ。その方が互いにとって楽にすむはずだ」

 だが、これ以上ここを離れようとする人は見あたらない。

「今のところ大丈夫みたいだけど、オーブが脱走兵の引き渡しなんて始めないとも限らないから」
「そうそう。オーブもプラントも大して変わらないわよ」
「それにこの戦争、今更無関係ですっていうのもどうかと思うし」

 クルー3人娘はいつも必要以上に元気がいい。アサギ・コードウェル。ジュリ・ウー・ニェン。マユラ・ラバッツ。まだ名前と顔がなかなか一致していないが、次までには覚えることにしておこう。
 結局、10人前後が艦を降りることにしたらしい。100名にも満たない人物で動かされるこの戦艦の中でそれが多いか少ないかはわからないが、少なくとも、ディアッカが予想したよりも少ないように考えた。

「思ったより残ったな……。よし、決まりだ」

 大西洋連邦軍、オーブ軍、ザフト軍。何とも忙しい戦艦だが、残ると決めたクルーたちからは不思議と悲壮感のようなものは感じられない。ブリッジ・クルーたちはヴァーリに触れた人が多い。せめてこの戦いの行く末を見届けたいという覚悟のようなものが感じられる。それぞれがそれぞれ、これからの戦いについて話を始めた。
 整備士たちは、何と言うか、あまり心の機微というものが見えない。部長であるコジロー・マードックなんてその最たる例だろう。見てみると資材の上で昼寝をしていた。特に強烈な意志の類は感じられないが、惰性で流されている風でもない。何とも不思議な人種だ。

「書類上、モビル・スーツ部隊の指揮は俺がとる。特にキラ、一応言っておくがあまり勝手な行動はするな」
「ああ、一応覚えておくよ」
「ったく」

 ディアッカ自身、キラがおとなしくしていられるとは考えていないのだが。
 このやりとりを見ていたせいではないのだろうが、アイリスが何故か笑っている。

「捕虜から隊長なんてすごい出世ですね、ディアッカさん」
「ああ、まったくな」

 本当に、人生というのはわからないものだ。
 ナタル艦長がディアッカの前に立ち、すると、この場の全員の視線が再びディアッカへと集められた。艦長、及び部隊長の初めてのやりとりに誰もが注目している。

「エルスマン隊長、我々はまず何をすればいい?」
「月面グラナダに入る。後は、地球軍の動き次第だ」

 残念なことに退屈することはできないだろう。すでに地球ではパナマ、ジブラルタルを中心として戦略物資の打ち上げが始まっている。地球は宇宙戦力を着々と拡充している。
 戦いの舞台は、すでに宇宙へと移されていた。



[32266] 第38話「夢は踊り」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:12
 月面グラナダ。地球より反対側、賢者の海に設営された要塞都市である。C.E.67年の開戦当初、快進撃を続けたザフト軍は月面の半分を占拠。ユーラシア連邦の所有していたグラナダ基地を接収、増設する形で巨大な要塞を作り上げた。
 クレーターに蓋をしたかのような外観はユーラシア連邦時代から変更されていない。しかし内部構造は大きく変更が施されている。軍事施設としてばかりではなく居住性を高める再設計がなされたこの要塞はプラントと地球とを繋ぐ玄関口の役割を果たしていた。
 太陽光を直接取り込む開けた天井には硬質ガラスが幾重にも張られ、紫外線の緩和、魚類の養殖場を兼ねた巨大な水槽が天井には埋設されている。太陽の光は月面の地下に地球と変わらぬ光を降り注がせていた。大西洋連邦の古都を模して作られたこの街は、その中央に風光明媚な自然公園を置き、その周囲をビル群が取り囲む。外周には水が張られ、奇妙な形状をしたザフト軍の宇宙戦艦が何隻も浮かべられていた。
 兵器庫と街を分け、中央には憩いの場を配する。単なる要塞ではなく、プラントの国民の生活の場として設計されたこの街はプラントの国民性を現していると言えた。本国であるコロニーは強度を優先する密閉型ではなく開放型。どこか優雅さを求める国民なのである。
 そして、この街はグラナダ陥落に伴いもう一つの顔を見せ始めていた。
 月と地球。その距離、実に30万km。その間、いくつかのラグランジュ・ポイントのコロニー群を除いてあとは虚空が続く。あまりに分子密度さえ乏しい無の砂漠が続くのである。
 ザフト地上部隊はアラスカへの奇襲を部隊戦力の大半を失する形で失敗。最大規模の基地であったジブラルタル基地は地球軍の猛攻によって陥落。残されたのは30万kmの荒野の果てにある月、そしてグラナダなのである。地上での敗北。それはすなわち、戦線が一時に30万kmも移動したことを意味した。人類史上空前絶後の戦況の変化である。
 グラナダには、自動的に最前線の基地の称号が与えられた。
 プラント本国を守るボアズ、ヤキン・ドゥーエ。そして、本国への道を閉ざすグラナダ。ここ、グラナダにはホワイト・ファング、白い牙と呼ばれる守護者がいることで知られている。卓越した作戦指揮によって最前線に出ながらもただの一発たりとも放つことなく敵を殲滅せしめる手腕から、その牙は一度も血で汚れたことがない、まさに白い牙の持ち主だと賞賛されたエース・パイロットで知られているのである。
 ここはグラナダ。白い牙に守られた、ザフト軍最後の占領地であった。




 立ち並ぶビル群は細い路地を入り組ませ雑多な光景を生み出していた。それぞれのビルが大型のゴミ箱、室外機、あるいは非常階段、人目につかせる必要のないものを路地に集め、それが二つとして同じもののない混沌とした路地を作り出している。このような人目につかない路地の中を、か細い吐息が通り過ぎていく。
 それは少女であった。赤い瞳、白い髪をふわりと浮かせながらその吐息は荒い。漆黒のドレスのスカートを掴み上げて、息を切らせながら走り続けている。月面の低重力の中でさえ決して鍛え上げられた足運びではない。速い動きではなかった。時折息を切らせては立ち止まり、少女はその胸を押さえた。立っていることがやっとなのだろう。胸を押さえ、苦しげに息をしたまま動こうとはしない。
 しかし、音がした。革靴の固い靴底がアスファルトを強く叩く音。一つ、二つではない。
 少女は足を引きずるように、それでも歩いてその身をコンテナを思わせるほども頑丈なゴミ箱の後ろへと隠した。
 やがて遠ざかる足音。しかし少女はすぐには動き出せずにいた。胸に手をあてたまま、少しずつ、わずかずつ呼吸を整えていく。借り物の心臓はゆっくりとその鼓動を落ち着かせていった。




 黒塗りのハマーのボンネットに背を預け、レイ・ユウキはただでさえ朴念仁、無愛想、むずかしい顔だと言われることの多いその眉をさらにつり上げていた。
 それほど、今回の仕事は厄介なことが多い。難しい仕事の類ではない。難しいなら難しいなりに虎狩りにでも出向くつもりで自身を奮い立たせることもできるだろう。相手が見知った相手だということも、猟犬の嗅覚を鈍らせていた。
 公安職員ともあろう者が甘いものだ。そんな感覚が、レイの顔を険しいものにしていた。通信機から聞こえる、聞き慣れていない者には判別のしずらい独特の音を、レイは正確に把握する。

「引き続き周囲を探せ」

 通信から、やはり聞き取りずらい声で了承の返事があった。
 部下たちもやりにくさを感じているのかもしれない。普段に比べ動きが鈍く、要領を得ない。すぐ隣に立つ全身黒いスーツ姿の部下など、手にした写真--手のひらに隠せてしまえるほど小さなものだ--を先程から眺めたきりである。

「レイ部長、本当にこんな小娘がプレア・ニコルのデータを流出させたのでしょうか?」
「人は見かけによらないものだ。事実、地球軍のモビル・スーツには核動力が搭載されている。プレア・ニコルがなければできないことだ」
「部長は会ったことがあるとお聞きしますが?」
「ああ……」

 思い出すのは、プレア・ニコルが最初の流出の危機を迎えた話だ。ゼフィランサス・ズール技術主任の部下であった研究員、プレア・レヴェリー--名前の由来の一つである--がプレア・ニコルの搭載された機体を持ち出し、その調査に当たったのがレイであった。その際、まずゼフィランサス主任の関与を疑い、一時拘留している。その後の調査で無関係と判明し、主任は釈放された。その調査は何ら間違っていない。事実、事件はプレア・レヴェリーの犯行であり、少なくともこの件に主任は関わっていなったのだから。
 同時に別の事件を計画していたとは気づきもしなかったが。

「別件でな。あの際はことなきを得たが、うまく裏をかかれた。ザラ議長はたいそうご立腹だ。今後の査定を気にするなら小娘と侮らないことだ」
「了解」

 部下はレイの下を離れて歩き出す。レイもまた、車からその背を離した。
 コピーを許可されたデータをコピーし、プレア・レヴェリーを追とともに国外へ渡航する機会を得る。一体どこまで計画ずくのことかはわからないが、ブルー・コスモスはまんまとプレア・ニコルを手に入れたことになる。
 その事実はさらにレイの眉間にしわをよせさせた。

「ザラ議長に失点が積み重なることは構わないが、今回ばかりは事が大きすぎる……」

 誰に聞かせてよい訳でもない言葉は、よって誰に聞かせることもなかった。




 グラナダは月の重力を緩和するため、戦艦を水に浮かべて停留させておくようだ。波止場から眺める白亜の戦艦、アーク・エンジェルの様子は、地球の港と何も変わっていないようにも見えた。もっとも、岸にあたった波が地球ではなかなか見られないほど高く水を跳ね上げ、ゆっくりと戻っていく光景は月面ならではだろう。
 フレイ・アルスターは港をアーノルド・ノイマンと一緒に水辺を眺めながら歩いていた。

「低重力でもやっぱり重力下での着地って緊張しますね」
「いや、見事な操舵だった。私が教えて上げられることはもうなさそうだ」
「そんなことありませんよ。もっといろいろ教えてもらわないと」

 アーク・エンジェルの操舵手としてそろそろ板についてきたと思う。それでもアーノルドに技術で勝てるとは思えないし、まだまだ教えてもらいたいことがある。それはフレイにとって嘘偽りのない気持ちだった。両親を亡くして、自暴自棄になった時、アイリス・インディアは決してフレイのことを見捨てなかった。そしてこのアーノルドも支えてくれようとしていた。
 頼りになる大人の男性。並んで歩くと見上げてちょっと首が痛くなるのも悪くない。
 軽いデート気分。それを台無しにする甲高い音が聞こえた。見ると、フレイの足下に空き缶が転がっている。明らかに狙って投げられたものだ。見ると、堤防の上に座っているザフト兵たち--今はフレイもザフト兵だが--が数人、こちらのことを見ている。あからさまに睨みつけている。空き缶を投げたのもこいつらだ

「ちょっとあんたたち!」

 怒鳴りながらザフト兵に近づこうとすると、アーノルドもついてくる。

「フレイ……!」
「アーノルドさん、こいつらわざとしたのよ!」

 怒ってもいいはずだ。当てるつもりがあったのかどうかは別にして、露骨に喧嘩を売られたのだから。
 ザフト兵たちは堤防を降りていた。まだほんの少年ばかりが2、3人。どいつも軽薄そうな顔をしている。たぶんリーダー格は真ん中の少年。如何にも虚勢だけで生きてきましたって顔してフレイのことを見ていた。

「お前たち、あの戦艦のクルーだろ」
「そうだけど、何か文句でもあるの?」
「あの戦艦がモビル・スーツを運ばなきゃこんなことにはならなかった。そのくせ国を追い出されたら今度は仲間です、一緒に戦ってくださいってか? ふざけた話だとは思わないのか!?」

 要するに、お前たちを仲間と認めたくない。そういうことだろう。

「戦争ってそういうもんでしょ。言っといてあげるけどね、自分だけが被害者なんて考えてるとろくな目に遭わないから覚悟しときなさい!」
「何だと!?」

 少年の手がフレイの胸ぐらに伸びようとして、これにはさすがに怖くなって体を引こうとする。少年の手は、フレイのすぐ後ろにいたアーノルドによって掴みとめられた。アーノルドは無言のまま少年を睨んでいた。すぐにでも殴り合いが始まってしまいそうな、そんな感じだ。
 どうしていいかわからない。アーク・エンジェルから人を呼んできた方がいいのだろうか。それでも、変に動くと少年たちを刺激してしまいそうで決断できない。後ろの少年たちもどう動こうか決めかねているようだった。

「そこまでだ、馬鹿者」

 堤防の上にまだ残っていたザフト兵がいた。寝そべっていた体を起こして、歳は少年たちよりも少し上に見える。軍服は白くて、確かザフトでは部隊長の着る服だ。
 少年はアーノルドの手を振り払い隊長へと向き直った。

「でも隊長、こいつらに何人の仲間が殺されたと思ってるんですか?」
「気がたっていることはわかるが、余計な問題を増やすな」

 少年に納得した様子はない。隊長は堤防の上に腰掛けたまま、面倒くさそうに髪をかきあげた。

「命令だ」

 この言葉は効いたのだろう。少年は仲間たちと嫌々ながら歩いていく。時々フレイたちの方を振り返っては苦々しそうな顔をしていた。
 隊長は堤防から降りた。

「すまないな。ジブラルタル陥落でここは自動的に最前線だ。兵たちは気がたっている。俺はラスティー・マッケンジー」
「アーノルド・ノイマンと申します」
「フレイ・アルスターです。その……」

 名乗っても、隊長は決して握手の手を差し出してくることはなかった。このフレイの違和感は残念ながら間違いではなかったらしい。隊長の表情は決して友好的とは言えないものだったから。

「俺も本音ではあいつらと変わらない。お前たちの戦艦の活躍のせいでザフトが窮地に追い込まれたのは事実だからな。たとえ、国力に劣るザフトがいずれは逆転されることが頭ではわかってたとしてもな。あいつらほどじゃないにしろ、今更仲間だと言われても釈然としない奴も多い」
「あなたもあいつ等と同じってこと?」
「納得している奴もいる。そうでない奴らは理解して自分を落ち着かせているか、理解もしないが行動にはでない奴、あとは理解もしないで行動に移す奴の3つだ。これだけは言っておく。もうこんなことを起こさせるつもりはないが、お前たちもあまり目立つことはしてくれるな。それだけだ」

 言い捨てるように、隊長は少年たちの行った方向へと歩き出した。結局、隊長としての職務を優先しただけで、個人としてはフレイたちのことをよく思っていないのだ。どう考えるべきかわからないけど、少なくとも不快な感じは完全に消えてはいなかった。どうしても瞼のあたりに力が入ってしまう。

「何となくわかってましたけど、やっぱり私たちってどこにも居場所ないんですね」
「国を捨てるとはこういうことなのかもしれないな。それでどうしようか?」

 聞かれているのは、本当は街にでかけてみようと考えていた予定について。
 フレイは小さくため息をついた。

「今日はやめておきましょう。おとなしくしてろって言われたし。でもごめんなさい。オーブの時はスパイのまねごとみたいなことしちゃって、今回も今回で。せっかくお誘いいただいたのに」

 オーブでは街の案内を頼まれて、それでも、ゼフィランサス・ズールの姿を見つけて追いかけた。するとモビル・スーツの戦闘に巻き込まれて案内どころではなくなってしまった。今回はその埋め合わせができると考えていただけに残念。
 ところが、アーノルドは少し違った顔をしている。眉間にしわを寄せて口元に手を。落胆しているというより、考え事や悩み事があるような顔だ。

「オーブでは君が案内してくれると?」
「え、でもアイリスがアーノルドさんが案内して欲しいって……」
「私もアイリス軍曹から君が……」

 矛盾する二つの事実が、1人の人物によって繋ぎあわされていた。
 潮風のない港。軽い重力が体を動かしやすくする。フレイは地球上ではあり得ないほど早い動きでアーク・エンジェルの方を睨みつけた。

「あいつ!」

 今、あの艦には話題の人物がくつろいでいる最中だろうから。




 アーク・エンジェルのは人生の数奇さを教えられることが多くある。少なくともディアッカ・エルスマンにとってここほど異常な体験をさせられた場所は他にない。たとえば、食堂兼ねた休憩室で同じ顔をした3人姉妹とテーブルを囲むこととか。
 艶やかな黒髪を腰ほどまでのばしたヴァーリはいかにも剛胆と言った様子で腰掛けている。赤い軍服を身に付けていて、ということはパイロットであるのかもしれない。そういえば新型のテスト・パイロットをしていたとか言っていただろうか。

「私はミルラ・マイク。Mのヴァーリで、彼女は一つ上の姉でジャスミン・ジュリエッタ。覚えているかな、アイリス?」
「はい、もうほとんど」

 テーブルにはディアッカとミルラの他、桃色の髪のアイリス・インディアと赤い髪のジャスミン・ジュリエッタもついている。特にジャスミンはかつての同じ部隊の同僚だが、ヴァーリだということは知らなかった。もっとも、ディアッカの知っていることなどごく限られた範囲のことでしかないのかもしれない。ミルラが次々語っていることは、とにかくわからないことが多い。

「お父様は君たちの記憶を封印、正確には思い出さないよう厳命していたはずだが、君がこうして思い出しているところを見ると忠誠心の弱い君を放出したお父様のお考えは正しかったことになるのだろうか?」

 正直ついていける気がしないので、ちょうど向かいに座っているジャスミンに小声で話しかけた。

「ジャスミンもヴァーリだったんだな」
「いつもバイザーつけてましたから。気づきませんでした?」
「無理言うな……」

 ジャスミンは今もバイザーをつけている。言われてみれば口元の印象は似ている気もしないではないが、これで理解しろとは無理な話だ。
 ミルラは話を続けている。

「さて、私は回りくどい話し方は苦手としている。単刀直入に話に入らせてもらうことにしよう。アイリス、君は第3研の出身で、君は2人の姉がいて、その内の1人はラクス・クライン、そう、以前はガーベラ・ゴルフと呼ばれていて、もう1人の姉はヒメノカリス・ホテルだった。3人は仲睦まじい姉妹だった訳だが、私もユニウス・セブンでは3人そろって歩いている姿を何度か……」
「どこが直球ストレートなんだよ?」

 さすがに横やりをいれても許されるレベルだろう。ミルラは笑っていた。

「アイリス、君にはヒメノカリス・ホテルという姉がいる。ヒメノカリスは、エインセル・ハンターの元にいるそうだ、ブルー・コスモスの代表の」
「知ってます」

 そう言ってアイリスが取り出したのは封筒に入れられた手紙。

「カルミアさんからいただいたお手紙にもそうありました。それに、エインセルさんがヒメノカリスお姉ちゃんを連れてるの、見てますから」
「君は思ったよりも世界の中心に近い位置にいるようだな」

 さて、カルミアとは誰のことだっただろうか。名前からしてKのヴァーリだろうか。
 ジャスミンまでディアッカのことを蚊帳の外に置こうとする。

「でも、私たちヴァーリはお父様には逆らえません。それなのにヒメノカリスがエインセル・ハンター代表に従うなんて矛盾してませんか?」
「ああ、ちょっと待ってくれ。せめて俺にもわかるように話してくれないか?」

 ミルラというヴァーリは、どうも上から目線とまではいかないが妙にディアッカを見くびった話し方をする。何というか、年下扱い--実年齢はディアッカの方が上のはずだが--されている気分だ。

「ディアッカ、元々私たちヴァーリには幼少期に記憶を捏造する形で洗脳が施される。私の頭の中には、お父様との大切な思い出がいくつもしまわれている。もっとも、そのどれも事実ではないのがな。それを知っていながら、それでも私たちはお父様には逆らえない」
「ヒメノカリス姉ちゃんはその洗脳がいきすぎて、お父様への愛で心のバランスを欠いてしまうほどでした。そんなお姉ちゃんを、お父様は決して認めてくれませんでした……」
「お父様が認めてくれないから安定を欠き、安定を欠いているから認めてもらえない。典型的な悪循環だ」

 アイリスに続いてジャスミンさえ訳知り顔で話そうとする。

「こんなこと、言っちゃだめだと思いますけど、正直、生きてるなんて考えてませんでした。ユニウス・セブンで亡くなったか、そうでなかったとしても長くはないんだろうなって、そう考えてました」

 何にせよ、ヴァーリという奴は少々普通ではないらしい。記憶をいじられるディアッカならごめんこうむりたいところだが、気質もあるのかもしれないが、特にミルラなどあっけらかんとしている。

「アイリス、君が知っているならもう結構だが、彼女がエインセル・ハンターにつき従う以上、刃を交えることもあるかもしれない。その覚悟だけはしておくことだ。私たちヴァーリは所詮道具だ。エインセル・ハンターもその点はよく理解している。ヒメノカリスを戦わせているようだからな」

 いくらプラントでも人を道具として扱うことは許されないはずだ。まして、そんな境遇を受け入れている存在というのは違和感を禁じ得ない。
 アイリスと出会った時、コーディネーターについて尋ねられたことがあった。懲罰房の扉越しに、ディアッカはプラントの一般論を語った。今思えば、軽い発言だったと思う。そのことを、アイリスはどのように考えているのだろう。
 見ると、何故かつい先程まで座っていたはずのアイリスの姿がなかった。忽然と消えている。

「……リスー」

 その原因は、ディアッカには聞き取ることができなかった、この遠くから聞こえてくる声だろう。近づくに連れてこの声がフレイのものであることアイリスのことを呼んでいることがわかる。

「アイリスー!」

 ちょっと友達を探している風ではない。明らかに怒った声だ。
 さて、肝心のアイリスはどこに行ったのか。何故か足にむずがゆさを感じた。ズボンをテーブルの下から引っ張られているらしい。見ると、下に潜り込んだアイリスがディアッカの足の間にいた。

「あの声の出し方は危ないパターンです。私、隠れてます。口裏あわせてください……」
「ああ……」

 アイリスの微妙な位置にちょっとどきどきさせられたのは秘密だ。
 足音、月面であるため、走るというより跳ねるような音がしてフレイが食堂の入り口に顔を見せた。このテーブルからでは位置が遠く、アイリスの姿は見えていないようだ。
 ディアッカを見つけたフレイは声を大きくする。

「ディアッカ、アイリス知らない?」
「あ~、格納庫の方にいたぞ」

 フレイはどんどん近づいてくる。テーブルは下を隠すものがテーブルと座る人の足くらいしかない。あまり近づかれるとばれる可能性が高い。できるなら早めに追い払ってしまいたかったが、フレイは顔をしかめた。

「格納庫の方から来たんだけど?」
「……きっと入れ違いになったんだな。今追いかければ間に合うんじゃないか?」

 フレイはまだ近づいてくる。

「最短ルートで来たんだけど、わざわざ遠回りしたの、アイリスは?」

 フレイの足取りはしっかりとしている。テーブルの下で下半身が締め付けられた。アイリスがディアッカのズボンを掴んだのだろう。

「まあ落ち着け。何があったんだ?」

 テーブルのすぐそばにまで来たフレイ。ここまで近づけばかえって安心か。

「オーブでアーノルドさんからお誘い受けたんだけど、アーノルドさんはアーノルドさんで私から誘われたと思ってた。それで、どっちもアイリスから話を聞いたってことになった訳。どういうことかわかるでしょ?」

 以前なかなか招待に応じない2人を招待するために、それぞれに相手が来るという招待状を送りつけた人の話を聞いたことがあった。それぞれ、あんな招待に応じない人が来るとは珍しいと興味を抱いてその両方が参加したとかいう話だったか。隠し事は得意な方じゃない。口元が変に歪んでしまうことを隠すため、さも考え事をしている風を装って口に手を当てる。

「まあアイリスの奴もお前のこと考えてしたことなんだろ。俺が言えた義理じゃないが、オーブについた頃のお前は荒れてたしな。反対に考えてああでもなきゃ街に出ようなんて気分にもならなかっただろ」
「まあ、そうだけど……」
「わかった。とりあえず今回はあんたに免じて許してあげる」

 よし、うまくいったか。少なくとも、フレイは落ち着いた様子を見せていた。かと思うと突然、テーブルを強く叩いた。

「でも、今度嘘ついたら怒るからね、アイリス!」

 そうして、フレイは大股--ちょっと足に力を入れただけで体が浮き上がってしまうため、ここでは別に怒っている様子を必ずしも示していない--で食堂を後にした。
 テーブルの下から、穴蔵暮らしの小動物が捕食者がいなくなったことをうかがうように首を出すアイリス。ジャスミンは笑っていた。

「嘘ついてもすぐにばれるところ、変わってませんね、ディアッカさん」

 女と関わるとろくなことにならない気がするのは気のせいだろうか。




 グラナダは以前はもっと賑わった街だった。鉱物関連の企業が支社を置いて、地球に派遣される部隊がこの街を中継して各地に散っていったからだ。大地を持たないプラントにとって地平線というものへの憧れは強い。最も近い大地として月は観光地としても多くの観光客が集まっていた。
 それも少し昔の話。
 森林公園に面したオープン・カフェから見える街並みは寂しい。人通りが少なくて、見たとしても軍服姿の人しかいない。地球での劣勢が伝えられる度、企業は撤退して代わりに軍人が増えた。こんな最前線基地に来たがる観光客なんているはずもない。全体的に人が減って、軍人の姿ばかりが目に付くようになる。
 同じテーブルにつく3人の仲間たちも落ち着かない様子で周りのことを見ていた。
 リュウタ・シモンズの前で、いつも大袈裟な少年が両手を強く叩き合わせた。

「びしびしと伝わってくるな。戦場の空気って奴が」
「実戦まだだろ。それにひしひしと、だね」

 この中で実戦を経験したことのある人なんていない。この中だけじゃない。オープン・カフェで同じようにテーブルを囲む同じ中隊の仲間たちもそうだ。
 リュウタは新兵だった。軍学校を卒業したばかり。一般兵の緑の軍服を身につけ、回りの仲間も緑色の軍服を着ている。本国の1Gに慣れた体は月面の6分の1の重力に未だに違和感を覚えていた。そんな、初陣さえすませていない仲間たち。
 戦ったこともないのに、大袈裟な仲間はその態度を変えない。

「でもさ、ナチュラルは間違いなくグラナダを攻めてくるぜ」

 答えたのはリュウタではない。隣に座る少女の仲間だった。

「ボアズを直接攻めないで?」
「当然だろ。グラナダを落とせばプラントは完全に孤立する。ブルー・コスモスがコーディネーターの絶滅をもくろんでいる以上、見逃すはずなんてない! 俺たちは、戦わなくちゃならないんだ!」

 声が大きい。ほかの人の迷惑になっていないかとつい周囲を見た。その中で、テーブルを囲む最後の仲間が首を曲げたまま動かそうとしていないことに気づいた。この少年はさっきから話に参加しようともしていない。

「さっきから何見てる?」
「あの人たち、もしかして……」

 指さされた方向。人を指さしてはいけないと注意するよりも先にその先にいた人々の姿に意識を完全に奪われた。カフェの片隅のテーブル。そこに3人がついている。2人は赤服--これはすごいことだ--で、1人は緑。そして何より、赤い軍服を着た2人には見覚えがある気がする。
 銀髪を丁寧に切りそろえた赤服の軍人が、新聞を広げたままの緑の人--こちらは女性だ--に話しかけていた。

「カガリ・ユラ・アスハ。初対面の人間に言うべきことでもないが、お前は俺をなめているのか? どこに捕虜を勝手に出歩かせてモビル・スーツの操縦さえさせ、あまつさえガンダムを与える軍隊がある?」
「ディアッカがアーク・エンジェルを連れてきた理由を聞かせろと言われたから答えたまでだ。聞いたことを、ありのままにな。それと私をフルネームで呼ぶ必要はない。カガリで構わない。ただし、私もイザークと呼ばせてもらうがな。家出して最前線に行った御曹司の話は、とある筋じゃ有名な話だそうだな」
「別に俺が議員という訳じゃない」

 女性が新聞をめくる。そんな音さえ聞こえていた。リョウトたちのテーブルとは距離があるはずなのにはっきりと聞こえた。理由は簡単なことだった。リョウトたちだけじゃなかった。回りのテーブルでも声を潜めて、みんなで一斉に一つのテーブルに聞き耳を立てている状態だ。
 同じテーブルの中で唯一の少女は声を潜ませた。

「ねえ、イザークって……?」
「ああ、俺も同じこと考えてた……」

 同じ名前を聞いたことがある。地球でナチュラルを相手に激戦を繰り広げた若き英雄。その名前だ。その顔はこちらからでははっきり見えないにしても、テレビで見たのとよく似ている気がする。
 3人は異様な雰囲気になってしまったことを一切気にした様子はなかった。金髪の女性は新聞に視線を落としたまま話を続けている。

「地球でもザフトは完全に分断されてゲリラ活動が中心になっているようだ。ほぼ地球各国は主要な拠点を取り戻した形だが、これで戦争が終わるとは思えん。グラナダだけでは到底防ぎきれんように思えるが?」

 答えたのはもう1人の赤服の男性だった。何でもないような髪型なのに、どうしてだか精悍さだとか強さだとか、そんな雰囲気が伝わってくる人だ。

「上層部としては保険をかけておきたいんだろ。グラナダがあれば敵を挟み撃ちにすることもできるし、わざわざ敵に塩を贈る必要もないと考えているらしい」
「しかしグラナダが目標なら兵士に死ねと言っているようなものではないのか、アスラン?」

 女性が赤服の男性をアスランと呼んだ時、リョウトは、リョウトだけではないオープン・カフェでテーブルについていた仲間全員が一斉に立ち上がった。全員で30人を越える。中には月の重力を忘れて不必要に飛び上がって転んでしまった人もいるくらいだ。
 もう偶然だとか人違いなんかじゃない。そう、きっとみんな理解してる。
 さすがに男の人たちも周囲の変化には気づいたようだ。それでも特に大きな動きはない。すごく落ち着いていた、動じてなんかいない。
 この人たちに間違いない。リョウトは唾を飲み込んで、大きく跳ねる心臓を押さえつけるように強く最初の一歩を踏み出した。どんどん男の人たちのテーブルに近づいていく。あちらもリョウトには気づいたようだった。もう後には引けない。立ち尽くす仲間たちをかき分けるようにしてテーブルの前に立つ。
 最後にもう一度唾を飲み込む。

「あのう……、アスラン・ザラさんにイザーク・ジュールさんですか? ガンダムのパイロットの?」
「そうだが……、君は?」

 気持ちが大きく膨らんで、体は自然と敬礼の体勢をとった。こんなしかっかりした敬礼なんて卒業式の時だってしたことがなかった。仲間たちも同じだ。みんなで一斉に敬礼した。
 声は、のどがつぶれるくらい張り上げた。

「ジブラルタルの黄昏で挙げられた偉大な戦果、確かに聞き及んでおります! 第2師団第7中隊一同、かねてより尊敬の念を抱いておりました!」

 顔をしかめたのはイザークさんで、まだ名前も知らない女性は新聞の一面を2人の英雄たちの方に見せた。

「ジブラルタルの黄昏?」
「ジブラルタル基地から脱出する仲間を守るため最後まで戦った2人の若き英雄、アスラン・ザラ、イザーク・ジュール。すっかり有名人だな」

 新聞には一面に煙の上る空で戦うガンダムの姿がある。その脇には間違いなく2人の顔写真が飾られていた。

「はい! 僕たち憧れてました」
「歳はいくつだ?」
「14です」

 イザークさんの言葉に敬礼したままで答える。誰も敬礼を崩してなんかいない。

「志願年齢が引き下げられたのか?」
「いえ、軍学校のカリキュラムが短縮されました。残念ながら赤服はいただけませんでしたが、アスランさんたちがグラナダに来ると聞いて是非お会いしたいと考えてました。感激です!」

 みんなも同じだ。もう我慢なんてできなかったんだろう。リョウトを押しのけて男たちはアスランさんのところに、女性たちはイザークさんを取り囲んだ。

「是非、お話聞かせていただけませんか、アスランさん!?」
「それは構わないが、君たちが期待しているような話は語って上げられそうにない。多くの人に助けられて、多くの人の死を目の当たりにしてまで逃げ延びた男の話だ」
「聞かせてください、是非!」
「サイン、いただけませんか?」
「断る。俺は軍人だ。タレントや歌手じゃない」
「かっこいい~!」

 まだ2人とも15くらいのはずだ。自分んたちとはほとんど変わらないのにすごい戦果を上げている人たちに出会えたことで、リョウトたちは興奮していた。自分たちもこの人たちみたいになれたら、この人たちみたいになってみせる。
 みんな、考えてることは同じだ。




「ザラ議長、ジブラルタル撤退をどうお考えですか?」
「現在の戦況は決して芳しくないものと思われますが、戦争を続けるお考えでしょうか?」
「お話を聞かせてください」
「議長!」

 無言のまま歩き去っていくパトリック・ザラ議長に食いつくようについて行く記者たちの姿。モニターに映される映像はスタジオに戻されアナウンサーが失態続きの議長を糾弾している。
 そういえば、この局番は比較的穏健派よりだっただろうか。そんなことを考えながら、モニターの電源を落とした。途端に、不必要に広い部屋は静かになった。暗くなったモニターにはそんな部屋の様子と、簡単なシャツにホット・パンツ姿の女の姿が映る。
 女性、アイシャはモニターに映るだらしない姿にも構わずにあくびを一つついた。

「どうなるのかしらね、プラントは……」

 座っているのはフローリングの床。仮住まいを飾りたてる気にはなれなくて殺風景なものだ。リビングとキッチンが一続きの大きな部屋だが、おいてあるものと言えば床に置かれたモニターと小型冷蔵庫。後は、空き缶が山と放り込まれたゴミ箱くらいなものだ。
 元々は本国から出向していた会社員が家族と使用していた部屋は、1人で住むには広すぎた。隣近所も本国に帰ってしまい、真っ昼間だというのに生活の音は一切聞こえてこない。聞こえてくるものとすれば、警察のサイレン。なぜか今日はやかましくパトロール・カーが動いている。

「脱走兵でも出たの? まあ、無理もない話だけど」

 地べたに置かれた小さな冷蔵庫をあけると、残念ながら中は空だった。先程まで座っていた場所の周囲には空き缶がいくつも転がっている。これは買い出しに行くしかないようだ。
 めんどくさい。そんな思いに引きずられる足を引きずりながらリビングを抜ける。玄関のドアにかけられた上着を羽織ると、上着をとると開くように設定しておいたスライド式のドアが自動で開く。絶えず適温に調整されている外気は寒くも暑くもなく、アイシャは外に出た。この部屋の利点はドアのすぐ目の前に外階段があること。残念ながらエレベーターは遠いのだが、ここは月だ。重力は軽く、ここ--5階--から飛び降りても問題ない、のではないかといつも試してみようと考えていつまでも実行できないでいる。結局、螺旋状に折り曲がった階段を一歩一歩、律儀に歩いて降りていく。
 またパトカーの音が聞こえた。手すりから外を覗いてみると、パトカーの他にも公安の特殊車両がちらほら見える。追っている相手はよほどの大物で、おまけにこの近辺にいるらしい。何があったのか聞いてみようか、そう端末を取り出したまではよかったが、つい妙なものに気をとられた。
 たまたま覗いた路地の中、ちょっと面白いものを見つけた。
 口が楽しげにつり上がっていることがわかる。うきうきした気持ちで階段を駆け下りて、路地まではそんなに遠くない。道路を駆け足で横断しようとして車にクラクションを鳴らされた。ひかれてないから問題なし。
 アイシャが路地の中にまでたどり着くと、見つけたものはまだそこにいた。大型のゴミ箱に背中から寄りかかって肩で息をしている。波立つ髪は綺麗で、ゴミ箱に触れていることがもったいない。少女はその赤い瞳で、アイシャのことを見た。

「お嬢さん、警察が慌ただしいけど追われてるのはあなたかしら?」

 さて、この少女はなんと答えるだろう。

「はい……、そうだと、思います……」

 うん、予想外。アイシャは口元を押さえた。そうしないと緩む口元を見せてしまうことになってしまうから。しばらくして落ち着いて、今度はその手を口ではなく少女へと差し出した。

「私の家に来なさい」

 今度戸惑うのは少女の番。アイシャは構わず少女の小さな手をとると、そのまま我が家へと歩き始めた。もちろん、強引でも無理にはひかない。少女は困惑したまま、それでも足を交互に動かしてアイシャに連れられる。

「いいから、いいから。隠れる場所が欲しいんでしょ」

 今度はちゃんと信号で道路を渡る。マンションではエレベーターを使うことにした。鼻歌さえしているアイシャのことを、まだよく捉え切れていないのだろう。少女は時々アイシャの顔を見上げては、徐々に呼吸が整っているようにも見える。そして5階に到着。離れているとは言っても何kmも歩かされるわけではない。無事部屋の前に着くなり、扉が開く。

「さ、入って、入って。何もないところだけど」

 正真正銘何もない。短い廊下を抜けたリビングは冷蔵庫とモニターだけ。少女は大きな瞳を丸くした。
 クッションは確かクローゼットに押し込んだままだっただろうか。クローゼットを開けた途端、崩れそうになる洋服の山を片手で押さえてクッションを取り出す。我ながらなかなかうまく取り出せたものだ。クローゼットを閉めて無事クッションを奪還する。
 クッションを少女の前に置いて、アイシャは次とキッチンへと移動する。てきぱきてきぱき。ポットに水を入れてお湯を沸かす。

「何か飲む? コーヒーくらいしかないけど、パックの」

 自分では飲むこともないから、未だ新品のパックが戸棚にあったはずだ。戸棚を開けるととてもわかりやすい。料理なんてしないから食器なんて一つもなくて、無造作に置かれたコーヒーのパックだけが目に付いた。
 少女の声が聞こえた。

「どうして、ですか……?」
「どうして匿ってるのかって?」

 パックを手にして、まだお湯はわかない。とりあえず包装を外してティー・パックを取り出しておく。カップは、食器乾燥機の中に放置していたものを使うことにしよう。
 少女は用意されたクッションに座ってくれていた。どのような座り方をしているのか、床に広がったスカートに足は隠されて見えない。その姿は本当にお人形のよう。彼女にこのドレスを設えた人は、とてもいい趣味をしている。

「あなたみたいにかわいい子に悪い人なんていないわ。自分が追われてるなんて話したら通報されるに決まってるでしょ。それなのにあなたは聞かれたことをつい正直に話した。そんなかわいい子が悪い子であるはずなんてないじゃない」

 とても正直で、きっといいところのお嬢様なのだろう。周囲の悪意から守られ、大切に育てられてきたことがよくわかる。人を疑ったり、保身を優先しなければ生きていけないような生き方をしてこなかったのだろう。
 カップは、少し拭いた方がいいだろうか。ナプキンで拭くことにする。

「ああ、もちろん、ドレスもよく似合ってるわ。私はアイシャ。あなたは?」
「ゼフィランサスです……」
「そう、ゼフィランサス。ところで、どうして追われてるのか興味あるんだけど、話してくれる気はある?」
「私が……、プラントを裏切ったから……。……アイシャさん、私は技術者です。でも、そのデータを地球に流しました……」
「よほどのデータなんでしょうね、この様子だと」

 外ではまだサイレンが響いている。

「ニュートロン・ジャマーを無効化できる装置です……」

 危うく拭いているカップを握り潰してしまうところだった。幸い、割れてはいない。一瞬呼吸もとまっていただろうか。

「とんでもないもの逃がしたものね。何か弱みでも握られたの?」

 ちょうどお湯が沸いた。この頃のコンロは優秀だ。お湯もすぐに沸かしてくれる。コーヒーを2人分入れている間にも、ゼフィランサスは小さな声で話をしていた。

「大切な人たちに頼まれました……。それに、あの人たちがしようとしていることは……、間違ったことです……。でも、おかしなことにも思えません……。アイシャさんは、プラントやコーディネーターをどう思いますか……?」
「正直わからないわ。うちの場合、おじいさん、これはナチュラルなんだけど、この人が熱心なコーディネーター推進者でね。父さんは当然コーディネーターだったし、相手もコーディネーターじゃなきゃ認めないってナチュラルの恋人と別れさせられたこともあったそうよ」

 別に高級レストランのコーヒーを注いでいる訳ではない。インスタントのコーヒーはあっさりとできあがった。コーヒーは2人分。アイシャはブラックのつもりだが、若い子には苦いかもしれない。あまりコーヒーに使うものではないかもしれないが、ガムシロップとミルクのケースを入れた瓶を一緒に持って行くことにした。

「反感があったんでしょうね。父さんは建国間もないプラントに単身渡ったそうよ。おじいさんは喜んで送り出したそうだけど、父さんはおじいさんから離れられれば十分だったみたい。それで結婚相手はコーディネーターで娘をコーディネーターにして、実の父に対してはコーディネーターを崇拝してますって風を装って、心中ではどうでもよかったみたいね。なんちゃってコーディネーターの家系なのよね」

 コーヒーのカップを熱いから気をつけてと言い加えて手渡した。ガムシロップの瓶は側に置いておく。アイシャの方はキッチンに起きっぱなしであったコーヒーを、自分は地べたに座った飲むことにした。

「だからコーディネーターの理念なんてわからないし、ブルー・コスモスのしたいこともわからない」
「コーディネーターだとか……、プラントを守るためではなくて、ですか……?」

 ちょっとコーヒーを口に含んだゼフィランサスは、如何にも苦そうな顔をした。ガムシロップを入れ始めた。

「友達の中には人類の未来を守るんだって人もいるけど、まさか全員が全員そんなこと言ってるような国じゃないわ。コーディネーターだってみんながみんな優れてる訳じゃないし、みんながみんな付き合いがいい訳でもないのよ」
「それなら、どうして戦争を……?」
「生活の基盤を壊されたくもないし、同じ国の人が殺されていい気もしないでしょ。私にとってこの戦争もその他の戦争も何も変わりないのよ。ザラ議長が言ってるみたいに、コーディネーター万歳なんて言うつもりもないしね」

 ゼフィランサスの瞳は赤い。赤い瞳は、こんなことを思わせた。上質なルビーを示す言葉でPigeon Blood、鳩の血と表現するそうだ。他にも、今のゼフィランサスには鳩を思わせる要素があった。

「どうしたの? そんな鳩が豆鉄砲喰ったみたいな顔して?」

 瞳を大きくして、何か特別なものでも見ているような顔をしているのだ。感情に乏しいように見えても、意外と表情豊かなようだ。

「お兄様たちは……、とても立派な人だと思います。理想に燃えていて……、そのためにはどんな犠牲も惜しまないような……。そんなお兄様たちは利益でも、権益のためでもなくてプラントを破壊しようとしていて……」
「ちょっと庶民的すぎたかしら?」

 要するに、戦争に臨む姿勢があまりに違って戸惑っているのだろう。やはりどこかいいところのお嬢様というのは間違っていないかもしれない。人というものの捉え方、少なくともその平均が極めて高いように思えた。

「いえ、そんな……」
「プラントを滅ぼしたいは結構だけど、コーディネーターの理想にもナチュラルの現実にも付き合いきれない人はたくさんいるのよ。それなのに一緒くたに攻撃されちゃたまらないでしょ」

 そんなことよりも、この子はどれほどコーヒーにガムシロップをつぎ込むのだろう。すでに小さなケースとはいえ、5つが開けられている。さらにミルクまで投入され始めた。これも2個、3個と数を増やしていく。結局合計で10個ほど注ぎ終えたところで、ようやくゼフィランサスは口を付けた。
 正直、これはすでにコーヒーの飲み方ではないと思うのだが、余計な指摘だろう。加えて、ゼフィランサスの眼差しはどこか真剣な色を帯び始めていた。まっすぐにアイシャのことを見つめ、目があっても動じることはない。

「アイシャさん……。お兄様の……、地球軍の目標はグラナダです……。まもなく攻撃が開始されます……。グラナダは、陥落させられます……」
「あなたは大丈夫なの?」
「お兄様が迎えに来てくれます……」
「なら安心ね」

 こんな小娘の言っていることもすんなりと信じられる。この子は素直な子だから。それに、地球軍がグラナダを目標に設定していることは、グラナダの基地上層部ではすでに確定的でないとしても掴んでいる。何ら矛盾はない。

「アイシャさんも一緒に行きませんか……? お兄様は強い人です。津波のような人たちです……。来るとわかっていても、防ぐことも……、止めることもできなくて、ただ通り過ぎた場所すべてを押し流します……。お兄様は決して攻撃の手を緩めません……。でも、非情な人でも、残酷なことを好む人でもないから……」

 津波。見たことはないが、地球には海というものがあって、時々その水が陸地に押し寄せてくることがあるのだそうだ。その勢いはすさまじく、建物を破壊し、すべて海に引き込んでしまうと聞いている。見た事なんてないが。
 そんな者に例えられる人たち。そんな人がプラントを攻めてくるのだとすれば、アイシャの心は決まっている。

「国も仲間も家族も捨てて?」
「……ごめんなさい」
「あなたが悪いんじゃないでしょ。それに、地球には行ったことがないから、海は見たこともないのよ」

 津波の怖さなんてわからない。そして、ゼフィランサスにも攻撃を止めることはできないのだろう。押し寄せてくることは、すでに確定している。ただ、押し流すのはグラナダであって、助けられる人は助けたい。そんな少女の優しさを責める気にはなれない。
 口に含んだコーヒーはずいぶんと苦く感じた。ゼフィランサスの甘く、薄められたコーヒーはどうだろう。少なくとも、ゼフィランサスは甘いものを飲んでいるような顔はしていない。

「強がりだっていうのはわかってるつもり。国のお偉いさんが勝手に始めた戦争だけど、ここが私の国で、ここに暮らしてる家族や仲間がいる。人が戦う理由なんて、そんなものでも十分じゃないかしら?」

 断続的に聞こえていたサイレンを吹き飛ばして大きな音が聞こえた。爆発音。その中に混じるモビル・スーツの駆動音とも言える風切り音を、アイシャは聞き逃さなかった。
 窓の外。グラナダの空とも言うべき天井に穴が開き、貯水槽の水が降り注いでいた。そして、白銀に輝くモビル・スーツの姿。ずいぶんと大仰なバック・パックを背負い、その顔は今話題のガンダムのものだ。

「あれがあなたのお兄さん?」
「はい……」

 ガンダムは全身を輝かせながら街に降りると、それだけで周囲のガラスが砕けた。輝く装甲そのものが推進力を持つ。ミノフスキー・クラフト。聞いてはいたが目にしたのは初めてのことだ。
 どうやらゼフィランサスの場所はわかっているらしい。白銀のガンダムは正確にアイシャのマンションを目指している。街中を歩いているモビル・スーツの姿を見ると、モビル・スーツも案外と小さく見える。せいぜい18m。周囲のビルよりも背が低く、道路の道幅でも十分に歩くことができるのだから。そしてアイシャのいる5階はちょうど、ガンダムの顔がよく見える高さだった。フェイズシフト・アーマーの輝きを消して、ガンダムはマンションの前に立った。
 ゼフィランサスを連れてベランダに出る。するとガンダムが手を差し出していた。1m四方程度の手のひらの上に乗ることは度胸が必要に思える。ゼフィランサスはそれでも構わずベランダの手すりを乗り越えモビル・スーツの手のひらの上に飛び乗った。

「アイシャさん……、ありがとうございました」
「大したことじゃないでしょ。あなたのお兄様によろしくね」

 ガンダムの手が離れ、振り向いて歩き出そうとしている。その間、ゼフィランサスはアイシャのことを見続けてくれていた。手を振って、別れの挨拶に代えておく。
 遠ざかっていくガンダムの背。足音が徐々に遠くなる。
 代わりにアイシャの背中側からは別の音が聞こえていた。扉を無理矢理こじ開ける音だ。ひときわ甲高い音が聞こえて扉が破壊される。なだれ込んできたのは黒いスーツを着た男たち。手には拳銃を握り、アイシャの顔を見るなり驚いたように銃を下に向けた。

「騒がしいのね」

 男たちは敬礼する。

「いいわ、そんなことしてくれなくても。それより、用件は何?」

 男たちの中、ただでさえ仏頂面の男たちにあってさらに口元を堅く結んだが歩み出るなり身分証を見せた。名前はレイ・ユウキ。

「ホワイト・ファングのアイシャ。お会いできて光栄です。この人物をご存知ありませんか?」

 見せられたのはゼフィランサスの写真。

「かわいい子ね。うちについさっきまでいたわ。あの白いモビル・スーツに連れ去られてしまったけど。どこかのご令嬢だったのかしら? 疲れてる様子だったから休んでもらっていたのだけど、さすがの私も生身でモビル・スーツにはかなわないわ」

 驚いた様子を見せた男たちは、一体何に驚いたのだろう。レイでさえ戸惑った様子ながら、切り替えは早い。

「ご協力に感謝します」

 そう言うなり、公安職員の面々は足早に引き返す。壊されたままのドアをそのままに、後で請求書でも送ることにしよう。ただそれも、ホワイト・ファング、そんなご大層な名前をいただいたパイロットとしての職務を果たしてからでいいだろう。
 取り出した端末には、スクランブル命令が表示されている。
 遠く。ガンダムは飛び上がり、自ら開いた穴からグラナダの空へと消えた。
 グラナダの空は幾重にも重ねられた層で構成されている。破られてもすぐに大気が流出することもなければ、貯水槽の水が一斉に降り注ぐこともない。水は、滴となって降り注いでいた。
 どこかで見たことのある光景だ。確か、地球の環境を紹介したデモ・テープだっただろうか。

「空から水が降ってくる。ああ、地球ではこれを雨と呼ぶのよね」




 突然の奇襲に、グラナダ全域に警報が鳴り響く。スクランブル要請に、あわただしく走り回る軍服姿の人々の姿があった。
 それは戦艦内部でも変わりない。
 グラナダは中央に島を置き、その周囲に停泊場を兼ねた運河が取り囲むように流されている。水に浮かべることで特殊な形状をした宇宙戦艦を均一に支え、月面の重力の影響を緩和しているのである。ここから、1隻のローラシア級が出航しようとしていた。
 全体を緑に染め、艦の主要ブロックとその左右に腕のように延びた1対の構造。水面下に格納庫、及びハッチが沈められている。全体として3つの胴を持つ船のように、水に浮かんで見えていた。
 ローラシア級が動く。水面を移動するその姿はまさに普通の船を思わせる。それはやがて壁にあけられた穴へと入り込み、そして密閉された部屋に通された。左右の壁から勢いよく水が放出され、部屋の水かさが増していく。水かさが増すにつれ船体は徐々に持ち上げられ、地表の滑走路へと運ばれていく。
 ブリッジではクルーの声が響いていた。

「警備は何をしていた!?」
「ピザでも食っていたんだろう」
「無駄口はよせ。今は奇襲部隊の殲滅に専念しろ」

 クルーをたしなめた艦長は同時に状況の把握に務めていた。完全な奇襲である。グラナダの警備網が機能しなかったということはすなわち、敵の規模がそれだけ小規模であることを示していた。いくらミノフスキー粒子の影響下にあるとは言え、大規模艦隊の接近に気づけぬはずがないのだ。
 そして、仮に少数部隊ならば奇襲には成功できたとしてもその優位性はたやすく瓦解する。

「ナチュラルというのは目先のことばかりに囚われて合理的な判断がでんらしい」

 奇襲部隊は全滅する他ないことだろう。そしてさらなる警戒を敷かれることになる。
 ローラシア級はまもなく十分な水位を得て滑走路へと到着した。それは長大な水路である。車輪のような不必要な構造を持たないローラシア級はこの水路で加速し、速度を得るとともに月面を離れることになる。まだ先へと伸びていく水路は、ハッチが開かれ月に届いていた陽光が水路をきらびやかに輝かせた。
 その中に、艦長は異質な輝きを目にした。黄金の色をした、ガンダムの姿である。

「なっ! 待ち伏……!」




 グラナダのクレーターから伸びる幾本もの滑走路。水路として伸びるその一つが突如巨大な爆発を起こす。その爆発の中から黄金の輝きが飛び上がる。それは槍の穂先のように鋭く、しかし芸術品のように黄金に輝いている。戦闘機の姿を持ち、次の滑走路へと飛翔する。すると、それは機首を4つに展開し、それぞれ四肢に、黄金のガンダムが姿を現した。その背にはアームで連結された4機のユニット。ユニットから一斉に放たれたビームが滑走路を包む分厚い構造に突き刺さり、さらなる爆発を引き起こす。
 ZZ-X300AAフォイエリヒガンダム。エインセル・ハンター。

「グラナダを落とし、ボアズを落とし、そしてプラントを攻め滅ぼす」




 グラナダ上空に常時待機中であった船団は、その足並みを完全に乱していた。光の矢がローラシア級に迫る。矢は装甲を貫通し、ブリッジを正確に内部から吹き飛ばす。頭を失ったローラシア級は月の重力に引かれゆっくりと降下を開始し、徐々に加速しながら月面に巨大な火柱を打ち立てた。
 そして、光の矢が次の標的へと突き刺さる。
 戦艦による攻撃ではない。威力こそ同列。しかしそれはモビル・スーツほどの機動力をもって発射地点を変えていた。
 赤銅のガンダムが、そのバック・パックのリボルバーとケーブルで繋がれた大型ライフルを両手で抱えていた。このライフルこそが光の矢の弓であり、光はビームである。
 ライフルを抱えているにも関わらずガンダムは軽々と動き回り、ローラシア級に先回りしてはブリッジへと正確に高火力のビームを撃ち込む。ザフトの艦隊は、ただ1機のガンダムによって翻弄されていた。
 ZZ-X100GAガンダムシュテュルメント。ムウ・ラ・フラガ。

「よし、ゼフィランサスは無事か。なら、少し派手にしても問題ないな」




 クレーターを塞ぐ蓋。その一角に風穴を開け、吹き出す大気とともに白銀のガンダムが月面へとその姿を現す。
 そのコクピットでは、誰もノーマル・スーツなど身につけてはいない。ラウ・ル・クルーゼはいつも通りのサングラスを身につけた姿であり、ゼフィランサス・ズールはドレスを着ている。そして、普段と変わらず、表情に乏しい顔をしてる。
 しかしそんな中にも、普段とは異なる表情があることを、ラウは見逃さなかった。普段に比べてラウから目をそらしがちなのだ。

「ゼフィランサス、グラナダで何があった?」
「少しだけ、お兄様のしていることがおかしいって思えるようになりました……」
「君は素直すぎる。世界のどこでも聞いてみたまえ。我々のしていることなど、10人が10人間違っていると答えるだろう。10年前のあの日、我々は誰もが望まぬ戦争を始めたのだからな」

 グラナダを離れ飛行するガンダム。
 ZZ-X200DAガンダムトロイメント。ラウ・ル・クルーゼ。
 男は突如反応を見せた。操縦桿を握る腕が動き、機体全体が振り向くように上を向く。ライフルを持たぬ左腕にはいつの間にやらビーム・サーベルが握られ、トロイメントへと叩きつけられたビーム・サーベルを受け止める。

「ムルタ・アズラエル!」
「キラ・ヤマトか!」

 純白の装甲。額に一角を生やしたモビル・スーツがトロイメントへとビーム・サーベルを叩きつけていた。触れ合うサーベルがビームを放出し、あたりに火花を散らす。



[32266] 第39話「火はすべてを焼き尽くす」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2012/12/18 00:48
 ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレのサーベルは白銀のガンダムに受け止められていた。キラ・ヤマトとてこの一撃で倒せると踏んでいた訳ではなかった。それでも攻撃はあっさりと防がれすぎた。キラに焦りを覚えさせるほどに。
 鍔迫り合いの姿勢を解き、一度距離を開ける。オーベルテューレが月の大地を踏みつけ砂が思いの外高く舞い上がる。白銀のガンダムは全身を輝かせ砂を吹き飛ばしながら浮かんでいた。
 ガンダム同士を繋ぐ通信から、思いもかけない少女の声を聞く。

「キラ……」
「ゼフィランサス?」

 オーベルテューレの全天周囲モニターには白銀のガンダムを映して、そのすぐ横にコクピットの様子を投影していた。仮面の男と、そのすぐ後ろにいる漆黒のドレス姿の少女。

「人質のつもりはないが、ゼフィランサスを傷つけたくない。ここはひいてはもらえないだろうか?」

 願い出る態度には見えない。たとえキラが全力を出したところでゼフィランサスを無傷のまま連れ出す自信がある。そう、仮面に隠された顔からは威圧的にも思えるほどの余裕が透けて見えていた。
 ラウ・ル・クルーゼとゼフィランサスをかけて対峙するのはこれで3度目になる。1度目、ゼフィランサスの意識はなかった。2度目、キラはゼフィランサスの気持ちに気づいてあげられなかった。そして今。
 モニターの先で、ゼフィランサスはキラのことを見ては目をそらす。そんな迷いのある眼差しを繰り返している。

「ゼフィランサス、君の力はこの世界では利用され続ける。この戦争ある限りいつまでもだ! 僕と逃げよう。こんな世界のことなんて捨てて、僕と逃げよう!」
「我々はゼフィランサスの力を必要としている」
「ゼフィランサス。君はどうしたい!?」
「わからない……、わからないよ……!」

 ゼフィランサスにしては大きな声だった。
 無理もないことだと思うべきなのだろう。ゼフィランサスにとって、物心ついた時からモビル・スーツの開発に明け暮れていた。周囲から利用され続けていた。そんな悲しい当たり前を急にやめようとしても、どうしていいのかわからなくなってしまう。
 そんなゼフィランサスを、ムルタ・アズラエルもシーゲル・クラインも利用し続けている。そのことが、キラには許せないでいた。
 思わず向けたオーベルテューレのライフル。撃つと覚悟はなく引き金は引くことができない。相手もまた、その手にあるライフルを向けてきた。不自然なほど大きな銃口が特徴的だ。

「君とは何度この構図を演じればいいのかね、キラ・ヤマト?」
「あの日ユニウス・セブンで起きたことを忘れたことなんてなかった!」

 あの日の過ちを取り戻すため、キラは戦い続けてきたのだから。




 月面を走る水路を白亜の戦艦が突き進む。水飛沫を陽光に煌めかせ、十分な速度に達したところで、アーク・エンジェルは月の空へと浮かび上がった。
 グラナダからはすでにザフト軍の戦艦が徐々に出撃を始めている。アーク・エンジェルは奇襲に巻き込まれるほど早くもなければ、決して遅い訳でもないタイミングで出撃することができた。それも、主要なクルーが艦を離れていなかったからである。
 舵輪を操作しながらフレイ・アルスターが何やらぼやいていた。

「まったく、あいつらに追い返されたことがこんなとこで役に立つなんて……!」

 艦長であるナタル・バジルールは特に留意するべきことでもないだろうと聞き流し、クルーへと声を走らせた。

「敵の展開状況は?」

 レーダーを担当しているジュリ・ウー・ニェンが答えた。

「まだ主力艦隊は到着していません。3機のガンダムだけです」
「まさか1個小隊による奇襲とは……」

 ナタルの手元の端末にはグラナダ周辺の簡単な地図--明瞭なものは渡されていない。まだザフトから完全には信用されていないのだろう--が表示されている。グラナダ周囲の岩山に亀裂のように走る割れ目が強調されている。
 次にマユラ・ラバッツが手元のコンソールを操作しながら続けた。

「恐らく、月面に走るクレバスを利用したものと思われます。もしも内通者がいたと仮定すれば一つのルートのセンサーを無効化することは難しくありません。それだと、送り込める戦力はせいぜい1個小隊程度ではないかと」

 そしてGAT-X207ブリッツガンダムには完璧なステルス性能が施されていた。仮にあれらの機体に同等かそれ以上の機構が組み込まれているとすれば警戒網をかいくぐること事態難しいことではないだろう。加えてビームのあの攻撃力である。わずか3機でも暴れ回ればその破壊力は計り知れない。

「モビル・スーツについてはともかく、ガンダムに関しては大西洋連邦軍に一日の長があるということか……」

 そして基地を混乱させた後に脱出。本隊が攻撃を代わる。一見無謀ながら極めて合理的な作戦である。そうとすれば本当の戦いはガンダムよりもその後の本隊との戦いにあるのだろう。

「アイリスとディアッカに伝えなさい。現時点において積極的に打って出ることは得策でないと判断、現状維持に務めよ!」




 矢と呼ぶには破壊力は大きく、それは槍と呼ぶしかない。突き出された槍が黄金の輝きを放ちながら突き進む。月の大地のすぐ上を恐ろしい速度で滑空する。上空から見下ろす2機のガンダムは黄金の槍を目で追おうとすると黄金はの槍は、ZZ-X300AAフォイエリヒガンダムはさらに加速する。
 GAT-X207SRネロブリッツガンダム、GAT-X300AAロッソイージスガンダムの2機がバック・パックのミノフスキー・クラフトを輝かせていた。ミノフスキー・クラフトの優れた推進力でさえ、2機のガンダムは黄金の戦闘機に追いつくことができない。戦闘機に姿を変えたフォイエリヒはその全身を輝かせその装甲全体を推進器として使用できる。推進力がそもそも段違いなのだ。
 黒と赤のガンダムは翻弄されるでしかない。そして、フォイエリヒは機首を開いた。指が開くように四肢が伸び、それは異形の怪物が必死に人に必死に化けようとしているかのようだった。足を延ばし、手を作り、身をよじる。やがてそれが黄金の輝きを放つ人となった時、それは一息に上空へと舞い上がった。
 ネロブリッツ、ロッソイージスの前を黄金が輝いて飛び越えていった。通常のモビル・スーツの1.5倍もの大きさがまるで鳥のように軽々と飛ぶ。フォイエリヒはブリッツたちを無視してZGMF-1017ジン、その1個小隊に飛びかかった。両手足から発生させたビーム・サーベルでひっかいていく。そうとしか表現できないほど軽く振られたサーベルは、それでもジンの胴を引き裂いていた。同じ部隊のジンはライフルを構える。それだけだ。フォイエリヒはすでに残り2機のジンへとビーム・サーベルを振り下ろしていた。これを切断と呼んでいいのだろうか。ライフルごと、ジンはその体を縦に延びる帯状にごっそりと切り取られていた。
 そして、ほぼ同時に3機は爆発する。わずか数秒。人が3人、命を落とすには短い時間ではないか。
 ディアッカ・エルスマンはその声が相手に通じていることさえ忘れてつぶやいた。

「あれが、エインセル・ハンターか……」
「ディアッカ・エルスマン。お会いするのは初めてでしょうか?」

 ネロブリッツの周囲と飛び回るフォイエリヒ。その輝きは神々しいほどに禍々しい。フォイエリヒに襲いかかってくる様子は見られない。まるで邪魔者を排除して、これでゆっくり話ができる。そう、言いたいかのように。
 ディアッカは何とかフォイエリヒを狙おうと試みるが、ロックオン・サイトがまともにフォイエリヒを捉えることができない。通常のモビル・スーツより二回りは大きい的であるにも関わらずだ。アイリスなど最初からライフルを向けようとさえしていない。

「エインセルさん……。ヒメノカリスお姉ちゃんは、エインセルさんのところにいるんですよね?」
「今日はお留守番です。あなたにも是非私の下に来ていただきたい、アイリス。叶いませんか?」

 フォイエリヒが直角としか見えないような軌道を幾度も描いて接近する。予想もつかない不可思議な動きはフォイエリヒをロッソイージスの前へと導いた。同様の可変機構を持つ機体が対峙する。こうしてみると大きさの違いははっきりとわかる。

「……私、エインセルさんたちのやり方、きっと納得できません」
「では目的は評価していただけるのでしょうか?」
「コーディネーターを根絶やしにすることがか!?」

 ネロブリッツの放ったビームはフォイエリヒを直撃する。黄金の腕。それを盾のように掲げた。それだけで、ビームは黄金の装甲に切り裂かれるように弾かれる。ディアッカは驚くことさえできなかった。フォイエリヒを撃墜できないことが当然のように 感覚を支配していた。

「コーディネーターは純粋です。善ではなく、しかし悪でもない。ごくありふれた人間でしかないのです。悩み、悲しみ、嘆き、苦しみ、悼み、怒り、妬み、嫉み、激昂し、感情という人が最も危惧する暴走を引き留める装置などない、ごく普通の人間にすぎません。しかしそして、同時に彼らはナチュラルよりも平均して優れた力を有している。すなわち、人の危険性をそのままに能力だけを肥大化させた存在にすぎないのです。安全装置のない拳銃よりも安全装置のないライフル銃の方が恐ろしい。ナチュラルとは前者であり、コーディネーターとは後者。優れた人ではなく、危険な人以上の何者でもないのです」
「エインセルさん、だからって、こんなやり方……!」

 月面は静かなものだった。3機。撃墜されたジンの残骸から立ち上る黒煙が大気のない月面で、地表に沿うようにのたくっていること以外は。芸術品のように美しいフォイエリヒガンダムによってなされた惨劇であった。

「人が人を作ると言うこと。人が人を道具にするということ。あなた方ヴァーリはご存知のはず。コーディネーターとは人以上ではなく未満でもない。また、道具として利用される人の悲劇を」
「そんなあなたが、どうしてヒメノカリスお姉ちゃんを戦わせるんですか?」
「必要であるからです。報償には対価が、成果のためには犠牲が、神とてその奇跡に生け贄を求めるように。私はヒメノカリスを戦わせます。戦ってもらわなければならないのです。私が彼女の父であるために」
「ニコルを殺したのはあんたたちだ。いつもそうだろ! 犠牲だ理想だ言ってる奴に限って自分は犠牲になるつもりなんてない! いつも誰かに押しつけてるだけだ!」
「では、あなた方に覚悟はありますか? あるのならば何故、犠牲を支払う覚悟があるのなら何故泣くのです? 何故嘆くのでしょう? 失う覚悟はあった。ですがいざ失うと嘆くのですか? 失いたくなんてなかった。奪われたくなんてなかった。撃つと決め、撃たれると知りながらあなた方は覚悟など有していない。故に受け入れることができない。仲間の死も苦しみも。自分たちだけが殺戮を許され、敵に奪われることは許せない」

 エインセル・ハンターの言葉。それは魔術か説法か。まるで言葉そのものに意味があるかのように響いて聞こえる。

「10億もの命を奪ったコーディネーターの傲慢がせめてなかったとしたなら、我々は手にした刃を抜く必要などなかった」
「……悪いのは全部コーディネーターで、自分たちは何も悪くないってなら、お前たちも同罪だ!」
「許しなど望みません。慈悲など乞いません。我らは決めたのですから。幾重にも積み、重ねた屍の上に世界を正しきあり方に戻すのだと」

 傲慢にして不遜。悪辣にして猛毒。悪魔と呼ぶにはまだ足りず、神を名乗るには騙りでしかない。まさに魔王か。
 ディアッカは動けなかった。どう思い描いても自分がエインセル・ハンターを刺し貫く映像が見えてこない。アイリスは動かなかった。聞きたいことはたくさんあった。言いたいこともたくさんあった。それでも、口は震えて、一言一言を着実に、絞り出すような声しか出てはくれない。

「たくさんの人を殺して、たくさんの人を悲しませて、それでどんな世界が訪れるって言うんですか……?」
「私は理想郷を築きたいのではありません。世界をあるべき形に戻したいだけなのです。かつて、ユニウス・セブンを焦土と化したあの日に誓い合ったように」




「おいおい、こっちは対艦装備なんだぞ」

 降り注ぐビームを後ろへと飛び退きながらかわす。その動きの最中、ZZ-X100GAガンダムシュテュルメントはリボルバーからコードを切り離し、保持していた大型ライフルを投げ捨てた。捨てられた銃身は即座に撃ち抜かれ、大きく膨れ上がった爆発に飲み込まれる。武器を失ったシュツルメントへと、カガリ・ユラ・アスハは襲い掛かる。

「エインセル・ハンターでないのが残念だが、地獄の底でお父様に詫びろムルタ・アズラエル!」

 赤い装甲を持つストライクガンダム。その手にはビーム・ライフルにガトリング・ガン。バック・パックの2門のキャノン砲から高速弾が発射される。月面次々と派手な爆発が引き起こされる。全身を輝かせながら滑空するシュテュルメント。赤銅のガンダムが通り過ぎた後を火線が追いかける。爆発が列となって続いていた。
 シュツルメントのムウ・ラ・フラガは余裕を持ってさえいる。

「ウズミ・ナラ・アスハが亡くなったのはプラントの破壊工作だろ」
「貴様等がオーブを侵略しさえしなければ誰も死なずにすんだ。その罪、万死に値する!」

 カガリ・ユラ・アスハは思い切った決断を見せた。ビーム・ライフルを投げ捨て代わりにビーム・サーベルを抜く。重武装のバック・パックが生み出す推進力に任せ、一気にシュツルメントへと肉薄する。

「相手してやるか」

 腰からビーム・サーベルを抜き放つ。流れるような自然な動作でシュテュルメントはストライクルージュの剣撃を受け止めた。叩きつける勢いすべてを受け止める。漏出したビームが無為に弾けた。
 まるで攻撃が通る気配がない。焦りがカガリを突き動かす。ルージュの左腕に装備されたシュテュルメントの顔面へと向けて突き出す。マズル・フラッシュの瞬きが弾ける。かわすことのできる距離ではない。しかし硝煙が晴れた時、そこにシュテュルメントの姿はなかった。すり抜けたようにルージュの後ろへと回り込んでいた。
 カガリの背筋を死の気配が撫でた。しかし反撃はない。手加減された。この事実はカガリに安堵よりも怒りを呼び起こす。

「見くびるな!」

 振り向きざまに振られるルージュのビーム・サーベル。陳腐な演舞でも見せられているかのようにサーベルはかすることもなく、シュテュルメントはさらにルージュの後ろへと移動している。

「貴様!」

 再び同じ攻撃を。しかし外すことさえ許されなかった。振り抜くはずの腕がシュテュルメントの蹴りに正確に打ち抜かれた。手を離れたビーム・サーベルが回転しながら落ちていく。カガリはひとまず距離を開けるほかなかった。シュツルメントからの追撃はなかった。ZGMF-X09Aジャスティスガンダム、イザーク・ジュールからの援護攻撃であったのだ。上空から飛来したビームがシュツルメントを追い立てた。

「カガリ、熱くなるな。そんなことでムルタ・アズラエルに勝てると思っているのか?」

 ミノフスキー・クラフト特有の滑るようななめらかな動きでシュツルメントは移動する。ストライクルージュのバック・パックにはミノフスキー・クラフトは搭載されていない。全身を輝かせるジャスティスにしても、パイロットであるイザーク自身まだその推進方法に熟達しているわけではなかった。
 2人がかり、ガンダム2機の力をもってしても、ムウ・ラ・フラガの軽口一つ潰すことはできないでいる。

「復讐という料理は冷まして食べろという言葉を知らないのか? カガリだったな。これまでに男と寝たことはあるか? もちろん、やらしい意味でな」
「な、何を言っている!?」

 ガンダム同士を繋ぐ回線は必ずしも映像を伴うことはない。それでさえ、カガリが顔を赤くしていることなど誰にでもわかるだろう。通信は、ムウが笑ったように息を吹いた様子さえ拾っていた。

「それと同じだろう。一時の迷いでことに及んで、いざ満足しちまえば途端に虚しくなることもある。どうしてあの時、自分は冷静に判断することができなかったのだろう。今なら我慢することだってできるはずなのにってな」
「もっとましな例えはないのか、馬鹿者!」

 バック・パックの2門のロケット砲。右腕のビーム・ライフル。左腕にはガトリング・ガン。ストライクルージュのすべての火力を一斉に解放した攻撃は月面に巨大な火煙をあげ、シュテュルメントを猛追する。そして、当然のように命中することなく、先に息を切らせたのはカガリの方であった。崩された月の大地が何ともむごい有様を醸し出していた。風のない月面。宇宙飛行士の残した足跡は何十年も残り続ける、そう言われていたのはすでに200年以上も前のことである。
 興奮しすぎたため息が荒い。カガリは呼吸を整え、追撃に打って出ようとする。その時、ストライクルージュが向かうはずであった方向を横切ってビームが通り過ぎた。決してルージュに命中させることを狙ったようには思われない攻撃は、しかしシュテュルメントから放たれたものではない。横にいるジャスティスからのものであった。

「裏切るのか、イザーク!?」
「勘違いするな。俺は聞きたいことがあるだけだ。ムウ・ラ・フラガだったな。貴様になら答えられるか? シホ・ハーネンフース、カナード・パルスは何故祖国を裏切った?」

 イザークがルージュの動きを封じ、シュテュルメントもまた動きを鈍らせた。気づかぬうちに3機のガンダムはグラナダ上空を離れた地域にまで移動していた。遠くではグラナダから出撃し、展開を始めた船団の誘導灯の明かりが散見される。
 無意味に回転して見せるシュツルメント。無意味ではあるが、生半可な技量では再現できぬ動きであった。

「地球につくかプラントつくか。それがそんなに大きな違いか? 気に入らない。憎らしい。殺してしまいたい。そんな剥き出しの感情のまま暴力と暴威をもって他人の権利を侵害する。それが戦争だ。プラントのしていることもお前たちが野蛮と唾棄する地球と何も変わってないだろ。それどころか、お前たちは善人で、俺たちは悪人だ。当然だが、悪人は善人よりも何倍も優れてる」

 普段ならば気さくだとか大らかとも受け止められるムウの声は、ここでは軽薄であり、嘲笑を含んだもののように聞こえていた。そして、ガンダムという力の衣を纏い、悪意は絶対の死を携えて訪れる。このガンダムを死神と誰かが呼んでいた。

「悪人はいい。自分のしていることが悪いことだっていう自覚があるからな。場合によっては省みることもできる。手加減を加えることもできるだろう。ところが善人ってのは厄介だ。自分のしていることが正しいと思いこんでるもんだからやることなすこと手加減なし。おまけに反省だってしない。人類の未来、新しい人の可能性。独立戦争。正当な権利の主張。敵討ち。裏切り者の制裁。お前たちは善で、俺たちは悪だ。だから、俺たちは戦うことができる。己の悪と向き合い、正義とは何かを探しながらな」
「私は貴様等のように私利私欲だけで動いているわけじゃない!」
「それがまずいんだよ、カガリ。目的が行動を正当化することなんてない。あるとすればそれはテロリズムの発想だ。俺たちとお前たちのしていることなんて大差ない。あるとすれば、自分のしていることを善と考えるか悪だと覚悟しているかの違いじゃないのか?」

 ともに戦争をしている。理想に燃えた正義の軍隊と欲にまみれた悪の軍団。正義と悪の戦争はこれまで幾度となく繰り返されてきた。それこそ、実際に起きた戦争のちょうど倍の数だけ。どのような専断的な独裁国家でさえ、自分たちを悪だと認めることは不思議とないものだ。

「ジョージ・グレンを思い出すな。あいつもそうだった。自分の正義を信じ、疑うことさえなかった」

 プラント最高評議会議員の息子とは言え、ただのコーディネーターであるイザークは素直に驚きを表現した。

「ジョージ・グレンに会ったことがあるのか……?」
「10年前の話だ。ユニウス・セブンで出会ったことがある」

 ジョージ・グレンは10年前に死んでいる。ユニウス・セブンで、血のバレンタイン事件に巻き込まれて。それはブルー・コスモスによって引き起こされた。

「ジョージ・グレンを殺したのはこの俺だからな」




 どちらから攻撃するでもなくて睨み合うキラとクルーゼ。オーベルテューレとトロイメント。この無手の鍔迫り合いとも言うべき対峙を解消させたのはトロイメントへと放たれた一筋のビームであった。もはや当然のようにビームはトロイメントをすり抜け、月面を深くえぐる。

「ラウ・ル・クルーゼ、あなた、あなただけは!」

 ZGMF-X10Aフリーダムガンダムが急降下を続けていた。さらに放たれるビーム。それがまるで効果がないとわかるや、フリーダムは躊躇なくライフルを投げ捨てた。ビーム・サーベルを抜き放ち、降下する勢いのまま、トロイメントへと斬りかかる。フリーダムの勢い、振り下ろされるサーベル。両者を同時に受け止めたトロイメントのサーベルから弾けたビームがスパークとなって周囲で輝く。

「ラウ・ル・クルーゼ!」

 さらに剣を押し込もうとするフリーダム。弾けるビームの量こそ増えたが、トロイメントは揺るぐことはない。そして、フリーダムを横から叩きつける力が攻撃そのものを中断させる。オーベルテューレ、キラがアスランを体当たりで突き飛ばす形でトロイメントから引き離す。フェイズシフト・アーマー同士が接触したことで光の粒子が撒き散らされる。

「やめろアスラン! ゼフィランサスが乗ってるんだ!」
「今ここでこいつを倒さなければもっと多くの人が犠牲になる!」

 フリーダムの押しつけるような蹴りはオーベルテューレを引き離すように突き飛ばす。しかしオーベルテューレはそれでもなお食らいつく。

「100人を救うためなら1人を殺すことも許されるっていうのか!?」
「邪魔をするな、俺はクルーゼを討つ!」

 フリーダムはついにはそのサーベルでオーベルテューレを攻撃する。オーベルテューレはシールドでサーベルを受け止める。表面が即座に融解を始め、爛れた傷が一筋、シールドに刻まれる。

「ゼフィランサスを傷つけることは許さない!」

 次に蹴りを放ったのはオーベルテューレ。フリーダムはもたらされた衝撃に体勢を崩す。しかしアスランは猛る勢いに任せてサーベルを突き出す。

「ふざけるな。個人的な都合で世界を危険にさらすのか!?」
「乗っているのがラクスでも、君は同じように引き金を引けるのか!?」

 キラはライフルの銃口をフリーダムへと向け返す。サーベルとライフル。それぞれの切っ先が互いの顔へと向けられていた。どちらも動かず、動けない。

「君にとって大切なのはゼフィランサスじゃなくてプラントで、正確にはラクスのいるプラントなんだろ。エゴを救世に置き換えるな!」
「プラントにいるのがゼフィランサスで、あのガンダムに乗っているのがラクスだとすれば、お前だってあいつを撃つだろう、キラ!」
「そしてアスランは全力で僕を止めようとする。今の僕みたいにね!」




 月面グラナダ。ここが戦略的要所であることは子どもでも理解できる。プラントの存在する月面裏側のラグランジュ・ポイントへの玄関口であり、地球軍にとってはここさえ落とせば後はプラント本国との戦闘に集中することができる。後は反対の話だ。防衛にさえ成功できれば、玄関口は閉ざされ、プラント本国の守りはより堅牢となる。
 今や遅しと出撃の出番を待つナスカ級の格納庫の中で、出撃準備を待つジンが並べられている。これは、そのコクピットの中の出来事である。
 ラスティ・マッケンジー--フレイ、アーノルドと一悶着起こした部隊の隊長である--は白いノーマル・スーツを着込み、すでに出撃の準備を整えていた。ヘルメットはまだかぶっていない。通信はブリッジと繋がっている。

「敵本隊は?」
「戦艦、総数で約30」
「約?」
「すいません。バルーンが展開していて、正確な数が掴めません」

 ミノフスキー粒子の影響でレーダーの精度は極端に低下している。こんな子ども騙し--以前から風船で兵器の数をごまかすというのはよく行われていたそうだが--でさえ使い方次第ということだ。

「そうか。だが、グラナダを30とはどういうことだ? 奴ら、本気で攻めるつもりがないのか?」

 ほとんど独り言であった。
 グラナダには2個師団相当の戦力が常時駐在している。現在の戦場でモビル・スーツが絶大な戦力である事実だけは地球軍がモビル・スーツを持とうと変わることはない。地球軍に空母として運用できる戦艦がまだ不足していることを鑑みると30隻すべてにモビル・スーツが搭載されているとは考えにくい。戦力を惜しんで部隊を分けたか。そうであればグラナダ有利な状況であると言えた。小出しにされた戦力を各個撃破し時間を稼ぎながら敵戦力を削ることができる。
 どうやら、部下も同じ意見を抱いていたらしい。

「なめられたもんですね、ラスティ隊長」

 アーク・エンジェルのクルーと騒動を起こす切っ掛けを作った奴だ。お調子者でたびたび騒動を起こす奴だが、兵士としての質は隊長であるラスティが保証しよう。素行を除いて、だが。

「アーク・エンジェルはすでに出撃している。無様な真似を見せたくないなら殊勲を挙げて見せろ!」

 部下たちの了解の返事を聞きながら、ラスティはヘルメットをかぶる。

(ここで稼ぐ1秒がプラント国民の血の1滴か……)

 仇討ちだとか侵略よりもよほど軍人としての矜持を抱かせてくれる戦いになりそうだ。




 とあるローラシア級の格納庫。ラスティの部隊とは異なり、ジンが雑多に押し込まれている。質よりも数。この言葉をそのまま体言するかのように、多くの機体が並べられ、新兵がパイロットを務めている。
 数は多い。しかし交わされる通信はラスティの部隊とは比べものにならないほどに少ない。皆無と言ってよい。誰もがコクピットという自分の城に立てこもっていた。出航を控え動き出す母艦を揺るがす振動。こんな慣れたはずのことにさえ心臓の鼓動を早めていた。
 リョウト・シモンズも例外ではない。妙な揺れが発生する度、攻撃でもされたのではないかと体がどうしても強ばってしまう。まだ、母艦は発進さえしていないのだ。
 こんな時、リョウトは首から下げた認識票--死体が損壊がひどい時や、輸血の必要がある時に必要になる--を手で強く握りしめた。ここには街で偶然見かけた英雄、アスラン・ザラとイザーク・ジュールに無理に頼み込んでもらったサインが書かれている。本当は規律に違反しているのだろうけど、肌身はなさず持っていられるものなんてこれくらいしかなかった。英雄たちも同じ戦場で戦ってる。このことを思うだけで勇気をもらえる気がした。
 急に通信が繋がった。相手は、英雄と出会った時に同じテーブルを仲間と一緒に囲んでいた少女。

「アスランさんたちに会えてよかったよね。やっぱり、エースは違うよ」
「リョウト……」

 モニターに映る少女はとても不安そうな顔をしていた。おかしい。何かを言おうとして通信を繋いだはずなのに、言いたいことを忘れて、つい少女の不安を取り除こうと必死になってしまった。

「大丈夫だよ、僕たちだってしっかり訓練は受けてる。それに、ここにはアスランさんやイザークさんもいるんだ。何とかなるよ」

 リュウトは少女と、そして自分にそう言い聞かせる。まもなくして出航を告げる通信があった。重たいはずの戦艦が徐々に動き出して、体が後ろに引っ張られる感覚があった。戦いがまもなく始まろうとしている。

「大丈夫だからさ。だから行こう。僕たちも」




 リョウトの友人である少年は母艦が加速している中写真を手にしていた。アスランたちのことに真っ先に気づいた彼は、同時に何かに気を取られると周囲が見えにくくなる。実際、アスランを見つけた時もそっちばかりが気になって仲間の話をまるで聞いていなかった。それはここでも発揮されている。写真を眺めることに集中しすぎて、コクピットのモニターが表示されていることに気づくことが遅れてしまった。
 モニターには、何かと大仰な仲間があった。この彼も同じテーブルにいた。たしかリョウトにびしびしとひしひしの間違いを指摘されていただろうか。こんなくだらないことばかり覚えている。

「何だ、ペットの写真か?」
「そんな訳ないでしょう」
「じゃあ、彼女かよ?」

 わざわざ見せる必要もない。写真にはプラント本国の家を背景として、父と母、妹の姿が写っているだけである。

「……家族の写真ですよ」

 モニターの向こうの彼はにやついた顔を崩そうとしない。

「何か文句ありますか?」

 代わりに写真をモニター一杯に見せつけてきた。どこかの工場なのだろうか。横倒しにされた鉄筋の上に男性ばかり5人が写っていた。その中の1人が彼で、年輩の男性が父親、残りは兄弟なのだろう。みんなどうにも弾けた様子で笑っている。彼がどうしてこんな性格になったのか、これでわかった気がする。

「俺も女とは別れたばかりでな。まあ、断末魔がママ~ってのだけはやめとけ」

 理解はできそうにないけれど。




 ZGMF-515シグー。ジンに比べると、全体的に細身の印象を受けるこの機体は、生産コストの関係上、主に隊長機として運用されている。このかつての高性能機は白に近い灰色を体色としているが、現在グラナダに展開されている機体の中には、完全な白で染められた機体があった。
 純粋な白で包まれたそれは、他の多数のシグーによって取り囲まれ、よりその白さを引き立たせていた。高級機--ガンダムほどではないが--として知られるシグーによってのみ構成される1個中隊。その隊長機たる白。漆黒の空をそれこそ月によって月面状に切り取られる光景を背景に、ただ唯一浮かぶ白。この構図を、戦争に関わるすべての者は知っている。ホワイト・ファング。汚れない白の牙の名を冠せられるエース・パイロット。そしてその部隊なのである。

「さて、今回はどれほど弾が必要かしらね?」

 一度たりとも発砲したことがない。それゆえ血で汚れぬ牙と呼ばれるアイシャは、鼻歌交じりにつぶやいた。
 その様子は逃亡犯であるゼフィランサス・ズールをそうとしりながら自宅に招いた際と何ら変わることはない。自分のしたいことをし、自分のしたいように考える。
 敵はプラントの国力、少なく見積もっても10倍と言われる地球軍である。現在グラナダを目指す戦力は約30。仮にこれですべてだとしても、総戦力にはほど遠い。パトリック・ザラ議長は殲滅戦のように吹聴しているが、プラントの国力で地球を攻め滅ぼすことはどだい無理な話なのだ。できるとすれば、どこかで戦争をやめさせること。
 ザラ議長はなかなか首を縦には振らないだろう。地球もどこまで交渉に応じてくれることか。ならせめて時間を稼ぐ。議長がその石頭を柔らかくするまで、地球の人たちがプラントの声を聞いてくれるまで。

「逃げる訳にはいかないでしょ、ゼフィランサス」

 国と仲間を守る。それが、今したいこと。




 迫り来る地球軍の艦隊。グラナダを発したザフト軍の戦艦は隊列を組み、モビル・スーツを吐き出し、迎え撃たんとその準備を着々と進めていた。
 グラナダ。月面のこの基地は要所である。プラントには本国を守る事実上の最後の要塞である。4年前、かつて地球軍を圧倒し、月にプラントの国旗を打ち立てた。それはかつて月面に始めて足をつけたアームストロングほどの偉業だとプラントは沸いた。かつては宇宙服に身を包んだ男が、現代はモビル・スーツが巨大な旗を持ち月面に立つ姿は街中に張り出されたほどだ。まさにザフトの力の象徴であり、ザフトが初めて大地に得た占領地。それこそがグラナダであった。
 地球にとって、それは屈辱であった。国力差は小さく見積もっても10倍。当初圧勝に終わると考えられていた戦争は勝利どころか敗退に次ぐ敗退。グラナダを失ったことは地球軍の劣性を決定づけた。戦略を語るなら、月ほど適した橋頭堡は存在しない。プラントへと攻め上がるための礎に、反攻の象徴としての生け贄としてこれほど適した場所は他にない。奪われたものは、奪い返す。
 戦争のすべてがそれに起因するように、両者はともに譲れないものを持つ。認めることができないからこそ、戦争は引き起こされる。
 展開する両軍。月は、激戦の予感に打ち震えた。




 奇妙な光景だと白状せざるを得ない。ナタル・バジルールにとって母国の戦艦と戦うことはこれで2度目のことだ。とは言え、横に敵の戦艦が、正面にかつての味方の戦艦が並ぶ光景は違和感を禁じ得ないものであった。
 さて、どのように戦おうか。ザフトとの連携はまだ十分に機能しない危険性があった。地球軍の艦船と戦うことはザフトを相手にしている時とは趣が異なるものだ。艦長席の上で眉間にしわを寄せるナタルへと、クルーであるアサギ・コードウェルの声が聞こえた。

「軍本部より撤退命令です!」

 額のしわがよりすぎて目が細くなったほどだ。

「確かなのか?」
「はい、間違いありません!」

 確かに手元の端末には撤退命令の詳細が表示されている。グラナダの防衛を外れ、ボアズに迎えとする指示だ。それもどうやら、防衛隊全体ではなく少なくともわかる範囲ではこの部隊だけのようだ。いざ戦いが始まるという時にどういうことなのだろうか。しかし命令は確かに出ている。迷うにしよ、まずは行動を起こしてからにすべきだろう。

「フレイ、取り舵一杯。船団から離れる」

 フレイは了解も復唱もなく--まだ兵士としての自覚が足りていない--舵を大きく動かし始めた。アーク・エンジェルが傾き、船団とは離れた方へと移動を始める。ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世--普段副艦長として出しゃばったことはしない彼でさえ--が落ち着きをなくしたように椅子を回してナタルの方を見た。

「どういうことでしょう? 我々の部隊だけのようです、撤退命令は」

 わかるはずがない。戦力を温存しておきたいと考えることが自然だが、それが今のタイミングという理由がわからない。グラナダの放棄を決めた訳ではないようだ。アーク・エンジェルが次第に戦場から遠ざかっていく中、ザフトの船団は地球軍との決戦に備えて進行を続けている。
 戦いの音が聞こえ始める--月に大気はないが--のはまもなくだろう。音のない宇宙において、それでも何かが弾けたような音がした。途端に鳴動に振動にアーク・エンジェルが震える。直撃を受けたような激しい振動に、席に掴まり、ナタルは歯を食いしばって耐える必要があった。操舵手として立っているフレイは舵にしがみつく必要があったほどの揺れであった。

「一体何事か!?」
「電磁パルス計測。通信途絶! 連絡取れません!」
「ザフト軍、損害甚大です! 被害の全容、把握しきれません!」
「第二波来ます!」

 再びアーク・エンジェルを揺らす衝撃。身構えていたはずのクルーたちの中から悲鳴があがる。すぐそこで起きた圧倒的な事実に心を食らいつく尽くされていた。

「核を使ったのか……?」




 はじめは一つの光の玉。それが途端にいくつも浮かんで、葡萄の房のように、無限に増殖し宿主のすべてを喰らい尽くす癌細胞のように一斉に広がった。この光の玉の中に、ザフトの船団は消えていった。
 計測される電磁パルス。衝撃波が月の砂を浮かび上がらせ、怯えた砂々が一斉に逃げ出し始めたかのように光の遠くへ遠くへ衝撃波が駆け抜けていった。核が使用されたのだ。人類史上、今から250年以上も前に2度だけ戦争で使用されたことを最後に兵器として使われることがなかった核が。
 アスラン・ザラはグラナダから遠く離れた場所で、漂うフリーダムガンダムのその中で、かぶったままのヘルメットを強く抱え込んだ。指が、堅いヘルメットを砕いてしまわんばかりに。

「何故だ……、何故こんなことが平然とできる!」




「あそこには、大勢の人が生きていたんだぞ。たくさんの人生があったんだぞ……」

 カガリの言葉を聞く者はいない。
 そばに漂うジャスティスガンダム、そのパイロットであるイザークでさえ、膨大な光が仲間たちのことを呑み込んでいく光景に言葉を失っていた。ムウ・ラ・フラガは、ガンダムシュテュルメントはすでに姿を消している。
 毒の光にすべてが蝕まれる世界を残して。




 ロッソイージスを脇から抱えるようにネロブリッツが飛行している。光の戦場から背を向けるように、直前に戦場を脱出した母艦に向かうために。その姿は、泣きじゃくる少女を抱える少年そのものであった。

「泣くなよ、アイリス……」
「みんな死んでいく。死にたくない……。殺したくない……、でも……、でも……、嫌だよぉ……」




 グラナダ陥落。このあまりに早い侵略劇は、プロローグとしては数多の観客に不満と悲憤を抱かせたまま、フィナーレへと急速に加速を始めていた。




 これを戦争と呼んでいいのだろうか。錆び付いた銃底を支え、塹壕に降り注ぐ雨に傷口を腐らせながらナイフ1本で敵を切り裂く。そんな戦場を期待している訳ではない。しかし、マリュー・ラミアスを納得させるものは、今目に見えるものには何ら含まれてはなどいない。ここ、アーク・エンジェル級2番艦ドミニオンの艦長席からは。月面に、戦場を遠くに臨む漆黒の大天使。これこそがマリュー・ラミアス少佐の艦長として任された戦艦であった。
 艦長として、マリューはモビル・スーツ部隊の隊長を出迎えた。構造上、艦長席の後ろから回り込むように男はブリッジに姿を現した。すでに軍服に着替えている。大佐の階級章がつけられた大西洋連邦軍の制服に袖を通す姿には未だに見慣れることができない。ザフト軍もまた白い制服が存在するのだ。男はサングラスにその素顔を隠しながらマリューへと向き直る。

「戦況は?」
「ピース・メーカー隊はメビウスが7機撃墜されましたが大戦果です、クルーゼ大佐」

 こう答えるしかないではないか。マリューは軍人であり、相手は上官である。
 続いてブリッジには同じく白の軍服を着た男性。袖をまくり上げているその姿には見覚えがある。違和感がないことに違和感があった。

「本当に艦長につけたんだな」
「彼女はアーク・エンジェルの艦長を勤め上げた。同型艦の艦長には適任と思うが?」
「フラガ、大佐……」

 これが2人目の名前である。かつてアーク・エンジェルで戦いをともにし、アフリカでの戦いで行方知れずとなった大尉である。

「色々複雑だとは思うが、よろしくな」

 その砕けた様子だけはかつてと何も変わらない。こんなおどけた表情のその奥で恐ろしいははかりごとをしていた以上、もはや信用できることが信用におけない。

「鉛玉が核に比べて人道的な兵器であるとは言いません……。ですが、あなた方のしていることは開き直りとしか思われません。誰もが悪事を働いているなら、自分たちがなすことも構わないと言っているようにしか聞こえません……」

 上官非服従で懲罰房行きだろうか。かつてフレイ・アルスターに懲罰を命じた時のことが自然、思い出される。しかし、彼らは一切不満な様子を見せることはなかった。それは新たな3人目の男も変わらない。

「それでよいのです。我々は否定されなければならないのですから、すべてから、誰からも」

 現れた男エインセル・ハンターもまた同じであった。白い軍服を身につけ、身分を偽り、柔らかい髪質の金髪に青い瞳。並んでみると、ムウ・ラ・フラガ、ラウ・ル・クルーゼ、エインセル・ハンターは驚くほどよく似ていた。そして彼らはそろって、一切の呵責に見舞われている様子は見せなかった。




 何もない部屋である。ただし、それも過去の出来事。ここはプラント国防委員長がその席を構える部屋である。普段は広い部屋、その中央に1対の机と椅子が並んでいるだけである。しかし、現在は有事。かつてユーリ・アマルフィにプレア・ニコルの封印を解くことを打診したこの部屋は一変していた。確保されていたスペースには机から椅子から膨大な資料、そして機材に人材がひしめいている。ザフト軍総司令部としての地位と機能を与えられているのである。
 部屋の中央でいかめしい顔をさらに険しくしているのはパトリック・ザラ国防委員長。委員長のみが座ることを許された椅子に腰掛け、その目線はまっすぐ前へ、同じ高さに向いているそれは、このプラント最高評議会議長をも兼任するパトリックを前に座ることを許された者と対面していることを意味する。
 人々がかけずり回り、時には怒声さえ聞こえる。だが、それでもパトリック・ザラと対峙する男の声は異常なほどに通って聞こえた。

「パトリック、私と君は手段が異なるだけで目的は共通している。違うかな?」
「私は無知蒙昧なナチュラルどもに鉄槌を下すことを目的としている」
「君とレノア君は仲睦まじい夫婦だった」

 厳しい顔をしたまま、、パトリックは機会を得たとばかりに机を叩く。グラナダの陥落。ユニウス・セブンで命を落とした妻のことを引き合いだされたことで、パトリック議長は耐えるということをやめた。

「私が私怨で動いていると!」
「それがすべてとは言わない。だが君は、コーディネーターの偉大さを認めようとしないナチュラル。コーディネーターの優位性から目をそらし続けるナチュラル。その極地が、あの事件だと考えているのだろう?」

 相手は何ら声音を変えようとしない。パトリックは渋々と机に乗りだしかけたその体を椅子へと戻す。もっとも、腹の底は煮えくり返っている。血のバレンタイン事件。妻の命を奪い、自身の身さえ危うくされて事件のことをいつまでも聞かされたい訳ではないのだ。そんなことは関係ない。今問題とすべきことはグラナダ陥落。この一報に尽きる。

「グラナダで奴らは核を使った。滅ぼさねば滅ぼされる。それだけのことだ!」
「この戦争は始めるべきでなかった。しかし、いくつもの不幸が重なってしまった。血のバレンタインでは民は嘆き悲しみ、その怒りを抑えるためにはニュートロン・ジャマーの降下に踏み切らざるを得なかった。そうすれば当然戦争だ。私としてはプラントの民に地球に降りてなどして欲しくはなかった」
「あなたのお考えはわかる。だが、この戦争、ただ相手を滅ぼせばよいのではない。コーディネーターこそが新たなる支配者であることを示さなければならない。ナチュラルどもに認めさせてこその勝利なのだ!」

 有権者にその力強さを印象づけてきた議長の言葉も、かつての議長、相手にはまるで通用する様子を見せない。相手は首を回す。

「かの神祖ジョージ・グレンはコーディネーターだけの世界を作りたかったわけではないのだよ。ただ、ナチュラルもコーディネーターもともに手を取り合い、分け隔てなく誰もが正当に評価される世界を築きたかったにすぎない」

 そして、杖を鳴らす音。

「私はいつも考える。戦争なんて起きなければ、和平交渉が結実していたなら誰も死なずに、そうでなかったとしても最小限の犠牲で、2度と戦争の起こることのない平和を築くことができたのだとね」
「絵空事だ」
「現実だ。決してあり得ない話ではないよ。我々はそんな世界のために、それこそ1000年にわたって戦ってきたのだからね。レノア君とはよく夢を語らった。君とも、いずれは語らえることを願っているよ、パトリック」




 不機嫌な議長を残して、男はその部屋を後にした。杖をつつき、しかし杖を必要としているような弱々しい足運びではない。暗い廊下を踏みしめる足はしっかりと、その柔和な微笑みを浮かべた顔は、しかしその表情をいつまでも維持しているということにおいて強ささえ漂わせた。

「ラクス、いるかい?」
「はい、お父様」

 忠実な娘は、まるで闇の中から命じられるまま染み出したかのように姿を現す。桃色の髪を揺らしながら、父の適度な後ろを適度に歩幅をあわせて歩いている。

「グラナダが落ちたそうだ。そうなると、本国の守りはボアズ、ヤキン・ドゥーエしか残されていない。何か妙案はないかな? 敵を撃退する必要なんてないんだ。ただ、ちょっとの時間が欲しい。できるだけ既存の戦力を削らずに、それでいて敵の足を止められる。そんな作戦はないものかな?」

 その表情はわがままな子どものように屈託ない。

「もしもあるなら、私はその時間を戦争を終わらせるために使うつもりだよ」
「一つ、ございます。お耳を拝借してもよろしいでしょうか?」

 足を止め、身を屈める。すると娘は、至高の娘はそっと父の耳元で囁いた。

「それはいい考えだ。君には期待しているよ、ラクス」
「お任せください、お父様。ヴァーリは、決してあなたを裏切りませんもの」

 Gのヴァーリでありダムゼル、ラクス・クラインは再び廊下の闇に消えていく。残されたのは男が1人。シーゲル・クライン。男は闇の中を1人、決して微笑みを絶やすことなく歩んでいく。




 イザークは難しい顔をしていた。腕を組んで宙を漂っているが、武人であるイザークは戦術のことを考えることはあるかもしれない。しかし戦略を構築するような高等なことはしないだろう。カガリはそんな失礼なことを考えながら、自分は壁に備え付けの椅子に座っていた。もう、月の重力圏からは離れてしまっている。本来カガリはアーク・エンジェルに戻るべきなのだが、戦場を離脱する際、こちらの方が近いとイザーク、アスランの母艦であるナユカ級に乗り込んだ。
 ここは休憩室だ。壁にはいくつかの椅子。スクリーンには森林の様子が投影され、それが壁一面を覆っている。見た目以上に部屋を広く見せていた。イザークはそんな木々の間を漂っている。

「カガリ、1つ聞きたいことがある。ユニウス・セブンで何があった? 俺が知っている以上のことが、あそこで起きたんだろう?」

 ムウ・ラ・フラガがジョージ・グレンを殺した。その言葉を気にしているのだろう。

「トップ・シークレットだ」
「ヴァーリのことは知っている。ミルラが話した」
「あいつ……、まったく」

 少なくとも完全に無関係ではないらしい。口の軽いMのヴァーリ--ミルラの花言葉は真実だっただろうか、一体何の皮肉だ?--がいろいろ話している以上、ガンダムに乗っている以上、もはやイザークも無関係とはいかない。どこまで話してよいものか悩みながら、カガリは少しずつ話をする決意を固めつつあった。

「いいだろう。聞かせてやる。だが、他言はするな。約束できるか?」

 イザークは頷きもせずカガリのことを見ていた。

「ユニウス・セブンは当時プラントが違法に食料生産、これは違法というのは地球側の意見だが、ともかく、食料生産を行っていたコロニーの一つだった。そのこと自体間違ってないが、作られていたのは食べ物ばかりじゃなかった。様々な人体研究が行われていた」




 アーク・エンジェルのブリッジに、キラは久しぶりに足を踏み入れていた。パイロットとしてここでできることなんてないにも等しい。それでもここに来るつもりになったのは、目の前の少年に原因がある。ディアッカが不安そうとも神妙とも、落ち着きのない眼をキラへと向けていた。ディアッカばかりではない。フレイやナタル艦長にクルーたちもまた、キラに何かを期待するかのようにおのおのの場所から視線を送っている。

「キラ、ユニウス・セブンで何があった? アイリスのあの怯えよう、ただ怖いとは……、何か違う感じがした……」

 戦闘中に取り乱したアイリスは現在は医務室に寝かされている。そう聞かされている。

「キラ、私からもお願い」

 フレイもディアッカも、アイリスとは少なからず関係がある。そして、この場の全員がヴァーリという存在に関わりすぎた。引き返すことができないなら、いっそ突き進むことも手だろう。

「ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンは、国を持ちたがっていた。その理由はコーディネーターを守るためだとされているけど、それはおまけみたいなもので、実際は実験場が欲しかったからなんだ。当たり前だね。当時地球では人体への遺伝子操作や研究は禁じられていたし、そんな研究をしていれば倫理委員会が黙ってない。実際、ジョージ・グレンを作り出したのがどこで誰なのかも現在では公表されていない」

 それでも国さえ持てば主権を得られ、すべての国家と形式上は対等の関係となる。

「ユニウス・セブンはそんな研究を集中的に行っている場所だった。僕たちドミナントも、ヴァーリもそこで生まれたんだ。もちろん、ゼフィランサスやアイリスもね」

 だからこその研究をブルー・コスモスにかぎつけられ、その標的とされた。

「僕たちはある意味では完成された試作品だったからモルモットみたいな扱いをされていた訳じゃない。でも施設の異常さを感じながら、C.E.61年、2月14日を迎えた。研究施設をブルー・コスモスが襲撃したんだ。このメンバーの中に、エインセル・ハンター、ラウ・ル・クルーゼ、ムウ・ラ・フラガはいた」



[32266] 第40話「血のバレンタイン」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:11
 C.E.61。C.E.71より数えて10年前。すべてが始まりを告げた年。
 少年の声が聞こえる。

「やってるな、テットの奴」

 異常なほど白く清潔な壁。照明に照らされ淡い白の照り返しを放つ。どこぞの病院か研究室を思わせるその場所は、断続的に激しい揺れにさらされていた。窓の外に広がる広大な密閉空間。その中で暴れる2体の巨人がその原因である。
 それは機械でできた体、剥き出しのフレームを持つ10mを越える巨人であった。後にモビル・スーツと呼ばれる機体群、その雛形である。コクピットは胸部から突き出たガラス・ケース内に設置されており、観戦席とも言うべき部屋からさえパイロットの様子が見えた。
 栗色の髪をした子どもが操縦する巨人が対峙する巨人を力任せに壁に叩きつけると、ぶつけられた巨人はそのまま動かなくなる。揺れが伝わり窓ガラスがしなる音がする。
 部屋には少年と少女。少年は濃い紫色の髪を、少女は金髪をしている。どちらとも5歳程度の身長であった。2人は窓越しに巨人の決闘を眺めていた。
 少女はため息をついた。

「やっぱりゼフィランサスの機体はすごいな。パワーがまるで違う」
「その代わり、お金もサイサリスの3倍はかかってるんだってさ、ギーメル」

 少年は少女をギーメル・スリーと呼び、少女は少年をアルファ・ワンと呼び返す。

「それにゼフィランサスの機体ならテットの思い入れも強いだろうからな。意地でも勝んじゃないか、アルファ」
「言えてる」

 2人の子どもの見つめる先、壁に寄りかかるように倒れる巨人とその前で膝をつく巨人がある。部屋の壁からアームがゆっくりと巨人たちの方へとのばされていく。アームの先端にいるのも子どもであった。数は2人。先端にとりつけられたリフトの上で、1人は備え付けのモニターを覗き込み、もう1人は手すりに手をおいて跳ねていた。どちらも青い髪をして、寸分違わぬ容姿をしている。
 声を上げたのは手すりにいる方の少女である。

「あ~もう。サイサリスお姉ちゃん、テットの奴またやったよ!」
「大丈夫、大丈夫。これくらい修理できるからローズマリー」

 顔は同じでも持つ雰囲気はまるで異なる。サイサリス、サイサリス・パパと呼ばれたモニターの少女は穏やかな表情を浮かべている。落ち着きなく跳ねるローズマリー・ロメオとは正反対であると言えた。この2人は姉妹であった。ヴァーリであり、第6研のPとR。
 勝利を飾った巨人の胸のケースが開き、少年が姿を現す。まだ幼いながらも危なげない足取りでケースを出ると、ハッチ脇の乗降用ケーブルに足をかけするりと降りていく。
 ローズマリーはリフトの上から手すりにかぶりつくように降りていく少年を見下ろす。

「こら、テット! テット・ナイン!」
「ローズマリーもサイサリスも安物をどれだけましにできるかばかり考えてないでさ、もっといい機体造ってよ。それと僕をナインて呼ぶなよ!」
「限られた予算でいいもの造るってことの大変さ、わからない!?」

 少年は聞く耳持たない。ローズマリーのことを見ようともしないで誰かを探して首がせわしなく動く。やがて目当ての人物を見つけると同時にテットは破顔した。

「あ、ゼフィランサス!」

 まだケーブルが下につていないというのに飛び降りてまでテットは先を急いだ。支えを失ったケーブルが不規則に跳ね回る。また、ローズマリーの顔にも秩序立っていない痙攣が見られた。

「今度、テットの機体に爆弾しかけてもいいかな、いいよね、サイサリスお姉ちゃん……!」
「駄目に決まってるでしょう、ローズマリー」

 サイサリスはこの戦いで得られたデータをまとめるべく、指先がせわしなくコンソールを叩いている。




 純白で覆い尽くされた廊下。くだんの人型兵器の実験場と通じる道。赤い髪をして、しかし顔はサイサリスとローズマリーとも変わらない少女が2人。その中で1人、ロベリア・リマが深いため息をつく。その口を手で隠そうとはしていない。隠そうにも、ロベリアには両の手が存在していない。

「あ~あ、私も操縦してみたかったなぁ~。義手つけてやってみようかな?」

 上げてみる右手。その手には肘さえなかった。せめて肘があったなら高性能な義手もつけられるのだが。
 ロベリアの隣を褐色の肌と赤い髪をしたヴァーリが歩幅をあわせて歩いている。2人はまだ幼く身長差はないに等しいが落ち着いた表情の分だけ、カルミア・キロの方が年上の印象を受ける。

「やめておいた方がいいんじゃない? テット君は誰に対しても手加減なしよ」
「いいよ、アルファ君に相手してもらうから。ギーメルちゃんだけは嫌だけどね、カルミアお姉ちゃん……」
「大丈夫じゃない? 操縦はうまいから殺さない程度にとどめてくれるわ」
「死んでないってだけなんて嫌だよ……」

 同じドミナントでも性格はまるで違うのだから。テットは末弟であるせいか子どもっぽい。アルファはさすがのお兄ちゃん。ギーメルは女の子なのに乱暴。それがロベリアのおおよその認識なのである。
 あの中の誰がアスラン・ザラに選ばれるのだろう。そんなことを考えている内に、ロベリアの目に入ったもう1人の姉の姿に声を出して駆け寄った。

「ジャスミンお姉ちゃん!」

 ジャスミン・ジュリエッタは駆け寄る妹に目もくれない。しかし何かを見ているでもない。元から視力を持たないのだ。そんな姉の様子に、カルミアが尋ねる。

「どう、ジャスミンお姉さま?」
「うん、やっぱり視神経が駄目みたい……。だから難しいかもしれないけど、もしも視力が駄目ならバイザーを用意してくれるって。ちょっと楽しみかも。私、まだ2人の顔見たことないから」
「まあ、同じ顔なんだけど……」
「私の肌は褐色になるよう調整されてるけど」




「ねえ、僕たちさ、髪の色は同じだけど瞳の色はバラバラだよね。だからさ、同じ髪型にしてみない?」

 そんなことを言い出したのはEのヴァーリ。緑の髪を伸ばしていることはここにいる3姉妹全員が共通している。それは当然のこと。すべてのヴァーリは同じ研究所出身の目印として髪の色が統一されている。第2研は緑なのだ。ただ唯一、瞳だけは共通していなかった。
 赤と緑のオッド・アイはDであるデンドロビウム・デルタ、Eのエピメディウム・エコー。Fであるフリージア・フォクスロットは両目とも緑である。そして、DとEは左右の組み合わせが反対である。
 立ったまま、座っている姉と妹に話しかけるエピメディウムはどこか楽しげだった。デンドロビウムは椅子にだらしなく腰掛けていた。

「そんなことしても意味ないだろ。後ろ姿が紛らわしくなるだけだ」
「そんなこと言わないでさ、デンドロビウム。フリージアはいいアイディアだと思うよね?」
「エピメディウム姉さんがしたいなら私はいいと思います」

 第3研の末妹は椅子に小さく腰掛けたまま気後れした様子でそうと答えた。その様子は小動物を思わせて母性をかきたてた。5歳。まだ母と呼ぶには早すぎる歳ながら、エピメディウムは妹の頭に抱きつく。

「まったく、かわいいんだから~」

 髪に手を入れられ困惑顔のフリージア。デンドロビウムの言葉はさらにFのヴァーリを困らせた。

「じゃあ、私が嫌だと言えば、フリージアはどうする?」
「え! え~と……、その……」




 ここは実験室ではなくて孤児院か託児所なのではないだろうか。時折、ここの職員たちはそんなことを考えた。
 大きな吹き抜けのフロア。子どもたちが閉鎖された空間で余計なストレスをためないようにと、小さな滝のある噴水に観賞植物が小さな森を形作っている。子どもたちが時間があいた時、よくここに姿を見せていた。
 上階から見下ろして、男性職員に手すりに体を預けている。今は車椅子に座るズールとそれを押すナイン--付き合っていると施設内公認のカップルだ--の姿が見える。
 同僚が話しかけてきたのは、そんな仲睦まじい恋人たちのことを眺めている最中のことであった。

「どうだ? 我らが姫君たちの様子は?」
「元気なものだよ。子どもを育てるってことは家の中に台風を放つようなものだなんて言ってた学友がいたけど、今なら奴の気持ちもわかるな」

 そんな彼も次に3人目の男の子が生まれるそうだ。大変だとうめきながら今度の子の髪の色は青にしたと楽しげに話していたことが印象的だった。できるかぎりナチュラルにない色にしたかったのだそうだ。

「ヴァーリが26人。ドミナントも含めれば35人だからな。そう言えば知ってるか? そろそろダムゼルとアスラン・ザラが決まるそうだ」
「そうか……。では、彼女たちは離ればなれになってしまうな。ところで、下馬評はどうなってる?」

 同僚は背もたれに体を預けた。

「アスランはアルファ・ワンじゃないかって言われてるな。ガーベラ・ゴルフは手堅いだろう。後は第2研の双子。あくまで噂だが、ズールが内定したって話もある」

 ズールについては特に驚くに当たらない。それほど優れた技術者であって、技術顧問であるジャン・カローロ・マニアーニ主任も推していた。聞いた名前は、すべて順当なところだろう。反対にない読み上げられない名前に、男性研究員は表情を曇らせた。

「フォクスロットは駄目だったか……」
「それは仕方がない。一つの研究所から2人もダムゼルが出ること自体すごいことだからな。ただ……」

 同僚が口ごもる間、フリージア・フォクスロットについて考えた。第2研の第3世代。優秀な姉2人と凡庸なヴァーリであるフリージア。優れた第3研で唯一ダムゼルに選出されないヴァーリが誕生してしまうことになる。
 こんなことを考えている内に、同僚は決意を固めていた。

「ヒメノカリス・ホテルは、やはり無理らしい……」
「……そうか」

 これでHのヴァーリはもうお終いだろう。洗脳が強く作用しすぎた。ダムゼルになれない以上、もはや心が壊れてしまうだけだろう。遅かれ早かれ処分されることになる。
 騒ぎが聞こえ始めた。職員たちが慌てた様子で走っていた。またホテルが暴れているのだろう。噂をすれば影とは言えない。それほどホテルが暴れ出す頻度は高まっていた。
 男性職員は同僚ととも走り出した。職員たちが集まっていく方向。騒ぎの震源地はすぐに見つかった。不自然に開かれたままのドアから堅い音がするとともに男が仰向けに倒れた。ドアの縁を跨ぐ形で倒れた男は完全にのびているらしく、鼻がおかしな方向に曲がって血が出ていた。

「お父様……、お父様ぁ……!」

 少女の悲鳴にも似た叫び声が染み渡る。
 倒された男には悪いが介抱することもなく部屋の中を覗き込むと、桃色の髪を振り乱して少女が暴れていた。目は血走り年端のいかぬ子とは思えない形相をしている。床には他にも3人の男が倒され、今しがたホテルを押しとどめようとした1人が顎を強打され腰から崩れ落ちた。

「お父様はどこ……!?」

 涙を流しながら。怒号を発しながら。
 女性職員を中心とした人垣が部屋の中には作り出されていた。ヒメノカリスの素質も素養も並の5歳とでは比べものにならない。ただの大人では取り押さえることさえ難しい。
 まだ部屋の入り口付近に留まっていた男性職員を押しのける制服が見えた。警備だ。警備は腰からピストル--拳銃ではなく発射式のスタンガンである--を抜くなり、ホテルへと向けた。

「電気銃を使う。離れていろ!」
「子どもにそんなものを使うのか?」
「もう5人も殴り倒されてる。そんなことを言っている場合か!」

 警備は引き金を引く。発射されたソケットがヒメノカリスの衣服に付着すると、ケーブルで銃と体とが繋がる。その途端、ヒメノカリスが倒れた。端から見ているだけでは何が起きたのかわからないが、体の自由を奪うほどの電流が流れたのだ。苦痛に呻きながら、それでも立ち上がろうとするヒメノカリスに、警備は再度電流を流す。動こうとする度に電流を流す。やがて、ヒメノカリスが動かなくなるまで。
 小さな体が痙攣して震えていた。地面に擦りつけられた顔は表情を作ることさえできずに垂れ流される唾液が床を汚していた。




 ヒメノカリスが取り押さえられた部屋は、吹き抜けに面したところにあった。吹き抜けの対岸からなら、その光景ははっきりと見えていた。苦しげに暴れ回り、電気ショックに倒れるヒメノカリスの姿を、同じく桃色の髪、青い瞳をした2人の少女は目にしていた。
 アイリス・インディアは隣のほとんど身長の変わらない姉の袖をすがりつくように掴んでいた。

「ねえ、ガーベラお姉ちゃん……! どうしてお父様は来てくださらないの? ヒメノカリスお姉ちゃんはあんなに辛そうなのに……」
「お父様にはお父様の御心があるのです、アイリス」

 怯えたような今にも泣き出しそうな表情をしているのはアイリスばかりであって、ガーベラ・ゴルフは平然と、表情を変えることなくヒメノカリスの、妹の様子を眺めていた。
 遠く、遠く、電気に筋肉を侵されのたうつ妹の姿を。

「でも……!」
「お父様はいつだってすべての人の幸福を考えておられます。今は耐えてください、アイリス」




 デンドロビウム・デルタ。エピメディウム・エコー。第2研の第1世代、第2世代の2人がダムゼルに選出されることが決定した際、関わった職員たちの喜びはひとしおであった。至高の娘、ラクス・クラインこそ逃したものの、2名ものダムゼルを輩出した研究所は他になく、誰に対しても誇れる快挙であった。
 当然のように宴が催され、会場は割れんばかりの歓声に包まれていた。誰もが喜びを謳歌していた。ダムゼルに選出された2人の少女も、研究員たちも我がことのように歓喜を素直に表現していた。
 そして、唯一ダムゼルに選出されなかったヴァーリもまた、その思いだけは決して変わることはない。しかし、フリーク--失敗作--であることが決したヴァーリは、1人廊下の片隅で壁に背中を預けていた。会場からさほど遠くもないが近くもない。人の声が聞こえなくなるのは怖くてできなくて、でも喜ぶ人の声が辛かった。だからフリージア・フォクスロットは近くも遠くもない廊下で1人立っていることを選んだ。
 寂しいのか辛いのか、それともダムゼルに選ばれた姉への嫉妬であるのか、まだ幼いフリージアは区別することができなかった。ただあの場所にはいたくない。そんな思いに素直に応えた。
 ただ1人でいられればよかった。それは叶わない。ふらりと訪れた女性職員がフリージアの姿を見つけたのだ。いつも白衣姿で、その癖に香水の匂いがきつかった。女性はそんなフリージアの気持ちを知ることもなく、知ろうともしないで話しかけてきた。

「フォクスロット、こんなところにいたのですか」
「みんなすごく嬉しそうで、少し疲れちゃいました……」
「あなたも誇らしいことでしょう。あなたもこれからは2人を姉としてではなく、ダムゼルとして敬う気持ちを忘れてはいけませんよ」

 姉たちはダムゼルでお父様のために働くことができて、フリージアにはそれができない。
 フリージア・フォクスロット。レノア・ザラ部長がヴァーリに花の名前を与えてくれるまで、フリージアは単にF、フォネティック・コードでフォクスロットと呼ばれていた。そんな記号で呼ばれることが嫌で、フリージア、かわいらしい名前をもらった時嬉しかった。でも、花言葉は憧れ。

「はい……、わかってます……」

 フリージアは、この時、自分の名前が少し嫌いになった。




 暗い部屋。扉が軋んだ音とともに光が射し込み、部屋中に整然と置かれた棚と並べられた容器に光が当てられる。光のさす道を歩くのは黒髪の少女。生まれてから一度も切っていないのではないか、それほど長い黒髪をしている。
 ミルラ・マイク。Mのヴァーリは嬉々とした様子で小走りに、棚へと近づいていく。部屋の照明は灯されていない。開かれたままの扉の隙間からの明かりをすべてに、ミルラはガラス容器に手をついた。
 これが毎朝の日課なのだから。

「おはよう、お姉さま」

 姉からは返事がない。

「ヴァーリが決まりそう。でも、私は無理なようだ。ガーベラがラクス・クラインにきっとなる。デンドロビウムお姉さま、エピメディウムお姉さまもほぼ確定だろう。後はゼフィランサス、サイサリス、ニーレンベルギア、アリュームなんかだ候補に挙がってる。私も候補には挙がっているようだが、無理だという気がしている」

 やはり姉からの返事はない。ミルラは構わず姉に語りかけた。

「これで私もフリークだ。お姉さまたちと同じだな。そう言えばお姉さま、これは私の想像なんだが、ローズマリーの奴、テットのことが好きらしい。それなのにテットはゼフィランサスにお熱だ。このことは……、ああ、話したのは別のお姉さまだったかな?」

 でもいい。今日はこのガラス容器の中のお姉さまに話したいと決めていたのだから。返事がなくても構わない。無理もないことだからだ。容器の中のお姉さまは喉を持たないのだから。
 保存液の中に、お姉さまは目を閉じて眠っておられる。丸い肉塊。その体表のあらゆるところが目で埋め尽くされて眠っている。眼窩を作れ、水晶板を作れ、眼球を作れ、そんな誘導が全身めがけて放たれたのではないか。そんなことを研究者たちが話していた。
 ミルラができあがるよりも前に生まれることさえできなかった姉は名前さえない。
 まだまだ大勢いる。この部屋には、保存液に浮かぶお姉さまたちが。ミルラは毎朝訪れては他愛のないおしゃべりをした。
 結合双生児のお姉さまとは新しいサイサリスとゼフィランサスの作るロボットの違いについて。無脳児のお姉さまとは9人のドミナントについみて。人魚症のお姉さまとはダムゼル選定についての不安を相談した。
 みんな、みんな、ヴァーリと呼ばれるべきお姉さまなのだから。




 ここはユニウス・セブン。プラントの夢を担うところ。
 ここは研究室の一室であり、施設の他がそうであるように壁は白一色で塗り固められ、余計な張り紙さえ許されていない。慣れた者には当然の環境であっても、不慣れな者には白がまぶしく目にあたるようだ。モニターを前にコーヒーをすする女性にはともかく、そのすぐ脇に腰掛ける男性は先程から落ち着きなく瞬きを繰り返していた。
 女性は白衣に身を包み、いかにも研究者と言った様子で髪を短く束ねている。しかし化粧など最低限の礼儀は決して欠かすことなく、女性を魅力的な大人の女性として見せていた。その顔は柔らかく男性のちょっと仕草にも微笑みをもらした。
 女性、レノア・ザラはモニターに手をかけて画面を回す。隣の男性にも見える位置へと動かした。

「ねえ、パトリック。私たちの子どもはこの子にしようと思うの」

 モニターには紫色の髪をした少年が映し出されている。アルファ・ワン。ドミナントの中でも優秀な子どもである。
 画面を見る男は、彫りの深い顔にさらにしわを寄せる。パトリック・ザラ。レノア・ザラの夫であるこの男性は、国防委員が身につける紫の制服を身につけたまま、さもここが職場であるようなかのように緊張した面もちを崩そうとはしなかった。こんな男性が壁の白さに時折瞬きを繰り返す。そんな様子を、レノアは微笑みながら眺めていた。パトリックがある子どもの話題を口にするまでは。

「子どもか。しかしこれはただの君の作品だろう。私たちの子どもは……」
「あの子のことは忘れましょう」
「できるものか、そんなこと……」

 余計な話が入ってしまった。レノアはモニターを元の位置へと戻す。パトリックはドミナント--レノアとパトリックの遺伝子情報は使用されていない--を子どもとはなかなか認めたがらない。
 そんなことはわかっていたことだと自分を諫めながら、しかしレノアはため息をついもらす。

「パトリック。親の愛情って、一体いつ生まれるのかしら? 子どもが生まれた時、それとも母胎に宿った時? 生まれた時なら、妊娠中の女性はお腹の中の子どもをどう考えているのかしら? 母胎に宿った時なら、父親の愛情が生まれる理由がわからないでしょ」
「子を持つ親は当然のように子に愛情を持つと考える者は多い。だが反対に血のつながりはなくとも子に愛情を注げるものと考えることだろう。だがそれは矛盾だ。血のつながりがなくとも愛情さえあれば親子になれるのだとすれば、血のつながりがあっても愛情がなければ親子にはなれないということを認めることになる。やはり家族を繋ぐものは血だ」

 この人はコーディネーターの熱狂的な推進派である。そのことがレノアには時折理解できないことがあった。コーディネーターは遺伝子を調整する。時には親子鑑定が難しくなるほど改変することもあるのだが、それでもパトリックは家族を血で考えたがる。
 レノアはコーヒーを口に含んだ。

「愛は不思議ね。元々感情とは生物が集団生活を行う過程で互いを理解しあうために生まれたものだとする説があるわ。でも、愛は同時に本能とも切り離せない」
「子殺しか?」
「よくわかったわね」
「君がよく話題にすることだからな」

 このことには素直に驚くとともに、それほど、ドミナントをザラ家に迎えることについてこの夫婦は長きにわたって話し合いを続けてきた。反対もしないが積極的に肯定もしないパトリックの説得は、相手がプラント最高評議会議員の座を狙うほど野心的な議員であるということもあってか苦戦している。

「ライオン。私は実物を見たことはないけれど、アフリカに生息する大型のネコ科の肉食獣だそうよ。ハーレムを形成して、雄が多数の雌を独占する群を作って、雌はその雄の子どもを生み、そして育てる。ところが、ハーレムは激しい競争にさらされている。他の雄がハーレムを奪おうとリーダーの雄と争うことがよくあるのよ。そして新しい雄が勝ってリーダーの座につくと、前の雄の子どもは殺される」

 別にこれはライオンに限らない。ハーレムを形成する動物ではよく見られることである。また、子育て中の雌にとって最も危険な生き物は同種の雄だとも言われている。雌は子育ての最中は交尾をしたがらない。だから雄は子を殺してでも雌と交わる機会を持とうとする。

「愛って何かしらね?」

 もう一度コーヒーを口に入れる。パトリックは少し嫌そうな顔をした。コーヒーの飲み過ぎで胃を傷めていることを知られているからだ。

「この話は別にライオンに限らないわ。人間も同じ。虐待されて亡くなった子どもがいた。犯人は実の母親とその恋人。残念だけど、決して珍しい話じゃない。生存本能があるでしょ。自分の遺伝子を持つ子孫を残すことを至上命題に掲げる生物にとって、母親の連れ子なんて邪魔な存在でしかない。自分の遺伝子を持たない上、自分の雌を不当に独占する子どもは邪魔以外の何者でもない。人間もライオンも同じ」

 生命は本能でその種を縛り付け、種を保存するための行動をとらせたがる。大脳新皮質を発達させ理性で感情を縛る方法を作り出した。それでも、人と動物の境界は驚くほど曖昧なままである。

「愛って何かしらね? たとえば仮に一卵性の双子がいるとするとして、この場合、ごくわずかな例外を除けば両者の遺伝子は一致する。でも、そんな双子の兄弟の子どもを自分の子として愛することはできるのか? 遺伝子上は、自分の遺伝子を持つ存在だけどそんな疑問も浮かぶかもしれないわね」
「誤作動だな。生物にはその生き物が自分の遺伝子を持っているか判別する術なぞない。現実がどうであれ、自分の遺伝子を持っていると確信できなければならない」
「そう考えると女の方が男よりも子どもを愛することも頷ける。子どもの本当の父親を知っているのは母親だけだもの。女は確実に遺伝子を残せるけれど、男はそうとは限らない。だからできる限り女を独占しようとする。かわいいものね。ハーレムを作りたがる男の子って、それだけ本能に忠実ってことなのかしら? それとも雌をつなぎ止めておく自信がないのかしら?」

 ちょっと皮肉がすぎただろうか。パトリックわかりやすく唇に力を込めていた。不機嫌な時の仕草である。

「イスラム教におけるハーレムは戦争において増えた寡婦を財政的に裕福な男性が保護すべく始められた一時しのぎの救済策が始まりだ。男の欲望を安易に肯定したわけではない」
「でも、殿方は不安なんでしょ。子どもが本当に自分の子どもなんだろかって。だからいつまも疑って独占欲が強い。おまけに子どものことも信じられなくて愛情にも乏しい」
「私がアルファ・ワンを認められないこともそれが原因だと言うのか!?」

 パトリックが立ち上がる。その動きはただ立つとは違って動作が大きく、椅子が大きな音を立てるほどであった。部屋をすぐにでも出て行きそうなほどの剣幕のパトリックを引き留めるため、レノアは意識して声を大にした。

「パトリック! この子は私たちの子どもよ」

 再びモニターを回す。辛うじて立ち止まったパトリックは、モニターに目をやりながらも厳しくもどこか寂しげな眼差しを崩そうとはしない。視線こそ強いものの、眉を潜めてまではいない。

「レノア……。プラントに、コーディネーターの未来のためにこのような存在は必要なのか?」
「結婚前に話したでしょ。ザラ家とクライン家が長年にわたって追い続けた夢がある。プラントはそのために作られた国だってことも。パトリック・ザラ議員様」

 どこか諦めにも似た境地に至ったのだろう。次第に視線からもこわばったものが薄れていく。それでも椅子に座り直そうとしないところを見ると、アスランを受け入れてもらうためにはまだまだ時間がかかりそうだ。
 パトリックは卓上カレンダーにふと目をやった。

「13日か……」
「鷹派の議員が迷信を怖がるの?」

 2月13日。特に金曜日という訳ではない。パトリックが単に話題を逸らすための方便に利用しただけかとも思ったが、思いの外真面目らしい。

「完全に無意味だとは証明されていないからな。強迫観念を感じるまでこだわるのは馬鹿げているが、避けるくらいの労力で危険を回避できる可能性があるのであれば悪くない」

 理屈屋の子ども。男を評するならこんな感じになるのではないだろうか。目標に向かって一筋な堅物。でもどこか子どもっぽさが抜けきらない。そんなところは出会った時から変わっていない。
 1日早いが、もう渡してしまってもいいだろうか。レノアは引き出しから1枚のカードを取り出した。

「はい。1日早いバレンタイン・カード」

 明日は2月14日。記念すべきバレンタイン・デーなのだから。

「私は何も用意していないぞ」
「期待してないわ。今度アスランを連れて行くから会ってちょうだい」
「コーヒーはほどほどにしておけ」
「これでもだいぶましになったのよ。昔はブルー・マウンテンしか受け付けなかったもの」

 笑うレノアに対して、パトリックは苦い顔をしたままカードを受け取った。コーヒー依存症の妻に対して呆れたようにため息をつきながらも決して禁じようとまではしない。
 渋い顔をしたまま、パトリック・ザラは部屋を後にした。




 そして、日付が変わる。
 C.E.61.2.14。




 レノアは未だにモニターから離れることができないでいた。徹夜するつもりはなかったのだが、どうしても今日中--もう日付は変わってしまったが--に片づけてしまわなければならない仕事があった。
 気付け薬にコーヒーを胃に流し込む。舌を焼く熱さに口腔に広がる苦み。カフェインでは眠ることができなくはなっても眠気までなくなってくれる訳ではない。やはりそろそろ眠った方がいいだろうか。
 ノックが聞こえた。インターフォンがあるにも関わらず、誰かが外から扉を叩いている。音は扉の左上部分から聞こえている。こんな時、来客は右利きだとわかる。そんなことを古い推理小説で読んだ気がする。
 ただ、来客の予定はない。訝しがりながらも、レノアはドアへと向けて返事をする。それこそコーヒーを新たにすするほどの気楽さで。

「パトリック、何か忘れ物?」

 以前、パトリックが大切な資料を忘れたと駆け込んできたことがあった。しかし言い終えて気づいたことだが、パトリックがユニウス・セブンを立つ便のとっくに出発している時間である。
 モニターには扉の前にたたずむ少年がいた。カメラを見ておらず、よく顔は見えない。しかしこんなくすみのない金髪の少年などいただろうか。何の気なしに扉を開く。
 すると、レノアは口に含んだコーヒーを一息に飲み込んでしまった。喉が熱い。それでも痛がることさえ忘れて来客を眺めていた。
 美しい少年であった。黄金の髪は柔らかく、青い瞳は鮮やか。中性的でありながら大人の男のたくましさと少年らしいあどけなさが共存している。好みに差はあれ、美少年だと言えば10人が10人納得する、そんな少年である。
 白いスーツが決して背伸びを思わせずよく似合っていた。

「こんばんわ、レノア・ザラさんに相違ありませんか?」

 声もまた、透き通るような美声である。

「そうだけど、あなたは?」

 街中で見かけたならともかく、厳重な警備が敷かれているはずのここに見ず知らずの人物がいることはあり得ない。迂闊に扉を開いてしまったことを後悔しながら怪しんでいない風を装って、警備室へと異変を知らせる直通ボタンを押した。これで、ほんの数分もすれば警備員が駆け込んでくる。
 少年は眩しいばかりに微笑む。

「初めまして。私は、エインセルとでもお呼びください」
「エインセル。たしか妖精の名前ね。確か、子どもと遊ぶ女の子の姿をした妖精だったかしら?」
「ええ」

 話をしながら、椅子に座ったままであることに気づいた。客人を迎えるのにこれでは不自然であろうか。しかし、急に立ち上がることも同じくらい自然ではない動作である。
 イングランド地方の民話に語られる妖精のお話。

「エインセルは子どもと楽しく遊ぶ。でも、ふとしたことから火の粉を浴びて怪我をしてしまう。エインセルは大きな悲鳴を上げた。すると、その悲鳴を聞きつけてエインセルの母親が現れた。母親は怒り、娘を傷つけた犯人を探そうとする。少年はある言葉のお遊びから奇しくも難を逃れることができた。そんなお話でしょ」
「少女が自分の名前はエインセルと名乗った時、少年もまたエインセルと名乗りました。エインセルとは私自身であり、少年も僕も僕自身だよと答えたのです」
「エインセルは母親に怪我をさせたのはエインセルという少年だと答えた。ところが、母親は自分自身で傷つけたと思ってしまった。母親はエインセルを連れ戻し、少年は難を逃れた」

 そんな火にまつわる少女の妖精のお話。
 時間は稼いだはずである。それでも、警備員が到着する気配がない。ここにはレノアと少女の名前を持つ少年。では、警備という母親がエインセルを連れ出してくれない限りお話は終わらない。
 少女の名前を持つ少年は穏やかに微笑んでいた。

「恐ろしい顔をした母親が現れなければ物語は終わりません。では、どういたしましょう?」

 眩しいばかりの微笑みが途端恐怖の対象となる。思わず立ち上がると、机の上のコーヒー・カップが倒れ、熱いコーヒーをまき散らす。
 エインセルは身につけた白いスーツの中から拳銃を取り出してみせた。グリップの底からカートリッジが外される。コロニーの擬似重力に引かれて落ちたカートリッジは軽い音を立てた。新しく取り出されたカートリッジを銃底に取り込むと、銃身をスライドさせ、またスーツへと仕舞い直す。では、空のカートリッジに入っていたはずの弾はどこへと行ったのか、聞けるはずもない。

「私はエインセル。あなた方自身が望んだ成果が、火を纏い参りました」




 ユニウス・セブン。プラントの全12市の一つ、ニユウス市第7コロニー。
 それはユニウス・ファイブからユニウス・エイトまでの一続きの食料生産プラントの一つであり、コロニーは、しかし地球の民が考えるような牧歌的な光景とは無縁である。
 黄金の穂を垂れる金色の絨毯など存在しない。青々として牧草地に放たれた家畜ののどかな声を聞くこともない。
 コロニーにおいて自然というものはすべて作り出すものである。雨は降ることがない。水を必要とする植物にはスプリンクラーが適時必要な水分を補充すればよい。わざわざ天から水を落とし、服を汚し、屋根を湿らせる意味をコーディネーターは見いだすことはなかった。風が吹くこともない。空調によって完璧な温度管理が施されたコロニー内においてわざわざ大気を揺り動かす意味などないのである。
 そんなコーディネーターにとって、農業という概念は根底から地球と異にしていた。天候に左右されることはばかげている。すべて管理することができる。生鮮食品に必要なものは管理である。
 野菜、果物、穀物は野菜工場の棚にところ狭しと並べられ、植物の生長に必要な養分を含んだ培地に、吸収のしやすい波長の光が浴びせられる。徹底したコンピュータ管理の下、熟したものから順番に食卓へと送られていく。プラントにとって、植物とは炭素、水素、酸素、窒素、硫黄、燐、カリウム、カルシウム、マグネシウム、鉄、光を人が利用可能な栄養素に変換するための装置でしかない。
 家畜は育てるではなく生産する。狭い家屋に繋がれ、ただ与えられたものを食らい、肉を肥え太らせる。最も滋養に富む肉質を生み出す遺伝子配列はすでに発見されている。そのため、プラントの家畜はすべて単一の遺伝子を持つクローンで占められていた。家畜とは製品でしなく、いかに単一品質を安定供給できるか、それこそが社会的要請に他ならない。
 徹底した管理。それを実行するためには、太陽の光も気まぐれな雨も、遺伝子の多様性さえ必要としない。すべて邪魔なものでしかない。
 ユニウス・セブンは食料生産コロニーである。工場が所狭しとひしめき、稲田など1ヘクタールと言えども存在していない。すべて工場の中、徹底した管理下に置かれている。
 そのような工場群の中、仮に人を対象とした遺伝子技術研究所が紛れ込んでいたとしても、誰も気にとめることはないだろう。
 プラントの大地は円盤をなす。砂時計のような形状の両底に大地が築かれ、工場がひしめいている。その中に隠れるように、ドーム状の施設が築かれていた。表向きには遺伝子組替食品の研究施設。しかし家畜の遺伝子操作に寛容なプラントにとって人と動物の境界はひどく曖昧である。事、遺伝子操作においては。
 研究施設として商品を出荷することはない。研究者が何人入ろうと誰もいぶかしがることなく、また荷送トラックの出入りがなくとも不自然なことなどない。そうして、ドミナント、そしてヴァーリは内外から隠し通されてきた。
 今日、この瞬間まで。
 突然のことだ。何かが爆発したような音に、トラックの運転手は体が跳ねるほどの驚きを見せた。すでに夜中の3時を回っている。暗い夜道を運転することは退屈でしかなく、運転手はあくびさえしてハンドルを握っていた。
 そんな時に轟音を聞かされたのである。
 路肩に停車するトラック。慌てて外に飛び出た運転手が目撃したのは、突き破られたドームの壁と、そこから上半身を突き出す機械仕掛けの巨人の姿であった。それは体中の皮を剥ぎ取られた鬼のように、街灯に照らされていた。




「兵器として面白いが、コクピットがこうも剥き出しとはな。所詮試作機ということか」

 ガラス張りのコクピットが巨人の胸から突きだしている。その中に男の姿はあった。その姿はトラックの運転手同様の作務衣であり、目元を隠してサングラスをかけている。そのミスマッチは、男が決して運転手ではないことを示していた。
 男が操縦桿を動かすと、ドームから体を尽きだしていた巨人が足下に残されていた壁を突き破って道路へと足を降ろす。モニター越しではない、ガラス越しの光景は男に路肩に止まるトラックを見せた。10mを越える機体には一抱えの荷物ほどの大きさがあるそれを、巨人はおもむろに蹴り飛ばす。トラックが転がりながら街路樹をなぎ倒す。
 次に巨人の腕はドームの壁を殴りつけた。堅いコンクリートは破片となって周囲に散乱し、トラックの運転手が恥も外聞もかなぐり捨てて逃げ出す様を男は口元をゆがめながら眺めていた。それほど滑稽に見えたのだ。走っては転びそうになり、足をもつれさせてもとにかく逃げだそうとする姿が。
 やがて聞こえてくるサイレン。マイクが拾うとともにガラス越しに直にも聞こえてくる。パトロール・カーが赤いランプを夜空に明滅させながら巨人を目指していた。
 巨人からすれば車は踏みつけるにはほどよい大きさをしている。しかし男は笑うばかりで機体を動かそうとはしない。

「青き清浄なる世界のために」

 これが呪文であり、効果は爆発。ドームを中心に一斉に生じた爆発は一つ一つは小規模ながら車を吹き飛ばすには十分であった。爆発に吹き飛ばされ完全に逆さまになった状態のままパトロール・カーは巨人の足下へと滑っていく。
 黒焦げた車体。ひしゃげたドア。虫の腹のような底部をさらした車を、巨人は踏みつぶす。
 夜の静寂は、もはや息絶えていた。




 研究施設に警報が鳴り響く。これは訓練ではない。これまで一度も敵襲を迎えたことのない施設は慌ただしく走り回る警備の足音に人の声さえかき消えんばかりである。
 緊急用のケースが力任せに割られ、中からアサルト・ライフルが取り出されては次々訪れる警備に投げ渡された。
 防弾チョッキを身につけ終えた者から次々と跳びだしていく。
 引き倒されたテーブル。手短なものを最大限利用して組み上げられたバリケード。壁の裏に隠れた警備が飛び散る火花から身を隠しては狙いさえつけることなくバルケードの向こうへとライフルを連射する。
 ヴァーリの子どもたちが憩いの場としていた吹き抜けは、主戦場と化していた。噴水には血が混じる。警備服を身につけた一団と作務衣を身につけた一団。銃声が、観葉植物の葉を引きちぎっては床がおびただしいゴミで埋め尽くされている。空薬莢、ちぎれた葉、死体、破壊されたバリケード。
 テーブルを引き倒し、持ち込んだ椅子の山を組み合わせたバリケードの裏に隠れて警備は銃撃戦を続けていた。敵の正体も掴めぬまま、ただ銃の引き金を握り続ける。
 すぐ隣の壁がほんのわずか膨らんだ。そのことに気づく者はいなかった。気づいたところですべてが無駄であったことだろう。壁は突如膨れ上がり、横殴りの爆風がバリケードごと警備を吹き飛ばす。
 壁に仕掛けられた指向性爆弾。そこには扉のようにきれいに壁が切り取られ、作務衣の一団が白煙の中から一斉に跳びだし、警備員を急襲する。





「慌てるな。敵の攻撃は第7区画に集中している。決してさばき切れぬ数ではない。それよりも第2波、第3波に備えろ!」

 研究所の中央制御室。ここは単なる研究施設としては機能が充実しすぎており、もはや小規模であれば要塞の司令室としてさえ機能できるほどである。
 壁一面に埋め込まれた複数のモニターには研究所で戦闘が繰り広げられている光景が映し出されている。しかしそれは大規模なのはあくまでも吹き抜けを中心とした一角だけであり、施設周辺を一斉に攻撃した部隊からの続く攻撃はない。波状攻撃に備えるよう、司令官は居並ぶクルーたちに指示を強い調子で飛ばす。
 強い調子。静かな声音。どちらが大きく聞かれるかと問われれば、前者であろう。しかし、この場に限っては、この男に関してはすべての常識が通用しない。

「いや、それは得策ではない」

 慌ただしい司令室の中でさえ、その声は確かに響いた。
 その姿はすでに80に手の届く老人ながら、その眼差しは気炎万丈。ゆったりと折り重なる衣服は男を仙人か、あるいは司教、枢機教、世俗離れした雰囲気を纏わせていた。かつて世界中の耳目をこの男は集めた。そう聞かされて誰もが納得させられる。威風堂々たる雰囲気を纏う。
 その男の姿を身なり、司令官はつい敬礼をしてしまう。

「グレン様!」

 ここは軍隊ではない。赤道同盟で少佐の位を持っていた司令官の悪癖に、グレン、ジョージ・グレンと呼ばれた男は平然と悠然と歩き、ただ手振りだけで敬礼をやめさせる。
 ジョージ・グレンがその前にまで移動すると、そこに座っていたクルーたさも当然のように席を譲る。ファースト・コーディネーターは席につくなり、説教でも始めるように口を動かす。

「プラントはコロニーだ。知っての通り、コロニーは地球の島国とは比べものにならないほど密閉された空間だ。税関をくぐり抜けて密輸入するにはひどく手間がかかる」
「確かに」
「そんな場所に市街戦やら大規模テロを引き起こすほどの武器弾薬をやすやすと持ち込めると思うかね?」
「と、申されますと?」

 そんなことさえわからないのか。ジョージ・グレンは決してそのことを態度に示した訳ではなかった。ただ司令官が一方的に恐縮し、その身を堅くする。
 ジョージ・グレンはあくまでも静かな態度を崩そうとはせず、語り口は平静であった。しかし、それに反比例するかのように、司令官は自身の失策を自覚させられる速度が加速していた。

「おそらく、この攻撃が彼等の精一杯なんだろう。派手な攻撃に試作機を奪ってこちらの警戒を集めているが、規模としては小規模だ。辛うじて持ち込めた爆弾を同時に爆発させることでさも1個中隊に攻め込まれたかのように演出してはいるがね」
「では、陽動であると!?」
「敵の規模を見誤ったな。いもしない敵のため、あたら戦力を警戒にあたらせ無駄にした」
「も、申し訳ありません! ですが、ならば殲滅もたやすいかと!」
「敵の無能を期待することは敵が賢明であることを期待するほども愚かなことだ。敵の狙いは何もユニウス・セブンの陥落ではあるまい」

 立ち上がりながら、ジョージ・グレンはすでに司令官の姿を見てはいなかった。無能な部下を責めているのではなく、しかし呆れているでもない。司令室の入り口を眺めていた。
 視線につられ、クルーたちが入り口の方を向く。扉は開け放たれ、そして、クルーの1人の額にも穴が開いた。銃声が聞こえた。

「ご名答」

 銃を構える若者。他にも3人ほど銃を持つ作業着姿の男たちの姿があった。先頭の若者はひどく余裕があるように感じられたが、残りの男たちは拳銃を両手で構えて瞬きさえ忘れている。4人という少人数。ジョージ・グレンの読みは外れていなかったのである。
 若者は銃を向けられ身動きできないクルーたちを無視し、老人を眺めた。

「ジョージ・グレンだな」
「さよう。君は?」
「ムウ・ラ・フラガ。そう名乗ろうと思う」
「ではフラガ君」

 ムウと名乗った若者--まだ10代だろう--は痒いものでもあったかのように首を大げさにふる。

「ムウでいい。ファースト・コーディネーターに畏まれたら罰があたる」
「ムウ君、君の狙いは私の命ばかりではあるまい。仲間が今頃データ・バンクの奪取をもくろんでいる。これは正解しているかね?」
「ご明察。あんたらがここで何をしていたのか、世界に暴露してやるつもりだ。まあ、これだけ騒ぎを起こせば、嫌でも目につくだろうがな」

 奪い取った人型兵器が施設の破壊よりも外部へとその姿をさらすことを優先したのはこのためなのだろう。ドミナント、コーディネーターのことを除いても食料生産コロニーで兵器の開発が行われていると知れれば、地球各国は黙っていまい。

「結果さえ示せば世論は後からついてくるか、君とは気があいそうだ。だが、ここのことはどこで知ったのかね? 君たちの姿を見るに、研究者としてではなく港湾労働者として侵入する労働者が関の山に思えるがね」
「それも正解だ。確かにユニウス・セブンのガードは堅かったよ。俺たちに非常手段しかないと思わせてくれるくらいにな。だが、何もはじめからユニウス・セブンで研究が行われてた訳じゃない。ドミナントは、他にも2人いるだろ」

 これも正しい意見である。元々、ヴァーリの研究はプラント各地で行われていた。ところがその内の一つで研究結果を流用、高性能なコーディネーターを作る実験が無断で行われた。結果として情報は流出、試作されたドミナントもいまだもって行方が知れていない。
 そして、ドミナントの研究が始められるとともにヴァーリのすべての研究はユニウス・セブンに集められた。そうしてドミナント、ヴァーリの研究はその事実そのものがユニウス・セブンの内に封印されたのである。
 だが仮に知りうる手段があるとするならば、20年も前--ちょうどこの若者が生まれたくらいの時だろう--の事件を知る者ということになる。
 なんとも運命の悪戯を感じざるにはいられない。
 ジョージ・グランは口元を思わず押さえたそれほど愉快なことであったのだ。

「では君たちには、なるほど確かにこの施設を焼き討ちするだけの動機と手段があったわけだ」

 何も無から有を探り出した訳ではない。ここで研究が行われているはずとあたりをつけ、確信を抱くに十分な理由があったのだ。失われたはずのドミナントが牙を向く。これを運命と言わずなんと呼ぶべきか。
 ただし、目の前の若者はドミナントではないだろう。それどころかナチュラルであるとさえ思えた。顔作りがナチュラルとコーディネーターでは異なる。造型に意図的な方向性というものがこの若者にはないのだ。
 ナチュラルの少年はまっすぐにジョージ・グランを見据えたまま、銃口をゆっくりと向けてくる。

「そういうことだ。だから俺は、俺たちはあんたを殺す」
「世の中には2種類の人間しかいないものだ。有能な人間と、そして無能な人間だ」

 目配せをするまでもない。彼等は理解していることだろう。今すべきこと、そしてジョージ・グレンが意図することを。
 ゆったりとした布地に隠して鍵を手にする。すぐ脇にはコンソール。そしてケースに包まれた鍵穴が開いている。何も無意味に立ち上がった訳ではないのだ。

「君は無能な人間ではないようだが、決して賢いこともないようだ」

 ケースを跳ね上げ鍵を回す。さすがにこの手の動きは気づかれ、若者はためらうことなく発砲した。しかし銃弾はジョージ・グレンに届くことはない。司令官が身を呈してファースト・コーディネーターをかばったのだ。クルーたちが一斉に立ち上がりテロリストたちへと飛びかかった。
 パスワードを入力する。慌てることはない。10桁のパスワードを打っている間、クルーたちは次々と射殺され、しかし即死しなかった者は強引に飛びかかる。司令官は全身に数えて5発もの弾丸を浴びていながら若者にとりついていた。
 パスワードの入力を完了する。途端、部屋中にアラームが響く。

「何をした!?」

 司令官の心臓を撃ち抜きながら若者が叫ぶ。しかし次のクルーがすぐさま取り押さえに入る。この者はすでに背中に弾が突き抜けた血の跡がにじんでいる。

「塵は塵に。灰は灰に。今ここでドミナントも、ヴァーリも、世界に知らしめる訳にはいかんのだよ」

 ユニウス・セブンの原子炉は意図的に暴走を引き起こし自爆できるよう設定されている。有事の際には証拠のすべてを抹消できるよう用意されていたものだ。
 すでにユニウス・セブンには価値はない。すでに十分な成果は得られ、アスラン・ザラとラクス・クラインさえ無事であるのなら目的は十分に果たされたと言える。
 ジョージ・グランは決して慌てることなく、ごくありふれた足取りで部屋を後にすべく歩き出す。部屋の中央付近ではいまだ乱闘が続いているが、動いているクルーは徐々に少なくなりつつあった。

「機密保持のために20万人吹き飛ばそうってのか、いかれてる!」
「君はまだ若い。いずれわかるだろう。理念とは、理想に覚悟が伴ったものだということがな」
「ジョージ! グレン!」

 若者がしがみつく男の頭を拳銃で吹き飛ばした時、ジョージ・グレンは閉まりつつあるドアに隠される最後の光景として睨む若者と視線を交わらせた。



[32266] 第41話「あなたは生きるべき人だから」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:11
 夜になって与えられた部屋に入ってベッドで眠る。この部屋は白くて、ベッド以外の何かは置かれていない。監視観察がしやすいよう、部屋に不必要なものは置かないように言いつけられているからだ。
 アイリス・インディアが外の音に目を覚ました時、最初に見えたのもそんな部屋の光景であった。補助灯のかすかな明かりの中、律儀なほど正方形の部屋が浮かび上がる。部屋の中央に置かれたベッドから、アイリスはその小さな体を床へと降ろした。
 すでに消灯時間はとっくに回っているはずだった。それなのに部屋の外の騒音はこれまでに聞いたこともないほどうるさくて、生まれて初めて聞くほどの音量が部屋に飛び込んでいた。断続的に聞こえる破裂音。これは銃声だろうか。ドミナントの人たちの射撃訓練を見た時に聞いたことのある音に似ている。
 何か異常な事態が起きている。
 アイリスは慎重に、それでも迷いなくドアを開いた。スライド式の扉が開いた途端、音は一気に戦場の喧噪を奏でた。つい両手で耳を塞ぐ。人の声なんてこれではまともに通らない。非常灯の明かりがせいぜいの暗い廊下は、離れた突き当たりで壁に火花が走っている。銃撃戦が行われていることは明らかだった。
 何が起きているのだろう。生まれてからこの研究施設から出たことなんてなかった。ここが世界のすべてであったアイリスにとって、これは異星人の襲撃に突如さらされたにも等しい出来事と言えた。
 何もできずにドアの縁に立っている。すると、突然聞こえてきた足音に、アイリスはつい体を小さくした。音の大きさを聞けば、相手は子どもであることはすぐにわかったはずなのに。壁に隠れながら暗い廊下の先を覗き込むと、足音の主はアイリスの部屋の前を走り抜けようとするテット・ナインであった。まだ5歳の子どもながらしっかりとした走りに、その顔は焦りと使命感をない交ぜにしていた。

「テット……!」

 ドアから、部屋から出てテットの前に姿をさらす。テットにしてもアイリスのことには気づいていたのだろう。特に驚いた様子もなく走り続けようとする。

「アイリス、君も来るんだ!」

 止まってくれる様子はない。アイリスは仕方なくテットに遅れて走り出した。

「テット、何があったの?」
「わからない。知らない人たちが攻めて来たんだ! アイリス、僕は巨人を動かす。君も操縦できるだろ」
「できるけど、戦うなんてしたことないよ……」
「みんな殺されるぞ!」




 突如鳴り響いた警報音。アラームが如何にも焦燥感をかき立てるリズムを刻み、赤色灯が暗闇を照らす光景は非常事態をこれでもかと言わんばかりに強調していた。
 この非常な光景を、ラウ・ル・クルーゼは巨人のコクピットの中で眺めていた。
 研究施設の壁を突き崩す。騒ぎを施設の外まで伝え、ここで行われていた研究内容が世間に知られる切っ掛けとする。それが計画であり、担ったのがラウであった。ラウは研究施設から巨人兵器の奪取に成功し、壁を砕きその姿を外にさらして見せた。ここまではよい。問題は、当初から危惧されていたプラント側の証拠隠滅の非常手段が採られることであった。

(アラームは施設の内部だけか……)

 それが研究施設の設備であるため当然だが、しかしこれほどの騒ぎを施設内に閉じこめ隠蔽することはできない。コロニー全域に警報が発せられてしかるべきだが、そうでない以上、ジョージ・グレンは想定されていた以上の非常手段を採ったと判断すべきだろう。

「しくじったのはエインセルか、それともムウか?」

 2人は施設奥に向かったはずだ。
 砕かれた壁を通して見える静まりかえった外の光景。内へと巨人の身をひねると、世界の終わりでも訪れたかのようにあわただしい警報が鳴り響いている。
 ラウがここまでに来る間に砕いて開いた壁の穴。穴の闇から伸びた腕が砕けたコンクリート壁の断面を掴んだ。新たな巨人が壁を手がかりとしてラウの前へと姿を現す。剥き出しの骨組みを持つ巨人。胸部にコクピットを備えている点もラウのものと同様である。同じ視線の高さに風防を通して相手の姿が見えた。

「子ども……、ドミナントか!?」
「お前たちは誰だ!」

 マイクを通して聞こえた声は子どものものである。この施設では次世代型コーディネーターとしてドミナントを作り出すとともに訓練を行っていると聞かされている。ただの子どもではないということだ。油断はしないでおくことにしよう。
 ラウは自然と自身の口元が緩むことを自覚していた。

「君とは近しい存在とだけ言わせてもらおう」

 先に動いたのは少年の巨人である。大きく振りかぶられた腕が突進とともに突き出される。巨人の上体をひねり、ラウは相手の拳を確かにかわしたつもりでいた。ところが、少年は攻撃を強引に体当たりに変更。床にひびが走るほどの踏み込みからラウの機体を弾き飛ばす。
 受け止められる気でいたが、機体は飛ばされ壁へと叩きつけられる。未完成のショック・アブソーバーは衝撃を殺しきれず、ラウは自身が壁に叩きつけられたようにむせかえる。
 少年の巨人は攻撃の手を緩めない。

「サイサリスの機体で勝てると思う!」

 今度こそ拳が突き出され、ラウは大きく回避することを余儀なくされた。巨人の拳が先程までラウのいた壁を突き崩す。反撃するには回避を大仰にしすぎていた。だが、こうでなければまた体当たりにさらされていたことだろう。

「こうも機体の性能が違うとはな」

 姿格好は同じでも中身は相当異なった設計思想で作られているらしい。特に問題はラウの機体の補助システムである。オート・バランサーが極めて優秀で機体のバランスが崩れれば即座に立て直そうとする。それは操縦者の意志に反して強制的に行われるため、過保護と言えなくもない。事実、先程の体当たりを受けてしまったのも回避のために崩れた体勢を勝手に修正しようとしてむざむざ敵に上体をさらしてしまったことも原因の一つであるのだから。
 パイロットをサポートし誰であっても扱いやすい機体。兵器としてはこちらの方が遙かに優秀なのだろう。ラウはオート・バランサーを解除した。

「だが、性能の差が戦力の決定的な差ではなということを教えてやろう、少年」




 敵が攻めてきた。銃の音がやかましくて、でも代わりにお父様と会わせてくれなかった連中がばったばった死んでくれた。もう殴らなくちゃいけない面倒な男もいなくて、すぐにスタンガンを使ってくる警備の連中もいない。死んだか、敵と戦ってる。
 ヒメノカリス・ホテルは拘束具が投げ出されたベッドを抜け出して、大人たちがクラッカーを鳴らす夜のパーティーをすり抜けて、小さな冒険を楽しんでいた。
 好きな場所にいってお父様を探す。
 最初の扉を開けた。鍵がなかったから拾ったナイフで基盤をこじ開けて、配線を無理矢理つなげた。中には何もない。人が大勢血を流して倒れているだけ。お父様はいなかった。次に行こう。
 何か踏んだ。外は固くて、中が柔らかいもの。踏むとプヒって音がするもの。なぞなぞの答えは、防弾チョッキを着た死体。血が絞り出される音は豚の悲鳴みたい。
 この死体ばかりじゃない。目の前、廊下には死体が蟻の行列--見たことのない生き物--みたいに並んでいた。どこに行くのだろう。お父様はいるのかな。死体を踏んで、越えて歩いていく。ここは知ってる。この部屋は知ってる。開きっぱなしのドアがあって、中を覗くとやっぱり死体。小さな部屋の中央に床から飛び出た台座があった。お父様の大切なものをしまっておく宝箱。なのに、台座の先には何も置かれてない。
 誰かが持ってった。お父様の大切な物なのに。だから取り戻して差し上げよう。お父様のために、ヒメノカリスが。




 警報は鳴り止まない。こんな時、アルファ・ワンはガーベラ・ゴルフを連れてシャトルが置かれてる地下に行くようジョージ・グレン様から言いつけられていた。普段使用が禁止されている直通のエレベーターがある。パスワード入力式で限られた人にしか使用は許されない。アルファはその使用が許された以上、自分は選ばれた存在なのだと少なからず理解していた。同じく選ばれたガーベラとともにここを脱出しなければならない。たとえ、仲間たちの無事を確認できなくても。
 エレベーターの前にはすでにレノア・ザラの姿があった。もう1人、見たことのない若い男の人も一緒にいる。

「レノアさん!」
「グレン様がユニウス・セブンの放棄を決断されたわ。早くシャトルに向かいなさい」

 何かがおかしい。駆け寄った時、レノアは微笑んでくれると思っていた。実際は表情固く当たり前のことを言ってくれるでしかなかった。エレベーターはすでにパスワードが解除されて扉が開いている。レノアは目配せでエレベーターに入るよう促す。

「レノアさんも一緒に?」
「私はこの人と最後の仕事を終えてから行くわ。すぐに追いつくから」

 これもおかしい。それならどうしてエレベーターを開いたのだろう。そして男性にはどうしても見覚えがない。機密情報を扱う研究施設は人の出入りを厳しく制限している。見知らぬ人がそうそう立ち入れるはずがないのだが。
 何かおかしい。
 アルファは男性のことを見ていた。白いスーツは清潔で格好だけ見るなら怪しい人には見えない。白い布地は綺麗で汚れ一つない。ただ一点、本当に点として何かあった。つい目を細めて注目して、アルファが気づいたのとガーベラが叫んだのは同時だった。

「アルファ!」

 懐に隠していた拳銃を抜く。躊躇いなく男性へと向けて引き金を引いた。手に伝わる確かな反動に、宙を舞う空薬莢。硝煙のくゆる向こう側で、男性は身をひねっていた。かわせるはずなんてない。そう思って放った銃弾はかわされていた。
 まるでスローモーション映像のように男性がアルファを見ていた。澄んだ青い瞳は冷たい。襟首についた点--小さな飛沫血痕--がまざまざと見せつけられてる気がして、男性に握られていた銃口が向けられていく。動けない。確実に射殺される理解とともに、レノアが男に抱きつくように動いたことも見えていた。発砲音がして、アルファの顔に暖かい血がかかる。
 この時、時間が元通り歩み始める。
 アルファの反応は早かった。上体をひねり、右手の肘を後ろへと突き出す。この肘に後ろにいるガーベラの体をひっかけてそのままエレベーターの中へとなだれ込む。ガーベラは突き飛ばされる形でエレベーターの床に尻餅をついた。アルファはすぐさま立ち上がりボタンを押し込んだ。

「レノアさん!」

 すぐに扉はしまってしまう。レノアは男の右腕に抱きついたまま、口の端から血を流して、それでも力の限り叫んでいた。

「行きなさい……、早く……!」

 どうしたらいいのかわからない。わからない内に扉は閉まろうとする。閉まりかけたドアに挟まれ消えたレノアの姿にアルファは手を伸ばす。しかしその手は閉じたドアに遮られ決して届くことはなかった。




 一つの後悔と一つの疑問。エインセル・ハンターの胸中に渦巻いているのはこの二つに限定できた。
 ドミナントとヴァーリを見送り、エレベーターが動き出したことを確認するかのようにレノア・ザラはしがみついていたエインセルの腕を離れ、エレベーターの扉に背中を預けるように倒れた。扉には塗りたくった血が上から下へと向けて描かれ、床には血だまりが広がっていく。
 エインセルが弾みではなった弾丸はレノア・ザラのわき腹を貫通していた。衣服の上からでは傷の様子を正確に判断できないが助からないだろう。経験からして致命傷である。もって数分。
 エインセルは後悔していた。ドミナント、ヴァーリは殺さない。そう友と誓い合ったのだ。銃撃されたとは言え反射的に銃を向けてしまった。それは失態以外の何者でもない。
 疑問を抱いていた。アルファ・ワンの攻撃、エインセルの反撃は1秒と満たない時間で行われた。訓練を積んだ者でなければ反応することさえできない戦士の時間であった。それにも関わらず、レノアはアルファを庇い、エインセルの銃口をそらしてみせた。なぜそんなことができた。レノア・ザラ女史は学者である。訓練を積んだ兵士ではない。恐怖心はなかったのだろうか。事実、致命傷を負っている。仮にわずかな躊躇でもあれば間に合うはずがない。
 何より、なぜドミナントを庇うのか。

「レノア・ザラ。あなたにとってドミナントとはどのような存在であるのです?」

 返事はない。すでに息も絶え絶えで呼吸の度、傷口の周囲の服が赤く染まっていく。エインセルは片膝をつき、瀕死の女性へと視線の高さをできる限りあわせた。
 できるはずのないことを、この女性は行った。反応できる時間ではなく、庇うべき存在でさえなかったはずだ。ドミナントがただの作品であったのなら。いつもドミナントのことを思い、いざという場合には命を捨てる覚悟さえ想定していたのだろう。そう判断する他ない。そうでなければ反応さえできなかったことだろう。決断が間に合ったはずがない。
 女史の血塗れの腕は、錆び付いたブリキ人形のようにぎこちない動きで、それでもエインセルの懐へと伸ばされた。そのまま、スーツの内ポケットからケースにしまわれた記憶媒体を取り出し、力尽きたように腕が床へと落ちる。それでもまだ記憶媒体を手放そうとはしない。
 まだドミナントのことを守ろうとしていた。ここにあるデータはプラント糾弾のために、ドミナントという存在を否定するために使われるものであるのだから。

「お許しください、我らが非礼を」

 右手は血で汚れ、銃を握りしめたままである。左手でそっとその尊顔に触れ、開かれたままのまぶたをそっと閉じる。すでにレノア・ザラは息絶えていた。
 水音がした。血を踏みつける音だ。それまで接近に気づかなかった訳ではなかったが、ここで初めてエインセルは近づいていた誰かに目をくれた。レノア・ザラ女史の血だまりを踏みつける小さな足。片膝をついているエインセルと目線が変わらない小さな体。ふわりとした桃色の髪に、その青い瞳がエインセルのことを見ている。
 何ともかわいらしい少女であった。
 弾ける水音。少女の踏み込みとともにナイフが鋭い勢いのままエインセルを襲う。銃を持ち上げた。発砲のためではない。刃の軌跡に滑り込ませた。甲高い金属音とともにエインセルはその場を飛び退いた。

(動かなければ確実に頸動脈を切断されていた……)

 銃身には確かにナイフが激突した痕跡が小さな傷となってつけられていた。躊躇ない必殺の居合い。少女の細い腕から放たれた一撃は確実にエインセルの殺害を狙っていた。少女は道ばたの花でも摘むように、命をなくしたレノア・ザラの手から記憶媒体を奪い取る。

「これはお父様のもの。あなたごときが触っていいものじゃない!」

 その顔のかわいらしさにそぐわない、見開かれた目には殺意が感じられた。こちらの挙動すべてを狙って逃さない瞬きのない眼差し。すなわち殺意を意味しているのだから。
 少女はヴァーリであり、桃色の髪は第3研出身--ラクス・クラインを輩出したとされる場所である--であることを意味している。

「私はエインセル・ハンター。お名前をお聞かせ願えますか?」

 銃は必要ない。カートリッジを抜き、乱雑に投げ捨てる。銃身に残された一発は床に撃ち込んだ。

「ヒメノカリス」

 ヒメノカリス。Hと名乗った少女は右手にナイフを、左手に記憶媒体を保持したまま飛び出した。子どもとは思えないほどの動きで、子どもの手には余るナイフ--果物ナイフどころではない、肉厚の刃--を軽々と振り回す。足を交互に後ろへ後ろへ。体を逃がしながらエインセルはナイフをかわし続けた。そして、突き出されたタイミングに合わせて少女の手をしっかりと掴み止める。少女の小さな体では間合いが狭い。力も弱く、攻撃を防ぐことはたやすい。

「お返しを。それはあなた方のお父上を糾弾するために必要なものなのです」

 左腕で少女の右腕をひねり記憶媒体へと手を伸ばす。エインセルの残された右腕が触れたのは、しかし記憶媒体ではなく、少女の靴底であった。少女は右腕が痛むこともかまわず飛び上がるなり体を回転、その勢いのまま蹴りをエインセルの顔面へとめがけて放ったのである。完全なカウンター。エインセルは思わず左腕を放した。
 少女は一度距離を開け、エインセルを瞬きもせずに睨んでいる。才能や素質だけでは説明できない、よほど人を傷つけることに慣れた者にしかできない動きであった。




「わあああぁぁぁぁ!」

 叫んで、叫んで、とにかく叫んだ。それしかできない。アイリスは試作機のコクピットで死と隣り合わせの戦いの空気を確かに感じていた。実験や訓練と違って急所を確実に狙ってくる。いつも戦い慣れた人が相手ではない。見ず知らず、初めての人と殺し合いをしなければならない。
 いつも休憩に使っていた吹き抜けの広場が戦場であった。
 巨人の腕を払う。吹き抜けから見える廊下に腕が割り込むように刺さって、そこにいた敵の兵隊を弾いて潰すように腕が廊下全体を打ち払う。手すりは砕けて壁はずたずた。動かなくなった人たちが一カ所にかたまるように潰れてた。
 コクピットを狙う銃撃があった。1階部分から見上げるようにたくさんのライフルがアイリスを狙っていた。ガラスばりのコクピットは銃口が確かにアイリスを向いていることを見せつけていた。
 殺さなきゃ殺される。だから仕方がない。
 アイリスが操縦桿を動かすと巨人が片足を持ち上げた。車くらいの大きさのある足が持ち上がって、まずアイリスは目を強くつぶった。巨人の足がバリケードごとその後ろに隠れていた人達を踏み潰す。見たくなかった。それでも機体を通して伝わる振動と操縦桿に生じた抵抗は、何かを潰したことを否応なしに伝えてくる。
 見なくても現実は変わらないのに目を開けることができない。それでも押し寄せる現実は手加減なんて言葉を知らなかった。
 何かが割れる大きな音。見てしまうことよりも見ないことの恐怖が勝って、アイリスは目を開いた。コクピットを守る風防に弾痕がいくつも開き、ひびが広がっていた。

「ひっ!」

 コクピットと同じ高さにある廊下からライフルで狙っている人がいる。1発ずつ放たれた弾丸はガラス--コーティングが施されある程度の耐弾性はあると聞かされていたのに--を貫通してひびを走らせる。危うい一撃がアイリスの頭をかすめてパイロット・シートの背もたれを貫通。中の綿が吹き出した。

「ああ……!」

 どんな操作をしたかなんて意識しなかった。目を閉じて、だだをこねる子どもみたいに操縦桿を動かした気がする。固いものが砕ける音がして、コンクリートを砕いたことくらいわかった。
 もう銃声は聞こえない。それでも目を開けるまでには、数秒くらい時間をかけてしまった。銃を持っていた人が立っていた廊下はコンクリートが砕けて崩壊していた。巨人の腕は無理に動かされたことで小手の部分の回路が切断されてしまっているようだった。コクピットのモニターにそう表示されていて、目で確認しようとしても死角にある。見えない訳ではない。腕はまだ動かすことができたし、コクピットの見やすい位置に持ってくることもできた。それでも腕なんて見えない。
 腕よりも指。指の間に挟まっていたものがアイリスの視線を奪い取った。人の体を雑巾みたいに絞って、指の間に巻き付けたらきっとこんな風になる。巨人の指の間にライフルを撃っていた人が張り付いていた。無理やりふるった腕のその指先にひっかかってしまったのだろう。体なんてぐちゃぐちゃなのに、顔だけは無事で巨人の人差し指の上に首が乗っていた。
 見たこともない女性の顔。目が虚ろで生気なんてない。ただの生体レンズでしかなくなったはずのその瞳がアイリスのことを見ている。溶けた肉と血を巨人の指先から赤い涙みたいに流して。
 汚いものでも振り払う。巨人はアイリスに命じられるまま、腕を振る。決して広くない吹き抜けの中で、腕は壁にぶつかって手首のフレームが折れた。機体そのものにも強い衝撃が走ってバランスを崩した巨人は壁へと叩きつけられるように倒れた。
 どこか痛いのではない。それでもアイリスはシートの上で体を丸めたまま動くことができないでいた。涙を流す。どれほど流す。いくらでも流す。そうしても何も流れ落ちてはくれない。死んだ女性の姿も、光をなくした視線も。
 ずたずたにされた体をどうしても思い浮かべると、肉の臭いが鼻孔に突き刺さる気がして突然の嘔吐感に襲われた。最後に食事をしたのはもう6時間以上も前。ただの胃液が食道と喉を焼きながらコクピットの床を汚す。

「お姉ちゃん……、ガーベラお姉ちゃん……、ヒメノカリスお姉ちゃん……」

 胃酸に焼かれた喉は姉のことを呼ぶしかできない。涙に疲れた体はパイロット・シートから起きあがる気力さえ奪っていた。ただ泣きながらあらゆる痛みに耐えていることしかできないっでいた。




 断続的に聞こえていた地響きと振動。それが突如肥大化した時、エインセル・ハンターは反射的に身を低くした。コンクリート片が飛んでいる。壁に入った亀裂が一挙に広がり、それは床にまで達した。
 何か--おそらく、人型兵器の試作機であろう--が壁に外側から激突し、この階が崩壊しようとしている。
 それでもヒメノカリスは攻撃の手を緩めようとはしなかった。強引にでもエインセルに切りかかろうとして、浮き上がった床に完全に足をとられた。つい痛みを共感させられてしまうほどの勢いでヒメノカリスは床に激突した。
 ナイフが転がり床に生じた亀裂に飲み込まれて落ちた。記憶媒体だけはヒメノカリスは決して手放すことはない。床はすでに崩壊を始めている。壁は大きく崩れ落ち、口を開くようにヒメノカリスが倒れている場所へと順番に崩壊していく。
 ここは吹き抜けに面した8階である。記憶媒体が破損するには十分すぎる高さであった。
 次なりふり構わず駆け出すのはエインセルの番であった。崩壊に伴う振動は続いている。床はすでに平らな場所などなく、壁の脱落に引きずられて傾き始めていた。
 ヒメノカリスの体が滑り始める。意識はあるようだが、軽い脳震盪を起こしているのだろう。立ち上がる気配はない。それでも、記憶媒体を手放さないまま、顔には笑みさえ浮かべていた。

「これは、絶対に渡しません……。だからヒメノカリスのこと、誉めてください、お父様……」

 床が割れ、勢いづいていたヒメノカリスの小さな体は吹き抜けへと投げ出された。エインセルは勢いよく床を蹴り、ヒメノカリスを追いかけ飛び出した。




 研究施設地下にもうけられたシャトルの発着場。ドミナント、ヴァーリ、上位研究者を逃がすための緊急避難所をかねた格納庫である。
 ジョージ・グレンはユニウス・セブンの原子炉を意図的に暴走させた。二次循環系を止め、ナトリウムの冷却を停止したのである。原子炉内部では熱暴走を引き起こしている最中であろう。高エネルギーを持つ核燃料が分裂する。すると大量の熱と中性子が放たれ、中性子は次の原子を分裂させ、熱と中性子が再び放たれる。この再現のない繰り返しが、炉心を融解させ、格納容器を破壊。やがて格納容器の底を抜けた高熱の燃料はチャイナ・シンドロームを引き起こす。それとも先に爆発が発生するか。どちらにしろ、ユニウス・セブンは崩壊する。
 ジョージ・グレンの心は落ち着き、冷たいほど静かに思考が流れていた。
 ユニウス・セブンの約20万の人々。それは確かに尊い命であることに変わりはない。しかしその命を惜しんで研究が漏洩するようなことになればプラントは終わる。2000万のために20万を犠牲にする。この冷たい方程式を、しかしジョージ・グレンは正しいことと確信していた。
 シャトルの周囲の人々の動きが慌ただしい。できる限りの資料を詰め込み、爆発の前に脱出すべく準備を進めているのだ。
 ジョージ・グレンにとってすべきことはない。ただシャトルの前に悠然と構え、人々に誇りを与え続けていた。一時の涙が未来を導くために必要なことがある。そのことをファースト・コーディネーターは一切疑ってなどいない。そう示し続けていた。
 尊い犠牲を払ってでも守らなければならないもの。それはジョージ・グレンへと駆け寄ってくる子どもたちでもある。
 アルファ・ワン。ガーベラ・ゴルフ。最高のドミナントと最高のヴァーリが息を切らせて走り寄ってきた。

「グレン様! レノアさんが敵に囚われています! 早く助けないと!」
「アルファ、いや、アスラン。なぜ君がそれを知っているのかね?」

 アルファ・ワンを敢えてアスラン・ザラと呼ぶ。
 アスランはジョージ・グレンの前で呼吸を整えながら答えた。

「レノアさんが僕たちを逃がしてくれたからです」
「では、君たちはいま何をすべきと考えるかね?」
「逃げる、べきでしょうか……?」
「うむ。それは確かにレノア君の望みに叶うだろうね。そうすべきだろう。さあ、早くシャトルに乗り込みたまえ。まもなく出発する」

 アスランはまだ迷いを捨てきることができないでいるようだ。それは仕方がない。まだ子どもなのだ。
 世界のすべての人々を救うことなどできない。しかし1人でも多くの人を幸福にすることはできる。そういうことなのだ。理想を抱くと言うことは。
 ガーベラ--今後、ラクス・クラインと名乗ることになるだろう--はアスランの手を後からそっと掴む。

「アルファ。グレン様のお言葉です」

 ようやく迷いは晴れたのだろう。アスランはシャトルの方へと歩き出した。ラクス・クラインを連れて。
 これでよい。人は悩む。悩んでこそ人なのだ。だからこそ、悩みを乗り越えた者が導き、あるべきところへと連れていかなければならない。ファースト・コーディネーターとして、来るべき未来の調整者としての使命なのだから。
 さあ、まもなく出発する。最後にブルー・コスモスの若者は果たして逃げきれるだろうか。ドミナントとヴァーリを減らしてしまうことは惜しいが、そう、すべての人を救うことなどできないのだ。
 ジョージ・グレンは見上げるように格納庫の隅をへと目をやった。わずかに動く影。そうと気づいた時には、高速で飛翔する何かがジョージ・グレンの頭上を飛び越え背後で巨大な爆発を引き起こした。衝撃波に床へと投げ出される。転がるように床に倒れたジョージ・グレンは引きちぎられたシャトルを目にした。
 突然の衝撃に耳鳴りさえする。上体を起こしながら状況を確認する。周囲には火のついた残骸が転がり、シャトルは機首部分が切り落とされた首のように垂れ下がっていた。機体そのものは食い破られたように破壊され、中で火が燃えさかっている。

「次に通気孔作る時は、人が通りやすいようにしてくれな」

 聞き覚えのある声だ。よろめくように立ち上がると、若者--司令室に乗り込んできた者だ--が全身を傷だらけにして立っていた。服はほころび、所々に裂傷が見られる。通気孔を通ってきたというのも嘘ではないのだろう。その手には金属製の筒。それを肩に担ぐように持っていた。金属製の筒は投げ捨てられる。床を打つ鈍く固い音がした。

「まさかロケット・ランチャーまで持ち込んでいるとはな。大したものだ」

 これがシャトルを一撃で破壊したものの正体である。まさかこんな重火器まで持ち込ませるとはプラントの税関は緊張感が足りていないらしい。それとも、ブルー・コスモスの熱意が上回ったのだろうか。

「それはシュタイナーのおっさんに言ってやってくれ。これが今日中に届かなければ不渡りが出る。あの堅物のおやじがそんな芝居まで打って俺たちに届けてくれた虎の子の一発だ」

 はて、シュタイナーとは誰であろうか。答える気はないらしい。若者は懐から拳銃を抜き、ジョージ・グレンへと向けた。周囲には燃える残骸。炎はちょうどジョージ・グレンと若者とを外界から分けるように燃えくぶぶっていた。

「君は私を殺すのかね?」
「ああ」
「それはなぜかね?」

 若者は鼻で笑う。銃を向けたまま。

「あんたが聞くのか? あんたは一度だって疑問に答えたことがなかった。どこで生まれた? 誰が作った? コーディネーターは人権侵害につながることはないのか? 人を道具にしてしまうことはないのか? 技術的に安全なのか? 新たな差別を生みはしないか? 優れていない子どもには生きている価値がないのか? 人の価値は能力の多寡だけで決まるのか? あんたは一度だって答えなかった。そうだろ。コーディネーターはすばらしい。だからみな私に続け。コーディネータの未来は明るい。プラントは人類の未来を切り開く。あんたは自分が言いたいことを言うだけで一切疑問に応えようとしなかった。まるで自分の言葉がそのまま真理みたいに思いこんでな」

 撃鉄が引かれ、銃口は迷うことなくジョージ・グレンへと向けられている。

「だから俺たちはあんたを殺す。それが、俺たちにとって疑問を差し挟む余地のない当然のことだからだ」

 シャトルの燃料に引火した火が爆発を引き起こすとともに轟音をまき散らす。黒煙が吹き出し、周囲のすべてを塗り潰す。
 爆発が収まった時、すでにすべてが終わっていた。
 降ろされた拳銃。立っているのは若者、ムウ・ラ・フラガと名乗る若者1人だけ。通信機を耳にあて、その顔は友人と週末の約束を交わしているかのように穏やかで、しかし達成感に満たされてはいなかった。

「ああ、終わった。いや、これが始まりなんだろ。俺たちの戦いは、始まったばかりなんだからな」




 恐ろしいまでの勢いで巨人の後頭部が壁へと叩きつけられた。巨人の顔を鷲掴みにする巨人の手。手は勢いを一切減じることなく、相手の頭を壁に叩きつけそのまま壁をぶち抜いて争う2体の巨人は壁の向こう側へとともに倒れ込む。
 頭部を砕かれた巨人は仰向けに倒れ、頭はすでに肩の上にない。対峙していた巨人の右手の中にすでに原型残さぬほど破壊された状態で握られていた。同時に勝利した巨人もまた左腕を失いフレームのいたるところが歪んでいた。壮絶な痛み分けは、この巨人さえ顔面を形をとどめないほど破壊されていることからもわかる。
 立っている。そうとするよりはもはや倒れるだけの力も残してない巨人のコクピットからその姿を現したのはラウ・ル・クルーゼであった。ロープで降りた先、そこには少年が操縦していた巨人が横たわっている。
 コクピットの付近に着地すると、コクピット内部を覗くことができる。ガラスは砕け、細かい破片となってコクピット中に散らばっていた。しかしパイロットである少年の姿はない。向くと、コクピットから一定の方向性をもって血の跡が続いている。決して軽くはない傷を負っているはずだが、やはり単なる子どもではない。
 ラウは血の跡を追いかけて歩き出す。巨人の体から飛び乗ることのできる範囲にあった床へと移動する。かつては2階の床だったのだろう。裂けた穴からは下の床が見られ、瓦礫が階下には山と積まれている。2階のこの床にも細かな破片が散らばっていた。血の跡は瓦礫の上に点在し通路の奥へと続いている。
 血は数こそ多いが致命的な出血量には思われない。廊下そのものは暗いが、壁の亀裂から差し込む光--点滅する非常灯の明かりである--を頼りに血を追う。
 それはやがて、一つの部屋へとつながっていた。
 暗く判然としないが病室だろうか。開け放たれたままのドアをくぐると決して広くはない部屋に心電図の独特の音が響いていた。時折、肩で息をする吐息も聞こえてくる。少年の姿はあっさりと見つけることができた。ベッドに寄りかかって座り込んでいる。肩を押さえているところを見ると傷は肩にあるのだろう。子どもには辛い傷のはずだが、少年はラウに気づくなり立ち上がり、なおも睨みつけてくるほどだ。
 まるで大切な何かを守るように。
 ベッドの上には眠る少女の姿があった。血管が透けて見えてしまうほどの白い肌。その顔立ちからヴァーリであるとわかる。近づけばより確認できるのだろうが、それは少年が許さないことだろう。

「少年、この娘は?」

 睨まれるばかりで答えてはもらえない。
 傍らには心電図が表示する装置が置かれている。心臓は確かに脈打っているようだが、時折不規則な脈動が見られる。医術の心得のないラウにとってさえ、これが思わしくない状態を示していることくらいわかるものだ。まもなくこの砂の城は崩れ落ちる。どちらにせよこの少女をこのままおいておくことはできない。
 ラウは構わず少女へと近づくこととした。

「触るな!」

 娘を抱き上げようとすると少年がラウを制止して腕を掴んだ。怪我をしている。まだ子どもである。さして強い強制ではなく、掴まれた手の感触は思いの外小さいものであった。こんな小さな子どもなのだ。こんな子どもが、あのような兵器を扱っていたのだ。
 無理に引き剥がす気にはなれない。

「だがこの娘、このままでは死ぬぞ」

 そんなことは少年とて理解しているのだろう。子どもらしく悔しさを顔一杯で表現しながらラウを掴む手を離した。
 幸い、生命維持装置の類と繋がっていることはないようだ。体からコードの類を取り外し、それこそビスク・ドールでも持つように慎重に抱き上げる。子どもの体というものは信じられないほど軽いものだ。

「ここはいずれ崩壊する。君も私とともに来い」
「嫌だ!」

 子どもらしいおかしな意地を張っているのだろう。今にも倒れそうに足を震わせながら、その目は敵意に染まっている。

「ゼフィランサスは絶対に取り戻す! それまで、おまえに預けてやる」

 つくづく子どもと侮ることができない。この若さでこれほど強い眼差しを持つ者などそうはいないことだろう。この少年はやがてラウの前に現れることになるだろう、必ず。

「私の名はラウ・ル・クルーゼ。少年、名を聞いておこうか」
「テット、テット・ナインだ!」




 ユニウス・セブンは普段と何ら変わらぬ日常が続けられていた。研究施設の襲撃が事故として片づけられ、その内容が市井に伝えられることはなかった。警察、消防の車両が動き回ったところで、眠る人々に火急の事態が迫っている意識させることはなかった。
 事故が起きた。明日、ニュースで確認しよう。微睡む人々はそんな意識で再び眠りにつく。
 まもなく、すべてが吹き飛び、消えてしまうと教えられることもなく。




 街の平穏とは打って変わり、施設では生き延びるための方法が模索されていた。脱出までの時間は決して多くはなく、方法は限られていた。司令室として機能すべきだった部屋がブルー・コスモスによって襲撃され、最高指揮官であるジョージ・グレンは早々に脱出のため部屋を離れた。
 そのため、せいぜい避難訓練程度の緊急時にしか対応できない研究者、職員、警備員は組織だった連携、避難を行うことができず、また、状況を認識している者は決して多くはなかった。下位職員に避難命令が告げられることはなく、自爆装置の存在を知らされていた一部の人々が独自の判断で動いたことも混乱に拍車をかけた。
 非合理的で非効率。襲撃された地点からは離れた、しかし彼らから最も近い脱出ポッドの置かれた箇所に職員が殺到。場所によっては定員の5倍もの人が集まりながら定員の半分さえ集まらない場所にさえ別れた。悲劇は、我先に脱出ポッドへ殺到する人々の後から、ゆっくりと忍び寄っていた。
 そして、もう一つの悲劇があった。ドミナント、そしてヴァーリは子どもである。体格、力では大人にはかなわない。脱出ポッドに入ることができるのは単純に腕力に勝る者からである。この研究施設の至宝であり、成果である作られた子どもたちを、しかし大人たちは命をかけてまで守ろうとはしなかった。
 子どもたちは子どもたちのやり方で自分の命を守らなければならなかった。
 D、E、F。一続きのアルファベットを持つヴァーリであるということはすなわち、同じ研究室から誕生した姉妹であることを示している。
 D。デンドロビウム・デルタは瓦礫の山へ唾を吐いた。血が混じった赤い唾液だ。大人たちに突き飛ばされた時の痣が口の端についていた。

「1人乗りの救命ポッドか……」

 重たい瓦礫を押しのけ辛うじて見つけることができたのは1人乗り、小型の救命艇であった。しかし、ここには3人がいるのだ。
 E。エピメディウム・エコーは壁に埋め込まれた救命艇の扉、そこに書かれた内容を拾っていた。約20時間の生存が可能である。ただし、救助はいつ来るかはわからない。

「でもこれ大人向けだから僕たちなら3人でもそこそこ持つよ。それまでに救助されるかどうかは賭けだけど……」

 普段明るい表情を絶やすことのないエピメディウムさえ、ぎこちない笑みにならざるを得ない。しかしこれ以外に方法はない。今から他の脱出艇が見つかる保証もなければ、大人たちの奪い合いに巻き込まれてしまう危険もある。
 F。フリージア・フォクスロット、唯一ダムゼルに選出されなかったヴァーリは、冷たい計算を完成させていた。姉2人が脱出艇を起動し扉を開けているそのすぐ後で、フリージアはガラス片を拾い上げた。鋭く尖った、ナイフのようなガラスを。

「それなら2人の方がもっと確率があがるよね……」
「何だって?」
「姉さんたちは生きなきゃ駄目。ダムゼルなんだから……」

 少女の喉元に突き立てられたガラスは、たやすくその細い首を刺し貫いた。




 頭部を撃ち抜かれた人々の死体が並んでいる。本来ならばシャトルで安全に脱出はずであった人々は、逃げる手段を失ったことで突然限られた脱出艇を奪い合う立場に追いやられた。これらの死体はそんな人々の成れの果てである。
 ラクスを後に守るようにアスランは引き金を引いた。逃れるように尻餅をついていた男性職員の眉間に穴が開き血が吹き出す。

「あなたたちを犠牲にしたこと、俺は生涯忘れない」

 まだ子どもでしかないアスランが生き延び、ラクスを守るためには他に手段などなかった。




 涙を流した。嘔吐して喉を焼いた。できることならずっと泣いていたかった気が済むまで泣いていたかった。それでも、このままだと死んでしまうこともわかっていた。アイリスは銃弾で穴だらけにされてしまった風防から泣きながら這いだした。
 うず高く積もれた瓦礫を頼りに少しずつ下っていく。床に足をついた時、踏んでしまった細かい破片に足をとられそうになりつつも辛うじて踏みとどまることができた。
 目の前には脱出艇があった。まだ誰も使用していない。アイリス自身はこの時知ることはなかったが、職員たちの多くは襲撃された箇所を避けて脱出艇を探していた。戦場のただ中に身をおいていたアイリスこそが最も安全に脱出艇を得ることができるという皮肉が、そこにはあった。




 ギーメル・スリーは恵まれた幸運を、決して逃そうとはしなかった。ヴァーリの仲間たち数人を集めて大型の脱出艇を確保することができた。ギーメルの寝室、特定のヴァーリの研究室がたまたま襲撃された地点から離れた外れにあったことが戦いからも生存競争からも彼女たちを遠ざけていた。
 救命艇にはまだ開きがあった。ギーメルは1人でも多くの仲間を助けようと仲間たちに無理を言って救命艇から飛び出した。1人でも、1人でも連れ戻ることができればいい。そう考えていたのだ。
 まだ少女と呼ぶことさえ早いように思えるギーメルの小さな体は瓦礫を一つ乗り越えた。すると、一つの別れを目にすることとなった。
 血溜まりに顔をつけるようにうつ伏せの状態でヴァーリが倒れていた。青い髪。思わず抱き上げると、顔は潰れて誰かわからない。見上げると、砕かれた床があった。壁が根こそぎ破壊されて床の断面が剥き出しになっていた。だいたい5階分。その内のどれかから落ちたのだろう。それとも突き落とされたか。
 顔は潰れ、髪の色から第6研の誰かしかわからない。顔が同じヴァーリにはおかしな話だが、似てはいてもやはり特徴というものはあるものだ。どんな表情を多用するかで顔面の筋肉の発達具合は異なる。それが顔に特徴として現れることになるのだから。
 おそらく、PかR。この2人は第6研の中で特に似ていたから。サイサリス・パパとも、ローズマリー・ロメオとも呼ぶこともできず、ギーメルは遺体をそっと横たえた。




 ユニウス・セブンの崩壊。それはあまりにショッキングな出来事であり、発生当初から多くの憶測が流れた。地球、プラント両政府が公式発表を先送りにし、関与が疑われたブルー・コスモスは沈黙を貫いたことが流説の流布に拍車をかけた。
 構造欠陥。スペース・デブリの衝突。太陽風の影響。食料生産コロニーであったことから堆肥から発生したメタンガスの爆発。戦艦の衝突。人々は想像の翼を逞しく羽ばたかせた。
 何より、ブルー・コスモス所有の宇宙船が付近を非公式に航行中であったことからテロだという説がプラント国内では支配的になっていく。
 ユニウス・セブンは巨大な爆発に巻き込まれ、一瞬にして崩壊した。瓦礫から放射性物質が検出されたことから核爆発にさらされたことが決定的となると、疑惑は確信へと変わる。地球のナチュラルが核ミサイルを撃ち込んだ。誰かがそう叫び、そして誰もが異を唱えることはなかった。
 地球政府は核攻撃を否定。すべての核ミサイルはシリアル・ナンバーによって厳重に管理されており、核ミサイルが使用された事実はないいとして否定し続けた。
 プラント政府は公式に核攻撃の事実を認めることこそなくともブルー・コスモスによるテロと断定。地球各国に犯人の引き渡しを求めた。テロであると認めていない地球各国はこれを拒絶。プラント国内では近年の独立機運に後押しされる形でナショナリズムが急速に台頭。ナチュラルによる地球規模の陰謀論さえ囁かれはじめ、次第に核ミサイルがユニウス・セブンに撃ち込まれたとの憶測が強固な足場を固めていった。プラント政府がこれを強く否定することなく、国内の不満をかわす狙いからその説を暗に後押しした結果、プラント国内ではブルー・コスモスによる核攻撃としか考えられないと意見が集約されていった。
 私は犯人ではありません。
 我らは血を支払い、この怒りと悲しみを忘れることはない。
 人はより信じやすい情報を選び取り、よって人々は被害者の悲痛な叫びを聞き取った。地球でさえ核攻撃説が支配的になった際、悲劇は上塗られた。
 地球に、そしてナチュラルに復讐を。プラント政府が利用、助長さえさせた陰謀論はやがて政権を脅かすほどの勢いにまで発展した。同胞を殺され犯人の引き渡しさえ実現できない現政権への不満が蓄積されることとなったのである。
 当時のクライン政権はこの事態を重く見、C.E.65.4.1、かのエイプリルフール・クライシスを起こさざるを得なくなったとされている。当時のプラント最高評議会議事録はいまだ公表されておらず詳細な経緯は謎に包まれたままである。一つの事実としてエイプリルフール・クライシスによってクライン政権の支持率は持ち直し再選を果たす原動力になったと分析されている。
 しかし反地球、及び反ナチュラルを謳う急進派は一連の騒動で大躍進を果たす。地球側もまた警告なしに行われた暴挙に怒りを隠そうとはしなかった。
 両勢力はなし崩し的に戦争へと突入する。C.E.67。ユニウス・セブンから6年の月日が流れていた。
 そしてさらに4年。戦争は停滞期を挟みながらも終わることなく、前線を幾度も書き換えながら拡大の一途を続けていた。




 オーブが建造を予定していた軌道エレベーターは、戦争勃発とともに中断を余儀なくされていた。現在は基礎部分にあたる宇宙ステーションだけが衛星軌道上に漂っているばかりである。
 アメノミハシラ。この事実上の宇宙ステーションの設計図を見た時、エペメディウム・エコーはただ一つだけわがままを押し通した。展望室を地球の反対側の上部ではなくて下部につけるよう提案した。上部では空には月が浮かぶ他星空しか見えない。地球の大気に邪魔されない満天の星空を楽しみたい人にはいいかもしれない。ただ、星の間に透けて見える宇宙の暗闇を眺めているとその暗さに閉じこめられてしまいそうで好きにはなれない。
 だからエピメディウムは展望室を下に取り付けさせた。地球が、その展望室の空の真ん中にその青い姿を湛えている姿が見たかった。
 誰もいない展望室の椅子に座って空を見上げる。無重力の中、上も下もないはずだがそれでも地球は天に浮かんでいた。宇宙で生まれたエピメディウムにとってもそれは違和感を覚える光景だった。それだけオーブでの生活が長かったということなのだろうか。
 足音がするのも、地球暮らしからなかなか解放されない人の性なのかもしれない。地球生まれの地球育ち。重力に鍛えられた逞しい体つきのレドニル・キサカはエピメディウムに対してさえも律儀に敬礼する。

「エピメディウムさま。デンドロビウムさまがお見えです」
「ありがとう、レドニル」

 普段はカガリ・ユラ・アスハと一緒に行動してもらっていた。そのせいかレドニルの姿を見るとついカガリの姿を探してしまう。実際にレドニルと入れ替わるように入って来たのはたとえて言うなら鏡。
 赤と緑のオッドアイと、緑の瞳の方にだけ垂らした三つ編みはエピメディウムとちょうど鏡合わせの対称の姿を示している。
 姉であるデンドロビウム・デルタはいつも不機嫌そうに口に力を込めている。後にはいつもコートニー・ヒエロニムスを従えている。そう、姉はいつもとまるで様子を変えていない。

「オーブを失った件はおとがめなしだそうだ」

 そんなことを言うためにわざわざこの姉は衛星軌道上にまで来てくれたのだろうか。
 立ち上がって向かい合うと本当に鏡を見ているような気分にさせられる。瞳も髪も左右非対称の姿。

「ねえ、デンドロビウム。僕たちは誓ったよね。フリージアのこと絶対に忘れないって。だから僕たちは半身にフリージアを宿してる」

 フリージアは緑の瞳をして、左右に垂らした三つ編みをしていた。だからエピメディウムもデンドロビウムも緑の瞳の側に三つ編みを垂らした。互いに半身を切り取って左右で重ね合わせればフリージアの姿ができあがる。デンドロビウムのことを見ることで5歳で命を落とした妹の成長した姿を、ほんの半分だけ見ることができる。
 きっとデンドロビウムもフリージアのことを見ている。

「フリージアの犠牲は絶対に無駄になんてしない。絶対に!」
「僕も同じ気持ちだよ。でも、僕たちのしていることって、結局何なんだろうね? 誰かに犠牲を強いて。目的のためには仕方がないって思いこんで。結局、フリージアみたいな人を増やしてるだけなんじゃないかなって思うことがあるよ」
「途中で諦めたらフリージアの死が無駄になる!」
「わかってる……、わかってるよ……、そんなこと」




 ジャスミン・ジュリエッタは更衣室に1人。クルーゼ隊にいた頃は周りに男性が多くて着替えは1人のことが多かった。もう慣れてしまったはずのこと。
 ジャスミンの手には写真があった。目元を完全に覆うバイザーを通す必要があるため手元で眺めることができない。少し離したまま、眺めていた。クルーゼ隊のみんなと並んで撮った写真である。興味がないと一緒に撮ってはくれなかった隊長以外のみんなが写っている。中には名前を覚える前に戦死してしまった人もいて、10人を越す人の半分は名前がわからないか、名前くらいしかわからない。そしてこの内の多くが戦死してしまっている。
 まだ名前を覚えていなかったオロール、マシュー。頼りになるお兄さんだったミゲル・アイマン。心優しかったニコル・アマルフィ。
 部隊を変えたディアッカ・エルスマン。元から立場の違うアスラン・ザラ。そして、ラウ・ル・クルーゼ。
 みんな、写真には写っている。もちろん、隊長は除いて。この写真は肌身離さず持ち歩いてた。所属を変え、戦艦を幾度乗り継いでも手放すことはなかった。それでも、今回は置いていこう。ノーマル・スーツ以外私物は一切置かれていないロッカーの棚へと写真を乗せる。今着ている制服をしまってしまえばそれで私物のすべてになってしまう。しかし、何かロッカーに残しておきたいものが想像できた訳でもなかった。
 上着を、シャツを、スカートを脱いで下着姿になる。目のバイザーはそのまま。わざわざはずすことなく着替えることができるよう、ノーマル・スーツはできている。そのことを便利だと考えることはあっても、ありがたいと考えることはなかった。
 バイザーを外すと視力が失われてしまうため、ついつけたまま着替えてしまう。肉眼とバイザーの大きな違いは目を閉じるということができないこと。電源を落とすことはできても、再起動にはだいたい10秒くらいかかってします。だからいつもつけたまま、見たくもないものを見てしまう。
 下腹部にある傷。すでに白く塞がり、一直線の傷跡は手術痕である。
 もう何回も見たはずなのにこの傷を見る度にお腹から広がるような嫌な感覚が脳へと伝わってくる。
 仕方のない手術だった。手術を受けるべき正当な理由があった。だから仕方ない。手術を受けるべきだった。そんなことはわかってる。わかっているはずなのに、ジャスミンは自然とお腹に手をあてて、そうしたまま立ち尽くしていた。



[32266] 第42話「アブラムシのカースト」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:11
 ZGMF-1017Mジンハイマニューバ。この機体を知る者は少ない。その名称、型式番号の示す通り、ZGMF-1017ジン、かつてのザフト軍主力を担った機体の正当な後継機である。その姿はジンと大差ない。丸みを帯びた装甲は甲冑のようであり、モノアイも共通している。バック・パックは多少形状に変化が加えられているものの全体的には大差ないのだ。装甲が灰色から薄い緑に変えられている。これくらいではないだろうか。
 それもそのはず。この機体は新型機と呼ぶに相応しい機構もなければ、構造そのものは大きく変更されていない。実戦で実用性が確認された技術をフィード・バックすることで全体的な性能の底上げを図ったにすぎない。しかし、すでに実用性が確認され技術のみで開発されたハイマニューバはそれだけ安定していた。ジンの座を引き継ぐにたる機体であると思われていた。
 それも、ガンダムと呼ばれる兵器が、ビーム兵器が開発される以前の話であった。ジェネレーター出力の関係上、ビーム兵器を装備できないジンハイマニューバは本体性能に優れようとすでに型遅れ以外の何者でもなかったのである。
 生まれながらの旧型機。
 UMF-4Aグーン、UMF-5ゾノと同様、誰からもその誕生を喜ばれぬ機体なのである。ビーム開発に遅れたザフトにとってZGMF-600ゲイツの開発は国是であり、そのために予算、人員が惜しげもなく投入された。そのしわ寄せをくった本来の次世代機は開発が遅れ、いざ量産体制が整った際にはすべてが遅すぎた。すでに戦場の主役はビーム兵器に移り変わっており生産ラインはゲイツに回された。その結果、少数生産された地上機たちはジブラルタル基地の防衛戦において最後の初陣を飾った。
 ジンハイマニューバとて例外ではない。49機を先行量産後ラインは停止。ゲイツの生産へと回されている。この最初で最後のジンハイマニューバたちもまた、たった一度だけの初陣に挑もうとしていた。
 格納庫のハンガーに複数のジンハイマニューバが並べられている。見えているだけでさえ、全戦力を一割を数える。パイロットたちは姿勢を崩さぬまま、指揮官の言葉に耳を傾けていた。それは演説ではなかった。内容はともかく、雛壇から軍服を身につけた男は淡々とした口振りでパイロットたちに語りかけている。

「現在、プラントを取り巻く情勢は楽観視できるものではない。グラナダが落ち、地球軍は着々とプラント本国を目指している。しかしそれは絶望的であることは意味していない。ヤキン・ドゥーエではすでに新型機であるゲイツの配備を終えている。水面下の工作も引き続き行われている。しかし、まだ時間が足りていない。誰かが地球軍を足止めし時間を稼がなければならない」

 事実が整然と並べられ、パイロットたちも静かに耳を傾けている。
 ジブラルタルを失い、グラナダも陥落した。敵は確実にボアズに迫っている。ボアズが突破されたなら敵はプラント本国に到達する。そんなことは誰もが理解していた。理解しているからこそ、彼らパイロットはここにいるのだ。

「非常に危険な任務である。だがプラントを守るための誇り高き戦いであると私は考えている。この作戦に参加してくれる諸君らに私は感謝したい」

 一斉に敬礼するパイロットたち。しかしその中には周囲とは異なる不格好な敬礼が点在していた。それを誰も見咎めることはない。指揮官は早々に後にすると、パイロットたちはばらばらに自機へと歩き始めた。戦前に声を掛け合うことはない。各部隊から寄せ集められたパイロットたちは、無言のままジンハイマニューバを目指した。
 その中には、目元をバイザーで覆った少女の姿もあった。




 格納庫はいつも賑やかでこの艦の特殊性を象徴している。ブーステッドマンと呼ばれる特殊な投薬を行われているパイロットをできる限り一括管理するため、格納庫には詰め込めるだけのモビル・スーツが並んでいる。宇宙であることをいいことに逆さまにつり下げられた機体から床、天井に寝かせられた機体の姿がある。
 何より、年齢も性別もばらばら、せいぜい軍属であることくらいしか共通項のないパイロットたちが好き勝手な場所に集まって話をしている。これでやかましくならないはずがなかった。
 ラウ・ル・クルーゼはモビル・スーツ部隊の責任者として、今日もまた格納庫を訪れては苦笑いに口元を歪ませた。つい自分の後ろを歩く艦長殿に同情したくなったのだ。

「君までここに来る必要はないように思えるのだがね」
「部隊の把握も艦長としての職務であると考えています」

 マリュー・ラミアス少佐は手元のメモにペンを走らせていた。何とも熱心なことだ。キラ・ヤマトのような志願兵ばかりで構成された部隊を率いた艦長は部隊全体を考えて動くことができるものであるようだ。
 とにかく格納庫が狭く感じる。GAT-01デュエルダガーのすぐ脇を通り抜けたかと思うとすぐ横には別の機体の寝かせられた頭が見えた。これでよく接触事故を起こさないものだ。正規の軍艦というよりは野戦基地、でなければテーマ・パークのアトラクションのようである。
 こんな中から1人の少女を見つけることは骨かといつも考える。しかしたやすく解決することもいつもの通りである。人が集まっている場所がある。寝かせられた機体の上で、白衣の少女をブーステッドマンたちが取り囲んでいた。

「ニーレンベルギア」

 一声かけるだけでよい。人垣は割れ、白衣、黒髪のヴァーリは無重力の中一跳びにラウの前に立つ。ブーステッドマンを総括管理するラウへとタブレット端末を差し出した。

「経過は良好です。ただ、副作用は抑えきれていません。疲労時、極度の緊張時に副作用が顕在化することが判明しています。一般の兵士と同様、休息が大切ということになります」
「十分だ。だが、より副作用が深刻と言える2人がそろってガンダムのパイロットとはな」

 端末にはブーステッドマンそれぞれのデータが表示されている。その中でも際だって副作用が危惧されているのはカズイ、及びロベリア・リマの2名であった。どちらも貴重なガンダムを与えられているのだ。
 ニーレンベルギアは穏やかに微笑む。

「それだけ投薬の効果がよくも悪くも現れているということです」

 離れた壁際にガンダムは並んで置かれている。やはりガンダムは別格らしく他の機体とは離しておいてある。パイロットの姿を探したつもりだったが、見つけることはできなかった。

「お会いになりますか?」
「いや、君に任せよう」

 端末を返す。今回はそこまで厳密な視察を目的としている訳ではない。このまま戻るつもりであったが、その前に上から声が降ってくる。

「ラウさん!」

 ニーレンベルギアと似た声。同じ顔をしたノーマル・スーツ姿の少女が降り立った。赤い髪をしたヴァーリ。それ以上の説明のしようがないほど、素朴で純朴。ロベリア・リマは一度ラウの前で敬礼してみせる。なぜか言い出しにくそうに、言葉を途切れ途切れにさせていた。

「少し、お話できませんか? その……、あの夜のことで……」

 固い砕ける音がした。マリュー少佐がペンを砕いた音だ。そんな音がはっきりと聞こえるほど、何故か音の空白地帯ができあがっていた。格納庫中が静まりかえるほどではなかったが、ロベリアの声が届いた範囲だけ人々の声がやむ。突然生じた無音地帯に気付き始めた周囲の人々も話をやめることで徐々に外側にさえ広がっていく。
 周囲を見ればなぜかみな目をそらす。これと似たような事態に友も遭遇したことがあるそうだ。神にさえ不遜な態度を崩さないと思われるあの男が背筋の凍る思いだとうめいていた。あながち嘘ではないようだ。

「なるほど、エインセルの言うとおり、これは芯が冷える。だがロベリア、夜ではわからない」
「その……、血のバレンタイン事件のことです」

 確かに襲撃は夜、日付が変わってから行われた。しかし、すでに話の質は変化している。沈黙はそのまま引き継がれ、緊張さえ持続する。唯一変化したと認められることは、ラウがロベリアから目をそらす資格を逸したことである。

「恨み辛みならば聞こう」
「そうじゃありません。こんなこと言うの、おかしなことだと思いますけど、私、感謝してるんです」

 話が本題に入る前に耳打ちしたのはマリュー少佐である。

「場所を変えた方がよろしいのではないでしょうか?」
「ユニウス・セブンをブルー・コスモスが襲撃したなど公然の秘密だろう。取り立てて隠すべきことともない」

 そうは言いながらも、視界の隅には飲み物のチューブに口をつけたまま固まり、目を見開いている男の姿もある。ロベリアにしたところで今になって話を持ちかけてきた以上、見知ったのは最近のことなのだろう。

「襲われてありがとうございますって、変な話だと思いますけど、私、プラントが好きじゃありませんでした……」

 ロベリアは両手を振って見せる。まったく不自然のない動きで、知らなければロベリアが先天的に腕を持たなかったことを気づくことはできないだろう。

「私、障がい者じゃないですか。プラントじゃ差別が激しくて、それにどうせダムゼルになんてなれませんでした。もしもあのままプラントに残っていたらきっとひどいことされてたと思います。……べ、別に変なことじゃありませんよ! 無理矢理、男の人の相手をさせられると、とか、そんなことじゃなくて……、その……!」

 勝手に慌て始めた。夜を情交の隠語と察することができず、こちらは誰に言われるまでもなく慌て始める。その基準はどこにあるのかはわからないが、妙な誤解を招く言動が多いようだ。これが年頃の娘であるということなのか、あるいはロベリアのことを特徴のないヴァーリであるという認識を改めるべきか。

「君はすぐにはプラントに戻らなかったそうだな」
「ユニウス・セブンが崩壊した時、結構安全に脱出できました。でも、姉さんたちとは離れてしまって、私だけ普通のレスキュー隊に拾われたんです。プラントには帰りたくなくて記憶喪失のふりをして3年くらい隠れてました。プラントに戻されそうになった時、ニーレンベルギア姉さんに拾ってもらったんです」

 それほどプラントには戻りたくなかったということなのだろう。ニーレンベルギアはと言うと、しれっとしたものである。無重力を漂いながら多端末を操作しているだけでわざわざロベリアのことを見ようとはしない。

「私は実験体が欲しかっただけですけれど」

 ニーレンベルギアがただの研究者であったのなら、ムルタ・アズラエルはブーステッドマンの研究を任せようとはしなかったことだろう。ロベリアも不必要に気をつかわせようとはしない姉に小さく微笑むだけであった。

「だから私は大丈夫でした。でも、ジャスミン姉さんは……」
「私がジャスミンに出会ったのは4年前のことだ。彼女は施設に入れられていた」
「私、ジャスミン姉さんを助けたいです。プラントっていう国は、私たちに冷たいですから」

 ヴァーリが新薬の実験体になってまで祖国であるプラントと敵対する訳を聞かされたのは初めてのことになる。

「ようやく戦う理由を聞かせてもらえたようだ」
「私、ラウさんのこと、別にひどい人だなんて思ったことなんてありません……。ニーレンベルギア姉さんにも感謝してますし、もちろんラウさんにも……、そのとても感謝してます……!」

 落ち着きこそないが、まくし立てられた言葉の端々には誠意が見て取れた。こうも自分の気持ちに正直になれることはロベリアの美徳であろう。ムルタ・アズラエルなど幼少のみぎりよりこうも素直ではなかったものだが。
 何かロベリアのために言い加えることなど何もない。これで十分とこの場を離れようとした時、誉めるべきか貶すべきか、絶妙のタイミングでブリッジよりの放送が格納庫に響きわたった。

「ラミアス艦長、クルーゼ大佐、至急ブリッジにお戻りください!」

 さて、お茶の時間を告げるにしては少々声が上擦っている。




「攻撃開始!」

 一度だけ顔を合わせた隊長の合図とともに、ジンハイマニューバの部隊が一斉にデブリの影から飛び出した。部隊全体としては50機にも満たない。隠すこともできるし、少なく見積もっても2個師団の戦力相手に2個大隊相当戦力で攻撃を仕掛けること自体、誰も想定していなかったのだろう。
 ザフト軍は奇襲に成功していた。
 推進剤の燐光を瞬かせてジンハイマニューバは曳光弾の間を縫うように敵戦艦の間をすり抜けていく。中には高射砲の直撃を受けて爆発してしまった機体もあった。まだ顔さえ覚えていない同じ部隊の仲間が1人死んだことに、ジャスミンは何の感慨も抱くことはできなかった。
 スラスターを吹かせ、ただ砲火の間をくぐり抜けようとする。
 敵艦からは徐々にモビル・スーツが出撃を開始していた。思えば、ガンダム以外のモビル・スーツと本格的に戦うことは初めてではないだろうか。ジブラルタルでは居残り組で、アフリカの砂漠ではニコル・アマルフィが命がけで逃がしてくれたのだから。
 もう、ここにはニコルはいない。素顔を見せる、そんな他愛ない約束を果たせなかったことを思い出した。
 たった一度だけ顔を合わせた隊長の声がする。

「雑魚に目をくれるな! 目標は旗艦だ。奴さえ落とせばこの部隊は足を止める!」

 GAT-01ストライクダガーへとアサルト・ライフルを向ける。放たれた弾丸は、しかし敵の持つシールドを破壊する十分な攻撃力はなかった。表面に傷はついても本体は無事。反撃として放たれたビームは危うくジャスミン機の肩を撃ち抜くところであった。まさに水鉄砲と拳銃の戦いである。
 回避のために軌道を大きく曲げざるを得なかった。隊列から離れてしまったが、それが何か問題にはならなかった。突撃していたみんながみんな、その足を止められていた。部隊は離散。敵戦艦の密集する中、両軍の入り乱れる完全な混戦状態ができあがる。
 狙いなんてつけない。でたらめな方向に銃を向けて弾を放つ。敵機の接近を少しでも妨害できればそれでよかった。味方の中にはそれでも必死に敵旗艦を目指そうとして強引な突撃を繰り出す人もいた。

「ここで引けば死ななくていい人が死ぬことになる! 焼かれてはならない人が死ぬことになる!」

 それはとても悲しいこと。操縦桿を握る手が自然と動き、アクセル・ペダルを踏み込む。敵のビームが左肩の装甲をただの一撃で吹き飛ばして、直撃したビームは簡単に右足をも引きちぎった。それでも右腕もアサルト・ライフルも無事。ライフルを撃ち続ける。敵がひるんだその隙に、少しでも前に進みたいから。
 ニコル・アマルフィが死んだ時悲しかった。とても優しい人だった。死んだら駄目な人だった。死ななくてもいい人が死んでしまうこと、それはすごく悲しいことだから。
 ビーム・サーベルを抜きはなったストライクダガーが迫ってくる。かわせるような速度で飛行はしていない。左腰から左手で、重斬刀--ただの金属の塊--を抜く。サーベルを防ぐためにかざされた刀は簡単に切断されてそのまま左腕を切り裂かれた。

(問題ありませんよね。左手は、失ってもいいんですから……)

 はじめから斬られることはわかっていた。だからすぐに反撃できて、ジンハイマニューバの頭の鶏冠状の構造を、敵の顔面に押しつけるように頭突きを食らわせる。うまくデュアル・センサーを破壊できたらしい。大きくのけぞった敵へと乗り上がるように接近してから、その首にライフルの銃口を突きつけた。装甲を一撃で破壊しきる攻撃力はなくとも内部構造を破壊することくらいできる。至近距離から放たれた弾丸は首から胸へと火花を上げて吸い込まれ、敵機は大きな爆発を起こした。
 爆煙を抜けて、ジャスミン機は加速を再開する。
 左腕と右足はなくしてしまった。それでも問題ない。なぜなら、どちらも失ってもいい存在だったから。生きるべき人たちを救うために必要な犠牲だから。

「私たちは、死んでもいい存在だから……」




 どうしてこんなことを思い出してしまったのだろう。7歳の頃だろうか。まだ自分が女性であるという知識はあっても自覚に乏しかった頃。とても清潔な部屋であったことを覚えてる。でも、どんな部屋だったかはわからない。まだ視力供与バイザーは与えてもらっていなかった。匂いとか埃っぽさがないことからそうだと考えてた。

「手術、ですか……?」

 だから相手の医師の顔もわからない。声は、少し冷たい感じがした。

「そうだ。君は重篤な遺伝子疾患を抱えている。仮に君が子どもを持てば君の子孫の間に障がいという欠陥は引き継がれ続ける。まさに負の遺産を子々孫々に押しつけてしまうことになる。わかるね」
「はい……」

 理屈としてなら。

「だからプラントでは重篤な遺伝子障害を持つ者が子どもを持つことを法律で禁じている。堕胎についても健常者に比べより広範な処理が認められている。それは未来の子どもたちを守るために必要不可欠であって最適な手段であるからだ」

 紙のすれるような音が聞こえた。何かの資料でもめくっているのだろうか。ほかの音は何も聞こえなくて、否応なく男性医師の言葉だけが耳に入り続ける。

「でも……。手術って、義務じゃないんですよね……?」

 どうしてこんなことを言い出したのか、自分でもわからない。誰か将来を誓った恋人なんていなかった。母になる自覚だってなければ、7歳で子どもを持つ自分を想像するなんて早すぎた。でも、なんだか妙な焦りが芽生えて、嫌だと感覚的に思ったことを、ジャスミンは覚えている。

「しかし補償されるのは手術を受けた人に限られる。君はヴァーリとは言えフリークだ。ダムゼルと同じようには扱ってもらえない。手術を受けた方が君のためだと思うがね。現代社会は医療技術、社会福祉の充実から一つの新たな悲劇を招いてしまった。自然界ならば淘汰されてしかるべき障がい者でさえ生き残り、劣等遺伝子が次世代に引き継がれるという危険が具現化してしまった。将来の子どもたちのために少しでも明るい未来を残すことは、今を生きる我々の義務だと私は考える」

 答えようなんてなかった。どんなことを言っても、結論なんてすでに出ているのだから。

「何、簡単な手術だ。手術器具も発達している。傷も目立たず手術時間も1時間とかからない。何ら危険はない」

 ジャスミンは、自分がどう答えたのか覚えていない。それはきっと、覚える必要がなかったからだろう。だって、結論ははじめから、ジャスミンが生まれた時から決まっているのだから。




 手術を終えて、それから何かが変わった訳でもなかった。1年経っても、2年経っても、3年経っても、4年経っても。ただ喪失感があって、少し気持ちが沈むとすぐ自分のお腹を撫でていた。ほとんど目立たない傷は、触ってもわかるものではなくて、何も変わってないようにも思えた。
 せっかくもらったバイザーは部屋の棚においていた。機械だから水分は厳禁。必要最低限のものしか置かれていない施設の部屋。そのベッドの上に腰掛けて、ジャスミンはお腹に手を置いていた。

「別に子どもが欲しかった訳じゃないでしょ、ジャスミン。結婚したい人がいる訳でもないでしょ、ねえ……」

 自分に言い聞かせる。当たり前の理屈を何回も。それでも頭はなかなか理解してくれない。失ったものの代わりに頭の中にこびりついた染みはどうしても消すことができないでいた。

「だから悲しまないで……、お願いだから。悲しみたくなんてないよ……。こんなの辛いだけだよ……」

 何を考えても失ったものは戻ってこない。それなら全部忘れていきたいたかった。失ったものは、別に必要のないものだったから。そんなもののために悲しみたくなんてなかった。

「誰か……」

 その誰かに心当たりなんてない。

「誰か……」

 何を望んでいるのかさえわからないのに。

「お願いだから……」

 言いたい言葉があった訳じゃなくて、それでも何か言いたいことがあるということだけがわかる。こんな空白の欲求が、ジャスミンを苦しめ続けた。
 扉の開く前に聞こえてくる電子音に、誰かがこの部屋に入ろうとしているとわかる。目元を袖で無理矢理拭って、バイザーを再び装着した。この重さはまだ慣れない。バイザーが起動してゆっくりと光景が見えてくる。
 見えてきたのは、白い男性だった。白いシルエットがぼんやりと浮かんで、徐々に輪郭が整えられていく。それは白い軍服で、男性は仮面をつけていた。目元は見えてなくても自信に満ちたその顔は、ジャスミンのことを真っ直ぐに見ていた。

「見えているかね?」
「はい……」
「私はラウ・ル・クルーゼ。ザフトで部隊長を任せられている者だ」

 それが、クルーゼ隊長との出会いだった。




 隊長はジャスミンの疑問に答えてくれることはなかった。ただ障がい者収容施設からジャスミンを連れ出してくれた。部屋や生活のためのお金をくれて、一緒に住むようなことはなかったけれど、よく訪ねて来てくれた。
 ジャスミンが軍属になろうと決めのたのもあの人への憧れがあったのかもしれない。隊長はきっと内心では反対していたのだろう。それでも、ジャスミンが自分で決めたことだと受け入れてくれた。プラント最高評議会議員の子息や赤服の優秀な人たちだけで構成された自分の部隊に入れてくれたことも感謝している。
 そこでは、いろいろな人と出会えたから。
 第一印象は柔らかそう。これが人に抱く印象じゃないことくらいわかってる。でも、緩いウェーブのかかった髪のせいか、その少年はとても柔軟な人に思えた。

「ニコル・アマルフィです」

 差し出された手。つい警戒して手を出せなかった。それでも握手に応じないことの方が失礼だと思い直しておそるおそる手を掴んだ。やっぱり、ニコルの手は柔らかかった。

「ジャスミン……、ジュリエッタです」

 少し緊張が緩んで、ニコルがバイザーを見ていることに気づいてすぐに体が固くなるのがわかった。

「ジャスミンさん、もしかして目が……」
「ご、ごめんなさい……!」

 もう手を握っていない方がいい。慌てて手を離すと、後は怖かった。こんな手に触れさせてしまったのだから。やっぱり握手なんて失礼でも受けない方がよかった。
 ニコルは、でも不思議な顔をしていた。よくわかっていない顔ではなくて、どうしたらいいかわからない。そんな顔。手振りも不規則で、困惑している様子がよくわかった。

「ああ、いや、すいません。ただ確認したかっただけで他意はないんです。ご、ごめんなさい」

 ニコルが謝っている時だったと思う。褐色の肌をした少年がふらりと現れた。第一印象は、少し怖い人。

「何同じ謝り方してるんだよ、2人して」
「彼はディアッカ・エルスマン。ちょっと見た目は怖いですけどいい人ですよ」
「もっとましな紹介の仕方はないのか?」

 そうは言いながらもディアッカは少しも不機嫌そうじゃなくて、ニコルも安心して笑っていた。

「まあ、よろしくな」

 そう言いながらディアッカは手を差し出しきた。それでもすぐに打ち解けることはできなくて動けないでいた。

「嫌ならいい」

 そう手を戻すディアッカの顔は、不機嫌というよりは寂しそうに見えたことを覚えている。強面--最初はそんな風に見えていた--の少年がそんな一面を覗かせたことに、ジャスミンはつい口元を緩めた。
 これが、クルーゼ隊のパイロットたちとの出会いだった。




 もうニコル・アマルフィもいない。撤退する味方のために、押し寄せる敵に1人で立ち向かい時間を稼いだ。とても立派なことだと思った。その思いだけは変わらない。それどころかより強いものへと変わっている。圧倒的な数の敵戦力に、それでも挑み続けることの怖さとそれに打ち勝ったニコルの強さに。
 ジャスミン機が一度ライフルを放つと、敵は3倍も撃ち返してくる。仲間たちはどんどん数を減らしていた。無事な人も無傷の機体なんてなかった。
 それでもジャスミンたちは旗艦を目指す。スラスターを全開に、ビームと高射砲にひるむこともなく。少しでも気を抜けば、その瞬間体中を高速弾に食い破られてしまうのだから。
 ジャスミンは歯をかみしめ、震える唇から声を絞り出す。

「ニコルさんも怖かったのかな……?」

 減ることのない敵の中に飛び込んで、絶えることのない攻撃にさらされ続けることが。




 アーク・エンジェルの格納庫へキャット・ウォークから飛び出す。ディアッカは自機であるGAT-X207SRネロブリッツガンダムへと向かおうとしていた。無重力の中、体は慣性に任せてゆっくりと漂っていく。このまま黙っていれば機体にたどり着くはずだが、ディアッカは突然行き先を変更することにした。
 ケーブル・ガンを取り出す。先端に吸盤を持つケーブルが音もなく射出され、無事に深紅の装甲に命中する。ぴんと張ったケーブルに引っ張られながらディアッカは当初の予定を変え、GAT-X303AAロッソイージスガンダムの肩の上にいた。コクピット・ハッチの脇にアイリス・インディアの姿が見えたからだ。
 ロッソイージスは胸部にコクピットがある。肩の上からだと少し高い位置から見下ろしているようにアイリスの姿はよく見えた。コクピットからコードが伸び、アイリスの手元の端末と繋がっている。機体の調整でもしているのだろう。

「アイリス、もういいのか?」
「もうって、丸一日寝てたんですよ。目が冴えて仕方ないくらいです」

 ディアッカに気づいて手を振るアイリスの様子は普段と遜色ない。核の光に気を失って以来不安だったが、とりあえず深刻な状況ではないようだ。もっとも、血のバレンタイン事件のことを聞かされている以上、どうしてもある種の不安は拭えない。

「あまり無理するなよ。なんだ、キラから聞いたんだが、ユニウス・セブンじゃ大変だったんだろ?」

 案の定、アイリスは手を止め表情を曇らせた。聞けば記憶は封印されていたらしいが、近頃の様子をみる限りもうほとんど思い出しているのだろう。

「たくさんの人を殺してしまって、私も殺されそうになりました……。あの日のこと思い出した時、辛かったです」

 キラから聞くことができた情報は断片的なものだったが、アイリスがテロリストと死闘を繰り広げたことくらいわかる。今度はディアッカが渋い顔にさせられた。アイリスは無理にでも笑顔を作ろうとしているのに。

「ねえ、ディアッカさん。ディアッカさんは大切な人が亡くなった時って、やっぱり悲しいですか?」
「ああ。お袋がいなくなったり、戦友が死んだ時はやっぱりな」
「私、あまり感じないんです……」

 感情の伴わない空っぽの笑顔はどこか寂しくて、アイリスはすぐに表情を暗くする。単に無表情と言ってしまってもいいかもしれない。ただ、こんな顔は、アイリスには似合わない。

「ヘリオポリスの時もそうでした。街が襲撃されて、みんなが怖がってる時も変に冷静で、あまり怖いって感じませんでした。モビル・スーツに乗った時もそうでした。あまり怖くなくて、……人の乗ったモビル・スーツを撃墜した時だって別に罪悪感とかなかったんです。だからフレイさんがお父さんとお母さんを亡くして悲しんでる時も、サイさんやカズイさんがいなくなった時も悲しいっていうより、悲しいはずなんだから必死に悲しもうって考えてました……」

 友人のためとは言え、そんなことも軍隊に入ると決めた理由でもあるのだろうか。
 無理に微笑もうとするアイリス。まだ出会って半年と経っていない。それでこんな感覚はおこがましいのかもしれないが、やはり、らしくない。無理に作ろうとしたアイリスの微笑みが自嘲に見えて仕方がなかった。

「私って、おかしいんでしょうか……?」
「フィアレスって奴かもな。九死に一生の大事故から生還した人に時々あるそうだ。死の恐怖なんて誰でも気持ちのいいものじゃない。だから、脳の方でシャット・アウトしようとするんだそうだ。死の恐怖を麻痺させて、ストレスに心がやられてしまうことを防ぐ。そんなことじゃないか?」
「じゃあ、私、怖いって感覚が麻痺してるってことですか?」
「カウンセラーじゃないからはっきりとしたことは言ってやれないが、そうじゃないか? モビル・スーツの操縦はまったく危なげなかったしな。人が訓練するのは萎縮しないように戦いの感覚に体をならすためでもある。そう言う意味じゃ、アイリスが昔乗ってたとしてもすぐに戦えるようになった説明になる」

 その感覚が、アイリスをモビル・スーツのパイロットとして高い段階から戦場に出られるようにしてくれたのだろう。これまでの戦闘を生き延びてこられたのも、そのためであるかもしれない。
 そのことに安堵を覚えないわけじゃない。それでも、ディアッカは頭をかきながらイージスの肩に腰掛ける羽目になった。

「ただ、怖い状況でもあるんだよな~……」
「どうしてですか?」

 アイリスは末端--無重力の中、コードに吊され漂っている--を投げ捨ててディアッカの横にまで来た。胸から肩に飛び乗る程度何のことはなく、アイリスはディアッカの隣に座るなり興味ありげに顔を覗き込んでくる。
 どうにも無防備だが、それは別の話だ。

「怖いって感情がないってことはどんな危険な状況になってもそのまま突っ込むってことだろ。普通なら怖い、逃げようって時にでもだ」
「やっぱり私って異常なんでしょうか……?」

 心に病を抱えていることは間違いないだろうが、病気だとか障がいがあることと異常であることは意味が違う。

「あ~、らしくないこと言うぞ。アイリスは、本当に優しい奴なんだと思う。なんだその……、元々のアイリスが人を殺すことや仲間を亡くすことを何とも思わないような奴ならそもそも脳が感覚を麻痺させる必要なんてないわけだろ。アイリスは優しい奴だから、脳は仕方なくそうしてるんだろうさ」

 こんな歯が浮くようなことも言おうと決めれば言えないこともない。もっとも、アイリスはというと丸い瞳を大きくして瞬きしていた。アイリスもらしくない言葉だと考えているのだろう。
 やはりこんなこと言うべきではなかったろうか。少なくとも、アイリスの表情が柔らかくなった分だけよかったということにしよう。アイリスは小さく笑って取り出したハンカチをディアッカの額に当ててきた。

「汗かいてますよディアッカさん」
「慣れないことには緊張するもんなんだよ!」

 まさか汗までかいているとは思わなかったが。とりあえず、アイリスの調子を崩したくないので拭かせるままにしておく。本当ならこんな子どもみたいなことはごめんなのだが。アイリスの気分が少しでも上向いただけよしとしておく。
 どうせだ。後一言くらい、似合わない台詞を言っても許されるだろう。

「なあ、アイリス」




 GAT-X103APヴェルデバスターガンダムはその射撃力のすべてでもって敵の進行を押しとどめていた。旗艦であるメネラオス級の甲板の上。濃緑に包まれた巨人が両手にビーム・ライフル、両肩にレールガンを背負い、迫る敵機を狙撃する。
 2筋のビームの輝きが矢となって伸び、緑色のジンに突き刺さる。すでに満身創痍であったジンはたやすく爆発して消えた。
 昔一度だけ連れて行ってもらったゲーム・センターを、ロベリアは思い出していた。シューテング・ゲームで迫り来るゾンビを撃つゲームがあった。ちょうど、そんな感じだから。
 ジンたちはどれほど傷ついても構わず旗艦に迫っていた。撤退がどうして許可されないのだろう。中には両腕を失って--攻撃力をほぼ失っている--も向かってくる機体さえあった。

「こんな攻撃……、絶対におかしいよ……」

 何がおかしいのか具体的に言うことはできない。ただ敵の攻撃は無謀を通り越して執念だとか怨念だとか、もう自暴自棄になっているとしか思えないほど常軌を逸していた。
 楽な敵であるはずなのに。煙を吹きながら流れてくるジンがいる。すでに撃墜されているも同然なのにまだ旗艦を目指している。母艦の対空砲火は健在。敵の動きは単調。操縦桿の引き金を引くと、レールガンから飛び出した高速弾が簡単にジンを捉えた。頭部を消し飛ばされたジン。今度こそ撃墜されたジンは吹き出す煙の塊となって今度こそあらぬ方向へと流されていく。きっと、偶然拾った声はこのジンのものだろう。

「死にたくない……、死にたく……」

 ジンが膨れ上がる爆発に呑み込まれること。通信が途絶すること。どちらも同時だった。

「死にたくないならどうして逃げないの……?」

 こんな特攻紛いの攻撃までして。危険な攻撃ばかり繰り返して。
 次に入った通信は正規のものだった。母艦から、ニーレンベルギアの
声である。ブーステッドマンであるロベリアはノーマル・スーツに取り付けられた器機を通じて体調がモニタリングされている。

「ロベリア。血圧があがってます。気を落ち着けて!」
「できないよ、そんな器用なことなんて……」

 戦闘なのだ。見上げれば曳光弾の輝きが縦横無尽に走り、物の大きさを判別しにくい宇宙にあって飛び交うジンの姿は遠近法の狂った絵画のように見えていた。
 せめて、狂っているのが光景だけであればよかったのに。




 敵は明らかにおかしな動きをしていた。常軌を逸した特攻もさることながら各機の癖が強すぎる。正規の軍隊らしからなぬ個性的な動きをするモビル・スーツがあまりに多く見受けられた。
 それは、ラウ・ル・クルーゼを困惑させるに十分であった。宇宙に漂う白銀のガンダム、ZZ-X200DAガンダムトロイメントは積極的に攻撃に打って出ないでいる。

「ジンハイマニューバか……。生産は中断されたと聞かされていたが、まさかこのような機体を持ち出すとはな」

 自ずとこの攻撃部隊の性質が見えてくると言うものだ。
 ラウは一抹の不安を禁じ得なかった。そのことが、攻撃の手を緩めている。仮にラウの仮説が正しいのだとすればこの部隊にはジャスミン・ジュリエッタが参加してるはずなのだ。右足と左腕を失ったジンの動きを見た時、ラウは行動を起こさない訳にはいかなかった。
 この半壊したジンにはある特徴が見られた。反応が極端に前方に偏っている。ジャスミンはバイザーをつけている。バイザーのカメラ自体は先端に取り付けられているため、言ってしまうならば目が頭蓋骨の先に飛び出ているかのようなものの見方をする。そのため、一般人に比べて前に意識が集中しやすい反面、自分の体を含む後方への警戒が疎かになりがちである。
 ビームの網を買いくぐりふらふらと現れたジンからは同様の傾向が見て取れた。

「ジャスミン、君か?」

 トロイメントをジンの前に移動させる・フェイズシフト・アーマーに包まれた輝く体はたやすく前をとる。ジンハイマニューバは驚いたように右腕のアサルト・ライフルを向け、しかし撃ってくることはない。ジャスミンならばトロイメントのパイロットがラウであることを知っている。
 クルーゼ隊当時のチャンネルをまだ設定しているのだとすれば通信は通じるはずだ。

「ジャスミン、聞こえているか?」
「隊長……?」
「やはり君か。まさかこのような無謀な作戦に参加させられていたとはな。ジャスミン。私とともに来い。君がプラントに組みする理由などないだろう」

 少なくともこんなところで犬死にすることが望みではあるまい。
 トロイメントの右腕に持つライフルを後ろへと引き、幸い無手である左腕を差し出す。本来ならば戦場の真ん中で動きを止めるなど正気の沙汰ではないが、周囲の友軍は援護してくれているようであった。敵機の接近はなくあわただしい混戦から切り取られていた。

「隊長……」

 その声調には迷いが見て取れた。ただそれが、逡巡ではないと、猜疑心や疑惑に突き動かされた怒りであると気づくには、ラウにはあとわずかな時間を必要とした。

「どうしてですか……?」
「何……?」
「どうしてニコルさんを殺したんですか!」

 アサルト・ライフルが発射される。瞬間的な機体の挙動。トロイメントは放たれた弾丸を避け大きく飛び上がった。ハウンズ・オブ・ティンダロスで回避してもよかったが、あれは反撃用の技だ。すなわち、ラウにジャスミンを攻撃する意志はなかった。
 ジャスミンは容赦なく追すがってくる。ライフルを向けながら。

「あんなにいい人だったのに!」

 フェイズシフト・アーマーに包まれたトロイメントがアサルト・ライフル程度で損傷するとは考えにくい。しかし反撃できないことのもどかしさ、ジャスミンから放たれる怒りがラウに防戦を強いた。このままではたとえラウが攻撃しなかったところで友軍は敵機として躊躇なく撃墜してしまうだろう。この艦隊の司令官として敵を撃墜することをとめることもできないのだ。

「隊長のこと信じたかった。信じていたかった!」
(泣いているのか、ジャスミン……?)

 一度たりとも涙を見せたことなぞなかった。バイザーは水分に弱い。そんなことを言いながら、ラウに涙を見せたことなどなかった。それが単なる言い訳でしかないと、信頼を勝ち得た訳ではないと知りながら、ラウは隊長であることよりもムルタ・アズラエルであることを優先した。
 ニコル・アマルフィを見殺しにしたのだ。自身の素性が露見することを恐れジブラルタルからは単身脱出した。
 まったく防御のことなど考えられていない。ジャスミンのジンは性急な接近を試みると、その銃口はトロイメントを捉えた。

「ラウさん!」

 ロベリアの声だ。ヴェルデバスターが2機の間に割り込み、ジャスミン機の突進を受け止める形で衝突する。ぶつかりあった2機のモビル・スーツは絡みついたまま旗艦であるメネラオス級の方向へと流されていく。
 2機が離れたのは甲板の真上であった。ともに緑を基調とした2機が互いのライフルを向け合う。ロベリアの攻撃が遅れたのは、通信の内容を聞かれていたということなのだろう。ジャスミン機のライフルが先に火を噴き、フェイズシフト・アーマーに包まれていないビーム・ライフルが爆発を起こした。ヴェルデバスターは甲板に叩きつけられるように落ちる。

「ムウ、エインセル……。私は、誓いを破らねばならんようだ」

 ここまで焦りを覚えたことなどついぞなかった。ラウはトロイメントを突き動かす。背部に12機搭載されるナイトゴーント、それを4機放つ。
 ジャスミンは泣いていた。施設から連れだし、与えられるものはすべて与えるつもりでいた。だがその結果がこの有様だ。ジャスミンが何を望んでいるのか捉えきれず、奪ってはならないものを与えた挙げ句取り上げたのだ。

「なんたる間抜けか……!」




 ヴェルデバスターはまだ動く。右のライフルを失っただけ。
 旗艦の甲板に立っている。落とされた衝撃で甲板は少しへこんでいた。今まで書いたことなんてないけど、きっとこんな時に始末書を書くんだと思う。それよりも今は姉であるジャスミンを止めなければならなかった。
 ジャスミンの乗るジンはジグザグの軌道を描きながらヴェルデバスターに接近してくる。正確には、バスターの後ろにあるブリッジを狙っているのだろう。

「ジャスミン姉さん!」

 オープン・チャンネルなら繋がるかもしれない。そう思って回線を開いても、飛び込んでくるのはノイズばかり。敵味方が完全に入り乱れてしまった状況では回線まで混雑しているようだった。
 一度姉を止めなければならないことを、ロベリアは頭の奥から響いてくる頭痛の中で理解した。バスターのライフル--まだ左腕は健在である--を慎重に向かってくるジンに向ける。ジンはアサルト・ライフルを連射していたが、ガンダムなら装甲が少し輝くだけで全部防いでしまうことができる。
 後はバイタル・エリアを外してジンの動きを止める。狙いは頭部。正確に撃ち抜くことができればビームの熱がジェネレーターを適度に焼いて燃料や推進剤に引火することなく動きをとめることができる。ただし、胸部をかすめてしまうと最悪大爆発を引き起こしてしまう。
 ジンは軌道を不規則に変えながら接近してくる。ぎりぎりまで引きつけて撃つ。集中力を高めて、ロックオン・カーソルが徐々に狭まっていく。自分の鼓動さえ聞こえてくるほど高ぶった意識は、不規則な脈動を感じ取った。
 胸が直接叩かれたように痛んだ。息の詰まるような息苦しさが一気に頭にまで駆け上がってくる。

「こんな、時に……」

 こんな時だからこそ起こる意識障害。極度の緊張が迫るジンの姿を静止写真のように見せつけて、ロベリアの意識を途絶えさせた。




 資料が雑多に投げ出された床を踏み分けて、埃立つようなソファーに体を沈める。暗い部屋だ。外から差し込む街灯の明かりがかろうじて部屋の光景を照らし出している。
 部屋の主は明かりを点ける必要を覚えてはいなかった。どうせ1人の家であり、誰かとぶつかってしまうこともない。壊してしまってもよいものばかりでだから。
 ただ一つ、まだ壊したくないものがあった。それはいつもの棚におかれている。ソファーのすぐ脇。部屋の主はそっと手を伸ばし、それを掴んだ。それは写真立てであった。わずかな光に家族写真が浮かび上がる。
 プラント最高評議会議員であるユーリ・アマルフィとその家族である。正確には、家族であった者たちの写真であった。
 息子であるニコル・アマルフィは戦死。妻は家を出て行った。この家には、すべてを失った男の抜け殻だけが残された。

「ニコル……」




 特にすることがなかった。現在、アスラン・ザラを乗せた戦艦はボアズへと向かっている。
 特にすることがないのだ。ボアズが襲撃されるのは今日明日の話ではない。時間はまだあるのだ。アスランは与えられた個室--本来ならば部隊長が使用するべき部屋--の中、ただ椅子に腰掛け無為な時間をすごしていた。その顔は虚ろであり、はっきりと見開かれた目は何かを見ているようで何も見てはいなかった。
 何もする必要がなかった。戦いはまだ始まらない。何もせずとも、時間は勝手に稼がれる。
 だから何もしない。何もせず、空虚な心で椅子に座り続けていた。




 モビル・スーツの肩。そんな物騒な場所に並んで腰掛けていた。アイリスの顔は特に何のことはなかった。見つめられただけで覇気に体が震えてくることもない。巨大な一枚岩のように強靱な意志を感じさせる訳でもなかった。ごく普通の娘のように、ディアッカには思えていた。ヴァーリだとかラクス・クラインの妹だとか、そんな重責があまりに似合っていない。

「アイリス、絶対に1人で無茶するなよ。バジルール艦長だって心配してる。フレイだってお前に何かあったら悲しむ」

 動悸が早くなり、顔が熱っぽくなることがわかる。それでも、これだけはしっかりと伝えておきたい。ディアッカはアイリスから目をそらすことなく、その青い瞳を見つめた。

「それに、俺だっている。頼りない隊長で悪いけどな、俺だっているんだ。少しくらい頼ってくれていいんだからな」




 ジャスミンはバイザーをつけていなかった。それでも、なぜか光景ははっきりとわかる。白い部屋だ。そこはユニウス・セブンの部屋みたいで、同時に収容されていた施設のことも思い出させた。
 ジャスミンは幼い姿をしていた。まだ手術を受ける前の姿。それなのに、お腹の中にこびりついて離れない喪失感はよりいっそう強く感じられた。両手でお腹を抱えるように抱いて、すると涙を留めることも拭うこともできない。
 誰もいない部屋。すべてを拒絶された白い色の壁には、四方八方どこも出入り口なんて見えない。

「誰か……」

 かすれて消えてしまいそうな声。誰かに聞いて欲しい。
 もうクルーゼ隊の人はみんないないのに。みんないなくなってしまったのに。優しかったニコルは優しすぎて、その優しさを独占なんてとてもさせてくれなかった。

「誰か……」

 頼れるディアッカはいつの間にか、手をすり抜けて離れていってしまった。ミゲル・アイマン、オロール、マシュー、みんなみんなもういない。
 手を差し出せばよかったのだろうか。握ってくださいってお願いできていればよかったのだろうか。誰かに触れることも触れられることも怖かった。触れたら不愉快な思いをさせてしまうかもしれないから。触れられたら、理解してもらえないかもしれないから。
 怖くても、怖さから逃げ出す勇気なんてなかった。
 溢れた涙が結局視界を塗りつぶしてしまう。何も見えない。そんな世界こそがユニウス・セブンでジャスミンに与えられた世界そのものだった。もう嫌ななのに、こんな世界なんて。

「誰か私を助けてよ!」

 何も見えない瞳に浮かんだのは、仮面をつけた男性が差し出してくれた手のこと。




 もう戦闘は集結しているようだった。ロベリアが暗いコクピットの中で目を覚ました時、うるさいほどに飛び交っていた通信が途絶えていた。宇宙の静けさがフェイズシフト・アーマーを通じてさえ伝わってくるようだった。
 ロベリアは生きていた。敵機の目前で気を失ったはずなのに、ロベリアは生きていた。突進してきていたジンはヴェルデバスターにのしかかるようにして止まっていた。突っ立っていたであろうバスターに激突してそのまま一緒に旗艦の甲板に倒れたのだろう。
 ジンは動きを完全に止めていた。
 コクピット・ハッチを開く。すると、ちょうどジンの腹部が目の前にあった。ジンのわき腹をビームが貫通していったであろう痕跡があった。そのことの意味なんて考えない。ただ無重力を飛び出してジンのコクピット・ハッチにとりついた。
 どうやって開けるんだろう。ザフトの機体のことなんてわからない。とりあえずハッチに手をかけて力を込めてみる。すると思ったよりも簡単にハッチは開いてしまった。それどころか、機体から完全に外れて漂い始めたほどたった。
 ハッチの中を覗き込んだ時、コクピットがなかった。一瞬そう考えてしまったのは、それがコクピットなんだって気づかなかったから。まるで洞窟みたいだ。プラント生まれで天然の洞窟なんてみたことない。でも、壁がごつごつしていて狭い感じ。それは今ロベリアが見ている光景と重なっていた。
 考えてはならない。認識してはならない。そう自分に必死に言い聞かせてもわかってしまう、見えてしまう。
 わき腹を直撃したビームはその熱をコクピット内部にまで伝えたのだ。その結果、融点の低いものから順に溶けだし、混ざり合ってはまた冷えて固まった。機材もシートも、モニターもコンソールもアビオニクスもすべてが溶けて固まって、コクピットの光景を様変わりさせていた。
 もちろん、パイロットさえも。溶けた壁から突き出たようにヘルメットがかろうじて原型を保っていた。
 見ても仕方がない。確認してもどうしようもない。理性はそんな冷静な意見を頭に響かせていた。それでも、ロベリアはヘルメットへと手を伸ばさずにはいられなかった。

「嘘だよね……? こんなこと、ないよね……?」

 コクピットの中はまだ熱がこもっている。ノーマル・スーツ越しにも暑さがわかるくらいで、溶けた床には怖くてなかなか触ることができなかった。自分も溶けてしまいそうで、姉の体を踏んでしまいそうで。

「こんなのって……」

 ヘルメットを無理やり引きはがす。見えても炭化してしまった人の遺体くらいしか見えないはずだったのに、ヘルメットをひき外すと漂い出たものがあった。表面が溶けた表面。それなのにカメラのレンズはロベリアの顔を映す。視力のないジャスミンが使用していたはずのバイザーが、ロベリアのことを見ていた。

「あ……、あああああぁぁぁぁぁー!」

 叫ぶロベリアを見下ろすような位置にトロイメントが浮かんでいる。ラウ・ル・クルーゼは静かにかつての部下の死を見つめていた。




 両腕が綺麗に破壊され、全身が溶け、あるいは焦げ付いている。もはや元々の色を確かめることさえ難しい状態のジンハイマニューバは地球軍の格納庫に横たわっていた。
 コクピットから緑の一般兵がゆっくりと姿を現す。銃を構える地球軍兵士たちが取り囲んでいた。ザフト兵は腕を上げ、降伏の意志を示す。

「よし動くな。逆らわなければ捕虜にしてやる」

 ザフト兵に反抗の意志は見られない。しかし地球軍兵士は不満げに言い放つ。

「おい、左腕を……」

 しかしその声は途中でとぎれた。気づかされたからだ。このザフト兵は左腕を上げていないのではなく、元から有していなかったのだと。
 この時、地球軍は初めて理解した。このあまりに無謀な奇襲を仕掛けてきた敵の正体と性質を。




 戦闘を終えた格納庫はかえって慌ただしさを増していた。少数精鋭による奇襲。文字通りの全滅を覚悟した敵の攻撃は戦術論に当てはまらぬ猛攻を見せた。艦隊全体としては軽微な損害であるとは言え、旗艦を守るブーステッドマンを中心に被害が生じていた。
 格納庫では担架で運ばれる人の他、損壊したモビル・スーツ。帰還しなかった機体の開けた隙間が、妙にもの悲しく感じられる。
 らしくない。それがラウが自分自身に感じた率直な感想である。このように不必要な感傷に囚われることなどムルタ・アズラエルにとってあってはならないことなのだ。ムルタ・アズラエルはそれほど罪深い。

「あああぁ!」

 この声を聞いた時、ラウは自分の頬に鈍い痛みを覚えた。首が揺り動かされるほどの衝撃ではあったが、怯むことはできない。受け止めなければならなかった。泣きはらした目をラウへと向けるヴァーリの少女の拳を。

「クルーゼ大佐!?」

 周囲の整備士がカルミアを止めようと動き出したことで、ラウは手を上げ彼らを制止しなければならなかった。

「騒ぎ立てるな、子どものしたことだ」

 ロベリアの攻撃は最初の一撃で終わっていた。後は拳を強く握りしめ、うつむきがちに声を絞り出すだけである。もしもラウが撃たなければロベリアが死んでいただろう。仮に撃たなかったとしても旗艦を守るためにはジャスミンを撃墜せざるを得ない。言い訳にしか聞こえないこの理屈は、しかし残念なことに事実であった。
 事実であるが故、ロベリアの怒りは行き場をなくしているのだ。

「あ……、ありがとう……、ございます……、助けて、くれて……」

 握りしめたままの拳で顔を拭うロベリア。拭えど拭えどとまらぬ涙を拭う手は次第に固い拳が解かれ、そのまま顔を覆い隠す。

「ごめんなさい……。でも……、私、でもぉ……」

 もはや誰もロベリアのことを止めようとする者はいない。しかし何かしてやることができる者もいないのだ。少女は泣き続け、大人たちはただ見守ることしかできない。誰も慰めの言葉も、慰める資格も有していないのだ。

「ジャスミン姉さん……、カルミア姉さん……」

 この光景はこの戦争の縮図のように思われた。




「私のことを見なさい!」

 ニーレンベルギアは担架に乗せられたブーステッドマンへと声をかけた。できる限り大きな声で。意識を覚醒していてもらいたい。
 本来ならば滅菌の行き届いた手術室で治療したいのだが、怪我人が多すぎた。担架はコンテナの上に置かれ、ここは格納庫である。殺菌された手袋にマスク。手術衣を身につけたスタッフがニーレンベルギアの周囲を囲っている。

「縫いますか?」
「この傷なら消毒して生体ボンド使った方が得策です。でも先に血管を縫います。生理食塩水とガーゼ。吸引急いで」

 どれほど医療器具が発展してもいつも万全の環境が整うとは限らない戦場では医師の腕がものを言う。ニーレンベルギアはスタッフが傷口の周りを洗っている内に針と糸を取り出す。

「輸血は?」
「1パックで十分です。すぐに終わらせます」

 幸いとして傷口は綺麗なものであった。幸か不幸か鋭い破片が突き刺さったため、血管の切断面は縫合に適していた。お人形でも縫っているような気分で血管を繋ぎ合わせる。止血のために血管を縛り付けていたひもをほどくと、血液は再び流れ出す。他に出血は見られない。これでこの患者は大丈夫だろう。皮膚は接着剤で繋ぎ合わせる。
 何とか一息つけるようになる。改めて医務室に運ばれていくブーステッドマンを見送って、ジャスミンは血に汚れた手袋を外す。普段外科手術を行っている訳ではないニーレンベルギアにとって、マスクは息苦しい。外すことができて思わず強く息を吸い込んだ。
 ニーレンベルギアに駆け寄ってきたのはカズイ。頬に絆創膏を張ってはいるが元気なようだ。手術の間は気を使って待っていてくれたらしい。本当に子どものようだと思う。

「すごいよ、ニーレンベルギア」
「外科は専門外なのですけど。カズイ、あなた、傷は?」
「僕は平気。でも、オルガもシャニも死んだ」
「そうですか……」

 2人ともブーステッドマンである。ニーレンベルギアが施術した人数だけで5人を数える。局地的には激戦と言ってもよい戦いだったのだ。
 ニーレンベルギアは唇を強くかみ合わせた。研究者としては実験台を失い、医師としては人の死が心地よいはずもない。何より、無邪気なカズイの言葉はジーレンベルギアの心をひっかいた。

「敵はみんな病気の人や怪我した人ばかりだったって。どうしてかな? ザフトって怪我した人の方が強いの?」

 そんなはずはない。話では機体もすでに量産される予定のない新型であったとも耳にしている。すでに廃棄されることが決定している機体に、少なくとも終戦まで前線に立てない傷病兵や障がいを持つパイロットを中心に部隊を構成する。非常に合理的な判断だと言えなくもない。
 倫理や人権を考慮しないのだとすれば。

「アブラムシのカーストね……」

 ニーレンベルギアが見つめる格納庫は雑多な人々が動き回っていた。ニーベルンベルギアの言葉を聞いた者は誰もいなかった。




 アブラムシの中には、ある特殊な生態で知られる種が存在している。
 アブラムシは弱い種である。戦う牙もなく爪もない。捕食者に襲われることに怯えながら生きていく他ない。そんな弱い生物が生き抜くためにはいくつかの方法が考えられる。
 味方を手に入れること。蟻と共生関係にあるアブラムシの存在はよく知られている。
 自ら戦う術を手に入れること。この方法を選択したアブラムシも存在する。
 そして、ここで語られるべきアブラムシは両者の方法を同時に選択した。アブラムシはある子を産む。それはすべて雌であり、母親とはまるで違う形へと成長する。体に強靱な足を生やし、敵に突き刺す堅い吻部を持つ。その逞しいまでの姿は、母親を襲う敵へと颯爽と襲いかかり、母を守る。
 しかし娘たちは宿命づけられている。戦う少女たちは母になることは決してない。元より繁殖能力を持ってはいないのだ。短命であり、母を守るためにその生は燃やし尽くされる。
 娘たちの守られた母はその間、娘たちとは別に、繁殖能力を持つごくありふれたアブラムシを産み、種の保存につとめる。
 誰かが言っていた。生命の最大の使命は次世代を産み、その種を栄えさせることであるのだと。
 ではこの少女たちはどう判断すべきであろうか。確かに母を守り、種の保存に協力しているという見方もできることであろう。だが、命を育むことを宿命として拒絶され、ただ戦い、傷つき、死ぬことを運命づけられている。
 アブラムシにとってはそれが生態であり、そこに人間的、感傷的な判断を介在させる余地などない。ただそうして生きてきただけなのだから。
 だが、人として考えることが許されるのであれば問いかけることを許されたい。戦うためだけに生み出され、その役割をまっとうすることしか許されない子どもは、一体何のために生まれてきたのだろう。そんな疑問を禁じ得ない。
 生まれた意味も役目も明確である。ただしそれは、あくまでも生み出した側にとっての都合でしかないのだから。



[32266] 第43話「犠牲と対価」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:10
 壁に激突する音。それは思いの外柔らかく叩きつけられたのは人であるとわかる。赤い軍服を身につけた少年、アスラン・ザラが壁に押しつけられた。苦痛に耐えているというより自分を投げつけた相手を睨むように歯を食いしばっている。
 すぐさまディアッカ・エルスマンがアスランの胸ぐらに掴みかかる。

「ジャスミンがいないってどういうことだ!」

 身長ではディアッカの方が高い。威圧的に覗き込まれているにも関わらずアスランは怯んだ様子を見せない。

「敵艦隊を足止めする特殊任務があった。それにジャスミンが参加しただけのことだ」
「特攻も同然の戦いにジャスミンを行かせたのか!?」
「これ以上敵の侵攻が速まれば手遅れになる。他にどんな方法があった!? ジブラルタルでも味方を逃がすために大勢の戦士たちが命を落とした!」
「必要なら何人でも犠牲にするつもりなのかよ!」
「生きるべき人を守るために必要だと言ってるんだ!」

 アスランの手が強くディアッカを押す。突き飛ばされたディアッカは突き放されながらもまだ睨み続けていた。周囲では騒ぎを聞きつけた人々が遠巻きに不安げな顔を見せていた。

「今回の作戦は傷病兵や障がい者を中心に編成されている。機体だって生産ラインがすでに中断された旧式だ。防衛戦力を割くことなく敵戦力を削ることができた!」
「お前、自分の言ってることがわかってんのか!」

 再度ディアッカがアスランの胸ぐらに掴みかかると、アスランもまたディアッカを掴み返す。2人は至近距離で睨みあったまま、一触即発の雰囲気を作り出す。

「プラントはそういう国だろう! 子どもに障害があってもいい。そんなことを考える親が子どもの遺伝子を調整なんてするか!? 優れた子どもが欲しいから、美しい子どもしかいらないから遺伝子を組み替えるんだろ! ここはプラントだ。そんな人たちが集まってできたそんな国だ!」
「アスラン、お前そんな奴だったか! そんな!」

 吐き出す唾液さえ吹き付けてしまうほどの距離で睨み合いながら、互いに一歩も引く様子はない。

「お前に何がわかる!? ボアズが落とされれば次は本国が核で焼かれる! 1000の命で2000万の命を救える! 100を救おうとして1000の死を目の当たりにしたことが、お前にはあるのか!」
「無理だった! だからジャスミンのこと見捨てても仕方がなかった。そう言いたいのか!」
「お前がヴァーリの業を語るな!」

 拳のぶつかる音が、ボアズの室内に響いた。




「で、負けたの?」

 フレイ・アルスターの目の前には医務室のベッドに腰掛けたディアッカ。左目が腫れていてうまくみえていないらしい。口の端からは血の跡が見えて、疲れたように肩を落としていた。アイリス・インディアが消毒液をディアッカの傷口に塗っている最中だ。

「うるせ~よ……」

 疲れているのか傷が痛いのか、声は小さい。それとも殴り合いに負けたことがショックだったのかもしれない。
 アイリスはヨードチンキを染み込ませたガーゼで傷口を撫でている。ずいぶん優しい手つきでディアッカも痛みを訴えることはない。

「アスランさんはドミナントですよ。ディアッカさんがもしもアスランさん以上の素質があったとしても勝てません」
「どういうこと?」

 素質があるなら勝てそうなものだが。

「キラさんも言ってたみたいですけど、コーディネーターは秀才を生み出すことはできても希代の天才を生み出すことはできないんです。そんな遺伝子型、手に入れるの大変ですから。だからドミナントやヴァーリはコーディネーターの中では優れているだけなんです」

 消毒液を塗り終えた後は塗り薬。アイリスは薬箱からチューブ・タイプの薬を指にとると傷口に擦り込んでいく。その間も話は続いていた。

「でも、アスランさんやキラさんみたいにはじめから惜しげもなくお金を投じてもらえて、戦うための英才教育をうけさせてもらえる人って、天才って呼ばれる人たちの中からさらに一握り以下ですよね。ドミナントやヴァーリ、コーディネーターが優れているのはそんなところです。はじめから素質が予定されているから幼いころからあり得ないくらいお金をかけてもらえるんです」
「なるほどな。そう考えると自分の才能に気づくことのできないまま一生を終える天才よりもコーディネーターの方がよほど優秀な人材を輩出できることになるな」

 ディアッカの言うとおりだろう。あのゼフィランサス・ズールだって、もちろん才媛であることに違いはない。仮にそれ以上の才能の持ち主が現れたとして誰が5歳の子どもに莫大なお金を投じてくれるだろうか。どうすれば技術者になれるかなんてわからないけど、たとえば工学系の学科に行ってキャリアを積んで、それからとなると技術者として認めてもらえるのは少なくも積もっても10年以上後のことになる。この戦争がどうなっているかなんてわからない。少なくとも15でゼフィランサスのような環境が与えられる人なんていないことだろう。

「実際、アスランさんやキラさんよりも才能に恵まれた人っていると思います。でも、ドミナントには勝てません。くぐり抜けた修羅場の数も時間も、ドミナントに勝てるはずがないからです」
「キラも10年間ゲリラみたいなことしてたみたいだしね。才能が保証されてるはずのコーディネーターの有利な点が努力のしやすさっていうのは何だかあべこべね」
「よく言われるコーディネーターとナチュラルの持つものと持たざるものは才能じゃなくて、成長の機会のことなんです」

 こうしている内にようやく治療が終わったのだろう。ディアッカの顔にはめでたく絆創膏が貼り付けられていた。

「だから私たちヴァーリも生まれた時、いえ、生まれる前からするべきこともその使命さえ決まってるんです。ジャスミンさんみたいに」

 この時、フレイは違和感を覚えた。ヴァーリは26人姉妹で、9つの研究室に分かれていたことも知っている。場合によってはジャスミン・ジュリエッタと言うヴァーリとほとんど接触がないことだって考えられる。それでも、何かおかしかった。姉妹が亡くなったのに、アイリスにしては考えられないほど無神経ではないだろうか。
 この頭をくすぐる感覚が一体何を原因にしているのか、フレイに考えるほどの時間はなかった。医務室の扉が開いたからだ。スライド式の扉は結構大きな音がでる。
 アーノルド・ノイマンがタブレット端末を手にしていた。

「フレイ、遅れてすまない。頼まれていたものだ」
「タブレット?」

 手渡されたものは、フレイが想像していたものと違っていた。

「私も新聞というとつい紙を想像していた。まさかデータしかないとは……」

 画面には新聞記事。すでにフレイが読みたかった記事が並べられていた。アーノルドが気をきかせてくれたのだろう。記事の内容は、特攻させられた人たちについて。
 読んでいる間にもディアッカを中心として話は進んでいた。

「プラントじゃ紙は何だかんだ貴重だからな。大衆紙程度ならデータ販売しかされてないことも珍しくない」
「何か気になる記事があるんですか?」
「ちょっと今回の作戦についてプラントの人がどう考えてるのか気になってね」

 記事の内容はどれも好意的に書かれている。英雄たちの死を悼む。敵の進行を遅らせるために命をかけた兵士たちを讃える論調で統一されていた。少しくらい跳ねっ返りがいてもよさそうなものだが、綺麗なほどまとまっていた。

「英雄的な行為ってことにされてるみたい。社説くらい、社会的弱者を利用したことに批判くらいあるかなって考えたけど……」

 中には参加を強制されたも同然の障がい者や傷病兵がいたと思うのだが、情報は規制されているのだろうか。プラントには優れた人のためになら劣った人は犠牲になって当然という風潮があるとするのはまだ考えすぎだとすべきだろう。
 ディアッカは軽く息を吹いた。

「プラントってのはそんな国なのかもな……。遺伝子調整を施された人の国じゃ、当然だが人を弄くることのハードルが低い。人の尊厳を不可侵のものだって捉えているような国から考えたらあり得ないくらい人のことを簡単に利用しようとする」
「私たちヴァーリには、遺伝子提供者としてのお母さんはいるんだと思います。でも、私たちを生んでくれた人はいません……」
「それって……?」

 まさか試験管の中で細胞分裂を繰り返していたわけではないだろう。意外にも--失礼かもしれないが--アーノルドが答えた。

「聞いたことがある。プラントには無脳児を意図的に生み出す施設があるそうだ。脳を持たない以上、それはすでに死体であって、死体から臓器をはじめとする器官を利用することは許されると理屈づけられているらしい」
「事実だな。実際、人体ってのは宝の山だ。基本的な栄養さえ与えておけば、ホルモン、酵素、当然臓器に血液に卵子や精子、筋肉に骨格、試薬投与から子宮を利用した代理出産もできる。中には、妊娠で体型が崩れるのが嫌だって代理子宮を利用する女性もいるって聞いたことがある」
「私たちヴァーリを生んでくれた人も、きっと人間工場に並ぶ誰か、いいえ、子宮なんだと思います……」

 頭のない人の体が棚に並べられる光景を思い浮かべてつい吐き気を覚えた。

「気持ち悪くないの? そんなこと……」

 ディアッカに聞いてみると、乾いた笑みが返ってきた。

「要は慣れだからな。フレイだって牛や豚を食べるだろ。だが、犬を捕まえて鍋にしたら残酷だと考えないか? プラントは、やっぱり人を物として扱うことのハードルが低いんだろうな」
「プラントは障がい者差別が激しいことも利用価値の乏しい人間への蔑視だと考えれば不自然はない」

 男の人って、こういうことの割り切り方がうまいと思う。正直、すぐには真似できそうにない。

「でもやっぱり、私嫌だな……。人が人として生きられない世界なんて……」




 左頬に手当のためのテープを張り付けていた。傷はせいぜいこの程度のことだが、アスランの負傷を目敏く見つけたのは黒髪のヴァーリであった。

「アスラン、その傷は?」

 Mのヴァーリ、ミルラ・マイクはそのすぐ後ろに思いがけない人物をつれていた。もしもその人がいなかったならミルラを置いて歩き去っていたかもしれない。ボアズのとにかく長い廊下のただ中で、アスランは足を止めた。

「ミルラ。それにラクスも来ていたのか」
「兵士の激励のために参りました」
「それもお父様のご意志なのか?」
「いえ、直接言われた訳ではありません。でも、私にはわかります。お父様が何を望まれ、ヴァーリが何をすべきなのか」
「それができるからこそ、君はラクス・クラインに選ばれたんだろうな」

 例の傷病兵を中心とした特攻部隊もラクスが作戦立案したものだ。ボアズの防衛戦力を削ることなく艦隊の一つを足止めすることに成功した。どれほど作戦効率に優れているか考えるまでもない。そんな当然の考えに浮かんだかすかな疑念、それがアスランの視線をついそらさせた。

「アスラン?」
「いや、すまない。だがラクス、これだけは答えてくれ。ジャスミンの死は犬死になんかじゃないんだろ?」
「もちろんです。犠牲は、理想のために供されてこそ尊いものなのですから」

 ラクスはいつも眩しいばかりの微笑みを返してくれる。アスランが望んだ時に望んだことをしてくれる。それは今も変わることはなかった。

「そうか……」

 では無駄ではなかったのだろう。ラウ・ル・クルーゼに連れ去られそうになったジャスミン・ジュリエッタを、ここにいるミルラとともに助け出すことができたことは。
 ミルラはいつも剛胆だ。ラクスのそばに立っていると、顔は同じ、体格も大差ないにも関わらずミルラがボディー・ガードかのようにも思える。

「ああ、アスラン。私たちはボアズの防衛に参加しなくていいそうだ。本国では決戦の地をヤキン・ドゥーエと決めた。まったく、ようやくのゲイツの晴れ舞台だというのに」

 ではボアズの守備隊には事実上見捨てられる。それも、仕方のないことなのだろう。




 カガリ・ユラ・アスハがイザーク・ジュールの姿を見つけたのは消灯時間を間近に控えた格納庫の中であった。ボアズ、ザフト最大規模の要塞だけあって格納庫は広い。また戦闘も始まっていないことから人影も少ないことからイザークの姿は比較的楽に見つけることができた。
 イザークはZGMF-X09Aジャスティスガンダムの足下で自らの愛機を見上げている。この頃暇さえあればいつもこうしているのではないだろうか。
 ボアズは小惑星を利用した宇宙要塞だが、明確な重力が発生するほどの大きさはない。カガリは漂いながらイザークの下を目指した。

「イザーク、こんな時間に何している?」
「お前もずいぶんと神経が太いな。ここは明日にでも陥落する。このことを除いてもお前にとって異国の地ではないのか?」

 イザークの隣に降り立つなり、カガリは一体何を言われているのか考えた。おそらく、肩にタオルをかけていることを言われているのだろう。就寝前に要塞のジム施設で汗を流してきた帰りだからだ。

「私の生まれはユニウス・セブンだ」

 しかもコーディネーター。少なくともプラントで肩身の狭い思いをさせられる身分ではない。

「そうだったな……」

 らしくなくイザークはカガリから目を逃がすようにジャスティスへと視線を戻した。
 ユニウス・セブン。この言葉に少なからず思うところがあったのだろう。イザークには血のバレンタイン事件について話しているのだから。

「いいところのお坊ちゃんにしてはショックだったか?」
「俺は家を出た身だ。だが否定はしない。カガリ、お前はユニウス・セブンで行われていたことと部下の裏切りは繋がっていると思うか?」
「彼らが知っている訳がないだろう。少なくとも、直接的にな影響があったとは思わない」

 部下の名前は確かシホ・ハーネンフース、カナード・パルスと聞かされた。ジブラルタル基地から脱出する際、ザフトを裏切りそのことを遠因としてシャトルが撃沈された。イザークはまだこのことを振り切れてはいないらしい。
 タオルで頬を拭く。特に汗を気にしたわけではなかったが、とりたてて深刻な話をしたいわけではないと伝えるための小芝居だ。

「まだ気にしているのか? なあ、イザーク。お前だってこれまでに大勢の敵兵を殺してきただろ。そんな時にいちいち敵の戦う理由なんて考えてきたか?」
「そんな面倒なことはしていない……。だがそのせいで部下が裏切りを決断するほど悩んでいたことにさえ気づけなかったのだとすれば話は別だ」

 この男とは出会ってまだ日も浅いが、そのせいでいつもわかるはずもないなぞなぞに答えられず苦しんでいるような気がする。借金があるだの病気の妹がいるだのわかりやすい理由でも見つからなければいくら考えてもわかるはずがないのだ。
 もっとも、カガリも答えのないなぞなぞを突きつけられた気分はわかる。イザークの隣に並んで、同じようにジャスティスを見上げてみた。深紅の装甲をしたガンダムが金属の冷たい光沢を輝かせていた。

「私も時々迷うことがある。オーブは、別にアウシュビッツ化はしていないそうだ。コーディネーターが列をなして列車に詰め込まれることもなければ、猛毒のシャワーを浴びせられることもない。無論、侵略した側とされる側だ。立ったのは傀儡政権。オーブの民にも犠牲は出た。だが、少なくともそれ以上では決してない。ブルー・コスモスの目的は何だ?」
「あくまでもプラントの体制崩壊が目的ではないのか? それならばコーディネーターそのものを攻撃する必要はない」
「敵を味方ごと焼き払うような奴らに理知的な行動を求めるのか?」

 アラスカでの壮大な焦土作戦がなければザフトは地上の主力部隊を失うことはなく、大西洋連邦軍内は穏健派と急進派に分かれて争いをつづけていたことだろう。それこそ、いまだに地上で戦闘が繰り返されていてもおかしくはない。
 だが、ムルタ・アズラエルは敵の殲滅と軍内の掌握を同時にしてのけた。背筋が寒くなるほど合理的な作戦だと言えなくもない。あまりに異常な行動を計算付くで行うことができる者などいるのだろうか。意図した狂気など矛盾もいいところだろう。
 イザークにしても同じように捉えているのだろう。

「確かに奴らの行動はあまりに性急すぎることも事実だ。戦争に勝つだけならとっとと無条件降伏突きつけて賠償金でもふんだくればいい。時間さえ考えなければ核を持ち出すまでもなくプラントを落とすこともできるはずだ。奴らの行動には、ある種焦りが感じられる」
「コーディネーターが怖いから、では通じない。何せ、奴らのトップは現時点において最高のコーディネーターだからな」

 正確にはドミナントとコーディネーターとナチュラル。人種が綺麗にそろったものだ。

「だがカガリ、奴らの目的をプラントに勝つこととすることもできない。奴らはプラントを滅ぼすことをもくろんでいる。それも一刻も早くと望んでいるようだ」
「それは単にコーディネーターが憎いからでは説明できないな。だが、同時にエインセル・ハンターはヴァーリを道具として使っていると聞いたこともある。奴らユニウス・セブンを知っている。仮に奴らの目的が虐げられるコーディネーターの解放ならば、何故このような真似をする?」

 問いかけておきながら、カガリはただジャスティスを見上げていた。イザークにしてもわざわざカガリのことを見てはいないだろう。

「矛盾だらけだな。これは持論だが世界に矛盾というものは存在しない。もしも矛盾があるように見えたなら、それは性質の捉え方が間違っているだけだ」
「では聞くが、性急すぎるプラント侵攻、コーディネーター解放を目的とする行動を起こしながらヒメノカリスを道具として扱う。これらすべてひっくるめる理屈などあるのか?」
「俺にはわからん。わからんことが多すぎる」

 盗み見たイザークの横顔は、表情に乏しく、どこか疲れているようにも見えた。




 電波干渉がミノフスキー粒子によるものであると判明して以来、偵察はその重要性を再認識されていた。特に、機動兵器による索敵はより重要なファクターを占めつつあった。
 コスモグラスパーのコクピットの中で、アーノルドはわずかな照明の中漆黒の宇宙を見つめていた。レーダーの信頼性が極端に減少した現在、視界に頼る偵察を行わなければならない。わずかな光を外に漏らすこともできず、スラスターさえ停止させた慣性航行を続けていた。
 本来ならば聞こえてくるべき駆動音もそれに伴う振動もない。計器のかすかな明かり以外は星しかなく、自分の姿さえ見えていない。
 こんな時、どうしようもなく現状について考える。
 奨学金で大学を卒業できた後、伯母の薦めで軍人になった。当時ザフトとの開戦がまことしやかに囁かれ学友の間でも軍人を就職先に選ぶ者は少なくはなかった。アーノルド自身、ナショナリズムとまではいかないものの他国の侵略を甘んじて受け入れるつもりにはなれなかった。伯母の薦めを受け入れたのはそのような理由からだ。

(ではなぜ私はここにいる?)

 戦うべきザフトの側で守るべき大西洋連邦軍の動きを探っている。
 人生はわからない。軍では操舵の適正が認められ、伯母--後で知ったことだが、穏健派の実力者であったらしい--の助力もあって戦艦のクルーとして養成を受けていた。そして戦争の勃発。主戦場に出る機会なくすごしている内に伯母が戦死。意識はしていなかったが、人事は伯母に手を焼いていたらしく、アーノルドがアーク・エンジェルのような特殊任務を帯びた戦艦勤務を命じられたのはある種の厄介払いの意味合いもあったのだろう。国家の行く末を占う戦艦にしては大尉が艦長を務めているなど不自然さを感じたことを覚えている。
 まさかこれが穏健派、急進派の思惑入り乱れる戦艦になるとは当時考えもしていなかった。
 しかし事実としてアーク・エンジェルは両派の策謀の間を漂うように各地を転々とした。地球上でアーク・エンジェルが描いた軌跡などまさに両勢力のせめぎ合いが見せた技だろう。急進派に機密が露見することを恐れた穏健派はザフト軍の勢力のみならず急進派の影響が大きい前線を迂回するような移動を強いた。その結果、アーク・エンジェルは大きな東周りの迂回路を、同盟国に立ち寄ることなくアラスカへと渡ることとなった。
 アーノルド自身にしても操舵手から戦闘機のパイロットへと転向することとなった。自分は戦力として不十分であるとも感じている。言い訳をするつもりはないが、事実として戦闘機とモビル・スーツとでは性能に大きな開きが生じている。戦闘機はいまだにビームを装備できず、攻撃力が機体の性能を引き上げている現状において推進力に優れるだけでは戦力として十分であるとは言い難い。
 自分にできること、このことを考えた場合、アーノルドは答えを出せずにいる。
 意識を戻す必要があった。操縦桿を握る手に力を込め、風防の先にスラスターの光を確認する。明らかに敵--地球軍のことだが--の艦隊の姿があった。
 アーノルドのコスモグラスパーと異なりその姿を隠そうとさえしていない。推進器にありったけの火を灯し、ボアズへと向かっているのである。逃げ隠れする必要はない。地球軍艦隊の心憎いまでの自信が見て取れた。




「ノイマン機より入電。Sフィールドより敵艦隊接近!」

 アーク・エンジェルのブリッジにジュリ・ウー・ニェンの声が響く。艦長であるナタル・バジルールが指示をまとめるよりも早く、アサギ・コードウェルが報告を繋げた。

「基地司令部より、Nフィールド、Wフィールドより敵艦隊も接近を確認!」

 簡易表示。宇宙では当然3次元の世界である。しかし地上での感覚に慣れた人類にとって立体的に物事を捉えるとは簡単なことではない。そのため、便宜上2次元平面を設定、4分割した区画分けが報告には用いられていた。
 ナタルの手元のモニターにはボアズを中心とした立体図が投影されている。指示にあった方向、合計10ものルートから地球軍が同時に進行を開始していた。
 特攻隊によって艦隊の足止めには成功したと聞いているが、少なくともボアズ戦ではさして大きな影響は出ていないようだ。

「物量で押し切るつもりか……?」

 地球軍はこれが全力ではないかと思えるほどの兵力を一度に投入していた。




 ZGMF-600ゲイツ。ヘリオポリスで開発されたていたガンダムのデータを利用しビーム兵器の搭載を可能とした最新鋭機である。
 ビーム・ライフルの破壊力に加え、モビル・スーツ開発には一日の長があるザフト軍機として本体性能も高い次元にまとめられている。ジブラルタル基地から脱出した船団の救助にすでに先行量産されたゲイツが参加している。グラナダへの配備こそ間に合わなかったが、ここボアズにはすでに十分な数のゲイツがZGMF-1017ジンと肩を並べていた。
 遅れて訪れた最新機。
 しかし、ゲイツはその出自において呪いを受けていた。
 ゲイツのジェネレーター出力は約1500kw、すなわちジンの1.5倍もの出力を有する。これほどの出力がなければビーム・ライフルを安定して扱うことはできない。それはユーリ・アマルフィ議員をしてプレア・ニコルの、核の封印を解く切っ掛けを与えた。
 その開発は急務とされた。そのため、次世代機として開発が予定されていた機体群に本来使われるべきであった予算、人員はゲイツに流された。ゲイツの開発は急速に行われたが、しかしすでに途中まで開発が進行していた機体に比べ遅きに失した感は否めない。結果としてザフト軍では新型機の実戦配備が全体として数ヶ月の遅れを受け止めざるを得ない状況となった。
 そして、ザフトは多くの兵を犠牲としていた。
 アラスカでは大西洋連邦軍の壮絶な自爆により地球における主力を失い、ジブラルタル基地では殿を務めた部隊は壮絶な討ち死にを演じている。グラナダでは戦いとさえ呼ぶことのできない殺戮であった。本来ならばゲイツを駆り華々しい活躍をしていたであろう将校、兵士たちはすでに多くが命を落としてるのである。
 仮にゲイツが後一月早く量産体制が整えられていたのならば、近代戦史は大きな書き換えを余儀なくされたことだろう。
 しかし一部の者にはすでに常識である。ザフト軍モビル・スーツに連なる幾多の悲劇は、すべてブルー・コスモスによって、ムルタ・アズラエルによって描かれた戯曲の一場面に過ぎないのだということを。




 ボアズは宇宙に浮かぶ岩石である。元々赤道同盟が保有していた資源衛星をザフト軍が徴用。その坑道を利用して宇宙要塞へと仕立て上げた。その姿たるやまさに巨大な岩である。周囲に展開する多数の戦艦の存在だけがこの岩山がザフト軍最後の砦であることを如実に語っている。
 ローラシア級、ナスカ級、ザフトを代表する戦艦が並べられ、ジン、ゲイツはすでに出撃をすませていた。
 ここが落とされれば残すはプラント本国の盾であるヤキン・ドゥーエのみ。事実上、プラントを守ることができる絶対防衛線であった。
 ザフトの精兵たるや意気軒昂。プラントを守るために、グラナダで散った仲間のため、ボアズを守るために特攻に身を投じた仲間のために。
 戦いは、今まさに始められた。




 宇宙戦において爆撃という概念は有効な戦術であるとは考えられていない。ミノフスキー粒子による電波干渉によってレーダー機能が著しく信頼を欠く状況は接近をより容易にするとともに、有効射程を激減させた。結果、基地機能を麻痺させるための爆撃を行うためにはすでに戦闘半径に立ち入らざるを得ず、すなわち交戦を意味した。
 詳細な偵察を行い、過剰ともいえるほどの爆薬を放り込んでから悠々と死に体と化した敵を打ち倒す。このような戦術はすでに過去の遺物であった。
 地球軍は、まずモビル・スーツを出撃させ、両軍は瞬く間に戦闘状態へと突入した。
 地球軍はGAT-01デュエルダガーを中心に、隊長機としてGAT-01A1ストライクダガーの姿が少数見て取れる。ザフト軍はジンとゲイツとが半数を分け合っていた。
 ビーム兵器を常態装備したモビル・スーツ同士の大規模戦闘は、人類史上初めての出来事であった。それは不思議な光景を演出した。
 デュエルダガーがスラスターを瞬かせながら一斉にビーム・ライフルを放つ。幾筋もの光が漆黒の宇宙に描かれ、ザフト軍へと迫る。かわし損ねた機体の胸部をビームがかすめた。ただそれだけで装甲をすり抜けた熱が燃料と推進剤を焼き、ジンを爆発させた。
 このことは驚くべきことを意味した。戦艦の艦砲ほどの威力の攻撃が、モビル・スーツほどの機動力と腕を回す程度の取り回しのよさで飛来するのである。
 この事実は地球軍についても当てはまる。ゲイツの放ったビームは、同様にいくつもの光の華を地球軍の隊列に描き出す。
 ビームの高い攻撃力。それは途端両軍を慎重にさせた。ウエハース状に両軍の隊列が分かれなかなか混ざり合うことがない。互いにビームの応酬を繰り返しながら戦線を維持していた。
 しかし、戦いは膠着を迎えてはいない。
 ビームを装備しているのは、地球軍にとってすべてのモビル・スーツではあっても、ザフト軍にとってはいまだ半数。ビームはバイタル・エリアをかすめるだけでも時に敵に致命傷を与える。しかしジンの携帯する従来の武装では正確に急所を捉える必要があった。
 直撃弾を求め徐々に前へと進出せざるを得ないジン。距離があろうと十分な攻撃力を有するゲイツは距離の維持に務める。ジンとゲイツの戦線は次第に剥離し、第3の層が構築されつつあった。
 攻撃力に乏しく機体性能にも劣るジンに不利へ明白であった。次第にジンの被弾率が上昇していく。モビル・スーツの数が減少すれば戦線は疲弊し、防衛線に穴が開く。
 地球軍は圧倒的な戦力で次々と押し寄せ、撃墜したはずのモビル・スーツの隙間を瞬く間に塞ぎ、絶え間なく攻撃を繰り返す。




 GAT-X207SRネロブリッツガンダムはその両腕に装備されたビーム・ライフルを搭載した複合兵装を振り回すように動かしていた。敵の数が多く、様々な方向へビームを放ち続けなければ追いつかない。わずかでも気を抜けば敵は防衛線に風穴を開け、ボアズへとなだれ込むだろう。
 要塞は一定数敵にとりつかれれば終わりだ。一瞬も気を抜くことができない。
 敵は隊列を組んでビームを撃ち続けることに終始していた。昔にもこんな戦術があった気がする。確かファランクスとか呼ばれる長槍を前へと突き出して並べる隊形のことをディアッカは思い出していた。とてもではないが真っ正面からぶつかりたいとは思えない。
 アイリスのGAT-X303AAロッソイージスガンダムも距離を維持したままビーム・ライフルを放ち続けている。
 もっとも、キラ・ヤマト、我らがエースは戦術など端から眼中にないらしい。
 ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレは何の考えもなしに敵へと飛び込んでいく。全身を白く輝かせ、敵には恰好の的に見えることだろう。敵の攻撃はオーベルテューレに集中し、しかし一発たりとも命中は出ない。遠目ではどうかわしたのかわからないほどの動きでビームをかわし続けるとあっさりと距離を縮めていく。
 ロックオン・サイトに収め、これ以上ないほど適切に撃ち出している攻撃が当たらない。この感覚は恐ろしいことだろう。これ以上、何もしようがないのだから。敵には同情させられる。
 オーベルテューレの放つビームがデュエルダガーの胸部ジェネレーターを正確に撃ち抜く。周囲のデュエルダガーたちは仲間の仇をとろうとその銃口がオーベルテューレを追う。
 デュエルダガーたちの射線が一斉に曲がった。その隙にディアッカを初めとしてアイリスや周囲のザフト軍が攻撃を仕掛けた。敵の攻撃がこちらに向いていないのであればより接近することが可能であり、接近できれば命中率は飛躍的に向上する。さらに不意をつくことで、デュエルダガーを次々と撃墜していくことができた。
 その間にもオーベルテューレは敵の間を飛び回り--ミノフスキー・クラフトによる複雑な動きはこうとしか表現のしようがない--、すべて1撃でデュエルダガーを撃墜する。
 アイリスの言うとおり、経験値というものがまるで違うらしい。機体の性能もあるのだろうが、ディアッカがオーベルテューレを与えられたとして同じ動きができるとは思えない。
 敵の数を十分に減らしたところで、キラはようやくザフトの隊列に戻ってきた。その装甲には傷一つない。

「ディアッカ、ゲイツの動きが思っていたよりも鈍い」
「学徒兵が多いらしい。グラナダにもいたそうだが、兵員の不足で軍学校の卒業要件が緩和されたらしくてな」

 ほんの一月前まで最前線は30万km以上も彼方の地球だったとは冗談のような話だ。ボアズ守備隊の中には気楽な後方任務だと高をくくっていた者も少なくないのではないだろうか。
 ロッソイージスがネロブリッツのそばまでやってきては、敵の方へとビームを放った。

「ディアッカさん、次、来ます!」

 確かに次ぎの部隊がやってこようとしていた。地球軍の圧倒的な戦力もさることながら、まったくこちらを休ませるつもりがないらしい。こんな戦術も、確か耳にしたことがあった。
 連続して攻撃を仕掛け、相手の疲労とミスの蓄積を待つ戦法だ。そうすればたとえ質で劣っていてもいつかは防衛線の処理能力を突破できるという数打ちゃ当たる戦法だそうだ。とにかく圧倒的な数に頼った攻撃は防ぎようがないだけにたちが悪い。

「敵の狙いは飽和攻撃か?」
「ムルタ・アズラエルがそんな生易しい戦術をとるとは思えない。ディアッカ、また僕から仕掛ける。君たちはタイミングを見て援護してもらいたい」
「わかった」

 キラはまた敵部隊へと突入しようと加速しだす。見事な回避術はハウンズ・オブ・ティンダロス--以前かのムウ・ラ・フラガからキラと一緒に聞かされた技術だ--という名で、キラでさえまだ未完もいいところらしいが、それでも直進しかしない、弾速の遅いビーム相手には絶大な回避と急激な接近を可能としている。今後、ビーム兵器が戦場の主役になれば、その高い攻撃力から距離を開けた撃ち合いが主流になることだろう。そんな時、敵に素早く接近して隊列をかき回すことができるエースの存在がより重要になることは間違いない。
 もしかすると、一握りのエースが戦場の帰趨を左右する、そんな戦場がやがては出現することになるかもしれない。
 まずは今の戦いを乗り越えることが先か。

「アイリス、お前は俺よりも前に出るな。それくらいがちょうどいいはずだ」
「わかりました」

 アイリスが聞き分けのいい奴で本当によかった。無理に前に出てそれで敵を倒せるならばいいが、このように次から次へと敵が現れるような状況では怖さを知らないと敵を深追いしすぎてしまいかねない。
 死ぬことが怖くない人間は、死が近づいても逃げることさえ忘れてしまう。このことが何かアイリスに危険をもたらさなければいいのだが。
 いつまでも仲良く漂っている訳にはいかない。敵も接近している。再び戦いに挑もうと機体を動かす。操縦桿を掴む腕に、その時おかしな振動が伝わった。機体を揺るがす衝撃波が通り抜けたのはすぐ後のことだ。
 機体が小刻みに揺れ、電磁波へのシールドが施されているはずのモニターも不鮮明にさざ波が立って見えた。わずか数秒のことだが、戦場の一角では光景が変わっていた。モビル・スーツ、戦艦でひしめいていたはずの空間がごっそりとくり抜かれたように虚空へと成り代わっていた。

「これが本命かよ!」

 無茶苦茶だ。敵を包囲して防衛戦力を均等に分散させる。その上で任意の場所に核を撃ち込んで強引に突破を図る。戦術だとか作戦だと呼ぶことさえおこがましい力業だ。

「ガンダムがあってもだめなんですね……。私たち、また守れないんですね……」




 カガリが叫ぶ。

「核などそう気軽に使うものではないだろうがー!」

 放ったビームは核ミサイル--モビル・スーツほども大きさがある--を正確に撃ち抜き爆発させる。原子力爆弾は単純だが簡単ではない。破壊されたミサイルは核爆発を起こすことなく爆発する。
 周囲ではほかのザフト機もミサイルを迎撃しようとしているがただでさえ高速で飛来するミサイルを撃ち抜くことは簡単ではない。なかなか命中させられず、それでもビームを放ち続ける。そうしている内に生じた核爆発に呑み込まれた機体さえあるほどだ。
 そして、敵もむざむざミサイルを迎撃させるつもりもないらしい。途端、敵の攻撃は激しさを増していた。ビームが次々と飛来する。
 敵にしてみれば焦る必要などないのだ。核ミサイルへと近づけさせなければそれでいい。距離を開けたまま、ビームによる牽制ばかりが繰り返される。
 接近しなければミサイルに命中させられない。近づきすぎれば逃げ遅れる危険がある。すると、一発のミサイルごとにザフトの機体が遠すぎず近すぎず、トンネル状の配置が自然とできあがっていた。敵はそのトンネル構造を崩そうと攻撃を繰り返している。ビームで、あるいは、全身を輝かせたガンダムによって。
 黄金の輝きが信じられないほどの速度で迫っていた。オーブで見かけたムルタ・アズラエルの機体だ。
 ゲイツたちがビームを放つ。奴にはビームは通じない。

「まっ……!」

 そんなことを言い出しかけて、しかしこの助言には何も意味などなかった。
 黄金のガンダムは25m級という大きさにも関わらず攻撃をすり抜けるようにかわす。バック・パックにアームで連結されたユニットが起きあがると、幾本ものビームが直撃を受けたゲイツの腹を真一文字に引き裂いた。
 ただでさえ核の攻撃でこの区画の防衛戦力は減じている。さらにガンダムにまで襲いかかられては隊列などあったものではなかった。
 ガンダムは、1機だけではなかった。
 赤銅色のガンダム。イザークやアスランがジブラルタルで交戦したガンダムは、リボルバー式のバック・パックを回転させると、銃身を展開し長大なレールガンを1対構えた。ビームにこそ劣るが十分な攻撃力を誇る弾丸は正確にジンの胸部に風穴を開ける。

「たった2機のモビル・スーツがこうも戦場の空気を変えるのか!」

 ガンダムたちは核ミサイルの爆発するタイミングを知っている。いつ爆発するかわからず核に侵入禁止領域を強制されるザフトとは違うのだ。次々飛来するミサイルの間を自由に動き回りながら組織的な行動さえ封じられたザフトに襲いかかる。
 単機の力ではガンダムにかなうはずもない。わずか2機のガンダムが一騎打ちを繰り返す形で大隊戦力のザフトを手玉にとる光景は異常で、背筋に嫌な汗を感じるほどだ。
 黄金のガンダムは8本ものビーム・サーベルを構え、ただ左腕のシールドにビーム・クローを発生させているでしかないゲイツが哀れにさえ思えた。爪楊枝で鉈を防ごうとするようなものだ。ゲイツは斬られたというよりは引きちぎられてその体をずたぼろにされた3つの破片へと切り分けられた。
 ジンは哀れだ。哀れと言うほかない。赤銅色のガンダムに追いかけ回される。機動力、推進力、破壊力、すべての点においてガンダムには及ばない。逃げ回り、追いつかれ、苦し紛れの反撃さえ回避された。ビームがジンを貫くと、その爆発を見届けることもなくガンダムは次の獲物を追いかけていた。
 ミサイルは次々とボアズを目指し露払いとしていくつもの爆発が生じた。そして、攻撃は次の段階へと移っている。より大型のミサイルが、麻痺した防衛線への空隙を通り抜けようと飛来していた。
 もはやボアズを守る術など残されていなかった。




 GAT-X105ストライクガンダムが2機。薄い青で塗装されており、カガリのものとはそれだけでずいぶんと装いが異なって見える。
 核の光にザフトが統制さえ突き崩され、地球軍は着実に進行していた。その中にあってこの2機のガンダムだけは明らかに異なった動きを見せていた。仲間たちが核ミサイルを中心に攻勢に打って出ている今でさえ、ジャスティスの前に漂い、動こうとしないのだ。
 ガンダム同士を繋ぐ専用回線がある。モニターには敵のパイロットが表示された。ランチャー・ストライカーを装備した方にはシホ、ソード・ストライカーを装備した機体にはカナードが乗り込んでいる。イザークとカナードが切り込み隊長を務め、シホが援護に回る。役割分担は変わっていないらしい。
 シホに関しては驚くことにヘルメットを身につけていない。自慢の髪を無重力に漂わせていた。
 核爆発の放つ衝撃波がジャスティスを震わせる。戦局は完全に地球側に傾きつつあった。決着は早い方が好まれる。
 これはまさに決闘であったのかもしれない。互いに無言のまま睨み合い、ありもしないコイン・トスを待つ。ジャスティスの全身を包むフェイズシフト・アーマーが徐々に光強度を高め、ストライクたちの指が小刻みに動いた。
 互いに、不存在のコインが落ちる音を錯覚する。
 ガンダムが動く。ジャスティスが飛び、ランチャー・ストライクが長大な銃身を持ち上げる。光の塊となったガンダムと光の塊を飛ばすガンダム。ランチャーの放ったビームはジャスティスへと直撃する軌道を描き、爆発が生じる。
 モビル・スーツが爆発したにしては小規模な爆発の中からジャスティスは飛び出した。失ったシールドの代わりにビーム・サーベルが握られている。ジャスティスはランチャー・ストライクを目指し突進する。

「シホー!」

 振るわれるビーム・サーベル。それは機体を強引に割り込ませたソード・ストライクによって防がれた。モビル・スーツの身長ほどもある長大な対艦刀は光の壁のようにサーベルを防ぎ、いくら出力で優れるジャスティスガンダムとはいえ、片腕で押し切れるはずもない。
 スパークする粒子の向こうにカナードの無表情を写し取ったかのようなストライクの顔。

「カナード!」

 ジャスティスが動く。鍔迫り合いを強引に中断し、とにかくバック・ブーストをかけたのだ。その直後、ジャスティスがいたはずの場所を太いブームの束が通り抜けていった。シホだ。シホならば多少フレンドリー・ファイアの危険を冒してでも動きを止めた敵は逃さない。
 無理に機体を逃がしたため体勢が崩れていた。その隙を逃さずカナードは切りつけてくる。両腕で辛うじて振り回せるほどの大剣は、左手のサーベルだけで受け止めたジャスティスを浮かび上がらせた。崩された体勢へと向けてランチャーからのビームが飛来する。
 ミノフスキー・クラフトにただ感謝した。スラスターの位置からではあり得ない方向へと機動し、ビームを辛うじてかわす。動きをとめていてはやられる。ビーム・ライフルで牽制しながらとにかくソード・ストライクから距離をとろうと動く。
 ZGMF-1017ジンに搭乗していたころから息のあった連携を見せていたが、ガンダムを与えられたことで切れが増している。

「これが国と友を裏切った対価か!」

 放ったビームはソード・ストライクに簡単にかわされる。代わりにランチャー・ストライカからバルカン砲が降り注いだ。

「これは単なるおまけです。ムルタ・アズラエルは私たちに約束してくれました。プラントは必ず滅ぼしてくれると」
「答えろ! なぜ国を裏切った? 何がお前たちをそうさせた!?」

 振り下ろされる対艦刀。サーベルで受け止める度、弾ける光に粒子がモニター上に爆ぜ、左腕のフレームに過負荷が生じたことを告げるアラームが鳴り響く。
 会話はもっぱらシホが担当するようだ。

「隊長、私って、綺麗ですか?」
「何を言っている?」

 確かに、シホは髪の手入れを怠らない、おしゃれというものに気を使う女性であった。それが裏切りとどう関係があるというのだ。まさか、お気に入りのシャンプーが地球にあるというわけではないだろう。我ながらくだらない冗談だ。
 モニター上でシホはその長い髪を手で弄んでいた。
 攻撃してくる気がないのか、それとも会話どころか攻撃までカナードと分業でもするつもりか。対艦刀が引かれた。拍子抜けする体にソード・ストライクの蹴りが突き刺さる。
 襲い来る衝撃。歯を食いしばりながら後ろへと弾き飛ばされている間にもシホは話を続けている。普段と同じ落ち着いた口調に、やや饒舌か。

「この顔、私の父の初恋の人の顔だそうです。残念ながら、私の母に当たる人とは別人です。父はその人と別れ、母と結婚した後もなお思いを忘れられなかったそうです。そのため、初子に同じように素敵な女性になってもらいたいと願いをこめて、同じ顔になるように遺伝子調整を行ったそうです」

 わずかにシホの笑い声が聞こえた。自嘲や嘲笑の類の、わざわざ笑って見せたような取り繕った声音をしている。
 ソード・ストライクの対艦刀は話を聞いている間にも振るわれる。ビーム・ライフルの銃身が綺麗に両断された。投げ捨てたライフルの代わりに右手でもビーム・サーベルを抜く。2本ならば全力で振り下ろされた大剣であろうと防ぐことができる。衝撃を受け止めた手応えが操縦桿越しに伝わってくる。

「もちろん、母には内緒で」

 シホは立てた指先を口に当てる。ずいぶんとかわいらしい皮肉の仕草だ。こんなことをシホがするとは思っても見なかった。

「面白い話とは思いませんか? 母はその胎内に恋敵を宿して、父は愛した2人の女性の愛を同時に得ることができる。そう言えば、男にとっては息子が、母にとっては娘こそが最大の恋敵である、そんな話もありました」

 そう言っている本人がまるで楽しげではない。もっとも、嘲笑しくてたまらない様子ではあるのだが。
 いつまでもモニターのシホを見ている余裕はないようだ。カナードのストライクに動き出す気配があった。先手をとって押し返す。対艦刀の勢いが弱まった瞬間に飛び出した。先程からこの繰り返しだ。ペースを掴めず防戦を強いられるイザークにカナードが鍔迫り合いを仕掛ける。唯一リズムを崩されたことは、突如シホのランチャー・ストライクから砲撃があったことだ。本来逃げようと想定していた方向を塞がれ、やむなく軌道を曲げる形で回避する。
 シホはいまだに話を続けている。

「初恋の女性は、それは髪が綺麗な人で、いつも手入れを怠らず気にかけていたそうです」

 シホがご自慢の髪を手で梳く姿が目に浮かぶ。残り少ない飲料水でさえ、髪を洗うことに使われこともあった。それが両親への皮肉であったとは当時気づくことはできなかった。

「私が生まれた時、父は大層嬉しそうにしていたそうです。でも、人の心は変わるもの。あんなに恋い焦がれていた女性への気持ちは次第に冷めていきます。私が成長するに連れ、父は自らの過ちを悔いるようになっていきました。馬鹿なことをした。今は妻のことを愛している」

 声に怒りと思しき深い抑揚が混じり始めた。
 イザークはコクピット内に響く警報を聞いた。接近警告。ボアズの岩で覆われた地表がすぐそばに見えていた。どうやら誘導されたらしい。
 ボアズを背にするジャスティスを、2機のストライクは見下ろしていた。

「もらったラブレターなら焼いてしまえばいい。2人で撮った写真なら捨ててしまえばいい。では、娘ならどうします? 顔を八つ裂きにしてしまいますか? いらないと捨ててしまうことが一番現実的かもしれません」

 時折大気のない宇宙を震わせる核爆発の衝撃波がボアズから細かな破片をまき散らす。ボアズは長くないようだ。しかしこの宙域、ジャスティスを中心とする一帯だけは敵の攻勢が弱い。これも裏切りの報酬の内なのだろうか。

「父が私の顔を見る度、悔やんだように目を背けるんです。母もやがて気づいて父を責めました。面白いことに、母と初恋の方は無二の親友だったそうですよ。母の私を見る目の面白いこと。成長するに連れて、あの女に近づくに連れて、嫌なものでも見るかのように睨むんです。身勝手な話だと思いませんか? 一時の未練に付き合わされた私の立場はどうなります? だから私は髪の手入れは欠かしませんでした。この髪型は父と女性がお付き合いしていた頃のものです。父をあざ笑って、母に見せつけてやりました。こんなお遊びくらい、私には許されてしかるべきだと思いませんか?」
「お前の境遇には同情する。だが、それがなぜプラントを裏切る理由となる?」

 冷静な部下だと考えていた。しかし今のシホの瞳にはこれまでに見たこともない色が浮かんでいた。不必要に目は開かない。そんなシホが目を大きく見開き、瞳を輝かせる光が普段とは異なる色を見せていた。

「嫌いだからです。自分たちの都合で勝手に子どもたちのことを作り替えておきながら、与えたものは素晴らしいと自画自賛をするばかりかそれをくれてやったのだから感謝しろとまで嘯いてくる。こんなおぞましい国をどうしてこの世界に残しておけますか?」
「少なくとも、プラントでは障がい者になるよう遺伝子を調整することは禁じられている」
「そうして、障がい者はまるであってはならないもののように使い捨てられる。そうですね。優れた人は素晴らしい。優れていない人は素晴らしくない。だから差別して利用して犠牲にすることが許される。そうですね、隊長?」

 ボアズを守るために使い捨てられた部隊のことを言っているのだろう。あの作戦は部隊長にも伝えられず秘密裏に行われていた。それを公にすれば反発を招くが故の姑息な手であったのだと思いたい。

「プラントは人を決めつけます。優れているとはこれで、劣っているのはそれ。それを子どもの遺伝子にまで刻みつけて社会の都合と理屈を生まれる前から押しつけてくる。遺伝子を操作するから極端な能力主義に走り、能力主義に走るから障がい者差別に走る。差別意識が助長されるから選民思想が先鋭化され、遺伝子操作が肯定される。そんなおぞましい連鎖を当然として予定されるのがプラントであって、それを遺伝子調整の名の下子どもに押しつける。そうではありませんか?」
「ただ初恋の女性に似せたというだけの話だろう……」
「親の都合で子どもを作り替えることが許されると? ムルタ・アズラエルが話を持ちかけてきた時、私たちは気づきました。プラントが滅びなければ私たちのような悲劇が繰り返されるだけだと」

 反論することができなかった。論理的に反論することは不可能ではないだろう。しかし喝破することすなわち、このような境遇に産み落とされたシホにその程度認容すべきと押しつけることになる。シホにとってはそれこそがプラントの傲慢なのだろう。

「カナード。お前はなぜだ?」

 普段から口数の多い男ではなかったが、それでも今日はシホに押しつけすぎる。まさかカナードまで母親の初恋の相手と同じ顔をしているのではないだろう。

「俺はシホほどおしゃべりでもなければ、情緒的な話も持ち合わせていない。聞きたければ俺に認めさせてみろ。お前が俺たちの隊長であるに相応しい人物であったとな」
「そのわかりやすさは、嫌いではないがな!」

 シホの放ったビームを回避すると、ボアズの表面に大きな爆発が生じる。その破壊力を誇示するようにシホは次々とビーム、バルカンを降らせては逃げるジャスティスを追いかけるように爆発が立て続けに引き起こされる。

「逃げているばかりでは死を待つばかりですよ、隊長」

 カナードの対艦刀が先回りするように振るわれる。ビーム・サーベルで防ぐと、その度強い衝撃が機体を揺らす。取り回しこそビーム・サーベルの方が容易だが、力任せに振るわれる大剣は正確に振り下ろされれば防ぐしかない。防ぐ度、速度が落ち爆発が迫ってくる。
 カナードのストライクが離れたのは、シホの攻撃に追いつかれたことを意味していた。辛うじてかわしたつもりが、ビームはジャスティスの右足を膝ごともぎ取る。
 衝撃に加え、モノフスキー・クラフトの被覆面積を失った分だけ機動力が低下する。
 カナード機はたやすく追いつき、対艦刀を叩きつけてきた。ビーム・サーベルで防ぐも、完全に動きを封じられた。わずかでも腕の力を抜けば両断される。逃げようにもすぐ背中にはボアズがある。こうなることを予見してシホとカナードはここにイザークを誘導したのだろう。

「終わりだな、イザーク隊長」

 シホ機がランチャーを構え、その銃口は奥底を見通せそうに思えるほどまっすぐにジャスティスへと向けられていた。



[32266] 第44話「ボアズ陥落」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:08
 核の光照らす要塞にて、ガンダムの戦いが終わろうとしていた。
 GAT-X105Eストライクガンダムがその巨大な対艦刀でしてZGMF-X09Aジャスティスガンダムを抑えつけていた。ジャスティスの背後には宇宙要塞ボアズの地表が広がっている。そして、ジャスティスを狙う2機目のストライクガンダムの銃口。
 身動きを封じられたジャスティスへと向けられた銃口にビームが瞬く。
 それは一瞬の出来事であった。
 鍔迫り合いを、ジャスティスは放棄した。ビーム・サーベルのエネルギーをカットし刃を消滅させる。
 ソード・ストライクのパイロットであるカナード・パルスは驚くばかりで反応できない。相手に押しつけていた勢いのまま対艦刀が前のめりにジャスティスの頭頂部めがけて振り下ろされる。
 額から伸びるブレード・アンテナは切り裂かれ、しかしジャスティスは身をひねる。対艦刀の軌道はそのままに、ビームはジャスティスの左肩へと吸い込まれそのまま左腕を切断する。
 一歩タイミングを間違えればそのまま体が縦に二つになっていた。決断、度胸、技術、イザーク・ジュールという男のすべてがカナードを驚愕させた。

「正気か!?」

 生じた隙--仮に万全の体勢であったところで動けただろうか--を、イザークは、ジャスティスは逃さなかった。
 左腕を失いながらもジャスティスはその体をソード・ストライクの懐へと忍び込ませた。そのまま体当たりのを仕掛けるとともに浮き上がらせたストライクの体を強引に盾にする。ランチャー・ストライクの射線上に置くことで。
 ビームは背中からソード・ストライクを焼く。バック・パックが爆発してなおビームはストライクの左腕をもぎ取る。ボアズに着弾してまだ巨大な爆発を引き起こすほどの熱量を保持していた。
 ビームの描いたエネルギーの奔流は爆発に包まれた。コントロールを完全に失ったソード・ストライクがボアズに叩きつけられる光景に、シホ・ハーネンフースは心ならず声を上げた。

「カナード!」

 シホは意識して気を持ち直す必要があった。この程度で隙を見せていたなら命がいくつあっても足りない。イザークとはそういう男なのだ。
 爆煙が膨れ上がる。ミノフスキー・クラフト搭載機は全身から推進力を放っている。存在するだけでそこには斥力が働いている。ジャスティスは煙を弾き飛ばすなりただまっすぐにランチャー・ストライクを目指す。

「隊長……!」

 ジャスティスはビーム・ライフルを失っている。戦闘機ほどの大きさを持つバック・パックに搭載されたビーム砲はさきほどの爆発のためか銃身が歪んでいる。
 この距離で、今のジャスティスの勢いでかわす余裕などないはずだ。ランチャー・ストライクは保持する長大な銃身からビームを放つ。一直線に伸びる光線は、しかし命中の確信をシホにいつまでも与えてはくれなかった。
 そういう男なのだ、イザーク・ジュールという男は。傷だらけの刃のような男なのだ。なまくらならば新品同然の内に捨てられる。上等な刃物は刃こぼれおそれ死蔵される。惜しまれるほど際だった輝きなどなくとも使われ続ける刃。ただ一度も折れたことはなく、ただ一度も切れなかったことなどなかったのだから。
 ビームはかわされた。シホの想像を上回る方法で。ジャスティスがバック・パックを分離する。その脱着の衝撃を利用して機体とバック・パックとの間を押し広げた。その隙間をビームは通り抜けていく。
 ジャスティスはザフトの技術者であるサイサリス・パパがストライクのデータを流用して作り上げた機体だとシホは聞かされていた。バック・パックは着脱式であると考えるべきであったことだろう。そうであったとしてもシホは考えもつかなかった。イザークの土壇場の舞台度胸なしではできない芸当なのだ。
 そして、ミノフスキー・クラフトに包まれた、戦闘機ほどの大きさを持つ鋼鉄の塊がそのまま突っ込んでくるとは思いつきさえしなかった。
 長大なランチャーを縦に構え、襲いかかる強大な衝撃を受け止める。機体に激震が走る。ヘルメットをつけていない髪が大いに振り乱された。銃身は完全に折れ曲がっていた。

(さて、武器を失って、少しは加減してもらえるかしら……?)

 目の前から光の塊となって迫ってくるジャスティスのパイロットは。

「この大馬鹿者がー!」

 身を思わずすくみ上がらせる声とともに、ジャスティスのビーム・サーベルが振り下ろされた。




 先程までは壁のように思えていたものが、横たえられると床のようにも感じられる。プラントのような地球上に国土を持たないプラントの出であるカナードにとってさえ、上下の感覚というものはこびりついて離れない。
 戦闘は終結しつつあった。戦いの輝きが徐々に少なくなり、夜空は星を取り戻しつつある。
 上空では、シホのストライクが隊長に左腕を切り落とされているところであった。カナードの機体はもはや動かない。ランチャーの砲撃がジェネレーターにも熱を伝えたのだろう。

「隊長、聞く気があるなら聞いていろ。なければ勝手に話す」

 イザークが勝てたなら話す。そう約束したのだから。

「俺はコーディネーターではない。ただのナチュラルだ。あんたも知ってはいるだろうが、遺伝子調整を施すには金がかかる。そんな金を子どもをもうける度に支払える家庭がどれだけあると思う?」

 撃墜されたシホ機がカナードと同じようにボアズへとたたき落とされた。落下地点はカナード機とさほど離れてはいない位置に同じように傷だらけの体を横たえていた。
 カナードは特に気にすることなくかまわず話し続けた。

「コーディネーターに理想を抱いて移住したナチュラルの間には誰もが遺伝子調整を受けられるわけではないと知って絶望した奴は大勢いる。親がコーディネーターでも金がなければ子どもはナチュラルだ。政府は補助金も出していない。それも仕方がないことだ。調整にはそれだけ膨大な金がかかる。そう考えていた」
「隊長……?」

 シホが不安げに尋ねる隊長はボアズに着地していた。右足はすでに撃ち抜かれている。左足だけでボアズに立つと、片膝をつく形でジャスティスは動かなくなった。無理な動きもした。ジェネレーターへの過負荷が表に出たのだろう。
 さて、隊長は今何を考えているのだろうか。決して寡黙ではないが、無駄なことを話したがらない隊長はだんまりを決め込んでいた。

「ムルタ・アズラエルは教えてくれたよ。補助金は出せないのではなく出さないのだとな。能力は相対的なものだ。コーディネーターだけではその中に能力の格差が生まれてしまう。優れた人であることが代名詞であるはずのコーディネーターが、優れたコーディネーターと劣ったコーディネーターに分かれてしまうことになる。それは定義に矛盾する。だからプラントは必要としている。能力に劣り、コーディネーターたちに自分たちは優れているのだと思いこませる被差別民の存在をな。ムルタ・アズラエルはその事実に気づかせてくれた」

 シホのところに現れたムルタ・アズラエルはどこか粗野な男であったらしい。カナードには白いドレスの少女を連れた白いスーツの男だった。彼は饒舌に語っていた。プラントが如何に人々を差別し、差別することを必要としている歪んだ国なのかということを。

「俺たち潜在ナチュラルや障がい者はコーディネーターの滑稽な幻想のために用意された生贄にすぎないのだそうだ。プラントは世界的に見ても社会福祉にかけられる費用が少ない、国民皆保険制度のない唯一の国だ。夜警国家もいいところだろう。力のある者は素晴らしい。だから優遇されるべきだ。ところが、そこにはからくりがある。富裕層は子により優れた遺伝子調整と教育を施すことができる。そうすれば子もまた優れた能力を得やすく、能力者を優遇するプラントならば富が集まりやすい。すると、また子どもに優れた遺伝子と教育を施す。貧者はこの反対だ。プラントという国家はまだ40年と経たない現在においてさえ、貧富の格差が拡大し固定化されつつある」

 暗いコクピットを揺らす振動が徐々に激しさを増していた。核攻撃が続けられているのだ。地球軍はボアズを橋頭堡にするつもりはない。徹底的に破壊しつくす。その破滅の光が徐々にこの区画にまで近づきつつあった。

「俺は許さない。俺たち潜在ナチュラルをオナラブル・コーディネーターと呼んでくださったコーディネーターどもをな!」

 オナラブル・コーディネーター、名誉コーディネーターであると認めてくれたということだ。ナチュラルどもがかわいそうだからせめて優れたコーディネーター様と名前だけでも同じ扱いをしてくださる。
 虫酸が走るほどありがたい話だ。
 さて、これで聞かせるべきことはすべて話した。約束は十分に果たしたことだろう。
 ジャスティスはようやく動き始めた。ミノフスキー・クラフトの輝きははっきりとしている。これならば核爆発の範囲外へと離脱することも可能だろう。
 心優しいシホは隊長に離脱を促そうとする。

「ここはまもなく核の火に包まれます。逃げるのでしたらお早めにどうぞ。なっ……!」

 暗いコクピットを照らすモニターには残された右腕だけでシホのストライクの手を引くジャスティスの姿があった。一体何をしようとしているのか。ジャスティスはストライクを引きずるようにゆっくりとした動きでカナードのすぐ上にまで移動する。

「カナード。その機体まで持って行くことはできない。捨ててこちらへ移れ」
「何を言っている……。俺は敵だぞ」

 まさか助けるつもりなのか。この核の炎がいつ襲ってくるかわからないこの状況下において。隊長の声は以前と何も変わってはいない。部下に決して死ぬことを許さず、そして自分はいつも最前線に身を置いていた頃と。

「貴様らは俺を見限ったのかもしれんが、俺はまだだ。お前たちは優秀な部下だった。裏切ったことを除けばな」
「見限るに十分すぎる理由でしょう……」

 さすがのシホも呆れ顔である。ヘルメットをつけていないため、モニター越しであってもその顔はよく見えた。
 まったく、隊長は何も変わっていない。何があっても、何が立ちふさがろうと。

「やはりあんたは、俺たちが隊長として仕えるに値する人だった……」

 こんな人に全力で挑み、そして破れることができた。もう思い残すことなどないのだ。

「もういい。行ってくれ。この機体はとっくにいかれている。ハッチは焼き切りでもしない限り開けられそうにない」

 そしてシホはヘルメットをつけていない。生身で宇宙空間に飛び出せばどうなるか。内圧にやられて目玉が飛び出すなんてことが言われていたこともあったか。少なくとも血液は沸点を越え、体の内外から窒息死させられることになる。
 シホがコクピットを出られたなら、カナードのストライクを引きずっていくこともできたことだろう。だが、それは不可能であり、カナードは今更生きながらえたいとは考えていない。それはシホも同じことか。

「私も置いていってください、隊長。核から逃れるためにはストライクは重しにしかなりません」
「行ってくれ、隊長。あんたを巻き込んだなんて間抜けな結末にはしたくない」
「馬鹿なことを言うな!」

 隊長はまだカナードたちのことを救うつもりでいるらしい。このままではこの意地っ張りは本当に核に焼き尽くされるまでこの場に残ることも十分に考えられた。それではだめなのだ。
 カナードはコンソール脇のケースを重たい手応えとともに開ける。中には回転式のレバー。回すとレバーそのものが浮き上がり、全体がボタンとして機能するようになる。これほど厳重に他の機器との押し間違えを防止しているものと言えば、無論自爆装置である。
 モニターではシホも同様にボタンを展開していた。

「もしも行かないというのなら私たちはこの場で自爆装置を起動します」

 これにはさすがの隊長も狼狽したようだ。カナードのモニターにはイザークの顔を映してはいないが、息を強く吸い込む音は聞こえていた。

「お前たちにとって、プラントはそうまでして滅ぼさなければならない相手なのか……?」

 2人が語る必要がある時には、まずシホに譲ると決めていた。

「父からは目を背けられて母からは睨まれる。私が軍人になったのは、家を離れる手っ取り早い手段であったからです。それほど両親は私を疎んじました。自分たちで勝手にそう作り出した癖に。プラントはこんなひどいことを許す国でした」
「能力主義を謳うコーディネーターはナチュラルを認めようとしない。当然だな。コーディネーターはナチュラルなんてものは自分たちの有能さを証明するための小道具としか考えてやしない。それがプラントだ」

 だから滅ぼすと決めた。ムルタ・アズラエルに約束させたのだ。プラントという国をこの世界から取り除いてくれると。

「でも隊長、あなたと過ごした戦いの日々は悪くありませんでした。他の何者でもない、シホ・ハーネンフースとして見てくれたからです」
「隊長はナチュラルだと知った後でさえ、手をさしのべてくれた」
「行ってください、隊長。あなたには生きていてもらいたいから」

 自爆装置に手を置いたままにしておく。隊長がもしもまだ躊躇うようであればカナードも、おそらくシホも迷わない。2人が死ねば隊長もこれ以上ここに残る理由はなくなるのだから。

「お前たちは……、とんだ阿呆だ……」

 ジャスティスがミノフスキー・クラフトの輝きを放ちながらボアズから離れていく。影響圏外に離脱できるかは不安を残すが、隊長ならばうまく逃げることだろう。
 カナードは気が抜けたように自爆装置から手を離した。核の衝撃は徐々に近づきつつあった。

「後悔はないか、シホ」
「あるとしてもどうなることでもないでしょう。穏やかな気分よ。ただ、アイザックをこの手にかけたことは予定外。あなたがもっとしっかり押さえていればあんなことにはならなかったのに」

 この女はまだこんなことを言っている。計画ではジブラルタルを脱出したシャトルは無傷のまま地球軍に引き渡すつもりであった。ところがアイザック・マウが機転をきかせたことで事態は急変した。それをカナードがしっかりと抑えていなかったからだとことあるごとに言ってくるのだ。

「お前がアイザックを一撃でしとめていれば問題なかっただろう」

 そうすれば少なくともブリッジが制圧されていると艦内に伝わることはなかったはずだ。しかしシホは急所を外し、アイザックが警報装置を起動させるための余力を残してしまった。

「私のことを好いてくれた子の急所を撃てというの?」
「急所でなければ引き金を引ける神経がわからん」

 シホとは同じ部隊に配属されたことで知り合った。ただの同僚がいつの間にか共犯者になり、今ではともに死に臨んでいる。
 果たしてシホとはどのような関係であるのだろうか。単なる戦友で、いつの間にやら秘密を共有する間柄になっていた。思えば、示し合わせた訳でもなく一つの望みを共有し、その結果が今の状況である。まったくもって訳が分からない。
 シホも似たようなことを考えたのだろう。妖しく笑い、カナードは苦笑する他なかった。
 そして、最期の時が訪れる。

「終わりだな……」
「ええ……」

 核の光が迫ってきていた。電磁波がモニターを激しく焼き、高熱と衝撃波が機体の周囲に白い尾を引いて飛び去っていく。
 裏切り者が英雄に討たれ命を落とす。悪くはないエピソードだ。

「隊長……、いい死に花をいただいた」




 連続して撃ち込まれる戦術核は次々と悪魔の方程式を描き出す。微量の物質が光の速さを駆け上がる速度で光と熱とに変換されていく。この現象を人の目で確認することは不可能である。なぜなら、放たれる膨大な光量の前には視神経がキャパシティー超過を引き起こすから。膨大な光に白く塗り潰された光景しか見ることは許されない。
 もしも、人がそれでもこの光景を目撃したなら、地獄を見ることができたことだろう。
 まずはボアズの地表が割れた。ところがそのひびさえ追い越して光と熱とが岩盤を滑らかに溶かす。要塞内部へと入り込んだ光はすべての区別をなくしていく。人も物も一緒くたに溶かし燃やし、その炎が基地の開口部という開口部から外へとあふれ出し、外で猛る核の火はその内なる炎さえ呑み込んで暴れ狂う。
 膨大な死が混ざり込んだ炎には毒が含まれている。
 愛国心溢れる者であっても、物陰で震えていることしかできない者であっても区別なく、冥王の息吹はすべてを包み込んだ。
 やがて光がやんでいく。プラントの最後の盾の姿はどこにもなく、焼け残ったわずかな岩石が漂う静寂だけが残されていた。戦闘の荒々しさに隅に隠れていた星々が、安心したように夜会を再開していた。




 傷だらけの姿でジャスティスが漂っている。左腕、右足は戦闘によって消失している。核の衝撃から逃れたとは言え、装甲には確かな爪痕が刻まれている。欠損し、あるいは一部が淡い光を放っている。フェイズシフト・アーマーさえ完全には機能していないのだ。
 コクピットの中は暗い。パイロット・シートに座るパイロットの姿さえ見えないほどに。

「こんなことが……」

 そして、何かを叩く音が闇の中強く響いた。

「こんなことが望みだったというのか、お前たちは!」




 ボアズ陥落。
 この事実はこの戦争を極めて単純化させた。
 残すはプラント本国を守るヤキン・ドゥーエのみ。ヤキン・ドゥーエが落ちたなら戦争は終わる。プラントが地球を退けたなら戦争は続くだろうか。大西洋連邦軍、ユーラシア連邦軍、赤道同盟軍、大洋州連合軍、オーブ軍からなる地球軍は圧倒的戦力を保持しているという事実。
 ことは単純である。まもなく戦争が終わる蓋然性は高い。
 ヤキン・ドゥーエが落ちればすべてが終わる。
 決戦の舞台はプラント本国へと移っていた。




 小高い丘に立ち並ぶ石碑。それぞれが膝の高さほどしかない小さな墓標が等間隔に敷き詰められていた。天を見上げればそこには空ではなく強化ガラスが斜めに天へと上っていく姿が見える。
 ここは砂時計の底。プラントのコロニーの中なのだ。
 だがそのことを気にする者などいるはずもない。プラントの民にとって空のない光景など見慣れた当たり前のものでしかない。何より共同墓地にいる者が上を見ているはずなどないのだ。
 一つの墓に花が落とされる。丁寧に置かれたのではない。投げ落とされた花束は、しかし不器用な優しさを見せていた。投げられたにしては、花は一輪たりとも1枚の花びらさえ散らせてはいなかった。
 死者に花を捧げたのは褐色の肌の少年であり、そのすぐ後ろには男性が1人、少女が2人付き添っていた。
 三つ編みに束ねた桃色の髪の少女は少年へとそっと寄り添う。

「どなたのお墓なんですか?」
「ニコル・アマルフィ。同じ部隊のパイロットでな。仲間を逃がすために1人で戦場に残ったらしい」

 らしい。この語尾に一際関心を払ったのは赤い髪をした少女であった。わかりやすく眉をひそめ、桃色の髪の少女を見るために首だけで振り向いた少年はたやすく何が疑問を抱かせたのかを感じ取る。

「ああ、こいつが戦死した時、俺はアーク・エンジェルの捕虜だったからな。俺って本当に間抜けだよな……」

 何も知らず過ごしている内に友は死に、それを後になって知る。少年はそんなことを2度繰り返した。
 誰かがあなたのせいではないと言ってあげることは簡単であり、事実であり、故に無意味であった。少年を苛むのは罪悪感以上に無力感であって、何ら責任も手段も担う立場になかったと突きつけることは残酷以外の何者でもない。

「私もこれまでに何人も戦友を失った。その度にこの職業を選んだことを後悔させられてきた。この感覚はなかなか慣れない。君はどうして軍人に? プラントは志願制だと聞いているが?」
「別に理由なんてない。ただ、周りの奴らも行ってるし、地球の奴らにプラント壊されるのもごめんだったからな」

 男性の言葉に短く答えて、少年はしゃがみ込んだ。墓標にはニコル・アマルフィという名前とともにC.E.55年からC.E.71年まで、わずか15年足らずの短すぎる時間が記されている。

「ニコルの遺体なんざここにはない。ここの大半は空の墓なんだろな。それでも俺たちは花を手向ける。理知的だとか言ってるコーディネーターでさえ人の死を前にすればこのざまだ」

 広い広い共同墓地には、彼らの他にも死を悼む人々の姿が見られた。墓石を前に何もできずにたたずむ人の姿もあれば、話しかけながら墓石に一輪ずつ花を備えている少女、一体どれほどそうしているのか座ったまま動かない人もいた。
 そんな人たちを追悼から引き戻したのは行進する人の声であった。
 丘からほどよく見下ろすことができる道を進むデモ行進の声が聞こえていた。必ずしもその内容は明瞭に聞こえてはこない。
 立ち尽くす者は振り向き、花を供える手を止めて、人々はデモ行進の様子を眺め、その声に耳を傾けていた。この墓に眠る人々はなぜ死ななければならないのか、こんなことがいつまで続くのか。デモに参加している人々の声が、人々の意志を代弁している。

「反体制のデモだな。ザラ政権は失敗続きだ。アラスカ侵攻の失敗にけちがついてジブラルタル、グラナダ、ボアズの立て続けの陥落だ。この期に及んでザラ政権は和平の道さえ模索しようとしていない」

 この丘は広い。まだ墓を掘るだけの余力を残している。
 デモ隊は告げていた。終わらぬ現実と迫り来る現実を。

「誰だって、死にたかない……」

 ここにはその願いかなわなかった人々が眠っている。




 ここはプラント。かつてジョージ・グレンによって建てられたこの国は理想郷になることが期待されていた。
 コーディネーター。優れた人々による、理知的な人々による、人類の未来を占う人々による国家。そこには旧来より続けられてきた民族紛争、宗教戦争、利権争いによるしがらみの一切ない、真っ白な状態から世界をやり直すことが期待されていたのだ。
 もはやほぐしようのない縄を解くよりも新しい縄を用意した方が遙かに効率的により強固な結び目を作り出すことができるだろう。
 そう、多くのコーディネーター、コーディネーターの未来を信じる人々がこぞって移住を決めた。
 新たな人類による新しい理想郷。
 しかし、そこに悲しい皮肉があった。コーディネーターもまた人という枠をはずれることはなく、新たな民族が生まれただけにすぎなかったのである。コーディネーター自身が自らを人類の未来の担い手と捉えること自体が、ナチュラルというもう一つの民族との軋轢を生じさせていた。
 それは誇りが抱える宿痾であったのだろう。優れていると自信を持つということは優れているという性質を絶対視することに他ならない。それはすなわち、優れてはいない人の持つ多様な価値を一方的にそぎ落とし下位の存在と見下すことに等しい。
 誇りを持つことはすなわち、自分の持つものだけを至上と思いこみ、価値観の一元化を当然として生み出す。
 コーディネーターは新しき未来を作り出す。この理想はナチュラルによって否定され、コーディネーター自身の手によって貶められ、残されたのは戦争によって疲弊した国、その現実だけであった。
 デモ隊は突き進む。掲げられたプラカードの文言は統一を見ない。戦争拡大を推進するザラ政権への非難。あるいはナチュラルへの怨嗟。戦争反対を謳う文言。戦費拡大を吸収する形で課された増税から生活苦を訴えるもの。
 シュプレヒコールが街を練り歩く。
 街角。ショーケースにはライフル銃から拳銃まで多様な銃器が並んでいる。そんなガン・ショップの中では身なりの整った紳士が婦人とまだ年端もいかない子どもを連れて恰幅のよい店主と話をしていた。
 店主から手渡されたライフル銃を、紳士はたどたどしい手つきで構えて見せる。指先が銃身に触れていることを店主に注意されるほどに拙い。これまでに銃など触れたことなどないのだろう。
 それは婦人も同じらしく、夫を見る目は憂いを帯びて瞳を小さくしていた。子どもに至っては状況をまるで理解していないらしい。そんな子どもにさえ、店主は小さな拳銃を手渡した。
 子どもの手に小型のものとはいえ拳銃は大きく、不釣り合いに見えた。それこそ子どもの玩具のようである。
 紳士は即金で銃を購入する。子どものための拳銃とライフルに散弾銃。
 こんなものがどこまで自分たちの安全を守ってくれるものかわからない。しかしプラントではジブラルタル陥落を皮切りに各世帯の銃保有率は確実に増加した。モビル・スーツを相手に、コロニーに核を撃ち込んでくる相手にこんなものがどこまで役立つのか、確信を抱いている人は少ない。それでも何かせずにはいられない。
 人々は銃を買いあさる。
 紳士がその家族を連れて店から出てきた時でさえ、まだデモ隊の長い列は続いていた。その先頭はすでに郊外に達し、隊列の声は訓練場にまで響いていた。
 プロト・ジン。現在でも前線で使用されているZGMF-1017ジンから余計な装甲を取り払い、色を橙色に塗装した初期型のジンは現在新兵たちの訓練機として使用されている。高いフェンスに囲まれた訓練場では、プロト・ジンが並び、その足下にはノーマル・スーツ姿の少年少女が並んでいた。
 皆まだ10代前半のあどけなさを残している。
 ザフトでは血のバレンタイン事件を契機に民兵組織であったザフトの国軍化が進められ、軍学校が整備された。修学期間は1年。その中で特に優れた成績で卒業することができた者は赤服と呼ばれる赤い軍服を与えられることが特に知られ、すべてではないにしろ各コロニーに置かれている。
 しかし、ザフトは人的資源に乏しい国である。膠着状態が長かったとは言え、すでに5年目を数える戦争の被害は大きく、人材の不足は深刻であった。
 地球では長引く戦いによって多くの熟練兵が命を落とした。アラスカでは必勝を期して多数の熟練兵が大西洋連邦軍の壮絶な自爆に巻き込まれ、ジブラルタルでは誇り高い兵士ほど率先してしんがりを申し出たことで貴重な人材は海に消えた。地球の最前線を支え続けた精兵の多くは地球に取り残され細々としたゲリラ活動を行うでしかない。
 わずか1月足らずの間に40万kmもの後退を見せた前線は、ザフト軍熟練の兵士たちを遙か遠方に取り残した。残されたのはこれまで3年以上に渡ってザフト軍が制空権を握っていた宇宙において鉄壁と恐れられた要塞で日々をすごしていればよかっただけの者、いまだ地球へと降下する時期を見計らっていた新兵だけが残された。
 かつてザフトが計画し、しかしかなわなかった電撃作戦。それを地球軍はより華麗に確実に、鮮やかにしてのけたのである。
 訓練所に並ぶ若い兵士たち。彼らは皆唇を固く結び、指導教官--こちらもまだ20にもならないほど若い--の言葉に耳を傾けている。
 デモ隊の声は確実に聞こえていよう。しかし誰も気にとめるそぶりさえ見せない。一語聞き逃せばそれが命取りになるかもしれない。軍学校の修学は1年から短縮され、場合によっては半年で戦場に出されることも珍しくはない。今この一瞬が自分と国の未来を決するのだと誰もが理解していた。
 プラントは建国からわずか30年。あらゆることにおいてあまりに性急すぎた国家のあり方は様々な歪みを生み出していた。
 歴史に仮定を持ち込むことは空しい。それでもプラントの民は考える。血のバレンタイン事件などなければプラントは素晴らしい国になっていたのではないかと。そしてナチュラルは考えていた。血のバレンタイン事件などなくともプラントは歪んでいると。
 そして戦争はまだ終わりを見せない。




 アプリリウス市第1コロニー、アプリリウス・ワン。プラントの首都であるこのコロニーにプラント最高評議会は置かれている。無論警備は厳重。狙撃を恐れて窓さえない廊下は、しかし人工の環境に暮らすことに慣れた人々にとって何ら苦痛を与えるものではない。
 コロニーにも空気循環のための風が定期的に起こされる。しかしそれも空調の類でしかなく、自然の風を室内に取り込みたいと考えるプラントの住民は少ない。
 窓のない廊下。窓枠を思わせる出力装置に投影されるプラントの街並み、その映像と太陽光を模して注がれる照明が、ここをごく普通の廊下であるように演出していた。
 この見せかけの廊下を少女が歩いていた。桃色の長い髪を揺らし、身につけた服はゆったりとしてどこか衣装じみている、あるいは儀礼服であろうか。少女の纏う独特の雰囲気でして、少女をその名、ラクス・クラインに相応しい出で立ちに着飾らせていた。
 その向かい側。反対側の廊下から歩いてくる男は厳めしい顔をしていた。プラントの現在の最高責任者であるパトリック・ザラ議長である。
 ザラ議長の姿を認めるなり、ラクスは頭を垂れる。

「パトリック・ザラ議長」

 しかしパトリックは意に介した様子はない。鼻をわずかに鳴らし、頭を下げたままのラクスの横を通り抜けようとする。無視をやめたのは、すれ違いざまの一瞬だけであった。

「クライン家の人形と話すことなどない」

 パトリックは足を止めることさえなく歩き続ける。
 ラクスは顔を上げた。しかし歩き去る議長へと振り向くこともない。

「ご子息の許嫁に対してあまりのお言葉」

 この声は冷たいものであった。侮蔑ではない。ただ冷静に状況を把握し、それこそ冷静に放たれた声であった。
 この言葉のどこに議長を引き留めることがあったのかはわからない。その声調か、あるいは子息アスラン・ザラの名前か。事実として、ザラ議長は立ち止まった。しかし振り向くことはなく、2人は背中合わせのままである。

「アスランはレノアの作品にすぎん。私の息子ではない」
「故に、戦場に送り出すことも辞さないと?」
「アマルフィ議員、エルスマン議員も同様だろう。皆で武器を持て、皆で戦え。子どもから老人に至るまで武器を持て。でなければ皆で殺される」
「私たちが戦わなければならないのは敵が攻めてくるからではありません。正しき明日のためなのです。クライン家とザラ家が長年夢見た理想を実現するためなのです」
「入り婿の私には関係ないことだ」

 興がそがれたか、ザラ議長は再び歩き始めようとする。しかし、その足は最初の一歩を踏み出したところでとまる。ラクスの声は一際大きく声をだし、議長との会話の継続を望んだ。

「ではあなた様は一体なぜ戦っておられるのですか?」
「血の責任は血であがなわれなければならない」

 人には譲ることのできないものがある。パトリック・ザラはいついかなる場所でもその主張を曲げることはなかった。血のバレンタイン事件の責任を地球側は一切負っていない。無論、パトリック・ザラとてプラントの裏側を知る者として血のバレンタイン事件の真相を知っている。
 核ミサイルではなく、原子炉の暴走による証拠隠滅。そのために20万もの民が犠牲にされた。そんなことはどうでもよいのだ。たとえユニウス・セブンの崩壊にどのような理由があろうと、妻であるレノア・ザラを殺したのはブル・ーコスモスであることに何ら支障ないのだから。

「そのためには民を犠牲にしても構わないと? お父様はこのような戦争、望まれてはいませんでした。民が誰1人傷つくことなく世界を平和に導くことさえできたのです」
「私が求めているのは支配ではない」
「では復讐なのですか?」
「私は当然賛成票を投じたが、ニュートロン・ジャマーの投下を決めたのはクライン政権だ。復讐について講釈垂れるはお門違いではないか?」
「私はそうは思いません。たしかにお父様は戦争の拡大に舵を切ってしまわれました。それは結果にすぎません。あなたは復讐のために、民の命を手段と捉えてしまっています。犠牲を道具としているか、結果として生じうるかでは違うのです」
「馬鹿げたことだ。ダモクレスの剣をちらつかせている暇があるのならばまず手ひどく殴りつけてやればよい。でなければ奴らは気づかん。ナチュラルどもがどれほど尊いものを我らから奪ったのか、痛みでして教え込まねばならん。復讐は仕置きと同じだ。罪には罰があることを教えることにこそ意味がある!」

 罪は罪でしかなく、罰によってその尺度は絶えず示される。クライン派の考える平和にパトリック・ザラは意味など見いだしていない。まずは殴りつける。そして教えなければならない。どちらが上位種であるのかということを。
 従順な犬とて、しつけを誤ればつけあがる。

「クライン派は貴様等で好きにするがいい。だが、痛みを教えてやらねば獣はまた噛みついてくる!」

 今度こそ、パトリック・ザラは足を止めることはなかった。足音が徐々に遠く響いて消えていく。
 ザラ政権は水面下でさえ地球側との和平のテーブルにつくことを拒んでいる。降伏という形でこの戦争を終わらせることを望んではいないのだ。多数の要塞を失い、敵の大艦隊が押し寄せてくる現状さえパトリック・ザラの気炎を衰えさせることはない。
 国内では、しかしザラ政権への世論は完全に二分している。戦争を続ける政権への反対派は確かに大きな規模を有している。しかし報道はデモの様子を大きく報じることはなく、反対派は連携できないでいる。急進派支持層はいまだ盤石なのだ。
 無条件降伏後、プラントが第2のホロコーストの現場にされないとは限らない。それはすなわち、攻めてくるナチュラルとコーディネーターは異なっている。そんな自意識の発露に他ならない。コーディネーター故に持つナチュラルへの潜在的な不信が戦争集結を遅らせる遠因の一つになっていた。
 コーディネーターがコーディネーターである以上、この戦争においてプラントが敗北を認めることはないのである。
 パトリック・ザラの足音が完全に聞こえなくなった頃、ラクスはようやく動き始めた。

「お父様はそのようなことは望まれていません、パトリック・ザラ議長」

 一度も顔を合わせて話すことなどなかった。
 ラクスは歩き出す。小気味よいリズムを刻む足音が消えると、廊下は何事もなかったように静けさを取り戻した。




「ディアッカさんのお父さんて、陽気な人なんですね……」
「いや、別にそんなことはない、はずなんだが……」

 ある会場の入り口に立つアイリス・インディア。そのすぐ隣にはディアッカ・エルスマンが戸惑ったように視線を泳がせていた。
 個人の邸宅にしては広いシアター・ルーム。椅子はすべて取っ払われ、代わりに置かれたテーブルの上にはバイキング形式で様々な料理が並べられている。立食パーティに招かれた客はアーク・エンジェルのクルーたち。見慣れた顔があまり見慣れない私服姿で会場を埋めていた。
 主催者はこの家の主であるタッド・エルスマン議員。波立つ長い髪をした男性は自ら率先してボトルを傾け人々に飲み物を振る舞っていた。
 今後の展望について大切な話がある。そう、自宅のシアター・ルームに呼ばれたディアッカは呆気にとられ、アイリスは状況を把握することに苦労を強いられていた。
 この様子を、タッド議員はパーティの慎ましやかさに戸惑っているととらえたのだろう。ボトルを片手に息子とその女友達の元へと歩み寄るとその一見厳格にも見える容貌とは不釣り合いな口調で議員は話しかける。

「すまない。本当なら業者を呼んでガーデン・パーティでもしたかったが、今の状況では大騒ぎははばかられる」
「いえ、そんな……」

 アイリスの言葉はほぼ条件反射に近い。とくに何か意図することはなく、ただ戸惑っているということだけがわかる。それはディアッカにしても変わらない。

「親父、どういうことだ?」
「優秀な傭兵諸君が激戦をくぐり抜けて挨拶に出向いてくれた。歓迎すべきことだろう」

 そう言う議員はすぐそばに立っていた整備士の男性のグラスが空であるとみるや酒を勧めていた。
 アーク・エンジェルのクルーたちは突然のパーティに戸惑いながらも少しずつ自分たちなりの楽しみ方を始めているようではあった。いまだ戸惑っているのは会場についたばかりのアイリスとディアッカの2人だけであった。
 フレイ・アルスターはアーノルド・ノイマンとともに会場の片隅に腰掛け、議員とその子息の話に耳を傾けていた。

「私たちの隊長ってディアッカじゃないの?」
「彼はあくまでも部隊長だ。正確な雇い主にはタッド・エルスマン議員が登録されている」

 ディアッカが父であるタッド・エルスマンに泣きつくことでアーク・エンジェルをザフト軍に割り込ませた。ディアッカ・エルスマンが戦争中に行方知れずになりながらも中道派として自身の主張を一切曲げることのなかったタッド議員であったが、やはり我が子かわいい人の子だと周囲の苦笑を買ったことは、ここでは別の話である。
 事実こうして見るなら、議員は気さくな男性にしか見えないことだろう。しかし、この人物は間違いなくプラント最高評議会を動かす12議員の1人なのである。
 ナタル・バジルールはアーク・エンジェルを任せられる艦長としてあくまでも態度を崩そうとはしていない。酒を振る舞っている男性に対して、躊躇なく敬礼する。

「エルスマン議員。私はアーク・エンジェルの艦長を務めておりますナタル・バジルールともうします」
「これはご丁寧に。やれ、この艦には美人が多いね。ディアッカがうらやましい限りだ」

 この軽口は息子を大いに呆れさせ、続く言葉は一瞬にして会場の喧噪を鎮めることとなった。

「ヴァーリにドミナントまでいるくらいだからね」

 誰もが議員の一挙手一投足に関心を示し始めた時、それでもタッド議員は飄々としていた。自分のグラスを手に取ると直接酒を注ぎ、味わう、そんな言葉がよく似合う様子で酒に唇を湿らせる。

「知ってるのか?」

 息子の言葉にも、父はそばのソファーに腰掛けるほどの気楽さを見せて応じる。

「ゼフィランサス・ズール君は最高評議会にも顔を見せたことがある。何より、ここまで登り詰める間には裏側のことは自然と耳に入る」

 陽気な主催者からプラントの最高権力者の1人へ。周囲の人々の認識は瞬く間に変わったが、とうの議員は何ら態度を変えていない。議員が腰掛けた一人掛けのソファーが会場の人々が目にするために適した位置にあったことからも、パーティ会場は自然と議員の座談会へと雰囲気を変える。
 その中、1人の少年がまったく物怖じする様子もなく議員の前に立つ。

「初めまして。かつてはテット・ナインと、今はキラ・ヤマトと名乗っています。ナインス・ドミナントです」
「タッド・エルスマン。評議会議員と法務委員の代表を兼任している」
「ぜひお話を聞かせていただきたいと考えていました。この国のあり方についてです。この国は、必ずしも正当な発展を遂げているようには思われません。そのことについてあなたの立場からお話願えませんか?」
「何をもって正道、邪道とするのかは難しい話だが、君の立場を考えたなら選民思想についてかな。このことについては私もかねがね考えさせられていた。この国はジョージ・グレンによって作られたコーディネーターのための国だ。しかしそれはコーディネーターのためだけの国だとしても過言ではないからね。すぎた能力主義はコーディネーターによる社会の支配を肯定し、肯定されるが故にコーディネーターはナチュラルを支配するに足る存在であると自ら思いこもうとする。油に火を近づければ燃え上がり、やがて類焼していくことになる。当然の帰結というものだね」

 議員はボトルとグラスとを側のテーブルに置く。やはり、何か纏う雰囲気が変わった訳ではない。そうであるにも関わらず、周囲は完全に議員を議員と認めた。

「このようなことを聞きたい訳ではないだろう。こんなことは少し考えれば誰にでもわかることだからね。では、私なりの話をさせてもらうこととしよう」

 法を司る者として。

「人権というものの捉え方は大別して2種類が存在する。人権は神様でも何でもいいんだが、何か不可侵の概念をより所にして存在しているという考え方。次に法律によってしっかりと決めてしまうべきとする考え方だ」
「ディアッカが時々変なこと知ってるなって思ってたけど、お父さんの影響なんだ……」

 フレイの声は食器を鳴らす音を除いて議員の声しか聞こえない会場において思いの外大きく響いた。思わず注目を集めてしまったことにばつが悪そうなフレイに対して、議員は笑いかけた。

「君に生け贄になってもらおう。君ならどちらの人権の方がいいと思うかな?」
「え……? その……、ほ、法律で決めることでしょうか。その、私、特に信じてる神様なんていないし……」
「実際、前者の考えは人権の概念が曖昧になってしまうという弱点がある。法律で決めてしまった方が人権がどのようなものかしっかりとさせることができるだろうね。ところがだね、法律で決めてしまえるということは裏を返せば法でいくらでも書き換えてしまうことができてしまうことになる。事実、悪名高いナチス・ドイツは合法的に人権の中から権利をそぎ落としていった。ところで話は変わるが、20世紀初頭にはこんなことが議論にあがった。クローンや遺伝子を操作された人間に人権を認めるべきかと問題にされたことがあった」
「当然認めるべきだろ」

 ディアッカである。人がどこか遠巻きにタッド議員を眺める中、一つ抜き出る形で立っていた。アイリスもまた、ディアッカの側から離れない形で周囲に比べれば目立つところにいる。

「私としても息子の友人のためにも認められるべきだと言いたい。しかし、一つの意見だと前置きさせていただくが、それでは都合が悪いこともある。君のように可愛らしい女性ならいくらでも人権を上げたいくらいだが、たとえば失敗作はどうだろうね? 中には人の形をしてこないこともあれば、生命維持装置なしには生きていくこともできない個体も実験の過程では誕生せざるを得ない。そんな人たちにも人権は必要だろうか。ここでは、安楽死、尊厳死問題は省いて考えることとしよう。するとどうなるかな?」

 議員は一度言葉を区切り、人々に対して考えるための時間を与えた。特に答えにたどり着いて欲しい訳ではない。ただ、自分の問題として考えるためのきっかけを与えた後、議員は再び話し出す。

「失敗作と言われる人も国家は人権の名の下生かし続ける義務を負う。その責任は、やはりクローンを生み出した研究所が負うのだろうね。すると失敗作が誕生する度、彼らが天寿をまっとうするまで研究所は財政的な負担を義務づけられることになる。研究費を余計にとられてしまうことにほかならない。それは研究にとって大きな負担だ。そこでどうするか、考え方は人権にそって2種類に分けられる。まず、人権は天授のものであって不可侵のものであるとした場合、クローンだから人権を剥奪するということは難しい。人権を法律でこうと決めることができない以上、人である人権は生まれながらにして持っていてしかるべきと考える。無論、人の定義を決定してフリークスのような失敗作を人ではないとすることもできるだろう。しかしこれでは実質的に法律で人権を規定しているにも等しい。地球上の国々では人権は自然に発生するものと考える国だ。そのため、地球ではクローンの人権問題を解決することは難しいとしてクローンの研究そのものが禁止されている」

 このことは地球出身者が多いアーク・エンジェルのクルーならば知っていることだろう。少なくともクローンを作り出すことが禁じられていることに関しては。もっとも、その理由にまで考えが及んでいる人は少ないだろう。

「ところが、遺伝子操作や調整、人体の操作を行う上でそれでは都合が悪い。研究もさせてもらえないし、失敗作の処分に多額の費用を負担させられるにも等しいわけだからね。そこで人権を法律で決めるとした場合どうだろうか。簡単なことだ。法律でこう決めてしまえばいい。失敗作には人権を付与しないと。障がい者の人権は制限すると」

 ちょうど、地球に国土を持たないどこぞの国は障がい者の人権を抑制し、堕胎の要件を健常者に比べて幅広く認めている。不妊手術が認められているのも遺伝子に疾患を抱える障がい者に対してだけである。

「事実としてプラントは人権を法定の権利と規定している。極論だが法律で如何様にも人権を制限してしまえる。研究者は大喜びだろう。失敗作は処分してしまっていい。人間ではないのだから殺人罪に問われることもない。また、人権は選ばれた者の特権であるという意識が都合よく構築されていく事実もずいぶんと研究を助けてくれる。人を作ることは驚くほど簡単だ。ほんの一対精子と卵子さえあればそれでできるからね。人体工場に並ぶ死体からは様々な人のパーツが手に入る。もちろん、人権に考慮する必要なんてない。そういえばこんな話を知っているかな? 美食の行き着く先は人肉食だそうだ。考えてみれば当然だね。人は自分の体にとって栄養にできるものをおいしいと感じる。人肉には、人体を構成する養分が、それこそすべてが含まれているからね。文字通り、おいしい商売だということだ」

 突然、食器が一斉に鳴る音が響いた。何か、何のことはない。食事を続けていた人たちが一斉に食器を皿に置いたのだ。皿の上には特に肉料理が残されていた。
 なるほど、議員の言葉は誤解を招いたらしい。

「さすがのプラントでも人肉の販売はされていない。みな養鶏場の鶏肉だ。安心して食べてくれたまえ」
「どうして鶏肉なんだ?」
「1人1人の宗教を調べている余裕はなかったからね。ヒンドゥー教では牛が、イスラム教では豚を食べることが禁じられているそうだが、鳥を食べることを禁じる宗教は、とりあえず思いつかなかった」

 息子のちょっとした疑問にとりあえず答えておいて、議員がグラスに注がれたままであったアルコールを口に含み、その喉を湿らせた。

「さて、プラントはコーディネーターの国であり、その研究を続けるためには人権を操作できることが好ましい。そのために人権は法律によって規定されるものとする法律制度が好まれた。人権とは一部の人間に対して与えられるものであり資格を必要とする。プラントでは障がい者や社会的弱者への差別が激しい。それはもちろんコーディネーターの国であるためだが、同時にコーディネーターの国であるための法制度の中にさえ選民思想を助長する土壌は含まれてしまっている」

 法の視点から眺めたなら、プラントとはこんな国だ。

「こんなもので如何かな、ヤマト君。かいつまんで説明したつもりだが」

 キラ・ヤマト。アスラン・ザラにはなれなかったドミナントの失敗作は深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。では、もう一つだけ。この国は、コーディネーターによって作られた国です。それとも、コーディネーターのために作られた国なのでしょうか? こんな制度やコーディネーターの存在が当然としてこんな国になってしまったのでしょうか? それとも、このような国になることを予定してこのような制度を作り上げたのでしょうか?」
「ギリシアの時代から哲学者を悩ませる難題だね。卵が先か鶏が先か? 私は一緒に食べてしまうことが好きだが、様々な考え方があるのだろうね。宗教家はこう答える。神はすべての生命をそのままの形で作りだした。まず生み出されたのは鶏のはずであって、卵は後だと。生物学者はこんな観点を示す。それは定義の問題だ。鶏とは何で、鶏の卵とは何か。鶏が生まれる卵を鶏の卵とするなら、先なのは卵だろう。鶏の産んだ卵を鶏の卵とするなら鶏が先だ。哲学者は頭を悩ませ続けている。そして私は、鶏が先だと答えよう」

 ジョージ・グレンという鶏が産んだ卵こそが、このプラントという国なのだから。

「かの神祖ジョージ・グレンは14年にも渡る長い長い旅路の中で世界がコーディネーター、ナチュラルに分裂することを望んでいた節がある。世界の混乱を予期、いや、期待していたようにも思われる。そう考えるとすべてがうまく繋がってくれる。ジョージ・グレンは国を必要としていた。そうすれば、そこは治外法権どころではない、完全に独立した主権の範疇だ。それこそ外部の国家の干渉は内政干渉だと突っぱねることもできれば、法律を自由に制定しコーディネーター研究に都合のよい環境を生み出すこともできるからね。君たちドミナントやヴァーリの研究が国内ではとは言え許されたのもプラントという国があり、その主権を守る意識が各国にあったからだ。もっとも、テロリストはこんな時、強いものだね」

 世界中を納得させるだけの証拠はなくとも、自分たちが確信すれば動くことができる。ブルー・コスモスによるユニウス・セブンのテロとはそうして引き起こされた。
 しかし同時に疑問もわく。ブルー・コスモスはデータにアクセスできたはずだが、データを公開してプラントを糾弾しようとはしなかった。データを持ち出すことができなかったのか、それとも戦争を望んでいたのかは、今となってはわからないことである。

「ジョージ・グレンは当然知っていたことだろう。コーディネーターの存在は地球に不和の種を蒔く。そんな時、木星圏から帰還しては颯爽と仲裁に乗り出すように見せかけては体よくプラント建国を各国に認めさせた。その国の中で都合よく法を整備し、体制を整え、コーディネーターの、コーディネーターによる、コーディネーターのための国を作り上げた。結局そういうことでないかな? コーディネーターには選民思想主義者を生み出す当然の土台がそもそも存在する。ジョージ・グレンの卵は、当然のようにこんな国家に孵化するのだろう」

 コーディネーターに選民思想が根付きやすい当然の土壌は存在する。しかし、それを助長せんとこの国は建てられた。ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレン指揮の下、ジョージ・グレンを産みだした組織の意向を受けて。
 タッド・エルスマン議員は思わず笑い出してしまった。こんなことを真面目に語る自分がおかしくて仕方がなかった。

「君も人が悪い。私がプラント建国に参加した時、私はまだ10代の若造で、ジョージ・グレンに出会う機会にはついぞ恵まれなかった。だが君はドミナントでジョージ・グレンに会うことはいくらでもできたはずだ。君は私を試したのかな?」

 果たしてジョージ・グレン、そしてその背後の組織についてどれほど知っているのか。
 キラ・ヤマトは頷きながら答えた。

「はい。プラント最高評議会議員がどこまで気づいているのか、それが知りたかったので」
「ロゴスのことならほとんどの議員が気づいている。ただ、あれは不可侵にして決して手を出すべからず。それが、不文律でね。名を口にすることさえ忌避されている。それほど恐ろしい存在だ」

 もはや議員は笑ってさえいない。ロゴス。この言葉の意味を知る2人だけの間で得体の知れない緊張感が張りつめる。
 このような中にあって唯一声を上げることができたのは、議員である父の威光に慣れているはずのディアッカであった。しかし何かを確かめながら声をだしているように、妙な抑揚を伴った。

「親父、……ロゴスとは何だ?」
「ジョージ・グレンを生み出した団体とだけ答えておくよ」
「ディアッカ、これ以上はまだ聞かない方がいい。これ以上のことは、この世界の明日に向き合う覚悟のある者だけが知っておかなければならない事実だからね」



[32266] 第45話「たとえどんな明日が来るとして」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2013/04/11 11:16
 この戦争をたどろう。
 始まりはC.E.67年のことである。それまでにも小規模の小競り合いは散見されているため、この年度を戦争開始の日とすることには異論も少なくない。少なくとも公式記録としてこの年は記録されている。
 当初ザフト軍は開戦から一月ともたず地球軍の圧倒的戦力の前に屈服するものと考えれられていた。ところがザフト軍はモビル・スーツをいち早く投入。その技術力でして数的不利を覆し地球降下を果たした。
 ここまではプラント首脳陣が思い描いた通りに進んでいた。しかし地球軍は忍耐強く、堅実であり、何より狡猾であった。
 地球軍は戦争の早期終結を望むプラントをあざ笑うかのように頑なに和平交渉を拒絶。戦線を維持しながら、戦争状態を保ちながら軍備の拡充に努めた。
 その最たる例が、かのガンダムであった。
 モビル・スーツという兵器を鑑みた場合、それは一つの起源と2種類のルーツを持つ。どちらもユニウス・セブンにおいて、ヴァーリによって開発が進められていた。そして2人の母を持つ。
 サイサリス・パパ。ゼフィランサス・ズール。
 サイサリスは既存の技術を組み合わせる、あるいは発展させることを得意とした。際だった性質はなくとも安価で量産に適した機体を生み出すことに長けていた。ザフト軍の量産型モビル・スーツはその大半の基礎設計にサイサリスは関わっている。
 ゼフィランサスはアイデアの人であった。極めて奇抜にして高価。しかし極めて有効な機構を感覚として選び出すことができるある種の天才であった。その特徴的すぎる技術は必ずしも理解されることはなくとも、一部からは熱烈な支持を受けた。
 サイサリスはザフトで開発を続け、当初予定されていた額に比べれば安価で量産できる機体、ZGMF-1017ジンを開発。ザフト軍当初の快進撃を支えた。しかしジンは量産機のための量産機でしかなかった。拡張性に必ずしも優れている訳ではなく、何よりザフト軍には大気圏内における戦闘データ及びノウハウが致命的に不足していた。そのためザフト軍の新型機開発は遅れ、マイナー・チェンジ機に頼った戦いを続けることとなった。量産機として優れていながら、しかしそれは既存の技術をうまく利用しただけであり、新機軸の技術開発が遅れてしまったのである。
 ジンは確かに戦争開始に間に合うことができた。しかし技術的革新を後回しにしたにも等しい現実はその後3年にも及ぶ開発停滞を招き、新型機を生み出す技術が揃った時にはすでに技術革新に呑み込まれてしまうこととなった。ザフト軍の輝かしい勝利を約束するはずであった新型機の多くが生まれながらの旧型機として使い捨てられた事実は象徴的である。
 ゼフィランサスのガンダムは、子どものおもちゃであった。高すぎる開発予算。実用性の確約されていない新技術。開発成功さえ危ぶまれる、まさに夢の技術。そんなアイデアをゼフィランサスは次々と発案する。それらすべてを組み合わせたガンダムは、まさに夢を固めたおもちゃ以外の何者でもないはずであった。
 事実、ゼフィランサスは認められなかった。
 もしもユニウス・セブン時代の指導役にあたるジャン・カローロ・マニアーニが推挙しなければダムゼルに選出されることはなかった。心臓に欠陥を持つ失敗作として処分されていたことだろう。
 もしも3大財団のアズラエル財団、ピスティス財団がこんな小娘に莫大な開発費の使用、あらゆる論文へのアクセス、その技術の権威に指導を仰ぐことを許さなかったとしたなら、ガンダムは生み出されることはないだろう。
 ゼフィランサスは天才的ではあったが、わかりやすい天才ではなかった。覚えがよく、あらゆる概念をすぐに理解するような天才ではなかった。ただし、特定の分野への関心は極めて強く、同時に世界を見る瞳を持っていた。有能な技術者なら誰もがやがては思いついたであろうこと、それを誰よりも早く、最適な形で思いついたにすぎない。そしてそれを実現するために必要なすべて--とても10代の小娘に用意できるものではない--がムルタ・アズラエルによって与えられた。
 設立直後のラタトスク社にて、ゼフィランサスはまず機動兵器という概念を生み出した。メビウス・ゼロ。ガンバレルと呼ばれる独立機動型ユニットを開発することで独立機動する兵器の可能性を世に知らしめたのである。後にメビウス・ゼロはラタトスク社の技術者が操縦性、量産性に改良を加えることでメビウスへと発展する。メビウスはモビル・スーツ登場以後も活躍を続けている。
 そして、ゼフィランサスは地球軍における初めてのモビル・スーツであり、はじめてのガンダムの開発に成功した。ゼフィランサス・ナンバーズと呼ばれる3機の機体群である。
 ZZ-X100GAガンダムシュテュルメント。
 ZZ-X200DAガンダムトロイメント。
 ZZ-X300AAフォイエリイヒガンダム。
 ZZ-X100GAガンダムシュテュルメント。開発者の間では100系フレームと呼ばれている基本的な機構を備えた機体、その初号機とも言える機体である。その特徴は構造の単純さゆえの頑強さ、及び換装機構はすでにこの機体に採用されていた。
 このガンダムによって得られた技術、及びノウハウはGAT-X102デュエルガンダムにまず活かされた。単純ながらもモビル・スーツに必要なすべての機構を備えた試作機であった。GAT-X103バスターガンダムはモビル・スーツのおける大出力ビーム、及びレールガンの運用試験のために開発された。GAT-X105ストライクガンダムは換装機構をより汎用性の拡張に寄与させることを期待して試作された。
 ZZ-200DAガンダムトロイメント。膜構造を形成するミノフスキー粒子の性質を利用し、ビームを弾く特殊な機構を採用した。ミノフスキー粒子の性質の応用範囲を確認するための実験機としての性質が大きく、この機構はGAT-X207ブリッツガンダムへとステルス機構として受け継がれている。しかしビームを弾くほどのミノフスキー粒子の膜構造--Iフィールド--は多大なエネルギーを必要とする。その扱いにくさからも量産機への採用はよりロー・コストのステルス機構さえ見送られた。
 ZZ-X300AAフォイエリヒガンダム。300系フレームの最大の特徴は可変機構である。機体の性質を一変させるという100系フレームとは正反対の汎用性を追求した。この機構はムーバブル・フレームと呼ばれる骨格と駆動系の機能を併せ持つフレームによってより拡張性の高い柔軟な設計によって可能となった。GAT-X303イージスガンダムに試験的に採用されたこの機構は200系フレームと同様、高コスト、操縦の複雑さから量産は見送られている。
 ゼフィランサスが生み出したゼフィランサス・ナンバーズ。ヘリオポリスで開発が進められていたGATシリーズにはゼフィランサスを中心としながらもラタトスク社の技術者が多く参与している。ゼフィランサスがガンダムを開発し、そのノウハウを受け継ぐことで量産機開発の弾みとしたのである。
 ジンは当初から量産化を前提に開発され、結果新たな機体へと発展することが拒まれてしまった。
 ガンダムは量産化を前提とせず、新技術の試作、開発に重きが置かれた試作機であった。
 姿形こそ同じながら、しかしプラントと大西洋連邦軍とでは正反対の設計思想が採用されていたのである。
 サイサリスはバランス調整の達人であった。
 モビル・スーツとは壮大なパズルに他ならない。より高性能のバッテリーを搭載しよう。するとそれは重く機動力を低減させてしまう。ならばスラスター出力を上げる。すると推進剤が余計に必要になりタンクの増設が必要になる。タンクの増設はやはり機動力を低下させる原因となる。重いから出力を上げ、出力を上げると重くなる。そんな鼬ごっこの調整を終えた頃には、高性能バッテリーの出力では物足りなくなってしまうかもしれない。
 形状はどうする。製造されている機器では、装甲というケースの中に収まりきらないかもしれない。特注するか。しかしそんなことを繰り返していればコストがかさみ、量産体制を築き上げるまでに時間とコストを必要としてしまう。
 必要なのは最適解。機動力を高めるためには装甲を削る必要があるのなら、装甲をぶ厚くすることで機動力が損なわれてしまうのなら、必要なのは十分な機動力と装甲を確保できる最大公約数。
 それを探そう。巨費を投じて試作機を造っては潰し、造っては潰す。開発とはその繰り返し。その果てに手に入れたノウハウを重ねることでようやく一つの答えにたどり着く。
 だがサイサリスは違っていた。サイサリスには見えていた。どのような配置が許されるのか三次元で脳裏に描き、量産体制が整ったパーツをパズルのように組み合わせて巨人の人形を作り上げる。それは予定していたよりも遙かに安価で量産に適したものとして出来上がる。
 装甲というガラス・ケースに仕舞われた工芸品が出来上がる。
 ゼフィランサスは何も考えていなかった。ただ思いつく。この現象とこの構造を組み合わせれば優秀な兵器が生み出せる。それを実現できる機械はありません。では造りなさい。予算がかさみます。かまいません。理論構築が未完成です。数学と物理学の権威を連れて来なさい。生産性が皆無です。そんなことを気にしていたなら思い描いたものを実現できません。
 いいから造りなさい。バランス、コスト、生産性に操縦性、兵器として本来想定していなければならないすべてが邪魔です。ゼフィランサスが描いた、誰も思いつくことさえできなかった、兵器ではなく武器を生み出すためには。
 そうして、無茶と無謀、浪費と散財を繰り返した末にそれは生み出された。
 世界に新たな革新をもたらす兵器の名は、ガンダム。
 サイサリスは枠の中にすべてを納めることを得意とした。故に、枠を踏み越えることを苦手とした。ゼフィランサスは枠など一切考えていなかった。自由奔放に生み出された機体は、そのため自由にその可能性を広げた。
 ザフトは新型機の開発が遅れ、地球軍は素早く新技術に対応した。その違いはそれぞれの技術者の設計思想にまで遡ることができるのである。
 C.E.61.2.14。この日を始まりの日とみなす者は多い。血のバレンタイン事件によって確実に戦争へと両勢力は舵を切った。ナチュラルとコーディネーターの決別が決定的になった日であるとすることもできる。
 また、モビル・スーツ開発史に確実に名を残すであろう2人の技術者がその参加する勢力を決めた日でもあった。
 すでに10年も前にすべてが始まっていたのである。
 ザフト軍のモビル・スーツ開発の遅れも、約束された技術の革新がザフト軍を震え上がらせ地球軍の反撃を許すことさえ、10年も前から定められていた。




 プラント型コロニーはその形状から砂時計と呼ばれている。二つの三角錐を上下逆さまに繋ぎ合わせた外観。砂の底に居住区が広がり、外周部分は採光のため硬質ガラスで覆われているその様はまさに宇宙に浮かぶ巨大な砂時計であった。
 宇宙の漆黒に漂う砂時計の群。本来核など大げさであり、重火器程度で破壊することが可能な仮初めの大地。これこそが国土を持たない国家、プラントの姿そのものなのである。
 ここで人は生まれ、あるいは作られ、建国わずか40年に満たない国家を形作る。
 総人口約2500万。地球と比べたなら実に240分の1。国力に関して言えば大西洋連邦軍一国と比べてさえ10倍もの開きを有する。このような国家が地球降下を成し遂げるなど一体誰が想像したことだろう。
 わずか4年前、プラントの民兵組織から発展をみた国軍ザフトはモビル・スーツを実戦に投入。宇宙において大規模戦闘の経験に乏しい各国宇宙軍を圧倒する形で快進撃を続けた。エイプリルフール・クライシス、ニュートロン・ジャマーによる災禍に見回れた地球にさらなる損害を与え続けた。
 その後プラントは和睦を申し出る。それは身勝手で虫の良い話であったのかもしれない。10億もの人的被害を地球に与え、資源確保のために地上に拠点を持った。欲しいものはすべて奪った。よって戦いはもうやめよう。そんな理屈は認められるはずもなかった。
 ブルー・コスモス。この反コーディネーターを謳う思想団体の影がなかった訳ではない。しかしブルー・コスモスが世界的に政治的影響力をふるうことができる理由は、すなわち世界的に支持されているからに他ならない。
 コーディネーターは危険である。この言葉は皮肉なことにコーディネーターの国家によって証明されてしまったのである。
 そしてC.E.71年。プラントは地球軍の侵攻を最悪に最悪を重ね最悪を上塗りした形で迎え撃とうとしていた。
 地球軍の侵攻を予測していくつもの過程を立てた。艦隊の規模は、攻撃の規模は、そしていつ来るのか。少なく見積もる、多く見積もる。あるいは長く、短く。地球軍はすべてにおいて最悪であった。
 ザフトが予想した最大規模の艦隊による最大規模の攻撃を、もっとも短い時間しか与えることなく向かわせたのである。
 プラントを滅ぼす。その意志を悪意的と呼べるほど明確に示しながら。




 アーク・エンジェル。ブリッジ。艦長席。
 これまでに幾度となく腰掛け、戦闘を繰り返してきた。しかしいつでもまるで初めて座ったかのような感覚に襲われることがある。同じ戦場などありえない。これが戦争なのかと、ナタル・バジルールは自身のたどった奇妙な経験を思い起こしていた。
 技術士官としてガンダムの開発に携わった。モルゲンレーテ社から機密事項に触れるからと開発終盤にチームから追い出されるまで有意義な時間をすごした。アイリス・インディアの護衛を任されたのはちょうどそんな時だったか。中立国のコロニーを歩き回るには硝煙の臭い漂わせる兵科士官よりも技術屋の方がいいだろう。上官にそんなことを言われた時、軍規には人一倍厳しいつもりでいた自分は苦笑したことを覚えている。
 そんな自分が軍規どころか国さえ裏切り、何故か艦長席に座っている。こんなことを誰が予想したことだろう。

「私とゼフィランサス主任との出会いは、ヘリオポリス、工場に偽装した工廠でのことだった」

 思わず口からこぼれた言葉に、すでに持ち場についていたクルーたちがそろって反応を見せた。椅子ごと振り向きナタルの方を見たのである。
 クルーの顔ぶれはずいぶんと変わってしまった。1人は戦死し、1人は艦を降りた。1人は戦闘機のパイロットに転向し、艦長の交代さえあった。

「最初はとてもではないが技術者には見えなかった。それもいざ仕事に取りかかる前のことだ。ゼフィランサス主任の技術は素晴らしいものだった」

 発想がユニークで何より斬新であった。技術者としてもしかしたら自分にも思いつけたかもしれない。しかし思いつくことは決してできなかった。同時に新しい技術が生み出される様を目撃するという高揚感があった。なんとも心地よい悔しさであったと記憶している。
 思い出は人それぞれにあるようだ。事実上の副艦長であるダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世は後からの合流組としての体験を口にする。

「新造艦であるアーク・エンジェルの行く先が中立地帯で、しかもそこで兵器開発をしていると聞かされた時は驚いたものです」
「そうだな。フレイには悪いが、オーブとしても旨味があった。裏でプラントと繋がっていた。ガンダムの開発に協力するふりをしながらいずれは盗用した技術を流すつもりでいたのだろう。だが、それさえもブルー・コスモスの思うつぼだったとは笑えない話のように思える」

 こんなことはこのブリッジでは常識かと考えていたが、少なくとも1人は違うらしい。レーダー管制を担当するマユラ・ラバッツは大げさなほど首を傾げて見せた。隣のアサギ・コードウェルはやはり大きくため息をついて話し出し、さらに隣のジュリ・ウー・ニェンが引き継いだ。

「元々オーブに攻撃する切っ掛けが欲しかったのよ、ブルー・コスモスは」
「そうそう。だからザフトにわざと盗ませるはずだった技術をオーブにも盗ませて、その上で技術を奪った、だから攻めますなんて話にしたの」
「ガンダムの情報は意図的にリークもされていた。はじめから敵に渡すつもりだった技術でオーブ侵攻の口実も作り出す。ムルタ・アズラエルは本当にしたたかだ」

 ヘリオポリス襲撃の陣頭指揮をとったラウ・ル・クルーゼがムルタ・アズラエルであったと知った時には背筋が凍る思いであった。

「これまでに様々なことがあったが、そのすべてムルタ・アズラエルの手のひらの上だったとは、いい気持ちはしないな」
「すべてではありません、艦長。少なくとも私たちがこうして戦っているのは自分の意志であるはずです」

 副艦長とはこんな人のことを言うのだろうか。ダリダがもしかしたら意図せずにかけてくれた言葉は、思いの外ナタルの気分を押し留まらせた。意外だと考えたのはナタルだけではないようで、3人娘も何か珍しいものでも見ているような眼差しでダリダのことを見ていた。とうのダリダに気づいた様子はないが。
 ナタルが戦う理由。それは、決してご大層なものではなかった。

「ゼフィランサス主任のことは尊敬していた。アイリスのことは大切に思っている。さすがに国を捨てたことに後悔はないかと聞かれればためらうことだろうが、それでも後悔はないと結論づけることが出来る自信がある。ヴァーリの少女たちの戦いを、私は見届けたい」

 ダリダは愛用のサングラスを磨き始めた。

「私は元々事務職の人間です。そんな私がアーク・エンジェルに乗っているのは目立たないから引き抜いても急進派に気づかれにくいという打算があったのでしょう。そんな私が何を間違ったか歴史の転換点のただ中にいる。本音を言うなら、年甲斐もなく胸が高ぶっています」

 アサギは大きく手を伸ばして伸びをする。

「私たち、別にそんな大層なこと考えてるんじゃないんですよね。ただ、アラスカじゃ、たくさんの仲間がいなくなっちゃって……」

 ジュリは眼鏡の位置を直していた。

「艦長さんイケメンだったのにね」

 マユラは何やら照れくさそうに頬をかいていた。

「仲間の死が犬死にでなかったことの証明のために、なんて言ったら格好つけすぎだと思いますけど……。それでも見てみたいんですよ。この戦いがどんな終わり方を迎えるのかって」

 そんな部下たちの何でもない、些細な動きについ気をとられた。神経が過敏になっているのか、あるいは緊張ゆえか。これほどの大規模戦闘はすでに260年も前になる第二次世界大戦以来行われてはこなかった。今生きている人の中でこれ以上の戦闘を体験した者などいないのだ。
 警報音が鳴り響く。突然にして些細なことがブリッジの空気を一変させた。クルーたちが一斉に椅子を回し仕事に戻る。ナタルが立ち上げた手元のモニターには三次元投影図に敵の侵攻ルートが表示されていた。ボアズ戦以上の数と規模だ。

「艦長、予想通りですね。ザフトの想定した最大規模の戦力を最悪のタイミングで最悪の針路で向かってきます」
「それは喜ばしいことだな。いつも予想の一つ上をいかれてばかりだったからな」
「確かに」

 ナタルがつい笑みをこぼすと、ダリダもつられて笑う。付き合いの悪い3人娘がようやく笑ってくれたのは、フレイ・アルスターが慌てた様子でブリッジに駆け込んだ時であった。

「すいません、遅れました!」

 はてさて、この若者は戦闘が近いにも関わらず何をしていたのか。操舵手からパイロットに転向した青年はこの娘の師匠にあたる。戦闘が始まる直前、よくブリッジでフレイにアドバイスする彼の姿が見受けられたが、今はない。にもかかわらずフレイは不安げな様子を見せることなく舵の前に立つ。
 さて、それはなぜだろうか。理由を思いついたクルーたちな苦笑混じりに微笑みながら少女の後ろ姿を眺めた。アーク・エンジェルが動きだしエンジンの振動が体をふるわす間際まで。




 敵艦隊を確認。その一報がザフト全軍に伝えられた途端、宙域は戦いの空気に包まれた。
 格納庫の奥にこもっていたモビル・スーツたちが一斉に出撃し、燐光を空に瞬かせた。前哨戦として先発隊同士の戦闘はすでに開始していると聞かされている。
 地球軍は総掛かり。大部分の戦力をこの攻撃に集中している。まるで何かに急かされているかのようにプラントを攻め滅ぼそうとしている。
 ディアッカ・エルスマンは苛立ち混じりに吐き捨てた。

「いきなり総力戦かよ。普通要塞一つ攻め落とすのにもっと時間かけるもんじゃないのか?」

 敵が全力を傾けてくる以上、戦力を温存するだとか悠長なことは言ってられない。ヘルメットを抱え、ディアッカは格納庫へと飛び出す。元々アーク・エンジェルは積載量の割に積まれたモビル・スーツの数は多くはない。ガンダムという整備性の悪い機体ばかりで運用を考えた場合、数を稼ぐことができないのだ。そのため、愛機--GAT-X207SRネロブリッツ--は格納庫出入り口のすぐ脇に置かれていた。無重力ではあまり意味のないことだがキャット・ウォークがコクピット前まで伸びていて乗降も簡単だ。
 ネロブリッツの隣にはGAT-X303AAロッソイージスガンダムが置かれている。パイロットであるアイリス・インディアはザフト軍一般兵のノーマル・スーツ姿でディアッカのすぐ脇に立った。キャット・ウォークから突き出た通路の上、どちらのガンダムに乗るかは右に行くか左に行くかの違いくらいしかない。

「アイリス、敵は力任せだ。おまけに核がいつ飛んでくるかわからない。警戒は怠るなよ」
「エインセルさんたち、ここまでしてもプラントを滅ぼしたいんですね」
「まあ、わからないでもないけどな」
「ジャスミン姉さんのこと、あまり引きずらない方がいいですよ、ディアッカさん」

 思わずアイリスの顔を見てしまう。この時ディアッカはきっと驚いたような顔をしていのだろう。瞼の筋肉から目を見開いたことだけはわかる。アイリスは優しい奴なんだと思う。それなのに、人の生き死に対して鈍感になりがちだ。人の痛みをわかってあげられる人が人の命を軽く捉えている。そんな落差はついディアッカにアイリスのことを見つめさせた。

「ディアッカさん?」
「いや……」

 見過ぎてしまっていた。目をそらそうとしてもどうしても視線はアイリスに戻った。

「なあ、アイリス……」

 桃色の綺麗な髪だ。三つ編みもとてもよく似合っていて、やはりラクス・クラインとは雰囲気が違う。温室に飾られた花もいいだろうが、野に咲く花にも良さはある。ディアッカの手は吸い寄せられたようにアイリスの髪に触れていた。

「どうしたんですか?」
「……いや、髪にゴミがついてた」

 慌てて手を引き戻す。もちろん、ゴミなんてついてなかった。それでもさもゴミを掴んだように手を握って振って見せた。こんなことでも誤魔化せたようだ。アイリスは特に気にしたそぶりもなくロッソイージスの上に飛び上がった。ディアッカもまたネロブリッツのハッチへと飛び移る。
 出撃を前に何か気の利いた台詞の一つでも言えればといろいろと考えてはいたが、どの候補も結局言えず終いだ。

「ディアッカさん」

 ロッソイージスのコクピットは胸部にある。そのため斜め上から見下ろされる形でディアッカはアイリスを見上げた。

「気をつけてくださいね」
「ああ……」

 激戦を前に不安になっているわけではないのだろう。その証拠にアイリスは微笑んでいた。ただちょっとした気遣いを見せただけなのだ。死や戦うことへの恐怖心がなくて、戦うことそのものにさえ慣れが出てきてしまっている。今のアイリスは歴戦の勇士と何も変わらない。激しい戦いさえ意気揚々と挑んでしまう。問題は、それだけの実力は決して伴っていないこと。

(後は……)

 最悪の可能性を、ディアッカは意識して頭から追い出した。
 手を振って何事もなかったように返事をしておく。

「アイリスも無茶するなよ。どうせスコアじゃキラの一人勝ちだろうからな」




 地球軍、ザフト軍両軍の戦艦からモビル・スーツが出撃する。後にヤキン・ドゥーエ攻略戦--あるいは防衛戦--と呼ばれることになる戦闘が始まったのである。4年前、開戦当初行われたルウム宙域における会戦--通称ルウム戦役--以来の大規模戦闘が始まったのである。
 この戦いの光景は、この足かけ5年にも渡る戦争を象徴していた。
 ザフトによって初めて実戦に投入されたという人型という奇妙な兵器が両軍から押し寄せる。その手には大西洋連邦によって実用化されたビーム・ライフルが両軍揃いで握られていた。
 モビル・スーツのための戦争。この光景こそがこの戦争を象徴していた。
 ミノフスキー粒子によってレーダーの信頼性が著しく低減した現在、戦艦の攻撃は的を捉えることができない。正確な距離を計ることが難しく、その針路を計測することも不可能に近い。誘導兵器にしてもミノフスキー粒子の影響から安定とはほど遠い運用を余儀なくされている。
 そのため、会敵距離は従来想定されているものに比べたなら異常と言えるほど近くなった。戦艦でさえ前線に立たなければならない。しかしモビル・スーツの装備するビームは戦艦の分厚い装甲さえ貫通する。戦艦は前に出ることさえ危険すぎる。
 すると、戦いは自然と戦艦を後方に、モビル・スーツを主力として展開するという図式がとられた。戦いの始まりを告げる砲声は聞こえない。ただモビル・スーツたちのスラスターの輝きが光の帯を描き出し、それが2列平行に走っていた。それは面を向けて接近し、やがて、戦闘が始まった。
 帯の間に突如あまたの光が交差して、それは宇宙を埋め尽くさんほどの輝きを放つ。現在の戦いにおいて一方的な戦闘というものは起こりえない。すべての者がビームの射程内で殺し合いを演じている。
 ミノフスキー粒子の影響をうけにくいほどの距離。ビームの有効射程。その両者は不気味な共鳴を見せて一致していた。まるで、その箱庭の世界の中で人に傷つけ合うことを強要するかのように。
 モビル・スーツの戦争であった。
 GAT-01デュエルダガーの放ったビームがZGMF-1017ジンの胸部装甲をたやすく貫通する。ZGMF-600ゲイツの左腕のシールド先端に輝く2本のビーム・クローはデュエルダガーの胴を刺し貫く。あるいは、エール・ストライカーを装備したGAT-01A1ストライクダガーのビーム・ライフルがゲイツを撃墜する。そしてソード・ストライカー、ランチャー・ストライカーを装備したストライクダガーが押し寄せる。
 ザフト軍にとってこの戦いは勝利を約束されない。戦力が違いすぎる。できることと言えば時間を稼ぐこと。迫り来る敵を押し返し指導部が外交のカードを掴むまで戦い続けること。分の悪い賭けだが、負ければすべてを奪われる。
 逃げるべきところなどない。帰る場所を守るために。
 地球軍もまた帰る場所を守るために戦っていた。この戦争はかつて宗主国と植民地との利権争いでしかなかった。それが大きく様変わりしたのは他ならぬエイプリルフール・クライシスの日をその境とする。プラントと関わりを持たぬ国も、コーディネーターを容認する国でさえかまうことなく標的としたのである。
 地球は学んだ。宇宙のコーディネーターは故なく地球のすべてを標的とすると。その大多数がナチュラルであるというだけで。コーディネーターにとって差別的選民思想は地球を攻撃するに十分な理由であるのだと。
 地球軍は大西洋連邦を中心としてユーラシア連邦、赤道同盟が軍を派遣している。門戸を開き軍内の国籍条項を緩和。他国からの志願兵を柔軟に受け入れていた。アーク・エンジェルでオーブ籍の若者の志願が容易に受け入れられたのはそれ故である。
 隊列には東アジア共和国、大洋州連合、南アフリカ統一機構、南アメリカ合衆国からの志願兵が加わり、オーブから徴用されたモビル・スーツ、ORB-M1アストレイさえ少数ながら見られた。
 すでに地球対プラントの構図は完成しているのである。それはすなわち、地球の人々のプラントを憎む心が個人の域にまで浸透していることを意味していた。
 戦争は国家と国家の争いである。しかし、戦場を拡大して眺めた場合、そこには個人の戦いがちりばめられている。




 GAT-X105ストライクガンダム。地球製モビル・スーツの事実上の先駆けとして記憶されているこの機体を改修したカガリ・ユラ・アスハの機体は、その鮮やかな赤色からストライクルージュと呼称されている。バック・パックにはI.W.S.P、重火器を搭載した重武装エール・ストライカーとも言うべきストライカーを装備。左腕に装備されたガトリング・ガンが膨大な数の弾丸を吐き出していた。
 標的とされたストライクダガーに弾丸が次々と突き刺さる。火花を散らしながら弾が装甲の内側へと入り込み、駆動系を直撃したのかストライクダガーは痙攣を起こしたように体を震わせた末爆発する。
 敵機を撃墜。しかしカガリに喜びの色はない。これですでに5機目。しかし敵は次から次へと押し寄せる。
 接近する敵小隊にビーム・ライフルで牽制する。ところが、こちらが1発撃ち込む間に敵は合計で5発は撃ち返してくる。ガンダムとは言えビームの直撃に耐えることはできない。カガリは舌打ちしながら機体を逃がす必要があった。
 一息つく暇もない。すぐさまストライクダガーがビーム・サーベルを振り下ろす。ガトリング装備型のシールドで受け止めようと、シールド表面はすぐに溶解--ビームの高熱に耐える素材は存在しない--を始める。ストライクダガーの腹を蹴り飛ばし強引に距離を開ける。即座にビームを撃ち込んだ。
 撃墜を確認している余裕さえない。
 ランチャー・ストライカーを装備した敵機が2機、こちらを狙っている。まずは1機。ビームの狙撃は敵の胸部を確実に捉えた。銃身の冷却とエネルギー充填のため連続して撃つことができない間、I.W.S.Pに装備されたキャノン砲を放つ。コンマ1秒の差で敵を撃墜できる、そのはずだった。しかし、狙いはわずかにそれた。右腕を撃ち抜くことはできても、ランチャー・ストライカーはその銃身を主に左腕で扱う。十分な攻撃力を残した敵は手酷い反撃を食らわせてきた。
 何も考えずにバック・ブーストを噴かせた。体が無理に押し上げられる感覚も、ビームの直撃に比べればましなものだ。しかし敵はすででソード・ストライカーを装備した別の機体が大剣を振りかざしていた。
 ソードを防げばランチャーが狙い、ランチャーを撃ち抜けば斬り伏せられる。
 ロックオン・サイトが捉えているのは先から対戦していたランチャーの方である。ビーム・ライフルの引き金を引く。大砲に比べたならライフルの方が手早く冷却できるに決まっている。ランチャーは次弾を放つことなく胸部を撃ち抜かれた。
 そして、斬りかかるソードには、横から割り込んできたミサイルが直撃した。小型ミサイルは小さな爆発を引き起こす。それは片足をもぎ取り、確実にストライクダガーの体勢を崩した。
 ガトリング・ガンを文字通り突き出す。それは太い槍のようにストライクダガーの腹へと激突し、回転する銃身が腹部装甲との間に摩擦による火花を散らしながら弾丸を貫通させていく。爆発に巻き込まれるのはごめんと、蹴り飛ばし、ストライクルージュは爆発するソード・ストライクダガーを離れた。
 援護の正体はすでにモニターに映し出されている。同じ戦艦に所属しているコスモグラスパーであった。

「恩に着るぞ、アーノルド・ノイマン」

 戦闘中であるため音声のみ。それでも堅物--面識に乏しく、あくまでイメージだが--の少尉殿の瞬きさえ惜しんだ真剣な顔は想像できた。

「これから訪れるであろう危機のたった一つをかわす手助けをしただけのこと。次が来ます」

 まだ戦闘は始まったばかり。敵は次から次へと湧き出て、カガリはつい仲間のことを思い浮かべた。

「イザーク、貴様はどこにいる……?」

 ボアズ戦において撃墜は確認されなかった未帰還のパイロットがいた。
 仲間を求めたことはは弱気ではなく、戦力を厳然と分析した上での必要戦力であるからにすぎない。少なくともカガリは後者と判断し、自らを奮い立たせる意味でもアクセルを力強く踏み込んだ。




 この戦いは誰にとっても勝ち戦にはなり得ない。
 ザフトは戦力面で圧倒的に劣っている。勝利を掴むことは難しい。
 地球はすでに10億、この戦争での戦死者数以上の民をエイプリルフール・クライシスで失っている。
 この戦争は誰もが望まず、そして誰に対しても勝利をもたらすことはない。
 ラウ・ル・クルーゼ率いる1個連隊の戦いは、まさに敗北を前提とした戦いであった。ボアズに至る宙域にて敵特攻隊の奇襲に遭遇。艦隊の再編を余儀なくされた。結果、全軍が足並みをそろえる形で当初計画よりも進行を遅らせざるを得なかったのである。
 すでに敗北し、故に勝利はなく、汚名を返上する機会のみが与えられている。
 ZZ-X200DAガンダムトロイメントを筆頭に、2機のガンダム、多数のストライクダガーがその後ろに続く。ラウ・ル・クルーゼ大佐陣頭指揮の下、この部隊は敵を蹴散らし、その勢いを一切殺すことなく進軍を続けていた。
 トロイメントの放つビーム。それは屈折し、湾曲し、あらぬ方向からザフトの機体を撃ち抜いていく。

「我々が敵に手こずったため、進軍は遅れた。足手まといの汚名を返上したくば、覚悟と力を示せ!」

 GAT-X1022ブルデュエルガンダム、カズイは率先して前へと出ようとする。増設されたスラスターの勢いに頼った突進で瞬く間に距離を詰め、ビーム・サーベルでゲイツの胴を裂く。続けざまにジンの胸部へと突き立てたサーベルを引き倒し、ビームは胴を縦に引き裂きながら足さえも両断する。
 GAT-X103APヴェルデバスターガンダム、ロベリア・リマはトロイメントから離れようとはしなかった。肩越しに担ぐ2門のレールガン。両腕のビーム・ライフル。絶大な火力を頼りにトロイメントの補佐に務めていた。
 そして、ブーステッドマンたちが思い思いのストライカーによってザフト軍を駆逐していく。
 遙か前方にヤキン・ドゥーエ、ザフト軍最終要塞の姿があった。ボアズ同様資源衛星を改造したそのたたずまいは宇宙の岩石という出で立ちである。しかし多数の開口部からは光が漏れ、周囲には多数の戦艦が展開している。その姿は神々しくもあり、ザフト軍には堅牢なる砦としての威光を、地球軍には打ち倒すべき巨石としてたたずんでいる。

「ロベリア、君とカズイはヤキン・ドゥーエを目指すことはない。後方の部隊と連携し、周辺宙域で敵の動きを抑えろ」

 通信を繋いだラウの言葉に、ロベリアは口を尖らせた。モニターは表示されていない。ラウからでは確認はできないが、年頃の娘というものは得てしてそういうものだ。ラウはトロイメントの特殊な銃口をしたライフルから多数の方向へとビームを発射しながら、冷静に言葉を続けた。

「次にまた意識障害が起これば助けられん。母艦からはできる限り離れるな。生き残ることも兵の仕事の内だ」

 なかなか返事がない。ロベリアは兵士としてはまだまだ未熟な点が多いが、命令違反をするような娘ではない。この反応の鈍さは違和感を禁じ得ない。
 ブルデュエルがゲイツを切り裂きながら、そんな戦果とはあまりに不釣り合いな抑揚でカズイの声が聞こえた。

「ロベリアはラウさんのことが心配なんだよ」

 一瞬、攻撃の手を休めてしまったほどだ。まさか機体性能、実戦経験、実力に劣るロベリアに気遣われていたとは、ラウはつい口元を歪めた。

「自分を出来損ないだと卑下していたヴァーリが、ずいぶんたくましくなったものだな」

 ラウには伴侶さえいないが、娘を持つとはこんな気分なのだろうか。エインセル・ハンターがヒメノカリス・ホテルを娘として引き取った当時は理解できなかった。今度娘を持つ父の気分というものを聞かせてもらうこととしよう。

「まずは自分の心配をしろ。この戦い、厳しいものになるだろう」
「無事に帰ってきてくれますよね……?」

 まるで捨てられた子犬のように不安げな声を出す。友であるエインセル、ムウの2人からでさえこれほど心配されたことなどなかった。何とも面はゆい限りだ。
 ゲイツの2個小隊相当戦力--6機--がこちらへと向かっていた。程良い数とタイミングである。
 トロイメントに与えられた力。ナイトゴーントを12機すべて解放する。ナイトゴーントは光り輝きながら飛び回り、トロイメントのビーム、ゲイツの放ったビームさえすべて受け止め、折り曲げながら屈折を続ける。まさに結界だろう。ナイトゴーントによって取り囲まれる空間内でビームは幾たびも屈折を繰り返し、あらゆる方向からゲイツの一団を貫いてく。
 6機ものゲイツは瞬く間に全身を焼き尽くされ爆発した。
 十分な示威にはなったことだろう。

「約束しよう。だからロベリア、君には帰るべき場所を守っていてもらいたい。頼めるかね?」
「は、はい!」

 お世辞にも格式高いとは言えないが、悪くはない返事だ。

「部隊を二つに分ける。ダンタリオン隊からシャックス隊は私に続け! 残りは戦線の維持に務めよ!」
「了解!」

 部隊長からの返事が重なり聞こえる。
 トロイメントは敵の群へと加速を続け、機動力に優れるエール・ストライカーを装備したストライクダガーがその後に続く。

「ラミアス艦長、ザフト軍の不自然な挙動は逐一報告しろ。エインセル麾下の部隊からの連絡も密にとり続けろ」
「了解しました」

 通信の間にも壁となったザフトがビームを次々と放つ。その合間をくぐり抜け、トロイメントはさらに加速する。

「君には複雑なことだろうが、この戦い、間違いなく地球のためのものとなる。そのため、ムルタ・アズラエルは10年をかけた!」

 トロイメントの放つビームが、ゲイツの一団を吹き飛ばす。




 戦いは各所で行われていた。それはヤキン・ドゥーエの司令室からでもうかがうことはたやすい。

「N-35、及びW-27より敵大隊接近! Eより未確認情報あり!」
「第1連隊損害拡大。応援要請!」

 すでに報告は意味をなくしている。想定されていたあらゆ方向から敵は攻めてきている。どこに敵がいないのかを口にする方がたやすいほどだ。被害の出ていない部隊、応援を必要としていない部隊などあるものか。
 最高指揮官であるパトリック・ザラ議長は憮然とした表情のまま、司令室の最後列、最も高いフロアに用意された椅子に腰掛けたまま、戦略図を眺めていた。どこまかしくも損害を示して赤く、敵の侵攻を示す矢印がいくつも描かれている。
 しかし、パトリック議長は顔色一つ変えることなく戦場を眺め続けていた。

「指揮はとられずともよろしいのですか?」
「レイ・ユウキか」

 パトリックの後ろに立ったのはスーツ姿の男、公安を職務とするレイ・ユウキであった。機密に関わる捜査--プレア・ニコル流出事件など--を担当させるために公安部署内に飼っていたこの男は確かに機密漏洩防止には役だった。しかし、裏切り者であるゼフィランサス・ズールの確保には失敗するなどその能力を疑い始めている。

「私は軍人ではない。もっとも、ザフトには職業軍人と呼べる者などそもそもいないのだがな。まだ若い国なのだ、プラントはな」
「確かに報告の大半は意味を持ちません。あらゆる方向から敵が攻めてくる。それだけのこと」

 くだらない時間を過ごす話し相手としてもこの男は不足であるようだ。パトリックは喉を震わせた。

「プレア・ニコル漏洩の直接の責任はないとは言え、ズールを取り逃がしたのは貴様の責であろう」
「返す言葉もございません」
「心にもないことを抜かすな」

 少しは恫喝にでもなるかと考えたが、このレイ・ユウキという男は動じることはなかった。しかし不機嫌は伝わったのだろう。これ以上話しかけてくることもなく、パトリックは再び大型モニターに映し出される戦略図、及び無意味な報告をただ口やかましく言い続けるオペレーターたちを眺めることに戻る。

(無駄なのだ、この戦いはすべてがな……)

 神は、まずすべてを無に帰した上で新たな世界を創造する。創世の時、従来の世界はそのすべてが意味をなくすのだ。




 人は1人じゃない。この言葉が何を意味しているのかによって解釈は異なるが、少なくともアスラン・ザラは1人であった。ノーマル・スーツを着込み、コクピットに座る時、必ず1人になる。もしかしたらこの世界はこのコクピットの中しか存在しなくて、映像も通信もすべて偽物。この世界にはアスランしか存在していないのではないか。そんな馬鹿げた空想に襲われることもあった。
 モニターにはラクス・クラインの笑顔が映っている。これは紛れもなく本物だ。

「ラクス……」

 話すべきか、それともよした方がいいのか。アスランは悩みながら、しかしラクスの微笑みはすべてを受け入れてくれる気がした。

「俺は地球で兵士に出会った。彼はエイプリルフール・クライシスで家族を失い、復讐のために戦っている人だった。俺たちプラントのために大切な人を失った人だった」

 乾いた大地で敵と味方として出会い、やはり敵と味方として別れた。そう、彼は敵だった。同じ人でありながら殺し合わなければならない敵だった。

「正しいことのために戦っているつもりだった。正しいことのために戦ってるんだって思いこもうとした。犠牲をなくすために戦えないかって足掻いてもみた……。俺が敵を殺さなければその敵が仲間を殺す。俺が敵を殺したならそれがそのまま犠牲者に数えられる。結局誰かが傷ついて死んでいく……」

 アスランが出撃しなかったなら敵が味方を殺す。出撃したならアスランが敵を殺す。結局何も変わっていない。モーガン・シュバリエと、あの人と出会う以前としていることは何も変わらない。敵のことを知っただけ胸が苦しくなった。

「アスラン」

 ラクスの凛々しくも優しい微笑みに、何を期待しているのだろう。それはきっと、ラクスならすべてを知っているような、すべてを受け入れてくれるような強さ故だろう。何かを期待せざるにはいられない。

「私はあなたに正しい道を示して上げることなんてできません。それでも、あなたの決意を後押しすることならできます」
「それでもラクス、きっと君は俺の光なんだと思う。だから、俺を導いて欲しい」
「アスランが望まれるのでしたら」

 アスラン・ザラとラクス・クラインに選ばれた。2人が一緒にいることは当然のことでして、それにどれほど支えられたことか。モニターに映し出されているラクスへと、アスランは自然な様子で微笑みかけた。

「行ってくるよ、ラクス。俺は1人の人として、この戦いを見届けてくる」
「お早いお帰りを、アスラン」

 ラクスに微笑んでもらうことで、アスランは再び戦士としての顔を取り戻す。その真剣な眼差しは前方、カタパルトから除く戦いの空を映していた。

「アスラン・ザラ、フリーダム、出撃する!」




 激戦が繰り広げられていようと、それはここには無縁の話であった。主戦場から離れた地点。ここにダムゼルの1人であるデンドロビウム・デルタの艦は停泊している。
 その艦は特殊な形状をしていた。長大なコンテナを思わせる貨物ブロックを左右に一対。その下に申し訳程度にブリッジが取り付けられていた。飛行船とその形状は似ている。ただしこちらは気嚢の内部にモビル・スーツを詰め込んだ鋼鉄の気球を持つ宇宙輸送船である。
 名をケトビーム。この船へと、ZGMF-600ゲイツが1機着陸を試みようとしていた。周囲に展開している他のゲイツの間をすり抜けながら満足な減速もなく拓かれた貨物室へと飛び込んでいく。本来輸送船にすぎないケトビームにはカタパルトのような上品な装備はない。
 とは言え、乱暴な着地にこの船の主であるデンドロビウムは口元を歪めた。デンドロビウムのいるブリッジにさえ、着地の衝撃が微弱ながら伝わってきたのだ。
 デンドロビウムは格納庫へと向かうための扉を睨みつけ、不格好な着地の原因が入ってくるなり皮肉を飛ばすことを忘れなかった。

「今のは不時着か?」
「私の着地は癖が強いようだ」

 長い黒髪を無重力の中漂わせたヴァーリ、ミルラ・マイクは脇にヘリメットを抱え悪びれた様子なく笑っている。不機嫌を顔に張り付けたまま中央の艦長席に座るデンドロビウムに歩み寄る様子からは反省の色はうかがえない。

「悪かった。だが言われたゲイツは十分な数集めただろう」

 ミルラが顎で示したのは上。2つの貨物室--コンテナ船3隻分の容積を持つ--にはザフトの最新鋭機であるゲイツが満載されている。

「それでどこに運ぶ?」
「ゲイツはこのままこの艦で運用する」
「しかし君のネビイームは輸送船だろう。ゲイツはただ積んでいるだけなんだぞ」
「別に長期運用をしようって訳じゃない。整備には支障が出るだろうが一定時間守り切れればこちらの勝ちだ。十分だろ」

 万全の整備の下運用しようというわけではないのだ。時間を稼げればそれでいいなら積載量の関係から輸送船の方が数を得られる。瞬間的な防衛には十分だろう。何もお父様はヤキン・ドゥーエを守ることを目的とされていないのだから。
 ミルラは何が楽しいのかよく笑う。いつも笑う。それが本来笑うべき時でない場合でさえ笑うのだ。そのことはデンドロビウムをよく不快にさせた。

「そして地球は焼き尽くされるということか、確かに悪くない。これでお父様の願いはかなう。いや、ロゴスのか?」

 デンドロビウムはついクルーたちの反応をうかがった。首を素早く回したのだ。幸いクルーに目立った動きはない。戦艦ほど広くはないブリッジだ。聞こえていない訳ではないのだろうが、クルーが例の組織のことを知っているはずもない。唯一勘ぐられる恐れのある側近、コートニー・ヒエロニムスは努めて作業に従事している様子を見せていた。
 当面、取り立てて慌てることではないらしい。それでもデンドロビウムは自然と声を潜めた。

「どこでその名前を聞いた……?」
「私たちフリークも君たちダムゼルも同じことだ。お父様のために生き、お父様のために死ぬ。そうだろう。それでいいはずだ」

 ミルラが相変わらず微笑みを絶やさず、デンドロビウムを苛立たせた。




 ガンダムの名を冠する機体はエースの機体である。このことは徐々に常識として浸透しつつあるようだった。キラ・ヤマトの機体は姿こそ異なれ、ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレ、間違いなくガンダムであった。ザフト軍にとって貴重な戦力になるはずのこの機体は、遠くに戦いの光を臨む宙域を漂うように進んでいた。
 ここには何もない。守るべき要塞もなければ旗艦を守り円陣を組む艦隊もない。ただ一隻の大型戦艦があった。
 宇宙戦艦らしい左右上下対称。突き出るように長い船首を取り囲むようにカタパルトが4基見られた。モビル・スーツの運用に特化したこの戦艦の周囲にはすでに多数のゲイツが浮遊している。何も守るべきもののない空間にザフト軍最新鋭機が並べられている。
 オーベルテューレはゲイツたちの隙間を抜けて指定されたカタパルトから着艦する。
 キラ・ヤマトはこの艦の艦長から招かれていた。格納庫からブリッジまで特に目に付くようなものはなかった。内装は平凡。機器はザフト軍で通常使用されているもの、換えのきく安物や汎用品ばかりで構成されていた。とにかく兵器としての安定性を優先する。艦長の設計思想が随所にちりばめられた艦ではあったが、その分何か関心を引かれることもない。
 キラは思いの外あっさりとブリッジへと足を踏み入れた。
 アーク・エンジェルのように風防から直接宇宙が覗けるようなことはない。完全閉鎖式で外の様子はすべてモニターで観察するようになっている。クルーたちの座るデスクの配置にしてもどこか面白味がなく整然と並べられているだけだ。すぐそこでは激戦が繰り広げられているというのにここはひどく静かだ。
 艦長はキラのことを待っていたかのように目の前に立っていた。
 青い髪に白衣を着た、P、サイサリス・パパである。

「すごい艦だね、サイサリス」

 嘘を言ったつもりはない。実際、モビル・スーツの運用という観点からならこの戦艦は間違いなくトップ・クラスの性能を有することだろう。

「名前はトーラー。通常の空母に比べて通常運行でも3倍から4倍のモビル・スーツを搭載できるよ」

 ユニウス・セブンの頃と変わらない屈託のない笑顔。それでもどこか無理をしているようにも見えた。元々研究者であるサイサリスだ。戦場に出たことで過度のストレスを感じているのかもしれない。こんな心配と一つの疑問からつきキラはわかりやすく眉を歪めた。

「それならますますわからないな。僕を呼んだ理由がない。ここに並ぶゲイツだけで十分じゃないかな?」

 サイサリスは答えながら歩き出す。階段状になったクルーたちの机の間を抜けて--まるで映画館のようだ--モニターが次第に大きく見えてくる。

「準備してもしすぎることはない。それがお父様のお考えだから」
「僕はシーゲル・クラインのために戦うつもりはない」
「そうも言ってられなくなるよ。お父様は仰られた。もしもあなたがロゴスのために戦い目的の物を守り切れたらゼフィランサスをあなたにあげてもいいと」

 モニターを遮るものがない位置にまで出るとサイサリスは振り返る。その顔にはやはり微笑みが張り付いている。いつものサイサリスだ。どこか脳天気でおっとりとしていて、怒るのはいつも妹のローズマリー・ロメオの仕事だった。
 ただ、天真爛漫と無神経は意味が違う。

「ヴァーリは、シーゲル・クラインの所有物じゃない」
「お父様のご機嫌を損ねない方がいいよ、キラ。お父様が命じればゼフィランサスは自ら進んで命だって絶つから」
「サイサリス、君も変わったね」
「あれから10年も経つんだよ」

 ただそれだけとは思えない。サイサリスの顔を見る度、どこか違和感を覚えてしまう。

「聞いたよ、ローズマリーのこと、残念だった。君とローズマリーは仲のいい姉妹だったから」

 ユニウス・セブンで死に別れる前まで、サイサリスとローズマリーの姉妹は共同でモビル・スーツの開発に従事していた。ゼフィランサスとは正反対の開発思想の持ち主で、総合的な評価はともかく単純な性能ではゼフィランサスの機体の方が圧倒的に高性能でよくサイサリスの機体を壊しては怒られた。なぜかローズマリーの方に。
 懐かしい話のはずだった。それなのにサイサリスは明らかに顔をしかめた。

「ローズマリーのことはいいよ」

 何かがおかしい。思わずサイサリスの顔へと手を伸ばしたのは、もっと近くで確認したいと気が急いたから。手は手痛く払いのけられた。その時見せたローズマリーの顔に、違和感は一つの形となって口からこぼれた。

「君は……、ローズマリー……!」

 間違いなんてない。2人の姉妹はよく似ていて、それでも表情で見分けることができた。サイサリスが見せた表情の中にローズマリーしか見せないものがあった。
 キラは伸ばした手でサイサリス--ローズマリーなのだろう--の腕を掴んだ。サイサリスは振り払おうとするがつい握る手に力がこもった。

「どうして君がサイサリスを名乗ってる!?」
「私はサイサリス! サイサリス・パパ。Pのヴァーリにしてダムゼル!」
「ローズマリー……!」

 無重力の中、サイサリスの体が浮かび上がる。それほど暴れられたら掴み続けることはできない。サイサリスは乱れた白衣をなおしながらキラを睨んだ。こんな顔も、ローズマリーだけが見せたものだ。

「そんなこと聞いてない! どうするの? お父様に従う? それともゼフィランサスを諦める!?」

 脅しやはったりではない。ヴァーリ、その中でもダムゼルはシーゲル・クラインへの忠誠は飛び抜けている。死を命じられれば実行することだろう。シーゲル・クラインがゼフィランサスを放任している理由も首輪に繋いだ鎖を引けばいつでも引き戻せると高を括っているからだ。
 歯に自然と力が籠もる。

「それで、僕は何を守ればいい?」

 サイサリスは答えなかった。代わりに指を鳴らすと、モニターの画面が移り変わる。表示された内容から、まず我が目を疑った。

「こんなものを……?」

 それもすぐに確信へと取って代わられ、代わりに台頭したのは怒りや憤慨、天上の神を気取る者たちへの憤りに他ならなかった。

「だから嫌いなんだよ、プラントも、シーゲル・クラインも!」



[32266] 第46話「夢のような悪夢」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2013/04/11 11:54
 数多の砂時計浮かぶ漆黒の空に無数の線条が輝きを放ちながら交錯する。時折丸く爆ぜる輝きは一つの命の終わりを象徴する。無数の光の花が散っていた。命が消費され浪費されていく。
 有史以来最大規模の宇宙戦が行われていた。後世、ヤキン・ドゥーエ攻略戦--プラント側では防衛戦--と呼ばれる決戦である。
 三次元的な戦術を可能とする宇宙空間では前線はいともたやすく混じり合う。敵と味方の位置関係が曖昧に入り乱れ、混戦模様を呈していた。ビームの軌跡が描き出す繭玉の中をモビル・スーツたちが蠢くように動き回る。取り込まれた戦艦は哀れである。あらゆる方向からのビームによる集中砲火によってたやすく火の塊へと姿を変える。
 GAT-01A1ストライクダガーが飛び、ZGMF-1017ジンがアサルト・ライフルの掃射を続ける。
 2機のZGMF-600ゲイツは周囲にビームを放ちながら高速機動を繰り返していた。

「前からも上からも敵が来る! なんて数だ」
「所詮ナチュラルなんて烏合の衆。蹴散らして大将の首をとる!」

 本隊から離されたゲイツたちは周囲に展開する敵軍モビル・スーツをビームで牽制しながら活路を求め動き続ける。
 このゲイツに幸運と不運とが一度に訪れた。まずは不運。漆黒の宇宙を羽ばたくように漆黒の機体が駆けた。攻撃のリズムを完全に掴み、ビームのとぎれたわずかな瞬間にゲイツの懐へと入り込む。横一文字の輝きが、ゲイツの胴を横切った。
 ゲイツのパイロットは何が起きたかさえわかっていないことだろう。牽制のために放つビームは狙いなどつけていない。ランダムで動き回るゲイツの行く先をいちいち意識などしていない。とにかく軍人としての本能が機体を動かし続けた。
 仲間が撃墜されたことにさえ気づくことができないほどの不規則かつ急速な挙動。

「撃墜されたのか!?」

 気づいた時にはすでにすべてが遅かった。背後に回り込んだそれは振り下ろしたビーム・サーベルでゲイツを縦に引き裂いた。
 生じる爆発。立ちこめる黒煙の中から現れたのは黒いガンダムであった。GAT-X105ストライクガンダムにノワール・ストライカーを装備した通称ストライクノワールガンダム。ムルタ・アズラエルの1人であるエインセル・ハンターより娘であるヒメノカリス・ホテルに与えられた機体であった。
 ゲイツは目をつけられてはならない相手に狙われてしまった。これがまず不運。そして幸運とは、怨敵と付け狙うムルタ・アズラエルが彼らのすぐ近くにまで接近していたことであった。
 ストライクノワールが小刻みに機体を翻しながら動く。そこにはZZ-X300AAフォイエリヒガンダムの黄金に輝く姿がある。大きさは約25m。通常のモビル・スーツの1.5倍もの大きさのフォイエリヒにどこか踊っているように近づくノワールの姿はその体格さも相まってじゃれつく子どものようでさえあった。事実子どもなのだろう。パイロットであるヒメノカリスは戦場のただ中でさえ通信に嬉々とした声を吹き込まざるにはいられなかった。

「見ていてくださいましたか、お父様。ヒメノカリスは戦えます。お父様のために戦えます!」

 周囲ではストライクダガーが敵を寄せ付けまいと縦横無尽に動き周りザフトの機体を撃墜していく。事実上の最高指揮官の1人を守る部隊は黄金のガンダムを守り、黄金のガンダムは漂うように戦場を突き進んでいた。その動作は緩慢と言えるほどゆったりとしており、その様はまさに子を優しく諭す父のようであった。

「ヒメノカリス、この戦いはすでに混迷の度合いを増しつつあります。無理をして体に負担をかけてはいけません」
「ヒメノカリスはお父様のためでしたら死ねます」
「ではこう命じましょう。死んではなりません、ヒメノカリス。あなたを失えば私の望みは決して達成されることはないのです。わかりますね?」
「……わかりました」

 途端に動きに精細を欠くノワール。その様子はうなだれる子どもだろうか。
 フォイエリヒはその全身を静かに輝かせながら飛び続けている。戦うでもなく敵を睨みつけるでもない。ただこの場所にいること自体を目的としているかのように存在し続ける。
 代わりに動くは周囲のストライクダガー。ランチャー・ストライカーを装備した大隊が次々とビームを放ち、逃げる敵をストライクノワールが追い回す。ランチャー・ストライクダガーが命中させようと、愛娘が敵を胴裂きにしようと、エインセル・ハンターは黄金の玉座に腰掛けたまま睥睨し続けていた。




 獅子奮迅。この言葉がよく似合う激戦が行われていた。ソード・ストライカーを身につけたストライクダガーの一団が大剣を振り回しながら突撃する。
 こと混戦において銃器は必ずしも剣に勝つことはできない。敵機との距離が相対的に近く、銃では誤射の危険性も高い。何より、ビーム兵器が恒常化した現在、ビームの性能を最大限に発揮できる兵器こそビーム・サーベルであった。
 力任せに振るわれる大剣はゲイツのライフルをたやすく引き裂き、慌てて軌道上に差し込まれたシールドをもってしてもまだ勢い止まらずゲイツを両断する。
 またあるところではナスカ級ザフト戦艦のブリッジへと大剣--その名はまさしく対艦刀と呼ばれている--を突き立てる。ビームの放つ膨大な熱が開口部など弱い部分から炎を吹き出し戦艦を内側から破壊していく。
 一度接近を許せば射撃戦では不利と気づいたゲイツは左腕のシールドからビーム・クローを発出しストライクダガーへと挑みかかる。正確には、挑みかかろうとした。
 赤銅色が瞬いた。ZZ-X100GAガンダムシュツルメントはいともたやすくゲイツの背後をとると、ストライクダガーのものよりも長大な対艦刀を薙払う。分厚い装甲で覆われているはずの胴がたやすく引き裂き、爆発があたりを覆う。
 黒煙を吹き飛ばしながら、シュツルメントはなお軽快な動きを見せた。パイロットであるムウ・ラ・フラガの声は揚々とさえして聞こえた。

「どうだ、ザフト連中は?」
「練度が違うねえ。ボアズは完全に捨て駒だったようだ。なかなか防衛線が割れないな」

 シュツルメントの周囲に展開するストライクダガーからの通信である。皆ソード・ストライカーを身につけ、言葉通りの切り込み役を買って出た連中である。剛毅も剛毅。ムウの通信に答えた者はゲイツを相手に鍔迫り合いに興じていた。またある者はジンを重斬刀--ただの鉄の塊である--ごと真っ二つにしていた。

「そりゃそうだろ。ザフト連中は本当なら戦争なんてしたくなかった。ただ独立できればそれでよかったんだ。てのに血のバレンタインじゃナショナリズムに訴えすぎて結局ドンパチやらかす羽目になった」

 国を愛し仲間を愛せ。それを素直に実践しようとしたコーディネーターたちは復讐をためらうことなく戦争拡大に邁進することとなった。自分たちが進んで戦争を拡大させていったことなどプラントは認めたがらないだろうが、すでに地球では共通認識と化しつつある。

「合理的なコーディネーター様がずいぶんなお話ですな」

 ムウは意図して自分の部隊にブルー・コスモスのメンバーを集めた訳ではなかった。ヤキン・ドゥーエに一番乗りを果たさんと狙うムウに志願したのは決まって腕っ節と反コーディネーター感情の強い連中であっただけだ。どこか猛獣じみたこの連中は、それこそ猛獣のようにザフトへと飛びかかっている。
 ムウも負けじとシュツルメントを加速させる。

「皮肉はやめとけ。奴らが人の危険性のみを肥大化させた存在だなんてことはわかりきったことだろ。ブルー・コスモスにとってはな」

 これこそ皮肉か。通信では苦笑する声がいくつか聞こえていた。

「いっそ10年前にプラントを滅ぼしてしまえばよかったのでは?」
「無茶言うな。当時の俺たちは10代のガキだぞ。成人まで親の遺産は制限されてたし、権力握れるようになったのはつい最近のことだ」

 それこそゼフィランサス・ズールとの出会いがなければラタトスク社を得ることはできず、アズラエル一族の中で影響力をどこまで拡大できたかも疑わしい。ただ財団の御曹司に生まれたというだけで世界を変えられるはずもない。

「ムルタ・アズラエルが10年早く生まれていればこの戦争はおきなかったんじゃないか?」
「それならそれでドミナント技術も10年進んでたことになる。71年が61年に変わっただけだろ。結局、俺たちの戦いは後手後手だ。だから間に合わせるさ。この10年かけて必死に追いついてきたんだからな」

 シュツルメントのバック・パックに搭載されたリボルバーが回転する。上へと回転したのは短い銃身を持つバルカン砲。それが左右で2機、肩越しに前へと向いていた。すでに射程にザフト軍ローラシア級の艦影は捉えている。奇怪な形状の艦体は前へと突き出たブリッジがずいぶん特徴的であった。シュツルメントのバルカン砲からは比較的口径の大きな弾丸が次々と放たれては戦艦の装甲を突き破り内部へと突入する。ビームほどの攻撃力を持たないバルカン砲では爆発を引き起こすほど破壊することはできない。ローラシア級は外殻を残しながらも完全に機能を停止していた。
 深海へと沈んでいく死せる鯨のようにローラシア級がシュツルメントからして下へと煙を吹き出しながら、しかしその形を維持したまま落ちていく。そうして開けた視界の先、宇宙に浮かぶ巨大な岩石の塊であるザフト軍最終要塞ヤキン・ドゥーエの姿があった。

「さあ、行くか、世界を救うためにな」




 奇妙な光景だった。ゲイツが敵へとビームを放つ。敵はそのまま突き進むだけで回避せず、反撃さえしなかった。それでもビームに撃ち抜かれたのはゲイツの方だ。
 カガリ・ユラ・アスハが目撃したこの出来事は、幻でも夢でもない。悪夢だとは言えるかもしれないが。
 白銀のガンダムである。ZZ-X200DAガンダムトロイメント。そのバック・パックに搭載された独立機動型の兵器はビームを屈折させると聞かされている。そして、そのパイロットの名前も、カガリは聞いていた。

「ラウ・ル・クルーゼか!」

 挨拶代わりにビームを放つ。するとビームは剣のようにも見えるユニットに命中し、他2つのユニットを経由してストライクルージュへと戻ってきた。予想通りだが、ついかわしながら舌打ちをする。
 ムルタ・アズラエルはどいつもこいつも皮肉っぽい。圧倒的な力を持っているためいつも余裕を見せてこちらのことを子ども扱いするからだ。

「カガリ・ユラ・アスハ。君は聞きしに勝るお転婆と見える。わざわざ好き好んで戦場に出てくるとはな」
「お前たちがオーブを攻めなければこんなことをする必要などなかった!」

 ビームがきかぬなら実弾でどうだ。ガトリングガンをトロイメントめがけて発射する。まったく悪い夢でも見ているかのような光景が続く。トロイメントは無数の弾丸をすり抜けるように瞬く間にストライクルージュの懐へと入り込む。やられる。そう確信しながらも反射的にシールドを体へと引き寄せる。寄せたシールドをわざわざ狙ったかのようにビームの光が爆発する。ただでさえ損傷していたシールドは一瞬で残骸と化した。飛び散る破片の隙間から白銀の輝きが目映い。

「そして今頃オーブは地球上で軍を起こし地球軍の土台を揺るがせる。そのような計画だったのだろう。ダムゼルによって裏から支配された国は!」

 鈍い衝撃がコクピットを揺らした。モニターの解像度が下がる。ルージュの顔面を思い切り蹴飛ばされたのだ。センサーが砕けでもしたのだろう。

「そう……、だとしても! 民間人まで犠牲にしてよい道理などあるものか!」

 ガトリングガンはシールドごと破壊されている。右腕に残されたビーム・ライフルの標準を意地であわせた。放ったビームにトロイメントの姿がかき消える。すぐさま衝撃が、今度は後ろから襲ってきた。
 機体の損壊を告げるアラーム音。バック・パックのウイングが折れ曲がっていた。どうせ蹴られたのだろう。I.W.S.Pにはフェイズシフト・アーマーは搭載されていない。
 敵は後ろ。左手で抜きはなったサーベルをだいたいのあたりをつけて振り向きざまに切りつける。真正面から放っても当たりそうにない攻撃が敵を捉えることができるはずもない。トロイメントはこちらを翻弄するように周囲を飛び回っていた。

「君が怒っているのは非戦闘員の犠牲かね? ならば兵士だけが戦う戦争ならば肯定しうる余地を残す。君のお父上は指揮官として戦線に加わっていた。これは許される犠牲だと言うことかね?」
「人殺しの言い訳にしか聞こえん!」
「結構。では我々は殺人者だ。肯定されるべきではないだろう。では君の殺人は何をもって肯定される?」

 ルージュの機動力ではまるで追いつくことさえできない。トロイメントがビーム・サーベルを抜き放つ。思わず身構えるカガリをあざ笑うかのように、相手のサーベルはあらぬ方向へと突き立てられた。そこにはいつの間にかゲイツがいた。カガリは目の前の敵に気を取られ気づくことさえできなかった。ラウ・ル・クルーゼは周囲の警戒を怠ることなく、接近した敵機のわき腹にサーベルを突き立てるなり一息に引き裂いた。
 片手間とはこのこととだろう。もっとも、カガリとの戦いが主目的だとは思われない。ムルタ・アズラエルのこんなところが嫌いだ。

「開き直ることが贖罪か!? 貴様等のしていることは所詮憂さ晴らしでしかない。そうやって理屈をもてあそび人々の憎しみを利用した末がただの復讐劇ではないか!」

 遺伝子を都合で調整されたこと、そんなことを未だに続けているプラントが許せないだけではないか。それを人類の未来語りに置き換え、人々を扇動する姿はプラントと重なる。違いなど、己の罪を自覚さえしていないか開き直っているだけではないか。
 叩きつけたサーベルはたやすく受け止められる。交差するサーベルからビームが漏れては強烈な輝きを放つ。

「我々は許せないのだよ。世界を、人の命さえ思い通りにできると思いこむ傲慢がな」

 レーダーに反応があった。ルージュとトロイメントがそろって飛び退いたところ、幾条かのビームが素通りする。ゲイツの小隊からの攻撃であった。さすがに味方であるルージュごと撃つつもりはなかったのだろう。狙いは甘くトロイメントはたやすく攻撃を回避する。この混戦状態でいつまでもタイマンとはいかない。敵にしてもストライクダガーが集まり始めていた。
 撃ち合いが始まる。互いの部隊が距離を一定に保ったままビームの応酬が続く。前からも後ろからもビームが飛んでくる環境だ。
 少しでも気を取られてくれることを期待して、ルージュを加速させる。この漆黒の宇宙の中で不必要に目立つ白銀の機体へとビーム・サーベルを振るう。手応えさえ感じるほどの必殺の呼吸であったはずが、トロイメントはすり抜けるようにルージュの後ろへと回っていた。
 これで何度目のことだろうか。ハウンズ・オブ・ティンダロスとか言う回避術に翻弄されることは。
 ストライクダガーからのビームを、カガリは絶えず機体を動かしながら回避し続けるしかない。それなのに、トロイメントはこんな砲火交わる中、ただ浮いていた。まるでビームに狙われないか、あるいはビームがその体をすり抜けてしまうかのように。
 別次元の怪物と戦っているような気分にさせられる。事実、ティンダロスの猟犬とは人とは異なる世界に棲む怪物の名前なのだそうだが。悪い夢でも見ているかのようだ。トロイメントは堂々たる構えをしていた。腕を特に力なく開き、全身を弛緩させているようにさえ見える。こんな火線走る戦場でとるべき姿ではない。
 白銀のガンダムは体をより強く輝かせた。

「ZZ-X200DAガンダムトロイメント。ゼフィランサスが流し続けた黒い涙の中から引き上げた悪夢の力をお見せしよう」

 トロイメントが後光のように背負うバック・パックから12機のユニットが一斉に飛び立った。一見したなら肉厚の剣のようにも見えるユニットは奇妙な動きを見せる。それぞれが独立し不規則にさえ思えた。縦に横に、回転し滑り、スラスターの位置などまるで想定していないかのように軌道と速さで周囲を飛び回る。

「何だ、この動きは!」

 基部にスラスターらしき構造は見えるが、それだけでは決して説明のできない動きだ。

「ミノフスキー・クラフトの特徴は装甲そのものを推進器として機能させることにある。形さえあればあらゆる方向へと推進可能だ」

 そして、ミノフスキー・クラフトが搭載されているということはその装甲はミノフスキー粒子に被覆されていることに他ならない。ミノフスキー粒子の特徴の一つとして、一定密度でビームを弾く--実際、ビーム・サーベルはこの原理を利用し成形されている--ことがあげられる。
 まるで追い立てられるかのように飛来してくるユニットへとついライフルの引き金を引く。ビームは反射される。そればかりか他のユニットが拾い上げ、攻撃となってルージュへと返ってくる始末である。
 そしてここには多数のライフルが存在している。ストライクダガー、ゲイツ。両勢力の放つビームはユニットが次々と拾い上げていた。12機ものユニットがモビル・スーツの3倍ほどの速度で縦横無尽に動き回る。その火力はライフルと同規模。攻撃力、機動力では1個連隊相当戦力に取り囲まれるにも等しい。
 ビームは縦に横に編み込まれ、不器用な綾取りのような幾何学模様を描きながら壁となって押し寄せてくる。
 瞬きさえ許されない。とにかく動き回る。あらゆる方向からくるビームを見える範囲のものはかわし、死角から迫るものは運試し。
 ゲイツが正面から頭を吹き飛ばされたかと思うと、後ろから胴を撃ち抜かれた。生きたまま貪り食われるように全身を撃ち抜かれた挙げ句撃墜された機体もあった。ルージュにしたところで左膝を撃ち抜かれた。高機動を続ける機体から投げ出された左足は取り残される形でビームに右から左から撃ち抜かれた。

「ビームが主力になった途端この様か! 楽しいだろう。その手の上に戦争を転がすことは!」
「勘違いしてもらっては困る。この世界も戦争も、一度たりとも我々の思い通りになったことなどない」

 ゲイツのようにビーム兵器を主力とする機体ではユニットを破壊することさえできない。反撃を恐れ攻撃を控えた機体はトロイメントのビームに直接撃墜された。
 守りにはいれば負ける。攻めるほかない。

「お前たちはいたずらに戦争を拡大させた! そうだろう! ゼフィランサスにガンダムを造らせ、戦争を拡大させることで私腹を肥やした!」

 ビームの網の中強引に突破を図る。追従していたゲイツはあっさりとからめ取られ全身を撃ち抜かれた。ルージュもまた大型のバック・パックに被弾する。推進剤と爆薬を満載したランドセルを背負ったままでいるつもりはない。外した途端爆発する衝撃波さえ利用して一気に加速する。網を抜けトロイメントへ斬りかかる。
 ルージュの勢いのまま叩きつけられたサーベルはトロイメントに受け止められ、強烈なスパークをまき散らす。

「そんなに人の生き死にが楽しいか!?」
「それは手段でしかない。我々の目的は戦争などではなかった」
「では復讐か!」
「人の世界を救うことだ」

 トロイメントがビーム・ライフルの引き金を引く。明後日の方向を向きながら、大型の銃口から複数のビームが一斉に放たれた。ビームは当然のようにユニットに弾かれルージュへと殺到する。
 あわてて鍔迫り合いを解除して飛び退く。しかしかわしたはずのビームさえさらに屈曲を経て迫る中、装甲をかすめ、残された右足が直撃を受けた。皮肉なことに命中弾はライフルから直接放たれたものだった。
 ユニットがトロイメントのバック・パックへと戻る。稼働時間の限界を迎えたか、あるいは余裕の現れか。トロイメントはその白銀の体を輝かせ続けていた。

(実力が違いすぎる……)

 これが、ゼフィランサスの生み出した力、そしてムルタ・アズラエルという男か。




「ムウ・ラ・フラガ大佐の部隊、まもなくヤキン・ドゥーエに到達します」

 マリュー・ラミアスは自分が艦長を務めるアガメムノン級のブリッジにて静かに戦況報告を聞いていた。クルーの声からも焦りは感じられない。戦力では圧倒的優位の状況なのだ。
 しかしマリューは勝ち戦とも言うべき状況に慣れないでいた。本来ならば顔をしかめたいところだが、部下の手前、平然と平静を装っていた。

「ロベリア・キロたちの部隊は?」

 本来ならば階級で呼ぶべきなのかもしれないが、ブーステッドマンは特別な兵士である。特にヴァーリであるロベリアについてはマリュー自身の経験から特別な印象を抱いている。

(子どもの指揮をすることに妙な縁があるようね……)
「戦線維持に努めています。すべて順調です」

 アーク・エンジェルの艦長として軍規を知らない少年兵たちとぎりぎりの戦闘を経験しすぎたせいかもしれない。何にせよ、マリューの軍人としての感覚は様々な違和感を訴えかけていた。子どもたちは今更だが、悠然と艦長席に腰掛けていられる状況はどうも慣れない。

「ザフトが無策すぎる……」

 思わず声が漏れた。口元にあてていた手が声を封じてくれることを祈るばかりである。
 ザフト軍にとって数の不利は分かり切ったことであったはずだ。それにも関わらず大軍に正面から挑みかかり、結果として消耗戦の様相を呈しつつある。そうなれば数で勝る地球軍が押し切ることになるだろう。
 パトリック・ザラ議長は鷹派と知られてい。有権者の手前、和平交渉や無条件降伏を選択しずらいことは理解できるが、まさか壮大な無理心中を画策している訳でもないだろう。
 ラウ・ル・クルーゼ大佐の言葉も、マリューの意識を捉えていた。
 この戦いは地球を救うものとなる。

「艦長……?」

 つい考え込みすぎただろうか。クルーが不思議な様子でマリューのことを見ていた。

「引き続き周囲を警戒」

 当たり障りのない指示を出しておく。これで一応の体面をたもつことはできただろう。いくら戦闘中とは言え、モビル・スーツを実働部隊とする戦場では、自軍優位の状況も手伝いすべきことは決して多くはない。
 マリューはつい手元のモニターの手動操作を始めた。こんなことは慣れたクルーの方がよほど手際よくしてのけることだろう。ただ私事を部下に命じるのは気が引けた。
 目的はアーク・エンジェルの位置。目立つ戦艦だ。位置情報を拾い上げることはさほど難しいことではなかった。思ったよりも近い位置にいる。未だ健在であることにある種の安堵感を覚えながら、同時に交戦する可能性があることに胸がざわめかされる。自分でも考えている以上にあの戦艦への思い入れは強いものであるらしい。
 しかし思い出に浸っている余裕などなかった。突如としてブリッジに警報音が鳴り響いた。

「何事か!?」

 クルーたちの様子から彼らもわかっていないことは明らかであったが、マリューはかまわず状況確認の責任を押しつけることにした。お飾りの艦長に比べたならはるかに優れた情報処理能力を持つクルーたちは慌てた様子ながら、しかし行動は早かった。

「レーダーに反応あり! イレギュラーです!」
「映像出しなさい!」
「しかし解析が終わってません」
「構いません!」

 よほど遠方にあるのだろう。望遠レンズの捉えた映像はその距離の間に入り込んでしまった障害物をCG処理で除去することでより鮮明な画像を得ることができる。空虚な宇宙では通常即座に終わるのだが、混戦状態ではそうはいかない。同時に悠長に待っていられる余裕もなかった。
 モニターには必要最低限の処理が施されただけの映像が投影される。すでに阻害物の映像は除かれているが、邪魔をされ本来見えていないはずの部位は処理ソフトの補完が不完全で不鮮明な形で表示されていた。それでも全体像を眺めるには十分であった。
 宇宙の闇の中、大型建造物が浮かんでいる。それはずいぶんと特徴的な形をしていた。

「これは……、杯?」

 そうとしか表現のしようのない形が、突如として出現したのだ。




 ミノフスキー粒子の膜構造であるIフィールドはその密度によって様々な性質を呈する。時に運動エネルギーを吸収し、時に電波を阻害する。特定の波長の電磁波を吸収することが可能となる。それは光の反射を軽減しながら周囲の風景を映し出す鏡を作り出せることを意味している。それはレーダーにさえ映ることはない。
 12000枚ものミラー・パネル表面にIフィールドを塗布する。するとどうか。宇宙の光景の中に完璧に溶け込む見えない壁ができあがる。
 こんな単純な衝立を用いることで簡単に隠すことができてしまうのである。
 ヤキン・ドゥーエを中心として激戦は続いている。ステルス性能はきわめて高い。何より宇宙は広大である。そして鏡の帳が解かれた時、それは突如として姿を現した。
 それは杯であった。基部は小さく、前へと向かって大きく丸い口を開く。なみなみと注がれた水が輝くように口の底は浅くくぼみ、まさに杯を思わせた。プラントがその1000年王国の夢をかけた、聖杯とも言うべき姿と形をしていた。小型のコロニーほどの大きさを持つ聖杯であった。
 では注がれているものは何か。主の流された血ではない。
 口の底には強力な磁場が敷き詰められていた。磁場を封じ込める特殊なレンズが反射し湛えられた水を思わせ、強力な磁場を作り出すために必要なエネルギーを確保するための核動力炉がその内部には置かれている。
 聖杯はただこれだけでは意味をなさない。後一つの仕掛けを必要とした。
 その形はたとえるなら畳まれた傘、あるいは鉄塔。杯の口の上に浮かび、水面に小さく影を落とす。聖杯に比べたなら小さくさえ思えるこの塔こそが、まさに始まりの鍵を握っていた。
 まず一つの反応が起きた。塔の中で生じた小規模の対消滅。発生したガンマ線は可視光の波長を持たない。見えることなく塔の広がった下部から放たれ聖杯へと降り注ぐ。それは磁場に反射され、再び塔へと追い返される。すると塔もまたガンマ線を反射し返す。ガンマ線は塔と聖杯とを行き来する形で封じ込められた。
 再び対消滅が引き起こされる。すでに発生していたガンマ線はそのままに、新たに発生したガンマ線が重ねられる。さらに対消滅、連続する。ガンマ線を無理矢理本数で表すなら、1本が10本に、10本が100本に、100本が1000、10000、100000へと加速度的に重ねられる。
 その線密度たるや、分子密度に乏しい宇宙空間でさえスパークを生じさせ、塔と聖杯との間を光子が暴れ回る。それは急速な成長を見せ、瞬く間に強烈な光の対流が聖杯と塔の間にほとばしる。
 レンズが同時に蠢いた。これまで塔へと返していたガンマ線を定まった同一方向へと打ち上げた。
 杯から光があふれ出した。それは宇宙空間を膨大な光の帯として突き進む。発光する。希薄分子に衝突することで部分部分に光の爆発が見えた。従来不可視のガンマ線は爆発の周囲だけその姿を現し、引き裂かれた布を吹き流したように千切れ千切れの光柱と化して発射された。
 ガンマ線はその透過率の高さで知られる。物質をすり抜け、その過程であらゆるものを焼き尽くす。
 光は地球軍艦隊を刺し貫いた。それは葡萄の枝のようであった。細く伸びた光の枝。その周囲に無数の房が実る。光り、輝き、丸く実った光の房が無数にたわわに枝に実る。人の命を養分として。




 強烈な衝撃がアーク・エンジェルを揺さぶる。クルーたちは各々の椅子にしがみつき戦艦を揺るがすほどの力の奔流が過ぎ去るをただ待ち続けていた。
 やがて衝撃は終息する。戦場の空気そのものも吹き飛ばされてしまったかのように一時の静寂の中、混線あるいは断線した通信からのノイズが走りモニターは衝撃直前の映像を砕いて潰したような無意味な画像を映し続けていた。
 最初に動き出したのは艦長であるナタルであった。

「モニター、回復急げ!」

 何が起きたのかさえわかってはいない。戦闘中、突然何かが通り抜けたような感覚の後、立っていられないほどの衝撃に見回れた。クルーが全員座っていたのは幸いだ。
 何かが起きたことだけは間違いない。
 マユラ・ラバッツはコンソールを叩く指を止めることなく報告する。

「映像、出ます!」

 モニターに何が映し出されたのか、当初誰もが理解していなかった。何もない宇宙空間。まだ映像の回復が完全ではないのかノイズがところどころに見えていた。だが、この映像が本来何を映し出していたのかに考えが及んだ時、誰もが理解した。
 この映像は地球軍の艦隊を映し出していたはずなのだ。
 あるはずのものがない。空を埋め尽くす、そうとさえ思えていた大艦隊が消失していた。ノイズに思えていたものは、溶かされたように全身を焼かれた戦艦の残骸、かろうじて形を残すストライクダガーの上半身、戦士たちの無数の亡骸であった。

「ひどい……」

 ジュリ・ウー・ニェン。レーダー--ただでさえ混乱することの多い機器である--を担当するジュリは感度が回復するまでの間、モニターを眺め続けていた。それだけその惨状を目のあたりにしていたのだろう。その声は震えてさえいた。

「これがザフトの切り札か……」

 まさに起死回生の一手であろう。正確な損害のほどはわからないが、仮に2度3度と照射できるのならば刃を交えることなく地球軍を殲滅できる。映像では杯を思わせる大型兵器を確認できた。みる限り、何か損傷しているようには思われない。
 ではこれは何か。アサギ・コードウェルがすでに司令部と通信を繋いでいた。

「司令室より情報の開示がありました。あれはガンマ線の広域照射装置とのこと。名称はジェネシス!」
「地球軍の様子はどうなってる?」

 ようやくレーダーが復旧したのか、ジュリから送られた情報がナタルの手元に表示される。

「完全に混乱しています。後続の部隊を中心に被害が出ています」
「つまり、前線の部隊は切り離されたということか」

 モニターにはジェネシスの光が通り過ぎたであろう箇所から綺麗に敵影がなくなっていた。おそらく味方への誤射を避けるためにザフトは照射を後続の部隊に集中したのだろう。後続部隊は壊滅的な損害が発生し、艦隊の再編には時間を要することだろう。前線の部隊は孤立させられたことになる。現在のザフトの戦力でも十分に対抗できる程度の戦力しか前線には残されていない。

「確かに好機ではありますが……」

 副艦長らしく、ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世の言葉はザフト軍として的を得たものであった。ここで前線部隊を撃破できれば後続部隊は攻撃の足場を失うことになる。事実上、ザフトはプランント防衛に成功する。
 そして、ジェネシスは次はどこを狙うのだろうか。

「ジェネシスの有効射程の情報は?」
「ありません。ただ……、試算したところ、高確率で地球に届きます」

 アサギの言葉にナタルは人目もはばからずうめいた。
 あれほどの大型兵器だ。しかも隠匿する形で建造が続けられていたことになれば要する時間は決して短くはないだろう。5年か、10年か。戦争が始まる以前から、あるいは血のバレンタイン以前から準備が進められていたことにもなりかねない。

「プラントは最初から地球を狙っていたのか……?」

 建国わずか40年にも満たない国が国史の2割をかけた大量破壊兵器。
 ジェネシスはゆっくりと角度を変更しようとしていた。片隅に見えるスラスターの光が巨大な杯をゆっくりと突き動かしている。まだ撃つつもりなのだ。
 ナタルは表情がこわばっていく様子を自覚していた。確かに国は捨てた。しかし地球を滅ぼすことにまで荷担する覚悟まで許した覚えはないのだ。




 一瞬コクピットのすべてのモニターが飛んだ。すわ機能停止かと身構えたが、幸いGAT-X207SRネロブリッツガンダムはすぐに正常に戻る。パイロット・シートの上でディアッカ・エルスマンは一息ついていた。
 上層部はともかくザフトでさえジェネシス--情報公開がなされたのはついさっきのことだ--のことは知らなかった。周囲では戦闘がやんでいた。
地球軍が体制の建て直しのためか小隊単位で集まろうとしている。ザフトはザフトで喜びの声をあげていた。中には祝砲代わりかアサルト・ライフルを無意味な方向へ撃ち続けている奴もいるほどだ。
 GAT-X303AAロッソイージスガンダムが近寄ってくる。先程から通信の混線がひどいためか、イージスは手を伸ばしブリッツへと触れた。装甲の振動を利用した通信で、接触通信を試みるためだ。

「ディアッカさん」

 カガリは勝手にどこかに行って、戦闘機乗りであるアーノルド・ノイマンとは歩調があわせにくい。2機のガンダムがそろった段階でディアッカの小隊は全員そろったことになる。キラ・ヤマトについては心配することもないだろう。

「大丈夫か、アイリス」
「私は平気です。でも……」

 続きはいろいろ想像できる。さっきまで激戦のただ中にいたと思ったらいきなりこれだ。形勢は逆転。後続の部隊が吹き飛ばされただけで敵の数はずいぶんと少なくなったように見える。

「ジェネシスか。まさかこんなの隠してたなんてな」
「こんな兵器があるならどうして今まで使わなかったんでしょう……?」
「使えなかったんだろ。まだ完成してなかったか、じゃなきゃ機会をうかがってたか」

 こんなものがあるならあのパトリック・ザラ議長殿ならためらわず使っていたことだろう。正直なところ、完成していなかったというのが正解な気がする。ではぎりぎりのところで都合よく間に合ったということだろうか。

「ジャスミンが戦わされた理由は、これだったのかもな……」
「どうしてですか?」
「ジャスミンたちの特攻でぎりぎりで間に合ったなら、ジェネシスの完成させるための時間稼ぎに使われたってことだろ」

 傷病兵、障がい者を使い捨てた作戦で地球軍の進軍速度は確実に落ちた。決して長い時間ではないが一手分の時間稼ぎにはなったのだろう。なるほどジャスミン・ジュリエッタは英霊として祭ってもらえそうだ。
 通信からは敵の壊滅にわく仲間たちの歓声が聞こえていた。思わず叩きつけるように通信を切る。これで聞こえてくるのは接触通信を媒介とするアイリスの声だけだ。

「じゃあ、エインセルさんたちが核を使ってまで進軍を急いだ理由もこれかもしれませんね」

 ディアッカは思わず声を失った。
 地球軍は焦っているように見えていた。無尽蔵ではない核ミサイルを惜しげもなく使っていた。アラスカ攻略失敗からたて続くジブラルタル、グラナダ、ボアズの陥落がわずか一月足らずの間に起きている。ヘリオポリスでのガンダム開発からでさえ半年に満たない。
 もしもムルタ・アズラエルがジェネシスの存在に気づいていたとしたなら。ここ3年もの間停滞し続けていた戦況が一気に動き出したのはジェネシスの完成に間に合わせるためだとしたら。

「この戦争、俺たちの及びもつかないところで動いてたってことだな……」
「ディアッカさん。地球軍は壊滅状態。これで本当に戦争が終わると思いますか?」
「いいや、ムルタ・アズラエルにとっちゃ、これからが本番だろうさ」

 地球軍はそれでも、背中を見せている奴なんてどこにもいないのだから。




「照射成功! 敵艦隊4割消滅。大勝利です!」

 スタッフは大声を張り上げた。おそらく彼の一世一代の声であろう。無理もない。こうでも叫ばなければ歓声に沸き立つ司令室でパトリック・ザラにまで報告を届けることなどできなかったことだろ。
 もっとも、地球軍の惨状などモニターにこれでもかと映し出されている。報告されるまでもないいことなのだが。

「戦いとはこうでなくてはな。いつまでも旧暦の遺物にすがりつくからこうなるのだ」

 核など品のない兵器など必要ではないのだ。ジェネシスならばコーディネーターが一滴の血を流すこともなく敵を殲滅することを可能とする。
 パトリック・ザラは立ち上がった。スタッフたちは興奮覚めやらぬようすながらも言葉を鎮め主へと向き直る。

「不遜の塔は神の雷によって突き崩された。なぜ我々は攻撃を受けねばならぬのか。それは我々が正しいからに他ならない。仮に我々が間違っているのだとすればナチュラルどもは我々を攻撃する必要などない。なぜなら過ちは自然と淘汰され批判に耐えることができないからだ。ところが我々は厳然と存在している。それは我々の正しさの証左なのだ」

 パトリック・ザラ議長は一度息を吸い込み間を作る。人々の期待が高まることを待つ。この間合いの取り方をパトリックは得意としていた。

「ザフト全部隊へ通達。狐狩りを楽しめと伝えろ。ムルタ・アズラエルの首さえとれば戦いは終わる。人類の新たな歴史が始まる。このジェネシスこそが、コーディネーターの創世記となるのだ」

 まるで弾けたようにスタッフたちは活動を再開する。早く仲間たちと勝利の余韻を味わいたく仕方がないのだろう。パトリックは彼らの興奮に任せ、自らは再び座ることにした。
 10年にも及ぶ悲劇の連鎖はこれで終わる。血のバレンタインの代償を、ナチュラルどもはようやく支払うこととなる。

「レノア、ようやくすべてが終わる。累々と積まれたナチュラルどもの屍の山をお前への花と代えよう」
「ことはそう簡単なことでしょうか?」

 穏やかな余韻を引き裂いた声は聞き覚えのあるものであった。小娘の甲高い声に、パトリックは苛立ちを隠すことなく椅子を回し後ろを向いた。どこから入ってきたのか、桃色の髪、青い双眸を持つヴァーリが立っていた。張り付いた微笑みが何とも気味が悪い。

「ナチュラルは所詮ブルー・コスモスに踊らされているにすぎん。ムルタ・アズラエルさえ死ねばおとなしく振り上げた拳を下ろす」
「私はそうは考えません。すでに地球では10億もの命が奪われました。7年もの間、雌伏の時を耐えた人々があっさりとその手を緩めることなどできましょうか?」

 思わず鼻から息を吹く。鼻で笑うとはなるほど、こういうことを言うのだろう。この小娘は戦術というものを理解していないらしい。

「全戦力の4割を喪失したとなれば事実上全滅したにも等しい。すでに奴らは死に体だ。独裁者の末路などどこでも似たようなものだろう。虐げていた民衆に引きずり出され誅殺される」

 もはや彼らの権力を支えていた武力は存在しないのだ。配下の裏切りにさらされるか、ザフトに追いつめられるのが先か、すでに時間の問題であると言えた。
 聞けばムルタ・アズラエルは自ら戦場に出ているそうだ。圧倒的戦力に守られた安全な場所で狩りにでも興じているつもりだったのだろう。一転狩られる側に立たされた彼らは今頃慌てふためいていることだろう。
 ザフトは喜びにわき、ナチュラルどもは恐れおののいている。平静なのは目の前の少女ばかりであった。

「ナチュラルが攻めてくるのは一部の悪意に扇動されているから。あなたは大変狭量なお方です。一つのものの見方に囚われそのことに気づいてさえおられない。お強いことでしょう、あなた様は。人が本来ならば迷い、足踏みをしてしまう岐路さえ、分かれ道になっていることに気づくこともなく突き進んでしまわれるのですから」
「何が言いたい?」
「馬鹿は賢者100人分の働きをする」

 なるほど、こう言いたいのだろう。単純な馬鹿な行動力だけは達者だと。
 少なくともこの小娘をここにおいておく道理はない。

「レイ・ユウキ。この人形風情をつまみ出せ」

 命じられた男は、しかし動きだそうとはしなかった。

「つまみ出せと言っている!」
「私は元々クライン家の人間です。あなたのそばにいたのはヴァーリの情報を操作するために派遣されていただけにすぎません」
「何を言っている?」

 レイ・ユウキという男は冗談を言うような男ではない。そしてパトリック自身、突きつけられた銃を笑ってすませられる性分ではない。レイは普段見せる冷静な表情のまま、拳銃をパトリックへと向けていた。少女の背後からライフルを下げた一団が次々となだれ込んでは司令室各所へと散っていく。座ったまま、パトリックは制圧の様子をただ眺めていることしかできなかった。
 少女は何事もないかのように微笑んだままだ。

「まずは感謝を伝えたい。ありがとう、パトリック」

 少女の声でしかし伝えられた内容はあの男のものだ。ヴァーリたちの父であるシーゲル・クライン。

「君は私のことをよく思っていなかったようだ。しかし私は君のことを最良の友人だと思っているよ。考えたことはないかね? プラントはまだまだ弱小だ。どんなに頑張ったところでやはり地球軍には押し返されてしまうよ。それは仕方がない。では、その責任は誰がとればいいのだろうね? 戦争を始めた私かな? それとも議長の椅子についた途端負け続ける君かな?」
「貴様!」

 立ち上がろうとすると、レイが拳銃を強調して手を動かす。金属の震える音とともに、パトリックは立ち上がることさえ許されなかった。パトリックだけではない。スタッフたちの周囲でもライフルを装備した兵隊どもが睨みをきかせている。

「議長の椅子は重い。私はそうは言わなかったかな? なのに君は進んで私のスケープ・ゴートを引き受けてくれた。感謝してもしたりない。この戦いはまだまだ続く。たとえジェネシスで地球を焼き払うことができたとしてもね。いや、戦いなど所詮手段にすぎない。クライン家1000年の夢を実現へと近づけるためのね。そのためにもプラントという国はまだまだ必要だ。そこでこうしよう。まず君に議長の席を譲る。そしてどうしても回避することができない悪いところをすべて君にかぶってもらおう。するとどうかな? プラントの民は君が悪かったと思いこむだろう。そして地球軍を追い払った手柄をクライン派のものにしてしまうんだよ。プラント国内のクライン派の政権はこれで盤石になる。そうは思わないかね?」

 出来の悪いレコーダーのように、少女は淡々と続けている。おそらく一言一句誤りなどないのだろう。
 司令室を瞬く間に制圧した手並みなど見るに、相当の深度までダブル・エージェントの存在を許していることは確かであった。何とも下らん道化を演じさせられたようだ。
 思わず力のこもる拳。レイはパトリックの一挙手一投足を見逃すことなく銃口がパトリックの動きにあわせて小刻みに動いた。

「そのためには、君には死んでもらわなければならない。君は敗戦の責任をとるために奮戦し戦死。クライン派によって逆転はなされた。こんな筋書きでどうかな?」
「ジェネシスのコントロール利きません!」
「敵部隊ヤキン・ドゥーエ内に侵入! 敵の勢い止まりません!」

 すべて計算されていたのだろう。まさかここまでの組織力をクライン派が見せるとは計算外であった。ロゴスはパトリック・ザラという男を認めようとはしなかったのだ。
 ジェネシスは奪われ、処刑人としてナチュラルどもが招致されたらしい。敵機の侵入を告げる警報音とともに鈍い衝撃が要塞を揺らしていた。

「敵に塩を送るとはな」
「塩? いいえ。これは地球の方々の努力の賜物です。当然ではないでしょうか。今から、地球の人々こそが守る側へと変わったのですから」

 すぐそばにまで敵が迫っている。小娘には恐ろしいことであるはずだ。しかしこの娘は微笑み以外の表情を見せることはない。その意味において不気味なほど無表情に思えた。背筋に悪寒を感じた理由の一つにはまさに人形でしかないこの娘の顔が挙げられる。
 そしてもう一つ。地球を守る。さりげなく語られた言葉にこそ、クライン派の悪意は潜んでいた。

「貴様等は、地球を狙うつもりか?」
「何を今更驚かれるのでしょう? ニュートロン・ジャマーの降下には進んで賛成したと申したではありませんか?」
「地球にはまだザフトが残っているのだぞ!」
「エイプリルフール・クライシスの犠牲者がまさかナチュラルだけとお考えですか?」

 少女は拳銃を取り出す。小娘が護身用に持ち歩くような小口径のものではない。身の丈にあった範囲で最大限の殺傷力を確保するためのしっかりとした大きさのものである。

「パトリック。ありがとう、そしてさようなら。おさらばです、お義父様」




 銃声が鳴り止んだ。
 無重力の中、血は丸い水滴となって周囲を漂う。赤い水滴が何かに触れると表面張力を失うように染み込んで、染み込んで赤い染みをつける。たとえば砕けたモニターに、あるいは漂う人に、赤い染みをつけていた。
 銃を持つ兵士たち。屍と化したザラ派の兵士たち。しかしここに総大将であるパトリック・ザラの姿はない。その代わりとして、Gの名を与えられたヴァーリが、頬を血の朱で染めながら睥睨していた。砕けたモニターがそれでも映す戦場の様子を、今なお戦う人々の姿を、無重力に浮かぶ死体を通して。

「私はガーベラ・ゴルフ」

 ここでは初めて少女は名乗った。もはや誰も聞いてはいない。死体と化した人々と、任務を追えた兵の姿しかないのである。

「私はラクス・クライン」

 かつてプラントの歌姫と呼ばれた少女はその魅力の一切を放棄することなく死の光景を見つめ、微笑み続けていた。



[32266] 第47話「死神の饗宴」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:08
 外では戦闘の真っ最中なのだろうが、特にすることがない。ベッドの寝そべったまま戦闘の振動を感じている。その程度だ。しかしずいぶん前から戦艦を揺らす振動は激しさを増す一方だ。ほんの30分ほど前に発生したものはそのまま艦が分解するのではないかと思えるほど激しいものであった。

「騒がしいな。一体何が起きている?」

 体を起こす。それで何かが見えてくる訳でもない。狭い独房の中には時計さえない。結局、退屈を紛らわせるためのどうでもいい行動にすぎない。ボアズで捕虜にされて以来こんな毎日が続いている。
 しかし今日は違った。何の前触れもなく独房の扉が開いた。ベッドに腰掛ける形で向き直ると、どんな屈強な男が尋問に訪れたのかと思いきやまず見えたのは無重力に漂う髪であった。
 白く長い髪がそれこそ波のように揺れている。黒いドレスはずいぶんと派手だがそれにも負けず赤い瞳がずいぶんと鮮やかだ。そしてその顔はヴァーリ特有のものであった。

「会ったことはないな。ヴァーリか?」
「Z……、ゼフィランサス・ズール」

 これで何人目か。決して多く会った訳ではないのだろうが、多少は見慣れたらしい。このゼフィランサスはミルラ・マイク--ヴァーリのことはこのMのヴァーリから聞かされた--とはずいぶん様子が違って見える。瞳の色に頼らずとも見間違うことはないだろう。

「俺に何の用だ?」
「一つお願いがあるの……、イザーク・ジュール」




 静まりかえった宇宙。そこには幾多の残骸が浮遊している。戦いによって破壊されたもの、敵によって壊されたもの、すなわち戦闘の傷痕であった。
 この宙域がわずか数刻前まで激戦地であったと言われれば多くの者は我が耳を疑うことになるだろう。すなわち膨大な数の戦艦が一瞬とも言える短時間のうちに撃沈させられたことに他ならないからである。ザフト軍が使用した広域ガンマ線照射装置ジェネシス。その暗い輝きは地球軍艦隊をひとまとめに消し飛ばした。
 戦闘は当初、地球軍の圧倒的戦力による絶対優位のまま進んでいた。ザフト軍はモビル・スーツという質的優位を失い、量において国力に勝る地球軍に及ぶべくもない。プラントの劣勢は、しかしジェネシスの登場によって一変した。
 最大有効射程50万kmにも及ぶこの大量破壊兵器は地球軍の後続部隊を焼き払った。消失艦船は全体の3割を越え、3割が何らかの損害を被った。残存兵力さえその混乱をおさめるには至っていない。後続部隊は事実上壊滅。前線部隊が取り残される形となった。その結果、最前線における彼我戦力差は逆転。ザフト軍はこれを千載一遇の好機ととらえ攻撃を即時再開したのである。
 戦いはザフト軍勝利で幕を閉じるものと思われていた。しかしこの戦争は偉大な特徴を有し続けていた。蓋然性まで高められた予想を、戦争は絶えず裏切ってきたのである。
 地球軍は決して弱くはなかった。
 頭部と左腕を吹き飛ばされたGAT-01デュエルダガーが突き進む。すでに撤退が許可されるほどの損害である。それでさえ、デュエルダガーの残された右腕はライフルの引き金を弾き続けていた。シールドを失ったゲイツがいた。本体は健在。まだ十分な量の推進剤を残しながらも、すでに撤退の準備を始めていた。
 この違いはどこに原因を求めるべきであろうか。それは一つには当事者意識の有無であった。
 ザフトはユニウス・セブンを除き、これまで本土攻撃にさらされたことはなかった。血のバレンタイン事件における20万の死者。しかしプラントには2000万を越える人々がいる。一つのコロニーの中だけで完結した大災害。100人に1にも及ばない犠牲者。プラントにとって同胞の死は、しかしどこかで遠い出来事であった。さらにはヤキン・ドゥーエ、ジェネシスを残す今、すでに地球軍にはプラント本国まで攻撃する余裕がないことは明らかであった。焼かれぬ国土、それがプラント。
 地球は追いつめられていた。エイプリルフール・クライシスでは10億もの人が殺された。停電による闇の夜を経験しなかった者などいない。地球人口の7人に1人が殺された。父親、母親、姉、弟、叔父にいとこが2人。ではこの中の最低1人が殺されていることになる。友人を7人挙げる度、知人を7人挙げる度、分かれた恋人を7人並べる度、人が1人死んでいく。地球は本土全土を対象とした爆撃にさらされたのである。そしてジェネシス。
 並べてみよう。
 地球軍は追いつめられていた。ザフトはジェネシスを地球へと容赦なく照射するだろう。彼らはすでに親族と友人、知人、恋人を奪った。たとえどれほど劣勢に立たされようと、どれほど傷つこうと引くことは許されない。自分が引けば地球が焼かれ皆が殺されるのだから。
 ザフト軍は追いつめていた。すでに本国は安泰である。ジェネシスが照射さえされれば自分が戦う必要はない。ユニウス・セブンに親戚は住んではいなかった。自分が引いてもかまわない。勝ち戦で命を落とすことも馬鹿げている。
 これが故であり、目の前に結果は示される。ゲイツとデュエルダガーとが向かい合う。
 ゲイツはビームによる牽制を繰り返していた。

「ジェネシスは……!? 照射はまだか……」

 ジェネシスさえ発射されればすべてが終わる。ザフトが勝利し、この戦争は終わるのだ。勝利は間近。今更ここで命を落とすつもりにはなれない。放ったビームが無理な接近をしていたデュエルダガーを捉えたことでザフト軍パイロットは一息つく。
 ビームは確かに命中した。デュエルダガーは頭部を巻き込む形で左腕を失っていた。位置から考えてジェネレーターに飛び火している。爆発まで間もない。そのことに何の意味があるだろうか。元より命を望んでこの戦場に来た訳ではないのだ。ここで引けば地球が焼き払われる。愛した人も、苦手だった奴も、憎みさえした相手さえ皆殺しにさせられる。

「これ以上やらせん! やらせはせんぞー!」

 デュエルダガーの放ったビームは、まさに執念がとりついたか。ゲイツは慌てたようにシールドで防ぐ他なかった。破壊されたシールドが合板の剥離という形で爆発する。
 シールドを失っただけのゲイツは、それでも怯えたように逃げ始めた。すでに腕を残すだけのデュエルダガーは止まることはなかった。逃げるゲイツに後ろからとりつくと、ジェネレーターはついに限界を迎えた。燃料、推進剤に引火した爆発がゲイツを巻き込んだ。その爆圧はゲイツそのものを破壊し、続けざまにゲイツが爆発する。
 撤退を自らに許さず戦い続ける者とわずかな損傷を理由に撤退を望む者。
 戦争はいつだとて数で語ることはできない。




「第4から第11大隊まで壊滅状態です!」
「旗艦リンカーン及びケネディ沈黙!」
「ユーラシア連隊より入電! 部隊に甚大な被害あり。後退するとのことです!」
「全艦隊に混乱が生じています!」

 大西洋連邦軍の旗艦の一つはエインセル・ハンターの妻であるメリオル・ピスティスに任せられていた。クルーたちの声が響くブリッジにて、メリオルは特に目立つ行動することなく眼鏡の位置を直す。
 慌てることなどないのだ。クルーたちの声は大でありながら、しかし慌てふためている訳ではない。ただ状況の報告をより正確にせんと声を張り上げているだけなのだ。誰もが理解していた。ここですべきは慌てることではないのだと。

「アズラエル様の部隊は?」
「ムウ・ラ・フラガ大佐麾下の部隊はヤキン・ドゥーエへ接近中。ラウ・ル・クルーゼ大佐、エインセル・ハンター大佐の各部隊はジェネシスを目指しています!」

 すべてが計画通りという訳ではない。しかしそれは最悪の経過をたどっていることを意味しない。まだ地球は健在であり、戦士たちの心意気は失われていない。

「本艦隊は隊列の再編、維持に努めなさい。無事な母艦、部隊を優先的にリスト・アップなさい。有志の形でかまいません。後続部隊として援護にまわします」

 元々すべてが後手の戦いを、ムルタ・アズラエルは必死にプラントに肉薄していた。遙か遠くにあった目標は手に届く範囲にようやくところにまで転がり込んだ。この戦いは、何ら窮地を迎えてなどいないはず。
 3輪の青薔薇を象徴に掲げる主にとっては。




 チューブを握りつぶすように携帯食料を口へと流し込む。腹持ちがいいだけのひどい代物だが、こんなものでも今のカガリ・ユラ・アスハは必要としていた。食わなければ戦えず、そして臥薪嘗胆というやつだ。
 ジェネシス発射後、ラウ・ル・クルーゼのZZ-X200DAガンダムトロイメントは傷だらけのGAT-X105ストライクルージュを見逃してジェネシスを目指した。相手にもされなかったのだ。
 ストライクルージュは両足を破壊され、装甲のところどころを削られた形でアーク・エンジェルの格納庫にぶら下げられている。整備の連中にすでに作業に取りかからせているが、こうしている間にも時間はすりつぶされている。
 カガリがうまくもない携帯食料をかみ砕いているのはそのためだ。何かできることもなく格納庫の隅で憤りを食料にぶつけ続けていた。
 そんな時格好の獲物が訪れた。ウサギとするには少々無骨すぎるが、アーク・エンジェルの整備長であるコジロー・マードックだ。端末片手に髪をかいている。清潔感に乏しい風袋だ。

「カガリさん、ルージュのことなんですがね。脚部の修復には時間が……」
「足は必要ない。とにかく整備を急がせろ」

 宇宙空間では重力下ほど脚部は重要ではない。あるにこしたことはないがなければないでごまかしも十分にきくことだろう。
 だというのにマードックの表情は冴えない。文句があるんなら文句があるではっきりと言えばいい。煮え切らない態度がいらいらとさせられる。カガリの腕はついマードックの胸ぐらを掴みあげていた。

「足など飾りだ。偉いことが起きていることがわからんのか!」

 地球が滅びた後に完全な機体を渡されても泣くに泣けない。

「な、なら終わりました」
「そうか、では引き続き……」

 整備作業に取りかかれ。そう言い繋ぐつもりであった。実際そのつもりでマードック整備長を解放した。それから聞き間違えに気づかされた。この男は、確かに整備を終えたと言っていなかっただろうか。
 カガリは整備長の持つ端末を奪い取る。表示された情報には、ルージュに必要最低限の整備が施されていることを示していた。時間的制約の中で完璧と言っていい。機体の性能を取り戻しながらカガリが驚くほどの早さなのだから。つい目が、睨みつけるように無精な整備士を追った。

「これほどの整備、モルゲンレーテ社でもできる者はそう何人もいなかった! 思えばお前は疑わしい。ここは確かにマンハッタンではないが、運用される予定もない核動力搭載機の整備などそうそうとできるものか!?」

 結局、手は再び胸ぐらをつかんでいた。体格ではカガリの方が圧倒的に分が悪いのだが、完全に気圧している。

「どういうことだ? はじめからパーツを積み込んでいたのか? 最初から核動力搭載機が乗ることを知っていたのか? ならお前は全部知っていたということだな!」

 そうでなければどう考えても整備の難しい核動力搭載機などすぐに使い物にならなくなる。ただでさえモビル・スーツは出撃の度に整備が必要になるほどデリケートな代物なのだ。それに加え放射性物質の調達から被爆の問題もある。そんなものを成り行きで整備などできるはずがない。
 カガリは目を尖らせてマードックの顔をのぞきこんだ。

「お前、さてはブルー・コスモスだな?」
「え、ええ、まあ一応。でも、今更な気が……」
「そうか! ムルタ・アズラエルは最初からヘリオポリスでのガンダム開発計画に参与していた。ガンダムはラタトスク社の広告塔でもあった。そんな大切な機体をどこの馬の骨ともわからない奴に任せるはずがない!」

 興奮するカガリが揺らす腕の先でマードックは揺れていた。

「お前はブルー・コスモスなんだろ! それも上位の構成員だ」
「いや、そこは……」
「なんたることだ! ムルタ・アズラエルは何から何まで計算付くだったんだな!」

 ガンダム開発に関わっていたことは知っていた。しかし穏健派が必死でかき集めた人員の中に急進派の手の者が入っていたとなれば笑い話ではすまされない。

「答えろ、コジロー・マードック!」

 カガリの手によりいっそう力がこもる。ミシミシと首がしまっていくが、カガリは自身の力を過小評価していた。小娘の細腕--本人はそう考えている--は万力のように男の太い首を締め付けていた。その力が急に緩み、マードックは解放された。

「ムルタ・アズラエルのしようとしていることは……、正しいことなのか?」

 喉をさするマードック。その様子は飄々とさえしていた。まるで柳のような男だ。周囲に流されてばかりいるようで、しかし決して折れることはない。

「さて……、どうで、しょう。60億の命を救おうとすることが、正しい保証は確かにありませんからね……」
「皮肉るな! お前、どうしてブルー・コスモスに入った?」

 この男が声高らかに青き清浄なる世界のためにと叫ぶ姿など想像もつかない。また、カガリはコーディネーターだ。ブルー・コスモスが対象としているのはコーディネーター思想そのものであってコーディネーターそのものではないということは今更かも知れないが。

「誰かが立ち上がらなければならない時に立ち上がった人たちがいる。そんな人について行きたいと考えるのは当然。これは、死んだ女房の口癖でしてね」
「ムルタ・アズラエルは、そんなに信用に値する人物なのか?」

 マードックは答えなかった。代わりに髪をずぼらにかいていた。男とは時にひどく卑怯な生き物に感じる。身だしなみに無頓着であることが、時に仕事への熱意や誠実さを感じさせる要素になるからだ。
 脇に置いてあったヘルメットを掴みとる。

「装備はエール・ストライカーを頼む。私も最後の仕上げに行くことにする」




 ジェネシスが再び動き始めた。再び始められる聖杯と鉄塔との不可視のやりとり。ガンマ線が中空を漂う分子に触れる度生じる放電。それが次第に線条を描き出し、殴り書きされたかのように瞬く間に光の柱となって杯と塔との間を暴れ回る。
 水面が揺れた。聖杯を満たす水のように敷き詰められたミラー・パネルが一斉に蠢動する。塔へと打ち返されていたガンマ線が指向性を与えられることで一気に放たれた。
 光の暴力。輝きの暴威。欺瞞の太陽の輝きが我先にと突き進む。
 1枚でも多くのミラー・パネルを破壊しようと接近しすぎた部隊があった。無理を承知で最短距離を進んでいた部隊があった。そこには地球を救いたいという思いがあった。プラントにとって、ナチュラルはブルー・コスモスの妄念に突き動かされるだけの及ばぬ者にすぎない。
 ジェネシスは、そう、すべてを一緒くたに消し飛ばした。
 禍々しいほどの輝きは呑み込み破壊しなおもその勢いを弱めることはない。その進む先、目標、あるいは標的とすべきか。光の槍は月へと突き立てられた。
 彼方、地球で見るよりも大きい月は美女の横顔も蟹の鋏もウサギの姿も見せてはいない。ジェネシス命中箇所を爆心地として丸く広がる衝撃波が光の帯となって月面を撫でるように広がる。光のリングは反対側へと月の直径に比して伸縮し爆心地の反対側に集結して消えた。
 この光景は、地球からでも見えたことだろう。




 ザフトは月面最大規模の基地、グラナダをすでに失っている。主要な基地からは撤退を余儀なくされた。しかしザフト兵のすべてが脱出に成功したわけではない。地球軍の基地を破壊するためとは言え、味方の犠牲さえ辞さない攻撃は、より地球の危機を顕在化させた。
 プラントはザフト地上軍の被害をかまうことなく撃つ。そう鮮烈に示されたに他ならない。
 アーク・エンジェルのブリッジには重苦しい沈黙が帳をおろしていた。自分の心音が最も大きな音であるような、肌の張り付く緊張感の中、月へと照射されたジェネシスの輝きが消えるまでを眺めていた。

「ナタルさん……、こんなのって……」

 フレイの言いたいことは途切れた言葉でさえ理解されることだろう。ブリッジの中、誰もが同じ考えを共有していた。それはブリッジにとどまらない。通信では戦闘機からパイロット--アーノルド・ノイマン--の声が届いていた。

「バジルール艦長、具申をお許しいただけるのでしたら、我々はこのままザフトであるべきとは考えません」
「しかし、我々は脱走兵に他ならない。ここでザフトを離反するということはこの世界に居場所をなくすことにも等しい……」

 では地球が破壊される様子をこのまま手をこまねいてみているつもりなのだろうかと言葉ならず問いかけられた時、ナタル・バジルールは返す舌を持たない。
 それは誰であっても同じことだろう。地球を守るべきかと問われれば是であろう。しかしザフトを離れること、地球軍に合流すること双方にためらいを覚えていた。

「いっそ宇宙海賊になるってのもありかもな、艦長?」
「ディアッカ……?」

 艦長席備え付けのモニターには笑っていた。

「ザフトがジェネシスを照射して地球は丸焼けになりました、めでたしめでたし。なんて結末ごめんだろ。どっちが勝つかなんてわからねえけど勝ち馬に乗りたい訳じゃないなら、すべきことは決まってるだろ」
「しかしそれでは君の立場が……」
「評議会議員のボンボンが土壇場で部下に見捨てられました。週刊誌にうまいネタくれてやるのも悪くない」

 どう答えてよいものかナタルにはわからなかった。ただ、つぼにはまった者はいたらしい。クルー三人娘がくすりと笑いをもらすことはともかく、軽はずみな言動とは無縁のダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世が大きく笑っていることには、ナタルとて少々驚かされた。

「行ってくれ。そんな結末は誰も望んじゃいない」




 宇宙の暗闇を切り裂いてストライクダガーの一団が駆け抜ける。その体は18mもありながら小さく、要塞へと通じるハッチを高速でくぐり抜けた。戦艦発進用のハッチは大きく格納庫は巨大。相対的にストライクダガーは小さく見える。
 ストライクダガーたちは格納庫へと飛び込むなら各々の方向へ急遽軌道を変えた。動きが遅れた1機のストライクダガーが突如、ビームに撃ち抜かれ爆散する。
 残されたストライクダガーの動きは速かった。格納庫の壁に沿うように旋回し、振り向きざまにビーム・ライフルを放つ。しかし敵はより速かった。サイトに捉えることさえできない。反撃としてストライクダガーに命中したビームはモビル・スーツの分厚い装甲を貫通してなお格納庫の壁を吹き飛ばす威力を残していた。このストライクダガーが爆発する頃には最後の1機がビーム・サーベルでその胴を両断されていた。
 残されたのは、10枚もの青い翼を鮮烈に輝かせるガンダムの姿であった。ZGMF-X10Aフリーダムガンダム。

「こんなところにまで敵の侵入を許すとはな……」

 アスラン・ザラはモニター上に映し出されている格納庫の外、宇宙の様子を眺めながら囁いた。外では激しい戦いが続いている。前線の戦力差はジェネシスによって逆転したが、それが地球軍の戦意をそぎ落とすことはできなかった。
 アスランは、窮地に陥りながらも地球のために戦う人々の姿にかつて地球で出会った戦士の姿を重ねていた。光の線条と線条が交わる先で火の花が爆ぜる。この光景の中で人々は戦っているのだ。地球もザフトの人々も。
 そしてアスランはザフトであった。プラントのために戦わなければならない。
 フリーダムはその翼を淡く輝かせた。すると生じた推進力が機体を進ませ、格納庫壁に設置された小型ハッチ--あくまでも戦艦がくぐれない規模というだけだ--を通り抜けヤキン・ドゥーエのさらに奥へと進んでいく。すでに内部にまで敵は侵入している。

(だが、排除することに意味があるのか?)

 すでに主戦場はジェネシス周辺宙域へと移行しつつあった。主力部隊とてすでにヤキン・ドゥーエを離れつつある。そして、クライン派はパトリック・ザラを野放しにしておきことはないだろう。
 理解はしている。パトリック・ザラは始末されるだろうと。しかしどうすればよいのかわからない。息子として父を救うべきなのか、ドミナントとしてクライン家の意向に従うべきなのか。おそらく後者なのだろう。そのため、アスランはフリーダムでヤキン・ドゥーエから逃げるように戦場へと向かい、そして戻ってきた。
 アルファ・ワンとしてクライン派を妨害することはできなかった。しかしアスラン・ザラとして、パトリック・ザラの息子としての自分を捨てきれないでいるのだろう。
 フリーダムはアスランを運びながら細い通路を飛行している。やがて格納庫へとたどり着いた途端、視界は開けた。ここは要人用の脱出シャトルが置かれている格納庫である。アスランがアスラン・ザラでなければこうもたやすく入り込むことなどできるはずもない場所だ。
 あわただしい他の格納庫とは違い、ここは静かなものだ。シャトルが何隻か置かれたまま使用された形跡はない。もしもパトリック・ザラが生きているとすればここを目指すと踏んでいたが、あてが外れただろうか。その時、フリーダムの対人センサーが静謐な格納庫の中に人影を捉えた。モニターに表示されたカーソルが人の姿を捉えたのだ。

「ザラ議長!」

 シャトルへとつながる連絡通路の上にその人はいた。手すりに寄りかかるように座っている。いや、倒れているのか。ガンダムの優れた解像度は周囲に漂う血の滴さえしっかりとモニターに表示していた。シャトルにたどり着く前に力尽きたのだろう。しかし体はわずかに揺れている。重々しく持ち上げられた首は、しっかりとフリーダムを捉えた。

「貴様もこの茶番劇の仕掛け人か……? だが、今となっては……、どうでもいいことだ……」

 ミノフスキー・クラフトの膨大な推進力では人の小さな体など簡単に吹き飛ばしてしまう。よって使用できない。体を支えるためにシールドを投げ捨てあいた左手でうまくフリーダムの体を固定しながら、ライフルを捨てた右手を差し出した。

「早くこちらへ」
「貴様の施しは受けん……!」

 振り払うどころか、体は首以外まともに動いていない。それでも言葉は明確にアスランのことを拒絶していた。この人は、アスランを息子とは認めてくれていないのだ。

「ではアズラン・ザラでなくて構いません。一兵卒に命じてください。ザフトの最高指揮官である自分を救えと!」
「貴様は私とレノアの子どもどもではない。それだけだ……」

 それが、急進派筆頭、パトリック・ザラの最後の言葉だった。急に首が力をなくして震えた。地球のような重力がないため垂れ下がることがないのだ。その動きは人のものとはとても思えない。アスランに一つの死を見せつけていた。
 これで父を亡くした。それとも、最初から父などいなかったのだろうか。遺伝子提供者としての父はいることだろう。しかし遺伝子そのものは高度に調整され、おそらく親子鑑定は否定されるはずだ。アスランに父と呼べる人など最初からいなかった。

「俺たちをこのように作り出したのはあなた方ではありませんか……、パトリック・ザラ」

 パトリック・ザラ議長はもはや応えてさえくれなかった。
 さて、どうしようか。とりあえずジェネシスに出向いてしまおうか。ジェネシスを守りきって地球を焼き払う手助けをする。そんなことも悪くないかもしれない。
 そんなことを本気で考えた。格納庫の一角が爆破され、黒煙が一気に吹き込んでくる。視界を塞いでしまうほどではなく、発破口に敵の姿を認めることは容易だった。
 赤銅色に全身を包み、背中には大げさなバック・パック。ジブラルタル基地において死を振りまいたガンダムであった。ZZ-X100GAガンダムシュテュルメント。ムウ・ラ・フラガ大佐の機体だ。腕には対艦刀。ミノフスキー・クラフトの輝きに全身を包まれながらフリーダムのことを見下ろす位置にいる。

「パトリック・ザラか。思えば、そいつも哀れな男だった」

 不思議と何の感慨もわかなかった。心は空虚で、強大な敵が姿を現した、その程度事実確認にしか考えが及ばない。しかし片隅に生まれたわずかなわだかまりは、アスランにフリーダムを戦いの構えに移行させた。投げ捨てたライフルとシールドを拾い上げ、シュテュルメントと対峙できる位置にまで移動する。
 シュテュルメントは動かなかった。聞こえてくる声はまるで世間話でもしているかのように聞こえる。

「以前ジョージ・グレンの言われたことがある。2000万を救うために20万を犠牲にすることはやむを得ない。そんなジョージ・グレンを殺した男たちの始めた戦争ですでに戦死者だけで500万を越したそうだ。まったく、ムルタ・アズラエルはつくづく救いがたい」

 たった一度だけ、カーペンタリア基地へと向かう機内で乗り合わせただけだ。それなのにこの人は旧知の仲であるかのように話しかけてくる。

「お前はどう考える? アスラン・ザラ」
「あなたたちは、身勝手だ。そうやって自分の非を認めて対価さえ支払うなら何をしても許されると考えている」
「ジョージ・グレンが成果さえ示せば人心は後からついてくると考えたようにか?」

 はじめからこうすべきだった。ジョージ・グレンもムルタ・アズラエルも、話し合いで物事を解決することを放棄したことだけは共通してる。
 合図などなかったが、しかし同時に互いの銃を向ける。フリーダムはライフルを、シュテュルメントはバック・パックからバルカン砲を放つ。
 攻撃力は激しい。互いにかわした攻撃は流れ弾となって格納庫の各所で爆発する。壁の構築板が弾け飛び、弾丸が突き刺さる穴が列をなす。ミノフスキー・クラフトの特徴である小刻みな機動を繰り返す両機が撃ち合い続けるだけで格納庫は瞬く間に光景が変わっていく。
 要人脱出用のシャトルがフリームダの放ったビームによって一瞬で吹き飛ばされた。パトリック・ザラの遺体が巻き込まれたのではないか。こんなどうでもいいはずのことが、思いの外アスランの注意を引いた。一瞬だけ敵の姿を視界から外してしまったのだ。
 時間にして一瞬とも言えないわずかな時間。それでさえシュテュルメントは動いた。まるで刃が伸びたように錯覚させられるほどの強烈な踏み込みはたやすくシールドを引き裂く。フリーダムを引く。なおも追すがる勢いを止めるために放ったビームはシュテュルメントに命中するも素通りした。
 一切勢いを落とすことのなかったシュテュルメントの開かれた指が画面を埋め尽くした時、フリーダムは強烈な勢いで後ろへと押し出され始めた。シュテュルメントがフリーダムの頭部を鷲掴みにしたまま加速している。ZGMF-1017ジンに比べたなら5倍のエネルギー・ゲインを持つはずのフリーダムでさえ勢いを殺すことができない。そのままハッチへと叩きつけられるように押しつけられる。
 機体に損傷はないようだ。だが、翼はハッチに鋭く食い込み、なおシュテュルメントはフリーダムを押しつけ続けている。肩越しにバルカン砲が狙っていた。次々と放たれる弾丸は、フリーダムのフェイズシフト・アーマーに弾かれハッチへと突き刺さっていく。
 その衝撃に、アスランは歯を食いしばったまま耐えている他なかった。
 やがてハッチが限界を迎えた。フリーダムが背中でハッチを突き破り背後に広がる空間へと投げ出された。カタパルトへと通じる前段階の部屋である。その十分な広さは利用できる。
 フリーダムは10枚の翼を輝かせ体勢を立て直すとともに飛翔する。翼に設置されているビーム砲を展開し、加速の勢いを殺さないままハッチに開けられた穴へと大火力のビームを放った。膨大な輝きが爆発へと変わり、吹き出す黒煙に包まれた。
 これでしとめられるほどムルタ・アズラエルは善良な存在ではない。
 ミノフスキー・クラフトを搭載した機体には目に見えてわかる特徴がある。それはとにもかくにも隠密性がないということ。全身が光り輝き推進力を放っている。まず煙の隙間から光が漏れた。次に、全身から放つ力が煙を払いのけ、ガンダムシュツルメントはその威風堂々たる姿を現す。さも、王者の登場に臣下たる黒霧が道を開けるように。

「ゼフィランサス・ナンバーズの本気を見せてやる。全力で来い、アスラン」

 シュツルメントはスラスター推進だけでは説明のつかない加速を見せ、スラスターの位置からではありえない機動でフリーダムへと大剣を叩きつけた。ビーム・サーベルで受け止めたフリーダムの腕がきしみ、衝撃がコクピットを揺さぶる。

「ムルタ・アズラエルは世界を思い通りにしたいのか?」
「正解だ。世界を変えてやろうともくろんでる」

 サーベルを振り払う。その勢いで敵を突き放す。一度距離を開けるためだ。

「今日もまた人が死ぬ。あなた方はどうしてこんなことを何の痛痒もなく行うことができる!」

 展開した腰部レールガン、ビーム砲を言葉とともに撃ち放つ。現在のモビル・スーツの中ではトップ・クラスの火力を誇るフリーダムの一斉砲撃は格納庫の一角を消し飛ばし、黒煙をまき散らす。ミノフスキー・クラフトが煙を一息に吹き飛ばし光となってシュツルメントが加速してくるところまで先程と何も変わらない。

「迷い癖は抜けていないようだな、アスラン!」

 振り下ろされた大剣をかわすことはできなかった。レールガンごと左足が斬り落とされた。この格納庫には大気が充填されている。長大な銃身は大気のある場所では抵抗となる。決して大きな空気抵抗ではないが、このレベルの敵となると些細なものでさえ隙となる。

「それともジャスミンを見捨てたことが堪えたか?」

 サーベルで受け止める。フェイズシフト・アーマーさえたやすく切断するような攻撃をそうそうと食らう気にはなれない。叩きつけるような重い攻撃は左腕だけでは防ぐことが難しい。ライフルを投げ捨てるとともに右でもサーベルを抜く。どうせ命中などさせられるはずもない。

「ムルタ・アズラエルは異常だ。これほど人を殺しながらなぜ迷わない! どうした戦える!」

 言葉の勢いほど攻撃に力は乗ることはなかった。シュツルメントに力負けしている。振り抜かれた斬撃に体勢を突き崩され、頭上から振り下ろされた次撃を受け止めるには2本のビーム・サーベルを必要とした。

「俺たちが正しいからだ。俺たちが正しいから、俺たちは戦える」

 つい息み、息があがっていることを自覚していた。モニターには剣を押しつけてくるシュツルメントの顔が大きく映し出されている。

「正しい目的のために必要なことを行っている。だから犠牲はすべて必要な犠牲だ」
「それは傲慢だ……!」

 必死に声を絞り出したつもりが思いの外声にならなかった。
 2機のガンダムが示し合わせたように距離を開ける。その離れた勢いのまま狭い格納庫を飛び回る。壁に激突すればフェイズシフト・アーマーでも大破は免れない。だが、そんな間抜けな結末は誰も期待していないだろう。相手も、こちらも。時折直角に近い機動で格納庫の中心へと突撃する。同じタイミングで敵も動いた。
 そこには奇妙な信頼関係があった。高速でサーベルとサーベルとを打ち付けあい勢いを殺す。そうすることでより安全に離れることができる。そしてまた接近し剣戟を打ち鳴らす。奴なら必ずこの攻撃を受け止める。それは信頼ではなく認識。相手の実力を知ることで互いに勢いを殺すことを前提に激突を繰り返す。

「俺はあなたたちのしていることが理解できない」
「そりゃそうだ。俺たちは目的のためには手段を選ばない。だが、お前は手段のためには目的を選ばない」

 わずかに衝突のタイミングがずれた。そのせいでフリーダムは鍔迫り合いの形で攻撃を受け止めてもらうことができず、すんでのところで軌道を変えることができなければ壁に激突するところだった。
 それほど揺らがされるような言葉があっただろうか。
 2機は再び剣を交えようと壁に沿う軌道で格納庫を飛び回る。

「アスラン、お前は怖かったんだろ。目の前で人に死なれることが。誰かに言ってもらいたかったんだろ。仕方のない犠牲だった。あなたは何も悪くないってな」
「違う!」

 再び剣を交えるためにガンダムは壁から垂直に部屋の中央へと飛び立つ。すでに何度目かわからない。だがわかっていることもある。この打ち合いはこれまでとはちがう違和感をアスランに強いた。これまで通りにできない。そんな気持ちの悪さはまとわり離れない。激突のタイミングでシュツルメントの像がぶれて見えた。ハウンズ・オブ・ティンダロスが見せる小刻みな機動。シュツルメントがフリーダムをすり抜けた時、残されていた右足が切断されていた。
 フリーダムは再び壁に激突しそうなところを辛うじて踏みとどまる。両足の破壊はミノフスキー・クラフト搭載機の場合そのまま機動力の低下につながる。フリーダムは壁の前で勢いを殺すことが限界であった。その粋をムルタ・アズラエルが見逃すはずがなかった。

「違わないさ。犠牲を目にしたお前は怖くなった。だからその犠牲を正当化してくれるだけの目的が欲しくなった!」

 対艦刀が速度を落としたフリーダムへと叩きつけられる。刃というより鈍器。斬るというより砕く。剣ほども鋭い棍棒をぶつけられたようにビーム・サーベルで防いだ腕に過度の負担を強いられた。その勢いのまま、壁へと叩きつけられた。鍔迫り合いなどという生やさしいものではない。このまま押し潰すつもりではないかと錯覚させられるほどの力が伝わってくる。

「だが今度は目的を得ると不安になる。この目的は本当にそれだけの価値があるものなのだろうかってな。すると次に目的のための犠牲を支払いたくなる。この目的のためにはこれほど大きな犠牲が必要になる。ってことはこの目的は正しいことに違いないと思い込むためにな。だからジャスミン・ジュリエッタを犠牲にしてみせたんだろ。犠牲を肯定してもらうための目的を肯定してもらうためだけに!」
「ジャスミンの死は……」

 仕方のないことだった。崇高なる目的のためには。こんな言葉は何の意味もないことに途中で気づかされた。ムウ・ラ・フラガの問いかけていることは犠牲の意味でも意義でもない。その利用の様態に他ならない。一言言ってしまえばいいのだ。ジャスミンの死を自己を肯定するために利用したことなどないと。
 しかし、アスランには言い出すことができなかった。一瞬でも気を抜けば頭から両断される状況ではそこまでの余裕がない。仕方のないことだった。

「お前にとって目的なんてその程度のことなんだよ。何でもいいんだろ? 自分が支払った犠牲を肯定さえしてくれる程度の目的ならな。俺たちは目的のためには手段を選ばない。お前は手段のためには目的を選ばない。そうだな、アスラン?」
「あなたに何がわかる! 俺にも目的はある。プラントの未来のために戦うという目的が!」

 2機がビーム砲を展開したのはほぼ同時のことだった。フリーダムは翼から起きあがった銃身を大きく回転させ肩越しにシュツルメントへと突き出す。シュツルメントはトリガーを回転させる。上にきたユニットは折り畳まれた銃身を後ろへと展開し長大なビーム砲となった。
 鍔迫り合いの状態ではフリーダムの長すぎる銃身が邪魔をし相手を直接狙うことはできない。狙いは敵の後ろ。大型のバック・パックなら十分に銃口の先にある。シュツルメントのビーム砲は後ろへと銃身を伸ばした。2機のガンダムはサーベルを正面でぶつかりあわせたまま、互いの銃口を向き合わせていた。
 銃口から溢れ出す光がそれぞれ輝きを増していく。
 ヤキン・ドゥーエの一角に巨大な爆発がその輝きを示した。勢いよく吹き出す炎と黒煙に混ざる残骸から、この爆発が岩盤で構成された外殻を突き破り内部へと貫通していることが見て取れた。内から飛び出した2つの光はぶつかっては離れ、離れては衝突するを繰り返す。
 周辺宙域では大規模戦闘の跡を見せていくつもの残骸が浮遊している。すでに戦闘そのものは散発的となりビームの輝きは遠くに浮かぶジェネシス周辺へと移動を初めて久しい。

「だがそんなちっぽけな目的はあっさりと揺らいだ! 実際の戦場を見て犠牲にされる人を前にしてな。だからお前はより大きな目的を求めたんだろう。自身が作り出してきた犠牲を認めさせてくれるだけの目的をな!」
「違う……! 違う!」

 屍漂う海の中、2機のガンダムはビーム・サーベルを叩きつけあう。互いのビーム砲は銃身が破裂したように破壊されている。残骸の合間を縫うような光の軌跡がぶつかり合ってはビームが瞬いた。

「だから地球を焼き払うのか? 地球を焼き払ってみせるのか? その目的はそれほどの犠牲が必要なほど尊いものだと思いこむために!」

 これで幾度目の衝突か。互いが高速でビーム・サーベルをぶつけ合う際、フリーダムの体勢が揺らいだ。ミノフスキー・クラフトを搭載する機体はその推進力の一部を装甲に依存する。両足を失っているフリーダムでは力負けは当然だと言えた。
 通信には食いしめた歯の隙間から息をもらすアスランの声が聞こえる。同時にそれは力強くもあった。

「この戦争が、終わらなければもっと多くの人が死ぬ!」

 勢いを取り戻したフリーダムの一撃をシュツルメントは受け止めるでしかない。しかしフリーダムは二刀流。攻勢に回れば、まだ一刀を手に残す。右腕のサーベルは防がれた。ならばと左腕を力任せに振り抜く。フェイズシフト・アーマーを破壊してあまりある攻撃力がその体を横切ろうとした時、シュツルメントはその身を引いた。空振りするサーベル。切っ先を装甲にかすらせるほど見事な見切りは、動きを必要最小限度とすることで即座に反撃へと移ることを許す。
 アスランの反撃は、たやすくムルタ・アズラエルによって封じられる。

「ならプラントを滅ぼせばどうだ? 犠牲はもっと少なくすむ」
「俺の目的はプラントを守ることだ!」
「そうだな。そうだろうな!」

 リボルバーが回される。バルカン砲、ビーム砲に続く最後のウェポン・ポッドは、一見したところその通り箱の形状をしていた。箱を縦に裂くように展開したポッドの中にはユニットが整然と並べられている。小型ミサイルのような形状のそれは、ビーム・ナイフとも言うべき小型ビーム・サーベルを先端に発生させるとともに発射される。
 ナイトゴーントと呼ばれる独立機動型ユニットは何もガンダムトロイメントだけの力ではない。ビーム・ナイフはスラスター推進だけでは説明のつかない動きで、餌へと殺到する魚の群のようにフリーダムを追い回す。
 ビーム・サーベルで打ち払う。しかしビーム・ナイフもまたビームを弾く性質のIフィールドに包まれている。せいぜい弾き返すことが精一杯。ユニットはすぐさま軌道を修正しフリーダムへと迫った。単純な機動力では小型ユニットに分があった。仮にフリーダムが万全の状態であったなら、回避することもできたかもしれない。同時にシュツルメントは相手の機動力を十分に奪ったからこそこのユニットを初めて投入したという事実がある。
 フリーダムが逃げられる道理はどこにも用意されていなかった。青く輝くウイングへとユニットが突き刺さる。フェイズシフト・アーマーがエネルギーを吸収した際に伴う発光が眩しく輝き、突如消失した。フェイズシフト・アーマーを被覆するミノフスキー粒子が剥離したことを示している。左側、片側5枚の翼を引きちぎられ、推進力の大部分を担う翼を失ったことでフリーダムは一気にバランスを崩す。
 シュツルメントはその隙を逃すことはなかった。

「お前は今更目的を捨てられない。犠牲を肯定するために目的が必要になる。目的を肯定するために犠牲が必要になる。お前はそんな自己肯定の落とし穴にはまったんだよ。お前は目的のために犠牲を払ってる訳じゃない。目的を正当化するために犠牲にしてみせているだけだなんだよ!」

 振り下ろされた大剣は右腕ごと残された翼を切り裂いた。残るは左腕だけ。この事実がアスランに伝えたことはただ一つ。まだビーム・サーベルを振るう腕が1本は残されているということ。

「俺は、俺はあんたたちほど人を殺しちゃいない!」

 フリーダム最後の力を振り絞った斬撃はシュツルメントの右腕に突き立てられる。フェイズシフト・アーマーの放つ強烈な光の中、子どもの喧嘩のような荒々しい動きで赤銅の腕が斬り飛ばされる。シュツルメントの装備していた長大な剣が回転しながら投げ出され、しかしフリーダムもまたその左腕を失っていた。複数のビーム・ナイフが腕の至るところに突き刺さりずたずたに切り裂かれていた。
 すべての四肢を失ったフリーダムへと、シュツルメントはビーム・サーベルを抜き放つ。その切っ先はフリーダムへと突きつけられていた。

「犠牲の多寡を語るお前が地球を焼くのか? こんなこと、まだ続けるつもりか?」

 モビル・スーツはすべての機能を失った。それが敗北を意味しないことはアスラン本人が理解していた。モニターは大半が停止している。サーベルを突きつけるシュツルメントの姿に、アスランの決断は速かった。

「それを決める権利が、あなたにあるのか!」

 フリーダムは側頭部に内蔵されたバルカン砲を発射する。対モビル・スーツでは牽制にさえならない末梢兵器であるバルカン砲は、しかし標的はシュツルメントではない。その背後、半分以上が死滅した映像の中でアスランが目敏く見つけだした漂流するバズーカ砲。撃墜されたジンが遺したと思しき漂着残骸は大きな爆発を引き起こし、2機のガンダムを包み込む。




 アスランはうまく逃げたらしい。残骸漂う宙域でただでさえ頼りにならないレーダーで1機のモビル・スーツを見つけだすことは不可能に近い。見つけだす意味もない。
 アスラン・ザラ。ドミナントの1人として話はラウから聞かされていた。1度だけだが顔をあわせる機会もあった。ありきたりな言葉で評するなら不器用な男だ。解けもしない問題を無理だと諦めることもできなければ、すべて捨て去るには心が強すぎる。

「昔のエインセルもそうだったな」
「フラガ大佐。ここにはもう何もない」

 ヤキン・ドゥーエにともに突入した友軍からの連絡だ。どうやら感傷に浸るのもここまでらしい。

「クライン派は想像以上にザラ派に入り込んでたらしいな」

 このザフト軍最大の要塞は囮に使われたのだろう。中を空にして敵を誘い込む。アラスカでどこぞの過激派も似たようなことをしていたな。ムウは苦笑しながら答えた。

「もぬけの殻か。本命はジェネシス。まあ当然か」

 要塞を離れる燐光が見えた。ソード・ストライカーを装備したストライクダガーの中隊相当戦力。どいつもこいつもしぶといことこの上ない。装甲などすでに疲弊の色が濃いというのにどいつもこいつも生きている。

「俺たちもいくか、ジェネシスへ」

 聖杯を巡り砲火を交える戦場へ。




 戦闘の中心はすでにジェネシス周辺へと移っていた。防衛部隊はクライン派よりのザフト軍を中心とした私設部隊とも言える戦力である。ダムゼルであるデンドロビウム・デルタ、サイサリス・パパの各自保有する戦艦を母艦としてゲイツが展開する。勝利条件はジェネシスの防衛ではない。破壊されてもいいのだ。後一度の照射さえ行われたならそれでプラントの、いや、クライン派の勝利は確定する。
 残された時間は1時間にも満たない。楽な条件であった。だが、それはすなわち楽な戦いであることを意味しなてはいなかった。
 ジェネシスに影を落として光の華が咲く。その衝撃はサイサリスが指揮を執る宇宙戦艦トーラーを揺り動かした。地球軍がヤキン・ドゥーエ攻略においてさえ使用しなかった核を今になって使ってきたのだ。
 トーラーのブリッジでは押し寄せる地球軍の軍勢が映し出されている。

「核を温存してた……。あいつら、ジェネシスのこと知ってたんだ」

 地球軍は数こそ減らしているようだがジェネシスへと向かってくる部隊はいまだ十分な戦闘力を残している。ジェネシスで後方の部隊さと分断してしまえば前線は数、質、統制に及ぶまでザフト軍が逆転優位に立つ。そんなパトリック・ザラ議長の甘い目論見は画餅に帰したようだ。地球軍は核を温存していた。何よりザフトを戸惑わせているのは志気の高さだろう。
 それは無理もない。コーディネーターの国であるプラントではコーディネータはナチュラルに比して優れていなければならないという大前提が存在する。そのため教育するのだ。ナチュラルとは愚かで蒙昧。決して自分たちと同程度の人間だとは決して考えるなと。もしもナチュラルがコーディネーターと変わらないのであれば、そもそも遺伝子に手を加える意味がなくなってしまうから。これもジョージ・グレンが国を望んだ理由の一つだ。コーディネーターにとって都合のよい教育を施すことができるから。
 そのような教育を受け続けたであろうクルーたちは明らかに浮き足立っている様子であった。無理もない。ナチュラルはムルタ・アズラエルに扇動されているだけの衆愚だと教えられ続けた。ところが、いざ戦ってみればより統制された軍隊--事実、ザフト軍よりも組織としては完成している--として襲いかかってくる。

(だから嫌いなんだよ、人間てさ。馬鹿で臆病で)

 心の中でだけ、サイサリスはローズマリー・ロメオに戻ることができた。偽りのダムゼルはモニターに映る戦場を眺め続けていた。その中に、妙に機敏に動き回るゲイツを見つけることはそう難しくはなかった。

「サイサリス、また抜けた部隊があるぞ。ゲイツを回せ」

 クルーの誰かが気をきかせて映像を拡大させた。ミルラ・マイク、Mのヴァーリの搭乗するゲイツは戸惑う周囲のザフト機を後目に核ミサイルへと挑みかかっている最中であった。もののたとえではない。モビル・スーツほどの大きさのミサイルにビーム・クローで切りかかったのだ。

「ミルラ姉さん!?」

 つい声を大にした。
 ミルラのゲイツは弾頭をたやすく切り落とすとすぐさま身を翻す。

「この程度のことで核弾頭が爆発するものか。オッペンハイマーにどやされるぞ。それよりももっと楽しめ。どうだ? 地球の命運を双肩に担う気分は? 滅ぼす側だがな」

 確かに核爆弾は起爆装置を破壊してしまえば爆発しない。それでもいつ爆発するかわからないミサイルによく切りかかれるものだ。遠くから眺めている身分でありながらミルラがライフルでミサイルを撃ち落とす度ひやりとさせられる。
 もしもここにサイサリス姉さんがいたなら、きっと笑って流したことだろう。よってサイサリスは微笑みを絶やさぬまま応じることにした。

「仕方のないことですよ。ジェネシスはもう恫喝には使えません」
「エイプリルフール・クライシスのせいで地球はもう脅しとはみてくれない。無理もない話だ。プラントはすでに地球全土を標的としたのだからな。政治家は支持を集めようとナショナリズムを利用するが、愛国心とは手綱のない暴れ馬だろう」
「お父様に意見するつもりなの……?」
「まさか。だからこうして愛しきお父様のために命をかけて戦っている。だからもっと楽しめ、サイサリス。ユニウス・セブンにいた頃のお前はもっと笑う女だったぞ。楽しいだろう。人類史上最大の戦争が目の前に転がっているのだからな」

 ゲイツは快活に、迫る核ミサイルを撃ち落としていた。




「コートニー、どうだ? 守りきれそうか?」

 北側--宇宙では所詮便宜上の呼称だが--の守りをデンドロビウムはサイサリスに一任していた。あちらは主に核ミサイルだそうだが、こちらはモビル・スーツ。ヤキン・ドゥーエの周辺宙域でさえなかったのではないか、それほど激しいビームの応酬が行われていた。
 デンドロビウムの側近であるコートニー・ヒエロニムスはゲイツにパイロットとして搭乗している。

「ずいぶんと御しやすいゲームです。後一度の照射で勝利は我らに転がり込む。ただ一つあるとすれば……」
「何だ?」
「神意がどちらを粋と感じるかということでしょう。消化試合と世界を滅ぼそう。望む者と母なる星を守るために命をかける者」

 どこにいってもこの皮肉っぽいところは変わらない。デンドロビウムは艦長席に体を預けながらため息をついた。元々大型輸送船でしかないネビイームではいざ戦闘になるとできることは限られる。

「要するに、楽な戦いだと気を抜くなってことだろ?」

 もっとも、今のザフトにそんな余裕などないことだろう。クルーの報告はそれを如実に伝えている。

「ヤキン・ドゥーエが陥落しました。攻撃部隊の指揮はムウ・ラ・フラガ大佐が執ったとのこと!」
「敵連隊接近中! 先頭はZZ-X200DAガンダムトロイメントです」

 どちらもムルタ・アズラエルのことだ。ヤキン・ドゥーエが落ちたということは、すぐに敵部隊がやってくることを意味する。たった今やってきたラウ・ル・クルーゼの部隊とあわせて地球軍前線の主力部隊がまもなく集結するということだ。そしておそらくザフトはそれを抑えることはできないだろう。ジェネシス近郊はともかく、全体としてのザフトの志気は決して高くない。

「本当の戦いはこれからってことか……」

 ムルタ・アズラエル。やはりこの男たちこそがプラントの最悪にして最強の敵であった。




 ヤキン・ドゥーエにはすでに地球軍がとりつき始めていた。エインセル・ハンター麾下の部隊は当初、ザフト軍との交戦に際してもヤキン・ドゥーエ侵攻においても決して積極的ではなかった。その意味が、ジェネシスとともに現れた。
 エインセル・ハンターは探していた。ジェネシスの位置を。見つけることかなわずとも誰より速く、黄金の王はジェネシスへとたどり着いた。
 血で血を洗う。誰が言ったか、この先人の言葉を賞揚せざるにはいられない。
 GAT-01A1ストライクダガーを切り裂いたゲイツがいた。そのZGMF-600ゲイツはGAT-01デュエルダガーに撃ち抜かれ、デュエルダガーは後ろからZGMF-1017ジンの重斬刀に刺し貫かれる。傷だらけの戦闘機メビウスが機体下部に抱えた核ミサイルを発射する。ゲイツの一団は人の形を欠いた者だけが突き進む。
 すべてがすべて先鋭化されていた。
 地球軍はひけば地球が滅ぼされる。前線の残存部隊は決して多ならずともそのすべてがジェネシスを目指した。この期に及んでその命をかけてでもジェネシスを守ろうとするザフトのみがこの戦場へと殺到する。高密度混戦。ひかず退かず、ただ押し寄せる波がしぶきをあげるように人が死んでいく。
 光が瞬く度、そこには致命的な力が生まれていた。ビーム・ライフルの輝きであり、ビーム・サーベルの瞬きであり、爆発するモビル・スーツの消滅。あるいはそのすべて。
 ビームの軌跡が交わりあう。その間に浮かんでいた破壊され、もはやどの機体であったのかの判別も難しい残骸は突如十字に裂かれ爆発する。
 少女の声が響いていた。

「お父様は10年のすべてを賭けた!」

 GAT-X105Eストライクノワールガンダムがその黒いウイングを振り回しているかのような激しい動きでビーム・サーベルを叩きつける。それを受け止めたのは横薙ぎに叩きつけられたビーム・サーベルであった。激しくぶつけられたビームが十字に輝きを残し、モビル・スーツの残骸を破壊した光の正体をさらす。
 切り結ぶ2機は一瞬たりとも動きを止めることなく次々と十字の輝きを刻む。
 ノワールのパイロットはヒメノカリス・ホテル。ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレ、キラ・ヤマトを相手とする。

「そうだろう。プラントの殻を壊すために戦争状態を利用した! 金と権力を手元に集めることにだって腐心していただろう!」
「そう、お父様は世界を救うためにすべてを惜しまなかった。時間も努力も命さえも! キラ、あなたもプラントのしていることがおかしいと思うなら、創られた命であることを憎むなら、道を開けなさい!」

 2機のガンダムは高速で衝突しながら離脱を繰り返していた。一度も鍔迫り合いの体勢に持ち込むことはない。ジェネシスを前に両勢力の精鋭とも言うべき部隊が激突していた。このような混戦下にあって速度を落とすことはすなわち死を意味する。飛び回りながら、両者は時折激突してはビームの輝きを残す。

「僕は、ムルタ・アズラエルのことを信じきれない!」
「お父様はすばらしい人!」
「でも彼らもゼフィランサスを利用していた事実には何も違いはない」
「そう、お父様もシーゲル・クラインも同じ。目的のために犠牲をためらうほど弱くない。でも違うことがある。お父様は、目的のために手段を選ばない!」

 戦いは続いている。宇宙が見えなくなるほどのビームの光は、それこそ両勢力の思惑と手段が激突した結果であろう。ムルタ・アズラエルは地球を救うため、シーゲル・クラインは人類のために、手段を選ぶことはなかった。

「お父様は目的のためには手段を選ばない。だからお父様は尊いの。理想のために命さえかけることができるから!」
「あれほどシーゲル・クラインに陶酔していた君がずいぶんな変わりようだね。一体何があったんだ?」
「お父様は、私を救ってくれた!」

 父に陶酔する娘を乗せ、漆黒のガンダムは戦火を抜けて突き進む。



[32266] 第48話「魔王の世界」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:08
 ヤキン・ドゥーエの事実上の陥落。それが意味することなどすでに何もなかった。クライン派は軍事拠点としての機能をジェネシスとその周辺の艦船に移していた。地球軍としたところでこの岩石の塊とも言える要塞を砕く余力など残されていない。
 ザフト軍最後の宇宙要塞。プラント守りの要。そんな肩書き空しく、ヤキン・ドゥーエは残骸の海に漂っていた。その内部では照明さえ半分が死に絶えた暗い通路をまばらな人影があるばかりであった。誰しも気力をなくしたようにすれ違い、これが最前線の要塞とは思えないほどである。
 通路を1人の女性が進む。国防委員の証である紫の制服を羽織り、その短く切り揃えられた前髪から覗く眼差しはかつてパトリック・ザラの右腕と恐れられた。しかしそれも昔の話である。パトリック・ザラが謀殺されたことに加え、溺愛していた息子が戦闘によって行方不明となったことが女性の顔から、エザリア・ジュールから覇気を奪い去っていた。
 そこには急進派筆頭を影から支えた女傑の面影はない。気落ちした様子で、かつて急進派が合議に使用していた部屋の扉を開いた。これまでは左右に近衛兵とも言うべき憲兵が立っていたが今はいない。ザラ派の凋落ぶりを象徴しているかのようであった。
 円卓の置かれた、誰もいないはずの部屋。しかしそこに人影を見た時、エザリアは素直に声をうわずらせた。相手はエザリアと同じプラント最高評議会議員、ユーリ・アマルフィであった。

「アマルフィ議員、こちらにいらっしゃったのですか?」
「どうぞこちらへ、ジュール議員。今日はよき日だ」
「何を言っておられるのですか……?」

 アマルフィ議員は椅子についていた。その手には小さなボトルが握られ、酔った様子である。子息を亡くされて以来、酒浸りの生活を送られていたと聞かされていた。事実、エザリアの目にはプレア・ニコルの開発者はずいぶんとやせ衰えているように思われた。
 エザリアが歩み寄ると酒の臭いは鼻についた。

「あなたにとってもこの事態、喜ぶべきことではないはず」

 途端に鋭さを増したアマルフィ議員に睨みつけられ、エザリア議員はつい身じろぎさえしてしまう。

「だから私は再三忠告しました。核の封印、解くことまかりならぬと。わかっていて突き進んだ道ではありませんか。それを今更わからぬと逃げ、知らぬと嘯いたところで結末は変わりますまい。妻、いえ、妻だった女性には手ひどくなじられました。なぜ核の封印を解かなかったのですか。解いたならナチュラルを根絶やしにして、ニコルは死ぬことがなかった。そう、私を責めた」

 ではこれは祝杯か。ユーリ議員はボトルからアルコール臭のきつい液体を喉に流し込む。

「私は今の状況が喜ばしくさえある。私は常々考えていました。核の封印を解けば際限なく戦火は拡大するであろうと。この現状は私が正しかったことを証明してくれている。この事実に、私は慰められる」

 地球軍が核ミサイルを飛ばし、ザフトのジェネシスは地球を滅ぼさんと狙っている。まさにアマルフィ議員の危惧した通りの結果となった。しかしそれが子息を亡くしてまで望んだ成果ではないだろう。議員は、乾いた笑いを漏らした。自棄か狂気か、その態度は常軌を逸していた。
 エザリア議員はすべてをなくした男の悲哀をただ眺めていることしかできなかった。
 扉が開く音。これはエザリア議員にとって助け船であったのかもしれない。視線を逃がすように扉を見た時、エザリア議員はわかりやすく瞳を大きくした。ザフト軍の赤いノーマル・スーツを身につけた少年兵がそこには立っていた。

「お久しぶりです、母上」
「イザーク! どうしてここに?」

 この世界においてエザリアを唯一母と呼ぶ一人息子がそこにはいた。ボアズにおける戦闘にて行方知れずとなった息子、イザーク・ジュールはその後ろにドレスの淑女を連れていた。以前、評議会に顔を見せたことがある少女だ。ゼフィランサス・ズールである。
 思わぬ再会に浮き足立つ母に対して息子の反応は冷淡なものであった。

「イザーク……」
「ここにはあなたと旧交を温めるために参ったのではありません。ユーリ・アマルフィ議員はおられますか?」
「私だ」

 立ち上がるアマルフィ議員の足は目に見えてふらついていた。ゼフィランサス・ズールはアマルフィ議員の前にまで歩み出ると、しおらしく頭を下げた。

「お久しぶりです、アマルフィ議員……」
「君は大西洋連邦軍のスパイだったようだが、はじめからプレア・ニコルを?」
「はい……。私が学会で核動力搭載型のモビル・スーツのプランを発表したのはそのためでした……。パトリック・ザラ議長はフラグ・シップ機を欲しがっている……。だから核動力搭載機のことを知れば必ず食いついてくるだろうからとお兄さまたちが……。私の手元には、プレア・ニコルのデータが届きました……」

 そのデータを届けたのは他ならぬアマルフィ議員であった。怒りのほどを察するは容易であった。アルコールの入ったボトルが投げ捨てられ甲高い音とともに砕け散る。アマルフィ議員の見せた瞳の色は尋常ではなく見えていた。怒りに我を忘れ拡散しきった瞳孔が異常なほど光を照り返し、議員の腕は高く振り上げられた。人形のような少女を叩くにはあまりの力の込めように、エザリア自身つい身を引いたほどだ。しかしその手はゼフィランサス主任を叩くことなく、他ならぬエザリアの息子によってとめられていた。

「議員。こんな小娘1人殴って朝食がうまくなる訳でもありますまい」
「君に何がわかる!?」
「子を失った悲しみは無理な話でしょう。では、仲間を失った悲しみであれば如何か?」
「ではなぜ君が私を止める? 彼女は敵の人間だろう」

 イザークはすぐには返事をしようとはしなかった。しかしその目はしっかりとアマルフィ議員を見据えている。

「嫌になったからです。敵とひとくくりにとらえ、ただ打ち倒すべき存在としてしか捉えないことが。恥を忍んでお話する。我が隊から裏切り者が出ました。なぜか? 私が無能な将であったからです。杓子定規に部下たちのことを捉え、彼らがプラントから離れた時でさえその理由がわからず苦悩させられた! それはすべて、私がジュール家の子息であり、プラントの体制側にありすぎたからの他ならない! 外のことも、足下のことさえも見えていなかった。見えていないことにさえ、気づいてはいなかった! 議員、私にあなたの悲しみがわかるとするのは傲慢でしょう。しかし、あなただけが苦しんでいるわけではない!」

 イザークの言葉にはエザリアとて息を詰まらせた。昔からイザークは母が止めるも聞かず家を飛び出すほど勝ち気な子どもであったが、これほど力強い言葉を投げかけたことなどなかった。アマルフィ議員とて、すでに腕から力は抜けているようだった。
 議員の顔から怒りが消え失せた時、そこには家族を失い憔悴しきった男の顔しか残されてはいなかった。アマルフィ議員は力なく椅子へと座り込んだ。
 エザリアがゼフィランサス主任に抱いていた印象は人形である。その姿もさることながら、無表情な子だと考えていた。そんな子どもが涙を流していた。涙ながらに頭を下げていた。

「ごめんなさい……」
「プレア・ニコル……」

 アマルフィ議員がつぶやいた装置の名。ニュートロン・ジャマーを無効化する装置の名称は、2人の人名を繋げたものだと聞いたことがあった。1人はユーリ・アマルフィ議員の息子であるニコル・アマルフィ。プレアの名前は、知らない。

「この名前は、私とあなたの悲しみを繋げた名前でしたね……」

 エザリアの預かり知らぬところのお話なのだろう。語るアマルフィ議員の顔は、不思議と微笑んでおられるように思えた。国防委員の中で唯一穏健派として非戦を訴え続けていたかつての面影が思い起こされた。

「ゼフィランサス主任。用件をうかがいましょう」
「ジェネシスを破壊します……。そのための方法を、教えてください……」
「馬鹿な! あれはザフト軍最後の切り札……」

 たとえ地球を滅ぼすことになったとしても。こんな意見はとうに場違いらしい。イザークはその手でエザリアを力強く制止する。

「ご不満なら地上に残されたザフト兵を救うためでは如何か?」

 話はすでに2人の技術者の間で進められていた。円卓に備え付けのモニターにはジェネシスらしき画像。しかしデータは揃っていないのだろう。断面図の示す内容はひどく単純なものしかなかった。これではまるでわからないはずなのだが、アマルフィ議員はモニターに次々と何かを書き込んでいく。その議員の後ろから、エザリアを含めた3人はモニターをのぞき込んでいた。

「これほどの規模だ。制御にはニュートロン・ジャマーも使用されているはずだ。元々あれは核分裂制御のために開発されたものだからね。仮に分裂が臨界を突破した際、分裂を抑制するよう機能するように設定されている。この大きさなら原子炉を爆発させた方が手っ取り早いが……」
「ニュートロン・ジャマーを破壊すればよいということですか、議員?」
「いや、ニュートロン・ジャマーを破壊しても制御棒がある。装置の緊急停止装置が働く可能性も否定しきれない。だから反対の手でいこう」

 モニターにはいつの間にやらジェネシス内部の構造が描き出されている。想像ではあるのだろうが、デッサンは詳細でそれが正確な見取り図であると思わせる説得力があった。アマルフィ議員が示す炉につながる構造物。いくつもの棒を束ねたような形をしている。

「まず制御棒を破壊する。その後で炉心を暴走させるよう操作する。後は、ニュートロン・ジャマーを破壊するのではなくてプレア・ニコルを炉心近くに置けばいい。これならニュートロン・ジャマーが破壊された場合の緊急装置をだましたままニュートロン・ジャマーを無効にできる! あれほど大規模な装置だ。おそらく制御棒の管理機構は一つではないだろう。私の予想では三つ。このすべてを破壊した上でプレア・ニコルをジェネシス中心に置く。それしかない。問題は、どうやってプレア・ニコルを運び込むかだが……」

 なぜかイザークは苦笑したような顔を見せながらゼフィランサスのことを見た。

「それについては問題ないでしょう。私のジャスティスガンダムにはプレア・ニコルが搭載されています」
「それは知っているが、ジャスティスはボアズで……。なるほど、君が私に求めたのは確認でしたか」

 やはり微笑むアマルフィ議員。見ているのはゼフィランサスの顔である。ゼフィランサスもまた何もかもわかっているといった顔をして頭を下げた。状況を飲み込めないエザリアを残して。

「アマルフィ議員……、ありがとうございます……」
「お礼は私が言うべきでしょう。あなたはかつての願いを思い起こさせてくれました。願わくは、ニコルとプレア君がお守りくださることを」

 モニターから外される記憶媒体。差し出すアマルフィ議員の手をとるゼフィランサスの姿は握手を交わしているかのように、2人を繋いでいた。




 C.E.61.2.14、ユニウス・セブン。
 とある研究施設は崩壊を始めていた。人々が憩いの場として使っていた吹き抜けの広間は瓦礫に覆われ、巨大な人型兵器が半壊した状態で放置されていた。床は瓦礫に満たされすでにかつての面影は残されていない。
 この破壊された空間に、その2人はぶら下がっていた。
 剥離した壁から投げ出されたヒメノカリス・ホテルを、エインセル・ハンターがつり下げていた。エインセル自身、むき出しの鉄筋に手を血みどろにしながらぶら下がっている状況であった。
 ヒメノカリスは楽しげに微笑みながら記憶媒体を掴む手から力を緩めた。吹き抜けの空間をコロニーの擬似重力に引かれて記憶媒体が落された。固い瓦礫に落下し砕け散る音がする。

「残念。あなたたちの欲しかったもの、粉々になっちゃった」

 次はヒメノカリスの番。取り戻したかったはずの記憶媒体がない以上、エインセルがこの小さな少女を支えている理由はどこにもなかった。片腕で自分とヒメノカリス2人分の体重を支え続ける必要がないどころか危険でさえある。
 さて、いつ落とされるのか。エインセルの顔を見ようと見上げたヒメノカリスの目には、微笑む男の姿が映った。

「ええ。ですが私は誓いとあなたを守ることができました」




 ブルー・コスモスがテロに使用した艦船に連れて行かれたヒメノカリスを出迎えたのは1人の女だった。眼鏡をかけて落ち着かない様子でエインセルに抱きついた。メリオル・ピスティス--名前は後で聞いた--はエインセルにさんざん抱きついて、ヒメノカリスに気づいたのはずいぶん後のことだ。
 よく状況がわからないという風にヒメノカリスのことを眺めていた。頼るようにエインセルの方を向いたことで、当時のヒメノカリスはメリオルがそれだけエインセルに依存していることがわかった。エインセルはメリオルを抱き留めていた。

「メリオル、この子を私たちの子どもにしませんか?」
「でもエインセル、この子……」

 メリオルの手がヒメノカリスへと伸びる。頬に触れようとした手を、ヒメノカリスははたいた。

「触らないで、おばさん」
「今の聞いた?」

 メリオルは戸惑ったように怒ったように目を見開いて、やはりエインセルの顔色をうかがっている。

「今のはいけません。この人はお母さんです、ヒメノカリス」

 子ども心に、どこかツッコミどころが違うと考えた。




 エインセル・ハンターを父と認める理由なんてなかった。
 アズラエルの屋敷は豪華で、長いテーブルのすぐ横で使用人が肉を切り分けてくれた。そんな時、ヒメノカリスは発作的に行動を起こした。使用人からナイフを取り上げテーブルへと飛び乗った。使用人やメリオルたちが驚いて何もできない中、エインセルだけが平然と向かってくるヒメノカリスを眺めていた。

「あんたは、お父様なんかじゃない!」

 首を狙ったつもりだった。力任せにナイフを振り落とした手は掴み取られた。そうわかったのは少ししてからのこと。テーブルの上に横たわる自分の体。ナイフはすでに手にはなかった。技を返されたのだろう。
 エインセルはナイフを何事もなかったようにテーブルの隅に置いた。

「テーブルに上がってはいけません、ヒメノカリス」
「そ、それ以前の問題よ!」

 メリオル--思えば昔のメリオルはもっとうるさかった--が上擦った声で叫んでいるのを聞いた。やはりヒメノカリスはエインセルの感性はずれていると感じていた。




 鏡の前の自分の姿はこれまでに見たこともない格好をしていた。フリルやレースをふんだんに用いた白いドレスがヒメノカリスを包んでいた。

「ゼフィランサスと同じ格好……」

 同じように屋敷に連れてこられていたゼフィランサスも同じデザインのドレスを着ていた。ただし、あちらは黒。ゼフィランサスの白い肌と赤い瞳のコントラストが鮮やかでよく似合っていた。

「ええ、私の趣味です。あと少し髪を伸ばしてウェーブをかけませんか?」
「変態……」

 連れてきた少女に好きな服を着せる男はこれ以外の何者でもない。エインセルは特に気にした様子もなくて、手櫛でヒメノカリスの髪を整えていた。こんなに綺麗な格好、これまでにしたことがなかった。

「よくお似合いです、ヒメノカリス。今日はあなたの誕生日です。何かお祝いをしなければなりません」
「誕生日……」

 これまでの5回の誕生日は、ロール・アウトされた日付以外の意味なんてなかった。




 発作的にエインセルを襲うことはやめなかった、やめられなかった。
 赤い絨毯の上に血が滴る。ヒメノカリスの手に握られたナイフから滴となったこぼれ落ちたものだ。ただ立ち尽くしたまま、ヒメノカリスの目に映るものは血を流して倒れる男とその男を涙ながらに抱きしめる女。

「エインセル……、エインセルぅ……!」

 男は胸から血を流していた。女は服が血で汚れることもかまわず意識のない男を抱きしめていた。
 倒れているのはエインセル。刺したのはヒメノカリス。
 何でもない、まるで日課のような出来事のはずだった。ヒメノカリスがエインセルを襲い、エインセルはそれを軽くかわす。そんな幾度となく繰り返してきた当たり前の光景。いつしか、かわされることに慣れてしまったのだろうか。ヒメノカリス自身、当たるなんて考えてもいなかった。
 きっとだからだろう。どうしていいのかわからない。かわされると思っていた攻撃は、しかし何の偶然かエインセルの手をすり抜けたナイフは肉の感触と血の温もりをヒメノカリスに届けた。
 エインセル・ハンターが倒れている。そのことに、ヒメノカリスはどうしていいかわからず呆然と立ち尽くすばかりであった。勝利の喜びはなぜかわいてこない。意味の分からない焦りが、ヒメノカリスの手からナイフを取り落とさせた。
 この金属音に気づいたようにメリオルが顔を上げた。これまでに見たこともないような怒りの形相にもヒメノカリスは動じることができなかった。ただ血の海に横たわるエインセルのことを眺め続けていた。

「あなたなんて! あなたなんてぇ!」

 わずかに手が動いた。ヒメノカリスは目を離さない視線で見逃さず、メリオルは体を揺らす振動で感じたのだろう。エインセルが動いて、メリオルはすぐに視線を愛しい夫に戻した。

「エインセル!」

 涼しい顔をしていた。おびただしい発汗は激痛に襲われていることを表しているくせに。それなのに涼しい顔をしていた。

「心臓は外れています」

 それでも胸からはおびただしい血が流れ、左腕は白いシャツが真っ赤に染まっていた。だから当然のように、エインセルは右手を差し出した。この人が血塗れの手を女性に差し出すはずなんてないから。

「ヒメノカリス、こちらへ」

 逃げ出したくなるような気持ち。涙を抑えられない心地。罰せられるのが怖い。それなら逃げ出してしまえばいい。相手は血を流して倒れている。でも、それはできなかった。ヒメノカリスの幼い心は恐怖に素直な反応を見せた。
 エインセルの差し出した手を飛びつくように掴んだ。涙さえ見せて。殺傷者にまるで似つかわしくない。まるで父にすがる子のように。刺したいから刺した。そのことに何も間違いなんてない。それにも関わらず押し寄せる焦燥は、恐怖にも近かった。ヒメノカリスは怯えたように、エインセルの手を離すことができなかった。
 この不可思議な恐れの感情に、エインセルはそっと触れてきた。

「あなたは怖いのですね、突然現れ父に名乗りを上げた男のことが。父に愛されず愛に飢えていた。愛され方を知らず、この小さな手のひらに転がり込んだ愛情を受け止める方法を知らないのです。怖いのでしょう。いつ捨てられてしまうかわからない恐怖に耐え続けるより、いっそのこと捨てられてしまいたい。そう、あなたの心は怯えているのです」

 そうして父を名乗る男はヒメノカリスに微笑みを与え続けた。

「根比べと参りましょう。存分に私を試しなさい。それでも私はあなたを愛し続けるでしょう。あなたの疑惑と憎しみが尽きるまで。そして、尽きてからも」
「お父……、様」

 この時初めて、あの男以外の人を父と呼んだ。




「お父様は私を愛してくれた。だから、私はお父様のために戦うの!」

 GAT-X105Eストライクノワールガンダムが振り下ろしたビーム・サーベルの一撃はジェネシスの外壁に爆発を生じさせた。言葉の勢いが乗り移ったような攻撃から逃げ出すようにZZ-X000Aガンダムオーベルテューレが爆煙を振り払い遠ざかる。その足はジェネシスを踏みつけることで勢いを殺し、再び前へと跳び出す活力へと変えた。
 オーベルテューレの純白の機体が漆黒のノワールへと激突する。

「それじゃ何の答えにもなってない。ならどうしてゼフィランサスに兵器なんて作らせた! どうして君を戦わせる!」

 いなされたサーベルが、かわされた攻撃が、大振りに振られたビーム・サーベルがわずかにかすめただけで2機が床とする外壁は炎を噴き出して破壊される。

「許せない? ゼフィランサスを10年もあなたから遠ざけたことが?」
「僕とゼフィランサスの出会いを、君は知ってるかい、ヒメノカリス?」

 限界を迎えた外壁が一際大きな爆発を噴き上げると、2機は炎の中に消えた。ジェネシスの外壁は鉄板を敷き詰めただけのひどく単純な構造をしていた。重要なものは動力炉であり、外装は装甲以外の用途を必要とされていない。表面で爆発が起こるとその周囲の鉄板がその衝撃と熱とでめくれあがりささくれ立った。その歪んだ地面へと、ガンダムは着地する。
 オーベルテューレ、ストライクノワールの2機は先程の爆発を挟んで対峙していた。

「ゼフィランサスは体が弱かった。だからヴァーリの中でも会ったのは本当に最後だった。それでも名前くらいは知ってたよ。モビル・スーツのプロト・ライプ、そのうちの何機かはゼフィランサスの設計だって聞かされてたからね」

 当時テット・ナインと呼ばれていたキラはゼフィランサスの機体がお気に入りで、よくローズマリー・ロメオ--今はサイサリス・パパと名乗っているようだが--に噛みつかれた。

「すごい兵器だと思ったよ。どんな子が造ったんだろうっていつも考えてた。サイサリスみたいな物静かな子かもしれない、ローズマリーみたいにうるさい奴かもしれない。顔は同じでもきっと違うんだろうって考えてた」

 それでも特に積極的に会いたいなんてことは考えなかった。モビル・スーツに乗る度、ゼフィランサスのユニークな設計思想を目にする度、会ったこともない少女と話でもした気になっていた。

「でも、初めて出会った時のゼフィランサスは拍子抜けするくらい弱々しかったんだ」

 もう10年以上も前のこと。外出を許されたゼフィランサスと偶然出くわしたのは室内庭園の一角だった。キラに花を愛でる趣味なんてなかった。近道にちょうどいいと草木をかき分けて開けた場所に出た時のことだ。誰もいない。そう考えて跳びだしたところ、車椅子に座る少女と鉢合わせになった。赤い瞳をした少女で人目でゼフィランサスだとわかった。
 キラは車椅子に手をおくことで勢いを殺そうとした。少女の乗るような小さな車椅子はキラの体を受け止めてくれた。それでも体は前のめりになって車椅子に乗る上がるような姿勢になった。それはちょうど、ゼフィランサスに顔を目一杯近づけるような体勢だった。
 ゼフィランサスは何もしなかった。何もできないまま、突然目の前に現れた男に怯えたように体を小さくして、瞳に涙さえ浮かべていた。

「守って上げたいだとかそんなことを考えた訳じゃない。ただ、ゼフィランサスの弱々しさが見ていられなかった。見ていられなくて助けているうちにもっといろいろなゼフィランサスを見たくなったんだ」

 部屋におしかけて姉のユッカ・ヤンキーに疎まれたこともあった。それも今ではよい思い出のように思える。ゼフィランサスの顔が少しずつでも明るくなったように実感できたからだ。
 それもすべて失われてしまった。ユッカが解体され、血のバレンタインが起きたその日から。

「ゼフィランサスと再会した時、ゼフィランサスはやっぱり弱々しく見えた。この10年、君のお父さんたちがゼフィランサスを苦しめた。僕は……、それが許せない!」

 鉄板を歪ませオーベルテューレが飛び出した。全身をミノフスキー・クラフトの淡い輝きに包まれたその純白の機体は近づいただけで黒煙を吹き飛ばしその推進力を見せつけた。
 ノワールは、ヒメノカリスは動じない。ウイングから起きあがらせたレールガンが肩越しに2門発射される。1発はかわし、2発目は左腕に未練がましく握っていたシールドで防いだ。砕かれたシールドを投げ捨てる。代わりにサーベルを抜く動作がヒメノカリスには隙に見えたのだろう。
 再び、レールガンが視認さえ許さない速度でオーベルテューレを目指した。そして、ストライクノワールは右腕を失った。
 ヒメノカリスは驚いていることだろう。確実に命中すると確信していた攻撃がオーベルテューレをすり抜け、切り抜かれたのだから。

「この10年、惰眠をむさぼってたわけじゃない」

 ハウンズ・オブ・ティンダロス。攻撃の命中率を高めるためには敵に近づけばいい。近づくためには全速力で一直線に接近することが手っ取り早い。敵の攻撃は必要最小限の動きでかわせばいい。こんなあまりに安直な机上の空論を実現する絶技。

「オーブじゃ手を抜いてた?」
「いいや、ミノフスキー・クラフトの性能を確かめる必要があった。それに、君の動きも見ておきたかった」
「それを手加減してたって言う!」

 背中合わせに対峙していた2機。この均衡をまずヒメノカリスが崩した。ばく転の要領で一気に機体を背中側へと加速させるとともに推進力の方向を調整。重力でもあるかのように、オーベルテューレへとめがけて降下する。右腕に残されたサーベル。再びジェネシスの表皮が爆発する。
 黒煙から抜け出す光の塊、オーベルテューレ。追いすがるは漆黒。
 ストライクノワールは腕を振るう。光の剣が振るわれオーベルテューレのさばく太刀筋はそれを拒んだ。ガンダムは滑空するようにジェネシスの上で激突と散開を繰り返す。
 モニル・スーツを操る腕はユニウス・セブンで身につけた。
 苛烈な攻撃を繰り返すヒメノカリスの猛攻を、キラは防いでいた。ノワールの斬撃を受け止める。それはフェイント。ノワールは身をひるがえすと器用な体勢でレールガンをオーベルテューレへと向けた。間近から放たれた高速の弾丸は、しかしオーベルテューレを捉えることなくジェネシスに弾けた。

「ちょこまかとぉ!」

 レールガン発射の反動さえ利用したストライクノワールの蹴りはオーベルテューレの上体を揺らした。思わず体勢を崩された、そんなふりをした。隙を逃すまいと剣を振り下ろすノワールの攻撃に、足を軸に体をそらしながら回転させる。攻撃をかわす。その回転の勢いさえ利用して突き出した肘うちは肘からビーム・サーベルを発出させながらノワールの右大腿部を強打する。
 こんな小ずるい手はアフリカの大地で学んだ。
 ストライクノワールはちぎれ太股に引きずられるように体勢を崩す。こんなことで引くヒメノカリスではない。振り抜かれたノワールのサーベル。
 すべて、一瞬で十分だった。ノワールは右腕を失い、背中からジェネシスへと叩きつけられていた。
 ハウンズ・オブ・ティンダロスの極意は敵の行動の先読みにある。敵の攻撃を回避し再接近してから反撃する。こんなまどろっこしいことは必要としない。ただ接近し、攻撃する。この単純な動作の中に必要最小限の動きで敵の攻撃をかわす動作が組み込まれている。接近するオーベルテューレのすぐ先をサーベルが通り抜け、攻撃のために振るわれた腕をかすめ、それでもオーベルテューレの動作を一切阻害する事はない。
 攻撃は右腕を切り裂き、振り下ろした拳はノワールの顔面を捉えるとそのままジェネシスへと叩きつけた。
 この異形の猟犬の猟は、砂漠の虎に学んだ。
 左足だけを残して倒れ伏すノワールへと、キラは語りかけるように決意を口にする。

「ヒメノカリス。僕は、君の父さんに会いに行く」




 ジェネシスの杯の姿がすでに近くにまで見えていた。あれほど巨大な建造物でありながらその周囲には輝きが瞬き、激戦が行われていることが見て取れる。主戦場はジェネシス周辺宙域。それは裏を返せばほかの場所でが戦闘がまばらであることを意味する。
 GAT-X207SRネロブリッツガンダムがGAT-X303AAロッソイージスガンダムと並ぶ場所は、まだ静かなものだった。

「アイリス、ここでお別れだな」

 これ以上近づけば途端に激戦に巻き込まれることになる。2機のガンダムが並んでいられるのはここまでとなる。すでに、所属は違っているのだから。
 アーク・エンジェルは地球軍への投降を決めていた。
 ディアッカはザフトに残り、アイリス・インディアをはじめとするアーク・エンジェルのクルーたちは地球へと戻る。

「ディアッカさんはどうするんですか?」
「俺は議員殿の息子だからな。それに、プラント市民としての責任もある。ここで寝返るはないだろ」

 アーク・エンジェルで操舵を担当しているはずのフレイ・アルスターにも聞こえていたらしい。

「格好つけちゃってさ」

 ディアッカはこれには苦笑する他なかった。フレイとは初対面以来、何かと問題を抱えてしまった気でいる。別にかけられた言葉に悪意を覚えたわけではないが、少なくとも棘はあった。これまでともに戦ってきた仲間から離反することを責めているのだろう。

「フレイ、お前には悪いこと言ったよな。改めて言っとくわ、悪かったよ。それにアイリス……。またな」
「ディアッカさん……」

 バック・パックのみに装備されたミノフスキー・クラフトを輝かせ、ネロブリッツはジェネシスへと飛び立つ、そのつもりでいた。ロッソイージスが、ネロブリッツの腕を掴むまでは。




「降伏を受け入れます、バジルール中尉」

 アガメムノン級のブリッジという以前とは違う環境のなかで、通信越しとは言えマリュー・ラミアスはかつての部下と顔をつきあわせていた。ナタル・バジルール中尉--ザフトに階級は設定されていないと聞いてはいるのだが--はこれまで通り、生真面目な表情をしていた。ノーマル・スーツを挟んでさえ、ナタルが帽子をしっかりとかぶっている姿が想像できる。

「感謝します、ラミアス少佐。では我々も戦列に加えてはもらえないでしょうか? 我々が恥を忍んでお頼み申し上げたのは命惜しんでのことではありません」
「許可します」

 命が惜しければそれこそザフトに居座るべきだろう。ジェネシスが発射されてしまえば、地球軍はその土台を根底から突き崩されてしまうのだから。何より、ナタル中尉は腹芸の類ができる人ではない。

「よろしいのですか?」
「私の責任で認めます」

 クルーの不安はもっともだと言えた。上官の許可なく投降を受け入れたばかりか戦力に加えることは少なからず危険を伴うことである。

(もっとも、クルーゼ大佐なら笑って許すでしょう)

 悪い上官に毒されていると言えなくもない。

「では本艦隊はこれよりジャスティスの支援を行いつつジェネシスへと向かいます」
「ジャスティスガンダムを、ですか……?」

 目を大きくして瞬きを何度か。アーク・エンジェル時代、ナタル中尉のこんな表情は目にすることができなかった。

「敵と味方はそう簡単には分けられない。そういうものでしょう」




「どうにも慣れん光景だ」

 イザークはゼフィランサスの手を引きながら愛機へと漂っていた。エスコートなど柄ではないが、こうでもしないとすぐにでも砕けてしまいそうな危うさがこの小娘にはあった。何より、話をするには都合のいい距離である。

「なぜ敵対勢力に同じ名前の機体がある? おまけに同じユニットを装備可能ときてる」

 愛機--ZGMF-X10Aジャスティスガンダム--の背には失われた専用ユニットの代わりにエール・ストライカーが装備されていた。GAT-X105ストライクガンダムをはじめ、地球軍で広く使用されているユニットである。しかしジャスティスはザフトの機体なのだ。

「サイサリスお姉さまはGATシリーズを参考にガンダムを開発したみたいだから……。実際、ジャスティスはストライクの後継機に当たる機体……。アダプターの形状は、変更されてなかった……」
「規格までそのままにしたのか。ずいぶんとオリジナリティのない姉だな」

 加えてエール・ストライカーがそのまま認識されているところを見るとOSそのものの大きな変更は行われていないらしい。両軍に存在する同名の高性能特殊機。ガンダムとはつくづく子どもの玩具だ。
 ジャスティスの胸部に無事着地する。イザークはともかくゼフィランサスも無事だ。ゼフィランサスをパイロット・シートの後ろに座らせ、イザークはジャスティスのシステムを起動する。ハッチが閉じられ、映し出されたモニターには広い格納庫の中、浮遊する両軍の残骸が見えた。ここも激戦地であったのだ。

「ヤキン・ドゥーエを抜けてジェネシスを目指す。掴まっていろ。少々手荒い操縦になる」

 今のジャスティスはスクラップ行きになっても不思議でないほど損傷している。本体のスラスターは5割がいかれ、借り物のエール・ストライカーで辛うじて機動力を保っているような有様だ。イザークは慎重にジャスティスを動かし、カタパルトのある小部屋を目指す。

「ねえ、イザーク・ジュール……」
「イザークでいい。照れくさいならジュールと呼んでかまわない」

 白状するなら、まさか話しかけられるとは考えていなかった。
 ジャスティスは壁際まで移動すると、ハッチが自動で展開する。どうやらここのカタパルトは生きているらしい。

「イザーク……、ありがとう。ここまでしてくれるなんて考えてなかった……」
「確かにおかしな話だ。なぜ俺を選んだ?」

 ただジャスティスを使用したいだけなら地球軍にもパイロットはいるだろう。エザリア・ジュール議員の子息としての立場を利用したいなら、モビル・スーツを与える意味はない。
 カタパルトに足を乗せた。すでに管制は沈黙している。仕方なくジャスティスからカタパルトへとアクセスする必要があった。

「地球ではそこまで人手不足なのか?」
「カナードとシホが言ってたから……。悪い人じゃないって……」

 思わず手が止まった。さて、ここは何を考えるべきか。国を、友を裏切った唾棄すべき名だと憤るべきか。それとも、カタパルトへのアクセスに成功したことを喜ぶべきか。
 イザークは答えを示す前に、思わず頬を緩めた。
 70tを超える機体が急速に加速する。狭い通路を高速で滑り宇宙空間へと突き抜けた。
 傷ついた正義は決戦の地へ。




 ジャスティスガンダムを先頭として地球軍の艦隊がジェネシスを目指す。この奇妙な光景は瞬く間に激戦地へと放り込まれた。交わるビームの線条。その先で爆発の火花が次々と咲き乱れる。
 機動兵器が艦砲を撃ち合うような狂った戦場は命の価値を希薄にする。
 分厚い装甲に守られ戦術論において堅牢であったはずの戦艦はモビル・スーツに取り囲まれた途端、テキストはその威厳を失う。次々と突き刺さるビームに内側から火が噴きだしたかと思うと動力部から発生した巨大な爆発が艦を引き裂いた。
 かつてメビウスを初めとする重戦闘機を相手に圧倒的優位を誇ったモビル・スーツであったが、その機動力は同じモビル・スーツを相手に発揮されることはない。逃げ損ねたZGMF-600ゲイツが被弾する。辛うじてシールドで防いだものの、一撃でシールドは破壊された。飛来するビームは胸部装甲、ジェネレーター、背部装甲、バック・パックをたやすく貫通する。




 やがて戦艦なんてモビル・スーツの足くらいにしか思われない時代がくるのかもしれない。操舵手として若輩者もいいところのフレイでさえ、モビル・スーツの度重なる攻撃にさらされるアーク・エンジェルの姿にそんなことを考えずにはいられなかった。

「左翼被弾。第2貨物室にて火災発生!」
「隔壁閉鎖急げ。付近の乗員はただちに離脱」

 もう誰の声かもすぐにはわからないほど混乱したブリッジが、時折大きく揺れた。風防の外には宇宙がまぶしく感じられるほどにビームが飛び交い、モビル・スーツたちがせせこましく動き回っていた。アーク・エンジェルを見つけたゲイツがライフルを構えながら接近してくる。
 今度はどこに当てられるのだろう。とにかくブリッジに直撃弾さえ浴びなければなんとでもなる。フレイは舵を思い切り振り回す。傾くアーク・エンジェル。重力のない中で感覚としてはわからず、ただゲイツの姿が傾いたことだけで艦の傾きを判断する。
 ゲイツの向ける銃身は、しかしアーク・エンジェルを害することはなかった。大物だと気をとられすぎたゲイツは突如飛来したミサイルを背中からまともに浴びた。決して大きなミサイルではなかったが、推進剤に引火したのだろう。ゲイツは爆発に後ろから抱きつかれるように飲み込まれていった。
 アーク・エンジェルの正面を戦闘機が横切った。アーノルド・ノイマンのコスモグラスパーである。

「フレイ。戦艦には装甲の厚みに偏りがある。どうしてもかわせない時は」
「分厚いところで受け止める」

 教えはしっかりと身に染み込んでいる。
 あのゲイツのパイロットは本当にアーク・エンジェルのみでこの激戦を生き抜いていると考えていたのだろうか。それならフレイの腕前を買いかぶりすぎである。戦艦にとって最も怖いことは敵に取り囲まれること。機動兵器のサポートもなしに戦える戦艦なんてあるものか。
 アーク・エンジェルは、フレイはこうして戦い抜いてきた。しかし何かが足りていない。そのことに気づいたはの、ナタル艦長であった。

「アイリスは、アイリスはどうした!?」




 戦場のただ中、二つの光が追いかけっこしていた。稚拙な表現ながらこれ以上評しようがない。ミノフスキー・クラフトの輝きがふらりふらりと不規則に動いて逃げる光を追う光が追いかけている。
 それは、戦場の狭間で揺れる若い2人の迷いをそのまま表している。

「やめろアイリス。こんなことしてたら両軍から狙われる! 俺は敵だぞ」

 ビームを放つこともなく、ネオブリッツは機動を繰り返していた。どうしても離れようとしないアイリスのロッソイージス。味方と合流することも敵陣へと攻め上がることもできず、砲火の間をさまよう。

「でも、ディアッカさん……。私……」
「もういい。俺はザフトで、お前は地球を救わなくちゃならないだろ!」
「でも……、でも!」

 ゲイツたちは当然のようにアイリスのロッソイージスを狙う。問題は、地球軍の中にもアイリスの動きに明らかな警戒感を示し始めた機体があることだ。迷ったようにライフルを向け、辛うじてまだ引き金は引かない。敵であると確信をもたれた瞬間、アイリスはこの混戦の中、両軍から敵とみなされる。

「アイリス!」

 どうしてアイリスはここまでディアッカにこだわろうとする。地球軍には仲間だっているだろう。しかし、アイリスはディアッカにつきまとうことをやめようとしない。
 ビーム--一際大きなものに見えた--がネロブリッツとロッソイージスとの間を貫いた。間に割って入ったというよりどちらも狙える位置関係。よくない傾向だ。おまけとして、ビームはガンダム・タイプから放たれたものだった。
 GAT-X102デュエルガンダムに追加装甲を張り付けたような機体だ。その後ろにはGAT-X103バスターガンダムの強化型と思しき機体が続いている。アーク・エンジェルが合流したアガメムノン級の艦載機なのだろう。ガンダムである以上、楽な戦いは期待できない。
 突進してくるブリッツを迎え撃つため、ブリッツの複合兵装からビーム・サーベルを発生させておく。デュエルもサーベルを抜いた。切り結ぶ時は、とにかく力負けしないことが肝要だ。スラスターの出力を上げ、迎撃に出ようとした時だ。

「待ってください、ディアッカさんは敵じゃありません!」

 ロッソイージスが軌道上に強引に割り込んできた。ブリッツとデュエルは軌道を無理矢理曲げイージスを回避させられた。

「アイリス、もうやめろ!」

 どうしてここまでただの隊長のことを気にかけようとする。アイリスの行動を掴めないことは、地球軍にとっても同じことだろう。

「ザフトだよね。なら敵だよ。君は敵の味方なの?」

 おそらくデュエルのパイロットの声だ。どこか子どものような妙な抑揚を持っている。無邪気だがそれだけ残酷でもある。そんな印象を受けた。
 ビームをアイリスのイージスへと--無論、当てないように--めがけて放つ。

「かかって来い。3人まとめて相手してやる!」

 こんな猿芝居が通用してくれるだろうか。少なくとも、周囲のGAT-01A1ストライクダガーの攻撃は消極的になっただろうか。単にガンダムの相手はガンダムに任せると決めているだけかもしれないが。
 ガンダムは特別な機体であることは間違いない。ガンダム同士を繋ぐ通信は、今度はバスターのパイロットの声を拾う。

「カズイ、アイリス姉さんは敵じゃないよ」

 アイリスを姉と呼ぶということはヴァーリ。それに、この少女はデュエルのパイロットのことをカズイと呼んだか。アルテミスでディアッカが殺したフレイたちの友達の名前だ。単なる同姓同名だろう。そうと理解しながら、言葉はつい口をついた。

「カズイ・バスカークなのか!?」
「僕はカズイだよ」

 デュエルから振り下ろされるサーベルは躊躇がない。キラのように戦い慣れた動きとも違う。罪悪感を覚えていないような攻撃に、つい防戦を強いられた。サーベルで受け止め弾き返す。
 コクピットに流れるロックオン警報。遠くからバスター改がディアッカを狙っている。

「ロベリア、待って!」

 またロッソイージスが割って入り、バスターは構えを解いて移動する。

「アイリス姉さんは何したいの? 武装解除もしてない敵なんて危なっかしくて放っておけないよ」
「アイリス、俺を狙え! このままだと両軍の敵にされるぞ!」

 目の前の敵はガンダムだけ。しかし周囲にはすでに両軍のモビル・スーツが多数展開している。

「ディアッカさん、お願いです。お願いですから……」

 今のディアッカに何がしてやれるだろう。父のため、プラントを裏切ることはできない。仮に寝返ったところでアイリスのためにしてやれることなんて何一つない。なのになぜアイリスはここまでディアッカにこだわろうする。
 考えてわかることでもないだろう。狙われている時ならなおさらだ。バスターは肩のレールガン、両腕に構えたライフルの全火力を集中してくる。本家バスターが面の狙撃を得意としたのに対してこちらは面による制圧を狙ってくる。ブリッツをランダムに軌道させ、ディアッカ自身でさえ次はどこにいるかわからない小刻みな動きで辛うじて回避する。

「君は、倒す」

 お仲間が大火力で狙っているというのにデュエル改は強引にサーベルを叩きつけてくる。格闘はいわゆるところの追尾システム搭載型のミサイルにも等しい。でたらめに逃げたところでその方向にしつこく追いかけてくる。逃げることもできず、サーベルがスパークを散らして攻撃を受け止める。
 バスターの攻撃がブリッツの左足を直撃した。デュエルの蹴りがディアッカを強く後ろへと押し出す。接近戦に特化した機体が動きを封じ、火力に優れた機体が狙い撃つ。悪くない連携だ。
 体勢を崩したネロブリッツを見逃す理由はないだろう。デュエルが両手にビーム・サーベルを構えながら突進してくる姿に、嫌な汗が額を伝う。

「ディアッカさん!」

 割り込んだロッソイージスがデュエル改のサーベルを受け止めてくれる。だが、体の芯を冷やすような悪寒はかえって増したように思える。これ以上の利敵行為はあまりに危険すぎる。

「やっぱり、君は敵なんだね」

 悪意を伴わない声は、ひどく事務的で、死刑宣告--聞いたことなんてないが--を思わせた。
 イージスの腕が切断された。飛び散る細かな破片の向こうにデュエルの輝く双眸が不気味に見えた。ディアッカは飛び出す他の術を知らなかった。

「アイリス!」

 体当たりほどの勢いでイージスをどかし、サーベルをデュエル改の方へと叩き刺す。フェイズシフト・アーマーの鮮烈な輝きの中、デュエルの左腕を肩から切り離す。
 そして、デュエルのサーベルはネロブリッツの左胸に突き刺さっていた。




 カズイのブルデュエルの攻撃は確実にネロブリッツの胸部ジェネレーターを捉えた。爆発が左腕を引きちぎったように吹き飛ばす。それでも爆発はやまず、ブリッツは左半身から呑み込まれるように炎と衝撃に包まれていく。
 ガンダム・タイプを1機撃墜。ロベリア・リマはその労を労おうとしていた。

「カズイ……?」

 何か様子がおかしい。見ると、ブルデュエルの背中に剣が生えていた。ビーム・サーベルがデュエルの体を貫通している。

「カズイ! ねえ!」

 モニターにはデュエルのコクピットの様子が映し出されていた。アラームで真っ赤で、高熱が入り込んでいるのかおかしな湯気がところどころに見えていた。その中で、カズイの包帯の巻かれた顔は、普段と何も変わったところなんてなかった。まるで、何も知らない子どもみたいに。

「カズイ……、カズイ!」

 サーベルの突き刺さったところから輪が広がるように爆発が膨れ上がる。その衝撃に耐えられなかったブルデュエルの体が上下に引き裂かれたことで、そいつは姿を現した。血塗れみたいな姿をしてカズイを殺したサーベルを見せつけるように突き出していた。

「姉さんはー! どっちの味方なの!」

 レールガン、ビーム・ライフル。ヴェルデバスターに搭載されたすべての火力でロッソイージスの存在そのものを消し去ってしまおう。ロベリアの頭の中にはそれしかなかった。それ自体が光を放つビームと、申し訳程度の曳光弾が指し示す無数の弾道がイージスへとめがけて殺到する。
 かわさせるつもりなんてなかった。このまま一気に破壊してしまうつもりだった。それは、姉であるアイリスも同じことだった。
 イージスは構わず突進してきた。フェイズシフト・アーマーの防御力を頼りにレールガンは装甲に弾かせて、フェイズシフト・アーマーが狂ったみたいに輝いてイージスの体が大きく揺れる。ビームがかすめるとさらに大きく輝いて装甲が剥がれ落ちていく。
 それでもイージスは止まらない。かすめたビームに顔面の装甲がはげ落ちてなお突進してくる姿は、とても普通には見えない。人の姿をしていた何かが正体を現したか、でなかったら人であることを忘れてしまったか。イージスは人ではあり得ないくらいに手足を引き延ばし、後ろから指のような部品が左右から伸びてきた。手足が指になって後ろから来たパーツと並ぶと、それは5本指の巨大な手がヴェルデバスターを鷲掴みにしようと迫っているようにしか見えない。
 それとも口を目一杯に開いた悪魔の口だろうか。その喉元にはビーム砲の銃口が覗いていた。
 怖かった。単純な気持ちが、ほんの一瞬ロベリアの意識を軽くする。極度の興奮状態に現れる意識障害。それはいつだってここ一番の時に当然のように現れる。そんな時にこそ、ロベリアの心臓はダンスを始めるのだから。
 ロベリアが意識を取り戻すきっかけを作ったのは、機体を揺らす強烈な衝撃であった。悪魔の手がバスターの胴を鷲掴みにしていた。そのまま、ミノフスキー・クラフト--バスターには搭載されていない--の推進力に任せてヴェルデバスターを振り回す。

「こ、この……!」

 レールガンもライフルも銃身が長すぎてここまで極端に接近された状況では相手を狙うことができない。ライフル先端の銃剣をどうにかして突き立てようとするが、アームで機体本体と連結しているライフルでは自由に動かせるとはいかない。操縦桿をどれほど動かそうともバスターは反応を見せてくれない。
 その加速度だけで意識が飛ばされてしまいそうになる。イージスに振り回されるバスターは突然、堅い何かに背中から叩きつけられた。歯茎が痛くなるほどの衝撃は、ロベリアの口の中に血の味を広げた。

「ここ……?」

 バスターが鷲掴みにされたまま叩きつけられた場所。そこはアガメムノン級の甲板であった。ブリッジ以外起伏に乏しい母艦のほぼ中央部分に叩きつけられていた。甲板は歪み、その衝撃の大きさを物語るとともにバスターを深く捉えて離さない。コクピットのアラームが前方に熱源反応を伝えていた。
 イージスのビーム砲がその銃口をコクピット・ハッチに押しつける形で発射されようとしていた。
 自分でも何を叫んでいるかわからない。ただがむしゃらに脱出しようと操縦桿を動かす。戦艦とモビル・スーツに挟まれたバスターの体は、それでもせめて銃身を動かすことができた。激突の衝撃でロッソイージスの掴みが若干緩くなっていたのだ。
 ライフルがその銃口を辛うじて滑り込ませたところで引き金を引く。放たれたビームはコクピットに強烈な光を忍び込ませたが、イージスの指--人型なら左腕にあたる--を吹き飛ばす。まだ指は4本残っていてもイージスが両腕を失っている分、腕は比較的自由に動かすことができた。もうライフルで狙える位置はなくとも腕を振り回すことはできる。拳でフェイズシフト・アーマーを叩き破れないとは知りながら、それでもロベリアはだだをこねる子どものようにイージスを叩き続けた。
 そうしている内にも熱源反応は急速に危機を増し、けたたましい音をコクピットに吹き鳴らしていた。

「ひぅ!」

 無駄な努力がやがて心を挫いた時、ロベリアにできることは何もなかった。

「姉さん……、アイリス姉さん……」

 ヘルメットを被ったままでは涙を拭うことさえできない。手はとっくに操縦桿から離れていた。クルーゼ隊長は、今頃ジェネシスで戦っているはずだった。

「誰かぁ……」

 助けて欲しい。でも、誰も助けてくれる人に心当たりなんてない。大切な人たちのことが次々思い浮かんで、それがすべて消えていく。助けてくれる可能性のない人たちとして。
 モニターに映る発射口はすでに肉眼で見えるほど輝きを放っている。この光がすべてを逆光の中に突き落として、だからロベリアには見ることができなかった。何かがイージスに体当たりした、その何かが。
 ロッソイージスがヴェルデバスターから引き剥がされる。その瞬間、放たれたビームが倒れるバスターの上を通り抜けてアガメムノン級の甲板の縁をかすめた。分厚い装甲が溶解し、直撃をくらっていた場合の末路を想像させる光景は、ロベリアを再び震え上がらせた。
 思わず目を閉じてしまっていた。しばらく--それでもきっと数秒のことだろう--してからロベリアはゆっくりと目を開けた。
 人の形を取り戻さないまま甲板の上に横たわっていた。ヴェルデバスターの攻撃にさらされ続けた装甲は損傷がひどい。ビーム砲が最後の力であったように打ち上げられた獣のように横たわっているだけだ。
 そのイージスに寄りかかるように支えるようにしていたのは、半壊したネロブリッツであった。左足は完全にもげている。左肩から生じた爆発は左腕を完全に吹き飛ばし、左半身を焼き焦がしていた。
 傷ついた2機が横たわる姿は打ち捨てられた獣の死骸のようで、それでもどこか、傷つき疲れ果てた2人が寄り添って眠っているようでもあった。

「よせ……よ、アイリ……」

 バスターの拾った通信はひどく聞き取りにくい。しかし通信が悪い訳ではない。パイロットの声がそもそもかすれているのだ。ブリッツの損傷はコクピット付近にまで及んでいる。パイロットが無事であるはずなんてない。
 イージスのコクピットからパイロットが這いだす様子が見えた。ブリッツのコクピットへと向かっている。
 心臓の鼓動はようやく落ち着きつつあった。呼吸もまだまだ荒くても少しはましになった。それでも安堵で気が抜けたのか、全身を襲う倦怠感にロベリアは襲われていた。バスターはアガメムノン級の甲板に横たわったまま、戦いの空を見上げている。
 空には、上半身と下半身とが引きちぎられたブルデュエルが、カズイの機体が浮かんでいた。思わず涙がまた、目にたまる。自分を奮い立たせながら伸ばす手は、操縦桿を通り抜けて、コンソールのスイッチを押した。

「負傷者がいます。受け入れ体制、お願いします……、ラミアス艦長」

 きっと、ここではこうすべきだと思ったから。




 ここは今、世界の中心としても過言ではない。あらゆる意志と命が死によって束ねられている場所。人々はここを創世記、ジェネシスと呼んでいた。

「かつて私は父と呼んだ男を手に掛けました。彼が友をたった4文字のアルファベットで判断し、失敗作と処分しようとしたからです。父を殺し火事を偽装し、誰も疑うことはありませんでした」

 漂うは無数の残骸。ジェネシス中心部に位置する広大な空間の中、絵画に刻まれたひっかき傷のように細かな残骸が無数に漂っている。モビル・スーツの原形を辛うじて残すものと残さないもの。等しく残骸である。

「残されたのは膨大な遺産と、最高のコーディネーターとしての地位、何より2人の友の存在でした。私たちにとって生きるとはそれ自体戯れであったのかもしれません。有り余るほどの資産、約束されたアズラエル財団当主の座。生きる。ただそれだけのことであるのならば、何ら不都合はありません」

 それは黄金をしている。神と見紛うほどに目映く、悪魔が騙るほどに神々しい。

「有り余る資産はすべて世界を変えるために投じました。この命は人を殺す術を得るために費やしました。かつてあなたがゼフィランサスのためにそうしたように」
「あなたは一体……?」

 対するは純白の獣。体中を切り裂かれたかのように装甲の継ぎ目から赤い光が覗き、その額には角を持つ。

「私は、ゼフィランサスの兄であり、ヒメノカリスの父です。そして初めてドミナントと呼ばれた者でもあります。そしてブルー・コスモスの代表であり、故に私はここにいる」
「だから、僕はあなたを倒さなければならない。すべての僕が僕として」
「それはかないません。私を倒すことができるのは復讐者にして復讐者でない者、敵にして敵ではない者、何より愛を知る者でなければならないのですから」

 ZZ-X300AAフィオエリヒガンダム。
 ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレ。
 ここには、すべての始まりと終わるとが集う。



[32266] 第49話「それが胡蝶の夢だとて」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:07
 戦いは、最終局面を迎えていた。
 もはや敵も味方もなく優位も劣位もない。わずか一瞬。されど生涯のすべてにも勝る一瞬である。ジェネシス発射を待つ。この一瞬にも思える寸劇こそが世界の命運を決するのだから。
 ZGMF-X09Aジャスティスガンダムはザフトの機体でありながら地球軍を引き連れていた。2度のジェネシス照射によって戦力を大きく減じた地球軍ではあるが、もはや戦力の多寡で語ることのできる戦いではない。
 勝利とは敵の殲滅を意味することはなく撤退などありえない。ジェネシスを破壊する、あるいは守る。万軍を並べよう。しかしジェネシスを破壊できなければ意味がなく、ジェネシスを破壊されれば敗北する。兵の数は要素の一つにすぎず、ただただ砲火が交わり爆ぜる。
 放つビームはZGMF-1017ジンの装甲を焼き、ジャスティスは歩を進める。足はもがれ、残された右腕のみがライフルを握る。その背にはエール・ストライカー、借り物の翼を背負いながら。

「できそうか、ゼフィランサス?」
「うん……。これで、ジェネシス破壊の方法をみんなが知ることになる……」

 ジャスティスから放たれた不可視の波動はこの戦場に存在するすべてのモビル・スーツ、戦艦にジェネシスを破壊するための方法を伝えた。制御棒を破壊し、原子炉を暴走させる。それだけが地球を救う唯一の手段であるのだと。
 パイロット・シートの後ろにいるゼフィランサスへと振り向くこともなく話しかける。モニターから目をそらしている余裕などないのだ。

「だが相手には防御を集中する道筋を示すことになる!」

 ジャスティスの左腕がないとみるやゲイツが突進してくる。ビーム・クローを突き出すような突撃を残された左足で蹴り飛ばす。後続のゲイツの放つビームにはカウンターをあわせるように撃ち返す。ゲイツのビームは皮肉にも本来左腕があるはずの場所を通り抜け、ジャスティスはゲイツの頭部を吹き飛ばす。
 これではモニターから目を離している余裕などあるものか。

「ゼフィランサス、俺は制御棒の破壊を目指す。お前は炉を暴走させろ!」
「わかった……」
「問題はどうやって侵入するかだが……」

 ゲイツの攻撃はきりがない。地球軍が背後から繰り出してくれる支援攻撃とが交錯し、めまぐるしいことこの上ない。地球軍の後続部隊が到着すれば大混戦になることだろう。このような状況ではジャスティスは目立ちすぎる。
 ライフルで接近しようとする敵機を牽制しながら片時も気を抜くことができる瞬間がない。敵の攻撃すべてがジャスティスを狙っているように錯覚させられる。
 そんな時だ。突如、攻撃がやんだ。
 激しい戦闘は周囲で繰り広げられている。しかしジャスティスを狙う火線が突如として途絶えたのだ。何が起きた。その答えはほどなく通信機から飛び込んできた。

「ゼフィランサス、聞こえているかね? 私の愛しい娘」

 どこかで聞いたことのあるような声だ。

「お父様……」

 ヴァーリであるゼフィランサスが父と呼ぶ。これを切っ掛けにイザークの中でも朧気な記憶と声が結びつき、1人の男の名前を導き出した。

「シーゲル・クライン元議長」
「イザーク君か。話は聞いているよ。よく娘を連れてきてくれた。これから示す場所にまで来てくれないかね?」

 モニターに表示された位置にはジェネシスの内部に通じると思われる大型ハッチが示されていた。

「お父様の指示に従って……」

 ゼフィランサスがそう言うならば従うほかないだろう。ジャスティスは激戦の中突如として出現した空隙の中、ゆっくりとジェネシスへと向かい動き出す。周囲のゲイツたちはまるでジャスティスが見えていないかのように無視して戦いを続けている。
 何とも不気味な光景だ。この不気味な光景の中を通り抜け、ジャスティスはジェネシスへとたどり着いた。ジェネシスはとにかく巨大であり、すでに侵入を許したのか一角からは黒煙が立ち上っていた。イザークたちは正規のルートから入る。巨大なハッチが開放され中へと導かれる。
 そこには巨大な空間が広がっていた。モビル・スーツが楽に飛び回れるほどの円筒状の通路の奥には別のハッチがその巨大な円盤をさらしている。背後で宇宙とジェネシスとを繋ぐハッチが閉じられ、否応なしに前へと進む他ない。

「ゼフィランサス……」

 ジャスティスを進ませながらシートの背後へと声をかけた。しかし何か言っておきたいことがあったわけではなかった。

「制御棒はこちらで破壊しておく」

 こんな曖昧な言葉で時間を繋いでいると、奥のハッチはすでに目の前にあった。独りでに開かれるハッチ。吹き出した風はジェネシスの内部が大気で満たされていることを示していた。
 なぜわざわざ加圧しているのか。わからぬことは何もこればかりではない。いちいち考えているほどの余裕などなかった。
 開かれたハッチはさらに広大な空間へと通じていた。ジェネシスを外から見たなら杯の形に見える。それは内部についても同様であるらしい。ちょうど器の形に内部に広大な空洞が広がっていた。ジャスティスは杯の縁を通り抜け、大気という入れ物で満たされた器に出たのだ。
 もっとも、入れられているのは大気ばかりではない。空洞の中央には巨大な球体が浮かんでいた。
 ユーリ・アマルフィ議員はジェネシス内部を中央に原子炉と制御室、その周辺を作業用の通路が網の目状に張り巡らされていると予測していたが、当たらずとも遠からずということだろう。通路の壁はすべて取っ払われて広大な空間となっている。巨人な球体が中央で幅をきかせ、余った空間を寄せ集めた弧を描く空間が今ジャスティスのいる場所だ。
 あの球の外側のどこかに制御棒、あるいはその制御装置が存在するのだろう。

「イザーク、あの場所まで連れて行って……」

 まずはゼフィランサスを降ろすことが先決か。指示された場所は球体の表面。モニターには球体表面に設置されたキャット・ウォークと人が使うためのハッチが表示されている。
 ジャスティスを移動させる。だが、少しでも状況を確認しておくべきだろう。
 球体はジェネシス本体と8本の柱で固定されている。輪を描くように同一円周上に等間隔--45度の角度であったため数えやすく、見えない範囲についても推測することができた--に生えている。ジャスティスが通ってきたハッチも柱とはずれた位置に等間隔、8つが設置されているらしい。
 見ることができたのはここまでだ。本体から球体へと移るだけならばさして時間はかからない。ここは大気で満たされている。ジャスティスのセンサーも安全--呼吸できるという程度の意味だが--であると告げていた。

「ゼフィランサス、ここでいいのか?」

 振り向くと、ゼフィランサスは小さく頷いた。特にかけるべき言葉も見あたらない。コクピット・ハッチを開き、柄にでもなくエスコートすべきかとも考えたが、ゼフィランサスは黒いドレスをはためかしてハッチの縁に立つ。

「イザーク、後のこと、お願い……」
「ああ……」

 この言葉をかけるためだけに振り向いたゼフィランサスはジャスティスを離れた。ヴァーリたちの父であるシーゲル・クラインは何をさせたいのだろうか。これもわからないことの一つだ。
 コクピット・ハッチを閉じると、1人残された空間は不気味なほどの静けさであった。もっとも、退屈だけはさせてもらえない。モニターがその片隅に爆発を捉えた。イザークたちが使用したものとは別の通路をどこかの派手好きが爆破したのだ。
 爆煙を突き破ったのは赤いストライク。ストライクルージュ、あのカガリ・ユラ・アスハの機体だ。

「イザーク、無事だったか!」

 両足を失っているというのに、ルージュは飛び跳ねるような機敏な動きでジャスティスの側へと移動してくる。

「ああ、敵の捕虜にされたはずが独房から出ることを許された挙げ句モビル・スーツへ搭乗させてもらった!」

 これもわからないことの一つだ。地球の軍隊はどうなっている。かつて月面グラナダでそうカガリを怒鳴りつけたことが悔やまれる。ディアッカ・エルスマンという男の話だったか。
 モニターに得意満面のカガリが顔が映し出される。

「言っただろう! 人の言うことを信じようとしないからだ。だが、チャラにしてやる。これの相手を手伝ってくれるならばな!」

 カガリが破壊したハッチから虫の群のようにゲイツが飛び出してくる。このカガリという女、敵の大群の中を強引に突破してきたらしい。ルージュの装甲は損害が蓄積していることが見て取れる。

「話は聞いているな、カガリ。俺たちは制御棒を破壊する!」
「任せておけ! オーブを焼かせる訳にはいかないからな」

 ジャスティスとルージュ。赤い2機のガンダムは同時に加速を開始する。




 戦いの舞台はジェネシス内部へと移ろうとしていた。8つのハッチ、8つの広大な加圧室。侵入しようとする者と防ぐ者の混戦が繰り広げられる。
 飛び出したGAT-01A1ストライクダガーがゲイツの集中砲火を浴び爆散する。しかし仲間の爆発さえ煙幕と利用したストライクダガーがビーム・サーベル片手に接近を果たした。サーベルに貫かれるゲイツ。仲間の仇を討たんとライフルを構えたゲイツへと、ストライクダガーはこともあろうにシールドを叩きつけた。鋼鉄の塊が顔面を直撃し、ゲイツは大きく体勢を崩す。
 ここには戦略も戦術もない。
 戦略は戦いを全体として眺め、次の戦いに備え、次の次の戦いに備える知恵のことである。ゆえに、ここに戦略は存在しない。次の戦いなどないのだ。ジェネシスが放たれれば地球は滅ぶ。もはや地球とプラントの間に戦争など起きようはずもない。
 戦術は賢く戦う術である。では問おう。考えている余力を誰が残す。時計はとまることがない。両者ともにすべきことはわかっている。考えている時間さえ惜しんだ戦士たちが戦っているのだ。
 一斉に放たれるゲイツのビーム。しかし、ビームに貫かれたのは他ならぬゲイツの部隊であった。
 加圧室の中、白銀のユニットが飛び回る。ZZ-X200DAガンダムトロイメント。白銀のガンダムのバック・パックへと白銀のユニットはミノフスキー・クラフトの輝きを放ちながら舞い戻る。

「どうだ、ムウ? 来られそうか?」
「馬鹿言え。お前たちにいいところ全部持ってかれそうなのが不安なだけだ」
「ならば早く来ることだ。宴は今がたけなわだ」

 トロイメントのコクピットにて、レウ・ル・クルーゼは口元を歪めた。
 すでに勝利と敗北の区別さえ曖昧となり、畏怖はその概念から消失している。ガンダムにかなわぬと攻撃を控える敵機などただの1機さえ存在していない。勝利とは敵機を撃墜することではなく、敗北とは撃墜されることではないのだ。そしてジェネシスを守るためであれば、ザフトはその身を投げ出す。
 ゲイツの一団はトロイメントを前にいっさいの躊躇も怯みも見せることなくあらゆる方向からスラスターの燐光を煌めかす。
 背後から接近する機体は左手のサーベルで胴裂きにした。正面の不用心なゲイツはビーム・ライフルで直接破壊する。しかし、ゲイツの勢いは衰えることがない。放たれたビームは幾本のも光を描き、トロイメントの額をかすめた。ガンダムの象徴とも言えるブレード・アンテナがへし折れてしまった。
 やはり、反応が鈍くなっている。

「それで、お前体は? そろそろ薬が切れる時間じゃないか?」

 30年来の気心知れた友はずいぶんと心優しいものだ。

「戦闘中に発作を起こすほど間抜けではないよ。それでは、ロベリアに示しがつかないでな」

 怒濤のように押し寄せてくるビームを振り切るようにしてかわしながら、ラウは時を待っていた。トロイメントのユニット、ナイトゴーントには重大な欠点を持つ。小型でありながらフェイズシフト・アーマーの出力が高く、連続稼働時間が短いことだ。そのため、通常全12機を4機をセットに3つのグループとして運用することでユニットを常時展開できるよう想定されている。特に、すべてを一度に放つことだけはしないよう、ゼフィランサスには固く言いつけられていた。
 しかし何の偶然か、トロイメントの背には12機すべてのナイトゴーントが搭載されたままだ。

「トロイメントの真の力、お見せしよう」

 放たれる12機すべてのユニット。それは白銀の軌跡を残し飛び回る。ビームが直進するという事実はもはや幻想にすぎない。ゲイツたちは自ら放ったビームに全身をあらゆる方向から撃ち抜かれ、瞬く間に灰燼と帰した。




 高速で飛行するジャスティスを、さらに高速のビームが追い抜いてはジェネシス内壁に派手な爆発を引き起こした。いくつも生じる爆発はその度にジャスティスを揺るがし、イザークに歯を食いしばらせるはめになった。
 これほどの高速で移動している標的にそうそう射撃が命中するはずもない。そう考えていたのは何もイザークばかりではないらしい。ビームが球体の壁へと命中する。生じた爆発はジャスティスの握るライフルを包んだ。黒煙が剥がれ落ちた時、ライフルには破片が突き刺さっていた。これでは使い物にならない。狙ってのことだろう。
 ライフルを投げ捨てる。同時にしなければならないことがあった。エール・ストライカー--なぜ規格があうのかはなはだ疑問だが--からビーム・サーベルを抜き放つとともに、振り向きざまの勢いを利用してサーベルを薙いだ。ライフルを破壊するほどの強かさを持つ相手がこの隙を見逃すはずなどないのだ。
 振り抜いたはずのサーベルは、案の定、ゲイツの突き出すビーム・クローに受け止められていた。
 このゲイツは何かが違う。切り込む角度、叩きつける腕、そんな動作の端々に見える洗練された気配は手練れのそれを思わせた。

「お前たちは、ことの重大性がわかっているのか!?」

 ジャスティスは元々ザフトの機体だ。通信は当然のように繋ぐことができる。聞こえてきたのは若い男の声だ。

「地球を焼かねばプラントが滅ぼされる。なるほど確かに一大事。故に、私は全力を尽くす」

 ゲイツが爪をずらす。支えを失ったサーベルはジャスティスの体を引っ張るように振られ、体勢を崩したジャスティスへとゲイツはビームを放った。生じた爆発から抜け出た時、ジャスティスはエール・ストライカーの片翼を失っていた。
 このゲイツ、やはり強い。
 幸いストライカーのスラスター部分は無事であった。速度を落とすことはできない。球の周囲を旋回するように機体をさらに加速させると、ゲイツはそれでも食らいついてくる。
 ビーム・クローが猛禽の爪であるかのように急襲する。サーベルで受け止め、押し返す。離れたゲイツを、今度はこちらから追いかける。サーベルを叩きつけ、ビームによる反撃をかわしながら飛び去ると、次は再びゲイツが爪を突き出しながら突進してくる。防いだサーベルは、ビームのスパークを周囲にまき散らす。
 2機のモビル・スーツは鍔迫り合いの体勢のまま、高速で機動していた。

「地球はこれまで一度もプラント全土を焼き払おうとしたことなどなかった! プラントはすでに一度手を染めたがな。なのに貴様等は自分のしていることだけを正しいと持ち上げ地球を焼くのか!」
「私を説得できるとお考えか?」

 2機は突如飛び上がるほどの勢いで離れた。球体とジェネシスとをつなぐ柱が迫っていたのだ。高速で通り過ぎる柱をやり過ごした2機は、再び武器を構え、相手をめざし突撃する。

「気にするな。ただの八つ当たりだ。かつての自分に対するなあ!」




「くっ! 学徒兵ばかりではないないな……」

 グラナダでは学徒兵のパイロットの姿がとにかく目に付いた。しかしカガリを追うゲイツたちのパイロットはとてもではないが学生風情ではない。温存していたのだろう。たとえ、若者の命を使い潰すことになったとしても。
 振り切ろうと加速を続けるが、まるで引き離すこともできないままビームがルージュをかすめてはジェネシス内壁で爆発する。
 進路上に障害物反応。球体とジェネシス本体とを繋ぐ柱の一つだ。高速で機動中にありがたい存在ではない。ルージュの体を無理によじる形で機動を曲げる。危うくレッド・アウトを起こしそうな視界の中、柱はルージュの脇を通り抜けていった。
 危険であったことに変わりない。その証拠を示すように、ルージュを追っていたゲイツが1機、柱にまともに突っ込んだ。激しい衝突に爆発は即座に巻き起こった。
 これで敵も多少は攻撃の手を緩めるだろう。これが油断であったとは思わない。だが、敵はカガリの想定していない動きを見せたことも事実だ。ゲイツはこともあろうにさらに加速したのだ。
 急接近を告げるアラーム。カガリはルージュの腕を大きく振らせた。アンバックとか呼ばれる重心の移動による姿勢制御である。足が失われているためその分も腕を大きく振りながら、ルージュは進行方向はそのままに振り返る。振り向きざまに放ったビームは確かにゲイツの左肩を撃ち抜いた。それでもなおゲイツは突進をやめようとしない。ルージュに体当たりを食らわせる形で巻き込みながら、そのまま球体の表面へと叩きつけられた。

「こいつら……! 命を捨てるつもりか!?」

 あまりに危険すぎる行動だ。ゲイツは左腕を失いながらもルージュを球体--大きさのあまり、あまり表面が丸いという印象はない--へと押しつけてくる。ルージュは球体に押しつけられたまま、ゲイツに押され続けている。
 バック・パックのエール・ストライカーが破損したことを告げる警報音がけたたましい。フェイズシフト・アーマーに包まれていない鋼鉄の翼は、先程片方が弾けるほどの勢いで剥離した。球体表面に刻まれたわだちの中にはスラスターを持つユニットがめり込んでいることが辛うじて確認できた。
 まもなくエール・ストライカーは爆発する。モニター一杯に広がるゲイツの一つ目は何とも不気味に思える。これ以上抱きつかれたい相手ではない。
 ルージュの左手がゲイツ頭部の鶏冠状の構造を掴む。人参でも引っこ抜くつもりで頭を思い切り引っ張ってやった。モビル・スーツの人ほどの可動域はない首が不自然に伸びて、耐えかねたゲイツが半身をわずかに浮かせた。その隙間へと銃身を差し込み発射する。ビームの強烈な輝きがゲイツの腹を通り抜けた。同時に、エール・ストライカーも限界を迎えたようだ。
 前と後ろ。同時に炸裂した爆発にルージュはあらぬ方向へと投げ出された。球体にそのまま叩きつけられなかったことは幸いだが、姿勢を立て直すために速度を落とさざるを得なかった。ビーム・ライフルは爆発の衝撃で銃身が曲がってしまっていた。敵は十分な速度を維持したまま、ビーム・クローをこれ見よがしに見せつけていた。
 ライフルを投げ捨てる。ルージュが示した武装は、腰のサイド・アーマーに内蔵されている2本のナイフだけであった。

「武器は……、ダガー・ナイフ、これだけか!」

 一度速度を失った機体を再度加速させていられる余裕はない。今こうしている間にもゲイツが2機、ビーム・クローを手に接近している最中であった。武器はない。カガリの頬に悪い汗が流れた。
 だがせめて一矢、報いてやろう。そう、ナイフを取り出そうとした時のことだ。カガリは目の前の光景が理解できなかった。
 現れた1機のストライクダガー。それがこともあろうにカガリをかばい、その体を刺し貫かれた。
 ゲイツたちは予想外の目標の乱入にすぐさま軌道を変え離れていく。貫かれたストライクダガーは胴が半分ほども裂け明らかに深刻なダメージを負っている。ストライクダガーがかばってくれなかったとしたなら、この姿こそがルージュのものとなっていたことだろう。
 しかし、カガリにはストライクに搭乗している知人はない。ではなぜこのストライクダガーはカガリをかばったのか。
 カガリは思わず傷だらけのストライクダガーの背中を眺めていた。この機体は、両足とバック・パックを失っていた。ゲイツの攻撃によるものではない。その前からルージュと同等の損傷を負っていたのだ。
 合理的に考えようとすると、合理的な結論を得ることができる。このストライクダガーは託そうとしたのだろう。同じ程度の損害であれば、より機体性能が高い方がジェネシスを破壊できる算段が高いのだ。
 ストライクダガーの最後の力を振り絞るようなぎこちない動きは、この機体が握っていた対艦刀をルージュの方へと放り投げた。投げたとするにはあまりに弱々しい速度ではあった。剣は、ルージュの手へと握られた。まるで見届けたように--事実見届けたのだろう--、ストライクダガーは爆発の中に消えた。

「どいつもこいつも……、無茶を、する!」

 これはもはや戦争ではないのだ。負傷、損傷、そんなものが撤退を許す理由とはならない。ジェネシスを逃せば地球が焼かれる。地球に一つでも守りたいものがある者はすべて、その死力を尽くして戦わなければならない。撤退など、そもそも選択肢にはないのだ。
 カガリは託された。
 ゲイツは再び接近を試みようと近づいていた。

「私は……。私は! 私はなあー!」

 力任せに振り抜いた巨大な剣は光の刃を纏い、ゲイツの胴を切り裂いた。泣き別れとなった体は、それでも勢いをそのままにルージュの後方へと飛び抜けては二つの爆発を生じさせた。




 戦いはあらゆるところで繰り広げられていた。ジェネシスの中で。そしてジェネシスの外で。
 モビル・スーツが飛び回る戦場に、純白の翼を広げた大天使がその翼を焼かれていた。ビームによる火力の劇的な向上をみた現在、モビル・スーツでさえその携帯兵器が艦砲並の火力を持つ。現代の戦場において、すでに戦艦は動きの鈍い動く倉庫以上の意味合いをなくしていた。攻撃力は追いつかれ、その分厚い装甲はしかしビームを防ぐことはできないでいる。
 もはや戦場は、モビル・スーツのためだけにあった。

「左舷に被弾! 翼がもうもちません!」

 飛び去るゲイツの姿。この機体が命中させたビームは分厚いはずの装甲を貫通し、左舷の翼からいくつもの爆発を生じさせていた。その衝撃はゆっくりと見えるほどの速度で翼をアーク・エンジェルから切り離していく。
 爆発の衝撃伝わるブリッジの中で、ナタル・バジルールは艦長席にしがみつきながら指示を飛ばす。

「フレイ、動きを止めるな!」
「了解!」

 回る舵輪。アーク・エンジェルは徐々に体勢を持ち直し始める。戦艦の装甲を貫通できるとは言え、一撃で破壊し尽くせるほどではない。集中的に攻撃を浴びなければよい。すなわち、同一地点に攻撃が集中することを避けること、これこそが操舵手フレイ・アルスターが選択した戦い方であった。
 ゲイツの放ったビームが右舷に命中する。間髪入れず放たれたビームは、しかし同一箇所には当たらず、ずれた位置に着弾した。フレイがずらしたのだ。艦体を傾けるように動かし攻撃を決して集中させない。
 この操縦法はアーク・エンジェルに深刻なダメージを与えることなく、しかし被弾していない箇所を探すことが難しいほど、大天使の体を痛めつけていた。純白であったはずの装甲は黒ずみ、溶解していた。黒ずんだぼろ切れを纏ったようなみすぼらしい姿に変わり果てながら、しかし確かに戦い続けていた。
 ジェネシス周辺で戦い続けることでジェネシス内部へと送られるゲイツの数を減らすことができる。無駄だな戦いなど何一つとしてなく、ゆえに、戦いはすべてにおいて苛烈を極めつつあった。
 それは、ブリッジ内に突如響いた緊張感のない声が始まりであった。

「あ~あ~、ただいまマイクのテスト中。聞こえるか? 大天使様」
「ヴァーリの声……?」

 親友の声に似ているものを見いだしたフレイの言葉は、通信を越えて相手にも届いた。

「ミルラ・マイクだ。確認するが、地球が恋しくなった、それでいいんだな?」

 ブリッジから覗くことができる宇宙は、ビームの輝きに彩られ、爆発が絶え間なく生じている。その中に見える1機のゲイツが自身の存在を誇示するかのように踊るような軌道で動き回っていた。ずいぶんと楽しげな動きはこのような戦場において不気味でしかない。
 艦長として、ナタルは踊るゲイツの呼びかけに応えた。

「構わない。我々は地球を滅ぼす暴挙を見過ごすことはできない。それだけだ」

 踊りは終わる。

「了解した。では、貴艦を撃沈する!」

 ゲイツの左腕。シールドの先端から発出するビーム・クロー。かつてミルラはアーク・エンジェルを訪ねたこともあった。グラナダでの話だ。しかしそんな事実に何ら期待させることなく、まっすぐにブリッジへと突撃を開始した。
 思わず舵輪を握るフレイの手が緩んだ。その分だけ、アーク・エンジェルの反応は遅れることとなる。まるでフレイめがけて突っ込んでくるかのような動きが、しかし突然中断され、ゲイツは飛び退くようにその場を離れた。
 本来ゲイツが通るはずであった場所をミサイルが、そして、戦闘機が通り抜けた。コスモグラスパー、アーノルド・ノイマンの機体である。

「まずは私の相手を務めていただこう!」

 鈍重な戦艦であるアーク・エンジェルが激戦に耐えている理由は何もフレイの戦い方だけで説明できるものではない。アーノルドの援護があって初めて成し得たことなのである。

「やってみろ。私にとっては所詮、ジェネシス発射までのお遊びにすぎない。お前たちは、違うのだろう?」

 Mのヴァーリの声に焦りは一切感じられない。手足を振り重心を移動させることで機体を弧を描くように機動させる。スラスターだけでは説明のつかない動きは、コスモグラスパーの放つミサイルの間をすり抜けるようにかわして見せた。そして、すれ違いざま、ビーム・クローはコスモグラスパーの翼を引き裂いた。

「アーノルドさん!」




 聖杯とは器であり、血で満たされる。その血を飲んだ者はすべての望みが叶えられると言い伝えられている。
 まさにその通りではないだろうか。ジェネシスの内部はおびただしい血を生み出す戦場であり、その血を浴びるはジェネシスの心臓部である球体である。この球体を満たす血を飲み干せば、世界の命運を決する力が与えられる。
 周辺では制御棒を巡り激戦が繰り広げられている中、球体の中でも一つの戦いが熾烈を極めつつあった。
 ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレは白銀の機体である。継ぎ接ぎの装甲に額に生える一角。その姿はガンダムの名にそぐわない。全身の継ぎ目から赤い光を放つその姿は、血塗れの戦士を思わせた。

「あなたは!」

 キラ・ヤマト。パイロットの声に呼応するかのように加速するオーベルテューレ。その両手にはビーム・サーベルが握られ、肘から発生したビーム・サーベルとあわせ4本ものサーベルが一斉に振るわれる。
 広大な空間を浮遊するゲイツの残骸、邪魔するすべてを切り裂きながら剣を振るう。

「僕にはあなたがわからない! あなたのしていることは矛盾だらけだ! ヒメノカリスの父を名乗るなら、どうしてヒメノカリスを戦わせなくちゃならない!」

 4本の剣が見せる軌跡は網のように折り重なり、編み込まれ、かかるものすべてを切断する。ゲイツの腕が流れてきた。切断される。壁があった。切断される。ZZ-X300Aフォイエリヒガンダムがあった。切断できない。

「それが私がヒメノカリスの父でいられる唯一の方法であるからです」

 フォイエリヒは黄金のガンダムである。その姿は巨大。通常の1.5倍ほどの大きさに、両手足、果てにはバック・パックからアームで伸びる4機のユニットそれぞれがビーム・サーベルを持つ。
 オーベルテューレがどれほどの剣撃を放とうと、フォイエリヒはそのすべてを受け止め、しなやかなその剣は暴力的なほどの輝きをもって振るわれた。鉈のように破壊的で、フルーレのように鮮やかでさえある。その剣技は瞬く間にオーベルテューレを押し返す。
 8本ものサーベルを受け止めさばくオーベルテューレ。哀れはただよう残骸であった。防ぐことも、逃げることもできない。フォイエリヒの振るうサーベルにかすめ取られただけで火へとその姿を変える。
 フォイエリヒ。火のようなと名付けられたガンダムの行進は、炎がつき従い、燃えさかる回廊を作り出す。
 炎の壁を突き抜けて、オーベルテューレは距離を開ける。火力、攻撃力、破壊力、突破力、物を壊す力を分類するすべての言葉はフォイエリヒにその軍配をあげている。
 力では勝てない。しかしフォイエリヒが、黄金のガンダムがどれほど巨大な力を有していようと究極の機体なんてものは存在し得ない。キラは動いた。大型の機体であるフォイエリヒは機動力においてオーベルテューレに劣らざるを得ない。
 死角は必ず存在する。
 斬りかかり防がれる。ならば上から、下から横から前から。あらゆる方向から斬りかかっては防がれ、キラは機体を動かし続けた。この戦いは、とっくに可能不可能で論じることができる次元を超越している。
 できるかどうかではなく、しなければならない。

「それでも! あなたは! あなた方はゼフィランサスを利用した! あなたほどの力がありながら!」

 両手のサーベルを渾身の力で振り下ろした一撃は、サーベルで防がれることさえなかった。フォイエリヒが掲げたアーム。そこにある黄金の装甲が目映い輝きを示すだけで、オーベルテューレの攻撃は受け止められていた。確かに命中した攻撃は、しかし相手にかすり傷をつけることさえできなかった。
 エインセル・ハンターの声は、説法でも聞かされているように澄んだもののように感じられた。

「力? そんなもの私にはありません。ないからこそ、ブルー・コスモスという強靱な盾を、フォイエリヒという最強の矛を必要としたのです」

 光そのものが動いたようにさえ見えた。フォイエリヒの黄金の足が絡みつくような動きでオーベルテューレの胴を捉えると、キラは強烈な衝撃とともに壁へと叩きつけられた。蹴り飛ばされたのだ。
 千載一遇--この言葉自体、思い上がりかもしれないが--のチャンスにも関わらず、フォイエリヒは追撃しようとはしなかった。黄金の姿を見せつけるように輝いているだけである。

「父を捨てた時、私は単なる子どもでしかありませんでした。誰が片手で数えられるほどの歳の子に莫大な財産を任せるでしょう? ただ当主の息子であるというだけで動かせるほどアズラエル一族は安易な存在ではありません。我々にできることは、それこそお遊びでしかないのです。危険な紛争地に紛れ込み銃を撃つ。過激派に金をばらまきテロを誘発する。血のバレンタイン事件とて、金と時間を持て余した御曹司の気晴らし以上の意味など決してない」

 本当にエインセル・ハンターの声は澄んだもののように聞こえる。自慢だとか自嘲だとか、主観を感じさせない。ただ事実を冷静に並べている言葉はキラの中に妙な反感を呼び覚ますことがない。

「我々は天使に出会いました。ゼフィランサス。彼女と出会ったことで、我々は自らの使命に目覚め、そのための手段と力を得ました。我々の行動は復讐であり、しかし復讐ではありません。命を弄ばれた者が弄んだ者に対する復讐劇ではあれ、ですが我々は義によって立っている」

 聞いているつもりだった。平静を保ったまま。それがゼフィランサスの名前を聞いた途端、可能が不可能に、現実が追憶へと変わっていく。もはや自分を抑えていることなんてできやしない。思い出していた。10年を越えて再会した時のゼフィランサスの悲しそうな顔を。

「この一夜のため、我々はすべてを賭けた」
「それが! ラタトスク社を興し、ブルー・コスモスの代表の座を得た。非情、非道と知りながら進んだ道なんですか!」

 壁に叩きつけられていたオーベルテューレが動き出す。コクピット内にはオーバー・ヒートの危険を知らせるアラームが鳴り響き、それでもなお、エインセル・ハンターの言葉は耳に届く。

「私は弱い。ゆえに、目的のために手段を選ぶほどの余力を持たない」
「でも僕は! それでも僕は!」

 オーベルテューレから放たれる赤い光はコクピットさえ照らした。装甲が展開する。むき出しになったフレームは光として蓄熱を放出し、割れた角はブレード・アンテナへと、オーベルテューレはガンダムへとその姿を変える。全身のミノフスキー・クラフトが壁を破壊するほどの圧力を発生させた。

「あなたたちはゼフィランサスを傷つけた。あんなに弱い子なのに! 悲しい瞳をした子なのに!」

 推進力に変換し切れなかったエネルギーは光としてオーベルテューレを輝かせた。振り下ろすサーベルはフォイエリヒのサーベルに防がれ、剣が触れ合う度、漏れ出したビームが火花となってガンダムの間にほとばしる。
 4本の剣が8本の剣によって防がれ、ぶつけ合う剣の速度たるや弾けた火花が絶え間なくわき出すほどである。

「私は私の行いを許すことはないでしょう。故に、私はプラントを憎み、私は私自身を狩るのです。私はエインセル。私は、自分自身なのですから」

 魔王は決まってその真の姿を隠している。道理である。魔王は人の姿をしている。しかし魔王は人ではないのだ。法を踏み外し、理を外れ、魔の則を統べる王は人ではない。
 輝きが炸裂した。それは衝撃さえ伴い、オーベルテューレに攻撃の手をやめさせる。光を放つビームの粒子が中空を漂い、それは風に流される砂のように徐々に吹き飛ばされ、輝きは消えていく。それはすなわち、魔王がその真の姿を見せるということ。

「私はコーディネーターであり、ドミナントであり、父であり夫である前に、怪物なのです」

 虫を思わせる長い4本の足。すでに人の姿はそこになく、首は捕食者を思わせる獰猛で、まなざし鋭く、残忍な笑みを思わせるものにとって変わられていた。それには腕がある。折り畳まれたアームの先に輝くビームの鎌。そのすべてが黄金であった。黄金の4本の腕を持つ捕食者。蟷螂の凶暴性、残虐性のみを昇華させたかのような異形の怪物の姿が、そこにはあった。




 つい先程まで激戦の中にいた。それがまるで嘘みたいに、ここは静かだった。大西洋連邦軍のアガメムノン級の中、アイリスはザフトのノーマル・スーツのまま、1人たたずんでいた。
 この艦は損傷が激しく、救護者のための避難船として使用されることになったのだそうだ。アイリスが立ち尽くしているのは医務室の前。通路には包帯を巻いた人たちが壁にもたれ掛かった座っている。ザフトであるアイリスのことを眺める人がいないほど、みんな疲れ切っているらしい。アイリス自身、敵艦の中にいることを考えている余裕なんてなかった。

「アイリス」

 懐かしい人の声がした。

「マリューさん……」

 以前アーク・エンジェルの艦長をしていたマリュー・ラミアスだった。そのすぐ後ろにはアイリスにとって数少ない--6人しかいない--妹であるロベリア・リマが続いていた。ロベリアの赤い髪は第4研の証。第3研のアイリスの一つ下の妹になる。
 マリューはアイリスの横に立つと、アイリスの目の前にある扉を眺めた。今ここで、瀕死の重傷を負ったディアッカ・エルスマンの緊急手術が行われている。そのことで、かつての艦長は勘違いをしたらしかった。

「気を休めることが難しいことはわかります。でも休みなさい。これではあなたまで……」
「違うんです!」

 思わず出した大声は、通路で疲れ果てた人たちが顔を上げるほどのものだった。

「私、不安じゃないんです。ディアッカさんが大切な人のはずなのに、もしものことがあったらって考えてもちっとも不安になれないんです!」
「アイリス……?」
「前からそうでした。怖くなくて、きっと不安だったらこんなことするんじゃないかって想像して騒いでただけなんです!」

 もしもディアッカの身にもしものことがあったとしても、アイリスは悲しんであげられる自信がなかった。嘆いてあげられる気がしなかった。ただこれまで自分が殺してきたたくさんの人と同じように何も感じないまま、忘れ去ってしまうのではないだろうか。
 そして、それが怖いのかさえわからない。ただ、よくわからない不安にアイリスは突き動かされていた。それとも、不安を無理矢理突き動かしているのだろうか。握りしめた拳は、気を抜く度に緩んだ。怖がろうとしないと、怖がることさえできない。

「アイリス姉さん……」
「ロベリアは私がカズイさんを殺した時、どう思いました?」

 本当なら神妙な面もちをしてあげるべきなんだと思う。でも、今のアイリスには表情を変えることさえできなくて、ただ無機質な眼差しを向けてしまったんだと思う。
 ロベリアは驚いたように目を大きくした。それから口を歪ませたのは戸惑ったからだろう。仇に対して怒るべきか哀れむべきかわからない、そんな様子に見えた。

「こんな言い方変だけど、痒いところに手が届かない感じかな。なんだか、もういないんだって実感はわかないくせして、もう会えないってことばかりわかって無性に焦らされる、そんなこと」

 聞かされてもわからない。どうしてもわからない。

「ねえ、ロベリア。カズイさんて、ファミリー・ネームは何ですか?」




 目を開けた時、飛び込んできた強光に思わず目を閉じた。これでは何のために目を開けたのかわからない。光の中に辛うじて見えた影に、誰かがディアッカのことをのぞき込んでいたことはわかった。

「ここは……?」

 おそらく手術台の上だろう。無重力で寝ているとかそんなことにあまり意味はないが、視界に違和感があることに気づいた。左半分が見えていない。目に触れてみようとのばしたはずの左手は、いつまでも届くことはなかった。どうやら、そういうことであるらしい。

「ここはアガメムノン級の中。あなたは瀕死の重傷で運び込まれた。でも大丈夫。傷口は塞いでおいたし、火傷も今ならいい薬があるわ。ただ、左目と手は、ここでは手の施しようがないの」

 少しずつ慣れ始めた目は黒髪のヴァーリの顔を映す。白衣を着ていて、黒髪は確かミルラ・マイクと同じ出身であることを意味するはずだ。それなら、NかO。今はどちらでもいい。

「アイリスは、どうした……?」
「無理しないで。手術が終わったばかりよ」

 そんなことは言われなくてもわかっている。体の感覚が鈍く上体を起こすだけでも苦労させられた。麻酔がきいているのか、それとも体そのものにガタが来ているのか。左腕は上腕から下がなくなっていた。左足も妙に力が入らない。手術台を蹴って進むつもりが勢いが乗らず体勢を崩した。
 無重力とは言え、それでもおかしな倒れ方をせずにすんだのは黒髪のヴァーリが支えてくれたからだ。

「離してくれ。アイリスを1人にしておけない。あいつは……!」
「大勢いるけど、私もアイリスの姉の1人よ。ニーレンベルギア・ノベンバー。話くらい聞かせてもらえるかしら?」

 手助けしてくれるのだろうか。ニーレンベルギアと名乗ったヴァーリはディアッカを支えたまま進みたい方向へと進ませてくれる。手術台を囲んでいたスタッフの中には止めようとする動きを見せた人もいたが、躊躇したような様子を見せて結局止めにはいることはなかった。

「人を殺せないくらい優しい奴が戦争をするためにはどうすればいいと思う? 人を殺すことを……、感じなくなればいい……」
「ある種のトラウマね。私は専門家ではないけど、心的防御機構のようね。アイリスは罪悪感を感じていない。そういうことかしら?」

 これまでは簡単にできたことが思うようにならない。視力が右目しか生きていないから距離感が掴めない。無理に急ごうとしてつい体を壁にぶつけてしまった。衝撃にニーレンベルギアもつい手を離し、ディアッカの体は近くの棚へと衝突する。
 痛くない訳じゃない。それでもディアッカは先を急がなければならなかった。

「あいつは俺が死んだと思いこんだ時……、明らかに取り乱してた……。恐怖や悲しみを感じない、そう言ってたはずのアイリスがだ……」

 棚から無理矢理体を引き剥がす。

「あいつは罪悪感や悲しみを感じないんじゃない。感じないように思いこんでるだけなんだ……。だからあいつは、罪の意識に苦しめられることになる」




「ついこの間判明したんだけど、アーガイルだって」
「アーガイル!?」

 なぜか驚いたのはアイリスではなくてラミアス艦長の方であった。ロベリアにつかみかからんばかりの勢いに押されてつい言葉遣いがおかしくなってしまった。

「う、うん、じゃなくてはい。元々低軌道で行われた戦いの救助者でしたからニーレンベルギア姉さんは地球軍を中心に身元確認してたんですけど、どうやら志願兵だったみたいで確認が遅れたんです。DNAデータがようやく届いて確認とれました」

 ロベリアが覗いている端末には本当に申し訳程度の情報しか載せられていない。顔写真--眼鏡をかけたまじめそうな少年--に氏名。後は志願兵である事実くらいしか載せられていないのだ。戦闘が近く、大して重要でもない、おまけに欠損だらけの情報をニーレンベルギアはわざわざ艦長に知らせようとは思わなかったのだろう。

「カズイの名前はサイ・アーガイル。アイリス姉さんの言ってるカズイが誰のことなのかわからないけど、姉さんたちが考えてる人じゃないよ。安心した? 私としては複雑だけど……」

 これで、カズイの死を悲しんであげられるのはロベリアたちだけになる。アイリス姉さんにとっては名前がたまたま一致していただけの他人になるのだから。
 ただ、アイリスの様子が尋常ではないことに、ロベリアも気づき始めていた。両手で顔を覆って、もう普通じゃないくらいに目を見開いているのが指の隙間から見えていた。よく使われるこの世の終わりみたいな顔なんて言葉は、きっとこんな絶望しきった表情を示してるんだと思う。

「アイリス姉さん……?」

 ラミアス艦長に端末を取り上げられた。

「貸しなさい!」
「でも、資料が不完全で私が話したこと以上のことなんて載ってませんよ……」

 ラミアス艦長にしても苛立った様子で端末を操作している。そんなページ送りするほどの情報なんて載ってない。その指はすぐに止まった。サイ・アーガイルに関する情報は戦闘の混乱で不完全な状態なのだから。でなければもっと早く身許が特定できたはずだ。
 こんな時、ロベリアはふと思い出した。アイリスもまた志願兵であることを。

「サイさんなんですか! マリューさん! ねえ!」

 艦長にすがりつくアイリスの様子は見ていられないほどに痛々しい。優しい嘘なんてないと思ってた。それでも、今のアイリスに本当のことを伝えることが優しいだなんて少なくとも思えない。
 ロベリアは何も言うことができなかった。ラミアス艦長は、嘘をつくには実直すぎる人だった。

「……カズイと呼ばれていた少年は、低軌道会戦で瀕死の重傷を負っていたところを保護されました。顔は火傷がひどく、記憶障害も見られました。……DNAデータは、カズイがサイ・アーガイルであることを示しています、アイリス」

 魂が突然抜け落ちてしまったみたいに、アイリスは途端表情を固くした。その頬を流れる涙は水みたいに滑らかに、堰を切ったように流れ始めた。アイリス自身止めることなんてできない様子だ。手で拭って、拭って、それでも涙は止まらない。水滴が飛沫となって漂っていた。
 それから急に心を取り戻したみたいに、アイリスは顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。

「私、サイさんを……! サイさんを……!」

 ロベリアはどうしていいのかわからなかった。ラミアス艦長も悩んだように手を伸ばして、その悩んだ一瞬が駄目だったのだろう。
 突如駆け出したアイリスを掴むことができなかったのだから。

「アイリス!」

 長い廊下を格納庫へと向かってアイリスは飛び出した。制止をみんな振り切って。




 ニーレンベルギアに支えられながら、ディアッカがアイリスの姿を探して格納庫にたどり着いた時、そこは大騒ぎとなっていた。ほとんど病院船として機能しているこの船の中をモビル・スーツが歩いているのだ。格納庫の床に直に座り込む人、けが人を寝かせた担架が置かれている。モビル・スーツ--バスターガンダムの改良型が--が足を動かす度、人々が一目散に逃げ出す光景はどこかコミカルだが、逃げている当人には笑っていられる余裕はないことだろう。

「どいてください!」

 バスター改から聞こえたのはアイリスの声。懐かしい顔がキャット・ウォークから身を乗り出しながら声を張り上げていた。ラミアス艦長だ。

「アイリス! 降りなさい!」
「私のバスターぁ~!」

 ラミアス艦長の後ろを通り抜けてバスターを追いかけているのは赤い髪をした少女。ずいぶん地味な印象だが、ヴァーリなのだろう。その走っている様子は出航する船を波止場から見送っているように見えなくもない。
 バスターがハッチを通り抜けて行く間にもディアッカは動くことができなかった。本当ならバスターの前に跳び出したいと考えていた。左足に力が入ってくれるならそれもできたことだろう。ディアッカはことの顛末を眺めているしかできなかったのだ。
 ニーレンベルギアに手伝ってもらいながらラミアス艦長のそばにまで近づく。艦長はこちらに気づいたように振り向いた。

「ラミアス艦長。機体を使わせてくれ。どんなガラクタでもいい」
「しかしその傷では……」
「俺が行かなくて、誰が行くんだ!」

 マニュアル操作はできなくてもオートで誤魔化せる部分は誤魔化す。戦闘に積極的に参加しなければ追いつくことくらいできるだろう。使えるのは右手1本だけだが、アイリスのことを、誰かに譲る気にはなれない。
 ラミアス艦長は悩んだ様子こそ見せた。それでも、その眼差しはディアッカを否定するものではなく、その指は格納庫の隅に置かれたモビル・スーツを指し示す。

「あれを使いなさい。予備機だけど、すぐに使えるようになっているわ」
「よろしいのですか? 敵兵にモビル・スーツを使わせるなんて」

 ニーレンベルギアのもっともな指摘を、艦長は穏やかに笑って流した。

「彼の場合、初めてではないもの」

 オーブでは捕虜の身でありながらGAT-X102デュエルガンダムに乗せてもらったことがあった。思えば、短い軍人生活の中で敵艦に囚われるのはこれで2度目のことか。
 ラミアス艦長が手すりを乗り越えて飛び出す。ディアッカはニーレンベルギアの手助けを借りながらその後に続いた。キャット・ウォークを飛び出してモビル・スーツを目指す。機体はストライクダガー。一度も乗ったことのない機体だが特に問題はないだろう。所詮ガンダムの劣化版。ディアッカにとってザフトの機体よりも大西洋連邦製のガンダムに搭乗している時間の方が長いのだ。
 自分は果たして何者だ。ディアッカが苦笑に口元を歪めたことに誰も気づくことはなかった。開かれたストライクダガーのコクピット・ハッチの
脇にラミアス艦長が立っている。助けを借りながらうまく着地したディアッカは1人でハッチをくぐり抜けようとした。助けを借りられるのはここまでだ。

「恩に着る。艦長が話のわかる人で助かった」

 ハッチをくぐる前に脇の艦長殿に一言。すると、ラミアス艦長は驚いたような、不思議そうな顔をした。時に捕虜や敵兵にモビル・スーツを使用させるほど柔軟な考え方のできる人なのだが。

「何か変なこと言ったか?」
「いいえ。ただ、一つ聞きたいことがあります。あなたは戦争は何が悲惨だと思いますか?」

 一体何の話が始まったのか。すでにコクピットへと飛び出していたディアッカはパイロット・シートに腰掛けてから改めて答えた。

「人が死ぬことか?」
「戦争がない時でも人の死なない日はありません」

 こちらがシステムを起動--案の定、ジン以上にスムーズにできている--している間、艦長と船医はコクピットの中をのぞき込んでいた。

「悲惨な死に方をすること?」
「重大事故の遺体を見たことは?」

 ネットの画像を見たことがある。どんなものにも動じることのない剛胆ぶりを気取りたがってた学友がネットで拾ってきた多重衝突事故の犠牲者の写真を見せびらかしていたことがあった。当時はくだらないことをする奴と考えていたが、今頃どんな英雄になっていることやら。もっとも、名前はいっさい聞こえてこないが。

「じゃあ、人の本性がむき出しになることとか?」
「そもそも人の本性とは何かがわからないでしょう。極限状況の応対だけを取り出してそれを本性だと決めつけるような短慮な考えはしません」

 ずいぶん意地が悪い。こんな問答をしてるうちに時間切れだ。後はハッチを閉め、囚われのお姫様を救い出す。

「それで、ラミアス艦長のお考えは?」
「戦争さえなければ平穏に一生を過ごす人が時に人を殺し、人に殺されなければならないことではないかと考えています。我々穏健派は利用されていたとは言え、民間人のいる中立コロニーを戦いに巻き込んだことは事実です。志願兵とは言え、できることならアイリスたちには早く日常に戻ってもらいたかった。戦争は、我々のような職業軍人が殺し合うだけなら悲惨なものにはならないでしょうから」

 マリュー艦長の真っ直ぐな視線をそのまま受け止めていた。

「アイリス・インディアのこと、必ず連れ帰りなさい、ディアッカ・エルスマン」

 敬礼する。大西洋連邦軍式の敬礼は慣れないものだが、アイリスは必ず連れ帰る、この意志くらい伝わってくれたことだろう。




 ジェネシスには内部に通じる八つのハッチが存在した。そのどれも戦艦が通り抜けられるほど巨大なもので、破壊されたハッチの内部からは激しい戦闘の光が漏れている。主に三つのハッチとその内部で両勢力が激突していた。残る五つのハッチは完全に無傷であるか、あるいは攻撃部隊が全滅したことで守られていた。
 今の地球軍にすべてのハッチを同時に攻撃するほどの余力なんて残されていないのだ。
 できうる限りの戦力でハッチの突破を狙い、外では艦隊が傷だらけになりながら突入部隊の負担を少しでも減らそうとして奮闘していた。その中には、アーク・エンジェルの姿もある。
 傷だらけになりながら、それでも戦う姿を、アイリスは涙に濡れた視線で見つめた。
 ヴェルデバスター--システム起動時に名前は知った--を進ませたのは、すでに戦闘が集結して警備が手薄になったハッチだった。この宙域は残骸だらけで、部隊ならともかくモビル・スーツが単独で接近しても誰も気づかない。ここならほとんど戦わずに内部に進入できるかもしれない。
 それなら、人を殺さなくてもすむ。
 ハッチの前に2機のゲイツの姿を見つけた時、アイリスはヴェルデバスターの引き金を引いた。両腰のライフルがビームを放ち、それは矛盾に命中する。コクピットはパイロットを守るためもっとも頑強でなければならない。そうであるにも関わらずパイロットが入るためにハッチという穴をあけなければならない。そんな矛盾に。
 腹部を撃ち抜かれたゲイツの屍の脇を、ヴェルデバスターは静かに通り抜ける。

「傷つけたくなんてないよ……。殺したくなんてないよ……」

 それでも、アイリスは撃ってしまった。また人を殺してしまった。




 ぶつかり合う剣と爪。

「俺はイザーク・ジュール。名を聞いておこうか!」
「コートニー・ヒエロニムスと申します。私はDの乙女の従者たる者」

 この世界は正義と悪でできた絵画である。よって正義と悪は混ざり合い、分けることはできない。すべての正義は悪の所行をなし、すべての悪は自身の正義を強調する。




 振りかざされる大剣は光の軌跡を描く。

「貴様等は本気で地球を焼き払うことが正義と信じるのか!? 血で血の贖いができると思うのか!」

 正しければすべてのことが許される。そして誰もが自身の誤謬を認めることはない。ゆえに、すべてのことが許される。




 古き翼と新たな巨人。

「どうした、戦闘機のパイロット? 防戦一方じゃないか?」
「勝負とは最後のカードを開くまでわからぬもの。私は、まだ生きている!」
「いい言葉だ。負け惜しみでないことを祈らせてもらおう!」

 子は親を殺す。古き時代の象徴として。親殺しの動機には、人類の進化、世界の革新、よりよき世界、美辞麗句の数々が並ぶ。新しいものは、ただ新しいというだけで素晴らしいのだから。




 すべての戦いの中心であるこの場所で、少女は父と再会を果たす。

「よく来たね、ゼフィランサス」
「お父様……」

 すべてが、終わりを告げようとしていた。



[32266] 第50話「少女たちに花束を」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2014/09/08 22:07
 父は、誰よりも高慢な人でした。
 ゼフィランサス・ズールが招き入れられた一室。こここそがジェネシスの中枢であった。壁一面には原子炉の状態を示すパネル。複雑な配置がされているコンソールの前には誰もいない。本来いるべきはずの人員が配置されていない。本来所長が座るべき椅子に、ヴァーリの父であるシーゲル・クラインが座っていた。
 この人だけが、この部屋にはいた。
 ヴァーリを従わせる瞳が怖い。ゼフィランサスは極力父と顔を合わせることなくその脇を通り抜けた。父は咎めない。微笑んで、ゼフィランサスのことを見送ってさえいるようだった。
 この人はいつも変わらない。いつもこうしてきた。
 ゼフィランサスはコンソールへと飛びつくなり操作を開始する。
 原子炉を暴走させることは決して難しくはない。原子炉は核燃料が反応することでエネルギーを取り出すシステムである。ウランをはじめとする放射性物質は分裂して他の物質に変わる際、多数の中性子と膨大な熱を放出する。問題は、放出された中性子は次の反応を引き起こすということ。分裂すると、放出された中性子は次の核燃料を分裂させる。そうして新たに放出された中性子はまた次の反応を引き起こす。それが燃料が尽きるまで際限なく繰り返される。そして分裂の度に膨大な熱量が発生するのである。
 そうならないために、中性子を吸収する性質を有する素材でできた制御棒を原子炉内に挿入して中性子の数を制御する、循環系で熱を外部へ逃がすことで反応を制御可能な状態においておく。それが原子炉。
 だから、暴走させることは難しくない。システムとして二重三重に張り巡らされた制御装置は、すべて外部から破壊する。後はほんの少しバランスを崩してやれば原子炉は勝手に暴走をはじめ、極大にまで達した反応は爆発を引き起こす。原子炉と原子爆弾の違いは、制御するかしないかの違いでしかない。
 そのために、ゼフィランサスはまず制御棒のシステムを探った。モビル・スーツ開発を生業とするゼフィランサスにとって畑違いの分野ではあったが、今は何が何でもやるしかなかった。必死にコンソールを叩いて、制御棒を球体の外側へと露出させることに成功した。整備のためのシステムなのだろう。今頃、球体の壁から突き出るように制御棒とその周辺システムが露出しているはずだ。
 後は、炉のバランスを崩しておく。

「ゼフィランサス」

 炉を暴走させるべき指は、父の呼びかけにぴくりとも動かなくなった。

「寂しいな。せっかくの親子水入らずだというのに原子炉に執心とはね」

 これでは制御棒を破壊できても炉は暴走しない。したとしても時間がかかりすぎてしまう。それがわかっていても、ゼフィランサスの指は動かない。

「私の元に来なさい、ゼフィランサス」

 唇は震えるばかりで言葉にならない。体はぎこちなく、未練がましくコンソールに残る指をひきはがすようにしてお父様の元へと移動する。その動きは糸の絡んだ操り人形のようにぎこちなく見えることだろう。
 ゼフィランサスの体は父の隣についた途端、はべるように頭を下げた。

「見えるかね? あれは君の造り出した力だ。すごいものだ。もはやモビル・スーツの動きとは思えんよ」

 首を動かすことができようになった。見てみなさい。そう命じられている以上、頭を下げたままではいられない。すなわち、首を動かすことが許されたということ。
 そこで2機のガンダムが戦っていた。モニターの映像ではない。いつの間に開かれたのか、壁の一面が展開しガラス越しに広大な空間を覗けるようになっていた。
 2機のガンダムの戦いは光が衝突しているようにさえ見える。それぞれがミノフスキー・クラフトの膨大な輝きを放ち、ぶつけ合うビームは強力な光を放つ。
 ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレはガンダムの姿をしていた。
 ZZ-X300AAフォイエリイヒガンダムは人の姿をしてはいなかった。GAT-X303イージスガンダムに継承された変形システム。それをフォイエリヒはより攻撃的な姿として用いる。四つん這いの姿勢になるように四肢を伸ばし、それを脚とする。起きあがったバック・パックが上体となる。アームで連結されたユニットを四方に伸ばすその姿は人の原型を保ってはいない。
 フォイエリヒが飛ぶ。四脚の装甲すべてがミノフスキー・クラフトとして機能する。それは通常のスラスター推進では考えられないほど機体をなめらかに動かす。
 そして4機のユニット。対艦刀を上回るほどの高出力ビーム・サーベルがそれぞれに搭載され、装甲に覆われている。すなわち、その運動にミノフスキー・クラフトの推進力を利用できるということ。アーム本来の力に加えミノフスキー・クラフトの推進力によって加速したビーム・サーベルは極めて速く自在に動く。
 肩。肘。手首。モビル・スーツが人の形をしている以上、関節の限界を超えることはできない。フォイエリヒが振り下ろすビーム・サーベルをオーベルテューレが受け止める。その一方でフォイエリヒは鞭のようにしなる一撃を振り上げた。人の腕から繰り出されるではあり得ない軌道と速さを持つ攻撃はオーベルテューレの胸部装甲を強烈に輝かせた。もしもキラが後少し逃げ遅れていたならジェネレーターを破壊されていたかもしれない。

「キラ……!」

 ゼフィランサスは思わず目をそらした。このことは明確に禁じられてはいなかった。
 ムルタ・アズラエルがゼフィランサス・ナンバーズに要求したことはただ一つ。人間の限界を超えること。ただそれだけ。人間が扱うことを想定した機体では、3人の兄は決して満足しなかった。求道者であったのだろう、ムルタ・アズラエルは。
 神を求めて戦場を歩いていた。自分たちはこれからひどいことをしようとしている。もしも神と呼ばれる存在が、人の善行も悪行もすべてを目にしているのだとすれば、きっと自分たちを止めるだろう。死という形で。そう、自ら前線に出向き、激戦の渦中に身を置き続けた。
 目的のためには手段を選ばない。自分たちの命さえ手段として、だから戦場に出ることも平気で行えた。だから時に、ムルタ・アズラエルの行為は冷酷でありながら冷徹であり、その流した血を称揚される殉教者を思わせた。
 だから、ムルタ・アズラエルはゼフィランサス・ナンバーズを求めた。
 世界の理を訪ね歩くように戦場を歩く。それを、彼らは力ずくで成し遂げた。彼らは正義であることを望まない。しかし正義を為そうとしていた。その姿は信仰にも似て、神にこの世の法を問いかけ続けていた。
 そのためのゼフィランサス・ナンバーズなのだろう。
 この世界は強者のためにあると誰かが言った。世界は一見、そう見えてしまう。それなら自分たちが最強になればいい。最強こそが正しいなら、それでムルタ・アズラエルは正義を為す。誤りと処断されるならばそれもよい。正義が力を凌駕するのなら、正義は自分たちが為すまでもない。
 世界のあり方を問いかけ続け、世界が正義で動くと信じた。その命を賭けてまで。
 エインセル・ハンターは言っていた。自分を打ち倒す者は敵であって敵ではない者に、復讐者にして復讐者でない者に、何より愛を知る者でなければならないと。では、キラは、ムルタ・アズラエルが打ち倒されるだけの存在なのだろうか。
 ゼフィランサスにとって、キラは大切な人で、エインセルは兄にあたる。どちらも失いたくはない人なのに、それでもゼフィランサスはキラの心配ばかりが胸をつんざいた。
 キラ・ヤマトでは、エインセル・ハンターには勝てないから。

「ふむ、キラ君が押され気味だね。これではまずいことになる」

 しかしシーゲル・クラインの声音は楽しげにさえ聞こえた。そのことが、ゼフィランサスの不安をかき立てる。シーゲルは椅子に取り付けられた受話器を己の耳へとあてた。

「キラ君、聞こえているかね?」

 確かに聞こえているのだろう。ガンダムは対峙したままそろって動きを止める。

「君は優れたドミナントだ。君のような将来有望な若者が娘を好いていてくれることはうれしい限りだ。私は、君とゼフィランサスの仲を認めてもよいと考えているよ。君が力を示してくれれば、だがね」

 右手は受話器を持ったまま、左手が拳銃を取り出した。無重力の中、漂うように放り渡された拳銃を、ゼフィランサスは両手で受け止めた。その意味も知らずに。

「ゼフィランサス、もしもキラ君が負けた場合、それで自分を撃ちなさい」
「あなたって人は!」

 キラの大きく叫ぶ声を聞きながら、それでもゼフィランサスの手は拳銃を自分の胸へと押しつけていた。いただいた衣装を通して伝わる金属の感触に、心臓が怯えたような細動を繰り返した。

「君が勝てばいいだけの話だろう。クライン家1000年の夢破れる時、ヴァーリはその存在価値そのものを失ってしまう。違うかね?」
「人は、道具なんかじゃない!」
「しかし利用価値がある。そうではないかね。エインセル・ハンター代表?」
「ごもっとも。故に、私はあなたを認めない。同族嫌悪とはよく言ったもの。なまじ似通っているが故、醜さも汚らわしさも手にとるようにわかるものです」

 エインセル・ハンター。ゼフィランサスが兄と呼び慕ってきた男の声に、普段には決して現れない抑揚が聞き取れた。聞き慣れていない人にはわからないほどかすかに。
 お父様は知ってか知らずか、本当に楽しげに笑われている。

「愉快なことを言う。ではどうするかね? ゼフィランサスを犠牲にしてまで私を殺すかね? それもまた一興ではあるのだがね。さあ、戦いたまえ。私は死者に花を捧げるつもりはないよ」




 球体下部から露出した制御棒は、棒とするよりは柱を思わせた。制御棒そのものではなくシステムそのものが突き出たため、それは柱と呼ぶほど太く、電子機器の灯す光に包まれていた。その姿は、現代のストーンヘッジだろうか。土台部分が丸く浮き上がり、さも魔法陣にでも突き立てられた柱に見えたのだ。
 合計3本。モビル・スーツをして抱えきれないほどの大きさの柱こそ、ここで戦う者たちの最終目標である。
 GAT-01A1ストライクダガーが、ZGMF-600ゲイツが球体でくり抜かれた空間で殺し合う。柱を狙うストライクダガーのビーム・ライフル。防がんと突き出されるゲイツのビーム・クロー。至近距離でビームの火力をぶつけ合った2機は一塊となって爆発する。
 GAT-01デュエルダガー。ZGMF-1017ジン。すでに旧式のそしりを免れない両機でさえ、ここでは激闘を繰り広げていた。火力では圧倒的に劣るジンは最初から撃ち合いに持ち込むつもりなどなかった。なりふり構わずデュエルダガーに突撃し、タックルの体勢のままデュエルダガーを壁へと叩きつけた。潰れる装甲、破損したバック・パックから火の手が上がっていることが確認される。まもなく爆発する。しかし、ジンもまた、デュエルダガーが突き出したサーベルに胸部を貫かれていた。
 ジェネシス外部。そこには多数のミサイルの残骸が漂っている。地球軍は核ミサイルをグラナダで、ボアズで多数使用した。加え、ジェネシスの2度にわたる照射がミサイルを保有していた部隊に与えた被害は軽微なものではなかった。事実上、すでに核ミサイルによるジェネシスの破壊は不可能であった。
 両軍の目的は必ずしも対応関係にはない。地球軍の目的はジェネシスであるが、ザフト軍はジェネシスの防衛を目的とはしていないのである。破壊されようとかまわない。ただ一射。地球への照射を終えるだけでよい。時間だけが勝敗を決する。
 ここはそんな、狂った戦場であった。




 広いはずの空間が、アイリス・インディアにはそうは思えなくなっていた。あまりに多くの残骸がここ--ジェネシス内部--には溢れているのだから。

「よかった。自爆装置はロッソイージスと同じなんだ……」

 元々実験機であるガンダムには自爆装置が当然取り付けられていた。あくまで機密保持のためのものであるため爆発力はそんなに大きくない。周囲に漂う残骸に残された推進剤や燃料を誘爆させれば十分に柱を破壊できる。
 シートの脇のノブを押し込みながら回転させる。思ったよりも固い。誤用を防止するためなのだろう。これでもまだ自爆装置は起動しない。起動ボタンのケースを開けたにすぎない。ノブのすぐ上が開いた。薄いプラスチックに覆われた仰々しいボタンが姿を現す。
 これが自爆装置の起動スイッチ。

「フレイさん……、ディアッカさん……」

 もしも最期の別れを告げたいのだとすればこんな人たち。そんなことはないだろうか。姉が2人いる。アーク・エンジェルの人たちにもお世話になった。別れを告げなければならない人は大勢いる。
 それでも、1人で死のうと決めた。
 そんなことはとても寂しいから、泣きたくなるほど寂しいことだから、アイリスは1人で死のうと決めていた。それなのに、アイリスはボタンを押す覚悟がつかないでいた。この期に及んでまだ未練を残す自分の浅ましさに、涙がこぼれ落ちる。そんな資格なんてないはずなのに。

「アイリス」

 通信から聞こえたのは他ならぬディアッカ・エルスマンの声であった。接近してくるストライクダガーの姿がモニターには表示されている。全身傷だらけで、どこか動きがおかしい。妙に無機質な動きで、オートマチックに頼る部分が多い時の動きだ。ディアッカはこれまでこんな操縦は見せなかったのに。

「ディアッカさん……」
「お前を迎えに来た」

 バスターの前で停止するストライクダガー。モニターには顔に包帯を巻いた--左目は完全に覆い隠されている--ディアッカの顔が映し出されている。

「傷の方は大丈夫なんですか……?」
「死んじゃいない」

 頑丈なはずのガンダムが半壊するほどの衝撃に見舞われたはずのディアッカが無事であるはずなんてない。一度はアイリスもディアッカの死を覚悟したほどなのだから。
 無事であるはずのないディアッカの姿をこれ以上見ていられなかったのかどうか、アイリスは自分でもわからなかった。つい顔を伏せると、涙は無重力の中を漂う。

「ディアッカさん、私、思い出しました……。人を殺した時のこと。今ならわかるんです。自分がどれだけひどいことしたのかって。どれだけたくさんの人を殺したのかって……」

 戦うことに恐怖なんて感じなかった。殺すことが苦痛ではなかった。戦って、敵を撃墜することなんて平気だった。自分が何をしているのか深く考えもしなかった。
 どうして考えなかったのだろう。死んでいく人のことを。どうして考えてあげられなかったのだろう。もう家族の下に帰ることができない人もいるのに、そんな人たちのこと考えもしないで笑っていた自分がいる。アイリスには、そんな自分が許せなかった。
 ケースを叩き割る。砕けたケースの下で起動ボタンがしっかりと押されていた。

「自爆装置を起動しました。この制御棒は私が破壊します。ディアッカさんは行ってください」
「アイリ……!」

 通信を切る。すると、ディアッカの顔は消え去った。

「さよなら、ディアッカさん。私、あなたに会えてよかったです」




 モビル・スーツが登場した時、それは荒唐無稽なものと思われた。戦闘機に手足が生えている。そう、時の技術者たち--ほんの4年前の話だが--は笑ったそうだ。今では手足がないと戦闘機が笑い物である。

「ジェット機が開発された時、プロペラ機の役割は終わった。だがジェット機が高性能化するにつれプロペラ機を落とすことはかえって難しくなったそうだ。旋回半径が1kmにも達するジェット機に対してプロペラ機はわずか100m。機動力がまるで違うのだからな」

 アーノルド・ノイマン操るコスモグラスパーのミサイルを、ミルラ・マイクのゲイツは軽々とかわす。すると、コスモグラスパーは大きく旋回を開始する。モビル・スーツならば四肢の移動だけで行うことのできる方向転換さえ、戦闘機は大量の推進剤を消費してようやく成し得る。

「もっとも、圧倒的に速度で劣るプロペラ機が勝つこともどだい無理な話だったそうだが」

 だがモビル・スーツはプロペラ機とは違う。言うならばプロペラ機の旋回性能を持つジェット機ともすべき性能を有する。
 ゲイツは体を振る動作で方向転換。いまだ旋回中のコスモグラスパーの軌道に先回りしてビーム・クローを振りかざす。戦闘機の垂直尾翼が千切れ飛ぶ。

「厄介なものだろう、モビル・スーツは」




「ジャスティスが万全の状態ならばいざ知らず。このようなお姿では」
「何が問題だ! 左手がちぎれた。右足がない。装甲のフェイズシフト・アーマーがまともに機能していない。バック・パックは借り物だ。ライフルは貴様に壊された! 何ら問題ない!」

 ZGMF-X09Aジャスティスガンダムがゲイツの攻撃を受け止める度、手首のフレームが疲労していることを伝えるアラームがコクピット内に鳴り響く。ビーム・サーベルは腕に持つため取り回しに優れる。ゲイツのバックラー型のシールドから発出するクローは腕にくくりつける形であるため攻撃範囲に難を持つが、肘の太いフレームに由来する力をダイレクトに伝えることができるのである。
 ビーム・クローが振り下ろされる。幾たびも攻撃を受け止めてきたサーベルは再度クローを防ぐ。成形から漏れ出したビームが閃光として弾けて踊る。光が不安定に揺らいで見えていた。それはすなわち、ぶつかり合うビームが安定していないことを意味している。
 ジャスティスの右手首は限界を迎えていた。呆気ないほどするりと、サーベルは握る手首ごと滑り落ちた。

「お覚悟!」




 GAT-X105ストライクルージュが大きく振りかぶった大剣がゲイツの腹を切り裂く。その直後、ビームがルージュの胸部をかすめフェイズシフト・アーマーを輝かせる。
 幸い、装甲を貫通するほどではない。問題は、攻撃のあったタイミングだ。まるでカガリ・ユラ・アスハが攻撃を命中させるタイミングを見計らって撃ってきたような攻撃であった。そのくせにゲイツからの攻撃は頻度が確実に減っていた。
 カガリが敵を落とせばその隙に反撃される。近づこうと動けば邪魔が入る。遠目に柱を眺めながら、それでも進めなくなっている理由がこれだ。
 ゲイツたちは2機1組になりながらカガリの隙をうかがっている。時間をかければ少しずつ数を減らすこともできることだろう。だがそれでは時間がかかりすぎる。無理に打って出れば1機を撃墜している間にもう1機の手痛い反撃を浴びることになる。

「こいつら……、何が何でも制御棒を守るつもりか……」

 さて、どこかに命惜しんで及び腰になる間抜けなザフトはいないだろうか。いるはずもないことだが、カガリは期待せずにはいられなかった。ここにいる者で命を惜しむ者などいるはずがないのだ。




 天使の羽はたゆたう。特装艦アーク・エンジェルは、数奇な運命をたどった戦艦であった。
 ガンダム運用のためにヘリオポリスに入港。ザフトの奇襲を受け単独の逃避行を余儀なくされた。しかしその決死の脱出劇さえ、大西洋連邦軍の事実上の自作自演であった。そのたどり着いた先でさえ壮大な焦土作戦に利用され、オーブ、プラントとその船籍を渡り歩いた。
 これほどこの戦争に翻弄され続けた戦艦は他にはない。この戦いにおいてさえザフト軍として参列し、大西洋連邦軍として戦いを終えようとしていた。
 白亜の戦艦であった。それが今や見る影もない。全身を焼かれ、ウイングは片翼が完全にへし折れている。あらゆる方向からの攻撃にさらされたその艦体はいつ撃沈されてもおかしくない有様であった。
 よって、まだ撃沈されていないのである。
 この戦艦ほどこの戦争を象徴するものはないのかもしれない。
 接近するゲイツの1個小隊。その部隊にビームの斉射を浴びせかけたのは傷だらけのストライクダガーの部隊であった。所属を異にする。この部隊はアーク・エンジェルを守る義務はなく、本来ならば撤退を許されるほど損傷であった。
 アーク・エンジェルはこの戦争を象徴していた。
 地球に守るべきものがある者はすべて、所属の違いを越えて戦わなければならない。撤退するには帰るべきところを守り抜いてからでなければならない。それは、どれほど傷つき、くじけそうになろうとも。
 傷だらけの天使が、それでも必死に翼をはためかしているように。




 コートニー・ヒエロニムスが必殺の一撃として狙い澄ましたビームは、確かにジャスティスに命中した。まったく望まぬ形として。ジャスティスはこともあろうにライフルの銃口へと足裏を押しつけたのだ。
 発射されたビームは確かにジャスティスの足を貫通した。しかし装甲に残されていたフェイズシフト・アーマーは一瞬ながらビームを押し返し、逆流したビームは銃身へと流れ込んだ。足とライフル。内側から破裂するように破壊される。
 片足を犠牲にバイタル・エリアを守る。この捨て身の防御にコートニーが驚かされたのは行為そのものよりもその決断であった。まるで迷いがないのだ。機体を損傷させることに慣れているかのように。

「あいにくだが……、整備万全の機体には乗り慣れていなくてなあー!」

 突き出されるジャスティスの手首のない右腕。ゲイツの頭部を正確に捉えた一撃に体を揺さぶられる感覚を味わいながら、コートニーはイザークがかつてザフト地上軍にて隊長を務めていたことを思い出していた。本国から40万kmも離れた主戦場を生き抜いた男であると認めていた。




 見える範囲で残り6機。わずか1機を相手にするにゲイツ2個小隊は大げさだと言えた。キルレシオはどうなっているのか。カガリは壁として立ちふさがるゲイツを相手に攻めあぐねいていた。
 対艦刀は攻撃力は高いがモーメントが大きい。敵機を撃墜しようと振り回せば撃墜できなかった他の機体が仲間のことなどかまわず撃ってくる。安全に敵機の数を減らすには時間をかける必要があった。
 今はその時間が何よりも貴重なのである。
 カガリはなりふり構わずルージュを突撃させた。ゲイツのビームが肩の装甲を撃ち抜きながらもルージュの勢いは止まらない。突き出した対艦刀が突撃の勢いのまま、ゲイツの腹部を刺し貫く。
 誤射も恐れず攻撃を開始するゲイツは、剣で繋がったルージュとゲイツをまとめて破壊しようとビームを発射した。ならばまとめて壊させてやればいい。ゲイツを串刺しにしたまま、この哀れな生け贄の背中を盾としてビームを受け止める。

「作法を身につけている余裕などない!」

 ビームが盾となったゲイツのバック・パックを破壊した様子は肩越しに確認できた。第2射はわき腹を貫通し、ルージュをかすめた。だが、命中弾はない。破壊されたゲイツの爆発。それがルージュの姿を包み隠したところで、カガリは一息に飛び出した。
 仲間をかまわず攻撃していたゲイツを両断するために。




「戦闘機も悪くはないさ。推進力はモビル・スーツに勝る。攻撃力も優れていた。ビームが登場するまではな。だが如何せん白兵戦に弱すぎる。メビウスもそうだった。巨艦巨砲主義が想定されていた時代は移動砲台にもなっただろう。ビームの登場まではな。今やモビル・スーツの方が火力は上だ」

 ビーム兵器を使用するためには大電力のバッテリーを必要とする。従来の機体ではまかないきれなかった。そのため、ゲイツのような新型機の開発が急がれた。ただ、すでにロートルの戦闘機をわざわざ高い金かけて改造しようという物好きはいなかったようだ。ビームは装備されず、モビル・スーツ未満の攻撃力に、ビームを防ぐこともできない装甲を背負わされる羽目になった。

「そろそろここも静かになりつつある。終わりにしようか。楽しかったぞ、戦闘機乗り」

 ビーム・ライフルの銃口を向ける。さて、どのように逃げるのかと眺めていると、こともあろうに戦闘機は銃口へとめがけて加速を開始した。正確にはゲイツをめがけて。
 残された片翼からミサイルを飛ばしてくる。これが最後の一発。ビームで撃ち落として、ビーム・クローで切り裂いてやろうとゲイツを加速させる。ちょうど、真っ正面からぶつかる軌道で両者は急速に接近しつつあった。
 特攻でも仕掛けるつもりだろうか。それも悪い判断ではないように思える。すでに武器は小口径のバルカン砲くらいなものだろう。戦闘機の加速と質量ならばらば十分な破壊力を持つ。全身の装甲が爛れ、吹き出す煙に機体後部が見えないような機体の最後の一手など自爆くらいなものだろう。

「悪いが、ここで心中するつもりはない」

 攻撃を諦めて機体の軌道を変えさせる。弧を描くように機体を浮き上がらせて、ミルラは自らの失策に気づかされた。コスモグラスパーもまた、ゲイツを追うように軌道を曲げていた。
 戦闘機が登場した当初、一つの狂った戦術があったと聞いたことがあった。戦闘機の戦いは背中の取り合いである。後ろに回り込んだ方が勝つ。そのための手段の一つだ。戦闘機同士が真っ正面から急接近する。このままでは正面衝突で両者共倒れになる。死を恐れた片方が逃げ出すと、逃げ出した機体は簡単に背中をとられてしまう。命をかけた我慢比べがあったことを、ミルラは聞いたことがあった。
 まさにこのような状況ではないか。ミルラは逃れ、追われる立場となった。
 加速した状況では急激な方向転換はパイロットへの負担が大きすぎる。戦闘機はゲイツの後ろにつき、距離を急速に縮めている。

「あなたがおっしゃったことでしょう。推進力では、戦闘機が勝ると!」

 意志を持った巨大ミサイルに追い回されているような有様だ。逃げる先に追ってくる。

「やってくれる!」

 モビル・スーツ最後の意地。身を翻し後ろを向く。ビーム・ライフルは固定式の機銃と比べたならば遙かに取り回しに優れる。しかし、それで当てられるかどうかは保証の限りでない。
 ゲイツが振り向いた時、ミルラが眺めるモニターには、戦闘機の翼が横一文字に映し出されていた。




 もしもゼフィランサスに安寧を与えてくれるなら、それが悪魔であってもかまわないとキラは思っていた。この世界はゼフィランサスに冷たすぎる。ゼフィランサスの力を知ったなら誰もがその力を利用しようとすることだろう。ムルタ・アズラエルがそうしてガンダムを得たように。
 それでも、ゼフィランサスはこの世界で生きるしかない。だから悪魔であってもかまわなかった。ただその悪魔は、悲しい声をしていた。

「ヒメノカリスは哀れな子どもでした。愛を求め、しかし愛されなかった。愛情を受け止める術も知らず、愛を得られる方法もわからない子どもでした」

 その姿は黄金の捕食者で、4本もの巨大な光の鎌をそれぞれが意志を持つかのように繰り出してくる。オーベルテューレのサーベルは、そのすべてを防いでいた。握る剣で、肘から突き出す剣で防いでいた。
 時に雨のようにサーベルが襲いかかった。あるいは鞭のように今や上半身となったバック・パックを回転させた勢いを持った一撃が、サーベルで防いでもなおオーベルテューレを弾き飛ばす。これほどの攻撃が、しかしキラに恐怖を与えることはなかった。
 殺気というものを感じないのだ。事実、弾き飛ばされたオーベルテューレが体勢を整えるまでの間、フォイエリヒの攻撃はなかった。今も異形の姿のままたたずんでいるだけにさえ見える。

「ヒメノカリスは愛されるための担保として奉仕することを必要としているのです。私はお父様のためにこれほどのことをしています。だからお父様は私のことを愛し続けてくれる。そう、自分に言い聞かせるための手段が、私のために戦うという事実そのものでした。命をかけた戦闘を行うほど、危険な戦いに身を投じ続けるほど、ヒメノカリスは私に愛されていると実感できる。愛への渇望だけがヒメノカリスを突き動かしているのです」
「でも、あなたが本当にヒメノカリスのことを愛してるなら!」

 オーベルテューレが敵へと向かう。その大きさの違いからまるで怪物に挑んでいるかのように思わせられる。4本の足と4本の腕に光の鎌を持つ怪物を。
 振り抜いたビーム・サーベルは確かにフォイエリヒを捉えた、そのはずだった。それなのに、サーベルの先には何もない。フォイエリヒの姿そのものが剣の軌跡の中から消滅していた。
 まるで通り抜けたみたいに、敵の姿は後ろにあった。ハウンズ・オブ・ティンダロス。超人的な回避術。

(まさかこんな姿でも……!?)

 振り向く最中のことだ。どう斬られたのかもわからない内に、オーベルテューレは左腕を失っていた。フォイエリヒの長い脚が突きつけられると、強烈な光とともに吹き飛ばされる。ミノフスキー・クラフトの推進力を攻撃に応用したのだろう。単純な力比べなら1.5倍ほども大型のフォイエリヒが有利に決まっている。
 悲鳴はあげまいと口を固く閉じる。それでも漏れる苦悶の声。キラは何とか体勢を取り戻すと、オーベルテューレが叩きつけられたも同然に壁に着地する衝撃に耐えた。
 左腕は二の腕部分から切断されている。しかし右腕は健在。フォイエリヒの追撃に備えようと見上げた時、しかしフォイエリヒは動いていなかった。

「私は娘を愛しています。ですが、私は恐ろしい。果たして言葉だけで娘の心を満たすことができるのかと考えると心が震えて止まらないのです。私はヒメノカリスを失うことはできません」
「そんな矛盾!」

 負ける訳にはいかなかった。ゼフィランサスはシーゲル・クラインの命令に逆らうことはできない。もしもキラが負けたなら躊躇なく自分を殺すだろう。
 オーベルテューレは再度攻撃をしかける。ビーム・サーベルをただ叩きつける。それだけだ。残されたのは右手だけ。ゼフィランサスを救う手段もこれだけしかない。
 機動力ではこちらが上のはず。サーベルを防がれる度、回り込もうとオーベルテューレを動かす。しかしフォイエリヒは上体を素早く回転させ向きを変える。高出力ビーム・サーベルが振るわれると、オーベルテューレの左足が切断される。

「でも僕は!」

 オーベルテューレの渾身の一撃。そのはずだった。それがいともたやすく受け止められ、ビーム・サーベル同士が触れ合ったことで漏れ出すビームが閃光を発する。輝きの向こう側、まるでこちらを見透かすようにカマキリ然とした顔がこちらを見ている。
 キラは矛盾ばかりしている。ヒメノカリスのことを語りながら、しかし行動は少女から父を奪おうとしている。勝つと叫びながら、同時にエインセル・ハンターの実力も理解している。そして今キラがしようとしていることは、結局エインセルと何も変わらない。ヴァーリが洗脳の呪縛から逃れることはできないと恐れて安易な手段を選ぶことしかできない。

「それでも僕は!」

 決めたのだ。
 鍔迫り合いを力任せに解除する。オーベルテューレが離れるとフォイエリヒが浮き上がる。これが最後の一撃になることをキラは理解していた。ミノフスキー・クラフトの強度を限界に設定。スラスター最大出力。オーベルテューレの全身を輝かせて、右腕のサーベルにすべてをかける。

「それでも! 守りたい人がいるんだー!」

 振り切るべきは迷い。
 オーベルテューレは光を纏い加速する。フォイエリヒのかざす4本のサーベル。瞬時、脳裏にいくつものパターンを描き出す。どの方向から切り込むか。そうすればどうなるか。経験から導き出される予測が現実の失敗を描き出す。これではだめだ。これでも返り討ちにあう。
 敵が近い。
 予測が次々と不可能を導き出す中、次第に絶望が鎌首をもたげた。だが諦めない。逃げ出さない。そう、10年も前に決めたのだから。絶望の一歩先へと足を進めたその時だった。たった一つだけ剣の通り道が見えた。まるで用意されたように描き出された道が見えた時、キラは、オーベルテューレはその剣をフォイエリヒへと突き立ててた。
 黄金の装甲は壊せない。しかしビーム・サーベルはカマキリの首もと、装甲の隙間に入り込みその熱をフォイエリヒの体内へと送り込み続けていた。熱がアームの接合部分から炎となって溢れ出すほどに。
 見えたはずの道。しかし今はそれが幻であったかのようにさえ思えた。こうして目の前に剣を突き立てられたフォイエリヒの姿を見せられてもなお。

「エインセル……、ハンター……?」
「目的のためには手段を選ばない。それが、ムルタ・アズラエルなのです。そして、我々の命は、決して目的ではありません」

 ヴァーリを救うことこそが目的だと言うのなら。

「お父様ー!」

 少女の声とモニターに映り込んだ高速接近する何か。キラの戦士として鍛えられた感覚はサーベルを振り抜かせた。

(ヒメノカリス……!)

 傷だらけのGAT-X105Eストライクノワールガンダムへと、オーベルテューレのビーム・サーベルが向けられていた。反応は間に合わない。しかし見えていた。サーベルの軌跡は確かにノワールの胸部ジェネレーターを目指していると。
 そして、割り込む黄金の輝き。フォイエリヒがその最後の力を振り絞るようにサーベルの前に立ちはだかる。すでに疲弊していたフォイエリヒには最後の一撃として破壊して、サーベルの余波はノワールを巻き込んだ。それでも、フォイエリヒがかばったことで、ノワールは頭部を破壊されるもジェネレーターへの直撃は避けることができた。
 目的のためには手段を選ばない。エインセル・ハンターは、娘を守るという目的のため、自らを危険にさらす手段を選ぶことに躊躇を見せなかった。これまでに彼らムルタ・アズラエルが語ったすべてに違うことなく。
 父と娘。傷ついた2機のガンダムは互いを庇い合っているようにさえ、キラには見えていた。




「戦闘機の翼でモビル・スーツを叩き切った男の話、どこかで聞いたことがあったな」

 確か南アフリカ統一機構軍のパイロットの話だったか。
 撃墜こそ免れたが戦闘機の突進を顔面にまともに受けた。頭部は完全に消失。装甲も引っ張られる形で歪んだらしい。関節のモーターがいかれて動きがぎこちない。
 戦闘機も無事ではないはずだが、わざわざ探し出す意味もない。
 さて、これからどうしたものか。戦闘も不可能ではないのだが。ジェネシスの姿--すでに周辺での戦闘はまばらになっている--を眺めながら考えてみた。

「どうし……、ラクス……動かな……!」

 ずいぶん聞き取りにくい通信だ。声はデンドロビウム・デルタのもの。どうやら混線しているらしい。改めて波長を合わせる。

「デンドロビウム姉さん、状況はどうだ?」
「奴ら制御棒を狙ってる。コートニーやキラがいるが、何とも言えない状況だ……。それに、ラクスの動きが鈍い……!」

 普段がさつなファースト・ダムゼル--ダムゼルの中ではデンドロビウムが最年長である--にしてはその声はずいぶん気弱に思えた。
 無理もないことだろう。まだお父様の、シーゲル・クラインの脱出は確認されていない。お父様にもしものことがあったらと考えるといてもたってもいられなくなってしまう。それがダムゼルだからだ。

「では私が行こう」
「ミルラ、お前の機体じゃ……」
「1人くらいなら潜り込める。それに、見届けたいものがある」

 見せてあげたいものがあった。ユニウス・セブンとともに散った、大勢の姉たちに。




 このまま膝を抱いて目を閉じて、アイリスは最期の瞬間を待っているつもりだった。それでもつい顔を上げたのは違和感を覚えたから。ふと開いた視線がモニターに映る大きな影を見たから。

「ディ、ディアッカさん!」

 メイン・カメラ--モビル・スーツの額にある--の前にいるとしか思えないくらい、メイン・モニター一杯に映し出されていた。思わずコクピット・ハッチを開けると、それが狙いだったのだろう。アイリスがシートのベルトを外すことが精一杯の時間でディアッカが滑り込んできた。

「よう。邪魔するぞ」

 いくらジェネシス内部に大気が充填されているからと言って、ディアッカはヘルメットさえつけていなかった。そして、左腕は肘から先が、左目にはしっかりと包帯が巻かれている。
 決して浅くはない傷を負ったディアッカの姿。
 ここは変な空間だった。戦闘はまだ行われている。それでもどこか遠くの出来事で、鈴虫でも鳴いているみたいに戦闘の音が静かに聞こえているだけだった。それでも、戦いは終わっていない。終わっても傷跡は残り続ける。

「ディアッカさん、この機体、まもなく爆発します。早く行ってください」
「だがお前が乗っている必要もない。こいつだけ置いて帰るぞ」

 この人ならきっとこんなことを言ってくれるとアイリスは考えていた。だからこそ、アイリスは泣き出したくなる気持ちを必死に抑えながら声を張り上げた。

「できません……! 私って、ひどい女なんです。たくさんの人を殺して、傷つけても平気な顔してました! 何にも感じませんでした!」
「殺さなきゃ殺される。それが戦争ってもんだろ」
「じゃあ、私が傷つけてしまった人や、殺してしまった人にそう言えって言うんですか!? これは戦争です。あなたが死んだことやあなたの大切な人を殺してしまったことは仕方のないことでした。私悪くありませんって、そう言えってことですか!?」

 泣くつもりなんてなかった。でもどうしても涙は出てしまった。こんなこと言うつもりなんてなかった。八つ当たりでしかないとわかっているのに、自分を抑えることができない。

「知ってますか、ディアッカさん? ヴァーリって、異性に対する依存心がとても強いんです。洗脳の影響で誰かにすがってないと生きられないところがあるんです。私の場合、洗脳が弱いからそんなことないんだろうなって考えてきました。でも、ディアッカさんがいなくなるってことに耐えられない自分に気づいたんです!」

 本当に情けなくてみっともない。失いそうになるまで自分の気持ちに気づきもしないで、こんな勢いを借りた告白しかできない。ディアッカはハッチの縁に背中を預けたままで聞いていてくれた。アイリスは一息に言い切ったことに一息つくようにシートに体を預けた。興奮したせいか、それとも息継ぎを忘れたためか、体温が少しあがっていて息苦しい。
 涙をハンカチで拭って、最期くらいいい顔を見てもらいたいから微笑もうとした。最後が泣き顔なんていやだから。いやなのに、笑っているはずなのに、涙はなかなか止まってくれない。

「だから私ディアッカさんと一緒には行けません。ずるいですよね。私だけ、好きな人と一緒にいたいなんて……。もう、大切な人に会えない人だってたくさんいるのに。私、償いを言い訳になんてしたくありません……」
「なあ、アイリス……」

 ディアッカがハッチから身を乗りだろうとした時、アイリスはつい体を強ばらせた。そのせいか、ディアッカはすまなそうにハッチに背中を戻す。

「お前の考えるハッピー・エンドってなんだ? 戦争があって大勢の人が死んで、それを悔いるいい人がみんな死んで、人のことなんて平気で殺せる悪党ばかりがのさばることか?」
「私知ってます。ディアッカさんが、戦闘で敵のパイロットを殺さないように戦ってたこと」

 気づいたのはいつだったろう。人を殺さない戦い方をしていた。極力コクピットを狙おうとしないで、コクピットを狙った方がいい場合でも敢えて狙いを外していた。だから、そんな非効率的な戦いをしていたから、撃墜数はいつもアイリスの方が上だった。そんなことも、当時のアイリスは何も感じなかった。どうしてそんな面倒なことをするんだろう、そんな不思議にさえ思えていた。

「別にそんなんじゃない。ただ、コクピットを狙えなくなっただけだ……」
「私は殺しましたよ。大勢の人を。たくさんの人を」

 まったく、何の罪悪感もなく。コクピットは胴体。手足を狙うよりも命中させやすいから積極的に狙ってさえいた。

「俺は……、後何回ジャスミンを見捨てればいい?」
「私はジャスミン姉さんじゃありません」

 ディアッカはジャスミン・ジュリエッタ--Jであるから、アイリスの18上の姉にあたる--のことを気にしていることを知っている。決死隊に入れられて、知らぬ内に戦死させられたことをディアッカは悔やんでいた。元々は同じ隊の仲間で、アイリスと同じ顔をしている少女を死なせたことに、ディアッカは怒りを露わにしていた。

「そうだ。だけど何が違う?」

 ディアッカが動いたのは突然のことだった。開け放たれたままのハッチを離れ、コクピットのコンソールに乗り上がる。シートで動けないままのアイリスに迫るように手を掴んできた。残された右手で、アイリスの左手を。

「ただ普通の女の子だろ。それが戦争に巻き込まれて傷つけられて、利用された挙げ句死のうとしてる。何が違う?」
「それでも私、ジャスミン姉さんじゃありません。誰かを救ってあげたいだけなら他の人を救ってあげてください!」

 戦争に巻き込まれただけの少女ならアイリスに限らない。他にいくらでもいるだろう。救うことのできなかったジャスミン・ジュリエッタの代わりを務めてくれる人くらい。

「俺はお前を救いたいんだ、アイリス」

 ふりほどこうと力を込めた左手は、それでもディアッカにしっかりと握られたままだった。痛くなんてないのに、それでも力強さを感じる。

「こう言うの、代償行為だとかって言うんだろうな。誰かにできなかったことを他の誰かにすることで自分を慰めるってやつだ。俺がお前を救いたいってことはエゴなんだろうさ。お前はそういうのが嫌なんだろ! だが俺はこれが償いだと思った! ジャスミンのこと、助けるどころか理解してやれなかった。だからアイリス、お前のことはわかってやりたいと思った。それが駄目なのか? なら!」

 のぞき込んでくるディアッカの目から、アイリスは目をそらすことができないでいた。

「俺はどう償えばいい? 償う方法なんてないってことか? それなら、俺もここで死ぬべきなんだろうな。大勢殺して、ジャスミンだって死なせたんだからな!」
「ディアッカさんは……、生きてください……!」
「ジャスミンにそうしたようにお前を見捨てて、お前にそうするようにジャスミンのこと割り切ってまでか?」

 すぐそこで戦闘がまだ続いているはずなのに、コクピットの中は耳に痛いほどの静けさで満ちていた。アイリスが何も言い返せないまま、涙が滴となってアイリスの瞳を離れた。

「選べよ、アイリス。2人で死ぬか? それとも、2人で生きて、償ってみせるかだ」

 また静寂。アイリスは何も答えることができないでいた。自分は死ぬべきだと思う。でも、そのための理屈は同時にディアッカを苛んでしまう。アイリスにとって死は救済ではなく罰だった。一人寂しく死んでいくことが自分への罰だった。2人で死ぬことは許されない。それでも生きていく覚悟ももてないでいる。
 結局ディアッカに手を掴まれたまま体を小さくして顔をそらす。そんなことしかできないでいた。
 そんな時だ。突然体が浮かび上がった。ディアッカに引っ張り上げられて体がシートから離れる。右腕だけで無理に引こうとしたからだろう。ディアッカはコンソールの上で体勢を崩した。引っ張り上げられた勢いのままアイリスの体は無防備にディアッカに飛び込んでいく。どちらも無防備なまま、抱き合うような姿勢でゆっくりとバスターのコクピットから漂い出てしまう。
 戻りたい。そう回した顔は、強く抱きしめられたことでディアッカの胸に沈められた。

「言っただろ。俺のこと、頼ってくれていいってな。辛いなら、俺が一緒に悩んでやる。償いが必要なら、2人で方法を探そう。だから、1人で自分を追いつめるな。もっと頼ってくれてもいいだろ、アイリス」

 アイリスを抱きしめる手が、そっと髪を撫でた。

「俺にはお前が必要だ、アイリス」
「ディアッカさん……、ディアッカさん!」

 漂いながら抱き合う2人。ディアッカの胸に、アイリスの涙はしみこみ消えていく。




 一体何がこの男をここまで戦わせているのだろうか。コートニーには理解しきれないでいた。この男、イザーク・ジュールのことを。
 武器はなく、損傷を並べることがためらわれる。ジャスティスに無事な部位など一つたりともないのだ。もはや制御棒の柱を破壊する術はなく、スクラップ以外の名称に耐えうる姿ではない。
 それでさえ、このイザーク・ジュールという男は微塵も戦意を衰えさせることがない。バック・パックの機能こそ辛うじて生きているようだが、残されているのは頭部、及び右腕だけ。まともに戦いうる姿ではないにも関わらず。
 それが、コートニーには理解できないでいた。
 ビーム・クローを使うまでもない。ただ蹴り飛ばす。それだけジャスティスは体勢を崩しあらぬ方向へと流されていく。
 それでもジャスティスは戦いをやめようとはしない。ザフトであるイザークがなぜここまでして地球を守ろうとするのか、コートニーには理解できないでいた。
 コートニーはユニウス・セブンの出身であった。しかし血のバレンタインには遭遇していない。仲間とちょっとした冒険のつもりで出かけた旅行で難を逃れた。正確には、ただ命を拾うことができただけだ。作りかけの模型はもう二度と完成させることはできない。進学するはずであった高校は存在そのものが消滅した。旅行から帰ったらしようと考えていたすべての予定が永遠に失われる喪失感は忘れることができない。
 すべて地球が、ブルー・コスモスがしたことだ。ではなぜザフトであるイザーク・ジュールは地球を救おうとする。
 コートニーの疑問は、もはや怒りに近いものへと変わっていた。突き出したビーム・クロー。それは正確にジャスティスの頭部を貫いた。
 ゲイツは確かにジャスティスの機能のすべてを奪い取った。しかしそれでさえ、コートニー・ヒエロニムスは勝利の確信を得ることはできなかった。イザーク・ジュールという男がそうさせた。この男の存在がそうさせたのだ。
 コートニーにイザークという存在は理解できない。理解できない以上、
 ではなぜだ。頭部を打ち砕かれながらもなお戦うことをやめないジャスティスの姿に飽くなき戦意も勝利への渇望が見て取れるのはなぜだ。
 ジャスティスの唯一残された腕が突き出されたままのゲイツの腕に巻き付いた。

「この爪、借り受ける!」

 抱えられる形で完全にゲイツは腕を中心に引きずり回される。ジャスティスは装甲をところどころ輝かせていた。わずかに残されたミノフスキー・クラフト、その最後の力を振り絞り、ガンダムはゲイツを引いていく。
 ビーム・クローは依然発生したままである。そして、制御棒を内蔵した柱が、すぐそばに見えていた。
 コートニーがイザークの狙いに気づいた時、すでに手遅れであった。
 機能停止間際のジャスティスが最後にしかけた大博打。自身を囮として、ミノフスキー・クラフトの最後の輝きがゲイツを揺り動かした。
 ジャスティスは投げ技でも放つかのような勢いで突き出されたゲイツのビーム・クローを柱へと突き刺した。一気に根本まで突き刺さるビーム・クロー。激突の衝撃に柱には亀裂が急速に広がり、その傷からはビームの輝きが漏れた。柱を縦横無尽に引き裂きながら輝きを増していく。クローを発出するシールド自体、衝撃に無傷ではなかった。頑強であるはずの表面には大きな歪みが見て取れた。ビームの輝きはこの傷からも漏れていた。
 シールドが先に限界を迎えた。風船のように溶けた表面が膨らんだ。外へと逃げだそうとする膨大な熱は一気に膨れ上がりシールドを中心として爆発する。この衝撃が引き金となって柱からもまたビームが溢れ出す。たれ流されるように穴という穴から輝きが漏れているように見えたのは一瞬のこと。すぐに、輝きは爆発となって吹き荒れた。




 柱はすぐそこに見えている。
 カガリが必死であると同じく、敵もまた必死であった。残るは2機のゲイツ。この激戦の中を最後までしぶとく食らいついてきた奴らだ。引き離そうとしても決して離れず、こちらの動きを見計らうような消極的な戦い方ではない積極的に撃ってくる。2機の見事なコンビネーションでビームの十字砲火が飛ぶルージュを急速に追いかけていた。
 柱に近づく姿勢をわずかでも見せればビーム・クローを構えて突進してくる。突進の勢いを乗せた一撃は重く、簡単に進路を阻害されてしまう。ゲイツから始末するにしても今度標的をゲイツに移したと悟られるや、敵機は距離を開ける。
 柱が一つでも残れば原子炉の暴走はそれだけ遅れてしまう。少なくともジェネシス発射に間に合わなくなることだろう。ザフトにとってそれで十分なのだ。
 このままではオーブが焼かれてしまう。あの場所は、あの国はカガリにとって故郷に他ならない。ユニウス・セブンを命辛々脱出したカガリを受け入れてくれたあの国は、父は、ウズミ・ナラ・アスハは父も母も持たないドミナントに父という存在を教えてくれた。

「知っているか? 私はな、オーブで初めて道具ではない自分を知ることができた!」

 あの場所は、カガリと父が愛した場所なのだ。柱はなんとしてでも破壊する。
 接近しようとするルージュをゲイツが妨害してくる。振りかざされるビーム・クローはかわしたつもりがルージュの顔を撫でた。額から頬にかけて刻まれた傷は片目を潰し、モニターの精度が低下する。かまわず殴りつけた左の拳はゲイツの顔面をとらえ怯ませた。
 まだ遠い。まだ届かない。2機目のゲイツが立ちふさがるをかまわず柱を目指す。対艦刀を警戒していたのだろう。ビーム・クローを高くかざした。その下を潜り抜けるように頭からつっこんでやった。いわゆるところの頭突きである。ルージュの額はゲイツの顔面を突き刺さるように強打した。
 乱暴な使い方をするな。そう言いたげに警告音がけたたましい。事実打突兵器として作られた訳ではない頭部はセンサーに深刻なダメージを与えていた。ブレード・アンテナもへし折れたらしく、ガンダムらしくないしまらない顔をしていることだろう。
 だが道は開いた。
 柱を目指す。一度は怯ませたはずのゲイツたちはすぐさま追ってくる。バック・パックはない。脚部のアポジモーターも使用できない。推進剤は払底している。好材料など何一つなく、ゲイツは当然のようにルージュに追いつきつつあった。
 ゲイツが追いつくなりビーム・クローを突き出す。ルージュは振り向きながら対艦刀でそれを防いだ。しかし勢いまで殺すことはできず、ルージュの体は大きく揺らいだ。
 柱が近い。敵は誤射を恐れてか、それともライフルでは埒が明かないと踏んだのか、攻撃をビーム・クローによるものに集中していた。交互にルージュへと襲いかかっては一撃加えただけで離れていく。対艦刀で防ぎながら、しかし推進剤を節約しなければならないルージュの動きは鈍い。時に胸部装甲を爪が削り、フェイズシフト・アーマーの輝きが瞬いた。わき腹をかすめた際にはその熱がコクピット内の温度を上げたほどだ。
 機体は徐々にその力を失っていく。敵機は2機とも健在。時間は残されてはいなかった。しかしカガリは諦めてなどいない。

「お前たちには!」

 ただこの瞬間を、待ちかまえていた。
 スラスターから残された推進剤、その最後の輝きが放たれる。飛び出したルージュは、ゲイツの虚を突く形で襲いかかる。振り上げられる対艦刀。

「はあああああぁぁぁぁぁー!」

 まさに渾身の一撃。ルージュに残されたすべての力を結集した一撃は必死にシールドをかざすゲイツの努力をあざ笑う。対艦。戦艦を剣で破壊するという荒唐無稽な役割を命じられた刀はその力を遺憾なく発揮した。シールドを切り裂くとするより叩き割り、そのままゲイツの体を縦に裂く。
 攻撃はこれにとどまらない。最後のゲイツは、振り下ろす剣の軌跡の上に乗せられていた。カガリはこれを待っていたのだ。2機のゲイツが、そして柱そのものが一刀の太刀筋の上に重なる瞬間を。
 対艦刀が振り下ろす勢いと軌跡のままゲイツを肩からわき腹にかけて両断する。そのまま柱へと叩きつけられた。ビームの粒子が太刀筋を形作る。それは2機のゲイツを左右に切り分けながらそれでも一筋に柱へと伸びていた。
 モビル・スーツの胴回りの5倍はあろう太い柱に走る光の輝きが一筋。カガリの気迫に呼応するかのように深く深く広がっていく。

「お前たちにだけには! 踏みにじらせはしない!」

 やがて光は貫通する。柱を吹き飛ばされたも同然に両断された。
 ルージュの手の中で、対艦刀はその役割を終えたように砕け散った。




 オーベルテューレの突き出した手が壁に穴を開けた。人が通ることができるくらいの小さな穴を抜けて、キラは制御室へと足を踏み入れた。老紳士と着飾った令嬢。国王と王女の組み合わせみたいな2人がキラを出迎えた。シーゲルばかりが楽しげで、ゼフィランサスが目をそらしている様が、悲しかった。
 赤色灯が点滅し、等間隔にアラームを響かせている。このような状況でさえ、シーゲル・クラインは笑うのだ。すべてをあざ笑うのだ。

「ああ、制御棒は破壊されたようだが問題ない。ジェネシスはまもなく発射される。よくやった、キラ・ヤマト君」

 応える気にはなれなかった。この男はいつもそうだ、柔和な笑みにうつも冷酷な顔を隠す。穏健派代表であるとともにエイプリルフール・クライシスを引き起こした歴史上最大の殺戮者は良心の呵責というものをまるで感じさせない。

「ゼフィランサス、僕と一緒に行こう。この世界は、君に冷たすぎる!」
「私はゼフィランサスを手放すつもりはないよ」

 もしもそばにゼフィランサスさえいなければこの男は今すぐにでも殺している。ゼフィランサスはダムゼルだ。父に危機が及べば、たとえ命をかけてでも父を守ろうとするだろう。この男はそんなことまで計算に入れている。

「そんな顔をしないでくれ。愛など所詮粘膜の生み出す幻想にすぎん。大いなる理想の前には吹き飛んでしまう程度のものだ。キラ君、君がこれからも私の下で働いてくれるというなら、ゼフィランサスのことは好きにしたまえ。しかしそれが嫌だと言うなら、娘のことは忘れてくれないか?」
「あなたはダムゼルを失いたくないだけだ!」
「否定はせんよ」

 この男はいつもこうだった。ゼフィランサスが行方不明になっても積極的に探そうとはしなかった。大西洋連邦と通じていると知ってもなお、それを引き留めることはなかった。命令一つでいつでも取り戻せる。それがダムゼルだからだ。

「ゼフィランサス、僕と行こう!」

 キラが手を差し出すと、ゼフィランサスの手はひきつったような動きを見せて、結局動くことはなかった。今でもけいれんしているみたいに震えていることがわかる。相反する二つの意志がせめぎ合っている。震えがなかなか止まらないことは、それだけ、キラとともにいたいと思ってくれているということだろう。
 それが、シーゲルには気に入らなかったようだ。

「仕方がない。ゼフィランサス、キラ君を撃ちなさい」

 銃声。キラの頬を弾丸がかすめた。無重力下の硝煙はいつも不気味な動きをする。地上のように立ち上ることがなくて銃口の周囲をゆっくりと漂っているだけだから。その硝煙の向こうに、ゼフィランサスは見えていた。銃は小刻みに震えていて、その顔はキラを見ていない。怯えたように顔をそらしていた。

「お父様……、やめ、て……」

 どれほど拒もうとしてもダムゼルはお父様には逆らえない。そう創られた。ゼフィランサスは抵抗することはできる。それでも、引き金を引かないことはできない。だから、手が震えて、それでも発砲した。

「一度見てみたいと思っていたよ、ダムゼルがどこまで私の命令に従うのかね。さて、ゼフィランサス。次はもっとよく狙うんだ。心臓はよく左胸にあると誤解されるが中央のやや左寄りだ」

 再び引かれる引き金。弾はキラの左腕に命中した。驚いたようにキラを見るゼフィランサスの顔には涙が浮かんでいた。低反動で女性でも扱えるほど口径の小さな銃だ。命中したと言っても肉が削がれたくらいのこと。出血にしても傷口を抑えているだけでよかった。それよりもゼフィランサスが泣いている姿を見ていることの方がよほど苦痛を与えてくる。

「もっとしっかりと目を開けて狙わないか」
「お父、様ぁ……。私は……、いや……」

 涙を流したままの赤い瞳がキラを見る。とても綺麗な瞳なのに、とても悲しい色をしている。

「ゼフィランサス……、僕が守るから。君は僕が守るから。もう1人になんて絶対にしないから……」
「ゼフィランサス。君たちはクライン家1000年の夢を実現するために創られた存在だ。もしも、もしもだよ。君がその役割を否定してしまったら、君のために犠牲になったユッカはどうなってしまうのだろうね? 犬死にかな?」

 どうしてこんなことを平然と言うことができる。ゼフィランサスの瞳から涙が止めどなく流れる。それでも、拳銃はキラを向いている。涙を拭うことさえ、この男は許さない。

「君だってゼフィランサスが救われて嬉しいはずだ、キラ君」

 10年前、そうやってキラはこの男とジャン・カローロ・マニアーニがユッカ・ヤンキーを殺害するつもりだったことを見逃した。それでも、決して同じではない。

「あなた方の計画が、どうゼフィランサスのためになるって言うんですか!?」

 思わず力のこもった指は左手の傷口を締め付ける。痛くないことはなかった。それでも、キラは痛みよりも息を詰まらせるほどの憤りを強く感じていた。

「おかしなことを言う。人は社会を営む生命だ。社会全体の幸福の総和、その最大化こそが求められるべきものではないかね? もしも君が社会全体を犠牲にしてもゼフィランサスを救いたいのだとすれば、それはエゴでしかない。社会の害悪だ。君のような子どもはそう叫んでも許される。しかし人類を導く者が私情に流されてはならない」
「ムルラ・アズラエルがそうしたようにですか?」

 うまく息を吸うことができない。大きく息を吐きながらゆっくりと吐き出した言葉に、シーゲルは初めて顔をしかめた。
 キラはシーゲル・クラインを否定した。そして、ムルタ・アズラエルを認めることができなかった。どちらもゼフィランサスを利用して傷つけたからだ。ただそれでも、両者には何かが違うと感じていた。その正体が、今わかった。

「ゼフィランサス、今わかったよ。ムルタ・アズラエルとシーゲル・クラインの違いが。どちらもしていることは同じだった。でも何かが違った! それは、人が人だってことを、ムルタ・アズラエルが忘れなかったことなんだ! 人間が人間だってことだけは、ムルタ・アズラエルは忘れなかった!」

 道具として利用できるとシーゲル・クラインもムルタ・アズラエルも言っていた。それでも、道具として利用するかどうかはまったく別の問題になる。エインセル・ハンターには、せめてあの男にはヴァーリを人として愛していた。シーゲル・クラインとは違う。
 これ以上、この男のそばにゼフィランサスを置いておきたくなんてなかった。銃口はキラを向いている。その小さな手で、震えながら。それでも、キラはかまわず歩き始めた。

「キラ……、これ以上、近づかないで……」
「ゼフィランサス、君は優れた技術者だ。でも、道具じゃない! ヴァーリだよ、ダムゼルだよ! でも、人じゃないか! ただの女の子じゃないか!」

 初めて思いを伝えたのはもう10年以上前のことだ。まだ愛と好意の区別もつかない子どもだった時のことだ。でもそれがままごとだったとは思わない。ドミナントはヴァーリとは違う。王となるべく自律が許された。ヴァーリのように洗脳が施されているわけではなく、だから理解していた。自分たちが道具でしかないと。だから守りたかった。道具でしかないゼフィランサスを、せめて。
 銃口がまっすぐに心臓を向いていた。それでよかった。ゼフィランサスは正面に銃を構えているのだから。だから、このまままっすぐ、ゼフィランサスの体を抱きしめた。

「好きだよ、ゼフィランサス」

 だからもう泣かないで。

「撃ちたまえ、ゼフィランサス」

 銃声があった。
 キラは静かに目を閉じる。血で汚れてしまった手にためらいを覚えながら、それでもできるだけ血がついてしまわないように、少女の小さな体を抱きしめた。波立つ髪の感触が、ゼフィランサスを抱きしめていることを実感させてくれる。
 弾丸はキラを捉えることはなかった。ゼフィランサスの力ない手に握られた拳銃は床を向いていた。弾は床に突き刺さっていた。
 ゼフィランサスはキラのことを受け入れてくれたのだ。キラが抱きしめようとした時、ゼフィランサスはとっさに銃を下ろした。父の命令を無視してまで。そんな拳銃も、やがて手を離れ、自由になった少女の手はそっとキラのことを抱きしめてくれる。

「私には……、できません。お父様……。キラのことを愛しています……」
「ゼフィランサス」

 この腕の中の温もりをずっと探してきた。もう絶対に手放したくなんてない。できることなら、このまま思う存分、ゼフィランサスの温もりと香りを堪能していたかった。
 耳障りな拍手が聞こえてくるまでは。

「いやはや、なかなか面白い見せ物だったよ。だが、こういうものを茶番と言うのだろうね。何の意味もない。ジェネシスは……!?」

 突然、アラームが鳴り響いた。制御室の機器という機器が警報音を鳴らしうるさいほどだ。異常事態をこれ以上ないほど伝えてくる。シーゲルさえ思わず立ち上がり周囲を見回したほどだ。

「何事だ!?」
「原子炉が暴走を開始したのですよ、お父様!」

 制御室の一角。豊かな黒髪のヴァーリがたたずんでいた。




「ミルラ! 貴様、何のつもりだ!」

 お父様のお言葉は、たいそう胸に響く。まるで人でも殺してしまった--これまでに何人も殺してきたが--かのように罪悪感がかき立てられる。ミルラは自分がヴァーリであると実感するとともに、ダムゼルにはなれないはずだとつい笑ってしまった。この男のために命をかけるほどの気概を、ミルラは持ち合わせていないようだから。

「聞いたか、キラ? まもなくジェネシスは吹き飛ぶ。早くゼフィランサスを連れて脱出しろ!」

 義父の前で娘への愛を語った男は、それでも一瞬のためらいを見せた。状況を把握しきれていないのか、それとも父を裏切ったヴァーリの末路を案じてくれているのか、まあ、どちらもでよいことではないだろうか。

「守ると大見得切った覚悟はどうした?」

 ようやく、キラがゼフィランサスを抱き抱えてオーベルテューレへと戻っていく。これでこの部屋にはミルラとお父様だけ。まさかこのままジェネシスを心中するつもりもないシーゲルは非常口へと飛び出した。愛娘を置いて。それはないだろう。

「お父様!」

 手元のボタンを押す。あらかじめ仕掛けておいた小型爆弾が扉のところで爆発した。お父様は爆風に吹き飛ばされ室内を転がる。扉はなまじっか頑丈であったため、形こそ歪んだが健在。ただ、これでももう正規の方法で開けることはできないことだろう。変形して完全には枠にまってしまっている。

「あなたが我々の命を積み上げて造った城だ。その最期くらい見届けてもよいのではありませんか?」
「貴様!」

 向けられる銃口。走馬燈として思い出したのは、ユニウス・セブンで見た、生まれることさえ許されなかった失敗作の姉たちの姿。ビン詰めの姉が棚に並べられている光景であった。




 ヒメノカリスをその胸に抱きながら、エインセルは制御室での光景を眺めていた。全天周囲モニターは半分が死に、フォイエリヒはその機能を著しく低下させていた。バック・パック--すでに切り離した--を破壊した際の熱量がコクピットにも入り込もうとしていたのだ。無理もない。
 後少しヒメノカリスの到着が遅ければ焼死していたことだろう。それでもかまわないのだが、身を挺してまで助けようとしてくれた愛娘に愛しさを覚えないではない。
 ヒメノカリスは今、エインセルの腕の中で気を失っている。10年前に比べると重くなった。親にとって子どもはいくつになっても子どもというのは本当だ。
 すべては10年前のあの日から始まった。ドミナントという存在に絶望した御曹司がプラントの明確な敵対者となった。父に愛されなかった子どもの父になろうとした。思い合う2人を引き裂いた悲劇は、今日終わりを迎えることができたのだろうか。
 キラ・ヤマトがゼフィランサスを連れて離脱する様を見送った。オーベルテューレ、序曲を意味する機体が恋人たちを連れてこの場を離れた。
 しかしムルタ・アズラエルには最後の役割が与えられていた。
 通信があった。ZZ-X100GAガンダムシュツルメントがフォイエリヒに並ぶ。ヤキン・ドゥーエを落としたガンダムは、決して楽な戦いではなかったのだろう、全身を傷だらけにしていた。その赤銅の輝きがかすむほどに。

「結局、俺たちは何もできなかったな、エインセル。とんだ間抜けだ。だが、最後の仕上げが残ってる」
「プレア・ニコルをこの部屋に置く。しかしザフトの最後の妨害を打ち払う必要がある。その役割、私が担いましょう」

 モニターに映る友--ムウ・ラ・フラガ--の顔。同じ者を父と呼び、同じ時を過ごした。理想も現実も、理念さえも共有して友の顔だ。

「いや、フォイエリヒのその状態じゃプレア・ニコルが正常に作動してるかわからない。残るのは俺だ」
「しかし……」

 さて、エインセルは何を続けようとしたのか。それは彼自身にさえわからなかった。ただ一つわかることは、決して、この戦いを独占してはならないということ。エインセルはドミナントであるためにこの戦いに臨む資格を得たのではなく、ムウもまた、ナチュラルであるからブルー・コスモスを率いたわけではない。
 ドミナントでないムウがこの戦いの責任を負うべきではない。こんな言葉は、無意味以外の何者でもないのだから。

「おいおい、お前を残して俺だけ逃げてみろ。ヒメノカリスに人類史上希にみる惨たらしい殺され方しかねない。冗談抜きでな。それに、俺たちは目的のためには手段を選ばない。その目的に、俺たちの命は含まれていない。ヴァーリを救うことが目的であってもな」

 エインセルの腕の中でHのヴァーリは静かに眠っている。娘として守る誓いながら、戦わせることでしか関係を築くことができなかった娘が。

「ありがとう、ムウ。あなたは私のよき兄弟であり、何より友でした」
「ラウによろしくな、兄弟」




 エインセル、ラウとの出会いはいつのことだったか。物心ついた時にはすでにそばにいて、兄弟として育った。自分たちが違う存在なんだと気づいた頃には2人はすでに大切な存在だった。ムウにとって、この戦いはすべてが矛盾に満ちていた。
 戦争なんてしたかった訳じゃない。それでも、ムウは自分たちが最も憎む存在と同じ手段を選ばざるを得なかった。もしもコーディネーターなんてものが生まれず、プラントなんて国がなかったとしたなら、ムウはかけがえのない友に会うことはできなかった。
 もしも運命というものがあるのなら、この物語はずいぶんと手が込んでいる。愛しいものも憎いものもあまりに多くがこの手には転がり込んできた。
 ジェネシスの中心部であるここにシュツルメントに搭載されたプレア・ニコルを置いておけばいい。完全に逆転だ。時間は今や地球の味方をしてくれている。今度はザフトが時間制限内にこのシュツルメントを撃墜しなければならないのだから。
 だが、果たして敵機がここにたどり着くことができるだろうか。すでに球体の周囲の空間では戦闘は沈静化している。ラウ・ル・クルーゼのZZ-X200DAトロイメントガンダムはジェネシス内部へのこれ以上の敵機の侵入を防いでいた。
 あとはただ待っていればいい。ジェネシスの原子炉が暴走し、すべてを吹き飛ばす瞬間を。
 それとも、怨敵の最期でも見届けようか。シーゲル・クラインは半壊した非常口の扉をこじ開けようとしていた。太めのパイプを扉の隙間に差し込み、こじ開けようとしているらしい。もっとも、扉の厚みからして人の力で開けられるようなものではない。多少隙間は大きくなっただろうが、大の男が通り抜けられる隙間ではない。
 ムウはシュツルメントのコクピットの中から高見の見物をするつもりでいた。

「いい加減諦めろ。ここは吹き飛ぶ。俺もあんたもおしまいだ」

 制御室のある壁に接触して窓から内側をのぞき込む。キラが開けた大穴が開いているためか、集音マイクはよく音を拾う。もちろん、けたたましいサイレン音はカットしている。

「確かに、これが限界だろう」

 シーゲルはパイプを投げ捨てた。すると、制御室の端から倒れたヴァーリを抱き上げた。ミルラ・マイク。先程シーゲル自ら射殺した少女だ。しかし、拡大モニターで見る限り、抱き抱えられているミルラの額にはかすめたような傷しかない。致命傷ではない。外れたのか、外したのか。
 どちらでもいいことだ。ムウはコンソール脇に押し込んでおいた雑誌に手を伸ばした。お気に入りの雑誌だが、まだ今月号を読んでいなかった。とりあえず星占いのコーナーから見るか。恋愛運はまあまあだが仕事運が悪い。ラッキー・アイテムはアイドルが撮った写真。アイドルの写真でないところがこの雑誌らしい。

「お父様……?」
「ここから道なりに行きたまえ。脱出艇がある。急げばなんとか間に合うだろう」
「君に、この私に未練を残す理由があるのかね?」

 雑誌を中心に眺めながら、それでも様子はうかがっていた。シーゲル・クラインはミルラを扉のわずかな隙間に押し込み、鍵のような何かを投げ渡した。ミルラがどうしてのかは、ここからは見えないが、脱出艇かゲートの鍵なりを渡したと見るのが正解だろう。

「鬼の目にも涙ってやつか?」
「合理的なだけだよ。私が通ることができるほど広げている時間はないが、ミルラなら通ることができた。貴重なヴァーリを無駄に使い潰したくない」

 見ると、シーゲルは窓際に来ていた。ほんの少しシュツルメントの腕を動かすだけで潰してしまえる位置だ。雑誌を閉じてどうしようかと考えたが、とりあえずやめておくことにした。プラントを率いたシーゲル・クラインの姿には、どこか在りし日のジョージ・グレンを彷彿とさせる。話し方といい雰囲気といい、まさに後継者と言うところだろうか。
 何にせよ、殺すということに大きな意味は見いだせない。

「まさか最期の時をあんたと過ごすことになるなんてな」
「私としても同感だ。せっかくだ、これだけは言っておこう。この戦い、君たちが勝ったと考えているならそれは大きな間違いだ。まだ娘たちがいる。そして、我々は何も失ってはいないのだからね」

 確かにプラントは健在。ザフトもまだ十分な余力を残している。だが、ムルタ・アズラエルの目的はジェネシスの破壊だった。痛み分けだが、どちらを勝者とするかは解釈次第だろう。
 わざわざコクピットから這いだしてまで姿をさらす気にはならない。ザフトがシュツルメント破壊を試みる可能性が0でない以上、コクピットに籠城させてもらおう。

「ハイムダルのことか?」
「ほう、驚いた。まさかそこまで知っていたとはね。ならばわかるのではないかね? 我らが神は快楽の神の御下でただ時を待っている。私など尖兵もいいところだ」

 はてさて、どこまで本気で驚いていることやら。少なくとも、シーゲルからは余裕はなくなってはいない。ああ、癪だ。ではこちらも余裕を見せつけてやろう。ムウは再び雑誌を開く。どうせ相手からは見えていない。返事さえしておけばいい。

「俺たちにだって仲間がいる。夢は夢のままにしておくことだ」
「だが、君たちのしていることに何の意味があった? 人類の歴史は、それこそ戦争の歴史だ。我々はその負の連鎖を断ち切り、人々が争うことない理想郷を築こうとしていた。君のしていることは結局、新たな戦いを招くだけだろう」
「ほざくな。お前さんたちはいつも勝手だな。あんたらの方法で本当に世界を平和にできる確証なんて一度だって示していないだろ。意にそぐわない存在を自分の都合で殺しといてそれを必要悪のように気取るのはやめておけ」
「だが、世界にはどうしようもない存在というものはあるものだ。我々はそれを排斥しなければならない。たとえ、どれほど世界に疎まれようとな」
「それは世界がどうこうってよりロゴスが気にくわないってだけだろ。自分たちとは異なった意見も価値観も認めようとしないだけだ。だから道具が欲しかったんだろ。だからヴァーリとドミナントを創った。俺たちは、そのことが許せなかった」

 つい力がこもった指が雑誌を握りつぶす。紙が裂けてずいぶんと読みにくくなってしまった。だが、それでいい。そろそろ、すべてが終わる時間を迎えるのだから。




 杯の形をしたジェネシス。その口に水面のように並べられた特殊鏡面パネルが力場を発生させ輝きを増して見えた。巨大な鏡に光が燦々と浴びせられているかのような光景が、しかし突然変化したこと。これこそが、崩壊の合図であった。パネルが砕けて飛んだ。それは乱反射を伴いながら浮き上がる。
 最初はほんのわずかな部位での出来事だった。ところが、ほかの部位にもパネルの剥離が確認された。まだ剥がれるのだろうか。そう思わせたその時、パネルは一斉に砕け散った。吹き出すパネル。それは吹き上げられるともに乱反射を繰り返し輝きを放つ。それはジェネシス内部に封じ込められていた光が一斉に塊となって飛び出したような光景だった。
 わずかな時間。パネルの崩壊から数刻後、ジェネシスの穴という穴から光が漏れた。その一瞬後、光はジェネシスを呑み込みやがて巨大な爆発に姿を変える。
 確認することなどできない。センサーを働かせるにはおびただしい光量子が邪魔をする。熱と圧力からは逃れるほか、人は生き延びる術を知らない。
 ただ待つほかない。衝撃波が通り抜け、膨大なエネルギーが拡散する。そしてようやく、宇宙は元の静けさを取り戻した。するとそこには、もはや何も残されてはいなかった。
 地球は青い姿を湛えている。




 C.E.67年に開戦したこの戦争は当初、大西洋連邦軍を中心とする同盟国の圧勝によって早期終結するものと考えられていた。
 しかし、プラントによるニュートロン・ジャマー降下事件--エイプリルフール・クライシス--による傷跡は地球に確かに刻まれていた。何より、ザフト軍が史上初めて投入した人型兵器モビル・スーツの登場、及び近年電波妨害が観測されていたミノフスキー粒子の存在は既存の戦術を否定。結果、ザフト軍は新たな環境にいち早く適応した軍隊として快進撃を繰り返した。
 当初の予想を大きく裏切ったばかりか地球降下を果たし当時4基存在したマスドライバーの1基の奪取に成功する。ザフト軍はこの戦果を下に和平交渉を開始。戦争は終結するかに思われた。
 しかし、この戦争は誰の予想通りにも進むことはなかった。大西洋連邦軍は和平交渉を拒絶。戦争は継続されることとなった。
 地球軍はモビル・スーツに代わる兵器を持たない。ザフト軍は補給線が伸びきりこれ以上の作戦行動を難しくしていた。それでもなお戦争が推進されたのは、当時ブルー・コスモス新代表に就任したばかりのムルタ・アズラエルによる強烈なロビー活動であったことが知られている。
 開戦から4年後、C.E.71年。大きな動きがあった。ガンダムと呼ばれる機体群の開発である。当時単なる電波妨害の悪者でしかなかったミノフスキー粒子の兵器転用を一つのシステムとして完成させたこの機体群はまさに革新的であった。ビームの高い攻撃力はそれが武器の基準となり、各国はガンダムの技術のフィード・バックを目指した。
 その過程で、二つの命が失われたことを知る者は少なくない。
 プレア・レヴェリー。ニコル・アマルフィ。プレア・ニコルの名で知られるニュートロン・ジャマー無効化装置の名称は、この2人の死を悼んだ技術者によって繋ぎ合わされた。2人の技術者は自分たちが生み出してしまった力を恐れ、そのために失われる人命に心を痛めていた。
 ジェネシス。それは大量破壊兵器である。内部にプレア・ニコルによって使用される原子炉を持ち、遙か40万kmもの彼方から地球のすべてを焼き尽くす。技術的には可能であった。しかし、誰もが想定しなかった。
 プラントはあらゆる意味において初めての国家であった。コーディネーターの国という訳ではない。この国は、地球に国土を持たない。独立、併合、革命、そのいずれにもよらず誕生した初めての国家であった。歴史を持たず、地球を故郷としない初めての国である。
 そのためであろうか。プラントは、地球全土を攻撃することにためらいを見せたことはなかった。エイプリルフール・クライシスを引き合いに出すまでもなく、ジェネシスのような大規模兵器を極秘裏に開発するためには大規模な組織力と膨大な資金力、何より時間を必要とする。
 プラントは戦争など望んではいなかった。戦争など起こすことなく、地球全土を支配する力を手中におさめようとしていたからである。
 ここにすべてのパズルは完成する。
 ブルー・コスモスはジェネシスの存在に気づいていた。示威行為に用いるだけとするには、プラントはエイプリルフール・クライシスという前例を自ら作出してしまっている。そのため、地球は戦うと決めたのである。ジェネシスは一戦交えることなく地球のすべてを焼き払う。ならば完成を待たず破壊する他ない。
 地球軍の核ミサイルを用いてまでの性急、焦燥を覚えるほどの火急の軍事行動はすべてジェネシス破壊を目的としたものであった。
 ジェネシスは破壊された。それは皮肉なことに、それとも運命的とでもするべきか、両軍がすべてをかなぐり捨ててまで得ようとした力そのものでなく、苛烈極まる戦火を憂う技術者たちがその悲しみを託した少年たちの名、その名を冠するプレア・ニコルによってなされた。
 一つの事実として、この戦争のさなか犠牲となった2人の少年、彼らを思う心が、地球を救ったのである。



[32266] 幕間「死が2人を分かつまで」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:8a6b0ab7
Date: 2013/04/11 22:36
 聞こえるのは波の音。月光の柔らかな光が白い砂浜を、打ちつける波を照らす。ここはオーブ首長国。ヤラファス市郊外の砂浜である。名もない教会が砂浜へと入り口を向ける形で建てられていた。ここでは今、結婚式が催されている最中である。
 広くはない教会。並べられた椅子を参列者が一杯に並んでいる。盲目の神父が聖書を手に新郎新婦の前に立つ。この結婚式では珍しく、新郎が白いタキシードで着飾り、新婦は漆黒のドレスにその波立つ白い髪を映えさせていた。
 信仰に目覚めた運び屋か、運び屋の副業を持つ聖職者か。神父はマルキオ導師と呼ばれていた。

「説教は最初と最後が感動的であり、かつその間が短ければ短いほど尊いとされます。よって、余計なことは省いてしまいましょう」

 本来ならば結婚式のための決まり文句をすべて省いてしまう。そう、キラ・ヤマトが破戒僧と呼んだ神父は実行しようというのである。
 新郎は隣りの新婦へと小声で話しかける。

「ゼフィランサス、本当にここでよかったのかい?」

 ブーケを持ち、ヴェールをかぶる新婦はやはり小声で返す。

「だって、他に教会なんて知らないし……、それに海の見える教会で結婚式をあげようって約束だったから……」

 そうして、2人が夫婦としての初めての秘密を共有している間に、マルキオ導師は本当に必要最低限の祝詞を並べただけで儀式を済ませてしまった。

「永久の愛を誓いますか?」

 キラとゼフィランサス。2人は互いに見詰め合うと、2人で一緒に宣言する。

「誓います」
「2人を夫婦と認め、ここにそれを宣言します。では、誓いの口付けを」

 花婿がヴェールを外すと、花嫁の赤い瞳と白い肌が露となる。足元にまで伸びる長い髪ごと抱き寄せると、花婿はその唇を重ね合う。永久の愛を、祝いのために駆けつけてくれたすべての人の前で誓うために。




 結婚式を終えた後、教会の外の砂浜ではパーティが催されていた。並べられたテーブルに料理が並べられ、人々が思い思いに過ごしている。結婚式の参列者の他、給仕の人々の姿も目立つ。
 そんな会場の一角。アーク・エンジェルのクルーたちが集まっている一角があった。
 周囲を見回す、管制担当のジュリ・ウー・ニェン。眼鏡を様々な方向に向けて周囲の様子を観察している。

「すごい人ね」

 答えたのはテーブルを同じくするダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世。

「アズラエル家のご令嬢の結婚式だからね。これでも使用人の人たちとか身内の人ばかり集めたそうだけど」

 事実上の副艦長としてアーク・エンジェルを、女性ばかりのブリッジで支え続けたこの男はある種の居心地の悪さに慣れてしまったようだ。どこの高級レストランかと思わせるほどの給仕の人々の多さに気にした様子もなく料理を口に運んでいる。
 同じように気にしていない様子でありながら、ディアッカ・エルスマンは食事に苦戦している。

「ラタトスク社CEOにブルー・コスモス代表。プラント最高評議会議員までご出席だ。ずいぶん豪勢な式になったな」
「大変そうね」
「まだ片腕になったばかりだからな。慣らしていくさ」

 ジュリの言葉も特に気にした様子なく、ディアッカは片手で料理との格闘を続けている。そんなディアッカの右側--視力の残された右目の側である--に座るアイリス・インディアが手を伸ばした。

「お手伝いしますよ、ディアッカさん」
「悪いな」

 肉料理を切り分けるアイリス。フォークで肉を持ち上げると、それをディアッカの方へと差し出した。

「はい、あ~ん」
「あ~……、ん?」

 自然な様子でフォークから肉を食べたディアッカは妙な視線に気づかされた。ここにはジュリの他、ブリッジ三人娘とも言うべきアサギ・コードウェル、マユラ・ラバッツの姿もある。三人とも、白い眼、表情のない顔、何か死んだ魚のような眼差しを2人の若者へと向けていた。
 アサギは早速乾いた声で上官に告げ口しようとする。

「ナタルさ~ん。アイリスちゃんが悪い狼にたぶらかされてますよ~」
「きゃ~大変~」

 まるで大変そうには聞こえないジュリの乾いた声。マユラもまた乾いた眼差しで携帯電話のシャッターを押していた。

「こんなとこ写真に撮られたら一大事~」
「おい!」

 慌てるディアッカに対して、アイリスの関心はすでに別の場所に移っていた。会場を歩く1人の少女。黒いドレスで着飾った少女へと、アイリスは声をかける。

「ゼフィランサス」

 立ち止まるゼフィランサス。一度記憶によって引き裂かれた姉妹は、少しぎこちない話し方になっている。

「何だか不思議な気分です。ヘリオポリスで再会した時、私昔のことみんな忘れててゼフィランサスのこと、少し怖い人に思ってました。でも少しずつ思い出していくと、やっぱりゼフィランサスは妹で、私はお姉さんなんですよね」

 姉から妹へ送られた小さな花束。妹がそっと受け取ると、姉は微笑みかけた。

「おめでとう、ゼフィランサス」




 ラウ・ル・クルーゼは本名ではない。アズラエル財団の御曹司である彼は、本来ならばアズラエル姓の名を持つ。しかしどのように名乗っていようと彼の身分は変わることはない。給仕が手慣れた様子でグラスにワインを注ぐそばで、手慣れた様子で椅子に腰掛けていた。
 そんな彼に声をかけたのはロベリア・リマ。このヴァーリは普段見せる軍服とは違い、気合いの入った衣装で緊張した面もちをしていた。

「ラウさん、隣、開いてますか?」

 ラウ自身ではなく給仕が座りやすいよう椅子を引く。しかし、そこに腰掛けたのはロベリアではなく、カガリ・ユラ・アスハであった。

「そうか、すまない」
「ちょっとカガリ!」
「開いている、そう言われたから座ったまでだ。別にお前のための特別席だというわけじゃないだろ、ロベリア」
「そ、そうだけど……」

 顔を真っ赤にして頬を膨らませるロベリア。カガリはしれっとした様子で一つの提案をする。

「それなら膝の上に座ったらどうだ?」
「ひ、膝って……!」

 さらに顔を赤くするロベリア。その視線は盗み見るようにラウの膝を見ては気恥ずかしげに離れる。その繰り返しである。その時、カガリは膝を叩いた。

「さあ、私の膝はいつでも開いてるぞ!」

 ラウ・ル・クルーゼのものではなく自身の膝を。ロベリアの顔は、怒りと恥ずかしさがない交ぜとなって極限の赤さを更新していた。ラウは静かにワインを口に含む。

「ロベリアをあまりからかうな、カガリ」
「では本題に入ろう。クルーゼ兄さん」
「ラウさんをお兄さんだなんてぇ~!」
「話の腰を折るな」

 繰り出されるカガリのアイアン・クロー。頭蓋骨を鷲掴みにされたロベリアは小さな悲鳴を出し続けている。まるで、頭蓋骨が軋む音であるかのように。

「兄さん、オーブを攻めない方法は何かなかったのか?」
「オーブが裏でプラントとつながっていたことは事実だ。そして、我々には時間がなかった。オーブの民の死の責任は我々にある。だが必要なことだった。この死の責任は、我々がムルタ・アズラエルとしていつか対価を支払うこととなろう。我々はそれを甘んじて受けなければならない」

 大まじめな話をしている横で、いまだにロベリアは顔面を掴まれ悶絶している。ついには海岸の砂に膝をついた。それが唐突に解放された時、ロベリアは後ろ向きに砂へと倒れた。
 カガリには他にすべきことが見つかっていた。これ以上、ロベリアにかまっているつもりはなかったのだ。会場を横切るように歩く新郎の姿を見つけた時、カガリはその進路に立ちふさがるように立ち上がった。

「10年越しのプロポーズか。本当に、お前は自分勝手な奴だよ。昔からゼフィランサスの機体以外乗らないだの、ゼフィランサスに話しかけたドミナント仲間に殴りかかるだの、今回の戦いも結局ゼフィランサスのことばっかりだっただろ」
「世界なんて灰にする覚悟がなかったら、ダムゼルのことを愛し続けることなんてできないよ」

 この弟はこういう奴だ、冗談抜きで女のために世界のすべてを敵に回しかねない、そう、カガリは苦笑した。そしてそれも今更のことだ。カガリはおもむろに1枚のカード・キーをキラの胸ポケットに押し込んだ。

「これは私と兄さんからの祝いの印だ。オーブで一番のスイート・ルームをとってある。頑丈な作りだが、ほどほどにな」
「ああ……、ありがとう」

 キラは戸惑いを覚えているようであった。奇妙な贈り物にも、なぜか倒れているロベリアの姿にも。




 パーティ会場。その入り口に花を持った少女が訪れた。オッド・アイ、左右非対称の髪をしたこの少女を出迎えたのも、鏡に写ったかのような少女であった。
 オーブの代表として幹事に駆け回っていたエピメディウム・エコーは結婚式には参加しなかった姉の到着を満面の笑みで迎入れた。

「デンドロビウム姉さん、来てくれたんだ」
「まあ、ちょっと顔を見せるだけだけどな」

 ジェネシスにおける戦いでは最後までクライン派として戦ったデンドロビウム・デルタはこのパーティへの参加さえ悩んでいた。それでも来ると決めたのは、ちょっとした気まぐれにすぎない。

「いいんじゃないかな。きっとゼフィランサスも喜ぶよ」

 会場内へ案内しようとするエピメディウム。その手を、デンドロビウムが後ろから掴んだ。

「どうして動かなかったんだ?」
「オーブがあの状態じゃ、僕には動きようがないよ。それに、僕にとってオーブは、大切な場所なんだ」

 オーブに潜入していたドミナントとしてエピメディウムはアメノミハシラ、衛星軌道上の施設から動こうとはしなかった。ジェネシスが地球を、オーブを焼くという時、父に逆らわず、しかし積極的に行動することもなかったのである。
 責めるつもりはなかったのか、それとも別の用事ができたか、デンドロビウムは妹の手を離す。大股で砂を踏みつけては、人をかき分け、会場に見つけたもう1人の妹の前にまで歩み出る。黒いドレスの少女が驚いたようにその瞳を大きくしているもかまわず、デンドロビウムは質問を投げかけた。

「お前、お父様のことや、クライン家の夢のこと、どう思ってる?」
「私は……、キラと一緒にいたいです……」

 睨みつける。そうと見えるほど真剣だったデンドロビウムの眼差しが途端に和らいだ。息を吹いて、手にしていた花束を結婚式を終えた妹へと差し出した。

「十分な答えだな。だがこれで何もかもが終わった訳じゃない。好きな人といられる時間は大切にな」
「ありがとう、デンドロビウムお姉さま……」




 皆がテーベルを仲間と囲んでいる中、海岸に投げ出されるように置かれていた一対の椅子にまるで楽しげでない男が2人座っていた。
 イザーク・ジュールはどこか不機嫌そうであり、コートニー・ヒエロニムスは積極的に笑うということをしない。

「コートニー・ヒエロニムスだったな」
「はい」
「お前は本気で地球を滅ぼすつもりだったのか?」
「私はユニウス・セブンですべてを失いました」

 ジェネシス内で最終決戦を敵と味方として戦った2人の言葉は、会場の喧噪の中で決して目立つものではなくとも、2人の間では確実に共有されている。

「地球にもそんな奴は大勢いる。エイプリルフール・クライシスでな」

 未曾有の大災害。プラント、地球、どちらの災害も人為的に引き起こされ、まだ10年程度しか経っていないのである。

「結局こういうことか? 地球は危険な存在だが自分たちは安全な存在だ。だから、自分たちだけが力を持つことが許される」
「地球とプラントの戦いはこれで終わったわけではないでしょう。それどころか、ジェネシスが地球全土を狙ったという事実は地球の反コーディネーター感情を高ぶらせることでしょう。プラントとてこのような結末で納得できるはずもないのですから」
「これからも地球の民を皆殺しにするまでプラントは戦い続けるべきだということか?」

 さすがにコートニーもこれには賛成することはなかった。しかし、否定もすることはない。デンドロビウム、ダムゼルに仕えるほどの力と覚悟を持つ人物がそうたやすく自説を曲げることはなかった。

「あなたとてザフトであるはずです。私にはそれが理解できない」
「味方を守ることと敵を殺すことは意味が違う。そんなことを学んだ。それだけだ」

 それはイザークも同じであった。これ以上の話は無意味であろう。そして都合よく、話を切り上げる存在がそばを通り過ぎようとしていた。タキシードに身を包んだ、今夜の主役の1人である。

「キラ。お前とは面識らしい面識もないが、まったく縁がないということでもないからな。これは俺からの贈り物だ。男のエチケット袋だ。お前たちはまだ若い。必要なこともあるだろ」

 そう、椅子に座るイザークの高さにちょうどいい位置にあるタキシードのポケットに数珠繋ぎに一つずつ梱包された製品を押し込んだ。

「ああ、ありがとう、イザーク……」




 あるいは、同じ戦艦で戦いと役職をともにする2人の女性が椅子を並べていた。アーク・エンジェルの艦長であるナタル・バジルールは、それでもマリュー・ラミアスを艦長と呼ぶ。

「やはり、お変わりになられましたな、マリュー艦長」
「あなたたちに振り回されすぎたみたいね」
「ご冗談を」

 職務を全うすることを最優先に動いていたかつての艦長がまさか冗談まで飛ばす姿に、ナタルは一瞬戸惑いながらも口元を緩めた。マリューはテーブルに置かれた小さな花束を気にした様子でナタルと会話を続けている。

「でも、長い戦いだったのに、ヘリオポリスでの出来事が昨日のことのようにも思われるわ」

 ガンダムという新兵器の登場と、激変した戦局、価値観を一変させるほどの出来事もあった。それはナタルにも変わらない。簡単な要人の家族の護衛。それがまさかヴァーリという特別な少女だとは想像だにしなかった。

「我々は歴史の転換点にいたのでしょう。この戦いは、間違いなく歴史に残る戦いでした」
「あなたはこれからどうするの?」
「軍をやめようと考えています。やむを得ないこととは言え、私のような日和見主義者は軍に似つかわしくありません。これからは、何か自分自身を納得させられる仕事を探すつもりです」

 あなたらしい。そう、マリューは軍を離れるかつての部下の背中をそっと押す。そうしているうちに、花束を贈りたい人がテーブルのそばを通りかかった。2人は立ち上がり、まずナタルが声をかけた。

「ゼフィランサス主任、ありがとうございました。あなたとの出会いは、それこそ人生を変える出来事でした」
「ゼフィランサスってお花を探したのだけど、ずいぶん小さな、綺麗な花なのね。おめでとう、ゼフィランサス主任」

 マリューが贈ったのは、6枚の花びらを持つ小さな小さな花の花束であった。すでにいくつかもらった花束を大切そうに抱えながら、ゼフィランサスは新たな花を受け取る。

「ありがとうございます……、マリューさん、ナタルさん」




「こんな構造になっているのだな。まったく、エインセル・ハンターはいい趣味をしている。ニーレンベルギアはもらってないのか?」

 ヒメノカリス・ホテルの着る純白のドレス--ウェディング・ドレスではない--を手に取り観察しながら、ミルラ・マイクはこのような場所にまで白衣姿の妹に訪ねた。もっとも、先に答えたのはヒメノカリスの方である。

「お父様が一度打診してみたら断られたって言ってた」
「あの時はあの時。今は、ちょっと挑戦してみたい気持ち、かしら」
「確かに、一度は着てみたい服ではあるな」

 3人のヴァーリはドレスの話題に終始する。少なくとも、ミルラがジェネシス内部で最後に見た光景について話題にすることもなければ、ミルラが進んで答えることもない。
 この純白の衣装を身につけたミルラの姿をそれぞれがそれぞれ、思い浮かべていた。
 ニーレンベルギア・ノベンバーは同じ第5研出身の姉が豊かな黒髪をなびかせて、踊る様を想像しているうちに、なぜか剣舞に印象が近づいてしまうことに悩んでいた。

「お姉さまは……、もっと勇ましい服の方が……」

 ヒメノカリスは最初から想像することを諦め、いかにもな軍服を身につけた姿、鎧を身につけたミルラのことを思い浮かべていた。

「軍服とか鎧が、ミルラ姉さんには似合う」
「どういう意味だ?」

 妹は姉から目をそらし、ヒメノカリスは目こそそらさないもののその表情からは何を考えているのかうかがいしれない。ミルラは諦めたように息を吹いた。
 その時、都合よくかっこうの獲物が通りかかった。柄にもなく着飾った少年を、3人の少女は素早く取り囲んだ。

「結婚おめでとう、キラ。これは私たちからの贈り物だ」

 ミルラは褐色の小瓶を数本、ポケットに無理矢理押し込んだ。中には半透明の液体が入っている。

「ありがとう、ミルラ。それで、これは何?」

 キラはポケットの上から瓶の感触を確かめる。ニーレンベルギアが妙に楽しそうな様子で代わりに答えた。

「まだ若いから必要ないでしょうけど、元気になるお薬。でも2本以上同時には飲まないで。すごいことになるから」
「男の子って、一度許すと底なしなんでしょ?」

 キラの両肩に手を置くヒメノカリス。父であるエインセルのこと以外に関してはとことん無関心であるこの少女は、無表情のまま、キラのことを見ていた。

「女の子が口にすることじゃないよ、ヒメノカリス……」




「フレイ、君はこれからどうするんだい?」

 フレイ・アルスターに操舵の基礎を教えた男は隣に座る弟子にこんなことを問いかけた。

「軍隊に残るつもりもありませんから、学校に戻ろうかなって考えてます。その、アーク・エンジェル壊しちゃいましたけど、弁償とかさせられませんよね?」

 そう、アーノルド・ノイマンから操舵の基礎を学んだ少女は不安げに師の顔を見上げた。

「君の生涯給与つぎ込んでもブリッジさえ完成しないよ。ただ、確かにあれはすごい壊し方だったね」

 アーク・エンジェルは完全に破壊されていた。戦闘が集結した際には航行さえ困難で元の面影を残してはいなかった。かわせない攻撃は頑丈な部分で受け止める。するとその部分の装甲は削れ、想定的に装甲が厚い部位が変わる。そのため、全身にくまなく被弾することが最良ということになるのである。

「アーノルドさんに言われたことしたんですよ。それに、アーノルドさんだって、戦闘機ばらばらにしちゃって。……あの時、本当に心配したんですからね」
「弟子はまず師匠の悪いところから似始めるというのは本当かな?」

 コスモグラスパーは完全に機能を停止。アーク・エンジェルまでは宇宙遊泳する必要があったほどだった。そして、2人を繋いでいた戦艦はすでにない。そしてフレイはこの戦争であまりに多くのものを失っていた。
 アーノルドは懐から名刺と取り出した。まだ階級は曹長のままだが、連絡先は記載されている。

「ご両親は残念だった。もしもよければ私が力になれると思う。ここに……」
「案ずることはありません」

 突然の声の主は、眼鏡をかけた理知的な女性であった。フレイはヘリオポリス脱出の直後一度だけ顔をあわせたことがあった。メリオル・ピスティス。有能な美人秘書という印象の女性は、聞かされても財団のご令嬢とはイメージが重ならない。こんな祝いの席にもスーツ姿で、フレイとアーノルドの間に割り込むようにテーブルに1枚の書類を置く。

「え~と、メリオルさん、これは……?」
「書類です」
「見たらわかります」

 真面目なだけ馬鹿にされたわけではないだろう。それでも丁寧すぎると見くびられているような気にさせられてしまう。

「エインセル様が出資されている基金の支援依頼書です。あなたが独り立ちするまでアズラエル財団が無利息無利子無期限で学費、生活費を貸し付けます」
「そんなの、悪くありませんか?」
「エインセル様はすでに500人を越える子どもたちを支援されています」
「それでもお金かかりますよね?」
「学科にもよりますが500人全員を大学卒業まで支援するとしても、所詮フォイエリヒの装甲にかかる費用にも及びません」

 では全体ではいくらかかるのだろう。金ぴかのガンダム--まさか全身黄金でできている訳ではないはずだが--は、かかる費用も豪華であるらしい。

「これだから戦争って嫌いよ……」
「あなたが何ら遠慮されることはないでしょう。これが、あなたのご両親を巻き込んでしまったことの償いであるのならば十分と言えないものなのですから」
「私、エインセルさんに甘えてもいいんでしょうか?」
「もちろんです」

 堅苦しい雰囲気はそのままでも、メリオルは努めて微笑んでくれているようだった。

「よかったね、フレイ。これは余計なものだったかな」
「そ、そんなことありません!」

 名刺をしまおうとするアーノルドの手から、ひったくるようにフレイは名刺をひったくる。

「アーノルドさん、私、とても感謝してるんです。まだ恩返しもできてません。その……、これからも弟子でいさせてもらってもいいですか?」
「もちろんだよ」

 主役がそばを通りかかることに、最初に気づいたのはアーノルドであった。

「ほら、フレイ」

 そう、アーノルドに促され、フレイは立ち上がった。すでにいくつかの花を抱えているゼフィランサスに、フレイは話しかけた。

「ゼフィランサス、さん……。私のこと、覚えてますか?」
「フレイさん……」

 話したことなんて、ヘリオポリスを抜けてアルテミスで声をかけた時くらいではないだろうか。あの当時、両親を失ったばかりのフレイは、決してゼフィランサスに対して誉められるような接し方はしなかった。

「あの時はごめんなさい。私、気が動転しちゃってて、失礼なこと言っちゃって……」
「ヘリオポリスを巻き込むことは、私も知っていたこと……。あなたの怒りはもっともなことだから……」
「でもあなたも苦しんでたことを知りもしないで一方的に怒鳴りつけただけだった。これ、そのお詫び、にもならないかもしれないけど」

 そうして差し出した花束を、ゼフィランサスは受け取ってくれた。

「キラと私、ヘリオポリスじゃクラスメイトだったんだ。あまり話したことなんてなかったけど。おまけに猫かぶって自己主張のない人だって考えてた。実際はあんなんだったけど」

 物静かで自己主張の弱い少年。実態は、戦争のまっただ中でも好きなこのことばかり考えてるようなエゴイストだった。本当に、自分には人を見る目がない、そう、フレイは苦笑する。それでも、見えていることもあるはずだ。

「ただね、根っこっていうのかな。今のキラもヘリオポリスのキラも悪い奴じゃないってことだけは同じだと思う。幸せになってね」




 会場の中心からやや離れたテーブルでは厳か、厳粛とさえ言ってよい重苦しい雰囲気が漂っていた。
 プラント最高評議会議員ユーリ・アマルフィ、タッド・エルスマン議員。そして、アズラエル財団当主エインセル・ハンター代表。この3名がテーブルを囲んでいた。その様たるや、給仕の顔も心なしか張りつめているように見えるほどである。他のテールブとはまるで異なった雰囲気を醸し出している。
 議会でそうであったように、話の切っ掛けはエルスマン議員が作り出した。

「私は息子の友人の結婚式でね。君はなぜこちらへ?」
「新婦の招待を受けました。迷いましたが、ゼフィランサスの誘いを棒にすることはできません。それに、私には確かめたいことがあります」

 この戦争で息子を失った男は、努めて心を平静に保つよう、動作の一つ一つを静かに行っているようであった。

「エルスマン議員は如何でしたか? ご子息が行方知れずとなった時のお気持ちは?」
「心配でなかったはずがない。ただ、私は法の従僕にすぎない。法とは、個別具体的であってはならないからね。裁判官が恣意的に判断し始めたらたまらないよ。戦場では大勢の人が死に、大勢の人が行方知れずとなる。私の息子だからと言って、考えを変えることはできなかった」
「あなたはお強い」
「弱いさ。だから、もしもの時の覚悟を最初から決めていた」

 息子の死を切っ掛けとして急進派へと身を振り替えた男と、息子の行方不明にもその職務をまっとうしようとした男。そしてここにはもう1人、静かに両議員の言葉に耳を傾ける男がいる。第三の男はエインセル・ハンター。

「あなた方は最初からニコルのことを?」
「はい。プレア・ニコルをそちらの任意のタイミングで解放させることはできませんでした。プラントに攻め上がるための力として、どうしても核の力が必要であったのです」
「私はまんまと乗せられた」

 怒りがないわけではない。しかしここはゼフィランサスの祝いの席である。それを壊してしまうには、あの少女の存在は愛おしいものとなっていた。
 エインセルもまた、自身が加害者であるという態度を崩そうとはしない。

「アマルフィ議員。ご無礼でなければ望むだけの金品を。大西洋連邦は亡命を受け入れる準備がございます」

 アマルフィ議員は答えようとしない。どことも知れぬ方角を見ては、2人の男がその視線の先を確認する。白いドレスで着飾った桃色の髪の少女が、離れたテーブルで他の少女たちと話をしている。

「娘さんですね」
「はい。ヒメノカリス・ホテル。私の愛しい娘です」

 この戦争はあらゆることが複雑でありすぎた。複雑で割り切れないからこそ戦争なのだろうか。息子を失い、アマルフィ議員はすべてを失った。そのことに怒りを覚えないはずがない。しかし、怒りに身をゆだねようとすると、ゼフィランサスが涙を流す姿が思い浮かぶ。
 あの少女のことを、悲しませたくなどない。

「私は、あなた方のしたことを許すことはできないことでしょう。ただ、忘れることはできるかもしれません。娘さんのこと、大切になさってください」

 アマルフィ議員はグラスを持ち上げた。エルスマン議員ハンター代表もまたワインの注がれたグラスを持つ。さて、この乾杯は何のためか。結論は、まだ先送りにしてもよいだろう。

「感謝します、アマルフィ議員。もう一つ、お話しなければならないことがあります」
「はて?」
「ご子息の搭乗された機体を撃墜したのは他ならぬヒメノカリスなのです」

 思わずグラスを取り落とすアマルフィ議員。普段冷静なエルスマン議員でさえ口に含んだワインを思わず吹きこぼした。アマルフィ議員は頭を抱えるはめとなった。顔に手をあてて考えてみても、どうしてよいものかわからない。戦争は、複雑すぎてはいやしないだろうか。

「亡命の件、お願いできますか? できうる限りの高待遇で」
「かしこまりました」

 気持ちの整理は、地球でゆっくり考えることにしよう。
 給仕たちがこぼれたワインの掃除を始めている。その中でハンター代表が立ち上がると、1人の少年がテーブルに歩み寄ってくる。今夜、祝福されるべき男である。

「キラ・ヤマト。私たちはヴァーリを救いたかった。しかし、ゼフィランサスの心を救う術はありませんでした。彼女の心の透き間を埋めることはあなたでなければならないからです。ゼフィランサスのことを、お願いします」
「はい。……ところでこれは?」

 キラ少年の手には細かく折り畳まれた紙切れが握られていた。今し方、ハンター代表から手渡されたものだ。

「ゼフィランサスのドレスの設計図です。ムードを損なうことない脱がし方が細かく記載されています」

 わかりやすく体を固くするキラ。エルスマン議員はナフキンで口元を拭いながらも笑っている。

「いやはや、若いとはいいものだね」
「私に娘はいませんが、娘を送り出す父の気持ちとはこのようなものなのでしょうね。キラ君、ゼフィランサスを泣かせることだけはしないでくれたまえ」

 そして投げかけられるアマルフィ議員の言葉。

「は、はい!」

 キラ・ヤマトの緊張はこのテーブルを離れた後もしばらく続いていた。




 そして、少年と少女は会場の片隅で再会する。会場の端に位置するここは、人々の声がほどよく聞こえる場所であり、また海を臨むことのできる海岸にあった。人々の声、波の音、ここだけが世界から切り離されたかのように、2人は見つめ合う。

「キラ……」

 多くの花を抱えた少女は、夫となった少年へ。

「ゼフィランサス、ずいぶんたくさんの花をもらったんだね」

 夫となった少年は花束の向こうに、小さくて、まだどこかぎこちない妻となった少女の微笑みを見ていた。ずっと笑うことのできなかった少女が、少しずつ微笑みを取り戻そうとしている。

「うん……。みんな、祝福してくれたよ、私たちのこと……」
「よかったね」

 微笑みかける必要などなかった。ただ、ゼフィランサスの様子を見ているだけで、キラの顔は自然と微笑みを形作っていた。

「ポケットに何か入ってる……?」
「いや、何でもないよ! 本当に何でもない!」

 仲間たちから押しつけられた様々な贈り物に感づかれた時にはさすがに作り笑いをしなければならなかったが。どれもこれも見せるタイミングがデリケートなものばかりすぎる。ゼフィランサスが花を贈られたのに対して、男連中--中には少女たちもいたが--はどうして即物的なんだろう。女性の方が普段はよほど現実的であるはずなのに。
 ゼフィランサスは気にした様子ではあっても、深く追求するような態度は見せなかった。
 そばにはお誂え向きの長椅子が置かれていた。

「座ろうか?」

 まずキラが。ゼフィランサスはどうしてか座ることをためらう様子を見せた。

「そばに座ってもいい……?」
「もちろん」

 どうしてこんなことをわざわざ聞くのか、その理由はすぐにわかった。ゼフィランサスは花束を抱えたまま、キラの膝の上に抱き抱えられるような体勢で横向きに座った。
 確かに近くで、膝の上に座られることがいやな訳じゃない。それでも、思わぬ行動にキラが動けないでいるうちに、ゼフィランサスはキラの胸を枕に体をすり寄らせてきた。豊かな白い髪の間からよい香りが鼻孔に届いて、全身を撫でる柔らかな感触が心地よい。
 どいてほしいなんて気持ちはこれっぽっちも起こらない。キラはゼフィランサスの体を、陶器でも扱うようにそっと抱きしめた。

「ゼフィランサス、君は今、幸せ?」
「うん……」
「ユッカのこと、僕は本当にひどいことをしてしまったんだと思う。カズイの時もそうだよ。僕はユッカを犠牲にしてしまった。だから君のことがよりいっそう愛おしくなったんだ。誰かを犠牲にしてでも守りたい人だから」

 ユッカ・ヤンキーが殺されてゼフィランサスの手術のために心臓が使われる。それを聞いた時、キラは悩んだ。悩むとともに、ユッカを見捨ててまで助けたい人なんだと気づいた。それから、ゼフィランサスはキラのすべてになった。

「でも、それは間違いだったんだと思う。逃げてたんだと思うんだ。誰かを犠牲にしてでも君を守りたいという気持ちが、誰かを犠牲にすることを選ぶようになってしまった。君を守れなかったとしたらこれまでに犠牲にしてしまった人に申し訳ないと言い訳してね」

 もしもゼフィランサスを失ってしまったら、ユッカの死が無駄になる。だから、アルテミスでカズイ・バスカークが友人が倒れている時も犠牲にすることを選んだ。もしかしたら助けられたかもしれない。でも、キラは犠牲にすることを選んだ。

「僕は弱かったんだ。君を守りきる力もなくて、自分と向き合う覚悟も持てなかった。でも、僕は変わりたいと思ったんだ。もっと強くなりたいと思った。カズイを死なせたくなんてなかったんだ。安易な選択に陥る僕をたしなめてくれた人がいたから」

 アンドリュー・バルトフェルド、カルミア・キロ。あの2人がたしなめてくれなかったとしたら、キラは結局、力に振り回されていただけだっただろう。誰かを犠牲にすることに苛立って、苛立つから誰かを犠牲にして、周囲のことなんてまるで見えてなかった。
 でも、今は少し、見えるようになったと思う。

「ゼフィランサス、僕はもっと強くなる。君を守り抜いてみせる。だから、ずっと僕と一緒にいてくれるかい? その、死が2人を分かつまで」
「私は、死んでもキラと一緒にいたい……。叶うことならそうしたい……」

 腕の中のゼフィランサスはとても小さくて、儚くて、だからとても愛おしい。

「愛してるよ、ゼフィランサス」

 少年と少女。道具として作られ、利用された少女。その少女のため、戦うことをやめようとしなかった少年。2人は祝福してくれた多くの人の声をその背に感じながら唇を重ね合わせる。
 空には星々が瞬き、2人の愛の証人となる。




 そしてここは教会の裏側。会場からは遠い。木々が教会そのものが邪魔をして会場の様子はほとんど伺い知ることはできない。このような場所に置かれた小さなテーブル。そこで、アスラン・ザラは1人小さな宴を開いていた。
 そのたった1人の会場へ、少女が2人訪れる。桃色の髪、青い髪、そして同じ顔。

「やあ、ラクス。それにサイサリスも」
「柱の影から弟の結婚式を見守る。古風ですのね」

 アスランと同じテーブルにつくラクス・クライン。その微笑みはとても優しく、プラントの歌姫として国中を魅了した笑みはアスランの心を少なからず明るくする。

「君もだろう。俺は結婚式に参列する資格も意志もない」

 キラの兄である前に、ゼフィランサスの友人である前に、アスラン・ザラはドミナントであり、プラントの人間なのだから。

「私だって来たくなんてなかったよ」

 不機嫌そうにテーブルにつくサイサリス・パパ。やはり、いつもと同じように白衣を身につけている。そういえば、ニーレンベルギアも白衣姿だっただろうか。
 それにしても、普段おっとりとしているサイサリスが不快感を露わにすることは珍しい。

「そんな顔をする君は君の妹にそっくりだな、サイサリス」

 血のバレンタイン事件でなくなったローズマリー・ロメオのことを、サイサリスは積極的に話題にしようとはしなかった。無理に思い出させてしまったことでさらに不機嫌になってしまったらしい。サイサリスはむくれて話に乗ってくれそうにない。
 これで、ラクスと事実上2人きりになる。意味もなくテーブルの上に投げ出しておいた手に、ラクスはそっと触れてきた。

「アスラン。パトリック・ザラを撃ったのは私です」
「考えてた以上に何も感じないな」

 そうだとは思っていた。ザラ家の人間でありながら、父はロゴス、クライン家の意向に逆らいすぎていた。暗殺された。撃ったのはラクス。それでも、アスランの心は驚くほど落ち着いていた。

「昔、生殖医療が発展し始めた時、親子関係が問題になった国があったそうだ。無理もない。母親は子どもを産んだ人。父親はその夫。それでよかったのにそれではとても当てはまらない事例が突然吹き出すわけだから。たとえば、ご夫婦ともに不妊症であった場合、精子他の人から借りて代理母に出産を依頼するなんてこともあったそうだ。するとこの子の親は誰になるんだろうね? 生物学上の父親かな? それとも依頼者かな? その国じゃ夫婦の間に産まれた子どもはその夫婦の子どもとするなんて規定があったから代理母が既婚者だった場合、この人の配偶者が父親になるってことなんだろうか? 今じゃこれに遺伝子調整まで加わる。別にこの人の子どもじゃなければならないなんて理由はもうどこにもない。そもそも親子である意味なんてあるんだろうか?」

 弟が結婚式をあげた教会の裏でこんなことを聞いてどうする。意味のないことだ。だから、ラクスは答えようとしなかった。それでも答えを与えてくれる。

「アスラン、世界はさらに混迷の度合いを深めることでしょう。世界には深い爪痕が刻まれ、人々は心を癒す術を持ちません。戦争にさらされなかった時代はありません。戦争が互いの友好を深めることもまたないのです。だからお父様は決して戦争を起こすことのできない世界を希求されました」

 会場のにぎわいが遠くに聞こえる。夜の静寂が周囲を包み込んで、にぎわう人々の声、夜の帳、なんだかどちらも幻のように聞こえて、アスランはラクスの声に耳を傾けていた。

「アスラン、あと3年の時間をくださいな。そうすれば、私はお父様の遺志を継ぎ、お父様が理想とされた世界へとこの世界を導くことでしょう。至高の娘、ラクス・クラインとして」
「俺はその手伝いをする。ドミナントとしてではなくて、これまでに犠牲になった人たちの死が犬死にでなかったことの証明のために」




 戦いは終わりを迎えたわけではない。
 地球軍はジェネシスの2度の照射によって、宇宙戦力に多大な損害を被った。ザフト軍もまた、ボアズ、ヤキン・ドゥーエを失うなど戦力の再構築を余儀なくされた。そして、ジェネシスはすでにない。
 両勢力は決め手を欠くとともに戦略の大幅な建て直しを余儀なくされたのである。
 議長を失ったプラント最高評議会では穏健派であるアイリーン・カナーバを臨時議長に、同じく穏健派のアリー・カシムを副議長とする臨時政権を樹立。第三国であるスカンジナビア王国代表、王女にして事務次官であるマリア・リンデマンを仲介として休戦条約を締結することとなった。
 その条約は両軍が殲滅戦の様相を呈するほど戦争を激化させたことの反省を踏まえ、軍縮条約としての意味合いを兼ね備えるものとなった。そのため、戦争の当事国のみならず、各国政府が批准する形で過剰な戦闘を抑止することが取り決められた。
 マリア・リンデマン発案のこの条約案はリンデマン・プランと当初呼ばれていたが、後に条約の締結がユニウス・セブン跡地で行われたことからユニウス・セブン休戦条約と呼ばれることとなる。条約締結はC.E.72.4.1。エイプリルフール・クライシスから8年後のこの日が選ばれた。プラント、地球両国に配慮したこの事実は、条約の成立背景の複雑さを象徴している。
 ユニウス・セブン休戦条約では休戦に関する項目の他、7項目にわたって軍縮の規定がなされた。この中でも特に有名となるのは以下2項目である。
 プレア・ニコルの兵器への搭載禁止。核ミサイル、ジェネシスのような大量破壊兵器がおびただしい戦死者を生み出したことから取り決められた規定である。原子力発電への使用は認められながら兵器へ搭載することは禁じられた。結果、核ミサイルは使用できず、大型兵器の使用は不可能となる。
 元来、ニュートロン・ジャマーによって強制的に大量破壊兵器の使用を禁じようとしたプラントの努力は、地球との条約に引き継がれるという皮肉な状況を招いたのである。
 しかし、あくまでも兵器への直接搭載が禁じられているだけである。そのため、原子力発電によって生み出された豊富なエネルギーを使用する高性能バッテリーを使用した機体は何ら制限されることがない。このことから、条約締結以前からその実効性を疑問視する声があがっていた。
 続いてモビル・スーツの保有台数の制限。もはや世界最強の兵器として認知されているモビル・スーツの台数制限こそが戦争拡大を防止するために必要として規定された。一見するならば合理的なこの規定は、しかし後に様々な問題を引き起こすこととなる。
 保有が許可される台数は国力に比例し取り決められた。圧倒的に国力に劣るプラントは想定的に保有台数を大きく制限されたこととなったのである。ザフトの戦力を支えたモビル・スーツの保有が制限される条約案にプラント国内の不満が噴出した。この怒りは条約を締結したカナーバ政権へと向かい、1年を予定していた暫定政権は半年をもって瓦解。プラントでは新政権が樹立することとなった。
 そして保有制限は大いなる皮肉を招いた。必ずしも戦力抑制にはつながらなかったのである。500の機体を造ることができる国力がありながら250しか保有を許されないとしよう。すると、250機分の予算と資材が浮くことになる。するとどうか。1機あたりの開発費、生産費を2倍まで許容できるということになるのである。
 結果として、モビル・スーツの開発費は高騰。さらなる高性能モビル・スーツの登場を促すこととなった。両勢力は鬼才ゼフィランサス・ズールが完成させたガンダム・システムの量産化に着手。大西洋連邦を瞬く間にザフトに勝る技術力にまで押し上げた伝説の機体はいまだもってその伝説に陰りを見せる気配がない。
 ユニウス・セブン休戦条約は、あくまでも休戦のための条約なのである。
 地球はコーディネーターの危険性を強く自覚した。ジェネシスが地球全土を狙ったという事実は、地球にかつてないほどの反プラント感情を高ぶらせた。もはや傍観など許されない。天上のコーディネーターたちはためらいなく地球全土を焼き払うことが証明されてしまった。各国政府のプラントへの同情的な意見はなりを潜め、ブルー・コスモスがその影響力を自然と拡大させていった。
 これまでは反コーディネーターを掲げる一部の過激派でしかなかった思想団体の考えが、次第に共通認識として浸透していったのである。地球各国は遺伝子調整を厳しく規律し、地球上のコーディネーターへの差別が助長されるなどの弊害が社会問題とまで化した。地球を脱出するコーディネーターがかつてないほど続出したことも無関係の話ではない。地球は、すでにプラントを危険な集団としか見なさなくなっていた。
 プラントはもはや後戻りのできない道に足を踏み入れていた。地球での反プラント感情の高ぶりを受けて軍拡に国民世論は執着した。しかし足かけ5年にも及ぶ戦費負担は決して小さなものではない。そのための増税路線の不満を吸収する形でナショナリズムは高揚された。戦うための負担に対する不満。不満の受け皿となる戦い。この悪循環が、プラント国内をこれまでにないほど強硬的に、軍拡路線を邁進させていった。
 アイリーン・カナーバ政権崩壊後、新たな国のリーダーとなったギルバート・デュランダル新議長はこの路線を支持。地球へのジェネシス照射さえ必要やむを得ないことと国内の論調が固められていく中、体制強化と軍事力増強が進められていった。コーディネーターのかつての理想郷は軍国主義体制をとる軍事大国へと変貌していくこととなる。
 戦争は何も終わっていないのだ。人々の心に不信と不安、そして恐怖ある限り。
 戦争は終わっていない。
 戦争は行われる。次の戦争のために。そして、その次の戦争のために。戦いに終わりはなく、ただ始まりだけが繰り返されていく。




 C.E.71年。大西洋連邦軍はオーブ首長国へと侵攻した。
 軍事力では圧倒的である大西洋連邦軍は開戦後10日を待たず本土上陸を果たす。激戦地となったのはオノゴロ島を中心とした軍事施設であった。
 大西洋連邦軍は当時新型であったモビル・スーツを投入。オーブ軍もまた技術を盗用して作り上げた新型機を防衛にあたらせた。ビーム兵器搭載型モビル・スーツによる戦闘が初めて行われた戦場としてここは記憶されている。
 同時に、多数の民間人の被害者が出たことも、オーブの民の心には刻み込まれていた。
 オノゴロ島は軍事施設が集中する一大拠点である。しかし、軍需産業として著名なモルゲンレーテ社は政府の出資を受けているとは言えあくまでも民間企業である。社員、家族の多数がまだ島には取り残されていた。
 悲劇は、突然の避難警報によって引き起こされた。
 まず事実を並べよう。オノゴロ島に敵の上陸を許したことで、戦闘は事実上オーブの敗北が決定した。その時、突然、モルゲンレーテ本社、マスドライバーを含む主要施設からの即時避難命令が発令されたのである。その直後、司令部は大西洋連邦軍に突然の降伏を宣言し、施設は自爆した。
 避難命令は、激戦が繰り広げられているさなかに発令されたのである。
 モルゲンレーテ社社員とその家族は砲弾飛び交う中、暗い夜道の避難を余儀なくされた。降伏宣言は避難民を守るために出されたという説がある。確かなことはわからない。戦闘に巻き込まれ多数の民間人が死亡したというだけが確かな事実である。
 破壊されたモビル・スーツの下敷きとなった車。爆心地の周囲に散らばる物言わぬ人々。人の10倍もの巨人がその強力すぎる力を思う存分振るう戦場において、人は脆くも儚すぎた。
 ここには一つの物しかない。焼き尽くされた屍。焼き尽くされた道。焼き尽くされた森。焼き尽くされた何か。原型を残すものも留めぬものも、そろって焼き尽くされたものしかない。漂う空気にさえ焦げ臭さがこびりついてとれない。
 そんな惨状の中から、1人の少年が体を起こした。
 全身に火傷を負っているのだろう。その動きはぎこちなく、周囲にくすぶる炎だけでは少年の姿をはっきりと目にすることは難しい。頬を伝った涙が、まだ熱を持つ灰に落ちては焼けた音を出している。
 上空には夜空が広がり、太陽が輝いていた。
 黄金の輝きが人の姿をしている。恐ろしいくらいの力を持っていて、人の命なんて簡単に吹き飛ばす。その大きささえ人よりも遙かに大きい。まさに悪魔のような存在だった。
 そんな存在を、少年は痛む体にむち打って見上げていた。遙かな上空。黄金のモビル・スーツは少年に気づいた様子さえなく、その黄金の体を輝かせながら飛び去っていく。流れる涙。まともな声さえ出せない痛む喉から、それでも必死に叫ぶ少年をかまうことはない。怒りをたたえた瞳を一瞥さえすることなく、悪魔は去った。
 少年の周囲に、おびただしい死をまき散らしたまま。
 この日、少年はすべてを失った。




 そして、C.E.75年。
 少年は、兵士となっていた。かつて戦争にすべてを奪われた少年は、戦争の当事者として奪う側へと変わっていた。
 戦いに終わりはなく、ただ始まりだけが繰り返される。
 戦争は終わることなく、前の戦争を理由に争い、今争ったことを理由に次の戦争が起こる。次の戦争のために、その次の戦争のために、そして次の戦争のために、人は戦争を続けるのである。
 少年もまた、その渦中に身を投じようとしていた。特別でも何でもない少年は戦い続ける。誰かのためにではなく、何かのためにでもなく、ただ、この時代に生まれた悲劇の一つとして。
 それはやがて、人の種とその宿命を問う運命の戦いへと、人類を誘うことを、少年も、そして人もまだ知らない。



[32266] ガンダムSEED BlumenGarten Destiny編
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/09/08 22:05
 1年の間をおいて、連載を再開することにしました。この作品はガンダムを題材にした作品ですが、実質的にはガンダムSEEDの二次創作ではありません。その理由を、今からお話します。
 まず、この作品はもともとあるサイトで連載していた作品を手直ししたものです。当時の私はまだ長編を執筆したことがなく、そのための練習が必要でした。そのため、二次創作で土台を借りる形で長編を書くことにしました。そのとき、SFを書いてみたかったこと、ガンダムが好きだったことからガンダムの二次創作を書くことにしました。
 では、なぜ宇宙世紀ではなかったのか。私がガンダムに関して魅力を感じるのはストーリーもさることながらその根底に流れる思想性、設定に感じ取れる律儀さです。すなわち、私が描きたかったガンダムとは、作品として固有化されたものではなく、一定の条件を満たすからこそガンダムであるという、富野監督へのオマージュとしてのものでした。
 また、私自身、生命倫理をかじったこともあり遺伝子操作の意味とその危険性、それが最悪の場合どのような社会をもたらすかをシミュレートしてみたかったこともありました。
 ①練習としての長編、②ガンダムへの関心、③富野監督への敬意、④生命倫理への挑戦、これらの理由から、ガンダムの登場する生命倫理を題材とする二次創作の執筆を決めました。
 そのため、この作品は「ガンダムを題材にしたオリジナル要素の強い二次創作に、ガンダムSEEDの固有名詞を張り付けた作品」とするのが正解でしょう。
 形式的にはSEEDの二次創作でありながら、実質的にはガンダムの二次創作です。
 形の上ではSEEDの二次創作ですので、お話の流れや登場人物たちのキャラクターは敢えて似せていますが、基本的に別物と考えてお読みください。

 たとえば、以下のような設定に変更が加わっています。
プラント
 原作:宇宙進出のための工場地帯
 本作:コーディネーターのために建国された国

ザフト軍
 原作:前身は政治結社
 本作:自警団から発展したもの

ジョージ・グレン
 原作:ナチュラルの若者に射殺された
 本作:血のバレンタイン事件において暗殺された

血のバレンタイン事件
 原作:C.E.70.2.14
 本作:C.E.61.2.14

フェイズシフト・アーマー
 原作:物質を変質させ強度を飛躍的に上昇させる
 本作:ミノフスキー物理学にもとづく対衝撃被膜

ガンダム
 原作:ただの呼称で、ガンダムという名前は正式には存在しない
 本作:ガンダムはその姿とともに最強の機体群として認知されている

キラ・ヤマトとラクス・クライン
 原作:恋人の関係
 本作:そもそも接触さえない

スーパー・コーディネーター
 原作:キラ・ヤマトのみを成功作とする優れたコーディネーター
 本作:ドミナントと呼ばれる、10人の成功作が存在

ブルー・コスモス
 原作:コーディネーター排斥を訴える狂信者
 本作:遺伝子操作廃止を訴える世界的思想団体

 このように政治、歴史、物理学、キャラクターの生い立ちから人間関係、モビル・スーツ開発史にまで手をつけています。そのため原作と類似のエピソードでもまったく意味合いが異なっていることも少なくなく、Detiny編から読んでみようと思われる方は、原作をご存じであればそれは忘れてお読みになられた方がよいでしょう。この二次創作を読むのに、原作の知識はかえって邪魔です。
 すでに第1話から設定変更のオンパレードです。アーモリー・ワンなんてでてきません。シン・アスカはザフト軍機体のエースではありません。ZGMF-X56Sインパルスガンダムなんて量産機です。
 そんな作品です。

 では、そもそもガンダムSEEDに興味のない人は読まない、興味のある人は変更されすぎていて二次創作として読む意味がないようなこの作品をどのように読むのかについて。
 原作を知らないという方は、反対の考え方をしましょう。原作の知識が役に立たないことが前提なので、原作を知らないと読めないようないい加減な書き方はしていません。Destiny編から読み始めてもわかるよう書いているつもりです。そういう観点でみれば、門戸は決して狭くありません。
 原作を知っているという方は、原作が結局格好いいロボットが活躍するだけで終わってしまったとご不満であればおすすめです。原作ではおざなりにされてしまった遺伝子を操作するということがどんなことか、デスティニー・プランがもたらす負の可能性とは何かを徹底してシミュレートした結果の作品です。正解ではなく、あくまでも回答の1つにすぎませんが、この点にまじめに取り組んだということについては、原作を遙かに超えることができたと自負しています。
 よって、原作を知らない人は普通にお楽しみいただけます。知っている人も、SEEDをより深い切り口で楽しむこともできると思います。

 最後の注意点です。これは古い作品ですので、作者当時の趣味としてローゼンメイデンとのクロスオーバーがDestiny編から始まります。あくまでもキャラクターに出張してもらっているだけで、設定もやはりいじくっています。こちらも原作なんて気にせず読んでいただければ幸いです。

 では、戦争を背景として、人とは何か、命とは何かを問い続ける花園に咲き乱れる花々の物語を、ここに再び始めたいと思います。



[32266] 第1話「静かな戦争」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/09/08 22:01
 世界のために戦いたいだとか、もう自分のような人を増やさないためだとか、そんな理想を抱いていたわけじゃない。
 それでも兵隊になったのは、それしか生きていく方法がなかったから。それだけだ。
 そうして俺は、俺から母さんを奪った奴らと同じ、軍人になった。




 暗い。宇宙の暗さをそのまま反映する形ですべてが闇に包まれていた。計器の発するわずかな光だけがまるで星のように小さく瞬いている。
 操縦桿を握りしめる手。フット・レバーを踏みつける足の感触だけが、彼にここがコクピットの中なのだと教えてくれる。
 彼はつけているヘルメットの内部電灯のスイッチを入れた。意味なんてない。明るい光がヘルメット内に灯され、しかしそれは外の暗さを強調するでしかなかった。フェイス・ガードに光が反射し、鏡のように作用した。
 フェイス・ガードに写されたのは少年の顔。向かって左側、左の頬に大きな痣を持ち、どこか目つきが悪い。それは目鼻立ちの特徴というよりも、いつも不機嫌そうに目を細めていることに原因がある。
 ライトが消える。そのタイミングで通信が入った。若い女性の声だ。

「シン・アスカ軍曹、発進準備、お願いします」

 聞き慣れたオペレーターの声に、彼は任務開始が近いこと、自分が軍人であることを思い出す。シン・アスカという名は、宇宙の国、プラントの国軍兵士の名だ。
 操縦桿を握る手にこもる力。
 視界の四隅から光が一直線に放たれる。それは四角く空間を切り取って、ここがカタパルトの上であることを照らし出す。光が導く先には宇宙の闇が広がる。暗闇のカタパルトの上では、20mほどの鋼鉄の巨人が姿を見せぬまま腰を屈める。
 そのコクピットの中で、シンは叫んだ。

「シン・アスカ、インパルス2、行きます!」

 始まる加速。突き進む機体。シンの体は、混迷極める戦いの空へと投げ出された。




 この戦争に名はない。まだ終わりを迎えていないからだ。歴史上の出来事と片づけてしまうには、世界は準備も気構えもできていなかった。
 コーディネーターと呼ばれる、遺伝子を調整された人々。生まれながらにして麗しい容姿と優れた能力を約束された、そんな人々が建国した国プラント。地球上に国土を持たず、どんなしがらみにも毒されていない楽土と期待されていた。
 しかし、楽園はその誕生の当初から歪みを抱えていた。
 大西洋連邦をはじめとする地球各国はプラントの完全独立を認めようとはしなかった。反コーディネーター運動の活発化もあいまって、地球とプラントの間に幾度となく緊張が走った。
 不安が現実となることは時間の問題でしかなかった。
 C.E.61.2.14。コーディネーター排斥を謳う過激思想組織ブルー・コスモスによって、プラント、ユニウス市第7コロニー、ユニウス・セブンが攻撃を受けた。後に「血のバレンタイン」と呼ばれるこの事件は20万を超える死者を出し、両者の決裂を決定的なものとした。
 その3年後、C.E.64年、プラントは無差別報復を開始する。ニュートロン・ジャマーと呼ばれる中性子ビーム抑制装置を地球全土に警告なしに投下したのである。原子力発電を封じられた地球ではエネルギーが枯渇し、少なくとも10億がその命を落とした。
 C.E.67年。戦争が始まったのは、至極当然の成り行きであった。
 当初、10倍を超える国力差から大西洋連邦軍の圧勝が予期されていた。しかしプラントは「血のバレンタイン」を機に国軍ザフトを結成。ザフト軍はモビル・スーツと呼ばれる人型兵器を導入、その優れた技術力で戦争を圧倒的優位に進める。
 その後3年にわたってザフト軍優位に進むも、国力の差は如何ともしがたいものであった。快進撃を続けたザフト軍はそれだけ補給線が伸びきり、これ以上の侵攻が不可能となった。対して、大西洋連邦軍は反撃の糸口を見いだせずにいた。
 完全な膠着状態である。
 それを変えたのは1人の技術者の登場であった。
 ゼフィランサス・ズール。大西洋連邦に本社を置く軍需産業最大手ラタトスク社の技術者であり、ブルー・コスモス幹部とも関係の深い才女である。ゼフィランサスが開発した新型のモビル・スーツは優れた性能を発揮し、その技術を転用する形で両軍の兵器は高性能化、高火力化が突き進められていくことになった。
 その技術を大西洋連邦軍、ザフト軍の双方が奪い合った。
 ゼフィランサス・ズールの技術をもとに大西洋連邦軍もまたモビル・スーツの量産化に成功。ザフト軍はビームという破壊力に優れた兵器を手中に収めた。
 パワー・バランスはたやすく瓦解。戦線が一月に30万km移動するほど戦況が混沌としていく中、さらなる力が解き放たれた。
 混乱のさなか、プラントへ亡命したゼフィランサスは、プラント最高評議会議員であり技術者としても知られるユーリ・アマルフィ議員の協力のもと、ニュートロン・ジャマーを無効化する装置、プレア・ニコルの開発に成功。ザフト軍に核の力をもたらすとともに、そのデータを手みやげに大西洋連邦へと舞い戻る。
 両軍は時を同じくしてプロメテウスの火を取り戻した。
 大西洋連邦軍は核ミサイルの雨を降らせ、月面グラナダを3万年の荒野へと変えた。ザフト軍は大量破壊兵器ジェネシスを使用し、地球全土を焼き払う寸前にまで至った。
 戦いは人類を滅ぼす手前まで激化したのである。
 だが幸いにして、人類は戦いの結末を書き記すことができた。
 戦いは壮絶な痛み分け。地球軍は再編を余儀なくされるほどの損害を被った。ザフトはジェネシスを破壊され、指導者の多くを失った。双方が継戦能力を失う中、なし崩しに休戦へと至ったのである。
 C.E.72.2.14。すべての始まりであるユニウス・セブン、その残骸の上で両国は休戦条約を締結した。戦闘があまりに加熱しすぎたことの反省として、主力兵器であるモビル・スーツ保有台数の制限などを盛り込んだこの条約は、第3国であるスカンジナビア王国の仲介によってとりまとめられた。
 ユニウス・セブン休戦条約である。
 戦争がこれ以上不要な犠牲を出さぬよう、戦いがこれ以上続かぬよう淡い期待をかけられたこの条約は、しかし平和を約束するものではなかった。
 続く戦争。最前線ではいまだに小規模な戦闘が散発し、休戦の名を借りた兵器開発競争は激化の一途をたどる。戦争の根本的な原因である遺伝子操作に関する両者の隔たりはまったく解消されていない。
 戦いは決して終わりを迎えてなどいない。
 休戦条約から3年を経たC.E.75年現在、「血のバレンタイン」から14年を経た現在においても、人々は遺伝子を操作された者とされていない者とに分かれて戦いを続けていた。
 ゼフィランサス・ズールが生み出した機体群、その名はガンダム。この戦場にさらなる破壊と戦火の種を撒いた機体の名はガンダム。
 ガンダムもまた、戦いを彩る主役の座から退いてなどいなかった。




 新造コロニー、アポロン。
 大戦勃発以後、宇宙ではコロニーの大規模建造は行われてはこなかった。プラントには領土を拡張するほどの余力はなく、地球各国はいたずらにプラントを刺激せぬよう建造を控えたためである。
 しかし、まったく行われていないわけではない。
 プラント船籍の貨物船の航路とは関わらない僻地に小規模コロニーの建造は細々と続けられていた。
 ここアポロンはユーラシア連邦の所轄する建造途中のコロニーである。典型的なシリンダー型コロニーであり、その姿は宇宙に浮かぶ筒。内部は完全な空洞。内壁にはいまだ数えるほどの建造物しか設置されていない。両端はまだ塞がれておらず宇宙と直に接している。
 単なる非軍事コロニー。事実上の戦争状態であろうと戦闘とは無縁。作業用小型ポッド、ミストレルが作業している様子が見られる。横倒しにした卵に手足を取り付けたようなミストラルは単なる作業用。ここアポロンが単なる民間利用のコロニーであることを印象づけている。
 コロニーの中空に、ダーレス級MS運用母艦が停泊していることさえ除けば。
 ダーレス級には、3年前の大戦でガンダムの運用母艦として活躍したアーク・エンジェル級の設計思想が随所に見られる。ハッチを備えるブロックを2つ並べて前に突き出している。それを後ろから抱えるように戦艦が取り付けられたような姿だった。
 複数のモビル・スーツの同時発進を可能とする構造は、この艦がモビル・スーツ空母であることを示している。単なる民間コロニーに存在するには、いささか不似合いな艦影である。
 そしてその周囲には周囲にはGAT-01デュエルダガーの姿が散見される。簡素化された灰色の装甲。ブロック状の装甲で形作られるその姿はどこかおもちゃの模型のようでもあった。しかし、これは兵器である。右手のライフル、左手のシールド。
 巨人たちは、それぞれが分散してコロニーの警護にあたっている。
 臨戦態勢ではなく警戒態勢。あるデュエルダガーはシールドを持つ手を振り、遠くの仲間に合図を送っているような仕草を見せていた。マニュアルにはない。単なる遊びである。
 休戦条約以後も小規模な戦闘は継続しているとは言え、このような僻地までプラントが攻撃を仕掛けてくるとは考えていないのだ。
 完成したコロニーのように土が盛られている訳でもない。打ちっ放しの鉄板の上を、20mにも及ぶ巨人が歩く。無重力であっても歩くのは推進剤の節約のためである。
 内壁を歩いてコロニーの縁を目指していた。
 まだ蓋は閉められていない。コロニーの巨大な円に縁取られた空間には宇宙の星々が輝いている。その輝きの中に星とは異質な輝きが含まれていることに、デュエルダガーのパイロットは気づけないでいた。
 70tにも及ぶモビル・スーツの足が内壁を踏みつけた時、静寂は音を立てずに崩壊した。
 赤熱する金属板。形を失って膨れ上がった光が爆発へと姿を変える。デュエルダガーを瞬く間に呑み込んだ。
 音を伝えぬ宇宙は静寂を保ったまま、しかしモビル・スーツの間ではけたたましい警報音が鳴り響いていた。
 爆発に巻き込まれたデュエルダガーは煙の中に姿を隠し、通信にも応じる気配がない。重力がないため好き勝手な方向に四散していく煙を眺めながら、デュエルダガーたちが爆発箇所を空から包囲する。
 何が起きているのか。
 この時点で、デュエルダガーの行動はすでに後手に回っていた。
 煙の中から一筋の光が伸びた。軍人なら誰しも目にするビームの輝きが致命的な威力をもってデュエルダガーを目指す。とっさに構えられたシールドを、ビームは貫通する。通り抜けたビームが胸部をかすめたことで、内蔵ジェネレーターに熱が飛び込む。デュエルダガーは派手な爆発を引き起こした。
 敵が煙の中に潜んでいる。デュエルダガーたちは一斉にビームを放つ。従来の兵器の3倍の破壊力と言われるビームは煙に突き立てられるなり次々と爆発を引き起こす。発生した爆煙はさらに大きく視界を覆ってしまった。
 これでは敵の姿を確認することさえできない。
 やむ攻撃の手。爆煙もまた収まる気配がない。何事も起こらない。ただ煙がはびこっているだけだ。そう、デュエルダガーたちが気を抜いた隙を待っていたかのように、事態は急変する。
 煙が盛り上がる。その灰色の塊は一直線にデュエルダガーを目指した。加速するそれは煙がはぎ落とし、姿を現す。モビル・スーツである。全体としては白を基調としながら鮮やかな青を配色。その色はパイロットたちを驚愕させた。
 実体の刀身にビームの刃を持つ巨剣が突進の勢いのまま振るわれる。デュエルダガーをシールドごと両断すると派手な爆発が巻き起こる。再び敵の姿が爆煙の中に隠れて消える。
 しかし、すぐさま煙を突き抜けた敵は、二刀流に構えた2本の対艦刀を手に次のデュエルダガーへと襲いかかる。
 デュエルダガーのパイロットは恐怖のあまり顔を庇うように手を操縦桿から離した。スクリーンに目一杯に映し出される顔のあるモビル・スーツの姿に、パイロットは叫ぶしかなかった。

「ガ、ガンダム……!?」




 ガンダムとは、元はゼフィランサス・ズールによって大西洋連邦軍の新型機として開発された機体であった。しかし現在においてはあらゆる国軍に採用されている。それは大西洋連邦と敵対するプラント、その国軍であるザフトでも例外ではない。
 ZGMFー56Sインパルスガンダム。
 ザフト軍が開発に成功した量産型のガンダムの名である。この機体もガンダムである以上、ガンダムと定義される三大定義のすべてを備えていた。
 ビーム兵器を備えること。
 ミノフスキー物理学を応用して作られたビーム兵器は極めて高い攻撃力を誇る。現在の材料工学でビームに耐えられる物質は存在しない。
 フェイズシフト・アーマーに守られていること。
 装甲表面に構築されたミノフスキー粒子の膜、Iフィールド。それは攻撃のエネルギーを効率的に拡散吸収、余剰エネルギーを熱と光として放出することで装甲を守る。この装甲はビーム兵器でなければ破壊できない。
 そして、アリスの加護に包まれていること。
 アリスと呼ばれる補助システムが搭載されている。学習能力と自律性を与えられた高性能なパイロット補助装置である。
 この三大機構を持つ機体がガンダムを名乗り、すでに創始者であるゼフィランサス・ズールの手を離れた今でもその名前と、そして姿は維持されている。優れた技術者への敬意、あるいは皮肉として。
 インパルスも例外ではない。ガンダムと呼ばれ、額にはV字のブレード・アンテナ、目は2つ、口を思わせる突起物のある、ずいぶんと人の顔に似せた作りをしている。装甲は複雑な造形が取り入れられ、どこか芸術品のようでさえある。トリコロール・カラーで染められたその姿は兵器とするには美しく、かつ力強かった。
 ゼフィランサス・ズールによって完成したガンダムというシステムは、従来のすべての兵器、技術、戦術を旧式のカテゴリーに押しやった。戦場においてガンダムは圧倒的な力をふるうエースの機体であった。




 シンはコクピット・シート両脇の操縦桿を握りしめていた。インパルスのコクピットの中、正面のモニターにはシールドで身を守ろうとするデュエルダガーの姿が大きく映し出されている。

「そんな旧式なんかでー!」

 2本まとめて振り下ろされる対艦刀。ビームの輝きはシールドをたやすく引き裂いてデュエルダガーを破壊する。ビームに破壊できない物質は存在しないのだ。
 デュエルダガーの両肩に食い込むビームの刃。胸部ジェネレーターが突如火を噴き大爆発を引き起こす。至近距離で、シンのインパルスガンダムは爆発を浴びた。
 やがて煙が晴れる。そこには無傷のインパルスが装甲を輝かせているだけだった。フェイズシフト・アーマー。装甲表面のミノフスキー粒子がエネルギーを吸収し、余剰分を光として周囲に放出する。
 シンの搭乗するインパルスを狙い、ほかのデュエルダガーたちがライフルの銃口を向ける。しかし、撃ち抜かれたのはデュエルダガーの方だった。
 コロニーの中空に浮遊するデュエルダガーがどこからともなく狙撃された。弾道からして、破壊された壁にまとわりつく煙の中から。慌てて煙へと反撃するデュエルダガーたち。だが、苦し紛れのビーム攻撃は命中する気配を見せない。
 敵は煙の中。サーモグラフィーでは曖昧な輪郭が得られるだけ。それでも、敵は煙の中から正確にデュエルダガーに直撃させる。
 アリスの力だった。パイロット補助装置であるアリスはガンダム同士を連携させる機能を持つ。煙の外にいるシンのインパルスが捉えた映像は、煙の中の味方機に正確に伝えられているのである。
 コクピットのモニターごしに、シンは仲間と話していた。シンと同じ赤いノーマル・スーツ。フェイズ・ガードの奥に赤いショート・ヘアの少女が見える。

「ルナ、援護が遅いぞ!」
「勝手に飛び出して行ったのはシンの方でしょ!」

 煙が徐々に薄くなる。すると、脇の下に大型のビーム砲を左右それぞれ構えたインパルスが姿を現す。インパルスは量産機だ。背中のバック・パックを交換することで性能を大きく変更することができる。シルエットと呼ばれる換装システムだ。
 シンのインパルスはソード・シルエット、対艦刀の台座を背負っている。ルナ--フルネームはルナマリア・ホーク--はブラスト・シルエットである。
 接近戦に優れたシンが敵をかき乱し、ルナマリアが後ろから狙撃する。
 シンのソード・インパルスが敵機へと突進すると、気をとられたデュエルダガーがルナマリアに撃ち抜かれる。狙撃を警戒した機体は、対艦刀が餌食にする。
 デュエルダガーは設計自体がすでに4年前。激しい開発競争にさらされるこの時代において致命的な設計の古さなのである。インパルスのレーダーからデュエルダガーの光点が消滅するまでに、さして時間はかからなかった。
 全滅させた。暗いコロニーの空に2機のインパルスだけが残された。それでも、シンの顔は優れない。普段から細めていることが多いその目を、さらに険しくしていた。

「こんな民間コロニーをモビル・スーツが警備してるなんて、やっぱり変だ」
「隊長の読みがあたってたってことね。でも、まずくない? あたしたち囮なのに、増援が来る気配ないじゃない」
「作戦が見破られたなら、隊長が危ない……! ルナ、俺が先行する。ついてこい!」
「ちょっと……!」




 ダーレス級MS運用母艦ガーティ・ルーのブリッジではコロニー内部で発生した戦闘の様子がモニターに映し出されていた。決して広くはないブリッジは、1段高くなった場所に艦長席、及びオブザーバーのための席が用意されている。
 大西洋連邦軍の白い軍服に身を包み、軍帽を深々とかぶった男。それがこの艦の艦長である。如何にも堅物を思わせてその表情は堅く、張りつめた雰囲気を演出していた。
 名はイアン・リー。その胸には少佐であることを示す階級章がある。しかし、彼の立場をより強く印象づけるのは、左腕に巻かれた青いスカーフだろう。これは、反コーディネーター思想団体、ブルー・コスモスのメンバーである証である。

「戦況を報告せよ」
「ストライクもどきです。数は2です!」

 クルーの報告通り、ブリッジのモニターには2機のガンダムが写されていた。コロニーは完全な筒で障害物はない。コロニーの端から端を眺めるように、シンとルナマリアの姿は光学レンズで直接見ることができた。
 しかし、イアン艦長は動かない。デュエルダガー全滅の報告にも、ならば増援は必要はないと冷たい計算を働かせていた。
 地球の兵士たちからストライクもどきと呼称されるインパルスガンダムが2機。ストライクとは初期のガンダム・タイプの傑作機のことである。同じく換装機構を備えていた。インパルスガンダムは所詮ストライクの猿真似と、紛い物と呼ぶことが地球軍では好まれた。
 イアンは目を細める。それは奇襲を仕掛けられたことへの苛立ちではない。単純な疑念である。
 いくらガンダム・タイプとは言え、わずか2機。奇襲に成功したということは、警戒の網目を通り抜けられる規模の小さい部隊であるということを意味する。それが正面切って戦いを仕掛けてくるとは考えにくい。それが、イアンの出した結論であった。

「陽動ということか。索敵を密に、迂闊な行動はするな。……そして、ヒメノカリス女史を呼べ」

 指示を出している最中、艦長席後方の扉が開いた。スライド式の扉特有の音とともに、イアンの鼻にはすぐに花の香りが届いた。すぐ隣のオブザーバー席の背もたれに手をついて体を浮かせる少女の姿があった。
 無重力に漂う髪は波立つ桃色、豪奢に飾り付けられたスカートに隠される足にまで届くほどの長さである。歳は19を数え、少女から女性へと開花を始めた流麗な鼻梁は、しかしいまだに少女という言葉がよく似合う。全身をフリルとリボンで装飾された純白のドレスで飾りたてられた人形のような少女であった。
 着飾ったドレスほどには鮮やかでない表情を、少女はイアンへと向けた。

「リー艦長、戦況は?」

 戦闘に巻き込まれたご令嬢ではない。少女、ヒメノカリス・ホテルはオブザーバーの席へと慣れた様子で座る。備え付けのモニターを立ち上げると、その表情に乏しい顔は戦いに臨む指揮官を思わせた。
 イアンは軍艦に不釣り合いな少女にも顔色一つ変えることない。

「ストライクもどきが少なくとも2。こちらは旧式のデュエルダガーしかありません。ご足労願えますかな?」

 ヒメノカリスはおもむろにオブザーバー席に備え付けられたモニターを切り替える。ガーティ・ルーのこの艦の格納庫へと通信を繋いだのだ。




 フェイズシフト・アーマー。ミノフスキー粒子と呼ばれる微細な帯電粒子を装甲に塗布し、衝撃の緩和、拡散吸収を行わせることで強固な防御力を獲得した装甲の総称である。ゼフィランサス・ズールによって確立されたこの技術は、同じ技師の手によってさらなる発展を見た。
 ミノフスキー粒子の膜、Iフィールドが帯電する性質に着目し、フェイズシフト・アーマーに用いられているIフィールドとは反対の電位を有するIフィールドを噴射。その2層の静電気的な反発力を利用することで装甲そのものを推進器とすることに成功したのである。
 ミノフスキー・クラフトと呼ばれる推進器はその特徴として、優れた機動性とともに消費電力の大きさが挙げられる。全身に装備できるほど出力に余裕のある機体は限られている。そのため、機体の多くは一部の装甲にのみ採用するなどして妥協点を探る試みがなされている。
 ザフト軍最新鋭機であるインパルスガンダムでも例外ではない。シルエットと呼ばれるバックパックにのみミノフスキー・クラフトを搭載することで稼働時間の確保と機動力の向上を両立させていた。
 アポロンの空に、1機のモビル・スーツが飛行していた。背中にはフォース・シルエット。大型の赤いウイングを備える高機動型のフォース・シルエットである。赤いウイングは淡い光を放ち、光が強さを増すごとにインパルスが加速する。
 ミノフスキー・クラフトでは、推進力にならなかった余剰運動エネルギーは光として放出される。
 コクピットの中には中年の男性。シンとルナマリアの直属の上司であるマッド・エイブスが座っていた。その目は、未完成のコロニーに不釣り合いな軍艦の姿を捉えていた。
 イアンが艦長をつとめる、ガーティ・ルーである。ガーティ・ルーは対空放火を繰り出す。曳光弾の輝きが暗い空に瞬いて、その間をフォース・インパルスは飛び続ける。
 マッドはノーマル・スーツの中で、無骨な顔つきに違わぬ野太い声を上げた。

「民間コロニーにダーレス級とはな。やはり、ここは疑わしい!」

 曳光弾の中をかいくぐる。時には真横へと機動する。スラスター推進ではあり得ない動きを披露する。この時代、軍艦がモビル・スーツを撃墜することは難しい。
 汎用ビーム・ライフルを、マッド機はガーティ・ルーへと向けた。放たれたビームは一直線に戦艦のバルカン砲に命中し、土台ごと派手な爆発で呑み込んだ。
 それでも対空放火の勢いにかげりは見られない。黙らせるにはブリッジを一刻も早く破壊する必要があった。
 そんなマッドの決意をくじくように警報が鳴った。アリスが戦況の変化を察し、そのことをマッドに伝えてきたのだ。アリスが独自にピック・アップした映像がモニターに拡大される。ダーレス級の先端に取り付けられたカタパルト・ハッチがすでに開かれていた。
 すでに敵のモビル・スーツは出撃している。アリスが後方からの攻撃を告げるため、けたたましい警告音をコクピットに響かせていた。
 インパルスを飛びのかせ、マッドは宙返りでもする要領で後ろを向くとともにライフルを放つ。

「新手か!?」

 コロニーの丸い内壁に沿うように加速する何か。マッドのライフルが敵の姿を追うも、ビームは一足遅れの爆発を繰り返す。高速で動く何かがマッドとインパルスを翻弄していた。

「数は2、いや、3か……」

 簡易レーダーにマッド機に接近してくる敵機が映し出される。高機動の敵とは別の機体だ。
 それは奇妙な機体であった。薄い緑。人型の体に、頭をすっぽりと覆い隠す追加装甲が被せられている。装甲の左右から多節アームが伸び、シールドと連結している。その姿は、どこか甲殻類の被り物をしているかのようであった。
 ザフトの教本でフォービドゥンと呼称される機体だ。マッドは不用心にも接近してくる機体めがけてビームを放つ。
 現存する装甲すべてを破壊可能であるビームは、それでも敵のシールドにたやすく防がれた。破壊できなかったのではない。ビームの軌道がシールドの手前でねじ曲げられ、敵の脇を通り抜けてしまったのだ。
 驚く暇もなく反撃があった。甲殻類の装甲の両脇に装備されていた開放式の銃身がインパルスを捉える。レールガン。その武装の正体に気づいた時には、2発の弾丸はマッドの体に強い衝撃を与えた。
 ライフルは撃ち抜かれた。直撃を受けた左肩はフェイズシフト・アーマーの強烈な輝きを放ちながらも損傷はない。

「馬鹿な……、インパルスがこうもたやすく……」

 アリスが無遠慮に新たな敵の襲来を告げる。上。今度は猛禽を思わせる姿をした褐色のモビル・アーマーがマッドめがけて急降下していた。高い機動力を見せていた機体だ。鷲の爪を思わせる鋭利な鋼鉄製の爪が光り、その爪の間に銃口が開いている。
 降り注いだ弾丸の雨がインパルスを燦然と輝かせ、フェイズシフト・アーマーに包まれていない手首を直撃する。シールドが、掴む手ごとインパルスの手を離れた。
 モビル・アーマーはマッドの脇を過ぎ去る。
 装甲は無事でも衝撃までは無効にならない。武装を失い、崩れた重心に機体が流されながら立て直そうとするマッド。しかし、敵がそんな隙を見逃すはずがなかった。
 目の前に、最後の機体が堂々と姿をさらしていた。
 右手にはバズーカ。左手には2連装の銃身を備えるシールド。バックパックから伸びる長大な火砲は左右の肩越しに一対。一見しただけでも5門の重火器を備える破壊力の怪物のような出で立ちである。そして、ガンダムであった。特徴的なV字のアンテナに擬人化の施された顔。
 プラント本国においてきた妻と娘。マッド・エイブスは2人の姿を思い浮かべ、その体は輝きの中にかき消えた。




 シンがミノフスキー・クラフトの輝きとともに到着した頃には、すべてが遅かった。

「エイブス隊長! そんな……!」

 マッド・エイブスの搭乗するインパルス1号機は上半身を撃ち抜かれ、下半身だけが綺麗に残されていた。コクピットは腹部。生存は絶望的と言えた。
 隊長機を撃墜した敵の姿はすでにここにはない。ただ、1機を除いて。
 隊長機の残骸を写していたモニターに蟹の化け物が割り込んだ。緑色の装甲を輝かせて直進してくる。

「こいつもミノフスキー・クラフトを装備してるのかよ!」

 兵器の開発費が高騰した休戦条約以後に開発された新型ということになる。
 シンもまた、ソード・シルエットを輝かせて直進する。こちらから敢えて間合いを詰めることで相手の攻撃のタイミングを奪う。シンが得意とする戦法である。
 互いと速度と勢いを利用する形で、左右の手に握られた対艦刀を並べて叩きつける。
 シールドごと斬り裂いてしまうつもりであった。だが、シールドを破壊することさえできずに防がれてしまった。シールドの表面でビームが弾かれている。これではビームがシールドに届かず、単に金属の棒を叩きつけたにすぎない。
 相手を押し退けるように弾みをつけて、シンは急いでインパルスを飛び上がらせた。攻撃が通用しないなら他の手を考える。
 しかし、敵はシンよりも速かった。
 敵が甲殻類の被り物を脱ぐと背中へとスライドさせる。明らかになった顔は、インパルスとよく似ていた。

「地球軍のガンダム……!?」

 敵対勢力に同名、同質の機体が存在する事実。ありふれた事実は、それでもシンの意識を奪う。
 シンの虚を突いた急速な接近。敵のガンダムは自由になった両手で、長柄の鎌を振るった。ビームではない単なる実体剣が、火花を散らしながらインパルスの足に食い込むと、フェイズシフト・アーマーなど構うことなく斬り裂いた。
 片足を失いバランスを崩したこと、すでに飛び上がる勢いをつけていたことが災いし、インパルスの体はシンの操縦も受け付けず不規則な軌道を描いた。
 シンは反応できず、ただ声をあげるしかない。
 建造途中の建物のむき出しの骨組み。鉄筋の森に墜落したことでようやくインパルスは動きを止めた。
 右足はすねから先が切断されている。背中のソード・シルエットが鉄筋に絡めとられてしまった。落下の衝撃に軽い脳しんとうでも起こしたのだろうか、シンの視界は震えていた。
 それでもシンの目はしっかりと開いていた。死神のように鎌をもって迫りくる敵の姿と、そして下半身だけが残された隊長機の姿を目敏く捉えていた。

「隊長……」




 地球軍のガンダムは3機。シン・アスカと戦う1機。残りは2機。
 コロニーの隅で派手な爆発が繰り返されていた。
 ブラスト・シルエットを装備したルナマリアのインパルスがビーム砲を発射する度、コロニーの内壁が爆発を引き起こす。
 対峙するガンダムは全身、重火器の塊。バズーカ、ビーム・ライフル、ビーム砲。多様な銃器が負けじと火の花を咲かせる。
 フェイズズシフト・アーマーも絶対ではない。大口径の火器の衝撃には内部損傷を引き起こし、エネルギー効率にすぐれるビーム兵器には貫かれてしまう。
 壮絶な撃ち合いの中、一瞬でも気を抜けば大火力がルナマリアのインパルスを飲み込んでしまう。
 そんな緊張の中、ルナマリアは思わず声を大きくした。

「こんなところにガンダム・タイプがいるなんて、聞いてないわよ!」

 火力に特化した2機のガンダムの戦いは互いの破壊力を比べ合うかのように炎と破壊をまき散らす。




 それはコロニーのすぐ外にあった。
 ザフト軍ローラシア級モビル・スーツ搭載艦バーナードがデブリに紛れて停泊していた。宇宙戦艦らしい航空力学を無視した独特の形状の軍艦で、艦体下部にカタパルトを収納する構造が張り出していた。
 シン、ルナマリアの母艦であり、帰るべき場所である。ここに、第3のガンダムの手が迫りつつあった。
 褐色の翼を持ち、鷲のようなモビル・アーマーが突如その身を起こした。爪は腰部にまとめられ、固定されていた腕を展開するとともに足が左右に開かれた。それだけで、鷲は人へと、ガンダムへと姿を変える。
 ガンダムの特徴である顔を見せつけるように、それはウイングを輝かせながらザフト軍バーナードへと迫った。



[32266] 第2話「在外コーディネーター」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/05/04 20:56
 ソード・シルエットは鉄筋に噛まれ動かせる気配はない。すぐ目の前に敵が迫っているにも関わらず、シン・アスカの視線は下半身だけになってしまった隊長機の姿を探していた。コクピットのモニターの中にその姿はあった。上半身を消し飛ばされ、ただ足だけが無重力の空に漂っていた。

「隊長……」

 墜落の衝撃にいまだ震えるシンの瞳。マッド・エイブス隊長の死を悼みながらも、しかしその腕には力がこもる。

「……お力、お借りします!」

 その眼差しが力強さを取り戻すとともに、敵が、緑のガンダムが斬りかかっていた。鋭利な鎌が振り下ろされる。フェイズシフト・アーマーさえ切断する刃が通り過ぎるよりもわずかに早く、シンは機体の上半身ごと飛び出していた。
 鎌は鉄筋の網に残されたソード・シルエットと下半身を切断した。下半身は強烈な輝きとともに切り裂かれた。
 両手に対艦刀を持ったまま上半身だけが飛んでいる。ZGMF-56Sインパルスガンダムは分離合体機構を持つ。上半身と下半身、そしてコクピット部分がそれぞれ単独行動が可能である。
 隊長機の残された下半身も同時に飛行を始める。シンはこのために操作を続けていた。
 現在は上半身だけとなった機体の中で、シンは上半身と下半身を操作し続けていた。敵のレールガンが機体をかすめ、コクピット内に警報が鳴り響く。急接近した敵機が繰り出した蹴りをまともに浴びる。上半身しかない軽い機体は勢いよく弾き飛ばされた。
 思わず左手の対艦刀を取り落とす。全身を揺さぶる衝撃に、それでもシンは必死に耐えた。下半身の誘導を続けていた。
 弾き飛ばされた上半身に下半身が急速に接近。ガイド・ビーコンに導かれドッキング。再び1個のインパルスガンダムとして完成する。
 だが、シンの顔は晴れない。瞬時に終わるはずの認識がいまはまどろっこしい。下半身がコントロールを受け付けるまでのわずかな間にも、敵は攻撃の手を緩めるつもりはないようだ。
 これ見よがしに鎌を振り上げる敵のガンダム。右手に残された対艦刀で受け止めようとすると、鋼鉄の刃はビームごと長刀を両断する。コクピットに向けてレールガンが突き出されていた。
 発射までの一瞬。その時、認識が完了する。

「こんなところで!」

 力任せに繰り出されたインパルスの蹴り。それは敵のガンダムの体勢を崩す。レールガンの弾丸がインパルスの腹部をかすめた。
 危機は辛うじてしのいだ。前蹴りを敵の胸部にお見舞いする。相手を踏み台にする形で距離をあけると、インパルスは腰部に備えられた1対のダガー・ナイフを抜いた。
 攻撃力をバック・パック、フォース・システムに依存するインパルスにとって、ダガー・ナイフが唯一の固定武装の固定武装だった。これが、シンに残された最後の武器だ。
 ナイフを構え、敵のガンダム、フォービドゥンと対峙するインパルス。
 不利は明白だった。

「こんなところに、ガンダム・タイプがいるなんて……」

 単なる新造コロニーではなかった。思わぬ強敵の出現に、シンは焦りを押さえられないでいた。鼓動がいやなリズムを刻む。
 敵が動いた。バック・パックの甲殻類を輝かせて、ミノフスキー・クラフトの推進力を高めることでインパルスの背後にあっさりと回り込む。慌てて振り向いたインパルスの顔めがけて鎌が振り下ろされた。
 すんでのところでかわす。しかし、ガンダムの象徴とも言えるV字のブレード・アンテナを切り裂かれた。
 シンは急いでインパルスを逃がす。ところが、敵はさらにインパルスの背後を取ると、その背中を蹴りつけた。弾き飛ばされる衝撃。悲鳴を上げている余裕などない。体勢を立て直しながら敵がいたはずのところへ機体を向けると、すでに敵の姿はない。背後から接近する物体あり。そう告げるアラームとともに再び背中から伝わった激震がシンを揺さぶった。
 パイロット・シートのショック・アブソーバーがなければこれだけでシンは絶命していただろう。口の中に広がった胃液の酸味を無理矢理喉の奥へと押し戻しながら、シンは操縦桿を握り続ける。
 今度、敵はインパルスを蹴った場所から動いていなかった。
 どこか構えがいい加減で、鎌をもてあそんでいるようにも見える敵。

「遊んでるのか……?」

 狐が獲物のネズミをいたぶるように。このたとえは状況ばかりでなく実力にも当てはまる。
 ミノフスキー・クラフトの搭載によってモビル・スーツの機動力は飛躍的に向上した。エネルギー消費の問題で全身に施すことはできないため、多くの機体ではバック・パックに組み込むことで機動力を向上させている。インパルスガンダムも例外ではない。そして、シンはソード・シルエットを、ミノフスキー・クラフトを搭載するバック・パックを失っていた。
 追えば逃げられ、逃げれば追われる。敵の気まぐれだけが、シンの命綱であった。




 インパルスガンダムの3つのシルエットの内、最も射撃力に優れるブラスト・シルエットを装備したルナマリア・ホークの機体が対峙するのは、同じく射撃に特化した機体であった。
 敵は上半身の持てるところいっぱいに大砲を担いだような厳つい風貌のガンダム。互いに遠すぎず近すぎず、撃ち合いを続けていた。いくつもの火花が互いの背後に巻き起こる。
 それでも腕前はルナマリアより敵の方が一枚上手であるらしい。直撃こそないものの、装甲は端々が削ぎ落とされていた。だが、敵は綺麗なものだ。命中率にわずかでも決定的な違いがあるのだ。
 ヘルメットの奥で、ルナマリアは憔悴した様子で荒い呼吸を繰り返していた。

「いつも貧乏くじばっかね……」

 こちらはかわすのに精一杯。なのに敵は一手ずつ命中精度を上げてきている。撃墜されるのは時間の問題。このまま、正攻法の戦いを続けていれば。
 通信が入ったのは、ちょうどその時のことだった。母艦からオペレーターの女性の声がした。

「ルナマリア軍曹、これより艦砲射撃でコロニーの外壁を破壊します。機を見計らって脱出してください」
「シン……、じゃなかった、アスカ軍曹は?」
「位置は把握しています。同時に穴を開けます。外壁破壊後、作戦時間を180秒に設定。本艦はこの宙域から脱出します」
「って、3分……!? ……ああ、もう。了解」

 いつ敵が攻撃を再開するかわからない。撃墜する気満々なのに、安全を優先しているのかどこか敵の攻め手は一歩欠けている。
 コクピットのモニターに点灯する着弾までの時間。表示された時点で5秒を切っていた。身構える時間もない。音のない衝撃がインパルスを揺さぶる。爆心地から周囲に吹き出した煙の奥に、外壁に開いた風穴が確認できた。

「ついてこないでよね!」

 ブラスト・シルエットに残された小型ミサイルをすべて撃ち出す。当てる気などない。ただばらまくだけばらまいて、ルナマリアは機体を風穴へと向けて加速させた。




 コロニーの大地にあけられた風穴。まだ密閉されていないコロニーに大気があるはずもない。静かなものだった。その穴を縁に、重火器を携えたガンダムがのぞき込むように立っていた。
 ザフト軍にはカラミティと呼称される地球軍のガンダムの正式名称はGAT-133イクシードガンダム。そのカスタム機であり、バスターカスタムと言う機体である。
 そのコクピットの中では、どこか軽薄そうな少年がノーマル・スーツもなしにパイロット・シートにだらしなく座っていた。目つきが悪く髪はつんと立った状態で固められている。大西洋連邦軍の制服を着崩した少年の名はスティング・オークレー。これでいてれっきとした軍人である。
 通信が入る。モニターに映し出された顔もまた少年だった。
 印象は、溌剌そうな悪ガキ。戦場にいるにも関わらず不釣り合いな笑みを浮かべているのが印象を強くしている。

「スティング、そっちどうだ?」
「逃げた。たく、姉貴から深追いするなって言われてなきゃ、徹底的に叩き潰してやるんだがな」
「こっちも。弱っちい奴ほど逃げ足早いよな。で、ステラはどうなってる?」

 もう1人の仲間、ステラ・ルーシェは敵の母艦を狙っているところだ。敵モビル・スーツが逃げた以上、母艦に帰投するつもりなのだろう。
 スティングはモニターにステラの姿を映し出す。その表情のあどけなさから、見た目の年齢以上に幼く見える少女がパイロット・シートに座っていた。

「ステラ、話せるか?」
「うん。撃沈までは狙ってないから」

 受け答えもどこか幼い。しかし、ステラは今、GAT-370ディーヴィエイトガンダム特装型に乗ってザフト軍の軍艦と戦闘を繰り広げている最中であった。
 それはスティングがのぞき込んでいるコロニーの風穴の奥深く、何もない宇宙のただ中での戦闘だった。
 褐色のウイングを輝かせ、ディーヴィエイトが飛行する。バーナードからの対空砲火を難なくかわし、完全に戦艦を翻弄していた。ステラは攻撃に転じる時だけ、表情を険しく叫び声をあげた。まるで子どもがそうするように。
 バルカン砲がバーナードの甲板に火花を縦一列に咲かせる。
 ミノスフキー・クラフトは噴出口が必要なスラスターと違い、装甲がさえあれば好きな方向に機動できる。その力で急旋回したディーヴィエイトがもといた場所を太いビームが通り抜けた。
 ルナマリアのインパルスガンダムが戻っていた。
 ステラは視線鋭くインパルスを見る。しかし、その表情はすぐに幼さを感じさせるものに戻った。通信から姉の声が聞こえたからだ。

「ステラ、もういい。帰還して」
「うん、わかった、お姉ちゃん」

 モニターに映る桃色の髪をしたヒメノカリス・ホテルの命令に、ステラはあっさりと従った。ディーヴィエイトをモビル・アーマーへと変形させ、戦闘機を思わせるシルエットにふさわしい加速でバーナードから離れる。
 ただ、その帰り際、もう1機のインパルスの姿を確認した。宇宙の暗闇の中を、ナイフを握りしめただ、バック・パックさえ持たないインパルスが飛行してくる。
 ステラはいたずら心を起こした子どものように、操縦桿を握りしめた。

「あれだけ、壊してく」




 シンのもとに通信が届いた。母艦の艦長からのものだ。

「シン・アスカ軍曹、こちらアーサー・トラインだ。バーナードはこれから加速に入る。緊急着陸で構わない。何としてでも帰還してくれ」

 アーサー・トライン。バーナードの艦長であり、シンの上官だ。モニターに投影されるローラシア級バーナードのスラスターにはすでに火が点されている。これ以上待てないということなのだろう。
 シンはインパルスを急がせようとして、敵機の接近を告げる警報に気づいた。
 褐色の鷲を思わせるガンダムがバルカン砲の弾丸をまき散らしなら接近していた。ウイングはミノフスキー・クラフトの明かしである淡い光に包まれ、その圧倒的な機動力を見せつけていた。
 フェイズシフト・アーマーの防御力を頼りに受け止めるつもりでいた。ところが、バルカンの掃射が通りすぎた時、インパルスの左腕が肘から引きちぎられていた。

「フレームを狙われた!?」

 フレームにフェイズシフト・アーマーは採用されていない。敵は高機動の中、それでも正確に狭い装甲の隙間を狙ったことになる。
 敵は周囲を旋回して、シンを逃がすつもりはないらしい。スラスターだけではとても動きについていくことができない。無理矢理インパルスを加速させ、シンは右手に残されたナイフを敵に突き立てようとした。
 しかし、空振りする。完全にタイミングが遅れていた。敵はすでに飛び去り、一瞬で姿を見失ってしまう。簡易レーダーを頼りに振り向くと、敵機はモビル・アーマー形態のまま接近していた。
 迎え撃つように構えるダガー・ナイフ。敵はその姿を変える。固定されていた四肢を伸ばし、一瞬で人型になると、構えた右手をつきだした。何かが近づいてくる。気づきながら、シンの反応は完全に遅れていた。黒い塊がインパルスの右肩に命中すると、撃たれたとは思えない強烈な衝撃がコクピットを揺さぶった。
 投げ出されるような勢い。
 右腕が肩からもぎ取られたことが表示され、右目のデュアル・センサーも死んだのだろう。モニターの画像が不鮮明になる。その不鮮明な画像の中で、敵の攻撃の正体を確認することができた。
 鉄球だ。シンが武器コンテナくらいに考えていた何かは、実は敵に叩きつけるための武器であったらしい。

「何だってこんな武器……?」

 奇想天外な武器に、それでもシンは追いつめられている。
 鉄球そのものに推進器が取り付けられているのだろう。敵は思いの外軽々と振り回すと、再び鉄球を投げつけてくる。
 フェイズシフト・アーマーは衝撃には脆い。
 浮き上がるようにかわそうとすると、つま先がひっかかる。鉄球の質量にやられたフレームが破断。足首から先が脱落する。
 このままでは悪くて撃墜、よくても取り残されてしまう。
 危険を承知で、シンは敵に背中を見せながらインパルスを加速させる。バーナードはすでに加速に入っていた。
 機動力ではかなわない。敵のガンダムはあっさりとインパルスの上に回り込むと、鉄球を再び投げようとしていた。
 だが、シンにもまだ奥の手が残されている。合体シークエンスを逆の手順で起動する。下半身が分離し、外れた下半身をそのまま弾丸として敵めがけて加速させる。質量弾が有効であることは敵が証明してくれた。数十tの塊が敵をめがけて突き進む。
 敵は冷静だった。鉄球を正確に命中させ、下半身を打ち砕く。それでも、シンはすぐ次の手に打って出た。今度は上半身を飛ばす。両腕を失い、ただ胴体だけになった上半身が敵に突っ込んでいく。シンは上半身から分離したコクピット・ブロックにいた。インパルスのコクピット・ブロックはそのものが独立して活動できる。機首とウイングを展開し、小型戦闘機の姿になって、シンは敵の脇をすり抜けるように加速する。
 上半身は敵に軽々とかわされてしまった。それでも、時間を稼ぐことができた。身軽になった戦闘機の姿で、シンはバーナードを目指す。追いかけてくるバルカン砲。それは左のウイングを撃ち抜いた。
 必死に悲鳴を飲み込みながら、シンは飛行を続けた。崩れた重心のバランスを補正するため、操縦桿を小刻みに動かし続ける。
 ここまでくればバーナードからの援護射撃もある。敵の攻撃はやんでいた。しかし、ここで気を抜けばバーナードまでたどり着けない。ふらふらと、頼りない軌道を描きながら、なんとかローラシア級バーナードの脇を通り過ぎた。
 ローラシア級の格納庫は艦体下部に取り付けられている。突き出した上部構造を頭上に眺める形で艦体の下に回り込む。後ろではすでにハッチが開いている。ゆっくりと速度を落として、バーナードよりもやや遅いくらいを維持する。そうすることで小型戦闘機は加速を続けながらも端から見ればゆっくりと格納庫へと収まっていく様が見えることだろう。
 後少し。後少しの間この体勢と速度を維持すればいい。腕が震える。不自然な位置に操縦桿を固定していたため、腕に軽い痺れが起きていた。それでも後少し。
 体力は保つという確信は、しかし悪い形で裏切られた。OSが重心位置の補正を完了し、操縦桿を水平に保っていても機体を安定させるよう修正してしまった。このタイミングで。
 戦闘機が右へと傾く。シンが操縦桿を右に傾けていたため、それは当然なことだった。
 傾きを補正する時間はなかった。格納庫の床に車輪を叩きつける。右翼が床を擦り、ブレーキがかけられた車輪が火花を散らす。防護ネットが墜落同然のシンを辛うじて受け止めてくれた。コクピット全体が軋んだ音を立てて、加速するバーナードの力が直接シンを揺さぶっている。
 やがて揺れはゆっくりと治まった。
 シンの目には、傾いた天井と、風防を覆う白い泡。消火剤が大量に撒かれているのだろう。それでも、燃料には引火しないでくれたらしい。

「何とか、生きてるな……」

 緊張からすっかり筋肉が固まってしまった腕を操縦桿から引き離し、シンは風防が泡に覆われすっかり暗くなってしまったコクピットの中、疲れ切った様子でシートに体を預けた。
 今日1日を、何とか生き延びることができたらしいと、安堵しながら。




 ローラシア級にはブリーフィング・ルームは存在しない。ブリッジ後方に様々な図面を映し出すことができるテーブル型のモニターが置かれ、作戦会議はそこで行われる。
 赤い制服に着替えたシンたちの前で、艦船クルーであることを示す黒い軍服を身につけたアーサー・トライン艦長がパイロットを前に話をしていた。まだ若い男性でありながら、疲れた様子はどこか老けた印象だと、シンは考えていた。

「今回確認された3機は、連合で運用されているガンダム・タイプのカスタム機だ。これは非常に重要なことを示唆している」

 モニターにはお世辞にも映りがいいとは言えない映像で3機のガンダムが映し出されている。インパルスの映像記録から直接引っ張ってきたもので、写真写りは期待する方が酷であった。
 オペレーターの女性が説明を引き継いだ。アビー・ウィンザーという名前だったとシンは何となく思い出していた。

「アスカ軍曹が遭遇したガンダムは、おそらくインテンセティガンダムだと思われます。ザフトでフォービドゥンと呼称される機体ですが、ビームを弾く特殊なシールドを持つなど間違いありません」

 シンが遭遇した蟹の被りものをしたようなガンダム。それは地球連合軍が所有するGAT-252インテンセティガンダムだった。ただし、細部の武装が異なり、カラーリングにしてもインテンセティガンダム本来の青ではなく緑系統であるという違いが見られた。
 続いて映し出されたのはルナマリアが戦った重武装のガンダム。これは呼称でカラミティ、正式名称はGAT-131イクシードガンダム。ただ、本家本元のイクシードガンダムは格闘戦に特化した機体である。カラーリングも赤。こちらはずいぶんカスタマイズされている印象だ。
 最後にバーナードを強襲した可変機はGAT-333ディーヴィエイトガンダム。ザフト軍はレイダーと呼称されている。鉄球などの極端な武装さえ除けばカラーリングが褐色か水色かの違いしかない。
 どのガンダムも正規量産型とは違いが見られた。
 アーサー艦長が難しい顔をしていた。いい歳してアイドルが好きという一面があるらしいが、激務の中、少なくともシンはそんな艦長の顔を見たことはない。

「実験機ということかな、アビー君? そうなると、あのコロニーは極秘実験施設だということになる」
「新型機の開発をしていたと考えられます。ただ、それにしてはコロニーの設備があまりに貧弱です。まだ蓋も閉じられていないまま開発を進めていたとは考えられません……」

 まだ建造途中であるのならそこに実験機が運び込まれている理由が説明できない。筒の両端がいまだ閉じられておらず、内部が外から簡単に見渡すことができる。それでは極秘も何もあったものではないだろう。
 そんな辺境のコロニーに3機ものガンダム・タイプがあること自体、異常だと言えた。
 コロニーの名前はアポロン。どこかの神話の太陽の神の名前だそうだ。ただ、この謎のコロニーを正体を見極めることは、ここにいる誰にもできなかった。
 シンの関心は自然と眼下に表示されるガンダムに移っていた。

「これが、連合のガンダム……」

 これまでガンダムとの戦闘経験はない。シンがつい見入っていると、アーサー艦長は目を瞬かせた。

「アスカ軍曹、君は軍学校で敵の機体について学ばなかったのかい?」

 シンの浅学を責める様子はなかった。それでもシンは自然と口の端をつり上げ、自嘲じみた笑みが顔の痣を歪める。

「軍学校じゃ、必要最低限のことしか学んでません。本当は1年卒業のところを半年とちょっとで追い出されましたから」

 成績優秀と認められ、エリートの証である赤服とZMGF-56Sインパルスガンダムを与えられた。それでも、シンは正規のザフト軍人とは同列とは扱われない。

「俺、在外コーディネーターですから」

 在外コーディネーター。この言葉を使うだけで、アーサー艦長もアビー・オペレーターもそれ以上のことは聞こうとはしない。2人ともばつが悪そうに目をそらして、アーサー艦長は自然な様子で話題を変えた。

「今後の作戦について説明しよう。あのコロニーから敵艦が3隻移動を始めたことが確認されている。ガンダムも、おそらく一緒だ。そこで、僕らはこの艦隊に追撃をかけることにする」

 バーナードただ1隻で攻撃を仕掛ける。こんな無謀な作戦に対して、シンとルナマリアは思わず声を荒らげた。

「ちょっと待ってください! たった1隻で勝てる相手じゃありません! エイブス隊長だってもういないんですよ」
「シンの言う通りです。援軍を要請するとか、戦力を整えてからじゃないと!」
「いいや、作戦は決行する」

 アーサー艦長は普段と同じ沈んだ調子で、しかし強い言葉でパイロット2人の意見を黙殺する。シンが食い下がろうと息を吸い込んだところで、思いも寄らないところから声が挙がった。
 オペレーターのアビーがうつむいたまま、シンたちのことを見ることもなく言葉をこぼした。

「アスカ軍曹、ルナマリア、わかってください……! 私たちも、在外コーディネーターです……」

 アーサー艦長もアビーも、この艦の人たちは全員、信念だとか決意によって戦っている訳ではない。そのことはシンがよく理解していた。在外コーディネーターという言葉に、今度沈黙せざるを得ないのはシンの番であった。
 作戦は、決行されることが決まった。




 わずか旧式の戦艦1隻、モビル・スーツ2機で敵の艦隊に攻撃を仕掛ける。
 シンは壁を強く殴りつけた。八つ当たりではなかった。
 ここはパイロットに与えられる寝室。2人部屋であるがもう1人の同僚はすでに戦死している。実質、シンの個室と化していた。
 シンはもう一度壁を殴りつける。これは八つ当たりでは決してない。
 このローラシア級という戦艦そのものがシンの、在外コーディネーターの境遇を象徴しているからだ。本来、合体機構を有するインパルスガンダムは専用の設備を持つ母艦を必要とする。だが、シンにはそのような新造艦は与えられず、装置を増設しただけのこんな型遅れで満足しろと押しつけられた代物だった。
 何も八つ当たりではなかった。
 もう1度殴りつけてやろうか。シンが拳に力を込めると、部屋のインターホンが鳴った。誰がこんな時に。シンは壁を離れ、無重力を漂いながら扉の脇のボタンへと手を伸ばす。スライド式の扉が開き、そこには赤い髪をした同僚の姿があった。
 シンと同じく赤い軍服。艦長たちに比べればまだ明るい表情で手を振って見せるルナマリア。

「何だ、ルナか……」

 拍子抜けした。そんな気持ちがついシンの口を出た。

「何だはないでしょ、何だは」

 ルナマリアは怒った様子を見せながらシンを押し退けて部屋に入ってくる。すぐにベッドという座りやすいものを見つけたらしく、そこへと腰掛けた。
 どうやら話があるらしいと、シンもまたルナマリアとは反対側、自分のベッドに腰を下ろした。シンが促すまでもなく、ルナマリアは話し始めた。

「艦長……、本気みたいね」

 やはり話題はそのこと。ルナマリアが少し声を潜めたのは、あまり他の人に聞かせたい話ではないからだろう。

「もうこれ以上危険な戦場をたらい回しにされるのが嫌なんだろ。みんな、そろそろ任期満了でもおかしくない頃だからな」

 ザフトは志願制を採用している。自警団を統合する形で発展した軍隊であるためだ。休戦条約以後、階級が設定される軍隊としての性質を強めたが、それでも義勇兵としての性質は固持していた。
 それでも、徴兵制が敷かれていない訳ではない。シンは自分の境遇を思い出しながら言葉を漏らす。

「移民の扱いなんてどこも似たようなもんだから」

 シン・アスカ。コーディネーターではあってもプラント出身ではない。オーブ首長国と呼ばれる地球の国家の生まれで、休戦条約後、プラントに移り住んだ。
 逃げるように母国を離れ、流れ着いたのがプラント。コーディネーターの国だった。それでも、コーディネーターのための国は、すべてのコーディネーターのために存在してはいなかった。
 プラント政府は移民に簡単には市民権を与えようとはしなかった。様々な制約を課し、市民権の獲得には高いハードルを設けた。同時にプラント政府は救済策を用意していた。ザフト軍として1年の任期を戦い抜けば無条件に市民権を与えるとしたのだ。シンのように身よりもあてもない移民が市民権を得るのにほぼ唯一の方法だ。
 事実上の徴兵。プラントは移民を利用して、先の大戦で失われた戦力を補充している。シンとルナマリアが軍学校を期間短縮で放り出されたこともそんなプラントの熱心な活動の1つだ。
 シンはまだ半年の任期を残している。しかし、アーサー艦長をはじめとするほかの移民たちはそろそろ任期が切れるはずだ。
 シンが話し出すことを待っていたのだろう。ずっと黙っていたルナマリアは我慢できなくなったように話し始めた。

「除隊は本国でしか行えないから、任期切れが近い部隊は補給も前線基地でさせられるっていう噂、本当かな?」
「艦長たちは信じてるみたいだけど。勲章ものの活躍して、本国に戻りたいって気持ちもわかるよ。そうじゃなきゃ、マッド隊長だって無理することなかったんだ……!」

 プラントには妻と娘を待たせている。そう、隊長はシンたちによく言っていた。
 シンは自分の膝を叩く。痛みも、怒りを和らげてはくれない。
 黒い噂には事欠かない。シンのような移民がガンダム・タイプを与えられているのは戦力として期待されているからではなく、単に実力主義を標榜するプラントがアリバイに使っているだけ。そんな話も聞かれる。

「プラントに住んでても、結局俺は外に存在してるコーディネーターなんだろ。プラントのコーディネーターたちが人類の未来をかけて戦ってる間、外でのうのうとしてた二等コーディネーターなんだからな」

 自分たちが人類の未来を守るために戦っている間、貴様等は何をしていた。今更仲間に加えてくれなんて虫が良すぎるんじゃないか。これはシンが実際、軍学校でプラント出身のコーディネーターから聞いた言葉だ。
 自然と、シンの顔が険しくなる。
 それを、ルナマリアは地球での生活を思い出していると勘違いしたらしかった。

「ねえ、シン。私は在外コーディネーターじゃないから知らないけど、地球って、やっぱりひどいところなの?」
「ひどい? いや、そんなことはなかったよ。ただ、3年前のジェネシスだっけ、あれはやっぱり印象悪かったな。あれで一気に反コーディネーター思想が台頭して、政治家がブルー・コスモスのメンバーだって公言することも珍しくなくなった。遺伝子操作を支持してた学者先生とか、面目丸潰れって感じでさ」

 休戦条約が締結されるきっかけになったのは、両軍が次第に殲滅戦の様相を呈してきたからということが大きい。ザフト軍はジェネシスと呼ばれる大量破壊兵器で地球を焼き尽くそうとした。そのことを原因として地球では反プラント、反コーディネーターの流れが決定的になってしまった。
 終戦ではなく休戦条約に留まったのも、地球の市民感情を考慮してのことだ。

「コーディネーターそのものが悪いって言うより、遺伝子調整がやっぱりいびつだったことになって、居心地の悪さ感じてたコーディネーターは少なくないと思う」
「シンも、そうして地球から逃げてきたの?」

 オーブを離れた理由は、迫害から逃れるためではなかった。ただ、本当の理由を告げることもできず、シンは話題をすり替えることにした。

「別にそうじゃないけど、ルナはどうしてなんだ? 出身はプラントなんだろ?」

 こんな外人部隊にいる以上、正規市民と扱われているはずがない。聞いてから、シンは後悔を覚えた。思わず顔を見ると、今度乾いた笑みを見せたのはルナマリアの方だった。

「オナラブル・コーディネーターって知ってる? ナチュラルだけど、コーディネーターとして扱ってやるっていう意味なんだけど、私、それなの」

 目の前の同僚が実はコーディネーターではなかったと聞かされて、シンは少なからず動揺した。

「驚いた?」
「少し。プラントって、みんなコーディネーターだと思ってたから」

 シンを出し抜けたことでどこか楽しげに笑っていたルナマリアは、しかしすぐに表情が沈んでしまう。

「実際、プラント国内に私みたいな潜在ナチュラルは大勢いるわ。遺伝子調整にはお金がかかるから。でも、時々私みたいにコーディネーターの中でもやっていけるようなナチュラルが現れると、名誉コーディネーターなんて呼んじゃったりしてくれるわけ。それに、うち貧乏だったから」

 ザフト軍には市民権の他、もう1つの徴兵制があった。
 休戦条約後、プラントでは軍事費確保のための増税が行われた。ただし重税に耐えられない人には救済処置がつく。所帯の誰かがザフト軍に志願した場合、免税処置が施される。税金を支払うことができる富裕層は兵役を逃れ、貧しい人は命を金に換えることを迫られる。
 人口、わずか2000万強の小国プラントはこうして、軍事費と兵隊を手早く集めている。
 空元気ではなくて、最後にルナマリアの心からの笑顔を見たのはいつだっただろうか。シンは思い出せなかった。もしかするとなかったかもしれない。

「やっぱり俺たちって、何か目的があって戦ってるわけじゃないんだな」

 市民権を得る、免税など理由はある。それはあくまでも副次的なものでしかない。戦わなければ得られないものではないからだ。
 戦死したルーム・メイトは、身の上話をしなかった。きっとわかっていたからだろう。結論はどうせ暗くて、無為なものになってしまうことが。
 人は、気が沈むとどうしても視線も沈んでしまうらしい。もう1つの理由として、何も話し出せないままルナマリアの顔を見ていることが、シンには辛かった。

「でもね、シン。在外コーディネーターの人たちのこと、少しでも聞けてよかった」
「ルナ?」

 顔を上げると、ルナマリアは努めて笑っているようだった。手まで叩いて無理に明るさを演出しているように見える。

「ほら、これで目標ができたでしょ。アーサー艦長やアビーさんの任期を終えさせてあげようって」
「……そうだな。みんなにはお世話になってるし、少しくらい恩返しでもしなきゃな」

 ルナマリアの努力を無駄にしないためにも、シンは乗じることを決めた。同じ境遇の仲間が1人でも多く救われてほしいというのは嘘偽りない気持ちだから。

「じゃあ、私行くね」

 立ち上がって、扉へと向かうルナマリア。シンが見送りできないくらいあっさりと姿を消してしまった。まるで、明るい雰囲気を持続することができなくて、ボロを出すまいとするように。
 シンも、すぐに作った笑顔を維持できなくなっていた。表情がとたんにとぼしくなって、上体を倒してそのままベッドに寝転がるしかなかった。くたびれた天井は、外人部隊の母艦に何ともふさわしい。

「人類の未来を切り開く理想郷か……。看板倒れもいいところだな……」

 金と権利を餌に移民と貧者を戦地へと送り出す。それが、今のプラントの現実だった。




 ダーレス級MS運用母艦ガーティ・ルーの艦内に不釣り合いな歌声が染み渡っていた。
 ラウンジから聞こえている。壁には森の映像が映し出され、備え付けられた円形のソファーが等間隔に並べられている。
 その椅子の1つで、少女は歌っていた。波立つ桃色の髪が少女の膝枕で寝ているもう1人の少女の体を柔らかく撫でている。他にも、2人の少年がソファーに腰掛け、その歌声に酔いしれるように浸っていた。
 歌われる歌は子守歌。
 3人の弟と妹を、ヒメノカリス・ホテルという姉が優しく寝かしつけている。
 その様子を、イアン・リーは遠巻きに眺めていた。軍帽を目深にかぶり威厳ある艦長の印象を崩そうとはしていない。そこに、女性オペレーターが通りかかる。

「こうしていると軍艦にいるとは思えませんね」

 たとえるなら、妖精の歌声に眠る子どもたちのよう。とても戦場とは思えない光景だった。

「まったくだな。美しいお人だ」
「おや、リー艦長も人の子ですね」

 まだ若いオペレーターは下から艦長の顔をのぞき込むと、どこか意地悪く笑う。

「冗談はよせ。それで、報告があったのではないのか?」
「敵の情報ですけど、ほとんど引っかかりませんでした。おそらく、外人部隊でしょう。正規軍と違って厳密に管理されてないところがあって動向をつかみ切れませんから、あれは。ですから今後、大規模な戦闘が起きるとは思えませんが、相手は手負いの獣です」
「定石では計れんな」

 要するに、何をしでかすかわからない。悪手であろうともためらいなく打ってくる可能性を払拭しきれない。クルーたちには発破をかけておくべきだろう。イアンが歩きだそうとすると、オペレーターも続いて歩き出す。

「ヒメノカリスさんにお話しなくても?」
「急ぎの用ではないだろう。休むべき時は休ませるべきだ」
「顔に似合わずお優しいですね」
「それは私の言葉でもあるのだがね……」

 若くまだ頼りなげな顔をしながらも、この女性は物怖じすることはないのだから。



[32266] 第3話「炎の記憶」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/09/08 22:01
 格納庫はいつも暗い。外人部隊として危険な単独行動を行うことが多いザフト軍ローラシア級MS搭載艦バーナードは隠密性を優先するため、外に光を漏らさない。
 コクピットにはモニターの発するわずかな光の他、何もない。それなのに、シン・アスカの耳にはおかしな曲が届いていた。通信から漏れ聞こえていた。綺麗な歌声だが、コーディネーター賛美の歌詞が鼻につく歌である。

「何だよ、この歌?」

 シンはヘルメットの上から耳を塞ぐようにして手を当てる。独り言ではない。こんな曲を好き好んで聞いている同僚へと尋ねたのだ。シンの搭乗するZGMF-56Sインパルスガンダムのすぐ横にはルナマリア・ホークの機体がある。

「知らないの? 『正義と自由の名の下に』のテーマ・ソングよ」

 鼻歌交じりの返事が聞こえた。
 プラントで2年前に封切られ、社会現象にまでなった映画のタイトルだ。以前の大戦で如何にザフトが勇敢に戦い、どれほど地球軍が愚かであったかという内容の作品で、地球出身者には付き合いきれない内容も少なくなかったことを思い出しながら、シンはため息をついた。

「ああ、あのプロパガンダ映画か」
「シン、私がこの映画の大ファンだってこと、知ってる?」

 ミーハーな同僚は、この映画のモデルとなった軍人の信者であることを公言してはばからない。

「アスラン・ザラのファンなんだろ。ザフトの騎士。ラクス・クライン議員の婚約者で、ヤキン・ドゥーエの戦いを勝ち抜いた英雄で、気高い戦士。対艦戦からの白兵戦まで何でもこなすエース・パイロット、だろ」
「わかってるじゃない」

 シンの口からそれだけすらすらと出てくるほど、ルナマリアに聞かせられた話だった。戦死したマッド・エイブス隊長と一緒に延々と話を聞かされた時、幼い娘のいる隊長に同情してしまったほどだ。将来、あなたの娘もこんなのになるかもしれませんと。
 そんなシンの気持ちも知らず、ルナマリアは上機嫌で鼻歌を歌っている。

「あれだけ何度も聞かされればな……」
「ああ、アスラン様。1度でいいからお会いしてみたい」

 要するに、1度も会ったことがないのだ。そんな相手によくそこまで好意を寄せられるものだと、シンは浅くため息をついた。
 シンも写真でしか見たことのないザフトの英雄、アスラン・ザラ。休戦条約以前の激戦を戦い抜いたザフトでも指折りの戦士。インパルスガンダムのような乱造品ではなくて、正規のガンダムに乗っていると、聞いている。
 最高の環境に最高の装備。シンがどれほど羨んでも手に入れることのできないものを生まれながらに持っているような人だ。
 シンがこの映画が嫌いな理由の1つに、絶大な貧富の格差を人類の可能性というあやふやな憧憬に置き換えて強要するプラントの現状が見えて仕方がないことが挙げられる。君たちも努力すればアスラン・ザラのようになることができると人々を必死に説得していても、移民やナチュラルに対する差別をプラントは放置し続けている。
 英雄が華々しい活躍をする画面の隅で戦死する名もなき兵士。それがシンの現実であった。
 やがて、格納庫に弱い明かりが灯される。それは四隅を切り取り宇宙へと一直線にカタパルトの道筋を示す。作戦開始時刻になった。そのことはオペレーターであるアビー・ウィンザーの声でも告げられる。

「アスカ軍曹、ルナマリア軍曹、出撃準備、お願いします」

 シンはインパルスの足を1歩前進させる。ルナマリアの様子をうかがうと、僚機に動き出す気配はない。

「お先にどうぞ」

 これから戦いに行くというのに、ずいぶんと軽い調子である。もっとも、そうでもしなければやっていられないのが本音だろう。比我戦力差は3倍を優に超える。援軍要請は行っているが、本当に期待しているのなら、援軍を待たずに作戦を開始する理由はない。
 インパルスはシンの操縦の下、普段と変わらない足取りでカタパルトに足を乗せ、腰を屈める。

「シン・アスカ、インパルス2、行きます!」

 70tもの機体が加速し、シンにのしかかる加重。インパルスは戦場へと放り出される。




 わずか1隻、わずか2機のモビル・スーツによる艦隊攻撃が始まった。
 作戦はこうだ。不意をつきバーナードの砲撃でまず1隻を撃沈する。その後、混乱に乗じてインパルスが追撃。一気に形勢をこちら有利に傾ける。
 そんな成功することが前提の都合のいい作戦は、初手からつまづきを見せた。
 相手も馬鹿ではない。攻撃が当たるまで待ってはいない。ミノフスキー粒子の電波障害が周知されている現在、ただでさえ、艦砲による遠距離射撃の命中精度の低下は著しい。当たるはずのない攻撃は、敵艦の脇を通り抜けていった。
 作戦は、こうして早くも瓦解した。
 ソード・シルエットを装備したシン機のすぐ後ろにブラスト・シルエットを背負ったルナマリア機が続く。その前方にはダーレス級MS運用母艦からモビル・スーツが次々と出撃する様子があった。

「ルナはバーナードを離れるな。俺が敵艦を叩く」
「了解」

 ミノフスキー・クラフトによる加速を続けるシンと、加速をやめたルナマリア。2人は急速に離れていった。
 インパルスのモニターには次々と敵機を認識するカーソルが表示される。数は概算で10程度。大半はデュエルダガーのようだが、シンの意識はすぐに1機の敵へと集束された。
 蟹の甲羅を背負った緑のガンダムである。GAT-252インテンセティガンダムの特殊型。ビームを弾くシールドを持つ難敵である。
 互いにミノフスキー・クラフトを持つ。振り切ろうとして振り切れるものではない。敵艦に近寄ろうとすると、その前に周り込む形で、インテンセティはシンの前に立ちふさがる。
 こいつを倒さなければ旗艦を撃沈するどころか近づくことさえできない。シンは覚悟を決める必要があった。
 ソード・シルエットから肩越しに大剣を1対、両手に握りしめる。現存するすべての物質を破壊するはずのビームの輝きが刃を構成し、加速するインパルス。
 敵はバック・パックにアームで繋がれたシールドを前面に2枚展開すると、余裕な様子で待ちかまえる。ビームの光を発しながら叩きつけられた対艦刀は、しかし強烈な輝きを放つばかりでシールドを破壊することはない。

「何のための対艦刀だよ!」

 会敵の一瞬で敵を確実に破壊する。その攻撃力のために、対艦刀は大型化し取り回しが悪くなった。この重さと引き替えにした存在意義をまるで果たせない現実に、シンは苛立ちを隠すことができなかった。




 ブラスト・シルエットの2丁の大型ライフルから太いビームがまっすぐに伸びる。直撃すればシールドを一撃で破壊することができるこの大火力も当たらなければ意味がない。ルナマリアを取り囲む敵は、明らかに防御に専念していた。決して無理な攻撃はせず、盾にうまく胴体を隠しながらこちらの動きを注視している。
 敵は4年前にもすでに性能不足が指摘されていたGAT-01デュエルダガー。ビーム・ライフルとシールド。そんな最低限の装備しかないような機体に、ルナマリアは翻弄されていた。
 こちらは1機。敵機は6機。こちらが1撃放つと2機が避ける。すると4機が撃ち返してくる。直撃をくらえばフェイズシフト・アーマーとて破壊されてしまう。
 ルナマリアは防戦に専念せざるを得なかった。シルエットのミノフスキー・クラフトを輝かせ、機体を絶えず動かし続ける。
 こんな時、アスラン・ザラならどうするだろうか。きっと颯爽と敵の攻撃をかわして、敵がまるで止まっているように撃ち抜くのだろう。
 敵の連携は単純なものだった。攻撃された者は回避に専念し、攻撃されなかった者が反撃に転じる。この単純で、しかし効果的な連携を前に、ルナマリアは自由に動き回ることさえできないでいた。徐々にバーナードから引き離されつつある。
 無理に戻ろうとすればビームの直撃を浴びるかもしれない。
 モビル・スーツを母艦から引き離し、まず艦を落とす。シンたちが実践しようとしていたセオリーを、まずは敵が実践しようとしていた。

「このままじゃバーナードが……」




 すでにバーナードには大西洋連邦軍がとりついていた。
 対空砲火が甚大な損害を受けている。高射砲が破壊された分だけ、曳光弾の輝きは疎らとなり、戦艦はモビル・スーツのように向きを変えて死角を補うには巨大すぎた。徐々に攻撃の隙間ができあがりつつあった。
 その隙間に入り込むように、2機のガンダムが易々とローラシア級バーナードの懐へと入り込む。
 先を行くのはGAT-X133イクシードガンダム・バスターカスタム。体中の至るところに重火器を担いだこのガンダムがバズーカを発射する度、バーナードから曳光弾の光が消えていく。
 イクシードガンダムのコクピットにて、スティング・オークレーはモニターの映し出された僚機を確認する。

「ステラ、道は開けてやった。例の場所に穴を開けろ」
「うん!」

 ステラ・ルーシェのGAT-X270ディーヴィエイトガンダム特装型がモビル・アーマー形態でイクシードを頭上を通り抜ける。いくらフェイズシフト・アーマーが強固とは言え、艦砲の直撃は避けるに越したことはない。高速で飛行するディーヴィエイトを捉えるにはすでに砲塔は十分に数を減らしている。
 ディーヴィエイトはあっさりとバーナードの頭上をとる。ローラシア級はその構造上、上部装甲を厚くすることができない。10年近くも前に1番艦の進水式を終えたような型落ち戦艦がそんな弱点を知られてないはずがなかった。
 ステラは雄叫びをあげながら急降下を仕掛ける。変形し、ディーヴィエイトが人の姿をするとともに、左腕に装備された鉄球が撃ち出される。鉄球はローラシア級の装甲へと深々と食い込み、甲板がひしゃげた装甲が隆起する。続けざまに放たれたバルカン砲の弾丸が隙間に吸い込まれると、内部から噴き出した爆発が装甲をはね飛ばした。

「スティング、開いた!」
「上出来だ!」

 離脱するステラのディーヴィエイトと入れ替わるようにしてイクシードガンダムが風穴めがけて接近する。
 右腕にはバズーカ。左腕には2連ビーム・ライフル。両肩に加え、胸部にもビーム砲が装備されている。まさに火力の怪物と言えるイクシードガンダム・バスターカスタムはそのすべての火器のロックオンを終えた。
 モニターには煙で覆われ下を見透かすことのできない穴。そのすぐ下にはすでに最低限の防備しか残されていないメイン・エンジンがある。

「くたばれよ、旧式!」

 イクシードの火力のすべてがローラシア級へと巨大な火の柱を打ち立てた。




 ローラシア級バーナードのブリッジに報告とは思えない悲痛な叫び声が響きわたる。

「機関部に、火災発生!」
「消火作業急げ!」
「駄目です! 間に合いま……!」

 指示を飛ばすアーサー・トライン艦長の声も、涙するアビー・ウィンザーの姿も、ブリッジ後方の壁から吹き出た炎がすべて包み込み、焼き尽くす。
 機関部から発生した火災が艦全体に類焼する形でローラシア級が焼け落ちていく。その様はダーレス級MS運用母艦のブリッジに克明に映し出されている。敵の母艦を撃沈するという戦果にも、イアン・リー艦長は眉1つ動かすことはない。いつも通りに唇を固く結んでいた。

「まるで問題にならんな」

 わずか1隻。護衛となるモビル・スーツも満足に持たぬ戦艦など現在の戦術では戦力に数えられない。残りのストライクもどきもすぐに刈り取ることができるだろう。
 しかし、イアンの顔に油断の色はない。それは普段からの心がけばかりではなく、レーダーがこちらに接近中である艦隊を捉えていたからだ。信号はない。味方以外の何か。敵の援軍と考えた方が妥当というものであろうか。
 クルーから報告があった。

「ミノフスキー粒子濃度上昇中です。索敵、行えません!」

 ミノフスキー粒子は乱暴な言い方をするならビームの原料である。ビームが飛び交う戦場ではミノフスキー濃度が上昇することが知られている。あるいは、レーダーを攪乱するために散布されることもある。兵器開発史を塗り替えた粒子は、戦場あるところどこにでも現れる。
 新たな戦いの予感に、イアンは艦長として指示を出す。

「2番、3番小隊を防御に当たらせろ。今のうちに艦の向きを合わせておく!」

 イアンの指示に、クルーたちは即座に反応する。体に横からのしかかる重みは艦が方向転換を始めたことの証である。
 何とも不気味な気配を、イアンは感じていた。常識で考えるなら、接近中の敵は敵の援軍だと考えてよいだろう。では、なぜザフト軍は戦力の合流を待たずに行動を開始したのだろうか。
 不気味さがないわけではない。イアンは、しかしすべて予定調和の範疇であるかのように振る舞う術を知っている。艦長席に座った軍人は、決して顔色を変えることはなかった。




 バーナードが爆沈され、炎に飲み込まれていく様を、シンはモニター越しに眺め続けていた。
 仲間を失ったのはこれが初めてではなかった。胸を圧迫する不快さも初めてのことではない。そして、悲しみに浸る時間さえないこともいつもと変わらない。
 コクピットに警告音。レールガンの弾頭がインパルスのそばを通り抜けた。まともに視認できる速度ではないが、軌跡を示す曳光弾を確認した。仕方なく操縦桿を握る腕に力を込めると、モニターには接近するフォービドゥンの姿が見えた。母艦を撃沈した2機のガンダムもシンを次の標的に定めたらしい。
 もう帰るところもない。実力は相手の方が上だ。

「結局これかよ……」

 母を殺され、母を見殺しにした国から逃げ出した。その行き着いた果ても戦場でしかなかった。
 戦いにすべてを奪われる。一体、何のために生まれたのかさえわからなくなる。それでも仕方のないことかもしれない。何か目標があった訳でもない。目的のために生きてきた訳でもない。軍に入ったことだって、単に死ぬまでの時間稼ぎみたいなものだった。
 シンの腕から力が抜ける。目の前のフォービドゥンはもはや脅威でも何手もない。どこか他人事のように迫り来る死を見つめ続けていた。
 それでも、近づいていたフォービドゥンが驚いたように飛び退いた時には、ついシンは何事かと意識を覚醒させた。この鎌持つ死神ばかりではない。他のガンダムも、他の敵もすべてが何かに反応している。
 レーダーに表示される新しい光点。インパルスのアリスが気を利かせてモニターにそれを投影する。

「光る、ガンダム……?」




 この戦場にいる者はみなすべて、それに意識を奪われていた。
 それはガンダムである。純白の装甲表面に黄金のラインを走らせている。両手にはライフルとシールドという平凡な武装ながら、その背中には正面から見えるほどの大きさのリングを背負っていた。
 純白の姿に時折覗かせる黄金の帯。後光を背負うようなその姿はミノフスキー・クラフトの発する淡い輝きに包まれ神々しくさえあった。
 そしてガンダムだった。
 アウル・ニーダの関心先程まで戦っていたインパルスガンダムからすでに純白の機体へと移っていた。まだあどけなささえ残すアウルの悪い癖で、つい乗機であるインテンセティの腕を無意味に動かした。モビル・スーツがまるで手持ちぶさたの人がするのと同じように、鎌を小さく振り回す。

「スティング、あんなモビル・スーツ、見たことあるか?」

 重火器を満載したイクシードガンダム・バスターカスタムが、インテンセティのすぐ脇につける。アウルはモニターにスティング・オークレーの姿を目にする。その反対側には、人型に変形したステラ・ルーシェのディーヴィエイトガンダム。

「少なくともザフトが量産しているガンダム・タイプじゃないな。ゲルテンリッターか?」
「ゲルテンリッターにあんな機体、ない」
「7機全部見たことあるわけじゃないだろ」

 スティングとステラは相手の正体を把握できていない。アウルはすでに戦いの準備を始めていた。
 インテンセティが重厚なバックパックで頭部を覆い隠す。甲殻類を思わせる大仰なかぶりものが、白いガンダムに対抗するかのように淡い輝きを放つ。多くの場合、エネルギー消費が甚大なミノフスキー・クラフトは機体の一部にしか採用できない。それを全身に搭載しているということは、それだけでジェネレーター出力の高さを証明している。
 それでも、アウルはいつものように子ども特有の不敵な笑みを浮かべていた。

「味方じゃないなら……、敵だろ!」

 蟹の口から大出力ビームが放たれる。
 純白のガンダムが動く。全身を包む輝きを強め、滑るように滑らかな動きで射線上からあっさりと機体を逃がした。
 全身をミノフスキー・クラフトで包み込む。それが意味することを誰もが知っている。装甲のある方向、すなわち、すべての方向へ機動できるということ。
 スティングのカラミティがその火力を遠慮なく発揮する。バズーカ、ビーム、その区別はあまり意味がない。どうせどちらも危なげなくかわされる。

「これがフル・ミノフスキー・クラフトの動きなのかよ……」

 ステラはディーヴィエイトの機動力を活かし回りこもうと加速する。後ろをとった。そう、ステラが確信した次の瞬間、光の残滓だけをおいて、白いガンダムはディーヴィエイトの後ろにいた。
 おびえた表情を見えるステラへと、白いガンダムは蹴りを放つ。悲鳴を上げながら弾き飛ばされるステラ。アウルが急いで駆け寄ろうとする。

「よくもステラを!」

 純白のガンダムが動いた。何かをしているわけではない。ただ背部のリングを動かして、それは頭上に飾られた。装甲を展開したリングは強烈な光を放ち、その荘厳な雰囲気に拍車をかかる。
 攻撃には見えない動き。それでもアウルは極度の緊張を強いられた。何かが来る。いやな予感にシールドを前面に展開し守りで固める。
 そして、それは起きた。
 シールドの内側。シールドと機体を繋ぐアームを光が包み込んだ。それは明らかにビームの輝きを放ち、フェイズシフト・アーマーが悲鳴をあげて強烈に輝いた。
 破壊されるアーム。爆発の衝撃が機体を叩き、アウルはうめいて後ろへと弾きとばされる。2個あるシールドの片方がもぎ取られた。
 一体何が起きたのか。
 白いガンダムは何もしなかった。ただリングを輝かせただけだ。それだけでアウルは軽くあしらわれた。
 損傷したインテンセティをかばうように、イクシードが間に割り込む。

「てめえは! 魔術師かなんかか!」

 声に明らかな焦りの色を含ませて、スティングがバズーカを発射する。
 弾速が決して誉められたものではないバズーカの弾頭が、突然現れた光に絡めとられて爆散してしまう。
 明らかにビームの光だ。しかし、白いガンダムはライフルを構えてさえいない。虚空からビームが突然発生したかとしか思えない。
 白いガンダムは、次にステラに狙いを定めた。銃を向けるのではない。ただ体を正面にむけ、ディーヴィエイトを捉えた。そして、再びリングが輝き出す。
 機動力に秀でるディーヴィエイトとて、見えない攻撃はかわしようがない。3人の中でも幼いステラの心は、すでに怯えていた。

「お姉ちゃん……」

 瞳に涙さえ溜めて、操縦桿から手は放れている。愛しい姉の顔を思い浮かべながら、震えて膝を抱いていた。
 ディーヴィエイトのコクピットに、光が射し込んだ。
 眩しくはあっても熱はない。ステラが思わず閉じた瞼をゆっくりと持ち上げた時、そこには黄金がまばゆい光を放っていた。
 通常のモビル・スーツの1.5倍にも及ぶ巨体を黄金の装甲が包む。バック・パックに開いた花のように配置されるユニットもまた黄金。黄金のガンダムがステラを守るように目の前にいた。

「ヒメノカリスお姉ちゃん!」

 モニターに投影されたドレス姿の姉に、ステラは破顔する。ヒメノカリス・ホテルは応えるように口元を緩ませると、すぐに唇を引き締め白いガンダムへとその意識を移した。
 純白と黄金。2機のガンダムが対峙する。




 ZZ-X300AAフォイエリヒガンダム。この機体は、ムルタ・アズラエルを名乗ったブルー・コスモスの3人の幹部の1人であるエインセル・ハンターが搭乗したことから反コーディネーターの象徴として認識されている。
 全身を黄金の装甲で包み、25m級と規格外の大きさを持つ。その装甲はビームを弾き、接近戦では8本ものビーム・サーベルで敵を蹂躙した。
 ブルー・コスモスではその存在は半ば伝説化している。
 プラントにとってその存在は憎悪と恐怖で語られる。
 そして、モビル・スーツ開発者は勢力を問わず口をそろえる。奇才ゼフィランサス・ズールがブルー・コスモス3幹部のために手がけた3機のモビル・スーツこそ最強のモビル・スーツだと。




 戦いは次元が違っていた。フル・ミノフスキー・クラフト機の推進力、機動力は量産機の比ではない。速く、かつしなやかに飛び回る。ガンダム・タイプとは言え、所詮量産品でしかない機体では追いつくことさえままならない。
 フォイエリヒがユニットを展開する。アームで連結された4機のユニットが背から離れると、そこには銃口がそれぞれに並んでいた。ビームの連装砲から撃ち出される横列のビーム。それを白いガンダムはかわしながら、そしてライフルからビームを撃ち返す。ビームは、フォイエリヒに命中すると装甲表面を滑るように後ろへとそれていく。
 再び輝くリング。発生したビームの光の中にフォイエリヒはそのまま飛び込んだ。視界を奪われるほどの光。再び見えるようになると、無傷のままのフォイエリヒがその姿を見せつける。
 そして、また始まるビームの応酬。一撃がモビル・スーツを軽く破壊してしまうビームが何十と撃ち合われている中、並のモビル・スーツでは瞬く間に撃沈されてしまうだろう。
 それはガンダム・タイプでも例外ではない。
 スティング、アウル、ステラ。3人は姉のことを心配しながらも、現実離れした光景に思わず、放心していた。何もできず見守っていることしかできない。
 フォイエリヒがついにサーベルを抜く。両手足、そして4機のユニットから発生する計8本もの高出力ビーム・サーベル。対して、白いガンダムもまた左手に盾を、右手にビーム・サーベルを握る。
 黄金のガンダムの振り下ろす一撃は剣と呼ぶよりは鉈。切れ味と呼ぶより破壊力と称するにふさわしい一撃を、白いガンダムはいなす。次々繰り出される光の瀑布を、やはり白いガンダムはいなし、かわし、受け止めながら捌いていく。
 その様は、白い騎士と怪物、天使と悪魔の戦いを思わせた。どちらにせよ、人が立ち入ってよい領域ではない。
 それでも声が響いた。

「あんたが……」

 暗い声。陰惨な抑揚が聞き取れる。

「あんたが!」

 それは少年の声だ。左頬に痣を持つ、母を奪われ、国を捨てた少年の怨嗟の声だ。

「あんたが母さんを殺したー!」

 強引な接近を果たしたインパルスがフォイエリヒへと切りかかる。2本の対艦刀を、フレームの損傷など一切気にかけず荒々しく振り回す。ソード・シルエットはこれまでにない強度の輝きを放っていた。
 機体の寿命を削る戦い方は、それこそ今のシンを象徴していると言えた。これでなければ戦いに割り込むことさえできない。
 振り下ろした対艦刀はフォイエリヒのサーベルに防がれる。それでも、シンは攻撃をやめようとしない。叫び続けていた。

「あんたが殺したんだ。あの日、あの場所で!」

 シンは声がかすれるほど大きな声を上げていた。ヘルメットの中で反響し、自らの耳を痛めても構わず。
 こいつが、この機体があの日、空にいた。母が死んだその日、その場所で。そのことだけがシンの頭を支配し、だからこそ、シンは食らいつくことができた。
 ただ、それも浅はかな抵抗でしかなかった。巨人に挑む蟻は、どれほど勇猛でも無謀でしかなく、また遊びにさえ見えてしまう。フォイエリヒという巨体を前に、届くはずもない刃を振るい続けるインパルスの姿は、ただをこねる子どものようでさえあった。巨人がほんの少し怒り出すまでのつかの間の獅子奮迅。
 インパルスの全力の一撃は、あっけないほど簡単に受け止められた。サーベルにではない。ただ、黄金に光り輝く装甲が直接2本のサーベルを受け止めた。
 防がれたとさえ言えない。最初から効果がまるでない。そんな実力の違いを見せつける事実に、シンは思わず息を飲み絶句する。
 そして、何が起きたのかさえわからなかった。モニターに次々機体が破損したことが表示されアラームが鳴り響く。サーベルごと切断された腕、ちぎれた足。シンが辛うじて目にすることができたのは、振り下ろされたビーム・サーベルの一撃だけだった。それは左の肩口に吸い込まれ、そのまま機体を撫でるように左腕を切りとばす。
 装甲を通じて飛び込んでくる熱がシンを苛む。かつて身を焼かれた痛みを思い出しながら、シンの意識は沈んでいった。




 C.E.71年に行われた大西洋連邦軍によるオーブ侵攻は、現在においても謎の多い開戦とされている。
 当時大西洋連邦はパナマ基地を保有し、オーブ侵攻と同時期に行われたジブラルタル攻略作戦においてジブラルタル基地を奪還。軍事目的に耐えうるマスドライバーを2基確保していた。オーブの所有するマスドライバーの必要性は必ずしも高くはなかったと分析されている。
 オーブが大西洋連邦の軍事機密を盗用していたことは事実としても、プラントとの決戦を控えた時期にわざわざ敵を増やすほどの理由はないとの考える軍事アナリストもいる。
 戦略的、政治的必要性がなかった。では何故、国際的信用を失う危険性を犯してまで中立国オーブへと侵攻したのか、それは諸説分かれている。
 反コーディネーター思想結社であるブルー・コスモスの意向を強く受けた大西洋連邦が、遺伝子操作に寛容であったオーブを目障りと考えた。しかし、占領後、コーディネーターに対する迫害は迫害は確認されていない。
 ブルー・コスモス代表ムルタ・アズラエルが代表を務める軍需産業ラタトスク社の新兵器の実験に使われたのではないかとする説。当時最新機であったGAT-01A1ストライクダガーが大体的に投入された事実はそれを裏付けるが、それが国際世論を敵にする危険を冒すほどの価値があるものかとの主張には、有効な反論は主張されていない。
 マスドライバーの確保がやはり目的であったのではないかとする説は諸手を上げて肯定するほどでもないが、否定することもできない。当時ジブラルタル基地はザフト地上部隊の最重要拠点であり、マスドライバー奪還は難しいとされていた。保険をかけたのではないかとする説だ。しかし、軍が重要機密を公開するはずもなく、根拠のない説にとどまっている。
 一番荒唐無稽とされる説で、しかし根強くささやかれている説が存在する。オーブとプラントの間で密約が存在し、大西洋連邦軍が反撃に出た際には背後からオーブが奇襲をかけると手はずだったとされる説だ。この説は明確な証拠はなく、またザフト軍が行ったニュートロン・ジャマー降下によって多大な犠牲を生じた地球の国家がその首謀者に肩入れすることはありえないという国際世論の流れと逆行している。
 ただし、中立を謳うはずのオーブが大西洋連邦の技術を盗用してまでモビル・スーツの独自開発を急いだことは事実である。マスドライバー及び技術力に優れたモルゲンレーテ社本社を自爆させたことはオーブの産業に大打撃を与えたが、得をしたのはプラントだけだったとも言える。この説はいまだに根強い。
 そして、たとえ政治学者が何を言おうとも変わらない事実がある。
 多数のオーブの市民が犠牲になった。この事実だけは何も変わらない。




 あの日、今から4年前のあの日、シンは走っていた。爆音の中を、撃墜された戦闘機が頭上をかすめるような低空で煙をまき散らしながら通り過ぎて行った。
 シンは走っていた。戦場のただ中を、母に手を引かれて。不規則に巻き起こる爆発の度、体を震わせながら。
 母は仕事一筋の人だった。優秀で、熱心で、オーブの中でも指折りの大企業モルゲンレーテ社に務めるほどの人。家にいる時でも厳しい表情で携帯電話にまくし立てている姿しか見たことがない。
 そんな母がシンの腕を引いて必死に走っていた。
 政府が突然避難命令を出した。理由なんてわからない。戦場を突っ切って逃げ出せと命令してきた。子ども心に民間人に戦場を走らせることのおかしさはわかっていた。
 周りにはシンの他にも大勢の人が着の身着のままで走っていた。道路は壊れ車は使えない。陥没し、破壊され、瓦礫の山ができた道路をただ走っていた。
 大きな音がする度、避難民が一斉に横を向く。遠くの森ではモビル・スーツが戦闘をしていた。
 20mほどもある巨人が冗談みたいに大きな銃を向けあって戦っている。流れ弾のビームがシンのすぐ脇の道路へと着弾した。熱風に背中を押され、シンの小さな体は前のめりに転がった。
 シンを気遣う母の声。母に支えられながら擦りむいた膝を庇うように体を起こす。
 当たりは焦げ臭さが充満していた。シンのすぐ横には横転した車が腹を見せている。その上に、運転席から放り出された人、すでに死体となっている人が引っかかっていた。高熱に炙られたのだろう。髪がちりちりに焦げて、目はタンパク質が変質して白濁している。まるで半熟の目玉焼きのように。
 狂乱して、シンは母親にしがみついた。マユ母さん、マユ母さんと母の名を呼び続けながら。周囲では、泣き叫ぶ人たちの声が消えることがない。
 それも長いことではなかった。撃墜されたモビル・スーツがすぐ近くに落ちた。胸から火を吹き出して爆発寸前だったそれは、地面に落下したとたん、大爆発を起こした。炎が地表を舐めるように避難民に襲いかかった。
 その時、何が起きたのかわからない。熱いとか、痛いとか、そんな曖昧な記憶の中で、強烈な恐怖だけが鮮明に刻まれている。
 次にシンが起きあがった時、光景は一変していた。横にあった車はどこかに吹き飛ばされて、人の悲鳴も聞こえなくなっていた。溶けたアスファルトの臭い、焦げた肉の臭い、焦げた臭いが混ざり合った陰鬱な空気に満ちていた。
 太陽が、夜にその座を明け渡そうとした頃、シンはゆっくりと立ち上がった。
 無傷ではない。全身に軽い火傷を負っていた。左頬は特にひどく、痣が残ることだろう。この痣に、頬を伝う涙が染みた。こぼれ落ちる涙は、母を覆う灰を湿らせる。
 真のすぐそばで、母は全身を焼かれた死体と化していた。

「母、さん……」

 まるで頬の涙を拭うような風が上空から落ちた。思わず見上げると、そこには太陽があった。人の形をした太陽があった。
 全身を輝かせる黄金の巨人。沈む太陽に代わって空を支配とするように、偽りの太陽がオーブの空を蝕んでいた。
 熱に喉を焼かれ声が声にならない。血を吐くような思いが、声にならない叫びが、黄金のガンダムへとシンの慟哭と憎悪の限りをぶつけていた。



[32266] 第4話「ミネルヴァ」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/06/02 00:49
 あれから4年も経つのにまだに夢にうなされることがある。以前のように飛び起きることはなくなった。シン・アスカは自分でも意外なほど冷静に瞼を開いた。
 見慣れない形をした照明が見えた。どこかに寝かせられているようだが、自室でないことだけは確かだ。そうシンは判断した。ローラシア級バーナードは撃沈されてしまった。変える場所は失われてから。
 次第に照明に慣れてくる目は、シンの顔をのぞき込む少女の顔を捉えた。赤い髪に少女特有の丸い瞳。ルナマリア・ホークだった。

「お目覚め、シン?」
「ルナ、ここは?」

 シンが上体を起こすと広がった視界には医務室特有の光景が広がっていた。様々な薬品がしまわれている棚や、空のベッド。普段はカーテンで仕切りが作られているのだろうが、ルナマリアが閉め忘れたのか、大きく開かれたままだった。椅子についた白衣の男性がこちらを見ていることにもシンは気づくことができた。

「ラヴクラフト級ミネルヴァの医務室だ。君は戦闘中に気を失ってここに運ばれてきた」

 船医なのだろう。その言葉の中に聞き慣れない単語を見つけると、シンがつい頼ったのはルナマリアの方であった。

「ラヴクラフト級?」

 戦闘で気を失ってからの記憶が、シンにはない。
 ルナマリアはシンの手を引いて立ち上がらせようとする。シンは自分がまだノーマル・スーツを着たままであることに気づいた。あまり時間は経っていないのかもしれない。ルナマリアは軍服に着替えている。
 シンが考え事をしていると、しびれを切らせたルナマリアがシンを引っ張る手に力を込めた。

「シン、歩きながら説明するから」

 無重力であるため、地上よりも簡単にシンの体は浮き上がる。船医にはルナマリアが軽く会釈して、シンは医務室を後にした。
 部屋の外には小綺麗な通路。人手不足で薄汚れていたバーナードとは最初から違う様子だった。
 シンをおいてルナマリアが無重力の中を漂っていく。仕方なく、後を追いかけるように体を浮かせたシンへと、ルナマリアは前も見ずに体ごと振り向いた。

「あの戦いの時、援軍が来てくれたこと覚えてるでしょ」
「ああ。白いガンダムだった。見たこともない機種だったよな?」
「そのガンダムの母艦がこのミネルヴァなの。私たちはそこに収容されたってわけ」
「……トライン艦長たちは?」

 ルナマリアはわかりやすい顔をした。とたんに微笑みが消えて表情を曇らせた。シンが聞く覚悟を決めるにはちょうどいい間をおいてから、ルナマリアは答えた。

「駄目だったって……」
「そうか……」

 あの爆発の中、生き延びているとシンは考えていた訳ではない。でももしかしたら、、そんな考えが頭の中を回り続けていた。
 どうしても話は続かない。2人はそのまま通路を進み、やがて開けた場所にでた。
 格納庫だ。シンたちは格納庫壁際の通路に出ていた。ちょうど、モビル・スーツの胸くらいの高さだ。
 多数のZGMF-56Sインパルスガンダムが並んでいる。その脇には合体や変形を助けるための頑丈そうなガントリー・クレーンが1機に1台用意されていた。ローラシア級のように物資運搬用のクレーンを無理矢理使っているものとは違う。
 シンは否応なしに思い出さざるをえなかった。ラヴクラフト級は、インパルスガンダムを運用するために開発された専用艦なのだと。外人部隊には与えられなかった戦艦である。
 新品同様に磨き上げられたインパルスの列。それを見るシンの目は、自然と険しいものになっていた。やがて、インパルスに混ざって立つ、例の白いガンダムを見つけることになった。
 ザフト軍が量産しているガンダムは2種類。白いガンダムはそのどちらの特徴も受け継いでいない。開発系統がまるでわからない機体だった。
 ルナマリアの突然の声に、シンは前を向いた。

「ほら、シン、あの人が白いガンダムのパイロット」

 シンたちがいる通路の先に、ガンダムを眺めるように手すりに体を預けた少女、いや、少年の姿があった。その横顔は中性的で、髪は滑らかな金髪。歳のほどはシンたちよりも少し上だろう。身につけているのは赤い制服。
 ルナマリアの声に気がついたのか、赤服はシンへと向き直った。あまり表情を変えるタイプの人物ではないらしい。乏しい表情のまま、近くまでたどりついたシンたちへと敬礼した。

「レイ・ザ・バレル大尉だ」

 敬礼を返すルナマリア。つい反応が遅れてしまったが、シンも敬礼を追いつかせる。

「シン・アスカ軍曹です……」

 相手はまだ10代に思える少年の階級にしては高い地位だった。シンも軍学校では首席を維持していたが、カリキュラムをすべて終えるまでに放り出された。赤服を与えられても卒業扱いにはされず、階級も新兵同然から始まった。
 目の前の少年は大尉。それどころか、左の襟元には翼を模したエンブレムがあった。シンが反感を覚えるには適当な材料が整いすぎていた。

「どうしてですか……?」

 敬礼の手が力なく落ちる。まるで、その力もひっくるめて激情に向かってしまったかのように、シンは自分が抑えられなくなる実感を覚えていた。

「どうしてもっと早く助けに来てくれなかったんですか!? そうすればトライン艦長たちも死なずにすんだかもしれない!」

 心配そうなルナマリアに対して、バレル大尉は驚くほど冷静だった。

「こちらの到着を待たずに動いたのはそちらの判断だ」
「それもこれも、正規軍のしわ寄せじゃないですか! これまで艦長たちがどれほど要請を断られてきたか、あんたは知ってるのか!?」
「ここで騒いだところで立場を悪くするだけだとは理解しているのか?」

 さすがに不穏な空気を感じたのか、ルナマリアがシンの腕にしがみつくように押さえようとする。

「ちょっと、シン!」

 ルナマリアを突き飛ばすところまで、シンは冷静さを失ってはいない。
 バレル大尉は何事もなかったようにまた手すりの方に体をむき直した。

「艦長に顔を見せておけ。グラディス艦長なら、今は艦長室にいるはずだ」

 ルナマリアに促されたことをきっかけにして、シンは歩き始めた。つい気になって振り向いても、バレル大尉は前を見たままだった。
 シンはこの艦の構造を知らない。ルナマリアが前を行く形は継続されると思いきや、ルナマリアはシンの横に並んだ。

「どうしたのよ、急に……?」
「何でもない……」

 話してもきっとルナマリアは理解してくれない。同じ外人部隊とは言っても、在外コーディネーターとオナラブル・コーディネーターでは壁があった。

「でも……」
「何でもないって言ってるだろ!」

 お偉い方はいつも自分が正しいようなふりをして民を踏みつける。かつてシンがオーブ政府に対して抱いた反感を、エリート兵士と外人部隊の関係に置き換えてしまった。このことを理解してくれる人は誰もいない。




 シンとルナマリアは気づいていなかったが、2人は思いの外格納庫の関心を集めていた。シンがバレル隊長に食ってかかった時も、パイロットの何人かはその様子を目撃していた。
 開かれたままのインパルスのコクピット・ハッチ。その縁に腰掛けるのは赤いノーマル・スーツを着た少年であった。ヘルメットはつけていない。橙色の髪が鮮やかで、その顔にはあどけなさが強く残る。

「あれが在外コーディネーターの赤服なんだろ、ヨウラン?」

 少年はシンたちが去っていった方向を眺めたまま、すぐ側に漂っている別の少年へと話しかけていた。少年の名はヴィーノ・デュプレ。話しかけられた方はヨウラン・ケントである。
 ヨウランは褐色の肌をしていた。その肌の色から表情が多少わかりにくくとも、少なくともヴィーノほどわかりやすい顔はしていない。落ち着いた雰囲気だった。

「女性の方はオナラブル・コーディネーターだ。言葉は正確にな」
「でも大丈夫なのかな? どっちもコーディネーターの出来損ないみたいなものなんだろ」
「人はどう生まれるかじゃない。何をするかだ。あの2人だって、プラントと人類の明日のために命をかける仲間だろ」

 プラントのにおいてーディネーターは、プラントのために存在することが前提となる。




「ルナマリア・ホークです。シン・アスカ軍曹を連れて参りました」

 敬礼するルナマリアの横で、シンもまた敬礼をする。
 艦長室は広く、無駄に立派な机の向こう側に、バレル大尉がグラディス艦長と呼んでいた女性が座っている。
 ザフト軍において指揮官やその部隊の代表者が着る白い軍服で、同じく白い軍帽は机の上に置かれている。年齢は30代前半だろうか。厳しい眼差しの似合う人で、シンはふと母親のことを思い出していた。母であるマユ・アスカも、同じような顔をよくしていた。

「楽にしてちょうだい」

 不必要に堅苦しくはないが、だからと甘えが許される雰囲気はない。
 シンとルナマリアは休めの姿勢へと手際よく体勢を変える。

「この艦の艦長を務めるタリア・グラディスです」

 グラディス艦長は明らかにシンのことを見ていた。ルナマリアの紹介はすでに終えているのだろう。休めの姿勢に敬礼はあわないと、そのままの姿勢で声を上げる。

「シン・アスカであります」
「アスカ軍曹。状況も飲み込めてきたものと思いますが、あなたたちの母艦は撃沈され、また我々にあなた方を降ろしている余裕はありません。よって、あなた方にはこの艦にパイロットとして乗艦してもらうことになります。おって正式に命令が届くことでしょう。異論はありませんね」
「はい!」

 軍隊において他に言える台詞などない。あるとすれば、了解です、わかりました、何にしろ上官に逆らうことはできない。

「この艦のモビル・スーツ部隊隊長はバレル大尉が務めています。今後、彼の指揮下に入ってもらいます」

 グラディス艦長は手元の資料に目を落とし、こちらを見ることはなくなった。これで話は終わりということだろうか。

「グラディス艦長、お聞かせ願いたいことがあります」

 艦長はシンの方を一瞥だけしてすぐに資料へと視線を落とした。決して好意的とはいかないまでも拒否されたわけでもないらしい。ルナマリアはどこか心配そうな様子だが、不安がられるようなことを聞くつもりもシンにはなかった。

「この艦は私の見た限り単独で行動しています。その理由は作戦内容と関係しているのでしょうか?」

 特殊なガンダムに、バレル大尉のエンブレムを見ればこの部隊が特殊任務を帯びていることは容易に想像がつく。
 翼のエンブレムはフェイス、プラント最高評議会議長にのみ選任が許可されたエリート・パイロットにのみ与えられる紋章。軍学校に所属していたものならその偉大さは嫌と言うほど聞かされる。
 グラディス艦長の反応は鈍い。今度は一瞥さえない。

「レイ大尉はギルバート・デュランダル議長に選任されたフェイスです。このことの意味はわかりますね?」

 要するに、それほど重要な任務を在外コーディネーターに話すつもりはないということだ。君には知る資格がない。シンが何度も聞いてきた正規軍の決まり文句だ。
 この船は正規軍の船。それ以上でもそれ以下でもなかった。




 プラント最高評議会は必ず円卓を用いる。全12市からそれぞれ1名ずつ選出された議員が平等であることを示すために。だが、それはあくまでも建前でしかない。
 地球との戦争を主張する急進派と戦争反対を謳う穏健派、そしてそのどちらにも属さない中道派。特に急進派と穏健派の覇権争いは熾烈を極めた。切り崩しに裏工作。変化する情勢に伴い議会の勢力図はめまぐるしく書き換えられた。
 その後、両派はそろって指導者を失い、議会は壊滅的な打撃を受けた。
 急進派は筆頭パトリック・ザラ議員が戦死し、懐刀であったエザリア・ジュール議員が政界を引退。ユーリ・アマルフィ議員が大西洋連邦に亡命。主力議員を失いことで急速に弱体化。
 穏健派もまた、筆頭議員であったシーゲル・クラインを亡くし、暫定政権を樹立したアイリーン・カナーバ政権は国内の不満を抑えられず半年で瓦解した。
 書き直された勢力図を語る上で欠くことができない男がいる。現プラント最高議会議長ギルバート・デュランダル議員である。
 デュランダル議員は穏健派に属していたが、ほんの数年前まで政局に有利とは言えないディセンベル市出身の無名の議員でしかなかった。そんな男が弱体化したとは言え、最高評議会議員候補に選出されるとともに、穏健派の代表に選ばれるとは誰も考えていなかった。
 しかし、その決断は結果として正しかったと言える。
 ギルバート・デュランダルは、絵になる男であった。
 まだ30を超えたばかりのその顔は若々しく、長く伸ばされた髪と相まって俳優を思わせるほど写りがよい。それでいて演説は巧み。プラントの未来と正当性を訴えるその姿は若者を中心として熱狂的な支持を集めた。まだ立ち直り切れていない急進派を後目に、穏健派は大躍進を果たす。晴れて最高評議会議員に選出されたデュランダル議員は、それこそ当然のように議長の座についた。まだ短いプラントの歴史の中で最年少の議長就任である。
 その支持率は現在でも非常に高く、また政治的手腕にも優れていた。反対派議員さえ巧みに取り込み、12議席中、すでに11の議席は穏健派、いや、デュランダル派によって占められているとされている。
 今やプラント最高の指導者とも言うべきデュランダル議長に意見する者などいない。ただ1人を除いて。かつて急進派と穏健派で議会が2つに割れている際にも中道派を貫き通した偉大な臆病者は、今なおその姿勢を曲げてはいない。
 タッド・エルスマン議員。デュランダル議長と同じく髪が長い。しかしすでに老年にさしかかった姿に議長のような覇気は感じられず、代わりにしなやかな強かさを感じさせた。議長が堅牢な盾ならば、エルスマン議員は柳。好対照な2人は円卓の対角線上に向かい合わせで座っていた。

「デュランダル議長。あなたは現在、危うい綱渡りの上にいる。私にはそう思えてならない。戦費拡大に予備役含めた兵員の増員。それを移民や貧困層を利用する形で補っている。戦時中とは言え、これはやりすぎではないかね?」

 答えたのはデュランダル議長本人ではなく、その右隣に座る別の議員であった。その顔に真剣さはなく、スポーツの客席で野次を飛ばす観戦者のような気楽な表情をしている。

「エルスマン議員、プラントは未曾有の危機にさらされている。綺麗言ばかりが政治家の仕事ではない」
「そう言って持ち出されたジェネシスは危うく地球を滅ぼしかけた」

 思わず言葉を詰まらせる穏健派議員。
 ここには2重の皮肉があった。ジェネシスの存在が地球の対プラント感情を劇的に悪化させたこと。この窮地はプラント自らが招いたことであり、そしてジェネシスの開発を指示したのは穏健派代表を務めたシーゲル・クライン議員であるという事実。
 穏健派議員は助けを求めるような視線でデュランダル議長を見る。デュランダル議長は副議長の視線には応えず、ただ真っ直ぐにエルスマン議員を見ていた。
 現在の議会において、10の席が空位であっても何の問題もないだろう。ただ、対面する2議員さえいるのなら。
 ギルバート・デュランダル議長は、語りかけるような口調で話し始めた。

「タッド・エルスマン議員。あなたは素晴らしいお方だ。戦場で子息が行方しれずになろうとも決して志を曲げようとはしなかった。まさに議員の鑑のようなお方だ」

 以前、穏健派からは息子の戦死を切っ掛けとして急進派に鞍替えした議員が存在する。

「私もそう易々と考えを変えるつもりはない。私には議長としてこの国を守る義務と責務がある。もちろん、私とてすべてが正しいとは言わない。しかしだね、無限に使える予算などなければ、無尽蔵に湧き出てくる戦力なんてものはどこにもない。犠牲も必要だろう。こんなこと、エルスマン議員には釈迦に説法とは思う。私とエルスマン議員の違いは、所詮どこまでの犠牲を看過できるか、その線引きの違いでしかないのではないだろうか」

 議長の笑みは蠱惑的でさえあった。

「戦争は悲しいかな、1人で始めることはできても1人で終わらせることはできない。我々がどれほど平和を求めようとただ1人の悪意で戦争は起きてしまう。私はね、そんな火の元を一刻も早く吹き消してしまいたいと考えている」
「議長。あなたはそうしてブルー・コスモスへの危機感を煽り続けた。火災保険の加入者を増やすには、火事を起こしてしまうのが手っ取り早い。しかし、火と人の意識はよく似ている。どちらも燃え広がってしまえば止める手だてはない。私はそのことを心配している」

 新進気鋭の議長と、老獪な議員。この2人の対立の構図の把握だけで、現在のプラント最高評議会の勢力図は説明できてしまう。




 ミネルヴァでシンに与えられたのは個室であった。ベッドが大半を占めるような狭い部屋が、しかしシンには唯一落ち着くことのできる部屋になっている。
 どちらかと言えば社交的なルナマリアとは違って、シンは正規兵と顔を合わせることさえ苦痛に感じていた。そのため必要な時以外はどうしても部屋に籠もりがちで、ルナマリアが訪ねてくる時以外誰とも口をきくこともない。
 ルナマリアがベッドに腰掛けて、シンと簡単な話をする。この構図は、ローラシア級バーナードの頃と何も変わっていない。

「なんだか、よくわからないことになったな……。今でも目が覚めるとローラシア級にいるように思えることがあるよ」

 外人部隊として危険な戦場をたらい回しにされ、命の危機に瀕したと思えばいつの間にかラヴクラフト級なんて新鋭艦に乗っている。ともに戦ってきた仲間はもういない。
 ルナマリアとて部屋の外では明るく振る舞っているようだが、この部屋では心なしか表情が沈んでいる。

「仲間を失う時って、嫌なくらい呆気ないから……」

 死神はドアをノックしてくれない。いつも突然で、無遠慮。呆気にとられているうちに、見知った誰かがいなくなる。自分の番がくるのはいつだろうか、そんなことを毎回考えさせられる。

「俺たち、これからどうなるんだろうな」

 気分を沈めたくはなくとも、自然とシンの声は暗くなる。椅子に寄りかかって天井を見上げてみても、それで気分が上向くことはない。
  ルナマリアがどこか遠慮がちな声を出した。

「ねえ、シンって、家族はいる?」
「どうしたんだよ、急に?」

 シンは首を水平に戻しながら疑問を口にする。これまで1度も家族のことについて話したことなんてなかったからだ。

「何となく。私にはお父さんにお母さん、それに妹がいるの。こんな戦争なんてなかったら、私は今頃どうしてるんだろ。普通に学校に行って恋人でも作って、妹に自慢でもしてるのかな?」

 シンは自分の家族を思い出してから、戦争に関わらない自分というものを思い描いてみた。母1人に子1人。ただ、戦争のない自分は、どうしても想像できなかった。

「俺には母さんがいたよ。でも、4年前戦争で死んだ」
「もしかして、悪いこと聞いた?」

 こんなところで声を潜めても仕方がないだろうに、ルナマリアは口元に手を当てる。

「別に。ただ、戦争してた時間が長すぎて、戦争がない自分を想像できないんだ」

 人生の25%を戦争に関わってきた。戦争に参加していない自分がいたとしたら、果たして何をしているのかどうしてもわからない。戦争が終わってくれれば、少しはそんなことを考える余裕ができるのだろうか。シンはそんなことを考えた。

「ルナ。絶対に死ぬなよ」

 ルナマリアは呆れたように笑う。

「馬鹿。縁起でもないこと言わないでよ」
「そうだな、悪い」

 そうは言ったものの、シンは冗談のつもりなんてなかった。戦場では死ぬ順番なんて決まっていない。弱い奴からでも悪い奴からでもない。気まぐれに人が死んでいく。今回は、たまたまシンたちは助かったように、次はたまたま誰かが死んでいく。それが戦争だから。




 真剣な表情で向き合う2人の少年。休憩室のテーブルを挟んでアウル・ニーダとスティング・オークレーが睨み合う。
 アウルは真剣であった。あどけない表情を、それでも賢明に凄ませてその手には5枚のトランプを広げている。スティングはトランプを片手で広げ、椅子から半身を乗り出すほどの余裕を見せている。
 相手の表情を読みとろうとするアウル。目元には緊張が現れているが、口元からは笑みがこぼれた。カードを相手に見えるように倒す。スリーカードとワンペア。ポーカーで言うところのフルハウスが完成していた。

「フルハウスだ。俺の勝ちだな」

 フルハウスは作り易さの割に強力な役である。アウルは勝利の自信を深めた。スティングはあくまでも余裕のある様子を崩さず、もったいぶった様子でカードを見せる。そこにはスリーカードと1枚のジョーカー。

「残念だが、俺はフォーカードだ」

 すべてのカードの代わりとして使うことができるジョーカーが使用されているとは言え、同じ数字のカードを4枚揃えるフォーカードはなかなか作ることのできない。フルハウスよりも難度が高く、もちろん強力だった。
 テーブルに放り捨てられるフルハウス。

「5連敗かよ!」

 アウルは力なく背もたれに寄りかかった。すっかり気力をなくしたように背もたれに首を乗せ、後ろが見えてしまうくらい脱力していく。すると、髪の毛の塊が浮かんでいた。
 ヒメノカリス・ホテルだった。ドレスと髪型は無重力の中に漂い、どこか現実離れした光景を作り出している。

「何してるの?」

 テーブルのそばにまで来たヒメノカリスが一言。上体を前に戻す手間があるアウルに代わり、スティングが片手を振りながら対応する。

「ポーカー。姉貴もやる?」

 その手を、ヒメノカリスは素早い動きで掴みとった。すると、その袖口から数枚のトランプが飛び出し、中空を漂い始めた。アウルが目を丸くする。

「ポーカーって、袖にカードを入れて行うもの?」

 姉と呼ぶヒメノカリスに手を掴まれたまま、スティングはばつの悪そうに笑う。尖った印象を与えるスティングだが、ヒメノカリスの前では丸い表情を見せることがある。
 反対に、アウルの雰囲気が棘を持つ。

「全部イカサマかよ!」
「おい、ちょっと待て。確かに俺はイカサマをしようとしたことは認めてやる。だが、初めてしようとしただけだ。それとも、これまでもイカサマだったって証拠でもあるのか?」

 あくまでも既遂ではなく未遂と主張するスティング。すでにヒメノカリスの手は掴んでいない。スティングは余裕な様子で散らばったトランプを集めては手慣れた様子できり始める。

「死んだ親父が言ってたぜ。イカサマはばれなきゃイカサマじゃないってな」
「俺の母さんは誠実こそ美徳だって言ってたんだよ!」

 やってられるか。アウルはそう言い残して席を立つ。残されたスティングはトランプを片づけ終えた。アウルを怒らせたことに特に感慨はないらしい。同僚が離れていった方向に目をやるよりも、ヒメノカリスが歩きだそうとした方に関心は向けられていた。

「姉貴はどこへ?」
「格納庫」

 簡潔な姉らしく一言で。それでも、一応立ち止まって話に応じてくれるところも、スティングはヒメノカリスらしいと考えていた。

「俺も行く」

 ヒメノカリスはすでに歩きだしていたが、別に拒否することもなかった。休憩室を離れ、長い通路を抜ける。スティングがちょうど追いついた頃、ヒメノカリスは格納庫の扉をくぐり抜けた。

 ヒメノカリスが向かったのは黄金のガンダムの前。ふわりと飛び上がると、少女の体はゆっくりとガンダムの胸の高さにあった通路へ飛び移った。スティングもまた飛び上がると、通路の上で2人は並んでガンダムを見ることになった。
 25mの巨体が、黄金の輝きを放っている。かつてブルー・コスモスの三幹部の1人、エインセル・ハンターが搭乗し、大戦を戦い抜いた機体は、あれから3年を経た今でもその輝きをくすませていない。
 スティングは口笛を吹いた。

「これ、ZZ-X300AAフォイエリヒガンダムだろ。ゼフィランサス・ズールが3人のムルタ・アズラエルのために開発したゼフィランサス・ナンバーズと呼ばれる機体群、その初号機、だろ、姉貴?」
「そう。お父様の機体」

 愛しい父であるエインセル・ハンター。ヒメノカリスはついスティングの横顔を眺めた。スティングをはじめとする3人の子どもたちも、父から娘に預けられた。

「スティングもアウルもステラも、本来は戦闘要員じゃない。戦うことは怖くない?」
「別に。コーディネーターどもと戦えるなら俺は何だっていいさ」

 スティングはフォイエリヒを見上げたまま答えた。ヒメノカリスも父の機体へとその視線を戻した。

「あなたたちはお父様とてもよく似た感じがする」

 現在格納庫は閑散としている。整備士の姿も疎らであり、少なくともスティングたちの周りに人影はない。そのためか、スティングが見せた顔はアウルほども人なつこいものであった。

「ならさ、俺にもいつかこいつ使わせてくれよ!」

 口元を少し持ち上げる。そんなささやかな笑みを見せたヒメノカリスは、それでもきっぱりと弟の頼みを拒絶した。

「それは駄目。お父様の機体を使っていいのは私だけだから」

 部隊長として戦術面からの判断だとか兵器を玩具にしていいという判断ではない。純粋に私欲と個人的事情のみで依頼を拒否されたスティングは、呆れたような笑みを見せた。

「何だよそれ」



[32266] 第5話「冬の始まり」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/06/16 00:33
 大西洋連邦首都、ワシントンD.C。大統領の直接選挙制を採用するこの国では記者会見の場で大統領が姿を見せることも珍しくはない。記者たちも慣れたもので大統領の姿を前にしても体を固くすることもない。
 しかし、今回ばかりは例外であった。
 国旗が掲げられた会見台にはジョセフ・コープランド大統領の姿があった。薄い色をしたスーツのごく普通の中年男性が第一印象であろう。国内では地味ながら堅実な大統領と評価されている。

「これは映画ではありません。昨日の15時37分、小惑星が地球への衝突軌道に入っていることが確認されました。小惑星の名称はフィンブルとなりました。直径は約7km。地球への到達予測日時は約10日後であると予想されています」

 堅物で知られるコープランド大統領にしては珍しい出だしだった。会見場に詰めかけた記者たちから戸惑いの声が漏れる中、コープランド大統領はあくまでも冷静に事実を並べていく。

「被害を受けると思われる地点への避難命令を発令しており、迎撃準備を行っている最中であります」

 どのような地区にどのような対策が講じられているのか、また、どのように軍が動いているのかが一通り並べられた後、記者による質問が許可された。並ぶ記者の中から手が上がる。コープランド大統領はその内の1人を指し示した。

「10日後とは急な印象です。発表が遅れた理由をお聞かせください」
「まず、この小惑星の由来がはっきりとしていないこと。また、プラント領空をかすめる軌道であったことから、地球の観測では発見が遅れてしまったことが原因と考えられます」

 突然現れ、そしてプラント政府を刺激しないようとの配慮から監視の緩い地点を小惑星が通過しているために発見が遅れた。戦争の弊害はこのようなところに影響を及ぼしていた。
 コープランド大統領は次の質問者を指す。

「被害想定はどの程度と予測されていますか?」
「現在、計算中です」

 食い下がろうとする記者に対してコープランド大統領は算出中とだけ繰り返す。根負けしたのは記者の方である。
 次に立ち上がったのは若い男性だった。会見場にいる以上、記者であることは間違いないのだろうが、メモをとることもなく、また赤いジャケットを羽織った姿は周囲と明らかに違う雰囲気を醸し出していた。

「隕石に対してはどんなアプローチをかけるつもりですか?」
「出撃可能な軍艦を動員し、破砕作業を開始する予定です」
「プラントとの連携はどうなっていますか?」
「現在、協議を打診しております」
「もし協力が得られない場合、衛星軌道内で破砕活動を行うということも考えられますか?」

 矢継ぎ早に質問を繰り返す若い記者に対して、コープランド大統領は表情こそ変えないものの疎ましさを覚え始めたらしい。

「失礼ですが、質問は1人1つまでと区切らせていただきます」

 若い記者を無視する形で大統領は次の質問者を指名する。新たな質問者が起立したことで、口元を歪ませて残念さを隠そうとしないで若者は席に着いた。
 そんな血気盛んな記者へと、隣に座っていた少女が声をかけた。この少女も、若者同様ラフな格好をしていた。ズボンに薄いジャケット。動きやすく、それでいておしゃれも欠かさない。そんな機能的な姿をしていた。

「ジェスさん、また無茶して。ナタルさんに怒られても知らないからね」

 少女を後目に、ジェスと呼ばれた記者は今更になってメモにペンを走らせていた。その姿に、少女はため息をつく。

「バジルール所長ならわかってくれるさ。でも、これから忙しくなりそうだ。フレイも準備だけはしっかりしててくれよ」




 衛星軌道を周回中であった艦船が隕石の予想航路へと移動を開始した。
 ダーレス級MS運用母艦を中心とした艦隊が、それでも最大船速とはほど遠い速度で運行を続けていた。
 現在、地球連合軍は明確な目標地点を絞り切れていない。本来、地球から遠い地点で迎撃を始めることができるのが理想である。しかし、プラント宙域への進行が認められていない以上、軍を進める範囲には限界があった。
 艦隊の歩みが遅い理由はここにある。プラント宙域にまで移動が許されないのであれば時間的猶予は十分すぎる。月と地球の間、小惑星が衛星軌道内に入るまでの約30万kmの間に迎撃しなければならない。
 格納庫ではモビル・スーツが整備を終えている。ストライクダガーの他、ガンダム・タイプが積載量ギリギリまで搭載されている。艦の外では、横付けされる形で左右2機ずつメテオ・ブレイカーの名を持つ小惑星破砕用の大型重機が抱えられている。モビル・スーツの倍の高さを持つ3脚に円柱状のドリルを取り付けた地球防衛の切り札である。
 隕石が落ちることを前提に人々が逃げまどい、隕石を落とさぬために戦士が戦場へと赴く。
 後にフィンブルと命名されることとなる隕石が、災いとともに地球へと近づいていた。




 地球では落着が予想される東アジアを中心に住民の避難が進められる。津波の発生が懸念される海岸線からは人々が離れ、シェルターへと避難する。
 雨降り仕切る中、昼間だというのに薄暗い。人々は最低限の荷物を背負いレインコートを目深に被りながら列をなす。そのすぐ横では過密渋滞で立ち往生した車が並び、混乱をさけるために派遣された兵士の声が雨音に混ざり辛うじて聞き取れる。
 そんな人々の流れと逆行する人の姿があった。ただし、正確には人ではない。人の形をした巨人、モビル・スーツたちが地響きを響かせながら避難民とすれ違う。
 GAT-01A1ストライクダガーと呼ばれる機体である。GAT-01デュエルダガー同様GATシリーズと呼ばれるガンダムの量産機に当たる。この機体は簡素ながらもオリジナルであるGAT-X105ストライクガンダムに近い明確に凹凸を持つ装甲が採用されている。その背には大きなウイングを持つジェット・ストライカーが装備されている。手にはライフルとシールド。
 避難民は見上げていた。歩くモビル・スーツは武装している。目的は混乱に乗じた暴徒の制圧、あるいは、ザフト地上軍との戦闘を視野に入れているのかもしれない。
 また戦争が始まるのだろうか。人々の見上げる顔に、雨はただ降りしきる。




 政治もまた、大きな動きを見せていた。
 プラント最高評議会が緊急召集され、12の議員が並ぶ。議題は小惑星落下について地球軍とどう連携するか。
 しかしその実態は単なる茶番でしかなかった。召集を待たず、議会の意思は決定しているのだから。

「我々が留意しなければならないことは、ナチュラルはどう取り繕おうと我々コーディネーターに対する潜在的な嫉妬を抱いているということです。持たざる者と持たざる者の違いはそれほど大きなものなのです」
「さよう。仮に領空侵犯を許せば多少の犠牲は目をつぶって我が国を攻撃せぬとも限りません。何せ、アラスカでは味方ごと火を放つような輩だ」
「コーディネーターを失うことは人類にとって大きな損失です。敢えて地球とプラントを秤にかければどちらに傾くかは自明でしょう」

 議員たちが口々に意見を交わし合う。ただそれは、すでに議論ではなくなっていた。すでに結論は出ている。後は、論理構成をまとめるだけ。地球軍に協力しない言い訳をどう取り繕うべきかが話し合われているにすぎない。

「核の使用を打診しておるようだが、ユニウス・セブン条約の一時凍結などとんでもない。例外を作れば次の機会にどのように利用されるかわかったものではない」

 条約ではプレア・ニコルの兵器への搭載が禁じられている。すなわち、核分裂を利用する兵器はそのすべてが使用できない。核ミサイルは小惑星破壊に大きな力になることは間違いないが、プラントにその封印を解くつもりはなかった。
 宙域への進行を認めなければ、核の使用を認めなければ危険性は格段に増す。しかし、そのリスクを負うのはすべて地球であり、ナチュラルにすぎない。それが議論の前提として横たわっていた。
 議員たちがお飾りの議論を繰り返す様子を、ギルバート・デュランダル議長は目を閉じ、静かに聞き入っていた。そして何の前触れもなく、風を思わせる声を響かせた。

「熟議を重ね正しい結論を出すことも大切だろう。だが、貴重な時間を浪費することもできない。決をとろう。我々は地球軍の進軍を許すべきだろうか? プラントを危険にさらす危険を冒してまで?」

 デュランダル議長が首を回す。議員たちを一通り眺めた後、その視線は正面に戻る。ただ首をなおしたのではない。正面に座るタッド・エルスマン議員を見たのだ。

「勘違いはしないでほしい。我々は地球がどうなってもいいと言っているのではない。破砕作業には軍を参加させるべきだろうとも考えている。だが、それはあくまでも人道的な措置にすぎない。我々には地球に協力する義務などないのだからね」

 それは議会全体へと向けられた言葉であるようでありながら、しかしその眼差しはエルスマン議員ただ1人へと向けられている。

「では、地球軍の申し出を受け入れるべきと考える者は起立願おう」

 票決は、12名と少人数とは言え集計をとるまでもなかった。たった1人、たった1人の議員だけが立ち上がっていた。デュランダル議長の真向かいで立ち上がる、タッド・エルスマン議員だけが賛成票を投じたのだ。 
 プラント最高評議会は、地球軍の申し出を拒否することを正式に決定した。




 ヒメノカリス・ホテルは慌ただしさのただ中にある格納庫にいた。
 密命を帯びているはずの特務艦ガーティ・ルーでさえ小惑星迎撃に参加することが決定していた。地球の大事に動かない艦隊があることをザフトに気取られないための措置である。
 まるで、ザフトに戦力がふるいにかけられているようだと、ヒメノカリスはZZ-X300AAフォイエリヒガンダムを見上げながら考えていた。
 アウル・ニーダとステラ・ルーシェ。ヒメノカリスを姉のように慕う子どもたちが姿を現したのはちょうどそんな時だった。

「姉貴。星が落ちてくるって本当か?」

「私たちも戦う?」

 忙しい整備士たちの間を縫うように、無重力の中を子ども2人が漂ってくる。ヒメノカリスは勢いのつきすぎたステラを抱きしめるように止める必要があった。

「そう。アウルもステラも準備の手を抜かないで。プラントが領空侵犯を許すとは思えない。小惑星破砕は私たちの手で行うことになる」

 抱き留めたステラを床におろしてから、ヒメノカリスは近くにいた整備士に目で合図を送る。すると、整備士は冊子を一つ、放り投げた。無重力なので受け取ることはたやすい。

「破砕用のメテオ・ブレイカーの準備は始まってる。簡単な使い方くらい、目を通しておいて」

 格納庫には入りきらない大きさで、ガーティ・ルーの船側に取り付けられている。巨大な破砕機をモビル・スーツの手で運び、起動しなければならない。
 姉から見せられた冊子を、アウルとステラは真剣な眼差しでのぞき込んでいた。
 その様子を、アウル、ステラと同じ立場であるはずのスティング・オークレーはキャット・ウォークの上からただ眺めていた。手すりを両手で掴み、体重を預けるように下を覗き込む様子は、自信ありげな普段のスティングの様子が見られない。
 何か漠然とした不安を感じているような、そんな落ち着きのない目は、ヒメノカリスのことを見つめていた。見つめたまま、ただ時間だけがすぎていく。




 シン・アスカは再びノーマル・スーツに袖を通した。自然とこれから戦いが始まると心が引き締まる思いを、シンは感じていた。
 今回の任務は小惑星破砕作業の支援。戦闘になることはない。ただ破砕計画の詳細を聞かされていないことへの不安が、シンの胸中をよぎっていた。
 シンはパイロットたちが集まる待機室へと向かう足を早めた。すぐ後ろにはルナマリア・ホークが続いていた。外人部隊に所属していたとは言え正規のプラント市民であるルナマリアは、シンとは別のことに不安を覚えているようだ。

「ミネルヴァで初めての出撃だけど、うまく連携とれるかな?」

 人当たりのいい性格で、すでにミネルヴァにとけ込んでいるように思えるルナマリアのことだ。言葉ほど心配している訳ではないだろうと、シンは勝手に判断した。
 シンが振り返ると狭い通路の中を漂うように歩くルナマリアの姿を確認できた。

「なあ、ルナ。バレル隊長の機体って、何て名前なんだ?」

 救援にかけつけたリングを背負った白いガンダム。ザフトが量産しているガンダムとは違う。ルナマリアが口を軽く膨らませたところを見ると、タイミングが悪かったらしい。

「私の相談は無視? まあいいわ。バレル隊長に聞いたけど、確かローゼンクリスタルだったかな」

 やはり、シンには聞き覚えのない名前だった。
 シンは首を前に戻した。話に興味がなくなったのではなく、単に目的地が近くなっただけだ。無重力に漂う体を扉の前でうまく止めて、スライド式の扉を開く。
 中には2個モビル・スーツ小隊、合計6人のパイロットが時間を潰していた。全員が赤服。緊張感なんてものは感じられない。ずいぶんと和やかな様子で、シンたちのことを気にとめる者もいない。
 2人のパイロットが立ち話をしている。どちらもまだシンと同じくらいで、調子の軽い少年が一方的に話しかけ、褐色の肌をした少年が静かに聞き役に回っていた。
 その脇を抜けて部屋の真ん中へと進もうとする。
 その時のことだった。言葉が聞こえたのは。

「隕石か、面倒なことになったよな」

 少年の口調が事態の深刻さに反して余りに軽いものであったことに、シンの意識はさらわれた。

「いっそこのまま落っことせばいいんじゃないか? そうすればナチュラル全滅で問題みんな解決するだろ」

 こっちを向け。そう考えた時にはすでにシンの腕は少年の胸ぐらを掴んでいた。気づくと、シンは間近で相手の顔をのぞき込んでいた。

「もう一度言ってみろ」

 シンの視界一杯に広がる少年の顔は明らかに狼狽えていた。その瞳には目を見開いたシンの顔が写っている。

「もう一度言ってみろ!」

 シンの腕に力がこもる。
 かつて地球を滅ぼそうとした民は、地球の人のことをいつまでも同じ人間と見ようとしない。こんな怒りを、シンは何度も経験した。
 ルナマリアの声がした。

「シン!」

 しかし、体を引きはがしにかかったのは明らかに男の力だった。他のパイロットが2人がかりでシンの体を少年から引き離した。少年は苦しそうに首をさすっている。シンにこれ以上暴れるつもりもないが、パイロット2人はシンを離そうとしない。

「落ち着けよ、在外コーディネーター」

 ここで正規軍を相手に殴り合ってやろうか。シンがそんな決意を瞳にたたえ始めた時、落ち着き払った声があった。

「何をしている?」

 その場の全員が扉の方を見た。ノーマル・スーツ姿のレイ・ザ・バレル隊長がいた。状況を把握はしているのだろう。それでも、隊長から冷静さは消えない。
 腕を押さえていたパイロットたちの力が弱ったことを機に、シンはその手をふりほどいた。隊長の前でなら危険はないと判断したのか、再び抑えようとはしてこない。
 あの少年は曖昧な笑みを浮かべて、シンをなだめでもしているかのような仕草を見せた。

「冗談だよ、冗談……」
「状況を考えろ、ヴィーノ」

 別の少年がヴィーノと呼ばれた少年の頭を軽く小突いた。名前を聞いて、シンはようやく思い出す。ヴィーノ・デュプレ。それが軽薄な少年の名だ。シンは自分のことながら余計なことだとすぐに2人の少年を意識から閉め出した。
 パイロットたちが隊長の前に整列する中、シンは1人、離れた場所に残った。
 バレル隊長はそんなシンを咎めることもなく話を始めた。

「作戦内容を説明する。地球軍と連携はしないが、我々は破砕活動を支援する」

 これでザフト軍にいても地球のために戦うことはできる。シンが密かに心奮い立たせているその目の前で、現実は冷たい否定を含んでいた。

「ただし、作業中に地球軍と遭遇した場合、これを優先的に撃破する。以上だ」

 皆が返事をしながら敬礼する中で唯一シンだけが了解の返事どころか敬礼の手を上げることさえできないでいた。周りのパイロットたちは指示の意味を理解しているのだろうか。声を上げるのは、結局シンしかいなかった。

「ちょっと待ってください。作業中って、遭遇しないわけがないじゃないですか! それじゃ、手伝うどころか、妨害だ!」

 小惑星の直径はわずか7km。そこにザフト軍が行くことになれば確実に両軍は遭遇する。破砕準備に集中している地球軍に対してザフト軍は通常の戦闘用装備。襲撃するも同然の作戦内容だった。
 それでも、戸惑っているのはシンだけだった。振り向くパイロットたちは平然として、バレル隊長はいつもの調子を崩すことがない。

「これは命令だ」
「俺は反対です。そんな戦い方、地球の足を引っ張るだけだ!」
「お前は作戦に意見できる立場にはない。嫌だと言うなら今回に限って出撃拒否を許可する」

 痛くなるほど歯を強く噛み合わせる。シンが悔しさを噛みしめている間、バレル隊長はあくまでも職務遂行を続けていた。

「各員、機体へ乗り込め。出撃は追って指示する」

 部屋を出ていく隊長に続いてパイロットたちが次々と待機室を後にする。シンはなかなか動き出すつもりになれず、つい動くことが遅れた。すると、部屋にはシンとルナマリアだけが残された。

「シン……、やっぱり、行かないとよくないと思うよ……」

 心配そうに話しかけてくるルナマリア。シンもわかってはいた。ここで騒いだところで何も変えられない。出撃しなければ地球を見捨てることになるだけだと。

「わかってる……」

 これ以上話しても何もいいことはない気がして、シンは格納庫へと向かうことにした。地球の危機を冗談と片づけてしまえる仲間と肩を並べて戦うために。




 スティングは自分が自分でなくなるような感覚に襲われていた。ザフトの軍艦を爆沈した時のような覇気を失い、自分を見失っていた。すべては、地球に小惑星が落ちると聞いた瞬間から。
 ここはモビル・スーツのコクピット。ジェネレーターは起動していない。暗く狭い部屋の中で、スティングはそれでも操縦桿を握ることをやめられないでいた。GAT-X133イクシードガンダム・バスターカスタムという力だけが心のより所となっていた。
 しがみついていないと奈落の底に引きずり込まれてしまうような恐怖がスティングの体を萎縮させる。
 空が落ちてくる。またあの日の光景が繰り返されようとしている。頼ろうとした姉は、アウルやステラにも頼られていた。スティングの中に渦巻く漠然とした不安は、仲間との接触さえ拒絶させていた。
 ただ話がしたいだけ。話を聞いてもらいたいだけ。これまで簡単にできていたことが突然できなくなってしまう。このことは、スティングにあの日のことをさらに強く意識させた。
 すべてが崩れてなくなってしまったあの日のことを。
 スティングは操縦桿から手を放すと、コンソールのスイッチを手当たり次第押し始めた。顎を震わせたその顔は明らかに混乱している。ボタンの押し方がでたらめで、そもそもシステムが立ち上がっていない以上、反応するはずもない。
 今のスティングは闇をおそれる子どもだった。
 コクピット内の暗さが、あの日と同じだと突然に気づいてしまった。その瞬間から、スティングはあの日と同じく無力な子どもに戻っていた。すぐにでも泣き出しそうな弱々しい表情。でたらめの手の動きだけが激しい。
 そんなスティングをまばゆい光が照らした。コクピット・ハッチが開いたことで差し込む光。スティングは思わず両手で顔をかばう。
 目を閉じていても伝わる光の強さが急に和らいだ時、姉の声がすぐそばで聞こえたのはそんな時のことだった。

「こんなところにいた」

 ヒメノカリスは、光からスティングをかばうようにコンソールに身を乗り上げていた。スティングが目を開くと、ちょうど顔をのぞき込んでくる位置に姉はいた。

「姉貴……」

 スティングが求めていた姉の姿が、そこにはあった。



[32266] 第6話「戦争の縮図」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/06/30 00:37
 ユニウス・セブン休戦条約では10の条項が制定された。
 その中で最も有名な項目は、国力に合わせモビル・スーツの保有台数を制限するという取り決めであろう。この条文は過剰な兵器開発を抑制するため、プレア・ニコルの兵器への搭載禁止とともに条約に並べられた。
 しかし、この条項が無意味であったことは歴史の審判を待つまでもなかった。条約締結からわずか数年で形骸化していたのである。
 当初から軍縮がモビル・スーツの保有台数に限られ、軍事費が抑制されていないことを危惧する声はあがっていた。
 これまで300機を製造していた保有台数を半分にしろと言われれば、150機を製造できるだけの資金がまるごと浮くことになる。それはモビル・スーツ1機あたりにかけることができる資金が2倍に跳ね上がることを意味する。
 当然のように、モビル・スーツ開発競争は激化の一途をたどることになる。
 重要なファクターであるコスト・パフォーマンスが事実上撤廃されたことでモビル・スーツは高性能化、高コスト化が際限なく推進されることとなった。
 各勢力がともに少ない保有台数を補うため、換装機構を備えた主力機の開発に成功した。
 地球各国は名機として知られるGAT-X105ストライクガンダムの正式量産型であるGAT-01A1ストライクダガーの配備を完了した。換装式のバック・パックはミノフスキー・クラフトを搭載した新型が開発され、性能の底上げがなされている。
 プラントの国軍ザフトは新たにZGMF-1000ヅダを量産ラインに乗せた。この機体もまた、ウィザード・システムと呼ばれる3種の換装機構を備え、高い汎用性を誇る。
 そして、両勢力はガンダム量産計画に着手した。希代の技術者であるゼフィランサス・ズールが開発したガンダムの唯一とも言える欠点が高コストであった。条約はその最後の鎖を解いてしまったのである。地球軍は3機の量産型ガンダムの開発に成功。ザフト軍はZGMFー56Sインパルスガンダムの他、ZGMF-42Sセイバーガンダムの2種を量産している。
 敵対する勢力に同名、同じ特徴を持つ機体が存在する事実は、開発者であるゼフィランサス・ズールへの敬意と、この戦争の特殊性を如実に示していた。




 小惑星フィンブルはプラントの脇を抜けるようにして月軌道内へと侵入を果たした。地球まではわずか30万km。地球の直径わずか0.02%の岩と氷の塊が巨大な尾を引いて宇宙を駆ける。
 地球全体から見れば石ころでしかない小惑星とて落着すれば甚大な被害をもたらす。かつて恐竜を滅ぼしたとされる小惑星とて、その直径はわずか10kmとも言われている。
 小惑星を破壊すべく地球軍は行動を開始していた。月面基地を離れた艦隊が加速し、小惑星との相対速度を合わせようとしていた。小惑星は絶えず地球へと向けて落ちている。そのため、破砕作業を行うものも同じ速度で落下していなければたやすく取り残されてしまう。
 月を利用したスイング・バイによって加速した艦隊が小惑星と横並びになりながら徐々に接近していく。艦からは次々とGAT-01A1ストライクダガーが出撃する。水平翼を持つジェット・ストライカーがミノフスキー・クラフトの輝きを放ち、後ろからストライクダガーを押し上げていた。
 現在、換装機構とミノフスキー・クラフトの搭載はモビル・スーツの基本設計と化している。ミノフスキー・クラフトによって十分な加速を得たストライクダガーは宇宙に浮かぶ岩の塊へと接近していく。中にはモビル・スーツよりも大きな三角錐型のフレーム、メテオ・ブレイカーを数機がかりで運び入れようとする光景が見られる。
 計画ではメテオ・ブレイカーでフィンブルを破砕後、破片を艦砲で順次破壊するというものである。まずはフィンブルを砕かなければ始まらない。
 モビル・スーツ部隊を運んできた母艦の艦長は、メネラオス級の狭苦しいブリッジの中で祈るような気持ちで小惑星へと降りていく幾筋もの光を見つめていた。
 たるみ、染みの目立つその顔は壮年の男の哀愁というものを漂わせていた。しかしそれとは対照的とも言えるほど確かな眼差しが輝くユーラシア連邦軍少将である。禿かかった頭を隠すように軍帽をしっかりとかぶり、その目は小惑星フィンブルへと向けられている。
 モニターに映るフィンブルは細長い形に、いくつものクレーターをつけたよく想像される小惑星であった。

「艦長、ザフトの艦隊が接近中です!」
「我々の任務は小惑星の破砕活動だ。ザフトのことは無視して構わん」
「了解!」

 艦長はオペレーターからの言葉を言葉少なに返事する。その目は、接近するザフト軍の動向を眺めていた。
 ザフトの艦船は航空力学を無視した独特の形状が特徴である。地球軍の戦艦はいまだに旧暦の洋上戦艦を思わせる形状をしたものが多いが、お国柄というものなのだろう。
 ただ、このような些細なことにさえ、艦長はプラントの異質さを覚えずにはいられなかった。
 それは、この艦長自身コーディネーターであることに起因しているのかもしれない。最初期に遺伝子調整を受けたものの、プラントに参加せず地球に残った1人だった。詳しい理由は彼自身忘れていたが、ただ人の遺伝子を取捨選択しただけのコーディネーターが新たな人類を名乗ることに対する違和感だけは今でも残り続けている。
 ザフトを見つめる眼差しの中で、突然光が瞬いた。そして、艦を激震が走る。

「何事だ!?」

 肘掛けに掴まりながら艦長は声を張り上げる。

「ザフトからの攻撃です!」
「ドレイク級中破! 航続不能、離脱します!」
「ザフト軍、モビル・スーツの出撃を確認!」

 僚艦の離脱とともに、ザフトが戦闘行動を明確にしたことが報告される。驚くよりも、怒りを覚えるよりも早く艦長は指示を出す。

「各機、迎撃にあたれ!」

 地球軍艦隊が回頭する間にもザフトの攻撃は続いている。隙だらけのわき腹めがけてビームが次々と放たれていた。

「モビル・スーツ隊を引き戻せ!」
「しかしまだマスドライバーの設置が!」
「構わん! 起動は後続の部隊にさせればよい! 今はザフトを抑えねばならん!」

 艦長の決断は早く、オペレーターの行動に迷いはなかった。
 地球もまた、プラントを信用してはいなかったのかもしれない。地球をただの資源惑星として見ることのなかった国が、今更になって地球を守るとは誰も考えてなどいなかったのかもしれない。




 ヅダはザフト軍最新の量産機であり、その意匠は従来のザフト機を踏襲している。姿は緑の無骨な甲冑を身につけた一つ目の巨人を思わせる。ザフトが量産するガンダムを除いた3種のモビル・スーツの中で最も汎用性に優れ、あらゆる戦場で使用されている。それは小惑星フィンブルを巡る戦いにおいても変わることはない。
 ブレイズ・ウィザードを装備したヅダがライフルを手にフィンブルを目指していた。ブレイズ・ウィザードは最も一般的な換装装備であり、2機のロケットを背負った高推進力による高い機動力を誇る。ウィザードはすべてミノフスキー・クラフトが装備され、ブレイズ・ウィザードが輝きを放ちながらヅダをさらに加速させる。
 行く先には地球軍の艦船が無防備な背中をさらしていた。フィンブル破砕に気を取られ、完全にザフトへの対応が後手に回ったのである。
 ヅダたちは地球軍の艦船にとりつくと、破壊力で知られるビーム・ライフルで次々と光の柱を船の装甲に打ち立てた。
 高射砲で反撃する地球軍は、誰の目にも苦し紛れであることは明白だった。モビル・スーツはここ数年、飛躍的な性能向上が図られた。ミノフスキー・クラフトによる機動力の向上は特にめざましく、鈍重な軍艦ではヅダを捉えることなどできない。
 次々と艦が爆発の中に消えていく。
 立ちこめる爆煙。煙の中から飛び出した一筋のビームがヅダを貫いた。ヅダが爆発するも、ザフト軍に仲間の死を惜しんでいる暇はなかった。煙の中から現れた地球軍のストライクダガーがさらにライフルを発射した。ヅダは胸部を撃ち抜かれ、また1機撃墜される。
 しかし、反撃はここまでだった。ストライクダガーは背後をとられた。回り込んだヅダが長柄の戦斧を大振りに振り抜いた。三日月型のビームの刃を持つ斧はストライクダガーを胴裂きにする。
 ストライクダガーの爆発の中から再び姿を現したヅダはズレイズ・ウィザードとは異なるバック・パックを装備していた。小型軽量化されたバック・パックであり、戦斧を武器として戦うスラッシュ・ウィザードと呼ばれる装備である。ヅダの中で接近戦に特化した性能を有する。
 そんな斧を構えるヅダに斬りかかったのもやはり格闘に優れた機体であった。対艦刀を両手で構えたストライクダガーの一撃を、ヅダが戦斧で受け止める。漏れ出したビームがスパークを生じて輝く。
 ソード・ストライカーⅡ。ストライクダガーにもまた、接近戦に優れた装備が用意されていた。そして、互いに射撃戦に優れた装備もまた用意されている。
 鍔迫り合いをしていた2機が離れると、その場所をビームと実弾とが横切った。大型ライフルを腰だめに構えたヅダは、ガナー・ウィザードを装備している。背中に2門のキャノン砲を背負ったのは、ドッペンホルン・ストライカーを装備したストライクダガーである。
 ヅダに中距離戦に優れたブレイズ・ウィザードがあるように、ストライカーには同様のコンセプトを持つジェット・ストライカーが存在する。そして、近距離、遠距離それぞれにおいても同様の装備が存在していた。GAT-X105ストライクガンダムによって確立された換装システムは両軍に受け継がれていた。
 1種の機種にして3種の性能。量産機は汎用性を高めるコンセプトで開発が進められていた。




 フォース・シルエットによって加速するインパルスガンダム。これが今のシン・アスカの機体である。普段使い慣れているソード・シルエットの使用は足並みを乱すとして許されなかった。
 周囲ではレイ・ザ・バレルのガンダムを先頭に、同じフォース・シルエットで統一されたインパルスが編隊を組んでいる。
 すでに戦闘が始まっていた。破砕活動を支援するが、しかし遭遇した敵軍を優先的に撃墜する。この指示通り、ザフトは目につく地球軍に手当たり次第攻撃を仕掛けていた。
 シンには破砕機器一つ持ち込んでいない友軍の姿に、人命救助とは別の狙いを邪推せざるを得なかった。歯を強くかみしめ、必要以上に体に力が入っている。その割に、表情は全体として嘲笑じみた顔になっていた。

「バレル隊長。俺たちの任務は破砕活動の支援であるはずです。このままではフィンブルにたどり着くことさえできません。急ぐべきではありませんか?」

 さて、隊長はどんな答えをするだろうか。シンの予測では、白々しい言い訳を並べて答えになっていない答えではぐらかすと考えていた。それとも、部下の通信にわざわざ返事などしないかのどちらかだろう。
 個別通信がルナマリア・ホークの心配そうに声をシンへと届けた。

「ちょっとシン。何言ってるのよ……?」
「別に変なことじゃないだろ? 破砕活動しようって時に、こんなところで遊んでるのはおかしいんじゃありませんかって聞いただけだし」

 隊長からの返事はない。それはシンの予想が当たったことを意味していなかった。後光を背負う純白の機体が身を翻し、部下のインパルスたちを一望できる位置に移動する。インパルスの隊列はそれに合わせて停止し、ちょうど隊長の話を聞く体制ができあがる。

「シン・アスカ軍曹。お前は上官非服従で懲罰房送りにされたいのか?」
「俺はただ作戦の……」
「この作戦におけるザフトの目的はフィンブル破砕を妨害し、地球の民を虐殺することにある」
「なっ……!」

 シンの他にも通信からは動揺した声はいくつも聞こえていた。部下の動揺にかまうことなく隊長の言葉は続いている。

「本気で破砕活動を行うつもりの者がこの中にいるのか?」

 装備は通常の戦闘用のもの。地球軍が破砕活動を行う以上、遭遇しないはずがない。そんなことは誰もがわかっていた。真の目的をうすうす感じていた。
 生粋のプラントのコーディネーターたちでさえ動揺を隠せないでいる。隊長の真意を読み切れずうろたえることしかできない部隊の中で、意外にも反論に転じたのはルナマリアだった。

「待ってください、バレル隊長! 確かに結果的にはそうかもしれませんよ。けど! 私たちザフトはプラントの正当性の示すために……!」
「ジェネシスで地球のすべてを焼き払おうとした。今更何を言っている?」
「あれは確かに大きな犠牲を伴うことです。でも、やむ得ないことでした。仕方ないことでした!」
「では今回も割り切ればいい。地球軍の戦力を削るためにやむ得ない、人殺しは仕方がないとな」

 いつもと立場が逆になっている。熱くなるルナマリアのことをシンが心配する羽目になっていた。シンに隊長の真意を読み切れない混乱も手伝って話に割り込めないことも原因になっている。
 冷静な隊長の言葉に押し切られる形でルナマリアが言葉に詰まる。そのタイミングで、シンはようやく話に参加することができた。

「バレル隊長……、じゃあ俺たちは何をすれば……」
「私は言ったはずだ。今回に限り隊の拘束を解く。破砕に向かいたい者がいれば好きにしろ」

 シンに隊長の真意は掴めない。
 戸惑いながらも、すべきことだけは分かり切っていた。シンはフォース・シルエットの赤い水平翼を輝かせながら隊長機の脇を抜けた。フィンブルを目指す。
 そんなシン機に、迷いながらもついて行くインパルスがあった。ルナマリアの機体だ。
 8機中の2機。この機体だけがフィンブルへと向かうはずだった。しかし、あと1機だけが、シンとルナマリアの後に続いてミノフスキー・クラフトを輝かせた。




 シンは驚くほど簡単にフィンブルへと到達した。地球軍の大半はザフト軍の迎撃に戦力を奪われている。ザフトも遭遇すれば応戦せざるを得ないという建前上、あからさまに破砕作業を妨害するつもりまではないのだろう。主戦場を避けてフィンブルに到達することだけなら難しいことではなかった。
 フィンブルは太陽の光を反射してまばゆいばかりに白く輝いていた。この巨大な石ころが地球を吹き飛ばそうとしている。シンは小惑星を射程に収めるとともにビーム・ライフルの引き金を引いた。
 高い攻撃力で知られるビームだが、堅い岩盤を砕くことはできても小惑星全体に与える影響は微々たるものでしかない。何度ビームを撃ち込もうとそれは小惑星にクレーターを刻むだけだった。

「人を殺すことしかできないのかよ! ガンダムは!?」

 その時、インパルスのアリス・システムがモニターの一部を拡大した。インパルス同士を繋ぐアリスは他のインパルスが見た映像も投影してくれる。シンの位置からでは見ることのできない岩陰にメテオ・ブレイカーが設置されていることを他の誰かが確認したらしかった。
 もっとも、アリスは敵性施設としてメテオ・ブレイカーを識別していた。何とも優秀なパイロット補助システムだと、シンは胸中で皮肉りながらメテオ・ブレイカーを目指すことにした。
 モビル・スーツの倍はある巨大な三脚にドリルがとりつけられたメテオ・ブレイカーは起動していなかった。しっかり固定されていないのだろう。フィンブルが震える度に目に見えて揺れていた。
 シールドは邪魔になる。シンは自機のシールドを投げ捨てると、あいた左手でメテオ・ブレイカーのとってを掴ませた。幸い、システムそのものは立ち上がっているらしかった。固定さえすれば動き出すはずと、シンはインパルスのスラスター出力を調整しながら位置の微調整を続けることにした。
 コクピット内に鳴り響いた警告音をシンは耳にした。
 ストライクダガーが接近していた。ビーム・ライフルを撃ってこないのはメテオ・ブレイカーに当ててしまうのを避けるため、距離をつめようとしているからなのだろう。地球軍にはシンの姿は破砕活動の妨害にしか見えていないはずだ。
 シンは声を挙げることしかできなかった。

「待ってくれ! 違うんだ!」

 通信は繋がっていない。ザフト軍が奇襲を仕掛けた中、シンだけは味方だと地球軍に保証してくれる人がいるはずもない。
 ここでインパルスの手を離せばメテオ・ブレイカーは一気に安定を失ってしまう。シンが決断できないまま、ストライクダガーは接近してくる。モニターに銃口が拡大していく中、どこからともなく飛来したビームがストライクダガーを撃ち抜いた。
 聞こえたのはシンには聞き慣れた少女の声。

「ちょっと、シン。いくら何でも危険すぎない?」
「メテオ・ブレイカーを離せば破砕できなくなる。手伝ってくれ。1機じゃ無理だ」
「無茶言わないでよ。レーダー見えてないの?」

 ルナマリアの言葉通り、レーダーには味方信号のない反応が接近していた。
 地球軍も必死なのだ。メテオ・ブレイカーの近くにザフト軍が現れたとなれば排除に全力を傾けるに決まっていた。
 インパルス1機ではメテオ・ブレイカーを安定させることができない。ルナマリアからの加勢も期待できなかった。シンが諦めかけた時、メテオ・ブレイカーから伝わる振動が明らかに減少した。反対側を抑える別のインパルスの姿がある。ルナマリアの機体ではない。
 モニターには、シンにとって意外な少年の姿が映し出された。

「手伝うよ……、その、なんか微妙な空気だけどさ」

 小惑星なんて落としてしまえばいい。そう言ってシンと一悶着を起こしたヴィーノ・デュプレだった。想像していなかった加勢に、シンも何を言っていいかわからなかった。

「……ありがとう……」

 ただそうとだけ言って、後は黙々と作業を続けていた。やがて、設置を終えると、メテオ・ブレイカーは動き出した。ドリルが岩盤に潜り始める。一定の深さに到達したところで爆発し、小惑星を砕くことになる。
 ただし、この1機だけでは足りていない。少しでも多くのメテオ・ブレイカーを起動する必要がある。
 フィンブルの上空に未設置のメテオ・ブレイカーが漂っていた。ザフトの攻撃に晒され投棄せざるを得なかったのだろう。

「ルナと、……ヴィーノ・デュプレはあのメテオ・ブレイカーを設置してくれ」
「シンはどうするの?」
「俺は、あいつを抑える!」

 レーダーに接近が知らされていた敵はガンダムだった。
 バズーカにシールド設置型の二連ビーム・ライフル。背中には2門のビーム砲を担いだ火力の化け物のようなガンダムだ。暗い緑色が何とも毒々しい色を放っている。ルナマリアが謎のコロニーで交戦した相手だ。
 敵のガンダム、GAT-X137イクシードガンダム・バスターカスタムがその火力を惜しみなく放ってくる。激しい爆発が巻き起こり、フィンブルの地表を衝撃波が吹きすさぶ。
 それでも、シンたちへの直撃は一つとしてなかった。メテオ・ブレイカーのそばにいたことで敵が標準を甘くしたのだ。

「ルナ、早く行ってくれ! 抑えるだけなら俺にだってできるはずだ!」
「……わかった。シンも気をつけて」

 ルナマリア機とヴィーノ機が離れていく。
 シンは敵の次の手を想像できないでいた。敵は火力が仇となってメテオ・ブレイカーを巻き込むような攻撃はできないはずだからだ。よって、敵の一手は合理的でありながら、ひどくシンを驚かせた。
 コクピットに鳴り響く警報がシンの耳に届くのと、爆煙を切り裂いて敵機が姿を見せたのはほぼ同時だった。誤射を避けるために敵との距離をつめる。射撃特化型の機体がそんな常識破りの常道を選択したことにシンは動揺する。
 イクシードガンダムの放った蹴りがシンのインパルスの胸部へと直撃する。フェイズシフト・アーマー同士の接触は激しく輝きを、インパルスを弾き飛ばす。
 シンは叫び声さえ上げられないまま、必死に操縦桿を握りしめていた。辛うじて体勢を立て直したインパルスが地面に足を擦り付けながら勢いを殺す。
 イクシードガンダムはそんなシン機を無視し、その火力をルナマリアたちへ向けようと上空へと機体を向けた。
 シンは咄嗟にライフルを放つ。

「やめろぉ!」

 敵のビーム砲からビームは放たれた。しかし、シンの攻撃をかわすために体勢を崩したせいで狙いがまとまらなかった。ビームがルナマリアたちを捉えることはなかった。
 インパルスとイクシードとの戦いは、傍目にはひどく不格好に見えたかもしれない。
 互いに強力な火器を手にしながら泥臭い殴り合いに終始していた。
 イクシードの横蹴りをインパルスがライフルを握ったままの腕で防ぐと、反撃として膝蹴りを放つ。腹部を直撃した膝に耐えたイクシードの体当たりがインパルスを弾き飛ばす。そして、メテオ・ブレイカーを巻き込むことがない角度になると、思い出したように放たれたイクシードの大火力がフィンブルの一角に巨大な爆発を引き起こした。
 インパルスのコクピットには警報音が鳴り止まない。無理な格闘で関節にダメージが蓄積されていたからだ。そんな音の中、シンは肩で息をしていた。相手がいつメテオ・ブレイカー防衛を諦めて火力の封印を解くかわからない。そんな緊張感がシンを想像以上に疲労させていた。
 それでも、シンはここで引く訳にはいかなかった。地球を守るためにも。
 それは相手にとっても同じだった。
 イクシードガンダムのコクピットの中で、スティング・オークレーはその鋭い目つきで敵のガンダムを睨みつけていた。

「まだ空を落としたいのか! お前たちは!」

 もはやセオリーなど存在しなかった。バック・パックにミノフスキー・クラフトの輝きを灯し、イクシードガンダムが突進する。射撃機としての適切な会敵距離をあっさりと踏み越えたことで、インパルスのビームがイキシード右腕のバズーカを捉えた。破裂する銃身を投げ捨て、イクシードはさらに接近する。開いた手で固めた拳をインパルスの顔面へと叩きつける。
 はじき飛ばされるインパルスのコクピットではデュアル・センサーが破損したことでモニターが鮮明度が低下する。それでもシンの眼差しはイクシードガンダムを捉えている。もしもシンがこの敵を逃せばルナマリアたちが攻撃を受けることになる。引くことはできない。

「俺は、俺はぁ!」

 ただフィンブルを破壊し、地球を救いたい。それがシンの願い。
 インパルスのビーム・ライフル、イクシードのビーム砲から放たれたビームがすれ違い、フィンブルの上で爆発を引き起こす。
 もう二度と空を落とさせない。それが、スティングの希望。
 地球を守りたい。そう等しく願う少年たちは、壮絶な殺し合いを演じていた。



[32266] 第7話「星の落ちる夜」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/07/14 00:56
 C.E.64年。大西洋連邦ラスベガス近郊。
 乾いた大地に覆われたなだらかな山岳帯を夜の闇が包み、星明かりだけが地上を照らしている。
 疎らな低木以外には何もない荒野の中、小さな灯火が見られた。テントが張られている。
 そのテントの中では2人がランプの明かりを挟んで座っている。ランプの小さな明かりでさえ満たせるほどにテントは小さい。
 テントの中から親子の声がした。

「ほら、ファイブ・カードだ」

 1人が手に持った5枚のカードを見せながら言った。無精髭を生やした口元を自慢げに歪ませた男性の手にはジョーカーと残り4枚のカードすべて同じ数のトランプがあった。同じ数のカード4枚に加えジョーカーを揃えることで完成するこの役は難度が高く滅多に見ることのできない。
 子どもの方はまだ髭など望むべくもない幼い口元を尖らせてカードを見せた。カードは数字、種類ともバラバラで役は揃っていない。 

「ぜんぜん揃わないよ……」

 少年はしょぼくれた様子で父を仰ぎ見る。

「種を教えてやろうか」

 父はそう言うと袖をめくり上げた。すると、袖の中にはカードが隠されていた。

「初めから袖にカードを何枚か仕込んでおくんだ。手札からいらないカードと袖のカードを入れ替えると役が作りやすくなるだろ」

 子どもは抗議の声を上げる。ただ、それは反感というより、父のお茶目を面白がっている様子でもある。

「イカサマじゃん!」

「よしよし。お前にも教えてやろう。だが、イカサマはばれたらまずい。その時はちゃんと、これが初めてだった、これまではしてなかったと誤魔化すんだぞ」

「うん!」

 素直な息子の額を撫でてから、父は悪巧みを息子に仕込まんとその手口を語り始める。

「まずはこうしてだな。コツとして……」

 袖に仕込む方法から、仕込むべきカードの選び方、カードを入れ替えるタイミングの読み方まで一通り話終えたところで、時間を告げるアラームが鳴り響いた。

「お、時間だな。やっぱり星を見るには荒野に限るな」

「どうして?」

「空気が乾燥しているからだ。余計な水蒸気がないから星が霞まないんだ。言ってもわからんかなぁ?」

 父と子。2人は揃ってテントの入り口から身を乗り出した。すぐ外には立派な天体望遠鏡が夜空へと向けられていた。こんな寂しい場所に親子2人でいるのは息子を悪の道に誘うためではない。街の明かりにも邪魔されないこの場所が天体観測にはうってつけだった。
 まずは父が望遠鏡をのぞき込む。いつものことで、まず父が目的の星を見つけ、すぐに息子に譲る。父に導かれ星を眺めることを、息子は心待ちにしていた。
 しかし、今日に限っては父はいつまでも望遠鏡を息子に譲ろうとはしなかった。

「父さん……?」

 父は望遠鏡をのぞき込んだまま、子どもにもわかるほど深刻な表情をしていた。

「あれは、何だ……?」

 満点の星空の中で、星が喰われていた。見えない何かが星をたたき落とし、欠けた部分が暗闇となってごっそりと光が抜け落ちた。
 空から落ちてくる何かが星の光を遮ったのだ。
 C.E.64.4.1。プラントが地球へと大量のニュートロン・ジャマー、核分裂抑制装置を投下した日のことだった。この日、地球から光を奪われ、10億もの人命が数年にかけて失われることとなった。
 この少年が目撃した光景もまた、そんな10億のうちの1つだった。
 少年の名はスティング・オークレー。




 地球に落下する小惑星フィンブルをめぐる戦いはなおも続いている。事実上、小惑星の地球落着を狙うザフト軍に対して、地球軍は部隊を展開。破砕作業が続けられる中、戦闘の光は小惑星を覆うように広がっていた。
 フィンブルは地球の大気に呼応しその表面を赤熱し始めていた。
 破砕のためのメテオ・ブレイカーは削岩ドリルで炸薬を岩盤深くにまで打ち込むことに成功していた。爆薬が炸裂すると、フィンブルが目に見えて震え、亀裂が走る。亀裂を赤熱する大気が通り抜け、巨大な岩石の塊が二つに割れる。
 別のメテオ・ブレイカーの手柄があった。二つに分かれた小惑星の片割れがさらに二つに分かれる。小惑星は三つに分割された。
 まだ足りない。燃え尽きるには十分な大きさを星の欠片は有している。
 それでも、人は命を守るために手を尽くせないでいた。
 ルナマリア・ホーク、ヴィーノ・デュプレのZGMF-56Sインパルスガンダムが2機がかりでメテオ・ブレイカーを運んでいる。18m級のモビル・スーツにさえ破砕機は手に余る大きさがある。

「なあ、ルナ。小惑星壊れたけど、まだこれ設置する必要あるのかな?」
「燃え尽きなかったら地球に落ちる重さは変わらないでしょ。それより注意して。重力が強くなってるから」

 破壊力は質量と速度によって決められる。砕いても被害が均等に広がるだけで地球全体としての被害の総量は変わらない。
 メテオ・ブレイカーを小惑星の地表へとゆっくりと下ろしていく。しかし、それに割り込むようにビームの光が横切った。
 攻撃された。

「ル、ルナ! どうする!?」
「戦うしかないでしょ。敵からしたら邪魔してるにしか見えないし!」

 メテオ・ブレイカーを離れる2機のインパルス。
 接近してくる敵もまたガンダムだった。GAT-X252インテンセティガンダム汎用型、アウル・ニーダの機体と、ステラ・ルーシェのGAT-X370ディーヴィエイトガンダム特装型である。
 緑の甲殻類を背負ったようなガンダムの中で、アウルは叫んだ。

「メテオ・ブレイカーをどうするつもりだよ、お前らぁ!」

 インテンセティの頭部を覆うようにバック・パックが展開する。その口にあたる部分のビーム砲から高出力ビームが放たれる。回避するルナマリアたちのインパルスへと、追撃としてモビル・アーマー形態に変形したディーヴィエイトが弾丸の雨を降らせながら通り抜けた。

「敵は、倒す!」

 こんな光景は散見される。プラントは地球を信じようとせず、地球はプラントを信じることができない。
 こんな光景はどこででも目撃できた。
 赤熱するフィンブルの上、生じた亀裂からも大気が高熱の蒸気となって吹き出していた。地獄と見紛う背景の中で、地球を守ろうとしている少年と、地球を守ろうとしている少年とが戦っていた。
 シン・アスカのインパルスがビーム・ライフルを構える。

「俺は! 俺はぁ!」

 スティング・オークレーのイクシードが胸部ビーム砲を放つ。

「もう、星は落とさせねぇ!」

 そして、落ちていく星を舞台に戦いは続いていた。




 フィンブルが落ちると聞いた時、スティングは10年前の光景を思い出した。後にエイプリルフール・クライシスと呼ばれるプラントによる無差別無警告のニュートロン・ジャマー投下事件を、スティングは父とともに目撃した。
 空から星が切り取られ、街から光が消えた。たった一晩で崩壊した都市生活のただ中に人々は投げ出された。物流は滞り店から品物が消えた。完全な物資不足の中、救援は望めない。他の地域でも状況は似たり寄ったりだったからだ。限られた食料を巡って暴動が多発し、治安は急速に悪化した。
 食料を巡る争いに巻き込まれた父が、集団に殴り殺される光景をスティングは目撃した。
 終わりの始まりだった日のことを、スティングは星が落ちた夜と記憶した。降下するニュートロン・ジャマーに星の光が遮られた光景を、星が空から落とされたからだと考えた。
 その日感じた恐怖がスティングの心には染み着いていた。
 アウルやステラのような仲間に頼ることもできず、イクシードガンダムのコクピットの中に逃げ込むことしかできなかった。そこで震えているしかできなかった。




 戦いは終息の兆しを見せ初めていた。
 フィンブルはすでに大気圏にさしかかり、赤熱する大気とともに降下を続けている。現在のモビル・スーツはその大半が単独で大気圏突入を果たすことが可能だが、軍艦はそうはいかない。モビル・スーツにしても母艦から孤立することはできない。
 もはやフィンブルの落着は決定的であり、後は降下中にどれだけの破片が燃えつき、どれほどの塊が地表を直撃するかの違いでしかない。
 事実上、地球軍はフィンブル落着阻止に失敗したのだ。
 シンの搭乗するインパルスはフィンブルの上空に浮かんでいた。すでに地球の重力に引かれ、油断すると機体があらぬ方向に引っ張られていく。
 新しいメテオ・ブレイカーを設置、発動させる時間は残されていない。敵のイクシードガンダムも完全に守りに入ったらしい。シンが距離を離しても追撃してくることはなかった。

「何だったんだよ……、俺の戦いは……?」

 結局、メテオ・ブレイカーを防衛しようとする敵と一戦交えただけだ。結果として破砕活動の邪魔をしたことと何も変わらない。
 フィンブルは地球へと落ちる。
 ふと、シンはモニターに補助システムであるアリスが映像を拾い上げていることに気づいた。見たことのない黒い軍艦だった。だが、考えてみると、シンは母艦であるミネルヴァを外から眺めたことがないことに気づいた。
 これはミネルヴァだ。特徴的なのは船首付近から左右に開いた大型の水平翼。全体として見ると、引き絞った弓のような精悍な姿をしたモビル・スーツ母艦だった。

「ミネルヴァがどうしてこんなところに……?」

 シンの疑問ももっともなことだった。破砕活動を行っていないザフトの軍艦がこんな時に、シンのインパルスからでも確認できるほどの距離までフィンブルに接近する理由がなかった。
 少なくとも、シンはその理由を知らない。しかし、ミネルヴァ艦長タリア・グラディスはその狙いを当然のように心得ている。
 ミネルヴァのブリッジ、その艦長席に腰掛けながら、タリアは降下を続けるフィンブルを眺めていた。座席備え付けの小型モニターにはフィンブルの予想落着地点が表示されている。それはタリアの、いや、プラント上層部が望んだ結果を示していない。

「ミネルヴァはこれより艦砲射撃を試みます。もっと接近しなさい」
「まだ敵戦力が残存しています。これ以上は不可能です」

 シン・アスカ、ルナマリア・ホークの両名がミネルヴァ合流前に交戦した部隊がミネルヴァの前に立ちふさがる形になっていた。他のルートから接近を試みようにも、地球軍の他の部隊が少数ながら展開している。
 タリアは前線のレイ・ザ・バレルへと通信を繋いだ。

「レイ大尉。本艦は大気圏に突入しながら艦砲射撃を加えます。道を切り開きなさい」
「敵にはフォイエリヒがいる。ゼフィランサス・ナンバーズ相手に賭にでるつもりはない」

 ブリッジのモニターにはバレル大尉のZGMF-X17Sガンダムローゼンクリスタルとめまぐるしく位置を変えながらビームを撃ち合っているZZ-X300AAフォイエリヒガンダムの黄金に輝く巨体が映し出されていた。ミネルヴァ所属のインパルスたちは助太刀さえできずに立ち尽くしていた。
 もはや時間はない。タリアは広々としたブリッジ全体に響くような声をあげた。

「アリスを発動させなさい!」

 ミネルヴァに副艦長はいない。3人のオペレーターが実質的な副艦長の役目を果たしていた。その内の1人が振り向かず、そしてあくまでも事務的な口調で疑問を投げかける。

「しかし、アリスはまだ完全なものではありません。新たに加わった機体もありますが?」
「やりなさい。これは命令です」

 ただ艦長が意志を貫くという姿勢を見せただけで、ブリッジの意志は統一された。

「ミネルヴァはこのままフィンブルとともに地球に降下。作戦時間、10分に設定。目標、敵戦力の消失。アリス、発動」

 タリアの声は、宇宙の真空にさえ響きわたると思わせるほど、高らかで明瞭なものであった。




 ルナマリア・ホークは不慣れなフォース・シルエットに軽い苛立ちを覚えながら声を通信機へと送り込む。

「シン、聞こえてるでしょ。そろそろ限界よ。帰還……」

 帰還しましょう。ルナマリアがこの言葉を最後まで続けることはできなかった。
 モニターが突然これまでになかった光り方をしたかと思うと、ルナマリアの意識は混濁する。意識を失ったわけではない。いきなり夢現の中に放り込まれたように目の前の現実が現実味を失い、当事者としての意識だけが欠落する。
 ルナマリアは焦点の定まらない瞳で、まるで人形のようにパイロット・シートに座っていた。それでも、操縦桿を握りしめる力だけは損なわれていない。
 それはルナマリアに限られなかった。すぐそばにいたヴィーノもまた同じような症状に陥ったまま操縦桿を握っていた。そんな2人の目の前には、敵性モビル・スーツが並んでいた。
 2機のフォース・インパルスが同時に行動を開始する。人間の操縦ではまず不可能と思わせるほどに完璧にタイミングをあわせ、同じ姿勢、同じ速度で、繋がっているかのように敵へと接近する。
 このような2機と対峙するアウルは驚きを隠せなかった。

「こいつら、急に動きが……!」

 アウルのインテンセティの放ったレールガンを、まるで初めから予期していたかのように無駄のない動きで、ルナマリア機は回避する。その反撃とした放たれたビームは、シールドで防がざるを得ないほど正確な狙いだった。
 インテンセティのシールドはビームを弾く。ルナマリアの攻撃はアウルには届かない。しかし、次の瞬間にはシールドを保持するアームが撃ち抜かれていた。ルナマリアではない。ヴィーノ機からの攻撃だ。シールドを構えるのにあわせて完璧なタイミングで撃ち込まれたビームはインテンセティから一つのシールドを奪った。
 アウルは声もない。
 1人の人間が2機のモビル・スーツにでも乗っていなければ説明できないような完璧な同調。少なくともつい先程までの敵はこんな動きを見せなかった。

「何なんだよ、こいつら……!?」

 アウルは思わず機体を逃がす。
 追いかける2機のインパルスガンダム。放たれるビームの狙いの正確さ、回避のための動きがまったく同じだった。まるでテレビ・ゲームでもしているかのように、その動きには個性が微塵も感じられない。
 戸惑いが、さらにアウルを追いつめていた。
 そこにステラのディーヴィエイトガンダムが接近する。

「アウル!」
「ステラ、来るな! こいつらおかしい!」

 ビーム・サーベルの攻撃をシールドで受け止めると、アウルは即座に機体を無理矢理逃がす必要があった。味方に当たりかねない角度でもう1機のインパルスがビームを放ってきたからだ。
 味方に当たってもかまわないと思ったか、当たらないと確信していたか。どちらにせよせ、まともな戦い方ではない。

「姉ちゃん、聞こえるか? 敵の様子がなんか変なんだよ!」




 その頃、アウルが姉と呼ぶヒメノカリス・ホテルもまた、アリスの攻撃にさらされていた。
 ヨウラン・ケントをはじめとする4機のインパルスが完璧な連携のまま、ヒメノカリスのフォイエリヒガンダムを強襲していた。ビームを弾く装甲を持つフォイエリヒとて、フレームを撃ち抜かれれば破壊されてしまう。正確な狙いを完全な同調のもとに放ってくるガンダム・タイプを相手に楽な戦いができるはずもなかった。
 ヒメノカリスは機体を逃がすことに手一杯だった。

「アウル、少しでも危険を感じたらすぐに撤退して。いい?」

 黄金を追いかけるように無数のビームの軌跡が現れては消える、そんな光景を、レイ・ザ・バレルはただ眺めていた。

「アリスか。余計なことを」

 冷たく、抑揚のない声は、しかしたしかな苛立ちを含んでいた。
 こうして、アリスを発動したインパルスガンダムたちが敵を抑えたことで、ミネルヴァはフィンブルへと接近を果たすことに成功した。艦体各所の砲塔が狙いを定め、フィンブルを攻撃していく。小惑星を削り、揺り動かし、しかし破壊することはない。そして、ある時、急に攻撃の手を止めた。
 破壊されない小惑星。しかし、ミネルヴァはすでに目的を果たしていた。




 小惑星フィンブルの落着予想地点が確定した。その情報はヒメノカリスたちの母艦の艦長であるイアン・リーからスティングにも伝えられていた。スティングのイクシードガンダムのモニターには仏頂面したリー艦長の顔が映っている。対して、スティングは鬼のように歯をむき出しにした形相をしていた。
 フィンブルはこのままではニューヨークなどを含む大都市圏を狙い澄ましたかのように落下することが判明した。

「地球の3分の2は海だろうがよ……。あいつら……、やっぱそう言うことかよ!……」

 プラントはフィンブル落着を阻止するどころか、これを使って地球の大都市を爆撃するつもりだ。そう、スティングは確信する。でなければ艦砲射撃の後にそうそう都合よく地球の都市に落ちるはずがない。

「リーのおっさん。まだ稼働してるメテオ・ブレイカーはいくつある?」
「君のそばの1機だけだ」
「へ! 上等」

 この1機を守り切れればフィンブルはさらに細かく破壊され、しかも軌道を歪ませることができる可能性が高い。
 スティングにとってすべきことは何も変わらない。最後の希望を守り抜く、それだけのことなのだから。
 レーダーには接近してくるインパルスの反応があった。スティングには知る由もないが、シン・アスカの機体であった。
 決してメテオ・ブレイカーを攻撃せず、守りに徹していた敵に、スティングはどこかで期待していのかもしれない。この敵も、フィンブルを落としたい訳ではないのだと。そんなスティングの淡い期待は一撃で崩れ去ることになった。
 シンの放ったビームは正確にメテオ・ブレイカーを捉えていた。
 慌てて割って入るとスティングのイクシードはシールドでビームを受け止めた。2連装ビーム・ライフルの台座を兼ねるシールドは一撃には耐えたが、2発目のビームを浴びると爆発して崩れ落ちる。

「結局、てめえも星を落としてえのかよぉ!」

 反撃として、イクシードは肩越しの2門のビーム砲を放つ。命中こそさせられなかったものの、インパルスのビーム・ライフルを巻き込むことはできた。インパルスは代わりにビーム・サーベルを抜き放つと、まるで死の恐怖を知らないかのようにスティングノイクシードへと急接近をかける。
 イクシードが胸部ビーム砲を放つ。インパルスにはかわされたものの、小惑星の地表を吹き飛ばす衝撃波がインパルスを揺さぶる。その隙に、スティングは追撃をかけようとして、しかし躊躇した。敵のインパルスが近すぎ、イクシードの大火力ではメテオ・ブレイカーを巻き込むおそれがあったからだ。
 この迷いが決定的な隙を生み出した。インパルスは両手にビーム・サーベルを抜き放ち一気に距離をつめた。すれ違いざま、イクシードのビーム砲が2門まとめて撫で切りにされた。背後に回り込んだ敵を探して振り向くイクシードへと、シンはさらなる追撃を仕掛ける。縦に振り下ろされたサーベルがイクシードの左肩を切り裂き、熱がコクピット内にまで飛び火する。
 半身を焼かれた熱に声にならない悲鳴をあげるスティングに対して、シンはまさに機械のような冷静さでさらなる攻撃を仕掛けた。イクシードの右足を切り裂いた。
 もはや満足な姿勢制御もできないまま地表にイクシードは叩き落とされる。背中を堅い岩盤に打ち付け、フェイズシフト・アーマーがダメージの許容量を超えたことで眩しい輝きを機体の各所で放っていた。そこに、インパルスはさらにビーム・サーベルを突き出した。顔面に突き刺さるサーベル。頭部の爆発に弾き飛ばされるように、さらにイクシードは地表を頃がされた。
 なぶり殺しにしているのではない。単純に確実に敵の戦力を奪う、それがシンの、いや、インパルスの目的であった。
 スティングはコクピットの中でうめいていた。衝撃にフェイズ・ガードは割れている。破片が刺さったか額からは血を流し、コクピット左側は高熱にさらされことで白煙が立ちこめていた。本来なら流れるはずの警告音がない。今のイクシードにはそれほどの余力さえ残されてはいなかった。

「姉貴……。すまねぇ……」




 ヒメノカリスは焦っていた。4機のインパルスに囲まれている状況ではない。スティングが危機的な状況に置かれている現状にである。

「スティング! すぐ行く。持ちこたえて!」

 しかし、インパルスたちは完璧な連携でフォイエリヒガンダムの進行を妨害する。
 この事実はヒメノカリスに二重の苛立ちを与えた。邪魔をされていること、そして、最強のガンダムであるはずのフォイエリヒガンダムがたかだがストライクもどきごときに抑えられていることに対しても。

「邪魔を、するなぁ!」

 ヒメノカリスは自ら封じていたフォイエリヒの真の力を解放する。バック・パックからアームで連結された4機のユニットが起きあがると、それぞれから長大なビーム・サーベルが発生する。両手足と合わせて8本ものビーム・サーベルを同時に展開した。
 最初のインパルスは3本のサーベルで切り裂いた。猛獣の爪痕のように切り裂かれ、インパルスが爆発する。2機目もまた、縦に振り下ろされた爪によって輪切りにされた。
 アームを展開したことで機体の重心が不安定になり安定性を一気に欠いたフォイエリヒを、ヒメノカリスは懸命に制御し続けた。3機目へと6本ものビーム・サーベルを同時に突き立てる。刺されたというよりえぐり取られたように、インパルスは爆発する。
 しかし、ここが一つの限界であった。制御しきれず、フィオエリヒの機体が横に流れる。その隙を、最後のインパルスが見逃すはずがなかった。放たれたビームはフォイエリヒの右肩に食い込むと、1機のアームを巻き込みながら腕を引きちぎる。
 ヒメノカリスはそれでも耐えた。歯を食いしばった必死の形相をして、25mものフォイエリヒが急加速する。
 インパルスはかわすことができない。回避よりも攻撃を優先した結果だ。インパルス1機よりも、フォイエリヒの腕1本の方が価値があると判断されたためだ。
 そう、インパルスは、パイロットの、ヨウラン・ケントの命よりも戦果を優先した。
 フォイエリヒのサーベルがインパルスの胴をぶつ切りにする。ビームの高熱がコクピットへと容赦なく飛び込んでくる時さえ、ヨウランは自分の死を意識することはできなかった。
 爆発とすれ違うように、弟を想う姉は機体を加速させた。

「スティング!」




「姉貴……」

 スティングは思い出していた。コクピットで震えているしかできなかった時、ヒメノカリスがそっと自分のことを抱きしめてくれたことを。その髪の色と同じで、甘い桃のような香りがした。

「あなたは何もしなくていい。そう、言ってもらいたい?」

 そんなはずはなかった。スティングが望んでいるのはそんな言葉ではない。

「あなたの苦しみはわかってる。そう、慰めてもらいたい?」

 それも違う。スティングの願いは地球を守ること。ただ、そのための勇気が欲しかった。落ちてくる星に立ち向かう勇気が。
 姉は、それを与えてくれた。
 ヒメノカリスは抱きしめていた手を離すと、スティングと目を合わせた。あまり表情を変えない姉にしては珍しく微笑んで、青い瞳がスティングを見つめていた。

「一緒に地球を守りましょう、スティング」

 今、目を開けると、目の前に姉の姿はない。しかし、スティングは薄れつつある意識の中で、モニターに映るフォイエリヒガンダムの姿を捉えていた。助けてくれようとしている姿が見えていた。

「ありがとうよ……、姉貴……」

 再び勇気を与えてくれたことに。
 インパルスはメテオ・ブレイカーを破壊しようとしていた。
 イクシードのモニターはすでに半分が死んでいる。スラスターもどこまで稼働するかわからない。最後の武器であるはずの胸部ビーム砲はすでに機能停止している。なんとも満足できる結果だった。ただ、最後の悪足掻きをするには十分だからだ。

「姉貴、見ててくれよな……。俺、絶対に地球を守ってみせるからな……」

 メイン・スラスターが立ち上がる。焼き尽くされた推進剤を惜しげもなく吐き出し、イクシードが動き出す。姿勢制御のような器用なことはできない。ただ飛び出した勢いのまま、インパルスへと突き進む。
 それは弾丸のような悪いたとえを連想させた。愚直なほどまっすぐに進み、そして帰って来ることが期待されていない。
 インパルスは満身創痍のイクシードへと狙いを変えた。
 スティングが最後に思い出したのは、父との思い出でも仲間たちのことでもなく、抱きしめてくれた姉の姿だった。
 インパルスが、シンが躊躇なく振り抜いたサーベルは、イクシードを両断した。



[32266] 第8話「世界が壊れ出す」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/07/27 23:46
 フィンブルは小さな欠片を剥離させながら赤熱し、地球へと落下を続けていた。落ちていく星を背景に、3機のモビル・スーツがあった。切り裂かれた者と、切り裂いた者、そして、弟を想う姉。
 GAT-X137イクシードガンダム・バスターカスタムはビーム・サーベルの一太刀によって胴を切り裂かれていた。しかしうまく燃料に引火することを避けたのだろう。爆発することなく地球の重力に引かれて落ちていく。
 それが、ヒメノカリス・ホテルの希望を繋いでいた。
 ZZ-X300AAフォイエリヒガンダムは左腕をもがれながらもイクシードへと、弟の元へと進もうとしていた。そこに、ZGMF-42Sインパルスガンダムが立ちはだかる。イクシードを破壊した機体で、両手にビーム・サーベルを装備している。
 インパルスのコクピットにはシン・アスカが座っていた。生気をなくした目で、ただ機械的な動きで操縦を続けている。激昂しやすい普段のシンからは想像できない。
 フォイエリヒのコクピットではヒメノカリスが取り乱していた。

「邪魔を……、するなぁ!」

 フォイエリヒが腕の先に発生させた高出力ビーム・サーベルを振り下ろす。光の剣はインパルスの左手足をたやすく切り裂いた。
 しかし、これは焦りすぎていた。インパルスの間合い深くにまで入り込んだため、反撃される。インパルスは右手に残されたビーム・サーベルをフォイエリヒの左足のフレームへと突き立て、足を引きちぎる。
 それほどヒメノカリスは焦っていた。
 フォイエリヒのバック・パックのビーム・サーベルを叩きつける動きは暴れる子どもと変わらない。インパルスの右手足を破壊しつつも致命傷にはならず、ただ進路上から弾き飛ばすしかできない。
 今のヒメノカリスには敵機の撃墜はどうでもよかった。一刻も早くスティング・オークレーの元へとたどり着きたかった。傷だらけのイクシードの上半身が、断熱圧縮によって赤熱していた。フォイエリヒもまた火に包まれ、コクピットには警報音が鳴り響いている。
 フォイエリヒは黄金の手をイクシードへと伸ばし近づいていく。
 その時、ある努力が結実しようとしていた。
 スティングが命がけで守り抜いたメテオ・ブレイカー、それが小惑星の内部で最後の爆発を導いた。突如砕けた小惑星は周囲の塊と衝突を繰り返し大量の破片をまき散らす。
 ビームを弾くフォイエリヒの装甲は一般的なフェイズシフト・アーマーは採用されていない。まき散らされた破片はフォイエリヒの全身に突き刺さりその機動力を大きく削いでいく。もはやイクシードへと追いつくだけの力をなくしていた。
 砕け続けるフィンブルに引き裂かれ、姉弟は引き離されていく。

「スティング……、スティング……!」

 星は地球へと落ちていく。




 シンの意識が覚醒したのは直後のことだった。覚醒したとは正確でないかもしれない。意識はあった。しかしまるで夢でも見ているように当事者意識が欠如し、シンは訳も分からず敵のガンダムを撃墜していた。
 そして、目覚めてみるとコクピットではアラームが鳴り続けている。無理もない。シンのインパルスは両手足を失い、大気圏降下の最中なのだから。

「くそ、メイン・スラスターもアポジ・モーターもやられてる!」

 推進力を担う機器が使用できなくなっていた。このままでは燃え尽きる危険さえあった。せめてドッキングを解除すれば戦闘機として飛行は可能になる。問題は、コクピットを持つ戦闘機にフェイズシフト・アーマーが搭載されていないことだった。
 シンは覚悟を決める必要があった。ドッキング解除用のレバーを握り、決意を再確認するために深呼吸をする。
 その時、突然女性の声がした。通信機から聞こえてきたのは、少女のような声だった。

「そこのインパルスのパイロット、ドッキングを解くなです!」
「女の子……?」

 シン自身、まだ16だが、子どもの声には違和感を覚えた。
 通信の相手はすぐにインパルスのモニターに映り込んだ。
 見たことのないガンダム・タイプだった。青と白を基調とした機体で、印象は映画「自由と正義の名の下に」の主役のアスラン・ザラが搭乗していたZGMFーX10Aフリーダムガンダムに似ている。この機体も剣のように鋭い翼を何対も持っていた。
 次に聞こえてきた声は凛とした雰囲気を持つ若い男の声だった。

「聞こえるか? 幸いフェイズシフト・アーマーは機能している。十分に減速するまでこちらで支える。ドッキングは解かない方がいい」
「り、了解です……!」

 モニターは繋がっていないのに、シンはつい敬礼してしまう。
 翼のガンダムがインパルスを後ろから抱えるように保持したこと姿勢が安定する。
 シンにとって数年ぶりの帰郷は、世界を破壊する災いとともにあった。




 フィンブルは大小9つの破片となって地球へと降り注いだ。多少なりとも破砕されたことで燃え尽きた破片も多く、最終的に予測された被害を大幅に下回ることができた。
 しかし、フィンブルは大平洋西岸からインド洋にかけての広い地域に落着。4つの国と地域に渡って多大な被害をもたらした。ユーラシア連邦、赤道同盟、東アジア共和国。そしてオーブ。
 ザフト軍の露骨な妨害工作は地球の反プラント感情をさらに悪化させ、プラントは一切の保証に応じる姿勢を見せなかった。
 これで終わったとは誰も考えていない。
 フィンブルとは、スカンジナビア王国に古くから伝わる神話に由来する冬の名である。フィンブルには三つの冬がある。第一の冬である嵐の冬では、大災害が人々を苦しめる。続く第二の冬は、人々が殺し合う剣の冬。
 この命名は、ユニウス・セブン休戦条約をとりまとめたリンデマン事務次官その人によってなされた。しかしそれが、今後の推移を見透かした上での命名か、あるいは単なる偶然か、リンデマン事務次官の口からは語られていない。




 4年前、プラントが大量破壊兵器ジェネシスによって地球全土を焼き払おうとした事実は地球各国に衝撃を与えた。この戦争は大西洋連邦が引き起こしたものであり、我々には関係ないと突き放していた中立勢力の判断の妥当性が大いに揺らいだからである。
 各国は高まる反プラント感情を受け止める形で他国との軍事的協力関係を深め、それは地球規模の軍事同盟として結実する。世界安全保障機構。プラントという共通の脅威に対抗すべく8つの国と地域によって結成されている軍事協力体である。
 参加国は反プラントを明確にしている7カ国が名前を連ね、唯一の例外はユニウス・セブン休戦条約の仲介にあたったスカンジナビア王国である。
 中立を表明しているオーブ首長国、また、比較的プラントへのシンパが多いとされる汎ムスリム同盟、アフリカ共同体の3カ国がこの椅子を並べてはいない。
 会場には各国が平等であることを示す円卓が置かれ、壁には参加各国の国旗とともに世界地図がかけられている。会議には各国の代表が参加し、議題はわかりきっていた。
 現在、1人の代表が発言に立っていた。
 立ち上がり熱弁を振るうのは赤道同盟代表ソル・リューネ・ランジュ。まだ30になった程度の若者であり、赤道同盟内で確たる影響力を有するロゴス・グループの御曹司である。着こなすスーツと短くそろえられた髪は上品さを印象づけるが、それは同時にソル代表の若さを強調してもいた。

「我が国はエイプリルフール・クライシスでカオシュン国際空港を失い、フィンブル落着では多くの民が苦しんでいる。プラントの行動は許しがたい。このことに異論を挟む者はいないだろう」

 各国の代表は静かに若き代表の言葉に聞き入っていた。

「東アジア共和国をはじめ、オーブ首長国、ユーラシア連邦、我が赤道同盟を中心として甚大な被害が生じている。死者行方不明者合わせて30万を超える。未曾有、プラントとの戦端が開かれて以来この言葉は聞き飽きたかもしれないが、それほどの被害が生じている」

 エイプリルフール・クライシスでは約10億の人命が失われた。
 ソル代表の鼻息は荒い。

「プラントは地球のことなど何とも思っていないのだ。もはや残された道は一つしかない。戦争だ!」

 しかしいざソル代表が戦争という言葉を口にした途端、各国の反応は分かれた。フィンブル落着一つとっても各国の状況は異なる。
 ソル代表が煮え切らない様子で着席すると、続いて発言した国は東アジア共和国であった。禿頭の初老の男性で、ラリー・ウィリアムズ首相である。どっしりと腰掛けたまま、その姿勢の通り一歩身を引いた発言となった。

「まずは被災地への救援と復興が肝要ではありませんかな?」

 自国もまたフィンブルによる被害を受け、国力も潤沢でない東アジア共和国らしい発言であった。
 しかし、この意見は南アメリカ合衆国代表にはお気に召さなかったらしい。野太い声で皮肉があった。

「そうしている内に今度はプレア・ニコル・キャンセラーとやらでも落とされるやもしれませんな」

 また原子力発電が封じられれば世界は今度こそ立ち直れないほどの打撃を受ける。
 この指摘はエドモンド・デュクロ准将である。礼装が似合わないほど無骨な顔に、隠しきれない屈強の肉体を持つ。ウィリアムズ首相が鋭い視線で睨みつけるも、意に介した様子を見せず剛毅な笑みを絶やさない。
 結局、各国は腹のさぐり合いをしているばかりで会議は進展する様子を見せない。この様子を、世界最大の国家である大西洋連邦代表ジョセフ・コープランド大統領は凡庸な印象ながら動じることのない態度で見守っていた。記者会見でフィンブル落着を世界に知らしめた時と何も変わっていない。
 コープランド大統領の発言もまた、何でもないようでありながら、しかし確かな意味を持っていた。

「どう対処するにしろ、プラントは地球にとって脅威に他ならない。それだけは忘れてはなりません」

 プラントへの抵抗の構えを崩すことは許さない。この静かな恫喝は厭戦派の国々を揺さぶることとなる。
 参加国は8カ国。しかし、9人目の人物がいた。世界地図を背にしていることで、その男性が国の代表ではないとわかる。色素の薄い髪と肌。ベージュ色をしたスーツが男の細面と相まって弱ながら紳士的な印象を演出している。
 コープランド大統領はその男へと問いかけた。

「ブルー・コスモスとしては、どうされるおつもりですか?」

 現ブルー・コスモス代表、ロード・ジブリールへと。
 ロード代表はネクタイを直す、そんなありふれた動作から話を始めた。

「休戦条約からわずか3年。宇宙戦力は再編が不完全であり、プラントと正面から戦う力は十分とは言えません。復興をしつつ、プラントの様子に目を光らせておくべきでしょう」

 冷静で、正しく、しかしどこか物足りない。かつての代表、3人のムルタ・アズラエルと比べてジブリール代表をそう評する者も少なくない。
 南アメリカ合衆国代表エドモンド将軍は大仰なほどに嘆いてみせた。

「何と弱気な。エインセル・ハンター殿が代表を務めていた折りには、かような発言が聞かれることなどなかった」
「ブルー・コスモスとは元来NGOにすぎません。私としては環境保護団体としての本来のブルー・コスモスの周知を望んでいるのです」

 フィンブル落着に際して開かれた特別会議は、事実上各国代表の顔見せに終わった。
 地球の総意は決して一枚岩ではない。大西洋連邦、ユーラシア連邦、南アメリカ合衆国は徹底抗戦を主張するが、フィンブル落着の被害激しい地区は割れている。赤道同盟は抗戦派であるが、東アジア共和国は現状維持の弱腰の姿勢が透けて見える。残りの南アフリカ統一機構、大洋州連合の姿勢は東アジア共和国に近い。
 結果、中立であるスカンジナビア王国を除いた国々の反応は抗戦派と現状維持派とで4対3と半分に割れていた。
 この状態は1国でも主張を変えればたやすく情勢が定まる危うい数である。では、スカンジナビア王国はどのような反応を示すのか。各国を代表する7名の視線が自然と円卓の一角へと集中していく。
 それを待ちかまえていたように、スカンジナビア王国代表、マリア・リンデマン事務次官がその静かな物腰を保ったまま、その眼差しを瞬かせる。宗教上の理由からブルカを被り、その全身の内、瞳しか露わとされているところはない。まだ若く、そして王女でもあるこの女性は、静かな声で話し出す。

「地球は大変な被害に見舞われました。戦線拡大は地球にさらなる損害を与えかねません。こんな時こそ、私は引き締めが必要と考えます。ユニウス・セブン休戦条役は守られなければなりません」

 単に条約の仲介国としてユニウス・セブン休戦条約の形骸化を警戒しているだけなのだろうか。事実、モビル・スーツの開発数などすでにその効力を疑問視する向きがある。
 だが、単に自身の功績に拘泥しているだけにしては、マリアの眼差しは確かな光をたたえている。物怖じせず、どのような反論さえ受け入れる構えを見せていた。
 このマリア・リンデマンこそが、リンデマン・プランと呼ばれることもあるユニウス・セブン休戦条約の起草者である。




 赤道同盟、旧ベトナム地区ソンミ市。
 フィンブルの落着の被害が最も大きな場所の1つである。元々大きな街ではなかったが、中央に欠片が落下した。高層ビルが数基に渡ってなぎ倒され現在判明した死者だけで5000、行方不明者はその10倍に達するとする意見も悲観的な見方ではない。
 瓦礫の山の中、中腹で胴裂きにされたビルの亡骸が冷たい雨に打たれていた。雨粒は瓦礫を濡らし、人の死を嘆く涙のように滴となって落ちる。
 人々は郊外に張られたいくつもの簡易テントの下で雨をしのいでいた。避難民たちが狭いテントの中で肩を寄せ合っていた。
 そんな中にあって、その声は風のように人々の間を吹き抜けた。

「痛くなったらすぐに言ってください。包帯を取り替えましょう」

 それは青年であった。丁寧な手つきで幼い少女の手に包帯を巻いている。身を包む純白のスーツは袖口が血に汚れ、背中は水に塗れていた。高級スーツを汚すことを厭わないほど、この青年が多くのテントを周り、怪我人の応急手当に当たっていたことを物語っている。
 少女は遠慮がちにお礼を述べた。

「うん……、ありがとう、お兄さん」

 少女の屈託のない微笑みに、青年は微笑み返す。
 雲に遮られたわずかな光にさえ、その黄金の髪は豊かな光沢を放つ。その肌は透き通るような白であり、瞳は澄んだ青。その微笑みは描かれた絵画のように完成されていた。
 成年は少女の額を優しく撫でると、テントの外へと歩き出す。いつの間にか、雨は上がっていた。夕日が瓦礫の山と化した街を赤く染めていた。昼に流された血は雨にも流されることなく街に染み着いたように。
 破壊されし尽くした街は、テントが張られた郊外の丘からはよく見えた。その場所で、青年は街を見下ろしていた。微笑みを絶やすことなく、しかしその青い瞳は少女に向けられていたものとは明らかに違う色をたたえている。
 そんな青年の元へと、女性が歩み寄った。スーツ姿で、眼鏡がよく似合う女性だった。

「各隊攻撃準備、整ったとのことです。ザフトの降下部隊を捕捉したと」
「ではメリオル、攻撃を始めてください。今の私は、一滴でも多くの血が見たい」

 女性は頭を下げ、青年の名前を呼んだ。
 エインセル・ハンターと。




 不気味なほどの静謐さが空間を占有し、金属の板が張り付けられた壁と床は時折冷たく鳴った。モビル・スーツが左右に並ぶ格納庫の中、居並ぶ人々は誰1人として声を発しようとしない。
 並ぶ機体はZGMF-23Sセイバーガンダムですべて統一されている。ザフト軍が有するもう一つのガンダム・タイプ、可変機構を有する強襲機である。
 全身を赤く染め上げ、バック・パックには長大な銃身を1対背負う。銃身には大型の可変ウイングが取り付けられていた。素早さと力強さを兼ね備えるような機体である。
 やがて、格納庫を見下ろすキャット・ウォークに黒い軍服を身につけたザフト軍兵士が姿を見せる。右手を高く上げ、その声を張り上げた。

「我々は危険な降下をくぐり抜け、敵の懐奥深くに潜むことに成功した! これはまさに天恵と言わざるを得ない。世界は我々による変革を期待しているのだ!」

 ここは地球である。誰も知らぬ海の中なのだ。
 ザフト軍はフィンブル落着の混乱に乗じる形で、多数のボズゴロフ級潜水母艦を地球へと降下させた。悲劇の裏側で、戦いの準備を着々と進めていたのである。
 演説する男の鼻息は荒い。

「デュランダル閣下は言われた。正義は我らにあるのだと! 我らコーディネーターこそが唯一世界に正しき未来をもたらすことができるのだ!」

 格納庫に並ぶ整備兵、パイロットたちが厳粛な様子で演説に聴き入っている。
 その静寂が、突如として破られた。
 格納庫全体を大きな揺れが襲う。演説者はキャット・ウォークの手すりに掴まり、耐えなければならなかった。
 格納庫の天井が裂け、膨大な水が文字通り堰を切ったように流れ込み始めた。水が人々を押し流し、格納庫は瞬く間に荒れた海の様相を呈する。
 水が柱となって一際勢いよく流れ込む。その水は輝く眼を持っていた。深海の暗い水が悪意を持って動き出したような深い青をした巨人が柱の中にいる。
 水柱を突き破り、三叉戟がセイバーガンダムへと突き刺さった。そのまま三叉戟が横に振るわれ、セイバーが引きずり倒される。その深紅の機体は水に浮かぶザフト兵の上へと倒れ込む。
 降り注ぐ水の中から、それは現れた。全身を青く染めたガンダムだった。GAT-252インテンセティガンダムは、甲殻類を思わせるバック・パックで頭部を覆い隠すと、口を思わせる部分にビーム砲の銃口が開いている。
 荒波に翻弄され続けるザフト兵たちは資材に掴まるなどして辛うじて浮かんでいた。その目は見開かれ、青いガンダムを見上げている。フィンブル落着に便乗し地球降下を果たした喜びを一瞬で奪い去ったモビル・スーツは紋章が描かれていた。
 アームで連結されたシールドに描かれた青い薔薇。その意味をザフト兵ならば誰でも知っている。ブルー・コスモスのかつての代表、エインセル・ハンターが地球各国に私兵として所有する特殊部隊、ファントム・ペインであることを示す紋章であるからだ。
 インテンセティガンダムのビーム砲、その発射口が熱を帯び始める。それは格納庫からブリッジの側へ、演説者の立つキャット・ウォークへと狙いが定められていた。
 演説者は手すりに掴まったまま、その口を震わせていた。

「私の部隊が……、馬鹿な、そんな馬鹿な……」

 コーディネーター排斥を謳うブルー・コスモスの力そのものを担うファントム・ペインのガンダムは、エインセル・ハンターの意志を体現する。
 血には血を。
 青い薔薇を掲げるインテンセティの放ったビームが、強烈な輝きでもって演説者を包み込んだ。




 シンの乗る戦闘機は無事、ミネルヴァと合流することができた。事実上、撃墜されたも同然とは言え、以前コロニーに奇襲を仕掛けた時と比べればずいぶん落ち着いた帰還だった。
 風防を開き、整備士がかけてくれた梯子を頼りに床に降りた。久しぶりの重力に思わず膝が折れたところを、シンは何とか踏みとどまる。
 出迎えたのは、シンにとって意外な人物だった。よくも悪くも軽い調子の少年、ヴィーノ・デュプレだった。
 フィンブルなんて落とせばいい。そんなことを言っていた少年に対して、シンは皮肉の一つでも言ってやるつもりでいた。しかし、その顔を見た途端、シンは思わず戸惑ってしまう。
 ヴィーノは沈んだ顔をしていた。

「あのさ、シンは地球出身なんだろ? やっぱ、地球に友達とかいたりした……?」
「ああ……、もう連絡もとってないけど、オーブにいるはずだ……」
「悪かったよ……、その……、落とせばいいなんて言ってさ……」

 どうしてこんなことを聞いてくるのか、そんなシンの疑問に答えることもなく、ヴィーノは走って行ってしまった。
 1人残されたシンの元に、今度こそ予測した人物が訪れた。ルナマリア・ホークがシンのことを呼びながら駆け寄ってきた。

「シン、無事だったのね?」
「ああ、なんとか……。それより、あいつ、どうしたんだ?」

 走り去るヴィーノの背中はまだ見えていた。
 聞かれると、ルナマリアもまた先程のヴィーノと同じような顔をする。

「バレル隊長は大丈夫なんだけど、他の人たち、みんな戦死したの……」

 シンは思わず首を回した。フィンブル破砕活動阻止前まで8機のモビル・スーツが並んでいたはずが、今ではちょうど半分に減っていた。戦死したパイロットの中にはヴィーノの友人も含まれていたのだろうと、ようやくシンは納得することができた。

「そっか……、あいつ……。でも、何があったんだ? 一度の出撃で損耗率5割なんて外人部隊だってそうそうないだろ」
「あの黄金のガンダムにみんなやられたって。それに……、ねえ、シン、戦闘中、おかしなことなかった?」

 心当たりは、シンにもすぐに思い当たった。戦闘中、当事者意識が喪失して、まるで夢でも見ているような感覚に襲われたことだった。

「ああ。妙な感覚があった。たしか……」

 シンの言葉は途中で止まってしまう。格納庫を揺らす足音が聞こえたからだ。シンを助けた青い翼のガンダムが整備士の誘導に従いレイ・ザ・バレル隊長のガンダム、ZGMF-X17Sガンダムローゼンクリスタルの横に並んだ。
 ルナマリアがシンのノーマル・スーツの袖を引いた。

「ねえ、フリーダムガンダムに似てるみたいだけど、あれ何?」
「いや、俺も知らないけど……。ただ、俺を助けてくれたガンダムなんだ」

 青いガンダムがとまると、コクピット・ハッチはすぐに開かれた。赤いノーマル・スーツを来たパイロットがハッチ備え付けの乗降用ロープに足をかけ、ゆっくりと降りてきた。そのノーマル・スーツの胸元には、当然のように翼を模した紋章があった。シンたちの隊長であるバレル隊長と同じく議長直属の正規兵、フェイスの証である。
 フェイスのパイロットはシンの方へと落ち着いた足取りで歩いてくる。

「君だな、無茶なインパルスのパイロットは」

 覇気を感じさせるほど声は力強い。ヘルメットを脱ぐと、シンが思っていたよりも若い。シンよりも年上であることは確かだが、まだ20歳にもなっていない印象だった。敬礼の仕方一つとっても堂に入っている。
 シンはつい慌てた様子になりながらも敬礼を返す。

「危ないところをありがとうございました。俺はシン・アスカ……」

 シンの声を、ルナマリアが突然遮った。

「アスラン! アスラン・ザラさん、ですよね!?」

 ミーハーな少女は目を輝かせていた。こんな同僚の様子に、シンは改めて相手の顔を見た。
 アスラン・ザラ。ザフト軍最強のエースで、映画「自由と正義の名の下に」の主人公のモデルとなった人物。ザフト軍どころか、プラント国民で知らない者はいないことだろう。
 そんな歴戦の戦士はルナマリアの勢いにさえ動じることなく、平静とその名乗りを上げた。

「ああ、俺はアスラン・ザラだ」



[32266] 第9話「戦争と平和」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/08/18 01:13
 ミネルヴァの休憩室にはルナマリア・ホークの黄色い声が響いていた。

「感激です。まさかアスランさんにお会いできるなんて! あ、サイン、もらえませんか? 妹の分もお願いします」

 そう、ルナマリアは自分たちが座るテーブルに身を乗り出してサイン色紙をアスラン・ザラへと押しつけた。アスランは余裕を見せて色紙を受け取ると、手慣れた様子でサインを書き始めた。
 ルナマリアは瞳を輝かせている。同じテーブルにつくシン・アスカとヴィーノ・デュプレのことは眼中にないのだろう。
 ヴィーノはシンに上体を近づけて囁いた。

「なあシン。ルナってアイドル・オタク?」
「自由と正義の名の下が好きなんだってさ。ザラ大佐がモデルの映画だろ」

 男2人がのけ者にされている間に、アスランは2枚の色紙を書き上げた。

「これでいいかな?」

 ファンの握手にまで応じる姿は軍人というよりも映画俳優の雰囲気をまとっていた。
 ルナマリアは宝物のように色紙を抱きしめた。

「感激です。映画、もう30回以上見てます!」
「ありがとう。あの映画は俺が4年前に経験した戦争の記録だ。君のような若い軍人に訴えるものがあったならそれほど嬉しいことはないよ」
「わかってます! ジブラルタルの黄昏でザフトがどれほど勇敢だったか、私知ってます!」

 ヴィーノが再びシンに小声で話しかけた。

「シン、ジブラルタルの黄昏って何だっけ……?」
「そんなことも知らないのか……?」

 さすがに無知ではないだろうかとシンが呆れていると、ふと視線に気づいた。ルナマリアがすごい目でヴィーノを睨んでいた。

「いい、ヴィーノ! ジブラルタルの黄昏は屈指の名場面よ。71年当時、ザフトは地球で劣勢に立たされていたの。地球上の拠点を次々奪い取られてついに地球軍はザフト軍最大拠点であるジブラルタルにまで迫ったの! その時、志願兵を中心に決死隊が結成されて同胞が宇宙に帰るまでの時間を稼いだの!」
「お、おう……」
「その決死隊にアスランさんは戦友であるイザーク・ジュールとともに参加して! 仲間のために最後まで戦ったのよ! すごいのよ、アスランさんは!」

 熱っぽく語るルナマリアと気圧されるヴィーノ。アスランは微笑んだままそんな光景を眺めていた。アスランは、シンにはひどく曖昧なもののように思える笑みのまま話し始めた。

「あの戦いはプラントのため、人類の未来のために命を投げ出してくれたすべての人が讃えられるべきものだ。俺を褒める必要はないよ。それに、あの映画で知って欲しかったのは地球軍がどのような連中かということだ。彼らは持たざる者としてコーディネーターに潜在的な嫉妬を抱いている。その行動原理は思想団体に近い。まともな話し合いが通用する相手じゃないことだけはわかっていてもらいたい」
「わかってます! 味方ごと自爆したり、ブルー・コスモスの操り人形だったり異常な軍隊だってこと、映画でさんざん見てきました!」

 力強く拳を握りしめるルナマリアの姿に、地球出身であるシンには違和感を覚えずにはいられなかった。しかし、地球軍を一方的な悪役と見るのは、ザフトの中では当たり前の考え方だと、シンは諦めに似た気持ちでいた。
 アスラン・ザラは地球生まれの少年とは反対に、そんなルナマリアの様子を微笑みながら眺め、それでもその瞳だけはどこか冷めた眼差しに固まっていた。




 夕日に染まる太平洋を一隻の空母を中心とする艦隊が航行していた。モビル・スーツが主力となった現在、航空母艦の格納庫にはモビル・スーツが搭載されている。驚くべきことにそのすべてがガンダム・タイプであった。
 大型ウイングを背負う青いガンダム、GAT-353ディーヴィエイトガンダムが4機、壁に一列に並べられている。そして、反対側の壁には風変わりなガンダムが2機並べられていた。
 1機は赤い機体であった。大型のバック・パックにはディーヴィエイト同様ウイングを備え、全体として細身の姿は剣のような鋭さを持っていた。見る人が見たなら、ザフト軍が開発した核動力搭載型のガンダムであるZGMF-Z09Aジャスティスガンダムを思わせる機体であった。
 そんな赤いガンダムの横に、傷だらけのガンダムが置かれていた。
 黄金の装甲には小惑星の破片が至る所に突き刺さり、フレームが露出している箇所も少なくない。満身創痍という言葉がこれほど相応しい状態はない。かつて最強と呼ばれたZZ-X300AAフォイエリヒガンダムの傷ついた姿を、ヒメノカリス・ホテルは見上げていた。
 いつものようなドレス姿ではなく、白地の入院着を身につけていた。今し方、医務室から抜け出してきたばかりだった。桃色の髪の長さと相まって作業着姿の整備士たちの中で浮くことも構わず、ヒメノカリスは傷ついたフォイエリヒを見上げていた。
 そんなヒメノカリスに黒い軍服の2人の男が近づいていく。1人はまだ若い男だった。まだ二十歳にもなっていないのではないだろうか。しかし、階級章は大尉であることを示し、この艦隊のモビル・スーツ部隊の隊長であることを示す腕章も身につけていた。
 若き隊長は慣れた様子でヒメノカリスに話しかけた。

「気分はどう?」

 ヒメノカリスは首を曲げることなく、横目で大西洋連邦軍隊長の顔を見た。まだどこかあどけなさを残す顔にはサングラスをかけていることを確認する。

「あまりよくない。……私の寝てる間に何があった?」

 答えたのは隊長のすぐ後ろにいた副隊長。こちらもまだ若いが、歳は30前後と大人である。副隊長はタブレットを見せた。

「フィンブルは太平洋西岸を中心として落下しました。まだ明確な被害は明らかでありませんが甚大です。加えて、混乱に乗じザフト軍が多数の戦力を地球に降下させたことが確認されています」

 ヒメノカリスはその端正な顔立ちを歪めて歯を強くかみしめた。

「最初から仕組まれてたに決まってる。ザフトは破砕活動を妨害した」

 腕に力がこもる、そんな様子でヒメノカリスは怒りをにじませていた。弟とも言うべきスティング・オークレーはザフトの妨害工作によって行方しれずとなった。生存は絶望的だろう。
 サングラスをなおしながら隊長が続けた。

「世界安全保障機構の中でもプラントへの批判が強まってる。名実ともに休戦が終わる時が来たのかもしれない」

 意思決定が明確に交戦に傾いた訳ではない。それでも、大西洋連邦をはじめとする反プラント派の国々が勢いを得たことだけは間違い事実だった。戦争の足音は確実に近づいている。
 ヒメノカリスは再び、傷だらけのフォイエリヒガンダムを見上げた。

「……ステラたちは?」
「ステラ君もアウル君もショックを受けてるみたいだ。スティング・オークレー君は見つかっていない。早めに会ってあげた方がいい」
「わかってる。ところでキラ……」

 名前を呼ぼうとしたところで、隊長はヒメノカリスの言葉を遮るように声をかぶせた。

「今はネオ。ネオ・ロアノークと名乗ってるよ」
「また偽名?」
「僕は七つの国籍と名前を持ってるからね。大西洋連邦軍少佐としてはこっちの方が本名みたいなものだよ。それで話は?」
「サングラスが似合ってない」

 そう言われると、ネオ・ロアノーク少佐は笑いながらサングラスを外した。そこには、3年前、ガンダムの名を世界に知らしめることとなったエース・パイロットの顔があった。




 シンは戸惑っていた。久しぶりに地球の様子でも眺めたい。そう、ミネルヴァの艦内展望室で1人座っているつもりが、たまたま通りかかったヴィーノがすぐ隣に座ってきたからだ。

「シンはオーブ出身なんだろ?」
「どうして知ってるんだ?」
「いや、みんなで噂してからさ。在外コーディネーターが入ってきたってさ……」

 シンにわかったことはこのヴィーノという少年はよくも悪くも発言が軽いということ。馴れ馴れしいとも言ってしまえるが、少なくとも一方的に壁を作って人を排除するようなことはないと判断できた。
 結局、シンの出した結論は進んで拒絶する必要はないということだった。躊躇いながらも、シンは話をすることにした。

「……ああ。別に故郷ってほど思い入れがある訳じゃないけどさ」
「俺さ、生まれも育ちもプラントなんだけどさ、オーブってどんなとこんだ?」
「悪いとこじゃなかったよ。火山国だから地震は多かったけど、都市計画も行き届いてて住みやすくはあったかな」

 ヴィーノでも配慮するということはできるらしかった。声を控えめに、明らかにシンの様子をうかがっている。

「聞いちゃまずいと思うんだけどさ、その、なんでシンはプラントに来たんだ?」

 シンはすぐには答えなかった。抵抗があったと言うより、自分の中で考えをまとめ切れていなかったからだ。

「馬鹿らしくなった、からかな。戦争はしないって理念をさ、どっかで格好よく思ってたんだと思う。なのに、オーブは武器輸出国だったって後から知っって、戦争をしないんじゃなくて、ただ関わりたくないだけで、それで武器まで売ってたんだってわかった時、はっきり言って幻滅したから」

 シンの中で、平和主義が理念ではなく単なる口実に変わった瞬間だからだ。

「その挙げ句、売りさばいてた武器を切っ掛けに攻め込まれたんじゃ笑い話にもならないだろ」

 そうして起きた戦争の中、シンは母親を失った。オーブという国に、シンは思い入れも尊敬もなくしていた。コーディネーターへの風当たりが強くなっていくことも加わって、オーブに残るという選択肢は最初から用意していなかった。
 ヴィーノは頬に手を当てて呆れたような顔をしていた。

「自分たちは戦争に巻き込まれたくないけど武器は売るって、オーブって何がしたいのかわからない国なんだな」
「言っておくけど、だからってプラントがいい国だとか考えてないからな」
「どうして?」
「在外コーディネーターがどう思われてるか、知ってるだろ。中に無神経な奴もいるしな」

 たとえば、地球出身者の目の前で地球なんて小惑星ぶつけてしまえばいいと言っていた正規兵がいたことを、シンもヴィーノも思い浮かべていた。それは調子の軽い少年で、シンのすぐ隣に座るヴィーノとよく似ている。

「悪かったって……」

 ばつが悪そうなヴィーノの様子に、ついシンは笑ってしまう。
 展望室は単に窓際の通路に椅子を並べただけの簡単なものだった。だから誰かが来るとすぐに気づくことができる。通りかかった人物に、シンは立ち上がって敬礼した。

「バレル隊長……!」

 2人の上官であるレイ・ザ・バレル隊長がシンたちの前で足を止めた。しかしなぜか、ヴィーノは立ち上がってもいなければ敬礼もしていなかった。その理由はすぐにわかった。バレル隊長が手振りでシンの敬礼をやめさせたからだ。

「よせ。作戦中でもない。堅苦しい挨拶は抜きでいい」
「はあ……」

 とりあえずシンは手を下ろすも、さすがに座り直すことはできなかった。
 バレル隊長は再び歩き出そうとして、何かを思い出したように立ち止まった。

「次の寄港地はオーブに決まった。補給のためだ。オーブは中立国を標榜している。今後どうなるかはわからないが、少なくとも荒事にはならんだろう」

 ヴィーノはやはり座ったまま、大きな窓の外に見える海の様子を指さした。

「隊長も地球は初めてですよね? なんか、楽しみじゃありません?」
「いや。俺は生まれはプラントだが、育ちは地球だ。オーブには一度旅行で来たことがある」
「マジっすか……」

 大きく目を見開いて口が閉じられていない、そんなわかりやすく驚いた様子を見せるヴィーノの横で、シンも立ち尽くしたまま驚いていた。正規軍、それも議長直属の大尉の経歴にしてはあまりに似つかわしくなかったからだ。
 バレル隊長はわずかに口元を緩ませた。

「この部隊も在外コーディネーターが2人にオナラブル・コーディネーターが1人、生粋のコーディネーターは1人だけか。いっそ外人部隊を名乗るか?」

 これが隊長なりの微笑みなのかもしれない。そう、シンは考えた。ヴィーノは座ったまま、必死に首を横に振り続けていた。そんなヴィーノのことは無視することにして、シンは思わず隊長へと問いかけた。

「バレル隊長。地球に住んでたって、どこですか?」
「ユーラシア連邦だ。ツングースカ市に2年ほど前まで住んでいた」

 2年なら休戦条約以後、プラントに移住したことになる。シンと同じ、在外コーディネーターになる。それがどうしてフェイスのような特殊任務を帯びる役職を与えられているのか、シンは気にはなりながらも聞く気にはならなかった。答えてはもらえないだろう。そんな気がしていたからだ。
 バレル隊長は話は終わったと判断したのか、歩きだそうとする。しかし、立ち止まるとシンへと振り向いた。

「シン・アスカ。これだけは言っておくが、俺のことはレイでいい」
「り、了解です、レイ、隊長」

 真意がわからず、慌てたシンはつい敬礼してしまう。思えば、作戦以外でレイ・ザ・バレルという隊長と顔をあわせることはなかったと、シンは思い出していた。




 オーブ首長国。
 太平洋西岸に位置する島国である。大小様々な島で構成されているが、その中で特に有名なものはヤラファス島とオノゴロ島である。ヤラファス島は政治の中心であり、行政府もここにおかれている。オノゴロ島は産業の中心である。かつての世界第3位の軍需産業モルゲンレーテ社の本社はこの島に置かれていた。
 そして、この2島は共通して戦火に焼かれている。
 ヤラファス島では港でモビル・スーツ同士の戦闘が行われ、街に甚大な被害をもたらした。オノゴロ島は大西洋連邦軍侵攻の際、最重要拠点として多くの被害を出している。
 オーブは当時、自衛権を強行に主張するとともに集団的自衛権を否定した。しかし、同時に武器輸出国として他国と結びつき、政治的には孤高を貫きながらも軍事産業では強く結びついているというアンバランスな外交戦略をとっていた。事実上、対岸の火事を糧に利潤に走る姿に矛盾を感じる者も少なくなく、諸外国からその姿勢を非難する声も聞かれていた。
 半官半民のモルゲンレーテ社が大西洋連邦のガンダム開発に協力しながら、その技術を盗用していたことはすでに周知の事実である。侵略戦争を否定しながら軍拡を続ける姿が、オーブの国際的信用を低下させていたことは否めない。
 大西洋連邦が挙げたオーブ侵攻の口実に、オーブが盗用した大西洋連邦の技術をザフト軍に横流しの事実が挙げられていた。当初、国際社会は苦しい言い訳と冷ややかに見ていたが、事実、オーブ軍がモビル・スーツを実戦に投入したことで国際世論は一変する。戦争に参加せず、しかし勢力かまわず兵器を売り歩いていることが俄然信憑性を帯びたことでオーブのイメージは急速に悪化。大西洋連邦軍の侵略を批判する声は次第に小さくなっていった。
 大西洋連邦による侵略の結果、ウナト・ロマ・セイラン代表が新たな代表となった。大西洋連邦の傀儡と揶揄されるウナト代表は、しかし現実的な政策実行者でもあった。戦後復興に尽力し、大西洋連邦よりではあっても、オーブは独立国としての地位を取り戻している。
 ただし、その政策は一貫しているとは言い難い。民意の存在がるからだ。
 世界安全保障機構はまさに集団的自衛権を組織化、拡大化を狙ったものであり、オーブの理念にはそぐわないと感じる者は少なくはない。また、大西洋連邦によって侵略されたという事実が、オーブ国民の中に反感を植え付けたままである。しかし、大西洋連邦に対して同盟国として親しみを覚える国民も少なからず存在した。
 大西洋連邦との微妙な距離感が、オーブという国の動向を掴みにくくしている。それ故、オーブは現在最も動向が注目されている国としても過言ではない。
 国民は大西洋連邦への反感から世界安全保障機構への参加を拒む者が多い。言い換えれば、プラントへの危機感を大西洋連邦への反感が抑えている形であると言ってよい。そんなオーブが、仮に世界安全保障機構に参加するとすれば、それはプラントへの反感が何よりも優先された結果であり、オーブは間違いなく抗戦派に席を並べるであろうと多くの者が予測している。
 現在、世界安全保障機構は加盟国8カ国中、交戦派が4カ国、現状維持派が3カ国、中立であるスカンジナビア王国で構成されている。ここにオーブ首長国の1票が加わったとしたら、会議の流れは戦争に一気に傾くことになるのである。
 オーブ首長国。その政治の現場ではいつも激論が交わされている。長テーブルをはさみ、2人の議員が身を乗り出していた。

「我々も世界安全保障機構に参与すべきであると私は考えます。今のオーブに自国を守るだけの戦力はありません!」
「大西洋連邦主導の組織に加わるなどいいように使われるだけだ。そもそも現在のオーブの窮状は大西洋連邦の侵攻が原因ではないか!」
「ジェネシスの発射未遂。フィンブルの落着。殴られたことよりも殺されかけた事実の方が許せるとでも?」
「国民の多くは大西洋連邦への不信感を拭えていない!」
「だがプラントと同盟を結ぶことなどできはしない。結局オーブはこのままでは中立ではなく孤立させられてしまう!」
「そもそもジェネシスなど本当にあったのかね? 所詮大西洋連邦が主張しているだけではないか! フィンブル落着にしてもそうだ。都合のいい部分だけ取り上げて自らを正義の国だと気取っているだけだ!」
「ではニュートロン・ジャマーはどうなる!? たしかにオーブには大した実害が出なかった。しかしそれでは自分に被害さえ及ばなければ他で何が起ころうと構わないと言っているでしかない!」
「大西洋連邦は明らかにオーブの主権を侵害したのだぞ! 言葉を返すようだが、殺人犯とは駄目でも強盗となら手を組むことができるいわれがどこにある!」

 この2人の交わす内容は、まさにオーブの、オーブで交わされるすべての議論の縮図であった。
 長テーブルの先には男がどっしりとかまえて座っている。禿かかった頭に、しわのよった顔。ともすれば単なる中年男性に他ならないこの男こそがウナト・エマ・セイランである。ウナト代表はただ平然と構え、両者の首長に耳を傾けているだけであった。




 新聞が翻る音がする。豪奢な執務室に、いかにも年代ものを思わせるその机が置かれていた。そんな立派な机に、足が堂々と乗せられていた。
 机と負けずとも劣らない椅子の背もたれを軋ませ、足を机に投げ出した人物が新聞を広げているのである。それは一見少年のようで、しかし目元の柔らかさは少女のもの。あまり手入れされていないくすんだ金髪が男性的ではありながらも、それは間違いなく女性であった。
 先代代表ウズミ・ナラ・アスハの娘、カガリ・ユラ・アスハである。

「フィンブル落着か。どうして私を行かせてくれなかったんだ、エピメディウム?」

 カガリは新聞を畳み、無造作に机へと放り投げる。すると、室内を確認できるほど視界が開ける。応接間特有の対面式に対置されたソファーが置かれ、少女が1人腰掛けていた。
 左右非対称。そんな言葉の合う少女である。左右の瞳の色が青と紫で異なり、緑の髪は三つ編みにして、左の肩から前へと垂らしていた。ティー・カップを手に、その香りを楽しみながら悠然と紅茶を嗜んでいる。

「無茶言わないでもらいたいよ。それに、少しは姉を心配する妹の気持ちを汲んでくれてもいいんじゃないかな?」
「軍籍ならとったぞ。それに、私たちは姉妹と言うより、同じ人を父としている間柄だ。お前とて私に姉妹の情を期待している訳でもないだろう、エピメディウム?」

 まあね、そう、エピメディウム・エコーは笑いながら答えた。
 カガリは背もたれに強く体を預けたまま、天井を仰ぎ見た。無論、足は机に置かれたままである。

「エピメディウム、オーブはこれからどうするべきだと思う?」
「プラントのために働いてもらいたいと考えているよ」
「本気か?」

 カガリの首だけが無理矢理背もたれを離れ前を向く。エピメディウムはティー・カップを口につけたままで答えた。

「半分はね。カガリも知っている通り、僕はプラントから送り込まれてきたエージェントだからね。お父様はオーブを地球に巣くう獅子身中の虫にしたいんだよ」

 もう飲み尽くしてしまったのだろう。ティー・カップを口から離し、目の前のテーブルに置いたところで、エピメディウムの顔から微笑みが消えた。カガリが口にした言葉は、それほどエピメディウムの意識を捕らえるものだった。

「だがお前たちのお父様は死んだ。もう誰も指図してくれる人はいないはずだな。それでも、お前たちはダムゼルだ。仕組まれた子どもたちとしての生き方を変えようとしない。」

 首を持ち上げやすいよう、カガリは両手を頭の下に敷いていた。

「シーゲル・クラインという水先案内人が死んでから3年になる。それでもお前たちが変わらないのは目的地がすでに設定されているからだ。私が知りたいのはそこだ。シーゲル・クラインは、お前たちの目的とは何だ?」

 シーゲル・クライン。一般的にはかつてプラント最高評議会議長の名前である。しかし、同時に26人ものクローンを娘として、手駒として暗躍したヴァーリの父としての顔を持つ。かつて、ジェネシスで地球全土を焼き払おうとした男だ。
 エピメディウムはなかなか答えようとはしなかった。先にしびれを切らせたのはカガリである。

「シーゲル・クラインは、いや、プラントは何をもくろんでいる? どこに行こうとしている?」

 短く息を吹いて、エピメディウムの時間が動き出す。屈託のない微笑みを見せたかと思うと、普段のエピメディウムの様子を取り戻していた。

「話して上げてもいいけど、もう時間みたいだね」

 何のことかわからず瞬きを2度、3度と繰り返すカガリに対して、エピメディウムは微笑みかける。

「ほら、とても時間に律儀な君の許嫁が来る頃だよ」

 すると、突然部屋のドアが開かれた。

「カガリ、ちょっといいかい?」

 男だった。色の薄いスーツを着て、まだ若い。背が高いせいか、全体としてどこか弱々しい印象だった。
 そんな男が扉を開けた瞬間、その顔の横の壁にナイフが突き刺さった。途端、男の顔が蒼白になる。油の切れた機械のようにぎこちない動きで部屋の奥を見た。
 そこには座ったまま、何かを投げたような姿勢で右手を伸ばしたカガリが歯をむき出しにしていた。

「私を結婚前から未亡人にしたくなければ、次からはノックをしろ、いいな、ユウナ?」
「う、うん、わかった……」

 男は素早く、何度も頷いていた。
 この男、ユウナ・ロマ・セイランは許嫁の間柄であるカガリにすっかり主導権を握られていた。
 そんな2人の様子を微笑ましく見つめていたエピメディウムは立ち上がるなり、扉の前でユウナの肩を励ますように叩く。

「じゃあ、ユウナ。カガリのこと、お願いするね」

 出て行こうとするエピメディウムのことを、カガリは呼び止めた。

「エピメディウム!」
「僕は逃げないよ、カガリ姉さん」

 しかし、エピメディウムは笑いながら手を振り、部屋から出ていく。カガリは追おうとはしなかった。諦めたように椅子に深く座り直すと、机の前に立ったユウナの顔を見上げた。

「それでユウナ、少しは愉快な話を聞かせてもらえるんだろうな?」
「今日の議会は曇り後雨、時折雷っていうところかな。世界安全保障機構に参加するかどうかでものの見事に割れてるよ」

 父さんもこの頃白髪が増えた。そんな皮肉もユウナは忘れなかった。父とはウナト・エマ・セイランその人である。
 今のオーブで政治を語る際、意見は二分される。世界安全保障機構に加わるか否か。それはカガリとユウナの2人であっても変わることはない。
 カガリは机から足を下ろし、ユウナの顔をのぞき込むように机に肘を預けた。

「ここではっきりとさせておこう。私は保障機構には参加したくない。お父様のご遺志にも反するし、戦力として使い潰されかねない」
「僕は賛成だよ。オーブは自衛権を否定していない。それなら他国の侵略に対して他国と協力して確固たる対処をするとしても非戦の理念に反することにはならないからね」
「だが、防衛と侵略は区別がない。攻められてからでは遅いと先に攻め込むことも防衛だと言ってしまえば、侵略戦争も防衛だと言ってしまえる。防衛戦争を否定しないことは侵略を肯定することと変わらない」

 ユウナはわかりやすく眉を歪めた。

「じゃあ、侵略されるままにするべきってことかい?」
「戦争と自衛とを区別する考え方が必要だということだ。侵略を自衛と誤魔化されないためにはな。だからこそ、自衛の戦争性を認めることになる集団的自衛権に関わることには慎重であるべきだ」
「なるほどね。考え方としては面白いよ。でも実際どう転ぶかはわからないよ。何せ、父さんは傀儡政権だからね」

 そう、ユウナは実に面白そうに笑ってカガリの顔をのぞき込む。カガリが事あるごとにセイラン政権のことを傀儡だ、大西洋連邦の操り人形だと公言していることを、ユウナは知っているのである。
 さすがのカガリも決まり悪そうに顔を背けた。

「……嫌みっぽい男は嫌われるぞ」

 ユウナは楽しげに笑っている。



[32266] 第10話「オーブ入港」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/09/08 00:20
 ザフト軍ラヴクラフト級特殊戦闘艦ミネルヴァの展望室にて、ルナマリア・ホークはため息混じりにつぶやいた。

「オーブって何考えてるんだろ……?」

 窓越しに見えるのはオーブ首長国のヤラファス港に並ぶ大型船たち。問題は、その中の一隻にあった。ステイガラー級MS搭載型空母、プラントと敵対する大西洋連邦の軍艦が同じ埠頭に隣り合わせで停泊していた。
 いくら中立地帯とは言え、敵対する国の艦船を並べるオーブの考え方が理解できない、それがルナマリアの現在の心境だった。
 ルナマリアはもう一度、深いため息をついた。そこで思い出す。すぐ後ろ、横一列に並べられた椅子に座っている人物のことを。

「って、シンの故郷ってオーブだっけ!?」

 ルナマリアが慌てて振り返ると、左頬の痣に手を当てたシン・アスカの姿があった。

「いや、別に気にすることないけど……」

 ルナマリアの慌てた様子には、シンの方がかえって戸惑わされたらしい。
 すれ違う2人の脇を、展望室にいる3人目の人物が通る。ヴィーノ・デュプレがその人なつっこい少年を思わせる風貌通りの大げさな動きで、窓から空を見上げ始めた。

「にしてもさ、地球ってすごいんだな。天井のない空って初めて見た」

 その動きはどこか不安げだ。
 プラントは地球上に国土を持たない。生粋のプラント国民であるヴィーノはコロニー以外の環境を知らない。どこまでも広がる空を目にするのは初めてのことだった。

「これ、外に出たとたん空に吸い込まれたりしないよな……?」
「何言ってるのよ、ヴィーノ? ……でも、ちょっと不安ね……」
「だろ?」

 ルナマリアもプラント出身である。地球に初めて降りた2人は、まるで高いところから見下ろすように腰の引けた様子で、空を見上げていた。
 そんな2人をよそに、シンは左頬の痣から手を離せないでいた。




 ミネルヴァの格納庫にはZGMF-17Sインパルスガンダムの他、特別なガンダムが2機並んでいた。青い翼を持つZZーX3Z10AZガンダムヤーデシュテルン、純白の後光を背負うZGMF-X17Sガンダムローゼンクリスタルの2機である。
 これら特機のパイロットたちもまた、キャット・ウォークに並んで愛機の姿を見上げていた。
 レイ・ザ・バレルはアスラン・ザラの話を聞いていた。

「ライナールビーンがいたのは確かな情報なのか?」
「ああ。レイも少しは俺を信用してくれていい。小惑星落着に紛れて地球降下を果たした部隊の中には地球軍の襲撃を受けたものもある。襲撃に赤い特殊なガンダムが加わっていたことが確認されてる。おそらく間違いないだろう」
「フィンブル落着の混乱を利用するとは、俺は聞いていないが?」
「現場が知っていても仕方のないことさ。それに、プラントと地球とでは小さく見積もっても10倍の国力差がある。使える手は何だって使うべきだ」

 地球を混乱に陥れるために破砕活動を妨害したザフト軍が、混乱を利用したところで今更驚く者などいないことだろう。レイもまた、すぐに話題を切り替えた。
 手元のタブレットをのぞき込みながら、レイは交戦が確認された地点と現在の座標とを見比べる。

「場所からして、隣に停泊している船にいる可能性が高いな」
「ああ。これでオーブにはゲルテンリッターが3機もそろったことになるな」
「テットとはもう10年以上会っていないが……」
「今の名前はキラ・ヤマトだ。いや、今はネオ・ロアノークと名乗ってたかな?」

 2人の会話はどこか空虚だった。お互い顔をあわせようとせず、特に話題を発展させようともしていない。単なる事務的な報告を世間話をしている風に装っているだけ、そんな距離感があった。
 そのためか、ルナマリアが走ってきた時、2人は自然と会話を切り上げ、どこか興奮気味な少女兵の方を見た。

「アスランさん、それにバレル隊長、街に行ってみませんか? シンが案内してくれるって言ってます! 天井のない空、見てみません?」

 すぐに追いついてきたヴィーノがわかりやすく首を傾げた。

「シン、そんなこと言ってたっけか?」
「言ってたのよ」

 おそらく言っていない。ルナマリアがシンに案内させる気でいることだけは、レイもアスランも理解した。
 とうのシンは気乗りしない様子で遅れて到着した。
 アスランは左頬の痣を気にした様子のシンに質問を投げかけた。

「君はオーブに縁があるのかい?」
「元々……、住んでましたから」

 現在のプラントでコーディネーターでないこと、プラント出身でないことを公言したがる人間はいない。シンもまた、言葉をわずかに濁した。
 しかし、ルナマリアはそのことに気づいた様子はない。

「行きませんか、アスランさん、隊長?」

 2人に問いかけておきながら、少女の目はアスランのことしか見ていない。

「すまないが、片づけないといけない用事がある。レイなら行けるんじゃないかな?」

 気づいたアスランがレイに目配せすると、さすがのレイも思わず苦笑してみせた。

「そうだな。たまには地球を歩くのも悪くない。俺では不満かもしれながな」

 レイの明らかに冗談めいた口調にも、ルナマリアはついぎこちない目の動きで視線をそらした。

「わ、悪いだなんてそ、そんなありません……」

 こうして、ルナマリアを先頭にヴィーノが続き、シンとレイがその後をついて行くという形で、4人は格納庫の出口へと歩き出した。
 そんな彼らの背中を見送るアスランの顔からは愛想笑いがなくなり、冷めた眼差しでつぶやくばかりだった。

「それに、この国にはあまりいい思いでがなくてね」

 自由と正義の名の下に、この映画には描かれなかった事実の欠片が、この国には転がっている。




 オーブは各島の役割分担がはっきりとしている。ヤラファス港を持つヤラファス島は観光地として知られている。石造りの古風な町並みに、通路の両脇に並ぶ店は観光客でにぎわっている。よく晴れた天候も重なって街はにぎわいを見せていた。
 ただ、街を歩くルナマリアたちは居心地の悪さを感じていた。ちょっとしてお出かけのつもりで軍服姿のままだった。ザフト軍の軍服を見ると、観光客たちは露骨にルナマリアたちを避けたからだ。

「なんか感じ悪~」

 シンはその理由を知っている。それでも敢えて、説明しようとはしなかった。
 ルナマリアももちろん、周囲には聞こえないように声にしたつもりだった。しかし、周囲に人が少ない以上、普通の人混みと同じ感覚では声が聞こえてしまうことがある。
 4人のザフト兵に声をかけたのはサングラスをかけた1人の若者だった。

「この街で軍服は浮くからね。それにザフトの制服は、やっぱりまずいんじゃないかな?」

 シンの目に若者はレイと同じくらいの年頃で、一見すればごく普通の少年に見える。ただ、軍人を前に見せる手慣れた雰囲気や隙のないたたずまいはシンに奇妙な緊張を強いた。
 もっとも、ルナマリアは特に気にした様子を見せていなかった。

「どういうことですか?」
「話してあげてもいいけど、立ち話もなんだし、ちょうど僕の連れも喉が渇いたみたいだ。場所を変えるのはどうかな?」

 若者が示した場所には女性が2人いた。
 シンはこの時、初めて心を奪われるという体験をした。女性の1人はウェーヴのかかった桃色の髪に、瞳は澄んだ青さをしていた。純白のドレス姿はまるで人形にそのまま息吹を吹き込んだようだった。とても生身の人間とは思えないような不思議な雰囲気に飲まれ、シンはしばらく少女から目を離すことができずにいた。
 そんな時、白の少女の手を誰かが引いていた。こちらも少女だ。ワンピース姿で、大きな瞳や白の少女に隠れるようにしている様子が、身長はほとんど変わらないのに幼さを感じさせた。

「ねえ、ネオ。どうするの?」
「ステラ、もう少し待ってて欲しいんだ。それで、ちょっとお茶するのはどうかな?」

 ルナマリアはシンたちの様子をうかがいながら答えた。

「私はいいですけど……」

 このグループを引っ張っているルナマリアがいいのなら、シンたちが拒む理由はなかった。こうして、4人と3人の7人は喫茶店に場所を移すことになった。
 決して広くない店内に、古風なテーブル、レトロな雰囲気を持つ喫茶店の中で2つのテーブルを並べて座ることとなった。グループがそれぞれのテーブルに分かれる形で椅子を並べている。
 一通り注文した飲み物が並んでから、若者はサングラスを外すことなく話を始めた。

「もう4年前の話になるけど、お祭りの時にザフトのモビル・スーツが暴れたんだ。オーブ軍と交戦して、怪我した人も大勢いるし、亡くなった人も出たくらい大騒ぎになったんだ。ヤラファス祭は、それ以来行われてないってくらい、オーブ国民の心に深く刻まれた事件があったんだよ」

 オーブ出身のシンはもちろん知っている。しかし、プラント出身のルナマリアとヴィーノはわかりやすく動揺していた。

「ヴィーノ、知ってた?」
「いや、聞いたことないけど……」

 それでも事実だった。シンは1週間、テレビがその話題で持ちきりになったことを思い出しながら答えた。

「いかにも恋人たちの憩いの場所って感じの庭園があったんだ。けど、そこも燃えちゃってさ、今じゃ、この事件と戦争の被害者の慰霊碑が置かれてる。ま、プラントでザフトのモビル・スーツが暴れたって話、聞いたことなかったけどさ」

 外れにあるため、町中からは見えない。この町を知らないはずのルナマリアやヴィーノが見ている可能性は低かった。
 それでも地球出身の仲間が嘘をついているとは考えなかったのだろう。ルナマリアは徐々に声が大きくなっていた。

「でも、映画じゃそんな場面、ありませんでした……!」

 興奮し始めたルナマリアに比べて、若者は落ち着いてた。紅茶を少し口に含んで、話を続ける。

「自由と正義の名の下に、かい? あの映画だと冒頭のコロニー崩壊も全部地球軍の仕業になってるね。でも実際は、ザフト軍が作戦を強行して発生した戦闘によって崩壊したんだ。別に地球軍を正義だとは思わないけど、プロアパガンダであることくらいは認識した方がいいかもしれないよ」
「でも! 地球軍が中立地帯のヘリオポリスで兵器開発なんてしなかったらザフトが攻め込む必要なんてなかったんだです! ジェネシスだってそうじゃないですか! 地球軍が核なんて野蛮なもの使うから、使うしかなくなっちゃったんじゃないですか!」

 さすがに迷惑だろうとヴィーノが心配した様子でなだめようとしても、ルナマリアが落ち着きを取り戻すことはない。
 ただ、シンはどうしてか冷めた気分でルナマリアと若者の話を聞いていた。ルナマリアが、こんなに熱くなるのを見るのは初めてだと思いながら。
 若者はひどく冷静だった。

「地球を滅ぼすことが仕方ないことかな?」
「私たちは平和に暮らしたいだけです。その思いをいつも踏みにじるのは地球だって言いたいんです! 地球が軍隊なんて持ってなかったらザフトなんて必要ないんですから!」
「もしも地球が軍隊をなくしたら、ザフト軍が侵略しないことを誰が保証してくれるのかな?」
「じゃあ何ですか!? 攻められても私たちはなすがままにされろってことですか! それこそ一方的じゃないですか!」

 後少しで立ち上がりそうなルナマリアを押しとどめるヴィーノの努力は空回りしてあまり役立っていない。
 場の雰囲気を一変させたのはヴィーノではなかった。ティー・カップを置く固い音が聞こえた。それだけで、騒いでいたルナマリアが言葉をとめて、全員の視線が1人に注がれることになった。
 桃色の髪をした少女が飲み終えたカップを置いたところだった。表情に乏しく、余計に人形じみた印象を受ける。そんな独特の雰囲気に、ルナマリアも気圧されたようだ。

「ネオ、そろそろ時間だから、私たち、行くね」

 少女は立ち上がると、もう1人の少女と手を繋いで歩き始める。ワンピースの少女はどこか安心した様子で、白の少女と店を出ていった。
 時間と言われて、シンも時計を確認した。もう店の外では夕日が町並みを赤く染める時間になっていた。

「すいません、ちょっと俺も抜けていいですか?」

 シンがとりあえず聞いた相手は、非番とは言え上官であるレイだった。もっとも、見当違いだったらしく、レイは手を振って真剣に取り合うことはなかった。

「俺の許可を得るようなことではないだろう」

 ルナマリアたちもシンを引き留めることはなかった。
 シンが店を後にすると、若者はルナマリアも再び声をかけた。

「じゃあ、話を戻そうか?」
「もう結構です!」

 立ち上がり店から出ようとするルナマリアを、ヴィーノが慌てた様子で追いかけていく。

「おい、ルナ……。今日はどうしたんだよ……?」

 これで、テーブルを囲むのは若者とレイの2人きりになってしまった。
 レイは紅茶を片手に若者へと薄く笑みをこぼした。

「アンフェアではないか? ヘリオポリスもヤラファス祭の件も、ザフト軍の指揮を執ったのはラウ・ル・クルーゼだ。彼は大西洋連邦軍のスパイだろう」
「別に僕はザフトを悪だと言いたかった訳じゃない。ただ、国の語る正義は取り繕ったものだって示したいだけだからね。ところで、今の名前は?」
「レイ・ザ・バレルだ。お前はネオ・ロアノークだそうだが、ゼフィランサスからはどう呼ばれてる?」
「キラだよ。キラ・ヤマト、この名前で呼んでくる人はまだ以外と多いんだ」




 日が傾き始め、街並みが少しずつ朱に染まっていく。シンがオーブにいた頃は何度も見たはずの光景だった。それでも、どこか真新しいものを見るような違和感がまとわりついて離れなかった。
 シンはふと花屋に目をとめた。道にはみ出す形で並べられた花が軽く香っている。気恥ずかしさも手伝って少し離れた位置から店内を見ると、店先に置かれていた花が目に付いた。シンには何の花かなんてわからない。花言葉なんてもってのほかだ。ただ小さな白い花びらを咲かせた花が売られていた。
 シンは店員の男性に声をかけた。

「この花、お願いします」

 見つけた、白い花を指さして。
 店員は若い男性だった。この仕事は長いのか、エプロンを身につけた姿が様になる。ただ、妙に愛想がない。無言のまま指定の花を手にすると、それを包み始めた。
 そんな無愛想な店員にシンが話かけられたのは、唐突なことだった。

「ヤラファス祭事件のこと、ここじゃ忘れられない人も多い。それに、フィンブル落下じゃ、プラントはまたやらかしたそうじゃないか」

 ここでオーブ国民であった事実を明かしても何にもならない。そう、シンは無言を貫いた。

「こんなこと、君に言っても仕方がないとは思うけどね」

 語尾にはため息がついていた。店員は無表情のまま、シンへと花束を差し出した。シンは受け取って、ポケットから2枚の紙幣を取り出す。男性はその内1枚だけを抜き取った。

「嫌な思いさせたお詫びだ。少しだがおまけしておこう」

 店員が店の奥へと引き返していき、シンはそのまま店を出た。再び、石造りの道を歩き始めた。
 白い花束を掴む手の袖口は、ザフト軍のエリートの証である赤い色をしている。軍服の厚手の生地も迫る夜の風の肌寒さからシンを守ってくれることはなかった。

「俺はもう、どこ行っても異邦人なんだな……」

 町の外れについたのはまもなくのことだった。大きな下り階段の先が開けていた。4年前までは季節の花々が咲き乱れていた公園は、今は石碑が並ぶ冷たい景観に変わっていた。
 ここに、事件と戦争の犠牲者の名前が刻まれている。
 夕日に染められた墓所には人の姿がまばらに見えた。
 シンは重たい足取りで階段を下っていく。ここに石碑が設けられたのは休戦条約以後しばらくしてからだ。その時にはオーブを出ていたシンがここを訪ねるのは初めてのことになる。
 母の、マユ・アスカの名前がどこに刻まれているのか、シンは知らない。見知らぬ誰かが、知らない誰かの名前が刻まれた石碑の前で泣いていた。
 シンは石碑が左右に並ぶ道をそのまま進み続けた。その先に献花台があることを知っていたからだ。
 献花台には、先客がいた。見間違うはずもない人たちだ。白い人形のような少女と、少女について離れないワンピースの少女、この2人とシンは思いがけない再会を果たすことになった。
 少女たちもシンのことに気づいたらしい。献花台の前から退いて、シンに道を譲った。すでにたくさんの花が置かれた献花台へと、シンもまた、自分の花を置いた。それだけだった。冥福を祈りたいとか、そんな目的は最初からなかった。
 少女たちはまだ献花台のそばにいた。シンはまだ名前を名乗ってさえいない少女たちと話をしてみようと考えたのは、他の人はこんな時、どうするかを知りたかったから、そんな単純な理由からだった。

「まだ、名乗ってませんでしたよね。俺、シン・アスカって言います」

 ステラと呼ばれていた少女は、やはりドレス姿の少女の後ろに隠れるように立っている。そのため、話は白の少女を中心に進むことになった。

「私はヒメノカリス・ホテル。この子はステラ、ステラ・ルーシェ」

 シンは姉妹にしては似てないと考えていた。ただ、2人がどんな関係なのか、聞くにもなれなかった。

「俺の母さん、大西洋連邦軍が侵攻してきた時亡くなったんです。でも、あまり悲しいって気持ちになれなくて……。母さん、仕事人間でいつも家にいなくて……、そんな母さんが血相変えて帰ってきたと思ったら軍隊が攻めてくるから逃げなさいって俺を連れだしたんです」

 4年前、オーブは大西洋連邦の侵略を受けた。国防のためと軍事力に力を入れた結果、大西洋連邦にとって無視できない勢力になったからだとシンは考えている。

「政治家たちはこれが国のためだ、これで国を守れるとか言っておきながら、結局攻め込まれる理由作ることしかできなかった」

 献花台に置かれた花を眺めながら、シンは口の端をつり上げて皮肉めいた顔を作った。自分が何に対して怒っているのか、わからなくなったからだ。

「なんか矛盾してますよね? 母さんが死んだこと、別に何とも思ってないのに、一丁前に国のことが嫌いだとか。……すいません、初対面の人にこんなこと話して……」

 シンの愛想笑いを、ヒメノカリスと名乗った女性は表情を変えることなく見ていた。受け入れも拒絶もしない。シンにはその顔は、そんな何とも不思議な表情に見えた。

「私は弟とも言える人、ステラには大切な仲間を失った」

 次に語り出すのはヒメノカリスの番だった。
 ステラと呼ばれた少女は、女性の腕にしがみついて何かをこらえるように体を震わせている。

「スティングは破砕活動の途中でいなくなったの……! でも、軌道計算したら、オーブの領海に落ちたって……」
「スティングは、きっと死んでしまっている。私たちにはこうして花を捧げることくらいしか、できることがない」
「破砕活動って……、じゃあ、あなたたちは……」

 オーブ軍が参加した話も聞かなければ、同時に目の前の少女たちが軍属だとも、シンは考えていなかった。ただ、考えられる答えにはすでに思いついていた。答え合わせを、ヒメノカリスは何も気負うことなく口にした。

「大西洋連邦軍に所属してる軍人」

 すぐには信じられず、シンは瞬きを繰り返した。しかし、ヒメノカリスとシンの年齢はそんなに違わない以上、服装だけで所属を判断することは誤りだと思い直す。2人を破砕活動に参加した軍人だと想定した場合、シンには一つの考えが思い浮かんだ。
 破砕活動には、黄金のガンダムが参加していた。

「……金色のガンダムのこと、知りませんか? あのでかい奴です」

 答えはシンが想定していた以上にあっさりと返ってきた。

「ZZ-X300AAフォイエリヒガンダム。ガンダム・システムを開発したゼフィランサス・ズールが最初に手がけた3機の内の一つ」
「4年前、オーブ侵攻にも参加してましたよね? その時のパイロットって、わかりますか?」
「エインセル・ハンター」
「エインセル・ハンターって、あのブルー・コスモスの代表?」
「私のお父様でもある。でも、今ここにはいない」

 ここで一息つくように、シンはなぜか息苦しくなっていた呼吸を整えな直すことにした。息を吹くと、それは自然と皮肉めいた表情を作り出す。

「どうしてそんなことまで教えてくれるんですか? 俺たち、どこからどう見ても敵同士ですよ」
「あなたが暗い目をしてたから。ステラがこんなに怯えてしまっている」

 小動物のように思えたステラは、今は明らかに怯えていた。シンが視線を送るとヒメノカリスの後ろに体を隠そうとする。その時になって初めて、シンは自分がヒメノカリスのことを睨んでいたのだと気づいた。
 単なる事実確認だけのつもりが知らず知らずの内に熱くなっていたことに、シンは自分のことながら戸惑いを隠せなかった。

「それじゃあ、何の説明にもなってませんよ……」

 少なくとも、ヒメノカリスが怯えているようには見えない。その口調はあくまでも平静そのものだった。

「戦いで大切な人を亡くしたんでしょ。お父様は4年前のオーブ解放戦線では陣頭指揮を執った。だから、お父様はあなたにとっての仇になる」
「だから、あなたが娘だって言うなら、普通隠すはずだ!」
「お父様がここにいたなら、必ず自分が仇だと名乗り出る。だから教えることにした。それに、あなたにお父様は倒せない。お父様は、私が守るから」

 敵対する国家の軍人同士の独特の緊張感が流れた。ただ、さすがにシンも銃を携帯していない。それはヒメノカリスも同じだろう。
 シンは両方の手のひらを見せて、意識的に空気を濁した。

「お互い、ここじゃ荒事はなしにしましょう。でも、もしも戦場で会ったら、俺、手加減なんてできませんからね。あなたにも、あなたのお父さんにも」
「当然でしょう」

 軍人である以上、戦争をしている以上、殺し合うことさえ推奨される間柄なのだから。
 花を供え、シンがここに来た目的の大半はすでにすんだことになる。これ以上ここにいても微妙な空気になってしまうだけだろうと、シンは立ち去るべく体を振り向かせた。
 ちょっとした好奇心がシンに芽生えたのは、本当に気まぐれからだった。

「スティングって人、どうして亡くなったんですか?」

 ヒメノカリスにも予想外の質問だったためか、隠れたままのステラが小さな声でつぶやいた。

「破砕活動の途中、敵のインパルスガンダムに撃墜されたから。イクシードガンダム壊されたからぁ」

 声を聞いた一瞬で、シンは体の動きを止めた。
 破砕活動に直接参加できたモビル・スーツは限られている。イクシードガンダムとはシンたちがカラミティと呼んでいた大西洋連邦製のガンダムだった。そして、シンはインパルスに乗り、意識を奪われたような不思議な感覚のままカラミティを撃墜している。
 シンが思わず考え事をしていると、それはさすがに不自然な間になっていたらしい。ヒメノカリスがシンへと問いかける。

「どうしたの?」
「いや……、何でも……。それじゃ、俺はこれで……」

 シンは歩き出す。逃げるように、そう表現することが適切かもしれない。先程まで胸中に渦巻いていた怒りだとか憎しみは、いつの間にか戸惑いに置き換わっていた。
 早足で庭園から離れながら、シンは推測を少しずつ確信へと変えていく。見も知らないスティングを殺したのは自分だと。ではなぜそのことを2人に告げなかったのか、確信がないからと自分に言い訳しても、純然たる復讐者でいたかったからにすぎない。
 気づくと、すでに町中に戻っていた。すでに日が来れ、人足もまばらになっていた。暗くなってきたせいもあって、昼間ほど軍服姿が目立つこともない。

「俺は……、一体何がしたいんだよ……?」

 母のことを気にしていない、そのはずだった。しかし、シンは母の仇の名を求めた。母を見殺しにした母国も、母を殺した敵国からも逃れてプラントに渡ると、自分もまた他の誰かの仇になっていた。
 今のシンにはできることがあまりに少なく、わからないことが多すぎた。
 シンが去った後、太陽の沈んだ庭園では点灯した照明が献花台を、石碑を照らし始める。人々が捧げた花を、ヒメノカリスが見つめ続けていた。すがりついてくるステラに慰めるように頭を撫でながら。



[32266] 第11話「戦士たち」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/09/28 23:42
 小さな事務所だった。机の上には資料が山と積まれ、隣に座る人の顔も見ることができない。そんな資料を前に、ジェス・リブルは新聞を広げていた。
 新聞にはずいぶんと絵になる男性が難民の手当をしている写真が大きく載せられていた。ブルー・コスモスの元代表が小惑星落着の被災者を救護した事実が紹介されている。
 ジェスはトレード・マークである赤いジャケットを室内にも関わらず身につけたまま、呆れたような顔でため息をついた。

「エインセル・ハンター代表の慈善活動か。そもそもブルー・コスモスがプラントとの関係をこじらせてなければこんなことにならなかったのにな」

 ジェスが座りながら傾ける椅子を、誰かが軽く蹴とばした。思わず転倒しそうになるジェス。歩き去っていく後ろ姿に抗議の声を挙げた。

「何するんだよ、フレイ?」

 とうのフレイ・アルスターは手を振るだけで悪びれた様子を見せない。年下のフレイだが、ジェスにとって事務所の先輩に当たる。なかなか強く出ることができない。
 そしてもう1人、ジェスが頭のあがらない存在が、資料山脈の向こう側から声をかけた。若い女性だが、堅苦しい印象を与える声だった。

「ジェス、フレイの前でエインセル代表の悪口はよしなさい。それより、原稿はもういつ仕上がる?」

 新聞を放り投げ、頭をかくジェス。この事務所の所長は、妙な威圧感があり、ジェスには慣れない相手だった。

「いや、なかなか難しいんですよね。ジャーナリスととしちゃ、努めて冷静に書きたいけど、下手に左寄りの意見書くとうるさいですから。特に、戦中状態の今は。右よりならそれだけで賛同者がつくんで、楽っちゃ楽なんですけどね」

 コーヒーの香りとともにフレイの声がした。

「ザフトが破砕活動妨害したって話? あれ、本当のことでしょ?」

 フレイはジェスの机にコーヒーを置くと、所長の机へと歩き出す。幸い、砂糖の代わりに塩が入っていることもなく、ジェスは一息つくことができた。

「一応、確認はとれたけどね。ただ、ザフトがどうしてそんなことしたのかが謎なんだよ。たしかに、今回の落着でプラントが丸儲けしたのは事実だと思うけど、地球にだってコーディネーターは何万人といるんだ。それに、ここで地球と衝突してもプラントに勝ち目なんてないだろ」
「もう、記者会見の時のバイタリティはどうしたのよ?」

 フィンブル落着が発表された時、身分を偽ってまで会見場に押し掛け、大統領を質問責めにしたことをフレイは言っている。
 ジェスに言わせれば、取材と記事を書くことは意味が違う。取材は自分のしたいことができるが、記事にするとなるとバランス感覚を要求されるからだ。
 所長はフレイからのコーヒーを一口含むと、すぐにカップを置いた。ソーサーとカップのぶつかる音が妙にジェスの耳に届き、つい所長の方を見た。

「ジェス、何がしっくり来ない?」

 立ち上がった所長は鋭いシルエットの眼鏡にぴしっとしたスーツ姿だった。かつては軍隊にいたと噂されるほど凛とした雰囲気の女性だった。わずか3人の小さな事務所は、このナタル・バジルール所長がフレイと1年ほど前に始めた事務所だった。

「……ナタル所長。それが、俺、プラントがどんな国なのか、行ったこともないんですよね。それなのに一方的にプラントのこと、記事にしていいのかなって?」
「でもこのご時世、わざわざプラントまで行く?」
「だが、記者としては悪くない考えではある。それに、ちょうどいいかもしれないな」

 ナタルが資料の山から取り出したのはたった数枚の書類だった。

「あくまでも推測の域を出ないが、昔の仲間が漏らしてくれた情報の中にフィンブルの由来が書かれていた。木星圏が疑わしいらしい」
「なら、やっぱり災害ってことですかね?」
「そうとも言い切れない。木星はコーディネーターにとってある種の聖地とも言える。ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンが人として初めて到達した場所だからだ。そのルートは現在、今でも往復4年という気の長い資源探索に利用されている。この輸送船団は表向きはNPOだが、プラントの息がかかっているとの噂もある」

 フレイが口を挟んだ。

「じゃあ、やっぱりプラントが何かしたとか?」
「それはわからない。だが、プラントに行ってみるのも悪くない」
「アイリスに会うのも久しぶりですもんね」

 笑顔でジェスの知らない人物を挙げた2人を前に、ジェスはどこかきまずい思いでコーヒーを一口すすった。




 人のまばらな閑散とした格納庫。ステイガラー級航空母艦の格納庫には、4機のGAT-333ディーヴィエイトガンダムが整然と並べられていた。中央に置かれているのは傷だらけのZZ-X300AAフォイエリヒガンダム。
 そして、床にはGAT-X255インテンセティガンダム汎用型が破損したままの状態で寝かせられていた。
 アウル・ニーダは傷ついた愛機のそばに立ち、その傷口を確認していた。癖の強い髪が、今は一層乱れている。仲間であったスティング・オークレーがいなくなってから、アウルには気が落ち着く暇もなかった。今こうしているのも、仇を討つためにこのガンダムが必要だからだ。
 そんなアウルに唐突に声がかかった。ずいぶん軽い調子の男の声だった。

「おい、何やってんだ、坊主?」

 アウルが振り向くと、男が資材を椅子代わりに座っていた。褐色の肌をしているせいか、サングラスが伊達眼鏡にも見えた。そのため、とにかく軽薄そうな男だ、それがアウルの抱いた第一印象だった。

「おっさん誰だよ?」
「俺はまだ23だ。たく、いつまでも部屋引きこもってるから俺の顔も知らねえんだよ。俺はシャムス・コーザ。ネオ隊長は知ってるな? その部隊のパイロットだ」

 見ると、他にも色白の男と不機嫌そうな女が立っていることに、アウルは気づいた。この3人は全員、珍しくも黒い制服を身につけていた。

「あんたらもパイロット?」
「俺はスウェン・カル・バヤン。彼女はミューディー・ホルクロフト」
「ならわかるだろ? ガンダムの修理するんだ。邪魔すんな」

 アウルが愛機の状態を確認しに戻ろうとしたところ、シャムスが大げさに手を振った。

「やめとけやめとけ。乗れるくらいで整備や修理ができるほどモビル・スーツは単純じゃねえよ」
「この艦の整備の連中がしっかり仕事しねえからだろ!」

 シャムスはため息をつくでしかなかった。代わりに、スウェンが静かな口調で話し始めた。

「この艦には修復用のパーツがない。オーブはインテンセティガンダムのライセンス生産をしてる。今、アーノルド副隊長がパーツを融通してもらえるよう掛け合ってるところだ」

 説明書のように要点を押さえ、味気ない言葉だった。シャムスとのあまりの違いに、アウルはつい戸惑ってしまう。その隙をつくように、唯一の女性であるミューディーが資材に腰掛け、着席を促すようにすぐ横を叩いた。

「まあ座んなさい」

 別に座る義理はないと、アウルは立ったままで、それでも彼らと話をする気にはなった。ミューディーが仕方のない子とでも言いたげにお手上げのポーズを見せた。

「仇討ちたいって気持ちもわかるけど、焦っても仕方ないでしょ。ただでさえガンダムは整備性が悪いんだし、素人が手出しても性能落とすだけよ」

 何だよ偉そうに、それがアウルの率直な感想だった。シャムスはもちろん、アウルが不機嫌にしていてもお構いなしだった。

「ところで坊主」
「アウルだ」
「じゃあ、アウル。お前たちは当分、俺たちの部隊の預かりになった。今まではどうだったか知んねえが、ネオ・ロアノーク隊長の指示には従え。いいな?」
「頼りになんのかよ、あんたたち?」

 弱い奴に道連れにされるのはごめんだった。そう考えるアウルに対して、シャムスでさえどこか余裕を見せていた。この3人の中ではスウェンがリーダー格なのだろう。静かに、しかし自信を滲ませながら3人を代表した。

「問題ない。我々はファントム・ペインだ」




 同じ頃、シン・アスカは同僚であるヴィーノ・デュプレとともに隊長であるレイ・ザ・バレルの言葉に耳を傾けていた。ブリーフィング・ルームを借りているため、声を大きくしてもいいはずと、シンは思わず驚きの声をあげた。

「ファントム・ペイン!? あの、ネオって人が……?」

 昨日、街に繰り出した時に出会った青年のことを、レイ隊長は大西洋連邦の軍人であるとともに特殊部隊の隊員であることを明かした。
 ただ、シンが驚く一方、ヴィーノの方はよくわかっていない顔をしている。

「なあ、シン……。ファントム・ペインって、何……?」

 シンは思わず、ヴィーノは本当に赤服を与えられるほどのエリートなのか、いや、軍学校を卒業したのだろうかと疑いの眼差しで見てしまった。そのため、代わりにレイ隊長が話し始めた。

「そのためにはまずブルー・コスモスの説明が必要だな。現在の代表はロード・ジブリールだが、この男は文民出身で堅実な政策で知られている。よく言えば穏健派だが、そのことに物足りなさを覚える者も少なくないようだ。そのため、ジブリール代表は一つのわがままを許す羽目になった」

 3人が前にするブリーフィング・ルーム備え付けの机には世界地図が映し出される。現在、世界の国々は3色に色分けされている。大西洋連邦、プラント、それ以外。
 レイ隊長は指で地球側の国々に触れていく。

「世界安全保証機構加盟国に働きかけ、ブルー・コスモスが独自に命令権を持つ特務部隊の設立を認めさせることになった。その指揮命令権はいまだにエインセル・ハンターが握っているという話だ」

 スカンジナビア王国を除いた大西洋連邦、ユーラシア連邦、大洋州連合、南アメリカ合衆国、南アフリカ統一機構、赤道同盟、東アジア共和国の七カ国にそれぞれ特殊部隊が設立されている。
 事実上のエンセル・ハンターの私兵だった。これにはさすがのヴィーノも首を傾げた。

「そんなこと、できるんですか……?」
「できたからできた。そう言う他ないが、エインセル・ハンターの影響力は健在と言っていいだろう。事実、エインセル・ハンターの支持者は内外に相当数残っている。南アメリカ合衆国のエドモンド・デュクロ将軍も熱心な支持者として知られているな」

 プラントでは魔王のように恐れられ、忌み嫌われる男が地球では絶大な支持と影響力を背景に獲得した私兵、それがファントム・ペインだと言えた。
 レイ隊長の話は続く。

「加えて、ファントム・ペインはスカウト制だ。異名を持つようなエース格が多数在籍している。赤道同盟には片角の魔女セレーネ・マクグリフ、東アジア共和国には白鯨ショーン・ホワイトといった具合にな。出会えば強敵であることは間違いない。そして、それは決して遠くない話だろう」

 シンが思わず疑問を口にする。

「どうしてですか?」
「俺たちはオーブ出航後、カーペンタリア基地に向かう。かつてはアラスカ基地攻撃のための橋頭堡でしかなかった、ジブラルタル基地を失って久しい今、地上におけるザフト軍の最重要拠点だ。この海に集う者なら、考えることは同じだろう」

 あのネオ・ロアノークもまた、ただの船遊びのためにオーブを訪れているはずもなかった。

「ファントム・ペインは青い薔薇のエンブレムを機体に描く。ザフトの天敵と言っていいだろう」

 そうして、レイ隊長の簡単なミーティングは終わった。ブリーフィング・ルームを抜け出そうとするシンは扉を開いた途端にある人物と出くわした。アスラン・ザラ大佐だった。思わずぶつかりそうになるところを、すんでのところで踏みとどまることができた。

「ザラ大佐、すいません……」
「いや、こっちは大丈夫だ」

 そう微笑むアスランのすぐ後ろには、同僚であるルナマリア・ホークの姿があった。

「気をつけなさいよ、シン」

 そう言って、ルナマリアは歩き出したアスランへとついて行った。
 シンはふと考えた。この頃、ルナマリアがザラ大佐と行動していることが多くなったと。




 ハイネ・ヴェステンフルスはザフトの軍人であった。軍学校を優秀な成績で卒業し、赤服を与えられるとともに即地球行きを志願した。鮮やかな金髪の手入れを欠かしたことはなく、戦場でもそれ以外でも前に出ようする性分から、周囲には伊達男だと思われていた。
 ハイネはZGMF-23Sセイバーガンダムを与えられ地球への配属が認められた。フィンブル落着の際、ハイネの部隊は小惑星の欠片に紛れて地球へと降りた。
 耐熱処理を施したボズゴロフ級潜水艦で直接地球に降下し、降下後は海中に潜むことで誰に知られることなくオーストラリア大陸カーペンタリア基地へと合流する計画だった。火事場泥棒にも等しい行為だが、ザフト軍の多くへの兵士はそのことを気にすることはなかった。地球軍の卑劣な行為に比べれば些事にすぎないと考えたからだ。
 地球降下を無事成功させ、ボズゴロフ級潜水艦は水深150mを航行していた。この艦ばかりではない。他にも多数の部隊が混乱に紛れて地球への降下を果たした。
 ザフト兵たちはキャット・ウォークに立つ艦長をはじめとして無事に地球降下を果たすことができた喜びを分かち合っていた。今頃、太平洋沿岸では多大な被害が発生している最中だとしても。格納庫の中、並ぶZGMF-23Sセイバーガンダムに見守られるようにパイロットも整備士も手を叩いて喜びを表現している。
 しかしハイネはどこか違っていた。騒ぎに加わろうとせず、愛機をその足下から見上げていた。セイバーガンダムは大型ウイングを背負うその赤い体を静かにたたずませていた。
 強烈な揺れが格納庫を揺さぶったのはその時のことだった。
 多くザフト兵が床へと投げ出され、警報音が鳴り響く。何が起きたのか、事態を把握するまもなく天井が甲高い音を立てるととも裂けた。海の底をつついたように膨大な量の水が滝のように流れ込んでくる。押し寄せる水が人々と資材とを押し流し、格納庫を荒れ狂う海へと変えていく。
 波に飲み込まれる人もいれば、資材に掴まり浮かぶ者もいる。
 そして、一際大きな衝撃が格納庫に響いた。
 滝の中に光る目があった。地球軍の水陸両用モビル・スーツ、インテンセティガンダムが水の壁を突き破り三叉戟をセイバーガンダムへと突き立てた。
 起動していないモビル・スーツなど鉄くずにすぎない。セイバーをたやすく破壊したインテンセティは甲殻類のバック・パックで頭部を覆うと、口を思わせるビーム砲を船首側へと向ける。
 この時ハイネは、全身を濡らしながらもコクピットへと這い上がっていた。ハッチを閉じるとともに排水機構が入り込んだ海水を排出する。映し出されたモニターはインテンセティから放たれたビームが強烈な輝きを放つ光景が描かれていた。
 しかし、まだセイバーが動き出す気配がない。いつもなら気にならない程度の起動時間が、ハイネを苛立たせた。
 すでにこの潜水艦は致命傷を浴びている。船首に向かって大きく傾き始め、流れ込んでくる水は勢いを増している。もはやこの艦は沈む。インテンセティはハイネのセイバーの方を見た。
 インテンセティが三叉戟を構えた時、ようやくセイバーが動き出した。
 構えている余裕などあるはずもなく、体当たり同然でぶつかっていく。シールドを前にガンダム同士を激突させる。合計140tもの衝撃が波を揺さぶる。そのまま、ハイネはインテンセティをさらに押し出していく。やがて2機は滝の真下で膨大な水を浴び始める。
 これこそがハイネの狙いであった。
 セイバーのミノフスキー・クラフトが強烈な輝きを放つ。水が、光に弾かれるような不自然な動きを見せた。 ハイネは仲間への未練を振り払う勢いで、セイバーを急上昇させた。流れ来る水に逆らうように一気に海中へと飛び上がる。
 機体全体にかかる強烈な負荷が襲うと、ハイネはその目に焼き付いた光景を最後に記憶がとぎれた。インテンセティのシールドに描かれていた一輪の青薔薇のエンブレム、その強烈な印象がハイネの意識を奪い、また覚醒させた。
 つい先程までコクピットにいたはずが、ハイネはいつの間にかベッドに寝かせられていた。全身がだるく、身につけているのは入院着のようなゆったりとしたものだった。
 どうやら脱出の際に気を失ってから長いこと寝ていたらしいと、ハイネは重く感じる体を持ち上げベッドから降りた。仕切りようのカーテンをどかすと、ここがどうやら医務室なのだとわかる。しかし、医者らしい姿はない。いるとすれば、足を組んで座る女性が1人だけ。
 ただ、とても医師には見えなかった。長い黒髪に切れ長の目をしたなかなかの美人で、黒を基調とした魔術師のように凝った意匠の服を身につけていた。
 ハイネは自信をもてないまま尋ねた。

「俺を助けてくれたのは、あんたか……?」
「打ち身が3カ所。擦り傷が1カ所。ベルトもつけずに乗り回していた割に、君はずいぶんと運が強いようだ」

 容貌に違わず凛々しい声だった。
 ハイネはこの女性が医者であることを前提にするしかなかった。

「俺はハイネ・ヴェステンフルス。状況は理解しているかも知れないが、地球降下部隊の者だ」
「私はロンド・ミナ・サハク。この艦の船医をしている。そして君はその患者だ」
「俺の他に生存者は?」
「水深200mにいきなり投げ出された人間が助かる術があるなら教えてもらいたいものだ。君とて我々が見つけなければ、セイバーが鉄棺桶になっていた」

 セイバーを逃がすこと。それがあの状況では最善の策だと理解してはいても、ハイネはどうしようもなく表情を曇らせた。

「俺だけか……。それで、状況を教えてくれないか? 俺のセイバーは? この部隊の所属は? 戦況はどうなってる?」
「セイバーは無事だ。この部隊の所属はカーペンタリア基地。確かに地球軍の手痛い反撃はあったが、大部分の降下はうまくいったようだ。カーペンタリアでは今頃大量の物資の相手に大わらわだろう」

 ハイネの脳裏には青い薔薇の紋章が浮かんでいた。部隊を襲ったのはファントム・ペインであったようだ。
 ミナ医師は終始、不敵な笑みを崩すことはなかった。

「それで、次は何を聞きたい?」

 言いながらミナ医師は足を組み替えた。タイト・スカートなので医者にしては不必要に色っぽい。
 しかしハイネが質問するよりも早く、警報が鳴った。艦内放送で第1種戦闘配備への移行が告げられる。

「敵襲か!」

 言うや遅しとハイネは医務室を飛び出した。艦内を見てすぐにわかった。この艦も同じボズゴロフ級である。構造は熟知している。慌ただしく走り回る人々をかわしならブリッジへと駆け込んだ。

「艦長はどこだ!?」

 潜水艦が窮屈であるのはどこも変わらない。わかりやすい艦長席などない。しかし、部屋の中央にいた人物に、ハイネの目は釘付けとなった。そこにはミナ医師がいた。しかし、振り向くと、いつの間にか追いついていたミナ医師が後ろにもいた。
 ミナ医師は妖しく笑っている。

「この艦長は私の双子の兄でね。名はロンド・ギナ・サハク。サハクでは紛らわしい。ギナ艦長とでも呼ぶといい」

 ハイネが改めてブリッジ中央を見ると、ギナ艦長は妹とほどよく似た笑い方をしていた。そして服装まで同じ。よく見れば多少違いがないような気がしないでもない。だが観察する時間もなく、艦が激しく揺さぶられた。

「艦長、状況は?」
「敵ストライクダガーに発見された。どうやら、君を拾ったところを哨戒機にでも見つかったらしい。東アジア共和国の機体だろう。たちの悪い嫌がらせだ」

 無論、嫌がらせですませられる問題ではない。ハイネはギナ艦長に詰め寄った。

「艦長、俺がセイバーで出る! 出撃許可をくれ」

 医師からはストップがかかるものの、艦長は笑って許した。

「君は病み上がりなのだがね……」
「構わんさ。我々がどんな拾いものをしたのか、確かめるのも悪くない」

 こうして、ハイネはパイロット・スーツどころか軍服さえ身につけないまま、格納庫へと向かって走り出した。
 ボズゴロフ級が潜行する上空では、2個小隊6機のGAT-01A1ストライクダガーが飛行していた。バック・パックの換装機構を備えるストライクダガーは、2機が機動力に優れるジェット・ストライカーを装備し、残りの4機は砲撃に特化したドッペンホルン・ストライカーで統一している。
 ドッペンホルン・ストライカーは一対の長大なキャノン砲を有する無骨な姿ながらミノフスキー・クラフトが採用されている。バック・パックが輝きながら機体を浮かせ、安定した姿勢を確保することで砲撃を繰り返していた。
 ビーム全盛の時代に昔ながらの実弾は海面を貫き、海中のボズゴロフ級潜水艦を揺るがしていた。
 潜水艦というより、潜行もできる輸送船としての意味合いが強いこの海底空母は深度を稼ぐことはできない。このまま直撃ではやがて直撃を許すことになる。
 しかし、ザフトがこのまま手をこまねいているはずがないことは、東アジア共和国もまた理解していた。
 水面が慌ただしくなる。海面下から急速に浮上する影が大きさを増し、海を叩き割る。飛沫が白く柱を立てた。正面に4つの船内カタパルトを持つ潜水艦がそのまま飛び出さんばかりの勢いで急速浮上してきたのである。
 展開するハッチ。4機のモビル・スーツが同時に空へと解き放たれた。
 東アジア共和国軍のモビル・スーツを取り囲むように旋回する4機のモビル・スーツ。それはすべてモビル・アーマー形態をしていた。
 ZGMF-953ゼーゴッグは足を折り畳み尖った頭部を機首にすることで重戦闘機を思わせる姿をしていた。
 そして、セイバーは一対のビーム砲を双頭の機首として、その深紅の機影をどこまでも広がる地球の空にさらしていた。そのコクピットの中で、ノーマル・スーツを羽織ったハイネは初めて訪れた地球の途方もない空に見せられていた。

「これが、地球か……。これが空か……」

 しかし、すぐにギナ艦長から通信が入る。

「聞こえるかね? リーダーは君に任せたい。できる限り手際よく、追い払ってくれたまえ」
「了解だ!」

 射撃、爆撃を得意とするゼーゴックでは機体の性質上、リーダーは務まらない。ゼーゴックのパイロットたちとはまだ顔さえあわせていない状況の中、ハイネは戦闘を開始する。
 まず動いたのはゼーゴックだった。人型に変形すると、両手に構えたビーム・ライフルを敵へと向けて攻撃を開始する。対して地球軍はドッペンホルン・ストライクダガーを中心に隊列を整えると、砲撃で応戦する。
 空は突如、激しい撃ち合いとなった。
 そんな中、ハイネ、そして敵のジェット・ストライクダガーは隊列に加わろうとはせず、お互いを牽制しあっていた。
 すると、戦況はある形を描き出す。被弾を恐れて距離を開けた結果、両者が鮮明に2つの塊となって対峙した。そのまま、お互いに攻撃をしてはかわし、戦いは硬直する。
 攻撃力に優れるビームは連射がきかず、大型のキャノン砲は取り回しが悪い。結果、お互いに有効打を出すことなく撃ち合いが続いていた。
 この状況を打開するために動き出したのは、他ならぬハイネであった。セイバーガンダムがモビル・アーマー形態のまま敵へと突撃を開始する。その動きを察した味方のゼーゴックたちが援護射撃を開始した。ハイネを撃とうとしていたドッペンホルン・ストライクダガーはゼーゴックの攻撃にさらされ標準を絞ることができない。
 セイバーは加速を続ける。
 ジェット・ストライクダガーが針路に割り込み、牽制すべくライフルを発射する。その時、セイバーは機首を扇状に回転させ、体の重心を大きくずらすことで機体の位置をずらしながらモビル・スーツ形態へと変形を果たす。
 攻撃を外したストライクダガーは再度標準をあわせようとするも、ビームは連射がきかない。ミノフスキー・クラフトで加速したセイバーは一気にストライクダガーの懐に入ると、膝蹴りで敵の顔面を強打しつつ通り抜ける。
 首をもがれ体勢を崩したストライクダガーには目もくれず、その奥のドッペンホルン・ストライクダガーへと加速し続ける。

「モビル・スーツを腕の生えた戦闘機だと思うな!」

 ハイネのかけ声とともに、ビーム・サーベルを抜きはなったセイバーガンダムはストライクダガーを斜めに切り裂いた。



[32266] 第12話「天なる国」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/10/13 00:41
 プラント。ファースト・コーディネーターであるジョージ・グレンによって建国されたこの国は、宇宙にしか国土を持たない初めての国であった。砂時計を思わせる硬質ガラス製のコロニーの両底に擬似重力を発生させ、街並みを築き上げていた。
 10基のコロニーをまとめて一つの市とし、12の市、人口約2500万で構成される宇宙国家、それがプラントであった。
 現在のプラント最高評議会唯一の非デュランダル派議員として知られるタッド・エルスマン議員のお膝元であるディセンベル市第1コロニー、ディセンベル・ワンの一角に、大学の講義堂はあった。
 階段状に、扇状に並ぶ座席の大講堂には、今大勢の学生たちが着席している。立ち見の聴衆さえ確認できる。
 今日は退屈な講義ではない。プラント最高評議会議員であり、法務委員を兼任するタッド・エルスマン議員の講演会が予定されていた。
 すでにエルスマン議員の姿はあった。白く長い髪は柳を思わせる。力強くはないが、決して折れることはない。エルスマン議員はまさに柳のような雰囲気をまとわせ、語りかけていた。

「君たちの中には勘違いしている人も少なくないかもしれない。憲法とは、通常の法律とは性質が大いに異なっている。通常の法と異なり、憲法は権力者を縛るために開発されたものだからだ」

 聴衆の大半は今年法学部に入学したばかりの学生である。エルスマン議員は毎年決まって新入生を相手に簡単な講演会を行っていた。

「人類の歴史は、権力を飼い慣らすための試行錯誤だったとしても過言ではないように思える。西暦1215年マグナカルタに始まり、市民革命を繰り返しながら権力を抑制する機構を生み出した。それが憲法だ。しかし、その道のりは必ずしも一本道だとは言い難い。たとえば、社会主義国家では、労働者こそが権力者であり、権力は資産家と戦うための武器だとされた。すなわち、権力を縛るということは労働者から武器を取り上げることに他ならないことになる。その結果、権力を野放しにせざるを得なくなり、政治腐敗を招くこととなった。反対に、自由との兼ね合いもあった。1919年、ドイツのワイマール憲法は当時としては自由を尊重する画期的な憲法であったが、それは同時に憲法を攻撃する自由さえ認めてしまっていた。アドルフ・ヒトラー率いるナチス党が合法的に独裁を始めた結果を知らない者はいないことだろう」

 タッド・エルスマン議員は最高評議会唯一の反デュランダル派として知られている。絶対権力者と真っ向から対峙することを選んだこの議員は、決して大きくはないことではあっても、確かな声で学生たちに語りかけていた。

「人類はそうして、政府を必要としながら、同時に権力をどう飼い慣らすかに思考し続けたと言えるだろう。そのため、憲法に通常の法律とは異なる改正手続を与えたりもした。一部の政治家の手によって変えられてしまわないよう、住民投票の実施など改憲には多数のハードルを設けた。もしも政治家が勝手に憲法やその解釈を変えてしまったなら、それは犯罪者自身に刑法を決めさせるようなものだからだ。このように憲法とは一般の法律とは性質を根底から異にする。このように、人類は様々な失敗を切り返しながらよりよい政治制度を追求し続けてきた」

 聴衆は静かに聞き入っていたが、エルスマン議員が次の言葉を続けた時、ざわめきを見せた。

「しかし、残念なことにこのプラントでは憲法を作る際、地球各国の憲法を参考にすることはあっても模範とすることはなかった。中には遺伝子操作を憲法で禁じる国もあれば、人権を重視し倫理規定を規定する憲法も見られたからだ」

 遺伝子操作を禁止する憲法をコーディネーターの国が持つことができるはずもない。国によっては受精杯にさえ保護の対象とする法を持つ国もある。こちらも、遺伝子調整を国是とするプラントには都合の悪い法律であった。
 ゆえに、プラントは不都合な部分をそぎ落とし、国に認められる範囲で国民の権利を保障せざるを得なかった。

「確かに、この国はコーディネーターの国であり、遺伝子技術の研究ができないというのは大変具合が悪い。しかしながら、結果として憲法そのものは極めてリベラルなものになっている。よく言えば自由だが、悪く解釈すれば政治家、権力者を抑え込む機構に乏しいと言える。憲法学者の中にはナチス・ドイツ下のワイマール憲法との対比を研究する者もいる」

「また、憲法改正の限界論から考えても興味深い。この国はまったく新しい国であって、どの国とも地続きの憲法を持たない。その結果、限界を超えて自由保障の分野を削り取った、最も非民主的な憲法とする見方もある。法律学者の身分として言わせてもらえば、プラントは大西洋連邦の憲法をモデルにしてもよかったのではないかと思える」

 プラントは地上のしがらみをすべて捨てた新しい国。そう教え込まれてきた学生たちは動揺を隠すことができなかった。敵対国家である大西洋連邦の憲法の方がより先進的であるという言葉にもざわめきは絶えない。
 そんな学生たちの中から1人の若者が立ち上がった。軍服を思わせる格式立った服装に、姿勢は直立。唇を堅く結んだまま、エルスマン議員を見下ろしていた。

「お言葉ですが、エルスマン議員はプラントの国是をご理解されていないのではないでしょうか?」

 若者の周囲には似たような雰囲気をした一団が座っていた。みな、どこか異様な雰囲気を醸し、親衛隊がその一角を占拠しているかのようだった。

「プラントは新しき国なのです。大西洋連邦とおっしゃいましたが、奴らに何ができました? 魔王のようなエインセル・ハンターを盲信する狂信者ではありませんか。血のバレンタイン事件を引き起こし、アラスカでは味方を焼き払う愚挙までしでかした。彼らの歴史はただの過ちの積み重ねにすぎません」

 学生たちは静まりかえっていた。中には不安そうにことの成り行きを見守っている者もいれば、どこかはやし立てるような挑発的な目を浮かべている者もいる。

「プラントは、政治、民族、宗教の争いのすべてから解放された新天地であり、人類すべての未来を担う国なのです。大空を飛ぶ鳥が、ドブネズミに見習うべきものなどありません」

 周囲の親衛隊を中心として拍手がそこかしこで巻き起こる。
 ただ、エルスマン議員はあくまでも冷静であった。

「たくましい生命力を持つドブネズミも、わざわざ飛び方など教えてもらいたいとは思わないだろうね。君の理屈は、残念ながら問題が少なくない。ブルー・コスモスの構成員は、国全体で見れば数パーセントに満たない。また、カミカゼ作戦ならプラントも実行している。傷病兵、障がい者を中心とした部隊が捨て身の足止めに使われた。続いて、エイプリルフール・クライシスを引き起こしたのは当時のクライン政権だ。何より、地球の歴史が過ちの繰り返しと言う君の指摘は何一つ証明がなされていない」

 若者はあからさまに侮蔑的な笑みを浮かべた。

「失礼。あなたが売国奴と揶揄されるお方だと忘れていました」
「この国は人類すべての未来を担っているのではなかったのかな?」

 思わずたじろぐ若者だった。しかし、周囲の仲間の様子を気にした様子を見せると、すぐに持ち直し発言を続けた。

「あなたがどれほど自己弁護が巧みであろうと変えられない事実があります。赤い花は誰がなんと言おうと赤です」
「君の話を聞いていると色盲の話を思い出す。ある人が色盲と診断された。彼はそれを認めようとしなかった。自分が色盲のはずがない。この花だって、赤く見えている。そうして、彼が指さした花は、実は青い色をしていた」

 再び言葉を失う若者。しかし、周囲に仲間たちがいることを確認するように見回すと、また歪んだ笑みを浮かべ始めた。

「あなたがどう言われようと、ナチュラルが悪である、このこ事実だけは変わることはありません。以上です」

 そう言うと、若者は着席する。仲間たちの1人に戻っていった。
 エルスマン議員は壇上から時計へと目を配ると、何事もなかったかのように話を続け出す。

「そろそろ時間とせっつかれているので最後にしよう。この国は、国の原則として、人の体を作り替える様々な自由を認めざるを得なかった。しかしそうして広げてしまった自由の中には、悪意を持ってこの国を動かそうとする者を自由にしてしまうものも含まれている。これから法を学ぶ君たちには是非とも覚えておいてもらいたい。この国は、内部の悪意に大変脆い状況にあるということを」

 聴衆である学生たちの反応は、嘲笑的な者と不安げな者とに二分されていた。

「では、私からの話は以上としよう」




 大通りに面したオープン・カフェに、一組の男女が座っていた。2人に向けられた周囲の視線は、決して暖かいものではなかった。それは男性の姿に原因があった。左目を眼帯で覆い、左腕がない。明らかな障がい者だったからだ。
 ここ、プラントでは障がい者は社会的無能力者も同然の扱いを受ける。
 しかし、障がい者の男性は平気な顔でコーヒーを楽しんでいた。彼の名はディアッカ・エルスマン。タッド・エルスマン議員の息子であり、障がい者の権利向上のための活動をしていることでも一部では知られている。こうして義手をつけることもなく街へと繰り出すことも、プラント国民に障がい者の存在を知らしめるための活動の一環であると言えた。

「アイリス、ナタルさんたち、今日は取材に来るんだろ?」

 同席する少女、アイリス・インディアは、桃色の髪を首の後ろで束ねているだけの地味な印象だった。そのためか、かのラクス・クライン議員と同じ顔をしていることに気づいた者はいないらしかった。

「う~ん、取材っていうより、ちょっとプラントのことを見ておきたい、くらいの感じみたいですから」
「じゃあ、驚くだろうな。プラントもずいぶん様子がかわったからな」
「そうですよね」

 そろそろ待ち合わせの時間が近かった。約束の相手はそれこそ、軍隊並に時間には厳しい。2人はそろって周囲の雑踏の中から目当ての人物を探し始めた。それは、すぐに見つけることができた。
 人通りの中から2人に手を振る少女が現れる。

「アイリス!」
「フレイさん!」

 アイリスが立ち上がってフレイ・アルスターを出迎えると、2人は女性特有の独特の手つきでお互いの手を握り合う。

「久しぶり、元気してた? ディアッカに飽きてない?」

 その頃にはすでに、ディアッカの座るテーブルにはスーツ姿のナタル・バジルールがついていた。

「アイリスが君と暮らすと言い出した時は、私にとって人生最大の驚きだった」
「そんな甘い軍隊生活送ってないだろ、ナタルさんは」

 当時の一悶着を思い出しながら苦笑するディアッカ。しかし、すぐにナタルの後ろに立つ見慣れない赤いジャケットの青年が目に付いた。

「ところで、そっちの赤ジャケの人は?」
「ジェス・リブル。私の事務所の記者だ」

 戻ってきたアイリスが席につきながら話に加わる。

「フリーのジャーナリスト始めたって聞いてましたけど、プラントには取材で来たんですよね? ジェスさんが取材担当なんでしょうか?」
「まあそんなところかな。俺はナタル所長に連れてこられただけだけど、プラントのことも自分の目で見ておきたいと思って。で、ナタル所長、この人たちとの関係は?」
「以前の職場の部下だ」
「その以前の仕事って奴、俺まだ聞いてないんですけど……」

 ナタルが説明するよりも早く、テーブルを叩く手があった。空気が、一瞬で嫌な色を帯び始めた。そこには、テーブルに手を置く軍服じみた格好をした若者と、その後ろには似た格好の集団がいた。

「役立たずは役立たずなりに、隅で目立たなくしているべきとは考えないのか?」

 突然の乱入に、フレイは不快感を隠そうとしない。

「何よ、あんたたち……!」

 若者集団は明らかにディアッカを、隻眼、隻腕の姿を見ていた。
 ディアッカは手慣れた様子で、懐から取り出した1枚の写真をテーブルに放った。それを見た途端、若者たちの表情が明らかに変わった。写真には、ザフトきってのエースとして知られるアスラン・ザラとディアッカが他の仲間たちと並んで写っていた。

「俺は3年前、かのアスラン・ザラとともにヤキン・ドゥーエの戦いに参加した。この傷はその時負った名誉の負傷だ。人類の未来のため、プラント国民2000万のために命をかけた戦士への報いがこれか!?」

 妙に芝居がかったディアッカの言葉は、若者たちを見て分かるほど動揺させた。

「し、失礼しました!」

 どこの軍隊式でもない形だけの敬礼をすると、若者たちは逃げるようにテーブルを離れた。
 残されたのは、不機嫌さを隠そうともせずに若者たちの背中を睨んでいるフレイ。

「ディアッカ、今の何なの?」
「別に見せようとしてた訳じゃないんだけどな。ただ、あれがプラントの現実だ。近くでおやじの講演会があったから、それが原因かもな。おやじ、ナショナリストには人気がないからな」

 反デュランダル派として知られるエルスマン議員は、あの手の若者集団に敵視されていることはここでは常識だった。
 すっかり悪くなってしまった気分の中、とりあえず飲み物を注文する。5人全員分の飲み物がそろったところで、ディアッカは話を始めた。

「じゃあ、フレイ。ジャスミン・ジュリエッタのこと、覚えてるか?」
「目の見えない人で、アイリスのお姉さんにあたるヴァーリでしょ……。でも、少し顔をあわせたくらいだけど、3年前に戦死したって……」
「プラントが地球軍の侵攻を押しとどめるため、傷病兵や障がい者を捨て駒に使ってな。プラント国内じゃ、特攻は偉大な犠牲だってことになってる。彼らが命をかけて戦ってくれたからこそ今のプラントはあるんだ、ってな。実際、彼らを題材にした小説はプラント国内じゃヒットを飛ばしてる。だがそれは、どこか自己弁護めいてる部分があってな……」

 ディアッカがコーヒーを口に含んだ間、アイリスが代わりを買って出た。

「いい作戦だったって思い込もうとしてるところがあるんです。価値のある死で、犠牲は仕方がなかった……。そんな考えが、障がい者を犠牲にしても仕方ない、そこまで行き着いてしまって……。元々、プラントは障がい者差別が激しい国でしたけど」
「それに、彼らはユニウス・セブン世代だ。血のバレンタイン事件が起きたのが今から14年前。その頃に物心ついた世代はずっと地球は悪い奴だ、ナチュラルは悪い奴だって教えられてきた世代だ。おまけに、プラントから一度も出た経験がないのも、この世代には多い。だからいつの間にか、ナチュラルを悪と考えて当然なんて世代ができて、誰かがそれをユニウス・セブン世代って呼び始めた。ちょうど、俺と同じくらいか、下の世代からだな」

 さすがに空気が悪いと感じたのか、ディアッカは努めて微笑もうとしていた。

「俺も最初、いやな奴だったろ?」

 一時期はフレイとアイリスの不仲を助長するようなことまでしでかしたことがあった。
 そんなディアッカに、フレイはどこか呆れたように微笑みを返した。

「今はいい奴って言ってほしいの?」
「ま、そんなこんなで、おまけに今は戦時中だ。物価を見てわかるだろうが、この国の消費税が現在78%。まだ上がり続けてる」

 店員が置いていった伝票を見せると、そこには地球の標準からすれば倍近い金額が並んでいる。

「しかもジェネシスで地球を狙ったことで外交的には孤立。そんな中、ギルバート・デュランダル議長はナショナリズムを利用して支持を集めてる。一度演説会場に行ってみればわかるが、熱狂的な支持者はそんなユニウス・セブン世代が中心だ。中にも外に敵を作って仲間意識を高める、それが議長殿の政治戦略ってことだな」

 そう、ディアッカはありもしない左腕を撫でるような仕草をしてみせた。義手をつけることもなく失われた左腕をさらしているのは、プラント国内の障がい者の存在感を周囲に示す意図もあった。
 アイリスもまた、どこか悲しそうとも寂しそうとも言える顔を見せた。

「さっきの子みたいに親衛隊気取りの若者の、障がい者や潜在ナチュラルの襲撃事件が社会問題化してます」

 周囲を見渡すと、何人かの徒党を組んで軍服に似せた格好をしている若者たちの姿が目立った。先程の若者たちが例外ということはなかった。
 ナタルは、久しぶりに訪れたプラントの実情をかいま見たことでわかりやすく眉をひそめた。

「3年前は、まだここまで深刻ではなかったが……」

 しかし確実に、弱者差別、障がい者差別の意識は根付いていた。優れた人間を望む社会の中で、優れていない人間は望まれない。コーディネーター思想の宿痾とも言うべき現象であった。
 ディアッカが続けると、ジェスが問いかけた。

「ナチュラルは不善。コーディネーターは善。そう教え込まれてきた奴らに今更戦争でナチュラルに勝てませんなんて言える政治家なんていやしない。優れてないコーディネーターなんてアイデンティティーの崩壊もいいところだ。だが、国力差を考えればプラントの負けは決まってる。だから真相を隠して勇ましい言葉でごまかし続けるしかないんだ、この国は……」
「それが、どんなに歪んであってもかい……?」




 ヤラファス港から、大西洋連邦軍の航空母艦が出航していった。隣に停泊していたザフト軍のミネルヴァはすでに1時間前に出航を終えている。空になった港を、な欄d二つの双眼鏡が見つめていた。カガリ・ユラ・アスハとユウナ・ロマ・セイランの2人が遠くから眺めていたのである。
 先に双眼鏡を下ろしたのはユウナの方だった。

「これで、呉越同舟の奇妙な光景も見納めか。どっちつかず。そんな今のオーブを象徴してるみたいだったけどね?」

 カガリは双眼鏡を外すとともにそばに置かれた椅子に腰掛けた。

「勘違いしているようだが、少なくともオーブにプラントにつく選択肢はない。ただ、世界安全保証機構に参加するかどうかで揺れているだけだ」
「ところでカガリ、ヴァーリって何だい? いや、聞いてはいるんだけどね、あまり詳しくは知らないんだ」

 ユウナは水差しから二つのグラスに水を注ぐ。その間、カガリは悩んだように口元に手をやりながらユウナを見ていた。グラスを差し出されたことで迷いがとけたか、あるいは単にグラスを受け取るためか、カガリは口から手を離した。

「今はまだおおっぴらにする時期じゃないが、お前には知っておいてもらった方がいいだろう。昔、次世代コーディネーターを生み出す実験が行われた。そのために考えられた手段は二つだ。単純に性能を高めるか、より社会に適合する素質を作り出すか、だ。ヴァーリは後者のプロジェクトだった」

 その実験はすべて、今はなきユニウス・セブンで行われた。反コーディネーターを叫ぶ思想団体ブルー・コスモスがユニウス・セブンを襲撃し、結果として血のバレンタイン事件を引き起こしたのもそのためだ。

「26のクローン胚にそれぞれ別の遺伝子調整を施し、どの調整がどのような影響を与えたかを調べるとともにそれぞれに別の能力が添付された」

 それによってどのような調整がどのような能力を導くのかを解析するとともに、26人のクローンすべてが異なる特性を帯びることとなった。その結果、同じ顔ながら特性も素質も違う26人の姉妹ができあがった。

「また、これはオーディションでもあった。責任者の1人であるシーゲル・クラインは自分の手駒として、全員にある種の洗脳を施し自分への絶対の忠誠を誓わせた。その後、まず26人の娘の中から6人を選び出し、ダムゼルと名前を与えた」
「ダムゼル、古い言葉で乙女、だったかな?」
「そうだ。そして、失敗作としての20体はまとめてフリークとされた。そして、6人のダムゼルの中から、1人だけが娘として選ばれ、クライン姓を名乗ることが許された。それがラクス・クラインだ」

 ヴァーリの名前はアルファベットの組み合わせでできている。フォネティック・コードと呼ばれる、誤認防止用のアルファベットの言い換えと、同じ頭文字を持つ花の名前がつけられた。ラクスの場合、ヴァーリとしての名前はガーベラ・ゴルフ。GolfのGと、Gerbera。よって、G・G。それが、このような組み合わせがアルファベットの数だけ、26人姉妹全員に共通する命名法だった。
 カガリはグラスの水を口に含みつつ喉を休めると、少しの間を置いて再び話し始める。

「そうして、6人のダムゼルはラクス・クラインを中心にシーゲル・クラインの手足となって働いた。3年前まではな」
「何があったんだい?」

 ユウナもまた、水を飲みながら尋ねた。

「一つは、シーゲル・クラインが死んだこと。次に、第6のダムゼルであるゼフィランサス・ズールが男と逃げた」

 思わず咳き込むユウナだったが、カガリに吹き付けてしまうような真似だけは回避することができた。許嫁がむせかえっているをかまわず、カガリは神妙な面もちで1人、考えを巡らせていた。

「だが実際、シーゲル・クライン亡き今、ダムゼルがどう動くか正直、予想ができない」




 大型のソファーの置かれたリビングに大窓からの光が差し込んでいる。ここには5人の少女がいる。1人だけが窓を前に立ち、残りの4人は全員がソファーに腰掛けていた。
 そして、5人はすべて同じ顔をしていた。
 桃色の髪をした少女、ただ1人立っている少女が日の光に背を向けてソファーに座る姉妹たちに話しかけた。

「5人ものダムゼルが集まるなんて、3年ぶりでしょうか?」

 4人のうち、2人は緑の髪にラフな格好で、三つ編みを左右どちらの肩に垂らしているかくらいしか見分けがつかない。3人目は青い髪に白衣姿。4人目の赤いドレス姿の黒髪の少女がまずは答えた。

「余計な話はいいんじゃないかしら、ラクスお姉さま。お父様亡き今も、私たちがすべきことは何も変わらないもの」

 Nのヴァーリにしてダムゼル、ニーレンベルギア・ノベンバーの言葉に、Dのデンドロビウム・デルタがちゃかしたように反応する。

「ニーレンベルギア。珍しく積極的だな」
「デンドロビウスお姉さま、言葉の意味によっては怒るわよ?」

 ここにいる5人はその全員がダムゼルだった。そして、立っている唯一の1人が、至高の娘、ラクス・クラインである。

「しかし、すべてその通りです。わたくしたちダムゼルはお父様のために戦い続けてきました。デンドロビウムお姉さまは地球圏を混乱させるために暗躍し、ニーレンベルギアは人の新たな可能性を研究し続け、サイサリスはモビル・スーツ開発を行い、エピメディウムはオーブをつなぎ止めてくれました」

 Dのダムゼル、デンドロビウム・デルタは地球圏の反体制派ゲリラに武器を横流しし、地球の屋台骨を揺るがす活動を続けていた。
 Nのダムゼル、ニーレンベルギア・ノバンバーは人体強化の実験を続けている。
 Pのダムゼル、サイサリス・パパが関わっていないザフト製モビル・スーツの方が珍しいほどだ。
 Eのダムゼル、エピメディウム・デルタは時にカガリとぶつかりながらもオーブ首長国のプラントよりの国家観を維持し続けていた。
 そして、Gのダムゼル、ラクス・クラインは新たなクライン家当主として、議員の座を手に入れるとともに現在のプラントの形を作り上げた。
 すべては、愛しいお父様のために。

「お父様は希求された理想の国は近づいています。わたくしたちはその最後の仕上げをしなければなりません。ここに誓いましょう。この命、新たらしい世界のために捧げると」

 ラクスがその左胸に手を置くと、その前に並んで座るダムゼルたちもまた仕草をあわせた。ただ1人、エピメディウムを除いて。

「ねえ、ラクス姉さん。本当に、本当にこれがお父様の望まれた世界なのかな?」

 カガリの前ではあくまでもマイペースを崩さないエピメディウムだったが、ここでは表情を曇らせ、煮え切らない顔を作っていた。

「今のプラントを見ていると地球の歴史の繰り返しに見えるよ。ナショナリズムに民族差別、他国を自分よりも下位の存在と位置づける考え方しかできない民衆もそう。僕には、今のこの国がお父様の望まれた姿には思えないんだ」

 立ち上がったのはエピメディウムにとって双子の姉とも言うべきデンドロビウムだった。

「お父様のご遺志を疑えばフリージアの死が無駄になる!」
「疑ってるとか、そんなんじゃないよ。ただ、僕はラクスにお父様を独占してもらいたくない。たしかに君はラクス・クラインだ。最高のダムゼルで、最高のヴァーリだよ。でも、お父様が亡くなってしまった今、僕の中でお父様は揺れ動いてる。なのにお父様のお考えはこうだって押しつけられても、うまく頭の中でまとまらないんだ」

 怒りの中に不安をにじませた顔をしたデンドロビウムに見守られながら、エピメディウムは立ち上がる。正面のラクス・クラインはただ微笑みながら見ていた。

「僕が悩んでるのはそんなことだよ。これからの世界も、これからのオーブのこともね」

 ダムゼルには6人が選ばれた。しかし、Zのダムゼル、ゼフィランサス・ズールが父の下を離れ5人となった。そして、父の名の下に考えを束ねることができなかったことも、初めてのことだった。



[32266] 第13話「ゲルテンリッター」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/10/27 00:56
 空母の格納庫の中、大きなウイングを持つバック・パックを背負った赤いガンダム・タイプがたたずんでいた。その姿は、ZGMF-X09Aジャスティスガンダムと、3年前にヤキン・ドゥーエ攻防戦にて大量破壊兵器ジェネシスの破壊に活躍したザフト製のガンダムとよく似ていた。
 そんな赤いガンダムを、アウル・ニーダは見上げていた。愛機であるGAT-X255インテンセティガンダムが修復中であり、することがなかった。
 アウルが見ると、近くで2人の男が立ち話をしていた。1人はすでにアウルと面識があった。シャムス・コーザという、やかましい黒人男性で、もう1人はまだ若い男性だった。ただ、少佐の階級章から、アウルは若い方が聞かされていたネオ・ロアノーク隊長だと判断した。

「このガンダム、ゲルテンリッターだろ? あんたがパイロット?」

 シャムスの方がサングラスの奥で嫌な顔をした。もっとも、とうの隊長は特に気にした様子を見せていない。

「アウル、せめて隊長と呼べよ」
「別に構わないよ。そう、僕がこのライナールビーンのパイロットを務めてる。型式番号ZZ-X5Z000KY。正確には違うけど、ジャスティスガンダムの後継機みたいなものと考えていいよ」

 ここまではアウルでも知っていることだった。聞いた当人があまり関心なさげにまた赤いガンダムを見上げた。
 ゼフィランサス・ズールがユニウス・セブン休戦条約後に手がけた7機の特務機ゲルテンリッターのことは知っていた。そのすべてがエース・パイロットに渡され、オリジナル・ガンダムとも言うべき圧倒的な性能を有していることも。そして、もう一つの共通点も。
 アウルは首をネオたちの方へと戻した。

「ゲルテンリッターなら、心を持ったアリスがいるはずだろ」

 ネオは懐からコンパクトを一回り大きくしたような物を取り出した。ネオの掌の上に乗せられたそれは、小型の立体映像投影装置だった。電源が入れられると、お人形のような大きさで、お人形のような少女の姿が現れる。
 フリルが多用された赤いドレス。雪のように白い肌、血のように赤い瞳を持つ10歳前後の少女が凛とした眼差しでアウルのことを見つめていた。

「アウル、紹介しよう。ゲルテンリッター5号機ライナールビーンの心、真紅だ」




 同じ頃、シン・アスカもまた珍しい出会いを体験していた。
 ザフトでは伝説的な機体ZGMF-X10Aフリーダムガンダムを思わせる翼持つ青い機体の前で、アスラン・ザラは集められたシンたち3人のパイロットたちを前にコンパクトのような物を取り出した。

「君たちに紹介しておきたい子がいる」

 投影された立体映像はお人形の姿を浮き上がらせた。白く長い髪に、肌も白い。身につけるドレスは緑のロングスカートが印象的だった。映像の少女が瞳を開くと、その赤い瞳がシンたちを捉えた。

「そこ……」

 フリルに包まれた袖口から伸びる白い指が、床のつなぎ目を指さした。

「そこの線からこっち来んな、ですぅ!」

 シンは、猫とか子犬とかの小動物に威嚇されている気分だった。

「アスラン大佐……、話が見えないんですけど……」

 一体この子は誰で、何のために会わせたのか、会って早々警戒心をむき出しにされるのはなぜなのか、疑問は尽きない。もっとも、アスランは人形を手にしたまま笑っていた。

「この子は翠星石。少し人見知りだけど、このガンダムの心だよ」

 アスランは明らかに青いガンダムを見ていた。ただ、アスランを信奉するルナマリア・ホークでさえ、まだ戸惑っているらしかった。

「この……、フリーダムに似たガンダムのですか?」
「そう。この機体はZZ-X3Z10AZガンダムヤーデシュテルン。正確に言えばフリーダムガンダムと直系の関係にはないけど、ゲルテンリッターと呼ばれる7機の特務機、その3号機だ。このシリーズに搭載されているアリス・システムは少々変わっていてね、人の姿と心を持っているんだ」

 シンが翠星石を見ると、緑の少女はあからさまにシンを睨んだ。

「あの、大佐ゲルテンリッターなんて聞いたことありませんけど、ザフト軍の秘密兵器なんですか?」
「そこは少々複雑なんだけど、これはゼフィランサス・ズールが直接手がけたオリジナル・ガンダムとも言うべき機体だ。だからザフトに直接は関係がないし、実際、ゲルテンリッターは各勢力に散っている。俺の知っている限りだと2号機はオーブに、4号機はプラントに、5号機は大西洋連邦に置かれている。だから君たちが今わかっておかなければならないことは、ゲルテンリッターが量産型のガンダムとは一線を画する強力な機体であるということ、そして戦場で対峙するかもしれないということだ」

 今まで発言がなかったヴィーノ・ディプレが普段通り落ち着きのない様子で尋ねた。

「でも、どうして擬似人格なんて……? アリスって単なるパイロット・サポートですよね?」
「元々、アリスは高度な学習機能を備えたサポート・システムだった。そのため、成長することで個体差が激しくなるようにさえ設定されていた。ただ、それでは生産性が悪いことから量産型ガンダムには簡易版しか積まれていない。両勢力ともにね。そう言う意味では、翠星石たちの方がより本来の形に近いことになる」

 この説明で、ヴィーノはある程度納得したらしかった。しかし、シンはまだ抱いている疑問があった。それを尋ねるよりも先に、レイ・ザ・バレル隊長が現れた。

「アスラン、ゲルテンリッターの説明は終わったか?」
「レイ。元々君が話すべきことじゃないのか?」
「ヴィーノはともかく、シンとルナマリアは正式にこの部隊に配属された訳ではない。いらんことに巻き込む必要はないだろう」

 ただ、ヴィーノの様子を見る限り、彼もまた何も聞かされていなかったのだろうと、シンは判断した。そして、せっかくだからとレイ隊長の方へと向き直った。

「じゃあ、レイ隊長のローゼンクリスタルもゲルテンリッターなんですか?」

 後光を背負ったかのような白いガンダムはヤーデシュテルンの隣にたたずんでいる。

「いや、ローゼンクリスタルの開発者はゼフィランサス・ズールではないからな。それに翠星石のような心は持たない。開発者曰く、兵器に心はいらないとのことだからな」

 シンが疑問に感じていた点もそこだった。

「だったらどうして、ゼフィランサス・ズールは兵器に心を与えたんですか?」

 翠星石の映像を消してから、アスランはどこか楽しげに答えた。

「会う機会があったら直接本人に聞いてみるといい。翠星石たちは彼女自身の若い頃がモデルだから、会えばすぐにわかるさ」

 すでに世界有数の開発者である以上、年齢は少なくとも40、50はいっているのだろう。白い肌と赤い瞳をした老婆を、シンは思い浮かべていた。なぜか、アスランが悪戯が成功した子どものような顔をしていたが、そのことにシンが気づくことはなかった。
 その後、パイロットたちが解散し、ガンダムの前にはレイとアスランとが残された。

「しかしアスラン、本当に話してよかったのか?」
「ミネルヴァにいる以上、遅かれ早かれゲルテンリッターには関わることになる。それより、オーブはどうだった?」
「休暇のように穏やかな時間だった。懐かしい弟にも会えたしな」
「キラとはおそらくカーペンタリアでぶつかることになるだろうな。あの基地はすでに2度の大規模攻撃にさらされてる。3度目は近いとみていい。今までが嘘みたいな激戦になるだろう」

 そして、アスランは付け加えた。

「あの3人も何人が生き残れるかわからない」

 レイもその意見を否定しようとはしなかった。

「世界は、確実に動き出しているのだからな」

 小惑星フィンブルが地球に落ち、情勢は一気に開戦へと舵を切った。ただでさえ小規模な軍事衝突が頻発している以上、くすぶった火種はすぐにでも燃え広がることだろう。
 そのことはレイにもアスランにもわかっていた。




 地球から月を挟む形で40万km離れたプラントでも、戦いに備えた準備は着々と進められていた。全寮制の軍学校のグランドで、生徒たちの名簿を眺める教官がいた。すでに時刻は夕方。薄暗いせいか、それとも元々の目つきか、まだ若い教官はまるで睨みつけるような鋭い目つきで生徒の名前の羅列を見ている。
 プラントにはナチュラルは限られることになってはいるが、相当数のナチュラルが存在している。そして現場ではそのことを前提に動いていた。名簿にはナチュラルかコーディネーターかが明記され、成績順に並べられていた。
 面白いことに、成績トップはナチュラルだった。ただし、平均点ではコーディネーターが優れ、ナチュラルの平均点はコーディネーターよりも一段低いところに山を作っている。同時に、ナチュラルの平均点以下のコーディネーターも存在した。
 結局、コーディネーターとは秀才を作ることはできても天才を作ることはできない。平均点を押し上げる程度のことしかできない。そのことがこの紙には現れていた。

「この紙切れ1枚がこの国の縮図とはな……」

 つい先ほどまで眺めていた紙を、教官は畳んで懐にしまう。生徒の1人が走ってきたからだ。赤い髪をツインテールに束ねた少女だった。

「ジュール教官、少しいいでしょうか?」
「メイリン・ホークか、聞こう」

 教官であるイザーク・ジュールはメイリンが呼吸を整えるのを待っていた。

「昔、ガンダムのパイロットだったってお話は本当でしょうか?」
「例の映画では描かれていないはずだが、よく知っていたな」
「実は、私お姉ちゃんがいるんですけど、ガンダムに乗ってるみたいで、少しお話を聞かせてもれたらと思って……」

 それで調べていたということなのだろう。しかし、ガンダムの情報の多くは機密情報に該当する。調べることは大変だっただろうと、イザークは考えていた。事実、メイリンはすがるような目でイザークを見ていた。これが考えられる最後のつてなのだろう。

「そうか。しかし、当時と今とではガンダムも様変わりした。あまり参考になるような話はできないと思うが」

 メイリンはまだ13と若いせいか、感情をすぐに顔に出す。明らかに意気消沈した様子で目を伏せた。イザーク自身、まだ19とまだ20歳にもなっていない身であったが、教え子を失望させたままにはしておくつもりはなかった。

「しかし、手がかりは俺の方が多いはずだ。しばらく時間をもらうが、調べてみよう」
「ありがとうございます!」

 今度はわかりやすく笑顔を見せたメイリンだったが、お礼とともにした敬礼にまだ拙さが残っていた。後でまた教え込まなければならないと、イザークは胸中で苦笑した。

「まだ動くと決めただけだ。礼には早い」

 ただ調べる、そのことだけで満足したメイリンを見送ってから、イザークは寮の自室に戻ることにした。すでに完全に日が落ち暗くなっていた。ここはコロニーの中なので、あくまでも太陽光を反射していたミラーが角度を変えただけなのだが、人は昼夜の区別なしに暮らせるほど器用ではない。
 イザークは歩きながら、ガンダムと自分との関係を思い起こしていた。ZGMF-X01Aを親の七光りで与えられ、先の大戦を戦い抜いた。しかし、終盤、大量破壊兵器ジェネシスが地球を狙っていることを知ったイザークは敵軍である大西洋連邦と協力し、ジェネシス破壊工作に参加した。そして、イザークの母親は失脚したザラ派のエザリア・ジュールである。当然、休戦条約後のザフト軍にイザークの居場所はなく、不名誉除隊を言い渡され、現在は軍学校の教官として食いつないでいる。映画ではジャスティスガンダムに乗っていたのがイザークであるという事実は隠されていた。
 よくも悪くも激動の人生だと、イザークは自分の半生を振り返った。
 寮に入り殺風景な廊下を進んだ先、自室の扉を前にした時、イザークは全身の筋肉を緊張させた。鍵が開いていた。生徒たちの個人情報も置いてあるため、鍵かけはいつも慎重に確認していた。誰かが鍵を開けて入ったことは確実だった。
 イザークは懐に手をやり、慎重にドアノブに手をかける。そして、一気に扉を開き室内へとなだれ込む。
 しかし、拳銃を抜く必要はなかった。
 満足な家具もないのに3脚の椅子だけが置かれた室内には1人の男が立っていた。若い男で、冷静な顔が印象的な男だ。イザークはこの男を知っていた。

「何だ、お前か?」
「お久しぶりです、イザーク様」
「様はよせ。しかし、キラとゼフィランサスの式以来だな」

 もうスパイの真似事をする必要はない。イザークは適当な椅子に腰掛けると、相手にも着席を促した。座り心地のいい椅子を探して次々と買ってはみたものの、なかなかお気に入りの椅子に巡り会えず部屋に転がしていた結果、椅子だけは豊富な部屋になっていた。
 男、コートニー・ヒエロニムスはイザークの正面の椅子に座ると、素早く話を切り出した。

「イザーク様、花園の騎士は花を守ることが使命です。ゆえに、あなたにはデンドロビウム様を守る責務があるはずです」

 イザークはすぐに返事をしなかった。ゼフィランサス・ズールが7機の特務機を様々な勢力に配った理由は、6人のダムゼルを守らせるためだということは理解している。イザークもまた、4号機のパイロットとしてDのダムゼルであるデンドロビウム・デルタを守護する任務を機体とともに与えられた。
 しかし、イザークがこれまでに必要とされたことは一度もなかった。

「……なぜ今、俺を、いや、ゲルテンリッターの力を必要とする?」

 今度、返事に窮するのはコートニーの番だった。
 イザークとコートニーの出会いはヤキン・ドゥーエで敵味方として戦った時からだ。その時から、コートニーが実直な人柄であることを、イザークなりに理解していた。何か理由があるのだとも。

「コートニー。デンドロビウムに危機が迫っているのか?」
「……プラント国内では大きなニュースとはなりませんでしたが、プラントからオーブへと向かっていたプライベート・シャトルが消息を絶ちました。その便にはデンドロビウム様の妹君であるEのダムゼルが搭乗していました」
「Eのダムゼル……、エピメディウムとか言ったか。会ったことはないが、オーブで親プラント工作を行っていたと聞いているが?」

 コートニーはなかなか答えようとしない。それをイザークは、コートニーの置かれた微妙な立場ゆえだと判断した。おそらく、主であるデンドロビウムの命令で来たのではないのだろう。もしかすると独断かもしれないと、イザークは考えた。

「その様子だと、単なる事故ではないようだな。しかし、地球側が今オーブで危ない橋を渡るとは考えにくい。テロなら大騒ぎになってもいいはずだが……。まさか、プラントが関わっているのか……?」

 これならコートニーが黙り込んでしまう理由も納得できると、イザークは判断した。しかし、それでも聞かなければならないことは変わらない。

「コートニー。この国で一体何が起きている?」

 話せないのか、あるいは話せるまでの確証がないのか。コートニーはその重たい口を開くことはなかった。
 イザークは肩の力を抜いて、椅子に深く腰掛け直した。

「今すぐに何かできるということでもないようだな。すまないが、教え子を放って出て行くことはできない。だがコートニー、俺はジェネシスでの続きをするつもりはない」

 わざわざ敵対するつもりはないと告げ、イザークは常備している立体映像投影装置を取り出した。現れるのは、帽子をかぶり青い男性向けの礼装をした赤い瞳の少女だった。青い少女、蒼星石はイザークへと恭しく頭を下げた。

「お呼びですか、マスター?」
「蒼星石と俺はいつでも動けるようにはしている。状況が変化したら報告しろ」
「感謝します」

 普段表情を変えることが少ないコートニーは、それでもイザークと第4のゲルテンリッターの心へとかすかな微笑みを向けた。




 エピメディウムの乗ったシャトルが消息を絶った。この事実をもっとも重く受け止めたのはオーブだった。
 オーブの総合戦略室に1人の少女の声が響いた。

「レドニル! レドニル・キサカはいるか!?」

 カガリ・ユラ・アスハだった。普段からはきはきとした話し方をするが、今は見るからに感情を高ぶらせていた。大勢のオペレーターたちが並んでいるにも関わらず、カガリの声はその存在感を損なわなかった。
 カガリが大股で向かった先にはオーブ軍の軍服の上からでもわかるほど体格のよい男性がいる。男性はたじろいだ様子を見せていた。レドニル・キサカは側近としてカガリが外遊する際には同行することも多かったが、そんな彼でさえ、今のカガリの様子には驚きを隠せなかった。
 カガリは自分より頭二つ分は背の高いレドニルに臆することなく詰め寄った。

「状況を報告しろ!」

 しかしレドニルは答えない。オペレーターたちも沈黙し、部屋は瞬く間に重たい空気に飲み込まれた。普段なら聞こえないはずの自動ドアの開閉音が誰の耳にも届いたほどだ。ついカガリが扉の方を見ると、曖昧な表情をしたユウナ・ロマ・セイランが立っていた。
 この許嫁はカガリに1枚の写真を差し出した。

「カガリ、悪いニュースだ。エピメディウムの乗っていたシャトルの残骸が見つかったよ……」

 カガリが写真を受け取ると、そこには海面に浮かぶ翼の一部が映っていた。しばらく、カガリは写真を見つめていた。しかし、何の前触れもなくいきなり走り出す。

「カガリ……!?」

 戦略室から出て行くカガリを、ユウナとレドニルの2人は追いかけていて。カガリは2人の様子を気にすることもなく携帯電話に繋ぎ始めた

「金糸雀(カナリア)、すぐに私を拾いに来い!」

 呼ばれた名前が、カガリの所有するゲルテンリッター2号機の心であることをユウナは知っている。

「レドニル、すぐに航空管制に連絡してくれ。無茶なのはわかってるよ。でも、君だったら管制とカガリだったらどっちが説得に応じてくれると思う?」

 答えは考えるまでもなかった。レドニルは即座に引き返し、ユウナはカガリを追いかけ続けた。
 やがて、カガリは建物の屋上まで登り詰めたところで、ようやく立ち止まった。遅れてユウナもやってくる。息一つ乱れていないカガリに比べ、ユウナは肩で息をしている有様だった。

「カガリ……。今行ってもどうにもならないよ……」

 すでに救助隊は手配されているが、成果はほとんど期待できないと言ってよかった。ガンダムは高性能とは言え、万能ではない。
 カガリもわかってはいるのだろう。ユウナに背中を向けたまま空を見上げる様子からは、先ほどまでの勢いがなくなっていた。

「わかっている、そんなことはな……。これが偶然の事故じゃないってこともな……」

 果てしない大空の向こうに、地球10週分の距離をまたいで地球とプラントは戦争をしている。そんな大空の狭間で、エピメディウムは命を落とした。

「エピメディウムと私は一体何なんだろうな……? 同じ養父を持つ姉妹だが、その前にドミナントとヴァーリの間柄だ。政治的には対立してさえいる」
「とりあえず、友達ってことでいいんじゃないかな?」
「そうだな……」

 対立することはあっても、衝突をすることはなかった。エピメディウムがいたからこそ、カガリはオーブの国益のために世界を飛び回らなければならなかった。しかしそうできたのもエピメディウムがオーブにいてくれるという安心感があったからこそだとも言えた。

「私は友をなくしたんだな……」

 やがて、空から猛禽類を思わせるシルエットをした黄金のガンダムが舞い降りた。ゲルテンリッターの2号機、カガリのガンダムであるカナーリエンフォーゲルだった。




 議員としての執務室にて、ラクス・クラインは机に座り事務に専念していた。そこに、扉を荒々しく開きデンドロビウム・デルタが飛び込んできた。

「ラクス! エピメディウムの乗った船が消息を絶った!」

 同じ研究室出身の妹が事故に遭った。そう報告するデンドロビウムは明らかに取り乱した様子でラクスに詰め寄る。ラクスの態度は、そんなDのダムゼルとは対照的だと言えた。

「そうですか」

 また、すぐに机に視線を落としてしまう。デンドロビウムは思わず戸惑ったものの、下を向くラクスの顔をのぞき込むように机に半分乗り上げた。

「ダムゼルがまた1人いなくなったんだぞ!」
「デンドロビウムお姉様とエピメディウムが、フリージアという深い絆で結ばれていることは存じてます」
「フリージアのことは言うな! ……あいつは、私たちを逃がすために犠牲になったんだ……、血のバレンタインのあの日に……」

 それでも、ラクスは顔を上げない。デンドロビウムがラクスの名前を叫ぼうとした時にようやく、それを見透かしていたように顔を上げた。ペンを置き、話に応じるそぶりをみせる。

「それで、私に何をして欲しいのですか?」
「お前は、関わってないんだよな……?」

 ダムゼルが集められた際、至高の娘に対して真っ向から反対意見を述べたのはエピメディウムだけだった。そのEのダムゼルが都合よく消えた。デンドロビウムの目は疑惑に震えていた。
 ラクスは答えない。張り付けた微笑みのまま、慌てふためく姉の顔を眺めていただけだった。
 デンドロビウムが開けっ放しにした扉から、第三の人物が登場する。長い黒髪の女性で、ザフト軍のエースの証である赤服を身につけている。その顔は、不敵な笑みを除けばラクスとよく似ている。ここにいる3人は同じ顔をしていた。
 ザフト軍の少女の名前はミルラ・マイク。Mのヴァーリだった。

「お~い、ラクス、エピメディウムの始末は終わったぞ。次は何をする?」

 デンドロビウムは呆けたようにミルラの顔を見ると、素早く首を回し怒りの形相でラクスを睨みつけた。しかし、そこまでだった。それ以上、至高の娘に対してできるはずがなかった。
 ラクスはあくまでも涼しい顔をしていた。

「デンドロビウムお姉様は、ラクス・クラインに何を求めるのですか?」

 何かができるはずがなかった。ラクス・クラインは至高の娘、ヴァーリのお父様であるシーゲル・クラインが最も愛した娘なのだから。デンドロビウムにできることは、ただ受け入れ、立ち去るだけだった。
 しかし、部屋の外では話が違っていた。ミルラが壁に押しつけられ、その胸ぐらをデンドロビウムが掴んでいる。緑と黒、髪の色に違いはあっても顔は同じ。しかし、デンドロビウムは本来ならラクスに向けるべき怒りさえも上乗せしてミルラを睨んでいた。
 ただ、ミルラは不敵な笑みを崩そうとはしない。

「そんな怖い顔をしないでくれ。私は単なるフリーク、失敗作なんだぞ」
「どうしてお前がラクスに従うんだよ? 知ってるんだぞ。お前がお父様を裏切ったこと。3年前のジェネシスで、お前はお父様を道連れにしようとした! 違うか!」
「ではお姉様、そんな私が生きてるのはどうしてか知っているかな?」

 デンドロビウムはその点も調べていた。しかしそれは、あまりに不都合な事実にも思えた。説明がつかないことから情報の正確さに確信がもてない。そのため、デンドロビウムの声は自然と勢いを失った。

「お父様が、お前を助けたからだ……」
「そうだ。あの人が失敗作にすぎない私を助けたからだ。では、それはなぜだ?」

 今のデンドロビウムの手を引きはがすことは簡単なことだった。ミルラは軍服を整え直した。

「この国は好ましくない状況だ。先鋭化したナショナリズムに選民思想。それを利用して政権は高い支持率を保っているような有様だ。だが、それも仕方ない。わずか2000万の民で60億を相手にしろと言われればこうもなるだろう」

 政治が民の右傾化を促し、右傾化した民が右傾化した政治を支持し、民の支持を受けた政府がまた民を右傾化していく。
 ミルラが歩き出しても、デンドロビウムは止めようとはしなかった。一度失った勢いを取り戻せぬまま膝をついて崩れ落ちると、亡き妹のために涙を流した。そんなデンドロビウムを置いて、ミルラは置き去りにする。

「だが私は知りたいんだ。この国がどうなっていくのか。そしてそれが本当にお父様の望まれた世界なのかどう。見届けたいんだよ、私はな」

 しかし、ミルラがか細いことで続けた言葉からは、これまでに感じられたような確かな信念はなく、後ろめたさを覆い隠すだけで精一杯なものに思われた。

「たとえ、どんな手段を使ったとしてもな」



[32266] 第14話「燃える海」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/11/24 01:20
 東アジア共和国首相官邸執務室にて、見事にはげ上がった頭の男が苦悶の表情を浮かべながら電話に声を吹き込んでいた。ラリー・ウィリアムズ東アジア共和国首相である。

「我々も戦力を出さないとは言っておりません。ただ全軍に指揮号令をかけるための時間をいただきたいと申し上げているのです」

 この首相は、普段からその煮え切らない態度を内外から非難されている。世界安全保障機構の会議では発言力の低さが議会で問題視されたほどである。
 執務机におかれたモニターには大西洋連邦大統領ジョセフ・コープランドが映し出されていた。地味ながら堅実な政権運営が支持を集めるコープランド大統領と、同じく派手さがなく面白味に欠けると言われるウィリアムズ首相。好対照な両者のホット・ラインによる階段は平行線をたどっていた。

「カーペンタリア奪還は我らが悲願であることに代わりはありません。此度の作戦精鋭を差し向ける所存であります」

 東アジア共和国を語る上でザフト軍カーペンタリア基地の存在を欠かすことはできない。C.E.67年の開戦以来、実に10年近くに渡ってカーペンタリアはザフト軍の占領下にあり、奪われた領土を奪い返すことのできない東アジア共和国は国際的な影響力を減じているとともに、地上最大のザフト軍基地を野放しにしていると非難もされている。
 しばらく無言のまま受話器を耳に当てていたウィリアムズ首相だが、受話器を置くとともに深くため息をついた。

「コープランド大統領も困ったものだ……」

 軍事的小国である東アジア共和国にザフト軍を払いのけるほどの力はない。同時に、世界安全保障機構各国がどれほど協力してくれるかは未知数なのである。そんな中、不必要にザフト軍を刺激したくないのが本音であった。
 しかし、そのどっちつかずの態度が国内外から非難を浴びていることを、ウィリアムズ首相は知っている。そして、数少ない戦力とて、すべてが最高指揮官である自分の支配下にはないこともまた、この首相は知っていた。
 モニターを再び立ち上げると、今度は青いガンダムが映し出される。
 GAT-252インテンセティガンダム。ビームを弾く特殊な防御機構を持ち、水中戦に適用した量産型ガンダムである。東アジア共和国でも約20機を保有しているが、その半数がファントム・ペインなる特殊部隊に組み込まれている。
 インテンセティのシールドに描かれた青い薔薇を見つめながら、ウィリアムズ首相は再びため息をついた。
 この戦争が、自治権だとか領土だとか、あるいは経済と言った従来の戦争の目的とは違う動機に突き動かされていることを知らない者はいない。




 東アジア共和国領カーペンタリア基地。それは、オーストラリア大陸北部、カーペンタリア湾の奥に存在するザフト軍の地上の重要拠点である。C.E.67年、ザフト軍によってほぼ無血で占領されたこの基地は、その後ザフト軍の太平洋戦線を支える橋頭堡として機能していた。ジブラルタル基地を失って久しいザフト軍にとって、事実上地球における最重要拠点であった。
 小惑星フィンブル落着の混乱に乗じて地球効果を果たしたボズゴロフ級潜水艦など多数の物資はここカーペンタリア基地へと運び込まれた。この事実もまた、この基地の重要性を確かなものとするとともに、地球軍からは戦略上はもちろんのこと、火事場泥棒に対する憤りからも攻略すべき基地となっている。
 C.E.67年以後、すでに2度に渡って地球軍による大規模攻撃が敢行されたが、ザフト軍は基地を守り抜いた。そして、現在、3度目の侵攻作戦が行われようとしていた。
 オーストラリアの海に、ステイガラー級MS搭載型強襲揚陸艦をはじめとする多数のモビル・スーツ空母が並んでいた。総勢20隻、モビル・スーツ総数にして200機を超える大部隊である。
 その空母の中の1隻に、出撃準備を整えるロアノーク隊の姿があった。赤いゲルテンリッターであるZZ-X5Z000KYガンダムライナールビーンを先頭に、4機のGAT-333ディーヴィエイトガンダムがハンガーに固定されてまま、カタパルトへと向かうエレベーターへと順次移動させられていた。
 実戦経験者しか採用されないファントム・ペインの隊員たちであっても戦いの前ともなると口数は自然と減っていた。コクピットの中で、それぞれが思い思いのやり方で戦いに備える気構えを作りだそうとしている。そんな最中でさえ、お調子者のシャムス・コーザの口数は減ることがない。

「隊長、たまには俺にリーダーさせてくれません?」

 さすがのシャムスもヘルメットをかぶっている時までは、トレード・マークのサングラスをかけてはいない。そんなシャムスにいちいち付き合うのが同僚であるミューディー・ホルクロフトであることも普段と変わりなかった。

「シャムス、そう言うの、身の程知らずって言うの、知ってる? そうでしょ、ネオ隊長」
「シャムスも実力は十分だと思うよ。だからこうしよう。シミュレーターで僕から一本とれたら考えることにするのはどうかな?」
「……あ~、隊長、俺にリーダーさせる気ないってことですね……?」

 絶望に打ちひしがれるシャムスに、ネオは微笑んでいるだけだった。
 5機ものガンダムはエレベーターへと粛々と運ばれている中、通信でのやりとりはまるで緊迫感を伴わないものであった。
 ライナールビーンのコクピットでは全天周囲モニターの開放的な空間の中を、赤いドレス姿のお人形、真紅の立体映像が自由に飛び回っていた。その大きさや様子から、まるで妖精を思わせる。
 ネオはそんな真紅へと話しかけた。

「真紅、システムは?」
「レディはいつでも身だしなみに隙を見せないものよ、お父様」

 要するに、システムはオール・グリーンだと言うことだ。答えたのは立体映像であったが、正確にはコクピットのマイクがネオの声を拾い、音声認識システムによって返事をしたように見せているだけだ。ゲルテンリッターのアリスには、まるでお人形と話をしているかのように思わせる遊び心があった。
 ネオが副隊長であるアーノルド・ノイマンに通信を繋ごうとすると、気をきかせた真紅が先にモニターに副隊長の顔を浮かび上がらせた。

「アーノルド副隊長、わかっているとは思うけど、今回の作戦目標はカーペンタリア基地の陥落じゃない。特にシャムスが熱くなりすぎないよう、目を配っていてほしい」
「了解です」
「俺って信用ねえな。なあ、ミューディー?」
「当然じゃない?」

 これまで発言のなかったスウェン・カル・バヤンはシャムス、ミューディーたち3人の中ではリーダー格と言えた。口数が多い方ではないが、2人のまとめ役を務めることが多いからだ。

「シャムス、ミューディー、無駄話はそれくらいにしておけ。出撃は近い」

 事実、先頭にあったライナールビーンはすでにエレベーターで飛行甲板まで上昇している最中であった。エレベーターを登り切ると、巨大なカーペンタリア湾と、水平線をいびつに隆起させるザフト軍の軍勢が見えた。

「じゃあ行こうか、真紅。ガンダムライナールビーン、ネオ・ロアノーク、出撃する!」

 カタパルトによって一気に加速する深紅のガンダム。それは空母の飛行甲板から飛び立つと同時にその装甲を淡く輝かせ始めた。ミノフスキー・クラフト、光る装甲によって、ゲルテンリッター5号機ライナールビーンはさらに加速する。
 飛行甲板から、こうして5機のガンダムが飛び立っていった。その様子を、ヒメノカリス・ホテルは2人の子どもたちとともにブリッジから見つめていた。今のヒメノカリスはドレス姿で、アウル・ニーダ、ステラ・ルーシェも軍服姿をしている。出撃する格好ではなかった。
 そのことに、アウルは不満を隠さない。

「なあ、姉貴、どうして俺たちは参加できないんだよ?」
「私たちの任務は元々カーペンタリア基地の制圧じゃないから」

 重要な決戦に参加しないことに、普段は戦いに積極的ではないステラでさえもヒメノカリスの袖を引いた。

「でも、お姉ちゃん、大切な場所、なんでしょ?」
「そう。C.E.67年、地球侵攻を始めたザフト軍の橋頭堡。基地機能が強化された現在、地球にザフト軍の最重要拠点。東アジア共和国からほぼ無血で奪い取った土地」
「姉貴、じゃあ俺たちが戦った方がよくね?」
「そもそもあなたとステラは戦闘要員じゃない。何より、ここはキラたちに任せておけばいい。アウル、ステラ、見ておきなさい。キラの実力と、ゲルテンリッターの性能を。この戦争は、ガンダムのための戦争だから」

 水平線の上には、いくつものビームの線条が交わり爆発が頻発していた。すでに戦いが始まっているのだ。ブリッジのモニターは、そんな戦いの一つを見つめていた。
 ライナールビーンが全身を輝かせて直進する。量産機のようにバック・パックなどごく一部にしかミノフスキー・クラフトが採用されていない機体とは加速力がまるで違う。瞬く間にザフト軍のZGMF-1000ヅダに接近するとビーム・サーベルで胴体を切断する。そのまま次の目標へと向かうとすると、敵も馬鹿ではなかった。接近するライナールビーンへとビームを次々と放つ。直撃コースを描くビームは、しかしライナールビーンを素通りしてしまう。何事もなかったように接近を続けたライナールビーンはすれ違いざま、2機目のヅダを両断する。
 ビームは確かに直撃したはずだった。しかし、赤いガンダムには命中していなかった。
 モニターを見つめながら、アウルは瞬きを繰り返した。

「これ、カメラの故障か何か……、だよな、姉貴……?」
「違う。これはハウンズ・オブ・ティンダロス。極限まで無駄をなくした回避で敵機に最速かつ最短距離で接近するモビル・スーツ操縦術の極意。ビームがすり抜けたように見えたのは、それだけすれすれで回避したから」
「嘘だろ……」

 白兵戦を仕掛けたければ銃を構える相手に真っ正面から突撃すれば手っ取り早い。アウルは、そんな真理であるとともに暴論とも言える戦い方を目の当たりにしてもまだ、信じきれないでいる。
 ヒメノカリスは普段通りの乏しい表情のまま、着々と撃墜数を稼ぐキラとライナールビーンを見つめていた。

「アウルもステラもこれまであまり部隊行動を意識してこなかった。だから、あなたたちは今の戦場を知らないといけない」

 ステラはもちろんのこと、アウルも今までとは違い、モニターを見つめる目に真剣さが宿っている。
 モニターには、攻守の役割分担が明確であることが見て取れた。部隊のディーヴィエイトガンダムたちがその機動力を活かし、敵機を翻弄しながら射撃を加えている。弾丸は直撃はしないものの、回避するため、防御するために敵機であるヅダの行動は著しく制限されている。そして、動きを止められたヅダを、ライナールビーンが舞い降りる鷹のようにかすめ取っていく。
 ヒメノカリスの言葉は続いている。

「新兵器の開発は、いつも戦場に変化をもたらしてきた。200年も前、アサルト・ライフルの登場で戦場は点と点の撃ち合いから面と面に変わった。1人の兵士を倒すのに必要とされた弾丸は100万発にもなったと言われてる」

 両軍が膨大な数の弾丸をばらまき敵の接近を面として抑えるとともに、数撃てば当たると期待する。そんな戦いが前線の姿となった。

「でも、ビーム・ライフルの登場は時代をさかのぼらせてしまった。荷電粒子であるビームは連射がきかない。戦いはまた、点と点に戻った。そして、ビームは粒子を込めた散弾銃みたいなもの。狙撃には向かない」

 すなわち、会敵距離が極めて近くなり、また、面として敵の動きを抑えることもできなくなった。接近しやすく、されやすい距離。同時に、接近を牽制するために弾幕をはることもできなくなった。

「そして、ミノフスキー・クラフトの量産化に成功したことで、モビル・スーツは極めて高い機動力を有するに至った」

 より回避が容易になり、接近速度そのものも向上した。

「ミノフスキー粒子の電波妨害が恒常化した今、ミサイルのような誘導兵器の信頼性は極めて減少した」

 直進しかしない、単発のビームだけが唯一信頼のおける武器となる。しかしそれは、命中率に限っては決して誉められた兵器ではない。

「だから必要なの。ビームの攻撃力とモビル・スーツ並の機動力を持ち、極めて近い会敵距離で有効で、電波障害を物ともしないで誘導する兵器が。それらをすべて満たすのが、モビル・スーツによる白兵戦」

 モニターでは、当たりもしないビームを撃ち合うだけで膠着した戦いを背景に、またライナールビーンが敵のビームをすり抜けて撃墜数を稼いだ。
 射撃の命中率低下が著しい現在、もしも接近戦を得意とし、味方の援護を受けながら白兵戦をしかけられるような高性能機があったとしたなら、その攻撃効率はビーム・ライフルの比ではない。
 そして、現在のモビル・スーツ工学にはその条件を満たす機体群は存在する。

「一握りの高性能機の存在が戦場を左右する。それが、この戦争。だから、この戦争はガンダムのために用意されたにも等しい」

 モニターに映るライナールビーンはまさにその典型だと言えた。逃げる敵を追尾し、シールドを避けて振り下ろされたビーム・サーベルは小口径の実弾なら直撃にも辛うじて耐えるヅダの装甲をたやすく切断する。
 キラ・ヤマト。かつてこの世界の運命を変えたエースの力に、アウルはただ驚くことしかできないでいた。

「すげえ……」




 シン・アスカがカーペンタリアに到着した頃には、母艦であるミネルヴァがたどり着いた時には、すでに戦いは始まっていた。
 ZGMF-56Sインパルスガンダムのコクピットの中で、シンはモニターに表示された戦略図に目を通していた。通信では仲間たちが話す声が聞こえていた。どこか真剣さの足りないヴィーノ・デュプレを、ルナマリア・ホークがたしなめている様子だった。

「まさかもう戦いが始まってるなんて、忙しいたらないよな」
「ヴィーノ、静かに。艦長が話してるでしょ」

 タリア・グラディス艦長は、母親を思い出させる人であったため、シンはどこかで苦手意識を抱いていた。一言一句はっきりとした声が通信機から聞こえていた。

「これより本艦はカーペンタリア基地防衛に参加します。敵戦力は甚大なれどそれはもとより想定されていたこと」

 シンの目にしている戦略図には、北から押し寄せる敵部隊が記号で描かれていた。一見するとザフトは敵の侵攻を押しとどめているように見えるが、敵の一部の動きが気になった。東側に部隊を展開し、外側から回り込むようにカーペンタリア基地を包囲しようとしている。もしもこれを放置にすればザフト軍は大軍を相手に二方面から同時に攻められることになる。
 このようにシンが戦況を把握していたところ、グラディス艦長の話は終わりを迎えようとしていた。シンがそのことに気づいたのは、最後の言葉が妙に耳に響いたからだ。

「各員の奮戦に期待します。勝利を我らに」

 勝利を我らに。この言葉はギルバート・デュランダル議長が演説の締めくくりに好んで用いる言葉だ。熱烈な議長の支持者はスローガンのように好んでこの言葉を使う。外人部隊出身のシンには縁のない言葉のはずだった、これまでは。
 ZZ-X4Z10AZガンダムヤーデシュテルン、アスラン・ザラの機体がリフトごとカタパルトへと向かって運ばれていく。そのすぐ後を、ZGMF-56Sインパルスガンダムが続いていた。インパルスはルナマリアの機体だった。

「アスランさん、私たちもかけ声、した方がいいんでしょうか……? これまで、そんな機会なくて……」
「するしないは自由さ。ただ、景気付けにはなるかもしれないな。勝利を我らに」
「はい。勝利を我らに!」

 アスランとルナマリアに続いて、今度はシンたちの機体が移動を開始する。
 リフトによってスライドしていく光景を映すモニターに、ヘルメットをかぶったヴィーノの顔が現れた。

「シン、俺たちもやるか? かけ声?」
「冗談だろ。先、いくからな」

 すでにシンのインパルスはカタパルトにたどり着いてた。正面に伸びる通路の先には、空に咲いては消える火花が、戦場の光景がある。

「シン・アスカ。インパルス、出撃します!」

 腰を屈めたインパルスがカタパルトによって加速し、一気に空へと投げ出される。フォース・シルエットのバック・パックがミノフスキー・クラフトは発動したことを示す淡い輝きに包まれ、機体を空で安定させた。
 遅れてヴィーノのインパルス、そして、レイ・ザ・バレル隊長のZGMF-17Sガンダムローゼンクリスタルが揃う。ミネルヴァの上空では、5機ものガンダムが並んだことになる。しかし、それも一瞬の間のことだった。
 ヤーデシュテルンが、アスランがすぐに移動を開始したからだ。

「レイ、俺は自分の母艦と合流する。ここは君に任せたい」
「了解した」

 全身を淡く輝かせた青い翼のガンダムが飛び去ろうとする中、ルナマリアのインパルスがその後を必死に追いかけ始めた。

「いくらアスランさんでも1人なんて危険です。私も行きます」

 部隊から離れる、そんなルナマリアの突飛とも見える行動に、シンはつい驚いてしまった。代わり形で、ヴィーノが隊長に確認をとることになった。

「いいんですか、隊長?」
「放っておけ。ヴィーノ、シン、俺たちの部隊はこのまま敵陣のわき腹に食い込む。覚悟を決めろ」

 ルナマリアのことばかりに気を取られている訳にもいかない。シンが気を取り直す意味もあって強く返事したのに対して、ヴィーノは細い返事に留まった。行く手に見える交差する線条の密度に、戦いの激しさを予感させられたからだ。

「り、了解!」
「りょ~……、かい……」

 レイ・ザ・バレル隊長を先頭にシンとヴィーノのインパルスが左右を固める体制、1個小隊として一般的な陣形のまま、戦場へと3機のガンダムは飛行していく。
 シンは努めて自分の役割を理解しようとした。現在の装備はフォース・シルエット。リーダーはレイ隊長が務める。よって、シンにすべきことは援護することだけだっだ。シンとヴィーノ、2人のインパルスがビーム・ライフルを放ち、敵を牽制する。隊長機に攻撃を加えようとする敵機を優先的に狙い、命中はさせられてなくても敵の攻撃の機会を摘み取る。その隙に接近を果たしたレイ隊長のローゼンクリスタルがビーム・サーベルを敵に突き刺した。
 戦闘は順調。しかし、的確なサポートをするヴィーノに比べ、シンの攻撃は荒さが目立った。タイミングやわずかにあわず、狙いも甘い。敵の1個小隊を退けたところで、ヴィーノが通信を繋いだ。

「どうしたんだよ、シン。動きが遅れてるぞ」
「いつもリーダーばっかりだったから動きに慣れてないだけだ。すぐに合わせてみせる!」
「リーダーばっかりって、逆にすげえな……」

 ルナマリアのサポートでシンが攻撃する。それが外人部隊での戦い方だった。しかし、この戦い方は今はもうできない。
 ビームがシンたちのそばを通り抜けた。気を取り直すシンたちへと、隊長の叱咤が響く。

「無駄口をたたくな。次が来るぞ!」

 向かってくる敵はジェット・ストライカーを装備したストライクダガーが3機。汎用性の高いバック・パックを装備しているが、全機が同じ装備をしていることには違和感があった。そのことは、ヴィーノが口にする。

「でも隊長、敵、なんだか弱くないですか? 何て言うか……、リーダーもいないし、訓練も足りていないって感じで」
「地球軍は大西洋連邦軍を除けばほとんどの軍隊が大規模な戦闘を経験していない。練度ではザフトが上と考えていいだろう」
「じゃあ、楽勝ってことですよね?」

 言っているそばから、シンが牽制目的で放ったビームがストライクダガーの胸部に命中し、爆発させた。まぐれではないが、本来ならかわされるはずの弾を敵はかわすことができなかった。ヴィーノの言葉通り、練度では地球軍が遙かに劣っている。
 しかし、レイ隊長は厳しい表情を崩すことはなかった。

「その程度の相手なら、戦争はとうに終わっていたことだろう」




 インパルスガンダムの放ったビームをかわしたストライクダガーだが、その先に待ち伏せていたようにタイミングをあわせた青い翼のヤーデシュテルンによって切り裂かれた。
 アスランとルナマリアの2人はアスランをリーダーとして戦闘を継続していた。ルナマリアがビーム・ライフルでアスランをサポートし、アスランがその機動力で敵との距離を詰める戦い方は思いの外、安定していた。本来なら2人以上でサポートを務めるところを、ルナマリアは1人でも十分にこなしている。
 一度戦闘がとぎれたところで、アスランはコクピットの中でルナマリアの顔を見ていた。

「いい腕だ。さすが赤服だけはあるな」
「アスランさんほどじゃありません。でも、部隊じゃ、いつもシンのサポートしてましたから」

 年頃の少女らしくヘルメット越しに微笑むルナマリアは、握りしめた拳を見せてその志気の高さを見せつけていた。

「このままの勢いで地球軍なんて追い返しちゃいましょう!」

 操縦桿から腕を離していることを気にもとめず、アスランは軽く返事をしておいた。

「その意気だ」

 戦況は理想通りに進んでいる。周囲ではまだビームの光が飛び交っているが、ここカーペンタリア湾上空はすでにザフトの勢力図にあると言えるだろう。そうでもなければいくらザフト最大級のエースであるアスランとて、こんな話をしている余裕はなかったはずだ。
 地球軍はカーペンタリア湾に北部から侵入し、カーペンタリア基地を目指した。しかし、ザフト守備隊の猛反撃にあい前線が停滞したとみるや、東側から回り込むように部隊を展開し始めた。戦力では地球軍が上である。挟み撃ちが有効な戦術だと言えた。
 だが、見え透いている。

「大西洋連邦軍の動きが鈍いな。同盟国を使い捨てるつもりか?」

 前線には東アジア共和国軍と赤道同盟軍とが展開しているが、練度の優れているはずの大西洋連邦軍は後方に控えたままだった。そのため、前線を任された新兵が、ザフトの思わぬ反撃にあい苦し紛れに包囲作戦に切り替えた、そう、ザフト兵の多くは考えていた。
 しかし、アスランは4年前の苦い敗北を直に味わった1人だった。大西洋連邦軍の奇策により、ザフトは主要な戦力をアラスカで葬り去られた結果、地上の重要拠点を次々と喪失。わずか1月の間に前線が一気に月にまで押し戻された。プラントの多くの民が地球を烏合の衆と考えているほどには、大西洋連邦軍は無能ではないはずなのだ。
 ヤーデシュテルンのコクピットの中を、手のひらに乗るサイズの少女が浮遊していた。緑のドレスを身につけた翠星石はこのヤーデシュテルンの心であるとともに、コクピットの中でなら自由に飛び回る。

「アスラン、どうしたですか?」

 空に浮かんだまま、なかなか動こうとしないアスランに、翠星石は疑問を感じたのだろう。アスランの顔をのぞき込む赤い瞳は、まさに戸惑いの感情を表現していた。

「翠星石、戦略図を出してほしい。できる限り、戦場全体が見通せる奴だ」

 このような曖昧な命令にも、翠星石は的確に反応する。コクピット内にどこからともなく取り出したポスターでも張り付けるような仕草でカーペンタリア湾を見下ろす地図を表示させた。
 カーペンタリア基地の北側では両軍が拮抗し、回り込もうとする地球軍とそれを防ごうとするザフト軍のぶつかり合いが東に細長くのびていた。戦場は東西を横切るように展開されている。見たところ、ザフトが地球軍を東には行かせず北に押し止めている。失策を立て直すことができずただ同じことを繰り返す地球軍に対して的確に反応しているザフト軍という構図は誰の目にも明らかだろう。
 主力量産機であるヅダをはじめとして、水面すれすれに顔をだしたボズゴロフ級潜水艦の垂直カタパルトからはゼーゴックがモビル・アーマー形態のまま次々と出撃しては前線の補強に参加していく。ボズゴロフ級がその海底空母としての性能をいかんなく発揮していた。
 友軍の善戦にも、アスランは渋い顔は晴れることがない。

「東側に限定して、ボズゴロフ級の位置も同時に表示してくれ」

 翠星石は、しかしすぐには画像を切り替えなかった。

「どうした?」
「なんだか、妙に一直線なのが気になるです」

 わからない、翠星石はそんな顔をしながら画像を張り付けた。
 画像には、先端を継ぎ足すように西から東へとのびていく前線が描かれていた。そして、その前線に沿う形で多数のボズゴロフ級がほぼ一直線に並んでいた。ボズゴロフ級が前線にモビル・スーツを送り届けようとした結果だ。前線が細く長く、その分、前線とボズゴロフ級潜水艦の距離が知らず知らずのうちに接近している。
 先ほどから動きを停めていたアスランのヤーデシュテルンの横に、ルナマリアのインパルスが並んで浮かぶ。

「アスランさん、どうしました?」
「ルナマリア、すまないが君を俺の母艦に案内できるのは少し遅れそうだ」

 まだ戦いは始まってさえいないのだから。

「俺たちはまんまとはめられたらしい」

 空に並ぶ浮かぶ2機のガンダムの遙か眼下に、水面に顔を出したボズゴロフ級が航行していた。そのボズゴロフ級のわき腹に爆音とともに巨大な水柱が立ち上ったことは、真のカーペンタリア攻防戦が始まる合図の代わりとなった。



[32266] 第15話「倒すべき敵」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2014/12/07 21:41
 大西洋連邦東岸ニューヨーク市、ブルー・コスモス本部代表執務室。3輪の青薔薇を模したエンブレムが壁一面を占めるこの場所で、男女が握手を交わす。
 クリーム色をしたスーツの男性がまずソファーに腰掛け、相対する席へと女性の着席を促す。女性は、眼鏡の似合う人であった。知的とも上品とも、感情というものを努めて表には出さない方法を心得ているように小さく笑いを作る。

「お久しぶりです、ジブリール代表。代表の椅子には慣れましたか?」

「ええ。ただ、未だにあなたの伴侶の登場を望む声が大きく苦慮させられています」

 男はロード・ジブリール。ブルー・コスモス代表として世界安全保障機構の会議に出席した時とは異なり、その表情は穏やかであった。現代表は、たえず先代の、エインセル・ハンターの影に脅かされている。そんな偉大な先達者1人の妻であるメリオル・ピスティスは困ったように口元を緩めて微笑む。

「デュクロ将軍と話し合われたと聞いています」

 反対に、ロード代表が頬を強ばらせた。以前会議で顔を合わせた南アメリカ合衆国代表エドモンド・デュクロ将軍は典型的なタカ派である。将軍に言わせれば、ロードの政策は生やさしいの一言に尽きるのだそうだ。

「彼は、ファンと言ってもいい。もちろん、エインセルたちの力は紛れもなく本物です。内部にもかつて地球を救った時のように力強いブルー・コスモスの復活を望む声があることも事実です。しかし、ブルー・コスモスは本来遺伝子操作に反対する環境保護団体にすぎません」

 エインセル・ハンター先代代表から後継指名を受けて以来、ロードはいつだとて偉大な先輩と比較される。しかし、エインセル・ハンターが優れた指導者であったとしても、ロード・ジブリールにしかできないことがある。
 エインセルとは違う道を行く。そのことを確認しなおすように、ロードの声は落ち着いていた。

「ブルー・コスモスは、今だからこそ思想としてコーディネーター反対を訴えていくべきであると考えています」
「エインセル様もロード様には期待をかけています」

 メリオルは、あのエインセルがそばにいることを求める女性は男の慰め方を心得ている。未婚であるロードは面映ゆい思いに苦笑しながらも、すぐに顔をメリオルへと戻す。

「ところで、エインセルは今どこに? 今日は来てくれるものと期待していたのですが」

 優雅なほどに冷静なメリオルが、あからさまに目をそらした。ただならぬ事態は、ただならぬ状況によって引き起こされることを、ロードは心得ている。

「まさか……」
「エインセル様の悪い癖が出ました……」

 最後まで目をそらしたままで、メリオルが答えた。




 カーペンタリア湾での戦いは一変していた。
 東側から包囲されることを警戒するあまり遊撃隊は戦線を東へと突出させてしまった。すると、引き延ばされたゴムのように戦線が厚みを失い、前線のモビル・スーツ部隊と後方のボズゴロフ級潜水艦があり得ないほど接近していた。
 そして、地球軍はここにきて一気に攻勢に出たのである。
 北からは主力である大西洋連邦軍が攻撃に加わり、攻撃が激化する。
 そして、南にはすでに廃棄された基地があった。そこはかつて、潜水艦のドッグとして利用されていた。C.E.75年現在は見向きもされなかった基地に、地球軍は潜水艦を潜ませていた。
 ドッグから音もなく出航するわずか数隻の潜水艦の群。その目の前にはザフト軍のボズゴロフ級が背中を見せていた。戦線が東に展開したことで、ザフト軍は自ら進んで地球軍の前に隙をさらしてしまったのである。
 そんなザフト軍へと、潜水艦たちは群れた狼のように襲いかかった。
 放たれる魚雷が吸い込まれるようにボズゴロフ級のわき腹に突き刺さった。カーペンタリア湾のわずか60mの水深では爆発の衝撃を抑えきれない。爆圧は水柱となって海面に躍り出た。
 腹を食い破られたボズゴロフ級の艦内では警報音が鳴り響き、大量の水が流れ込んでいた。大きく傾いた艦体のせいで乗員たちは立っていることもできない。何かにしがみつき必死にこらえていた。そこに、第二の魚雷が命中する。艦体はちぎれ、ボズゴロフ級は浅い海底へと沈む。
 北からは本体。南からは潜水艦。突然の挟撃にザフト軍は浮き足だった。
 思わず転舵したボズゴロフ級は、すぐ隣を航行していた別のボズゴロフ級へと船首を叩きつけてしまう。ひしゃげた艦体同士が噛み合い、2隻はそのまま海底へと頭から飛び込んでしまう。魚雷をかわそうとしたボズゴロフの中には、浅い水深を意識しきれず頭から海底へと突っ込んでしまったものもいる。
 ボズゴロフ級の艦隊は瞬く間に大混乱に陥れられたのである。
 そんなボズゴロフ級の1隻では、艦長であるロンド・ギナ・サハクが檄を飛ばしていた。まるで奇術師かのように派手な衣装の男である。

「グーンを出せ! 奴らを近づけさせるな!」

 グーンとは、かつて地球侵攻に決定打を与えると期待されながらも戦況の激変に伴い生まれながらの旧型機の烙印を押された悲劇の機体である。そんな4年も前の旧型にいまさら頼らなければならなかった。
 ギナは所属のパイロットへと通信を繋いだ。

「ハイネ・ヴェステンフルス。ただちに戻れ!」
「敵に背中は見せられん! 意地というより、実情としてな! 奴ら、今になってガンダムを投入してきやがった!」

 ハイネ・ヴェステンフルスのZGMF-23Sセイバーガンダムは遙か上空でGAT-133イクシードガンダムの大剣と切り結んでいた。接近戦に特化した地球製のガンダムは、量産機でありながらその優れた格闘力でザフト軍におそれられている。ハイネとて隙を見せれば切り捨てられることになる。
 ギナ艦長のすぐ後ろには、妹であるロンド・ミナ・サハクの姿があった。兄同様に奇抜な格好であること、船医でありながらブリッジにいることを誰も見咎めることはなかった。

「地球軍は最初からカーペンタリア基地を攻めるつもりなどなかったのだろう。カーペンタリアが物資輸送の拠点である以上、輸送船であるボズゴロフ級の喪失はそのまま基地機能の低下に直結する」
「こと戦争に関しては地球に一日の長があるようだな、妹よ」

 このままではカーペンタリア基地は傷一つつけられることなく陥落させられるのである。
 突然、衝撃が艦体を揺らした。クルーの悲鳴にも似た声が響いた。

「海中にモビル・スーツ反応! フォービドゥンです!」

 正式にはインテンセティガンダムと呼ばれる地球軍のガンダムだった。甲殻類を思わせるバック・パックが特徴で、そのためではないのだろうが水中戦においても安定した性能を発揮する。
 そして、東アジア共和国にはファントム・ペインに属するエース・パイロットがいる。インテンセティガンダムに青薔薇の紋章を描き、幾多のザフト軍艦船を沈めたことから名付けられた通り名は、かつて数多くの捕鯨船を沈めた鯨の物語に由来する。
 ギナ艦長は歯をくいしばりながら怨敵の名を呼んだ。

「白鯨……、ジェーン・ヒューストンか……!」




 カーペンタリア湾を撃沈されたボズゴロフ級たちの機械油が覆っていく。水柱が立つ度、残骸と油とが水中から浮かび上がっては海を汚していった。
 そして空では戦いが激しさを増していた。大西洋連邦軍がようやく前線へと移動し、ザフト軍と真っ向から激突したのである。練度、技術力にも優れる大西洋連邦軍の参戦によってザフト軍からは当初のような戦勝気分は吹き飛んでいた。もはやボズゴロフ級を支援するどころか、前線を維持するだけで手一杯である。これでは基地を守れたとしてもボズゴロフ級潜水艦を失ってしまう。
 アスラン・ザラは乗機であるZZ-X4Z10AZガンダムヤーデシュテルンを複雑に機動させながら戦況を確認していた。

「翠星石、略図でいい! 戦況を把握できる地図を出せ!」

 コクピット内を飛び回っている緑の妖精はすぐさま、映像を空間上に張り付けた。
 図にはザフト軍の東側の戦線がずたずたに切り裂かれている様子が表示されていた。カーペンタリア基地周辺の防衛網こそ分厚いが、今となっては意味がない。
 ソード・ストライカーⅡを装備したGAT-01A1ストライク・ダガーがその大剣をヤーデシュテルンめがけて振り下ろした。アスランはそれを抜いたサーベルで受け止め、機体の全身を輝かせるミノフスキー・クラフトの高加速によってすれ違いざま、もう片方の手で抜いたビーム・サーベルで敵を切り裂く。
 しかしこれで両手にビーム・サーベルを装備していることになる。遠距離攻撃の手段を減らしたと見た敵軍は次々とビームを振らせ、アスランは回避のために不規則な機動を強いられた。
 このまま戦い続けても、敵に勝つことはできても戦いには負けてしまう。
 アスランは事態を打開すべく、仲間であるレイ・ザ・バレルへと通信を繋いだ。

「レイ、聞こえているな? 俺は今から潜水艦を水中から直接叩く」
「確かにこの状態では上空から攻撃を仕掛けることは自殺行為だが、いくらゲルテンリッターとは言え、ヤーデシュテルンに水中戦ができるのか?」
「ゲルテンリッターには水中でもビームを使用できる機構が組み込まれている。だから……」

 援護に回ってもらいたい。そう続くはずだった言葉は中断させられた。まるで光そのものに襲いかかられたかのように一瞬の出来事だった。赤いモビル・スーツが瞬く兄ヤーデシュテルンに接近していた。アスランがとっさに防ぐことができばければそのまま撃墜されていたかもしれない。
 ビーム・サーベル同士の鍔迫り合いはスパークをまき散らしている。そんな火花の向こう側にはガンダム・タイプの顔が、ヤーデシュテルンの一つ下の姉妹機であるZZ-X5Z000KYガンダムライナールビーンの顔があった。

「キラ、お前か!?」
「ゲルテンリッターは水中戦も行うことができる。邪魔をしないでくれ、アスラン。そうすれば、君たちはカーペンタリア基地だけは守ることができる」

 弾けるように離れる2機のガンダム。ヤーデシュテルンが距離を開けようとすればライナールビーンが追いかけ、アスランが追えばキラが逃げた。キラには本気で戦うつもりなどなかった。ただ時間を稼げさえすればそれでよいのだから。
 通信ではそれぞれのガンダムの心も言い争いを続けていた。

「逃げるでねえです、真紅!」
「戦いとは二手先、三手先を読んでするものよ、翠星石。そして勝利とは敵を打ち倒すことではなくて目標を達成すること」

 アスランはキラを無視できない。しかし、キラはアスランを倒す必要など一切なかった。2機のガンダムは互いに高機動を維持しながら、時折ぶつかり合ってはサーベルをぶつけ合う。しかし、戦いは動くことなく、膠着していた。
 アスランは動けない。
 そうしている内にも、海中では大西洋連邦軍の潜水艦が魚雷発射管に注水される際の独特の泡音を立てて次の獲物を狙っていた。一斉に発射された4本の魚雷が泡を立てザフト軍ボズゴロフ級潜水艦のわき腹に風穴を開ける。海面に巨大な水柱が立つ。
 地球軍が投入した潜水艦は5隻に満たない。しかし、浅いカーペンタリア湾に逃げ場所はなく、完全に虚を突かれたザフト軍は大いに混乱させられていた。わずか4隻の潜水艦に隊列は完全に乱れ、1隻ずつ着実に轟沈させられていく。空母としてはともかく、潜水艦としての戦闘能力には欠けるボズゴロフ級を轟沈させるだけなら、大部隊は必要とされない。
 しかしそれでも、わずか4隻の潜水艦に攻撃力を依存しているということに代わりはなかった。水中へと降りたわずか1機のザフト軍モビル・スーツが戦況を揺さぶろうとしていた。
 潜水艦の周囲に展開するインテンセティガンダムは素早く反応した。空から海中へと飛び込んだザフト軍機へと殺到し。水中でも撃てるよう出力を調整したレールガンを放つ。敵のモビル・スーツは、何とも異常な行動を見せた。攻撃されているもかまわず水を切り裂いて突進したのである。
 ハウンズ・オブ・ティンダロス、そんな優雅とも言える回避術ではない。ただ闇雲に突進し、攻撃が当たらなければこれ幸いと突進を続ける。そんな運任せであり、強引な挙動はインテンセティガンダムたちを大いに戸惑わせた。
 レールガンの弾丸がザフト軍機の脇をかすめ、泡の中、命中した弾丸に機体の影が体勢を崩す様子も確認できた。しかし、それでも止まらない。ザフト軍機は止まらない。
 それはアスランではなかった。ザフトのエースは現在、空中で赤いガンダムと切り結び続けている。
 同じくワン・エンド型のガンダムに乗るレイ・ザ・バレルでもなかった。この隊長は海中でザフト軍機が戦うすぐ上空で敵を牽制し続けていた。後光を背負うかのようなガンダムローゼンクリスタルは何もしない。何もしないだけで、中空に突如ビームが発生し、地球軍モビル・スーツを破壊する。
 そう、水中にいるのはただのガンダムだった。ZGMF-56Sインパルスガンダム。単なる量産型ガンダムの1機にすぎない機体が、ソード・シルエットの二刀流の大剣を振り回しまとわりついていた泡を引き剥がす。
 インパルスのコクピットの中で、シンは絶叫していた。水中では爆発の衝撃から逃れることはできない。敵潜水艦から放たれた感知式魚雷はたとえかわしてもすぐ近くで爆発し、インパルスを強烈に揺さぶった。その度に、シンは吼えることで意識を保つ必要に駆られていた。

「こんな! ところでー!」

 目の前には降り注ぐ光の柱の中、鈍い金属の色を持つ大型潜水艦の艦影がすでに見えている。そこから放たれた魚雷は、シンのとっさの回避も間に合わずインパルスの肩をかすめた。そして爆発し、18mものモビル・スーツが波にもまれる人形のように海中を翻弄させられる。
 シンは再び吼えた。口の中をどこか噛んでしまったのだろう。血の味が広がることをかまわず、爆発の勢いさえ利用して潜水艦を目指す。
 そんなインパルスの前に、青い薔薇の紋章を掲げるインテンセティが立ちはだかる。三叉戟が左手の大剣を捉え、たやすく切断してしまう。
 ここで止まればすべてが無駄になる。そう、誰もが理解していた。シンも、青い薔薇のガンダムも。
 インテンセティは攻撃の手をゆるめない。追撃はインパルスの左足を切り離し、返す刀が胴体を狙っている。
 シンはスラスターの出力を、一気に最大にした。押し出された海水がインパルスの全身にまとわりつくかのように泡を発生させ、身体ごと突き出された腕がインテンセティの頭部を鷲掴みにする。体勢を崩されたインテンセティの三叉戟は、インパルスのわき腹をかすめるにとどまった。そのまま勢いを殺すことなく、インパルスは敵を一気呵成に押し飛ばす。
 インパルスのモニターが不鮮明になっていた。わき腹の裂傷から海水が入り込み、電子機器を浸すとともにコクピットのすぐ外側にまで浸水が始まっていたからだ。本来ならばすぐにでも修復作業に入らなければならない。同時に誰もが理解している。止まれば終わりだと。
 だから地球軍はインパルスの動きを封じようとした。だから、シンはかまわず敵潜水艦へと突き進み続けた。すでに敵潜水艦は魚雷を発射してこない。爆圧が自身にも損害を与える距離まで接近されたためだ。
 ほんの1隻、わずか1隻でも潜水艦の動きを封じることができればザフト軍が体制を立て直すだけの時間を稼ぐことができる。そう、インパルスは海中を突進する勢いのまま右手に残されていた大剣を両手に握り、潜水艦へと突き立てた。

「沈め! 沈んでくれー!」

 チタン合金の分厚い装甲に剣が食い込み、金属がひしゃげる甲高い音を立てながら血液のように泡が吹き出していた。
 潜水艦の狭いブリッジではアラームが鳴り響き、艦長とおぼしき男が目深にかぶった軍帽の下で苛立ちを隠すことなく舌打ちしていた。腕章には青い薔薇が描かれ、ブルー・コスモスのメンバーであることがわかる。ブリッジ・クルーたちが矢継ぎ早に損害状況を伝えている中、艦長はある人物からの通信を受けた。
 その途端、世界が変わった。通信があったこと、艦長がその事実を告げただけでクルーたちは落ち着きを取り戻し、アラームは大げさに成り下がる。
 艦長は、緊急浮上の指示を出した。
 指示は即座に実行に移されたと、シンでさえ感じることができた。足下の金属の大地が急激に海面めがけて浮上を始めたからだ。水圧と加重に身動きできず、インパルスは太陽の下に運ばれた。剥がれ落ちた海水が潜水艦の丸い形に沿って左右に流れていく。
 シンは乗機の足下にカタパルト・レーンが展開されていることに気づいた。すぐ正面には、すでに敵のモビル・スーツがカタパルトで加速している最中であった。
 そう、気づくことが精一杯の状態で、シンは加速する70tもの鉄の塊の突撃を受けた。そのまま、急加速した状態で空へと敵と絡みついた状態で放り出される。
 突進してきた機体はインパルスに抱きつく姿勢のまま、2機を上空まで運んでいた。コクピットの中で、シンは大きく映し出された敵の顔を眺める羽目になった。敵機をここまでしっかりと眺めることができる機会など滅多にないことだろう。
 敵は、地球軍の量産型によく見られるゴーグル・タイプをデュアル・センサーをしていたが、シンに見覚えはなかった。おそらくは新型機。シンの記憶の片隅には、GAT-04ウィンダムというまだ投入されたばかりの新型の敵が思い浮かんだ。
 ウィンダムは、青と白を基調としており、その姿はよりガンダムの量産機であることを印象づけた。背中にはノワール・ストライカーという鋭い羽根を思わせるストライカーをミノフスキー・クラフトで輝かせている。その性能は、すべての地球製量産機の基となった名機GAT-X105ストライクガンダムにも匹敵すると吹聴されていた。

「こいつ……、離せ!」

 いつまでもこのままという訳にはいかない。シンはスラスター出力を一気に上げ、ウィンダムを突き飛ばしてしまうつもりだった。しかし、まるで見透かしていたかのように、敵はインパルスから離れた。
 高度はいつの間にか数百メートルに達していた。戦場からただ2機が切り離された格好だ。
 シンはすぐに敵を探した。新型とは言え、ガンダム・タイプでない量産機が相手なら性能はガンダムであるインパルスの方が上だ。インパルスは大剣を両手で構え、視界に捉えたウィンダムへと加速する勢いを乗せて切りかかった。
 しかし、剣が敵を捉えることはなかった、らしかった。シン自身にさえ確信がもてない。目の前にいたはずの敵機が、なぜか今は真後ろにいる。
 振り向きざまに大剣を振り抜くと、まるで霞のように敵の姿が消えた。いや、捉えることができなかった。コクピット内に背後からの異常接近を告げるアラームが鳴り響くとともに、シンはインパルスを振り向かせた。
 すると、インパルスに腹部にウィンダムの鋭い蹴りが突き刺さる。

「うわぁぁぁぁ……!」

 さすがのフェイズシフト・アーマーでも衝撃を消してくれることはない。しかし、シンにうめいている余裕はない。
 接近してくるウィンダムに対して、まだ体勢も立て直して切れていない状況から反撃する必要があった。剣を振りかぶり、しかしビームの刃を持っているとは言え、勢いのない一撃はウィンダムのビーム・サーベルに受け止められた。かと思うと、インパルスは左足を切断されていた。
 敵がまさに流れるような動きでインパルスの背後に回る。そのことをシンは意識するかしないかのうちに、インパルスを逃がすべく操縦桿を引き倒す。背後から振り下ろされたビーム・サーベルはガンダムの象徴であるブレード・アンテナをかすめ、肩のアーマーを切断した。
 そして、この回避に辛うじて成功したことを確認している間も、シンにはなかった。
 ウィンダムが動く。飛び上がったかと思うと、ほとんど直角にしか見えない角度で軌道を曲げ、さらに直角軌道を描くことで180度方向転換、一気にインパルスへと急降下攻撃を仕掛ける。
 シンは、回避しながらさらに先の動きを読んで対抗する必要があった。
 速さの次元が違っていた。ウィンダムはスラスター出力のリミッターを解除しているのだろう。そこに、重心制御と完璧なタイミングでの出力制御が加わることで直角に近い機動を行い、さらに異常な意識の加速があった。
 攻撃に続く攻撃。さらに攻撃が続いたと思う前に攻撃が重なる。
 シンは自分が何をしているのかほとんど意識することをやめていた。いちいち確認していたはとても間に合わない。まるで最初からプログラムされていた振り付け通りにインパルスを動かしているようなものだ。
 しかし、プログラムなど存在しない。シンは、敵の動きを予想して、二手先、三手先、四手先を読んで、読みが当たったのかどうか確認することなく次の動き、次の動きを行い続けた。
 予想が外れた分だけ、インパルスが破壊されていく。剣を断ち切られ、腕を裂かれ、頭部を刺し貫かれたことをシンが確認した時には背中のソード・シルエットが両断されていた。
 とても同じモビル・スーツの動きとは思えなかった。
 もう数時間は戦っていたつもりが、実際の時間は数分に満たないものでしかないはずだ。それほど、シンはわずかな間に消耗していた。
 もはや自力飛行さえかなわなくなったインパルスは地球の重力につられて、その傷だらけの体を空から落としていく。
 シンの目には、敵が少しずつ遠くになっていく姿が見えていた。太陽を背に、その装甲は黄金に輝いて見えた。4年前、シンからすべてを奪った黄金のガンダムの姿が重なって見えた。一度はたどり着いたつもりが、今、それは遠く遠く、手の届かないところに離れていく。
 それからどれほどの時間が経ったのだろう。
 シンが目覚めると、そこは当然のようにコクピットの中だった。ログには、インパルスが緊急着陸を自動で行った形跡があった。そう、破壊され尽くしたインパルスは海に浮かんでいた。
 ハッチを開けると、赤い光が目映い。すでに夕方。戦闘は終結したらしく、周囲一面の水平線からは戦いの音は聞こえてこない。
 カーペンタリアは無事だろうか。敵の地球軍の狙いはボズゴロフ級潜水艦だ。基地まで攻める力も意志もないだろうと、シンは自分を納得させた。インパルスのちょうどわき腹部分に腰掛け、寄せる波がインパルスにぶつかってはまた海へと戻る様を眺めていた。
 果たしてザフト軍は、たった1人の在外コーディネーターを探してくれるのだろうか。
 これまで乗機をダメにする度、シンは無力感に苛まれた。しかし、今回は無力感さえわいてこない。敵のウィンダムは力がまるで違っていた。無力どころか比べることさえバカバカしい圧倒的な力だった。
 見ると、手が震えていた。疲労が原因ではない。わかりやすく、シンは怯えているのだ。
 まもなく日が沈む。シンはまるで子どものように、膝を抱え、不安と恐怖に押しつぶされそうになっていた。このまま、誰にも見つけてもらえないまま、海の底へと沈んでしまうのではないか。そして、海の底ではあのウィンダムが待っている。そう、想像してしまった時、シンは思わずインパルスの縁から離れた。腹部の上へと尻餅をつく形で倒れ込む。
 すると、シンの視線は自然と上を見上げる形になった。
 黒い雲を夕日が焦がして、赤と黒のグラデーションに染められた空を、光り輝く人がシンのもとへと降り立とうとしていた。
 天使、とシンは本気で考えたものの、何のことはない。バレル隊長のガンダムローゼンクリスタルがミノフスキー・クラフトを使用してるだけのことだ。
 ただ、それでもその姿はシンには天使のように頼もしくも、心強くも感じられた。
 隊長の声がした。

「まさかこうも簡単に見つかるとは、シン・アスカ。お前には運があるようだ」

 そうして、シンはカーペンタリア基地へと生還を果たした。
 初めて訪れた格納庫はすでに一段落ついたのだろう。すでにパイロットたちの姿もまばらで、損傷の激しい機体の周りで奮闘する整備士の姿があるくらいだ。
 そんな格納庫にいると、ルナマリアとヴィーノが慌てた様子で駆けつけてきた。

「シン、無事? 大丈夫?」
「まったく、無茶しすぎなんだよ。インパルスで水中戦なんて始めたみたよ」
「いける気がしたんだ。それに、ソード・シルエットの方が性に合ってるからな」

 現金なもので、仲間たちの無事な姿を確認すると、シンの中で不安や恐怖は幾分和らいでいた、軽口に応じることができるほどの余裕を取り戻していた。
 すでに格納庫の様子を把握しているたしい仲間2人が歩き出す後に、シンはついてくことにした。
 もっとも、ヴィーノの軽口は歩いている間も続いていたが。

「まあ、シンのおかげでボズゴロフ級は50隻は救われたよ、きっと」
「大げさなんだよな、ヴィーノは」

 保有数の正確な数は軍事機密であるため、50隻が基地が保有するボズゴロフ級のどれほどの割合かははっきりしなくても、50隻を救ったとなれば大戦果になってしまう。

「結局、1隻も沈められないで、機体をダメにしただけだったしな。後は、こんな無茶な作戦を許可してくれた隊長に感謝しないと」

 ソード・シルエットの使用を渋るタリア・グラディス艦長を説き伏せてくれたのはレイ・ザ・バレル隊長だったのだから。その隊長も、今は姿が見えない。救助してくれたことのお礼を言おうとしていたのだが、シンは次の機会を待つしかないようだった。
 ルナマリアとヴィーノが自動ドアを開いてシンを招き入れると、3人はそろって固まってしまった。そこに、ずらりと左右に並ぶ人の道ができていたからだ。全員が姿勢をただし、国賓でも出迎えているかのような厳かな雰囲気に、シンを含めた全員が圧倒されていた。
 こんな出迎えられ方はザフトの英雄であるアスラン・ザラでもなければさらないのではないだろうか。そう考えたシンは、しかし道の奥に当のアスランが列に加わっていることを確認してしまった。
 ルナマリアなど、シンを手招きした不自然な格好のまま固まってしまっている。

「ねえ、ヴィーノ……。道、間違えたかな……?」
「みたいだな……」

 邪魔にならないうちに退散すべきだろう。そう、考えたシンの目は、人の道に加わっていたレイ隊長の姿を捉えた。
 すっかり挙動不審になってしまっている3人の部下を眺める隊長は、小さくともはっきりと耳に届く声でシンを促した。

「行け、シン。これはお前のための出迎えだ」

 まだ付き合いは浅いが、人を陥れるような冗談を言うような人ではないだろうと、シンはおそるおそる歩き始めた。後ろから、まるでシンを盾にしているかのようにルナマリアとヴィーノが続いていた。
 道を進んでいくと、目の前に見知った男性が待ちかまえていた。しかし、知り合いではない。長髪の若い男性で、その凛とした眼差しは威厳に満ちている。その人は、シンどころかすべてのザフト兵士の頂点にあるひとだった。
 ギルバート・デュランダル最高評議会議長、その人だった。

「シン・アスカ軍曹、そして、ルナマリア・ホーク軍曹。話は聞いている。この度は辛く厳しい戦いを乗り越え、よくここまでたどり着いてくれた。そして。アスカ軍曹、君の機転にこの基地は救われた。ザフトを代表してお礼申し上げたい」

 テレビでしか聞いたことのない独特の響きと力強さを持つ声。慣れた手つきではないが、しかし迷いのない動きでデュランダル議長は敬礼をしてみせた。

「ザフトの英雄に」

 左右を囲んでいた兵たちが一斉に敬礼をした。
 外人部隊としてないがしろにされていたシンにとって、こんな日が訪れるなんてことは、考えたこともなかった。




 暗い夜空にいくつもの光の柱を立てて、スペングラー級MS搭載型強襲揚陸艦の広大な飛行甲板に4機のインテンセティガンダムが並ぶ。そのどれもがシールドに青い薔薇を持つ。東アジア共和国のファントム・ペイン所属機が左右に2機ずつ並び、道を作り出していた。
 道の前にはネオ・ロアノーク隊長を初めとする主立ったパイロットに加え、ヒメノカリス・ホテルに連れられた子どもが2人。ステラ・ルーシェはヒメノカリスのそばを離れず、アウル・ニーダは自分の機体と同系の機体を興味深げに見上げている。
 インテンセティたちは一斉に膝を折る。パイロットが降りることを楽にするための行動にすぎないのだが、道の奥に1機のウィンダムが降り立ったことで様子は一変する。さも、王の参上にかしずく臣下のように見えたからだ。
 それも決して的外れな印象ではなかった。インテンセティから降りたパイロットたちは乗機のすぐそばで敬礼する。その姿勢は、ウィンダムから降り立ったパイロットが彼らの目の前を通り過ぎるまで維持された。
 ウィンダムのパイロットは今し方モビル・スーツから降りてきたようには思えなかった。白いスーツ姿であり、背が高く金髪碧眼。その歩く姿は映画のシーンのように絵になった。
 この男性へと、ネオ・ロアノーク率いる隊員たちも敬礼する。お調子者のシャムスでさえ軍の形式に則った厳粛な姿勢をとった。
 その時、ヒメノカリスはステラを置いて、アウル横を抜けて走り出した。ドレスが乱れることを構うことなく、その顔は恋に焦がれる少女のよう。

「お父様!」

 愛しい人のその胸に飛び込んでその首に手を回して抱きつく。すると愛する父上はそっとヒメノカリスを抱き止める。王が寵愛する姫君をその腕に抱くように。

「寂しくはありませんでしたか、ヒメノカリス?」

 そうして、黄金の玉座を持つ王は愛娘へ優しく囁きかけた。



[32266] 第16話「魔王と呼ばれた男」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:9ce9287d
Date: 2015/01/01 20:11
 ザフト地上軍のカーペンタリア基地では、勲章の授与式が行われていた。前のカーペンタリア防衛戦で特に戦功のあった者、勇敢な戦いぶりを見せた者を中心に、10名のザフト兵に勲章が授けられることになっていた。
 兵士で満員の会場に、10名のザフト兵が横一列に並べられている。その1人1人に、プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルは勲章をつけ、握手を交わしては言葉をかけていく。
 シン・アスカもまた、勲章を授けられる1人として体を固くして順番を待っていた。
 現在、隣でシンよりもやや年上と思われる若者が物怖じしない態度で議長から勲章を胸につけてもらっていた。どこか気取った髪型が特徴的だと、シンは感じた。

「ハイネ。君の胆力と幸運をこれからのもザフトのために役立ててほしい」
「もちろんです、デュランダル議長」

 そして、シンの出番がやってきた。議長が勲章をシンの胸に取り付けると、握手を交わしてからシンへと話しかけた。

「君の活躍がなければ、ザフトはカーペンタリアの機能を喪失していたことだろう。ありがとう」

 まだ30歳という若さにも関わらず、その態度はシンに威厳を感じさせた。

「こ、光栄です……」

 そんなことしか言うことのできなかったシンにも、議長は笑みを絶やさないまま、シンの隣へと向かった。そこには、シン以上に体を固くしているルナマリア・ホークがいる。
 議長は一連のやりとりを終えた後、同じように語りかけた。

「辛い境遇にも関わらずよく戦い抜いてくれた。ザフトは君の勤勉さを称えるだろう」
「こ、こ、こ、光栄です……、ぎ、議長!」

 ルナマリアの声は完全にうわずっていた。
 こうして授与式を終えると、次は晩餐会が始まった。夕食と呼ぶにはまだ早い夕方の時間だが、窓から差し込む赤い日の光は、会場を独特の雰囲気で染め上げていた。細長いテーブルの上座に議長が座り、席には勲章を受けた10名を中心に佐官クラスの軍人が並んでいる。
 晩餐会のはじめ、議長は最初に10名の紹介を始めた。授与の順番と同じ並びで紹介されたため、シンは自分の説明を聞く前に例の伊達男の紹介を耳にしていた。

「彼はハイネ・ヴェステンフルス。優秀なパイロットで、奇襲にさらされたボズゴロフ級からただ1人生還した勇敢な男だ。それどころか病み上がりにも関わらず出撃し、敵機を撃墜した気骨のある男でもある」

 続けて、シンに議長の視線が向けられた。

「シン・アスカ軍曹、いや、今は曹長だったね。優れた機転によってカーペンタリアの窮地を救ってくれたのは彼だ。彼はすでに何度も撃墜されながらその度に立ち上がってきた。不屈の闘志とは彼のためにある言葉ではないかな」

 その場の全員の人の視線が集まり、シンは軽く頭を下げた。
 そして、ルナマリアが紹介される。

「ルナマリア・ホーク。彼女はシン・アスカ曹長のよき相方としていくつもの戦場を渡り歩いてきた。満足な補給さえない環境でさえ戦い抜くそのひたむきさは、心が痛む以上に賞賛の気持ちがわきあがる」

 こうして10人の紹介を終えたところで、晩餐会が始まった。

「緊張しないでくれとは言っても難しいこととは思うが、同じザフトの未来を担う者として、今日は親睦を深めてもらいたい」

 そうは言われても、シンは1人で黙々と料理を食べ進めていた。外人部隊にいた時は連戦続きで栄養チューブを胃に流し込んでしのいだこともある。栄養価は抜群と聞いていたが、人間、栄養だけでは生きていけないことを学んだ。
 シンの前に置かれている料理は何かの薫製肉にソースをかけたものだった。こくがある、とでも言うのだろうか。ソースを口に入れると、3種類の味が代わる代わる現れて肉のうまみを引き立たせていた。肉そのものも柔らかく、丁寧な下拵えを感じさせる。普段の食生活が豊かとは言えないシンであっても、この料理の味はわかっているつもりだった。
 もっとも、味なんてまともにわかってなさそうな人物が、シンのすぐ隣にいた。ルナマリアだ。手にするフォークとナイフが目に見えて震えていて、まるで睨みつけるような眼差しで料理を見つめ続けている。
 シンに話し相手がいないのも、ルナマリアがこの調子であることが一因になっている。仕方なく、シンはふと、議長の方を見た。
 デュランダル議長はすぐ脇に座る白い軍服の女性と話をしていた。意外にもシンにとって見覚えのある人物だった。母艦であるミネルヴァの艦長であるタリア・グラディスだった。
 2人はずいぶん親密そうな印象で話をしていた。いったいどんな話をしているのか、シンの席からでは聞くことはできない。特装艦の艦長とは言え、議長と一軍人に親交があることをシンは不思議に思ったが、そもそも、シンはそう考えることができるほどグラディス艦長のことを知ってはいない。
 そして、今後も知ることはないだろう。胸には授与された鉄十字勲章が鈍い輝きを放っている。それでも、シンは在外コーディネーターである事実は、今後も変わることはない。




 晩餐会が終わって、シンはルナマリアと休憩室のテーブルに座っていた。そこに妙な走り方で駆け込んできたのは同僚のヴィーノ・デュプレだった。

「シン、ルナ。2人ともすげえよ! 鉄十字勲章もらえるなんて、もう英雄だろ」

 相変わらずのテンションに、シンはついていけていないことを自覚していた。もっとも、ヴィーノの関心はすぐに他に移った。

「で、ルナはどうしたんだ?」

 普段ならヴィーノにもついていくことができるルナマリアだが、今はテーブルに突っ伏して身動き一つない。代わりにシンが答える必要があった。

「気疲れなんだってさ。終始緊張しっぱなしだったから」

 顔も上げずに、ルナマリアはくぐもった声を出した。

「だ、だって、目の前にあのデュランダル議長よ、議長……!」

 これでは当分まともな受け答えは期待できないと、シンはため息をついた。そして、ヴィーノは何とも移り気だ。

「なあ、勲章見せてくれよ、勲章!」

 シンは胸ではなくポケットから取り出した勲章をテーブルに置いた。

「シン? 胸につけないのか?」
「いや、なんだか、悪い気がしてさ」
「悪い? 何の話だよ? なあ、教えてくれよ、友達だろ?」
「友達か? 俺たちって?」

 シンが自然な言い方で疑問を口にすると、ヴィーノは大げさなまでに落ち込んでしまった。テーブルのすぐ脇で両膝を抱えてうずくまってしまった。仕方なく、シンは折れることにした。

「悪かったよ。話すから立ってくれ」

 すると、ヴィーノは素早い動きでシンたちと同じテーブルにつくなり、目を輝かせてシンを見た。まるで、これから映画でも始まるかのように。
 シンはため息をつきながらも、仕方なく話を始めた。

「俺たちが在外コーディネーターの部隊、要するに外人部隊にいたことは知ってるだろ? その時、嫌な噂があったんだ。外人部隊は任期を終えても本国に帰還が許されるまでは除隊できないって話が。それが本当かどうかははっきりしないんだけど、艦長たちは真に受けてた。だから功績を挙げて本国に戻ろうって無茶して……」

 みな戦死した。

「そんな艦長たちがほしがってたのが、この勲章なんだよ」
「じゃあ、その人たちが勲章もらえてたら……?」
「めでたく市民権を得て、家族の下に帰れたってお話だな」

 家族を残していた人が死んで、帰りを待つ人もいなければ任期もまだ残すシンが勲章を受け取った。シンが勲章を飾りたいと思えない理由がそこにある。
 テーブルに置かれたままの勲章を、シンは特に何の感慨もなく眺めていた。ヴィーノは相変わらずヴィーノだったが。

「へ~、シンて意外とそういうこと気にするんだな」
「どういう意味だよ?」
「いや、シンならその点、割り切ってそうだからさ」

 あまりヴィーノの言葉を重く受け止めても仕方がない。ヴィーノの言葉はよくも悪くも軽い。あまり真剣になる必要はない、それがシンの結論だった。




 爛れた黄金のガンダムが横たわる。見上げる男の髪も同じく黄金をしている。

「この状態では、フォイエリヒの修復には相応の設備が必要ですね」

 小惑星フィンブル落着の際、傷ついた体を構うことなく大気圏突入を行ったZZ-X300AAフォイエリヒガンダムは全身が傷つき、まったく修復されないままの姿をさらしていた。本来の主であるエインセル・ハンターに看取られるように。

「ごめんなさい。私が、壊しました」

 エインセルの傍らに立つヒメノカリス・ホテルは桜の木を折った子どものように伏し目がちにうなだれる。普段感情を顔に出すことのないヒメノカリスとて、父の前では表情を作る。
 そんなしおらしい愛娘の頬を手を添えて、ヒメノカリスが顔を上げる時節にあわせて、エインセルはその澄んだ青の瞳で見つめあう。

「私は喜ばしいと考えています。フォイエリヒがこれほど破壊されながら、ヒメノカリスが無事であったのですから」

 頬に触れる父の手を包み込むように手にとって、ヒメノカリスはただその優しさに身を委ねようとする。
 しかし、そんなヒメノカリスのドレスの裾を引く手があった。ステラ・ルーシェが、まるで捨てられた子犬のような眼差しをしていた。

「お姉ちゃん……」

 ステラは体を小さくしてヒメノカリスの方を見ていた。正確には、エインセルのことを見ないようにしている。人見知りの激しい妹のために、ヒメノカリスは父を手で示した。

「ステラ、この人はエインセル・ハンター。私のお父様」

 ステラとしては大切な、唯一頼ることができる姉をとられてしまいそうな不安も手伝って、エインセルの顔を見ることさえできないでいる。

「その、あの……」

 エインセルの背は高い。少しかがんだところで、その顔はステラの上にある。
 白く大きな手。その手がしなやかに、ステラの前髪をそっとかき分けた。開けた視界に吸い寄せられるように見上げたステラの瞳を、エインセルは柔らかな微笑みで受け止める。

「あなた方エクステンデッドは元来、戦闘要員ではありません。それによく耐え、頑張ってくれましたね、ステラ」

 手はそのまま握手を求めるようにステラの前にさらされる。ステラは恐る恐るといった様子で両手をゆっくりと、添えるようにエインセルの手を掴む。手を通して伝わる体温と内からあふれる確かな力強さ。ステラの一挙手一投足をすべて受け入れてくれるようにエインセルは微笑みを絶やさない。
 いつしか、ステラは視線を合わせることを恐れることはなくなっていた。ヒメノカリスは、父と急速に距離を縮めつつある妹に、どこか複雑そうな視線を送っていた。そんな2人の様子に不愉快さを隠さない人物がいた。
 アウル・ニーダだ。子どもらしく、不機嫌さとわかる大股でエインセルへと近づいていく。

「ヒメノカリス姉ちゃんの父さんとか聞いてるけど、ここは格納庫だぜ! 民間人が入ってくんなよ!」

 エインセルを音が聞こえそうなほど力強く指さすアウル。青薔薇の王へと向けられたその指は、しかし姫君によって絡めとられる。ヒメノカリスが真顔でアウルの人差し指を握りしめる。

「アウル。人には優先順位というものがあるの。私の場合、最上がお父様。あなたは二の次。お父様に口答えはしないで」

 とても静かな声だった。抑揚も感傷もない。澄んだ風ほども感情が含まれていない声は、すなわちアウルへの一切の気遣いが放棄されたことを意味する。

「そう言うことはもっとすまなさそうとか、言いにくそうに言ってくれよ!」

 無理矢理掴まれた指をふりほどくと、アウルはエインセルを露骨に睨みつける。

「なあ、おっさん。あんた強いんだろ。なら、俺と勝負しようぜ。模擬戦てやつでさ」




 ファントム・ペインの面々は格納庫におかれたテーブルを囲んでいた。ロアノーク隊のアーノルド・ノイマン、スウェン・カル・バヤン、ミューディー・ホルクロフトとともに座っているのは東アジア共和国のファントム・ペインであるショーン・ホワイトだった。
 ショーンは自国の最高司令官への不満を口にしていた。

「ええ、ウィリアムズ首相は完全に腰が引けてるわ。本当なら、戦争に巻き込まれたくないのが本音なのでしょうね」

 ミューディーは呆れた様子を隠そうとしない。そんな同僚をたしなめる役割は、通常スウェンが担っている。

「プラントとの戦争って、もう地球対プラントの戦いなのにね。新しいジェネシスが製造されたら全部燃やされるんだから」
「しかし東アジア共和国は潤沢な軍事力を保持しているとは言い難い。政治家として、必ずしも不合理とは言えない判断だ」

 ただ、ミューディーとスウェンには共通点がある。それは、ファントム・ペインに参加しているということ。

「でも、あたしたちはプラントを許すことも、認めることもできない。でしょ、スウェン」

 スウェンは答えなかった。そして、各国のファントム・ペインが集まった時、必ず上る話題があった。

「あたしは父さんと兄さんだったけど、ショーンさんは?」
「両親を船舶事故で」

 これにはスウェンも続いた。

「家族に被害はなかったが、親戚の中には一家全員が亡くなったことがあった」

 10年前、プラントは血のバレンタインの報復として地球全土に核分裂抑制装置を投下した。その結果引き起こされた恐慌によって、10億もの人命が失われた。地球人口の実に7分の1。当時地球にすんでいた者なら誰もが誰かを失っている計算になる。
 エイプリルフール・クライシスを切っ掛けに軍に加わった者は少なくない。それが、地球側の常識だった。
 ミューディーはだらしなく背もたれに体重を預けた。

「知ってる? プラントじゃ、あたしたちがブルー・コスモスの言いなりになってるって喧伝されてるんだって」

 こちらが、プラントの常識だった。
 ファントム・ペインであるショーンもスウェンも、態度にこそ露わにはしなかったものの不快感をにじませていた。

「私がファントム・ペインとして、エインセル・ハンター……、元代表に仕えているのは、私がプラントを憎むからです」
「そう。我々の憎悪は、あくまでも我々のものにすぎない。故に、我々は青い薔薇の紋章を掲げている」

 そんな中でも、アーノルド・ノイマン副隊長は新聞を手に静観を続けていた。
 そこに、丸めたノートを片手にシャムス・コーザが現れる。サングラスの上からでもそのにやけた様子がよくわかる。

「よう、そろそろ模擬戦が始まるけど、どっちに賭ける?」

 ミューディーはわかりやすく呆れていた。

「何、胴元やってんの?」
「みんな娯楽に飢えてんだよ。で、アウルか、それともエインセル代表か?」
「それで、レートはどんな具合?」
「……アウルが27倍で、代表が1倍……」

 要するに、エインセル・ハンターに賭けた人が賭けに勝ったとしても賭けた金額がそっくりそのまま返ってくることになる。
 これにはさすがにスウェンも噛みついた。

「賭けが成立してないように聞こえるが?」
「仕方ないだろ。誰もアウルに賭けないんだからよ。じゃあ、アーノルド副隊長が戦ってみません? 副隊長ならせめて賭けが成立しますって」
「やめておくよ。あの人に勝てる人間が、今の世界にいるとは思えないからね」

 格納庫のモニターは、シミュレーターを用いた模擬戦を投影する予定だった。モニター前に整備士たちに加え、普段格納庫に顔を見せない船員たちも集まりはじめ、お祭り騒ぎの様相を呈し始めている。
 そんな時でさえ、格納庫から離れた休憩室に人影があった。
 ヒメノカリスが紅茶の香りを楽しみ、真紅がテーブルの上に置かれたプロジェクターの立体映像の中で紅茶をたしなんでいる。そんな2人の様子を、ステラだけが落ち着かない様子で見ていた。

「ねえ、ヒメノカリスお姉ちゃん?」
「何?」
「アウルと、エインセルさんの戦い、見なくていいの?」

 真紅はティー・カップを置くと、その小さな唇からは吐息がこぼれる、ような映像が投影された。

「ステラ、あなたは太陽が東から登ることを毎朝確認するかしら?」

 少し考えてからステラは首を大きく左右に振る。

「しないと思う」
「それと同じこと。太陽が東から上るように、水が低いところへ流れるように、人は自明のことをわざわざ確認しようとは思わないものだわ」




 シン・アスカはZGMF-56Sインパルスガンダムのコクピットに座っていた。以前のものはGAT-04ウィンダムとの戦いで破壊されてしまったので、シンには新しい機体が支給されていた。操縦桿を握り、新品特有の固さを少しでも早く手になじませようとしていた。
 コクピットは薄暗い。ハッチは閉めていないが、奥まったところにあるパイロット・シートにまで格納庫の光は届かない。
 勲章なんてもらったところで、シンが在外コーディネイターであることは何も変わらない。プラントが変わってくれるとも思わない。それが、シンが今日の1日で感じたことだった。
 場の雰囲気を完全に無視した少女の声が聞こえてきたのは、本当に突然のことだった。

「どうしたですか、ちび人間?」

 コンソールの上にいつの間にか置かれていた円盤型のプロジェクターから緑のドレスを身につけたアルビノの少女、翠星石が現れた。思えば、その姿は赤い瞳を持つヒメノカリスのようだと、シンは感じていた。

「君には関係ないだろ」
「聞いたですよ、ウィンダムに負けたってこと」

 翠星石はとても意地悪そうに笑う。ヒメノカリスはこんな顔絶対に見せない、そう、シンは確信じみて感じていた。
 ただ、シンは心のどこかでまだ翠星石たちアリスのことを理解していなかったのかもしれない。人工知能というよりも、どこか腹話術の人形のように感じていた。そのため、翠星石にしてもそのマスターであるアスラン・ザラの分身かのように、同じ違和感を向けていた。

「まったく、どうやって入り込んだんだよ?」

 本体は18mものモビル・スーツでも、プロジェクター自体は手のひらに乗る程度の小さなものだ。シンは放り出してしまうつもりで、手を伸ばした。

「お母様の仇、討ちてえですか? エインセル・ハンターに勝ちてえですか?」

 シンの手が止まると、好機とみた翠星石の行動は早かった。

「仕方ねえです。翠星石が一肌脱いでやるです」

 両手を腰に当てて、わかりやすく胸を張る翠星石。シンは操作なんてしていないはずなのにコンソールが点灯し、ハッチが閉まっていく。
 シンには翠星石がたくらんでいることが理解できた。

「勝手にシミュレーター起動するなよ」
「ちび人間に見せてやるです。フォイエリヒを使ったエインセル・ハンターの力を。ちびるでねえですよ」

 モニターには宇宙空間が展開されている。そして、敵として黄金のガンダムが形作られていた。

「エインセル・ハンターのデータがあるのか? て、どうして俺の母さんのこと知ってるんだよ?」
「翠星石はザフトの機密データにまでアクセスする権限が与えられてるです。それに、フリーダムやってた頃、ゼフィランサス・ナンバーズとはみ~んな戦ったです。だから見せてやるでしょ。C.E最強と謳われた力を」

 シンの返事を待つことなくフォイエリヒは完成していた。機体の状態を示すモニターはインパルスがソード・シルエットを装備していることを示している。
 今、シンの目の前には最強と呼ばれた力そのものがたたずんでいた。




 つい先程までの喧噪が嘘のように静まり返った格納庫の中で、コードを引きずる音が聞こえる。子どもの胴くらいの太さのコードを、アウルが脇に抱えて運んでいた。
 格納庫の床から生えている装置の前まで来たところで、真紅が声をかける。

「そう、それをここに繋ぎなさい」

 装置の上には妖精のように小さな真紅の姿があった。渋々指示に従って装置とコードをつないで、アウルはつい口を滑らせる。

「何で俺がこんなこと……」
「口よりも手を動かしなさい」
「はいはい。ほら、できたぜ」
「次は私をコクピットまで運んでちょうだい」

 渋々と、アウルは真紅、正確にはその足下のプロジェクターを手に、愛機であるGAT-X370インテンセティガンダム特装型のへと移動する。すでに修復を終えているため、立った状態で置かれている機体へと、乗降用ロープに引き上げられる形でコクピットへと乗り込んだ。

「ほらよ、で、次は何だ?」

 プロジェクターをコンソールの上に置き、アウルはパイロット・シートにいい加減な様子で座り込んだ。その態度が、真紅をさらに怒らせてしまったらしい。

「アウル、エインセル様に10連敗をきして泣きついてきたのは誰だったかしら?」
「それは……。本当に見せてくれんだろうな? エインセル・ハンターの本気って奴」
「私はオーベルテューレとしてフォイエリヒとの戦いを経験したものよ。あなたにはそれを見せて上げるわ、アウル。夢のような悪夢と恐れられた魔王の力を」

 コクピット・ハッチが閉まり、あたりが暗くなる。モニターや計器の明かりで自分の姿を確認できる頃には、すでにシミュレーターが立ち上がっていた。黄金の輝きを持つガンダムがアウルの前にいる。



[32266] 第17話「鋭い刃」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:550c6d3c
Date: 2016/10/12 22:41
 ZZ-X3Z10AZガンダムヤーデシュテルンの放つ2筋のビームがGAT-01A1ストライクダガーのシールドを吹き飛ばし、胸部へと突き刺さる。空に生じた爆煙を突き破って残骸が尾を引き海へと落下する。

 青い翼が輝きを放ち、その威光に恐れおののいたように敵部隊が撤退を開始する。敵はストライクダガーを中心に構成された1個中隊。すべてがガンダム・タイプで構成されるアスラン・ザラの部隊と対抗するにして戦力不足甚だしいと言うべきだろう。

「よし、深追いはするな。敵を撃退できればそれでいい」

 まだカーペンタリア基地からそう遠い場所ではない。単なる偶発的な遭遇戦で無理をする必要はなかった。アスラン・ザラの指示通り部下達が追撃を控える中、コクピット内を飛び回る人形は落ち着きがなかった。翠星石がパイロット・サポート・システムであることを忘れたかのようにあらぬ方向を見ていた。

「シン、しっかりするですよ!」

 シン・アスカがまだ交戦中なのだ。最近、翠星石がシンの特訓に付き合っていることをアスランは知っている。

 アスランがヤーデシュテルンをシンの方へと向けると、翠星石もまるで遊覧船の窓から窓に移る子どものように動いた。

 シンの搭乗するZGMF-56SインパルスガンダムはGAT-131イクシードガンダムと戦っている。イクシードガンダムは白兵戦に特化した機体で、シンの使うソード・シルエット同様1対の大剣を装備する。ファントム・ペインではないようだが、ガンダムである以上、腕利きが搭乗しているはずである。

 翠星石は声を張り上げていた。友達の試合を応援しているかのように。

「意識を加速させるですよ、シン!」




 イクシードが対艦刀を力任せに振り下ろしてくる。それを、シンはコクピットの中で冷静に見つめていた。

 インパルスが右のビーム・サーベルで対艦刀を受け止める。その時にはすでにシンの操縦は次の段階に移っていた。ビーム同士が激突したことを確認することなく攻撃に転じていたのである。そのため、インパルスは防御した次の瞬間には左腕のサーベルを振り抜いていた。

 半歩、反応の遅れたイクシードは右足を切断される。

 イクシードのパイロットの反応は早かった。損傷を確認するや否や体勢を立て直そうと即座に反応したのである。しかし、シンはその上を行っていた。損傷を与えたことを確認するよりも先に体が動いていた。損傷を把握した瞬間には、すでにインパルスの刃がイクシードに迫っていた。フェイズシフト・アーマーの輝きがイクシードを肩から縦に焼き払った。

 イクシードが破壊された、そう人々が意識した頃にはすでにインパルスの蹴りがイクシードは突き飛ばしていた。こうしてシンは爆発する敵機から余裕で離れるとともに帰還命令に従い母艦であるミネルヴァを目指すこととなった。




 意識の加速。

 同時刻、GAT-X255インテンセティガンダム汎用型のコクピット内においても同じことが語られていた。

 豪奢な椅子に腰掛け紅茶をすする真紅の前でアウル・ニーダが瞬きさえ忘れた様子で操縦桿を握りしめていた。一瞬たりとも気を抜くことはできない。少しでも隙を見せれば8本の刃に切り刻まれるのだ。

 ZZ-X300AAフォイエリヒガンダムが4機のバック・パックから、4本の手足からビーム・サーベルを展開して突っ込んでくる。

 アウルは意識した。まず来るのは右、次は左、下、上。意識を加速させて、敵の動きに反応していく。インテンセティがアームで連結されたシールドを2枚展開する。まず右のサーベルを受け止める。次は左を止めたことを確認して下を防ごうとした時、アラームが鳴り響いた。シミュレーターが停止し、アウルは前のめりになっていた体を機嫌悪そうにシートに戻す。

 負けたのだ。真紅が回避不可能と判断し、インテンセティは撃墜された。これで何度目の戦死か、アウルはとっくに数えることをやめていた。

「反応は確かによくなっているわ。でも、まだまだ認識に頼る癖が抜けていないようね。アウル、人は予測とともに動いているわ。たとえば階段を降りる際、もう一段あるつもりが実際はなかったとしたら、ついつんのめってしまうでしょう。それは予測がはずれたから。人は自らの動きに予定を立てている」

 真紅の小言を聞きながら、アウルはあからさまにしびれを切らしていた。早くシミュレーターをやりたくて仕方がないのだろう。しかし真紅の機嫌を損ねることもできず、手を頭の後ろに置きくつろいだ格好をすることがせいぜいだった。

「あなたは敵の攻撃をシールドで受けるつもりでいた。でもそれからは? エインセル・ハンターの意識はすでに2手先、3手先、10手先まで予定されている。そして、いちいち予定の実現を確認してから動いていては達人についていくはできないわ」

 攻撃を防御できたことを確認してからでは間に合わない。エインセル・ハンターの場合、攻撃したら防がれることを予定して、そして確認しない。予定が実現することを確信してもう次の行動に移っている。行動にわざわざ確認というクッションを挟むアウルとエインセルではどんどん行動の速さに差が生じてくる。

 真紅が言いたいこと、これまでも何度も言い続けてきたことはそんなことだった。

 そして、その差が致命的になった瞬間、撃墜されているという訳だ。

「意識を加速させなさい。知覚を捨てなさい。意識と無意識の狭間に、極意は潜むものよ」

 確認を挟まず次々行動の予定を立てることを真紅は意識の加速と呼んでいる。無意識にではない。意識的に動いて、無意識的に確認をすっ飛ばす。そんなことをアウルは要求されているのだ。

 アウルは軽く息を吹いた。エインセル・ハンターには一度も勝てていない。ほとんどが10秒ともたない瞬殺である。だが、アウルは強くならなければならなかった。スティング・オークレーの仇を討つために。




 ここには極彩色の絨毯もなければきらびやかな装飾が施されているでもない。狭い部屋。質素な寝床に2脚の椅子。見紛うことない船室だった。

 しかし謁見の間である。王がここにいるのだから。

「シン・アスカ。記憶にない名前です。」

 玉座であろうと、単なる安普請の肘掛け椅子であろうとエインセル・ハンターは変わらない。味方からは称揚を集め、敵からは憎悪の対象となる。今はその豊かな水を湛える湖の青さを備える瞳を娘へと向けていた。

「オーブの少年です。お父様を母の仇と認識しています」

 ヒメノカリス・ホテルは変化を見せる。その顔には確かな機微を浮かべている。不安か、あるいは焦燥。父への気遣いがそこには見られた。ヒメノカリスは父の前では弱さを露わにする。

「相違ありません。オーブ侵攻の指揮を担ったのは私です。少年の母の死は私の責任です」

「そうであったとしても、シン・アスカにお父様を殺させはしません。何があってもお父様は私が守ります」

 ここでも、ヒメノカリスは弱さを見せた。力強く父を守ると宣言したことは、それだけ父を失いたくないという思いの裏返しであるのだから。

 そんな娘に対して、エインセルはいつものように優しく微笑みかけるだけだった。

「カーペンタリアでのお話です。私はインパルスと交戦しました。部隊が混乱する中、ただ1機で挑みかかってきたインパルスと戦いました」

「そのパイロットが、シン・アスカなのですか……?」

 そもそもヒメノカリスはシンがパイロットであるのかどうかさえ知らない。今し方名前を聞かされたばかりのエインセルがシンに関する情報を持っているはずもなかった。それでも、エインセルの声はどこか確信じみていた。

「わかりません。ですが、不思議と因縁めいた何かを感じずにはいられません」

 では、シンはインパルスガンダムのパイロットなのだ。そう、ヒメノカリスは確信した。お父様のお言葉である、ただそれだけが絶対の理由となるのだから。シンが父と刃を交えたという事実は、ヒメノカリスを突き動かす理由としては十分なものだと言えた。

 ヒメノカリスが立ちあがると、その身を包む純白のドレスが鮮やかに舞う。

「お父様が似合うと仰いました。だから私はこのドレスが好きです」

 スカートを摘み、回る姫君。お父様に見てももらうために、波立つ髪が香りを放って揺れ動かしながらくるりと回る。

「お父様が愛でてくださいます。だから私は私が好きになれました。お父様は私のすべてです。お慕いしています。私のすべてを捧げたいほどに」

 エインセルが娘へと向ける微笑みは、しかしそれ以上のものでは決してない。あの時と同じ微笑みだった。ヒメノカリスがその愛を疑い、傷つけた時にもエインセルは娘を許し、微笑んだ。その時からエインセルとヒメノカリスの関係は何も変わっていなかった。

「ヒメノカリス。あなたのその言葉は父として無上の喜びです。そして、私はいつまでもあなたの父でいたいと願い、そしてそのために尽力することでしょう。わかってくれますね?」

 これまでにも幾度となく繰り返してきたこと。娘が父に愛を請い、父はただ娘を娘として愛し続けた。

 ヒメノカリスはただ、小さく頷くことでしか父に応える術を有していなかった。




 夜の海に飛沫をあげて、ガンダムが1機、2機と海に潜る。ファントム・ペインに所属するGAT-255インテンセティガンダムがスペングラー級MS搭載型強襲揚陸艦から飛び降りた水柱が月明かりに照らされる。

 露天甲板にはまだ2機のインテンセティが残っている。140tもの重量が一気になくなることに備え、インテンセティはタイミングを合わせて甲板の左右から飛び降る必要がある。先ほどの2機と同様、残った2機も船体軸の対角線上に並び、タイミングを見計らっていた。

 しかし、この2機はなかなか飛び降りる気配を見せない。まだ隊長機の方が用を残しているからだ。

 隊長であるジェーン・ヒューストンは機体を傾けて甲板を見下ろしていた。同じファントム・ペインに所属する指揮官と話をしている。サングラスをかけ、まだ少年と呼んでもさしつかえない少佐と。

 暗いコクピットの中、ジェーンはまだヘルメットをつけていない。相手に自分の姿は見えていないとは知りつつも、自身の金髪に手櫛を入れて身だしなみを整えていた。

「ロアノーク少佐ならご存じのことでしょう。オーブのエピメディウム・エコーが事故死したと聞きました。このことをどう考えますか?」

「ヴァーリのことを知っている、そんな様子ですね」

「これでもファントム・ペインの部隊長です。多少アクセス権は与えられています」

 無論、ネオ・ロアノーク少佐の素性についても多少は聞き及んでいる。ロアノーク少佐は特に動揺した様子も見せずに応じた。

「ラクス・クラインが手を下したのだと思います。彼女は至高の娘です。その行動原理はすべて、シーゲル・クラインの望む通りにすることです。だとすると、プラントは本気で動き始めたと言っていい」

「これから戦争が本格的になるとお考えですか?」

「いや、もっと大きなことでしょう。クライン家が1000年にわたって希求し続けた悲願成就のために動き出した、そんなことだと思いますよ」

 しかし、それが具体的にどのようなことか、キラはジェーンの機体を見上げたまま言葉を続けようとはしなかった。少なくとも今はこれ以上のことを話すつもりはないのだろう。少なくともジェーンはそう判断した。

「我々はファントム・ペインです。エインセル代表のもとに集った戦士であったそれ以上でも、それ以下でもありません。代表が望むのであればまたお目にかかることもあるでしょう」

 これを別れの言葉として、白鯨はその鋼の体を夜の海へと投げ出した。




 街の明かりに蹴散らされた星々が見下ろす海の上を、人工の光が並び飛ぶ。C.E.71年に人が新たに手にした光だ。ミノフスキー・クラフトは光を放つ。装甲表面のミノフスキー粒子の被膜が斥力を生み出し、それが推進力を生み出すとともに余った力を光として放出するのだ。

 つまり、モビル・スーツが海上を飛行していることを意味する。

 一際大きな光が2つあった。ZZ-X3Z10AZガンダムヤーデシュテルンとZGMF-X17Sガンダムローゼンクリスタルが全身から光を放つ。その後ろに5つの輝きが、インパルスガンダムが5機、追従しながら飛行している。

 ミノフスキー・クラフトは優れた機動力を生み出したが、その代償として秘匿性は失われている。位置を宣伝しているかのように眩しい光に、その行く先、沿岸の基地が途端に慌ただしくなる。幾本ものライトが立ち上り、スクランブルをかけられた戦闘ヘリが次に次に浮き上がる。

 アスランは発見されたことを気にした様子を見せない。ここはカーペンタリア湾から続く水路の一部である以上、敵は当初から警戒していたはずだ。何より、8機ものガンダムであれば力尽くでねじ伏せることができる自信があるのだろう。

「この規模の基地にあまり時間をかけたくないな。パラスアテネ、アリスの発動を頼む。作戦時間は30分。攻撃目標は敵戦力の完全な沈黙」

 近づくにつれて夜の闇が薄く薄く剥がれていく。基地がその姿を肉眼でも確認できそうなほど接近した時、ザフト軍は基地に襲いかかる。

 C.E.71年。人はガンダムという名前の新たな光を得た。




 カーペンタリア基地を出発したミネルヴァは東南アジアの島々の間を縫うようにして赤道同盟を目指す。そう、シンは聞かされていた。エインセル・ハンターが大西洋連邦の同盟国である赤道同盟のZZ-X300AAフォイエリヒガンダムの修復を行うという情報がもたらされたからだそうだ。

 ミネルヴァはすでにマラッカ海峡に入った。ここには前情報通りに東アジア共和国の基地があった。シンの任務はパラスアテネの部隊と共同でこの基地を沈黙させることにある。

 レイ隊長の声に、シンは戦いに向けて気を新たにした。

「防衛戦力はデュエルダガーだけのようだが、油断はするな」

 駆動音響くコクピットの中でモニターには次第に大きくなる名前も知らない基地が映し出されていた。

 小規模な基地だった。マラッカ海峡は平均水深が30mもないほど浅い。カーペンタリア基地から海峡を抜けてくるボズゴロフ級を監視するための基地ではなく、さほど重要な基地とは見られていないことがうかがわれる。

 シンは決して油断している気はなかったが、それでもガンダム・タイプを7機も投入することもあって不安を感じてはいなかった。敢えて挙げるとすれば、基地に隣接する熱源反応のことだ。基地のすぐ後ろにどうやら町があるらしい。

 素速く戦力を削らないと町にまで被害が及んでしまう。その点、シンが好んで使用するソード・シルエットはピンポイントの破壊を得意とする。慌ただしい基地目指して加速しようとした、その時のことだった。

「アリス、発動!」

 ザラ大佐が何かの命令を発した。シンには意味がわからず、何か聞き逃したことがあっただろうかとヘッド・フォンにすることと同じようにヘルメットを横から押さえた。その分反応が遅れ、その時にはすべてが始まっていた。

 突然ザラ大佐の部下である3機のインパルスが加速を開始した。それも、完璧に同じタイミングで。まったく同じように武器を構え、まったく同じように動き、完璧な編隊を組んで基地へと向かっていく。

 まるで機械が動かしているように。

 こんなこと以前にもあった。そう、シンは思い出す。フィンブルの破砕活動を妨害した時、インパルスガンダムと一体化したような感覚で、自分が自分と、現実が現実と認識できなくなったことを。

 それと同じことがあのインパルスたちにも起きていた。 あの時のシンとルナマリアに。今のヒルダ、ヘルベルト、マーズに。

「何なんだよ、これ……?」

「ほら、シン、何ぼさっとしてるのよ!」

 ルナマリアは何ともないらしい。基地ではすでに火の手が上がっていた。ミノフスキー・クラフトの強度を上げて加速する。シンが基地に等着した時、そこは戦場ではなかった。




 まだ、基地としての名さえ与えられていないような基地である。国籍は赤道同盟。マラッカ海峡の出口に位置し、防衛戦力がGAT-01デュエルダガーを配備されている。特筆すべきことがないほど小規模の基地である。

 ガンダム・タイプの襲撃に耐えられるはずもない。インパルスガンダムの襲来を受けた時点で、勝敗はすでに決していた。

 3機のインパルスガンダムは完璧であり、そして残酷であった。

 完璧な連携。同じ敵を2機が重複して狙ってしまうことなどない。それどころか、インパルスを狙う敵めがけて他のインパルスから攻撃が加えられる。そこには人間味というものは何もなく、的確で正確、精確な攻撃は瞬く間に基地機能を低下させていく。

 示し合わせたように無駄がない。行った攻撃の範囲をすべての機体が理解し、まるで1人が同時に3機を操っているかのように基地全体に均等なダメージが重ねられる。

 そして残酷。そこに容赦や自慈悲はなかった。足を破壊されたデュエルダガーが市街地へと落ちていく。偶然か、それともパイロットの意地か、デュエルダガーは建造物をさけ道路へと落ちた。コンクリートが砕け、押しつぶされた車がけたたましいクラクションを奏で続ける。デュエルダガーは動こうとしていた。片足はすでになく、右腕のライフルも銃身がひしゃげている。落下の際背部を強く打ちつけたことが原因であろう。メイン・スラスターがうまく機能していないようにも見える。それでも動こうとしていた。

 1機のインパルスが近づいている。ライフルを構え、明らかに撃墜の意志を示しながら。町から離れようと無理に体を浮かせたデュエルダガーの腹にビームが撃ち込まれた。ビームの熱量は爆発を引き起こし、デュエルダガーの胴が引き裂ける。破片は熱と炎を纏いまき散らされ、ビームは直接町を焼き払う。

 上半身を含む大きな鉄の塊がビルを直撃する。落ちた破片は道を砕き逃げまどう人々を飲み込んでいく。




 シンがすべきことなんて1つも残されていなかった。基地についた時にはすでに一方的な殺戮が行われ、シンどころかアスランたちでさえ何もする必要がないほどだったからだ。

 煙は多いが、とにかく火の手が多くて明るい。着陸場所には困らないほど大きな広場がいくつもできていた。

 対空砲火はない。適当に選んだ跡地に残骸を踏みつけてインパルスを着地させると、周囲は凄惨な有様だった。ビームの突き刺さった後が焼け焦げた穴となり黒煙を吐き出し続けている。モニターには望遠で町の様子が映っていた。子犬と思われる小さな体が、瓦礫のそばで動かない。

 シンは痛ましい街の様子を見つめる視線をアスランの方へと向けると、その目つきは自然と鋭いものへと変わる。

「ザラ大佐! これはどう見たってやりすぎだ! 一般市民を巻き込む戦いなんて許されるはずがない」

 アスランのヤーデシュテルンは惨状を見ようともせず、基地の司令部、その残骸へと関心を払っていた。

「……シン、君の言っていることは理想論で、俺たちのしたことは結果だ。この基地にはエインセル・ハンターに関する情報が残されていた可能性が高い。データを抹消する余裕を与えるわけにはいかなかった」

「そんなの俺たちの都合でしょう!」

 音声のみの通信であるため、シンにアスランの顔は見えない。どうせ呆れたような顔か、興味のないような顔をしているに決まっていると、シンはこれまで正規軍の多くが外人部隊を相手に見せた顔から想像した。

「一刻も早くエインセル・ハンターを倒さなければもっと多くの人が死ぬ。確かに最善の結果とは言えないかもしれないが、エインセル・ハンターを野放しにするよりは遙かにましだ」

「それじゃあ4年前のジェネシスと同じじゃないですか!」

 ここで地球軍を撃退しなければプラントは負ける。そんな考えの下、当時のプラント最高評議会議長パトリック・ザラは地球の全生命の9割を焼き払おうとした。この凶行と同じ理屈で、今度は息子が自らの行動を正当化しようとしている。

 そう考えたことが、シンが激昂している理由であった。

「そうだな。ジェネシスのおかげでプラントは救われた」

 乾いた声で、そのためか聞き取りやすい。それでもシンには、聞き間違えではないと確認するための時間が必要だった。

「自分が何言ってるのかわかってるのか……!?」

 4年前から幾度となくプラントが繰り返してきたことだった。自分のためにためらいなく人を犠牲にし、それを仕方がないと片づける。外人部隊を捨て駒にすること、フィンブルの地球落着さえプラントは容認したのだから。

 シンの気迫に危うさを覚えたのだろうか。ルナマリアの操縦するインパルスが2機のガンダムの間に着地した。

「シン、いい加減にしときなさいよ。地球の人たちがどんなにひどい奴らか、シンだって知ってるでしょ。もしジェネシスがなかったら、私たちどんな目に遭わせられてたかわからないじゃない!」

「どうして誰かを悪人にしなきゃ自分の正当性を証明できないんだよ、プラントは!?」

 ルナマリアが言っていることはすべて「自由と正義の名の下に」の受け売りでしかないことをシンは知っている。

「プラントははいつになったら気づくんだよ!」

 操縦桿から手を離せ。理性が押しとどめて、感情が先走ろうとする。手の筋肉が痛いくらいで、そんな緊張がルナマリアやザラ大佐にも伝わっているだろうとシンは理解していた。

 もしもここでレイ隊長の声が聞こえてこなかったなら、何が起きたか、シン自身想像も付かない。

「シン・アスカ、そこまでにしておけ。話しがあるならまずは俺が聞いてやる」

 神々しい光を放ちながら降り立つローゼンクリスタルはアスランたちに加勢するには遠いが、シンを抑えるには適した位置を意図的に選んだようだった。

「レイ、隊長……」

 少なくとも、シンにレイを相手にしてまでここでことを構えるつもりはなかった。そのことはアスランたちにも伝わったのだろう。ヤーデシュテルンとルナマリアのインパルスは警戒を解いたようだった。

 今、シンの足下では燃えるものはすべて焼き尽くした炎がくすぶっていた。燃え始めた炎はなかなか消えてはくれない。下火になったかと思えてもいつまでもくすぶり、再び激しく燃え上がることがあるのだから。



[32266] 第18話「毒と鉄の森」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:550c6d3c
Date: 2016/10/30 15:14
 夜の闇を炎が照らしている。基地を、街を焼いた火はいまだ消えていない。

 アスラン・ザラはZZ-X3Z10AZガンダムヤーデシュテルンのコクピットでくつろいでいた。敵の援軍が到着するまでには時間がある。今コクピットに翠星石の姿はない。基地からデータを抽出している最中なのだが、まさか立体映像を投影できなくなるほど容量をくうはずがない。潜っているという表現を端的に示そうとしているのだろう。

 しばらくして、翠星石の緑を基調とした小さな姿が映し出された。その手には何故か紙の束が抱えられている。

「アスラン、データは無事だったです」

 要するに、データを持ち出してきたことを表現しているのだ。

 翠星石は全天周囲モニターに資料を1枚張り付ける。赤と黒のグラデーションを描く外外の風景を上書きして張り付けられた資料が広がる。資料にはエインセル・ハンターがこの基地を訪れたこと。そして、目的地が克明に記載されていた。
 たかが一つの基地を潰すためにガンダム・タイプを8機も投入した価値はあったようだ。そう、アスランは口の端から息を吹いた。

「どうやら悪魔の尻尾を掴むことができたようだ」

 ヤーデシュテルンの、アスランのすぐ隣にはZGMF-56Sインパルスガンダムの搭乗するルナマリア・ホークがいる。

「やりましたね。さすがです、アスランさん!」

「ボーパールに逃げ込んだらしいだ。赤道同盟の工業地帯だが、軍事施設としても機能している場所だ。フォイエリヒガンダムの修復には最適だと考えたんだろう」

「じゃあ、これでエインセルを倒すことができますね。私、エインセルがしたこと、絶対に許せません! 思い知らせてやりましょう、アスランさん!」

 アスランはすぐには答えず、翠星石がモニターに張り付けた資料に目をやった。東南アジアから中央アジアにかけての地図だ。ご丁寧にマレー半島北側に現在位置が、赤道同盟旧インド地区のほぼ中央にボーパールと表示されている。
 エインセル・ハンターは美しい男だ。磨き上げられた刃のように見事な光沢と人の体に食い込む鋭さが混在している。悪魔の巣くう場所を示す地図に怨敵の顔を思い重ねながら、しかしアスランは曖昧な表情を見せるだけだった。無表情というには口に落ち着きがないが、どのような思いを胸中に描いているのか判然とするほどには表情がない。

「そういえば、君たちもフォイエリヒを見たことがあったんだったな」

「はい。アポロンとか言う未完成のコロニーで見ました」

「新造コロニー自体は珍しいことじゃないが、こんな要塞に流用できるとは思えないコロニーにフォイエリヒを持ち込んで何をしていたんだ?」

 ルナマリアとシン・アスカは以前の部隊に所属していた時、モビル・スーツが配備された民間コロニーという不釣り合いな警備体制に出くわした。それだけならまだしも、現在においても最高峰の性能を有するフォイエリヒガンダムまで持ち出していた理由を、アスランにはわからないでいる。

 そうしているうちに、ルナマリアの方は考えることを諦めたようだ。

「相手が何を考えていようと、全部叩き潰してやりましょう。自由と正義の名の下にみたいに! 私、オナラブル・コーディネーターで、あまりプラント政府にいい印象ありませんけど、あいつに好き勝手させちゃいけないことくらいわかります!」

 単純と言えば単純だがその朗らかな様子に、アスランはつい笑みをこぼした。

「そうだな。だが、追撃はレイに任せようと思う。俺はここで部隊を分けるつもりだ。ヒルダたちはレイの傘下に加わってもらうが、俺がエインセルを追うことはない」

「ど、どうしてですか!?」

「いまだ影響力を残しているとは言え、エインセル・ハンターは所詮、過去の人間だ。その抹殺はあくまでもザフトの軍としてのけじめのようなものだ。俺自身の手で決着をつけることにあまり意味はないんだ」

 アスランは努めてアスラン・ザラでいることを心がけている様子だった。つまり、優れたパイロットであり、人々を導く理想の軍人としての映画のイメージそのままのアスランザラでいることに。

「ルナマリア。俺は別任務に当たることになるが、君も来るかい?」




 ミネルヴァの開け放たれた小さなハッチから鋭角に朝日が飛び込んでくる。すでに照明を必要としないくらい、格納庫は明るくなっていた。床にいれば照り返しがきついだろうが、キャット・ウォークに乗っているシンには辛いものではなかった。
 ミネルヴァはすでに次の目的地に向かって航行していた。格納庫内にはパラスアテネに所属していたはずのインパルスガンダム3機の姿もあった。しかし、ルナマリアの姿はない。代わりと言えば慌ただしい様子で走り込んでくるヴィーノ・デュプレの姿があるだけである。

「シン、アスラン・ザラにかみついたって本当かよ!?」

「ヴィーノだってフィンブルを地球に落とせばいいなんて言ってたろ。ただそれと同じことしただけだ」

「でもよお……、相手はフェイスだぞ。どうすんだよ……?」

 シンは手すりに体重を預けてヴィーノの方を見ないようにしている様子だった。

「仕方がない、必要な犠牲だった……。そんな言葉、犠牲にされた人から聞いたことないんだよ。いつだって犠牲を強いてる奴の言い訳でしか聞かない!」

 この怒声はヴィーノの方へと吐き捨てられたものではなかった。それでもヴィーノは萎縮した様子で黙り込んでしまう。格納庫の作業の音からは遠い場所である。3人目の足音はシンの耳にも届いた。つい確認すると、レイ・ザ・バレルが近づいていた。

「お前といると退屈とは無縁だな、シン」

 どこか皮肉っぽいところは普段通りのレイである。この言葉に焦りを見せたのは、なぜかヴィーノの方だった。

「た、隊長はどっちの味方なんすか?」

「ヴィーノ、いい質問だな。俺はアスランとは旧知の仲であり、俺自身フェイスだ。そして、ザフト軍内で責任ある立場にいる」

 さらにヴィーノは慌てた様子を見せる。シンがレイにまで喧嘩をふっかける危険性が高まった、そう考えたのだろう。
 しかし、当のレイは構うことなくシンの横へ、同じように手すりに寄りかかった。

「アスランは焦りすぎなんだ。そうなったのはやはり2年前の大戦が切っ掛けだった。あいつは戦友を失い、大勢の人々が自分の目の前で為す術もなく死んでいく様を見てきた。自分が迷えばその間にも人が死んでいくと考えているんだ」

「そんなの……、言い訳ですよ!」

「そうだな。それは理由にはなっても正当性の根拠はならんだろう。だがな、シン。お前には、いや、俺たちにはそれを糾弾できる立場にはない。よく勘違いされることだが、軍の仕事は国民を守ることではなく、その国の現体制の維持に他ならない。所詮は権力者の駒に過ぎない。自国民でさえこれだ。他国民を守る義務などない」

「でも俺は……」

「ギルバート・デュランダルもラクス・クラインもそのつもりでザフトを動かすだろう。そしてお前は、ザフトだ。お前が命令に背けば俺はお前を撃たなければならなくなる」

 シンがザフト軍に入った理由は、突き詰めれば母を失ったことにある。しかし、そんな母を奪われた少年は、いつの間にか奪う側へと変わっていた。シンが思わず言葉を失ったのはそんなことに気づかされたからだろう。

「シン。俺はお前の味方ではないのだろうが、お前を斬る口実なんぞ手にしたところで俺には何の得もない。わかるな?」

 そうとだけ言い残し、レイはその場を離れた.残されたヴィーノは慌てた様子でシンの横に走りこんだ。

「な、なあ、シン! 俺は、お前のしたこと、俺は間違ってないと思うぞ……。隊長だってさ、立場上ああ言わないといけないってだけでさ……」

「……ヴィーノには意外にかもしれないけどな、俺、レイ隊長のことは信頼できると考えるようになったんだ。外人部隊にいた頃、正規軍はまともに支援要請に応じてなんかくれなかった。でも、隊長だけは、来てくれたから」




 巨大な黄金の胸像が2人の男女を見下ろしている。デュアル・センサーはカバー・レンズが割れ、内部のカメラが露出している。満身創痍。このたった一言で今のZZ-X300AAフォイエリヒガンダムの状態を表現することができてしまう。
 そのただれた黄金には女性の歪んだ姿が写っていた。厚手のシャツにタイト・スカート。艶めいた長い髪に化粧が上品に施された大人の女性はセレーネ・マクグリフ。すぐ隣は世界安全保障機構では赤道同盟の代表を務めるソル・リューネ・ランジュである。
 ソルはスーツ姿であり、この一組の男女は一見するとモビル・スーツとは無縁の2人のように思える。事実、ソルの方はどこか緊張した面持ちをしている。30にはなるというのにどこか子どもっぽさが抜けていないところが、このソルという男の魅力なのかもしれない。もっとも、世界安全保障機構ではそのせいか、十分な存在感を発揮できていない。

「これが世界最強のモビル・スーツなんだね、セレーネさん」

「全高約25m。重さ150t。大きさだけで通常のモビル・スーツの1.5倍、全身をアンチ・ビームコーティングで包んだ怪物ね。とても常人に扱える機体ではないわ」

「セレーネさんでも?」

「まともに動かすだけで一苦労よ。ファントム・ペインでも数えるほどでしょうね」

 そう、このセレーネはファントム・ペインの1人である。一見すると朗らかな女性であるが隙なく周囲の様子をうかがっていた。事実、近づく足音に気づいたのはセレーネの方であった。
 どこか現実離れした、絵画の中から颯爽と歩み出たような男が歩いてくる。その後ろには少女を2人引き連れている。まずセレーネに目配せすると、セレーネは微笑み返しておく。すると美青年は、エインセル・ハンターはソルの前へと歩み出た。

「ソル・リューネ・ランジュ代表。お目にかかれ光栄です。エインセル・ハンターと申します」

「初めまして。ご高名はかねがね。ジブリール代表とも保障機構の方で何度か会談の機会がありましたが、表舞台から退かれたことを惜しんでいた様子でした」

 続いてエインセルはセレーネと握手を交わす。

「エインセル、お久しぶりね。それにヒメノカリスも。少しは親離れできたかしら?」

 純白の衣装に身を包んだお人形の少女は、その愛らしい姿にまったくそぐわない険しい眼差しをセレーネへと向けている。

「お父様に近寄らないで」

 怖い怖い、セレーネがそういった様子でエインセルとの握手をとりやめてもまだ、ヒメノカリスはにらみ続けていた。そしてもう1人、エインセルのスーツの端を掴んだ少女の姿がある。ヒメノカリスほど攻撃的でないにしても、エインセルを誰かにとられてしまうことを恐れているようにも見える。

「その娘は新しい娘さん?」

「この子はステラ・ルーシェ。残念ですが詳しくは軍事機密に属します」

「あなたらしくないジョークね」

 ソルは別の違和感を感じていたらしい。

「セレーネさん、ハンター代表とお知り合いなんですか?」

「これでもファントム・ペインだもの。エインセルとはハワイ基地で会ったわ。それから7年もアタックし続けてるのに、まだいい返事がもらえてないの」

 その頃にはすでにエインセルは既婚者であった。セレーネがそれでも構わず口説き落とそうとする度、妻であるメリオル・ピスティスは親の仇でも見るような目でセレーネのことを見ていた。今のヒメノカリスのように。
「ねえ、ヒメノカリス、新しいお母さん、欲しくない?」

 当然、ヒメノカリスはその視線に殺気を含ませた。メリオルとヒメノカリス。この血の繋がらない母娘は、当人たちが考えている以上に似ているところがある。それがセレーネの印象である。

「あいかわらずいたいね。それじゃあ、そろそろ本題に入りましょうか?」

 エインセルは内ポケットから恭しく紙切れを取り出した。紙は四つ折りで、セレーネが開封すると簡単な説明が書かれ、記憶媒体がしまわれていた。

「フォイエリヒの修復をお願いしたいのです。そして、そのデータを一切残してもらいたくはありません」

「なるほど、軍事機密ね」

 説明を流し読みしたセレーネはふと少女、ステラ・ルーシェを見た。この金髪の少女は年の割に幼い印象で、怯えた小動物のようにエインセルの傍を離れようとしない。

「了解ね。もちろん一両日中とはいかないけど、できる限りお望み通りにするわ。それでいいでしょ、ソル?」

「ハンターさんの頼みを断ったなんて知れたらデュクロ将軍に殺されてしまうよ。ああ、エドモンド・デュクロ将軍はご存じですか? 南アメリカ合衆国の代表で、あなたの熱烈なファンですよ」

「面識はございませんが猛将としての名を聞き及んでいます」

 ここで、セレーネはふと窓の外を見た。照明の明るい光の中ではつい忘れがちになるが、外はすでに日が落ち暗くなりつつあった。夕日にかすかに見える光景は黒い森だ。複雑に伸びた枝が絡まり合い木々のシルエットを描いている。
 ここは赤道同盟、ボパール。魔王に仕える魔女が棲む森である。




 ボパール。
 そこは赤道同盟に位置し、大きな化学工場事故を引き起こしたことで知られている。工場のずさんな安全対策を原因として気化した化学物質が街に放たれ10000人以上が死亡したとされる事故の現場である。
 C.E.75年現在、事故からすでに200年以上が経過しながらも事故による汚染は土壌と、そして人の心を蝕み続けていた。いつしかこの土地は汚染された場所として認識され、それは事故から100年を過ぎた時に人々の感情を鈍化させていった。
 すでに不浄な土地である。人々は産業廃棄物をこの場所へ捨て始めた。あらゆる汚染物質が土壌を汚染し、さらに人はこの場所を汚すことに抵抗をなくしていく。
 開け放たれたままの容器が無造作に捨てられる。その口からは汚染物質が流れ出す。廃棄する手間を惜しんだ車がそのまま乗り捨てられた。
 重度の毒性を扱う化学工場が再び操業され、様々な処理工場が建造された。そこではあらゆる鉄と毒とが捨てられ、それは人々の無責任と強欲のたまり場となった。
 化学物質による便利な生活は欲しい。しかし、そのことで必然のように様々な毒物が乱される。どこか捨てる場所が必要になる。だが、それが自分の隣では嫌だ。そうして、人々の利便さと引き替えに打ち捨てられたあってはならない物はうずたかく積もっていく。
 この場所の土は黒い。絶えず汚染物質を含んだ水が流れ、無造作に積み上げられた廃棄物から伸びた鉄筋は枝のよう。
 ここはまるで森であった。悪魔が気まぐれに木々をもだえさせ、その挙げ句に水に毒を混ぜ木を鉄に変えてしまった。そうして作られた森のようだと。
 今、この場所は魔王として恐れられる男がいる。その男の名はエインセル・ハンター。かつてブルー・コスモスの代表としてプラントを恐怖に陥れた男である。プラントではこの男は悪の象徴として語られる。
 自分たちはただ平穏に暮らしたかっただけである。しかし、エインセル・ハンターにそそのかされたナチュラルたちが攻め込んでくる。だからこそ、戦うしかなかった。自分達は侵略の被害者である。
 フィンブルの落着の責任はプラントにはない。そもそもの責任は地球側にある。彼らが信頼にたる人物たちであったなら我々はこのような行動をとる必要がなかった。すべての責任はナチュラルにある。
 ジェネシスが地球を焼き払う直前に至ったことは事実である。だが、そうまでさせたのは誰だ。すべてはエインセル・ハンターに従ったお前たちに追い詰められて仕方なくしたことにすぎない。
 我々は平和を愛し、しかしそれを守るためにはあらゆる手段を辞さない。
 ここはボパール。人類の生み出したあらゆる毒がここにある。




 ザフト軍はピートリー級陸上戦艦まで動員しボパール侵攻を開始した。元々アフリカ戦線に使用されるはずであったキャタピラで移動する巨大戦車とも言うべき戦艦を3隻、モビル・スーツ部隊3個大隊に加え、ミネルヴァを含む大部隊である。軍事施設があるとは言え、一つの基地を襲撃するには大がかりである。
 それほど、プラントはエインセル・ハンターという存在を重視していた。いまだにブルー・コスモスを通じて多大な影響力を有すること以上に、多くの同胞をその手にかけた怨敵として。
 現在、ボパールでは黒雲が立ちこめ雨が降りしきっている。まるでこの世の終わりさえ想像させるような陰鬱で重たい雨である。それは鉄骨の枝を伝い、廃棄物の山の間をくぐり抜けていく中に毒を後に黒ずんでいく。それが汚染にまみれた土砂の上を這い、やがては支流となって川へと、海へと流れ出していくことになる。
 そんな鉄の森をピートリー級が鈍重ながら動きで進んでいく。あらゆる廃棄物が複雑な地形を作り出している場所である。ピートリー級がお上品に道を選んでいる余裕などない。キャタピラと呼ぶにはあまりに巨大な歯車が瓦礫の山を進んでいる。押し潰された残骸の甲高い音は断末魔の悲鳴だろうか。
 その周囲にはZGMF-1000ヅダの姿があった。こちらも雨に打たれながらもただ黙々と行軍を続けている。頭部を伝った雨が雫となってモノアイの前を通り過ぎる。土砂を踏みつける音、駆動音が重々しく雨音に混ざる。
 その様は聖地巡礼を志す敬虔な信者の行列さえ思わせた。
 それは決して間違ったたとえではない。ザフトにとってこの戦いはもはや信仰として相違ない。彼らは信じている。エインセル・ハンターさえ討ち取ることができたならこの戦いは終わるのだと。
 根拠はどこにもない。しかし誰かが言ったのだ。この戦いの責任はすべて敵にあると。そして、敵とはナチュラルであり、彼らをそそのかしたのはブルー・コスモス、その代表であったエインセル・ハンターなのだと。ゆえに、エインセル・ハンターさえいなくなればナチュラルは自らの過ちに気づくのだと。
 だからこそ、ザフトはエインセル・ハンターを目指すのだ。雨の中、一切の苦悶もなくひたむきに。




 ミネルヴァはエインセル・ハンターを追っていた。ブルー・コスモスの代表を務めたこの男はプラントにとって怨敵に他ならない。討ち取ることは悲願であり、ミネルヴァは友軍の陸上戦艦ピートリー級数隻とともにその潜伏先を目指していた。ミネルヴァはボーパール西側のアッパー湖から、ピートリー級は南側からの波状攻撃を仕掛けるのである。
 現在、ミネルヴァの格納庫では隊長であるレイ・ザ・バレルを中心に5名のパイロットが集まっていた。しかし、レイは演説の類いを好まない。簡単な最終確認を終えると、すぐにモビル・スーツに乗り込もうとした。
 そのことが、アスランの部隊から参加した3名のパイロットには不満に感じられたのだろう。そろってレイに詰め寄っている姿があった。
 その光景を、シンはインパルスのコクピットから眺めていた。盗み見しているつもりはないのだろう。単に作戦に備えて機体に乗り込んだところ、たまたま格納庫の一角に視線がよったにすぎないのだから。
 アスランの部下である3人を、シンはヒルダ、マーズ、ヘルベルトと聞いた。眼帯をつけた気の強そうな女性に柄の悪い男が2人、それがシンの印象である。レイとは10歳以上年上のはずだが、この隊長は普段と変わらない様子であしらっている様子である。特にリーダー格と思われるヒルダは遠くからでもわかるほど興奮した様子である。おそらく、人類の未来のためにエインセル・ハンターを倒さなければならない、あなたには正義感というものがないのか、そんなことをまくし立てているのだろうとシンは何の気なしに考えた。
 それはヴィーノも同じことだったようだ。モニターにヘルメットをかぶった少年の顔が映し出される。

「なあ、シン。レイ隊長のとこ、喧嘩売りに行かなくていいのか?」

「お前って、本当に素直な奴だよな」

 シンとしては皮肉まじりのつもりだったのだろうが、ヴィーノは素直に褒め言葉と受け取ったようだ。

「照れるって」

「まあいいけど。放っておけよ。別に隕石を地球に落とそうとしてる訳でもないしな」

「だから悪かったって、あの時は……。なあ、シン、地球ってどんなところなんだ?」

 ヴィーノがずいぶん神妙な顔になっている様子に、シンは以前もルナマリアに似たようなことを聞かれたことを思い出していた。プラント生まれの若者は一度も入隊するまで一度も地球に降りたことのないことも珍しくない。

「ああ、地獄のようなところだ。コーディネーターってだけで列車にすし詰めにされて強制収容所に運ばれて、裸にされてガス室に送りこまれるんだ。そして殺された人が身につけた貴金属が没収されるのはもちろんのことだけど、金歯や銀歯を引き抜いて死体の脂肪からは石鹸を作られるんだ」

「ほ、本当かよ!?」

「嘘に決まってるだろ」

 すると、ヴィーノはまるで漫画のような前のめりに上半身を倒した。俗に言うずっこけることを現実に表現しようとすればこのような形になるのだろう。

「別にヴィーノが考えてるほどひどいところじゃない。プラントに移住したコーディネーターが多いことも事実だし差別がないとは言わない。けど、意外と地球じゃ遺伝子操作が意識の上ることはないんだ。ほとんどの人にとって遺伝子操作なんて身近な話って訳じゃないからな。そういう意味でじゃプラントにいる時の方が自分がコーディネーターなんだってこと意識させられるな。俺だって、プラントに来たのは個人的な事情の方が大きいからな」

「個人的な事情って?」

「話したくないことだから個人的な話なんだよ」

「そっか」

 それだけ言うと、ヴィーノは思いの外あっさりと引き下がった。良くも悪くも深く考えない性格なのだと、シンも最近気づき始めている。
 まさか母親とのことを同僚に話す訳にはいかない。なにせ、シンはルナマリアにもまともに話したことはなかった。もっとも、以前の同僚はすでにここにはいない。アスラン・ザラのファンを公言する彼女にとって、憧れのアスランからの誘いに断る理由などなかったのだろう。
 しかし、別れの挨拶もなかったことがシンの心に妙なしこりを残していた。
 雨は降り続けている。



[32266] 第19話「片角の魔女」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:550c6d3c
Date: 2016/11/04 23:47
 現在の戦術において狙撃はまず加味されない。ある種の荷電粒子を飛ばすビームは収束率、減衰率の関係から長距離狙撃には向いていない。レーダー精度の著しい低下も接近戦への移行を助長した。ビーム・ライフルは精度よりも扱い易さが優先された。また、その高い攻撃力の恩恵を受けるため、モビル・スーツはことごとくビーム・ライフルを装備するに至った。
 ビーム・ライフルという装備の存在が会敵距離を著しく縮め、レーダー性能の不安定化はそれを助長した。
 戦術から狙撃という概念が廃れようとしていた。
 ドッペンホルン・ストライカーという火器がある。現代では珍しい実弾銃器であり、それは妥協の産物であった。ミノフスキー・クラフトを搭載したバック・パックの爆発的普及はモビル・スーツの急速な世代交代を招いた。ミノフスキー・クラフトを搭載しないモビル・スーツは旧型に追いやられ、ストライクダガーもその中に含まれる。ストライカーは急遽バッテリー内蔵型のものが新造され、ストライクダガーは辛うじてミノフスキー・クラフトを身につける出力を得た。バッテリーの容量の関係上、大型ビーム砲を使用することはできず、火薬式の実弾を用いるほかなかった。
 ドッペンホルン・ストライカーは妥協の産物である。
 バッテリーの不足からビームを使用できず、新型モビル・スーツの量産も遅れていた。すでに旧式に追いやられた機体と、技術革新に追いやられた枯れた技術。
 しかし、実弾を用いる大型砲には一つの利点があった。砲身はモビル・スーツの頭頂と同程度と長く、集弾率が高い。実弾である以上、ビームのように粒子の拡散による急速な威力の減衰もない。
 雨が降り止まないボパールの空を、雨を弾き飛ばしながら一発の弾丸が飛翔した。それは音速を超える。目標となった者が発射音を聞くのは着弾、つまり撃たれた後である。
 ザフト軍ピートリー級陸上戦艦はその大きなキャタピラーで残骸の山と鉄骨の木々でできた森を突き進んでいた。その時のことだ。たった一発の弾丸がキャタピラーの接合部分を正確に撃ち抜いた。破断するキャタピラーによって、ピートリー級は片足を失ったも同然である。その進路は大きく右に逸れ、そのまま一際うずたかく積もった残骸へと衝突する。
 敵襲である。
 周囲のヅダたちが即座に周囲の警戒を開始する。ライフルを構え、それぞれが互い互いの方向へ目を向ける。
 しかし、これは何の意味もなかった。すぐに弾着と発射音の落差から発射地点、その距離が測定されたからだ。それは、1km以上離れた位置であった。
 ありえない。そう、ザフト軍は浮き足立つ。ビームでそのような遠距離攻撃などできない。レーダーが不十分な現在、では目視で狙撃に必要なすべての情報を集めたというのだろうか。そんなこと、ありえないはずなのだ。
 ではこれをどう説明しようか。1機のヅダ、その腹部を撃ち抜かれ血液の代わりに残骸をまき散らしながら倒れたのだ。やはり、発射地点は数km先と計測される。
 もはや疑っている余裕はなかった。ヅダは一斉に散開し、敵に狙いを絞らせまいと動きまわる。ピートリー級は必死に残骸から抜け出そうとそのキャタピラーをめまぐるしく回転させる。
 戦闘が予想される距離にはまだ到達していなかったが、すでに戦いは始まっていたのである。




 ザフト軍から離れた残骸の上に、黒塗りのストライクダガーがあった。
 それは通常の機体とはその色合いの他にもいくつもの点で異なっている。左腕に大型のシールドを保持していることも目を引くが、何より、そのバック・パックに特徴があった。2本角を意味するドッペンホルン・ストライカーは本来、左右一対2門の主砲を備えている。しかし、このストライクダガーに限っては右側にしか砲身がない。
 三度、片角が火を噴いた。
 雨水を吹き飛ばしながら砲弾が突き進み、数km先のヅダの腕を吹き飛ばした。
 通信が飛び交う。

「狙われてる! 敵だ、狙撃だぁ!」

「馬鹿を言うな! 狙撃なんていまさら狙撃なんて……!」

「ありえない。ありえないぃ!」

 ザフト軍にとってありえない出来事に見舞われていた。まるで、魔法にでもかけられたかのように。
 狙撃に特化するため、ドッペンホルン・ストライカーの左の砲身を取り外した。重たいシールドは重心を機体中心に保つためでもある。ゆえに片角と呼ばれる。
 実弾を用いることでビームにはできない遠距離の攻撃を可能とする。それはもはや迷信のように語られる狙撃である。それはもはや魔法のよう。
 よって、この狙撃を成し遂げたセレーネ・マクグリフは異名で呼ばれる。片角の魔女と。
 次のどれを狙い撃とうか。そう、セレーネ・マクグリフは獲物を弄ぶ。




 ミネルヴァの格納庫には警報音が鳴り響く。
 別の方角から進行中であった友軍が敵の攻撃を受けたのだ。それも狙撃されたらしいとの情報に、パイロットたちは一様に浮き足立った様子を見せていた。敵が一気に正体不明になってしまったからだ。従来の地球製モビル・スーツでは実行できないはずである。ならば新型機の可能性も捨てきれない。
 すでにピートリー級の中には足を奪われ集中攻撃を浴びているものもあるらしい。
 出遅れを取り戻そうとインパルスガンダムたちがカタパルトへと向けて歩き出していた。それにも構わず、レイ・ザ・バレルは各機へと通信と飛ばしていた。

「不確かな情報だが、敵は狙撃を行ったらしい。詳しい説明をしている時間はないが、このガンダムの時代において非常に不可解な戦法だ。どのような機体を使ったにしろ簡単なことではないだろう。また、狙撃がされた回数もどうやら限定されているようだ」

 ヒルダが通信越しに急かす。

「つまりどういうことですか? 無駄話を聞いている余裕はありません」

「ボパールにはセレーネ・マクグリフというファントム・ペインがいるらしい。この狙撃はおそらく、片角の魔女の異名をとるこの女性の仕業だろう。この1人を仕留めることができれば相手の攻撃力を大きくそぎおとすことができるはずだ」

 次に返事をしたのはヒルダの同僚であるヘルベルトとマーズである。

「つまり大将首を挙げろってことだろ」

「大事の前の小事。とっとと片付けましょうや」

 そうして、ヒルダをはじめとする3機のインパルスガンダムが出撃していった。
 続いてシンもまた自機をカタパルトへと移動させた。他のパイロットたちがフォース・シルエットを装備する中、1人だけ2本の大剣を背負ったソード・シルエットである。汎用性に優れたフォース・シルエットで大概のことはこなしてしまうため、インパルス乗りは自然とフォース・シルエットしか使わなくなる。そんなことを、シンは正規軍と行動を共にするようになってようやく耳にし始めていた。少なくとも、ここには5機のインパルスガンダムがいるが、ソード・シルエットを使用するのはシンだけだった。




 空を覆う黒雲。降りしきる豪雨の中、戦いは始まった。
 片角の魔女、セレーネ・マクグリフを討ち取る。それがザフト軍の目標として設定された。赤道同盟軍に所属するファントム・ペインの攻撃は継続しており、ピートリー級陸上戦艦が砲撃にさらされている。これ以上、狙撃を許せばザフト軍は貴重な戦艦を失うことになる。
 地球侵攻を再開したザフトにとって、陸上戦艦を失うことは今後の展望に影響する大事と言えた。
 よって、片角の魔女を討ち取ることは急務であった。
 ヅダが鉄の森を突き進む。狙撃を恐れ飛行は控えられた。鉄筋の枝の間を滑るように移動し、汚染された泥と水とを吹き飛ばしていく。
 そんな中、1機のヅダがストライクダガーをその視界に捉えた。雨を浴びる漆黒の機体が瓦礫の山の上に鎮座している。ドッペンホルン・ストライカーが片方だけの明らかなカスタム機である。
 その姿は片角の魔女に違いなかった。
 ヅダは襲いかかる。ブレイズ・ウィザードの多数のミサイルさえ内臓している大型バック・パックが雨を弾きながら輝きを増し、その鋼鉄の機体を宙へと舞い上がらせた。ストライクダガーの頭上をとるとともに放たれるビーム・ライフル。降雨とは言えその程度で減衰するほどビームの出力は甘いものではない。たやすく瓦礫の山を巨大な爆発で吹き飛ばす。
 しかし、片角の魔女は逃れていた。爆発の中から何かが飛び出して来たと思うと、それは砲撃をヅダへと打ち上げた。ビーム・ライフルが破壊されるが、ヅダのパイロットは思い切りよくライフルの残骸を投げ捨てると肩のシールドに内蔵されたビーム・アックスを手に急降下を仕掛ける。
 激突する2機のモビル・スーツ。ビーム・アックスはストライクダガーの大型シールドに防がれ、触れた雨をことごとく蒸発させる。
 ストライクダガーが押し返すと、ヅダが飛び退くように両機は離れた。しかしヅダはすぐに攻撃に戻るつもりでいた。目の前には片角の魔女がいる。仕留めることさえできたならエインセル・ハンターののど元に刃を突き立てることができるのだ。
 ザフトのパイロットたちの士気は高い。
 そんな光景が、この毒と鉄の森の中、至る所で繰り広げられていた。
 別のヅダが片角の魔女と戦っていた。鉄筋の森の中、木々を挟んでビームを撃ち合っていた。
 また別の場所では、2機のヅダが片角の魔女を追っていた。鉄の森の中を縫って加速するストライクダガーを上空から追いながらビームを降らせ続けていた。
 さらに別の場所では2人の片角の魔女がそのドッペンホルン・ストライカーによる集中砲撃でヅダを引き裂いていた。
 ザフト軍が今、この森で何が起きているのかを把握するまでに時間はかからなかった。片角の魔女、その乗機がストライクダガーのカスタム機であることは間違いなかった。また、それが片方の砲身を除外した漆黒のストライクダガーであるという認識もすべて正しい。
 ミネルヴァのブリッジでは通信を担当するクルーが情報を把握仕切れず要領を得ない報告を繰り返していた。片角の魔女の位置が報告の数秒後にはそこから数km離れた地点に移動したかと思えば、複数箇所が同時に報告に上がることもあった。
 艦長であるタリア・グラディスは普段見せないほど焦りを見せていた。妙齢の女性として、部下に悪く言えば舐められぬよう毅然とした態度を崩さない彼女にしては珍しいことである。

「情報が錯綜している……?」

 戦場においてそれは珍しいことではない。パイロットたちは必死に戦っている。その心理状態の中で正確な情報を伝えることは難しいからだ。しかし、この状況は異常と言えた。極限状態では説明しきれないほどの混乱ぶりなのである。
 タリアは軍帽をかぶり直した。この行為そのものに大した意味はない。ただ、混乱し、艦長からの命令を待つクルーたちに応えるまでの時間を稼いだだけなのだから。そのわずかな間に、タリアはその状況を素直に受け入れることにした。

「これほど情報が混乱することはあり得ません。すなわち、報告はことごとく正しいことを前提に判断する必要があります。つまり……」

 ここで、タリアは一度自分の考えを見つめ直すための一呼吸を置いた。

「片角の魔女は1人ではないと考えます。正確には、あれほど高度な狙撃能力を持つ者はセレーネ・マクグリフただ1人なのでしょう。しかし、同じ機体を複数そろえることでその正確な位置を隠し狙いを絞らせないようにしていると考えます」

 そう、片角の魔女は1人ではないのだ。
 魔女の呪いは、解けてしまえば呆気ないものだった。クルーたちは明らかに表情から錯乱した様子が消え、その職務に戻っていった。
 しかし、当のタリアの顔色は優れない。理解していたからだ。まだ、魔女の魔法は解けていないのだと。
 仮にタリアの推測が正しいとして、しかしセレーネ・マクグリフの正確な場所はわからないのだ。いや、把握することはできるだろう。だが、ザフトにはそのことを認識することができない。最後の1人を倒すまで、魔女の死を確認することはできないのである。
 事実、情報に惑わされたモビル・スーツ部隊は鉄の森の至る所に拡散し、組織だった部隊行動を行うことができなくなっている。加えて、片角の魔女の狙撃は続いていた。ピートリー級のキャタピラーを集中的に狙っているのだ。機動力を削がれた陸上戦艦であれば、狙撃するほどの能力がなかったとしても十分に狙うことができる。すべてのセレーネ・マクグリフがピートリー級を狙うのである。
 ここで陸上戦艦を失うことはザフト地上軍にとって大きな損失を意味する。しかし、ここにエインセル・ハンターがいる以上、撤退はあり得ない。長期戦を強いられ、そして、戦いが長引けば長引くほどピートリー級は失われていく。
 ザフトは毒と鉄の森の中、魔女の術中にはまっていたのである。




 魔女は1人ではない。そう、情報が共有されたところで、戦況はザフト有意に傾くことはなかった。それどころか目の前の魔女がセレーネ・マクグリフではないかもしれないという意識が、パイロットたちを浮き足立たせていた。
 ヅダが片角の魔女の左腕を撃ち抜いた。これで魔女は盾を失った。
 しかし、その時のことだ。また新たな狙撃が行われたと通信が入った。目の前の魔女は砲撃を行っていなかった。つまり魔女ではない。
 そんな失意とも、他の魔女へ意識が奪われたとも言える一瞬の注意の散漫があった。その一瞬が、そのパイロットからすべてを奪った。ドッペンホルン・ストライカーが火を噴いたのである。ビームとは異なる実弾の持つ運動エネルギーがモビル・スーツの装甲に衝突する衝撃は雨を散らせながらその力の大きさを見せつけた。
 ヅダは、その脇腹が完全に欠損しそのまま瓦礫の山に叩きつけられる。モノアイから輝きが消え、雨が打ち付ける。
 コクピットは凄惨たる有様であった。破壊されたハッチから泥水が大量に入り込み、何十年も放置されていたかのような様相を作り出していた。モニター入り込んだ泥が画像を大きく歪ませていた。
 そこに、緑のノーマル・スーツを身につけたパイロットが下半身をすでに泥水に浸していた。フェイス・ガードは汚れその顔をうかがうことはできない。外側は泥で汚れ、内部は血が張り付いているためだ。その手が、血まみれの手が震えながら顔の前へと上げられる。

「この血が……、エインセル・ハンターのもので……、あったなら……」

 この呪詛と引き替えに、魔女は1つの魂を受け取った。
 事切れたパイロット。それを乗せたままのヅダが屍の山に疲れきった戦士のように背中を預けて動かない。
 空では、黒い雲がいつまでも晴れることがない。




 魔法の正体が判明したことで、ザフト軍は理解した。自分達が混乱していると自覚したのだ。
 ヴィーノ・デュプレはインパルスガンダムで森の上空を飛び回っていた。文字通り、ただ飛びながら同じような場所を回っているのである。

「なんだよこれ!? 魔女ばっかじゃん!」

 特に広い範囲を見下ろしているヴィーノには、その範囲の中に少なくとも7人の魔女を確認していた。その魔女の中から狙われる度、ヴィーノは慌てた様子で機体を逃げさせた。
 同じ部隊であるはずのシンやレイとはすでに別行動になっている。魔女の姿を追う中、森の深く深くへと誘導された。その結果、いつの間にか仲間とはぐれていたのである。
 その頃、レイ・ザ・バレルは自機であるローゼンクリスタルを戦場の中心地から離れた地点にたたずませていた。直属の部下であるシン、ヴィーノとはすでに分断されている。アスラン・ザラから預かった3人のパイロットはレイの指示を受けるつもりはなかったと思われ、レイもまた彼らの指揮を執るつもりなどなかった。

「雨とはな。これではローゼンクリスタルの性能は発揮できんな」

 ここで、レイはその端正な口元を歪ませた。果たして晴れていたなら、ローゼンクリスタルが十分に戦うことができたなら積極的に戦いに乗り出したかと言えば疑わしいことを自覚したからだ。
 ローゼンクリスタルは純白のガンダムである。その体には黄金のラインが走り、背負う大型のリングはまるで後光を背負っているかのような印象さえ与える。その力がひとたび発揮されれば虚空に突如、ビームを発生させることが可能となる。
 しかし雨の中、ローゼンクリスタルはただ全身を輝かせたたずむだけであった。




 魔王を打ち倒さんと舞い降りた天空の騎士達が魔女と鉄の森で戦いを繰り広げている。
 そんな中、風変わりな戦いが行われていた。
 ザフト軍のガンダム・タイプであるインパルスガンダムと、地球軍の最新鋭機であるウィンダムによる空中での白兵戦である。
 インパルスのパイロットはシンだった。2本の大剣を振り回し、雨を水蒸気に変えながら敵ウィンダムへと斬りかかる。対し、ウィンダムはビーム・サーベルとシールドでその猛攻をしのいでいた。
 シンにはこのウィンダムがカーペンタリア基地での攻防戦で自分をこともなげに撃墜した機体だと理解していた。白く染まったカスタム機だったからだ。
 しかし、両者の戦いは伯仲し、2機は幾度となく切り結んでいた。
 残念ながらシンがこの短期間で急成長したのではない。機体は同じでもパイロットが異なっているのだ。

「翠星石には悪いけど、こいつは、あいつじゃない!」

 シミュレーターで幾度となくエインセル・ハンターと戦わせてくれた緑の少女のことを思い出しながら、シンは同時に意識を加速させようと努めていた。
 ウィンダムの攻撃が来たなら、まず跳び上がってかわす、と思いきや即座に剣を振り下ろし、攻撃が命中したことを確認することもなくもう1本の剣をなぎ払いウィンダムを切断する。そう、予定を組み上げる。
 そして、ウィンダムがビーム・サーベルによる突きを繰り出した時、シンはインパルスを浮かび上がらせる操縦のすぐ後に剣撃を一撃、二撃と流れるような仕草で行った。しかし、敵もまた、シンと同等の速さで一撃目をかわすと、二撃目はシールドを強引にぶつけることで防いだ。

「こいつも意識の加速ができるのかよ!?」

 速さでは互角ということになる。
 シールドに食い込んだ大剣は膨大な熱量で盾を融解させながら食い込んでいく。無論、このまま両断させてもらえるほど生半可な相手ではなかった。ウィンダムはシールドを強引にひねるとそのまま投げ捨てた。突然のことに反応が間に合わなかったシンは、大剣を1本、絡め取られる形で捨てさせられた。
 そう、認識した時には、インパルスのコクピットを激しい衝撃が襲っていた。ウィンダムの体当たりをまともにくらったのである。相手はシンが予測を立てた数手先を文字通り行っていたのである。
 70tにも及ぶ鉄の塊が衝突してきたのだ。インパルスはシンに声を上げさせる余裕を持たせないほど激しく揺さぶられ、大きく高度を落としていく。シンは操縦桿を握り、必死に機体の体勢を整えようとしていた。
 しかし、意識の加速が疎かになっていた。
 敵は既に次の行動に移っていたのである。上空からミノフスキー・クラフトの加速を頼りに急降下すると、インパルスに強烈な蹴りを食らわせた。
 再び空から振り落とされていくインパルスガンダム。バック・パックがミノフスキー・クラフトの出力増大に比例して輝きを増し、シンは足を下に鉄の森の泥の地面に轍を刻みながら辛うじて着地を成功させた。落下も同然の無理な着陸にインパルスはフレームが軋み、損傷を知らせる警告が全身から発せられていた。
 だが今は戦闘中である。シンはすぐにつぎの行動に移ろうと敵の位置を確認しようとした。そのこの自体が、すでに敵に遅れをとったことを意味していた。敵はすでに次の行動に移っていたからである。
 モニター一面にモビル・スーツの手が映し出されていた。
 コクピットを握りつぶされるのかと思わず身震いするシンだが、モニターに映し出されている映像はモビル・スーツの頭部に搭載されているメイン・カメラのものである。ウィンダムはインパルスの頭部へと手を伸ばしているのだ。
 そして、ウィンダムは着地の状態のまま、中腰のインパルスの頭部を掴んだ。

「何がしたいんだ、こいつ……?」

 シンがこう考えたことも無理はない。いくらモビル・スーツといえども素手で機体を引き裂くことはできない。しかし攻撃以外にも相手に触れる意味があることを、シンはすぐに思い出した。
 接触通信がある。モビル・スーツの装甲の振動を利用した極めて限定的な通信方法である。
 冷めた少女の声が聞こえてきたのは、すぐのことだった。

「聞こえる? あなたはシン・アスカでしょ?」

 シンにはこの声に聞き覚えがあった。たった一度出会っただけの相手の声によく似ていた。

「ヒメノカリスなのか……?」

 オーブで献花台の前で出会った少女のことを、シンはその純白のドレス姿とともに思い出していた。その鮮やかな桃色の髪とも相まって人形とも、どこかの姫君のようにも思えた少女の、不釣り合いなほどに冷淡な表情が記憶に焼き付いていた。

「シン・アスカ、あなたのことを調べた。オーブ出身のザフト軍パイロット。母はマユ・アスカ。フィンブル落着の際にはミネルヴァ所属の部隊として参加した。そうでしょう?」

「エインセル・ハンターの娘であるここにいるなら、やっぱりエインセル・ハンターはここにいるんだな?」

「確認させて、シン・アスカ。スティングを殺したのは、あなた?」

 シンは同じように口の中が乾く感覚を味わいながら、記憶を甦らせていた。ヒメノカリスが話していた。弟も言える人を戦いで亡くしたのだと。シンは自分こそが仇だと考えながらそれを明かすことはできないでいた。
 ウィンダムが掴む腕に力をこめ、そのことで跪いた姿勢のインパルスがさらに体を深く沈ませることとなった。

「答えなさい、シン・アスカ」

「そのスティングて人が、緑のイクシードに乗ってたなら……、間違いない。俺が殺したことになる」

「あの時、私はあなたにお父様が仇だと明かした。あなたはどうして明かさなかったの?」

「俺が殺したって確信がもてなかったし、それに、……俺に責任を負う資格があるのかわからなかった。別に言い訳するつもりなんてない。でも、あの時の俺はおかしかった。まるで、夢でも見てたみたいに意識が曖昧で、いつの間にか殺してたんだ……」

 こんな言い訳染みた理由が果たして通じるのか、シンとて自信はなかったことだろう。しかし、ヒメノカリスは意外なほど冷静な様子であった。姿は見えないが声に怒りだとか激昂を感じ取ることはできない。

「これで、あなたは私たちの仇になった。あなたがお父様を殺そうとするように、私もああなたを殺そうとできる。違う?」

「そうかも……、しれない」

「まだお父様を狙うつもり?」

「あいつは、母さんを殺したんだ!?」

「あなたの母親に、あなたに仇ととてもらうほどの資格があるの?」

 シンは心臓をつかまれたような不快感とともに一気に鼓動が早まったことを自覚した。そんなシンのことを構わず、ヒメノカリスは抑揚のない声で言葉を重ね続ける。

「マユ・アスカは1人であなたを産んだ。結婚歴も離婚歴もない。だってそうでしょう。あなたに父親はいない。あなたは、精子バンクで販売されていた精子の人工授精で生まれたから。マユ・アスカは大金を支払って優れた遺伝子を手に入れて、そして調整まで施してあなたをコーディネーターとして産んだ。教育熱心だったんでしょう? 実際、あなたは成績優秀だった。お母様は褒めてくれた? テストで満点をとれた時、かけっこで一番になれた時?」

 シンは途中からヒメノカリスの声が耳に入らなくなっていた。4年前に亡くした母のことを思い出しながら、しかしその耳は確かに純白の少女の口から漏れたある言葉を聞き逃すことはなかった。

「あなたのお母様はあなたを愛してたの? それとも、優れた子どもだったらあなたでなくてもよかったの?」

「お前に!」

 シンは思わず叫んでいた。

「お前に何がわかる! 俺と母さんの何が!」

「あなたにはわかるの! 私とお父様のことが!」

 モビル・スーツ2機分の装甲を介して、2人の少年少女はその思いを真っ向からぶつけ合った。
 外では雨音が激しい。周囲の戦闘も激化の一途をたどっている。しかし、コクピットの中は静謐の一言に尽きた。思わず声を張り上げたシンの荒い息づかいだけがインパルスの中には響いていた。
 戦いは遠く、雨は兵器によって阻まれる。シンが乗る、戦争の道具によって。

「私はお父様が愛しい。だから奪わせない。誰にも」

 父を思う少女が見せたのは意外な行動だと言えた。

「シン・アスカ。お父様はあなたに興味を持ってる。それはなぜ?」

 ウィンダムが手を放し、インパルスを置いて歩き始めた。弟の仇を前にすることには思えない。それ以前に、ヒメノカリスは尋ねておきながらシンに答えるだけの間を与えることもなかった。
 最初からシンが答えを知っているはずがないと高をくくっていたのだろう。あるいは、答えを聞くつもりもなかったのかもしれない。
 まだ整いきらない呼吸のまま、シンはモニターに映るウィンダムの背中を見ていた。それが少しずつ遠ざかる中、シンは少女の名を呼んでいた。

「ヒメノカリス……」

 このことにどんな意味が込められていたのかさえ、今のシンにわからないでいた。自分の気持ちさえ、理解しきれないでいた。



[32266] 第20話「次の戦いのために」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:550c6d3c
Date: 2016/12/18 12:07
 廃材が枝をなし、土には毒。鉄と毒の森は成長し続けていた。
 スラッシュ・ウィザードを装備したヅダの戦斧がストライクダガーの腕を切り落とす。すると、その腕はすぐに周囲の残骸と混ざり合い区別ができなくなる。新たな枝が生えたのだ。
 片角の魔女を追いかけるヅダが、まったく別の方角から飛来した弾丸によってその腹を食い破られた。制御を失ったヅダは残骸に激突するとともに森の木となる。
 降りしきる雨の中、太陽を遮る分厚い黒雲の下、戦いは続いていた。
 ここは、そんな戦場から目と鼻の先、しかし雨に降られることもなく照明が明るい。ボパールの格納庫の一つに、エインセル・ハンターの姿があった。つまりこの場所がザフト軍にとっての目標地点となる。
 エインセルはステラ・ルーシェを連れたまま、まもなく出発しようとしている小型シャトルに乗り込もうとしていた。そんな青薔薇の魔王に声をかけたのはソル・リュ-ネ・ランジュである。

「エインセル代表。あなたに出会えたなら聞いてみたいことがあると常々考えていました。あなたは冷静です。私などいつ敵が飛び込んでくるかと思うと正直、落ち着きません。でも、あなたは違います。現在も、そして、かつての大戦においてもです。その胆力は一体どこからくるのでしょう?」

 エインセルは立ち止まり、振り返る。

「それは単純なことです。私は死を恐れません。しかしそれは勇気ではなく手段なのです。私たちの目的に、私たちの命は含まれません」

「つまり、どういうことでしょう……?」

「生きたい、そんな欲求に乏しいのです。お金に執着しない人が、財産を失うことを恐れることはないでしょう。それと何ら変わりません」

 突然、格納庫の天井が震えた。遠くでモビル・スーツが爆発でもしたのだろう。この音にソルは不安げに天井を見上げたが、すぐに視線をエインセルへと戻した。

「では、あなた方の目的とは、どのようなことなのでしょうか?」

「世界が良き方向へと進むことを願うことです」

「それは私も同じです。さすがに議事録まではごらんになっていないと思いますが、私は安全保障機構では急進的な立場にいます。赤道同盟はウィンブル落着によって多くの犠牲を出しました。そのことを許すことはできません。プラントの体制を改めさせるためには何だってする覚悟です。しかし、それでも死を恐れてしまうのは未練なのでしょうか?」

「それは違います。仮にあなたが命を落としたとして、果たして世界の利益になるでしょうか?」

「ならないと、願っています……」

「ではあなたは生きることがより良き世界のためになります。あなたは死を恐れなければなりません」

 これで質問には十分に答えたと考えたのだろう。エインセルは再び振り向き、シャトルへと歩き出そうとする。

「あなたの死は……、世界が正しい選択をするために必要なのですか……?」

 この質問に、エインセルは答えることはなかった。しかし、タラップに足をかけた時、ただ一つだけ、エインセルは言い残した。

「ソル代表。私は死にません。私を殺せるのは敵であって敵ではない者であり、復讐者にして復讐者ではない者であって、何より愛を知る者でなければならないからです」




 ヒルダはザフト軍に所属する女性パイロットであり、周囲からはタカ派として周囲に認知されている。3年前の大戦で姉を亡くした。しかし、彼女が地球に対して強い敵愾心を見せることは以前からのことで、姉の死は理由の一つにすぎなかった。すでに20代後半である彼女は俗に言うユニウス・セブン世代ではない。しかし彼女の両親はプラントに理想郷を見いだし移住を決めた最初の世代の人々であり、子どもを当然のようにコーディネーターとして生み、プラントこそが世界のあるべき形なのだと娘達をはぐくんだ。
 プラントで生まれ育ったヒルダは地球のことを知らない。くだらない場所だと見限って移住を決めた両親の話からそこがどんなところであったのかを聞かされた。無論、どのような話も最後にはくだらない場所だったと片付けられた。
 そんな彼女が国粋主義的で、ナチュラルをコーディネーターの出来損ないと信じるようになったのは当然の成り行きだと言えよう。
 ヒルダは愛機であるインパルスガンダムのコクピットでその眼光を険しくしていた。
 無知なナチュラルはエインセル・ハンターによって扇動されているにすぎない。そんな理屈はこのパイロットの心にはひどくわかりやすく、ゆえにヒルダはそうと信じられた。
 今日、この日に戦いは終わるのだ。ザフトの精鋭、その誰か1人でもエインセル・ハンターの心臓に一撃見舞えばいい。ただそれだけのことなのだから。
 片角の魔女の魔術に翻弄されながらも、ヒルダは仲間達と全身に雨を浴びながら歩み続けていた。
 乗機であるインパルスガンダムのビーム・サーベルがストライクダガーの1機のコクピットを刺し貫いた。蹴り倒すまでもなく仰向けに倒れたストライクダガーを見下ろしながら、ヒルダはこれが片角の魔女であることを願った。
 しかし、すぐにピートリー級陸上戦艦が狙撃されたことが通信で伝えられると、ヒルダは思わず目の前の残骸へとビーム・サーベルを突き立てた。

「どこだ!? どこにいる!?」

 片角の魔女を倒さなければエインセルのもとにたどり着くことはできないそのことをヒルダは理解していた。だがその理解力を持ってしても、自分が激昂していることを把握しきれてはいなかった。
 さらに通信があったのだ。エインセル・ハンターがシャトルで脱出しようとしている。そんな怪情報がザフト軍の間でまことしやかに囁かれていた。

「ヒルベルト、この情報は確かなのか?」

 モニターに映る同僚は、そのひげ面を曖昧な様子で傾けただけだった。

「俺に聞くな。だが、情報は妙に詳細だ。もしかしたら内通者でもいるのかもしれんな」

 ヒルベルトの言葉通り、シャトルの出発予定時間およびその経路まで通信内容に含まれていた。それは奇しくも、ヒルダの位置から遠くない場所であった。
 今向かえば間に合う。ヒルダの決断は早かった。冷静に他の選択肢を考慮するだけの冷静さを欠いていたのだ。

「私はこれからエインセル・ハンターを追う!」

「危険すぎる。せめて俺たちが到着するまで待て」

「時間がない!」

 フォース・シルエットがより強く輝き始め、インパルスガンダムが雨を弾き飛ばしながら急上昇していく。それと時を同じくしてボパールから1機のシャトルが飛び出した。急速に速度と高度を上げてくシャトルに、ヒルダは肉薄しようとするも航空力学を無視した形状のモビル・スーツでシャトルに追いつくことは難しい。次第に引き離されていく。
 出力を上げる。ただ出力を上げる。ヒルダは無駄とはわかりながらもレバーをありったけの力で押し切ろうとした。その顔は、餓えた獣が獲物を追いかける様にも思えた。
 そんな彼女の執念が実ったのだろうか。インパルスのカメラがシャトルの窓を捉えた。金髪碧眼の男の姿を写し取った。

「……!」

 すぐには声が声にならなかった。ただ、言葉の出来損ないが息となってこぼれただけだ。

「エインセル……! エインセル・ハンターは! あのシャトルにいる!」

 この言葉は通信を介してザフト兵にまたたく間に伝わった。しかし、今のヒルダにとってそんなことはどうでもよいことだと言えた。平和の敵、殺戮者、プラントの悲願が目の前に転がっている。ただその執念だけがヒルダを突き動かしていた。
 これですべてが終わる。たった一発、ビームを撃ち込めば戦争は終わるのだ。
 限界速度を迎えつつあるインパルスはその全身を軋ませていた。しかし、主であるヒルダの命に従い、どこかぎくしゃくとした動きながらもビーム・ライフルをシャトルへと向ける。
 ヒルダは引き金を引き、放たれたビームはシャトルを貫いた。その一瞬前に致死的な衝撃が襲いかかることがなかったなら。
 エインセル・ハンターが炎の中に消える光景は、ヒルダの夢にすぎなかった。
 片角の魔女は魔王への不躾な謁見を許すことはなかったのである。鉄の森のどこからから飛来した弾丸がインパルスを正確に捉えた。フェイズシフト・アーマーを実弾で貫通することは難しい。事実、ヒルダのインパルスは強烈な輝きを放ちながらも原形こそ保っていた。
 だが、高機動中に質量弾の直撃を受けて姿勢を制御できるはずもない。黒雲から降りしきる雨の中、インパルスが落ちていく。フィズシフト・アーマーの放つ強い光を放ちながら。
 戦場に不釣り合いなまばゆい光が落ちていく。そこへ、森の至るところからビームの光が立ち上り、命中する度にミノフスキー粒子が光の瞬き、それが絶え間なく連鎖する。九度となく光の粒子をまき散らしながら咲き乱れる花火は、それが消えた時、インパルスの姿をどこからも隠してしまっていた。
 そして、魔王は手の届かない遙かな高みへと消えていった。
 もはやこれ以上の戦いは意味をもたない。戦意を喪失したザフト軍は次第に攻撃の手を緩め、片角の魔女もまた追撃を加えようとはしなかった。火が雨に次第に鎮められていくように静かに戦いは終わったのである。
 戦果はザフトの敗北であろう、おそらくは。
 ザフトは戦いが終わった現在でさえ、自分達が何と戦っていたのか確信が持てないでいた。片角の魔女と戦ったはずである。では、魔女を倒すことができたのか、それとも、まだ鉄の森の奥深くで、旅人が迷い込むことを舌なめずりして待ち構えているのだろうか。
 ザフトは自分達が何をしたのかさえ理解できないでいた。
 しかし、失ったものは確かだった。エインセル・ハンターを倒す千載一遇の機会を失し、多くのモビル・スーツとともに貴重なピートリー級までも失う羽目となった。
 鉄の森は、死者の魂を糧に成長を続けている。




 ザフト軍の敗北、それ自体がニュースとなることはなかった。少なくとも、オーブ首長国のカガリ・ユラ・アスハはそんな戦いのことを耳にしてはいなかった。多くの書物が置かれながらも整理の行き届いた部屋、ただこれだけでカガリの部屋でないことがわかる室内で壁掛けのモニターの前で難しい顔をしていた。
 それはユウナ・ロマ・セイランが開いたままのドアをノックした時も同じ顔だった。

「どうしたんだい? 金糸雀をほったらかしにしてまでそんな難しい顔して?」

 ユウナの手には黄色のドレス姿の少女の姿を映すプロジェクターがある。カガリは許嫁のことを見ようともせずにモニターを眺め続けていた。

「ユウナ……。DSSDとは何だ? エピメディウムの残したものだが、これ見よがしに置かれていたのがこの組織についての情報だった」

 モニターには壁一面というほど大きく、ある組織に関する情報が並んでいた。宇宙ステーションの写真の他、老人の写真があった。カガリはこの老人を知っている。ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンである。
 もっとも、ユウナにとっては歴史上の人物の一人に過ぎない。

「DSSDは深宇宙の資源開発を目的とした公社のことだよ。多数の国と地域から支援を受ける国際団体としても機能してる。創業はC.E.17年。元々はジョージ・グレンが木星圏探索のために設立した会社で、その後NGOとして活動を続けているよ。ほら、ジョージ・グレンが木星探索に使った船、ツィオルコフスキーってあっただろ。それを今も管理、運用してるのがここさ」

 ファースト・コーディネーターとDSSDはあまりに容易に結びついた。

「プラントとの関係は?」

「DSSDには各国が資金援助をしている。額は様々だけど、一番多いのは大西洋連邦。ただ、これは国家規模を考えれば妥当な額だよ。でも、きっと君が問題にしたいのはこっちの方だと思うよ。金糸雀、DSSDの出資額について出してくれないかな? 公表されてるので十分だから」

 プロジェクターから金糸雀の姿が消え、代わりに棒グラフが表示される。3次元的な人の動きをたやすく投影して見せるプロジェクターはグラフ程度簡単に描き出すことができた。

「これが各国の支出資金。今度は国費との割合を示して。一見すると大西洋連邦が一番でユーラシア連邦とかが続く形だけど、よく見ると国家規模に反比例して出資額が多い国があるんだ」

 カガリはカナリアが姿を変えたグラフを眺めると、すぐに答えを導いた。どれもなじみのある国家だったからだ。

「オーブ首長国、スカンジナビア王国。そして、プラントだな」

 カガリは知っている。オーブ、スカンジナビア、ともにヴァーリが送り込まれた国なのだと。オーブではエピメディウムが、スカンジナビアもまたヴァーリの誰かが送られているはずなのだ。
 ファースト・コーディネーターであるジョージ・グレンの設立した団体をコーディネーターが強力に支援している。それを感傷ゆえと片付けてしまうにはカガリは現実的だった。

「ユウナ、DSSDとは一体何なんだ? 妙に詳しいようだが?」

 現オーブ国家元首の息子は笑いながら答えた。

「さすがに僕にもそこまではわからないよ。ただ、エピメディウムが関わってることは知ってたからね。金額的にも少しは調べてみたくなるさ」

 カガリは視線を壁掛けモニターに移しただ難しい顔をしていた。ある新聞の記事を思い出していたからだ。

「ユウナ。以前に見せた新聞記事を覚えてるか?」

「何かあったっけ?」

「覚えてないならいい。だが、私の読んだ記事では小惑星フィンブルが木星圏に由来すると書かれていた。ファースト・コーディネーター、DSSD、そしてフィンブルだ。木星という言葉が現れては消えていく」

「考えすぎじゃないかな? たしかに、現在でも木星に行っている人なんてDSSDとツィオルコフスキーくらいだとは思うよ。でも、その記事が正しいとも限らない。不確定要素が多すぎる、それが妥当な判断だよ」

 カガリはユウナからプロジェクターを受け取ると特に何か操作した様子は見せなかった。しかし、グラフだった映像が黄色いドレスを身につけた少女に置き換わると、それはちょうどカガリがお人形を抱いているかのような構図を作り出す。

「だがなユウナ。……エピメディウムは私にこれを残した。自身の死を予感しながら、ダムゼルの1人としてな。私にはその遺志を継ぐ責任がある」




 ミルラ・マイクはプラントの一角でお茶の時間を楽しんでいた。戦場から遠く離れた解放式のコロニーでは地球とほぼ変わらない風景が広がっている。ミルラが現在いる場所も、探そうと思えば地球のどこにでも見つかりそうな、そんな喫茶店の中だった。
 Mのヴァーリであり、豊かな黒髪の持ち主であるミルラは全員が揃って容姿端麗であるヴァーリの中でも特に美人という言葉が似合う。

「軍をやめたくせに今さらデンドロビウムに会えると思ったのか?」

 そんなミルラの相席叶った幸運な男は、しかし不機嫌ともとれる顔をしていた。もっとも、彼、イザーク・ジュールにとっては普段通りの表情でしかないのだが。

「ミルラ・マイクだったな? 俺は教官として教え子にどれだけ小さな可能性であれ挑戦しろと教えている。そうである以上、まずは俺自身が実践すべきだろう?」

「冗談を言えるとは知らなかったな」

 そう、楽しげというよりも面白げに微笑むと、ミルラはお茶を口に含んだ。もっとも、イザークは手元に置かれたカップに触れてもいなかった。

「お前でもいい。これはそんな教え子からの依頼なんだが、インパルスについて聞きたいことがある」

「インパルスの? わざわざ聞くような機体か? プラントなら子どもでも知っているようなザフトの主力だぞ」

「俺なりに調べてみたがインパルスには不可解な点が見受けられるな」

 ミルラとしては皮肉を言ったつもりはなかったのだろう。事実、インパルスガンダムはザフトの広告塔に使われるほど知れ渡った機体である。プラントであれば子どもでも3種のシルエットを言い当てることができるほどだろう。
 もっとも、イザークが不可解な点、と表現したことには、ミルラはカップを傾ける手を止めてまで関心を示した。

「たとえば?」

「ユニウス・セブン休戦条約によって各国はモビル・スーツの保有台数が制限されている。無論、インパルスも例外扱いされているはずがない。だが、インパルスの登録数はコクピット・ブロックの数らしいな。また、インパルスには上半身、下半身との分離合体機構がある。実際、1機のコクピット・ブロックにつき5、6体分を用意して運用することは一般的のようだ」

「君らしくもなくまどろっこしいな」

「見知った間柄でもないはずだが? まあいい。インパルスの登録数と実機の数とがズレていることになるな。上半身と下半身、それだけ見ればインパルスは6機あることになるが、登録はコクピット・ブロック分のわずか1機になる。無論、通常のモビル・スーツでも平均して3機分程度のパーツを確保しておくことになるが、それはあくまでもばらばらのパーツとしてだ。それを3機のモビル・スーツにしたてようとした場合、大変な労力だろう。だが、インパルスはただコクピット・ブロックを作りさえすればいいことになる」

 すでに上半身、下半身は独立した機体として完成している。そうであれば、コクピット・ブロックさえ量産すれば簡単にインパルスガンダムの数を増やすことができるのである。

「つまり、インパルスガンダムの分離合体機構は条約破りの伏線でもある、そういうことではないのか?」

 しばらくは不敵な笑みをしていたミルラだが、我慢できなくなったように笑い始めた。

「よく調べたな!? お前は優秀なパイロットだが、探偵か記者にもなれそうだな。だが、仮にそうだとしてそれがどうなる? お前の教え子とやらが知っても仕方のないことではないのか?」

「一事が万事だろう。一つ秘密を隠している奴は二つ目の隠し事もしているものだ。そして、よりそれは危険な秘密であることが多い。何せ、一つ目の秘密よりも厳重に隠されているくらいだからな。インパルスにはまだ隠された何かがあるのではないか?」

「なるほど。口の軽さに定評のある私だが、あいにく、モビル・スーツについては門外漢だ。しょせん、パイロットの1人でしかないからな」

「だからこそ、せめてデンドロビウムに会いたかったんだが……」

 イザーク自身、ミルラから情報を聞き出せることを期待はしていなかったのだろう。しかし、デンドロビウムは面会に応じず、その場に居合わせたミルラに拾われる形でこうしてお茶にしている。

「話は変わるが、Eのダムゼル、エピメディウム・エコーが死んだな? ダムゼルの会合、その帰り道でな」

 この問いかけには、ミルラは明確な形で反応して見せた。楽しんでいる風であった顔を一変させ、途端に表情が乏しくなった。

「インパルスについてよく調べたと褒めたばかりだが、撤回しよう。どうやらお前に入れ知恵した奴がいるようだな。ダムゼルのことを知っているとなると、まともな素性ではないんだろう? 何者だ?」

「その言葉を待っていた」

 そう、イザークは椅子に腰掛けたまま後ろへ軽く手を振る、そんな合図を送った。しかし、その必要はなかったかもしれない。1人の男がすでに撮影に興じていたからだ。男はプロ仕様の立派なカメラを手にあらゆる角度からミルラのことを撮影していた。
 許可を得ていない。まったく遠慮がない。怪しい風体で女性にいらぬ危機感を覚えさせてしまうような笑みをしている。そんな男の撮影行為に、さすがのミルラも体を目に見えて固くさせていた。

「イザーク……。私はな、血のバレンタインの夜でもここまで恐怖を感じたことはなかったぞ……」

「この男の名前はケナフ・ルキーニ。俺も最近知り合ったばかりのフリー・ジャーナリストなんだが、ヴァーリのファンだそうだ」

 ここでようやくイザークは自分のお茶に手をつけた。しかし、すでに温くなっていたのだろう。物足りなそうな顔をしてすぐにカップを置いてしまう。それくらい、イザークはミルラの窮地に関心を示すことはなかった。

「で、そんな男が一体何をしている……?」

 答えたのは写真を撮る手を止めたケナフの方だ。

「元々はイザーク君が弱いながらもデンドロビウム嬢につてがあると聞いて接近したんだが、まさかMのヴァーリに出会えるとは嬉しい誤算だったよ」

「そうじゃない。なぜ、写真を撮ってる……?」

「ああ、気にしないでくれ。悪用するつもりはないよ。単に趣味として君たちをコレクションしたいだけなんだ」

 それだけ言うと、ケナフは再び写真を撮り始めた。その口元は明らかに愉悦に歪んでいる。拳銃を額に押し付けられたとしても笑っているであろうミルラが落ち着かない様子で体を小刻みに震わせ始めた。その視線は警戒心丸出しでケナフの動きを追っている。
 イザークは懐からプロジェクターを取り出す。

「ヴァーリ顔がお好みらしくてな。蒼石星も写真を撮られまくったせいで出てこなくなった。いわく、生理的に受け付けないんだそうだ」

「私もごめんだ!」

 テーブルを叩かんばかりの勢いでミルラは立ちあがると、もはや逃げているとしか思えないほどの速さで店をあとにした。他の客たちは何事かと注目した様子であったが、残された男2人に周囲のことをいちいち気にかける神経はなかった。
 ケナフはミルラが座っていた椅子に、なぜかもったいぶった様子で腰掛けた。

「やれやれ。私はただ写真が撮りたいだけなんだがね」

「その舐めるような視線がまずいんだろう。一つ忠告しておくが、Zのヴァーリの撮影をする前に遺書を書いておいた方がいい。俺の知っている限り、ヴァーリの中で唯一の既婚者だ」

「それも仕方がない。彼女たちは美しい。その記録を残さないことは未来に対する罪とさえ言っていい。違うかな?」

「俺にはどうでもいいことだ。だが、お前は本当にヴァーリに会うことだけを目的として俺に近づいたのか? 仮にそうだとすればあまりに迂遠と言える。俺にはヴァーリとの十分なパイプがあるとは言えんのだからな」

「ゲルテンリッターのマスターに恩を売っておいて損することはないと思うけどね。それに、君は十分に働いてくれた。ミルラ・マイクに会えたのだからね。知っているかい? エピメディウム・エコーのシャトルがそう、『事故』を起こした時、ミルラ・マイクの指揮するモビル・スーツ部隊が近くに展開していた形跡がある」

 イザークはここで改めて変質者一歩手前の男を見た。想像していた以上に、この男がヴァーリについて、プラントという国の暗部について深い知見を有していたことが理解したからだろう。
 ケナフはお茶代にしては多い額をテーブルに置いた。

「また会おう、イザーク・ジュール君」

 満足げに離れていくケナフを見送りながらイザークは思わずため息をついた。

「食えん男だ」




 ラヴクラフト級パラスアテネは一路、西へと向かって飛行を続けていた。ボパール攻略に向けて3人のパイロットが艦を離れたため、談話室は閑散とした印象を与えた。アスラン・ザラ、ルナマリア・ホークの2人しかいないからだ。
 テーブルにつき休んでいたアスランにルナマリアが積極的に話しかけている。

「アスランさん、私たち、これからどこに向かうんですか?」

「アフリカ大陸のザフト地上軍に合流しようと思う。そこには……」

「はい、知ってます。砂漠の虎、アンドリュー・バルトフェルドが地球軍相手に大活躍した場所ですよね。バルトフェルド司令官と言えばアスランさんに強い影響を与えた人でしたよね? 映画でしっかり予習ずみです!」

 アスランは一瞬、反応に迷いを見せた。わずか一瞬だけ表情を作ることができなくなり、しかしすぐにそれこそ映画で見せるような笑顔に戻した。ルナマリアの勢いに思わず戸惑ってしまった。そう、周囲からは見えたことだろう。

「そうだな。バルトフェルド司令にはいろいろなことを教わった。忘れることのできない人だよ」

「本当に、惜しい人を亡くしましたよね。今もいてくれたらすごい戦力になってくれたと思います。アスランさんをかばって重傷を負いながらも戦士としての心得を諭す場面は名シーンだと思います!」

 もう、アスランから戸惑いの表情は消えていた。

「確かにバルトフェルド司令官は戦死してしまったが、まだザフト地上軍には大勢の戦士が残っているさ。たとえば、砂漠の狐、マーチン・ダコスタ司令代行は3年前から絶えずアフリカ戦線を維持してきた猛者だ」

「バルトフェルド司令官の後任ですよね?」

「ああ。それに、アフリカ大陸は歴史的な経緯から勢力が複雑に入り組んでいる。アフリカ共同体はスエズ運河をザフトが使用することを事実上認めている。おかげでアフリカ大陸に橋頭堡を築くことができる。アフリカ共同体は南アフリカ統一機構と仲が悪いし、紅海を挟んだ汎ムスリム同盟は軍の一部がザフトと同調する姿勢を見せてるくらいだ。」

「地球って全然一枚岩じゃないんですね」

「仕方のない話さ。地球がこんな状態だからこそ、ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンは地球以外の新天地を求めなければならなかったんだからね」

「ですよね」

 パラスアテネはアフリカへと向かっている。そこはかつて、アーク・エンジェルを追ってアスランが訪れた地である。映画『自由と正義の名の下に』ではその様子が詳細に語られている。砂漠の虎との出会い、親友との別れ、そして、死別の悲しみを乗り越えた末の勝利。
 それはプラントの国民であれば誰もが知っている周知の事実である。



[32266] 第21話「愛国者」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:550c6d3c
Date: 2016/12/31 10:18
 アフリカ大陸北部。広がり続けるサハラ砂漠のとある場所に小さな街があった。そこには夜ともなると街灯がぽつりぽつりとまばらにし見える、そんな小さな土壁の家屋が敷き詰められた平らな街並みがあった。
 C.E.75年現在においていまだ数百年前の世界のまま留まっているかのような、そんな宇宙にまで飛び出した戦争とは無縁の場所のように思えた。
 しかし、そんな甘い幻想は朱に染められた夜風とともに吹き飛んでしまう。
 爆発が起きたのだ。爆風が炎をまとって広がる。そんな赤い轟音が街をまたたく間に支配した。そして、爆発は各所で立て続けて生じた。街の誰もが理解したことだろう。事故ではない。襲撃なのだと。
 その証拠に、爆発地点のそばには平たい街並みから上半身を突き出したモビル・スーツが炎に照らされていた。地球軍のデュエルダガーである。ビーム・ライフルにシールドという簡潔な装備の旧型機は、目立つ建物を見つけるとビームを撃ち込んでいく。その度に爆発が夜空を染める。
 軍事施設など見当たらない街は逃げ惑う人々であふれ、ただ蹂躙されるのを待つだけかのように思われた。
 この認識は二つの意味で間違っていた。その理由は、どちらも破壊された家屋の中にあった。高くとも3階建ての建物が多いこの街において、そこは小規模なビルほどの高さがあった。デュエルダガーがそこをビームで破壊すると、内部は空洞、さらに基礎を貫いて地下深くまで縦穴が伸びていることが露見した。
 巨大なエレベーターである。
 思わず確認しようとするデュエルダガーに対し、縦穴の中から飛び出したモビル・スーツが強烈な蹴りを見舞った。とっさにシールドで受けるデュエルダガーだが、敵機の正確な姿を確認できないほどの奇襲である。大きく体勢を崩された。
 その隙に、敵機は四つん這いの姿勢になったかと思うと街の規模にしては広い道を夜の闇の中へと溶け込むように疾走する。
 デュエルダガーはすぐにビーム・ライフルで攻撃を仕掛けるも獣のように素早い敵機を捉えることができない。無為に道を爆発させるだけである。
 そして、獣は闇の中から襲いかかった。すれ違いざま、デュエルダガーの右腕がかみ切られたかのようにちぎれた。
 この時のことだ。ようやく、獣は姿を現した。カンテラのような淡い光が闇の衣を剥がし、黒い装甲を持つそれは犬を思わせた。かつてザフト軍が使用したバクゥという四足獣型モビル・スーツと似たシルエットながら、より鋭角的で凶悪な印象を与える。しかもその背にはさらに二つの首を持つケルベロス・ウィザードが装備されその姿はまさに地獄の番犬を思わせた。赤く発光するビーム・サーベルが三つの首それぞれから伸び、それは獲物の血を滴らせた牙のよう。
 ザフト軍が現在配備する可変モビル・スーツ、ヒルドルブである。
 ヒルドルブはまた走り出した。闇の中に黒い体が溶け込み、赤い牙だけが存在感を強調する。それはライフルを右腕ごと失ったデュエルダガーへと襲いかかると、その直前でその姿を変えた。体を起こし、脚を足に手に変え人型の姿を得るとともにその両手にはビーム・サーベルを、背中の一対の首のものとあわせて4本ものサーベルを振りかざし襲いかかる。
 デュエルダガーはシールドで必死に防ごうとするも次々とサーベルが叩きつけられる度に目に見えて押され始める。少しでもシールドに身を隠すことができなくなればデュエルダガーはまたたく間に獣に食い荒らされたかのような無残な姿をさらすことになるだろう。それは時間の問題に思われた。
 妨害が入らなければ。
 振り下ろされる光が両者の間に割って入ったのである。
 飛び退くヒルドルブに、光はすぐさま追撃をかけた。光はビームであり、ヒルドルブのサーベルとぶつかり合い夜の街に火花を散らした。
 血の滴る牙のようなビーム・サーベルに対峙するのは、全身を血染めにしたような機体であった。地球軍のガンダム・タイプ、イクシードガンダムである。ザフト軍からカラミティのコード・ネームで呼ばれるこの機体は一対の大型ビーム・サーベルを力任せに振り下ろし、それをヒルドルブが4本のビーム・サーベルでいなしている。
 まさに力と技。闇の中切り結ぶ2体の巨人は致命的な力をぶつけ合う度、まばゆい光を放った。




 アスラン・ザラがその街を訪れた時には、すでに砂の地平線に太陽が昇った後のことであった。街では黒煙が立ち上り、火災がまだくすぶっている様子である。そんな過酷な一夜を乗り越えた街には破壊されたデュエルダガーが残骸となって転がっていることに加え、ヒルドルブたちがいまだ周囲を警戒した様子で街のところどころに立っていた。
 復旧はこれから始まる。そんな街をルナマリア・ホークを連れて歩くアスランは目当ての青年を見つけたことで足を速めた。

「お久しぶりです、ダコスタ司令代行」

 膝をつきたたずむヒルドルブの前にいた青年は、振り返るとそのどこか純朴ながらも厳しい眼差しのままアスランを出迎えた。

「アスラン・ザラ、君か。3年前は子どもに思えたが、今ではザフトの騎士と呼ばれるザフト軍のエースだな」

 敬礼をし合うアスラン、ダコスタの脇でルナマリアはどこかアスランの後ろに体を隠すような位置関係でダコスタを見た。

「アスランさん、この人がマーチン・ダコスタさんなんですか?」

「ああ。司令代行の前で言うことでもないかもしれないけれど、映画だとあまり目立たない役で、役者もあまり似てない人だったからルナマリアにはわかりにくいかもしれないな。ただ司令代行、この街の様子、地球軍ですか?」

「ファントム・ペインだ。切り裂きエド、そう呼ばれるエドワード・ハレルソン率いる部隊の襲撃を受けた」

「しかし、我々も警戒していましたが、周囲に敵の大型艦の存在はうかがえませんでしたが?」

 ダコスタは一度、アスランから視線をそらした。街の惨状を再確認するためか、あるいは他に理由があるのか、少なくともアスランにはわからない。すぐにダコスタは首を戻した。

「ファントム・ペインはカスタム機を扱っていることが多い。だが、敢えてカスタム機を用いない者も少数ながらいるようだ。切り裂きエドはそんな1人だ。カスタム機を用いないということは、一定の規模の基地であればどこであっても整備が容易であるということだ。特殊なパーツを用いていないのだからな。そして、彼の部隊は遊撃隊だ。特定の基地、母艦を持たず小隊単位のモビル・スーツで砂漠を移動し続けている。補給は電源車、修復は状況に応じて基地を変えることで神出鬼没な戦いを得意としている。こと継戦能力に限ればファントム・ペインの中でも随一の実力者だろう」

 答えたのはルナマリアだ。

「でも、それなら偵察機でも飛ばせば見つかりそうですけど……」

 ダコスタは今度は街に首を受けようとはしなかった。ただ、わずかに目を細めることでしかめた表情を作った。先ほど、アスランの言葉を受けて街を見た時も同じ顔をしていたのかもしれない。

「……お嬢さん、ザフト地上軍のアフリカ方面軍にそのような余力はない。このように街の地下に隠れ潜むしかできないほどにな」

 地球軍も地下基地の情報を掴んでいたのだろう。デュエルダガーは執拗にエレベーターを狙って街を攻撃していた。とは言え、モビル・スーツ戦が行われたのだ。住民を標的にしたものでないとしても少なくない人命が失われたことは明白だった。
 実際、アスランたちのそばを死体を乗せた担架を運ぶ人が通り過ぎた。

「基地がある。だからと市民ごととは、地球軍のやりそうなことですね」

「でもアスランさん……」

 つい先日、自分達も基地を攻撃し、周辺の街に損害を与えたではないか。ルナマリアはそんなことを口にしようとして、しかしできなかった。だが、アスランは察したのだろう。

「ルナマリア、彼らは卑劣なだけだ。だが、俺たちは生き延びるために手段を選ばない覚悟を決めた。そんな地球の愚劣さと俺たちの覚悟を一緒くたにしてはいけないよ」

「は、はい……」

 ルナマリアは完全に納得した様子は見せなかったものの、それ以上聞こうとはしなかった。
 人によっては睨まれているのではないか、そう思えるほど、ダコスタ司令は厳しい表情を崩さない。それほど、司令代行という立場を意識しているのだと考えることは簡単であって安易でもあった。

「ところで、ピートリー級が届くはずだったと聞くが?」

「ボパールの戦いで2隻を喪失し、1隻は修復が必要な状況です。当分は無理でしょう」

「また、アフリカ方面軍は後回しにされる、そういうことか?」

 アスランはすぐに返すことができなかった。本国から満足な支援も受けられず、砂漠の地下に潜まなければならないザフト地上軍アフリカ方面軍の司令官の言葉は、明らかに棘を含んだ物言いだったからだ。


「司令代行、ボパールにはエインセル・ハンターがいました。彼の殺害はザフトの悲願です。やむを得ません」

「ではなぜ君がここにいる? ザフトのエースが一番槍を担ってしかるべきだと思うが?」

「戦略的にデリケートなことです。お話できません」

「ザフトの騎士がエインセル・ハンターに破れたとあれば都合が悪いからか?」

 再び、アスランは返事をするまでの時間を必要とした。表情こそ変えないまでも、その眼差しにはダコスタ司令代行への警戒心がにじむようになっていた。目をそらそうとしなくなったのだ。そのため、

「ルナマリア、少し席を外してもらいたい」

 アスランはルナマリアの方を向くことなく、ルナマリアも特に不満を明らかにすることもなくその場を離れた。
 ここにはザフトの騎士と砂漠の狐とは残された。

「エインセル・ハンターを倒せば戦いは終わります。しかし、臆病な鼠を巣穴から引きずり出すことは簡単ではありません。慎重に動かなければならないことはおわかりでしょう?」

「つまり、大事を見て戦いを避けたのだろう?」

「蛮勇はしょせん蛮勇です。たしかにエンセル・ハンターはパイロットとして優れた面もありました。しかしそれも3年前の話です」

「それならばなおさら、君がボパールに行かなかった理由にはならない」

 砂漠の乾いた風が2人の間を吹き抜けた。

「……司令代行、何がおっしゃりたいんですか?」

 ダコスタは愛機であるヒルドルブを見上げるため、アスランに背を向けた。それは単にアスランから目をそらすための口実であったのかもしれないが、どちらもとってもどうでもいいことだろう。
 ダコスタは背を向けたまま話し続ける。

「3年前地球を離れてから、地球に来たことは?」

「1度もありません。ああ、もちろん、3年前の降下が地球に来た最初の最後の機会です。わかります。こうおっしゃりたいんでしょう。現場を知らないホワイト・カラーの言いそうなことだと。お言葉ですが、俺も3年前の戦いでは地球軍のパイロットと面識があります。地球のことは……」

「映画ではその出会いは描かれていなかったようだが?」

 『自由と正義の名の下に』では、アスランが出会ったのはアンドリュー・バルトフェルドであって、地球軍の兵士ではなない。ザフトの騎士が尊敬するのは同じザフトの戦士であって敵の兵士ではない。
 アスランは言い返すことはなかった。しかしその様子は単に発言を途中で邪魔されて不機嫌になっただけのようにも思える。
 ただ、ダコスタ司令代行のみが言葉を繋いでいた。

「我々がバルトフェルド司令とともに地球に降下してからまもなく5年になる。映画では司令はプラントの正義を掲げる忠臣と描かれていたが、それは我々の認識とは大いに異なるものだ。デュランダル政権はプロパガンダ、いや、国民の煽動が過ぎるのではないか?」

「デュランダル議長の支持率がどれほどあるかご存じではないのですか?」

 常時6割を超えている。その事実を告げる時、アスランは明らかに司令代行を小馬鹿にしたように息を吐いて見せた。

「国民はデュランダル議長を支持している」

「だがそれも、国営放送、およびタカ派の会長がいるような民放による印象操作で下駄を履かされたものだろう? 先代のザラ政権をマスコミは非難しているが、それはクライン政権自体に生じた問題をザラ政権へと責任転嫁しているロ調のものも少なくない」

「だから何だと? なんであれ、議長は国民に支持されている。それは数字が証明している。政治の世界において真実なんて必要ありません。ただ国民の根拠のない感情にどう訴えかけるか、それだけです。デュランダル政権はそれが巧みなだけです」

「エインセル・ハンターの殺害もその一環なのだろう?」

「ええ、そうです。奴さえ死ねば戦いは終わる。馬鹿な地球人どもも目を覚ます。そう、プラントの国民は信じています。テレビがそう言い続ける限りはね」

「エインセル・ハンターは傘のようなものだろう。あれば便利だろうが、外出を心に決めた者であればずぶ濡れになっても走り出すだろう」

「誰もそんな言葉に耳を傾けなんてしませんよ。国民に必要なのは真実じゃありません。都合のいい風説です。あの国の国民は馬鹿で異常で惨めな奴らだ。自分たちは尊敬されるに相応しい。そこに根拠なんていりません。それはつまりこういうことです。仮にそんな耳にさわりのいい言葉を否定する事実を突きつけられたとしても、国民は甘言にすがり続ける!」

 ダコスタ司令代行の言葉が仮に真実であったとしても、それはプラントにおいて何の価値もない。そう、アスランは断言し、ダコスタを政治のイロハも知らない、しょせんは現場指揮官の1人に過ぎないと見くびりさえした。
 荒くなった息を無理にでも抑えているアスランに対して、ダコスタはあくまでも冷静だった。

「君は変わったようだな」

「あなたに何がわかると? そもそも、あなたはザフト軍のアフリカ方面軍の司令だ。あなたが地球に組み入れする理由は何もないはずだ!」

 ダコスタは答えない。ただアスランに背を向けたまま、視界に誰かの姿を見つけたことで唐突に歩き始めた。

「ああ、すまない、顔を見せておかなければならない人が来たようだ」

 ダコスタが歩み寄るよりも早く、その相手は小走りにダコスタへと近づいた。赤ん坊を抱いた褐色の肌の女性だった。フードを見つけた身なりなどからもその女性が現地の人間なのだろうと、アスランは目星を付けた。

「どなたです?」

「私の妻子だ」

「しかし……、ダコスタ司令はプラントを離れて久しいはずでは?」

「君と最後に会ってから3年、私が地球に降りてから5年になる」

 5年もあれば、女性を伴侶に迎える心構えもできる時間であり、アスランが地球を離れた3年もの時間があれば結婚し子をもうけることも可能である。ただアスランはプラントの国民が国外の人間と婚姻を結ぶという可能性に言及することができなかっただけである。
 ダコスタはお互いの無事を確かめ合うように、その腕に妻とまだ幼い我が子を抱きしめた。




 プラントはコロニー国家であり、そのコロニー内部には様々な地球環境が再現された。しかし、そこに砂漠はない。嵐もなければ吹雪もない。定期的に予定される降雨だけが、気象と呼ばれる唯一の現象である。
 そんな擬似環境の中で、ある記者会見が行われていた。
 記者たちを前に取材を受けているのは桃色の髪をした少女である。確かな眼差しは、まだ二十歳にも満たない少女に凛とした気迫を与え、歳不相応に落ち着き払った態度は往年の議員を思わせた。決して広くはない会見場とは言え、数十人もの記者を前に平然とした様子で、少女、ラクス・クラインは質問がある、そう手を上げた女性記者を指し示した。
 女性記者は立ち上がる。

「ラクス議員、T4号法案が最高評議会に送られました。まずはおめでとうございます」

「ありがとうございます」

「しかしT4号法案ですが、反対意見も少なくないようです。障がい者差別だと言われていますが、そのことについてどう思われますか?」

「私はそうは思いません。たしかに、出生前診断を義務付け、障がい児と判明した場合の国に報告しなければなりません。しかしそれでまさか中絶を義務付けてはいる訳ではありません。国勢調査の一環に過ぎません」

「ですが、障がい児と判明した場合の補助金の打ち切り、また中絶可能な期間を障がい児に限り22週目以降も認めることは事実上の障がい児堕胎の推奨ではありませんか?」

「障がいをもって生まれることが悪いとは思いません。だとしても、人が本来負うであろう苦労に、障がいによる苦労をさらに背負うことになることは事実です。そのような子どもを持つ親にも苦労を背負わせることになります。ただ、生まれてくる子どもがたまたま障がいを持っていたというだけでです。それならそのような子どもを持たないという選択をできる期間を長く設けたい、そう、考えただけなのです」

「障がい児の補助金の打ち切りの理由が不鮮明ではないでしょうか?」

「障がい児を持ちたい、そう考えることは個人の選択として尊重されなければなりません。ですが、その負担を国家が負う義務はありません」

「障がい児を負担としている時点ですでに差別的ではないでしょうか?」

「それは誤解です」

 しかし、具体的にどのような点に解釈の間違いがあるのか、ラクスは答えようとしない。
 ここで一区切りがついたのだろう。本来ならば他の記者が質問に立ってよいはずであるが、誰も手を上げる者はいない。それも仕方がない。デュランダル政権は取材を受ける報道局を制限している。本来、この女性記者のように攻撃的、批判的な質問をする記者、およびその所属する報道機関がこの会見場に立ち入ることはできないはずなのだ。
 そのため、女性記者の行動は周囲からは異常とも映っていた。同時に、寝ている虎に石を投げるような行為に、周囲の記者たちは怯えたような様子さえ見せていた。
 周囲がこれである。質問は女性記者の独壇場と言えた。

「では続いて、新たな憲法草案についてですが、立憲主義に反するものではないかと危惧する声もあるようですが?」

「憲法も法であって、時代とともに変わるべきです。そもそも、憲法が権力を縛るものという発想そのものがすでに古いのではないでしょうか?」

「しかし、権力とはすぐに暴走してしまうものではないでしょうか?」

「これまでお小遣いを遊びに使っていた子どもが、次は勉強の本を買いたいからお小遣いが欲しいと言いました。これを最初からどうせ次も遊びに使うんだろうと決めつけることは失礼です」

「そのたとえは適切でしょうか? お小遣いであれば、損失はその範囲に留まります。しかし権力の場合、損害に歯止めはかかりません。それこそ、権力はお小遣い感覚で渡してよいようなものではないでしょう」

「仮に私のたとえ話が適切ではなかったとして、それが改憲法案の問題とは結びつきません」

 ここで再び2人のやりとりはとまってしまう。女性記者が期待する答えにたどり着く前にラクスが話を止めてしまい、ここで話は終わりなのだと女性記者が気づいた頃にはすでに話の腰が折れてしまっているからだそう。
 あるいは女性記者自身、ここでこれ以上のことを聞き出せるとは踏んでいないのかもしれない。
 やはり新たな質問者は現れず女性記者は新たな一石を投じた。

「では、反対を表明されているタッド・エルスマン議員はこう述べています。権力の暴走が疑われるから憲法があるのではない。権力が性質として暴走するものであったからこそ、憲法が発明されたのだと。歴史上、多数の独裁政権が誕生しました。しかし、デュランダル政権がそうならないとする保証はあるのでしょうか?」

「そうなる保証もありません。それに、プラントは民主主義国家です。そしてデュランダル政権は支持されています。それはつまり、国民は改憲を……」

「デュランダル政権は一度も改憲を表明して選挙を戦ったことはありません。それはつまり、デュランダル政権を支持する人が必ずしも改憲まで支持しているとは限らないこと、また、一度も国民の信を問うていない事柄についてまで信任を得たと述べることは民主主義に反するのではないでしょうか?」

「意見として筋は通っています。けれど、支持されているとは限らない、とは支持されている場合も含まれます。あくまでも可能性に幅を持たせただけなのですから。そして、そのことをここであなたと議論しても仕方のないことでしょう。客観的な事実は、論者の出来不出来で決まるものではないからです」

 その後も、ラクス・クライン議員と女性記者のやりとりは続けられたが、結局は同じことの繰り返しであったように思われた。つまり、ラクス議員は終始議論をはぐらかし、最後には支持率を盾に議論を封じようとするのである。
 会見は終了した。
 その後、女性記者は会見場を後にした。そのすぐ目にとめられていた車、その助手席に乗り込むと、運転手はすぐさま車を発車させた。女性記者はすぐに眼鏡を外すと、髪留めのピンをいくつも外した。それだけでもずいぶんと雰囲気が変わる。
 その様子を横目で見ていた運転手、ジェフ・リブルは運転しながらどこか楽しげである。

「会見場に忍び込むなんてね。俺も大概ですけど、ナタル所長には勝てませんね」

 スーツの襟を正す。そうする頃には、ナタル・バジルールはいつもの様子を取り戻していた。

「私も普段ならこんなことしようとは思わないだろうな。ただ、今回は確かめておく必要があった」

「何をです?」

「プラント政府が妨害を仕掛けてくるかどうかだ。プラントは地球の国家からすれば考えられないほどの監視社会だ。コロニーという土地柄、人、物の出入りを極めて高度に管理することができる。当然、我々の入国も把握されていることだろう」

「でも、俺たちってただのフリーのジャーナリストでしょ。そんなにマークされたりしますかね?」

「私の経歴が問題だな。ザフト軍にいたことがある。聞いたことはないか? 大西洋連邦軍を抜けた戦艦がオーブを経てザフトに入ったことがあったことを」

「俺が知ってるのだと、アーク・エンジェルくらいですね」

 ちょうど、車は赤信号にさしかかろうとしていた。ジェフがブレーキを踏み始めた頃だ。ナタルが答えた。

「その艦で艦長をしていた」

 思わず強く踏み込まれたブレーキに車が信号を前に急停車する。ジェフが思わずハンドルに額をぶつけそうになったのは、しかし、この衝撃ばかりが原因ではないだろう。ジェフは赤信号の間、終始落ち着かない様子で、青信号を機に発車した頃になってようやく口を開いた。

「……き、聞き間違えじゃ、ないんですよね……?」

「そもそもどう聞き取ったのか、私は知らないぞ」

「アーク・エンジェルの艦長がプラントに入ったって、マークされないはずがないじゃないですか……」

「そう、私も考えていた。ラクス議員は馬鹿ではない。すぐに何らかの接触があるのではないかと考えていた。しかし何もない」

 強制連行どころか、警告さえない。そのため、ナタルは現在、自由にプラント国内での取材活動を行うことができていた。それこそ、身分を偽り会見場に足を踏み入れることができるほどである。
 泳がされている、とするにしてもあまりの放任ぶりと言えた。
 難しい顔をしているナタルはもちろんのこと、ジェフもハンドルを握る顔はどこか真剣な面持ちとなっていた。

「どういうことでしょう?」

「もしかすると我々に気づいていないだけかもしれないとも考えた。しかしさすがに今日は気づいたはずだ。たが、尾行されている様子はないことからそれも外れたらしい。つまり、少なくとも我々の行動を監視、制限するつもりは一切ないらしい」

「でもどうしてそんなこと?」

「それがわからない。何にせよ、ラクス議員には何か隠された目的があることに間違いはなさそうだ」

 しかし、ナタルたちに自由な取材を許すこととどのように結びつくのか、その答えは車内のどこを探しても見つかることはない。




 ラクス議員の記者会見の様子はお茶の間のテレビでも放映されていた。ナタル1人が質問に立つ場面が終わると、映像はスタジオに変わる。コメンテーターたちはみな一様に笑っていた。

「いやはや、常識知らずな記者もいたものですね」

「まあまあ、こんなのでもコロニーの一つでも地球軍に占拠されれば目が覚めるでしょ。この人は護憲護憲と言いますがね、いざ地球軍が攻めてきた時にね、ああだこうだ言って何も決まらない、なんてことでは守るに守れない。こういうのを平和ぼけ、平和主義って言うのかもしれないけどね、あまりにあんまりだね」

「それにこの人、ザフト軍をまるで侵略者のように言いたいみたいですけど、ザフトが地球に降下したことで多くの大西洋連邦に占領されていた地域が解放されたんです。そのことを我々マスコミはもっと伝えなきゃいけませんよ」

「わかります。VTRを用意しています。どうぞ」

 司会者が画面に向かって語りかけると、テレビにはすぐに別の映像が映し出された。
 地球のどこか、地球軍が基地を建造している現場だろう。そこでは多くの地元民が強制的に働かされ、家族を奪われた人々がフェンス越しに嘆いていた。地球軍は脱走を図った地元民に対してこともあろうに銃さえ向けた。
 しかし、救いは残されていた。
 颯爽と登場したインパルスガンダムが基地を襲撃。地球軍を蹴散らしフェンスを破壊したことで地元民たちは家族と再会することができた。手を取り合い喜ぶ彼らの映像が流される。
 このテレビを、1人の少女が見ていた。まだ少女と呼ぶには幼いかもしれない。年齢としては10歳前後だろう。ニュース映像をどこか退屈そうに見ているだけだった。その証拠に、ツイン・テールにした髪をもてあそび、ほとんど画面を見ることもなくなっていた。
 そんな少女に声をかけたのはディアッカ・エルスマンだった。テレビとはやや離れた位置のソファーに座っている。

「リリー、テレビはまた後にしとけ。今のうちに宿題片付けておかないと後で本命のドラマを見逃すことになるぞ」

「は~い」

 リリー、そう呼ばれた少女はテレビを消すと、勉強道具を取りに行ったのだろう。テレビの前から離れた。
 そんな少女を見送りながら、フレイ・アルスターはイタズラっぽい表情を浮かべた。

「でも、まさか2人にもうこんな大きな子どもがいたなんてね、驚き」

「頼まれて預かってるだけだ」

 やや呆れた様子で返事するディアッカだが、フレイも同棲3年目のカップルが10歳の子どもでは計算が合わないことは当然わかっている。すぐにディアッカから興味をなくすと、本を抱えて戻ってきたリリーの方へと歩き出した。リリーがちょうど、テレビ前のテーブルに教科書を並べている最中だった。

「よしよし、じゃあ、あたしが勉強を見てあげよう」

「え? フレイおばさん、勉強できるの?」

「ちゃんと高校出てるって。それに、お姉さんと呼びなさい、お姉さんて。まだ二十歳にもなってないんだからね」

 リリーの年相応の生意気さを特に叱るでもなく、フレイは何の気なしにその隣に座った。

「じゃあフレイおばさん、問題ね。あなたは軍人です。同時に二つの通信が入りました。一つは故郷の街が敵軍に襲撃されているという報告で、もう一つは国の偉い人のいる基地が襲撃されているという報告です。どちらかにしか行くことができないとしたら、どっちに行くべきでしょう?」

「そんなの答えなんてないでしょ。人それぞれだし、状況にもよるだろうし」

「違うよ。正解は国の偉い人を助けに行く、だよ。故郷の街を守っても国がなくなっちゃったら意味ないでしょ。じゃあ、次。地球の人たちはどうしてプラントを攻めようとしているのでしょう?」

「戦争してるからでしょ。で、その戦争の理由だけど、いろいろ複雑で……」

「また違う。正解はナチュラルが嫉妬してるから。ナチュラルって人たちはコーディネーターが優れてることに嫉妬して、その八つ当たりで戦争してるの。じゃあ、次ね。ルール違反は悪いことです。でも、それが許される場合があります。それはどんな時でしょう?」

「ルールが間違ってる時とか?」

「仕方がないって考えられる時だよ。たとえば、前の戦争でプラントはジェネシスで地球を攻撃しようとしたけどそれも仕方ないことだったでしょ。だって、あれがなきゃ、戦争に負けてたかもしれないんだから」

「本当にそう……?」

 すっきりとしない様子であることに、まだ幼いリリーもさすがに気づいたようだ。フレイは終始そんな様子だったのだから。すると、リリーは別冊の解答集をフレイに開いて見せた。

「ほら、答えに書いてあるでしょ!」

 事実、解答にはリリーが言ったとおりのことが書かれていた。リリーの解答はすべて正解だったのである。そのことをフレイは理解した。しかし、納得できないでいるのだろう。その額による皺は深いままだった。
 そのことを、リリーは解答を見てもまだわからないのだと捉えたらしかった。

「ねえ、フレイおばさん、本当に学校行ったの?」

「失礼ね。行ったって言ってるでしょ、も~」

 フレイは努めて明るく、リリーの額を軽く突いてみせた。
 もっとも、リリーにとってフレイは勉強を見てもらう相手として不足に見えたのだろう。あるいは、すでに課題を終えたのだろうか。

「じゃあ、朗読もあるから聞いてくれる?」

 そう、リリーはテレビを背にする形で立ちあがると、伸ばした手に教科書をしっかりと持っていた。

「ボアズを守るために決死の戦いに行った人たちのことを私は知りました。その人たちは怪我をしていた人もいます。障がい者だっていました。それでも、そんな人たちでもプラントを守るため、死ぬしかない戦いに行きました。きっと、怖かったと思います。苦しかったと思います。でも、それでもその人たちは国のためにその命を捧げました。それはとても立派で、すごいことだと思います。この国があるのもその人達のおかげです。だから私もそんな人たちに恥じない、立派な大人になりたいです。……どう?」

「うん、……いいんじゃない」

 フレイが作った笑みにリリーは満足げに微笑むと、ちょうど、台所の方からアイリス・インディアの声がした。

「リリー、そろそろご飯にしますから手伝ってくださいな」

「は~い」

 しっかりと教科書をテーブルの上に片付けてから、リリーは子ども固有のすばしっこい足取りで台所の方へと駆けていく。
 残されたフレイはどこか重たげな足取りで立ちあがると、ディアッカの座るソファー、そのもたれに後ろから寄りかかった。ちょうど、互いの顔が話をするにはやや近い、そう思える距離にある。

「なんだか、もう子連れの夫婦って感じね。結婚はしないの?」

 痛い話題だったのだろう。ディアッカは片手で器用に読んでいた本を閉じると、息を吹きながら背もたれに体重を預けた。

「お前こそ、アーノルドさんとはどうなんだ?」

「あの人、優しい人なんだけど、大切にされすぎちゃってるってところかな」

「なんだかわかる気がするな。10歳差だろ。恋人ってより兄みたいな気持ちがつい先立っちまうんじゃないか?」

「あ~、そんな感じ」

 と、ここで、フレイは盗み見るように台所の方をうかがった。リリーはアイリスの手伝いをしっかりとしているようだ。当分、こちらにやってくる気配はなかった。
 ここからが本題になる。フレイは声を抑えた。ディアッカも同様だ。

「ねえ、さっきの本だけど?」

「道徳の教科書のことか?」

「あれ、何?」

「プラントじゃ道徳も教科なんだよ。まあ、付き合ってやれ。赤点なら補習させられるのはリリーだからな」

「でも何が正しいかなんて答えのでる問題じゃないでしょ。なのに、どれもなんて言うか、権力者に都合のいいというか、今の政権に好都合なことばかりが正解になってるように思えるけど?」

「親父もそのことを批判してたな。道徳を教科にする時、権力者は自己弁護のためにそれを利用するってな。孫子の論語がもてはやされたのも一つには主君を尊ぶべきとする思想が権力者に都合がよかったからだって話もある。まったく、デュランダル政権がむちゃくちゃするから親父は何でも批判する、批判のための批判してばかりだと批判されてる」

 ディアッカとしては少しでも雰囲気を和らげるつもりだったのだろう。しかし、それが何の意味もないことは当人が一番理解しているはずだった。

「ディアッカは、これでいいの?」

 かつて、ディアッカは同じ部隊の仲間を失っている。地球軍の侵攻を押しとどめる時間稼ぎのために障がい者、傷病兵で組織された兵士たちが使い捨てられた。その中の1人だったからだ。
 それはリリーが音読したような国のために命を捧げた英雄たちでではないことを、ディアッカは知っている。

「……いい訳ないだろ。ジャスミンは、国のために死んだんじゃない。国に殺されただけなんだからな……」

 食卓のセッティングに何時間もかかるはずもない。リリーから声がかかったのはまもなくのことだった。

「ディアッカ、フレイおばさん、ご飯だよ」

 ここで、2人は空気を入れ換える。

「すっかりおばさんが定着しちまったな」

 そう笑うディアッカの頭を、フレイは軽くはたいた。

「うるさい」



[32266] 第22話「花の約束」
Name: 小鳥 遊◆ced629ba ID:440568bf
Date: 2017/02/27 11:58
 夜の砂漠は冷える。砂と岩は日中の熱をため込むことができず夜本来の寒さが顔を見せるからだ。青い月に照らされる風が砂を吹き上げる様は、そのような説明を待つまでもなく寒々しい印象を与える。
 そんな砂の荒野の中、不似合いな一団の姿があった。
 まず目を引くのは赤い巨人の姿だろう。地球軍の3種のガンダム・タイプの一つ、イクシードガンダムが3機、かしずく姿勢で電源車に繋がれていた。他にもデュエルダガーの姿が散見される。
 切り裂きエドの通り名で知られるファントム・ペイン、エドワード・ハレルソンの部隊である。決まった拠点を持たない遊撃部隊である彼らは、補給でさえこのような砂漠の真ん中ですませてしまう。こうしてザフト軍に位置を掴ませないまま、ゲリラ戦を繰り返している。
 その神出鬼没ぶりからザフト軍に恐れられるエドワードだが、その実物を目にしたら面食らうことになるかもしれない。

「寒いったらないな。次の休暇はリゾートでトロピカル・ジュースでも飲みたいもんだな」

 たき火を囲んで座る軍服の一団の中、唯一着崩した格好をした調子の軽い男がエドワード・ハレルソンである。日に焼けた肌、緊張した面々の中でさえ大げさに体を震わせてみせる余裕を見せていた。見る者が見たなら、かつてこの砂漠にその名をはせた虎と呼ばれた男を思い浮かべるかもしれない。
 人生の楽しみ方を心得ている、そのような男なのだから。
 そんな隊長へと、一人の隊員が立ちあがるとそっと一枚の写真を差し出した。エドワードは受け取ることもなくコーヒーをすすっている。しかし、写真を見るなりかすかに視線を険しくしたことに、めざとい隊員の何名かは気づくとともに体をさらに硬くした。
 写真には、引き絞られた弓やのような飛行戦艦が映っていた。

「ラヴクラフト級とは珍しいな。ザフトの騎士様でも来てるのか?」

「そのようです。アスラン・ザラが地球に降りているとの情報は以前から入っていました。おそらく、間違いはないものと」

「どうしてアフリカにいるんだ? エインセル代表を追っていると聞いてたが?」

「わかりません。しかし、どうしますか?」

 ザフトきってのエースの登場、それが隊員たちの緊張の原因である。たき火を囲む視線は自然と切り裂きエドへと集まっていた。
 エドワードはと言うと、とりあえずコーヒーを飲み干すことを優先したようだ。カップを不必要に砂に埋もれさせてから、ようやく一人の部下にタブレットを見せるよう仕草で促した。

「国境を避けて飛んでるな。ずいぶんな大回りだ。少しばかり無理すれば追いつけなくもないな」

 ザフトの騎士と戦う可能性が出てきたことで、当然のように場を緊張感が支配するようになる。その様を見たエドワードはただ不敵に笑って見せた。
 切り裂きエド。その名前はあるシリアル・キラーに由来する。接近戦を得意とし、敵の機械オイルを返り血の如く浴びた姿を伝説的な殺人になぞらえて付けられた異名である。しかし、本当のエドワードを知る人々は理解している。どのような激戦地にも嬉々として臨むエドワード・ハレルソンという男を知る者にとっては、まるで殺すことを楽しんでいるようにさえ見えることにもあるのだと。
 そして、そんな彼に付き従う者たちもまた、同じ戦いを繰り返し続けていた。
 大物を前にした武者震いと恐怖に体をすくませることは意味が違う。彼らもまた、戦いの予感に口元を堪えきれずに緩ませていた。
 殺人狂に付き従う者たちもまた、殺し合いを楽しんでいるようである。

「切り裂きエドが獲物を無傷で帰したなんてあっちゃ名折れだ。騎士殿にはアフリカの思い出の一つでもお持ち帰り願うとするか」




 切り裂きエドは殺害予告のような悠長なことはせず、それは突然訪れた。
 ラヴクラフト級パラスアテネが合流予定であった降下部隊が切り裂きエドの部隊と思われる敵部隊から襲撃を受けている、そう連絡を受けてからすでに10分以上が経過していた。
 ガンダムヤーデシュテルンが8枚のウイングをミノフスキー・クラフトで輝かせながらただ1機で砂漠の夜を飛行していた。その速度から、アスランがどれほど焦りを覚えているかはうかがい知れる。
 コクピット内に流れるルナマリアの声は、通信を通してさえ慌てた様子であった。

「アスランさん、1人で行くなんて無茶です!」

「インパルスではどうせヤーデシュテルンについて行くことなんてできない。君は準備を整えてから追いついてくれればいい。わかるね?」

「は、はい……」

 そう、通信は切れた。アスランが素早く出撃できたのはたまたまヤーデシュテルンの調整中であったからにすぎない。
 ミノフスキー・クラフトはその性質上、推進力は表面積に比例する。8枚ものウイングを持つヤーデシュテルンはゲルテンリッターの中でも優れた推力を有する。しかし、そうであったとしても目標地点まではまだ多くの時間を必要とした。
 合流が予定されていた地点から戦闘地点が大きくズレていたことも所要時間を増加させている。

「どうしてこうも予定地点から離れているんだ……?」

 アスランの言葉は、疑問とも苛立ちともとれる抑揚を含んでいた。
 コクピット内を飛び回る妖精、翠星石は一瞬の躊躇いをみせたもののアスランの問いかけに答えた。

「敵の誘いに乗ったみたいですぅ……」

「みすみす罠に飛び込んだということか……。一体何をやっているんだ……」

 今度は、苛立ちと嘆きが混じり合っていた。その理由を、翠星石は知っている。

「仕方ねえですよ。今のザフトは練度じゃ地球軍には勝てねえですよ。もう戦争始まってから8年で、3年前の時点でさえ学徒兵を使わねえと戦線を維持できねえくらいでした。シンだって半年しか軍学校通ってねえって聞くです。カーペンタリアだって敵の策にはまって潜水艦を……」

「わかっている……! だが他にどうしろって言うんだ? たった3000万の国民で地球の戦線さえ維持しなきゃいけないんだぞ。短期養成しか手段がないだろう?」

 すでに3年前の時点でプラントの戦死者は、血のバレンタイン事件も含め200万人を超える。その人員不足を補うため、速成訓練を行い、免税や市民権を餌に兵員を集めている。その結果、全国民の3割を超える人間が軍関係者という極端な先軍体制がとられていることを、アスランも翠星石も知っている。
 しかし、アスランはこの話題を避けがちであった。そのことを翠星石は理解しているからこそ、翠星石はすぐに返事をすることができなかった。

「……翠星石はアリスです。昔はバスターガンダムの心やってました。だからわかるです。アスランは自分に嘘ついてるです」

 ヤーデシュテルンは砂漠を1人飛行し続けている。ここはアフリカ、かつてアスランが1人の敵将と心通わせたのも、夜の、この大地だった。全天周囲モニターには、月に青く沈められた砂の大地がただただ映し出されている。

「……モーガンさんのことならことなら忘れてないさ。ただ、映画じゃ、俺の尊敬しているのはバルトフェルド司令だ。話は合わせないといけないだろ?」

 ザフトの騎士を導いたのが敵の人間では都合が悪いのだ。

「モーガンさん、今のアスランみたいなこと、望んでたですか?」

「あの人はエイプリルフール・クライシスで家族を亡くした。もちろん、モーガンさんだけじゃない。地球全体で10億人が亡くなったし、戦争でもさらに人命が失われた。今でもそれは続いてる。俺はそれを一刻も早く終わらせたいと考えている。そのことに嘘はないさ。わかるだろ、翠星石? 俺はどんな手を使っても戦争を終わらせるつもりでいる」

 アスランは努めてザフトの騎士であることを意識している。いつも正しく、聡明でどのような困難にも立ち向かうザフト最強の戦士であることを。
 しかし、ここにはアスランと翠星石しかいない。そのためだろうか、ふとモニターの砂漠を見やったアスランが見せた顔は、アスラン・ザラだった。

「……翠星石。俺は……、エインセル・ハンターに勝てるか?」

「負けは、しねぇです。でも、倒せねぇです……」

 すべてをかなぐり捨てた理想も力もまだ魔王には及んでいない。しかしそれはプラント政府も、ザフトの騎士にとっても認められることではなかった。
 アスランは否定も肯定もしないまま、翠星石も答えを求めようとはしなかった。
 ただ、ヤーデシュテルンは飛行を続けていた。
 アスランが地球を訪れたのはこのアフリカの大地が初めてとなる。ただ地球の人々のことを血のバレンタイン事件を引き起こした連中だという認識しかない中での話だった。しかし、モーガン・シュバリエとの出会いによって、地球の人々もまた被害者であることを知った。それはアスランの中で迷いが生まれた瞬間だった。
 無力さを覚えた瞬間だった。
 敵を殺さない、そんなことをしたところで仲間の誰かがその敵を殺し、あるいはその敵が仲間の誰かを殺す。どんなに迷ったとしても、戦いは終わらせたいと考えたところで、それだけで戦争が終わりを迎えることは決してなかった。
 すべきことは何も変わらない。ただ、引き金を引く指にまとわりつく重苦しい迷いが増えただけだった。
 モーガンとの出会いの後も、アスランは多くの敵兵を殺し、多くの仲間を殺されてきたのだから。
 同じアフリカの空、同じ月に見下ろされた今日もまた、同じことが起きている。
 ヤーデシュテルンはまもなく、戦場へと到着した。しかしそこで行われていることは、戦いとは名ばかりの殺戮だと言えた。
 イクシードガンダムを中心としたデュエルダガーの部隊がヅダへと襲いかかっていた。彼らの戦い方は正確で、それ以上に残忍だった。
 イクシードの振るった大型ビーム・サーベルがヅダの右腕を切り落とした。これでヅダはライフルを失った。さらにもう一方のビーム・サーベルが左腕を切り落とすと、両腕を失ったヅダは逃げようとスラスターを吹かせた。しかし、その時には足を切断され間髪入れずに頭部がぶつ切りにされる。完全に体勢を崩したヅダが後ろへと倒れようとしたところでようやく、イクシードはその手にする一対の大型ビーム・サーベルをヅダの胴体へと叩きつけた。四肢と頭を失った体は縦に三つに割かれるとともに爆発すると、そこには全身に返り血を浴びたイクシードと、もはやモビル・スーツの残骸なのだと判別することさえ難しいヅダの亡骸だけが残っていた。
 この戦い方は残酷なのではない。冷酷なのだ。危険を冒してバイタル・エリアを狙うのではなく、敵の攻撃、防御の手段を奪った上でとどめをさす。この戦い方を何の痛痒もなく行うことができるのだとすれば、それは敵は切り刻まれた亡骸と化す。

「こちらアスラン・ザラ。これより援護する!」

「ありがたい。ザフトの騎士が……」

 通信は途中で切れた。ヅダが複数のデュエルダガーに一斉に斬りかかられいくつもの塊となって爆発した。
 両腕を失ったヅダが恥も外聞もかなぐり捨てたように逃げ出しながらも後ろから1発のビームが、2発のビームが、次々と飛来するビームに撃ち抜かれていた。ただ一刀で胴裂きにされたヅダが幸せであったと思えるほど、地獄絵図が繰り広げられていた。
 もはや通信から聞こえてくる声は言葉をなしていない。悲鳴、慟哭、声にならない声がノイズのようにヤーデシュテルンのコクピットを蝕んでいる。

「貴様らー!」

 ヤーデシュテルンはビームを地表へと放ち、その爆発に紛れる形で一気に降下した。そして、爆煙から一瞬にして敵機へと突撃する。デュエルダガーは反応さえできずに腹部から真一文字に切り裂かれた。その勢いのまま、さらにヤーデシュテルンは敵機の爆発に巻き込まれるよりも早く次の敵へと向かう。すれ違いざま、1機のデュエルダガーを切断したところで、アスランは背後に突き刺さるような気配を覚え、ヤーデシュテルンを急旋回させた。
 ほんの一瞬前までヤーデシュテルンがいた場所、そこにイクシードが一対のビーム・サーベルを力任せに叩きつけていた。その勢いと熱量に砂地が火山のように噴き出す。
 このイクシードは他とは違う。そのことをアスランはすぐに理解した。ザフトの騎士であるアスランに、ゲルテンリッターであるヤーデシュテルンに撃墜される危険を意識させた、それほどの相手であるということだからだ。
つまり、このイクシードが切り裂きエドであるということを意味する。
 通信からは、ザフト兵の断末魔が絶え間なく聞こえ続けていた。阿鼻叫喚の地獄とは、このような場所のことを言うのではないだろうか。
 こうしている間にも命が失われている。地獄の殺人鬼を倒さなければならない。ただ、アスランは焦燥感に突き動かされる形でヤーデシュテルンを突撃させた。2本目のビーム・サーベルを抜き、双剣と双剣、衝突するビームがまばゆい粒子を夜の砂漠にまき散らす。

「どうして! どうしてなんだ-!」

 激しい斬り合いを続ける2機のガンダム。ヤーデシュテルンの攻撃は猪突猛進。ただ強く、ただ早く、一瞬でも早く相手を殺すことを目的としていた。それは狙いは正確に急所、ゆえに太刀筋は容易に把握された。切り裂きエドのイクシードはアスランの攻撃をかわし、いなし、ただ防ぐことに終始していた。
 アスランが焦れば焦るだけ、それはより愚直に急所を狙うことに他ならず、斬撃を安易にする。それで倒せるほど、切り裂きエドは善良な存在ではない。

「アスラン! 焦りすぎですぅ!」

「わかってる……! わかっている!」

 アスランには、すでに何も見えていなかったのかもしれない。
 アフリカの大地は、アスランが初めて訪れた地球である。ここで、アスランは敵を知った。
 そして、アスランが地球を離れるとき、アスランは多くの仲間を失った。仲間を故郷の空に帰すために残った仲間も、その命を賭した行動で救われたはずの仲間も、結局はみな死んでしまった、殺されてしまった。
 仲間のザフトと共に地球を脱出した時、アスランはどこか安心を覚えていた。これでこれ以上、ザフトが地球の人々を殺さずにすむと考えたからだ。そして、その直後、その仲間達はみな、殺されたのだ。
 アスランに花を託してくれた少女に、その花を返す機会は永遠に失われてしまった。
 アスランが敵を殺さなければ敵が仲間を殺し、アスランが敵を殺さなかったとしても仲間が敵を殺す。
 幾たびも、何度も、花の少女のことがフィードバックを繰り返す。そんなアスランには何も認識することができずにいた。いつの間にか、悲鳴が聞こえなくなったことも。目の前に敵がいなくなったことも。
 すべてのザフト機が撃墜、いや、解体されその肉片と鮮血をまき散らしたことで敵は目的を達していた。ただ瞬きを忘れた眼で荒い呼吸を続けるアスランを置いて撤退を完了させたのだ。

「アスラン……、もう、敵はいねえですよ……」

 翠星石の言葉に、アスランはようやく呼気を整えたが、視線は強ばったままであった。その目つきのまま、ゆっくりと周囲を見回した。開発者であってもその残骸がどのような機体であったのか判別することはできないのではないだろうか。そんな、そこまでばらばらの残骸と化した猟奇殺人の現場が、ヤーデシュテルンを取り囲んでいた。
 生存者はいない。全滅である。
 また、誰も救うことができなかった。そうだ、また。そう考えると、アスランの心は次第に冷めていった。いつものことなのだ。それを取り立てて問題にする必要が、果たしてあるのだろうか。
 いつものことだ、そう、アスランは何事もなかったようにヤーデシュテルンを浮上させると、パラスアテネへと帰還していった。その間、翠星石との会話もなく、パラスアテネと通信することもないまま、パラスアテネの格納庫にてヤーデシュテルンから降りるまで誰と言葉を交わすこともなかった。
 それから初めて会話をする相手は、降りた直後に話しかけてきたルナマリアとなる。

「アスランさん、その……、合流するはずだった部隊はどうなりましたか……?」

「残念ながら全滅だった。切り裂きエドが相手だ。無理もないことだろう。ルナマリア、国のために命を捧げた彼らのこと、少しでも惜しんでやってくれないか?」

「は、はい。もちろんです……」

 そう、アスランが立ち去ろうとすると、ルナアリアが追いかけるように声をかけた。

「アスランさん……、その、なんだか雰囲気、変わりましたよね? なんて言うか、吹っ切れたというか、迷いを断ち切ったと言うか……」

「するべきことを改めて考えてみただけだ。……ただ、ルナマリア。君は、必要悪という考え方をどう思う?」

「え、と……、悪いことでも必要なことがあるって言うことですよね。必要なんだから、必要なんだと思います」

「そうだな。だから俺も必要なことをしようと思う。この戦争を終わらせるために」




 アフリカの大地から遠く離れたオーブにて、一つの決断が行われていた。正式に世界安全保障機構への加盟が決定したのである。
 空港の到着所に並んで立つのはカガリ・ユラ・アスハとユウナ・ロマ・セイランの2人である。現在、VIPを出迎えるために物々しい警備と緊張した面持ちで政治家たちが並んでいる中、この2人だけはやや離れた位置でいつも通りの様子であった。
 カガリはどこか面白くなさそうにため息をついた。

「結局、加盟に落ち着くとはな」

「プラントが地球全体を2度に渡って標的にしたことを考えると地球に国土を持つ国家、つまりプラントを除くすべての国にとって対岸の火事じゃすまないからね。世論でも5割強が賛成だったんだから、まあ妥当だと思うよ」

「つまり、これは個別的自衛権の範囲内であってオーブの他国の戦争への非介入という原則は守られているということだな?」

 少々ムキになったカガリに対して、ユウナは余裕を見せていた。少なくとも自分の主張に近い意見が通ったと考えているからだろう。

「それより、特使として誰が来るか、だね。それによって世界安全保障機構の出方がわかるからね」

 到着はまもなくだとわかっている。待ち構える人々が途端に騒がしくなったからだ。記者たちがカメラを構え、政治家の一団が動き始めてもまだ特使の姿は見えてこない。しびれを切らせたカガリがその一団に割って入った。特使の姿はすぐに確認できたはずだが、カガリはすぐに集団から抜け出てくるとユウナに無理難題を突きつけた。

「特使と非公式に会いたい。すぐにセッティングしろ」

「いつ?」

「今すぐだ」

 接見が実現したのは、ユウナが思わず目を見開いてからわずか30分後のことだった。
 私的な応接間に現れた特使は、車いす姿で現れた。すぐに群集に隠されすぐに姿を確認できなかった理由はこれである。まだ30を越えたばかりと若く、スーツにサングラスをかけた姿は特使とするよりはやり手のビジネスマンを思わせる。
 それよりもユウナが気になったのは、特使の連れているSPの方だった。まだ少女と行って言い年齢で、どこか不釣り合いなスーツに不必要にいかついサングラス。その姿はどうにもアンバランスだった。背伸びしすぎた子どもを思わせたからだ。
 しかし気を取り直し、ユウナは緊張した面持ちで特使と握手を交わした。

「ブルーノ・アズラエル特使、初めまして。無理な会談、ご了承いただきありがとうございます。こちらが……」

 ユウナが紹介するよりも先にカガリが2人の間に割って入る。

「ブルーノ兄さん、来るならどうして連絡をくれなかった?」

「外交日程をやすやすと外にもらす訳にはいかんだろう。それに、君を驚かせてみたくもなった」

 カガリが普段見せない朗らかな様子であることに、ユウナもまたこれまでに見せたことのないような面食らった顔をしてみせた。

「知り合いなのかい?」

「前に話しただろう。ブルーノ・アズラエルはラウ・ル・クルーゼの本名だ。それにしてもロベリア、お前まだSPのまねごとをしていたのか? ヴァーリはいつも男がいるな」

「人を恋多き女みたいに言わないでよね。それに、私だってゲルテンリッターのパイロットの1人なんだから。ほら、雛苺」

 ロベリアと呼ばれたSPが円盤状のプロジェクターを取り出すと、そこに桃色のドレスを着た幼い女の子の姿が浮かび上がる。ただし、寝ているらしく体を小さくまとめたまま動こうとしない。どうやら寝ているらしい。
 ユウナにとってゲルテンリッターを見るのは2人目になるが、そのどちらも寝ていることが多いとように感じられるのは気のせいだろうかと、悩む羽目となった。ロベリアにしてもわざわざ起こす気にはなれなかったのだろう。ばつが悪そうにプロジェクターをしまうだけだった。
 状況についていけていないユウナを、もちろんカガリが気遣うことはなかった。

「待っていろ。今、お茶を入れてくる。ロベリア、お前も手伝え。見ておかないと私が毒でも入れるかもしれんだろ?」

 どこか呆れた様子のロベリアを連れて、カガリが部屋を離れようとしている時、ユウナはついこんな言葉をかけた。

「カガリ、君がかい? いや、別に他意はないんだけど……」

 幸い、カガリは特に気にした様子もなくロベリアを連れて行った。ユウナが不必要に緊張を募らせただけだったのだ。
 そんな将来の義弟の姿に、ブルーノは思わず笑みをこぼした。

「初対面でなんだが、君は妹の尻に敷かれそうだな」

「カガリを飼い慣らせる男がこの世界に5人いると思いますか?」

 そうは言いながらも目の前のブルーノこそがその五本指の1人だともユウナは考えたようだ。深いため息には、諦観とも疲労感がない交ぜになって含まれていた。相手はブルー・コスモスのかつての代表の1人であり、連れて入る少女はロベリア・リマ、Lのヴァーリだ。自分とは違う世界の人間なのだと思わされたことも原因かもしれない。

「ブルーノさんは、かつてラウ・ル・クルーゼと名乗られてザフトと戦ったとお聞きします。それに今回は世界安全保障機構側の特使としてオーブに来られました。と言うことはやはり武力の必要性をお考えということですよね?」

 少々唐突すぎただろうか。そんな意識が、一瞬ユウナの挙動をぎこちなくさせた。

「いや、その、カガリとはよくもめるんです。オーブは確かに中立国です。戦争に極力加担しないという意味では過ぎたる戦力を必要としないのかもしれません。でも、余計な争いを起こさない意味においても戦力は必要だと考えています。それが、カガリにはどうもしっくりこないらしくて」

「武力による戦争の抑止という考え方は、根本的な問題を未解決なままに残している」

「と、言いますと?」

「どれほどの戦力があれば戦争を抑止できるのか明確な基準がないことだ」

 ユウナはしばらく悩んだ様子を見せた。

「究極的には、オーブ一国で世界のすべてと戦いうる戦力、ではないでしょうか?」

「では聞くが、世界に100の武力があったとしよう。そこにオーブの戦いうる力、100が加われば200だ。そこで他の国も同じように考えたらどうなるだろうか? さらに200の武力が登場し、総計は400となる。さらにほかの国が加われば、400が加算され800に、1600に、3200に、わずか10カ国が登場しただけで10万もの武力が世界に登場することになる」

「それは……」

「この考え方の致命的な欠陥は二つ存在する。一つは今見たように、オーブ以外の国が軍拡を進めないことを前提としている点だ。それは言い換えるなら、戦争をするつもりのない国だけならば戦争は起こらないと言っていることに等しい。また、逆に尋ねたい。このように相手を疑い、際限のない軍拡競争に臨むことこそが、君の理想とする国家のあり方かね?」

「それは違います……。ですが、戦力が必要なことは歴然とした事実のはずです」

「しかし、ではどの程度の武力があれば戦争を抑止できるのかが明確でなければ結局のところ際限のない軍拡競争に陥るだけではないのかな? 200年以上も前に冷たい戦争と呼ばれた時代、地球を何度も破滅させるほどの核ミサイルが作られた。現在でさえ世界は大量の核兵器を所有している事実は、そんな時代の残り香だろう」

 ユウナは一度、応接間備え付けのソファーに腰掛けることにした。車いすに座るブルーノ特使と目線の高さを合わせるためであるとともに、自分の考えをまとめる時間が欲しかったためでもあるのだろう。

「では戦争がなければ戦争が起こらないとでも言われるおつもりですか? それこそ戦争をする気がない国だけなら戦争は起こらないと言っていることと変わりません」

「その通りだ。しかし、私は武力による戦争抑止については懐疑的だ。冷戦よりもさらに古い時代の話だが、ある国が存在した。その国は当時世界最大の国家に戦争を仕掛けた。戦争勃発前、その国と敵国との間の国力差は総合的に見て10倍の開きがあったそうだ。開戦すれば必敗も予測されていたにもかかわらずその国は戦争を仕掛け、その結果、国土を焼かれ、300万もの自国民を失い、当時新型であった爆弾を2発落とされた挙げ句、降伏した。勝てるはずのない戦争に突き進んだ結果だ。この事例に当てはめた場合、10倍の戦力差では戦争を抑止できないことととなる」

「もう200年以上も前の話でしょう。それに、その国が異常なだけでは?」

「そんな見方もできる。しかし、君の理屈では、他国を戦争を仕掛けてくるほどには異常だが勝てない戦争を仕掛けてこないほどには正常だと期待していることになる。それでは武力があれば戦争を起こさない国だけであれば戦争は起こらない、そう言っているにすぎない。それでは結論と前提とが逆転していることは同じではないのかね?」

「しかし……」

「プラントと大西洋連邦の国力差もまた、小さく見積もっても10倍であると言われている。しかし、我々は現に戦争をしている。武力による戦争の抑止論を突き詰めた場合、絶えず他国の10倍以上の戦力を保持し続けなければならないことになる。それは現実的と言えるのかね? そして、仮にできたとしても、他国もまた軍拡に乗り出せば際限のない競争となる」

 ユウナは反論しきれない。しかし、ブルーノ特使の理論を受け入れるにはまだ大きな違和感の存在が、ユウナの態度を煮え切らないものとしていた。

「でも戦力を持たなければ戦争が起こらない、という話にもならないはずです……」

 この一言に、ユウナの疑問は凝縮されているのかもしれない。そしてこれは、反論というよりも問いかけに近いものだった。ブルーノ特使がどうこの疑問を払拭してくれるのか、そう期待しているようでもある。
 ブルーノ特使はしばらくユウナの様子を眺めていた。それは答えを考えるための時間稼ぎではなく、本当に目の前の若者のことを観察しているだけのようである。

「私は、武力があれば戦争が起こらないという考え方は、武力がなれば戦争は起こらないと同様に極論にすぎないのだという考えている。武力がなければ戦争は起こらないという考え方は甘い幻想と言えるが、武力があれば戦争は起こらないという考え方は浅はかな妄想なのではないかな?」
「でも、あなた方はムルタ・アズラエルとして戦ったはずです。もしもブルー・コスモスが立ちあがらなければ地球はジェネシスに焼かれていた! 違いますか?」
「では、我々は正しかったのかね?」

 次、問いかけるのはブルーノ・アズラエル、かつてラウ・ル・クルーゼと名乗った男だった。

「アラスカでは敵兵とともに多くの味方を焼き払った。ジブラルタル基地におけるプラント側の犠牲者に含まれる非戦闘員の数を君は知っているかね?」

 脚色の多い『自由と正義の名の下に』においても、ジブラルタル基地における描写については正確だとする論評も少なくない。事実、最後に脱出した部隊はアスラン・ザラ、イザーク・ジュールを含めた少数のパイロットのみ生還することができたのだから。
 仮に戦争だと割り切ったとしても、アラスカでの行いは反ブルー・コスモス派がまず最初にやり玉に挙げる事実である。
 ブルーノは再び問いかけた。

「我々は正しかったのかね?」
「それは……、わかりません。でも、必要なことであったと思います。しかし……!」

 そこに、トレイにお茶を乗せたロベリアが訪れた。

「はいはい、お茶ですよ~」

 テーブルにそれぞれカップを並べたところで、ようやく自分が何かよくないタイミングで来てしまったのだと気づいたロベリアは、途端に視線が泳ぐようになる。最終的には助けを求めるようにブルーノ特使へと固定されるのだが、そんな空気を突き破ったのは青くれてやってきたカガリの方だった。

「ユウナ、今回は勝負を預けておけ。お前の考え方を揺るがす事実が出てきたんだ。まずはそれをどう解決するか整理するのが先だろう。正直、ユウナは軍事力に夢を見すぎなんだ」

 そう、テーブルの真ん中にお茶請けを置いた。



[32266] 第23話「ダーダネルス海峡にて」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:6a6cd985
Date: 2017/04/05 23:35
 ラヴクラフト級ミネルヴァのミーティング・ルームにて、レイ・ザ・バレルが口にしたのは次の一言だった。

「ダーダネルス海峡、ですか?」

 突如、次の作戦目標となった地点の名だ。これまで一度もザフトの作戦に名前の挙がったことのない場所であり、レイがわずかな戸惑いを見せた理由がこれだ。
 レイとは地図が投影されているテーブル・ディスプレイを挟んだタリア・グラディス艦長は普段通り、淡々とした様子で説明を付け加えた。

「諜報部からの情報ではエインセル・ハンターが修復を終えたフォイエリヒガンダムを受け取る場所が判明しました。よって、我々ミネルヴァはその地点を急襲。友軍とともにエインセル・ハンターの殺害を目標とした作戦行動をとります。何か質問はありますか?」

 ここにはレイの他、シン・アスカ、ヴィーノ・デュプレしかいない。アスラン・ザラの部隊から加わった2名のパイロットは参加していなかった。
 まず手を挙げたのはシンだ。タリアはまだ若いが、シンはこの艦長に母親と似たものを感じていた。それ故の苦手意識が、わずかではあるが手を挙げる仕草を一瞬躊躇させたようにも見えた。

「グラディス艦長。ダーダネルス海峡に地球軍の重要な基地があるとは聞いたことがありません。それでもそんなところで受け渡しが行われるのでしょうか?」

「洋上での受け渡しを想定しているのでしょう。たしかに不自然と言えますが、それだけ我々の裏をかけると踏んだのかも知れません」

 シンはこれ以上、質問することを控えた。たとえどれほど怪しくともそこにエインセル・ハンターがいるとの情報があればザフトは動かざるを得ない。そのことをシンもまた理解しているからだ。
 この作戦にも、本来はアフリカ北部の別の作戦に参加するはずだった部隊が他にも参加することになっていた。
 グラディス艦長はこれでミーティングは終わったと判断したのだろう。動こうとする仕草を見せたところで、意外にもヴィーノから手が上がった。

「エインセル・ハンターってブルー・コスモスの代表ですよね? だったらなんでわざわざ1機のモビル・スーツのためなんかに前線に出てくるんですか?」

 不意を突かれる形となったためかすぐには答えられないタリアに代わり、レイが解答を用意した。

「フォイエリヒガンダムはエインセル・ハンターの機体だ。用心しろ。例の映画には描かれていなかったが彼の乗ったフォイエリヒは最強のモビル・スーツだった。お前では一瞬で殺される」

「え? でも、映画じゃ……」

「優れた人々の集まりであるプラントの敵は劣ってた存在でなければならんだろう? ナチュラルがプラントに攻め込んでくるのはコーディネーターの優秀さに嫉妬したからではないのか?」

「え~……?」

 ヴィーノはそれはそれは残念そうな顔を見せたが、それだけで済ませられる方が珍しいことだろう。プラントでは、コーディネーターは優れていると生まれた時から教えられ続けるのだから。
 タリア自身、決して顔にこそ出さなかったものの、愉快な話題ではなかったのだろう。いつにもまして表情を険しくしているようにも思われる。

「では会議は以上です」

「あ、その前にいいですか? グラディス艦長ってデュランダル議長と知り合いなんですか? カーペンタリアで一緒にいたとこ、見ましたけど」

 一瞬、場の空気が凍り付いたことをヴィーノ以外の全員が感じた。
 タリアは、努めて平静さを装っているらしかった。

「答える必要はありません。パイロットは各員、作戦準備に入りなさい」

 こうしてパイロットたちはミーティング・ルームをあとにした。シンとしては重苦しい空気から解放された気分であったが、ヴィーノはちょっとした世間話をしたくらいしにか感じていないのだろう。シンと並んで歩く様子は鼻歌交じりでさえあった。

「ヴィーノ、今回ばかりはお前を尊敬するよ」

「おいおい、どうしたんだよ、シン?」

 シンの肩を叩くヴィーノからは、どうやら褒められたと勘違いしているらしいことが伝わってくる。
 その様を見ていたレイは、どこか意地悪げに笑っていた。

「グラディス艦長とデュランダル議長はかつて恋人の間柄だったという噂がある。加えて、口の悪い連中はグラディス艦長があの若さで特務艦の艦長を務めていられるのはその縁故採用と決めつけているそうだ。つまり、お前は本人の前でもっとも話題にしてはならないことを口にしたことになる」

 ここでようやく、ヴィーノは大げさなまでに頭を抱えた。

「俺、もう帰艦できないじゃんかよぉ……」

「安心しろ。どうせエインセル・ハンターが相手だ。この中で何人が生きて帰ってこられるかわかったものではない」

「隊長~、たまにはブラック・ジョーク、やめません?」

「ああ、だから今は控えている」

 つまり、そこまで生還率が低いということは冗談ではないということになる。そのことに、ヴィーノは遅れて気づいたのだろう。レイに文字通りすがりついた。

「隊長~……」

 シンにもこの隊長が皮肉とブラック・ジョークを愛していることはわかっていた。怯えるヴィーノを笑ってあしらうレイの様子を、ただ呆れ半分に眺めていた。
 それを気にくわないと考える者もこの艦には乗っていた。
 ヘルベルトとマーズ、いかつい中年男性は明らかに不機嫌な様子で少年3人の前に立った。

「エインセル・ハンター、奴さえ殺せばこの呪われた戦いは終わる。それをわかってるんだろうな?」

「よせよ、マーズ。在外コーディネーターもいるんだ。そいつにプラントの理念を語ったところで馬の耳に念仏だろ」

 すっかり冷や水をかけられた形で萎縮するヴィーノに、マーズと呼ばれた男はあからさまに威圧的な視線を投げつけた後、吐き捨てるような言葉を残して去って行った。

「せいぜい足を引っ張るなよ、在外」

 この2人の名前と顔さえシンには一致していない。アスラン・ザラの部隊からの一時的にミネルヴァに乗艦しているだけでありまだ知り合ってから日が浅い以上に、互いに交流を持とうとしなかったからだ。ヒルダがボパールで戦死してからはその傾向はより顕著になった。
 一つの事実として、彼らはヴィーノを在外コーディネーターと認識していた。

「俺、プラント生まれのプラント育ちなんだけど……」

「シンは言うまでもないが、俺も生まれはプラントだが育ちは地球だ。ヴィーノまで在外コーディネーターとなると、もはや外人部隊そのものだな。では、正規軍に遅れをとらんようにしなければな」

「だから俺は生粋のプラント国民なんですって!」

 皮肉を言っている時の隊長は本当に楽しそうだ、それがシンの抱く印象だった。最初は冷たい印象も受けていたが、それは冷淡というより斜に構えているだけであったのかもしれない。
 レイが格納庫の方へと歩き出すとシンたちも従った。シンとヴィーノはちょうど並ぶ形となった。

「なあ、シン。こんな時になんだけどさ、地球人にとってエインセル・ハンターってどんな奴なんだ?」

「オーブ出身の俺に聞くなよ。3年前のオーブ侵攻の指揮とったのあいつだって話だぞ。実際、母さんが死んだのもその時だしな」

「そっか。じゃあ、シンにとってあいつはお母さんの仇なんだな。エインセル・ハンターとならシンにも戦う理由があってことだよな」

 そう、ヴィーノがレイに追いつこうと足を速めたことでシンは取り残される形となった。ただ、1人となった原因は歩く速度ばかりではない。シンが思わず足を止めてしまったこともある。

「戦う理由……?」

 それをヴィーノは母の仇だからと表現した。そのことに、シンは強い違和感を覚えずにはいられなかった。母を殺されたから、それは一般的には仇討ちの動機となるのかもしれない。

「俺、何でエインセル・ハンターを仇だって思ってるんだ……?」

 亡き母のことを思い浮かべると、シンは自分自身の行動に疑問を感じずには居られなかった。




 ダーダネルス海峡。東西に細長く伸びたこの海峡は、歴史上、重大な要所であった。しかし、現在ではさしたる基地もなく、軍事的な重要性は比較的軽微と言える。よって、軍事アナリストの多くが、この海峡にザフト軍のボズゴロフ級潜水艦が集結する事態を予測することはできなかった。
 ただ1人、たった1人の人物を殺害するために部隊が動く、それは極めて異例なことと言えた。その相手は政府の要人でもなければ軍の司令官でもない。かつて思想団体の代表を務めていた若者にすぎない。
 しかし、その肩書きを額面通りに受け止める者などこの世界にはいないことだろう。この男は自らの私兵とも言うべき部隊、ファントム・ペインを同盟各国に創設することを認めさせ、団体の内外に信奉者は少なくない。プラント国内に至ってはすべての元凶だとされている。
 プラントは優れた人々、コーディネーターによって建国された国家である。優れた人々がしがらみなく作り上げる国は理想郷となるはずであった。しかし、理想が実現しない理由は、持つ者に対する持たざる者の嫉妬に起因している。無能なナチュラルが無能であることに甘んじていられず、プラントの足を引っ張り続けていることが原因なのである。そして、それはすべてエインセル・ハンターが、ブルー・コスモスが煽動しているからである。
 つまり、エインセル・ハンターを除去すればブルー・コスモスは瓦解し、ナチュラルは自分達が恥ずべき行いをしていることに気づくことになる。それは戦争の終わりを意味する。
 もしも今日、この場所でエインセル・ハンターを討つことができたなら戦いは終わる。そう、ザフトは考えていた。
 ザフトにとっての最後の戦いは、双方にとって予想を外れたところで始まった。
 ダーダネルス海峡を西へと進むガルダ級大型輸送機を多数のザフト機が追いかけていた。ザフト機はゼーゴック。体を前傾させた簡易変形による重武装の戦闘機を思わせる形態で海が霞んで見えるほどの高高度で追従している。必ずしも総合的な推進力に優れているとは言えないモビル・スーツであるが、相手は大型の輸送機である。ミノフスキー・クラフトの輝きを飛行機雲に混ぜ合わせ次第に距離を詰めていた。
 輸送機の格納では棺桶を思わせるコンテナが置かれていた。コンテナにはZZ-X300AAの刻印。その中には魔王と呼ばれる男の力が眠っている。
 ザフト軍にとってこの輸送機がフォイエリヒガンダムを運んでいるのだと確信があった訳ではなかった。しかし、フォイエリヒ受領の現場に満足な護衛もつけずにひっそりと輸送機が飛行している事実は、ザフトに確信じみた推測を与えるには十分であった。
 追い続けるゼーゴックの部隊は奇しくも理解していたのである。戦いは、今ここに始まったのだと。
 ゼーゴックのビーム・ライフルから放たれたビームが、次第に輸送機をかすめるようになりつつあった。それだけ距離が迫っているのだ。このまま振り切れるはずもない。そう、誰もが理解し、ゆえに、輸送機に動きがあった。
 格納庫に搭載されているのはコンテナばかりでなくモビル・スーツがあった。白く塗装されたウィンダムにすでにパイロットは搭乗し、後部ハッチへと歩いて移動している最中であった。
 ウィンダムのコクピットでは、桃色の髪を波立たせたドレス姿のヒメノカリスが輸送機のパイロットたちと通信を繋いでいる。

「そう……。わかった。私たちはここで降りて敵を食い止める。あなたたちは降下予定地点まで急いで」

「心得ています。ご武運を」

「あなたたちも……」

 モビル・スーツが楽に通ることができるほどに大きな後部ハッチは開放されていくと、まばゆい光が格納庫に飛び込むとともに風が吹き込んでくる。そして、迫るゼーゴックが肉眼でも確認できるほどに迫っていた。
 ゼーゴックの数は5機。しかし、レーダーには不鮮明ながら他の機体も確認されており数はザフトが集結しつつあることを示していた。

「あなたたちにお父様の力は渡さない!」

 格納庫から飛び出すウィンダムは、慣性によりすでに加速を終えた状態にある。輸送機とゼーゴックの間に割って入る形となったウィンダムはノワール・ストタイカーに装備されるレールガンを発射し、その高速の弾丸はゼーゴックに正面から直撃する。一撃で破壊されることこそなかったものの、機体は大きく体勢を崩し、破片をまき散らしながら落下していく。
 この一撃に、ゼーゴックの編隊が一斉に動きを変えた。形態をモビル・スーツに戻すとともに散開、ウィンダムを取り囲むように軌道を膨らませたのである。これは事実上、輸送機の追撃を中断したことを意味する。モビル・スーツ形態のまま無理に追撃を続ければウィンダムに狙い撃ちにされると判断したのだ。
 周囲を取り囲むように飛び回るゼーゴックを見やりながらつぶやいた。

「あなたたちは餌に釣られた狐。でも、何も得られず檻に閉じ込められる」




 ミノフスキー粒子による電波障害が恒常化した現在においてザフトが輸送機の存在を検知できたことは幸運であったと共に不運でもあった。地球軍の不意を突くことこそできたものの、対しザフト軍もまた部隊の集結を待つことなく戦闘を開始しなければならなかったからである。
 地中海に展開していたボズゴロフ級潜水艦の多くがダーダネルス海峡へと結集しているのである。しかし、ダーダネルス海峡は海峡の幅が20km程度と狭く、水深も平均して50m、最大でも100m程度と浅い。潜水艦が航行するには不適切な海である。
 狭い入り口に多くの潜水艦が集まり、そこに待ち構えていた地球軍艦船はボズゴロフ級を容易に捕捉したのである。
 海中には爆雷が踊り、爆発が海面を白く染めいくつもの水柱を打ち立てた。
 潜水艦は水上艦に比べて鈍重にならざるを得ない。潜って逃げるにはこの海は浅すぎた。逃げ遅れた潜水艦は爆発にその体を引き裂かれ海底にその亡骸を横たえた。
 展開はカーペンタリア基地での戦いを踏襲しようとしていた。
 ザフト軍は制海権を確立できておらず、その輸送には潜水艦を用いざるを得ない。主力を潜水艦に頼るザフトにとって、ダーダネルス海峡のような浅海は決して足を踏み入れてはならない場所である。
 しかし、ここにはエインセル・ハンターがいる。それだけがザフトに無謀な進軍を強いていた。
 シンは同じ部隊の仲間とともに戦闘に参加していた。ヘルベルト、マーズの2人はすでにエインセル・ハンターを求めてすでにダーダネルス海峡を奥へと進んでいったが、シンたちは友軍の支援に当たっていた。
 ヴィーノのインパルスが地球軍のフリゲート艦に近づこうと空から接近しようとするものの、対空砲火と敵モビル・スーツのビームによる牽制によって拒まれてしまう。

「どうすんだよ、これ!?」

 ヴィーノばかりではない。シンもまた幾度となく接近を試みているものの、敵の攻撃が激しく失敗している。
 こうしている間にも投下された爆雷がボズゴロフ級を攻撃し続けている。ダーダネルス海は浅く、インパルスのセンサー類であっても海面下のボズゴロフ級を察知することができてしまうほどだ。
 この海峡の入り口を突破できるかどうかはほとんど運試しにも近い。
 海面すれすれを航行していたボズゴロフ級を狙うストライクダガーへと、シンは斬りかかった。シールドで避けようとする相手に対して、軌道をひねり、シールドの後ろ側にサーベルを差し込むことですれ違いざまに敵機を切断する。

「レイ隊長、こんな無茶な作戦、いつまで続けるつもりなんですか!?」

「わかっている。だが、俺が作戦に意見できる立場にあると思うか?」

 こうしている間にも巨大な水柱が立ちあがっていた。海面下のボズゴロフ級が撃沈されているのだ。それでもボズゴロフ級は海峡の奥へ、奥へと進もうとしている。川を上る魚と変わらない。急かされ一斉に遡上する魚たち。だが、そこには網が仕掛けられている。次々と仲間が絡め取られていると知りながらそれでも魚群は川をさかのぼり続ける。
 浅海へと追いやられた潜水艦など浜に打ち上げられた魚と何も変わらない。
 シンたちの真下にはすでに潜行さえできなくなっているのか、海面すれすれを航行しているボズゴロフ級の姿があった。その艦体は水上にところどころむき出しとなり、その様は傷だらけの鯨が息絶え絶えに泳ぎ続けているようである。
 通信はそんな鯨から届いていた。

「聞こえているか、インパルスたち……」

「こちら、レイ・ザ・バレル大尉だ。そちらの艦はすでに損傷が著しい。こちらで援護する。ただちにこの海峡から……」

 艦長からなのだろう。そう、レイは判断するとともに離脱を進めるはずだった。

「我々のことはいい……。君たちは進んで欲しい」

「しかし……」

「私はプラントに妻子を残してきた。子どもはまだ2歳にもなっていない。おそらく私の顔もまだ覚えていないだろう……」

 通信は咳き込む音を拾っていた。おそらくは、血を吐いているのだろう。咳に時折、何かを吐くような音も含まれていたからだ。

「今日ここで戦いが終わってくれるなら、子どもは私のことを……、人類の未来のために戦い、その命を賭けた父として記憶してくる。……悔いはない。行ってくれ……。輝かし明日のために……!」

 それが名前も知らない艦長の最期の言葉となった。ボズゴロフ級が艦首から急速に沈降をはじめ、膨大な水音が国に子どもを残してきた父親を呑み込んだ。浅い海とは言え、ボズゴロフ級の姿はすぐに沈み消えていった。
 シンはボズゴロフ級が完全に沈みきってもまだ海から目を離すことができなかった。その理由は、シン自身にもわからない。シンはザフトと同調しているとは言いがたい。しかし、シンの以前の隊長は、艦長と同じく子どもを残して亡くなった。

「シン、行くぞ……」

 必ずしも艦長の遺志を尊重した訳ではないが、レイたちはダーダネルス海峡の奥へと進み出していた。そろそろ戦況が移り始めていた以上、これ以上ここに留まる必要がなかったのだ。
 シンもまた、ヴィーノにやや遅れる形でレイの後を追った。しかし、レイにはお見通しのようだ。

「何か言いたげだな?」

「別に……。どんな死に方したって……、戦没者ってことに違いありませんから……」




 輸送機が高度を下げながら向かう方向。ボズゴロフ級が光りさす海を進む場所。地球軍、ザフト軍、それぞれの部隊の進路はいくつもの線を狭い海峡に描き、そしてそれは一点で交わっていた。すべての戦力が一つの場所へと集結しようとしていた。
 その場所が決戦の地となる。
 フォース・シルエットを装備したインパルスガンダムが2機、その場所を目指し飛んでいた。

「ヘルベルト、ユニウス・セブンを思い出すな」

「言うなよ……」

「弟さん、生きていれば19歳だろ?」

「言うなって言ってんだろ」

 しかし、マーズはなかなか話をやめようとはしなかった。周囲に敵機の姿がなく、それだけ暇をもてあましていたのかもしれない。あるいは、来たるべき戦いに感慨を深めているのだろうか。

「この戦いが終わったら、墓標を前に語ることは決まってるのか?」

「おい……」

「ところでな、お前、エインセル・ハンターの顔知ってるか?」

「……いいや」

「テレビでも映しちゃくれないからな。俺たち、顔も知らない相手を憎んでんだよな? そんな奴殺して、本当に戦いなんて終わると思うか?」

「じゃあどうすれば戦争が終わると思うんだ? ナチュラルどもの目を覚まさせる方法が他にあるって言うのか?」

 マーズが答えることはなかった。すると、ここが戦場であることを忘れるほどの静けさが訪れた。何とも気味が悪く、重苦しくさえある。そのためか、マーズのため息はやや大げさにさえ聞こえた。

「ま、難しく考える必要もねえか。あいつは大勢の人を殺した。その償いをさせるべきってことには誰も文句を言わねえだろうしな」




 ガンダム・タイプのみで構成された編隊が、その場所を目指して進んでいた。
 その多くはディーヴィエイトガンダムであり、青い鷹を思わせるモビル・アーマー形態で飛行している。しかし、インテンセティガンダム特装型が必死に追行しようとしていた。部隊の先頭を行くガンダムラインルビーンのようなゲルテンリッターでもないインテンセティが機動力に優れるディ-ヴィエイトについてくことができるはずもなく目に見えて遅れ始めていた。
 それに呆れていることを隠しもしないのはミューディだった。

「そこの坊や、いい加減諦めなさい。インテンセティでディーヴィエイトと編隊が組めるはずがないでしょ。予定通り潜水艦狩りに行ってきなさい」

「ヒメノカリス姉ちゃんがやばいんだろ? なのに俺の相手は雑魚かよ」

 そうは言いながらも、アウルの方も限界を感じているのだろう。インテンセティの全身はミノフスキー・クラフトが強く輝きこれ以上速度を上げることができないことを示している。しかし、まだディーヴィエイトの方は光が淡く余力を残している。
 アウルがわがままを通そうとしている時、決まって子守役を買って出るのはシャムスと決まっていた。1機のディーヴィエイトが速度を落とし、アウルのインテンセティと並んだのである。

「元々、今回は地中海のボズゴロフを潰すのが目的だろ? ほれ、行くぞ」

 戦闘機よろしくウイングを傾け旋回していくディーヴィエイトに、アウルも渋々と言った様子で機体を傾けた。そこにはもう1機、副隊長であるアーノルドも合流し、合計3機が部隊から離脱した。
 残るはキラ・ヤマトのラインルビーンに率いられる2機のディーヴィエイト、ミューディー、及びステラの機体である。ステラのディーヴィエイトは褐色を基調とした塗装がなされておりより鷹を思わせる。しかし、その飛行はどこか安定を欠き、パイロットであるステラの不安が感じ取れる。
 そのことに気づかないキラではなかった。

「ステラ、君は本当ならこんなところで戦うはずの子じゃない。無理はしないようにね」

「うん。わかってる……」

 ステラは元から恐がりなところがある。そのため、見ていて危なっかしいところはある意味では年相応と言えた。
 ミューディーはため息をつく。

「ま、私はエインセル代表守れればそれでいいから、この子とヒメノカリスって子は任せるわ隊長」

「ミューディー、君も同じだよ。狼を守るために子犬が命を賭ける必要なんてないからね」

 ミューディーは再びため息をついた。

「でも、わたしたちには必要なのよね、あの方が。プラントが奪った10億の命の責任を果たさせるためにはね」




 そして、その場所は定まった。
 輸送機が高度を落とし、後部ハッチを開放。格納されていたコンテナを投下したのである。コンテナは四隅に備えられていたパラシュートによって日の光の中をゆっくりと降下し始める。それは白く、人型を納めるよう長方形にしつらえられたそれは、つまりは棺を連想させる。
 それは波間に落ちるとそのまま漂い始め、その瞬間、こここそがすべての力が集う場所となる。
 ある者は守るために。ある者は殺すために。
 ここにはエインセル・ハンターの力がある。かつて地球を救った英雄が訪れる。世界を混沌と破滅に突き進ませようとしている悪鬼が舞い降りる。今日、この場所に。
 もとは軍事施設に乏しく大規模な戦いなど想定されていない場所である。しかし、戦いの条件は至極単純である。ただ敵がいること、それだけでいいのだから。
 四方から集った戦力は敵味方がない交ぜとなりながら集結していく。戦いの密度は急速に濃縮され、誰ともなく、誰もが始めた攻撃は空に光の交差を描き幾度となく何度となく死を投げつけ合う。
 そう、戦いは始まっていた。
 ジェット・ストライカーを装備したストライクダガーが放ったビームがゼーゴックを貫いた。そのストライクダガーを上空から飛来したヅダの巨大な戦斧が肩口から腹部に達するほど深く切り裂く。そのヅダもまたいくつも飛来したビームが突き刺さり爆発する。
 敵と味方が隊列もなく混じり合い、生と死が境界を喪失していく。
 ザフトに戦略などなかった。この戦いに、エインセル・ハンターに勝利することさえできれば戦いは終わるのである。だとすれば、後先など考える必要がない。ただ、全力を傾け、目標を果たせれば良い。どれほど犠牲を出そうとも、どれほどの戦いになろうとも、今日、この日、すべての戦いを終わらせるために。
 地球軍は守らなければならなかった。信じる者がいるからだ。エインセル・ハンターはこの世界のために必要なのだと信じる者がいるからだ。そのために、地球軍はザフトの死出に付き従う。
 暴挙には愚挙で臨まなければならない。
 ある部隊は、同じ隊の仲間よりも敵機との距離の方が近い。モビル・アーマー形態で高速飛行するセイバーガンダムは多数のビームの下をくぐり抜けたものの、その軌道が同じく飛行するディーヴィエイトガンダムと重なることに気づいていなかった。斜めに交わり衝突する2機。瞬時に火だるまとなり残骸が二つの方向に飛び散る。
 もはや誰も誰がいまだ生存していて、誰が戦死しているのかを把握することができないでいた。そして、生存者であっても次の瞬間に生きているとは限らない。
 死者と生者さえ混ざり合う混戦状態。それを、魔王の力が封じられた棺が見上げている。



[32266] 第24話「黄衣の王」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:6a6cd985
Date: 2017/05/13 23:33
 エインセル・ハンター。
 この男がプラントにおいて魔王のように語られる理由はあくまでも政治的な都合とする面が大きい。プラントにとってブルー・コスモスは絶対悪であり、それはデュランダル政権において顕著に主張されることとなった。その際、代表を務めていたのがエインセル・ハンターであった、ただそれだけのことである。
 かつてブルー・コスモスは三巨頭制が採用されていた。しかし、ムウ・ラ・フラガがジェネシスを道ずれに死去し、ラウ・ル・クルーゼが体調不良を理由として事実上の引退を迎えたことで1人残されたエインセル・ハンターが単独で代表を務めるに至ったにすぎない。
 その時期と、プラントが政治的なキャンペーンを始めた時期とが一致したにすぎないのだ。
 エインセル・ハンターは偶像の魔王でしかなかった。
 事実として、プラントの国民の多くはエインセル・ハンターの顔さえ知らない。むろん、彼自身がコーディネーターであり、ドミナントとして生まれた最初の1人であることなど言わずもがなである。
 ただコーディネーターの素質を妬む性根の腐ったみっともない男としか認識していない。
 ではなぜそんな小物が地球各国に影響力を有するのか。答えは簡単である。ナチュラルがそれだけ愚かな存在であるからだ。コーディネーターであれば考えられないことだが、ナチュラルであればこのような男に扇動されたとしても不思議ではない。
 プラントが攻撃されるのはナチュラルの嫉妬故である。そんなプラントの理屈を都合よく体現する存在こそが、エインセル・ハンターなのである。まさに偶像なのだ。こうであって欲しい、こうでなければならない、こうであるに決まっている、そんなコーディネーターの、プラントの都合のすべてをエインセル・ハンターにその一身に担っているのである。
 映画、「自由と正義の名の下に」ではそのような男として描かれた。
 プラントの民は信じている。エインセル・ハンターさえ倒すことができたならナチュラルは自らの愚かさを自覚し、この戦争は終わると。そして、プラントはようやく楽園への道を歩み出すことができるのだと。
 エインセル・ハンターは偶像の魔王だった。実在はしていなくとも存在しているのだ。まだ誰も、幽霊、悪魔、人にあだなす超自然の存在を証明してはいない。しかし、人はそのような存在に怯え、脅かされる。
 エインセル・ハンターは、まさに偶像の魔王だった。




 ダーダネルス海峡の戦いはひどく不格好なものだった。
 エインセル・ハンターを倒せばすべてが終わる。そう信じるザフト軍が後先考えない攻撃に打って出た。隊列、戦術を無視した攻勢に、地球軍もまた呼応した。結果、両軍が海峡の上空で入り乱れる、近年あり得ないほどの混戦模様を繰り広げていた。
 シン・アスカは遅れてこの戦場に到着した。友軍の潜水艦、その海峡突入の支援を行っていたため、到着時刻がずれたのだ。
 そのため、シンは戦場を外から眺めることができた。
 交差するビームの線条。それが幾本も重なり合いまばゆいばかりだ。あまりに密集しているため、敵味方の区別がまともにつかない。撃ってきたら反射的に撃ち返す。それがせいぜいではないだろうか。
 ここに飛び込む以上、頭で考えてのお上品な戦いなんてできない。そう、シンは覚悟を決める必要があった。
 しかし、シンのわずか先を飛行するガンダムローゼンクリスタルのレイ・ザ・バレルは何かを感じ取っていたようだった。

「何か妙だな。無秩序は言うまでもないが、それでも動きに規則性が感じられる」

 隊長の言葉に疑問を抱いたのは、シンの隣で飛ぶヴィーノ・デュプレだ。

「おかしいって、何がです?」
「このような大混戦のさなかだ。互いに通信など連携などとれるはずもないが、個々が目的を有し、それが集団で共有される場合、群衆は擬似的に統率のとれた状態になることがある。知能に乏しい蟻の群が、それでも見事な隊列を組むようにだ」

 では目的とは何か、そのような観点から眺めてみると、シンには次第に大きな蚊柱かのような戦場に一定の方向性が見えてくるようになった。
 地球軍のモビル・スーツはばらばらに動いているように見えて決まって同じ方向に背を向けていた。背中で何かを取り囲んでいるように見えて、それは自然に解するならば何かを守っているかのように見える。
 対して、ザフト軍はその反対だ。おそらく、その多くが意識してはいないのだろうが、地球軍を倒そうとするため自然と地球軍が守ろうとしている何かへと銃を向ける形になっている。
 一見するなら混沌とした戦場だったが、確実に方向性が存在していた。
 ヴィーノにそれは確認できたのだろう。

「隊長、地球軍は何かを守ろうとしているみたいですね。でも、一体何を……?」
「答えは一つしかないだろう。この場所には、すでにエインセル・ハンターがいるということだ」
「どこに……!?」
「戦いの中心、そのどこかだろうな。……存在を匂わせるだけで人を扇動し殺し合わせるか。まさに悪魔のような男だな」

 そう、ここにエインセル・ハンターがいる。その事実は、シンの体を自然とこわばらせた。口数が少ないことを怪しまれたのか、あるいは単に気が向いただけか、ヴィーノは通信越しにシンに声をかけた。

「シン、母さんの仇だからって無茶するなよ」
「ああ……」

 シンは、そんな空返事をすることしかできないでいた。




 戦いは激化していた。パイロットたちは友軍と連絡をとる時でさえ、操縦桿を動かさずにはいられなかった。わずかでも動きを止めると敵の攻撃、味方の流れ弾、どのような形であれ被弾の危険性があった。
 すでに珍しい光景が展開されていた。ウイングに青い薔薇のエンブレムが描かれたディーヴィエイトガンダム、ファントムペインの機体でさえ損傷していた。左腕を失い、熱を帯びた装甲からは黒煙が薄く立ち上っていた。
 部下の状態を確認したキラ・ヤマトは、乗機であるガンダムラインルビーンをディーヴィエイトのすぐそばにまで飛行させた。混戦状態であるため中空で制止することはできず、絶えず位置を変える落ち着きのない状態のまま通信をつないだ。

「ミューディー、今日の君は無理をしすぎる」

 ミューディー・ホルクロフト、キラの部下の中で唯一の女性パイロットは、そのヘルメットの奥で額から血を流していた。流れ込んだ血で右目をあけていられず半目となっている。しかし、そんな状態にも関わらずミューディーはあくまでも落ち着き払っていた。

「エインセル・ハンター守って戦えるなんて滅多にないんだし。見逃してよ、隊長」
「撤退した方がいい。いいね?」

 ミューディーにはそう言い残し、キラは乗機である赤い機体を翻した。

「この空気、あまり好きになれそうにないな……」

 無造作に飛び込んできたヅダをビーム・サーベルで切り裂き、ラインルビーンはすぐさま爆発する敵機から離れる。
 ただエインセル・ハンターを殺す、それだけのために命を投げ捨てていく様は異常と言えた。
 しかし、それは何もザフト軍に限った話ではないのかもしれない。コクピット内を浮遊する人形の少女、真紅がキラの顔の横から囁きかけた。

「お父様、ミューディーのことだけれど……」

 しかし、真紅が続けるよりも先にキラがラインルビーンを鋭く機動させた。ビームが2人が場所を通り過ぎる。
 ビームの方向、そこから後光を背負う純白の機体、ガンダムローゼンクリスタルが急降下してくる。パイロットであるレイ・ザ・バレルは敵との間に通信をつなぐことを躊躇しなかった。

「キラ! お前までいるとはな!」
「レイ! 君までエインセル・ハンターを狙うのか?」
「それがザフトの悲願らしいからな。だが、サイサリスはお前たちゲルテンリッターにご執心だ」

 ライフルから次々とローゼンクリスタルがビームを放つも、ラインルビーンは無駄のない動きでそのすべてを回避する。ラインルビーンのアリスである真紅は余裕の笑みさえ浮かべていた。

「優れた技術者であることの証明のため? そんな子どもじみた考えだからいつまでも背中を追うことしかできないのだわ」
「本人にそう言ってやれ。だがキラ、兄弟のよしみとは言え、お互い手加減はできんな」

 そう、レイは特殊な操作をした。ローゼンクリスタルが背負うリング状のユニットが静かに起動する。

「お父様」

 真紅の言葉に導かれ機体を動かすキラ。すると、その場所に突如、ビームの塊が生じる。偶然ではない。キラのラインルビーンの動きは明らかにビームの塊を避ける動きだった。
 レイはビームで追撃を加えながらも、その声にはわずかながら動揺が見られた。

「ローゼンクリスタルの手品がわかっているのか?」

 キラがビーム飛び交う混戦の中、レイの攻撃を交わし続けている間に真紅はとうとうと語り続けていた。

「バックパックのリングに多数搭載されたマイクロ波照射装置から微弱なマイクロ・ウェーヴを無数に照射して一点に集中する。そのことでその地点のミノフスキー粒子がビームへと変化して、突如、中空にビームが発生したように見えるのだわ」

 戦場でそのような低出力のマイクロ波を観測している機体などありはしない。すると、虚空に突然、ビームが発生したようにしか見えないことになる。しかし、トリックさえわかれば回避はたやすい。原料とも言えるミノフスキー粒子の密度が高い場所を避ければいいだけだからである。
 試すかのように、ローゼンクリスタルは再びビームを発生させた。だが、ラインルビーンはたやすく発生地点を避けて飛行する。

「レイ、実は、ゲルテンリッターにも同様のシステムを搭載した機体があるんだ」
「ほう。サイサリスの奴、結局はゼフィランサスの手の上か。だが、これほどの戦場だ。ビームに由来するミノフスキー粒子はあり得ないほどに濃密だ。この意味がわかるだろう、キラ!」

 次々と発生するビームの塊に加え、レイは続けざまにライフルの引き金を引き続ける。点と線、ラインルビーンの逃げる空間を急速に潰していく攻撃はゲルテンリッター5号機を追いつめつつあるかのように思われた。キラ・ヤマトの実力を知らない者にとっては。
 ラインルビーンがミノフスキー・クラフトの輝きを一際強めたかと思うと、その真紅の機体は突如としてローゼンクリスタルへと軌道を変えた。無謀なほどに直線的な接近は、当然、ビーム・ライフルの直撃を受ける。命中を、誰もが確信したはずだった。そうであるにも関わらず、ラインルビーンは無傷のまま突き進みローゼンクリスタルの脇を通り過ぎた。
 レイはとっさに機体を逃がしたつもりだったが、ビーム・ライフルは切断されており投げ捨てられるとともに中空で爆発する。失った武器を惜しんでいる暇もなく、レイはビーム・サーベルを抜く必要に駆られた。通り過ぎたはずのラインルビーンがすぐさま両手のビーム・サーベルを叩きつけてきたからだ。

「レイ、エースの戦いにライフルは役立たない!」
「そうでなくてはな!」

 衝突する度に粒子の輝きがまき散らされる。2機のガンダムは空で激突しては切り結び、一度離れたかと思うとまた激突する。敵味方入り乱れる戦場において周囲をかまうことなく決闘に興じ続けていた。




 戦いは消耗戦の様相さえ呈し始めていた。隊列もなく、敵が四方に点在する戦場では回避さえ運試しじみている。流れ弾がかすめる度、装甲が削れていく。そんな戦場に身をおく多くのモビル・スーツは何かしらの損傷を受けるとともにそれは時を追うごとに深刻化していく。
 だが、それでも戦いは終わる気配を見せない。
 形式的には隊長であるはずのレイから離れたヘルベルト、マーズの2人は戦場のさらに奥へと進んでいた。

「どこだ!? どこにいる、エインセル・ハンター!」
「ヘルベルト、前に出すぎだ! 死ぬつもりか!」
「前衛も後衛もねえだろうが!」
「たしかにこの混戦じゃな……」

 マーズの言葉は予言じみていた。ビームがヘルベルトの機体をかすめたからだ。

「おい、ヘルベルト!」

 すぐに機体を横付けするマーズだが、幸いにしてフォース・シルエットのウイングを削る程度の損傷であることはすぐに確認できた。そんなことよりも、モニター越しに見えるヘルベルトの血走った目の方がよほどマーズを動揺させた。

「かすり傷だ……。だが、エインセル・ハンターを見つけた! 奴だ、奴がエインセル・ハンターだ!」

 マーズのインパルスにもマークされた敵機が表示される。それは何の変哲もないストライクダガーにすぎなかった。

「どうしてわかる?」

 この指摘はもっともなことだろう。しかし、そんなマーズの声がヘルベルトに冷静さを取り戻させることはなかった。

「こんなドンパチやってる最中にこそこそしてる奴がほかにいるか? みんな、よく聞け! エインセル・ハンターは奴だ! 手柄をあげたければ今しかねえぞ!」

 飛び出していくヘルベルト機に、マーズはすぐについて行くことはできなかった。
 だが、ヘルベルトの言い分もまったく見当はずれとも言い切れなかった。そのストライクダガーはこの戦場のまっただ中にいるにも関わらずまるで攻撃に参加することなく、まるで周囲を気にした様子もなくある場所を目指していた。
 海に浮かぶコンテナ、魔王の棺へと向かっていたのだ。その様は、ある種の風格さえ漂わせていた。
 ひょっとすると本物かもしれない。そう、マーズもまた考えたのも当然のことかもしれない。他にも大勢いたのだ。ヘルベルトに焚きつけられるまま奴を本物と認定した者が大勢。
 混沌としていた戦場に、突如流れが生み出された。棺へと向かうストライクダガーへとザフト機のビームが集中し、地球軍機が撃ち返す。その様は、大輪の花が咲き乱れたかのようである。
 悪魔が人の血と死で咲かせた花の中、生まれた秩序のもと、人と人とが殺し合う。
 無理に突撃したヅダのブレイズ・ウィザードを敵とも味方からともわからなうビームが命中すると、もとより捨て身の速度であったヅダは体勢を立て直すこともできないまま海へと墜落する。
 ビームを放っていたストライクダガーは接近してくるヅダを捉えることができなかった。ビーム・アックスを肩深くに突き立てられる。同時に、ヅダ自身、自らの速度を抑えることができない。両機は激突し一塊となって海へと墜落する。
 海面に漂う棺。その周囲には瞬く間に残骸が浮かび、流れ出した機械油は血であり海を燃え上がらせた。
 そして、例のストラクダガーは棺の上に降り立っていた。攻撃することもない。逃れることもない。地獄のような情景の中、人々の断末魔を耳に魔王はまどろんでいた。
 ヘルベルトもまた、その叫びを魔王へと捧げていた。

「エインセル! ハンターぁぁぁぁぁ!」

 インパルスガンダムがただ棺へと急降下する。すでに全身に被弾しはがれ落ちた装甲からはフレームが剥き出しとなっていた。飛来したビームが顔面に命中すると顔面の皮を剥がされた亡者の様相を呈する。ヘルベルトもまた、血走った眼のまま声ともならない声で叫び続けていた。
 もはや、魔王を討ち果たさんとする騎士の姿はない。
 憎悪と妄執に突き動かされるインパルスはわずかに原形をとどめる右腕をつきだし、悪魔の喉元へと落ちていく。

「貴様がぁぁぁぁぁ!」

 もはや特攻である。その腕に武器はなく、折れたマニュピレーター、こぼれ落ちる潤滑油、人の形を模したモビル・スーツの腕とは思えない異形が魔王をくびり殺さんとする。
 その歪んだ願いは叶えられたことだろう。魔王と亡者の間に、青薔薇の翼を持つ魔王の眷属が割り込まなかったなら。
 ファントムペインに所属するディーヴィエイトが、その傷だらけの体を割り込ませたことで、インパルスガンダムはなすすべなく激突する。すでにフェイズシフト・アーマーがどれほど機能しているのか疑わしい2機は激突とともに破片をまき散らし一瞬のうちに巨大な爆発に包まれた。
 その爆煙は棺を包み隠す。
 戦場の風に吹き流され、視界が徐々に取り戻されていく。魔王の棺がその姿を再び露わにしていく。その時、誰もが気づいた。棺の上に、件のストライクダガーがひざまずいているのだと。
 忠誠か、祈りか、あるいはもはや立つことさえかなわぬ死に体か。そのどれとも思わせる。
 悪魔は事前に通告するほどの礼儀をわきまえてはいなかった。それは突然で唐突で、突如としておきた。
 ひざまずくストライクダガー、その背中から光の翼が生えたのだ。しかし、人々はすぐに気づいた。それは翼のような優雅でもなければ情緒的なものではないことを。それが、単なる致命的なビームの輝きにすぎないのだと。棺から飛び出たビーム・サーベルがストライクダガーの胸を貫き背中から飛び出しているにすぎないのだと。
 しかし、頭ではそうと理解しながらも人々は恐れずにはいられなかった。魔王の棺に捧げられた人の形、その中から何かが這い出てこようとしている。輝く何かが脱皮しようとしている。人を内側から食い破り、何かが生まれ出ようとしているのだと。
 再び背中から翼が生え、人の皮が一気に引き裂かれる。ストライクダガーが熱量に耐えきれずに爆発したのだ。その爆煙が、内側から吹き飛ばされる光景はミノフスキー・クラフトによる斥力によるものだと誰もが理解しながらも、超自然的な力の発露を目撃したかのような錯覚にさえとらわれた。
 棺に封じられていた魔王が人に憑依し、人を中から食らいつくし生まれ出た。
 世界が闇に包まれる。無論、太陽は健在である。日中の日差しは変わらず降り注いでいる。しかし、人々は太陽の存在を忘れてしまった。ただ目の前に黄金の輝きがあったからだ。
 それは人の形をしながら、しかし巨大であって、洗練された造形を有していた。人は神を模して創られた。だが、これは人ではない。人ではなく、しかし人の姿をしている。では、これは神なのだろうか。そんなはずはない。
 万物の造物主である太陽。それは同じく黄金の輝きを放つ。
 人を創りし神。決して人でないそれはその似姿をしている。
 だがそれは神ではない。神であってはならない。では何か。
 かつて、自らを偽り創造主へと反逆した天使は明けの明星。夜空においては太陽のように振る舞い輝くが、夜明けとともに太陽の威光にかき消される定めにある。そして、それは太陽のごとき輝きを放ちながら太陽ではなく、人の姿をしようとも人ではない。ましてや、神であるはずもない。
 故に魔王。黄金の魔王の再誕であった。




 戦場の空気が一変した。
 ただ1機、たった1機のモビル・スーツが現れた、ただそれだけのことで。ZZZ-X300AAフォイエリヒガンダム。エインセル・ハンターの専用機は25m、通常の1.5倍ほどもある大型機であり、その全身を黄金の輝きに包み込まれていた。
 何ともふざけた色である。いくら隠密性が事実上、放棄されている昨今のモビル・スーツとは言えここまで目立つ色をした機体はそうは存在しない。事実、その姿にこの戦場の誰もが心を奪われていた。
 誰も戦闘などしていない。敵機のすぐ隣で無防備な隙をさらすことさえいとわず、ただフォイエリヒを眺めているだけの者も少なくない。ここがついさきほどまでビームが絶え間なく飛び交う大混戦だったと言われて素直に信じることのできる者はすくないのではないだろうか。
 シン・アスカもまた、操縦を忘れてただ見つめ続けていた。

「これがフォイエリヒ……、これが、エインセル・ハンター……」

 シンは一度、フォイエリヒとの交戦経験があった。しかし、今、モニターに映る黄金のガンダムからは以前とは比べものにならないほどのプレッシャーを覚えていた。
 見ほれているのではない。見とれているのでもない。ではなぜ目を離すことができないのか、シンは自分の腕が小刻みに震えていることに気づいたことであまりに簡単に判明する。
 恐怖だ。
 怖くてたまらず、目を離すことができないのだ。多くの兵士が訓練を経て、戦場の空気を感じ取ることで自然と培われる戦士としての勘がこのガンダムを危険な相手と認識していた。
 シン自身、すでに腕の震えに現れている。本当なら逃げ出してしまいたい、そんな感覚さえ芽生えていたかもしれない。
 もはや時間の問題だったのだろう。誰か1人が恐怖に負ければ止まった時は一気に動き出す。
 それはすぐに訪れた。
 ザフト兵の1人が緊張に耐えきれずビーム・ライフルの引き金を引いた。ビームの線条がフォイエリヒを目指し、黄金のガンダムは身じろぎ一つなくそのビームを弾く。
 その黄金の装甲を焦がすことさえできなかった。しかし、一度動き出した戦いは止めることができない。戦場は瞬く間に混戦状態へと立ち返った。
 魔王を殺すため、魔王を守るため、両軍が魔王と中心として戦いの坩堝にたたき込まれた。
 黄金の魔王を中心とした戦いのさなか、シンは思うように動くことができなかった。またたく間に再発した混戦に巻き込まれ願う方向に進むことができないのである。
 しかし、ただそれだけではないのかもしれない。シンは、体が震えていると自覚し始めていた。フォイエリヒはただでさえ25mと大型の機体である。しかし、その大きさ以上のプレッシャーがシンに重圧をかけていたのである。それでも、シンは魔王の元へと混迷の空を進んでいた。
 進む理由も曖昧なまま、強大な敵に対する恐怖を明確に覚えながらも。
 エインセル・ハンターの存在は戦場を浸食している。ザフト兵の多くはただエインセル・ハンターに気を取られ多数展開している地球軍への注意が散漫になりつつあった。そのため、明らかに被弾率が上昇している。このままでは長い時間をかけることなくザフトは徹底を余儀なくされることだろう。
 しかし、それでもザフトは戦い方を変えることができない。ただの一撃、エインセル・ハンターの命を奪うことさえできたならすべてが終わる。守りに入るよりも先に攻撃に専念するしかない。そんな焦りにただ突き動かされていた。
 地球軍モビル・スーツが狙っている。しかし、フォイエリヒを射線上に捉えた。よってそのザフト兵は攻撃することを選択し、その直後、ビームによって1機のヅダが撃ち抜かれた。そうして放ったビームさえ、フォイエリヒの黄金の装甲はただ弾いてしまう。
 いくつもの無謀の果て、ザフト軍は射撃の無為を悟る。フォイエリヒはビームでは貫けない。ならば簡単なことである。ビームではなく物理的な破壊を加えればよい。ただそれだけなのだ。
 数機のヅダが接近戦を仕掛けた。衝突、体当たり、何らかの質量攻撃を加えることができたなら魔王を倒すことができる。地球側のビームに撃墜されてしまったモビル・スーツがいる。しかし、くぐり抜けることのできた機体もまたあった。ビームを弾く装甲、魔王の不死を演出するもそれは単なる偽りにすぎない。ビームを発振していないビーム・アックスを振りかざし突撃するヅダたちによって、黄金の幻想はたやすくかき消える。
 黄金の盾の後ろに隠れた魔王の実態、それはやはり偽りだった。ザフトが想定していた以上の怪物であったからだ。両手足、バックパックの4本のアーム、そのすべてから発振される合計8本もの大型ビーム・サーベルが一斉に展開した。
 斧構える一つ目の巨人たちは、一瞬にして切り裂かれた。誰も、彼らがどのように撃墜されたのか理解できない。ただ、フォイエリヒがまばゆく輝いたかと思うと切断されたヅダが次の瞬間には爆発していた。
 そして、黄金の魔王は無傷の姿を猊下に示す。
 かつての戦いではそんなこと、感じたことなどなかった。しかし、シンは確かに感じていた。プラントからは魔王と恐れ蔑まれ、ブルー・コスモスからは青薔薇の王と称えられる男、その存在を。




 戦い、生と死。そのすべてがエインセル・ハンターを中心として動いていた。生きている者は、ある者はエインセル・ハンターを守るために戦い、またある者はエインセル・ハンターを殺害するために戦っている。そして、エインセル・ハンターのため、エインセル・ハンターのせいで死んでいく。
 ここにも1人、エインセル・ハンターに狂った男がいた。

「ミネルヴァ、こちらマーズだ。アリスを発動させろ! 奴を一気に片づける!」

 戦友を失ったこの男は、明らかに冷静さを欠いていた。この通信を受けたミネルヴァのブリッジでは、オペレーターたちがただならぬ様子に動揺していた。本来ならば通信を担当するはずのクルーが思わず言葉を失っているため、タリア・グラディスが変わりに返答する他なかった。
 タリアはためらいを見せながらも普段通り、はっきりとした口調で応じた。

「まだあなた方とデュプレ、アスカ両名とのリンクが完了していません。アリスが連携を前提としたシステムである以上、システムの発動は事実上不可能です」
「ボパールから今まで何してた!? まあ、いい。それなら俺だけで行く。発動させろ!」

 タリアが考えあぐねている間、システムを担当するクルーは落ち着かない様子で艦長席の方を見やっていた。
 何が切っ掛けだったのかはわからない。しかし、タリアは拍子抜けするほどあっさりと指示を出した。

「許可します」

 もはやクルーにためらいはなかった。癖としてマイクを手で直すと、マーズへと通信を返す。

「アリス、発動します」
「おう!」

 そして、アリスが発動した。マーズは極度の集中状態に陥るとともに、まるで夢の中に放り込まれてしまったかのように意識を残しながら現実感を消失させていく。マーズ機は搭載されるアリスによって敵、フォイエリヒガンダムを分析、把握し、撃墜するための最適解を構築、それをマーズの脳裏に投影することで描いた情報そのままに機体を動かさせようとする。
 その結果、フォイエリヒへと向かっていたマーズ機は戦場のただ中であるにも関わらず、ダーダネルス海峡、その海の上空でその動きを止めた。
 無論、あまりに無防備なマーズ機がこのような混戦状態で無事でいられるはずがなかった。周囲から次々とビームが命中し、鳥についばまれた屍のような無残な姿となり爆発する。




 マーズ機の明らかに異常な挙動を、シンは確かに目にした。それはヴィーノもおなじだったようだ。

「おい、シン! 今の……、何だよ……!?」
「わかる訳ないだろ!」

 単なるパイロットにすぎないシンに原因などわかるはずもない。ただ、インパルスガンダム自体の不具合である可能性もあった。それがヴィーノを必要以上に混乱させたのかもしれない。
 ただでさえエインセル・ハンターによって戦場そのものが混乱させられている状況である。シン自身、すでに現状を把握しきれず混乱し始めていた。たえず機体を動かし、被弾を避けなければならない状況である。集中力の消耗がかつてないほどシンを、その他の多くのパイロットたちを苦しめていた。
 この戦いはどのような結果であれ長くは続かないことだろう。そう、誰もが理解していた。そして、誰もが察していた。魔王を倒すことはできだろうとも。
 だが、そんな時のことだった。
 シンは、突然、戦場の空白帯に入り込んだ。モニターには激しい戦闘が投影されている。まだ戦いは続いている。しかし、シンのインパルスの周囲に敵機の姿はなく、友軍機の姿もまたなかった。
 見ていると、友軍のヅダはこの空間に入り込もうとしている。しかしできない。敵のストライクダガーはどこか遠慮したかのように入ってこようとはしなかった。
 ここは謁見の間だと言えた。招待されない敵は力尽くで立ち入る他ない。臣下は主の許可なく立ち入ることはない。よって、ここには三種の者だけが存在しうる。招かれた客か、押し通った敵、そして、主たる魔王そのもの。
 そう、シンは思わず心臓を握られたかのような感覚を覚えた。左頬のアザがうずき思わず呼吸することを忘れる。その見開かれた双眸にはまばゆいほどの光が飛び込んでいた。 3年前、憎悪とともに見上げるしかできなかった黄金に輝く魔王の姿。それが、今はシンの目の前にいた。



[32266] 第25話「かつて見上げた魔王を前に」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:dbdd3d75
Date: 2017/05/30 23:21
 3年前、シン・アスカは灰の中から体を起き上がらせ、空を見上げた。そこには黄金の輝きを放つガンダムがあった。そして今、その輝きは目の前にある。
 頬のアザがうずくのを感じながらシンは意識して一言ずつ言葉を発する。

「エインセル……、ハンター……」

 何とも奇妙な光景だと言えた。周囲ではまだ激しい戦闘が続いている。しかし、シンのインパルスガンダムとエインセルのフォイエリヒガンダムは空で対峙していた。剣戟さえお抱えの劇団の奏でる楽曲のようであり、シンは謁見の間にて拝謁を許された戦士のようにただ体を強ばらせ王の出方を窺っているでしかない。
 よって、先に動いたのは魔王エインセルの方だった。
 フォイエリヒがバックパックのアームから、その両手足からビーム・サーベルを出現させると、シンはほとんど反射的に機体を動かしていた。
 黄金の輝きが一瞬にしてインパルスに迫り、インパルスが手にする一対の大剣が力強く迎え撃つ。モビル・スーツを一刀のもとに両断できるソード・シルエットの剣は、しかし、フォイエリヒに接触したかと思えた瞬間に一つが切り刻まれた。左のサーベルがいくつもの破片に切断されてしまったため、シンは投げ捨てるなりすぐに残ったサーベルを両手で構えた。
 逃げて逃げ切れる相手ではない。そう、シンはバックパックを輝かせ加速すると、その勢いをフォイエリヒへの攻撃に用いた。
 叩きつける一撃はバック・パックのサーベルで防がれ、すぐさま左腕のサーベルで反撃されるが、それはインパルスをわずかに移動させ回避するとともに次の攻撃をねじ伏せる形でビーム・サーベルを振るう。そう、シンは予想を立てるとともにそれが実現したのかを確認することもなく、実現したことを前提にインパルスを操縦し続けた。
 人間の知覚の限界を超えた光と光の応酬は、シンの予想通りの結果となった、はずだった。しかし、インパルスはいつの間にか右肩のアーマーを切り裂かれていた。
 思わず飛び退くシンに対して、フォイエリヒは即座に追撃に移る。
 相手の攻撃の一つ一つを目視していて反応が間に合わない。動きを読み、予想を立て、シンは必死にインパルスを操縦しつづけた。光の洪水のように迫り来る8本ものビーム・サーベルから機体を逃がし、時にはこちらのビーム・サーベルで受け止める。
 しかし、インパルスは今度、左足を切断されていた。
 予測が間に合っていないのだ。シンが予測できる範囲を、エインセルは1歩その先を行っている。それはシンが反応できない時間の話であり回避のしようがなかった。
 筋肉が痛みを覚えるほど全身に力が入り、瞬きをする余裕さえシンにはない。
 シンはかつてフォイエリヒと小惑星フィンブルで戦ったことがあった。だが、あの時とはまるで違う。以前は右側なら右側、左なら左のビーム・サーベルが連動していた。数本の剣を束ねて振り回している状況であったのだが、今は8本のサーベルすべてが個々に動いていた。8機ものモビル・スーツに同時に斬りかかられていると等しいのである。
 攻撃を防いだつもりが、他のサーベルが次々とインパルスを襲う。1本の剣で防げるはずもなく、シンはただ機体を逃がすことしかできない。
 しかし、フォイエリヒはその大きさに似つかわしくない速度で即座に追撃に移った。
 意識を加速させることでシンは辛うじてエインセルの動きについていたが、それも防戦一方。それでさえ徐々に押し切られている有様である。致命傷こそないものの、フォイエリヒの一撃一撃がかすめるようにインパルスの装甲を切り取っていく。
 燃えさかる塔の中、火から逃れるために上に上に逃げるようなものだ。うまく逃げているように見えたとしても、最後には火に包まれるしかない。
 シンは追い詰められていた。
 機体以上に、シン自身が限界を迎えつつあった。緊張のあまり肉体の疲労が激しく、呼吸さえ忘れがちになるほど集中し続けている。そして、魔王の前にいる。あらゆる重圧にさらされながらも、それでもシンは反撃の糸口を探していた。エインセル・ハンターに勝つために。
 ではなぜ勝ちたいのだろう。死にたくなからだろうか。それなら逃げ出せばいいだけの話だ。だとすると、母の仇を討ちたいからだろうか。では、シンは本当に仇を討ちたいのだろうか、命の危険を冒してまで。
 そんな迷いが一瞬、シンの行動を鈍らせた。それは時間にして1秒にも満たないわずかな時間だった。そんな一瞬だけ、シンはエインセルを倒す努力を放棄した。本来ならば斬りかかることができたかもしれない瞬間に、シンは思わずインパルスを引こうとしてしまった。
 それを、魔王は見逃さなかった。
 前に進むよう作られているモビル・スーツが後退しようとした時、速度が減少する。それはわずかな速度低下にすぎないが、フォイエリヒを前にしては致命的な隙だった。
 それはもはや光にしか見えなかった。黄金の装甲、8本ものビーム・サーベルが高速で動くとそれは輝きの目映さとあいまって輝きそのものがシンの目に飛び込んでくるばかりだった。
 コクピット内が赤く染まりアラームが鳴り響く。機体の損壊を告げるモニターには、インパルスのあらゆる部位が破壊されたことを示していた。ただ不思議なことにバイタル・エリアである胴体に損傷はない。
 もはや残骸と化したインパルスが落下を始めた証拠として生じた浮遊感を覚えたことで、シンは決断に迫られた。この高度から落下すればコクピット内とは言えどうなるかわからない。他に手はない。シンはドッキングを解除する。手足を失った上半身と下半身が切り離され、コクピット部位は戦闘機へと変形する。
 キャノピーから直接流れ込む陽光に、シンはまぶしさを覚えた。直に戦場を眺めて見た者はコクピットのCG処理されたモニター画面とは異なった光景だった。遠くの火花で名前も知らない人が死に、この空にいる全員を何度も殺害できるほどの熱量が幾度となく飛び交うような悪い夢のような光景に現実感を与えてくれる。
 そんな空を、シンは全身に突き刺さるような死への恐怖を感じながら飛行していた。フェイズシフト・アーマーもまともな武器もない戦闘機のままではストライクダガーの相手さえできない。
 しかし、エインセル・ハンターは、フォイエリヒガンダムはシンを攻撃しようとはしなかった。シンが脱出したことに気づいていないのか。そんな甘い考えを、シンは自ら否定した。風防越しに見上げた先、黄金のガンダムが見下ろしていた。シンとガンダム、その両者の目が、たしかにあっていた。
 心臓を握られたかのような、そんな不快感がシンの胸を圧迫する。
 少年と魔王の対峙。
 それは、魔王の方から終わりを告げた。フォイエリヒがその黄金の体を翻し飛び去っていったからだ。シンの前に、その輝きをまばゆく焼き付けながら。
 一体、どれほどフォイエリヒと戦っていたのだろう。シンは時間の感覚を失ってい、ヘルメットの中で大量の汗をかいていることに気づいた。

「……」

 誰かの声が聞こえている。通信があったのだと気づくのが遅れたほどだ。
 同僚であるヴィーノ・デュプレがシンに大声で呼びかけていた。

「……シン! 無事なんだよな、シン!」
「ああ、ヴィーノか……。何とかな……」
「まったく、心配させるなよ。レイ隊長から撤退命令が出た。これ以上ザフトは戦えない。早くミネルヴァに帰ろうぜ」

 見ると、周囲では急速に戦闘が終結しつつあった。エインセル・ハンターが戦場から離脱したことでザフト軍は目標を失い、地球軍はそれに伴って移動を開始したからなのだろう。
 わざわざシンを撃墜しようとする敵機は、どうやらいないようだった。また1日、シンは生き延びたらしかった。
 それでも心配してくれたのだろう。ヴィーノのインパルスがシンと併走した。この激戦である。さすがに無傷ではなかったが、ヴィーノもまたこの戦いを生き抜いていた。

「シン、インパルスだめにするの、これで何機目だよ?」
「前の部隊の時よりロー・ペースだな」

 お互い、軽口を言い合えるくらいには戦いの緊張から解放されていた。だが、それでも限界はある。特にシンは震える体を押さえ込むことばかりに意識をとられ、ミネルヴァに帰還するまで口を開くことはできなかった。




 シンはミネルヴァに帰還してからもしばらくの間、戦闘機から降りることができなかった。また広くなってしまった格納庫の中、緊張から解き放たれたことで全身を強い倦怠感が襲いなかなか立ちあがる気になれなかったからだ。
 しかし、いつまでもこのままではいられない。シンは意を決し、コクピットに横付けされたはしごを伝って降りた。上着の胸をはだけると下に身につけていたシャツが握れば水が滴るほどに汗で濡れていた。

「俺、よく生きてたな……」

 エインセル・ハンターにはシンを確実に仕留める機会があった。余裕も時間もあったことだろう。しかし、シンはこうして生きている。その理由なんてわかるはずもなかった。考えてもわかりそうにないと、シンは格納庫横の待機室へと歩き出した。
 そこでは、レイ・ザ・バレルとヴィーノがすでに入室していた。扉を開けると2人の話し声が聞こえてきた。

「お前の言いたいこともわかるが、あの状況だ。生存はまず望めまい。だが、マーズ機のあの妙な挙動はたしかに気になるところだな」
「何かわかるんですか?」
「あまり買いかぶるな。俺は技術者じゃない。皆目見当もつかん」

 シンに気づいたのは、まずレイだった。

「よく生き残ったな、シン」
「ええ、なんとか……」
「大丈夫か、なんか顔色悪いぞ」

 ヴィーノの言うとおり、シンは限界だった。コクピットから這い出したももの、重い疲労感は抜けていない。仕方なくそばの椅子に腰掛けると、2人もシンの疲れ方が異常と思ったのだろう。シンは妙な注目を集めてしまっていた。

「隊長、それにヴィーノ。ちょっと、俺の話に付き合ってもらえませんか?」

 思いの外、意外なことだったのだろう。レイは一瞬、目を見開いたが、すぐに笑うように息を吹いた。

「お前が俺たちに何を期待しているかはわからんが、話してみろ」




 スペングラー級航空母艦の格納庫の中で、フォイエリヒガンダムはその取り戻した黄金の輝きを遺憾なく煌めかせていた。モビル・スーツなど見慣れているはずの整備員たちでさえ思わず見上げていた。
 そんな中、パイロットであるエインセルは白いスーツ姿に涼しい顔と、激戦をくぐり抜けてきたとは思えない出で立ちで悠然と歩いていた。時折、すれ違うクルーに敬礼される度、それに応えようと手を挙げようとすると、それをすぐ脇を歩くヒメノカリス・ホテルに妨害されてしまう。

「フォイエリヒを運んだのは私です、お父様」

 Hのヴァーリであり優れたパイロットでもあるヒメノカリスだが、エインセルの前では独占欲をむき出しにする子どものようであった。エインセルもまた、まるで子どもをあやすかのように、ヒメノカリスの頭を撫でて落ち着けようとしていた。
 そうして、一組の親子がたどり着いたのは士官用の一室、それを古風な調度品でしつらえ直した、どこぞの屋敷を思わせる部屋だった。意匠については懐古主義的とも思えるエインセルのために用意された部屋なのだとわかる。
 エインセルはテーブルに備えられた椅子を引き、娘を座らせると、自身もまた反対側の椅子についた。

「ヒメノカリス、あなたに見ていただきたいものがあります」

 壁掛けのモニターは、周囲のフレームが木目調で絵画でも飾っているかのような趣がある。題名は、ひねりを加えなければ戦闘機に乗った少年、だろうか。
 戦闘機のキャノピー越しにこちらを見上げている少年の姿が映し出されていた。赤い瞳に、左頬の痣、怯えたように緊張した口元に対してその瞳は強く開かれていた。

「お父様、これをどこで……!?」

 父のためにしか感情をあらわにすることのないヒメノカリスが、珍しく声を震わせた。この映像の少年に見覚えがあったからだ。

「フォイエリヒのカメラが捉えたものです。私と刃を交えたソード・シルエットを背負ったインパルスガンダムのパイロットであり、彼がシン・アスカ、間違いありませんか?」
「……はい」

 ややためらいがちに答えたヒメノカリスだったが、まだ納得していない様子でその視線は父と映像のシンとの間を行き来する。

「お父様は……、どうしてシン・アスカだとわかったのですか?」

 インパルスガンダムは量産機にすぎず、ヒメノカリスはシンの特徴を詳細に伝えたこともなかった。混戦のさなか、顔も知らない相手を見つけられると考える根拠はなかった。
 エインセルはこともなげに言った。

「ソード・シルエットを使用しているパイロットは比較的少数です。何より、私を殺すのではなく倒すために立ちふさがったのは彼だけでした」
「お話がわかりません……」

 エインセルは微笑むばかりで説明しようとはしない。ただ娘が戸惑う様子を楽しむ父であり続けた。

「ヒメノカリス、シン・アスカと私は、似ているように思いませんか?」
「目、でしょうか……。……いいえ、似ていません。何から何まで」

 突然のことに思わず口にしたことを否定するヒメノカリスだったが、エインセルは様子を変えることはない。状況がわからず混乱しているだけのヒメノカリスの様子を楽しんでいるようであった。

「ヒメノカリス、私の生い立ちを知っていますね?」
「はい。お父様は最高のコーディネーター、ドミナントの最初の1人です」
「それは正確ですが正解ではありません。アル・ダ・フラガ、彼が究極の自分として作らせた2人の内の1人、それが私です」

 プラントで行われていた高性能なコーディネーターの研究への出資、その見返りとしてある富豪が求めたのは矛盾に満ちたエゴだった。

「私とラウ、いえ、ブルーノはアル・ダ・フラガのクローンに遺伝子調整を加え誕生した存在です。自分しか愛せない男が、他人を愛するために自分の複製を作り上げた存在、何とも滑稽な話ですが、それが我々です。彼は我々の誕生を大いに喜びました。優れた素質を有することが確認されたからです。しかし、それも長くは続きませんでした。やがてブルーノに遺伝子上の欠陥が発見されたからです。彼はそれまで示していた愛着が嘘であったかのようにブルーノを捨てました」

 やはりヒメノカリスは戸惑いを隠すことができない。それは、普段は冷静で感情を抑えた態度である父が、わずかながら抑制が効かない面を見せているためかもしれない。いつものように勿体ぶった様子とは違い、言葉と言葉の間隔をあけるのは自分を落ち着かせるために必要なのだろうと、ヒメノカリスは父の様子を捉えていた。

「この事実にブルーノは打ちひしがれ、ムウは不快感をあらわにしました。そして、私は憤りました。最愛の友を侮辱されたこと、そして、私もまた成果をもたらせなければ捨てられる存在だと切り捨てられたからです。このことが、アル・ダ・フラガの運命を決めました」

 アル・ダ・フラガは、原因不明の火災で命を落としている。

「父が炎に消え、私はエインセル・ハンターになりました」

 かつての名を捨て、自分自身を狩る者となった。

「父は死に、私は最後まで聞くことができませんでした。私に期待されるだけの能力がなかったとしても、それでも私を息子だと認めてくださいますかとは……」

 エインセルが珍しくも見せた逡巡は、しかしすぐにかき消えた。

「しかし、確信しています。彼は私を愛さなかっただろうと」



 シンはレイとヴィーノ、2人の仲間達に自分の境遇についてぽつりぽつりと話し始めていた。

「俺、プラントに来るまではオーブで母さんと2人暮らしでした。俺には父さんがいないんです。でも、それって別に死別したとか離婚したとかじゃなくて最初からいないんだ」

 今はヴィーノでさえ、神妙な面持ちでシンの言葉に耳を傾けている。
 シンは続けた。

「母さん、息子の俺から見ても正直、変わった人でした。ばりばりの仕事人間で、どこか男嫌いのところもあって、それでもどうしてか子どもは欲しかったみたいで……、それで精子バンクから購入した精子で体外受精して、それで俺が生まれたんです」

 シンが母を思い浮かべると、糊の利いたスーツを着込んだ後ろ姿が浮かぶ。仕事に行く母をそうして見送り続けてきたからなのだろう。

「その精子の提供者が、一応、俺の生物学的な父親ってことになるんでしょうけど、顔も名前も知りません。母さんが言うには、どっかの御曹司で顔も良くて勉強もスポーツもできる、そんなすごい人の精子を買ったんだって言ってました」

 シンはここで一旦、話を途切れさせてしまう。レイがつい余計な質問を挟んだのは、話の間を持たせるためだったのか、あるいは単なる興味本位だったのだろうか。

「御曹司が小遣い欲しさに精子バンクに登録するのか?」
「……言われてみたらそうですよね。母さん、掴まされたのかな?」

 しかし、シンにとってそんなことはどうでもいいことだったのだろう。曖昧な笑みこそ見せたものの、そこに悩んだ様子を見せることはなかった。それでも、この先、何をどう話せばいいのかわからないようでなかなか話し出す切っ掛けを掴めずにいるようだ。
 こんな時、普通は沈黙に耐えられなくなるのはヴィーノだろう。今回ばかりはレイに先を越されたようだが、その性分は変わっていないらしかった。

「でもさ、シン。たしかにちょっと変わってるけど、プラントでもそんな話、普通、とは思わないけど時たま聞く話だぞ」
「そうだな。正直、俺がどれくらい普通でどれくらい普通じゃないのかなんてわからないし、他の家族がどうなのかなんてのもわからない。でも、どうしても気になって仕方のないことがあるんだ……」

 ここからが本題なのだと、理解したらしく、レイもヴィーノもシンが自分で話し出すタイミングを掴むことを待っていた。
 待機室には買う格納庫の音も聞こえてこない。静かに、シンは備え付けの長椅子に腰掛けていた。そして、シンはようやく話し出した。

「母さんは高い金支払って優秀な精子って奴を買って、それで俺を子どもにしたんだ。それって、俺も優秀でいてくれることを期待してるってことだと思う。子ども心にそのことわかってから、勉強も運動も頑張ってた。テストでいい点とれば母さん、褒めてくれたし、リレーの選手に選ばれた時だって……。誕生日の時も仕事で忙しいはずなのに慣れないケーキなんて焼いてくれたりしてさ」

 母のことを語るシンは、それこそ子どものように無邪気な笑顔を見せることもあった。しかし、それはすぐに消えてしまう。

「……でも、怖くて一度も聞けなかったんだ。もしもテストでいい点がとれなかったら……、もしも競争で一番になれなかったら……、それでもあなたの息子でいさせてくれますかって?」

 高い金を支払って、期待もして、そもそもどんな子どもであっても構わないと考える親が子どもに遺伝子調整など施すだろうか。そんな疑問が、シンの脳裏から離れることはなかった。
 ボパールの鉄と毒の森の中、雨に打たれながら聞いたヒメノカリスの言葉は何も間違ってはいなかった。

「エインセル・ハンターのことは正直、憎い気持ちがある。でも、それって母さんを殺された恨みなのか、単に国を攻められたことに怒ってるだけなのかって……、わからなくて。実際、俺も死にかけましたしね……」

 シンの左頬の痣はその時の火傷の跡である。傷口は完全に塞がっているはずが、今でも時折、うずくことがあるとシンは自覚している。その度に炎の記憶が呼び起こされてきた。

「俺、最後まで聞けませんでした。俺がテストで良い点がとれなくても競争で一等をとれなかったとしても、それでも俺を息子だって思ってくれますかって……」

 シンにまとわりつく戸惑い、迷いは決して晴れることはない。

「だから、わからないんだ。母さんが俺を愛してくれたのかどうか……」




 戦いが終わり、多くの人が命を落とした。しかし律儀な太陽は何事もなかったかのように西の水平線に沈み夜が訪れた。
 地中海を西へ、ジブラルタル基地へと航行している空母においても当然のように夜は訪れた。軍艦とは言え、戦闘配備ということもない。何より、激戦を終え、友軍の基地へと向かっているという解放感、安堵感は夜の静謐を一層際立たせていた。廊下を叩くブーツの小気味よい音が響くほどに。
 ファントム・ペインの部隊長であるキラ・ヤマト、その部下であるシャムス・コーザの2人が並んで歩いている。

「隊長はフォイエリヒと戦ったことがあるんですよね? どうでした?」
「もう3年前の話だけど、やっぱり強かったよ。8本のビーム・サーベルを自由自在に扱うその力は見えない壁でもあるみたいに思えた。実際、まともに当てられたことなかったよ」

 事実、キラはフォイエリヒをジェネシス内部で撃墜したが、それはキラが勝利したというよりはエインセルが敗北を選んだとする方が正解だろう。ゲルテンリッターを得た今でさえ、キラはフォイエリヒへの勝利を期待することはできないだろう。

「俺にも扱えますかね?」
「無理だよ」
「ひでぇ……」

 即答したキラは笑いながら歩み続けている。

「25mで重さも通常のモビル・スーツの倍はある。それじゃあ慣性で止めることも動かすことも一苦労だよ。それに4本ものアームを持つバック・パックともなると重心の位置も高くなって振り回す度に機体が振り回されるように感じるはずだ」
「もう半分人間やめてません、エインセル代表?」
「竜殺しの槍が竜を殺せるのは、竜を殺すことのできる英雄に振るわれるからだよ」

 そう、ファントム・ペインの2人がある一室を通り過ぎようとしたところ、シャムスがその部屋を大きく体をのけぞらせてのぞき込んだ。ドアがないため、中の様子をのぞき見ることは容易だったのである。

「ああ、すいません。先、行っててください」

 そう言い残し、シャムスは部屋へと脚を踏み入れた。
 広い部屋だ。椅子が同じ方向に整然と並べられ置くには大型のモニターが備えられている。ブリーフィングに用いられる部屋だが、モニターがあることを良いことに隠れて映画の鑑賞会など開かれていることをシャムスは知っていた。
 誰が何をしているのか、そんな興味本位から部屋に足を踏み入れたシャムスだったが、部屋は思いの外、暗い。モニター前に必要最低限の明かりしかついていない。とてもではないが大人数がたむろしているようには見えなかった。
 事実、人影は1人分だった。

「1人で何やってんだ、アウル?」

 モニター前で地べたにあぐらをかく少年が1人。アウル・ニーダはよく見るとその膝の上にプロジェクターを乗せそこからは赤いドレスを身につけた真紅が立体投影されていた。
 見ると、モニターにはフォイエリヒガンダムの戦闘の様子が映し出されている。おそらく、今日の戦いの様子だろう。ニコルはシャムスに振り向きもせずにただモニターを見つめていた。

「わからねえよ……?」
「少し見たくらいでエインセル代表の戦い方を理解できるはずねえだろ」
「そっちじゃねえよ……」

 ここで、アウルはあぐらをかいたまま体を回転させた。目つきの悪いガキだ、それがシャムスのアウルに対する印象の一つだったが、今はそれに加え瞳にどこかくらいものが映っている。

「あのミューディーって、人、死んだんだろ?」

 モニターには撃墜されるモビル・スーツの様子が次々と流れていた。連続再生であるためあり得ないことだが、まるであつらえたかのようなタイミングだ。
 暗い瞳をした少年の後ろで次々と人が死んでいく。

「……ああ。機体が損傷してたってのに、エインセル代表のために無理してな。隊長は撤退命令だしてたってのにな」

 シャムスはその現場を目撃していないが、インパルスガンダムと差し違えたのだと聞いている。
 これでアウルが納得することはなかった。

「どうして平気なんだよ、それで……」
「別に平気じゃねえよ。ただ、殺して殺される、それが戦争だしな。軍人が殺されただのいちいち言ってたら切りがねえぞ」

 シャムスは大きく頭を振ってみせた。特に意味はない。単に気むずかしい少年をどう説得しようか、いい考えが思いつかないだけのことだ。

「あのな、アウル……」
「おかしいだろ、そんなの……」

 残念なことに、シャムスにはアウルが強くこだわっている原因を完全には把握できていなかった。よって、代わりに答えたのは真紅の方だ。

「アウル、スティング・オークレーのこと?」
「……そうだよ。あいつは死んだのに、あいつを殺した奴はのうのうと生きてる。そんなこと、許せっかよ……!」

 要するに、自分の復讐心を当然のものと捉えているのだろう。その結果、自分とは違う考え方のシャムスや真紅の態度が理解できていないのだ。

「スティングを殺した奴、シン・アスカってんだろ。絶対にそいつは俺の手で殺してやる!」



[32266] 第26話「日の沈む先」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:dbdd3d75
Date: 2017/06/02 20:44
 ヴァーリ。
 シーゲル・クラインに仕えた従僕であり、彼女たちは26人で1人、6人と20人、あるいはたった1人と25人であり、九つに分類される。九つの髪の色を持つ。
 そんなヴァーリが2人、プラントのプライベート・シャトルの発着所にいた。出発間際なのだろう。ウイングを備えることから地球行きとわかるシャトルの周囲からはすでに整備の人影はなく、固定用のアームが重たい動きでゆっくりと外れていった。ヴァーリがいるのは、そんなシャトルの搭乗口へと続く通路の中だった。
 1人はザフトの軍服を身につけているのに対して、もう1人はおしゃれな薄桃色のスーツ姿と同じ顔でありながら印象はずいぶんと異なる。しかし、同じ黒髪をしている。
 黒髪を緩い縦ロールでまとめているのはスーツの少女の方、Nのヴァーリであるニーレンベルギア・ノベンバーである。キャリーバッグを引く手を止め、振り返った。

「珍しいわね、ミルラ姉さんが見送りなんて」
「自分でもそう考えているところだ。だがな、たまにはこうでもしないと自分でも忘れそうになる。お前と私が同じ第6研出身の姉妹だってことをな」

 黒髪をストレートに伸ばした軍服姿のヴァーリは、ミルラ・マイク。このMのヴァーリは屈託のない笑みを見せると、Nのヴァーリにそれに釣られた。

「それもそうね。ねえ、姉さん、聞いてもいいかしら?」
「よしよし聞いてみろ、かわいい妹よ」
「エピメディウム姉さんを手にかけたのは姉さん?」

 一瞬、ミルラは表情を固めたものの、本当に一瞬のことだった。

「それは誤解だ。確かに、私の部隊はエピメディウムのシャトルの近くにいたがそれだけだ」

 軍隊が意味もなく部隊を動かすことはないことをニーレンベルギアも当然、知っている。しかし、Nのヴァーリは、ダムゼルの1人は笑みを崩すことはなかった。

「じゃあ次の質問。姉さんがラクス・クラインに従う理由は何? 姉さんはお父様をよく思ってなかった。なのにお父様の遺志を継ぐ至高の娘に従うの?」
「デンドロビウムにも似たようなことを聞かれたが、まあ、お前と私の仲だ。少しばかりおしゃべりになるのもいいだろう」

 ニーレンベルギアが思わず笑みを強くしたのは、この姉が口の軽さに対して定評があることを知っているからだろう。しかし、ミルラの表情が想像以上に深刻な印象であったことから、ニーレンベルギアもまた表情を固くする。

「3年前、私はジェネシス内部へお父様を追った。最後の最後で道具と見なしていた娘に裏切られた事実を突きつけてやるためだ。私はそこで死ぬはずだった。だが、私はこうして生きている。お父様が救ってくださったからだ」

 現場に居合わせた者は死亡したか、プラント国外にいる。それでもヴァーリの間でミルラの裏切りが周知の事実となっているのは、つまり当事者の1人であるミルラの性格ゆえだろう。

「私は悩んだよ。なぜ、あの男は私を救っただろうとな。確かにあの時、扉にはお父様が通ることのできるほどの隙間はなかった。冷静に考えたなら、ヴァーリを1人でも多く確保するためだったとも考えられる。だが、裏切ったヴァーリにそんな価値があるだろうか? 少なくともわざわざ助ける価値があったのかどうかわからないはずだ」

 ここで、ミルラは珍しく話をすることに躊躇した。

「……それでも、お父様は私を助けてくれた」

 そこにミルラの複雑な心境が隠れているのだと、妹でなくても察することは容易かもしれない。

「お父様が助けてくれたのは、もしかしたらお父様に愛されていたのかもしれない。そう、思ってるのね、お姉様?」
「自分でも驚くほどに感傷的だが、私は悩んでいる。愛されていたのかもしれない。だが、だったらどうしてお父様は私たちヴァーリを犠牲にしてまで目指すべき世界を求めたのか、そんな疑問もちらつく」

 ミルラは自嘲じみた笑みを見せた。

「私のお父様への憎しみは、愛してもらえないことへの苛立ちだったんだろう。頭では、あの男がヴァーリを犠牲にしていたことを知っている。それでも、私は都合のいい幻想を捨てきれないでいる。」
「……それがヴァーリに施された洗脳の一環かもしれないことは理解してるでしょ?」
「だとしても気持ちに嘘はつけんさ」

 前髪を書き上げる仕草は、ミルラの場合も一般と変わらず、戸惑いや苛立ちを示している。

「私はお父様の気持ちを確かめたいんだ。だが、お父様はすでにいない。だったら、お父様が理想とされた世界を見てみればいい。もしもその世界がすばらしいものであるなら、ヴァーリを犠牲にすることも仕方がないことになる。それはつまり、お父様が私たちのことを愛していてもなお希求していたものがあったにすぎないことになる」
「愛していなくても理想の世界のためにヴァーリを犠牲にすることもありうるでしょ?」
「わかっている。だが、愛されていた可能性が導き出される。私にはそれで十分だ」
「もしも、お父様の世界が価値のないものだって思えたら……、どうするの?」
「その時はその時で、踏ん切りも付けられるだろう。やっぱりあの男は私たちのことを愛してなどいなかったとな」

 今日のミルラは忙しい。普段通りの人を食ったような笑みを見せたかと思うと、すぐに表情を固くしてしまう。

「そしてお父様が理想とされた世界を作ることができるのが、至高の娘であるラクス・クラインだ。だから私はラクスの腕となり足となる」




 モニターには、赤い軍服を身につけたザフト軍の少女が映し出された。ショート・カットのかわいらしい少女ではあったが、この放送を目にしているほとんどの人が疑問に思ったことだろう。この子は誰なのだろう、と。
 それは無理もないことだった。彼女はオナラブル・コーディネーター、プラントの事実上の二等国民なのだから。
 少女は明らかに緊張した面持ちで話し始めた。

「みなさん、初めまして。私、ルナマリア・ホークと言います」

 これはプラント国内に向けた放送である。カーペンタリアを守り抜いたザフト兵の中から1人を選んで話を聞く、そんな趣旨だ。
 人前で話すことに慣れていないルナマリアは深呼吸をしてから、再び話し出そうとする。

「たぶん、多くの人にとって、私が誰かなんてわからないと思います。だって、私、ただのザフトの兵士で、アスランさんみたいな英雄じゃありません。それに私……、オナラブル・コーディネーターなんです。説明なんて必要ないと思いますけど、つまりナチュラルなんです。あ、でも、私もプラント出身でれっきとしたザフトです。え~、と要するに何が言いたいかと言いますと……」

 この事実は、視聴者であるプラント国民には少なくない衝撃を持って受け止められた。多くのコーディネーターには自分達と肩を並べるナチュラルがいたと言う事実に、多くのナチュラルにとってはプラント国内で評価されているという事実にである。

「え~と、あ~と……。ごめんなさい。いろいろ言いたいこと考えてたつもりだったんですけど、わからなくなっちゃって。だから、順番にお話させてください。私、今、アスランさんと同じ部隊にいます。オナラブル・コーディネーターの私がザフトの騎士と一緒に戦えるなんてすごいことですよね。でも、少しずつ、それが特別なことであっても特殊なことじゃないんだってわかってきました」

 ルナマリアは少しずつ調子を上げているようだった。

「地球じゃあ、地球軍との激しい戦いが続いてます。戦うってことは絶対に楽なことでも簡単なことでもありません。でも、それ以上に辛いことは地球軍がひどい奴らだってことです」

 真っ直ぐに前を見つめ、見えてはいないはずの視聴者に対して語りかけるようになっていく。時には手振りを交えながら、決して飾らない言葉で話しかける様は年相応、1人の少女が自分の言葉で自分が見聞きしたものを素直に表現していることを印象づけた。

「プラントの皆さんも見たことがあると思います。現地の人たちをむりやり働かせて逃げようとすれば銃まで向けるんです。そんな時に颯爽と現れたインパルスガンダム、実はあのパイロット、私です。……というのは嘘ですけど、同じインパルス乗りとして尊敬してます」

 視聴者の中には、若き赤服のちょっとしたイタズラに覆わず頬を緩めた者もいたことだろう。

「それに、私もこの目で見てきました。人の住む街なのにすぐ横に基地を造って住民を危険にさらしたり、他にも住民の被害なんて何も考えない攻撃で街を燃やしたりとか。この戦争の被害者は私たちプラントだけじゃなくて、地球の人たちもそうなんだって気づかされました」

 少女は伝える。プラントが正しいということを。

「私、神様なんていないと思ってます。でも、もしも悪い人ばっかりが勝つなら人類なんてもう何百年も前に滅びてますよ、きっと。だからきっと、私たちは勝ちます。勝たないといけないんだと思います」

 オナラブル・コーディネーターやナチュラル、外人部隊であっても認められるのだと。もしも不当な扱いを受けていると不満を口にするなら、それは勘違いでしかないと。
 プラント政府、いや、デュランダル政権の求めるそのままに。




 プラントの12市の一つ、ディセンベル市のある一室でルナマリアの映っていたモニターが消された。コントローラーを手にしているのはずいぶんと怪しい風袋の男だった。
 個人所有のシアター・ルームにしては広く、整然と並べられた椅子が映画館を思わせていたのだろう。しかし、現在、不要な椅子はどけられ、その怪しい男は残された椅子の一つにゆったりと腰掛けていた。

「何ともわかりやすいプロパガンダで助かるよ。どうかな、地球の記者さん?」

 彼はケナフ・ルキーニ。ここはプラント最高評議会議員であるタッド・エルスマン自慢のシアター・ルームである。しかし、今は映画の放映のためではなく、反体制派の記者に利用されている。
 ケナフの正面にはナタル・バジルールが座り、助手のジェス・リブルとフレイ・アルスターの2人がその脇についていた。ジェスがメモをとり、フレイは疑問に感じたことを素直に口にしていた。

「このルナマリアって子、ナチュラルなんでしょ? プラントじゃ、障がい者やナチュラルは差別されてるって聞いてるけど?」
「ギルバート政権のいつもの手さ。まず敵を分断するんだ。ナチュラルや在外コーディネーターは待遇の面で差別されているのが現実さ。でもね、このルナマリアって子みたいに勲章までもらった子がいたらどうだろうね? ギルバート・デュランダルはこう言い返すことができるんだ。ルナマリア・ホークを見ろ、彼女はナチュラルだが重用されているだろう、とね。君たちは冷遇されていると言っているが、それは評価に値しないからにすぎないんだとね。テレビには出てこなかったけど、他にシン・アスカなんて在外出身のコーディネーターもいる。彼も議長から直々に勲章を贈られたよ。これで、在外も差別されているとは言えない訳だ」
「ルナマリア・ホークとシン・アスカか、どこにでも要領の良い奴っているもんね」
「彼らは利用されているだけさ。まあ、こうやって取り繕ったところでザフト軍の幹部の割合は明らかにプラント出身のコーディネーターに偏ってるんだけどね。プラントが本当に能力主義だと言うならおかしな話じゃないかな?」

 ジェスはメモをとり、ナタルはただ耳を傾けていた。インタビューは、いつの間にかフレイが質問をするようになっていた。

「仲間割れ狙いか。他にもデュランダル政権のやってること、何かあるの?」
「マスコミ対策も同様だね。自分たちに都合の悪い報道をするところは取材する資格がないと攻撃して、反対に大本営発表なんて揶揄されているところもあるくらいさ。議会での質問に対して、自分の言いたいことはすべてそこの新聞に書いてある、なんて言ったクライン派の議員もいたくらいだからね。民間の報道機関がいつの間にか官報になってた瞬間だよ」

 ケナフはそう、口元をゆがめた。もっとも、このフリー・ジャーナリストの場合、嘲笑をしているのか、あるいは普段と変わらない笑みなのかは区別できないが。

「彼らに言わせれば政府に都合のいいことを伝えるのがいい報道で、都合の悪いことを伝えるのが悪い報道なのさ」

 ここで、ナタルが渋い顔をして口を開いた。

「誰の気分、利益も害さない報道の自由などどんな強硬な独裁国家にさえ存在する。これではプラントには民主主義の根幹が根付いていないと判断すしかないように思える」
「彼らのもっと怖いことは二元論で動いていることかな。デュランダル議長は意外とアニメーションが好きでね。前、自分に反対する勢力を売国奴くんなんてキャラクターにしたててそれと対論するなんて番組を流していたね。自分と異なる意見や立場の人間は左翼、売国奴、国家の敵って訳だ。それをふざけたキャラクターにしたてて一方的にやり込めて最後にはうなだれる売国奴くんと握手をして終了さ。いや~、あの時はさすがに笑いが止まらなかったよ。あんなやり方が許されるなら僕だってソクラテスを論破してみせるよ。まさか、たかが一時の政権が国家そのもののように振る舞うとはね」

 ケナフは本当に楽しそうに笑っている。自分で自分の額を掴み、笑いを抑えなければならないほどだ。
 この男を前に、フレイは思わずナタルの後ろに隠れるように移動してしまった。口調、容姿、雰囲気と、何か女性の本能に訴える危険な男なのだ。

「で、でも……、デュランダル政権の支持率は高いみたいだけど?」
「他に議長を務められるような人がいないだけさ。それに、政権側の報道は僕から見ればまともな他の報道を攻撃している有様だからね。前なんか他局の失態につけ込んでネガティブ・キャンペーンを展開したものの、顧客を奪うどころか報道の信用を失墜させてかえって部数を落としたところもあったかな」
「つまり……、偏向報道で支持率が歪められているってこと?」
「おいおい、報道に携わる人間が偏向報道なんて軽々しく口にするもんじゃないよ。報道の自由とは、つまり偏向報道を許すってことさ。考えてもごらん。政府は報道の中立性を維持するよう口出しすることはできても義務はない。だったら同じ偏っていると言っても、自分に都合のいい記事には何も言わず、自分に都合の悪い記事にだけ偏向報道だ、報道の中立性を守れと言うに決まってるじゃないか。政府が偏向報道なんて言い出したらもう末期だよ。まあ、デュランダル政権の報道官の口癖だけどね」
「じゃあ……、支持されてないの?」
「いやいや、支持はされているさ。ただ、デュランダル政権が支持されていることとギルバート・デュランダルが支持されていることは別ものに考えなきゃいけないってことかな」

 フレイはよくわからなかったらしく頭を傾けたが、ケナフもそこは記者である。視聴者、読者の疑問を引き出すと後はどのタイミングで答えを用意すればいいかを心得ていた。

「クライン派はプラント建国当時から存在する根強い政党だ。すると、よほど不満でもない限りクライン派の代表なら誰であっても支持する層は存在する。他にも極右政権であれば無条件で支持する人も少なくないしね。プラントが楽園なんて呼ばれてた時代が忘れられない年配連中や、若者の中でも考えのない連中なんてのはその典型だろうね。他にも問題に気づけないで、不満はないからどちらかと言えば賛成、なんてものも支持率には含まれる」

 今、ケナフが見せているのは、それこそ本当に嘲笑なのだろう。

「人は確かな事実よりも曖昧な噂をより信じやすい。理由は簡単だ。確かな事実にはどうしたって不都合なこと、不愉快なことが含まれる。でも、噂ならはっきりとしない部分は自分にとって都合のいい妄想で穴埋めして理解することができる。つまりはそういうことさ」

 そう、ケナフは立ちあがった。これはインタビューが終わったことを意味した。
 ナタルは後を追う形で立ちあがると手を差し出し、ケナフと握手を交わす。

「ありがとうございます。ケナフ・ルキーニ記者。大変興味深い話でした」
「なに、政権に潰されたプレスの恨み節さ。一方当事者の意見にすぎないしね。まあ、デュランダル政権がお抱え記者以外のインタビューを受けるとも思えないけどね」

 ひとしきり話したことで満足したのだろう。ケナフは露骨にここにいる3人、ナタル、フレイ、ジェスから関心を失ったようだった。落ち着かない様子で周囲の周囲を見回している。もちろん、その手には如何にもプロ仕様のカメラがある。

「それより、報酬のことは覚えてるね?」
「無論です。そろそろ帰ってくる頃でしょう」

 フレイとジェスは、ナタルが妹のように大切にしていたはずの少女を売り渡したことを知っている。インタビューのためとは言え、ナタルの普段通りの引き締まった顔はどこか悪巧みをしているようにさえフレイには見えてしまった。

「ナタルさん、記者始めて少し怖くなってません……?」

 それからしばらくして、シアター・ルームのドアをノックする音がした。

「ナタルさん、ただいまです」

 扉を開くと、まずアイリスの桃色の髪がその隙間に滑り込み、しかしアイリスよりも先にツインテールの髪型をしたリリーが室内に滑り込んだ。

「こら、リリー。あ、お客さんですか? ほら、リリー、ご挨拶ですよ」

 アイリスはすぐに走り回るリリーを追いかけ始めたため、ケナフの様子を見ていないらしい。そうでもなければ無言でアイリスの写真を撮り始めたことに薄気味悪さを感じただろう。ケナフは口元をにやけさせて吐息が荒くなっているのだから。
 もっとも、遅れて部屋に入ってきたディアッカはケナフの様子に気づいていた。

「なあ、ナタルさん。あまり親父の留守中にあからさまな奴呼ばれても困るんだが……」

 しかし、ケナフは単なる怪しげな男ではなかった。

「この家のヴァーリは1人と聞いていたけど、これは思わぬ拾いものだね」

 この言葉には、ディアッカはおろか、リリーを追いかけていることに夢中であったはずのアイリスまで反応した。




 ルナマリアの映像はアフリカ大陸でも流れていた。破壊されたストライクダガーの残骸の上、アサルト・ライフルを掲げた男たちが勝利の雄叫びを上げている。服装は皆ばらばらで、統一された制服を持たないことから正規の軍人でないことがわかる。
 この残骸の周囲でも男たちが酒を飲みながら騒いでいる。タルや、崩れかけた木箱の上、投げ出されるように置かれたテレビにルナマリアの映像が出ていたのだ。もっとも、勝利に浮かれる男たちはさしたる関心を示してはいなかった。
 そんなゲリラを、アスランとレイは見下ろす位置にいた。周囲を展望できる丘の上、そこに設営されたザフト軍の簡易テントがそこにあるからだ。四隅に立てられたポールに天幕、そこに置かれたテーブル上のディスプレイにもまた、ルナマリアのインタビューの様子が映されていた。
 レイが見ているのはそんなルナマリア姿だった。

「ルナマリアを引き込んだのはこのためか?」

 しかし、アスランは特に映像に関心を示してはいない。ゲリラたちの様子を、しかしこちらもただ視線をやっているだけで興味深げにはとても見えない。

「教えて上げるためさ。ただ不平、不満を口にするしか能のない連中に、評価されていないと感じるとしたら、それは単なる努力不足でしかないってね」
「シンはオーディションに落ちたようだな」

 オナラブル・コーディネーターと在外コーディネーター、広告塔としてはどちらでも同様の効果を上げることができる。デュランダル議長が候補とするために勲章を与え、御しやすい方をアスランが選んだ。それだけのことなのだろう。
 その時、銃声が乾いた空に響いた。一発だけではない。数えるには面倒なほどの数が鳴り響いたかと思うと、すぐに割れんばかりの歓声が起きた。
 この丘の上からならよく見えた。
 横一列に跪かされた地球軍の兵士たち、その後頭部に銃口を突きつけ次々射殺したのだ。あるどちらかと言えば、レイはニヒリストなのだろう。しかし、この残虐な処刑方法には眉をひそめ嫌悪感をあらわにした。
 正規軍であればどのような爪弾き者であったとしても捕虜をこのように扱うことはないだろう。つまり、ザフトが協力を取り付けた相手とは、そのような存在であることを意味する。

「なぜザフトがゲリラと組んだ?」
「頼まれたからだ。地球軍が来て大勢の仲間が殺された、助けて欲しい、とね。まあ、近隣住民の虐殺や略奪してたことで地球軍に睨まれたのが本当なんだろうが、彼らが送り込んできた使者はまだ子どもだったよ。俺たちは家族だの一言で子どもに武器を持たせ利用してる、要するに、そんな連中だな」

 死体の頭を足蹴にしている者や、見せしめだろうか、首に縄をくくりつけ近くの木に
吊そうとする者たちの姿もあった。

「レイ、確かに褒められた手じゃないことはわかってる。だけど、利用できるものは何でも利用すべきだ。プラントが本国の間際まで侵攻を受けたのはわうか3年前のことだ。人口はわずかに数千万。そんな国がまともな方法で戦争なんてできるはずない。だが、それでもプラントは、ザフトは戦わなければならない。どんなに正義や権利を振りかざしたところで、それを庇護すべき国がなくなってしまったら意味がないだろう?」

 プラントを守るための必要悪。アスランの口ぶりに迷いはなかった。同時に、レイもまた凄惨な処刑を目撃したにも関わらすでに動揺を封じ込めていた。

「なるほど、では二つの質問に答えてくれないか。そうすれば俺も納得できるはずだ」

 アスランは無言で頷き、レイは問いかけた。

「正義と権利を擁護できる国はプラントただ一国しか存在しないのか?」

 他にもあるというのであれば、わざわざプラントを存続させるまでもないことになる。
 アスランは答えなかった。

「コーディネーターによる世界と、平和な世界とは果たして同じことを意味するのか?」

 仮に違うのであれば、人類が皆コーディネーターになったとしても何も変わらないということにもなりかねない。
 アスランは答えない。ただきびすを返し歩き出そうとする。

「エインセル・ハンターは西に向かったそうだ。次の目標はおそらく南米、ジャブローになる。君も準備しておけ。今回は俺の作戦には俺も参加する」

 本来ならば次の作戦内容を伝えるだけのつもりだったのだろう。アスランはまったく立ち止まる気配を見せてはいなかった。そのため、急に足を止めた時には、その急制動がたたり足下から土煙が巻き起こった。

「レイ。これだけは言っておく。戦争は、コーディネーターが生まれる何千年も前から存在した」
「そして、コーディネーターが生まれてからも続くのだな」




 かつて、東アジアにて経済成長著しい時機があった。欧米の経済発展に取り残される形であった東アジアであったが、人口という面においては世界でも有数である。仮に国民1人あたりのGDPが当時の世界第一位の大国のわずか半分にも満たないとしても、経済力では上回ることができるほど、東アジアには人という潜在力満ちていた。
 この圧倒的な地盤を背景として東アジアは大いなる経済発展を成し遂げたのである。
 しかし、経済とは蜃気楼のようなものである。姿は見えど実態はない。
 10の価値あるものを10で取引することが商売であるなら、投資とは10の価値のものを100でやりとりするものである。最初の投資家が10のものを11で買い取り、それを別の投資家に12で転売する。その投資家は今度はさらに別の投資家に13で転売する。その繰り返しである。すると、10の価値のものが投資家をたらい回しにされている間に本来の価値の何倍もの値で取引されることとなる。
 そして、10の価値のものに100の値がついた時、それは市場へとようやく送られる。
 投資家はよい。転売を繰り返すことで10人の投資家が10ずつ利益を得ることができるのだから。では、本来ならば存在しないはずの90の価値はどこからくるのか。かんたんである。本当なら10の価値で手に入れられたはずの人々が余計に支払わされた90の価値、それが投資家に流れ込むのである。
 このことは経済の疲弊を招く。一切、生産性のある活動をしていない人間が、ただ転売を繰り返すだけで富を吸い上げる構図になっているからである。それに苛烈な経済発展が加わったとすれば、それは引き延ばされたゴムのようなものだ。中間層が薄く、底と上とが大きく引き離され不安定となる。
 また、幻はどこまでも幻にすぎない。
 10の価値のものが50で買い取られるのはそれが60で転売できると考えるからである。しかし、実際の価値は10しかないのである。まるで夢から覚めたかのようにそのことに気づくことがある。すると、50で買われたものは途端に10の価値しかないものになる。突如、40の価値が消えてしまうのである。
 運の悪い投資家が損をする、それだけの話ではない。その投資家は投資のための資金を多くの場所から集めている。
 資金が10しかないのであれば、得られる利益は10にすぎない。しかし、40を借り入れたとすれば50の利益があがり、仮に10を利子として支払ったとしても利益は4倍となる。投資家はさらに30多くの利益を、金融機関は10の利益を得ることができる。
 だがそれは、10のものが20で転売できる場合である。10の価値がそもそもないことになれば、投資家は50の価値を失い、金融機関は貸出金を回収できないまま10の利子を得ることもできない。
 加えて、それらの債権が金融商品として取引されていることもある。将来、10の価値を生み出すとされる債権を8の価値で購入した者は、その価値が消失したと同時に支出した8の価値を失うことになる。
 こうして、加熱した投資による損失は経済圏全体に伝播するのである。
 経済とは蜃気楼のようなものである。オアシスにたどり着こうと全速力で駆け出せば、ひからびて死ぬことになる。
 経済の発展は同時に政治の不安定さを招いた。経済力を背景とした各国の影響力が、政治の好不調によってめまぐるしく入れ替わったからである。
 結果、東アジアの経済圏は様々な状況に対応すべき三つに束ねられていく。それぞれ、東アジア共和国、赤道同盟、オーブ首長国の前身となる集合体である。
 こうして東アジアには三つの国家が誕生し、その関係はそれぞれの対立構造に由来していることとなった。その結果、東アジア各国の足並みは必ずしも揃ってはいない。
 ザフト軍のカーペンタリア基地が今日、存続を許されているのは東アジア共和国のラリー・ウィリアムズ首相の弱腰ばかりが原因とも言い切れない。赤道同盟、あるいはオーブは東アジア共和国の領内に派兵することには慎重にならざるをえず、赤道同盟にいたってはザフトと東アジア共和国をつぶし合わせ漁夫の利を狙っている節さえある。
 しかし、自国の領土を侵害されて黙っているようでは国民はウィリアムズ首相を支持しないことだろう。また、カーペンタリア基地がザフト軍の橋頭堡として機能している事実には国際的な非難が高まっている。
 そのため、東アジア共和国はシン・アスカが防衛に加わった第二次攻略作戦の後も継続して軍事行動を実施していた。
 第三次攻略作戦には、東アジア共和国のファントム・ペインである白鯨、ジェーン・ヒューストンが続けて参加。青い薔薇のエンブレムを掲げるインテンセティガンダムは多くのザフト機を破壊した。
 そのバイタリティをデュランダル議長に賞賛されたハイネ・ヴェステンフルスもまた、引き続きカーペンタリア基地所属のセイバーガンダムのパイロットとしてこれを迎え撃つ。
 ハイネは知らない。地球降下の際、自分が所属していた部隊を襲い、多くの仲間をボズゴロフ級潜水艦という鉄の棺桶ごと生きたまま水葬したのが白鯨であると。
 ジェーンは知るよしもない。取り逃がした若い鷹が今なお立ちふさがっているのだと。
 記録によれば、両者は撃沈され大きく傾いた軽空母の上で、激しく互いの剣をぶつけあったとされる。その戦いの結末は、第三次攻略作戦と同様、決着はつかなかったと記録されている。
 白鯨と若鷹は生き残り、そして、ザフトがカーペンタリアを手放すつもりがないこと徒同様、東アジア共和国が向けた銃を下ろす理由もなかった。
 戦いは続く。




 アフリカ大陸。人類発祥の地であるこの大陸は、長らく苦難と嘆きの時代を繰り返した。悪名高き三角貿易による文字通りの人的資源の流出に始まり、呪いとまで評されることもある豊かな天然資源によって大国による搾取が続けられてきたからである。
 大国による文字通りの線引きは民族の分断を招き、それ自体が少なくない紛争の火種となった。
 豊かな天然資源は諸外国の搾取を招いたばかりか、その資源から得られる利益そのものが血塗られた宝石として武装勢力に武器を与え、その武器は多くの血を流した。
 やがてこの地に民主化の流れが及んだとしても、それが必ずしも平穏と公平を約束することはなかった。民主主義は次善の策ではあるが、魔法の小箱ではない。同じ国家に所属するという意識のない者が投票を行えば、自分たちの民族のみを優遇する政策を求めるに決まっていた。他の民族とは同じ国民という意識がないからだ。
 諸外国が諸般の事情を鑑みずに定めた国境線に、ただ基本的な民主主義を導入したところで独裁者によって奇しくも抑えられていた思想、主教、民族の対立が激化するだけなのである。
 当初懸念されていた全面戦争勃発こそ起こらなかったものの、この大地から銃声が鳴り止むことはなかった。
 西暦2076年、第6次中東戦争を契機として北アフリカに後のアフリカ共同体の前進である同盟が成立した。6度目を最後に数えた戦争を乗り越えたものの、疲弊は激しく、北アフリカでは長らく深刻な食糧難に見舞われることとなる。
 その間、諸外国の支援を受けた南アフリカでは高度経済成長を成し遂げ、経済的な連携が南アフリカ統一機構の下地となった。
 戦争と貧困に明け暮れた北と、豊かな南。アフリカ大陸内部の南北問題は、やがて深刻な事態を招く。現在でさえ、何が切っ掛けであったのか判然としない。ある学者は南アフリカの水資源の不足がビクトリア湖への侵攻を招いたとする。またある学者は偶発的な武力衝突が原因だと主張した。ある学者は複合的なことが要因で明確な理由はないとする。
 戦う理由がわからないほど、アフリカの大地では複雑かつ根深い対立があったことだけは誰もが首肯する事実である。
 衝突は、豊かな南軍が北軍を圧倒。ビクトリア湖を手に入れ、後にここにビクトリア基地が建設されるに至ったのは周知の事実である。南軍優位のまま戦争は終結するものと思われた。森の逆襲さえなかったのなら。
 増加した人口を養うために森は切り開かれ、運び出される木々に、森の奥深くまで車列が続く。それは、森の奥に眠っていた悪魔を人の世界へと導く道を用意していたに他ならない。
 かつてザイールと呼ばれ、現在コンゴ地区と呼ばれる地域のエボラ川、この流域で最初の発生が確認された出血熱が森を抜け出した。発見から100年以上もの間レベル4を維持し続けたこのフィロウイルスは戦争に明け暮れる両軍に襲いかかった。致死率が少なくとも5割、最悪の場合9割を超える最悪のウイルスは数百万もの人命を奪い、産業革命以後の最悪のウイルス禍として歴史に刻まれている。
 皮肉にも、出血熱が、戦争という流血の惨事を止める切っ掛けとなった。
 西暦、2136年、年号がC.E.に改められるわずか4年前の出来事である。
 北と南の対立は、終戦から80年を経た現在でさえ根深く続いている。アフリカ共同体が、ジェネシスによる地球全土への攻撃が回避された以後も、親プラントよりとも思える行動を行っている背景には、南アフリカ統一機構への反発があることは想像に難くない。
 砂漠の狐、マーチン・ダコスタ司令代行を中心とするザフト地上軍はビクトリア基地への侵攻を続け、南アフリカ統一機構軍に犠牲を出し続けている。ジェネシス、そして小惑星フィンブルの落下と、地球を攻撃し続けているプラントを支援する姿勢に、地球に生きる民として違和感と不快感を覚える南アフリカ統一機構の市民も少なくない。
 対して、南アフリカ統一機構もまた、切り裂きエドをはじめとするゲリラ攻撃がアフリカ共同体の市民に少なからず被害を与えていた。
 現在、地球各国が反プラントで固まっている現在、おおっぴらに基地を提供することは難しい。そのため、アフリカ共同体は街の機能を流用する形でザフト軍に事実上の基地と提供している。
 これは街の中に基地があるのか、それとも街が基地なのか。
 どちらでもよい話である。少なくとも、南アフリカ統一機構のファントム・ペインである切り裂きエド、エドワード・ハレルソンにとっては。基地があれば襲撃する。そこにかつての敵国、現在の敵性国家の市民が存在したところで意に介す必要はない。
 砂漠の夜を、人々は怯えながら迎えていた。夜になると殺人狂が来るからだ。
 燃える街、立ち上る黒煙が夜空に溶けて消えていく。炎に照らされた巨人は、巨大な人斬り包丁を一対握りしめ返り血を浴びたかのような赤い体をしていた。今宵もまた、人を切り刻みその臓腑をまき散らすのだ。
 そんなイクシードに対し、ザフト軍のヒルドルブが飛びかかる。三つ首の猟犬を思わせる姿で、あるいは、軽々飛び回る剣闘士の姿で、伝説的なシリアル・キラーの名を戴く敵と切り結ぶ。
 ザフト地上軍の中には地球で家族を持った者も少なくない。そんな彼らにとって、市民の犠牲も省みない攻撃は決して他人事ではなかった。自らヒルドルブを駆るダコスタ司令代行は、コクピットの中で血気迫る形相でイクシードに挑み続けていた。
 アフリカ共同体は考える。非戦闘員の犠牲さえ考慮しないとは何と腹立たしいのだと。
 南アフリカ統一機構は思う。地球滅亡の危機を理解しないとは何と腹立たしいのだと。
 イクシードの大なたが振り下ろされ、ヒルドルブの鋭剣が振るわれる。
 戦いは終わらない。



[32266] 第27話「海原を抜けて」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:dbdd3d75
Date: 2017/06/03 23:39
 ミネルヴァとパラスアテネ。2隻のラヴクラフト級は現在、大西洋を西へ渡っていた。群狼が跋扈していたのはとうの昔である。ミノフスキー粒子によるレーダー障害が恒常化していることも相まって洋上は空白地帯であることが常だった。
 もっとも、南米大陸に達したとすれば、様相は様変わりすることだろう。そのため、艦内では戦いの準備に余念がなかった。ミネルヴァのブリーフィング・ルームでは壁掛けモニターに映し出される黄金のガンダムを前にパイロットが集まっている。
 シン・アスカ、ヴィーノ・デュプレは座っているが、レイ・ザ・バレル1人はモニター脇に立ち進行役を務めていた。

「エインセル・ハンターとフォイエリヒガンダムの恐ろしさは、その単純さにある」

 モニターが切り替わると、フォイエリヒガンダムの各部位を拡大した細切れの映像がモニターに散らばった。両手足、4本のアームの先端部分が誇張されている。

「フォイエリヒの武装に着目してみるとわかりやすい。各アームに4門ずつ、計16門のビーム・ライフル、そして、8本の大型ビーム・サーベル。以上だ。武装の種類という点ではモビル・スーツとしての武装の最小単位、それしか備えていないと言っても過言ではない」

 もっとも、その火力となるととても最小限という言葉では済まされないのだが。
 ヴィーノが手を挙げた。

「でも、隊長、フォイエリヒはビームが効かないんですよね?」
「そうだ。あくまでもフェイズシフト・アーマーの亜種のようだが、少なくともモビル・スーツが現実的に携帯できるサイズの火器では破壊は不可能だと言われている」
「わからないんですけど、そんなすごいのあるなら、ザフトでもモビル・スーツにつければいいんじゃ……?」
「それは……」

 レイが答えようとした時、部屋に少女の声がとどろき渡った

「できねぇですよ!」

 モニターがフォイエリヒから赤い瞳の少女へと突然、変わった。この緑のドレスの少女をシンは知っている。シンは思わず立ちあがっていた。

「翠星石!?」
「シン、ちゃんと訓練続けてたですか?」

 翠星石は7機のゲルテンリッターの4号機、ヤーデシュテルンのアリスである。電子の存在である以上、モニターに姿が映し出されること自体は不自然ではない。しかし、シンは戸惑わされていた。

「やってるよ、ってそんなことよりどうしてここに、いや、モニターに?」
「翠星石はアリスですぅ。この程度のプロテクト、突破はお茶の子さいさいですぅ」
「ハッキングしたのか……」

 確かにヤーデシュテルン本体は併走しているパラスアテネにある。通信そのものは可能だろう。ただ、軍艦のシステムに違法に侵入した事実に変わりはないが。
 もっとも、この奔放な少女はそんなこと、一切気にした様子を見せない。

「あの装甲が普及しない理由は……」

 翠星石が溜めると、乗りのいいヴィーノはそれに付き合い緊張感を高めていた。

「理由は……」
「馬鹿みてえな大食らいだからですぅ!」

 それだけだった。モニターに大きく映し出されている少女は胸を張ってふんぞり返った。これで説明した気になっている翠星石に補足する役割はレイが担った。

「つまりだ、ただでさえフェイズシフト・アーマーは多量のエネルギーを消費する。量産機のバッテリーでは装甲の一部にしか採用できないほどにな。それに加えてさらに大量のエネルギーが展開には必要だということだ。モビル・スーツで安定的に維持しようとした場合、動力の大型化は免れない。それこそフォイエリヒ・サイズの大きさが必要になる」
「鋭い矛に堅牢な盾。それこそがフォイエリヒの強みですぅ」
「そう、奴は単純に強い。何か複雑なシステムに頼っているでもなく、特殊な条件下で機能する機構で優位に立っているわけでもない。その単純さゆえ、弱点らしい弱点がないと言える。様々な技巧を駆使した現代建築よりも石で造られた遺跡の方が遙かに長持ちするようにな」

 何か特別な条件下で実力を発揮するのであれば、その条件を外してしまえばいい。しかしシステムが単純であればあるだけ、それこそ物理法則に手を加えることくらいしか弱体化の方法は見つからないことになる。そして、現時点においてエインセル・ハンターに匹敵するパイロット、フォイエリヒに並ぶ機体は限られている。
 そして、ガンダムの戦場とも言うべき現在の状況は、フォイエリヒに有利に働いていることをシンは知っている。

「それにビームも弾く以上、ビーム・サーベルを叩きつけたってどこまで効果が上げられるかどうか……」
「じゃあ、マシンガンとか実弾を使えばいいんじゃね?」
「何馬鹿言ってるです。そんなことできねえですよ」
「でも昔ジンとかが使ってたのがあるだろ? 見たこともないけどさ」
「敵はフォイエリヒだけじゃねえですよ。マシンガンがフォイエリヒには有効だったとしても、他の敵はどうするです? ビーム、ばんばん撃ってきやがるですよ?」
「そっか……」

 ビームは実弾に比べてエネルギー効率が3倍とされている。つまり、同じスケールの武器ならビームが3倍の威力を発揮することになる。ビームを相手にマシンガンを用いるのはほとんど自殺行為と言えた。
 レイの言葉は、現状を端的に示すこととなった。

「エインセル・ハンターを倒す方法。それは考えるまでもないことなのかもしれんな。より強力な力で挑むことだ。もっとも、最強のモビル・スーツと最強のパイロットを相手にそれが可能であればの話だが」

 少々の間、シンは考えた後、手を軽く挙げた。

「これは戦争です。別に決闘にこだわる必要はありません。だったら数の力で押し切るとか」
「だがその考えには問題が少なくない。そもそも数で言えばザフトが大きく劣っている。加えて、奴にはファントム・ペインが付き従っている。白鯨ジェーン・ヒューストン、白銀の魔弾ネオ・ロアノーク、片角の魔女セレーネ・マクグリフ、アスランは切り裂きエドことエドワード・ハレルソンに遭遇したそうだ。これだけのエース・パイロットを乗り越えた上でなければ魔王との謁見さえ許されん」

 元々、ザフトが勝てるはずもない戦争なのかもしれない。翠星石を除いて、パイロットたちの顔色は決していいとは言えなかった。
 そんな空気に最初に耐えられなくなるのはいつもヴィーノだった。しかし、翠星石に一蹴される。

「ヒ、ヒットマンを雇いましょうよ! モビル・スーツ乗ってない時なら……!」
「そんな間抜けな死に方をするような奴、最初っから器じゃねぇですよ」
「くそう……!」

 魔王を倒す伝説の聖剣など存在しない。
 シンたちがそう、苦しい戦いを予感させられている中、ブリーフィング・ルームに顔を見せる者がいた。ひどく感情を感情を抑えた女性の声がした。

「シン・アスカはここですか?」

 白い軍服に身を包んだこの女性を知らないミネルヴァのスタッフはいない。ここにいても問題のある人物ではない。しかし、パイロットたちに思わぬ緊張を強いる人物である。
 シンの声は事実、震えていた。

「グ、グラディス艦長……!」
「シン・アスカ。話があります。一時間後、艦長室に来なさい」
「は、はい!」

 ただ、敬礼するしかなかったシンだった。グラディス艦長が立ち去った後、堰を切ったようにヴィーノ、レイが駆け寄った。

「シ、シン! 一体何したんだよ!?」
「落ち着け、ヴィーノ。ここは学校ではない。呼び出されたからと言ってお叱りとは限らん」
「じゃあ、何だって言うんですか……?」

 さすがのレイも口元に手をやって考え込んでしまう。

「シン、冷静に考えろ。何か心当たりはないか?」
「……ミネルヴァに配属されてからインパルスを3機分だめにしてるんですけど……」

 ヴィーノが、シン配属以後の出撃回数を指折り数えてみるとある恐ろしい事実に突き当たる。

「2回に1回は壊してるってことだよな……?」

 小惑星フィンブルで、カーペンタリアで、ダーダネルスで。シン・アスカは自分以上に1人の兵士がモビル・スーツを乗りつぶしたザフト兵を知らなかった。
 この事実を前に、ヴィーノはたやすく諦め、レイはレイでどのような戦いを前にも見せなかった顔をしていた。

「シン、短い付き合いだったけど、新しい配属先でも俺のこと、忘れないでくれよ」
「作戦行動中だ。急な転属はないとは思うが……、なおのこと、グラディス艦長の意図が読めん」




 リリーにとって、アイリスは母のような存在であったが、ディアッカとはどちらかと言えば兄かもしれない。
 夜、寝室でベッドに入ったリリーにはすぐ横で寝かしつけようとするのはアイリスだが、ディアッカは扉の横で壁に寄りかかっていた。何にせよ、傍目からも年の近い奇妙な家族に見えることだろう。

「お休み、ディアッカ、アイリス」
「はいはい、お休みなさい」

 そう、アイリスがベッドから立ち上がり、ディアッカが部屋の電気を消した。リリーが毛布の下に潜り込んだことを確認した2人は並んで退室しようとする。
 部屋の外では、腕を組んだナタルとフレイが待ち構えていた。

「子どもは寝たな。では、アイリス、ディアッカ、話をしようか?」
「はい……」

 逃げられない、そう悟ったアイリスはただそう言うほかなかった。
 4人は場所を応接間へと変えた。そこにはすでにジェスが準備を整えており、このジェスを加えた5人で一つのテーブルについた。
 ナタルは、先ほどの芝居がかった様子とは異なり、その顔には戸惑いを隠すことができないでいた。それはフレイも変わらない。

「どういうことだ? ケナフ・ルキーニ氏はリリーをヴァーリだと言っていた」
「あのちょっと変態だけどヴァーリのことなら何でも知ってそうなあの人がね。考えてみると、リリーも花の名前だしね」

 ヴァーリには全員、花の名前とアルファベットが与えられる。アイリスはI、ゼフィランサスはZというようにである。しかし、Lはロベリア・リマ、リリーではない。
 そんなことを再確認できるほどの時間を空けても、アイリスたちはまだ迷っているらしかった。なかなか話しだそうとしない。ナタルが言葉を重ねなければならなかったのはそのためだ。

「ヴァーリは26人までのはずだな。それも全員が同世代、同じ顔をしているはずだな?」

 リリーはヴァーリの定義と合致していない。実際、その顔はまだ幼いことを考慮してもアイリスと同じには見えなかった。
 ディアッカにしても話を渋っているというより、何を話すべきか悩んでいるようにも見える。

「俺たちもそこまで詳しい訳じゃないんだが……、わかったよ。リリーは預かってるってことは最初に話したよな? 頼んできたのが、実はギルバート・デュランダル議長その人なんだ」
「どういうことだ? エルスマン家はデュランダル政権にとって政敵ではないのか? そもそも議長とヴァーリにどのような繋がりがある? 他にも……、そもそもリリーとは何者だ?」
「結論から言うぞ。全部わからん」

 ナタルが軍人時代を彷彿とさせる鋭い眼差しをディアッカに向けた。フレイもまた、冷たい軽蔑した視線を送っている。こんな目は、フレイがコーディネーター全般を憎んでいた時でさえ見せたことがなかった。

「し、仕方ないだろ! デュランダル議長が意図なんてそうそう明かすかよ! それでヴァーリとの関係とか話す訳もねえだろ!」
「私もIのヴァーリですけど、ヴァーリの研究がユニウス・セブンの後、どんな風に行われたのかなんて知りませんし……」

 2人してこれである。フレイは呆れたようにため息をつくとテーブルに肘をついた。

「つまり、よくわからないけど頼まれたから預かってるってこと?」
「そうなります……。でも、なんだか、ディアッカさんとの子どもができたみたいで嬉しくて」

 そう、頬を赤らめるアイリス。アイリスのこと、ヴァーリのことを知っているフレイでさえ少々、言うならば引いていた。

「アイリスもやっぱヴァーリなんだ……。重いね……」

 もっとも、とうのディアッカの方は特に気にした様子も不必要に覚悟を見せるようなこともなかった。ヴァーリを愛し、愛されるということがどんなことなのかを理解しているからなのかもしれない。

「それに、デュランダル議長から預かったとは言っても、連れてきたのはラクスだったからな。いろんな意味で断れないところ、あるだろ?」

 しばらく、沈黙が流れた。アイリスたちは話すことがもうなく、フレイとナタルには考えをまとめるだけの時間が欲しかったのだろう。ジェスはメモに徹しているようにも見える。
 フレイが再び嘆息したことで、ようやく話が動き出す。

「まあ、人間関係なんてそんなもんかな。私だってアーノルドさんがどこで生まれたかなんて聞いたことないし」

 ナタルとしても同様の結論に達したのだろう。体から緊張が抜けたことが目に見えてわかった。

「それに、手元においていないところをみると、あまりいい表現ではないが失敗したか、計画そのものが凍結されたか、どちらにせよ、重要視はされていないのかもしれないな。深入りできそうな状況ではないな」

 そう言うと立ち上がり、ジェスの方へと向き直った。

「ジェス、このことは今の段階ではメモに残さないで欲しい」
「わかりました」

 アイリスは頭を下げた。

「ナタルさん、ありがとうございます」
「記者として当然のことだ。ただ……、デュランダル議長が一体何を意図しているのか、気にはなるが……」

 しかし、ここに答えを持つ者は1人としていなかった。




 ラクス・クラインの執務室は思いの外、ありきたりなものだった。作業用のデスクに、向かい合っておかれたソファー。隅に置かれた観葉植物も、どこにでもある。そう人に思わせるものだった。
 誰かが言っていた。部屋を見ればその人となりがわかると。では、無個性な部屋とはその部屋の主が無個性であることを意味するのだろうか。それとも、自分を巧妙に隠していることを示しているのかもしれない。
 どうであれ、ラクスがここを人と会うために利用していることに違いはない。
 妹の見送りを終えたミルラ・マイクもまた、ラクスに会うためにここを訪れた。

「ニーレンベルギアは地球に帰ったぞ」
「ありがとうございました。ただ、そのお話なら電話で事足りるはずでしょう?」

 わざわざ顔を合わせる必要はない。つまり、何か話があるのだろうと、ラクスは暗にミルラを急かした。ミルラはミルラで、腹芸を好むたちではない。
 デスクに手をつき、ラクスの顔をのぞき込むように迫った。

「ラクス、お前は至高の娘だ。お父様のご遺志を最も理解している。そうだな?」
「ええ、もちろんです」
「では、なぜエピメディウムはお前がお父様を独占していると言ったんだ?」
「事実の誤認です」

 元からミルラのことに関心を向けていなかったラクスだったが、完全に書類の確認作業に戻ってしまう。
 もっとも、ミルラもまた、相手が自分の関心を持っているのかについて関心がないのかもしれない。

「私は記者や国民じゃない。自分は正しい、悪く見えるなら誤解されているだけだと根拠もなく繰り返しているだけで納得させられないぞ」

 後は黙り込む。大きく手元をのぞき込む姿勢のまま動こうとしないミルラに、ラクスは仕方なくディスプレイから顔を上げる他なかった。

「私は至高の娘です。つまり、私の判断はお父様の判断であり、お父様のお考えは絶対なのです」
「エピメディウムの危惧自体は正しかったということだな。始末したのは早まったか? ラクス、私はお父様の世界のためにお前に仕えている。それを忘れるな」

 ラクスはその青い瞳でミルラを見上げ、Mのヴァーリは何でもない様子でGのヴァーリをのぞき込んでいる。そこに睨み合いは一切なく、しかし妙な緊張感がこびりついていた。
 張り詰めた糸は外圧によって断ち切られた。新たな来訪者がいたのだ。その声はプラント国民であれば誰もが知る男の声だった。

「姉妹水入らずには無粋だったかな?」

 ギルバート・デュランダル議員である。国民への演説で見せるようなりりしくも朗らかな笑みはこのような場所でも健在、奇妙な睨み合いに発展していた姉妹がお互いに距離を取り戻す切っ掛けとするには十分だと言えた。
 ミルラはデスクにから体を起こすとそのままデュランダル議長の脇を抜けようとする。

「いや、話は終わったところだ」

 残された議長は部屋の主の許可をとることもなくソファーへと腰掛ける。

「君たちヴァーリというものは不思議だね。顔は同じでもまるで雰囲気が違うこともあれば、雰囲気がまるでちがう子どうしても思わぬ面影を見いだすこともある。何より、同じくシーゲル・クラインを崇拝するようにすり込まれているにも関わらず、その愛し方は本当にそれぞれだ」
「愛には様々な種類があります。けれどヴァーリがお父様に捧げる愛の形は一つしかありません。献身です。ミルラもああは言っていても、お父様のために尽くすことに代わりはありません」
「それは私も同じだ。デュランダル家はザラ家とともにクライン家を補佐してきた。これまでも、これからも変わらない。クライン家1000年の夢のために。そのことは理解してもらえているはずだよ」
「果たしてそうでしょうか?」

 ラクスの突然の疑念にもデュランダルは余裕を崩さなかった。

「含みのある言い方だね?」
「リリーはもちろんのこと、タリア・グラディス様のこともです。まだ引きずっておられるのでしょう?」

 さすがのデュランダル議長も一瞬、その動きを止めた。しかし、すぐに笑い出す。その様は痛いところを突かれた、というよりも相手に感心していると周囲に思わせるに十分な貫禄を備えていた。

「君には敵わない。でもわかってもらいたい。仮に君の目的と私の意図とが必ずしも一致する必要はないとね。姉妹が果物を巡って争っていた。でも、姉は皮を使ってジャムを作りたかった。妹は実を食べたかった。ほらね、一つの果実で2人の願いを満たすことは可能ではないかな?」

 ラクスは微笑んだまま何も答えない。互いに理解しているからなのだろう。仮にわずかでも目的と方法に齟齬が生まれたなら、このように同じ部屋に生きて揃うことなどないことを。
 議長は立ち上がり、その身なりを整えた。

「私はこう見えて運命論者でね。人には生まれ持った役割があると信じている。それはシーゲル・クライン公の望まれる世界と重要な局面で重なり合うと考えているよ」




 ブリーフィング・ルームでの出頭命令から1時間後、シンはタリア・グラディス艦長の前で座らされていた。
 デスク越しに見る艦長の様子は、少なくともシンにはいつもと変わっているようには見えなかった。ただ、それだけに相手の出方がわからず、握りしめた拳を膝の上に置いていた。わかりやすく緊張しているのだ。
 グラディス艦長は一瞬だけシンへと目配せしてから質問を始めた。

「シン・アスカ軍曹、いくつか聞きたいことがあります」
「は、はい」
「あなたとルナマリア・ホーク軍曹との関係は?」
「外人部隊……、いえ! ま、前の部隊の同僚でした」
「それだけですか? 踏み込んだことになりますがプライベートの付き合いはどうでしたか?」
「特にありません。ただ、待機中に話を交わす程度には気心の知れた仲だったと考えています」

 一旦、質問が途切れると、グラディス艦長は手元に書き留め始めた。
 シンはその間、質問の意味を考えてみた。しかし、実はルナマリアがスパイで関係があった者の取り調べが行われているのだとか、そんな映画のようなことしか思いつかなかった。
 そして、突然、質問が再開された。

「ホーク軍曹がザラ大佐のもとに転属すると聞かされた時、どう思いましたか?」
「どう、と言いますと……?」

 素直に感じたことを答えればいいのか、シンには戸惑いがあったのだろう。もしも話すとすれば、プラントのコーディネーターに対する反感だとか違和感を語ることになるからだ。質問の意図を正確に把握できていないのだと、時間を稼ぐことのできる方法を選んだ。
 しかし、シンの、それこそ若造の話術などグラディス艦長は何ら問題としなかった。

「この際、聞いておきます。あなたはプラントの体制に疑問を覚えていますね? そのことでホーク軍曹と言い争いになったとも報告されています」
「それは……」

 地球軍の基地を攻撃した時、市民の危険も省みないアスラン・ザラのやり方に反発したシンと、アスランを擁護したルナマリアとの間に起きたちょっとした言い争いだった。あれを最後に、シンとルナマリアは一度も顔を合わせていない。
 シンとて悩んだのだろう。下手な嘘は通じないと腹をくくったのか、あるいはわざわざ嘘をついてまで自分の立場を考えても仕方がないと考えたのか、シンは視線を持ち上げる。

「はい。自分の出身は地球、オーブ首長国であります。ほんの数年前まで宇宙に出たことさえありませんでした。友人や知人、疎遠ではありましたが親戚もまだオーブにいるはずです。そんな自分と出身の違いこそありましたが、ホーク軍曹は同じく辛い戦いを乗り越えてきた仲間でした。ですが……、その……なんと言いますか、当時から価値観のずれを感じていたことも事実でした。今思えば、の話なのですが……」

 そこまで話していいものかシンが悩んだのも仕方のないことかもしれない。まだ艦長の意図していることがわからず、必要のないことまで話してしまう可能性があったからだ。
 しかし、タリアは続きを急かした。

「続けてください」
「ホーク軍曹は、何気ない会話で地球が悪いところであることを前提にしていた気がします。他にも……、ジェネシスを正当化しているのも耳にしました。自分と彼女は……、やはり違うのかもしれません。ただ、同じ境遇だから、その部分だけは理解しあえただけで……」

 本当にこんなことまで話すことに意味があるのだろうか。そんな躊躇が、シンの言葉を途切れ途切れにさせた。まだグラディス艦長の意図がわからないことも、シンを戸惑わせている原因だろう。
 タリア艦長は筆を走らせ、また質問を続ける。

「わかりました。カーペンタリア以後、ザラ大佐、あるいはデュランダル議長からの何らかのコンタクトはありましたか?」
「いえ、特には……。もちろん、ザラ大佐とは会話くらいはありましたが……」
「ルナマリア・ホークがインタビューを受けたことは知っていますね?」
「はい、テレビで見ました。その、印象としては……」
「それは結構です」

 勇み足であったらしい。シンは思わず体を震わせてしまう。別に話そうとしていただけで動き出そうとしていた訳ではないのだが、不思議なものである。もっとも、それならルナマリアとの関係を聞いておきながらインタビューの感想は必要ないことも同様だが。

「質問は以上です。プライベートなことにまで答えてくれたことに感謝します。お疲れ様でした。本艦は今後、南米ジャブローに向かうことになります。より激しい戦いになることでしょう。奮戦を期待します」

 元々、グラディス艦長は事務的な人だ。それがシンの印象であった。次の作戦目標についてもそんな事務報告の一環だったのだろう。
 ただこれでは最初から最後まで霧の中を歩かされたような気分だったのだろう。ここがどこかもわからず、どこにたどり着いたのかもわからない。靴底を通じて感じる地面の感触だけが頼りに周囲の状況を探らざるを得ないかのような状況は、ついシンの口を軽くした。

「……デュランダル議長に、何か関わりがあるのでしょうか……?」

 グラディス艦長は再びシンを見た。明らかにこれまでとは違う、思わずシンをひるませてしまうような眼差しで。

「も、申し訳ありません。ただ、噂とはすきま風みたいなところがありましてどこからともなく……」

 シン自身、自分がこんな言葉を使うことになるとは思ってもいなかった。息を止めて、グラディス艦長の出方をうかがうことしかできないシン。艦長は、静かにその視線を再び手元に落とした。

「たしかに、私とギルバートはかつて結婚を約束した仲でした。しかし、それも昔のことにすぎません。まだ何かありますか?」

 声の抑揚は何も変わっていない。しかし、シンは自分が地雷を踏んだのだと確信していた。とにかく、今はここから一刻も早く離れなければならないと本能が叫んでいるとさえ感じられたのかも知れない。

「い、いえ! 失礼しました!」

 ほとんど走り出すも同然の勢いでシンは部屋を後にすると、扉のすぐ外で大きく深呼吸した。

「ある意味、エインセル・ハンターと戦うより疲れる……」

 それはシンにとってグラディス艦長がどこか母を思い出させることも遠因なのかもしれない。そして母を思い出す度、左頬の痣がうずいた。



[32266] 第28話「闇のジェネラル」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:dbdd3d75
Date: 2017/06/08 23:38
 その部屋は如何にも軍人の部屋を思わせた。壁に掛けられた勲章に軍服姿の男たちの写真が飾られている。無駄なものは何もなく、必要最低限。棚に飾られた洋酒の数々もまた、主の男らしさを象徴するのに一役買っていると考えるのは勘ぐりすぎだろうか。
 部屋の主、エドモンド・デュクロはまくり上げた袖から覗くたくましい腕でボトルの一つをつかみ取った。

「この酒はあんたと飲みたいと考えていた。遠慮せずやってくれ」

 グラスにつぎ分けられた酒を一つは自分のために、もう一つを将軍は椅子に座る客へと差し出した。そして、自分は相手と対面する椅子へとついた。
 エドモンド・デュクロは南アメリカ合衆国の将軍であり、その国の軍人であれば知らない者はいないほどの武将である。そんな男が、まるで憧れのスターに出会えた子どものように胸躍らせる様など誰が想像できたことだろう。
 相手はグラスに青い瞳を映し、その腕を軽く上げた。

「ご相伴にあずかります、デュクロ将軍」
「聞いている、ダーダネルス海峡ではザフトをやり込めたそうじゃないか。見事なものだ。自らを囮にザフトをおびき寄せるとはな。それに比べ、世界安全保障機構は弱腰でいかん」
「ロードは私と異なり冷静な為政者です」

 世界安全保障機構にオブザーバーとして参加しているロード・ジブリールを、エドモンド・デュクロ将軍が非難したことがあった。相手にとってロードは後任者であり、また友人でもある。
 しかし、そんなことでへそを曲げる相手ではないではないことも、デュクロ将軍は理解していた。思わず笑い出してしまうほどに。

「なんだ、耳に入っとったか。あんたも人が悪い。そのことは否定せんよ。だが、人には間をとろうとする悪癖がある。極論に正論で挑んだとしたなら、その真ん中は極論に引き寄せられることになる。それなら極論には極論をぶつけ正しい中庸に落とし込むしかない。プラントは、それこそ極論の塊のような国だろう。ハンター代表もそう考えているからこそ、ファントム・ペインを各国に設立した、違うかな?」

 相手はすぐには答えず、まずは含み笑いを浮かべた。

「ご無礼を。ジェネラルは勇猛果敢な荒武者かと考えていましたが、闇夜に潜むフクロウの狡猾さを兼ね備えられていたとは」
「白々しいぞ、代表。準備はできている。ここにはファントム・ペインもいれば例のものもある。ここでザフトに手痛い一撃を見舞うつもりなんだろう?」
「買いかぶりすぎです。事実、私はあなたに出会う前に抱いていた頼もしさ以上のものを今、感じているのですから」

 相手は腹の底知れない相手だが、人を欺くことに愉悦を覚えるタイプの人間ではない。そう、デュクロ将軍は考えている。お世辞だろうと冷めた見方をするよりも、素直に喜ぶ方が楽だ。デュクロ将軍はそういう考え方をする人物である。

「よく来てくれた、エインセル代表」
「お会いできて光栄です、ジェネラル・デュクロ」

 魔王と将軍は再び、互いの杯を捧げ合った。




 南米ジャブロー。南アメリカ合衆国のジャングル、その奥地にあるとされている基地のことである。地底洞窟内部に建設され、その立地場所の性質上、場所の明確な位置は特定されておらず南アメリカ合衆国の軍人にさえ秘匿されているほどである。
 よって詳細は不明。攻める側は、まず地下へ通じる入り口から探しださなければならないほどである。
 そのためザフト軍は、ひどく泥臭い行動を余儀なくされていた。文字通りである。
 シン・アスカの搭乗するインパルスガンダムはぬかるんだ地面を踏みしめ歩いていた。周囲にはモビル・スーツの18mもの高さを隠すほどの樹木がうっそうと茂り、時間帯は夜。輝く翼を持ち、空を軽やかに飛び回ることのできるインパルスが闇の中、泥にまみれて地べたを這いずり回っているのである。
 本来ならば自分の手さえ見えないほどの暗闇はインパルスがCG処理することでコクピット内にはある程度の明るさで投影されている。シンが思わず体を固くしたのは、その映像の中、木々が不自然に揺れたことを見て取ったからだ。
 インパルスが肩越しに大剣の柄を掴む。何かあればすぐに対応できるよう身構えたまま、シンは相手の出方をかがった。
 枝をかき分け現れたのは同じインパルスガンダムだった。同僚であるヴィーノ/ディプレの機体だ。
 緊張を解きながら、シンは溜息をついた。

「その様子じゃ、見つからなかったみたいだな」
「いくらモビル・スーツでも歩きで地下への入り口を探すなんてそもそも無理だろ……」
「ぼやくなよ。俺たちがポイントを指定しないと降下部隊が動けない。他の部隊の連中が見つけてくれてるといいんだけどな」
「まったくだよな」

 2機は並んで歩き始めた。
 探索中、敵には発見される訳にはいかない。音と光を出すことは厳禁であり、飛行するなどもってのほかである。川のように開けた場所では発見される恐れがあった。そのため、時間のロスになると知りながら森の木々をかき分けて進む方法がとられた。
 一からの探索ではなく、ある程度の特定を終えてからの詰めの作業であるという事実は、シンたちにとって幸いだっただろう。

「なあ、シン。次のポイントじゃ、ザラ大佐の部隊と合流するんだよな。てことはルナマリアと会うんだろ……? 大丈夫か? その、仲直りできないままだったみたいだしさ」
「ヴィーノでもそんな気遣いできるんだな。成長したんじゃないか?」
「茶化すなよ。でも、実際どうなんだ?」
「今は何ともならないさ。話しようにもお互いの立場って言うか、前提が違うんだ。同じこと話してるように見えても別のこと考えてる内は何話したってかみ合わないだろうしな。それに、今は作戦中だ。面倒なことはしないつもりでいるさ」
「わかった」

 闇の中、同士討ちを避けるため探索範囲と合流ポイントは細かく設定されている。通信さえ満足に交わすことができないため、地図を頼りに1歩1歩を踏みしめる他ない。
 まさかジャブロー入り口ここ、とでかでかと看板が立てられているはずもない。代わり映えのしない森の中、2機のインパルスは淡々と歩き続けていた。これが昼だったら、まだ違ったのかもしれないが。
 やがて、シンたちの前には別に2機のインパルスが現れた。どちらもフォース・シルエットを身につけた機動力重視。シンのようにソード・シルエットを好んで使う者は、ザフトでは意外なほど少数だった。
 1機はルナマリア・ホークの機体だった。

「アスカ軍曹、ジャブローの入り口は見つかりましたか?」
「いえ……、まだ発見できていません」

 作戦行動中だからなのか、それとも意図的に距離を置かれたのか、シンには判断がつかない。ただ、ルナマリアのこんな声を聞くことは、シンにとって初めてのことだった。
 もう1機のインパルスのパイロットに心当たりはない。シンは特に言葉を交わしておく必要もないかとも考えていたのだろうが、相手はそうではなかったらしい。若い男性の声がした。

「なるほど、さすがはドブネズミだ。隠れることにかけては我らコーディネーターでもかなわんな」

 シンがプラントにいた頃、目にした典型的なコーディネーター至上主義者、この年代だとユニウス・セブン世代と呼ばれる人のようだ。そう、シンは苦々しくも判断せざるを得なかった。

「エミリオ・ブロデリック曹長だ。シン・アスカ軍曹だな。話は聞いている。在外の身でありながらプラントのため、人類の未来に戦いに身を投じる戦士がいると。いまだに重力に縛られた裏切り者どもに爪の垢を煎じて飲ませたいものだ。だが、そんな戦いも今日で終わる。どれほど逃げ回ろうと、しょせん、ネズミはネズミにすぎない」
「そんなネズミを、ザフトはもう2回取り逃がしていますね」
「ネズミとはそんなものだろう。しかし、ボパールでは仲間を置いて逃げ出したと聞く。この程度の男のためにナチュラルどもが煽動され、我々コーディネーターの平和を脅かしているとは何とも腹立たしい限りだ」

 ブロデリック曹長はシンの皮肉に気づいた様子なく、インパルスを歩かせ始めた。シンたちもその後に続くと、ヴィーノ機がシン機の肩に手を置いた。装甲同士を接触させての通信のためだが、人でやるように引き留める仕草と見ても間違いではない。

「おい、シン。気持ちはわかるけどやめとけ……。戦いの前のもめ事は避けるんだろ?」

 シン自身が言ったことだ。同じことを話していても話が通じているとは限らない。
 シンは仕方なく、顔も知らないブロデリック曹長の演説を聞いているしかなかった。

「今回、我々は必勝を期している。ザフトの騎士に、降下部隊との連携もある。ネズミはすでに籠に入ったも同然と言えよう。考えてもみろ。地球軍が戦う理由は、コーディネーターへの嫉妬によるところが大きい。信念をもって戦っている者などどれほどいるほどか。数では劣るとは言え、ナチュラルなど烏合の衆に過ぎん」

 政府のプロパガンダを鵜呑みにし、疑いもしない。ただ自分にとって都合のいいことばかりを信じ、自分が都合の悪いことから目をそらしていることにさえ気づいていない。シンはブロデリック曹長をそんな人物だろうと評した。そして、そんな人間がいかにコーディネーターは偉大であって、ナチュラルがどれほど足手まといであるのかがとうとうと語るのを、しばらく耳にしている他なかった。
 そして、次の合流ポイントについたところで、ようやくブロデリック曹長の話は途切れた。

「妙だな……? ここが合流ポイントのはずだが?」

 しかし、周囲に他のモビル・スーツの姿はない。予定ではここで4小隊が合流し情報を交換した後、またそれぞれの部隊単位で散開、探索を続けるはずだった。何か不測の事態が生じたのか、自然と4人が緊張を高める中、それは突然、起きた。
 通信から興奮した男の声が聞こえた。

「見つけた! 見つけたぞ!」

 そして、遠くから爆発音とそれに伴う閃光が届いた。
 すでに戦闘が始まっているのだ。その地点に、ジャブローへの入り口があるに違いない。ブロデリック曹長の言葉は状況を端的に示していた。

「かくれんぼは終わりのようだな! ホーク軍曹、アスカ軍曹、我々も向かうぞ!」

 もはやミノフスキー・クラフトを制限している必要はない。バック・パックを輝かせると、4機のインパルスが次々に上空へと飛び上がる。
 黒い森の上に出ると、他の場所からもいくつもの光が上がってくることを確認できた。森に展開していたザフトが一斉に一つの箇所へと飛んでいるのだ。
 そして、目標地点上空に達した時、シンたちが見たものは想像を絶する光景だった。
 ヴィーノとルナマリアの声は、彼らの戸惑いと状況の異常さをわかりやすく表現していた。

「何だよ……、あれ……」
「ヒーロー・ショー……?」

 森から突き出た高台の上、鹵獲機だと思われるヅダが5機が一列に並んでいた。問題はその色だ。真ん中の黄金のものを始め、赤色、橙色、銀色、黄色、とにかく色が派手だった。いや、それどころか、各モビル・スーツが長槍、双剣、大剣、戦斧、果てには鎌を持ったヅダたちがポーズをとっている。
 野太い男の声が通信ではなく拡声器で直に届いた。

「さあ、かかってこい、ザフトども! このエドモンド・デュクロが相手をしてやろう!」

 そして、5機のヅダの後ろで吹き上がる五色の爆発。シンは否応なく、子どもの頃に見ていた特撮番組を思い出さずにはいられなかった。
 一体、相手の狙いは何なのか、シンはとにかく混乱させられていた。しかし、ブロデリック曹長はすでに結論を出していた。

「はっはっはっは~! 同志よ。ナチュラルの愚かさを見たければ来ることだ。馬鹿が見たければ急ぐことだ。滅多に見られるものではないぞ!」

 上空からブロデリック機が五色のヅダめがけてビームを連射する。ヅダたちは散開してそれをかわすと、ブロデリック曹長のインパルスはさらにそれを追いかけ、ビームが森に穴を空けるように木々を吹き飛ばしていく。
 数分前までは、ザフトが音も光も制限し闇の中に潜んでいたことが嘘のような激変ぶりである。
 戦いの火ぶたが切って落とされた、ということなのだろう。




 ジャブローへの門、その発見の報を受けアスラン・ザラ、レイ・ザ・バレルの2人は森の上空を多数のヅダとともに飛行していた。ガンダムヤーデシュテルン、ガンダムローゼンクリスタルはまだ速度を上げることもできたが、他の部隊を引き離してしまっては意味がない。余裕のある速度で飛行を続けざるを得なかった。
 2人も黄金のヅダが現れたことは現地からの通信で確認していた。モニターに、戦斧を振り回す黄金のヅダがはっきりと映し出されているのだ。
 しかし、レイたちはブロデリック曹長よりは冷静だった。

「南アメリカ合衆国のエドモンド・デュクロはジャブローを任せられる将官だが、その階級がそのまま通り名として知られている。彼自身はファントム・ペインではないが、彼は、エインセル・ハンターのファンだと耳にしたことがある」
「レイは地球の軍人に詳しいようだが、では、この黄金のヅダはフォイエリヒへのオマージュということでいいのか? 戦場に趣味を持ち込んでうまくいくとは思えないが?」

 さすがのレイもこれには答えに窮しているらしかった。コクピット内でモニターを一瞥し、さらにもう一度視線を送った。まるで、自分の目が確かなのか確認するかのように。

「……わからん。しかし、エインセル・ハンターが単なるファンを頼ってジャブローを選んだのか?」

 プラントの国民の多くはそれで納得するかもしれない。彼らにとって、エインセル・ハンターとは嫉妬の権化でなくてはならず、コーディネーター未満の知能しか持ち得ていない存在であるのだから。
 現地から聞こえてくる戦いの様子では、五色のヅダは防戦一方、逃げ惑っているだけだと伝えている。もっとも、ユニウス・セブン世代の若者の報告を鵜呑みにできないことをアスランは心得ていた。

「何にせよ、後には引けない。降下部隊もこちらに向かっている最中だ。どんな策があるとしても力尽くで押し潰すしかない。レイ、フォイエリヒとエインセル・ハンターは俺たちで抑えることになる」
「あまり期待するな。ローゼンクリスタルはゲルテンリッターではないのだぞ」
「サイサリスは優れた技術者だ。少しは信用してあげてもいいだろう?」
「ゼフィランサスとてそれは同じことだろ」

 ヤーデシュテルンのコクピットの中、アスランの回りを緑色のドレスの妖精が飛び回っている。

「そうですよ、アスラン。お母様はすげぇのです」

 戦いを前にしながらも、アスランはただ苦笑する他なかった。




 ザフト軍はジャブロー攻略に成層圏外からの降下部隊の動員を決めていた。エインセル・ハンターを倒すためには出し惜しみは許されない。しかし、ボパールは位置が悪く小惑星フィンブル落着からまだ時間がなかった。ダーダネルス海峡は突発的な戦いであった。
 しかしジャブローは違う。
 エインセル・ハンターが大西洋を渡る間、その針路から予想される目標地点を探ることは比較的容易であった。加え、南米のジャングルは赤道直下である。重力偏差に乏しく部隊を降下させるには格好の位置にあった。この事実を、ザフトは僥倖と喜び空と陸からの二段構えの作戦を採用したのである。
 夜である。
 肉眼では確認できないが、ジャブローの遙か上空にヅダを中心としたザフトの部隊が降下ポッドを離れ目標レンズで目標地点をとられるほどに高度を下げつつあった。

「重いな。これが地球か」

 十分な減速則はすんでいるはずだが、大気の底に沈んでいく衝撃は突風としてザフト機を揺さぶっていた。すでに重力は作用し宇宙では感じることのない足に血が落ち着けられる感覚を覚えていた。
 地表はまもなくである。目標地点では森が広範囲で燃えていた。光のな森の中での業火だ。いやでも眼に付くものだった。

「何ともわかりやすい目印だ。ん?」

 そのパイロットは、地表で何かが光った、そんな気がした。
 この高度からではまだ見えるはずはなかったが、このパイロットの違和感は決して間違ったものではなかった。
 森の一角が広範囲にわたって沈み込み、左右に開いて周囲の地面の下へとスライドしていく。すると、そこには巨大な縦穴が口を開いた。夜の暗さも手伝い、それはどこまでも深く、それこそ地獄にまで通じているかのような不気味さがある。しかしそれは一瞬のこと。すぐに穴の底から光がわき始めた。
 最初は淡く、次第に光の粒子が煮えたぎるマグマを思わせて穴の底でうねり踊り始める。それは徐々に穴の中心で一筋の柱となって夜空へと一直線に立ち上り始めた。
 それは高く、ザフト降下部隊がいる高度さえ貫きまだ上がり続ける。

「何だ……、これは……!?」

 部隊とすれ違った謎の光。その出現とともにある異変が訪れた。コクピット内に機体温度が上昇している警告音が鳴り響き始めたのだ。動力のトラブルでもなければ、各種センサーの故障でもない。同時に複数の機体が同じ現象に見舞われていた。
 それは光の柱に近い機体ほど深刻であり、外部から保護されているはずのコクピットでさえパイロットたちは汗をかき始めていた。

「隊長……、機体の温度が上昇しています! このままでは……!」
「お、落ち着け! すぐに対処を……!」

 しかし、彼らにそれだけの時間は残されていなかった。
 燃料、潤滑油、あるいは弾薬。それのいずれか、あるいはすべてが発火点を超えたのだろう。ヅダが突如、爆発した。それも1機や2機ではない。柱に近い機体から順に炎に呑み込まれていった。
 そして、地獄の釜が開いた。
 穴の底から強烈な輝きが這い出したかと思うと、それは巨大な柱となって空を突き刺した。
 降下最中であるザフトが回避などできるはずもない。光に呑み込まれた機体は一瞬にして蒸発し、不運なパイロットたちは自分たちが死んだのだと理解する暇さえなかったかもしれない。
 だが、彼らはまだ幸いだったかもしれない。中には、光の放つ膨大な放射熱に機体が完全に機能を消失していた。すでに機体は反応しない。熱にあぶられたモニターは歪みひび割れ、パイロット自身もまた重度の火傷を負っていた。しかし、生きている。外の様子はわからない。ただ、落ちているという感覚だけはわかった。

「あ……、はひゃあぁ……」

 動くはずがないと知りながら操縦桿をでたらめに動かし、半狂乱になって手当たり次第ボタンを押しているがすでに機体は機能を停止している。何ら反応することなく、パイロットは恥も外聞も忘れ泣きじゃくる子どものように涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしていた。声が、もはや言葉になっていなかった。
 鉄の棺桶はジャングルへと激突する。70tもの重さがあるとは思えないほど、地面を跳ねた。それは激突を繰り返す度、跳ね上がる高さが低くなり、はぎ取られた残骸がまき散らされる。最終的にはもはや機種さえわからないほどの鉄の塊となり果てた。
 そんないくつもの死がジャングルに降り注いだ。




 光の柱が降下部隊を溶かした。この光景は目撃するまでもなかった。一瞬の間とは言え、夜の森がまるで真昼かのような明るさに包まれたからだ。
 シンは戦場のただ中にあるにも関わらず、ついその手を止めて光の柱を見入ってしまった。

「大出力の……、ビームなのか……?」

 すでに光の柱は消えていた。発射されたビームがその連続照射が長かったために柱のように見えていただけなのだろう。モビル・スーツが携帯できるだけのビームでさえあの破壊力だ。あの規模となればモビル・スーツなどひとたまりもない。
 降下部隊にどのような運命が待ち受けていたのか、火をよりも明らかだった。
 ブロデリック曹長も、ルナマリアもそのことは理解していたはずである。

「こ、降下部隊はどうした!?」
「は、反応が消失……。そんな……」

 2人とて状況が理解できていないはずがなかった。ただ、あまりに受け入れがたい現実に頭がついていかないのだ。
 闇に沈む森の中、ザフトは完全に浮き足立っていた。五色のヅダはエドモンド・デュクロはおろかまだ1機たりとも撃墜できていない。シンも銀色のヅダを追いかけていたが、双剣を持つこの機体は勇ましい姿勢を見せることはあっても積極的に攻撃してくることはなかった。
 それはこの巨大ビームを発射するまでの時間稼ぎだったのだろうか。
 しかし、それでもわずか5機のヅダで探索に加わっていたザフト軍全機を相手にしなければならない状況に変わりはない。
 シンは思わずヅダを追うことをやめ、機体を森の中に着地させた。戦いを中断してまでも周囲を見回したい衝動に駆られたからだ。最初から気づくべきだった。わずか5機で3個大隊相当戦力のザフトと戦うはずがないのだ。ジャブローの規模は不明とは言え、まさか地上基地の格納庫が戦艦のよりも狭いはずがない。
 回りの様子、ただ森の木々が見えるだけだ。遠くで聞こえる戦いの音が響くだけである。
 しかし、周囲の友軍機の反応がいつの間にか消失していた。数が確実に減っていた。そして、今また、一つの反応は消えた。

「シン、何かおかしいぞ! わかってると思うけどな!」

 ヴィーノに叫ばれなくてもシンとて理解していた。
 五色のヅダがいないはずの場所。そこでも仲間の反応が消えていた。戦わないヅダ。しかし、仲間が消えていく。
 ヴィーノ機がシン機の前に着陸しようとしたその時だ。シンはほとんど反射的に機体を加速させた。その勢いのまま、ヴィーノへと斬りかかる。

「シン……!?」

 正確には、ヴィーノ機の後ろの何かへと。
 振り抜かれたビーム・サーベルが確実に何かを捉えた。手応えがあったのだ。そして、シンはまるで闇が蠢いているかのような何かを目撃した。

「ヴィーノ、撃て!」

 状況を理解しないまま、しかしヴィーノは仲間の要請に応えた。ビーム・ライフルを何かが逃げていった先の森へとビーム・ライフルを放ったのである。ビームは夜の一部をかすめとり強烈な輝きとともに木々を焼き払う。
 だが、そこに敵の姿はなかった。
 慎重に焼け野原に足を踏み入れたシンがあるものを見つけるのに、さして時間は必要なかった。
 最初は何かわからなかった。焼き払われた地面に、モビル・スーツが入ることのできる地下への扉が横たわっていた。ジャブローへの入り口と考えるには狭い。しかし、モビル・スーツ1機が迅速に出入りするには手頃な規模である。
 何かはここから逃げたらしかった。

「シン! これ見ろよ……」

 シンが機体をヴィーノのところへ戻すと、ヴィーノはライフルで地面に落ちた腕を指し示していた。どうやら先ほど、シンが切り落としたもののようだ。インパルスに搭載されているアリスは、それを何の変哲もない旧式、デュエルダガーの腕だと認識している。
 しかし、人の判断は違った。
 その腕はフレームにいたるまで黒く染まっていた。光沢をなくす特殊な塗装が施されている。腕が握りしめるナイフさえ、漆黒をしていた。
 木々が乱立する森の中だ。ただでさえ信頼性に欠けるレーダーは効かず、モビル・スーツの自動認証システムも満足に機能するとは思えない。それに加えて森に設置されたモビル・スーツ用の出入り口、仮にこれが森中に置かれているとしたら、ザフトにこの黒いデュエルダガーを捉えることはできない。
 人はいつも見えるところにばかり目を向ける。そして、見えないところなどないと思い込む。
 そんな心の隙間に潜む何かが、この森にはいたのだ。




 金色のヅダ、それが黒い森の中で立ち止まった。すぐ脇には赤いヅダが停止する。

「どうやらザフトの連中も気づき始めたようだな」

 デュクロ将軍はノーマル・スーツを身につけていない。エインセル・ハンターと対面したままの格好でヅダの操縦を行っている。
 追ってくるザフト機が減ったことでデュクロ将軍には空を見上げるだけの余裕ができた。空は、すでに夜の暗さを取り戻している。降下部隊のスラスターの噴出、ミノフスキー・クラフトの輝きは見えない。

「ユグドラシル。今は真上にしか撃てん欠陥品だが、飛んで火に入る夏の虫とはまさにこのことだな」

 後はこの周辺のザフト軍を片付ければ、ザフトの戦力を大きく削ぐことができることだろう。エドモンド・デュクロ、彼が崇拝するエインセル・ハンターはそう望んでいる。
 デュクロは友軍機である残り4機のヅダとは別の何かに通信を繋いだ。

「レナ、ザコはどれくらい片付けた?」

 返事はひどく冷静な女性の声だった。

「作戦中は通信を控えて欲しいと申し上げたはずです」
「かまわんだろ。そろそろザフトの連中もわかってる頃だろう。罠にくいついたネズミの気分がな」




 ザフトの部隊では情報が錯綜していた。被害状況、敵の数、それを各パイロットが自分の主観で並べ立てるからである。降下部隊はほぼ無傷、反対に全滅したとの両極端な情報え上がってくる始末である。
 現地のモビル・スーツの母艦は情報をまとめきれていない中、レイはシンたちと直接連絡をとっていた。

「どういことだ?」
「罠だったんです。目立つ色のヅダは囮です。他に、黒く染めた別働部隊がいました。ご丁寧に、ナイフにまで光を反射しにくい塗料を塗ってます!」

 シン機から送られたきた映像がモニターに表示される。黒いデュエルダガーの腕だ。黄金の機体が敵の注意を引き、仲間が攻撃力を担う。どこかで聞いたような話だ。

「なるほど、エインセル・ハンターのオマージュは姿だけではなかったということか。まさかこの時代に隠密とはな」

 デュエルダガーが旧式扱いされるのはそれが地球製モビル・スーツの最初期の設計である以前に、ミノフスキー・クラフトを搭載できない拡張性のなさにある。光り輝く装甲という隠密性を一切無視した代償として大きな機動力をモビル・スーツは得ることができた。それなら反対に、機動力を犠牲にステルス性を高めることができることになる。
 このレイの考え方は正しかった。
 現在、現地で繰り広げられているのは、ザフトが闇に食われていく凄惨な光景そのものであったのだから。




 1機のヅダが敵を見失い、岩を背にして周囲を警戒していた。何かがいることには気づいていた。そのため、背部の安全を図ったのだ。しかし、それは間違いだった。
 岩肌に偽装されたハッチが音もなく開いた。月明かり遮られる岩陰は闇に沈み、そこから黒い腕がヅダへと伸びた。その手に握られた漆黒の刃がヅダの首に深々と突き立てられた。もがくヅダだが、さらに伸びた黒い腕が腰にナイフを突き立てると動きが止まる。そのまま、闇の中へと引きずり込まれていった。
 そして、何事もなかったかのように静かにたたずむ岩だけが残った。




 またある場所ではインパルスがビーム・ライフルを乱射していた。敵の存在には気づきながらも位置をまるで掴むことができずにただ眼に付く場所へとビームを発射し続けているのだ。
 無論、そんな冷静さえを欠いた攻撃で闇に潜む狩人を射貫くことは難しい。それどころか、ライフルの銃身が焼け付きコクピット内に響くアラームとともに一時発射が不可能となる。
 冷却を待つほどの余裕は、すでにパイロットには残されていなかった。思わずライフルを投げ捨ててしあったのである。
 そして、パイロットは気づいた。ビームの爆発に隠されていた気配に。
 周囲の森の中、闇の奥底から何かがインパルスを見ている。それが何かはわからない。闇の中に浮かび上がるには黒く沈んだ体。木々はさらにそれを覆い隠している。
 しかし、わかるのだ。闇の中の何かが着実に距離を詰めてきているのだと。前か後ろか、インパルスは体ごと視線の位置を変え続ける。明らかにうろたえた様子の獲物へと、闇は着実に迫っていた。




 レイにとって気がかりであったのは、手品の種がわかったとしても、敵がいくつのネタを用意しているのかわからないことだ。ジャブローは地下要塞であるため規模がはっきりとしない。伏兵がいたとわかったところで、それがどれほどの規模であるのかわからないのだ。
 そして、ザフトは降下部隊を失い、まだ戦力は失われ続けている。これ以上の戦線の維持は不可能だろうと、レイは理解していた。
 しかし、その事実はレイからではなく、アスランの口から語られた。

「撤退だ。現場の部隊に撤退命令を出せ。各部隊は転進、母艦へ引き返せ」

 アスランのヤーデシュテルンが制動をかけ、レイもそれにならう。

「アスラン、現地の部隊は置き去りか?」
「戦いを継続させるよりはましな判断だ。逃げ切れるかどうかは別の話だが、……ああ、いつもなら撤退は君が提案しそうなことだが、言い出さなかった理由はそれか。俺からは、シンたちを信じろ、それくらいしか言えることはないな」

 すでに撤退命令は現地に届いていることだろう。そして、ジャブローへと向かっていた部隊は針路の変更が始まっている。
 ここでレイ1人が命令違反をしたところで状況は何も変わらない。

「シン……、ヴィーノ……、無事でいろ……」




 作戦はザフトの敗北で終わった。だとしても戦いは続いている。
 ジャブローでは取り残された部隊が戦っていた。
 ルナマリア機がビーム・サーベルを振るう。

「ああ!」

 しかし、そこには木があるだけで、その太い幹を焼き払ったにすぎなかった。
 ルナマリアのすぐ近くに着陸したのはシンのインパルスだった。

「ルナ、落ち着け。それはただの影だ!」
「わかってるわよ、そんなこと! でも、敵の場所がわからないのよ!」

 そんなことはシンにもわかっている。ジャブローの探索のために作戦は夜間に実施された。探索隊の姿を闇が隠してくれると判断されたからだ。しかしそれは、闇の住民のテリトリーに足を踏み入れるでしかなかった。
 探索に参加した部隊は敵の正体も掴めないまま襲撃されたことで完全に浮き足立っていた。部隊行動さえとれず、各機がばらばらのまま闇の襲撃にさらされている有様である。
 このままでは全滅しかねない。
 シンとルナマリアが判断に迷っていた時、ミネルヴァからの撤退命令があったのはちょうどそんな時のことだった。

「シン、撤退命令聞いたろ! 早くここを離れるぞ!」

 援軍はこない。戦場に留まる理由もない。

「ルナ、行くぞ!」

 しかし、ブロデリック曹長はそれを許さなかった。

「ふざけたことを抜かすな! エインセル・ハンターまで後1歩のところまで来てるんだぞ! ここで引けば後の戦いでより多くの者が命を落とす!」
「ここでエインセル・ハンターは倒せない。上はそう判断したんだ! 命令違反に問われたいのか!?」

 木々の間から姿を現したブロデリック機は左腕を失い、ライフルも銃身が曲がっているように見えた。まともに戦闘を継続できる姿には見えないが、気勢ばかりは一騎当千の様相である。

「ふざけるな。我らは人類の希望たるコーディネーターなのだぞ! 引くことはすなわち人類への裏切りに他ならぬ! 敵に背中を見せるくらいならば我らは玉と砕け……!」

 背後の闇からいくつものナイフを持つ腕が四方からブロデリック機を串刺しにする。そのまま、一気に闇の中へと引きずり込んだ。その様は、牙を向き出しにした闇がブロデリック機にかみつき、そのまま一呑みにしたようにしか見えなかった。
 ルナマリアの叫びむなしく、通信は二度と繋がらなかった。

「ブロデリック曹長!」
「もう無理だ! ここにいたら俺たちもやられるぞ!」

 ルナマリアを無理やりにでも奮い立たせる形でシンは機体を上昇させる。ルナマリア機もすぐ後についてきたが、森の上空で出た途端、森の中からビームで狙い撃たれた。

「シン、高度を上げすぎるとまずいぞ!」
「もう隠れる必要がないんだもんな……」

 音と光を制限してきた黒いデュエルダガーは、すでに隠れ潜む必要性がなかった。その手に携帯性に優れた小型のビーム発振装置、ビーム・ガンとも言うべき黒い銃が握られていた。それで上空へと逃げようとする機体を狙い撃っているのだ。
 シンたちよりも先に空へと逃げようとしたインパルスは、その餌食になっていた。
 ビーム・ガンでは攻撃力は十分ではない。だが、モビル・スーツを破壊する必要はないのだ。複数のデュエルダガーの撃ち上げた小出力ビームはフェイズシフト・アーマーを破壊しきることはできない。だが、ミノフスキー・クラフトを剥がし、スラスターを破壊することは可能である。
 推進力をはぎ取られたインパルスは高度を急速に下げ、文字通りの胴体着陸で森の土を一筋に掘り返し仰向けの状態でようやく静止した。手にしたビーム・ライフルで反撃に出ようとするも、その腕は震え、また鈍い。跳びかかってくるデュエルダガーを迎撃することはできず、ナイフを突き立てられた。
 仕方なく森の上、すれすれを飛行することにしたシンだが、木との衝突を避けるために速度を制限せざるを得なかった。インパルスが本来の機動力を発揮しさえすればミノフスキー・クラフトが搭載されていないデュエルダガーを振り切ることはたやすい。しかし、敵はそれを許してはくれない。
 ヴィーノ機がシンたちの横へ合流した。

「どうする? このままじゃまずいぞ」

 デュエルダガーたちはスラスターを吹かせながら見事な走りで森の木々などないかのようにシンたちを追っている。
 機体の性能ばかりではない。パイロットたちは闇の森の中で戦う技術を身につけている。かつて、ニンジャと呼ばれる武装集団がいたことを、シンは意味もなく思い出していた。
 状況は圧倒的に不利だった。
 しかし、シンは思わず口元に皮肉じみた笑みを浮かべていた。かつては、こんな状況こそが当たり前だったことを思い出しているのだろう。

「なあ、ルナ、こうしてると昔を思い出すよな……。もう、エイブス隊長も、バーナードのみんなもいないけどさ……」

 外人部隊、そう揶揄されていた時の仲間のことを思い浮かべながら、シンはスラスターの出力を引き下げた。

「ヴィーノ、ルナのことを頼む!」
「シン……? ねえ、シン!?」
「ルナマリア、行くぞ! 行くんだよ!」

 急速に速度を落としていくシン機は、そのまま体の向きを変えながら森の中へと着地した。勢いを殺すために後ろ向きに地面を滑り、敵を迎え撃つために一対の大剣を構えた。
 森の闇の中から、黒い何かがかすかに見えるだけの様は、闇そのものがシンへと殺到しているようにさえ錯覚させた。
 地下深くの魔王の居城、そこに至るための門は闇の眷属を従えた将軍が守っていた。
 まるでお伽話のような現実に、シンはつい苦笑してしまう。

「まるで、ファンタジーだよな……」

 闇が、すぐそこにまで迫っている。



[32266] 第29話「エインセル・ハンター」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:dbdd3d75
Date: 2017/06/20 23:24
 南アメリカ合衆国にファントム・ペインはいないとも考えられていた。単純に知られていない以上、いないのだろうと捉えられていた、それだけのことだった。それも無理もないことかもしれない。
 ファントム・ペインは実績が重視され、そのため、その多くが通り名を持つエース・パイロットで占められる。白銀の魔弾、白鯨、片角の魔女、切り裂きエド、赤い悪魔、灰色熊、様々な異名を持つパイロットで構成されている。それは単純に、エース・パイロットをスカウトしているからにすぎない。
 つまりファントム・ペインに所属する人員は最初から限定されており、その存在を把握すること自体は容易だと考えられていたである。
 だから誰も考えなかった。ジェネラル、そう呼ばれる男の影、いや、闇の中に潜むファントム・ペインがいるとは。
 名前のないファントム・ペイン、そのパイロットはレナ・イメリア。軍内においてさえその存在は周知とは言えない。猛将で知られるエドモンド・デュクロ。その影に隠れる形でその存在は秘匿され続けた。
 将軍の影は、闇の中、その姿を見せないままザフトに襲いかかった。




 シン・アスカは自分の決断に後悔を覚え始めていることを自覚していた。敵の追撃を阻みながら自分も徐々に後退していけるのではないかと甘く考えていた節があった。
 しかし、敵の攻撃は苛烈だった。
 深いに闇に包まれた森の中、インパルスガンダムがスラスターを全開にして突き進んでいる。上空に飛び上がっては狙い撃ちにされてしまう。森の中を高速で飛行することは自殺行為に他ならない。そのため、川の上を選択せざるを得なかった。
 川に沿っている以上、ルートは筒抜け。上空ほど狙われることはないとしても、ミノフスキー・クラフトの光を遮るものもない。
 追っ手をまくことなどできない。
 シンの目は、モニターに黄金の輝きが現れたことに気づかざるを得なかった。黄金のヅダが木々の間から飛び出して来たのだ。
 聞こえてきたのはジェネラルの力強い声だった。

「仲間を逃がすために殿を買って出たか。その心意気、気に入ったぞ、ザフト兵!」

 通信ではない。スピーカーからの外部入力の声だ。
 ヅダが突進の勢いのまま、そのビームの刃を持つ戦斧を叩きつけてくる。シンは大剣をはじき返す。80tものモビル・スーツ同士が激突した衝撃に、ビームの粒子が散り、機体全体を揺らすその力にシンは歯を食いしばって耐えた。
 次々と強引な斧の一撃が繰り出される度、インパルスはビーム・サーベルを振るう。
 互いが得物を力任せにぶつけ合っているにも等しい激しさに、剣を持つマニピュレーターは悲鳴を上げ、真下の水面は著しく形を変えた。
 熱量を攻撃力とするビームをこれほど強く振るう必要はない。しかし、ジェネラルはビームなどないとばかりに重い一撃を繰り出し続けていた。相手の動きを予測するだけでなく攻撃を受け止めた時、自分の体勢がどう崩されるかまで考えなければいけない戦いはシンを戸惑わせていた。
 防戦一方を強いられるシンに対して、エドモンド・デュクロ将軍はさらに勢いを増している。

「いい腕だ。名は何という、ザフト!?」
「通信、繋がってないだろ!」

 よって、シンのこの言葉はデュクロ将軍に聞こえていない。しかし、シンはそのことを除いても答えるべきではなかった。
 敵は黄金の将軍ばかりではないからだ。
 将軍の猛攻にシンは思わずその場を逃れ、森の開けた一角に足で泥をえぐりながら着地した。それが隠れた脅威に自ら飛び込むことだと気づきもせずに。
 異常接近を告げるアラームがコクピットに流れ、シンが見上げるとそこには宙返りする闇があった。それが黒く塗装されたデュエルダガーなのだと気づいた時には、インパルスの左腕にナイフが突き立てられていた。フェイズシフト・アーマーが施されていないフレームを正確に狙ったこの一撃はたやすく左腕を切断する。
 そして、デュエルダガーはインパルスがまき散らすバルカン砲を構うことなく木々の間に敷き詰められた闇の中に溶けていった。
 これで終わりではない。死角から別のデュエルダガーが接近していた。先手を打ちビーム・サーベルを叩きつけようとすると、デュエルダガーはあっさりと身を翻し闇の中に逃げ込んでしまう。
 何も姿を消している訳ではない。注意していれば対応すること自体は可能だった。
 だが、シンの視線は否応なしに引きつけられる。ヅダがその黄金の輝きを見せつけるように突撃してきたからだ。振り下ろされる斧の一撃を残った右腕で受け止め、続いて繰り出される攻撃を剣でさばいていなす。
 シンの意識が黄金で塗りつぶされた一瞬に、闇はインパルスの右足にナイフを突き立てた。膝の間接が損傷したことでそこから下の操縦が不可能になる。このままでは立っていることもできないと、シンは無理やり機体を上昇させる。
 それが危険であることも理解していた。
 漆黒のデュエルダガーは皆、黒塗りのビーム・ガンを携帯していた。隠密時には使用は厳禁とされるが隠れることをやめた彼らが使用を控える理由はない。森の闇に隠れたデュエルダガーは、一斉に上空を、ミノフスキー・クラフトを輝かせるインパルスガンダムを狙い撃つ。
 どこから撃たれたのかさえわからないビームが次々と立ち上る。
 シンはとにかく機体を動かした。かわせる攻撃ではない。とにかく不規則に機体を動かし続け攻撃が外れてくれることを祈るばかりである。事実、この動きで直撃を避けることはできた。だが、すべてをかわせるほど楽な攻撃ではない。ビームがかすめる度に強い輝きを放ちフェイズシフト・アーマーがそぎ落とされる。それがバック・パックであれば致命的になる。ミノフスキー・クラフトそのものが削り取られそれが機動力の低下に直結する。
 ビームが残されていた右手首に命中し爆発がビーム・サーベルを遠くにはね飛ばす。それはすでに今さらだ。すでにインパルスは全身に被弾している。スラスターこそまだ起動していたがミノフスキー・クラフトの出力は9割低下。ただ墜落しないよう必死になることしかできない状態に陥っていた。
 そんな隙を、ジェネラルが見逃すはずがなかった。

「いい根性だな、ザフト兵!」

 黄金の塊がまばゆい光とともにインパルスに体当たりをかける。コクピットを直に揺さぶる衝撃に、シンは操縦桿を握りしめることしかできない。痛くなるほど派歯茎を食いしばりながら、巨大な戦斧が自身に向かって振り降ろされようとしている様を見ていた。

「では、お前がシン・アスカか!?」

 相も変わらずマイクで聞こえる将軍の声。
 頭頂から両断されるのではないかと思われた斧の一撃は、なぜか右肩へとそれた。そのまま右腕ごと右足を斬り飛ばす。
 もはや姿勢を制御する術を失ったインパルスはそのままジャングルの木々をなぎ払いながら墜落した。
 木々に埋もれたインパルスは、すでに動くことさえできない状態になっていた。そのコクピットの中ではシンが今にも意識を手放そうとしていた。目立つ外傷はないようだったが、ひどい脳しんとうを起こしているのだろう。目の前に降り立つ黄金のヅダに、少年は魔王の影を見いだした。

「・・・・・・エインセル・ハンター・・・・・・、俺は・・・・・・」




 ジャブロー攻略は完全な失敗であった。降下部隊を壊滅させられたことで主力部隊を動員できないまま、探索部隊を残して撤退せざるを得なかった。探索部隊の仲には撤退に成功した者もいたが、ただ一方的に戦力を消耗したにすぎない。
 そのことがザフト軍内に暗い影を落としていることに疑いはなかった。ザフトの騎士、アスラン・ザラの母艦であるパラスアテネの格納庫では整備員の動きが鈍い。本来ならば撤退に成功した探索部隊の機体の整備を始めてなければいけないのだが。もっとも、戻ることに成功した機体はわずか2機にすぎないのだが。
 アスランは辛うじて帰還したパイロットを出迎えるため格納庫に立っていた。
 損傷の激しいインパルスの足下からルナマリア・ホークが慌てているとも焦っているとも見える様子でアスランへと駆け寄っていた。

「アスランさん!」

 少々泣いたのだろうか。顔にはかすかに涙の跡があった。

「私たち、まだ負けてませんよね!」

 息を切らせるルナマリアの姿は、アスランにすがりついているようにしか見えない。

「今回は確かに負けましたけど、最後にはプラントが勝ちますよね! いつか世界が平和になりますよね!」

 それに対しても、アスランは非常に落ち着いていた。冷たく見えるほどに。

「黙れよ……」
「え……?」

 自らの耳を疑い目を見開くルナマリアだったが、すぐにやはり聞き間違いだったのだと確信することになる。アスラン・ザラがすぐに笑みを見せたからだ。映画、「正義と自由の名の下に」で見せたかのような。

「そうだな。ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンの望んだ理想郷としてプラントは誕生した。だが、そんな理想を歪めているのはナチュラルのコーディネーターに対する嫉妬だ」

 そう、プラント政権は言い続け、プラントの国民は信じ続けている。それはつまり、アスラン・ザラが口にしなければならない言葉そのものである。

「まったく世界中のナチュラルが君みたいな人ばかりだったら、世界はもっといいものだっただろうにな」
「は、はい、ありがとうございます!」

 思わず敬礼してしまったルナマリアに対して、アスランも返礼として敬礼する。ザフトの騎士として、その振る舞いは相応しいものだった。




 ミネルヴァににおいても、同様に広くなった格納庫について話題に上っていた。最大で9名が所属していたミネルヴァではあったが、2名にまで減少したパイロットとタリア・グラディス艦長が完全に空間をもてあましていた。

「降下部隊の壊滅。度重なる作戦失敗によってザフトは部隊の再編を余儀なくされています。当面、エインセル・ハンターの追撃は不可能でしょう」

 テーブル型のモニターには無理なエインセル・ハンター追撃によって補給路が乱されたザフト軍の状況が投影されていた。特にオーストラリア大陸とアフリカ大陸の連携がとりにくくなってしまっている点が問題と言える。
 誰の目にもザフトの劣勢は明らかであった。無論、ヴィーノ・デュプレにも。

「どうすんですか、これ・・・・・・?」

 もとから仕草の大きなヴィーノだが、その横のレイ・ザ・バレルは対称的に慌てることがない。

「どうにもならん。元々、プラントには勝ち目のない戦いだ。国力差はどれほど小さく見積もっても10倍。それも大西洋連邦一国に限っての話だ。世界安全保障機構全体ともなれば単純な合算はできんが、30倍にもなると試算する向きもある。わずか3年前に国土を焼かれる寸前まで追い詰められた国にしてはよくやっている方だろう」

 ヴィーノが思わず艦長の方を盗み見たのも無理はない。部下が弱きな発言をしているとあれば、それを叱責することも上官の役目だと理解されているのだから。それがコーディネーターがナチュラルに負けることなどあり得ないとされているプラントであればなおさらのことと言えた。
 しかし、グラディス艦長は普段通りの冷静にすぎる顔しか見せることはない。
 それはレイにとってさえ奇妙なことに映ったのかもしれない。

「グラディス艦長、失礼承知でうかがいたい。あなたと議長の関係は噂レベルであれば知っている者も多い。だが、あなたは現在のデュランダル政権のありように疑問を感じているのではないか?」

 一度、艦長と議長の関係を尋ね、そのことがトラウマとなっているヴィーノは思わず視線をレイとグラディス艦長、交互に泳がせる。そんなヴィーノの心配を余所に、隊長と艦長はひどく平静を保っていた。

「あなたがシンを呼んだ理由を考えてみたが、やはり現政権の対ナチュラル、対在外コーディネーターへの有り様を確かめるためではないかとしか考えられなかった」
「では、あなたの考えの中で、私は自身のプライベートを軽々しく話す女だとの結論に至りましたか?」
「私は賢者を気取るほどうぬぼれてはいない」

 上司2人の静かな睨み合いに、ただヴィーノだけが余計な緊張を強いられている状況だった。

「ど、どういうことです、レイ隊長?」
「もしかしたらもしかするかもしれないと試していた、ということだ」

 予想では話すはずがないと結論付けていた。しかし、予想が外れているかもしれない。もしかしたら聞けるかもしれない、そう考えていたということなのだろう。
 だが、当然の如く、そんな都合のいいことが起きるはずもなかった。
 グラディス艦長は無言でブリーフィング・ルームを後にした。元々、会議は終了時間に近づいていた。だからとご機嫌を損ねた訳ではないと考えるのは早計と言えたが。
 仕方なく、レイ達もまた部屋を出る。廊下を歩きながら話題に出たことは、やはり未帰還となった仲間のことだった。
 普段から表情を表に出すことの多いヴィーノが不安げな顔でレイに並んだ。

「隊長、シン、無事ですよね?」
「確約はできんが、俺は勘は無事だと告げている。何せ、あいつは不死身の男だからな。あいつはすでに撃墜された回数が今回で10回を超えたらしい」
「マジっすか!?」
「あいつはザフト軍きっての被撃墜王だということだ。それほどの男が命を落とす戦場に、ジャブローでは不足と思わんか?」

 今のレイにはどこまでが冗談で本気なのか区別のつかないところがあった。冗談めかして笑っているが、それだけシンのことを本当に心配する必要がないと確信しているようにも見えた。
 ヴィーノとしては戸惑うほかない。

「なんか隊長、雰囲気変わりましたよね? なんか、その・・・・・・、ヨウランたちがいた時、そんなに笑ってましたっけ?」
「地球育ちにとってユニウス・セブン世代といても愉快なことはないからな。だからお前やシンがいなくなると寂しくなる」
「いや、俺もユニウス・セブン世代なんすけど・・・・・・、プラント生まれのプラント育ちの・・・・・・」

 やはり、レイは笑うばかりであった。




 シンが目を覚ますと、そこには見たこともないような天井があった。何か宗教絵画めいた絵が描かれ、縁はこれでもかとばかりに装飾が施されている。ゴシックだとかバロックだとかシンにはわからない。しかし、自分にはまったく心当たりのない場所だとは理解している。

「どこなんだ……、ここは……?」

 まさか天国の宮殿ではないだろう。そうは思いながらもあり得ないこともないかもしれない。それほどまでにシンにとって縁遠い場所に思えて仕方がなかった。
 そして天国には天使がいた。波立つ桃色の髪に青い瞳。人形を思わせるほどに整った顔立ちは、その身を包む純白のドレスと相まってその背中に翼が見えてきそうにさえ覆えた。だが、シンを見つめるその瞳は、天界の使者にしては少しばかり、冷たい。

「大西洋連邦。エインセル・ハンターの屋敷、つまり私の家」
「ヒメノカリス・・・・・・!?」

 上体を起こそうと手をついたベッドは、軍艦のそれとは比べものにならないほど柔らかい感触だった。無論、大きく、降りるだけでも体をずらさなければならない。

「ようこそ、シン・アスカ。ジャブローであなたは捕虜になってここに運ばれた」

 ヒメノカリスはスカートの裾をつかみ頭を下げる。映画でしか見たことのない歓迎の作法だったが、ヒメノカリスのシンを見る目は好意的とは言いがたい。箇条書きのような断片的な説明も、できるだけ手間を省こうとしていることの表れかもしれない。
 シンはベッドから降りたところでようやく、自分が身につけているのがパイロット・スーツでないことに気づいた。白いシャツなのだが、ボタンのところが縦一列にフリルで飾られている。如何にもお坊ちゃんが着ていそうなものだ。

「この服、何なんだ……?」
「質問が多い。お父様が昔、使ってたもの。もういい?」

 露骨にシンの相手をすることを面倒に感じてるようだ。ヒメノカリスは、やはり豪華な扉に手をかけると首だけで振り返る。

「歩けるならついてきて。お父様が会いたいそうだから」
「お父様って、……エインセル・ハンターが?」

 この問いに、ヒメノカリスは答えなかった。まるで質問がなかったかのように歩き出そうとしたため、慌ててシンも扉をくぐった。
 外に出ると、そこは中庭に繋がっていた。手入れの行き届いた生け垣に花咲かす花々。宇宙進出の進んだこの時代において、中世のお城に迷い込んだかのように錯覚さえさせられる。
 そんな中庭を歩くヒメノカリスの後ろ姿は、お姫様に思えた。実際、ここがエインセル・ハンターの居城であるなら、ヒメノカリスは姫そのものなのだろう。
 シンが名前もわからない花や精巧な彫像につい目移りしていると、唐突にヒメノカリスから声をかけられた。

「答えて。お父様はあなたに興味を抱いている。それはなぜ?」

 ヒメノカリスは振り向いてもいない。ただ歩き続けている。

「知る訳ないだろ……」

 実際は、ヒメノカリス自身、期待していなかったのかもしれない。それ以上、何も聞くこともないまま中庭を中央へと向かって歩いているようだった。
 そこは開けた場所になっていて、家具、ではなくて調度品と呼ばなければいけない気がしてくるテーブルがいくつか置かれていた。ちょっとした休憩所になっているようだ。ただ、そこにいる一組の男女は、この城で始めて異物感を与える人物たちだった。
 女性は眼鏡のスーツ姿。テーブルのすぐ脇でお茶の入ったカップを男性へと差し出していた。白いスーツを身につけた、目を見張るほどまばゆい金髪をした男性へと。本を読んでいた男性が顔を上げると、その青い瞳にシンが映る。
 ヒメノカリスは男性へと頭を下げると、彼のことをこう呼んだ。お父様と。

「シン・アスカを連れてきました」

 テーブルに本を置く。立ちあがる。小さく礼をする。そんな、男性の一挙手一投足からシンは目を離すことができないでいた。思わず息を大きく吸い込むと吐き出すことができない。
 そして、シン・アスカは魔王の声を聞いた。

「初めまして、エインセル・ハンターと申します」
「あ・・・・・・、あなたが……」

 目の前の現実をただありのままに受け入れる。そんな簡単なことが、今のシンには何よりも難しいことのように感じられていた。プラントでは、エインセル・ハンターは思い通りにいかないとすぐに怒鳴り散らすヒステリックな小物として描かれていた。時には猫を膝に乗せて悪巧みにふけるなど絵に描いたような悪役として表現されることもあった。シンは、そんな露骨な印象操作を信じていた訳ではない。
 それでも、目の前の男性をエインセル・ハンターであると受け入れることができずにいた。

「あなたが・・・・・・、エインセル・ハンター・・・・・・」
「はい。シン・アスカ。あなたのことは調べさせていただきました。私を仇と追っている。相違ありませんか? では、それはなぜですか?」
「・・・・・・あんたが、俺の母さんを殺したから・・・・・・」
「それは資格であって理由ではありません。あなたは母のために私を殺したいのですか?」

 まるで心の内を見透かされている、そう、シンには感じられた。シンが母との関係を悩んでいることを知っているかのように。ヒメノカリスから聞いたのだろうか。しかし、ただ人づてに聞き及んだだけではわからないほど、その声はシンの心の奥深くにまで響く。
 エインセル・ハンターから目をそらすことができない。瞬きをすることができない。

「あなたは非常に優秀な生徒です。成績がよく表彰もされています。それは母に認めてもらいたいと努力した結果でしょう。そして、母の死後でさえ、努力をやめることができません。インパルスガンダムを受領できたのはその結果でしょう。怖いのですね、母に捨てられることが」
「お・・・・・・、俺と母さんのことの、何が……!」
「ではあなたはご理解されていますか? あなたご自身のこと、そして母上のことを?」

 シンが必死に言い返そうとした意志をくじき、魔王はその手を緩めようとはしない。

「母上を疑っておられるのでしょう? 努力をやめれば、成果を出さなくなれば捨てられると恐れておられるのでしょう? あるいは、すでに確信されているのですか? 走り続けることをやめた途端に母に捨てられると」

 違う。できることならばそう、大声で叫びたかった。しかし、できなかった。心を読まれているのだとしたら、嘘をついても見破られてしまう。だとすると意味のないことのように思えて、そして、シンに意味のないことにありったけの気力を込めるほどの気概は残されていなかった。

「そんなこと・・・・・・」

 違うと言いたかった。しかし、それが本当のことでないことをシンは知っている。
 その通りだと認めてしまったら、シンがこれまで脆くも守ってきた何かを自分の手で捨て去ってしまうことになる。
 もはやシンには言い返すだけの力さえ残されていなかった。

「亡くなった母への思いを謳いながら、母が存命していた時と同じことを続けるだけなのですか? あなたはいつ、母の弔いをされるおつもりなのですか?」

 エインセル・ハンターが何かしたわけではなかった。その柔らかな表情を崩したこともなければ、声音を鋭くしたこともない。何も変わらなかった。しかし、何かが変わっていた。これまで見えない鎖でも巻き付いているかのようにシンを抑えつけていた重圧が突然、消え失せたからだ。

「あなたの身柄は時期をみてプラントに引き渡します。それまではどうぞごゆるりと」

 こうしてエインセル・ハンターは、彼がメリオルと呼んだスーツの女性、ヒメノカリスを連れて歩き去って行った。
 しかし、シンは動き出すことができなかった。ただ1人残され、それでもただ立ち尽くすことしかできずにいた。
 これが、シン・アスカと魔王と呼ばれた男との出会いだった。




 ただ中庭で立ち尽くす。そんなシンの様子を、見下ろす少年の姿があった。屋敷の一室、窓に身を乗り出す少年は、アウル・ニーダだ。その顔は如何にも不機嫌といった様子で今にも窓から飛び降りシンへ殴りかかりそうに思えるほどだ。
 少なくとも、すぐ後ろのステラ・ルーシェにはそう見えたのだろう。

「アウル、だめ。お姉ちゃんに言われたでしょ、シン・アスカに会っちゃだめって……」
「んなこと、わかってる……」

 しかし、いつまでも自制心を保っていられるか、自信がなくなってきたのだろう。アウルは振り向くと、窓に背中を預けもたれかかる。こうしていれば、シン・アスカを見なくてもすむからだ。

「ステラ、あいつはスティングの仇なんだぞ。お前はそれでいいのかよ!?」

 結局、アウルは怒鳴ってしまった。ステラが小動物のように震えると、さすがにばつが悪そうに舌打ちする。しかし、そうしたことでかえってステラを怖がらせていることにアウルは気づけないでいた。
 そばに置かれたテーブルの上、プロジェクターで表示される真紅はそんなアウルをたしなめた。

「レディを怯えさせているようでは男としての格を疑われるのではなくて、アウル?」
「別に俺だってステラ怖がらせたい訳じゃない。でもな……」
「アウル。強くなりたいのなら復讐を捨てなさい」
「今時、精神論かよ」
「精神論ではないのよ、アウル。あなたにはまだ十分な実戦経験があるとは言えないわ。でも、それを補う感性があなたにはある。アウル、あなたは着実に強くなっている。それは相手の動きを本能的に察知する感覚によるものだわ。でも、あなたが復讐に憑かれた時、あなたは自分を自ら裏切ってしまう」
「んだよ、それ?」

 アウルは言っている意味がわからないとばかりに鼻で笑うが、真紅の真剣な眼差しにすぐに笑うことをやめた。

「で?」
「あなたの前に仇がいるとして、今回は逃がすべきだとあなたの直感が告げたとする。あなたはそれに素直に従うことができるかしら?」

 真紅はアウルの返事を待っていたものの、アウル自身は適当な表情を作って誤魔化すしかしなかった。嘘を言っても真紅には通用しないこと、わざわざ自分が敵を見逃す訳がないとも理解していたからだろう。

「あなたは相手の動きを読むことができる。でも、あなたはそれを自分で無視することになる。あなたは復讐を願う分だけ弱くなるのよ、アウル」

 果たして通じたのだろうか。アウルはわかったように空返事をしたが、真紅もそれ以上、深く追求しようとはしなかった。それだけの時間もなかった。
 ヒメノカリスが短いノックとともに部屋に入ってきたからだ。

「ステラ、アウル、準備なさい。私たちは月に昇るから」



[32266] 第30話「前夜」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:dbdd3d75
Date: 2017/07/06 22:06
 プラントは地球上に国土を持たない。ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンが歴史のしがらみに囚われることを嫌い、宇宙に国を求めたのだとされている。
 この国はすべてにおいて新しいことが求められた。
 法があったとて、それで戦争が防げたことはない。ならば先達の法を参考にする必要などない。まったく新しく、新たな世界に相応しい法を作り出せば良い。たとえ、同じ過ちを繰り返す危険を冒したとしても。
 宗教は害悪である。宗教の違い、あるいは同じ宗教内でさえ争いがあった。それならば神などいらない。宗教などなければ争いは起こらないのだから。しかし、では宗教を持たない文明が存在するのか、すなわち、人と宗教は果たして切り離すことができるのかという問題には触れていない。仮に人の文明と宗教とが密接不可分のものであるのなら、宗教がなければ争いが起こらないということはすなわち、人がいなければ戦争は起こらないと言っていることに過ぎないことになる。
 確かに人の世は完全でもなければ完璧でもない。しかし、では完璧であった時代が、完全な社会を築いた文明があったのだろうか。今の世はそんな不完全だった世界を見直し、少しでもましとなるよう作られたものではないのだろうか。
 世界は、成功を重ねることはできなかった。しかし失敗を積み重ねた世界である。
 プラントは、蓄積された失敗、そこから得られた教訓のすべてを不完全だと不要だと切り捨てた。
 だが、不完全な物と別の物は、別の不完全な物であるだけかもしれない。今とは異なる物が新しい物とは限らない。過去、かつて存在していた物と同一であっても今とは違うものなのだから。
 ただ一つ明確なことがある。
 プラントにも、不完全な世界を作り上げた者と同じ、争いをやめることのできなかった者と同じ、人が住み、暮らしている。
 人が死ねば、それは物と変わらない。やがては分解され土へと還元される存在である。そこに科学的、学術的に特別な価値など存在しない。しかし、人は墓を作り仲間の死が何か特別な物であったかのように思い込もうとする。
 それは、コーディネーターの国であったも変わることはなかった。
 プラントの一角、整然と並べられた墓石が平野を埋め尽くしている。コーディネーターならこの光景を笑うべきだろう。人の死体も店頭に並ぶ家畜の肉もさしたる違いはないと。コロニーにおいて貴重な土地のを浪費するでしかないと。
 しかし、墓参りをするコーディネーターたちは、誰一人として純然たるコーディネーターはいなかった。そんなコーディネーター失格は、たとえばディアッカ・エルスマンである。
 ディアッカは並ぶ墓石を前に杖を置き、あぐらをかいて座っていた。その様子は、仲間内でだべっているかのようである。

「よお、ニコル、ジャスミン」

 冷たい石が返事するはずもないが、ディアッカは気にした様子はない。

「お前達がいなくなって3年になるが、まだプラントは戦争している。アスランなんて今じゃザフトの騎士なんて呼ばれてるエースだ。傷痍軍人の俺とはエラい違いだな。ああ、でもお前達には話してなかったけどな、実は同棲してるんだ。前話しただろ、ジャスミンと同じヴァーリのアイリスとな」

 おそらくディアッカは想像しているのだろう。もしもニコル・アマルフィが生きていたなら、少し驚いてから祝福してくれると。ジャスミン・ジュリエッタの場合は顔を真っ赤にして照れるかもしれないと。

「出会いは俺が捕虜だった時に、世話係がアイリスでな。ま、お互い、第一印象はよくなかったんだけどな」

 ディアッカは続けざまに言葉を続けようとはしなかった。まるで、2人が応じてくれたとしたなら必要となるはずの時間を空けてからしか話を続けようとはしない。

「それて、言いにくいんだが、これまで話せなかったことがある。ニコルはアスランをかばって死んだし、ジャスミンは国のために命を投げ出したことになってる……。でもな、俺、お前達がそうやって守った奴らのこと、好きでいられそうにない」

 ニコルは友軍を逃がすため殿を務め、アスランをかばって戦死した。
 ジャスミンは時間を稼ぐために危険な作戦に従事させられ命を落とした。

「アスランは、俺にはやけを起こしてるようにしか見えない。人類の未来のために戦う正義の騎士様なんて役、一昔前のあいつなら頼まれてもやらなかっただろうな。ニコルもそう思うだろ?」

 しかし、ディアッカにはニコルが今のアスランを見てどう反応するのか想像しきれなかったのだろう。その笑みは複雑なもののように思われた。笑って良いものか、そんな躊躇いを感じさせるものだからだ。

「なあ、ジャスミン。お前たちは何で死んだんだ?」

 ディアッカはどんな返事を聞いたのだろうか。

「……ああ、もちろん例の戦いで死んだことは理解してるさ。時間稼ぎのために生産終了が決定してるような機体に乗せられて、彼我戦力差10倍を超える相手に突撃させられたんだ。体の良い在庫処分だよな。悪い。ジョークが黒かったな……」

 その戦いは映画『自由と正義の名の下に』でも描かれた。迷いながらも守りたい人のため、微笑みながら命を落としていく人々は、映画の中でも名シーンと評価されている。この特攻で父を亡くした息子が、そんな父を誇りに思いながら自分もまたザフトを志す場面は涙なくしては見られない。

「ニコル。お前が死んだ時、俺、捕虜になってただろ? 時間ばっかり余ってな。プラントに帰ったらお前にそん時のことどんな風にはなしてやろうかなんてことばかり考えてた。お前が死んでるなんて知りもしないでさ。我ながら間抜けだよな」

 もしも人生を変えた出来事を挙げるなら、ディアッカはアーク・エンジェルに捕虜にされた事実を挙げることだろう。

「ジャスミン。お前が死ねって命じられてるってこと、俺は知らなかった。どう思う? よく漫画やドラマじゃ、大切な人が死んだらそのことが伝わるなんて話あるだろ? あれ、本当か? 時間帯考えるとな、俺はキラたちと馬鹿みたいな話してた時、お前死んだみたいなんだよな」

 最後に話したことが何だったか、そんなこともわからないくらいどうでもいいことで最後の別れを浪費した。

「あれからプラントもだいぶ変わったよ。ニコルがいた頃はまだクライン政権だったろ。あれからザラ政権、カナーバ政権、そしての今のデュランダル政権だ。ジャスミンはザラ政権がタカ派だってことは知ってるだろ? デュランダル政権も結構な右よりでな。カナーバ政権はそんなことなかったけど、まあ、短かったからな。って、クライン政権もニュートロン・ジャマー落としてたな。あんま変わんないか……」

 何を話そうかいろいろと考えてみても、すぐに話が詰まってしまう。そんなことはいつものことだった。一方的に話しても相手が乗ってくれなければ話がまったく膨らんではくれない。
 ディアッカは溜息をつくと、杖を頼りにその腰を上げた。

「また、来るからな」

 プラントでは障がい者は差別されるが、このような厳かな場所でまでディアッカに侮蔑的な眼差しを向けてくる者はいなかった。
 そうして、足を引きずるようにして歩き続けたディアッカは車道へと出た。車で訪れる参拝客のためのものだが、ディアッカの目的は車ではない。連れを待たせていた。アイリスとリリーだ。
 アイリスはリリーを後ろから抱きしめ、2人は何やらおしゃべりをしているらしかった。2人は姉妹ほどの年齢差だが、見ようによっては母子のようにも見える。では、父親はディアッカだろうか。
 ディアッカ自身、自分を父とする想像は気恥ずかしさがあったのだろう。2人のもとに近づいた時、つい茶化すかのような態度に出たのはそのためだろう。

「リリーもちゃんと待てるんだな」
「あたしだって騒いじゃいけない時くらいわかるんだけど?」
「よしよし、成長したな」

 杖を脇に保持し、ディアッカはふてくされるリリーの頭を撫でた。子ども扱いされたことに怒っているのだろう。リリーはディアッカの手を払いのける。しかしアイリスの抱擁を拒まない辺りは、複雑なお年頃なのだろう。
 そんなリリーの様子を、ディアッカもアイリスもまた微笑ましく見ていた。

「さて、どこかで食って帰るか。リリー、何か食べたいものあるか?」
「え~とね……。あ、ギルだ」

 リリーが走り出したのは、霊園の外のビル、そこの壁に取り付けられたモニターにギルバート・デュランダル議長の演説の様子が放映されていたことを見つけたからだ。
 ディアッカたちはその後をゆっくりと追いかけることにした。

「何でデュランダル議長は俺たちに、いや、アイリスにリリーを預けたんだろうな? それより、どうして議長がヴァーリと関わりあるんだ?」
「ナタルさんみたいですね」
「お前だって気にはなるだろ? まあ、リリーがあまり話したがらない以上、踏み込まない方が無難なんだろうけどな」

 無理にこの関係を変える必要はなかった。そんなことはディアッカとアイリス、何よりリリーが望まないだろうから。
 子どもの成長を見守る親のように、自分たちの先を行くリリーを並んで追いかけるディアッカとアイリス。だが同時に理解もしているのだろう。このような不自然とも言える関係をいつまでも続けてはいられないと。
 その関係を終わらせるのは今ではなかった。しかし、世界は彼らを放っておいてはくれなかった。
 突如、サイレンが鳴り響いた。空襲の警報かと市民が悲鳴を上げて慌てふためく中、アイリスもまた思わずリリーの元へと走り出していた。

「リリー!」

 アイリスに抱きしめられたリリーもまた、不安げにアイリスの体にしがみついた。ディアッカはそんな2人に歩み寄りながらも周囲を警戒することを忘れなかった。しかし、プラントへの攻撃が開始される気配はなかった。

「警報じゃないみたいだな・・・・・・」
「番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします」

 さきほどまでデュランダル議長の演説を映していた映像は神妙な面持ちのアナウンサーに変わっていた。汗までかいているのではないだろうか、そこまで狼狽したアナウンサーの口から語られた事実は、プラント全土に衝撃を与えた。




 オーブ、主をなくしたエピメディウム・エコーの私室に今はカガリ・ユラ・アスハの姿があった。長くモニターを見続けるためだろう、眼鏡をかけ難しい顔で机についていた。 そこにノックとともに姿を現したのはユウナだった。

「カガリ、ああ、眼鏡も似合うね」
「茶化す暇があるなら要件を言え」

 そう言うと、カガリは眼鏡を外してしまう。残念そうに息を吐きながらユウナは数枚の資料の束を差し出した。

「DSSDのことだけどね、あの組織、やっぱり妙だ。詳しいいきさつまではわからないけど、大西洋連邦の特殊部隊が強行査察、という名前の襲撃を行ったそうなんだ」
「軍部の横暴を告発する、と言った話ではなさそうだな」
「特殊部隊の方が壊滅させられたそうだよ」

 軽く資料を流し読みしていたカガリの手が止まる。

「民間の研究所が要塞並の軍事力を有していたということか? お前からの報告でなければ我が耳を疑うところだ」
「作業用と称したモビル・スーツを多数配備してたそうだよ。さすがにDSSDも大西洋連邦軍も詳細を明かしてはくれないけど、どうやら確かな話らしい」

 資料には写真が添付され、破壊された地球軍のモビル・スーツ、軍艦の様子が映し出されている。

「どうすれば重機で戦車に勝てるのか教えてもらいたいものだな。宇宙開発が聞いて呆れる」
「これで確定したね。DSSDは後ろ暗いところがある。問題は、それが何かってことなんだけどね」

 ユウナはこれまで、プラントがDSSDに多額の出資をしていることこそ突き止めたが、それはあくまでも公表されたことを正確に把握してみせたにすぎない。やれやれと机に体重を預け、自身のふがいなさを嘆くほかなかった。
 カガリは手元の映像を壁掛けのモニターへと投影した。

「ユウナ、これを見てくれ」
「これは・・・・・・?」
「DSSDの使っているツィオルコフスキーだが、4年に1度、木星と地球を往復している。それに符合して大量の物資が動いていることがわかった。DSSDは物質を消滅させるためだけの研究をしているか、でなければツィオルコフスキーが運び出しているか、だ」
「彼らは木星圏にこれだけ物資を移して一体何を……? それにしてもよくこれだけのデータを集められたね、カガリ」

 ユウナは素直に感心しているようだったが、カガリはどこか皮肉っぽく口元を歪めてみせた。

「私の手柄じゃない。エピメディウムのデスクに残されていたものだ」
「じゃあ、何でもっと早く……」
「今朝までなかった。誰かがエピメディウムのパソコンに私宛に送ったものだ」

 ここでユウナがつい眉をひそめたのも無理はなかった。

「出所不明の情報ってことかい? ちょっと疑ってかかる必要もありそうだね」
「別に公式文書として用いる訳じゃない。それに、物資の流れそのものを確認することはできるからな。裏をとれそうなことについては確認した」
「じゃあ、どこの物好きがこれほどの情報を送ってくれたって言うんだい?」

 ユウナが体の向きを変えてデスク越しにカガリの顔をのぞき込むようにすると、カガリは悩んでいるらしかった。ただそれは、物好きに心当たりがないと言うより、見当を付けた相手が果たして正しいのか確信が持てないといた様子だった。

「なあ、ユウナ……。エピメディウムは本当に死んだのか?」

 プラントで行われたダムゼルの会合、その帰りに事故を起こし死亡した、そのはずだった。確かに遺体を見つけることはできなかったが、シャトルの残骸を確認している。ただの事故ならばともかく、仕組まれた事故であればなおさらだろう。
 しかし、この事実を突きつけることはカガリに対して酷なことだろうと、ユウナの態度はやや遠慮がちに思われた。

「あの事故が起きるべくして起きたものなら、それに関わったのはプラント、つまりラクス・クラインだ。彼女がそんな手抜かりをするとも考えにくいし、何より、生きてるならすぐに君の前に顔を見せるはずじゃないか」
「お前の言うとおりだ。だが、では私にこれほどのデータを送ってくれる奇特な相手は誰だ? それも、こちらの事情に精通しているときている。わざわざエピメディウムのデスクに送ってくるくらいだからな」
「本当に意地の悪いことを聞くよ。本当に、エピメディウムが生きてると思ってるのかい?」
「ある日、ひょっこりと帰ってきそうな気がするのは……、遺族特有の感傷なんだろうかな?」

 ユウナに答える術はなく、カガリ自身、自分を見失っていた。許嫁2人は、しばらく沈黙を強いられることとなった。それが破られたのは本当に突然のことだった。
 カガリがデスクに置いていた映像投射装置が黄色のドレスの少女の姿を立ちあがらせた。金糸雀だ。

「かっちゃん、大変かしら!」
「何事だ、金糸雀? それと、私をかっちゃんと呼ぶな!」

 金糸雀の姿がある映像に置き換わった時、カガリとユウナ、2人は再び言葉を失うことになる。




 多忙なラクス・クラインの執務室を尋ねたのは、Pのヴァーリだった。

「ねえ、ラクス。新しい機体の企画書、見てくれた?」
「この人間爆弾のことでしょうか?」
「特攻機って呼んで」

 資料が放り捨てるようにデスクの上に置かれた。そこには概略図が描かれている。モビル・スーツの形こそとっているが、頭部はなく腕と胴体が一体化し、貝に申し訳程度の手足をつけたかのような単純なシルエットをしている。 一目で安上がりな作りであることがわかる。
 しかし、ラクスは一瞥することもなく投げ出された資料はサイサリスの手元で転がっているだけである。
 サイサリスはデスクを叩くほどの勢いでラクスへ迫った。

「考えてもみてよ。犠牲のでない戦争なんてないでしょ。エースなんて呼ばれるのはほんの一握り、ほとんどは数合わせでしょ。そんな雑兵に高価なモビル・スーツ任せるなんてコスト・パフォーマンス悪いにもほどがあると思わない?」

 特にユニウス・セブン休戦条約以後、モビル・スーツの製造費は高騰している。保有台数に制限がかけられたことが直接の原因である。4年前の実に数倍にも達している。

「でも! この機体ならロー・コスト。なんたって装甲も最低限、OSも安普請、パイロットも国民が勝手に産んで育ててくれるし。この国、福祉も最低限だから余計に効率的になるよ」
「大量の爆薬を積み込みただ体当たりさせるだけのモビル・スーツを、本気で作りたいのですか?」

 企画書に示された機体の概要は爆弾を詰め込んだ箱に推進装置を取り付けただけにも等しいものだった。ミノフスキー粒子による電波障害が恒常化した現在においても有人機であれば問題とならない。
 コンセプトそのものについては、サイサリスの言葉は何も違えてはいなかった。

「昔、これと似たことやった国があったらしいよ。その国じゃそうして死んだ人は国の溜めに命を捧げたって名誉あることだって言われてた。それに、有効な攻撃だったって記録もたくさんあるよ。わかってると思うけど、これで戦艦の一つでも潰せれば丸儲けってくらいコスト的に有利だってこと、ラクスならわかるでしょ」
「そのために兵が命を落とすのですね?」
「戦争で人が死ぬのは当たり前でしょ? 軍人は死ねと命じられたら死ぬべきなんだよ」
「それは違います。死も同然の命令でさえ従うだけです」
「何が違うの?」
「軍人の仕事は死ぬことではありません。戦うことです。死はあくまでも結果にすぎません。死ぬかもしれない死地に兵を送り込むことと死を命じることは違うのです。国が兵を死なせるために戦地に来ることがあれば、それは国家による殺人に他なりません」
「ジャスミンを捨て石に使ったのラクスでしょ。あれ、たしかに死ねなんて言ってないけどそう言ったも同然でしょ。特攻機がだめでジャスミンを死なせたことはいい、なんて都合の良い自己弁護なんじゃないの?」
「自己弁護? 至高の娘である私がフリークを消耗することにどのような負い目を覚える必要があるというのですか?」

 そう、ラクスは冷たく微笑んだ。
 印象とは不思議なものである。もしも第三者の目から見たのなら、ラクスの微笑みは見る者を落ち着かせる魅力的なものに見えたことだろう。だが、その笑みを向けられたサイサリスは思わず後ずさった。しかし、気を取り直しもう一度、デスクへと身を乗り出した。

「ラクス、特攻を使った国もプラントと同じだった! その国は負けたけど、それは最初から人間を爆弾にしなかったからだよ。でも、今はそれが有効な戦術だってわかってる。それから戦争に直接参加することはなかったみたいだけど、もし戦争してたらその国は絶対、特攻機を最初から使ってたと思うよ。だって、使わない理由がないんだから」

 彼らはそうして立派に死に、彼らのお陰で国は守られた。有効で、何も悪いことはなかった。再び人間を爆弾にしない理由もまた、どこにもない。

「ラクス。負けたらそれまで死んでいった人たち、みんな犬死にになるんだよ」
「勝てば報われるのですか?」

 どちらかと言えば、睨み付けているのはサイサリスの方だろう。しかし、2人の間に敷き詰められた沈黙を支配しているのはラクスの方だろう。サイサリスがただ虚勢を張り、座ったまま微笑んでいるだけのラクスの重圧に耐えているだけだった。
 そんなサイサリスのやせ我慢はオッドアイのヴァーリが部屋に飛び込んでくるまで続いた。

「ラクス! 大変だ、と、とにかく大変なんだよ!」

 デンドロビウム・デルタは、息を切らせた様子でただただ慌てていた。




 見慣れない天井は落ち着かない。しかし、シン・アスカにとって眠れないのは何も枕が変わったことだけではない。

「寝られる訳がないよな……」

 エインセル・ハンターとの出会いからすでに数日が経っていた。シンはあの日から何も変わってはいなかった。エインセルの言葉を反芻し続け、結局、何も反論が思いつかない。あの時と同じことを繰り返しているでしかなかった。
 まだ夜は始まったばかりだったが、すでに眠れない夜になりそうだった。
 シンは仕方なくベッドから起きると、その足で中庭へと続く扉を開いた。ここが敵地、それも母の仇と狙った男の屋敷だとは忘れてしまいそうになる。それくらい、シンは捕虜とは思えない生活環境が与えられていた。
 外はすっかり日が落ちていた。中庭は照明の淡い光に照らされ昼間とは違う、神秘的な雰囲気さえ漂わせている。妖精の世界、そんなものがあるとしたらそこはこのような場所なのではないだろうか。
 散歩にはちょうどいい場所かもしれない。シンが中庭に足を踏み入れたのはそんな簡単な理由からだった。自然と、シンは垣根の道を迷うことなく進んでいった。これも大した理由はない。ただ、この道以外知らないからにすぎない。
 そうして歩いて行くと、どこからともなく歌声が聞こえてきた。女性の声で、それはとても澄んだ声だった。
 妖精の国に歌声が響いている。
 何が普通でないのか、そんな感覚さえ失われてくる。シンは何か考えることもなく広場へと足を踏み入れた。
 そこでは妖精の姫君が歌っていた。
 姫は波立つ白い髪に赤い瞳をしていた。ヒメノカリスと同じ顔で、同じ意匠のドレスは黒く染まっている。その手には赤ん坊を抱き、歌われるのは子守歌なのだろう。
 不躾なことをしている、そんなことはシンにもわかっていた。だが、あまりに現実離れした光景はそんな常識さえ忘れさせた。シンはヒメノカリスを見た時と同じ印象を抱いていた。少女は美しかった。歌声とともに、思わず意識を奪われてしまうほどに。
 誰かに肩に手を置かれるまで、シンはどれくらい黒の少女を見続けていたのかわからなかった。

「女性はじろじろ眺めるものじゃないよ」

 振り向くとそこにはファントム・ペインの証である黒い軍服の青年がいた。その顔に、シンは辛うじて見覚えがあった。

「え~、ネオさん、でしたっけ……? オーブで会ったファントム・ペインの……」

 シンにはうろ覚えであったが、間違ってはいなかったらしい。

「一応ね。ただ一度キラ・ヤマトと名乗るとみんなキラとしか呼んでくれなくなるんだ。君も好きな方で呼ぶといいよ」

 そう、シンの脇を抜けたキラは少女へと呼びかけた。

「ゼフィランサス。紹介するよ。ゼフィランサス・ズール。ゲルテンリッターの開発者で、僕の妻でもある」
「じゃあ、翠星石の……」

 最初、ゼフィランサス・ズールという希代の技術者について聞かされた時、シンが思い浮かべたのは間違ってもドレス姿の少女ではなかった。だが、そんなことはもう、今さらのことだったのだろう。シンは目の前の事実を意外なほど素直に受け入れている自分に気付いた。
 なぜ、どうして、そんなことを考えても仕方がないことかもしれない。キラにテーブルにつくことを提案された時、シンは特に断ろうとはしなかった。

「ゼフィランサスさんはヒメノカリスと姉妹なんですか?」

 赤い瞳と青い瞳。黒いドレスと白いドレス。そして同じ顔。できすぎなほどに好対照な2人だと言えた。
 ゼフィランサスの瞳がシンを見る。

「ヴァーリについてはどれくらい知ってるの……?」
「どれくらいと言われても全然としか……」

 ゼフィランサスが引き続き説明をするのかと思いきや、ゼフィランサスはその手の中で眠る子どもにまた子守歌を歌い始めた。実際に説明するのはキラの方だった。

「昔、プラントで新世代型のコーディネーターを作る実験が行われたんだ。クローン胚にそれぞれ別々の遺伝子調整を施した。そして、それぞれ基本的な遺伝子は同じでも得意分野は別々。そうして生まれたのがヴァーリ。26人の同じ顔をした姉妹たちだ。ゼフィランサスはその26番目、ヒメノカリスは12番目。ラクス・クラインも同じ顔してるけど、気づかなかったかい?」
「ラクス・クラインなんてニュースで少し見たことある、くらいですから」
「それに、ヴァーリには強力な暗示がかけられていて、その副作用としてとても男性への依存が強いんだ。ゼフィランサスは僕に、ヒメノカリスはエインセル兄さん、という具合にね。それに、相手に尽くしたいという気持ちも大きいんだ」

 それは何となくシンにもわかることだった。ヒメノカリスの父に対する正常とは言えない愛を見せられてきた。それに、ゼフィランサスがキラのことを愛おしく思っていることは、人生経験が豊富とは言えないシンであってもわかることだった。

「ヴァーリは尽くせば愛される資格が得られると考えてるんだ。ヒメノカリスが戦場に出るのもそのためだよ。父のために命がけの戦いに身を投じること、それが自分が愛される資格だと思い込んでるんだ」
「なるほど……」

 アズラエル家、それがどれくらいの家柄なのかシンにはわからないが、その令嬢が戦場に出ることに違和感を覚えないではなかった。

「さて、ここまでが予備知識。これからエインセル・ハンターについて話そうか」
「え? アズラエル財団の、御曹司なんですよね? ブルー・コスモス代表の?」
「間違ってないけど、彼はドミナントだよ」

 また知らない言葉を聞かされる羽目となったシンはただ頭を混乱させることしかできない。背景にはゼフィランサスの歌声が染みこんでいる。

「ドミナントとはね、単純な高性能を求めて研究されていたヴァーリとは別系統のコーディネーターのことさ。彼はその最初の成功作だよ」
「でも、ブルー・コスモスの代表なんですよね? コーディネーター排斥運動の……」
「前のね。それによく勘違いされるけど、ブルー・コスモスの目的はコーディネーターの根絶ではなくてコーディネイトと技術を禁じることにある。命を弄ぶことへ否定なんだ。この考えを突き詰めるとブルー・コスモスにとってはコーディネーターも守るべき被害者になる。そう考えるとコーディネーターが代表を務めてたり、その代表がコーディネーターであるヒメノカリスを養子にしていてもおかしいどころか自然なことになる」
「言われてみればそうなりますね……。プラントじゃ、ブルー・コスモスはナチュラルの嫉妬のシンボルなんですけどね……」
「さて、それでエインセル・ハンターが君に興味を持つ理由だけどね」
「知ってるんですか!?」

 さすがに赤ん坊が寝ているすぐそこで大声を出すようなことはしなかった。それでもシンがキラに対して自分がここにいる理由を教えてくれるかもしれないと期待感を膨らませたことに変わりはなかった。
 ただ、キラは軽く笑うだけだった。

「いいや、わからない。でも何となくわかることもある。エインセル兄さんは君に自分を重ねてるんだと思うよ」
「俺と……、ですか?」
「君はお母さんとの関係に悩んでた。エインセル兄さんも同じだったんだ。あの人の父親は、子どもに素質を求めた。実際、兄さんがドミナントなのはそのことが理由でもある。実際、兄さんの兄弟は十分な素質がないため失敗作の烙印を押された」

 シンは素直に感じていた。エインセル・ハンターが自分と同じ思いをしていたのだと。

「兄さんも一度も聞いたことがないみたいだよ。力がなくても、あなたの息子でいさせてくれますか、とはね。でも、許されなかっただろうと確信しているとも聞いたことがある」
「いつまでも迷ってる俺とは違いますね……」

 母が自分のことをどう思っていたのか、シンは答えが出るはずのない謎にいつまでも囚われ続けている。そのことを思う度、左頬の痣が熱を持つ。
 今もそのことに気をとられ、いつの間にか子守歌が止まっていることにシンは気付かなかった。

「それは、少し違うと思う……」

 歌うことをやめたゼフィランサスがいつの間にかシンを見ていた。そのことに、シンは思いの外困惑させられた。ヒメノカリスと同じ顔をしているのに、ヒメノカリスは見せない顔をするので違和感が強くなっているのだろう。

「あなたとエインセルお兄様は似てる気がする。でも、エインセル・ハンターはシン・アスカの未来じゃない……。それでも、シン・アスカはエインセル・ハンターの過去じゃない……」
「それって、どういうことですか……?」
「私から言うことじゃないと思う……。あなたが自分で気づくこと……」

 ヒメノカリスもどちらかと言えば表情に乏しい。いつもきつめの眼差しでシンを見ていた。ゼフィランサスもあまり顔の変化はないとしても、どこかその視線は優しかった。子どもを抱く母とはこんなものなのだろうか。

「あなたは……、エインセルお兄様の希望……」

 母という存在はシンを必然的に惑わせる存在なのだろうか。ヒメノカリスに比べて幼ささえ感じさせる少女がシンを見つめる目には、どこか蠱惑的な輝きさえ宿っているように思われた。こんな少女が、ゲルテンリッターの母なのだと言うことに妙な説得力をシンに印象づけた。
 ゼフィランサスが子どもを抱きしめる横からキラが腕を伸ばし、その指先で子どもの髪を撫でた。愛しい我が子につい手が伸びたのだろう。父親のいないシンにとって、これが初めて見る父親というものだったのかもしれない。
 それでも、このキラという男は白銀の魔弾の異名をとる、ファントム・ペインの1人だということを忘れてはならなかった。

「そうだ。一つ確かめてもいいかな?」
「はい?」

 キラは懐から円形のプロジェクターを取り出した。翠星石のものと同じであることから、シンにはそれがゲルテンリッターのためのものだとすぐにわかった。

「エインセル・ハンターを悪人だと片付けるのは乱暴だと思う。でも、善人と呼ぶにはあまりに恐ろしい人だ」

 テーブルに置かれたプロジェクターからは赤いドレスの少女が現れる。翠星石と同じく、ゼフィランサスの面影を残すが、翠星石よりもやや幼い印象にも思えた。

「真紅、あの画像を見せて欲しい」
「はい、お父様」

 少女の姿がどこか暗い場所へと置き換わる。そこが宇宙空間であることはすぐにわかるものだった。デブリが多数浮遊していた。

「これに見覚えは?」

 キラに促されシンが改めて映像を見てみると、デブリに混じってモビル・スーツの残骸が多数散らばっていた。色合いや特徴からそれがザフト機のものだとわかる。そして、像が映るにつれて巨大な岩石がバターに熱せられたナイフを押し付けたかのように半分に切り裂かれている光景が映し出された。
 これはただの岩石ではない。ザフトが小惑星を要塞へと改造したものであることを、さすがにシンでも知っていた。

「ザフトの宇宙要塞の一つです……」
「そう、五つある内の一つだ。まあ、もう四つになってしまったけどね」

 しかし一体何をどうすれば巨大な岩石を焼き切るようなことができるのだろうか。戦艦の主砲であってもできないことだ。
 シンのそんな疑問に答えるように、映像が切り替わる。月面から立ち上る光の柱だ。シンはこれと同じものをジャブロー見たことがあった。降下部隊を焼き払ったもの、それと同じだ。

「この兵器の名前はユグドラシル。ジャブローで君も見たはずだね。おおざっぱに言えば大型のビーム砲さ。これが要塞を焼いたんだ」

 直進しかしないビームでは要塞一つ一つにつき、射角を合わせた装置を設置しなければならないことになる。しかし、そこまで大規模な建設が複数行われているのをザフトが見逃すだろうか。そもそもビームで長距離狙撃を行った場合、メガ粒子拡散してしまうため不可能なはずだった。
 プラントが盾の一つを失ったこと、不可能なビームによる狙撃が行われたこと、そのどちらかだけでもシンを戸惑わせるには十分だと言えた。

「必要なエネルギー量は膨大だからね。再チャージには時間がかかる。それでも、1週間程度ですべての要塞が破壊されることになる。その後は……」
「まさか……、プラント本国を狙うつもりですか!? あそこには戦争で死ななくてもいい人が大勢いるんですよ!」

 子どもを起こしてしまうのではないか。そう考えた時には、すでにシンは立ち上がり大声を放っていた。幸い、子どもは母の腕に抱かれ穏やかな寝息を立てている。
 外灯の淡い光の中、ここにはガンダムの母と、白銀の魔弾、そして、ただ焦りに突き動かされるだけの少年がいる。

「シン。エインセル・ハンターは決して冷酷な人間じゃない。でも、冷徹な人間ではある。目的のために必要なのだとすれば手段は選ばない」

 かつて、シンの母を焼いたように。金色の魔王はその名に違えることは決してなかった。
 3年前の出来事が、母の死が繰り返される。そのことばかりがシンの意識を占めるとともに何もできない無力感と重なって焦燥感ばかりが高まっていた。焦りに急かされるまま立ちあがること。それがシンのしたこと、シンにできることのすべてだった。

「真紅、彼を案内して欲しい」

 そう、キラはプロジェクターをシンへと差し出した。

「シン。君はもう一度エインセル・ハンターに会った方がいい。彼はまだこの屋敷にいる」

 では会ってどうするのか。キラは答えを示さず、シンは答えを求めなかった。プロジェクターを受け取るなり走り出した。
 走り去ったシンを見送ってから、キラはゼフィランサスへと体の向きを変える。

「僕がシンくらいの時、今よりも強かった気がする。ただ目の前のことにがむしゃらでいられたからね」
「ムウお兄様も同じようなこと言ってた……・。やっぱり男の子ってそういうものなのかな……?」
「歳をとると自然と責任が増えるんだよ。ただ1人で突っ走って倒れました、じゃだめになるんだ」

 まだ二十歳にもなっていないのに、そう、ゼフィランサスは微笑むと、キラはそんな妻の頬にそっと手を添えた。

「僕はムルタ・アズラエルのしたことが許せなかった。君の力を利用しているだけに見えたからだ。でも、今の僕は必要だからとゲルテンリッターを作らせて、その5号機に搭乗している。あれほど嫌だった大人達と同じ生き方をしようとしているんだ。ねえ、ゼフィランサス、僕は君を救えたのかな?」
「キラ……、私、とても幸せだよ……。これって、答えになってるかな……?」
「ゼフィランサス」

 キラがゆっくりと顔を近づけていくと、ゼフィランサスは瞳を閉じキラを受け入れようとする。そうして、2人は唇を重ね合う。



[32266] 第31話「自由と正義の名の下に」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:dbdd3d75
Date: 2017/07/03 22:35
 シン・アスカは走っていた。その手にしたプロジェクターには赤いドレスの少女が映し出され、その光がそのままカンテラの明かりとしてシンの足下を照らしていた。
 地下へと続く階段が伸び、その奥にまで光は届いていない。石造りの柱に支えられた地底への道は、流麗な屋敷の一角とはとても思えない。

「シン・アスカ、この先にエインセル・ハンターはいるわ」

 魔王は深い闇の中にいる。シンは一瞬の躊躇を見せたものの、階段を降りる最初の1歩を踏み出した。

「あなたはエインセル・ハンターに会ってどうするつもりなのかしら?」

 真紅の声を聞きながら階段を降りていく。

「プラントを攻撃しないよう、説得できると考えているのかしら? それとも力尽くで止めるつもりなのかしら?」

 シンは答えなかった。自分でさえ何がしたいのか、何ができるのかわからなかったのだろう。すると、真紅の言葉はシンの自問の言葉と重なっているのかもしれない。

「あなたはエインセル・ハンターに母親を奪われた。でも、あなたも理解しているはず・あなたはスティング・オークレーを殺した。彼の友人だったアウル・ニーダはあなたを仇だと思ってる。あなたがお母様の仇とエインセル・ハンターを狙うのと同じように」

 靴音が石段を叩く音だけが響く中、真紅の声が染み渡っていく。

「あなたが復讐を遂げたなら、あなたはヒメノカリスから父親を奪うことになる」

 シンは無言のまま階段を降り続けていた。ここまでは走り続けていた。しかし今のシンの足取りは慎重ともためらっているようにも思えた。

「もう一度聞いてもいいかしら? あなたはエインセル・ハンターに会ってどうしたいのかしら?」

「わかるわけないだろ……。でも、俺はエインセル・ハンターに会わないといけないんだ……!」




 シン・アスカがエインセルハンターと再び対峙すると決めた数日前に、すでに世界は動き始めていた。
 月を間近に見下ろす月面上空、大西洋連邦軍の戦艦であるガーティ・ルーが停泊していた。眼下にはクレーターに巨大な蓋をしたかのような施設があった。その蓋がわずかずつ開いてくと、底知れない穴がゆっくりと顔を出していく。
 ガーティ・ルーはその穴を見下ろす位置にあった。
 その艦内には奇妙な設備があった。貴重なスペースを消費してまで造られた広い空間には、その中央にコクピット・シミュレーターを思わせる内部に座席を備えた球体があるのみである。その球体にはいくつものコードで床と繋がっていた。
 単なるシミュレーターにしては大がかりに思えた。また、それを前にする3人もまたどこか違和感を覚えさせるだろう。少年と少女なのだから。
 不安げなステラ・ルーシェのすぐ横で、白いドレス姿のヒメノカリス・ホテルが装置と相対していた。

「お姉ちゃん、ここに座ればいいの?」
「そう。お父様はあなたに託された。お父様のため、怖いものはみんな壊さないといけない。わかるでしょ、ステラ?」
「……うん。ステラが、みんな壊す」

 不安を完全に払拭できたのではないのだろう。しかし、ステラは姉に導かれるまま座席につく。すると、周囲が淡い光に包まれ、装置が起動したのだとわかる。ステラがコンソールを叩き調整を行っているところを傍目に、最後の1人、アウル・ニーダはステラの代わりにヒメノカリスの横に立った。

「なあ姉ちゃん。姉ちゃんはいいのかよ、シン・アスカのこと? あいつ、おっさんの命狙ってんだろ?」
「お父様のご意志はすべてにおいて優先されるの。お父様がシンをお招きになるなら、私はそれを否定することはできない。でも、大丈夫かもしれない。お父様はシン・アスカに失望されたようだったから」
「てか、シン・アスカってただのザフトだろ? なんだって特別扱いなんだよ?」
「お父様はシン・アスカとご自身の生い立ちを重ねているように思える」
「それとどう関係あるんだ?」
「わからない」

 ヒメノカリスはおしゃべりを嫌うことはないが、必要なことしか話そうとしない。つまりわからないと言った以上、本当にわからないのだろう。それを理解するアウルは両手を頭の後ろに、ただ溜息をついた。
 その時のことだ。規則正しい靴音が響いた。現れたのはイアン・リー艦長だった。固い表情は軍服姿と相まって如何にも生粋の軍人を思わせる、そんな男だ。

「お久しぶりです」
「おっさん誰だよ?」
「イアン・リーだ。君とはすでに地球降下前に会っているはずだが?」
「ああ、姉ちゃんに色目使ってた奴か」

 小惑星フィンブルとともに地球に降りる前、アウルは確かにこの艦長と会っていたことを思い出していた。もっとも、この少年の目には姉のことをやらしい目で見ている見ている中年男性という印象でしかなかったが。
 もっとも、リー艦長にしてもそのことを気にした様子はなかった。ただ職務に忠実な軍人を思わせる。

「アポロン・コロニーの設置が終わりました。これですべてのコロニーが所定位置についたことになります。ああ、お懐かしいのでは? アポロン・コロニーと言えば我々がザフトの襲撃を受けた場所でした」

 ヒメノカリスは無言で頷くと、ふと弟の方を見る。

「アウル、知ってる? シンもその戦いには参加してたそう」
「そういえばソード・シルエット使ってたストライクもどきがいたな。あの時に殺してやりゃよかった」
「きっと、シンも同じことを考えることになると思う。リー艦長。お父様はユグドラシルの使用を決定された。プラントの盾を焼け、そう命じられた」
「心得ています」




 ザフト軍、ナスカ級のブリッジでは奇妙なものを捉えていた。移送されるコロニーである。宇宙の暗闇の中、そのコロニーはまだ完成していなかった。
 シリンダー型のコロニーはその内壁に人々が暮らすことになる。だがそのコロニーではまだ何ら建造物が設置されていない。両端が閉じられていないことからその様子は容易に把握できた。言うなればただの巨大な筒でコロニーとしての機能をまるで備えていない。
 そんなものを、なぜか地球軍が護送していたのである。加えて、ラグランジュ・ポイントからも離れている。
 あまりに非効率的だが、そんなものをなぜ地球軍が運んでいるのか、ザフトには理解できなかった。暗闇に浮かぶ巨大な筒に不気味さを覚えながらも、ザフトはこの出来損ないのコロニーを攻撃することに躊躇いを覚えていた。
 少なくとも、ナスカ級のブリッジにおいてはコロニー攻撃に価値を見いだせない者が大半であった。

「艦長。確かに不気味ですが、単なる示威行動とみるべきでしょう」

 副艦長はまだ若い男性であったが、艦長は白髪を生やした壮年の男性であった。その顔には深い皺が刻まれ、白い軍服に包まれた恰幅の良い体つきとも相まってこの老人に独特の雰囲気を与えていた。

「ふむ。お前はそう見るか。だが我々がここに言わせたのは単なる偶然。では彼らは誰に観劇してもらうつもりだったのかね?」
「ですが、未完成のコロニーに軍事的な価値があるとは思えません」
「よし、モビル・スーツを出すか」
「し、仕掛けるのですか?」
「パイロットたちは待機させているんだろう? なら早く出せ」

 艦長からの命令である。副艦長はためらいがちながらも艦長の指示をクルーたちへと告げる。すでにコクピットにて待機していたパイロットたちが出撃するまでに要した時間はわずか数分。多数のヅダが、独特のシルエットを有するナスカ級の電磁カタパルトにより光の粒となって宇宙へと射出されていく。
 まだ納得しきれていないのだろう。若い副艦長は釈然としない様子で艦長のすぐ傍に立っていた。しかし、艦長は暢気とさえ言えた。

「ああ、言い忘れとった。ひよっこどもにはあまり熱くならんように言っておけ。一波乱来そうな気がするでな。今から飛ばしていては最後までもたんぞ」

 パイロットをひよっこと呼ぶのはこの艦長くらいなものだろう。プラントでは若い軍人が多く、艦長のような年配の者は珍しい。そのこともあってか、クルーにとって少々ぼけ始めた父親か祖父の相手をしている気分の者も少なくないらしい。

「艦長殿のご命令だ。パイロット各位に伝えろ。その、熱くなりすぎないようにとな」
「はい、了解です」

 管制がパイロットに連絡を繋ごうとした時のことだ。ブリッジに警報が流れた。巨大な熱源の接近を告げるものであり、クルーたちはまたたく間に浮き足立つ。敵の攻撃にさらされるのだと慌てるクルーたちに対して、艦長だけが何事も起きていない、そういった様子でこれから起きること、その一端を目撃していた。
 どこからともなく飛来した巨大な光の柱、それがコロニーの筒の中を通り抜けたかと思うと、軌道を湾曲させ彼方へと飛び去っていった。
 触れてもいない、ただ背景を通り過ぎていっただけにも関わらずブリッジにけたたましい熱源警報を鳴り響かせながら。
 艦長が目撃した光。それは月から放たれたものだった。
 月面に一つ増えたクレーターの蓋が重々しく開かれると、そこには深い穴が顔を見せる。暗く、底を見通すことはできない。しかし、それもわずかなことだった。穴からこぼれ落ちるかのように光の粒子が黒い空へと昇り始めると、やがて穴の底からも光があふれ出す。
 膨大な光が穴の底に溜まり、限界を迎えた瞬間、一挙にあふれ出した光の柱となって宇宙の闇へと突き立てられた。
 放たれた光はまず、第一の筒を通り抜けるとその軌道を大きく曲げた。そして次の筒へしては直進また筒を通り抜けたことを合図として軌道を変化させた。続く筒でもまた同じ現象が起きた。
 そうして、両端が閉じられていないいくつものコロニーによって軌道を徐々に変更された光は、月から発射された時からではあり得ない方向に突き進んでいた。そして、目的地へと到達した。
 そこはザフト軍の宇宙要塞、ヤキン・ドゥーエ防衛戦後に建築された五つの内の一つだった。小惑星の内部を削岩して造られたこの要塞では、出入りする戦艦の姿が見られる。出向したローラシア級がその進行方向に何か光るものがあることを発見した。
 その瞬間、ローラシア級は光の中に呑み込まれた。膨大な熱量が艦体を蝋のように溶かすと、熱に耐えられるはずもない内部へと光が及んだ瞬間に光の濁流の中に溶けて消える。
 光はそのまま要塞へと突き刺さった。
 直撃を受けていない戦艦であっても表面は泡立ち、その内部では発火点を迎えた順番にあらゆる者が区別なく燃え出した。
 要塞はもはや地獄そのものだった。小惑星としての原形こそ保っていたものの、開口部から侵入した光はすべてを焼き尽くす。停泊中の戦艦、投げ渡された給水ボトル、装甲を取り外された整備中のヅダ、またはデスクに飾られた家族写真、あるいは人体、そのすべてが溶け区別なく混ざり合う。
 遺族は、もはや遺骨さえ受け取ることができない。
 光の奔流が通り過ぎた後、そこには小惑星は大きく二つに割れていた。表面は異常な高熱にさらされたことを示してなめらかに溶けている。辛うじて艦種がわかる程度にまでとかされた戦艦は、その内部に侵入した熱量を考えれば不格好な棺桶以上の意味はなかった。
 ここには様々な物が残されている。砕けた小惑星、溶けた破片、ちぎれたモビル・スーツ、破片をまき散らす戦艦、様々な物が。
 しかし、命だけは残されてはいなかった。




 攻撃を受け、ザフトの対応は早かった。ギルバート・デュランダル議長をゴンドワナ級1番艦ムスペル・ヘイムに乗艦させたのである。
 ゴンドワナ級は師団相当戦力を積載可能な大型のモビル・スーツ搭載母艦であり、ザフト軍の擁する最大の軍艦、その1隻である。格納庫に推進器を取り付けたかのような無骨な姿からもわかるように軍艦としての機能は決して優れてはいないが、モビル・スーツを戦力の基本単位と数える現在においてそれは問題とならない。加え、移動できるためユグドラシルのような長距離砲撃に対処することは容易であった。
 考えられる最も安全な場所だと言えた。
 しかし、安全が安心を保証するとは限らない。艦内へと備えられた会見場に向かうデュランダル議長のすぐ後ろをすがりつくように追っている秘書官は明らかに早口気味であった。

「デュランダル議長、市民達は不安がっています。発射をやめさせるよう交渉することはできないのですか?」
「交渉? ブルー・コスモスにまともな話し合いが通用すると本気で考えているのかね?」
「し、しかし……!」
「勘違いしてはいけない。これはもはや戦争ではない。種と種の存続を賭けた生存競争だ。どちらかが滅びるまで終わることはできないのだよ」

 現在のプラントにおいて世界安全保証機構に対して降伏するという選択肢はあり得ないと考えられていた。少なくとも、デュランダル議長支持派にとっては。敗北するようなことになればコーディネーターへの徹底した弾圧と迫害が始まるに決まっているからだ。
 どちらにせよ、コーディネーターには死しか待ち受けていない。
 秘書官にはもはや議長に反論する理屈も時間も残されてはいなかった。
 デュランダル議長は会見場につくなり、颯爽と、そんな形容が似つかわしいほどスムーズに会見台につくと国民へとカメラを通じて訴え始めた。

「プラント臣民の皆さん、現在、我が国は危機的状況に置かれています」




 議長による演説の様子はプラント中のテレビに映し出され、多くの国民がそれを見ていた。

「すでに我々は地球軍の大量破壊兵器の所在をつかみ、軍勢を差し向けるための準備を進めています。今こそ我々は戦わなければなりません。思い出してください。再び始まったこの戦いはなぜ始まったのか。すべては小惑星フィンブルの落下が切っ掛けでした。彼らは言います。フィンブルが地球に落ちたのはザフトが妨害をしたからだと。しかし、本当にそうなのでしょうか?」

 プラントから脱出しようとする人の車列が宇宙港から伸びている。まったく動いていないほどの大渋滞である。そんな人々は仕方なく車載カメラ、あるいは窓を開けて街灯モニターを見ていた。
 彼らの若き指導者は手振りを交え、その力強い眼差しを真っ直ぐに国民へと向けていた。

「我々の切なる願いは自由でした。人類の歴史上、なしえなかった理想郷を創り出すため国家としての完全な独立を求めたのです。しかし、その願いを地球は各国は踏みにじりました。その結果が戦争でした。そう、我々は自由のために立ちあがったのです。それは正義です」

 仕事中にも関わらず誰か1人が演説の様子をモニターに表示すると、同僚たちはつい足を止めその映像を後ろからのぞき込む。
 現在のプラントにおいて自由と正義を語る議長の言葉に誰もが耳を傾けている。

「すべては我々の自由と正義を認めようとしなかった地球の責任ではありませんか。その結果として地球にどのような災害が起ころうとそれは仕方のない犠牲と言わざるを得ません」

 街灯モニターに足を止めることもなく家路を急ぐ者もいる。しかし、そんな人であっても耳にスピーカーを挟み議長の言葉を聞いている。
 誰もが知りたいのだ。自分たちがこれからどうなるのか。今、何が起きているのかを。

「皆さん、思い出して下さい。正義は我々にあるのだと。そして、今なお正義のために多くの戦士が戦いに出向こうとしているのだと。信じましょう。我々の正義が勝利するのだと。我々のために、戦士たちのためにも」

 こうして、デュランダル議長の演説は締めくくられた。
 この演説をどのように評価するのか、それは人によって様々である。プラントの、コーディネーターの正義を訴えかける言葉に奮起する者、あるいは、ザフトが事態の打開に動こうとしていることに勇気づけられる者もいたことだろう。
 ただ、抽象論を重ねただけで具体性のない内容だったと冷めた見方もできることだろう。
 ザフトの軍艦内で、パイロット・スーツを身につけた男性がテーブルに乗り上がると高らかにデュランダル議長への忠誠を誓い、仲間たちが次々と手を振り上げそれに応えた。
 街頭モニターの前に集まっていた人々は互いに曖昧な笑みを浮かべたまま、別れていく。お互いに不安を感じてなどいないのだと言い聞かせるように。
 あるいは、安全なはずの自宅で、不安げに子が母にすがりついている。つい先ほどまでデュランダル議長の演説を映していたテレビの前で、一つのソファーの上でアイリスに抱きつくリリーのように。

「ねえ、アイリス。ここも攻撃されちゃうの……?」
「大丈夫ですよ、リリー」

 リリーを抱きしめるアイリスだったが、これ以上ここにいてもリリーを不安にさせるだけだと考えたのだろう。リリーを連れて部屋を離れた。
 そうして、このシアター・ルームには難しい顔をした面々だけが残されることになった。ナタル・バジルールが特にそのような渋い顔をしている。

「地球軍の大量破壊兵器のようだが……、月面から要塞を狙ったらしい。しかし、それなら射角は限られるはずだが……」

 それこそ破壊された宇宙要塞以外の場所は狙うことができないことになる。
 フレイ・アルスターは素直にそう考えたらしかった。

「ナタルさん、それならもうこれ以上の攻撃はないってことですか?」
「それならデュランダル議長はそう発表するはずだ。それに、この作戦指揮をとったのはおそらくエインセル・ハンターだろう。彼がその程度のこと、考えていないとは思えない」

 ギルバート・デュランダル議長はどのような兵器でプラントが狙われたのか説明していなかった。そのため想像に頼らなければならない点が多く、ナタル自身、考えあぐねいているらしかった。
 しかし、確かなこともあった。それはフレイの口から語られた。

「でも、こんな大規模の兵器ならプレア・ニコルが必要でしょ。完全に条約違反ってことよ。エインセルさんがそんなこと許すなんて……」

 フレイにとってエインセル・ハンターは恩人に当たる。信じたい気持ちがあるのだろうが、腰掛けたままのディアッカはその点を鋭く指摘した。

「兵器そのものに搭載することは禁止されていても、プレア・ニコルを使って発電した電力を兵器に使っても条約違反にはならない。フレイ、お前がエインセル・ハンターをかばいたい気持ちはわかるけどな、あの人がそんなに甘い相手じゃないってことも一番よく知ってるだろ?」
「でもそんな……」
「それが戦争、ってやつだ」

 さも当然のことのように語る2人の横でかえって頭を混乱させているのはジェス・リブルだった。

「ナタルさん、どうしてフレイがエインセル・ハンターと面識あるみたいな話になってるんですか……?」
「面識があるからだ。フレイやアイリスなら、会おうと思えば会えるのではないだろうか」

 大きく口を開いたまま固まってしまったジェスだが、ナタルはそんな部下の様子を特に気にした様子もなくさらにとんでもない事実をその開いた口に放り込んだ。

「言っておくがアーク・エンジェルのクルーだったのは私だけじゃない。アイリスとディアッカはパイロット、フレイは操舵手だった」
「初耳なんですけど……」
「アーク・エンジェルは有名だが、喧伝されている訳ではないからな。大西洋連邦にしてみれば国を裏切った裏切り者、プラントにしても最終的には敵対関係になった。プロパガンダに使おうにも使えない以上、知名度ほどの利用価値のない艦なのだろうな」
「いっそアーク・エンジェルの元艦長として本でも出したらどうです? きっと売れますよ」
「悪くない話だが、まだ公にすることができない事柄が多すぎてまともに形にできないだろう」

 とんでもない事務所に入ってしまった。そう、ジェスが今さらながら後悔している横で、世界の中心に近い位置にいることに慣れてしまったフレイたちはそんなジェスを置いてけぼりにしていた。

「ねえ、ナタルさん。……エインセルさん、プラントを撃つと思いますか……?」
「エインセル・ハンターについては私よりも君の方が詳しいはずだ。君はどう思う?」

 フレイはすぐに答えを出すことはできなかった。しかし、しばらく悩んだ後、ナタルを迷いのない目で見た。

「撃ちません。エインセルさんは絶対に撃ちません」

 その決意は、ジェスに疑問を投げかけられたとしても揺らぐことはなかった。

「でも、撃つつもりもないものをハンター氏は造ったのかい?」
「わからない。でも、エインセルさんは撃たない。絶対に」




 シンの足下から光の道が真っ直ぐに伸びていた。何のことはない。暗い地下の空間で、ライトが照らしているのは細い部分だけであったため、光の道かのように見えているだけだ。
 ここは風の流れや音の反響具合から広い空間だとわかる。この深い闇の中、光に導かれ魔王と呼ばれた男のもとを目指す。
 エインセル・ハンターはつくづく演出家であった。
 シンは光を踏みしめ歩き出す。この光から1歩でも足を踏み外せばそのまま奈落の底に転落してしまうのではないか、そんなことを錯覚させる雰囲気がこの場所にはあった。
 鼓動が否応なしに高まっていることをシンは自覚していた。その手には魔王の力を封じる神々の宝珠もなければ魔王を倒す聖剣もない。しかし、相手はお伽話に出てくるような魔王そのものではない。そんなものなくとも、会う目的、理由、話したいこと、そのうちのどれか一つでも持ち合わせているのなら事足りるはずだった。
 だがシンはそのどれ一つ持ち合わせてはいなかった。
 自分にできることは何もない、そう知りながらシンは歩き続けていた。
 やがて、光の橋が途絶えた場所に、魔王と呼ばれた男は立っていた。白いスーツの後ろ姿がシンの目に映った。

「存分に話なさい、シン・アスカ」

 真紅が姿を消すと、シンの前には道は一つしか残されていなかった。光の橋はただエインセル・ハンターのもとへと伸び、脇道などなかった。
 シンがゆっくりと近づいても、エインセル・ハンターに気付いた様子はなかった。しかし、そんなことがあり得るのだろうか。見られてはいない。それでも視線を感じているかのような錯覚がシンの足取りを重くする。

「ハンターさん……」

 当初は怒鳴りつけるつもりもあったのだろう。しかし、いざエインセル・ハンターを前にしたシンにできることはあまりに限られていた。
 エインセル・ハンターは振りむくことなく、シンのことを確認さえしようとはしなかった。

「エインセルで結構です」

 その後ろ姿は暗闇の中の何かを見上げているように見えた。シンがどれほど目をこらしてもそこに何があるのかうかがうことはできない。
 しかし、エインセルにはシンには見えていない何かが見えているかのようだった。

「プラントを撃つつもりですか……?」

 エインセルは答えない。そもそも意味ない質問であったのかもしれない。ブルー・コスモスの代表を務めた男にとって、プラントの体制崩壊は悲願なのだろうから。
 シンのことを、エインセルは見ていない。この男が何を見ているのか、そんなことさえシンにはわからない。

「俺の母さんのこと、聞いて下さい」

 やはり返事はなかった。シンには最初から自分が何を話すべきか、そんなこと、理解してなどいなかった。そういう意味ではすべてを想定していないという意味で何が起きても想定内だと言えた。
 どうせ説得などできない。そんな諦観と、それでも何かをしなければならないという焦燥感、それだけがシンを突き動かしていた。

「ほとんど知ってますよね? 母さんがどんな人で、どうして俺みたいな息子持つことになったのかとか……」

 理由は知らない。ただエインセルがシンのことを調べていたことは知っている。

「でも、どうやって死んだのかは、知らないと思います……」

 すでに亡くなっているという事実を知っていたとしても。
 シンは光の先にいるエインセルの背中に一方的に語りかけていた。

「あの日、俺は母さんに連れられて逃げてました。避難がうまくいかなくて俺と母さんも、他の人たちも戦場を走らされました。テレビの中でしか見たことなかったモビル・スーツの地響きを感じました。頭の上をビームが飛ぶとこのまま死ぬんじゃないかってくらい熱くて……、俺の手を引く母さんの手、とにかく掴んでました」

 もう3年、まだ3年。今よりも少しだけ幼かったシンの身に起きたのは、戦争では特別でも特殊でもない犠牲の一つにすぎない。

「その時の俺、ただ怖くて、怖いだけで他のこと何も考えられませんでした」

 だから今になって考える。あの時、もしかしたらもっとうまい逃げ方ができたのではないか。母を守ることができたのではないかと。考える度に結論が異なる意味のない仮定を積み重ねた。

「だからよく覚えてません。ただ後から考えるとたぶんこうだったって考えるんです。ビームが落ちたか、モビル・スーツが爆発したんだろうって、その火が森から噴き出してきて俺たちを包んだんだろうって……。怖い、熱い、しか覚えてないんです、実際……」

 夢で見た悪夢の光景はその度に姿を変えた。撃墜されたモビル・スーツの残骸が落ちてきて爆発したこともあれば、ビームが流れ弾となって避難民を直撃したこともあった。あるいは、火の化身となった黄金のガンダムが襲いかかってきた夢を見たこともあった。

「でも間違いないと思います。俺が気付いた時、辺りには焼けた死体がいくつも転がってましたから。そばに落ちてた手、最初は人形の手だって思ったんです。でもすぐ思い出しました、俺のすぐ後ろを女の子が走ってたって……」

 人の腕がちぎれることなんてそれまで想像したこともなかった。だから腕だけが転がっていると言うことは、それは人形のものだとしか思えなかった。

「普通の子でした……。どこにでもいそうな子が泣きじゃくってました。一度、途中でこけたんで印象が強くて……。その時、思わず助けようとしたら母さんに手を引っ張られてできませんでした」

 だから転倒した分、女の子は遅れたはずだった。ではどうして、その子の腕がシンの傍に落ちていたのだろう。女の子のその小さな体にどれほどの力が加わったのか、想像するだけでも残酷なことのように思える。

「すいません。母さんの話でしたよね。でも……、母さんも似たようなものでしたよ。俺の傍で焼けてました。嗅いだことあります? 肉親の焼ける匂いって……。今でも肉は苦手なんです。特に焼き肉は」

 まるで母の死体を口にしているように思わされるから。

「その時でした。空に黄金のガンダムを見たのは……」

 シンの声はひどく落ち着いていた。何の気ない世間話をしているかのような冷静さでただ事実を淡々と並べていく。

「この頬の痣、その時の火傷の跡なんです。あの時、思わず叫んでました。まあ、喉が火傷してたんでほとんど声になってなかったと思います。声が出てても届かなかったでしょうしね……」

 遙かな高みにて黄金の玉座に座する魔王には。

「それから俺、プラントに渡りました。特に行きたかったわけじゃありません。オーブにいたくなくて、移住しやすい国がプラントだっただけです。ザフトに入ったのだって身寄りもない自分が簡単にありつける仕事が軍人だったってだけなんです」

 それこそ、戦争に母を殺されたにも関わらず、今度は自分が軍人になるということを、シンは特に気にしなかった。それほど、軍というものに興味がなかったからだ。

「正直、楽な仕事じゃありませんでした。使い捨ての外人部隊で無茶な作戦ばかりさせらてましたから。でも、ザフトに入って一番後悔したのはその時じゃありませんでした」

 多くの仲間を失い、自分自身も何度も死にかけた。仲間の死は悲しかった。使い捨てられたことには憤りを覚えた。守れなかったことは悔しかった。
 それでも、シンは後悔こそしなかった。

「……ザラ大佐の部隊と合流して地球軍の基地を攻撃した時です。あの時、すぐ近くに街がありました。エインセル・ハンターを追うためには基地のデータが必要だ、そんな理由で街の被害なんてお構いなしに攻撃を仕掛けたんです。やっぱり撃墜されたモビル・スーツが街に落ちて火事になりました」

 それでどれほどの被害が出たのか、確認することもなくミネルヴァはその地域を離れた。それはちょうど、フォイエリヒガンダムが遙か眼下のシンに目もくれずに飛び去っていったのと同じことなのかもしれない。
 この頃には、シンの言葉は淡々としているというよりも乾いていると評した方が適切であるように思われた。

「お笑いですよね。母さんを殺された俺が、名前も知らない街の人たちにまったく同じことをしたんです」

 しかし、シンは笑っていない。抑揚に乏しい、しかし徐々に話すリズムに狂いが生じ始めていた。

「ザラ大佐は言ってました……。目的のためには仕方のない犠牲なんだって……」

 シンは思い出していた。アスラン・ザラの顔を、そして、聞かされた言葉を。

「じゃあ……、仕方のない犠牲って何なんですか?」

 この時、シンはエインセルの背中を本来あるべき形で見ていた。つまり、母を殺された子が、母を殺した男に当然向けると考えられる眼差しで。エインセルの背中に、アスラン・ザラが冷たく言い放った言葉が重なった。

「だってそうでしょう!? 母さんだって、女の子だって、街の人だって! どうして関係もないところで始まった戦争で、どうして戦争しなくてもいい人が死ななきゃいけないんですか!?」

 シンの態度は一貫していたのだろう。心が渇けば言葉も乾き、かつて抱いた怒りに心が支配されればそれは声にも現れた。ただ、心のままに口にしているのだから。

「勝手に戦争始めといて! それを理由に自分たちの人殺しを正当化するんですか! そんなの、あまりに理不尽で! 身勝手じゃないですか!」

 シンのありったけの言葉を持ってしても、エインセルの背中は応えようとはしなかった。しかし、シンはそのことを何ら問題とはしなかった。
 決めていたからだ。何かを期待してここに来たのではない。ただ来るしかなかった。胸の内からわき出る焦り、それは怒りにも似てシンを突き動かした。

「人が! 人を焼いていいはずなんてないんだ!」

 言いたいことはすべて言い終えたのだろう。シンはただ極度の興奮から来る疲労感によって呼吸が深くなっていた。
 しかし消えない。まだなくならない。このままではまた人が焼かれる。仕方のない犠牲だと一言に片付けられ人が殺される。怒りはまだそこにあった。シンを煽動する思いが求めるのはただ何らかの行動を起こせばよいという自己満足ではなかった。止めよと命じてくるのだ。たとえ、エインセル・ハンターを殺害してでも。
 そう、シンが衝動のまま動き出そうとした時、エインセル・ハンターが振り返った。不自然なほどにすんだ青い瞳がシンを思わず押しとどめた。

「シン・アスカ。あなたには思いがあります。しかし、そのための力がありません」

 その時のことだ。エインセルが何をしたわけでなく照明が灯った。光の橋が急速に拡大するかのように部屋に光りが満ちる。まぶしさに思わず目を背けたシンだが、目が慣れるにつれ見えてきたものがあった。
 エインセル・ハンター、その後ろにたたずむ巨人の姿が。
 それは、“ガンダム”だった。

「私はこれより月へと昇ります。ですがそのためのシャトルにあなたのための席はありません。止めたいのであれば追ってきなさい。招かれた客ではなく招かれざる敵として」

 “ガンダム”に見下ろされるシンへと魔王は囁き続けていた。

「叶えたい願いがある。しかし無力を嘆くのなら、差し上げましょう。ゲルテンリッターの初号機、ZZ-X1Z300EH、いえ、ZZ-X1Z300SAガンダムメルクールランペ、これはあなたに与える力です」



[32266] 第32話「戦いの空へ」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:dbdd3d75
Date: 2017/07/21 21:34
 地球軍によるプラントへの直接攻撃。この事実はザフトの戦略に大幅な変更を強いた。
 小惑星フィンブル落着と同時にザフト軍は地球侵攻を再開、そのために多数の人員、物資をオーストラリア大陸カーペンタリア基地へと送り込んだ。その戦力の大半をエインセル・ハンター追撃にあて、3度にわたる戦いはすべて失敗に終わっていた。
 しかし、月面基地がザフト軍にとって最重要拠点となったことで戦いの様相は様変わりする。
 エインセル・ハンターを追い、地球こそが最前線であった。しかし、月面へとひとっ飛びに30万kmも前線が動いたのである。地球に送り込んだ主力の大半を無力化され、五つある要塞はそのすべてが危機にさらされている。
 プラント本国を守る宇宙軍にさえ動員をかけなければ攻略に必要な戦力を集めることは難しい。だが、それはすなわち本国の守りを捨てることを意味する。失敗すればプラントの滅亡を意味する以上、出し惜しみができる状況ではない。
 勝利しようと敗北しようと、プラントの宇宙戦力は大打撃を受けることは必定と言えた。
 ことは宇宙に限られない。カーペンタリア基地ではシャトルの打ち上げが続いていた。コンテナに詰め込まれたモビル・スーツがシャトルへと格納される。積み込み作業にあたるザフト兵の中には歯を食いしばり悔しさを隠すことのできない者も少なくない。無理もない話である。プラント本国から命がけで送り届けられたモビル・スーツが、まだ一度も使用されることなく宇宙へと送り返すことになるのだから。
 本来であればパナマ基地、ビクトリア基地攻略のために用いられるはずであった戦力からも月面へと送られる。地球侵攻作戦に支障が生じることは火を見るまでもなく明らかであった。
 国家滅亡の危機に地球に残した戦力は何ら貢献しない。どれほどの数の戦力があったところで、どれほどのエース・パイロットだとしても存在しないも同然なのである。
 各地でザフト軍による打ち上げが実行されていることは当然のことと言えよう。
 そして大西洋においても2隻の軍艦が打ち上げ準備に入っていた。パラスアテネ、ミネルヴァ、ラヴクラフト級の2隻である。
 軍艦ほどの大質量では独力で重力を振り切ることはできない。そのため、ラヴクラフト級の2隻は追加ブースターを装着、推進力を増進することで地球からの脱出を目論んでいた。2隻の周辺には作業船が複数展開し、槍の穂先を思わせるブースターの取り付け作業に入っていた。
 作業が完了次第、この2隻は宇宙へと昇り月面基地の攻略に参加することになる。
 しかし、これは同時に別のことを意味する。ここで地球脱出に失敗した場合、アスラン・ザラ、レイ・ザ・バレル、この両名は母国の存亡を賭けた戦いに参加することができないことになる。加えて、妨害はただ一撃、ブースターを破損させるだけで事足りるのである。
 言い加えるならミネルヴァ、パラスアテネはどちらも作業が完了するまで動くことができない。
 地球軍にとってこれほど有利な状況はないだろう。たった一発でゲルテンリッターを含む特務機型のガンダムを事実上、撃墜できるのである。このような好機が見逃されるはずがなかった。
 モビル・スーツ部隊を擁する6隻のフリゲート艦が強襲してきたのである。ジェット・ストライカーを装備したストライクダガーのみであり、ガンダム・タイプは存在しない。対し、ザフト軍は4機のみとは言えそのすべてがガンダム・タイプである。しかし、ザフトは圧倒的な不利を強いられていた。
 フリゲート艦は決して無理をしなかった。その射程ぎりぎりの距離から遠距離砲撃を繰り返すだけなのである。命中率は高くなく、そのためバイタル・ポイントへの命中も期待できないという点において威力も低い。しかし、それで十分だった。
 砲撃が水しぶきを上げ、雨となってミネルヴァへと降り注いだ。これで何度目の至近弾であるのか、艦長であるタリア・グラディスは数えていない。命中する確率は低い。しかし、ブースターに命中すればミネルヴァは地球を離れる術を失う。新たなブースターを用意している時間はすでにないのだ。

「取り付け作業はまだ終わりませんか?」

 グラディス艦長の通信相手はブースターの取り付け作業をしている責任者である。彼ら作業員は艦の外で命がけで作業をしていることは艦長とて理解している。それでもつい、その言葉には苛立ちが溶け込んでいた。
 もっとも、それは相手も同じことだったが。

「いつでも出られます。バラバラになってもよろしいのでしたらね」

 つまり、取り付け作業はまだ完了していないということだ。また、ミネルヴァの近くに水柱が立った。これでは命中弾を受けるのも時間の問題である。
 すでにミネルヴァ、パラスアテネのモビル・スーツは出撃しているが、相手は無理に戦闘を行うことはないのである。フリゲート艦は命中率が低かろうと数を稼げばいいだけであり、その護衛を行っているストライクダガーはザフトの牽制さえできればそれで十分だからである。
 アスラン・ザラの乗機であるヤーデシュテルンはストライクダガーを追っていたが、戦果は決して芳しくはなかった。ヤーデシュテルンが攻勢に出ればストライクダガーは逃げに徹した。ヤーデシュテルンに背中を見せ、露骨に逃げるのである。ゲルテンリッターの推進力ならば追いつくことはできる。しかし、そうした場合、アスランは母艦から引き離される形となる。その隙に他のストライクダガーのパラスアテネへの接近を許せばブースターどころでなく撃沈されてしまう危険性さえあった。

「ナチュラルどもの戦争慣れだけはさすがだな!」

 毒づくアスランだが、打つ手はなかった。水平線の向こう側のフリゲート艦を沈黙させなければならないが、そのために割くことのできる戦力がないのだ。
 それはミネルヴァについても同じであった。ヴィーノ・デュプレのインパルスガンダム、レイ・ザ・バレルのガンダムローゼンクリスタルの2機はよく言えば敵のストライクダガーの接近を防いでいるが、言ってしまうならばミネルヴァ周辺の押しとどめられていることになる。
 両軍のモビル・スーツの間では命中することが期待されていないビームの線条が幾度となく無為に交錯し続けている。

「レイ隊長、このままじゃやばいですよ。いつミネルヴァに当てられるか……」
「それもそうだが問題は無事しのぎきった後だ」
「ど、どういうことですか……?」

 ヴィーノ機がビームを放つも、敵ストライクダガーとの距離が離れすぎている。とてもではないが命中弾を期待できる状況ではない。それはレイのローゼンクリスタルでも同じことである。同じビーム・ライフルである以上、弾速は大差ない。逃げに徹したミノフスキー・クラフト搭載機を撃墜することは容易ではなかった。

「いざ出発する時、俺たちは格納庫に戻らなければならない。だが、その間、モビル・スーツ戦力が喪失することになる」
「じゃあ、敵を排除しなきゃならないってことですか?」
「いや、軌道の関係上、今のタイミングを逃せば作戦開始時刻に間に合わん」

 地球も月も動いている。この機会を逃せば遅れは致命的なほど拡大してしまう。
 決断が求められていた。機会を改める、あるいはモビル・スーツ隊を置き戦艦のみで宇宙に帰るか。しかし、どちらにしろ結果は変わらない。ザフトの騎士が、ガンダム・タイプが4機、祖国の存亡をかけた戦いに参列しないのだから。
 グラディス艦長はすでにブースターの装備を完了したという報告を受けていた。クルーからは離陸限界時間が迫っていることも何度も告げられていた。
 フリゲート艦からの攻撃は続いている。水柱がいくつも立ち、それは徐々にミネルヴァとの距離を詰めているかのようにも思えた。悩む、そんなタリア・グラディスに許された最後の抵抗さえ、砲撃が直撃すれば奪われることになる。
 もはや時間はなかった。
 タリアの口が動き、しかし、声が発せられる前に少年の声がブリッジに響いた。

「ミネルヴァ、聞こえますか? こちらシン・アスカ。これより貴艦を援護します!」

 聞き覚えのある声、しかし聞こえるはずのない声にタリアは状況をすぐに把握することができなかった。

「アスカ軍曹……?」

 飛来する物体があった。小型の輸送機であり、地球軍で用いられているものだったが、地球軍にとってもイレギュラーだったのだろう。フリゲート艦から対空砲火の曳光弾が立ち上る。
 回避行動さえとることなく輸送機は穴だらけとなり火が噴き出したかと思うと一瞬にして爆発する。黒煙が空に塊となって漂い、しかし、そこから飛び出すものがあった。
 それは羽ばたきだった。何かが風を起こし煙を振り払う。覆いとなっていた煙を引き離し飛び出したそれは黒く、そして優雅だった。
 背部の一対のフィン・スタビライザーはまさに翼である。それほど大きく、機体の挙動に合わせて動く様は翼の羽ばたきそのものと言えた。その手には両刃の実体剣、大型のスカートを備えたその姿は漆黒、黒い天使あるいは漆黒の騎士と呼ぶに相応しい、ガンダムであった。
 その姿はヤーデシュテルンにも捉えられていた。アスランには見覚えのないガンダムではあったが、巨大な西洋剣を手にした異質な姿は並の設計思想ではないことは理解できたのだろう。

「ゲルテンリッターなのか……?」

 ライフルやシールドは持たず、剣だけを武器とするガンダムを造るのはゼフィランサス以外には考えられない。このアスランの考えは正しかった。
 ゲルテンリッター初号機、ガンダムメルクールランペはフィン・スタビライザーを羽ばたかせると、その漆黒の体をミノフスキー・クラフトの輝きに身を包みながらフリゲート艦へと急降下する。
 フリゲート艦は機銃による対空放火に加え主砲を降下するガンダムへと向けようとするも間に合わない。
 メルクールランペはその剣を主砲の砲塔へ突き立てるとそのまま切り開く。爆発するよりも早く飛び立ち、次のフリゲート艦へと向かう。その様は羽のように軽々と、しかし、どこか頼りなげであった。動きに鋭さがなく、飛び上がったあと、すぐに力尽きて落下、その先に偶然、フリゲート艦があったにすぎないかのように。
 剣が主砲を切り裂くとともにまた空へ。やはりその動きは安定を欠いている。

「インパルスが軽い。暴れ馬かよ……」

 量産機でしかなかったインパルスガンダムとはまるで出力が違っていた。同じ感覚で操縦しようとするとメルクールランペは軽々と飛び上がり、慌てて出力を抑えると降下はどこか不格好となった。
 そして次のフリゲート艦へ、そのまた次のフリゲート艦へと向かう。船から船へと颯爽と飛び移っているその様をどう見るかは人によるだろう。次々に船を渡ってはその主砲を破壊していく様子に英雄の姿を思い浮かべる者もいるだろう。あるいは、巣立ちしたばかりの雛鳥が飛んでは落ちて、飛んでは落ちてを繰り返しているようにも見ることができる。
 しかし、雛はひとたび飛び立てば人の手の届かない空へと舞い上がる。
 最後のフリゲート艦の主砲を潰すと同時に飛び上がった時、メルクールランペはそのフィン・スタビライザーを大きく広げた。機体の安定を図るための機構だが、それはまさしく翼を思わせた。
 空を掴んだ黒い鳥、その前にストライクダガーが割って入ろうとする。だが鳥は既に飛んだ。 人の手では届かない。
 ストライクダガーがメルクールランペに斬りかかろうと、したところで腕を切り落とされそのことをパイロットが認識した瞬間には頭部を捉えた強烈な蹴りによって上空からたたき落とされている最中であった。
 仲間が撃墜された。残りのストライクダガーの動きは速かった。すぐにビーム・サーベルを抜き、メルクールランペに波状攻撃を仕掛けたのだから。
 彼らは優れたパイロットであった。相手の呼吸を読み、その感覚を共有できるほどに研ぎ澄ませていた。彼らの考えはこうだ。最初の1人が敵の攻撃を受け止め、その隙に残りが攻撃を仕掛ける。
 事実、彼らの予想通りにメルクールランペは両刃の西洋剣を振り下ろし、しかし彼らの予想に反してその太刀筋は速かった。受け止めるタイミングですでにストライクダガーは右腕を足ごと切り裂かれ、一呼吸置いてから攻撃が来ると予測し彼らが身構えた時には、すでにさらに1機が両足を鋭利に切断されていた。
 メルクールランペには溜めがなかった。そして速い。彼らが戦場で培った経験から立てた予想をことごとく突き放しさらに加速していく。本来であれば彼らがメルクールランペに一斉攻撃を仕掛けているはずの時間帯、その時にはすでに勝敗は決していた。
 6機ものストライクダガーがことごとく戦力を奪われバランスを崩したことで空から落下している。その時に、モニターには黒い天使の姿が映り込んでいた。
 見上げる太陽を背景として黒い翼を広げた天使、その手には武器にしてはあまりに流麗な剣がある。
 彼らは自分たちがどのようにして敗北したのか、ようやく認識を追いつかせていた。落下防止対策を講じる必要があった。それでも彼らは天使の姿から目を離すことができないでいた。
 フリゲート艦の主砲が沈黙し、ストライクダガーがその戦力を喪失したことでミネルヴァ、パラスアテネの両艦はただちに離陸準備に入った。これが許容される最後の機会である。
 グラディス艦長からは帰還命令が発せられた。

「ローゼンクリスタル、インパルスの両機はただちにミネルヴァに戻りなさい。その……、シン・アスカ軍曹もです」

 すでに動き始めているミネルヴァへと向けてレイ、ヴィーノが移動を開始する。その頃にはアスランたちにも動きがあった。

「ルナ、俺たちもパラスアテネに戻るぞ」
「はい!」

 護衛のために母艦に張り付いていた4機のガンダムが格納庫へと戻ることは容易なことだった。しかし、離れているメルクールランペがたどり着くまでにはまだ時間を必要とする。そして、時間が経過するごとにミネルヴァは加速し始めていた。
 格納庫に艦体が振動する音が響き、すでに整備員の姿はない。あらゆる物が固定された格納庫はいつもよりも広く思えた。
 レイは武装をラックに預けると、そのままローゼンクリスタルをハッチへと歩かせる。すでにGによって機体は重さを増していた。格納庫内でスラスターを使用する訳にもいかず、ローゼンクリスタルは壁を頼りに進む他なかった。
 そうしてハッチから身を乗りだした時には、すでにミネルヴァは水面を離れ床を斜めに傾かせていた。引き裂かされる大気が暴風となってミネルヴァを吹き抜ける中、メルクールランペが全身を輝かせながらミネルヴァに接近している様子がハッチからは辛うじて確認できた。

「シン、追いついてみせろ!」

 ローゼンクリスタルがハッチから大きく身を乗り出し手を伸ばした。突風の中、ここまでするのは危険が伴う。思わず動く羽目になったのはヴィーノの方だ。

「た、隊長、落ちますって!」

 ヴィーノのインパルスがローゼンクリスタルを後ろから支える。ムーバブル・フレームが採用されたことでより人間らしい動きが可能となったとされるモビル・スーツだが、このガンダムたちの動きには人間くさささえ感じられた。
 ミネルヴァは加速を続けている。やがては地球の重力を振り切るまで速度を上げることになる。そうなれば合流はできない。
 それを理解するレイは腕を伸ばし、シンもまたその手を伸ばした。モビル・スーツの大きな手が小刻みに振動するほどの突風吹きすさぶ中、ローゼンクリスタル、メルクールランペ、2体のガンダムの手がしっかりと繋がった。
 レイのローゼンクリスタルは腕を引き、ヴィーノもまた後ろに倒れ込まんばかりの勢いでレイとシンの2人を一気に格納庫へと引きずり込んだ。同時にハッチが閉じられ、先ほどまでの風が嘘であったかのように揺れる世界が静寂を取り戻す。
 3機のガンダム・タイプはそれぞれ格納庫内の思い思いの突起物に手を伸ばす。加速に耐えるためになりふり構わぬ姿はどこか微笑ましくさえある。
 レイは、コクピットのモニターの中の片手に西洋剣を持つ黒いガンダムの姿、そしてそれに並ぶシンの顔を見ていた。

「外人部隊出身者がこれほどしぶといとは知らなかったな」
「修羅場の数なら正規軍の非じゃありませんからね」
「よく戻ったな、シン」
「はい」

 そう小さく微笑みあうレイとシン。ただ、新たにモニターに顔を映したヴィーノの顔は明らかに慌てていた。目が見開かれ、口など開きっぱなしである。

「そのガンダム何なんだよ、見たことないぞ!」
「あまり驚くなよ。ゲルテンリッターの初号機で名前はガンダムメルクールランペ。あ~、それでどうやって手に入れたかというと……、もらったんだ……、エインセル・ハンターから」

 ミネルヴァは現在、大気を突き破りながら宇宙へと向かっている。その振動はいまだに続いていたが、3人のパイロットたちは表情を微妙な状態に固めたまま、ただミネルヴァのゆくまま運ばれていった。




 宇宙は広大である。地球から最も近い月でさえ約30万km、人が歩いて行くとすれば11年の距離にある。最新鋭の戦艦であるミネルヴァとて順調にいったとしても数日の時間を必要とする。
 ただ幸い、宇宙は広大なのだ。敵と遭遇することになる確率は極めて低く、月には予定通りに到着するはずだった。
 そしてそれまでの間、ミネルヴァにできることはなくただ焦りを募らせているべきなのだろう。しかし歩みを速めることはできずとも戦いの準備を整えることはできるはずと、パイロットたちはブリーフィング・ルームに集まっていた。
 盤上モニターには月とその周囲の様子が描かれた模式図が表示されている。レイ・ザ・バレルは隊長として2人の部下に説明していた。

「すでに判明したところによれば、兵器の名はユグドラシル。スカンジナビア王国の神話に語られる巨大なトネリコの木の名前だそうだ。その葉は天を覆い、その根は九つの世界にまで伸びるほどの巨木だ」

 由来はさておき、レイはモニターを指で操作し始める。

「このシステムは驚くほど単純だ。超巨大なビーム・ライフル、この一言で説明できるからだ。それを、屈折コロニーを経由させることでどのような位置であれ攻撃できる。ジャブローにて降下部隊を焼き払ったものと原理的には同一のものだと確認されている」

 レイが指でなぞると、月面から一筋の線が伸びた。月上空のコロニーを通ったところでレイが大きく弧を描くように指を動かすと、その線もまた大きく曲がり次のコロニーに到達したところでさらに曲がり、最終的には元の照射角ではあり得ない目標地点へと到達した。

「このシステムの恐ろしさは屈折コロニーを利用することでどのような角度、位置をも攻撃できることだ」

 続いてレイは別のコロニーを使いまったく別の角度から線を描いて見せた。
 ここで疑問を示したのはシン・アスカだ。

「レイ隊長、でもビームは長距離狙撃には向かないはずでは?」
「その通りだ。ビームとは荷電粒子の塊であり、距離が離れるほど粒子が急速に拡散してしまうはずだ。これはあくまでも推測だが、コロニーが屈折だけでなく収束も兼ねているのだろう。これによって威力の減衰を抑えたまま長距離の攻撃が可能となる」

 そして、ビームの攻撃力は織り込み済みであり、荷電粒子である以上、その軌道を曲げる技術はすでに確立されている。

「この兵器が厄介なのはその威力、射程は当然のこととして、その阻止の困難さにある。複数の屈折コロニーが必要となるが、経由するコロニーはおそらく変更可能と考えられる。さらにザフトは屈折コロニーの数を把握していない。無理もない。建造途中のコロニーと屈折コロニーは区別できない上、ザフトが軍として地球側の都市計画など調査していなかったのだからな」

 次に疑問を呈したのはヴィーノ・デュプレだったが、本人は何が疑問に感じたのか自分でわかっていないようだった。

「え~と、つまり……?」
「確実に阻止するためには月面の発射施設を直接叩くしかない、と言うことだ。だがそれ自体、大変な困難が伴う。これまでザフトはカーペンタリアを中心に地球への再侵攻を行っていた。主力は30万km彼方にある。各要塞からは戦力の移動が行われているが、プラントの防空網はずたずたにされたと言っていいだろう。また、すでに2度、作戦が実行されたがどちらも失敗に終わっている。無理もない。万全の体制で待ち構える相手に突貫で攻撃を仕掛けるも同然ではな」

 これではザフトはまともに組織だった行動をとることができない。戦線が強制的に30万kmも移動させられれば、当然のことと言える。最初の照射からすでに5日が経過している。ザフトの2度にわたる大規模作戦は奏功せず、すでに4度の照射を許し要塞の大半を失っている。
 レイの声は自然と重苦しいものとなっていた。

「すでに四つの要塞が破壊され、五つ目が破壊されるのは第三次作戦開始の直前のことになるだろう」

 シンたちは辛うじて、この第三次作戦に参加することができる。

「俺たちは立ち上る光とともに戦いのに臨むことになるんですね」
「そうだ。塩の柱にならんといいのだがな」

 ヴィーノの甘い考えは、即座にレイによって否定される。

「じゃあ、プラントが攻撃されるまでまだ時間はあるってことですよね?」
「計算によれば、作戦開始後、数時間だとされている」
「え……? なんだってそんなに短いんですか!?」
「岩石を砕くのとガラスの砂時計を割るのでは必要なエネルギー量の桁が違うということだな。俺たちがしくじればプラントは終わることになる。ユグドラシルであればプラントを数基なで切りにすることも容易だろう。どれほどの市民が犠牲になるか想像もできん」

 大げさに頭を抱えるヴィーノだったが、それも無理もないことだと言えた。

「……何か俺たちに有利なことってないんですか……?」
「これは諜報部からの情報なのだそうだが、プラント攻撃の直接指揮はエインセル・ハンター自らが執るそうだ。どうやら、フォイエリヒガンダムに制御装置を組み込んでいるようだな」

 ここで、シンは前の部隊で襲撃したコロニーが屈折コロニーの一つだったと聞かされたことを思い出した。そこに、ヒメノカリスが、フォイエリヒガンダムがエインセル・ハンターの手を離れて存在した理由が推測できた。

「だからあのコロニーにフォイエリヒが……」

 このシンの独り言を、他の2人は聞いていないようだった。
 レイは、プラントの勝利条件があまりに容易なものに設定されていることをこともなげに示した。

「つまりだ、プラントが勝利するためにはただモビル・スーツを1機、フォイエリヒガンダムを撃墜するだけでいいのだ」

 モビル・スーツをたった1機撃墜するだけでいい。このあまりに簡単な勝利条件を与えられたヴィーノは思わずレイの胸ぐらに掴みかかっていた。

「ヴィーノ、上官不敬に問われるぞ」

 不思議と掴みかかっている方が泣き出しそうな顔をしている。
 もっとも、それがただじゃれ合っているだけだとシンは当然に理解していた。軍人とは不思議なもので緊張感の切り替えができるようになる。今ここで張り詰めていても何の意味もなく、ただいたずらに疲労感を蓄積させてしまうだけだとわかっているからだ。
 しかし、それでもシンはどうしても先のことを考えずにはいられなかった。2人を残し、格納庫へと移ることにした。
 すでに地球を離れ数日が経過し、モビル・スーツの整備もあらかた終わっているらしかった。格納庫は静かなもので、シンが自分を見つめ直すにはちょうどよい。
 シンが格納庫4階部分の通路に出ると、そこはちょうどモビル・スーツの腹部から胸部にかけての高さであり、モビル・スーツを眺めるのに格好の位置にあった。シンはそこで、自分の新しい乗機となったガンダムの前に出た。
 黒い装甲に、一対の大型背部フィン・スタビライザーを備える姿は、やはり鳥や、言ってしまうなら天使を彷彿とさせる。武装は大型の西洋剣に、補助用と思われるビーム・サーベルしかない。本来はエインセル・ハンターに与えられた、ゲルテンリッターの初号機だ。
 手すりにもたれかかりこの機体を眺めていると、シンはどうしても自分の中を様々な疑問が通り抜けていくことを感じずにはいられなかった。
 なぜエインセル・ハンターはこの機体を自分に託したのか、なぜエインセル・ハンターは自分に興味を持ったのか、あるいは自分と母の関係はなんなのだろうか、そして、自分にエインセル・ハンターを止めることができるのだろうか。
 そんなことをとりとめもなく考えていると、女性の声がシンに呼びかけた。

「シン・アスカ軍曹」
「グラディス艦長」

 見ると、タリア・グラディス艦長がいつも通りにきっちりとした軍服姿で現れた。シンの横に立つと、その視線はやはりメルクールランペへと吸い寄せられた。

「改めて聞きます。あなたはどうして、ここにいるのですか?」

 単純にどうやって捕虜から逃げ出してこられたのか聞いているだけだ。シンは、この手の質問を艦長から何度も受けていた。そのため、すでに説明そのものは手慣れたものである。

「エインセル・ハンターがプラントを狙っていることを知って、それをやめるよう説得しました。しかし、聞き入れてもらえず、それでも自分はエインセル・ハンターを止めることを表明したところ、しかし自分にはその力がありません」
「そこでエインセル・ハンターがそのための力をあなたに与えたと?」
「ご理解が早く、助かります」

 理解はしていても納得はしていない、艦長は明らかにそんな様子だった。メルクールランペを見ていた視線が、まるでいかがわしいものでも見るかのようにシンへと移った時、それがより鮮明となった。

「嘘でした、そう修正するのであれば今のうちですよ」
「艦長は俺1人でガンダム、それもゲルテンリッターを強奪できるとお考えですか?」

 それこそシンがどうやって監禁場所から逃げ出し、厳重なセキュリティーを突破した上、強奪したガンダムで追っ手を振り切り場所を知らないはずのミネルヴァに合流したのか、そんなもっと多くの嘘が必要になってしまう。
 シンの話が真実であるとしたら意味がわからない。しかし、嘘だとするのならより真実味のないことが起きたとする他ない。だが、グラディス艦長はまだ自分を納得させられていないのだろう。
 だからこうして時折シンを尋ねては確認をとろうとしていた。

「あなたはオーブ出身の戦争孤児と聞きましたが、エインセル・ハンターとどのような関係が?」
「まったくありません。そもそもエインセル・ハンターのこともザフトに入ってから知ったくらいですから」
「共通の話題で意気投合した、とか?」
「俺とエインセル・ハンター、どんな共通の趣味があると思います?」

 そもそも同好の士と言うだけでガンダムを渡す理由になるのだろうか。グラディス艦長自身、無理があると考えてはいたのだろう。すぐに話の方向性を変えた。

「わかりました。あなたがスパイというのはどうでしょう?」
「だったら逃がすにしてももっと自然なやり方、しませんか?」

 こんなあからさまに上官から疑いの目を向けられるようなやり方ではなく。そもそも、スパイだと違われている時点で失敗だろう。
 グラディス艦長は口元に手をあてしばらく考え込んでいたらしかった。口に手を当てたまま、目線だけがシンの方を向く。

「つまり、あなたは私に、捕虜になったパイロットがエインセル・ハンターからガンダム・タイプを与えられ帰された、そう、上に報告しろというのですか?」
「でも、グラディス艦長ならデュランダル議長に……」

 さすがのシンであっても、グラディス艦長の視線が突如、突き刺さるかのように鋭さを増したことはわかった。これくらいは許されると考えていたのだろうが、それは甘い考えでしかなかった。
 しばらくシンを睨んだ後、艦長は溜息をつく。

「私とギルが別れたのはもう1年も前のことです」

 デュランダル議長のファースト・ネームがギルバートであったことをシンが思い出している内に、グラディス艦長は改めてシンへと向き直った。

「なぜ逃がされたのか、本当に何もわからないのですか……?」

 シンにしてもまったく心当たりがないとまでは言えなかった。しかし、確信もなく話すことには抵抗があった。それが今までは言えなかった理由であって、今になってようやく話すつもりになれた理由なのだろう。

「エインセル・ハンターとは、話したことがもう一つあります。その、母のことです。さすがに艦長もそこまではご存じないと思いますが、自分は精子バンクで買われた精子の体外受精で生まれました」
「お母様は不妊治療を?」
「いえ、ただ、男の人が苦手だったらしくて結婚は無理で……。でも、どうしてか子どもが欲しかったみたいなんです。女の人って、そんなに子どもが欲しいものなんでしょうか?」

 この何の気なしに口にした言葉は、グラディス艦長の意外な一面を垣間見る切っ掛けとなった。

「あなたはまだ若いので理解できないかもしれませんね。女にとって子を産み、育てるということは人生において重要なことの一つです」
「し、失礼ですが、艦長もそうお考えなんですか……?」
「遺伝子検査の結果、私とギルの相性は大変悪く、子どもができる確率は極めて低い。そう診断されたことが、私たちが別れた直接の理由でした」

 こんなことまで聞いても良いのだろうかと体を固くするシンであったが、同時に艦長からは子を思う母の姿を感じとてもいた。自身の出生のことまで話したシンに対して礼儀を見せただけなのかもしれないが。

「あなたのお母様があなたという子どもを欲した気持ち、私には理解できます」

 やはりこのタリア・グラディス艦長は、シンに母を連想させる女性だった。

「しかし、エインセル・ハンターはどうしてあなたとお母様に興味を?」
「これは他の人から聞いたんですが……」
「他の人とは……、いえ、やめましょう。これ以上、厄介ごとを増やすのは」
「エインセル・ハンターも父親との関係に悩んでたみたいです。その、ありきたりですけど、俺に対してどっか親近感みたいなの、あったのかもしれません」

 ここでシンはつい笑みをこぼしてしまう。同病類哀れむとは言うが、それがガンダム、それもゲルテンリッターを譲渡する理由になんてなるはずがないと自分で言っておきながら気付いたからだ。

「正直、俺にもわかりません。ただなんとなく、エインセル・ハンターが俺に、何かを感じたんだろうってことくらいしか」
「理解できないから敵なのかもしれませんね」

 そろそろ時間切れなのだろう。今この場でも、そして、戦いが近いという意味に置いても。
 グラディス艦長は軍帽をかぶり直した。

「シン・アスカ軍曹、この戦いがエインセル・ハンターとの最後の戦いになることでしょう。どのような結果になるにしろ、エインセル・ハンターとプラントの因縁は終わりを迎える、そんな気がしています。彼があなたを逃がした、いえ、あなたにこの機体を託した理由を知ることはできないのかもしれません」

 最後にもう一度、ガンダムメルクールランペを見上げた後、グラディス艦長はシンのもとを後にした。
 数日後には、シンは月に出向きエインセル・ハンターとの決戦に臨むことになる。母のシンへの思いを知ること、エインセル・ハンターがシンに託した思いを理解すること、そのどちらにも残された時間ではまるで足りてはいなかった。
 ゲルテンリッターはアリスと呼ばれる少女の姿をした心を持っている。しかし、アリスは姿を見せることなく、メルクールランペは何も答えてはくれなかった。



[32266] 第33話「月に至りて」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:3ce48bd8
Date: 2017/09/17 22:20
 人類が初めて月に足を踏み入れてから、すでに200年以上の時が流れた。その時からすれば想像もできなかったことだろう。月の上空に多数の戦艦が浮かび、戦いに備える光景など。当時の技術では数人を送り出すことがやっとであったのだから。それとも、月にまで行ってもまさか戦争をしているとは考えてもいなかったかもしれない。
 人はどこまでいっても人なのかもしれない。
 かつて月を訪れた人々も、今、戦艦に乗っている人々も、やはり人だった。
 ガーティ・ルーはレクイエムの発射口のほぼ上空にある。この艦には艦長席のすぐ隣にオブザーバー席が用意されていた。艦長であるイアン・リーは、普段であれば白いドレスのヒメノカリスを隣に眺めてるいるはずであったが、今は白衣の少女が座っていた。しかし、顔は同じである。

「ヴァーリについては小耳に挟んでいましたが、確かによく似ておられる。ヒメノカリス殿が白薔薇なら、ニーレンベルギア殿からは百合が思い起こされる」
「お上手ですね」

 そばに座る副艦長は呆れたように溜息をついた。

「リー艦長、そんなこと言ってるからアウル君に色目使ったって言われるんですよ」

 渋い顔をするリー艦長であったが、ニーレンベルギアは柔らかく微笑むだけですぐに自分の仕事へと戻った。オブザーバー席に備えられた通信機でステラと連絡を取る。

「ステラ、これで最後だけど体調は大丈夫かしら」
「うん、大丈夫。やれるよ……」

 ユグドラシルはすでに射出の最終段階に入っていた。後はステラが屈折コロニーの角度を調整し、光の柱はザフト軍最後の要塞を破壊することとなる。ニーレンベルギアがここにいるのは最後の仕事を終えたステラに不測の事態が起きた際、すぐに対処ができるようにするためである。
 ステラ、アウルには特別な力があり、それを引き出したのはニーレンベルギアである、そう、リー艦長は耳にしていたが、反対に言えばどこまでしか聞かされてはいなかった。

「ニーレンベルギア殿にお尋ねしたい。興味本位で申し訳ないのですが、ハンター代表はなぜコロニーの制御に人を用いるのですか? コンピュータ制御も可能に思われますが」
「理由はいくつかあります。一つは保険です。地球の主要都市さえ狙ってしまえる兵器です。ザフトの手に渡った時のことを考えると限られた人にしか制御できないようにすることも必要です」

 ニーレンベルギアは指でかくかくと曲がった軌道を描いてみせる。

「なるほど。制御には特殊な才能が必要なことは理解できました。しかし、ザフトにも同様の素質の持ち主がいるのではありませんか?」
「いるとは思います。でも、その割合は地球の人よりもはるかに少ないと思いますよ。コーディネーターはこれまでに有用性が確認された遺伝子の発現を促す形で遺伝子調整を行います。それはつまり既知の素質の持ち主は多くいても、未知の素質については意図的に削除されることになります」
「コーディネーターとは有効だが枯れた素質の持ち主の集まり、ということですか?」
「出るかどうかもわからない穴を掘るよりも枯れかけた金脈の方が確実ですから」

 ザフトがユグドラシルを使用するためには、コーディネーターが偽物の銀だと投げ捨てた白金を拾い集めなければならない。コーディネーターを人類の亜種にすぎないと標榜するブルー・コスモスのはった予防線としてはしゃれが利いたものとなっていた。しかし、ニーレンベルギアはこうも続けた。

「それに、エインセルさんは人が好きなのです」




 戦いの準備はザフト軍においても進められていた。アスラン・ザラの母艦であるパラスアテネは決戦の地へと月面を進み、その格納庫では出撃を控えたモビル・スーツに大勢の整備員が取り付いていた。
 アスランはそんな喧噪からすでに離れ、コクピットの中で最後の調整を行っていた。もっとも、多くは翠星石が行ってくれる。緑のドレス姿の妖精がコクピット内を飛び回っていることを構わず、アスランはラクスと通信を繋いでいた。

「ラクス、君にならわかるかい? エインセル・ハンターはなぜゲルテンリッターをシン・アスカに託したか? シンはエインセル・ハンターと会ったのは今回が初めてだろう。オーブ出身で縁もゆかりもない」

 モニターの中には桃色の髪をしたラクスがいつもの様子で映し出されていた。アスランはラクスの反応を待たず自分の言いたいことを言い終えることにした。

「もっとも、2人に何か関係があったとしてもエインセル・ハンターがそれだけを理由にガンダムを譲渡するとも思えないが」

 ラクスの返事がやや遅れたのは、単にアスランが言い終えたことを確認するための間でしかなかったのだろう。このような難題にも、ラクスはよどみなく話し始めた。

「エインセル・ハンターとシン・アスカ。2人は驚くほど似ています」
「そんなに似てるだろうか? 髪の色も瞳の色も違うと思うが……」
「姿ではありません。エインセル・ハンターは父に、シン・アスカは母に、優れた子として生まれてくることを望まれました。彼らは同じなのです。もちろん、理由はこれ一つではないのでしょう。シン・アスカはエインセル・ハンターと同じ旅路を歩んだ者であり、しかしザフトです。シン・アスカはエインセル・ハンターに母を奪われましたけれど、彼がここにいるのはそのことばかりが理由ではないでしょう。何より、シン・アスカとエインセル・ハンターは驚くほど似ていないのかもしれません」
「君は政治家向きだな、ラクス。何も話を進めていないのに何かが語られたように感じられるよ」

 アスランの軽い皮肉にもラクスは笑ってすませた。同時に、アスラン自身理解していた。ラクスは何かを察しているが、それを何らかの理由から話さないために意図的にぼかした話をしているだけなのだと。
 当然、こんなことだけで話を理解できるはずもなく、アスランはふと一つの言葉に吸い寄せられた自分に気付いた。

「母か……」

 シン・アスカは母親を亡くした。しかし、それはアスランも同じことだった。プラントの刻印にとって忘れられるはずのない日付、C.E.61年、2月14日に母を失っている。

「ラクス。俺は、キラやレイとは決定的に違うことがある。アスラン・ザラであり、だから母親がいるということだ」
「ですがレノア様はあなたがアスラン・ザラに正式に選出される前にお亡くなりになっています」
「わかっている。だが思い出して欲しい。エインセル・ハンターは俺にとっても母の仇なんだってことを。あの日、ユニウス・セブンでエインセル・ハンターの凶弾から俺たちをかばってレノアさんは死んだ」

 当時からエインセル・ハンターは冷たい眼差しの持ち主だった。白いスーツを身につけ、紳士然としたたたずまいながら異常に気付いたアスランを撃とうとして、それを防ごうとしたレノア・ザラが身代わりになった。
 あの時、まだほんの子どもに過ぎなかったアスランはラクスを守る、ただそれだけで手一杯であった。

「ラクス。俺は命を賭けるに値しない愛情はあっても、命がけの愛着は存在しないと思う。あれはとっさのことだった。レノアさんが少しでも考えたりためらったりしたなら俺は生きていないだろう。あの人は命を賭けて俺のことを愛していたのだと示してくれた」

 アスランが思わず自分の頬に手を当てる仕草を見せたのは、あの日、母の流した血を頬に浴びたことと無関係ではないのだろう。

「あの人は、間違いなく俺の母だった」

 子のために命を賭ける母親はいても、作品のために命を捨てる科学者はいないだろうから。

「アスラン……」
「心配しなくていい。復讐に囚われるつもりもない。エインセル・ハンターはここを決戦の地と定めたらしい。そうならファントム・ペインも戦列に加わることだろう。そちらの警戒も疎かにできないしな」

 見ると、すでに翠星石はアスランの肩に腰掛け、作戦開始時間も近づいていた。

「ラクス、俺はキラと違って気の利いたことは言ってやれないのが、この作戦が終われば久しぶりに本国に帰ることができる。その時は食事にでも行こう。落ち着いた雰囲気の店で、きっと君も気に入ると思う」
「はい。その時はエスコートしてくださいましね」




 作戦開始時刻を迎えるまでの間、パイロットにとってもっとも厳しい時間であるのかもしれない。作戦中であれば戦いに集中することもできる。しかし、それまではできることがない。まさか単機で飛び出していくこともできず、ただ重苦しい緊張に身が蝕まれるに任せているしかない。
 それはミネルヴァにおいても変わらなかった。すでに整備を終え、パイロット3名はそれぞれの機体のコクピットに着席していた。後は作戦開始時刻にミネルヴァが所定の位置でハッチを展開、出撃することになる。
 それまでは何もすることがない。シンはガンダムメルクールランペがまだ馴染んだとは言えないコクピットの中でシートに深く体を預けていた。
 全天周囲モニターにヴィーノの顔が映し出されると、その顔はヘルメット越しにもわかりやすく緊張していた。唇が不自然に歪んでいたからだ。

「いよいよだな……。なあ、シン。俺たち、勝てると思うか?」
「いや、いっそのこと撃たせるのもありかもな。プラントが滅べば地球との諍いもひとまとめに清算できるし、かえって手っ取り早いかもしれないだろ」
「もう勘弁してくれよ……」

 ヴィーノは頭を抱えてしまう。この少年はわかりやすい。シンの中でもこの戦友との褒められない出会いについてうまく消化できているのだろう。決戦を前にした緊張をほぐすにはほどよいイベントとしていた。

「ヴィーノって家族は誰がいるんだ?」
「母さんが1人。ああ、でも単に離婚したってだけだからな。時々、父さんとも会ってるし」
「へえ~」

 単なる興味本位であったのだろうが、ヴィーノの思わぬ話にシンは体を固くする羽目となった。

「それがさ、前のメッセージにさ、実は恋人がいてもしかすると結婚するかもしれないってあったんだけど……。なあ、シン。俺どうしたらいいと思う? 母さんには幸せになってもらいたいけど、父さんともまだ会ってるしさ……」
「いや、俺に聞かれても……」

 母の再婚どころか、シンには父親だった男性さえいない。母が男性嫌いであったこともあって想像もしていない世界の話でしかなかった。
 ヴィーノはさらに追い打ちをかけた。

「今度プラントに戻ったら会って欲しいって言われてるんだけど……」

 もはや剣と魔法の国の方がまだ想像できるのではないだろうか。それほど、シンには縁遠い話題だと言えた。どうしてよいものかわからず、あ~だとかう~だとか意味のない声を絞り出すしかできていない。
 助け船は、やはり隊長であるレイから差し出された。

「ヴィーノ、あまり気負わぬことだ。プラントの家族法では連れ子と再婚相手との間には当然には法的な親子関係は発生しない。それを除いてもお前の母親の再婚相手がすなわち父親ではないだろう」
「それって、どういうことです……?」
「親の離婚でも変わらなかったお前と父の関係が、再婚でただちに変わる訳ではないだろう。親子関係だからと言って気負う必要はない。突き詰めれば人と人の関係だ。あまり母の再婚相手だとか考える必要はない。結局、お前がその人に何をして、その人がお前に何をしてくれたかで関係を判断すればいい」
「つまり人間関係で当たり前のことしろってことですか?」
「そういうことだな。だが、案外、しんどいのは相手の方かもしれんぞ。意中の女性と所帯を持てるかどうかは連れ子であるお前に気に入られるかどうかにかかっているのだからな」
「うわぁ、俺ならごめんですね、そんな状況……」

 このことがヴィーノにもよい気分転換になったのだろう。肩の荷が下りたように、いつものヴィーノの顔をするようになっていた。
 シンにしてもこのことは新たな刺激となったようだった。あまり交友関係に積極的でないシンにとって自分の家庭以外の家族というものを知らなかったのだから。

「一言に親子関係と言ってもいろいろですね」

 何の気なしに口にしたシンであったが、対してれいは神妙な面持ちを作る。

「まだ悩んでるようだな」

 母との関係に悩んでいるのはヴィーノばかりではない。シンは視線を重たくする。エインセル・ハンターとの出会いを思い出しているのだろう。

「エインセル・ハンターに言われたんです。俺のしていることは、単に母さんに捨てられたくなくて努力をしてただけなのに母さんがいなくなっても続けてるだけなんだって。俺は、母さんの弔いをしてないってことなんでしょうか……?」
「俺はそうは思わん」

 シンは思わずモニターに映るレイの顔を見た。

「レイ隊長?」
「昔、死んだ子どもを生き返らせる方法を求めて方々をさまよった母親がいた。しかし、そんなものが見つかるはずもない。母親はただ無為に探し回っていた。そんな時、ある高僧が母親にその方法があると言った」
「あるんですか!?」
「話の腰を折るな。続きがある。そのためには一つ必要なものがあった。それは一度も死者を出したことのない家のかまどの灰だ。母親はあらゆる家を尋ねて回った。しかし、返ってくる答えはいつも同じだ。どの家もだれかを亡くしていた」

 それは当然のことだと言えた。人はいずれ死ぬ。これまでに生まれてきた人々はすべて死に、またはこれから死んでいくのだから。

「母親は気付いた。誰もが誰かを亡くしているのだと。そして、死別の悲しみを秘めてきているのだと」
「じゃあ、僧侶の人はそのことを気付いて欲しくて?」
「あるいは、母親にしてもらいたかったのだろう。今は亡き子のためにかけずり回るということを。葬儀は死者のためではなく、これからも生きていかなければならない人のために行われるものだ。子のために身を粉にした母親の中には思いが宿ったことだろう。子のためにできることをすべてしたという自負が」

 死んでしまった子は帰っては来ない。だとしても、母親は前を向いて歩き出すことができるようになったのではないだろうか。それは子を忘れたのでもなければ死の悲しみから目をそらしたのでもない。ただ、死を受け入れ、死んでしまった子のためにできる限りのことをしたという自信があるからできることだ。

「シン、葬儀とは花を捧げることとは限らない。今は亡き母のために何ができるか、何をすべきか、そう悩み抜くこと、それもお前なりの弔いなのではないか? 後は、その思いを貫くだけだ」
「それって……」
「ヴィーノとお前の置かれた状況は究極的には同じことと言える。人と人の関係はどのような間柄かではなく、どのように思っているかが肝要だ。母と子だからと親子愛があるとは限らないが、血縁関係がなくとも親子になることは可能だ。思えば、お前は自分がコーディネーターとして生まれたことにこだわりすぎているのかもしれんな。遺伝子調整された生まれてきた子どもとその母親なんて色眼鏡を捨ててみろ。母がお前に何をしたのか、何をしてくれてのか。単にそれだけで母のことを見つめ直してみることだ。答えは、案外と簡単かもしれんぞ」

 これまでシンが母のことを話題にすると、それは決まって心を乱す結果となった。それはシンを焦らせるでしかなかったからだ。
 心のどこかで母のことを疑っていた。優れた子どもであればシンでなくてもいいのではないか、と。しかし、それを確かめることはもうできない。
 母のためにできることはもう何もないと考えていた。母はすでに死んでいるからだ。しかし、レイの言葉は、シンに母のために何かできることがあるのではないか、そんな希望を抱かせるには十分だった。
 不思議な話だ。これから激戦の中に放り出されることになるにも関わらずシンの表情は穏やかにさえ思われた。

「隊長、俺、あなたに会えてよかったです」
「面はゆいな」

 そして、戦いの時は訪れた。タリア・グラディス艦長によって作戦開始時刻が告げられ、各機がカタパルトへと移動していく。最初に出撃準備を終えたのはヴィーノだ。

「ヴィーノ・デュプレ。インパルスガンダム、行きます!」

 インパルスガンダムが加速するとともにミネルヴァから出撃していく。すでに周囲では他のザフト軍艦船から多数のモビル・スーツが出撃している。
 眼下には殺風景な月の荒野が敷き詰められ、宇宙との区別のない漆黒の空がどこまでも広がっている。ここからこの場所が激戦の舞台となる。
 続いてレイのローゼンクリスタルがカタパルトについた。

「レイ・ザ・バレル。ガンダムローゼンクリスタル、出る!」

 光輪を背負う純白のガンダムがミネルヴァから出撃すると、最後にシンの出番となる。

「シン・アスカ。ガンダムメルクールランペ、出撃します!」

 黒く、その背中には広げれば翼を思わせるフィン・スタビライザー。そして、その腕には西洋剣を模した実体剣を持つ。騎士を思わせるが、やはりその姿は天使だろう。黒い天使が翼を広げ、戦女神の名を持つ艦から飛び立った。
 戦いの始まりは天を貫く光によって告げられる。
 多数のザフト軍艦船が目指す先、荒れた月面からまばゆい光が立ち昇ったのだ。ユグドラシル、そう諜報部が掴んだ名を持つ兵器の第5の射出が作戦開始の前後であることはすでに予測されていた。
 しかし、誰もが予測が外れることを望んでいた。的中、すなわちプラントが最後の宇宙要塞を失うことを意味したからだ。
 巨大なビーム砲から放たれたビームは、その照射時間の長さから柱にしか見えない。多くの人にとって初めて見る光景だろう。光が柱をなすなど。
 それはあまりに現実離れしているものであるが故、神々しくもまがまがしく誰の心をも強く揺り動かした。
 光の柱が狙う要塞はここから遙か彼方にある。目視はもちろん、想像さえ危うくなる距離である。すると、この光が果たして本当に危険なものであるのかを疑ってしまう。だからこそだろう。ザフト兵の1人は強く歯を食いしばった。自分に理解させているのだ。強く心を保て、ここで自分たちが負ければプラント本国が焼かれるのだと。
 光の柱の麓、そこには魔王が潜んでいる。それこそ不思議なことなのかもしれない。プラントは信仰を持たない国家だとされている。神を持たない彼らが悪魔に脅かされているとは一体どういうことなのだろうか。それこそ、神を頼ることはできない。国を守る、その思いだけがザフトを支えている。
 ブレイズ・ウィザードを装備したヅダがライフルを抱え編隊を組む。セイバーガンダムのようなガンダム・タイプさえ多数動員された総力戦である。多数のモビル・スーツが向かう先、月面基地の周囲から地球軍のモビル・スーツが出撃していく。ストライクダガーを中心とした布陣が敷かれザフトを迎え撃つ。
 戦いの始まりは誰も知らない。どこかで放たれた一条のビームの閃光、それこそが戦いの始まりだといえたがあらゆるパイロットが敵機を見つけるなり発射しているのである。最初の一撃などもはや誰にも区別できない。
 ユグドラシルを中心に光の交叉が話を描く。月の上空から覗いたならそれは美しく見えたかもしれない。しかし、その光の中で人が死んでいく。
 現在の戦いはビームに依存している。既存の兵器に比べ3倍もの火力を有するとともに有効射程が短い。そのため、近距離での撃ち合いとなる。互いに命中率の高まる危険な距離を回避する結果、一定の間隔を空けてビームを撃ち合うのが現在の戦闘のあり方だった。
 しかし、この戦いは違った。そのような膠着状態をザフトは望んでいない。時間は地球に味方しているからだ。
 ザフトはたやすく危険な距離を割り込む選択をした。
 ヅダが加速する勢いのままビームを放ちストライクダガーへと直撃させる。しかし、命中させられるということは、それだけ危険な位置にいるということに他ならない。たやすく背後をとられ、その胴体を真一文字にビームによって切り裂かれる。
 それでもザフトにとって安全策を採っていられる余裕などなかった。次々と敵陣へとなだれ込み、戦況はまたたく間に混戦状態へと突入する。
 もはや運試しに近い。ただ眼に付いた敵へと攻撃し、後ろのことなど構ってはいられない。敵が自分を狙っていないことを祈り、狙っている敵が外してくれることを願いながら機体をただがむしゃらに機体を機動させ続けることしかできない。
 しかしザフトの士気は高い。
 左腕を失い本来であれば徹底すべき損傷を負ったようなヅダでさえ戦列を離れようとしない。右腕のライフルをひたすら放ち続けている。足に被弾し背後から切りつけられバック・パックが破壊される。満身創痍、だとしてもまだ右腕は残されている。ただただライフルを打ち続け、放ち続け、それはビームに撃ち抜かれるまで続けられた。
 逃げ場などない。帰るところなどないのだ。ここで引けばどちらも永遠に失われてしまうことをザフト兵は知っている。
 だからこそ彼らは傷つきながらも決して引こうとせず魔王への向かい突き進む。
 この気迫に押し出される形となって徐々にザフトの戦線は前進していた。それを支えるのはやはりガンダムである。ザフト軍の有するインパルス、及びセイバーガンダムが中心となった部隊が敵陣に食い込み、それに追従する形でヅダ、ゼーゴックが押し寄せる。
 彼らを支えるもの、それは様々だろう。ただ、一つの声を揃って聞いていることもまた事実だった。
 プラントの民であれば誰もが知っているその声は、激戦の最中にも関わらず詩吟かのように穏やかにさえ感じられるものだった。

「我々が戦争を望んだことなど一度もない」

 映像はない。しかし、戦闘に参加するほぼすべてのザフト機のコクピットにギルバート・デュランダル議長の声が響いていた。

「しかし我々は現に戦っている。それはなぜだろう?」

 パイロットの多くはまるで聞いていないかのように振る舞っていた。フェイス・ガードの奥で歯を食いしばり、時に叫び声をあげモニターに映る敵機へと突撃していた。

「その答えをわざわざ答える必要はないだろう。我々はいつだとて被害者であり、悲しみの涙を流すのはいつだとて我々だ。このプラントは二度も核の脅威にさらされ、街を焼かれた。長きに渡る戦争では100万を超える人命が損なわれた」

 しかし、耳にする兵士たちは確かに議長の言葉を聞いていた。聞いているからこそ、外面は無視しているかのように振る舞っているのだ。議長は鼓舞しようとしている、ザフトの兵に勇敢な戦士として戦うことを望んでいるのだと知っているのだ。
 議長の演説に応えるということは戦うことに他ならない。

「ではどうして我々は戦わなければならないのか? いや、なぜ戦いに巻き込まれなければならないのか?」

 戦争はすでに10年近くに及ぼうとしていた。4年、2年の空隙こそあったものの、プラント国内では今が戦時中であるという意識は途絶えることはなかった。その影響を最も受けたのがユニウス・セブン世代と呼ばれる若者世代だろう。物心ついた頃から彼らは血のバレンタイン事件の悲劇を聞かされながら育った。

「この答えは敢えて口にさせてもらいたい。それは我々がコーディネーターだからだ。我々コーディネーターは人類の未来を担う存在だ。能力に優れ、より理性的であり、それ故に戦争もしがらみもないジョージ・グレンが用意した新天地は新たな世界となるはずだった」

 地球人によって殺された無辜の人々の嘆きを聞き、地球の蛮行に怒りを覚えながら成長した彼らの中には今こうしてザフトとしてエインセル・ハンターを打ち倒さんと戦っている者もいる。

「しかし、目の前の現実はあまりにそれとかけ離れている。それはなぜか?」

 そんな彼らは自然とある言葉を口ずさみ始めていた。
 突出しすぎたために集中砲火を浴びたセイバーガンダムのパイロットは炎が蔓延するコクピットの中、自分に訪れた最期を自覚しながらも口にした言葉があった。

「地球に残された人類の嫉妬と無理解、それがすべての原因だと私は断言できる。人が新しいものを無条件に恐れるのは、変化することを本能的に恐れるからに他ならない。新しいものが自分にとって都合のよいものであるとは限らない。とするなら変化など起きて欲しくない、たとえ、それがどんな最悪な状況に身を置き続けることになるとしても彼らは新たな1歩を踏み出すことができない」

 コーディネーターは新しい人類であって、その優れた力で人類の新たな未来を切り開く存在である。そう、彼らは聞かされ、ゆえにそのことを知っている。プラントという新天地に、コーディネーターとして生まれたことに誇りを抱いていた。
 隊列を組んだゼーゴックが一斉にビーム・ライフルを発射する。そんな彼らの耳にも議長の声は届いていた。そして、彼らもまた、同じ言葉を口にしていた。

「ただ自分たちの現状、利益を守ることしかできない。その結果、新しいものを無条件に拒絶しようとする。それが、どれほどすばらしいものであったとしてもだ」

 この言葉は、多くのパイロットに無視された。なぜなら、議長からうかがうまでもなく周知の事実だったからだ。ナチュラルはコーディネーターをねたみ、それをブル・-コスモスに、エインセル・ハンターに唆される形でプラントと戦争をしているのだということは。
 だからこそ、パイロットたちは敢えて議長に応えることなく、ただ同じ言葉を繰り返していた。

「すでに傷つき、苦しんでいる君たちにそれでも敢えてお願いしたい。戦うことを諦めないでもらいたい。それは人類への裏切りに他ならないからだ。人類からすばらしい贈り物を奪おうとする悪意に屈することになるからだ」

 だから彼らは戦っている。プラントを守るということ、それはただ国を守り人々を救うことに限らない。人類の未来を守るということになるのだ。

「私は知っている。望まぬ戦いに身を投じ続けるザフトの精兵たちの戦いが決して無駄ではなかったということを。地球上では多くの国と地域が太平洋連邦の支配から解放することができた、あるいはその手助けとなったことは君たちも知ってのことだろう」

 そう、ザフトが地球へと降下したことは決して侵略ではない。解放のための戦いだったのだ。地球の言い分を真に受け、ザフトは侵略をしていたのだと信じ込まされていたプラントの人々は、そうではないと教えてくれたデュランダル議長に感謝している。今では地球降下、ジェネシスによる攻撃さえ正しいことであったのだと彼らは知っている。
 だからこそ、彼らは戦っているのだ。正しい戦いである以上、省みる必要もなければ躊躇することもない。また、同じように戦えばいいのだから。

「今こうしてエインセル・ハンターを追い詰めることができたのも君たちの功績に他ならない。やがては地球の人々も気付いてくれるはずだ。自分たちの過ちと誰が正しいのかを。そして、それは決して遠い未来の話ではないだろう」

 彼らは信じていた。プラントを救い、魔王を打ち倒し、そして、人類の未来を切り開くことができるのだと。
 信じるからこそ、彼らは同じ言葉を口ずさんだ。
 戦場のただ中で爆発するヅダがいた。切り裂かれたインパルスガンダムがあった。しかし、正確無比な攻撃で迫りくり敵機を次々と撃墜するセイバーガンダムがあれば、ルナマリア・ホークもまたこの戦いに加わっている。

「その存在のために多くの争いが引き起こされたことの反省として、我々コーディネーターは神を信じない。だからこのようなことを言うのは妙なことに感じられるかもしれない。しかし、悪が栄えるのだとすれば人の世がここまで長きに渡って続いていくことはできなかったことだろう」

 ルナマリアは議長の言葉を聞き流し、しかし脳裏に貼り付けながらパイロット・シートに座っていた。彼女もまた、同じ言葉を繰り返していた。自分に言い聞かせるかのように。

「正義は必ず勝つはずだ。そして我々が正しいことを我々は知っている。君たちはただそのことを胸に留めてもらいたい。ただそれだけで世界も、プラントも救われるのだから」

 ルナマリアのインパルスはライフル、シールドを失い、しかしその戦意は微塵も揺らぐことがない。ビーム・サーベルを両手に敵陣へと切り込んでいく。
 その戦い方は無鉄砲とさえ、半狂乱とさ言ってもよいものだった。ストライクダガーを切り捨てると、返す刀で襲い来るビーム・サーベルを受け止める。その次の瞬間には敵機を叩き切っていた。切断だとか優雅なものではなくビーム・サーベルが叩きつけられた勢いで胴が断ち切られたかのような荒々しさだった。
 極度の興奮状態に陥っているのだろう。ルナマリアは呼気荒く、うわごとのように聞き取りづらく、しかし戯言と片付けるにはあまりの熱のこもった声とともにモニターの敵を睨み付けていた。

「守るんだ……、私たちが! 議長も! ……新しい世界も!」

 そして、議長の言葉は最後の締めくくりへと入っていた。奇しくも、その言葉はザフト兵の多くが口ずさんでいたもの、ルナマリアがあらん限りの力で叫んだ言葉は共通していた。それはデュランダル議長がスローガンとして好んで使用する、いわば彼らの正当性、結束、誇りを象徴する言葉なのだから。

「勝利を我らに!」



[32266] 第34話「始まりと終わりの集う場所」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:3ce48bd8
Date: 2017/10/02 00:17
 コロニーを利用した大型屈折ビーム砲であるユグドラシルを巡る戦いは終始、ザフトが圧倒していた。しかし、同時に焦りを見せ始めているのもまたザフトであった。
 本国を焼かれまいと奮闘するザフトの士気は高い。しかし、残された時間も少ないのだ。すでにザフトは準備不足から2度の攻撃に失敗している。後1時間も待たずにユグドラシルは発射されプラントに甚大な損害を与えることだろう。
 ザフトの猛攻は続いているが、防衛戦は中心部に近づくほど密度を増し、戦況は次第に停滞し始めていた。そのこともザフトを焦らせている理由である。
 ビーム・サーベルを両手に構えたインパルスガンダム、ルナマリアの機体が敵のイクシードガンダムを十字に切り裂いてその残骸を蹴り飛ばした。

「邪魔しないでよ!」

 ルナマリアはすでに10機近い敵機を撃墜しているが、それでも敵の層は厚く、たやすく防衛戦を突破はさせてくれない。事実、ルナマリアもイクシード撃墜の直後、他の敵機からのビームを避ける形で後退せざるを得なかった。
 無理に一点突破を図ったとしても周囲の敵機がその穴を埋める形で攻撃を仕掛けてくる。エインセル・ハンターのもとへは残骸一つたどり着かないことだろう。
 時間が残り少ないにも関わらず、時間をかける必要があった。そのことがザフトを焦らせているのである。
 ルナマリアにしても当然だろう。ここで敵の作戦成功を許せば、故郷と仲間たちを焼き払われてしまうのだから。ひたすらユグドラシルを目指そうとする。
 その点、アスラン・ザラは冷静にさえ思われた。

「ルナマリア、あまり前ばかりでもだめだ。エインセル・ハンターがどんな抜け道を用意しているかわからない」

 アスランのヤーデシュテルンはルナマリアとは違い敵陣に飛び込むようなことはしていない。ただ、飛び出して来た敵機を狙撃していた。
 そのことは、ルナマリアには戦場の俯瞰に努める優秀な指揮官の行動に見えていた。

「あいつ逃がす訳にはいきませんもんね!」

 そう、ルナマリアもまた前ばかりでなく周囲の警戒をし始める。エインセル・ハンターのことだ。いつ仲間を見捨てて逃げ出してもおかしくないのだから。




 戦況はどこでも似たり寄ったりと言えた。シンたちミネルヴァの部隊もまた、敵の分厚い防衛に一進一退を余儀なくされていた。
 シンのメルクールランペが月面のすれすれを高速で飛行する。翼様のスタビライザーを備えるメルクールランペの飛行する様子は、まさに月に飛ぶ鳥である。多数の地球軍機が猟師をまねて銃口を向けるも、速さが違った。通常のモビル・スーツを狙い撃つ感覚で放たれたビームは黒い鳥の飛び去った後を数瞬遅れで吹き飛ばすことしかできない。
 次々と飛来するビームが月にいくつもの穴を開けていく。連射されたビームは銃身を熱し、冷却のための時間が必要となる。その好きにあわせ、シンは動いた。機体の手足、スタビライザーを駆使し、体の重心と角度を入れ替えると、ほぼ直角に機動を変えた。
 感覚的に考えて接近されるまで間がある。そう、地球軍のパイロットは考えていた。だからこそ、またたく間に距離を詰めてきたメルクールランペの存在をすぐに受け入れることができず、メルクールランペの西洋剣が自機を真一文字に切り裂く瞬間まで状況を把握することができなかった。
 この戦争はガンダムのための戦争である。誰かが言ったこの言葉を、メルクールランペはよく体現していた。白兵戦への攻撃力の依存度が増し、それを性能的に支えているのがガンダムと呼ばれる機体群であるからだ。
 しかし、シン1人の活躍で戦場を動かすことはできていない。仲間がやられたとみると、地球軍はすぐにメルクールランペに攻撃を集中しようとする。すると、シンとてやむなく距離を開けざるを得ない。
 先ほどからこの繰り返しなのである。シンが隙を見て敵機を撃墜し、敵機の注意が集中したところで距離を稼ぐ。この繰り返しである。
 突破の糸口は、まだザフトの誰もが掴めないでいた。
 このままではこの戦いに勝つのはザフト軍だろう。しかし、勝利を収めるのは地球軍である。
 当然、不安を口にするのはヴィーノ・デュプレであった。この少年だけがプラント本国に家族がいるのだから。

「なあ、シンにならエインセル・ハンターを止められるのか……?」

 たとえ、ザフトによる攻撃が失敗したとしても。

「……無理だと思う。俺の言うこと、あの人が聞く理由ないからな……」

 自分の考えが甘いものだとはヴィーノ自身、理解しているのだろう。シンに否定的な意見を聞かされても最初からわかっていたように振る舞った。何も様子が変わらなかったのである。ただ、搭乗するインパルスのビーム・ライフルを放ち続けていた。
 まだ話をする余裕があるのはシンとレイの2人だけだった。

「……でも、あの人を止めなきゃいけないことは間違いないんだ」
「ならば急ぐことだ。計算ではユグドラシル発射とザフトが防衛戦を突破するのとは微妙なところだ」

 しかし、地球軍の攻撃もまた激しい。
 レイのローゼンクリスタルのすぐ脇をビームが素通りしていった。

「今は話をしている場合ではないな!」

 3機のガンダム・タイプがそれぞれ、敵の攻撃に反応して拡散する。
 このままでは間に合わない。そんな焦りがシンを始め、多くのザフト兵の間で共有されつつあった。すると、焦りが失敗を招き、失敗がさらに時間を出血させていくという悪循環に陥っていく。
 実際、シンが見えている範囲でさえ、無謀な突撃の結果、集中砲火を浴びて撃墜されたヅダがあった。地球にくらべ遙かに弱い重力のせいで、火の塊となったヅダの残骸はスローモーションでもかけられたかのように間延びした印象で墜落していった。その様は趣味の悪い余韻を残す。
 だが、目で追うことでシンには見えたものがあった。

「隊長……!」
「何か道が見つかったなら行け。お前とエインセル・ハンターとの間にどのような因縁があるのか知らんが、今のザフトには糸口を必要としている」
「はい!」

 レイ・ザ・バレル隊長は詳細を聞こうとせず、ヴィーノには聞いている余裕などなかった。そのため、シンが実行に移した時、ヴィーノはためらいなく驚きの声を上げた。

「シン! 無茶だろ!」
「引き留めても無駄だ」

 メルクールランペはその加速力のまま、急降下を開始していた。そこに敵はいない。だからこそ、シンはそこを目指した。
 月面に走るクレバスである。それが天然のものなのか、それとも人為的に作られたものなのかシンにはわからない。しかし、上空から見たその深い谷は、敵の防衛網を突き抜けるようにその真下を通っているように見えた。
 ここを通り抜ければ戦闘を行うことなくユグドラシルへと、エインセル・ハンターのもとへと至ることができるとシンは考えたのである。
 そう、シンだけが考えた。
 クレバスは直線ではなく不規則にねじ曲がっている。壁に激突すればよくて大破は免れない。しかし安全に通り抜けられるよう速度を落とせば上空から狙い撃ちにされる。つまり、シンの壁に衝突するか上空から撃墜されるか、その二つに一つしかないと誰もが考えていた。
 そして、シンはクレバスへと進入した。
 メルクールランペの発するミノフスキー・クラフトの斥力が月の塵を吹き上げる。それほど谷は狭く、ここを飛行することは自殺行為と言っていいだろう。正面の崖をかわそうと動けば、すぐ次の崖が人間の反応速度では間に合わないほどすぐに現れる。その繰り返しである。
 しかしシンは速度を一切落とすことなく谷の中を飛行し続けた。崖をかわすさい、スタビライザーの切っ先が崖の表面をかすめた。即座に迫り来る次の崖は機体を回転させ身をひねるようにして回避した。そうして、シンはほとんど速度を落とすことなく谷の中を飛び続けている。
 上空では誰もがシンのことを無視しようと努めていた。どうせ崖に衝突して終わりだろう。わざわざ限られた手数を回す必要もない。そう、地球軍の誰もが確信し、やがて揺らいでいった。
 メルクールランペは速度を落とすこともなく、崖に激突することもなく、その翼を広げ飛び続けている。
 ぶつかるに決まっている。激突するはずだ。なぜ、崖に衝突しない。地球軍の中には思わず眼下のメルクールランペへと銃口を向けようとした者もいる。だが、そんなことをすれば目の前のザフト軍に対して無防備になってしまう。結局、もとの結論、どうせ抜け出せるはずがないと自身を納得させる以外に方法はなかった。
 そんな淡い期待をシンは裏切り続けた。
 シンは上空からクレバスの状態を確認していた。後は、意識の加速である。あらかじめクレバス内部の飛行の仕方を考えておいて、後はそれにあわせて体を動かすだけである。認識、あるいは確認の手間を省くことができるため、シンは外からは人間の反応速度を上回った動きをしているかのように見える。
 つまり、人間では突破不可能な峡谷を、シンは飛び続けた。
 もはや限界と地球軍の中からメルクールランペを狙う者も現れ始めた。
 だが、モビル・スーツの優れた射撃管制システムはメルクールランペを捉えることはできない。モビル・スーツの挙動を予測し正確な射撃を助けるシステムが、あり得ない動き、あり得ない速度のモビル・スーツがいることを前提とした予測などするはずがないからである。ただ無駄に崖を破壊し、無為に自身を危険にさらすだけである。
 そして、メルクールーランペは、シンはついに谷を通り過ぎた。
 その時、シンは何かが煌めくのを目にし、ほとんど無意識にメルクールランペの剣を振るわせていた。
 大気がない、つまり音を伝播することのない月で刃と刃とが無音のまま激しく衝突した。
 身を翻し後ろ向きに着地するメルクールランペ。谷を飛び抜けた勢いを月面に轍を刻み相殺する。
 すでに防衛線は突破している。ここに敵の主力が控えているはずもなく、シンと対峙するのはたった1機のモビル・スーツだった。
 緑を基調とした機体だった。インテンセティガンダム・タイプの機体であり、背負ったバック・パックが甲殻類を思わせるのが特徴的である。バック・パックにそれぞれアームで連結された一対のシールドを持つことからもわかるようにビームを屈折させる特殊機構を有する防御力に優れた機体である。
 この鎌を構える緑の死神を、シンはこれまでに目にしたことがあった。

「この機体……」

 間違いなかった。シンがまだミネルヴァに乗る前のこと、建造途中の怪しげなコロニーを襲撃した際に遭遇した3機のガンダム、その内の1機なのだから。あの時、シンは為す術もなく逃げ出すしかなかった。
 シンが否応なく緊張感を高めている中、しかし敵のガンダムは跳びかかってくる気配を見せなかった。
 通信から少年の声が聞こえてきた。

「聞こえてんだろ、シン・アスカ?」
「君は……?」
「アウル・ニーダ。お前にはダチが世話になった!」

 いきなりのことだインテンセティは鎌を叩きつけんばかりの勢いでシンへと襲いかかった。とっさに西洋剣で防ぐと、両者の刃は火の粉を散らし弾き合う。ともに高周波で振動する刃なのだろう。だから切断されることなく触れあうだけでも火花を散らす。
 一撃で終わるはずはなく、鎌による攻撃は次々に繰り出される。シンはすべて西洋剣で受け止める。

「お前もあのコロニーにお前もいたんだろ? どっちだ? スティングに追い払われた方か? それとも俺に切り刻まれた方かよ!?」
「それじゃあ、お前も……。答えろ! あのコロニーはこの兵器の一部だったんだな!?」
「ああ? 屈折コロニーを建造途中に偽造してたの知らねえってことはまぐれかよ? どうりで弱っちい奴らだと思ったぜ!」

 インテンセティガンダムが突如放ってきた蹴りがメルクールランペを捉え弾き飛ばす。月面を軽やかに浮き上がった漆黒のガンダムの体は月面を滑り、しかしそのコクピットの中でシンはかすかな笑みを浮かべていた。

「エイブス隊長、あなたの言ってたこと、間違ってませんでしたよ……」

 家族のもとに帰ることのできなかったかつての隊長は、建造途中のコロニーを疑い威力偵察を敢行したのだから。
 だがそんなことはアウルにはどうでもいいことと言えた。ミノフスキー・クラフトをまばゆいばかりに輝かせ、シンを追って飛び出した。迎え撃つシンの横薙ぎをインテンセティは浮き上がるようにかわすと、メルクールランペの頭上で逆さまのまま鎌を振り下ろした。
 シンはすんでのところでかわしたものの、低重力とは言え上下逆さまにも関わらずアウルは直立するシンよりも安定した感覚を見せていた。無理な姿勢をしていたにも関わらず完全な着地をきめ、戸惑うシンをよそに追撃に移ろうとする。

「俺たちには特別な力がある。空間を三次元的に把握するって奴がな。ユグドラシルを制御するためには必要な力だ! 俺たちは調整してたんだよ! これで満足かぁ!」

 叫ばんばかりの言葉とともに叩きつけられる鎌の一撃はメルクールランペの体勢を崩す。だが、シンも負けることはできない。

「邪魔を、するな! 俺はこの先にいかなきゃいけないんだ!」

 強引に引き戻す勢いのままに叩き降ろされた一撃は鎌に受け止められつばぜり合いの体勢のまま、膠着する。振動する刃はただ触れあっているだけで火花を散らす。
 黒い天使と鎌持つ死神とがにらみ合う。

「エインセルのおっさんに仕返しするためだろ? だったら付き合えよ、俺の復讐にもな。知ってんだぞ、お前の母さん、エインセルのおっさんに殺されたんだろ」

 アウルの言葉に、シンは自分でも驚くほど動揺を見せた。

「俺は復讐のため……、いや……」
「何言ってんだよ!?」
「わからないんだよ! 何をしたいのかなんて!」

 何が切っ掛けだったのか。両機はお互いを弾き飛ばすように飛び退くと、月の荒野で対峙する。

「俺にとって母さんが何だったのかわからないんだ。だから、何をしていいかもわからないし、復讐なんて言えるのかどうかもわからないんだよ!」
「はあ? 馬鹿か!? 母さんなんだぞ。子どもにとって母親は世界一馬鹿なお人好しだろ。どんな時だって味方してくれる人だろうが!」
「わからないんだ!」

 再び激突する2機。両者は徐々に意識を加速し始めていた。激突する剣と鎌とが人の反応速度を超えだした。シンもアウルもいちいち攻撃が当たったこと、回避したことの成否を確認などしない。ただ自分で予測した通りに操縦し、その通りに現実の戦いは展開していった。
 意識下での認識作業を省くため、天使と死神、2機のモビル・スーツの動きは人の認識を自然と超えることとなる。
 そして、両者は再び離れた。
 まだ意識の加速が完璧でない2人は加速させられる時間にも限界がある。2人が同時に離れたということは、シンとアウルの実力が互角であることを意味する。
 まるで息を止めて殴り合っているかのようなものだろう。アウルは深呼吸でもしたかのような間を置いて再び機体を突撃させる。

「あ~、訳わかんねんよ! てめえ、何考えて生きてんだ?」

 シンもまたメルクールランペを動かした。

「君の母さんと君がどんな関係だったかなんて知らない! だけど、俺とは違うってことくらいわかる!」

 メルクールランペの剣とインテンセティの鎌、それはでたらめに振り回されているかのように衝突し続ける。

「お前がコーディネーターだからか?」
「そうだよ!」
「馬鹿じゃねえの?」
「何だと!?」

 思わず意識の連続が途絶えたのだろう。インテンセティの膝蹴りがメルクールランペを蹴り上げた。70tもの機体が浮き上がるほどの衝撃にはシンの体を突き抜けた。それでもアウルは攻撃の手を緩めない。不自然に浮き上がるメルクールランペへと、正確な一撃を見舞う。
 剣で受け止める。それがシンにできたせいぜいのことだった。アウルはすぐさま攻撃に転じ、後ろ回し蹴りが再びメルクールランペを弾き飛ばす。

「俺、さっきから聞いてるよな? お前と母さんの関係はどうなんだってよ? なのになんだ? お前が生まれる前のことばっかじゃねえか!?」

 突き出された鎌の先で、シンは何も言い返すことさえできず、何もできないでいた。未だに答えを持たず、その戸惑いだけが心を支配しているからだ。
 そんなシンを、アウルはただ吐き捨てた。

「けっ!」

 アウルには今のシンがただの馬鹿にしか見えないのだろう。わかりきったことを前にいつまでも悩み答えを出すことのできないのだから。

「終わらせてやるよ、親不孝者がよぉ!」

 インテンセティガンダムのバック・パックが輝きを放つ。ミノフスキー・クラフトの強度を高めたことで余剰推進力が光に転換されそれだけまばゆく輝くことになる。
 これで勝負を決めるつもりなのだ。
 鎌を振り上げた死神をかたる鋼鉄の塊が急激な勢いでメルクールランペへと接近する。
 アウルには見えていた。自分がどのように動き、相手がどのように動くのかを。そして、シンをスティング・オークレーの仇として終わらせるつもりでいた。
 シンにも見えていた。これまでの戦いで培った知識と経験から。しかし、目標を設定できる段階にはなかった。

「てめえはスティングの仇だ!」
「わからないんだよ!」

 天使と死神の戦いは一瞬で終わった。常人には単に両者がすれ違ったようにしか見えなかったが、その一瞬で交わった刃が腕を斬り飛ばしていた。宙を回転しながら浮遊する鎌と、その柄を掴んだまま切断された両腕。そう、インテンセティの腕だった。
 微重力の中を鎌が落ち、インテンセティガンダムは大きく体勢を崩したまま月面に突っ込んでいた。その両腕は肘の先から切断され、墜落の衝撃もあるのだろう。辛うじて起き上がろうとする機体の動きは鈍い。

「何で俺が負けるんだよ……?」

 メルクールランペは機体に損傷はない。ただ、コクピットの中でシンは息を切らせていた。緊張が思いの外、シンを疲労させていたらしかった。

「焦りすぎだ……。お前、自分の予想と違うことしたな……? わかってたんだろ、ここで倒せないってことくらい……」
「てめえは仇だ! 俺がやらなきゃならねえんだよ!」
「そうやって復讐を優先して、予想と違うことをしたんだろ……」

 それではどれほど正確に予測ができていたとしても意味がない。そんなことを、かつてアウルは聞かされていた。真紅にそう諭され、復讐に囚われることを戒められていた。

「真紅の言ってたの、このことかよ……」

 自分に負けた。これほどこの言葉が相応しい状況もないだろう。
 アウルは機体の状況を確認する。全天周囲モニターには稼働こそ可能なものの、両腕を失い、墜落の衝撃でフェイズシフト・アーマーに損傷も生じていた。戦えることはできる状況だが、万全にはほど遠い。
 何より、アウルは自身の不手際を嘆いている、いや、苛立っているらしかった。コンソールを叩きつける手、その瞳には涙さえ浮かべている。

「……殺せよ」

 悪足掻きをすることなく討たれるつもりでいたアウルを、しかしシンは背中を向けた。

「おい、どこ行くつもりだ?」
「俺の目的はエインセル・ハンターに会うことだ。君を殺す意味なんてない」
「戦争だろうが!」
「だから命を失わなきゃいけない人は最低限にしなきゃいけないんだ……!」

 メルクールランペは背中のフィン・スタビライザーを翼のように広げ、本当に飛び立とうとしていた。
 アウルの声には焦りさえ含まれていた。

「俺を生かしとけばまたお前を狙うぞ!」
「君の仇をとろうと他の誰かが来るだけだろ」
「お前だって同じだろ! エインセルのおっさんを殺せばヒメノカリス姉ちゃんがお前を殺すぞ、絶対にな! あの人にとってエインセル・ハンターがすべてなんだよ!」
「わからないんだ……。どうしたらいいのか……?」

 シンとアウルの関係は、最初から何も変わっていなかった。自分の考えを確かに持っているはずのアウルと、自分が何も考えを持っていないことを確信しているシン。
 しかし、勝利を収めたのは迷いを持つ者の方だった。この事実はアウルを揺るがせるには十分なものだと言えた。

「何なんだよ、お前……。じゃあ、何のためにエインセル・ハンターに会いに行くんだよ……?」
「それを知るためだと思う。それに、人が人を焼いちゃいけないってことだけは、わかるんだ……」

 黒い天使葉は翼を広げ飛び立った。魔王と呼ばれた男のもとへと。




 ゼフィランサス・ナンバーズ。
 ガンダムを創り上げたゼフィランサス・ズールが最初に手がけた3機のガンダムの総称である。大西洋連邦はこの機体を参考にGAT-X105ストライクガンダムをはじめとしたGATシリーズを完成させ、このGATシリーズが量産型のモビル・スーツの基となった。つまり、すべての地球のモビル・スーツの基となった機体軍であると言える。
 しかし、この兵器は兵器としては完全な失敗作と言える。
 生産性を一切考慮されていない。まったく未知の技術、確立されていない理論を用いることを前提としたものであり、そもそも常識的に考えたなら完成さえおぼつかない机上の空論でしかない。
 量産を前提としていない。機体のコストは量産機の数十倍にも及び、大西洋連邦でさえゼフィランサス・ナンバーズによる大隊を構成するだけで軍事費の枯渇を招きかねない。
 操縦性があまりに稚拙である。人というものをまるで理解していないのだから。大西洋連邦軍のどのようなパイロットでさえ満足に動かすことができなかった。人の限界を超えた者にしか操縦できないことは、人が扱うことが前提であるはずの兵器の根幹が充足されていないことを意味する。
 完全な欠陥兵器、それこそがゼフィランサス・ナンバーズと言えた。
 まさに子どものおもちゃだ。子どもがスケッチ・ブックに殴り書きにしたスペックを、子どもが口にしそうな天文学的なコストで生み出された存在だと言えるのだから。
 本来であればこのような兵器が存在するはずがなかった。
 しかし、C.E.61年2月14日、この運命の日こそがすべての始まりだった。Zのヴァーリであるゼフィランサス・ズールと、3人のムルタ・アズラエルが出会ったその時、すべてが動き始めた。
 想像外の構想の持ち主と、それを実現させる力を持つ財団との出会いがすべての始まりだった。
 ゼフィランサス・ナンバーズの内、すでに1機はヤキン・ドゥーエ攻略戦において消失している。残るは2機、ZZ-X300AAフォイエリヒガンダム、ZZ-X200DAガンダムトロイメントである。
 そして現在、月面にはフォイエリヒガンダムが運び込まれていた。
 通常のモビル・スーツの半倍にも近い25mもの巨体に黄金に輝く装甲。それが鬼才ゼフィランサス・ズールによって生み出された最強のモビル・スーツ、その1機なのだと知らない者であっても思わず目を奪われることだろう。
 フォイエリヒガンダムは現在、月面基地の地下に収容されていた。ドーム状の大空間に立ち並ぶ柱。まるで神殿を思わせるその中に安置された神像そのものと言える。
 それを見下ろす形でもうけられたモニター・ルームには2人の影があった。軍事施設でありながら、その2人は軍人というよりも実業家とその秘書にしか見えない。白いスーツを身につけた男子と、そのすぐ後ろに仕える眼鏡姿の女性、エインセル・ハンターとその妻であるメリオル・ピスティスである。
 エインセルはガラス越しにフォイエリヒガンダムを見ていた。

「メリオル、ここはまもなく戦場になります。離れるよう、言っておいたはずですね?」
「嫌です!」

 エインセルの背中へとメリオルはすがりついた。これまでメリオルが見せることのなかった狼狽ぶりであった。

「私には世界のことなんてどうでもいい! この戦争の責任を誰かがとらなければならないというなら! それは、あなただけの責任ではないはずです……!」

 メリオルの涙はエインセルの背中に染みこみ消えていく。

「お願いです……! 私と一緒にいてください」

 エインセルは大窓に手をつきフォイエリヒを見下ろしたままであった。

「メリオル、わかってください。これは償いなどではありません。ただ必要なことをする、それだけのことなのです」
「では、どうしてシン・アスカに興味を持つのですか? あの子の母親を殺めてしまったことの償いをされるおつもりなのでしょう?」
「違います。シン・アスカ、この少年は自身の生い立ちに悩んでいます。父を持たず、母の思いを疑わざるを得ない身の上であるからです。私には母がいません。父はいましたが、彼は私を愛してはいなかったことでしょう」

 アル・ダ・フラガ、そのクローンにドミナントの技術を使用することで生まれた存在、それが、今はエインセル・ハンターと名乗る存在であった。ただ高性能な人間たれ、それだけを望まれ、しかし、その父の歪んだ願いをエインセルが叶えた時、彼はエインセル・ハンターを愛することはなかった。
 シン・アスカ、その母であるマユ・アスカは夫をもつことなく子を望み、その子をコーディネーターとして産んだ。シン・アスカは優秀な学生であり、ザフトでは赤服を受領するほどのパイロットとなった。しかし、すでに母は命を落としている。
 では、答えはどこにある。子を愛さなかった父はいた。では、母もまた子を愛さなかったのだろうか。

「あの少年はあなたとは違います! どんな思い入れがあると言うのですか? 彼には精子提供者の父親がいます。あなたとは違うのです……」

 メリオルの声は非常に不安定なものであった。怒鳴るほどの勢いがあったかと思うと、すぐにしぼみ聞き取れないほどになってしまう。
 しかし、エインセル・ハンターだけは普段と何ら変わる様子を見せない。

「遺伝子を提供しただけでは父親にはなれません」
「・・・・・・誰なのかご存じなのですか?」
「いいえ。確かにシン・アスカについては調べましたが、単なる遺伝子提供者には興味が持てません」
「では……、なぜですか? どうして彼でなければ、今でなければならないのですか……?」
「私は、敵であって敵でない者に、復讐者にして復讐者でない者に、何より愛を知る者に倒されなければならないのです」

 エインセルがポケットからハンカチを取り出すと、振り向くなり妻の涙を拭う。しかし、メリオルは涙で汚れた顔を夫に見てもらいたくなかったのだろう。つい顔を伏せてしまう。そんなメリオルのことを、エインセルはそっと抱き寄せた。

「メリオル、私たちが夫婦になって14年になります。プロポーズの言葉を覚えていますか?」
「もちろんです。家族になりましょう、ただこれだけでした」
「ええ。後にムウとラウからは叱られました。愛を囁くにしてはあまりに味気ないと。ですが、これが私の正直な気持ちでした。私は家族が欲しかったのです。あなたとなら作り出せる、あなたと作りたいと考えていたからです」

 そう微笑むエインセルの表情は柔らかい。普段見せる作られた笑みとは違うものだ。

「母はなく父に認められなかった私は、家族が欲しかったのです。ですが、ことは簡単ではありませんでした。私は現代の女性と子どもをもうけることができません。我々は子どもに恵まれず、精子バンクに登録したことも私の若さ故の過ちなのでしょう。それでも、私は家族を得ることができました。あなたとヒメノカリスが私の家族です」

 魔王と呼ばれ恐れられるとともに憎まれる。しかし、そんな男を慕う者も決して少なくはない。自分自身を狩る者、そう自ら名乗る男をどう評価すべきか、後の歴史家たちは頭を悩ませることだろう。そんな彼らは魔王と呼ばれる男が何を求めていたのか、そして、家族にどのような表情を見せていたのかを彼らは知ることができないのであればなおさらだ。

「14年前、ユニウス・セブンでのゼフィランサスとの出会いがすべてを変えました彼女は我々に目的と手段を与えてくれました。その時、私はいつかあなたを置き去りにする日が来ることを理解しました。この残酷な無責任を責めますか? あなたにはその資格があります」

 メリオルはエインセルの腕の中でまず目を見開いた。驚愕か、あるいは絶望か。夫の覚悟を曲げることなどできないことは、とうに理解していたはずだった。たとえどれほど泣いて見せたところで、エインセルはメリオルから離れてしまう。そのことを理解しているはずのメリオルだったが、涙は自然とこぼれ落ちた。

「……いいえ、そんなこと……できません……」

 これが、愛する男に送る精一杯の言葉なのだろう。理解はしていても納得はしていない。本当ならば自分と一緒に逃げてもらいたい。それでも、夫の足手まといになることもまた望んでいない。
 そんなせめぎ合いの中でメリオルは辛うじてエインセルを立てることを選んだ、それだけのことだった。

「ありがとう、メリオル。あなたは私にはもったいない女性でした。これ以上、私はあなたの傍にはいられません。しかし、私とあなたが夫婦であるという事実はたとえ世界が終わっても変わることはありません。わかりますね」

 エインセルは抱き寄せた時と同様、優しく妻への抱擁をといた。歩き出すその姿は普段と変わらないようにさえ見える。すべての支えを失ったメリオルは腰から座り込むと、もはや夫を見送ることもできずに涙を流すしかない。
 時が近づいていた。

「メリオルを頼みます」

 そう、扉の脇に待機していた兵士に声をかけると、兵士は頷いた。

「この命に代えましても」
「ありがとう」

 この日、過去と未来とが邂逅する。



[32266] 第35話「今は亡き人のため」
Name: 後藤正人◆ced629ba ID:3ce48bd8
Date: 2017/11/12 13:06
 エインセル・ハンターは待っていた。
 黄金のガンダムがホールにたたずみ、その胸部の上にスーツ姿のまま座っている。その様はまるで、昼下がりの公園でくつろいでいるようでさえある。その見上げる視線の先には天井しかないが、そのさらに上では今もなお戦いが繰り広げられていることだろう。
 ここにはフォイエリヒガンダムがある。それはつまり、プラントを狙う大量破壊兵器であるユグドラシルのコントロールがあるということに他ならない。ザフトにとってもはやフォイエリヒの破壊は国是とも言うべき大事であった。
 だからやってくるのだ。ここにはザフトが。
 そう、エインセル・ハンターは待ち構えていた。
 このホールへと繋がる巨大な扉が真一文字に切り裂かれた。月の微重力は思いの外、物体をゆっくりと落下させる。さも劇的な演出を狙って時間を間延びさせたかのように。そうであるかのように、扉はゆっくりと倒れた。
 そして黒い天使は姿を現す。
 背負われた大型のフィン・スタビライザーは翼、その手に持つ西洋剣は悪魔を滅ぼす天の剣。その身を包む漆黒の鎧は地獄をくぐり抜けてきたことの穢れだろうか。だとすればそれは天使だった。
 地獄の底で黄金の玉座に座する魔王を打ち倒すことを使命とした天使だった。
 天使は剣を床へと突き立てた。魔王の前へと歩み出ると、18mの天使が魔王を見上げる構図となる。
 メルクールランペが胸部コクピットのカバー・ハッチを開いた。上向きに開かれたコクピットからザフトのノーマル・スーツを身につけたパイロットが歩み出た。
 魔王は見下ろし、ザフトのパイロット、シン・アスカはヘルメットを外しその眼差しを受け止めた。
 魔王は静かな顔をしていた。人のすべてを知り尽くし、そのすべてに飽きてしまったかのように。
 少年は惑った顔をしていた。決意を迷いとをない交ぜにし、まだ何もわからないかのように。
 ここに、天使は魔王と、少年は魔王と出会った。




 戦いは続いている。
 攻めるザフト軍の士気は高く終始、攻勢を強めていた。しかし被害も少なくはない。準備不足のままユグドラシルの阻止を優先した作戦行動はもとより無理があったのだ。
 各所に設けられた無人の高射砲はめまぐるしい数の曳光弾を暗い空へと打ち上げており、突破を目指すザフト機に少なからず損害を与えていた。上空では展開した地球軍の戦艦が砲台となり砲弾をばらまいている。
 戦艦にしろ砲台にしろ、単に破壊するだけならモビル・スーツには造作も無いことである。しかし、時間をかけては相手の思うつぼである。どうしても無茶な突破をせざるをえず、そのことがザフトの戦力を余計に消耗させているのだ。
 そしてもう一つ、ザフトには拭いきれない油断があった。地球軍はエインセル・ハンターに煽動されているにすぎないという思い込みである。命がけで戦っている者など限られる。少し戦況が悪化すればエインセル・ハンターを見捨てて逃げ出すはずだという意識がザフトの根底にはあった。
 しかし、ザフトが防衛線を突破していく度、地球軍はかえって抵抗を強化していった。
 白いウィンダムがゼーゴックを一刀のもとに切り捨てる。ヒメノカリスは父がプラントを焼き払い脱出するまで戦線を維持するつもりでいた。

「お父様は、やらせない!」

 ノワール・ストライカーに装備されたレールガンが火を噴く。それはヅダを正確に捉えそのコクピットを正面から吹き飛ばした。
 ウィンダムに対し、ザフト軍は対処に苦慮していた。戦闘に時間をとられては元も子もない。しかし、無視するには手練れである。そう判断に悩むこと自体、彼らに残された時間を致命的に損耗させた。
 降り注いだビームがザフトの小隊をまたたく間に焼き払ったのである。
 ザフト軍は着実に前進している。しかし、その速度に比例する形で損耗していることも事実だった。
 本来ならもっと楽な戦いができるはずだった。ザフト軍の猛攻にさらされた地球軍は慌てふためき、我先に逃げ出すはずだったのだから。そして、逃げ遅れたエインセル・ハンターを捕らえる、あるいは殺害してしまえばこの戦いは終わるのだ。
 しかし、現実はいつまでも減らない抵抗にザフト軍の方が被害と焦りをつのらせている状況だった。
 ルナマリアの部隊も対空砲をかいくぐり到着した。

「どうしてなのよ! どうして平和への思いを邪魔したがるのよ! ユニウス・セブンで20万も殺しておいてまだ殺したりないの!」

 ルナマリアが白いインパルスに斬りかかったのは何のことはない。ただ目立ったからだ。まさかそこに地球軍の狂気の象徴と見いだした訳ではない。
 両手にビーム・サーベルを構えるインパルスガンダム、対峙するウィンダムもまたノワール・ストライカーからビーム・サーベルを抜き放つ。ビームとビームの衝突がスパークを発生させ、両者の激突をまばゆく彩る。

「あたしたちは負けない! 絶対に勝つんだ! あんたたちなんかに世界を踏みにじらせなんかしない!」
「お父様の敵なら、私の敵。死になさい!」

 戦いは続く。




 前線と後列とでは温度差が見受けられた。最前線のザフト兵にとって地球軍は悪魔のような男に命までかける得体の知れない存在であったが、戦場を眺めると必ずしもその印象は正確ではなかった。
 ザフト軍に突破された防衛戦では地球軍の撤退が始まっていたからだ。
 ちょうど戦闘空域の外側にいたザフトの軍艦からはそれが確認できた。
 年配の艦長はその恰幅のよい体つき同様、ゆったりとした口調でそのことを口にしていた。

「ふむ、地球軍の離脱が始まっておるようだな」

 何隻もの地球軍の軍艦がこの基地から離脱しようとしていたのだ。しかしその動きは統制がとれていて、逃げ出しているというよりはそれこそ離脱していると言った方がよいだろう。ザフトに突破された、つまり役目を終えた場所から兵を逃がしているようにさえ感じられた。
 もっとも、そう考えているのはこのブリッジの中でも少数なのだろう。事実、副艦長は文字通り鼻で笑うと言えるほど荒い鼻息をしていた。

「ナチュラルなんてコーディネーターが妬ましくて騒いでるだけですから。エインセル・ハンターもしょせんは道化でしょう。どうやら見捨てられたようですね」

「だがそうにしては部隊の連携がとれている。まるで離脱することが予定されていたかのようにな」

 皺だらけの指を突き出し、モニターに映る軍艦の隊列をなぞるように確認している。この艦長の仕草は、まだ若年層が多いブリッジ・クルーからは奇異にさえ見えたのだろう。中には思わず笑い出してしまい慌てて口を押さえる者さえいた。
 副艦長は、それに比べれば冷静な方だと言えた。

「艦長、お言葉ですが最近の艦長のお言葉は精彩を欠いています。我々コーディネーターに比べナチュラルが劣っていることは明白です。コーディネーターを基準にナチュラルを捉えては実態を見誤ることになります」

「私の歳を知っているかね? そろそろ60に手が届く」

「それは、おめでとうございます……」

「ファースト・コーディネーターであるジョージ・グレンがコーディネイト技術について発表したのが59年前の話だ。わかるかね? つまり私は正真正銘の第1世代のコーディネーターということになる。両親が熱心なジョージ・グレンの支持者でね、子どもに真っ先に遺伝子調整を望んだそうだ。プラントができた時には真っ先に送り出してくれた」

「先見の明あるご両親ですね。誇らしいのではありませんか?」

「何を言っとる? 両親はナチュラルだ。ナチュラルはコーディネーターに嫉妬するだけの存在なんだろう? 2人とも腹の底では私への妬みに凝り固まったまま死んだはずだ。違うかね?」

「お亡くなりになったのですか……?」

「ああ。10年前、我々プラントがニュートロン・ジャマーを投下したことでね。アイスランドに住んでいたんだがまだ寒い季節だった」

 地球に無警告で投下されたニュートロン・ジャマーの存在は当然、プラント国民に対しても極秘とされた。この艦長は知らなかったのだ。新たな母国が両親に危害を加える準備を着々と進めていることなど。

「私もすぐに両親の元に向かうつもりだったが、インフラが壊滅している状況だった。すぐには無理でな。ようやく降りられたのは3年も経った後だ。最寄りの駅前にうまいパイを出す店があってな。母は甘いものに目がなくてね、帰省の度に一緒に行こうと急かされた。私はどちらかと言えば甘いものが苦手だったが、無下にもできなくてな。プラントの話をしながらコーヒーで流し込んどった。父とはよく釣りに行ったもんだ。父と一緒に始めたんだがほとんど手探りだった。いろいろな餌を試したが、乾燥したすり身を使った時は失敗だった。匂いがないらしくてな。なんとも魚の食いつきが悪かった」

 何でもない話だ。ただ、艦長が帰省した時どんなことをするのか、そんな世間話を聞かされているにすぎないのだから。しかしそんな話に、クルーの多くは戦闘中であるにも関わらずつい手を止めていた。

「他愛もないことだろう? だが、そんなどうでもいいことが楽しみでもあった。すべて変わってしまったがね。電気が使えなければ火で暖をとるしかない。しかし、それではいつ火事になっても不思議ではないだろう。駅前の店も煤けた柱が残っとるだけだった。いつも行っていた池には貴重な化石燃料を使ってまで連れてってくれる船がなくてな」

 今ではどうなっているかわからない。そう告げる艦長の顔は普段と何もかわっていなかった。10年の間、両親を殺されたことをおくびにも出さずに国に仕え続けた男にとってそんなことは簡単ことだったのだろう。

「近所に住んでた人から聞いたんだが、両親は抱き合ったまま凍え死んどったそうだ。議長は我々はいつも被害者だと言っておられたが、まさにその通りだ。エイプリルフール・クライシスで家族を殺されたプラント国民は決して少なくないだろうからな」

 その時、艦を衝撃が揺さぶった。破損した味方モビル・スーツがどこかに衝突したのだ。ブリッジの空気は一気に戦いの匂いに染まっていく。

「ほれ、何しとる。ここがふんばりどころぞ。故郷を理不尽に奪われることがどれほど惨めか、知りたくもないだろう?」




 戦いの音は聞こえない。ここは静かだった。
 玉座の間とも言うべき場所なのだろう。現在でも城壁では戦いが続いているが、そんな喧噪とは無縁の場所である。
 月の地下にあり、並び立つ幾本もの柱。人々を焼き尽くす光の柱を導く力は黄金の玉座に宿っている。魔王と呼ばれた男はフォイエリヒガンダムに腰掛けたまま、王に会うべく出向いた若者と対峙していた。
 シンはコクピットハッチの縁に立ったまま、ただエインセル・ハンターを見上げていた。

「その……、来ました……、俺は、来ました!」

 何を言っていいかシンにはわかていない。ただ、沈黙に耐えられるほどの気概も持てなかっただけのことだった。
 そんなシンへと、エインセルは誰に対してもそうするように微笑みかけた。

「あなたが最初に来るとは、さすがに考えていませんでした。では問いましょう。あなたはなぜ、ここに来たのですか?」

「俺は、ザフトです。作戦目標を設定されたらそれに従うまでです」

 そうは言っておきながら、シン自身、詭弁に過ぎないとわかっていたのだろう。手にするヘルメットに視線を落とし、しかしすぐにエインセル・ハンターを見つめ直す。

「やめてください。戦争で人が死ぬことはあっても、けど、市民を狙うような攻撃、しちゃいけないはずなんです!」

「同感です。この攻撃が成功したならプラント市民の犠牲は50万人を超えると試算されています。しかし政治中枢はすでにゴンドワナ級に移設されたことは確認されていることに加え、居住プラントの破壊に戦略的価値はありません」

「じゃあ、どうして!?」

「事実が必要なのです。魔王が最終兵器を持ち出してプラントとの決着を図ったとする事実が」

「俺、難しいことなんてわかりません。あなたがどうして俺に力を与えたのかも」

「敵であって敵ではない者に、復讐者にして復讐者ではない者に、何より愛を知る者に私は倒されなければならないからです」

 エインセル・ハンターと対峙するだけでシンは極度の緊張を強いられていた。黄金の男は何も答えていない。それでいてシンのすべてを見透かしたような静かな気迫を纏っていた。
 シンに道を示すことはなかった。何が正しいと一度もシンを導くことも煽動することもなかったのだから。
 また、シンにすべてを許すこともなかった。シンに母の弔いをといたのは他ならぬエインセル・ハンターなのだから。
 エインセル・ハンターは立ちあがると、その体を浮き上がらせた。呼応するかのようにフォイエリヒガンダムが動きだし、エインセルを追いかけ浮かび上がる。すると、そのままエインセルの体をコクピット内へと取り込んだ。
 その時のことだ。先ほどまでシンがエインセルから感じていたプレッシャーが、今はフォイエリヒから直接放たれているかのようだった。剣の達人と対峙した時、まるで剣そのものと戦っているかのように錯覚させられることがあると言われる。そうだとすれば、エインセル・ハンターこそがガンダムなのだと言えた。

「これがエインセル・ハンター……」

 シンは思わず気圧されたが、すぐに気を持ち直す。恐怖を振り払うように首を振ると、そのままコクピットへと滑り込んだ。全天周囲モニターが立ち上がり目の前に黄金の輝きが広がる。
 これまで、シンはフォイエリヒガンダムと二度の戦いを経験した。最初の戦いは小惑星フィンブルの地球落着の時、しかしこの時のパイロットがエインセル・ハンターではないとシンは確信している。二度目はダーダネルス海峡での戦いだった。その時、シンは文字通り手も足もでなかった。
 そして今、シンにはゲルテンリッターがある。
 戦いは、始まった。
 月面では戦闘が続いていた。地球軍の撤退に伴い、徐々に規模こそ縮小しているものの、それは戦闘が行われている場所が小さくなっているだけであり、いまだに戦闘が行われている場所ではその激しさは何も変わらない。
 月の荒野のその上でビームの輝きがいくつも交差し、爆発が何輪もの花を咲かせていた。
 そして、月に光の十字架が描かれた。
 それは何のことはなく地下で放たれたビームが地表を突き破り現れたにすぎない。しかし、これだけの光の十字を描くにはおびただしい量のビームを必要とする。それだけの出力を誇る何かがそこにはいることになる。
 光の十字の中から2機のモビル・スーツが飛び出した。黄金のガンダム、そして、黒い翼のガンダムである。
 その光景はひどく現実離れしていた。
 全長25mもの巨大なモビル・スーツが8本もの光の剣を振り回す。その様は異形の怪物がその暴威のままに暴れ回っているようである。
 そして、対決するのは黒い天使。装飾さえ施された西洋剣を手に黄金の悪魔へと降下しては切り結び、再び月の空へと舞い上がった。
 このコズミック・イラの世に天使と悪魔が戦っている。神を信じぬプラントの民でさえその光景は思わず目を奪われるもののであった。ほんのわずかな時とはいえ、この戦場のすべての人が戦う手を止め天使と悪魔の戦いに見入った。
 一瞬、戦いが止まったのだ。
 しかし、シンはそのことに気付いていなかった。それだけの余裕がなかったからだ。

「エインセル! ハンター!」

 意識を加速させる。インパルスガンダムとは比べものにならない加速力でメルクールランペが接近すると剣を振り下ろす。しかし、フォイエリヒは素早くこれをかわすと8本のビーム・サーベルで月の地表を撫でた。ビームによる圧倒的な熱量が爆発を引き起こし爆煙がまたたく間に2機の姿を覆い隠す。だが、すぐにメルクールランペが上空へと煙を抜け出すと、しかし見下ろす煙の中にフォイエリヒの姿はない。気付くと、すでにフォイエリヒはシンのさらに上をとっていた。

「シン・アスカ。母の弔いはできましたか?」

 そして振り下ろされる8本もの光の剣。さきほどの爆発で飛び散った塵の一つまで焼き切らんばかりに四方からすべての空間を切り裂きながら迫り来る利剣からはただ逃げ出すことしかできない。
 シンはメルクールランペを後先考えずに飛び出させるしかなかった。自分でもどのような姿勢で飛んでいるのかわからない無理な機動に満足な着地さえままならない。そのまま月面に叩きつけられるように着地するも、思わず膝をついた。

「わかりません! ただ、俺のしてることだって母さんのためになるかもしれないって、そう思えるんです!」

 地球上ではあり得ないほど土煙を上げメルクールランペが突撃する。どのような物質であれ切断するその剣は確かにフォイエリヒを捉えたはずだった。手応えさえ感じる必殺の間合い。しかし、フォイエリヒはまるですり抜けたように攻撃をかわすといつの間にかメルクールランペの背後にいた。

「それはなぜですか?」

「隊長から言われました。弔いはただ花を手向けることじゃないって。だったら、俺が母さんのためしようと思ったことが弔いなんだって思えたから!」

 メルクールランペが体を翻す勢いのまま剣を振るう。だが、フォイエリヒにかすらせることしかできない。

「よい答えです。ですが、それは始まりにすぎません」

 そして、フォイエリヒは再び両手足、バック・パックの4本のビーム・サーベルを振りかざす。8本ものビーム・サーベル。それが向けられた時、シンが感じたのは、あからさまな恐怖だった。
 思わず飛び上がるシンのメルクールランペ。その動きに、フォイエリヒはまるで最初から示し合わせていたかのように追従する。

「あなたが母へと向ける思いとは、果たして何なのでしょう? 復讐のために私を殺すことなのですか?」

 8本のビーム・サーベルが光の軌跡を描きながら幾重にも重なり光の壁を創り出す。触れればまたたく間に蒸発させられる死の壁だ。シンはただ機体を逃がすことしかできない。

「それは……」

 一度、剣の勢力圏外に逃れたシンは必死に気を取り直し反撃に移ろうとする。スラスターを全開に相手に飛び込むつもりだった。
 だが、できなかった。
 フォイエリヒガンダムのビーム・サーベルの壁が完璧であったからだ。

「言葉を変えましょう。あなたは私に復讐がしたくてここに来たのですか? では、人を焼いてはならないとするあなたの言葉は単なる口実にすぎなかったのですか?」

 シン・アスカはプラントの理念に賛同していた訳ではない。つまり、エインセル・ハンターとは世界を脅かす悪魔などではなく単に母の仇でしかなかった。プラントを守るための戦いなどではなかった。
 フォイエリヒが25mもの巨体にも関わらずふわりと浮き上がるような滑らかな動きでメルクールランペに迫る。
 シンは、ただ逃げるしかできなかった。

「あなたにとって母親とは何なのですか?」

 まさに結界なのだ。8本のビーム・サーベルはそれぞれが独立した動きをしている。フォイエリヒと対峙することは8人もの剣豪と同時に相対することにも等しい。いや、完全な連携がとられている以上、まだ8対1の方がましだろう。
 シンにはまるで見えていなかった。どの角度、どのタイミングで攻撃を仕掛けたとしてもビーム・サーベルに切り裂かれる予想しかできない。意識の加速は、そのすべての終着点はシンの死を結末としていた。

「私にもかつて父と呼んだ男がいました。しかし彼は私の力に興味を持つことはあれど私を愛することは決してありませんでした。そのために私は、彼を自ら手にかけました」

 死の恐怖ではない。勝てないという恐怖がシンの体を自然と震わせていた。これまでにフォイエリヒと対峙した時には感じたことのない恐怖だった。
 シンは確かに強くなったはずだった。意識の加速を身につけゲルテンリッターの初号機に搭乗している。その実力は3年前、ただフォイエリヒガンダムを見上げることしかできなかった時に比べたなら遙かに強くなったはずだった。
 それなのに、シンはこれまでに感じたことのない恐怖を覚えていた。

「う、うわぁー!」

 迫るフォイエリヒについ飛び退こうとする。だが、フォイエリヒは速い。大きく息を吸い込み胸に閉じ込める。ただそれだけの間にメルクールランペのすぐ目の前にフォイエリヒの姿があった。コクピット中に黄金の輝きが満ち、シンは自分をのぞき込む黄金のガンダムに気圧されていた。

「愛されてなどいないことがわかっていたからです。私は、そもそも彼の弔いをするつもりはありません。それとも、こうして彼が望んだ力を存分に奮うことこそが、かの男の期待した通りのことであり、ゆえに弔いとなるのでしょうか?」

 シンのもはや声にもならない悲鳴にとともにメルクールランペはその西洋剣を力任せに振り下ろす。モビル・スーツならば簡単に両断できる大剣は、しかしフォイエリヒを傷つけることはできない。突如その姿がかき消え、背中から突き上げるような激しい衝撃が襲ったからだ。

「それは違います。弔いとは何をするかではなく、何をして上げたいかによって定まるものだからです」

 背中を蹴られた。そう判断するとともにシンは剣を後ろへと向けて振り抜く。それは反撃というよりもたかる蜂を追い払おうと足掻いたにすぎない。そんな一撃がフォイエリヒを捉えられるはずもない。

「あなたにとって母は誰であって、そして、母にどう報いたいのですか? その答えもないまま私の前に立ったのですか?」

 まるで炎と戦っているかのようだった。炎は斬ることも掴むこともできない。だが、人を焼き、殺す。しかしフォイエリヒガンダムは炎ではない。炎は意志を持たない。
 シンは確信していた。攻撃は光の壁に阻まれ届かないと。しかし剣の切っ先がフォイエリヒをかすめることもあった。絶対に回避不可能と思える剣の光から、それでも逃げおおせることもあった。それはすべて、シンの実力でも意志でもない。すべてフォイエリヒが、エインセル・ハンターが決めたことだ。
 エインセル・ハンターが間合いに踏み込ませると決めた。すると、シンはフォイエリヒに切りつけることができた。殺さないと決めた。すると、シンはフォイエリヒの8本もの剣から逃れることができた。では、逃がさないと決めたなら、殺すと決めたならどうなるのか。

「それでも……、俺はあなたを止めないといけないんだ……!」

 もはや自分を奮い立たせるためではない。自分の気力を繋ぎとめる最後の悪足掻きでしかない。
 フォイエリヒに勝てないことを、シンは理解していた。理解してしまっていた。これまではただがむしゃらにエインセル・ハンターの影を追いかけておけばよかった。たとえ遠くからでも山の偉容は見て取れる。しかしその山を踏破する困難さは麓に立つまでわからない。
 シンは強くなった。だからこそようやく、エインセル・ハンターの強さを理解することができた。決してかなわぬ相手なのだと。
 メルクールランペが縦に力任せに振り下ろした一撃は、シンにとっても当然のように回避される。かわされた先を追って剣を振るったところで火に刃を叩きつけただけかのようにその黄金の装甲を捉えることはできない。フォイエリヒはまるで通り抜けたかのようにいつの間にかメルクールランペの後ろに回り込んでいた。シンに炎にあぶられたかのようなひりひりする緊張感と恐怖を与えながら。

「私を倒すべきは敵であって敵ではない者であり、復讐者にして復讐者ではない者にして、何より愛を知る者でなければなりません」

 シンが急いで振り向いたのは敵の姿を探すためというよりは、単に恐怖に駆られた行動にすぎなかったのかもしれない。
 フォイエリヒと向き直ったメルクールランペには、8本のビーム・サーベルが突きつけられていた。わずかでも動こうものなら焼き切られる。すべてのサーベルが致命傷の一歩手前で寸止めにされていた。
 8度分の死を突きつけられた状態で動けるはずもない。シンはビームと、その輝きを照り返す黄金の装甲がメルクールランペのコクピット内を眩しく照らしている。そんなまばゆい光の中でさえ、シンは目を見開いていた。その瞳は怯え、黄金の死を見つめ続けている。
 光の中に響き渡るは魔王の声。

「あなたではないようです」

 ビーム・サーベルが消滅する。死の危険は去った。しかしそれでもシンの体を蝕む恐怖は消えてはくれない。それは興味を失ったとばかりにフォイエリヒが飛び去った後でさえも変わることはなかった。
 まだ剣を突きつけられているかのようにシンの体は固い。操縦する手さえおぼつかない。ガンダムメルクールランペの体は月の重力に引かれゆっくりと落ちた。衝撃が走って初めて、シンは機体が着地したことを知ったほどだ。
 月に大気はなく、上空ではいまだに砲火が飛び交っているにも関わらずコクピット内は静かなものだった。激戦の最中、戦場の外れで動かない機体をわざわざ狙う余裕がある兵がいるはずもなく、シンは多ただ1人、戦場から取り残された。
 動かすつもりもないまま操縦桿を握りしめている。そんなシンの胸中ではエインセルハンターの言葉を反芻していることだろう。
 結局、シンは母のことを解決できないままこの戦場に立ってしまった。

「隊長にも、あのアウルって奴にも言われたな……」

 シンは、母親のことをコーディネーターとその母親という関係に囚われすぎて考えようとしているのだと。それは一つの考え方としては正しいのかもしれない。だが、そんなことを作戦行動中に言われても考える時間などあるはずもない。
 そして何より、大きな問題がある。

「でもわかるはずないだろ……。母さんはもう、死んでるんだから……。何をどうしろって言うんだよ……」

 聞くこともできない。尋ねることもできない。それに、仮にそんな機会があったところで、シンに果たして問いかける勇気が持てただろうか。エインセル・ハンターに言われた通り、それができないまま母に認められようとし続けたのだから。
 母の死後でさえ。
 ようやく操縦桿から手を離す。そして、シンは両足を抱えて体を丸くした。強い不安を感じた時にこうするのはシンにとって癖のようなものかもしれない。そう、戦いの中で、シンはいい知れない不安に襲われていた。
 死とは不思議なものだ。シンのオーブ時代の友人の中には、もう二度と会うことのない人もいることだろう。しかし、その人に対してシンは死別の悲しみを感じてはいない。それは生きている以上、再会する可能性があると頭で理解しているからなのだろうか。それほどまでに人間とは前向きで合理的な生き物だっただろうか。ただ死という事実は人にとって特別なものだということなのかもしれない。
 二度と会えない、それ以上の意味をもつ。

「母さんは……、もういないんだ……」

 左頬の痣がうずくのだろう。シンは傷跡を覆うように左手を当てた。母のことを思い出す度に、シンはこの傷に痛みを覚えた。それは母が焼かれた日に負った傷であることと無関係ではないだろう。
 シンはただ、膝を抱え、傷を撫でることしかできないでいた。
 光がコクピットの中に生まれるまでは。
 それは突如現れた光の柱、それは手のひらサイズの小さなものだったが、その光の中に少女の姿が浮かび上がった。白く長い髪、身に纏う漆黒のドレスはエインセル・ハンターの屋敷で出会ったゼフィランサス・ズールを強く連想させる。少女がその瞼を開き赤い瞳を露わにした時、その印象はより強いものになった。
 ゲルテンリッターの心、アリスはゼフィランサス・ズールをモデルに設計されているが、その中でもこのアリスはよりゼフィランサスに似ているように思われた。

「アリス……、なのか……? メルクールランペの……?」

 ゲルテンリッターの初号機、ガンダムメルクールランペの心であるアリスがシンの前に初めて姿を現した瞬間だった。



[32266] 第36話「光の翼の天使」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:c129d3c1
Date: 2018/05/26 00:09
 月の戦いは着実にザフト軍優位のまま進んでいた。
 エインセル・ハンターを倒しこの戦争を終わらせる、そう渇望するザフト軍の志気が地球軍を圧倒しているのだと信じる者も少なくない。しかし、違和感があることも事実だった。
 地球軍ではすでに一部の部隊が離脱を始めている。ザフトはそれを敗走と見なしているが、その統制のとれた動きは当初から予定されていたことを窺わせる。また、中枢に残された部隊は決して残党という言葉では説明ができないほどの戦力が残されていた。
 ザフト軍主力MSであるヅダがウィンダムと撃ち合っていた。決闘を思わせる一対一で、ビームを交差させて互いに旋回し、勝負は膠着状態に陥っているかのようにも思われた。意外にもすぐに動きはすぐに現れた。ウィンダムのビームが正確にヅダの肩を捉えたからだ。こうなれば後は一方的である。片腕を失い機体のバランスを崩したヅダにウィンダムは次々とビームを突き刺した。
 ただの逃げ遅れではない。それとも高い練度を有する部隊だけがたまたま取り残されたのだろうか。
 ザフトは確実にユグドラシルへと近づいていたが、その侵攻速度は急速に落ちていた。中枢に近づくほど地球軍の抵抗が苛烈になっていくからだ。地球軍はもはや脱走者が続出するほど統制がとれていないとするにはあまりに状況が不自然なのだ。
 そのことに苛立ちを隠せないのはアスラン・ザラその人であった。
 青いガンダム、ガンダムヤーデシュテルンのコクピットの中で、アスランは珍しく不快感を隠さず戦場を睨み付けていた。

「なぜだ!? なぜファントム・ペインがいない!」

「お父様はやっぱいねえですよ、アスラン」

 アスランの周囲を飛び回る緑のドレスの妖精は、全天周囲モニターにめまぐるしく画像を映してはその混沌とし始めた戦況を把握しようとしている。
 ライナールビーンが8本のウイングを輝かせ月の上空を飛ぶ。その背景ではいくつものビームの線条が重なり合い、いくつもの爆発が煌めいては散っていた。

「ファントム・ペインはエインセル・ハンターの私兵だろう……。なぜここにいない……!?」

 これがエインセル・ハンターにとって乾坤一擲の作戦であったことは疑いがない。まさに決戦である。その戦いに魔王に従う戦士たちがただの1人も参列していないことなどあり得るのだろうか。
 アスランの苛立ちは、急がなければプラントが焼かれてしまうことへの焦りばかりではない。エインセル・ハンターの意図がまるで読めないことへの不快感も混ざり合っていた。
 そんなアスランを現実へと引き戻したのは翠星石の声だった。

「アスラン! 来るですよ!」

 急速に迫り来るのはウィンダムだ。ビーム・サーベルを手にこのガンダムに挑もうとしていた。
 迷いのない動きだ。アスランの反応が遅れた一瞬の隙をつく形でウィンダムは一気に距離を詰めた。回避している余裕はなく、アスランはビーム・ライフルを投げ捨てるとともにビーム・サーベルを抜く。ビームとビームとが剣の形でぶつかり合う。
 この一撃はアスランのプライドをくすぐった。ヤーデシュテルンはゲルテンリッターである。量産機とは比べものにならないほどの性能を誇る。そうであるにも関わらずあっさりと間合いを詰められたことがアスランを思いの他、動揺させたのだ。
 敵はガンダムを前にまるで恐れていない。ザフトに包囲され危機的状況にあるはずの地球軍は恐れを見せない。スパークするビームの向こう側で見えもしないウィンダムのパイロットが不敵に笑っているようにさえアスランは錯覚させられた。
 動いたのはウィンダムだった。
 器用に蹴りを放つとヤーデシュテルンの左腕に残されていたビーム・ライフルを蹴り飛ばす。同時に体を回転させながらヤーデシュテルンの顔面を蹴りつけたのである。コクピットを振るわす衝撃。だが、アスランが歯を食いしばっているのはこればかりが原因ではない。

「なめるな!」

 逃がすまい。そう、ヤーデシュテルンの左腕は自身を蹴りつけたばかりの敵の足を掴んだ。そのまま、片腕にも関わらず強引に敵を反転させると、向けられたウィンダムの背中へとビーム・サーベルを力任せにたたき込む。ビームの熱に断ち切られたウィンダムが爆発し、後にはヤーデシュテルンだけが残された。
 そして、アスランの苛立ちもまた、消えてはいない。




 戦場の片隅で、ゲルテンリッターの初号機であるガンダムメルクールランペはただたたずんでいた。上空では激しい戦闘が繰り広げられているが、月の地表そのものは静かなものだった。戦いが苛烈であればあるほど、誰もが同じ高さの敵に気をとられ眼下のことを気にとめることなどできなくなる。
 黒い天使は翼をたたみ、そのコクピットの中に失意の少年を座らせていた。そして、天使の心は、黒いドレスの少女としてその姿を現した。
 シンは力なく呟く。

「アリスなのか……?」

 目の前に現れた手のひらに乗るほどの小さな少女。その赤い瞳が急に鋭さを増したかと思うと、次にシンの目に飛び込んできたのは少女の靴裏だった。

「このクズ!」

 思わず手で顔をかばうシンだったが、しょせんは立体映像である。痛みなどあるはずもない。それでも、アリスは口汚くシンを罵ったまま足蹴にし続ける。

「私の体を使っておきながらなんなのこの様は!? 戦う気もないのに戦場にいるわけ?」

「何なんだよ、一体……?」

 蹴りがやんだためシンが手を下ろすと、アリスは中空に腰掛けるような姿勢で自分のパイロットのことを見下ろしていた。

「私は誉れ高きアリスの初号機、ガンダムの名を与えられた最強の力なのよ。それをあなたは!」

 ふがいない戦闘を責めているのだろうということは容易に見当がついた。しかし、だからと言ってシンは何も言い返すことができない。ゲルテンリッターの力を借りてもエインセル・ハンターには勝てないことを悟っていたからだ。
 思わず目をそらすシンに対してアリスは容赦しない。

「あんたのこと、ずっと見てたわ。それで、あんたは何がしたいの? 母親の仇を討ちたいの?」

「わからない……、わからないんだ……。俺にとって母さんは何なのかって……」

 だからこそ自分が何のために戦っているのかさえ曖昧になり、そんなおぼろげなもののために立ち向かうにはエインセル・ハンターはあまりに高い壁だった。だからシンはここにいる。戦うことも立ち向かうこともできずにここにいる。
 アリスがしたことは、ある映像を映し出すことだった。宇宙空間に多数の残骸が浮かび、その奥では小惑星が砕けたように割れていた。

「これは……?」

「ユグドラシルが破壊した要塞、その一つよ。あんた言ってたでしょ? 人が人を焼いていいはずがないって。エインセルの前でそう啖呵切ったのはどうして?」

 なんともおぞましい光景だった。映像を横切る形でモビル・スーツの残骸が通り過ぎた。それは表面を溶かされ辛うじて人のシルエットを留めているでしかない。機種など判別のしようもないほどに溶けていた。まるで、丸呑みにされた人が未消化のまま吐き出されたような姿、そんなものがいくつも漂っていた。パイロットがどうなったのかなど想像するまでもないことだろう。
 シンが思わず映像に目を奪われていると、視線を強引に奪いとるようにアリスがその前を横切る。

「あんたがエインセルを止めないとプラントが焼かれることになるってわかってるでしょ? あんたにとってエインセルを止めることと母親の仇ってことはどう繋がるの? 凶行を止めるためってことは母の仇を討つための口実でしかないの? だから仇を討てないと思ったらこうして隅で震えていればいいってことになるの?」

「違う……!?」

 思わず叫んだシンだったが、続く言葉はない。アリスはそんなシンの弱気を見透かすようにその小さな顔でシンをのぞき込む。

「それなら、あんた何してるの?」

「……あの人は、しちゃいけないことをしようとしてる……。だから止めないとけないんだ……」

「なら簡単ね。立ちなさい。エインセル・ハンターを倒しなさい」

 シンは手に力を入れ、操縦桿を握りしめようとする。だがそんなものはパフォーマンスでしかなかった。戦えないことはシン自身が一番よく知っているのだから。
 そして、そのことは端から見ても明らかなことだった。

「母親の仇なんて本当は討ちたくないんじゃないの? だからためらう、だからできない。なら簡単でしょ。ここで宣言なさい。これは母の仇を討つことにはならない、ただ倒すべき相手が母親をたまたま手にかけていただけなんだって」

 シンは考えた。そんなことはできないと。しかし、なぜできないのか、シンは答えを持たない。だから何も言い返すこともできないまま、アリスの言葉を聞いていた。

「できるでしょう? 今までさんざん愛を疑った母親のこと、この期に及んで愛してるなんて言うつもり? 捨てなさい。母親への未練なんて。それで戦えなくなるならなおさら!」

「母さんは……」

「あなたにとって誰? あなたにとって何? 愛されてるって自信も持てないくせに捨てることもできないの? 未練? それとも願望? あなたの母親はあなたを愛してなんていなかった。でもあんたは愛されたかった。そんな未練にしがみついてるだけ、違うの?」

 シンにはアリスの言っていることのすべてが正しいことのように聞こえていた。同時にすべてが間違っているようにも思えているのだろう。反論などできるはずもない。しかしアリスの言葉をそのまま受け入れているようでも決してなかった。
 アリスは苛立ちをつのらせているらしかった。

「答えなさい。どうして母への迷いがあるとエインセルと戦えないの? 死ぬべきでない人を守ることができないの? それとも理屈をこねてエインセルから逃げてるだけ?」

「俺は……、俺は……」

「いい加減になさい! あんたがエインセル・ハンターを倒しに来たのは母の仇を討つため? それとも凶行を止めるため? そんなことさえわからないの?」

 エインセル・ハンターを止めなければならない。そう確信したからこそ、シンはここにるはずだった。その決意は揺るいでいない。そうでなければ戦場からとっくに逃げ出していたことだろう。

「母さんの仇で、俺が止めなきゃならない人なんだ……」

「それなら単に凶行を止めるって理由だけで戦えるはずでしょ? なのにどうして立てないの?」

 アリスの言葉通り不可解なことだった。母への愛を疑うとなぜエインセル・ハンターを止めるためにも戦うことができなくなってしまうのか、シン自身説明できないでいた。

「あなたの母親は、あんたに一度でも成果を出さなければ息子とは認めないって言ったの?」

 アリスがその赤い瞳でシンをのぞき込む。その顔はシンのことを哀れんでいるようにも、呆れているようにも見えた。

「言われたことなんてない……。でも……」

「でも?」

「俺はコーディネーターだから……」

 母は優れた子どもが生まれることを期待していたことは間違いない。では、優れてさえいればシンでなくてもよかったのではないか、優れていなければ子どもと認めてもらえないのではないか、そんなことをシンは幼少の頃からずっと考え、そして続け結論を出せずにいた。
 しかし、シンがここにいるのはエインセル・ハンターを止めるため、そのはずだ。ではなぜ母への迷いがそのまま戦う理由を揺るがせてしまうのか、この繋がりをシン自身説明することができない。人々を救うために倒した相手がたまたま母の仇だっただけと割り切ってもよいはずだ。
 答えはどこを探しても見つかることはない。
 そんなシンに、アリスは手を差し出した。慰めではない。ただ見せたのだ。その白い腕が形を崩し、光る幾何学模様に分解されては再び元の手に戻る姿を。

「私はアリス。あなたたち人と違って肉の衣を持たない。心も無数のプログラムの集合でしかないわ。だから何? それでもお母様のご意志に従うことは私の意志よ。それは私がお母様のためになりたいと願うから。それ以上でも、それ以外でもないわ。コーディネーターだから? そんなこと、言い訳にもならない!」

 なにがこのアリスを苛立たせてるのか、シンにはわからなかった。しかし、ここ人工知能がむき出しの感情を向けていることだけは理解できていた。まるでその怒りを示すかのようにモニターが一面、炎に染まったからだ。

「これがお望みの光景?」

 激しい光の中、まぶしさのあまりアリスの姿も見えなくなる。ただの映像だけでもシンのことを焼き尽くすことができるかのような、それほどの炎が渦巻いている。それはシンにあの日の光景を思い出させるのに十分なものだった。
 左頬の痣が激しく痛み、シンは目を見開いたままかすれた声を喉からこぼした。

「こんなこと、人がしちゃいけないんだ……。母さんは火で焼かれて死んだんだ……。他の人だって……。だから、ザラ大佐のしたことも……、エインセルさんのしようとしてることも許せなかった……」

 単に炎が燃えている、それだけの映像である。しかし、シンにはその奥に燃やされ死んでいく人たちの姿があるように思えてならなかったのだろう。だからこそ、今、こうして苦しんでいる。だからこそ、アスラン・ザラが街への被害も構わずに攻撃を仕掛けたことを許せなかったエインセル・ハンターがしようとしていることを止めるためにここまで来たはずだった。

「たくさんの人が死んで……、人の焼ける匂いが充満してて、俺だけが助かったんだ。母さんは黒焦げになって……。他の人だって、大勢の人が…… 」

 シンだけが助かった。焼け野原に転がる焼死体の中で、全身に火傷を負いながらも。そして見上げた空には黄金に輝くガンダムが鎮座していた。手を伸ばすには遠すぎた。そして目の前にまで近づいた時、相手が剣を向けるには強大すぎる存在だと思い知らされた。
 では、そもそもどうして剣を突き立てようとしたのだろう。結局、シンの疑問はすべてがそこに行き着いてしまう。シン・アスカにとって母親とはどんな存在であったのか。そんな出せない答えがいつまでも絡みつきシンの足を止めてきた。
 しかし、それは詮無いことなのかもしれない。

「でも……、母さんはもういないんだ……。俺のすぐ隣で黒焦げになって……!」

「あんたをかばって死んだわけね」

 一瞬、シンの体が不自然な硬直を見せた。それは自分が聞き間違いをしたのではないかと確認するために要した時間だったのだろう。言葉を理解してなお、シンは自分の耳を信じていない様子だった。

「……何のことだよ……?」

 アリスの方を見るシンの目はどこか苛立っているようにさえ見えた。この人形の少女が知るはずもない母のことを語ったことが気に触ったのかもしれない。とうのアリスはどこか蠱惑的とさえ思える冷淡な笑みを浮かべているだけだったが。

「おかしいと思わなかったのぉ? 人を焼き殺すほどの炎がすぐ隣まで来てて自分だけが都合良く助かったことを」

「俺だって体中に火傷してた。それに……」

「あの日の状況からシミュレートしてみたけれど、母親がかばってくれなかったら死んでたか、そうでなくとも重傷」

 全天周囲モニターの映像がめまぐるしく変わる。それはすべて炎の映像であの日のことを繰り返ししているのだろう。炎が明滅を繰り返し、その様は眼球の奥に痛みを与えるほどだ。シンが思わず声を荒らげたのはその苦痛もあってのことかもしれない。

「なんで君があの日のこと知ってるんだ!?」

「私は元々はフォイエリヒのアリスよぉ。空からいろんなもの、見てたわぁ」

 それはシン自身が一番よく知っている。フォイエリヒガンダムは、間違いなくオーブの上空にいたのだから。
 では、もしかしたらアリスは本当のことを言っているのかもしれないと、そんな考えがシンにも過ぎっていたのだろう。

「でも……、たまたま俺だけが助かる可能性だってあったはずだろ!?」

「かばわれた場合の千分の一にも満たない確率だけど?」

「でも、そんな……」

「あんた何? そんな偶然に頼ってまで母親にかばわれたって認めたくないのぉ?」

 思わず押し黙るシン。自分が何をしようとしたのか気付かされたからだろう。まるで、母親にかばわれたことを受け止められないかのような振る舞いなのだから。

「本当なんだな……? 母さんが俺をかばって……」

 しかし、ようやく受け入れることができたのだろう。ヘルメットが脱ぎ去られると、シンの額には涙が伝っていた。

「母さんは命を賭けてくれたのに……、俺は……、俺はぁ……!?」

 思わずシンの手を離れたヘルメットが月の低重力の中、足下へと漂うように落ちていく。頬を離れた涙もまた、ひどくゆったりとシンの足へと雫となって落ちていく。そのためだろうか。地球に比べると間延びしたようにも思える光景の中、うつむいたシンの嗚咽はひどく長いようにも感じられた。事実、短くはなかったのだろう。母を失った少年は懺悔の涙を出し尽くすまで顔を上げることはなかった。

「母さんのこと、愛していたかったのに……、愛されてないかもって怯えて……! あの人の献身を! あの人がしてくれたことを裏切ってたんだ……!」

 アリスはただ、シンのことを見ているだけだった。何かを待つように、しかし、何かを期待している風ではない。目の前の少年が次に何をするのか、冷静に見極めようとしているかのようである。
 そして、その時は訪れた。
 シンの手が足下に転がるヘルメットを掴んだ。そしてかぶり直すと、そのフェイズ・ガード越しに見えた顔にはまだ涙が這った跡が残されていた。

「アリス、俺に力を貸してくれ。俺は戦わないといけないんだ。あの人を止めるために!」

「それは母親の仇を討つため?」

「母さんを助けるためにだ!」

 アリスがその赤い瞳を見開かせて見せた一瞬の表情。それは戸惑いというよりも弱い驚きのそれだったのだろう。すぐにこれまでに見せていた不遜な笑みに戻る。

「お母様の言われた通りね」

 そしてどこか楽しげに笑い声を小さく漏らした。

「水銀燈。それが私の名前。いいわ、あなたをマスターと認めてあげる。名乗りなさい、そしてこう続けなさい。光の翼の主と」

「俺はシン・アスカ……。光の翼の主……」

 シンはただ言われた通りの言葉を、抑揚もなく、ましてや魔法の言葉であろうはずもなく呟いた。それが、どれほどの力の意味を持つかも知らないままで。




 月の戦場で、ひどく現実離れした光景が展開されていた。
 光の翼を持つ人の形をした何かが羽ばたいていたのだ。それは大気を持たない月の空であることも構わず翼を広げ、光を振りまきながら円を描く。それは輪となって月面上空に大きな大きな光の輪を描く。
 人は誰もがこの何かの正体を知っている。子どもにだってわかることだ。この激戦の最中とはいえ、誰もがその何かを一瞥し、誰もがその正体を察した。しかし、多くの人々は馬鹿らしい、まさか、そんなことはあり得ないと答えを口にすることさえはばかっていた。
 ただ、少なくともルナマリア・ホークは自分感じたことを素直に口にしたらしかった。

「何よあれ……、天使?」

 搭乗するインパルスのコクピットには輝く翼持つ天使が天使の輪を描いているとしか思えない様が映し出されていたのだから。
 しかし、この素直な少女は気付いていなかった。天使の輪の大きさと、そして、それを天使が一週するまでにかける時間があまりに短いことを。




 目にしているものが同じであっても、それをどのように受け止めるのかは人それぞれだ。
 戦場の中心地からは離れた場所で、アスラン・ザラもまた天使の姿を確認し、それが天使などではないことを理解していた。
 あの天使はゲルテンリッターの初号機、ガンダムメルクールランペでしかないのだから。
 コクピットの中では、神妙な面持ちをしたアスランのすぐ横を翠星石が飛んでいる。普段から落ち着きがないと思えるほどに快活な翠星石であるが、今はただ光で描かれる天使の輪を見つめている。

「水銀燈、シンをマスターと認めるですか?」

「翠星石、一体なにが起きたんだ? あれはゲルテンリッターの初号機だろう!?」

「メルクールランペがお母様から授かった力を解放したですぅ」

「あの光の翼は何なんだ……?」

「アスランならわかってるはずですよ。どうしてミノフスキー・クラフトと搭載した軍艦がないのか」

「ああ。効率が悪いからだ。物体を2倍の大きさにすると表面積は4倍になるが体積は8倍になる。つまり、表面積に依存するミノフスキー・クラフトの推進力は4倍になるが重さは8倍になってしまう。大きくすればするだけ、効率がそれに反比例して落ちてくからだ」

 仮に18mの大きさのモビル・スーツの表面積と体積の割合を1対1だとする。とすると、その10倍の大きさの軍艦ではその割合は1対10にまで悪化する。そしてミノフスキー・クラフトの推進力は表面積に依存するのだ。その物体が大きくなればなるだけ、推進効率は悪化することになる。
 それがモビル・スーツに広く普及したミノフスキー・クラフトが、しかし軍艦や船舶に採用されていない理由である。
 そう説明するアスランに、翠星石は頷いていた。

「そうですぅ。だからお母様はこう考えたです。もしも重さがなくて表面積が大きなものを作れたならそれはミノフスキー・クラフトに最適な素材になるってことですぅ。ミノフスキー粒子を力場で封じ込めて、それをそっくりミノフスキー・クラフトにできたとしたら……」

 モビル・スーツには有り余るほどの推進力を得ることができる。
 アスランはその力に理解した。あの翼が光を放っているのはミノフスキー・クラフトと同じこと。推進力に変換しきれなかった一部のエネルギーが光として放出されているのだ。それが、翼を光の翼に見せていた。

「あの翼は、ゲルテンリッター初号機は推進力の化け物ということか……」

 そして、アスランはようやく理解した。光の翼持つ天使が描く天使の輪、それは直径が1kmにも達し、それをわずか数秒で一回りしているのだと。
 光の翼の天使は、誰よりも速く羽ばたいていた。




 その猛烈な速度の中、シンは完全に振り回されていた。モニターに映る光景がまるで万華鏡のようにめまぐるしく変わっていく。高速で機動しているため、風景が人の認識できる速度の限界に近づき次から次へと入れ替わっていく状況なのだ。何が起きているのか、とてもではないが把握しきれていない。

「なんて速さなんだよ……!?」

 真の力を解放したメルクールランペに新たなマスターはただ振り回されているでしかない。それも仕方のないことだろう。モビル・スーツでここまでの速度を体験した者などこれまでにいなかったのだから。
 何をどうしてよいかもわからないシンに対して、主を迎えたアリスは対称的でさえあった。

「落ち着きなさい。これまでと同じことをなさい。思考ではなく感覚で、意識を加速させなさい」

 見えたものをいちいち確認していたは間に合わない。ただおおざっぱに捉え、感覚的に把握すること。そして、わずかずつ先を読み、その予想にあわせて動く。シンがかつて翠星石に言われたこと、意識を加速させる術。
 あとは簡単なことだった。意識を加速させ、飛び抜けた速度を飼い慣らしていく。これまでにもしていたことを、同じように実行するだけでいいのだから。

「世界が、遅く見える……」

 周囲で繰り広げられている戦いは一瞬のうちに通り過ぎていく。するとそれはまるで止まっているかのようにしかシンには感じられなかった。もしもその気になれば、メルクールランペが降り立ち、切り裂き、飛び立つ、それら一連の動作を一瞬で行うこともできるのではないだろうか。事実、それは不可能なことではないだろう。メルクールランペの速さとシンの力があれば。

「シン・アスカ、そろそろ王とまみえるを準備なさい」

 王とは何者か。水銀燈と名乗ったアリスにことの真意を問いただす必要はなかった。
 すべてが止まってしまったかのようにさえ錯覚させられる世界の中にメルクールランペ以外の何かが侵入を果たしたからだ。
 その威容は見紛うはずもなかった。黄金の目映さを纏う八の剣持つ炎。

「フォイエリヒガンダム……」

 シンが呟くとともに、炎の名を持つガンダムはその八本ものビーム・サーベルを一斉に瞬かせた。振るうという言葉では表現しきれないほどに苛烈で瞬間的。シンに与えられた時間はあまりにも短い。
 メルクールランペを瞬間的に飛び上がらせると、それはシンの予想を超えて遙か上空にまで跳躍してしまった。機動力がインパルスガンダムはおろか、光の翼を解放する以前のメルクールランペさえ遙かに凌駕していたためだ。
 しかし、それでもフォイエリヒはまたたく間に距離を詰めてくる。

「水銀燈、彼を主と認めるのですね」

「それがあなたの望みでしょ?」

 アリスがかつての主と言葉をかわしたわずかな間にもフォイエリヒガンダムから光が瀑布のように押し寄せていた。ただでさえ黄金の体をミノフスキー・クラフトによる輝きも相まってもはや光そのもののようにさえ見えていた。
 しかし、シンは戦っていた。戦えていた。

「エインセル……さん」

 機動力がこれまでとはまるで違うのだ。インパルスガンダムではたとえ反応できても逃げ切れなかった攻撃でさえ、メルクールランペであれば逃れることができた。振り回されながらも、シンはゲルテンリッター初号機の力を頼りにかわし続けることができた。

「もうやめてください。あなただって、本当は撃ちたくなんてないんでしょう!?」

「プラントの崩壊はブルー・コスモスの悲願、違いますか?」

「それなら俺にガンダムを与えたりなんてしません。それに、要塞を先に破壊するなんて面倒なことしないで、直接アプリリウス市を攻撃すればすんだはずです!」

 振り下ろされる、叩きつけられる、横薙ぎの斬撃、三つの攻撃をメルクールランペは一度にその剣で受け止めた。鍔迫り合いに移行することは、無論なかった。
 剣で防いだとほぼ同時にメルクールランペは飛び出していた。
 その直後、シンがいた場所を光が切り刻んだ。フォイエリヒにはまだ5つの剣があったのだ。

「俺にはわかるんです! 何となく……、ですけど……」

 そう、シンが続けている間にも2人は戦いの手を緩めようとはしなかった。

「あなたはあなたのことが嫌いなんだ。自分のことが嫌なんだ。俺にはわかります。だって、俺もそうだから……」

 フォイエリヒが暴力的な光をまき散らし、メルクールランペが飛翔し逃れる。この繰り返し。しかし、変化は生じていた。

「俺、母さんのこと、疑ってました。この人は俺を愛してなんかいないんじゃないかって。でも、そんな風に人を疑って、人を憎んで生きるってことは辛いんです! 母さんが俺のこと愛してくれてるって確信できた時、俺、素直に解放された気持ちでした! 同時に母さんのこと疑ってた自分が嫌になりました!」

 メルクールランペが装備する西洋剣を模した大剣をフォイエリヒへと叩きつけた。それはビーム・サーベルによってたやすく受け止められてしまうものの、シンが一度とはいえ攻撃に転じたことは初めてのことだった。
 そして、再び黒い天使は黄金の魔王の猛攻から逃れるために羽ばたいた。

「エインセルさんも俺と同じだったって、キラさんとゼフィランサスさんから聞きました」

 同じくコーディネーターとして生まれ、親の愛を疑った。
 2機はミノフスキー・クラフトの強烈な輝きを放ちながら戦闘を繰り広げていた。それは二つの流星が衝突と離脱を繰り返しているように見えたことだろう。量産型ではガンダム・タイプといえどもバック・パックなどの一部にしかミノフスキー・クラフトを搭載していない機体ではついていくことさえできない、そんな次元の異なる戦いなのだから。
 もはや真性ガンダムでなければ立ち入ることさえできない戦いの最中、シンはわずかずつではあるが飛び方を会得していた。直線的な動きだけでなく、光の翼の方向を変えることで推進力の方向を加速力一辺倒にすることなく機体を自在に動かすことができると気付いたからだ。
 そうして、シンは劣勢を強いられながらも攻撃に転じることができた。防がれてしまうとは言え、シンは剣をフォイエリヒに向けて振るうことができた。
 しかし、そうはならなかった。防がれることはなかったのだ。捉えたはずのフォイエリヒの姿が一瞬にして視界から消え、シンはエインセルの声を聞いた。

「果たしてそうでしょうか?」

 後ろ。そう、シンは直感の示すまま振り向く勢いのまま剣を構え、すると、そこへと光の剣が幾本も叩きつけられた。どうして防ぐことができたのか、シン自身理解しきれていなかった。だが考えている暇もない。

「私が父と呼んだ男は私のことを単なる道具としかみていませんでした。あなたとは違うのです」

 より苛烈さを増したフォイエリヒの攻撃。機体を逃そうと飛び上がろうともフォイエリヒは追従する。もはや反撃に転じている余裕などないほどだ。

「私の過去があなたなのではありません。あなたの未来が私なのでもありません。私のありえなかった未来こそがあなたなのです。私は、あなたが憎んだ過去そのものなのです」

「あなたは、死にたいんですか……!?」

 限界へとむけて突き落とされていく。それが現状だった。8本もの光の剣は防ぎきることもかわしきることも難しい。だからこそ防げるものは防ぎ、かわせるものはかわす。その組み合わせに徹するしかなかった。

「シン・アスカ。あなたが私を倒そうとするのはなぜですか?」

「母さんのためです。俺は、母さんを助けることができませんでした。それは母さんを助けられるだけの力がなかったからです。それに……、俺、母さんのこと、疑ってもいました!」

 どれほど押されようとも、シンは生きていた。決して生かされているのではない。光の力をかわすことができる、防ぐことができる。フォイエリヒを見失うことがあっても、光の翼であれば反応することができた。

「だから俺は証明しなきゃいけないんです! あの時、力さえあったなら母さんのことを助けられたと、助けたんだってことを!」

 シンは限界に挑戦していた。己の限り、そして、メルクールランペの力のすべてを引き出そうとしていた。
 シンは試されていた。一つ限界を乗り越える度、フォイエリヒはさらに過酷な攻撃を繰り広げてきた。
 そしてシンはガンダムを己の力にしようとしていた。フォイエリヒがその光でシンには防げない攻撃を繰り出して来た際、シンは戦士の本能として機体を動かした。通常のモビル・スーツでは不可能な方向に不可能な速度で機動したことで、回避したことで、シンはメルクールランペがこのように動けることを知った。攻撃に転じようとした時、逃れるフォイエリヒに追いつき剣を振るうことができたことでメルクールランペの間合いの広さを覚えた。

「もう、ここに母さんはいません」

 そうして限界だと思えた力を乗り越えた先、新たな世界が広がっていた。
 あまりに苛烈で、あまりに洗練されたフォイエリヒの光、それは光そのものが殺意と力を持っているかのようにこれまでは見えていた。しかし、光が剣へと変わった。光にしか見えなかったものが、太刀筋のあるビーム・サーベルとして認識できるものへと変わった。

「でも! できるはずなんだ! 母さんと同じ人を助けることで、俺は母さんを助けるんだってことを証明することは!」

 綺麗な一撃だった。迷いなく振り下ろされた剣は一直線の太刀筋を描き、それは滑らかな斬撃となってフォイエリヒのアーム、その1本を斬り飛ばした。ビーム・サーベルを発振したままアームが放り出される。アームが減ったことでただでさえバランスの悪いフォイエリヒは目に見えて体勢を崩した。この速度でひとたび不安定になればよくて墜落、最悪、空中分解も起こりうる。
 だが、シンはエインセル・ハンターがそのような終わり方をするとは考えていない。

「死ななくてもいい人のために戦い続けることで! 母さんに証明することが! それが俺の弔いなんだ!」

 一瞬たりとも途切れぬ戦意のまま、シンはメルクールランペを加速させる。
 そして、エインセルもまた戦いに応えた。回転を始めていた機体をそのまま回るに任せその勢いさえ利用して残された7本のビーム・サーベルを振るう。

「あなたに出会えてよかった。あなたに水銀燈を託してよかった」

「エインセルさん、もうやめてください! あなたはプラントを撃つつもりなんてないんだ!」

 踊るように剣を舞うフォイエリヒの剣捌きは光であって死であり、そして壁ともなる。

「この世界の明日のため、事実が必要なのです。私がプラントを滅ぼそうとしたという事実が」

 メルクールランペが攻撃を仕掛けようと、それは有効な一撃とはなり得ない。7本ものビーム・サーベルは攻防一体、死角はない。

「シン・アスカ。この世界をどう思いますか? かつて見上げた大地を足場としてもまだ争いを続け、終わりは果てが見えません」

「そんなこと、俺にはわかりません。でも、人に戦争は捨てられないだとか、戦争に犠牲は仕方がないだとか、そんな言葉がただの言い訳でしかないってことくらいわかります! そんなことをいつまでも言ってていいはずなんでないってことも!」

 月を見上げることしかできなかった人々も、月を足場とすることができる人々でさえ戦いを続けている。今、ここに繰り広げられている光景が一つの証左である。
 ユグドラシル、九つの世界に根を張る世界樹の名を与えられた大量破壊兵器を中心に地球とザフト、両軍が入り乱れている。ガンダム、同じ顔と名前を持つ兵器が向かい合い、光放つビームを互いに撃ち合う。
 この戦場の最中を、天使と魔王は光の塊となって横断していた。まともな機体では追従することさえできない速度である。誰もこの戦いに参加することはできない。ただ見送る他ない。
 そして、この2人からは、周囲の光景がまるで絵巻物のように見えていたことだろう。あまりの機体速度に背景は一瞬で通り過ぎていく。静止画を次々とコマ送りにしているかのような光景は、あまりに長く続いた戦いの歴史をスライド・ショーで眺めているかのように錯覚させられる。
 それを眺める2人は、果たして何を感じているのだろうか。

「私も信じています。人の歩みは遅々として遅い。そうであるとしても、人は着実に前に進み続けているのだと。しかし、これまでに多くの命が失われたこともまた事実です。それは今ここでも起きている現実です」

 メルクールランペは何度も剣を叩きつけた。そのすべてがフォイエリヒのビーム・サーベルによって防がれ、その度に光の粒子がまき散らされる。高速で移動する2機のガンダムから振り落ちた光は尾を引き戦場を流星が横切るようである。ミノフスキー・クラフトの出力を最大まで発揮したことで放たれる光は膨大であり、そんな2機が激突する様は光の塊にしか見えないのだ。
 そして光の中で、一つの戦いが終わりを迎えようとしていた。

「エインセルさん! 俺は!」

 シンがそのことに気付いていたのかは定かではない。しかし、立ち向かおうとする意志が、フォイエリヒガンダムを打ち破らんと振るわれ続けた剣は、当然の帰結のように一つの戦いへと帰着した。
 フォイエリヒの防御はまさに鉄壁である。上下左右、あらゆる方向からの攻撃をすべて切り払うのだから。しかしどのような壁であっても防げないものがある。壁が完成する前に訪れた侵入者だ。

「俺は!」

 シンはただがむしゃらだった。ただ前に、ただ敵へ、その刃を届かせようとしていた。その思いに、始まりの天使は応えた。光の翼はまばゆく輝き、ミノフスキー・クラフトの放つ光はついにはその漆黒の体を黄金の鎧にさえ見せた。

「私は信じたいのです。世界は正しい方向へと進み、だからこそ命失った人々の死は決して無意味ではないのだと」

 天使の剣を魔王は自らの刃で防ごうとした。その試みは成功したことだろう。あとほんのわずかな時間があったのなら。魔王の結界が完成するよりも先に、メルクールランペはその内側へと入り込んだ。
 それはまさに一瞬のことだった。
 シンの裂帛の気合いとともに振り抜かれた剣はフォイエリヒをその一刀のもとに切り裂いた。
 少年と魔王がすれ違ったのは一瞬と呼ぶことさえおこがましい刹那でしかなかった。しかし、少年は確かに魔王の最後の言葉を聞いた。

「そして私の死にも意味はあるはず……」




 そして、時は終わりを告げた。
 ユグドラシルの発射時刻を迎えたのである。月面に開けられた巨大な縦穴から一筋の光が立ち上る。それはザフトの要塞を焼き払ったものと比べるべくもなく頼りなげでか細い光でしかなかった。それは誰に触れることもなく、何を傷つけることもなく、空の闇へと消えていった。



[32266] 第37話「変わらぬ世界」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:c129d3c1
Date: 2018/06/23 00:03
 月に黄金の雪が降った。
 撃墜されたフォイエリヒガンダムの砕けた装甲がいくつもの破片となってゆっくりと降り注ぎ、雪の景観を演出しているのである。
 そんな雪景色の中、天使が降り立った。月面の砂をわずかに吹き上げ着地する天使は光の翼をたたみ、まばゆい光の鎧はまた漆黒のそれへと戻っていた。それは勝者の出で立ちではなく、立つことがやっとなほど疲れ果てているようにさえ思われた。
 そんなメルクールランペのコクピットの中、再びヘルメットを外したシン・アスカは涙を流していた。
 それをのぞき込むのはメルクールランペの心、水銀燈だ。

「泣き止んだと思ったらまた泣くの?」

「いろんなもの、いっぺんになくしたんだぞ……」

 母の仇であり、乗り越えなければならない相手でもあるとともに同じ境遇をともにし、過去の自分でもあるとともに目標とも言える相手だった。シンにとってエインセル・ハンターとの関係を一言で言い表すことはとても現実的でないように思われた。だからこそ、シン自身、自分がどうして泣いているのか、明確な説明はできないのかもしれない。
 水銀燈には、不可思議な人間の一面に見えているのだろうか。

「なら殺さなければよかっただけでしょ?」

「あの人はプラントを撃つ気なんてなかった。でも、撃たない気もなかったんだ……。他に方法なんてなかったんだよ……」

 シン自身、まだプラントが無事であることは確認していない。しかし作戦が終わったことは誰も目にも明らかだった。先ほどまでは激しい戦闘が行われていた。だが、現在は小康状態に入り、地球軍の撤収に伴い戦いは次第に沈静化していた。
 戦いは終わったのだ。
 ただ、そのことに何の意味があるだろう。
 黄金の雪の下に新たに舞い降りた者がいる。白く塗装されたウィンダム、ヒメノカリス・ホテルの機体だ。不時着も同然の荒々しい着地で月の砂をまき散らすと、着陸後は打って変わって膝をついたまましばらく動こうとさえしなかった。モビル・スーツの無骨な手が、それでも少女がそうするかのように黄金混じりの砂をすくい上げる。黄金の砂はエインセル・ハンターの死、その象徴である。

「どうして……?」

 シンには、それが聞き間違いではないかと思えるほど弱くか細い声に聞こえた。声がヒメノカリスのものであると確信が持てないほどに。
 そして続く声もまた、白薔薇の少女のものとは思えないものだった。

「どうしてあなたは奪っていくの……? 私から……! すべてを!」

 冷淡な少女、ヒメノカリスからは想像できないほどに激昂し、憎悪に満ちた声がした。
 ウィンダムが動く。スラスターを機体に負荷が生じるほどにまで全開にし、バック・パックのウイングから抜きはなったビーム・サーベルを勢いそのままにメルクールランペへと叩きつける。
 メルクールランペは即座に大剣を構え、その腹で攻撃を受け止めた。

「やめてくれヒメノカリス! 俺は君と戦いたくなんてないんだ!」

 そんな言葉でとまるはずもなく、ウィンダムは両手、左右、2本のビーム・サーベルをがむしゃらに振り下ろし続ける。その姿はだだをこねる子どもというよりは、傷の痛みにのたうつ猛獣だろう。
 攻撃は激しく、だが、それをしてもシンにはフォイエリヒガンダムほど苛烈なものには感じられなかったはずだ。怒りに冷静さを欠いた攻撃がガンダムに通用するはずもなかった。
 メルクールランペは一瞬の隙を突いて相手の懐へと飛び込むと、その大剣でウィンダムの両腕をまとめて切断する。その斬撃は勢い余り右足まで巻き込んだことで、この白いカスタム機は叩きつけられるように月面に倒れ、そのまま動かなくなった。

「ヒメノカリス……」

 まだ涙の残る瞳でシンは自分が命を奪った男、その娘の姿を求めて倒れた機体を見つめていた。




 ユグドラシルを巡る戦いはザフトの勝利に終わった。
 プラント本国を狙った照射は屈折コロニーを外れ、宇宙の彼方へと過ぎ去っていったのである。いつ撃たれるのかと怯えていた市民たちは恐怖からの解放感を味わい、撃たせまいと戦っていた戦士たちは誇らしげに胸を張った。
 しかし、それがギルバート・デュランダル議長の演説会場ともなると話は変わる。誰もがただ議長のお言葉を待っていた。同時に、指でつつく程度でも弾けてしまいそうな高揚感が会場中から感じられる。
 壇上に立ったデュランダル議長はただ一言述べるに留めた。

「まずは言わせて欲しい。おめでとう、君たちの勝利だ」

 その途端だ。会場は興奮のるつぼとなった。人々が一斉に歓声を上げ、激情に任せて放り上げられた帽子が宙を舞う。抱き合い喜びを顕す人々、あふれる涙を隠そうとせずに声を張り上げる人、誰もが魔王の死を、プラントの勝利を祝福していた。
 この様子を映し出していたテレビは、次に街の様子を映す。

「正義はなされた! 正義はなされた!」

 ほとんど半狂乱になって叫びながら行進する人々の様子はパレードというより、どこか暴徒じみて感じられる。それほど興奮している様が見て取れた。
 そんな人々を紹介する若手の女性レポーターもまた、満面の笑みを浮かべている。

「ご覧下さい。街は喜びにあふれかえっています。我らが強壮なるザフト軍は要塞を失うものの月面基地への決死の作戦を敢行、みごとエインセル・ハンターを討ち取りました。街の人の意見も聞いてみたいと思います」

 テレビに映り込んだのは、明らかに一般人だった。

「とにかく嬉しいです。これで地球の土人どもも目を覚ましてくれると思います。平和のため戦い抜いてくれたザフトの皆さん、本当にありがとうございました」

 これで一通りプラント国内の様子は確認できただろうか。それはわからないが、少なくともこの映像をミネルヴァのレスト・ルームで見ていた3人のパイロット、シンたちはテレビから目を離した。
 3人は一つのソファーに腰掛けているが、それは三日月型に弧を描いており話をするには申し分なかった。左端に座っているヴィーノ・デュプレが右端のレイ・ザ・バレルの顔を楽に見ることができるほどだ。

「エインセル・ハンターを倒したって言っても、なんか、実感わきませんよね……? これで本当に戦争が終わるのかって……」

「実感などそもそもないだろうな。魔王の死の影響はおそらく限定的だろう。彼はすでにブルー・コスモスの代表ではなくその影響力にしても間接的と言っていい。エインセル・ハンターはあくまでも指導者の1人に過ぎず、彼を失ったところで大西洋連邦さえスタンスを変える理由にはならんだろう」

「でも、エインセル・ハンターに地球の人たちはだまされてるって」

「それはプラント国内だけの事実だ。地球での反プラント感情は根強くまた苛烈だ。無理もない。エイプリルフール・クライシスでは10億、ジェネシスの照射では比較的プラント寄りだった国家さえ標的とした大量虐殺を企てた。そして、フィンブルの落着だ。地球の政治家の中には戦争継続を疑問視する意見もあるようだが、それも戦争が不経済であるという合理的な理由によるものだ。少なくともプラントの被害者面を許す地球人はまずいないことだろう」

「でもデュランダル議長は戦争は終わるって言ってますよ。それ、嘘ってことですか?」

「嘘だ」

 はっきりと断言するレイの前に、ヴィーノはわかりやすく口を開いた。普段から表情が大きな少年だが、今の様子はまさに開いた口が塞がらない、と言ったところだろう。

「たしかに議長は支持率が5割を超えている。だが、同時に彼を呼吸するように嘘をつく人物だと毛嫌いする人もプラント国内には一定数存在する。それでも政権が盤石なのは政権の内外に対抗馬不在ということもあるが、何よりも彼が国粋主義者であるということが大きいだろう」

 ヴィーノは思わず周囲を見回した。ミネルヴァのクルーの中にも熱心なデュランダル支持派がいることを知っていたからだ。もっとも、クルーの多くは食堂での簡単な祝賀パーティに集まっており人通りは極端にまばらだった。レイはそれを知っていたのか、あるいはそもそも気にしていないのか、まったく意に介した様子は見せていないが。

「ここからの話は私見になるが、彼は裸の王様と言える」

 テレビには見計らったかのようにデュランダル議長の姿がある。無論、裸どころか従来に比べスタイリッシュなデザインの制服を着こなしている。テレビ映り、見栄えを意識した何とも絵になる男である。

「彼が右翼勢力に支持されていることに疑いはないが、左翼にしろ右翼にしろ、極論に走る人間は自己中心的な人間が多い。どの国、勢力にもいい面もあれば悪い面もある。自分に都合の悪い情報から目をそらすことが自然とできる人間のみが、極論に陥ることができるからだ。彼らはそれを指導者にも適用する。その指導者の都合のいい面だけを捉え、勝手に理想の指導者だと思い込む。つまりデュランダル議長が国粋主義者であるということただそれだけで右寄りの人間は彼を理想的な人物と捉え、支持できる人物だから支持するのではなく、支持するから支持するようになる」

 レイは、ある種のプレビシットだと付け加えたが、ヴィーノはまだよくわかっていない様子である。首を傾げるばかりの部下に、レイは少々苦笑しながらも話を続けていた。

「俺は、そんな都合のいい頭の持ち主は国、地域、民族を問わず2割から3割存在するように考えている。仮にエインセル・ハンターの死によっても戦争が終わらなかったと糾弾されたとしよう。それで支持率が急落しても3割をある種のラインとして踏みとどまることだろう」

 まだ辛うじて政権を維持できる程度の支持率は残る。このレイの予想が正しいのであれば、デュランダル政権の嘘が露呈し支持率が急落したところで政権が方針転換を強いられることはないことになる。

「議長はまさに裸の王だ。ありもしない衣装を、それでも万民に豪華な装いだと言わせるほどの力がある。地球側は戦争をやめようとはしないだろう。魔王を倒し世界に光が戻る、そんなファンタジーはあり得ない」

 だからこそ、戦争は続く、続いていく。

「変わらんよ、何もな」

 レイとヴィーノの間で、シンはただ静かに、魔王と偽りの王の話に耳を傾けていた。その手に握られたプロジェクターは何の反応も示さず、シンを主と認めたはずのアリスはその姿を現さない。
 しかし、そんなシンもつい顔を上げる必要に駆られた。表現はしにくいが、雰囲気が変わったことがはっきりとわかったからだ。
 元々、人通りは少ない。しかし、人が急に足を止めた音、足取りが乱れた音、時には息をのむ声さえ聞こえてきた。そしてそれは着実にシンたちへと近づいていた。
 見ると、それは何のことはなく、ただ少女が一人、歩いているだけだった。
 波立つ桃色の長髪に青い瞳。傷病者が着せられる飾り気ない白衣も純白のワンピースかのように見せている。こんな軍艦ではなくて穏やかな湖畔を麦わら帽子で歩いている方が似合っていることだろう。しかもその顔はラクス・クラインと同じときている。すれ違う人がことごとく信じられないものを見た様子で足を止めたのも仕方の無いことだろう。
 シンは思わず立ちあがりヒメノカリスの前に立ったものの、それで何かしようと考えていた訳ではないらしかった。ただ気まずそうに落ち着きのない表情のままだった。乏しい表情のままのヒメノカリスとはどこか対照的に思われる。
 もっとも、レイは一切動揺を見せないままソファーに座っているばかりだった。

「もういいのか?」

「そう何度も寝てられない」

「シンがお前を連れてきた時は焦らされた。地球軍のパイロット・スーツ姿のお前をどう誤魔化そうかとな」

 ヴィーノとてレイがグラディス艦長にヒメノカリスの受け入れについて話していたことは知っている。その際、パイロット・スーツが破損して地球軍の物を借用したと説得したこともだ。

「た、隊長、知ってるんですか?」

「お前もオーブで会ったはずだが、さすがにエインセル・ハンターの娘だとまでは知らんか?」

 そして、ヴィーノはシンがエインセル・ハンターを討ち取ったことも知っている。思わず磁石入りのブーツを床から離してしまったヴィーノは危うく天井へ向けて投げ出されそうになったところを、辛うじてソファーを掴むことで踏みとどまった。これではヴィーノがヒメノカリスの仇のようである。
 とうのシンは戸惑っているとはいえ、ヒメノカリスの前に立っていたが。

「その……、ヒメノカリス……」

 何も言い出せないシン。その頬を、ヒメノカリスは無言のままはたいた。

「今はこれですませてあげる……」

 どれほど人の機微に疎い人間であったとしてもわかることだろう。ヒメノカリスは怒っているのだと。目を少々細めただけ、それだけでヒメノカリスはシンを底冷えさせるような鋭い眼差しを送った。
 シンは無論のこと、ヴィーノでさえ全身を固くする中、レイだけがどこか楽しげであった。

「案内しよう。艦長に話は通しておいたが、幸か不幸かこの艦は万年人手不足でな。ルナマリアが使っていた部屋が開いている。プラントまで使うといい」




 第四次カーペンタリア攻防戦は、月でプラントが国家存続の危機をかけて戦っていたとほぼ同じ時期にひっそりと行われていた。確かに、オーストラリア大陸から太平洋をうかがうことのできるカーペンタリア基地はザフト地上軍最大の拠点であり、要所であることにかわりない。しかし、プラント国民の多くはギルバート・デュランダル議長の演説で示される月面での戦いにばかり気をとられていたのかもしれない。
 戦いは、やはりひっそりと終わっていた。
 結果は痛み分けである。あるいは、地球側の戦術的な勝利か。ザフト軍は基地の防衛に成功したものの、貴重な戦力を減らし、ボズゴロフ級潜水艦にも損害を受けた。攻撃を受ける度、カーペンタリア基地からの補給は滞ることになる。地球各地の地上軍に物資を十分に送れずにいた。
 そのためか基地に勝利の喜びはなく、プラント本国とはどこか対照的にも思えた。
 基地のドッグにボズゴロフ級が停泊している。開かれたハッチから左腕を切り落とされたセイバーガンダムがハンガーごと運び出されている様を見ているのは、整備などごく限られた人物だけ。戦い、傷ついた戦士を出迎える熱狂した民衆の姿はここにはない。ただ、このセイバーのパイロットは、ハイネ・ヴェステンフルスは傷の治療へと向かう愛機を見送っていた。
 邪魔にはならないよう離れた位置で、ハイネはまだパイロット・スーツ姿のままだ。つなぎ姿が多いドッグではやや目立つと言えるが、それも横に並んだ女医の姿には負けるだろう。どこかの貴族か、あるいは奇術師のような出で立ちなのだから。

「苦戦させられたようだな」

 ハイネは横目で相手が乗艦の軍医であるロンド・ミナ・サハクであることを確認する。

「毎度のことだろ。しかし、白鯨はいないと思ってたんだがな」

「うん?」

「エインセル・ハンターだ。奴は月で死んだんだろ? それなら奴の飼い犬たちが地球に残ってる理由がないと思ったんだよ」

 セイバーガンダムの左腕は白鯨の異名を持つファントム・ペイン、ジェーン・ヒューストンに切り落とされたものだ。並の相手であればこのような失態は見せなかった、そう、ハイネは悔しさをにじませているのだろう。
 ミナは小さく笑う。もしかするとつい負け惜しみをしてしまう少年を微笑ましく思ったからかもしれない。

「なるほど、それは確かに奇妙な話だな」

「まあ、エインセル・ハンターに人望がなかったってことだろ」

「飼い犬と呼んだのは君だろう」

 揚げ足をとられ思わず言葉を詰まらせるハイネであるが、ミナはどこか楽しげであった。ハイネにとって、この一風変わった医師は初対面の頃からこうであったが。
 すでにセイバーガンダムは運び出され、ハイネとしても邪魔になる位置ではないと言ってもこうドッグのど真ん中に立ち尽くしている気はなかったのだろう。歩き出そうとして体を傾けた時だった。

「君は少々変わっているな。君くらいならユニウス・セブン世代ではないのか? しかし君はあまりコーディネーターの理想を口にしないな」

 急に話しかけられて戸惑いがあったのだろう。ハイネはとりあえず立ち止まったくらいの様子だ。

「他の奴らは違うのか?」

「着任したての若者は特に顕著だな。デュランダル政権の支持者も多い」

 しかし、ミナの口からは具体的なことを語ろうとしない。いつものミナにしてはまどろっこしいようにさえ思えたのだろう。ハイネは息を強めに吐くとミナへと向き直った。

「お袋がナチュラルだ。こうも近くにナチュラルがいるとどうしてもな、コーディネーターが無条件にナチュラルよりも優れてるって宣伝文句には乗っかりきれなくなるだけだ」

 まさかクーデターを目論んでいて、仲間に引き込むことができるか探られていたとまでハイネも考えてはいないだろう。ただ、今のプラントではデュランダル政権を批判することを反プラント的と捉え非難する風潮があることもまた知っている。
 もっとも、そんなことをこのミナ医師が気にしているのかは、ハイネにも疑問だったが。

「それで、あんたたちはどうなんだ? なんて言うか、暑苦しい本国連中とは違う感じだな」

 事実、人目はあっても人通りはない場所とはいえ、ミナは周囲の様子を確認しようとはしなかった。

「私が地球に降りてからそろそろ4年になる。そこまで長く暮らしていれば地球に友人ができもする。感覚の違いというものにはやはり驚かされる。たとえば地球では、ナチュラル、コーディネーターの申告義務を課している国はないそうだ」

「しかしプラントでは……」

「そうだ。プラントでは入学、就職などことあるごとに証明書の提出を求められ、学校や企業はコーディネーターを優先的に採用している。それも当然だろう。コーディネーターの方が能力的に優れている以上、コーディネーターを採用すれば能力や適性をわざわざ確認する必要はないのだからな」

 コーディネーターはナチュラルよりも優れている。どうせ試験をしたところで結果は分かりきっている。それならば応募者にナチュラルか、コーディネーターであるのか明らかにさせた上、コーディネーターを優先的に採用すれば効率的ということになる。
 ハイネが疑問に感じたのもそんなところなのだろう。地球ではなぜ、わざわざ決まり切ったことを確認する手間を挟むのだろうかと。

「だが、それはある種の矛盾ではないか? 優れた人物を優遇することと、コーディネーターを優遇することは近いようで違う。結局は特定の人種、民族を優遇していることと変わらないからだ。地球からは、この制度はレイシズムにさえ見えているようだ」

「ひねくれた見方だな。コーディネーター優遇は単なる結果だろ? コーディネーターだから優遇されているんじゃない。優遇されるのがコーディネーターだったってだけじゃないのか?」

「君もコーディネーター用OSなどの与太話を信じている口か?」

 耳にしたことはある。そう、ハイネは口にしたが、それがどのようなものであるのかまでははっきりしなかったのだろう。その声は小さなものだった。
 プラント国内では、モビル・スーツを操縦できるのはコーディネーターだけであり、ナチュラル用のOSが開発されるまでナチュラルは操縦できなかったためモビル・スーツの開発が遅れたとする考えが一般的と言えた。ハイネの戸惑いは当たり前のことにわざわざ疑問を呈する意味がわからないためだろう。
 ミナは最初から今まで、前を向いていた。すでにセイバーは運び出され、そこには何もないはずなのだが。

「そんなOS、少し考えれば実在するはずないとわかるはずだ。コーディネーターの新兵にさえ扱えるようなものが、ナチュラルのエース、達人に扱えないと本当に思うのか?」

 この時、ハイネはこれまでに見せたこともない顔をした。目を大きく見開き、口が惚けていた。以前、天井を突き破り白鯨が急襲した時でさえこのような表情をしたことはなかった。それだけ、ハイネにはミナの何気ない問いかけが驚愕の事実のように受け止められたのだろう。
 ミナが口にしたこと、それはコーディネーター用OSなど存在しない、ただそれだけのことだったのだが。

「コーディネーターというだけでナチュラルよりも無条件に優れていることはあり得ない。そんな当たり前のことを、私は地球に来るまで気付かなかったのだよ。コーディネーターはナチュラルよりも平均的に優れている。しかしそれは絶対的に優れていることとは絶対的に異なることだ。だが、プラントは完全に取り違えている。いいや、取り違えざるをえない。コーディネーターとはより優れた人類であると定義する以上、ナチュラルよりも劣っているコーディネーターは自己矛盾に他ならないからだ」

 ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンはコーディネーターを優れた人類と定義し、そのような人々の手によって築かれる楽園としてプラントを建国した。しかし、コーディネーターが必ずしもナチュラルよりも優れているとは限らないとなればプラントという国は存在意義の根幹を失ってしまうことにもなりかねない。
 だからコーディネーターはすべからくナチュラルよりも優れていなければならない。

「プラントとは不幸な国なのかもしれないな。コーディネーターは優れていなければならない。コーディネーターは無条件に優れている。よって、ナチュラルを低く扱い、コーディネーターを優遇することが許される、そうでなければならない」

 だがそれは差別になる。特定の人種、民族、団体を迫害、冷遇すること、あるいは反対に優遇し持ち上げることは差別に他ならない。
 そして、プラントはコーディネーターを優遇しなければ国としての理念も思想も失ってしまう。差別なくしては成り立たない国と言える。

「まるで倫理の坂道さ。意識して踏みとどまろうとしなければ、プラントは滑りやすい坂道を滑り落ちていく。コーディネーターは優れていなければならない。そうであるためにコーディネーターを優遇し、ナチュラルを冷遇することが当然と考える。地球ではレイシズムとして許されないところにさえ、我々は知らぬ間に滑り落ちていた。この国は、あとどれくらい落ちていくのだろうな?」

 母親がナチュラルであるハイネでさえこのことには気付いてはいなかった。では、ユニウス・セブン世代と呼ばれる人々が、熱烈なデュランダル政権支持派が自らの足下の滑りやすさを自覚することができるのだろうか。

「私が地球に来て知ったことは、つまりそんなことだ」

 話はおわったのだろう。ミナは一度もハイネを見ないまま、まっすぐ前を見続けているだけだったが。
 しかし、ハイネの方はそれではすまなかったようだ。

「どうしてだ?」

「ん?」

「プラントに反感を持ってることはわかった。だが、俺に聞かせた理由は何だ?」

 ユニウス・セブン世代のように熱烈なデュランダル政権の支持者でない以上、聞かせやすかったということはあるのかもしれない。しかし、それは消極的な理由であって、積極的に聞かせる根拠とはならない。
 ミナ医師は何も見ていないようにも思えたが、もしかすると母艦であるボズゴロフ級を眺めているのかもしれない。すでに就役から4年を数える潜水艦を。

「3年前、ジェネシスが地球全土を狙った時、地球には多くのザフト地上軍が残されていた。しかしプラント政府はそんな彼らも標的にした」

「あんたやギナ艦長もそうなのか?」

 鯨は宇宙を泳がない。

「ザフトの中にはプラントの理念もコーディネーターの理想も素直にha
信じられなくなっている人もいる。時にはそんなことを無性に誰かに伝えたくなる。ただそれだけのことだ」




 ビクトリア基地。アフリカ東部、ビクトリア湖の一部を干拓して建設されたこの基地はその規模のみならず軍事的要所としてもザフト地上軍アフリカ方面部隊にとって最重要攻略目標と設定されている。3年前、ジブラルタル基地を失ったことでザフトは戦略の転換に迫られた。特にアフリカ方面軍にとっては北と東の守りを同時に失ったことを意味する。そこからなだれ込んでくる地球軍が拠点としているのが、このビクトリア基地なのである。
 この湖の基地の攻略こそが、ザフト軍アフリカ方面部隊にとって反撃であるとともに防御でもあった。
 しかし、要所は要害でもあった。干拓によって建造された基地ではあるが、その外観は水上基地を思わせた。埋め立てこそしながらも敢えて基地の周囲に水を残している。水深はわずか10mに満たない。モビル・スーツが姿を隠すには浅く、しかし巨人たちの機動力を奪うには十分な深さのある湿地帯に基地が取り囲まれているのだ。そして多数設置された対空機銃による重厚な対空防衛網が張り巡らされている。
 地上から攻め込めば湿地に足を取られ、空から侵攻を試みれば対空砲火にさらされる。
 アフリカ方面軍の主力モビル・スーツはヒルドルブ、四足形態では平地で優れた機動力を発揮するこの機体だが、湿地では反対に足をとられることになる。また、空戦能力では劣っている面がある。ビクトリア基地攻略に適した機体とは言いがたい。
 しかし、対空機銃にさらされることもなく湿地を踏みしめる必要もないような、そんな手段が必要だった。事実、そのような道は存在し、攻撃を仕掛けるザフトはその方法を選択していた。
 ビクトリア基地には湿地を渡る大きな橋が架けられていた。ビクトリア大橋と呼ばれる、基地と外部とを結ぶ唯一の陸路である。ヒルドルブで進行可能な唯一の道であり、ゆえに基地の抵抗激しく激戦地と化していた。
 橋の上ではバリケードに隠れたデュエルダガーたちがビーム・ライフルを断続的に放ち続けている。連射のきかないビームだが、数がそろえれば分厚い弾幕となって敵を寄せ付けない。
 まだ橋に入ることもできない位置では、ヒルドルブたちが苦戦を強いられていた。基地から離れた場所では木々がまばらにあるだけであり、身を隠す場所に乏しい。四足形態の加速力も、このような撃ち合いでは無用の長物である。ヒルドルブはモビル・スーツ形態のまま跳び回ってはビームを撃ち返す程度、防戦を強いられていた。
 ヒルドルブの1機が直撃するはずだったビームをシールドで防ぐ。だが、現在、ビームを完全に防ぐことのできる物質は存在していない。爆発とともに半分に割られたシールドは即座に投げ捨てられた。悲鳴にも近い通信はこの機体から発せられた。

「司令代行、これ以上はもちません!」

「堪えろ! ここで退けば立て直しは不可能になる!」

 マーチン・ダコスタ司令代行の機体もまた、逃げ回っていると形容せざるを得ないほどの猛攻にさらされていた。しかし、反撃は勢いに乏しい。無理に攻撃しビクトリア大橋を破損してしまった場合、ヒルドルブたちは基地への道を失ってしまう。ビクトリア基地の機能を大きく減少させることはできるが、作戦は延期せざるを得ない。

「ここでビクトリアを落とせなければ……」

 遊撃部隊である切り裂きエドが襲いかかってくる。アフリカ方面軍は出血し続けている。乏しい物資、滞る補給、時間は強者に味方する。
 決定的な攻め手に欠け、今こうしている間にもダコスタ機のすぐ傍には着弾したビームが爆発を引き起こし吹き上げられた土砂がヒルドルブに降りかかる。
 しかし、ダコスタとて無策でいた訳ではない。本隊を囮に別働隊を用意していたのである。対空機銃の届かない高空から基地の上空まで輸送機で運ばれたモビル・スーツ部隊が基地内に降下、内外から敵を挟み撃ちにする算段だった。
 それでもダコスタの表情は優れない。切り札を隠し持っているとはとても言えないからだ。別働隊をあわせても城攻めに必要な戦力に達しているとは言えない。手札をすべて切っても必要最低限に辛うじて届くかどうかという有様なのである。相手がたった一つ対抗策を用意していれば目論みは完全に瓦解してしまう。
 デュエルダガーの撃ち合いを続けながら、ダコスタは歯を食いしばっていた。それは別働隊からの通信が入ることでさらに強くなった。

「ダコスタ代行、基地の施設内にビーム発射口が確認できました。蓋は閉じていますが、南米ジャブローと同規模と思われます」

 すぐに返事をすることはできなかった。直撃コースに入ったビームをシールドでいなす必要に駆られたからだ。

「ブラフかもしれません。降下を強行しますか?」

 ヒルドルブを飛び退かせ、穴の開いたシールドを投げ捨てる。それは必要なことだったが、同時に判断するまでの時間稼ぎの意味もあったのだろう。ひとまず機体を安全な場所へと逃がしたダコスタ司令代行は、険しい表情のまま、ようやく通信に応えた。

「降下は中止する。全軍、撤退せよ」

 南米ジャブローでは降下部隊は全滅している。ここで戦力を大幅に削り取られてはアフリカ方面軍の今後の部隊行動に深刻な支障を与えかねない。ダコスタ司令代行の判断が正解であったのかはわからなくとも、適切であることに違いなかった。
 ヒルドルブたちがビーム・ライフルによる弾幕を維持しながらも少しずつ後退していく。明らかに撤退の姿勢を見せていたが、ビクトリア基地は追撃の気配を見せなかった。撤退はわずか10分にも満たない時間で完了し、基地は再び落ち着きを取り戻した。周囲に焼ける匂いと立ち上る黒煙を残しながら。
 ビクトリア基地の周囲から離れると、すぐに荒野が姿を現す。広く、荒れ果てた大地はヒルドルブの独壇場である。ビクトリア基地では発揮されなかった機動力を十分に活かす形で四足形態で疾走している。6機、2個小隊相当戦力のヒルドルブが狼の群れのように走り続けていた。
 4本の足を一つ一つ操縦しているはずもない。特にこのようにただ走り続けている状況ではオート・パイロットに切り替えられており、パイロットたちはある意味で暇をもてあましていたのだろう。ゲイル、そんな名前のパイロットが何の気なしに話を始めた。

「エインセル・ハンターが死んだそうですが、本当に戦争は終わるんでしょうかね? そんなはずないか」

 皮肉っぽい口ぶりだ。事実、仲間たちがこのゲイルが相当の皮肉屋であることを知っている。

「俺たちはまだ戦わされるんでしょうね。月で戦った奴らは英雄で、俺たちはいまだに基地一つ落とせない無能。成果を出せなければ補給も十分にされない。そしたら戦力を補充できないからまた成果を出せなくなる。そしたらまた補給を削られる。俺たちはいつまでも無能のままだ」

 今回の作戦では戦死者も出ている。さすがに場違いな皮肉だと憤る者も隊の中にはいた。

「ゲイル! 本国の不満を言えば戦争に勝てるのか!?」

「知るかよ。まあ、現場の不満を握りつぶす国が負けるってことならわかるがな。来るはずだったピートリー級が届くのはいつだ、ショーン? 予定じゃ一月前なんだが?」

「プラントは小国なんだ。兵站が不十分になるくらい当然だろ!」

「ああ、そもそも戦争なんてできないくらいの弱小だな」

「ユニウス・セブンの犠牲を忘れろっていうのか!?」

「じゃあなんだ? この戦争は単なる復讐か? 議長閣下は民を守るためって言ってた気がしたが、俺の耳も悪くなったもんだ」

 ゲイルとショーン、ダコスタ司令代行を含む残りの4人のパイロットはこの2人の会話に割り込むことはなかった。しかし通信を途絶した様子はなく、最低限、傍観者であることをやめる様子も見せていない。
 ゲイルが司令代行にふと話しかけることができたのも、そんな状況があったからだ。

「司令代行。もし戦争が終わったらそれからどうされるんですか? ナチュラルの家族を連れてプラントに帰るんですか? それとも地球に残るんですか? いいや、それなら戦争の終わりを待つ必要もないか。本国はひた隠しにしてますけどね、脱走兵、少なくない数が出てるのは現場じゃ常識だ」

 ヒルドルブたちはただ荒野を走り続けている。

「そもそも切り捨てられた俺たちだ。本国に義理立てしても仕方がないんじゃないですかね?」

 ダコスタ司令代行は答えない。その代わりか、かみつくのはいつもショーンの方であった。

「ジェネシスを持ち出さなければプラント本国が危機にさらされた。それことやむを得ないことだろう?」

「なら、仕方ない犠牲ってことでいつ殺されるかわからないのが俺たちの立場ってことだな」

「じゃあどうしろって言うんだ!? 降伏すれば地球の人々が許してくれるって言うのか?」

「戦い続けることが地球への贖罪になると思ってんのか? 結局、戦争の正体なんてものはそれなんだよ。恐怖だ。敵に何されるかわからない。だから戦うしかないって思い込んでるんだ。ショーン、お前、本気で戦争に負ければプラント国民が皆殺しにされると思ってんのか?」

「コーディネーターがアウシュビッツ送りにならない保証なんてどこにもない!」

「じゃあ、プラントが勝ったらナチュラルを全員ガス室送りにするってことだな」

「そんなことするはずがないだろ!」

「ならなんで地球ならそんな残忍な行為をするって言えるんだ?」

 ショーンはすぐに答えることはできなかった。ゲイルにしてもほとんど相手がいるだけの独り言のつもりなのだろう。特に話の調子を変えることはなかった。

「本当に国民の生命を守りたいなんて考えてる国はな、何が何でも戦争を回避しようとするもんなんだよ。全面降伏して国がなくなったとしても、民は残るんだからな」

「ユニウス・セブンで殺された20万の人になんて言えばいい? 泣き寝入りして降伏までしろって言うのか?」

「エイプリルフール・クライシスじゃ10億だ。コーディネーターのどこがこれまでの人類と違うって言えるんだ? 同じこと繰り返してるだけじゃねえかよ」

 敵に怯え、自分たちだけが正しいと思い込み、その結果、自分たちを正当化する。これは何もコーディネーターなんて作り出す必要などなく、人類を幾度となく戦争に駆り立てた宿痾と言えた。
 やがてヒルドルブたちは砂地へと足を踏み入れていた。砂漠の狐が砂漠に戻ったのである。そんな彼らの前に広がったのは、ばらまかれた仲間の亡骸であった。
 ヒルドルブたちが一斉に足を止める。そのすぐ目の前には破壊されたレセップス級陸上戦艦の姿があり、格納庫にまで及ぶ深い傷からは多数の残骸が周囲に散乱していた。漏れ出すオイルが血液を思わせて、それは腹を食い破られた巨獣が横たわっているかのようである。狐たちの母艦が息絶えていた。
 ヒルドルブたちがモビル・スーツ形態に変形するとともに周囲の様子をうかがい始めた。レセップス級の損傷の具合を確認するため近づいたのはショーン機である。

「切り裂きエドでしょうね。残忍なまでに確実な壊し方だ」

 ジェネレーターが破壊されたのだろう。その爆発が内部からレセップス級を突き破り、乗組員たちを焼き尽くしたらしかった。しかし、なぜ合流地点が露見したのだろうか、そんな疑問は残る。
 ゲイル機は無遠慮に開いた穴から格納庫へと進入する。

「レセップス級なんてすでに旧式だ。速度から航続距離まで掴まれてれば合流地点を推測するくらい楽勝だろうな。本国に報告だな。あんたらの的確な采配のお陰でまた英雄ができましたよってね」

 格納庫内部には黒焦げの死体が残されていた。爆発から必死に逃げようとしたのだろう。みなが同じ方向に向けて倒れ熱で引きつった体は似た姿勢で固まっていた。そして、火はいまだにくすぶっている。まだ爆発から間もないかのように。
 外のヒルドルブたちも違和感に気付いたのだろう。体の向きをレセップス級から周囲へ、互いに背中をあわせる形で警戒を強めていく。気付いたのだろう。シリアル・キラーがまだ殺しに満足していないと。獲物はここを待ち構えるにはここほど適した場所はないのだと。
 ファントム・ペイン、切り裂きエドはまだ近くにいる。
 ゲイル機が格納庫から顔を出した。

「司令代行、俺が死んだ時、骨は地球に埋めてください。ま、地球が受け入れてくれるかわかりませんけどね」




 それは見ようによっては微笑ましい光景だと見えなくもなかった。並べられた椅子に座るいかつい男たちの前で、少女が1人で教鞭をとっている。どこかままごとでもしているように認識することもできるからだ。
 しかし、ここは軍艦のブリーフィング・ルームであり、話し合われているのは軍事行動についてである。
 少女、黒髪のヴァーリはモニターに映し出された同じく黒髪のヴァーリの姿を示した。ミルラ・マイクが、ニーレンベルギア・ノベンバーの姿を部下に確認させたのである。

「作戦目標はニーレンベルギア・ノベンバー。つまり私の妹だ」

 男たちは露骨に嫌な顔をする者、苦笑いをする者、大げさに天を仰いでみせる者など反応はそれぞれだが、揃って動揺を見せた。

「ああ、勘違いするな。今回は捕縛が目的だ。もちろん、生かしたままでな、今回はな」

 以前と違って暗殺が目的ではない。そう知ると、男たちは落ち着きを取り戻す。すると、雰囲気はどこか朗らかなものにさえ変わる。それこそ、教師ごっこをする少女に大人たちが付き合っているような。

「先生、どうして妹を襲うんですか?」

「ニーレンベルギアがユグドラシルのコントロール・システムに関わっていることがわかったからだ」

 次に質問した男は、特にふざけた様子は見せなかった。

「ユグドラシルをこっちで使いたいってことですか? ガンダムの時みたいに」

「本音としてはそうなんだろうが、まあ、無理だろうな。前線の連中が張り切りすぎたみたいでな。司令部を吹き飛ばしてしまったそうだ。解析はしているそうだが、そこに何があったのか必死に調べてる段階とか聞いたな」

「じゃあ、どうして技術者を?」

「システムの全容を解明できていないからだ」

 ミルラが手元のコントローラーを操作すると、モニターには月の模式図と、いくつもの屈折コロニーが表示される。月から照射された一筋の光が屈折コロニーを経由して複雑な軌道を描きながらプラントに到達した。しかし、今度は別の場所から伸びた光が別の経路でプラントへ到達する。

「ユグドラシルはその性質上、設置場所を選ばない。それなら第二、第三のユグドラシルがあると考えた方が自然だろう。実際、南米ジャブローにも巨大ビーム砲が設置されていた。射出装置そのものは比較的簡単な技術ということだな」

 3人目の質問者は男たちの中では最年少であるためか、やや不安げな顔をしている。

「またプラント本国が攻撃されるってことですか?」

「いや、それはない。ユグドラシルは所詮はただデカいだけのビーム砲だ。射程に限界がある以上、プラントを狙える範囲内に屈折コロニーを入れさせなければ問題ない。どんな斬新なコンセプトとて知っていれば対処は楽だ。だが放置していていい問題でもない」

 設計者を確保し、ユグドラシルの位置及び数を特定する。そうすればよりプラントの安全に資することとなる。そのことはすんなりと受け入れられたのだろう。男たちにそれ以上、手を挙げる者はいなかった。
 ミルラの笑みは満足げでさえあった。

「概要は以上だ。さあ、戦争に行こうか」



[32266] 第38話「五日前」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:c129d3c1
Date: 2018/07/11 23:51
 月での戦いは終わった。しかし戦争は終わらない。
 月面を離れた地球の艦隊を襲ったのはそんな当たり前の事実だった。突如鳴り響いたアラームがそれを告げていた。
 艦長であるイアン・リーが厳しい表情で叫んだ。

「何事だ!?」
「敵襲です!」
「そんなことはわかっている。敵戦力は!?」
「ゼーゴックの編隊です。確認されるだけでも1個大隊相当戦力があるようです!」

 ブリッジのモニターには、足を逆エビに折りたたみ重爆撃機を思わせる姿となったザフトのモビル・スーツが映し出される。小隊単位で見事な編隊を組み、艦隊へと肉薄しようとしていた。

「ザフトにこれほどの練度の部隊があるとはな。モビル・スーツを展開しろ!」

 艦長の指示とともに慌ただしさをますブリッジ。格納庫ではパイロットたちが1秒を惜しんでコクピットへと飛び込んでいく。臨戦態勢。今まさに戦いが始まろうとしていた。そんな緊張感に浸るブリッジへと、腕に包帯を巻いた少年が飛び込んでくる。

「おい、おっさん、何か機体貸せよ! 俺が出てやる」

 生粋の軍人であるリー艦長をおっさん呼ばわりするのはアウル・ニーダしかいない。何度言っても呼び方を直そうとしないアウルに、リー艦長はただ額を押さえる他ない。その代わりに応えたのはオブザーバー席に座るニーレンベルギアである。

「だめよ。あなたはまだ骨にひび入ってるんだから、主治医として出撃は禁止します」
「ザコがいくら出ても無駄だろ!」

 衝撃が突如、ブリッジ全体を揺さぶる。艦の近くで生じた爆発のせいだ。味方モビル・スーツが撃墜されたことで生じたものである。
 戦闘は劣勢の様相を呈していた。ゼーゴックたちは3機小隊で編隊を組み、その推進力で絶えず優位な位置関係を維持していた。地球側のモビル・スーツをそれぞれの小隊の車線が直角になる位置に置き、十字砲火を浴びせているのである。逃げ場を失い、ストライクダガーたちは次々と被弾していた。
 状況を打開する必要があった。しかしリー艦長が思案を巡らせるよりも先にモニターに少女の顔が映し出された。

「ここは私に任せなさい!」

 ヘルメットをかぶったヴァーリである。特徴らしい特徴がない。ヴァーリらしくニーレンベルギアやラクス・クラインと同じ顔をしているのだが、表情があまりに普通であり、それこそどこにでもいそうな少女を思わせるのだろう、何ともヴァーリらしくないヴァーリであった。
 アウルも同じことを考えていたらしかった。

「誰だよ、この地味顔?」
「顔、ヒメノカリスやニーレンベルギアと同じって知ってる?」

 Lのヴァーリ、ロベリア・リマはおそらくコクピットの中にいる。ただ、戦場の棺桶の中にいるにはあまりに緊張感がない。リー艦長はすでに理解の限界を超えているらしく口をいびつな形で結んでいるだけだった。やはり、ニーレンベルギアがどこか自信なさげに話しかけた。

「え~、それで、ロベリア姉さんが出るの?」
「私もゲルテンリッターのパイロットだってこと、みんな忘れてない? ね、雛苺?」
「ロベリア、準備万端なの!」

 ロベリアの周囲には桃色のドレスを着たアリスが浮遊している。アリスの中でも幼い印象で、余計に緊迫感をそぎ落としている。

「よし! ゲルテンリッター6号機ガンダムクライネリーベ、出撃します!」

 そして、映像は切れた。残されたのは戸惑うばかりのリー艦長である。

「ロベリア・リマといえば、かつてはガンダム・タイプに搭乗しヤキン・ドゥーエ攻略戦にも参加したと聞きましたが……」
「はい……。あれでもゲルテンリッターのパイロットですから……、まあ、何とかしてくれるかも……」

 ブリッジには戦闘中とは思えないなにやら微妙な空気に包まれた。
 ロベリアの出撃は、すぐにミルラの部隊に捕捉された。

「隊長、何やらでかいのが出てきました」

 無理もない。その大きさは、大型であったフォイエリヒガンダムよりもさらに大きい。物体の大きさを確認しづらい宇宙空間ではあるが、周囲のモビル・スーツ、軍艦との対比から求められる大きさは30mもの大きさとはじき出していた。宇宙の闇に溶けてしまいそうな漆黒の体に、ガンダム・タイプ固有の顔。何より目立つのは背負われた円盤だろう。その手には何も持たず、そのため円盤が存在感を増している。

「見たことのない機体だな。おまけにガンダム・タイプか。各機、ゲルテンリッターの恐れがある。まずは奴から仕留めるぞ」
「了解!」

 先陣を切ったのはミルラの機体だった。飛び出すと足を伸ばしモビル・スーツ形態へと変形する。両腕それぞれのビーム・ライフル、胸部ビーム砲、合計3門のビームが一斉に黒いガンダムへと向かう。
 しかし、黒いクライネリーベは全身を輝かせると、ビームに道を譲る。フォイエリヒガンダムとは比べるべくもない鈍い動きだが、ミノフスキー・クラフトによって最低限の機動力は確保されているらしかった。だがそれでゼーゴックの編隊から逃れられるはずもない。周囲を飛び回るゼーゴックたちはビーム・ライフルの引き金を一斉に引いた。
 放たれたビームがガンダムを瞬く間に破壊するはずだった。しかしビームはクライネリーベの装甲に弾かれまるでダメージを与えていない。

「フォイエリヒと同じか、厄介だな」

 ビームを弾く装甲には膨大なエネルギーが必要となるが、機体の大きさが通常の1.5倍以上もあれば動力の大型化も可能となる。攻撃を受けることを前提とした移動要塞のような運用を想定したモビル・スーツなのだろう。
 クライネリーベが開いた手を突き出す形でゼーゴックへと腕を向ける。指先には発射口があり、5本の指すべてからビームが発射される。単発のビーム・ライフルであれば回避は容易だが、5本同時に放たれれば点ではなく面の攻撃となる。ゼーゴックの1機がかわしきれずに右腕を吹き飛ばされる。

「その状態では爆発はしないだろうが戦闘は無理だな。撤退しろ」

 無理をすればジェネレーターが熱暴走を起こす。1機のゼーゴックが編隊を離れたことを見届けた後、ミルラは再びクライネリーベの周囲を旋回しながらビーム・ライフルを放つ。
 クライネリーベはその大きさゆえ小回りがきいていない。背後をとることは難しいことではなかったが、やはりビームは弾かれてしまう。加えて敵はこのガンダムだけではない。ストラクダガーたちからの攻撃も徐々に激しさを増していた。体制を立て直しつつあるのだ。

「厄介だな。相手にしている余裕はないが、無視できる相手でもないときた」

 ミルラが焦りを覚え始めた頃、クライネリーベの中でも同じく苛立ちを募らせている者がいた。ロベリアがモニターに表示される命中率の低さに眉を歪めていた。

「敵が早いなぁ。ニーレンベルギア守れないとブルーノさんがっかりさせることになるし、いいよね? 雛苺、やるよ! 私はロベリア・リマ。私は、見えざる力の主」

 雛苺がロベリアの正面に移動することを合図として、コンソールに表示されたクライネリーベの3Dモデル、そのバック・パックが変形していく。円盤状であったそれが展開し、何かの発射口を思わせる内部構造が露出する。円と曲線とで描かれた幾何学模様が現れた。そしてそれは実物のクライネリーベにおいても同じことが起きていた。
 突然、ゲルテンリッターが装甲を展開した。このことに自然とゼーゴックたちは緊張を強めた。発射口からはどんな苛烈なビームが飛び出してくるのか。そう、身構えていた。
 しかし、何も起こらなかった。少なくとも何かが発射されたようには見えなかった。だが、ゼーゴックたちのビーム・ライフルが突如、暴発する。ミルラが確認できただけでも四つものライフルが一斉に爆発したのだ。整備不良や偶然のたぐいではない。

「一体何が起きた!?」

 ミルラの疑問に答えてくれる者などいなかった。
 目に見えて浮き足立つゼーゴック。再びゼーゴックの1機がビーム・ライフルを使用すると、ビームはクライネリーベに弾かれ、ビーム・ライフルが爆発する。ビームの発射に合わせて反撃しているように見えた。別のゼーゴックが同じようにライフルを失った時、ミルラは決断せざるを得なかった。

「撃つな!」

 当然、部下たちからは疑問の声が相次ぐ。すでにストラクダガーたちの横やりも無視できないほどに激しさを増している。ゼーゴックたちが攻撃を控えればその分、ストライクダガーが安全に近づくことが可能となる。比例して敵の攻撃はより苛烈になることのなる。

「詳しい理屈はわからんが、ローゼンクリスタルと類似のシステムのようだ。ミノフスキー粒子に作用し何らかの力を発生させているらしい! ビーム・ライフルでは奴に力の通り道を与えかねん!」

 詳しい解析は技術屋任せにするしかない。そもそもミルラの推測自体間違いである危険性もあった。それでも悠長に正解を探している余裕などなかった。
 無防備に接近してくるストライクダガーに対して、それでもミルラはビーム・ライフルを向けることはできなかった。一方的にビームを放たれ機体を逃がすことしかできない。

「このままではじり貧だな。ミサイルを使う! 各機、タイミングは任せる! ガンダムを狙え!」

 ゼーゴックの翼に取り付けられたミサイル・ポッドから小型ミサイルを放つ。赤外線誘導のミサイルを放つことのできたゼーゴックは全体の半数にも満たない。まばらな密度のミサイルはクライネリーベへ接近すると、折り曲がる爆発する。あのガンダムの周囲にはビームから還元されたミノフスキー粒子が漂っているはずである。ミルラの推測は否定されない。
 ビームは装甲が弾き、実弾は不可視の力が妨げる。優れた防御力に攻撃力。まさに移動要塞ともいえるモビル・スーツだった。
 現在も残りのゼーゴックがミサイルをばらまいているものの、死角は見つかっていない。数少ないミサイルがうまく突き刺さってくれることを期待するのは甘い考えといえた。
 ミルラはストライクダガーに追われながらオープン・チャンネルで通信を飛ばした。

「聞こえるか、ニーレンベルギア?」

 慌てたのはどちらかと言えばニーレンベルギアの方である。これでは会話の内容が垂れ流しになってしまうからだ。ブリッジの中でほとんど反射的に通信をつないでいた。

「ミルラお姉様? 何してるの?」
「あまり時間がない。手短に答えろ。お前は私にユグドラシルのことを話さなかったな。それはなぜだ? お父様の意向に逆らうことになるとは思わなかったのか?」
「ここで聞くようなことかしら?」
「時間がないと言っているんだぞ」

 たしかにまだ戦闘は継続している。ブリッジから見える範囲でもガンダムクライネリーベを中心にゼーゴックとストライクダガーとが入り乱れている。
 ニーレンベルギアは小さく息を吐いてから、奔放な姉につきあうことにしたらしい。

「ほんの少し、疑問に思っただけよ。お父様の望まれる世界が、本当に価値のあるものかどうかを」
「な!? お前はダムゼルだろう? お父様の望まれる世界を否定するのか?」
「お姉様、私たちダムエルは3年前、天地がひっくり返るような体験をしたのだけど、わかるかしら?」
「ああ、あれだ。ゼフィランサスが男と逃げたことだろう?」
「正解」
「馬鹿を言うな」
「私たちダムゼルは絶対にお父様に逆らうことはできない。そんな絶対の価値観をゼフィランサスは否定してしまったの。あれは私たちダムゼルの世界を変えてしまった」

 ちぎれることがはないと考えていた鎖が、案外と脆いことに気づかされた。すると、世界は鎖の長さから解き放たれ広がっていく。

「私たちはお父様に疑問を持つようになった。いいえ、持てるようになったの。だから私たちは誰もが、お父様のお望みがなんなのか、わからなくなってしまった……」

 しかし、ここで時間切れだった。地球軍の増援が到着したのだ。ストライクダガーを中心とした大隊相当戦力である。かろうじて保たれていたバランスを一気にザフトかはぎ取るには十分な戦力といえた。

「ゲルテンリッターの戦闘データを手土産に納得してもらうしかなさそうだ。撤退するぞ」

 しかし、堅牢な装甲を持ち透明な力を用いるガンダム、ただそれだけのことにどれほどの価値があるのか、ミルラ自身、疑問ではあるのだろう。ヘルメットの奥に見えるその顔は決して満足げではない。それとも、ニーレンベルギアが告げた世界の崩壊が、ミルラの価値観にも影響したのだろうか。




 プラント最高評議会議長、ギルバート・デュランダル。彼はプラントでは優れた為政者としてばかりでなくタレントのような人気をも備えている。街角で演説に立てば女性支持者が取り囲み、女性誌には映画の一場面を切り取ったかのような写真が並ぶ。そのファッションの特集が組まれるほどだ。その巧みな弁舌もあいまってその演説はそれこそショーの様相を呈する。
 美しい指導者がプラントの正義を語り、コーディネーターの偉大さを宣言するのである。その姿にプラント国民は酔いしれていた。
 そのことは議長が演説台を離れ、プライベートを過ごしているとしても変わりなかった。取り巻きの若手議員を引き連れ街のバーに現れた議長の姿は、演説と同様、威風堂々としていた。落ち着いたバーの雰囲気もそれを手伝っている。
 若手議員との交流の場にここを選んだのだろう。議長を先頭に他の議員たちが後につく形である。

「はい、デュランダル議長がこの国のため尽力されていることは周知の事実です。しかし、悪意ある報道に忸怩たる思いを抱えておられることと思います。それでも国民のために働くその意気込みについて教えていただきたいと」

 しかし、当の議員は若手議員の言葉よりも興味をひかれるものがあったらしい。足を止め、先客の一人を見ていた。

「すまない、今日は一人にしてもらえないだろうか?」

 議長の意向に逆らうことのできる議員などいない。若手議員たちは未練を残しながらもこの場を離れるしかなかった。そんな彼らに、いつか埋め合わせはすると言い残し、デュランダル議長は客のもとへと近づいた。

「エルスマン議員、相席よろしいですか?」

 テーブルで一人ワイン・グラスを傾けていたその客は無言で頷いた。雰囲気を重視するこの店にあって周囲のテーブルとの距離は開けており話をするには悪くない場所といえた。
 議長がテーブルにつくと、客は、タッド・エルスマン議員はグラスを置く。

「密室で政治を動かすことは好まないのだがね」
「そんなつもりはありません。ただ、リリーのことを聞かせていただきたいだけです」
「息子たちに預けているが元気なものだよ。最近は会えていないが、電話の向こうでは息子が手を焼かされている様が見て取れる」
「それはそれは」

 エルスマン議員を老人とするにはまだ若いが、それでもリリーについて語る様は孫のことを楽しげに語る祖父を思わせる。
 しかし、議員はあくまでも議員であった。現在、クライン派は最高評議会の過半数を占め、他の会派の議員であっても議長に同調する者は少なくない。事実上、エルスマン議員のみが野党としての立場を鮮明にしている。その関係上、デュランダル、エルスマン両議員がそろえばそれはプラント最高評議会の議場と化す。

「だが、なぜ数えられない娘がいるのか? そして君がヴァーリとどのように関わりがあるのか? 他にも、どうして引き取っていたリリーをアイリス君に預けたのかね? 君も私に話さなければならないことはあるのではないかね?」
「たいした話ではありません。ユニウス・セブンの崩壊によってヴァーリのデータの多くは失われましたが、研究そのものは続けられていました。リリーが作られたのは技術の立証、ただそれだけのためです」
「作ることができるか確かめるため、それだけのためと言うことかね?」
「その通りです。だから彼らはリリーそのものにはさして興味をもっていません」

 エルスマン議員は眉をひそめ露骨に不快感をあらわにしたが、デュランダル議長とて努めて平静を装っている様子もあった。

「プラントらしいと言えばその通りだが、では、それを知っている君は何者かね?」
「議員ともなればご存じでしょう。ロゴスを支えていたのはクライン家、ザラ家ばかりではありません。デュランダル家もまたその一つです」
「ではなぜリリーを手元から離したのかだが、これは答えにくいことかな?」
「なぜそう思われます?」
「タリア・グラディス。特装艦の艦長をしているそうだね。たしか、ミネルヴァとか言う。プライベートに探りを入れたことは謝罪するが、ヴァーリを連れてきたとあれば嫌でもしなければならないだろう」

 議長にしても多少、痒いところに触られたのだろう。思わず苦笑している間に、エルスマン議員は言葉を重ねた。

「君が彼女と別れたのは一年ほど前だと聞いたが、リリーを預けに来た時期とも重なる。まさか女性との破談が関係するとは考えにくいが遠因ではないのかね?」
「ただ気づかされただけです。叶わぬ思いなら早々に諦めた方がよいと」
「リリーに対しては何を諦めたのかね?」
「家族……、いえ、何を言っても詮無いことです。申し訳ありませんがこれ以上、お話することはありません」

 しばし沈黙が続く。エルスマン議員はグラスに手を伸ばすことはなく、議長もまたただ椅子に腰掛けていた。そのせいか、店員でさえ注文を聞きに来ていない。他の客たちも失礼にならない程度に両議員がつくテーブルに関心を向けていた。
 不可侵領域になってしまったかのような重苦しい空気は、しかしデュランダル議長はまるでふと世間話を思い出したかのように話し出したことであっさりと瓦解する。

「それより議員。我々が提出した法案についてどのようにお考えですか?」

 エルスマン議員もまた、重圧を感じている様子は見せない。

「無論、反対だ。最高評議会を無視して議長にあらゆる権限を付与するものだ。独裁的と言って差し支えないだろう」
「しかし現在は戦中です。決断の遅れはそのまま国民の危機に直結することになります。議員が適法性を重視していることは理解しているつもりですが、それはある意味では理想論に近い。ですが戦争は現実です」
「私も子どもが生まれる時には車のアクセルを効かせたものだが、ブレーキはいらないと考えなかった」
「それは誤解です。我々はブレーキを外そうとしているのではありません。単にアクセルとブレーキを同じ人が扱うようにすべきと言うだけです。それこそ、運転を分業するなんて車はありません」
「現在の車には衝突防止の自動ブレーキが搭載されているのが当然だが、君の法案では自動ブレーキは何に当たるのかな?」
「強盗に追われている時に自動ブレーキは必要ありません」
「だが君の法案では限定は付されていない。君の主張は乗用車に軍用車の常識を持ち出しているかのようなちぐはぐさがある。何より、この法案は事実上の改憲にあたる。最高評議会全議員の3分の2以上の出席の上、出席議員の3分の2を超える賛成が必要となる。君たちクライン派は過半数を占めているが、私を含め4名の議員が反対に回るだけで廃案となる。今回ばかりは難しいのではないかね?」

 現在、クライン派と呼ばれる議員は7名いるとされる。しかし、残り5名の内、4名の議員は議長の動向に同調しており事実上、デュランダル議長は11名という圧倒的多数で政権を運営してきた。だがそれはあくまでも地球に対する政策における話である。プラント国内の政策ではエルスマン議員以外にも反対に回ることがあった。
 その点をエルスマン議員は指摘しているのである。そのことはデュランダル政権のアキレス腱であるはずだったが、それでもデュランダル議長は余裕を崩そうとはしない。議長はどこにいても議長であった。

「それも、おかしな話には思いませんか? 多数決で選ばれた国民の代表である議長の提案を他の議員たちが妨害できる。それこそ政治の停滞、民主主義の失敗にも思える」
「間接民主制が直接民主制が現実的でないが故の苦肉の策ではないことくらい君ほどの男であれば常識だろう。そもそも多数意見が正しいことに論理必然はない。議論の結果、少数意見が多数派に返り咲くことも考えられるのだからね。国民が議論することは難しいが、間接民主制であれば国民から選ばれた議員たちが意見を戦わせることができる。間接民主制は、直接民主制の発展であって代替などでは決してない。それがわからない君ではないだろう」
「議員は夢想家と言えば失礼ですが、やはり現実に即しているとは思えない。議員のお考えでは国民は誰に代表してもらうべきか正当に判断できる国民のみで投票者が構成されていることを前提としていることになります。しかし、実際はどうでしょうか? プラントでは潜在ナチュラルが5割にも達するとの報告もあります」
「それこそ矛盾だろう。多数であっても誤った意見があると認めるのに、自身が国民の多数に認められたことを権力の正当性に用いるのかね?」
「それは誤解です。私はコーディネーターのプラント国民の半数以上に支持され議長となりました。ナチュラルを自身の多数派の根拠としたことはありません。私は考えています。人が戦いをやめることができなかったのは、愚かな民衆によって愚かな指導者が選ばれたからに他ならないと。優れた人々と優れた指導者がいれば、それは理想の国家になるのだと」
「優れた人がなぜ間違わないと言えるのかね? どれほど高性能な車でも誤った地図であれば目的地にたどり着くことはできない」
「間違ったナビゲーション・システムしか搭載されていないような車を優れた車とはそもそも言わないのでは?」
「それもある種の矛盾だ。正しい意見の持ち主を優れた人と呼ぶとしても、優れた人が正しい意見を持っていることにはならない。前提と結論を取り違えている」
「では民主主義こそが至高だとでも? 時間と手間をかけても正しい意見が得られるとは限らない。理想的な政治体制は、良き独裁とも言われます」
「私も触れても火傷しない火があれば料理も安全にできると思っているよ」

 無論、そんな火は存在しない。人がそれをどれほど理想だと考えていたとしてもだ。
 両名とも引くことはない。最高評議会の議場には円卓が置かれ、プラントの12の市からそれぞれ選出された議員12名によって議事は進行する。だが、デュランダル政権では事実上、対立軸はデュランダル議長とエルスマン議員によって構成されていた。すなわち二人が挟む小さなテーブルは円卓であり、ここは最高評議会の性質をまとうことになる。

「議長、あなたは理論の堂々巡りに陥っている。正しい指導者に全権を与えれば正しい政策が迅速に実行されるとしているが、そもそもなぜ指導者が正しいのか証明がない。指導者が正しいのは、正しい政策を実行できるからだ。では、その政策が正しいか根拠は、正しい指導者によって行われているから。そう、結論と根拠が入れ替わりながら回り続けるだけだ」
「その考えなら民衆に実権を与えることも正当性がないことになる」
「その考え方自体が大きな誤りだ。そもそも、国家権力の源は国民にある。国民が相互に国家に権力を委任すると契約を交わしたことにある。仮に国民に権力の正統性がないのであれば、国家はその権力をどこから与えられたことになるのかね?」
「それは歴史的事実と矛盾します。国民主権、そんな考え方が誕生する以前から国家権力は存在しました」
「我々を文明人たらしめているのは我々自身ではなくこれまでの人々が発明した文明の利器だ。人権は君のいうとおり世界開闢とともに存在したものではない。人類の偉大な発明品なのだよ。プラントを近代国家たらしめているのは我々コーディネーターではなく人権という文明の利器のおかげと言える」
「人類の発展に貢献した蒸気機関は、しかし内燃機関にとって代わられました。人権という新たな段階に入るべきではありませんか? 一つの事実として、人権は大いなる足かせだ。コーディネーター技術の発展のためにはプラント憲法は人権を制限する形で規定しなければならなかった」
「コンコルド。知っているかね?」

 突然の言葉に、さすがに議長も言葉を詰まらせた。しかし、知らない言葉は、知らなくてもいい言葉なのだと確信しているかのようにエルスマン議員に優位を譲ることはない。

「超音速旅客機が登場してから100年以上だが、実は200年以上も前にも運行されていた。しかし、墜落事故の発生に加え、コスト・パフォーマンスの悪さゆえに人は超音速旅客機を手放した。発明は必ずしも一方向ではない。ただ新しいものだからと言って古いものよりも発展したものと捉えるのは早計ではないかな?」
「なるほど。我々は結局、同じ問いかけを続けている。果たして正しいのは誰なのか? 指導者でもない、民衆でもない。それではどうしろと言うのですか?」
「決めるべき人々に決めてもらう。それしかないだろう」
「民衆だと言うのですか? それこそ循環論法だ。人権があるから民衆に主権がある。そもそも人権が存在するのは民衆が主体でなければならないからではありませんか?」
「人は人であるというだけで無条件に権利がある。それが人権というものだ。だが、近代国家が人権を規定する憲法の下に発展してきたこともまた歴史的事実だろう。人は衣服を身につけることで獣と異なるとすれば、近代国家が国家と異なるのは人権による。人類が誇るべき発明とは形ある物に限られない」
「コーディネーターもまた人類の偉大な発明です」

 互いにこの場で言うべきことはすべて言い終えたと考えたのだろう。声を荒らげることもなく、しかし譲ることもなく静かに進んだ議論は静かに終わりを迎えた。
 エルスマン議員がグラスを再び手にし、デュランダル議長がゆっくりと立ち上がる。この光景に安心したのはこの店と客たちかもしれない。これ以上、いたずらに神経を使わされることがなくなったからだ。

「エルスマン議員、今夜はとても興味深いお話を聞かせていただきました。皮肉ととらえてほしくないのですが、あなたのような議員の存在はこの国の民にとって幸いでしょう」




 ルナマリア・ホークは上機嫌だった。久しぶりのプラント、帰宅を許されたことで半年ぶりに自宅に戻ることができるからだ。地下鉄からマンションに直通するエレベーターに乗り込めば3階ホーク宅へはあっと言う間だった。玄関ドアが開くと、姿を見せた妹であるメイリンにルナマリアは抱きついた。

「メイリン、元気してた!?」
「お姉ちゃん……。苦しいよ……」

 そして二人はリビングに置かれたソファーの両端に座ると、ルナマリアの思い出話を始めることとなった。

「それでねそれでね、アスランさんてやっぱりすごいの! 本当なら自分でエインセル・ハンターを討ちたかったはずなのに。歴戦の勇士って言うのよね、ああいうの。戦果にがっついてないとこ、もう名誉なんて飽きたって感じ」

 ルナマリアはアスランとの出会い、そしてくぐり抜けた激戦について話を聞かせた。エインセル・ハンターを追い鉄の森へ行ったこと、大西洋を渡りアマゾンに隠された基地を攻撃したこと、そして、人類の未来をかけて行われた月面での決戦のことを。

「それでエインセル・ハンターは仲間おいて逃げだそうとしたところを乗ってた軍艦ごとバ~ンだったんだって。だから誰か一人を表彰するより活躍した人たち10人くらいに勲章をあげようって話になってるみたいなんだけど、もしかしたら私がもらえるかもしれないんだって! 五日後の祝賀会でもしかしたらもしかするかも!」

 ここでルナマリアはふと気づいた。話しているのは自分ばかりで、メイリンは時折、相づちを打っているだけなのだと。メイリンはクッションを抱えたまま、どこか不安そうにさえ見えた。

「メイリン? どうしたの? なんか元気ないけど?」
「そ、そんなことないけど、お姉ちゃん、あまりシンさんのこと、話さないね?」
「シン?」
「うん。ほら、メールじゃよく書いてくれてたから」
「もう部隊違うからね。それになんかシンて子どもなのよね。いつまでも昔のことにこだわって現実が見えてないって言うか。月での戦いでもシンの部隊、目立たなかったみたいだし」

 ルナマリアが話を盛り上げようとしてもメイリンはなかなか乗ってこない。体を小さくする様はおびえているかのようにさえ見ることができる。

「訓練辛いの? いい教官に会えたって喜んでたじゃない? イザーク何とかさんだっけ? 昔ガンダムに乗ってたって聞いたけど、映画には出てないのどうしてだろ?」

 『自由と正義の名の下に』ではプラントの英雄、アスラン・ザラの戦いの歴史が描かれている。どれほどザフトが勇敢に戦い、まだ未熟だった若者を英雄にまで育て上げたのか、そんなドラマチックな英雄譚にプラントを支持しない者は登場しない。それはプラント、そしてコーディネーターの理想に殉ずる戦士たちの物語なのだから。
 姉は英雄を知っている。妹は英雄とは呼ばれなかった無名の戦士を知っている。

「お姉ちゃん……、デュランダル議長って、どんな人だった?」
「そりゃすごい人よ。まだ若いのに威厳があって、世界がどうあるべきかビジョンがあるって感じの人。それに格好いいし。大西洋連邦の大統領なんて見た? ただの太ったおじさんでしょ」

 何の気なかったのだろう。そのため、ルナマリアがふと立ち上がった時、メイリンは姉を止めるのが遅れてしまった。

「あ! 窓開けない方が……」

 その時には、ルナマリアは窓を全開にしていた。そして部屋には大音量の罵詈雑言が流れ込んできた。

「殺せ! 殺せ! 殺せ! 害悪ナチュラルはたたき出せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ! 害悪ナチュラルはたたき出せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ! 害悪ナチュラルはたたき出せ!」

 マンションのすぐ前の通りを列をなして歩く集団がいた。それぞれ服装もばらばらで一般人であることがわかる。そんな普通の人々が腕を振り上げシュプレヒコールを行っていた。そして、女性の声が拡声器で届くと頭が痛くなるほどだった。

「コーディネーターの皆さん、ナチュラルの皆さん、こんにちは! でも、ナチュラルの皆さんは早くここから出て行ってください! ここはプラントです。地球じゃありません! またエイプリルフール・クライシス起こしますよ! 10億殺しますよ!!」

 ルナマリアは思わず窓を閉める。これで音が遮られ外の音はかすかに耳に聞こえるにとどまる程度に静寂を取り戻した。

「何なのよ、これ!?」

 怒鳴ったところでただメイリンをおびえさせるでしかない。メイリンはクッションを抱く手により力を込め、下ろしていた足をあげてさらに小さくなってしまう。

「あのね……、最近、どんどんひどくなってて……。昔からナチュラルを差別する人っていたけど、差別は恥ずかしいことだってみんなわかってた。でも……、議長がコーディネーターをすごいって言ってるから、そんな人たちが許されてる気持ちになってるんだと思う……」

 外ではまだデモが続いている。ルナマリアはそんな様子を一瞥すると、不機嫌そうにカーテンを閉める。その表情のままソファーへと座り直した。

「議長が悪いんじゃないわ。あいつらが勝手に図に乗ってるだけよ」
「でも、あの人たち、デュランダル議長のこと、支持してるんだよ……」
「デュランダル政権になってプラント経済がどれくらい持ち直したか知ってる? あの人はプラントを救ったのよ!」

 ルナマリアがおもむろにテレビをつけると、そこには水道管が破裂し水が道路に噴き出す事故のニュースが映し出されていた。
 メイリンは特に表情を変えなかった。もったいない、水を浴びた車からドライバーはちゃんと逃げたのだろうか、そんなありふれたことを考えたからだろう。ただ、ルナマリアは先ほどまでと打って変わって表情を柔らかくした。

「プラントの水ってやっぱり綺麗だよね。地球じゃこうはいかないでしょ」




 タッド・エルスマン議員はディセンベル市出身の議員であるが、プラント最高評議会のあるアプリリス市の宿舎に生活の基板を移している。そのため自宅に戻ることはまれであり、今回の帰宅も数ヶ月ぶりのことだった。
 玄関に一歩足を踏み入れたエルスマン議員は、思わず苦笑せざるを得なかった。
 廊下にまで積まれた資料の束。設置されたクリップ・ボードにはデュランダル議長他、プラントの重要人物の顔写真が貼り付けられている。

「久しぶりの我が家が何の有様だね?」

 杖をつく音とともに息子であるディアッカが出迎える。

「反体制派ジャーナリストが拠点にしちまったってとこだな」
「やれやれ、これでは次の選挙は危なそうだ」

 言葉ほどには危機感のない顔は、ディアッカの後ろからリリーが駆け込んできた時によりいっそう強調される。

「お帰りなさい、タッドさん」
「おお、リリー。元気だったかね?」
「うん!」

 笑みを浮かべリリーを抱き上げる様は昨晩、デュランダル議長と真っ向から議論を戦わせたとはとても思えない。それこそ孫をあやす祖父のようである。
 続いて姿を現したのはスーツ姿の女性である。敬礼するその姿は堂に入っており服装は違えど在りし日の姿を思い起こさせた。

「エルスマン議員。お久しぶりです」
「バジルール艦長。ではジャーナリストというのは君かね?」
「はい。軍はとうの昔に抜けました。今はプラントの記事を地球に送る仕事をしています。議員の立場としてはあまり愉快な活動に思われないかもしれませんが」

 そうは言いながらも敬礼するのはある種の職業病だろうか。
 エルスマン議員がふと見ると、クリップ・ボードの脇にプラント国内のナチュラルとコーディネーターの軋轢について書かれていた。どうやらこれが近時のテーマなのだろうとエルスマン議員は考えたらしかった。
 リリーに手を引かれる形でリビングに移動している間も話題はやはり報道についてだった。

「記事の善し悪しを政治家が決めてしまったらその国は終わりだよ」

 答えたのはナタルではなかった。リビングで食事の準備をしているフレイ・アルスターの方である。食器を並べながらも話に入ることができるのはフレイの気さくさ故だろう。

「でも報道の中立性ってありません?」
「ではその報道が中立かどうかを判断するのは誰かな? 結局は国ということになる。とすると厄介なものさ。国は自分たちに都合のいい報道には何も言わないが、都合の悪い報道は中立性を欠くと攻撃できてしまうからね。報道の中立性を政府が言い出したらそれは報道弾圧の芽生えと捉えた方がいい」
「なるほど」

 まもなく商事の準備が整ったところでその場の全員がテーブルについた。エルスマン親子を始め、ジャーナリスト3名にリリーまで座っている。そのため、やや手狭な印象を受ける。まだアイリスが座っていないことからしてもなおさらだろう。アイリスは最後の仕上げとしてスープを配っていた。この配膳が終わったところでようやく食事が始まったのである。
 人々がスープにありつく中、それでもアイリスは食卓に着こうとはしなかった。ディアッカのすぐ隣に立った。

「ねえ、ディアッカさん」
「どうした?」
「後でお話いいですか? 少し大切なことがあって」
「気になるな。今じゃだめなのか?」
「だめじゃないですけど」

 心なしか、アイリスは喜んでいるようにうれしそうにも見える。そのためだろう。ディアッカは興味を引かれ好奇心を抑えきれなくなっている様子だった。

「別に聞かれてまずいってことでもないんだろ? なら今、聞かせてくれよ」
「実は……」

 少々のためが入ったからだろうか。スープをすする手こそ止めていないが、ディアッカ以外にもアイリスの言葉が気になっている者がいるようだ。特にフレイなどあからさまに横目で二人の様子をうかがっていた。
 アイリスはそっと自分のお腹に手を当てた。

「赤ちゃんができました」

 突然のことに気が動転したのだろう。ほとんど話を聞いていなかったはずの何人かが思わずスープを吹き出した。もっともダメージが大きかったのはナタルだろう。どうやら吹き出した際に気管にまともに入ってしまったらしい。咳が止まらず椅子から転がり落ちてしまうほどだ。床に膝をついたまま、まだ咳をしている。そんな所長をジェス・リブルが背中をさすってなだめようとしている。

「所長、しっかり!」

 効果のほどは疑わしい。
 もっとも、中にはフレイのようにいまだに余裕で食事を続けている者もいる。

「恋人になって長いと思ってたけど、やっぱりやることやってたんだ」

 ナタルは心のどこかでアイリスのことをまだ子どもだと考えていたのだろう。フレイとのそんな感覚の違いが被害の代償を生み出したように思われる。まだナタルが苦しんでいる中、エルスマン議員は辛うじて復帰することに成功していた。

「ディアッカ、父として、いや、男として話しておかなければならないことがあるようだ」

 布巾で口元をぬぐいながら息子を見る父の目は、ディアッカに余計な緊張感を与えるに十分なすごみがあった。

「いや、ちょっと……。なあ、その子どもって、いや! 疑ってる訳じゃないぞ! お隣のアレックス君に子犬が生まれたなんて話しじゃないんだよな?」

 そんなはずもなく、アイリスはただ微笑みながらお腹の子どもの父親を見つめていた。ディアッカは危うく倒れそうになりながらも歩き出した。

「ちょっ、ちょっと待ってろ!」

 まもなくして戻ってきたディアッカの手にはむき身の指輪が握られていた。

「これ、お袋のなんだけど、お前に受け取ってもらいたいんだ。箱は、なくしたんだけどな……」

 ここで、ディアッカは指輪をどう渡すべきか悩んだ様子だった。単に手渡すだけでは味気なく思ったのだろう。ただ、なかなか決意がつかない様子であたふたと小刻みな動きを繰り返していた。それもまもなくのことだった。

「アイリス、左手出してもらえないか?」

 ディアッカは杖を脇に挟む形で体を支えると右手で少々の不器用さを見せながらも真剣な様子でアイリスの薬指に指輪をはめた。

「細かいことは戦争が落ち着いてからになると思うけど、その……、これからも一緒にいてくれるよな?」
「ディアッカさん……。はい、もちろんです」

 そうして二人が二人だけの世界に浸っている中、周囲の人々は思い思いの反応を見せていた。フレイのように気にすることなく食事を続ける者もいれば、ナタルのようにようやくダメージから立ち直ろうとしている者もいる。エルスマン議員にしてもすっかり本調子を取り戻したようだ。

「では次の休日に前祝いでもしようか。この国は年がら年中戦争をしているが、祝賀会が開かれるらしいのでちょうどいいだろう」

 月での勝利を祝う祝賀会は国を挙げて行われる。それまでには五日あり、一息置く意味でもほどよいと考えたのだろう。
 こうして段取りが整っていく中、ナタルが椅子へと復帰する。まだ喉の調子は完全ではないらしく時折、咳き込みながらだが。

「まったく、ここには子どもも、いるんだぞ……」

 しかし、そういうナタルでさえ、リリーが食事の手をとめ、うつむいていることに、暗い表情を隠していることに気づくことはなかった。



[32266] 第39話「今日と明日の狭間」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:74ff164f
Date: 2018/10/09 22:13
 カガリ・ユラ・アスハは友人とも姉妹とも言える相手とお茶会に興じていた。低いテーブル越しに向かいあうソファーにそれぞれついている。カガリはティー・カップを置いた。

「なるほど、話はわかった。プラントは、いや、ジョージ・グレンは想像以上にしたたかなようだな」

 相手はエピメディウム・エコー。オッド・アイが特徴的なヴァーリで、いつもは半ズボンのようなラフな格好を好むが、今はスカート姿をはいていた。どちらかと言えばラクス・クラインが好むような格好のように思えたが、そもそも顔は同じである。

「うん。僕も驚いたよ。でも、ツィオルコフスキーが木星圏に大量の物資を運び込んでることにもう疑いはないよ。もう何年も前からね。プラントはもちろん、このオーブやスカンジナビア王国からも出資されているね。問題は、それだけの物資で何をしているか、だね」

 エピメディウムの方はお茶を脇に置き、テーブルの上にいくつもの資料を置いていた。そこには棒のように長い船体にいくつもの大型シリンダーを抱えた宇宙船の写真がある。ファースト・コーディネーターであるジョージ・グレンが木星探索にも用いた輸送船である。もっとも、復路では大量の希少元素で満たされているシリンダーは、しかし往路では膨大な量のキャパシティを有することになる。
 カガリは写真に目を落としながらその事実を苦々しく思ったのだろ。不快感が顔に表れていた。

「だが、これでフィンブルの落着はプラントによるものだと考えていいな」

「そうなるね。まあ、エイプリルフール・クライシスなんて引き起こした国だから今更どこの国も驚きはしないだろうけどね。僕の立場なら残念ながら、と言うべきかな?」

「状況証拠はあったんだがな。プラントは落着に合わせて潜水艦を含めた大量の物資を投下したが、あらかじめ準備をしておかなければ不可能なことだ。そもそもプラントは何なんだ? 休戦中とは言え、ヒルドルブのような大気圏内での使用を前提としたモビル・スーツを開発するとはな。地球再侵攻する気満々だと主張しているようなものだぞ」

「ユニウス・セブン休戦条約が固まる前は水陸両用機や旧型機のグーンやバクゥの発展系の開発も計画されてたみたいだよ。ゼーゴックも当初のプランでは大気圏内でのみ使用可能にしてコストを抑えるつもりだったみたいだしね」

 どれも宇宙にしか国土を持たないプラントの防衛に用いることのできない機体群である。しかしプラント政府はこのような兵器でさえ防衛のために必要と主張し続けたことだろう。
 戦争と防衛とを区別すべきと考えるカガリにとって、このような防衛を騙ることは決して愉快なことではないのだろう。先ほどから目元を引きつらせている。

「プラントは戦争を終わらせるつもりなどなかったんだろうな」

「実際、木星圏にあるのも軍事施設だと思うよ。プラントはもう限界なんだ。無理もないよ。戦争が始まって8年目。不足する戦力を補うために徴兵制まがいなことまでしてるから市民における軍関係者の割合が世界一高いくらいだし、戦費調達のための増税も続いてる」

「それでも厭戦機運が蔓延しないのはデュランダル議長のカリスマ性ゆえか?」

「それもあるけど、やっぱりしたたかなんじゃないかな? 議長のしていることは突き詰めて言うと二つしかないんだ。プラントが危機にさらされてる、戦争に反対する人は反プラント的で国を危機にさらしてる、って言ってるだけなんだから。でも、それだけでプラントの人たちは自分たちの正義を信じるてるんだと思う」

「どこででも聞きそうな話だな」

 カガリは鼻で息をはいた。

「コーディネーターとナチュラル、いったい何が違うのだろうな? そんなことを言い続けたところで戦力が湧いてくる訳ではないだろうにな? 負けるまで嘘をつき続けるつもりか?」

「木星の戦力を切り札に考えてるのかも。DSSDが研究目的で購入した濃縮ウランの行方がわからなくなってるって話もあるんだ」

 つまり核ミサイルを保有している可能性があるということだ。このことにはさすがにカガリも真剣にとらえざるを得なかった。プラントならどこに核を落としても不思議ではない。ユニウス・セブンの悲劇を体験した国がそのように捉えられていることは歴史の皮肉だろう。

「厄介だな。だが、木星までは往復4年もの長旅だ。なぜそんな空の彼方に置く必要があった? それに管理は誰が行っている?」

「おそらくA.I.だろうね。ただ木星である意味はわからない。今から部隊を送っても到着は2年後。地球からは手出しできないっていう意味じゃ、難攻不落の拠点なんだけどね」

「だがそれはプラントにとっても同じだろう? その戦力を今使いたいのであれば2年前から準備している必要がある」

「この戦争はフィンブル落着が原因だよ。そして、それを落としたのはプラントだとしたら、別に難しいことじゃないよ」

 そう、エピメディウムは1枚の資料をカガリに差し出す。受け取ったカガリは、それがツィオルコフスキーのタイム・スケジュールだと理解したようだ。

「帰還予定をすぎているが、まだ戻っていないのか……? 馬鹿げた話だな。船と違って予定が狂えば最悪、帰還そのものが不可能になる。つまり、そういうことか?」

「うん。実はもう地球圏に戻ってるけど、それを隠蔽してるんじゃないかって僕は考えてる。もちろん、そのタンクの中身は木星の希少元素じゃないと思うけどね」

 モビル・スーツか、核ミサイルか、あるいはそれ以外の兵器か。カガリがどれほどツィオルコフスキーの写真を凝視したところで透視などできるはずもない。諦めたように資料をテーブルへと放つ。

「ところでエピメディウム?」

「何?」

「死んだと思われてた人間が帰ってきたんだ、少しはそれらしく振る舞おうという気にはならなかったのか?」

 少なくとも昨晩お休みと言って別れたかのように井戸端会議にせいを出す前にすることがあったはずだろう。
 カガリはあきれているが、とうのエピメディウムはいたずらっぽく笑うだけである。

「けっこう面白かったよ。キサカが腰抜かした姿なんて一生見ることないと思ってたし。人が幽霊を見たらどんな顔するかわかったしね」

「わかったのはお前が悪趣味だってことだ。生きてたならどうしてもっと早く出てこなかった? まさか記憶を失ってたなんて言わないだろうな?」

「ミルラ姉さんに襲われて実際、死にかけたんだよ。歩けるようになったのはつい最近なんだ」

 そう、エピメディウムはスカートをたくし上げてみせた。右足があるはずのところには金属製のフレームが鈍く光り、義足であることを示している。半ズボンをはくことのできなかった理由がこれなのだろう。

「それに調査の時間も必要だったし、何より監視が緩んだのがエインセルさんの死の直後なんだ。それでようやく接触できるようになったってこと」

「ラクスがお前が生きてるかもしれないと警戒していたということか? それならなぜ今になって動けるようになった?」

「エインセルさんを倒して油断したとか? まさかね。正直、僕にもわからないんだ。ミルラ姉さんが僕を仕留め損ねた理由も、あのラクス・クラインが僕がまだ生きていることに気づかなかった訳もね」

 事故で亡くなったはずの姉妹が何事もなかったかのように帰ってきた。本来なら涙の一つでも流したくなるような感動的な場面なのかもしれない。しかし、エピメディウムのあまりに唐突でひょうひょうとした態度に、カガリは喜びを通り越して呆れているようだった。あるいはどこか疲れているのかもしれない。
 エピメディウムはそんなカガリをよそに生前と変わらない微笑みを浮かべている。

「でもね、わかったこともあるんだ。やっぱり、僕はラクスの創ろうとしている世界が、お父様の望まれるものには思えない」




 今日はプラント全土でお祭り騒ぎとなっていた。エインセル・ハンターを倒しプラントを救った戦士たちをたたえる日だ。朝のニュースはすべての祝賀会について取り上げ、街では多くの人がプラントの国旗を手に練り歩いているほどだ。
 そんな街の様子は、ザフトの軍学校の屋上のような少々寂れた場所からでも確認することができた。ここには何ともアンバランスな若者がいた。軍人を思わせる厳しい表情をしているが、その屋上の手すりに寄りかかる手には人形が置かれている。人形は赤い瞳に白い髪、青いドレス調のズボンをはいていることから中性的な印象を与えるが、それは紛れもなく少女の人形だった。ゲルテンリッターの心、アリスだからだ。
 若者はイザーク・ジュール。このヤキン・ドゥーエ攻防戦の英雄に人形を愛でる趣味はないという点で不釣り合いと言えた。しかし、ここにそのことをいぶかしむ者はいなかった。
 屋上にコートニー・ヒエロニムスが現れる。国を挙げての喜びの日にもかかわらず渋い顔をして、特に声をかけることもなくイザークの横へと並んだ。二人は互いに顔を見合わせることもなく話を始めた。

「復隊、おめでとうございます」

「皮肉を言うな。教え子を人質に取られただけだ。まさか期間短縮の上、俺があいつらの隊長に指名されるとはな。断るに断れん」

 かつてコートニーは復隊を願うためにイザークを訪ねたことがあった。その際は断られたが、今になってイザークが承諾したのはコートニーの願いに応えるためではない。ザフト軍の上層部の画策だった。そのことを、イザークは言葉に含まれるトゲと受け取ったらしかった。もっとも、互いにそんな些事を気にかけることはなかったが。
 コートニーはこともなげに話を変えた。

「短期速成訓練生は現在のプラントでは珍しい存在ではありません。それどころか訓練さえ不必要と主張する技術者もいるほどです」

「馬鹿を言え。歩き方も知らないガキどもをどう走らせる?」

「アリスなら可能です」

 意味をはかりかねたのだろう。イザークは一瞬、コートニーの横顔を伺った。しかし、すぐに視線を前に戻したのは、コートニーに続きを話す意志があると確信したからだろうか。事実、コートニーはアリスという言葉の意味を語り始めた。

「アリスはガンダムに搭載された学習型A.I.のことですが、それは発展の過程で二つに派生しました。乱暴に分けるなら地球とプラントで別の道を歩むことになったと言えます。地球の現在の完成形は彼女です」

 そう、コートニーはイザークの腕に座る青い少女を目で示す。ゲルテンリッター4号機の心である蒼星石は視線に気づいた風はあったが、特に気にした様子を見せていない。

「初期のアリスはパイロットを暴走させる危険性をもつものでした。アリスが勝利に必要と判断した情報を投影しパイロットがそれを自分の考えと誤認した結果、勝利のみを追求する戦いをしたためと考えられています。現在、その点は改善されていますが、インパルスガンダムには初期型をそのまま発展させたというべきものが搭載されています。サイサリス・パパ、ご存じですか?」

「3年前にジブラルタル基地で顔をあわせた。ジャスティス、フリーダムガンダムの開発者であり、ヴァーリだな?」

「はい。開発主任であるサイサリス・パパは意図的にパイロットを暴走させることを目的としてアリスを調整しています。設定された作戦目標をパイロットに自らの意志と誤認させる他、どう操縦すべきかさえアリスに指示されるようになっています。つまりパイロットを単にモビル・スーツを動かすための一つの部品とするのです」

「なるほど、人が機械の指示通りにモビル・スーツを動かせるなら練度など関係ないな。操り人形ということか」

「はい。脳と手足さえあれば誰であってもよいのです。もっとも、サイサリス・パパ主任は無人機の過渡期に当たる技術と捉えているようですが」

 C.E.75年の技術をもってしてもまだ人間の脳は安価で優秀な点において機械に勝っているらしかった。技術も経験も必要がない。ただ座ってさえいれば判断も戦い方もすべてアリスが決定しパイロットはそれこそコクピットに座ってさえいればいいことになる。
 コーディネーターであろうとナチュラルだろうと、訓練を受けている必要もない。教官を務めるイザークにとっては決して愉快な話ではないのだろう。口元を歪め皮肉っぽい笑みを見せることは珍しいことのように思われる。

「戦争をなくす確実な方法は人類を滅ぼすことだと言っていた奴がいたが、戦争に人が不要となれば人類滅亡後も戦争は安泰だな。人類の進化を謳うプラントの行き着いた先が人類不要論とはな。蒼星石、お前たちアリスも単独でモビル・スーツを動かすことができるんだろう?」

「はい、マスター。でも、僕たちにできるのは動かせるくらいで、戦闘みたいに複雑な動きはできません。それに、僕はあくまでもマスターのお人形です」

「ああ。頼りにしている」

 コートニーは蒼星石を再び見やると、どこか不思議そうに瞬きを何度か繰り返した。

「なぜ、ゼフィランサス・ズールは兵器に心を与えたのでしょう?」

「兵士から心を奪うことの方が自然か?」

「……ダーダネルス海峡でアリスを発動した機体がありました。しかしアリスは誤作動を起こし、インパルスは敵を前に停止したそうです」

「当然、撃墜されたんだろうな?」

 コートニーは無言で頷く。

「解析によるとことは驚くほど単純でした。当時、ザフトはエインセル・ハンターの追跡中でした。インパルスはフォイエリヒガンダムの撃破を目標としてアリスを発動したのです」

「アリスも無理難題突きつけられて嫌になったんだろ。数打ちでフォイエリヒを落とせるものか」

「まさにその通りです。アリスが予測した結果、インパルスの確実な敗北を確信しすべての戦闘行動を停止したと考えられるのです」

 イザークはコートニーから得られた情報を反芻しながらより不快を募らせているのだろう。ただでさえ難しい顔はついに軟化することはなかった。

「俺が教えていたのは操縦方法だけじゃない。戦士としての矜持というものを伝えたつもりだ。だが、どうやらプラントにとって誇りやプライドは不要なものらしいな。それとも何を誇りとすべきかは国が決めるべきことなのか?」

 どう戦うべきか、誰と戦うべきか殺すべきか、そのすべてを国が決めることになる。
 コートニーは何も答えようとせず、またイザークも求めはしなかった。そうしているうちに、校舎のそばをデモ隊が通りかかった。ナチュラル排斥を訴えるプラカードを掲げた反ナチュラルを訴える団体だと遠目にもわかる。ナチュラルを追い出せ、そう、大声で繰り返しているからだ。

「反ナチュラルのデモか。最近、目につくな」

「彼らは悪人でもなければ愚鈍でもありません。しかしレイシストであり危険です。自分たちを選ばれた民と信じ、ゆえに多くのことが許されていると考えるからです」

「コーディネーターはそもそも選民思想の産物と聞いたことがあるが……」

 イザークが若干の戸惑いを見せたのは、思いの外、コートニーが饒舌に思えたからかもしれない。無駄な話を好むようには見えなかったからだ。しかし、今日のコートニーは話を積み重ねる。

「人種主義と言えばナチス・ドイツが有名ですが、その根拠はひどく薄弱で非科学的なものでした。無理もありません。何が優れていて何が劣っているのか、その基準を科学は提供してくれないのです。しかし、コーディネーターが異なるのはその点です。コーディネーターは優れた人類として科学的に生み出された存在です。故にさも科学的に優れていると証明された存在であるかのように振る舞うことができてしまう。自分たちは優れた人種であると考えられてしまう根拠が、このプラントにはナチス・ドイツよりも遙かにそろっていると言えます。プラントは選民思想、人種差別、排他主義というイデオロギーに対してあまりに無防備だ」

 そもそもコーディネーター自体、選民思想に由来する存在である。コーディネーターは優れている。ではナチュラルは劣っている。優れた存在は優遇されるべきであり、劣った存在は冷遇されるのが当然だろう。
 デモ隊の主張はわかりやすいほど、この国の宿痾を体現しているのかもしれない。

「加えてデュランダル政権はその点に無頓着にすぎます。いえ、助長させてきたと言ってもいい。君たちは優れている、しかし敵は劣っている。そう言い続けることで支持率を維持してきました。それどころか、移民、在プラント・ナチュラル、障がい者に対する差別的な扱いはご存じの通りですが、エイプリルフール・クライシスの甚大な被害、ジェネシスによる地球滅亡、フィンブル落着による犠牲さえある種、利用している。優れた存在が劣った存在を抑圧することが許されるとは限りませんが、抑圧することが許されているとすれば自分たちは優れているに違いないと論理のすり替えを行っているのです」

 ジェネシスは仕方のないことだった。エイプリルフール・クライシスで地球が一度焼かれている以上、戦場にしても問題ない。フィンブルの落着はそもそもの原因は地球にある。そんなことがプラントの共通認識であることはイザークも理解していることだろう。教え子たちの多くがそんな価値観を有しているからだ。

「お前がプラントの政治体制に否定的だとは知らなかったが、社会科の教師にでも転職を考えているのか?」

「いいえ。プラントがファシズムに対してきわめて脆弱であることは単なる事実です。これからお話することの伏線にすぎません。お耳を拝借しても?」

「死角を取られるのは好まないが」

 しかしイザークは否定しなかった。コートニーは顔をイザークの耳元へと近づけると、短くつぶやいた。その瞬間、イザークは思わず目を見開いていた。

「なっ!? 正気か!?」

 つい声を大にしてしまったイザークだが、口から出かけた言葉を飲み込むように苦々しくも息を吸い込む。誰かに聞かれてはならないことだとイザーク自身、理解していたからだろう。
 もっとも、コートニーにしてもこれ以上のことを話すつもりはないらしかった。

「教え子にはナチュラルもいると聞いています。私は戦士としてのあなたに敬意を払いたい。それだけのことです」

 そうとだけ言い残しコートニーは歩き去ろうとする。そこにはまだナチュラル排斥を主張する声が響いていた。




 シン・アスカはどこか緊張した面持ちで廊下を歩いていた。すれ違う人はみな軍服姿でシンの方を見て驚いたような顔で歩き去る少年を見送っていた。正確には、シンのつれている少女を見ているのだ。
 すぐ後ろには白いワンピース姿のヒメノカリスがいた。乏しい表情で、それでいてラクス・クラインと同じ顔をしている。人々はどうしてここにラクス・クラインがいるのか、なぜあのように不機嫌な顔をしているのか、そもそもどうして赤服とは言え一兵卒につれられているのか、そんな疑問に混乱させられているのだろう。
 シンはそんな奇妙な空気にどこか居心地の悪さを感じているのだろう。足が早足となっていた。そのためか、目的地には思いの外、早くついたようだ。観音開きの扉を前に、シンは呼吸を整えノックしようとした。ところが、先にヒメノカリスが扉を開いてしまう。仕方なく、シンは慌ててヒメノカリスの後に続いて室内へと足を踏み入れた。
 そこは広い部屋だった。家具が長椅子くらいしか置かれていないからだろう。だからこそ、すぐに気づくことができた。出迎えた少女は他ならぬラクス・クラインだということに。
 派手すぎず、それでいてドレス調の衣装で、ラクス・クラインはテレビでそうであるように柔らかな微笑みでシンとヒメノカリスを迎えていた。
 ヒメノカリスとラクス、向かい合うとそれは不思議な光景だった。鏡が仕事をさぼったせいで部分部分が違っている。そうとしか思えないほど、やはり二人はよく似ていた。

「ラクス姉さん」

「ヒメノカリス。本当に久しぶりです。ユニウス・セブン以来でしょうか?」

 そう、ラクスは優しくヒメノカリスを抱きしめた。もっとも、ヒメノカリスは何事もないように表情を変えていない。

「姉さん、何のためにシンを呼んだの?」

 そのことはラクスも同じかもしれない。再会の喜びを分かち合った後であるかのように笑顔のまま、ヒメノカリスから離れたのだから。

「お話がしたいからです」

「答えになってない」

 この部屋の扉はノックされない宿命なのかもしれない。外から誰かを制止する声がかすかに聞こえたかと思うと、扉が勢いよく開かれた。
 現れたのは黒髪のラクスだった。この剛胆な少女はシンを見つけるなり、遊び相手を見つけた子どものように笑って見せた。

「お前がシン・アスカか。なかなかいい面構えをしている。不死身の男の名は伊達ではないようだな」

 シンとしてもヴァーリについて知った以上、何人同じ顔が現われても驚かない気でいたのだろう。しかし、見ると黒髪のヴァーリのすぐ後ろには緑の髪のヴァーリがしがみついている。さらに不死身の男という聞き覚えのない言葉まで出てきた。さすがに瞬きを繰り返す以上の反応を見せられていない。

「知らないのか? 二桁を超える被撃墜を誇りながらも必ず生還する男と言えば一部では有名だぞ。私はミルラ・マイク。Mのヴァーリだ。こっちはデンドロビウム・デルタ。Dだ」

「そうやってヴァーリのこと言いふらして回るの、本当やめろよな!」

 椅子に座るタイミングをことごとく逃してしまったのだろう。誰も長椅子に腰掛けようとしないまま、シンは忙しく同じ顔の間で視線を動かす必要に駆られていた。次にラクスに声をかけられたからだ。

「シン・アスカさん。私もミルラほどではありませんが、あなたに興味があります。たとえば、あなたはどうしてザフトなのですか? 戦争に母を奪われ、戦争を憎むはずのあなたがどうして軍人を選んだのですか?」

 どんなことを聞かれるのか、そう身構えていたらしかったシンだったが、かえって拍子抜けしてしまったらしい。

「それほど戦争ってものに興味が持てなかっただけです。どうでもよかったんです。それに、俺みたいな在外コーディネーターが市民権を得る手っ取り早い方法が軍人になることだってことくらい、議員が知らないはずありませんよね?」

「あなたがプラントに来たのは人類の未来をともに担うためではないのですか?」

「やめてくださいよ、そういうの。俺はただオーブを離れたかっただけです。でも地球の国じゃどこも手一杯で移民の受け入れをしてたのがプラントだったってだけです。外人部隊の仲間たちもそういうの多かったですよ。いろんな理由で故郷にいられなくなって仕方なくプラントに来たってだけの人たちは」

 そしてその大勢が命を落としている。かつての外人部隊のことを思い出したのだろう、シンは久しぶりに暗い目をしていた。

「人類の未来だとか可能性だとか、そんなプラントの宣伝文句真に受けてる奴なら、前の戦争の時にとっくにプラントに来てますよ。地球ごと焼き殺されかける前にね」

 笑い出したのはミルラだった。

「なるほど、典型的な移民ということらしいな。それに度胸もある。聞いたぞ、ザフトの騎士にかみついたそうだな」

「ただ言ってやっただけです。あんたは間違ってるって」

 やはりミルラは笑っている。デンドロビウムは厄介ごとに巻き込まれたかのように苦い顔をしているが、ラクスとヒメノカリスは一切表情を変えようとはしていない。ラクスに関しては、微笑んだままという意味で。

「ですがわかりません。エインセル・ハンターはなぜゲルテンリッターをあなたに譲り、あなたに倒されることを選んだのでしょう? エインセル・ハンターはあなたに何を託したのですか?」

「いや、特に、何も……」

 シンとて思い出そうとしてみたのだろう。ただ、それほどの何かを話したかのようには思えなかったはずだ。ただ互いの身の上を語り、人を救うことが正しいと確かめただけのことだった。何か大それたことを語らったことはなかった。
 戸惑っているのはシンだけではなかった。デンドロビウムもまた同様である。

「じゃあなんでお前がゲルテンリッターをもらったんだ……? お前じゃなきゃいけない理由があったってことだろ……?」

「さあ……?」

「何かあるだろ!?」

 そうは言われたところで、初対面で、しかも敵軍に属する少年に最新鋭の機体を与える理由が思いつくはずもない。
 さしものミルラも口元に手を当て、珍しく考え込んでいるようだった。

「シン・アスカ。エインセル・ハンターとどんな話をした?」

「母さんのことや、人を殺しちゃいけないこととか……」

「世間話だな……」

「でも本当にそんなことだけなんです。世界はこうあるべきだとか、そんなことは……。ただ、人が人を犠牲にしちゃいけないって、そんなことを確認したくらいで。でも、そんなことなのかもしれません。そんな当たり前のことなのかもしれません」

 シンは自分でも考えをまとめながら話しているのだろう。決してよどみなく語られている訳ではないが、行くべき道は見えているのだろう。何を話すべきかは悩んだ様子を見せつつも、何を語るべきかに迷っている様子はない。

「俺、プラント政府のやり方が嫌いです。世界はこうじゃなきゃいけない、人はこうあるべきだって言って、それを口実に人を犠牲にすることは仕方がないんだって自己弁護してるようにしか見えないからです。でも、それっておかしなことって気がしませんか? 国の偉い人が勝手に国民はこうならなければならないって決めつけるのもそうですし、それが犠牲の理由になることだって」

 ミルラのジョークにも、ここで笑う者はいなかった。

「親を殺した男が孤児であることを理由に減刑を嘆願するなんて笑い話もあったな」

「でも、プラントがやってることってそういうことですよね? コーディネーターは優れてなきゃいけないからナチュラルを差別して。国民は人類の未来のために戦うのが当たり前で、だからその戦いに加わらなかったコーディネーターを在外だってやっぱり差別して」

 反論したのは、意外にもデンドロビウムの方だった。しかし、シンは動じた様子を見せない。

「じゃあ、お前は評議会議員がプラント国民を不幸にしたがってるって考えてるのか? 別に誰かを犠牲にしたいからしてるんじゃなくて、どうしようもないこともあるってことじゃないのか?」

「でも、何が幸せかなんて人それぞれじゃないですか? なのに国がああしろ、こうしろって押しつけて、そうできない人はどうするんですか? 異常だ、普通じゃない、そう言って排除するんですか? 誰が犠牲になるべきかって決めるんですか?」

 ミルラは愉快犯の立場に終始していた。特にどちらに味方することもなく、ただ面白そうと考えたことをそのまま口にしているかのようだった。

「そういえば、シンには勲章が贈られないそうだが、どうしてだ? あのルナマリア・ホークは二つ目の鉄十字勲章を受勲すると聞いたが?  ああ、勲章がもらえなくてすねてるのか?」

 しかしシンの胸にはカーペンタリア基地で受勲したはずの勲章はなかった。どうやら、今、シンが取り出した長方形のケースの中にしまわれたままであるようだ。

「いや、別に返してもいいんで」

 そう、シンは本気で勲章を返還しようとする。ラクスに手渡したのは、単に差し出しやすい角度、距離にいたのがラクスだっただけだろう。ラクス自身は黙ってケースを受け取ったが、デンドロビウムは頬を引きつらせていた。Dのヴァーリの様子はおびえた猫を彷彿とさせる。やはりミルラは楽しげだったが。

「本当にいいのか? デュランダル議長のお気に入りになれれば栄達は思いのままなんだぞ。お前にとって悪い話じゃないだろ?」

「それが駄目なんだと思いますよ。役に立つか立たないか、それを権力者が勝手に決めるってことじゃないですか? だからこの国は障がい者に冷たいんだと思います。生産性のない人間に価値はないって決めつけて、だから排除してもいいんだって決めつけてるってことですよね? でもそれって、政権が変わって他のこと言い出したらどうするんですか? 誰だっていつ障がい者になるかわからないじゃないですか? 結局、政治家個人の価値観でしかなくて、そんな個人の都合で政策が歪められるのがこのプラントって国なんだと思います」

 ヒメノカリスは話に加わろうとせず、ラクスはただ微笑みを浮かべたままシンの言葉に耳を傾けていた。4人の同じ顔をした少女たちが思い思いの顔で少年を見つめている中、それでもシンは落ち着いていた。言葉に迷いは見られても発言そのものにためらいはない何を言うべきかを選びつつも、ここで語らなければならないことは理解しているように。

「エインセルさんが言わなかったことって、そういうことじゃないでしょうか?」

 プラントから魔王と呼ばれた男は世界のあるべき姿を語ることはなかった。シンに望みを託すこともなかった。

「世界はこうあるべきだ、こんな人間には価値がないなんていくら言ったって、それはエインセルさん個人の価値観でしかないんです。だからあの人は俺に何も語らなかった。だとしたら、世界にあるべき姿なんてものないんです。そんなの、ただの好き嫌いでしかないから」

 それでも世界の向かうべき方向性があるとすれば、それは道しるべとしてはあまりに単純なものなのかもしれない。

「俺、エインセルさんのしようとしたことは間違ったことだと思ってます。でもそれは、議長が言ってるみたいに人類の理想郷を滅ぼそうとしたからじゃなくて、ただ人が人を焼こうとしたからです。そんなこと、許されちゃいけないんです」

 人が人を焼いてはいけない。ただそんなことだけが、世界の方向性を決めるために用いる基準であるのだとすれば、エインセル・ハンターがシン・アスカに託した思いは、託したということさえおこがましいほどにありふれたことになる。
 しかし、デュランダル政権が、ラクス・クラインが決して口にしなかった言葉でもあった。

「あの人は否定されたかったんです。それに、何も託したくなかったんです。それは、ただの個人の価値観を押しつけだから。あの人は俺だから、いいや、俺でもよかったんです。間違ってることをおかしいって言えるなら誰でも。何も託すものなんてないからです」

 すでにミルラでさえ口をはさまなくなっていた。まるで不思議なものでも見ているかのように、それぞれの少女がそれぞれに神妙な面持ちを形作っていた。まだ15歳でしかない、軍属であることを除けばただの少年でしかないはずだった。呼びつけたラクス・クラインとてシンの口からエインセル・ハンターの真意を聞き出すことを期待してはいなかったことだろう。
 エインセル・ハンターから何も聞かされなかったはずの少年が、どうしてこうまでエインセル・ハンターについて語るのだろう。そんな戸惑いが同じ顔をした少女たちに伝播していた。
 その中でもヒメノカリスの驚きようは目立っていた。瞬きさえ忘れシンが語る様をただ見つめていることしかできなかったからだ。

「でも、もしも言うなら、あの人は未来を託したのかもしれません。でもそれは俺にだけじゃなくて、間違ってることは間違ってるって言える人たち全員にです。世界にあるべき姿なんてないなら、間違った道にさえ進まなければ、あとはなるようになればいいってことですから……」

 すでにシンの中でも迷いながら紡いできた言葉が間違っていないと確信に近づいていったのだろう。徐々に言葉ははっきりとしたものへと変わり、至高の娘を前にしても物怖じしない態度でついに結論へと至る。

「俺はあの人から世界の何も託されてません」

 その時、部屋中に甲高い音が響いた。その音の正体は簡単に明らかになった。だが、それでも人々はそろって混乱している様子だった。
 音は勲章のケースが床に叩きつけられたもの。割れたケースから飛び出した鉄十字勲章が跳ねて転がった。問題はそれを実行した人物だ。他ならぬラクス・クラインが、まるで激情に任せて衝動に突き動かされたように髪を振り乱し、ケースを叩きつけた姿勢のままだった。そんな至高の娘の姿に、誰もが自分の目を疑っているようだった。
 ヒメノカリスに至っては瞳を振るわせ、動揺をまるで隠せていない。

「ラクス姉さん……」

 Gのヴァーリでありダムゼル、そして26人の姉妹の中から選出された至高の娘はいついかなる時も冷静であり完璧だった、そうでなければならなかった。そんなラクスが怒りを露わにすることがあるなど、同じヴァーリである姉妹たちは信じられなかったのだろう。
 しかし、ラクスは自分を取り繕うことができないまま声を静かに荒らげた。

「シン・アスカ。あなたは危険です……!」

 この言葉の意味をシンは理解しなかった。だが、ヒメノカリスの反応は早かった。

「シン!」

 少女の瞳に鋭さが戻り、シンの手を掴むと同時に走り出していた。
 ミルラもまた早かった。懐から手帳でも取り出すかのように気軽で慣れた手つきで拳銃を取り出し、手を取り逃げる男女へと発砲していた。
 弾丸が、しかしヒメノカリスたちを捉えることはなかった。二人はドアを使うような上品なまねはせず、ガラスを突き破って外に出たからだ。素早く、しかも予想外の動きであったためだ。

「意外と当たらないものだな」

 割れた窓ガラスを前にミルラはカートリッジを取り替えていた。ラクス自身、すでに平静を取り戻しているように、デンドロビウムもまた普段の様子を取り戻していた。

「何余裕こいてんだよ! 早く追え!」

 部屋には散らばるガラス片に混じり捨てられた勲章が鈍い輝きを放っていた。
 突如として増した慌ただしさは、だが外にまで伝わってはいなかった。駐車場ではヴィーノ・デュプレがただうなだれていた。

「鉄十字勲章に、専用のガンダムにラクス議員と会えるとか……、俺とシン、どこで差がついたんですかねぇ……?」

 答えたのはレイ・ザ・バレルだったが、停車中の車に寄りかかるという態度同様、決して真面目に答えるつもりはなかったのだろう。

「ああ、あれだ。生まれ持った資質だな」

「遺伝子調整できるようになっても人生の不平等ってなくならないんですね……」

 そんな二人にも何か異常事態が起きていることが把握できるようになる。警報が遠くに聞こえ、警備員たちが小走りに駆けだしていく様子が見られたからだ。そして、全速力で走ってくるシンとヒメノカリスの姿もあった。道を無視して芝生を突っ切りレイたちの方へと駆け寄っているのだ。ただ事でないことは明らかだった。
 レイがすぐに車に乗り込むと、ヴィーノもまた事態の急変を察したか助手席へと滑り込んだ。シンたちが後部座席に飛び込んだのは直後のことだった。

「レイ、車を出しなさい!」

 訳を聞くこともなくレイは車を出発させる。急発進させたためヴィーノが座席の背もたれに体を打ち付けたが、弾丸を撃ち込まれるよりはましだろう。銃を構えた警備員たちが悔しげに遠ざかる車を見送っていた。
 それからしばらく車を走らせていると、追っ手がないことをようやく確認できたのだろう。レイはようやく後部座席へと疑問を飛ばした。

「シン、今度は何をした?」

「それが、なんだかクライン議員を怒らせたみたいで……」

 シンどころか、ヒメノカリスでさえ何が起きているのか把握していない。この少女にしては珍しく考え込んだ様子で話に割って入ることはなく、どちらかと言えばヴィーノの方がある意味で状況を把握しているようだ。

「マジかよ……?」

 青ざめた顔をしたヴィーノの横ではレイが運転しながら笑っている。

「ザラ家にクライン家か。後はデュランダル議長を殴りでもすればお前はめでたくプラントを敵に回す。だが、問題はこれからどうするかだな」

 何が起きているのかもまだ明確でない。そんな状況で正しい選択ができるはずもなく、誰もが言いよどんでしまう。車の駆動音しか聞こえない、そんな重苦しい沈黙の中を電子音が響き渡った。シンが懐から円盤状のディスプレイを取り出した。

「水銀燈……、なのか……?」

 ディスプレイから光の柱が立ち上がるとともにその中に黒いドレスの少女が姿を見せた。

「ミネルヴァに来なさい」

 そうとだけ言い残し、水銀燈は姿を消した。
 アリスの意図もわからないまま、呆然とするシンだった。しかし、状況を把握してから動こうということ事態、すでに甘えと言えるのかもしれない。事態は車中の彼らが考えている以上に逼迫していた。




 マーケットは盛況だった。月面での戦勝を記念しての祝賀会が個人宅でも開かれるのだろう。多くの人々がパーティの買い出しに繰り出しているらしかった。決して狭くはないマーケットの通路は、カートを押す家族連れで手狭な印象を与えていた。
 ディアッカたちもまた一組の男女と子どもという組み合わせではあるが、少々アンバランスな買い物客と言えた。子どもの年齢の割には、両親は若すぎ、夫妻はどちらかと言えば友人関係に見えるからだろう。少なくとも、今のディアッカの連れているのはフレイであり、家族水入らずにしては大きなため息をついていた。

「あ~あ、アイリスに先越されちゃったな。ねえ、別にディアッカだって今結婚する気じゃなかったんでしょ? アイリスが二十歳になるまで待ってたってやつ? ねえ?」

 カートを押しながら、ディアッカもややうんざりした様子だった。どうやら買い物の間、ずっとこの話題を振られ続けているようだ。

「またその話かよ。まあ、少しは時間がほしかったことも事実だけどな……。なんでわかったんだ?」

「アーノルドさんがそんな感じなのよ」

「アーノルドさんだって悩んでんだよ。自分がふさわしい男かどうか自信が持てなくても、だからってお前を諦めることもできないんだ。だから時間稼いでんのさ」

「そんなもんかな?」

「大切にされてんだ。少しは信頼してやれよ」

 フレイはまだ納得していない様子だったが、ディアッカが妙他人事にしては妙に照れくさそうにしていることから察したらしい。表情が見る間に邪悪な微笑みに変わっていく。

「なあに? もしかしてディアッカもそうだったのぉ?」

「どうでもいいだろ」

 ぶっきらぼうに返事するのは照れ隠しのためだろう。そんなディアッカの思い人は現在、自宅で調理をしているはずだ。料理ができず、たまたま手が空いていたフレイが荷物持ちにかり出されたのである。
 そんな人物はもう一人いる。ごった返す買い物客の隙間を縫うように、リリーが小走りに駆け寄ってきた。手には指定された調味料の小瓶を握りしめている。

「はい、ディアッカ。持ってきたよ」

「おう、ありがとな。ん? 今日はお菓子ねだらないんだな?」

 リリーは商品をカートに放り込むだけでディアッカの疑問に答えようとしなかった。ただ、ディアッカがそのことを不審がるよりもさきにフレイの手首をきかせたスナップが後頭部を捉えた。

「いつまで子ども扱いしてんのよ?」

 そうして三人は一通りの買い物を済ませた後、まもなく駐車場に出ていた。買い物袋を車に積み込む時にはすでに周囲が薄暗くなり始めていた。プラントはコロニーであり、昼夜は外部ミラーが取り込む太陽光を調整することで再現される。そのため、日が沈むということはなく、太陽が徐々に楕円になっていく最後には消えていくことで夜になる。今の太陽は眠たげな瞳ほどにもやせていた。
 ディアッカがふと空を見上げたのはほんの気まぐれだろう。

「地球に行くまで日が沈むんだって知らなかったんだよな……」

 どれほど地球の環境に似せていようとここはプラントである。ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンが宇宙空間に求めたまったく新しい国なのだ。コーディネーターという新たな人類が住まい、人種、国境、宗教、あらゆるしがらみから逃れた理想郷として建国された。
 優れた人は優れた社会を営み、優れた社会で構成されるのは優れた国家であり、優れた国家には当然、優れた人が暮らしている。
 太陽が瞳を閉じるとくしゃみをした。
 体を内側から震わせる衝撃は、それが爆音であることに気づくには時間を必要とした。あまりに大きな音であったため、聴覚が一時的に麻痺していたのかもしれない。お祭り気分で賑わう人々は意外なほどに落ち着いている。状況をまるで把握できていないため、驚きようもないのだろう。しかし、彼らは知ることになる。呆然と見つめる先、大きな火煙が上がっていたのだから。



[32266] 第40話「水晶の夜」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:90a3b547
Date: 2019/06/25 23:49
 プラントは12の市、各10基のコロニー群によって構成されたコロニー国家である。コロニー内では地球の環境が再現され、太陽光を取り入れる構造は昼夜さえも表現する。プラントにおいても国民は地球上と同じく昼と夜とを繰り返す。
 しかし、今宵ばかりはプラント建国以来はじめての夜を迎えていた。
 いくつものコロニーで火の手が上がっていた。街を燃やす炎が夜空に立ち上る黒煙を赤く染めている。半狂乱になった男が鉄パイプで商店の窓ガラスをたたき割るすぐ脇では反ナチュラルを叫ぶ人々の行列がシュプレヒ・コールをあげながら行進していた。あるいは血を流した人々が道に倒れている。
 全国規模の暴動はプラントが誕生して初めての事態であり、街は混乱のるつぼにあった。
 接触事故を起こしたと思われる車が道をふさぎ誰も近づくことのできない通りでは、視聴者もないまま街頭テレビのアナウンサーが深刻な表情を大きく映し出していた。

「緊急速報を続けます。現在、アプリリウス市、ディセンベル市をはじめとして五つの市で大規模な暴動が生じています。現在、詳しい状況は不明ですが、商店が襲撃されているとの情報があり非常に危険な状況と思われます」

 アナウンサーがモニターに映し出されているにも関わらず画面外に退出してしまう。まもなく戻ってきたものの、その時にはプロらしくなく慌てた様子を見せていた。

「たった今、デュランダル議長が国家緊急事態を宣言しました! これより基本権は一時制限されます。市民の皆さんは落ち着いて警察の指示に従い、極力、自宅から出ないようにしてください。繰り返します。国家緊急事態が宣言されました!」




 アナウンサーが滑舌を危うくするほど焦った様子を見せたことを、イザーク・ジュールは車載モニターで知っていた。

「国家緊急事態か……。これでこの国は一時的とは言え立憲主義から外れることになったな。何度目かわからんがな」

 イザークは車を運転中であるためモニターを詳しく見ていることはできないが、国家緊急事態が宣言されるということは国家が必要と判断すれば国民の権利を制限できるようになったことは理解できたのだろう。
 しかし、今更そんなことで慌てる必要もなかった。イザークの運転する車は道路に散乱するため速度を上げることができないでいる。ナチュラルが多く暮らしている地区を眺めるように横切ろうとしていた。そのため、ナチュラルが経営する商店が略奪されていても警官が積極的に鎮圧する様子を見せていない。拡声器で呼びかけるのがせいぜいだ。
 髪の色から判断するに、警官はコーディネーターであるらしかった。
 イザークは横目で混乱する街の様子を眺めると、視線を正面に戻すよりも先に後部座席に視線をやった。そこには3人の少年少女が震えて座っていた。皆、イザークの教え子だ。1人の少女は体を小さくしたまま泣き止む気配を見せない。少年にしても街の様子を見まいとしてか体を微動だにしない。よって、イザークに話しかけるだけの気力を残しているのは最後の1人、メイリン・ホークだけだった。

「教官……、どうして私たちを迎えに来てくれたんですか……? 私たちの出頭命令って、暴動鎮圧のためですよね……? それならなんで暴動が起きる前に来られたんですか……?」

「暴動が起きるとリークしてくれた奴がいたからだ。予期しない故意は起こりようがないが、意図的なアクシデントは起こすことができるものだ」

「教官は知ってたんですか!?」

「今日の昼過ぎにな」

 思わず座席から身を乗り出すほどに興奮しているメイリンとは対照的にイザークはあくまでも運転を続けている。警察がイザークたちの車を止めようと立ちふさがろうとしたが、車が軍の公用車であることに気づくとあっさりと道を譲った。
 道ばたでナチュラルと思われる男性が大勢に取り囲まれ蹴りつけられている光景が見えたのはそんな時だ。同じナチュラルであるメイリンにとって心穏やかでいられる状況ではないのだろう。メイリンもまた後部座席で小さくなってしまう。
 イザークはただ運転を続けていた。

「コーディネーターにとってナチュラルは欠かせない存在だ。優れているとは相対的でしかない以上、コーディネーターが優れた存在でいるためには劣った何かが必要になる。そして、優れた者は劣った者を虐げることが許されるのだとすれば、他人を足蹴にすること自体が自分たちが優れた存在であることの証明だと錯覚できる」

 コーディネーターが優れた人類だとして、しかし人類すべてがコーディネーターとなった場合、コーディネーターは優れた人類ではなくただの人類でしかなくなってしまう。そして、自分とは異なる誰かを虐げることで、コーディネーターは自分たちが優れた存在なのだと自覚できる。
 コーディネーターは劣った存在と、それが劣っていることの証明、その双方を必要としている。

「リークしてくれた奴はこれは儀式だと言っていたな。コーディネーターが優れた存在であり続けるためのな」

「ナチュラルの人たちにひどいことしてもですか!?」

「逆だと言っているだろう。ナチュラルに対してひどいことができるからこそ、コーディネーターは自分たちが優れた存在だと自覚できる」

「こんなのあんまりです!」

「そうだな」

 メイリンの言葉を聞きながらイザークが眺める外の光景は凄惨であるとともに美しくもあった。砕けたガラスが路上に散らばり水晶で飾り付けたかのように煌めいていたからだ。しかしその輝きの下ではおびただしい血が川となって排水溝へと流れ込んでいた。戦争の血生臭さを美辞麗句で覆い隠すプラントの現状と重なってさえ見える。

「アスラン。お前たちは本当にこんな世界を望んでいるのか……?」

 イザークの乾いた言葉は誰に届くこともなく狂乱の中に消えていく。




 プラントの各コロニーに点在するナチュラルの居住区を中心に暴動は広がりを見せていた。ナチュラルとコーディネーターの区別はあらゆる意味において曖昧だった。居住区が明確に色分けされている訳ではなく、コーディネーターが経営する店舗が襲撃を受けたとの報道が流された他、障がいを持つコーディネーターがナチュラルと勘違いされて暴行を受けたとする話も流れている。
 騒動はナチュラルの居住区で収まるはずがなくプラント全体が大なり小なり影響を被りつつあった。
 決してナチュラルが多いとされていない地区でさえ帰路を急ぐ者、避難しようとする者が集まり道路がひどい渋滞を起こしていた。
 ディアッカは運転しながら、前の道路が目詰まりでも起こしたかのように渋滞していることに気づいた。両手が健在であればハンドルを叩いて苛立ちを示したかったところだろうが、実際、渋滞の中からはクラクションの音が鳴り止まない。みな、気が立っているのだ。
 無論、それは助手席に座るフレイとて同じことだろう。

「まったく、差別に迫害、コーディネーターってこれまでの人と何が違うのよ!?」

「馬鹿言うな。プラントはエイプリルフール・クライシスで10億殺したんだぞ。シーゲル・クラインは間違いなく史上最悪の虐殺者として名前を残すさ」

「何? 残虐さをコーディネートしたってこと?」

 当時のクライン政権の実行したニュートロン・ジャマーの無差別、無警告投下によって最大で10億の人命が失われたとされる。敵対関係にあった国家のみならず地球全土を標的とした史上最大の大虐殺は、しかしプラント国内ではやむを得ない犠牲として悔いるどころか国家の正当性を証明するために使われることさえある。
 価値あるものはそれだけ犠牲を強いられる。とするならば、多くの犠牲を支払った以上、それは価値あるものに違いない。
 論理的には必ずしも正しくはないが、思えばプラントはこの戦争が始まる前から同じことを繰り返してきたのかもしれない。エイプリルフール・クライシスの夜からただただ同じことを。
 ディアッカが車を渋滞の最後尾にうまくつける。車の列はまるで動き出す気配を見せない。街の様子はところどころで火災が発生しているらしく、夜空が不気味に赤く照らされている。幸い、喧噪は遠く少なくとも暴徒がいきなり窓を割って車内の人間を引きずり出すようなことはないだろう。
 ひとまずは安心と判断したのか、ディアッカはどうせ動き出すはずもない正面ではなく、後部座席でタブレットをいじっているリリーの様子を確認した。おびえているようには見えないが、逆にこのような状況で冷静すぎるようにも思えた。ディアッカ自身、議長から預かったこの子の様子が最近、どこかおかしいようにも感じていたのだろう。声をかけようと後ろをむこうとした時のことだ。

「ああ、リリー……?」

 窓を誰かが叩いた。ノック程度のおとなしいもので、突然のことではあったが驚くほどのことはない。ディアッカは何の気なしに振り向きを中断するとすぐ隣の窓へとそこで初めて戸惑ったように目を見開いた。

「アスラン……」

 そこに見知った顔があったからだ。軍服姿のアスラン・ザラがすぐ外に立っていた。

「奇遇だな、ディアッカ」

「ああ、ニコルたちの墓じゃ一度も会わなかったのにな。でもお前、今日は式典に出るんじゃなかったか? ああ、でもこんな暴動騒ぎじゃ中止だな。お前がここにいるのも不思議じゃないか」

 窓越しであるため少々、声が聞こえにくい。それでもディアッカは窓を開けようとはしない。

「暴動で式典が中止になることをあらかじめ知っていたならな」

 ザフトの騎士とまで呼ばれるエース・パイロットが式典に参加しないはずがない。では、なぜアスランはここにいるのだろうか。ディアッカは努めて平静を装っているらしかった。妙な軽口が目立ったからだ。

「お前に演技の趣味があるとは知らなかったな。お題目は『茶番劇』、あたりか?」

「ああ、だから観劇料をせしめる気でいる」

 ディアッカが急バックしたのはその時だ。幸い、まだ後続車はおらず、車は道路にスリップ痕を残すほど急旋回すると路地へと滑り込んだ。
 急発進したためフレイは咳き込んでいた。ベルトが胸に食い込んだのだろう。

「何なのよ、ここでアスラン・ザラって!?」

「さあな。昔話をしに来たようには見えなかったがな!」

 決して広くはない道だ。制限速度を守っていられる状況ではないため危うく街灯に衝突しそうになる。しかし、アスランが何らかの目的をもってディアッカたちを追ってくるのであれば大通りにでることはできない。フレイが時折、後ろを振り向いては追っ手はないかと確認している。
 運転に集中するディアッカと後ろを監視しているフレイ、その両者の間にタブレットが差し込まれた。

「ねえ、ディアッカ、これ見て!」

 リリーの差し出したタブレットは、当然、ディアッカではなくフレイが受け取った。この記者見習いが表情を変えたのはすぐのことだ。

「ディアッカ! タッドさんに逮捕状が出されたって!」

「容疑は!?」

「え~と、国民に対する破壊活動を防止するための法律に基づいて……、要するに議長が捕まえる必要があるって判断したから捕まえることにしたってさ! 最高評議会議員だけじゃないみたい。他にも逮捕状が出されてるって!」

「混乱に乗じて政敵を潰すつもりか? いや、潰すために混乱を演出したのか……?」

 そうでなければアスランがここにいる、いや、いられる理由がないとディアッカは考えているのだろう。父に逮捕状が出たとしても息子であるディアッカには法律上は関係がない。しかし、そんな法治主義的な考え方がこのプラントで通用するかは疑わしい。
 状況が単なるディアッカの杞憂ではすまないとわかった以上、フレイは脇の鞄から拳銃を取り出した。マガジンを取り外し何か複雑そうな顔をしながら弾丸が充填されているかを確認していた。
 護身用とするには少々無骨な拳銃に、ディアッカはつい意識をとられたらしい。

「銃なんて扱えるのか?」

「私が元軍人だってこと、忘れてない?」

 忘れるはずもないだろう。かつてディアッカとフレイは軍艦の中、捕らえられた捕虜と懲罰房送りになった兵士という関係で出会ったのだから。そしてあの時はどちらでもない第三勢力による攻撃によって二人とも危険にさらされていた。今の状況は様々な意味で、当時の二人の関係に符号するのかもしれない。
 車中であるにも関わらず響いてくる駆動音。音の正体を探ろうと見上げると、ヅダが低空で飛行していた。モビル・スーツが市街上空を飛び回っている異常な状況と言える。そのモノアイが左右に動いては路地の中の何かを探している様子は明らかだ。そして、ヅダはしばらくしてディアッカたちの車の上空で動きを止めた。
 市街に侵入したモビル・スーツに見下ろされる光景を、フレイは以前にも見たことがあった。

「ヘリオポリスを思い出さない?」

「そうか? 俺はモビル・スーツに乗ってた側だったからな」

 当時のディアッカは奪ったガンダムに乗り込むと、その出力を上げ街の上空へと躍り出た。見下ろす側の人間に、見下ろされる立場の人と同じ気持ちになれということは難しいことなのかもしれない。
 ただ、アクセルを踏み込み乗り込んだ物の出力を上げることに関してはディアッカのしたことは同じだった。車は狭い路地の中、単眼の巨人に見ろされながら速度を上げていく。




 エルスマン邸のドアが破られ、特殊部隊が流れ込んだのはちょうどその頃のことだった。ライフルを構えた重武装の隊員たちが手際よく散開し瞬く間に室内の様子を確認していく。いつ銃撃戦が始まってもおかしくない緊張感をまとう特殊部隊は、しかし一度も発砲することもなく隊長の待つダイニング・ルームにまで戻ってくる。

「誰もいません」

 しかし、テレビはつけっぱなしで街の暴動の様子が流されている。テーブルの上には飲みかけの飲料が置かれ人がいた気配が濃厚であった。果てにはダイニング・ルーム隣りのキッチンではまだ調理中であった。火こそ消されているものの鍋には作りかけのスープが残されている。隊員の一人がマスクを外しスープをすくって飲もうとする。さすがに隊長が止めようとするものの、その時にはすでに一口含んでいた。

「残念。まだ味付け前のようです。ですが、まだ温かい」

 つまり調理が中断されてまだ間がないことを意味している。
 車庫へと向かった隊員からの連絡が届いたことで隊長は作戦の失敗を認めざるをえなかった。

「車が1台なくなっています。ただ、これは息子の方でしょうね。別の車を使ったなら追跡は難しいかと」

「直前で横やりが入ったようだな。情報漏れがあったということか……」




 その車は決して目立たない道を選んではいなかった。わざと目立たないような道を走るだとか、そんな人目を意識した運転には思われない。傍目にはとても亡命者を運んでいるようには見えないことだろう。しかし、この車にはプラント最高評議会議員が乗っている。
 後部座席にタッド・エルスマンを乗せ、その両脇にナタル・バジルール、ジェス・リブルの両記者が、助手席にアイリス・インディアが座っているのは運転手たっての希望だった。
 車内がただならぬ緊張感に包まれている中、アイリスもまた不安げな様子を隠せていない。

「ルキーニさんて、何者なんですか?」

「ただのフリー・ジャーナリストさ。ただ、ちょっとばかりヴァーリにつてがあってね。君たちを助けるように言われてきた」

 運転手、ケナフ・ルキーニは不敵な笑みを見せ、この状況を楽しんでいるあのようである。あるいは、単に自分の隣りにヴァーリが座っていることがうれしいだけかもしれないが。

「ああ、信用してくれていいよ。僕がデュランダル政権の手の者ならわざわざ突入を空振りさせる意味がないだろう?」

 そう、アイリスたちはこのケナフに助けられ危ういところで逃げ出すことができたのである。しかしまだ安全とは言いがたい。街では暴動の爪痕が生々しく、すれ違う車の中にはフロントガラスが割れているものもあった。車内の人々は不安げにそんなプラントの様子を観察している。
 そんな中、ケナフだけはどこか飄々としてさえ見える。

「今は、エルスマン議員が捕らえられては困る人がいるとだけ言っておこうかな。いや、アイリス君が、かな?」

 そう横目で助手席のアイリスの様子を盗み見たケナフの視線は怪しげな雰囲気をまとってはいたが、この男がヴァーリを見るときはいつもこのような様子であるため今さら気にする者はいない。
 そんなことよりもアイリスには気がかりなことがあった。

「ディアッカさんたちは、どうなるんですか……?」

 暴動の起きる直前にディアッカはフレイ、リリーと買い出しに出かけていた。当然、連絡などとりようもない。
 さすがのケナフもばつが悪そうに視線を前に向ける。運転に集中するにしては道は混んではいない。ケナフのはうまく道を選んでいるらしかった。

「僕にはどうしようもない。君たちを助けることだってぎりぎりの賭けなんだ」

 ここで選択肢は二つしかなかった。全員で捕縛されるか、あるいはせめて逃げられる人を逃がすかである。今ここに不必要に感情的な者も、状況を把握できない者もいなかったただ重苦しい沈黙ばかりが車内を支配する。
 アイリスはただうつむいたまま、命を宿す場所にそっと手を置いた。




 街が混乱の極みにあるとしても、軍港にまで及んではいなかった。無論、暴動鎮圧名目で出撃する部隊もあるため、普段通りとは言いがたい。しかし、少々の慌ただしさを除けば街と比べるべくもない。
 シンたちも同じ状況にある。ミネルヴァの通路を普段通りに歩き、しかし4人全員が早足になっていた。先頭をレイが、そのすぐ後につくヴィーノの様子から見て取れる。

「隊長、通れましたね……」

「連絡が間に合ってなかったのか? あるいはまさか軍施設に逃げ込むと考えなかったのかはわからんがな」

 少なくともシンとヒメノカリスに設定された指名手配がミネルヴァにまで届いている様子はなかった。すれ違うクルーたちも街の様子が様子なので少々気が立っている程度にしか思わなかったことだろう。
 レイは不自然にはならない程度に咳払いで時間を稼ぐと、うまくクルーたちが離れた頃に本題を始めた。

「シン、お前はメルクールランペでプラントを離れろ。キラを頼れば亡命も受け入れてもらえるはずだ」

 もちろん、シンはすぐに決断できた様子はない。しかし足を遅くする様子もまたなく、彼らの足は格納庫へと向いている。そうである以上、シンとてすでに心は決まっているのだろう。

「覚悟を決めろ。プラントは今夜を境に大きく国の形が変わる。お前やヒメノカリスに愉快なことにはならないだろう」

 シンは口元を固く結び考えを固めたらしかった。その決断の重さはかえってヴィーノの方が理解しているようにさえ見える。

「モビル・スーツを勝手に使うってことですか!? 軍法会議ものですよ……!」

 少々声が大きくなってしまったことに気づき、ヴィーノは慌てて自分の口を押さえた。幸い、周囲に気取られた様子はない。モビル・スーツであれば1機であっても街一つ破壊できてしまうほどに危険な兵器だ。どのような理由があったにしろ、パイロットが独断で機体を使用することは極刑もおかしくない重罪となる。
 そのことをレイが知らないはずがなかった。

「そうなるな。だから俺はこうしなければならん」

 立ち止まるとともに、レイは取り出した拳銃をヴィーノへと向けた。

「た、隊長!?」

「ヴィーノ、お前は訳もわからず巻き込まれただけだ。この脱走に何の関係もない。わかったな?」

「でも……?」

「脱走兵に手を貸せばどう転ぼうとプラントには戻れなくなる。まだ母親の恋人に会っていないのだろう?」

 いくら友人のためとは言え、国も家族も捨て去ることがそうそうできるはずもない。ヴィーノは伏し目がちではあったが、これは決断できないというより、シンたちの力になれないことに対する負い目に対してのことだろう。しかし友人だからと頼るにはあまりに大きな対価を支払わせることになることは紛れもない事実である。
 シンは友人の肩に手を置いた。

「これまでありがとな、ヴィーノ」

「うん……」

 拳銃を取り出しておいて騒ぎにならないはずがない。慌ただしく足音がシンたちの方を目指していた。ライフルを構えた警備の姿が通路の先に見えた。もはや別れを惜しんでいる時間はなかった。
 レイは珍しく声を荒らげる。

「歯を食いしばれ、ヴィーノ・デュプレ!」

「へ? ぼふぉらぁ……!」

 鋭い肘打ちが正確にヴィーノの顎を捉えた。声にならない声を上げて後ろへと少年が倒れると同時に、傷害犯は格納庫へと走り出した。

「走れ!」

 シンもまた反応が早かった。ヒメノカリスの手を握るとレイのあとに続いて走り出す。
 この瞬間から特務艦ミネルヴァの艦内は一気に緊迫する。警報が鳴り響き、警備たちの歩調を合わせた、だからこそ無機質にさえ思える足音が各所で聞こえるようになる。この騒ぎは当然、艦長であるタリア・グラディスの耳に入るまでに時間は要しなかった。
 警備の1人が口の端から血をにじませているヴィーノを介抱しながら連絡をとっていた。相手であるグラディス艦長はブリッジの艦長席で聞いていた。

「艦長、反乱です! レイ・ザ・バレル隊長がヴィーノ・デュプレ曹長を殴り逃走! モビル・スーツを狙っているようです!」

「レイが!?」

 信じられない、あるいはなぜこんなことを、そんなことが艦長の胸中では一瞬にして渦巻いたことだろう。しかし迷っている時間も余裕もありはしない。ブリッジのモニターにコクピットに座るレイの映像が映し出されたからだ。

「艦長、こんな日に仕事熱心で感心だが、ハッチを開けてもらおう」

「あなたはいったい何を!?」

「時間がない。ガンダムの攻撃力を知っているなら理解できるはずだ。交渉は互いにとって時間の無駄だと?」

 現在、ビームを防ぐことのできる装甲は存在しない。ガンダム・タイプともなればハッチを破壊して道を造ることは容易なことだった。結局、ハッチを破壊され逃げられるか、ハッチを残存させて逃げられるか、それだけの違いでしかない。

「ハッチを開けなさい」

「しかし……!?」

 ブリッジ・クルーは当然、躊躇したが、タリアの決意は変わらない。

「どちらにせよ逃げられるだけです。早く!」

 もはや反対する者はいなかった。ミネルヴァのハッチが開けられ、もはや猛獣をとどめておける檻はない。

「艦長……。ありがとう」

 その言葉を最後にモニターが消える。当然、通信も拒絶されており、タリアからは2機のガンダムが飛び去る様子を確認する術はなかった。
 ガンダムローゼンクリスタル、ガンダムメルクールランペの両機がコロニーの外に出たのはそれからしばらくのことだった。砂時計にたとえられるプラントのコロニーは外部から眺めると何も異変が生じていないかのように見えた。静けさに不気味さを覚えるのは、単に音を伝播することのない宇宙空間にいるからばかりではないだろう。
 しかしいつまでも眺めていられる余裕はない。
 シンは機体を加速させる。

「ヒメノカリス、しっかり掴まってくれ」

 メルクールランペは複座式ではない上、他に座席を設置している余裕などあるはずもなかった。そのため、ヒメノカリスを仕方なく膝の上にのせ、横抱きの姿勢でシンに抱きついてもらっている。ヒメノカリスが指示通りに首に絡める腕に力を込め体を寄せるとシンはその体温に思わず顔を赤らめるが、そんなことを考えていられる状況ではないことは理解しているのだろう。すぐに気を持ち直し操縦へと意識を集中させる。先行するローゼンクリスタルへと針路を合わせた。

「シン、お前はこのまま月に向かえ。その機体なら楽に飛べる」

「でも隊長は?」

「俺のことは気にするな。プラントがこのまま易々と制宙圏を割らせるとは思えん。すぐに追っ手が差し向けられるはずだ。時間くらい稼いでやる」

 友軍と交戦すればもはや言い逃れはできない。レイはシンの隊長ではあるが、反対に言えばその関係では脱走を止めこそすれ幇助する理由にはならないことだろう。友人だからと甘えるにしても度を超していると言える。

「隊長、その……、本当にいいんですか……?」

「本音を言えば俺も悩んでいる。ここまでしてやらなければならないのかとな。だが、どのような選択をしようにも後悔しそうなのでな。なら、お前を助けられる方を選ぶことにする。それに、上には伝がある。うまくやるさ」

 本当に上層部とパイプがあるのか、シンには判断できない面もあったことだろう。しかし、それがシンに不必要な心配をさせまいとする気遣いだとは気づくことができたらしい。レイの言い分をそのまま信じたようにこれ以上、追求しようとはしなかった。
 しかし、ヒメノカリスは違っていた。シンに断ることもなくローゼンクリスタルと勝手に通信を繋いでしまう。

「レイ、あなたはドミナント。私たちヴァーリとは違う。シーゲル・クラインの、クライン家の理想につきあう義理も義務もない。どうしてプラントに戻ってきたの?」

「昔なじみの顔を見たくなった。それだけだ」

 ヴァーリとドミナント、それで何か通じるものがあったのか、ヒメノカリスはそれで満足したように通信を切った。




 レイの予想は正しかった。2機のガンダムの針路に割り込む軌道で、すでにザフトは軍勢を差し向けていた。合計10機からなる1個中隊相当戦力である。スクランブルにしてはそのすべてがガンダム・タイプであり充実した戦力であると言えた。
 インパルスガンダムで統一された小隊機が周囲に配置され、隊長機の様子をうかがうことはできない。しかしガンダムを率いる者がガンダムでないはずもない。事実、隊長はイザーク・ジュールであり、かつてヤキン・ドゥ-エの激戦を戦い抜いた勇士の機体はゲルテンリッターの4号機である。

「お前たちにとって初めての実戦になるが、気負う必要はない。訓練を思い出せ。その通りに動くことができれば誰一人欠けることなく格納庫に機体を並べることができる。だが、しくじれば次はないことだけは忘れるな」

 コクピットの全天周囲モニターには9人分の顔が映し出されている。誰も一様に若く、ヘルメットの奥には緊張した顔が並んでいる。全員、訓練課程を修了したばかりの新兵揃いであり、イザークの教え子である。

「作戦目標は脱走兵の追跡だ。街があの有様で他に回されることに不満を覚える者もいるだろうが、相手はガンダム・タイプ、それもインパルスのような数打ちではない特機だ。任務の重要度に遜色ない。気を引き締めていけ」

 もっとも、隊長として檄を飛ばす必要もないかもしれない。それも無理のないことだろう。初陣、しかも相手がガンダムときては緊張するなという方が無理だろう。身構えて当然。イザークは気休めを言うような性格でもなければ、現実を見つめることのできる胆力の持ち主でもあった。

「俺はこれまで戦いは数だと言い続けてきた。数的優位の維持に努めろとな。だが、それは単なる常識にすぎない。これまでは通用してきた理論が一つの矛盾する事実に瓦解させられることなどこれまでに何度もあったことだ。それがガンダムだ。戦場の定石を覆し瞬く間に戦場の主役へと躍り出た。ただの2機と思うな。数的優位など単なる目安にすぎんのだからな」

 はて、この言葉に部下である教え子たちはどう感じただろうか。敵の恐ろしさに体を震わせる羽目になるかもしれない。それとも自分たちを怯えさせる戦場を前にしても冷静さを損なわない部隊長に頼もしさを覚えただろうか。あるいは、パイロットの心境など何の価値もないのかもしれない。

「俺の前に出ることは許さん。わかったな!?」

 了解。そう、部下たちの返事が届く。そのことに満足げに頷くイザークのすぐ横に、蒼い衣装を身につけた妖精、蒼星石が寄り添っていた。その赤い瞳が主の戦意に応えるように前へと向けられるとゲルテンリッター4号機は放たれた弾丸のように飛び出した。
 蒼星石の体、その名はガンダムラピスラツーリシュテルン。青と白を基調としたガンダムらしい姿をしたガンダムであるが、その装甲はどこか鋭角であり禍々しいといえるほどの力強さを感じさせる。その背に折りたたまれた大剣とビーム砲が対となって背負われていることからもこの機体が生半可な力を期待されているのではないことが明白と言えた。大型のスラスター・カバーが起き上がる形で展開すると、それは赤い翼の形となってまばゆい輝きとともに莫大な推進力を生み出す。
 インパルスガンダムたちを軽々と置き去りにしながら獲物へと迫るその姿は強靱な膂力でもって飛び出した悪鬼が牙を剥き出しにしたかのような迫力を有していた。
 すでに白いガンダム、ローゼンクリスタルをその間合いに捉えていた。
 しかし、イザークはその眼差しを曇らせた。

「久方ぶりの任務が同属狩りとは……、つくづく因果だな」

 だがそれも一瞬のこと。ラピスラツーリシュテルンは右の肩越しに大剣を引き抜くとともに叩きつけた。大剣が展開しビームが発振することと、ローゼンクリスタルがシールドでこの一撃を受け止めることは同時だった。シールドはその表面から光が噴き出すと一瞬にして両断される。レイがわずかでも機体を逃すのが遅れていたなら盾と運命をともにしていたことだろう。

「ゲルテンリッター! イザーク・ジュールか!?」

 ローゼンクリスタルが右手のビーム・ライフルで牽制するも、連射されるビームはそれこそわずかな時間稼ぎにしかならない。ラピスラツーリシュテルンはビームの間を軽々とすり抜けすぐにでも体勢を立て直し再び襲いかかる気配を見せていた。
 シンが思わず機体の加速を止めようとするも、レイが即座に否定した。

「レイ隊長!」

「来るな! お前は手はず通り月に向かえ! 女を抱いたまま戦える相手ではない!」

 戦場で躊躇を示すほどシンは未熟ではない。メルクールランペを加速させ、それを見届けたレイはすぐにラピスラツーリシュテルンへと意識を戻す。
 再度、繰り出される斬撃がローゼンクリスタルのビーム・ライフルを切断する。レイは爆発寸前のライフルを投げ捨てるとともにビーム・サーベルを抜く。左右一対、2本のビーム・サーベルがラピスラツーリシュテルンの大剣を受け止めるも重い一撃はガードを弾こうと勢いを増すばかりだ。
 思わず飛び上がりラピスラツーリシュテルンの間合いから離れようとするレイ。だが、離れただけで逃れられるほどガンダムは甘い存在ではなかった。
 ラピスラツーリシュテルンは、イザークは左の脇を通して背中に畳まれていたビーム砲を展開する。

「なるべく殺すなと言われていたが、手心を加えられる相手ではないようだな」

 モビル・スーツの全長にも匹敵するビーム砲から放たれたビームはローゼンクリスタルに命中することはなかったが、それでも直撃すれば十分な破壊力を発揮することを示して飛び去った。直撃すればモビル・スーツなどひとたまりもないことだろう。
 そして、ビーム砲を瞬時に畳む頃には再びその大剣をローゼンクリスタルへと振り下ろしていた。
 接近戦では大剣、遠距離戦では大砲。それは裏を返せば接近戦では大砲が邪魔に、遠距離では大剣がそのままデッド・ウェイトになることを意味する。一見するならどの距離においても無駄を残すコンセプトがあやふやな機体とも言ってしまえる。
 だが、攻撃力という観点はあまりに統一されている。
 レイは自然と表情を固くしていた。

「一息つける距離というものがないな……。どのような距離においても最大限の火力とはな、ゼフィランサスらしい設計だな」

 一般兵が使用することを前提とする量産機ならともかく、エースが搭乗する特機ならではの設計思想と言える。接近しようと距離をあけようと意味はない。対峙するだけで最上位の死にさらされることとなる。
 ローゼンクリスタルが距離を詰めれば大剣を振るわれ、離れればビームが機体をかすめていく。どのような戦い方をしようにもラピスラツーリシュテルンのペースで戦いは進んでいた。
 だが、それでよい。レイの目的はイザークに勝つことではなくシンとヒメノカリスを逃がすことなのだから。そのことはこの場の誰もが気づいていた。イザークの部下として作戦に参加していたメイリン・ホークも例外ではない。

「隊長、黒いガンダムが逃げます! 追わないと!」

 部下から言われるまでもなく、イザークもモニター上に遠ざかる光の翼に気づいている。

「蒼星石、黒い初号機には追いつけそうか?」

「追いつけます。どこかでお昼寝でもしてくれればの話ですけど」

 つまり追いつけないということだ。

「インパルス各機、黒い方は無視しろ。白いガンダムを叩く」

「でも……、きゃっ……!」

 反論しようとしたメイリンの言葉は短い悲鳴にかき消された。搭乗しているインパルスのすぐそばでビームが炸裂したからだ。ローゼンクリスタルのデータはすでに共有されている。よって、正体不明の攻撃ということはないはずだが、インパルスガンダムたちは目に見えて浮き足立つ。

「た……、隊長! 今のがあの攻撃なんですか!?」

「そうだ。ミノフスキー粒子の濃度から目を離すな。高濃度帯に突っ込めば次の瞬間には黒焦げになる。注意がそれればそれで終わりだ」

 これでは新兵たちはガンダムメルクールランペを追うどころではない。目の前の敵であるローゼンクリスタルどころか計器にしか目がいっていないのではないだろうか。各インパルスの間合いの取り方が雑になっている。しんがりをかって出たローゼンクリスタルの思い通りの展開と言える。




 ローゼンクリスタルとラピスラツーリシュテルンの戦いは、一見するならラピスラツーリシュテルン優位で進んでいるようであるが、完全な膠着状態にあると言えた。どれほど攻撃を繰り出していても当てることができないならその攻撃力は意味を持たない。そして、ローゼンクリスタルは攻撃を当てる必要がそもそもない。
 進展のないまま時間だけが消費されていく有様を苦々しく眺める者がいた。イザークたちの母艦、そのブリッジに白衣姿の少女がいた。インパルスガンダム、そしてローゼンクリスタルの開発者であるサイサリス・パパである。

「まだ終わらないの? インパルスたちは何やってるの?」

 軍服姿のクルーたちの中でサイサリスは浮いた存在と言えた。比較的若年層の兵士が多いとされるザフトであってもサイサリスはまだ若い部類に入る他、テレビドラマの展開に文句をつけているような軽さでクルーの絡んでいるからかもしれない。管制を担当するクルーの椅子の背に手をついてレーダー画面をのぞき込む様からそう見て取れる。
 クルーもどこかやりにくそうに見える。

「彼らは新兵でして……」

「これだから人間手使い物にならないんだよ。よし、アリス使っちゃお。作戦目標はローゼンクリスタルの無力化、だけでいっか。発動して」

「しかし、ジュール隊長はアリスは使用するなと……」

「どうしてイザーク・ジュールがアリスのこと知ってるの!? ……まあ、どうでもいいか。あいつに監督権限なんてない。いいからやって」

 これ以上、意見することはできないのだろう。クルーは覚悟を決めたのだろう。その声から迷いは消えていた。

「ローゼンクリスタルの無力化を目標、アリス発動、いきます!」




 アリス発動に伴い、この戦場すべてのインパルスガンダムは連結される。一つの作戦目標のもと、すべてのパイロットの意識下にそのために必要な手段を投影、虚ろな目となったパイロットたちはそれこそ機械のような正確さで操縦を開始する。
 イザークでなくてもその発動は明らかであろう。

「動きが変わった……。アリスを使ったのか!?」

 敵との間合いの取り方、味方との連携さえままならなかった新兵たちが突如として完璧な連携をとりはじめたからだ。
 インパルスの放ったビームをローゼンクリスタルが回避する。そのタイミングで、かわした方向へと別のインパルスがビームを放っていた。かわされこそしたものの、味方機の攻撃のタイミングを正確に把握していなければできない攻撃だ。
 新兵の乗った数打ちがローゼンクリスタルを追い立てている。しかし、その動きは驚くほど味気ない。教官を務めていたイザークでさえどの機体に誰が乗っているのか区別できないのではないだろうか。特徴がなく、誰もが同じようにしか動かないからだ。

「何を考えている!? 使用するなと言ったはずだぞ。聞いているのか!?」

 イザークが怒鳴ろうと返事はない。

「蒼星石、どうなってる?」

「母艦が通信を拒否してます」

 はなっからイザークの意見など相手にするつもりはないということなのだろう。

「ふざけた真似を!」

 イザークにできることはなかった。ラピスラツーリシュテルンにアリスの発動に関する権限はない。母艦は説得に応じるどころか耳を貸す気配さえない。ただ成り行きを見守るほかない。
 アリスという一つの意志に統一されたインパルスたちは完璧なタイミングでビームを斉射し、あるいは完璧にタイミングをずらしてビーム・サーベルで波状攻撃を仕掛ける。それは完成された戦い方ではあったが、それでガンダムを倒すことはできない。反応速度、回避性能を一般機に搭乗した一般兵を基準に設定しているのだろう。一般的な兵士であれば撃墜できるはずの攻撃ではあったが、それはローゼンクリスタルの力を過小評価しているにすぎない。
 ビームはむなしく空を切り、それでもインパルスたちはまるでタイミングを変えようとしない。1発目が回避され、2発目が回避され、攻撃のタイミングが予測から徐々にずれていこうと3発目、4発目の攻撃はそれこそ毎回変わらず等間隔で繰り出された。無論、これでローゼンクリスタルを捉えることはできない。
 レイはどこかしか余裕さえ見せていた。

「機械相手がこうも味気ないとはな。サイサリス、これがお前の自慢のおもちゃか?」

 誰もがアリスによって完璧に歩調を合わせてくる。それはつまり、どの機体であってもまったく同じように斬りかかってくるということだ。9機のインパルスを相手にしているというより、1機のインパルスと9連続で戦っているかのようでさえある。
 ローゼンクリスタルがインパルスのサーベルを受け止めると、ビーム・サーベルが脇腹に突き刺さっていた。そのサーベルはローゼンクリスタルへと斬りつけたインパルス、その腹を突き破って生えていた。別のインパルスが仲間ごとロ-ゼンクリスタルを突き刺したのだ。
 ビームの熱量に耐えられずインパルスが爆発する。ローゼンクリスタルはその衝撃に飛ばされるままはじき飛ばされ、その隙を逃さなかったインパルスたちの放つビームによって手足を破壊された。
 脇腹に突き刺さったビームの熱はコクピットにも入り込みうだるような暑さを演出していた。レイは顔半分に軽度の火傷を負いながらその目はまだインパルスの群れをにらみ続けている。しかし、傷は浅くはないのだろう。体を動かすことができておらず、ローゼンクリスタルもまた大破している。
 勝敗は誰の目にも明らかだった。
 敵戦力の壊滅を確認。対し損害はわずか1機。特機であるガンダム・タイプを相手にしたにしては大戦果と言えるだろう。
 事実、サイサリスはインパルスガンダムとアリスの力に満足げに笑っていた。
 ではなぜだろうか。作戦の指揮をとったイザークは露骨に不快感を隠そうとしていない。
 味方ごとローゼンクリスタルを貫いたインパルスにはメイリン・ホークが搭乗していた。新兵が初陣でガンダム・タイプを撃墜した。大金星を成し遂げた喜びは、なぜかその顔には見られない。爆発したインパルスガンダムの残骸を今にも泣き出しそうに見つめているだけである。
 量産機にすぎないインパルスガンダム1機の損害で特機を撃墜できたとすれば大戦果であることは誰もが理解しているはずなのだが。




 一つの戦いが終わりを迎え、やがて騒乱も鎮まりを取り戻していく。
 街に突き立てられた煙の柱。幾本もの火災の残り香が夜の闇に吸い込まれていく。プラントの複数のコロニーで同時多発的に発生した暴動はその多くが終息の気配を見せていた。誰ともなくやめようとしたからだろうか、それとも破壊できるものはあらかた破壊しつくしたからだろうか。
 燃えるビルがあった。目の前の道路にはビームが着弾した痕跡があり、その熱が飛び火したのだろう。隣接する建物の中にも火災が生じているものがある。このような破壊の跡は道にそって続き、その終着点ではヅダが横転した車を見下ろしていた。
 窓が砕け縦穴となったドアからフレイがまず這い出てきた。額をこすったようなあとは見られるが、けがらしいけがはしていないようだ。

「ディアッカ、生きて……る?」

 そう、車内からディアッカを引きずり出そうとする。こちらは体を打ち付けたのか、全身にけだるさと痛みを感じているのだろう。動きは鈍いものの、フレイに助けられ何とか車に腰掛けることができた。

「なんとかな……。リリーも、無事みたいだな……」

 ディアッカがリリーの小さな姿を探すと、その人影はすでに車外に出ていた。ディアッカたちのすぐそこに腰掛けていた。まだ子どもでしかないリリーが怖がる様子を見せないことに、2人とも違和感を覚えなかったのも仕方のないことかしれない。ヅダに見下ろされた状況ではそれほどの余裕が持てないことも無理はない。
 戦場と何も変わらないプラントの街をザフトの公用車が乗り付けたのはその時のことだ。中からは今日、面倒な試験がある、その程度の顔をしたアスランが姿を見せた。街の惨状などかまう様子を見せない。砕けたコンクリートの破片をこともなげに蹴り飛ばし、横倒しの車と目線の高さを合わせられる瓦礫に上った。

「ディアッカ、悪あがきはここまでのようだな」

「モビル・スーツで爆撃までしてかよ。俺はいつからそんなV.I.Pになったんだ? ニコルに自慢できそうだな」

 ここでディアッカはわずかに目を細めた。あえて戦死した戦友であり、アスランの親友であったニコル・アマルフィの名前を出したのはこのためだろう。ニコルは人を慈しむことのできる優しい少年であった。もしもこの街の様子を見たなら悲しむほどに。
 アスランは周囲の様子をうかがう姿勢こそ見せたものの、その乾いた眼差しは変わることはなかった。

「面倒はごめんだからな。それに、目的はお前じゃない。俺は議長から頼まれただけだ。リリーを連れてこいとな」

「リリーを? 預けといて今さらなんなんだ?」

「お前がどう思ってるかなんて問題じゃない。あまり俺に手間をかけさせるようなら……」

 アスランが慣れた手つきで銃を取り出そうとする。だが、銃を構えた音はディアッカたちの後ろから聞こえた。リリーがいるはずの場所からだ。
 思わず振り向いたフレイが目撃したのは、そのまだ幼い手にフレイの銃を持ったリリー本人の姿だった。

「ちょっと、リリー……!?」

「動かないで、ディアッカもアイリスも!」

 そうは言っても何もしないではすまされない。フレイがわずかにリリーに手を伸ばそうとしたのを察したのだろう。リリーはさらに強い調子で言葉を重ねた。

「動かないで!」

 どうしてリリーが、そんな混乱も手伝っているのだろう。ディアッカもフレイも動くことができないでいる。そんな2人を前に、アスランは銃を抜く必要性を感じなくなったのだろう。上着に入れた手を徒手空拳のまま抜くと鼻から軽く息を吹いた。




 プラントの夜はまだ続く。しかし、在内ナチュラルへの憎悪に端を発した一連の暴動は混乱しつつもすでに沈静化の兆しを見せ始めていた。
 コーディネーターはナチュラルよりも優れている。優れた人間は優遇されるのが当然であり、その裏返しとして劣った人間を虐げることも当然のこととして是認されることになる。
 しかし、そんな優れた人々による国家であるプラントがナチュラルの国家に滅亡寸前にまで追い詰められたのはなぜか。
 誰かが呟いた。
 プラント国内にもナチュラルはいる。彼らは戦力として劣るばかりか、本土決戦ともなれば潜在的ゲリラとして脅威になる。前回の大戦であれほどの損害を被ったのはナチュラルが足を引っ張ったからだ。また同じようなことがあれば在内ナチュラルは地球に味方し牙をむく。
 排除しなければならない。そして、排除することは許される。コーディネーターは優れている。ナチュラルは劣っている。優秀な存在は、劣等な存在を虐げることが許されているのだから。



[32266] 第41話「ヒトラーの尻尾」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/04 21:48
 月面に位置する地球軍の軍事基地、その格納庫は妙な緊張を帯びていた。整備スタッフたちが落ち着かない様子で首をしきりに同じ方向へと向けていた。そこには、本来ここにはないはずの機体、ザフト軍に所属する機体があった。
 黒い外装に畳まれた翼を思わせるバック・パックのユニット。悪魔を思わせながらも、そうと片づけてしまうには譲れない美しささえ感じさせる。黒い天使、この表現がしっくりときた。
 ZZ-X1Z300SAAガンダムメルクールランペ。鬼才ゼフィランサス・ズールが直接手がけたガンダム・タイプを前に、整備スタッフはおもちゃを前にした子どものように落ち着きをなくしていた。もしかすると整備に関われるかもしれない。そんな期待に胸膨らませているのだろう。
 そんな中、ガンダムを正面に見据える特等席の少年だけはひどく落ち着き払っているように見えた。ザフト軍のエリート兵の証である赤い軍服を身につけたシン・アスカは手すりに手を預けてちょうど目の前に見える自機を見ていた。ふと手元の円盤に目を落としてもメルクールランペの心である水銀燈は顔を見せることはない。
 シンはこれまでの激動が嘘のような静けさに戸惑っているのだろう。
 だからこそ足音が近づいてきたとしてもシンは相手を確認するために少し顔を上げただけだった。

「キラさん」

 幸いにして相手は見知った人物だった。黒い軍服を身につけた若者に、シンはこれまで2度、顔をあわせている。
 ファントム・ペインの隊員は声をかけるに適した距離で、軽く切り出した。

「隣、いいかな?」

 もちろんです、そんなシンの言葉を聞くとキラ・ヤマトは同じく手すりによりかかった。

「思ったより落ち着いてるね。ザフトの君がこの基地に来たことはないんじゃないのかい?」
「戸惑いすぎてて何していいかわからないだけですよ。キラさんはどうしてここへ?」

 まさかシンが不安がっているだろうと見舞いに来たとは思えない。事実、キラはねぎらいの言葉なく本題へと入った。

「実は君をスカウトしにきた。僕の部隊に入らないかい?」
「俺にファントム・ペインには入れってことですか?」
「給与はザフト時代の倍は出せると思うし、階級は少尉から始めようか? それにプラントの軍学校時代の成績の編入が認められれば士官待遇も不可能じゃないと思うよ」

 やや呆気にとられたように隣のキラを見つめるシンだったが、特段、損得を計算していた訳ではないのだろう。ただ急な話に戸惑っているにすぎないらしかった。

「外人部隊に比べれば破格の待遇だと思いますけど、やっぱりやめておきます」
「理由を聞いても?」
「俺みたいな戦争孤児が軍人になること自体、おかしなことだったんですよ。泥棒に入られたから泥棒になりますなんて意味分からないじゃないですか?」

 一瞬、シンが後悔したように目を伏せたのは軍人であるキラを目の前にして言うべき言葉でなかったと考えたからだろうか。

「俺がザフトに入ったのも、生活のためだったり、母さんをなくしてヤケになったからですから」

 キラは気にした様子を見せないまま、メルクールランペをふと見上げながら話を続けた。

「君がエインセル・ハンターを討ったのは、母親の復讐のためだったのかな?」
「俺の立場からしたらそうなんだと思います。でも、あの人の前に立った時、母さんの仇だとかじゃなくてただこの人を止めないといけないんだって必死でした。だから、ただ復讐したっていわれると違和感があるんです」

 母の仇を討って流した涙は、決して喜びの涙ではなかったから。

「母さんは俺のために命をかけてくれました。でも、そんな母さんに俺は何もできなかったばかりか、その気持ちを疑ってしまったんです。そんな俺が母さんのためにできることって言ったら、これ以上、母さんみたいに理不尽に焼かれる人を少しでも減らすことだって、そう考えたんです」
「エインセル・ハンターという魔王が倒れて、じゃあ、世界は平和になったのかな?」
「言いたいことはわかりますよ。でも、軍隊に入ってわかったことって、軍人は権力者の道具でしかないってことなんです。自国民を守るために戦うことはできなくても、敵の市民を焼く命令には従わされる」

 隊長であったレイ・ザ・バレルに軍人とは何かを教えられた。事実、シンは命令に従うまま、小惑星フィンブルの地球降下に貢献してしまった。
 この言葉を聞いた軍人はどのような反応を返すだろうか。怒るだろうか、認めるだろうか、現実を見ろと怒鳴るだろうか。少なくともキラの反応はそのどれとも違った。ただ、メルクールランペを見つめているだけだった。

「君の言うことは間違ってないよ。軍隊はヒーローなんかじゃない。でも、これだけは約束させてほしいんだ。これからファントム・ペインが臨むことになる戦いは、必ず人を救うものになることを」

 軍隊でそのようなことはあり得ない。そう思わずシンが口にしようとするよりも早く、キラは次の言葉を繋いでいた。

「シン君、君の戦いは、エインセル・ハンターを倒して終わったのかな? 君はもう、自分のしたこと、してきたことに満足してるのかな?」

 そうして、キラは再びシンのへと向き直った。
 シンがエインセル・ハンターと戦ったのは、母のように理不尽に焼かれる人を1人でも減らしたかったからだ。そして、戦争はこれからも続く。

「それは……、違うと思います……」

 しかし、具体的に何が異なるのか、何をすべきなのか、シンは語れず、キラもまた、黙ってシンの考えがまとまるのをまとうとしていた。ただ一つ確かなことはある。それは、シンの瞳に、小さいながらも確かな決意の灯火が宿ったということ。




 メルクールランペを見つめるもう1人の姿があった。アイリス・インディアだ。

「私の知らないガンダム」

 しかし、かつてはパイロットであったアイリスが軍属を離れてすでに数年。すでにどのようなガンダム・タイプが運用されているのかもわからないまま、興味はすぐに薄れてしまった。
 前を歩く男性、かつてプラント最高評議会議員も務めたタッド・エルスマン議員の後を追ってすぐに格納庫を離れた。通されたのはミーティング・ルームの一室らしかった。モニターを眺めやすいよう置かれた楕円形のテーブルに、2人が腰掛けたところで、来客はすぐに訪れた。
 癖の強い髪が目立つその男性は、入ってくるなりエルスマン議員へと握手を求めた。

「エルスマン議員、お久しぶりです」
「アマルフィ議員! まさかこのような形で再会することになろうとは。ただ、私は亡命した身、議員と呼ばれるのは……」
「それこそ私も同様です」

 ユーリ・アマルフィ。かつてエルスマン議員とプラント最高評議会で椅子を並べた仲であり、派閥こそ異なるものの、同じく息子を戦場へ送り出した父でもあった。そして、約2年前、大西洋連邦への亡命を果たしている。
 握手こそ朗らかな雰囲気で終えたものの、旧友と酒を酌み交わすようにはいかない。ユーリはアイリスたちと向かい側の席に腰掛けた。何から話せばいいのか悩んでいるのだろう。そうしているうちに、エルスマンの方から声をかけた。

「お元気そうでよかった」

 少々やせた気がしないでもない。しかし、息子を失い、妻と離縁した当時とは比べものにならないほどだ。

「いろいろと慣れないこともありますが、プラントで言われていたほどには地球の暮らしも悪くはありません」
「おや、アマルフィ殿が皮肉を嗜まれるとは」

 2人はくすりと笑いをもらすも、中和剤にしても少々頼りない量でしかなかった。

「議員というのは私にはそれほど重荷でした。ニコルを失った時、私の胸中にあるのは悲しみと怒り、それだけでした。地球に対する感情的な抗戦論を助長こそすれ、諫めようなんてつもりはありませんでした」
「あなたと私は本当によく似ている。何もできなかったと言われるなら、私も同罪だ。ご存じの通り、プラントは現在、デュランダル議長の独裁状態にあり市民はそれを受け入れている」
「パラドックスですね。もしも国民が投票によって民主主義を否定した場合、民主主義はその正統性を失う。しかし、それならば民主主義を否定するという民意も何の権威も持たないことになる」

 つまり民主主義は否定されず、市民には決定権があることになる。よって、市民は民主主義を否定できることになる。しかしそして民主主義が否定された場合、市民は民主主義を否定できる権限を失う。
 こんな言葉遊びがしたいのではないことを、かつての議員たちは理解している。

「民主主義は決定権が市民になるというだけで、その正しさが保証されるわけではない、ということだね」
「民主主義の弱点はまさにそこなのかもしれません。前提として、市民に正しい判断ができる能力が必要となります」
「しかし、市民が自らの責任で選んだ道だとしたらどのような結果であっても受け入れるべきではないかな?」
「それも一つの考え方でしょう。ただ、権力者はいつの時代も強力で身勝手だ。マスコミを操り自身に都合のいい情報を垂れながして自分が優れた為政者だと嘘をつく。それを信じた市民が間違った選択をしたとして市民の責任とばかりは言えないでしょう」

 さらに言うのであれば国民にどのような教育を施すか決めるのも権力者だ。権力に従うことを美徳とし、自ら考えることを放棄することを是と教え込むことができてしまう。
 もっとも、ユーリはいまさらこんなことを付け加えるつもりはなく、次の話題へと移っていた。

「民主主義の名の下、硬直した権力基盤が完成してしまう。寂しいかぎりですよ。我々コーディネーターはより優れた知性をもって誕生したはずでした。しかし、地球の国々が抱える政治的課題は、プラントにもそっくり当てはまってしまう」

 敵か味方か、そんな単純な二分論に陥り地球そのものを滅ぼそうとした国家は、歴史上、プラントただ一つだった。当時の議長、パトリック・ザラは妻を戦争に奪われた復讐として地球そのものを焼き尽くそうとし、ユーリはそんなザラ派の議員であった。
 ユーリは苛立っているというよりも、むなしさを強く感じているらしかった。

「人は孤独です。この広い宇宙で知的生命体が地球にしか存在しないなんて天文学的な低確率です。にも関わらず我々はいまだに文明の痕跡を外宇宙に見いだすことができない。一つの学説によると、文明には寿命があるそうです。事実、我々は滅亡の危機に瀕しています。これまで、どんな独裁者が登場したとしても世界を滅ぼすことなんてできませんでした」
「まさか石と棍棒で地球を叩き割るわけにはいかないからね」
「しかし人類は宇宙進出を前後に核兵器を獲得しました。地球を滅ぼしてあまりある力を手にしたのです。仮にこの戦争で核兵器が際限なく使用されたとしたら、人類は宇宙に何の痕跡を残すことなく死滅してしまうことでしょう」
「宇宙進出から他惑星への植民に成功するまでの間、そこが文明の終着点だということかな? 他の知的生命体もその段階を乗り越えることなく滅亡してしまった。だから知的生命体は確率論的に存在しているべきにも関わらずその痕跡を我々人類が見つけられないのだと」
「プラントでは、ナチュラルを狙った大規模な暴動が起きたと耳にしました」

 優れた能力を約束されたコーディネーターの登場でも人は戦争を乗り越えることはできなかった。それどころか、250年ぶりの世界大戦を招来し地球滅亡の一歩手前まで到達してしまった。
 これが人の限界と嘆くべきか、あるいは、コーディネーターが歪なのだと逃げるべきか。
 かつて議員であった2人は難しい顔をしたまま、何も言い出せないでいた。
 ここでいたたまれないのはアイリスだ。不安げな表情を隠せないまま、つぶやくように口を開いた。

「どうしてこうなってしまうんでしょうか? その、世の中って、ひどい人も、悪い人もいます。でも、ほとんどの人はそんなことなくて、戦争だってしたくない人がきっと大勢だと思うんです。でも、それなのにどうして戦争ってとめられないんでしょう?」

 わずかな沈黙のあと、答えたのはタッドの方だった。

「動物は縄張りを持つ。他の獣に縄張りを奪う意志なんてないかもしれない。ただ、そのことを確認する手間を獣は惜しむ。善意の獣を追い払うデメリットなどたかがしれているが、縄張りを奪われるリスクは計り知れない。ザフトが敗北すれば市民が地球軍に虐殺されると言っているプラント市民に聞いてみるといい。ではザフトが勝利した場合、地球の民を虐殺するのかとね?」

 暴動でナチュラルを袋叩きにしていたコーディネーターに、差別意識を隠そうともしない兵士たちに、あるいは、妻の復讐のために地球を滅ぼそうとした為政者に。

「答えはもちろん、ノーだろう。彼らはまっとうな人間だからね。ただ、敵を同じ人間だと考えていないだけでね。人はきっとわかりあえるのだろう。しかし悲しいかな、そのためのコストを多大に見積もる傾向にある」

 ユーリは考えるように口元に手をやっていた。

「それこそ、縄張り争いをする獣のように、ですか?」
「人の本質は変わっていないのだろう。だからこそ、社会を変えていかなければならなかった。人権、憲法、民主主義、これらはすべて人がよりよく生きていくために生み出された発明品に他ならない。しかし、人はこれを重荷に思うのだろうね。人権がなければ、人を道具にすることも許される。憲法がなければ、権力者が制約なしに動ける。民主主義は意志決定が遅い、とね」

 エルスマン議員の言葉に、アイリス、アマルフィ議員の返事は様々だ。

「それで得をするのって、国だけだと思いますけど」
「国が大きくなれば国民にも利益が回ってくる。いわゆるトリクル・ダウンという発想がありますが、そんなことがあるなら、世界に貧富の格差など起きなかったことでしょうね」
「しかし、国が巨大にならなければ敵に対抗できない。それは恐ろしいことだ。何せ、敵は人間じゃない。無慈悲でどんな卑怯な手も使う化け物なのだからね。自分と違う人を信じることのできない心の弱さ、それを克服できないかぎり、人類の未来は崖へと向かうレールの上にある」

 プラントで描かれる地球軍は悪辣な軍隊だ。地元住民を脅し土木工事をさせ、逃げだそうとすれば射殺さえ辞さない。降り立ったモビル・スーツが難民キャンプで虐殺を働く。なぜなら、相手は自分たちとは違う怪物なのだから、そんな蛮行を働いても何の不思議もない。
 人類の性能を高めたはずのコーディネーターは、しかし人類が戦争を乗り越える希望とはなっていない。
 アイリスは無意識にお腹に手を当てていた。そこに宿った新しい命が生まれてくる世界を憂いたか。

「じゃあ、どうしたらいいんですか? 私たちは、このまま滅びるまで同じ人同士で殺し合わないといけないんでしょうか?」

 事情を知らないアマルフィ議員はともかく、エルスマン議員は孫の存在を知っていた。

「すまないね。弱気になってしまった。法の理念と力を信じ、戦い続けると心に決めたはずだったのだがね」

 たとえ無理にでも空気を暖めなおしたい。そのような意図にアマルフィ議員も応じたようだった。妙に大振りな手振りで自身に注目を集めようとする。

「そうでした。我々にはまだまだいくらだって打つ手はあるはずです。エルスマン議員、この際、勢い任せで言ってしまいますが、ご子息は無事のようです。情報では、ムスペルヘイムに収監されたとか」
「いざとなれば議長の搭乗も予定されている旗艦に乗せるとは、少なくともすぐに命をとるつもりはないようだ」
「エルスマン議員、プラントにいるのは我々と同じ人間です。血も涙もない怪物などではありません」
「それは確かに」

 これにはさすがのエルスマン議員も笑みをこらえきれなかった。それはアイリスも同じらしく表情をゆるませている。

「ディアッカさんが無事なら、きっとフレイさんも無事ですよね」
「君は、やはりアイリス君でいいのかな?」
「はい、そうです」
「よかった。桃色の髪とまでは聞いていたのですが、この基地にはヒメノカリス君もいるとのことだったので。あなたにお手紙があります」

 そう、アマルフィ議員から差し出された手紙はまるで舞踏会の招待状のように格式高いものだった。

「どなたからでしょう?」
「あなたのお姉さまからです」

 こう言われてもアイリスは誰のことかわからなかった。なにせ、ヴァーリであるインディアには最大で20人の姉がいたのだから。




 全長1kmにも及ぶ巨大な軍艦が宇宙空間を漂っている。ゴンドワナ級1番艦ムスペルヘイムだ。ザフト軍最大の軍艦にして、通常クラスの戦艦さえ格納できる、まさに動く要塞とも言うべきこの船は、その重要性を拡大していた。有事の際にはギルバート・デュランダル議長の搭乗さえ予定され政治、軍事両面からその権能を拡大していたのである。
 しかし扱うのが人間である以上、かわらないものもいくつもあった。たとえば、通路の大きさだ。通常の軍艦の5倍を超える大きさとは言え、通路は人が通行するのに適したサイズに抑えられている。
 そんな通路を、アスラン・ザラとサイサリス・パパ、珍しい組み合わせが、無重力の中、漂うような調子で歩いていた。

「人間爆弾をラクスに反対されたって?」

 サイサリスはわかりやすく目をとがらせる。

「そうじゃなくて誘導装置にするだけ。コスト・パフォーマンスはいいと思うんだけど」
「本当にそうかな? たとえば、1人で5隻の戦艦を落とせるエースを1隻の戦艦に体当たりさせれば4隻分、損するじゃないか?」
「そういうエースには使わないで、新兵とか見込みのない兵士を使えばいいんだって」
「正攻法で敵艦に食らいつけない連中が、体当たりの時だけはうまくやれると考える理由は?」
「だから、アリスを使えばいいんだって。それなら兵士の練度なんて問題ないし、座ってるだけだから子どもでも兵器にできるでしょ?」

 先をゆくアスランは一度も振り返ろうとはしなかった。サイサリスを嫌っているというより、まともに相手にするつもりがないのだろう。

「アリスがどうして量産機に搭載されていないか知ってるだろ? コスト・パーフォーマンスに響くんじゃないか?」

 ビーム兵器。フェイズシフト・アーマー。アリスの搭載。これがガンダム3大機構であったが、今となっては事実上、アリス搭載の有無がガンダムか否かを分けている。その壁はコストだ。
 サイサリスにとってモビル・スーツの専門家としての知識が邪魔をするのだろう。アリスを搭載した場合に跳ね上がるコストを無視できなかった。
 旗色が悪いことを理解しているサイサリスであったが、助け船があった。ちょうど通り過ぎた部屋の中に知った顔を見つけたからだ。

「先行ってて」

 そう、アスランから離れるサイサリス。ここでアスランはようやく振り向いたが、サイサリスの消えていった部屋が医務室だと気づいて、すぐに何かを察したように向き直った。船内の医務室と言ってもそもそもが巨大船ムスペルヘイムの艦内だ。ちょっとした病院のロビーほどの大きさの部屋でたまたまその顔を見つけられたのはサイサリスにとって幸運だった。
 褐色の肌の青年が、額の傷の手当てを受けていた。サイサリスが目を付けた相手、それがまさにこのディアッカ・エルスマンだ。アスランに乗っている車を破壊され連れてこられたとすでに聞いている。傷はそのときのものだろうと軽く考え、サイサリスは医師が包帯を巻いているのもかまわず声をかけた。

「ねえ、あなた、ディアッカ・エルスマンでしょ?」
「そうだが、水色の髪のヴァーリには会ったことなかったな」

 事実、2人に面識はない。

「私はサイサリス・パパ。Pのヴァーリ。でも、そんなことはどうでもいいの。それより、ジャスミンの仲間だったディアッカならわかるよね? ジャスミンたちが立派に死んだってこと」

 ディアッカが明らかに頬をひきつらせたにも関わらずサイサリスはそれに気づかなかった。

「新兵や傷病兵、ああ、もちろん障がい者もだけど、戦争に貢献できない人を中心にミサイルに乗っけようと思ってるんだけどなかなか了承されないの。ラクスの説得に協力してくれれば、夕食にプリンがつくようにしてあげられるけど?」

 便宜を図ることは事実としても無論、スイーツの差し入れなど冗談にすぎない。よってディアッカも賄賂の交渉がしたかったわけではない。

「ふざけてんのか?」

 包帯がずれる恐れがあったからか、医師がディアッカの肩を軽く抑えた。その程度で抑えが効く程度ではあっても、しかし、この隻腕隻足の元パイロットが激昂したことに代わりはなかった。

「その手の話がしたいなら切り株の虚にでも叫んでこい」
「な! あんた、ジャスミンの仲間じゃなかったの!? この兵器の利点を認めないってことはね、国を守るために立派に死んだジャスミンたちを侮辱するってことだってわからないの!?」
「そこがくだらねえって言ってるんだ! ジャスミンたちは戦争に突き進んだバカ野郎のために捨て石にされたんだ! 俺たちはそのことから目を逸らしちゃいけないし、忘れてもいけないんだよ!」

 にらみ合う2人。まだ実戦らしい実戦を経験していないムスペルヘイムである以上、利用者はまばらだが、それでも医務室中の視線が注がれていた。ジャスミンと聞いて理解できる者はサイサリスとディアッカ、両名をのぞけば誰もいなかった。映画、「自由と正義の名の下に」でザフト軍再編の時間を稼ぐために傷病兵、障がい者を中心として結成された部隊が捨て身の戦いを挑む場面は毎シーンとして語り継がれているのだが。
 動いたのはディアッカが先だった。もはやにらむ価値もないと判断したのか、ため息とともに吐き捨てた。

「お前たちが守りたいのは死んでいったジャスミンたちの名誉なんかじゃない。あいつらを犬死にさせた国や上層部の無策無能を隠したいだけだ」
「ふざけないでよ!」

 医務室から飛び出すサイサリスを、無論、誰も引き留めようとはしなかった。再び通路を歩き出すも、その足はすぐにとまった。かわりに壁を力任せに蹴りつけた。

「どうして誰も認めようとしないのさ! ラクスもアスランも! ゼフィランサスだって! 絶対認めさせてやる。最後に立ってるのはあたしだってこと」





 プラントの各州で発生した大規模暴動。それはまさに激動の時間をもたらした。中道派の筆頭であったタッド・エルスマン議員が政治亡命をはかり、保守派であってもデュランダル政権の意向に従わない議員2名が逮捕された。暴動から10日がすぎてようやく開かれたプラント最高評議会は、12名中3名もの欠席を出したまま開催された。
 議長こそいても誰もが平等であることを意味する円卓は欠けてしまった。奇しくも3つの空席は一角に集まり、90度の範囲が切り落とされたかのように抜け落ちている。
 完全な円は、永遠に失われてしまった。
 ここに、最後のプラント最高評議会が始まろうとしていた。
 ギルバート・デュランダル議長は、支持者の前でするのと同じようにいっさいの弱点などない。完璧な人間であるかのように振る舞い、開式の合図とした。

「では、議会を始めよう。この度、発生した暴動は、多くの痛ましい犠牲を出してしまった。何よりも悲しいことは、このテーブルに国賊とも言うべき人がついていたことだ。無論、犠牲者のことを忘れるつもりはない。ただ、この事件が単なる悲劇で終わらなかったことは素直に喜びたいと思う」

 政敵を排除できたから、と議長は言うまい。プラントに救っていた病巣を切除できた、その痛みなのだとは述べたとはしても。

「では……」

 デュランダル議長が議題を述べようとした時だ。1人の議員が立ち上がった。

「議長、お聞きしたいことがあります」

 この議員の名前を、デュランダル議長は努めて思い出す必要があった。たしかにこの議員はデュランダル派ではない。かとエルスマン議員を支持することもなく議決では絶えず議長を支持していた。つまりは単なる数あわせ。いてくれなければ困るが、他の誰でも代用がきく、その程度の存在だったからだ。

「この度の評議会では、議長に全権を集中する法案の可決を目指されていると聞き及んでいます。それは事実でしょうか?」

 議長はとくに答えず、ただわずかに顎を動かした。それを肯定と受け止めたのだろう。議員は続けた。

「権力の集中は、必ず失敗します。なぜなら、国は歪だからです。かつて民主主義は広場に市民が集まり行われました。しかし、国の規模が大きくなるに連れ、その方法は非現実的なものとなり市民に選ばれた代表が執り行うことになりました」
「代表民主制の講義がしたいのかね?」
「現在の民主主義国家はすべからく少数の代表によって運営されています。仮に権限をすべて与えてしまったらどうなるでしょうか? 国家の規模によって代表者の規模が定められるなら、国は民全体を潤すことは難しくても少数の特権階級を潤沢にするには十分な範囲に必然的に収まります。つまりは国民のことを考えない、一部の富裕層に便宜を図る政治が必然的に成立するのです」
「だが、そんなことをすれば国民が黙っていない。選挙で引きずりおろされるのではないかな?」

 ギルバート・デュランダル議長は圧倒的な支持を集めている。たとえ独裁者になったとしても民衆は受け入れる可能性が高いだろう。それでも、議員はひるむことなく続けた。

「かのアドルフ・ヒトラーのナチス・ドイツも、民主主義によって誕生しました。あなたは国民から圧倒的な支持を受けています。それは政権を担う根拠ではあっても独裁体制を敷いてよい理由にはなりません」
「君のすべきことはここで議論するより、市民に教えてあげることではないかな? デュランダグ議長は独裁体制を敷こうとしている、とね」

 デュランダル派の議員が6名、あざけるように笑い出した。しかし、とうの議長が笑っていないと見るや、その嘲笑もすぐになりを潜める。

「勘違いしないでもらいたい。たしかに、市民全体に利益をもたらすよりも、特権階級に餌を放った方が政権の維持は容易だろう。しかし、私はそんな悪人ではないよ」
「あなたがそうだとしても、では、あなたの跡を継ぐ者の中で1人として、独裁体制を敷こうとする者が現れないと言えますか?」

 今後、プラント最高評議会議地には選挙に関する法さえ変更する権限が与えられる。民主主義とは強固な石壁でもなければ民衆を救う義賊でもない。ひとたび亀裂が入ったなら脆くも崩れ落ち、その破片は人々のうえに降り注ぐことになる。
 デュランダル議長は答えず、ただ、円卓に肘を乗せた。

「君は私をヒトラーになぞらえた。するとどうだろう? こんな有名な話を思い出したよ。当時の宗教家は、自らの不作為を嘆いた。ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから」

 彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。

「プラントでは障がい者が差別されている。でも、そのことに君は声をあげなかった。君は障がい者ではないからだ。ナチュラルへの迫害だって起きている。しかしそれでも君は声をあげなかった。君はコーディネーターだからだ。小惑星フィンブル落下の時も、君は声をあげなかった。君は地球に暮らしていないからだ。では、私が仮に君から議員の椅子を奪おうとしたとして、君のために声をあげてくれる人が、果たして残っているだろうか?」

 奇しくも、議長も議員も今は空席となったタッド・エルスマン議員の椅子を見やった。

「私はエルスマン議員が好きだった。信念を持ち、行動する覚悟だって持っている。何より、明晰なお方だったからだ」

 わかっていたのだ、エルスマン議員には。こうなることもギルバート・デュランダルなる男の危険性も。
 デュランダルは円卓を離れ、背もたれに体重を預けた。

「では、議決に入ろう。現在、プラントは国難にさらされている。よって、私は評議会の権限を議長に集中する法案を提出したい。なお、プラントの法律では、このように制度に変更を加えるような法案の可決には出席議員の4分の3を超える賛成が必要になる。本来ならば起立をもとめたいところだが、今回は挙手を求めよう」

 すでに議員が1人、立ち上がっているからだ。そして、この議員は手を挙げようとはしないことだろう。事実、この議員に加え、もう1人、挙手しなかった議員がいた。やはり、デュランダル派の議員ではないが、いっさいの反対もしてこなかった議員だ。

「9名中7名。めでたく75%を超える賛成をいただいた。やはり私はエルスマン議員を嫌いにはなれない。彼が反対票を投じたなら70%で可決には届かなかったからね」

 逮捕された2名の議員のどちらかがいたとしても、いや、この3名が偶然にもこの重要法案の直前に不逮捕特権を停止されなかったなら、この法案は否決されていた。なお、今回、反対票を投じた2名の議員は、議員の不逮捕特権の制限について賛成票を投じていた。
 議長は立ち上がる。議長の椅子に、そろそろ飽きてしまったからかもしれない。

「では、最短記録を更新してしまいそうだが、議会はこれで閉会としよう。なお、次回については未定とする」

 これを最後に、プラント最高評議会が開かれることはなかった。



[32266] 第42話「生命の泉」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/04 23:54
 太平洋に浮かぶ島国であるオーブ首長国。シンの故郷であり、すべてを捨てて逃げ出した国でもある。もう二度と祖国の土を踏むことはない、シン・アスカはそう心に決めていた訳ではなかった。だとしても、このような帰国をするとはまるで考えていなかった。
 シンはファントム・ペインの証である黒い軍服に身を包み貴賓室のソファーに腰掛けていた。シャンデリラがかかっているような部屋だ。シンがオーブにいた頃であってもこのような部屋に通される機会などなかった。
 どこか落ち着きなく前のめりに座っているシンに対して、同僚となったシャムス・コーザは完全にソファーの背もたれに体を預けている。

「よう、シン。どうだ? 新しい制服の着心地は?」
「不慣れなせいか、ザフトの方が馴染む気がしますね」

 顔をあわせてまだ数日だが、シャムスはどういった人間なのか、シンにもわかっていた。かつての敵を前にしても飄々とした態度を崩さない人だということを。もう1人の同僚であるスウェン・カル・バヤンはなにからなにまで対照的だった。褐色の肌がシャムスのトレードマークなら、スウェンは反対に色素の薄い髪をしている。何より、口数少なく話すべき内容を選別しているらしかった。

「君はオーブ出身と聞いたが?」
「ええ。ほんの数年前まで住んでました。大西洋連邦とオーブが同盟を結んだことは聞いてましたけど、ファントム・ペインみたいな特殊部隊が受け入れてもらえるんですね?」

 答えたのはシャムスの方だった。

「ファントム・ペインだからってとこだな。俺たちは、言っちまうならエインセル代表の私兵だ。実際、各国のファントム・ペインがどこまで国の命令系統に組み込まれてるか恐ろしく曖昧ってこった」
「いいんですか? 軍隊でそんなことして?」
「何度も解散させるべきとの議論は起きている」
「ま、それを黙らせてきたのが俺たちの実力って訳だ」

 まだ新興のザフトでさえ、モビル・スーツを勝手に持ち出せば極刑もあり得る。もっとも、シンとは外人部隊として軍規の埒外で戦わされてきた。今更と言えば今更であったのかもしれない。

「じゃあ、この任務は大西洋連邦の命令じゃないってことなんですか? というより、キラさんにほとんど何も聞かされないまま連れてこられたんですけど」

 月でのスカウトを結局、受け入れたシンはほとんどその足でオーブへと戻ってきた。ただ、新たな同僚2人にしてもどこか反応が鈍い。特にシャムスなら得意げに語りだしそうなものだが。
 代わりに、彼らが座るソファーのそばに軍服の男性が訪れた。シンには、いかにも優男という言葉が似合うように思えた男性は、薄い冊子をまずはシンに、それから2人にも手渡した。アーノルド・ノイマン、この部隊の副隊長だ。

「それならこちらを」

 どうやら命令書であるらしい。シンが表紙を眺めているうちに、シャムスはぱらぱらとざっと目を通したふりをした。

「副隊長殿? 情報開示が遅いのでは?」
「見てもらえばわかると思うけど、今回の任務は要人警護だ。一カ所に集まるまでファントム・ペインの出番はないからね」

 たしかに、警護対象は1人でなく、ほとんどが別々の地域から集められている。そしてここオーブではファントム・ペインが引き継ぐことになる。ただ、シンがページをめくれど変わらなかったものがあった。全員、同じ顔をしているのだ。そのうち、ヒメノカリスとゼフィランサスについては見覚えがあったが。
 シャムスもほぼ同じタイミングで資料に目を通したのだろう。

「プラントの姫君とはね。隊長が気合い十分なわけだ」

 ゼフィランサスが、今ではシンの上司であるキラ・ヤマトの妻であることをシンは当然のように思い出した。

「ゼフィランサスさんにヒメノカリスまで。これっていったい?」
「ヤマト隊長から聞かされていないのかい? 話してもいいけれど、すぐにわかることだ。今はそれより任務の内容を頭に入れておいてほしい」

 シンが資料に再び目を落とそうとした時、シャムスの声と扉の開く音が聞こえた。

「姫君のご入場のようだ」

 先頭にいたのは白い軍服姿の女性だ。護衛対象には入っていないが、その凛とした立ち振る舞いからそもそも護衛なんて必要ないのではないだろうか、そうシンに思わせるには十分な雰囲気を纏っていた。

「今度、こういうことをするときはちゃんと私に話を通すように、わかったな?」
「カガリはお堅いんだよ。わかった、わかったから。そう、何度もすることじゃないと思うけどね」

 すぐに入ってきたのはドレス姿の少女だった。護衛対象で、氏名はエピメディウム・エコーと記載されている。髪の色が緑色であることを除けば、ラクス・クラインと驚くほど似た印象を与える。
 しかし、シンの関心はすぐに移ろった。部屋に次々と同じ顔、違う髪の色をした少女たちが入ってきたからだ。桃色の髪の少女が入ってきた時、シンはヒメノカリスかと考えたが、それにしては三つ編み姿の少女は素朴に思えた。そして、すぐ後に白いドレス姿ながらもどこか険しい雰囲気のヒメノカリスが入ってきた。
 最後に黒いドレスのゼフィランサスが入ってきたこと、9人の同じ顔をした少女たちがそろったことになる。
 カガリと呼ばれた女性は9人を一通り見回した。

「これで全員か?」
「プラント組や連絡のとれなかった人、それに、もう亡くなってる子は除いてね」

 同じ顔をしているので語弊はあるものの、多少のひねくれ者であっても美人揃いと認めざるを得ない。色恋に関心の薄いシンであっても白状するなら、視線を奪われていた。
 シンでこれなら、無論、シャムスが反応しないはずがない。

「任務が終わったらデートにでも誘ってみるかな」

 今にも口笛でも不羈そうな上機嫌な様子だったが、それはいつの間にか後ろをとっていたこの部隊の隊長の気配に気づく前のことだった。

「やめた方がいいんじゃないかな? ヴァーリには多くの場合、特定のパートナーがいる。たとえば僕みたいにね」

 さすがのシャムスも気まずかったのか、キラ・ヤマトという男を敵に回さないと決めていたのか、冷や汗を浮かべて固まってしまった。
 見ると、キラの手には赤ん坊が抱かれていて、その子が、シンがエインセル・ハンターの邸宅でゼフィランサスに抱かれていた子だとすぐにわかった。もっとも、母親がすぐに駆け寄ってきた以上、考えるまでもなかったかもしれない。

「いよいよだね、気をつけて」
「私がすることはあまりないから。それより、この子のこと、お願いね」
「僕だって父親だよ。普段は君に押しつけてばかりだけどね」

 なにが始まるのか、シンにはわからなかった。資料に記載がなかったからだ。もっとも、何かが起きようとしていることは、誰にでもわかることであったが。




「いやいや、独裁者の椅子の座り心地は格別だね」

 ギルバート・デュランダルは執務室で自分の椅子に腰掛け、子どものように座席が回る様子を楽しんでいた。この部屋にはもう1人、緑の髪をしたヴァーリ、デンドロビウム・デルタしかいない。普段、議長との窓口役はラクスが担当している。よって、デンドロビウムはあまりデュランダグ議長と会話をしたことはなかった。しかし、今、この部屋にはデンドロビウムしかいないのである。
 議長は本当に自分に話しかけてきたのか、迷いを捨てきれないまでもデンドロビウムは本を目の前のテーブルに置いた。

「え? でも、椅子、変えてませんよね?」
「つまり、気分の問題ってことだよ。実際、全権委任法が通ったことで私が必要としていた法案はすべて通すことができた。それも、可及的速やかに、ね」

 上機嫌ということなのだろう。ただ、機嫌がよくないとデンドロビウムに話しかけない、なんてことはない。遅れていた会話の機会が、たまたま巡ってきたにすぎない。

「デュランダル議長は私たちクライン家の人間とは違う目的で動いているんですよね?」
「どうも堅苦しいね。普段通り、砕けた話し方で私はかまわないんだけどね」
「それはさすがに……」

 普段のような荒い言葉遣いはさすがに控えるにしても、デンドロビウムはまだ親しいとは家に男性と2人きりになることを息苦しく考えるほどではなかった。話がとぎれたとみるや置いたばかりの本に手を伸ばそうとして、すぐにその手は止まってしまった。
 新たな来訪者がいたからだ。

「ギル!」

 まだ年端も行かない幼女は議長の胸へとすぐさま飛び込んでいった。
 議長としても手慣れたもので、幼女をすぐさま自分の膝に腰掛けさせた。

「リリー、よかった。とても元気そうだ」
「会いたかったよ。テレビじゃ何回も見てたけど、なんかすごいことしたんだって?」

 親子ほども年の離れた2人だが、どちらかと言えば近所のお兄さんとそれに懐く子どものように見える。もっとも、そんな子どもが1人でこんなところにまでこれはしない。当然、引率者である黒髪長髪のヴァーリが部屋の入り口に立っていた。
 Mのヴァーリ、ミルラ・マイクに対しては、デンドロビウムも普段の調子で話しかけることができた。

「なあ、ミルラ。あの子は?」
「私たちの数えられざる妹だ。名はリリー、それならリリー・リマかな? ロベリアに叱られそうだ。さて、リリー。議長殿はこれから大切な仕事がある。一目でいいから会いたいという君の要求に私は応えた以上、次は君の番だな」
「ほら、リリー。ミルラ君、この子を頼むよ」

 リリーはするりと膝の上から飛び降りると、ミルラに手を引かれて部屋を後にした。

「またね、ギル」

 短い間ではあったが、騒がしい余韻だけが残った。

「本当にうれしそうだな、いえ、ですね。どうしてリリーをエルスマン邸に預けたんですか?」
「同じヴァーリがいてくれたし、何より、彼女の顔を見るのがつらい時期があってね。君たちの誰かに預けるより距離感が最適だった」

 しかし、おしゃべりなはずの議長はそれ以上、言葉を続けようとはしなかった。そんな相手にデンドロビウムも聞き出す気にはなれない。まさか子どもとの関係がこじれた
から、とは考えにくいのだが。

「さて、では仕事をしてこよう。何より、誰より、リリーのためにね」




 世界安全保証機構の会合はいつも通りに開かれ、いつも通りに一枚板であるという演出を失念していた。東アジア共和国のラリー・ウィリアムズ首相と、南開け理科合衆国のエドモンド・デュクロ将軍が鋭く対立するところまで同じだ。
 どこか薄暗い円卓の間にて、ウィリアムズ首相はそのスキンヘッドにしわを寄せていた。

「現在、プラントから和睦の働きかけが活発になってきている。これは戦争終結の好機ではないかね?」
「バカをぬかせ。奴らはジェネシスを造ったんだぞ。和睦してなんだ? 我々が引き上げたところで悠々と大量殺戮兵器を地球に向けんとも限らん。奴らの中で、先の大戦におけるジェネシスの使用は正当化されとるようだしな!」
「だがいつまでこのような戦争を続けるつもりだ? すでに開戦から10年を優に超えている。副次的なものまで含めれば戦没者は12億にも達する!」
「そのうちの10億は奴らの引き起こしたエイプリルフール・クライシスが原因だろうが!」
「しかしブルー・コスモスのエインセル・ハンター代表が戦死したことでプラントも我々と握手を交わす余地が生まれたことも事実だ。今なら、急進派連中も精神的支柱を失っただろうからな」
「1人の狂人に煽動されたから地球の連中は戦っている! そんなプラントのプロパガンダに乗ってやるほど義理堅い男には見えんがね!」

 2人が舌戦を繰り広げる中、ほかの参加者たちは思い思いに、発言の機会をうかがっているらしかった。まず立候補したのは赤道同盟のソル・リューネ・ランジュ。エインセル・ハンターとボパールで話を交えたこの若者は、一見するとその急進的な立場を改めたかのように見えた。

「皮肉な話ですが、私はギルバート・デュランダル議長と同じ意見をしています。彼はこう言いました。誰も争いを望むものなどいない。しかし、危害を加えられたなら戦わなくてはならないと。15年前、血のバレンタイン事件が発生し、両国の緊張は一気に高まりました。その後、小規模な衝突を繰り返しプラントは報復としてエイプリルフール・クライシスを起こしました」

 警告なしに投下されたニュートロン・ジャマーによって地球全土が深刻なエネルギー不足に陥った。その結果、10億もの人命が失われた。人類史上最大の大量殺戮である。

「彼らは言うのでしょう。先にしかけてきたのは地球であって、自分たちは自分のみを守っているにすぎないと。しかし、血のバレンタイン事件は首謀者がいまだに明らかになっていません。少なくとも、地球の人々の多くにとって何に関係もない事件です。にも関わらず、プラントは地球全土を攻撃対象としました。仮に風説通りブルー・コスモスの教唆された大西洋連邦軍の仕業であったとしてもその責任が地球全土に降りかかることはないのです」

 ソルはこれまで、プラントへの怒りを隠そうとはしていなかった。今、その態度は落ち着いてこそいるものの、プラントが行った蛮行を認める気はないらしい。かつてのような感情論一辺倒でなく論理的にプラントを非難しようとしている。

「プラントではナチュラルを標的とした水晶の夜が起きました。それどころか、コーディネーターの半分以上は地球に暮らしています。それでも、彼らはエイプリルフール・クライシス、ジェネシス、そして小惑星フィンブルと地球を標的にしてきました。それは、エインセル代表ただ1人を標的にしたものだったのでしょうか?」

 果たしてエインセル・ハンター1人の首を差し出して戦いが終わるのだろうか。この疑問を突きつけたところで、ソルは一度、話を閉じた。
 抗戦を主張するデュクロ将軍にとって有利な内容と言えた。そのためか、血気盛んな将官は何も付け加えようとはせず、ウィリアムズ首相もまだ自身の不利を自覚していないらしかった。
 二番手はブルー・コスモスの真なる代表者であった。ロード・ジブリールはのりの利いたスーツに皺がつくことを嫌ってか、手振りも少なげに話を始めた。

「エインセルはよき友人でした。こう言うと、不思議な顔をされることがあります。プラント国民と話す機会がある時には特に。あれほど多くの血を流した男とどうして友好関係など結べるのかと。私に権力の座を禅譲してくれたからだと述べると彼らは納得し私を罵ってきます。あるいは、彼が高潔な人物だからと述べると彼らは納得せず私を罵ってきます。かつて処刑人は汚れた職業でした。フランス革命によって人々の権利が認められた際にも、彼らの権利は最後まで留保されたほどです。しかし、高貴な身分でした。国王から賜った使命を全うしていたからです。私にとってエインセルとはそんな、布切れのような男でした。汚れを拭き取る布のような男でした。ですがふき取られた汚れは消えたりなどしません。布に移るだけです。では、掃除の仕上げに何をしましょうか? やはり、汚れた布を捨てることではありませんか?」

 かつてブルー・コスモスを率いた三巨頭のうち、すでに2人までが命を落としている。

「私は、プラントが戦争に巻き込まれなかったとしてもジェネシスを完成させたと確信しています。そうなれば地球は焦土と化したことでしょう。それをわかっていたエインセルたちは自ら汚れを引き受けてでも地球を救うことを選んだのです」

 あるいは、ジェネシスによる攻撃を示唆し、地球を恫喝しただろうか。どちらにせよ、地球を破壊するほどの大量破壊兵器を建造する技術と、それを使う意思がプラントにはある。そのことはすでに、エイプリルフール・クライシスの段階からわかっていたことではないのか。
 ロードははっきりそう口にすることはなくと、ただ友を懐かしんでいるだけだった。

「私はそんなエインセルの生き方が、どうしてだか嫌いになれなかったのです」

 ここで、新顔が登場することになる。現在のオーブ首長国の代表であるウナト・エマ・セイランである。

「誤解を恐れず言うなら、我々オーブの立場は明確ではありません。オーブは大西洋連邦軍の侵攻を受けました。その陣頭指揮を執ったのが他でもないエインセル・ハンター前代表なのです。私には、ジブリール氏の言葉が身勝手なセンチメンタルに聞こえてしまうことは、隠すことはいたしますまい」

 それもまた、エインセル・ハンターにこびりついた汚れなのだろう。ロードは話の腰を折るような無粋な真似はせず、セイラン代表もまたブルー・コスモス代表の顔色をうかがうこともしなかった。

「ただ、そうであったとしても私はここにいるのです。かつての敵と手を結び、自国の利益のために。その点では、ウィリアムズ首相のお考えにも共感できる点は多々あります。私事ながら、苦労話を聞いていただきたい。4年前、オーブは焼かれました。民がモビル・スーツ戦のさなかを逃げまどい、命を落としました。この悲劇から我々は立ち直り切れてはいません。私自身、仲間を亡くしました。それからの4年間、私は母国の復興のために励みました。簡単なことではありませんでした。しかし、手をさしのべてくれる人物もいたのです。その1人が、エインセル・ハンター前代表でした」

 オーブ侵攻は、いまだに世論の評価が定まっていない。オーブが大西洋連邦の技術を盗用し新型モビル・スーツの開発を行っていたことは一つの事実である。だが、それがプラントと結託し大西洋連邦軍の背後を突くことを予定していた戦力であるという主張は、必ずしも全面的に受け入れられている訳ではない。

「ユニウスセブン休戦条約では、戦争で得た国土を戻すという条項が組み込まれました。大西洋連邦はその約束を忠実に履行したのです。オーブは戦後すぐに自治権を取り戻し、復興へと歩き出しました。では、プラントはどうでしょうか? 彼らはいまだに地球上に軍事基地を保有しています。本来であれば2年以上前に明け渡しの期限を迎えているものです。東アジア共和国のカーペンタリア基地などその典型でしょう」

 そして彼らはいまだ、少なくない数の大気圏内専用のモビル・スーツを作り続けている。基地の返還さえ終えてしまえば無用の長物となるモビル・スーツたちを。

「私は敵だから手を結ばない、そう言うつもりはありません。敵味方、そのような二元論に意味などないからです。肝要なことは信頼に足る相手であるか否か、それだけなのです」

 参加者の意志は決してまとまりのないものとは言えないのかもしれない。濃淡、違いが見えてしまう理由は、結局のところ、プラントがどれほど信頼できる相手なのか、それだけであるからだ。最も信頼していないのがデュクロ将軍であって、まだ信頼の余地を残すのがウィリアムズ首相であるというだけの話なのだから。
 もっとも、多くの参加者たちは交渉の余地こそ認めながらも、プラントという国家が信頼に足る相手ではないと疑っているようではあったが。
 ジョゼフ・コープランド大統領がその恰幅の良い体を震わせたのは、椅子を座り直しただけのことなのだろう。

「私は、プラントではブルー・コスモスの言いなりとなっている無能と描かれているそうです。稀代の名君を気取っているわけではありませんが、憤りを覚えます。しかし、それは侮辱に対するものと呼ぶより、彼らの一方的な価値観に対するものでしょう。彼らにとって、自分たちに都合のよい人物は有能な人格者であるのに対し、そうでない者は無能な小物なのです。そこには彼らの傲慢さが現れています。自分たちが正しい以上、敵対者はすべからく愚かであるに決まっているからです。言うまでもなく、コーディネーター技術には倫理的、道義的な様々な問題があります。そのことを、プラントはどう論じてきたでしょうか? 持たざる者の嫉妬にすぎないと嗤ってきたのは誰であったでしょうか?」

 そして、参加者の最後の1人、スカンジナビア王国のマリア・リンデマンはかぶったブルカの奥で目を閉じ、眠っているかのようだった。そんなはずはないが、あるいは彼女なら眠っていても会議の様子を把握できるのかもしれない。何にせよ、意見するつもりはないらしい。
 会議はこれ以上、進むことはない。プラントの信頼性、それを判断するだけの材料が今のままでは不十分だからだ。
 このまま、今回の会合も結論を先延ばしにする形で終わろうとしていた時、扉がノックもなしに開かれた。現れたのは1人の若者だった。セイラン代表だけは誰かをすぐに理解した。自身の息子、ユウナ・ロマ・セイランであったからだ。
 ユウナはひどくぎこちない歩き方でモニターの前にまで歩みでた。

「し、失礼します。いえ、私に会議に加わる資格はないことは理解しています、ですね。でも、ぜひお耳に入れたいことがあるんです」

 しどろもどろの若造は、将軍をずいぶんと呆れさせたらしい。

「どこのどいつだ?」
「私のせがれです。まだ子犬でしてな。どこぞの雌ライオンに追い立てられてきたのでしょう、お恥ずかしい限りです」

 しかし、ユウナは嘆く父のことなど気にしていない。平静を装っているというより、台本通りに必死に行動しようとしているだけだろうが。

「見ていただきたいのはこれです」

 そう、点けられたモニターには天気予報が映し出された。

「いや、チャンネルが違った! こっちです」

 すぐに映像が別のニュース・チャンネル、ギルバート・デュランダル議長の演説会場へと切り替わる。

「坊主、デュランダル議長の演説など見せてどうするつもりだ?」

 論客で知られる議長は演説を頻繁に行う。そうである以上、わざわざ世界安全保障機構の会議でも取り立てて視聴することは珍しい。実際、今回の会議でも予定には組み込まれていなかった。

「まあ、あわてないでください。前菜で満足してしまってはメイン・ディッシュを食べ損ねますよ」

 この決め台詞も、台本に書かれていたことなのだろう。




「どうして戦争は起きるのでしょうか。歴史をひもといていくとその大半は権力者の欲望が原因となります。権力の椅子とは気まぐれで、縛り付けていないとすぐにふらふらといなくなってしまう。だからこそ権力者は多くの嘘をつき民を欺いてきました。敵がいると危機感をあおり、自分たちの正当性を嘘で塗り固める。だが、嘘は嘘にすぎません。いつかは露見します。そうならないためには、さらなる嘘を積み重ねていかないとならなくなってしまう。そして最後には選択を迫られる。すべて嘘でしたと認めてしまうか。そんなこと、できるはずがありません。だからもう一つの道を選ぶ。敵がいると嘘をついた。すると民からこんな声があがるのです。敵をどうして野放しにしているのですか、と。敵が不正義だと言い続けてきたことには、なぜ正義のための戦いを始めないのかと尋ねられる。そう、戦争を始めるしかなくなってしまうのです」

 この演説の様子は世界中で流されていた。いつものことではない。プラント政府が各国のテレビ局に働きかけその放送権を買い取ったからだ。しかし、そのことを知らされていなかった市民の多くは突如、街頭モニターに映し出されたプラントの指導者の姿を目にすることになった。あるいは、以前は歌姫として地球でも有名であったラクス・クラインが議長のすぐ後ろにいることも関心を引いたのかもしれない。

「ブルー・コスモスはこう信じ込ませました。プラントは、病院に保育器の代わりに培養液で満たされたカプセルを並べる、自然の摂理に反する怪物だと。打ち倒さなければならない敵だと煽動したのです」

 この演説は多くの人が目にしていた。それはファントム・ペインであっても例外ではない。白鯨と呼ばれたファントム・ペインは軍港に照りつける日差しの中、1人端末に目を落としている。切り裂きエドこと、エドワード・ハレルソンは砂漠のテントの中、小さな携帯モニターを部下たちと取り囲んでいた。片角の魔女は適当な大きさの瓦礫に映像を投影し、大画面で楽しんでいる。

「ここで私は訴えたい。この戦争という悲劇は、力を持つべきでない人が力を持ってしまったことが原因なのだと。仮にふさわしい人がふさわしい地位につけるとしたなら、戦争など起きようがない。そしてそのための手段を我々はすでに有しているのです」

 ここでモニターに映し出されたのはアニメーションだった。デフォルメされた、がみがみと怒鳴りつける上司を思わせる男性と、それに平謝りのデュランダル議長。しかしどこからともなくやってきた黒服の男たちが上司を運び去ると、代わりにデュランダル議長を上司の椅子に座らせた。議長は満面の笑みになる。

「DNA情報はワトソンとクリック以来、大きな進歩を遂げました。我々コーディネーターがその証拠です。DNA情報を元に人々の能力を判別し、その適正にあった職業と立場を与えることで世界を正しい形に導くことができるのです。もう、悲劇とわかりながら血の道を歩むことはやめましょう。悲劇をもたらした悪夢の種はすでに取り除かれたのです」

 次に映し出されたのはDNAの二重螺旋構造。それを解析するような映像が流されては、各分野で活躍している人々の様子が映し出される。その演出の巧みさは、人々に隠れた素質を見つけだし、あなたも彼らのようになれると訴えかけているようだった。

「今であれば正しい人が世界を正しく導けるようにすることができるのです。この世界が生命のわき出る場所であることを願って、レーベンズボルン・プランを提唱したいのです」

 そしてここで、演説の別の映像が差し込まれた。議長の後ろに立つラクス・クラインと並ぶように、緑の髪をしたラクス・クラインが映し出された。



[32266] 第43話「道」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/05 23:37
 世界は目撃しようとしていた。
 全世界的に放映されていたギルバート・デュランダル議長の演説をジャックする形で入り込んだのはもう1人のラクス・クラインだった。緑色の髪こそしていても、衣装は意図的に歌姫に寄せたのだろう。2人の少女が同じ顔をしていることは強烈に印象づけられた。

「初めまして、みなさん。私はラクス・クラインではありません。エピメディウム・エコーと申します。Eのヴァーリで、ラクス・クラインの妹です」

 人々は戸惑い、解答を求めるかのようにモニターの半分に映し出されるラクスの顔色をうかがおうと視線を流す。しかし、ラクスは何事も起きていないかのように表情を変えることはない。

「戸惑われたことと思います。ラクス・クラインはかつてのプラント最高評議会代表シーゲル・クラインの娘であることを知る人はプラントの内外問わず多いことと思います。でも、こう考えたはずです、妹なんて聞いたことがないと」

 エピメディウムと名乗った少女がしばし間をおいたのは、妹なんて聞いたことがあっただろうかと、聴衆に自問させるためだろう。

「妹どころか、姉さえいます。それがヴァーリだからです」

 その言葉を合図に、エピメディウムの背後に左右から少女たちが歩みでた。姿格好は様々だ。黒いドレスを身につけた、白い髪、赤い瞳の少女がいる。桃色の髪の少女は2人、1人は先のアルビノの少女と同様のデザインながら白いドレス姿だ。あるいは赤い髪、黒髪、金髪など。
 そして、全員が同じ顔を、ラクス・クラインの顔をしていた。エピメディウム含め8人のラクス・クラインが並んでいた。

「私たちはヴァーリ。プラントが次世代型コーディネーターの開発計画で生み出された26人の姉妹たちです。ごらんのように一つの胚をクローニングし別々の遺伝子調整を施すことで顔は同じながら別々の特性を与えられた姉妹なのです。では、どうしてクライン家はラクス・クラインにだけ、ラクス・クラインと名乗ることを許したのだと思いますか?」

 モニターには幼少期と思われるヴァーリたちの顔写真が並ぶ。全員が同じ顔をして、しかし髪や瞳の色は9種類に分類された。

「ラクス・クラインと認められるだけの性能を発揮した1人だけを娘と認め、他の25人にクラインの名を名乗ることを許さなかったからです。失敗作として生まれた以上、失敗作の立場に甘んじなければならないのが私たちヴァーリでした。私たちは来年、ようやく20歳を迎えます。でも、すでに10名近くがその命を落としています」

 ヴァーリたちにはアルファベットがそれぞれ割り振られ、Gのヴァーリが強調される。それとともに、次々と明度の落とされるアルファベットがあった。死を暗示しているのだろう。

「その中には、私の大切な妹もいました。彼女は失敗作の中ではまだましとされた私を生かすために自ら命を絶ちました。彼女の遺伝子は、生きるに値しない遺伝子だと判定されたからです」

 モニターに表示されたのはF。エピメディウムと同じ緑の髪をしている。続いて灰色の髪をしたYが表示された。
 この映像の受けとめ方は一般人とそうでない人でも分かれた。エコー、ヤンキー、それぞれ、名前などではなくアルファベットの誤認防止用の言い換えにすぎないと職業柄知っていたからだ。

「ユッカ・ヤンキーも同じです。すぐれた妹を生かすために殺害されその心臓を摘出されました。それでも彼女たちは満足して死んでいったのでしょうか? 遺伝子から判断されたその役割を全うできたはずなのだからと。私の妹、フリージア・フォクスロットは泣いていました。まだ5歳でした。大人用とは言え1人乗りの脱出艇に3人で乗り込まなければならない状況でした。1人減れば残された2人の生還率は確実に高まります。でも、それがフリージアでなければならなかった理由は何でしょうか? 周囲の大人たちが、フリージアにあなたは失敗作だと言い続けてきたことでしょうか?」

 おそらく、努めて平静でいたいと考えてはいたのだろう。しかし、エピメディウムの声の変調は誰の目にも明らかだった。やや早口に、辛い出来事からは早く遠ざかりたいと願っているかのように。

「レーベンズボルン・プラン。これは、ギルバート・デュランダル議長が立案したものではありません。私たちヴァーリこそがその先駆けなのです」

 ついでエピメディウムの背景に映し出されたのは王冠を戴く王を描いた西洋絵画だ。

「人権の歴史は、王権簒奪の歴史と言っても過言ではありません。かつて王が神から賜った権利を独占していました。しかし西暦1215年、マグナカルタでは貴族たちが、1789年フランス人権宣言では富裕層が、1915年ワイマール憲法では労働者が権利を獲得し、その度に、王の権限は切り取られていきました。では、王様は小さく小さく消えてしまったのでしょうか? 考えてもみてください。そもそも、コーディネーターとは何なのか? 遺伝子を調整された人のことです。では、どこの誰が始めたことなのか? みなさんの中の誰1人として理解していないことでしょう。ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンの突然の告白が世界を変えました。でも、彼はコーディネーターを創ることはできません」

 歴史の中に埋没した、本来であれば誰もが知りたかったはずの事実。それが明らかにされようとしていることへの期待と不安。それはモニターを通じて確実に世界中へと浸透しているようだった。

「あなた方はどうしてコーディネーターが創られたのか、その目的さえ知らないのです」

 ジョージ・グレンは新しい世界への調整役だと発言したことがあった。では、新しい世界とは。最初のコーディネーターは何も語ってはいない。

「もう一つ謎かけをしましょう。王にふさわしい遺伝子の持ち主が10人いたとしたらどうしますか? 反対に、奴隷になるべき遺伝子の持ち主が1000人必要なのに800人しか集まらなかったとしたら? レーベンズボルン・プランは必然的に、遺伝子の管理と操作を必要とするのです。王は1人でよく、王の遺伝子を備える者は2人いらないのです。そして王の遺伝子を特定の一族で独占することができたとしたらどうでしょう?」

 人のもつ遺伝子は社会に都合のいい割合で存在しているのだろうか。もしも違うなら、奴隷となるべく200人分、奴隷の遺伝子を持つ存在を作り出す必要がある。9人の王を排除しなければならない。そして、王の遺伝子を独占する一族は、さて、王族とでも呼ばれるのだろうか。

「そう、代々王となるべき、王の一族が誕生するのです。王の権利を神様に頼ったりなんてしません。王権遺伝子授説とでも名付けましょうか? そして、プラントは私たちヴァーリや、もう一つの新型コーディネーターであるドミナントの研究から王の遺伝子の探求を終えています」

 レーベンズボルン・プランはプラント主導で進められることになるだろう。そして、王の遺伝子がプラントの手中にあるとしたら。
 点と点は、少しずつ線で結びつけられようとしていた。

「そう、コーディネーターという存在は、王政復古のために壮大な前振りにすぎないのです」

 すべては王の遺伝子をその手に納めるために。では、誰が王の遺伝子を望んだのか。

「かつて王位を追われた王の一族、それは雌伏の時を耐え抜きました。いつかまた玉座を独占する日を夢見て。クライン家、ザラ家、そしてデュランダル家の三家を中心として結成された秘密結社の名前はロゴス。このロゴスこそがコーディネーターの生みの親です」

 ジョージ・グレンの告白を直接耳にした人々は、当時と同じ衝撃に見舞われたことだろう。

「コーディネーターという存在は世界を大きく突き動かしました。そして、それ自体が王の遺伝子を独占するための鍵でした。この戦争の本質は人類の未来を賭けた戦いでもなければ、差別と無理解による争いでもありません。ロゴスが民主主義を破壊するための楔を打ち込むだけの隙間を作り出すためだけの戦いだったのです」

 ギルバート・デュランダル議長は戦争に疲弊した世界へ向けて停戦を呼びかけ、そのための手段としてレーベンズボルン・プランを提案した。

「今年、コズミックイ・イラ75年は、西暦に換算すると2215年になります。始まりであるマグナカルタから数えてちょうど1000年目です。そう、レーベンズボルン・プランとはロゴス1000年の夢なのです」




 ヴァーリ告白。それは世界に反響し、一晩を経た今であっても余韻は落ち着いていない。それどこか、徐々に高まりさえ見せていた。その理由は様々だ。たとえば、収まらぬ怒りだとか。
 プラントの一室に、床にたたきつけられ砕け散るキーボードの音が響いた。すぐそばにはPのヴァーリ、サイサリス・パパの姿がある。推測通り、器物破損の犯人である。

「これは明らかにお父様への反逆だよ! ヴァーリどころかロゴスのことまで暴露するなんて!」

 すぐ後ろには倒れた椅子。作業に集中するつもりが激昂したのだろう。思わず立ち上がり、感情のまま行動した結果がこれだ。
 だが、ヴァーリはこの告白の意味を誰よりも理解する姉妹たちだ。ソファーで暇をつぶしていたミルラ・マイクは珍しく神妙な面もちをしていた。手持ちぶたさに点けたモニターには、何度も繰り返しエピメディウムを中心とした8人のヴァーリの姿があった。

「私は呼んでもらえなかったな。ラクスについたのは間違いだったか?」

 せっかくのテレビに出る機会を逃してしまった。そう仰々しく嘆くミルラの襟元は、怒りに瞳をふるわせるサイサリスの手によって力強く握りしめられた。降参だ、そうとでも言いたげに両手を開いてみせるミルラに、サイサリスは徹底抗戦の意志を認めた。
 それも、至高の娘がいつものようにどこからともなく姿を見せるまでの話だ。

「いつでも移動されて結構ですよ。ただし、退職金は出しませんけれど」
「く、定年まで勤め上げるのが先か!?」

 サイサリスはミルラをソファーへ突き飛ばすように襟元から手を離した。

「ラクスもラクスだよ! 状況、わかってる!?」
「地球はおろか、プラント内でも悪い動揺が広がっているようです。その点では、全権委任法がすでに成立していたことは幸いでした」

 プラント国内はなんとでもなる。

「青写真に変更はあるのか?」
「必要とは思いません。プラントの論理はいつだって明白です。私たちはただ、神の来訪を待てばいいのです」

 エイプリルフール・クライシスで10億の民をそうしたように、ジェネシスが地球の命を平等に扱ったように。そして、どこからともなくやってきたフィンブルの地球落下を認めたように。




 ただ廊下を歩く、それだけのことに、カガリ・ユラ・アスハとエピメディウム・エコーは苦労させられていた。少しでも視界の通る場所にでるとレコーダーを突き出したジャーナリストたちが2人を追いかけ始めるからだ。

「ジャーナリストというのはどこからともなく自然発生するのか?」

 少なくとも、昨日まではここまで多いとは感じていなかった。一言お話を、異口同音にそう繰り返すジャーナリストたちに追われながら2人は自然と早足になっていた。

「熱心でいいと思うよ。ちょっと、苛烈だけど」

 追いつかれつつあると感じた2人はさらに足を早めた。しかし、正面からもジャーナリストの壁が迫りつつあった。まもなく、2人は取り囲まれてしまう。
 ヴァーリとは何か、報道内容は真実なのか、他にヴァーリに該当する人物はいるのか、レーベンズボルン・プランとは、プラントの動向、ドミナントというわずかに語られた存在、いくつもの質問が記者ごとにばらばらに投げかけられるのだ。とても対応できるものではない。
 しかし、ジャーナリストたちもV.I.Pを逃がすつもりはないらしい。カガリはどこか血走った目をした記者たちを見回し、覚悟を決める一瞬前に見知った顔を見つけた。

「ナタル・バジルールじゃないか!? ジャーナリストに転向したとは聞いていたが、お前がヴァーリについて尋ねることなどあるのか?」

 そう、アーク・エンジェルのかつての艦長、ナタルが完全に記者の壁になじんでいたのである。

「ヴァーリそのものではありません。なぜこのタイミングで、いえ、なぜ公表そのものに踏み切ったのかについて聞きたいのです」
「プラントから脱走同然で帰ってきたばかりじゃないのか?」

 そのやりとりは、重要人物と顔見知りの記者の他愛ないやりとりにも見えたことだろう。記者の中に1人の事情通が見いだされるまでは。誰かが言ったのだ。

「ナタル・バジルールって、あのアーク・エンジェルの艦長の……?」

 アーク・エンジェル。かつてあのガンダムを最初に運用した軍艦の名は、子どもでも知っていることだった。
 人は心に矢印を持っている。それは確かなことだ。この言葉を聞いた記者たちの矢印が驚くほど一致したタイミングでナタルへと集中したことが誰の目にも明らかだったからだ。

「よし、今のうちだ!」

 意図せず身代わりを差し出した形となった。記者たちはナタルを取り囲み、その隙にカガリたちは脱出に成功したのだ。




 ジャーナリストと言っても様々だ。誰もが大手と認める新聞社では、泥臭くかけずり回ったりなどしない。一室にインタビュールームを設定し対談の形式を整えていた。車いすの男性、ブルーノ・アズラエルの向かい側に、スーツ姿の記者の姿があった。レコーダーどころか、メモさえ携えていない。のりの利いたスーツ姿はまさに会談を思わせた。
 かつてラウ・ル・クルーゼを名乗ったアズラエル家の男は、意図して戸惑っている風を装っていた。

「しかし私はオブザーバーにすぎない。お門違いではないのかね?」
「我々はすでに次の段階に移っています。ヴァーリに続くもう一つの次世代型コーディネーター、ドミナント。あなたはその、試作されたお1人だったとか?」
「公表からまだ半日も経っていない。よくそこまで調べがついたものだ」
「人の口に戸は立てられません。関わった技術者が今回の一件で一斉に口を開きました。もはや洪水です」

 昨夜は徹夜で駆けずり回ったのだろう。よく見ると記者は目元のくまをメイクでうまく隠している。

「なるほど、君たちも馬鹿ではなかったようだ。目星はつけていたということか」
「あなたが初期のドミナントであることはもちろん驚かされました。他にも、あなたにとって、技術的な弟であり、引き取った義妹の夫でもあるという点で二重の意味で弟であるキラ・ヤマト氏もまた、ドミナントだったとは。彼は知る人ぞ知るエース・パイロットです。そのクラスの名前が調べれば調べるだけ出てくる。わかりますか? この興奮が!?」

 たしかに普段はややエリート意識が鼻につくと揶揄されることも多いこの記者にしては取り繕い切れていない。

「そしてドミナントであるあなたがコーディネーターの排斥運動を……」
「私はコーディネーター技術の即時停止を要求しているにすぎない」
「失礼。ですが、ヴァーリ、そしてドミナントの研究が行われていたのはかのユニウス・セブンです。これを単なる偶然と片づけるつもりはありません。お話ください、ミスター・ブルーノ! C.E.61年2月14日、いったい何があったのですか?」




 会見に出席したヴァーリの多くは、中庭に集まっていた。噴水があるようなちょっとした憩いの場で、花の少女たちがゆったりとした時間を過ごせているのは警護がガードを固めているからだ。
 中庭への入り口に、シン・アスカは同僚になったシャムス・コーザとともに立っていた。新聞記者らしき人物たちが時折、視線を投げつけてはシンたちを忌々しく見つめていた。もっとも、シンにしてみれば初めての要人警護ということもあってか、まるでアイドルの控え室に押し寄せるファンを押しとどめている気分でさえあった。事実、シャムスはつい先ほどまで浮かれた様子だった。しかし、急に真面目な顔つきになったのは何のことはなかった。上官であるキラ・ヤマトが廊下の向こうに見えたからだ。
 シンが思わず敬礼すると、わき腹をシャムスに軽く小突かれた。

「敬礼がザフト式になってんぞ」

 急いで手首の角度を変えたところで、キラは1人の女性をともなって現れた。

「シン君、この人は関係者だから通していい。ヒメノカリスのところにまで連れて行ってくれないか?」
「わかりました」

 眼鏡が印象的な知的な女性で、スーツ姿も相まっていかにも秘書を思わせた。まだ新人であることが不安なのか、シンに対する妙に品定めするような視線を浴びながら、シンは中庭の中を誘導することになった。
 中にはではいろいろな意味で花々が咲き乱れていた。実際の花はもちろん、ヴァーリたちの名前の意味を、シンも聞かされたからだ。
 3人のヴァーリが座っているテーブルの脇をシンと秘書の女性は通り過ぎようとした。
 スーツ姿のヴァーリは、大げさな様子で嘆いていた。

「外を歩いてたのに誰にも呼び止められなかったんだけど」

 たしかに、顔は同じなのに他のヴァーリに比べて不思議と地味な印象を受ける。スーツ姿がどこか背伸びしたアンバランスさを周囲に与えるためだろうか。

「いいじゃない、ロベリア。そんなに存在感消せるの、ある種の才能よ」
「ニーレンベルギア姉さん、それって、誉めてないよね?」

 もっとも、ニーレンベルギアと呼ばれたヴァーリも、会見用に着飾った衣服の上に白衣を羽織るというアンバランスさでは同じだったが。
 さして広くもない中庭だ。目的の噴水まではすぐにたどり着いた。
 そこには、現実と思えない、というよりは幻想的な光景が広がっていた。
 噴水の縁に、2人の少女が腰掛けている。1人は、白い髪に赤い瞳、漆黒のドレスを身につけていた。もう1人は、桃色の髪に青い瞳、ドレスの色は純白だ。コントラストが美しい。妖精王の娘が水浴びのために人間界に舞い降りた、そう言われても思わず信じてしまいそうな光景なのだから。

「わからない。エピメディウムはダムゼルで、シーゲル・クラインのことを崇拝していた。それが洗脳だとしても。どうしてプラントに不利なことをするの?」
「今のプラントにシーゲル・クラインはもういないから。ニーレンベルギアお姉様が言っていたけど、エピメディウムお姉様はラクスお姉様がお父様を独占していると不満を漏らしてた」
「それが、命まで狙われた理由?」
「でも、本当にラクスお姉様はエピメディウムお姉様を排除しようとしたのかな?」
「らしくない? でも、ラクスはお父様のお人形。お父様の望みならば何でもする、でしょ?」
「そっちじゃなくて、ラクスお姉様にはエピメディウムお姉様を排除する機会があった。なのに、失敗したでしょ?」
「完璧な人間なんていない。いるとしたらそれはお父様であって、ガーベラ姉さんじゃない」

 ガーベラという名前が、ラクス・クラインのヴァーリとしての名前だとシンは後で聞かされることになる。そしてヒメノカリスが、ラクス・クラインと同じ部署の出身で、他のヴァーリ以上に関係が深い間柄だということもだ。
 ゼフィランサス・ズールは、今は子どもを連れてはいなかった。

「私たちは世界で一番特殊で異常な姉妹だと思う。姉妹の情なんて言葉があまりに多義的になってしまうほどに。それでも、至高の娘が計画の邪魔になる存在に手心を加えたとは思えないの」
「それはきっと……」

 ヒメノカリスの言葉がとぎれたのは、シンが連れてきた女性のハイヒールの音に気づいたからであることに間違いなかった。

「ヒメノカリス、よく、無事でいてくれました」

 しかし、そんな女性の言葉とは裏腹に、ヒメノカリスは不快感を隠そうとしない。

「お父様はあなたといつも一緒で、ハイヒールの音がするとお父様が来てくれた」
「エインセルはもういません」
「そんなことわかってる!」
「悲しいのは私も同じです。だから私は少しでもあなたの支えになれればと」

 女性がのばした手を、ヒメノカリスは払いのけた。

「私はあなたの母親です!」
「お父様の妻ってだけ! 私には、お父様しかいなかった!」

 キラが案内役にシャムスではなくシンを指名したのは、きっとこれを見せたかったからなのだろう。自分が手に掛けた男性の妻、その名前がメリオル・ピスティスだと知ったのも、やはり後になってからのことだ。

「あんたの気持ちがわかる。悲しみの埋め合わせをするために私を利用したいだけ! 母親として残された娘を慈しむことで!」

 ドレスを振り乱して激昂するヒメノカリスの姿を見たのは、これが初めてのことだった。長い付き合いとはいえない。しかし、シンにとってのヒメノカリスはどこか周囲に無関心な少女だと考えていたから。

「それなら、私はどうすればいいの? お父様は私に何も残してはくだされなかった。私にはお父様のためにできることも、するべきことも、復讐だってきっと許されてない!」

 ヒメノカリスが突然、飛び出した時、シンは思わずメリオルとの間に割って入ろうとした。しかし、白薔薇の少女の目標は最初からシンだった。引き倒される形で床に叩きつけられると、最初に感じたのは冷たい水の感触だった。出血ではない。どうやら噴水にたたき落とされたようだ。
 ずぶぬれになったシンに、同じく水に濡れたヒメノカリスは馬乗りになっていた。

「どうして! あなたは母親の復讐を果たしたくせに、私はどうして許されないの!?」

 ヒメノカリスの瞳が濡れている責任を、噴水に押しつけることはできない。その白い指先は絞め殺さんばかりにシンの首にかかっていたが、胸の息苦しさの原因もそんな直接的なものではないのだろう。
 周囲ではメリオルの他、ヴァーリたちも不安げな表情で2人の様子を見つめていた。
 シンは、不思議と落ち着いていた。

「俺は、たぶん、復讐について人一倍考えてたと思う。俺にとって、母さんは本当に復讐を捧げる相手なのかって疑問に思ってたから。だから復讐って、本能の誤作動なんだと思うんだ」

 噴水につかっていた頭を持ち上げるように上体を少し起こしても、ヒメノカリスは特に抵抗することはなかった。

「感情は人が群で生活するために発達した、そんな学説があるみたいなんだ。だったら、悲しみとか、仲間を奪われたことに対する復讐心もやっぱり群を守るためなんだと思う」

 そんなシンの言葉を、ヒメノカリスは涙を拭いもせずに聞いていた。

「復讐なんて本当は割に合わないんだ。だって、果たせたところで奪われたものは帰ってこない。それでも人は復讐心を発達させてきたんだ。それはきっと、復讐相手を大切な仲間を奪った相手っていうより、一度仲間を奪った相手だから次もまた仲間を奪う可能性が高い相手と認識してるんだと思う。だから復讐って、予防なんじゃいかな? これ以上、仲間を奪わせないための」

 本能が命じた危険性の排除を、人が勘違いして奪われたもののために戦うのだと指摘に取り繕った。それが復讐なのだとしたら。

「だから復讐が意義をもつのって相手がまだ危険な敵である場合に限られるってことなんだと思う」
「お父様があなたからこれ以上、何を奪うって言うの?」

 ヒメノカリスの腕に力が強まったが、シンを再び噴水に沈めるほどではなかった。

「あの人と戦ってる中で俺は母さんが大切な人だったんだって気づかされたんだ。でも、不思議なんだけど、復讐したいって気持ちがまるで起きなかったんだ。ただ、ユグドラシルを止めなきゃいけない、止めないといけないんだって気持ちだけで、俺は剣を握った」
「お父様が本気でプラント市民を焼くつもりだったと思ってるの? それなら最初からヴェサリウス市を狙ってる!」
「エインセルさんに自分の全力をぶつけた時、なんとなくわかったんだ。この人は自分が嫌いなんだって。俺もそうだったから。母さんは俺のために命までかけてくれた。でも、そんな母さんを、俺は疑ったんだ。そのことに気づいた時、なんだか惨めな気持ちになってもっと早く母さんの気持ちに気づけてればこんなことしなかった、したくなかったって。エインセルさんと戦ってわかったのはそんなことなんだ。実際、あの人がプラントを滅ぼす気がないってことは、最後になってようやくわかったよ。邪魔者でしかない俺に、いっさい、怒りや苛立ちをぶつけてなんてこなかったから」

 ただ理不尽に命を奪われる人をなくすための戦いたい。そんながむしゃらな思いが剣となってエインセル・ハンターに届いた時のことだ。

「あの人も、俺と同じで後悔してた。仕方ないことだって自分に言い訳して、でも、やり直せるならやり直したいって気持ちでいっぱいで」

 母を疑い、その苛立ちのまま戦いに身を投じたのがシンなら、エインセル・ハンターはどのような怒りを抱えたまま、後悔を積み重ねていったのだろう。

「あの人と俺って重なるところが多いんだ。だからあの人との最後の瞬間にそれがわかって、俺は、泣いたんだ。水銀燈にも言われたよ。仇を討てて流す類の涙じゃないって。でも、辛かったんだ。あの人はある意味で人生の目標で、母さんの仇で、それでも、一番、俺のことを理解してくれた人だった気がして。いろんなものをいっぺんになくした気がしたんだ」

 もしもエインセル・ハンターに出会えなかったとしたら、シンは今でも母の愛を疑い、戦争に苛立ちをぶつけているだけだったかもしれない。

「ヒメノカリスは言っただろ? エインセルさんは何も残してくれなかったって。あの人は、自分の死がこの世界には必要だと考えてた。でも、君に復讐なんて残したくなかったんじゃないかな? きっと君はそれにすべてを捧げてしまうから。それは願いというより呪いになってしまう。エインセルさんは君に君でいてほしかったんだと思う」

 いつしか、ヒメノカリスの瞳から怒りが静かに薄れていた。

「だから俺は君のためにも、これ以上、誰かから奪うことなんてしたくない、復讐するに値しない相手でいたいと思うんだ。それが、エインセルさんのためにもなると思うから」

 そして残されたのは悲しみだけなのだろう。

「私にはお父様しかいなかった。お父様のいない世界なんてきっと耐えられない」
「君はきっと頑張れる。そう、俺もエインセルさんだって考えてると思う。そうじゃなきゃ、エインセルさんが君を残してなんていけないから」

 エインセル・ハンターの死後、ヒメノカリスはシンを前にしてもむき出しの感情をぶつけてくることはなかった。だが、今はこうして押し寄せる感情を押さえきれないまま声を出して泣き出した。父の仇であるはずのシンの胸に顔を埋めて。




 夫を奪われた妻は眼鏡を外し、目頭を抑えている。その向こう側では、泣きじゃくる娘に抱きつかれ戸惑う少年が2人して噴水の中にいた。
 騒ぎを聞きつけたキラが見た光景がこれだ。
 ゼフィランサスがすぐに歩み寄ってくると、2人は静かに立ち去ろうとする。ここには、誰であっても立ち入ってはいけない気がしたから。

「どうなるとか思ったけど、ようやく、どうしてエインセル兄さんがシン君を後継者に選んだのか、わかった気がしたよ」

 中庭を歩くキラはすぐ隣のゼフィランサスの顔が、自分に対してあからさまな疑いのまなざしを向けていることに気づいた。

「やっぱりキラは何もわかってない」
「え? どういうことだい?」
「いい? エインセルお兄様は、シン君を自分の後に続かない人だって思ったから水銀燈を託したの。エインセルお兄様はご自身のことが嫌いだった。愛してくれないお父上を手に掛けて、戦争の中、たくさんの人の命を奪ってしまったでしょ。だからいつも考えてたんだと思うの。もしも父が愛してくれていたなら、違った可能性があるんじゃないかって」
「シン君が、お母さんの愛に気づいたようにかい?」

 母に愛されていないことを疑い、戦争に加わった少年がいた。
 父に愛されていない確信から、戦争を選んでしまった男がいた。
 両者の違いはほんの一つにすぎなかったのかもしれない。愛、それだけだ。

「お父様に愛されなかった自分を否定して、お母様に愛されていたシン君に自分とは違った未来を、エインセルお兄様は望んだの」

 後継者にならないことを希望しての後継指名。そんな奇妙な出来事を、キラはようやく受け入れた様子だった。
 しかし、それは少々、のんびりとしすぎたのかもしれない。事態は、すでに動き出していたからだ。
 慌てた様子で、カガリが駆け込んできたのだ。

「地球に核が落ちた!」



[32266] 第44話「神は我とともにあり」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/07 12:15
 オーブの司令室は騒然としていた。世界各国から情報を集めてはその真偽に忙殺されていたからだ。
 カガリ・ユラ・アスハの元に次から次ぎへと情報がもたらされては、混乱に拍車がかかっていくのみだ。

「南米ジャブローとの連絡は?」
「ありません。通信途絶」

 電波障害の可能性がある。しかし、近隣の地区からそのような情報は伝わってこない。反対に、アマゾンの一帯で通信の繋がらない場所があるとの情報もあった。しかしそれは単に中継局が森の奥すぎてそもそも存在していないだけかもしれない。

「難攻不落と言われたジャブローがまさか陥落したのか? 核保有国はどうしてる?」
「各国とも関与を否定しています」

 そもそも南アメリカ合衆国は世界安全保証機構に参加している。攻撃するとすればプラント以外考えにくいが、カガリは今ここで核のカードを切る理由を見いだせなかった。
 そんな時、卓上の円盤がふるえた。黄色いドレスに日傘の少女の立体映像が浮かび上がる。

「カっちゃん、大変かしら」
「私をカっちゃんと呼ぶなと言っているだろう。金糸雀、今は緊急事態だ。よほどのことでない限り……」
「月面でも核爆発が観測されたかしら」

 この情報の確度はすぐに高められることになる。他の職員からも情報がもたらされ、モニターにはその時の様子を捉えたカメラ映像が流された。たしかに月面で巨大な爆発が観測されたのだ。
 これが撮影された座標に、カガリは見覚えがあった。

「エインセル兄さんが最後の戦場に選んだ場所だな」
「はい、しかし妙です。現在、あの基地はザフト軍が占拠していたはずです」
「たしかに妙だな。機密情報を消したいと考えるのは大西洋連邦の方だ。だが……」

 大西洋連邦が機密ごと焼き尽くそうとしたのなら理解できる。では、ジャブローの方はどうだろうか。こちらも大西洋連邦軍の仕業とでもいうのだろうか。その違和感は、金糸雀の口からも語られた。

「同盟国の基地を攻撃する理由にはならないかしら。偶然、複数の勢力が核を使用したかしら?」
「核攻撃はユニウス・セブン条約の明白な違反だ。ジョーカーをきるには相応の覚悟が必要なはずだが、それが偶然に重なるものか。金糸雀、それぞれの基地の共通点を調べてくれ。軍事基地という以外でだ」

 少女の姿をしていてもAIでもある金糸雀だ。人にはあり得ないほど素早く膨大な資料を読み解き答えを示した。

「どちらもユグドラシルの発射台が置かれていたかしら」
「ジャブローにも巨大ビーム照射装置があったとは聞いている。だが、それもユグドラシルなのか?」
「原理はまったく同じかしら。ただ、ジャブローのものは地球の大気による減衰があって月面に比べて扱いづらいだけかしら」
「つまり誰かがユグドラシルを破壊しようとしたのか、勢力の垣根を越えて」

 プラントでも、大西洋連邦でもない。それでいてユグドラシルをより脅威と感じる宇宙空間に拠点を有する勢力ということになる。もっとも、これらの条件を満たす勢力など、カガリには一つとして思いつくことはなかった。
 ただ一つ、ヒントがこぼれ落ちてきた。慌てた様子で、司令室に駆け込んできた男がいたのだ。カガリの側近で、名はレドニル・キサカ。

「カガリ様、生存者です! ジャブローの生存者が発見されました!」

 それは地球の反対側ほども遠く、アマゾン川の支流でクレーン船によって引き上げられていた。破損した装甲、むき出しのフレーム、破壊された頭部からコードで垂れ下がったカメラは腐り果てた死体を思わせる。専門家であっても判別が難しいほどに破壊されたデュエルダガーだった。黒く塗られた、ジェネラルの影と呼ばれたファントム・ペインの機体だった。




 時は数時間前にさかのぼる。
 地底に置かれた秘密要塞ジャブローはその姿を白日の下にさらしていた。核爆発が岩盤を突き崩し、巨大な穴となって天窓を開いたのだ。そして、そこにミサイルが次々と降り注ぎジャブローは絶え間ない爆発と爆音とに揺さぶられていた。
 そんなさなか、縦穴から直接ジャブローに進入する飛行機があった。翼の一部が欠け、煙をたなびかせるその機体は、すぐそばをミサイルがかすめるほど危険なアプローチを採用したのだ。
 よって、搭乗員はこの基地の代表であるエドモンド・デュクロだと基地の誰もが理解した。
 事実、不時着同然の飛行機から扉を蹴破らんばかりの勢いで現れたのはデュクロ将軍だった。頭から血を流しているものの、その気迫に衰えはない。

「将軍、お怪我が!」
「ベッドは会議室に置いてきた。状況は?」

 ずかずかと施設内へと歩き始める将軍のすぐ後を、たまたまその場に居合わせただけの職員が追いかける。

「核による奇襲を受けました」
「防空警戒は何をしていた?」
「完全なイレギュラーでした」

 タブレットにはユニウス・セブン条約で締結された、各国の核ミサイルの保管場所の情報が表示されている。それによると、どの国も核を使用していないことになる。監視体制の穴をつかれたか、あるいは、どこかの誰かが条約違反を働いたか、だ。
 だが、ここでじっくりと検討している余裕などありはしない。
 将軍がやがてたどりついたのは格納庫だ。そこには黄金に塗装されたヅダの姿があった。

「お前も脱出を急げ! この基地は放棄する」

 将軍はどうされるおつもりですか、そんなことを聞く無粋な輩はこの基地にはいない。職員が直ちに走り出すと、エドモンドは愛機を見上げた。1人の戦士と認める男にあやかった輝きがまばゆい。

「エインセル代表、思った以上に早い再会になりそうだ」

 ジャブローでは戦闘が激化していた。ミサイル攻撃がやむとともに、識別反応のないモビル・スーツが多数、降下してきたからだ。
 それは奇妙な存在だった。緑を基調とし、丸みを帯びた装甲はザフトの意匠だ。しかしガンダムであり、背中には大西洋連邦軍において開発されたタル状の複合ユニット、ガンバレルが2機、装備されている。デザインの連続性というものをまるで感じさせない、異形ともいえる姿だった。
 無論、所属は不明。そんな機体が多数、ジャブローに光の柱を突き立てる穴から降下していたのだ。
 基地防衛側の不利は明白だった。レナ・イメリアの率いるデュエルダガーの部隊は奇襲を主としビーム兵装は必要最低限度のものしか装備されていない。機動力についてもだ。
 上空からビーム・ライフルを降り注がせる謎の機体に対して、デュエルダガーはビーム・ピストルを撃ち返すことが精一杯だった。かつてエインセル・ハンターを狙ったザフト軍をユグドラシルによる対空迎撃と奇襲とで撃退した精鋭たちがなす術なく砲火にさらされていた。
 その中には、ファントム・ペインであるレナの姿もある。ノーマル・スーツに着替えている余裕もなかったのだろう。軍服姿のままコクピットに座っていた。いつも通り、軍帽を目深にかぶりその表情は伺い知ることができないものの、焦りがひしひしと感じられた。
 もしもそのような雰囲気を払拭できる者がいるとすれば、やはりこの男だろう。カタパルトで上空に飛び上がった黄金の機体、それが巨大な戦斧を謎の機体の首に一気呵成にたたきつけたのだ。

「やはりフェイズシフト・アーマーか! だが!」

 装甲に刃は通っていない。しかし、フレーム部分は確かに損傷し、黄金のヅダが放った回し蹴りが首をちぎりとばしたのだ。
 新たな敵の出現に、謎の敵たちは一時、体制を整える時間を必要とした。その隙にヅダはデュエルダガーたちと合流する。

「将軍、戻られたのですか?」

「レナか。しぶとく生き残っていたか、さすがは、エインセル代表が見込んだだけはある」

 交わせたのはこの程度のことだった。謎の敵は再集結、人とは思えない見事な編隊を組むとビームと小型ミサイルによる爆撃を繰り出す。
 もはや一刻の猶予のなかった。

「全機に告ぐ。現在、我らが基地は謎の攻撃を受けている。何者かが世界を壊そうとしている。この事実を誰かが伝えなければならん! 諸君等の任務は生き延びることだ。生きてこのことを世界に伝えよ!」

 戦士たちの反応は早かった。一斉に各方面へと離脱を始めたのだ。それぞれが独自の動きながらもジャブローの構造物を乗り越え進むその様は、その漆黒の姿もあいまって東洋に語られる忍びを彷彿とさせる。
 しかし、敵も早かった。各方面に必要な戦力を算定、瞬く間に編隊を小隊単位に分けると追撃を開始した。だが、十分な戦力を確保できた訳ではない。ジャブローに残った部隊があったからだ。それは、赤いヅダ、青いヅダ、色とりどりのヅダだった。非常に人目を引くカラーリングをしているとはいえ、あくまでもヅダである。ガンダム・タイプが相手では数、質ともに劣っていた。
 ただし、デュクロ将軍たちはそんなものに戦わない理由を求めることはしかなった。
 双剣を装備したヅダが仕掛けた。謎の機体に短刀を振りかざしそれはシールドで防がれ、フェイズシフト・アーマーを装備した肩を貫くことはできない。謎の機体が脚部に装備された爪状のユニットを展開するとその先端にはビーム・サーベルが発生した。一撃で左腕を切り裂かれるヅダ。残された短剣で謎の機体の額、メイン・カメラをまっすぐに貫いた。しかし反撃もここまで。脚部ビーム・サーベルはヅダを切り裂いた。
 これで、脚部にビーム・サーベルが装備されていること、そして、パイロットは人間的な感情を有していないことがわかった。コクピットめがけて飛び込んでくる巨大なナイフを前にあれほど冷静でいられるだろうか。
 もう1機のヅダは大剣を投げ捨てただただ上空へと飛び上がった。ジャブローの縦穴さえぬけ、ただただ空を目指して。謎の機体はすぐに後を追うもののなかなか追いつく気配がない。無理もない話だ。ヅダはリミッターを解除し限界速度を超えている。すると謎の機体たちは次々と変形する。爪を展開した足を前へと突き出し、頭部をは虫類を思わせる外部装甲で覆った。簡易的な変形により、謎の機体は巨大な手を持つ怪物へと変形する。それは一気に勢いをましヅダを追い抜くと、四方から向けたビーム・ライフルによってヅダの姿を爆煙の中に完全にかきけしてしまった。
 これでおおざっぱな加速力、および可変機構を備えた機体であることが判明した。
 黄金のヅダの前に変形した謎の機体が編隊を組んで正面から飛来する。

「丸い装甲に、ガンダムとはな! この可変システムはザフトには見られん機構だ! まさにカオスだ!」

 カオス、デュクロ将軍が呼んだこの名称が、今後この機体の呼称となった。
 大仰に構えられた大斧。隠れる気などみじんも感じさせない黄金の機体は真っ正面から飛び出した。
 狙え、声高に叫んでいるようなものだ。カオスたちは頭部の外部装甲、その中心部から突き出たビーム砲に一斉にビームの輝きをにじませた。

「その武装も見せてもらおうか!」

 発射されるビーム砲。それはヅダの体をたやすく貫き建造物を炎に包み込む。
 これで、ビーム砲の火力のほどが伺いしれた。モビル・スーツの装甲を貫くに十分な攻撃力を有するが、闘志までかき消すことが出来ない程度の威力であると。
 業炎の中、大破したヅダがまだ黄金の輝きを随所に残したまま飛び出したからだ。

「貴様は! エインセル代表への手みやげにいただいていく!」

 もはや瀕死の将軍は、それでもかまわず声を張り上げた。
 戦斧を大胆かつ繊細にカオスの胴体と腰部の隙間へとたたき込むと、フェイズシフト・アーマーに守られていないフレームを力任せに破断させた。




「カガリ! これはどういうことだい?」

 オーブへと戻ったユウナ・ロマ・セイランを待ち受けていたのはあわただしくかけずり回る人々の波だった。

「荷解きをしている暇はないということだ。エドモンド・デュクロ将軍が亡くなられた。壮絶な戦死だ」

 カガリから投げ渡されたタブレットには、しかしデュクロ将軍の戦士の様子がレポートされていた。カオスと呼ばれる、謎の機体、その性能についてもだ。
 ユウナが驚くのも無理はない。会合に乱入してからまだ一日と経っていないのだ。人が突然いなくなる、そんな状況を受け入れる余裕は、しかし存在しなかった。

「キサカ、宇宙にあがるぞ。例の宙域に何があるのか判明次第、送るように言っておいてくれ。核ミサイルが発射されたと思われる場所だ」
「ぼ、僕もいくよ!」
「ユウナもか?」
「そりゃ、僕には戦うなんてできないよ。でも、君の夫になる人間なんだ」

 説得する時間を惜しんだのか、背伸びする子ども微笑ましく見つめるような様子で、カガリはそれ以上、拒絶はしなかった。懐から円盤型のプロジェクターを取り出すことを選んだ。

「金糸雀、久しぶりの実戦だ。機体はさび付かせてないな?」
「黄金はさびないのかしら!」

 金糸雀の敬礼は、一応形にはなっていた。
 カガリがユウナを連れて廊下を歩き出そうとした時だ。レドニル・キサカが追いついた。

「カガリ様、判明しました」
「早いな」
「戦略核を搭載できる規模の艦船は限定されます」

 さすがのカガリも呆れるほかない。どうやら、指示される前から目星をつけていたのだろう。渡されたタブレットをカガリは眺めた。

「節操なしのオルトロスの正体はなんだ?」

 そして、思わずレドニルの顔を見上げた。

「これは本当か!?」

 後ろから必死にタブレットをのぞき込もうとするユウナが、その正体を読み上げた。

「ツィオルコフスキーってジョージ・グレンの!?」

 ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンの最大の偉業は諸説あるが、その候補にあげられるのが木星圏への探査だ。その航路は、木星への往復4年にも及ぶ資源獲得のためにそのまま流用され、ツィオルコフスキーはその役目についていたはずだった。
 カガリの胸中では、帰還したはずのツィオルコフスキーが行方をくらませていると報告されたことを、思い出していた。
 不気味な点と点とが、危険な線で結びつこうとしている。
 しかし、状況はカガリの予感など相手にしていなかった。
 キラ・ヤマトをはじめとしたファントム・ペインもあわただしく動いていた。

「カガリ、僕たちも宇宙にあがる」
「ジョージ・グレンの顔でも殴りにか?」
「ツィオルコフスキーは君に任せたい。無差別攻撃が始まったんだ。標的は地球軍ばかりじゃない」
「プラントも攻撃を受けているのか!?」




 宇宙に浮かぶ砂時計。それが並ぶのがプラントという国家だ。そこが、攻撃にさらされていた。カオスと呼ばれる機体群が奇襲を仕掛けたのだ。
 砂時計の間を飛び交うカオスの群。そのビームはコロニーを覆う特殊強化ガラスをたやすく貫通すると穴をこじ開けた。次々、侵入するカオスに、軍事施設でないコロニーが対応できるはずもない。逃げまどう人々の上を影が通り過ぎ放たれたミサイルが無慈悲に街を破壊していく。
 プラントとて無策であった訳ではない。地球軍の主立った艦隊は随時補足しレーダー網の整備も進めていた。だが、そのどれにも属さない部隊が味方識別信号まで出して接近してきたならどうすればよいのだろう。
 対応は後手ながらも軍部は動いていた。
 たとえばミネルヴァもそうだ。タリア・グラディス艦長のもと、すでに出撃体制を整えていた。
 格納庫ではあわただしく整備士たちが動き回る。戦力補充のため、インパルスガンダムが次々運び込まれているのだ。レイ・ザ・バレルが隊長を務めていた時には事実上、1個小隊でしかなかったが、すでに6機目のインパルスが運び込まれている。
 それを、ヴィーノ・デュプレは複雑な面もちで見上げていた。ルナマリア・ホークの声が聞こえたのはそんな時だ。

「ヴィーノ、久しぶり」
「ルナマリア、え? だってザラ大佐の部隊にいたはずじゃ?」
「私もそうしたかったんだけど、転属命令が来ちゃてね」

 そう、胸を張るルナマリアの階級章の脇には副隊長であることを示すバッジが取り付けられていた。では、ルナマリアの後ろに続くパイロットたちがその部下だろうか。もっとも、1人厳つい顔をした男性を、ヴィーノはなんとなく隊長だと判断したが。

「そう残念がることはない。ザラ大佐は君に自分の後ろではなくて隣に立ってほしいと望んでいるのだよ」
「それって?」
「功績次第で隊長への昇格も夢ではないということだ」
「私、がんばります」

 母艦を撃沈された直後の初対面のルナマリアに比べて明らかに明るくなった印象だった。しかし、ヴィーノはその時にはなかった違和感を払拭できずにいる。

「ヴィーノ君だね。私はサトー隊長とでも呼んでくれ。すまないが挨拶は抜きだ。いつでも出撃できるよう、スタンバイしてくれ」
「了解です」

 パイロット・スーツに着替えるため、ヴィーノたちは移動を始めた。これからどんな戦いになるのだろう、そうヴィーノが考える横でルナマリアは違った感想を抱いていた。

「でも、今回の核攻撃、ひどいですよね? 地球軍、また核使ったんでしょ」
「地球の仕業ってわかったのか?」
「別に証拠ないけど、プラントは味方に核を使うなんてしないでしょ。あ~あ、やだやだ。信念とか理念じゃなくて利益だけの結びつきって」

 サトー隊長もこの話題には乗り気らしい。

「だからこそ、我々コーディネーターはプラントを建国したのだよ。道半ばといえど、優れた人々による理想郷は決して桃源郷ではない」
「優れてるってなんなんだろ?」

 何の気なしに口にしたヴィーノの言葉は、サトー隊長をはじめとした部隊員たちの注目を誘ったらしかった。

「あ、いや、平均点80点のテストで70点なら劣ってるって話だろ? でも、今度は90点以上の奴集めたら平均点は95点で、90点しかとれなかった奴は劣ってるって話になる。そしたら、94点以上の奴集めて平均点を97点にしたら、94点でも劣ってるてことになるだろ?」
「そんなの、ちょうどいいところでとまるに決まってるでしょ」

 そのちょうどいいところとは、自分たちにとって都合の悪い人は切り捨てられて、自分たちは残される、そんな絶妙なバランスなのだろう。世界がそんなに都合がいいなら戦争なんてしていないのではないか、ヴィーノは簡単に飲み込めずにいる。
 それが、ルナマリアには気に入らなかったらしい。

「あのねえ、シンたちとそんなことばっかり話してたの? そういうのエコー・チェンバーって言うって知ってる? 狭い中で反響して増幅するってやつよ」
「その点、君はしっかりしていると感心させられる」
「すいません、勘弁してあげてください、ヴィーノなんで」

 ヴィーノは服装をただすふりをしてわざと歩みを遅くした。先に進むルナマリアたち。そんな中で、ルナマリアは輝いて見えてしまった。部隊員の誰もがルナマリアに注目し、まるでアイドルかお姫様のような扱いだったから。




 ザフト軍は2隻の巨大戦艦を保有している。1隻は旗艦ムスペルヘイム、もう1隻が同じく1km級の巨体を誇るヨートゥンヘイムだ。その中の一室、独房にミルラ・マイクの姿はあった。タブレット片手にレイ・ザ・バレルを冷やかしにきたのだ。

「どうだ? サイサリスに聞いても答えてもらえなかったが、やはりミノフスキー粒子が使われているのだろう?」

 映像には、黒い大型ガンダムが手をかざしただけでミサイルを破壊する様が映し出されている。以前、ミルラの部隊が交戦したときの様子だ。
 レイはベッドに腰掛けながら退屈げに応じた。

「おそらくな。ミノフスキー粒子にはエネルギーを加えるとメガ粒子化する性質がある。ローゼンクリスタルの手品はその性質を利用したものだ。だが、ミノフスキー粒子にはもう一つ、斥力を発生させるというものがある。システムとしてはゼフィランサスの方がはるかに高度な技術が用いられているようだが、ローゼンクリスタルも同様のことも可能だろう」

 ゼフィランサスのガンダムはサイサリスのガンダムを超えている。

「やれやれ、サイサリスの前にはいつもゼフィランサスがいるな。知ってるか? サイサリスはゼフィランサスをライバル視してる」
「馬鹿げた話だ。技術者としてどちらが優れているか、一目瞭然だろう」
「ゼフィランサスだな?」
「違う、サイサリスだ」

 間違いを指摘された形にも関わらずミルラは茶化したような笑みを絶やさない。このMのヴァーリにとってはどちらでもいいことなのだろう。
 レイはかまわず続けることにした。

「ゼフィランサスの創る機体はどこか芸術じみてる。目が飛び出るほどの開発費、量産できないほどの製造コスト、おまけにパイロットはスーパー・エース限定ときた。夢のような条件が満たされなければゼフィランサスは何も成し遂げられないままだったろう」

 ゼフィランサスの手がけるガンダムとは、まさに子どものおもちゃじみた機体たちだった。

「それに比べてサイサリスはザフトのほとんどの機体に関与している。ガンダムが技術力の向上に寄与していることを加味しても、技術者としての貢献度はサイサリスの方が上だろう」
「ゼフィランサスが名声を気にしてるとは思えない。独り相撲だな」

 もっともこのことをサイサリスに聞かせたところで何にもならないことだろう。よって、これ以上、話に意味はない。レイは手早く次の話題に切り替えた。

「それで、暴動は鎮圧されたのか?」
「ああ、大勢の逮捕者も出たぞ、ナチュラルのな」

 コーディネーターによるナチュラルへの迫害、それが極端な形で現れたのが今回の水晶の夜のはずだった。レイは自身が考えているほどポーカー・フェイスになじんではいなかった。

「レイ。地球の水は体にあったようだな。だが、差別主義者なんてどの世界にもいるだろ?」
「社会の成熟度は差別主義者の有無では決まらない。いざ差別が起きた時に、何人が立ち上がることができるかで決まる」

 どこか満足げなミルラはタブレットをレイの隣に放り投げた。

「端末は置いていこう。さすがにオフラインだが、暇つぶしにくらいはなるだろ」

 画面には、いまだに黒いガンダムの見せた不可視の力が映し出されていた。




 ミルラが戻ってきたのはムスペルヘイムの一室だった。もっとも、同型艦だ。内装から規模までまったく同じで別の艦に移ったという印象はなかった。
 そこは休憩室で、すでに2人のヴァーリの姿があった。ジュースを片手にくつろいでるのはリリーだ。

「どこ行ってたの?」
「デートに決まっているだろう」

 実際、レイと監獄デートを楽しんできたばかりだ。

「付き合ってる人、いるの?」
「当然だろう。ヴァーリは男性への依存心が強いんだ。リリーだって恋を知る歳になればわかるさ」

 ミルラが頭をなでようとすると、リリーに不機嫌そうな顔で払いのけられてしまった。そんな2人の様子をやはり不機嫌そうに見ているのはサイサリス・パパだ。子守を押しつけられたことへの不満もあるのだろう。

「冗談に決まってるでしょ。真に受けないで」
「でも、アイリスはディアッカと付き合ってた。赤ちゃんが生まれるんだって」
「ああ、だから戻ってきたんだ。ま、ヴァーリにお母さんなんていないし、家族ごっこはもう終わりってこと?」

 リリーの動きは早かった。サイサリスが反応するよりも早くその胸ぐらに掴みかかったのである。今にも泣き出しそうな、あるいは怒りをたたえた顔をして。
 また、ミルラの動きも早かった。リリーをうしろから羽交い締めにすると、手際よくサイサリスから引き離しのだ。

「さすがは我らが妹君だな」
「何なのよ、いったい!?」

 ミルラの腕の中でリリーも徐々に興奮が落ち着いてきたらしかった。少なくとも、自らの首をさするサイサリス本人への関心は薄れたようだ。リリーを下ろしたミルラは手を繋ぎ部屋から連れだそうとする。

「リリー、アイスでも食べに行かないか? このヨートゥンヘイムではアイスクリームを製造できるんだ」

 まだ不満げではあるものの、リリーはしぶしぶミルラへついて行くことを決めたようだった。

「ジョン・ダニエラのチョコ、私はそれしかやらない」
「よしよし、お姫様、ご案内しよう」

 子連れで廊下を歩きながら、ミルラはふと地球側の記事を思い出していた。あの会見以来、ヴァーリをプラントの姫君と称する向きがあるのだと。
 ミルラはリリーに聞こえぬようにふと、つぶやいた。

「姫か、着飾らせても奴隷は奴隷だろうにな……」



[32266] 第45話「王殺し」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/12 22:38
 特務艦ミネルヴァの発進。それは拍子抜けするものだった。いつでもプラントを攻撃する謎の部隊と戦う準備はできていたが、その機会は訪れないままパイロットたちはコクピットで待機を続けていた。
 ルナマリア・ホークは思わずブリッジと通信をつないだ。

「グラディス艦長。どうして救援に向かわないんですか?」
「本艦には集結要請が出ています」
「でも!」

 抗議の声も艦長席のタリア・グラディスには届いていない。こうしている間にもプラント市民の犠牲は拡大している。しかし、隊長であるサトーの意見は異なっていたらしかった。

「ルナマリア、ここは耐えるべき時だ。要人を失えば混乱を招き、その代償は市民の犠牲に現れる。厳しいようだが、我々が真に守るべきは市民ではないのだ」
「サトー隊長……、わかりました」

 もちろん、すぐに飲み込めた訳ではない。
 ルナマリアの心を満たしてくれるのはいつもギルバート・デュランダル議長の言葉だった。コクピットのモニターに映し出される映像は、ちょうど演説の様子だった。
 衆目美麗、威風堂々とした出で立ちで議長は演説台についていた。

「人は変化を恐れる。それは自身に利益をもたらすものであったとしてもだ。レーベンズボルン・プランが仮に偽のラクス・クラインが言ったような荒唐無稽な陰謀であったとしよう。だが、それの何が問題だろうか? 民は優れた指導者を得ることができるのは同じことだろう」

 ルナマリアはふと大西洋連邦の大統領を思い出していた。ジョゼフ・コープランド大統領は、それはそれはふつうのおじさんなのだ。腹の出たジョセフと、凛々しいギルバート。どちらが正しいかなど子どもでもわかりそうなものだ。

「しかし重力に縛られた民は我々の救いの手を拒絶しようとしている。では、それは我々の敗北なのか。それは違う。なぜなら、我々はまだ戦い続けているからだ。あえて言おう、この戦争は必要悪なのだと。考えてもみて欲しい。地球が勝利するためには優秀な兵士が多く必要となる。つまり必然的にコーディネーターを増やすしかない。しかしそれは彼らにとって諸刃の剣となる。成長したコーディネーターたちはすぐに気づくことだろう。誰が正しく、誰が間違っているのかを。彼らは親や知人、友の首を手土産に我らの軍門に下ることになる」

 敵であった者たちが手を取り合い一つの理想のもとに邁進できる。議長の言葉を聞いていると、そんなことも絵空事には思えなくなってくる。

「これは進化のための通過儀礼なのだろう。この戦争では無理かもしれない。しかし10年後、20年後、進化した種である我々コーディネーターはナチュラルを駆逐する。それは自然の摂理だ」

 ルナマリアはくすりと笑みをこぼした。議長の言葉のあやに気づいてしまったからだ。駆逐されるのはナチュラルではなく、正確には無能なナチュラルなのだから。だから、自分のような優秀なナチュラルは対象ではないのだ。

「君たちの戦いは人類を新たなステージへと導く環境圧そのものなのだ。私は信じたい。明日が、今日よりもいい日であることを私は切に願いたい」

 そして、演説は力強い言葉とともに締めくくられる。

「勝利を我らに」

 ルナマリアも、演説に詰めかけた聴衆も右手を掲げ声を張り上げた。
 同じ頃、グラディス艦長も艦長席手元のモニターを眺めていた。熱狂する聴衆に支持されるかつての恋人の姿を、表情とぼしく眺めていたのである。

「ギル、こんなのは昔のあなたが一番嫌っていたことでしょう」

 かつてのことを思い出していた。場所は、どこかの喫茶店だった。あの頃のギルバートはまだ、地方議員の末席を暖める存在でしかなかった。

「タリア、進化なんてものは存在しないんだ。考えてごらん。キリンは木に茂る葉を食べるために首を伸ばしたなんて言われることがある。でも、キリンは首を伸ばそうとしたのかな? そもそも、首が長いというのは、本当に優れた性質なのかな?」

 タブレット全盛の時代にあっても、ギルはノートとペンを使うことを好んだ。つたない絵でかろうじてキリンであることがわかる獣と樹が描かれている。

「たしかに木の上の探るのには優れてる。でも、今度は低木ばっかりになってしまったらキリンは不自由そうに長い首を下ろさないといけなくなる。すると、今度は首が短くなるよう、進化するのかな? おや、おや、首が長いことが優れた性質だったはずなのにね」

 遺伝子工学を専門にした若き議員。未熟で誰からも注目されない若造であったが、タリアはその情熱に惹かれていた。

「より環境に適した体になることはあっても、進化なんてものはないんだ。まかり間違っても進化でより優れた種になるなんてあり得ないことなんだよ。昔、進化論を強引に人間社会に当てはめようとした連中は、優勢思想を喧伝した。社会進化論なんて学問なんかじゃない、ただのプロパガンダでしかないのにだ」
「偶然と選択、でしょ?」
「そう。おや、前も同じ話をしたかな。ではこの議論はここまでにして次の議題に移ろうか。週末のデートはどこに行くか、なんてどうかな?」




 ヨートゥンヘイムには貴賓室も設けられていた。非常時にはプラント政府の全権を移設することさえ計画されていることがこのような点にも現れている。
 もっとも、招かれた客はラクス・クラインを前にどこか居心地の悪さを感じているらしかった。高級そうなソファーの上で、フレイ・アルスターはあらかさまに警戒のまなざしを向けている。

「ねえ、私って捕虜なんでしょ?」
「はい。でも、あなたは妹の友人です。手荒な扱いはできません。地球には恋人もおられるとか。無事を伝えられてはいかがですか?」

 そう、テーブルには本当に通信端末が置かれた。盗聴でもするつもりなのだろうか。もっとも、自分とアーノルド・ノイマンとの会話にそれほどの価値があるはずがないと、フレイはどこか諦めた様子で端末を手にした。

「アーノルドさん?」

 むろん、相手は驚いた様子だった。

「いや、だから、大丈夫だって。今、ラクスにお茶会に招かれてるんだけど」

 やはり、アーノルドは驚いた様子だった。無事を伝えるとともに納得させることにほとんどの時間を費やしてしまった。やや疲れた様子のフレイは、再び向かいに座るラクス・クラインとの気まずい沈黙に落ちてしまう。もっともラクスの方はかまうことなく紅茶をすすっているだけだったが。

「こうして話すのは初めてだけど、あなた、少しエインセルさんに似てる気がする」
「私が魔王と呼ばれた方と、ですか?」

 それはあんたたちが勝手に呼んでるだけでしょ、そうフレイは呆れながらも、もう一度、ラクスの瞳をのぞき込む。

「あなたみたいな、少し悲しい目をした人たちを見てきたから。普段は世界まるごと見回してますって顔して、でも、こうして目を合わせててもね、絶対に目をそらそうとしないの」

 フレイがテーブルから前に乗り出してもラクスはやはりフレイの瞳を見つめたままだった。根負けしてソファーに戻ったのはフレイの方だった。

「見せられない弱さを、不自然なくらい強がって守ろうとしてるって人たちを、ね」
「面白いお話ですけど、私はラクス・クラインです。お父様の望まれた世界を実現することに何のためらいもありません」

 やはり、ラクスは目をそらすことがない。
 それこそが悲しい目なのだと、フレイは考えずにはいられなかった。

「ニュース見たけど、今、世界を攻撃してるのって何?」
「ファースト・コーディネーターであるジョージ・グレンの偉業の一つに、木星圏にまで到達したことが挙げられます。そこで培われたノウハウがツィオルコフスキーによる往復4年にも及ぶ資源採掘の旅を可能にしました。その際、ツィオルコフスキーは大量の資材を空のタンクに詰め込み、木星圏で兵器の生産工場を長い年月かけて開発していたのです」

 まだ誰もが第三勢力の正体を知らないはずだった。

「気の長いお話でした。管理AI、ハイムダルによる無人の工場は、ようやく質と数をそろえてくれたのです。地球ではカオスの名称が普及したようですけど、もともと、名前なんてありません」
「じゃあ、核攻撃も!?」
「ツィオルコフスキーに搭載されたものでしょう」
「プラントへの攻撃もあなたがさせてるの!?」
「ツィオルコフスキーをはじめ、すべてハイムダルによる自動制御です。私の関知するところではありません」

 嘘ではないのだろう。しかし、仮にプラントが秘密裏に製造していた無人基地が人類への攻撃を開始したとすれば国際世論の非難はプラントへと向く。たやすく口外してよい話ではないはずだが。

「だったらなんでその、ハイムダルが味方のはずのプラントを攻撃するの?」
「さあ、それが私にもさっぱり」

 これは本当だろうか。ラクスは再び茶器を口元に運ぶ。その優雅に見える仕草は至高の娘に妖艶な彩りを添えている。

「ああ、脳が混乱する。アイリスはそんな顔したことないもん」

 多少の違いはあるとはいえ、ヴァーリたちは基本的に同じ遺伝子配列を持っているはずだった。もしも親友が至高の娘として育てられていたならこのような顔を見せていたのだろうか。
 ノックもしないで黒髪のヴァーリが入ってきたのはその時のことだった。

「サイサリスはヨートゥンヘイムに帰ったぞ。これはプレゼントだそうだ」

 そう、テーブルに置かれたのは透明なアンティーク調の容器に入れられた赤い液体だった。血液を思わせるそれは、エインセル・ハンターの名前が刻印されている。

「エインセルさんの血液って、あなたたち、エインセルさんのクローンを造るつもりなの!?」
「まさか。たしかにデータは貴重だったが、彼はプロト・ドミナントとは言え、10人の1人にすぎない。アスランやレイもいる以上、そこまでの価値はない」

 容器の中に浮かぶ液体を見つめながら、ラクスは茶器を置いた。その際の音が妙な響きをもってラクスへと視線を集中させる。

「ハイムダルはレーベンズボルン・プランのためにシステムです。そんな彼は大いに困惑したのではないでしょうか? 王殺しを目撃してしまったからです」
「ここで言う王とは何者だ?」
「彼はプロト・ドミナントでした。つまり、プラントが本来、王として戴くべき存在だったのです。しかし、我々は自らの手で王を殺害してしまったのです。ハイムダルは学んだのではないでしょうか? 必要であれば王であっても排除してよいのだと」
「なるほど、エインセル・ハンターはプラントの王に名乗りを上げ、我らが神はそれを認めたということか」
「そして、シン・アスカはザフトの兵士でした」
「だが、それがどうしてプラント攻撃に繋がる? そもそも、エインセル・ハンターはプラントを滅ぼそうとしていた。それでも王と認めるのか?」
「あのね、エインセルさんはプラントを滅ぼそうとしてたんじゃなくてね、コーディネーターをつくる体制を改めさせようとしてただけ。わかった?」

 フレイによる横やりも、ミルラは肩をすくめる程度で流してしまう。今はラクスによって語られる王殺しの方が重要だからなのだろう。

「レーベンズボルン・プランは遺伝子を最重視します。そこに、エインセル・ハンターの思想や人格が内在する余地はありません。彼がプラントにとって危険人物だと考えるのは、レーベンズボルン・プランの否定に他なりません」

 よって、エインセル・ハンターはプラントの王である。

「我々は王を殺害し、ゆえにハイムダルは学んだのです。目的のためならばどのような人であっても排除してよいと」
「ラクス、じゃあ、ハイムダルの目的って何?」
「レーベンズボルン・プランという手段によって人類の恒久存続を担うことです。そして、ハイムダルの中には膨大な遺伝子データが保存されています」

 神の悪意が浸透するかのように3人の間を通り抜ける。それとも、ここには4人いるとすべきだろうか。テーブルにはエインセル・ハンターの遺伝情報が置かれているのだから。

「私たちプラントは無垢なる魂にこう囁きかけてしまったのです。遺伝情報こそが人であり、生身の人間を排除することは許されると」

 ハイムダルが守るべき人とは、単なる4文字の羅列でしかない。
 プラントの民は、人を守るために人を滅ぼそうとしている。月面のユグドラシル発射基地が狙われたのもそのためだろう。そこを、ザフトが占領していたとしてもだ。
 ミルラは思わず息を吐いた。

「コンピュータが人類を襲撃する、SFでは手垢のついたテーマだな。だが、狂っているのは誰だ?」

 ミルラはラクスを一瞥すると手を振り部屋を後にしようとする。その視線は、フレイには疑いのまなざしのように見えた。
 再び2人になった部屋の中で、フレイは疑問を投げかけた。

「ねえ、ラクス。エインセルさんはそこまで見越して自分の死を演出した可能性ってあると思う?」

 ラクスは瞳を小さくした。こうわかりやすく困惑しているのは、アイリスではよく見かける。しかし、ラクスにこの顔をされるとフレイはやはり混乱させられてしまう。
 では、次にラクスが発した言葉の意味を、フレイはどう捉えたのだろうか。
 
「この血の責任は、我らと我らの子孫の上にふりかかれ」

 そう、ラクスは血の容器をそっと手にした。




 ヨートゥンヘイムでも他の艦船と同じくあわただしい様子で戦闘の準備が進んでいた。なにせ全長1km、通常のザフト軍戦艦をそっくり格納できてしまうほどの巨大な艦だ。その規模もまた常識はずれのものとなる。
 そのブリッジにサイサリスはいた。ブリッジとは言っても、階段状に配置されたに配置されたフロア一つ一つが通常のブリッジほどの広さのある広大なものだ。

「部隊の配備は終わった?」

 手渡されたタブレットで確認すると、予定されていた人員、物資の移送は終了しあとは出撃の号令を待っているだけの段となっている。上機嫌に鼻歌交じりに計画が順調に消化されていることを確認していたサイサリスだが、ある1人の名前が視界に入ったとたん、眉を大きく歪めた。

「イザーク・ジュール。うちに来たんだ」
「優秀なパイロットだとされていますが?」
「プラスして反逆行為が理由で不名誉除隊くらったってしといて。誰か手の空いてる人に監視させてくれない? なんか、いやな予感するから」

 ブリッジ・クルーにタブレットを返すサイサリス。その予感は当たっていたが、やや時期に遅れたものとなっていた。
 同じヨートゥンヘイム、とは言え巨大である以上、直線距離にしても数百mは離れた地点の話だ。イザークは細い配管に身を潜めていた。その手には端末がある。カバーが破壊され剥き出しとなった電子ケーブルに多数のコードを接続している。
 プロジェクターでもある端末から、青いドレス姿の少女が現れた。

「ツィオルコフスキーの座標がわかりました」
「よくやった!」
「でもハッキングを見破られました」

 蒼星石の言葉と同時にけたたましいサイレンが鳴り響いた。

「らしいな。ラピスラツーリシュテルンを動かしておけ。このまま脱出する」

 コードを引きちぎる勢いで引きはがすと、イザークはそばにあったダクト・カバーを蹴り飛ばし、通路へと跳びだした。
 アラームと艦内放送でイザーク・ジュールの拘束命令が出たことが耳に痛いほどに聞こえていた。
 格納庫の一角、軍服姿とは言えまだ若い少年少女の集まりがあった。全員、イザークの教え子であり、初陣を経験したばかりの新兵である。ルナマリア・ホークの妹であるメイリン・ホークもその1人だ。

「隊長が指名手配って!?」

 ただでさえ未熟な彼らは狼狽えていることしかできないでいる。そんな中、整備士の大声が聞こえてきた。

「どうした? 勝手にカタパルトが動いてる!」

 隊長の機体である、ガンダムラピスラツーリシュテルンを乗せたリフトがカタパルトへと移動を開始していた。まさに出撃しようとしているのだ。

「隊長、あなたには反逆罪の容疑がかかっています。投降してください!」

 もちろん、搭乗しているのはイザークとは限らない。しかし、状況証拠としては十分だろう。メイリンをはじめ教え子たちは全員、隊長の置かれた状況を理解していた。

「止めたければ追ってこい。どうせ、お前たちには出撃命令が下る」

 外部スピーカーで声を伝えている間にも、ラピスラツーリシュテルンは出撃準備を終えようとしていた。ハッキングで管制から主導権を奪ったことは事実としても、ヨートゥンヘイム側も格納庫内部で暴れられるよりはましと判断したのだろう。
 カタパルトから打ち出されたラピスラツーリシュテルンは振り向き、ヨートゥンヘイムの前にゾウに挑む蟻として立ちふさがった。
 その様子を、ブリッジのサイサリスは笑みさえこぼして眺めていた。

「何をするつもりか知らないけど、たった1機のモビル・スーツに何ができるっていうの? ガンダムなんて幻想、私が終わらせてあげる」



[32266] 第46話「名前も知らぬ人のため」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/14 18:54
「こちらイザーク・ジュール。誰か聞こえているか?」

 この声を聞いたのは、黄金のガンダム、ガンダムカナリーエンフォーゲルのコクピットでのことだった。カガリ・ユラ・アスハは、すぐに唇を堅く結んだぶっきらぼうな戦士の顔が浮かんだ。

「イザークか? 閑職に追いやられたのではなかったのか?」
「カガリ・ユラ・アスハか。では話が早い。ツィオルコスフキーの座標を送る」

 金糸雀が資料を黒板に張るかのようにモニター上に表示した宇宙図には、カガリたちが目星をつけた木星探査船の位置とほぼ合致していた。

「核ミサイルはそこだな?」
「そこまで調べがついているのか」

 さすがのイザークも感心した様子だった。もっとも、そこで自慢していられるほどの時間は残されていない。

「カっちゃん、来たかしら」

 レーダーに反応があった。
 カガリ率いるオーブ軍モビル・スーツ部隊、その進行方向側面をつく形でザフト軍が展開していたのだ。

「援軍、のつもりはないだろうな」

 たとえ、人類の敵を討つ戦いであったとしてもだ。
 モビル・スーツ部隊から離れた母艦の方でも確認できたようだ。それも、より正確に。ユウナ・ロマ・セイランがそのことを伝えてきた。

「カガリ、ザフトの部隊だ。50機前後が確認されてる。ヨートゥンヘイムのもので1個師団相当戦力だよ!」

 決して無視できない戦力だった。しかし、ここで戦力をさいてはツィオルコフスキー撃沈に影響がでることは明白だった。

「ザフトの目的もツィオルコフスキーか?」
「いや、上層部は第3勢力をどうにかするつもりはないらしい。間違いなくお前たちの妨害が目的だ」

 では、多少無理にでも戦力を割り当てざるを得ない。そう、カガリが考えていた時だ。

「カガリ、ここは俺が食い止める。おまえはツィオルコフスキーを始末してこい」

 ツィオルコフスキーの居場所を伝えに来た以上、イザークがザフトを離反したことに疑いはない。だが、反乱を起こせるほど根回しのいい男でもないことを、カガリは知っている。
 つまり、イザークはどこにも所属しない1人の軍隊となったということだ。戦力差は50倍。イザーク1人で押しとどめられる実力差ではない。
 カガリの出した結論など最初から決まりきっていた。

「各機へ、我々はこのままツィオルコフスキーを目指す」
「カガリ、君は何を言っているんだ!? たった1機のガンダムで50機の、あっちもガンダム・タイプだ。それを止められるはずないじゃないか!」

 ユウナにしては珍しく大声を張り上げている。もっとも、怒りというより完全な焦りだ。

「いいかい? 戦力差っていうのはね、数に比例しない、数の二乗に比例するんだよ! こちらの攻撃は50分の1に分散されるのに、相手の手数は50倍なんだからね。戦力差は2500倍。まともにぶつかって勝てる訳がないんだ!」
「太陽が西から昇ってくることがある。どんな場合だと思う?」

 突拍子もない質問に戸惑ったようだが、ユウナはすぐに答えを返した。

「新しく西って言葉をつくって東って意味を与えるのはどうかな?」
「お前らしい答えだがそれは違う。信頼するに足る者がそう述べた時だ」
「いやいや、それはおかしいよ。典型的な循環論法になってる。彼は信じられる。なぜなら、彼は信頼できる人だからだ。なんて言ってもね、結局、同じ内容を言い換えてるだけで何の証明にもなってない」
「だが、トートロジーは何の証明にはならずとも否定する材料にもならない」
「レドニル、君も君だよ。どうして側面の防御を放棄してるんだい!?」

 もうカガリの説得は諦めたのか、腹心の部下であるレドニル・キサカの懐柔を図ったのだろう。しかし、その望みも薄いものだった。なぜなら、カガリの部隊、総勢37機はすべて足並み乱すことなくツィオルコフスキーへと向かっていたからだ。

「言われたのです、太陽が西から昇ると」
「君とイザーク・ジュールに面識はないだろう!」
「ありません。ですが、カガリ様は言われました。太陽は西から昇ると。ならば我ら西をまもりて日の出を待つのみ」

 部隊員たちも同じ気持ちなのだろう。カガリを信じ、戦い抜くと心に決めている。

「ああ、もう!」




 ユウナと同じ苦悩を、蒼星石も感じていた。

「マスター、この目標設定は無茶です。1機たりとも撃墜しないまま、母艦のみを撃沈するなんて」
「だがやらなければならん。あいつらを戦争の道具にしないためにはな」

 すでにヨートゥンヘイムからは多数のインパルスガンダムが出撃している。総勢は50機。その半分以上が、イザークの教え子が搭乗している機体だ。とは言え、彼らはすぐに歴戦の兵士に変えられてしまう。
 ヨートゥンヘイムのブリッジではサイサリス・パパが状況の推移を見守っていた。イザークのラピスラツーリシュテルンはオーブ軍と合流するものとばかり考えていた。しかし、いつまでもその気配がない。

「まさか本当に1機で戦うつもりなの? どっちが勝つか、賭けてみる?」

 そう、周囲のブリッジ・クルーに問いかけてみるも、誰も乗ってはこなかった。たった1機のラピスラツーリシュテルンが勝つ方に賭けるバカなどいないのだ。

「賭けなんて成立しないか。アリスの発動を許可する。やっちゃって」

 インパルスガンダムのコクピットでは迷いを捨てきれないメイリン・ホークが不安げな顔でただ座っていた。

「隊長……」

 しかし、大量に流れ込んできた情報の波がメイリンの人格を洗い流す。不安も恐怖もなく、ただ命じられたまま操縦桿を動かす人形と化した。
 そのことはイザークにもすぐにわかった。

「始まったか……」

 編隊飛行も危なげな新兵が、突如として完璧な連携を行うようになれば一目瞭然というものだ。
 先頭のインパルスがビームを放ってくる。それをかわすと、逃げた先に別のインパルスが待ちかまえていた。振りかざしてくるビーム・サーベルを蹴り飛ばし、その顔面にけりをくらわせたところで、さらに2機のインパルスの攻撃が来る。同士討ちも辞さないほど際どい狙いのビームを辛うじてかわすもシールドは放棄せざるを得なかった。
 機動力の違いを頼りに逃げの一手にでようにもアリスはこちらの挙動を予想しインパルスを先回りさせてくる。

「マスター、離脱してください。この戦場はキャパシティを完全にオーバーしています」
「だがやらなければならない、そう言ったはずだ」

 餌に群がる蟻のように押し寄せるインパルス。
 かわしてもかわしても次々振り下ろされるビーム・サーベルについにはビーム・ライフルを切断され、ラピスラツーリシュテルンは両手の武器を失った。
 持久戦など望むべくもない。
 接近してきたインパルスを拳で殴りどかせると、ラピスラツーリシュテルンは全身を淡い光に包み飛びだした。単純な機体性能ではゲルテンリッターと量産型ガンダムとでは比べくもない。
 インパルスガンダムの包囲網を突破し、ヨートゥンヘイムをその射程に収めた。バック・パックに折り畳まれたロング・ビーム・ライフルを左脇の下から展開、モビル・スーツが携帯する規模では最大級の火力をそのブリッジへと向けたのだ。
 しかし、イザークは引き金を引く指をためらわせた。
 シールドを構えた複数のインパルスがブリッジを守るように立ちふさがったからだ。このインパルスたちをまとめて破壊する事は可能だったが、それはできなかった。
 イザークは数少ない手札を1枚、ふいにしてしまった。四方から飛んできたビームがロング・ビーム・ライフルに次々突き刺さり、これを破壊したからだ。無論、その爆発の余波はラピスラツーリシュテルンにも及んでいた。左腕を中心とした左半身にダメージを負ったのだ。スラスターも一部損傷したらしく、動きが目に見えてぎこちなくなっていた。

「今、シミュレートを終えました。256万通りのパターンを計算しても、勝利目標を満たせたパターンは0です。必敗が約束されているんです!」

 蒼星石の言葉を無視したわけではない。しかし、損傷した機体を敵の攻撃から逃がすのにイザークは集中せざるを得なかった。

「僕はマスターのお人形です。マスターの命令は受け入れます。でも、マスターを守ることも役目なんです。だからマスター!」
「蒼星石、お前が俺に従ってくれるのはどうしてだ?」

 戦いのさなか、イザークは語った。

「そう、プログラムされたからか? 少なくとも、俺にとってお前は操り人形などではない。ともに戦ってくれた仲間だ」

 すでに戦いは限界が近づいていた。無数に飛来するビームがラピスラツーリシュテルンをかすめ肩が、脚が、顔面の装甲がそぎ落とされていく。その度、ミノフスキー・クラフトを失った装甲が光を失い、速度が低下していく。

「だからおまえにはわかってほしい。どのような結末になろうと俺は逃げ出す訳にはいかないんだ」
「……ずるいです、そんな言い方」

 蒼星石は、その袖口で涙を拭う仕草を見せた。だが、そんな格好を取り繕っている暇を、青いお人形は惜しんだのだろう。涙がたまったままの瞳を、そのままでイザークへと向けた。

「マスター、ご命令を。僕はあなたとなら戦えます」
「俺はイザーク・ジュール。蒼き霧の主なり」

 状況の変化を一番に察したのはヨートゥンヘイムのブリッジだった。

「レーダーに反応あり!」

 ブリッジ・クルーの言葉に、サイサリスもすぐにレーダー反応を確認する。たしかに、多数の敵性反応が出現していた。

「敵の増援!?」
「いえ、これは……」

 クルーにつられて見上げると、そこには強化樹脂製のガラス窓の先に、多数のラピスラツーリシュテルンが漂っている様が見えていた。しかし、どれもおかしい。不鮮明で色彩を欠き、あからさまな立体映像でしかない。レーダーはこれを実機と誤認したのだ。

「単なるホログラム! 質量センサーを働かせて!」
「だめです、効果ありません!」

 実際、すべての映像から質量が検知されている。しかし、立体映像ならば投影機が必要となる。また、なぜすべてが不鮮明ながらもガンダムの形をしているのだろうか。その答えはサイサリスの頭の中を巡った。

「機体表面から剥離したミノフスキー粒子の皮膜が斥力を発生させて、質量として計測されてる。ミノスフキー粒子それ自体の発光が映像を形作って……、質量を持った残像だって言うの!?」

 もはやレーダーは役に立たない。人の目にはあからさまな残像であっても、機械はそれを実体と定義している。肉眼で観測できるブリッジはまだよい方だ。モビル・スーツのコクピットには不鮮明な画像を取り込みCG処理するシステムが備わっている。勝手に偽物を本物にしてしまう。
 その証拠に、インパルスガンダムたちの攻撃の手は完全に止まっていた。

「インパルスが動いてない! どういうこと!?」
「誤射の確率が規定値を突破したことにより、倫理規定プログラムが働いたようです」
「外したはずでしょ! 停止させて。倫理規定なんていらないから、早く!」
「しかし、それでは同士討ちの危険が……」

 たとえ数機のインパルスが破壊されたとしてもゲルテンリッターを撃墜できればお釣りが来る。それがわからないブリッジ・クルーでもないだろう。あるいは、サイサリスに気圧されたか。
 インパルスが攻撃を再開した。ビームはたしかに仲間へと被弾するも、残像を除去し、徐々にレーダー上から偽物の反応が消えていく。

「時間切れだよ、ゼフィランサス」

 やがて、反応が一つの地点へと集中した。問題はその位置だ。
 ブリッジ・クルーの言葉は悲鳴さえ混ざっていた。

「敵機、直上! 来ます」

 残された右腕に高出力ビーム・サーベルを構えたラピスラツーリシュテルンが、ヨートゥンヘイムへめがけて急降下を開始する。

「面舵いっぱい、急いで!」

 指示を出すとともにサイサリスは座席の肘掛けをしっかりと掴んだ。衝撃に備えるためだ。ブリッジ・クルーの多くも準備をしていた。
 しかし、衝撃は来なかった。
 ラピスラツーリシュテルンは確かにヨートゥンヘイムへと突撃した。しかし、そもそも質量が違うのだ。そのことに気づいた時、サイサリスが笑いだし、気づいた順にブリッジ・クルーたちもそれに続いた。

「たかだか100tにも満たないモビル・スーツが、300万tの船に何ができるっていうのさ」

 大木に枝を突き立てるようなものだ。複合特殊合金の薄皮一枚はぐことがせいぜいだろう。
 そして、突然の衝撃がクルーたちを投げ飛ばした。
 サイサリスの判断は正しい。事実、ラピスラツーリシュテルンの突き立てたビーム・サーベルはヨートゥンヘイムの上部甲板に食い込むも貫通するほどではなかった。しかし、そこに多数の援護射撃があったとすれば話は別だ。
 見上げたサイサリスの目には、こちらへとライフルを向ける50機ものインパルスガンダムの姿があった。

「味方を撃つって何考えてるの!?」

 放たれたビームは、ラピスラツーリシュテルンが背後に放つ残像を正確に狙い撃つ。つまり、ビーム・サーベルが切り開いた亀裂に次々にビームの弾丸を命中させていたのだ。なまじ強固な装甲が悪さをした。強固な特殊装甲はビームの逃げ道を奪い漏斗のようにビームを収束させていく。

「プログラムを……!」

 指示を出すも、担当クルーは先ほどの衝撃で投げ出され気を失っていた。
 機械は非常に正確であった。命令を疑うことなく遂行し、仲間への誤射は無視してよいという条件のもと、精密射撃を傷口に集中した。
 50本ものビームが束られ、鋭く深く装甲の内部へと沈み込んでいく。5mにも及ぶ分厚い装甲をビームは貫きその下にあった施設を焼き尽くしながら格納庫にまで達した。その光景は巨大な光の剣がヨートゥンヘイムを両断しようと突き進んでいるようにしか見えない。
 巨大格納庫に収容されたヴェサリウス級戦艦の艦長は己の目を疑ったのも仕方のないことかもしれない。

「なんだ、あれは?」

 巨大な光の剣がすべてを焼き、切り裂きながら迫っている。

「総員、退艦せよ! 繰り返す! 総員、退艦せよ! いや、左右どちらでもいい艦の中心から少しでも離れろ!」

 光の剣は、卵の中の卵を切り裂いた。
 ここに、もう一つの不幸があった。サイサリスの出した面舵の指示によって、艦隊は大きく右に旋回を開始していた。しかし、艦体の中心が破損したことで左右が分断。結果として右舷が右旋回をしている中、左舷は直進し続けようとしていた。それは、巨人が分厚い本を力任せに引き裂くかのような力が、破損した中心部に集中したことを意味する。
 外から見たとき、1kmもの巨大艦船がたった1機のモビル・スーツにきれいに両断されたように見えたことだろう。
 ユウナはオーブ艦隊のブリッジの中で、その光景に我が目を疑っていた。

「嘘だろ……?」

 たった1機だ。2500倍を超える戦力差を跳ね返し、たった1機のモビル・スーツが巨大戦艦を切り裂いてしまった。
 光の剣が船尾に達したところで、ヨートゥンヘイムの両舷は完全に泣き別れとなった。そのわずか数分前のことだった。
 ヨートゥンヘイムのブリッジに不気味な甲高い音が響いた。プラスチックを無理矢理引きちぎるような音は、特殊樹脂のガラスに恐ろしい張力が働いている証拠だった。船体が左右に分かれようとしているのだ。数百万t同士の綱引きの綱代わりをさせられている窓がもつはずもない。
 サイサリスはただ1人、駆けだした。その瞬間、引き裂かれた窓がブリッジ内のすべてを吸い出し始めた。気を失った人は真っ先に、しがみついた人は力つきた順番に、宇宙の暗闇へと放り出されていく。
 そんな中、サイサリスは必死に耐えた。手すりに死にものぐるいで掴まりエアロックを目指した。吸い出されていく空気。その中に有らん限り叫んだ。

「死んでたまるもんかぁ!」

 ブリッジはほぼ壊滅状態となった。このエアロックに入り込めたのはサイサリスただ1人。他の場所から何人が脱出できたかわからない。
 電源に支障をきたしたらしく、照明が点滅を繰り返している。それでも、ブリッジへと繋がるこの通路は驚くほど平穏だった。扉1枚挟んで地獄があるとは思えないほどに。
 サイサリスはただ、座り込んでいた。その瞳からは止めどない涙が流れていた。

「どうしてさぁ! 私だってガンダム造ったのにぃ、絶対に勝てるはずだったのにぃ……」

 ここには誰もいない。いてはくれない。涙を誰にも見られない。ただし、誰にも拭ってはもらえない。
 負けるはずなんてなかった。ヨートゥンヘイムの総トン数は500万t。搭載可能なモビル・スーツは100を超え軍団相当戦力をも上回る。ガンダムが発生させることのできるエネルギーの総量をもってしても撃破なんてできないはずだった。
 今度こそ、ゼフィランサスのガンダムに勝てるはずだったのだ。
 死の香りただよう静寂の中、サイサリスの泣く声だけが響いている。これはかつて、あの日を思い起こさせた。血のバレンタインが起きたあの日を。姉であるサイサリスの死を利用してでものし上がってみせると決めたあの日のことを。

「みんな私を認めてくれない。みんな褒めてくれない。私だって、私はぁ!」

 フリークなんて呼ばれたくなかった。
 あれからどれくらい経っただろう。涙ももう出なくなった。それでも心細さは解消されてくれない。膝を抱えたまま、無重力の中を漂っているでしかできなかった。
 そんな時、ふと誰かがサイサリスの頬に優しく触れた。見ると、レイ・ザ・バレルがいつものような気取り切れていない顔でそこにいた。

「しぶとさだけならお前はラクス・クラインになれそうだな、ローズマリー」




 ツィオルコフスキー。歴史の教科書にも載っている名艦であり、人類の進歩の象徴としても扱われていた。本体自体は非常に細長い船体をしているが、周囲に置かれた巨大いくつもの球形タンクが大柄なシルエットへ変貌させていた。木星圏から収集した稀少元素を満載していたはずのタンクには、今は重火器が搭載されている。ドーム状に展開し、内部からいくつもの高射砲が顔をのぞかせたのだ。

「カっちゃん、ハリネズミみたいな対空砲火かしら」

 AIの優れた演算に頼ることもなくわかりきったことだ。隙間なく放たれる弾丸の雨に加え、展開したカオスがオーブ軍の行く手を拒んでいた。
 レドニル・キサカからの報告を、カガリは歯を食いしばり聞いていた。

「ミサイルが発射されました!」

 別のタンクからミサイルが複数射出されたのだ。間違いなく核弾頭だろう。しかし、追いかけるにはツィオルコフスキーの弾幕をかいくぐらなければならない。それができるならツィオルコフスキーそのものを撃沈できるのだ。

「金糸雀、これ以上、時間をかけられん! どこかにあるはずだ、弱点がな」
「ここかしら」

 金糸雀はまるで準備していたようにモニターにツィオルコフスキーの概略図を示した。

「なんだ、これは?」
「ツィオルコフスキーは前後で2隻の船をつなげる形で造られてるかしら。そのジョイント部分を攻撃すればへし折れるのかしら」

 2隻の船とはいえ、独立に活動できるのではなく工程上、別々に製造した部品を繋いだとするのが正確らしい。この部分に集中攻撃を加えたならジョージ・グレンの墓標は引きちぎられることになる。

「ただ、そのためには対空砲火の集中攻撃をかいくぐって、おまけに複雑に入り組んだ鉄筋フレームを高速で通り抜けないといけないかしら。そんなの、まともな精神の持ち主がすることじゃないの」

 カガリはスラスター出力を全開にした。

「カっちゃん!」
「覚悟を決めろ、金糸雀」

 金糸雀の言うとおり、無茶な作戦なのだろう。敵の高射砲をかいくぐることができたとしてもまだカオスがいる。悠長にフレームの間で破壊工作などさせてはもらえないだろう。つまり高速で接近、わずかな接触時間で破壊しなければならない。仮に成功したとしても1機や2機のモビル・スーツの火力では不十分だ。
 では、もっと多くのモビル・スーツがいれば可能なのだろうか。

「カガリ様に続け!」

 レドニルの声に促され、オーブ軍のストライクダガーが一斉にカガリの後に続いた。編隊飛行などとれていない。1機のモビル・スーツを戦闘に一点突破を目指す戦術などモビル・スーツの運用教本に書かれていないのだ。
 あまりに危険な賭けだった。
 高射砲は容赦なく弾丸をまき散らし、肩を撃ち抜かれたストライクダガーが体勢を崩した。足をとめたモビル・スーツは的にしかならない。鳥についばまれる亡骸のように体を削り落とされ、爆発する。
 カオスは部隊の側面をつくことで容易に接近。体当たりを食らわせ、勢いを失ったストライクダガーを脚部ビーム・サーベルで両断する。
 ツィオルコフスキーのAIは勝利を確信していた。事実、展開しているカオスはまだ一部で、大半の機体は格納庫で温存されている。防空戦力を加味すれば展開中のカオスだけで事足りると判断していたのだ。次々と撃破されていくストライクダガーがそれを証明している。
 しかし、AIは疑問を抱いていた。オーブ軍のとる戦術だ。
 弱点を集中攻撃する。ここまでは理にかなっている。しかし、構造上の弱点をAIが理解していないはずはなかった。防衛網を幾重にも重ね待ちかまえていた。集中配備された高射砲。毎秒23発の大口径弾を発射する火力は、モビル・スーツに対しても十分な火力を発揮する。その死角を埋めるようにカオスの配備も完了している。
 それでも、AIは疑問を感じずにはいられなかった。それは、オーブ軍の勢いだ。
 高射砲とカオスのビームとが十字砲火を構成する破滅への回廊の中を、黄金のガンダムを先頭に突き進んでいる。
 なぜだ。なぜ、彼らは止まらないのだろう。
 黄金のガンダム、ガンダムカナリーエンフォーゲルは旗を掲げた。

「金糸雀、いくぞ! カガリ・ユラ・アスハの名において命じる。黄金の傘を我が手に」

 バック・パックから6機のドラグーンが射出される。それはそれぞれ、カオスの放ったビームの間に割り込むと、黄金の盾を生じさせた。ビームによって構成された盾、ビーム・シールドを発生させたのだ。
 この光景にレドニルは驚きを禁じ得ない。

「ビーム・シールド? まさか、実用化されていたのか?」

 レドニルが驚くのも無理はない。ほんの数年前までモビル・スーツはビーム・サーベルさえ使用できず大幅な刷新を迫られた。線しか描けないペンに、面を塗りつぶせるはずがないのだ。
 しかし、ビーム・シールドは実現している。正確には、カオスの、敵のビームをIフィールドで捕捉、それを盾とすることで必要エネルギーを最低限にとどめていた。それはまさに無敵の盾だった。高射砲の実弾はビームが溶解させ、ビーム・ライフルの攻撃はIフィールドが弾いてしまう。
 自律する目映い盾はオーブ軍を守っていた。
 そして、カナリーエンフォーゲルの背中には、光の旗がたなびいていた。結局は、ビーム・サーベルを旗の形に加工したにすぎない。しかし、誰もがそこに旗を掲げ人々を導く女神の姿を見た。
 ストライクダガーは動いた。部隊の外側に近い機体は突入を諦め周囲に一斉に展開したのだ。ちょうど、蕾が花開くように。誰が命じた訳でもない。それぞれが己のすべきことを理解し、それぞれがそれに応えようとした。
 カオスが味方からの誤射を恐れ機体を翻した。しかし、ストライクダガーは対空砲火のただ中を突っ切る道を選んだ。無謀を幸運が後押しする。なんとストライクダガー被弾することなく接近、無防備にさらされたカオスのわき腹にビーム・サーベルを突き立てた。
 2機のカオスに追われるストライクダガーが強引にビーム・サーベルを振るった。苦し紛れにしか見えないその一撃は、しかし、吸い込まれるようにカオスの胴体を切り裂き、余す力でもう1機の首をはねた。
 AIは理解できなかった。流れが、事象がオーブ軍の勝利を導いているかのように動いている。何が起きているのだろう。データから志気の高さという概念が導かされる。しかし、人の心に戦術的なアドバンテージは存在しない。一糸乱れぬ動きはなんなのだろうか。訓練された軍人による命令遵守。だが、そのような通信は検知されていない。では、個人が同一目的のもと行動することで結果として連携行動がとれているのだろうか。
 人の願いとはなんだ。
 破壊される高射砲。撃墜されるカオス。想定した最悪のパターンに最悪のパターンが塗り重ねられていく。
 人とは人を信頼しない存在ではないのだろうか。
 カガリを先頭とした部隊がタンクの隙間を抜け、フレーム部分へと到達しようとしていた。
 だからこそ、AIは造られ、ツィオルコスフキーを任された。矛盾なのだ。人が人のために命をかけられる存在なのだとすれば、なぜ自分は造られたのだろう。しかし、AIにその疑問の答えを出すことを、人の思いを再定義することは許されていなかった。
 まだ残りのカオスを出撃させない。人は利己の生き物であり、これ以上、危険領域に踏み入ろうとすれば離脱者が続出することは確実、そう判断するようプログラムされていたからだ。
 想定される最悪のパターン、想定される最悪のパターン、想定される最悪のパターンを積み重ねる。それは確率論上、あり得ない想定だった。それは確率論が間違っているのではない。計算の大前提から誤っているのだ。しかし、AIにそうと気づくことは禁じられている。
 そして、すべてが遅かった。
 まずはカナリーエンフォーゲルが突入。すれ違いざまにビームをフレームへと浴びせ続ける。続いたストライクダガーも同様だ。次に次に、その勢いは衰えない。
 あるストライクダガーがその勢いのままフレームに肩を強打した。しかし、影響はない。迷いのない加速は左腕だけを綺麗にもぎ取らせることで速度も姿勢も崩すことなくストライクダガーをフレームの檻から離脱させたのだ。
 そして、部隊が通り抜けたところで、ビームはその熱量を一斉に解放した。炸裂する爆発。ひしゃげるフレーム。ツィオルコフスキーの巨体が光と熱の中、力任せにへし折れていく。
 AIは警報を自ら発していた。全カオスに出撃命令を出したが、格納庫はすでに光と炎に置き換わっている。正解を出すことを禁じられたまま、AIはただ無為な計算を繰り返し自らを混乱させていた。
 カナリーエンフォーゲルはドラグーン・ユニットを1機、剣のように両手でつかんだ。他の5機のユニットはその頭上、一直線に並んでいる。そこでストライクダガーたちがビームを次々と放った。展開されたIフィールドによって束ねられ、それは巨大なビーム・サーベルとなった。
 連鎖する爆発に包まれていくツィオルコフスキーへの介錯として、カガリはその剣を振り下ろした。すでに破損していた連結部が両断され泣き別れとなった船体はそれぞれが爆発の中にその姿を消していった。

「教えてくれ、ジョージ・グレン。人に人を選ぶ権利があるのだとしたら、その権利の正当性は誰が保証してくれるというんだ」

 プラントの否定する神か、それとも。
 ジョージ・グレンによって始まったコーディネーターの歴史。その一つの象徴が炎の中に消えていく様は、一つの時代の終わりを告げているのだろうか。
 オーブ軍の喝采が響いた。モビル・スーツのパイロットたちは今になって震え始めた手を必死に抑えながら、母艦のクルーたちの歓声は通信を通して伝わってくる。

「カガリ、核ミサイルは、すでに宙域を離脱したよ。でも、君たちはそれ以上の惨状を防ぐことができたんだ、それは誇っていいはずだ」
「そう悲観することはない。ユウナ、オープン・チャンネルでミサイルの位置情報を流せ。そうすれば他の誰かが悲劇を食い止めてくれる」
「もう、誰も僕の予想なんてあてにしてないと思うけど、そんなに楽観的に行くかな?」
「いくさ。私たちがここで、名前もしれない人のために戦ったように、他の誰かも戦ってくれる。それが、人なんだからな」




 究極の兵器は存在しえない。なぜなら、兵器は機械であり、パイロットは人だからだ。機械と人、その違いが落差となって兵器としての完成度を落としてしまう。
 では、もしもこの課題を克服するとすれば、その方法は究極的には二つあるのではないだろうか。
 人のような機械をつくるか、機械のような人をつくるかだ。
 後の世に希代の技術者として名を残すであろうザフィランサス・ズールとサイサリス・パパがたどり着いた結論は、くしくも選択の両端であった。
 宇宙の闇の中、大破したラピスラツーリシュテルンが漂っていた。もはや満足に動かない機体の操作を諦めイザークはコクピット・シートに体を投げ出していた。

「どうやら、256万1通り目に勝ちパターンがあったらしいな」

 蒼星石はすねたように顔を逸らしている。

「作戦目標は未達成に終わるはずだったんです。ヨートゥンヘイムがよけいなことしなければ……」
「機械式の計算は、機械を相手にしている時だけ完璧になれるということか?」

 機械の完全な計算が、人の不完全さによって覆される。完全という言葉を辞書で書き直したくなるような話だろう。

「僕が言うのもなんですけど、人が完璧でないのは、完璧なものを産み出せた試しがないからです。そして機械は人によって創り出されました。不完全な物を完全と取り繕うより、不完全さも認めてしまいたい。だからお母様は僕たちに敢えて人の心を与えてくださったんです」
「お前たちはまだ人の助けを必要としてはいても、やがてAIだけでモビル・スーツを完全に操縦できる日が来るんだろうな」
「そんな時は、僕たちみたいに人の心を持つ機械もきっと用済みです」
「俺たちは一蓮托生のようだな、相棒」

 珍しく、冗談まじりにイザークが拳を突き出すと、蒼星石も応じた。ホログラフながらもその小さい手重ねるように突き出した。



[32266] 第47話「明日、生まれてくる子のために」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/14 18:56
 ヨートゥンヘイムの轟沈は、ザフトにとって片翼を失うほどの衝撃であったはずだ。それにも関わらず、ムスペルヘイムではあまりに淡々と作戦準備が進められていた。
 プラントへの攻撃も行われている。その事実を、ミルラ・マイクは無視しきれないらしかった。

「ラクス、部隊の結集は終えたそうだ。だが、本当にいいのか?」

 普段の執務室ではない。モニターに戦況について映し出されたブリーフィング・ルームだ。

「ハイムダルのことだ。明らかに暴走している。だが、ザフトはプラント市民への被害への攻撃も事実上、黙認している有様だ」
「同時に地球への攻撃も続けています。当初の計画通りでしょう。ザフトは寡兵です。地球軍との消耗戦に陥れば敗北は確実、でしょう?」
「だからハイムダルからの増援を前提に動いていたことはわかる。しかし、神は我々を見放した」
「神へ弓引くことに荷担すればザフトの勝利はかないません」

 まるで埒があかない。業を煮やすミルラだが、ラクスはまるで意に介する様子がない。普段のラクスのままだ。
 しかし、モニターにはザフト軍の劣勢が伝わっている。

「前線の部隊を撤収させろ。このままでは十字砲火にさらされる」

 地球軍とハイムダルの間に割ってはいるように展開した部隊があったのだ。それでもラクスは手元のタブレットで作業を続けるばかりでミルラを努めて無視しているらしかった。

「ラクス!」

 思わず声を荒らげるミルラだが、アスラン・ザラがラクスをかばうように現れたことでそれ以上の追求はできないでいた。

「ラクス、そろそろ出撃するよ」
「お気をつけて、アスラン」
「どうやらキラも出てるらしい。久しぶりの兄弟喧嘩になりそうだ。そういえば、シンだが、ファントム・ペインで今じゃキラの部下をしてるそうだ」
「波瀾万丈ですのね」
「君が追い出したりなんてするからだ。じゃあ、行ってくるよ」

 恋人同士の一幕だった。もっとも、舞台背景は血と炎に彩られているのだが。

「私も出よう。だが、攻撃目標はハイムダルの方だ。これ以上、野放しにしていてはプラントへの被害が甚大になる。いいな?」

 ラクスは特段、返事することもなくいつものように微笑んでいるだけだった。




 ミネルヴァから出撃したインパルスガンダムの部隊は、地球を見下ろす成層圏ぎりぎりの地点まで到達していた。
 隊長であるサトーは部下たちに通信を繋いでいた。

「我々の任務はツィオルコフスキーから放たれた核ミサイルの護衛だ」

 副隊長はルナマリア・ホークが務めている。

「でも、あいつらはプラントも攻撃してるんですよね?」
「その通りだ。敵の敵は味方とは限らん。しかし、核が落ちるのは地球だ。せいぜい、利用させてもらうのが賢い戦い方だ」
「なるほど。ユニウス・セブンを先に焼いたのは奴らですもんね。自業自得ってことで少しは懲りてくれるといいんですけど」

 高速で飛行する核ミサイルに付きっきりで防衛などできない。進路から逆算し、撃墜を試みると予想地点で待ちかまえる戦法を選んだ。そして、その予想は的中した。
 大西洋連邦軍の艦隊が現れたのだ。
 先頭には赤いガンダム・タイプ。ゲルテンリッター5号機のラインルビーンであり、それに率いられたファントム・ペインを中心とした部隊だった。

「ファントム・ペインか、厄介な相手だ」

 すべてがガンダム・タイプであり、その内の2機が特機。3機にしてもディーヴィエイトガンダムという可変機構を備えたガンダム・タイプの量産機だ。その他の部隊にしてもウィンダムこそないものの、ストライクダガーが6機。
 12機のインパルスガンダムからなるサトー隊は数の上では優位であるものの、厳しい戦いの予感に、誰もが緊張感を高めていた。
 11機の機体の中に、黒い天使をおもわせるガンダムがいることはルナマリアの注目を引いていた。

「シン、いるんでしょ?」

 オープン・チャンネルでの問いかけにすぐに応答があった。

「ルナマリア、君なのか?」
「あんたが仲間を裏切ったことは知ってた。戦うことしか知らないあなたに他に方法なんてなかったことは、認める気はないけどわかってあげる。でも、ほんの少しでも罪悪感があるなら、せめてここは引いて。あのミサイルはプラントの、いいえ、人類の未来のために必要なものなの」
「人を犠牲にすることでしか得られない未来に、何の価値があるっていうんだ?」

 犠牲なくして得られるものなんてない。そんなこともわからないかつての同僚に、ルナマリアは失望を禁じ得なかった。

「さよなら、シン」

 この手で死線をともにくぐり抜けた仲間を討つ。その手には自然と力がこもる。

「ヴィーノ、戦える?」
「できれば、シンとは戦いたくないな」

 ヴィーノの方はまだ覚悟が決まっていないのだろう。仲間として過ごした思い出が足を引っ張っていることは想像に難くない。だとしても、シンはそんな仲間を裏切って敵に寝返ったのだ。
 ルナマリアは憐憫が怒りへと変わっていく様を実感していた。

「割り切りなさい、じゃないと、死ぬわよ」
「いや、割り切っても死ぬって!」

 シンの動きは理解している。かつてはサポート役として切り込み役を務めたシンの補佐をしていたのだから。そして、アスラン・ザラ隊長のもとで自分はさらに強くなった。
 ただ猪のように突進してくることしかできないシンを相手に、ルナマリアは任せられた3人の部下とともにライフルを構えた。
 そして、一瞬で間合いを詰められた。何が起きたのかわからないまま、ほとんど反射的にインパルスを動かした瞬間に、左腕をシールドごと切断されていた。いや、左脚も斬られている、では、胴体を鋭く蹴り飛ばされたのはいつのことだったか。
 全身を駆けめぐる重い衝撃の中で、部下のインパルスが縦に両断される様を目撃した。自分も少し反応が遅れていたら同じ目にあっていたのだろうか、そう、漠然と考えていた。そして、いつの間にかもう1人の部下が袈裟斬りにされていた。無事だったのは、いち早く間合いから逃れることのできたヴィーノだけだった。
 一瞬にして2機のモビル・スーツが撃墜され、1機は大破。だが、この惨敗ぶりはルナマリアの部隊に限った話ではなかった。
 サトーは悲鳴じみた報告を聞いていた。

「ストーム1、2……、いえ、ストーム部隊、全滅です!」
「なんだと! 会敵数分でか!?」

 12機の内、すでに7機が撃墜されていた。
 それだけではない。母艦であるミネルヴァもまた攻撃にさらされていたのだ。ディーヴィエイトは可変機構を有する。スラスターを集中配備できる可変機の加速力で急接近、3機の編隊がビームを放ちながら通り過ぎると、ミネルヴァの船体に3筋の爆発が通り抜けた。
 通路をなめる爆炎。鳴り響くアラーム。艦内のすべてが危険信号を伝えていた。消火班から届く報告は戦闘どころか、このまま轟沈してしまいかねないほど、危機的状況だった。
 爆発音の度に揺さぶられる艦長席の上で、タリア・グラディスは驚きを隠せなかった。エインセル・ハンターを追って幾多の戦場を駆け抜けた艦のあまりのあっけなさをすぐには受け入れられなかったのだろう。

「本艦はこれ以上、作戦続行は不可能と判断。モビル・スーツ部隊に帰還命令。撤収します」

 異議を述べる者などいない。しかし、ミネルヴァが撤退を開始してもなお、モビル・スーツ部隊の帰投はなかった。
 大西洋連邦軍の艦隊から離れたミサイルが核ミサイルの群へと飛来していく。すでに幾度かの破壊に成功し、核ミサイルはその数を確実に減らしていた。
 核ミサイルが破壊されていく度、希望が潰えていく。
 サトーは叫んだ。

「なぜ理解できん! 世界は変わらねばならんのだ。娘を奪った光、大地に示すことでなあ!」

 すでに趨勢は決している。部隊は残り4機まで減り、サトーの機体もすでに中破していた。だが、その気力は衰えることを知らない。

「正しき者に正しき世界を! 地球にしがみつく劣等種に正しき末路を!」

 次々飛来する迎撃ミサイルへとサトーは銃身が焼き付くまでビームを放つ。しかし破損した機体では十分に狙いを定めることができない。

「新たな世界がユニウス・セブンに散った命のゆりかごとならんことを!」

 敵部隊が再集結しつつある。ルナマリアが合流することはできたが、それはつまり、敵のストライクダガーが追いついてきたことも意味している。ビームが次々撃ち込まれる中、迎撃ミサイルが核ミサイルを目指してもいる。
 戦争を終わらせる希望の灯火が消されようとしていた。
 そして、サトーの思いもまた。ユニウス・セブン。かつて核で焼かれたコロニーに眠る娘のことが思い出された。しかし、聞こえてきたのは娘の声ではない。

「どうしてこんなことが平気でできるのよ!?」

 ルナマリアはまだ戦っていた。残された腕でビーム・ライフルを放ち、圧倒的に不利な状況にあるにも関わらずだ。まるで娘に叱咤激励されるたかのような思いだった。
 ルナマリアの機体をストライクダガーのビームが捉えた。死さえ覚悟したルナマリアだったが、サトーにためらいはなかった。自らの機体を盾にルナマリアをかばったのだ。

「行け、ルナマリア! 明日生まれてくる子らのためにぃ!」

 突き刺さるビーム。機体が炎を出血し、火はコクピット内のサトーを呑み込んでいく。しかし、その思いは確かに引き継がれたのだ。
 ルナマリアは振り向かなかった。機体を迎撃ミサイルへと加速させ最後の一撃に賭けた。もう、ビーム・ライフルもインパルスも限界なのだ。
 もしも外したら。予感が震えとなってルナマリアの手を揺らす。加速中の狙撃はただでさえ命中率が低下する。これでは当てられない。
 ルナマリアの顔には涙さえにじんでいた。
 思い出すのは、映画「自由と正義の名の下に」で散っていった戦士たちの姿だった。人類の未来を守るために最後の最後まで戦士であった彼らの姿が脳裏に焼き付いている。すると不思議と手の震えがとまる。ルナマリアにはそれが、英霊たちがそっと手をさせてくれている、そう思えた。
 迎撃ミサイル。タイミングからして、これが相手にとっても最後のチャンスのはずだ。

「当たれぇ!」

 放たれた一筋のビーム。それは迎撃ミサイルを捉え、爆発は誘爆も伴って周囲のミサイルさえ破壊していく。まるで、それを見届けたようにビーム・ライフルは限界を迎えた。銃身そのものが爆発し、その余波でルナマリア機はもはや動かすこともままならなくなる。
 まさに満身創痍。これで敵に狙われでもしたらなす術はない。それでも、不思議と恐怖はなかった。

「あたしだって赤なのよ……」




 大破した状態で漂うルナマリア機。それをモニター越しにシャムス・コーザは一瞥した。すると、そんなこと見えているはずもないスウェン・カル・バヤンからの通信があった。

「やめておけ。くれてやる1秒が惜しい」
「エイプリルフールで10億、フィンブルで1億、ジェネシスじゃ地球上の全生命か……。あと何億殺したら満足するんだ、プラントの奴ら?」

 そして、すでに大気圏へと突入を開始した3本の核ミサイルの下にはどれほどの命があるのだろうか。すでに迎撃の好機は逃した。しかし、機会は残されている。

「隊長、私とシャムスは降下しながら撃墜を試みます」
「わかった。核ミサイルの目標ははっきりしない。ただ、軍事基地ではないらしいんだ」
「ユグドラシルの発射基地ではないのですか?」
「相手も全部を把握できていないか、あるいは人口密集地を狙っているか。どちらにせよ、どれだけの人が犠牲になるかわからない」
「了解です。ファントム・ペインの名にかけて」

 スウェンとシャムス。2人は無言のまま、MA形態のディーヴィエイトガンダムを地球の大気へと滑り込ませた。命を焼き尽くす無垢なる悪意を追って。




 地球ではカオスの襲撃を受けていた。
 軍事基地がその主な標的である。ハイムダルがその脅威を取り除こうとしていることは明らかだった。では、市民に犠牲はないのだろうか。そんなことはない。兵士も人であり生活の場を必要とする。とすれば、基地に隣接する都市は少なくない数存在し、そこもまた標的となった。
 ザフト軍アフリカ方面軍の本拠地もまた、そのような性質を備えた街だった。
 飛来するカオスはモビル・アーマー形態のまま空を飛び交っていた。撃ち下ろされるビームは街をえぐり炎の壁を立ち上げる。ミサイルの雨は家屋ごと人々を吹き飛ばした。
 わずか数km先にある別の街では襲撃を受けていない。それでも人々がこの街にとどまるのは、隣町が防衛施設を備えていないからだ。だからカオスはこの街を優先的に攻撃している。
 防衛隊も無策でいるわけではなかった。ヒルドルブを展開し、カオスの迎撃に当たっていた。だが、敵の攻撃を回避することを中心に設計されたヒルドルブは街の防衛を目的としていない。
 カオスのビームがヒルドルブを狙う。シールドで受け止めるものの、ビームの攻撃力に耐えうる装甲はまだ開発されていない。シールドはすぐに破壊される。次の攻撃に対して、ヒルドルブは回避を選択せざるを得なかった。すると、ヒルドルブが受け止めるはずだったビームは街に落ちた。反撃が正確にカオスを捉えたことで、撃墜されたカオスは街に墜落、周囲を巻き込む大爆発を引き起こす。
 もはやザフトにできることは市民や街を守ることではない。敵を倒す、それだけのことだった。
 しかし、それさえ、危うい状況が続いていた。

「司令代行、援軍は来ないんですか!?」
「上層部からは連絡はない」

 マーチン・ダコスタ司令代行は努めて平静を装ってはいたが、すでに上層部への不信感は致命的なものに変わりつつあった。もっとも、それは部隊内での共通認識になりつつあったが。
 通信には悲鳴よりも部隊員の愚痴の方が多く聞かれるのだから。

「ジェネシス以来、3年ぶりだな! 見捨てられるのはな!」

 ザフト軍がユニウス・セブン条約にも関わらず地球上に基地を保有しているのは地上部隊の働きによるものだ。条約破りの汚れ仕事を押しつけてきたからだ。そして、本国はそんな彼らごと、地球を焼き尽くそうとした。
 高見に座ると、人はそれだけで傲慢になれるのだろうか。空を見上げたところでプラント本国は見えはしない。
 そして、プラント本国からも地球は見えないのだ。
 カオスの1機が上空で被弾した。右腕を失い、両足を破壊されたことで攻撃力の大半を消失したのだ。本来であれば撤退が許可されるほどの損傷である。そんな常識が、マーチンの油断を誘ったのかもしれない。カオスはそのままマーチン機へと突撃してきたのである。
 激突する両機。墜落同然につっこんできたカオスを、マーチン機は辛うじて受け止めた。しかし、カオスの甲殻類を思わせるヘッド・カバーにはビーム砲の銃口が開いていた。このままでは至近距離から直撃をくらうことになる。
 それでも、マーチンには逃れる手段はなかった。すぐ背後には、赤子を抱えた母親の姿があったからだ。もしもヒルドルブがスラスター出力を全開にすればカオスを押し返せるかもしれない。母子を吹き飛ばすことと引き替えに。
 モニターに映る2人の様子をその目に焼き付けながら、マーチンは静かに微笑んだ。

「いつまでも一緒だ」

 そしてビームの光は、真横からカオスの頭部を撃ち抜いた。横倒しに崩れ落ちるカオス。十分なチャージが完了していなかったのか、爆発することはない。あるいは、爆発しない箇所を正確に撃ち抜いたか、だ。
 街の外から加えられる援護射撃。それはカオスを郊外へと導くとともにマーチンたちに体制を立て直す時間を与えた。

「援軍か!?」
「いえ、敵性反応! ファントム・ペインです!」




 ファントム・ペイン。ブルー・コスモスの働きかけによって世界安全保証機構所属国に設立された特殊部隊である。スカウト制により精鋭のみが参加するとされるこの部隊は一つの特徴があった。そのすべてが通り名を持つということだ。
 大西洋連邦、白銀の魔弾キラ・ヤマト。
 赤道同盟、片角の魔女セレーネ・マクグリフ。
 東アジア共和国、白鯨ジェーン・ヒューストン。
 ユーラシア連邦、灰色熊ジュリ・キサト。
 大洋州連邦、赤い悪魔ロウ・ギュール。
 アフリカ共同体、切り裂きエドことエドワード・ハレルソン。
 南アメリカ合衆国、将軍の影、レナ・アメリア。
 エインセル・ハンターの私兵と揶揄されたエース・パイロットたち。彼らの戦いはエインセル・ハンターの最後とともにはなかった。しかし、その後も続いている。




 ユーラシア連邦の密林地帯。その上空を9機からなるカオスの編隊が飛行していた。基地を攻撃し、街を焼くために。しかし、そこはすでに凶暴な灰色熊の縄張りであった。
 森の一角からビーム砲の狙撃があった。標的とされたカオスは回避することもできないまま撃墜される。しかし、自分が狙撃されたこと、予想される狙撃手の地点を即座に周囲に伝達。残りの8機がビーム砲のような重量物を抱えた愚鈍な狙撃者を破壊し尽くすはずだった。
 しかし、それは叶わない。
 なぜなら、残りの8機すべて、同じタイミングで撃墜されていたからだ。
 森の中からはランチャー・ストライカーを装備したストライクダガーの一団が姿を現した。森に潜むよう、徹底した迷彩が施されたこの機体たちこそ、灰色熊の正体である。
 現在において狙撃が奇襲として成功するのは初撃のみ。ならば、一撃ですべての鉄機を葬ってしまえばいい。それが灰色熊だった。
 そう、灰色熊は森に潜み、出会い頭の一撃で命を刈り取るのである。ゆえに、灰色熊と、キサトは呼ばれた。




 大洋州連合の上空でそれは起きた。
 カオスが完全に振り回されていた。上空から飛来する赤いガンダム。すると次には低空から赤いガンダムが上昇する。
 1対の大剣を備えた近接特化であるはずのイクシードガンダムに大型のウイングをとりつけただけの乱暴なカスタム機だった。それが急降下と急上昇を繰り返しながらカオス部隊をかき回しているのである。
 すれ違い様に切断されるカオスが1機。しかし、残りのカオスは目でイクシードを追うことはできない。周囲に展開していた戦闘機が鋭く追撃をしかけていたからだ。そして、戦闘機に手一杯となった瞬間、急降下していたイクシードが再びカオスを餌食とした。
 モビル・スーツと戦闘機による混成部隊。それがロウ・ギュールの、赤い悪魔と呼ばれるファントム・ペインの戦力である。
 奴は飛来する。獲物を狙う鷲のように。
 奴は浮上する。飛び上がる鮫のように。
 鷲のようでも、鮫のようでもある恐ろしい何か。人はそれを悪魔と形容することしかできなかった。故に悪魔、赤い悪魔。




 ジェネラルはすでにいない。
 黒塗りのデュエルダガーに黒塗りのダガーナイフ。それがカオスには通用しないことはすでにジャブローの戦いで証明されている。
 では、将軍の影が消えてしまったのだろうか。しかし、影とは何だ? 単なる光が遮蔽されたことで生じた闇にすぎない。そして闇はそれ自体、誰かを傷つけることはない。将軍の影は影そのものはなく影に隠れていた何か、だとしたら。誰かがおもしろ半分に闇の中から引っ張り出したとしても、もはやそれが戻るべき場所などない。
 敵対する者を切り刻み続けた脅威がむき出しになるだけだ。
 転がるカオスの残骸、その中心にたたずむ、黒塗りのウィンダムの姿があった。
 もはや残りのカオスは1機のみ。撤退を知らない機械は飛び上がり脚部ビーム・サーベルを突き立てようと迫る。
 しかし、ウィンダムは速かった。無駄のない、最小限の動きで先にカオスの懐まで入り込むと、ビーム・ダガーをその胸部へと突き立てた。すれ違う勢いで、刺さったままのダガーを縦に振り抜いた。
 胴を引き裂かれたカオスが臓腑のように爆発をまき散らし地面の激突する。
 太陽は冷たく、影は有情。少なくとも将軍の影があるうちは、鬼の姿を目にすることだけはなかったのだから。




 切り裂きエド。この名前から古都ロンドンを震えあがらせた正体不明の殺人鬼を思い浮かべる者は少なくないことだろう。しかし、エドワード・ハレルソンの姿に面食らう者も同じだけいることだろう。
 エドワードは陽気な男であり、とても女性たちを残酷な手口で殺害した殺人鬼とはすぐには結びつかない。愛機であるイクシードガンダムを乗せたトレーラーの助手席で、両手を枕にまどろんでいる有様だった。
 運転席の隊員は焦ったような顔をしながら、車載時計を頻繁に眺めていた。

「隊長、30分の遅れです」
「おいおい、まさか助けるべきじゃなかった、って言いたいんじゃないだろうな?」

 うっすらと開かれた目はまだ眠たげだった。
 ザフト地上軍へ援護攻撃をした後、エドワード隊はすぐさま撤退したのである。時間がないこともたしかだが、カオスを処理した後でザフトがこちらを攻撃しかねないという危惧もあった。
 しかし、市民の犠牲を少しでも減らすためには必要なことだった。そのことを、隊員の表情の複雑さに拍車をかけているのだろう。

「事実を確認したまでです。なお、ビクトリア基地はすでに包囲されています」

 それもまた事実の確認だ。車載モニターには先駆隊から見事なアングルで上空を飛び交うカオスと、ビクトリア基地の様子が届けられていた。

「俺たちがなぜファントム・ペインて呼ばれてるか、教えてやるとするか」

 その光景をでさえ、エドワードは笑いながらみていた。切り裂きエドが、死のにおいに嗚咽をもらすことなどありないのだ。




 赤道同盟の鉄と毒の森には片角の魔女が住まう。本来は1対の大砲を備えるドッペンホルン・ストライカーの片方をオミットし、代わりに大型シールドでバランスをとったストライクダガーたちが廃棄物の山に集結していた。
 セレーネ・マクグリフの姿はすでにコクピットの中にある。

「さて、ソル、あなたも避難なさい。ここにはすぐにカオスが大挙して押し寄せるわよ」

 モニターには、ストライクダガーを見回すちょうどいい屋上にソル・リューネ・ランジュの姿がある。

「ユグドラシルがあるからですか?」
「ここにあるのはユグドラシルのダミーよ。でも、ハリボテでも、ハイムダルを引きつけるには十分てことね」

 基地施設の中心部、これ見よがしに置かれた巨大な円形の蓋。上空からハイムダルはこれを確認し、それが巨大ビーム兵器であるユグドラシルであるかどうか確認することなく破壊活動を行うだろう。

「さあさあ、みんな頑張って。ここが正念場よ。私たちが戦えた分だけ、市民への攻撃の手が弱まるんだからね。ソルもそろそろ避難なさい」
「エインセルさんは、このことを予見していたんですか?」
「もちろん、だから私たちはファントム・ペインなのよ」

 突然、セレーネが大砲を発射した。その弾丸は美しい放物線を描き、こちらへと向かっていたカオスの1機へと吸い込まれていった。本来、実弾であるドッペンホルンでフェイズシフト・アーマーを破壊することは難しい。しかし、モビル・アーマー形態であったカオスの顔面部分にはビーム砲の砲口が開いている。弾丸はその穴を正確に捉え、内部からカオスを破壊したのだ。




 白銀の魔弾キラ・ヤマト。彼の活躍はまたの機会に語ることになるだろう。ファントム・ペインではあっても通り名などない戦士たちがいる。そんな戦士たちもまた、戦っているのだから。
 核ミサイルを追って大気圏に突入したディーヴィエイトを待ち受けていたのは大気の圧力そのものだった。高速で飛行する物体には容赦なく空気が塊となって衝突してくる。可変機構を有し、比較的飛行に適した形状をしているとは言ってももとは人型の藻ビル・スーツ、流線型とはいかない。うまく逃がしきれない大気の圧力が激しい振動となって機体そのものを揺さぶっていた。
 コクピット内では当然のように危険速度を超過していると警告が流れているが、スウェンたちはやはり当然のように無視した。

「弾頭は傷つけるな。破損すれば放射性物質が上空からばらまかれることになる」

 残りの核ミサイルは全部で3発。規模からして、そのすべてが戦略級だ。大都市に落ちれば数百万もの人命が危険にさらされる。もはやチャンスは限られている。まもなく訪れる軌道が重なる一瞬ですべて撃墜しなければならない。

「わかってるさ。けど、整備にはどやされるな」

 振動はコクピットにまで伝わっている。最悪、空中分解も覚悟しなければならない過酷な環境だが、わずかでも速度を落とせば核ミサイルに追いつくことが不可能になる。
 ただただ恐怖に耐え、その時を待っていることしかできない。

「なあ、スウェン? 核爆弾を造った科学者連中って、何もわからずに造ったと思うか? いや、あいつら絶対、知ってたな。自分たちの発明で何百万の人が焼かれることを。アインシュタインほどの天才がそんなことわからないはずないもんな」
「天才ごときを買いかぶりすぎではないか?」
「やっぱ人類は核兵器なんて持つべきじゃなかったって思わないか? 核を持ってる奴は核の抑止力なんて言うけどな、世界中に核をばらまくことには反対するだろ?」

 核が平和をつくるなら悪辣な独裁者から危険なテロリストにまで核を持たせればいい。相互に手出しできなくなるなら決して戦争など起こせないのだから。

「だからアインシュタインやオッペンハイマーは考えたのだろう。自分たちが造らなくても他の誰かが造るとな」
「そして、自分たちは他の誰かさんより遙かにマシに決まってるってわけだ」
「核とは人のエゴそのものなのかもしれないな」
「大変だねぇ、人ってのは。ま、俺たちが人間未満だった頃の話だがな」

 そう、シャムスは褐色の肌とのコントラストが見事な白い歯を見せて笑う。文字通りのブラック・ジョークなのだろう。

「さて、アインシュタイン様のお尻ふきと参りますか」
「オッペンハイマーの方は任せておけ」

 高速で飛来する核ミサイルが射程に入った。ディーヴィエイトは装甲をさらに輝かせ速度を上げた。大気がもはや分厚いゴムのように抵抗を強め、機体の各所が悲鳴を上げる。2機から発射されたビームは震える銃身が邪魔をする。なかなか命中させられないまま、それでも撃ち抜いたことでミサイルは爆散。飛び散る残骸の中から、頑丈な甲殻に包まれた弾頭が無傷のまま落下していく。
 しかし時間をかけすぎた。すでに二つ目のミサイルが射程に踏み込んでいた。
 急ぎ、狙いを変えるスウェンだが、コクピット内に無情なアラームが響いた。ビームが発射不能になったのだ。
 だが、核ミサイルはまだ2機、残されている。
 スウェン機が機体にかかる不可によって機能不全に陥っている中、ではシャムス機が無事であるはずがない。
 次の核ミサイルが2機の脇を高速で通り過ぎようとする様を、スウェンは見送ることしかできない歯がゆさに歯を食いしばっていた。
 ただ、シャムスは違っていた。
 腰部に大型クローを展開、通り過ぎる一瞬でミサイルに文字通り噛みついたのだ。

「シャムス!」

 モニターが不調を来すほどの激しい振動がディーヴィエイトがすでに限界であることを伝えていた。だが、シャムスはいつものように人なつっこい笑顔を見せると、スウェンに向かって敬礼をする。

「シャムス、話すべきか悩んだことだが、私はこんななりだが遺伝子的には黒人だそうだ」
「おいおい、マジかよ、ブラザー。知ってたらいいジャズ・バー紹介してやったのによ」
「君にジャズの趣味はないはずだが?」

 すでにモニターは死んでいた。離れていく核ミサイルの上では、シャムスのディーヴィエイトからウイングが脱落。断面からは炎が吹き出している。

「そろそろ疲れちまった。先にバケーションとしゃれこむわ。お前は後から来いよ、ハンモックに良さそうな木、探しとく」
「休暇届けは私から提出しておく」

 核ミサイルが爆発する。爆煙の中から投げ落とされた弾頭は遙か下、太平洋のどこかで眠りにつくはずだ。もう、誰も傷つけることのないように。



[32266] 第48話「あなたを父と呼びたかった」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/21 09:09
 ハイムダル。現在のスカンジナビア王国を中心に語られていたゲルマン神話に出自を持つ神である。主神オーディンの息子にして、神々の国の番人。たぐいまれな目と耳を持ち、世界のすべてを監視しているとされる神だ。
 そして、この神には人の娘との間に子どもをもうけたとされるお話がある。子は3人。
 戦士となるようたくましい子どもを。
 貴族となるよう美しい子どもを。
 奴隷となるよう醜い子どもを。
 神は神々の国にかかる橋を守る番人だ。そして、神々の黄昏が訪れた時、角笛を吹き鳴らし世界の終末を告げるという。
 プラントは、ロゴスはAIにこの神の名を与えた。
 そして、それは訪れた。木星圏から飛来したそれは、小惑星を加工し、移動要塞としたものだった。地球上ではありえない、逆円錐形の岩石、その脇には小型化されたジェネシスである大量破壊兵器が搭載され、その数kmに及ぶ巨体の内部には数十年にわたって蓄積されてきた数々の兵器が収容されている。
 本来であればプラントに多大な貢献をするはずであった武器たちは、平等にすべての命を奪うために用いられる。
 この要塞の名はギャラルホルンと命名されていた。ハイムダルがラグナロクの際に吹き鳴らすとされる角笛、その名である。
 要塞には、世界の終わりを告げる名が与えられていた。




 ハイムダルの反乱に伴うザフト軍の動きは様々だ。各都市に駐留する部隊は否応なしにカオスの部隊との戦いを強いられた。しかし、上層部はハイムダルを事実上、黙認。援軍の望みもないままの戦いだった。
 すでに一部の部隊は現場判断として地球軍との連携を始めていたが、上層部はあくまでもハイムダルを利用すると主張、ハイムダルを敵性勢力と認めつつも地球軍への攻撃を続けていた。
 ダムゼル。ヴァーリの中でその能力と父への忠誠心を評価された6人の少女たちであってもそれは変わらない。誰もが父であるシーゲル・クライン、その遺志を継ぐラクス・クラインの手駒になっている訳ではなかった。
 エピメディウムと同じく緑の髪を持つダムゼル、デンドロビウム・デルタは母艦の中でプラント市民への救助活動、その指揮をとっていた。カオスの情報の共有、市民の避難誘導、物資の補給など、プラントにおける対ハイムダル戦線の指揮官を務める形となっていた。
 ブリッジのモニターには、破壊されたプラントの街並みに、容赦なく攻撃を浴びせるカオスの姿が映し出されている。ただでさえ感情を露わにすることの多いデンドロビウムだ。カオスに対してはモニター越しとはいえむき出しの敵意をぶつけていた。
 Dのヴァーリ、その腹心の部下であるコートニー・ヒエロニムスはいつもその後ろを守っている。

「ラクス様から集結要請が再三届いていますが」
「ほうっておけばいい。暇つぶしの嫌がらせだろ」

 この状況で動けるはずがないことくらい、至高の娘は知っているに決まっているのだから。
 燃える街並み。採光用のミラーが破壊されたことでコロニー内は夜を演出していた。崩れたビルに炎が照らしたカオスの異形のシルエットが映り込み、その影が逃げまどう人々を追っていた。
 この光景の呼び名を、人は数千年前から知っている。

「ラクス、本当にこれがお父様の望まれた世界なのか?」

 外宇宙の方向から飛来した核ミサイルが、ユニウス・ワンに地獄を顕現させた。




 ユニウス・セブンの再来だった。
 砂時計の上下をつなぐ軸、そこを核は容赦なく破壊、切り離された上下がそれぞれ、核による熱と放射線を浴びながら住人を乗せたまま弾き飛ばされていく。幸い、周辺コロニーに激突することはなかった。
 プラントもバカではない。ユニウス・セブン以来、連鎖破壊を防ぐために各コロニー間の距離は調整されているのだ。
 アスラン・ザラを隊長とする部隊はユニウス・ワンを眺めていた。急速に失われていく大気が太陽光を拡散し、まるで光を宇宙に撒いているような幻想的な光景だった。それが命の散り様そのものだと言っても過言ではない。実際、大気とともに人が光の中、宇宙へと投げ出されていく様がモビル・スーツのカメラでも確認できた。
 むろん、居合わせたのは偶然ではない。プラントを狙った核ミサイルを破壊しようとした地球軍の部隊、その迎撃にあたったのがザラ隊だったからだ。結果、ミサイル迎撃は失敗。この有様だ。
 動揺はザラ隊においても広がっていた。

「アスラン、やっぱりおかしいですよぉ」

 戦闘用の補助AIとしては幼い印象を与える翠星石がコクピットの中、膝を抱え漂っている。
 アスランは無視した。というより、翠星石の言葉に興味を示すことさえなかった。レーダーを確認し、次の敵を探している。モニターに表示されたデータ、そのすぐ奥にはユニウス・ワンの惨状が広がっているのだが。
 本来であればすぐにでも臨戦態勢をとらなければならないはずの部隊員たちが、戦争初日の新兵のように隊列一つ、まともに組めずにいた。

「ザラ隊長。地球軍の行動は結果としてプラントを守ることに繋がっています。我々の行為は無為に市民へ犠牲を強いているだけではありませんか?」
「フィンブル落着の際、デュランダル議長はプラント宙域への地球軍の進入を許さなかった。君も正しい判断だとご高説たれていたじゃないか?」

 その結果、地球では1億もの人命が失われた。それに比べればプラントのコロニーは1基あたり20万程度だ。安い出費だと喜ぶとアスランは本気で考えていたのだろうか。黙ったままの部下に芝居がかった調子で驚いて見せた。

「君はジェネシス照射こそ、コーディネーターがとるべき唯一の道だと言っていたじゃないか? プラントは地上部隊も地球の住民もやむを得ない犠牲だと切り捨てきた。それがプラント市民に対象が変わっただけだろう?」
「本国には息子がいるんです」
「ああ、障がいがあると聞いているよ」

 隊員の方は迫真の演技で驚いて見せた。誰にも話していなかったからだ。アスラン・ザラにスカウトされこの部隊に転属した時でさえ、息子の障がいのことは隠してきたからだ。

「なら惜しむことはない。どうせ、レーベンズボルン・プランに生きる価値のない命と判定されるだけだ」

 思わず銃を向けようとしたのだろう。しかし、銃口が突きつけられたのはインパルスガンダムの方だった。アスランの、ガンダムヤーデシュテルンの方が速かったのだ。

「今回、君のスコアは2機だったね。ちょうど君のお子さんの年齢と同じ数だ。やはり、君に来てもらって正解だった」

 むろん、部下を撃ったりなどしない。冗談だとは相手もわかっているはずだ。だが不思議と、銃を下ろしても誰も笑ってはくれなかった。
 レーダーに反応。それはシグナルからわかっていたが、翠星石は律儀にも叫んだ。

「アスラン、敵機接近中ですぅ!」

 反応できたのは部隊内でもほんの2、3機だった。敵機の方向にインパルスたちがビームを発射し、返し矢となって戻ってきた自らのビームに撃ち抜かれた。その中には息子のために戦う、高尚な戦士も含まれていた。

「子どもを残して逝ってしまうなんて、戦争は本当に痛ましい」

 そして現れたのは後光を背負ったかのようなガンダムだった。特機だが、ゲルテンリッターではない。ゼフィランサスが最初に手がけたゼフィランサス・ナンバーズ、その最後の1機だ。ガンダムトロイメントだった。

「クルーゼ隊長、まさかまた戦場でお会いできるとは」

 体調を崩し、車椅子に頼っていると聞いていた。わざわざ戦場に舞い戻った理由など知ったことではない。ただアスランは暇つぶしの相手ができたことを喜ぶことにした。世界が滅びるまでの寸暇を潰せるのだ。

「アスラン、部隊を撤収させろ。これはもはや戦争ではない」
「では何だと? 互いに独善的な価値観を振り回し敵を貶め、ではどうすれば戦争を止められると聞けば誰も口をそろえる! わからないと!」

 アスランはヤーデシュテルンを飛翔させた。手加減をする意味も理由もない。フル・ミノフスキー・クラフト機が全力を発揮した証である淡い光を放ちながらの飛行だ。
ラウ・ル・クルーゼのガンダムトロイメントもまた同じく光を発しながら追従してくる。かつてアスランたちの隊長であった時と同じ動きで、それは初めてトロイメントを目撃した時、多くの避難民を乗せたシャトルを破壊した時と何も変わらないのだ。

「全部これだ! 正義と信じわからぬと逃げ、自ら招いた終末だろう! 人は滅びる、滅びるべくしてなあ!」

 ヤーデシュテルンの2丁のビーム・ライフルがトロイメントを狙う。しかし、トロイメントのドラグーン・ユニットはビームを偏向させる機能を有する。ビームは弾かれ命中することはない。だが、それだけだ。ビームを敵に反射させることもできるはずのドラグーンだが、もはやドラグーンの機動力ではガンダムの全力についていくことはできない。ヤーデシュテルンどころか、トロイメントにまで置き去りにされる形で反射したビームはあらぬ方向に流れていった。
 トロイメントの大型ビーム・ライフルが発射される。

「それが君の望みか? 世界を滅亡させることを望むのか?」
「それだけの業、重ねたのは誰だ! ニコルとジャスミンを殺したのはお前たちだろう!」

 トロイメントのビームはヤーデシュテルンを捉えることができない。
 トロメントはゼフィランサス・ナンバーズだ。設計そのものは10年前のものだ。すでに型落ちした機体と言えた。ドラグーンが高速化した戦闘に追従できていないことなどその証拠だろう。
 あるいは、ラウ・ル・クルーゼが衰えたか。アスランは残念ながら聞いていた。ラウ・ル・クルーゼという男がドミナントの失敗作でありそれゆえ父に疎まれたことを。ファースト・ドミナントであるアスランは、しかし父に認められなかった。
 だからなんだと言うんだろうか。アスランは意味もなくトリガーを引く指に力がこもった。ヤーデシュテルンの両腰の展開式レールガンが放たれドラグーンを直撃する。

「これこそが人の望み、人の業! わかっていて突き進んだ道だろう!」

 俺は何を期待している。そう、アスランは自身に問いかけた。目の前の男なら、裏切り者なら父に愛されなかった自分の境遇を理解してくれるとわずかでもよぎったからだろうか。
 ビームを撃ち合っているだけではらちがあかない。ヤーデシュテルンはビーム・サーベルを抜き放つ。それは剣術などと呼べるのだろうか。ただ力任せに剣をぶつけるだけの力任せの攻撃は、トロイメントにいなされる。

「アスラン、君とパトリック・ザラのことは知っている。あの男はザラ家の人間ではない。君をロゴスの計画に必要な存在だと知ってはいても認めなかった」
「だからなんだ! あの男が俺の価値を十分に理解していればこんなことは起きなかったと言いたいのか!?」

「私もそうだった。私はプロト・ドミナントの失敗作だ。父はそんな私を認めようとしなかった。私は悲しんだよ。このように自分を創っておきながらそれを拒絶するのかと。同時に苛立ちもした。自分のような道具としての人の存在を容認する世界についても」

 あの男は最後の瞬間までアスランを認めようとはしなかった。アスランを理解しようとはしなかった。だが、敵は

「アスラン、君ならわかるはずだ。このようなことをしていても、屍の山の上には後悔しか残らないと」
「勝手なことをぬかすなぁ!」

 衝突同然の体当たりを仕掛けたことで、強引に振るったサーベルでもトロイメントのライフルを切断することができた。まだトロイメントは体勢を崩したままだった。
 構えたビーム・サーベル。
 血を流し、目の前で息絶えた父の姿を思い出していた。最後までアスランを認めようとしなかった。ラウ・ル・クルーゼはアスランと同じなのだ。
 アスランの目の前で討たれたニコルのことが思い浮かんだ。ニコルは陰謀のために殺されたのだ。ラウ・ル・クルーゼの策謀によって。
 ヤーデシュテルンのビーム・サーベルが、トロイメントを貫いた。ビームの圧倒的な熱量があふれ出し火花が傷口から瞬いた。
 ラウ・ル・クルーゼの声が聞こえた気がした。しかし、それを聞き取ることができぬまま、トロイメントはヤーデシュテルンに突き刺されたまま爆発する。爆煙の中からフェイズシフト・アーマーに守られたヤーデシュテルンは無傷のまま現れる。

「ブルー・コスモス三巨頭の最後の1人だ。これは十分な戦果だろうな」
「でも、アスラン、泣いてるですよ」

 翠星石に指摘されて初めて、フェイスガードに張り付いた水滴の正体に気づいた。

「馬鹿を言うな。父を名乗った男が目の前で息を引き取った時だって、涙なんて流れなかった。流さなかったんだぞ!」




 そこはまるで玉座の間だった。正確にはムスペルヘイムのブリッジなのだが、艦長席とは別に設けられた議長席がまさにそれなのだ。艦の指揮をとるでもない議長に細かなコンソールなど必要ない。しかし、一段高くなった場所にその席は置かれている。簡素さがかえって特別を演出し、それはまさに王の座する椅子だった。
 ギルバート・デュランダル議長はそこに腰掛け、では、膝の上に座るのは王女だろうか。

「ねえ、ギル。どうして、私をアイリスに預けたの?」
「仕事が忙しくなって君にかまってあげられなくなる前に信頼できる人にお願いしたかったからだよ」
「タリアはどうしたの? よく一緒にいたでしょ?」
「知っていたのかい、タリアのことを? 残念ながら別れたよ。体の相性が……」

 言い終えるより早く、何者かが議長の後頭部を叩いた。フレイ・アルスターがその下手人である。

「子ども相手に何言ってるんですか」

 もちろん、ただこずいただけである。議長は大して痛がる様子も見せずにただ後頭部をさすっているだけだった。

「議長の頭をはたいた君は誰だい?」
「フレイ!?」

 リリーは当然、フレイのことに気づいた。

「知り合いかい? どこかで聞いた名前だな」
「アーク・エンジェルの操舵手してたから、それかも」
「ああ、思い出した。しかし、君は捕虜のはずだろう」
「ラクスに聞いてください」

 議長はここで警備員を呼ぶようなことはしなかった。

「なら、ディアッカ君もここに呼ぼうか? リリーのお礼もしたいしね」

 どちらかと言えば警戒心を露わにしているのはリリーの方だろう。

「それで、フレイは何の用があるの?」
「私、ラクスを助けたいんです」
「君が? ラクス議員をかい? そもそも、彼女は助けなんて必要としていないさ」
「会ってわかりました。あの子、とても、悲しい目をしてるから」
「なるほど。では、君に私の目はどう写ってるのかな?」

 フレイは前屈みになって議長の顔をのぞき込むブリッジのクルーたちは当然、フレイのことに気づいていたが、あまりに堂々としている態度にまさか捕虜が出歩いているとは考えなかったのかもしれない。

「あまり悲しそうな目じゃありませんね。どちらかというと過渡期って感じ」
「君には人を見る目があるのかな?」
「そんなのありませんよ。ただ、見たことがあるんです。鏡の中で」

 目は心の鏡と誰かが言っただろうか。フレイがのぞき込むことで議長もまたフレイの瞳に映った自らの瞳を目にすることになる。

「悲しいことがあって、私は最初に自暴自棄になったんです。自分なんてどうでもいいって思ってるから何でもできるんです。どんなことでもしでかせるって気持ちが、どんなことも可能なんだって意味にすり替えられていって、最後には万能感に変質するんです」

 かつて両親を失い、後先考えないまま軍に入隊した。その時のフレイはまさに万能だった。友達を巻き込むことだってできた。自分にも周りにも嘘をつくことだってできた。

「そんな根拠のない万能感抱いてる時って自信満々の顔して、そのくせ、瞳は自信なさげに震えるんです」

 小娘の他愛のない話だ。そう、デュランダル議長なら一笑に付すこともできたはずだ。

「私、知ってるんです。ラクスはエインセルさんに似ていて、議長は私に似ています」

 プラント最高評議会で議員たちを相手に舌戦を繰り広げてきたギルバート・デュランダル議長が、それでもフレイの言葉に耳を傾けた理由は、単なるお遊びにすぎなかったのだろうか。決して正面からは向き合わず、話をはぐらかそうとするだけだったのだから。

「いやはや、なかなか興味深い話だったよ。ただ、君の目的はラクス・クラインだったね。残念だが、彼女はこの艦にはいない。出撃したからね」




 それはいびつな形をしていた。夜空の星を抽象化したかのような鋭い構造が四方八方に延びている。しかし、星と形容するには、取り付けられた銃器、剣のように突き出た複数のユニットがそれをまがまがしく装飾している。
 たとえるなら、人の悪意の放射が目に見える形をとったかのような、おぞましい星の似姿だった。
 モビル・スーツの3倍程度もある巨大なモビル・アーマーであるそれはペルグランデと名付けられ、本来であれば母艦に収容することさえ難しい巨体である。しかし、ムスペルヘイムのような巨大戦艦はやすやすと受け入れ、ゆっくりと花火でも打ち上げるかのようにペルグランデを放出した。
 操縦席に座るのはラクス・クラインである。ノーマル・スーツに身を包み、世界そのものを取り込むかのように軽く息を吸い込んだ。
 その後頭部に銃口が当てられる。
 ミルラ・マイクのゼーゴックが至近距離からペルグランデへとビーム・ライフルを突きつけていたのだ。

「ラクス、これはどういうことだ?」

 ギャラルホルンの接近によって戦火は拡大を続けている。ミルラから送られてきた映像には、すでに3基が崩壊したプラントの様子があった。

「私がお前に従う理由は、お前が至高の娘だからだ。お前こそがシーゲル・クラインの理想を実現できる存在だからだ」
「でも、あなたはお父様に反逆しました」
「それでもあの人は私の命を救ってくれた。だから私は見たいんだ。お父様が望まれた世界が私たちに犠牲を強いる価値のあるものだったのかどうかを。そしてお前ならそれを見せてくれるはずだった!」
「ではご照覧ください。これが、お父様の望まれた世界、そのものです」

 ゼーゴックのコクピットには様々な映像が流れた。崩壊する砂時計。核の炎。地球軍に協力すると決断したザフトと、残留したザフトが戦っていた。そして、水晶の夜と呼ばれた暴動の様子から、反ナチュラル団体によるデモ行進まで、プラントの抱える宿痾、その結果まで次々と投影されていく。

「ふざけるな!」
「何を怒っているのです?」

 普段のひょうひょうとした態度はどこにもなかった。今、ミルラの全神経は引き金を弾みで引いてしまわないために使われているのかもしれない。

「あなたは知りたかったのではありません。期待していたのです。お父様が自分たちを犠牲にしたのは理由があったからだとご自分を納得させたかったのでしょう? ミルラ、あなたは雨に濡れる子どもです。いつまでも迎えに来ない父を待つ、涙する子どもです」
「ラクス、貴様!」

 もはや引き金を引く指にためらいは残されていなかった。足りないものがあるとすれば時間だ。あらぬ方向から飛来したビームがゼーゴックの腕をライフルごと破壊した。そればかりではない。あらゆる角度から放たれたビームがミルラ機を次々に切り刻んでいく。
 周囲にはミルラ配下のゼーゴックが複数展開していた。隊長機が撃たれたことに即座に反応したパイロットたちであったが、それでもまだ遅かった。
 しかし、彼らは気づくことができた。ペルグランデから放たれた複数のドラグーン・ユニット、そこから放たれたビームが正確であり確実であり無慈悲に降り注ぐのだと。
 エリート・パイロットたちが一撃も許されないまま切り刻まれた残骸となってペルグランデの周囲を漂い、彩った。
 ラクスはコクピット内で立ち上がりその両手を高く高く広げた。

「ごらんください、お父様。あなたが望まれた世界が、腐って爛れるこの様を」

 恍惚としたまなざしで、天に住まう父へと高らかに伝えたのである。




 胴体のみを残したゼーゴックがオーブの艦艇に回収された。もっとも、ビームの熱量と爆発にさらされたためすぐにゼーゴックと判別することは難しいかもしれない。
 コクピットを強制的に開放した整備は、やや覚悟した面持ちで覗き込んだ。しかし、すぐに待機する医療班へと手を振った。
 コクピット内からはほぼ無傷のミルラが運び出された。担架に乗せられ、脳震盪こそ起こしているらしかったが命に別状はないようだ。あれほど破壊しつくされたモビル・スーツから引きずり出されたにも関わらずだ。
 ミルラはしかし、自分をのぞき込む緑の髪のヴァーリに気づくなりおびえ始めてしまう。

「エピメディウム……。ま、待ってくれ。あれはラクスの命令に従っただけなんだ、わ、わかった、金だな。いくらでもやる、だから助けてくれ」
「大丈夫そうだね」

 結局、ミルラはミルラだった。

「じゃあ、僕を仕損じたのもラクス・クラインの命令だったのかい?」
「いや、保険をかけておきたかっただけだ。ラクスが本当にお父様の望まれた世界を実現できるのか確信がもてなかったからな」
「ラクスは、お父様のお言葉に従ったからね。勘違いして欲しくないけど、僕はお父様と袂をわかった気はないんだ。ただ、ラクスの方法だと。いいや、もうお父様の望まれた世界なんて存在しないんだってわかったんだ。もしも、お父様が今の世界を見たら絶対に軌道修正を測ったに決まってるよね? でも、もうお父様はいないんだ……」
「ラクスは忠実に実行しただけ、そう言いたいのか?」
「きっとラクスは知ってたんだ。命令通りにすれば、必ず失敗するって。それを、見せつけたかったんじゃないかな?」
「従うことこそが反逆なのか?」
「最初からお父様の、ロゴスの描いた理想なんて絵空事だったんだよ」
「それが、私たちを犠牲にしてまでたどり着いた答え、そのものなのか?」



[32266] 第49話「繋がる思い」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/21 09:10
 ギャラルホルンの出現により戦況は悪化の一途をたどっていた。移動要塞内部から多数のカオスが出撃し、すでに2発の核ミサイルがプラントへと撃ち込まれている。そして小型のジェネシスは地球全土を焼き払うほどの火力はなくとも立ちふさがる艦隊をなぎ払うには十分な火力があった。
 そして、ギャラルホルンは地球を目指していた。
 もしも、地球軍が核ミサイルを使用できたなら。条約によって厳重に封印され、即座に使用可能な状況ではない。その力は、ただ人が人を焼くためだけに使われた。
 もしも、ザフト軍にジェネシスが残存していたとしたら。ギャラルホルンに大打撃を与えることもできたことだろう。しかし、その功績は人類を滅亡一歩手前まで邁進させた、それだけのことだった。
 人はその種としての力を、同種を焼くためだけに用いてきたのだ。
 そして、人類滅亡はすぐそこにまで迫っていた。
 ギャラルホルンはその巨体でまっすぐに地球を目指していた。この小惑星基地に大気圏突入能力などない。ハイムダルの目的は支配などではないのだ。わずか直径数kmとはいえ、その内部には多数の核物質が搭載されている。落下すれば放射線を帯びた塵が空を覆い尽くし核の冬が訪れる。
 ギャラルホルンとはまさに、人々に滅びの襲来を告げる角笛だった。
 では、もはや人が救われる手だては残されていないのだろうか。それはわからない。ただわかっていることは、人は、まだ諦めてはいないということだった。
 長引く戦争によって多くの手札は失われた。しかし、誰もが知る切り札は、いつだとて人々の目の前にあった。
 人に手を差し伸べるのは、いつだとて人なのだから。




 オーストラリア大陸沖の海中に、ザフト軍ボズゴロフ級潜水艦の姿があった。セイバーガンダムのパイロットであるハイネ・ヴェステンフルスの母艦である。
 ブリーフィング・ルームにて、ハイネは奇術師のように派手な艦長殿より何もないところから鳩が飛び出す以上に驚くべきことを聞かされていた。

「弾道ミサイルが頭上を通り過ぎるっていうのか?」
「その通りだ。ディーヴィエイトのパイロットが追跡、位置情報を四方八方に垂れ流している」

 モニターには速度では劣りながらもうまくコースを選択し食らいついているディーヴィエイトの軌道が、核ミサイルの軌道を追う形で表示されている。ミサイルが通らない近道ということは、AIが安定した飛行が難しいと判断した空域と角度で飛行するということだ。同じ、戦闘機への可変機構を備えるガンダムのパイロットであるハイネだからこそ、それが簡単なことでないと理解していた。

「ミサイルは音速を超える。いくら可変機とは言え、無茶をする」
「我々としてもこのクラスの核が落とされるのは好ましくない。よって、迎撃をすることにした。作戦内容はこうだ。君のセイバーガンダムでミサイルを追う。接触の一瞬で弾頭を切り離す。そうすればミサイルは無力化される」
「だが、そこまでの加速となると可変機構が機能しなくなる恐れがある。まさかウイングを剣の代わりすることもできないだろ?」
「そうだな。そこで私はこう考えた。セイバーの上に別のモビル・スーツを乗せ、そちらに弾頭の切断を任せればいいとな。私はこれをオペレーション・ウラシマと名付けた」

 どこから引っ張り出してきたのか、モニターには亀に乗った漁師の姿が表示される。

「ギナ艦長、ウラシマ効果と関係があるのか?」
「いや、単に亀の上に人が乗っているところに着想を得ただけだ」
「隼に乗った奴の話は見つからなかったのか?」

 甲羅を背負わされる役を、ハイネはためらったらしかった。
 こんな時、ある意味でロンド・ギナ・サハク艦長は最強と言えた。自分の言いたいことだけを言って、周囲の意見など耳に入らないからだ。

「なお、本艦の計算では最適なモビル・スーツはインテンセティガンダムと出た」

 甲殻類を思わせるバック・パックを背負った、どちらかと言えばこちらが亀を思わせるガンダムが表示される。問題は、これが大西洋連邦軍によって開発された機体であるということだ。

「今からろ獲するつもりか?」

 すると、ブリーフィング・ルームのスライド・ドアが開くとともに女性の声がした。

「その必要はない。すでに話はついている」

 ギナ艦長の双子の妹、ロンド・ミナ・サハク船医だった。容姿についてはほぼ同じなので割愛してよいだろう。問題は、そんな船医の後ろにいる、地球軍のノーマル・スーツを来た女性の存在だった。

「紹介しよう。ジェーン・ヒューストン。私の友人で……」
「白鯨がなぜここにいる!?」
「私の友人だと言っただろう?」

 白鯨と呼ばれたファントム・ペインとはこれまでも何度か剣戟を交えた。カーペンタリア基地を巡って、そもそも、ハイネがこの潜水艦に配属されるきっかけを作ったのがこのエース・パイロットなのだ。
 敵の船に乗り込んでいるというのに白鯨はまったく慌てた様子を見せない。はたからみればハイネの方がよほど慌てているように見えたことだろう。
 ハイネは努めて息を整える必要があった。

「初耳だ。それに、白鯨が手心を加えてたようには見えなかったぞ」

 間違いなく本気でこのボズゴロフ級を撃沈するつもりで攻撃を仕掛けてきたのだから。

「当然だ。我々は友人だが、戦場では躊躇なく殺し合うことができる。だからこそ、私たちは友人になったんだ」
「あんたもあんただ。敵艦に乗船など、反逆行為を疑われるだけだぞ」
「ラリー・ウィリアムズ首相から作戦実行の許可は得ている」




 ラリー・ウィリアムズ東アジア共和国首相の軍部における評判は最悪だった。軍備拡張に消極的であり、カーペンタリア基地奪還のための具申をことごとく退けていたからだ。世界安全保証機構でもこの禿頭の男性がプラントとの早期和平交渉を主張したことは記憶に新しい。
 現場のことを知らない臆病者、それがウィリアムズという男に軍が下した評価だった。そのような男が突然、奇抜な軍事作戦の許可を出したのか、それは本人自身、誰かに尋ねたいことなのかもしれない。
 執務室で腰掛けながら、首相は窓の外に移る空を見上げていた。
 しかし、執務室にはもう1人、ブルカを身につけた女性がいた。

「よろしかったのですか?」
「これ以上、戦争が長引くのはごめん被りたいのは本音です。ただ、腕だけ出して溺れている人を敵か味方かなど判断するのは後からでいい」

 しかし、激変した状況に戸惑っているのだろう。これまでの判断が通用しない状況に、ウィリアムズ首相はいつまでも落ち着きを取り戻せない。

「リンデマン殿、あなたは何者なのですか? ユニウス・セブン条約締結に尽力されたことで名をあげたあなただが、その行動は一貫性を欠く。プラントよりの発言が少なくない一方、ロビー活動では地球側を支援するものが少なくない。今、こうしてあなたがここにいるのもその一端でしょう」

 そそのかされたとは言わない。しかし、ザフトとの連携を軍に許可できたのは、スカンジナビア王国を代表する、マリア・リンデマンの助言があったからこそなのだ。

「私には妹がいるのです」
「初耳ですな」
「私が妹にしてあげられることは多くありません。また、妹はプラントにも、地球にもいるのです」
「ほう、お二人おられると?」
「いいえ、あなたがお考えになるよりは多いのです」




 カオスの部隊がオーストラリア大陸を目指して飛行していた。迎え撃つのは東アジア共和国の艦隊だった。そう判断したとすればそれは誤りだと言えた。海中から複数のボズゴロフ級が浮上、垂直カタパルトからヅダが射出される。
 ハイネはモビル・アーマー形態に変形したセイバーのコクピットにすでに入っていた。すぐ上にインテンセティガンダムが乗せられる。垂直カタパルトは使用できないため、通常カタパルトに乗せられた。天井に触れないようインテンセティガンダムが窮屈そうにかがむ様は、どこか人間じみている。
 やがて、作戦は開始された。
 ボズゴロフ級は船尾側を沈めたまま、船首を洋上へとつきだした。いわゆるウィリー走行を行うことで、本来は水中射出しかできないはずの通常カタパルトでセイバーたちを空へと打ち上げようというのだ。
 格納庫では整備員たちが必死に思い思いのものにしがみついている。
 ハイネ自身、背中を背もたれに吸い寄せられる力を感じながら、それは押しつけられる力に変わった。セイバーがその背中のインテンセティごと打ち出されたのだ。
 一気に広がる視界。眼下では数日前まで殺し合っていた地球軍とザフト軍が肩を並べて戦っている。
 上昇中のセイバーを狙ってきたビームをストライクダガーがシールドで受け止め、その隙にヅダが大柄の戦斧でカオスを叩き斬る様を目にした。

「映画でよく見たな。人類の危機にこれまで争ってた人類が一致団結するって話だ。俺はこの手の話があまり好きじゃない。ご都合主義すぎてな」

 この場限りの相棒は、あまりおしゃべりが好きではないのだろうか。加速の勢いはいまだにハイネの体に重くのしかかっている。

「そうだろ? この戦いが終わればどうなる? これで戦争が根絶されるとは到底、思えないだろ?」

 加速に体が慣れたところでようやく、ジェーンから、白鯨から返事があった。

「私は反対に、世界を一つにしたいという発想を好まない」
「バラバラでいいのか? 戦争が起こるぞ」
「では聞こう。一つの世界とは、どんな世界になると思う?」

 特に具体的な姿を、ハイネが想像できた訳ではなかった。敢えて言うとすれば故郷であるプラントの街並みが世界中で見られる、そんな光景だろうか。

「人がその世界を想像する時、自らが所属するコミュニティの延長線上にある世界を想定する。自分とまったく異なる価値観、文化が世界を平らにすることを人は無意識に望まないのだ。キリスト教原理主義の支配する進化論さえ認めない世界か、女性の就業さえ認めないイスラム教原理主義の世界を、君は想像したか?」

 本来は敵であるはずのミナ船医と友人関係を築いていたことを、ハイネは思い出すまでもなかった。

「違うから人は争い、傷つけあってしまう。しかし、違いをなくせばいいという発想は支配と直結する。自身の価値観への統合をその本質とするからだ。だが、人は、お互いが人であるということを心のどこかで忘れないでいてくれた。私はそれを、ただ嬉しく思う」

 このままでは格好がつかないのはハイネの方であるらしかった。

「掴まっていろ、お前を必ず冥王のお膝元に連れて行ってやる」
「プルトニウム型とわかったのか?」
「細かいこと気にすると舌を噛むぞ」

 ガンダム・タイプがそのすべての性能を開放する時、それは光を纏うときだ。装甲に搭載されたミノフスキー・クラフト・システムが推進力を生み出す際に生じる余剰エネルギーが光となって放出されるため、出力を最大にすることで光もまた頂点へと上り詰める。
 セイバーガンダムが光を放ち加速する。大気を切り分け、轟音を轟かせながら光の矢となって。
 レーダーに反応があった。核ミサイル、そして、それを追うディーヴィエイトのものだ。

「こちら、セイバーのハイネ・ヴェステンフルスだ。ディーヴィエイトのパイロット。聞こえているか?」
「スウェン・カル・バヤンだ。助力に感謝する。だが、その速度は明らかに限界を超過している」

 けたたましい警告音は通信を通して聞こえていることだろう。

「警報機の故障か、でなければお前さんのところのが混線してるんだろ」

 実際、通信機越しに聞こえる警報音のせいでアラームが二重に聞こえていた。

「無茶はお互い様だ」
「……幸運を祈っている」

 ディーヴィエイトを追い抜き、セイバーはさらに加速した。機体各所の破損を伝える警報が鳴り響き、振動のあまり外れたコンソール・パネルが宙を舞った。乗り慣れた愛機だ。ハイネはその限界が近いことを理解していた。

「いいか、白鯨、チャンスは一度きりだ」
「十分だ」

 そして、ハイネは叫んだ。

「飛べ! モビーディック!」

 その瞬間、まばゆい光とともにインテンセティはセイバーの背中からまさに発射された。その手にしたトライデントを核ミサイルへと突き立て、一気呵成に両断する。
 ウイングはもがれ、装甲は剥がれていく。崩壊しながら落ちていくセイバーの中で、ハイネは人の勝利の瞬間を見届けた。




 ユグドラシル。ハイムダルと同じ神話で語られる巨大樹の名である。その葉は天にまで届き、その根は九つの世界に広がるとされる巨木の名だ。
 はるか宇宙にまで巨大なビーム砲を届かせるその巨大兵器は、一つは月面に、もう一つは南米ジャブローに置かれていた。ボパールにはダニーが設置されている。では、残る六つの根はどこにあるのか。
 一つは大西洋連邦、タスキーギ基地に置かれていた。退役軍人の保養地が置かれているこの基地は旧式の戦車まで持ち出しての総力戦に臨んでいた。戦車の主砲でカオスのフェイズシフト・アーマーを貫くことはできない。しかし、こんなことで狼狽える者はいない。
 この戦争は、ユニウス・セブン休戦条約を挟んで14年目に突入した。若い兵士は初期の戦争の姿を知らないことだろう。いち早くモビル・スーツを完成させたザフト相手に、性能では遙かに劣る戦車で前線を維持し続けてきた戦いの歴史を。
 戦車が軽々と走行する。カオスの攻撃は旧型をとらえることができない。対モビル・スーツを想定した装備は、データは戦車戦では十分に効果を発揮しなかったのだ。走り回りながら放たれた主砲は、次々カオスを捉えた。装甲が破壊されることはない。しかし、質量弾はカオスの内部機構に確実にダメージを与え、それを嫌ったカオスが地上へと降り立った。これで四方から狙い撃ちにされることはない。
 それこそ、戦車乗りたちのもくろみ通りだった。
 茂みに隠れていた戦車が一台、慎重な狙いのもと放った主砲は、カオスの膝を真後ろから捉えた。フレームが破断し、思わず膝をつくカオス。すると、次々に集結した戦車が集中砲火を浴びせ始めた。首に、腰に、肘に、装甲で覆うことのできないフレームめがけて鋼鉄の塊が次へ次へと撃ち込まれるのだ。頑強なフェイズシフト・アーマーは破壊されることはない。しかし、フレームはその限りではない。
 やがてカオスは無傷の装甲を備えたまま、完全にその機能を停止した。
 そして、タスキーギ基地から光の柱が立ち上った。
 それは宇宙へと到達すると、屈折コロニーによって導かれ、ギャラルホルンへと命中する。しかし、相手は移動要塞。すぐに回避運動をとったことで十分な破壊には至らなかった。だが、その光はジェネシスを破壊した。
 もう一つはユーラシア連邦黒竜江基地。
 足を破壊され立つこともできないストライクダガーを、武器を失ったヅダが肩を貸す形で支えていた。身動きのとれない固定砲台であってもいい。ただ、世界樹の光を、宇宙で戦う戦士に届けるために。
 そんな2機のモビル・スーツの背後で、ユグドラシルの光が天へと登っていった。
 その頃、ストライクダガーとヅダの混成部隊ではこのようなやりとりが行われていた。通信は繋がっていない。だからこそ、ストライクダガーは外部照明を点滅させてのモールス信号を用いた。
 ここにまもなくユグドラシルの炎が到達する。
 ストライクダガーが離脱を開始すると、ヅダたちもまたそれに引き続いた。しかし、カオスだけは離れようとしなかった。モールス信号を盗み見ることができなかったのだろうか。敵対勢力が互いをフォローするような信号を送るはずがないと判断したのか。
 巨大なビームの柱はカオスの編隊をまとめて焼き払った。
 屈折コロニーの操作はステラ・ルーシェが担っていた。ユグドラシル・システムに製造の段階から関わっていたガーティ・ルー、その一室に神殿のような一室があった。ステラの座る、制御室だ。
 ステラは目を閉じながら、しかし何かに気づいたように目を開く。また地球上から送られたユグドラシルのビームを感知、屈折コロニーの角度調整を完了させたのだ。それは再びギャラルホルンをかすめそのスラスターの一部を損傷させた。
 無論、ハイムダルとて無策ではない。ユグドラシルの発射基地へと地上に送り込まれたカオスを集中させはじめていた。ガーティ・ルーの位置も露見しつつあった。
 戦いはまさにこれからが正念場であった。ゆえに、人は戦い続けていた。
 アウル・ニーダのインテンセティガンダムはガーティ・ルーを、ステラを守り戦っていた。頭部に甲殻類を思わせる被り物をした姿は、ひどくカオスを連想させる。それこそ、カオスがカオスたる所以なのだろう。どちらも似た位置にビーム砲を備え、互いに撃ち合った。カオスは直撃を免れず胴体を撃ち抜かれたがアウルはそれを回避、返す刀で別のカオスへ三叉戟を突き立てて見せた。

「スティング、どうもお前の仇、討ってやれないみたいなんだ。だから代わりに守ってやる。お前が守りたかった地球を。だから、それで勘弁してくれよな」




 ザフト地上軍が地球軍と同調したことで、宇宙軍からも離反者が現れ始めた。明らかにプラントを攻撃する勢力を、地球も攻撃しているからと野放しにできる部隊は決して多くなかったのである。
 仮にハイムダルの排除に成功すれば、また地球軍が巨大な敵となる。逆転の芽はハイムダルに便乗することしかない。そう、上層部が繰り返したところで、すでに後先考えていられる状況ではなくなっていたのだ。
 結果として、ザフト宇宙軍でさえヨートゥンヘイムを中心とした一部近衛隊だけが地球軍への攻撃に参加しているだけだった。それゆえ、部隊の士気は高かった。
 カオスに背中を刺されながらもただ、地球軍へと射撃を続けたヅダがいた。大破しながらも撤退しないゼーゴックはカオスの攻撃にひるんだ後、地球軍によって撃墜された。
 破壊されたストライクダガーの残骸を霧のように纏う、悪意の星があった。立ち向かうのはガンダムラインルビーン。キラ・ヤマトのガンダムだ。

「ラクス、もうやめるんだ。この戦いは、人と人が争っている場合じゃない!」

 モビル・スーツの優に3倍はある巨体だ。搭載されたビーム砲台は次々にラインルビーンを襲い、キラを翻弄する。

「これはお父様のお言葉なのですよ、キラ」

 敬虔なカルトのような言葉だが、今のラクスの瞳に狂信の輝きが宿っているようには誰の目にも見えないことだろう。ひどく空虚で、眠ったようにコクピットに座っているだけでさえあった。
 明滅する光。飛び交う光線。破裂する光の中、命が一つずつ消えていく光景が、夢心地に思えているのだろうか。
 キラもまた、ここでフレイ・アルスターの声が聞こえてくるとは夢にも考えていなかった。

「ラクス、もういいでしょ。ムスペルヘイムが危ない感じなんだけど」
「フレイ、君がどうしてザフトの旗艦にいるんだい?」

 キラにも聞こえているように、専用回線を用いたものではない。つまり、正規の通信手順を踏んだものには思えなかった。

「別に親友のお姉さんに会うくらい、不思議でもないでしょ?」
「そうじゃない、危険だって言ってるんだ」

 ムスペルヘイムはすでに中破と言っていい有様だった。カオスを無視する形で戦闘を続けている以上、損害は飛躍的に拡大を続けている。
 接近するカオスに対して攻撃をためらった機銃手がビームの直撃を受けた。炎は人の通り道を伝い装甲の隙間を通り抜ける形で通路にまで達した。ムスペルヘイムの格納庫から発進しようとしていたナスカ級高速戦艦がカオスによる攻撃を受けたのはそのときだ。
 カオスは学習しつつあった。ムスペルヘイムはこちらに攻撃を仕掛けてこないと。より攻撃が大胆に苛烈になりつつあった。
 しかし、人は学習しない。ムスペルヘイムはカオスにされるがまま、その損害を拡大させていた。通信では、フレイの短い悲鳴も混じっていた。ブリッジにまで損害が及ぼうとしている。

「アーノルド、ここは僕が引き受ける。行ってあげて欲しい」
「ですが……」
「とにかく動くんだ。議論している時間はない」

 まじめな副隊長がシャムス、スウェンに続き離脱したことで、キラの部隊は残るはシン・アスカとアイリス・インディアのみとなってしまった。

「私も行きます」
「ああ、アイリスも、ってどうして君が!?」

 あまりに自然になじんでいたことで失念していた。キラはアイリスを部下にしたことはない。妊娠中の女性を戦場に駆り出すなんてできるはずがないからだ。

「艦長さんが理解ある人だったんです」
「マリューさんだな……?」

 出会ったときは、任務の重責に押しつぶされまいと虚勢を張って周囲の反発を招いている、そんな女性であったはずなのだが。

「アーノルド、アイリスのことも頼みたい」
「了解です」

 ムスペルヘイムへと向かっていく2機を見送ってから、キラのラインルビーンは改めてエルグランテへと向き直った。
 もはやラクスにとって戦場の空気など退屈しのぎにすぎないのだろうか。

「興がそがれてしまいましたね。ですがご安心を。場を暖め直す方法なんていくらでもありますもの」

 ペルグランテから複数のドラグーンが放たれたと同時に、キラはラインルビーンを加速させた。しかし、ドラグーンのビームはキラの行く手を遮り、次々と繰り出される攻撃は編み込まれた刺繍のように点が線へ、線が面へと変化していく。

「この動きは!?」
「懐かしいのでは? あなたが幾度となく味わった死の香りです」

 ゲルテンリッターほどの特機でも防戦一方。無理はない。最強と歌われたフォイエリヒガンダムの力、ペルグランテはエインセル・ハンターのすべてを受け継いだのだから。

「血液サンプルからつくられた即席の脳クローンを生体CPUとして組み込みました。エインセル・ハンターの戦闘データを反映したこのペルグランテはエインセル・ハンターそのものなのです」

 フォイエリヒガンダムは8刀でしていたことを、ペルグランテはドラグーンによって再現することに成功した。キラが、アスランが事実上、一度たりとも破ることのできなかった光の瀑布が今まさにキラを追っている。
 ラクスは何ら価値を見いだしていない勝利を、ただ待っていればよかった。

「ラクス、それは違うよ」

 ドラグーンが1機、ラインルビーンに切断された。
 ラクスが驚いたのもつかの間、光の交差をくぐり抜けたラインルビーンが1機、また1機とドラグーンを破壊する。動きが完全に読まれていた。

「エインセル・ハンターを真似てもエインセル・ハンターにはなれない」

 敵として幾度となくエインセル・ハンターに対峙してきた。だからその太刀筋は目に焼き付いている。それをただ機械的に模倣しただけの攻撃がキラを捉えられるはずがないのだ。

「真紅、ラクスを止めよう」
「ええ、お父様」
「キラ・ヤマトと名乗ろう。赤い薔薇の送り主として」

 ラインルビーンが、赤い光に包まれるとペルグランテのドラグーンの攻撃はすべて意味をなさなくなった。ビームは弾かれ、ラインルビーンの繰り出した蹴りはドラグーンを叩き割るのではなく溶断する。その手のひらが触れただけでドラグーンは爆発した。
 ミノフスキー粒子で構成されたフェイズシフト・アーマーの組成比を変更し、メガ粒子とIフィールドの多層構造とする。そうすることで今のラインルビーンは全身がビーム・サーベルと化していた。
 そして、ミノフスキー粒子に干渉する能力は何もラインルビーンに限定されなかった。
 突如、動きを止めたプルグランテの中で、ラクスは取り繕う余裕をなくしつつあった。

「なぜ、なぜ動きませんの!?」

 システムはミノフスキー・クラフトの不調を伝えていた。本来、同一方向に発生していなければならない斥力のベクトルがばらばらになることで機能を停止。それどころか四方から押さえつける形でペルグランテの動きを封じていた。この不調の原因を、システムは外部からの干渉だと結論づけた。
 もしもペルグランテがミノフスキー・クラフトを搭載していなければ身動きまでは封じられなかったことだろう。
 やがて、ラインルビーンを包む赤い皮膜が剥がれていく。しかしそれは拡散ではなく集中だった。光がラインルビーンの右腕に集中し、それが柱となって飛び出すことで巨大なビーム・サーベルとなった。振り下ろされたそれは、ペルグランテを斜めに切り裂き、星のように突き出た突起構造をいくつもまとめて切り裂いた。




 戦火はついにムスペルヘイムの至近にまで迫っていた。接近したカオスによって防衛網が破られ、そうすることで地球軍の接近もまた容易となる。そうして集まったカオスと地球軍が戦闘を始めることで、地球軍が事実上のムスペルヘイムの防衛戦力として機能した。皮肉にも敵であるはずの地球軍に助けられる形で、ムスペルヘイムは小康状態を保っていた。
 カオスの頭部にビーム・サーベルを突き立てたウィンダムがあった。しかし、パイロットであるヒメノカリス・ホテルに喜びの表情はない。こんな雑魚をどれだけしとめても仕方がないことだからだ。

「ウィンダムじゃ、追いつくこともできない!」

 苦々しく見つめる先、そこには灼熱の国と名付けられた戦艦の上空で戦う、天使たちの姿があった。
 1人は、光の翼の天使だった。両刃の西洋刀を手に、その鎧は漆黒。地獄の中、戦い続けた天使がその鎧に汚れをため込みすぎてしまった、ゆえに、それはやはり天使を彷彿とさせた。
 1人は、鋼の翼の天使だった。かつて、堕天使は人に武器の作り方を伝えたとされる。人が想像する悪魔とは、人の悪しき側面の似姿だ。だとすれば、これは悪魔のイコン。
 黒い天使と白い悪魔とが終末を告げる笛音の中、戦っていた。

「ザラ大佐!」
「シン・アスカ!」

 両機がともにまばゆい光を放つ。ミノフスキー・クラフトの出力を最大にした、ガンダム・タイプにのみ許された光の衣の輝きだ。
 もはやビーム・ライフルのよう等速で直進するでしかない玩具では役立たない。西洋剣を手にしたガンダムメルクールランペはもとよりガンダムヤーデシュテルンもまた、両手にビーム・サーベルを手にしていた。
 2機は高速で激突と離脱を繰り返しヴィーグリーズを作り出していた。資格なき者には踏み入ることさえ許されない決戦の地だ。ヒメノカリスの嘆きもここにある。量産機では追いつくことさえできない高速で衝突場所を変えながらガンダム同士が戦っているのだ。
 そして、剣とサーベルとが激突する。

「ザラ大佐、もうやめるんだ、こんなこと!」
「お前にわかるのか? 100を救おうとして1000に死なれたことが! 愛を持たず創られた絶望が!」

 このわずかな一瞬でまた両機は離れた。次は鍔迫り合いのような悠長な真似はしない。すれ違いざまの一瞬で切り結び、また離れては急接近、再び剣をぶつけ合う。

「だからって次の1000人を見殺しにしていい理由にはならない! 過去に囚われ未来まで殺すつもりなのか、あんたは! あんたが本当にしたかったことは、本当にこんなことなのか!」
「これこそ、偶像の王として創られた俺のすべきことだろう! プラントの、コーディネーターどもの理念を信じると口走る連中を導いてやることがなぁ!」
「それがルナマリアを巻き込んだ理由なのか!?」
「彼女を見たときすぐにわかったよ。絵空事の理想に拘泥して空回りしているとな。俺もそうだった。人を救えると思ってた、戦争を変えられると信じた、あの父にさえいつかは愛してもらえるとなぁ!」

 ヤーデシュテルンの蹴りがメルクールランペを捉え弾き飛ばす。

「だから見せてやった。理想も、未来も、希望もな! 現実だけは見せなかったがな!」
「志を踏みにじられる辛さを知ってるあんたがどうしてこんなことできるんだ!」

 メルクールランペが体勢を崩した隙をヤーテシュテルンは見逃さなかった。ビーム・サーベルをたたきつけるも、そんな簡単な相手であるはずもない。剣で受け止められ、両機は再び、鍔迫り合いの至近距離で互いの視線をぶつけ合う。

「殉じさせてやっただけだ! コーディネーターも、プラントも、この世界も、奴らの望み通りにこのアスラン・ザラが粛正してやろうと言っているんだ、シン!」
「無理心中だ! それは!」

 この2人の戦いを見守るのはヒメノカリスに限った話ではなかった。それぞれのコクピットの中に浮かぶ電子の妖精たちもいる。黒いドレスの水銀燈と、緑の翠星石だ。

「翠星石、あなたも大きくなったものね。パイロットをこうも好き勝手させるなんて」
「アスランは、アスランは……!」

 今にも泣き出しそうな翠星石を、アスランは認めはしなかった。

「敵と戯れるな!」

 離脱する両機はそれから幾度となく衝突し、すれ違い、戦いを激化させていく。
 メルクールランペの一撃がヤーデシュテルンの左足を切断する。ヤーデシュテルンの反撃は黒い天使の左肩を捉え、突き刺し、抉り斬ることで切断する。同時にメルクールランペの脚は鋼の翼の天使の顔面を蹴り飛ばしていた。
 コクピットを揺さぶる衝撃。カメラの損傷に伴うモニターの画質低下が、アスランをさらに苛立たせた。

「お前は存在自体、目障りなんだ! 絶望を知りもしないで希望を語りたがる貴様が! 人はいつまでも争いをやめられない。コーディネーターもただ戦いを激化させる駒でしかなかっただろう!」

 2機は光の塊となって高速で移動し続けていた。もはやいちいち距離をとったお上品な戦い方をしている暇を惜しみ近距離での殴り合いへと移行していた。

「いますぐ愚民どもに叡智を授けられないというなら、俺は殺されるために生まれてくる1000の子のために、100の親を殺してみせる!」
「戦争をすぐに克服なんてできるはずがないんだ! そんな夢みたいな理想掲げたりなんてするから、こんな過激なことしかできないんだ!」
「ならわかっていることだろう! これからも人は人を殺し続けると!」

 互いの一撃は、決定的となった。鋼の剣はヤーデシュテルンの前腕を左右まとめて切り裂き、しかし、ヤーデシュテルンはメルクールランペの手から西洋剣を蹴り飛ばす。
 そして、アスランは、ヤーデシュテルンは距離をあけた。
 両腕と片足を失い、何度もの衝突で装甲には細かな傷がつけれていた。満身創痍でありながら戦意を衰えさせないその様は、重傷を負いながらも笑う、不死身の悪魔だろうか。

「翠星石、よこせ! このアスラン・ザラの手に、鋼の翼を!」

 鋼の翼から放たれるドラグーン。羽根と表現するには鋭く大きなそれは、もはや剣と形容するほかない。
 シンはアスランへと向かって機体を突進させた。その動きを、アスランは読めていた。四方八方をドラグーンに囲まれている状況であればどちらに逃げても同じことだ。ならば、武器を失ったメルクールランペのできることなどあまりに限られている。
 飛び込んでくるメルクールランペを追尾して、ドラグーンが一斉に攻撃を開始した。
 ビームが右足を撃ち抜き破壊する。しかし、直撃とは言い難い。翼に命中したビームは、本来、胴体を狙ったものだった。頭部をかすめたビームは、本当にかすめた程度でしかない。

「なぜだ?」

 動きは読めているはずだった。真っ正面から飛び込んでくるシンのメルクールランペは、必ず躊躇うはずだった。事実、シンはアスランの問いかけに結論を示すことができないでいる。アスランと同様、人を救う方法など知らないのだ。
 ならば、一瞬の迷いが必ず生じるはずだった。迷っているのだから。

「なぜだ……?」

 しかし、攻撃が直撃しない。アスランの想定よりもほんのわずかにシンの動きは速かった。

「どうしてお前は迷うことに迷わずにいられるんだ!」

 ミノフスキー・クラフトが限界を超えた。まばゆい光が黒い鎧を白く染め上げ、天使の拳が悪魔の顔面を捉えた。それは天の御使いにしては少々無骨で、強烈な一撃だった。
 ヤーデシュテルンの体はムスペルヘイムの上甲板へと墜ちていく。背中から叩きつけられたことで翼は根本部分から破断。フェイズシフト・アーマーが機能停止したことで甲板上を転がるヤーデシュテルンはその装甲をまき散らした。そして、アスランは仰向けに停止した。
 翼はすべて引きちぎられ甲板に剣のように突き刺さっていた。上空で機能停止したドラグーンもまた、落下し、突き刺さる。ヤーデシュテルンを中心としていくつもの剣が突き立てられていた。剣など2本もあれば人の手に余る。では、総数で8にもなる剣の林はもはや剣ではない。そう、まるで物言わぬ墓標のように、ガンダムヤーデシュテルンを取り囲んでいた。
 翼を失い人の形を取り戻したガンダムを。



[32266] 最終話「人として」
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/28 22:14
 ジェフ・リブルは慣れた手つきでカメラを操作し、しかし、仕事初日の新米のような表情で不安を口にした。

「これ、映すんですか?」
「当然だ。世界は知らなければならない。今、何が起きているのかを」

 スーツ姿のナタル・ガジルールの後ろでは漆黒の宇宙が広がっている。もっとも、このガラス越しに見える光景は、静寂とはほど遠い。ビームの光が万華鏡のように移り変わり、戦いの激しさを表現していた。

「ナタル・バジルールです。私の本職はジャーナリスト。キャスターではないため拙い様子を放送することをお許しください。現在、世界は危機的な状況にあります。木星圏に存在するハイムダルより送り込まれた軍事要塞ギャラルホルンが地球降下を開始したからです」

 その映像は世界各地で見られていた。

「その内部にはまだ多数の核弾頭が搭載され落下すればその衝撃はもとより拡散する放射性物質によって核の冬が到来することは確実とされています」

 ある者は街頭モニターで、ある者は荒野の難民テントの中で携帯モニターを囲んでいる。

「ですがまだ多くの兵士が落下阻止のために戦っています。みなさまの中には必死に不安と戦っておられる方もいることでしょう。ただ、私の心は穏やかです。私が元軍人だからでしょう。この戦場にはかつての戦友たちがいるからです」

 はるか上空に、戦場に瞬くビームの輝きが見える地域もあった。

「人を信頼するとはどのようなことでしょうか? 誰にだって確実なことなんて言えません。だから私はこう考えます。その人に任せたならどのような結果が出ようと受け入れることができると考えた時、それを信頼と呼ぶのではないでしょうか。私は戦う彼らを信頼しています。多くの方にとって、戦士の知り合いなどおられないことでしょう。それでも、彼らは人々のために戦っているのです。どうか信頼してください。たとえ、この世界が終わるのだとしても」




 ギャラルホルンを迎え撃つため、地球、ザフトその垣根を超えた迎撃戦が繰り広げられていた。
 宇宙に散らばるカオスの残骸。しかし、そこに混ざるストライクダガー、ヅダの残骸もまた決して少なくはない数だった。ゲルテンリッターに数えられるラインルビーンでさえ損傷を積み重ねていた。
 ユグドラシルによる攻撃によってギャラルホルンのジェネシスは破壊され、スラスターも機能を停止している。それでも、すべてが遅すぎた。
 すでにギャラルホルンは地球への降下軌道に入っていた。あとは何もしなくても慣性と地球の重力とに引かれて地球に落ちる。
 ラインルビーンのコクピットの中、真紅は絵でも見せるかのように図面を広げてみせる。ギャラルホルンが地球へと落ちていく軌道予想が描かれていた。

「お父様、計算しました。ギャラルホルンの落下予測地点は北米大陸です」

 そこにはゼフィランサスと我が子がいることを、キラ・ヤマトは当然、思い浮かべた。ギャラルホルンが落ちれば地球全土が破壊される。爆心地がことさら危険とも言い難い。
 だとしても、このまま妻子の頭上に破滅の笛が落ちていく様を見過ごすことなどできるはずもなかった。
 キラは武器を投げ捨てるなり、ラインルビーンをギャラルホルンへと突撃させた。体当たり同然にぶつかり、そのまま押し返そうとしたのだ。無論、いくらゲルテンリッターと言えども巨大な岩石を押し返すほどの余剰推力は保有していない。そんなことは誰にも明らかなことだった。

「すまない、真紅。こんなことに巻き込んでしまって」
「私はお父様のお人形だもの」

 ギャラルホルンはそんなものでびくともしなかった。ただ、ゼフィランサスたちを見殺しにすることができなかった、それだけのことだ。
 ラインルビーンのモニターには無骨な岩肌が目前に映し出されている。これが、キラの目にする最後の光景になるはずだった。モビル・スーツの接近反応を聞くまでは。
 モビル・スーツたちが次々とギャラルホルンへととりつき始めた。キラ同様、押し返そうとしているかのように。

「こんな馬鹿げたことに付き合う必要なんてないんだ!」

 たとえこの宙域に展開するモビル・スーツすべての力を持ってしても落下阻止に成功するかどうかわからない。しかし、モビル・スーツたちは次々と加わっていく。そこに地球もザフトもない。カガリ・ユラ・アスハのカナリーエンフォーゲルの姿もあった。

「地球がどうなるかわからない瀬戸際なんだ。やってみる価値はある」
「カッちゃんやっちゃえ、かしら!」

 地球軍にとって、守るべき地球のために戦うという動機があった。ザフト軍にしてももはや上層部への不信感は確信に変わっていた。地球を滅亡させることまで容認はしていなかったのだ。
 ヴィーノ・デュプレもまた、インパルスガンダムのコクピットでスラスター出力を全開にまで高めていた。

「シン、これでいいんだよな!」

 モビル・スーツたちの捨て身の行動は、新たなスラスターが生まれたかのように束となってギャラルホルンに制動をかけていた。しかし、まだ不十分だった。ギャラルホルンは慣性のまま突き進み、やがて地球の重力の井戸へと落ちていくことだろう。
 多くのパイロットたちが自機の演算システムによって推移の計算をしていたが、誰も、地球滅亡を阻止できた者はいなかった。それはゲルテンリッターであっても変わらない。
 黒い大型ガンダムであるガンダムクライネベーレのコクピットの中で、Lのヴァーリであるロベリア・リマが同様に悲嘆にくれていた。

「みんなここまでやったのに、これで本当に終わりなの?」

 いくらクライネベーレが大型とは言えギャラルホルンの前では誤差にすぎない。ビームを弾いたり、触れずにミサイルを破壊するようにはいかないのだ。

「もう、ブルーノさんもいないのに」

 ギャラルホルンを必死に押し返そうとするスラスターの光へ次々モビル・スーツたちが加勢しようと向かっている。しかし、ロベリアの震える手は動くことはない。
 白いガンダムが飛来したのはそんな時のことだった。

「何とか見つかったな、ロベリアだな?」
「この声って、もしかしてセプテム君?」
「今はレイ・ザ・バレルだ。俺たちドミナントは数字で呼ばれることを好まない」

 すると、この白いガンダムはガンダムローゼンクリスタルだった。サイサリス・パパがゲルテンリッターを参考に開発した機体だ。コクピットにはレイの他、ローズマリー・ロメオへと戻ったサイサリスも搭乗していた。

「それよりロベリア、協力して! ギャラルホルンを押し返すから」
「そんなのどうやって?」
「この機体にも、その黒い方にもミノフスキー粒子に干渉する力がある。それでミノフスキー・クラフトを発動させてギャラクホルンの軌道を変える」

 ローゼンクリスタルがクライネベーレの前に陣取ると、両機の大きさの違いがよくわかる。

「あんなに大きいの無理だよ」
「何も投げ返す必要なんてない。地球に直撃しない程度まで角度を変えられればそれでいいんだから」
「雛苺、やれそう? 成功確率は?」

 クライネベーレのコクピット内を漂う桃色の少女は、戦場にいるとはとても思えない様子で答えた。

「理論上は可能なの。成功確率は、うにゅ~」
「高くはないけどなんとかなるかも、ってこと?」
「システムをシンクロさせて。これが最後の賭になるから」

 コンソールを一心不乱に叩くローズマリーの姿に、レイはいつも通りの皮肉めいた口調で話しかけた。

「ローズマリー、今さら地球を救う気になったのか?」
「他にすることもないでしょ?」

 システム連動は順調であるようだ。しかし、まだしばらく時間を要するのだろう。それこそ、レイの方が暇を持て余すほどには。

「なぜサイサリスを名乗った?」
「話さないとだめ?」
「どうせ暇なんだろう?」
「血のバレンタインの時、サイサリス姉さんに落ちてきた瓦礫に当たったの。その少し前にさ、もしもサイサリス姉さんがいなくなれば私がサイサリスになれるかもって考えた。そして、現実、その通りになった。与えられる研究費や設備だって姉さんとは違ってた。ゼフィランサスとだって。だから私、周りに認めてもらいたくてがむしゃらだった。でも、何したって評価なんてされない。私は、フリークだったから」

 6人のダムゼルと20人のフリーク。腐った種に水を注ぐ者などいない。

「ずるいよね。自分じゃどうにもできない部分で評価されてさ、それがお前の限界だって押しつけてくるの」
「どうしてレーベンズボルン・プランを支持した? お前が唾棄する世界そのものだろう」
「私に政治的信念なんてあるわけないでしょ。プラントが研究開発に都合よかったってだけ。レーベンズボルン・プランのことだって聞かされたの、つい最近だし」

 システムの同調が終わったのだろう。ひときわ強くコンソールを押したところで、コクピット内に2機のガンダムの模式図が表示される。
 そして、ローズマリーはひどく不機嫌な顔をした。

「でも、やっぱり気にくわない。遺伝子がそんなに大切ならATGCって刻んだ鉄板を宇宙に放り投げればいい。それで、人類の恒久存続は約束されるってことでしょ?」




 プラントは、ザフトはすでに限界を迎えつつあった。ゴンドワナ級ムスペルヘイムがすでに轟沈寸前であった。第3エンジンが破壊され、地球の重力に囚われたことで艦体全体にひずみが生じていた。安全であるはずのブリッジにまで床に亀裂が生じ、照明が一部機能していない有様だった。
 そして、外には地球へと降下を続けるギャラルホルンの姿が見えた。
 半壊した玉座の上で、ギルバート・デュランダル議長はただ滅び行く光景を眺めているだけだった。

「行けるところまで行き着いてしまったね」

 すでにこのブリッジは機能を停止。クルーたちは待避していた。残っているのはデュランダル議長のように勧告を無視した者か、あるいはリリーやフレイのような変わり者だけだ。
 そしてもう1人、杖をついた若者が現れた。

「おや、今日は来客が多くてね。お茶を切らしてしまった。それでもよければゆっくりしていってくれないか、ディアッカ君」

 もはやクルーたちは議長のことを気にかけている余裕もないらしい。もっとも、フレイ・アルスターが出歩いている時点でおかしいのだが。それとも、すでにお飾りの議長は役目を終えたのだろうか。

「それで、君の用件はなんだね? フレイ君と同じく、ラクス議員を助けに来たのかな?」
「特に用事なんてありませんよ。ただ、家出娘を探してただけです。リリー、アイリスが心配する。早く帰るぞ」

 リリーはディアッカに駆け寄るどころか、デュランダルの側を離れようとしない。

「でも、アイリスに赤ちゃんが出来たんでしょ! もう、私なんていらないじゃん!」
「どうしてそうなる? 血の繋がりどうこうなら、俺とアイリスだってそんなものないぞ」

 そういえば、リリーには護身用の拳銃の位置を教えていただろうか。議長の椅子、そのちょうど肘掛けの下に、隠しスペースがある。リリーはそこから銃を取り出したのだ。

「おい、そんな物騒なもの持ち出すな」
「もう帰ってよ!」

 さすがに銃を向けることはないものの、リリーは議長とディアッカの間に割ってはいる形で興奮していた。

「ディアッカ君、あまりリリーを困らせないであげてくれないか? 君も薄々わかっていると思うが、リリーは、ヴァーリ、正確にはその技術を再現するために創られた存在だ。もっともリリーただ1人が完成した時点でプロジェクトは凍結。リリーは用済みになってしまった。家族のように接してくれていた研究員たちはそんなリリーを処分することに躊躇いはなかった。偶然、私が引き取ることにならなかったらどうなっていたか、想像したくもない」

 さらに珍しい客がこの部屋へと現れた。白い軍服姿が、デュランダルにはまだ見慣れない。特務艦ミネルヴァが戦闘で大破、ムスペルヘイムに格納されたとまでは聞いていたのだが。

「タリア。これも運命というものなのかな?」
「ギル……」

 リリーにタリア。この2人がそろうと昔のことを思い出さずにはいられない。ただの地方議員でしかなかったギルバート・デュランダルであった時代のことを。

「私はデュランダル家の中では格下でね。レーベンズボルン・プランの話はなかなか聞かせてもらえなかった。だからようやく閲覧が許された時、私は体に電撃が走る思いがしたよ。これこそが、世界が必要としているものだと考えたからね」

 果たして誰に対して語っているのだろう。ここに集った人たちにだろうか、あるいは、自分自身に対してだろうか。

「人は先のことなんてわからない方がいい。果たして、本当にそうだろうか? たとえば、ある男女が愛を育んでいたとする。しかし、2人の間には子どもが生まれないことがわかった。ふたりは別れを選んだ。でも、最初から遺伝子の相性が悪いとわかっていたなら最初から出会うこともなかった。辛い別れを経験する必要なんてなかったんだ」

 最初から出会わなければ別れることもなかった。遺伝子は変えられない。だとすれば、それは運命そのものだ。叶わぬ願いを求めてあがくことほど惨めなものはない。そう、ギルバートは知っている。
 かつて、議長などではなかったギルバートはそれを体験したのだから。

「人は生まれながらにして手に出来るものは決まっている」

 どうしても無理だった。あの頃を思い出してしまう。議長なんて呼ばれていなかった時のことを、議長を演じる前の自分を。かつて別れを切り出すタリアにも激昂した時のように。

「届きもしない葡萄に手を伸ばすくらいなら、地べたに落ちた実で満足すべきなんだ!
それが!」

 銃声がした。胸に火の塊を投げ込まれたかのような焼け付く痛みの中、ギルバート・デュランダルの体は玉座から崩れ落ちた。その目には、呆然とした表情で自分に銃を向けるリリーの姿を映しながら。

「え? 違う! 撃つつもりなんて……」

 自分が何をしたのか、どうしてしてしまったのか、そんなこともわからないまま、リリーは手にした銃を投げ落とし混乱していた。傷つき倒れるギルバートの元へ駆けつけることを忘れるほどに。
 代わりに顔をのぞき込んだのはタリアだった。

「タリア……」
「やはりあなたは私とのことを……」
「……すまない、君のことは今でも愛している。恨み言を、ぶつけるつもりなんてなかった。何度も考えたよ。もしも、君との間に子どもをもうけることができたなら、そういう体だったら、とね。でも、それはかなわなかった……」

 痛みのせいで体を満足に動かせない。それでも、ギルバートは不思議なほど穏やかな口調であった。

「私は、リリーが羨ましかったのかもしれない。実験動物として生まれながらも……、家族を得ようと、自分の運命を乗り越えようとしているリリーが。だから叱られてしまったよ……」
「あなたは理想家でありすぎたの。未来がわかれば人はよりよく生きられるとしても、人は神様ではないの」
「買いかぶりすぎだよ、タリア。僕はただ、自分の置かれた境遇を世界にも見せつけてやりたかっただけなんだ……、きっとね」

 床には、地球の重力を感じさせて血が広がっていた。思わず苦しみにうめいて見せたのは、最愛の女性に心配してもらうためでは、残念ながらなかった。

「ギル!」
「タリア、よく、聞いてほしい。夢破れた私は自害して果てる。間違ってもリリーに撃たれたからではないよ」

 そう、懐から取り出した拳銃を自らのこめかみに当て、ギルバートは引き金を引いた。
 リリーが泣きじゃくりながら駆け寄るも、すでにギルバートは愛する女性の腕の中で息絶えていた。最後のヴァーリがどれほど涙を流しても帰ってくることはなかった。
 しかし死神は涙が枯れるのを待つことはない。
 部屋全体が大きく揺れた。ムスペルヘイムが限界を迎えつつあるのだ。
 手すりにしがみつきながら耐えるフレイ。

「本格的にまずいかも……」

 脱出方法を思案しているうちに、アイリスたちが到着することができた。

「フレイさん!」
「妊婦さんが何こんなところ来てるのよ!」

 心なしか、アイリスのノーマル・スーツはおなか周りに余裕のあるものであるらしかった。

「助けに来たんです! リリー、ディアッカさん!」

 亡くなったプラント最高責任者の前で泣きじゃくるリリーと、それを後ろから抱きしめるディアッカの姿に、アイリスもここで何が起きたのか、だいたいを察したようだった。
 そして、フレイはアイリスの後に続いてアーノルド・ノイマンが入室していたことにも気づいていた。

「フレイ、よかった、無事みたいだ」
「アーノルドさん、もう迎えにくるなら言ってください」
「たまにはサプライズもいいかと思ってね」

 堅物で知られるアーノルドらしくない振る舞いは、彼なりにこの状況を理解してのことなのだろう。あまりに重苦しい別れの場面なのだから。
 しかし、残された人はこれからも生きていかなければならない。どこかでお別れをしなければならなかった。そう、タリアはギルバートへと語りかけた。

「さよなら、ギル」




 ローゼンクリスタルとクライネベーレ。2機のガンダムの周囲には粒子が光の帯となって漂っていた。それは四方に触手を伸ばし、迫り来るギャラルホルン表面で光の膜となって合流していた。
 見る分には美しくとも強力な力の奔流である。その中心に位置する2機は小刻みな振動にさらされていた。

「ロベリア、機体を維持しろ。ここで弾き出されてしまえば終わりだ!」
「やってるって!」

 ギャラルホルンを押しとどめるモビル・スーツたちも限界を迎えつつあった。
 両腕で押し返そうとスラスターを全開にしている。その状態で腕部が破損すれば機体を支えられず落下し続けるギャラルホルンへと自身のスラスターの勢いのまま叩きつけられることになる。
 1機のヅダが体勢を崩した。隣のウィンダムがとっさに手を伸ばすも間に合わず、堅い岩肌に叩きつけられたヅダが転がりながら砕かれ爆発する。
 ローズマリーがコンソールを叩いた。

「だめ! どうしたって計算があわない! ミノフスキー粒子の濃度が規定値に達しない!」

 ギャラルホルン落下まで、あと30分を切っていた。




 その夜空には、落下してくるギャラルホルンの姿が、ミノフスキー・クラフトの輝きの中、浮かび上がっていた。もっとも、それを見上げるマルキオ導師に見えていないが。

「子どもたちはどうしました?」

 隣にいるのはかつてアーク・エンジェルにも乗艦したミリアリア・ハウだった。

「みんな怖がってました。でも、泣き疲れて寝ちゃって」
「ありがとう、ミリアリア」
「マルキオさん、世界は、どうなってしまうんでしょう? ナタルさんのお話じゃ、あの小惑星、プラントが造ったものだって。人を滅ぼすのは、やっぱり人なんですね」
「私は、人の本質とは秩序と善意なのだと考えます。そうでなければ国家なんてものは誕生しなかったでしょうから。ただ一握りの悪意がそれを歪めてしまうのです。水にひとつまみの泥を混ぜただけで泥水になるように」
「だとしても、水自体がなくなってなんかいない、ですよね?」
「信じましょう。この泥にまみれた世界であっても残る、人の心の光を」




 カオスの部隊は世界各地に展開していた。ギャラルホルンを破壊する可能性のある兵器、ユグドラシルの危険性に早くから気づき、その破壊工作を行っていたのだ。
 しかし、ハイムダルにも誤算があった。それは、人の激しい抵抗、そのものである。
 破壊されたカオスの残骸の前で地球とザフトの軍人とが肩を抱き合い喜びを分かち合う光景があった。
 旧式の戦車に腰掛けた古参兵たちは思い思いの酒瓶を傾けていた。
 都市で、森で、山で、砂漠で、人々は戦い、諦めず、そして今なお戦い続けていた。
 空から、破滅の星が落ちてくると知りながらも。
 そして、アフリカ大陸ビクトリア基地でも人類の最後の戦いが続けられていた。すでに多くのユグドラシルが沈黙、機能を停止する中、この基地に最後の1基が残されているのだ。カオスもまた残存勢力のすべてをここに集中していた。
 炎によって大地は見えず、煙は空を覆う。そのような激戦を、赤い切り裂き魔と砂漠に住まう狐とが肩を並べていた。
 切り裂きエドの通り名を持つエドワード・ハレルソンはそのイクシードガンダムの大剣を力任せに振り下ろした。両手それぞれの剣がカオスを切り裂き、オイルが返り血のようにイクシードに張り付いた。
 砂漠の狐はマーチン・ダコスタ司令代行の二つ名だ。猟犬を思わせるモビル・アーマー形態へと変形したヒルドルブがカオスの作り出す弾幕の中を疾走する。その勢いのままカオスへと飛びかかると、ビームでできた牙を深々と突き立てた。
 そして、両機は背中合わせとなって次々飛来するカオスを待ちかまえる。

「切り裂き魔、一つ聞きたい。ここのユグドラシルは本物なんだな?」
「ああ、シャトー・ムートン・ロートシルトの73年ものだ。とっておきだぜ」
「その年は歴史的不作と聞いたが?」

 ユグドラシルの発射が近い。天蓋が開かれ、発射口が露出する。カオスにとって、これは最後の好機であった。カオスたちが一斉にユグドラシルへと向かっていく。戦術も何もない。ただ最短距離を飛行しているだけの挙動では、次々と撃ち落とされていく。
 それでも、カオスはひるむことはない。まさに世界樹へと群がる虫の群だ。防衛網を突破したカオスたちが発射口へと飛び込んでいく。
 人は追撃の手をゆるめてしまった。すでに発射が近い。追いかけること自体、地獄の釜に自ら飛び込むことに等しいからだ。
 しかし、地獄の釜の中、カオスが次々切り刻まれていく。
 すでにチャージによる発熱と発光が始まっている巨大な縦穴の中、切り裂きエドだけは喜々として飛び込んでいたのだ。

「チャージ完了まで3分を切りました! 隊長、待避を! 間に合わなくなります!」
「そんなタイミングだからこそだろうが!」

 そして、カオスは上空からの攻撃にもさらされていた。ヒルドルブがビームを放ちながら地獄へと舞い降りていたからだ。無論、砂漠の狐の機体である。

「砂漠の狐、そんなに付き合いのいい奴とは知らなかったな。飲み会には一度も顔出さなかったろ?」
「家庭持ちから家族との時間を奪うような真似はしないことだ」
「ちゃんと生きて帰ってやれよ、パパさん」

 残り数分、わずか数分。人類の存亡を賭けた戦いが、まるでポケットの中ほどにも思える戦場で繰り広げられた。
 あふれ出した光が、柱となって天へと昇っていった。
 そんな光の柱を背に、砂地を歩く2人のパイロットの姿があった。
 ヘルメットを無造作に投げ捨てたエドワードはそのまま寝転がり、その隣にマーチンが腰掛けた。

「あ~、冷えビールを頭から浴びたいぜ」
「これで地球は救われるのか?」
「さあな、後はお願いするだけさ。神様、俺たちは人としてできることは全部やりました。粋に感じてくれるならほんの少しでいいので、お助けくださいってな」

 そう、胸元から取り出した十字架を、光の柱に透かしてみせた。




 空を駆ける光。それを世界中の人々が目撃した。奇妙な話だ。ユグドラシル自体、これまでに何度かの発射を終えている。それでも、人々は空を見上げたのは、戦いが終わり、ようやくそれだけの余裕ができたからだろう。
 まもなく世界の終わりが近づいている。にも関わらず、人々は不思議と束の間の勝利を喜び、仲間とその心地よい疲れを味わっているようだった。
 世界の滅びなんて想像もできないのだろうか。それとも、どこかで確信しているのかもしれない。誰かが戦って、諦めず、勝利を掴んでくれることを。自分たちがそうしたように。
 ある離れ小島の海岸に、ディーヴィエイトガンダムに背負われた大破したセイバーガンダムの姿があった。そのすぐ脇にはインテンセティガンダムが鎮座している。ハイネ、ジェーン、そしてスウェン。3人が焚き火を囲みながら空を横切る光を見上げていた。
 彼らもまた、そんな、人を守るために戦った戦士たちだった。
 戦士たちによって灯された希望の火は、戦士たちに見送られ、そして、今なお戦う戦士たちのもとへと届けられた。
 ギャラルホルンの落下を阻止しようとする最後の戦士たちへと。
 ユグドラシルの光はギャラルホルンの遙か前方を通り過ぎていった。
 指令塔であるガーティ・ツーを守るアウル・ニーダは愕然とした顔をしたが、コントロールを担当するステラ・ルーシェは信じていた

「外れた、のか?」
「大丈夫、きっと、大丈夫」




 ユグドラシルの通り抜けた軌跡、そこにはいつまでも光が残り、消えることはなかった。それどころか、集まり、集い、高めあっていくように光が粒子となって、粒子が群となって輝きを増していく。
 ギャラルホルンを包む光と結びつくと、それは一斉に流れへと変わっていく。
 光の道ができあがっていた。
 レイ・ザ・バレルには何が起きたのかわからなかった。

「何が起きた!?」
「巨大ビームの軌跡がそのままミノフスキー・クラフトの、力場の道になってる」

 ローズマリーはすぐ再計算にとりかかった。

「レイ、ロベリア、このまま続けて! もしかすると、いけるかもしれない!」

 最後の力を振り絞る、そんな慣用表現を使うとすれば、まさにこの機会に他ならない。レイも、ロベリアもまた、機体を揺り動かす奔流に耐えていた。
 この流れが、人々に最後の希望を与えたことは間違いなかった。
 ギャラルホルンを押すモビル・スーツたち、その全パイロットが自分たちを包む光が流れとなって導いてくれていると感じていた。誰もがその流れへと向けて自機に残された最後の推進剤に火をつけた。
 まばゆい輝きは、地上からでも確認できるほど明るく、力強い。ギャラルホルンが大きく軌道を曲げ、最後の一押しを地球が添えた。分厚い大気を突き破るには、変更されたギャラルホルンの入射角では浅すぎた。ギャラルホルンは地球の大気の上を横滑りしながら光に導かれ続けていた。




 朧気な意識の中、アスラン・ザラは焚き火を囲んでいた。向かい側には髭を生やした軍人の姿がある。その人は、何も話してはくれない。

「……モーガンさん、俺は、天使になりたかったんです。戦争で死ななくてもいい人を助けて、人殺しの理屈を理念とか理想って美化する人たちを諭せるような」

 そんな希望に疲れてしまったのはいつからだっただろうか。何もできないまま目の前で死んでいく人たちを見送るうち、誰1人諭せないまま耳元で人類の未来を聞かされる度に。
 いつの間にか、自分こそが奪う側に変わっていた。理想をあざ笑う側になっていた。

「俺は、悪魔になりたくなんてなかった。なのに……」

 天使のように生きることなんてできなかった。
 アスランの瞳からは涙が止めどなく流れた。
 これは夢だ。かつて、アスランが悪魔のようになることはないと言ってくれた戦士は何も語ってはくれない。ただ話を聞くだけの都合のいい存在と化していた。それでも、モーガン・シュバリエは笑顔を見せてくれた。かつてアスランの腕の中で息を引き取った時と同じように。
 目覚めた時、モニターさえ剥がれ落ちたコクピットの中にいた。翠星石が心配そうにアスランの顔をのぞき込んでいた。

「俺は、負けたんだな。ドミナントとして生まれた俺が、ただのコーディネーターに勝てなかった……」

 レーベンズボルン・プランは、どうやら破綻した計画であったようだ。

「翠星石、地球はどうなった?」

 翠星石の操作で、全天周囲モニターがギャラルホルンの今の様子を映し出す。それは、美しい光景だった。光の粒子に導かれ、巨大な要塞が徐々に地球から離れていく。それを見送るのは、地球軍でもザフト軍でもない、ともに戦った人々だった。

「奇跡が起きたのか?」
「人が、みんなが戦って、願って、守ろうとしたんだ。それを奇跡とか、神秘だとか、安っぽい言葉で片づけちゃいけないんだ」
「だがな、シン、こんな光を見せる人が、それでも人を殺すんだ」

 しかし、殺し合うはずの人が互いを助け世界まで救ってしまった。
 夢の中に置いてきたはずの涙が、ヘルメットの中でアスランの頬を伝った。

「どうして今さら、こんなものを見せるんだ」

 人に対するあらゆる希望は捨てたはずだった。なのに、この光には、人にはまだ可能性が残されているのではないかと感じずにはいられなかった。あらゆるものを踏みにじって行き着くところにまで行き着いたつもりが、ただ同じ場所を堂々巡りしていただけだというのはあまりに残酷だ。
 大破したガンダムヤーデシュテルンのすぐそばに、突き刺さるようにペルグランテが墜落した。こちらも星の突起を破壊され傷だらけの有様だ。
 コクピット・ハッチが開かれると、ノーマル・スーツ姿のラクス・クラインがシートに腰掛けたままのアスランの胸へとそっと顔を埋めた。

「ラクス。迎えに来てくれたのかい?」
「ええ、アスラン。私たちは、歴史の過ちとして消えていくべきなのです」

 外へと導こうとするラクスに手を引かれ、アスランはコクピットの外へと出る。地球の重力を感じながら、ラクスがここへ降りるために用いた乗降用ロープに足をかけ、ラクスを抱きしめながらペルグランテのコクピット・ハッチまでたどり着いた。
 ムスペルヘイムの上甲板に座るガンダムメルクールランペへと、正確には通信を用いて声を張った。

「シン。未来は任せた。どんなものでもいい、どんな形でもいい。明日を繋いでくれ!」

 そうして、2人は抱き合いながらペルグランテのコクピットへと入った。

「だめですよぉ、アスラン。こんなのだめだめでうぅ」

 翠星石の泣き声が聞こえる。直接、ヤーデシュテルンを操作しているのだろう。切断され、すでに存在しない手を、それでも必死にのばして離脱しつつあるペルグランテを止めようとしていた。
 もう、今のペルグランテにムスペルヘイムから離陸する力はあっても、地球の重力を振り切る力はない。
 アスランの腕の中で、ラクスはふとこんなことを問いかけた。

「ねえ、アスラン、生まれ変わりを信じますか?」
「君は信じたくないんだろ?」
「はい、創られた体に刻まれた使命なしに私と言う人間は存在を許されません。道具である私しかいないのです。何度生きても、生まれ変わっても。こんなのは、魂の牢獄です。だから、シン君とヒメノカリスが、私は羨ましかった。シーゲル・クラインに運命さえ与えられてしまった私と、エインセル・ハンターに何も与えられなかったシン君たちが」

 アスランを抱きしめる手に、ラクスは力を込めた。

「私は時々考えました。もしもユニウス・セブンでエインセル・ハンターが私とあなたも連れ出していたならどうなっていたかと」
「君がエインセルの娘になって、俺は弟になるのかい? 悪くないな。それならプラント相手に、レーベンズボルン・プランなんて間違ってると怒鳴り込んでやれた」

 キラのようにエインセル・ハンターの弟としてファントム・ペインを率い、人を救うために戦えただろうか。それとも、ラクスがヒメノカリスとアイリスの2人とようやく、本当の姉妹になれたのだろうか。
 すでにペルグランテの周辺では赤熱が始まり、モニターには限界温度に接近しているとアラームが表示されている。

「そろそろ、眠りましょうか、アスラン?」

 そんな寝ぼけ眼を揺さぶって、衝撃がペルグランテを揺らした。

「だめだ、こんな終わり方!」

 メルクールランペがとりつき、ペルグランテを押し上げようとしていた。

「シン、もういいんだ。いくらゲルテンリッターでもその状態で持ち上げることなんてできない。それに俺たちは、もういいんだ」

 シンも限界と思えば離脱してくれることだろう。アスランとラクス、2人はアラームを子守歌に長い眠りにつけばいい。それだけのこと、そのはずだった。異質なアラームが入り込むまでは。
 モニターの表示はシステムの再起動と再構築が同時に進行中であることを示していた。深刻なエラーが生じことでシステムが自働でアップデートを開始していた。その際、非攻撃設定が初期化されてしまう。

「離れなさい、シン・アスカ! システムが再起動しました。ペルグランテは、より完璧にエインセル・ハンターを演じようとします!」

 ラクスはアスランの膝の上からコンソールを操作しようとする。しかし、進行度を示すバーの勢いはまるで減少する気配がない。

「システムが操作をうけつけない……」

 ペルグランテはエインセル・ハンターとなった。
 スラスターが始動。急制動をかけながら回転することでメルクールランペを意図もたやすく弾き飛ばした。もはや光の翼も機能していない。ヒメノカリスのウィンダムに受け止められるまで体勢を取り戻すことさえできなかったほどだ。
 そして、ペルグランテは体勢を立て直し、コクピットを上空へと向けて射出した。
 フレイを乗せたアーノルド・ノイマンのディーヴィエイトがペルグランテを追跡中、モビル・スーツの手のひらに収まるほどのコクピット・ブロックを捉えた。

「緊急脱出装置? ラクスよね! アーノルドさん!」
「わかっている!」

 コクピットを優しく包み込むように確保するディーヴィエイト。
 ペルグランテは動かなかった。アスランとラクス、2人が助けられたことを見届けるようたかのようにスラスターを静止、そのまま、地球へと再び落ちていた。

「シン、一体何があったの?」
「エインセルさんが、2人を助けてくれたんだよ」

 燃えていくペルグランテを眺めながら、シンは戦いの終わりを予感していた。
 水銀燈はあくまでも冷静だったが。

「そんなのシステムの誤作動にすぎないわ。より完璧なエインセル・ハンターの戦い方を再構築する際、誤って行動さえトレースしてしまっただけよ」
「システムの誤作動だったとしても、エインセルさんがここにいたならふたりを助けてくれたことに変わりはないだろ?」

 水銀燈もその点を否定することはなかった。
 不完全な機械の気まぐれか、死しても残る人の思いか。どちらにしろ、この世界は、まだ人を必要としているらしかった。

「エインセルさん、世界は、あともう少しくらいは頑張れそうです」




 足かけ15年にも及ぶコーディネーターとの国家、プラントとの戦争は、プラントの解体という形で幕を閉じた。ハイムダルとの戦いで国土を大きく疲弊させ、レーベンズボルン・プランにまつわる顛末はコーディネーターのアイデンティティを大きく傷つけてしまったことが大きな理由である。
 もはやコーディネーターは自ら国を維持する力も思いも、もう残してはいなかった。
 果たして人類にとってこの戦争はどのような意味があったのか、歴史にゆだねるまではなくとも、一朝一夕で決められることでもなかった。トーク番組にある2人が呼ばれたのも、その流れであった。
 司会者の男性アナウンサーの向かいに2人の男女が座っている。

「この度はこのお二方にスタジオに来てもらいました。ご紹介しましょう、ナタル・バジルールさん、ケナフ・ルキーニさんです」

 2人は思い思いのやり方で頭を下げた。

「ナタルさんはジャーナリストとしてプラントの国内情報などを主に発信されていました。また、かの伝説的な軍艦であるアーク・エンジェルの2代目艦長を努めておられました。しかし戦争のさなか、その船ごと……」

 思わずアナウンサーが言いよどんでしまう。しかし、ナタルは堂々とした姿勢を崩さなかった。

「私は2度にわたって軍属を変えました。いえ、寝返った、と言った方が状況としては適切でしょう」
「どのような理由があったのですか?」
「ただ、目の前の出来事に必死であっただけです。サイクロプス、ジェネシス、両国が製造した大量破壊兵器を前にどう行動すべきか、その場で悩み選択した結果でした」
「後悔はありませんでしたか?」
「山ほども。思い返せば失敗だらけです。それでも当時の私にはそれが限界でした。限られた情報の中、よりよいと考えたものを選ばざるを得なかったからです」
「それが、ジャーナリストを第二の道に選んだ理由ということですね。では、ギャラルホルンの地球降下を放送したこともその信念故でしょうか? 賛否両論、激しかったと思いますが?」
「その通りです。たしかにパニックを招いてしまったことはあるかと思います。だとしても、正しい情報こそが選択の大前提なのです。自身が大病を患っていると知らない人は、病と闘うことなんてできません。ギャラルホルンは単なる自然災害ではありません。これまでの人類の歴史の中でたまりにたまった宿痾、それがひとまとまりに噴出したものではないでしょうか? ただ落下してくる小惑星は破壊され、人類は救われた、それで終わっていい話ではないのだと、私は考えます」

 アナウンサーは次の人物へと紹介を移した。

「では、ケナフ・ルキーニさん、この方、プラントのジャーナリストで失礼ながらご存じの方はあまり多くないかもしれません。しかし、この本をごらんになった方は多いのではないでしょうか?」

 そう言って取り出されたのは1冊の本だった。表紙には同じ顔をして、それでも色とりどりの髪をした少女たちが並んでいる。

「ブルーメン・ガルテン。一躍時の人となったヴァーリと呼ばれる少女たちをテーマとした、ベスト・セラーです。この作者が、何を隠そう、このルキーニさんなのです」
「入魂の一冊だよ。今ならジャングルでセール中だ。ぜひ、お買い求めを」
「しかし、ただの写真集ではないかとの批判もあるようですが……」

 アナウンサーが開いたページには写真が大きく紙面をさき、解説が最低限にとどまっている様がよくわかった。

「当然じゃないか。これは彼女たちの美しさを後世に残すためのものなのだからね。特に見て欲しいのは45ページの見開きだ。ヒメノカリス・ホテルとゼフィランサス・ズールのツー・ショットはこのままサン・ピエトロ大聖堂に飾られてもおかしくない。エインセル・ハンターは本当にいい趣味をしている。ぜひとも夜通し酌み交わしたかった」

 45ページをカメラに映る形で開いた後、さすがのアナウンサーは釘をさすことも忘れなかった。

「ルキーニさん、カメラの前なので」
「じゃあ、話を進めよう。君は優れたジャーナリストとはどんな人だと思うかい?」
「そうですね」

 アナウンサーが口にする前に、ルキーニは手で制止する。

「おっと、そこまでだ。聞いておいて悪いが、君の意見など何の価値もない。それを決めるのは権力者だからね。でもただこれじゃあ、つまらない。権力者の気持ちになってくれ。どのような圧力にも屈せず民が本当に必要としている情報を提供ジャーナリスト。それと、ジャーナリズムを単なる商売としか考えていないジャーナリストでは、どちらが優れた、いいや、権力者に都合のいいジャーナリストだと思うかい?」
「レーベンズボルン・プランならば遺伝子の名の下、権力に不都合な人間を排除できた、ということですか?」
「何、デュランダル政権に潰されたちっぽけな新聞社の恨み節だ」

 カメラの画像は、会場のモニターにも映し出されていた。そこには、ゼフィランサスとサイサリスの姿がある。まるで、姫君か妖精が戯れているかのようでもある。

「ヴァーリは美しいよ。だが、いつまでも少女ではいられない。レーベンズボルン・プランのことを聞くと、僕はいつも疑問に思う。スポーツ選手に適性があると判断された人物は、40歳、50歳となった時、どうするんだろうね。肉体は衰える。怪我だってする。でも、遺伝子は変わらない。じゃあ、スポーツに適性を持つ人はプロ契約ができなくなった時に死を義務づけるかい?」

 所詮は、レーベンズボルン・プランも社会も国も、人がより生きやすくするための仕組みであったはずではないか、そうルキーニは述べた後、たとえ話で締めくくった。

「絵を飾るための額を手にした。ところが、額が小さすぎた。じゃあ、額にあわせて絵のほうを切ってしまおうか? レーベンズボルン・プランは完璧な計画だった。人が老いも怪我もしないのであればね」

 アナウンサーはもう1人の意見も聞くこととした。

「ナタルさんはどうお考えですか?」
「私が軍人として感じたことは、絵に描いたような悪人などいない、ということでした。誰もが国を守る、仲間を守ると拳を振り上げているだけでした」
「それは両軍とも、ということですか?」
「はい。ザフトは地球軍を、ユニウス・セブンを焼いた悪魔と表現します。地球はザフト軍をエイプリルフール・クライシスを引き起こした悪魔としました。結局、相手を同じ人間として見ていないことは変わりありません。戦争は悲惨です。だからこそ、戦争は起こるのです。このような悲惨な目に遭いたくなければ戦うしかないと思いこむからです。ただ、仮にどこかで、地球やプラントのどちらかが思いとどまることができていたなら、戦争はここまで激化しなかったとも思えるのです」
「私事で恐縮ですが、私もエイプリルフール・クライシスで友人を亡くしました」

 アナウンサーは努めて平静を装っていたが、不快感がにじんでいた。明らかに目元から表情が失われたからだ。
 コーディネーター20万人の命のあがないに、ナチュラルが10億人必要だと言われて気をよくする地球人はいないことだろうから。

「プラントが不幸であったのは、コーディネーターという概念そのものが優生思想の産物であり、選民思想と結びつくことはもはや論理必然といえることです」
「もしもプラントがコーディネーターの国でなかったとしたなら、エイプリルフール・クライシスは起こらなかったと思いますか?」
「わかりません。ただ、もしもプラントに、核攻撃が地球の総意ではないと信じる勇気があったなら、ここまで被害は出なかったと考えてしまいます」

 歴史家の誰かが言い出せば、この戦争こそが第三次世界大戦に位置づけられることだろう。250年ぶりの大戦は、コーディネーターの誕生によってもたらされたことになる。
 果たしてコーディネーターとは、人類の未来の担い手といえるのだろうか。
 少なくとも、ナタルの結論はそれとは別の場所にあった。

「もしも戦争を根絶できる新しい人類が生まれたとしたなら、それは人より優れた力を持つ者たちでもなければ、超能力を使うことのできる人のことでもありません。人の愛を信じる勇気を持つ人々のことだと私は思えてなりません」




 プラントの解体は、想像されていた以上にスムーズに行われる運びとなった。建国から半世紀にもならないプラントには地球出身者も少なくなく、また、各地から移民を受け入れていたことも幸いした。内在する4割を超えるナチュラルの存在が公然となったことで、プラントの特殊性も独自性も失われた。皮肉にも、そのことがプラント市民の地球帰還を容易にしたのである。
 しかし、誰もがプラントの消滅を納得した訳ではなかった。
 オーブが所有する人工衛星基地アメノミハシラの宇宙港には出発を待つシャトルが並んでいた。数年がかりで木星へと向かい、ハイムダルを解体することを目的とした船団だ。そのメンバーには、少なくないプラント出身のコーディネーターが含まれていた。
 キラがゼフィランサスを伴って訪れたのは見送りのためだった。

「長い旅になりそうだね」

 アスランとラクスの2人は、船団への参加を決めていた。

「ああ。ハイムダルは戦力の大半を喪失したはずだが、まだ機能は健在なはずだ。何かおかしな行動を起こされる前に解体しておく必要がある」

 待合い室の窓の外には、シャトルがすでに出発準備を終えていた。

「また今度、アスラン兄さん」
「ああ、そういえば2人は末子同士のカップリングだったな。なら俺は地球に帰ってきたらアリュームでも口説いて……」

 アスランが思わず言葉に詰まったのは、背中にラクスの冷たい視線を感じたからに他ならなかった。しかし、すぐに聞こえてきた怒鳴り声にそうした感傷もかき消されてしまう。
 離れた搭乗口で、ルナマリア・ホークが人目のはばからず怒鳴り声をあげていた。

「私たちは間違ってたから負けたんじゃない! ただ弱かっただけ! だってそうでしょ。一人一人が自分の役割を自覚して自分の使命を全うすれば社会は確実にいいものになるはずよ! 障がい者に年間どれだけお金がかかってるか知ってる!? そのお金で社会はもっと発展できる! よりより社会になれる! 老人だってそう! いなくなれば社会補償費を節約できるか!」

 見送りに来ていたのはシンとその横に立つヒメノカリスの2人だった。妹であるメイリン・ホークの姿はない。フレイでさえラクスの見送りに来ていたにも関わらずだ。

「ルナマリア、君や君の大切な誰かが切り捨てられるかもしれないんだよ?」
「仮定の話はしたくない!」
「君が求めているのはいい社会なのかい? それとも、自分に都合のいい社会なのかい?」

 ルナマリアは不機嫌な様子を変えることなく歩き出した。こんな地球からは一刻も早く離れたいのだろう。事実、プラント国内の急進派の多くは船団に参加していた。一部には島流しと揶揄する向きもあるほどに。
 そんな様子を眺めていたのはアスランたちだけではなかった。
 車椅子姿の男性、サトーもその1人だった。一度はルナマリアの姿を見かけたものの、その声が聞こえてきた時に隠れるように方向を変え、その声に背中を押されるように離れていったのだ。その両足は、膝から下がなくなっていた。
 それはアスランとラクス、2人の罪の証であったのかもしれない。2人の旅路は平坦に終わることはないことを、ラクスもまた自覚していた。

「キラ、ゼフィランサス。ハイムダルを解体したら帰ってきます。その時は、迎えてあげてください」

 シャトルが木星へと旅立ち、待合室にはシンとキラ、ヒメノカリスとゼフィランサスが残される。

「シン、あのルナマリアって子は?」
「外人部隊の時の同僚だよ。でも、それ以上の存在には、なってやれなかった」

 戦争はたしかに終わった。しかし、その匂いはすぐには剥がれてはくれないのかもしれない。




 アメノミハシラには宇宙を見渡す展望ブリッジがあった。その場所の中心には、この戦争で命を落とした13億の人々のための慰霊碑が置かれ、献花台に花が絶えなかった。
 地球に残ったヴァーリやドミナントに見守られる中、シンとキラの2人が花を供えた。

「この戦争って、いったい何だったんでしょう? ただコーディネーターなんて創らなくてもいいもの創って、そのために争うなんて空しいだけですよ」
「そうだね。人は変わらない。でも、それは悪いことだけじゃない。エインセル・ハンターの夢は何だったと思う?」
「ヴァーリ全員にドレスを着せること、とか?」

 シン自身は真面目なつもりだっただろうが、キラは思わず笑みをこぼした。

「あり得ない話じゃなさそうだけど、僕に語ってくれたことは驚くほどありふれたものだったよ。子どもが、欲しかったんだ」

 つまり、家庭を望んだ。

「それは考えれば矛盾だ。エインセル・ハンターはドミナントだ。いわば究極の遺伝子を持つ彼が子どもをもうけたとしても半分の遺伝子しか引き継がない劣化コピーになるはずだ。せっかく完成した遺伝子をみすみす手放すことになるんだ」
「それって、性というシステムそのものの問題じゃないですか?」
「でも、エインセル兄さんはそんな不完全な方法を捨てられなかった。レーベンズボルン・プランの完成形とも言うべき男だって、人であることを捨てなかった。それでレーベンズボルン・プランがうまく行くはずがないと思うんだ」
「今回の戦いも、ちょうどそんな感じでしたよね? 人に問題があるなら人を滅ぼせばいいって考えて、それでも、人は生きようとして……」
「だからこれからも、人を人としないような何かが登場したとしても、人は立ち上がれると思う」
「エインセルさんは、もういないのに、ですか?」
「エインセル兄さんなんていつの時代にだっていなかったよ。以前、2度の世界大戦が起きて、原子力爆弾が開発された。キューバ危機もあったし、スリーマイル、チョルノービリ、フクシマ、2137年の香港島原発事故はいまだに核爆弾が使用された疑惑が拭い切れてない。それでも、人はいくつもの危機を乗り越えてきたんだ」

 核兵器が戦争で使用されて今年でちょうど270年になる。ではその間、一度も世界は危機に陥らなかったのだろうか。そんなことはなかった。それでも、人はまだ滅びてはいない。

「エインセル・ハンターなんて世界は必要としてない。エインセル兄さんじゃなくてもいいんだ。僕や君にだってできるはずなんだ。君にもそんな気持ちを忘れないでいてもらいたいんだ」

 握手を求めるキラの手を、シンもまた握り返した。
 今後、世界がまた誤った道を選択しないとは誰も保証できない。そんな時、誰かが立ち上ることは約束しよう。人はそうして、必死に歴史をつないできたのだから。



[32266] あとがき
Name: 後藤正人◆f2c6a3d8 ID:3690c17b
Date: 2023/10/28 22:17
 一度は凍結していたように見えた劇場版が息を吹き返すほど、長い時間をかけてしまったBlumenGartenもようやく完結しました。もともとは「小説家になろう」の二次創作専門チャンネル「にじファン」で完結したものを、ほぼフルリメイクで書き直したのが今作になります。当時不満であった点を重点的に改めることができた点には満足しています。それもすでに10年前の出来事で前作をご存じない方も多いと思いますが、前作はSEED編のみを予定していたため、急遽、Destiny編を執筆しようとしたことで無理が出てしまいました。それが、プラント側の主要人物、アスラン・ザラ、ギルバート・デュランダル、ラクス・クラインなどの描写の薄さに繋がってしまっていて、そのあたりの描写の強化が主な目的だったのです。
 ただ、この10年でやはり感じたのは、自分の中におけるガンダムというものに対する熱が冷めていったことでした。そもそも、自分がガンダムという作品に感じていた、魅力やメッセージ性が、昨今のガンダムから感じられず、新作が出る度に期待を裏切られ続けてきたからです。約4年にわたって執筆が滞ったのも、言い訳にはなりますがそのことが理由に含まれます。

 では、私の求めてきたガンダムとは何か?

 それは、人に対する深い絶望と、それでも捨てきれない希望の物語です。

 ガンダムにおいて描かれるのは戦争です。それは人が宇宙にまで歩みを進めて続けられる人類の宿痾です。富野監督は戦争を経験した世代であって、その愚かしさを体感してきた人のはずです。そんな人が、人はどこまで行っても戦争をやめられないと描くこと事態、人に対する深い絶望を感じさせます。
 しかし、同時にガンダムにはイデオンに代表されるような他の富野作品にはない、希望のある終わり方が特徴です。
 「ガンダム」ではホワイトベースのクルーを人の心の繋がりが救ったように、「逆襲のシャア」では心の光が地球さえ救ったように。
 富野監督という人物は、人に一切の希望なんて抱いていないのです。ただそれでも、この人の中には、自分でさえ理解できない、得体の知れない希望が眠っています。人類なんてどうしようもない、それでも、なぜか、心のどこかで期待を捨てきれない、そんな葛藤がガンダムからは感じられます。
 シャア・アズナブルはアムロ・レイに対して、「人類に叡智を授けて見せろ」と問いかけ、しかしアムロは具体的な方法を明示しません。富野監督自身、人がどのようにして戦争をやめられるのかわかっていないからです。
 だとしても、富野監督は、人はいつか戦争をやめられるのではないか、そう考えています。自分でもその理由がわからないまま。
 では、このことをテーマに作品を描くとしたら、それはどのような形になるでしょうか?
 ここで、富野監督は嘘をつきました。「ニュー・タイプ」という荒唐無稽な存在を頼ったのです。人がニュー・タイプになれば互いに分かり合い、戦争を捨てることができると嘘をついたのです。
 ただ、実際、そうでしょうか? たとえば、ある神秘の薬草を巡って2人の人が出会いました。2人はニュー・タイプです。お互いに大切な人のため、あと1人分しか残されていない薬草を必要としていたのです。そのことを、2人はお互いに理解しました。さて、どうなるでしょう? お互いがお互いに、「君は私に事情を理解してくれましたね。では、譲ってくれますよね?」と言って薬草に同時に手を伸ばすのではないでしょうか?
 相手のことを理解できることと、相手を思って行動できることは別の話なのです。
 富野監督はニュー・タイプが人類を救うなどこれっぽちも考えていません。単に自分の中の得体の知れない人類に対する希望、それをアニメ的に強引に表現したにすぎないからです。
 富野監督はガンダムの続編制作をいやがったという話も聞こえてきます。これが事実なら、その理由の一つは、嘘がばれるからでしょう。いいえ、ニュー・タイプの嘘を描かなければならなくなるからです。
 ガンダムゼータでは、その点が徹底していました。平和の担い手であるはずのニュー・タイプ、それを人工的に作り出した強化人間は平和どころか完全な戦争の道具でした。シロッコは優れたニュー・タイプであるその相手のことを理解できる能力を、自身のサディズムを満たすためだけに利用しました。カミーユ・ビタンとハマーン・カーン、この2人は精神感応によって互いを完全に理解した結果、戦いは激化しました。ハマーンの触れられたくない心の傷に、カミーユが土足で踏み込んだからです。
 このように、富野監督による凄惨な子殺しが行われたのです。
 実際、ニュー・タイプが何か平和に貢献するでしょうか?
 相互理解と言います。私には、これがひどくおぞましい概念に思えてなりません。人は何か理解する際、理解できないものを必ず自分よりも下位のものと置換して把握しようとします。「訳わかんねえ!」という言葉が、自分の理解を超えたすばらしいものに対するほめ言葉に使われることはありません。「南蛮人」という言葉は、自分の理解の外にある人を野蛮人と決めつけたものです。人に人のことなんて理解できません。その人の価値観とはその人が体験した人生によって決定されるからです。その人の生きてきた軌跡なしにその人のことを知ることはできても理解なんてできません。
 そして、理解できないからこそ、人は自分と異なる価値観、人生を生きてきた別人格を認識することができるのです。
 反対に、他人を自分の理解できる程度のものに貶めてしまうことはそれだけで危険なのです。
 富野監督は自分の中の得体の知れない希望をニュー・タイプとして誤魔化し、その嘘を後悔しました。そう、ガンダムとは嘘であり、ガンダムゼータとは告白なのです。そして、ダブルゼータを抜かして、逆襲のシャアでは回帰が行われました。
 アクシズを地球に落とそうとした理由は、地球から宇宙へと人を移動させ、ニュー・タイプへの進化を促したかったから。そんなとんちんかんな解説をする方も散見されますが、そんな方々はあまり信用されない方がいいでしょう。必要最低限の理解力さえ備えていないからです。
 シャア・アズナブルが地球寒冷化作戦を実行しようとした理由、それは、単なる無理心中です。彼はとっくに、ニュー・タイプが人類の希望などではない、単なる嘘だと見限っていました。
 実際、シャア・アズナブルと言う人物の歩んだ人生は過酷です。早くに父を失い、そのことからも父の提唱したニュー・タイプという理想に傾倒していきました。ザビ家への復讐を誓い、戦争の中でこれこそが父の望んだニュー・タイプの姿だと思えるララァ・スンと出会い、また失いました。そして、グリプス戦役ではアムロ・レイに対して「お前はニュー・タイプの有り様を素直に示しすぎた」と危惧していたように、ニュー・タイプの戦争利用が活発に行われるようになりました。そして、バプテスマ・シロッコのような戦争を望むニュー・タイプの存在、カミーユとハマーンの相互理解の否定、そして、カミーユのような次世代を担うはずだったニュー・タイプが戦争に潰されていく現実を目の当たりにしてしまったのです。
 シャアは、やがて父を否定しました。ニュー・タイプが人類の希望でないことに気づいてしまったのです。残されたのは圧倒的な悔恨でした。
 父の理想を信じ、シャア・アズナブルと言う男はあらゆることに手を染めました。ガルマ・ザビという友人を裏切り、ハマーン・カーンと言う少女の人生さえ狂わせてしまいました。それもすべて、父の理想をかなえるためだったのです。
 そして、まだ多くの人々がそんな嘘の理想に踊らされています。これが、シャア・アズナブルという男にとってどれほど腹立たしかったことでしょう。嘘に翻弄された自分を見せつけられているかのようで。
 ここに、シャアによる逆襲が始まりました。
 ハマーン・カーンのネオジオンを引き継いでいるとはいえ、シャアは戦争の道具でしかない強化人間を使用することに躊躇いを見せませんでした。父の理念を強力にサポートしてくれるであろう存在、つまり自分の母になってくれたかもしれないララァ・スンの死を目の当たりにしておきながら、クェス・パラヤを戦場に出し、最高のニュー・タイプと同じ死に様を経験させようとまでしています。ララァの死に苦しみ続けているはずの彼が、です。
 このように、富野監督の絶望と悔恨によって刻まれた作品でした。
 戦争を捨てられない人類に対する絶望を描き、自分でも理解できない希望をニュー・タイプと言う嘘で包みました。それが嘘八百だと知りながら。
 そして、その嘘のすべて告白したのです。ニュー・タイプなど戦争の道具でしかない、相互理解が戦争を終わらせるどころか時に激化させる危険な概念なのだと。
 最後に、そんな嘘の理想に踊らされる愚か者を相手に無理心中を図りました。
 しかし、ガンダムにおいて人類は滅びませんでした。あれほど人類に絶望し、希望さえ理路整然と否定しておきながら、それでも、富野監督は人類を滅ぼせなかったのです。人への希望を捨てられなかったのです。
 その点、結局、ガンダムと逆襲のシャアで描かれた顛末は同じことでした。戦争、あるいはアクシズという圧倒的な絶望を、心の声であったり光が打ち払う、そんな曖昧な救済が行われたのです。

 ガンダムにおいて、進化した人類は登場させてはいけません。
 富野監督は人に対して深い絶望を抱きながらも、それでも、人に戦争を乗り越えてほしいという願望をいつまでも捨てられずにいました。
 それが、人類には対する深い絶望と、それでも捨てきれない希望の物語としてガンダムを形作ってきたのです。
 もしもここで、新人類なんて登場させたらどうなるでしょう? 居もしない新人類に戦争根絶の望みを丸投げすることになります。
 それは正反対のメッセージになるのです。
 人に戦争は乗り越えられない。だからすべて新人類に任せてしまえばいい。それは、人類への深い絶望そのものです。希望なんてどこにもないのです。

 富野監督が伝えたかったことは、人は戦争を捨てられない、それでも、戦争根絶の願いを諦めたくないし、諦めてほしくもない、ということなのです。

 この価値観、考え方はすでに役目を終えた古いものにすぎないのでしょうか。私はそうは思いません。時代が変わっても普遍的に引き継いでいかなければならないテーマなのだと考えます。
 しかし、近代のガンダムはどうでしょうか。
 ガンダム00では、覚醒したイノベーターであるセツナ・F・セイエイによって世界は救われました。ユニコーンガンダムではガンダムと一体化し神となったバナージ・リンクスは世界を救う存在と描かれました。
 ではお聞きします。
 戦争根絶のため、私たちは何をすべきでしょう。
 無理と諦めますか? それは富野監督が伝えたかったこと、示したかったこととは違います。
 では、何もする必要がないのでしょうか。覚醒したイノベーターや、神となったニュー・タイプの誕生をただ何もせず待っていればいいのでしょうか。どうせ、人には無理な話だからです。
 そして、現実として私たちが戦争根絶のためにすべきこととはなんでしょう? たとえどんなに無理に思えてもその思いを持ち続けることでしょうか? それとも、ありもしない新人類にすべてを丸投げにして諦めることでしょうか?

 かつてのガンダムにはあって、今のガンダムが失ってしまったもの、それは戦争を見せ物にしているという罪悪感ではないでしょうか。
 だからかつてのガンダムは戦争根絶に対する願いを、その作中に織り込みました。
 だから今のガンダムは戦争という現実から目を背けているのです。いいえ、背けていることにさえ気づけていないのです。

 ガンダムが受け継いでいるべき反戦の思い、それを失ってしまえばガンダムを名乗る意味がなくなってしまいます。自分たちが何を手放したのかさえ気づかず、安っぽいヒーロー・ショーを描くでしかない制作者たち、その程度の人々が描いたものにすぎないからです。

 実は、私が初めて触れたガンダムは、機動武闘伝Gガンダムでした。そして、私はこの幸運に感謝しています。アナザーガンダムにおいて、この作品ほど、ガンダムの魂を受け継いだ作品はないと考えるからです。
 マスター・アジアは強力でした。その圧倒的な力でシャッフル同盟を圧倒し、ドモン・カッシュさえ歯が立ちません。幾度もの敗北を味わせました。
 それでも、ドモン・カッシュは倒れませんでした。
 マスター・アジアとは人類に対する絶望の象徴でした。自然環境を破壊し、自らの欲望を満たすことをやめない人類に対する絶望そのものでした。それは、富野監督が一年戦争で描いた、圧倒的な絶望そのものなのです。
 対してドモン・カッシュは弱い存在でした。それでも立ち上がり続ける存在でした。どれほど圧倒的な力を見せつけられても倒れない希望の象徴でした。
 マスター・アジアと富野監督はよく似ています。人類に対する絶望を語れと言われればいくらでも語れることでしょう。それでも、マスター・アジアの前にドモン・カッシュが立ちふさがったように、富野監督の中にも潰そうとしても消えない希望がくすぶり続けたように。
 ドモンも、希望も問いかけます。人はどうしようもない。それでも、まだ諦めるには早いんじゃないかと。

 ガンダムとはあまりに無責任で丸投げされた、反戦の思いなのです。
 敵がどれほど巨大か示し続けて、具体的な手段も教えないまま、それでも戦い続けることをやめないでほしいという。
 でも、そんな思いが、ガンダムという作品群を形作ってきたはずなのです。決して、進化した人類にすべて託せばいいと諦めることなく。

 それでも私は、そんな曖昧な願いの込められた作品こそがガンダムであり、他のロボット・アニメとは違う魅力にとりつかれました。

 ここまで書けば、私がなぜガンダムの二次創作ではなくて、ガンダムSEEDの二次創作を描いたのか、おわかりいただけるかと思います。私はピカソの絵に筆を向ける度胸はなくても、クレヨンを握る園児からキャンパスを取り上げることに躊躇いはないからです。
 もっとも、ガンダムSEEDは駄作としか判断できないのですが。戦争を描くとしておきながら、自分たちこそヒーローであり、自分に理解を示すディエイン・ハルバートンのような人物は有能な人格者、敵対するムルタ・アズラエルは無能な小物に描きました。まさに、私が危惧した相互理解の形です。自分たちが正しい以上、相手方は言いがかりをつけているだけと矮小化して捉えることしかできない、まさにニュー・タイプの問題点をまざまざと見せつけ、そんな連中が平和を語る滑稽さはもはや目も当てられません。
 私の作品がプラントをさも悪役かのように描いていると感じられた方もおられるとは思いますが、別に原作としていることに大きな違いはありません。ただ、地球側の登場人物を増やしただけです。原作では、プラントの、より正確にはクライン派の主張にそぐわない人物は登場しなかった、その穴埋めしたにすぎないと考えています。
 アスラン・ザラやパトリック・ザラのように血のバレンタイン事件の遺族は登場します。だから、ザフトの行動は悲しみに狂ってしまった悲しき悪なのです。
 地球側では、1人としてエイプリルフール・クライシスの遺族は登場しません。だから彼らの蛮行は許されないのです。
 なお、血のバレンタインの犠牲者は約20万人、エイプリルフール・クライシスは10億と言われています。


 このように、私がガンダムSEEDを題材にすることには理由があったのです。ちょうど、小説を描く題材がほしかったこと、内容が稚拙でいくらでも改変する余地があったこと、ガンダムを堕落させた一翼を担った作品であったことなどなどです。
 ただ、ガンダムSEEDが爆発的なヒットを飛ばしたことは誰の目にも明らかです。同時に、そのブームのただ中でさえ毀誉褒貶入り乱れたことも確かです。私はそこに不幸なすれ違いを見ています。
 賛成派は、反対派を糾弾します。なぜ新しいガンダムを認められないんだと。では、本当にガンダムSEEDは新しい価値観だったのでしょうか。初代ガンダムをなぞった展開に、デザイナーズ・チャイルドというすでにSFでは取り上げられた設定、ガンダムそのものも当時でさえ20年前のものです。
 では、なぜそんなものがヒットを飛ばすことができたのか、いいものだったからだという意見もあると思います。ただ、Destinyでそのブームが急速に去ったことをここでは付け加えるにとどめます。
 反対派は、ではガンダムSEEDが新しいから認められなかったのでしょうか。その判断は半分正解で、半分間違いです。たしかにこれまでになかったガンダムであることは間違いないでしょう。ただ、そのこと自体が問題ではないのです。たとえば、これまで最低でも70点代を出していた作品が、いきなり30点になったらどう思いますか? たしかに新しい点数ではあります。ただ、そのことが問題なのではありません。低い点数そのものが問題なのです。
 つまり、賛成派は、どうして新しい点数を認められないんだ、と主張していましたが、反対派は新しいかどうかではなくて低い点数を問題としていたのです。その落差が、なかなかかみ合わない議論に繋がってしまったのでしょう。
 少なくとも私は新しいかどうかなんて問題にはしていません。それならGガンダムの方がよほど挑戦的だったと思いますし。

 アスランがデスティニーには出演しなかたことが、やはり問題なのだと思います。
 アスラン・ザラという人物は未熟な少年でした。世界を見ることもないまま父に言われたことを妄信し、母の死を嘆くだけの。しかし、いくつもの出会いが彼を変え成長させていったのです。
 父に言われたから、カガリに、ラクスに言われたからと流されながらも成長していった少年だったのです。
 ただ、アスランはデスティニー編でも同じことを繰り返しています。議長に言われたから、キラに言われたから、ラクスに言われたからとあっちこっちにふらふらとしています。
 しかし、本来のアスランはこうではないはずなのです。多くの人に助けられて、ニコルの死さえ乗り越えて成長したはずだったのです。そしてそんな出来事から1年がすぎてさらに大きくなったアスランが、デスティニーには登場するはずだったのです。
 ところが、結果はどうだったでしょう?
 SEED編と何も成長してないのです。本来いるはずの成長したアスランが、Destiny編にはいるはずのアスランが存在せず、SEED編のままのアスランしかいなかったのです。Desitny編のアスランはどこにいったのでしょうか。
 脚本家の無能と言わざるを得ません、人を一人の人としてではなくて、キャラクターとしてしか描くことができていないのです。結局、アスランを「迷いながら成長していく少年」というキャラで捉えることしかできず、人の変化を描けないのです。
 ただ、SEED編まではそれで誤魔化しがきいたのです。過渡期と言い訳できたからです。それもDestinyにまで移ってしまえば話は別です。飽きられるというか、お話の稚拙さがメッキが剥がれるようにばれていったのが、Destiny編の失敗であった気がします。
 他にもイザークやディアッカも同様です。そもそも背負った背景が何もないため、Destiny編ではいる意味がまるでありませんでした。
 そもそも、シンについてもこれで主人公かわからないレベルの手抜きぶりでした。マユ・アスカって、必要な人物でしたか? 具体的には、妹である必要がありましたか? 別にマユ・アスカが姉でも話は通用してしまいます。一緒に逃げてた幼馴染であっても問題ありません。飼ってたネコでも話に与える影響が皆無なのです。つまり、主人公の設定の完成度が驚くほど低い。いまだにマユ・アスカというキャラクターの存在理由がわかりません。
 同じこと言うならステラも問題です。Ζにはフォウ・ムラサメという似たポジションのキャラがいましたが、こちらはあくまでもサブ・キャラクターで、おまけに人工ニュー・タイプという、世界観に密接に結びつく重要な要素を持っているキャラクターでした。ただ、ステラは物語への重要度がより高められているにも関わらず設定量としてはフォウ以下になっています。ステラは地球連合の強化人間でなくて、プラントの開発した戦闘用コーディネーターにした方がもっと世界観に踏み込めたと思うんですけど……。実際、シンがデスティニー・プランを支持するということは、ステラのように戦いを望まなくても戦う力があるから戦場に送り込まれる悲劇で世界を覆うことになるのですが、そんな点も登場人物の造りこみの浅さ、そこから来る物語の薄さが問題でした。
 そもそもデスティニー・プランやロゴス自体、伏線が必要な設定でもないので、第1話から議長が言い出しても通ってしまうんですよね。地球側の登場人物が驚くほど少なく、世論だとか地球側の反応を気にする必要がないので。シンとアスランの関係にしても360度回って同じ場所に戻ってくるというだけでしたし。シンがステラとの別れからデスティニー・プランについて何らかのアクションを起こす、などあれば前半と後半が繋がってくれたのですが。
実際、デスティニー・プランの説明のためにステラの存在は一切不要で、スキップしてしまえることが問題です。
 とにかくお話の密度が薄いため、よく言われることですが劇場版の敵が誰になるのか、見当がつきません。地球連合をはじめとした敵の描写がまともにされていないことの弊害です。そもそも、コーディネーターをどこの誰がなんの目的で作ったのかもまだ不明のままというありさま。そのため、コーディネーターを創り出すまでの犠牲など、負の面を意図的に隠したまま、さもコーディネーターは薬物なしでは生きられないエクテンドッドのような失敗作とは違い、完成されているかのような不自然な扱いになってしまっています。
 いまさら劇場版をするというならそんな点も解消してもらいたいところですが、せっかくなので展開予想をここでしてみましょう。


 ギルバート・デュランダル議長の戦死にともなう大戦終結後も、世界は戦乱に明け暮れていました。大西洋連邦という大国が戦争によって疲弊し、重石の外れたことで各地で軍事衝突が勃発していたのです。
プラントもまた高みの見物とはいきません。それどころか、プラントの戦いは次第に常軌を逸し始めていました。戦争というよりは、まるで虐殺を目的とするような破壊行動が目立ち始めていたのです。
 ジェネシスにエイプリルフール・クライシスと大量虐殺を繰り返してきた国のことです。だとしても、それは異常と言えました。
特にシン・アスカが率いる部隊の殺戮は徹底していました。非戦闘員を含めた、目につく人はすべて殺害に及ぶというスタンスで殺戮部隊として敵味方から恐れられていました。
 この現状にキラ・ヤマトはザフトの指揮官の一人としてこの現状を憂いていました。しかし、ラクスを含めた上層部の動きは鈍く、シンの行動は事実上、容認されていたのです。事実、殺戮行為に手を染めるザフトはシンの部隊だけではなかったのです。
 まるでプラントという国そのものが人を殺すことを目的としているような雰囲気が醸成され、世界各地で虐殺を繰り広げていたのです。
 この現状に、キラは確信します。コーディネーターに何かが起きていると。
 そんなときのことでした。ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンのクローンを名乗る人物からの接触があったのです。
 直ちに指定された地点に向かうキラは、シンの部隊が街を襲撃している場面に出くわします。これはもはや戦いではありませんでした。その街には軍事施設などなく、逃げ惑う人々をガンダムの機銃掃射がひき肉へと変えている有様だったのです。
 思わずとめに入ったキラに対して、シンは何と攻撃を加えてきたのです。もはや正気を失っているも同然でした。まるで殺せるならば誰でも構わないようにキラへと襲い掛かって来たのです。
 応戦するキラですが、トップ・エースを相手に手加減などできるはずもありません。キラは全力を出すほかなく、シンの部隊を壊滅させてしまったのです。
 瀕死となったシンは、キラへと詫びます。どうしても自分をおさえることができなかったと。キラには、シンが嘘をついているとは思えませんでした。しかし、人が突如、殺戮衝動に突き動かされることなどあるのでしょうか。
 心に靄を抱えたまま、キラはジョージ・グレンのクローンを名乗る男性と接触することに成功します。その人物はなぜか、拘束具に身を包んでいる、異様ないでたちで現れました。彼は語ります、コーディネーター誕生の真実を。
 それは現在より100年ほど前にさかのぼります。人類は外宇宙より飛来した小惑星に生物の痕跡を発見したのです。秘密裏に採取された未知の遺伝子は、SEED因子と名付けられました。研究を始めて間もなくSEED因子の有用性が明らかになりました。因子を生物に組み込むとその能力を飛躍的に向上させることがわかったのです。研究は進められ、ついには人間に組み込むことが提案されました。無論、反対の声はあったものの、結局、研究は進められることになりました。
 SEED因子を組み込まれた人間は期待以上の性能を発揮し、その人物はジョージ・グレンと名付けられた個体でした。そう、ファースト・コーディネーターの誕生です。その後のことは誰もが知るところです。
 しかし、近年になって火星の近郊から特殊な波長の電磁波が地球圏へと照射されていることが明らかになりました。この電磁波を受けたコーディネーターは、SEED因子に含まれていた特殊な遺伝子が活性化するのです。それは、殺戮遺伝子としかいいようのないものでした。
 SEED因子を組み込んだ犬に電磁波を浴びせると、犬に対する異常な攻撃性を示すことが明らかになったのです。それは猫であっても変わりません。SEED因子の猫は、同じ猫を襲うのです。
 SEED因子には、同種を殺害せよ、そう命じる遺伝子が組み込まれていたのです。
 シンが、コーディネーターが虐殺行為に手を染めたのはそのためだったのです。エイプリルフール・クライシスでは10億、ブレイク・ザ・ワールドでは1億、未遂とは言えジェネシスでは90億もの人命を虐殺しようとしたコーディネーターの異常とも言える殺戮行為の説明がこれでついてしまうのです。
 では、この電磁波とは何なのか、クローンはすでに仮説を立てていました。SEED因子そのものが罠だったのだと。人類がSEED因子を手にしたのは偶然ではなく、宇宙人による侵略の仕込みにすぎなかったのです。
 その宇宙人は、侵略する星を定めると、まずSEED因子を送り込みます。その星の知的生命体は喜んでSEED因子を自身に取り込みコーディネーターを増やすことになります。そして、数が十分に増えたところで殺戮遺伝子を活性化する信号を送り込むのです。その結果、コーディネーターによる極端な虐殺行為が実行されその種は大きく力を落とし、その機を見計らい本格的な侵略に乗り出す。それこそが侵略宇宙人の計画だったのです。
 クローンが自ら拘束具を身に着けているのは、SEED因子の影響をもっとも強く受けた人物のクローンであり、その影響をひときわ強く受けているからです。自らを縛り付けなければいつ人を殺害してしまうかわからないのです。
 クローンは信号の発信源の座標を提示するとともに、キラこそが人類の希望であると告げます。
 通常、コーディネーターは遺伝子調整を行ってもその通りに生まれてくることはありません。必ずバグが生じてしまうのです。それを克服すべく作られたのがスーパー・コーディネーターであり、偶然にもSEED因子から免れることができる唯一のコーディネーターだったのです。すなわち、コーディネーターに生じるバグとは、SEED因子が殺戮遺伝子を確保するために宿主を作り替えるがゆえに起きていたことだったのです。
 しかし、ここまで語った時、施設が襲撃を受けクローンは殺害されてしまいます。
 辛うじて脱出に成功したキラはただちにプラントに帰国、ラクスにすべてを伝えたうえでこの事実を世界に公表すべきと進言します。この世界は狙われているからです。
 ですが、ラクスの反応は冷たいものでした。そんなことを発表できるはずがないと拒否したのです。コーディネーターが異星人に操られている、そんなことを公表できるはずがないのです。そんなことをすればプラントが掲げた理想も戦いもすべて異星人の侵略の手助けでしかなかったと示すことになるからです。
 キラがどれほど言ってもラクスはききれません。彼女もまた、信号によって殺戮衝動に突き動かされていたのです。もしかすると、クローン殺害もラクスの手によるものではないか、そう疑ったところでどうなるものでもありません。
 だとしても信号を野放しにはできません、極秘に特殊部隊が結成され、火星圏への遠征が開始されたのです。
 途中、地球軍による妨害がありました。事態を隠したままでは、地球軍からは兵器を隠蔽しているようにしか見えなかったのです。
 今ここで人と人が争っている場合ではない。そう考えるキラでしたが、その事実を相手に伝えることなんてできません。アスランをはじめとした特殊部隊の仲間たちは構わず戦いを始めました。信号が近づくにつれ殺戮衝動も抑えがきかなくなっていたのです。
 そうして敵部隊を殲滅したのち、今度は仲間同士で殺し合いを始めたのです。もはや信号の発信源が間近でコーディネーターは誰であっても殺戮衝動に、人を殺したいという欲求に逆らうことができなくなっていたのです。
 アスランは仲間をすべて殺害し、その刃をキラにまで向けます。かつて刃を交えた友に再び刃を向けることが、キラにはどうしてもできませんでした。しかし、アスランにキラの声は届きません。アスランを止められるのは、悲しい記憶だけでした。ニコル・アマルフィの死に、かつて友でありながら戦ったことが思い出されたのです。キラへと突き立てるはずだった、刃を自らへと突き立てたのです。
 もはやこの広い宇宙にキラだけが残されたかのようでした。しかし、まだ何も終わっていません。信号を発する装置、それは巨大な機動兵器そのものでした。
 これが、キラの愛する人も、信じた仲間も変えてしまったのです。
 コーディネーターとは一体何だったのでしょう? その思いも戦いもすべて異星人の掌でしかなかったのでしょうか? そんなはずはありません。キラの流した涙も、乗り越えてきた戦いも決して嘘ではないのだから。
 キラは戦ったのです。人の「自由」を取り戻すために。
 破壊された巨大起動兵器を破壊したキラに勝利の喜びはありませんでした。たとえ信号装置そのものを破壊したところでこの戦争で命を落とした10億の命が帰ってくることはありません。異星人もまた装置の一つを失っただけで、その勢力は依然として健在なのです。
 だとしても、キラのスーパー・コーディネーター技術を用いれば今後、SEED因子の影響を軽減することは可能でしょう。何より、人類はまだ生きているのです。
 たとえ未来にどれほどの困難が待ちぬけているとしても。


 こんな感じにすれば強敵不在とか火のついた火薬庫なんて呼ばれてる現状をどうにか誤魔化すことができるはず。
 ただ、劇場版を私が見ることはないでしょうから答え合わせは他の人に任せるとします。まあ、コーディネーターに都合の悪い設定を出してくるとは思えないので絶対に違うと思いますが。エイプリルフール・クライシスがなかったことになったなんて話もききましたけど、さすがにどうなんでしょうか。

言いたいことの10%くらい言えたので、ここまでにしておきます。


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