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[32371] 【習作】中沢くんはどっちでもいいから生き残りたいようです【憑依・魔法少女まどか☆マギカ】
Name: たいらん◆29f658d5 ID:dadd62de
Date: 2012/03/23 16:17
吾輩は中沢である。
名前は知らない。
性別は男、年は十四、現在見滝原中学在学中の二年生である。
嘘である。
いや、嘘ではないけど本当でもない。
今の俺は確かに中沢だが、断じて生まれた頃から中沢だったわけではない。
むしろその逆。
俺の中沢人生はつい最近始まったばかりなのである。

本来の俺はアニメ好きなただの一般人でしかなかった。
それがどういう因果か、少し前に流行した魔法少女まどか☆マギカという深夜アニメのモブキャラ、すなわち中沢に憑依してしまっていたのだ。
何の前触れもなく訪れた中沢としての第二の人生。
覚悟も何もあったものじゃない。
幸い元々の中沢少年の記憶が残されていたため、状況把握に手間取ることはなかったが。

当時読み取った有用な記憶を整理すると次のようになる。
中沢少年は中学二年生に進級したばかり。
担任は早乙女和子、事あるごとに意見という名の賛同を求められるので苦手。
クラスメイトに鹿目まどか、美樹さやか、志筑仁美、上条恭介がいる。
そのクラスメイトの一人である上条恭介がこの間事故って入院したらしい。
だいたいこんなところだ。

分かる人には分かるだろうが俺を取り巻くこの環境、実は相当やばい。
下手すると一ヶ月かそこらでクリームヒルトが降臨し、人類は滅亡する。
そうならずともワルプルギスの襲来によりここ見滝原は確実に壊滅する。
それが分かっていながらまともな介入手段がないときた。
男の俺にはキュゥべえも魔女も見えない上、中沢という人間はまどか達と大して仲が良くないのだ。
どう考えても詰んでいる。

だからといって座して死を待つなど阿呆のすること。
俺が中沢ライフを全うするためには、手段を選ばず、策を弄し、とにかく生き足掻かなければならないのだ。
サミュエルいわく天は自ら助くる者を助く。
最後の最期どうしようもなくなったときに初めて見滝原から逃げ出せばいい。
そういうわけで、俺なりに策を巡らせてみることにした。

「ジャーナリズム同好会?」
「そうっす。ゆくゆくはちゃんと部員集めて正式な部活動に格上げしたいと思ってるっす」
「うーん……うちにはもう新聞部があるでしょう? そっちに入部するのは駄目なの?」
「ダメっす! あんな温いお遊戯じゃ満足できないっす! 俺、将来ジャーナリスト目指してるんで!」
「暑苦しいわねぇ。分かりました。活動内容におかしなところはないみたいだし、他の先生方に話を通しておいてあげるわ」
「あざっす!」

中沢人生開幕から数日ほど経過したある日のこと。
俺は担任の早乙女先生に頼み込み、新たな同好会を立ち上げる許可を頂いた。
その名もジャーナリズム同好会。
ジャーナリズムと名のつく通り、主な活動内容は校内外における取材活動とそれをもとにした記事の発行だ。
何を悠長にクラブ活動なぞしているのだと思われるかもしれないが、別に遊んでいるわけじゃない。
これはいわば布石。
俺が生き残るための、そして自由に動くためのな。

「それはさておき、中沢くん。ところてんは酢醤油と黒蜜どっちで食べた方がおいしいと思う?」
「どっちでもいいっす」

ところで、今時の中坊の喋り方はこんな感じでいいのだろうか。




第一報告 『中沢の謀略』




時刻は夕刻、いわゆる逢魔時。
夕日に照らされ赤く染まった建造物が異様な存在感を放つ寂れた裏通りを、俺はデジカメ片手に独り寂しく歩いていた。
開発ブームが過ぎ去り、業者の撤退から何年経ったのやら。
右も左も放置された空きビルでいっぱいだ。
視界にちらつく剥き出しの鉄骨が周囲の景観を大きく損ねており、今回のように特別な目的でもない限りまず来ようとは思わない。
散歩をするには風情がなさすぎる。

そんな来たくもない場所に何故赴いたのか。
それは先にも言った通り、特別な目的を果たすため、すなわち取材を行うためである。
さらに言えばクラスの連中から仕入れたとある情報が原因だ。
いや、情報と呼べるほど上等なものでもない。
あれは単なる噂話だ。

どれくらい前のことだろうか。
昔、この付近で七人もの行方不明者が出たらしい。
それも同日のうちに、誰にも見られることなく。
当時は拉致だの集団自殺だのといろいろ騒がれたみたいだが、真相は未だ闇の中だそうだ。
……なんとも分かりやすい話じゃないか。
事情を知っている人間が聞けば、みな口を揃えてこう言うだろう。
そいつは魔女の仕業だと。

とはいえ、なにぶん古い話だ。
その事件の元凶が魔女だとすると既に駆逐されてしまっている可能性が高い。
他にめぼしい情報もないため一応訪れてはみたものの、やはり無駄足だったかもしれん。
とりあえず適当に現場の写真でも撮っておこうと一枚、二枚シャッターを切る。

「これは没、こっちも没。西日きつすぎだろ……ん?」

撮影した画像をチェックしていると、足元に影法師が二つ伸びていることに気づいた。
一つは当然俺だ。
じゃあ、もう一つは誰だ?
前方にも後方にも人影はない。
ならば上か。
そう思い至り、ビル群を見上げる。

「……マジかよ」

女だ。
二十代半ばほどの女性が斜向いのビル、その屋上の縁にぽつんと立っている。
ご丁寧に靴まで脱いで、いつでも飛び降りられる状態だ。

「お姉さーん! そんなところに立ってると危ないっすよー! にっこり笑ってー! はいチーズ!」

不謹慎だと思いつつも一枚パシャリ。
さっそく画像を確認してみると、女性の顔には一切の表情が浮かんでいなかった。
ぼんやりしているというか、虚ろというか、まるで何かに取り憑かれているかのようだ。

「こりゃ大当たり引いちまったかな……」

あれが魔女の口づけを受けた犠牲者だとすれば、この付近に魔女が潜んでいるのは確実。
つまりここに張り付いていれば、いずれは魔法少女と接触することも可能ということ。
あの女性は……諦めるしかないが。

「今のうちにビデオカメラ回しとくか……」

残念ながら俺はヒーローじゃない。
ビルから落下する成人女性を受け止めるなんて芸当、逆立ちしたってできやしない。

「頼むから怨んでくれるなよ……」

女性が足を踏み出す。
当然そこに足場はなく、彼女の肉体は重力に導かれるまま落下を始める。
きっと次の瞬間には頭から地面に激突し、頭蓋の砕ける音と共に脳味噌を派手にぶちまけるのだ。

「……」

ぶちまけるのだ。

「……?」

落ちてこない?
それどころか風を切る落下音すら聞こえない。
ふと見上げれば、屋上から真っ直ぐに垂れ下った黄金色の蜘蛛の糸。
その先端にはイエローカラーのリボンに優しく包まれ、安らかに眠る女性の姿があった。

「……」

何者かが手繰り寄せているのだろうか。
厚手のリボンが屋上に向かって少しずつ収束していく。
やがて女性はビルの奥へと完全に引き上げられ、それと入れ替わるように一つの小柄なシルエットが姿を現した。

「ふぅ、間一髪ってところね」

果たしてヒーローは舞い降りた。
俺と同じ見滝原中学の制服に身を包み、夕日に照らされキラキラと輝く金髪を軽くなびかせながら周囲を警戒する可憐な少女。
俺は彼女を知っている。

「巴マミ……」

急ぎカメラを構えるも、彼女は手際よくリボンを回収するとすぐビルの奥に引っ込んでしまった。
どうする、追うか、駄目だ、単独ではカメラを奪われるかもしれん。
いや、そんなことより映像はちゃんと残せているのか。

「……やった」

歓喜のあまり声が震える。
俺のカメラは、虚空より突如として出現したリボンが落下途中の女性をしっかりと拘束する様を鮮明に記録していた。
何たる僥倖。
だが落ち着け俺よ、順調な時こそ落とし穴が潜んでいるものだ。
例えばここで巴マミに発見され、女性を見殺しにしようとしたことを糾弾されては適わない。
深追いは避けるべきか。

「あばよ、巴先輩。この映像は存分に有効活用させてもらうぜ」

証拠としてはこれだけで十分。
俺は逃げるようにその場を後にした。


****


翌朝、見滝原中学校二年生教室はいつものごとく喧騒に包まれていた。
朝のホームルーム前という僅かな時間を学生達は目一杯活用し、昨日見たドラマの内容や流行りの音楽について各々雑談を交わしている。
たわいない、ゆえに尊い日常の一コマがそこにはあった。
しかし、そんな日常風景を打ち破らんとする台風の目はすぐそこまで迫っていたのだ。
具体的に言うと教室の前まで。
……茶番はこれくらいにして中に入るか。

「やばいっすよ! マジやばいっす! 俺っちとんでもないスクープ映像を撮っちゃったっす!」

スパーンと勢いよく扉をスライドさせ、鼻息荒くダイナミックに入室。
クラスの連中が驚いた顔で俺の方を見ている。
とりあえず注目を集めることには成功と。

「うるせーぞ、馬鹿沢。いったい何があったんだよ」
「とにかくやばいんすよ! 今からPCに保存した動画見せるんでみんな集まってほしいっす!」
「なになに?」
「どうしたどうした?」

日常は確かに尊いが、それを認識することは極めて難しい。
むしろ退屈な学校生活に明け暮れる学生達は非日常にこそ強い憧れを抱くものだ。

「全員集まったすね? そんじゃ再生開始!」

俺が持ち込んだ映像はもちろん昨日撮影に成功した巴マミによる自殺未遂者の救出劇。
女性がビルから飛び降りる場面では女子達の短い悲鳴が上がり、彼女が無事リボンに包まれ助け出されると各所から安堵の溜め息が漏れた。

「くぅ~っ! 何度見ても凄いっすねー! 超能力者の仕業か、はたまた魔法使いか! 想像が膨らむっす!」
「ハッ、馬鹿馬鹿しい。こんなの合成だろ」
「そうだそうだ」
「えーっ? そんなことないっすよ。みんな信じるっすよね?」

動画の反響を確かめるべく教室全体を見渡す。
クラスの反応は大きく分けて次の三つだ。
全く信じようとせず鼻で笑うもの、半信半疑で周囲の様子を窺うもの、目を爛々と輝かせ興味津々なもの。
いずれにせよ分かりやすい反応だ。
やはり子どもは素直でいい。

「うんうん。この動画の内容を信じてもいいって人は放課後ちょっと付き合ってほしいっす。かなり重要な取材が控えてるんで同席してほしいんすよ」

仕込みは上々。
俺は内心ほくそ笑みながらノートパソコンを片づけ……おっと、一つ大事なことを失念していた。
子どもはとかく飽きやすい。
念には念を入れ、保険をかけておくとしよう。

「おーい、そこの。ちょっといいすか?」
「あ? 俺に何か用?」
「ほれ、二千円やるからさ。ちょっとばかし頼まれてくんないっすかね」

そして時は流れ、約七時間後。
見滝原中学の生徒達は本日の授業日程を全て終了し、待望の放課を迎えていた。
多くの学生がいそいそと部活動に向かう中、俺は今朝の宣言どおり取材への参加者を募ることにしたわけだが。

「魔法使いさんに会いたい人はこの指とまるっすよー。これから突撃取材に向かうっすからねー」
「ハッ、バカじゃねーの」
「誰が行くか。ガキじゃあるまいし」
「プリキュアなんてもう卒業したわ」
「現実を見ろ」

それ見たことか。
半日近く時間が経過し、だいぶ冷静になったクラスメイト達の反応はあまりに冷やかだ。
容赦なく浴びせられる罵声、突き刺すような蔑みの視線。
行きたそうにしている子は何人かいるんだが、こんなギスギスした雰囲気じゃとても出て来られそうにない。
やはり保険をかけておいて正解だった。

「ま、まあまあ! 騙されたと思って付いて来るっす。仮に嘘だったとしても暇潰しくらいにはなるっしょ。なあ、そこの?」
「俺に聞いてどうする。ったく、仕方ねえなぁ。そこまで言うなら冷やかしついでに付き合ってやるよ」
「おお、来てくれるんすか! ありがたや~。そんで他に誰かいないっすかー? 先方にアポ取ってないんで急ぐ必要があるんすよ。もう締め切っていいっすかー?」

お分かり頂けただろうか。
そう、サクラだ。
あらかじめ用意しておいたサクラに小芝居を打たせ、後に続きやすい空気を形成する。
それでもまだ迷うようであれば、締め切りを盾に焦りを煽ってやればいい。
これぞ中沢流交渉術の真髄。

「な、中沢くん。私もいいかな?」
「もちろん。鹿目なら大歓迎っす」
「……実は私も」
「どうぞどうぞ」
「ふーん? ふーん? 興味ないけど私も行こうかな。いや、別に興味ないけど」
「好きにしろ」

狙い通り。
冷やかし目的の男子(サクラ)の参加を皮切りに、一部女子の間でちらほらと同行希望者が出始めた。
名乗りを上げたのは言わずと知れた桃色ツインテールに大人しそうな図書委員、あとなんかミサワっぽいやつの三名。
ふむ、思ったより少ないが時間も押してることだしな。
募集はここで打ち切るか。

「はい、ここまでー。最終参加人数は男子一名、女子三名っすね。それではみなさん、元気よく三年生の教室へ行ってみよう!」


****


数分後、三年教室前の廊下にて。
俺はクラスメイトと雑談に興じていた巴マミを捕まえ、飛び入りで取材交渉を行っていた。

「ジャーナリズム同好会?」
「そうっす。自分は会長の中沢って言います。本日は巴先輩に是非お話を伺いたく参りました。ちなみに後ろの子たちは見学っす」

しかしあれだな。
ガキのくせにマジで巨乳だなこいつ。
目のやり場に困るわ。

「見ろよ、中沢。この人すげえぞ。何がすごいって服の上からでもはっきりと、なあ!」
「頼むから少し黙って。明日とっておきのDVD持ってきてやるから」

流れで付いてきたサクラもガン見してるし、失礼だと思われる前に言いくるめるか。

「はぁ……話って何を?」
「ええ、まずはこちらの動画をご覧ください」
「これがどうし……!」

俺が取り出したのは説明するまでもなく例の動画だ。
巴マミはあからさまに表情を強張らせ、食い入るようにパソコンの画面を見つめている。

「いかがです? よく撮れてるでしょう」
「……そうね。よくできた合成映像だわ。あなた、記者よりも映画監督の方が向いてるんじゃない?」

さすがは百戦錬磨の魔法少女。
冷静さを取り戻すのが早い……なんて言うとでも思ったか。
そんなスカした笑み浮かべて、警戒心バリバリじゃねえか。
笑顔は元来攻撃的なものだと聞いてはいたが、それを実践しているやつを見るのは初めてだ。
お前さんみたいな可愛らしいお嬢ちゃんがカッコつけたところでな、笑いを誘うだけなんだよ!と声を大にして言いたいけれど、ここは我慢。
引き続きガード崩しを行う。

「そうすか? 恐縮っす。それにしてもよく分かりましたね。この動画が編集済みだってこと」
「当たり前でしょ。こんな非科学的な現象があるわけ……」
「ああ、そこは無編集っすよ。カットしたのは、先輩が黄色い宝石からリボンを取り出してるシーンっす」
「なっ……!」

はい、ガークラ確定。
見事ブラフに引っ掛かってくれたな。
知っての通り、巴マミ本人の撮影には失敗している。
ここでシラを切られたらどうしようもなかった。
しかし、彼女がそんな事情を知る由もなく。

「見られちゃった……? ど、どうしよう……」

もはや平静を装う余裕すらないのだろう。
巴マミは悪戯が発覚した子どものごとく狼狽を露わにしている。
やべえ女の子を虐めるのって楽しゲフンゲフン畳みかけるなら今しかない。
始めるか、一世一代の大芝居。

「先輩、俺は常々疑問に思っていました。この国には行方不明者が多過ぎると」
「中沢くん?」
「どうした中沢? 何か悪いものでも食ったか?」

ええい、外野うるさい。
別にいいだろ、軽薄キャラが深刻そうな顔したって。

「ここ見滝原も例外ではありません。原因不明の失踪事件や死亡事故の件数、とんでもないことになっていますよ」
「……何を言っている? 現代日本ほど治安の良い国は他にない。数字は正直」
「平和すぎても退屈だけどね。ほら、私ってアウトローだから」

なんだ?
話が噛み合わな……ああ、そういうことか。
あの狂った統計がこっちの世界のスタンダードなのか。
なるほど、そいつは盲点だった。
って感心してる場合じゃない。
言いくるめの材料が一気に吹き飛んじまったぞ。
あー……もういいや、面倒くせえ。
こうなったら勢いで誤魔化す!

「そして昨日! あなたの雄姿を目撃したことで疑問は確信に変わりました! この世界には人智を超えた脅威が秘匿されていると! そうでしょう!? 巴先輩!」
「それは……ごめんなさい。私からは、何も……」

もう一押し!
いいだろう、見せてやる!

「どうか教えてください! 俺は真実を知りたいのです!」

膝をつき、両手を前に差し出し、額を床に擦りつける!
見たか!
これが俺の土下座だ!

「ちょ、ちょっと!? やめてちょうだい! これじゃ私が苛めてるみたいじゃない!」
「教えて頂けるまで俺は頭を上げません!」
「本当にやめて! 人が見てるから!」

言われてみれば、確かに視線とざわめきを感じる。
そんなに男子中学生の土下座が珍しいのだろうか。

「先生大変です! 下級生が上級生に土下座を強いられています!」
「ああっ!?」

おい、どこの誰だ。
人の交渉を邪魔する奴は。
無粋な輩め。

「なんだか騒がしくなってきましたね」
「全部あなたのせいでしょ……」
「先輩、ここはひとまず屋上に避難しましょう。どういうわけか都合よく懐に鍵が入ってたんで」

やはり勢いで行動したのはまずかったか。
いやはや、どうにもうまくいかないものだ。


****


というわけで屋上である。
風がそよそよ気持ちいいのである。
同行者達には一旦下がってもらい準備完了。
さあ、交渉するぞー。

「絶対みんなに誤解された……明日からどうすれば……」
「巴先輩も大変っすね。でも大丈夫。俺に妙案があります。先輩の保持している情報を全て開示して頂ければあとは俺がなんとかしましょう」
「もういい加減にして……あなたに話すようなことなんて何もないの」

あらら、睨まれてしまった。
仕方ない。
こうなったら感情に訴えよう。

「先輩。あなたの抱えているその秘密、本当にあなた一人で解決できる問題なのですか?」
「ええ、もちろん。私一人で十分よ。今までも、そしてこれからもね」
「これは異なことを。あなたの言うことが事実だとすれば、ここ見滝原で発生した怪事件は全て解決済みでなくてはならなくなる」
「それは極論だわ。私にだって、いいえ、誰にだってできないことくらいあるのよ?」
「ハハッ、そりゃそうっすよ。分かっているようで安心しました」
「……」

いかんな。
これじゃただの煽りだ。
俺はケンカを売りに来たわけじゃない。
交渉をしに来たんだ。

「この際です。はっきりと言わせてもらいましょう。あなたはこの街を守れてなどいない」

あれ、これも煽りだ。

「……人の苦労も知らないで好き放題言ってくれるじゃない」

ちとまずいな。
あの巴マミが激怒している。
いくら温厚な人物でも誇りを貶されたらさすがに怒るか。

「知りませんよ。だって教えてくれないんですから」
「だからそれは!」
「あの女性、助けた後どうしました?」
「え?」
「昨日の女性です。ちゃんと事情説明しました? まさか何も教えずに帰したんですか?」
「……それは」
「教えなかったんですね。その人、次は死ぬかもしれませんよ」
「……」

おや、意外な反応。
俺が自分の非人道的行為を棚に上げ、巴マミの杜撰なアフターケアを非難すると、彼女は決まり悪そうに目を伏せてしまった。
魔法少女でも何でもない一般人の戯言などあっさり聞き流されてしまうとばかり思っていたのだが、案外効果があるものだな。

「ねえ、先輩。あなたが戦う理由って何ですか? 目の前に苦しんでいる人達がいるからですよね?」
「……そうね。それに、私しか戦える人間がいないから」

ふーむ。
どうやら見た目以上に大きな精神的ダメージを負っているらしい。
簡単な誘導に引っ掛かり、自ら戦うというワードを使ってくれた。
仕掛けるなら今か。
今度はしくじらん。

「立派です。けど、それはあくまで事後策にすぎません。起こりうる被害を未然に防ぐことができたら、そんなことができたら一番いいとは思いませんか?」
「思うわ。でも、どうやって?」
「お忘れですか? 俺はジャーナリストですよ。たとえ真実がいかなるものであろうとも、必ずや伝え切ってみせましょう」

どうだ?
通るか?

「……………………あなたには負けたわ」
「それでは!」
「だいぶ荒唐無稽な話になるけど、ついてこれるかしら?」
「オフコース!」

交渉成功。
まったく、長く苦しい戦いだったぜ。

「聞くのはあなた一人だけ? 他の子たちは?」

そうだった。
あいつらも呼び戻しておかないとな。
はてさて、どうなることやら。


****


その後。
俺は鹿目たち女子三人を交え、巴マミから諸々のエピソードを聞き出した。
ちなみにサクラに使った男子は飽きて帰ったそうだ。
堪え性のない奴め、金返せ。

「つまり、この世には魔女という人に害なす不可視の怪物が潜んでおり、巴先輩はそれを討伐して回る正義の魔法少女だと。そういうことですね?」
「ええ、そういう認識で構わないわ」
「そして魔法少女へと変身するためには、キュゥべえなるこれまた不可視の生物と契約を結ぶ必要があり、その契約の証がソウルジェムであると」
「ずいぶん理解が早いのね。その通りよ」

理解が早いのは当然だ。
俺の場合、最初から知っていたのだから。

「なるほど、よく分かりました。目に見えぬ脅威、厄介ですね」
「……え? なに? どういうこと? 中沢くん、私たちにも分かるように説明してよ」

まあ、他のやつらはそうもいかんわな。
話の内容を把握できなかったらしく三人ともぽかーんとしている。
どれ、ここは先輩に一肌脱いでもらうとするか。

「百聞は一見に如かず。論より証拠。先輩、俺達に見せてください。あなたの力を」
「力、と言われても……」
「ここは屋上です。俺達以外の人間はいません。恥ずかしがらず、いつもと同じ要領でお願いします」
「うーん……」
「先輩、時が来たのです。超常的存在を世に知らしめる時が。あなたが先駆けとなり、真の意味で魔女の恐怖から人々を解放する時が!」

ここまで熱弁振るってちょっと後悔。
さすがに芝居臭すぎたか?

「……ごめんなさい。そうよね、あなたの言う通りだわ」

なにこの子わけわからん。
臭いのが好きなのか、そうなのか。

「よく見てなさい。これが魔法少女よ」

巴マミが右手をかざし、その手の平に置かれた琥珀色の宝玉が淡く輝く。
俺が慌ててカメラを向けたとき、すでに彼女の衣装は魔法少女のそれへと変化していた。
変身ついでに作り出したのであろう白銀のマスケット銃をクルクルと弄び、俺の顔面真っ直ぐに照準を合わせちょっと待て!

「撮影を許可した覚えはないわよ」
「おっと、失礼。それにしても器用っすね。束縛の魔法にそんな応用の仕方があるなんて驚きっす」
「……なんというか、あなたには敵わないわ」

俺の冷静な切り返しに毒気を抜かれたのか。
巴マミはマスケット銃をリボン状に分解すると、呆れたように肩を竦めた。
いや、実のところ内心かなりビビってたけどね、うん。

「す、すごい! 今のって本物の魔法ですか!?」
「……びっくり」
「っべーわ、これ。マジモンの魔法使いだわ。っべー」

おーおー、食いつく食いつく。
やはり子どもは柔軟性があっていい。
頭の凝り固まった大人相手じゃこうはいかん。

「誰かさんと違って可愛い子たちじゃない。普通はこういう反応をするものよ」
「いやー、かわいげがなくて申し訳ないっす。これからもこの調子で行きたいっすね」
「これからも? 今度は何をさせる気?」
「やることは同じっす。まずはこの学校の全生徒に、次は見滝原市全域に、ゆくゆくは日本中に世界中に! 魔法関連の情報を振り撒いていくんすよ」
「それはまた……なんともスケールの大きな話になってきたわね」
「今までが小さすぎただけっす。なに、物的証拠を突き付けてやれば大抵の人間は信じてくれますよ」

そうだ。
信じてもらわなくては困る。
俺の当面の目的は、ワルプルギスの夜までに全見滝原市民を一斉退去させることなのだから。
手段が強引すぎだということくらい理解している。
だがな、こちらの事情も汲んでくれ。

魔女だろうが魔獣だろうが、一切の対抗手段を持たない一般人にとってはどちらも等しく脅威。
身も蓋もない言い方をすれば、仮にこの世界が改変されたところで俺みたいに平々凡々な人間には然したる影響がないということ。
俺が何を言いたいか分かるだろ?
結局のところ、てめえの身はてめえで守るしかないんだよ。
俺がこの世界で平穏無事に骨を埋めるためには、魔女に魔法少女そしてキュゥべえの存在を白日の下に晒し、人類全体に危機意識を持たせてやる必要があるのだ。

「今、先輩が取るべき選択肢は三つ。一つは公衆の面前で変身ショーを行うこと。もう一つは後日ビデオ撮影して俺に広報を任せること」
「うぅ……どっちも恥ずかしい……もう一つは?」
「両方やることっす」
「……そういう冗談は嫌いよ。先輩をからかう悪い口はこれかしら?」
「痛い痛い! ごめんなさい! やめて! あっ、お前ら! 笑ってないで助けろよ!」

俺の途轍もなく身勝手で、どうしようもなく孤独な戦いはまだ始まったばかりである。



[32371] 第二報告 『中沢の中学生日記』
Name: たいらん◆29f658d5 ID:faef20ab
Date: 2012/03/30 16:17
「ジャーナリズム同好会でーす。現在魔法少女特集やってまーす。記事は無料ですのでご自由にお取りくださーい。ご家族の方にも是非見せてくださーい」

魔法少女巴マミの協力を取り付けてから早数日。
俺こと中沢は見滝原中学校正門前にて、ティッシュ配りのアルバイトよろしく登校途中の学生達にとある小冊子を配布していた。
ちなみに何を配り歩いているのかというと。

・魔法少女のお仕事♪
・キュゥべえって何なの?
・とっても危険な魔女図鑑!
・注意-契約の際はご両親とよく相談しましょう

などなど魔法関係の情報がぎっしり詰まった特集記事を配っているのだ。
小学生でも理解できる平易な文章とグロテスクなイラストを交えた分かりやすい解説が自慢のこの一冊。
魔法少女監修の出版物が無料で読めるのは見滝原中学校ジャーナリズム同好会だけ!
もっとも、大半の内容は俺一人で書き上げたものだが。

「ねえ、中沢くん。この犬っぽいのが魔女なの?」
「そうっすよ」
「こっちの黒ずくめのやつも?」
「そっちもっす。中沢くん嘘書かない。てかバイト仕事しろ」
「うん、キリのいいところまで読んだらね」

バイトとして雇った桃色髪のおチビちゃんが現在目を通しているのは『犬の魔女』と『影の魔女』の項目だ。
説明文はwikiのコピペ、前者のイラストは適当に妄想して描いた。
巴マミの知らない情報を掲載して大丈夫なのかと思われるかもしれないが、逆に言えば既知の情報を載せたところで意味はない。
知っているということは、既に倒してしまっているということなのだから。

「へー……このぬいぐるみ、第二形態まであるんだ。でもチーズが弱点ってなんか間抜けだね」
「怪物の弱点がしょぼいのは神話の時代からのお約束っす」

というかアレだ。
この記事は実質、巴先輩のために作ったようなものだ。
やたら充実した『お菓子の魔女』の項目が何よりの証拠。
ぬいぐるみの口から蛇のような中身が飛び出してくる旨と、再生を司る使い魔が別個に存在する旨をみっちり書いておいた。
我ながらお節介だとは思うんだが、どうしてもアニメの印象が拭えなくてな。
俺の知らないところである日ぽっくり逝くんじゃないかと不安なんだよ。
当然、先輩からいろいろ追及を受けたわけだが、そこはとある人物の存在を仄めかすことでどうにかこうにか誤魔化した。

「実は先輩と会うよりも前に、別の魔法少女に会ったことがあるんです。赤髪ポニテの可愛らしい娘さんに。名前? 教えてくれませんでした」
「冊子に書かれた魔女の情報は全て彼女から買い取ったものです。おかげで貯め込んでたお年玉が一気になくなっちゃいましたよ」
「あの子は俺の考えに賛同してくれませんでした。飯の種を世間にバラすなんてナンセンスだと。だから俺、先輩には本当に感謝してるんです」

大体こんな感じで言いくるめた。
分かっているとは思うが、全部でっち上げだ。
俺は佐倉杏子に会ったことなどない。
いや、そもそも誰とは明言していない。
巴マミが俺の話から勝手に推測して勝手に納得した。
ただそれだけのこと。

「すみません。一部もらえますか?」
「あざーっす。さあ、鹿目ちゃんも仕事に戻った戻った。記事は後でいくらでも読めるっしょ」
「もう少し、もう少しだけ。マミさんのインタビュー読んでから」
「……講演会の特等席の件、無しにされたいっすか?」
「頑張ってきびきび働くよ!」

報酬を盾に脅され、慌てて冊子配りに戻るバイトもとい鹿目まどか。
分かり切っていたことだが、彼女は巴マミに相当熱を上げている。
隙あらば巴先輩の周りをうろちょろしようとする鹿目を抑えつけるのは大層骨が折れた。
こうして一緒に冊子を配布しているのも、歩く時限爆弾たる彼女を出来る限り俺の手の届く範囲に置いておくためだ。
キュゥべえが鹿目に接触するまでの僅かな間とはいえ、悪足掻きをしておくに越したことはないからな。

「ねえ、君。今日も巴さんのトークショーあるの?」
「もちろんありますよ。その後はグラウンドでパフォーマンスショーやるんで是非ご来場ください。はい、記事どうぞ」

ああ、そうそう。
大衆に魔法を周知させようという試みについてだが、今のところ順調に進んでいる。
なんと今や全児童の八割が巴マミのファンと言っても過言ではない。
魔法少女という字面に気恥かしさを覚え、表に出て来られない潜在的な男子の支持者も含めればほぼ十割だ。
一体何をどうすればそうなるのか疑問に思われるかもしれないが、実のところ何ら特別なことはしていない。
全ては地道な広報活動の成果である。

現状に至るまでの過程を簡単に言い表すと次のようになる。
まず鹿目含む最初の三人を使い、人を集めさせた。
その際、注意したのは一度に呼び込む人数を十人以下に限定したことだ。
理由は集団パニックの防止。
万が一大騒ぎされたら堪ったものじゃない。
そして集められた生徒達の前で巴先輩がパフォーマンスを行い、刷り込むように俺が言いくるめ、たまに鹿目たちがフォローを入れる。
あとはその繰り返しだ。

こちら側に引き入れた人数が五十人を突破した辺りからは格段に楽になった。
というのも口コミやら又聞きやらで先輩の活躍を知り、興味を覚えた生徒達が自ずとやって来るようになったからだ。
ネズミ算式に巴信者が増殖していく様はある種恐怖だったぜ。
人が増えすぎて俺の手に余る状況になっていたからな。
相手が品の良いお坊ちゃん、お嬢ちゃん方で助かった。
そうでなければ何かしらのパニック状態に陥っていたことだろう。

「はよざいあす! よければ一冊もらってってください!」
「ありがと。巴ちゃんにいつも応援してるって伝えといてね」
「あざっす! きっと喜びますよ」

今回の行動、いささか性急であったことは認めざるを得ない。
だが、おそらく上手くいくだろうという見込みはあった。
子どもはその精神的未熟さゆえ理性や常識に縛られることなく、目前の事象をありのまま捉えることができる。
要するに、非現実的な出来事をありえないと拒絶するよりも、受け入れた方がずっと楽しいということを彼らは本能レベルで知っているのだ。
刹那的で享楽的な子ども達だからこそ持ちうる思考の柔軟性。
そいつを根拠に今回のような博打的行為に打って出たわけだが、どうやら俺の中二病じみた哲学もたまには役に立つらしい。

――――問題はここからだ。
あくまで俺の目的はワルプルギスの夜の襲来までに全見滝原住民を退避させること。
断じてガキ共の人気取りではない。
正味な話、金もなければ発言力もない学生達からどれだけ支持を集めたところで巴マミのモチベーションが高まるだけ。
それ以上の効果は望むべくもないだろう。
彼らはいわば試金石。
魔法という未知の現象に触れた人間がどのような反応を示すのか、それを見極めるための物差しに過ぎない。

ここ滝原市に住居を構えているのは誰だ?
児童達の両親、すなわち大人達だ。
仮に児童達がワルプルギスの夜の存在を信じたとしてだ。
子どもの説得を真摯に受け止め、仕事を放り出してまで一緒に逃げてくれる大人が一人でもいると思うか?
常識的に考えてそんなやつはいねえ。
人に移動してもらうってのは本当に大変なことなんだ。
本人の意思以外で人を動かすことができるのは、それこそ差し迫った生命の危機と国家による強権発動くらいのものだ。

さらに厄介なのは、魔法関連の情報を理解してもらうこととワルプルギスの脅威を理解してもらうことがイコールでないということだ。
この悪夢のような二度手間が俺をひどく焦らせる。
こんなとき百発百中の予知能力者でもいてくれたら即行で片が付くんだが……。
……いかんな。
少し疲れているのかもしれん。

「――そこのあなた。私にも一つ頂けないかしら」

そんな風に若干ナーバスになりかけた矢先、すげえ別嬪さんに声をかけられた。

「お、おお!? はい、ただいまー!」

やばいな。
年甲斐もなくテンション上がっちまった。
ついでに憂鬱もどっかに行っちまった。

「へい、お待ち!」
「どうも」

現金な男と思うなかれ。
本当に綺麗な子なんだよ。
腰まで伸びた艶やかな黒髪、紫紺の瞳が印象深い端正な顔立ち、小柄ながらも均整のとれた美しい肢体。
うむ、マーべラス。
五、六年後が非常に楽しみな逸材だ。
眼福眼福。

「……見滝原の守護者、か。随分と愉快なことになってるみたいね」
「おや? お姉さん、もしや巴マミをご存じない? 今をときめく時の人っすよ」
「ご存じないわね。この学校に来たのは、今日が初めてだから」
「初めて? まさか病欠明けとか……ああ!」

到底看過できない事実に気づき、浮かれた頭が一気に醒める。
そうか、来たのか。

「分かっちゃいましたよ! お姉さん、転校生っすね?」
「ええ、まあ」
「ふんふん、なるほど。もし同じクラスになれたら、そんときはよろしくっす」
「そうね。そのときはよろしく」

挨拶もそこそこに校舎の方へと歩き出した少女の後ろ姿を見送りながら、俺は内心独りごつ。
ちくしょう!
美人さんとお喋りできてラッキーだと思ったらこれだよ。
もうそんなに時間が経っちまったのか。
こっちはまだ学校の制圧が終わったばかりだってのに。
おまけに記事も渡しちまったし、後で追及されるだろうなぁ。
めんどくせえ。

「中沢くーん! そろそろ予鈴鳴るから戻ろうよー!」
「あいよー!」

まあいいさ。
俺のなすべきことは変わらない。
せいぜいうまく立ち回ってやる。




第二報告 『中沢の中学生日記』




すっかり通い慣れた二年生教室。
始業を知らせるチャイムが鳴り響く中、俺は他の生徒達と同様いそいそと着席した。
教壇に立つは我らが担任、早乙女和子女史。
無駄話が長いことで有名な御方である。

「……というわけで卵焼きは甘い方としょっぱい方、どちらがおいしいと思いますか? はい、中沢君」
「どっちでもいいっす」
「そうです。どっちでもいいんです。男は黙って口だけ開けてればいいんです! それはさておき、これから転校生の紹介をします」

俺含むクラス全員がいつも通り長話を適当に聞き流していると、早乙女先生がさらりととんでもないことを言い放った。
いや、俺は知ってたけどね。

「転校生? うちに?」
「先生! どんな子ですか!」
「男子ですか? 女子ですか?」
「綺麗な女の子ですよ。先生ほどではありませんけど」
「えー!」

おいおい。
先生、ナチュラルに鬼畜だな。
無意識のうちにハードル上げやがった。
俺が転校生だったら泣いてるぞ。

「はいはい、静かに。暁美さん、入ってきてちょうだい」

教室の入り口に何十対もの視線が集中する。
担任の無自覚な悪意により限界まで上げられたハードルを転校生は飛び越えることができるのか?
閉ざされし扉が今開かれる。

「暁美ほむらです。これから一年間よろしくお願いします」

余裕だった。
ポールの補助すらいらなかった。
俺は知ってたけどね。

「はい、みなさん拍手。質問は授業が終わってからするように。そうそう、暁美さんの席はあそこね」
「分かりました」

指定された自分の席に向かう転校生、暁美ほむらの様子を横目で探る。
ふむ、今のところ俺を警戒しているような気配は感じられない。
さては一面記事しか読んでないのか、はたまた俺が仕出かしたとは露ほども考えていないのか。
それとも単に思考を巡らす余裕がないだけか。

「……」

席に着くまでの僅かな時間、暁美ほむらはある一点をひたすらに、網膜に焼きつけるかのごとくじっと見つめ続けていた。
慕情、焦燥、諦観。
様々な感情が入り混じった彼女の瞳に映し出された人物は、当然のことながら鹿目まどかだ。
当の鹿目は転校生から熱い視線を寄せられていることにも気づかず、俺の書いた記事集を熱心に読んで……おっ、顔上げた。
ようやく気づいたか。

「……!」

微かに、息を呑む音がした。
音の出所は暁美ほむらだ。
先程まで付けていたクールな仮面は何処へやら、その表情には明らかな動揺が見て取れる。
彼女の歩みがゆっくりになったのは決して気のせいではあるまい。

まあ、そりゃ驚くわな。
初対面のはずの鹿目まどかが自分の方を見てにっこりと笑ってくれたんだから。
見ろ、可愛らしくフリフリと手まで振っている。
俺もそれに応えるよう軽く手を振り返す。
すると鹿目は三面記事に掲載された自分と巴マミのツーショット写真を指し示し、もう一度微笑んだ。

……暁美さんよ、そう睨んでくれるな。
勘違いして恥ずかしい思いをしたのは分かったから。
明日から、いや今日から鹿目のお守りは全部あんたに任せるから。
それで勘弁してもらえませんかね。


****


「はい、一時間目はここまで。今日習った分は今日のうちに復習しておいてくださいね」

長い長い五十分が過ぎ去り、束の間の休み時間が訪れた。
わずか十分足らずの休息、されど我慢弱い学生達にとっては貴重な充電タイム。
もっとも、今日に限っては少々事情が異なるようだが。

「暁美さん、前の学校はどこだったの?」
「東京のミッション系の学校に通っていたわ」
「東京かぁ。いいなぁ」
「部活動は何かしてた?」
「いいえ、特に何も」
「はいはい! 好きな男性のタイプは?」
「ん……誠実そうな人かしら」
「じゃあ好きな女の子のタイプは?」
「強くて優しくて少し茶目っ気があって、ぐいぐい引っ張ってくれるような人」
「なにそれ~! 暁美さんっておもしろいねー!」
「どうも」
「えっとね、次はね……」

美形の転校生という歩く都市伝説が相手なだけあって、クラスの連中のテンションは相当高まっているらしい。
まさに矢継ぎ早、マシンガン並の激しさで次々と質問が繰り出されていく。
そしてそれに対応する暁美の手際の見事なこと。
際どい質問も難なく捌くその技量は熟練の域とでも言うべきか。

「そうだ! 暁美さんはまだ魔法少女のこと知らないでしょ!」
「……魔法少女、ね」
「三年生に巴マミさんっていう凄い人がいるんだよ。ねえ、中沢?」
「へ?」

何というキラーパス。
いや、確かに大半は俺が仕切ってたけどさ。

「あー……それなんすけどね。ちょっと他にやるべきことができたというか何というか……鹿目ちゃん、任せた」
「え? 何を?」
「暁美さん、詳しい話は鹿目ちゃんから聞いてほしいっす。俺には新たな真実を暴くというジャーナリストとしての使命があるんで」

よし、これでいい。
鹿目を暁美に押し付けることで俺はまた自由に動けるようになる。
頼むから突っ掛かってこないでくれよ。
俺はお前さんとケンカするつもりも協力するつもりもないんだ。

「真実、とは?」
「よくぞ聞いてくれました! この世に蔓延る超常現象をバシッと見つけ出し、人々に公表するのが俺に課せられた天命! 真実は一つじゃない! 無限にあるのだ!」
「そ、そうなの……」
「ちょっと中沢、暁美さんが引いてるでしょ。あんまり馬鹿でかい声出さないでよ」
「うわっち! 申し訳ないっす!」
「だからうるさいって。ほんと馬鹿沢なんだから」

やれやれ、アホキャラを演じるのは疲れる。
必然的に教室内でのヒエラルキーも下層階級に位置づけられちまうし、いいことなしだ。
俺に優しくしてくれるのは鹿目くらいのもんだよ。

閑話休題。
現状、暁美ほむらに取り入るメリットは薄い。
俺はワルプルギスの夜とガチバトルする気なんざ更々ないし、巴マミという協力者がいる以上、新しく魔法少女を迎え入れる必要性もない。
そりゃ確かに彼女と組めば鹿目がキュゥべえと契約するのを防ぎやすくなるんだろうが、わざわざそのためだけに連携を図ることもあるまい。
何より、俺と彼女では根底の部分が違い過ぎる。

鹿目はいいやつだ。
もし彼女が死んでしまったら俺は絶対泣く。
その早すぎる逝去を悼み、涙し、憐れむだろう。
だが惜しみはしない。
そこまでの愛は持ち合わせていない。
こんな不埒な考えを持った俺が、鹿目まどか大好き人間の暁美と仲良しこよしなんてできるわけがない。
遠からず破綻しちまうさ。

「そういうわけで俺っちは別の戦場に向かうっす。鹿目ちゃん、暁美さんのこと任せてもいいっすね?」
「うん、いいよ。また面白いことが分かったら教えてね」
「あいあい。期待して待たれい」

所詮、俺は異邦人。
馴れ合いなんてするもんじゃない。
彼ら及び彼女達との付き合いはもっと打算に塗れているべきなのだ。


****


放課後、俺は巴先輩のところには顔を出さず、早々に家路に着くことにした。
もうこの学校でなすべきことは済ませたからな。
あとは俺の助力がなくとも生徒達だけで自治できるだろう。
暁美ほむらの前で悪目立ちするのも嫌だし、今日は思い切ってオフにした。
さあ、気分転換がてらパーっと遊ぶぜ。

そんなことを考えながら歩いていると、前方に黄緑色のふわふわ頭を発見した。
あの特徴的な後ろ姿、間違いなく志筑仁美だ。
お嬢様よぉ、ガキのくせにウェーブなんてかけてんじゃねーよ。
バックアタック喰らわすぞ。
いや、喰らわすか。

「おおっと! お嬢、首の後ろに糸クズが付いてますぜ! この中沢めが取って進ぜよう!」
「え? な、なにを……」

下校途中の志筑仁美を背後から強襲、首筋をさりげなく確認。
魔女の口づけはなし、と。
ああ、ちなみに糸クズは仕込みね。

「ほい、取れたっすよ。よかったっすね」
「は、はあ……ありがとうございます」

セットを乱されたのが気に入らないのか、志筑は頻りに後ろ髪を撫でている。
だからウェーブかけんなよ。
髪痛んでも知らねえぞ。

「今日は一人でお帰りっすか? みんなと一緒に巴先輩のショー見に行けばいいのに」
「ええ、それなのですが……実はわたくし、あまり騒がしいのは好きでなくて……」
「あーはいはい。理解したっす」

彼女に一人寂しく下校していた理由を問い質すと、それなりに納得のいく答えが返ってきた。
確かに先輩のパフォーマンスはうるさい。
本人も大概だが周りもうるさい。
あの体つきで飛んだり跳ねたりするわけだから野郎共の歓声がとにかくうるさい。
先輩は先輩でテンション上がると銃ぶっ放すし、もっとテンション上がるとティロ・フィナーレぶっ放すしでかなりうるさい。

「でも、魔法には少し憧れていますの。わたくしも一度でいいから、あの方のように華やかな舞いを踊ってみたいものですわ」
「ハッハッハ、何を世迷言を。お嬢はいつだって華やかっす」
「あら、お上手ですこと」

口元に手を当て、上品に笑うその仕草はまさにお嬢様。
いちいち鼻につくやつだ。
……待てよ。
これはひょっとしてチャンスなんじゃないのか?
そうだ。
俺は今、志筑仁美と個人的繋がりを形成できる得難い機会に直面している。

この娘と親しくしておいて損はない。
志筑仁美が魔女の口づけを受けたとき、迅速に動くことができる。
むしろ、うなじを確認してもセクハラだと叫ばれない程度の仲になっておかないといろいろ厳しい。
言い訳の種も無限じゃないからな。

「なあ、お嬢。ちょっと時間ある? もしよければ俺の暇つぶしに付き合ってほしいんすけど」
「え? えっと、それはどういう意味でしょうか?」
「お茶のお誘いっす。有り体に言えばデートっすね」
「まあ……」

志筑さん絶句。
恋文を貰うのには慣れていても、直接遊びに誘われた経験は乏しいらしい。

「そんな身構えなくてもいいっすよ。何も正式にお付き合いしようってわけじゃないんすから」
「で、ですが……」
「一緒にいるとこ見られるのが恥ずかしいってんなら行く時間ズラしますよ。それでもダメっすかね?」
「あの、ええっと、そのぅ……」

うーむ、やっぱり若い子の貞操観念はガッチガチだな。
異性とちょっと遊びに行くことすら渋るか。
まさか俺の口説きテクがヘボだということはあるまい。

「わたくし、どうしたら……ああっ! さやかさん! 助けてください!」
「何ですと?」

いつの間にか学校周辺を抜け出し、大通りに出ていたらしい。
辺りを見渡すと書店や薬局、電気屋等が道沿いにずらりと並んでいた。
喋りながら歩いてたから全然気づかなかったぜ。
で、志筑に大声で助けを求められ、CDショップの店頭から慌てて顔を出してきた蒼髪セミショートの娘さんが美樹さやかであると。
……あの、美樹さん?
どうしてそんなに怖い顔をしていらっしゃるのですか?
別に俺はあなたの友達をいじめていたわけではアッー!


****


「ごめん! ほんっとごめん!」
「いやいや、いいんすよ。元はと言えば俺が強引過ぎたのがいけなかったわけだし。お嬢、迷惑かけてすまなかったっす」

真っ赤な紅葉マークの付いた左頬を擦りつつ、美樹の謝罪を軽く受け止める。
その隣で申し訳なさそうにしている志筑へのフォローも忘れない。

「いえ、そんな。わたくしの方こそ申し訳ありませんでした」
「そうっすか? そう言ってもらえると助かるっす」

得意の口八丁で無事誤解を正すことに成功した俺は、迷惑料という名目で二人を近場の喫茶店に連れ込んでいた。
何でもこの店、焼きたての手作りケーキがとてもおいしいと巷の女子校生に大人気らしい。
特にチーズシフォンとオレンジマフィンが絶品なんだとか。
甘味の誘惑とダイエットの狭間で苦しむ少女達は、毎回どちらを選ぶかでえらく悩むそうだ。
俺はどっちでもいいけど。

「さあさあ、遠慮なく食べてほしいっす。この場は俺が持つから」
「うん? なに、奢ってくれるの?」
「イエース。女の子に金出させるわけにはいかないっしょ」
「へぇ……中沢って意外と甲斐性あるんだ」

ケーキセット780円×2とコーヒー一杯250円。
占めて1800円超なり。
だいぶ懐が寒くなったが、まあよかろう。

「あっ、このシフォンケーキめちゃうまだわ。ここには入ったことなかったけど、これから通おうかな」
「それはいい考えですわね。こちらのマフィンも柑橘系の爽やかな香りが程よいアクセントになって……おいしい」

お嬢さん方が嬉しそうで何よりです。
俺の方はそうでもないけど。
傍から見れば両手に花の状況とはいえ、相手がガキじゃなぁ。
コーヒー一杯で粘るのもアレだし、ちゃっちゃと用件を済ませるか。

「ときにお嬢。一つ質問してもいいっすか?」
「ええ、どうぞ。わたくしに答えられることなら」
「では単刀直入に。お嬢、あなた最近悩み事を抱えていますね?」
「はい? まあ、確かに。人並に悩むことはありますけど……」
「それはずばり、恋の悩みですね?」
「!」

志筑が驚きに目を見開く。
まさか目の前の軽薄そうな男に自分の悩みを言い当てられるとは夢にも思わなかったのだろう。

「え? 恋って? 仁美、マジで正解なの?」
「あの、その……」
「苟もこの身はジャーナリストの端くれ。心眼には自信がある」
「ははぁ、ジャーナリストってすごいんだ。ところでジャーナリストって何?」
「辞書で調べろ。相手が誰なのかも見当はついています。そいつの名字は『か』から始まりますね?」
「中沢さん! 後生ですからもうやめてください!」
「はい、やめます」

暴露するのは簡単だが、それが元で彼女から不興を買っては本末転倒。
ここは待ちの一手よ。
ああ、コーヒーうめえ。

「なになに誰なの? 二人だけで分かってないで私にも教えてよ」

カップを傾けながら志筑が落ち着くのを待っていると、頭上に大量のクエスチョンマークを浮かべた美樹が答えを催促してきた。
無論、煙に巻く。

「美樹っち、親しい間柄だからこそ伝えたくないこともあるんすよ。なあ、お嬢?」
「え、ええ……そうなんですの」
「ふーん」

ふむ、少しは持ち直したか。
頃合いだな。

「そう。友人と他人が異なる領域にあるように、男子には男子の領域がある。俺も彼とは知らない仲じゃない。こちらの方でそれとなく情報を聞き出しておきましょう」
「中沢さん、余計なことは……」
「心配御無用。俺は、あなたの味方です」

俺は一瞬だけ意味ありげに美樹の方を見遣り、すぐさま志筑に視線を移す。

「っ……!」

狙い通り、志筑は俺の視線の動きに隠された意図を正確に読み取ったようだ。
同時に自身の思いが完全に筒抜けであることも悟ってしまったようだが。

「仁美? どうしたの? 気分でも悪くなった?」
「い、いえ。何でもありません。わたくしは健康そのものですわ」

その瞳は忙しなく左右に泳ぎ、拳は膝の上でぎゅっと握りしめられている。
見ていて気の毒になる程の動揺具合だ。
……今回はここまでだな。

「そんじゃ、俺っちは一足先にご馳走様させてもらうっす。勘定は済ませておくんで、お二方はどうかごゆるりと」

背中に志筑のものと思われる視線をひしひしと感じながら、俺は颯爽と喫茶店を後にする。
とりあえず種は蒔いた。
どのような芽が出るかまでは俺にも分からない。


****


その日の午後九時半、中学生にとっては十分遅いと感じられる時間帯。
俺は自室にて巴マミ主演のマジックショーの動画を加工編集していた。

「もっと地味目にぼかして……いや、違うな。どうしたものか……」

来るべき外部公開に向けてプロモーションビデオを制作しているのだが、どうにもしっくりこない。
先輩のパフォーマンスが派手過ぎて、却って真実味がなくなってしまっているのだ。

「……目痛ぇ」

いかん。
ドライアイだ。
それに目だけじゃない。
頭も痛い。
まったく、どうして俺ばかりがこんな苦労を……っと携帯が鳴っている。
しかしメールじゃなくて電話とは珍しい。
液晶に表示された名前は――――鹿目?

「はい、こちら中沢。24時間絶賛営業中です。ご用件を承りましょう」
『もしもし中沢くん!? 私やったよ! 私のところにもキュゥべえが来たんだよ!』
「…………ジーザス」

どうやら、俺に安息は許されないらしい。



[32371] 第三報告 『中沢のお宅訪問』
Name: たいらん◆29f658d5 ID:faef20ab
Date: 2012/04/06 16:24
白状しよう。
俺は鹿目まどかのことがよく分からない。
正確には彼女の人物像を掴みあぐねているとでも言うべきか。
この世界に来る以前からもそうだったが、実際に会って話をしてみると余計分からなくなってしまった。
というのも、彼女はどこまでも普通の人間だったからだ。

鹿目まどかは自分に少しばかり自信がなくて、それでも誰かの役に立ちたいと常日頃から考えている心優しい娘さんだ。
加えて家族思いで友情にも厚く、俺みたいなアレな奴にも嫌な顔ひとつせず話しかけてくれる超いい人である。
もちろん美点ばかりではない。
悪い部分もちゃんと存在する。
彼女はああ見えてミーハーな気質が強く、また変なところで頑固だ。
そして意外なことに人の話をあまり聞かず、一人で突っ走る傾向にある。
人並の長所に人並の短所。
まったく、何とも普通の子じゃないか。

だからこそ解せない。
劇中において鹿目まどかが導き出したあの答えが。
全ての魔女を消し去りたいという願いの是非はこの際置いておく。
俺の疑問はただ一つ。
彼女にあのような頓知の利いた答えを出せるとは到底思えないということ。
これに尽きる。

俺の知っている鹿目まどかはあくまで普通の子だ。
それこそ難しいことなど一切考えず、全力で安易な救いに走ってしまいそうなタイプにしか見えない。
だが実際はどうだ?
最終的に彼女は、かのインキュベーターをして驚愕せしめる解に辿り着いた。
あの鈍臭くて、頭もそれ程よろしくない鹿目ちゃんがだぜ?
これは大変信じ難い事実である。

もっとも、俺の目が節穴だと言われればそれまでだし、鹿目まどかの本性がどちらであろうとやること自体は変わらない。
ただ、俺の知っている鹿目ちゃんと作中の女神様が一致しないのが個人的に気持ち悪いだけ。
それ以上の意味はきっとない。
……だらだらと長話しちまったな。
先を急ごう。




第三報告 『中沢のお宅訪問』




土曜日。
それは子どもにとって最も楽しみな一日。
後ろにもう一つ休日を残しているがゆえ、全力で遊興に耽ることのできる最高の日だ。

「いらっしゃい、中沢くん。さあ、上がって」
「ういっす。お邪魔します」

しかし俺に休むことなど許されない。
貴重な休日を返上して遥々やって来ましたよ、キュゥべえを訪ねて鹿目家まで。
昨夜電話をもらってから実に十二時間後のことである。

「あれ? どうして休みの日なのに制服なの?」
「フッ、愚問っすね。今日は遊びにじゃなくて取材に来たわけっすから、身なりを整えるのは当然っしょ」
「なるほど。プロ意識だね」
「オー、イエース」

んなわけねえだろ。
昨日の今日で服なんて用意できるか。
女相手だとこっちも気を遣うんだよ。

「そういう鹿目ちゃんはオシャレで羨ましいっす。俺っちもそのセンスに肖りたいっす」

一方、鹿目は可愛らしい私服姿を披露してくれた。
制服と体操着でいるところしか見たことなかったから何か新鮮。
眼福眼福……でもないな。
制服着てないとマジで小学生にしか見えん。

「えー? そんなことないよ。こんなの適当に選んだだけだからね」

またまたそんなこと言って。
鹿目ちゃん、顔がにやけてますぜ。
やはり女の服装と髪型は褒めるに限る。

「しっかしこの家、窓多いっすね。夏場はかなり暑くなるんじゃないんすか?」
「うん。暑い」
「まどかー? 誰か来ているのかーい? おや?」

玄関口でしばらく雑談を交わしていると、庭の奥から鹿目まどかの父、鹿目知久が顔を出してきた。
その両手には軍手がはめられている。
おそらく土いじりでもしていたのだろう。
いいよな、専業主夫。
女に食わせてもらえるとか最高じゃないか。
俺も玉の輿に乗りたい。

「朝早くにお伺いしてしまい、申し訳ありません。自分は鹿目さんのクラスメイトの中沢と言います。鹿目さんにはいつもお世話になっております」
「ああ、君が中沢くんか。なかなか面白いことをやってるみたいだね。うちの広報に欲しいくらいだと妻も褒めていたよ」

鹿目ちゃん、マジで親に見せたのか。
いや、別にいいけどさ。

「ありがとうございます。これ、お土産です。後でお召し上がりください」
「おやおや、これはご丁寧に。どうもありがとう。みんなで頂かせてもらうよ」

朝八時開店の和菓子屋で購入した芋羊羹を手渡し、一通りの挨拶を済ませる。
この常識的なやり取り、実に久しぶりだ。
知久さんには常識人の称号を与えよう。

「君が来たことは僕の方からママに伝えておくよ。まどかも下手に弄られたくはないだろう?」
「あー……確かに、男の子が来たことバレたらいろいろ言われそう……」
「たっくんの面倒も僕が見ておくからね。ああ、そうだ。昼食はどうする? 食べてくかい?」
「いえ、お気遣いなく。午後から寄らなければならない場所があるので」
「そうかい? じゃあ、また今度来たときにでも」
「そうですね。またお伺いする機会があれば。それでは失礼します」

このまま玄関を塞いでいるわけにもいかない。
俺は知久さんに別れを告げ、鹿目の先導のもと家の中へ上がらせてもらった。
鹿目家特有の匂いがふわりと俺を出迎える。

「へえ……」
「ん? どうかした?」
「いやな。ずいぶん綺麗な家だなーって」

これはお世辞でも何でもない。
実際、隅々まで手入れが行き届いている。
フローリング上には髪の毛一本見当たらない。

「外観だけでなく内側まで立派ってのはそうそうないっす。掃除のプロでも雇ってんすか?」
「ああ、それはパパのおかげだよ。日中、誰もいないときはいつも家中を掃除して回ってるんだって」
「へえ、大変そうっすね」

なるほど、主夫の仕事も楽ではないか。
詢子さん、家事してくれなさそうだもんな。

「はい、到着。ここが私の部屋だよ」

そして階段を上り、鹿目の部屋の前へ。
女の部屋に入るのはこっちに来てからは初めてだ。
粗相のないよう気をつけんと。

「お邪魔しまーす」
「はい、いらっしゃい」

扉を開くと同時に甘い香りが鼻孔を刺激してきた。
嗅いだ者を幸せな気分にさせてくれる女の子の香り。
思わず深呼吸してしまった俺を誰が責められよう。
うむ、いい香りだ。

次いで不躾と思われない程度に室内を観察する。
きちんと整頓された勉強机にカラーボックス。
ベッドの上に所狭しと並べられたぬいぐるみ。
ファンシーかつ小綺麗、いかにも女の子なお部屋じゃないか。
とても敵地の真っ只中とは思えない。
――そう、敵地だ。
ここにはやつ、キュゥべえがいる。

「さて、鹿目ちゃん。キュゥべえさんはどちらに?」
「すぐそこだよ。中沢くんの足元」
「なに?」

何故そんなところに?
俺なんかに纏わりついたところで楽しいことなど何もないだろうに。
まあ、近くにいるというのなら話は早い。
さっそく取材開始だ。

「えっと、キュゥべえさん? 鹿目さんから既に話を聞いていると思いますが、今日はあなたの取材をしに参りました。アポなしですが、よろしいでしょうか?」
「……うん、うん。構わないって」
「そうですか。ありがとうございます」

よしよし。
思いの外、スムーズに事が運んだな。
この時点で俺の目的の半分は達成されたようなものだ。
鹿目ちゃんという通訳を介し、キュゥべえに接触を図る。
それが今日、鹿目家に来た理由だ。
果たしてその試みはうまくいったが、ここで気を抜くわけにはいかない。
言うまでもなく、ここからが正念場なのだから。
はてさて、どこまで踏み込むべきか。

「それではまず簡単な質問から。キュゥべえさん、ご出身はどちらで?」
「うん、うん……えぇっ!? キュゥべえって宇宙から来たの!?」
「鹿目ちゃん、詳しく」
「うん……キュゥべえは太陽系、銀河系よりもずっと遠くの宇宙から来たんだって」
「ふむふむ、それはまた。遠路遥々ご苦労さまです」

この程度なら普通に答えるか。
さて、次だ。

「では続けてお聞きします。キュゥべえさんは何故わざわざ地球に? 何か目的があるのですか?」
「……えっと……うーん……」
「鹿目ちゃん、通訳」
「うーん……エントロピーがどうのこうのって……」
「宇宙の熱的死?」
「そう! それ!」
「ほほう、熱力学第二法則ですな。現代のインフレーション宇宙論では少々旗色が悪いようで」
「…………」
「鹿目ちゃん、単語だけでいいから」
「宇宙、膨張、エントロピー、投棄、有限、人類、無関心……」
「む……宇宙が膨張したからといってエントロピーの投棄場所が無限に増えるわけではない。人類は宇宙環境にもっと関心を持つべきだ。で、合ってる?」
「どう、なのかな? なんか不満そう」

不満なのかよ。
仕方ねえだろ、俺は文系なんだ。

「あいや失礼。生半可な知識で偉そうに語ってしまい申し訳ない。よろしければ、その道の権威を紹介しましょうか?」
「……彼らの研究内容は全て把握している。はっきり言って化石以下だ。検討する価値もない……だって」
「そ、そうですか」

そこまで言うか。
キュゥべえの野郎、完全に人間を見下してやがるな。
奴さんがしたり顔で語っている光景が目に浮かぶぜ。
今に見てろ。
いつか必ずお前さんの度肝を抜いてやる。

「おっと、話を逸れてしまいましたね。察するに、キュゥべえさんは宇宙の終焉を回避するために活動しているのですね?」
「そうなの? そうなんだ」
「しかし、ここで一つ疑問が生じます。奇しくも先程の質問と同じ疑問が。あなたは、この地球に何をしに来たのです?」
「……魔法少女の願い。それがエントロピーを凌駕し得る唯一の手段だからだ、だって。でも魔法少女と宇宙に何の関係が?」

ふん、さすがに暈してきたか。
その姿勢はこちらとしてもありがたい。
せめてワルプルギスの夜をやり過ごすまでは、鹿目に大人しくしていてもらわないと困るからな。

「よく分かりました。次の質問に移ります。キュゥべえさんと魔女、魔法少女の存在は現代まで秘匿され続けてきたわけですが、これは何か理由があってのことでしょうか?」
「それは君が一番よく分かっているはずだ。人は目に映らないものを信じない」
「しかし、あなたのお力添えがあれば回避できる犠牲もあったはず」
「その犠牲に目を瞑り続けてきたのは他でもない人類だ。異常の兆しはいつだって傍にあったのに。そんな蒙昧な輩と付き合うほど僕は暇じゃない。キュゥべえ……」

煽ってくるねえ。
確かに、現状に至るまで魔女による被害を放置し続けてきたのは人類の怠慢以外の何物でもない。
そこは否定しない。
だが、お前がそれを言うな。

「キュゥべえさん、人類は変わります。俺が変えます。今すぐには無理でも、次の世代、孫の世代までには全てを変えてみせます」
「……できるものか。霊長類出現から7000万年、人類誕生から500万年。君たちの本質は何ら変化していない。自身とその極周辺の物事にしか関心を割かない」
「無関心ばかりが人の本質ではありません。好奇心と恐怖心、この二つを刺激してやれば人は動きます。あなたもよくご存知なのでは?」
「……いいだろう。君はせいぜい自由に動くといい。だが、全ての真実が明るみになったとき、この子がどう動くか分からないわけではあるまい……この子? 誰?」

あれ?
もしかして俺に知識があること、全部バレてる?
記事に魔女の情報載せちまったのが不味かったのか?
それとも巴マミに接触した時点で既に?
……ええい、落ち着け。
バレたから何だってんだ。
状況がイーブンになっただけじゃないか。
そもそも情報アドバンテージなどこいつの前では何の意味もなさない。
反って慢心が捨てられてよかったと思うべきだろう。
てか、そう考えないとやってられん!

「然もありなん。彼女の前でこれ以上踏み込むのは互いにとって悪手でしかない。彼女には不確定要素が多過ぎる」
「茶番は終わりのようだね。それなら、そろそろ失礼させてもらおうか……え? キュゥべえ、もう帰っちゃうの?」
「おや、お帰りですか。名残惜しいですが仕方ありませんね。本日はご協力ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしております」

おう、帰れ帰れ。
頼むからボロが出る前に帰ってくれ。
いや、マジで帰ってください。

「キュゥべえ……あぁ、行っちゃった。中沢くんがケンカ腰で話すから……」

どうやらキュゥべえのやつは本当に出て行ってしまったらしい。
大層立腹した様子の鹿目ちゃんにジト目で睨まれてしまった。
やれやれ、ひとまず窮地は脱したか。

「おっと、そいつはすまなんだ。けど、ノーガードで殴り合って初めて見えてくるものもあるんすよ」
「私には何も見えてこなかったけどね。キュゥべえが見えない中沢くんの方がよっぽど意思疎通できてるってどういうことなのさ」
「はっはっは、心眼っすよ、心眼。心の眼を鍛えれば森羅万象が自ずと見えてくるんすよ」
「うぅ……中沢くんが言うと本当っぽく聞こえる……」

ま、ノーガードってほど激しくはなかったがな。
キュゥべえの方もあっさり退いたところを見ると今回はただの様子見みたいだったし。
とはいえ、次も軽いジャブの応酬で済んでくれる保障はない。
急ぎ戦略を練り直さねば。

手札が丸見えなのはお互い様。
鹿目まどかの手前、強く出られないのも同様。
しばらくは牽制に徹するべきか?
否。
むしろ一層精力的に動くべきだ。
この勝負、先に外堀を埋めた方が勝つ。

「……契約できなくて残念?」
「え?」

不機嫌そうにぬいぐるみと戯れ出した鹿目ちゃんに声をかけると、キョトンとした顔を返された。
この子は分かってんのかね。
自分が全ての中心にいることを。

「なりたかったんでしょ。魔法少女に」
「ああ、うん。まあ、そうだね」
「そうっすか。理由を聞いても?」
「理由かぁ……マミさんみたいにカッコよくなりたいから。じゃダメかな?」
「いいんじゃないっすか? 街の皆のため命がけで戦う姿に憧れを抱くのは正常なことだと思うっす」
「だよね! 憧れるよね!」
「ただ、同時によくないことだと思う」
「中沢くん……?」

俺の口から発せられた思いがけない言葉に鹿目ちゃんが怪訝な表情を浮かべる。
いつも先頭に立って魔法少女熱を煽ってきた中沢という男にあるまじき発言。
彼女が訝しむのも尤もなこと。
さあ、関心は引いたぞ。
言葉の選択を誤るなよ、俺。

「俺は常に疑問を抱えて生きてきた。不自然なまでに続出する行方不明者、それを正常と見なす民衆の異常。この世界は何かがおかしい。そう思いながら生きてきた」
「ど、どうしたの? いきなり語り出して」
「果たして俺は正しかった。俺達はいつだって魔女という見えない脅威に晒され続けていた。鹿目ちゃん、今から君に、君だけに、俺の本当の目的を話そう」
「本当の目的……?」

俺とこの子は同い年だ。
中身はともかくガワの方は。
そんな俺が説教じみたことを言ったところで逆効果。
徒に反発を招くだけ。
今すべきことは強制ではなく誘導。
彼女が契約を自制するよう方向づけてやるのが正解だ。
問題は俺自身が自分の言葉に本気になれるかどうかだが……綺麗事半分、理想論半分、本音1パーセントの猿芝居、どこまで通じるか試してみようじゃないか。

「これまでの活動はあくまで衆目を集めるためのそれにすぎない。真実の公表もまた一つの通過点だ。俺の本来の目的はその先にある」
「……どういうこと?」
「俺の真の目的は、人類が魔女への対抗策を講じるよう仕向けること。魔法少女の力に頼ることなく、自衛できるだけの力を人類に持たせることだ」
「え……」

俺の渾身の告白を聞いた鹿目ちゃんはひたすら目を白黒させている。
別に大したことは言ってないんだけどな。
そこまで突飛な発想か?

「考えてもみろよ。巴先輩は俺達と一つしか違わないんだぜ? 他の魔法少女達もおそらく俺達と同年代だ」
「う、うん……」
「おかしいだろ。警察でも自衛隊でも何でもない普通の女の子が、どうして怪物と戦わなければならない?」
「それは……仕方のないことだと思うよ? 魔女が見えるのは魔法少女だけなんだから」
「仕方ない? 何が仕方ないんだ? 魔法少女に戦いを強いることが仕方ないのか? それとも魔女が見えないなら戦えなくても仕方ないということか?」
「そんなこと……私に言われても……」
「俺は嫌だ。見ているだけなんて絶対に。真実を伝えるだけじゃ駄目なんだ。ただ事実を受け止めるだけじゃ駄目なんだ。俺達も戦えるようにならないと、何も変わらない」

キュゥべえの言う通り、この世界の人類は驚くほど何もしてこなかった。
それこそ俺ごとき小蝿の羽ばたきが、世界に対し少なからぬ影響を及ぼしてしまうほどに。

「魔法少女だけが危険な目に遭わないといけないなんて間違ってる。俺はこの現状を打破したい。魔法少女が、巴先輩が戦わずに済む世界を作りたいんだ」

もしかしたら全部無意味なのかもしれない。
この世界の住人はどうしようもない無能揃いで、魔法少女に守ってもらわなければ魔女や魔獣に食われ放題の木偶の坊なのかもしれない。

「キュゥべえはああ言ってたけど、人間はそこまで無能な存在じゃないと思う。今まではただ知らなかっただけで、知ることさえできれば、きっと何かが変わると思うんだ」

けど、それを言ったら俺だって同じだ。
舌が人より上手く回るだけの、小賢しく立ち回ることしか能のない下らない人間。
そんな俺でもここまで動けるんだ。
他の人間だってきっとうまくやれる。
そのはずだ。

「だから鹿目ちゃん。魔法少女になるのはちょっと待ってくれ。俺、頑張るからさ。頑張って世界を変えるからさ」

気づけば、かなり熱くなっていた。
俺としたことが何たる不様。
鹿目ちゃん置き去りにして一人でしゃべってどうする。
見ろ、あのポカーンとした表情を。
絶対中二病だと思われた。
はずかしー!

「……中沢くんってさ」
「はい」
「いつも飄々としてて、何考えてるか分からない人だって思ってたけど」
「はい」
「根っこの部分は熱い人だったんだね」
「いいえ」
「……もしかして照れてる?」
「な、何のことっすか。俺に照れとか恥とかそういう概念があるわけ……」
「中沢くんってさ、けっこうかわいいね」

うわああああああああああ!!!!
ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!
女子中学生にかわいいとか言われてしまったああああああああ!!!!
屈辱だああああああああああああああああああああああああああ!!!!

「鹿目ちゃん、男にかわいいとか言っちゃダメっすよ。俺は大人だから怒らないっすけど」
「えー?」
「えー、じゃない。それと窓開けるっすよ。なんか外の空気吸いたくなってきた」

恥ずかしいときは、無性に窓の外を眺めたくなる。
ああ、窓から覗く景観のなんと美しいことか。
下手な一等地より上等な土地だよ、ここは。
それはそうと春というだけあってスギ花粉がすごいな。
あの一本杉から飛んできてるのか?

「鹿目ちゃん、花粉大丈夫?」
「平気だよ。うちには花粉症持ちの人いないから」
「さよか……おっ?」

なんだろう。
一本杉のぶっとい枝のところ、なんか出っ張りができてる。
気持ち黒っぽい人影のように見えないこともない。

「むぅ……」
「どうかした?」
「いや、ちょっと」

何となく気になり、同好会費で落とした双眼鏡を構えてみた。
多層膜コーティングが施されたコントラストの高い12倍双眼鏡なら遠方でもばっちり見え……。

「……」

暁美ほむらだ。
暁美ほむらが木の枝に腰かけ、こちらをじっと凝視していた。
何処のアーチャーだ、お前は。
こえーよ。

「あーっと、もうこんな時間だー。急いで帰らないとなー」
「うん? ああ、もうお昼なんだ」
「今日は変な話聞かせちまって悪かったっす。あれ忘れてもいいから」
「んー……どうしようかなぁ?」

こ、この女郎!
俺が殊勝にも妄言を撤回してサーっと退散しようとしてるのに……。
当の鹿目ちゃんは俺を弄るのが心底楽しいとばかりに悪戯っぽく微笑んでいる。

「ぐぬぬ、この悪女め……」
「ごめんごめん。中沢くんが隙を見せてくれたのが嬉しくって、つい」

くそっ、女はガキの頃から女なんだな、ちくしょうめ。
これ以上弄られてたまるか。
もう本当に帰るからな。

「ええい、鹿目ちゃんめ! 覚えてろよ!」
「うん。ちゃんと覚えてるからね」

キュゥべえにはしてやられ、鹿目ちゃんには弄ばれ、暁美は恐い。
今日はとんだ厄日だ。
まったく、似合わねえことはするもんじゃねーな。
そんなことをグダグダと考えながら、こそこそと鹿目家を後にする俺であった。



[32371] 第四報告 『中沢の苦悩』
Name: たいらん◆29f658d5 ID:faef20ab
Date: 2012/04/13 18:49
ぷんぷんと漂う消毒薬の匂い。
人の足跡が大量に付着したリノリウムの床。
忙しなく院内を歩き回る看護師達。
ここは見滝原市内に位置する総合病院。
俺こと中沢は学校の帰り道がてら、ある人物のお見舞いに病院までやって来ていた。

面会の手続きを軽く済ませ、階段を上り個室病棟へ。
扉の前に掲示されたネームプレートを逐一確認。
とある病室の前で立ち止まる。
プレートに表記された名前は、上条恭介。

中の様子を窺うと、一人の少年が何をするでもなくベッドの上でぼんやりとしていた。
そりゃぼんやりもするわな。
人間手が使えなくなったら何もできん。
その心中察して余りある。
どれ、ここは一つ中沢くんが元気づけてやろう。
そうと決まればご挨拶ご挨拶っと。

「上条ちゃーん。あなたの良き理解者、中沢くんがお見舞いに来てあげましたよー。お加減いかがー?」
「中沢……君か。よく来てくれたね。おかげさまで調子の方はまあまあだよ」

少年、上条恭介は気だるげに上体を起こし、どことなく陰のある笑みを湛えながら挨拶を返してきた。
なかなか健気なこと言うじゃないの。
辛くとも弱音を吐かないその姿勢、個人的に好印象だぜ。

「そいつは重畳。されど入院生活には制限が多く退屈であることには違いなし。ほれ、手土産っす。元気出るっすよ」
「これって……DVD? スタートレックTNG……いらないな」
「まあまあ、そう言いなさんな。騙されたと思って見てみるっす……誰もいないときに、こっそりとな」
「……! このパッケージはフェイク。つまりはそういうことなのかい?」
「ああ。しかも揺れるぞ」
「しかも揺れるのか」
「……見てみるっすか?」
「……見てみよう」

俺の持ってきた元気の出るDVD。
そいつをプレーヤーにかけて再生開始。
上条少年の期待の眼差しを熱烈に受け止め、液晶ディスプレイが映し出す映像とは!

「……ん?」
「どうかしたっすか?」
「いや……これってコスプレ物?」
「いいえ。本職の人っす」

画面の向こうに映し出されたのは巴マミが魔女に関する講義を行っている光景であった。
魔女が潜みやすいのはどのような場所か、魔女の口づけのターゲットにされやすいのはどのような人間か、分かりやすく噛み砕いて説明してくれている。
その懇切丁寧な解説ぶりは幼稚園の先生もかくやといったところか。

「ねえ、この人脱がないの?」
「脱ぎません」
「え? もしかしてずっとこのまま?」
「左様でございます」
「えー……」

紙媒体では伝えきれなかった新情報の提供、および魔法少女による技能実演等々のお宝映像がぎっしり詰まった計90分の特選映像集。
俺の28時間分の睡眠時間を犠牲にようやく完成を迎えた魂の一本である。
時間の都合上、ほぼ全てのシーンが撮り直し無しの一発録り。
おかげで映像は粗いわ、巴先輩は緊張して噛みまくるわ、すごくいい画が撮れたのに下着が映ってて泣く泣くNG出すわで、とにかく編集きつくて死ぬかと思った。

「なんなのさ、これ。教育番組か何か?」
「教育番組とは言い得て妙かな。おっ、今の部分ちょっと戻してみ。ちゃんと揺れてるっしょ?」
「むっ、これはなかなか」
「せやろ? こういう健康的な色香も偶にはええやろ?」
「なるほど、悪くないね」

まあ、それも今となっては良い思い出。
編集作業を終えた解放感と徹夜明けハイテンションの相乗効果によりシモの話が弾む弾む。
上条さんも結構話せるじゃないの。

「で、この人誰なの? なんか素人っぽいし、新人のタレントさんとか?」
「うちの先輩」
「え?」
「見滝原中学校第三学年在籍中の巴マミ先輩」
「え? え? マジで?」
「マジで」
「そうか……先輩なのか。そういえば、さやかが前に話してくれたような……魔法少女だっけ? なんだかなぁ……」
「おや、お気に召さない?」
「同じ学校の人をそういう目で見るのはちょっと……」

おっと、反省。
ちと悪ノリが過ぎたか。
上条さん、そういうの気にする人なのね。
俺にも分かるわ。
知り合い相手にその手の感情を抱いちまうと、なんかこう罪悪感が沸いてくる。
恋愛感情じゃないってところがまた嫌なんだよねー。

「そいつはすまなんだ。お詫びに明日とっておきの巨乳物持ってきてやるよ」
「おっとり天然系で頼む」
「オーケイ!」

何にせよ、上条さんが元気になってくれてよかったよ。
わざわざお見舞いに来た甲斐があったってもんだ。

「ときに上条。お前さん、ケガする前はバイオリニストとして結構いい線行ってたんだよな?」
「なんだよ急に。クラシックには興味がなかったんじゃないのかい?」
「うん、なかった。てか今もねえっす。俺っちは生粋のメタラーっすから」
「なら何でまた」
「いやね。若手の注目株なら業界人とコネがあってもおかしくないかなーって」
「はあ?」

唐突に意味不明なことを言い出した俺に訝しげな視線を向ける上条少年。
そのリアクションもむべなるかな。
実際、何の脈絡もなかったし。

「コネよ、こねこね。コネが欲しいのよ~。楽したいのよ~」
「中沢……一体どうした?」

だが、今の俺にとっては割と切実な問題だったりする。
……そうだな。
こんな世迷いごとが飛び出た背景、それを今から話そう。




第四報告 『中沢の苦悩』




時は先週の土曜日まで遡る。
鹿目家を後にした俺は当初の予定をキャンセルし、そのまま近場のファミレスに直行。
それから巴マミに連絡を入れ、今後の活動の打ち合わせという名目で急遽召集をかけた。

ワルプルギスの夜襲来まで残り二週間あるかないか。
もはやのらりくらりと事を進めていられる段階ではない。
そんな中、キュゥべえが鹿目まどかと美樹さやかに接近するのを警戒しつつ、これまでのように地道な広報活動を続けるというのは至難の業。
この逼迫した状況を打開するためにも多少強引な手に打って出る必要があるのだ。

「ごめんなさい! 待たせちゃったかしら?」

一時間ほど待っただろうか。
俺が一人ドリンクバー巡りをしていると、巴先輩が息を切らしながら入店してきた。
当然ながら私服だ。
ボディラインの目立たないゆったりとした服装をしているところを見るに、どうやら彼女は自分の体型に対し思うところがあるらしい。
なーんてのは邪推かね。

「お気になさらず。俺もついさっき来たばかりです。ささ、どうぞお向かいの席に」
「嘘おっしゃい。グラスの色がカオスなことになってるわよ」
「ありゃ、こいつはぬかった。けど本当に謝る必要なんてないんです。こうして先輩に来てもらえただけで十分ありがたいんですから」

いや、社交辞令でも何でもなく。
むしろ俺の方が頭を下げたいくらいだ。
急な呼び出しでも普通に来てくれるんだもんな。
ほんと先輩はいい人だよ。
この人にだけは足を向けて寝られん。

「それはそうと、最近どうです? 何か変わったことでもありました?」
「そうねぇ……特に何も。強いて挙げるなら、昨日の夜に魔女を一体倒したことかしら」
「いやいやいや大事件じゃないですか。ちなみにどのような魔女で?」
「んー……確か、薔薇の茂みのような顔をしていたわ」
「ふむふむ。薔薇園の魔女ですか。俺の仕入れたデータにはありませんね」
「それはそうでしょ。佐倉さんは縄張りに厳しい人だから。見滝原の魔女の情報なんて持ってるはずないわ」
「……」

そうだった。
俺はそんないい人を騙してるんだった。
あまつさえ客寄せパンダとして利用を……。

「中沢くん? 聞いてる?」

ああ、いかんな。
これはいかん。
昔のドライな自分を思い出せ。

「はい、聞いてますよ。せっかくです。なにか戦勝祝いでもしましょう。そうだ。パフェとか食べます? 奢りますよ」
「いいわよ、そんな気を遣わなくたって。私にしてみればいつものことなんだし」
「そんなカッコいいこと言わずに。私にとって戦いは日常だ!なんて魔法少女の吐く台詞じゃありませんよ。第一、先輩はもっと感謝されて然るべきなんです」
「でも……」
「いいからいいから。店員さん、この一番大きいやつお願いします」

なおも何か言いたげな先輩を手で制し、勝手に特盛りパフェを注文する。
そうそう、こうやって主導権握って自分のペースに持ってきゃいいんだ。
全部いつも通りに……ってこれ2980円もするのか。
めっちゃデカいし絶対残すだろうなぁ、勿体ねえ。

「まったくもう……強引なんだから」
「おや、甘いものはお嫌いで?」
「いいえ、好きよ。ただ、後輩に奢られるってのは先輩としてちょっとね」
「ならこいつはファンからの贈り物ってことで。何を隠そうこの俺は魔法少女巴マミの大ファン! しかも記念すべきファン第一号っすから」
「あらあら。記者志望さんが取材対象と癒着だなんて。よくないんじゃない?」
「む……」

先輩の指摘に思わずハッとする。
言われてみれば確かによくないこと、かも。
……いや、待て。
別に俺は本当にジャーナリストになりたいわけじゃない。
あくまで同好会費と取材活動の正当性を手に入れるためにだな……。
などと益体もないことを考えていると、対面の席からクスクスと笑う声が聞こえてきた。

「ごめんなさい。今のは冗談のつもりだったの」
「冗談、ですか」
「そ、冗談。中沢くんは真面目ね」
「真面目……いやいや、俺ほど不真面目なやつもそうはいませんよ。先輩の買い被りっす」
「そうかしら?」
「そうっすよ。あっ、パフェ来ましたよ。食べましょ食べましょ」

俺が真面目ねぇ。
そんなことを言われたのは向こうでもこっちでも初めてだ。
相変わらず、この人はよく分からない。

「これは……店員さん、お皿もらえます?」
「皿?」
「こんなに大きいの一人じゃ食べきれないでしょ。中沢くんも食べるの手伝って」
「はぁ」

目の前に置かれた化け物サイズのパフェを一人で処理するのは不可能と判断したのか、先輩は俺にも食うのを手伝うよう要請してきた。
人に奢ったものを自分で食べる。
なんとも珍妙な話だ。

「アイスのとこ食べる?」
「そこはいいです。俺バニラ苦手なんで」
「じゃあプリンは?」
「プリンは欲しいです」
「ふーん。プリン好きなんだ」

だったら何だよ。
今日はどうにも話が変な方向に逸れちまうな。
こういうときはちゃっちゃと本題に入るのが吉だ。

「そうそう、今後の予定についてなんですけど。そろそろ冒険してみてもいい頃だと思うんですよ」
「ふん? というと?」
「明日、見滝原民間放送局に殴り込みをかけます」

俺が考えた現状を打破するための起死回生の一手。
それは民放への特攻である。
ネット技術が発達した現代社会においても、情報媒体としてのテレビとラジオの有用性は健在だ。
メディアを通じてワルプルギスの夜の襲来を何らかの形で伝えることができれば、あるいは……。

「明日ってあなた……そういうことはもっと早く言いなさい。予約なしでも入れる美容室なんてあるかしら……」
「は? 美容、え?」
「だってテレビに出られるんでしょ? 恥ずかしい姿は見せられないわ」
「……ええ、まあ。そうなるかどうかは明日の交渉次第ですけど」

うーむ、今のは我ながら言葉足らずだった。
どうやら先輩は自分がテレビに出演するものだと思い込んでしまったようだ。
はっきり言おう。
そんな暇はない。
お茶の間に流れるようなテレビ番組と俺の制作してる素人ビデオとでは次元が違うんだ。
一週間かそこらで番組一本作れてたまるか。

今回の目的は二つ。
一つは報道関係者とコネを作ること。
自分で言っといて何だが、こいつは正直期待薄だ。
先輩が実際に魔法使ってるところを見せてやれば興味を引くことくらいはできるだろうが、放送内容に口出しできるほどの権限を得るには至らないだろう。
うちの生徒の親御さんにそっち方面の大御所さんがいてくれたらよかったんだが、さすがにそんなうまい話はなかった。

もう一つは局内部の構造を徹底把握すること。
設備および人員の配置、演奏所および送信所の位置など調べることは山ほどある。
侵入経路と逃走経路の確保も必要だ。
……そんなものを把握して何をやらかすつもりなのかだと?
決まってんだろ。
電波ジャックならぬ放送局ジャックよ。
見滝原市内全域に突如として生命に関わる悪性ガスが発生しました!とか適当に捏造して放送してやるのさ。
偽りの避難指示を飛ばしてやるのもありだろう。

無論これは最後の手段……と言いたいところだが、残された時間を考えると実行を視野に入れざるを得ない。
進退窮まるとはまさにこのこと。
いっそ暁美ほむらに爆薬でも借りて盛大に爆破テロでも起こすか?
見滝原がテロリストの闊歩する危険区域に変貌すれば、それこそみんな蜘蛛の子を散らすよう逃げ失せるだろうよ。

「準備が整いましたら携帯に連絡入れてください。集合時間は先輩の都合に合わせますんで」
「そう? たぶんお昼過ぎくらいになっちゃうと思うけど」
「構いませんよ。俺にも準備がありますから」

ああ、嫌だ嫌だ。
今からでも一人で逃げ出してえなぁ。


****


日曜日、午後二時。
制服着たきりスズメの俺と、当社比5%増しでいつもより多めにくりんくりんしてる巴先輩は、昨日の打ち合わせ通り見滝原民間放送局を訪れていた。
休日ということで事務の方々がお休みなのにもかかわらず、社員用駐車場は車で埋め尽くされている。
制作班の人達かな?
ご苦労なことだ。

「ねえ、中沢くん。なんだか玄関が暗いんだけど。門もあちこち閉まってるし、もしかして今日はお休みなんじゃないの?」
「大丈夫です。番組作りに直接携わっているような人達は普通に出勤してますから。さあ、入りましょう」

関係者以外立ち入り禁止の張り紙がされた扉を開き内部へ侵入。
アラームは……鳴らない。
そこまで厳重な警備態勢を敷いてるわけではないのか。

「中沢くん! ここ入っちゃいけないところなんじゃ……」
「大丈夫です。俺達は子どもですから余程のことをしない限りお咎めなしで済みます。未成年万歳です」
「そ、それ本気で言ってる?」
「はい、本気です。言ったでしょう? 殴り込みだって」

殴り込みというのは比喩でも何でもない。
なんてったってアポどころか見学許可証すら持っていないのだから。
時間的余裕さえあれば、もっと真っ当な手段を取れたんだが。

「……そこカメラありますね。リボンで塞いでください」
「ど、どうして?」
「映像に残るといろいろ厄介だということは先輩が一番よく分かっているはず。万一補導されたりしたら経歴に傷が付きますよ」
「なんだか昨日の話と違う……」

どことなく釈然としない面持ちながらも、先輩は監視カメラを雁字搦めに塞いでいく。
ふむ、この分だとカメラの設置場所と警備員の巡回経路も調査しておく必要がありそうだな。
赤外線センサを潜り抜ける技術がない以上、できる限り死角となる場所を見つけておかないと。

「そうだ。せっかく忍び込んだんですし、ちょっと見学して回りましょうか」
「見学くらい普通に許可もらってすればいいじゃない……」
「それだと全部は見られないでしょう。俺の見たい場所は大方秘匿されてますから」

それから後は虱潰しにひたすら局内を見て回った。
その周到さは下見を超え、もはやマッピングの域。
我ながらよくやる。

「へえ……スタジオって思ったより狭いのね」
「そうですね」
「テレビ局って芸能人とかたくさんいそうなイメージあったんだけど、別にそんなことはないのね」
「それは残念でしたね」
「ねえ、さっきから何を書いてるの?」
「地図です。先輩の協力のおかげで粗方完成しましたよ。どうもありがとうございました」

この精度なら実践にも耐えうるだろう。
実際にやるかやらないかは別として。

「こちらの要件は済みました。そろそろ番組を作っている方達のところへ挨拶に向かいましょう」
「やっと? 待ちくたびれたわ」
「そう言わずに元気を出して。ディレクターさんかプロデューサーさんに取り入ることができればテレビ出演も夢じゃない。大丈夫、先輩ならできます」

いや、まず無理だろうけど。
とりあえず交渉するだけしてみるか。


****


「すみません。少々お尋ねしたいことがあるのですが」
「ん? ぼく?」

数分ほど歩き回り、たまたま見かけたADらしき男に声をかける。
将を射んと欲すればとは少し違うが、いきなり大物に話を持っていくのは愚策以外の何物でもない。
まずは下っ端に話を通そう。

「外部からの企画持ち込みなのですが、どちらの部署に行けばよろしいでしょうか」
「持ち込みって、今日は休みだよ? その様子じゃアポもないみたいだし、近頃の学生は常識がなくて困る」
「見てもらえないのですか?」
「見ないよ。訪問する旨を事前に伝えてから平日に改めて来なさい」

おお、取りつく島もない。
実際非常識なことしてるし、当たり前か。

「まあまあ、そうおっしゃらず。世にも珍しい魔法少女ですよ。大スクープですよ」
「魔法? ふん、ナンセンスだ。悪いけど二度と来ないでくれ。そんな如何わしい代物を公共の電波に乗せてたまるか」
「なっ……! 私はいかがわしくなんかありません!」
「そうです。本物です。先輩、このいけ好かない男に目に物見せてやりましょう」
「分かったわ! おじさん、しっかり見てなさい」

己の誇りを如何わしい呼ばわりされてカチンときたのか、いつになく気合の入った様子の巴先輩。
勢いよくソウルジェムをかざした次の瞬間には変身を完了させ、今は見せつけるようにマスケット銃を振り回している。

「む……目は逸らさなかったはず……早着替えのマジック? いや、着替え前の服がどこにも……そも時間が……」
「ふふん。驚いた? 言っておくけど、タネも仕掛けもないわよ」
「先輩、銃しまって。そいつは銃刀法に抵触します」
「あっ! そ、そうだったわね……」

巴先輩はしゃぎすぎ。
そんなにテレビに出たいのか。

「特殊な映像を投射……視覚に影響……そうか、そういうことか」

推定ADの男はしばらく唸りながら考え込んでいたが、やがて自分なりの解に辿りついたらしく顔を上げるとこう宣った。

「分かったぞ。これは錯覚を利用した催眠術だな。それ以外に説明がつかない」
「違いま……いえ、その認識でもいいでしょう。この少女が只者でないことを分かって頂ければそれで構いません」
「女子校生エスパーか。なるほど、確かに数字は取れそうだ。俗受けすること間違いなしだ」
「……? 失礼、何やら言葉に棘があるよう聞こえるのですが」
「そうだね。君の耳は正常だ。ぼくはこの手の話が嫌いなんだよ」

なにこいつうぜえ。
お前の好みなんざ聞いてねえよ。
ええい、こいつに声をかけたのは失敗だったかもしれん。

「……残念ですが仕方ありませんね。では、直接ディレクター様に掛け合ってみることにします」
「それは無理だ。なにせ、ぼくがそのディレクターだからね」

お前かよ!
責任者がその辺ほっつき歩くなよ!

「もういいです。先輩、こいつ簀巻きにしちゃいましょう。魔法の力をその身に味わわせてやればきっと理解してくれます」
「テレビ出られる?」
「たぶん」
「分かった。巻くわ」
「お? おおっ?」

言うが早いか自称ディレクターの男はあっという間にリボンで拘束され、ぷらーんと宙吊りにされてしまった。
巴先輩迷いなさすぎ。
そんなにテレビに出たいのか。

「ワイヤー? ピアノ線? 黒子がいるわけでもなし……どういうトリックだ?」
「魔法よ」
「魔法です」
「そうか、分かったぞ。そこの女の子が馬鹿力なんだ」
「違います! ほら! 手ぶらでも浮けるでしょ!」
「ディレクター、さすがに休憩時間長過ぎですよー。ディレクター? どこですかー?」

いかん、人が来る。
こんな暴行現場を押さえられたら即刻補導されちまう。
それにこれ以上粘ったところでうまみはない。
顔が割れるだけ損だ。

「先輩! 今日はここまでです! ズラかりましょう!」
「テレビ……」
「諦めろ!」

例によって監視カメラを塞ぎ、人目を避けつつ局内からの脱出を図る。
まさかこんなに早く逃走経路のお世話になるとは思わなんだ。

「……あっ」
「どうしました?」
「私、リボン解いてない」
「あっ」


****


そして時間軸は現在に戻る、と。
うん、まあ、そんなことがあったのよ。
最初に話しかけた男があいつでなければ、また違った展開があったのかもしれないが……。
こいつはいよいよもって犯罪に手を染めるしかないかもしれん。

そんな後ろ暗い考えに囚われつつ、病院の階段を下りる。
上条少年に愚痴を聞いてもらいはしたが、特に悩みが晴れるようなこともなく……そういや志筑の話題出すの忘れてた。
まあいいか。

「すみません。面会終わりました」
「はい、どうも。またお見舞いに来てあげてくださいね」
「ええ、もちろん」

上条恭介との面会を終えた旨を受付に伝え、病院を退出する。
空を見上げると薄らと月が出ていた。
一方、太陽は今にも山の向こうへ沈んでいきそうだ。
だいぶ遅くなっちまったな。
さっさと帰ろう。

向かう先はマイバイクを停めた駐輪場。
来たばかりの頃は満車状態だったここも今じゃすっかりガラガラだ。
それにしても電灯はまだ点かないのか。
もう暗いぞ。
鍵を差し込むのに苦労しそうだと思いながら俺が自転車の前までやって来ると、タイミングを見計らったかのように明かりが点灯した。

「ラッキー……ん?」

結論から言えば、俺はラッキーでも何でもなかった。
何故なら俺は見つけてしまったのだから。
自分のすぐ目の前に突き刺さった嘆きの種を。
己が存在を知らしめるかのように、仄暗く輝く漆黒の宝玉を。
……これってやっぱりアレだよな。
魔女の卵、グリーフシード……。

――――俺よ、どうする?
巴先輩に連絡して処理を頼むか?
そうだな。
それが最善手だろう。
だが、これの中身がもし『お菓子の魔女』だとしたら、先輩は死ぬかもしれない。
いや、例えそうでなくとも、あの人を自らの手で戦場に追いやることが正しいことだとでも言うのか?
舌の根も乾かぬうちに、魔法少女に頼るのか?
そんなことをして、鹿目ちゃんに顔向けできるのか?

「……」

携帯を取り出し、11桁の番号を入力する。

「……」

最後の番号を押し、無機質な呼び出し音を聞きながら相手が出るのをじっと待つ。

「……もしもし? 中沢ですが少々お時間よろしいでしょうか」

これが本当に正しい選択なのか?
そんなこと俺にだって分からない。
ふと目線を落とすとグリーフシードが鈍い光を放っていた。
それがひどく目障りで、俺は逃げるように視線を逸らした。



[32371] 第五報告 『中沢の転機』
Name: たいらん◆29f658d5 ID:faef20ab
Date: 2012/04/27 19:35
太陽が沈み、月がその姿を色濃くしていく。
僅かに欠けた楕円形の月だ。
周囲の星が見えなくなるほどの明るさを備えたそれは光源として十分機能し得る。
そんな月明かりの下、俺はグリーフシードをデジカメで撮影しながら様々なことに思いを馳せていた。
例えば今は去りし故郷のこと。
例えばこれからやって来る少女のこと。
例えば……どうして俺はこんな、無駄な足掻きを続けているのかということ。

だってそうだろ?
残り十数日で一体どうしろというのだ?
俺みたいな凡夫に何ができる?
ここまでやれたこと自体が奇跡なんだ。
もう一人で逃げたって許されるはずだ。
気がつけば、そんなことばかり考える。

……一人で逃げる、か。
分かっている。
それこそ無理だ。
金もない家もない、ただの学生が一人生き永らえたところで意味はない。
こっちの両親を見殺しにして、クラスメイトや他の知人も全員置き去りにして、そうまでして生き延びたところで、俺に未来はない。
そうさ。
最初から分かっていた。
この状況は、詰んでいる。

……なんて言うと思ったか、馬鹿め!
逆境を前にして不敵に笑う!
それが中沢さんの真骨頂よ!
明日に世界が滅びようとも鼻クソほじりながら何とかしてやる!
具体的な方法についてはこれから考えるけど……っと、おいでなすったか。

「よう、三時間ぶり。急に呼び出して悪かったっすね」
「グリーフシードはどこ?」
「おおう、いきなり本題っすか。まずは天気の話から始めるのが全世界共通のコミュの取り方っすよ? というわけで、今日はいいお天気ですね」
「……グリーフシードはどこ?」

コミュニケーションブレイク。
俺に呼び出されてやって来た少女、暁美ほむらもまた余裕のない人間らしい。
最低限の愛想笑いを浮かべることすら放棄し、やたら威圧的に接してくる。
気兼ねなく呼び出せる荒事要員が彼女しかいなかったとはいえ、さすがに拙速過ぎたか。

「うん、まあ、挨拶は後でもいいか。ほれ、そこ」
「そこ……本当だったのね」

別に怒らせたいわけではないのでサクッと場所を教える。
作業がしやすいよう周りの自転車はあらかじめ移動させておいたから、どうぞじっくりお調べになってください。

「いやー、前々から怪しいと思ってはいたんすよ。巴先輩にあんまり興味示さないし、魔法の存在知っても全く動じないし。あと転校生ってところが特に怪しい!」
「……」
「なあ、暁美さん。写真撮ってもいいっすか?」
「駄目」

サービス精神の欠片もない対応をどうも。
いかにも煩わしげにあしらってくるところを見るに、彼女が俺に対し抱いている感情は無関心寄りの嫌悪といったところか。
少なくとも敵対視されてはいないようだが、どうでもいいと思われるのもそれはそれで悲しい。
こういった形で顔を合わせちまった以上、俺としては友誼を育んでおきたいんだがなぁ。

ああ、そうそう。
どうして俺が暁美ほむらと連絡を取ることができたのか、まだ話してなかったな。
実は、あのとき俺が電話したのは早乙女先生だったんだ。
担任なら生徒の携帯番号くらい把握していてもおかしくないからな。
仮に知らずとも両親の電話番号くらいは知ってるだろうから、どちらにせよ連絡は可能。
要するに、俺は先生を介して暁美ほむらの携帯に要件を伝えてもらったのよ。
病院の壁にグリーフシードと思しき物体が突き刺さってるから早く来いってな。
さすがの彼女といえど先生からの着信を無視できるはずもなく、こうして呼び出されて来たってわけだ。

「……まだ孵りそうにないわね」

暁美ほむらはしばらくグリーフシードを観察していたが、やがてぽつりとそう零した。
どうやら現時点で魔女が孵化することはないらしい。

「そうか。けど、ずっとこのままってわけにもいかないだろ。どうするんだ?」
「心配しなくても、これは私の方で処理しておくわ。だから、あなたは下手に騒ぎ立てないで」
「それは今回の件を記事にするなってことか? 別にいいじゃないか。何を隠す必要がある?」
「……はっきり言われなければ分からない? 見世物にされるのは御免だと言っているの」
「む……」

何とも、辛辣なお言葉だ。
そんなことはしていない、事実無根だ、と切って捨てるには心当たりが多過ぎる。
嬉々として魔法を衆目に晒す巴マミの姿を、この娘はどのような思いで見てきたのだろうか。
その心境を推し量ることはとてもできそうにない。
――だが、俺が面白半分でこんなことを仕出かしたと思われるのは業腹だ。

「見世物か……そういう側面があるのは否定しない。けどな。いつか誰かがやらなければならなかったんだ。この世界の裏側を、大衆に知らしめてやらなきゃならなかったんだ」
「その役目をあなたが担うと? 随分と高尚な志ね。勝手になさい」
「お前さんは協力してくれないのか?」
「私を余計なことに巻き込まないで。悪性のイレギュラーではないと判断したから今まで見逃してきたの。障害となり得るなら容赦しないわよ」

にべもなし。
せっかく俺の方から歩み寄ろうとしているのにこの態度である。
彼女にとってキュゥべえが悪魔か何かなら、差し詰め俺はブンブン喧しい羽虫か何かなのだろう。

「……オーケイ。俺はお前さんに対し、これまで通り不干渉を貫く。それでいいんだな?」
「そうね。そのように」

暁美ほむらはこれ以上話すことはないと言わんばかりに背を向けると、以降だんまりを決め込んでしまった。
分かってはいたが、やはり相当気難しい子だ。
そうだ。
俺は彼女の事情を知っている。
だから別に怒る気はない。
怒る気はないのだ。

「……何を録っているの?」
「え? ビデオ撮影も駄目っすか?」
「駄目に決まっているでしょう。カメラを渡しなさい」
「いやいや、これくらいサービスしてくれたっていいじゃないっすか。なにか衝撃映像が映ってるわけでもあるまいに」
「いいから早く」
「やーだよ」
「……!」

ほう、これは珍しいものを見た。
俺が無断で撮影を行い、なおかつカメラの引き渡しを拒否してやると、暁美ほむらの表情が明らかにムッとしたものに変わった。
俺的にはちょっとした意趣返しのつもりだったんだが、なかなか面白い反応をしてくれる。

「ほれ、取ってみんしゃい。ほーれほれー」
「……!!」

もう少しばかり意地悪がしたくなった俺は限界まで爪先立ちし、右手のビデオカメラを天高く掲げ上げた。
あまりにチビ過ぎる鹿目ちゃんは例外として、この子も大して上背があるわけじゃない。
170近くある俺からカメラを奪取するのは並大抵の苦労ではないはず。
もっとも、魔法少女の身体能力があれば軽くジャンプしただけで奪えちまうだろうが。

「ほーれ、ほ……ッ!」

――衝撃。
右脇腹を抉られたかのような圧倒的苦痛。
膝が笑い、息が詰まる。
手の平からカメラがこぼれ落ち、鈍い音を立てて破損したが、そんなことはどうでもいい。
痛い。
ただ痛い。
何が起きた?
殴られたのか?
そうだ。
土手腹を思いっきり殴られたのだ。

「おま……パンチってお前……うぇぇ……」
「……大丈夫?」
「し、死ぬ……吐きそ……」
「ごめんなさい。一応手加減はしたんだけど……」

本日の教訓。
魔法少女を怒らせてはいけない。
言っちゃ悪いが、この子マジで化け物だわ。
一体いつ殴られたのか見当もつかない。
踏み込んでくる姿すら見えなかった。

「カメラ……壊れちゃったわね。弁償した方がいいかしら?」
「けっこうです……同好会費で落としたものなんで……」
「そう……」
「はい……」

一般人をぶん殴ってしまい、天下の魔法少女様もだいぶ動揺しておられるようだが、俺はお腹が痛くてそれどころじゃないよ。
手加減してこの威力って、全力出したら貫通余裕なんじゃねえの?
時間も止められるし、完全にDIO様だよ。
……いや、ほんと痛いわ。
許せん。
よーし。

「お腹痛いです……」
「……ごめんなさい」
「さすったら、少しはよくなるかな……って、うわぁぁ!!」
「ど、どうしたの!?」
「腹が! 俺の腹が!」

なんということでしょう。
腹をさすって痛みを誤魔化そうと思い至り、制服を捲ってみたら吃驚仰天。
お腹が見事に陥没しているではありませんか。
フッ、我ながら名演だな。

「あかん! これ死んでまう!」
「……お腹引っ込めてるだけじゃない」
「そんなことはない! 本当にへこんでるんだって!」
「……うそつき」
「いだぁッ! おま、青痣押すんじゃねえよ!」
「ほら、やっぱり」
「やっぱりじゃねえ! 痛いのは本当なんだよ!」

この女ァ……。
俺はただ腹部を限界まで引っ込めて、あたかもパンチで凹んだかのように見せかけるというささやかな悪戯がしたかっただけなのに……。
何も追い打ちかけるこたぁねえだろ。
てか微妙に笑ってないか、お前!

「いってぇなぁ……くそぅ」
「中沢くんって物怖じしない人だったのね。初めて知ったわ」
「……そういうお前さんは無礼なやつだ。前から知ってたけど」

物怖じしない、ねぇ。
果たして額面通りに受け取っていいものか。
もしかしたら殴りかかってきたのは飽くまで激昂したフリであり、最初から俺への牽制が目的だったのかもしれない。
ふと見れば、暁美ほむらの表情はいつもの似非ポーカーフェイスに戻っていた。
こいつ……俺に心理戦を仕掛けているのか?

いや、まさかな。
そこまで計算高い子じゃないだろう。
何にせよ、せっかく掴んだ会話の糸口だ。
せいぜい膨らませてみようか。

「しかしあれだな。魔法少女ってやつは難儀だな。いちいち力をセーブしなきゃならないんじゃケンカするのも一苦労だろ」
「さあ、どうかしら。私、ケンカなんてしたことないもの」
「したじゃん! ついさっき! 俺に対して!」
「あれは私からの一方的な暴力よ。とてもケンカとは呼べないわ」
「ふむ……」

言われてみれば、確かにその手の経験は積んでなさそうだ。
魔法少女同士の争いをケンカと呼ぶには血生臭過ぎるし、キュゥべえに至っては完全な虐殺だ。

「じゃあ口喧嘩は? 女のそれは男と比べてだいぶえげつないって聞いてるけど?」
「そっちなら何度か……いえ、最近はご無沙汰かもしれないわね。どうしても先に手が出てしまって」

それはキュゥべえのことだよな?
そうなんだよな?
こえーよ。

「ねえ、私からも一ついいかしら?」
「どうぞ。一つと言わずいくらでも」
「そう? なら、いくつか聞かせてもらうわ。まず巴マミのことについてなんだけど」
「ん? 呼び捨て?」
「……巴先輩のことについてなんだけど。彼女とはどうやって知り合ったの?」

おお、やっと質問してくれたか。
今か今かと毎日のように待ちかねていたぞ。
……正確には戦々恐々としていたと言うべきだろうが。

「そうさな……あの人との出会いは完全に偶然の産物だった。行方不明事件が頻発してる地区を取材目的で練り歩いてるとき、先輩が魔法使って人助けしてる現場をたまたま目撃しちまってな」
「たまたま?」
「たまたまさ。それはそれはカッコよかったぜ。リボン取り出してスパーンってお姉さんのこと巻き上げてさ」
「ふーん……じゃあ次ね。学校が今みたいな騒ぎになっているのはどうして?」
「へっへっへ、よくぞ聞いてくれました。そいつは主に俺と巴先輩が協力して魔法についてあれこれ布教して回ったからよ。ここまで来るのに苦労したぜ、ほんと」
「待って。話が飛んでるわ。あなたはどうやって先輩に近づいたの?」
「そりゃぁ……公衆の面前で逃げ道塞いで説得したのよ。土下座してな」
「……変な人」
「なにぃ!」

俺はちゃんと正直に話したのに。
何故そんな珍獣を見るような目で見るんだ。
不愉快です。

「次よ。あなたの書いた記事、拝見させてもらったわ。なかなかよく書けてるじゃない」
「恐縮っす」
「でも、あの内容はなに? どこから情報を仕入れたの?」

うーむ。
まあ、そこは突っ込んでくるわな。
こいつに巴先輩と同じ誤魔化しは効かんだろうし、はてさて困った。
……適当に嘘こくか。

「そいつは魔女の項目のことを言ってるんだよな? 残念ながら教えられん。企業秘密だ」
「なんですって?」
「逆に聞くが、何でそんなことを知りたがる? これまで先輩との接触を避けてきたお前さんが、他の魔法少女の存在を探ろうとする理由は何だ?」
「……他の魔法少女?」
「おーっと! 今のなし! 聞かなかったことにしてくれ!」
「誰? 誰から聞いたの?」
「俺はもう一言も話さん! これ以上墓穴を掘るのは御免だ!」
「……」
「なんだその指は! また青痣押す気か! やめ、やめろ! アッー!」

本日の教訓その二。
答えを持ち合わせていない身での拷問は堪える。

「だからな? 詳しいことは俺も知らんのだ。その人は昔オカルト特修組んだときに当たった取材対象の一人でしかなかったし、名前も住所も電話番号も聞いてない。つい最近まで存在を忘れてたくらいだ」
「本当にそんな人がいたの?」
「いたと言うしかないだろう。魔女のデータは全部その人からもらった。当時は超常現象の類なんて信じてなかったからな。実に勿体ないことした」
「……まあいいわ。これ以上内出血させるのも可哀想だし」

た、助かった……。
やっと青痣ぐりぐりから解放されたぞ。
この女、やっぱり最初から全部計算づくだったんじゃねえの?
暁美ほむら……手強いやつだ。

「……すっかり夜になっちゃったわね」
「そうだな。月明かりがなければ真っ暗で何も見えないくらいだ。魔法少女は夜目も利くのか?」
「利くわね。ある程度なら……そういえば、一番大事なことを聞き忘れていたわ」
「一番大事なこと? 言ってみろ」
「あなた、どうして私が魔法少女だって分かったの? 状況証拠こそ複数あれ、どれも確証を得るには至らないものばかり。どうして?」

前言撤回。
こいつはただのアホの子だ。

「阿呆か、お前さん。自分の指を見てみろ。見事なまでの物的証拠が嵌ってるじゃないか」
「……ああ」
「ソウルジェム、だったか? そんなのこれみよがしに見せつけておいて、どうしてもクソもないだろ」
「……」
「落ち着け。今この場で指にハンカチ巻き付けて何になる」
「勘違いしないでちょうだい。これは明日からの備えよ。クラスメイトに見つかって騒ぎになるのを防ぐためのね。多少不格好だけど仕方ないわ」
「……外せばいいだろ。懐にでも仕舞っとけ」
「ああ」

ああ、じゃない。
この子、本当に大丈夫なのか?
魔法関連抜きで将来が心配だよ。

「質問終わりか? それなら俺はもう帰るけど」
「そう、ね。聞きたいことには大体答えてもらったわ」
「そうかい。じゃあ、また明日。学校でな」
「ええ、また明日。今日のこと、誰にも言わないでね」
「言わない言わない。じゃあな」

本日はこれにてお開き。
俺は誰かさんと違って紳士だからな。
手負いの相手に追い打ちかけるような真似はしないさ。
この優しさに感謝しろよ。

自転車を押しながら駐輪場を後にする。
腕時計を見れば、時刻は既に午後八時を回っていた。
どうりで暗いわけだ。
暦の上ではあと一月もしないうちに夏を迎えるのだが、実際のところ夜はまだ肌寒い。
なんとなく後ろを振り返ってみると、暁美ほむらが一人グリーフシードと睨めっこしている姿が見えた。

……俺は何をやっているんだ。
女の子を寒空の下に立たせておきながら自分はさようならって、人として間違ってるだろ。
まして彼女を呼び出したのは他でもないこの俺。
ここで帰っちまったら信義にもとる。
そう考えた俺は急ぎチャリを走らせ、近くのコンビニに駆け込んだ。
そして十分後。

「おーい! 暁美さーん!」
「……? まだ何か用でも?」
「いやなに。俺も一晩ご一緒させてもらおうかと思ってね。ほれ、差し入れ」

わずか十分足らずで引き返してきた俺を怪訝そうな顔で見てくる暁美ほむらにビニール袋を手渡す。
袋の中身はホットのコーヒーにお茶、おにぎりに菓子パン、使い捨てカイロに週刊誌等々いろいろだ。
これだけあれば夜明かしのお供には十分だろう。

「これから寝ずの番だろ? 俺なんかがいたところで何の役にも立たないだろうが、せめてこれくらいはさせてくれ」
「はぁ……どうも」
「いいって、いいって。むしろ礼を言うべきなのは俺の方さ。暁美さんたち魔法少女が一生懸命戦ってくれるから、俺達はこうして平穏無事にいられるんだ。ありがとう」

魔女と魔法少女の関係性を知っている身として彼女達に対し思うところがないわけではないが……まあ、礼くらい言っても罰は当たるまい。

「おにぎり食う? 晩飯まだなんだろ?」
「……私は」
「ん?」
「私は……あなた達のために戦っているわけじゃない」

まさかのマジレスに袋を漁る手がぴたりと止まる。
思わず顔を上げると、目の前の少女は何とも言い難い複雑な表情をしていた。

「差し入れありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ。ここは危ないから、あなたはもう帰りなさい」
「な、なんだよ。いきなりどうした?」
「別にどうもしていないでしょう。私は至極当たり前のことを言っているだけ」
「いや、そうじゃなくてだな……」

これは俗に言う地雷を踏んだというやつか?
その割には怒りよりも困惑の色が濃いような気がする。
僅かながらも本音を漏らした彼女の意図は何だ?
自分が力を奮うのは鹿目まどかのためだけだという言外の主張か?
それとも自分は称賛されるに値しない人間だという自虐か?
はてさてどう返したものか。

「ははぁ。さてはお前さん、ひょっとしてあれか? あれなんだな?」
「あれ?」
「分かる。分かるぞ。俺もそういうの好きさ」
「なに? なんなの?」
「あくまで戦うのは己自身のため! 断じて人のためではない! そんな風にダークヒーローを目指してるんだろ? そうなんだろ?」
「……は?」
「大丈夫。暁美さんは超絶カッコいいよ。いつもクールだし、ダークな雰囲気ムンムンだよ」
「はぁ……」

うむ、三十六計逃げるに如かず。
困った時は話題を逸らすに限る。

「ダークヒーローの代表格といえばバットマンだよな。映画見た?」
「……入院してるとき、暇つぶしに」
「へえ。もしかして映画とかよく見る方?」
「そうね。病院には娯楽が少ないから。ビデオとか漫画とか、毎日そういうものばかり見ていたわ」
「漫画か……女子って少女漫画読んでるイメージあるけど、実際どうなの?」
「私は何でも読むわよ。昔は本当に暇だったから。青年誌にも手を出したくらい」
「カイジとか?」
「ふふっ」

笑った。
いや、吹き出した。
あの暁美ほむらが吹き出した。
ツボに入ったのか、カイジが。

「そっかそっか。ヤンマガなら俺はでろでろが一番好きだったな」
「ああ。私もあれ好き」
「好きってお前、小学生の頃からヤンマガ読んでたのかよ」
「それはお互い様でしょう?」
「ハハッ、違いない」

そういえば、でろでろも最終回でループネタやってたよなー、などとメタいことを考えながら俺達は漫画談義に花を咲かせたのであった。




第五報告 『中沢の転機』




夢を見た。
ひたすら惰眠を貪る楽しい夢だった。
……そろそろ起きないと。
辛く過酷な現実が俺を待っている。

「ん……」

夢の世界から無事生還を果たす。
空がほのかに明るい。
今は午前五時くらいだろうか。

「あら、起きたの? おはよう」

美少女からのモーニングコール。
こいつはご機嫌な目覚めだぜ……と言いたいところだが、体中がひどく痛む。
どうやら病院の壁にもたれながら眠っていたらしい。

「すまん。寝落ちした。グリーフシードは?」
「はい」
「いや、手渡されても困るんだが……その様子だと、寝てるうちに全部終わっちまったみたいだな」

流石は歩く火薬庫、暁美ほむら。
仕事が早い。

「……中沢くんって」
「あん?」
「本当に物怖じしないのね。いえ、危機感が足りてないのかしら」
「なんだって? そいつはどういう意味だ」
「私が魔女に殺されてたら、あなたも死んでたってこと。この至近距離だもの」
「あー……」

なるほど。
言われてみれば確かに。
グリーフシードのすぐ脇で寝入るとか馬鹿以外の何者でもない。
我が事ながら呆れる。

「そんなに手強い相手だったのか?」
「ええ、それなりに」
「そうか……悪かったな。危険な目に遭わせて」
「何を今更。そのために呼び出したのでしょう?」
「……!」

やっちまった。
俺よ、今のはねえだろ。
寝起きだからって今のはあんまりだ。
巴先輩とこの子を天秤にかけておきながら今更身を案じるようなことを言うなんて……俺は屑だ。

「そうだったな。つまらないことを言った。駄目だなぁ、俺ってやつは……ほんと駄目だなぁ……」
「……?」
「暁美さん、すまない」
「え? え!?」
「俺には何もできない。こうすることでしか、君に謝意を示せない」

アスファルトに両手、両膝、額を擦りつけ、許しを乞う。
今回ばかりはネタでも何でもない。
100パーセント謝罪仕様の土下座だ。

「すご……生まれて初めて土下座見ちゃった……」
「巴先輩ではなく、君を呼び出したのには理由がある。俺は、先輩に危ない目に遭ってほしくなかったんだ」
「はぁ……そうなの?」
「そうなんだ。すまなかった」
「ふーん……それはつまり、巴マ……先輩のことが好きってこと?」
「ああ、いや、そうじゃない。そういう色気のある話じゃないんだ。ただ顔見知りに傷ついてほしくなかった……それだけなんだ」

自身の発言のおぞましさに吐き気すら覚える。
思考が屑過ぎる。

「……そう。他人同然の私なら死んでもよかったと」

少女の口調が怒気を孕む。
当然だ。
こんなことを言われて腹の立たない人間はいない。

「それで? あなたは私にどうしてほしいの? 許されたい? それとも裁かれたい?」
「俺は……」

俺は……一体どうされたいんだ?
どうして俺は、こんな……。

「……顔を上げてちょうだい。同級生の土下座なんて、見ていて気持ちのいいものではないわ」

答えに窮した俺に痺れを切らしたのか、暁美ほむらが立ち上がるよう促してきた。

「しかし……」
「ほら。怒らないから」
「いや、怒っていいぞ。むしろ積極的に怒るべきだ」
「いいから」

それでも立つのを渋っていると、今度は頭をぺしぺしと叩かれた。
仕方なしに上を向く。

「おでこ、擦りむいてるわよ」
「そうか……」
「黙っていればよかったのに」
「……」
「知らん顔していればよかったのに。こんな偽善ぶった真似をされても対応に困るだけ」
「偽善……」

偽善。
その通りだ。
俺は一度、人を見殺しにしかけたことがある。
俺は現在進行形で巴先輩を、この子を、魔法少女達を利用している。
そんな俺に誰かの身を案じる資格なんてあるわけがない。

けど、俺だって好き好んで非道な行いをしてきたわけじゃない。
自分で言うのも何だが、俺はそこまで悪党じゃないんだ。
クールでドライ?
人は利用してなんぼ?
そんなわけあるか。
俺はただの一般人だ。
感性だって普通なんだ。

この先何が起きるか知っている。
未来に関する知識がある。
これはアドバンテージでも何でもない。
ただの呪いだ。
無力な凡人を駆りたてる、自分が何とかしなければならないと思わせる、強迫観念にも似た衝動だ。

「要は優先順位の違いでしょ? どうでもいい相手を下位に置くのは当然のこと。私だってそうするわ」

どうでもいい?
大事じゃないってことか?
じゃあ、俺にとって大事な存在って誰だ?
俺は異邦人だぞ。
両親すら本物じゃ……違うか。
偽物なのは俺の方だ。

それじゃ何か?
俺は最初から自分のためだけに動いていたのか?
大事なものがない。
守るべきものがない。
ならば俺は何のために……。

「――そうか」
「?」
「そうだ。そうだよ。難しく考えることなんてなかったんだ」

確かに今の俺にはそこまで大切と思える存在がない。
それは認めよう。
では逆に大切でない存在とは何だ?
クラスメイトと一緒に馬鹿をやるのは楽しいし、早乙女先生をはじめとする教員の方々も皆いい人達ばかりだ。
鹿目ちゃんと巴先輩については語るまでもなく、この子、暁美ほむらもなかなか憎めないところがある。
こっちの両親は……まだよく分からない。
面と向かって話すのを意図的に避けてたからな。
今日帰ったら、ちゃんと会話してみよう。

「どうでもいい人間なんかいない。人に順位なんかつけられない。誰かを利用するなんてもってのほか。当たり前のことなのになぁ……なんで忘れてたんだか」
「突然何を言い出すかと思えば……あなた、ついさっき私に言ったこと覚えてる?」
「もちろん覚えてる! 俺が間違っていた! すまなかった! お詫びに俺にできることなら何でもする!」
「……躁鬱なのかしら、この人」

暁美ほむらには気味の悪いモノを見るような目で見られたが、別段痛くも痒くもない。
何故なら俺は悟ったからだ。
俺は悟った。
悟ったぞ。

「いや、本当に悪いと思ってるよ。だから土下座してるわけだし」
「別に土下座はいいけど……急に平等主義に目覚めた理由は何?」
「おっと、そいつは勘違いだ。俺の精神に平等も博愛もない。単にごく普通の倫理観を思い出せた。それだけのことなんだ」
「……あなたが何を言っているのか、さっぱり分からないんだけど」
「うーん、つまりだな。俺は暁美さんに対し、親しみを感じてるってことだ。少なくとも、ひどい目に遭ってほしくないと願うくらいには」
「はぁ? よくそんな寝言が言えるわね。私とあなたがまともに話したのは昨日が初めてなのよ?」
「その昨日の与太話が楽しかったんだよ。うちのクラスの連中ったらひどいんだぜ。俺の好きな漫画の話題に全然乗ってこねえんだ。どうも少年誌しか読んでないらしくってさ」
「ちょ、ちょっと待って」
「はい、待ちます」
「えっと……すると何? あなたは昨日少しばかり話をしただけで、他人同然の私に好意を抱くようになったということ?」
「そうだよ。だから土下座したんだ。本気で謝りたいと思ったから」

俺が本心のまま答えると、暁美ほむらは天を仰いだ。

「これってアレよね……なんというか……」

彼女はこめかみを揉みながらしばらく一人でむにゃむにゃ呟いていたが、やがて深く溜め息をつくと、土下座中の俺に目線を合わせるようしゃがみ込んできた。

「あなたみたいな動物、見たことあるわ」
「動物?」
「犬よ、犬。ちょっと遊んでもらっただけでコロリと懐くなんて。あなたの将来が心配でならないわ」
「む……」

犬、犬って。
ここまでリアクションに困る評価を下されたのは生まれて初めてだ。
まず褒められていないことだけは分かるが……。

「そういえば、まだ答えを聞いていなかったわね。あなたは結局どうされたいの?」
「どうって……もしかして、さっきの許す裁くってやつか?」
「どうされたい?」
「質問を質問で返すなって、先に返したのは俺か。んー……その、なんだ。俺は、許しが欲しい」
「駄目。許さない」
「そ、そんな……自分から聞いといてそれ?」
「口は災いの元よ。勉強になってよかったじゃない」
「うぶぶ」

思わぬ返答に困惑していると、いきなり人差し指で唇をなぞられた。
しかも嬲るように二往復。
まさかこいつ、俺を虐めるためにしゃがんだのか?
こえーよ。

「はい、裁き終わり。許します」
「へ?」
「聞こえなかった? これで許してあげると言ってるの」
「え、マジで?」
「マジ。言ったでしょう? 怒らないって」

予想に反し、俺は思いの外あっさり解放された。
その口ぶり通り、俺の正面にいる少女に怒りの様相は全く見られない。
相変わらず愛想の欠片もない仏頂面ではあるが。
しかし、今のが裁き?
うーむ。

「あら大変。見なさい。もう六時よ。いい加減立ち上がらないと遅刻するんじゃない?」
「うげっ、六時? 今から帰って風呂入る時間あるかな?」
「さあ? 頑張ればあるんじゃない? それじゃ、私はこれで」
「おう! また学校でな! 急げ急げー」
「……そうね。また学校で」

俺は自転車に跨りながら考える。
昨日と今日はいろんな意味で有意義な時間を過ごせたと。
何も特別な出来事があったわけじゃない。
したことと言えば暁美ほむらとの雑談だけだし、起きたことと言えば俺の内面の変化だけだ。
それでも、俺にとってはこの上なく有意義な時間だった。

俺なりの解に、辿り着けたような気がしたから。



[32371] 号外 『それぞれの群像』
Name: たいらん◆29f658d5 ID:9f92c993
Date: 2012/05/18 22:03
蟲の鳴き声がよく響く深夜の病院。
本来であれば人っ子一人いるはずのない真夜中の病院の敷地内には現在二つの気配が感じられた。
一つは少年。
硬い白壁に身を預け、小さくいびきをかいている。
もう一つは少女。
しっかりと目を見開き、駐輪場の向かい側に位置する壁を油断なく見据えている。

彼女が凝視しているのは穴だ。
いかにも病院らしい清潔感を感じさせる白塗りの壁、その中央に開いた円形の穴。
それもただの穴ではない。
人一人程度なら余裕で潜り込めそうな巨大な空洞だ。
空洞の向こうにはマーブル模様の不可思議な空間が広がっており、見ているだけで不安に駆られる。
これが魔女の結界。
穢れを最大まで溜め込んだグリーフシードが現世にもたらす地獄への入り口。
無力な人間を搦め捕り、喰らうために生み出された蜘蛛の巣である。

(やっと孵化した。待ちくたびれたわ)

しかし、それは常人にとっての話。
魔法少女、暁美ほむらは全く臆することなく眼前に広がる異界へと単身乗り込んでいった。

「……わるぷ……にげ……うーん……」

寝落ちした中沢を近くの壁際に放置して。


****


病院付近で形成された影響か、ところどころに医療器具を思わせる物体が浮遊する中、ほむらは足早に結界の奥を目指していた。

(この独特の結界……もしかして)

辺り一面見渡す限りお菓子の山。
クッキーや飴玉、ケーキ等がこんもりと山積みになっている光景は見ているだけで胸焼けを誘う。
強烈なのは視覚情報だけではない。
結界内に足を踏み入れた瞬間から、むせ返るほど甘ったるい匂いが絶えず嗅覚を刺激し続けている。
香りなどと生易しいものではなく臭気とでも呼ぶべきそれが充満するこの空間。
甘味嫌いの人間が放り込まれでもすればたちまち吐き気を催すことだろう。

異臭に顔を顰めつつ、ほむらはなおも歩みを進める。
だいぶ深いところまでやってきたのだ。
そろそろ使い魔の集団が現れる頃合いだが……と、視界の端にうぞうぞと蠢く球状の何かが映り込み、彼女は反射的に足を止めた。
体長は三十センチほどだろうか。
田んぼの鳥よけ風船に針金をくっつけたかのような異形の風体。
その異形の存在が群れをなし、せっせとお菓子の運搬作業に励んでいる。

(あの使い魔、やっぱり例の……)

暁美ほむらは知っている。
かの異形が何者であるかを。
やつらは『お菓子の魔女』の使い魔。
その戦闘能力は極めて低く、わずかでも経験を積んだ魔法少女であればまず苦戦することはない。
しかし、ある意味その弱さ自体が罠なのだ。
ほむらは忌々しげな表情で銃を抜き、無慈悲なまでに淡々と使い魔を撃ち殺した。

彼女はこの空間にあまり良い思い出がない。
かつて師と仰いだ少女が結界の主たる魔女に惨殺された回数は一度や二度ではきかず、そのたびにまどか達との関係が悪化する――――ここはいわば鬼門だ。
思えば何回辛酸を舐めさせられたことか。
出現位置を先読みしようにも潜伏状態にあるグリーフシードを探し当てるのは至難の業、いつだって後手に回らざるを得なかった。
ゆえに今回、中沢からなされた依頼はまさしく渡りに船であったと言えよう。
使い走り扱いされた上での偶然の産物とはいえ。

中沢――――この世界における最大のイレギュラー。
と、表現するとやたら大仰に聞こえるが、実際のところ彼の活動はまったくの些末事でしかなかった。
巴マミの名声はあくまで見滝原中学内部に限定されたものであり、一歩校外に出てしまえば彼女の知名度は地に落ちる。
中沢少年もあれこれ手を尽くしてはいたようだが、彼個人の力など所詮はその程度。
唯一の気がかりであった彼の行動原理も判明したことだし、これ以上警戒を払う必要性は皆無だろう。

矛盾した物言いになるが、時間遡行によるイレギュラーの発生はそう珍しいことではない。
たとえば上条恭介、彼は基本的にヴァイオリニストだが、過去繰り返した世界においてギタリストやベーシストであったことがある。
他にも魔女の能力や容姿が一部異なっていたり、たまに見覚えのない生徒がクラスに混ざり込んでいたりと様々なケースが存在した。
しかし、そのいずれの変化も大局に影響を与えることはできなかった。
今回もきっとそう。
この程度のイレギュラー、いちいち気にしていたらキリがない。
どうせ砂時計をひっくり返すだけで全て泡のように消え失せてしまうのだから。

(……何を馬鹿なことを。次なんてない。今度こそ全てを終わらせてみせる)

脳裏をかすめる不安、今回もまた駄目かもしれないという惰弱な思考を打ち消し、ほむらは魔女の座す結界の最深部へと足を踏み入れる。

「……いた」

泥のようにぬかるむクリーム色の地面、鉄塔のごとく聳え立つ高椅子の一群、その頂上に鎮座する一体のぬいぐるみ。
あのぬいぐるみこそ魔法少女が斃すべき障害、すなわち魔女である。
幾度となく葬り去ってきた相手を前にしても、ほむらの表情に油断の色は欠片も見当たらない。
魔女を鋭く見据えるその双眸は猛禽さながらだ。
火力に乏しい拳銃を投げ捨て、即座に武装を変更。
左手に殺傷性の手榴弾、右手に差し入れのチーかまを構える。
……チーかま?

(気になる。中沢くんの書いた記事、他のページはまともなのにどうしていきなりチーズの話が……)

暁美ほむら、中学二年生。
年相応に好奇心旺盛なところもあった。


****


相次ぐ爆音、そして断末魔。
黒々とした厚皮の蛇が苦痛にのたうつ。

(本当にチーズ食べるんだ。次の周に行くようなことがあったら、みんなにも教えよう)

ほむらは己の眼下で暴れ狂う道化師面の大蛇の口内へ止めとばかりに追加の爆薬を放り込む。
数拍後、さらなる轟音が響き渡り、魔女はその大口から大量の煙を吐き出し絶命した。

(討ち漏らしは……ない)

主を失った結界が砂のように崩れていく最中も残心を忘れず、周囲を警戒。
病院が完全に元の風景を取り戻したことを確認して初めて、ほむらは短く溜め息をついた。

(手短に終われてよかった。損害も皆無だし、常にこうありたいものね)

先の戦闘の成果を密かに自賛しつつ、放置してきた中沢のもとへ向かう。

「!」

そして元々の自転車置き場までやって来たとき、ほむらは思わず息を呑んだ。
壁にもたれていたはずの中沢が花壇に頭から突っ込むようにして倒れている。
まさか使い魔に襲われてしまったのかと急ぎ駆け寄ってみると、なんてことはない。
彼は相も変わらず鼻ちょうちんを膨らませていた。
どうやら単に寝相が悪かっただけのようだ。

「どこまでも人騒がせな人……」

自分を裏切り、一人で勝手に寝入ってしまった同級生に悪態をつく。
一時間半もの間、隣で眠りこけている姿を見せつけられるのはなかなかの苦痛であった。

「うぅぅん……ごめん……」
「あ、寝言で会話した」

(それにしても……ありがとう、か)

呻くように寝言を呟き続ける中沢の様子を観察しながら、ほむらは昨晩、あるいは今日の夜に言われたお礼の言葉を反芻する。
思い返してみれば、魔女を討ったことで誰かに感謝されたことなど一度としてなかった。
魔法少女の戦いはいつも仲間内だけで完結していたから。
ゆえに、中沢からお礼を言われたときは困惑するしかなかった。

「……何も知らないくせに」

彼は知らない。
魔法少女に人から感謝される資格なんてないことを。
人に害なす魔女を生み出しているのは他でもない魔法少女自身だ。
それを自分の手で倒し、グリーフシードを回収することで魔法少女達は生き永らえることができる。
――この行為のどこに正義がある?
言ってしまえば、物を食すのと同じことだ。
単なる生理的行為に正義という概念が関わる余地などない。
魔法少女は正義の味方でも何でもない。

「……特別に忠告してあげるわ。あなたの目論見は今のままだと遠からず破綻する。それと、巴マミには気をつけなさい。あの人は魔法少女というものに強い執着を……」
「か、艱難辛苦ッ……!」
「ぷふっ。どんな夢見てるのよ、もう」




号外 『それぞれの群像』




桜の木に緑が目立つようになってきた今日この頃。
見滝原中学校三年生教室はいつものごとく喧騒に包まれていた。

「巴さん! 握手して!」
「いいわよ。はい、握手」
「おててやわい! ありがとう!」
「巴ちゃん、一緒に写真撮ってもらってもいい?」
「ええ、もちろん。あ、携帯なのね」
「うん。待ち受けにしようと思って」
「いいなぁ。俺も巴さんの画像がほしいぞ」
「はいはい。順番、順番」

中沢主導のもと進められた魔法少女カミングアウト事件以来、毎日のように続くお祭り騒ぎ。
その騒ぎの中心人物たる見滝原の魔法少女、巴マミは途切れることのない級友達の対応に追われながらも終始穏やかな笑みを浮かべていた。
しばらくの間マネージャー役を務めていた中沢がいなくともこの余裕。
良くも悪くもそれなりに場数を踏んだことを感じさせる手際である。

「マミさん、今日の放課後時間ある? 久しぶりに遊びに行こうよ」
「うーん……ごめんなさい。中沢くんに今日のスケジュールを聞いてからじゃないと決められないわ」
「そっかー。毎日忙しそうだもんね。確か夜回りとかもしてるんでしょ? 大変だねぇ」
「そうね。でも、その分やりがいのある仕事よ」
「うわ、かっけぇ。前々から思ってたけど巴さんはやっぱり大人だよ。遊ぶ時間や睡眠時間削ってまで仕事とか俺には絶対真似できねえ」
「そうかしら? そんなに大層なことはしてないんだけど」
「いやいや、巴ちゃんは十分立派です。私たちの誇りです」
「そ、そう?」
「そうです。だから胸を張ってください。せっかく大きいんだから」

今や何百人ものファンを抱え込んでしまった巴マミだが、特に熱心な支持者は現三年生に多い。
より正確に言うなら、彼女と同じクラスになった経験のある生徒にだ。
彼女は基本的に物腰が柔らかく面倒見のよい性格をしているため、自発的に同級生の世話を焼くことも少なくなかった。
そのことに恩義を感じ……というのはさすがに大袈裟だが、それを機に巴マミに好印象を抱くようになった学生達が今回の事件で熱狂的なファンに転じたというわけである。
つまるところ、彼女には元から潜在的な人気があったのだ。

「ねえねえ。私も魔法少女になれるかな? 叶えてほしい願い事があるんだ」
「うーん、残念だけど難しいでしょうね。魔法少女になれるのはキュゥべえに選ばれた子だけだから」
「キュゥべえねぇ。どうして私たちのところにはキュゥべえが来ないんだろ? それに魔女も使い魔も見えないしさ」
「あんなの見えない方がいいわ。みんなにはピンと来ないかもしれないけど、魔女は本当に危険な存在なの。街の人たちにとっても……私にとっても」
「巴ちゃん?」
「ごめんなさい。口でいくら危険だって言っても分からないわよね。実際に遭遇して戦ってみなければ、ね」

しかし、当の巴マミは周囲に対して心理的な壁を張っている。
魔法少女でない人間と本当に理解し合えるはずがない。
戦いの恐怖を知らない人間と真の友情を育めるわけがない。
彼女の胸中にはそのような精神的孤独が秘められていた。

彼女は称賛など求めていない。
いや、正確には上辺だけの賛辞を不要と断じている。
大変だね、お疲れ様、ありがとう。
口でなら何とでも言える。
いくらでも感謝の言葉を吐ける。
だが、結局彼らは彼女の本質的な部分を理解できていないのだ。

自分が魔法少女であることを受け入れられ、遂にこれまでの努力が認められたと喜んだのも束の間、彼女はすぐに気づいてしまった。
彼らが見ているのは魔法少女という名の偶像、それも綺麗な部分だけだということに。
理由はすぐに見つかった。
彼らは巴マミという少女の実態を知らないのだ。
街の平和を守るために自分が流してきた血を、プライベートを犠牲にしてまで費やしてきた時間を、いつ訪れるかも分からない死の恐怖を。
だから言葉に重みがない。
心に響いてこない。
満たされない。

巴マミ自身、これを贅沢な悩みだと思ってはいる。
そもそも自分は魔女の脅威から人々を解放するという中沢の意思に感銘を受け、カミングアウトを決意したのだ。
決して周囲の理解を求めて行ったわけじゃない。
それは分かっている。

(分かってる。分かっているつもり。でも、私は……本当はそんなに強くないの)

彼女が真に欲しているものは理解者だ。
共に傷つき、苦痛を分かち合うことのできる戦友、すなわち魔法少女の仲間だ。

「ああ、そうそう。もしかしたら私、テレビに出られるかもしれないの」
「え!? マジで!?」
「この間、中沢くんにテレビ局に連れて行かれてね」
「すげー。いつ? どのチャンネル?」
「それは中沢くんの交渉次第だけど……」

(もし……もしも私がテレビに出て、それで有名になったりしたら。私と一緒に戦ってくれるって子が、会いに来てくれるかもしれない)

両親と死別し、特別親しい友人もおらず、恋愛とも無縁。
そんな彼女の縋る最後の希望が自分と同じ魔法少女であるというのは何とも皮肉な話であった。


****


同刻、二年生教室にて。
ホームルームが始まるまでのギリギリの時間を利用し、多くの生徒は友人達と雑談に興じていた。

「さやかちゃん、さやかちゃん。見てよ、これ」
「なになに? おっ、マミさんのDVDの新作じゃん。どうやって手に入れたの?」
「うん、中沢くんが昨日特別に融通してくれたんだ。まだ流通に乗ってない超レアものだよ」
「へえー。コネのあるやつはいいなぁ」

鹿目まどかと美樹さやかもその例に漏れず。
二人で楽しそうに巴マミのことを語り合っている。

「……解せないな。自分たちだって魔法少女になれる素質があるのに、どうしてマミに憧れを抱く? 君たちは既に対等な関係にあるんだよ?」

そんな彼女達の間に割って入る一匹の獣がいた。
その名もキュゥべえ。
常人には見ることすら適わぬ超常の存在にして、地球に魔法というオーバーテクノロジーを持ち込んだ張本人である。

「いやいや、対等なわけないって。私みたいなのが魔法少女になったところでファンなんか一人もできないっしょ。まどかくらい可愛い子ならともかくとしてさ」
「えー? そんなことないよ。さやかちゃんの方が私よりずっと可愛いよ」
「いやいやいや、まどかの方がもっともーっと可愛い!」
「……はぁ」

遡ること数日前、キュゥべえは新たに見出した二人の魔法少女候補、まどかとさやかに接触を図った。
自身を異常なまでに付け狙う暁美ほむらの襲撃を振り切ることは並大抵の苦労ではなかったが、強行するだけの価値はあると判断してのことだ。
巴マミという実物の魔法少女が周知された今、魔法が空想の産物ではなくなった今ならばスムーズに契約を結ぶことができるだろうと。
しかし、意外なことに彼女達は契約を渋った。
不思議に思い理由を尋ねてみると、どうやら巴マミの爆発的人気が敬遠の一因であるらしい。

「まったくもって理解に苦しむ。なぜ君たちはそれほどまでに自他の容姿にこだわるのか。僕にはみんな同じ顔に見えるよ」
「同じ顔は余計だっての……まあ、契約を急ぎたくない理由は他にもあるんだけどさ」
「おや、そうなのかい? 結構。よく考えてから決めるといい。まどか、君はどうする?」
「うーん……私は中沢くんとの約束があるから」
「ほう、彼か」

まどかの口から飛び出た中沢という単語にキュゥべえが反応を示す。
中沢――突如として巴マミに接近してきた奇妙な少年。
キュゥべえは彼の動向に大きな関心を抱いていた。

「彼はなかなか面白い。注目に値するよ」
「ねー。おもしろいよね」

中沢少年について特筆すべきことは、誰よりも先に魔法の存在を受け入れた思考の柔軟性と異常なまでに豊富な魔女に関する知識だ。
前者はともかく後者について不審に思い軽く鎌をかけたところ、どうやら彼は魔法少女の末路に至るまで全て知り尽くしているようだった。
同様に秘密を握る暁美ほむらと異なり、彼は正真正銘一般人のはず。
一体どのような手段をもって真相に辿り着いたのか、皆目見当がつかない。
せっかくの知識をもてあまし気味なところは減点対象だが、その部分を差し引いてなお興味をそそられずにはいられない希有な個体と言えよう。

そんな彼の行動目的は、魔法少女が戦う必要のない世界を作り出すというものだった。
この宣言を絵空事と笑い飛ばすつもりなどキュゥべえには毛頭ない。
むしろ是が非でも実現させるべきだとさえ考えている。
というのも、人類が魔法少女に頼ることなく自ら魔女を駆逐できるようになればインキュベーター側としてもいろいろ捗るし、何より共生相手の技術革新は歓迎すべきことだからだ。

「変わろうとする意志はそれ自体が一つの力だ。かつて人類を新たな進化へと導いた魔法少女たちは皆それを持っていた。種の繁栄のために殉ずる精神、これは僕らの理念に通じるところがある」
「キュゥべえたちの理念?」
「人類の発展に寄与することと宇宙の保全に尽力すること。この二つにどれほどの差があろうか。俯瞰的に見ればどちらも人の益、ひいては自益となる。違うかい?」
「え? えっと……」
「答えられないのかい? まったく近頃の少女ときたら……」

まどかの反応が芳しくないことに不満を覚えたのか、キュゥべえがつまらなそうに鼻を鳴らす。
やがて、その尻尾の毛先でまどかの頬を軽く撫でると、何やら説教じみたことを言い始めた。

「君たちは変わった。いや、退化したと言ってもいい。これなら先史時代の猿人の方がよっぽど理解力があった」
「くすぐったっ! キュゥべえ、ちょっと落ち着いて……」
「全体より個を優先する愚を自ら犯しておきながら、いざとなれば願いと対価が釣り合わないと不平を漏らす。ナンセンスの極みだ」
「なんかいきなり語り出したね。どうしちゃったんだろ?」
「さ、さあ……?」
「どう考えても人間の方が宇宙より先に滅ぶ。だから自分たちには関係ない。これが昨今の魔法少女たちの常套句だ。浅ましいにも程がある」
「うん、うん……」
「よく考えてみるんだ。宇宙に寄与すること以上の社会貢献が他にあるかい? 最近の人類は個々の命を重く見過ぎだ。長生きしたところで何が成せるというわけでもないのに」
「うーん……よく分からないけど、人の考えが時代と共に変わるのは当たり前のことだと思うんだ。それに人類全体のためとか言われてもピンと来ないだけで、誰かを思いやる気持ちは今の人間にもちゃんとあるよ」
「ふむ……」

キュゥべえは口を閉じ、しばし黙考する。
なるほど、鹿目まどかの意見は至極もっともだ。
人間は感情という未熟かつ不安定な特性を備えているがゆえ、世代間における思想のぶれ幅が激しい。
例えば、少し前までお家のためお国のために奉仕することが美徳とされていたにもかかわらず、それからすぐ後の現代社会においては個人主義が隆盛を極めている。
この急激な思想の推移こそがインキュベーターと魔法少女達との間に生じた軋轢の原因なのだろう。

「価値観の変遷、か。これがジェネレーションギャップってやつなのかな」
「うわっ、ジェネレーションギャップなんて久々に聞いたよ。もう誰も言ってる人いないよ、それ」
「なんだって? あんなに普及してたのにもう死語になったのか」
「ああ、ちなみに死語って言葉自体死語だから」
「えっ? さすがにそれは嘘だろう?」
「それが嘘じゃないんだな。ねえ、まどか?」
「うん、本当だよ」
「馬鹿な。言語体系の変化が早すぎる。何かの間違いだ」
「そんなこと言われても実際そうだとしか……あっ、もしかしてキュゥべえって意外とおじいちゃんだったりする? 何かとつけて昔はよかったとか言い出すし、たまに妙に説教くさくなるし」
「むぅ。僕を年寄りと誹るか」

嬉々として自分をからかおうとしてくる少女達に調子を合わせつつ、キュゥべえは今後のことを考えていた。
そろそろ現システムの見直しを行うべき頃合いなのかもしれない。
現在の魔法少女システムが確立してから既に何百万年もの時が流れたのだ。
当時つくられた制度が現状にそぐわなくなるのも当然のこと。
幸い鹿目まどかから回収できるエネルギー量は膨大である。
しばらく活動を休止し、研究に専念したところで問題はないだろう。

「まあいいさ。あながち的外れでもないし。せいぜいこの老いぼれに孝行しておくれよ、まどか」
「うん?」


****


平和な日常に退屈していなかったか?
そう聞かれたとき、迷わずノーと答えられる自信はない。
年頃の少年少女ならば誰もが抱くだろう非日常への憧れ。
自分も心の奥底ではきっとそれを求めていたのだ。
まどかはつくづくそう思う。

中沢によるすっぱ抜き以降、学校はとても賑やかになった。
魔法という嘘みたいな現象を自在に操る魔法少女の姿を一目見ようと、巴マミの教室は連日ギャラリーで溢れ返っている。
校内に漂う浮ついた空気を一部の教員はよく思っていないようだが、今のところ厳しく注意されたことはない。
おそらく中沢が、これはクラブ活動の一環ですと声高に主張しているため干渉を躊躇しているのだろう。
生徒の自主性を重んじるという学校案内に書かれた売り文句にどうやら嘘はないらしい。

「キュゥべえの姿、クラスのみんなには見えてないみたいだね」
「だね。魔法少女の素質持ちはレアだって話、本当だったんだ」

鹿目まどかは想起する。
キュゥべえ、魔法少女の契約を司る白き獣。
彼がまどかのもとにやって来たのはつい先週のことだ。
まどかが自室で中沢の書いた記事集を熟読していると、窓の外からカリカリと引っ掻くような音が聞こえてきた。
木の枝でも引っ掛かっているのかとカーテンを開けてみると、なんとちょうど今読んでいる小冊子、その三ページ目に掲載されたイラストと瓜二つの珍獣がガラスに爪を立てているではないか。
魔法少女好きが行き過ぎてとうとう幻覚まで見るようになったかと頬を抓るも、返ってきたのは明確な痛み。
これは幻なんかじゃない。
そう認識した瞬間、まどかはいてもたってもいられなくなり、勢いよく窓を開いた。

「キュゥべえ……」
「やれやれ、僕も有名になったものだ。別にいいけどさ」
「うそ……本物?」
「おや、僕に偽物がいるのかい? そいつは初耳だ」
「ど、どうして? 私なんかのところに……」
「それこそ言うまでもないことさ。僕が君を訪ねてきた。この時点で答えは出ている」
「う、うん。でも、はっきり口に出して言ってほしいんだ。まだ信じられなくて……」
「変わった子だね。いいだろう。鹿目まどか、僕と契約して魔法少女になってよ」

あのとき、興奮のあまり中沢に報告の電話をしていなければ自分は今頃魔法少女をやっていたのだろうなぁと、まどかはしみじみ思い返す。
本音を言えば、すぐにでも魔法少女になりたい。
バンバン魔法を使ってみたいし、街の平和も守りたい。
だが自分は交わしてしまった。
中沢少年との約束を。
彼にあそこまで熱く語らせておいて、それでも魔法少女になろうとするのは不義理以外の何物でもない。
それに母も言っていた。
男が一念発起したときは成し遂げるまで見守ってやるのが良い女の条件だと。

「……そういやさ」

ふと思い出したかのように自分の親友、美樹さやかが呟く。
彼女もまたキュゥべえに見出された魔法少女候補の一人。
何でも先日、上条恭介のお見舞いに行く途中にいきなり声をかけられたのだとか。

「仁美のやつ、今朝は待ち合わせの場所に来なかったよね。今もまだ来てないみたいだし、もしかして休みなのかな?」

そうだ。
今日はいつもの三人のうち一人が欠けている。
まどかのもう一人の親友、志筑仁美含む三人組はたいていの場合、連れ立って登校するようにしているのだが、今朝はその仁美が定刻になっても姿を見せなかった。
仕方なく二人で先に学校へ来たわけだが、始業時刻すれすれになっても現れないということは病欠でほぼ確定だろう。

「ん……メールの返信がないってことはそうなんじゃないかな。先生に聞けば分かると思うけど」
「そっかぁ……あっ、仁美で思い出したんだけどさ。この前、中沢にケーキ奢ってもらったんだ」
「ケーキ?」
「ほら、例のあのお店。あそこで仁美と一緒にケーキセット食べさせてもらったのよ。めっちゃうまかったです」
「えぇっ! 二人だけずるいよ! 一体いつの話?」
「先週の金曜くらいかな。なんか中沢が仁美のことナンパしてる風に見えたから止めに入ったんだ。そんで後は流れで……」
「え? 中沢くんって仁美ちゃんのことが好きなの?」
「え?」
「おいそれマジかよ。中沢ごときが志筑さんに懸想するとかありえねえだろ」
「なになにー? 誰が誰のこと好きだってー?」
「いや、中沢がさ……」

哀れ中沢。
噂というものは本人の知り得ぬうちにいつの間にか作られていくものである。

「ういーっす。はよざいあーす」

と、噂をすれば何とやら。
中沢が教室に入ってきた。

「あっ、中沢だ」
「おい、中沢! お前、志筑さんに惚れてるって本当かよ!」
「は?」

まるで身に覚えのない追及に中沢が目を点にする。
しかし、すぐに平静を取り戻すと面倒くさそうな顔で当事者に助けを求め出した。

「なんで俺がお嬢に……おい、お嬢。あんたからも何か言ってやってくれよ。お嬢? おーい。お嬢はどこだ? 来てないのか?」
「うん。今日はお休みみたい。私たちにも連絡寄こせないくらいだから、たぶん相当悪いんだと思う」
「……なに?」

まどかが仁美の不在を伝えた途端、中沢の表情がひどく険しくなった。
自分に対し熱弁を奮ったあのときと同じ真面目な顔だ。

「一切連絡がないのか? 一切? まさか……鹿目ちゃん、すまんが詳しく教えてくれないか」
「う、うん」

いつもそれくらい引き締まった顔つきでいればいいのにと思いながら、まどかが今朝の状況を説明すると、中沢は眉間に皺を寄せ低く唸った。

「……ちっとばかし、まずいことになったかもしれん」
「まずいって何が? 仁美ちゃんに何かあったの?」
「分からん。今から確かめる」

言うや否や、中沢が廊下へと飛び出す。
その背中は気持ちとても頼もしく見えた。

「中沢くん!? ちょっと待ちなさい! もうホームルームが始まりますよ!」
「早乙女先生! 見逃してください! 下痢なんです!」

やっぱり駄目かもしれない。
頼りになるのか、ならないのか。
まどかには中沢という人間がいまひとつ分からなかった。



[32371] 第六報告 『中沢、病院送りにされる』
Name: たいらん◆29f658d5 ID:2a565122
Date: 2012/07/02 01:21

ときたま吹く風にあおられて静かに散りゆく花びらを顔いっぱいに受け止める。
はらりと一枚、口の中に入り込んだそれは思っくそ植物の味がした。
蓋し春の葉桜は風情に欠ける。
花びらと若葉がごちゃまぜになっていて美しくないからだ。
生命力溢れる新緑には初夏の太陽こそがよく似合う。
もしも立夏の折まで生きているようなことがあれば、そのときは近くの山で葉桜花見と洒落込みたいものだなぁ。
などと風流人を気取りながら朝の通学路を自転車で疾走する一人の男がいた。
その正体はもちろん俺、中沢である。

いやー、まいった。
さっき家に帰ったら見事に締め出し喰らってました。
そういや今日は両親二人とも出勤早い日なんだった。
おまけに昨日は夜明かしするための方便で友達の家に泊まるって嘘の連絡入れちまったからな。
まさか朝帰りしてくるとは思わなかったのだろう。
今の時間帯じゃ銭湯も開いてないし、手持ちの制汗シートをシャワー代わりにするしかない。
せめて髭だけでも剃っておこうと公衆トイレであれこれ身だしなみを整えていたら、すっかり太陽が高くなっていた。
腕時計の指す現時刻は午前八時十五分。
どうやら遅刻はしないで済みそうだ。

校則に従い、学校の正門前に差し掛かったところで一度自転車から降りる。
そのまま自転車を押し歩き、所定の駐輪場所まで移動。
後輪に鍵を掛け、さあ教室へ参ろうかと思った矢先、足元にぬっと影が伸びてきた。
何事かと見上げれば、そこにいたのは流れるような黒髪の少女、暁美ほむら嬢だった。
俺と異なり完全に徹夜明けだというのにもかかわらず、彼女の顔に疲労の色は全く見られない。
目元にはクマ一つありゃしないし、化粧でいろいろ誤魔化した形跡も特になし。
やっぱり体のつくりからして普通の人間とは違うのかね。
それはそうと、何ぞ用事でもあるのだろうか。

「よう、暁美ちゃん。さっきぶりだな。どしたん?」
「中沢くん、これ」
「お?」

これといった挨拶もなく、ぶっきらぼうに手渡されたのはわずかに厚みを帯びた茶封筒。

「なに? 開けていいの?」
「どうぞ」

封を切ると、そこには諭吉さんが十枚ほど入れられていた。
こいつはまた義理堅いことで。

「昨日壊したカメラと差し入れの分。これで足りる?」
「うーん、足りるっつーか……」
「もしかして足りない?」
「ああ、いや、そうじゃなくてだな。こんな大金貰えないってこと。てかこれ、元は親から仕送りされた金だろ? とてもじゃないが受け取れんよ」
「そう……」

突き返された封筒をすごすごと仕舞い込む少女の姿に一抹の罪悪感を覚える。
せっかくの善意を無碍にしてしまって申し訳ない次第だが、さすがに子どもから金は取れない。
ここは気持ちだけありがたく頂戴しておくよ。

「ところでさ。俺って臭う?」
「は?」
「いやね。実は今朝、風呂に入れなくってさ」
「……」
「おいこら、無言で距離を取るな」
「……大丈夫なんじゃない? たぶん」
「そうか? ならいいんだが」

微妙になった場の空気を冗談で濁しつつ、二人連れ立って教室へ向かう。
今日も今日とて校内はガヤガヤと騒がしく、学び舎の雰囲気としてあまり似つかわしくない。
まったく、しょうがないガキ共だ。
大人になってから勉強したいと思っても遅いんだぞ。

「ところで暁美ちゃん。君はちゃんと勉強してるか? 毎日予習復習かかさずやってるか?」
「え? ええ、まあ、人並には」
「うんうん、感心感心。俺はさ、学生時代にちょっとばかし遊び過ぎちゃってね。もっと勉強しておけばよかったなぁって、今になって後悔してんのよ」
「???」
「ま、若い時分にこんなこと言われても分かんねえよな。例えるなら台風の目みたいなもんだ。渦中にいるときはまるで気づかず、過ぎ去ってから初めて気づく。人生ってのはそういうことの連続なんだ」

俺の人生、そう悪いモノではなかったけれど、同時に数え切れない程の後悔もあった。
だから今生は悔いを残さぬよう精一杯がんばりたいと思うんだ。
そう決意を新たに教室の扉を開く。

「ういーっす。はよざいあーす」
「あっ、中沢だ」
「中沢が来たぞ」

すると何故か無数の視線に射抜かれてしまった。

「おい、誰か聞いてみろよ」
「やだよ。お前が行けよ」
「……?」

部屋の中に入るときはどれだけ静かに動いても少なからぬ注目を浴びてしまうものだが、この視線の量はさすがにおかしい。
はて、俺の顔はそんなに面白い造形をしていただろうか。

「おい、中沢! お前、志筑さんに惚れてるって本当かよ!」
「は?」

青天の霹靂とはまさにこのこと。
俺とお嬢が惚れた腫れたとか、何がどうなればそうなるんだ。

「なんで俺がお嬢に……おい、お嬢。あんたからも何か言ってやってくれよ。お嬢? おーい。お嬢はどこだ? 来てないのか?」
「うん。今日はお休みみたい。私たちにも連絡寄こせないくらいだから、たぶん相当悪いんだと思う」
「……なに?」

脇からひょっこり出てきた鹿目ちゃんの発言に思わず耳を疑う。
お嬢が学校に来ていない?
いや、それ自体は何らおかしくない。
季節の変わり目、急に体調を崩すことだってあるだろう。
しかし……。

「一切連絡がないのか? 一切? まさか……鹿目ちゃん、すまんが詳しく教えてくれないか」
「う、うん」

鹿目ちゃんの話はこうだ。
朝、待ち合わせの時間になってもお嬢がやって来ない。
不審に思い、メールを送ってみるも返答なし。
仕方なく二人で先に学校に行くことにして今に至ると。
ふーむ。
これだけでゴルゴムの仕業だ、ならぬ魔女の仕業だ、と決めつけるのは早計な気もするが……さて。

「なるほどねぇ……ちっとばかし、まずいことになったかもしれん」
「まずいって何が? 仁美ちゃんに何かあったの?」
「分からん。今から確かめる」

一旦廊下へと戻り、携帯が使える場所に移動を試みる。
現状では判断材料に欠けるからな。
まずは情報収集から始めんと。

「中沢くん!? ちょっと待ちなさい! もうホームルームが始まりますよ!」
「早乙女先生! 見逃してください! 下痢なんです!」

途中、早乙女先生と擦れ違ってしまい、苦しい言い訳で誤魔化すはめになった。
どうかクラスの連中に聞こえてませんように。
明日からあだ名がうんこまんになるのは御免だ。
しかし下痢、トイレか。
トイレはいいかもしれないな、電話かける分には。

というわけでトイレに移動。
連絡網片手に個室で携帯をポチポチ。
志筑さん家の番号はっと……あった。
市外局番から始まる10桁の番号を入力して準備完了。
電子音を聞きながら応答を待つ。
おっ、かかった。

「もしもし? 志筑さんのお宅でしょうか? 私、仁美さんのクラスメイトの中沢と申します。実は本日当直を任されておりまして児童の出欠確認をしているのですが、仁美さんは欠席ということでよろしいでしょうか? ええ、はい、学校には来ておりません。はい、家はいつも通りの時間に出たと。はい、分かりました。至急担任に確認を取ってみます。失礼致します……ふむ」

登校時間は普段と変わらず、か。
とりあえず今の段階で考えられる可能性は四つ。
事故、誘拐、魔女、サボり、この四つだ。
このうち消去法で真っ先に消えるのが事故の線だ。
何らかの事故に遭ったのであれば、学校や家に即連絡がいくはず。
朝の通学時間帯に目撃者がゼロというのはおかしいからだ。
パトカーや救急車のサイレンの音も聞こえないし、事故はないと見て構わないだろう。
また同様の理由で誘拐の線も薄い。
朝っぱらから、しかも人通りの少なくない通学路で誘拐とか逮捕してくださいと言っているようなものだ。

となると、残るは魔女かサボりの二択。
常識に当て嵌めて考えるならサボったと見るのが妥当なんだろうが、それだとわざわざ家を出た説明がつかない。
ただ休みたいだけなら仮病を使えば済む話。
登校途中で急に休みたくなったからフケましたと考えるのは少々無理があるだろう。
かといって魔女に襲われたと考えるのも短慮に過ぎる。
昨日の放課後、後ろからこっそり確認した時点では彼女の首筋に痣はなかった。
会話も普通に成立していたし、ってこれじゃ全部の線が消えちまうぞ。
いや、道中急病で倒れたって可能性がまだ……ああもうめんどくせえ。
怪しいと思ったら即行動に移すべきだ。
何事もなければなかったで構わねえ。
そんな風にやや投げやりな気分になりながら俺は教室へと帰参した。

「先生、ただいま戻りました」
「はい、お帰りなさい。お腹の調子は大丈夫?」
「そりゃあもうばっちりですよ。大変お騒がせしました」
「そう? 一時間目は体育ですからね。何かあったら無理しないで鹿目さんに保健室まで連れて行ってもらうんですよ」
「ういっす」

ホームルームを終えた早乙女先生が教室から出て行くところを扉の影からこっそり見送る。
やがて先生の姿が廊下の曲がり角に消えるのを確認するや否や、俺は近くにいた男子生徒を手招きで呼び寄せた。

「あぁ? 何か用か?」
「用がなけりゃ呼ばねえよ。ほれ、これやるからさ。ちっとばかし頼まれてくんないかね」
「また二千円か……今度は何だよ」
「うむ。今回は結構な大仕事だぞ。心してかかってくれ」

今日の一時間目は校庭で男女合同の体育。
言葉は悪いが、煽動するには誂え向きな状況だ。
はてさて、うまくいくかな。


****


「おーい! みんなー! ちょっと待ってくれーい!」
「んん?」
「なんだなんだ?」

昇降口でたむろするジャージ姿のクラスメイト達を大声で呼び止める。
怪訝そうな顔でこちらを見てくる生徒達を前に俺は勇んで口を開いた。

「みんな聞いてくれ。今日の体育は中止だ」
「はぁ? いきなり何だよ」
「先生の都合でも悪くなったのか?」
「いいや、これは俺の勝手な判断だ。今からお嬢の捜索に出かけるぞ」
「え? 志筑さんを探しに?」
「どういうこと?」

俺がお嬢の名前を出すとざわつきが微かに大きくなった。
ひとまず掴みは上々といったところか。

「さっきお嬢の家に電話して尋ねてみたんだが、どうやらいつも通りの時間に登校したらしい」
「え……な、中沢くん、それって本当?」
「事実だ。そして学校にも来てないってことはだ。お嬢は今、実質行方不明状態にあるってこった。おそらく何らかの事件に巻き込まれたんだろう」
「そんな……」
「えー? 行方不明ってほんとかな?」
「どうだろ。ちょっと大袈裟じゃないか」

むっ、思ったより反応が芳しくないな。
お前ら鹿目ちゃんを見習えよ。
心配のし過ぎでこんなに顔を青くしてるじゃないか。
かわいそうに。

「私があのときおかしいって気づいてたら、こんなことには……」
「まあまあ、そうネガネガしなさんな。大丈夫だよ、鹿目ちゃん。これからみんなで捜しに行けばきっと見つかるさ。なあ?」
「応とも! かけがえのないクラスメイトの一大事! どうして見捨てることができようか!」

例によって予め仕込んでおいたサクラの男子生徒に援護射撃を求む。
演技がちょっとオーバーな気もするが、まあよかろう。

「フッ、聞いての通りだ。男を上げるなら今しかないぜ?」
「うーん、でもなぁ。授業サボって内申下がるのはちょっとなぁ」
「そうだよな。俺も推薦欲しいし」

み、見下げ果てた奴らだ……。
そんなに進学が大事か。
いや、大事だけどさ。

「……考えてもみろよ。自分のこと必死になって捜してくれたってことが分かったら、お嬢すっげー喜ぶと思うぜ。もしかしたら……惚れられるかもな」
「「「「「!」」」」」
「お、俺は行くぞ!」
「俺もだ! 体育なんぞやってる場合じゃねえ!」
「あぁ、志筑さんが俺の……」

やあねえ。
男ってほんと単純だわ。
女子からめっちゃ白い目で見られてるぞ。
まったく、ノリがいいというか乗せられやすいというか。
やっぱり男子中学生は馬鹿だな。

「その意気やよし。ではこれより作戦の説明に入る。基本的に捜索には二人一組で当たってほしい。その際、他の組と行動範囲が極力被らないようにしてくれ」
「おい、待て。志筑さんを探しに行くのはいいけどよ。なんでお前の指示に従わなきゃならないんだよ」
「そうだそうだ」
「不満か? だが我慢してくれ。こいつは俺が責めを負うために必要なことなんだ。授業を集団ボイコットしといてただで済むわけがないからな。何かあったら全部俺のせいにしてもらって構わない。それとも自分で責任取りたいか?」
「むぐっ、そういうことなら……」
「続けるぞ。具体的な捜索方法についてだが、まずは聞き込みから始めてくれ。今の時間帯に目撃者がゼロなんてことはありえない。駅やバス、タクシー等の交通機関を中心にあたれば一人くらいは見たって人が出てくるはずだ。何か手掛かりを見つけたら俺の携帯に連絡を。それと情報の整理がしたいから正午になったら一旦駅前に集合するよう頼む。以上だ」

俺が一通り指示を出し終えると、ちょうどタイミングよく始業のチャイムが鳴り響いた。
体育教師がグラウンドに走っていく姿が遠目に見える。

「時間がない。俺達はもう行く。女子は学校に残ってうまく時間稼ぎしてくれ」
「中沢くん! 私も一緒に……」
「鹿目ちゃん。君には重要な役目がある。情報の繋ぎ役としての大切な役目が。何かあったら君の携帯まですぐに連絡するから。つらいかもしれないけど、俺達を信じて待っていてほしい」
「でも……」
「なーに。体力有り余る野郎共が二十人近くいるんだ。そいつらが必死こいて駆けずり回りゃ見つからないものなんて何もないさ。なあ?」
「応とも! だから泣くのはおやめ! 鹿目さん!」
「うん、そのキャラちょっとうざいな」
「……わかった。私は私の仕事をこなせばいい。そうだよね?」
「ん、それでいい」

渋々ながらも納得してくれた様子の鹿目ちゃんの頭をポンポンと叩き、それからジェスチャーで血気逸る男子達に後について来るよう促した。

「裏門から抜ける。その後は各自散開してくれ。行くぞ」
「おう」
「へへっ、なんかこういうのワクワクするな」
「だな。体育ばっくれるとか不良っぽくてカッコいいよな」

こいつら……俺達は遠足に行くわけじゃねえんだぞ。
モチベーション下げられたら嫌だから、いちいち怒りはしないけどさ。
ほんと頼むぜ、おい。




第六報告 『中沢、病院送りにされる』




首尾よく学校を抜け出すことに成功してから十数分後。
男達が思い思いの方角へ散らばったのを確認した俺は二千円で雇った男子生徒を引き連れ、志筑仁美の通学経路を逆行していた。
現在手元にある手掛かりは携帯に保存してあった彼女の隠し撮り写真一枚のみ。
ただそれだけを頼りに、俺達は道行く人々に画面の中の少女を見かけなかったかどうか尋ねながら歩を進めた。
俺達のジャージも相当だが、彼女が身に付けているであろう見滝原中学の制服もかなり目立つ。
例え人込みに紛れたとしても、そうそう見落とすことはないはずなのだが。

「なかなか目撃者が見つからないな。もしかして、ここは通ってないんじゃないのか? 他のとこに行ってみようぜ」
「駄目だ。もう少しだけ辛抱してくれ。こうやって家路に沿って歩けば、お嬢の足跡に繋がるヒントを手に入れられるはずなんだ」
「ふーん、そういうもんかね。ところで、その写真ってさ」
「うむ。こんなこともあろうかと事前に撮影しておいた」
「いや、そうじゃなくて。それって隠し……」
「うるせーぞ。口を動かす前に足を動かせ」

志筑仁美の捜索は困難を極めた。
碌な証言が得られない中、それでも挫けず尋ね歩き続けること約一時間。
俺達は遂に有力な情報を入手した。

「ああ、仁美ちゃん。あの子なら確か、いつもと同じくらいの時間に家から出てきたよ。でも、どういうわけか学校とは違う方向に歩いてっちゃったんだよ。一体どうしたんだろうね」

志筑仁美の自宅周辺、そのうち一つの家の前で掃き掃除をしていた初老の女性に尋ねたところ、彼女は今朝方家を出るとすぐ学校の反対側へと歩いて行ったらしい。
まさか家を出た瞬間から明後日の方角に消えてしまっていたとは、どうりで見つからないわけだ。

「他に何かありませんか? どのようなことでも構いません。出来る限り詳しくお願いします」
「詳しくと言われても……そうだねぇ。南の方に向かって行ったとしか言い様がないねぇ」
「南、ですか。ありがとうございました。ご協力感謝します」

うーむ、難しい。
志筑仁美のとった不可解な行動。
これが意味するものとは一体何か。
彼女は本当に魔女に魅入られてしまったのだろうか。
それとも何者かに脅迫を受けて呼び出されでもしたのだろうか。

「どうだった?」
「全然分かんねー。方角だけ示されたって困るっつーの」

はてさて困った。
多くの、もとい全ての男子生徒は聞き込み調査のため商店街や駅周辺といった人通りの多い中心市街地に散らばってしまっている。
しかし、ここから南といえば街の中心部とはまったくの逆方向。
まさか俺達二人だけで向かうわけにもいかんし、かといって集合時間まではまだ二時間近くあるし……いや、待て。
そういや女子がいたな。

「お? 何してんだ?」
「電話」

善は急げとアドレス帳から鹿目ちゃんの番号を呼び出す。
彼女を学校に残してきて正解だった。
猫の手も借りたいこの状況、今はとにかく頭数がほしい。

「……もしも『中沢くん? どうしたの? 何かあった?』し……」

携帯は驚くほど早く繋がった。
一、二回呼び出し音が鳴ったかと思うと、その独特な声音に焦りの色を滲ませた鹿目ちゃんが電話口の向こうから凄い勢いで捲し立ててきた。
思わず少しビクッとした。

「どうどう、そう興奮しなさんな。いやね、ちょっとばかし耳に入れたいことができましてね。今、大丈夫?」
『うん、大丈夫だよ。先生たちは緊急の職員会議で出払ってるから。終わるまで自習してろだって』
「会議というと、やっぱり議題は俺らのことか?」
『まあ、そうだね。こんな大規模なサボタージュは前代未聞だって、みんな大騒ぎしてるよ』
「そうか。そいつは申し訳ないことをした。ときに鹿目ちゃん、校門はどうなってる? 封鎖されてるか?」
『え? どうして?』
「状況が変わった。女子の手を借りたい。至急確認してくれ」
『……! ちょっと待ってて!』

通話口から鹿目ちゃんの声が途切れ、代わりに慌ただしい足音が聞こえてくる。
急いでくれるのはありがたいが、慎重さに欠けるのは頂けないな。
転んでも知らんぞ。

『もしもし? 正門、裏門両方とも見張りはいないみたい』
「そいつは杜撰なこって。だが、こちらとしては好都合だな。女子は全員そこにいるか? まとめて説明したいから電話が聞こえる範囲に集めてくれ」
『わかった』

はー、打てば響くとはまさにこのこと。
鹿目ちゃん相手だとトントン拍子で話が進むねぇ。
楽ちん楽ちん。

『集めたよー』
「あいよ、ありがとさん。もしもーし、みんな聞こえてる? 調査に進展あったから報告します。志筑のやつ、どうやら自宅を出た後すぐ南の方に一人で歩いてっちゃったらしいんだよ」
『えっ? それっていつの話?』
「近所の人が今朝見かけたんだと。これはもう事件としか考えられん。悪いが、今すぐ志筑家前まで来てくれ。人手が足りないんだ」
『うん! すぐ行く!』
『……どうする?』
『どうしよう。さっき先生に怒られたばっかりだし……それに親とか呼ばれたりしたら……』
『ていうかさ。普通にサボりなんじゃない?』
『うわぁ、ありそう』
『み、みんな!? ひどいよ!』

なんだなんだ。
なんだか雲行きが怪しくなってきやがった。
まさか本心からの言葉ではないと思うが……お嬢、あんたの対クラスメイト友好度(女子ver)が試されているぞ。

「へいへいどうした、お嬢様方。何か嫌なことでもあったのかい?」
『嫌なことも何も。中沢、あんたのせいでこっちはひどい目にあったんだよ』
『そうそう。男子が出ていくところをどうしてボサッと見てたんだって、ものすごい剣幕で怒鳴られたんだから』

なるほど。
先生に怒られて拗ねてたってわけだ。
叱られ慣れてないお上品なガキはこれだから困る。

「そうか。そいつは災難だったな。でも、それだったら全部俺のせいにしてもらって構わなかったんだぜ?」
『それはもうやった』
「あ、そう。んー……なんというか、悪かったよ。俺の見通しが甘いせいで嫌な思いさせてすまなかった。本当にごめん。間違いなく全部俺が悪い。みんなは悪くないよ」
『うんうん、その通り。分かってんじゃん』
『あの先生もさ、あそこまで物分かり悪いとかありえなくない?』
『だよねー』
「そうだ! 先公の言うことなんて気にするな! 君達はヒーロー、英雄だ!」
『おー!』

なんだかなぁ。
預かった子どもを甘やかす駄目な保父さんにでもなった気分だ。
今時の中学生はこんなにめんどくさいのか?
俺がこのくらいのときは……いや、こんなもんだったか。

「でな。情けない限りなんだが、君達の助力があって尚、手に入れられた情報があれだけなのよ。お嬢が向かった先は志筑家宅から南。これだけ」
『それだけぇ? うちら怒られ損じゃん』
『男子ってほんとダメねー』
「ごめんな。揃いも揃って役立たずな男ばっかりで。やっぱり俺達だけじゃ無理だったよ。もう女子に頼るしかないんだ。お願いだ。助けてくれ」

脇から媚びてんじゃねえよと言いたげな視線を感じるが無視。
男のプライドなんて社会じゃクソ以下の価値しかないんだよ、少年。

『どうする? 協力する?』
『いいんじゃない? なんか必死過ぎて可哀想だし』
『じゃあそういうことで。いいよ。特別にそっちに行ってあげる』
「ああ、助かるよ。感謝してもし切れない。本当にありがとう」

これにて交渉成立、と。
やれやれ、おべっか使いは疲れる。

『……なんか釈然としないなぁ』
「そう言うな、鹿目ちゃん。これでいいんだよ、これで。ああ、そうそう。移動は自転車で頼む。時間が惜しいんでね。なんなら俺の自転車も使ってくれて構わない。チェーンの番号は1307だ」
『ん、わかった。みんな、行こう』
『おー』
「そんじゃ切るぞ。また現地でな……ふぅ」

電話を切ってほっと一息。
人を動かすのはとかく難しい。

「お疲れさん」
「ああ」
「しっかし、女子って結構薄情だな。普段あんな仲良さそうにしてるのに」
「だからそう言うな。いいんだよ。それくらいドライな方が友人関係としては健全だ」
「そんなもんかね。だったら、お前はどうしてそこまで志筑さんのために? やっぱり惚れてるからか?」

またその話かと言いかけ、口を噤む。
そうだな。
この問いには答えておくべきだろう。

「……そうさな。負い目を感じてるからかな」
「負い目?」

そうだ、俺は志筑仁美に負い目を感じている。
今回の事件の引き金はひょっとしたら俺自身なのではないのか。
そう感じずにはいられないのだ。
思えば、俺は彼女に対して徒に不安を煽るようなことしか言ってこなかった。
そのくせ碌にフォローもせず……あの子が魔女に魅入られたのだとしたら、原因の大半は俺にあるとしか言いようがない。

「今回の件が片付いたら、ちゃんと謝らないといけないな。菓子折りでもつけてさ。お嬢の好物って何か知ってる?」
「知らんがな」


****


「中沢くーん!」
「おお、来たか! ってあれ?」

十分後、制服姿に戻った女子達が自転車をキコキコ漕ぎながら到着した。
……したのだが、なんだか数が少ない。
何度数えても八人しかいない。
はて、自転車を人数分確保できなかったのだろうか。

「これだけか? 他の連中はどうした?」
「それが……こっちに来る途中、先生達に見つかっちゃって」
「何だって? それで捕まったのか?」
「ううん。足止めに回ってくれたの。ここは私たちに任せて先に行けって」
「ははっ、なんだ。志筑のやつ、十分思われてるじゃないか。友達のために教師に立ち向かうなんて、そうそうできることじゃないぞ。よかったな」
「ん」

ちょうどいい位置にある鹿目ちゃんの頭をポンポンと叩きながら集まった面子を確認する。
ふむ、美樹がいないな。
あいつは足止め役に回ったのか。
他にいないのは……陸上部、水泳部、テニス部、ソフト部……運動部は全滅みたいだな。
文化系も……身長高めの子はみんな居残り組、と。
参ったな、見事なまでにちみっちゃいのしかいねえ。
弱っちい子を優先して逃がすその精神は褒められるべきなんだろうが、こいつら何時間も走り回ったりできるのか?
唯一頼りになりそうなのといえば……。

「……なに?」

俺の無遠慮な視線を察知したのか、いつにも増して仏頂面の暁美ちゃんがガンを飛ばしてきた。

「いや、まさかお前さんが来てくれるとは思わなくてな」
「……ただの義理立てよ」
「ふん? 誰に対しての?」
「……」
「……まあいいさ」

それにしても自転車似合わねえな、この子。
まるで爽やかさを感じない。
そもそも普通に走った方が速いだろうに。

「何にせよ、みんなよく来てくれた。協力感謝する。さて、先にも説明した通り、志筑仁美はこの場で消息を絶ち南へと移動したらしい」
「仁美ちゃん……」
「ゆえにだ。俺達もこれより南下を開始し、志筑に関する情報を収集していこうと思う。例によって二人一組で行動し、他の組と捜索範囲が被らないようにしてくれ。正午になったら一旦駅前に集合。捜査中、何かあったら俺か鹿目ちゃんの携帯まで連絡を頼む。俺からは以上だ。何か質問は?」
「はーい。南ってどっち?」
「あっち」
「ねえねえ。誰と組めばいいの?」
「どうぞ好きな人と組んでください」
「やったー。ねえ、一緒に組もうよ」
「いいよー」

未だ遠足気分が抜けていないぽやーんとしたお嬢様方を引率の先生のごとく誘導しながら、俺は内心不安を募らせていた。
なんというか、想像以上にダメそうだ。
役に立つ、立たないはともかくとして頼むからケガだけはしないでくれよ。

「ああ、そうそう。鹿目ちゃんと暁美ちゃんはもう組む人決まってるから」
「え? そうなの? 誰と?」
「うむ。俺と暁美ちゃん、こいつと鹿目ちゃんでペアを組む。必然的に二人乗りになるから人目を気にして走るようにな」
「あ? 俺?」
「ああ、お前だ。異議があるなら言ってくれ」
「いや、異議というか……何でこの組み合わせ? 何か意味があるのか?」
「無論だ。ここまできて意味のない行動はとらない」
「ふーん? まあ、いちいち理由は聞かんよ。お前の指示に従おう」
「私も構わないよ」
「……別に異存はないわ」
「ありがとう。俺達は特に離れて行動した方がいいだろう。お互い電話持ちだしな……おっ、他の皆も組み終わったか。よし、各自散開」

俺の号令に合わせ、七人の女子および一人の男が自転車に乗って一斉に駆けて行く。
やがて全員の姿が見えなくなり次第、俺は隣で所在なげに佇む黒髪の少女の方へと向き直った。

「手間をかけたな」
「別に。付き合いは大事だってことくらい理解してるつもりよ」
「付き合いねぇ……」

不機嫌、なのかな。
いつもよりツンツン具合が激しいような気がする。

「俺としては君の意見を是非聞きたいんだが」
「生憎だけど、私は探偵じゃないの。あなたの期待には応えられそうにないわ」
「そう意地の悪いことを言わんでくれ。もう君だけが頼りなんだ。分かるだろ?」
「……」
「自分の言葉に責任を持てなんて言わない。ただ思っていることを教えてくれたらそれでいい。今回の一件、これは魔女の仕業なのか? 君はどう思う?」
「ん……」

説得が通じつつあるのか、暁美ちゃんが思案するような素振りを見せる。
いいぞ、その調子で機嫌を直すんだ。
何が気に入らないのか知らんが、いつまでも臍を曲げられ続けては困る。
そうやってあれこれ言葉を尽くしたところ、彼女は渋々といった感じで重い口を開いた。

「……たぶん、そうだと思う」
「たぶんか。ソウルジェム内蔵の魔女センサーじゃ詳しいことは分からないのか?」
「無理よ。これはそこまで万能じゃないの。せいぜい数十メートルから数百メートル程度の感知が限度」
「ぬぅ、そんなもんか……」
「当てが外れた?」
「いや、そんなことはない。参考になったよ。ありがとう」

これは嘘だ。
正直かなり落胆した。
妙に歯切れが悪いと思ったら、素で分からなかったのね。
……やばい。
無茶苦茶やばい。
志筑が家を出てからもうどれくらいになる?
二時間?
三時間?
今から悠長に探して間に合う?
もしかしてもう死んでるんじゃ……。

「ま、今さら気を揉んでも仕方ない。焦らずぼちぼち行こう」

胸中に渦巻く焦燥を表に出すわけにもいかず、何ら気にしないフリをして歩き出す。
俺は今、ちゃんと笑えているのだろうか。
がんばれ、俺の表情筋。

「自転車乗らないの?」
「やることは聞き込みだからね。そんなに急いで移動する必要はないのよ」

捜査の基本は足で稼ぐこと。
今は地道に目撃証言を集めつつ、それっぽい場所を総当たりで回っていくしかない。

「すみません。この子、見かけませんでしたか? 今日の午前八時半頃にこの近くを通ったはずなんですけど……」
「見てませんか……いえ、ありがとうございました」
「あの、すみません。この子をどこかで……分かりませんか。ありがとうございました」

道なりに歩きながら改めて聞き込みを再開するも、有力な証言は一向に出てこない。
知らない、見てない、分からない。
似たような返答を何十回も繰り返されるたびにどんどん気が滅入ってくる。
やはり時間が経ち過ぎて……いや、大丈夫だ。
荒木先生も言っていたじゃないか。
大切なのは真実に向かおうとする意志だと。
きっとまだ間に合うはずだ。
そう何度も自分に言い聞かせ、道行く人々に声をかけ続けた。

「中沢くん。酷なことを言うようだけど、志筑仁美はもう……」
「おおっと、そういや聞きたいことがあったのをすっかり忘れてたぜ。使い魔の活動範囲ってどれくらいのもんなんだ? 魔女の元から離れてどこまで行ける?」

不毛とも思える行為を繰り返す俺の姿が見るに忍びないのか、一転して諭すような口調になった暁美ちゃんの言葉を遮り、急造の質問を捻り出す。
分かってはいる。
理解はしている。
だが、認めるわけにはいかない。
そんな思いを汲んでくれたのだろう。
暁美ちゃんは小さく溜め息をつき、それであなたの気が済むならと律儀に答えを返してくれた。

「個体差があるから一概には言えないけど、本体から数キロ離れた程度なら余裕で活動圏内に入るわ」
「そんなにか」
「そんなによ。使い魔狩りがハイリスクローリターンと敬遠される所以ね」
「……」
「さらに言えば使い魔だけでも結界の形成は可能。これが何を意味するのか、あなたなら分かるでしょう?」
「……もう十分だ。ありがとう」

申し訳ないと思いつつ、自ら振った話を途中で切り上げる。
お前がこれまでしてきたことは全て徒労に過ぎなかったのだと、そう否定されているようでこれ以上聞くことができなかったのだ。
事実、志筑仁美は魔女の存在を把握していたにもかかわらず、今回のような事件に巻き込まれてしまった。
ただ周知させるだけでは無意味であることくらい分かっていたつもりだったが、いざ突きつけられるとやはりつらい。

「あくまでやめる気はないのね」
「……」
「あと一時間で集合時間になるけど、午後はどうするの?」
「……午後も続けるさ」
「そう。勝手になさい」
「言われずとも……ん?」

まるで展望が見えず、鬱々とした気分のまま作業を続けようとしたとき、ズボンのポケットが微かに震えた。
いや、実際に震えているのはポケットの中の携帯だ。
まさか親か先生からお叱りの電話が……なんだ、鹿目ちゃんか。
何か有力な情報でも仕入れたのかね。

「はい、もしもし?」
『おう、俺だ。志筑さん見つけたぞ』
「……え?」
『でも何か様子がおかしくて困ってんだ。ちょっとこっち来てくれよ』
「……」
『おーい、聞こえてる?』
「あ、ああ、すまん。それでどこに行けば?」
『んー……旧道のうどん屋の前って言えば分かるか? カレーうどん一杯三百円のところ』
「う、うん、知ってる」
『そこで待ってるから早く来いよ。じゃあな』

……………………マジで?

「どうしたの? 狐につままれたような顔して」
「いや……うん。なんかあいつら、志筑のこと見つけたらしいよ」
「え? え? 嘘でしょう?」
「嘘かどうかは行けば分かる。行ってみよう」


****


「おーい、こっちだこっち」

鹿目ちゃんとペアを組ませた男子生徒が大きく手を振っているのが見える。
逸る気持ちを抑えることなく暁美ちゃんに自転車を飛ばしてもらうこと僅か二分足らず。
俺達は指定された場所へと到着した。

「二人ともお疲れ様。早かったね」
「うっぷ、そうだな、きもちわる……うぁぁ」
「私が本気で漕げばこんなものよ。それにしても、まさか本当だったなんて」

果たして志筑仁美はそこにいた。
ウェーブのかかった独特なロングヘアー、若干タレ目気味のぽわわんとした顔、見紛うはずもない。
彼女は俺の心配など露知らず、歩道の段差に腰かけてぼんやりと空を眺めていた。
……いかん。
ちょっと泣きそう。
この子が生きてて本当によかったよ。

「いやー、ほんとびっくりしたぜ。背中に当たる鹿目の胸の感触を楽しみながら自転車走らせてたらよ。志筑さんが道端に座り込んでるんだからな」
「ん? 私がどうかした?」
「おっと、何でもねえ。それでどうだ? 最初に見つけたときからずっとこの調子なんだが、何か分かるか?」
「待ってろ。今から診てみる」

志筑の後ろ髪をかき上げ、首筋を確認。
そこにはやはりと言うべきか、刺青のような黒っぽい痣がくっきりと浮かび上がっていた。
ふーむ、ある意味では予想の範疇だが、同時に不可解でもある。

「暁美ちゃん、こいつは一体どういうことだ? どうしてこの子は魔女に魅入られてなお無事でいられたんだ?」
「そう、ね……使い魔に精神を惑わされ、魔女の元まで誘い込まれそうになったものの、結界の位置が遠過ぎて歩いているうちに疲労の限界を迎えてしまった。そんなところじゃないかしら」
「おいおい、さすがにそりゃねえだろ」
「使い魔に処断を委ねず、自ら直接手を下さなければ気が済まないタイプの魔女なら、そういう事態が起こりうる可能性もなきにしもあらずよ。たぶん」
「んなアホな。それが事実だとすれば前書いた記事に大幅な加筆修正が必要になるぞ」
「知らないわよ。そもそもこんなケース初めてだし。どうしても気になるというのなら本人に直接聞いてみたら?」
「む、その手が合ったか」

魔女の口づけを受けたからといって全ての思考能力が失われるわけではない。
最低限の意思疎通くらいは成立するはず。
というわけで、ひたすら空ばかり眺める二対の瞳を遮るように覗き込んでみる。
すると、少女の碧眼がゆっくりと動き、俺の両目をじぃっと捉えた。

「あら? 中沢さん、ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう。今日は学校に来なかったみたいだけど、どこかにお出かけするつもりだったのかい?」
「ええ、実はわたくし天国にお呼ばれしておりまして。よくないことだと思ったのですが、天使さんがどうしてもとおっしゃるから学校はお休みすることにしましたの」

天使?
『ハコの魔女』の使い魔か?
いや、彼女に使い魔の姿は見えていない。
おそらくはただの比喩表現だろう。
しかし、あれだな。
言動が狂気じみててこえーよ。
表情はいつも通りというか、むしろいつもよりニコニコしてるくらいなのに。
そのギャップが却って恐ろしい。

「……その天国とやらに行くのに、地べたに座って油を売る必要性があるのか?」
「そう言われましても、わたくし朝から歩きっぱなしで疲れておりますの。足が棒になるってこういう感覚だったのですね」
「なぬっ、マジか」
「へえ、言ってみるものね」

暁美ちゃん、まさかの予想的中。
したり顔とまでは行かないが、ちょっと嬉しそう。

「そっか。疲れたのか。なんなら足でも揉んでやろうか?」
「結構です。そんなことより早く連れて行ってください」
「へ?」
「さっきからずっと呼ばれ続けているんです。早く行かないと怒られてしまいます」
「呼ばれてるって……暁美ちゃん、もしかして近くに何かいるのか?」
「いいえ。特に気配は感じないわ」
「うふ、うふふふ」

だから怖いっての。
精神に異常を来すと実在しないはずのものが見えてくるというが、彼女には一体何が見えているのやら。

「中沢くん、仁美ちゃんは大丈夫の?」

いよいよもって様子がおかしい志筑の姿に不安を覚えたのだろう。
鹿目ちゃんが急かすように容態を尋ねてきた。
親友たる彼女に本当のことを伝えなければならないと思うと気が重い。

「そのことについてなんだが、どうやら志筑は魔女に魅入られてしまったらしい」
「え!?」
「なんだと?」
「ほら、ここを見てみろ」

再度志筑の髪を押し上げ、首筋に施された魔女の口づけを指し示す。
思いなしか先程より色濃く見える。

「そんな……こんなにはっきり……」
「うーむ、染み一つない綺麗なうなじだ。俺にも触らせろよ」
「はいはい、後で本人に了承を取ってから好きなだけ触らせてもらえ。この状況、はっきり言って俺達の手に余る。一度学校に連れ帰って巴先輩になんとかしてもらおう」

志筑を発見できた以上、この場に留まる意味はない。
ちゃっちゃと戻って先輩に洗脳を解いてもらって今回はそれで終わりだ。

「ほれ、行くぞ」
「連れて行ってくださるのですか?」
「あー連れてく連れてく。おんぶしてやるからさっさと乗りな」

相変わらず座り込んだままの志筑に背中を差し出す。
さあて、帰りは歩きだ。
三人には先に帰ってもらおうか、それとも散らばった男女を集めてもらおうか。
確か集合場所は駅前だったよな。

「では、お言葉に甘えて」

背中にずしりとした重みを感じる。
志筑が乗っかってきたようだ。
……なんか思ったより重いな。
せいぜい50キロあるかないか程度だと思っていたんだが。

「ふふふふ」

違う。
体重をかけられてるせいで余計重く感じるんだ。
俺が立ち上がるのに難儀していると、華奢な両手首がするりと首に回された。
いや、正確には絞められたと言うべきか。
それほどまでに力が強く、思わず呻き声を上げてしまう。

「ぐっ、むっ……」
「絶対に落とさないでくださいね」

耳元でそう囁かれた途端、急に息が苦しくなった。

「さあ、行きましょう。みなさんを待たせるのは失礼ですから」
「う……ぐ……」
「あら? どうしてそのようなお顔をなさるのですか? せっかく天国に行けるのですからもっと嬉しそうな顔を……」
「そこまでにしておきなさい」

もう駄目だと思ったそのとき、強引に後ろへ引っ張られる感覚がした。
同時に背中の重みがふっと消え、首周りの圧迫感からも解放された。

「はぁぁぁぁ……死ぬかと思った……」

酸素を求め、深呼吸を繰り返しながら後ろを振り返る。
そこには案の定、暁美ちゃんが志筑の首根っこを掴んだ状態で俺を見下ろしていた。

「ありがと……助かったよ……」
「どういたしまして。今のは不用意だったわね。正気を失った相手に急所を晒すなんて」
「返す言葉もない……でも、その犬猫みたいに掴むのは可哀想だからやめてもらえないかな」

喉の辺りがヒリヒリと痛む。
締め上げられた部分が熱を帯びているようだ。

「三人ともどうしたの……うわっ! 中沢くん! 首のとこ真っ赤だよ!」
「おおぅ、こいつは見事な手形だ。ちょっとしたホラーだぜ」
「え、なに、そんなにひどい?」
「割と。道端で擦れ違った際に二度見しそうになるくらいには」
「なるほど、めちゃくちゃ目立ってるってことね。どうりで痛むわけだ」
「そんなことより早く天国に向けて出発しましょう。みなさんはすでに旅立たれたようですし」

そんなこと、か。
とことんマイペースな奴になっちまったな。
最初から意志の疎通などできるわけがなかったってことか。

「仁美ちゃん、さすがにそれはひどいんじゃないかな。仁美ちゃんを探しに行こうってみんなに呼び掛けてくれたのは中沢くんなんだよ。それを……」
「はいはい、怒らない怒らない。俺は気にしてないよ。ところで、さっきから気になってたんだけどさ。みなさんって誰のことを言ってるんだ?」
「ああ。同じ天使さんに導かれたお仲間さんたちのことです。先程、無事天に召されたようですね」
「んー?」

あれ?
何だ、この違和感。
俺は何か重要なことを失念しているんじゃないのか?

「中沢さん、早く早く」
「いい子だから。ちょっと待ってな」

まず、みなさんとは俺達のことではない。
ならば誰のことを指している?
いや、答え自体は既に出ている。
天使に導かれたとは使い魔に拐かされたと同義。
つまり、志筑と同じ魔女の被害者のことを示しているのだろう。
――――俺は馬鹿か!
もっと早く気づくべきだろうに!

「みんな、すまない。予定の変更を提言する。しばらく志筑を泳がせ、魔女の元まで案内させたい」
「は? 正気? 次は助けないわよ」
「危険は承知の上だ。けど、志筑の話から察するに他にも被害者がいるみたいなんだ。このまま学校にとんぼがえりするわけにはいかない」
「そんなものは放っておきなさい。さっき自分でも言っていたでしょう。これはあなたの手に負える問題じゃない。第一、時間が経ち過ぎている。もう手遅れよ」
「例えそうだとしても、二次災害が起こると分かり切っているのに放置なんてしていられるか」
「で? ご立派な志を掲げるのは結構だけど、実際に魔女を倒すのは誰なのかしら?」
「それは、その……魔女の口づけってマーキングされた人を叩いたり殴ったりすれば消えたりは……」
「しない。アナログテレビじゃないんだから」
「ですよねー」

年甲斐もなく義憤に駆られ、魔女の本拠地に乗り込んでやると宣言したところ、暁美ちゃんにピシャリとダメ出しされてしまった。
まあ、これは全面的に彼女が正しい。
俺が現場に向かったところで現実問題できることなど何一つとしてないのだろう。
それに、かつて人一人見殺しにしかけた俺が今更誰かを助けようなんて、虫がいいにも程があらぁな。
情けねえ。

「何をうだうだ言ってやがる。別にいいじゃん。さっさと案内させようぜ」
「あなた……」
「そうだね。魔女の居所が分かり次第、マミさんに来てもらえばいいわけだし。やってみようよ」
「まどかまで……中沢くん」
「分かってる。すまん。さっきのは聞かなかったことにしてくれ。今後は予定通り駅前に集合し、それから学校に戻る。こっちの方が安全だし、確実だ。うん、そうしよう」
「んだよ、ビビってんのか。ここまで来てわざわざ引き返す理由がどこにある」
「いや、ほら、ちゃんとみんなに定期報告してあげないと後が怖いというか」
「それなら私が電話しておくから大丈夫。女子はちゃんと携帯持参してきたんだよ」
「あー……どうしましょう?」
「どうもこうもないでしょう。得意の屁理屈で何とかしてちょうだい」
「中沢さん、まだですか? もしかして嘘つきました?」
「ついてないよ。お願いだからもう少し我慢して」

男女五人寄れば寄るほど姦しい。
やれやれ、状況が混沌としてきたな。
ナーバスになってる暇もありゃしねえ。

「暁美さんよぉ、怖いんなら先に帰ってもいいんだぜ。そもそも志筑さんは実質俺と中沢の二人で見つけたようなもんだ。それを今になって偉そうにしやがって。役立たずは帰れよ」
「……言ってくれるじゃない」
「こらこら、ケンカするんじゃありません。俺はちゃんとクラスメイト全員に感謝してるよ。誰か一人でも欠けていたら志筑を見つけることはできなかった。俺はそう思ってる」
「そういう社交辞令はいらねえんだよ。結局どうすんだ?」
「どうするもこうするも、聞くまでもないことよね?」

うーん、あちらを立てればこちらが立たず。
単純な多数決で決めるなら数が多い方の意見に従うべきだ。
しかしながら暁美ちゃんの意見を切って捨てるというのもなぁ。

「鹿目ちゃんはどうするべきだと思う? 俺達はもちろんのこと、志筑も危険な目に遭う可能性が出てくるけど、本当にいい?」
「よくはないよ。でも、魔女の被害を食い止めるために必要なことなんでしょ?」
「うん、まあ」
「ならやるしかないね。だいじょうぶ。仁美ちゃんが正気だったら、きっと賛同してくれたはずだよ」
「だそうだ。ちなみに俺も鹿目と同意見だ」
「私はあくまで反対。あなた達には危機管理能力がなさ過ぎる」
「どうでもいいですから早く出発しましょう」

改めて意見が出揃うも平行線なのは変わらず、か。
仕方ない。
俺が最終的判断を下すとしよう。

「よし、今度こそ決めた」
「と言うと?」
「えっとですね。遠くから離れて確認するだけなら、そう危険でもないかなぁ……なんて。事前に場所を押さえとけば、先輩も作業が捗るだろう、し……」
「……」

黒髪の少女の失望を湛えた瞳に射抜かれ、言葉を失う。
失望は期待の裏返し。
期待、されてたのか。

「……もういいわ」

彼女はぽつりとそう零すと完全に背を向けてしまった。
その後ろ姿はどこかいじけているようにも見え、すぐにでも前言を撤回してあげたい気分にさせられる。
……けどな。
本音を言うと、俺自身現場に赴きたい気持ちが強いんだ。
誰にも看取られることなく死んでいく人間をさらに野晒しにしておくなんて、寝覚めが悪いにも程があるだろ。
そしてあの日の贖罪。
果たすなら今しかない。

「志筑」
「はい?」
「望み通り、ちゃんと目的の場所に連れてってやる。だから今度は首を絞めないでくれよ」
「はい!」

曲りなりにも話がまとまったところで志筑に出立の旨を伝えると、満面の笑みで元気よく了解の意を示してきた。
この無邪気な笑顔の裏側で彼女は何を考えているのだろうか。

「ちょいと首んとこ失礼」
「?」

何にせよ、用心をするに越したことはない。
見滝原中学女子生徒の制服特有のでっかいリボンを志筑の首元からほどき、それを彼女の手首に巻きつける。

「あの、これは? きゃっ」

前へと括られた両手首を不思議そうに眺める少女の体を後ろから抱え上げ、横抱きの体勢を取る。
正直小っ恥ずかしいことこの上ないが、おんぶして首を絞められたり、自転車に乗せて車道に飛び出されたりするよりは遥かにマシだろう。
ちなみに小脇に抱えるやり方は筋力的に無理だった。

「うわっ、うわっ、お姫様だっこ! うわー!」
「すげー。やるじゃん」
「こらこら、写メを撮るな。見世物じゃねーんだぞ」

うーむ、やっぱり恥ずかしい。
羞恥のあまり顔が熱を持ち始めてきやがった。
こんな思いをするくらいなら他のやつに頼めばよかったぜ。

「うふふっ、殿方の腕に抱かれながら天国へ昇るというのも悪くありませんね」
「お気に召したようで何よりだ。そんじゃ、ぼちぼち行こうか。さっそく案内してくれ」
「わかりました。と言っても、しばらくはこの旧道をまっすぐ進むだけですけど」

こうして俺達は志筑仁美の先導の元、魔女の結界が展開されていると思しき場所へと向かうことになった。
案内役を抱えた俺が徒歩で移動しているため全体のペースも必然的に遅くなる。
初めのうちは暇つぶしがてらみんなと雑談しながら歩いていたのだが、間もなく話題も尽き、最終的には俺と志筑の道を確認し合う声だけが響くようになった。

「まだ真っ直ぐか?」
「はい。まだまだ直進です」
「……」

やがて俺は自分達がだんだん山の方へ入ってきていることに気づいた。
人工的に植えられた疎らな葉桜と異なり、すっかり緑一色に染まった天然の桜がガードレールの脇から自己主張するかのように枝を伸ばしている。
もともと見滝原は山間部を開発してつくられた都市であり、街中からでも少し遠出すれば割とすぐ山の麓まで辿り着く。
それゆえ県外から訪れる登山客も多いが、さすがに山登りする魔女の話は聞いたことがない。
道は本当にこれで合っているのだろうかと不安になりつつ歩を進めると、前方に川を跨ぐように架けられた鋼橋が見えてきた。
確かこの橋を渡った先には不況の煽りを受け、去年だか一昨年だかに操業停止に陥った自動車部品工場があったはず。
自殺した工場長の霊が出るとか、取り壊しを請け負った作業員が呪われたとか、根も葉もない噂が山ほどある新造の心霊スポットだ。
クラスの連中も何度か肝試しに行ったことがあると自慢げに語っていた。
……あっ。
もしかして目的地そこじゃね?

「志筑。天国とやらはこの橋の向こうの廃工場にある。そうだな?」
「さすが中沢さん、正解です。どうしてわかったのですか?」
「心眼だ」
「なるほど」
「……んん? 今の会話おかしくない?」
「中沢くんにはよくあることだよ。この人、姿の見えないキュゥべえとも普通に会話できるから」
「えっ、なにそれ」

向かうべき場所が判明したことで自然と足が速まる。
こんな山中まで徒歩で移動することを強いられるのだ。
志筑のように途中でへばった人間がいてもおかしくない。
そういった人達に先んじて工場跡に到達すれば、魔女による被害の拡大を食い止めることができるかもしれない。
そう思うとますますペースが上がった。


****


今からでも被害は抑えられる。
そんな風に考えていた時期が俺にもありました。

「めっちゃ燃えとる……」

一時間近く歩き、ようやく山間部の廃工場に辿り着いた俺達を待ち受けていたのは立ち上る黒煙と橙色の炎であった。
今現在もガラスの嵌められていない剥き出しの窓から尋常じゃない量の煙がもくもくと吹き出している。
うん、こいつはちょっと無理です。

「きれい……」

腕の中の志筑が恍惚の吐息を漏らす。
どうやら彼女と俺とでは見えているものが違うらしい。
俺には地獄絵図にしか見えないんだが。

「やべー。火事とか初めて見たよ。ムービー録りたいから携帯貸してくんね?」
「そんなことより通報が先だよ! えっと、えっと、こういうときってどこに電話するんだっけ?」
「119番」
「119番? 119番って何番?」
「落ち着け。俺が電話するから」

志筑の体を一旦地に下ろし、自分の携帯で消防に連絡を入れる。
火災か救急かと聞かれたら火災。
ここの住所は……分からん。
まあ、地名を言えば通じるだろう。

「……ええ、はい、山の潰れた工場です。かなり煙が出ていますね。怪我人がいるかどうかは……ちょっと分かりかねます。はい、中には絶対に入りません。私の番号は……」
「まどかさん。手首が痛いのでこれ解いてもらえます?」
「あ、うん」

とりあえずこれで消防への連絡は済んだ。
あとは彼らの到着を待つばかりだが、一応救急車も呼んでおくべきだろうか。
状況からして生存者がいるとは考え難いが……。

「あっ! 仁美ちゃん!」
「ちょ、馬鹿おまっ、何やってんだ!」

通話を終えて暫し思考を巡らせていると、お供の二人が突然騒ぎ出した。
何事かと視線をずらせば、なんと志筑が工場の方へ猛然とダッシュしているではないか。
呆然と立ち尽くす俺達をよそに、彼女は普段の姿からは考えられない程の俊敏さとアクロバティックさで颯爽と窓の内側に飛び込んでいった。

「な、な、なんなのあれ、ギャグ? え、えー? ぁ、あぁ、なんかすごい眩暈してきた。駄目だ、五分経ったら起こして……」
「しっかりしろ、中沢! ぶっ倒れても状況は好転しねーぞ!」
「ど、どうしよう……私が拘束を解いちゃったばっかりに……」
「ああ、いや、それは違う。悪いのは目を離した俺だよ。だからあまり気に病むな。ははは……」

俺は今ちゃんと笑えて、るわけねえよな。
いやマジでどうすんのよ、この状況。
笑いは笑いでも渇いた笑いしか出てこないよ。
助けてほむらちゃん、っていねえ!
まさか、もう魔女を倒しに行ったのか?
仕事熱心なのは結構だが、一言くらい声かけてけよ。

「この馬鹿目! どう落とし前つけるつもりだ! 中沢も甘やかすんじゃねえ!」
「ご、ごめん……」
「ごめんで済むか!」

男子生徒から一方的に怒鳴りつけられ、鹿目ちゃんの涙腺はもう決壊寸前になっている。
しかし、よく見ると彼の顔も半泣き状態だった。
不安なのは皆同じ。
誰かに当たらなければやってられないだけなのだ。
……ええい、仕方ない。
こうなったら腹をくくるか。

「まあまあまあ。お前さんよ、その辺にしとけ。ここでピリピリしてたってしゃーないぞ」
「はぁ!? なにのんきなことを……」
「鹿目ちゃん、志筑のことなら心配するな。この中沢さんがちょっくら行って連れ戻してくるからよ」
「ほ、ほんとに……?」
「ほんとほんと。約束するよ。なんなら指切りでもするかい?」
「うん……」

鹿目ちゃんが本当に俺のことを信じてくれているのかどうか、今の俺にそれを知る術はない。
もしかしたら自分を安心させたいがための逃避行動に過ぎないのかもしれない。
それでも彼女は俺の小指に、その小さな指を絡めてくれた。
期待してくれたのだ。
今度は裏切れない。

――――さて。
正面のシャッターは固く閉ざされている。
この分だと俺も窓から侵入するしかなさそうだ。
濡らしたハンカチで口と鼻を覆い、突入準備完了。
気休め以下の装備とはいえ、ないよかマシだろ。

「そんじゃ、行ってきまーす」
「おい! 馬鹿な真似はよせ! お前まで死ぬ気か!」
「冗談。こんなところじゃ死ねないな。ああ、そうだ。携帯預かっといて。買ってもらったばっかなのよ」
「だから行くな! 志筑さんのことは諦めろ!」
「……悪いな」
「やめろ! 戻ってこい!」

男子生徒の制止を振り切り、工場の内部へと飛び込む。
ふむ、想像していたよりは熱くないな。
窓が全開になっているせいか?
何にせよ、恐いのは炎よりも一酸化炭素中毒だ。
限界まで姿勢を低くして這うように進まんと。

「さよなら。俺の698円ちゃん……」

十歩ほど進んでは床に小銭を落としていく。
視界全域が煙と陽炎で埋め尽くされているため、目印を残しておかないと方向感覚が狂ってしまうのだ。
志筑を見つけることができても生きて帰れなければ意味がない。
たった23枚の命綱。
うまく機能してくれよ。

「……む?」

チャリンチャリン音を鳴らしながら、しばらく歩いていると、視界の隅に茶色っぽい棒状のものが映り込んだ。
心なし芳ばしい香りもする。
こいつはビールのつまみ、燻製のような匂いだ。
以前肝試しに来た連中の食べ残しが焼けたのか?
けど、食い物にしてはでかいような……。

人間というものは視線を誘導されると体まで釣られて動いてしまうらしい。
ふと後ろを振り返ると、コインの位置が斜めにずれてきていた。
どうする?
進路を修正するべきか?
それともこのまま燻製の方へ進むべきか。
幸い最後に落としたコインはすぐ後ろにある。
暴走状態の志筑が真っ直ぐ走れたはずもないし、とりあえずこのまま行ってみよう。

呼吸少なく匍匐前進。
10センチ、20センチ、近づくごとに正体不明の物体の全貌が見えてくる。
近くで見ると思ったより長い。
1メートル、いや、90センチくらいの長さはあろうか。
これはどう考えても食い物じゃない。
ならば食欲をそそるこの匂いは何だ?
と、視界を微妙に遮る陽炎が断ち消え、棒の先端がはっきりと見えた。
その先端はアルファベットのLの字みたいに曲がっていて……。

「うっ」

それの正体を認識した瞬間、俺は猛烈な吐き気に襲われた。
俺の予想通り、確かにそれは燻製だった。
直接火に炙られることなく、熱と煙によってじっくりと焼かれた燻製肉だ。
俺は昔、これと同じものを見たことがある。
あれは死んだ爺ちゃんの棺が火葬に出されたとき、熱が弱かったせいか中途半端に焼かれた状態で出てきたんだ。
全身が茶色く焦げていて、それでいて形は崩れてなくて、なんかすごくいい匂いがして、とにかく子供心に恐ろしかった。

嫌だ。
こんな場所には一時たりともいたくない。
そう委縮しそうになる気持ちを抑え込み、首だけを動かして周囲を見渡し、また吐きそうになった。
いるわいるわ、うじゃうじゃいるわ。
ボロ切れを纏った茶色い人型が大量に寝転がっている。
錬炭自殺の現場とはこのような感じなのだろうか。

「……志筑、志筑、いるか?」

独り死体に囲まれたこの異様なシチュエーション。
グロ耐性のない俺にはとても耐えられそうにない。
それでも恐怖を押し殺し、志筑の名を呼んでみる。
この場に遺骸が集中しているのはおそらく偶然じゃない。
何らかの意思により集められたのだ。
ならば彼女もきっと近くにいるはず。
そう信じて呼び続けた。

「志筑、いるなら返事してくれ。頼むよ」

一歩前へ出るたびに、体の一部が遺体に触れる。
その少し硬めの感触に何度も悲鳴を上げそうになった。
今からでも引き返して楽になりたい。
鹿目ちゃん、許して。

「志筑ぃ、どこだぁ……あ? あ?」

暑さと煙たさと怖さで半ば朦朧としながらも緑髪の少女を探していると、目の前に二本の足がぬっと現れた。
普通にズボンと靴を履いた、普通の生きた人間の足だ。
志筑、ではないな。
まだ他に生存者がいてくれたのか?
そもそも、この環境で突っ立っていて平気なのか?
浮かんだ疑問の答えを出すべく顔を上げる。
……駄目だ。
煙くてよく見えない。

「そこのあんた! 今すぐしゃがむんだ! 立ってるのは危険だ!」

誰だか知らんが、意識がある以上放っておくわけにもいくまい。
少しでも生存率を上げるべく、姿勢を低くするよう頭上の人物に指示を飛ばす。
思わず厳しい口調になってしまい、気を悪くされなかったか心配になったが、彼(彼女?)は素直にしゃがみ込んでくれた。

「ああ、無事でよかった。ここは危険です。急いで外に出ましょう。一人でも歩けますか?」
「……」
「あの、どこか悪いんですか? よければおんぶしますけど……」
「……」
「……?」

なんだ?
俺の指示に従ってくれたからてっきり正気だとばかり思っていたのだが、どうにも様子がおかしい。
彼はしゃがんだときからずっと後ろ向きなのだ。
今も俯くようにして俺に背を向けている。
やはり魔女の口づけに影響されているのか?

「……前を、こっちを向いてもらえませんか? 俺と一緒に戻りましょう? 大丈夫、出口はすぐそこです」

志筑の奇行で死にかけたことは記憶に新しい。
俺はいつでも動けるよう身構えつつ、優しく説得の言葉を投げかけた。

「……」

目の前の背中がのそりと動く。
彼はゆっくり、本当にゆっくりとこちらを向き、それからさらに遅々とした動作で顔を上げた。

「……! う、うわああああっ!」

人間燻製は我慢した。
火炎も黒煙も我慢した。
けど、こればかりは無理だった。
俺は恐怖のあまり幼い少女のように泣き叫んだ。
それはまさしく化け物だった。
首から上が赤黒く焼け爛れ、口の辺りはエナメル質の歯が剥き出しになっている。
毛髪は頭部の中央付近まで焼失し、出目金みたいに突き出た眼球は窪みにかろうじて引っ掛かっている有様だ。
自ら炎に顔面を突っ込み、何十分、何時間と焼き続けた。
そう言われたら迷いなく信じてしまうほどに醜悪な顔だった。

「来るな、来ないでく……あっ? ああっ!」

いつの間に距離を詰められていたのか。
俺のすぐ目の前に男はいた。
彼は比較的きれいな右手で俺の顎を思いっきり掴むと、力の限り締め上げてきた。

「うっ……痛ッ……!」
「……」

男はどこまでも無言。
代わりにぎょろんとした両目を見開き、俺を睨みつけている。
やがて空いている左手が動き出す。
それは見る者の恐怖を煽るように上下左右へと無駄な運動を繰り返した後、勢いよく俺の右目に突き立てられた。

「ぁ、やめ……」
「……」

抉られている。
眼球をぐりぐりと穿られている。
網膜の付け根をコツコツとノックされている。
そんな気持ち悪い感覚がして、でもどういうわけか不思議と痛みは感じなくて、もう気が狂いそうだった。

「……」
「ぅ……」

どれくらい経っただろうか。
男は俺を甚振るのに飽きたらしく、ずるりと左手を引き抜くと次いで右手を解放した。
――――チャンスだ。
逃げるか?
いいや、反撃だ。
とにかく即行動だ。
頭ではそんなカッコいいことを考えているのに、現実の俺の体は下を向いたまま縮こまってしまっている。
当然だ。
あんな拷問にも等しい暴力に晒された直後に平気で動けるわけがない。
うぅ、今も至近距離から覗き込まれている。
頼むからどこかに消えてくれ。

「かお、みろ」

男が何事か呟く。
やめろ、聞きたくない。

「こっち、みろ」
「嫌だ! 消えろ! お前の顔なんか見たくない!」

そう言った途端、男がすっと立ち上がる気配がした。
また何かされるのではと不安になり、ほんの僅かに顔を上げて様子を窺う。
男は崩れかけた両目をギョロギョロと動かし、何かを探しているようだった。
そして一層激しく燃え上がっている箇所に目を付けたかと思うと急に駆け出し、そのまま炎の中へと身投げした。
その理解不能な奇行に俺が呆然としている間にも彼の全身は炎に包まれていき、苦痛ゆえか陸に上げられた魚のごとく散々のたうちまわった挙句、ぴくりとも動かなくなった。

「……死んだのか?」

まるで動く気配のない男の生死を確認するべく恐る恐る接近を図る。
瞳孔は……よし、完全に開き切っている。
不謹慎だとは思うが、ひどい目に遭わされた身としちゃ安堵せずにはいられない。
それにしても一体何がしたかったんだ、こいつは。
開かない右目の分も恨みを込めて、睨みつけるように観察してやる。
といっても顔はグロくて見られないから首から下をじっくり、と……?

「……女?」

その体には胸があった。
その上、丸みを帯びている。

「……」

ふと嫌な予感に囚われ、火傷も厭わず炎の中から彼女の肉体を引き摺り出す。

「……ない。ない、ない、ない。そんな……そんなはずは……だとしたら俺は……」

果たして予感は的中した。
彼女の首筋に、魔女の口づけはなかった。

「信じはしない……きっと死んだら消えるんだ。そうに決まってる……」

一縷の望みをかけて他の遺体の首筋を次々と確認していく。
結果、位置に多少のばらつきはあるものの、だいたい後ろ髪の生え際辺りに魔女の口づけらしき黒い刺青があることを確認できた。
それも全ての遺体に。

「……なんでだ」

もはや誤魔化すことはできない。
彼女は初めから正気だったのだ。
いや、正確には顔を焼いた時点で理性を取り戻したのだろう。
変わり果てた己の素顔に絶望し、立ったまま死を待ち望んでいたところに俺が来て、それで。
……それで、彼女は俺に期待をかけたんだ。
もしも、この少年が自分を受け入れてくれたならそのときは……。
だが、俺は怯え、震え、彼女を拒絶した。
彼女は怒り、嘆き、そして自ら命を断った。
ああ、なんだこれは。
なんなんだ一体。

「なんでだ! 俺が何をした!? 彼女が何をした!? どうして俺は……!」

手を差し伸べることができなかったのか。
決まっている。
あのとき見殺しにしようとした分が今回ツケとして返ってきた。
つまりはそういうことなのだ。

「……志筑、探さないと」

それでも。
いくら喚いたところで過去は変わらないし、事実は動かない。
今やるべきことは志筑仁美を生かし連れ帰ること。
今このときだけはそれさえ考えて動けばいい。
さあ、行こう。


****


「中沢が中に入ってからもう二十分か……くそっ!」
「神様……私、なんでもします。死んじゃってもいい。だからどうか二人を……」
「くそっ、くそっ、大馬鹿野郎が! なんで戻ってこねえん……! おい! 鹿目! 鹿目! 見ろ!」
「えっ? あ……あぁ! 中沢くん! それに仁美ちゃんも!」
「やりやがった! あいつ本当にやりやがったぞ! ははっ……! やった! やったぞ!」

んだよ、うるせーな。
コインを辿り、窓のところまで戻ると何やら外が騒がしい。
お子様たちは何をそんなに興奮していらっしゃるんですかねぇ。

「おい、お前ら。騒いでないで志筑のこと外に出すの手伝ってくれ。こっちは疲れてんだよ」
「あ、ああ。すまん。よっこいせっと!」
「ふいーっ、これで文字通り肩の荷が下りたぜ。ほっと」

男子生徒に志筑を引き上げてもらった後、自分も工場から脱出する。
うむ、娑婆の空気はやっぱりうまい。

「中沢くん! 中沢くんだ! 本当に約束守ってくれた!」
「当然だろ? 約束は守るもんだ。特に、可愛い女の子との約束はな」
「いや、マジすげーよ。お前はめちゃくちゃすげーやつだよ。ヒーローってマジでいるんだな」
「よいしょしたって何も出ねえぞ。それより救急と消防はまだなのか? 俺はともかく志筑は中でぶっ倒れてたからな。純酸素だけじゃ不安なんだよ」
「どうだろうな……あっ、待て。なんかサイレン聞こえてこないか?」

ん、確かに聞こえる。
これは近づいてくる方のドップラー効果だな。
平日の昼間からこんな山中までお仕事ご苦労様ですってか。

「……あれ? 中沢くん、その目どうしたの?」
「目? どうもしないよ? 煙の粒子が入ったからハンカチで押さえてるだけ」
「そっか、よかった……泣いた痕があるからケガでもしたのかなって心配しちゃった」
「……志筑が助かって嬉しいんだよ。悲しいことなんて、何もなかった」

そうだ。
俺に哀しむ資格はない。
だが、やるべきことならある。
一般人にとっては魔女も魔獣も等しく脅威。
変えるべきはここではない。
真に変えるべきなのは……それは……。

「俺、考えたんだけどさ。学校に帰ったら、みんなにパトロールを呼びかけようと思うんだ。もう二度と、こんなことが起こらないように」
「うん! 私も協力する! それで中沢くんやマミさんみたいに困ってる人を助けるんだ!」
「おお、やる気満々だ。ま、がんばんなさいよ」

まあ、まずは病院に行くことが先だがな。
アドレナリン切れたら目めっちゃ痛くなってきたわ。
いや、ほんと痛い。
マジ死にそう。
救急車早く来てくれー!



[32371] 第七報告 『中沢、語る(騙る)』
Name: たいらん◆29f658d5 ID:2a565122
Date: 2012/08/06 10:12
「……いたっ! いたたたたっ! いってぇなぁ、くそぅ」

Q. 中沢くんはどうして泣いてるの?
A. 痛いからです
ガーゼに覆われた右目がじくじくと疼く。
単に鎮痛剤の効きが悪いのか、それとも幻肢痛を発症してしまったのか。
いずれにせよ、ひどく痛む。
今夜はちょっと眠れそうにない。

おっと、状況説明がまだだったな。
火災現場から生還した俺と志筑はあれからすぐ救急車で病院に搬送された。
そして検査の結果、二人とも一酸化炭素中毒の症状等は見られず、志筑の方は一日だけ入院し、明日には帰されるらしい。
看護師さんいわく、若干の記憶障害が見られた他は特に問題なさそうな感じだったとのこと。
どうやら魔女は無事打ち倒されたようだ。
ありがとう、暁美ちゃん。

さて、一方の俺はというと残念ながら短期入院を余儀なくされてしまい、今は個室のベッドで一人横になっている。
というのも、右目が完全に駄目になっちまってな。
その、なんだ。
有り体に言えば失明した。
もはや手術でどうこうできる段階にはないと、大学病院出身のえらーいお医者様が仰っていた。
……まあ、こんなこともあらぁな。
このご時世、命があるだけマシってもんよ。

だが、うちの両親、中沢夫妻にとっては天地がひっくり返るほどの大問題であったらしい。
あの人達は俺が負傷した報せを聞くや否や仕事を即行切り上げ、狼狽も露わに病院まで駆けつけてきてくれた。
医師から診断結果を言い渡されたときなどは、当事者たる俺より遥かにショックを受けていたほどだ。
息子に降りかかった不幸を受け止め切れずさめざめと泣く母。
片目とはいえ視力を失った我が子をどう慰めたらよいのか分からず呆然と立ち尽くす父。
そんな二人の姿に申し訳なさと居た堪れなさを感じながら結局何もできず、ひたすら下を向いているしかなかった俺……。
くそったれめ、俺はとんだ親不孝者だ。

「中沢さん。中沢さーん? 頼まれていた夕刊ですよ」
「あ、はい。どうもありがとうございます」

看護師さんから新聞を手渡され、反射的にそれを受け取る。
ああ、そういや頼んでたんだっけ。
もしかしたら事件のことが載ってるかもとか考えてたような気が……さっそく読ませてもらおう。

「中沢さんは偉いわねぇ。うちの子は新聞なんて読んだ試しがないわ」
「ハハ、俺だって似たようなもんですよ。せいぜい三面記事までしか読みませんし……」

ふーむ。
看護師さんと雑談を交わしつつパラパラと流し読みしてみるも、火事の話はどこにも載っていない。
それもそのはず。
例の災害は今日の昼間に発生したばかり。
文章に起こすには絶対的に時間が足りない。
少し考えりゃ分かることだろうに、血ぃ流し過ぎて脳味噌働いてないのかもしれん。
とりあえずこれは暇つぶしに使うとして、情報はニュースでも見て仕入れるとするか。

「それじゃ、私はこれで。何かあったらナースコールを押してくださいね。すぐ行きますから」
「はい。わざわざすみませんでした」
「では失礼……あっ! ああ、やだわ! すっかり忘れてた! 中沢さん、学校の先生がお見舞いに来られてますよ」
「えっ?」
「今、ロビーで待ってもらっているの。中沢さんの体調次第ではお引き取り願おうと思ってたんですけど、会われます?」

先生?
先生って、早乙女先生だよな?
校長とか教頭とか学年主任とかの線もあるっちゃあるけど……。
てか、会われますも何も会うしかなかろうよ。

「は、はい。体調ばっちりです。いつでも通してください」
「そう? なら呼んできますね」

看護師さんはそう言って足早に病室を出ると、パタパタと音を立てながら慌ただしく廊下を駆けて行った。
先生か……やべー、何言われるんだろう。
まさかただ見舞いに来たというわけではあるまい。
大方、俺への処分を通達しに来たといったところか。
事情を知らない教員方からすれば、俺の仕出かしたことは完全な非行でしかないからな。
処分を受けるのは仕方がない。

……仕方がないのだが、いざとなるとやっぱりビビる。
反省文と停学処分あたりでどうにか手打ちにしてもらえないだろうか、無理だろうか、無理だろうな。
クラスメイトを煽動し、授業を集団ボイコットさせ、無謀にも火災現場に突っ込み、挙句勝手に負傷した。
こんな馬鹿ガキの身を案じてくれる人間が一体どこにいるというのだ。
俺が先生だったら全力でぶん殴るわ。
あぁ、でもどうか退学だけは勘弁してください。
親が泣きます。

そんな風に戦々恐々としていると、部屋の外から静かな足音が響いてきた。
早い、もうついたのか。
徐々に大きくなる足音にビクつきながら開けっぱなしにされたドアの向こうの様子を窺う。
大物に来られたら俺は終わりだ。
天よ、どうか慈悲を……。

「中沢くん? 早乙女ですけど、今大丈夫?」

おお、よかった。
早乙女先生だ。
普通に担任を寄こしたってことは少なくとも退学は免れたみたいだな。
助かったぜ。

「ええ、大丈夫です。こんな格好ですみません」
「いいのよ。楽にしてなさい」
「そうですか? では、このままで」

しかも怒ってない。
むしろ心配してくれてるっぽい。
これは案外、何とかなるかもしれん。

「……だいぶひどいみたいね。ご両親に付き添ってもらわなくてよかったの? 一人じゃ心細いんじゃない?」

先生はベッドの傍までやって来ると、痛ましげに俺の顔を見つめた。
正確には死角となっている右目を見ているのだろうが、どちらにせよ妙齢の女性に凝視されるのはくすぐったい。

「よしてくださいよ。俺はもうそんな年じゃありません」
「そう? つらいときは無理しなくてもいいんですからね。なんだったら先生のことを頼ってくれたっていいんですよ?」
「いやいや、本当に平気ですって」

口ではこんなことを言っている俺だが、内心かなり嬉しかったりする。
人から優しくされて嫌な気分になる者など居やしない。
特に最近は色々ときついこと続きだったからな。
先生の気遣いが五臓六腑に染み渡ります。
よし、この空気なら言える。
謝罪するなら今しかない。

「先生、本日は大変ご迷惑をおかけしました。本来であれば先生達の判断を仰ぐべきところを、生徒達の独断で行動してしまい……」
「中沢くん」
「はい?」
「謝るのは後でいいから。今は自分の言葉で話しなさい」

あかん。
やっぱり怒ってた。
怒らない理由がなかった。
しかし、繕うなと言われても何を話せばいいのか……。

「……クラスの連中、今どうしてます? 出先で事故に遭ったりとかしませんでした?」
「おかげさまでね。みんな無事に帰ってきてくれました」
「そうですか……その、あんまり怒らないでやってもらえませんかね。あいつらを唆したの俺なんですよ。ですから……」
「駄目です。あなた達はうちの学校の生徒なんですから、危ないことやよくないことをしたら当然怒ります。反省文原稿用紙五枚分、書き終わるまで帰しません」
「……」
「それに、生徒がしたことの責任を取れるのは先生達とご両親だけです。同じ生徒であるあなたには取れません。分かりますね?」
「はい……」

なんという正論。
これはぐうの音も出ない。
そりゃ大人に屁理屈は通じんわな。
かといって本当のことを話したところで信じてはもらえんだろうし……。

「……この一件について、先生方はどこまで把握してます? 帰ってきた連中から事情は聞いてるんですよね?」
「んー、それがどうにも要領を得ないのよ。志筑さんのことが心配になってみんなで探しに出かけたってことは分かったんだけど、その先の情報が錯綜していてね」
「……なぜ俺達があんな山奥の火災現場にいたのか。そこに至るまでの経緯が分からない、ということですか」
「ん、そんなところね。ああ、別に今すぐ話せと言ってるわけじゃないのよ。ケガの具合がよくなって、気持ちが落ち着いてからでいいから」
「……」

早乙女先生、お心遣い痛み入ります。
客観的に見ても主観的に見てもどこからどう見てもDQNにしか見えない俺をここまで気にかけてくださるとは……不肖中沢、この御恩は決して忘れません。
そしてごめんなさい。
あなたの優しさにつけ込ませていただきます。

「よくなったら、ですか。そのことでしたら構いません。どうせもう治りませんから」
「え? それはどういう……」
「失明したんです。損傷がひど過ぎて治療の施し様がないと、そう言われました」
「あ……」

表面上は気丈に、それでいてどこか弱々しく、右目の症状がいかなるものかを軽く説明する。
片目とはいえ俺が光を失っているなど、完全に慮外な出来事だったのだろう。
ベッドの傍らに立つ早乙女先生の表情は蒼白と言ってもいいほどに青ざめていた。
そりゃそうだ。
生徒思いのこの人が自身の不用意な発言を後悔しないはずがない。
そのことを知った上でのこの行為。
我ながら、えぐいことをする。

「でもまあ、思ったほど不便ではないです。確かに視界は狭くなったけど、日常生活に支障を来すほどじゃありませんし。何より、これは完全に自業自得の産物なんです。泣き事なんか言ってられませんよ」
「中沢くん、自業自得だなんてそんな寂しいこと言わないでちょうだい。大変なときは先生が力を貸しますから。だから……ね?」

想定通り。
これで彼女は俺に強く出られない。
他の教員や外部の人間に無茶な証言を求められたときは、率先して庇ってくれさえするだろう。
そうなれば追及は逃れたも同然。
……昨日の今日、いや、今日の今日でさっそくこれか。
つくづく自分が嫌になる。
所詮、俺にはこんな生き方しかできないのか。

「ありがとうございます。困ったときは是非、頼りにさせていただきます」
「……ごめんなさいね。あんな無神経なこと言っちゃって。本当にごめんなさい」
「いえ、こちらこそすみませんでした。先生に当たるような真似をしてしまい、申し訳ありません」
「いいのよ。何も謝ることなんてないの。嫌なことも苦しいことも、全部私にぶつけてちょうだい。私はあなたの先生なんですから」
「先生……」

自らが引き出した言葉とはいえ、ここまで思ってもらえるとは……一生徒として冥利に尽きる。
こんなに素晴らしい女性と別れるなんて、前の彼氏達とやらはとんだ阿呆揃いだ。
もっとも、今の俺はその阿呆以下だが。

「先生。俺、先生のこと好きですよ。ときどき妙なネタ振られるけど、あれも嫌いじゃないっす。嘘じゃありません。みんなもきっとそう思ってます」
「うん、うん」
「俺の仕出かしたことに正当性があるなんて馬鹿なことは言いません。けど、そうしなければならない理由があったんです」
「分かっています。中沢くんは他の子達よりちょっと大人びてるから。誰にも頼らず、自分一人でどうにかしようって考えちゃうのよね」
「……ちょっと、ですか」
「うん? そうね。ちょっと早熟かしら」
「……」
「どうかした?」
「いえ、何でも」

先生、俺の実年齢はもっと上です。
大人になり切れてなくてすいません。
いい年してアニメなんか見てごめんなさい。
こんなどうしようもない俺ですが、先生にはいつか必ず恩返しをさせていただきます。
それまでは、どうかご容赦を。




第七報告 『中沢、語る(騙る)』




カリカリカリと。
ノートに筆を走らせる。
入院二日目。
朝の診察を終えた俺は病院の談話室に引き籠り、これまでに集めた情報の整理を行っていた。
正直、この時期の時間的ロスはかなり痛いが、焦ったところで退院は早くならない。
今はただ耐え忍び、研究に励むのみ。

「……やはり遅過ぎたか」

魔女により引き起こされた此度の災厄。
その顛末について簡単にまとめるとこうだ。
昨日発生した不審火により操業停止中の工場一棟が半焼。
焼け落ちた工場内部から男女合わせ九人の遺体が発見される。
そのうち比較的損傷の少ない遺体の身元を確認したところ、いずれも見滝原在住の市民であることが判明した。

しかし、それ以外の共通点が見当たらない。
職業、年齢、所属団体等、諸々の要素を調べるもまるで関係性が見えてこない。
加えて被害者達の足取りにも謎が多く、確認しうる限り全員が朝の出勤時間帯にいつも通り家を出て、そのまま真っ直ぐ火災現場へ向かったとしか思えない行動をとっている。
警察は状況の不自然さを鑑み、自殺サイトで知り合った仲間達が集団自殺を図ったとみて捜査を進める方針のようだ。
なお当時その場に居合わせた地元の学生二人が煙を吸って病院に運ばれ……これは割愛。
まあ、こんなところだろう。

「生存者はゼロ、か。分かり切っていたことだが……俺がもっとうまく立ち回っていれば、一人は……」
「あ、いたいた。探したよ」
「む?」

危うく思考の海に沈みかけていたところを、聞き覚えのある独特な声音に引き戻される。
しかし、その声は現在の時刻を考慮すると決して聞こえてくるはずのないものだ。
すわ幻聴かと驚き振り向く。

「うわっ、ノート真っ黒。なんかすごいびっしり書いてるね」

どうやら聴覚に異常を来したわけではなかったらしい。
俺の背後には制服姿の鹿目まどか、その人が立っていた。

「鹿目ちゃーん、こんな時間にどうしたのよ? まさか俺のことが心配すぎて学校サボってまでお見舞いに来てくれたとか? 中沢さん感激だなー」
「違う違う。サボってはいないから。中沢くんと仁美ちゃんのことが心配だったのは本当だけど。はい、これ。差し入れのお菓子」
「おお、こいつはどうもご丁寧に」

はて、お見舞いには来たけど、サボってはいないという彼女。
まだ午前中なのにどういうこっちゃ。

「あれ? その眼帯どうしたの? やっぱりケガしてた?」
「いいや。煙が目に染みて充血してるだけよ。軽傷、軽傷」
「そう? ならいいんだけど」

嘘も方便。
わざわざこの子に怪我人アピールする必要もあるまいて。
そんなことより、鹿目ちゃんが何故ここにいるのか理由を聞かんと。

「で、サボりじゃないってのは? まだ昼前だぜ」
「うん、それなんだけどさ。昨日の集団ボイコットの件がPTAにばれたんだ」
「うげっ、マジ?」
「マジ。みんな制服とジャージ着たまま、そこら中歩き回ってたからね。逆に騒ぎにならない方がおかしいんだけど」
「それはそうだが、なんで大人数だったことまで……あぁ、さてはあいつら固まって動いてたな。まあいい。学校の方は今どうなってる?」
「完全に機能停止状態。授業どころか自習の監督すら碌にできない有様だよ。先生たちは電話対応と直接乗り込んできた保護者の相手に追われてもうしっちゃかめっちゃか。結局、収拾がつかなくなっちゃって、生徒たちは家で大人しくしてるようにって帰されたんだ。いわゆる臨時休校ってやつ」
「……なんと」

鹿目ちゃんの語る衝撃の事実に思わず絶句する。
なんということだ。
モン……保護者さん達の電話攻勢と本陣特攻により教育現場は阿鼻叫喚の渦に叩き込まれてしまった。
こりゃ確かに俺じゃ責任取れないわ。
先生方、ほんとごめんなさい。
生きててすみません。

「だから本当はここにも来ちゃいけないんだよね。先生たちには内緒だよ?」
「承知した。また反省文を書かされるのは大変だろうしな。ところで、昨日はあの後どうした? 何かあったか?」
「そうだねぇ……中沢くんたちが病院に行った後、消防の人にいろいろ聞かれたかな。あと、記者さんとかテレビ局の人とかがどこからともなくやって来て、やっぱりいろいろ聞かれた」
「ほう」
「それでその取材受けたときの映像がさ、夕方のローカルニュースで流れたらしいんだよね。私は反省文が終わんなくて見られなかったんだけど、中沢くんは見た?」
「……」

んん?
ニュースに出たって、もしかして君らがお茶の間に映ったからPTAにばれたんじゃねえの?
おのれ民放め、こんなときばかり仕事しやがって。
ローカル番組はローカル番組らしく季節のお料理紹介でもやっていればいいものを。

「ねえ、見た?」
「……いや、見てない」
「聞いた話だと六秒も映ってたらしいよ、六秒も。顔にモザイクかかってなかったらしいし、家とか特定されたりしないかな」
「あーはいはい、大丈夫大丈夫。まあ、要するにだ。鹿目ちゃん達が取材を引き受けてくれたおかげで俺も志筑も平穏無事に過ごせたってわけだな。礼を言うよ」
「んーん? どういたしまして、でいいのかな?」
「いいよ。それで、他には何があった?」
「他に? そうだねぇ……」

ひとまず重要な報告は以上で全てだったらしい。
その後は反省文を書くのが大変だっただの、先生が激怒していて怖かっただの、たわいない雑談に終始した。

「それでね……あっ、もうこんな時間。次は仁美ちゃんのところに回らないと」
「なんだ、まだ行ってなかったのか。さっさと行ってこい。あいつ夕方には帰っちまうぞ」
「そうなの? じゃあ、今すぐ行かなきゃ」
「おう、急げ急げ。それと明日、学校に行ったらみんなに伝えといてくれ。中沢は元気にしているってな」
「ん、わかった。ちゃんと伝えておく。またね」
「あいあい、またな」

ふりふりと手を振りながら去っていく鹿目ちゃんを見送り、一つ大きな溜め息を吐く。
まさか学校がそのような事態に陥っていたとは……先生達、ノイローゼにならなきゃいいけど。

「中沢さーん。そろそろお部屋に戻ってくださーい」
「ういっす」

とにもかくにも病院に押し込められた状態では、現状を憂える以外に取れる行動がない。
やはり早期復帰が急務か。

「もしかして今の彼女? 可愛いわね」
「ちょ、変なこと言わないでくださいよ。学生さんと付き合うとかありえないですから。俺のストライクゾーンは24から38です」

まずは退院を目指す。
先のことはまたそれから考えよう。


****


消毒液の香る病室で過ごす優雅さの欠片もない陰鬱な昼下がり。
俺は特に何をするでもなくベッドの上で静かに目を瞑っていた。

「……眠れん」

そう、本当に目を閉じていただけ。
一眠りしようと横になってはみたものの、右目を苛む鈍痛がまどろむことを許さない。
夢の世界へ逃れようとした瞬間、眼球にじくっと痛みが走り、現実への強制送還を執行する。
この一連のサイクルが何度繰り返されたことやら。
思えば昨夜からずっとまとまった睡眠がとれていない。
痛み止めは毎食後、欠かさず飲んでいるはずなんだがな。

昼寝による回復を試みてから、かれこれ一時間は経過しただろうか。
睡魔の訪れる頻度は着実に減少し、代わりに寝返りを打つ回数が増えた。
ただ寝転がっているだけでも身体への負担は和らぐらしいが、やはりひどく手持無沙汰であるのは否めない。
どうせ視力が戻ることはないのだから、もっと具合の悪い人間にベッドを明け渡すべきではなかろうか。
いいや、明け渡すべきである。
退院させろ。

「……お?」

いい加減寝るのにも飽き、軽く上体を起こしてぼんやりしていると、廊下側から人ひとり分の足音が聞こえてきた。
看護師さん、ではないな。
足音の質が違う。
もしかして俺への見舞客か?
などとちょっと期待してしまった俺を誰が責められよう。
外出が規制されているからとはいえ、鹿目ちゃん一人しかお見舞いに来てくれないとか寂しいを通り越して不安になる。
クラスの誰からも好かれていないなんて悲し過ぎるじゃないか。

足音がだんだん近付いてくる。
確実にこっちに向かってきている。
これは期待しちゃってもいいだろう。
さて、一体誰が来てくれたのか。
俺は来訪者を出迎えるべく見苦しくない程度に身なりを整えると、部屋の扉からすっと顔を出した。

「……」
「……」

これはまた何とも意外な。
すでに病室の数メートル手前までやって来ていた青髪の少女とばっちり目が合う。
ただお見舞いに来ただけにしちゃぁ、やけにめかし込んだ様子のその娘さんは片手にCDやら何やらがぎっしり詰まった手提げ袋をぶら下げ、怪訝そうな面持ちでこちらを見ている。
やがて彼女はぺこりと会釈し、緩んだ歩調を元に戻すと、そのまま俺の前を通り過ぎていった。
……おい。

「おい。ちょっとー。おーい。いくらなんでも素通りはひどくね?」
「んー?」

何事もなかったかのように立ち去ろうとする少女、美樹さやかを捕まえ、部屋の前まで連れ戻す。
俺が目当てじゃないことくらい分かっていたけど、まさかスルーされるとは思わなんだ。
そんな俺の悲哀を知ってか知らでか、彼女は煩わしさを隠すことなく鬱陶しげに口を開いた。

「いや、素通りはしてないでしょ。チラッと見たじゃん。で、ああ元気そうだなーって」
「一瞥くれるだけの見舞いなんてされない方がマシです。こんなところで手間を惜しんでくれるな」
「うーん……でも実際、私とあんたってそこまで仲良くないよね。朝、玄関で会ってもお互い挨拶しないし。たまに頭下げる程度?」
「だからどうした。友情なんてこれから育めばいいじゃないか。十分、いや、五分でいいから寄ってけよ。茶菓子なら俺が出すからさ」
「えー……」

美樹が拒否の意を示すかのごとく、低く唸る。
おまけに割と本気で嫌そうな顔され、さすがの俺も少し傷ついた。
寂しいからってがっつきすぎたかね。
反省。

「すまない。無理強いして悪かった。誰も見舞いに来ないし、目は痛いしでテンションおかしなことになってたんだ。許せ」
「ふーん。別にいいけど」
「助かる。ときに、その袋は上条への差し入れか? 結構買い込んだみたいだな」
「あ、分かる? この辺のレア物は大体発掘しちゃったから風見野まで遠征してきたんだけど、そこでいい感じのお店見つけたんだ。おかげでちょっと奮発しちゃった」

やはりと言うべきか、この子はつくづくシンプルだ。
話題が思い人のそれに変わるやいなや、一転して饒舌になった。

「さよか。喜んでもらえるといいな」
「喜ぶでしょ。恭介、こういうの好きだし」

上条が喜んでくれると信じて疑っていないのだろう。
おみやげの入った袋を愛おしげに撫で回す彼女の表情はある種の期待に満ちている。
不憫な。

「しかし上条といえば、あいつの部屋はもう一個上だろ。なんでこのフロアに来たんだ?」
「なんでって、仁美の様子を見にきたのよ。特に大きなケガはしてないらしいけど、一応ね」

なるほど。
俺ではなく志筑の見舞いか。
美樹といい、鹿目ちゃんといい、律儀なことだ。
伊達に親友を名乗っているわけじゃないのね。

「さすが親友。考えることは同じか。鹿目ちゃんもさっき来てたよ」
「へえ、まどかがねぇ」
「行くなら急いだ方がいい。帰り支度の最中に押しかけるのは迷惑になるぞ」
「ん? あれ? もしかして仁美の入院って一日だけ?」
「幸いなことに」
「そうなんだ。早めに切り上げてよかった」

危なかったと胸を撫で下ろす美樹の姿を見て、ふと思い出す。
そういえばキュゥべえの動向は今、どうなっているのかと。

「なあ、美樹よ」
「うん?」
「お前さん、キュゥべえに会ったか?」
「またえらく唐突ね。なんでそんなこと聞くのよ」
「うむ、実はな。お前の体から獣臭がしてな。これはキュゥべえの匂いに違いないと……」
「え!? うそ!?」
「もちろん嘘だ。やつは無臭だし、お前さんは十分いい匂いだ。引っ掛かりおったな」
「こ、この……! バカ! 変態!」
「はっはっは、許せ許せ」

あぶねー。
確認してよかったー。
それにしてもキュゥべえのやつ、さっそく仕掛けてきたか。
受けて立とうじゃないの。

「信じらんない……最低」
「猛省しております。この通りです」
「ふん、あんたの土下座は安いのよ」
「お前さんの頭が高いのよ。で、キュゥべえとはどうした? もしかして既に契約しちゃったとか?」
「まだよ。こっちにも事情ってやつがあるの」
「事情ねぇ。あ、もう立っていい?」
「勝手にすれば」

美樹は鹿目ちゃんの大親友。
その大切な友人の身に何かあれば、彼女は一も二もなくキュゥべえと契約を結んでしまうことだろう。
それだけは是が非でも阻止しなければならない。

「でも、実際かなり驚いたわ。匂い云々は抜きにしても、あんたのネタを嗅ぎつける能力は本物みたいね。まさに犬並の嗅覚って感じ?」
「違う。鼻じゃない。眼だ。たとえ物理的に塞がれようとも真実を見通す力は未だ衰えていない」
「はいはい、中二乙」
「フッ、そうやって馬鹿にしていられるのも今のうちだ。後に続け。志筑のところへ行くぞ」
「言われなくてもって、なんであんたが仕切るのよ。わけわかんないやつ……」

不幸中の幸いとでも言うべきか。
状況はそれほど悪くない。
むしろ良いとすら言える。
美樹、志筑、上条が一堂に会したこの状況を最大限に活かすのだ。
失敗は許されないが、やるしかない。
やってやるぞ。


****


俺の部屋と同じ階に位置する志筑の病室。
なんとなく顔を合わせづらくて今日この時まで訪れることのなかった場所。
その扉を三度ノックし、開けた隙間から顔だけ覗かせ声をかける。

「こんにちは、志筑くん。具合はどうかね」
「ほんと何キャラ目指してんのよ、あんたは。仁美、調子はどう?」

ちょうど帰るところだったのだろう。
中にはすでに荷物に手を付け始めていた志筑の姿があった。

「あら、さやかさん。ご心配をおかけして申し訳ありません。中沢さんもその節はどうも。見ての通り、ピンピンしています」

こちらに気づいた志筑が上品に微笑む。
昨日見せた狂気は泡沫のごとく消え去り、完全に本調子を取り戻したようだ。

「看護師さんからいろいろ聞いてはいたが、実際に元気にしているところを見て安心したよ。退院おめでとう」
「おかげさまで……中沢さん、その目は?」
「気にするな。それより、少し時間もらえるかな? 話したいことがあるんだ」
「話したいことですか? 構いませんよ。なんでしょう?」
「手間をかける」

志筑が手を休めたのを見て、俺達も中に入る。
さて、どう切り出すべきか。
ここは単刀直入に……いや、違うな。
まず先にすべきことがある。

「志筑」
「はい」
「すまなかった」
「はい?」
「いたずらに不安を煽るようなことばかり言って悪かった。精神状態が不安定な人間ほど魔女に狙われやすいと、分かっていたはずだったのに。本当にすまない」
「そんな……中沢さんのせいではありませんわ。責めを受けるべきはわたくしの方です。たくさんの方に多大なご迷惑をかけてしまい……皆さまに合わせる顔がありません」
「それは違う。君はあくまで被害者なんだ。君に一切の非がないことくらい、みんな知っている。だから何も気にしなくていいんだ」
「お心遣いありがとうございます。ですが、それはあなたにも言えることです。まどかさんから聞きました。わたくしのためにとても尽力してくださったと」

尽力してくれた、か。
元を辿れば大体俺の身から出た錆なんだがな。
いずれにせよ、これで許されたと思ってはいけないのだろう。

「そうか。そう言ってもらえると少し楽になる。また機会があったら、何か甘いものでも奢らせてくれ」
「喜んで。そのときを楽しみにしています」
「ほほぅ? 人前で逢引きの約束とはやりますなぁ。中沢がガチなのは知ってたけど、仁美も案外満更じゃないとか?」
「え? ええっと……」
「茶化すな。ただの社交辞令だ」

昨日の朝から気になっちゃいたが、俺が志筑に惚れているというのは一体どこから生じた情報なんだ?
それっぽい行動をとった覚えはねえぞ。
ええい、まあいい、閑話休題。
ここからが勝負だ。

「さて、挨拶はこれくらいにして本題に入ろうか」
「なに? まだ何かあるの?」
「ある。それにこれはお前さんにも関係のある話だ」
「私にも?」
「ああ。上条のことについて話がしたい」

上条、という単語に二人の少女がピクリと反応する。
他でもない意中の男性の話だ。
気にならないわけがない。

「まずはそうだな……あいつの容態がどの程度のものか、お前さん達はどこまで知ってる?」
「ちょっと何よ、いきなり。あんた、恭介の何を知ってるのよ」
「まあ待て。焦らずとも後でちゃんと教えるさ。で、どれくらい知ってる?」
「……見た目より、ずっとひどいってことくらいしか知らないわよ。あいつ、あんまり弱音吐いてくれないし」
「ふむ、志筑は?」
「お恥ずかしながら、回復に至るまで相当の時間を要することになるとしか聞き及んでおりません」
「なるほど。要するに何も分からんと」
「悪かったわね。けど、そういうあんたはどうなのよ?」

利いた風な口をきく俺の態度がよほど腹に据えかねたのだろう。
美樹の語気に苛立ちが混じり始める。
そろそろ頃合いだな。

「無論、熟知している」
「なんですって?」
「掛け替えのないクラスメイトの一大事。この俺が調査を怠るはずがない。ああ、病院の名誉のために言っておくが、内部の人間が意図的に情報を漏らしたわけではないからな」
「前置きはいいから! 恭介の腕はどうなの? いつ治るの?」
「……」

正直、これはかなり分の悪い賭けだ。
負けが前提にあると言っても過言ではない。
一応、事後策もないことはないが……さて。

「――治らない」
「……え?」
「現代医学では手の施しようがない。密かに大きい病院での検査も行っていたようだが、上条を診た全ての医師が首を横に振ったそうだ」
「で、でたらめ言わないでよ! そんなそぶり、一度だって……!」
「お前さんに気を遣ってたのさ。とはいえ、俺の証言だけじゃ信じられんわな。それこそ関係者の話でもなけりゃ……っと、ちょうどいい。すみませーん。少しお時間いいですか?」
「はーい?」

他の患者さんの様子を見に来たのだろう。
部屋の外をたまたま通りかかった二人組の看護師さんを呼び止める。

「俺達、上条君の友達なんですけど、彼がもう自分の腕は治らないってすごい落ち込んでて……なのに俺、どう励ませばいいのか分からないんです。どうすればいいんでしょうか?」
「あぁ、若いのに大変よねぇ。ご両親共々気落ちしていらして、ほんと気の毒に……」
「こ、このバカ! ご家族の方以外には内緒のはずでしょ!」
「あぁっ! ご、ごめんなさい! 上条くんは全然大丈夫ですよ! それじゃ私達は仕事がありますからこれで!」

……情報提供感謝します。
それと鎌をかけるようなことを言って申し訳ない。
と、逃げるように去っていく分かりやすい看護師さんに心の中で謝罪し、改めて少女達の方へ向き直る。

「図らずも情報漏洩の現場に立ち会ってしまったが、ここは聞かなかったことにしよう。いいな?」
「うそ……恭介が……そんな……」
「さやかさん……どうかお気を確かに」

聞こえてないか。
激昂寸前だった美樹はすっかり色を失い、ぺたりと座り込んでしまった。
無理もない。
上条本人への想いもさることながら、彼の奏でる音楽への思い入れも深い彼女にとっては受け入れがたい事実だ。

反面、志筑の方は落ち着いたものだ。
これは推測だが、おそらく上条の演奏家としての側面をさほど重視していないがゆえの冷静さだと思われる。
思えば志筑仁美という人間は正面切って親友の幼馴染を奪ってやる発言をした挙句、先手くらいは譲ってやるとぶちかました女傑だ。
おっとりした見た目に反し、根っこの部分は意外とさばさばした性格なのかもしれない。

「恭介……こうなったら……! 今すぐ契約して恭介のケガを……!」
「ちょい待ち! お前さん、本当にそれでいいのか?」

案の定、キュゥべえとの契約を持ち出してきた美樹にストップをかける。
はてさて、乙女の暴走に一体どこまで食らいついていけるのやら。
憎まれ役、買って出ましょう。

「邪魔しないで。恭介が苦しんでるの」
「だから待てと言っている。確かに現代の医学では上条の腕を治せない。しかし、この事実は未来の可能性まで否定してはいない。もしかしたらあと数年、五年か十年後に治療が可能になるかもしれない。人類の医療技術は常に進歩し続けているのだからな」
「そんな屁理屈……!」
「いいから聞け。未来とはどこまでも不確かなものだ。仮に今回腕を治せたとしても、再び同じケガを負ってしまう可能性だって存在するんだぞ。そこら辺、分かって言ってるか?」
「それが屁理屈だって言ってるのよ! こんなひどいこと、そう何度も起こるわけないでしょ!」
「起こるさ。例えば人の悪意。俺がその気になれば上条程度の細腕、マッチ棒みたいにポキンと折ることができる」
「あ、あんたね……!」
「例えば予期せぬ不幸。突発的な事故、難病の罹患、そして――魔女。危険ってやつは日常の至る所に転がっている。志筑が被害に遭ったこと、もう忘れたのか?」
「そんなの私が魔法少女になって恭介を守れば済む話でしょ! なんなのよ、さっきからひどいことばかり言って! あんた恭介のことが嫌いなの!? もうやだぁ……!」

……まずい。
精神的にいっぱいいっぱいになってしまったのだろう。
俺の仕掛けた意地の悪い問答に耐えかね、美樹はとうとう泣き出してしまった。
こうなっては最早、話をするどころの騒ぎではない。
方策を誤ったか?

「美樹、すまな……」
「ああもう、泣かない泣かない。さやかさんは強い子です。ほら、背中とんとんしてあげますね。とんとんとん……」

無意味と知りつつ紡ぎかけた謝罪の言葉を遮ったのは、俺達の口論を不安げに見つめていた志筑だった。
小さな子どものように泣きじゃくる美樹を優しく宥めるその姿は、ベテラン保母さんもかくやあらんといった感じだ。
片や今の俺のなんと情けないことか。
ここは大人しく彼女に任せよう。

「うっ……ぐずっ、ひとっ、ひとみぃ……!」
「……志筑、しばらく美樹の世話を頼む。俺は少し出てくるから」
「あなたに言われるまでもありません……中沢さんって嫌な人だったんですね」
「そうだな。自分でもそう思う」

女の泣き顔を眺めて悦に浸る趣味はない。
美樹が落ち着くまでの間、病室の外で待つことにする。
漏れ聞こえる嗚咽から逃れるように階段付近へ移動。
冷たい壁に寄り掛かり、力なく宙を仰ぐ。
……これからどうしよう。

二人に悪感情を抱かれること自体は別に構わない。
しかし、嫌われるあまり話すら聞いてもらえなくなったら、そこで全て終わりだ。
女子の結束は共通の外敵を前にして初めて真価を発揮する。
今の状態を放置すれば、俺が学校で村八分状態にされるまで三日とかからないだろう。
信用を築くには長い時間を要するが、崩れるときは一瞬、そして二度と戻らない。
俺個人に成せることは何一つとして残らず、許された自由は座したまま惨めに死を待つことのみ。
そんな事態は御免蒙る。

かといって、ここで安易なご機嫌とりに走るわけにもいかない。
俺の目的はあくまで美樹の契約を阻止すること。
憎まれようが何されようが説得を放棄するという選択肢はありえない。
思うに先の失敗は、美樹の心情を汲んでやらなかったこと、最初から彼女の願いを否定するスタンスをとってしまったことが原因だ。
相手は年頃の少女。
延々理屈を捏ね回して願いの穴を次々指摘していくのではなく、むしろ感情に訴えかけてやるべきだったのだろう。

感情……それも恋愛感情か。
ふと、邪な考えが脳裏をよぎった。
そうだ。
俺は持っている。
美樹を思い止まらせることができるほどの強力な武器を。
だが、これは人の思いを踏み躙る外道の業だ。
下手をすれば、一人の人間の人生を変えてしまうかもしれない悪辣極まる代物だ。

――それがどうした。
退路など端からありはしない。
どれだけ薄汚れた前途であろうと、進むべき道はこれしかない。
そうすることで二人の少女の契約を防げるのなら、俺は喜んで蛇蝎となろう。


****


院内をうろうろして適当に時間を潰すこと三十分。
俺は再び美樹と志筑が待つ部屋の前まで戻ってきていた。
……何故だろう。
こちらと向こうを隔てる僅か一枚の扉が、今はとても分厚く重そうに見える。
いや、重いのは俺の気分か。
これから実行することを考えると、気が重たくて仕方がない。

ともすれば委縮しそうになる気持ちを無理矢理奮わせ、扉にそっと手をかける。
物音を立てないよう慎重に開いていき、こっそり中を窺うと、二人はベッドの上に腰かけ何やら話し込んでいるようだった。
俺の悪口で盛り上がってたら嫌だなぁと思いつつ、聞き耳を立ててみる。

「……そうですか。さやかさんのところにキュゥべえが」
「うん。来てくれたらいいなぁとは思ってたけど、まさか本当に来るなんてね。こう、これくらいの子猫みたいな大きさでさ。まさに動くぬいぐるみって感じなんだ」
「まあ、羨ましい。わたくしも愛でてみたいですわ」
「ふっふっふ、いいだろー」

た、立ち直り早いな。
泣いたカラスがもう笑ったか。
それとも志筑がうまいことやってくれたのかしら。

「もっとも、わたくしが一番愛でてみたいのはさやかさんの魔法少女姿なんですけどね」
「え?」
「騒がしいのはあまり好みませんが、さやかさんは別です。絶対にファンになります」
「えー……いいよ、私は一人で細々とやるから」
「そんな、なんてもったいないことを。どうしてですか?」
「どうしてって、それは……私はマミさんみたいに美人じゃないし、目立つのもそんなに好きじゃないし、なんかいろいろ比べられそうで嫌だし……とにかくそういうわけだから」
「まあまあ、そのようなことを気にしていらしたのですか。だいじょうぶ、さやかさんはかわいいです」
「う……それって嫌味?」
「まさか。信じられないというのなら何度でも言いましょう。さやかさんは抱きしめたくなるくらいかわいいです。かわいいかわいい」
「や、やめてよ、恥ずかしい……」

なんか違う意味で入りづらい。
人のいないところで百合百合しやがって。
けしからん。
志筑のやつ、もしかしてバイなのか?

「ただいま。外出ついでにお茶買ってきたぞ。金は取らんから飲め」

取り敢えずだいぶ落ち着いたようなので空気を読まずに乱入。

「!」
「あら、おかえりなさいませ。よく戻ってこられましたね」

した途端、和やかなムードは一瞬にして霧散。
代わりに肌を刺すようなピリピリとした雰囲気が漂い出した。
美樹は言わずもがな敵意剥き出し。
志筑も表面上はにこにこしてるのに目が笑ってない。
荒んでるときの暁美ちゃん並に眼光が冷たい。
なんというアウェー感。
これはきつい。

「いきなり皮肉でお出迎えとは参るな」
「さて? なんのことでしょう」
「なんのことだろうな。ほれ、お茶。あいにく缶しかなかったけど、いいよな」
「……ふん」
「こらこら、捨てるな。飲食物に罪はないだろ。それに泣いた後は水分の消耗が激しい。気に入らなくても貰っとけ」
「さやかさん、ここはご厚意に甘えましょう」
「……仁美がそう言うなら」

やれやれ、嫌われたもんだ。
志筑がいてくれなかったらと思うとぞっとするぜ。
その志筑も俺の味方ではないんだけど。

「まあ、なんだ。悪かったよ、意地悪なこと言って。けど、俺は決してお前さんのことをいじめたかったわけじゃないんだ」
「なにそれ。じゃあ、どういうつもりだったのよ」
「……美樹のことが心配だったんだ」
「はぁ?」

急に態度を軟化させた俺を、美樹が胡乱な目で睨む。
そりゃそうだ。
あれだけボロカスに扱き下ろしといて今更心配もクソもない。
だが続ける。

「回りくどい言い方はよそう。魔法少女になるのはやめた方がいい。あれは危険だ」
「ふん、あんたがそれを言うの? 今まで散々騒ぎ立ててきたあんたが」
「俺だからこそ言うんだ。美樹、お前は人の死体を生で見たことがあるか?」
「な、ないけど」
「魔法少女になれば毎日のように見るハメになるぞ」
「そんなの……警察の人だって毎日見てるでしょ。病院勤務の人とかもそうだし、私にだって我慢できるわよ」
「そうか。でも、俺には無理だったよ。可哀想と思うよりも前に、気持ち悪いって考えが先に来て駄目だった。本当はもう一人助けられたはずなのに、てめえでふいにしちまった」

彼女のことは、本心から後悔している。
悔やんでも悔やみ切れない。
もう贖う術もないけれど。

「中沢、あんた……何があったの?」
「それはな……こういうことだ」

感傷を振り切り、右目を覆うガーゼに手をかける。

「……っ!」
「ぁ……!」

眼帯が外され、負傷した眼球が露わになった瞬間、ヒュッと息を呑むような悲鳴が短く響いた。

「はい、おしまい。見苦しいものを見せたな」

何の前触れもなく生のグロを見せつけられ、俺の顔を直視することができないのだろう。
眼帯をかけ直し、改めて少女達の方へ向き直っても、二人はこちらを見ることなく、ただただ視線を床に這わせていた。

「魔法少女として魔女に関わっていけば、いつか必ずこういった痛手を負うことになる。顔に傷がつくのはさすがに嫌だろ? 悪いことは言わん。やめておけ」
「……その目、治るの?」
「少なくとも現代医学では無理だな。けど、希望を捨てなけりゃ何とかなるんじゃね? ここはひとつ、今後の医療の進歩に期待するってことで」
「それ、本気で言ってる?」
「何割かは。ペシミストよりもオプティミスト。論文試験のときに、日本の将来はお先真っ暗ですなんて旨を書くやつは問答無用で不合格だ。不確かな未来を憂えるより、希望を抱いて明日に臨む方がいいに決まっている」
「……言ってることがさっきと矛盾してるわよ。その理屈なら、別に恭介の腕を治してあげたっていいじゃない」
「だから言っただろ。お前さんのことが心配だったって。クラスメイトが修羅の道に迷い込みかけているんだ。信条くらい曲げるさ」

うーん、我ながら苦しい。
いや、続けるけど。

「何も難しいことはない。今までどおりでいいんだ。上条の痛みと苦しみを共有し、傍に寄り添って励ましてやればいい。それでいいじゃないか」
「……よくないと思う。やっぱりダメだと思う。確実に目的を果たせる手段がすぐそこにあるのに、実行に移さないなんて怠慢だよ」
「……顔に傷ができると大変だぞ。顔は女の命だ。容貌を損なった女性の絶望は深い。それこそ自ら死を選んでしまうほどに。それでも構わないっていうのか?」
「ううん。嫁入り前の体を傷物にされるのは当然嫌だけど、それを理由に逃げることもしたくない。私は、恭介のヴァイオリンをもう一度聞きたい」

頑固者め。
ここでヴァイオリンの話を持ち出してきたか。
ならばこちらも切り札を切ろう。
志筑、すまない。

「なるほどな。美樹が上条のことをどれだけ想っているのか、よく伝わったよ。もう一度、あいつの音楽が聞きたい。熱い理由じゃないか」
「うん……」
「そのことを踏まえ、敢えて言おう。お前は魔法少女になるべきじゃない」
「……どうして? 分かってくれたんじゃなかったの?」
「美樹、俺には好きな人がいる」
「!」
「……!」

言ってしまった。
これでもう後には引けない。
さあ、本日最後の三文芝居だ。

「右目の光を失ったことを、俺は後悔していない。むしろ誇りにさえ思っている。大切な人を守ることができたんだ。この傷は一生の誉れだ」
「中沢さん……」
「だが、同時にこの傷を受けたことで、俺はその人に思いを告げる資格を失った」
「……どういう意味?」
「フェアじゃないから、対等な関係じゃないからだ。振りかざすつもりはないけれど、俺はその人の恩人という立場にある。もし俺が告白したら、その人はすごく断りづらいと思う」
「断られることが前提なの? 受け入れてもらえるとは思わないの?」
「思わない。この顔で、この性分だ。億に一つもありえない。何もかもが釣り合っていない」
「でも……あんたは、がんばったじゃん。そんなになるまでさ……」
「その頑張りが重いんだ。押し付けがましいんだ。こんな邪恋は絶対に報われちゃいけない。そして美樹、お前もまた俺と同じ道を歩もうとしている。俺はそれを止めたい」

終わった。
詭弁を弄し、虚言を尽くした。
これで駄目なら、もう止められない。

「……ああ、そういうこと。あんたが何を言いたいのか、やっと理解できたよ。最初から、そう言ってくれればよかったのに」
「仕方ねえだろ。言いたくなかったんだから」
「うん、そうだね。確かに言えないわ。ごめんね」

ずっと俯いたままだった美樹がようやく顔を上げる。
その表情……笑っているのか?

「分かってるわよ、それくらい」
「む?」
「治せないほど悪いとは思ってなかったけど、恭介の腕が重傷だってことは知ってた。本当にあいつのためを思うなら、さっさと契約しておくべきだったんだ」
「……」
「でも、そうはしなかった。なんでだと思う?」
「……見当もつかないな」
「あんたと同じよ」
「俺と?」
「うん。自分で言うのもなんだけど、私って結構尽くすタイプなんだよね。恭介が入院してからは毎日欠かさずお見舞いに来てるし、そうなる前からもあれこれ世話を焼いてきた」
「いや、全然ちゃうやん。俺は尽くされて楽したいタイプです」
「黙って聞いて。よく勘違いされるけど、尽くすことと見返りを求めないことはイコールじゃないんだ。あなたに尽くした分、私のことを見てほしいって言外に意思表示してるの」
「……」
「自分の性格はよく把握しているつもり。本当の私はすっごい嫌なやつ。あいつの腕を治したら、それを口実にいろいろ期待をかけちゃうと思う」
「……それが、今日まで契約を避けてきた理由か」
「そう。あいつは音楽を心から愛してるから、音楽に関することだけはダシにしたくなかった」

ふぅ、と美樹の口から微かな吐息が漏れる。
内心を吐露し、すっきりしたという感じではない。
むしろ諦観、悲壮といった負の感情の込もった溜め息だ。

「たぶん、私は最初から失格だったんだ。恭介にふさわしい女じゃなかった」
「阿呆。中坊風情が悟った風な口を利くな。相手に与えるだけ与え続け、自分からは何も求めない。そんな男女関係があってたまるか。それはただの親子関係だ」
「親子……」
「いいんだよ、見返りを求めたって。お前は俺とは違う。まだ引き返せる場所にいる」
「……中沢は優しいね。でも、もう決めたんだ。私は恭介の腕を治すよ。それと、あいつを好きでいることもやめる。これからは一ファンとして応援していくつもり」
「なっ……! こ、この大馬鹿野郎! 美樹、お前、お前ってやつは……!」

ああ、これは違う。
こんなはずじゃなかった。
俺はまた方策を誤ったのか。
万策、ここに尽きる。

「あのぅ、盛り上がっているところ大変申し訳ないのですが……」
「なに? 仁美、どうかした?」
「はい、もうすぐ面会終了の時刻です」
「ああ、もうそんな時間か」
「そこで提案なのですが、これから上条くんの病室にみんなで参りませんか? 当事者たる彼を蚊帳の外に置いたままというのも奇妙な話ですし……」
「……それもそうだな。俺に異存はない」
「私は行きたくないなぁ……。わざわざ恩を着せに行くのはちょっと……」
「ダメです。行きましょう」
「いや、でも」
「行きましょう」
「……はい」

あ、危なかった……。
終わったかと思ったよ。
絶体絶命のピンチに機転を利かせ、流れを変えてくれた志筑に最大級の感謝を。
今日のMVPは間違いなく君だ。
もうスイーツなんてケチくさいことは言わず、焼き肉でも寿司でも何でも奢ってやるよ。

「……中沢さんもさやかさんも、面倒な方ですこと」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ、何も」

そんなこんなで俺達は三人連れ立って上条のもとへと向かったのであった。


****


というわけで上条の病室に到着。
時間が惜しいのでささっと入室する。

「上条くん、帰宅前のご挨拶に参りました」
「え、志筑さん? なんか珍しい人が来たね。歓迎するよ」
「俺もいるぞ」
「中沢もいるのか。でも、なんで入院着?」
「……こんにちは」
「やあ、さやか。今日も来てくれたんだね。うれしいよ」
「……」
「ん?」

さて、この筋金入りの朴念仁相手にどう切り出すべきか。
やはりここは以前より温めていたプランを実行して……。

「上条くん、いいニュースと悪いニュースがあります。どちらから聞かれます?」
「え? え?」
「志筑? お前、何をするつもりだ?」
「お黙りなさい。さやかさんを泣かせたこと、クラス中に言い触らしますよ」
「む……」

とか考えてたら、志筑に主導権を掻っ攫われてしまった。
なんだ?
何が起きている?
ひとまず様子見するべきか?
村八分怖いし。

「じゃあ、いいニュースから」
「分かりました。上条くん、あなたの腕は治せます」
「な、なんだって!? そ、それは、本当なのかい!?」
「事実です。わたくしは冗談を好みません」
「そ、そうかい……それで悪いニュースは?」
「あなたの腕を治すには、さやかさんが魔法少女になる必要があります」

ほう。
またえらくストレートにぶちかましおった。
志筑のやつ、やるじゃない。
ここは一つ任せてみるのも一興か。

「は? 魔法少女? さやかが?」
「ご存知の通り、魔法少女は魔女や使い魔といった魑魅魍魎たちと戦わなければなりません。上条くん、あなたはさやかさんの身が危険に晒されることを許容できますか?」
「う、うーん……」
「ちょっと、仁美……。恭介、私は大丈夫だからね。自慢じゃないけど、体の頑丈さには自信があるんだ。ここ二年間、風邪ひとつ引いてないし」
「そ、そう? よく分からないけど、それで腕が治るなら、お願いしようかな」

そして上条さんはやっちまったな。
見ろよ、あの志筑の目を。
まるでメデューサの魔眼だぜ。

「さやかさん。契約はしばらく保留にしましょう」
「え? でも、恭介が……」
「放っておきなさい。後日、クラスの皆さんを集めて決を採ります。その場の状況如何で上条くんの腕を治すかどうかを判断すると致しましょう」

ふむ。
クラスの連中を巻き込んで会議みたいなもんを開くってことか。
アイデアとしてはなかなか悪くない。
うまいこと民意を誘導してやれば、美樹の契約を防ぐチャンスはいくらでも作れる。
暁美ちゃんは言うまでもなく、ゲストとして巴先輩を呼ぶのも面白い。
鹿目ちゃんの動向はちょっと不安だが。

「美樹。俺も志筑の意見に賛成だ。今は考える時間が必要だと思う。上条にも、お前にも」
「……二人がそう言うなら」
「ん? んん? つまり、どういうこと?」
「後で俺がみっちり説明してやるよ。取り敢えず志筑には逆らうな。女子を敵に回すと――――社会的に死ぬぞ」
「えっ、なにそれ。意味が分からないんだけど」
「お前さんは女心を軽んじたのさ」

こうして美樹の契約は保留の運びとなった。
本日の教訓、女子を怒らせてはいけない。
くわばらくわばら。


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