吾輩は中沢である。
名前は知らない。
性別は男、年は十四、現在見滝原中学在学中の二年生である。
嘘である。
いや、嘘ではないけど本当でもない。
今の俺は確かに中沢だが、断じて生まれた頃から中沢だったわけではない。
むしろその逆。
俺の中沢人生はつい最近始まったばかりなのである。
本来の俺はアニメ好きなただの一般人でしかなかった。
それがどういう因果か、少し前に流行した魔法少女まどか☆マギカという深夜アニメのモブキャラ、すなわち中沢に憑依してしまっていたのだ。
何の前触れもなく訪れた中沢としての第二の人生。
覚悟も何もあったものじゃない。
幸い元々の中沢少年の記憶が残されていたため、状況把握に手間取ることはなかったが。
当時読み取った有用な記憶を整理すると次のようになる。
中沢少年は中学二年生に進級したばかり。
担任は早乙女和子、事あるごとに意見という名の賛同を求められるので苦手。
クラスメイトに鹿目まどか、美樹さやか、志筑仁美、上条恭介がいる。
そのクラスメイトの一人である上条恭介がこの間事故って入院したらしい。
だいたいこんなところだ。
分かる人には分かるだろうが俺を取り巻くこの環境、実は相当やばい。
下手すると一ヶ月かそこらでクリームヒルトが降臨し、人類は滅亡する。
そうならずともワルプルギスの襲来によりここ見滝原は確実に壊滅する。
それが分かっていながらまともな介入手段がないときた。
男の俺にはキュゥべえも魔女も見えない上、中沢という人間はまどか達と大して仲が良くないのだ。
どう考えても詰んでいる。
だからといって座して死を待つなど阿呆のすること。
俺が中沢ライフを全うするためには、手段を選ばず、策を弄し、とにかく生き足掻かなければならないのだ。
サミュエルいわく天は自ら助くる者を助く。
最後の最期どうしようもなくなったときに初めて見滝原から逃げ出せばいい。
そういうわけで、俺なりに策を巡らせてみることにした。
「ジャーナリズム同好会?」
「そうっす。ゆくゆくはちゃんと部員集めて正式な部活動に格上げしたいと思ってるっす」
「うーん……うちにはもう新聞部があるでしょう? そっちに入部するのは駄目なの?」
「ダメっす! あんな温いお遊戯じゃ満足できないっす! 俺、将来ジャーナリスト目指してるんで!」
「暑苦しいわねぇ。分かりました。活動内容におかしなところはないみたいだし、他の先生方に話を通しておいてあげるわ」
「あざっす!」
中沢人生開幕から数日ほど経過したある日のこと。
俺は担任の早乙女先生に頼み込み、新たな同好会を立ち上げる許可を頂いた。
その名もジャーナリズム同好会。
ジャーナリズムと名のつく通り、主な活動内容は校内外における取材活動とそれをもとにした記事の発行だ。
何を悠長にクラブ活動なぞしているのだと思われるかもしれないが、別に遊んでいるわけじゃない。
これはいわば布石。
俺が生き残るための、そして自由に動くためのな。
「それはさておき、中沢くん。ところてんは酢醤油と黒蜜どっちで食べた方がおいしいと思う?」
「どっちでもいいっす」
ところで、今時の中坊の喋り方はこんな感じでいいのだろうか。
第一報告 『中沢の謀略』
時刻は夕刻、いわゆる逢魔時。
夕日に照らされ赤く染まった建造物が異様な存在感を放つ寂れた裏通りを、俺はデジカメ片手に独り寂しく歩いていた。
開発ブームが過ぎ去り、業者の撤退から何年経ったのやら。
右も左も放置された空きビルでいっぱいだ。
視界にちらつく剥き出しの鉄骨が周囲の景観を大きく損ねており、今回のように特別な目的でもない限りまず来ようとは思わない。
散歩をするには風情がなさすぎる。
そんな来たくもない場所に何故赴いたのか。
それは先にも言った通り、特別な目的を果たすため、すなわち取材を行うためである。
さらに言えばクラスの連中から仕入れたとある情報が原因だ。
いや、情報と呼べるほど上等なものでもない。
あれは単なる噂話だ。
どれくらい前のことだろうか。
昔、この付近で七人もの行方不明者が出たらしい。
それも同日のうちに、誰にも見られることなく。
当時は拉致だの集団自殺だのといろいろ騒がれたみたいだが、真相は未だ闇の中だそうだ。
……なんとも分かりやすい話じゃないか。
事情を知っている人間が聞けば、みな口を揃えてこう言うだろう。
そいつは魔女の仕業だと。
とはいえ、なにぶん古い話だ。
その事件の元凶が魔女だとすると既に駆逐されてしまっている可能性が高い。
他にめぼしい情報もないため一応訪れてはみたものの、やはり無駄足だったかもしれん。
とりあえず適当に現場の写真でも撮っておこうと一枚、二枚シャッターを切る。
「これは没、こっちも没。西日きつすぎだろ……ん?」
撮影した画像をチェックしていると、足元に影法師が二つ伸びていることに気づいた。
一つは当然俺だ。
じゃあ、もう一つは誰だ?
前方にも後方にも人影はない。
ならば上か。
そう思い至り、ビル群を見上げる。
「……マジかよ」
女だ。
二十代半ばほどの女性が斜向いのビル、その屋上の縁にぽつんと立っている。
ご丁寧に靴まで脱いで、いつでも飛び降りられる状態だ。
「お姉さーん! そんなところに立ってると危ないっすよー! にっこり笑ってー! はいチーズ!」
不謹慎だと思いつつも一枚パシャリ。
さっそく画像を確認してみると、女性の顔には一切の表情が浮かんでいなかった。
ぼんやりしているというか、虚ろというか、まるで何かに取り憑かれているかのようだ。
「こりゃ大当たり引いちまったかな……」
あれが魔女の口づけを受けた犠牲者だとすれば、この付近に魔女が潜んでいるのは確実。
つまりここに張り付いていれば、いずれは魔法少女と接触することも可能ということ。
あの女性は……諦めるしかないが。
「今のうちにビデオカメラ回しとくか……」
残念ながら俺はヒーローじゃない。
ビルから落下する成人女性を受け止めるなんて芸当、逆立ちしたってできやしない。
「頼むから怨んでくれるなよ……」
女性が足を踏み出す。
当然そこに足場はなく、彼女の肉体は重力に導かれるまま落下を始める。
きっと次の瞬間には頭から地面に激突し、頭蓋の砕ける音と共に脳味噌を派手にぶちまけるのだ。
「……」
ぶちまけるのだ。
「……?」
落ちてこない?
それどころか風を切る落下音すら聞こえない。
ふと見上げれば、屋上から真っ直ぐに垂れ下った黄金色の蜘蛛の糸。
その先端にはイエローカラーのリボンに優しく包まれ、安らかに眠る女性の姿があった。
「……」
何者かが手繰り寄せているのだろうか。
厚手のリボンが屋上に向かって少しずつ収束していく。
やがて女性はビルの奥へと完全に引き上げられ、それと入れ替わるように一つの小柄なシルエットが姿を現した。
「ふぅ、間一髪ってところね」
果たしてヒーローは舞い降りた。
俺と同じ見滝原中学の制服に身を包み、夕日に照らされキラキラと輝く金髪を軽くなびかせながら周囲を警戒する可憐な少女。
俺は彼女を知っている。
「巴マミ……」
急ぎカメラを構えるも、彼女は手際よくリボンを回収するとすぐビルの奥に引っ込んでしまった。
どうする、追うか、駄目だ、単独ではカメラを奪われるかもしれん。
いや、そんなことより映像はちゃんと残せているのか。
「……やった」
歓喜のあまり声が震える。
俺のカメラは、虚空より突如として出現したリボンが落下途中の女性をしっかりと拘束する様を鮮明に記録していた。
何たる僥倖。
だが落ち着け俺よ、順調な時こそ落とし穴が潜んでいるものだ。
例えばここで巴マミに発見され、女性を見殺しにしようとしたことを糾弾されては適わない。
深追いは避けるべきか。
「あばよ、巴先輩。この映像は存分に有効活用させてもらうぜ」
証拠としてはこれだけで十分。
俺は逃げるようにその場を後にした。
****
翌朝、見滝原中学校二年生教室はいつものごとく喧騒に包まれていた。
朝のホームルーム前という僅かな時間を学生達は目一杯活用し、昨日見たドラマの内容や流行りの音楽について各々雑談を交わしている。
たわいない、ゆえに尊い日常の一コマがそこにはあった。
しかし、そんな日常風景を打ち破らんとする台風の目はすぐそこまで迫っていたのだ。
具体的に言うと教室の前まで。
……茶番はこれくらいにして中に入るか。
「やばいっすよ! マジやばいっす! 俺っちとんでもないスクープ映像を撮っちゃったっす!」
スパーンと勢いよく扉をスライドさせ、鼻息荒くダイナミックに入室。
クラスの連中が驚いた顔で俺の方を見ている。
とりあえず注目を集めることには成功と。
「うるせーぞ、馬鹿沢。いったい何があったんだよ」
「とにかくやばいんすよ! 今からPCに保存した動画見せるんでみんな集まってほしいっす!」
「なになに?」
「どうしたどうした?」
日常は確かに尊いが、それを認識することは極めて難しい。
むしろ退屈な学校生活に明け暮れる学生達は非日常にこそ強い憧れを抱くものだ。
「全員集まったすね? そんじゃ再生開始!」
俺が持ち込んだ映像はもちろん昨日撮影に成功した巴マミによる自殺未遂者の救出劇。
女性がビルから飛び降りる場面では女子達の短い悲鳴が上がり、彼女が無事リボンに包まれ助け出されると各所から安堵の溜め息が漏れた。
「くぅ~っ! 何度見ても凄いっすねー! 超能力者の仕業か、はたまた魔法使いか! 想像が膨らむっす!」
「ハッ、馬鹿馬鹿しい。こんなの合成だろ」
「そうだそうだ」
「えーっ? そんなことないっすよ。みんな信じるっすよね?」
動画の反響を確かめるべく教室全体を見渡す。
クラスの反応は大きく分けて次の三つだ。
全く信じようとせず鼻で笑うもの、半信半疑で周囲の様子を窺うもの、目を爛々と輝かせ興味津々なもの。
いずれにせよ分かりやすい反応だ。
やはり子どもは素直でいい。
「うんうん。この動画の内容を信じてもいいって人は放課後ちょっと付き合ってほしいっす。かなり重要な取材が控えてるんで同席してほしいんすよ」
仕込みは上々。
俺は内心ほくそ笑みながらノートパソコンを片づけ……おっと、一つ大事なことを失念していた。
子どもはとかく飽きやすい。
念には念を入れ、保険をかけておくとしよう。
「おーい、そこの。ちょっといいすか?」
「あ? 俺に何か用?」
「ほれ、二千円やるからさ。ちょっとばかし頼まれてくんないっすかね」
そして時は流れ、約七時間後。
見滝原中学の生徒達は本日の授業日程を全て終了し、待望の放課を迎えていた。
多くの学生がいそいそと部活動に向かう中、俺は今朝の宣言どおり取材への参加者を募ることにしたわけだが。
「魔法使いさんに会いたい人はこの指とまるっすよー。これから突撃取材に向かうっすからねー」
「ハッ、バカじゃねーの」
「誰が行くか。ガキじゃあるまいし」
「プリキュアなんてもう卒業したわ」
「現実を見ろ」
それ見たことか。
半日近く時間が経過し、だいぶ冷静になったクラスメイト達の反応はあまりに冷やかだ。
容赦なく浴びせられる罵声、突き刺すような蔑みの視線。
行きたそうにしている子は何人かいるんだが、こんなギスギスした雰囲気じゃとても出て来られそうにない。
やはり保険をかけておいて正解だった。
「ま、まあまあ! 騙されたと思って付いて来るっす。仮に嘘だったとしても暇潰しくらいにはなるっしょ。なあ、そこの?」
「俺に聞いてどうする。ったく、仕方ねえなぁ。そこまで言うなら冷やかしついでに付き合ってやるよ」
「おお、来てくれるんすか! ありがたや~。そんで他に誰かいないっすかー? 先方にアポ取ってないんで急ぐ必要があるんすよ。もう締め切っていいっすかー?」
お分かり頂けただろうか。
そう、サクラだ。
あらかじめ用意しておいたサクラに小芝居を打たせ、後に続きやすい空気を形成する。
それでもまだ迷うようであれば、締め切りを盾に焦りを煽ってやればいい。
これぞ中沢流交渉術の真髄。
「な、中沢くん。私もいいかな?」
「もちろん。鹿目なら大歓迎っす」
「……実は私も」
「どうぞどうぞ」
「ふーん? ふーん? 興味ないけど私も行こうかな。いや、別に興味ないけど」
「好きにしろ」
狙い通り。
冷やかし目的の男子(サクラ)の参加を皮切りに、一部女子の間でちらほらと同行希望者が出始めた。
名乗りを上げたのは言わずと知れた桃色ツインテールに大人しそうな図書委員、あとなんかミサワっぽいやつの三名。
ふむ、思ったより少ないが時間も押してることだしな。
募集はここで打ち切るか。
「はい、ここまでー。最終参加人数は男子一名、女子三名っすね。それではみなさん、元気よく三年生の教室へ行ってみよう!」
****
数分後、三年教室前の廊下にて。
俺はクラスメイトと雑談に興じていた巴マミを捕まえ、飛び入りで取材交渉を行っていた。
「ジャーナリズム同好会?」
「そうっす。自分は会長の中沢って言います。本日は巴先輩に是非お話を伺いたく参りました。ちなみに後ろの子たちは見学っす」
しかしあれだな。
ガキのくせにマジで巨乳だなこいつ。
目のやり場に困るわ。
「見ろよ、中沢。この人すげえぞ。何がすごいって服の上からでもはっきりと、なあ!」
「頼むから少し黙って。明日とっておきのDVD持ってきてやるから」
流れで付いてきたサクラもガン見してるし、失礼だと思われる前に言いくるめるか。
「はぁ……話って何を?」
「ええ、まずはこちらの動画をご覧ください」
「これがどうし……!」
俺が取り出したのは説明するまでもなく例の動画だ。
巴マミはあからさまに表情を強張らせ、食い入るようにパソコンの画面を見つめている。
「いかがです? よく撮れてるでしょう」
「……そうね。よくできた合成映像だわ。あなた、記者よりも映画監督の方が向いてるんじゃない?」
さすがは百戦錬磨の魔法少女。
冷静さを取り戻すのが早い……なんて言うとでも思ったか。
そんなスカした笑み浮かべて、警戒心バリバリじゃねえか。
笑顔は元来攻撃的なものだと聞いてはいたが、それを実践しているやつを見るのは初めてだ。
お前さんみたいな可愛らしいお嬢ちゃんがカッコつけたところでな、笑いを誘うだけなんだよ!と声を大にして言いたいけれど、ここは我慢。
引き続きガード崩しを行う。
「そうすか? 恐縮っす。それにしてもよく分かりましたね。この動画が編集済みだってこと」
「当たり前でしょ。こんな非科学的な現象があるわけ……」
「ああ、そこは無編集っすよ。カットしたのは、先輩が黄色い宝石からリボンを取り出してるシーンっす」
「なっ……!」
はい、ガークラ確定。
見事ブラフに引っ掛かってくれたな。
知っての通り、巴マミ本人の撮影には失敗している。
ここでシラを切られたらどうしようもなかった。
しかし、彼女がそんな事情を知る由もなく。
「見られちゃった……? ど、どうしよう……」
もはや平静を装う余裕すらないのだろう。
巴マミは悪戯が発覚した子どものごとく狼狽を露わにしている。
やべえ女の子を虐めるのって楽しゲフンゲフン畳みかけるなら今しかない。
始めるか、一世一代の大芝居。
「先輩、俺は常々疑問に思っていました。この国には行方不明者が多過ぎると」
「中沢くん?」
「どうした中沢? 何か悪いものでも食ったか?」
ええい、外野うるさい。
別にいいだろ、軽薄キャラが深刻そうな顔したって。
「ここ見滝原も例外ではありません。原因不明の失踪事件や死亡事故の件数、とんでもないことになっていますよ」
「……何を言っている? 現代日本ほど治安の良い国は他にない。数字は正直」
「平和すぎても退屈だけどね。ほら、私ってアウトローだから」
なんだ?
話が噛み合わな……ああ、そういうことか。
あの狂った統計がこっちの世界のスタンダードなのか。
なるほど、そいつは盲点だった。
って感心してる場合じゃない。
言いくるめの材料が一気に吹き飛んじまったぞ。
あー……もういいや、面倒くせえ。
こうなったら勢いで誤魔化す!
「そして昨日! あなたの雄姿を目撃したことで疑問は確信に変わりました! この世界には人智を超えた脅威が秘匿されていると! そうでしょう!? 巴先輩!」
「それは……ごめんなさい。私からは、何も……」
もう一押し!
いいだろう、見せてやる!
「どうか教えてください! 俺は真実を知りたいのです!」
膝をつき、両手を前に差し出し、額を床に擦りつける!
見たか!
これが俺の土下座だ!
「ちょ、ちょっと!? やめてちょうだい! これじゃ私が苛めてるみたいじゃない!」
「教えて頂けるまで俺は頭を上げません!」
「本当にやめて! 人が見てるから!」
言われてみれば、確かに視線とざわめきを感じる。
そんなに男子中学生の土下座が珍しいのだろうか。
「先生大変です! 下級生が上級生に土下座を強いられています!」
「ああっ!?」
おい、どこの誰だ。
人の交渉を邪魔する奴は。
無粋な輩め。
「なんだか騒がしくなってきましたね」
「全部あなたのせいでしょ……」
「先輩、ここはひとまず屋上に避難しましょう。どういうわけか都合よく懐に鍵が入ってたんで」
やはり勢いで行動したのはまずかったか。
いやはや、どうにもうまくいかないものだ。
****
というわけで屋上である。
風がそよそよ気持ちいいのである。
同行者達には一旦下がってもらい準備完了。
さあ、交渉するぞー。
「絶対みんなに誤解された……明日からどうすれば……」
「巴先輩も大変っすね。でも大丈夫。俺に妙案があります。先輩の保持している情報を全て開示して頂ければあとは俺がなんとかしましょう」
「もういい加減にして……あなたに話すようなことなんて何もないの」
あらら、睨まれてしまった。
仕方ない。
こうなったら感情に訴えよう。
「先輩。あなたの抱えているその秘密、本当にあなた一人で解決できる問題なのですか?」
「ええ、もちろん。私一人で十分よ。今までも、そしてこれからもね」
「これは異なことを。あなたの言うことが事実だとすれば、ここ見滝原で発生した怪事件は全て解決済みでなくてはならなくなる」
「それは極論だわ。私にだって、いいえ、誰にだってできないことくらいあるのよ?」
「ハハッ、そりゃそうっすよ。分かっているようで安心しました」
「……」
いかんな。
これじゃただの煽りだ。
俺はケンカを売りに来たわけじゃない。
交渉をしに来たんだ。
「この際です。はっきりと言わせてもらいましょう。あなたはこの街を守れてなどいない」
あれ、これも煽りだ。
「……人の苦労も知らないで好き放題言ってくれるじゃない」
ちとまずいな。
あの巴マミが激怒している。
いくら温厚な人物でも誇りを貶されたらさすがに怒るか。
「知りませんよ。だって教えてくれないんですから」
「だからそれは!」
「あの女性、助けた後どうしました?」
「え?」
「昨日の女性です。ちゃんと事情説明しました? まさか何も教えずに帰したんですか?」
「……それは」
「教えなかったんですね。その人、次は死ぬかもしれませんよ」
「……」
おや、意外な反応。
俺が自分の非人道的行為を棚に上げ、巴マミの杜撰なアフターケアを非難すると、彼女は決まり悪そうに目を伏せてしまった。
魔法少女でも何でもない一般人の戯言などあっさり聞き流されてしまうとばかり思っていたのだが、案外効果があるものだな。
「ねえ、先輩。あなたが戦う理由って何ですか? 目の前に苦しんでいる人達がいるからですよね?」
「……そうね。それに、私しか戦える人間がいないから」
ふーむ。
どうやら見た目以上に大きな精神的ダメージを負っているらしい。
簡単な誘導に引っ掛かり、自ら戦うというワードを使ってくれた。
仕掛けるなら今か。
今度はしくじらん。
「立派です。けど、それはあくまで事後策にすぎません。起こりうる被害を未然に防ぐことができたら、そんなことができたら一番いいとは思いませんか?」
「思うわ。でも、どうやって?」
「お忘れですか? 俺はジャーナリストですよ。たとえ真実がいかなるものであろうとも、必ずや伝え切ってみせましょう」
どうだ?
通るか?
「……………………あなたには負けたわ」
「それでは!」
「だいぶ荒唐無稽な話になるけど、ついてこれるかしら?」
「オフコース!」
交渉成功。
まったく、長く苦しい戦いだったぜ。
「聞くのはあなた一人だけ? 他の子たちは?」
そうだった。
あいつらも呼び戻しておかないとな。
はてさて、どうなることやら。
****
その後。
俺は鹿目たち女子三人を交え、巴マミから諸々のエピソードを聞き出した。
ちなみにサクラに使った男子は飽きて帰ったそうだ。
堪え性のない奴め、金返せ。
「つまり、この世には魔女という人に害なす不可視の怪物が潜んでおり、巴先輩はそれを討伐して回る正義の魔法少女だと。そういうことですね?」
「ええ、そういう認識で構わないわ」
「そして魔法少女へと変身するためには、キュゥべえなるこれまた不可視の生物と契約を結ぶ必要があり、その契約の証がソウルジェムであると」
「ずいぶん理解が早いのね。その通りよ」
理解が早いのは当然だ。
俺の場合、最初から知っていたのだから。
「なるほど、よく分かりました。目に見えぬ脅威、厄介ですね」
「……え? なに? どういうこと? 中沢くん、私たちにも分かるように説明してよ」
まあ、他のやつらはそうもいかんわな。
話の内容を把握できなかったらしく三人ともぽかーんとしている。
どれ、ここは先輩に一肌脱いでもらうとするか。
「百聞は一見に如かず。論より証拠。先輩、俺達に見せてください。あなたの力を」
「力、と言われても……」
「ここは屋上です。俺達以外の人間はいません。恥ずかしがらず、いつもと同じ要領でお願いします」
「うーん……」
「先輩、時が来たのです。超常的存在を世に知らしめる時が。あなたが先駆けとなり、真の意味で魔女の恐怖から人々を解放する時が!」
ここまで熱弁振るってちょっと後悔。
さすがに芝居臭すぎたか?
「……ごめんなさい。そうよね、あなたの言う通りだわ」
なにこの子わけわからん。
臭いのが好きなのか、そうなのか。
「よく見てなさい。これが魔法少女よ」
巴マミが右手をかざし、その手の平に置かれた琥珀色の宝玉が淡く輝く。
俺が慌ててカメラを向けたとき、すでに彼女の衣装は魔法少女のそれへと変化していた。
変身ついでに作り出したのであろう白銀のマスケット銃をクルクルと弄び、俺の顔面真っ直ぐに照準を合わせちょっと待て!
「撮影を許可した覚えはないわよ」
「おっと、失礼。それにしても器用っすね。束縛の魔法にそんな応用の仕方があるなんて驚きっす」
「……なんというか、あなたには敵わないわ」
俺の冷静な切り返しに毒気を抜かれたのか。
巴マミはマスケット銃をリボン状に分解すると、呆れたように肩を竦めた。
いや、実のところ内心かなりビビってたけどね、うん。
「す、すごい! 今のって本物の魔法ですか!?」
「……びっくり」
「っべーわ、これ。マジモンの魔法使いだわ。っべー」
おーおー、食いつく食いつく。
やはり子どもは柔軟性があっていい。
頭の凝り固まった大人相手じゃこうはいかん。
「誰かさんと違って可愛い子たちじゃない。普通はこういう反応をするものよ」
「いやー、かわいげがなくて申し訳ないっす。これからもこの調子で行きたいっすね」
「これからも? 今度は何をさせる気?」
「やることは同じっす。まずはこの学校の全生徒に、次は見滝原市全域に、ゆくゆくは日本中に世界中に! 魔法関連の情報を振り撒いていくんすよ」
「それはまた……なんともスケールの大きな話になってきたわね」
「今までが小さすぎただけっす。なに、物的証拠を突き付けてやれば大抵の人間は信じてくれますよ」
そうだ。
信じてもらわなくては困る。
俺の当面の目的は、ワルプルギスの夜までに全見滝原市民を一斉退去させることなのだから。
手段が強引すぎだということくらい理解している。
だがな、こちらの事情も汲んでくれ。
魔女だろうが魔獣だろうが、一切の対抗手段を持たない一般人にとってはどちらも等しく脅威。
身も蓋もない言い方をすれば、仮にこの世界が改変されたところで俺みたいに平々凡々な人間には然したる影響がないということ。
俺が何を言いたいか分かるだろ?
結局のところ、てめえの身はてめえで守るしかないんだよ。
俺がこの世界で平穏無事に骨を埋めるためには、魔女に魔法少女そしてキュゥべえの存在を白日の下に晒し、人類全体に危機意識を持たせてやる必要があるのだ。
「今、先輩が取るべき選択肢は三つ。一つは公衆の面前で変身ショーを行うこと。もう一つは後日ビデオ撮影して俺に広報を任せること」
「うぅ……どっちも恥ずかしい……もう一つは?」
「両方やることっす」
「……そういう冗談は嫌いよ。先輩をからかう悪い口はこれかしら?」
「痛い痛い! ごめんなさい! やめて! あっ、お前ら! 笑ってないで助けろよ!」
俺の途轍もなく身勝手で、どうしようもなく孤独な戦いはまだ始まったばかりである。