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[32362] コードギアス「罪と罰」
Name: めい◆cd990f2a ID:5691f6d1
Date: 2014/08/23 10:31
もしもギアスの無い世界だったら、という仮定の下で、アニメI期開始時点より始まる再構成です。

にじファンよりの移転です。

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「参ったな……」

 アッシュフォード学園生徒会の副会長、ルルーシュ・ランペルージは、紫の瞳に明らかな困惑を浮かべ、窓の外を目まぐるしく流れていく景色を見送った。
 整った容貌と、年齢にしては少々華奢な肢体を学生服に包んだ彼は、現在、旧日本の地下鉄を爆走中である。正しくは、彼の乗り込んだコンテナが、彼の意思とはお構い無しにひた走っている。先ほど、新宿三丁目という駅の標識が通り過ぎていくのが見えたから、ここは既に、神聖ブリタニア帝国、エリア11の中でも治安の悪い、日本人――イレブンたちの居住区である新宿ゲットーの内部だろう。ブリタニアの学生には無縁の場所である。
 本来なら今頃、学園で午後の授業を受けていた筈だったのに、どうしてこんなことになったのか――事の発端は、昼休みに生徒会のリヴァルと行った、チェスの代打ちからの帰り道だ。後ろから猛スピードでやってきたトレーラーが、二人の乗ったバイクを避け損ねて、道路の脇に衝突してしまったのだった。
 誰も中の人間を救助しようとしないのに業を煮やして、トレーラーのコンテナに乗り込んだ、までは良かったのだが……トレーラーは、再び走り出し、現在に至っている。おそらく運転者はルルーシュが乗っていることを知らないし、ルルーシュも敢えて知らせるつもりはなかった。
 なぜなら相手は、おそらくテロリストだからである。
 走り出して間もなく、拡声器でテロリストに対し投降を呼びかける声が聞こえてきた。線路に入り込む直前には、運転席から出てきた赤毛の気の強そうな女が、ルルーシュに気づくこともなく、積み込まれていた人型兵器、ナイトメアフレームに乗って外に飛び出していった。
 トレーラーの中には、大人一人よりもなお一回り以上も大きい装置のようなものが残っている。脱出に使えるような代物には見えないし、そもそもテロリストのトレーラーに載っているものが、まともなものである筈がない。勝手にいじって、もしも毒ガスが噴出してきたらどうする。
 さてどうするか、と頭の中で状況を整理して、打開策を練っていた時のことだった。突然の衝撃がトレーラーを襲った。碌に受身も取れずにコンテナの壁に叩きつけられ、内蔵を圧迫されて、喉から呻き声が洩れる。
 どうにかルルーシュが立ち直ったときには、トレーラーは既に停止していた。衝撃で開いてしまったコンテナの側壁から、よろめきつつ足を踏み出すと、瞬間、風を切る音が耳に響いた。
 横合いから躍りかかってきた人物の蹴りを咄嗟にガードできたのは、ルルーシュの運動神経からすれば、奇跡に近い。だが、鍛えていない体は、コンテナの奥の壁に向かってたやすく吹き飛んだ。

「これ以上、殺すな!」

 人影が、何事か叫びながらさらに追い打ちをかけてくるのを、ルルーシュは必死に防いだ。飛んでくる拳を、手を交差させて防ぐ。そこで、ルルーシュは、相手がマスクをつけた重装備の歩兵だと気づいた。時折メディアで紹介されているブリタニア軍の兵士そのものだ。どうやら自分はテロリストと思われているらしい。冗談ではない。
 気迫を込めてマスクに覆われた相手の顔を睨み付けると、相手の身体は僅かに揺れた。やがて、その腕から力が抜けて、拳を引くのを、ルルーシュは油断なく見守った。

「ルルーシュ。ルルーシュだよね」

 思いがけなく歩兵に名前を呼ばれて、目を見開く。ルルーシュには、ブリタニア軍の兵士に、親しげに名前を呼ばれるような知り合いはいない。

「僕だよ。スザクだ」

 兵士は、躊躇いもなくマスクを取って素顔を晒した。ルルーシュに向かって、屈託なく微笑む。

「スザク……!? スザクなのか!」

 マスクの下から現れた、茶色がかった髪、穏やかな黒い瞳、人の良さそうな顔は、確かにルルーシュの過去の記憶を刺激した。自分と同年代の少年兵士は紛れもなく、七年前、ブリタニアが日本を占領した際に別れたきりの、幼馴染みだった。……かつてルルーシュが、幼い日にブリタニアへの復讐の誓いを告げた、ただ一人の相手だ。

「そうだよ、僕だ」
「お前、ブリタニア軍の兵士になったのか……」

 ルルーシュは、複雑な思いで呟いた。日本人――イレブン。母国を占領され、日本人という名前を取り上げられた彼こそ、何よりブリタニアを憎んでいてもおかしくないというのに。まして、占領当時、ルルーシュ以上に彼の立場は微妙だった。

「うん、名誉ブリタニア人になったんだ。ルルーシュ、君は……? こんなところにいるなんて、まさか」
「馬鹿、そんな訳ないだろ」

 眉をひそめる幼馴染みに、ルルーシュは慌てて否定した。

「俺は、巻き込まれただけだ」

 すると、スザクはほっとしたように微笑んだ。

「良かった。君にまた会えて嬉しいよ、ルルーシュ」

 純粋に七年ぶりの再会を喜んでいる様子の相手につられて、ルルーシュも微笑む。

「ああ。俺もお前が無事で嬉しい」
「でも、どうしてここに?」
「それが……」

 ルルーシュが言いかけたところで、トレーラーの横合いから、眩しい光が辺りを照らし出した。コンテナの開いた部分に立っていたルルーシュは、避けようもなく、姿を露わにされる。

「よくやった、柩木一等兵」

 皮肉下な声が地下鉄構内に響き渡った。眩しさを堪えて見れば、ブリタニアの兵士たちが、トレーラーの外に銃を構えて立っている。一団を率いているのは、先頭に立った片頬に大きな傷の走った男だ。服にいくつもの階級章をつけていることから、かなり地位の高い士官であることが分かる。
 名前を呼ばれた少年兵士が、そちらに向き直り、姿勢を正して敬礼する。

「はっ、目標を発見し、巻き込まれた民間人を保護致しました」
「民間人?」

 スザクの報告を聞くと、男は、舐めるようにルルーシュの頭の上から爪先までを検分し、鼻を鳴らした。

「ブリタニアの学生か。柩木一等兵、こちらへ」

 素直に目の前までやってきたスザクに、男は拳銃を差し出した。

「貴官の功績を認めよう。ただし、目撃者は必要ない。許可する。撃ち殺せ」

 スザクとルルーシュは同時に息を呑んだ。

「彼は一般人です」
「テロリストだ」

 抗議の声に、男は温かみというものを一切感じさせない声で言い放った。スザクは反論の言葉を探して、やがて首を振った。

「一般人を撃つなど、自分には」
「馬鹿かお前は」

 皆まで言わせず、ルルーシュは後ろから口を挟んだ。
 スザクがぎょっとして振り向く。士官の男はやや意外そうにルルーシュに視線を寄越した。

「この場での軍命無視に何の意味がある。お前がやらなければ、そこにいる兵士どもが俺の身体を蜂の巣にするだけだ。……どうせ俺が死ぬのは同じなら、せめてお前がやれ」
「ルルーシュ!?」

 驚愕の声を上げる相手に、ルルーシュは、目配せとともに、僅かに唇を動かして見せる。スザクは目を見開いた。

「ほお、潔い覚悟だな。柩木一等兵、貴官も見習ったらどうだ」

 さすがブリタニア人だ、と男はルルーシュをテロリストと断じたその口で、今度は名誉ブリタニア人であるスザクを貶める。

 幼馴染が拳を握りしめるのが、ルルーシュには見えた。数瞬の逡巡の後、男の差し出す拳銃を取ると、振り向いて、のろのろとルルーシュに銃口を向ける。逆光に照らし出されたのは、今にも泣き出しそうな顔だった。

「さっさとやれ。苦しむのはごめんだ」

 無様に逃げ出したところで意味はない。これだけの人数に囲まれていれば、あっという間に蜂の巣だ。だから、ルルーシュは目を瞑ってその時が来るのを待った。

「ごめん……」

 悲痛な声と共に、一発の銃声が、辺りに響いた。


* * *


 兵士たちがコンテナに載っていた謎の物体を運んで去ってしまうと、後に残されたものは、無残に破壊されたコンテナと、運転席で息絶えたテロリスト、そして血溜まりの中、コンテナの側に打ち捨てられたように倒れ伏す少年だけだった。
 しかし、命あるものが完全に失われ、その場に静寂が戻ったかのように見えた瞬間、少年はむくりと起き上がった。
 途端、腹部を貫いた痛みと、流れ出ていく血――命の気配に、ルルーシュは顔を歪めた。
 弾が急所を外れているのかは怪しい限りだが、あの状況で、即死を免れているのだから、スザクに感謝する他ない。「急所を外せ」というルルーシュの唇の動きを、彼は正確に読み取ってくれたようだ。
 幼馴染みが軍務より自分を優先してくれたのは、思いがけない僥倖だったが、急いで止血をしなければ、その幸運がたちまちのうちにルルーシュの元から駆け去ってしまうことは確実だ。既に、胸と背中は自らの流した血でべっとりと濡れている。
 去り際にスザクが足先でルルーシュの身体の下に押し込んでくれたものを手に取って、ルルーシュは苦笑した。軍用の救急医療用キットだ。
 七年前のルルーシュは、一人では何一つ満足にこなせない子供だった。その頃しか知らないスザクから見れば、ありあわせの物で傷の手当てなどできるわけがないと思ったのかもしれない。その判断に感謝する反面、悔しくもあった。その判断が正しいからこそ尚更だ。
 中に入っていた止血帯で撃たれた箇所を巻き、ついでに痛み止めを自分の体に打つ。
 一大作業をこなし終えて、ルルーシュは息を吐いて横たわった。遠くに爆音が聞こえる。おそらくテロリストとの戦いがまだ続いているのだ。それが終わるまで、下手な動きをするのは危険だ。
 スザクに撃たれたことに、悔いはない。あの瞬間、助かるための算段をいくつも考えたが、一番助かる可能性が高いのはこの方法だった。……悔いがあるとすれば、余計なプライドなぞを発揮して、事故車の救助になど向かった自分の甘さだ。たとえ事故が自分たちのせいだろうが、見ないふりで、学園に戻るべきだったのだ。
 無様だ。自分が無力であることくらい、十分に承知していたつもりだったのに。

(守るべきものをおいて、こんなところで、俺は死ぬのか)

 脳裏をよぎるのは、盲目の上に、自力では歩くこともできない妹の姿だった。七年前から、二人で支え合うように生きてきた。自分がいなくなったら、妹は――ナナリーはどうなる。
 携帯電話をポケットから取り出す。時間は午後二時を指している。幸いにも、地下とはいえかつての駅の近くなのだろう、電波は辛うじてつながっていた。登録された番号の一つを呼び出して電話をかけると、場に不釣合い極まりない、明るい声の留守番電話が流れ出す。

「は~い、あなたのミレイ・アッシュフォードはただいま授業中のため電話にでられませ~ん! ご用の方は、ブザーのあとにご用件をどうぞぉ!」

 ルルーシュは、一拍おいて話し出した。努めて平静な声を装うが、成功したとはお世辞にも言いがたい。

「会長、ルルーシュです。少し、ドジをやってしまって動けませんので、迎えを寄越してもらえませんか。位置を送ります。おそらく近辺は、軍に封鎖されていますから、封鎖が解け次第、人目につかないように回収してもらえるとありがたいです。それから……ナナリーのこと、よろしくお願いします」

 最後に迷って一言を付け足し、ルルーシュは通話を切った。携帯電話を持つ手を下ろし、目を瞑る。出血のせいか、それとも痛み止めのせいか、ひどく眠い。
 果たして、封鎖が解けるのと、命が尽きるのと、どちらが先か。ルルーシュの体力から言って、助かるかは五分五分か、それよりももう少し低いだろうか。だが、自分は、こんなところで死ぬわけにはいかない。

「俺は……俺は、生きるんだ……」

 瞼の裏に浮かぶ愛しい妹の姿に呟いたのを最後に、ルルーシュの意識は闇に落ちていった。


* * *


 重苦しい気持ちで軍本部に戻ったスザクを待っていたのは、眼鏡をかけた銀髪、白衣の青年と、肩で黒髪を切りそろえた女性士官だった。
 いかにも科学者然とした雰囲気を漂わせた青年は、スザクの姿を視界に認めると、瞳を輝かせて歩み寄る。一歩遅れて、困ったような顔の女性仕官が続いた。

「君が~枢木スザク君?」

 軍には不似合いな間延びした声で、青年が聞く。スザクが肯定すると、青年の瞳がきらりと輝いた。

「君、ナイトメアフレームの騎乗経験は~?」

 唐突な質問に、スザクは戸惑いを隠さずに答えた。

「自分は名誉ブリタニア人で、騎士にはなれません」

 軍内では、ブリタニア人と、ナンバーズ出身である名誉ブリタニア人の扱いは、一線を画している。名誉ブリタニア人には、普通の武器の携帯すら許可されない。軍内でのエリート――ナイトメアフレームの操縦者になるなど望むべくもないことだ。だから、スザクの答えは、軍の常識から言えば、聞くまでもない。

「お~め~で~と~う! 世界でたった一台のナイトメアフレームがあるんだよ」

 くるくると指先で何かのキーを引っ掛けて回し、にこにこと言う青年を、スザクは、呆気にとられて見つめた。
 青年はロイド、女性はセシルと名乗った。特別派遣嚮導技術部という、第二皇子の元でナイトメアフレームの研究開発を行っている部隊だという。

「盗まれた物は取り返したので、まもなく作戦は終了するのではないのですか?」

 途端、遠くで轟いた爆音に、スザクは眉を曇らせた。テロリストがまだ頑張ってはいるようだが、此彼の戦力差からいって、鎮圧されるのは時間の問題だ。

「それが……」

 しかし、スザクの当然の疑問に、セシルは困った顔で言い淀んだ。

「間抜けにも、輸送中のナイトメアフレームを、テロリストに奪われちゃったらしくて、ちょっと長引きそうなんだよね~」

 声を潜めることすらせず、代わりに答えたのはロイドだ。他の部隊に対する遠慮とか配慮といったものは彼の頭には無いらしい。
 スザクはその答えに、表情を強張らせた。戦闘が終了し、この一帯の封鎖が解けなければ、先ほど自分が撃った友人の脱出は難しい。彼が撃てと言ったからには、勝算があってのことだろうとは思う。だが、急所を外したとはいえ、一秒鎮圧が長引くごとに、ルルーシュの生存率は下がっていくはずだ。――今、この瞬間にも。
 本音を言えば、すぐにでも軍を抜け出して、彼を助けに行きたいと思う。それをしないのは、封鎖が解けない限り、軍に見つからずに救助できる可能性が限りなく低いと分かっているからだ。生きていることを知られれば、今度こそ確実にルルーシュは殺される。
 血を流し、地面に倒れ伏した幼馴染の姿を思い出せば、背筋が冷えた。……そんなことにはさせない。

「ま、時間の問題だとは思うけどね。せっかくデータを取るチャンスだし、ごり押しで出撃許可をとるつもりだよ」

 能天気なロイドの横で、セシルは対照的に気遣うような表情を浮かべている。

「相手はイレブンなのだけど……」

 ナイトメアフレームに乗ってほしい、という驚くべき、そして願っても無い申し出に、スザクは即答した。

「乗ります。いえ、乗らせてください」

 敵は同胞と言えど、テロという間違った手段を用いた相手だ。討つことに躊躇いはない。とにかく、今は、ルルーシュを助けるために、戦闘を最速で収束させる。
 友のいるだろう方向に一瞥を投げて、スザクは拳を握り締めた。


* * *


 緩やかに波打つ金髪の、学生にしてはやや大人びた雰囲気の女子生徒――アッシュフォード学園生徒会長、ミレイ・アッシュフォードが授業を終えてクラブハウス棟の生徒会室にやってきたのは、午後三時を少し回った頃合だった。
 既にやって来ていた青みがかった髪の男子生徒が、ミレイの姿を認めて、盛大な嘆きの声を上げる。生徒会役員の一人、リヴァル・カルデモンドだ。

「会長、聞いてくださいよ、ルルーシュの奴、ひどいんですよ~」

 他の役員の姿はなく、誰かに愚痴を聞いてほしくて仕方がなかったようである。だが、彼が同じクラスで副会長のルルーシュにぞんざいに扱われているのはいつものことだ。

「あいつが俺を置いてけぼりにするから、俺は授業に間に合わなくて……」
「あーはいはい、可哀想ねー」

 くどくどと続けるリヴァルの言葉にあからさまに適当な相槌を打ち、ミレイはテーブルの上に置いた鞄の中から、点滅を繰り返す携帯を取り出した。授業中に何やら着信が来ていたようだ。発信者の名前を見て、ミレイは肩を竦める。

「おや、噂のルルーシュから着信があったみたい」
「全く、変な方向にプライドを発揮するのはやめてほしいって言うか……って、マジっすか!?」

 俺のことは放置かよ、と嘆くリヴァルを無視して、ミレイは留守番電話の録音を再生した。
 耳に当てた携帯電話から、聞き慣れた声が流れてくる。しかし、様子がおかしいことに、ミレイはすぐに気が付いた。妙に苦しそうだ。用件の内容、締めの言葉に、ますます違和感を強くする。

 ――ナナリーのこと、よろしくお願いします。

 最後のその一言の前には、躊躇うような間があった。ルルーシュという少年は、ミレイの知る限り、非常にプライドが高く、滅多なことでは他人に助けを求めたりはしない人間だ。まして、彼の最愛の妹に関しては、過保護もいいところで、人任せにすることなどありえない。そうせざるを得ない何かが彼の身に起きたということか。
 場所は軍の封鎖地域だという。考えられる最悪の事態に、全身から血の気の引く音が聞こえてきそうだった。
 震えてしまいそうな手を叱咤して、慌ててルルーシュに電話をかけ返す。祈るような気持ちで電話が繋がるのを待ったが、いつまでも呼び出し音が響くだけで、一向に通話に出る気配はない。

「リヴァル、ルルーシュとどこで別れたの?」

 自然と詰問口調になったミレイに、リヴァルはきょとんとした顔を向けた。

「どこって……今話してたじゃないすか。国道の途中で、俺らの後ろを走ってた車が事故っちゃって、その救助に行っちまったんですよ、あいつ」

 どうかしたんですか、と聞くリヴァルを他所に、ミレイは部屋に取り付けられたテレビに、ニュース番組を映し出した。
 途端に、煙を上げるビルの写真が大写しになる。

「……を爆破したテロリストですが、新宿ゲットーに逃げ込み、抵抗を続けておりましたが、つい先ほどクロヴィス殿下の指揮の元、鎮圧されたとの情報が入りました。まもなく交通規制も解除される見通しです」
「へ~、イレブンのテロがあったのか~」

 リヴァルはテレビ画面を見つめて呑気な感想を口にするが、ミレイはそれどころではない。

「ちょ、ちょっと会長!?」

 ミレイは、驚くリヴァルの声を後ろに聞きながら、生徒会室を走り出た。慌ただしく家に電話をかけながら、クラブハウスの出口へと向かう。

「ミレイだけど。信用できる人を至急車付きで学園まで迎えに寄越して頂戴。……え? 大丈夫、危ない事じゃないわ。足を挫いて動けない友人を拾いに行くだけよ。念の為毛布と担架も持ってきて」

 電話に出た執事に矢継ぎ早の指示を出しながら、ミレイは不吉な想像が、間違いであるように祈っていた。



 渋る家人を宥めて、どうにか新宿ゲットー、廃線となっている地下鉄新宿三丁目の駅にミレイたちが辿り着いたときには、時刻は三時半を過ぎようとしていた。

「本当にこの先にご友人がいるのですか」

 言われるまま担架を担いでやってきたアッシュフォード家の召使たちの疑問は、尤もなことだった。
 駅の構内は、完全な廃墟と化しており、電気もない。地下に降りれば、先を行くミレイが持った懐中電灯の細い明かりだけが頼りだ。人の気配はなく、物音といえば、ミレイとミレイについて歩く二人の足音が寒々しく響くだけだった。

「そうよ」

 ミレイはそれだけを言って、駅のホームから線路の上に飛び降り、小走りに近い速度で線路沿いに歩きだした。男たちは顔を見合わせると、諦めたように溜め息をついて、後を追って歩いてくる。
 一刻も早くルルーシュの元へ行かなくてはならない。ミレイの頭はその思いでいっぱいだった。こんな場所に好き好んで入り込む筈がないから、彼は何か事件に巻き込まれた筈なのだ。おそらくは、命に関わる何かに。
 やがて、視界の先に、トレーラーと思しき車の背面が見えた。ここは地下鉄で、道路ではない筈なのに、電車ではなくトレーラーだ。ルルーシュが事故車の救助に向かったと言っていたリヴァルの言葉を思い出して、ミレイは走り出した。
 トレーラーは荷台の側面が開いており、そこからぽかりとした暗闇が覗いていた。明かりを近づけて、その下に照らし出された光景に、ミレイの喉から悲鳴が漏れる。
 地面の上に力なく投げ出された手足、血の気の失せた白い顔。瞼を閉じた秀麗な顔立ちは、まさしく探していた人物のものだ。

「ルルーシュ!」

 叫んで駆け寄るが、ルルーシュは、ぴくりとも動かない。胸にまかれた布と、彼から流れたと思しき血だまりを見て、ミレイは泣きたくなった。間に合わなかったのだろうか。留守電なんかにせず電話に出ていれば。

「お嬢様!」

 追いついて来た男達がルルーシュを見て、息を呑む。

「失礼します」

 片方の召使がミレイの前に出て、ルルーシュの脈を取る。厳しい表情が少しだけ緩んだ。

「まだ生きています。とにかく急いで運び出して病院へ」

 動かしても何の反応も返さない少年を担架に乗せて、一行は、走るような速度でその場を後にした。


* * *


 アッシュフォード学園、女子更衣室。
 水着から制服へと着替えをしていた女子生徒は、鞄の中から響く着信音に、手を止めた。まっすぐな栗色の髪は、腰まで届くほどに長い。溌剌とした光を湛えた大きな翠の瞳が、ひどく爽やかな印象を与える少女だった。
 名前はシャーリー・フェネット、学園の生徒会役員の一人である。今は所属している水泳部の活動を終え、着替えているところだった。
 携帯電話を取り出して開けば、液晶にはミレイ・アッシュフォードの名前が表示されている。意外な相手に、シャーリーは僅かに首を傾げた。生徒会メンバーに用事があるときは、豪快に校内放送で呼び出すのを常とする彼女が、わざわざ電話をかけてくるとは珍しい。

「はい、もしもし?」
「あ……シャーリー?」

 通話に出て、シャーリーは眉をひそめた。
 返ってきた声には、いつもの勢いがない。しかも、妙に掠れていて、鼻声だ。まさか泣いているのだろうかと一瞬思ったが、女王様然としたミレイが泣くところなど全く想像ができないから、気のせいだと思い直す。

「はい、どうしたんですか?」
「ちょっと、お願いがあって……迎えの車を寄越すから、ナナちゃんを連れてきてくれる?」

 会長の口から飛び出した、これまた意外な言葉に、シャーリーの胸にもやもやとした不安感が頭をもたげた。
 ナナリー・ランペルージは、生徒会副会長のルルーシュ・ランペルージの妹だ。足が悪く、盲目なため、特別に許可されてクラブハウスに兄と共に住んでいる。生徒会室がクラブハウスにある都合上、中学生ながら、半分生徒会メンバーみたいなものとして扱われているが、身体の事情から、連れ出す時はいつもルルーシュが傍についていた。

「お願いできる?」
「は、はい、水泳部の練習も終わりましたし、それは構わないんですけど……」
「良かった、悪いけどお願いね」

 続いてぷつりと聞こえた切断音に、シャーリーは目を瞠る。

「ちょっと、会長!?」

 叫んでも、既に通話は切れている。まるで、シャーリーに反問されるのを恐れているかのような性急さだ。

「私が連れてくって、ルルは~? なんなのよ~もう~」

 胸に暗雲のように湧き出す不安を振り払うように、明るい口調でぼやきながら、シャーリーは手早く着替えを済ませて、更衣室を飛び出した。


* * *


 テーブルの上の通話機が音を立てるのに、車椅子に座った盲目の少女は、膝の上の点字本から顔を上げた。
 波打つプラチナブロンドの髪に縁取られた秀麗な顔立ちは、まだ幾分か幼さを残していた。小柄であることもあり、ひっそりと咲く小さな白い花のような風情を漂わせた可憐な少女である。
 ルルーシュ・ランペルージの妹、ナナリー・ランペルージだ。ここは兄妹の住んでいるクラブハウスの一室である。
 間をおかず、二人を世話してくれているメイド、咲世子の平坦な声が通話機から響く。

「シャーリー様がいらしておいでです」
「まあ、シャーリーさんが? でも、お兄さまはまだ」
「ナナリー様に御用だと伺っております」
「私に?」

 ナナリーは首を傾げた。
 珍しいこともあるものだ。生徒会のメンバーとはルルーシュを通じて親交があるが、個別に親しいわけではない。

「分かりました。こちらに繋いでください」
「かしこまりました」

 プツリという音とともに、通話モードが切り替わる。

「こんにちは、シャーリーさん。すぐにそちらに伺いますね。生徒会室でいいのでしょうか」

 ナナリーの問いに、返ってきたのは妙に歯切れの悪い声だった。

「あ、ううん、実は、会長にナナちゃん連れてきてほしいって頼まれてて……」

 私にもよく分からないんだけど、とモゴモゴ言い訳じみた言葉が続く。
 ナナリーは眉をひそめた。

「ミレイさんが、学園の外にですか?」
「う、うん、多分……」

 珍しいことの連続に、不安が胸を掠める。何かあったのだろうか。
 ミレイがナナリーを単独で学園の外に呼び出すなどということは、記憶にある限り、初めてのことだ。

「……分かりました。咲世子さんと一緒にそちらに向かいます」


 咲世子に車椅子を押されてクラブハウスの外に出ると、軽い足音が寄ってくる。

「すみません、お待たせしてしまったでしょうか?」
「大丈夫、全然待ってないから」

 明るい声の返事が帰って来たが、明らかに無理をしている風だ。彼女も不審に思っていることがあるらしい。
 正門を出たところで、ナナリーは咲世子に抱き上げられて車に乗り込んだ。隣に咲世子、助手席にシャーリーが乗って、車は緩やかに走り出す。

「あの……どちらまで行くのでしょう?」
「それが、会長ったら言ってくれなくて」

 不安に耐えきれず口に出した疑問に、シャーリーが困惑と不安がないまぜになった声で答える。

「あなたはご存知なのでしょう」

 思い切って、ナナリーが今度は運転席の男に声を掛けると、躊躇うような間を置いて、答えが帰ってきた。

「中央病院にお連れするよう言われております」
「病院!?」

 シャーリーの悲鳴のような叫びが車の中に響く。ナナリーは、まるで奈落の底に落ち込んでいくような錯覚に捕われた。思わず咲世子の手をぎゅっと握ると、温かい手が励ますようにナナリーの手を包み込んだ。

「まさか、お兄様の身に何か……あったのですか?」

 今度も一拍置いて、運転席の男が答えた。

「自分にはよく分かりません」

 努めて感情を出さないようにしているが、ナナリーは、その声に僅かに含まれた憐憫の情を感じ取った。がくがくと、体が勝手に震え出す。

「そんな……」

 かみ締めた唇から、呻くような声が漏れる。微かな衣擦れの音がして、シャーリーの振り返る気配がした。あきらかに空元気と分かる声音ではあったけれども、彼女は励ますようにナナリーに話しかけてくる。

「大丈夫よ、会長のことだもの、きっとドッキリか何かよ。私たちが真っ青になって駆け付けたら、ひっかかった~って笑いながら出て来るわよ」

 励ましてくれる気持ちは嬉しいけれど、ナナリーには、とてもそうは思えなかった。ミレイは確かにやることなすこといろんな意味で弾けてはいるけども、一線を越えるようなことはこれまで一度もなかった。特殊な事情を抱えたナナリーとルルーシュに最大限気を使ってくれていることを、ナナリーは知っている。
 全員が黙り込んで、それからどれくらい走ったのか。永遠にも思える時間が過ぎた後、車が止まった。ドアの開く音に、ナナリーは身の竦む心地がする。一刻も早く兄の安否を確かめたいという思いと、確かめるのが怖いという思いがせめぎあって、息もできないようだった。
 しかし、無情にも咲世子はナナリーを抱え上げ、車椅子に乗せかえる。そうして椅子を押されてしまえば、ナナリーに進むことを拒絶する余地は無いのだった。
 自動ドアの開閉する音とともに、ナナリーの鼻は消毒液の匂いを捉える。病院特有の匂い。
 運転していた男性が、ナナリーたちを先導して歩いて行く。一行は黙々と先に進んだ。入口の賑わいが次第に遠くなって、静かなエリアに入る。
 先導の足音が止まると、シャーリーと咲世子が息を呑む音がやけに大きく聞こえた。彼女たちの瞳には、何が見えているのだろう。ナナリーはもどかしさに唇を噛んだ。
 続いてノックの音、僅かの間の後に、自動ドアの開く音。戸口に出たのはミレイなのだろう、いつも彼女がつけている香水の香りが、ふわりと鼻をくすぐった。

「会長……!」

 耳を打つのはシャーリーの驚きの声だ。その理由は、すぐに知れた。

「ナナちゃん……。間に合ったのね」

 いつものミレイとは違って、しわがれた、今の今まで泣いていたと分かる涙声。その声は悲しみに満ちている。ナナリーは、車椅子の肘置きを強く握りしめた。何も聞きたくない。

「とにかく入って。こんなところに立っていたら邪魔になるわ」

 私はこれで失礼します、と案内してくれた男性が一礼して、靴音が遠ざかっていく。
 また静かに車椅子が動き出して、ナナリーは部屋の中へと入った。奇妙になま暖かい空気が頬を撫でる。空調の音、何かの機械の作動音、そして、ピッ、ピッ、と規則的に響く電子音。まるで心臓の鼓動のようなリズムだと考えて、慌ててそれを頭の中から打ち消す。

「うそ……そんな……」

 背後から聞こえて来るシャーリーの声は、絶望の気配に彩られている。
 ナナリーは一つの結論に思考が行き着いてしまいそうになるのを、必死に堪えた。
 認めたくなかった。認めてしまったら、自分を包む世界はきっと崩壊してしまう。

「何が……あったのですか」

 ナナリーは縋るようにミレイがいると思しき方向に顔を向けた。

「病院に運びこんだときには心肺停止状態で……どうにか蘇生はしたけど、まだ危ないって。命が助かっても、植物状態のままのことも考えられるそうよ」

 誰のことなのかは、聞くまでもなかった。最悪の言葉に、ああ、とナナリーは溜め息のような声を漏らした。
 自分が包まれていた平和で優しい世界が、粉々になって崩れて行く音が聞こえる。いいや、違う。世界なんて、七年前にとうに壊れていた。それを忘れていられたのは、ナナリーの世界を必死に繋ぎ合わせて守ってくれていた存在が、ルルーシュがいたからだ。

「ナナちゃん!?」



 ――守り手を失った今、世界は、本来の姿に戻るしか、ない。



[32362] 第2話
Name: めい◆cd990f2a ID:5691f6d1
Date: 2013/05/10 17:43
 ノックの音が、室内に響く。
 部屋の奥、窓を背にして設えられた執務机に座った青年将校は、書類から顔も上げずに入室許可を出した。

「入れ」

 声に応じてするりと入ってきたのは、浅黒い肌、長い銀の髪を横で一つにまとめた、なかなかの美女だ。青年と同じく、軍服に身を包んでいる。
 ここはエリア11ブリタニア総督府の中、栄えある総督直属のナイトメアフレーム一隊を率いる、辺境伯ジェレミア・ゴッドバルトに与えられた執務室だ。
 部屋の主は新宿ゲットーのテロリスト掃討作戦から帰還し、後始末の書類処理に追われているところだった。

「どうした、何かあったか」

 帰投早々に、部下には休息を許可している。副官であるヴィレッタも例外ではない。

「それが……少々気になることがございまして」

 その言葉に、ジェレミアは書類を繰る手を止めて、顔を上げた。

「何だ。言ってみろ」
「先ほど、中央病院から問い合わせがあったとか……ブリタニアの学生が撃たれて、運びこまれたそうですが、場所と時刻からして、ゲットー作戦時に巻き込まれた可能性が高いと」

 ジェレミアは目を細める。

「ナイトメア戦に巻き込まれたという可能性は?」
「銃瘡で、ナイトメアのものとは口径が違います。我が軍の兵士に配付されている銃と同じものということです」
「なるほど」

 作戦の舞台となったのは、新宿ゲットーの只中、ブリタニア人が好き好んで近づくような場所ではない。仮にブリタニア人がいたのなら、ひどく目立ったはずだ。
 そもそも、今日の作戦は銃撃戦と呼べるものはほとんど展開されなかった。流れ弾に当たりようもない。当然のことながら、ブリタニア人を撃ったという報告もジェレミアの目には触れていなかった。
 よしんば数少ない流れ弾に当たったのだとしたら、その場で軍に救助を求めればいいだけの話だ。戦闘に巻き込まれた民間人の救助も軍の役目なのだから。
 なぜ、少年はそうしなかったのか。

「面白い」

 テロリストの仲間割れか、それとも軍の仕業か。
 後者の可能性は低い。逼迫した戦況下でもなく、民間人を無差別に撃つなど愚挙であるし、他部隊に対して隠しおおすことは難しい。
 ――いや。今日の作戦では、バトレー将軍の直接の命令を受けて、完全に独立して動いている一隊がいた。彼らが少年を撃ったという可能性はあるだろうか?
 それは、十分にありえそうなことに思えた。
 ジェレミアは、書類を置いて立ち上がった。

「その少年が運びこまれたという病院へ行く。信頼できる部下を何名か選出せよ」
「ジェレミア卿が直接出向かれるのですか!?」
「ちょうど書類書きも飽きてきたところだ」

 たかが撃たれたという少年一人、本来ならジェレミアが出向くほどのことではない。
 だが、万が一にも、盗まれた機密物体の回収を目的とした部隊に撃たれたのだとしたなら、おそらく少年は機密物体を目撃している。
 総督と将軍をあれほどに慌てさせたものが一体何であるのかは、大いに興味があるところだ。だが、それを聞き出すことはおろか、興味を持っていることを知られるのはまずい。たとえヴィレッタと言えど、人任せにはできないことだった。


* * *


 春の穏やかな日差しの元、美しく手入れされた庭園で、ナナリーは色とりどりの花を摘んでは歩き、また摘んで、歩いていた。歩き始めてすぐに、左手に下げた花籠は一杯になってしまった。隣を歩く義姉の籠を見れば、同じように一杯になっている。
 二人は笑いあいながら、弾むような足取りで、四阿へと歩いていく。そこには、大好きな人達が待っている。穏やかな微笑みを浮かべた美しい母と、母に良く似た面差しの兄だ。
 ――ああ、これは夢だ。まだナナリーが歩けて目も見えた時代の、曇りなく幸せだった子供時代の夢。この頃は自分を包む優しい世界が壊れてしまうことがあるなんて、想像したことすらなかった。
 義姉と二人で花冠を作って、兄がどちらを被るかで、今度は他愛の無い口喧嘩が始まった。兄は困った顔で二人を交互になだめている。あの時、兄はどうしたのだったか。
 今は遠すぎる、幸せな時代の残像に、目頭が熱くなるのを止められない。
 ふいに、場面が変わった。気がつけば、小さなナナリーは、華やかな音楽の流れる夜会の中に立っていた。覚えている。この時ナナリーは、新しいドレスを仕立ててもらったのが嬉しくて、ご機嫌で母について歩いていた。

(やめて。この先を私に見せないで)

 ナナリーはこの夢の続きを、嫌になるほど知っていた。七年前から、何度見たか知れない悪夢だ。
 母の周りを飛び跳ねるように、長い階段を降りているときだった。けたたましい銃撃の音ともに、ガラスの砕け散る音が耳に突き刺さるのと、軟らかい感触に階段に押し倒されたのはほとんど同時だった。背中の痛みより先に、両足の激痛を感じた。
 そして、ナナリーは、先ほどまで優しく微笑みを浮かべていた、美しい母の無残な姿を見た。見開かれた瞳は、もはやナナリーの姿を映すことはない。自分をかばって倒れた、その背中からはとめどなく温かい液体が流れ出して、ナナリーの手を濡らしていく。

(どうして。どうして。こんな光景、見たくない、見たくないの)

 絶叫すると、場面が変わった。
 ナナリーは、真っ暗な世界で、痛みと孤独と戦っていた。事件の直後、夢を見るのが怖くて、いっそ死んでしまいたくて、人形のように寝台に横たわっていた頃だ。絶望に彩られたナナリーの世界に、今にも泣き出しそうな声音の言葉が響く。

「ナナリー、しっかりしろ……こんな傷、きっとすぐに良くなる。母さんもお前も失ったら、僕は……」

 その声は、ナナリーと同じように、恐怖と絶望と孤独と戦っていた。

(ああ、私がいなくなったら、お兄様の心もきっと壊れてしまう)

 ナナリーが戻らなければ、ルルーシュは一人になる。父はいるが、自分たち二人は数えるほどしかお会いしたことのない、遠い方だ。こうして伏しているナナリーの見舞いにさえも来ない父が、兄を支えてくれる筈もない。
 現実に立ち戻るのは怖くて辛くて悲しい。けれど、自分が戻ることで兄の心が守られるというのならば、戻らなければ。
 その時、ナナリーは確か、そう思ったのだ。
 ナナリーが徐々に自分を取り返し始めると、ルルーシュは献身的に世話をしてくれた。それからずっと、二人で支え合うようにして生きてきた。精神的ショックから目を閉ざし、銃撃を受けた後遺症で歩けなくなったナナリーは、物理的には何らルルーシュを助けることはできなかったが、お互いがお互いの生きる理由なのだと、口に出さずとも分かっていた。
 また、場面が変わる。
 目の前に、まだ幼い時分――ナナリーの記憶に残るそのままの兄が、倒れていた。母のように、背中は銃弾で真っ赤に染まり、大好きだった綺麗な紫の瞳は、ガラス玉のように虚ろだ。

(そんな、こんなの嘘――。第一、お兄様は既に高校生で、こんな小さな頃にこんなことは起きてません)

 こんな夢は間違っている。目覚めなければ、という思考とともに、意識が急速に現実に近付く。
 真っ暗な世界に、現実の世界でミレイの呟いた言葉が谺した。

「いつ鼓動が止まってもおかしくない状態……」

 母と歩行機能、そして視界を失ってから七年、兄の優しい声だけがナナリーの心に差し込む唯一の光だった。なのに、神様はそれすらもナナリーから奪おうとしている。永遠に。
 兄を亡くしてしまったら、この世界で生き続けることなど考えられない。ならば、せめて最後に、ナナリーの名前を呼ぶ優しい声を聞きたかった。それが叶わないなら、まだ生きている兄の姿を、この目に焼き付けたい。
 視界を閉ざしたあの日以来、初めて焼け付くような気持ちで、世界を見たいとナナリーは願った。



 目に飛び込んで来た光と、それに伴う鈍い痛みに、ナナリーは思わず目を瞑った。長い間使用していなかった神経が、突然の刺激に悲鳴を上げている。
 ――光? 目を瞑る? ナナリーは恐る恐る目を開けてみた。それは、呆気なく開いて、外の世界を映し出す。どんな医者にかかっても、どんなに兄が励ましてくれても開かなかったナナリーの瞳は、新たな精神的なショックを受けて七年ぶりに治ったというのだろうか。だとしたら、何という皮肉なのだろう。
 無機質な白い天井と壁、鼻をつく消毒薬の匂い。絶え間なく響く規則的な電子音。夢ではなく、現実だ。
 眠っている間に流れていた涙を指の先で拭う。

「じゅあ、ルルはテロに巻き込まれたっていうの?」
「たぶん……」

 ぼそぼそと交わされるシャーリーとミレイの声に、ナナリーは視線を横にずらした。
 二人の女性がこちらに背中を向けて立っている。そして、その向こう。透明なケースで覆われた寝台、そこに横たわっている人物に、ナナリーは息を呑んだ。

「お兄様……!」

 二人は弾かれたように振り返った。

「ナナちゃん、眼……!」

 ミレイと思しき女性が目を丸くするのも、ナナリーの目には入っていなかった。ナナリーはただ、その人のことだけを見ていた。母によく似た面差しの、秀麗な顔立ち、漆黒の髪。白皙の肌は血の気を失って青白く、命の気配のほとんど感じられない横顔。
 呆然として身体を起こして、兄の眠る寝台に向かって手を伸ばす。バランスを崩して簡易寝台から落ちかけた身体を、脇から咲世子が支えて、車椅子に乗せ替えてくれる。礼を言う余裕は、今のナナリーには無い。
 二人が空けてくれた、ルルーシュの枕元に車椅子を進める。
 そうして、震える手で寝台の表面を覆う透明なケースを撫でて、兄の顔を覗き込む。涙が一滴、二滴、とその上に滴り落ちた。

「お顔を拝見するのは七年ぶりですね……こんな……こんな形で、お兄様の姿を、見ることになるなんて……」

 背後でシャーリーの、鼻をすする音が響いた。

「お兄様、ナナリーです。どうか……どうか、お兄様の綺麗な紫の瞳をもう一回見せてください。私、目が見えるようになったんです。お願いです。私の名前、もう一度、呼んでください……」

 ――行って来るよ、ナナリー。最後に聞いた言葉が朝に聞いたその言葉だけなんて、あんまりだ。

「ナナちゃん……」

 それきり絶句するミレイの声も、完全に涙声だ。
 ナナリーは寝台に縋って、ただケースの上を撫で続けた。
 どのくらいそうしていただろうか。室内にはただ、絶え間ない嗚咽と、鼻を啜る音、そして規則的な電子音が響くだけだった。
 永遠にも続きそうなその合唱を中断させたのは、ピルル、ピルル、と場違いな明るい携帯電話の着信音だ。

「ちょっと……ごめん」

 ミレイは断ってから、携帯を耳に当てた。

「はい、どうしたの? ……え? ……そう、分かりました。全員でここを出ます。正面入口で待っていて」

 思いがけない言葉に、ナナリーは思わず振り返った。

「会長?」

 シャーリーも抗議の声を上げる。

「ごめん。祖父が、心配して、私たちの夕食の手配をしてくれたみたい。車が迎えに来てるから、申し訳ないけど、祖父の顔を立ててもらえるかしら」
「会長のおじいさま……って、もしかして理事長!?」

 そうよ、とミレイが頷けば、シャーリーは居住まいを正した。ミレイの祖父はアッシュフォード学園の理事長だ。そういえば、そろそろ寮の門限である。友人が危篤とはいえ、家族でもないシャーリーは付き添う理由にならないのだろうか。

「私はお兄様の側にいます」

 ナナリーが首を振って答えると、その答えを予想していたように、ミレイは目を伏せた。ナナリーの側にやってきて、耳元に屈む。

「ブリタニア軍の一隊がこの部屋に向かってるそうよ。入口で問い合わせをしているのをうちの者が見たって」

 それだけで、ナナリーは彼女の言わんとする事を理解した。ミレイは、ナナリー達の本当の素性を知る、数少ない人物のひとりだ。ナナリーもルルーシュも、軍との接触は極力避けるべき立場だが、ルルーシュは今はとても動かせない。だからナナリーだけでも逃げろと言うのだろう。おそらく夕食云々は、この場から人を引きはがす為の方便だ。

「私は、お兄様と運命を共にします」

 それが分かっても、ナナリーは返事を変えなかった。変えられる筈がない。

「ナナちゃん……」
「お兄様がいたから、私は今日まで生きてきました。……だから、死ぬのも一緒です」

 囁いて、にこりと微笑むと、ミレイがそれ以上何も言えなくなるのが分かった。車椅子の向きを変えて、シャーリーと咲世子にもぺこりとお辞儀する。

「ごめんなさい、私、お兄様と二人でお話ししたいんです。……時間が勿体なくて」

 それもまた、ナナリーの偽らざる本音だ。

「……仕方ないわね」

 ミレイは、諦めたように溜め息をついて身体を起こした。

「すみません、ミレイさん。ミレイさんのおじいさまに、私からお礼とお詫びをお伝えしていただけますか? 今までありがとうございましたと」
「分かった。伝えるわ」

 そのやりとりに、部屋からほとんど出かけていたシャーリーが立ち止まって怪訝そうに振り向く。

「ナナちゃん……?」
「さ、兄妹の語らいを邪魔しちゃダメよ。私たちは行きましょう」

 ミレイと咲世子がシャーリーを半ば強引に押し出して出て行くと、病室の中には束の間の静かな一時が訪れた。ただ、規則的にルルーシュの鼓動を示す電子音だけが時を刻む。
 ナナリーは、物言わぬ兄を見つめながら、その時をじっと待った。
 ルルーシュを撃ったのは、ブリタニア軍なのかもしれない。そうでなくとも、ナナリー達の事が知られれば、どうなるかは分からない。もしも軍が、ルルーシュにとどめを刺すというのならば、ナナリーは、ここで兄と共に果てるつもりだった。元より、抵抗する術も逃げる術もない。
 やがて複数の足音が廊下から響いてくると、ナナリーは膝の上で掌を握り締めた。

「お兄様……愛しています。私だけは、ずっとずっと一緒です……」


* * *


「ヴィレッタ」

 ジェレミアは示された病室の手前で立ち止まり、副官の名を呼ばわった。

「心得ております」

 返事と共に、ヴィレッタ以下、ジェレミアについてきた四人の兵士が銃を取り出して、それぞれ問題の部屋のドアの左右の壁に張り付く。
 周辺に人の気配はなく、要請どおり、人払いが為されているようだ。ここまで案内してきた看護婦も、先ほど怯えた顔で引き返していった。
 目配せの元、四人はドアを開けて一斉に突入する。

「動くな! 我々は総督直属軍だ!」

 室内に、抵抗の気配はない。
 入室して、まずジェレミアの視界に入ったのは、寝台の脇に佇む、車椅子の後姿だった。横たわる患者と思しき人影の顔は車椅子に遮られて見えないが、枕元のモニターには、心臓の波形と思しき曲線が規則正しく踊っている。

「ゆっくりとこちらを向け!」

 銃を構えたままヴィレッタが威圧すると、車椅子は静かに回転した。
 座っているのは、波打つプラチナブロンドの長い髪と紫の瞳の、面差しに幼さを残した可憐な美少女だ。充血した眼と、腫れぼったい目元は、少女がたった今まで泣いていたことを窺わせる。

「……軍が、私達に何のご用でしょうか」

 泣いて枯れた声で少女は言った。銃を突きつけられているというのに、不思議と物怖じしている様子はない。

「そちらの少年に聞きたいことがある」

 ジェレミアが横柄な口調で言うと、少女は首を振った。

「申し訳ありませんが、お兄様は、話ができる状態ではありません」

 そんなことは病院から知らされている。ジェレミアは鼻で笑った。

「ショックを与えてでも、一時的に話ができればそれでよい」

 暗にその後の生死は問わないという言葉に、少女は瞳を限界まで大きく見開いて、ジェレミアの顔を見上げてくる。
 そのとき、微かな既視感にジェレミアの胸がざわついた。この少女は、記憶の中の誰かに似ている。

「そんな……お兄様を、殺すと言うのですか」

 ジェレミアは、まとわりつく既視感を振り払うように、歩を進めた。

「どいていなさい、お嬢さん。我々は武器を持っていない、か弱い女性に暴力を振るう気はない」
「いいえ!」

 少女は、果敢にも両手を広げて、ジェレミアを通すまいとする。

「無礼者!」

 ヴィレッタがすぐさま取り押さえて、車椅子ごと乱暴に脇にどけた。少女が遮二無二暴れだす。

「お兄様まで……お母様だけでなくお兄様まで、私から奪おうというのですか。私達が何をしたというのです……!」

 泣き叫んでヴィレッタを押し返そうとする少女に、戦場にあっては毅然とした強さで敵を駆逐する女騎士も、少々困惑顔だ。無理も無い。テロリスト相手ならばともかく、懸命に向かってくるのは、あきらかな一般人の、それも足が不自由なか弱い少女である。攻撃の意志はなく、ただひたむきに兄の傍に行こうとするその姿は、見る者に哀れを誘った。命令でなければ撃ちたいとは思うまい。実際、他の兵士も困ったように眉を寄せて眺めるだけで、手出しをしようとはしなかった。
 ジェレミアは少女を無視して、寝台の傍らに進んだ。患者の周囲を無菌に保つ透明な覆いを開こうと枕元のスイッチに手を伸ばし、ふと中の人物を見下ろして、動きを止める。
 青白い顔で横たわっているのは、艶やかな黒髪に縁取られた、端正な顔立ちの少年だ。

「やめて、やめてください! お兄様はまだ生きてるのに!!」

 ジェレミアが動きを止めたのは、悲痛な叫びに憐憫の情をもよおしたからではなかった。またも胸をざわつかせた既視感のせいだ。無視できないほどに育ったその感覚が、ジェレミアの手を制止している。

 ――似ている。

 軍人であれば、瀕死の人間を見るのも、死体を見るのも珍しいことではない。だが、ジェレミアに今異変を訴えかけているのは、七年前から悔恨と共に繰り返し思い出し続けた、もはや脳裏に焼きついて離れない、特別な意味を持つ記憶だった。
 無数の銃弾を受けて、高貴な人の背中から流れ出した血が、緩やかに階下へと滴り落ちて行く。見開かれた青い瞳に光はなく、彼女の魂が既にそこから飛び去ってしまったことは明白だった。そして、彼女に庇われて命こそ助かったものの、両足を撃ち抜かれたプラチナブロンドの髪の少女と、半狂乱で二人に取りすがっていた黒髪の少年――今も鮮やかに浮かぶ彼らの姿に、ジェレミアはまじまじと横たわる少年を見つめた。
 咄嗟に思い浮かべたことの突拍子の無さに、頭を振る。
 馬鹿馬鹿しい。二人は、とうにこの世から喪われている。もう七年も前のことだ。彼らは、まだ日本と呼ばれていたこの地に送られて、命を落とした。そう、この地で。
 あの少年に、この少年は、ひどく似ている。まるで、そのまま歳を取ったかのようだ。
 愚かしいことを考えていると分かっていても、ジェレミアには己の世界に突如として差し込んだ一縷の光を無視することはできなかった。

「ヴィレッタ。この少年の名前は何と言ったか」
「は……? ルルーシュ・ランペルージです」

 上官の唐突な質問に戸惑いながら、ヴィレッタが答える。
 ジェレミアは、泣き叫びながら、懸命に傍へ近づこうとする少女を見やった。年頃、髪の色、紫の瞳、不自由な両足。――その、顔立ち。
 コツリ、と向きを変えて、ジェレミアは少女を見下ろした。

「……名は?」

 掠れた声で問うジェレミアに、ヴィレッタが眉を寄せる。

「は? ですから、ルルーシュ・ランペルージと……」
「この少年の名前ではなく、その少女の名前だ」

 ジェレミアの言葉を聞くやいなや、少女はぴたりと暴れるのをやめた。

「おい、名は何と言う」

 ヴィレッタの問いに、少女は躊躇うように、顔を俯かせた。

「さっさと答えろ。お前の兄がどうなってもいいのか」
「……ナナリー・ランペルージと、申します」

 蚊の鳴くような声で、少女は答えた。
 ルルーシュとナナリー。ジェレミアは口の中でその名前を転がした。
 これは本当に偶然だろうか。二人の歳格好と、名前と、エリア11という場所の三つもの符号の一致。果たして、そんな奇跡のようなことが、本当に起こりうるのだろうか。
 間諜という可能性を考えて、ジェレミアはすぐにそれを否定した。横たわる少年が瀕死の状態であるのは疑いもなく確かなことであったし、少女の嘆く様子は演技にはとても見えない。そもそも、間諜であるなら、ジェレミアに対して、もっと違う名前を名乗っていたはずだ。――ならば。
 ジェレミアは眼をかっと見開いた。

「全員、この部屋より退室し、廊下で待機せよ。その少女と二人で話をする」
「ジェレミア卿?」
「命令だ」

 有無を言わさない強い口調に、ヴィレッタ達が、渋々といったように退出していく。
 二人だけになると、ジェレミアは改めて車椅子の少女に向き直った。躊躇いもなくその前に跪き、頭を垂れる。

「ご無礼を何卒お許しください。私はジェレミア・ゴッドバルトと申します。辺境伯の爵位を賜っております」

 病室の中に、息を呑む音が響いた。


* * *


 ナナリーは目の前に跪く青年将校を見つめた。貴族の傲慢さが表面ににじみ出ているような青年だ。その印象の通りに、先ほどまでは横柄な態度であったのに、今はそのような気配は微塵も無い。声には、本物の敬意が込められている。
 対応を迷ったのは数秒ほどだ。その数秒こそが何よりの肯定となることを知りつつも、ナナリーは白々しく答えた。

「どなたかと、お間違えではありませんか。私は伯爵閣下に跪いていただくような身分の者ではありません」

 青年は、がばりと顔を上げて、ナナリーを見つめた。その瞳には、訴えかけるような真摯な光が宿っている。

「ナナリー様……! わたしは……八年前、アリエス宮の警護任務についておりました」

 その言葉に、ナナリーは動揺を抑え切れなかった。アリエス宮。ルルーシュとナナリーが生まれ育ち、そして母が殺された忌まわしい場所の名前。

「……私は、そのような場所の名前は存じません」

 それでも、ナナリーはそう答えるしかなかった。戦争が終ったあとも、ブリタニアから隠れることを選んだ兄は、かつての場所に戻ることを望んでいなかった。むしろ憎んでいたと言ってもいい。兄の意識が戻らない今、命を守ることは無理でも、その矜持だけは守りたい。それだけが、今となってはナナリーがルルーシュのためにできる唯一のことだった。

「ナナリー様……ブリタニアを恨んでらっしゃるのですね。お二人を捨てたブリタニアを……」

 ジェレミアと名乗った男の両目から、突然ぶわりと涙が溢れだし、ナナリーは意表をつかれて、さらに動揺した。

「お許しください! マリアンヌ様さえご存命であったなら、お二人が日本に送られることも無かった! マリアンヌ様をお守りし切れなかった私が、お二人を死に追いやったも同然です……! しかし、しかし、お二人は生きておられた! どうか私に、七年前の償いの機会をお与えください! このジェレミア・ゴッドバルト、身命を賭してお二人をお守り致します」

 どうか、と言って顔を伏せた青年の涙が、床に一滴二滴と垂れた。その声にも、涙にも、嘘は感じられない。迷った末に、ナナリーは口を開く。

「とても、辛いお気持ちだったのですね」

 ナナリーが労るように言えば、青年将校はおお、と感激したように顔を上げた。

「私には詳しい経緯は分かりません……でも、そのお二人は、きっとあなたを恨んではいないと思います」

 だから、気になさることはないのです、とナナリーが続けると、青年は目をさらに見開いて、激しく首を振った。

「なぜです、なぜお認めくださらないのです。この私が嘘を言っていると思っておられるのですか」
「いいえ。あなたのお気持ちはよく分かりました。……きっと、そのお二人が聞いたら、喜んだと思います」

 それはナナリーの正直な気持ちだった。自分たちは、とうにブリタニアに何かを期待することをやめている。それでも、自分たちの死から七年を経た今も、心を残していてくれた人がいるという事実は、仄かにナナリーの心を温かくした。
 しかし、青年は諦めなかった。

「ナナリー様! ……ナナリー様は、兄君を、ルルーシュ様を、お見捨てになるのですか」

 ナナリーは、横から殴られたような衝撃に、車椅子の肘掛けをぎゅっと握り締めた。
 自分がルルーシュを見捨てることなど、ある筈がない。兄こそが、七年前からずっと、ナナリーの生きる理由だった。

「兄君はまだ生きておられるではありませんか。しかし、兄君を撃った人間が――撃てと命令した人間が、兄君の生存を聞き付けたら、どうやって兄君をお守りするおつもりです」

 もちろん、守る手立てなどありはしない。だから、そうなったら、ナナリーは運命を共にするつもりでいた。そう思っているのに、青年の言葉に心が揺らぐのは、弱さの証拠だろうか。

「ブリタニアの最高の医療技術をもってすれば、兄君も助かるかもしれないではありませんか。ナナリー様は、兄君を見殺しにされるのですか!」

 重ねられた非難の言葉は、ナナリーの最も弱い所を衝いた。数分ほど、規則的な電子音だけが、沈黙の中に流れる。やがて、ナナリーは、視線をジェレミアからルルーシュへと移した。

「お兄様は……ブリタニアを……皇帝陛下を、憎んでおられます……」

 呟いて、ナナリーはぴくりとも動かない、ルルーシュの整った顔立ちを見つめる。

「お兄様は、プライドの高いお方です。ブリタニアに縋って、命を長らえたところで、決してお喜びにはならないでしょう」

 その言葉を聞いて、ジェレミアの顔が歪んだ。

「ですが……!」

 反論するジェレミアの言葉を遮って、ナナリーは続けた。

「お兄様は、私を、私の心をずっと守ってくださいました。今度は、私がお兄様を、お兄様のお心をお守りする番なのです……」

 ナナリーの両目から、堪えきれない涙が溢れ出し、零れ落ちてゆく。

「なのに、私は我が侭です。たとえお兄様が望まないと分かっていても……恨まれても、憎まれてもいい。それでも、私はお兄様に生きていて欲しい。お兄様のお声を、もう一度聞きたいのです。この願いは、罪なのでしょうか……」

 ジェレミアは、両目から更なる涙を溢れさせ、激しく首を振った。

「それを罪だなどと、誰に言えましょう。ご家族として、当然のお気持ちではございませんか……!」
「ジェレミア卿……と仰いましたね」
「ジェレミアとお呼びください」

 青年は嬉しそうに答えた。

「手を……よろしいですか」

 ジェレミアが怪訝そうに、体を起こし右手を差し出す。ナナリーはその手を両手で包みこんだ。

「な、ナナリー様?」

 狼狽えるジェレミアの瞳を、ナナリーはじっとのぞきこんだ。きれいなオレンジ色の瞳だ。

「お兄様をお助けするために、どうか……どうか、あなたの力を、貸していただけますか」

 青年の手がびくりと震えた。後ろめたさの所為ではなく、心底感激している所為だ。

「イエス、ユア・ハイネス……必ずや、お守り致します」

 もう一度深々と一礼し、青年は病室から颯爽と去っていく。
 それを見送って、ナナリーは車椅子を寝台に寄せた。その上を覆う無機質なカバーに頬を寄せる。当たり前だが兄の体温など欠片も感じられない。それでも、少しでも近くで存在を感じたかった。

「私は……我がままです。お兄様……ごめんなさい……」

 とめどなく溢れる涙を拭いもせずに、少女はただ、同じ言葉を繰り返した。



[32362] 第3話
Name: めい◆cd990f2a ID:5691f6d1
Date: 2013/05/10 17:44
 勇ましい軍服に身を包んだ銀髪の美女、ヴィレッタ・ヌゥは、現在のところ、上官の命令に忠実に従っていた。腕組みをして仁王立ちする正面には、ジェレミアが入っていったドアがある。
 しかし、微動だにしない立ち姿とは裏腹に、眉間には深い皺が刻まれ、瞳には苛立ちが浮かんでいる。彼女が上官の命令に不服を感じていることは明らかだった。
 突入に備えて、油断無くドアを窺う隊員達の表情にも、戸惑いが見て取れる。
 それも無理はなかった。
 ジェレミアにヴィレッタたち随行が部屋を追い出されてから、かれこれ十分ほども経つ。部屋の中にいるのは、ジェレミアと、テロリストの疑いのある瀕死の少年と、その妹らしき足の不自由な少女で、抵抗する力があるとは思われない。だが、相手がテロリストだとしたら、どんな武器を隠しもっているかも知れず、最悪の場合は自爆しないとも限らない。賢明な方法とは思えなかった。
 ドアの向こうからは、時折微かな声が漏れ聞こえはするものの、内容が分かるほど明瞭なものではなかった。まさかヴィレッタがドアに耳をつけて盗み聞きするわけにもいかない。
 一人で尋問を行うということは、上官は二人が余程重要な情報を握っていると判断しているらしい。……ならば、用が済んだ後は二人を抹殺するつもりなのかもしれない。
 それは、余り愉快な想像ではなかった。ヴィレッタは特段情け深い性質ではないし、戦場で人を殺すことに躊躇いなどない。だが、さすがに病院で、無抵抗な足の不自由な少女を撃ち殺すのは、後味が悪い。

(軍命とあらばやむを得ないが……)

 先程の車椅子の少女の様子を思い出し、ヴィレッタは眉間の皺を深くする。
 不快な想像は、待ちかねたドアの開閉音に中断された。すわ二人の射殺命令か、と身構えたヴィレッタだったが、そこに現れた上官の姿に、眉をひそめる。

「ジェレミア卿……?」

 ジェレミア・ゴッドバルト。名門ゴッドバルト辺境伯の位を持つ、れっきとした貴族であり、総督直属のナイトメアフレームの一隊を率いる男。軍人としても輝かしい経歴を誇る彼は、まるでたった今まで泣いていたかのような顔をしている。目と鼻はわずかに赤く、頬も紅潮している。
 催涙ガスの攻撃でも受けたのだろうか。それにしては、室内から騒乱の気配は無かった。そして、上官の全身から、のまれるようなエネルギーが発散されているのが、ひどく奇妙だった。

「私はこれよりただちに総督府に戻って総督閣下にお会いする。お前達はこのままここに残り、お二方の警護に当たれ」

 ただでさえ疑問符でいっぱいだったヴィレッタの頭は、さらに混乱する。

「警護……で、ありますか」

 一体何を? 何故? そもそも、ヴィレッタたちは総督直属のナイトメアフレームに騎乗する騎士候であり、警護などは完全に範囲外の任務だ。よしんば警護するとしても、それは、総督やそれに準ずる相手以外には考えられない。それを誰よりも承知し、また誇りに思っているはずの彼女の上官は、ヴィレッタの言葉にあっさりと頷く。

「そうだ。中の少年たちを目標に何者が来ても、決して中に通すな。親衛隊がきたとしてもだ」
「しかし、それでは……」

 親衛隊とナイトメアフレーム隊は、指揮系統が違うから、お互いに命令はできない。だが、バトレー将軍を通して命令が来たら、反抗は許されない。疑問が顔に出ていたのだろう、ジェレミアはふっと笑いを浮かべた。

「バトレー将軍の命令であってもだ。そのときは、クロヴィス殿下のお名前をお出しせよ」

 とんでもない命令に、ヴィレッタ以外の者の口からも疑問の声が上がった。

「殿下の!? それは、まずいのではありませんか」

 ジェレミアは笑みを引っ込めて、首を振った。

「心配はいらない。全責任はわたしがとる。よいか、絶対に、中のお二方をお守りせよ。万が一お二方の身に何かあったら、お前たち全員、二度と日の目を見れると思うな。私の命に代えてでも、地獄に叩き込んでやる」

 声にも眼差しにも、冷え冷えとした力がこもっていた。全員が背筋を正し、敬礼する。

「イエス、マイロード」

 見事に揃った言葉に、ジェレミアは満足げに頷くと、マントを翻し、走り出さんばかりの早足で、廊下の向こうへと消えて行った。
 呆然としてそれを見送ったヴィレッタは、我に返って、背後の病室を振り返る。
 上官の口振りからして、件の少年と少女は、相当な大貴族の子息辺りか。周知がされていなかったということは、お忍びで遊びに来ていた際に、たまたま騒動に巻き込まれたのだろう。

「厄介なことだな……」

 ヴィレッタは、眉を寄せて、病室にかかったプレートをにらみ付けた。


* * *


 病院の一画で、感動的な再会のドラマが展開されていた頃、ブリタニア軍親衛隊の隊長も、自らの執務室で、戦闘終了後病院に運びこまれたという少年の存在を耳にしていた。他ならぬ、ルルーシュを撃つように命じた張本人である。

「あのイレブンめ……殺し損なったのか」

 少年の特徴を聞く限り、自分が排除を命じた対象であることはほぼ間違いない。続けて、報告の兵士が、未確認情報ですが、と断ってから、総督直属のナイトメアフレーム隊の一隊がその病院に向かったらしいと告げると、男は目を見開いて立ち上がった。

「馬鹿者、それを早く言え!」

 重要機密を見られた相手を始末しそこなったとなれば、失態を追及されても仕方がない。冷や汗が背中から噴出した。

「我々もすぐに病院へ向かう」

 へまをやったイレブンを連れて来い、と言いかけて、男は舌打ちした。自分の命令で少年を撃ったイレブンは、つい先ほど転属で、全く命令系統の違う第二皇子肝煎りの部隊に配属になってしまった。そうなれば、こちらからは命令はできない。しかも、ナイトメアフレームの操縦者になったという。非支配民であるナンバーズ出身がナイトメアフレームの操縦を任せられるなど、軍内では前代未聞の珍事だ。相当な反対があったそうだが、第二皇子のごり押しで通ったという。
 通常は騎士候以上しかナイトメアフレームの操縦者とはなれない。そう、自分ですらナイトメアフレームに訓練以外で騎乗したことなどないのだ。
 劣等感とナンバーズへの蔑みと、この事態への焦りが入り交じって、どす黒い感情が男の胸の内に蠢く。
 あの気に入らない名誉ブリタニア人を、軍命無視として、その身の程知らずな場所から引きずり落としてやろう。……だが、まずは少年の始末が先だ。

「一隊を編成せよ。武装は最低限でも構わん。とにかく急げ。五分後には出発する」

 部下の復唱を聞きながら、男は忌々しげに帽子を手に取った。


* * *


 ブリタニア第三皇子にして、エリア11総督であるクロヴィス・ラ・ブリタニアは、政治家肌でなく、軍人肌でもなく、芸術家肌の皇子として知られている。彼は日々を公の場に立っての演説や、華やかな社交に費やし、余暇は絵画などに親しんで過ごす。基本的に、軍事や内政の詳細に関わることはない。ある意味で、非常に特権階級らしい生活を送っている青年の一人だった。
 外見も芸術を愛する皇子に似つかわしく、非常に華やかだ。豪奢な金の髪に縁取られた優しげで甘い顔立ちと、優雅な物腰は、自身の描く絵画にも負けない、繊細なタッチで描き出された名画のようだった。
 そのクロヴィス殿下は、今宵も、総督府で開いている夜会に出席していた。
 こういった社交の席は、彼にとっての戦場である。皇帝となることなどに興味はないが、廃嫡される気もない。そのためには、忠誠を高めつつ、不穏な動きをする貴族がいないか、監視しておく必要があるのだった。
 夜会は、まだ始まったばかりだ。だが、今日は昼間にテロや軍事行動があったせいか、どことなく落ち着かない雰囲気が漂っている。
 ひっきりなしに挨拶にやってくる貴族たちに鷹揚に頷きを返しながら、クロヴィスは僅かに眉をひそめた。侍従長が滑るような足取りで自分に近付いて来るのを、視界の端に捉えたからだ。

 ――また厄介ごとか。

 昼間はバトレーの失策で、随分な時間を取られた。この上クロヴィスの裁可が必要な問題が持ち上がるとは、どうやら今日は厄日のようだ。
 しかし、侍従長は、このエリアの軍部を統括する将軍の名前ではなく、クロヴィスにとっては意外な名前を告げた。

「ゴッドバルト辺境伯が至急のお目通りを願っております」
「バトレーを介さずに、私に直接か」

 ゴッドバルト辺境伯は、クロヴィス麾下のナイトメアフレーム隊の隊長だ。貴族でありながら優秀な軍人でもある彼は、上昇指向と野心の強い男だったと記憶している。軍事をバトレー将軍に一任しているクロヴィスとは、特に個人的な交流はない。

「どうしても殿下に直接、と請われておいでです。如何なさいますか」

 暗に追い返しますか、と訊く侍従長に、クロヴィスは首を振った。
 ゴッドバルト辺境伯と言えば、帝国の中でもそれなりの名門だ。理由もなくその願いを無下にすれば、後々に響く。

「よい。控えの間に通せ」

 侍従長は丁寧に礼を取って、また滑るような足取りで広場の外に消えて行く。
 何ごとかあったのかと、好奇心を面に上らせている貴族達を、クロヴィスは眺めわたした。

「私の裁可が必要な案件が出来てしまったようです。主催者の身でここを離れるのは心苦しいのですが、少々席を外すのをお許しください」

 貴族たちは、返事の代わりに一斉に頭を垂れた。



 緋絨毯の敷かれた部屋の中央には、軍服姿の青年将校、ジェレミア・ゴッドバルトが立っていた。彼はクロヴィスが入っていくと、急いで跪き、臣下の礼を取る。

「殿下。この度は急な拝謁をお許し下さり……」
「よい、何ごとだ」

 青年の口上を、クロヴィスは途中で遮った。至急と言って急がせたからには、暢気に挨拶をしている暇などないはずだ。

「は、それが……」

 ジェレミアは顔を上げてクロヴィスの顔を見つめ、言葉を選んでいるような顔になる。クロヴィスは眉を寄せた。

「どうした、言いにくい話か?」
「いえ、何からお話しするべきか……殿下は、故マリアンヌ妃殿下とご交流がおありだったと記憶しておりますが」

 間違いはございませんか、と念を押してくる。無礼を咎めだてすることも忘れて、クロヴィスは、目を瞬かせた。それくらい、ジェレミアの口から出てきたのは意外な人物の名前だった。

「マリアンヌ妃殿下? いいや、間違いではない」
「では、覚えておいででしょうか。七年前、このエリア11に人質として送られた……」

 青年の言わんとすることを察して、クロヴィスは怒気も露に眉を逆立てた。

「お前が言いたいのはルルーシュとナナリーのことか。覚えているかとは、随分と不敬なことを聞く。この地でむざむざと命を落とした義弟と義妹の名前を、この私が忘れていると言いたいのか、お前は!」
「滅相もございません、どうかお許しを。……殿下、ルルーシュ様とナナリー様は、このエリア11で、生きておいでです」

 青年が、懸命な様子で口にした内容に、クロヴィスは言葉を失った。
 マリアンヌ、そしてルルーシュとナナリー。それは、彼にとっては特別な名だった。
 七年前、密かに憧れていた父帝の妃、マリアンヌは暗殺され、彼女の幼い子供達は人質として、当時敵国だったこのエリア11――日本へと送られてしまった。助けてやりたくとも、その頃の自分は何の力も持たず、ルルーシュを可愛がっていた次兄は別のエリアに出ていて不在だった。
 自分に出来たことは、ただ、マリアンヌの冥福を祈り、そして二人の子供達の無事を祈って、ありし日の幸福な三人の姿を絵の中に留めておくことだけで――結局、その数ヶ月後には日本と戦争が起こり、戦渦の中で、二人は永遠に帰らぬ人となってしまった。……その筈だった。だが、確かに、その知らせを受けただけで、骸をこの目で確かめたわけではない。

「あの二人が、生きていた……? それは真の話か、ジェレミア卿」

自失から立ち直ると、クロヴィスはつかみ掛からんばかりに身を乗り出した。

「は。わたくしはマリアンヌさまの警護で、七年前、アリエス宮におりました」

 間違いはございません、と答える青年を、クロヴィスは信じられない気持ちで見下ろした。

「では本当に……二人は生きているというのか。こちらに連れて来ているのか?」

 突然そんな話を聞かされても、直接会って確かめるまでは、到底信じられるものではない。
 すると、目の前に跪く青年将校は、表情を曇らせた。

「いえ。ルルーシュ様は簡単にお動かしできるような状態ではありません」

 ですから取り敢えずご報告に、と続けられて、クロヴィスは眉を上げた。

「足が動かないのはナナリーの方の筈だが?」

 足だけではなく、確か目も見えなくなっていたと聞いている。マリアンヌが暗殺されてから、危険を理由に二人に会うことは禁じられ、日本に旅立つ際も見送りすら許されなかったから、実際にナナリーがどういう状態だったかは、人づてに聞いて知ったのみの話だ。

「はい。ですが……ルルーシュ様は、本日の作戦に巻き込まれたようで、危篤状態だと」

 ジェレミアの言葉を理解するにつれ、クロヴィスの顔から血の気が引いていく。

「馬鹿な……」
「ルルーシュ様を、何卒総督府にて治療する許可をいただきたく存じます。どうか、ご寛恕を」

 そう言って、青年将校が頭を先ほどよりも一層低く垂れるのを、クロヴィスは茫然と眺めた。

「――顔を上げよ」

 ようやく我を取り戻したクロヴィスが命じても、青年は顔を上げない。

「話は分かった。二人に会った上で判断しよう」

 青年が勢い良く顔を上げた。目には抗議の光がある。

「もし本当に、二人がルルーシュとナナリーであるというのなら、私の許可など求めるまでもない」

 むしろ、許可を求めること自体が無礼であるのだと含みを持たせると、青年は再び頭を垂れた。

「ありがとうございます……!」
「お前も、マリアンヌ様に特別な思い入れがあるのか」

 クロヴィスは、ある種の感慨をもって青年伯爵を見下ろす。
 閃光のマリアンヌ。帝国のナイトメアフレーム乗りならば、知らぬ者などない最強の騎士の名。没して七年を経ても、今なおその名前は、軍部に確固とした影響力を誇っているのだろうか。

「あの方をお守りしきれなかったことは、わが生涯の悔いでございます」

 この一見野心家で、抜け目のなさそうな男にも、意外と純粋な一面があるらしい。

「私も、あの二人をこの地で果てさせたことは、一生忘れることはないだろうと思っていた。……二人の許まで案内せよ」
「イエス、ユアハイネス」

 応える青年の声は、涙声のようにも聞こえた。


* * *


 ヴィレッタは、困惑顔で、廊下の先に立つ男を見やった。親衛隊の一隊を従えたその男がやって来たのは、ジェレミアが去ってからしばらくしてのことだ。
 当初は、中の少年に会わせろ、バトレー将軍に逆らうつもりか、などと散々な罵声を浴びせられたが、ヴィレッタたちが上官の命令に忠実に行動した結果、現在は少々距離を置いて監視されるに留まっている。とはいえ、こちらは出口に繋がる通路を抑えられ、閉じ込められたも同然の状態だ。
 ヴィレッタ達が第三皇子の名前を出したのはハッタリにすぎないと、向こうも見破っているようだ。だが、幸運なことに、肝心の総督とまだ連絡が取れていないため、膠着状態に陥っている。しかし、それもいつまで続くかは分からない。総督の名を騙ったことが明らかになったところで、さすがに戦闘に突入することはないだろうが……果たして、この責任は、ジェレミアの首だけで済むのだろうか。

(頭が痛いな……)

 元々、親衛隊の歩行部隊である彼らには、軍の花形であるナイトメアフレーム隊を妬んでいる節がある。ひきずり降ろせる絶交のチャンスを、逃してくれたりしないはずだ。
 この一時間で何度目かもわからない溜め息をつきかけて、廊下の先、こちらを油断無く窺う親衛隊の背後に現われた人影に、ヴィレッタは眉を寄せた。ここには人を寄せ付けないよう、病院には通達済みだ。ジェレミアだろうか。
 しかし、次第に近づいてくる人物の造形に、ヴィレッタは、姿勢を正して敬礼した。視界の端で、率いてきた兵士が、驚愕の表情を顔に貼り付けて同じく敬礼するのが見えた。――どうやら、幻覚ではないらしい。
 近づいてくる豪奢な姿は、このエリア11総督、第三皇子クロヴィス・ラ・ブリタニア。背後にはジェレミアが付き従っている。
 ヴィレッタは皮肉に口の端を歪めた。負傷した少年がよほどの大貴族の子息かという自分の推測は、間違いではなかったようだ。

(……まさか、総督閣下が自ら足を運ぶほどの大物とはな)

 頭の中で、記憶にある限りの大貴族の名をさらう。だが、ランペルージなどという家名はこれまで聞いたこともない。おそらくは偽名か。
 ともあれ、これで、クロヴィスの名前を勝手に出したことについて、自分の責任が追及されることは無いだろう。
 安堵の息を吐くヴィレッタの視界の先では、親衛隊の隊長が異変を察して振り向き、そして絶句している。

「ク、クロヴィス殿下……!?」

 動揺し切った男の声が耳を打つ。男の驚愕は当然のことだ。
 ここは市井の病院で、総督閣下がおでましになるような場所ではない。まして、連れている供は、下がってついて歩くジェレミアと、幾人かの兵士のみ。昼にはテロがあったというのに、無防備にも程がある。

「これは一体、何の騒ぎか!」

 棒立ちになっている親衛隊とナイトメアフレーム隊の双方を見比べて、第三皇子は鋭く一喝した。
親衛隊の面々はそれでようやく我に返ったようだ。慌てて直立不動の姿勢を取って敬礼する。

「こ、これは、クロヴィス殿下、このような場所においでになられるとは……」
「無礼であろう。殿下の御前を遮るつもりか」

男の口上を、総督の背後からの冷然とした声が遮った。クロヴィスのすぐ後を歩くジェレミアだ。
 親衛隊の兵士達もヴィレッタ達も、慌てて廊下の壁に張り付いて頭を垂れる。
 コツ、コツ、という靴音と共に、悠然とクロヴィスは親衛隊の前を通り過ぎる。靴音はヴィレッタの前までやってきて、そして止まった。そっと様子を伺えば、第三皇子は、ヴィレッタの傍ら、病室のドア脇のネームプレートをじっと見つめている。何を思っているのか、その横顔からは窺い知れない。

「ルルーシュ・ランペルージか……」

どこか苦々しげに少年の名前を呟いて、無造作にその部屋に入ろうとする総督に、離れた場所から異議の声が上がった。

「お待ちください! 危険でございます! 中にいるものはテロリストの可能性がございます」

 声の主をみれば、親衛隊の隊長が思い詰めた表情で立っている。その顔に浮かぶのは、焦りと不安だ。
 制止されたクロヴィスは、男を一瞥して眼を細めた。

「お前がそう考える理由は、後で聞く。今は、優先すべきことがある」

 断固とした口調に、男が気圧されたように口を噤む。
 そして、第三皇子は、後について歩く兵士たちを振り返り、制するように言った。

「誰もついてくるな。私一人で中の人物と話がしたい」

 この命令に、ジェレミアが真っ先に頭を垂れた。ヴィレッタは唖然としてそれを眺める。
 このような外の場で、総督を一人にするなどあってはならないことだ。もし何かがあったら、誰がどう責任を取るというのか。
 クロヴィスとジェレミア以外の全員が呆然として動けない中、病室のドアは、第三皇子の姿を飲み込んで、静かに閉まった。


* * *


 病室に入ってまず視界に入ってきた車椅子の背中に、クロヴィスは足を止めた。ごくりと唾を飲み込む。
 ジェレミアの言葉が本当ならば、そこには七年前に会ったきりの、彼の義妹が座っているはずだ。……そして、その向こうの寝台には、義弟が。
 室内は、外の騒然とした様子とは裏腹にひどく静かで、ピッ、ピッ、という規則的な電子音だけが響いている。まるで、別世界に迷い込んだかのようだ。

「本当に……ナナリー、なのか」

 信じられない気持ちで声をかけると、車椅子はゆっくりと回転して、クロヴィスの方を向いた。
 泣きはらして充血した瞳は紫、流れ落ちる髪はプラチナブロンド。憔悴した可憐な顔立ちには、確かに義妹の面影がある。
 いいや、この少女が、誰かに用意された偽物という可能性はないだろうか。瞳の色は無理だが、他は整形でもすれば何とかなる。
 しかし、その疑惑は次の瞬間、呆気なく消し飛ぶ。

「お久しぶりです、クロヴィスお兄様……」

 小鳥がさえずるような優しい声。記憶にあるとおりの、彼の義妹の。

「生きて……生きていたのか……」

 ふらふらと、クロヴィスは車椅子に近寄った。少女の前に膝をついて、視線を合わせる。余人が見たら、我が目を疑う光景だ。ブリタニア帝国第三皇子であるクロヴィスが義務として膝をつかねばならない相手は、皇帝と兄皇子以外にはない。

「一体、どうやって……?」
「アッシュフォード家が、私達を助けてくださったのです」
「アッシュフォードが……」

 クロヴィスはその名前を聞いて得心する。かつてマリアンヌ妃の後見を務めていた貴族の名前だった。彼女の暗殺と共に失脚して、今は爵位を失ってエリア11にいると聞いている。兄妹の冥福を祈るため、という名目だったはずだが、その実、7年間ずっと、兄妹を匿ってきたのか。

「……なぜ知らせてくれなかった? 私だけではない、君たちを心配していた人間が多くいたというのに」

 クロヴィスが責めると、ナナリーは悲しそうに微笑んだ。

「申し訳ありません。それが、お兄様の望みだったのです」
「ルルーシュが……」

 七年前に伝え聞いた父皇帝と義弟のやり取りを思い出して、クロヴィスは沈痛な面持ちになる。
 母を暗殺された彼らを、皇帝は使い捨てにした。皇位継承権を剥奪し、人質として二人を日本に送り、そして彼らを見捨てて日本と開戦に至った。十歳足らずの敵国の皇子が戦乱の中を生き抜くのは並大抵のことではなかったはずだ。まして、足の不自由な妹を抱えてのことである。だから、二人の死亡の報を聞いたとき、それを疑う者は誰もいなかった。

「クロヴィスお兄様……。もし、お兄様と呼ぶことをまだ許していただけるなら……お兄様を……ルルーシュお兄様を、どうかお助け下さい」

 紫の瞳からはらはらと涙を零し、頭を垂れる義妹に、クロヴィスは立ち上がった。ナナリーの向こう――無意識に視線を向けることを避けていた、寝台の上に視線を投げる。
 艶やかな黒髪、白い肌。マリアンヌの面立ちをよく写した秀麗な顔立ちの、彼の義弟が生きて成長していたらそうなっていただろうと思われる姿形の少年が、寝台の上に力無く横たわっている。今は閉ざされている両の瞳は、開けばクロヴィスと同じく美しい紫色で、生き生きとした生意気な光を放っていたはずだ。
 だが、肌は白さを通り過ぎて青白く、目覚める気配はない。彼が瀕死の状態であることは、素人目にも疑いようはなかった。

「何ということだ……」

 思わず呟いたクロヴィスの声の後に、懸命な言葉が続く。

「今更、勝手なお願いだと分かっています。でも、どうか、どうか、お願いします」

 少女が膝の上で祈るように握り締めている小さな細い手は、微かに震えていた。痛ましくそれを見下ろして、クロヴィスは頷く。

「勿論だ。必ず、助けよう。……君たちにまた会えて、嬉しいよ」

 最後に付け足すと、見開かれた紫の瞳に、みるみる涙が盛り上がった。 


* * *


「クロヴィスが?」

 シュナイゼル・エル・ブリタニアは、報告を聞いて、微かに眉を上げた。
 プラチナブロンドの髪に縁取られた、整った顔立ちに浮かぶ表情は穏やかだが、切れ長の紫の瞳は、一切の感情をうかがわせない、怜悧な光をたたえている。背筋が綺麗に伸びた立ち姿は、世界の三分の一を占める神聖ブリタニア帝国第二皇子にして、帝国宰相という要職に相応しく、堂々としていた。
 彼がEUの要人との昼の会食を終え、自分専用の空中戦艦、アヴァロンに戻ってきたところにもたらされたのは、義弟であり第三皇子であるクロヴィスが、緊急の通信を希望しているという知らせだった。
 珍しい相手である。クロヴィスとは、腹違いの兄弟として、また帝国宰相とエリア11総督として、顔を合わせれば会話くらいは交わすが、それくらいしか交流の無い相手だ。直接の通信を希望されたことなど例にない。どうやら、余程の面倒ごとが持ち上がったらしい。
 副官を伴って自室の通信装置の前に座ると、待ちかねたように、画面に緊張した面持ちのクロヴィスの顔が浮かんだ。

「お久しゅうございます、帝国宰相閣下、シュナイゼル義兄上。この度は突然の通信を受けて頂いて……」

 義弟が胸に手を当てて正式な礼を取るのを、シュナイゼルは微笑んで止めた。

「堅苦しい挨拶はいらないよ。一体、何の用だい?君が私に直接連絡をくれるとは珍しいね」

 問われて、クロヴィスは迷うような顔になって口を噤んだ。辺りを憚るように声を落とす。

「畏れながら、他に聞いている者は……」
「カノンだけだよ。彼ならば心配はいらない」

 シュナイゼルが頷くと、では、とクロヴィスは唾を飲み込んで、簡潔に用件を述べた。

「ルルーシュとナナリーを見つけました」

 シュナイゼルは軽く目を瞠る。
 通信画面の中では、彼の義弟が緊張した顔のまま、先を続けている。

「先ほど保護致しましたが、本国に報告する前に、皇帝陛下に義兄上のお口添えをいただきたく」
「保護、ということは二人は生きている、ということかな。俄かには信じがたいね。それが本当ならば、陛下に奏上する前に、私も二人と話をしておきたいが」

 暗に通信に出せと要求すると、クロヴィスは浮かない顔で首を振る。シュナイゼルは首を傾げた。

「どうした?画面に出せないのかな」
「勘違いなさらないでください、義兄上。二人は間違いなく二人です。遺伝子情報も合致しました。ただ……ルルーシュの方は現在重体で、助かるかはまだ不明なのです」

 穏やかでない内容に、シュナイゼルは眉を寄せる。

「本日のテロに巻き込まれたようです。現在総督府に移して医療団に治療に当たらせていますが……」

 クロヴィスの表情を見れば、その先は聞くまでもない。

「そうか……」

 シュナイゼルは嘆息した。両肘を通信机について、手を組む。
 よく、生きていたものだと思う。
 シュナイゼルの中では、ルルーシュが現在重体であるという事実に対する動揺よりも、彼らが侵略戦争を生き延びていたことへの感慨の方が大きかった。
 七年前、父帝の勘気に触れて、敵国に人質として送られた弟妹たち。当時、訃報は一片の疑念もさしはさむ余地の無い事実として宮廷に伝えられた。だからこそ、今日まで捜索もされなかった。帝国内に協力者がいなければ、到底かなうことではない。関与していたのは――。

「アッシュフォード家か」

 考えられる可能性を口に出せば、クロヴィスが頷く。

「そう聞いています」
「なるほど。陛下への口添えの件は分かった。出来る限り努力しよう」
「ありがとうございます」

 明らかにほっとして礼を言う義弟に、シュナイゼルは首を傾げて微笑する。

「それにしても、君がそんなに弟妹思いだったとは知らなかったな」

 すると、クロヴィスは僅かに顔を赤くする。

「チェスに一度も勝てなかったことが心残りだったので」

 いかにもとってつけたような理由だ。シュナイゼルは小さく笑った。
 幼いながらも頭の回転が速く、誇り高かったルルーシュのことは、シュナイゼルも、数多くいる兄弟の中で一番愛していた。

「コーネリアにも私から話をしておくよ」

 ルルーシュとナナリーを気にかけていた義姉の名前を聞いて、クロヴィスは嬉しそうに頷く。マリアンヌ妃を崇敬する武闘派の第二皇女がこの知らせを聞いたら、クロヴィスを怒鳴りつけることは疑いようも無いから、この申し出は渡りに船だろう。

「お願い致します。……ナナリーを通信に出しますか?」
「いや、いい。私が呼び出したばかりに、ルルーシュの最期に立ち会えなかったら、可哀想だからね。そう、私もこれからエリア11に向かうとしよう」

 クロヴィスが驚いたように目を見開く。

「義兄上がわざわざ……?EUとの交渉はよろしいのですか?」
「もうまとまった。それに、ルルーシュは危ないのだろう。何もできない兄だったが……もし逝ってしまうのなら、最後に顔を見ておきたいからね」

 慈愛に溢れた義兄の言葉に、クロヴィスは感じ入ったように姿勢を正す。

「では、義兄上が到着するまでは何をおいても死なせるなと厳命して参ります」
「ああ、頼むよ」

 シュナイゼルが頷くと、第三皇子の優雅な一礼を最後に、通信画面は暗転した。

* * *

 白く瀟洒なドレスを着た優しい面立ちの美少女が、椅子の上で忙しなく瞬く。腰までもあろうかというピンクがかった金髪を左右に小さく結い上げ、紫の瞳には穏やかで上品な光が浮かんでいる。一目で、良家の子女であることが伺える少女だった。

「お姉さま、今、何と?」
「ルルーシュとナナリーが見つかった」

 紫檀の丸テーブルの対面に座って、素っ気無い声で答えるのは、少女よりもやや赤みがかった緩やかに波打つ髪を、結い上げもせずに背中に流した美女だ。こちらはドレスではなく、臙脂色の軍服を着込んでいる。少女とは対照的な、軍人らしい硬質な雰囲気を纏っているのに、どことなく似た印象を人に与えるのは、同母の姉妹という近い血のせいだろう。

「それは、本当に?」

 少女が信じられない様子で念を押すと、美女は頷く。

「宰相閣下よりの知らせだ。エリア11で保護されたらしい」
「では、二人は生きていたのですね……!」

 そう言って、じんわりと瞳に涙を浮かべる少女は、ユーフェミア・リ・ブリタニア。対する美女はコーネリア・リ・ブリタニア。神聖ブリタニア帝国第三皇女と第二皇女である。

「お前は二人と仲が良かったからな……」

 どこか複雑そうに言う姉に、妹は眉を吊り上げる。

「もう、お姉さまったら。こんな嬉しいことなら、早く言ってくださればよろしいのに。では、今はエリア11に向かっているのですね?ああ、あの二人とまた会えるなんて夢みたい……!」

 ここは飛行機の中だ。
 姉が朝早く、それも直接自分を起こしに来た時は何事かと思った。幼い時分ならともかく、姉が成人してからは一度も無かった。支度を急かされ、飛行機に乗せられて、離陸して数分。今に至るまで、一切の事情説明は無かった。その間、ひどく不安な心持だったのだ。
 涙ぐんで喜ぶ妹から、コーネリアは視線を逸らした。

「ナナリーには会えるはずだ」

 その口調に含みを感じて、ユーフェミアは首を傾げる。

「お姉さま?ナナリーには、って……ルルーシュは?」

 沈黙が落ちた。答えを得られるまで、たっぷり数分ほどもかかっただろうか。コーネリアは、ぽつりと呟いた。

「危篤だそうだ。助かるかは、分からない」

 ユーフェミアは、ぽかんと口を開けて姉の横顔を見つめた。その言葉の意味を理解するにつれて、顔から血の気が引いていく。

「そんな……そんな!」
「助かるにせよ、助からないにせよ、お前も会っておきたいだろう。ナナリーも心細いはずだ。力になってやるといい」

 淡々とした姉の言葉が、無慈悲にユーフェミアに現実をつきつける。少女は涙をぽろぽろと零して頷いた。
 幼い日に遊んだ、義兄と義妹。優しかったルルーシュも、お転婆で我がままで、けれど愛らしかったナナリーも、ユーフェミアは大好きだった。彼らが遠い異国の地で死んでしまったのだと聞かされた時は、どれほど悲しかったことだろう。

(ルルーシュ、お願い、生きていて……)

 ――そしてまた、昔のように三人で笑いあいましょう?

 記憶の中の彼に、話しかける。七年前から変わらない姿の少年は、困ったように微笑むだけで、何も答えてはくれなかった。



[32362] 第4話
Name: めい◆cd990f2a ID:5691f6d1
Date: 2013/05/10 17:46
 夜の帳の中、総督府内部に設けられた飛行場が、煌々と灯りに照らされて浮かび上がっている。平時には華やかな光に照らされながらも、ひっそりと静まり返っているだけの場所に、今は常ならぬ緊張感が満ちていた。
 空を見上げて佇む、第三皇子クロヴィスと、その腹心であるバトレーのためである。このエリアを支配する二人の表情は厳しい。
 やがて、空の彼方から爆音と共に小型の飛行機が姿を現すと、一層の緊張感がその場に満ちた。
 二人が見守る中、優美に着陸したその乗降口に姿を現したのは、クロヴィスの腹違いの兄、第二皇子シュナイゼルである。

「おや、夜遅くにわざわざ迎えてくれるとは、すまないね。バトレーも」

 礼を取る二人の頭上に、涼やかな声が降って来る。

「宰相閣下、この度はわざわざのお運び……」
「堅苦しい挨拶はいらないよ。お忍びで来たんだから」

 微かに笑いを含んだ声にクロヴィスが顔を上げれば、簡易エレベーターに、いつも通り穏やかな微笑みを浮かべた次兄が立っていた。

「それで、私は間に合ったのかな?」

 小首を傾げて訊く声からは、緊張や不安は感じられなかった。まるで明日の天気でも尋ねるような口ぶりだ。

「今は、小康状態と聞いております」
「助かるかはまだ不明か……悲しいね」
「申し訳ありません」

 項垂れる義弟を見下ろして、シュナイゼルはくすりと笑う。

「責めている訳ではないよ。早速だが、ルルーシュに会えるかい?ナナリーはもう休んだのかな」

 クロヴィスは首を振った。

「いえ、ルルーシュについております。休むように言っているのですが……」
「無理もない。コーネリアとユフィもじきに到着するようだし、ナナリーもあの二人がくれば少しは気も安らぐだろう。ユフィは特に二人と仲が良かったからね」
「そうですね……」
「きみはどちらかと言えば、ルルーシュと仲が良かったね。よくチェスをしていた」

 義兄の言葉に、第三皇子は在りし日を懐かしむように微笑む。

「よくご存じですね。ルルーシュときたら強くて、私は負けっ放しで……さすがに義兄上には勝てなかったようですが」
「十歳の子供に負ける訳にはいかないだろう?私は既に大人だったのだからね」

 それでも、ヒヤリとすることが無かったわけでは無かった。シュナイゼルは思う。――ルルーシュは、とびぬけて頭のいい子供だった。マリアンヌさえ暗殺されなければ、たとえ母親の身分が低かろうが、ブリタニアの皇子として、自らの才覚を発揮していた未来も十二分にあり得た。
 思いはクロヴィスも同じだったようだ。少し躊躇うような間をおいて、言葉は続いた。

「義兄上、私はルルーシュが死んだと聞いた時……、真実惜しいと思っていたのです」
「私もだよ」

 シュナイゼルが同意すると、クロヴィスは心の中の苦いものを吐き出すように、溜め息を押し出した。兄妹の皇籍を剥奪したのも、死地へ送り出す決定をしたのも皇帝で、それゆえに、これまで表立って二人の死を悼むことは、禁忌に近かった。


* * *


 シュナイゼルが案内されたのは、ひどく殺風景な部屋だった。寝台がさして広くもない部屋の三分の一ほどを占めており、その枕元のモニターには波形が走っている。電子音がその波形にあわせてピッ、ピッ、と無機質に響いていた。
 三人が入っていくと、寝台の手前、車椅子に座った少女が、怯えた顔で振り返った。昔の面影を色濃く残した少女に、シュナイゼルは微笑を浮かべた。

「ナナリー、なのかい?」

 三人の先頭に立ったシュナイゼルを見上げて、少女の顔は、驚愕に凍りついた。

「シュナイゼル……お義兄様……!?いえ、ご無沙汰しております、殿下」

 ナナリーは、衝撃から立ち直ると、車椅子の上で精一杯頭を垂れる。シュナイゼルはおや、と目を瞠った。

「どうしたんだい、ナナリー。君らしくないね」
「私は、既に廃嫡された身です。お義兄様だなんて許可もなくお呼びするべきではありませんでした。……私が礼儀を弁えていなかったら、お兄様まで馬鹿にされてしまいます」

 ぎゅっと膝の上で両の掌を握り締め、それは嫌です、と硬い声で答える少女に、シュナイゼルは溜め息をついて近寄った。そのまますんなりとナナリーの前に膝をつく。
 宰相の振る舞いに、クロヴィスの背後で、バトレーが目を瞠る。

「ナナリー。ブリタニアが、皇帝陛下が君たちを捨てたも同然のことをなさったのは事実だ……だが、私まで君たちを捨てたと思われているとしたら、少し悲しいな」
「そんなことは、思ってもいないことです」

 ナナリーは頭を垂れたまま、嫌々をするように首を振った。

「お願いだから、顔を上げてくれ。ルルーシュと君は私の大事な弟妹だよ。……それとも、七年前に、君たちに何もしてやれなかった私を、やはり恨んでいるのかな」
「いいえ……いいえ」

 シュナイゼルが悲しげに言うと、ナナリーは、弾かれたように顔を上げた。紫の大きな瞳には、涙が滲んでいる。

「……お義兄様と、お呼びしてもいいのですか?」
「そう呼んでもらえないと悲しいな。……目が見えるようになったんだね。今まで、ルルーシュと二人だけで心細かっただろう?」

 よく頑張ったね、と温かな声で労られて、ナナリーは泣き崩れた。

「お兄様が守って下さったので、辛いことなんて、何もありませんでした……それなのに、私は何も出来なくて……」
「それは違う。ルルーシュは君がいたから頑張れたんだ。自分を卑下してはいけないよ、ナナリー。ルルーシュだってそんなことは望まない」

 少女は縋るような表情で、横の寝台に視線を投げる。
 シュナイゼルは立ち上がった。寝台の上に横たわる白い肌はむしろ青白く、端正な顔立ちとあいまって、寝姿はまるで石膏像のようだった。僅かに上下する胸だけが、彼がまだ生きていることを主張している。
 シュナイゼルは、変わり果てた義弟の姿を眺め、微笑みを消して顔をしかめた。

「やれやれ、生きていてくれたのは嬉しいが……どうせなら、元気な君と会いたかったね、ルルーシュ」

 ナナリーが堪えきれないように、唇を噛んで俯く。

「あの……殿下。部屋を用意させておりますが、お疲れでは」

 やりとりが一段落したと見たのか、背後のバトレーが咳払いを一つして、遠慮がちに言い出す。シュナイゼルは頷いた。

「そうだね、コーネリアとユフィが来るまで、少し休ませてもらおうか」

 ナナリーが顔を上げて瞬く。

「コゥ義姉様……コーネリア殿下とユーフェミア殿下が?」

 シュナイゼルは、目を細めて妹を見下ろした。

「ナナリー。忠告してあげよう。同じ台詞をコーネリアに言ったりしたら、凄く怒られると思うし、ユフィに言ったら泣くと思うよ」
「でも……」
「二人とも本国から、君たちのことを心配して駆け付けてくるんだから、他人行儀にされたら悲しいだろう?」

 優しく諭すように言えば、ナナリーは俯く。

「本当に……そうですね。お義兄様達にも、お義姉様達にも……こうしてお会いできるなんて夢みたいです」

 声には喜びよりも悲しみの色が強い。いっそ全てが夢だったら良かったのに、とでも思っているような口ぶりだ。
 シュナイゼルは憐れみを含んだ瞳で義妹を見下ろした。

「しかし、ひどい顔色だ。君も少し休んだ方がいい」

 少女はこの言葉には首を振る。

「私はどこにも行きません」
「では、せめて、もう少し座り心地のよいものを。車椅子では疲れてしまうだろう」
「でも……」

 なおも遠慮しようとする義妹に、シュナイゼルは畳みかけるように言う。

「ルルーシュが目を覚ました時に、君がそんな顔色では、余計な心配をかけてしまうだろう?」

 いいのかい?と訊かれて、ナナリーは、困ったように視線を彷徨わせ、逡巡の後に頷いた。

「ありがとうございます……」

 シュナイゼルは微笑んで、ナナリーの頭をポンポンと叩いた。

「君は酷い境遇だっただろうに、素直に育ったんだね。ルルーシュの努力の賜物かな。ルルーシュも同じくらい素直なままだと嬉しいのだが」

 おどけたシュナイゼルの言葉に、ナナリーは僅かに微笑む。

「お兄様が心に着込んだ鎧を剥がすのは、たとえシュナイゼルお義兄様でも難しいと思います」
「おや、やる気を掻き立てられる言葉だね。私はルルーシュには一度も負けたことが無いんだ。これは是非ともルルーシュには起きてもらわないといけないな」

 その日がとても楽しみです、とナナリーは新たな涙を瞳ににじませながら、頷いた。


* * *


 ブリタニア帝国第二皇女と第三皇女の一行が密かにエリア11に到着したのは、帝国宰相よりも遅れること一時間、現地時間にして真夜中のことだった。
 迎えに出た第三皇子の表情の硬さを見れば、ルルーシュの容態が好転していないことは、聞くまでもなかった。
 挨拶するのももどかしく、せきたてるようにして案内させた病室に足を踏み入れると、まず目に入ったのは、二台あるうちの手前に置かれた寝台の上、入口に背を向けるようにして身体を横たえていた人影が、身体を起こして振り返るところだった。
 灯りに照らし出された可憐な少女の姿に、コーネリアの背後から、ユーフェミアが飛び出していく。

「ナナリー、ナナリーなのね!」

 硬直する相手を抱きしめ、第三皇女は目に涙を浮かべて、その顔を覗き込む。

「本当に……良かった……」

 ユーフェミアの声は震えている。無理もないことだった。この妹にとって、ルルーシュとナナリーの二人は、七年前、兄妹が日本に送られてしまうまでは、数多くいる異母兄弟の中で最も親しくしていた二人だったのだ。
 愛する義妹の成長した容貌をしげしげと眺め、第三皇女はあっと叫んだ。

「ナナリー、眼が、見えるようになったのね……!」

 良かった、と涙ぐんで、また抱きつく。
 コーネリアは苦笑した。天真爛漫な妹は、本当に嬉しそうだ。

「ユフィ、ナナリーが困っているぞ」
「ご、ごめんなさい、苦しかった!?」

 ユーフェミアは慌てて腕を解く。寝台の上の少女は、二人の義姉の姿を見比べて、いくらか逡巡したあと、遠慮がちに言った。

「お久しぶりです。……コゥ義姉様、ユフィ義姉様」
「ナナリー……!」
「ああ、久しぶりだな」

 ユーフェミアが、感極まって再び抱きつく。 

「お二人ともわざわざ、本国からここまで足を運んでくださるなんて……。本当にありがとうございます。間に合ってくださって、良かった……」

 胸に手を当てて、儚げな微笑みを浮かべて、少女は俯く。
 何に間に合ったのか、聞き返す必要は無かった。
 無意識に視界から外していた、もう一つの寝台にコーネリアとユーフェミアは目を向ける。息を呑む音は、姉妹ほぼ同時だった。
 ユーフェミアがナナリーから身体を離して、よろよろとした足取りで奥の寝台に取りすがり、横たわる人物に向かって、必死に声を掛ける。

「ルルーシュ、ユフィですっ!お願い、目を覚ましてください……お願い」

 縋りついて泣き崩れるユーフェミアと、眠る少年の姿を見下ろして、コーネリアは拳を握り締めた。綺麗に手入れされた爪が、掌に食い込む。
 少年の血の気の失せた顔は、亡きマリアンヌによく似ていた。七年前に帝国が死に追いやろうとした第十一皇子、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。死んだとされていた、コーネリアの義弟。
 病院に運び込まれたときには、心停止状態だったと聞いている。命が助かったところで、……このまま、目を覚まさない可能性があるとも。

「なぜ、もっと早く、保護を求めなかった……」

 そうすれば、こんなことにはならなかった。憐れみと、後悔と、怒り。誰に対するものなのかも判然としない、混ざり合った思いのままに呻いて、コーネリアは首を振った。自嘲するように唇を歪め、再会したばかりの義妹を見下ろす。

「埒もないことを言ったな。七年前にお前達を死地に追いやったのは他ならぬ帝国だ。……恨んでいるか、私たちを」

 コーネリアの問いに、ナナリーは首を振った。

「私はお兄様に守っていただいて……七年間、幸せでしたから」
「そうか……ルルーシュは、お前のために頑張ったのだな」

 コーネリアは伏して語らぬ弟に視線を戻した。

「よくやった、と言ってやりたいところではあるが……。お前達をこんな風に悲しませてのうのうと寝ているようでは、褒めてやることなぞ到底できんな」

 剣呑な声に、ユーフェミアが驚いたように顔を上げる。

「お姉様?」

 コーネリアは、最愛の妹に悪戯っぽく笑いかけた。

「プライドの高いルルーシュには、懇願よりもこっちの方が効果がありそうだからな」

 コーネリアの意図を察したのか、ユーフェミアもナナリーもくすりと笑って、愛しげにルルーシュを見つめる。それを了承の意と取って、コーネリアはさらに続けた。

「大体お前ときたら小さい頃からひょろひょろで、軟弱で。頭の回転だけは速かったようだが、お前がマリアンヌ様の息子とは、何かの間違いではないかと常々思っていたものだ。そのうち私が鍛え直してやろうと楽しみにしていたというのに、勝手に日本などに送られおって」

 そこで、ルルーシュの瞼が、ぴくりと動いたように見えて、コーネリアは言葉を止めた。モニターに目をやるが、異常はない。

「……?」

 目の迷いだったかと妹達に目をやれば、二人とも固唾を呑んでルルーシュを見つめている。

「あの……お義姉様」
 
 遠慮がちに、ナナリーが言った。

「差し支えなければ、お兄様を……その……もう少し罵倒してみては頂けませんか」

 横ではユーフェミアがこくこく頷いている。
 コーネリアはにやりと笑った。

「任せておけ。……だいたいお前は、愚かにも程がある。陛下に抗議して怒りを買うなどと愚挙に及んだ挙げ句、こんな場所に人質に送られる羽目になって、ナナリーは完全に巻き添えではないか。少しは周りの迷惑を考えろ。しかもナナリーを置いて死にかけているなど、お前に責任感というものはないのか?情けない息子を持って、マリアンヌ様も天上でさぞやお嘆きだろう……」

 再びルルーシュの瞼がぴくりと動き、ナナリーとユーフェミアが身を乗り出す。
 調子を良くして、コーネリアが、再会することがあったら是非とも浴びせてやりたいと当時思っていた言葉の数々を、余すところなく並べ立てていると、慌ただしい足音が廊下から響いて、医者と看護婦が駆け込んで来た。

「患者の血圧が急速に上昇しています!目を覚ます可能性がありますので、患者を興奮させる可能性のある方はご退室ください」

 医師は困惑気味に言った。皇族に出て行け、などと言うのは、恐ろしく勇気が必要な行為だったに違いない。そもそも、彼はこの患者が誰であるのか、どうして皇族が続々と訪れているのかも、知らされていないのだ。看護婦はありありとした好奇心を浮かべ、眠るルルーシュの顔を覗きこんでいる。
 コーネリアが片方の眉を上げると、医師は慌てて弁明した。

「その、皇女殿下方が目に入っては、畏れ多く、患者に余計な興奮を与える恐れが……」

 言われてみれば確かにそうだ。コーネリアは溜め息を吐いた。

「……仕方ないな。目を覚ませば、取り敢えず命の危険は無くなると考えて良いのか?」
「はい。無理をしなければ、快方に向かう筈でございます」

 それを聞いたナナリーとユーフェミアの顔が、一気に明るくなる。

「出るぞ、ユフィ。ここはナナリーに任せよう」
「はい、お姉様」

 ユーフェミアは義妹を励ますように一度だけ軽く抱き締めると、軽やかな足取りでコーネリアに従って部屋を出ていった。


* * *


 夢を、見ていた。

 気がつけば、ルルーシュは、庭園に一人で立っていた。よく手入れされたそこには、種々の花々が咲き誇り、春のうららかな日差しの中で、光り輝くようだった。暖かな風が頬をなでて行く。

(ああ、ここはアリエス宮か……)

 懐かしさに目を細めて、ルルーシュは首を傾げた。
 懐かしい?何がだろう。物心ついてから今まで、自分はずっとここにいたではないか。

「あら、ルルーシュ。来たのね」

 優しい声に振り向けば、東屋の中に、穏やかに微笑む母が立っていた。

「母上……!生きておられたのですね」

 血に塗れた母の姿を思い出して、ルルーシュは喜びの声を上げる。すると、母は花のかんばせに困ったような表情を浮かべた。

「それにしても、あなた一人?」

 言われて、ルルーシュはきょろきょろと周りを見回した。

「ナナリーは一緒じゃないのね。意外だったわ……あなたがここにくるときには一緒だと思ったのに」

 言われて初めてナナリーがいないことに気がつく。ルルーシュは青くなった。

「そうだ、ナナリーを探しに行かないと……」

 マリアンヌはおっとりと微笑んだ。

「大丈夫よ。あの子もじきにここに来るわ」
「いえ、眼も見えないし、足も動かないんです!俺が守らなきゃ」

 必死な様子で言い募る息子を愛おしげに見下ろして、マリアンヌはふいにルルーシュを抱きしめた。柔らかな感触に、ルルーシュは目を瞠る。

「……そうね。ナナリーはきっと泣いてるわね。探してお上げなさい」

 マリアンヌが手を放すと、ルルーシュは頷いて、踵を返す。

「さようなら、愛しい子。またいつか会いましょう……」

 不思議な言葉に違和感を覚えて振り返ると、母の姿はそこにはもうなかった。

「やあ、ルルーシュ。どこに行くんだい。今日は私とチェスをする約束だったろう?」

 代わりに立っているのは、義兄のクロヴィスだ。

「ですが、兄上」

 抗弁しようとして、自分の声の甲高さにぎょっとする。記憶の中のクロヴィスの歳に合わせてか、いつの間にか、ルルーシュは子供の姿になっている。

「ナナリーなら、向こうでユフィと遊んでいたよ」

 だから私とチェスをしよう、とクロヴィスが言うと、唐突に風景が変わり、二人はアリエス宮の一室で、チェスの勝負をしていた。なぜだか横には次兄のシュナイゼルが椅子に座り、面白そうに勝負を見守っている。
 ルルーシュは決まり悪く身動ぎした。クロヴィスに負けたことは無いが、シュナイゼルに勝てたことはまだ一度もない。

 次の瞬間、唐突に部屋の扉を開けて、はしゃいだ声が飛び込んでくる。

「お兄様、見ーつけたー!」

 ナナリーが楽しそうに叫べば、続いて走り込んで来た義妹ユーフェミアも叫ぶ。
 
「私達、綺麗な花冠を作ったのよ」
「こらこら、二人とも、行儀が悪いぞ」

 二人を追うように苦笑しながら入って来たのは、義姉のコーネリアだ。

 ふと、ルルーシュは戸惑いを覚えた。
 こんな風にのどかに過ごしたことがあっただろうか? 確かに個人的な付き合いはあったが、全員が集まるようなことはなかったし、実現不可能なことでもあった。この場にいる兄弟同士の仲は悪くはなかったが、母親同士の仲が良くなかった。特に、庶出でありながら皇帝の寵妃となったマリアンヌは他の妃に軽んじられ、疎まれていた。その子供であるルルーシュとナナリーも同様だ。

 ルルーシュの戸惑いを他所に、コーネリアはテーブルの上のチェス盤を見て、顔をしかめる。

「またこんな事ばかりやってるのか。それだからお前はいつまでもひょろひょろなんだ。たまには外に出て体を鍛えてはどうだ。男の癖に、私に勝てないようでは情けないぞ」
「無茶を仰らないで下さい」

ルルーシュがクロヴィスと目を見交わして苦笑していると、ふいにコーネリアは真剣な顔になった。

「冗談ではないぞ。お前は、そんなだからユフィとナナリーを泣かせるんだ」
「私がいつ、ユフィとナナリーを泣かせたと言うんです」
「今に決まっているだろう」

 ルルーシュはきょとんとして部屋の中を見回した。すると、風景はぐにゃりと歪んで、ひどく見覚えのある光景になる。
 階段の上に、血塗れで横たわる母と妹。階段を上がった先に立っている父親は、底光りする瞳で、傲然とルルーシュのことを見下ろしている。

「――お前のものは全てこのわしが与えた。お前は生まれたときから死んでいるのだ。しかるに、何と言う愚かしさか!」

 雷鳴のように響く声に、ルルーシュは尻餅をついて後退る。

 これは、魂に刻み込まれた屈辱の記憶だ。母を見殺しにし、ルルーシュと妹を死に追いやろうとした男……ブリタニア皇帝、シャルル・ジ・ブリタニア。憎み続けた敵を前に、世界が赤く染まる。
 ルルーシュは叫ぼうとした。なのに、声が出ない。
 
 何故だ、と焦っているうちに、また風景がぐにゃりと歪んだ。

 今度はおびただしい死体の転がる中を、ルルーシュはナナリーを背に負って歩いていた。倒れ伏す人、人、人。ほんの数日前までは、幸せに笑っていただろう人々。大人から赤子に至るまで、一切の慈悲なく、ルルーシュの母と同じように、理不尽に命を奪われ、この世から突然の喪失を迎えた。
 この光景が、そして母と妹の倒れた姿が、弱肉強食を謳う、帝国の正義だというのならば。
 焼け付くような思いが、脳裏に閃く。

 ――俺は、絶対に……ブリタニアをぶっ壊す。



 瞼を開けたルルーシュの視界に飛び込んで来たものは、透明な壁を隔ててこちらを凝視する、泣き腫らした紫の瞳だった。
 ルルーシュは瞬いてそれを見つめた。今度の夢は、どうやら願望の具現化か。
 夢の中のナナリーは、今にも泣き出しそうな表情でルルーシュのことを見下ろしている。
 どうせなら微笑んでいてくれればいいのにと、そう思ったところで、透明な壁がスライドして開いた。

「お兄様……! お兄様、私が分かりますか」

 必死に呼び掛けてくる声に、ルルーシュは宥めるつもりで微笑む。

「俺にお前が分からない筈がないだろう?」

 声は掠れて、ほとんど音にならない。ルルーシュは眉をひそめた。
 けれど目の前のナナリーは、一層大きく見開いた目から、たちまち涙をあふれさせた。

「お兄様……! 良かった……」

 温かいものが、ルルーシュの肩口を濡らしていく。現実のようにリアルな感触に、ルルーシュは目を細めた。

「これが夢でなく、現実だったらな……」

 掠れた声で呟いた願望に、ナナリーは目を瞬かせる。

「お兄様、これは夢ではありません。現実です。お兄様はテロに巻き込まれたのだと聞いております。覚えておいでですか?」
「……え?」

 ナナリーの言葉は、一気にルルーシュに現実を思い出させた。そうだ、自分はテロに巻き込まれてスザクと再会して……そして撃たれた。

「お兄様は本当に危ない状態だったんですよ」
「お前……じゃあ、本当に、眼が見えるようになったのか……」
「はい、お兄様のお姿を拝見出来たのは七年ぶりです」

 泣きながら笑うナナリーを前に、ルルーシュはこの七年でかつてなかったくらいの幸せな心地になる。常ならば、郷愁よりも憎悪を掻き立てていた筈の夢の内容が、自然と口に上った。

「そうだ、懐かしい夢を見たよ。母上がいて、シュナイゼルやクロヴィスがいて……、コーネリアとユフィもいたな……義姉上に、お前を泣かすなと叱られたよ。母上にも、ナナリーが泣いてるから探しに行きなさいと……心配をかけた」

 ルルーシュの言葉に、微かにナナリーの表情が曇った。辛い記憶を思い出させてしまっただろうか。

「ごめん、思い出させてしまったね」
「いいえ。……本当に心配したんですから、お兄様はもうお休み下さい。私はお側を離れませんから」
「そうだな。そうしよう……」

 どこか複雑そうに微笑むナナリーに違和感を感じながらも、全身に浸透して来る気怠さに、ルルーシュは再び目を閉じた。


* * *


「柩木スザク一等兵だな」

 見るからに物々しい雰囲気を漂わせた憲兵隊の一隊がスザクの元へやってきたのは、新宿ゲットーの作戦より一夜明けて、新しい所属先となった特派のメンバーに改めて挨拶しているときだった。先頭に立った男は、無表情にスザクのことを検分すると、言った。

「貴様には第一級の犯罪容疑がかけられている」

 何事かと、一歩離れて見守っていた特派のメンバーがどよめく。スザクは目を見開いた。

「自分が、ですか」

 心当たりが無いわけではない。スザクは昨日、軍命に背いてルルーシュを見逃そうとした。今日、憲兵隊が来たということは、あの後、ルルーシュは発見されてしまったのだろうか。戦闘が収束してからすぐに救助に向かったが、既に地下鉄坑内にその姿はなかった。
 負傷して抵抗もできなかっただろうルルーシュが射殺される姿を想像して、じわりと背中が冷たくなった。

「そうだ。これより貴様を連行する」
「待ってください!彼は、第二皇子殿下直属部隊の人間ですよ!詳しい説明もなしに、いきなり連行だなんて……」

 勇敢にも、憲兵隊にくってかかったのはセシルだ。しかし、男は冷たいまなざしでセシルを見下ろした。

「これは第二皇子殿下直々のご命令だ」
「そんな……」

 スザクは絶句する女性佐官を振り返り、なだめるように微笑んだ。

「大丈夫です、きっと何か誤解があるんです。ちゃんと話せば分かってもらえます。僕に覚えは」

 ありませんから、とスザクは続けようとした。テロリストとの戦闘に巻き込まれた民間人を見逃そうとしたことが第一級犯罪とはどうしても思えなかったし、きちんと話せば分かってもらえるはずだ。
 だが、怒気を孕んだ声に、スザクは最後まで言えなかった。

「ない、とは言わせんぞ、柩木スザク」
 敬礼して脇に退く憲兵隊の背後から颯爽と姿を現したのは、ナイトメアフレーム隊の制服に身を包んだ男だった。男は優雅な足取りでスザクの前に立つと、烈しい光を湛えたオレンジ色の瞳で、スザクを見下ろす。
 セシルは現われた青年将校を見て、眉をひそめた。たしか、総督直属のナイトメアフレーム部隊の隊長格の男だ。ジェレミア・ゴッドバルト。そして、ナンバーズ排除を叫ぶ、純血派の筆頭でもある。それがどうして犯罪容疑者の逮捕にわざわざ顔を出すのだろうか。

「しかし、自分には」
「貴様は日本国最後の首相、柩木ゲンブの息子だそうだな」

 ジェレミアは乱暴にスザクの胸倉を掴み上げる。もちろん、スザクに抵抗は許可されていない。

「貴様は昨日、新宿ゲットーで撃ったお方が誰なのか、よもや知らなかったとでも言うつもりか」

 スザクは目を見開いた。一級犯罪という言葉に納得がいく。
 少年の表情の変化に、ジェレミアの顔色が変わった。掴み上げた胸倉を、そのまま横の壁に叩き付ける。
 受け身は取ったものの、骨がきしむほどの勢いだった。
「よくも、ナンバーズごときが、あのお方を……! 私がこの手で頭を撃ち抜いてやりたいところだが、貴様は軍事裁判にかけられる。第二皇子殿下のご厚情に感謝せよ」

 ジェレミアは、怒りと憤りと憎しみをこめて言い捨て、踵を返す。
 それが合図のように、憲兵隊が進み出て、スザクの両腕を掴み上げた。
 なおも制止したい様子のセシルの肩に、ロイドは手を置いた。振り返った副官に、無言で首を振る。

「スザクくん……」

 気遣うセシルの声に、反応はない。項垂れたまま、引きずられるようにして、スザクは連行されていった。
 それを見送って、ロイドは心から残念そうに言う。

「あ~あ、彼、最高のパーツだったのにな~」

 セシルは、眦を釣り上げて上官に詰め寄った。

「どういうことです、ロイドさん!知っていたんですか!?」

 ロイドは肩を竦めた。

「まさか。僕もさっき知ったばかりだよ。でも、第二皇子殿下が昨夜から極秘裏にエリア11におでましになってるそうだから、彼、何かよっぽどマズいことしちゃったんじゃないかなあ」
「第二皇子殿下が!?」
「そ。おかげで総督府は朝から大忙しみたいだよ。おまけに第二皇女殿下と第三皇女殿下までいらっしゃってるとか噂が流れてるけど~」

 それはさすがにありえないよね、とロイドは呑気に笑った。

「ともあれ、あの方のご命令なら、僕たちには何もできないよ。仕方ないから、新しいパイロットを探そうか~」

 ロイドの言葉に、セシルは項垂れた。


* * *


 シャーリー・フェネットにとって、これまでの人生の中で最も長く感じられた夜が明けた。鏡の中を覗けば、想像を遥か越えた自分の惨状に、思わず笑いが零れる。泣き腫らして顔全体が何だか浮腫んでいるし、ルルーシュの顔がちらついてほとんど一睡もできなかったから、目の下にはくっきりとした隈ができている。
 昨夜は結局、食事の後は、もう遅いからという理由で、強制的に寮まで送られてしまった。
 相部屋の子が既に就寝しており、泣き腫らした顔を見られずに済んだのは幸いだった。ミレイにはルルーシュのことを誰にも話さないように口止めされたが、泣いていた理由を聞かれたら、誤魔化せる自信がない。

「シャーリー、どうしたの? ひどい顔よ」

 のろのろと登校の支度をしていると、同室の子が心配そうに声をかけてくる。シャーリーは慌てて笑顔を浮かべた。

「う、うん、ちょっと……夜更かししちゃったから……」
「そういえば、シャーリー、帰ってくるの遅かったもんねえ。寮監の先生に怒られたんでしょ。あの先生、話長いのよね~」

 勝手に合点してくれたのは、シャーリーにとってはありがたい。
 朝の学校は、シャーリーの心の中の嵐とは裏腹に、いつものように平和だった。ルルーシュの席は、当然ながら空席だ。

「よう、シャーリー。……って、何かあったの?」

 挨拶したあと、驚いたように尋ねてくるリヴァルに、ルルーシュのことを話すべきかシャーリーは迷った。誰にも話さないようにとは言われたが、リヴァルは生徒会の仲間だ。ルルーシュとはシャーリーよりも親しい。その彼に、ルルーシュが命に関わる怪我をしたことを話さないでいることは、正しいだろうか。

「リヴァル、あのね」
(――お願い、シャーリー、約束して)

 意を決して口を開いたシャーリーの脳裏に、別れ際のミレイの姿がよぎった。昨夜の彼女はいつになく真剣で、そして必死だった。迫力に押されてシャーリーが思わず約束してしまうほど。

(詳しくは言えないけれど、ルルーシュは家庭の事情が複雑なの。誰にもこのことは言わないで。私が大丈夫って言うまで、病院にも、お見舞いに行ったりしないって約束して)
(そんな――)
(お願い、ルルーシュのためなの)
(で、でも)
(シャーリーを巻き込んだのは私の判断ミスよ。……ルルーシュに、怒られちゃう)

 そう言って寂しそうに笑う会長の顔が、妙に印象に残っている。

「シャーリー?」
「ちょっと来て」
「お、おい、もうHRが始まるぜ?」

 訝るリヴァルの腕を引っ張って、シャーリーは階上の三年生の教室――ミレイ・アッシュフォードのクラスへと向かう。約束した以上、ルルーシュのことを勝手に話してしまうことは躊躇われる。ならば、会長の口から説明してもらえばいいのだ。

「あれ、会長いないな?」

 HR前のざわつく三年の教室を見回して、リヴァルが落胆したように言った。遅刻になると渋っていた彼だが、シャーリーの目指す先が、会長のクラスの教室だと気づいてからは、むしろ先に立って歩いてくれた。彼はミレイに好意を寄せているのだ。
 目指す相手がいないと聞いて、シャーリーは胸を押さえた。
 彼女は今も、ルルーシュの傍についているのだろうか。登校していないということは、ルルーシュの容態は悪化したのか。もしかして……。
 悪い想像ばかりが頭の中を駆け巡っていく。

「お、おい、シャーリー?」

 ふらついたシャーリーを、リヴァルが慌てて支える。

「どうしたんだよ? 会長に何か大切な話でもあるなら、電話してみれば?」
「うん……」

 朝、ルルーシュの容態を尋ねるためにかけた電話は留守番電話が応答したし、メールの返事もまだ返ってきていない。
 それでも会長が通話に出てくれる、一縷の望みにかけて、携帯電話を取り出して操作していると、横から声がかかった。

「おい、お前ら二年だろ。何か用か?」

 二人に話しかけてきたのは、ミレイと同じクラスの男子生徒だ。リヴァルが困ったように顎を掻く。

「あー……、いや、ちょっと、会長に話があって……」
「ああ、お前ら生徒会役員だったっけか。ちょうどいいや」

 何がちょうどいいというのか、男子生徒は心持ち二人の方に身体を乗り出してくる。瞳に揺れるのは純粋な好奇心と、いくばくかの不安だ。もしかしてルルーシュのことが噂になっているのかと、シャーリーの胸の鼓動が早くなる。

「やっぱり、何かあったのか?」
「な、何か、って?」

 シャーリーがどもりながら尋ねると、彼は顔を近づけて、声を落とした。

「会長、今朝、軍に連れてかれたらしいぜ。理事長も一緒だったらしいって」
「え? な、何すか、それ」

 リヴァルが素っ頓狂な声を上げる。

「登校途中に見たヤツがいて、三年の間じゃ、ちょっとした話題になってる。会長の家も軍人がいっぱい外に立ってたってさ。お前ら何も知らないのか?」

 聞かれて、二人はふるふると首を振った。
 そうか、と残念そうに離れていく男子生徒が嘘を吐いているようには見えなかった。

「嘘だろ……」

 リヴァルが慌てた様子で携帯電話を取り出して、ミレイの番号にかける。
 しかし、受話口から流れてきたのは、能天気な留守番電話の音声だけだ。

「……そうだ、ルルーシュに聞いてみようぜ。もうアイツも登校してるだろ。ま、何かの間違いさ」

 気を取り直して、わざとらしいほど明るく言うリヴァルの声には、隠せない不安の色がある。
 シャーリーはそれに答えることができなかった。ルルーシュは今日は学校には来ない。もしかしたら、もう二度と来られないかもしれない。
 ――そして、昨夜の別れ際の、ミレイとのやり取り。

(分かりました、会長。でも、落ち着いたら、ちゃんと説明してくださいね)
(ありがとう、シャーリー。元気でね)

 それはまるで、自分の身に何かが起こると予感していたような、別れの言葉。

(まさか、だよね)

 そんな筈がない。考えすぎだ。思う傍から、不安がじわじわとシャーリーの心を侵食していく。

「シャーリー、先生が来たぜ。もう戻らないと!」
「う、うん……」

 腕を引かれるまま、シャーリーは自分の教室へと戻った。



 上の空で授業を過ごして迎えた、昼休み。学園中にミレイの噂が余すところなく広まって、誰もが落ち着かずそわそわしているように見えた。騒がしい校内も、いつもよりかなりトーンダウンしている。
 その中を、シャーリーは、自分の席で物思いに沈んでいた。食欲がわかず、昼食に誘ってくれた友人の誘いは断ってしまった。

「なあ……」

 聞き慣れた声に横を向くと、リヴァルが立っている。明らかに顔色が悪い。また何か悪い知らせだろうか。

「どうしたの?」

 会話を始めた二人に、周囲から、突き刺さるような視線と、聞き耳が集中する気配がする。理事長のアッシュフォード家、すなわち生徒会長の家に何があったのかは、今や全校生徒の関心事だ。生徒会のメンバーなら何か聞いてるのではないかと、休み時間の度に入れ替わり立ち代わり色々な生徒、果ては先生にまでこっそり訊かれて、シャーリーとしては、かなりうんざりしている。
 リヴァルもそれを分かっているのだろう。シャーリーの耳元に屈んで、ようやく聞き取れるくらいの囁き声で言った。

「クラブハウスが立ち入り禁止になった」
「ええっ」
「俺、生徒会室にいたんだけどさ、青い顔した先生がやってきて、追い出された。出口には軍人っぽいのが立っててさ。で、なにが起こるのかと隠れて見てたんだけど……やつら、何か運び出してた」
「何かって何を?」
「こっそり見ただけだから、わかんねぇよ。なあ、会長に何があったんだろう?」

 リヴァルの声は泣きそうだ。シャーリーに分かる筈がないことは、彼だって承知の上だろう。それでも不安で、話をせずにいられない気持ちは、シャーリーにもよく分かった。……シャーリーだって、ルルーシュのことを話せたらどんなに楽か。

「ルルーシュのやつともまだ連絡取れないし……クラブハウス閉鎖じゃ、あいつ、自分の服だって取りに行けない筈なのに、どうしてるんだろうな。ナナリーも今日来てないみたいなんだけど、二人ともまさかクラブハウスにはいないよな」
「ナナちゃんはルルと一緒なんじゃない?」

 つとめて明るい声を出したが、微かに語尾が震えた。だが、心配で手一杯のリヴァルには、気付かれなかったようだ。

「きっとそうだよな。ああ、せめてルルーシュと連絡が取れたらなあ……」

 こんな時に、一体どこほっつき歩いてんだよ、と八つ当たり気味に呟くリヴァルに、シャーリーの胸は痛んだ。 
 このままリヴァルにルルーシュのことを黙っていて、いいのだろうか。会長自身にいつ会えるかも分からないというのに、ただ約束を守るだけで。

「悪い、こんなこと言っても困るよな」

 黙り込んだシャーリーの様子を違う意味に取ったようで、リヴァルが謝ってくる。
 それをじっと見上げ、シャーリーは口を開いた。

「ねえ、リヴァル。午後の授業サボらない?」
「へ?」

 優等生のシャーリーから突然飛び出した提案に、リヴァルが目を白黒させる。

「いきなりどうしたんだよ。理事長宅に行っても、兵隊がいて近づけないって噂だぜ?」
「病院に行くの」
「病院!? 具合でも悪いのか? 次の授業は出席も余裕だし、どうせサボるつもりだったから、付き添いくらいいいけどさ……」
「じゃ、決まりね」

 シャーリーはさっさと鞄を持って立ち上がった。
 ――ルルーシュのことは話さない。見舞いにも行かない。それがシャーリーがミレイと交わした約束だ。けれど、偶然通りがかったリヴァルが病室の名前に気がついて乱入するのであれば、約束を破ったことにはならないはず。
 苦しい言い訳は、リヴァルのためではなく、どちらかというと自分のためのものだった。シャーリーは、ルルーシュの容態が、気になって仕方がないのだ。

 言葉少なに電車を乗り継いで、病院に到着すると、シャーリーは記憶を頼りにルルーシュの病室へと向かった。
 一度しか、しかも動揺している時に通った道だ。たどり着けるかは自信が無かったから、見覚えのある廊下に出たときにはホッとした。
 しかし、病室のドアの前まで進んで、シャーリーは首を傾げた。

「え?」

 昨日はルルーシュ・ランペルージと書かれていたはずのネームプレートは真っ白だ。ドアの隙間に光はなく、中は無人のようだ。慌てて周囲を見回すが、どこにも、ルルーシュ・ランペルージと名前の書かれたネームプレートはない。

「どうしたんだよ、シャーリー」

 背後で、リヴァルが同じく、空白のネームプレートを見て怪訝な声を上げている。

「嘘……だって、ここの筈なのよ」
「誰か入院してたんか?」
「あの、すみません」

 傍を通りがかった看護婦に声をかけると、髪に白いものが混じった年配の看護婦は、いかめしい顔に警戒の色を浮かべて、足を止めた。じろじろと、検分するように二人を眺める。

「ここに、昨日入院していた人のことなんですが……」
「あなたたち、お見舞い? 受付はちゃんとしたのかしら」
「あ、すみません! 知りませんでした」

 素直にシャーリーが頭を下げると、看護婦は少しだけ表情を和らげた。

「駄目よ、規則は守ってもらわないと。それから、その病室の患者さんだけれども」

 彼女はそこで言葉を切って、シャーリーたちを気の毒がるような顔になった。

「昨夜、転院になったのよ。だから、この病院にはいないわ」
「ええ? どこにですか!?」
「患者さんの個人情報ですから、病院からは言えません。ご家族の方にでも聞いてみたらどうかしら」
「そうですか……」
「とにかく、ここはちゃんとお見舞いの受付をした人たちだけが入ってきていいエリアです。入り口に戻ってください」

 険しい視線と言葉に背中を押されるようにして、シャーリーはとぼとぼと来た道を歩き出した。背後を歩くリヴァルが、当然の疑問を口にする。

「おい、シャーリー? 一体、誰に会いに来たんだよ?」
「うん……」

 つい先ほどまで、ルルーシュのことをリヴァルが全く知らないでいるのは、ルルーシュにとってもリヴァルにとっても良くないことだと、シャーリーには確信があった。
 けれど今は、分からない。会長と連絡が取れるようになるまで、ルルーシュの転院先も容態も、知りようがない状態で、ミレイとの約束を破ってまでルルーシュのことをリヴァルに告げるのは、果たして良いことだろうか。ただでさえ、リヴァルはミレイのことを気にかけて消耗している。
 迷った末、シャーリーは首を振った。

「ごめん、つき合わせて。実は親戚が入院してて、心配だったの」
「おいおい、なんでそれで俺に付き添いを」

 目を丸くするリヴァルを振り返り、シャーリーは両手を合わせて拝んだ。

「ちょっと、心細かったから。それに、鬱陶しかったでしょ」

 何が、とは言うまでもない。リヴァルは苦笑を浮かべた。

「まあなあ。……じゃあさ、電話して転院先を聞いたら?」

 ここまで来たんだし、付き合うよ、と親切に言ってくれる生徒会の仲間に、シャーリーは首を振る。

「ううん、いいの。ありがとう」

 シャーリーには、ミレイとルルーシュの無事を祈ることしかできない。
 通路横の窓から見上げた先、雲一つ無い蒼穹を、一羽の鳩が真っ直ぐに飛んでいった。



[32362] 第5話
Name: めい◆cd990f2a ID:5691f6d1
Date: 2013/05/13 14:35
 彼の願いは、二つ。
 一つは、彼の妹――肉体的には絶対的な弱者でしかないナナリーのために、弱肉強食を謳うブリタニア帝国を崩壊させること。
 そうしてもう一つは、母を奪った誰か、そして彼の生ごと否定し、死に追いやろうとしたブリタニア皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアに復讐すること。
 彼は、七年という、彼の生きてきた歳月の半分近くを、その目標を見つめて歩んできたはずだった――。

 目を開けて、視界に飛び込んできた無味乾燥な白一色の天井に、ルルーシュは瞬いた。
 身じろぎしようとして、身体に力を込めれば、腹部を激しい痛みが襲う。ルルーシュは、顔を歪めて呻いた。

(そうか、俺はスザクに撃たれて)

 一瞬の混乱の後に記憶が蘇って、ルルーシュは目を細めた。傷はまだずくずくと疼いている。
 余計な所に力を入れないよう、注意深く動かした腕からは、点滴の管とおぼしきものが伸びていた。どうやら、無事に病院に運び込まれて、助かったようだ。
 安堵の吐息を一つついて、ルルーシュは顔を巡らせた。誰か、現在の状況を尋ねられる人間は傍にいないだろうかと思ったのだ。
 そこで、ルルーシュは息を止めた。

(何だこれは)

 ベッドの横、病院の備え付けのものにしてはやたらと豪奢なソファーの上では、二人の少女が、互いにもたれ合うようにして眠っている。微笑ましくも無邪気な寝顔だが、頬には涙の伝った跡がある。
 片方は彼の愛する妹、ナナリーだ。それは何の問題も無い。
 だが、もう片方の少女は誰だ?
 その答えを、ルルーシュはもちろん知っていた。だが、知っていることと認めることは別だ。少なくとも、頭の中で疑問符が乱舞する今この瞬間の彼にとってはそうだった。
 幾ばくかの自失の時間が過ぎて、彼はようやく結論に至った。

(そうだ、俺は夢を見ている、きっとそうだ、これは夢の続きだ)

 ルルーシュは頭の中で乾いた笑い声を立てた。
 目覚めたら横に第三皇女殿下が鎮座しているなどと、そんな馬鹿なことがあってたまるものか。何だか最後に会った当時の姿ではなく、相応に成長した姿に見える気もするが、気のせいだろう。病院の一室にしては随分と部屋がだだっ広いことや、ソファが豪華なものなのも、当然ながら夢だからだ。
 そうと決まれば早く夢から覚めねばと、ルルーシュはいそいそと顔を戻して目を瞑った。
 だがしかし、現実は彼にとって優しくはなかった。
 程なくして、廊下を走る慌ただしい足音と共に、何者かが病室に入り、ベッド脇からルルーシュの顔を覗き込んでくる気配がする。目を瞑ったまま、夢から覚めようと、涙ぐましい努力を続けるルルーシュに、その誰かは話しかけてきたのだった。

「お目覚めになったんですね、良かった!ご気分はいかがですか?」

 男の声は、嬉しそうながらも、ひどく忙しない口調だった。まるで、ルルーシュが寝てしまうことを警戒しているかのようだ。
 場違いなほど馬鹿丁寧な言葉遣いは、夢だからだ。気分が悪い? 最悪に決まっている。早くこの妙な夢から覚めたいものだ。
 ルルーシュが往生際悪く心の中でそう答えて微動だにせず目を瞑っていると、男の声が段々涙混じりの焦った声になっていく。

「お願いします、寝ないでください、次に目覚めたら、あなたと話がしたいと厳命されてるんです、僕が処罰を受けるようなことになったら、妻と幼い子供が~」

 さすがに無視しきれずに、ルルーシュは嫌々ながら瞼を持ち上げた。
ああ、良かった! と枕元に立っていた、医者らしい若い男は、跳び上がって喜ぶ。

「気分は、そうですね、最悪です」

 憮然として答えれば、医者は訳知り顔で頷いた。

「そうですよね、大変なことでしたね、テロに巻き込まれるなんて。でも大丈夫です、あなたにお会いしたがっておられる方々にお会いすれば、きっと気分の悪さなど吹き飛びますよ」
「全力でお断りします」

 ルルーシュは爽やかに微笑んで断ったが、医者は全く意に介さずに、横の看護婦からカルテを受け取っている。顔をしかめたルルーシュだったが、次の瞬間、聞こえて来た声に、凍り付く。

「う……ん……?」

そろそろと視線をやれば、ルルーシュが現実逃避したかった対象が、二人の声で起きたのだろう、目をこすっていた。と、ふいにその紫の瞳とばっちり視線が合ってしまい、ルルーシュは焦った。
 一瞬の沈黙のあと、ユーフェミア第三皇女殿下は、ソファから立ち上がって、ルルーシュの傍に駆け寄って来た。ユーフェミアにもたれるようにして眠っていたナナリーは、べちゃりと音を立てるような勢いで、ソファに倒れこんだが、ユーフェミアもルルーシュも、気にする余裕はない。

「ルルーシュ……ルルーシュなのですよね。良かった……本当に……」

 ユーフェミアはルルーシュの枕元に膝をつき、目に涙を浮かべて言った。
 ルルーシュは、どう反応すべきかをほんの少しだけ迷った。
 七年前のユーフェミアは、無邪気で天真爛漫、そして優しい純粋培養のお姫様だった。彼はブリタニアとブリタニア皇族を憎んではいたが、その感情を、当時何の権力ももたなかった無力なユーフェミアにそのままぶつけるのが間違っていると判断するだけの分別はある。
 結局のところ、涙を浮かべて縋りついて来る妹に、ルルーシュは微笑みを浮かべた。理屈など抜きにしても、この春の日差しのような妹を、わざと傷つけるなんてことが自分にとって難しいことは分かっている。七年前まで、温かくルルーシュとナナリーに寄せてくれていた親愛の情は、忘れようにも忘れられない。

「久し振りだな、ユフィ」

 ルルーシュの言葉に、ユーフェミアの顔が輝く。

「ルルーシュ!ああ、本当に……」

 それきり言葉にならずに、ユーフェミアはルルーシュの手を握って泣いた。心から喜ぶ様子に、ルルーシュの心も温かくなる。

「あの……お兄様」

 か細い声に、ルルーシュは視線を上げて、ユーフェミアの背後を見やった。
 先程、ソファに倒れたショックで起きたのだろう。妹は可憐な顔にありありと不安の色を浮かべて、ルルーシュを見ていた。そう、見ていた。

「申し訳……ありません」

 ルルーシュと視線が合うと、ナナリーはぽろぽろと涙を零しながら、ただ、頭を下げた。
 ルルーシュはそれだけで、おおよその状況を察した。
 自分の病室に皇女殿下がいるなんて、ありえないようなことが起きている以上、もはやルルーシュたち二人が帝国に発見されてしまったことは確実だ。ルルーシュが負傷して動けなかった以上、ナナリーにはどうすることもできなかったはずだ。むしろ、どれだけ心細かったことだろう。ルルーシュは緩く首を振った。

「ナナリー、眼が本当に見えるようになったんだな。嬉しいよ。……結局、俺はお前に何もしてやれなかったな……」

 自嘲を隠さず、ルルーシュは独り言のように言った。
 弱肉強食のブリタニア世界から隠して守り抜くこともできず、二人の行く先に待つものは、もはや外交や謀略の道具となる未来しかない。後見を持たない皇子と皇女など、帝国において何の力もないのだから。
 ナナリーがはっとして首を振ると、新たな涙が頬を伝って流れ落ちた。

「そのようなことは。お兄様は私を守ってくださいました!」
「そうですよ、ルルーシュ! あなたが頑張ったから……二人とも……」

 ユーフェミアは懸命に言うものの、最後はまたしても嗚咽に飲み込まれて言葉にならなかった。
 ルルーシュは途方に暮れた。ナナリーとユーフェミアは彼が弱い相手の筆頭の二人である。その二人に泣かれてしまっては、どうにも分が悪い。
 とにかく泣き止んでほしいのと、現況把握のため、彼は話題を転換した。

「それで、ここはどこなんだ? ユフィがいるということは本国か」
「いいえ、ここはエリア11の総督府です。お姉様が連れて来て下さいました」

 狙い通り泣き止んだユーフェミアの、だがその単語から連想された麗人の存在に、ルルーシュは俄かに緊張した。ユーフェミアの姉と言えば、会う度に、身体を鍛えるという名目で、さんざん痛め付けてくれたあの義姉だろうか。

「あら、ちょうどいらっしゃったみたい」

 呑気なユーフェミアは、ルルーシュの固まってしまった表情にも気付かず、期待に満ちた笑顔を浮かべて、俄に騒がしくなってきた廊下を窺っている。ルルーシュは泣きたい気持ちで覚悟を決めた。何とかこの難局を打開しなくてはならない。尤も、起き上がることすらままならない状態では、できることなどたかが知れているだろうが。
そのルルーシュの悲壮な覚悟は、部屋の中に入ってきた一団の先頭の人物を見ただけで、早くも粉々になって吹き飛ぶこととなった。
 優美に登場したのは、第二皇子シュナイゼルを先頭に、続いて第二皇女コーネリア、第三皇子クロヴィス。既に第三皇女ユーフェミアが室内にいることを考えれば、恐ろしいほどの豪華な顔ぶれである。
 医者と看護婦の、蛙が潰れたような驚愕の声が響く。

「ご苦労だったね。すまないが、少し外してくれないか。患者と話がしたいんだよ」

 帝国宰相閣下に申し訳なさそうに話しかけられて、二人は文字通り跳び上がる。壊れた人形のように、何度もお辞儀しながら部屋から退去する。

「……さて、久しぶりだね、ルルーシュ」

 ルルーシュに向き直ると、穏やかだが底の見えない微笑みを浮かべて、シュナイゼルは言った。
 ルルーシュは唾を呑んだ。
 この義兄こそが、ブリタニアを破壊するために、皇帝の次に障害となるだろうと目していた相手だった。冷静怜悧、帝国宰相を務める海千山千の古狸、最も皇帝に近いと噂される男。ルルーシュは、かつて幾度もこの相手にチェスを挑んだが、とうとう一度も勝てなかった。
 その相手と、こんなにも早期に、こんなにも無力な状態で渡り合うことになるなどとは完全に計算外だ。だが、もはやそれを嘆いても始まらない。
 ふ、とルルーシュは完全な作り笑いを浮かべた。

「帝国宰相閣下、第二皇女殿下並びに第三皇子殿下の拝謁を賜りまして、望外の喜びにございます」

 このような身体ですので跪くのはご容赦ください、と言えば、シュナイゼルの背後に立っているコーネリアの眉がぴくりと震えるのが見えた。シュナイゼルがいなければ、まず間違いなく怒鳴られたなと、ルルーシュは心の中で首を竦める。だが、シュナイゼルが顔の筋肉をぴくりとも動かさないのは流石だった。変らない微笑みを浮かべたまま、首を傾げる。この微笑みが曲者だ。

「感動の再会だと言うのに、随分と水臭い挨拶だね」
「ルルーシュ・ランペルージという人間は、殿下方に拝謁を賜ったことはございませんので……」

 困ったような表情を作って返せば、シュナイゼルは紫色の瞳に面白がるような色を浮かべた。

「そうか、君は私の弟だと聞いたが、違うのだね?……では、嘘を吐いたアッシュフォード家の者たちには、どうやら、騒乱罪で牢に入ってもらう必要があるようだ」

 飽くまでも穏やかに帝国宰相が言い放った言葉に、ルルーシュとナナリーが同時に目を剥いた。

「シュナイゼル義兄様!?」

 ナナリーが訴えかけるように叫んでも、シュナイゼルはちらりともルルーシュから視線を逸らさなかった。ルルーシュは溜め息を吐いた。――どの道、いくら足掻いたところで、この義兄相手では無駄だ。

「確かに、私はかつて殿下の義弟でした。……お久しゅうございます」

 今は違うとでも言わんばかりの返事に、さらにコーネリアの眉が震えた。

「また寂しいことを。私は今も君たちの義兄のつもりだが?」

 どの面下げて、という本音をそのまま表に出すほどルルーシュは浅はかではない。

「身に余るお言葉ですが、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは帝国においては既に死亡しております。……無論、七年前にではなく、生まれた時に」

 異論を唱えようとするコーネリアの声を遮って、付け加えられたその言葉の意味を推し量ることの出来ない者は、その場にはいなかった。帝国においての絶対者、皇帝が母を亡くしたばかりのたった十歳の皇子に下した非情な言葉、そして命令。
 それを思い出したのだろう、コーネリア、クロヴィス、ユーフェミアが顔を曇らせて視線を落とす。

「皇位継承権も既に剥奪されている以上、帝国宰相であり第二皇子であるシュナイゼル殿下を義兄上とお呼びするなどと畏れ多い真似をするわけには参りません」

 流れるような言葉は非の打ち所も無く丁寧ながら、素っ気なく、取り付くしまもなかった。
 だが、その言葉の途中で、シュナイゼルはにっこりと微笑んだ。

「それなら気にしなくても大丈夫だ。君の皇位継承権は今日中にも戻されることになっている。もちろん、ナナリーにも」

(なっ……!)

 ルルーシュにとっては完全に想定外のことだった。辛うじて表情は動かさずに済んだが、身体に力が入る。途端に走る腹部の痛みに、身をよじるようにして呻く。
 元凶であるシュナイゼルはわざとらしく眉を上げて驚いている。

「おやおや、ひどい怪我をしているんだから、力を入れてはいけないよ」
「ルルーシュ、大丈夫ですか!」

 ユーフェミアの細い手が、ルルーシュの手を握る。

「既に皇帝陛下にもご承認を頂いた。君を皇族に列することを皇帝陛下がお認めになった以上、君は正しくルルーシュ・ヴィ・ブリタニアというわけだ。……もう少し嬉しそうな顔をしてくれると私も嬉しいのだがね」

 ルルーシュは、無表情の仮面を被って第二皇子の涼しげな微笑みを見上げた。駒となることを有り難がれとは、随分と無茶を言う。嫌悪の感情を顔に出さないようにするだけで、ルルーシュにとっては精一杯だ。

「それで、私はEUに行けばよろしいのでしょうか、それとも中華連邦?」

 弟の直截的で不躾な言葉に、シュナイゼルは微笑みを崩さない。ただ、異論を示すように微かに眉を上げた。

「どちらでもない。帝国には、君たちの犠牲など必要ないからね。無論私にも」

 君たちごときの、という声が聞こえた気がして、ルルーシュは眼を細める。

「ならば、一体、何が目的です」
「決まっている。君たちを助けたいという兄心だよ」

 打てば響くような答えに、何が兄心だ、とルルーシュは胸の内で悪態をついた。そんなものがあったというのなら、どうして自分たちは、助け手もなく、七年前に路頭に迷わなければならなかったというのだ。アッシュフォードが掬い上げてくれなければ、間違いなく七年前に二人は死んでいたのだ。

「純粋な好意と仰りたい?」

 眉を上げたルルーシュに、シュナイゼルは微かに苦笑を浮かべた。

「信じられない、という顔をしているね。だがそれが事実だよ。私は、君が生きていてくれて嬉しいと思っている。この部屋にいる者は皆同じ気持ちだよ、ルルーシュ。……ただ、確かに七年もの間、死亡とされていたわけだから、君たちの立場は七年前以上に微妙なものとなってしまうだろう。わざわざ皇籍を戻すには及ばないのではないかという声もあったようだ。だから、皇位継承権を戻していただくよう、私から皇帝陛下にお願い申し上げたのだよ。これは、私の気持ちだと思ってほしい」

 それはつまり、二人の後ろ盾にシュナイゼルがなると宣言したのも同然のことだ。
 義兄の目的が読めず、眉を寄せるルルーシュに、畳みかけるようにシュナイゼルは続ける。

「七年前は、何もしてやれなくてすまなかった。私が力不足なばかりに、二人には随分と可哀想な目に合わせてしまった。だが、皇帝陛下への取りなしも済んだ。もう心配することはないのだよ」

 並の人間が聞いたら、その慈悲深い言葉に、感動して打ち震えただろう。けれど、ルルーシュは、ぴくりと頬を震わせた。

「……つまり、義兄上は、私たちを、哀れんでくださっていると仰るのですか」
「不服そうだね」

 シュナイゼルは首を傾げてくすりと笑い声をもらした。

「死んだとばかり思っていた不憫な弟妹と、七年ぶりに再会したんだ。君は死にかけていたわけだし、哀れまずにいるのは難しいと思うがね」
「義兄上が肉親の情に篤い方とは初耳です。私以外にも多くの義弟妹をお持ちなのに、お身体が持たないのではありませんか」

 皮肉ったルルーシュの物言いにも、シュナイゼルは穏やかに答える。

「おや、君のことは、私は一番目をかけていたつもりだよ。そう、君のそういう矜持の高さもね」

 どこまでも穏やかな声と、得体の知れない笑顔に、引き込まれるような心地がして、ルルーシュは視線を逸らした。首を振る。

「で、哀れみ深いシュナイゼル義兄上は、私たち二人を本国に送還してくださると?」
「いいや。だが、君達が望むなら、手配はしてあげよう。ただし、君の怪我が治ってからだけどね」

 意外な返事に、ルルーシュはシュナイゼルの双眸に視線を戻した。

「先程奏上申し上げたら、皇帝陛下は、君達は本国に戻るには及ばず、と仰せになった」
 ルルーシュは、知らず身体に力が入るのを感じた。歯ぎしりの音がもれそうなほどに、歯を食いしばる。目の前が赤く、憎しみの色で塗りつぶされてしまいそうだった。
 ――あの、男。戻るに及ばずとは、今も昔もあの男にとって、二人が取るに足らない存在だということだ。そして、それを繕う必要性すら感じていないのだろう。二人は、帝国における弱者に過ぎないからだ。シュナイゼルの報告に対して、特に関心も示す事なく、好きにしろ、と言い放つ様が容易に脳裏に浮かんだ。
 顔色を変えたルルーシュに、シュナイゼルはなだめるように笑いかけた。

「君の気持ちも分からないではないが、陛下には陛下のお考えがある。君にとっても本国は戻りたい場所ではないだろう?」

 その言葉に、ルルーシュは微笑む。華のある微笑みだった。ただし、毒のある。

「そうですね。皇帝陛下のお慈悲に心より感謝を致しましょう。――義兄上のご厚情にも、心より感謝申し上げます」

 付け加えられた、馬鹿丁寧というよりは慇懃無礼な口調に、シュナイゼルが眉尻を下げて、少しだけ悲しげな顔になる。

「まだ私の好意を疑っているのかい? もう少し、血の繋がった兄弟というものを信じてほしいものだが」
「まさか。私は義兄上のことを信じております」

 微笑みのまま、ルルーシュは答えた。
 そう、血が繋がっているからこそ、確信している。絶対に何か裏があることを。この義兄が、ただの親切で今更自分たちを助けるものか。
 シャルル・ジ・ブリタニアと、そして自分と。これほど信用のおけない血の繋がりもない。
 シュナイゼルは、ルルーシュの内心を見透かしたように、くすりと笑った。

「七年の間にひねくれてしまったものだ。悲しいね。……君達の今後については、コーネリアが話したいそうだ。先ほどから話したくてうずうずしているようだから」

シュナイゼルが楽しそうに言って脇に退けば、殺気をまとった妙齢の女性が進み出て、傲然とルルーシュを見下ろした。

「この、愚かものがっ」

 予想どおりの怒声に、ルルーシュは反射的に身体を竦めた。 途端に腹部に痛みが走る。

「全く、お前は相変わらず軟弱だな。……おまけに強情で意地っ張りなところも変わってないとみえる」

 声もなく痛みに耐える弟に気がついて、コーネリアは表情を緩めた。

「義姉上もお変わりないようで」
「ふん、それは嫌味のつもりか?」

 にやりと笑う。本当に変わってないなと、ルルーシュは胸の内で独りごちた。肉食獣の微笑みだ。シュナイゼルに比べれば、コーネリアは分かりやすくて助かる。

「まさか。この状態で義姉上に嫌味を言う程、私は命知らずではありませんよ」
「心外だな。私は義兄上より優しいつもりだが?」
「義兄上は、ちっぽけで何の力も持たない子供の戯言などに、目くじらを立てるような方ではありませんから」

 内容的にはどう聞いても嫌味だが、口調は自嘲の色が強い。象が蟻の命を気にする事がないように、ルルーシュがどう反応しようが、シュナイゼルは左右されてくれるような易しい相手ではない。その点ではコーネリアも同様だが、ユーフェミアという弱点がある点で、多少は歩み寄りの余地はあるだろう。

「私だって同じだ」
「おや、そうですか。義姉上は昔から寛容と手加減という言葉を知らないのだと思っていました。……ああ、ユフィ以外に対しての話ですよ」
「なんだと」
「目くじらを立てないのではなかったのですか」

 う、と言葉に詰まって、コーネリアは涼しい顔の弟を睨み付けた。

「口ばかり達者なところも、本当に変わってないな!」

 ルルーシュはニヤリと笑った。

「お褒めいただき、光栄です、皇女殿下」
「その皇女殿下と呼ぶのをやめろ。大体、お前も数時間後には皇子殿下と呼ばれる身分に戻るんだぞ」
「では、今なら皇女殿下とお呼びするのは、身分区分上から言えば正しいですね」

 悪戯っぽく微笑んで、ルルーシュはコーネリアを見上げた。
 十歳上の義姉は、片方の眉を上げてルルーシュを睨め付けてくる。

「私をからかうとはいい度胸ではないか」
「殿下ご本人より許可をいただきましたので」

 ルルーシュとしては意趣返しはまだまだ物足りないくらいだったが、さすがにこの辺りが限界だろうか。コーネリアの眉はぴくぴくと震え、肉食獣の瞳にはちらちらと危険信号が見え隠れする。
 怒鳴り声を覚悟したルルーシュの前で、だが、コーネリアは、ふと口角を上げて表情を緩めた。

「コゥ義姉上?」

 挑発して本音を引き出すという狙いがはずれて、咄嗟にルルーシュの口からは昔の義姉の呼び名が飛び出した。それに満足そうに目を細め、第二皇女は高らかに続ける。

「本題に入ろう。……お前たちの後見に、表だってはこのコーネリア・リ・ブリタニアが立つ事が決まった。義兄上も皇帝陛下もご承知の事だ」
「お姉様、それは本当ですか!?」

 驚きに声を失ったルルーシュの傍らで、ユーフェミアが、嬉しそうに驚きの声を上げる。
 ルルーシュは、コーネリアとユーフェミアを見比べて、やがて、唇を歪めて笑った。

「ユフィのためですか。あなたは相変わらず妹には甘くていらっしゃる」

 それしか理由は考えつかない。
 そもそも、シュナイゼルが二人の皇族復帰の後押しをした以上、表だって後見をする必要などないはずだ。マリアンヌを疎んじていた名門貴族や、コーネリアの母后のコーネリアに対する風当たりが強くなるだけである。
 唯一の可能性としてはシュナイゼルがコーネリアに要請をしたという線があるが、シュナイゼルにそこまでのことをする理由などないはずだし、これによってシュナイゼルに恩を売れるほど彼にとって自分たちが大きな存在ではないということはルルーシュ自身が一番良く知っている。
 義弟の侮辱とも取れる疑問に、コーネリアは怒気を浮かべるでもなくあっさりと頷く。

「それも勿論あるが、それだけではない」
「まさか、義姉上まで私達を哀れんでくださるとでも? らしくないですよ」

 鼻で笑ったルルーシュの挑発に、コーネリアは苦笑を浮かべた。

「まあ、それもあるな。今のお前は、起き上がれもしないひどい様子だ」

 肯定されて、ルルーシュの口の中に苦いものがわきあがる。屈辱感を誤魔化すように、彼は性急に問いを重ねた。

「ならば他に、どういうつもりで、私たちの後見をなさると? 義姉上にメリットがあるとは思えませんが。何らかの道具にでも使おうと?」

 コーネリアは、ずいとルルーシュに顔を近付けた。

「私は、お前に詫びなくてはならない」

 真剣な声だった。

「お前は覚えているな。……マリアンヌ様が身罷られた際に、警護を担当していたのは私の部隊だった」

 ルルーシュは眼を細めた。続けられる言葉次第では、皇帝を飛び越えて、最大の排除対象はこの義姉となる。たとえば、コーネリアがマリアンヌを殺害させるために、わざと侵入者を見逃した、などということであれば。

「マリアンヌ様をお守りしきれず、すまなかった。お前がそもそも皇帝陛下に馬鹿なことを申し上げたのも、マリアンヌ様が身罷られたせいだろう。……私には、マリアンヌ様をお守りしきれなかった責がある。よって、おまえたち二人は、マリアンヌ様に代わって、私が保護する。母上にも文句は言わせぬ。異論があるか?」

 最後まで真摯に語られたそれは、ルルーシュにとってはひどく意外な台詞だった。言葉の裏を探るようにコーネリアの表情を窺うが、真剣な顔に、嘘偽りの気配はなかった。
 横でユーフェミアが理解の色を瞳に浮かべて頷いているところを見ると、コーネリアが七年前のことを気にかけていたのはユーフェミアも承知のことのようだ。コーネリアはともかく、ユーフェミアに腹芸ができるとも思えないし、コーネリアがユーフェミアにわざわざ嘘を言っていたとも考えにくい。
 だから、ルルーシュは眉を寄せて、正直な感想を口にした。

「……義姉上がさほど七年前のことを気にかけておられたとは意外ですね」
「コーネリアは閃光のマリアンヌ様に憧れていたからねえ」

 横からシュナイゼルが茶茶を入れる。途端に、コーネリアの頬が赤らんだ。

「やめてください、義兄上」

 動揺するコーネリアの様子は、見せかけには見えない。
 小さく咳払いをして、第二皇女は続けた。

「ともかく、お前の優秀さは義兄上の折り紙つきだ。私に恥をかかせるようなことはあるまい?」

 体力は相変わらず心許なそうだが、とは余計な言葉である。

「……努力いたします」

 ルルーシュは、小さなため息とともに言葉を押し出した。どのみち、皇帝と帝国宰相が承知している以上、ルルーシュには是と言う以外の選択肢などない。否と言ったところで何も状況は変わらず、反抗的な態度を取れば、徒にルルーシュの、そしてひいては同母妹であるナナリーの立場が悪くなるだけだ。

「……少し、疲れてしまいました。休ませていただいてもよろしいですか」

 何もかもが、ルルーシュの意志を無視して動き出している。現在の自分は、どれほどそれが不服であろうとも、ベッドの上から起き上がることもできはしないのだ。

「そうだね、無理をさせた。ゆっくり休みなさい」

 答えたのはシュナイゼルだ。ルルーシュは、相変わらず得体の知れない微笑みを浮かべる次兄に、視線を向けた。

「アッシュフォードには寛大な措置をお願いします」

 ブリタニア帝国の慈悲を願うのは業腹だが、これだけは譲れないことだった。二人に何くれとなく便宜を図ってくれていたルーベン・アッシュフォードが投獄されでもしたら、ミレイに顔向けできなくなる。尤も、これから先、会う機会があるのかさえ不明だが。

「もちろんだ。彼らは君達を保護してくれていた功績者だからね」

 力強いシュナイゼルの言葉を聞きながら、ルルーシュは深く、息を吐いた。


* * *


 「ルルーシュとナナリーが生きて私達の元に帰ってきてくれたことを祝って」

 シュナイゼルの言葉に、席についた皇子皇女が自分のグラスを掲げ、口をつけてテーブルに置いた。
 それを待っていたように、お仕着せの衣装に身を包んだ給仕の女性達が、流れるような美しい所作で、料理の皿をワゴンの上からテーブルの上に並べていく。
 緋絨毯の敷かれた広い室内は、豪奢なシャンデリアであまねく照らし出されている。壁に一定の間隔を置いて惜しげも無く名画が飾られているのは、さすがに芸術を愛する皇子の正餐室といったところだろうか。
 細長いテーブルの端、一番の上座にシュナイゼルが座り、その左右にクロヴィスとコーネリア、そしてそれぞれの横にナナリーとユーフェミアが座している。これほど多数の皇族を迎えたことは初めてだろうに、よく躾けられているのだろう、給仕は一切の好奇心を表情に浮かべることも、皇族の表情を窺うこともなかった。

「本当に、よく生きていてくれたな」

 コーネリアが労りと共にナナリーに視線を向ければ、ユーフェミアも涙ぐんで頷く。

「ジェレミア卿より話を聞いた時は、何かの間違いだろうと思いましたが」

 クロヴィスが、その時を思い出したように、苦笑する。
 彼にとって、今回のことは晴天の霹靂だった。

「駆けつけてみればルルーシュは危篤で……、義姉上にどれほど叱られるかと、背筋が凍ったものです」
「まあ、お義兄様ったら」

 ルルーシュが目覚めてくれて本当に良かった、と大仰に胸を撫で下ろしてみせるクロヴィスに、ユーフェミアがくすくすと笑い声を上げた。
 ルルーシュが病院に担ぎ込まれてから丸二日、意識を取り戻して兄姉と会話してからは、一日。あれから二度ほどルルーシュは目覚めたが、医者によれば特に問題もなく、完全に危機は脱したという。今夜は多忙を極めるシュナイゼルが中断していた公務に戻るということで、兄弟姉妹だけで内々に別れの晩餐会を開いているところだった。

「あの……」

 和やかな雰囲気の中で、遠慮がちな声がテーブルの端から上がった。末席に座ったナナリーだ。全員の視線が、まだ幼さの残る少女に注がれる。

「お伺いしても……よいでしょうか」

 ナナリーはルルーシュが意識を取り戻した後は、半ば強制的に休息を取らされていたから、兄姉と対面したのはそれから初めてのことだ。
 彼女は、瞳に決意を漲らせて、真剣な顔で、義兄を見つめている。
 和やかとは言いがたい義妹の表情に、クロヴィスは怪訝な顔になる。

「なんだい?」
「お兄様がどうして撃たれたのか、分かったのでしょうか」

 ひたむきな眼差しは、一切の誤魔化しを許さないというように、じっとクロヴィスの瞳を見つめている。
 クロヴィスは答えに詰まった。既におおよその事情は判明しているが、ここで話題にするべきことではないし、わざわざ義妹の耳に聞かせるようなことでもない。

「それは……」
「ナナリー、このような場で」

 クロヴィスに助け船を出す形でコーネリアが窘めるのを、シュナイゼルが制した。

「いや、仕方ない。ナナリーには知る権利がある。クロヴィスは言いにくいだろうから、私から答えよう」

 ナナリーはクロヴィスの上からシュナイゼルの上に視線を移動した。次兄は眉を寄せて、申し訳なさそうな顔をしている。

「一部の兵士が、ルルーシュにテロリストの盗んだ軍事機密を見られたことに焦って、ルルーシュを撃ったそうだよ」

 既に知っていたのだろう、第二皇女と第三皇子の二人は、シュナイゼルの言葉に苦々しい顔になる。対して、何も知らされていなかったユーフェミアとナナリーは顔色を変える。

「そんな……」
「平時ではなかったとはいえ、一般市民を問答無用で撃つなど、とんでもない話だ。帝国宰相として、私からも詫びよう」

 すまなかった、と告げられて、ナナリーは首を振る。

「いえ、シュナイゼルお義兄様に詫びて頂くなんて……でも、じゃあ、お兄様を撃った人は、もう捕まっているのですね」
「そう聞いているよ。本人も罪を認めているし、近日中に軍事法廷にかけられるだろう」

 念を押せば、返ってきた聞き慣れない物々しい言葉に、ナナリーは目を見開いた。

「軍事法廷……ですか」
「軍律違反に、皇族に対する反逆罪だからな、相当の罪になる筈だ」

 吐き捨てるように言ったのはコーネリアだ。引っ掛かるものを感じて、ナナリーは眉を寄せた。

「反逆罪というのは、お兄様を撃ったことでしょうか? でも、ほとんどの方はお兄様のことなど知るはずもないですし、軍律違反だけで良いのではないのですか」

 兄を問答無用で撃ったという相手への怒りは、無論ナナリーの胸の中にも有り余るほどにある。だが、皇族を撃ったということについては、身分を隠していたナナリー達に非があるのも確かだ。何より、自分を撃った犯人にその罪を適用することを、とりわけ兄は望まないはずだった。
 皇位継承権を戻されたと聞いた時、ルルーシュの顔を一瞬だけよぎった嫌悪の表情が脳裏に浮かぶ。兄の意志を裏切ってブリタニアに助けを求めたナナリーとしては、せめてこれ以上、ルルーシュと帝国の間の亀裂を広げたくない。

「コーネリア」

 窘めるようなシュナイゼルの呼び掛けに、第二皇女はしまったという顔でそっぽを向く。

「お義兄様?」

 ナナリーの重ねての問いに、シュナイゼルは溜め息を吐いた。

「これは、君にはショックだろうから、言わないでおこうと思ったのだが……」

 珍しく躊躇う様子のシュナイゼルに、ナナリーは居住まいを正した。

「いいえ、何もかも、教えてください、お義兄様……私はもう、世界から目を背けようとは思いません」

 ――そう、そんなことは許されない。ルルーシュの思いを裏切ることになると知っていながら、ブリタニアに助けを求めてしまった今は。
 覚悟を漲らせている妹の様子を眺め、シュナイゼルは諦めたように口を開いた。

「……ルルーシュを撃ったのは、枢木スザク、という名前の名誉ブリタニア人の二等兵だと聞いている」

 何を聞いても、受け止める覚悟を決めていた筈だった。けれど、余りに意外な名前に、ナナリーは一瞬、言われた内容が理解できなかった。

「スザクさん? スザクさんって、あの……?」

 枢木スザクと言えば、自分達が七年前、人質として日本に送られた際に、預けられた家の息子で……兄と自分の友人だった。少なくとも七年前は。

「そう。七年前に君達が預けられた枢木首相の一人息子だ。当然ながら、きみたちが皇族だと知っている筈の数少ない一人だし、本人も、皇族と知りながら撃ったことを認めている」
「そんな……嘘です、スザクさんがお兄様を撃つなんて」

 ナナリーは呆然と呟く。
 もしも足が不自由でなかったら、彼女は無礼も忘れてその場で立ち上がってしまっていたかもしれない。それくらい、ナナリーにとってそれは衝撃的な内容だった。
 彼女が必死に言い募るのに、シュナイゼルは沈痛な面持ちで頷く。

「信じられなくても無理はない。だが事実だ。我々としても、皇族と知りながら、刃を向けたという事実を、無視することはできない」

 分かってほしい、と言われて、それ以上は何も言えず、ナナリーは俯く。

「……ねえ、ナナリー。二人はこのエリア11でどう過ごしていたの?」

 沈み込んだ空気を取り成すように、ナナリーに明るい声で話しかけたのは、向かいに座るユーフェミアだった。
 ナナリーは顔を上げて、慈愛の微笑みを浮かべる義姉を見た。その眼差しにも表情にも七年前と変らない親愛の心が溢れていて、だからナナリーもぎこちないながらも、微笑んで答えることができた。

「学園に通っていました。アッシュフォード家が便宜を図って下さって」
「あら、それはとても素敵ね。私も本国では学生なのよ。でも、身分が知られているから、なかなか親しいお友達ができなくて……楽しかった?」
「はい、とても」

 ナナリーは学園生活を思い出しながら、頷く。個性豊かな学園行事の数々を思い出せば、自然に顔が綻ぶ。

「しかし、身分が知られていなくても、あの唯我独尊を地でいくルルーシュに、友人ができたのか?」

 コーネリアが眉を寄せながら、想像できんな、と呟けば、その場の全員が笑い出し、空気が一気になごんだ。

「あら、お兄様は生徒会の副会長だったんですよ! 生徒会の方々は、お友達……だったんだと思いますけど」
「ねえ、写真はないの?」

 ユーフェミアが瞳をきらきらと輝かせて訊いてくる。

「生徒会のですか?」
「それもだけど、あなたたちの七年間の写真よ。どう過ごして来たのか見たいの」
「それは私たちも是非見たいね」

 シュナイゼルが同意する。

「写真……ですか。あるとは思うのですが、私は目が見えなかったから、見たことがなくて……でも、お兄様が管理なさっておられたと思います」

 ナナリーの言葉に、クロヴィスは首を傾げた。

「君の眼は見えてるじゃないか」

 義弟の空気の読めない言葉に、コーネリアが殺気をこめて睨み付ける。折角の和やかな雰囲気がぶち壊しになったら、どうしてくれる。

「それが、見えるようになったのは二日前なのです」

 ナナリーが多くを語らずとも、全員がその原因を悟って、沈黙した。
 まだ、たった二日。けれど彼女にとっては、数年にも等しいほど激動の二日だった。

「かわいそうに、辛い思いをさせてしまったね」

 重苦しい空気を打ち破ったのはシュナイゼルだ。

「だが、結果的には、ルルーシュが助かった今、きみたちが最も穏便に帰ってこれたことと、眼が見えるようになったことを嬉しく思うよ」

 ナナリーの快復に、とシュナイゼルが再び杯を掲げた。全員がそれに倣う。

「ありがとうございます」

 ナナリーも恐縮しながら自分のグラスを掲げた。
 結果だけを見れば、ナナリーの視界と、ブリタニア皇族への復帰と引き換えに、二人は自由を失った。得たものにルルーシュの命を加えるとしても、失ったものの価値を思えば、ナナリーの心は、ともすれば、不安に飲み込まれそうになるのだった。


* * * *


 近くで響いた電子扉の開閉音に、枢木スザクは、固い寝台の上で、薄目を開けた。身動ぎすれば、二日間の間に痛め付けられた全身が、ずきりと疼いた。
 連行されてから間断なく続いた、体罰を含む尋問に、肉体的にも精神的にもダメージを受けている。憎々しげにスザクを見下ろした青年将校のまなざしを思い出し、スザクは溜め息をついた。
 やむを得なかったのだと説明すればするほど、彼の怒りの火に油を注いでしまったようだ。皇族を撃つなど、確かに法に則れば、いかなる場合でも許されざる行為だろう。脳裏に旧友の崩れ落ちる姿がまざまざと甦って、スザクは顔を歪めた。握りしめた拳の背で、視界を覆う。
 自分のこの手でルルーシュを、皇族と知りながら撃ったのは確かだ。スザクには、その点について否認する気などなかったから、悪くすれば極刑だろう。この場合、殺意の有無など問題ではない。
 そうと分かっていても、スザクの心は落ち着いていた。むしろ、心に巣くっているどす黒いもの、七年前から、絶えずスザクの心を責め苛むそれは、今までにないほど落ち着いている。

 ――自分は紛れもなく罪人なのだから、裁かれるべきだ。だから、これは正しい。

 心の内の声と共に唐突に、血を流して倒れる旧友の姿に、もう一つの記憶が重なりそうになる。彼は慌てて幻影を振り払うために、起き上がった。
 足音が、スザクの独房に近づいてきている。
 彼に対する尋問は終わったはずだが、まだ続くのだろうか。スザクは居住まいを正した。明朝は軍事裁判所に護送されると聞いていたが、今はまだ夜中だ。いくらなんでも早すぎるし、足音は一つのようだ。それと、微かな金属音がカラカラと響いている。何の音だろうか。
 動物園の珍獣よろしく、強化ガラス張りになっている廊下を眺めて待つことほんの少し、現われた人物に、スザクは息を呑んだ。
 苦虫を噛み潰したような表情の青年将校に押された、車椅子の少女。
 緩くウェーブのかかったプラチナブロンドの髪は肩の下まで流れ落ちており、幼さの残る顔立ちはひどく不安そうだった。
 スザクはこの少女に見覚えがある。そう、自分を食い入るように見つめる紫の瞳以外は。

「ナナリー……!?」

 無意識に漏れた驚きの声に、少女の背後の青年の眉が、ぴくりと跳ねる。

「貴様、殿下を呼び捨てにするとは……」

 鈴を転がすような声が、男の怒声を遮った。

「構いません。――本当に、スザクさん、なのですね」

 哀しみに満ちた瞳で、少女は呟くように言った。



[32362] 第6話
Name: めい◆cd990f2a ID:5691f6d1
Date: 2013/10/08 09:33
 再会したばかりの少女の前に、スザクはぎこちない動作で跪いた。

「お会いできて光栄です、ナナリー皇女殿下」

 畏まるスザクに、ナナリーは顔を曇らせた。
 七年前、ルルーシュとナナリーなど、ニッポンにとっては圧倒的弱者でしかなかった。スザクはそんな二人に真剣に向き合ってくれた、数少ない人間だ。立場が逆転したからといって、跪いてもらいたいなどと思うわけがない。

「ジェレミア卿、私をこの部屋の中に」

 ナナリーの言葉に、背後の青年将校が目を剥く。
 ここに彼女を連れてくるのさえ渋っていた彼が、その要求を受け入れがたいことは分かっていた。けれど、ナナリーにも譲れない想いがある。

「いけません。この男は重犯罪者です。御身が危険です」
「スザクさんは、私に危害を加えたりしません」

 ナナリーが断言すると、ジェレミアはさらにいきり立ったようだった。

「兄君を弑そうとした者でございますぞ!」

 ナナリーはそれを聞いて、目を伏せた。

「……それでも、スザクさんは、かつて、私たちの良き友人でした。いいえ、少なくとも、私は今でもそう思っています。ですから、知りたいのです。どうして、スザクさんが、そんなことをしたのか。真実から眼を背けないために、ジェレミア卿、どうか私に協力してくださいませんか」

 言葉では下手に出ていても、ナナリーに譲る気は微塵もない。それを悟ったのか、ジェレミアは再び苦虫を噛み潰すような顔になる。

「……では、もしもこの男が殿下に危害を与える素振りを見せたなら、この場で射殺致します」
「はい、それで構いません」

 ナナリーはこっくりと頷く。
 青年将校は、諦めたようにため息を吐いた。扉のロックを外し、車椅子を押して、ゆっくりと部屋の中、スザクの前に押し進める。
 頭を垂れたままのスザクに、ナナリーは顔を歪めた。

――こんな風にスザクさんをかしこまらせるなんてこと、きっとお兄様は望まない。

「どうか、顔を上げてください、スザクさん。ただのナナリーとして、あなたとお話しさせていただけませんか」

 スザクは、ゆっくりと顔を上げた。真っ直ぐな茶色の瞳。初めて見る彼の瞳は、想像していた通りに真っ直ぐで、そして、想像していたよりもずっと寂しげだった。
 けれど、七年の歳月を被征服民として過ごしたのだ。きっと、七年前の彼の瞳と、今の彼の瞳は同じではない。

「手を……いただけませんか」
「殿下!?」

 ジェレミアの抗議に構わず、ナナリーはスザクに手を差し延べた。挑むように見つめた先で、スザクは苦笑を浮かべた。ナナリーの意図を了解したように、けれど少しだけ遠慮がちにそっと右手を重ねてくる。それに、胸が痛いほどに安堵する。

 ――やはり、彼に、やましいところはないのだ。

 スザクは、ナナリーが相手の手を握ることで、嘘を見抜くことができるのだということを知っているはずだった。少なくとも七年前の彼は、そのことを承知していた。

「スザクさん、ですね、本当に……」

 だから、否定の言葉を期待して、ナナリーは言った。

「お兄様を撃ったのがあなたというのは、本当なのですか?」
「はい」

 あっさりとした肯定だった。頭を殴られたような衝撃に、ナナリーは束の間黙り込んだ。けれど、彼が兄を撃ったというのなら、理由があるはずだった。

「どうして、そんなことを?」
「上官の命令でした。……申し訳ありません」

 目を伏せて、無念そうにスザクが答える。その言葉にナナリーよりも先に反応したのは、背後のジェレミアだ。

「貴様、まだそのような世迷言をぬかすか。そのような事実はないと、その場にいた全員が証言しているのだぞ!」
「いいえ、スザクさんは、嘘を吐いていません。……私には分かります」

 ナナリーは静かに言った。ジェレミアが不服の声を上げる。

「殿下!?」
「そのとき、お兄様の身分を明かさなかったのは、お兄様が、望まれなかったからですね」

 それは質問ではなく確認だった。
 スザクが、悔しそうに顔を歪める。

「……はい。明かしたところで、助かるとは限らないと考えたんだと思います。彼は、自分に、撃てと言ったんです」
「お兄様が、ですか?」
「はい。命令に抗弁しようとする自分に、どうせ助かる余地はないから、自分が撃てと。こっそり急所をはずせとも言われました」
「それで、外してくださったのですね」
「勿論です」

 ナナリーは、緊張を解いて、ほうっと息を吐いた。

「ありがとうございます、スザクさん。おかげで、お兄様は一命を取り留めました」

 ナナリーの言葉に、スザクは目を輝かせた。手を握っていなくとも、彼がどれほどルルーシュのことを心配していたのか分かるような表情の変化だ。

「ルルーシュは助かったんですね!?」
「はい、危地は脱したとお医者様から伺っています」
「良かった……本当に」

 潤んだ声に、ナナリーは微笑む。

「良かった……やっぱり、スザクさんはスザクさんですね」

 スザクが、はにかんだように微笑む。

「眼が、見えるようになったんですね。……おめでとうございます」

 ナナリーは微笑んだ。この状況に複雑な気持ちはあるけれど、スザクに見せるべきものではない。

「ありがとうございます。あの、今回のこと、謝ったりなさらないでくださいね。むしろ、お兄様の意思を尊重してくださって、ありがとうございます」
「殿下」

 ジェレミアが眉を上げる。何を言うのかと言う顔だ。それを無視して、ナナリーは言葉を続けた。

「スザクさんが罪に問われることがないよう、お兄様たちにお話しします。だから、また私とお話ししてくださいね」

 自分で良ければ、とスザクは微笑んで答えた。

* * * * *


 月曜日の朝を、シャーリー・フェネットは、最悪な気分で迎えた。金曜日、封鎖の解けたクラブハウスに入ってみたが、ランペルージ兄妹が生活していた区域には鍵がかかっていて、人の気配もしなかった。生徒会の備品は何一つ欠けていなかったし、クラブハウスを使用しているクラブからも、今のところ問い合わせは無いから、運び出されたという荷物は、ルルーシュとナナリーの持ち物なのだろう。
 結局、あの朝以来、会長とは連絡が取れていなかった。携帯に何度電話しても、留守番メッセージが流れるのみで、アッシュフォード家に電話しても、留守だとかで取り次いでもらえない。
 駄目元で、部活を休んで土日は生徒会室にいたけれど、会長は現れず、同じ理由でやってきたリヴァルと雑談をして二日間が終わった。何度かアッシュフォード家まで様子を見に行ったリヴァル曰く、軍人はいなかったが、会長には取り次いでもらえなかったという。
 この三日間、ルルーシュがあのまま死んでしまったという夢に、しばしばうなされた。起きていても、脳裏を青白いルルーシュの顔がよぎって、何も手に付かなかった。何度も、ルルーシュの怪我についてリヴァルに話そうと思ったけれど、その度に会長の真剣な顔が頭に浮かんで、そして会長と連絡がつかないことだけで動揺しきっているリヴァルに更なる心配事を増やすのも気が引けて、結局話せていないままだ。
 学園に行けば、いつもの喧騒が待っていた。先週末にあったちょっとしたゴタゴタなど、熱しやすく冷めやすい学生達は、既に興味を失ってしまったようだった。
 教室に入って行っても、当然ながら中にルルーシュはいない。シャーリーは溜め息を押し殺して、自分の席に座った。
 その時だ。廊下を走る足音がしてリヴァルが顔を出した。表情が、ここ数日では見なかったほど明るい。

「いたいた、シャーリー!」

 素早くシャーリーの席の横まで移動すると、リヴァルはヒソヒソ声で言った。

「会長、学園に来てるぜ」
「ほんと!?」

 シャーリーは思わず席を立った。ミレイには聞きたいことが山程あるのだ。授業のことなど、頭の中から吹き飛んだ。

「待てよ、シャーリー。もうすぐ授業始まるから話せないって会長言ってたぜ。昼休みに、生徒会室で話せるってさ」
「そっか……」

 教室を出ようと動きかけていた身体を、無理矢理自分の席に戻して、シャーリーはもどかしい気分で、教壇の上に飾られた時計を見上げた。長い四時間になりそうだ。

「お、先生だ。じゃあ、シャーリー、また昼に」

 やっと会長と連絡が取れたという安心感からだろう、リヴァルが足取りも軽く自分の席に戻ってゆくのを、シャーリーは羨ましい気持ちで見送った。
 そして、ホームルームが始まった。年配の男性教師が、教室中を見回して、神妙な顔つきになる。

「今日は、皆さんに大変残念なお知らせがあります」

 どきり、とシャーリーの胸の鼓動が跳ねた。思わず、空いたままのルルーシュの席に視線が行く。生徒達の視線が十分集中するのを待って、教師は重々しい調子で続けた。

「ランペルージくんが、先週、交通事故に逢いました」

 一瞬、水を打ったように、教室が静まり返る。そして、直後、どよめきがうねるようににわきだして、教室内を圧倒した。

「先生、ルルーシュくんは無事なんですかっ!?」
「お見舞いに行きたいので病院教えてください!」

 中でも凄かったのが、貴公子然としたルルーシュに憧れを抱いていた女生徒達である。悲鳴のような声の裏には、僅かな下心も混じっている。

「静かに。残念ながら、彼は本国の病院に転院となったし、見舞いは不可だそうだ。諸般の事情で学園に復帰できるかはまだ分からない。そういうわけで、彼はしばらく休学扱いとなる」

 途中で邪魔が入らないようにか、教師は一気に言った。
 えー、そんなぁ―、と、あちこちで悲鳴が上がった。シャーリーは思わず立ち上がった。


「せ、先生、ルルの容態は、どうなんですか」

 教師は、ふむ、とシャーリーを見て、気の毒そうに首を振った。

「シャーリー・フェネットか。ランペルージとは生徒会の仲間だったな。すまないが、わたしたちも、詳しいことは聞かされておらんのだ。ただ、理事長によれば、命に別状はないそうだ」
「そうですか……」

 ひとまず安心して、シャーリーは自分の席に座った。座ったというよりも、立っていられなかったという表現の方が正しいだろう。安堵の余り、足が震えていた。

「良かった……」

 では、ルルーシュはあの状態から回復したのだ。
 白い顔でぴくりとも動かない姿を見ているシャーリーとしては、それだけで嬉しかった。
 しかし、当然、それで納得しない生徒もいる。

「先生、どうして本国の病院に転院になったんですか!」

 すかさず立ち上がったのはリヴァルだ。彼にしてみたら、友人の一大事なのに、寝耳に水状態であったから、多少の憤慨が声にこもるのは、仕方のないことと言えるだろう。

「家庭の事情だと聞いている」

 教師は、気の毒そうな顔のまま、おもむろに、絶対の効力を持つカードを切った。家庭の事情。この言葉を教師が口にしたならば、以降はどんな詮索も受け付けない。暗に訊くな、と言っているも同義である。
 リヴァルにもそれは分かっているのだろう、ふて腐れたように席についた。彼の問い掛けるような眼差しに、シャーリーは分からないと首を振る。これまでに、ルルーシュがナナリー以外の家族について口にするのを耳にしたことは、そういえば一度もなかった。


* * * * *


 ミレイ・アッシュフォードは、一つ大きく息を吸い込んで、通い慣れた生徒会室の扉を開けた。中に座り、サンドイッチを頬張っていた三人の顔が、一斉にミレイの方を向く。

「や~ごめんごめん、待った~?」

 ミレイがわざといつも通りの脳天気な声をだすと、どことなく張り詰めていた空気が緩んだ。

「遅いですよ、会長!」

 シャーリーが口を尖らせて言うのに、ミレイは苦笑いして言った。

「ごめんってば~途中でいろんな子たちに掴まっちゃって~」

 途端に、緩んだ空気が元通り緊張するのが分かる。

「会長、ルルは」
「会長、交通事故って」

 シャーリーとリヴァルの声は同時だった。

「はいはい、質問は順番にね」

 ミレイが言うと、カタン、と椅子の音を響かせて、ニーナ・アインシュタインが立ち上がった。ミレイの幼馴染みの、科学少女だ。物静かで、あまり騒ぐこともない。

「わたし、隣の部屋に行ってるね」

 相変わらずのマイペースぶりである。隣の部屋には、ニーナ専用の端末がある。ルルーシュの件については、特に興味が無いのだろう。それでもわざわざミレイをここで待っていたのは、彼女なりにミレイのことを心配してくれていたということだ。

「ニーナ、ありがとね」

 ニーナが微かに頷いて隣の部屋に消えると、まずはリヴァルが進み出た。

「で、会長。ルルーシュの交通事故って、一体どういう状況だったんすか!」
「実は、私もよく聞かされてないのよ。ただ、ちょっと相手がお偉いさんみたいで、あんまり事にしたくないみたい」

 ミレイはさらりと嘘を吐いた。リヴァルがこんな質問をしてくるということは、シャーリーは律義に約束を守ってくれたようだ。感謝の視線を送ると、シャーリーは、不本意そうに目を逸らした。

「お偉いさん!?ルルのやつ、大丈夫なんですか」

 そんな二人のやりとりにも気付かず、リヴァルは素頓狂な声を上げた。

「もちろんよ。ルルーシュは被害者だもの。責任をもって治療して下さるそうよ」

 力強く請け負えば、リヴァルは安堵の息を吐いた。多少の罪悪感はないではないが、全くの嘘ではない。交通事故ではなく交通事故に付随して起きた事件で、相手はブリタニア軍という『権力者』。もちろん、知らなかったとはいえ、皇族を害したなんて表にしたがるはずもないから、相手が事にしたくないと思っているのも本当の事だった。そして、責任持って治してくれるのも間違いはない。政庁お抱えの優秀な医師団がついている。

「そっか……なら、良かった。でも会長、ルルーシュのやつすぐ復学出来るんですよね?」
「んー、どーだろーね―」

 ミレイは肩を竦めて言明を避けた。結論から言えば、無理に決まっている。どうして休学扱いなのかと言えば、必要以上に注目を集めないための、祖父の計らいだ。

「そんなに酷い怪我なんすか!?」
「あ~違う違う、所謂家庭の事情ってやつよ」

 ミレイが苦笑して手を振ると、シャーリーが身を乗り出した。

「会長、ルルの家族って……? 家庭の事情って、何なんですか」
「本人が話してるの聞いた事無いもんな」

 好奇心の色の強いリヴァルとは対照的に、シャーリーは必死の面持ちだ。彼女が、ルルーシュに想いを寄せていたことはミレイも知っていた。そして、もうその想いが報われる事は、永遠に無いであろうことも。
 本来なら、ルルーシュが口を噤んでいた事をミレイがばらすのはルール違反だが、二度と会える見込みがない以上、全く説明がないのもあまりに寂しい。

「ん~、ルルーシュが言わなかったことを私が言うのもあれなんだけど~、ま、あなたたちならいっか。他の人に話さないって約束してね?」

 二人がうなずくのをしっかり確認してから、ミレイは話し始めた。

「いろいろ複雑な事情があるんだけど、二人は実は、……家出兄妹だったの」
「え」

 二人共が驚きの声を上げる。それを満足そうに見やって、ミレイは続けた。

「でも、向こうの家族は捜しもしてなくてね……二人のお母様とお知り合いだった、うちのお祖父さまが、見かねて保護してたのよ」
「でも、それって、確か未成年者略取とかいう罪に問われるんじゃ……?」

 恐る恐るシャーリーが言えば、ミレイはにっこり微笑んだ。

「あらよく知ってるわね。今回のことで、さすがに知らせないわけにはいかないじゃない?どうせ今まで探しもしてなかったから、放置だと思ったんだけど、親戚がかけつけてきて、引き取るって話しになっちゃったわけ。うちが今まで面倒みてたのは、法律的にはアウトだしねえ」

 我ながら、立て板に水のように嘘が出て来る。これも全くの嘘では無いから、真実味を帯びて聞こえるだろう。その証拠に、二人とも、あっさり信じこんでくれたようだ。

「でも……ルルの意思は?」

 ミレイは苦笑した。そもそもルルーシュの意思を尊重してもらえるような環境だったなら、二人は家出する必要などなかったわけだが、円満な家庭で育ったシャーリーには、いまいち実感できないのだろう。

「さあ?わたしも会わせてもらってないし、分からないのよね~」

 肩を竦めて言うと、シャーリーが詰め寄ってきた。

「その親戚の連絡先を教えてください!」
「それを知って、どうするの?」

 ミレイは、シャーリーに視線を据えて、静かに聞いた。

「もちろん、ルルと話して、それから……」
「ルルーシュに、まさかここに戻ってこいって言うつもりなわけ?」
「い、いけませんか」

 声に滲んだ非難の色を感じ取ったのか、シャーリーが目に見えてひるんだ。
 ミレイは苦く溜め息をついた。決してシャーリーが愚かなわけではない。むしろ自然な成り行きだ。その証拠に、リヴァルも口には出さないが、同意のまなざしでミレイを見ている。
 けれど、望んでも叶わないと分かっていることを、他人に説得されるのは、あの二人にとっては負担以外の何ものでもないだろう。

「ルルーシュの意思では動かせないことでも?」

 父親とうまくいっていないという、リヴァルが察したような顔になる。それでも食い下がったのはシャーリーだ。

「だ、だって……家族なんですよね?」
「そう、家出しても捜しもしない家族ね」
「そんな……」

 家庭の事情という言葉の意味が、やっと飲み込めたのだろう。シャーリーは絶望的な表情になった。

「で、でも、じゃあ、親戚の人に頼めば……」
「赤の他人のあなたが頼んで、ルルーシュが言うよりうまくいくって言いたい訳?随分な自信家ね」

 あえてきつい言葉を選んでミレイは言った。シャーリーは途端に傷ついた表情になる。

「会長、そんな言い方は……」

 リヴァルがとりなすように、間に入る。

「シャーリーの言っている事は、そういう事よ。連絡先を聞いても、あなたにできることは何もありません。連絡しても、ルルーシュを困らせるだけよ」

 ミレイが強い口調で言い切ると、シャーリーは俯いた。ぱたぱたと、机の上に雫の跡がつく。ミレイは心を鬼にして何も言わなかった。全て本当のことだし、ここでルルーシュへの想いを断ち切るのが、シャーリー自身のためでもある。
 リヴァルがおろおろと、ミレイとシャーリーを見比べている。

「……そう、ですよね。すみませんでした……」

 嗚咽混じりのシャーリーの言葉に、ミレイはほっとして、口調を和らげた。

「もし第三者の口出しで左右出来る問題なら、私だって祖父だって、とうに頼んでるのよ。辛いでしょうけど、諦めて吉報を待ちましょう?」

 その時がこないことはもちろん承知していたが、この段階でそれを口に出せば、ルルーシュの親戚の身元を詮索されることになりかねない。少しずつ変化に慣らすことが大事だ。こくりと小さく頷くシャーリーを、ミレイは哀れむように見つめていた。


* * * * *


 ルルーシュは、無駄に豪華な装飾が施された天井を、ぼんやりと眺めた。
暮らしなれた学園のクラブハウスのものではない。といって、病院ではありえなかった。
 ブリタニアに見つかったという事実が、じわじわと心に染み込むにつれて、苦いものがこみあげてくる。重い溜め息を吐くと、突然衣擦れの音がして、視界に、典型的日本人の容姿を持った女性が顔を出した。

「お目覚めですか、ルルーシュ様」

 ルルーシュは二重の意味で驚いた。部屋の中に、他には誰もいないと思っていたことと、思いがけない人物に会った驚きだ。

「咲世子さん……?どうしてここに」
「アッシュフォード家より、お二人のお世話に遣わされました」

 にこりと微笑み、軽く膝を曲げて一礼するのは、クラブハウスでメイドとして二人のことを世話してくれていた、篠崎咲世子だ。

「アッシュフォードから……そうか」

 ルーベン・アッシュフォードが手配をしてくれたのだろう。正直、見知った人間が周りの世話をしてくれるというのはありがたい。

「すぐにナナリー様をおよびしてまいります」

 ぱたぱたと軽い足音を響かせて、メイドが遠ざかっていく。
 ルルーシュは、再び、ぼんやりと天井を眺めた。肌触りのよい寝具は絹だろうか。柔らかく沈みこむようなベッドは、学園で使っていたものよりも遙かに高級品だ。
 身体に力を入れると、相変わらずの鋭い痛みが腹部に走った。
 耐えがたい屈辱感に、ルルーシュは顔を歪めた。もう二度とあの男の世話にはならぬと心に決めていたはずだったのに、現実はどうだ。ベッドから起き上がることもままならない自分は、今、紛れもなくあの男の慈悲によって生かされている。皇族として生きるということ、皇族の庇護を受けて生きるということは、つまるところそういうことだった。
 カラカラと微かな車輪の回る音に、ルルーシュは表情を消した。この怒りも、憎しみも、ナナリーに見せるつもりはない。
 穏やかな笑顔を貼り付けて、精一杯首を回せば、泣きそうな顔の少女が、車椅子を押されて部屋に入ってくるところだった。
 ルルーシュと視線を合わせて、紫の瞳がいっぱいに見開かれる。

「お兄様……!」

 たちまち潤み始めた妹の瞳に、ルルーシュは、作りものではない微笑みを向けた。

「心配をかけたな……すまない」

 幾重にも呪わしい状況ではあるが、ただ一つ、妹の閉ざされて久しかった目が光を取り戻したことだけは、この上もなく喜ばしいことだった。
 しかし、ルルーシュが微笑みかけても、ナナリーは、泣き出しそうな顔のままだ。紫の瞳は不安に揺れている。

「……お加減はいかがですか」
「ナナリーの顔を見たら、すっかり良くなったよ。どうした?」

 ルルーシュのセリフは、あながち間違いでもなかった。どす黒い憎しみはとりあえず脇へ置いておいて、純粋に妹が視力を取り戻したことを喜ぶ気持ちになったのだから。
 ルルーシュが優しく促すと、ナナリーは辛そうに俯いた。

「お兄様……あの……お願いです。スザクさんを助けてください!」
「ナナリー様」

 ナナリーの必死な声に、咲世子の心配そうな声が重なった。

「スザク……?」

 ルルーシュは突然出てきた旧友の名前に、目を瞬かせる。

「スザクさんから聞きました。スザクさんがお兄様を撃ったと……」

 ルルーシュは、顔をしかめた。できればナナリーには伏せておきたかった事実だ。ショックを受けているだろうが、ルルーシュ自身は、恨んでなどいない。

「あいつに会ったのか。あの時は仕方ないことだったんだ」
「はい、分かっております。でも、お義兄様もお義姉様も、私の言葉に耳を貸してくださらないのです」
「……何だと?」

 その言葉から導き出される結論に、ルルーシュは顔色を変えた。

「まさか、スザクが捕まってるのか!?」
「スザクさんは、要人に対する暗殺未遂罪と軍規違反の罪に問われるそうです」
「馬鹿な! 俺はあの時要人でも何でもないし、スザクは命令に従っただけで軍規違反など……!」

 激しく言い募れば、ナナリーの瞳からぽろぽろと涙が零れた。

「私もそう申し上げたのですが、信じていただけませんでした。でも、お兄様の言葉なら……」
「シュナイゼルに、至急面会を」

 ナナリーは力なく首を振った。

「シュナイゼルお義兄様は、今朝方ここを発たれました。クロヴィスお義兄様とコーネリアお義姉様は、今頃……法廷にいらっしゃっているのだと」
「もう開廷しているのか!?」

 暗い表情でナナリーが頷く。ルルーシュは起き上がろうと身動きした。激痛が走り、四肢にも思うように力が入らない。
 途端に呻き声を上げたルルーシュに、ナナリーは悲鳴を上げた。

「お兄様!」
「失礼致します、何事かございましたか!?」

 悲鳴が終わるか終わらないかというタイミングで、部屋の扉を蹴破らんばかりに乱入してきたのは、廊下で自ら警護にあたっていたジェレミアである。クロヴィスとコーネリアが不在の間に、不埒な輩が兄妹に危害を加えようとしないとも限らないから、困惑する副官とともに、番犬よろしく部屋の外に控えていたのだ。
 ルルーシュはそんな事実は知りようがないので、思うように身体の動かない苛立ちと、スザクへの理不尽な扱いへの怒りのまま、ぎろりと乱入してきた軍人を睨み付けた。

「許可も得ずに無礼だろう、何者だ!」

 傲岸な口調で無礼者呼ばわりされて、副官のヴィレッタは眉を寄せたが、ジェレミアは、雷に打たれたように打ち震え、跪いた。

「無礼をお許しください。お目にかかれて光栄です。私はジェレミア・ゴッドバルト辺境伯と申します」

 跪いた上官に、ヴィレッタが戸惑いの視線を向ける。ある程度身分の高い人間だろうとは予想がついているものの、はっきりと教えられていない彼女には、辺境伯爵ともあろうものがこんな子供に跪く必要性がさっぱり分からない。
 ルルーシュはじろりと立ち尽くす軍服姿の美女を睨んだ。

「その女は?」

 無礼かつ傲岸な言葉に、ヴィレッタは、柳眉を逆立てた。が、すぐに振り向いた上官に叱責される。

「貴様、なぜ跪かない!お二人に失礼だろう!!」

 ヴィレッタが仕えているのはあくまでブリタニア帝国だ。いかな高位の貴族であろうが、軍人たるヴィレッタが跪かなければならない道理はないのだが、抗弁するべき時でないのは明らかだ。釈然としない気持ちながらも跪いて、ヴィレッタが名乗ると、寝台の上の尊大な少年は、どうやら警戒を薄くしたようだ。さらに尊大に言った。

「ジェレミアとやら、頼みたいことがある」
「何なりとお申付けください」

 恭しくジェレミアが頭を垂れた。

「軍事法廷に私を連れて行け」

 この言葉にはヴィレッタだけではなく、ジェレミア自身も目を剥いた。

「な、何をおっしゃいます」

「耳が悪いのか? 軍事法廷に私を連れて行けと言った!」

 叩き付けるように繰り返された言葉に、軍人たちは束の間言葉を失った。

 先に我を取り戻したのはジェレミアだ。

「お連れする訳には参りません。お身体に障ります」

 少年は、剣呑に目を細めてジェレミアを睨み付けた。

「ジェレミア卿、いま法廷で審議されている人間は、私の暗殺未遂の罪に問われているそうだな」
「は。さようにございます」
「当然ながら、私には証言台に立つ権利がある」
「そのお身体でですか!?」
「……私からもお願い致します、ジェレミア卿」

 悲鳴のようなジェレミアの声に、それまで黙って見守っていたナナリーが答えた。

「何をおっしゃいます!!」

 少女は、揺るがない静かなまなざしで、ジェレミアを見つめた。

「この状況を招いたのは、元はと言えば私のわがまま。ですから、無理を承知でお願い致します。……今度は、お兄様をお守りする為に、今一度、お力を貸してはいただけませんか」

 お兄様の心をお守りするために、とナナリーが心の中で言った言葉が、ジェレミアには聞こえたのかもしれなかった。オレンジの瞳に逡巡が生まれた。

「勿体ないお言葉です。ですが……兄君に万が一のことがあれば」

 ナナリーはふわりと微笑んだ。

「ええ、困ります。ですから、どうか、お兄様をよろしくお願いします」

 それはお願いという形を取ってはいたが、拒むことを許さない事実上の命令だった。
 ジェレミアは沈痛な面持ちで両目を瞑り、やがて頭を垂れた。

「イエス……ユアハイネス」

 ヴィレッタが、ぎょっとして上官を見やる。
 それは、皇族に呼び掛ける際に用いる敬称だった。


* * * * *


 軍事法廷は、厳粛に静まり返っていた。もともと威圧的な空気に満ちた場所ではあるが、今日はとくにひどい。軍事法廷であるから、傍聴人も判事も全て軍人だ。その彼らは、緊張した面持ちで、ちらちらと、一段高い所に設けられた、特別な傍聴席に座る人物に視線をやっている。
 そこには、このエリア11の総督であるクロヴィス皇子のみならず、本来ならこのエリアには来ていないはずの第二皇女コーネリアが座り、鋭いまなざしで法廷を睥睨していた。
 皇族が二人も裁判を傍聴するなど、尋常ではない。被告人は余程の重罪を犯したようだと、疑惑と嘲弄の入り交じった視線が、被告席のスザクに突き刺さっている。そこに一片の憐憫も混ざることがないのは、スザクが被征服民である、ナンバーズ出身だからだろう。

「……では、判決を申し渡します」

 静かな法廷に、裁判長の厳かな宣言が響き、スザクは諦めとともに起立した。起訴事実をスザクがどれだけ否定しても、現場にいた親衛隊全員が肯定してしまえば、スザクの心証が悪くなっただけで終わった。もっとも、皇族と知りながらルルーシュを撃ったのは、他でもないスザク自身だ。それを認めている以上、それがスザクの意思によるものだったかどうかは、瑣末な問題であるのかもしれない。
 既に結末を受け入れているスザクを、あの誇り高い友人が見たら、きっと怒るのだろう。その姿がありありと思い浮かんで、スザクの頬には自然に微笑みが浮かんだ。
 その時だった。騒々しい物音がして、開廷中は締め切られている筈の正面の扉が勢いよく開く。
 誰もが驚きに目を見開く中、そこに現れた突然の闖入者は、傲然と叫んだ。

「異議あり!その判決は認められない!」

 第二皇女と第三皇子は、闖入者の姿に、顔色を変えて腰を浮かせた。


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