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[32760] 美食屋アンコ!(魔法少女まどか☆マギカ×トリコ)
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:14f6250d
Date: 2012/04/15 18:47
この物語はタイトル通り『魔法少女まどか☆マギカ』と『トリコ』のクロスオーバー作品となります。

まどマギ本編の9話で死んでいった。さやかと杏子がトリコの世界にトリップした物語です。

因みに時系列的にトリコの方はトリコが小松と出会う三年前になります。

では、よろしくお願いします。



[32760] グルメ1 美食屋トリコとの出会い
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:14f6250d
Date: 2012/04/15 19:01



「いいぜ一緒にいてやるよ」

 自らの魂と共に友人である『美樹さやか』だった存在の魔女『Oktavia Von Seckendorff』の心を救うため、『佐倉杏子』が取った最後の手段、それが自らの魂と共に自爆しての心中だった。

 魂が封じ込められた『ソウルジェム』が砕け散ると同時に爆発が魔女と魔法少女の体を包みこみ、佐倉杏子の人生は幕を閉じた。

 閃光に包まれると杏子の体が崩壊していくのを感じながら、そのまま意識は遠のいていく。

 行動に対する後悔は無かった。

 ただ願うだけだった。この哀れな魔女の魂が救われることだけを。

 そして二つの不器用な魂はここではない別の場所へと移されていった。




 ***




 目が覚めると広大な草原だった。

 草の感覚が心地よく、もうしばらく寝そべっていたいとも杏子は思っていたが、すぐに自分の変化に気付いた。

 格好は魔法少女だった頃の赤を基調としたコスチュームではなく、パーカーにハーフパンツの人間だった頃の格好に戻っていて、つい先程の戦闘で一生残るレベルの切り傷を付けられたにも関わらず、傷一つ無い体に戻っていた。

 変化に戸惑いながらも杏子は体を起こして辺りを見回す。

 空を見れば雲一つ無い晴天。

 自分が立っている地面は見渡す限りの草原が広がっていて、草の匂いが心を穏やかにさせていた。

(ここが死後の世界って奴なのか?)

 想像していたのと全く異なる世界に杏子はただただ困惑するばかりであったが、自分と一緒に同じ世界へ行ったはずの存在を思い出すと、すぐに辺りを見回し彼女の存在を確かめようとする。

(そうだ! さやか……あれ?)

 もしかしたら醜く禍々しい魔女から、元の愛らしい少女に戻っていると言う希望を持って杏子はさやかを探すが、自分に現れた変化に気付くと喉に手をやる。

 そして声を出そうとするが、ただただ震えるだけであり、声帯が機能することはなく、うめき声のように小さな呼吸を繰り返すだけだった。

(声が出ない……)

 声が出ないことに気付くと同時に杏子は喉に激しい痛みを感じる。

 まるで燃えるような痛みは自分が生きていることを実感させられる。

 魔法少女だった頃はゾンビのようになっている体であり、痛みと言う感覚は半分忘れたような物だからだ。

 だがそんな物に構っている暇は今の杏子には無かった。

 とにかくさやかを見つけるのが先決だと思い、走り出そうとするが足がもつれて前方に倒れ込む。

 起き上がろうとしたと同時に自分の体が影に覆われるのに気付く。

 辺りは雲一つ無い晴天なので、それが人影だと杏子は直感し、そこに希望を見出すと笑顔を見せて影の方向を見ようとする。

(さやか! お前も無事で、え?)

 影がさやかだと言う思いは振り返った瞬間に打ち砕かれた。

 自分を見下ろしていた存在、それは異形の存在と呼ぶに相応しい化け物だった。

 ダチョウを連想させる丸い胴体には五つの首が生えていて、鋭く尖ったクチバシからは長い舌を出したり入れたりしていて、それぞれの首がよだれをすする音を響かせていた。

 そして真に驚かされたのはその大きさ。

 10メートル近い大きさの動物は自分たちの世界では見たことが無い、魔女にしても結界が存在しないのはおかしい。

(これが地獄って奴なのか?)

 自分がそこに落ちる節は数えるほどある。

 生きるためとは言え、人として邪道な道を歩み続け、その結果さやかとも衝突ばかりで自分自身も怒りに満ちた情けない人生を送っていたことも理解できる。

 体から冷や汗が吹き出る。

 恐怖と言う感情を久しぶりに思いだす。

 変身しようにもソウルジェムは砕け散り、今の自分は何の力も無い非力な少女だと言うことは分かる。

 もしここが本当に地獄だとしたら、さやかが居ないのも納得が出来る。

 これが自分に課せられた罰なのかと思い、自分を食らおうとする五つの首をジッと眺めていた。

(やっぱり人間悪いことなんてするもんじゃないな。だがな……)

 ここで元々の負けん気の強さが爆発する。

 ただ罰を受け入れるほど杏子は穏やかな性格ではない。

 力の限り右手に土を掴むと目に向かって投げつける。

 怪鳥と呼ぶに相応しい異形は目に土が入ると、露骨に辛そうな顔を浮かべて顔を杏子から背ける。

 それと同時に足に力を込めると杏子は前方へと逃げ出す。

(ただ黙って食われてやるほど、アタシは優しくねーんだよ!)

 ここで聖職者ならその血肉を怪鳥へと差し出すだろう。だが杏子は戦う戦士だ。

 愛する人のために奇跡を願い、心を見てもらえない悲しみと辛すぎる現実から魔女へと変貌した少女のためならともかく、訳の分からない怪鳥に自分の血肉を差し出すつもりはない。

 杏子はかなわないと判断して逃げ続けるが、怪鳥はその見た目とは裏腹に脚力も相当な物だった。

 人間の短い足と怪鳥の長い足ではリーチの差は歴然であり、杏子の息が上がる頃には怪鳥は飛び上がって、杏子の前に立ちふさがり、五つの首を突き出して彼女を食べる準備をしていた。

(生きたまま食われるのか……相当痛ぇーんだろうな……)

 この瞬間杏子は生きていた頃に見た漫画のことを思い出していた。

 猟師として多くの動物を殺した罪人を父親に持つ息子が課せられた罰、それは自らが餓えた狼にその血肉を食われて死に行くというもの。

 自分も同じように死んでいくのかと杏子は思っていたが、今の自分には覚悟を決める余裕もなく、目の前の怪鳥を睨みつけることしかできなかった。

 口は達者な方であり、こんな時なら相手を一瞬でも怯ませるために啖呵の一つでも切るのだが、声が出ない今はそれすらできない。

 ジレンマに杏子はイライラさせられるばかりであった。

 だがそんな少女の心境などお構いなしに、怪鳥は五つのクチバシを大きく開いて、杏子の体をついばもうしていた。

 その瞬間杏子の中にあったのは怒りでも悲しみでも無い。

 何も考えられずに頭の中が完全に真っ白に染まってフリーズしてしまっていた。

 人間は誰でも必ず死ぬ。

 死期は誰でも平等に訪れる。

 それは怪鳥も同じことであり、殺気に気付くと怪鳥は首を止めて五つ全ての頭が杏子とは別の明後日の方向を向いていた。

「オラー!」

 怒声と共に飛び蹴りを放つのは、さやかと同じ青い色の髪を持った青年だった。

 左目の下には三本の傷があり、整った端正な顔立ちの青年だったが、杏子が驚愕したのはその体の大きさだった。

 二メートルを超す巨体に筋骨隆々の肉体は頼りがいと言うのを感じられた。

 だが青年は杏子のことなど意に介さず、怪鳥の前に立つとよだれをすすりながら怪鳥を睨む。

「『怪鳥ゲロルド』捕獲レベル15は、この辺りでは間違いなくトップレベルの猛獣……」

 聞きなれない単語が杏子の頭を更に混乱させる。

 怪鳥にゲロルドと言うちゃんとした名前があったことにも驚かされたが、『捕獲レベル』と言う言葉が一番困惑させられた。

 捕獲と言う言葉から何らかの用途があり、国で捕獲して何かしらの役に立てるのではないかと思い、杏子の脳内では様々な情報が交錯する。

 ここは地獄では無い、自分たちが居る世界とは全く別の世界なのではないかと。

 だが今目の前に居る青年の姿を見れば、杏子の中にあった僅かながらの希望を消えうせるような感覚を覚える。

 よだれを何度もすすりながら悪魔のような笑みを浮かべる姿は、地獄の鬼と呼ぶに相応しい存在。

 その獰猛な笑みにゲロルドは恐怖を感じ、震えながら後ずさりをしようとするが、青年はゲロルドに退却を許さず、両手を擦り合わせると金属音を響かせながら、ゆっくりとゲロルドに近付く。

 そして感謝の意味を込めるような真摯な態度で、目を閉じ両手を合わせると自分の中にある信念を語り出す。

「この世の全ての食材に感謝を込めて……いただきます」

 杏子は自分の耳を疑った。

 あの青年は目の前に居る化け物を食べようとしているからだ。

 自分が居た世界で例えるなら、魔女を殺して食べるような物だ。

 いくら自分が大食いで食い意地が人一倍はっている方でもそんな発想は無かった。

 先程話した捕獲レベルと言うのも、食材として捕獲なのかと、再び杏子の中で様々な仮説が飛び交う中、青年とゲロルドの戦いは決着を迎えようとしていた。

 ゲロルドは半ば自棄気味に最後の抵抗として五つのクチバシを尖らせながら、青年をついばもうとするが青年は意に介さず、邪悪な笑みを浮かべたまま左手を突き出すと真ん中にある恐らくはリーダー格と思われる首に手刀を突き刺す。

「フォーク!」

 勢いよく真っ赤な鮮血が首から吹き出すと同時に青年の叫びが響き渡る。

 一度に大量の血液を失ったゲロルドは白目を向きながら苦しそうに嗚咽を繰り返す。

 トドメを刺そうと青年は右手を手刀の形にすると、5本の首めがけて右から一気に横へと振り抜く。

「ナイフ!」

 叫びと共にゲロルドの5本の首と胴体は永遠の別れを告げた。

 5本首があった部分それぞれから噴水のように血が流れる光景は衝撃的であり、魔女との戦いで何度も血なまぐさい戦いを経験した杏子でもショックを隠せない物であった。

(何なんだよ、コイツ……)

 自分が助かったことよりも、杏子は青年の異常な戦闘力に驚愕していた。

 世界で魔法少女以外に異形と戦える存在などいないと思っていた杏子に取って、青年とゲロルドの戦いはあまりに衝撃的であり、カルチャーショックを隠せないでいたからだ。

 そんな杏子に構わず青年は両手をこすり合わせて、金属音を辺りに響かせると再び目を閉じて、手を重ね合わせる。

「ごちそうさまでした」

 それはこれから自分に命を分け与えてくれるゲロルドに対しての感謝の念だろう。

 青年は吹っ飛んでいた首も残さず、一緒に持ってきた麻袋の中に詰め込んでいき、首の無くなった胴体を抱え上げるとそのまま去っていこうとする。

(助かったのか?)

 青年が自分に全く興味が無いのを知ると杏子の中で訪れたのは強い安堵感。

 先程まで激痛に耐える覚悟を決めていたので、穏やかな陽気が余計に彼女に優しい気持ちを与えてくれて、杏子は重力に身を任せて後方に倒れ込むと、そのまま小さく寝息を立てた。

「さてと帰って早速……え――!?」

 ゲロルドをどうやって食べようかと言うことで頭の中が一杯だった青年だが、杏子が地面に倒れた音を聞くと、ここで初めて杏子のことが目に飛び込み、一旦ゲロルドを地面に置くと青年は慌てて杏子を抱え上げ、その体を揺り動かす。

「オイ、しっかりしろ! アンタ俺の声が聞こえるか!?」

 青年の呼びかけにも杏子は応じることなく、寝息を静かに立てていた。

 その時点で命に別条はないことが分かるが、念には念を入れ青年は警察犬をも凌ぐ自慢の嗅覚で杏子の無事を確認しようと彼女の体に近づき、鼻を鳴らして匂いを吸い込む。

(鉄分の匂いが躍動しているから、死んでることは無いだろうが、大分疲労困憊してやがるな……)

 乗りかかった船と言うのもあるだろう、猛獣たちがわんさか居るこの地区でこんな無防備な状態の少女を放っておくわけにはいかない。

 青年は杏子をおぶりながら、ゲロルドを持って自分が住んでいるお菓子の家『スイーツハウス』へと向かった。

 移動の最中、青年は最近ニュースで聞いた名言を思い出していた。

『まずは食わせてからだ。善人も悪人もそれからだ』




 ***




 再び杏子が目を覚ますと見知らぬ天井が目に飛び込む。

 自分が眠っている場所も草原ではなく、人が二人分ぐらい余裕で眠れそうなキングサイズのベッド。

 鳥肉を焼く音と美味しそうな匂いが杏子の鼻先をくすぐったが、今の自分にはやらなければならないことがある。

 一応助けてくれた人には感謝の気持ちだけは伝えておこうと思ったが、すぐに体を起してさやかの無事を確認しようとするため、杏子はベッドから降りようとした。

「オイオイ、あんまり無茶しない方がいいぜ」

 そこに皿へ焼き上がった鳥肉を乗せて大事そうに持った青年が現れると、杏子を再びベッドに寝かせつける。

 力が異常に強いと言うのもあり、大人しく従うを得なかったが、杏子が驚かされたのは助けてくれた相手だった。

 先程まで鬼の形相でゲロルドを相手にしていた青年にそんな優しさがあるとは信じられず、杏子はただただ呆けた顔で青年を見ることしかできなかったが、青年はそんな杏子に構わず、美味しそうに焼き上がった鳥肉が乗った皿を杏子の目の前に置く。

「食え! うめぇぞ!」

 そう言うと青年は屈託のない笑みを浮かべながら、杏子の手にナイフとフォークを持たせる。

 鼻先をくすぐる美味しそうな匂いとほとばしる肉汁。

 杏子は考えるよりも先にナイフが伸び、鳥肉を切っていくと肉汁の洪水が溢れだす。

 鳥肉の匂いは更に杏子の脳内を刺激し、ここに来てから何も食べていなかったことを思い出し、反射的にフォークを突き刺して口の中に放り込む。

 その瞬間杏子の脳内に電流がほとばしった。

 噛めば噛むほど肉汁が溢れだし、肉汁が喉を通るたびに幸福感を全身で感じずにはいられないでいた。

 空だった胃袋に物が満たされていく感覚は杏子が何よりも大切にしている美味しい物を食べる喜びであり。

 この時だけは自分が置かれている状況も忘れ、目の前にある鳥肉にがっつき皿が空になり、満腹感で満たされるようになると、杏子は手を合わせて命を分け与えてくれた鳥に感謝の気持ちを送った。

「どうだゲロルドはマジで最高だろ?」

 青年は笑いながら自分の分のゲロルドの肉を食べ、豪快に笑い飛ばす。

 だが杏子は今食べた鳥肉が先程まで自分を食おうと襲いかかってきた怪鳥なのかと知ると、驚愕の表情を浮かべていた。

 ここで疑惑は確信に変わる。

 先程青年が言っていた捕獲レベルと言うのが食材としての捕獲だと言うことに。

 そしてここは自分が居た世界とは全く別の世界だと言うことを。

 何にしても腹も膨れ体力も回復したので、早くさやかを見つけなくてはいけない。

 その旨を青年に伝えるべく、杏子は身振り手振りで思いを伝えようとするが、上手く伝わらずに情けない顔を浮かべてしまう。

「そう言えば名前を聞いてなかったな。俺はトリコだ、お前は?」

 名前を聞かれると杏子も自己紹介をしようとするが、声帯が機能せず苦しそうにうめき声を上げるだけだった。

 その様子を見てトリコは杏子が喋れないのではと察し、紙とペンを杏子に手渡す。

 物を受け取ると杏子は自分の名前『佐倉杏子』を書くと、トリコに返す。

「何々? さくら……アンコ? 美味そうな名前だな、お前」

 ゲロルドを一匹丸々食べて腹が膨れているトリコはデザートの存在を思い出して、よだれをすする。

 だが杏子は自分が最も嫌う名前の呼ばれ方をしたことで、怒りの感情が頭の中で強まっていき、トリコを睨みつけると力の限り叫ぶ。

「誰がアンコだ! アタシの名前はきょうこだ!」

 ここで元のように喋れるようになると杏子は驚愕の表情を浮かべて、何度も声の調子を確かめるように「あ、あ……」と言うと喋れるようになった喜びを味わう。

 一方のトリコは相変わらずニヤニヤと笑いながら、間違いを訂正して改めて杏子に話しかける。

「それは済まなかった、きょうこ。んでお前はあんなところで何やってたんだ?」

 トリコに聞かれると杏子はハッとした顔を浮かべて、さやかの存在を思い出し、それをトリコに尋ねる。

「そうだ! なぁアンタ、この辺りでもう一人女の子を見なかったか? アンタと同じ青い髪の色をしていて、ショートヘアーの女の子なんだが……」

 まくしたてるように叫ぶ杏子に異常な事態を感じ取ったトリコ。

 落ちつかせるように宥めながら当時のことを思い出すが、あの場に居たのはゲロルドと杏子、そして自分。

 他の存在など居なかったことを伝えようとするが、目的の物以外には全く無頓着な自分が確信を持ってこのことを言える自信は無い。

 そこでこう言った探し物を得意としている占い師の友人に頼もうと、トリコは未だに騒いでいる杏子を宥めつつも、例え地下1000メートルでも圏外にならない特別製の携帯電話と取り出すと、アドレスから『ココ』と書かれた番号を呼び出して連絡を取る。

「ああ、もしもしココ? ちょっと頼まれたいことがあってな。今からそっちに行くから!」

 用件だけを伝えると、トリコはココの返答も待たずに電話を切ると、指を動かして杏子に立ち上がるよう命じる。

 杏子がベッドから降りたのを見ると、トリコは物が一杯に詰まった麻袋を抱え上げ出かけようとする。

「探し物が得意な奴にちょっとお願いしたから、そいつに頼めばその女の子も見つかるかもよ、思い立ったが吉日、その日以降は全て凶日だ!」

 ダイナミックな考えのトリコに圧倒される部分もあったが、細かい理屈を嫌い、シンプルなのを求める自分にも通ずるものはあるとして、杏子はトリコに付いていく。

 さやかもきっとこの世界で新しい生を持っているだろうと、僅かながらの希望を信じていたいと思ったからだ。

「行くぜアンコ!」

「だから、き・ょ・う・こだ!」

 『アンコ』と言う呼び名がすっかり気に入ったのか、トリコは悪びれる様子もなく、ボトルに入ったシャンパンをラッパ飲みしながら家を出て、杏子はそんなトリコに腹を立ててふとももにパンチとキックを叩きこむが、コンクリートのように固い感覚しか杏子には感じられなかった。

 だがその一方で頼りになる味方が出来たことに喜びも覚え、さやかを見つけたらと考えるようにもなった。

 そして杏子は信じていた。今度こそ愛と勇気が勝つストーリーを築いてみせると。





本日の食材

怪鳥ゲロルド 捕獲レベル15

5本の首を持つダチョウ体形の怪鳥。5つの首全てが違う命令系統を持ち、クチバシの目潰し、首を巻きつける締め技など多種多様の攻撃を得意とする。
また攻撃して飛んで上空に逃げるヒット&アウェー戦法を取るため、グルメコロシアムでその名を轟かせている。





と言う訳で第一話になりました。

次回は四天王の一人ココとの話になります。



[32760] グルメ2 美食屋アンコ誕生!
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:14f6250d
Date: 2012/04/16 18:50


 崖の上には一本レールが敷かれていて、その不安定なレールの上を走る列車が一台。

 占いの町『グルメフォーチュン』へ向かうため、トリコと杏子は列車に揺られながら目的地を目指していた。

 列車内で売られている酒を全て買占め、ほろ酔い気分で気持ちよさそうにしているトリコとは対称的に杏子は露骨に不機嫌な表情を浮かべていた。

 悪意のこもった目で睨みつけているにも関わらず、意に介さずと言った調子で一人酒盛りを続けているトリコに、杏子の怒りは爆発し、勢いよく立ち上がると思いの丈を叫ぶ。

「助けてもらい、さやかの捜索の手伝いまでしてもらってこんなこと言うのも何だって思うけどな……お前はアホか! ちょっと散歩に出るぐらいのノリで片道5時間はかかる町まで向かおうなんてな……」

「だから思い立ったが吉日だろ?」

 杏子の抗議はトリコの信念のある一言で却下され、トリコはテキーラをボトル一本分口の中に含むと、口の中で『白金レモン』を絞り、口の中で起こる味の化学変化を楽しみながら、喉にアルコールを流し込むと心地よい焼けつく感覚に酔いしれていた。

 そしてつまみに先程捕獲したゲロルドを生姜醤油で味付けしたから揚げにした物を麻袋から取り出して食べだすと、今度はバーボンに手を伸ばす。

「うめぇ――! やっぱり酒のつまみにはから揚げが王道だぜ!」

 濃いめの味付けに施されたから揚げは、元々旺盛だったトリコの食欲を更に刺激して、ジュースでも飲むような感覚でアルコール度数の高いバーボンをがぶ飲みして、空になったボトルを指に入れながら遊んでいると、相変わらず自分を睨みつけている杏子と目が合い、少しからかってやろうとイタズラをトリコは思いつく。

「そう睨みつけるなって、まだまだ旅は長いんだ。気楽にやっていこうぜ」

 そう言うとトリコは空になったボトルを力の限り握りしめる。

 これを見て杏子が思ったのはガラス製のボトルを割って自分の力を誇示させようというアピール。

 そんな陳腐なパフォーマンスに乗っかるかと冷めた目で見つめていたが、実際にトリコが行ったパフォーマンスは全くの別物であった。

 手の中ですっぽりと収まったボトルから発せられたのは熱気。

 ガラスからこんな高熱を発せられるだけの力は業務用の機械で無くては不可能なレベル、それは知識の無い杏子にも分かることだった。

 そこからトリコのパワーが人間離れした物であることが分かり、杏子は怒ることも忘れて驚愕の表情を浮かべていた。

 上手く黙らせることが出来たのを見ると、トリコは握り拳を開いてボトルだった物をテーブルの上に置く。

 そこに置かれたのは大き目のボトルでは無く、おちょこ大の大きさにまで縮みあがったガラス細工のオブジェ。

 物を見ると杏子の中で昔テレビで見た情報が思い起こされる。

 深海の世界は宇宙空間と同等と言われていて、海底での圧力によりサッカーボールはピンポン玉サイズに、カップラーメンはおちょこ大のサイズにまで圧縮されてしまうと聞く。

 その圧力を自分の腕力だけでやってのけたトリコ。

 ここから彼の握力が異常な物であると実感し、魔法少女として人間の常識など全て捨て去ったはずの杏子でも驚きの色が隠せなかった。

(コイツが特別なのか? それともこの世界に居る奴はこれが常識なのか?)

 再び混乱しだした思考をまとめるため、杏子は一旦ソファーに腰かけ、情報をまとめようとする。

 訳の分からない怪鳥を国でレベルを定めて、食べるようなデタラメな世界だ。

 トリコぐらいの身体能力は自分たちの世界で言うところのガテン系の住人と変わらないかもしれない。

 細かいことを気にしない自分ならともかく、もしかしたら同じようにこの世界にやってきているさやかがこの世界でやっていけるのかと不安が募る一方だった。

 彼女は自分と違って決してメンタルが強い方では無い。

 ただでさえ苦悩や悲しみがダース単位で襲ってきて、情緒不安定な状態のさやかがこんな無茶苦茶な世界で一人放り出されてやっていけるとはとても思えない。

 考えれば考えるほど、頭の中は混乱する一方であり、酷い頭痛に杏子は襲われる。

 元々考えるのは苦手で行動派の自分があれこれ仮説を立てるのには頭脳が拒否反応を示す。

 頭を乱暴にかきむしるとトリコが用意してくれたボトルに手を伸ばし、乱暴にラッパ飲みをする。

「いーね、お前。いくつかは聞いてなかったが、恐らくは初体験でいきなりジンをストレートで一気飲みなんて根性のある真似してくれんだからな。ところでいくつだ? 俺は22歳だ」

 喉が焼けつくような痛みを覚える。それに加えて頭がふらつくような感覚も襲ってきた。

 だがそれでも意識だけは強く保たれていて、杏子はトリコの質問に答えようとするが返答に困ってしまう。

 魔法少女として戦ってきた自分には年齢と言う概念があやふやになっていたからだ。

 魔法少女は年を取らない。だから年齢と言われても困る部分があり、その上自分は元の世界では死んだ存在。

 どう答えていいか分からなかったが、酒の力を借りて頭がハッキリと機能してないのか杏子は自重気味に答える。

「14だ……」

「まだ中坊だったとはな!」

 年齢を聞いて衝撃的な事実にトリコは一瞬驚いた顔を見せるが、すぐに杏子の勝負度胸が気に入り、今度は先程のジンよりもアルコール度数の高いウオッカを杏子の前に置くと飲むように促す。

「だがその飲みっぷりは気に入ったぜ! 俺と対等に酒を交わせる奴は誰も居なくてな。ココは飲めないし、サニーはたしなむ程度だし、ゼブラは好きだけどすぐに酔うからな……」

「上等だ!」

 半分挑発された感じで言われると、負けん気の強い杏子の心に火が点く。

 ウオッカのボトルを手に持つと先程のジンと同じように一気に胃袋へと流し込んでいく。

 喉が焼けるような感覚を覚える。

 そして高すぎるアルコール度数が瞬間的に口の中をアルコール消毒してくれるので、喉や胃袋が焼けるように熱くなるのとは対称的に口の中は凍えるほど冷たくなる感覚を覚えた。

 だがそれでも杏子は飲み切ると空になったボトルを押し出し、おかわりを要求するよう無言のアピールをした。

 飲み比べが出来ることをトリコは喜びながら、麻袋の中に入った食料を差し出す。

 そこには見たことも無い食材が山ほど詰まっていて、見慣れたはずの魚や肉でさえ、自分が居た世界とは別物のそれに見えてしまう。

 その中で杏子の目に止まったのは茶色いキャベツ。

 一瞬腐っているのではとも杏子は思ったが、アーモンドの匂いがして食欲をそそられる物だった。

「おおアンコは『アーモンドキャベツ』が気に入ったのか? これはうめぇぞ――!」

「アンコって言うな……」

 ジンとウオッカを胃の中でミックスしてちゃんぽんの状態にしてしまう。

 それは飲酒が初体験の少女にとっては厳しい物であり、反論にも力が出ない。

 少しでも酔いを覚まそうと目の前にあるアーモンドキャベツを乱暴にむしり取ると、口の中に放り込む。

 その瞬間今まで食べたことの無い新食感に杏子の頭は覚醒した。

 コンビニなどでも新商品のお菓子の窃盗は欠かさないでいた杏子だが、今食べているアーモンドキャベツはそのどれにも属さない味だからだ。

 噛めば噛むほどポリポリとアーモンドの食感が楽しく、そして味の方もアーモンドのように甘みとほのかな苦みが食欲をそそり、一枚を食べきるとすぐに二枚目に手を伸ばしていく。

 食欲によって杏子の意識が覚醒したのを見ると、トリコは更に酒を用意しようと今度はバーボンを用意しようとするが、ここで思い出すのはこれから向かおうとしている場所。

 子供からの仲間たちの中でココは一番良識的な性格であり、14歳の少女に酒を進め続けたとしれれば、何を言われるか分からないと判断したトリコは麻袋の中から真っ白なリンゴを取り出すと2、3個手の中に収めると絞って、果汁をジュースのようにしてジョッキの中に入れると、そこにバーボンを入れて割った状態にして杏子の前に差し出す。

「『ホワイトアップル』で割れば問題無いだろ。これならジュースみたいなもんだし……」

 まるでココに対して言い訳をするようにつぶやきながら、トリコは杏子にホワイトアップルで割ったバーボンを差し出す。

 アーモンドばかりを食べていたので、喉がカラカラに乾いていたので杏子は奪うようにジョッキを取ると、一気に胃袋へと流し込んでいく。

 先程までは舌に感じていたのは激しい痛みと苦みだけだった酒だが、ここで初めて杏子の舌にうまみと言うのが広がる。

 元々リンゴは好きだったが、魔法少女として盗んだお金で山ほど買ったリンゴは罪悪感から時折砂を噛んだような食感が広がることもあった。

 だが今飲んだホワイトアップルの果汁は純粋に甘みだけが広がるだけで、リンゴ本来の甘みだけが口の中に広がっていき、バーボンの苦みなど微塵にも感じないまま飲み干すと今度はリンゴ自体を食べたいと思い、杏子はテーブルの上に置きっぱなしになっていたホワイトアップルの実を直に取ってかぶりつく。

「いい食べっぷりだぜ! ホワイトアップルは捕獲レベルこそ1以下だが、普通のリンゴよりも何倍も甘いし、パイにすれば最高に美味いからな!」

 トリコは豪快に笑い飛ばしながら果汁が無くなって絞りかすになったホワイトアップルを口の中に投げ込むと、2、3回咀嚼した後に飲みこむと自分も食べようと麻袋の中からホワイトアップルを取り出す。

 ここで杏子はトリコが用意した麻袋の中身が目に入る。

 肉、魚、野菜、フルーツとどれも見たことが無い食材ばかりではあるが、全てが食べ物であることに杏子は呆れた顔を浮かべていて、一言嫌味のようにつぶやく。

「アタシが言うのも何だが……食べることしか頭に無いのか? お前は……」

 人一倍食い意地が張っている自分がまさかこんな突っ込みを入れるとは思っていなかったが、トリコはピンク色の鮭『ストライプサーモン』を手に取ると骨ごと貪り食いながら答える。

「それはしょうがないだろ。基礎代謝って言葉知らないのかお前?」

 『基礎代謝』と言われて杏子の脳内で自分が知っている情報が交錯する。

 人間何もしなくても生命活動を維持するために自動でカロリーが消費される。

 それは成人女性で1200カロリー、成人男性で1500カロリーが妥当なところと言われているが、トリコの摂取カロリーは明らかにそれをオーバーしている物だった。

「因みに俺の場合は約10万キロカロリーを1日で必要としている」

「何だその燃費の悪い体は!?」

 自信満々に笑いながら言うトリコとは対称的に、杏子は非常識なトリコの肉体に激しい突っ込みを入れる。

「これがグルメ細胞の力さ、まぁ今度ゆっくり話してやるよ」

 『グルメ細胞』と言う聞きなれない単語に杏子は再び困惑の表情を浮かべたが、非常識な異世界であれこれと不用意に詮索するのは自分の精神衛生上良くないとも判断した杏子は何も言わずホワイトアップルの果汁で割った酒を浴びるように飲み続け、トリコもまたグルメフォーチュンの到着が近いと知るとラストスパートとばかりに飲み続けた。

 到着するまでの間酒盛りは続き、二人とも無言ではあったがトリコは嬉しく思っていた。

 自分と一緒に酒を飲んでくれる相手が居ることに。




 ***




 グルメフォーチュンに到着するとトリコはほろ酔い気分でゆっくりと電車から降り、杏子は酩酊状態でフラフラになりながらもトリコに続いていく。

 グルメフォーチュンは古くから易学で栄えた町であり、近年はグルメ産業の発展に伴い、グルメ関連の企業や投資家、さらには一般のデイトレーダーが客のほとんどとなっている。

 適当に相場を占うインチキグルメ易者も多いが、それでも、この町の占いの信用率は高い。

 その事を適当にトリコはろくに聞いていない杏子に説明すると、胸ポケットから『葉巻樹』を取り出して指を勢いよく鳴らすと、そこから発生した火花で火を点け、口の中で香りと煙を楽しむ。

 二人はゆっくりと歩いていくが、その道中杏子は禍々しいデザインの家が並ぶ町を奇妙に思う。

 紫色の毒々しい色が家全体に施されたデザインは見ていて気持ちの安らぐ物ではない。

 杏子が物珍しそうに家を見ているとトリコが説明に入る。

 この町の占い師が危険な猛獣が近付く時間帯を占い、それに合わせて住民たちは壁一面に毒を施した家に身を隠す。

 そうすることで自らの身を守り、その時間帯が正確だからこそ、この町の占いは信用されることをトリコは杏子に教えた。

「空襲警報みたいなもんか」

「まだ爆弾の方が可愛かったりしてな」

 意地の悪い感じでトリコが指さした先に居たのは、先程戦ったゲロルドよりも更に大きな猛獣だった。

 20メートル近い大きさの恐竜にも似た猛獣は最早怪獣と呼ぶレベルであり、まるで見定めをするように餌を求めている姿に杏子はハッキリしていない脳内が冷める感覚を覚えたが、トリコはニヤニヤと笑いながら猛獣を見定めする。

「捕獲レベル9の『クエンドン』かよ、煮ても焼いてもクエンドンってね……」

 心底興味が無いと言った感じで吐き捨てるように言うと、葉巻樹を楽しむ。

 そこへ黒の全身タイツに使いこまれたローブを身にまとった青年が自分たちの元に近づいてくるのが見えた。

 トリコは手を振ってアピールするが、クエンドンは青年の存在に気付くとよだれを垂らしながら、ゆっくりと近づいていく。

「オイ! 目の前に猛獣が居るんだぞ。あの兄ちゃんにも逃げるように……」

 未だにアルコールが残っているのか覚束ない口調で杏子は青年の身を心配するが、次の瞬間広がったのは予想外の光景。

 クエンドンが青年を食べようとした瞬間、直前でクエンドンはその身を引き腹の虫を鳴らしながら、空腹に耐えてその場を後にして行った。

 何がどうなったのか全く理解できない杏子とは対称的に相変わらずの青年にトリコは豪快に笑い飛ばす。

 そして青年が目の前に現れると、ほろ酔いで出来上がっているトリコと酩酊状態の杏子を交互に見るとため息を一つつき、青年はトリコの頭をゲンコツで軽く小突く。

「痛ぇな! テメェ何しやがんだ! いきなり!?」

「それはこっちの台詞だ! 僕は僕で占い師として仕事があるって言うのに、こっちの都合も聞かないで一方的な会話をして! それにな……」

 青年は激昂したまま酩酊状態の杏子を指さすとトリコの非常識さを責め出す。

「こんな小さな子供相手にお前と同じペースで酒盛りをさせる奴が居るか! 大体同行者が居るってことぐらい伝えてもらわないとだな……」

「そこまでにしてもらおうか!」

 青年のトリコに対しての説教が長引きそうになったのを感じた杏子は怒鳴り散らして黙らせる。

 ただでさえ長い時間列車に揺られて機嫌が悪い状態なのに、こんなところまで来て足踏み状態になるのは自分の性格上我慢がならないからだ。

「アタシだったら平気だ。それより探し物が得意な占い師ってのを捜してんだが、アンタ知らないか?」

「それだったら僕のことさ」

 威風堂々とした態度で話す杏子に対して、青年はクールな態度で返すと杏子に向かって自己紹介をする。

「僕はこのグルメフォーチュンで占い師をやっているココだ。以後お見知りおきを」

 そう言ってココは杏子を相手に中世の騎士のような感じで手を差し出し深々と頭を下げる。

 トリコとは違い随分と礼儀正しい性格のココに杏子は軽く呆けはしたが、自分も自己紹介をしようとする。

「オウ、アタシはな……」

「こいつはアンコだ。早速お前の店へ行くぞ」

 トリコが強引に話を終わらせるとココの店へと向かおうとするが、またアンコ呼ばわりされたことに怒った杏子は拳に力を込めてトリコを殴り飛ばそうとする。

「誰がアンコだ! オラ!」

 だが拳が届くよりも先にホワイトアップルで割られたテキーラが入ったボトルを突っ込まれ、杏子は反射的にボトルの中身を飲み干してしまう。

 相変わらず強引すぎるトリコにココは完全に呆れ果ててしまい、杏子はボトルの中身を全部飲み切ると目が据わった状態で一言つぶやく。

「いいよアンコで。それよか早くさやかを探せ……」

「よろしくねアンコちゃん。それよりも『さやか』って言うのは君の何なんだい?」

 柔らかな笑みを浮かべながら話すココに対し、酒が入って感情的になったのか杏子は目に涙を溜めながらも語り出す。

「大切な友達だよ……」

 その様子を見てココは確信した。

 杏子に取ってさやかは本当に大切な存在だと言うことを。

 その様子を見たココは彼女を救わなければいけないと言う使命感に駆られ、トリコへの説教もそこそこに自分の店に来るよう手で二人を呼び寄せる。

「ココの占いは天下一品だからな。きっとお前の探し人も見つかるはずだぜ!」

 トリコなりの激励を受けながら、杏子は歩を進めていた。

 これから先のことは二人で考えればいい。

 今度こそ自分とさやかは友人としての関係を築いてみせると、杏子は心に強く誓っていた。




 ***




 薄暗く狭い店内に到着するとトリコと杏子はココが用意してくれた席に座り、ココも自分の席に座ると対面する形を取る。

 相変わらずさやかのことで頭が一杯になっている杏子はココを睨みつけて、無言の威圧をしていた。

「そんな怖い顔をされても困る。僕はそのさやかって子のことを何も知らないんだから、アンコちゃんが知っている限り情報を与えてほしい」

 もっともな意見を言われると、ここで一旦杏子の心に落ち着きが取り戻され、杏子は知っている限りのさやかに対しての情報をココへ伝える。

 容姿、性格、ここへ来る前までの悲惨な経歴などを異世界から来たと言うこと以外は上手く隠して伝え、最後につたないながらに彼女の似顔絵を描くとココへ手渡す。

 絵は下手なりに一生懸命描かれていたのが分かり、そこから杏子がさやかに対して真剣な気持ちを持っていることが分かった。

 彼女の気持ちに応えるべく、ここは目の前にある水晶玉に手をかざすと力を込めてそこから発生する電磁波を見ようとして未来を見据えようとしていた。

(これは?)

 その瞬間ココは今までに見たことが無い強い違和感を感じ取った。

 水晶玉には何も映らず、まるで深い霧がかかったかのようにぼんやりした映像しか見えていないからだ。

 原因を探ろうと今度は杏子の方を見つめる。

 彼女から感じた電磁波は常人のそれとは全くの別物であり、真っ赤で闘気に満ちたそれとは別に海のように青く癒しの力に満ちた電磁波を感じ取っていたからだ。

 一つの体から二つの電磁波を感じ取るのは極めて異例なことではあるが、ココの中で一つの仮説が生まれる。

 仮説を定説に変えるためにもココは目に力を込め、杏子を食い入るように睨みつけた。

 人間の体から発せられる微弱な電磁波も捕えられる自分がここまで真剣に物を見るのは初めてであり、ぼんやりとした青い電磁波はもやのような状態から一人の少女の姿に変わる。

(これは……)

 自分には人には見えない物が見える。

 だが今目の前で見えてしまっているそれに対して、百戦錬磨のココでも驚きの顔を浮かべてしまう。

 青い電磁波は一つの人間の魂であり、それは杏子が描き上げた似顔絵の少女『さやか』と瓜二つのそれだったからだ。

 青を基調としたコスチュームにマント姿のそれに多少は困惑したが、コンタクトを取ってみようとココは二人にも聞こえないよう、ささやくようにさやかと思われる魂に話をしようとする。

(君がアンコちゃんの探し人のさやかちゃんかい?)

 ココの問いかけに対して、さやかは小さく首を縦に振ると一言だけつぶやく。

(ありのままを伝えてあげて……)

 それだけを言うとさやかの姿は再び青い電磁波へと変わり、杏子にまとわりつく形に戻った。

 事実はあまりにも残酷であり、目の前で期待を持った少女に告げようか悩みはしたが、ココは決断を下す。

「正直に言う。そのさやかって子だが、既に死んでいる可能性が高い……」

 その瞬間杏子の中で自我がガラスのように崩壊していくイメージが広がっていく。

 自分と同じようにさやかもこの世界で新しい生を与えている物とばかり思っていただけに、仮説とは言えあまりに残酷な現実に杏子は酷いショックを受けた表情のまま、立ち上がって二人に何も言わずに出て行こうとする。

「待つんだ! 魂は君の体に宿っている可能性が高いんだ!」

「アタシの中に?」

 異常な状態の杏子の心に平穏を戻そうと、ココは仮説の段階でしかないが現時点で分かっていることを全て杏子に告げる。

「君からは二つの電磁波を感じ取った。一つは元々の君のそれ、もう一つはそのさやかって子の電磁波だと思うんだ。僕はこの目で君の似顔絵にそっくりな少女を見た。何にせよ君に関してはまだまだ知らないことが多すぎる。アンコちゃん、もしよかったら僕に君のことをもっと教えてくれないかな?」

 ココは杏子に心を開いてもらうように、穏やかな口調で話しかけるが、杏子は口を閉じて何も話そうとはしなかった。

 さやかが肉体を持たずに転生したこともそうだが、異世界で自爆して死んだなんて話、まともに取り合ってもらえるわけがない。

 とにかくさやかが自分と同じように新たな生を受けなかったことは、杏子に取って重すぎる現実であり、その場から逃げるように去っていく。

「オイ、アンコ!」

 それを追うようにすぐにトリコも店を出て彼女の後を追う。

 一人取り残されたココは嵐のように過ぎ去った二人にため息をつきながらも、水晶玉に手をかざすと力を込めて彼女の未来を占おうとした。

 そこには真っ赤なコスチュームに身を包んで、槍をかざして『ガララワニ』に立ち向かおうとしている杏子の姿が映し出されていて、美食屋として歩こうとしている姿があった。

 新しい強力な商売敵ができたことに気苦労も増えたが、同時に安堵感も感じた。

 彼女は辛すぎる現実に負けるほど弱い存在じゃない、二言、三言程度しか話していないがそれはよく分かった。

 後のことはトリコに任せようと判断し、ココはそのまま目を閉じ眠りに付こうとした。

 トリコに振り回されて疲れた体を癒すために。




 ***




 何も考えずに体力の続く限り走り続ける。

 そうすることで自分の中にあるモヤモヤとした感情を払拭したいと杏子は思っていたからだ。

 肉体が無い状態でこれから先どうやってさやかに幸福感を与えることが出来るんだ。

 いくら考えても答えは見つからず、道端に落ちていた小石に足を取られて勢いよく転ぶと目の前にあったのは何も無い草原だった。

 この世界は多くの自然が残されていて、それは見ているだけでも心が穏やかになる物だった。

 だが肉体の無いさやかはこれを感じることも出来ない。

 美味しい食事を食べた喜びも、花の美しさ、太陽の温かさ、柔らかなシーツに包まれての穏やかな眠り、どれもさやかは感じることが出来ない。

 無茶苦茶ではあるが、自分たちが居た世界よりはある意味で穏やかな世界に飛ばされただけに杏子のジレンマは募る一方であった。

「畜生……チクショウ……」

 何の力も無い少女はこんなことをしたって何も変わらないのは分かっていても、泣くことしかできなかった。

 流すまいと目に涙を溜めて我慢はしていたが堤防の崩壊は早く、杏子の両目からは涙が零れおち、土の地面に涙の痕がポツリポツリと落ちていく。

「どんなに泣いても目からオレンジジュースは出ないぞ」

 声と共に目の前に差し出されたのは大き目のハンカチ、杏子が見上げた先に居たのは息を切らせながら立っているトリコの姿だった。

 杏子は何も言わずにハンカチを奪い取るように受け取ると、泣き顔を見られたくないのかハンカチで顔全体を覆うように包みこんで涙を拭きとる。

「まさかこんなことになるとはな。お前これからどうするんだ?」

「知るか!」

 トリコの質問に対しても自棄気味に返すことしか今の杏子にはできなかった。

 その様子を見てトリコは困った顔を浮かべながらも、彼女の心を救うために自分が考えたこれからのプランを話し出す。

「もしココの占い通り、そのさやかって子がお前の中にいるならだ。お前の幸せをさやかって子に分け与えることもできるんじゃないのか?」

 『分け与える』と言う言葉に杏子はハッとした顔を浮かべた。

 以前盗品のリンゴをさやかに分け与えようとした時、手に入れた用途を巡って喧嘩になり、自分もまた持論を曲げることが出来ずに喧嘩になってしまったことを思い出す。

 もしココの言うように自分の中にさやかの魂があるのなら、これからの自分を見せることで友人関係と言うのは築けるのではないかと言う思いが出来上がっていく。

 それは自分の心を守るための醜い自己満足の部類かもしれない、だがそれでも行動に起こさなければいけないと判断し、涙を全て拭き取ったハンカチをトリコに返すと、トリコに向かってこれからのことを話し合おうとする。

「もしお前にその気があるんなら、しばらく家で過ごして、美食屋の勉強するか?」

 『美食屋』と言う聞きなれない単語に杏子は多少の困惑こそしたが、先程のトリコの激闘を見れば何となくやろうとしていることは分かった。

 ようは猛獣相手に戦って生計を立てるハンターのような物だと。

 これならばちゃんとした方法で手に入れた食糧だし、胸を張って堂々と話すこともできる。

 魔法少女としての力こそ失ったが、キャリアは残っている。

 この世界で食べた食材は三つだけだが、その美味しさは一生物のレベル。

 例え危険であっても、その美味しさを自分の中に居るかもしれないさやかに伝えることこそが自分のなすべきことなのではないかと思い、二つ返事でトリコに返す。

「分かった。これからよろしく頼むぜトリコ……」

 友達を作るためには一方的に思いをぶつけるだけではいけない、自分の方からも歩み寄ろうとしなくてはいけない。

 それを自分たちの世界で学んだ杏子はトリコに向かって手を差し出す。

「ああコンビ結成だアンコ!」

 大きな手が杏子の小さな手を包みこむ。

 大人と子供並みの大きさがある手は温かさが伝わり、これから先の辛い戦いも安心してやっていけるような無意味な安堵感を感じた。

(何にせよ戸籍も無いアタシが生きていくにはこれしかないか……)

 頭の中に冷静さが取り戻すと、自分に残された選択肢はこれぐらいしかないと分かる。

 この世界でも魔法少女と似たようなことをしなくてはいけないことに苦笑いを浮かべながらも杏子はやる気を見せていた。

(これからを見ていくからね……)

 その時後ろから声が聞こえたような気がして、杏子は振り返るがそこには何も無かった。

 だが杏子は信じていた。この世界で堂々と頑張っていけることを、それが自分もさやかも救われる道だと言うことを。





本日の食材

アーモンドキャベツ 捕獲レベル1以下

味・食感ともにアーモンドに近いキャベツ。
酒のつまみやサラダのアクセントとしては最適だが、アーモンド並みの高カロリーのためキャベツダイエットを行うのは不向き。

ホワイトアップル 捕獲レベル1以下

その名の通り白いリンゴで、通常のリンゴより糖度が高い。
ジュースやカクテル、スイーツを作るのに最適だという。中でも「ホワイトアップルパイ」は女性に人気が高いとか。
と言う訳で一気に二話目を投稿しました。

クエンドン 捕獲レベル9

煮ても焼いても食べられた物ではない味から、この名が付けられた猛獣。
他の用途を探そうとしても、体毛や爪にも利用価値が見つけられず、クエンドンの利用価値を見つけることはIGOの課題の一つにもなっている。





この物語は本編よりも三年前の物語になるのでトリコの年齢は22歳になっています。

次回は美食屋として歩み出した杏子の話になります。

次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ3 美を求める美食屋サニー
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:14f6250d
Date: 2012/04/23 18:41




 杏子はトリコの勧めもあり、彼の家に居候させてもらいながら、美食屋の見習いとして、彼に色々な事を教えてもらうことになった。

 初めに心構えと言う点でこの業界での常識を叩きこまれ、初めに教えられたのは今や美食屋にとってなくてはならない存在の『グルメ細胞』について。

「コイツを発見したのは、かつて『美食の神』と謳われた伝説の美食屋アカシア……」

 礼節に関してはあまり得意でないトリコでも、アカシアの話をする時だけは常に感謝の気持ちを忘れないと言う心構えが話を聞いている杏子からも伝わってくる。

 目の前の杏子も話を聞く準備が出来たのを見ると、トリコは改めてアカシアが残してくれた偉業に関して話し出す。

 この世のありとあらゆる食材を見つけた彼が最後に目指した場所は深海。

 そこで彼は天国を見ることになった。

 それは澄み切った眩しい光景では無く、『味』であった。

 一匹の巨大な魚をさばいて刺身にして食べた瞬間、アカシアは絶句した。その魚のあまりの美味しさに。

 形容できない程の旨さ。信じられないほどの幸福感が全身を包んだ。

 それは産声にも似た感動であった。それから彼の研究の日々は始まった。

 長い長い研究の結果、アカシアはついにその根源を発見する。

 それは一匹のクラゲだった。少しずつ形を変え、進化しながら何度も再生するクラゲ。

 深海の楽園の魚たちはこのクラゲを食べていて、そしてそのクラゲを食べた魚はその魚特有の旨味が増していたのだ。

「アカシアはそいつを『グルメクラゲ』と名付け、そしてそのクラゲから採取した細胞が『グルメ細胞』だ」

 そこからトリコはもっとも重要なキーワードである『グルメ細胞』に付いての説明に入る。

 優れた再生機能と生命力を備えるグルメ細胞は、他の細胞組織と上手く結合すれば、その組織の長所を驚異的に伸ばすことができる。

「美味いリンゴはより美味く! 美味しい牛肉はより美味しく!」

 話している途中で熱がこもりすぎたのか、トリコは途中で『ホワイトアップル』と『白毛シンデレラ牛』のステーキを一口で食べだし、エネルギーの補給をする。

 基礎代謝と言うのは分かるが、真面目な話をしている最中にも食い意地だけは変わらないトリコに杏子は呆れた顔を浮かべるが、じっくりと咀嚼してから飲み込むと話を再開する。

「そいつを人体に結合したら、どうなると思う?」

 ここでトリコは今まで以上に真剣な顔で話し出す。これは杏子がショックを受けないように心構えをしっかり持ってもらいたいと言う無言のアプローチ。

「結合に成功した人間は圧倒的な生命力を手に入れて超人と化す。更にその実力は美味い食材を食べれば食べるほどレベルアップするんだ。だがうまく適合できなかった場合、最悪の場合グルメ細胞の力に負けて、死ぬ……」

 ここでトリコは一旦話を止め、杏子の様子を見る。

 一般的には明らかになっていない美食屋の真実を知って、酷いショックを受けてPTSDになってしまう人は決して少なくはない。

 優先的に美味しい食材を食べれるグルメ時代に取っては夢のような仕事ではあるが、美食屋と言う仕事には闇の部分も強い、その闇に杏子が耐えきれるかどうか不安だったが、トリコの不安とは裏腹に杏子は相変わらずの平然とした顔で話の続きを待っていた。

「だからか、お前の化け物じみた強さも理解出来たような気がするよ」

「『化け物じみた』だけ余計だ。でも不気味なぐらいに落ちついているなお前……」

 杏子の軽口に対して軽く皮肉を言うトリコだったが、14歳の年端もいかない少女が美食屋の闇の部分を見せられても、眉一つ動かさずに平然としていられることがトリコに取っては驚きだった。

「別に驚くことでもないさ、アタシも似たような経験はある……」

 自分の闇の部分を語ると杏子もお腹が空いたのか、目の前に無造作に置いてあるホワイトアップルを食べる。

 物を食べると言う点で気持ちと言うのはやはり重要な物。

 嫌なことを思い出した杏子の舌に広がるのはジャリジャリとしたリンゴの嫌な部分が全面的に出た食感。

 だがそれでも通常のリンゴより糖度の高いホワイトアップルは自然と杏子の頬を緩ませ、美味しさに負けた杏子は魔法少女としての経験を異世界から来たと言うこと以外は上手に隠して、自分の経験を語り出す。

「だがアンタらの方が何倍もマシだ。事前に全ての情報を教えてもらえるし、生きている躍動を感じられるってのは最高だ。それに比べ、アタシがしてきた経験は体が生きているフリをしているようなもんだからな……」

 ホワイトアップルを丸々一個食べ終えると杏子はそれ以上語ろうとしなかった。

 その神妙な表情を見て、トリコはこれ以上杏子から何かを聞きだすことは出来ないと判断し追求することをやめるが、正直な話聞かされても何が何だか分からないと言う思いが強かったからだ。

 黙り込んだトリコだったが、グルメ細胞の話を聞いてから一つの疑問が生まれ、杏子はその事を聞き出そうとする。

「アカシアってのがアンタらにとって神にも等しい存在だってのは分かったよ。でもさ……そのグルメ細胞が見つかる前まではどうやって猛獣たちと戦ってたんだ?」

 話を聞く限り古代から猛獣は居て、それらと戦っていたのだろうが、自分の世界で言うならキュゥべえとの契約も無しで魔女と戦うような物だ。

 もっともな杏子の質問に対して、トリコが懐から取り出したのは針を打ちだすタイプの麻酔銃を見せる。

「それは人類の英知『ノッキング』での対応さ」

 聞きなれない単語に杏子は困惑の表情を浮かべるが、ここでトリコは針を自分の腕に打ちつけると筋肉に針を刺した状態で説明を始める。

 生物の小脳にある運動を司る神経組織に一時的に刺激を与えて麻痺状態にすることをノッキングと言われる。

 これにより非力な人類でも凶暴極まりない猛獣たちと渡り歩いてきた。人類の素晴らしい技術。

 トリコも何度もお世話になっている技術だけに感慨深いと言った表情を浮かべる。

「オレたち美食屋の間では、このノッキングを完全に極めたマスター、通称『ノッキングマスター次郎』って伝説の美食屋も居てだな。一度お目にかかりたいもんだな……」

「誰もお前の願望は聞いてないよ」

 多少冷めた感じで言う杏子は言う。

 そして戦うべきすべがあると知ると杏子はゆっくりと立ち上がって、二個目のホワイトアップルを手に取って食べる。

 冷静になって考えてみれば、戦うすべが一種類だけじゃないのは当たり前のことである。

 魔女と戦うすべとして魔法もそうだが、近代兵器である銃火器を使っている魔法少女だっているんだ。

 何にせよ戦うすべに選択肢があるのは幸運なことだ。

 自分が戦った魔女は倒す以外に救うと言う選択肢は無かったのだから。

「美食屋の仕事を教えてもらうってのはヒヨッコのアタシに取ってはありがたい限りだ。それで美食屋になるためにはグルメ細胞を移植しないといけないのか?」

 ここで杏子はもっとも重要なキーワードをトリコから聞き出そうとする。

 自分たちが居た世界ではキュゥべえとの契約によって、多くの大切な物を失った杏子だけにこの辺りは詳しく知っておきたいところであり、一語一句聞き逃さないように真剣な顔を浮かべていた。

 対してトリコは普通の顔を浮かべながらも、ホワイトアップルを食べつつ自然な感じで答える。

「それがデフォルトになりつつはあるけど、別にやらなきゃダメだってことはねぇぞ」

「エラいちゃらんぽらんだな……」

 細かいことを気にすることのない大味なのはトリコだけではなく、世界全体がちゃらんぽらんになっているのを改めて杏子は再認識させられてしまう。

 だが美食屋として看板を上げるだけなら、誰にでも出来ることだからグルメ細胞の移植がなくても、ノッキングに関する知識が無くても可能。

 しかしそんな美食屋は金だけを受け取って、逃げ出す犯罪者がほとんどのため、依頼者の信用を得るためにも、どちらか自分の武器と呼べる物を持たなければ厳しいことをトリコは杏子に告げた。

「まぁ最初は猛獣に慣れるのが第一関門だな。シュミレーションはバッチリでも現物を見た途端、腰がすくみ上がって猛獣の餌になってしまった美食屋ってのは少なくないからな」

 いきなりグルメ細胞を移植されるとばかり思っていただけに杏子は呆けた顔を浮かべていた。

 だがトリコの言うことはもっともである。

 魔女との戦いで異形との戦いは慣れていたはずの自分でさえ、初めてゲロルドを見た瞬間は腰がすくみ上がり、戦って食するなんてことは思いつかなかった。

 それにグルメ細胞を移植されてもトリコのように一切の狩りを素手だけで行う美食屋はほとんどいない。

 大体の美食屋は罠を張って、猛獣の虚を突くトラップ戦術がほとんど。

 それでも全てが規格外の猛獣を相手にするには、自身を超人に変えるグルメ細胞に頼らざらるを得ない。

「まぁグルメ細胞の移植云々に関しては今後の課題だな。まずは話した通りの第一関門をクリアすることからだ」

 まずは猛獣に慣れろとだけ言うとトリコはこの日の食事を狩るため、麻袋を持って狩りに出かけていこうとする。

「保存とかしないのか?」

 杏子は呆れたように言う。

 トリコが住んでいるスイーツハウスには冷蔵庫が無い。

 エアコンやテレビなどは全てが最新式なのに関わらず、生きる上で必要な冷蔵庫が無いのはおかしな話。

 それでなくてもトリコのように異常に基礎代謝が高く、僅かばかりの絶食でも命にかかわるレベルになってしまう彼がおやつ程度の食糧しか用意しなく、もしもの時のために非常食を用意しないのはおかしな話であり、それを杏子は突っ込んだ。

「狩るのは今日食べる分だけだ。明日の分は明日狩る」

「それが美食屋のルールなのか?」

「オレのルールだ!」

 威風堂々と語りながらトリコはジンのボトルをジュースのようにラッパ飲みしながら、家を出ていき狩りへと出かけていく。

 それは命に関して本当に真摯に向き合っていることなのだろうと杏子は感じ、初めてトリコと言う人間の深い部分に触れたような気がした。

「お前の相手は明日までには用意しておくからな――!」

 数メートル先からでも届いたトリコの大声はまるで耳元で叫ばれたように響き、杏子は耳を押さえながら鼓膜に残る大声に苦しめられる。

 決して見下すべき相手ではないのは分かるが、全てが規格外なのは何とかしてもらいたいと思いつつ、杏子はすっかり気に入ったホワイトアップルを食べながらトリコの帰りを待つ。

 自分もいつか自分だけの力でこんなに美味しい物を捕まえてやると心の中で誓った。

 それがさやかへ本当に分け与えるべき幸福感だと信じていたから。




 ***




 トリコが杏子の修行のために用意したのは薄暗い洞窟だった。

 2メートルを超すトリコに取ってそこは洞窟と言うよりは横穴に近い物であり、奥行きもそこまで深くはないので、何度も「狭いな……」と愚痴を言いながらも杏子のために用意したノッキングガンを手渡すと、彼女の頭のサイズにあったライト付きのヘルメットを被らせて奥の方を指さす。

「今回お前が相手するのは捕獲レベル1以下の『おしり虫』だ」

 早速杏子はしかめっ面を浮かべてしまう。

 ふざけた名前の相手に戦闘意欲を一瞬無くしてしまいそうになるが、ライトが洞窟の奥から現れる異形を照らし出す。

 つぶらな瞳こそ持っているが、胴体の部分は名前の通りおしりに近い形であり、側面からは無数の虫の足が生えている姿は人によっては嫌悪感を抱くデザインの異形であった。

 だが大きさは60センチ程度であり、捕獲レベルが最弱の1以下なのも納得が出来る。

 魔法少女としての力も失った非力な少女でも十分に相手ができる猛獣だ。

「因みにノッキングする場所だが、額の中心部分に一発食らわせれば大人しくなるから……どうしたアンコ?」

 自分の話も聞かず次々と現れるおしり虫に憎しみの表情を向ける杏子にただならぬ物を感じるトリコ。

 いつもだったら怒る『アンコ』と言う呼び方にも対応せず、杏子はノッキングガンを持つ手に力を込めると目の前のおしり虫に自分が憎むキュゥべえの姿を重ね合わせた。

 顔がそっくりなことから魔法少女として生きていた頃のことを思い出し、ふつふつと怒りの感情が蘇ってくる。

 その怒りを感じ取ったおしり虫たちは逃げようと杏子に背を向ける。

「逃げてんじゃねーぞ!」

 普通ならば例え力は無くてもこれだけの量の猛獣が現れれば腰が引ける物。

 その辺りを考慮してトリコも初めは見せるだけで慣れさそうと思っていたのだが、予想以上に好戦的な杏子はトリコに教えてもらった通り、おしり虫の体を捕まえると顔を自分の方に向けさせてノッキングガンで額を打ち抜く。

 初めてとは思えないほど見事なノッキングが成功し、おしり虫は眠るように横へと倒れ込む。

 その後も手際よくノッキングを繰り返す杏子を見て、ここは彼女一人でも大丈夫だろうと思い、自分はお手製の釣竿と20メートル級の大きさの猛獣でも入れることが出来る特製のクーラーボックスを持って、釣りへと向かおうとしていた。

「終わったら洞窟の前で待っていてくれ」

 そう言うとトリコはこの日の食糧を求めて、釣りへと出かけた。

 トリコが居なくなってからも杏子は経験値を積むため、そしてキュゥべえへの憎しみをぶつけるようにおしり虫へノッキングを繰り返していた。




 ***




 30分ほど経つと100匹近く居たおしり虫全てのノッキングは完了し、杏子の足元には眠るように横たわっているおしり虫がいるだけだった。

 奥の方に行けば、まだおしり虫は居るのだろうが、憎しみだけで静かに暮らしているだけのおしり虫に危害を加えるのは良心が痛む。

 ある程度暴れるだけ暴れて、心に落ち着きを取り戻した杏子はトリコに言われた通り、洞窟の外に出てトリコの迎えを待つ。

 薄暗い洞窟の中に居たのか太陽の光がまぶしくて杏子は目を細めていたが、やることも無いのでノッキングガンを手でもてあそびながら寝転んで、これからのことを考えようとしていた。

 当分はトリコが言うように猛獣へ慣れるのが先決、そこから自分の長所、持ち味、武器が何なのかをじっくり検討した上で戦い方と言うのを考えていけばいい。

 何にせよじっくりと考えられる時間があると言うのは素晴らしいことだ。

 魔法と言う物に夢や希望を先入観から抱いてしまい、取り返しのつかないことになってしまった昔とは決定的に違うところだ。

 全てを失い0からの状態だからこそ、見える物や分かる物だってある。

 この辺りは危険な猛獣も居ないと言うトリコの言葉もあり、杏子は疲れた体を休めようと目を閉じそのまま眠りに付こうとした。

「アンコ――!」

 眠ろうとした途端に歓喜のおたけびが響き渡る、

 何事かと思い杏子が体を起こすと、目の前には瞳孔が開いた状態のトリコがこちらに向かって走ってきて、釣竿を勢いよく振ると釣り針に杏子のパーカーが引っかかり、そのまま担ぎ上げる状態でトリコは走り出す。

「何の真似だ!? 一人で歩けるから下ろせ!」

「残念ながら特急と化したオレは止まらないぜ! 美味い飯がオレを呼んでんだよ!」

 そう言ってよだれをすすりながら、トリコは自分の家へと急いでいた。

 言葉の通り特急並みのスピードで駆け巡るトリコの脚力に、杏子の脳内で再生されたのはジェットコースターに乗った自分。

 付き合いはまだ短いが、こうなった状態のトリコが人の話に耳を貸すとは思えない。

 杏子は半ば諦めた状態で釣竿にしがみついて家への到着を待った。




 ***




 トリコの家であるスイーツハウスの前で家主の到着を待つのは一組の男女。

 女はショートヘアーの黒髪で右目の下にトリコと同じ三本傷を持った少女。

 男の方は膝まで届く超ロングヘアーをなびかせながら、クーラーボックスに入った食材を撫で上げていて、中の食材に心底陶酔している様子が見えた。

「来たよ、お兄ちゃん」

 少女の方が指さした先を青年も同じように見つめる。

 砂ぼこりを立てながら向かってくる相変わらずのトリコを見ると、青年は露骨に嫌悪感を露わにした表情を浮かべるが、少女はトリコが近付いて来るとパッと花が咲いたような笑みを浮かべ、抱きつこうと彼の元に駆け寄る。

「トリコ~ウチ来たし~え?」

 少女は釣竿にしがみついている杏子を見ると、露骨に不快そうな表情を浮かべ、釣竿から杏子を強引に地面へと下ろすと、ジト目で杏子のことを睨みつける。

「アンタ、トリコのなんなのさ?」

 その口調から明らかに敵意を持っている物だと言うことを杏子は感じ取る。

 未だに目が回っている状態ではあったが、売られた喧嘩は買う主義。

 火が点いたのか、睨みつける少女と同じように自分も睨み返し、二人はヤンキーの喧嘩のようにメンチの切り合いになっていた。

「そっちこそ何だ? 初対面の人間に対して明らからに喧嘩売るような真似をして? 常識ってのが無いのか?」

 もっともな正論を言われると、後ろでその様子を見ていた青年は意地の悪い笑顔を浮かべながら笑い飛ばし、妹に自己紹介をするように促す。

「その少女の言う通りだぜリン。ちゃんと自己紹介をするんだな」

「分かったし……」

 兄に促され妹は渋々ながらも杏子に対して自己紹介を始める。

「ウチはリン。仕事はIGO内のコロシアムで……」

「ヘアロック!」

 リンが仕事の紹介をしようとした瞬間に兄は指をリンに突き出すと、突然リンは金縛りにあったように動かなくなる。

 苦しそうに痙攣しながらかろうじて動く首を兄の方に向けると、恨みのこもった視線を兄へ送る。

「その事は一応はトップシークレットなんだぞ! 当たり前のようにペラペラと話す奴が居るか!」

 正論を言われるとリンは何も言い返すことができずに目に涙を浮かべたまま黙りこくってしまう。

 だがここで杏子は聞きなれない単語に再び戸惑いの色を見せてしまう。

 『IGO』と言うのも聞いたことが無いが、『コロシアム』がどう言う物なのかと一番の興味を持った。

 思い浮かべるのは血なまぐさい激闘の数々。

 人間同士死ぬまで戦い合わせるのかとも思ったが、全てはこれから知っていくだろうと判断して、杏子はこれ以上考えることをやめた。

 だが次に疑問に思ったのが先程青年がリンに施したヘアロック。

 技の名前とリンの症状からノッキングをリンに施したと言うのは分かったが、ノッキングガンも持っていないのにどうやってそれを施したのか理解できず、杏子は考え込んでしまう。

「ウヒョー! 美味そうだ!」

 そんな杏子に構わず、トリコは青年が用意したクーラーボックスの中に入っている酒を見ると、目をハート型に輝かせながらよだれを垂らして今にも飲みたいと言う衝動に駆られていた。

「相変わらず品性の欠片も無いな、お前は……それこそオレがフルコースのドリンクに選んだ『カリスドラゴンの鱗酒』だぞ、もう少し丁重に扱え!」

 青年はようやく納得が出来る食材が見つかったことをトリコに自慢しようと、彼の家を訪れたのだが、ろくに話も聞かずに鱗酒をジッと眺めていた。

 カリスドラゴンの鱗は宝石のように光輝いていて、一つ一つが別々の色で輝き、その姿はまるでイルミネーションを連想させる物だった。

 酒の方は澄み切った透明色であり、水と言っても差し支えないほど澄み切った物だった。

 普通ならばその美しさに心を奪われるのだが、味にしか興味の無いトリコは指でコルクを引き抜こうとしたが、青年が露骨に不快な表情を見せると誤魔化すように笑ってクーラーボックスの中に戻す。

「と言う訳で今日はオレのフルコースのドリンクが決まったお祝いに、お前の家でパーティーをやろうと思ってな。だがさすがはトリコだ、連絡も無しに来たのによく分かったな」

「オレの嗅覚を舐めんなサニー! 美味いもんがあれば例え地の果てでも飛んでいくぜ!」

 自慢の鼻を鳴らしながら豪快に笑い飛ばすトリコに青年も同じように笑う。

 だが目の前でそれらの光景に呆気に取られている杏子の姿を見ると、思い出したように彼女のことに付いてトリコに聞く。

「まぁそれはいいんだが、あの少女は誰だトリコ? 食事会の前にハッキリさせておきたい」

「しばらく俺のところで預かるところになったアンコだ。今は俺の家に居候しながらも美食屋の勉強中の見習いだ」

 自分の呼び方がすっかりアンコで定着したことにため息を一つ杏子はこぼす。

 新しい名前がよりにもよって自分がもっとも嫌う呼び方になってしまったことを嘆いていた杏子だが、青年は杏子の元に近付くと品定めするようにじっくりと眺めて、頬に両手を添えるとその顔をジッと見つめる。

「な……何だよ?」

「ふむ。荒削りな部分も多いが、まぁ美しいと言えないこともない」

 それだけ言うと青年は杏子から離れていく。

 だが自分の言いたいことだけ言って、勝手に品定めをされたことが杏子は気に入らなく、軽く威圧するような感じで青年に話しかける。

「待てよ。名前ぐらい名乗ったらどうなんだ」

 杏子に言われると青年はまだ初対面の少女に対して自己紹介をするのがまだだったことを思い出す。

 青年は振り返ると右手を突き出して、自分の一番の決め顔を浮かべると、自分に陶酔した状態のまま自己紹介を始める。

「ならば挨拶をしよう、美食屋見習いアンコよ。オレの名はサニー! この世界で最高峰の美を求める孤高の美食屋だ!」

 自分の中で最高のアピールが出来たことにサニーは満足したのか、恍惚の表情を浮かべながら固まっていた。

 またしてもキャラの強い相手が出てしまったことに、杏子は何も言わずに呆れた顔を浮かべていて、トリコは気にすることなく、再び食欲に火が点いたのか、もう一度カリスドラゴンの鱗酒をクーラーボックスから取り出すと、目を輝かせながら見つめて早く飲みたいのか、自分のクーラーボックスから今日捕った獲物を取り出す。

「とにかく早く飲もうぜ! つまみだったら用意してあるからな!」

 そう言ってトリコが取り出したのは10メートル近くはある黄色いイカ。

 ノッキングが解けてきたのか、うねうねと足を動かすその姿にサニーは後ずさりして不愉快そうな表情を見せる。

「キモ! 何だその美しさマイナス100な食材は?」

「『カレーイカ』を知らないのかよ? 捕獲レベルは3と低いわりには、美味いんだよな……」

 その名の通りシーフードカレーの香ばしい匂いが漂ってくるイカに食欲は刺激され、トリコはもう我慢が出来なくなったのか、家の中に入ると早速カレーイカの調理を始めようとしていた。

「まったく……カレーが酒のつまみになるとでも思ってんのか? つまみとはこのようにビューティーな物を言うんだ」

 そう言いながらサニーがクーラーボックスから取り出したのは新雪のように光り輝く真っ白なチーズ。

「『スノーチーズ』極寒の地の洞窟でのみ仕上げられる最高のチーズだ。IGOの研究で人工的に作ることもできたが、やはり天然物には及ばないからな……」

 自分が用意したつまみに陶酔しながら、サニーは一口チーズをかじる。

 その瞬間口の中には吹雪が吹いたように一気に冷たさが襲うが、すぐにチーズ本来の甘みが広がっていき、サニーは目を閉じながらその美味しさに陶酔し、グルメ細胞が活性化したのか体に僅かばかりの発光を浮かべながら一言つぶやく。

「う~ん……デリシャス……」

 両手を胸の上でクロスさせて恍惚の表情を浮かべるサニー。

 その姿に腹立たしい物を感じた杏子は額に血管を浮かべると、未だに悦に浸っているサニーに目がけて飛び蹴りを放つ。

「きしょいんだよ!」

 ここでノッキングが解けたのか、リンも同じように頷いて日ごろの鬱憤を自分の代わりに杏子に発散させてもらおうとする。

 だが飛び蹴りが当たる直前に杏子は自分の身に起こった状態が信じられずに驚愕の表情を浮かべる。

 自分の体が宙に浮いたまま止まっているからだ。

 まるで幾多もの目に見えない糸で縛りつけられているような感覚に陥り、杏子の脳内で広がったイメージは蜘蛛の巣にかかった獲物であった。

「そんな蹴りじゃオレには届かないぜ。とにかく食事会と行こうぜ見習い」

 それだけ言うとサニーはカラクリの説明もせずに家へと入っていく。

 これ以上の追求は食事会が終わらなければ不可能だと判断した杏子はリンと一緒にスイーツハウスへと入っていくが、その間もリンは杏子に対して敵意を明らかに見せていた。

「勘違いしているようだから言っておくが、アタシはトリコに関して恩義は感じているが、それ以上の物は感じていないぞ。誤解されたまんまじゃたまったもんじゃないからな」

 リンは驚愕の表情を浮かべた。

 自分がトリコに対して恋愛感情を持っていることが杏子が理解していたのも驚き、なぜ話してもいないのにそんなことが分かったのかをリンは杏子に聞く。

「あのな……そんなもん、お前の態度見ればバレバレだ! まぁ好意をストレートに伝えているところは評価してやるから、あんまつまらんことで噛みつくな。対応がめんどくさい……」

 リンはパッと花が咲いたように笑い、先程まで敵意しか無かった杏子だが、自分とトリコのことを応援してくれている杏子の存在が嬉しく、リンは彼女に対して笑いかける。

 歩きながら杏子が思うのは今も自分の体の中に電磁波として存在しているさやかのこと。

(アイツにもこれぐらいストレートに気持ちを伝える勇気があれば、あんなことにはならなかったのか?)

 思うのは例え受け入れてもらえなかったとしても、少なくとも決着だけは付けることが出来たであろうと言う悲しき恋の結末。

 だからこそ杏子にはリンがまぶしすぎる物があった。

 そんなことを考えながら家のドアを開けるとサニーの怒鳴り声が響き渡った。

「何てことしやがるんだトリコ! オレのスノーチーズをキモいカレーイカにまぶすなんて……」

「カレーと言えばチーズのトッピングは定番だろ。それにまだあるからいいじゃねーかよ」

 杏子とリンは美味しそうな匂いを発しているフライパンの上を見る。

 新雪のように美しいチーズが切り分けられたカレーイカ全般に振りかけられ、チーズの香りがカレーにアクセントを加え、より一層食欲をそそった。

 それと同時に炊飯器が米を炊き上がったことを伝えるアラーム音が響く。

 ご飯が炊きあがったのを見るとトリコはリンに茶碗を出して入れるように指示を出す。

 名前を呼ばれたことが嬉しくリンは瞬く間に茶碗に山盛りのご飯を積むと、全員分のご飯をテーブルの上に置く。

 全員が各々の席に座ったのを見るとトリコはメインディッシュのカレーイカのスノーチーズ乗せをテーブルの真ん中に置き、サニーは自分が用意した最高級のワイングラスにカリスドラゴンの鱗酒を注いでいく。

「そう言えばアンコ。年齢を聞いていなかったがいくつだ? 未成年なら一杯までで止めておいた方がいいぞ」

 サニーは念のため、杏子に年齢を尋ねると杏子は小さく「14だ」と答える。

 思っていた以上に子供だったことに驚いたサニーだが、その威風堂々とした態度は実年齢以上の経験を積んだと見て、サニーはそれ以上聞くことはせず「そうか……」とだけ言うと食事会を始めようとする。

「この世の全ての食材に感謝を込めて……」

 トリコが言ったのを皮切りに全員が同時に「いただきます」と言うと食事会が始まる。

 初めにトリコは輪切りにしたカレーイカのスノーチーズ乗せを一つ丸々口の中に頬張る。

 一個が大型トラックのタイヤ並みの大きさであるにも関わらず、一口で口の中へと消えていき、ゆっくりと咀嚼しながらじっくりと味を堪能する。

 思っていた通りトリコの口内で広がったのは味の調和だった。

 カレーの辛みを和らげるのはチーズの濃厚さ。

 チーズがカレーを引き立て、カレーがチーズを引き立てる味の調和はトリコの口内に至福の一時を与えた。

 飲みこむのがもったいないと思いつつもカレーイカを胃に流し込むと、早速二個目に手を伸ばそうとする。

 その様子を見てサニーは持論を語り出す。

「ふむ食べ方は相変わらずきしょいが、味の調和と言うの理解しているのだけは褒めておこう」

 たしなむようにナイフとフォークでカレーイカを切りながら、一口を最小限の大きさにして食べて飲みこむと、サニーはガラス製のワイングラスを見ながら、その中で宝石のように輝き続ける鱗酒を一口飲むと口の中のカレーの味が全てリセットされ、酒のほのかな甘みと苦みだけを堪能していた。

「そう、美食屋たる物、食材のみを求めるのはナンセンス。より美味しく食べるためにはサポーターが必要だ」

 話が始まるとリンはまたいつもの語りが始まったのかと心底うんざりした顔を浮かべていて、杏子の方は初めて聞く話に何が何だか分かっていないと言う感じの顔を浮かべていた。

 初めて聞く杏子のためにも、サニーは分かりやすく持論を語っていく。

 原価何十円としないパスタ料理も、盛り付ける皿によって値段は数千円へと跳ね上がる。

 その辺の素人が描いたパッとしない絵でも、額縁によって一気に様になる。

「つまりは合作だ。美しさとは調和であり、その巡り合いこそが芸術なんだ……」

 それを理解していないのはナンセンスだとサニーは語って終わる。

 いつもだったらここでネチネチと相手を責めたてるのだが、フルコースのドリンクが決まったことで機嫌がいいのだろう、そこからは普通に食事を楽しんでいるサニーを見てリンはホッとした顔を浮かべた。

 だが対称的に杏子は耳が痛い話を聞かされて、苦痛そうな表情を浮かべた。

 調和と言う点に関して、自分は何も出来ていなかったからだ。

 ただ自分の考えだけを押し付け、結果として自分以外誰も認めないと言う傲慢な生き方をしてきた。

 言うならば最高級の料理にしょう油をドバドバとぶちまけるような行為。

 魔法少女だった頃はそんなことしかしていなかったと思い、結果として大切な物を全て失ってしまった。

 心に出来てしまったモヤモヤを洗い流すように、杏子はカリスドラゴンの鱗酒を胃に流し込む。

 鱗酒の旨味は飲酒の経験が浅い杏子でも理解ができた。

 脳内に広がるのは清流のイメージ。

 例え口の中がゴミダメのように汚い状態でも、全てを洗い流しリセットさせてくれるような感覚は飲む者の心を穏やかにさせる物だった。

 限界まで喉が渇ききり、砂漠の中でオアシスを見つけたような感覚は一生物のフルコースに入れるのに納得の食材だと理解し、何も言わずにサニーの前にグラスを差し出し、おかわりを要求する。

「無理しない方がいいぞ。口当たりは水のような物だが、実際のアルコール度数はヘネシーと同じ40度はあるからな」

 サニーの忠告も聞かず、杏子は小さく「おかわり……」とだけ言う。

 何にせよ求められたのなら用意しなくてはいけない、サニーは何も言わずにグラスへ鱗酒を注ぐと再び杏子の前に差し出す。

「酔いつぶれる心配はしなくていいぞサニー、アンコは俺と対等に飲みあえるからな」

 トリコは途中で購入したバーボンを飲みつつも豪快に笑い飛ばす。

 一つの実験をやりたいと思っていたからだ。口の中でバーボンの苦みだけが残っている状態でも、鱗酒を一杯飲めばすぐに何も食べていない状態のようにリセットされる感覚が面白く、トリコも同じようにおかわりを要求する。

「ほう、ザルのお前と飲みあえるとはな。中々にあっぱれなお嬢様だ」

「ちょっと待つし!」

 二人に対して軽く嫌味を言うサニーを気にすることなく、トリコはちゃんぽんで実験を繰り返していたが、そこに明らかに憎しみの目線を杏子に向けるリンに気付くと男二人はリンの方に視線を向ける。

「ウチだってトリコと酒盛りできるし!」

「無茶を言うなリン。お前はまだ17だろ、お酒もたばこも18になってからだ!」

 サニーは手を突き出しながら暴走する妹を止めようとするが、リンはトリコが買ってきた酒の入ったビニール袋をまさぐる。

 だが杏子はリンの無鉄砲な行動よりもこの世界での新常識にまた驚かされていた。

(18からでいいんだ……)

 また一つカルチャーショックを受けている杏子とは対称的に、リンは腰に手をやってウオッカを流し込むように一気に胃袋へと流し込む。

 全てを飲みきって胃袋の中が酒で満たされると、リンは白目を向いてその場で突っ伏す。

 口からは魂のような物が出ていて、明らかに正常な状態では無かった。

 忠告も聞かずに勝手な行動を取ったリンに対して、サニーはトリコと杏子に頭を下げ一言謝罪をする。

「愚妹が迷惑をかけたスマン……」

「いいよ、いいよ。それより介抱しなくていいのか?」

 トリコが指さした先に居たのは呪文のように何かをつぶやくリンの姿。

「タイヨウサンサンネッケツパワー……タイヨウサンサンネッケツパワー……」

「てか、これはマジでヤバいだろ!」

 急性アルコール中毒で帰らぬ人となった情報を杏子は思いだし、異常な事態に早く収拾を求めるよう二人に促す。

 サニーはいつものことだからと慌てる様子もなく、懐から三つのプラカードを取り出すと杏子に握らせた。

 プラカードの先端にはそれぞれ、ジャンケンのグー、チョキ、パーの絵が描かれていて、これからジャンケンをやるのかと思い、杏子は困惑するがトリコはリンを覚醒させるため大声で叫ぶ。

「ピカピカぴかりんじゃんけん……」

 突然ジャンケンの用意をさせられると、杏子は反射的にチョキが描かれたプラカードを突き出し、大してリンはグーを突き出してジャンケンは見事リンの勝利で終わった。

「イエーイ! ぴかりんじゃんけんでウチに勝てた人は今日一日スーパーラッキー! 負けた貴方はおブス~!」

 じゃんけんで覚醒したリンを見てホッとする一方で、あまりのはしゃぎぶりに怒りの感情が沸き立つ杏子。

 額に血管を浮かび上がらせながら勢いよく立ちあがると、リンを睨みながらドアを指さす。

「表出ろ! コラ!」

 完全に決着を付けてやると二人は外へ出て、何度もぴかりんじゃんけんを繰り返していた。

「いいね~子供は元気が一番だ」

「ちょっとベクトルが間違ってる気もするがな。まぁオレたちは食事を続けよう……」

 リンと杏子の分を残しておいて、二人は食事会を続けた。

 BGMにぴかりんじゃんけんの叫び声を聞きながら。

「これも調和っていうのかなサニー?」

「全然違う!」




 ***




 夜も更けて草木も眠る丑三つ時、ぴかりんじゃんけんを気が済むまでやったリンと杏子はトリコのベッドで並んで寝ていた。

 トリコは暖炉の中で火の調子を整えながら、たしなむようにカリスドラゴンの鱗酒を飲むサニーに尋ねる。

「なぁサニー……アンコだけどいい美食屋になれるかな?」

 乗りかかった船と言うのもあるが、トリコの中で杏子はかつての自分と重ね合わせる物があった。

 誰かに拾われるまでは一人ぼっちで、捨てられた子犬、迷子の子猫、そんな印象をトリコは杏子に抱いていた。

 だからこそ、仮に自分が居なくなってからも立派な美食屋として、このグルメ時代を生き抜いて欲しいと言うのがトリコの願い、らしくもなく真剣な質問をされるとサニーは思ったことを答える。

「まだ何とも言えんよ。だが見込みはある……」

 初見にも関わらず綺麗におしり虫のノッキングが成功したのをトリコから聞いて、サニーは直感的に杏子の才能の片鱗を感じ取っていた。

 二言、三言しか会話をしていないが、食に対して真摯な姿勢を取り、猛獣にも怯まない勝負度胸を持った杏子。

 これから先強力なライバルが出来るであろうと願いながら、二人は酒盛りを続けていた。

 酒の肴にするのは子供の頃の思い出話と、これからの杏子への教育。

 次はIGOの開発局でも見せてやろうかとトリコは語ると、サニーはタンクトップ姿の豪快なVIPを思い出す。

「せいぜい酔いつぶれないように気を付けるんだな」

 それだけ言うとサニーはカリスドラゴンの鱗酒を楽しみ、後は夜の静寂と窓から見える星空を楽しんでいた。

 調和と言う点に置いては今一つ理解できないトリコではあるが、一つだけ納得のできる調和があった。

 誰かと一緒に食べる飯は最高に美味いと言う調和を。





本日の食材

おしり虫 捕獲レベル1以下

胴体の部分がお尻の形に似ているため、この名前が付いた昆虫獣類。
ミノムシの一種で食用とするグルメ家は珍しいが、一部お尻フェチマニアに人気があるらしい。

カレーイカ 捕獲レベル3

その名の通り食べればカレー味のするイカ、出汁を取れば濃厚なカレールーが取れるので、カレー専門店からも重宝されるイカ。
カレーの匂いを体全体から発しているので、その匂いに釣られて獲物がよってくるので、自身の餌には困ったことが無い。

スノーチーズ 捕獲レベル5

極寒の地の洞窟でのみ発生する特殊な白カビによって作られるチーズ。
チーズの臭みやしつこさを全く感じさせず、チーズの旨味だけを閉じ込めたチーズなので、チーズ嫌いの子供でも食べられる。

カリスドラゴン 捕獲レベル35

鱗の一つ一つが宝石のように輝く、この世で最も美しいドラゴンと言われている一体。
肉は食用に向かないが、鱗を漬け込んだ『カリスドラゴンの鱗酒』は、日本酒の甘みとほのかな苦みを持っていながら、口当たりは水のように飲みやすく、多くの酒豪が虜になっていて、サニーもその中の一人であり人生のフルコースに選んだほど。





今回はサニーとリンの登場になりました。

後は小ネタも入れちゃいましたね。リンの中の人はプリキュアやってますし、今回のプリキュアはマジで日曜ジャンケン戦争が熱いんで。

それと今回初めて自分で0から作り上げたオリジナル食材を入れましたが、恐ろしく難しかったです。

あれをやれるって人たちは本当に凄いですね。

次回はIGO開発局の話になります。

次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ4 対決! トリコ対鰐鮫!
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:14f6250d
Date: 2012/04/30 19:18



 今や世界360国が加盟している世界最大級の機関、国際グルメ機関通称『IGO』会長の『一龍』を筆頭に事務局、法務局、開発局、管理局、広報局、財政局、防衛局と国連の一専門機関とは思えないほどの充実ぶりである。

 故に今では独立して巨大な国際機関へと成長していた。

 移動中のヘリの中でそのことを杏子にトリコは話していたが、相変わらず食を中心に回っている世界に杏子は呆れた顔を浮かべていた。

 ある程度の情報を全て話すとトリコは自分が用意した特製のハンバーガーを食べながら、今日自分たちが訪問する『第一グルメ研究所』に付いての説明を始めようとするが、隣に座っていた開発局食品開発部長『ヨハネス』はトップシークレットを世間話程度で話そうとするトリコに対して渋い顔を浮かべる。

「トリコさん、その件に関してはトップシークレットですので……」

「まぁ簡単に言うとだな……」

 ヨハネスの警告を無視してトリコは話を進める。

 主にそこで行われているのは絶滅種のクローン生成やグルメ動物同士の混合種の作成と言った人工的なグルメ動物の生成。

 通称『チェインアニマル』を作り上げることが主な仕事であり、動物保護や倫理的な観点から新しく発見されたグルメ動物として発表され、研究所内でもトップシークレットとされていた。

 そんな話題を子供に簡単に話してしまうトリコにヨハネスは顔を手で覆いながら嘆いていたが、杏子は彼とは違った理由で苦痛そうな顔を浮かべていた。

(結局……下は上に踊らされてるって奴か……)

 以前ならば何とも思わない話だったろうが、いざ自分がその立場になってみると、この手の話は杏子に取って苦痛でしかなかった。

 結局何が目的でキュゥべえがあんなことをしたのかは分からないが、言うならば自分たちは牧場に放たれた家畜のようなもの。

 いいように手のひらで踊らされているだけの存在だったと言うことは、魔法少女の呪いから解放されても一つの傷として杏子の中に残ってしまっていた。

 その様子を見たトリコは多少罪悪感に心を痛めたものの、美食屋として知っておかなければいけない事実だと決め、心を鬼にしてあえて静観することを選んだ。

 一方のヨハネスは相変わらず歯がゆそうな顔を浮かべながらも、無線を受け取りもうすぐ研究所に到着することを聞くと、ヘリの運転手に着陸するよう命令を下す。

 ヘリコプターが地面に着陸しドアが開くとトリコは真っ先に降りて、杏子をエスコートする。

「ごちそうさまです! トリコ様!」

 入口に居た見張りの隊員二人がIGO式のあいさつをトリコに送る。

 だがトリコは別に何もおごっていないのに『ごちそうさま』と言われるのが妙な気分であり、軽く「やめろ」と言いながらも受け流し、所長が居るかどうかを尋ねると、いつも通りに所長室で筋トレ中だと言うことを隊員たちは伝えた。

「まずは実験室から行くぞアンコ」

 その呼び名から『実験室』と言うところでチェインアニマルは生まれているのだと思い、杏子は多少困惑こそしたものの首を縦に振りトリコの後を付いていく。

 人間に比べれば脳が小さく、生まれた時からその姿だったチェインアニマルは魔法少女よりはマシな存在かもしれない。

 生まれた命に対して自分勝手な倫理や論理を押し付けることなど単なるエゴかもしれない。

 だがそれでもせめて、それがどんな物なのかを見届けなければいけないと言う使命感に駆られ、杏子はトリコの後に続くがトリコが突然右腕を上げて仁王立ちすると、杏子にも隣に立つよう指で指示する。

「息を止めてろ!」

 合図が何のことか分からず杏子はとぼけた顔を浮かべていたが、瞬間襲ってきたのはスコールのような大雨。

 周りを見ると水が飛び散らないように自分は円形の筒で覆われていて、上空からは大雨のように降り注ぐ消毒水。

 プールに入る前の消毒のようなものだろうと杏子は思っていたが、相変わらずのダイナミックすぎるそれに文句の一つでも言おうと思った時、消毒水のスコールは終わり、床からは排水溝が現れ水抜きが行われると肩まで浸かっていた消毒水は一分もしない間に空になり、残ったのはずぶ濡れになった自分だけだった。

「お前な! こう言うことは事前に……」

 隣に居たトリコに文句を言おうとした瞬間、次に襲ってきたのは熱すぎるぐらいの熱風。

 喋っていたので熱風は口の中に入ってしまい、杏子の口内からは完全に水分が飛び散って喉がカラカラに乾いてしまう感覚を覚えた。

 ドライヤーで送るような熱風が春一番のように送られてくる状態なので、服は瞬く間に乾き、腰まであるロングヘアーも乾いて杏子の体は先程と変わらない状態のまま、完全滅菌された。

 予想外の出来事に呆けていた杏子だったが、トリコは構わずにエレベーターに乗り込もうとしていたが、ボーっとしている杏子の元にやって来ると彼女にも早く乗るよう指で促すが、その呆けた顔を見て彼女が何を考えているのか分かり、からかうような口調で話す。

「もしかして今この場ですっぽんぽんにでもなるとでも思った?」

 完全滅菌と言うのだからそれは十分にあり得る可能性であり、トリコの言葉によって杏子の脳内にイメージが広がっていく。

 イメージが脳内で固まると杏子は顔を真っ赤にさせながら、訳の分からない罵声を発しつつトリコに向かって握り拳を振り上げるが、トリコは軽々と手のひらで受け止めると笑い飛ばしながら語る。

「ここでは数え切れないほどの職員がいるんだぜ、滅菌一つにしても時間がもったいないからってんで、スピーディーに行わないとな。服を脱いでる暇なんかないよ、それにな……」

 トリコは意地の悪い笑顔を浮かべながら、杏子の耳元に近づき耳打ちをするように言う。

「原作ではそうだったが、このSSでそれをやるわけにはいかないだろ。『美食屋アンコ!』はよい子のためのSSだぜ」

 何を言っているのかは正直分からなかったが、杏子は直感的に感じていた。

 今トリコが言った一言は身も蓋も無い発言だと言うことを。

(いいのかな? そんな堂々としてて?)

 杏子はトリコの発言に完全に呆れていたが、エレベーターの中に入って何度も自分を呼んでいるトリコを見ると、渋々杏子もエレベーター内に乗り込む。

 エレベーターはあっという間に地下の研究室へと到着し、ドアが開くと白衣に身を包んだ職員がIGO式の挨拶を交わす。

 適当にトリコが受け流すと杏子はトリコの後に続いて、ガラスケースに収まった異形たちを見つめる。

 野生の動物を人間の手で食べやすい物に変える品種改良は自分たちの世界でも行われていること。

 だがここに居る猛獣たちはそう簡単に人の手で負える代物ではないと杏子は見ているだけで分かった。

 そして直感は職員たちの叫び声で確信に変わる。

 叫び声の方を見るとムキムキの筋肉に身を包んだ巨大な蟹『マッスルクラブ』が檻から逃げ出していて、職員たちはオロオロしながらも何とか檻に戻そうとノッキングガンや麻酔銃を持って対応しようとしていた。

 杏子はトリコの方を反射的に見ると、トリコは指を鳴らしながらマッスルクラブの方へと向かおうとしたが、その隣を猛スピードで駆け巡る影が一つ。

 杏子の目には影が移動したようにしか見えなかったが、トリコは久しぶりに会う知人が相変わらずなのを見ると、ニヤニヤと笑いながら影とマッスルクラブが交差する様子を見ていた。

「フライパンチ!」

 技の名前を叫ぶと同時に影は一人の巨人に姿を変えて、マッスルクラブの頬に力の限り右フックを食らわすと、マッスルクラブの顔は歪んで、そのまま壁へと吹っ飛んでいく。

 壁に激突してマッスルクラブが気絶したのを見ると職員たちは麻酔をかけようとする。

 ふがいない職員たちに対して、巨人は空いている左手に空になった酒のボトルを持ちながら檄を飛ばす。

「いつも言ってるだろうが……チェインアニマルはしっかりつないでおけって……」

 こんな異常事態を軽くこなすあたり、この巨人も相当な実力の持ち主だと判断し、杏子は改めて巨人の姿をジックリと眺める。

 スキンヘッドの頭にはネジが数本固定されていて、口髭を生やした姿は男性ホルモンの塊のような印象を杏子は持った。

 更に驚かされたのはその身長、トリコに匹敵する2メートル超えの大男であり、トリコの姿を見ると酒臭い息を発しながら、彼の前に立つと手を強引に掴んで握手を交わす。

「よう……お帰りトリコ……」

「相変わらずだな所長……」

 酒好きで猛獣に対して全く容赦しないそのぶれない姿勢に所長が変わらなく元気だと言うことをトリコは安心していた。

 ほろ酔い気分のまま所長はトリコの隣に居た杏子を見ると、抱え上げて肩の上に乗せる。

「何するんだ下ろせ!」

「ガッハハハハハハ! ちっこいの、お嬢さん! トリコ誰じゃこのちっこいのは!?」

「おめぇらがデカすぎんだよ!」

 杏子の突っ込みはこの世界に来てからずっと言いたかったそれだった。

 とにかくこの世界は何もかもが規格外に大きすぎる。

 一般的な身長しか持ち合わせていない杏子に取って、トリコたちに対峙するたび幼児にでも戻ったような感覚に陥り、不愉快な気持ちを所長にぶつけた。

 だが所長は気にすることなく、相変わらず強引に笑い飛ばしながら、トリコから杏子のことを聞くと、今度は杏子を肩に乗せたまま自分の自己紹介を始める。

「そうか、そうか。美食屋の見習いか頑張れよ! 因みにワシはこのグルメ研究所の所長であり、IGOの開発局長も兼任しているマンサムじゃ!」

 マンサムは自分の自己紹介をすると、ようやく暴れている杏子を肩から下ろす。

 だが自己紹介に置いて自分が一番大切にしている情報を伝えるのを忘れていたのに気付くと、ハッとした顔を浮かべて慌てて杏子に伝える。

「言っておくがハンサムはOKだが、イケメンだけは絶対にNGじゃぞ! イケメンは下に見られているような気がして不愉快だからな!」

「そんなに重要なワードか! それ?」

 自分の名前がマンサムだから、よくハンサムと聞き間違える所長は、自分に取っての褒め言葉と禁句を伝えるが、初対面の人間に対して伝えなければいけない情報なのかと思い杏子は突っ込む。

 だがマンサムはそんな杏子の突っ込みを気にすることなく、トリコに対して何をしにここへ来たのかを聞く。

「一回グルメコロシアムでも見せようと思ってな。俺も力試しをしたいしな」

「そうか! そうか! お前が参戦するなら、今晩はぼろ儲けだな! お前ら、とびっきりの酒を用意しろ! 今夜は宴じゃ!」

 盛り上がる二人とは対称的に杏子の中では悪い予感が的中したことに渋い表情を浮かべてしまう。

 前にリンが軽く口走った『コロシアム』と言う言葉、それは自分たちが居た世界のそれと同じ物だった。

 恐らくは人間と猛獣を戦い合わせて、それを肴に金持ちたちが盛り上がる趣味の悪い物なのだろうと。

 こう言った物を否定する考えが自分に生まれたことが驚きであったが、魔法少女としてキュゥべえのいいように扱われた経験は自身の中で思っていた以上に強いトラウマになっているのだろう。

 いくらトリコでも事と次第によっては戦ってでも止めなければいけない。

 そう決意して杏子は握り拳に力を込めた。




 ***




 闘技場に到着すると、すぐ杏子の目に飛び込んできたのは半円形のアクリル板で蓋をされた円形状の闘技場内に居る異形の猛獣2匹。

 足が8っつも生えている恐竜並みの大きさのワニ『ガララワニ』と戦っているのは、4本の腕を持ち醜悪な顔つきのゴリラ『トロルコング』

 2匹は互いに興奮しきっていて臨戦体制であり、雄たけびが響き渡るたびに観客であるIGO加盟国のVIPたちは大盛り上がりしていた。

 そして二人の戦いはゴングも無しに始まる。

 ガララワニはその大きな口を開けてトロルコングに突っ込んでいくが、トロルコングは空高く飛び上がると、そのままガララワニの背中に飛びついて噛みつく。

 だがガララワニは体を激しく回転させて強引にトロルコングを振り払うと、同時に牙と同じように自分の武器である尻尾を鞭のようにしならせ、振り払われて無防備になったトロルコングのみぞおちに決まり、トロルコングは血反吐を吐きながら壁に激突する。

 そこから致命傷に近いダメージを負ったと直感的に判断したガララワニは再びトロルコングに向かって噛みつく。

 胴を目がけての噛みつきは綺麗に決まり、牙が食い込むたびにトロルコングは苦しそうな顔を浮かべるが、同時に勝機を見出そうと四本の腕を上げてそれぞれを祈るように絡み合わせる。

(まさか今更命乞いってわけじゃないよな?)

 杏子は観客たちの盛り上がっている姿が悪趣味だと思いながらも、スリリングな戦いに思わず見入ってしまい、トロルコングの恐らくは最後の攻撃に注目する。

 ここで決めなければ、そのままガララワニに胴から食いちぎられて終わるだろうと言うのは素人の杏子でも分かった。

 だからこそ自分が魔法を発動する時に使う祈りのポーズから、トロルコングが何をやろうとしているのか見届けようとしていた。

 その答えは至極シンプルな物。

 トロルコングのハンマーナックルは下段の腕で組まれたそれが一発決まると、ダメ押しの一撃を上段の腕で組まれた物を与え、ガララワニの脳を頭蓋骨内でシェイクさせる。

 脳の位置を正確に打ち抜いたハンマーナックルはガララワニの小さな脳でも脳震盪を起こし、ガララワニは食らいついていた牙を離してそのまま気絶してしまう。

 勝利を収めたトロルコングはまるで自分の強さをアピールするかのように自分の胸を叩く威嚇行為『ドラミング』を起こすと、観客席からは札束の雨が降り注ぐ。

 勝負がトロルコングの勝利で終わると同時に青色の優しい煙が闘技場内を覆う。

 試合が終わったのを見ると三人は適当な席に座り、未だに圧倒されている杏子にマンサムが感想を聞く。

「どうじゃ見習いさん? グルメコロシアムの感想は?」

 マンサムに感想を聞かれるとここで杏子は冷静な気持ちを思い出し、改めて怒りの感情をマンサムにぶつけ、彼の胸倉を掴んで睨みながら叫ぶ。

「『どうじゃ』じゃねーだろ! テメェらの勝手な都合で猛獣たちを戦い合わせてよ、良心って物がねーのかテメェは!?」

 トリコのように生きるか死ぬかの純粋な狩りとは違い、ここでの戦いはイタズラに猛獣たちを戦い合わせて、その様子を高みの見物で眺めているだけの悪趣味な物にしか杏子は見えなかった。

 一瞬ではあってもその迫力に飲まれてしまった自分を情けないと思いながらも杏子は感情をぶつけるが、マンサムは懐に忍ばせていたペットボトルに入っていた水を一気飲みする。

 一気に酔いが冷めたことにため息をマンサムはつくが、ここでマンサムは真剣な顔を浮かべて掴まれた手を優しく離すと杏子と向かい合い話し合う。

「それは仕方ないじゃろ。これは元々は金持ちどもの道楽ではなく、捕獲レベルの測定のために行われたことなんじゃが、いつの間にかこんなことになってしまい、今じゃ重要な収入源じゃからな」

 『収入源』と言われると杏子は何も言い返せなくなる。

 魔法少女だった頃、家族に自殺されてから身寄りのない自分は生きると言う大義名分の名の元、好き放題やっていたからだ。

 振り込め詐欺の集団を襲っての現金強奪、食料の盗難と好き放題やっていた自分だけに、何も言い返すことが出来なくなり、マンサムから目をそらし力なく席に座る。

「まぁ分かってくれとは言わんよ。ただもし聞くだけの度量があるなら、少しばかし年長者の話に耳を傾けてほしい」

「聞いてるからサッサと話せよ……」

 また自分の身勝手な感情だけで場の空気を悪くしてしまったことが嫌になり、杏子はうつむきながら自嘲気味に言う。

「人間良いことだけやっても、悪いことだけやっても生きてはいけないんじゃよ。毒も薬も生きる糧にするぐらいの度量を身に付けないと人生と言う長い道のりはこなせんよ」

 らしくもなく真面目な事を言ってしまったことにマンサムはため息をつく。

 嫌な予感を感じながら杏子の隣に座っているトリコを見ると、やはりバカにするような感じで笑っているトリコが見えた。

 自分を挟んで子供のように言い合いをしている二人を無視して、杏子はマンサムが言ってくれた言葉を自分の中でジックリと咀嚼する。

 魔法少女に正義の味方像を見出し戦い続けたさやか。

 魔法少女を一つの呪いと受け止め、自分のためだけに魔法を使い続けた自分。

 だが共に迎えた結末は成人までも生きられず、元居た世界からドロップアウトしてしまうと言う情けない物。

 綺麗事だけでも悪意だけでも生き延びることはできない、心と言うのを保つ難しさを改めて思い知らされると顔を上げてトリコの方を見る。

 相変わらずマンサムをからかっているトリコだったが、自分を見つめる杏子の存在に気づくと、トリコはマンサムとの言い争いを一旦止めて少女の頭を撫でながら語り出す。

「まぁあんまり難しく考えすぎるなってことだ。闘犬や軍鶏同士の戦いだと思ってくれればな」

「そうだし。猛獣たちは出来る限り保護しているし、アンタが思っている以上に大切に扱ってるし!」

 不機嫌そうな少女の声が聞こえると、杏子は顔を声の方向に向ける。

 そこに居たのはライフル状の麻酔銃のような武器を背中に背負い、右手に噴射口が付いた武器を身に付けたリンが居た。

 トリコの寵愛を一人占めしている杏子が気に入らないのか、リンは強引にトリコの手を離すと杏子と向かいあう。

「マンサム所長の言う通り、人間綺麗事だけじゃ生きていけないし!」

「それよか何でお前がいんだよ?」

「何!? 今『ハンサム』って言った?」

 リンは杏子に対して敵意をむき出しにしていたが、杏子はリンがこの場に居ることに驚き、マンサムは自分の名前が呼ばれたのをハンサムと勘違いして、その事を空気も読まずにリンに聞く。

「言ってねーしハゲ! 黙ってろ!」

「いつもご苦労! 感謝している!」

「ねぎらうタイミング違和感MAX!」

 怒っているのを見たマンサムは労をねぎらおうとするが、突然すぎる言葉は完全に逆効果であった。

 完全に取り残された杏子だが、なぜリンがこの場に居るのか聞こうとすると代わりにトリコが話し出す。

「リンはここで猛獣たちの管理をしているトレーナーみたいなもんだ。腕に装着されたフレグランスを吹き出す装置で猛獣の気持ちを高ぶらせたり、静めたりするのがリンの仕事だ」

 分かりやすくトリコが説明すると、リンの顔から先程までの怒気は消えうせていた。

 目をハート型に輝かせながら「そうだし~」と言っているリンの変わり身の早さに、杏子は呆れていたがこれなら前にサニーが話していた『トップシークレット』と言う言葉も納得が出来る。

 このコロシアムでの出来事はお世辞にも一般的に公開できるような内容の代物ではない。

 自分のように存在自体を否定する輩も多いだろうが、重要な収入源になっている以上閉鎖は不可能。

 だからこそ裏社会での娯楽となっていて、そんなことを当たり前のようにペラペラと話すリンをサニーが止めるのは当たり前のこと。

 様々な情報が交錯して頭の中が軽くパニック状態になっていたので、ここで杏子は冷静になって今目の前にあるコロシアムが受け入れられる物なのかどうかを考える。

 事実自分も先程の戦いを見て、見入った部分もあった。

 これが重要な収入源と言うのも納得が出来る物だった。

 だがなぜトリコが自分をこんなところに連れて来たのかが分からず、杏子はトリコの方を見る。

 二人の目があったことにリンは再び表情を曇らせるが、トリコは杏子の目を見ると彼女が何を言いたいのか分かり、連れて来た意図を話し出す。

「一回ちゃんとしたハントを見せておかないとと思ってな。初めて見た時は気絶してただろお前? それに美食屋としてやっていく以上、人間の嫌な部分も見えちゃうところが多いからな」

 トリコの意図は自分に対して猛獣のハントのお手本を見せるのと、これから先魂が汚れないように覚悟を決めてもらおうと言う試練を与える物。

 一方のリンはトリコがコロシアム内で戦うと言う、思いもよらないサプライズに喜びと驚きを募らせるが、すぐに自分がやらなければいけない仕事を思い出し、その場から消えて居なくなる。

 リンが居なくなったのを見るとトリコもゆっくりと立ち上がり、軽く杏子の頭を撫でると「ここで待ってろ」とだけ言って、闘技場の裏口へと向かおうとする。

 口調からトリコが猛獣と戦うであろうと言うのは分かったが、どんな猛獣と戦うのか気になり、残された杏子はマンサムの方を見つめる。

「まぁ見ておれ」

「レディースエンドジェントルマーン!」

 マンサムの落ちついた一言と同時にノリが良いリンの叫びが中央の巨大モニターから響く。

 モニターを見るとリンがマイクを持って実況をやっている姿が映っていた。

「時々だが実況もやっているんじゃリンは」

 マンサムの言葉もろくに聞かず、杏子は闘技場内に起こった変化に目が釘付けとなっていた。

 闘技場内には並々と水が注がれ、闘技場内が完全に水没したと同時に客席の足元から50センチ大の大きさの穴が開き、店員と思われる女性から釣竿を杏子とマンサムは受け取る。

 何がどうなったのか分からない杏子とは対称的に、マンサムは穴の中に餌を入れた釣り糸を垂らして鼻歌交じりに釣りを楽しもうとする。

「さぁ今回はスペシャルマッチ! 何とあの四天王トリコが闘技場に帰って来たぞ!」

 『四天王』と言う聞きなれない言葉に困惑し、何となくではあるがトリコが自分が思っている以上に凄い存在なのではないかと言うことがリンの実況から分かる。

 その事は後でトリコに聞くとして、この異常な事態はどう言うことなのか杏子はマンサムに聞く。

「簡単なことじゃよ。闘技場で行われるバトルは何も地上の猛獣だけじゃない、水中での猛獣も対称になるからな。水中戦仕様に変わっただけじゃよ」

 そう言うと再びサービスの釣りにマンサムは集中する。

 だが話を聞いた瞬間、見る見る内に杏子の表情は険しくなって、強引にマンサムの顔を自分の方を向かせると思いの丈を叫ぶ。

「冗談じゃねぇぞ! 人間が水中で勝てるわけねーだろ! 即刻中止しろ!」

 水中に置いて人間の動きなんて限りなく制限される。

 どんなに早く泳げるアスリートでも水中の生物には全く及ばない。

 トリコの戦闘力を持ってしても、実力の一割も出せないだろうと杏子は踏んで、すぐに戦いの中止をマンサムに求めるが、マンサムは聞く耳を持たず闘技場から現れたトリコの対戦相手を見つめる。

「第6関門から現れたのは捕獲レベル27の食物連鎖の頂点の存在『鰐鮫』だ!」

 リンの実況と共に現れたのはワニのように強靭な顎を持ったいかにも屈強そうなサメ。

 例え地上に打ち上げられても勝てるかどうか分からない恐怖感を杏子は感じ、それを鰐鮫のホームグラウンドで勝負しようとするトリコに対し、杏子は改めて試合の中止をマンサムに求めようとする。だが非常にも実況が続くだけだった。

「第1関門から現れたのは美食四天王のトリコだ!」

 リンの実況と共に第1関門から平泳ぎで現れたのは、上半身のシャツだけを脱いでハーフパンツ一丁のトリコが現れる。

 二人は間に挟まれた檻の存在がもどかしいのか、互いに睨みあって威嚇し合っていた。

 そこから素晴らしいバトルが期待できると観客たちは大盛り上がりする。

「さぁオッズはどうだ?」

 画面に現れたのは二分割された画面に現れた両者。

 右画面にはファイティングポーズを取るトリコ、左画面には大きく口を開け牙を露わにする鰐鮫。

 オッズは鰐鮫が7、トリコが3とトリコが圧倒的に有利なオッズで始まり、そこから観客たちは自分の直感を信じてベットしていく。

 思った通り大金が動くことにマンサムは緩む頬を止められなかったが、杏子が驚いたのはそのオッズ。

 本命がトリコと言うことなのが信じられなかった。

 水中戦に置いて人間の戦闘力などたかが知れている。

 それなのにトリコを本命に置くと言うことはよっぽどの信頼をトリコに寄せているだろうと言うことが分かったが、それでも杏子の不安は消えなかった。

 前に捕獲レベル15のゲロルドをいとも簡単に撃破したトリコだが、今回戦う鰐鮫はそれを軽く超える27。

 捕獲レベルに関してはまだよく分かっていない杏子でも、ゲロルド以上の強敵であることが分かり、できることなら早い段階での棄権をトリコに求めていた。

「まぁ向こうさんのホームじゃからな。捕獲レベルに関してはプラス5ぐらいやってもいいかもしれんの……」

 マンサムが杏子の不安をあおるようなことを言うと同時に戦いのゴングが鳴り、両者の間を隔てた檻は下段へと収納されていく。

 檻が無くなると同時に鰐鮫は口を大きく開いてトリコに向かって突っ込んでいく。

 トリコは体を最小限にひねってかわそうとするが、水中のため思っていた以上に動きが悪く、直撃こそしなかったものの鰐鮫の肌にトリコの皮膚が触れるとトリコの体から出血していく。

 鰐鮫の肌は全身がおろし金のようになっていて、少しふれただけでも致命傷レベルの怪我を負ってしまう。

 透明な水の中に血液の赤が混じっていく中でも、トリコは戦闘意欲を失わず指を鳴らしながら鰐鮫を睨みつけ、左手を突き出してフォークでの攻撃を行う。

 だが水中では動きが制限されてしまい、鰐鮫は巨体に似合わず機敏な動きでフォークの攻撃を上にかわす。

 思っていた通り行動の制限が出てしまい、杏子は我慢がならず闘技場へと向かおうとしたが、持っていた釣竿が勢いよくしなり、穴に釣竿が持っていかれそうになってしまったので反射的に杏子は釣竿を掴んでしまう。

 少しでも力を抜けば体ごと持っていかれそうなパワーを穴から感じ取る。

 そこから杏子の脳内で広がったのはクジラ並みの大きさを持った魚。

 力任せにリールを巻いて、釣り上げた物を見ると杏子は間抜けな顔を浮かべて物を見つめる。

「ほう可愛らしい『虎金魚』じゃ」

 マンサムの皮肉と共に現れたのは10センチ程度の大きさの黄色い縞模様の金魚。

 見た目からそこまで強くなさそうな印象を受け、こんな小さな魚に苦戦したのかと思うと杏子はたまらなく情けない気持ちになった。

 用意されたクーラーボックスに虎金魚を適当にぶち込むと、杏子は再び闘技場に目をやる。

 ちょっと目を離した隙にトリコは更に劣勢に立たされているように見えた。

 ナイフの攻撃も鰐鮫には届かず、攻撃が発生する前に鰐鮫は攻撃をかわしてトリコを食べようと大きな口を広げて突っ込んでいく。

 だがその攻撃もトリコはかわしていて、両者の戦いは拮抗状態になっていた。

 この戦いを観客たちは固唾を飲んで見守っていたが、やはり水中がホームである鰐鮫の方が有利だろうと杏子は思っていて、その上『フォーク』と『ナイフ』の武器が封印されたトリコが勝つのは難しいと思っていた。

「そう不安がることもないだろう。トリコの目を見んかい」

 ここでいつまでもオロオロしている杏子を見苦しく思ったのか、マンサムは自分が釣った魚の相手をしながら冷静になってトリコを見るように促す。

 両腕から鰐鮫の肌に触れたことによる出血を発しながら、その目は勝利を確信した物であり、右腕に力を込めて左腕の2倍ほどの大きさにすると鰐鮫に向かって背を向ける。

「やっと充電完了か……」

 マンサムは釣り上げた『虹鯖』を見ながらニヤニヤと笑って勝負の決着が付いたのを確信すると、まだトリコの全てを知らない杏子の肩を軽く叩くと闘技場の方を指さす。

「トリコの武器はフォークとナイフだけじゃないわ。あれこそトリコがもっとも得意としている釘を打ちつける要領で数回のパンチを同時に打ちつける……」

(3連釘パンチ!)

 ここが水中なのも忘れてテンションが上がったトリコは、技名を叫びながら前方に向かって釘パンチを放つ。

 釘パンチの威力は凄まじく、これまで自由に身動きが取れなかったトリコでも一気に鰐鮫との距離を詰めよることができ、突然自分の元に獲物が猛スピードで突進したことに驚き、鰐鮫は反射的にそのまま大きく口を開いてトリコを食べようとする。

(もう一丁!)

 空いている左腕でもう一回3連の釘パンチを右斜め下に放つと、トリコの体は口から離れて鰐鮫の無防備な頭頂部が丸見えになった上を貰った。

(トドメだ!)

 残りのエネルギーを全て使うかのように、左腕で3連の釘パンチを放って一気に距離を詰めより、噛みつきの攻撃が届かない頭頂部にトリコは座り、トドメは利き腕の右腕での3連釘パンチ。

 一回目のパンチで皮膚、二回目のパンチで頭蓋骨、三回目のパンチで脳を破壊されると、鰐鮫の両目から眼球が飛び出していき、そこからおびただしい量の出血が発生する。

 そして鰐鮫が水面に浮かび上がっているのを見ると勝負の決着がトリコの勝利で幕を下ろしたのが分かり、再び観客席は完成で包まれ札束が飛び交う。

 マンサムはぼろ儲けができたことを豪快に笑い飛ばしながら、近くに居た部下を呼び出し愛用のボトルを持ってくるよう指示を出す。

「ちっこいの、トリコは最高じゃろ!」

 別の部下が用意したボトルを一気に飲み干すと、再びマンサムはほろ酔い気分を味わいながら豪快に笑い飛ばす。

 そんなマンサムに構わず杏子は放心状態で立ち上がったまま、自分の無事を知らせるかのように笑顔を浮かべながら自分に向かって手を振るトリコを見つめていた。

 豪快なトリコに圧倒される部分もあったが、杏子は自分を恥じていた。

 完全にトリコを信じられない自分と、いつの間にか人を信じると言う簡単な事さえできなくなってしまった自分を。

(やっぱ一人ぼっちに慣れるなんてマイナスしかないよな……)

 魔法少女だった頃の自分は本当に反省すべきところしかなかったのを改めて杏子は思い知らされた。

 水が抜かれていく中、いつまでも自分に向かって笑顔で手を振り続けるトリコを見て、杏子は決意した。

 いつか自分もパートナーであるトリコに恥じない立派な美食屋になろうと、そして今度こそさやかに自分が取った食材を捧げようと。




 ***




 マンサムの私室の所長室に一同は呼び出され、初めに行ったのは記念撮影だった。

 杏子は引きつった笑みを浮かべながら虎金魚を持って、マンサムは豪快に笑いながら自慢するかのように50センチ大の虹鯖を突き出し、トリコは笑いながら自分が捕獲した鰐鮫を親指で見せつけたが、写真を撮影したリンは何回撮っても鰐鮫が画面内に入らないことに悩み、どうしようか悩んでいた。

「もういいだろリン! オレ腹ペコだからさ、これさばいてくれよ!」

 鰐鮫を狩ったのは初めてのトリコだが、その美味しさは噂で知っている。

 どう料理しても最高の美味しさを誇る鰐鮫を食べたいと言う思いでトリコは一杯であり、腹の虫を鳴らしながらリンに指示する。

「ですよね~! スイマセン料理人さんたちお願いしま~す!」

 そこにIGO専属の料理人たちが現れると、三人が釣った魚たちを運んで厨房へと消えていく。

 記念撮影が終わったのを見ると各々自分たちの席へと付いていき、食事会を楽しもうとトリコの挨拶を待った。

「この世の全ての食材に感謝を込めて……いただきます!」

 全員が同時に『いただきます』を言うと目の前にある料理に手を伸ばしていく。

 だが杏子はそのスケールの大きさに完全に呆れてしまい食欲を失いかけていた。

 何しろテーブルだけでもサッカーコート並みの大きさがあり、その上には見たことも無い食材が山盛りに置かれていて、圧倒されたのはそれだけではなく端の方で大人しくパフェを食べているマンサムのペット。

 『ハイアンパンサー』の『リッキー』は行儀良く好物の『ホロホロパフェ』を食べて、自分なりに宴を楽しんでいて、杏子の視線にも全く気にすることなく口の中に広がる甘みを堪能していた。

 翼の生えたチーターのような猛獣を珍しいと思ったが、目の前にある霜降りのステーキを見ると杏子はよだれを飲みこんでナイフで切っていく。

 まるで吸いつくようにナイフが食い込む肉を珍しいと思いながら、フォークで刺して口の中に放り込む。

 食べた瞬間訪れたのは極上の幸福感。

 肉の脂の旨みがゆっくりと広がっていくが、後に残るくどさやしつこさと言うのを全く感じさせず、口の中に残ったのはまるで何も残っていないかのような清々しさだけであり、いくらでも食べられる感覚を杏子は覚える。

「それは『霜降り豆腐』だな。美味いんだよな~」

 自分が狩った鰐鮫が料理として届くのを楽しみにしながらトリコは目の前の料理をがっついてエネルギーの補給に勤しむ。

 次々と空になっていく皿の対応に料理人たちは追われていて、相変わらずのトリコに杏子は呆れた顔を浮かべていたが、今食べている牛肉のステーキだと思っていた料理が豆腐だと言うことにも驚かされていた。

「ちっこいの! 豆腐だけで満足する奴が居るか! 今晩はワシのフルコース全部出してんじゃからな! 飲め飲め!」

 マンサムは樽型のジョッキを片手にフルコースのドリンク『バッカスホエールの潮』を飲みながら豪快に笑い飛ばす。

 彼のフルコースは大の酒豪であるマンサムらしく、オードブルからデザートまで全てにアルコールが含まれた食材である。

 テーブルの中央にはメインディッシュである『バッカスドラゴン』の丸焼きが堂々と置かれていて、その存在感をアピールしていた。

 酒が全く飲めないリンはマンサムのフルコースを全否定して抗議の声を上げるが、マンサムはめんどくさそうに「パフェでも食べてろ!」と言って、リンをリッキーの元に追いやる。

 一方トリコはマンサムに勧められて肉料理の『酒乱牛』を杏子はデザートの『酒豪メロン』に手を伸ばす。

 酒乱牛はブランデーの豊潤な香りを含んでいて噛んだ瞬間口の中で肉の脂が解ける感覚は止みつきになる物であり、トリコは涙を流しながらも酒乱牛にかぶりつき何度も「うめぇ!」と叫んでいた。

 杏子は切り分けられた酒豪メロンを口に運ぶと、これまで食べたことのない不思議な感覚を味わう。

 日本酒のようなほのかな甘みと苦みが初めに襲ってくるが、次に舌に感じ取ったのはメロン本来の甘み。

 スイカに塩をかければより甘みが増す法則と同じで、メロンに含まれたアルコール分がメロンの甘みを更に強め、酒豪に相応しいデザートに杏子は満足して次々と食べだしていく。

「いい食べっぷりじゃの、ちっこいの! もっと食え食え!」

 酒が回ってきたのかマンサムは豪快に笑い飛ばしながら、更に杏子に食べるように促す。

 ここでトリコも同じように酔っぱらってきたのか、隣でアルコールの入った料理を食べている杏子の頭を撫でて一言「偉いぞ」と褒める。

「うへへへへへへへへ! ガキ扱いしてんじゃねーぞバカ!」

 口では嫌がっているが、杏子は杏子で酒が回ってきたのか笑いながらも否定の言葉を発する。

 だが飲み出してからマンサムはあることを思い出し、トリコに尋ねる。

「ところでそのちっこいのいくつじゃ?」

「アンコは14だ。でも俺と対等に飲みあえるから心配無用だぜ」

 年齢を聞いた途端ご機嫌だったマンサムの表情が曇り、食事の手も止まる。

 これにはパフェを食べていたリンも異常事態だと感じ、トリコの耳元で耳打ちをする。

(ヤバいって! 普段はちゃらんぽらんだけど、一応所長は多くの人間を統括する立場のある大人なんだよ! ウチはギリギリセーフかもだけど、14歳はアウトでしょう……)

 もっともな正論にトリコは何も言い返せなくなり、杏子は楽しい食事会を不用意な発言で台無しにしたトリコを睨みつけていた。

 マンサムは表情を曇らせたまま怒気を発して、それはイメージとなって三人にも伝わっていく。

 阿修羅のように3っつの顔と6本の腕を持った大仏のような姿のそれが伝わると、トリコは覚悟を決めて、リンは未だに酒豪メロンを食べている杏子を後ろに隠した。

 そしてマンサムは勢いよく両手を上げると、そのままテーブルに向かって振り下ろす。

 轟音が響くと同時にマンサムは顔を上げて、自分の思いの丈を叫ぶ。

「エライ! その年でトリコと飲みあえるとは何て孝行な娘さんなんじゃ! アンコ、ワシは今やっとお前の名前を覚えたぞい!」

 マンサムは杏子を認めて、割れんばかりの拍手を彼女に送った。

 トリコは杏子が褒められたことを自分のことのように喜び、リンから杏子を奪い返すと再び席に座らせて食事会を再開する。

 それと同時に鰐鮫の調理も終わり、テーブルに並べられたステーキや刺身を見るとトリコの目はハート型に輝いて一気にがっつく。

 思っていた通り鰐鮫は魚の淡白な旨味だけが前面に出ていながらも、部位によっては最高級の牛肉に引けを取らない極上の旨味が感じられた。

 ステーキも刺身も全てが酒のつまみには最高であり、この日はいつも以上に二人は酒が進んでいて、広い室内はアルコールの匂いで充満していた。

 これには杏子も酔わざるを得なく、アルコールの入った果物を中心に食べながらもバッカスホエールの潮を勧められるがまま飲んでいき、見る見る内に真っ赤になって行きながらも杏子は何度もおかわりを要求する。

「アンコ! お前最高じゃよ! 今夜は朝まで飲むぞーい!」

 完全に悪酔いしたマンサムはジョッキを突き出して宣言し、トリコもそれに同意する。

 杏子は構わずにアルコールの入った料理を食べながら、バッカスホエールの潮を飲んで何度もおかわりを要求した。

 ここで自分まで酔いつぶれたら、誰がこの事態を収拾付けるんだと判断したリンはリッキーを連れて所長室を後にした。

 ドアを閉めても酔っ払いの大男二人の大声は朝まで響き渡っていた。




 ***




 そして朝が来るとトリコと杏子は家に帰るためマンサムが用意してくれたヘリに乗り込もうとしていた。

 リンのサポートもあってトリコもマンサムも意識をしっかりと持った状態であり、トリコは完全に酔いつぶれて二日酔いの状態になっている杏子の肩を抱きながら、これからのことに付いてマンサムと話しあっていた。

「今日はありがとうな。アンコにもいい経験になったと思う」

「んで次はこの新入りにどんな教育を施すんじゃ?」

「当分はノッキングに関しての教育だな。後は……」

 トリコが言おうとしたことを直感的に感じ取ったリンは杏子が二日酔いの状態でろくに話が聞けないのを確認すると、トリコに対して耳打ちをする。

(戦っている相手のこと教えるの? ヤバいって!)

(なぁに注意しておけ程度の感覚で受け取ってもらえるように話すさ)

 自分たちが今でも戦っている存在に付いての発言を危険だとリンは警告するが、トリコは美食屋としてやっていく以上避けては通れない道だと判断して、隠すことなく全てを杏子に話そうと決めていた。

 それだけ言うとトリコは杏子のエスコートをしながら手を振って見送るマンサムとリンに別れを告げて家へと帰って行った。

 ヘリが見えなくなると、リンは名残惜しそうに空を見上げていたが、この日もコロシアムでの仕事があるため、渋々猛獣控え室へと戻っていく。

 一方のマンサムは顎に手を添えて何かを考え込んでいた。

(いくら何でも少し焦りすぎではないのかな?)

 元々猪突猛進型のトリコでも杏子に対しての教育がかけ足すぎることにマンサムは心配していた。

 だがトリコ自身がまだまだ発展途上中だし、新人の教育なんて経験も無いことだろうから手探りでやっているのだろうと判断して、自分もまた朝の筋トレをするため自室へ戻って行った。

 それぞれの朝を朝日は平等に照らし上げていた。

 この日も一日頑張ってとエールを送るように。





本日の食材

鰐鮫 捕獲レベル27

180度開口できる大きな口を持つ鮫の仲間。鰐並の強力な顎力を持ち、一度喰らいついた獲物は決して離さずにそのまま捕食してしまう。

霜降り豆腐 捕獲レベル1以下

IGOグルメ研究所で作られたグルメ食材。原料は大トロ大豆。高級霜降り牛のような上品な脂を含んでいるが、後味は豆腐のようにさっぱりしている。
また脂分も植物性の物なのでベジタリアンの美食家たちにも人気が高い食材である。

虎金魚 捕獲レベル1以下

虎のように縞模様が入った金魚、集団で行動していて、どんな餌にでも食いつくため子供でも簡単に釣れる魚、天ぷらにして食べるのが一般的。

虹鯖 捕獲レベル2

虹のように美しく光り輝く鯖、その見た目の美しさとは裏腹に味は癖が強く、人を選ぶ食材。
刺身にしても美味しいが、虹鯖を漬け込んだお酒は通好みの味。





と言う訳で今回はグルメコロシアムの話になりました。

後初めて本格的なバトルも書いてみました。

考えてみれば水中での本格的なバトルって今までの中で無かったような気がします。

フグ鯨編は強い猛獣との戦いはありませんでしたし、サンサングラミー編はデスフォールが一番の敵でしたから。

なので書いてみました。上手に書けていたら嬉しいと思います。

次回は美食會に付いての語りを少し入れる予定です。

フグ鯨編でトリコはGTロボに関しては知識が無くても、その頃から美食會は活動していて、その存在を警戒していたとしてもおかしくはないと思っていたので。

次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ5 生きていた絶滅種
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:14f6250d
Date: 2012/05/07 18:17




 そこは昼間でも太陽の光が届かない薄暗い闇に包まれた空間。

 険しい山の上に聳え立つ古城、美食會第2支部はそこにあった。

 第2支部の仕事は主に未確認グルメ食材の情報収集や探索であり、メインコンピュータールームは黒一色のコック服に身を包んだ作業員たちのキーボードが叩かれる音だけが響き渡り、銀髪に中世の貴族が着るような服装の老人はステッキを片手に作業員たちの仕事の様子をチェックしていた。

「見つけろ! 皆様の壁を破る最高のグルメ食材をだ!」

 美食會第2支部支部長ピカタの檄が飛ぶと、作業員たちのキーボードを叩く音にも熱が入る。

 ピカタは作業員たちの様子を見ていき、サボっていないのを確認すると自身は自室に戻ろうとメインコンピュータールームから出ようとする。

 自動ドアを開くと同時に出くわした男性を見た瞬間、ピカタの時間が止まった。

 水玉模様のシャツに両腕、両足、腰にはリング状の拘束具、背中には昆虫のような巨大な羽根を二枚生やしたおかっぱ頭の青年はピカタを気にすることなく、メインコンピュータールーム内で作業をしていると思われる人物を探していた。

「これはこれはトミー様……この不肖ピカタ、皆様のグルメ細胞を進化させるため不眠不休で情報収集に勤しんで……」

 揉み手をしながら露骨にゴマをするピカタを無視して、美食會副料理長トミーロッドはお目当ての人物を見つけると、一直線に向かっていきその小さな肩を叩くと親指を外に向かって突き出し、自分と一緒に外へ出るように指示を出す。

「借りてくよ……」

 ピカタに向かってトミーロッドは小さく言うと、ピカタは揉み手をしながら張り付けられたような愛想笑いを浮かべて頷く。

 銀髪におかっぱ頭のセミロングの作業員はトミーロッドと並んで歩くと、無機質なコンピュータールームを後にした。

 残された作業員は突然のトミーロッドの乱入に驚かされはしたが、すぐにピカタの不機嫌そうな視線を感じると改めて検索に戻った。

(全くトミー様にも困った物だ……)

 元々身勝手な性格のトミーロッドだったが、一年前自分たちの元に身元不明の相手を作業員として強引にねじ込んでから、トミーロッドはたびたびその作業員に会うため、連絡も無しにやって来る。

 唐突におべっかを使うため、気苦労が絶えないピカタはそのストレスを作業員たちにぶつけることでイライラを解消しようとしていた。

 そして今日も作業員たちはピカタが持っていたステッキの連打を受ける羽目になってしまい、現実の理不尽さを背中と頭で感じ取っていた。




 ***




 誰も居ない薄暗い廊下の前に立つと、トミーロッドは作業員の背中を壁に押し付けて、その顔をジックリと眺める。

 髪、鼻、口元、耳と顔の各パーツをジックリと眺めた後、最後に目を見て、指で軽く触れると指に付着した涙を自身の舌で舐めとる。

「健康状態は問題ないみたいだな。もし何かあったらボクがピカタを殺している所だけどな」

「それよりトミー様今日は……」

 目が軽く痛むのを我慢しながらも作業員はトミーロッドがなぜ自分を職場から連れ出したのかを聞く。

 どこかそっけないその態度にトミーロッドは軽くため息をつきながら、その肩に手を置く。

「連れないねユー。こうしてわざわざボクが会いに来たんだからさ、もう少し会話のキャッチボールをやってもいいじゃないか……」

 作業員のユーの態度に対してトミーロッドはからかうように言うが、ユーは気にすることなく恐らくトミーロッドが来た目的を果たすため、目を閉じ脳内に浮かび上がるイメージを伝えていく。

「『占いの街』『巨大なカラス』『グルメ界』……」

 自分にしか出来ない検索をしていくと次々に広がっていくイメージをユーはトミーロッドに伝える。

 『巨大なカラス』と言われると大体のイメージがトミーロッドの中で固まっていき、自身の携帯電話を取り出すとアドレス帳から『セドル』と書かれた番号に連絡し、第6支部の支部長セドルと連絡を取る。

「ボクだ。グルメフォーチュンに『エンペラークロウ』の生き残りが居る可能性がある。適当なのを向かわせろ」

 自分の言いたいことだけ言うとトミーロッドはセドルの返答も聞かずに電話を切る。

 未だにユーは目を閉じて脳内に広がっていくイメージを小声でぶつぶつとつぶやいていた。

 その姿は常人から見れば異常な物でしかなかった。

 自分の世界に閉じこもってぶつぶつとつぶやく姿もそうだが、この検索方法を行っている時、ユーの体は青白く発光して軽く宙にも浮いているからだ。

 まるで魔法か手品のようなその姿からトミーロッドの勧めもあり、ユーがこの検索方法を行うのはトミーロッドの前だけと二人で約束していた。

 トミーロッドに肩を軽く叩かれ耳元で小さく「ストップだ」と言われると、ここでユーの検索は終わり、トミーロッドに向かってひざまずき忠誠の誓いを見せる。

「本日はここまでです。トミー様、ユーは貴方様のお役に立てたでしょうか?」

 ユーの頭にトミーロッドは軽く手を添えると、立ち上がるように無言の命令を下す。

 意図を察してユーが立ち上がったのを見ると、トミーロッドは口元に軽やかな笑みを浮かべながら去っていく。

「それは追々決めることだ」

 それだけ言うとトミーロッドは背中を向けて、誰も居ない廊下を足音を大きく立てながら去っていく。

 ユーはトミーロッドの背中が見えなくなるまで見送ったが、後ろから殺気を感じると静かに振り返る。

 自分に対して明らかに敵意を持っている作業員たちに肩を掴まれ、人気のないところに移動させられるとユーはこれから起こる惨劇が簡単に予想できてしまい、ため息をつく。

 今日も第2支部には多くの悲鳴が木霊していた。




 ***




 広い草原の上でノッキングガンを片手に杏子は一匹の猛獣と睨みあっていた。

 全身がもふもふとした綿のような白い綿菓子に包まれた熊、『わた熊』は威嚇するようにおたけびを上げるばかりであり、一向に杏子に対して襲いかかろうとはしなかった。

 それは逃走経路を断たれているからだ。

 後ろにはトリコが腕を組んで仁王立ちして立っていて、自分が生き残るための選択肢は目の前に居る杏子を倒して逃げ出すしか方法が無かったからだ。

 一方の杏子は怯えているわた熊とは対称的に、その姿をジックリと観察して弱点を探そうとしていた。

 ノッキングする場所は既にトリコから教えてもらっている。後は戦闘力を見定めするだけであり、杏子が真っ先に見たのは熊の最大の武器である爪。

 わた熊の爪は血ぬられた獰猛な物ではなく、カラフルなジェリービーンズであり、周囲に甘い匂いを漂わせていて、歯も尖った鋭い牙ではなく、全てが四角いキャラメルで形成されていて、杏子は呆れた顔を浮かべていたが、戦闘力の計算が終わると攻撃に移る。

 突然近付かれてわた熊は半ば自棄気味に杏子に爪を振り下ろすが、恐怖心と言うのが全くない杏子は爪の攻撃をかいくぐるとトリコから教えられた通り、右腕の付け根にノッキングガンを打ち込み、針を打ちつけるとその動きを止めた。

 ノッキングが成功したわた熊は苦しそうにうめき声を上げながら、前方に向かって倒れていき、杏子は軽々と横に逃げてかわす。

 地面に倒れた時轟音が響き渡るかとも思ったが、まるで鳥の羽が地面に落ちたかのように周囲は無音だった。

 今回初めてノッキング箇所以外の情報無しで戦った杏子だが、決して実力の高くない相手だったため、緊張感から解放されたと言うよりは拍子抜けした部分が大きく、杏子は力なくため息をつく。

 トリコはノッキングが解ける前にわた熊から戦利品をいただこうと右手を手刀の形に変えて、ナイフの状態にするとわた熊の体を傷つけないように体全体に覆われた綿菓子、ジェリービーンズの爪、歯のキャラメルを全て抜き取ると今度は左手の指を一本突き立てて、ノッキングの解除を行う。

 わた熊が起き上がったのを見るとトリコは逃げるように親指を森の奥へと突き立て、無言のアピールをする。

 自分の無事が分かるとわた熊は逃げるように森の奥へと去っていき、トリコは軽やかな笑みを浮かべながら戦利品のお菓子たちを麻袋に詰めて、二人は並んで家へと帰ろうとする。

 杏子が自分の元で美食屋の修行をしてから3カ月の時が流れようとしていた。

 初めは見る物聞く物全てに驚愕していた杏子だが、今では猛獣の戦闘力の見定めが出来る程度には猛獣に慣れ、罠を張るぐらいのことなら一人でもできるようになった。

 その成長スピードにトリコは驚かされていたが、これは元々杏子が持っていた勝負度胸や要領の良さと言うのが一気に開花した物だろうと思い、そろそろ次のステップに向かわせるべきかどうかを悩んでいた。

「アンコ次だが捕獲レベル1の猛獣に挑戦する気はないか?」

 捕獲レベル1の猛獣と言われると杏子の表情が曇る。

 前にトリコから聞いたのは、捕獲レベル1が猟銃を持ったプロの狩人が10人がかりでやっと仕留められるレベル。

 魔法少女として幻惑の魔法と高い身体能力、そして愛用の槍があったころならともかくとして、何の力も無い今の杏子に取って、高い壁に感じられた。

「となるとやっぱりグルメ細胞の移植が必要ってことか?」

 以前にキュゥべえとの契約で多くの大切な物を失った杏子に取って、グルメ細胞の移植はとても勇気が要る行為であり、その辺りをハッキリさせたいと杏子はトリコに恐る恐る尋ねる。

 その思い詰めた顔を見て、トリコは慌てて手を横に振って否定の意を示す。

「違う、違う! 捕獲レベルは何も獰猛さだけで決まるもんじゃねーよ!」

 前に自分が話したのは分かりやすい簡潔な説明であり、本格的な説明に入るため、トリコは改めて捕獲レベルに関しての説明をする。

 一番に基準とされるのは戦闘力だが、他にも発見の難しさや食材としての調理の難しさから、捕獲レベルが高くなる猛獣や食材も多く、今回杏子が挑戦するのは戦闘力の高さではなく、食材にするための調理が難しいそれであることをトリコは伝えた。

「そう心配しなくても、オレたちがお前よりもガキの頃によく親父が用意してくれた練習用の猛獣だ。そこまで気張る必要は無いから気楽に行こうぜ」

 『オレたち』と言われて、杏子の中である情報が思い起こされる。

 前にリンがコロシアムで発した『四天王』と言う発言に付いてだ。

 トリコの異常な戦闘力を見れば、彼がそう呼ばれるのは納得できるが、そんな奴が残り3人も居るのかと思い、ハッキリさせたいと思った杏子は四天王とは何なのかをトリコに聞こうとする。

「その内の二人とはお前も出会っているぜ、ココとサニーだ」

 二人のことを思い出すと杏子はハッとした顔を浮かべる。

 ココに関してはなぜか腹を空かせた猛獣が避けて、サニーは自分が飛び蹴りをかまそうとしたが返ってきたのは自分が空中で蹴りを放ったまま止まってしまうという不可思議な現象。

 共に人間離れした能力の持ち主であることが分かり、そのような呼ばれ方をするのにも納得ができたが、それでもやはりどんな能力を持っているのかが気になり、杏子は掘り下げようとする。

「そう焦らなくても明日ココが居るグルメフォーチュンに行くから、そこでココに聞けばいいだろ?」

 もっともな言い分を言われると杏子は何も言わずに黙りこくってしまう。

 あれだこれだと聞かれるのはトリコに取っても気分がいい物ではないだろうと判断したからだ。

 携帯を片手にココへまた行くことを伝えると、そこからココのイメージが杏子にも伝わる。

 相変わらず猪突猛進なトリコに対して携帯電話を片手にげんなりとした顔を浮かべたココだ。

 と言っても自身もまた長いこと電車に揺られなければいけないのかと思うと、億劫そうな顔を浮かべるが、その意図を察したのかトリコは杏子の眼前に立つと満面の笑みで答える。

「心配しなくても明日は特急で行くぜ! 早いぜ~!」

 それだけ言うとトリコは目の前を横切る『蟹ブタ』を見つけると、目をハート型に輝かせながら今日の夕食の捕獲のために蟹ブタを追いかける。

 消える直前トリコが杏子に投げ飛ばしたのは中身が入った麻袋。

 家まで持って帰ってほしいと言う無言のアピールだった。

 自分が信用されていることが嬉しく、杏子は何も言わずに季節外れのサンタクロースになって麻袋を抱えたまま家路へと向かう。

 この日の夕食の蟹ブタを楽しみにしながら。




 ***




 駅に到着すると二人は通常の入り口では無く別に用意された地下への入口へと入る。

 黒いクレジットカードを券売機に通して二枚分の切手をトリコが受け取ると、杏子に手渡して既にホームで待っている特急列車に乗り込もうとする。

「さぁこれが『グルメ特急』だ!」

 トリコが指さした先にあったのは黒光りするSL。

 元々杏子が居た世界にもそれはあったが博物館でしか見かけない骨董品が特急と言われても納得が行かず、杏子は渋い顔を浮かべていたがトリコに促されると渋々乗り込んでレトロなデザインのソファーに座る。

 二人が乗り込んだと同時にドアが閉まり黒煙を発しながらグルメ特急はスタートした。

 その瞬間座っているにも関わらず杏子の体に感じたのは風が全身を駆け抜ける感覚。

 あまりの速さで室内に居てもスピードのフィールを感じ取ってしまい、杏子は驚愕の表情を浮かべていたが、トリコは席に備え付けられた車内販売のメニューを見て、その少なさに露骨に不満の色を露わにしていた。

「だから特急は嫌なんだよ! 飯の数は少ないし、持ち込みは禁止されてるしで……」

「それよかさ、何でSLがこんなに速いんだ?」

 杏子はトリコの不満も聞かずに自分の疑問をぶつけた。

 窓に設置された電光掲示板には今現在の速度が掲示されていて、500キロと表示されていた。

 自分の世界で言うところのリニアモーターカーレベルのスピードをSLが出せることに驚き、詳しい説明を杏子はトリコに求めた。

 少ないメニューの中から何とか自分の好物を規定数限界までトリコが買い、物が目の前に届くとトリコは食事を取りながら仕組みを説明する。

「まぁ線路と列車自体に強力な磁石が敷き詰めてあって、その上を反発するように進んでるから、これだけのスピードが出せるってわけだ。近々ジェット噴射の『超グルメ特急』なんてものも運行されるみたいだけどな」

 デザインこそ古風な物だが、その仕組みは自分が居た世界のリニアモーターカーと同じであった。

 だがそれを軽々と実現する辺り、この世界は食に対してだけではなく、他の分野でも自分が居た世界に比べて高い技術の進歩があると杏子は実感させられてしまう。

 目まぐるしく変化する窓の外の景色を見ながら杏子は実感させられる。スピードを人々が求めるのはこの世界では当たり前のことなのだと。

 何しろこの世界の人間が生息する人間界だけでも、自分が居た地球の7倍の広さがあり、その人間界ですら、この世界の地球では3割でしかないというのだから。

 この世界の残りの7割を占めるのが通称『グルメ界』そこには未知の食材が腐るほどあり、美味しい物を求めて多くの美食屋たちが挑戦するが生きて帰った物は100名にも満たないと言われ、トリコですら挑戦を先送りにするほどだ。

 何もかもが規格外に巨大なこの世界で生きるためには移動手段も自然と速くなる。

 全ては必然なんだということを杏子は理解し、手に持っていた自分のノッキングガンを握りしめると改めて気合を入れなおす。

 これから先どんな猛獣が待っていようと、必ず乗り越えて見せると心に誓って。




 ***




 グルメ特急から降りてグルメフォーチュンに到着すると、杏子は凝り固まった体を伸ばして準備運動を行い、トリコは中途半端に食事をしたため余計に空腹状態になってしまい、げんなりとした顔で特急から降りる。

 時計を見ると初めに来た時は5時間かかっていたグルメフォーチュンまでの道のりも特急を使えば、1時間半で済むことから特急のありがたさと言うのが身に染みて分かった。

 杏子は早く試練を乗り越えたいと気合が入っているため、トリコは街での美味しい食事を求めて地下の特急乗り場から地上へと飛び出す。

 地上の入り口で二人を待っていたのは3か月前と同じようにターバンに黒タイツ姿のココだった。

 出迎えて初めにココが行ったのは杏子のチェックだった。

 目の前にココの顔が近付き杏子は多少困惑したが、何をやろうとしているのか何となく理解をすると彼に息を吹きかけて、自分がシラフであると言うのをアピールした。

 それでようやく強張っていたココの表情が和らぎ、改めてトリコと杏子を出迎え、ココはトリコに対して手を差し出し再会の握手をする。

「まったく3カ月しか経っていないのに、もうあれに挑戦させる気なのかい?」

「思い立ったが吉日、その日以降はすべて凶日だ。あれが一番多く繁殖しているのはお前のとこだろ?」

 二人が懐かしそうに話す『あれ』の存在が何なのか杏子はよく分からないが、穏やかな二人の会話を見る限りそこまで危険な物ではないと踏んで、気持ちを落ち着かせると二人の後に続く。

 足を用意してあるとだけ聞いた二人はココが用意したジープに乗って目的地へと向かう。

 30分ほどジープを走らせると目的にに到着し、三人は一斉に下りる。

 目の前に広がるのは何一つないまっさらな草原。

 初めてこの世界に降り立った時もその美しさに心を奪われた杏子だが、今回は観光できたわけではないし、あの時と今では意識のあり方がと言う物が全く違う。

 ノッキングガンを片手にどんな屈強な猛獣を相手にするのかと杏子は構えていたが、ココに肩を叩かれて彼が指さす方を見ると今回の自分の対戦相手が目に飛び込む。

 そこに居たのは50センチ大の子豚の集まりだった。

 これが昨日戦ったわた熊よりも手ごわい相手なのかと思い、杏子は間抜けな顔を浮かべてしまうが、トリコから親指で早く狩りに勤しむよう促されると杏子はノッキングガンに針を装填して、トリコから教えてもらった額の中心部分目がけてノッキングを施そうとする。

「ノッキン……」

「ぶ――!」

 だが針を刺した瞬間、子豚に信じられない変化が起こる。

 赤子程度の大きさしかなかった子豚が風船のように膨らんで杏子を押しつぶしたからだ。

 体重その物は全く増えていなので、押しつぶされた杏子も少し苦しいだけであり、うっとおしそうにそのまま巴投げで子豚を前方に投げ飛ばすが、2、3回バウンドしただけで再び地面に体が落ちると、元の姿に戻った。

「ハハハ『バルーンピッグ』は正しい個所にノッキングを施さないと、危険を察して自分を膨らませるブタだ。まずはこれで美食屋としての繊細さを勉強するんだな!」

 トリコの檄が飛ぶと杏子は声の方を見る。

 既に出来上がっていて酒瓶を片手に寝っ転がりながら指示を出すトリコを見て、杏子の中で怒りの感情が芽生えだす。

 それを力に変えようとのん気に草を食べているバルーンピッグの体を捕まえてノッキングを施そうとするが、再び風船のように膨らんで杏子を押しつぶした。

 これに完全に怒り狂った杏子は今度こそ成功させようとするが、何度やっても押しつぶされるばかりであり、ノッキングが成功する感覚が掴めないでいた。

「懐かしい光景だね……」

「ああまるでオレたちがガキの頃を見ているみたいだ」

 ココはトリコの隣に座って杏子の修行を見守っていた。

 トリコが言うように思い返されるのは遠い遠い昔の記憶。

 まだ自分たちがずっと幼かった頃、遊びの延長感覚でバルーンピッグにノッキングを解こうとして何度も押しつぶされた記憶だった。

 あの頃はいつも4人一緒に過ごしていて、毎日が楽しい日々だったことをトリコはココと共に語っていた。

「そういやゼブラはどうなったんだ?」

 トリコは4人の中で唯一連絡が取れないゼブラの所在に付いてココに聞く。

 ニュースなどではそのトラブルメーカーぶりは知っているが、詳しい所在となると分からずココに占ってもらおうとしたが、ココは真剣な顔を浮かべながらゆっくりと話し出す。

「生態系を狂わせる危険な生物ばかりとは言え、絶滅させるのはやりすぎだからな……個人での正義と言うのは必ずどこかで歪みが生まれる物だよ」

「その辺りの語りに関してはやめておこうぜ。例え一生時間を費やしても答えが出そうにない禅問答だ」

 ゼブラが犯した罪、それは生態系を狂わせる危険な生物26種を絶滅させてしまったこと。

 IGOでの指令も無しにそんなことを行ってしまえば、それは醜い独善となってしまう。

 その辺りの事情はニュースでトリコも知っていることなので、今どうしているかだけをココに聞こうとする。

「恐らくは『グルメ刑務所』行きだろう。それでなくても喧嘩っ早い彼の性格は個人のそれでどうにかできるレベルでは……」

 語っている途中でココにしか見えない物が見えた。

 それは隣で喋っていたトリコも同じだったが、トリコには何か黒い影が落ちたようにしか見えなかった。

 異常事態だと察したトリコは未だに膨らんだバルーンピッグに押し倒されている杏子を助けると、ココと一緒に移動することを親指で示す。

「死相が見えた。急ぐよ二人とも!」

 いつも冷静沈着で落ちついているココが慌てているのを見て、二人は異常事態だと察してジープに乗りこんで、先程までの安全運転とは違い荒々しくアクセルをふかすココの運転で運転手にしか分からない目的地へと目指した。

(頼む! 間に合ってくれ!)




 ***




 目の前には翼を傷つけられ、真っ赤な血だまりの中で苦しそうに嗚咽を繰り返すカラスのひな鳥が一羽。

 ウェーブのかかったセミロングのヘアースタイルの男性は、その様子を恍惚の表情で見つめていて、血塗られたローブを見ると、また一つ勲章が出来たことに満足そうにしていた。

「ククク、セドル様の指示では殺しても構わないとのことだからな。面倒だしトドメをさすとするか」

 懐から自分の武器を青年が取り出そうとした瞬間、違和感に気付く。

 聴覚が人よりも優れている彼は自分に向かってやってくるエンジン音に気付くと、懐から煙玉のような物を取り出して、地面に打ち付けると煙が硫黄のような悪臭と共に現れ、青年は煙と共にその姿を晦ました。

 青年が消えてから数分後、ココたちは目の前に倒れている巨大なカラスのひな鳥を見つけた。

 何度も苦しそうに嗚咽を繰り返すカラスの姿にココは心を痛めて強いショックを受けていたが、杏子はその大きさに、トリコはそこに居たカラスの種類に驚愕の表情を浮かべていた。

「コイツはエンペラークロウじゃねーか! 何で絶滅種がこんなところにいやがんだよ!?」

 トリコの驚きようを見ると、杏子は自分の中で仮説を立てる。

 今目の前に居る巨大なカラスは自分の世界で言うところの『三葉虫』や『アンモナイト』みたいな存在だと言うこと。

 自分だって自分の世界でそんな物が見つかれば、生命の心配よりも先になぜそんな物が居るのかと疑問に思うのが普通。

 だが目の前に居るのは命の灯が消えかけている絶滅種のひな鳥。

 何とかして救いたいと言う思いはあったが、訳の分からないこの世界の動物に対してどう対処をしていいか分からず、杏子は立ち呆けているだけだったが、ココが緊急用の医療キットをジープから持ち出すと、慌てて彼は治療に当たるが、道具のあまりの少なさに嘆くばかりであった。

(せめて輸血用の万能血液ぐらい用意するんだった……)

 翼を鋭利な刃物のような物で切り付けられていて、中の筋肉はもちろん骨にまで達した深い傷は応急治療用のキットでは追いつかない致命傷レベルの怪我。

 それでもココは針と糸で筋肉を縫い合わせ、せめて血だけでも止めようと必死になって応急治療を施そうとしていた。

 その姿を見て初めはエンペラークロウの存在に圧倒されていたトリコだったが、だんだん無意味に命を傷つけた輩に対して怒りを覚え、恐らくはまだ匂いが残っているであろうと踏んで地面に這いつくばって匂いから追跡しようとするが、トリコの鼻に飛び込んできたのは硫黄のキツイ匂いだった。

「臭ぇ! こんなもん用意するなんて……」

 追跡防止のためによく使われる匂い付きの煙玉を使う辺り、相当な使い手であると同時に初めから目的がエンペラークロウであると理解したトリコ。

 これからのことに関して何をすべきかをトリコはいち早く察知し、応急治療が終わったエンペラークロウを担ぎあげるとジープに乗せてエンペラークロウはココが見て、トリコが運転を担当する。

「早く医者に見せるんだ!」

「医者なんか頼りになるか!」

 興奮しきっている杏子に対してトリコも怒りからか乱暴に応対してしまう。

 普通ならばここで委縮して止まってしまうところだが、杏子は売られた喧嘩は買うタイプ、更に白熱してトリコに食ってかかる。

「医者以外でこの状況誰がどうにか出来るとでも思ってのかよ!」

「この状況を打破できるのはココだけだ! 信じろココを!」

 その発言からトリコがココに対して強い信頼を持っていることが分かる。

 そこから杏子は何も言えずに黙って助手席に座っていたが、未だに苦しそうに嗚咽を繰り返すひな鳥を見ると、杏子の中で一つの考えが生まれてしまう。

(こんな時さやかが居れば……)

 一瞬でも思ってしまったのがさやかの癒しの力に頼ろうとした想い。

 だがそんな考えを持ってしまったことがすぐにとんでもないことだと気付き、杏子は慌てて頭を横に振って自分の中に生まれた考えをかき消そうとする。

 呪いでしかないと思っていた魔法に頼ろうとする。そんなところをキュゥべえに付けこまれてしまい、あんな悲劇が生まれてしまったのだ。

 ここはトリコが言う通りココに全てを託そうと決め、杏子はそれ以上何も考えようとせずまっすぐに前を見つめた。

 信じることがひな鳥を救う力だと信じていたから。




 ***




 人が立ち入らない森の上に一つ存在する小高い突起、人工的に作られた頂点の上にココの家はあった。

 石造りの屋敷は人一人分住めるぐらい程度の最低限の大きさしかなく、その中にエンペラークロウを入れられるかどうか杏子は疑問に思ったが、トリコがひな鳥を担いで備え付けられた梯子を登っていくと、ココも続き、杏子もそれに続いた。

 家へと入るとトリコはテーブルをどかしてエンペラークロウを横に寝かせる。

 応急処置を施され、包帯を巻かれた状態でもジープに揺られて再び出血しているその様子を見て、一刻を争う事態だと踏んだココは棚の上に並べられている漢方から、この場で必要な物を自分の知識をフル動員させて選んでいき、引き出しから医療用の器具を取り出すと、シーツをひな鳥に被せて手術の準備を始める。

「二人とも出ていくんだ!」

 手術の邪魔をされたくないココは命令するように二人に言い放つ。

 トリコは杏子の肩を抱いて並んで出ていき、家屋の隣にある薬物庫へと入っていく。

 後のことはココに任せるしかないと踏んだ杏子はこれ以上何も言わないようにとも思ったが、どうしても気になることがあり落ち着きを取り戻しつつあるトリコに詳しいことを聞こうとする。

「何で全てをココに任せたんだ? 答えろ!」

 場合によっては素人治療にもなりかねない選択をしてしまったのではと杏子は思ってしまい、ついつい声を荒げてしまう。

 だがトリコは息を荒げながらもココに治療を任せた理由を話し出す。

 ココの目には普通の人間が大きく見える可視光線の波長を大きく超える電磁波まで捕える。

 錐体細胞の種類と視細胞の数が多いため赤外線から弱い紫外線まで見える。

 そしてココは占いのさい、この能力を応用して人の体から発せられる微弱な電磁波を視覚で捕え、その強さや量・形などの様々な情報から、その人の近い将来を予測し占っていると言う。

「その能力を応用すれば、異常な電磁波が発せられる部分を正常に戻して、治療も可能なはずだ。ココもそれを分かっていたんだろうよ」

 自分の能力をフルに使っているココの考えを聞くと杏子は驚愕の表情を浮かべていた。

 応用と言うことに関して自分は全くできていなかったのもあるが、魔法と言う物に救いや希望を心の中で求めていながらも、どう使えばそうなるかを全く考えていなかったのは自分の怠慢だと反省し、自分が何をすべきなのかを考えて立ち上がろうとするが、トリコの手で強引に座らされると、目の前にあった数冊の雑誌を手渡す。

「オレたちができることなんて一つぐらいだろ……信じて待つんだ」

 そう言うとトリコはページを一枚ずつ破っていき、数枚杏子に手渡す。

 トリコが何をやろうとしているのか理解すると、杏子は何も言わずに自分がすべきことをやろうとしていた。

 太陽が落ちて夜に包まれてからもココの治療は終わらなかった。だがそれでも二人は自分がすべきことをやめようとはしなかった。

 戦っているのはココだけでもひな鳥だけでもない。ここに居る全員が戦っているそれを証明したかったから。




 ***




 夜が明けて、再び朝日が上り出した時、ココは安堵のため息をつきながら家屋から出ていき、腕を回しながら凝り固まった筋肉を解していく。

 家屋の中に居るのは穏やかな寝息を立てるひな鳥が一匹。

 目の前の命を救うことができたことにココは心底喜び、目に溜まっていた涙を流すと気持ちのリセットを行った。

 治療が成功したのを二人に報告しようと、恐らくは居るであろう薬物庫のドアを開ける。

「二人ともありがとう。ひな鳥君の治療はせいこ……」

 薬物庫の様子を見るとココは再び言葉を失う。

 トリコは壁に背を預けて眠っていて、杏子はその腕の中に収まって眠っていたが、真に驚愕させられたのは二人を埋めていた物だった。

 置きっぱなしにされていた雑誌から折り鶴が作り上げられていて、それは千羽鶴と呼べる代物が何組も作り上げられていた。

 折り鶴の海の中で気持ちよさそうに寝息を立てる二人を見ると、ココの目には再び涙がが溜まり出し、ココはさめざめと泣きだす。

(二人ともありがとう……本当にありがとう……)

 エンペラークロウの治療が成功したのは皆が居たから成功した。

 そう思い感謝の気持ちをココは二人が目覚めるまでいつまでも送り続けていた。

 その様子をこの場には相応しくないカメラが付けられた一匹のコウモリが捕えていることにも気付かず。




 ***




 薄暗い洞窟の中を青年は本拠地にし、偵察のために向かわせたコウモリから送られた映像を見ると舌打ちをして露骨に不快そうな表情を見せた。

 それと同時に携帯電話の着信音が鳴り響く、画面を見ると自分の直属の上司に当たるセドルからの着信であり、青年は報告のため電話に出て、これまで起こったことを包み隠さずに話して、そして自分の提案を出す。

「そこで提案ですが、四天王トリコとココの首も一緒に差し出せば、トミーロッド様も喜ぶのではと……」

 自分に勝算があると踏んだ青年はセドルに提案を出す。

 話を聞いたセドルは青年のプランを聞くと口元を邪悪に歪ませながら一言言い放つ。

「お前の好きなようにやりな、ラビオリ」

 それだけ言うとセドルは電話を切る。

 支部長の許可を貰うとラビオリは自分の部下であるコウモリたちを従わせながら乾いた笑い声を洞窟内に響き渡らせる。

 自分が勝利するイメージが脳内を侵食していたから。





本日の食材

わた熊 捕獲レベル1以下

全身を綿菓子で覆われた熊、他にもジェリービーンズの爪や、キャラメルの歯も人気である。
熊ではあるが臆病な性格で、草しか食べない草食動物である。

バルーンピッグ 捕獲レベル1

危険を察知すると体を風船のように膨らませて威嚇する豚。
一回膨らむと風に乗って逃げられる可能性があるので、捕獲の難しさを考慮して1が付けられた。

エンペラークロウ 捕獲レベル測定不能

『空の番長』と称される巨大なカラス。絶滅種だがグルメ界のどこかにはまだ生存しているとの噂もある。
高い知能を持ち、飼いならせば人間の命令も理解することができる。





と言う訳で今回は美食會との初接触前編になりました。

ココの治療に関しては私の独自の見解も入っています。

それと雛の頃から飼っていると聞くキッスに付いてもここで出会わせました。まだ本編ではキッスとの出会いに関しては書かれていないので。

次回はラビオリとの決戦になります。

次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ6 家族が生まれた日
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:14f6250d
Date: 2012/05/22 19:16




 エンペラークロウのひな鳥の治療から3日の時が流れた。

 通常ならば、まだベッドに横たわって予断を許さない状態であるが、この世界の猛獣は回復速度も凄まじかった。

 ひな鳥は猫じゃらしを片手に持ち上げて、からかうココに対してクチバシで猫じゃらしを捕えようとしていて、ココは捕えまいと華麗なステップで寸前のところでかわし、二体はダンスをするようにリハビリをしていた。

「ハハハ、こっちだよひな鳥くん!」

 猫じゃらしを振りながらじゃれるココは満面の笑みを浮かべていて、トリコもここまではしゃぐココを見るのが珍しく驚いた顔を浮かべていた。

 ひな鳥の治療が順調に進んでいることが杏子は嬉しかった。かつて助けられなかった少女のことがあったから。

 どこか申し訳なさそうな顔を浮かべながら、杏子は後ろに居ると思われるさやかの魂を見ようとする。

 だが自分の目にはさやかの魂は目に映らないし、その声も耳には届かない。

 分かってはいることなのだが、自分の無力さを思い知らされると杏子はため息を一つつくが、頭の中にこびり付いた悪い考えを払拭するため行動に移そうとトリコの肩を平手で叩いて、自分の方に注目させる。

「あれがひな鳥ってことは親が居るってことだろ? 親鳥二羽の所在を見つけないと帰す時大変だろ」

 もっともな意見を言われ、トリコは立ち上がってひな鳥が見つかった森へと向かおうとして、ひな鳥のリハビリをココに任せるとトリコは杏子を引きつれてジープに乗りこむ。

「もし傷つけた犯人見つけたら、死なない程度にボコボコにしておくからな~」

 ジープを走らせながら去り際にトリコは軽い調子でココに言う。

 トーンこそ軽やかな物だがその言葉に真摯な物をココは感じ取っていた。

 トリコは食べるため以外の殺しを嫌い、イタズラに命を奪う輩を最も憎む。

 トリコの言葉でココの中にも炎が宿る。

 もしふざけた理由で目の前に居る幼い命を傷つけたと言うなら、自分も穏やかではいられなくなる。

 怒りはココの体に変化をもたらす。

 紫色の毒が皮膚の表面に浮かび上がると、顔面の皮膚が毒で覆われていく。

(しまった!)

 感情が昂ると体内の毒のコントロールが出来なくなってしまうココは、慌てて気持ちを沈めるとひな鳥の方を見る。

 だがひな鳥はココの毒を気にすることなく、遊びの続きをやってもらいたいと一鳴きしておねだりをする。

 単純に自分の毒が恐れるに足らない物だと思っているのか、それとも内面を見ているから毒が自分への危害にならないことが分かっているのか。

 エンペラークロウは知能が高く人間の言葉も理解できるのは知っているが、ひな鳥の真意が分からずココは不安そうな顔を浮かべてしまう。

 毒人間として第一級の危険生物として隔離されそうになってしまったり、新たな血清を精製しようと多くの科学者やIGOの医療班から追いかけ回された過去は自分に隠者のような生活を送ることを選ばせた。

 結果としてコミュニティの築き方が下手くそになってしまったココ。

 だが目の前に居るひな鳥は人の助けを必要としている存在。

 何とか表面上に浮かび上がった毒を体内に押さえこむと、未だにおねだりの鳴き声を繰り返して発しているひな鳥に向かって笑顔を浮かべると、再び猫じゃらしを使った二人のじゃれあいは始まる。

 心に穏やかな気持ちが戻ると、早く目の前に居るひな鳥を親元に帰してあげようと言う思いが強まり、ココはトリコ達の吉報を待った。

 目の前に居る優しいひな鳥には優しい家族に包まれるべきだと思っていたから。




 ***




 ひな鳥の匂いを完全に覚えたトリコは地面に這いつくばって鼻を鳴らして、同じ匂いを探す。

 絶滅したと思われるエンペラークロウが居る訳ないと言う先入観からか、初見は親の存在が全く頭に無かったトリコだったが、順調に回復しているひな鳥を見ると早く親元に帰すべきだと言う思いが生まれ、トリコは何度も地面に向かって鼻を鳴らして匂いを探す。

「トリコよ……森林浴に来た人たちが変な目で見てるぞ」

 犬のように地面に這いつくばって鼻を鳴らす2メートル超えの大男。

 この異常な光景に森林浴に来た一般人たちは汚い物を見るような目でトリコを見つめていて、中には関わらないようにと目を逸らして逃げ出す者さえ居た。

 隣で普通に歩いている杏子はその事をトリコに伝えるが、トリコは意に介さずと言った感じで鼻を鳴らし続ける。

「別にいいよ。こっちには目的があんだ……ん?」

 ここでトリコはひな鳥に近い匂いを感じると、勢いよく立ちあがって森全体の匂いを嗅いで詳しい所在を探そうとする。

 頭の中で地図が思い浮かぶと匂いの元へまっすぐ突き進もうとするトリコは杏子を背中におぶさると一気に駆け抜ける。

 木の幹に蹴りを食らわして、三角飛びの要領で次々と上へ上へと登っていき、一本一本が建造物並みの木の頂点が見え、飛び越えた先にあったのは深い森が全体を見渡せる光景だった。

 はるか上空に飛び上がると、そこからトリコは頭の中で思い描いた目的地へ一直線に落ちていく。

 落下のGが掛かると杏子は苦しそうな顔を浮かべるが、弱音を吐くのは自分のキャラクターじゃないと分かっているので、回した首に力を込めることでせめて怒りをトリコに伝えようとしていた。

 そして着地の際更なる衝撃が杏子を襲い、体全体が痺れる感覚が気持ち悪く、ジェットコースターのように猛スピードであちこちを駆け抜けたため、足が地面に付く感覚すら思い出せない。

 背中から降りて自分の足で大地を踏みしめると、自分が生きている実感を思い出す。

 それと同時に襲ってきたのは突然の行動に移したトリコに対する激しい怒り。

「お前な! 目的ぐらい話してから行動に……」

 文句を言おうとした杏子だがトリコが愕然とした顔を浮かべながら立ち呆けている姿を見ると何も言えなくなり、彼と同じ方向を見る。

 そこに居たのは全身が白毛で覆われた老ガラスが二匹。

 仲睦まじく二人で巣に倒れ込んでいるのを見ると、つがいだと言うことが分かり、死体のそばにはまだ温かい卵の殻があった。

 これらの情報からひな鳥を産んですぐに夫婦は力尽き、生まれたてのエンペラークロウは何者かに襲われ、あれだけの重傷を負ったのだと予測が付く。

 あまりに残酷な事実に杏子は目の前の死体から目を背けたが、トリコはその体を持ち上げジックリと観察をする。

 そこである違和感に気付く。

 確かに残された時間が長いとは思われないが、寿命で死んだとは思えなかったからだ。

 今までの経験からお互いに残り一年ぐらいは命の灯があったと思われるが、急激な変化がこの二体の命を奪い去った物だとトリコは推理して原因を探ろうと体を持ち上げる。

(何だこりゃ……)

 感じたのはあまりに軽い感触。

 まるで綿でも持ち上げているような感覚にトリコは困惑するばかりであった。

 20メートル大の怪鳥の大きさとは思えないほど軽々と持ち上げられた死体には中身が全く詰まっていない感覚を覚えたからだ。

 更に詳しいことを調べようとトリコは懐からルーペを取り出して見ようとするが、それを制したのは小さな少女の手。

「調べるのは後でいいだろ。長引けばそれだけ醜く腐っちまう、親との別れが腐乱死体ってのは残酷すぎだろ……」

 もっともな意見に対してトリコはルーペをしまうと入れ替わりに携帯電話を取り出してココに連絡を入れる。

 話を全て聞くとココは電話口でも強いショックを見せているのが杏子にも伝わる。

 恐らくは占いによって知っていた事実ではあるのだろうが、それでもひな鳥の立場になって考えれば苦痛が伝わるのだろう。

 「すぐに向かう」とだけ言うとココは電話の電源を落とし、ひな鳥と一緒にトリコ達と合流していく。

 待ち時間の間改めてトリコは原因を探ろうとルーペでジックリと体を眺めると、一つの事実に気付く。

 まるで注射器で開けられたような小さな穴が無数にも付けられていた。

 更に鉄分の匂いが全く感じられないことから、全身から血液が一滴も残っていないことが予測できた。

 大体の情報がまとまるとトリコは頭の中でそれらをまとめようとするが、太ももに平手で叩かれる衝撃が伝わると後ろを振り向く。

「もういいだろ! ココが到着するまでに二体を地面に下ろして、墓を作る準備ぐらいしてもさ!」

 見ると杏子の目には涙が溜まっていた。

 二つの死体を見て一家心中のトラウマが蘇ったのだろう。

 普段は見られない杏子の姿にトリコはショックを受けているのはココやひな鳥だけではないと実感させられてしまい、軽く杏子の頭を撫でると全身の血液を抜かれたエンペラークロウ二匹を抱え上げて、飛び降りるように地面へと降りる。

(ぜってぇーに……許さねぇ!)

 今までの情報から人為的に二匹は殺された物だと仮説を立てたトリコ。

 その行動はトリコの琴線に触れる物であり、トリコは激しい怒りを胸に秘めながら下りて行った。

 絶対にひな鳥の両親の敵を討つと心に決めながら。




 ***




 無残に変わり果てた両親の姿を見るとココもひな鳥もショックを隠せないでいた。

 何度も両親に呼びかけるひな鳥に対してココはその体を抱きしめてあげることしかできず、そこからひな鳥も両親との永遠の別れが訪れたことを理解した。

 別れのあいさつが済んだのを見ると、トリコは用意してあった墓穴に二匹をそっと入れると土を被せていく。

 トリコがナイフで作り上げた即席の木製スコップを手に取ると、杏子とココも同じように土を被せていき、三人は終始無言のままエンペラークロウ二匹を埋葬するとトリコは適当な大きさの石を上に乗せて、墓前には名も無い花を一輪添えると、三人は並んで手を合わせて冥福を祈った。

 ココは一番辛いであろうひな鳥の方を見ると、その体を抱きよせてずっと考えていたプランをひな鳥に告げる。

「大丈夫だ。確かに君は両親を失った。だが一人じゃない、ちょうどボクも一人で寂しかったところだ。だからもし君さえよければ、今日からひな鳥君はボクの家族だ……」

 その言葉にひな鳥は小さく一鳴きして同意の意を示す。

 ひな鳥が孤立しなかったことに杏子は安堵のため息をつき、トリコはココの孤独も知っていたため、彼に家族が出来たことに対して喜び拍手を送りながら一つの提案を持ちかける。

「家族なら名前ぐらい付けておかないとな。いつまでも『ひな鳥君』じゃ格好が付かないだろ」

 もっともな意見に杏子も同意して頷く。

 だがココはすっかり忘れていた重要な事項に対し、青ざめた顔を浮かべてしまう。

 ここで「何も考えてない」などと答えれば、何を言われるか分からないと思いココは目の前のひな鳥を見ながら、彼に相応しい名前を自分の脳内にある単語をフル動員させて探し出して、一言つぶやくように言う。

「キス……」

「キス?」

 初めて自分と同じように孤独を分かち合える家族が出来た喜び。

 それはココに取って祝福のキスを受けたような感じであり、そこから反射的に『キス』と答えてしまうが、トリコはどこか納得が行かないと言った感じで困惑したように復唱する。

 杏子の方を見ると彼女もトリコと同じような顔を浮かべていて、場の空気からこのワードは失敗だったことが分かり、ココは慌てて首を横に振ると改めて名前を言う。

「キッス……」

 先程と大した変化が無いが、パニック状態になっている頭ではこれが限界だった。

 苦し紛れに言った一言ではあるが、二人の方を見ると意外な光景が広がっていた。

 頭の中でジックリとワードを咀嚼していくと、思っていた以上にしっくりと来る名前に二人とも納得の表情を浮かべて、その羽に手を添えて撫で上げてキッスを可愛がる。

「そう言うことだ。今日からお前はキッスだ」

「よろしくなキッス」

 トリコと杏子も『キッス』と言う名前を気に入り、キッスは仲間として受け入れられた。

 二人に撫でられているとキッスはむず痒そうな感じで体をよじらせ、包帯の存在をわずわらしく思っていた。

 その様子を見るとココは目に力を込めて、キッスの容体を観察する。

 異常な状態になっていた電磁波は全く感じられず、全てが正常に戻っているのを見てココは頃合いだと判断すると包帯を解く。

 拘束が解かれたと同時にキッスは気持ちよさそうに一鳴きすると、翼を大きく広げて飛び上がり、自分の力だけで大空を飛んでみせた。

 その様子にトリコとココは拍手を送ったが、杏子は生後三日で大空に飛び立てる存在のカラスに驚愕するばかりであった。

 空を一回りするとキッスはココの元に戻って頬ずりをして愛情表現を行う。

 キッスの心をココは笑いながら優しく受け止め、それをトリコも笑いながら見守っていた。

 一人疎外感を感じた杏子はどうしていいか分からず、事に一応の決着が付いたのを見届けると自分の修行を再開してほしいとトリコに提案を出す。

「そうだな……犯人探しはグルメ警察に任せるとして、本来の目的を果たすとするか、まだ一回も成功してないからなお前」

 トリコのGOサインを貰うと一行はジープに乗って、バルーンピッグの溜まり場である草原へと向かった。

 その様子を物陰から見ていた影が一つ。

 ラビオリは一向に気づかれないよう意識を消して木陰に潜んでいたが、一同の姿が見えなくなると姿を現して携帯電話で天気予報を見ながら今夜は曇りがちで満月が雲で隠れてしまうことを聞いた。

(今夜決行する……)

 闇夜での戦いに絶対の自信を持つラビオリは自分の脳内で勝つイメージをまとめあげる。

 トリコとココの生首をセドルの元に差し出す自分の姿を。




 ***




 再開された修行は四日前と同じ光景が繰り返されていた。

 相変わらず杏子は膨らんだバルーンピッグに潰されてしまい、そのたびに苦しそうに手足をバタバタと動かして巴投げで投げ飛ばす光景がリプレイされていた。

 だが一つだけ変化があった。その様子を見守る視線が一つ増えたのだ。

 キッスはココの隣に行儀よく座って杏子の修行を一緒に見守っていた。

 一同の間に会話は無かったが、その信頼関係は見ているだけで伝わる。

 三つの期待に応えるためにも杏子はノッキングガンを持つ手に力を込めるが、ここで一匹のバルーンピッグが妙な状態になっていることに気づく。

「どうしたんだお前?」

 抱え上げたバルーンピッグは明らかに他の皆とは様子がおかしかった。

 体は他の個体よりも縮み上がっていて、小刻みに震えていた。

 素人目でも衰弱していることが分かっていて、どうしようかと思ってトリコ達の方を見るが、相変わらずキッスのことで盛り上がっている二人の邪魔をするのも忍びないと感じた杏子は最低限息があるのだけを確認すると自分なりの治療を試みる。

「取りあえずここにでも入っておけ」

 そう言うと自分のパーカーの前を開き、胸元にバルーンピッグを入れると再びジッパーを閉めて、その体を覆い隠した。

(後は飯でも食わせて様子見ってところだな……)

 この世界の動物は自分たちの世界のそれよりもはるかにたくましい。

 温かくして栄養のある物を食べさせれば何かしらの変化は生まれるだろう。

 もし一晩経っても変化が無ければ、その時はトリコ達に任せればいいと思い、杏子は胸元のバルーンピッグがしっかりと自分にしがみついているのを確認すると再びノッキングを施そうとうする。

 だが相変わらず潰されてばかりであり、その様子を見て二人と一羽は面白そうに大笑いしていた。

 この悔しさを必ずバネに這い上がってやると心に決めて、杏子はうっとおしそうにバルーンピッグを投げ飛ばすと再びノッキングを施そうとした。

 自分の胸の中で自分の体温を吸って覚醒しようとしているバルーンピッグの鼓動を聞きながら。




 ***




 食事の時間になるとこの日から今まで流動食だったキッスもココと同じ物を食べるようになり、全員は用意された食事がテーブルの前に並べられるとトリコの挨拶を皮切りに食事を始めようとする。

 だがここで杏子は自分の胸の中に居たもう一匹の客に気付き、胸元からバルーンピッグを取り出すと空いている椅子に座らせた。

 なぜここでバルーンピッグが現れたのかとトリコとココは困惑の表情を浮かべるが、杏子が事情を説明するとココは食事の前にと念には念を入れバルーンピッグの様子を見ようとする。

 頬に手を触れると感じたのは生命の躍動。

 恐らくは元々ひ弱だったのだが、ちゃんとした治療を受ければ元の生活に戻れるだろうと判断したココは食事を与えて、その後は同じように杏子の体温で温めれば問題ないだろうと告げると改めて食事が始まる。

 許可が出るや否やトリコは目の前の料理にがっつき、杏子は食べながらも相変わらず小刻みに震えているバルーンピッグを心配し、スープをスプーンに入れて差し出すとゆっくりではあるが飲んでいくのが見え、その様子からココの診断は正しいことが分かり安堵の表情を浮かべた。

「優しいんだな」

 その様子をテーブルを挟んで見つめていたココは一言つぶやくように杏子に言う。

 突然のことに杏子は困惑した顔を浮かべるが、だがすぐにどこか辛そうな表情に戻って自嘲気味に返す。

「ただ思いついたことを反射的にやっているだけだ。結果も残せていない優しさなんて、自己満足でしかねーよ……」

 それは自分への戒めなのか、それともココに対しての反発なのかは分からない。

 だが結果として自分の優しさは誰も救えなかった。

 家族もさやかも救えず、傷つけることしかできなかった自分はそんなことを言われる資格など無いと思っていたからだ。

 妙な空気になってしまったのを払拭しようと、杏子は続けざまに食欲が出て来たバルーンピッグにスープを飲ませていき、体力の回復を図ろうとしていた。

 結局杏子は自分の食事もそこそこにバルーンピッグに食事を与えることだけに専念し、満腹状態になったのを先程よりも体温が上昇したのを見て確認すると、再び懐に入れて治療を再開しようとして、この日は早めに休もうと寝室に向かう。

 食事を終えたトリコは大きく伸びをする。それと同時に強い敵意を感じ取る。

 それはココも同じことであり、二人の視線は窓の方へと向けられ反射的に手刀を突き出す。

 放たれた手刀と同時に窓を突き破って突っ込んで来たのは円形状のノコギリのような武器。

 二つ同時に放たれたそれをトリコははたき落とすように地面へと叩き落とし、ココは突き出した手のひらから紫色のゼリー状の物体を放出し、ノコギリその物をゼリーで包んで無力化させた。

 突然のことに驚かされる杏子とキッスだが、杏子はトリコがはたき落としたノコギリに文章が書かれているのを見ると地面に突き刺さったノコギリを取って読む。

『エンペラークロウの両親が眠る墓の前で待つ。その場に居る全員殺すので遺書を残しておくよう』

 明らかな挑発行為であると同時に杏子が思ったのは何かしらの罠が貼られている状態だと言うことに感づく。

 こうしてわざと自分の元へ誘導すると言うことは、絶対的に勝つ自信があるということ。

 それは今までの修行と魔法少女の戦闘の経験から理解でき、杏子は未だにうつむいているトリコに提案を出す。

「これは罠だ! まずは警察に連絡を取って……」

 だがトリコは杏子の正論も聞かずに黙ってドアを開けて出ていく。

 いつもはいきり立つ自分を止める役目であるトリコが無鉄砲な行動を取ることに杏子は困惑していた。

 猪突猛進型ではあるが考えなしに行動するタイプではない。

 どうしていいか分からず今度は冷静なココに意見を求めようとするが、ココも同じようにトリコに続くだけであった。

「オイ待てよ! アンタまで一緒に行ったら、総倒れの可能性だって出るだろ!」

「全員付いて来るんだ。下手にこの場にとどまったら人質になってしまう可能性もある」

 ココは感情を殺した抑揚のないトーンで杏子に言う。

 言われてみれば犯人が一人ではなく複数犯の可能性だってある。

 ココの意見はもっともな物であったが、それでも冷静さを明らかに欠いている二人を何とか沈めようと杏子は説得を繰り返そうとするが、ココは手のひらを突き出して強引に杏子の言葉を止めさせた。

「人間……理性で止められない感情って物がある。ボクはキッスから両親を奪ったソイツを許すわけにはいかない、そしてトリコは生きる目的以外の無益な殺生を何よりも憎んでいる。他人に任せるつもりなど無い!」

 想像以上の憤怒を感じ取ると杏子は何も言い返すことが出来ず、黙ってココの後を付いて行った。

 こうなったら誰にも止めることは出来ない。それは自分自身もそうだったからだ。

 だが感情を力に変えても、感情に流されるのだけは絶対に阻止しなくてはいけない。

 もう何も失いたくない杏子は待っていてくれたトリコと合流すると、全員で果たし状を送った相手の元へと向かった。

 二人分の怒りを感じ取りながら。




 ***




 墓石を横に倒して椅子代わりにしてラビオリは一行の到着を心待ちにしていた。

 何度シュミレーションを行っても勝つのは自分だと疑っていなかったからだ。

 そこに明らかに怒りの電磁波をまとった一行の存在に気づく。

 トリコを筆頭にココが続き、後ろに杏子とキッスと続く。

 そこに居た全員がラビオリに対して怒りの感情を持っていて、墓が無残に荒らされているのを見るとココが駆け寄ろうとするが、トリコが右手を突き出して制止させるとトリコはゆっくりとラビオリの元に歩み寄る。

「よう……テメェだな、老エンペラークロウの夫婦を殺し、キッスを酷い目に合わせた糞ヤローは?」

「だったらどうしたと言うんだ?」

 トリコの怒気がこもった質問に対してもラビオリは眉一つ動かさずに返す。

 余裕を持った態度が気に入らないのか、トリコは無言でラビオリのローブを掴むと自分の元に持っていき睨みながらつぶやく。

「ぶっ殺す……」

 短い言葉と同時にトリコの右フックがラビオリの顔面に放たれる。

 だがフックが届く頃にはラビオリの姿は消えうせ、トリコの手に握られていたのは血塗られたローブだけであった。

「上を見ろ!」

 杏子の言葉に一行は同時に空を見上げる。

 闇夜の中でラビオリは宙に浮かびあがっていて、どんなトリックを使っているのかと一同は目を凝らして見ようとするが暗闇の中ではかろうじて人影を見つけるのがやっとであった。

 だがここでココの視力がラビオリの全容を捕える。

「攻撃が来るぞ!」

 怒りで頭が回っていないトリコにココの指示が飛ぶ。

 言われてトリコが振り返ると同時に闇に紛れての飛び道具がトリコを襲う。

 暗闇の中では獲物が見えず、トリコは大体の感覚で左手のフォークを突き出して飛び道具をはたき落そうとする。

 だが飛び道具はトリコのフォークをかわして腕にまとわりつく。

「早く振り落とすんだ!」

 慌てた調子のココの叫びを聞くと異常事態だと察し、トリコは地面に向かって腕を振り下ろすが地面に直撃すると同時にまとわりついていた何かは自分から離れて行った。

 次の瞬間トリコを襲ったのはまるで思いきり走った後のような気だるい感覚。

 左腕を見ると老エンペラークロウと同じように注射器で開けられたような細かな穴が開けられていて、そこから血が滴り落ちているのを見るとようやくトリコもからくりが理解できた。

 トリコが空のラビオリを見上げると同時に雲が離れていき、満月が夜空を照らしだす。

 月がラビオリの姿を鮮明に捕えると人間が空を飛び上がる原因が分かった。

「フン月が出たか、まぁいい。それでもオレの勝利に変わりは無いからな」

 相変わらずの自信過剰ぶりであったが、目の前に広がった光景はそこに居た全員が驚愕せざるを得ない内容の物だった。

 ラビオリの体を包んでいたのは幾多ものコウモリ。

 完全にコウモリ達を手なづけているラビオリは高笑いをしながら、眼下に居る一同を見下していたが、トリコとココはラビオリが引きつれているコウモリの種類に驚いていた。

「あれは……『ダークバット』じゃねーか!」

 コウモリに関しての知識は無いが、トリコの驚きようから相当な強敵だと杏子は推測する。

 詳しい説明を求めようと、トリコのサポートに徹そうとしているココに杏子はダークバットのことを聞く。

「ダークバット……単体なら捕獲レベルは4。だが群れの場合の捕獲レベルは22。しかし未だに詳しい生態が明らかになってないダークバットを手なづけるなんて……」

 捕獲レベルだけを聞けば27の鰐鮫を倒したトリコに取って、22は大したことはないのが分かるが、詳しいことが分かっていない未知の生物を手なづけていることに二人が驚いているのが杏子は理解した。

 分からないことが多い敵であっても捕獲レベルが定まっている以上、戦闘力の測定はできているはずだ。

 トリコの実力に今はすがるしかない、杏子は黙って彼とラビオリの戦いを見守ることを決め、邪魔だけはしないでおこうと静観を心がけるようにしていた。

「これが美食會の力だ! よく覚えておけ四天王トリコにココよ、いずれ全ての食材は我が美食會が牛耳る物だと言うことをな!」

 叫ぶと同時にラビオリは急降下して着ていたシャツの内ポケットに仕込んでおいた先端に円形状のノコギリが付いた短い棒のような獲物を出す。

 武器を見て真っ先に杏子が思いついたのはピザを切る時に用いるカッター。

 だが今ラビオリが持っている武器はそこまで穏やかな物ではない、ボタンを押すとノコギリの部分が激しく回転を始め、獲物を切り裂こうと轟音を発する。

「食らえ! バズソースラッシュ!」

 上空からの攻撃と攻撃対象が良く見えないことから、いつもならかわせられる攻撃も皮一枚のところで食らってしまい、トリコの腕からは勢いよく鮮血が吹き出す。

 だが戦意は失っておらず、返しざまに左手を突き出してフォークの一撃をお見舞いしようとするが、攻撃はダークバットの突進によって無力化され、カウンターでの吸血攻撃を食らってしまう。

 振り払おうと再び地面へ直撃しようとした瞬間、ダークバットは離れていきラビオリの元に戻っていく。

 完全に自分の勝ちパターンになったことにラビオリは邪悪な笑みを浮かべながら、腰のベルトに仕込んでおいたノコギリを取り出すと、勢いよくココに向かって投げ飛ばす。

「お前の視力は警戒しなければいけないからな。バズソーブーメラン!」

 この発言から事前に自分たちの情報を全て調査済みだと言うことが分かり、ココは気を引き締め直し杏子とキッスの前に立つと血液を毒に変換し、手から出した毒を血液中の血小板の作用を残して毒を凝固させた。

 こうして作り上げたのは猛毒の刀。

「ポイズンソード!」

 ポイズンソードの一撃で同時に放たれた二枚のバズソーは力なく地面に落ちていく。

 あまりに単調な攻撃にココはため息をつき、挑発代わりとばかりにラビオリへ言い放つ。

「笑わせるな……こんな攻撃でボクの両目を抉れるとでも思っているのか?」

「抉れはしなくても一時的に視力を奪うことはできる」

 ラビオリの言っている意味が分からず、一瞬困惑した表情を見せたココだがその意味がすぐに理解できた。

 衝撃を受けたバズソーの中央部分から現れたのは噴射口。

 真っ白な煙が勢いよく噴射されるとココの体を覆い隠そうとする。

 本能的に危険な物質だと察したココは杏子とキッスを突き飛ばして、煙から遠ざけると自分自身が全ての煙を吸い込んで二つの命を守り抜いた。

 だが代償はあった。

 恐らくは一時的に視覚を奪う類の物なのだろう。ココの瞼は持ちあがろうとせず、目が見えない歯がゆさに苦しめられるばかりであった。

「これでオレの勝利は万全だな。今の内に何か言いたい事は無いか? 何でも聞いてやるぜ」

「テメェに言うことは一つだけだ……」

 親友から視力を奪ったことにトリコの怒りは火に油を注ぐが如く燃え上がっていた。

 怒りを足に込めて勢いよく飛び上がると、そのまま上空で釘パンチを放とうとする。

「ぶん殴ってやるから動くんじゃねぇ!」

 パンチが放たれる前にトリコはダークバットの群れに襲われる。

 ここで勝負を決めてしまおうとラビオリは全てのダークバットをトリコに送り込み、自分はそのまま重力に任せて落下していく。

 トリコならばダークバットの群れを相手にしても勝利できる実力を持っているのは分かっている。

 だがラビオリはトリコの信念を知っていた。

「食べる以外の目的で獲物は殺さないか? 下らない信念だな……」

 ダークバットの肉は血生臭く食用には全く適していない。

 何度か交わされた攻撃でもトリコは決して殺すだけの威力を持ってダークバットに攻撃を放たなかったことも分かっていた。

 その信念を事前の調査でリサーチ済みだったからこそ、今回の勝負をラビオリは挑んだのだ。

 信念によって実力を完全に発揮できないトリコ、視力を失ったココ。

 武器を全て奪い取ってやったと確信したラビオリは未だに両目を押さえて苦しそうにしているココの元へゆっくりと近づくと、自分のバズソーを懐から取り出してトドメをさそうとする。

「その首……この美食會ラビオリが貰った!」

 ノコギリの刃を回転させながらうずくまっているココの首目がけてラビオリは獲物を振りおろす。

 だがこの瞬間にココの口元が邪悪に歪む。

 攻撃のチャンスだと踏んだココは勢いよく顔を上げると同時に手刀で獲物を叩き落とし、更にはベルトに装着されたバズソーをその勢いのまま叩き落とす。

 目も見えてないココがなぜここまでの動きが出来るのか分からず、ラビオリは驚愕の表情を浮かべていたがココは見下した表情を浮かべながら語り出す。

「分からないかな……さっきからジャラジャラとうるさい、その獲物の音で大体の位置と動きは把握できるってことがさ……」

 僅かに鳴る自分のバズソーの擦れた動きだけで、あんな精巧な動きができることにラビオリは冷や汗をかく。

 それさえもココは気付いているのか立て続けに語り出す。

「ゼブラほどじゃないけど、ボクだって聴力はそれなりの物だ。加えて言うとボクの一番の武器は毒だってことも忘れているのか君は?」

 ココの嫌味に完全に委縮して恐怖していると更なる絶望がラビオリを襲う。

 信念に飲まれたまま心中するとばかり思っていたトリコの方にも変化が現れたのだからだ。

 血を吸おうと一斉に群がっていたダークバットたちが次々と逃げるように離れていく。

 その異常な事態の正体を確認しようとラビオリがトリコの方を見上げる。

 見上げた先に会ったのは赤黒く輝く太陽があった。

 寒さなどで体温が下がった際、熱を発生させて体温を保とうとする現象『シバリング』

 トリコの強烈なシバリングは自身の体温をコウモリが最も嫌う太陽の光と同レベルのそれにまで達させて、自らの体を太陽と勘違いさせるほどに高温の熱エネルギーを発させたのだ。

 最後に残ったダークバットが離れていくのを見ると、トリコはシバリングを止め重力に任せて落下していき怒りに満ちた目で怯えるラビオリを睨んでいた。

「そう。俺は正当防衛と食う目的以外で獲物を殺すことはしない……だがテメェのようなドクズは話が別だ!」

 顔全体を鷲づかみにすると口の部分に激しく力を込めて、トリコはラビオリの顎の骨を外す。

 嫌な音が響くと同時にラビオリは喋ることさえままならなくなってしまい、赤ん坊のようによだれをダラダラと垂れ流しながらも逃げようとするが、ココによって逃げ道を閉ざされる。

 その目を見ると自分を冷ややかに見下ろしていた。

 普通ならば一日は瞼が上がらない強力な毒ガスのはずなのに、物の数分で視力が回復するココにラビオリは驚愕し、なぜそんなことができるんだと話そうとする。

「こんな軽い毒、ボクなら数分で抗体が作れるんだよ。お礼にいい物をプレゼントしよう……」

 そう言うとココは指を一本突き出して、開けられたままの口に自分が作り上げた毒をラビオリに飲ませる。

 何を飲まされたか分からないラビオリの恐怖を更に強い物にするため、飲ませた毒の説明にココは入る。

「今飲ませたのは神経を過敏にするタイプの毒さ。これにより君は……」

 話している途中でココのショートジャブがラビオリの顔面にクリーンヒットする。

 当てるだけの攻撃なので通常ならばすぐに相手を見据え返せられるのだろうが、今のラビオリに取ってはそれだけでも激痛が走り、駄々っ子のように地面にジタバタとはいずり回っていた。

「当てるだけの攻撃だけでも激痛が走る。覚悟するんだな……」

 そう言うとココはトリコの方にラビオリを突き出す。

 完全に怯えきったラビオリは目の前な獰猛な笑みを浮かべているトリコを背を向けて逃げようとするが、そんなラビオリに対してトリコは右腕に力を込めて自分の必殺技を放つ。

「二連釘パンチ!」

 胸に目がけて放たれた釘パンチは二発綺麗に決まり、勢いよく後方に吹っ飛んでいく。

 もちろん殺すだけの威力を持って放たれた物ではない。

 シバリングと連続攻撃で予想以上に疲れているのもあったが、キッスからイタズラに両親を奪ったラビオリに制裁を加えるのはココの役目だとトリコは思っていたから、あえて手加減をしたのだった。

 だが飛ばされた方向に気付くと、ココはハッとした顔を浮かべてすぐにラビオリと同じ方向に駆け寄る。

「ヤバいぞ! あの方向に居るのは……」

 ココの慌てた叫びを聞くと、トリコもすっかり忘れていた事実を思い出し、一緒になって駆け寄る。

 だが既に遅かった。

 血反吐を吐きながらもラビオリは杏子の喉元にバズソーを突き付け、憎しみの目線を込めて睨みつける杏子を無視して、トリコとココに要求を叫ぶ。

「て……てめぇらの首さしらせ! でねぇとコイツころしゅじょ……」

 顎がはまっていない状態のため舌足らずの状態になりながらも、脅しをかけるラビオリ。

 だがこんな状態になれば普通は自分の身の安全を優先する物。

 圧倒的な実力差が分かっていても未だに勝利にしがみつくラビオリに二人とも呆れていたが、杏子は憎しみと蔑みがこもった口調で答える。

「テメェ……どこまでクズなんだよ!」

「ウルセェ!」

「一言だけ忠告しておくよ」

 興奮しきった杏子とラビオリとは対称的にココは冷淡に一言言い放とうとする。

「君死相が出ているよ」

「そうら……このガキころしゃれたくなければな……」

「アンコちゃんじゃないよ。お前だよ」

 この一言で完全にラビオリの脳内から冷静さは無くなった。

 自棄気味に振り下ろされた刃に対して杏子は首にかかる力が緩んだのを見ると、胸を突き出してバズソーの刃を胸で受け止めた。

「ブ――!」

 だが刃を通じて感じたのはエアバッグのような激しい弾力のある膨らみだった。

 懐に忍ばせておいたバルーンピッグは完全に健康を取り戻し、危険を察知すると自らの体を膨らませて自分の体を守った。

 予想外の出来事に対応しきれず、ラビオリは勢いよく放り投げられる。

 地面に着地して見上げた先に居たのは獰猛な笑みを浮かべたトリコとココ。

 自分が助からないと分かると、ラビオリはその姿勢のまま1ミリも動くことなく固まっていた。

「ちゃんとアンコちゃんには後で謝るんだぞ」

「分かってるって……」

 ココとトリコは世間話をしながらも双方同時に拳を振りおろしてラビオリに制裁を与える。

 あまりに衝撃的な光景が広がっていく中、思わず目を背けてしまうキッスを見た杏子は自分ができることはもう何も無いと悟り、制裁を加え続けている二人に対して「先に帰る」とだけ言って、バルーンピッグとキッスを引き連れて家へと帰って行った。

 月は再び雲によって隠れ、闇に包まれた森の中に愚か者の悲痛な叫びはいつまでもこだましていた。




 ***




 翌朝通報を受けてグルメ警察が駆けつけた先にあったのは衝撃的な光景だった。

 全身アザだらけのラビオリはかろうじて息をしている状態であり、全裸で逆さづりにされた状態のまま、グルメフォーチュンで一番大きな時計台の頂点に磔にされていたからだ。

 胸にはラビオリが行った罪状が書かれていて、本人の同意書もあることから通報通りの犯人だと言うことが分かり、グルメ警察は多少困りながらもラビオリを引きつれて拘置所へと向かっていた。

 無事にラビオリが警察に捕まったのを見届けるとココはキッスを引きつれて家へと戻って行こうとした。

 その手には杏子の手によって健康を取り戻したバルーンピッグも居て、何度も嬉しそうに鼻を鳴らして杏子に感謝の気持ちを伝えていた。

 修行の続きをやろうとトリコと杏子もその後に続くが、ココが一言杏子を見るとつぶやく。

「ボクの占いでは今日でアンコちゃんの修業は終了するよ」

 ココの占いが良く当たるのは知っているが、全く出来なかったノッキングが今日すぐに出来るとは思えず、杏子は困惑の表情を浮かべるがそれにトリコも続く。

「ココの言う通りだ。もうお前は大丈夫だよ、食材に対して真摯な気持ちを持つことが出来たんだからな」

「そのつもりではあったんだけどな……」

 恐らくはバルーンピッグの変化に気付き、思いやることができたことこそが食材に対しての真摯な気持ちなのだろうと杏子は思っていた。

 自分でも普段から食べ物を粗末にするのだけは絶対に行わなかったが、いざ真摯な気持ちと言われるとやはり出来ていなかったのだろうと思い知らされるところがあり、杏子は力なく頭をかく。

「それともう一つ。その点に関して君は更なる高みへと登る。後はお楽しみってことにしておこう」

 ココは含み笑いを浮かべながら答えるが、気になるような意地の悪い言い方をされて、杏子は追求するが、ココは笑いながらお茶を濁すだけで詳しく答えようとはしなかった。

 二人のやりとりを見ながらトリコは杏子への侘びとご褒美を兼ねて、ある人物と連絡を取ろうと携帯電話をいじっていた。

 画面には『セツ婆』と書かれていた。




 ***




 黒一色の薄暗い部屋でろうそくの薄暗い明りだけを頼りに美食會の副料理長三人は同じテーブルで食事をしていた。

 全員が自分で作った料理を終始無言のまま食べていたが、鉄仮面を付けた黒一色の衣装に身を包んだ大男は目玉が浮かんだ禍々しいスープを飲みながら語り出す。

「何のつもりでエンペラークロウを襲う指示を出した?」

 大男は重厚な声を響かせながらトミーロッドに尋ねる。

 骨付き肉をかぶりつきながらトミーロッドは知らぬ存ぜぬと言った感じのとぼけた顔を浮かべて話を終わらせようとするが、大男は上から無言で睨みつけるだけであり、トミーロッドに沈黙を許さなかった。

「ハイハイ分かりましたよ。ユーが調べてくれた獲物だからね、せっかくだから奪っておこうってね」

「お前正気かよ? エンペラークロウなんて大して美味くもねーのにさ、ゲテモノ食い?」

 茶々を入れたのは鉄仮面の男よりも更に大きなバンダナの大男。

 だが特徴はそれではない。男はまさしく特徴の塊と呼ぶに相応しい異形だった。

 肩から腕にかけて禍々しい刺青が施されていて、本来ある腕とは別に浅黒い二本の腕が胴に移植されていて、真っ黒な眼の中には三つの複眼があるとても人間とは思えない姿の存在。

 だがトミーロッドは臆することなく、うっとおしそうに異形の相手をしだす。

「失礼な事を言うなグリンパーチ! 食べるわけねーだろ、あんなもん。だがユーの情報収集能力を認めてもらうためには、より珍しい食材をだな……」

「とにかくだ……」

 グリンパーチとトミーロッドの言い争いを止めるかのように、鉄仮面の男はゆっくりながらも威圧的な口調で割って入る。

「あまり独断で部下たちを危険な目に合わせるな。牛耳るにしても食材に対しては真摯でなくてはいけない」

「真面目だね本当にお前は……」

「ククク、真面目も真面目大真面目のスタージュン先生にそんな皮肉通用しないぜトミーよ……」

 グリンパーチはスタージュンの警告に関しても相変わらず小馬鹿にするようにニヤニヤと笑うだけであり、トミーロッドはスタージュンの相手をするのが疲れる部分もあり適当に受け流していた。

 二人分の皮肉も意に介さず、スタージュンは自分の分の食事を終えるとそそくさと席を後にしていく。

 食事を終えているのはトミーロッドもグリンパーチも同じだが、グリンパーチは葉巻樹に火を点けて食後の一服を楽しんでいて、トミーは出かける準備をしていた。

 行先は大体分かっているので、グリンパーチは葉巻樹の煙をトミーロッドにかけながらからかいだす。

「また第二支部かね? 本当にご熱心だねお前は」

 自分が嫌う刺激臭をかけられたことに不快な表情を一瞬見せるトミーロッドがすぐに無表情に戻すと、吐き捨てるように一言つぶやく。

「ボクは才能のある奴、そして実力のある奴が大好きでね。ユーは間違いなく、その素養を持った奴だ。だからこそ身寄りのない、あいつをボクは拾ったんだからな」

 トミーロッドの脳内で再生されるのは初めてユーと出会った時のこと。

 食材を探しに人の手の届かない島に行ったところ、ボロキレ同然の格好で倒れ込んでいるユーを見つけた。

 普通ならば見捨てるところだったが、理由は分からないが直感的にトミーは倒れ込んだその体を抱え上げて、自分の元へと連れて帰っていた。

 あの時なぜ自分があんなことをしたのかは分からないが、今にして考えればその時の自分の直感は正しかったんだと実感させられていた。

 何かと気に入らないピカタを押しのけて、第二支部の支部長にもなれるだけの実力を持っている。

 そんな逸材に出会えたのだから。




 ***




 幸運にもユーにはすぐ出会えた。

 だがトミーロッドの表情は不機嫌その物だった。

 その顔には細かい擦り傷、打撲痕がいくつもあるからだ。

 こう言ったことは決して珍しいことではない、何かと副料理長に目を付けられて可愛がられているユーがやっかみを受けるのは当たり前のこと。

 だがトミーロッドがいくら尋ねてもユーは相手を教えてくれようとしなかった。

 真意は分からないが、支部長になった時に全員クビにすればいいだろうと思い、トミーロッドはいつも通りユーを自分の眼前に立たせると、口の中で咀嚼を繰り返して胎内に宿している寄生昆虫の卵をすり潰していく。

「インセクトヒール!」

 普段は絶対に使わない回復技をトミーロッドはユーに施す。

 口の中で漢方となった痰と虫の死骸の合成物をユーの顔に放つと、傷口にすぐしみ込んで瞬く間に顔に残った傷は治癒されていくのが見えた。

 トミーロッドのご厚意に対しユーは跪いて忠誠を誓うが、相変わらずトミーロッドは不機嫌なままだった。

「全く……謝るぐらいなら初めから怪我なんかするんじゃない。女が無意味に怪我なんかするもんじゃない」

 これもまたユーとトミーロッドだけの秘密だった。

 軽視されるからと言う理由からユーは自分が女性であると言うことは隠して働いている。

 現在分かっているだけでも女性の美食會幹部はソムリエールのリモンだけ。

 グルメ界に行ける数少ない逸材であっても、女性と言うだけでリモンのことを悪く言う構成員たちは少なくないのだ。

 それらの現状を考慮し、ユーは普段は男性として働いているのだった。

 だがトミーロッドがユーの性別を隠すのには別の理由もあった。

「ボクもなぜここまでお前が女性だと言うのをひた隠しにするのかは分からない。分からないがそうしなければいけない気がしてな……」

 理不尽極まりない要求ではあるが、ユーは黙って従う。

 その事実を隠さなければいけない訳を自分自身良く理解しているからだ。

「とにかくあまりボクの手をわずわらせるな。それと早くピカタの奴を支部長の椅子から引きずりおろすんだ。奴の顔を見ているだけで血が沸騰する感覚を覚える」

 言いたいことだけ言うとトミーロッドはいつも通り、わざとらしく大きな足音を響かせて去っていく。

 トミーロッドの姿が見えなくなると、ユーは自分で作り上げたお手製のペンダントをポケットから取り出す。

 それはかつて自分の本体だった存在を模った宝石。

 思い返すのは以前の世界での記憶。

 白いマスコットキャラのような地球外生命体と契約してから、魔女と呼ばれる異形との戦いの日々の連続。

 次第に摩耗していく精神の果てに自分が自分では無くなり、壊れていく様子が鮮明に思い返された。

 そして何故かは分からないが、この世界に再び人間の肉体を持って転生できた。

 そこをトミーロッドに拾われて現在に至るが、まさか前の世界で使っていた力が何のデメリットも無しに使いこなせるとは思えず、ユーは心底感謝していたこの世界にそしてトミーロッドに。

「トミー様……ユーはあなたのためなら、この魂捧げます……」

 その忠誠の証として作り上げたソウルジェムの偽物を抱きしめると、ユーは心の中で願った。

 トミーロッドと美食會全員の願い、全ての食材の独占とかつて美食神アカシアが残した。この世の食材全ての頂点GODの独占を。





本日の食材

ダークバット 単体なら捕獲レベル4、群れの場合は22

常に集団で行動している吸血コウモリ、群れに襲われたら大型の猛獣でも瞬く間にミイラとなってしまう。
肉は食用に向かないが、血液は塗料剤として人気がある。






と言う訳でラビオリとの決戦になりました。

後はユーに関してはほとんどオリキャラみたいになっちゃいました。ここに来た流れは大体書きましたが、その設定をこれからも追々生かしていこうと思っています。

次回ですがグルメタウンの話になります。

次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ7 グルメクレジットパニック!?
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:790ceabc
Date: 2012/06/04 19:05




 バルーンピッグの修行はココの占い通り、宣言した内に終了した。

 そして終わるや否や速攻でトリコと杏子は家に戻っていき、相変わらずトリコに振り回されっぱなしの杏子はベッドへと潜るとすぐに深い眠りへと落ちて行った。

 杏子が寝息を立てたのを確認すると、トリコは携帯のアドレスから『セツ婆』と書かれた番号に電話をかけると、コール音が三回もしない内に電話は繋がる。

「何じゃいトリコ?」

「セツ婆、ちょっと頼みたいことがあってな」

「言っとくがセンチュリースープの催促なら無駄じゃぞい。食材がお客を選んどるんじゃからな」

 セツ婆こと『節乃』が言う通り、トリコは100年に一度だけ飲めると言われている伝説のスープ『センチュリースープ』の予約を節乃の店『節乃食堂』にしている。

 その昔まだ冷凍保存や品種改良などの技術が無かった大昔のグルメ家達が、己のフルコースの食材を保存するために持ちよった大陸『アイスヘル』は年間マイナス50度の極寒の地であり、そのフルコース食材を保管した場所はきらびやかさから通称『グルメショーウインドー』と呼ばれていて、そこから100年に一度だけ発生する海洋エネルギー鉱物資源、メタンハイドレードが発生し、ショーウインドーの氷が解けて流れ出た出汁がセンチュリースープ。

 多くの料理人たちが先達の知識と意見を参考に再現しようとはしているが、誰も本物のセンチュリースープを再現できた者は居ない。

 だが『美食人間国宝』とまで呼ばれ、多くの食の功績を残した節乃ならとトリコは思い、ちょうど再現しようとしていると言う情報も聞いたので一年前から予約を入れているのだが、今節乃が話したように食材の気分で客に最高の状態で出すのをモットーとしている節乃に催促は無駄なことだった。

「そうじゃねーよ。実はだな……」

 トリコは節乃にお願いしたいことを一語一句丁寧に伝える。

 自分がとある事情から杏子を拾うことになり、現在一緒に暮らして美食屋の教育を施していることや、がんばっている杏子に対してご褒美と勉強を兼ねて『グルメタウン』に連れていきたいことをトリコは節乃に伝えた。

 トリコの真意を知ると、節乃もまた彼の心に応えようと答えを出す。

「なるほどの……そういうことじゃったらええぞい、明日そのお嬢さんと一緒に来るのを待っとるぞえ」

「サンキュー! セツ婆!」

 節乃の了承を得るとトリコは電源を切って、自分もまた来るべき時に備えておこうとクローゼットを開いて正装用の白いスーツを取り出す。

 行くべき場所へと合わせるために。




 ***




 朝強引にトリコに叩き起こされると同時に杏子は目的地も教えられずにグルメ列車へと乗せられ、ほとんど着のみ着のままの状態で目的地も教えられずに列車の中に居た。

 この手のことで抗議をしてもトリコはヘラヘラと笑うだけであり、まともに取り合ってはくれない。

 半ば諦めかけながら列車に揺られて着いた先にあったのは『グルメタウン中央ステーション』だった。

 そこは一日の駅の平均利用者数が2500万人以上の巨大ステーションであり、人の大群に杏子の目は点になっていた。

 またどこか猛獣が出るような危険地区に連れていかれるとばかり思っていたのもあるが、この世界にも発展した都会があると言うことに驚かされていた。

 だがそれでも相変わらずの規格外の人の量に圧倒されてしまい、杏子は呆けるばかりであって列車から中々下りられないでいたが、トリコに手を取られると同時に強引に列車から下ろされていく。

「今回の修行だが、ずばり食に対しての礼儀だ!」

「テーブルマナーに関してのってことか……」

 体を動かす方が得意な杏子に取って、テーブルマナーと言った類の物は彼女がもっとも苦手とするジャンルの一つであり、杏子は苦い顔を浮かべていた。

 中央にそびえ立つ天にまで届きそうな塔『グルメタワー』を見る限り、相当に厳しいことを要求されるだろうと思い、杏子は胃が痛くなる感覚を覚えた。

 だがこれは修行に対して心構えが出来ていない自分のミスだ。

 普段はラフな格好のトリコが珍しくスーツ姿の正装でいる辺りで、大体のことは予想してなくてはないけない。

 教えてもらうばかりでは成長できない、マミの元から離れていっても、自分はガムシャラに魔女たちを狩り続けることで成長して行ったはずなのに、いつの間にかトリコに甘えている自分が居た。

 これは明らかに怠慢だと感じ、杏子は覚悟を決めトリコに手を引かれながら入場口へと到着した。

 受付では係員がグルメIDの提示、もしくは入場料一万円を求めていた。

 トリコは自分のグルメIDと杏子の分の入場料一万円を黒いクレジットカードで支払うと、そそくさと入場していく。

 ここでようやくトリコは杏子の手を離し、並んでいる多くの屋台に目をハート型に輝かせながら、ゲロルドのケバブを見つけると一串丸々貰い、焼き鳥でも食べるような感じでかぶりついた。

(あんな姿になっちまって……)

 かつて自分に死の恐怖を与えたゲロルドが串に刺されて食べられていく様子を見て、杏子は感慨深い物を覚えて目に軽く涙を浮かべてしまう。

 以前だったら思いもしなかった感情だが、この世界に来てからますます食に対して真摯に向き合うようになった。

 食べると言うことはとても大事なことであり、生きるために命を分けてくれたゲロルドに対して感謝の念を忘れてはいけない。

 改めてそう思うように心に決めると喉が渇いた感覚を覚える。自分の分の小遣いをポケットから取り出すと杏子は目の前にある自動販売機の前に立つ。

「やめておけ、お前じゃ買えないぞ」

 トリコに言われると杏子は自動販売機の値段に目をやる。

 一つ一つが10万円の高級ワイン並みのジュースが並ぶことに杏子は愕然となったが、この世界に来てからトリコが持っていた書物を読み漁り、自分なりに得た知識で物を見るとその値段も納得の結果だった。

 『水晶コーラ』『レモモン絞り100%』とどれも高級ドリンクであり、自分の小遣いで買えないのは当たり前。

 こんな物が普通に置いてあることに驚く杏子だったが、ゲロルドのケバブを食べ終えたトリコが自動販売機に付いている星の数を指さすと説明に入る。

 星の数が多ければ多いほど、より貴重なドリンクが売られる。

 今目の前にある自動販売機は星三つなのでこの値段となる。

 自動販売機ですらこれだけの大金が動くことに杏子は驚きを隠せないでいたが、トリコは更に詳しい説明をしだす。

 そもそも自動販売機は治安の良い場所にしか置かれない、道端に金が落ちているのと同じだからだ。

 特にグルメタウンでは高級食材の盗みを働く輩も多く、町が警備システムを引いている。

 無銭飲食だけでも数秒で警備が飛んできて、刑務所行きになることを告げるとトリコは星が一つの自動販売機の前に杏子を案内する。

 星一つの自動販売機の中にあるのは杏子の世界でも馴染みの深い普通のコーラやオレンジジュース。

 だが驚かされるのはその驚異的な値段の格差。

 10万円と言う缶ジュースにしては非現実的な先程のそれに対して、こちらのジュースの値段は一つ10円。しかも一缶がドラム缶並みの大きさであった。

 圧倒される部分もあったが、どんな物だろうと言う興味もあり、気が付けば杏子はフラフラとポケットから10円玉を取り出してコーラのボタンを押す。

 すると取り出し口から襲ってきたのは見本通りのドラム缶並みの大きさのアルミ缶。

 勢いよく噴出されたそれに押しつぶされてしまい、杏子は苦しそうにうめき声を上げるが命に別状はないと判断したトリコは笑いながらその様子を見ていて、自分は『ホネナシサンマ』の炭火焼きの屋台へと向かい、屋台のホネナシサンマを全て買い占めていた。

 薄情なトリコに怒りもしたが、これぐらいのことを一人でできなければ笑い物だと思い、根性を見せて自分の身長と同じぐらいの大きさのコーラを起き上がらせると、プルタブを開けようと爪を立てるが大きすぎて思うようにいかず、フラストレーションだけが溜まる一方であり、飲もうとしても抱きつくような感じになってしまい、缶ごと倒れ込んでしまい何度も何度もコーラ缶と杏子の格闘は続けられていた。

 額に血管を浮かび上がらせながらプルタブを開けようとするが、プルタブはビクとも動かずに逆に反動でプルタブに顔面を勢いよく叩かれてしまい、これに完全に激怒した杏子はコーラの缶を蹴り飛ばすと、そのままトリコと合流しようとするが中身の入ったコーラをそのままにしておくことを持論の否定だと感じ、改めてジッと見つめる。

 恐らくは自分にピッタリと付いているさやかがこのままの光景を見れば、何を言われるか分からない。

 また喧嘩になってしまうと自分の中でシュミレーションを重ね、取りあえずは一旦起き上がらせるが、とてもではないが飲む気になることはできず、こんなことでトリコを呼ぶのも馬鹿馬鹿しいと思って途方に暮れていたが、杏子の視界に三人の男性が目に飛び込む。

 まるで縄文時代の原人が着るような毛皮を着た三人の男性はグルメIDを持ってないらしく、1万円の高い入場料を取られたことにげんなりとした顔を浮かべていた。

 見るからに金とは無縁そうな男たちを見かけると、杏子の中で名案が閃いて男たちに声をかける。

「オイ、そこの縄文人ども」

「オレたちのことか?」

 杏子に声をかけられると三人の中でリーダー格と思われる肩まで伸びた長髪に口髭を蓄え、背中に大き目の斧を持った男が答える。

 男の問いかけに対して杏子は小さく頷くと、コーラの缶を倒して転がすようにしてリーダー格の男に手渡す。

「何があったか知らないけど、あんまりシケた面浮かべんな。そんなんじゃボンクラに思われるぞ。これやるから景気の悪い顔を浮かべるな」

「おおこれはかたじけない、感謝するでござる」

 突然武士語になったリーダー格の男に、恐らく舎弟と思われる二人の青年は呆れた顔を浮かべていたが、無事にコーラを粗末にすることなくちゃんと受け渡したことを確認すると杏子は小さく「じゃあな」とだけ言って、トリコの後を追う。

 男はドラム缶並みのコーラを楽々と起き上がらせると、プルタブに爪を立てて勢いよく開ける。

 すると襲ってきたのはコーラの洪水。

 何度も杏子とコーラの格闘が行われていたため、激しいシェイクが缶の中で繰り返されていた。

 そんなことをやり続けていれば当然中の炭酸は缶から勢いよく放出される。

 コーラに下から殴られたリーダー格の男はコーラ塗れのまま、後方へ勢いよく倒れ込む。

「ゾンゲ様!」

 舎弟二人は自分たちが慕う男『ゾンゲ』が顔面コーラ塗れで倒れ込んでいるのを見て駆け寄るが、ゾンゲは懐から携帯電話を取り出して救急車を呼ぶと自分の現状を伝える。

「スイマセン……コーラにアッパーカット食らわされました。救急車を一台……」

 簡潔に分かりやすく現状を伝えたゾンゲだが、職員はイタズラだと思って相手にもせず無言で電話は切られた。

 苦しそうに嗚咽を繰り返すゾンゲに舎弟二人はオロオロするばかりであり、この騒動は警備員が到着するまで止むことはなかった。

 だが全員が気付かないでいた。ゾンゲの胸元に偶然送られた黒いクレジットカードが付いていることに。




 ***




 本来の目的を果たす前にとトリコは杏子を引きつれて、食事を楽しもうと『シャクレノドン』で出汁を取った『しゃくれラーメン』へと向かい、二人で濃厚なしゃくれラーメンを楽しんだ。

 初めの一口でしょう油ラーメンのようなあっさりとした感覚だったが、次に襲ってくるのは豚骨ラーメンのような濃厚さを感じ、杏子は初めて食べる感覚に感動さえ覚え、その感動をトリコと分け合いたいと思ってトリコの方を向く。

 すると広がっていたのは予想通りの光景だった。

 わんこそばを食べるが如く、ガツガツと食べ続けるトリコに対して店員たちはてんやわんやの状態になっていて、対応に追われていた。

 相変わらずのトリコに杏子は呆れていたが、他に行列を作って待っている客のため、キリのいい100杯目でしゃくれラーメンを食べ終えると、会計へと向かおうとする。

 会計の段階で200万円と言われ、杏子は何も言えなくなってしまい、その場で真っ白になってしまうがトリコは気にすることなく、いつも自分が使っている限度額無制限のグルメクレジットで支払おうとするが、いつも胸ポケットに入れているはずのそれが無いことをおかしいと思い、記憶を呼び起こそうとする。

 受付で入場料を支払ったと同時に繋いだままの手にクレジットカードをしまい、そのまま屋台へと走ったのを思い出すと、持っているのは杏子ではないかと思い、彼女に尋ねる。

「アンコお前持ってない?」

 トリコに言われると杏子もまた記憶を呼び起こそうとする。

 あれからズボンのポケットに一緒にカードをしまい、自動販売機の値段に圧倒されつつもポケットの中から10円玉を取り出して投入。

 多分ポケットの中の小銭と一緒にあるだろうと思い、杏子はポケットの中をまさぐるがどこにもカードの感覚は無かった。

 恐らくはどこかで無くしてしまったのだと思い、激しい罪悪感が杏子を襲い、レジの前に立つと素直に事情を話そうとする。

「あの皿洗いでもゴミ出しでもやりますんで、勘弁しては貰えないでしょうか……」

「いいよ、いいよ付けで、カードが再発行されたら今度払うからさ」

「200万円も付けでやってくれるわけねーだろ!」

 杏子の突っ込みはもっともだったが、店主は構わずに「構いませんよ」とだけ言って事を終わらせようとする。

 相変わらずのちゃらんぽらんぶりに杏子は驚愕するばかりであったが、それだけトリコが信用されているのだろうとも同時に思った。

 だが次の瞬間感じたのは鋭い殺気。

 これにはトリコも気付いたらしく、素早く振り返った先にあったのは自分に向かって襲ってくる使いこまれたステッキ。

 顔面に向かって襲ってくるそれをトリコは当たる寸前にキャッチすると、物が投げ飛ばされて来た方向を見る。

「そのお嬢さんの言う通りじゃぞえトリコ! 食べておいて金を支払わんとは、食に対しての礼儀がなっとらんぞえ!」

 怒鳴り声の先にあったのは玉ねぎのようにピンク色の髪の毛をまとめ上げた老婆。

 一目見て杏子は確信した。今目の前に居る老婆の驚異的な戦闘力を。

 魔法少女として戦ってきた戦闘経験、加えてこの世界での修業の日々は杏子に目利きの能力を持たせた。

 相手の実力を正確に見抜くのは生き抜く上での重要な能力。

 目の前に居る老婆がただ者ではないと判断した杏子はトリコの回答を待つため、トリコの方を向くと予想外の光景が広がっていた。

 トリコは老婆を見た途端、バツの悪そうな表情を浮かべてわざとらしく口笛を吹いて誤魔化そうとしていたからだ。

 それはまるでイタズラがバレたイタズラっ子が父親からのゲンコツを回避するための幼い行動にも見えた。

 このトリコの行動から老婆がトリコ以上の実力を持っていることは明白であり、トリコは張り付けたような笑みを浮かべながら何とか話題を変えようと老婆に話しかける。

「あれ? セツ婆、もう約束の時間だっけ?」

「ごまかすでないわい! それにそのお嬢さん何も分かってないみたいではないか!」

 何とか誤魔化そうとしているトリコに対して、節乃は正論で一喝してトリコを黙らせる。

 節乃が言う通り、節乃のことを何も知らない、分からないと言った調子で相変わらず杏子は憶測で相当な実力差だと判断したまま、警戒心を解かずに厳しい表情で節乃を見るだけであった。

 そんな杏子の緊張を解こうと節乃はフレンドリーな感じで話しかける。

「あたしゃ節乃……セツのんでいいよ」

 いきなりあだ名で呼んでくれという気さくすぎる節乃に多少困惑する杏子だったが、悪い人ではないと言うことが分かると、こちらもまた節乃に返す。

「分かったよ、アタシはアンコだ。ただセツのんはちょっとあれだから、アタシもセツ婆でいいかい?」

「構わんぞえ」

 初めて自分から『アンコ』と言ったことにも驚いたが、この世界ではこっちの方が自分の名前になっている部分もあり、杏子は半ば諦めた調子で言う。

 双方の自己紹介が終わると、節乃は自分が食べた分とトリコたちが食べた分のラーメンの支払いをカードで済ませると、店を後にして適当なベンチを見つけると並んで腰かける。

 まさか節乃が来ているとは思わず、トリコは相変わらず苦笑いばかりを浮かべるだけだったが、それでも節乃はトリコに対して説教を始めた。

 反射的にトリコはベンチから降りて正座して節乃の説教を地面の上から聞いていた。

 普段はなかなか見ることが出来ないトリコの姿に杏子は笑いを堪えるので必死だったが、説教とは別にトリコが鼻をつまみながら苦しそうにしている様子を見ると何事かと思い辺りを見回す。

「さすがゾンゲ様ですね! 初めて来たグルメタウンでも顔が聞くんですから!」

 けたたましく響く声の方向を見ると、先程杏子がコーラを恵んだ縄文人の一行が目に映った。

 ゾンゲはスポーツ刈りの舎弟の褒め言葉に対して、下品な高笑いを上げながら陶酔していて、胸元に下げているのは紐でくくりつけただけの黒いカードをペンダントのように付けていた。

「あれは……トリコのグルメクレジット!」

 その瞬間杏子の中で全ての記憶が覚醒する。

 コーラとの格闘のさいポケットからカードは落ちて、コーラの缶に付着。

 その事に気づかずコーラをゾンゲに送ったため、いつの間にかゾンゲの元にカードは渡ってしまった。

 恐らくはその様子からクレジットカードだとは分かっておらず、ゾンゲ自身もなぜタダで食事が出来るのか分かってないのだろう。

 舎弟たちの褒め言葉に対しても作り笑いを浮かべながらもタダ飯が食べられ続けることに喜びを感じていた。

(多分、日頃から美食屋としてがんばっているオレ様に対して、神様からのプレゼントだろう、このカードは)

 なぜカードを見せただけで食事代がタダになるのかは分からないが、ゾンゲは自分の都合がいいように解釈して豪快に笑い飛ばすと、次に何を食べようかマップを見ながら試行錯誤していた。

「あの野郎! 人の金で何を堂々とタダ飯食べてやがんだ!」

 これに完全に激怒した杏子はベンチから飛び降りて、ゾンゲ達に立ち向かおうとしていったが、節乃に手を掴まれるとその体は空中で止まったままの状態になってしまう。

「よせ。変に騒ぎを起こせば警備がすっ飛んでくるぞえ」

「何でだよ!? 元々トリコのもんなんだから返してもらうのは当たり前だろうが!」

 興奮しきっている杏子は節乃に対しても乱暴な言葉遣いになってしまう。

 だがそんな杏子に対しても節乃は大人の対応で返し「そうじゃのう」と言いながら、宥めつつも杏子を座らせるとジックリとゾンゲ達を見つめて戦力の分析を終える。

「そうじゃのう……あのリーダー格のゾンゲと言うのが捕獲レベル2、その舎弟たちが1以下ってところかの」

「まぁそんなところだろうな」

 節乃は一目見ただけで戦闘力の計算に成功し、トリコもそれに同意する。

 実力は大したことないと判断すると節乃は懐から白紙の巻物を取り出すと、万年筆をポケットから取り出して勢いよく巻き物に文章を書いていく。

 まるで機械で書かれているように物凄いスピードで文章が書かれていく。

 だが文章はとても読みやすく流れるように読めるものであり、瞬く間に文章が絵付きで書かれていく様子に杏子は夢中になっていて、ある程度の文章が仕上がると杏子に手渡して読むように促す。

「とにかく暴力はいかんよ。相手は大した実力じゃないし、平和的に解決できるのならそれに越したことはないよ。暴力と言うのは一種の麻薬じゃ、使い過ぎればそれに溺れちまうぞえ」

 何気なく言った節乃の一言が杏子にはとても重くのしかかった。

 魔法少女だった頃、力に溺れていく自分を嫌悪しながらも力に依存することしかできず。

 そしてさやかは力に振り回され、最後は自らの魂さえ人間としての形状を保てないまでになってしまった。

 それに捕獲レベル2とは言え、グルメ細胞の移植も行われてない自分に取ってゾンゲは真正面から戦いあって勝てる相手とは思えない。

 大人しく節乃の提案に乗っかろうと彼女が用意してくれたプランに目を通すと、見る見る杏子の表情は険しい物になっていく。

「何じゃこりゃ――!」

 その悲痛な叫びは同じ物を読んでいたトリコも発し、二人はほぼ同時に節乃へと詰め寄る。

 確かに暴力は一切振るっていないが、あまりにも非現実的なプランに実行するのを二人はためらってしまう。

 だが節乃は気にすることなく、必要なアイテムを懐からポンポン取り出していくと二人にプランを否定する資格が無いことを無言で告げた。

「仕方ねーな……オレはやるぜ、お前はどうする? どうしても嫌ならオレ一人で済ませるけどさ」

「冗談じゃねーぞ、テメェのミスぐらいテメェでカバーしてやるよ!」

 あまりに無茶苦茶な内容のプランなので、トリコは一人でゾンゲからカードを取り返そうとも提案を出したが、杏子は人任せにするのが嫌なのか自分のミスを他人にカバーしてもらうのが嫌なのかは分からないが、その怒気が含まれた口調から自分もプランに参加することは分かり、巻物を読みながらトリコと打ち合わせをする。

 その様子を節乃は何も言わずに見守っていた。

 トリコが話した杏子がどれほどの逸材かを見ていたかったから。




 ***




 ゾンゲ達はパフェを食べ終えると、次に何を食べようかマップを見ながら考え込む。

 まだまだ入りそうなゾンゲに対して、舎弟たちはいい加減胃袋の限界を迎えそうな状態であったが、上機嫌のゾンゲにそんなことは言えず、ただ黙って従うだけであった。

「そうだな。次は……」

「キャ――! 助けて――!」

 試行錯誤している所に響き渡ったのは絹をも引き裂く少女の悲鳴。

 ゾンゲが声の方向に目をやると着物姿で髪を御団子状態に丸くまとめ上げた杏子がゾンゲ達の元に走って向かい、それを追いかけていたのは模造刀を持って同じように着物姿のトリコだった。

 まるで時代劇の中から飛び出して来たような二人に舎弟たちは呆れた顔を浮かべていたが、杏子に詰め寄られたゾンゲは何事かと思い杏子を見つめる。

「お助けください!」

「どうなされた娘御?」

 ゾンゲは助けを求めてくる杏子に対して、自分が一番自信のある整った顔を浮かべて対応する。

 相手にしない方がいいのではとアドバイスを送る舎弟二人を無視して、ゾンゲは真剣な顔を浮かべたまま杏子の話に耳を傾ける。

「悪い侍に追いかけられているのです!」

「何~悪い侍だと!? 拙者にお任せあれ! どこからでもかかって来んかい!」

 完全に役に入りきったゾンゲを見てチャンスだと思った杏子は胸元のカードに手を伸ばすが、殺気に気付いたゾンゲはその手を取って勢いよく前方に向かって投げ飛ばそうとする。

「何してくれてんじゃ! この泥棒が!」

 ゾンゲの力は凄まじく杏子の体はいとも簡単に投げ飛ばされてしまう。

 トリコは慌てて彼女の体を抱きとめて地面に下ろすが、ここでトリコの中でも怒りが生まれる。

 元々は自分のカードなのに勝手に自分の所有物のように扱うゾンゲに対して制裁を加えようと、模造刀で切る振りをする。

「あ――! や・ら・れ・た――!」

 痛みが全く無いにも関わらず、刀で切りつけられたと言うだけでゾンゲはやられた振りをして倒れ込むが、倒れた後に全く痛みが無いことに気付くと、自分がおちょくられたことに初めて気づく。

 逃げていく二人を見ると、沸々と怒りがこみ上げ、舎弟二人を引きつれて、その後を追った。

「待てやコラ!」

 だがすでに二人の姿は見当たらず、ゾンゲは趣味であるRPGゲームの勘を頼りに二人を探す。

 すると目に止まったのはどういうわけか道路のど真ん中で行われている工事。

 警備員姿の杏子は笛を吹きながら蛍光棒を片手に誘導を行っていて、トリコはジーンズにタンクトップ姿で黄色いヘルメットを被ったガテン系の労働者の格好でユンボを鳴らして、地面を整えていた。

「何だお前は!? 今工事中なんだから入って来るな!」

 瞳孔が開いた目で怒られると反射的にゾンゲは小さくなって「どうもスイマセン……」と言いながら平謝りしてしまう。

 完全に油断したのを見ると杏子は蛍光棒の先端を突き出し、持ち手の部分に付着していた紐を勢いよく引っ張る。

 その瞬間トリコはユンボを止め、耳を塞いで地面に伏せる。

 クラッカーのように花吹雪と火花が飛び散ると、その轟音に舎弟二人は耳を閉じて苦しそうにしていたが、ゾンゲは何が何だか分かっておらず呆けた顔を浮かべていた。

 人間も含め、全ての動物は音に畏怖する。音とは生き物が原始的に恐怖する最も原始的な現象。

 この隙にグルメクレジットを取り返そうと杏子は耳栓を抜いて、カードに手を伸ばそうとするが、ゾンゲは突然照れ笑いを浮かべて、そのまま豪快に笑い飛ばす。

「ちょっと止めてくれよ! 今日はオレ様の誕生日じゃないぜ! いや、こういうサプライズ嫌いじゃないけどさ!」

 クラッカーから誕生日のお祝いを連想してしまったゾンゲは顔を真っ赤にさせながら照れ笑いを浮かべていた。

 警備が来るギリギリのレベルの音量にしたため、実戦では使えないのは分かるが、それでもゾンゲのレベルを考えれば威嚇程度には使える。

 それなのに意に介さないゾンゲに圧倒されはしたが、ここで杏子は空になった蛍光棒でペンダントの紐の部分に引っ掛け、そのまま持ち上げると強引にゾンゲからカードを奪い取る。

「撤収!」

 杏子の叫びと共にトリコもそのままそそくさと立ち去って行く。

 一方のゾンゲは神様からの贈り物だと思いこんでいるカードを奪い取られ、怒りが最高潮に達して考えるよりも先に足が二人を追っていた。

「待てやコラ! ガチコン食らわしたるぞ! おんどりゃー!」

 下品な口上を発しながらゾンゲは追いかけるが、ここで杏子は走りながら警備員の服を脱いで、下に着ていたいつもの服装に戻すと隣で走っていたトリコからスポーツバッグを一個貰い、手で追いやるように指示を出す。

「そうかい。後はお手並み拝見と行くぜ」

 そう言うとトリコは勢いよく飛び上がって、三角飛びの要領でビルの壁を駆け上がって消えた。

 杏子は節乃が用意してくれた道具を取り出す。

 一つは幻覚を見せる赤いシール。もう一つは離れた場所から自分の声を一方的に相手へと送る青いシール。これらがそれぞれ3枚ずつ。

 これをゾンゲ達に貼ろうと、曲がり角を曲がるとゴミ箱の影に隠れる。

 そしてゾンゲ達が先に行ったのを見ると三人の背中にシールを投げつける。

 各々に赤いシールと青いシールが貼られるのを見ると、杏子はバッグからリモコンと通信機のような物を取り出し、リモコンからは見せたいと思う映像を選び、通信機を通して何を話そうかと頭の中で考えをまとめ上げると行動に移す。

 勝負はほぼ決着が付いたにも関わらず、目標を見失いながらもゾンゲは走り続け、舎弟2人はこれでいいのかと思いつつも付いて行った。

 だがここでスキンヘッドの舎弟が目の前に起こった変化に気付くとゾンゲに助けを求める。

「ゾンゲ様、前!」

 何が起こったのかと思いゾンゲが前を見ると、真っ黒なローブに血塗られた大きな鎌を持った髑髏が居た。

「死神だ――!」

 見てすぐに思いついたことをゾンゲは叫ぶ。

 狙い通りに事が運んだのを見ると、その様子を一歩離れたところで見ていた杏子は口元を邪悪に歪ませながら、通信機で今度は通告代わりの脅しを発する。

『貴様ら寿命を失う覚悟はあるのか!?』

 舎弟二人は何のことを言っているのか分からなかったが、ゾンゲには思い当たる節があり、昔読んだ漫画が脳内で再生される。

 自在に金を生み出せる黒いカードを使い続けた男の代償。

 それは自らの寿命を金に変え続けた死神のカードを使い続けたため、寿命を迎えて購入してしまった冷蔵庫に潰されて死んでしまった。

 まさか自分がその運命を迎えるとは思わず、ゾンゲの顔は瞬く間に青ざめていくが、舎弟たちの手前情けないところを見せるわけにもいかず、二人を後ろに持っていくと幻覚の死神の相手をしだす。

「やっぱりそういうことだったのか? おかしいとは思ってたんだが……」

『理解が早くて助かる。まぁ知らずに使っていたみたいだし、これ以上深入りしないと約束すれば寿命に関しても関わらないようにしておく、どうする?』

「分かった!」

 提案にあっさりとゾンゲが乗っかったのを見ると、杏子は自爆スイッチのボタンを押す。

 するとシールは蒸発するように消えてなくなり、同時に見ていた死神の幻覚も消えた。

 再び平穏が戻ったのを体で確認すると、ゾンゲは深呼吸を何度も繰り返して落ち着きを取り戻させると、舎弟2人を起き上がらせて一言つぶやく。

「帰るぞ」

 いい加減お腹も膨れていたので解放されたことが嬉しく、舎弟たちはゾンゲの後を追ってグルメタウンを後にした。

 無事に暴力を使わずにグルメクレジットを取り返したのを見ると、杏子は力なくため息をつく。

 これも修行の一つなのだとは思うが、あまりに情けなく感じていたのでどうしようもない虚無感が襲い、膝から崩れ落ちて呆けた顔を浮かべてしまっていた。

 あんな馬鹿なことを堂々とやり続けていたことに今更になって羞恥心が襲ってきたからだ。

 だがこれも自分がカードを不用意に渡してしまった結果。

 普段から気を抜いていては野生の世界では通用しない。

 この世界では一回も実戦での経験こそないが、改めて思い知らされた事実であり、いつの間にか忘れてしまったことを杏子は情けなく思っていた。

「よく頑張った。次は飯だ」

 隣からトリコの声が聞こえると同時に自分の肩に大きな手がかけられる。

 労いの言葉は杏子に取っては嬉しく、グルメクレジットをトリコに返すと差し出された彼の手を取って立ち上がる。

 魔法少女として戦っていた頃はマミがそれをやってくれたが、そんな優しい彼女に対しても自分は怒りをぶつけて喧嘩別れをしてしまった。

 改めて経験してみると、この手の言葉がどれだけ大事な物であったのかと言うのが杏子の身に染みた。

 何にせよこんな高級店で食べるのだから、どんな物でも美味しそうだろうと思い、杏子は笑顔を浮かべたままトリコの後に続こうとするが、そこに節乃が合流するとその足は飲食店ではなく『グルメデパート』へと向かおうとしていた。

「まずは正装しないとなアンコ」

「ドレスを買うのか?」

 杏子が恐る恐る節乃に聞くと、トリコは何も言わずに無言で頷く。

 トリコの格好から思っていた事ではあったが、いざ現実を目の当たりにすると杏子は固まってしまう。

 正装及び女らしい格好は一番自分に似合わないと思っているので、こう言う時にはさやか達のように学校に通っておけばよかったと心底後悔している。

 学校の制服ならばどこに行っても決して恥ずかしくはないからだ。

 だが高級レストランへ向かうのに正装をしなくてはいけないのは当たり前のこと。

 観念したように杏子は二人の後に付いていく。

 これまでの修行よりもどんな魔女との戦いよりもその足取りは重い物だった。




 ***




 何度かの試着の後、節乃のアドバイスを参考にして杏子の正装は決まった。

 着ている服装が恥ずかしく、杏子は試着室に引きこもったまま出ようとしなかったが、トリコが何度も呼びかけるのを聞くと、観念したように恐る恐る出ていく。

 杏子が着ているのは服と同じ真っ赤なワンピースタイプのドレス。

 まるでお城の舞踏会にでも行くような格好に杏子はまともに二人と目を合わせることが出来ず、一緒に買ってもらった黒いハンドバッグを片手にオロオロとしていた。

「よし準備は整った。膳は急げだ!」

 全ての準備が終わったのを見ると未だにハイヒールを履きなれていない杏子に構わず、トリコは予約していた四つ星のレストランへと向かう。

 本人いわくあまり敷居が高くない店だからリラックスすればいいと言われたが、こんな恰好をしなくては入れない店と言う段階で杏子は緊張して足が震えてしまった。

 その手を取ってくれたのは自分よりもはるかに使いこまれた優しい手。

 節乃は杏子をエスコートして、ゆっくりとトリコの後を追って、これからに付いて話し出す。

「大変じゃろトリコはあんな性格じゃからな」

「本当にそうだよ……」

 愚痴を聞いてくれる相手が居ることから、杏子はトリコに対しての不満点を口に出していく。

 口では悪く言っているが決して嫌っているわけではないのは表情と口調を聞けば分かることであり、節乃は適度に相槌を打ちながら答えていき、ゆっくりと手を離して杏子を先導するように歩きだす。

「まぁギャーギャー言いながらも、お主はトリコと一緒に飯を食べられるのじゃろ?」

「それはまぁな……」

「それなら大丈夫じゃよ、アンコお前さんは幸せもんじゃぞえ」

 断言するように節乃に言われると一瞬杏子は困惑するが、続けざまに節乃は語り出す。

「一緒に食事を出来る仲間が居るっていうのは物凄い幸せなことなんじゃぞえ。できれば、あたしもアンコとそう言う仲間になれればと思っておるぞえ」

 それは分かっていたはずなのだがいつの間にか諦めてしまっていた事実だった。

 戦いの中で摩耗していく精神はそんな現実は自分には手に入らないと思っていたからだ。

 何もかもがデタラメなこの世界で自分が何とかやっていけてるのも、一緒に食事を食べてくれるトリコを始めとし、自分を受け入れてくれた人たちのおかげなのかもしれない。

 まだそれが確証にはなっていない、だがそれを確証にするためにもこれからもがんばっていこうと心に決めて、いつの間にか杏子は節乃を追い抜いてトリコの後に続いた。

(本当に楽しみなお嬢さんじゃ。あっという間にヒールでの移動を会得したんじゃから)

 その成長速度を見ると節乃は含み笑いを浮かべながら、杏子のこれからを楽しみにしていた。

 彼女もまた若い芽として順調に育ってくれることを祈りながら、節乃も二人の後に続いた。

 楽しい食事会をするために。




 ***




 帰りの電車の中で杏子はすっかり疲れこんでしまい、トリコの腕の中に抱かれながら小さく寝息を立てていた。

 トリコに取っては学校で教えてもらった最低限のテーブルマナーも、杏子に取っては全てが初体験であり、歯を鳴らしながら何度も不安そうに節乃を見る辺り、相当緊張していたのだろうと思った。

 だがこれはこれで楽しい思い出になったとトリコは確信していた。

 それは杏子に穏やかな寝顔を見ていれば分かることだ。

 そんな杏子の頭をトリコは優しく撫で上げると、年相応の無邪気な笑みを杏子は浮かべていた。

 そして杏子は穏やかな夢を見ていた。

 一つの可能性、あったかもしれない世界の夢を。

 マミのマンションにまどか、ほむら、さやか、マミと集まり、全員でマミが用意してくれた紅茶とケーキを食べる穏やかなお茶会が開かれている様子。

 儚い願望かも知れないが今だけは、この優しく穏やかな世界に浸っていたかった。

 節乃の言葉で思い出したからだ。

 誰かと一緒に食事が食べられると本当に幸せなことだと言うことを。





本日の食材

シャクレノドン 捕獲レベル4

その名の通り顎が突き出た翼竜。

シャクレノドンの骨から出汁を取った『しゃくれラーメン』はラーメンマニアの間でも人気を博している。

ホネナシサンマ 捕獲レベル2

軟体動物のように体全体に骨が無いサンマ。

普通のサンマよりも脂のりが良く、炭火焼で頭から丸かじりで食べるとビールが欲しくてたまらないと言う。

水晶コーラ 捕獲レベル19

煌びやかに輝く炭酸の泡が水晶のように見えることから、その名前が付けられた。

自動販売機のジュースといえども高級ワインに引けを取らない価格で、庶民には中々手が出ない商品である。

レモモン 捕獲レベル17

桃とレモンがくっついた果物、外はレモンだが中身は桃。

甘みの中にも微かに酸味のある味わいで、アルコールのリキュールとしても人気が高い。





今回はグルメタウン編の話になりましたが、杏子が活躍できてないとの指摘を受けましたので今回やってみました。

と言ってもまだグルメ細胞の移植を行ってない以上、これしか方法が無いと判断してゾンゲ様に登場していただくことになりました。

この人出ただけで作品のノリってのが変わりますね。徹底してギャグやるしか方法が無いと思ったのでこうなりましたが、マジでドラマCDみたいなノリになっちゃいましたw

次回ですがオリジナルの日常回エピソードをやろうと思っています。

次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ8 アンコの誕生日
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:d307e754
Date: 2012/11/02 23:01



 今日も杏子はトリコの家でノッキングについての勉強と食材についての勉強に余念がなかった。

 自室の書斎で本を読みふけっている真剣な表情の杏子を見ると、トリコは邪魔しちゃいけないと思い、黙って書斎から出ていくと外に出て太陽の光を全身に浴びて日光浴を楽しんでいた。

 相変わらずの心地よい陽気にトリコの気分はよくなるが、何かが頭の中で引っかかり原因を探ろうと頭の中で検索を始める。

 原因は杏子だと言うのは分かっている。

 身近な相手ぐらいでしか自分が気になることなんてないと言うのは分かっていることだ。

 ヒントを求めようとトリコは家の中に戻ると、作業用のテーブルの上に置きっぱなしにしてあった日記帳に手を伸ばしてページをめくる。

 日記の内容は日々自分のために命を分けてくれた食材に対して感謝の念を忘れないようにと、食べた食材を可能な限り書き記したもの。

 日記帳を見るたびにその時の美味しかった記憶が思い起こされ、トリコは思わずよだれをすすってしまうが肝心のページが見つかると、改めてその日の日記を見返す。

 この日はゲロルドの捕獲に成功し、とても美味しくいただいたことを思い出すと同時に初めて杏子に出会った日であるということも思い出す。

 当時のことを懐かしく思いながらも日付を確認するとトリコは今まで感じていた大切なことを思い出す。

「明日はそうか……」

 明日になると自分と杏子が出会って一年になっていた。忙しさの中でいつの間にか忘れてしまっていた大切な記念日のことを話そうとトリコは書斎に入ると、本に集中している杏子の注意を自分に向けさせる。

 杏子は多少うっとおしそうにしながらもトリコの相手をしだす。

「何?」

「いやな……もうすぐオレとお前が出会って一年になることを思い出してな」

 トリコに言われて杏子はこの世界での記憶を改めて思い返す。

 何から何まで自分の常識が通用しない世界で美食屋としてやっていくためにも、杏子はがむしゃらに頑張り続けて、勉強とノッキングの実戦を毎日繰り返し続けていた。

 その結果食材に関しては市場に出ている物程度なら、その価値を理解できるようになり、ノッキングに関しても捕獲レベル1以下の猛獣なら一人で真正面から出来るようになった。

 美食屋として日々力を付けていると言うのは自分でも理解できていたが、いつの間にかそれだけの時間が経っていたことに杏子は驚いたが、逆に言えばそれだけの時間が経っていても未だにグルメ細胞の移植に関して戸惑い、トリコに甘えてしまっている自分に腹が立ち、そのいら立ちをついトリコにぶつけてしまう。

「だから何だって言うんだよ?」

「考えてみたら、オレお前の誕生日って聞いてなくてな。いい機会だから知っておいてお祝いの一つでもとな……」

 『誕生日』と言われると杏子は苦痛に顔を歪めてしまう。

 魔法少女になってから年を取らないようになってしまった杏子は、そのイベントに関しては考えないようにしていたからだ。

 元々家は貧乏でつつましいながらもお祝いはやってもらった。

 その時の幸せな記憶があるからこそ、もう二度と迎えられない日だと分かっているから、聞いただけでも拒否反応を示すようになってしまった。

「悪いけどアタシも分からないんだ……」

 優しいトリコに対して喧嘩はしたくないという思いからか、杏子は極力もめ事にならないよう穏便に済ませるため、自分が思いつく最善の回答を返す。

 分からないとでも言っておけば、トリコも諦めるだろうと思っていたが、トリコの返しは杏子の予想以上の物だった。

「そうか……みなしごのような物かお前? オレと同じだな」

「どういうことだよ!?」

 しれっととんでもないことを口走るトリコに杏子はそれまで感じていたイライラも忘れて、トリコに発言の真意を聞き出そうとする。

「言葉の通りさ。オレも元々は貧乏な国の出身でな。ぶっ倒れていたところをオヤジとマンサム所長に拾われたのさ」

 あまりに衝撃的なトリコの過去を聞いてしまい、杏子は何も言うことができずに茫然とした顔を浮かべていた。

 だがその事実が今の自分の話題とどう関連しているのかと思うと、その旨をトリコに聞き出そうとする。

「だ……だから何だって言うんだよ!?」

「オレもお前と一緒でオヤジに拾われるまでは自分の誕生日なんて分からなかったんだ。だからオレの誕生日はオヤジと初めて出会った5月25日になったんだ。だからな……」

 そう言うとトリコは持ってきた日記帳を開いて、初めて自分と杏子が出会った日のページを見せる。

「分からないなら、お前の誕生日はオレと初めて出会った日になるわな。そしてそれは明日だ。最高のプレゼント用意してやるからよ!」

 道理なら通っている。元々居た世界で杏子は死んだ存在。

 生まれ変わったと言う意味なら自分の誕生日はその日であると言うのは間違っていない。

 だがトラウマがお祝いと言う優しい行為を遠ざけようとしていた。

 喧嘩の一つでもすれば簡単にできるのだろうが、豪放磊落なトリコの性格を考えれば自分の暴言など聞く耳を持たないことも分かっている。

 だが何をやられても困惑するばかりというのは分かっているので、こうなったらできることは極力つつましい物にしてもらうと言うことだけ、杏子は読んでいた本を本棚に戻すとわざとふてくされた顔を浮かべながら話す。

「じゃあ明日は一日お休みにさせてもらうぜ。せいぜいゆっくりさせてもらうわ」

「オウ! ちょんとプレゼント用意しておくからな!」

 皮肉もトリコには通用せず、トリコは何をプレゼントしようかとリビングに置いてある普段はほとんど使わないパソコンの前へと移動する。

 トリコが出て行ったのを見ると杏子はトリコに買ってもらったキングサイズのベッドに横たわる。

 いつまでもトリコの部屋のベッドを占拠しているわけにもいかない、自分は毛布でも敷いて寝ると言ったのだが、その翌日には彼はこの大きすぎるベッドを用意し書斎として使っていた部屋を自分のために自室として割り当てた。

 強引すぎるトリコに流されるばかりの杏子だったが、その優しさは伝わっていた。

 だからこそ辛い物もあった。

 ハッキリ言って今の生活は魔法少女として毎日いら立っていたあの頃とは比較にならないぐらい充実感に満ちたものだ。

 だがそれをさやかにも分け与えてやれないことはジレンマでしかなかった。

 トリコの意見から自分が幸福になることがさやかに対しても幸福を分け与えることができるのではと言う意見から、それだけを信じて美食屋の修業を始めたが、成果は出ているとは言えない。

 未だに捕獲レベル1以下の相手ぐらいしか自分一人では捕獲することができず、初めてトリコに食べさせてもらったゲロルドのような感動をさやかには分け与えられていない。

 こんな不甲斐ないだけの自分が誕生日を祝ってもらっていいのだろうかと思っていたが、言いだしたら人の意見など全く聞かないトリコにそんなことを言っても無駄だとは分かっているので、半ば諦めていた。

(にしても一年か……)

 いつの間にか自分がマミと同い年になってしまったことに杏子は時間の流れが早いことを実感させられてしまう。

 それは肉体にも表れていた。

 栄養価がたっぷりで美味しい食材をトリコと一緒に毎日食べているため、杏子の肉体は確実に成長していた。

 背は伸び、平らに近い状態だった胸もマミほどではないにしろ膨らみを主張できる程度には大きくなっていた。

 14歳の状態で時間が止まっていた魔法少女の呪いから解放され、再び動き出した時計に戸惑うばかりであったが、本来はそれが当たり前のこと。

 もう一切の言い訳はできない。杏子はこの世界での身の振り方を本気で考えなくてはいけない時期に差し掛かったと思っていた。

(やっぱり移植しなきゃいけないのかな……)

 トリコのように一切の狩りを素手で行うことは不可能にしろ、本格的に美食屋としてやっていく以上グルメ細胞の移植は必須。

 いつまでも魔法少女のトラウマを言い訳に足踏み状態をしているわけにはいかない。

 明日その旨をトリコに伝えようと心の中で決めると杏子は疲れがドッと押し寄せたのが、そのまま眠りに落ちていく。

 今だけは体を休めておこうと脳が命令しているかのように。




 ***




 トリコはパソコンでプレゼントに関しての検索をやってみるが、中々思っていた物が見つからず苦痛そうな表情を浮かべて髪を掻き毟っていた。

 プレゼントとして渡す以上、自分でも納得が出来る物しか上げたくないと思っているが、ここでハッキリと一般人との価値観の違いと言うのをトリコはマジマジと実感させられてしまう。

 宝石がちりばめられた最高級の腕時計も、光る石ころが詰め込まれた悪趣味な物にしか見えない。

 バッグなんて物が入ればいい、服は動きやすくて丈夫なのが一番。

 完全に年頃の女の子の思考とはかけ離れた内容の思考にトリコはどうしていいか分からず困り果てていたが、ふと置きっぱなしにしていた携帯電話の存在に気付くと真っ先に困った時に頼るべき存在を思い出して電話をかける。

「もしもしココ? 実はだな……」

 恐らく占いでココはトリコが電話をかけることは分かっているのだろうが、相変わらず猪突猛進なトリコにココは呆れるばかりであった。

 だがトリコの相談の内容が杏子への誕生日プレゼントに関しての件だと分かると、電話口でトリコを待たせると自分は水晶玉を取りだして占いを始める。

 水晶玉の中に映し出された未来を見届けると、再び携帯電話を取り出してトリコに占いの結果を伝える。

「サニーを頼るんだ。今回は彼が助け船になる」

 それだけ言うとココは電話を切る。

 確かにサニーなら女の子にあげるプレゼントに関しても詳しいかもしれない。

 だがワガママな性格の彼が頼まれただけで付き合ってくれるとは考えづらい。

 しかし今はサニーに頼るしかないと思ったトリコはココの占いを信じて、サニーに電話をかける。

「どうした? 俺は明日忙しいから、手短に頼む」

 予想に反してサニーは明日用事が入っているようだ。

 この事態にトリコはおかしいとも思ったが、取りあえずは自分の要件を話し出す。

 話を聞くとサニーは少し考えた素振りを見せると、明日自分が出る予定のイベントにトリコも同席させようと決意して話し出す。

「分かった。それなら明日俺と一緒に来い『プライスタウン』で待ってるぞ」

 『プライスタウン』と言うと通称『買い物天国の街』と言われるぐらい、豊富に物がある街であり、ここに来ればたいていの物は買えると言われているぐらい商業で発達した街である。

 確かにそこなら探していけば一つぐらい、自分も杏子も納得できるような品があるかもしれない、納得したトリコは「分かった」と一言告げると電話を切る。

 その間もパソコンで検索して探しはしたが、慣れない作業にいら立ちを覚え、後はココの占いを信じ、サニーの美的センスに頼ろうと決め、この日の狩りへと向かった。

 明日の杏子の誕生日を最高の物にしようと言う思いを、この日のモチベーションにしながら。




 ***




 プライスタウンに到着すると早速トリコは待ち合わせ場所で待っているサニーと合流をする。

 そしてサニーの案内でトリコが付いて行った先にあったのは大きなホール。

「到着だ。ここが『グルメオークション』の会場だ!」

 『グルメオークション』と言われ、トリコは一瞬困惑した顔を見せるが、記憶を掘り起こしていくと一つの答えを見出す。

 グルメオークションはその名の通り、オークション形式で商品を落札していく催しであり、出品される商品は食材はもちろんのこと、高価な食器や骨董品なども出品されていて、中には滅多に市場へ出ることのない最高級品なども出品されるため、サニーも足しげく通う催しである。

「この前は『ユニコーンケルベロス』のはく製が一個丸々売られていたこともあるからな。ここなら絶対に何か一つはあるはずだ」

 そう言うとサニーはこの日も掘り出し物があると自分を信じ、鼻歌交じりで入場し受付で入場金を支払うとそそくさと中へ入っていく。

 続けてトリコも中に入っていくが、会場の異様な光景にトリコは息を飲む。

 全員がタキシードかスーツ姿の正装であり、話す内容も美術品や高級品に関しての談義ばかり、サニーも輪に入って花を咲かせている状態であり、この場で浮いているのはツナギ姿の自分だけ。

 だが元々の性格がすぐに気にすることでもないと判断し、トリコはウェイターからワインを貰うとワインを一飲みして商品の出品を待った。

 そしてオークションがスタートすると全員が札を掲げて、血眼になって商品を落札しようと必死になっていた、

 この辺りの活気の良さは自分がホームとしている『世界の台所』と何も変わらない。

 先程まではいけすかないと思っていた場所だが、そう考えると中々に親近感が出る場所であり、トリコも物を見るが高級な皿もワイングラスもトリコの興味を引かれる物ではなかった。

 それに杏子がそんな物を貰って喜ぶ絵も想像できない。

 だが出る商品と言えば破産した富豪から取りたてた物ばかりが中心なので、必然的にそのようなインテリアが中心となってしまう。

 どうすればいいかと思ってサニーに助けを求めようとトリコはサニーの方を見るが、彼は目当ての『ダイヤシャークのカトラリーセット』を落札できたことに悦な表情を浮かべていた。

 完全にサニーが頼りにならないと思ったトリコは自分を信じ、必ずこの中に杏子が喜ぶ商品があると思うことに決めて、次の商品を待ったが会場のアナウンスからは次が最後の商品であることを告げられる。

 司会が最後の商品の説明と実物を持ってくるとトリコの目の色が変わった。

「では本日最後の商品です。『ライトニングフェニックス』の羽でございます!」

 滅多に市場に出ないライトニングフェニックスの羽を見ると全員が興奮の雄たけびを上げ、トリコも声にならない声を発した結果叫びたくてもそれが声に出ないという状態になっていた。

 トリコの様子を見てこれが杏子へのプレゼントになるのだとは分かったが、サニーは目に涙を浮かべながら悔しそうに地団駄を踏んでいた。

「クー! ライトニングフェニックスの羽だと! アンコへの誕生日プレゼントと言う先約が無ければ俺が欲しいぐらいだ!」

 子供のように駄々をこねるサニーだが、このリアクションはもっともな物である。

 ライトニングフェニックスの捕獲レベルは75、ゆえに滅多に市場へ出ることの無い、超レア物の商品だが、価値はそれだけではない。

 肉は電気が走るような美味さであり、食べれば誰でも即座にグルメ細胞が進化すると言われていて、羽も炎、水、稲妻と人間界の天災と呼ばれる物全てを防ぐことができる万能防護服の素材にもなる。

 それだけではなく美しく光り輝く見た目から、その羽で作られたウェディングドレスを身に纏った花嫁は永遠の幸せを得られると言う、言い伝えまであるのだ。

 末端価格ですら一枚38万円の超高級品が出ることにその場に居た観客全員が大興奮していて、3メートル近くある一枚の光り輝く羽をわが物にしようとしていた。

「では38万円からスタートします……」

 そこから瞬く間に値段は三桁へと跳ね上がっていたが、興奮している観客たちはとどまることを知らなかった。全員が物にしようと必死であり、杏子のためトリコに譲ったサニー以外は全員伝説の雷鳥の羽を得ようと血眼になっていた。

 だが思いならばこの中で自分が一番だと言うの自信がトリコにはあった。

 これも形こそ違うが一つの狩りであり生存競争なのだと悟ったトリコは札を掲げ、ありったけの大声で叫ぶ。

「1000万!」

 四桁行ってしまったことで周りの観客たちは完全に委縮してしまい、ライトニングフェニックスの羽の所有権をトリコに譲った。

 落札者がトリコで決定すると周りからは栄誉を称えて惜しみない拍手が送られた。

 トリコは一言「ありがとよ」と言いながら、司会に対してプレゼントにするから包装してくれと頼むと司会は慌てて包装紙とリボンでラッピングを施してから羽をトリコに手渡す。

 良い買い物が出来たことにトリコは満面の笑みで帰っていき、羽を背負いながら歩くその姿に神々しささえ覚えた一同は拍手で出て行くトリコを見送っていた。

 これもまた共に厳しい戦いを乗り越えた者同士だから味わえる充実感だろうと思いながら、トリコは家路へと急ぐ。

(あの羽……ただのプレゼントでは終わらない気がするな……)

 何となくのヤマカンではあるが、サニーは感じていた。これから先あの羽は杏子を助けてくれる存在になると言うことを。

 だが何の根拠もない考えを深く考えたところで何の意味もないだろうと思ったサニーは自分の戦利品を持ち帰ると、足早に去っていく。

 早くこの食器での調和を楽しみたいと思っていたから。




 ***




 誰も居ない家で杏子は一人暇を持て余す状態になっていた。

 黙って出かけるということがトリコは今まで無かったので、久しぶりに感じる孤独な時間にどうしていいか分からず杏子は一人リビングで椅子に座り、家主の帰りを待っていた。

 この世界に来てからと言うもの、周りは常に騒がしいぐらいであり、そしてトリコは決して自分を一人にするような真似はしなかった。

 少し一人になったぐらいで不安になってしまう自分を情けないとも思ったが、トリコの仕事を考えれば万が一の可能性だってあり得る。

 不安はぬぐえなかった。

(まるでガキだぜ……)

 自分では大人になったと思い込んでいた。だがいざ困難と対峙した瞬間にこうなってしまう情けない自分を杏子は嫌悪した。

 冷静になって考えればこうやって無理に背伸びをしようとしている時点で、自分が子供であると言うのを吐露しているようなものだ。

 周りに大人と呼べる人間が一人も居なかった魔法少女だったころと違い、この世界では周りに居るのは皆大人ばかり。

 だからこそ自分の未熟さや弱さ幼さと言うのが際立ってしまい、そのたびに自己嫌悪ばかりしてしまう。

 ある意味ではこれも自分に与えられた罰なのだろうと思いながら、杏子は中々帰ってこないトリコの存在にいら立つと同時に腹の虫も大きく鳴った。

「ただいま――!」

 大きく陽気な声と共にトリコは帰宅する。

 この日は珍しく何も食べ物を持ってきてないことをおかしいと思いながらも、杏子はいら立ちからトリコに対して悪態を付いてしまう。

「おせーよ。お腹減ったんだから早く飯にしろよな」

「今日は出前で大丈夫?」

 背負っていたリボンでラッピングされた何かを空いていた椅子の上に置くと、手を重ね合わせて張り付けたような笑みを浮かべながらトリコは言う。

 だがトリコの意外な発言に杏子は怒りも忘れて驚いていた。

 この世界にも出前はあるのだが、それをトリコがやるとは思っていなかったからだ。

 自分自身美味しい物を食べたいと言うのもあるが、トリコは極力店で出された商品と言うので一食済ませると言う真似をしなかった。

 自身のグルメ細胞のレベルを上げるためには現地で狩って食べるのが一番。

 より美味しい物を食べるためにもトリコは毎日のように狩りへ勤しんでいたので、今回のこの発言には驚き、杏子は困惑しながらも返す。

「分かった。それでいいからさ……」

 杏子の了解をもらうとトリコは携帯から行きつけのラーメン屋へと電話して、自分と杏子の分のラーメンを注文する。

 電話を切ると同時にバイクのエンジン音がこちらに近づいてくるのが聞こえる。

 そしてエンジン音は止まると数回のノックが響く。

 信じたくないと言う思いが杏子の足を止めていたが、トリコはニヤニヤと笑いながらドアを開けて応対に当たる。

「まいどー、チャーシューメン倍盛り二人前お待ち~」

「相変わらず早いな。だから『愛家』はひいきにしてるんだぜ」

 トリコは名札に『愛家』の出前担当の少女に対して代金を支払う。

 少女は『中村あいか』と書かれたと書かれた名札を胸に下げながら、代金を貰うと無気力な調子で「まいどー」と答えながら、再びカブに乗って去っていく。

 あまりに早すぎるラーメンの出前に杏子は圧倒されるばかりであったが、あいかの声を聞くと何かが引っかかって考え込む。

(あの声どこかで……)

「早くしないと冷めるぞ~」

 トリコに呼ばれると杏子も彼と向かい合って同じようにラーメンをすすった。

 だがここで杏子は自分とは違い多くのカロリーを必要としているトリコが自分と同じ物で食事を終えて大丈夫なのかと思い、その旨を尋ねる。

「大丈夫なのかよお前、それでカロリー足りるのか?」

「平気平気、明日もっと頑張ればいいだけの話だ。それよりもだ」

 杏子がまだ食べている中、トリコは早々とラーメンを完食して用意していた誕生日プレゼントを杏子に手渡そうとするが、杏子は頼んでもない誕生日プレゼントにどう反応していいのか分からず、悪態を付くことで事を終わらせようとする。

「まだ食べてる途中だろ……」

「それは済まなかった。だがまぁ見るだけ見てくれ」

 食事の邪魔をしたことを詫びながらも、トリコは包装を解いて中身を杏子に見せつける。

 相手にしないようラーメンにだけ集中しようとしていた杏子だが、家の中がまるで後光が差したように光り輝く様子を見て何事かと思い、顔を上げると杏子は驚愕の表情を浮かべた。

 まるで昔漫画で見たような光り輝く大きな鳥の羽に、杏子は物に対する知識はなくても吸い込まれる物があり、食べている途中でもその足は羽へと向かってしまい、その手で触るとまるで最高級の羽毛布団のような肌触りにテンションは上がるばかりであり、ドキドキしながらトリコに尋ねる。

「これが誕生日プレゼントか? ありがとうな……これはいい物だ……」

 へそ曲がりの自分が素直にお礼を言うのを珍しいとも思っていたが、それだけの値打ちがこの羽にはあると杏子は思っていた。

 機嫌が良くなった杏子を嬉しく思いながらもトリコは手に入れた羽に付いて語り出す。

 だが杏子は直感で感じていたこの羽はこれから先も長い付き合いになるだろうと、それはまるで魔法少女だったころ槍に愛着を持っていた感覚に近い物を感じていた。

 仲間の居ない自分に取って槍だけが心を許せるパートナーのようなものだった。

 なぜかは分からないがこの羽にはそれに近い感覚を覚えながらも、杏子は決意を固めたあの時のような悲劇を二度と繰り返さないと。

 そして同時に思い出していた。

 大人になると言うのを祝ってもらう喜びと言うのを。





本日の食材

ライトニングフェニックス 捕獲レベル75

雷雲の中に棲むと言われる伝説の雷鳥、その肉は電気が走るような美味さで、その羽は稲妻を弾く効果がある。

ウェディングドレスの素材としても人気だが、過酷な環境の中でもその輝きを失わないため、防護服としても人気の素材。





と言う訳で今回は杏子の誕生日の回になりました。

ライトニングフェニックスのそれに関しては私の自己見解ですね。あんな過酷な環境でも普通に居るのだから、稲妻だけ防ぐだけではないだろうと思い、こうしました。個人的に物凄く気に入ってる猛獣なんで、あれだけで終わらせるのはもったいないと思ったので。

あとは中の人がまどかって事で「ペルソナ4」に登場した。中村あいかちゃんにもゲスト出演してもらいました。

次回は麻薬食材に関しての話になります。

次もがんばりますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ9 ジョーカーマンドラゴラ!
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:d307e754
Date: 2012/08/16 18:59




 草木も眠る丑三つ時、メールボックスに届いた新着メールをトリコは開く。

 差出人は美食屋たちが食の情報と仕事を求める酒場『Bar ヘビーロッジ』の店主、モリ爺からであり、多くの美食屋たちが失敗に終わった任務をトリコに任せたいと言う内容の物だった。

「どんな御馳走なんだ?」

 屈強な猛獣を想像していたトリコだが、内容を見ていく内にその表情はドンドン険しい物に変わっていく。

 仕事の内容は法で規制され食することを禁じられている通称『麻薬食材』の確保であり、多くの美食屋たちがその食材を出しているレストランの店主『クランベリー』の確保に乗り込んだ途端に廃人になっているか、行方不明になっているかの二者択一であり、最近では依頼を受ける美食屋自体がいない厄介な依頼であった。

 トリコは続いて問題となっている麻薬食材の情報を見る。

 まるでピエロのような顔に見える奇怪な植物、『ジョーカーマンドラゴラ』が今回確保すべき麻薬食材。

 トリコも物自体を見るのは初めてだが、その不気味な姿に写真だけでも背中に寒い物を感じた。

 食べれば天にも昇る快楽が体中を駆け巡るのだが、その代償は大きい。

 目は自分の見たい幻想しか見ることしかできず、耳は自分の聞きたい都合のよい言葉しか聞こえない。

 廃人製造機となっている危険極まりない食材は何としても確保しなくてはいけないと思うのだが、トリコ自身もこの依頼はかなり難易度の高い物になるだろうと思っていた。

 ジョーカーマンドラゴラの捕獲レベルは45、植物ではあるのだが生息地がハッキリと定まっておらず、栽培方法も全くの不明、それでいて異常な中毒性がある上に、人が食するためには高い調理技術が必要なため、これだけのレベルとなったのだが、そんな食材を普通に栽培して店で出し、調理するクランベリーの実力も相当な物なのだろうと判断したからだ。

 だが食で人を不幸にするクランベリーを許しおけないと言う怒りの感情が、トリコから怯えや恐れを消し飛ばした。

 メールの内容を全て読み終えると、トリコは返信のメールをモリ爺に向かって送る。

『いつでも引きうける。日時はそっちの都合があえばで構わない』

 トリコらしい簡素な内容のメールを送ると、トリコはパソコンを閉じて電源を落とす。

 来るべき時のためにトリコは寝ている杏子を起こさないように外へと出て行く。

 明日の朝食の食材を取るために。




 ***




 翌朝杏子はあくび交じりに起きて、トリコが用意してくれた朝食を食べようとリビングのテーブルにトリコと向かい合って座る。

 この日の朝食は白身魚の刺身であり、既に食べだしているトリコと一緒に杏子も朝の挨拶と食べる前の挨拶を交わすと食べ始める。

 朝は淡白な魚料理がまだ目覚めきっていない体にはちょうどよく、その美味しさも手伝ってか杏子の箸はドンドン進んで行った。

「今度仕事を受けることになった」

 食べながらトリコにしては珍しくシリアスで重いトーンで話し出す。

 その口調からこれまでのように勝てる自信が確実にある内容の物ではないことが分かり、ここで寝ぼけ眼だった杏子も完全に目が覚めてトリコの話に耳を傾ける。

 あれからすぐにモリ爺から返信のメールが届いた。

 現場となっているレストラン『七つの大罪』がトリコの家の近くにあると言うのもあり、今晩の9時のディナータイムに予約を入れておいたと言う報告。

 この時点で戦いは始まっているのだとトリコは確信し、クランベリーとのバトルも避けられないだろうと思っていた。

 トリコはまだ触り程度にしか話していない、麻薬食材に関しても詳しく話し出す。

 法で食することを規制されている強い中毒性を持った食材は食べるだけで多くの人間を不幸にする物。

 麻薬の恐ろしさは杏子自身もよく知っている。

 言うならば魔法少女との契約は麻薬のような物である。

 堕落して、壊れて行く様はさやかを見てきたからよく分かっていた。

 話を聞いていく内に見る見る杏子の顔色は険しい物に変わっていき、トリコの次の言葉を待った。

「それでお前も同行するか? 今回はかなり危険な物になるぞ、だからもしお前が嫌なら今回はオレ一人でも……」

「ふざけるな」

 杏子の身を思ってあえて留守番と言う選択肢を呈したトリコだが、それは杏子の怒気を含んだ声で否定される。

 トリコは押し黙ると同時に細かい痙攣のような震えを始める。

 自分の威嚇もまんざらではないと思いながらも、杏子は自分が感じている怒りの感情をトリコに伝えていく。

「人を幸せにするのが飯の役目だろ。人を苦しめる飯なんてあってたまるか……お前が嫌だと言ってもアタシは付いて行くぜ、一発かましてやらないと気が済まねぇ!」

 白身魚の刺身を豪快に頬張りながらテーブルを豪快に拳で叩く杏子。

 その表情を見て杏子の意志は固いと感じ取ったトリコは、小刻みに震えながらも同意の意を示すため、首を小さく縦に振った。

 両者の意見が合致したため、そこからは穏やかな朝食を楽しめるだろうと杏子は思っていたが、トリコは相変わらず震えたままであり、ついには歯もガチガチとなりだして、顔も青ざめた物に変わっていく。

「いくらなんでもビビりすぎだろ。いい年した大人が15歳のガキ相手に怒鳴られたからってさ、それともそんなに麻薬食材の確保が怖いのか?」

 からかうように杏子は言うが、トリコは何も言わず青ざめた顔のまま椅子から立ち上がって、台所に置いてある今日の朝食の残骸を持ち出すとチェックを始める。

「おかしいな? 皮と卵巣は取ったんだけどな……」

 持っていたのは綺麗にさばかれたふぐであり、食べていた刺身が調理に免許が必要なふぐだとしると見る見る内に杏子の顔も青ざめていく。

「まさかこれ……ど素人のさばいたふぐ刺し?」

 ふぐの毒テトロドトキシンにやられながらもトリコは小さく頷く。

 トリコならばグルメ細胞の力でこの程度の毒なら簡単に抗体が出来るだろうと思っていたが、自分では下手したら死ぬ可能性もある。

 杏子はすぐにトイレへと駆け込むと喉に指を突っ込んで、食べた刺身を全て便器の中へと吐き出していく。

 食べ物を粗末にすると言う罪悪感にさいなまれもしたが、命の方が何よりも大事。

 せっかく貰った第二の人生をこんな下らない理由で失ったら、さやかに何て言われるか分からないと言う思いから、食べた物を全て吐き出す。

「さっさと薬箱から血清持ってこい!」

 杏子は怒りの感情をトリコにぶつけ、薬箱の中に入っている大体の毒なら中和してくれる万能血清をトリコに持って来るよう命令を下す。

 すでに抗体が出来上がっているトリコは言われるがままに薬箱がある戸棚へと向かっていく。

(やっぱり免許取ろうかな……)

 今までなぁなぁにしていたが、正式にふぐの毒を取り除く免許を取ろうかどうか考えながらもトリコは薬箱から血清を取りだすと未だに怒鳴り散らして怒りを露わにしている杏子の元へと向かう。

 これだけの負けん気があれば麻薬食材を相手に遅れを取ることはないと、トリコは頼もしさを感じていた。

 そして同時に杏子の存在が自分を助けてくれるとも思っていた。

 その存在が自分のカンフル剤になってくれるとトリコは信じてた。




 ***




 日の当らない薄暗い裏路地をトリコと杏子は並んで歩いていた。

 周りを見ると酒瓶を片手にニヤニヤと下劣な笑みを浮かべる中年男性や、明らかに杏子を性的な目で見ているヤンキー風の若者も居て、治安の悪さはこの環境を見れば一目瞭然であった。

 だが治安の悪い場所の経験なら杏子も腐るほどある。

 魔法少女時代、ゲームセンターで遊んでいると下らないナンパは何度も経験していた。

 そのたびに杏子は返り討ちにしてきたので、この環境に飲まれると言うこともなく、トリコとこれから行く七つの大罪に関しての事に付いて話し合う。

「全ての料理にそのジョーカーマンドラゴラとやらが入っているのか?」

「それを確かめるために行くんだよ……」

 あくび交じりに答えるトリコを見ると、普段通りのリラックスした状態であることが分かり、変に気負っていない状態であることが分かった。

 これに頼もしさを覚えながらも、杏子はトリコと一緒に歩を進めて行く。

 その時自分の肩に無駄毛で覆われた毛むくじゃらの大きな手が置かれて、歩みが止められる。

「オ、オジョウチャン……オジサントイッショニ、ニャルコサンミナイ?」

 ここでもナンパはされたが、さすがに今放映中の『這いよれ! ニャル子さん』を見ないかと言われたのは初めて。

 だがこれにも杏子は冷静に対処する。

 トリコに渡された手頃な長さの鉄パイプを受け取ると、その脳天に向かって荒い息使いで自分を見つめる中年男性に対して、強烈な鉄パイプでの一撃を無言で食らわせる。

 目から星を出しながら後方に倒れ込む中年男性を見る。

 頭にある鉄パイプは弓なりに曲がっていて、頭からも血が一滴も出ていない。

 そして頭をさすりながら痛そうに起き上がっているのを見ると、大した怪我を追ってないと言うことも分かり、トリコの判断は正しかったと確信すると改めて歩きだす。

「あのオッサンもグルメ細胞移植されてんだろ、この程度じゃ死なないよ」

「しかし、あれ面白いのか? まぁ主人公の兄ちゃんにはちょっとだけ興味あるんだけどさ……」

「見てねーから分かんねーよ……」

 心底興味ないと言った感じでトリコは杏子の問いに返す。

 そんな感じで治安の悪い地区もこの二人にとっては普段通りの散歩道と変わらず、終始リラックスした調子で二人は目的地である七つの大罪へと到着した。

 住所だけでしか目的地を知らされていない二人だが、店を見るとその禍々しさは嫌でも伝わってくる。

 既に倒産して買い手の無い廃ビルの地下にそこは存在していて、そこがレストランだと証明するのは店の名前が書かれた小さな立て看板が一つ置いてあるだけだった。

 人が5、6人も入れば満席になってしまいそうなレベルのこじんまりとした店で多くの人たちが廃人になることが信じられなかったが、そう言う店だからこそ、これまでグルメ警察の捜査網を逃れてきたのだろうと思うと、トリコを先頭にして杏子も地下の階段へと下りて行く。

 トリコにとっては狭すぎる階段に何度もトリコは愚痴をこぼしていたが、杏子は気にせずに薄暗い店内を見渡す。

 辺りを警戒しながら歩いていると、帰っていくサラリーマン風の客が階段を駆け上がっていくのを見かける。

 サラリーマンのために二人は体を横に捻って通り道を作るが、トリコの横を通り過ぎようとした時トリコは彼に話しかける。

「どうだった?」

「凄い……今まで食べたことの無い味だ……」

 焦点の定まっていない虚ろな目で答えるサラリーマンだったが、最低限の受け答えは出来ていた。

 この少ないやり取りでもトリコの脳内でクランベリーのやり口と言うのが理解でき、仮説を立て始める。

 恐らくはすぐに中毒にはさせず、少しずつ少しずつ味の虜にさせていき、店へと足しげく通わせるのだろうと思った。

 常套手段ではあるが、極めて中毒性の高いジョーカーマンドラゴラを扱いこなすクランベリーの実力は料理人として相当なレベルだと判断し、改めて気を引き締めて歩き出す。

 黒一色の簡素な薄いドアを開くと、一切の出迎えもなく二人は薄暗い店内を進みながら名札が書かれたテーブルの前に立つと椅子に座る。

 周りを見ると自分の他にも2、3名の客が居て、その焦点が定まっておらず何かを期待するかのような異常な目を見ると、明らかに精神状態が異常なことが理解できた。

 その様子を改めて見るとトリコは杏子に指示を送る。

「絶対に出される料理に手を出すんじゃねーぞ」

 威圧するかのような普段滅多に聞かない口調に杏子は黙って頷く。

 目の前に居る客たちを見ても、その異常ぶりは十分に理解できる。

 堕落していった人間は自分も含め、数多く見てきたので慣れたつもりではあったが、それでもショックは拭えない物。

 食事で苦しみをまき散らすクランベリーはある意味ではキュゥべえ以上に憎むべき存在。

 自分にできることは少ないだろうが、それでもやれることを精一杯やるだけだと心に決めると杏子とトリコの目の前にムースで包まれたオードブルが出される。

 物が出るとすぐに客たちは貪るように食べていくが、トリコは立ち上がって大声で叫ぶ。

「やめろ! これ以上食べたら引き返せないところまで来ちまうぞ!」

 トリコは店中に響き渡る大声で警告を叫ぶ。

 店内は大きな地震が起こったかのように震えあがり、その迫力に食べていた客たちは一瞬持っていたスプーンを止めるが、すぐに興味はまた料理へと向かいスプーンを手に取って食べだす。

 これは製造元を直接叩いた方が早いと判断したトリコは、杏子に目配せで合図を送る。

 トリコの意を察すると杏子は立ち上がって、テーブルの上に置かれているナイフとフォークを手に取る。

「任せたぜ、アンコ!」

 右手にナイフ、左手にフォークを持って準備が終わった杏子を見ると、トリコは真っ先に厨房へと向かう。

 食べるのに使う道具を武器として使用することに一瞬杏子はためらったが、これも地獄から人を救うためだと判断し、杏子は割り切って未だにむさぼるようにムースを食べ続ける二人の男性客の首根っこを強引に掴む。

「食べるなっつってんだろ! 戻れないところまで行ったら、アタシでもトリコでもどうすることもできねーんだぞ!」

 かつて友達が異形の存在となることを止められなかった杏子に取って、ジョーカーマンドラゴラ入りの食材を貪るように食べて、堕落していくさまを見ていくのは辛い物があった。

 強引に席から立たせると同時にシャツの襟にナイフを突き立てると壁に突き刺して、服と壁を繋ぎとめた。

 動きが制限されたのを見ると続けざまに同じように襟にフォークを突き立てて壁に突き刺す。

 そして椅子を持つと釘を打ちつける要領でナイフとフォークを壁に打ち込んでいく。

 この辺りの要領は何度もトリコの釘パンチを見ているため、要領のような物は掴めていた。

 何度も同じように服と壁をナイフとフォークで打ち付けると二人の動きを完全に封じ、昆虫採集の昆虫のようになった二人の男性客はそれでもジョーカーマンドラゴラ入りのオードブルを求めて、よだれを垂らしながら正気を失った目で手を伸ばそうともがいていた。

 その見苦しいさまは、自分を見失って魔女を剣で何度もズタズタに切り裂くさやかの姿とダブってしまい、見るに堪えなくなった杏子は苦痛に顔を歪めて二人から目を背けてしまう。

 だがこれで料理を食べることはできないだろうと判断した杏子は、力なく空いている椅子に座ると厨房の方向を見つめた。

 自分に出来ることはやった。後はトリコを信じて待つだけだと思い、杏子は待つことを選んだ。

 そこに階段を下りて行く音が聞こえる。

 冷静になって考えてみれば、ここはレストラン。客は自分たち以外にも当然存在する。

 まだ自分の役目は終わっていないと判断した杏子は空いているフォークを手に取ると、階段を下りて現れた客に向かって突き出す。

「今日を以って七つの大罪は閉店だ。帰れ」

「何の権限でそんな……君店の人?」

 杏子の言っている意味が分からない、男性客は構わず席に座ろうとするが、頬を掠めたのは刃物の鋭い衝撃。

 金属が刺さる重厚な音が壁に響き渡る。同時に男性客の頬に感じ取ったのは炎のように熱い感覚。

 一本筋が通った切り傷が頬に付き、そこからダラダラと鮮血がこぼれ落ちて行くのを見ると恐怖を感じながら、杏子の方を見る。

「悪いけど、こっちも手段を選んでられねーんだよ。もう一度だけ言うぞ……帰れ!」

 瞳孔が開いた目で睨みつける杏子を見て、言いようのない恐怖を感じた男性客は逃げるように階段を駆け上がっていく。

 だがすぐに入れ違いで階段を下りる音が聞こえると、まだまだ門番としての仕事はなくならないと判断して、今度はナイフを手に取って同じように下りて来る客に対して帰るように通告を出す。

 言い争いをしている間も杏子は信じていた。トリコなら本当の意味でこの店を閉店へと追い込んでくれると。




 ***




 手狭なホールと違いキッチンは広々としていた。

 だが店内には人らしい影は見当たらず、奥の方でトリコと同じぐらいの大きさの2メートル大の大男が一人包丁を片手に料理をしている姿が見えた。

 宣戦布告とばかりにトリコは壁を力強く叩いて轟音をキッチン中に響き渡らせる。

 恐らく店主であるクランベリーと思われる大男は特に気にすることなく、首だけトリコの方を向くと不気味な笑みを浮かべながら応対を始める。

「お客様、キッチンに入るのは困りますので席に付いて待っていてください……」

「ふざけるな」

 クランベリーの申し出に対しても、トリコは怒気が含まれた声で返しながら指の関節を鳴らして臨戦態勢を取る。

 その間も薄暗い店内でトリコはクランベリーの戦力分析を行う。

 体格だけなら自分と並ぶぐらいの大きさであり、コック服の下には発達した筋骨隆々の肉体があることは服の上からでも理解できた。

 コック帽を取ると現れたのはモヒカンの頭。

 話し合いが不可能だと判断したクランベリーは下卑た薄笑いを浮かべながら、包丁を持ってゆっくりとトリコに近づいていく。

「もう一度言います。お客様席に戻って料理の到着を……」

「モリ爺からの依頼だ。テメェをグルメ警察に引き渡して、ジョーカーマンドラゴラを確保させてもらうぜ」

 トリコの真意を知ると、クランベリーの顔から笑いが消えた。

 一直線にトリコの頭に向かって包丁が振りおろされていき、それをトリコはバックステップで紙一重のところでかわす。

 そこから反撃に転じようと無防備になっている胸元に向かって、右腕でパンチを振りおろす。

「3連釘パンチ!」

 一気に勝負を決めようとトリコのパンチが振り下ろされる。

 パンチが決まるといつものように一発のパンチで三回分のパンチがクランベリーの胸元に綺麗に決まる。

 衝撃がクランベリーの体を襲うが、その瞬間クランベリーは両足に力を込めてパンチの衝撃に耐え抜こうとしていた。

 後方に吹っ飛ばされながらも踏ん張りを止めることはしなかったが、壁に激突することで初めてその体は止められた。

 その瞬間クランベリーの口元からは血反吐が放たれる。

 一回だけでも自分の釘パンチを耐え抜いたのは素晴らしいタフネスだが、それでも勝負は決まったとトリコは判断するとゆっくりと近づきながら警告とばかりに話していく。

「一度しか言わないからよく聞け。これ以上痛い思いをしたくないなら、大人しくグルメ警察に自首して、そこで全てを話すんだ。そうするならこれ以上殴らないでおいてやる」

 指の関節を鳴らしながら威圧的に話すトリコに対して、クランベリーは血反吐を吐きながらも壁に仕込んでおいた隠しスイッチの扉を開くと震える指で押す。

 それと同時に懐に仕込んでおいたガスマスクを装着する。

 次の瞬間天井のスプリンクラーが作動する。

 だがそこから発生したのは消火用の水ではなく、紫色の禍々しい色の煙だった。

 異常だと感じ取ったトリコは慌てて手で口と鼻を覆うが、既に遅かった。

 嗅覚が異常に優れているトリコは意識しなくても、その煙を吸い込んでしまう。

 結果として襲ってきたのは視覚の異常。

 何重にもクランベリーが見えて、まるで彼が分身の術でも使っているかのような感覚に陥ってしまう。

 視覚の次に異常を来たしたのは聴覚、常に耳鳴りが響いているような状態は三半規管を狂わせるには十分であり、トリコは力なく地面に膝を付いてしまう。

 これらの幻覚作用からトリコの中で一つの仮説が出る。

「これはジョーカーマンドラゴラの毒素のみを気体化した物か……」

「その通りだ。私の特性料理を大人しく食べていれば、快楽に浸ることが出来た物を邪魔だてしたお前には死をくれてやろう!」

 毒素のみをダイレクトに吸い込んだトリコの体は異常を来たしていて、巨大なハンマーのような肉たたき器を持ってゆっくりと近づくクランベリーを前にしても、何もやることができなかった。

「死ね!」

 肉たたき器を振り下ろすとトリコの頭部に鈍く重い痛みが響き渡る。

 衝撃と重力に身を任せるとトリコの頭は地面に勢いよく激突し、頭部からは勢いよく鮮血が吹き出す。

 そこから何度も頭部目がけて肉たたき器での攻撃が振り下ろされ、そのたびに鈍く聞きたくもない轟音が聞こえる。

 骨が折れる音、肉が砕ける音はクランベリーに取っては最も悦に浸れる瞬間であり、今まで殺した美食屋のようにトリコも人間からミンチになる様子が頭の中で完成すると、下卑た笑みを浮かべながら何度も何度も頭部目がけて肉たたき器での攻撃を繰り返す。

「死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」

「ウルセェよ……」

 完全に意識が違うところに向かっているクランベリーに対し、トリコは肉たたき器を片手で受け止めると、そのままゆっくりと立ち上がる。

「バカな! ガスマスクも無しでなぜこの猛毒ガスの中を?」

 疑問はトリコの顔を見ればすぐに分かった。

 骨が折れる音は聞こえるには聞こえたのだが、それは頭蓋骨が砕ける音ではなく、鼻の骨が砕ける音。

 鼻からおびただしい量の鼻血が吹き出していて、まともに鼻での呼吸が出来ない状態となっていて、毒ガスを自然と遮断していた。

 ようやく自分の射程距離である接近戦へと持ち込むことができたトリコは、怒りに満ちた目でクランベリーのモヒカン頭を掴み、自分の元に引きよせると同時に空いている左手を振り抜く。

「3……いや、4連だ!」

 怒りがトリコに実力以上の力を発揮させた。

 これまでの限界だった3連の釘パンチを超える。4連釘パンチをガスマスクに覆われた顔面へと叩きこむ。

 一発がロケット砲並みの威力を持ったパンチはガスマスクを簡単に吹き飛ばし、急所が集中している顔面に4連続でパンチが叩きこまれる。

 踏ん張りが利かない状態で攻撃を食らってしまっていたため、今度は壁に激突しても体は止まることなく、壁に何度もパンチの衝撃が響き渡り、壁にクレーターのような大穴が出来上がっていく。

 壁を貫通し、下水道へとクランベリーの体が投げ飛ばされてもその威力は収まらなかった。

 何本も何本も配水管を破壊してもクランベリーの体は止まらず、数十メートル吹っ飛んだところでようやく、その体は力なく汚水の中に横たわっていた。

 トリコは荒い息づかいの中、吹っ飛んだクランベリーの元に近づいていき、胸倉を掴んで強引に体を持ち上げると、任務を遂行しようとする。

「ジョーカーマンドラゴラはどこだ!? 今すぐこの場で全部差し出せ!」

 その鬼のような形相の後ろ側でクランベリーが見たのは真っ赤な体の夜叉。

 禍々しい笑みを浮かべながら牙を突き立てるその姿に自分が食べられると錯覚したクランベリーは震えながら、全ての真実を話し出す。

「私の担当は調理だけ……ジョーカーマンドラゴラは別の場所で作られてるんです……」

「場所は?」

 取り調べが出来る状態になったのを見るとトリコは懐からボイスレコーダーを取りだして、クランベリーの発言一つ一つを録音しようとスイッチを押す。

「もし適当なこと抜かして、その場から逃げようとしてみろ、死ぬよりも恐ろしい目に遭わせてやるぜ……」

 警告を発する間もトリコの胸倉を掴む手は強まる一方であり、クランベリーは嗚咽しながらも何度も頷いてジョーカーマンドラゴラが精製されている場所に付いて語り出す。

「弟のブラッドベリーが『常闇の森』の奥深くで一人農場を経営していて、そこで作られています……」

 その怯えきった表情から嘘を言っているとは思えず、信憑性が感じられた。

 トリコはボイスレコーダーのスイッチを切ると、ポケットから携帯電話を取り出してグルメ警察に連絡を取ろうとする。

「そうだ。製造元は別にあってだな。そいつもオレが潰すから任せてお……ぶぼぉ!」

 任務を引き続き継続することを伝えると同時にトリコは口から血を吐き出す。

 今頃になって攻撃が効いたのか、ジョーカーマンドラゴラの毒素が回ったのかは分からない。

 だがこれは唯一残された逆転のチャンスだと踏んだクランベリーは懐から包丁を取り出すと、苦しそうにうずくまっているトリコの首に向かって包丁を振り下ろそうとする。

「死ね!」

 叫ぶと同時にクランベリーの肉体を襲ったのは鉄球での打撃。

 一発や二発ではない、鉄球攻撃の数々にクランベリーの意識は現実を保つことができず、体中に暴徒鎮圧用の鉄球弾を全身にめり込ませた状態のまま配水管に横たわって、気を失った。

(何だ一体?)

「何てザマだよ。情けねーぞトリコ」

 予想外の光景を確認しようとトリコが鉄球が飛んできた方向を見ると、聞きなれた声での生意気な皮肉が聞こえてきた。

 ガスマスクで顔を覆った杏子は、同じくガスマスクを装備したグルメ警察を両脇に二人引き連れながら、トリコの元に向かって歩いていて、グルメ警察はクランベリーが気を失ったのを見届けるとその身を確保して表に用意してある護送車へと放り込もうとしていた。

 連絡してからこんなに早く警察が来るのはおかしいと思っていたトリコだが、杏子が屈んでトリコと目線を合わせると、皮肉交じりにこの状況の説明に入る。

「あれから次々と客が押し寄せてきてな。アタシ一人じゃ手に負えないから、グルメ警察を応援に呼んだんだよ。到着したと同時に奥から轟音が響き渡ってな。んで来てみたらこれだ」

 そう言うと杏子は「面倒かけんじゃねぇ!」と言って、トリコの額にデコピンを食らわせる。

 だが鉄板を指で弾いたような感覚が杏子を襲い、逆に人差し指に激しい痛みを感じて杏子は一人悶絶していた。

 思った通り杏子の存在が自分を助けてくれたことをトリコは嬉しく思いながらも立ち上がり、杏子の頭を撫でると笑顔を浮かべながらもまだ任務は終わっていないことを告げる。

「こいつがやっていたのは調理だけだ。製造は別のくそったれがやってんだよ。明日、製造元である常闇の森へと向かうぞアンコ」

「本当に明日までに体治せんのかよ!? 血反吐を吐きながらの笑顔は怖いぞ!」

 今までにないダメージを受けたトリコを口が悪いながらも心配する杏子。

 そう言われると自分が予想以上のダメージを受けたことに気づき、頭をハンカチで押えながらも戻ってきたグルメ警察の職員に対して一つ尋ねる。

「何か美味いもん食べさせてくれる店知らない?」

 グルメ細胞の力で怪我を再生させるのが一番だと判断したトリコは、近くに何か美味しい物を食べさせてくれる店がないかを職員に尋ねる。

 分かってはいることなのだが、血まみれのまま笑顔で尋ねられるトリコに職員は困惑しながらも、自分が気に入っている店を何件か紹介していく。

 相変わらずのトリコに杏子は呆れもしたが、同時に安心感も感じていた。

 麻薬のような危険な物を相手に戦いを挑もうと言うので、心のどこかでさやかのような悲劇的な結末を予想している部分もあったが、トリコは決して麻薬に負けなかった。

 正しい心と力を持ったトリコに頼もしさを感じ、そんな彼に付いていくため職員から教えられたレストランへと向かった。

 人々に不幸を与える麻薬を完全に撲滅させるために。




 ***




 何件ものレストランの食材を全て食べつくすとトリコの怪我は回復し、明日への出発の準備は整っていた。

 トリコは杏子が寝たのを確認すると外へ出て月を見ながら物思いに耽っていた。

 明日向かう現場は一筋縄ではいかない現場のため、本来は体を休めなければいけないのだがトリコにはどうしても気になることがあり、それが原因で眠りに付けないでいた。

(オレはあの時、もうほとんどジョーカーマンドラゴラに対しての抗体は出来上がっていてはずだぞ……)

 自分の体は自分が一番よく分かっていること。

 鼻の骨が折れて鼻での呼吸が出来なくなっていた頃には、ほぼ抗体は出来上がっていて、これ以上毒素を吸い込まないため、そして自分の射程距離にクランベリーを追いこむためにもわざと攻撃を食らっていたのだが、最後に下水道で自分が吐いた血反吐は明らかに体に異常を来たしてのそれ。

 杏子のためにもあえてその事には触れないでいたが、トリコの中で疑問は拭えないでいた。

(どうなっちまってんだ? オレの体!?)

 分からないと言うことに対してさすがのトリコも不安を隠せないでいたが、今は常闇の森への攻略が先だと感じていたトリコは家へと戻り、体を休めることにした。

 一度受けた仕事をやり遂げなくてはいけないという使命感もあったが、本気で麻薬を憎んでいる杏子のためにもジョーカーマンドラゴラだけは確保しなくてはいけないと言う思いがトリコを突き動かしていた。

 そうしている間にもトリコのグルメ細胞はうねりを上げていた。

 彼の心とは裏腹にグルメ細胞は激しく活動を繰り返していた。





本日の食材

ジョーカーマンドラゴラ 捕獲レベル45

一口食べれば一生を素敵な幻覚と共に過ごすことができる強力な中毒性を持った植物、第一級の麻薬食材に指定されている食材。





と言う訳で今回は麻薬食材の話になりました。

このジョーカーマンドラゴラの元ネタはグルメテイスティングでルール説明の時に挙げられていた。ジョーカー食材の絵をモチーフに私が自分なりに解釈して作ってみました。

そしてここから物語は一気に進ませる予定です。

次回はジョーカーマンドラゴラの確保編になります。

次もがんばりますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ10 自食作用発動!
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:d307e754
Date: 2012/09/03 18:55




 七つの大罪を無事に閉店へと追い込んだ翌日、朝からトリコに引き連れられて杏子が向かった先は大型のホームセンターだった。

 元々ホームセンターのようなゴテゴテした無骨なそれは好きな方な杏子だったが、中に入ると今までの常識はまた覆されてしまう。

 中に用意されているのは猛獣を相手に戦うための武器や防具が中心であり、まるでRPGの中の武器屋や防具屋のような内装に杏子は圧倒されるばかりであったが、トリコがここに連れてきた理由もすぐに理解できた。

「ここでアタシの装備をって訳か?」

「その通りだ! さすがにその格好で常闇の森へ行かせる訳にはいかないからな」

 ニッコリと笑いながらトリコは杏子の問いに答える。

 今まで本格的な狩りに同行してもらったことがない杏子はこの行動を見る限り、常闇の森が一筋縄ではいかない場だと思って、改めて気を引き締め直す。

 トリコは店員と相談しながら杏子の装備をどんな物にしようかと話し合っていて、その間杏子はあくび交じりにフラフラと辺りを見回して、自分でも何か自分に合った物はないかと探していく。

 その時ふと目に止まったのは壁に掛けられたセール品の安い槍。

 と言っても一本10万円のそれは普通に考えれば高級品だが、一流の美食屋は道具に関しても金を惜しみなく使う。

 そうでなければ生き残ることは出来ないし、美食屋として生計を立てて行くことも出来ない。

 高い物になると桁が一つ違う物が当たり前のようにガラスケースの中にあり、ギミックも自分が魔法少女時代の頃に多用していた三節棍のようなタイプの槍もあった。

 だが今の自分の体力とスキルではそれを使いこなせる余裕はない。

 自分にもっとも合った武器をと考えるとステンレス製で軽く、それでいながら切っ先は鋭い伸縮自在のどちらかと言うとモリに近いタイプの槍を手に取ると、ちょうど自分に合うサイズの黄色いツナギを用意してくれたトリコと合流する。

 後ろには店員も居て今度は武器に関しての相談を自分も交えてやろうとしていたのだろうが、杏子が槍を手に取っているのを見ていると、もう武器の方は決まったと思いトリコは杏子から槍を受け取ると会計を済ませようとレジへ向かう。

「これで全ての準備は万端だ。後は一旦家に帰って飯さえ持っていけば完璧だぜ!」

 そう言って親指を突き立てる姿には頼もしさが感じられた。

 今までの中で一番難易度の高い仕事になるだろうが、トリコと一緒なら大丈夫だろう。

 そんな根拠の無い自信が杏子を支え、自身もまたトリコの後を追う。

 その自信を根拠のある物に変えるため。




 ***




 トリコに買ってもらったツナギを着て、背中には槍を背負う杏子。

 杏子にも一応は戦える準備が出来たのを見ると、トリコは酒瓶を片手に目的地である常闇の森へと向かう。

 名前からして物騒な場所だと言うのは分かり、杏子の表情は険しい物に変わるばかりであり、一歩一歩の足取りも相当に重い物だった。

 気が重い状態のままトリコの背中を追っていると突然トリコの足が止まり、空になった酒瓶をリュックの中にしまうと目の前にある巨大な木の数々を指さす。

「ここが常闇の森だ」

 前にも来たことがあるトリコは記憶を頼りに最短のルートを頭の中で模索するが、杏子はその木々の大きさに圧倒されていた。

 高さが300メートル級の森林は昼間でも日の光が全く入ることはなく、まさしく常に闇に覆われた存在、常闇という言葉がピッタリな場所であった。

 一緒に買ってもらったヘッドライト付きのヘルメットをトリコから受け取ると、頭にかぶってライトを付けるが、トリコはそのままの状態で常闇の森へと入ろうとしていく。

「待てよ! お前はココほど目がいいわけじゃねーだろ? 自分の能力過信しすぎだろ!?」

「心配いらねーよ、オレの場合は鼻で道を追った方が早い」

 そう言うとトリコは鼻を鳴らしながら、強い獣が居ると思われる最深部を目指していく。

 常闇の森は奥に行けば行くほど、捕獲レベルの高い猛獣が居ると言うことはトリコから聞かされている。

 こういう場において自分の持ち味を生かす戦い方ができなければ、あっという間に猛獣の餌食になってしまう。

 ここは素直に美食屋の先輩であるトリコに従おうと杏子も後に続く。

 ヘッドライトで申し訳程度の明かりしか自分を照らす物は無く、暗闇と言う不安な状態の中杏子はトリコの足元だけを照らして彼の後に付いていく。

 久しぶりに感じる全身がひりつく感覚。

 魔法少女だった頃グリーフシードを求めての狩りをやっていた頃の感覚が蘇り、全身の血液が沸騰していくような感覚が杏子の中で蘇っていく。

 ここで元の負けん気の強さと攻撃的な性格が目覚める。

 背中に背負っている槍は飾りではないんだとばかりに引きぬいて、構えを取ると恐らくは自分たちを餌と見定めているであろう猛獣たち相手に宣戦布告とばかりに威嚇のオーラを放つ。

 全身の神経が研ぎ澄まされていくのを感じていると、その耳に草むらから移動する音が響く。

 すぐに敵だと感じた杏子は音の方向に首だけを動かすとヘッドライトに照らされた敵を相手に槍を突きたてようとする。

「オイ、よせ!」

 トリコは叫びと共に槍を突き立てようとする杏子の手を止めた。

 動きが止まると同時に杏子は照らされた敵と思われる猛獣の姿を改めて見る。

 だが、それは猛獣と呼ぶにはあまりにお粗末な存在だった。

 環境に適合するため外敵に見つからないよう、その体は黒一色に覆われていたが、体の大きさは10センチ程度の小動物並みであり、顔立ちこそむき出しの眼に同じくむき出しの牙と醜悪な形相だが、体は大きな尻尾が特徴的であり、杏子がまっさきに感じた印象は肉食獣の顔に小動物の体を付けられたようなアンバランスさを感じ取った。

「あれは『ハイエナリス』だ。こっちから仕掛けなければ襲われることはないから、不用意な攻撃はすんな」

 トリコが言う通り、杏子に攻撃の意志が無いと分かるとハイエナリスの中で戦力の分析が終わったのだろう。

 自分では勝てない相手だと分かるとまた暗がりへと帰っていき、その姿は見えなくなった。

 一応の危険が去ったのを見るとトリコは改めて杏子の姿を見る。

 未だに荒い息づかいで目に映る物全てを敵と見定めているような獰猛な肉食獣を思わせるようなその姿にトリコは一抹の不安を覚える。

 前へと進む前にまずは杏子の精神を落ち着かせようと軽く杏子の両肩を叩く。

 トリコに取っては軽く叩いたつもりなのだが、杏子の体には激しい衝撃が走ったように感じ、全身を震わせながら杏子はトリコの方を見る。

「気負いすぎだよお前、まだまだ先は長いんだからそんなんじゃ体持たねーぞ」

 ペース配分が明らかに出来ていない。

 トリコの言葉で杏子の中で落ち着きが取り戻されて眉が下がって行く。

 眉間のしわが無くなったのを見ると、トリコは改めて話し出す。

「ここには前にも来たことがある。平均の捕獲レベルは20前後と確かに危険度は高いところだが、それは最深部に入った場合だ。それにな……」

 ここで一気に勝負を決めようとトリコは自分のことを親指でさすと威風堂々とした調子で話し出す。

「野生の獣は自分より強い獲物は襲わない。言っている意味は分かるな?」

 口調こそ穏やかで優しい物だが、トリコが言おうとしていることは杏子には痛いぐらいに伝わる。

 自分の言葉で言い換えるなら「足手まといだから大人しくしていろ!」ということなのだろう。

 ついつい魔法少女時代の獰猛さが蘇ってしまったが、今の自分はグルメ細胞の移植も行われていないし、ノッキングに関しても申し訳程度の知識しか持っていない、実戦の場では何の役にも立たない存在。

 ベテランのトリコからすればそんな存在にあれやこれや引っかき回されるのは迷惑なだけであろう。

 槍だけは持つ状態にしておいたが、話を自分の中でジックリと咀嚼すると、杏子は小さく頷いてトリコの真意を読み取ったことを伝える。

 杏子が分かってくれたことを知ると、トリコは穏やかな笑顔を浮かべながら「行くぞ」とだけ言って、再び鼻を鳴らしながら奥地へと向かう。

 杏子は大人しくその背中を追っていくが、蘇るのは魔法少女だった頃の苦い記憶。

 完全に力に飲まれていたころ、初対面のさやかを相手にも好き放題悪態をついて、友達と言っておきながら腹に槍を突き刺して、ある種の達成感を感じる辺り、やはり自分は狂っていたのだと思い知らされる。

 それは自分を気遣ってくれるトリコの優しさに触れたからこそ、思い知らされること。

 足取りは先程よりも重い物だった。それはこの森の独特の湿った空気が気分を重くしているのだろうが、一番の原因はそれではないことは杏子自身が一番分かっていた。

 絶対に絶望に飲まれない。

 その負けん気だけが杏子を動かし、槍を持つ手に力がこもった。

 それだけがせめてもの抵抗だった。




 ***




 時計を見ると夜になっていて、この日は適当なところでキャンプにしようとトリコはリュックの中に入れてある。フルーツうめぼし入りの20合おにぎりを取り出すと、夕食を取る。

 杏子にも同じ物は手渡されたが、杏子は全体の4分の1も食べるとお腹いっぱいになり、残りをトリコに渡すがここで杏子の中で一つの疑問が生まれる。

「ここでは狩りをしないのか?」

 前にも来たことがあるのなら、ここにも狩りのために来たのだろう。

 だがここまで来る道中の間、トリコは襲ってくる猛獣相手にも威嚇とノッキングだけで事を済ませて、決してこの日の夕食にするような真似はしなかった。

 事前に聞いた話で最深部までには行っていないのは聞いている。

 しかし道中の中でもトリコは獲物として猛獣を狩る真似をしなかった。

 杏子が真意を聞こうとすると、トリコはため息交じりに答えて行く。

「ここの猛獣はどいつもこいつもスゲー不味いんだよ……食べれば血なまぐさいし、噛めば砂を噛んだようにジャリジャリした感覚が襲い、飲み込んだ後も舌や喉にその嫌な感覚がベットリとへばりつく!」

 その時の感覚を思い出したのか、トリコは心底げんなりとした顔を浮かべる。

 話を聞くと杏子の中でも感覚が想像されてしまい、同じようにげんなりとした顔を浮かべながらも味を想像してしまい喉が焼けつく感覚を覚えるが、おかしいと思ったことがあり、その旨をトリコに聞く。

「じゃあ何でここに来たんだよ?」

「猛獣はクソ不味いのばかりだが、ここはフルーツが美味くてな。という訳でデザートにしよう」

 そう言うとトリコは真っ黒なバスケットボール大の球体を取り出す。

 この暗闇の中では真っ黒なそれを食べ物と認識するのは難しく、たき火とヘッドライトで照らされていてもそれを目に捉えるのに杏子は苦戦していた。

「やっぱ見づらいか。この『暗黒スイカ』はその発見の難しさから、フルーツながらに捕獲レベルが5の代物だからな。だがそれゆえに味は抜群だ」

 右手をナイフの状態にすると勢いよく暗黒スイカに振り下ろされる。

 切り分けられて中身が見えるが、中身もまた真っ黒で種がどこにあるのかすら分からない状態だった。

 恐らくは環境に適応するため、自らの身を守るためにその身を漆黒に染めたのだろうが、一見すれば腐っているようにしか見えないスイカを食べるのに杏子は勇気が必要な状態になっていた。

 心臓の鼓動は一口サイズに切り分けられた暗黒スイカをトリコから手渡されても収まることはなく、食べるのに勇気がいる代物を精一杯の勇気を振り絞って杏子は口の中に入れる。

 すると襲ってきたのは優しい甘さと体が欲していた水分。

 噛めば噛むほどに甘さが口の中に広がっていく感覚は自然と杏子を穏やかな気持ちにさせて、続けざまにトリコから渡されるおかわりのスイカを受け取ると貪るように食べる。

「気に入ってもらえて何よりだ。ここの土壌は栄養が豊富だからな。肥料さえ苗に適合すれば大体の植物は育つってわけだ」

「ジョーカーマンドラゴラを栽培するのにも適してるって訳か……」

 ここで杏子は本来の目的を思い出そうと率直に思ったことを口に出す。

 トリコは黙って頷くと未だに未知数の最深部に関してもついでに話していく。

「オレも最深部に関してはまったく分からない状態だからな。今が中間地点だから明日には着くと思うんだが……」

 最後に歯切れの悪い言い方をしたのが気になり、杏子はそこに付いて突っ込んだ質問をする。

「何が言いたい?」

「自分自身冷静に実力の見定めをして、今現在のオレの捕獲レベルは20代後半~30代前半と言ったところだ。この辺りの平均は10代後半~20代前半。だがな……」

 トリコの見定めは杏子も納得するところだった。

 前にグルメコロシアムで鰐鮫を撃退したので猛獣との相性もあるだろうが、捕獲レベルを付けるとしたらトリコの実力はそれぐらいなのは理解できる。

 何となくではあるがトリコの言いたいことは理解でき、杏子は彼の言葉を待った。

「まだ確定情報ではないが、この辺りを占めるボスのレベルは30代前半ぐらいの猛獣と言われてるんだ。オレでも未知の領域だ。だからなアンコ……」

 ここからトリコはその表情を更に真剣な物に変えて、杏子にも緊張感を持たせようとさせる。

 杏子が自分の目をまっすぐと見つめ返すのを見ると、トリコは最後の忠告を言いだす。

「オレは極力お前を守るようにはする。だがオレがピンチになった時は遠慮せずにオレを身捨てろ」

 その発言から自分もこれまでのように無事に帰ってこれる保証はないと言うトリコの覚悟が杏子に伝わる。

 それだけ今回の仕事は難しいことが分かり、トリコの心配ごとを一つでも削除させようと杏子はトリコの言葉を待つ。

「お互いがお互いを思いあう。一見すれば美談のように聞こえるが、オレから言わせれば犬死もいいところだ。野生ではまず自分の命を大事にするんだ。大丈夫、逃げ帰ったところで誰もお前を攻めやしないよ」

 それだけ言うとトリコは杏子の頭を撫でて、一足先にテントへと入って就寝する。

 だが杏子はトリコが言った何気ない一言が心に深く突き刺さり、苦痛そうな表情を浮かべたまま黙ってたき火を眺めていた。

(犬死か……)

 自分が魔女と化したさやかを助けられないと分かって選んだ手段は共に自爆。

 あの時はそれに対して何の迷いも無かったが、新たな世界で命をもらった今では本当にそれが正しい判断だったのかと胸が締め付けられる感覚を覚える。

 肉体を持った自分と違い、さやかは魂だけの存在。

 こんな状態で本当にさやかを救えたと言うのかと苦しめられるばかりであり、頭の中には『もしも』のことばかりがグルグルと駆け巡るばかりであった。

「チクショウ! やめだ、バカヤローが!」

 激しい苛立ちを覚えると杏子をたき火の火を乱暴に足で踏みつけて消すと、自分もテントに入って就寝する。

 今は自分のやるべきことをやろうと、懺悔ならその後でも遅くはない。

 身勝手で無責任な思想だとは分かっていても、それ以外に自分の心を平静に保つ方法は今の杏子には思いつかなかった。

 二人分の寝息がテントから聞こえると、常闇の森は再び完全な闇に覆われた。

 喜びも悲しみもない深い深い闇だけが、2人を覆っていた。




 ***




 朝を知らせるのは朝日の光ではなく、電波時計のアラーム音のみ。

 常闇の森には日の光が入ることはなく、時間の概念を知るには時計だけしか方法がなかった。

 真っ暗な道をトリコは鼻でジョーカーマンドラゴラの匂いを辿りながら進んでいき、杏子はトリコの背中をライトで照らしながら後を追う。

 さすがに最深部へと進んでいくと、猛獣たちの獰猛な声が響き渡る。

 だがトリコたちを襲おうとはしなかった。ただ威嚇するだけで全員が身を守るだけで精一杯の状態。

 杏子はトリコの言っている『自分より強い獲物は襲わない』と言う言葉がよく理解でき、いかに自分が軽率でそして一人で突っ走ていたかを思い知らされてしまう。

 魔法少女時代でも使い魔が魔女になるまで待つぐらいの冷静さは持っていた。

 それさえも失くしてしまいそうだったことに、杏子は少なからずの危機感を感じ、何も言わずにトリコの後を付いていくが、突如トリコが右手を突き出して自分の歩みを止めると黙って前方を指さす。

「何か来るぞ」

 トリコが鼻を鳴らすと匂ってきたのは生々しい乾ききっていない血の匂い。

 警戒心をトリコが高めたのを見ると、杏子もまた槍を前方に突き出して戦闘態勢を取る。

 暗闇の中前方から現れたのは予想外の存在だった。

 鎧のような真っ黒な甲殻で覆われたジャガーのような猛獣は口から血反吐を吐きながら、トリコたちの存在など気にも留めず、前へ前へとヨロヨロとした足取りで前足を進ませていく。

 トリコが杏子をどかして道を譲ると、目に飛び込んだ光景にトリコは驚愕の表情を浮かべてしまう。

 その体は真っ二つに切り裂かれていたからだ。

 下半身が完全に上半身と生き別れになった状態でよたよたと歩み続けるも、猛獣にも最後の瞬間が訪れる。

 苦しそうに小さく痙攣を繰り返しながら、息絶える様子を見てしまうと反射的に二人は死体に向かって手を合わせ合掌のポーズを取る。

 杏子は漆黒の中でも道しるべのように残った血の道に目が釘付けとなっていたが、トリコはその死骸に目を付ける。

「こいつは……捕獲レベル24の『カッチュウジャガー』こいつの体を殻ごと噛み砕くなんて……」

 カッチュウジャガーは常闇の森でも上級レベルの猛獣。

 そしてその殻は完全に防御態勢を取れば、自分よりもレベルの高い猛獣の牙さえも簡単には寄せ付けない硬度。

 そんなカッチュウジャガーを簡単に餌にしてしまうところを見ると捕食者は間違いなく、この常闇の森を占める大ボス。

 思っていた通り厳しい戦いになるだろうとトリコは思いながら、恐らく戦うべき相手がいるであろうと思われる最深部へと血の道しるべを追うことにする。

 トリコが歩き出したのを見ると、杏子は死骸をそのままにしておくことに多少の罪悪感を感じた物の今は自分たちの目的を達成するのが先だと判断してトリコの後を追う。

 血の道しるべはライトがなくてもハッキリと見え、その匂いはトリコでなくても鼻に飛び込む強烈な鉄の匂いを発していた。

 これまで見えないことから思っていた以上に歩が進まず、フラストレーションが溜まる状態であったが、一つ道しるべが出来るだけで劇的に進むことができるのを杏子は感じ、足早に進んでいくトリコの後を追い続けると、人の手が施されてない獣道が開け、人の手で整備された平原が目に飛び込む。

 トリコが手を出して杏子を止めると、恐らくジョーカーマンドラゴラを製造していると思われるブラッドベリーの根城をジックリと観察する。

 簡素な掘っ立て小屋の隣には小さな畑があり、地面の頭からは出荷前のジョーカーマンドラゴラが顔を出していて、証拠を集めるためにトリコは懐からデジカメを取り出すとその様子を写真に収めていく。

 すると足音が聞こえてきて、トリコは反射的に杏子を抱えて木蔭へと身を潜ませる。

 肥料と思われる物が入ったバケツを片手に現れたのは、ジョーカーマンドラゴラ栽培の容疑者ブラッドベリーだった。

 杏子はトリコに抱えられながらツナギの胸ポケットに入れた容疑者の写真を改めて見る。

 スキンヘッドの頭に肥満体の肉体、2メートルを超える大男と特徴の塊のような姿は一度見たら忘れることはなく、間違いなくブラッドベリーその人であり、懐からスコップを取り出して肥料を畑に撒こうとしているブラッドベリーを見ると、トリコは杏子を抱えながら彼の前に飛び出していく。

「テメェがジョーカーマンドラゴラ栽培の容疑者ブラッドベリーだな?」

 杏子を後ろに追いやると、トリコは怒気が含まれた声でブラッドベリーに対して威圧的に話しかける。

 このことを知っている辺り、兄のクランベリーは捕まったのだとブラッドベリーは直感的に理解し、スコップをバケツの中に放り投げるとトリコと向かい合おうと振り向いて話し出す。

「いかにも。その様子だと兄は捕まったようですね」

「そういうことだ。大人しく投降しろ、そうすればぶん殴らねぇでおいてやる」

「嫌だと言ったら?」

 その挑発的な態度が気に入らないのか、トリコは額に血管を浮かび上がらせながら指関節を鳴らし、ブラッドベリーの胸倉を掴むと自分の元へ引きよせる。

「ぶっ殺す!」

 殴ろうと拳を握りしめて振り上げようとした時、トリコの優れた嗅覚が畑から異質な匂いを感じ取る。

 それは本能的に感じた人間が嗅いではいけない匂い。

 過去にもこの不愉快な匂いを嗅いだことはあるが、それが何なのか思いだせず、コンマ一秒の間ではあったがトリコの動きは止まった。

 次の瞬間トリコを襲ったのは死角となっている左方向からの強烈な一撃。

 何が起こったのか分からずにトリコが衝撃の方向を見ようとしたが、その瞬間には自分の体がブラッドベリーの元から離れていく光景が目に飛び込んだ。

「トリコ――!」

「アンコ!」

 杏子の叫びも空しく、トリコの姿は常闇の森の奥深くへと消えて行く。

 トリコが居なくなり、戦力と思われない杏子しかそこに居ないのを確認すると、ブラッドベリーは下卑た笑みを浮かべながら杏子に近づいていく。

 それに対して杏子は槍を突き出して戦闘意欲があるのをアピールする。

「そんな怖がることはないよ。私はね、君にもジョーカーマンドラゴラの素晴らしさを分かってもらいたいだけなんだ」

「ヤク漬けの何が素晴らしいってんだ! ふざけんな!」

 身勝手なブラッドベリーの言葉に激怒した杏子は槍を突き出して突進するが、ブラッドベリーは簡単に横へかわすと、杏子の体は畑へと投げ出され、前方に勢いよく転んでしまう。

 地面に耳が付くと、杏子の耳に届いてきたのはうめき声にも似た躍動だった。

 地面の中で何かがうごめいている。それを直感的に感じた杏子は勢いよく立ちあがって畑から離れる。

 その直後に畑から飛び出したのは植物の根のような触手の数々。

 まるで食虫植物が獲物を求めるかのように動き回るそれを見て、知識の無い杏子でも分かったことがある。

 ジョーカーマンドラゴラが何を肥料にして育ち、そして行方不明になった美食屋の末路がどうなったかということを。

「テメェ……それが人間のやることか!?」

 杏子が怒りと共に叫ぶと同時に触手が勢いよく畑から飛び出していく。

 その先端にはいくつもの人骨と思われる骨や腐り始めた人間の腐乱死体が多々あり、ジョーカーマンドラゴラが人間を主な養分にして成長しているのが理解できた。

 更なる餌を求め、根は人間を求めて怪しくうごめくばかりであり、その様子を愛おしいと感じたブラッドベリーはバケツの中の肥料を撒くと、根は再び地面の中へと消えていき、肥料を貪るように吸い尽くしていく。

 肥料が消えてなくなったのを見ると、ブラッドベリーはニヤニヤと笑いながら、杏子の元へと近づいていく。

「済まないな。ジョーカーマンドラゴラよ、やはりカッチュウジャガーのミンチでは物足りない部分もあるだろう。もう少しあれば満足できたのだろうが、家のペットは大飯ぐらいでな……」

 ブラッドベリーが言った『ペット』と言うのが相当な強敵だと言うことは杏子にも分かること。

 自分の目には何かが動いたようにしか見えず、気が付いた時にはトリコはペットと共に消えてなくなっていた。

 ここに居るのは自分だけ、トリコの言葉が脳内で再生されるが、杏子の中で逃げると言う選択肢は無かった。

 人間を餌としてしか見ていないブラッドベリーを見て、魔法少女時代の激しい胸を焦がすような怒りが蘇っていく。

 目の前にいる肥満体の男をキュゥべえとだぶらせてしまうと槍を持つ手に力がこもる。

 杏子に降伏の意志が無いと判断するとブラッドベリーは歩みながら、最後の質問を杏子に尋ねる。

「私のジョーカーマンドラゴラの素晴らしさを理解してもらえないことは分かった。ではせめてその身を捧げてもらおう、その前に名前でも聞かせてもらおうか?」

「アタシはアンコ……」

 これは宣戦布告だった。

 魔法少女としてではなく、一人の美食屋としてこの世界で戦い抜く。

 さやかのために、そして自分自身のために生まれ変わろうとするため槍を突き出し、足の親指に力を込めると勢いよく杏子は叫ぶ。

「美食屋アンコだ!」

 魔法少女としてではない、美食屋としての杏子の戦いは今始まった。

 最初に戦うのは人間を肥料として悪魔の植物を育てる人の皮を被った外道。

 自分の選択に後悔しないためにも絶対に勝つと心の中で何度も復唱し、杏子はブラッドベリーへと立ち向かう。

 それは命を守るだけではない、人として心を守るための戦いでもあった。




 ***




 トリコが解放されたのはペットの縄張りと思われる広大な草原だった。

 だが草も真っ黒であり、相変わらず周囲は暗闇に覆われたままなので、ブラッドベリーのペットの姿を見つけるのも難しく、トリコは目を凝らしてジックリと見つめると、ようやくその姿をハッキリ捉える事が出来た。

「そういうことか……ここはテメェのフィールドって訳だな?」

 突進で未だに痛む脇腹の痛みに堪えながらも、トリコは指の関節を鳴らしながら猛獣を相手に威嚇の態度を取る。

 暗闇に目が慣れるとその姿がようやくハッキリと捉えられる。

 両の側頭部には巨大な角が二本生えていて、何度も何度も獲物を突き刺したため真っ赤に染まっていた。

 体はその環境に適応するため漆黒に染まっていたが、目だけは真っ赤に光り輝いていて、その目がライトのような役割を果たして暗闇の中でもハッキリと獲物を捉えることが出来ていた。

 実際にその姿を見るのは初めてだが、予想通りの強敵を相手にしなくてはいけないことにトリコは邪悪な笑みを浮かべながら、宣戦布告とばかりに猛獣についての情報に付いて語っていく。

「捕獲レベル34『シャドーミノタウロス』その姿はまさしく、この常闇の森のボスと呼ぶに相応しい存在だな……」

 シャドーミノタウロスは後ろ足で何度も地面を後方に蹴り飛ばすと、こちらもまた宣戦布告とばかりにトリコへ威嚇の行動を示す。

 双方共に戦闘の準備が出来あがったのを見ると、トリコは両手をこすり合わせて金属音を辺りに響き渡らせると間合いを一気に詰めて、右手に力を込めて拳を突き出す。

「4連釘パンチ!」

 先程の突進攻撃からシャドーミノタウロスを相手に調子づかせるのは危険だと判断したトリコは、スピードが付く前に倒す先制攻撃の作戦へと出る。

 これは元々自分が得意としている即効型の戦い方であり、単純な力比べの戦い方は自分にもっとも適した物。

 狙い通りまっすぐに突っ込むことしか出来ないシャドーミノタウロスは自分から釘パンチを食らってしまい、角が発達している分、頭蓋骨の中で一番骨が薄い額の部分でトリコの必殺技を食らってしまったシャドーミノタウロス。

 何度もパンチの衝撃が響き渡る感覚が、トリコの拳に伝わってくる。

 合計で4回の衝撃が自分の右腕に伝わってくるのを感じると同時に襲ってきたのは激しい筋肉痛。

 まだ無理のある4連釘パンチはトリコの体にも激しい負担がかかる。

 一気に勝負を決めようと判断した行為なのだが、トリコは筋肉痛に一瞬目を閉じて歯を食いしばって痛みに耐え抜こうとするが、すぐに目を開くとシャドーミノタウロスを倒したかどうか見定める。

(やったか?)

 動きが止まったのを見てトリコは倒したのかと一瞬思ったが、その希望は背中に感じた刺さるような痛みで打ち消される。

 筋肉痛に耐えているほんの一瞬の間でシャドーミノタウロスは別の作戦へと切り替えていた。

 角で突き刺して殺すのではなく、角を双方から伸ばしていき、2本の角でトリコを覆い囲むとそのまま前方へと持っていき、締めあげていく。

「あ……あぁ……」

 背中に回された角は万力のようにトリコの体を締め上げていく。

 今までに感じたことのない激しい痛みがトリコを襲い、その口からは自然と苦しみのうめき声が発せられる。

 トリコの中で広がっていくのは上半身と下半身が生き別れになるイメージ。

 イメージを現実の物にさせないため、トリコは額に血管を浮かび上がらせ、怒りを力に変えて右手を手刀の形にすると角の根元に振り下ろす。

「ナイフ!」

 振り下ろされたナイフだが、金属音が響き渡ると同時にトリコの右手から伝わってきたのは激しい痙攣のような痛み。

 両足が地面に付いていない踏ん張りの効かない状態で放たれるナイフは通常の半分の威力もない。

 だが頭に血が上っているトリコはそのことにも気付かず、ひたすら何度も何度もナイフの攻撃を繰り返すが、表面に細かな傷が付くばかりであり、根元から切り落とすことが出来なかった。

 右腕の痛みが限界にまで達すると、ナイフでの攻撃が無意味な物と判断し、トリコが取った次の作戦はがら空きになっている首に自分の両腕を回す。

 右腕を首に回し、左腕で抱え込むように締めあげるとチョークスリーパーの状態を取って、シャドーミノタウロスとの根競べで勝負を決しようとする。

 両腕に力が込められトリコの腕の中で締めあげる感覚が伝わってくる。

 角の攻撃が届かない首にかかる攻撃はシャドーミノタウロスに効果的であった。

 角での締め上げが弱まり、伸びた角が元に戻っていくとトリコの体は地面に下りて行き、トリコの両足が地面に付く。

 足が地面に付いて踏ん張りが効く状態になったのを見るとトリコは一気に勝負を決めようとする。

 そのまま後方に寝転がってシャドーミノタウロスの体ごと持ち上げると、一気に締め上げて圧死させようとする。

 だが次の瞬間トリコを襲ったのは激しい死のイメージ。

 理由は分からなかったが自らの直感を信じて、トリコは締めあげていた腕を解こうとする。

 だが時既に遅し、トリコの胸部は何かに貫かれて貫通し、その地面に鮮血が広がって行く。

「ぶばぁ!」

 それと同時に口から勢いよく血反吐を拭きだすトリコ。

 体勢を立て直した四本の足でしっかりと立ち上がるシャドーミノタウロスは脳に新鮮な酸素を取り込もうと何度も荒い呼吸を繰り返していた。

 その前頭部から飛び出ているのは今まで隠していた3本目の角。

 恐らくはよほどの強敵を相手にする時ではなければ出されない角はシャドーミノタウロス自身も今まで存在に気づいていなかったらしく、自分の目の前に滴り落ちる鮮血が何なのか理解出来ずに何度も辺りを見回していた。

 シャドーミノタウロス自身でさえも理解できていない武器を自分が予測できるわけがない。

 トリコは何度も荒い呼吸を繰り返して、脳に新鮮な酸素を送って生きることに必死でしがむつこうとするが、目の前に広がる景色は焦点が合わず、目を開けることすらままならない状態から、その脳内に広がっていくのはあまりにリアルな死のイメージ。

 幾多もの亡者が自分の体を引きずりこもうとしているイメージが広がっていき、トリコは目を閉じて、その意識はブラックアウトしていく。




 ***




 目を開けた先に広がっていくのは漆黒の世界、だが常闇の森とは違い本当に何もない闇の世界だった。

 そんな中で一つだけハッキリとトリコの目に止まる物があった。

 それは腰巻一丁の夜叉と呼ばれる存在が何かを貪る様子。

 物が何か気になったトリコは反射的に近づいていく。

(何だこりゃ?)

 あまりの衝撃にトリコは驚くことも忘れて何も言葉が出なかった。

 夜叉が食べているのは虚ろな目つきで空を見上げる裸の自分自身。

 夜叉の存在には心当たりがある。

 戦う時に気合を入れると自分の中で広がっていくイメージがこの夜叉。

 今この状況は言うならば自分が自分を食べているような状態、この異常な状態をトリコは理解できずにただただ困惑するばかりだが、昔の思い出が思い返されると脳内での再生が始まる。

 それはまだトリコが美食屋として歩み始めた時のこと。

 独り立ちしようとした時に今まで自分に修業を付けてくれたIGO会長の一龍から言われた言葉。

 それはピンチに陥った時に起こる現象のこと。

 栄養飢餓状態に陥った生物が自らの細胞内のたんぱく質をアミノ酸に分解して、一時的にエネルギーを得る仕組み。通称『オートファジー』

 生命の危機を回避するため、二度と困難に屈せぬよう、進化を求めて肉体に驚異的なパワーを発揮させる現象。

 これから先何度も体験するであろう現象を一龍は口頭で伝えたことをトリコは思いだしていた。

(これがそのオートファジーって奴か?)

「そうだ……」

 頭の中で思っていたことがそのまま伝わる辺り、やはり今自分を食べている夜叉は自分なのだと実感させられる。

 夜叉は口元に塗られた血を拭くことなく、獰猛な笑みを浮かべながら語っていく。

「そう長くは持たん……タイムリミットは5分だ。その間に何か食べることができればよし、だがそれまでに何も食べれなければ……死ぬぞ」

 夜叉の言葉でオートファジーに付いての情報が思い返される。

 栄養飢餓の一時的な回復でしかない状態が長く続けば、自らが自らの細胞を食べ尽くして細胞は死に至る。

 常に死の覚悟を持って戦いに挑んでいるトリコだが、最悪のイメージを現実の物にさせないため、最善を尽くそうとトリコは目を閉じて意識を現実に戻そうとする。

「出来ることならば勝てよ……」

 最後の最後で夜叉から送られたエールに対して、トリコは小さく頷いた。

 そして視界は闇から光へと変わり、自らの体が光で包まれていくと同時に意識は現実へと戻っていく。

 生きるための戦いへと戻っていくために。




 ***




 目を覚ますと胸の傷は筋肉によって塞がれていた。

 そして様々な情報が一気に思い起こされる。

(あの匂い……思いだした!)

 自分の傷よりも先に思い出したのは畑から匂ってきた不愉快な匂いの正体。

 何度も何度も人が無残に死んでいく現場を見てきた幼少時代。

 腐乱が始まった死体を焼いた時に嫌でも嗅いでしまう匂い。それがあの畑から匂ってきたので、行方不明になった美食屋たちの末路もトリコの中で決定してしまった。

 杏子がその過酷な現実に屈しないであろうと言うことは理解できる。

 だがそれでも出来る限り自分が守ると言った発言には責任を持ちたい。

 そして自らが生き残るためにも今は戦うべき相手と決着を付けなければいけない。

 トリコは勢いよく立ちあがると同時に獰猛な雄たけびを発する。

 森全体が揺れるような大声に脳に酸素を取り入れることで精一杯だったシャドーミノタウロスもトリコの方を向く。

「牛! 食うぞオラ!」

 挑発の叫びで大地が揺れる。

 その瞬間その場に隠れていた全ての獣たちが逃走していったが、シャドーミノタウロスだけは後ろ足で地面を蹴って勢いを付けると、先程気付いたばかりの自分の武器、3本目の角を額から突き出して勢いよくトリコに向かって突っ込んでいく。

 突っ込んでいくシャドーミノタウロスに対して、トリコは両手を大きく広げて戦闘態勢を取り、興奮しきった状態のまま左手を後方へと持っていき、勢いを付けると前方に突き出す。

「フォーク!」

 左手の突きによるフォークの攻撃がシャドーミノタウロスの目に突き刺さる。

 的確に急所のみを突く攻撃は効果的であり、突進は止まり目から血の混じった涙を流しながらよろめく。

「フォ――ク!」

 的が動かなくなったのを見るとトリコのフォークによる容赦ない連打が襲いかかる。

 覚悟を失った筋肉は楽にフォークでの攻撃が突き刺さり、前足、後ろ足の腱が切られると、シャドーミノタウロスは力なく横たわっていく。

「ナイ――フ!」

 この状態でもトリコは冷静さを失わず、獰猛な攻撃を繰り返す。

 ここから逆転される可能性も十分に考えられるので、突進力とは別にもう一つの武器である角へとナイフは振り下ろされていく。

 先程ははじき返されるだけだったが、両足の踏ん張りが効き、オートファジーによって威力が増加しているナイフは一振りだけで、その角に大きな傷が付き、今にも折れそうになっていた。

「ナイフ! ナイフ! ナイフ! ナイ――フ!」

 何度も何度も手刀が振り下ろされていくと、傷はヒビに変わって3本の角はナイフによって切り落とされていく。

 だがそんな中最後の抵抗をシャドーミノタウロスは見せた。

 振り下ろされていくナイフに合わせて、大きくシャドーミノタウロスは口を開いて、その手に噛みついた。

 生きることを諦めないシャドーミノタウロスはトリコを食べようとするが、口の中で広がったのは咀嚼の感触ではない。

 呼吸さえままならない状態を感じ、喉が詰まるような感覚を覚える。

 四本の足の腱が切られているにも関わらず、視界は立っている時と変わらない状態に戻されていく。

 状況が理解できていないシャドーミノタウロスに構わず、トリコは真っ赤なオーラを全身に纏いながら左手を後方に持っていき拳を力強く握る。

 口の中の右手は噛みつかれた瞬間に覚悟を決めて筋肉を硬直させ、シャドーミノタウロスの牙を弾き返し、無防備になった一瞬の間に口の中にあった舌を掴んでそのまま強引に持ち上げていた。

 舌を勢いよく前方に引っ張られると言う初めて体験する痛みに、シャドーミノタウロスはどう対処していいか分からず、目の前に居るトリコを見ることしか出来なかったが、勝負は決しようとしていた。

「5連釘パンチ!」

 倍近くに膨れ上がった左拳は先程と同じように急所である額へと振り下ろされる。

 先程は耐え抜いた攻撃だが、今度のそれは威力が桁違いだった。

 4連でヒビが入った額の骨が一気に崩壊していくのをシャドーミノタウロスが感じる頃には、その意識は現実には存在せず、後方に吹っ飛ばれていく頃には既にその命の灯は消えていた。

 後ろの大木にその巨体がぶつかって初めてその体は止まり、顔面の穴と言う穴から血を噴き出しながら倒れていく様子を見届けると、トリコはようやく勝利を確信し、荒い息づかいながらも自分のために命を分けてくれたシャドーミノタウロスに対して、感謝の気持ちを伝えようと、真剣な顔を浮かべながら手を合わせて合掌のポーズを取る。

「この世の全ての食材に感謝を込めて、いただきます」

 自分の信念を言うと同時に勢いよくトリコはシャドーミノタウロスにかぶり付く。

「ぐわぁ! 不味い!」

 食べた瞬間襲ったのは粘土でも食べているような気持ち悪い食感。

 早いところ飲み込んでしまおうと強引に胃の中へと流し込むが、次に感じたのは食道全体に塗装材を塗りつけられたような不愉快な感覚。

 胃に到達した頃トリコを襲ったのは腹の中に石でも詰められたような不愉快な重み。

 まるで童話の中の狼にでもなったような気分になったが、食材は全て自然の恵み。

 何度も「不味い!」と叫びながらも10分間かけて、シャドーミノタウロスを骨のみの状態にして全て食べきった。

「ごちそうさまでした」

 全てを食べきるとトリコは最後にシャドーミノタウロスに感謝の気持ちを伝え、一応のエネルギー補給が出来たことを確認する。

 これで細胞を全て食べ尽くしての死去は無くなったと確信するが、お世辞にも美味いとは言えないシャドーミノタウロスは細胞の進化には繋がらなかった。

 だがそれでも今はエネルギーの補給が出来ただけでも十分。

 胸の傷が完全に塞がったのを見ると、足に力を込める。

 鼻を鳴らして杏子の匂いを見つけると、その方向に向かってまっすぐかけ進む。

「間に合ってくれよ! アンコ!」

 杏子に覚悟ができているのは知っている。

 だが救いたいと言う思いの方がトリコは強く、勢いよく走り続ける。

 それがパートナーである自分の役目だから。





本日の食材

ハイエナリス 捕獲レベル2

肉食動物ではあるが、他の猛獣が食べ残した獲物を食べることで生き延びるハイエナの特性とリスの機敏性を併せ持った猛獣。

一部のゲテモノマニアの間ではペットとしても飼われている。

暗黒スイカ 捕獲レベル5

身を守るため皮を真っ黒にさせて環境に適応したスイカ。

常闇の森ではそこら辺にある石ころと見分けがつかないため、発見の難しさから5のレベルが付けられた。

カッチュウジャガー 捕獲レベル24

漆黒の日本風の鎧兜のような甲殻を身に纏っていることから、この名が付けられたジャガー。

完全な防御態勢を取れば捕獲レベルが上の猛獣でさえも簡単には突破できず、肉は食用に向かないがその甲殻はすぐれた職人の手にかかれば、一級品の調理器具へと変わる。

シャドーミノタウロス 捕獲レベル34

自らの体を漆黒に染め上げ視覚的にも見ずらく、目は赤外線スコープと同等の働きを見せていて、暗闇の中でも獲物を目がけて自由に動き回ることが出来る。

突進力に加えて角は伸縮自在で突く以外にも伸ばして締めあげることも可能で、高い知能も持ち合わせている。





と言う訳でジョーカーマンドラゴラの栽培編になりました。

オートファジーをトリコが経験したのは本来なら宝石の肉編が初めてなんですが、物語の都合上再構成して今回初めてオートファジーを経験してもらいました。

しかし、その際トリコは皆美味い食材を食べてグルメ細胞進化しましたが、不味い物食べたら逆にパワーダウンするなんてことはないんでしょうか心配ですw

食材に感謝していても不味い物は不味いとハッキリ言う性格ですからねトリコは。

次回は杏子とブラッドベリーの対決になります。

次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ11 毒か? 薬か?
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:d307e754
Date: 2012/09/24 18:08




 真っ暗な草原の中で互いの体を照らすのは畑に設置されたライトのみ。

 杏子とブラッドベリーは互いに距離を取って牽制しあっていて、お互いに踏み出そうとはしなかった。

 だが理由は双方で違う物。

 杏子は久しぶりの戦闘に加えて、グルメ細胞の移植も行われていないため、迂闊に飛び込むのは危険だと判断したため。

 ブラッドベリーはその巨体と肥満体から、機敏な動きをすることが出来ず、今立っているだけでも足を重そうに引きずっている状態であった。

(あの動きから、奴は待ち伏せ型ってところか……)

 対峙したばかりでもその動きからブラッドベリーの戦い方を杏子は予測する。

 明らかに格下の自分を相手にしても決して自分から仕掛ける真似をしてこない辺りから、それは確定事項と言ってもいい。

 だがこのまま待っているだけでは自分に待っているのは確実な死。

 ゆっくりではあるがブラッドベリーはすり足で距離を詰めていき、両手を突き出して杏子の体を掴もうと指を細かに動かし続けていた。

 相手に合わせて戦うつもりは毛頭無い杏子は自分の色を貫こうとする。

 後ろ足に力を込めると前方に向かって突っ込んでいく。

 一気に勝負を決めてしまおうと槍の切っ先をブラッドベリーの心臓に目がけて突き刺そうとする。

 素早い杏子の動きに付いていけずにブラッドベリーの左胸に槍が突き刺さるが、杏子に勝利の確信は無かった。

(何だ? この泥の中に腕でも突っ込んだような感覚は?)

 宙に浮いた状態で槍を突き刺したままの杏子は異常な状態にも関わらず、顔色一つ変えないブラッドベリーに恐怖を感じていた。

 それだけではない今まで魔女との戦いでダメージを与えた時の手応えと言うのは体が覚えていたが、今自分の手に伝わっているのは肉の感覚のみ。

 何が何だか分かっていない杏子を無視して、ブラッドベリーは額に血管を浮かべながら力を込めていく。

 突き刺さった槍が前方に戻されていくと、吐き出されるように槍は噴出し、掴んでいた杏子の体も一緒に後方へと突き飛ばされた。

 槍が突き刺さっていた部分には血が一滴も出ておらず、ただ贅肉が内側にめり込んでいるだけであり、それは時間と共に元の形状へと戻っていき、完全に元の状態に戻るとブラッドベリーはかゆそうに刺さった部分をかくだけだった。

「人間と言うのは体に取り込んだ物が有害な物だと判断すると、本能的に吐き出すようになっているものだ。今回のもそれにあたる」

「偉そうに、ただたんにブクブクと肥え太っているだけだろうが!」

 ブラッドベリーとの戦力差を認めたくない杏子は精一杯の悪態をつくことで、せめてもの反撃をする。

 槍を地面に突き刺して立ち上がる杏子をブラッドベリーは見下ろしていて、再び槍を突き出した杏子を見ると懐から使いこまれた包丁を取り出すと改めて杏子と対峙する。

「これだけのことをしたのだ。もう遊びでは済まされないぞ娘」

「格好付けてんじゃねーぞ!」

 包丁を持った途端にブラッドベリーのオーラが変わり、殺気に満ちたそれに一瞬ではあるが杏子は飲み込まれそうになっていた。

 だが元々の負けん気が強く短気で攻撃的な性格がそれを払拭し、再び同じように槍を突き出して突っ込んでいく。

 切っ先が同じところに触れようとした瞬間、ブラッドベリーは包丁を勢いよく振り下ろして切っ先を地面に叩き落とす。

 刃が地面に突き刺さったのを見ると杏子の口元が邪悪に歪む。

 それだけで自分の攻撃が終わったと思いこんでいたブラッドベリーは包丁を振り下ろしたまま無防備な状態でいたのを杏子は見逃さず、刺さった槍を軸にして逆立ちをすると体を一回転させて、鼻っ柱に向かって回し蹴りを放つ。

 足に伝わるのは先程とは違い骨の固い感覚。

 痛みが足に伝わるのは相手にもダメージがある証拠。

 狙い通りの状態になったのを見ると杏子はそのまま両足を前方に持っていき、両足で力一杯顔面を蹴り飛ばす。

 この予想できなかった組み立てられた攻撃に、ブラッドベリーの体は後方に押し倒され、大の字になって倒れていった。

 思った通り普通の人間でも急所だらけの顔面を思いっきり蹴飛ばされればダメージはあって当たり前。

 ブラッドベリーは防御を脂肪のみに頼って他の技術が全ておろそかになっていると判断した杏子はここで一気に勝負を決めてしまおうと、槍を掴んでいた両手に力を込めて槍を地面から引き抜くと空中で切っ先を倒れ込んでいるブラッドベリーに向けて、重力に任せて共に落下しようとする。

 杏子がトドメを刺そうと大胆な動きになったのを見てブラッドベリーはゆっくりと起き上がっていくと、肩で槍の切っ先を受け止める。

 力が双方違った方向から加えられて槍は勢いよくしなって暴れ出す。

 暴れまわる槍を掴み続けることは今の杏子には難しく握力がもたずに、槍は手から離れていく。

 そして落下していく杏子を抱きしめるようにブラッドベリーは受け止めて、そのまま自分の胸へと体を押し込んでいくと杏子の体を贅肉の海へと埋め込む。

「私はこれだけしか能が無いが、君一人殺すには十分だろう」

 そう自嘲気味に言いながらブラッドベリーは杏子を掴む手に力を込めて、その体を自分の中へと埋め込んでいく。

 単調な攻撃ではあるが体全体が肉の中に埋め込まれ、呼吸さえままならない状態に杏子の意識は遠いところへと持っていかれそうになる。

 唯一の武器である槍は自分の後方へと持っていかれ、両腕が辛うじて出ている程度の杏子に反撃のすべはないだろうと判断したブラッドベリーは自分の勝利を確信して中で苦しそうにうめき声を上げている杏子の様子を見る。

(どれ、そろそろ様子でも見るか)

 ブラッドベリーは外に出ている杏子の両腕が苦しそうに痙攣しているのを見て、決着は付いたと判断して見下ろすように顔を持っていく。

 その瞬間杏子の腕に力がこもり、ツナギの袖から少しだけ出ていた紐を外側に向けて思いっきり引っ張る。

 すると内側に仕込んでおいた武器が発動し、ブラッドベリーの顔に勢いよく黒い粉末が噴き出されてかかる。

 何が何だか分かっていないブラッドベリーだったが、目に激しい痛みが走り、鼻腔全体が炎症を起こしたかのような苦しみが襲い、口内にも同様の症状が現れる。

 この状態では腕に力を込めていることは困難であり、ブラッドベリーは杏子を地面へと投げ飛ばすと、胸ポケットからハンカチを取り出して顔に付着した黒い粉末を拭きとろうとする。

「これは『パウダーペッパー』か!? 小癪な真似をして!」

 初めて効果的な攻撃を食らったことでブラッドベリーはそれまでの冷静さを失い、激昂した状態で叫ぶ。

 パウダーペッパーは普通に食べても刺激的なコショウだが、目や鼻に入ればそこらの催涙スプレーよりも強烈なダメージが襲い、火薬として扱うことも可能な扱いには細心の注意を払わなければいけない食材。

 トリコがもしもの時のために仕込んでおいてくれた武器に感謝しながら、杏子は四つん這いの状態で槍の元まで近づいていくと、咳き込みながらも杏子は槍を取って槍を地面に突き刺して立ち上がる。

 そして未だに苦しそうにハンカチで顔を拭いているブラッドベリーの戦力分析を改めて行おうとする。

 この攻撃に怯むあたりで単純な戦闘力はそれほど高いとは言えず、どちらかというと受け身で先程の圧迫攻撃で一気に勝負を付けるタイプだと思った。

 だがここで一つ気にかかる点が杏子の中で生まれる。

 時間稼ぎも兼ねてその辺りの疑問を杏子はブラッドベリーへとぶつける。

「何でだ? お前自身の実力は大したことないのに、お前のペットはトリコと同レベルの猛獣だろ? 何でお前如きがそんな猛獣を飼いならせるんだ!?」

 挑発的な言葉にもブラッドベリーは至って冷静であった。

 顔全体をハンカチで拭き終えると未だにパウダーペッパーの後遺症で目に涙を浮かべている状態であるが、ブラッドベリーは自分の心情をポツポツと語り出す。

「奴は、シャドーミノタウロスは私たち兄弟が……いや私たちに父親が居た頃からずっと一緒だった家族だ! 例え私自身の戦闘力が低くても主従関係を結べるのは当たり前だ!」

 子供の頃の思い出を思い出すと、ブラッドベリーは柄にもなく大声を上げて興奮した様子を見せる。

 それでも杏子の表情には何の変化もなく、冷淡にブラッドベリーを見つめるだけだった。

 人の気持ちをくみ取る方はどちらかと言えば苦手な方であり、自分の意見をごり押しするタイプと言うのもあるが、何があっても麻薬を栽培するブラッドベリーを許すわけにはいかないと言う想いが強かったから、杏子は揺らぐことはなく話の続きを待っていた。

 ここで昔の事を思い出したのかブラッドベリーは過去の話を始める。

 早くに母親を亡くしたクランベリー、ブラッドベリー兄弟は父親一人によって育てられていた。

 料理人として多くの人に食事を与えようとしていた父親だが、料理人としてのレベルは低く毎日貧乏な暮らしを余儀なくされていた。

 幼い兄弟を育てるため、父親が選んだ手段、それは一発逆転の新食材を見つけることであり、当時はまだ開拓も進んでいなかった常闇の森へと向かっていた。

 だがほとんど素人と変わらない父親は瞬く間に自然の洗礼を受けて、死の淵をさまよう結果となる。

 そこで偶然シャドーミノタウロスの子供が彼を見つけて、父親は子供のシャドーミノタウロスの背に乗せられた状態で無事に元の街へと戻って行った。

「その時偶然に持ち合わせていたのが、ジョーカーマンドラゴラの苗だ。父はこれを天からの贈り物と思い、丹念に育てていた」

 そんな父親の献身的な愛情が実を結んだのだろう、ジョーカーマンドラゴラは見事にその果実を実らせた。

 早速家族全員で食べると一口食べただけで心地よい陶酔感に身を酔わせ、今までにない幸福感が一家を包み込んでいた。

 この状態が特に強かった父親は決心したこの実が与えてくれる幸せを皆にも与えてやろうと。

「ちょっと待て!」

 当時を思い出して懐かしそうに語るブラッドベリーを止めたのは杏子の大声。

 あまりに簡単に暴走し続ける一家を見て、もう変えようのない事実なのは分かるが、杏子はその事実に対して噛みつく。

「何でそんな簡単に異常な状態を受け入れられんだよ!? どう考えたって麻薬の類であることは分かることだろうが!」

「止める第三者が居れば、その可能性も考えられただろう。だが全員が陶酔している状態なら、それは無理な話だ」

 強引に杏子の話を止めさせると、そこから思い出話が再開される。

 ジョーカーマンドラゴラ入りの食材は大繁盛した。独学ではあるが父親はジョーカーマンドラゴラの完全な養殖に成功し、子供たちもまた成長し続けるジョーカーマンドラゴラを見て、その成長を美しいと感じていた。

 だが蜜月の時は長くは続かない物。

 IGOからジョーカーマンドラゴラが第一級の麻薬食材と認定されてから、一家は全員グルメ刑務所へと搬送されそうになるが、間一髪のところで成体になりつつあったシャドーミノタウロスに助けられ、一家は逃げるように常闇の森へと消えて行った。

 そこからは追っ手が来ないのをいいことに一家は常闇の森でジョーカーマンドラゴラを栽培し、裏ルートでさばいていき生計を立てていき、その様子を兄弟たちは見守りながら、兄は調理法の模索、弟は効率的な栽培方法を探し、一家と一匹は仲睦まじく暮らしていた。

 そうして兄弟たちは大人になっていき、父親が病気で他界した後も兄弟は父の意志を受け継ぎ、ジョーカーマンドラゴラと共に生きて行こうと決めた。

 全ての話を聞き終えると杏子の中で胃がムカムカとした焼けるような感覚を覚える。

 あまりにも身勝手な話に怒りの感情が強まっていくのが分かる。

 今は体力の回復を最優先すべきなのだろうが、感情に負けてしまい、杏子は感情の赴くままに話していく。

「言いたいことはそれだけか? 自分たちが被害者だ。犠牲者だとでも言いたいのか?」

「君こそ話をちゃんと聞いていたのか? 私たちは別に世間を恨んでなどいない。ただ純粋にジョーカーマンドラゴラを栽培して、それを世に送っているだけだ」

 この冷静な物言いに杏子の中で冷静な感情は完全に無くなる。

 眉間にしわを寄せて怒りと憎しみに満ちた目を浮かべると、ブラッドベリー相手にまくしたてるように叫ぶ。

「ざけんな! その結果、どれだけの人間が死に絶えたと思ってんだ!?」

「食べるのは個人での自由だし、自己責任だ。美食屋たちは人の邪魔をしたから、私は私でシャドーミノタウロスとと共に迎え撃った。言うならば生存競争だ。誰にどうこう言われる筋合いなどないよ」

 単純な理屈だけを言うならば、トリコが普段から口にしているそれと変わらない。

 だが根っこは全く違う物だった。

 美味しい物を共に分け与えようとしているトリコ。苦痛だけをまき散らすブラッドベリー。

 一瞬ではあっても目の前に居る豚をトリコと同じと思ってしまった自分が情けなくなり、最後に宣戦布告とばかりに槍を突き出すと勢いよく杏子は叫ぶ。

「これ以上の言葉は何の意味もない。テメェはここでぶっ潰す!」

 勇ましい叫びと同時に杏子は槍を持って突っ込んでいく。

 相変わらずの単調な攻撃をブラッドベリーは鼻で軽く笑いながら横にかわそうとするが、その瞬間足元に妙な違和感を感じ、それに気付いた時には自分の体は後方に倒れこんでいた。

 心臓に向けられていたと思っていた槍はブラッドベリーが体を横にかわしたところで、下方へと持っていき、槍を足に絡ませて前方に持っていって、その体を倒したのだった。

 すぐに起き上がろうとするが、ここで袖の部分に何かが引っかかる感覚を覚える。

 右袖をブラッドベリーが見ると、槍が突き立てられているのが見え、空いている左手を伸ばして槍を引き抜こうとした瞬間に自分の眼前が陰で覆われるのが分かる。

 杏子は利き腕である右腕を突き出して、袖に仕込んでおいた武器を射出させようとしていた。

「またパウダーペッパーか? 芸の無いことだ!」

 いいようにされたことが悔しいのか、ここでブラッドベリーに怒りの感情が表立って出る。

 槍を左手で引き抜くと、勢いよく立ちあがってそれを持って杏子に突き刺そうする。

 それでも杏子は意に介さず、紐を外側に向けて引くと袖に仕込んでおいた武器が一気に射出される。

 ブラッドベリーの予想通り、コショウでの目潰しが射出された。

 変わり映えのない攻撃を二度も食らうわけがなく、ブラッドベリーは両腕を交差してコショウの攻撃を顔面から守る。

「よかったよ、お前が予定通りに動いてくれてな」

 一瞬言っている意味が分からなかったブラッドベリーだが、それは杏子の次の行動ですぐに理解できた。

 オイルが満タンの状態で入ったジッポライターを火が付いた状態で投げつけるが、ブラッドベリーは軽く手で払ってその攻撃を払う。

 ほんの少しだけ火の粉が体にかかっただけにも関わらず、ブラッドベリーを襲ったのは致命傷レベルの攻撃だった。

 火の粉は瞬く間に自らを包み込む爆炎へと変わり、その体は深紅の炎で包み込まれた。

「ぎゃあああああああああああああ!」

 初めての致命傷レベルの攻撃にブラッドベリーの声から悲痛な叫びが発せられる。

 勝負が決したと判断すると、これまでの疲れがドッと押し寄せてきて、杏子は荒い息づかいで暴れまわるブラッドベリーを無視して、その場にへたり込む。

 そして袖に仕込んでおいてくれたトリコの武器に感謝していた。

「左の袖には下準備用のパウダーペッパー、右の袖には着火用の『ファイヤーペッパー』か……」

 右袖に仕込んでおいたのは普通に食べれば程よい辛さの赤いコショウ、ファイヤーペッパー。しかしパウダーペッパーと組み合わせることで強力な着火剤となり、火の粉程度の炎でもあっという間に火を起こせるコショウ。

 自分の槍の技術だけではグルメ細胞を移植された悪人を倒すのは不可能。それを分かっていた杏子は初めからこのコンボを成立させるチャンスを狙っていた。

 目の前で炎に包まれながらブラッドベリーは動き回ることも止めて、大の字になって前方に倒れ込む。

 肉が焼け焦げる不愉快な匂いが杏子の鼻に匂ってくるが、細やかに指を動かしているあたり、死んではいないだろうと判断して最後に杏子はジョーカーマンドラゴラの駆除にあたろうと小屋の中に何か使える物はないかとフラフラとした足取りで立ち上がる。

 完全に意識がブラッドベリーから、ジョーカーマンドラゴラの駆除に映ったのを見逃さなかった男が一人居た。

 荒い息づかいで鍵のかかっていないドアを開くと同時に、ブラッドベリーは勢いよく立ちあがって杏子に襲いかかった。

 突然目の前に重度の大火傷を負った大男が襲いかかる異常事態に杏子は驚きもしたが、すぐに迎え撃とうと槍を構えるが、その時第三者の存在が介入しようとしていることに気づく。

(トリコか?)

「シャドーミノタウロスじゃない……」

 目の前に現れたトリコを見ると、杏子はトリコがシャドーミノタウロスとの勝負に勝ったのを確信して、ブラッドベリーは長年連れ添った家族が居なくなったのを確信し、杏子のことも忘れて怒りと憎しみに満ちた目でトリコと対峙する。

 二人は互いに距離を取りあって牽制しあっていたが、興奮しきっているブラッドベリーと違って、トリコは至って冷静であり先程まで走っていたので呼吸を整えることにどちらかというと集中していた。

「よくも私の家族を!」

「シャドーミノタウロスはオレのために命を分けてくれた。お前にはまだ家族を想う心があるんだ。それならばやり直せるはずだ」

 トリコの説得にもブラッドベリーは応じず、荒い息づかいで何度もトリコとの距離を詰めようとタイミングをうかがう。

 包丁の切っ先を何度も何度も自分に向けるブラッドベリーを見て、トリコは右手の指を一直線に伸ばすと、これまで理論上だけで実戦では一度も使ったことがない新技を繰り出そうしていた。

「死ね!」

 我慢比べの限界に達したのはブラッドベリー。

 包丁を突き立てて一気に突っ込んでいくブラッドベリーを見ると、トリコはまっすぐ突き立てた指で釘パンチを打つように突き出す。

「一点集中5連アイスピック釘パンチ!」

 その技はこれまで頭の中では出来上がっていたが、実際に使えば自分の体が崩壊するのは分かっていたため、封印していた貫通力のみを特化させた釘パンチ。

 エネルギーの補給が出来ていたとはいえ、まだ無理のある攻撃に右手に激しい筋肉痛を覚えたトリコは苦しそうに右腕を押さえながらも吹っ飛んでいくブラッドベリーを見つめた。

 小屋に激突すると小屋はブラッドベリーと共に崩壊していき、丸太の海がブラッドベリーを埋め尽くす。

 小刻みに震えるブラッドベリーの両足を見ていると死んではいないことが分かり、これで任務は遂行できたことが分かる。

 トリコは筋肉痛を押さえながらも杏子の元へ向かうが、杏子はブラッドベリーの体に現れた変化が気になり、ずっと彼の方を見ていた。

 それは彼の体からスチームのように熱気を放ち続けていたからだ。

 そして熱い熱波が消えてなくなると、ブラッドベリーははいずりながらも丸太の海から出てくる。

「何だこりゃ!?」

 ブラッドベリーを襲った変化に杏子は素っ頓狂な声を上げる。

 贅肉で覆われた肥満体の肉体はトリコのアイスピック釘パンチの熱エネルギーで一気に脂肪が燃え上がり、ブラッドベリーの体から脂肪は一気に消え失せ、たるんだ皮だけ残っていた。

 まるでくたびれた座布団のようになったブラッドベリーを見て、杏子は何も言えなくなってしまったが、トリコは冷静に小屋跡から灯油を取り出すとジョーカーマンドラゴラの畑に向かってまき散らし、マッチを擦って炎を付けて畑に放つ。

 畑は勢いよく燃え上がり、中に居たジョーカーマンドラゴラの果実ごと燃えていく、その様子を二人は何も言わずに見つめていたが、杏子と目が合うとトリコはニッコリと笑って杏子の頭を撫でた。

「よく頑張った。お前の勝ちだぜアンコ」

「バカ、ほとんどお前が仕留めたようなもんじゃないか。だけどあれはさすがにやりすぎじゃないのか?」

 照れくさいのか杏子は強引にトリコの手を振り払うと、ブラッドベリーの方を指さす。

 未だに急激な体重の変化が苦しくうめき声を上げているブラッドベリーはさすがに見るに堪えない物があり、明らかに格下の相手に対してやりすぎなのではないかとトリコに苦言を呈す。

「それはまぁちょっとしたミスであってな……」

 バツが悪そうな顔を浮かべるトリコの言っていることが分からず、杏子は間の抜けた顔を浮かべていたが、トリコは懐から拘束具を取り出すとブラッドベリーに着せて縄で括りつける。

「本来は伸縮自在のそれを用意しないといけないんだがな。ちょっと間違えてサイズの調節が効かない旧型を持ち出しちゃってな」

「肥満体の体じゃその拘束具には入らないから、新技の実験を兼ねて強制的にダイエットさせたってわけか」

「そういうことだ」

 それだけ言うとトリコはブラッドベリーを引きずりながら帰ろうとするが、ここで依頼のもう一つの内容を思い出すと小屋跡から何かを探していた。

「飯なら用意してあるだろ?」

 多分エネルギーの補給のために食事を探しているのだろうと杏子は思っていたが、トリコが探しているのは全く別な物だった。

 それまで依頼を無事にやり遂げた達成感から穏やかな気持ちになっていた杏子だが、トリコが手に持った物を見るとその気持ちは一気に吹き飛ぶ。

「お前それはジョーカーマンドラゴラじゃないか!」

 データを入力すれば食材を入れるだけで最も適した保存状態を保ってくれる『グルメケース』に入れようとしているトリコの手を杏子は止めようとする。

 一個だけでも持ち帰ろうとしているトリコが信じられなかった杏子だが、トリコはパニック状態になっている杏子をなだめながらトリコはゆっくりと話し出す。

「落ち着け! 今回の目的はせん滅じゃなくて確保だ。最低でも一個は残して持ち帰らないといけないんだよ」

「こんなもん持ち帰って、テメェ何をどうするつもりなんだ!?」

 人間を肥料にする麻薬の存在を許すことが出来ず、杏子は完全に気が立った状態でトリコに食ってかかるが、トリコは完全に自分を見失っている杏子をなだめながらも目的を話し出す。

「クロストリジウム属の細菌で1グラムの殺傷力は約100万人と言われているボツリヌス菌と言う強力な毒素がある」

「はぁ? ボツリ……ヌ……ス?」

 いきなりボツリヌス菌の話をされて、杏子は今までの怒りも忘れて困惑した顔を浮かべていた。

 少し難しすぎる例えだと思ったトリコはレベルを一つ下げて話しだそうとする。

「食中毒の原因となる細菌の一つさ。ちょっと難しすぎたかな? じゃあニトログリセリンは分かるか?」

「爆弾の元だろ? バカにしてんのか!?」

 トリコの真意が分からずにいら立った声を上げる杏子。

 この時点で話を聞ける状態になったと判断したトリコは本題に戻して話し出す。

「だがボツリヌス菌はその毒素を筋肉に注射することで、筋肉の痙縮を改善する治療法があるし、ニトロは心臓病の薬になる。これだってそうなる可能性はあるだろ?」

 諭されるようにトリコに言われると、杏子の心に冷静な感情が戻ってくる。

 ジョーカーマンドラゴラはそこにあるだけの存在、悪いのはいつだってそれを言いように利用する人間。

 麻薬に溺れている客たちを見て、魔法少女としての苦い記憶が一気に蘇ってしまい、この任務を全て無に返すことで終わらせようとしていたが、トリコの言葉でジョーカーマンドラゴラにもそこに居ていい意味があるのではと思う。

「オレらが利用価値を見出してやらないと、ジョーカーマンドラゴラはただ忌み嫌われるだけだ。それを毒にするか薬にするかなんて使う奴次第じゃないのか?」

「毒にするか……薬にするか……」

 言葉が重く杏子の心にのしかかる。

 絶望しかない魔法少女との契約と違い、トリコの話を聞けば、自然にある物をどう利用するかなんて人間次第だ。

 それを悪にするか善にするかは全ては使う人次第。

 何もかもを否定して潰すだけでは、殺傷事件が起こるから包丁を規制する。事故が起こって死人が出るから車を規制すると言う馬鹿げた考えと同レベルだ。

 トリコの真意を知ると杏子は俯いたまま小さく「ゴメン」とだけ言う。

 分かってくれたのを見るとトリコは杏子の頭を撫でて、ブラッドベリーを引きずったまま常闇の森を後にしようとしていた。

 真っ暗な森をトリコに続いて歩く中、杏子は元居た世界での一人の少女のことを思い出していた。

(まどかの奴、あれからどういう選択をしたんだ? やっぱり魔法少女になることを選んだのか?)

 心配に思うのは元居た世界に残してきたまどかのこと。

 あれだけのことが起こっても、魔法少女の真実を知っても慈愛の塊のような存在なまどかはワルプルギスの夜と戦うためにキュゥべえと契約したのだろうか。

 あの呪いとも思われる力でさえ、まどかは薬にすることができたのだろうかと、その事ばかりが頭をよぎっていた。

 完全に意識が別なところに行っていたため、杏子は気が付かなかった。

 何度も何度も咳き込むトリコのことを。




 ***




 グルメフォーチュンで今日も占い師としての仕事を終え、ココは椅子にもたれかかると深くため息をつく。

 体中に血が巡るのを感じていて、心地よい感覚に身を任せていたが突然使っていた水晶玉から異質な電磁波を感じ取る。

 何事かと思い、慌てて見てみるとそこに映っていた未来にココは驚愕の表情を浮かべた。

「何だこりゃ……」

 そこに映っていたのは別人のようにやせ細り、ベッドに横たわるトリコ。

 隣では寄り添って泣きじゃくる杏子の姿も見えた。

 あまりに衝撃的なイメージが広がっていくのが信じられず、反射的にココはテーブルごと水晶玉を蹴飛ばすと、自分の心を落ち着かせようと壁に背中を預けて平常心を保とうとする。

「落ち着け……ボクの占いが当たる確率は97%、3%は外れるんだ。きっとトリコならその3%の未来を……」

 美食屋なんて常に危険と隣り合わせの仕事をやっている以上、死と言うのは自分たちの間で常に日常の一つとして存在している物だと思わなければいけない。

 だがそれでも子供の頃からの親友がそうなるイメージを否定したく、ココは必死になって心に平静を取り戻そうとしていた。

 そんな中でも水晶玉は未来を映し出していた。

 ブタ鼻でスポーツ刈りのコック服に身を包んだ小柄な青年が、野菜の天ぷらを揚げている光景を。





本日の食材

パウダーペッパー 捕獲レベル2

一見すれば普通の黒コショウだが、その気になれば火薬としても使うことが出来るコショウ。
食べれば燃えるようなスパイシーな感覚が襲う。


ファイヤーペッパー 捕獲レベル1

真っ赤なコショウであり、単体で食べればただの激辛コショウだが、パウダーペッパーと組み合わせることで強力な発火剤になる。





と言う訳でジョーカーマンドラゴラの完結編になりました。

杏子の戦闘はここでは初めてなので慎重に書きました。

次回はトリコと言う漫画のヒロインさんを登場させる予定です。

次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ12 治療のための食事
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:d307e754
Date: 2012/10/11 18:52




 誰も居ないリビングで杏子は久しぶりに一人きりの朝食を取っていた。

 常闇の森での任務を終えてからトリコは体調に違和感を覚え、精密検査のために有名なグルメ内科医の元で検査入院をすることとなっていた。

 普段が普段なだけに、もう2、3日もすればケロッとした顔で帰ってくると思いたかったが、杏子を楽観的な思想に染めなかったのは過去の悲しい出来事の数々。

 それらを言い訳にまた足踏みを繰り返すのかと思うと、自己嫌悪ばかりが杏子を襲うがテーブルの上に並べられた料理を片付けると、外へ出て見渡す限りの大草原を見つめる。

 心地よい風と満腹状態の胃袋と、昼寝をするには絶好の状態ではあるが、杏子の脳内は相変わらずマイナスな思想にばかり支配されている状態。

 それは目の前で見た衝撃的な光景が頭から離れないからだ。

 狩りをしている最中も何度も何度も咳き込み苦しそうにしていたトリコ、普段なら難なく倒せるはずの猛獣を相手にも、妙に時間がかかってしまい、仕留め終えた頃には口から勢いよく吐血をしていた。

 どこかでトリコに絶対的なヒーロー像を抱いていた杏子に取って、これはあまりに衝撃的な光景だった。

 猛獣が相手ならばそいつを相手に怒りを持てばいいだけの話だが、病気となれば誰を相手に怒りをぶつければいいか分からない。

 この世界のことはまだまだ何も分かっていない状態であり、杏子は一人無力感に苛まれていた。

(食べすぎてはいるだろうが、栄養失調って訳じゃないしな……)

 ここで杏子は心に平穏を取り戻させようと、自分なりに仮説を立てることにする。

 お菓子のような物ばかりしか食べてこなかった自分と違い、トリコが食べているのは全て栄養満点の食材ばかり、しかもトリコには食べ物の好き嫌いは全くない。

 その食べる量が異常に多いと言うのもあるが、それは人間としての常識で考えた場合のことであり、トリコのようにグルメ細胞を移植されていて、技の一つ一つを繰り出すのに膨大な量のカロリーを消費するトリコに取っては、あの食事量でも足りない場合もある。

 やはりどう考えても健康優良を絵に描いたようなトリコが病気にかかる理由が全く分からずに、頭を乱暴に掻き毟ることでイライラを抑えようとしていた。

「チクショー……さっさと帰って来い、バカヤローが!」

 苛立ちは怒鳴り声となって、誰も居ない草原に響き渡った。

 いつの間にかトリコの存在が自分の中でこんなにも大きくなっていることに驚きはしたが、考えたくないのか杏子はノッキングに関しての知識を更に深めようと自室にこもって勉強を始めた。

 トリコが戻ってきた時、自分が少しでも成長していることが彼にとっての幸福につながるだろうと信じていたから。




 ***




 グルメフォーチュンの街並みを歩く一つの影。

 トリコは目の下に隈を作った状態で疲れた様子を見せながら、グルメ内科医から貰った診断書を片手にトリコはココが居る占いの店へと向かっていた。

 ココの店に到着すると相変わらずの繁盛ぶりであり、ココの占いに多くの人々が絶対的な信頼を寄せているのが分かる。

 何も言わずにトリコは最後尾に並ぼうとすると、自分の元に駆け寄るターバンの青年が一人目に飛び込む。

 トリコが来ると分かるとココは何も言わずにトリコの手を引き、半ば強引に店内へと引きずりこむ。

「悪いが今日は店じまいだ!」

 乱暴な調子で店じまいを宣言するとココはドアに鍵をかけて、これ以上の来客を許さない完全に閉店の状態に持って行った。

 占いで非常事態を見た場合ココは営業時間中でも、その日の営業を中止して悪い未来を変えるため、自ら現地へ向かうと言うことは多々あった。

 住民たちもその事は知っていたため、文句一つ言わずに行列は無くなっていった。

 辺りを静寂が包み込むとココは力なくため息を一つつく。

 そんな様子をどこか冷めた目でトリコは見ていて、ココが用意してくれた紅茶を飲みながら一言つぶやくように言う。

「客商売なんだから、もうちょっとお客を大事にしてやれよ」

「からかうんじゃない! そんなことよりもここに来たの理由は分かっているんだ!」

 自らの電磁波を見て未来が分かっているココは乱暴な口調でトリコに向かって手を差し出す。

 それが何かを要求している物かと言うのはトリコには分かっていて、相変わらず無気力な調子でトリコはココにグルメ内科医から貰った診断書が入った封筒を手渡す。

 封筒を開き診断書を見るとココの悪い予感は的中し、苦痛に顔を歪ませながら、信じたくない事実に思わず診断書から目を背けてしまう。

「やはり『グルメ癌』か……」

 未来が変わらなかったことにココは絶望に屈しそうになるが、それはトリコが最も嫌うことだと分かっている。

 その事をよく知っているココは必死になって歯を食いしばると椅子に力なくもたれかかるように腰かける。

 普段から冷静沈着をモットーにしているココがここまで取り乱すのは珍しいことだが、トリコは気にせずに紅茶を飲みながら自分がここに来た目的を話し出す。

「知っているとは思うが、グルメ癌は外科治療が一切出来ない。グルメ細胞が突然変異を起こして悪性腫瘍に変わるから、変にメスを入れれば一気に浸食が加速する恐れがあるからな」

「分かっている。現在分かっている唯一の治療手段は、その人に適合した食材を食べて、残っているまともなグルメ細胞ががん細胞を異常な物だと判断して排除するしか方法が無い……」

 この絶望的に治療が困難な病気グルメ癌はグルメ細胞を移植された人間を相手に主に発症する病気であり、原因が一切分からず治療も運任せと言う厄介な物であった。

 それは病気と言うよりは呪いと呼ぶにふさわしい存在であり、一説ではグルメ界からやってきたウィルスに浸食されたのではと言う説もある。

 だがトリコもココも希望を捨てるつもりはなかった。

 本当に人が死ぬ時と言うのは希望が心から消え去った時だと二人とも信じていたからだ。

 早速ココはトリコの顔をジッと見つめ、電磁波からトリコの治療に適した食材を占おうとする。

 ココはいくつか具体的なイメージを見つけていくと、パソコンを取り出して検索を始める。

 治療に必要なのは一汁一菜に加えてのメインの食材3っつだと判断したココは集めた情報をプリントアウトして、これから先トリコが狩る食材を見せる。

「この中なら、菜であるこれが一番楽でいいだろう」

 スープもメインもかなり難易度の高い食材となった二つを後回しにし、ココは一般人にも開放されている食材の狩り場をトリコに勧める。

 物を見るとトリコは懐かしそうな顔を浮かべた。

 『セブンスターリーフ』は漢方薬の材料としても使われながらも、普通にサラダとして食べても美味しい野菜であり、広い地域に生えていることから捕獲レベル1以下ながらも、どんな食材にも合うアクセントには持ってこいの野菜。

 よく幼少時代は4人で狩るのを競い合った物だと思いながらも、残り二つの食材も見定めて自分の中でプランを立てていく。

「ここならアンコちゃんに美食屋の仕事を教えるのにも適しているだろう。今のお前でも指導はできるだろう」

「まぁな。常闇の森の時はオレも自分のことだけで手一杯だったからな」

 トリコが不用意に口を滑らした瞬間、ココの顔から爽やかな笑みが消え失せる。

 今のトリコの実力でも手に負えるかどうか分からない微妙な難易度の地区に、素人以下の杏子を連れて行くと言う無神経さに怒りを覚えたからだ。

 詳しいことを問いただそうと、ココは厳しい表情のままトリコに問いかける。

「正気か? あんな場所に駆け出しですらない、グルメ細胞の移植も施されていない、それも女の子を連れて行くなんて?」

「いや行くって本人言ったからさ……」

「それを止めるのが大人の役目だろ!」

 考えなしのトリコに激怒したココはテーブルを乱暴に叩いて、お茶菓子と紅茶を楽しんでいたトリコの注意を強引に自分へと向ける。

 トリコは嫌な予感を覚えながらも、ココの方を恐る恐る振り向くと、思っていた通りに冷淡に自分を見下ろすココの姿があった。

 長い説教が始まる前とは大体こんな物だとトリコは分かっていたため、資料を持ってその場から逃げだそうとするが、ココに首根っこを掴まれるとそのまま強引に椅子へと座らされる。

「少しお話しような……」

 そこからココの長い説教が始まり、トリコはげんなりとした顔を浮かべながらも大人しくココの説教を受けることになった。

 説教を受けながらもトリコは一人考えていた。そのまま食べても十分に美味しいセブンスターリーフだが、杏子と一緒に狩りへ行くそれはより一層美味しく食べられるのではと。

 自分の直感を信じながら、トリコは希望を抱いていた。

 美味しいセブンスターリーフが食べられることに。




 ***




 杏子は自分以外誰も居ない静かな家の中で一人半分呆けた状態でココからの電話を聞いていた。

 トリコが治療に困難なグルメ癌にかかっていること、その病気は治るかどうか自分でも分からないこと、事実を包み隠さずにココは一語一句丁寧に杏子へと伝える。

 この優しすぎる世界に来てから、初めてといってもいい試練に杏子の心は流されそうになったが、そんなことは自分自身でも許すことができない弱く情けない感情であるし、トリコだってそんなのを望んでいないのは分かる。

 目から涙がこぼれそうになる状態をこらえながら、杏子はココの話を聞く。

「これからは治療のための狩りだ。アンコちゃんも同行してほしい、それがトリコの励みにもなるからな」

「分かっている……」

 意識を強く持とうとはしているのだが、やはり杏子の中でショックは拭いきれない物であった。

 魔女の口付けや魔女に襲われた人を助けるのとは違う。病気と言うジャンルは自分ではどうすることもできない分野だから、ジレンマばかりが杏子を襲っていた。

 そう言ったショックを少しでも和らげるために、ココはトリコが帰る前に事前に杏子へ全てを伝えたのだが、電話口からでも杏子が強いショックを受けているのを感じ取ったココは最後に一言告げて電話を切ろうとする。

「とにかく、奇跡を信じる心までは捨てないでほしい……」

 ココの精一杯の励ましに対しても杏子は空返事な感じで一言「分かった」とだけ言って電話を切る。

 だが強いショックから杏子は放心状態でソファーに腰かけると、目の前に置かれた広げたままの新聞を読む。

 相変わらず料理や食材のことばかりが中心であり、どのニュースも杏子の興味を持つ物ではなかった。

 それでなくても精神が錯乱している状態なので、目に映る物全てにいら立ってしまい新聞を乱暴に投げ捨てると、ふてくされた顔を浮かべながらドアを睨みつけた。

「ただいま~! そして行くぞ~!」

 いつも通りの豪快な笑顔を浮かべながら、トリコはソファーに座っていた杏子の首根っこを掴むと、そのまま強引に外へと連れ出そうとする。

 とてもではないが癌で生命の危機に脅かされている病人とは思えない状態であり、あまりにいつも通りなトリコに安心もしたが、杏子の中で強まっていくのは怒りの感情。

 首根っこを掴まれて宙に浮いた状態のままながらも、杏子はトリコに抗議の声を上げる。

「ココから病気のことは聞かされたけどな……お前本人の口からちゃんと話せよ! これはお前一人の問題じゃないんだぞ!」

「着いてからゆっくり話すよ。セブンスターリーフ食べるのは久しぶりだからテンション上がりっぱなしだぜ!」

 相変わらず食欲ばかりが優先されているトリコは杏子の心配を気にすることなく、セブンスターリーフの養殖場である。『七つ星農場』へと向かって、杏子を引き連れたまま走っていた。

 振り回されている杏子は怒りもしたが、同時に安堵感も覚えた。

 もしトリコが精神を病んでいる状態になっていれば、自分に渇を入れることはできるのかと心配もしていたが、そんな物はいらない世話だった。

 トリコはどんな時でもトリコのままだったと言うことは杏子に取っては嬉しい事実であり、しばらくはトリコの好きにさせようと黙って掴まれるままの状態を選んだ。

 まるで嵐が過ぎ去ったかのように家の中は荒れていて、床の上には先程杏子が乱雑に投げ捨てた新聞が散らばっていた。

 新聞の中には様々な記事が書かれていて、その中に小さく載っていた記事があった。

 23歳と言う最年少の若さで5つ星ホテル『ホテルグルメ』の料理長に就任した『小松』シェフのことが書かれていた。




 ***




 グルメ列車とバスを乗り継いで2時間、目的地である七つ星牧場に到着すると、杏子は凝り固まった体を解しながらバスから降りて行き、トリコはあくび交じりに久しぶりに訪れた七つ星牧場を見ると懐かしそうに笑う。

 よく子供の頃はここで他の三人と一緒に、父親代わりの一龍と一緒になって山菜狩りに勤しんだ物だと当時のことを懐かしく思っていた。

 一人思い出に浸っていると脛を蹴られる感覚を覚える。

「お前は必要以上にデカイんだから、入口に立たれると他の客に迷惑だろうが!」

 七つ星牧場は一般にも開放されている牧場のため、多くの観光客がセブンスターリーフを求めて訪れている。

 バスの出入り口の前で突っ立っているトリコを邪魔そうに横切っていた。

 その存在に気付くとトリコは慌てて道を開けてまっすぐ受付へと向かうと、自分と杏子の入場料を支払うと、そそくさとトリコはセブンスターリーフが実る『七つ星草原』へと向かう。

「待てよ! 着いたら病気に関して話すって約束だろ!」

 自分を無視したことにも腹が立つが、それよりもグルメ癌のことに関してトリコ本人から何も聞かされていない状態の杏子は真実が知りたく、走り去ろうとしているトリコの後を追いかける。

 あまりにいつも通りなトリコを見て、もしかしたらグルメ癌のこと自体も嘘なのではないかと思われてしまい、本当でも嘘でも真実が知りたいと思っていた杏子は何とかトリコに追いつくと、膝の裏に思い切り蹴りを放って自分に注意を向けさせた。

 トリコは多少うっとおしそうにしながらも、杏子と向かい合って話をしようと場所を選ぼうとするが、ちょうど誰も居ない綺麗な草原に着いたのを見るとトリコは話を始めようとする。

「言いたいことは分かるよ。オレの病気のことだろ?」

「当たり前だ! ドッキリとか抜かしたらマジで殺すぞ!」

 興奮しきっている杏子を宥めつつもトリコは真剣な顔を浮かべながらも屈んで、右手をナイフの状態にしながら草原一帯に群生しているセブンスターリーフを刈りながら話し出す。

「本当だ。このまま行けば、オレの命は半年が限界だ」

 もしかしたらと思っていた淡い期待はもろくも崩れ去った。

 今行っている行為が治療のための行為だとは分かっていても、杏子の中でショックは拭えず、何かをやって気を紛らわそうと辺りを見回していると、トリコの手から手渡されたのは鋭く光る鎌。

 杏子は奪うようにトリコから鎌を受け取ると、同じようにセブンスターリーフを刈っていく。

 一応の平静を杏子が取り戻したのを見ると、トリコは杏子の言葉を待つ。

「ココ以外の連中には話したのかよ?」

 何かを話していなければ気が動転しそうな想いから、杏子は自分の想いよりも周りの心配をする。

 特に気になったのはトリコに強い好意を抱いているリンの存在。

 さやかの例を間近で見続けてきた自分にとっては、リンの精神が壊れるのではないかと強い心配を抱いていて、その旨をトリコに尋ねる。

「サニーとリンにも話したよ。リンの奴はワンワン大泣きしてたけどさ、サニーの奴が叱ったぜ『お前はトリコを信じてやることが出来ないのか!』ってね」

「へぇ、あのナルシストがね……」

 全く期待していなかったサニーがリンの精神にまともさを保させる存在になるとは思っておらず、杏子は感心しながらもどこかとぼけた声をあげていた。

 人間と言うのは様々な側面を持って人格が形成される物。

 男気溢れるサニーの意外な一面を知った杏子は少しだけサニーを見直しながら話を進めていく。

「お前自身体の具合はどうなんだ?」

「飲んでいるのは鎮痛剤だけだよ。グルメ癌には外科治療が効かないからな。方法はただ一つ、その人に合った食材を食べて、本人の回復力を信じるだけだ」

 普段通りに話すトリコではあるが、鎮痛剤を飲んでいると言う事態がやはり今トリコが病気にかかっていると言う事実であると思い知らされ、杏子はうなだれそうになるが、一番辛いのはトリコであることは分かっているため、気を紛らそうと粘着質で新品の鎌でも中々狩り取ることができないセブンスターリーフを刈ることに専念する。

 その後は二人の間に不気味な空気が流れていた。

 どうしてもセブンスターリーフを刈ることだけに集中してしまい、杏子も何を話していいか分からずに無言の状態が続いていた。

「このセブンスターリーフだがな……」

 沈黙を破ったのはトリコ。

 手に持ったセブンスターリーフをグルメケースに入れていくと、トリコはため息を一つつきながらおもむろに話し出す。

「ココの占いではプレーン状態でサラダにするのが一番効果的らしいんだ。けどな……」

 トリコは残念そうにため息をつきながら懐から『ココアマヨネーズ』のパックを取り出すと、げんなりとした顔を浮かべた。

「オレはココアマヨネーズをたっぷりかけて、蟹ブタの肉と一緒にパンで挟んだバーガー状態にするのが一番好きなのによ! まずは規定量を毎日決まった分だけ食べないといけないってんだから殺生な話だぜ! 蟹ブタ狩っておけばよかった!」

「治療中の人間が言うような台詞か!」

 心底悔しそうに地団駄を踏むトリコに対して、杏子の鋭い突っ込みが炸裂する。

 だが同時におかしいと思ったこともあった。

 一定の規定量を毎日食べなければいけない、それは大食漢のトリコに取って一般人と同じような狩りで物が足りるのかと思って、詳しいことをトリコに聞こうとする。

「物自体はもう家に取り寄せてあるぜ、今回ここにお前を連れてきたのは一番簡単に出来るハントだからやらせただけだ」

「それだったら常闇の森で……」

「食材自体のハントは一回も出来なかったろ? 次はスープの『ソルト平原』へ連れてってやるから、そこでも捕獲レベル1以下の食材はあるからな」

 そこからトリコはいきなり高難易度の常闇の森へ杏子を連れて行ったことに対して、物凄くココから怒られたことをげんなりとした顔を浮かべながら話していく。

 トリコは自分を見失わないでしっかりと自分を保っていたことも嬉しかったが、そんな中でも今まで通りに自分のことを気にかけたことが嬉しく、杏子の中でウジウジした暗い気持ちは消えてなくなった。

 不安に思う部分もあったが、それは今度こそ最後まで諦めることなくトリコと乗り越えて行こうと思いながらも、杏子はトリコをからかって楽しんでいた。

 今はこの穏やかで優しい時間を大切にしようと思いながら。




 ***




 草原一杯に広がるセブンスターリーフを眺めていて、目を輝かせながら鼻の穴を膨らませる青年が一人。

 ホテルグルメ最年少シェフ小松は、近々行われるIGOの役員も参加するグルメパーティーで出すメニューのヒントになればと思い、現場の食材を見ようとまずは一般人でも参加できる七つ星農場へと足を運んでいた。

 調理場では何度も見てきたセブンスターリーフだが、現地で物を見るのはまずは自分の中で一つの目標をクリアしてからにしようと思っていた小松なだけに、初めて見る自然のままのセブンスターリーフを見て感動を隠しきれず、何度も何度も奇声をあげていた。

「凄い、生で見たの初めてだ……テンションギガギガだ!」

 自分の中でテンションが最高潮に達したのを自分なりの言葉で表現する小松。

 一人悶絶していると後方から鎌で何度も何度も草を刈る音が聞こえる。

 頬を両側から押えて完全にブタ顔になっている小松に一般客たちは関わらないようにしていて、その様子を見た小松は本来の目的を思い出し、自分もセブンスターリーフの狩りに赴く。

 粘着質で中々切りづらいセブンスターリーフを相手に苦戦して、額に汗を流しながら一つ刈るのにも苦労していたが、心地よい疲労感が小松を襲い、ある種の充実感を感じていた。

 生の現場で生の食材と触れ合う喜びと言うのは初めての体験であり、それはこれから料理人として自分を更なる高みに連れて行ってくれると小松は信じていたからだ。

 自分で刈った山盛りのセブンスターリーフを手に取ると、小松は目を輝かせながらどう調理しようかと頭の中で試行錯誤を繰り返していた。

 普通ならばサラダにしたり、メインディッシュのアクセントに使われるのが、セブンスターリーフの一般的な使われ方だが、小松は手に取ったセブンスターリーフの瑞々しい輝きを見て、直感的に感じていたことがあった。

(この食材は更なる高みへと行けるはずだ……)

 小松はセブンスターリーフの新たなる可能性を信じようと、今まで誰もやったことがない調理法でセブンスターリーフの料理を作り上げようと早速予約していたロッジへと戻ると、自分の戦闘服であるコック服へと着替えて外に設置された共同キッチンへと向かう。

 その場に居た誰もがその時は思わなかった。

 新しい美味なる料理が誕生する瞬間を。




 ***




 トリコと杏子は自室のロッジへと戻ると、早速治療のためにトリコは自分で刈ったセブンスターリーフをボウルに山盛りの状態で入れて、この日は適切なデータを取りたいと言うのもありサラダのみの食事となった。

 明らかに物足りない夕食にトリコは物足りなさそうな顔を浮かべていて、杏子も一応はサラダを食べて付き合ってはいるが、トリコに見えないところでしっかりとセブンスターリーフを挟んだハンバーガーを用意していた。

 恐らくトリコの嗅覚では自分がハンバーガーを隠し持っていることは分かっているだろうが、そこはお互いに大人の対応で行こうと二人は思っていて、トリコは気付かないふりをして、杏子は隠している振りをして食事を進めようとする。

「この世の全ての食材に感謝を込めていただきます」

 二人がいつも通りの挨拶を終えると、トリコは自分が刈ったサラダにフォークを突き刺して勢いよく食べていく。

 初めの内は物足りないとも思っていたトリコだが食べ始めて見ると、やはりセブンスターリーフは美味しく自然とフォークは進んでいった。

 噛めば噛むほど野菜本来の甘みが広がっていき、シャキシャキとした食感が面白く、口の中が瑞々しさで一杯になる感覚が面白かった。

(美味いじゃないか……)

 一人になってからと言う物野菜の類はほとんど食べてこなかった杏子、病人の治療のための食事と言う先入観からか、どんな青臭い野菜を食べさせられるんだとも思っていたが、プレーンの状態でも十分に食べられるセブンスターリーフを前に、それまでどこかで気負っていた感情も吹き飛んで、トリコと同じように次々とボウルの中のサラダをフォークで突き刺して口の中へと運んで行く。

 あっという間にトリコはボウル一杯のセブンスターリーフを食べ終えると、どこか物足りなさそうな顔を浮かべつつも手を合わせ「ごちそうさま」と言い、自分のために命を分けてくれたセブンスターリーフに感謝の気持ちを送った。

 そこからすぐに針を腕に差して専用の機械にジャックを繋げる。

 それは設置されているパソコンと連結されていて、これにより遠く離れた場所でもトリコのグルメ細胞がどう活動しているのかが担当医師にスキャンとして送られて、日々トリコの体調がリアルタイムで分かると言う仕組みになっている。

 相変わらずのハイテクぶりに杏子は驚かされるばかりであったが、自分もまた同じようにサラダを食べ終えるとテレビ電話の状態で担当医と自分の状態を話すトリコを見て、邪魔をしてはいけないと思い、杏子はハンバーガーを片手にロッジから出た。

 ドアを閉めると同時に目に飛び込んだのは共同キッチンから見える一つの灯り。

 ほとんどの客は簡単な調理を終えて、今頃はロッジで各々団らんのひと時を楽しんでいるのに、一人だけ明らかに熱意が違う状態なのは遠く離れた場所からでも感じ取れること。

 この位置からでは何を作っているのかまでは分からないが、コック服に身を包んだ青年の姿を見ると並々ならぬ気迫を感じ取り、杏子はハンバーガーを完食した後も、その姿をジッと見つめていた。

(何だアイツ?)

「オーイ、アンコー」

 トリコに呼ばれると杏子は短い返事の後にロッジへと戻る。

 杏子の視線にも気付かずに小松は何度も何度も油の中に天ぷら粉を付けたセブンスターリーフを入れて、最高に美味しくなるベストの状態を模索していた。

 自分の中でこの食材は必ず世の皆を楽しませられる料理になってくれると信じて調理を続け、その熱意は小松に睡眠の時間も忘れさせるほど集中させていた。




 ***




 そして夜が明けて朝焼けが農場を包む頃、小松はようやく自分が納得できる料理が仕上がったことが嬉しく歓喜に震えながら、丼を高々と掲げていた。

 作ったのはセブンスターリーフをかき揚げにしたかき揚げ丼。

 今までは中々にかき揚げがまとまらずに歯がゆい思いをしてきたが、一回完成系が出来上がれば、後はそれを自分の料理として物にできる。

 小松は作り上げたセブンスターリーフのかき揚げ丼を自分の物にしようと、何度も何度も同じ物を作り上げていく。

 2時間もすると朝を知らせるサイレンが鳴り、共同キッチンが丼で一杯になっていく。

 まだホテルグルメに戻るまでには時間がある。時間一杯まで料理を作っていたいと言う想いが小松は強く、かき揚げ丼を作る手は止まらなかったが、その手を止めたのは携帯の着信音だった。

 相手はホテルグルメの総支配人『スミス』からだった。時計を見てもまだ戻るまでには時間があると思っていたが、一社会人として小松は上司からの電話に出る。

「もしもし?」

「小松シェフ! すまないが今すぐ戻ってきてくれ! 急遽大型の団体客が入ったんだ!」

 スミスの慌てぶりから異常な事態だと判断した小松は小さく「分かりました」とだけ言うと、七つ星農場の管理人を呼んで自分が作ったセブンスターリーフのかき揚げ丼に付いて話し出す。

「どうぞ一杯作ったんで皆さんで召し上がってください」

 初めから来ていた客たちをもてなす的な意味で完成品を作り上げた小松。

 管理人は大量に作られたかき揚げ丼が全てタダなのに圧倒される部分もあったが、ニコニコと笑う小松を見ると何も言うことが出来ず、小さく「分かりました」とだけ言うが、後々にトラブルが起こらないようにと証明書だけ残してほしいと紙を手渡す。

 小松は時計を気にしながらもかき揚げ丼がサービス品であることを証明する証明書を書くが、最後に自分の名前を書こうとした瞬間にバスが到着したエンジン音を聞くと、慌ててバスへと飛び乗って行く。

 嵐のように過ぎ去った小松に管理人は呆けもしたが、サイレンと共にロッジから出てくる客たちを見ると、自分がやるべきことをやろうと管理人は山盛りに積まれたかき揚げ丼の説明に入る。

「えーと……ある料理人さんが試作品として作ったセブンスターリーフのかき揚げ丼です。無料ですので皆様ご自由に食べてくださいとのことです」

 嬉しいサプライズに喜びもしたが客たちは同時に困惑もした。

 何しろセブンスターリーフをメインに置いた料理が本当に美味しいのかと困惑していたからだ。

 だがそんな中で一人大きな影はゆっくりと丼に近づいていき、ふたを開くと目を輝かせていた。

 金色に輝くように見えたかき揚げを見てトリコは思ったことを率直に語る。

「宝石箱だ……」

 そして周りを見て誰も食べないならと言うならば、自分がまず食べようとトリコは小さく「いただきます」とだけ言うと勢いよくかき揚げ丼を一口でかきこむ。

「うめ――!」

 かき揚げ丼を食べ終えた瞬間、トリコの雄たけびが農場にこだまする。

 昨日のサラダにどこか物足りなさを感じていただけに、このボリュームのあるかき揚げ丼はトリコには嬉しい物であった。

 単純にセブンスターリーフのうまみが存分に出ているのもあるが、隠し味に使われた『七味ハーブ』がセブンスターリーフのうまみをより一層際立て、ご飯との相性を強めて一つの料理として調和させた。

「皆も食え、食え! 美味い料理は皆で食べた方がもっと美味いんだぜ!」

 美食四天王のトリコがお勧めすると言うのだから、味は太鼓判物だと判断した客たちは一斉にかき揚げ丼を手に取っていく。

 全員が食べながら「美味しい」と喜びを分かち合っている姿を見て、杏子は食べることも忘れて呆けていたが、トリコに自分の分の丼を手渡されると、杏子も同じように丼を手に取ってかき揚げ丼を食べる。

 トリコが言ったように隠し味に使われた七味ハーブがいいアクセントになっていて、野菜の甘みの中にもほのかな辛みが白米を進ませて、かき揚げ丼としての完成系となっていた。

 だが美味しいと感じたのはかき揚げ丼その物だけではない。

 周りの皆が騒ぎながら笑顔を浮かべて一つの料理を食べ合う。それは自分がもう二度と体験できないであろうと思っていた楽しい食事だからだ。それは多ければ多いほど嬉しい物であり、持論は間違っていなかったと分かると一つ自分のしてきたことは間違いじゃなかったと分かり、杏子の目頭に熱い物がこみ上げてくる。

 涙を流したくないと言う想いから皆の姿をジッと見つめるが、ふとここで昨日の事を思い出す。

(多分あのコックだろうな。これ作ったの……)

 遠目からなので白い服を来ていた程度しか分からなかったが、これだけの料理を全て無償で提供することに懐が大きいのかと杏子は思っていたが、わんこそばを食べる要領でかき揚げ丼をかきこむトリコを見て、その想いは一瞬で消された。

(まぁ深く考えてないだけだろ、あれと同じで……)

 今は食べることだけに集中しようと、杏子は二杯目を取るとかき揚げ丼をかきこんでいった。

 因みに後日、この小松が考案したセブンスターリーフのかき揚げ丼は庶民の強い味方となって、多くのグルメ定食屋が真似をするメニューとなった。





本日の食材

セブンスターリーフ 捕獲レベル1以下

噛めば七種類の味が楽しめると言われている野草、正月が終わり7日目にはこのセブンスターリーフを煮込んだ粥を食べるのが風習となっている。
これまでは料理のアクセントとして使われていたり、サラダとして食べるのが一般的だったが、小松の調理からかき揚げ丼としても美味しいことが判明し、まだまだ多くの可能性を秘めている食材であることが分かった。





と言う訳でここから私の中で物語を一気に加速させて行く予定です。

あと今回初めて小松を登場させてみましたが、二人との直接的な絡みはありませんでしたね。

次回は再生屋に関しての話を持って行こうと思っています。

次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ13 死を賭した再生
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:d307e754
Date: 2012/11/19 19:09




 真っ白な砂の平原の中心にポツンと一つだけそびえたつのは巨大な枯れた花。

 既に枯れ果てて長い時間が経過しているのか、皮ははがれ、中身も所々腐っていて腐臭を放っていた。

 その姿を見れば誰もがこの花は既に死に絶えた命だろうと思っているだろう。だが一人だけがこの花の本当の叫びに耳を傾けようとしていた。

 坊主頭に無精髭を生やした青年は枯れた花の近くにテントを張り、付きっきりで再生に携わろうとしていた。

 何度も何度も失敗しながらも、ようやく適合した栄養剤の調合に成功し、根っこの部分に栄養剤が入った注射を何本も差していき、後は根が栄養を吸収するのを待つだけであった。

「これで再生するはずだ……」

 力なく放ったひとり言と同時に青年は激しくせき込む。

 乾いた咳を何度も放って、治まった頃に口を押さえていた自分の手のひらを見ると真っ赤な吐血が付着していた。

 自分もまた残された時間は長くないと判断した青年は、うつろな状態のままで、かつてソルト平原の主と呼ばれた花『ソルトフラワー』の再生に取りかかろうとしていた。

 それがもうすぐ死ぬ自分が出来る最後の仕事だと思っていたから。




 ***




 見渡す限り真っ白な砂の平原。

 辺りには他の目印らしい物は何もなく方位磁石だけが今回の食材のありかを示す手掛かりであり、ココの占いを頼りにトリコは自分の治療のための第二の食材、汁の『ソルトフラワーの蜜』を求めて、杏子と共に歩いていた。

 だが歩いているさなかに杏子は気がかりなことがあった。

 あれから自分でも何か自分なりに出来ることはないかと新聞やインターネットでソルトフラワーに付いて調べてみたが、そこで分かったのは絶望的な内容の真実。

 ソルトフラワーは塩だけで構成されている平原、ソルト平原の主と呼ばれた存在であり、その理由はこの平原の土壌全ての栄養を吸収し、残ったのは栄養が全て吸収されて絞り取られた塩、通称『サンドソルト』のみが残るだけ。

 広い平原全ての栄養を吸収したソルトフラワーの大輪の花から放たれる蜜こそが、多くの美食屋やグルメ家たちを虜にしたスープであり、今回トリコの治療に最適だとココが判断したスープなのだが、図書館で過去ソルトフラワーに関しての記事を読み漁った杏子は重苦しく口を開く。

「大丈夫なのかよ? もう10年近く花を咲かせずに、ドンドンやせ細ってんだろ、その花……」

 杏子の言う通り土壌の栄養を吸いつくし、食べる物が無くなった植物に待っている物は緩やかな死だけ。

 300メートル近くあるソルトフラワーは移動させることもできず、サンドソルトのみが残ったソルト平原で静かに朽ちてゆく運命だった。

 そのため市場では残っている蜜の値段はドンドン高騰していることを知った杏子。

 お金のことならば問題ないだろうと踏んだ杏子は現地に行って物を狩るより、普通に買って食べた方が早いのではと提案をするが、トリコはその意見を一蹴した。

 治療のために必要なのは一定の量を毎日食べ続けること、市場に出ている冷凍物では買うことはできても量が圧倒的に足りない。

 分かってはいたことでも杏子の中でジレンマは消えずに、重い足取りでソルトフラワーの元へと向かうが、そんな中でもトリコは笑顔を浮かべたまま杏子に話しかける。

「まぁ悪いことばかりでもないさ。これを見ろ」

 そう言ってトリコが差し出したのは手のひらサイズの電子手帳のような機械。

 画面の中には最新の記事が書かれていて、そこにはソルトフラワーの再生が成功するかもしれないとあり、匿名である再生屋が極秘に行っていることが書かれていた。

 聞き慣れない再生屋と言う言葉に杏子は困惑の表情を浮かべる。

 その顔を見て、トリコは杏子にこの世界において美食屋と同じぐらい重要な職種である再生屋に関してまだ教えていなかったを思い出し、慌てて説明に入る。

 再生屋の主な仕事は絶滅危惧食材の保護と絶滅してしまった食材の再生であり、グルメ時代において多くの食材が発見され、市場が賑わったと同時に元々希少だった食材も次々と食い荒らされ、絶滅していく食材も多かった。

 グルメ時代の真っただ中において再生屋と言う仕事は軽視されている部分もあり、数も美食屋に比べれば圧倒的に少なく、絶滅してく食材も多かった。

 だが近年絶滅していく食材たちが復活していくことから、再生屋と言う仕事も見直されてきていて、数も増えてきて同時に再生屋ならではのメリットも誕生した。

 それは食材の乱獲や密猟、法で禁止された食材の商取引を行う者を独断で検挙することが許されている特権だった。

 まさしくグルメ時代において重要な食の秩序を守る存在と言える存在であるが、その再生屋がソルトフラワーを再生出来ている保証はどこにもない。

 物を見るまでは希望を強く持つことも絶望に染まることも許さないと判断した杏子は、改めて歩を進めて行く。

 歩くたびに食べられる上質な塩、ソルトサンドがシャリシャリと音を立てるが、今はそんなことに構っている暇は無い。

 食べ物の上を堂々と歩くことに罪悪感も覚えはしたが、この世界の食べ物はこの程度でダメになるほどやわな作りではない。

 焦ってはいけないと分かってはいたが、このソルト平原は半分は死に絶えた大地となっている部分もあるので、強い猛獣も存在せず何もない真っ白な平原をただただ歩き続けている。

 景色が全く変わらないことに杏子の中でフラストレーションは溜まる一方であった。

 元々の攻撃的で短気な性格が顔を出したのを見ると、トリコは彼女を落ち着かせようと杏子が手に持っている電子手帳に付いての説明に入る。

「今お前が持っている手帳だが、最近IGOで開発された『グルメディクショナリー』と言ってだな。随時猛獣や食材に付いての情報を衛星からの電波を受けて更新される優れ物の代物なんだ」

 相変わらずのハイテクぶりに驚かされるばかりであるが、今はそれに構っている暇はないと気持ちに余裕の無い状態の杏子は気の無い返事で「ふーん」と返すと、手で弄びながらトリコの後を追う。

 新人の美食屋には重宝される代物だけに価値がよく分かっていない杏子を見ると、多少は気が引けたがその価値を分かってもらおうと詳しいことを話し出す。

「それ2000万円だぞ」

 まだまだ出始めたばかりの代物のためにこれだけ高額の値段になってしまった。

 トリコに取っては大した金額じゃないが、杏子に取って2000万は大金。

 そんな物を適当に弄んでいたかと思うと、一気に杏子の顔は青ざめていき、丁寧に両手で持ち直すとトリコに返そうとする。

「返す……」

「いいよ。オレには必要の無い物だし、お前には必要だろうと思って買った物だ」

 自分が危険な状態にあるにもかかわらず、自分のことを考えてくれているトリコ。

 自分だけが必要以上に気負っている状態なのが客観的に分かると、杏子の中で落ち着きが取り戻されていく。

 まともに話し合いが出来る状態になったのを見ると、トリコは美食屋において大事な心構えの一つを教えようとする。

「大自然へ食材の調達へ向かい……失敗に終わる……よくあることだ」

 それは何回も経験し、辛酸を舐めたからこそ分かるトリコの言葉には重みがあった。

 笑顔で淡々と語るその姿を見れば、トリコが言いたいことは杏子でも分かった。

 そう気負いすぎる必要はない、仮にソルトフラワーがダメでも明日がある。

 常に命がけの戦いばかりで今日を生きなければ、明日を生きることが出来ない杏子に取ってこの考え方は今までになかった物。

 希望を忘れない、奇跡を信じる心を否定しない、その言葉の本当の意味が少しだけ分かったような気がすると、杏子の中で落ち着きが取り戻され、手で軽く足元にあるサンドソルトをすくいあげると軽く舐めてみる。

 普段食べている塩とは違い、今舐めているサンドソルトはとてもきめ細やかで上品な辛さとほのかな甘さがあった。

 これ一つだけで最高級の出汁が取れるのではと思えるほどの出来であり、杏子は用意してもらったグルメケースに入れると、先程よりは軽い足取りでトリコの後を追った。




 ***




 歩き続けていると日は落ち、空は闇に覆われていた。

 月明かりだけが夜空を照らす中、トリコと杏子はお目当てのソルトフラワーを見つけた。

 だが結果は絶望的な物だった。

 枯れ果ててヒョロヒョロにやせ細ったそれを見てとてもじゃないが、蜜を採取出来る状態じゃないと踏んだ杏子は愕然とした顔を浮かべていたが、トリコは特にショックを受けた様子もなく、根っこの部分に刺さっていた栄養剤を見ると大地に耳を付けて、その躍動を聞く。

 根が栄養を吸っている躍動を耳で感じると続けて茎に耳を添える。

 同じように栄養を吸って復活しようとしている感覚を体で感じると、一筋の希望を感じ、未だに愕然となっている杏子を安心させようと話し出す。

「大丈夫だ! まだ希望はあるぜアンコ!」

「ウルサイな……」

 トリコの大声にげんなりした声が一つ後方から響く。

 第三者の存在に一瞬は驚かされた杏子だが、事前に再生屋がいると言う情報はあらかじめ分かっていること。

 だが、まさか現場に泊まりがけで来ているとは思っておらずに、愕然とした顔を浮かべていたが、そんな杏子の心情に構わずに再生屋と思われる影は奥の暗闇から姿を現す。

 月明かりに照らされその全容が明らかとなる。

 坊主頭に無精髭を蓄えた青年はあくび交じりに気だるそうに現れると、睡眠の邪魔をしたトリコを見ると頭をかきながら面倒くさそうに応対を始める。

「悪いけどソルトフラワーは再生中なんだよ。アンタでも乱獲は許さないぜ、美食四天王トリコさんよ……」

 再生屋は睡眠の邪魔をされたことが恨めしいのか、トリコを前にしても臆することなく、最後通告のように宣言すると起きたついでにソルトフラワーの様子を見ようとする。

 完全に自分たちが無い物扱いを受けていることに多少腹が立った杏子だが、一刻を争っている状態なのに加え、今はこの再生屋に頼るしかない状況だと分かっているため、杏子は自分たちが来た目的を話し出す。

「待ってくれ。アタシたちにはどうしてもその蜜が必要なんだ! えっと……」

「ムールだ。ちゃんとさんも付けるようになお嬢さん」

 再生屋のムールは杏子に大人としての礼儀を教えると相変わらず二人のことなど目にもくれず、トリコと同じように茎に耳を添えて再生の躍動を肌で感じ取っていた。

 知識が無い杏子でもその希望に満ちた目を見れば、ソルトフラワーの再生は順調に進んでいることが分かった。

 トリコが言ったように希望はまだあると知ると、杏子の顔にも希望の色が浮かんで詳しいことをムールに聞こうとする。

「それでいつ再生できるんだ!? さっきも言ったがこっちには時間が……」

 興奮しきっている杏子を止めるようにムールは手を差し出して、杏子にこれ以上の発言を許そうとしなかった。

 そして静かに根が栄養剤を吸い上げているのを見ると再びテントが設置されてるであろう奥の暗がりへと戻っていく。

「食材の再生は食材が決めることだ。そこに人間が入り込める余地なんて微々たるもんだよ……」

 全ては自然のままに、この世界では当たり前とされているルールを語るとムールは再び暗がりへと戻って行く。

 だがそれでも事態が事態なので杏子はその後を追おうとするが、トリコに肩を掴まれると歩みを止められる。

「よせ、ムールの言う通りだ。今は待とう」

「少しは自分のことも考えろ!」

「考えているさ」

 冷静沈着なトリコについつい杏子は怒りをぶつけてしまうが、そんな彼女の怒りを受け流しつつもトリコは思い出を語りだす。

「ガキの頃ソルトフラワーの蜜はオヤジが用意してくれたのを食べただけだが、あれは美味かった……」

「何の話だ!?」

「だからよ……あんな美味いもんをオレ一人が独占しちゃいけないよ。美味いもんは分かち合わないと……」

 その優しい声でトリコが何を言おうとしているかが杏子にも伝わった。

 今この場でソルトフラワーの蜜を独占すれば、肉体の回復には勤まるかもしれないが、持論を強引に曲げることで心にダメージを負う可能性だってある。

 癌と言う病気は肉体の治療だけでなく、患者の精神面を強く持たなければ克服できない病気。

 美食屋として強い信念を持つトリコは全てを自然のままに委ねようとして、自らの命も持論を崩さないまま最善の手を尽くそうと努力に励んでいる。

 大きすぎるトリコに対して杏子は何も言い返すことができず、ムールと同じ場所でテントを広げようとしているトリコの後を黙って付いていくことしかできなかった。

 二人の姿が完全に闇に覆われた時、トリコは携帯で撮った写真を杏子に見せる。

 それはソルトフラワーの茎の部分のアップ映像。

 所々噛み切られたような痕があちこちに存在していて、野生の動物が食いちぎっているのかと杏子は思っていたが、トリコは小さく首を横に振ると、なぜムールが泊まり込みでソルトフラワーの再生に携わっているのかの推測を語りだす。

「ここにソルトフラワーの茎を食べるような猛獣はいないよ。いるとすればそれは昆虫ぐらいだ」

 確かに虫ならば植物の茎は食べるだろうが、歩いている道中にそんな危険な昆虫は見かけられず、杏子の中でも推測が出来上がりだす。

「つまり何か? どこかのバカな昆虫ブリーダーが餌のために勝手にソルトフラワー食べさせて、それを防止するためにムールは泊まり込んでいるって話か?」

「その通りだ」

 隣から小さく声が響き、杏子が振り返るとそこには神妙な表情を浮かべたムールが居た。

 ムールはどこか儚げな様子でソルトフラワーを見つめながらも、杏子に一枚の手配書を手渡す。

 危険な昆虫を交配させて、殺し屋やテロリストに売り渡す。第一級のグルメ犯罪者『ニードル』が恐らくはソルトフラワーの乱獲の犯人であると踏んだムールは自分の手で彼を逮捕するためにここにいるのだと杏子にも理解できた。

「恐らくはこれが俺の最後の再生になる。最後の最後まで俺は再生屋として生きるつもりだ……」

「最後って……」

 その決意を秘めた表情に覚悟を感じ取った杏子は詳細をムールから聞こうとしたが、ムールは再び寝なおそうとテントに潜って行った。

 様子から言ってこれ以上は何も聞き出せそうにないと踏んだ杏子はトリコが用意してくれたテントに入って行くが、トリコはムールの様子を見て感じ取った物があり、半ば強引にムールのテントの中へと入って行く。

「何だアンタ!? もしかしてそっちの趣味か!?」

 寝袋に入ろうとしていたムールは突然乱入してきたトリコに驚き、抗議の声を上げるがトリコは小さく「ちげーよバカ」とだけ言ってムールが感じている不安を打ち消させると、彼の隣に腰掛けて一言質問を投げかける。

「いつ頃から悪いんだ?」

 短い言葉だったが、トリコが何を言おうとしているかは分かった。

 自分の今の状態を悟られたことが分かって顔色に動揺が見えるムールだが、ムールはあくまで冷静な対応を心掛けてトリコにも接する。

「さて……詳しく話してもらわないと何の事だか分からないな」

「とぼけたって無駄だよ。目の下の隈、痩せこけた頬、くすんだ肌、それらを見ればアンタの命が長くないことぐらい分かる。オレもそうだからな……」

 民衆たちのパニックを恐れてか、トリコがグルメ癌にかかっていると言う事実は伏せられたままになっている。

 そんなトップシークレットをあっさりとバラすトリコに驚きもしたが、自分の重大な秘密を話してくれたトリコの誠意を見たムールは自分の秘密も語り出す。

「アンタはどんな病気なんだ?」

「グルメ癌だ。治療のため、ここに来たんだよ」

「そうか厄介だな……だが希望はある。俺の場合は完全に治療が不可能な病気だからな……」

 そう言うとムールは自嘲的な笑いを浮かべると詳細を話し出す。

 詳しいことは分からないが、ドンドン寿命が削られていく病気はグルメ界の呪いと呼ばれる類の病気であるのではと推測された。

 それでも再生屋仲間は変わらずに自分と接してくれたが、自分自身病気のことを負い目に感じてしまい、自然と仲間たちから距離を取るようになって最後は一人で死のうとこの場所を選んだことを話した。

「だがそれでもその手の類の病気は完全な治療は無理でも、その人に適合した食材を食べれば、半年から一年の延命は可能なはずだろ? 何も全ての希望を捨てる必要は無いんじゃないのか?」

「いいんだ、俺は天涯孤独の身だ。最後にこれの再生が終わったら、もう悔いは無い。自然のままに旅立っていくさ……」

 その言葉から決意が固いのをトリコは感じ取ったが、どこかで諦めている部分もあるのではと感じた。

 だが全ては本人が決めたことなので、第三者である自分があれこれ口を挟む権限などどこにもない。

 それにこの事実を杏子が知ったら、彼と喧嘩になる可能性だってある。

 ただでさえ自分の病気のせいで情緒不安定になっている杏子の精神をこれ以上混乱させるわけにはいかないと踏んだトリコは、一言「邪魔したな」とだけ言うと自分のテントへと戻ろうとする。

 チャックを開けて外に出ようとした瞬間、ふと言いたかったことを思い出すとムールの方を振り向いて話し出す。

「まだ選択肢は残っているかもしれないんだ。本当に悔いが無いかどうかはその時に考えても遅くはないだろ」

 トリコが何を言ているのか分からず、ムールは困惑した表情を浮かべるが、トリコはその巨体を小さく屈めながら、テントから出て行く。

 まるで自分の覚悟をバカにされたかのようで一瞬嫌な気分にもなったが、今はソルトフラワーの再生が先だと思い、ムールは少しでも体を休めるために寝袋に入って眠りに落ちた。

 来るべき戦いの時に備えて体力を回復するために。




 ***




 月だけが塩の砂漠を照らす真夜中。

 砂漠の気温は日中と夜では天と地ほどの差があると言われているが、このソルト平原ではそんなことは全くなく、昼間と変わらない穏やかな気候が続いていた。

 命と呼ばれる物が全くない静寂だけが包むソルト平原を歩む影が一つ。

 大きめの眼鏡に坊ちゃん刈りの頭で身長が150にギリギリ届くぐらいの小柄な青年は、陰湿な笑みを浮かべながらグルメケースに入った自分が手塩にかけて育てた昆虫を見ていた。

「もうすぐ美味しいご飯が手に入るからね……」

 飼い主である青年の愛情が伝わっているのか、ケースの中の昆虫は体をガタガタと震わせて喜びの感情を伝えようとしていた。

 元気な自分の昆虫に青年は歪んだ笑みを浮かべていると、いつの間にか目的地に辿りついたのに気づく。

 自分が育てている昆虫の成長にはもっとも適しているソルトフラワーを見つけると、青年はケースの蓋を取って昆虫を放つ。

「一杯食べるんだよ……」

「そこまでだ!」

 突然の大声と共にソルトフラワーは煙幕で包まれる。

 昆虫が嫌う殺虫剤の成分も入っているのであろう、放たれた昆虫はソルトフラワーに近づくこともできず、青年の頭の上を何度も回っているだけで進むことも戻ることもできないでいた。

 青年は自分の昆虫の食事を邪魔した存在を確かめようと、煙幕の中から現れた存在に目を向けると予想通りの存在が姿を現した。

「お前は……再生屋か!?」

「そうだ。俺は再生屋のムール、法で禁止された昆虫を人工的に生み出している、グルメブリーダーのニードルだな!? グルメ八法を犯した罪は重い、お前を逮捕する!」

 グルメ犯罪者に取って再生屋が現れたと言うことは死刑宣告にも近い物があった。

 令状と確立した証拠が無ければ逮捕できないグルメ警察と違って、再生屋は食の味方であって独断での検挙が許されている。

 だがニードルはムールの様子を見て100%の状態ではないと判断すると、邪悪な笑みを浮かべたまま自分の頭の上でオロオロしている昆虫に対して人差し指を一本突き立てる。

 意図を察した昆虫は人差し指のてっぺんに止まる。

 親指大ほどの紫色のクワガタは小さななりにも関わらず、異様な存在感を放っていて、その姿を見るとムールはクワガタに付いての情報を語りだす。

「捕獲レベル19の『シザースタッグ』か、厄介な物を……」

 軽く愚痴をこぼすとムールの脳内でシザースタッグに関する情報が再生されていく。

 親指大ほどの大きさにも関わらず、19の高レベルが付いたシザースタッグは自分の何倍もの大きさの猛獣でも切り裂くことができる強靭なハサミを持ち合わせているクワガタ。

 だがシザースタッグ自体は植物しか食べず、邪魔さえしなければ襲いかかることはないので、この捕獲レベルに落ち着いた。

 しかし今ニードルの手によって品種改良されたであろうシザースタッグは、明らかに自分に対して敵意を向けているのが分かり、恐らくはテロリストか殺し屋に売りさばく商品としてより攻撃的な性格に改造されたのだとムールは思った。

 そんなムールの考えを察したのか、ニードルは邪悪な笑みを浮かべながら話し出す。

「そう……このシザースタッグは僕が手塩にかけて育てた最高傑作さ。やれシザースタッグ! 食事の邪魔をしているのは全部アイツだ!」

 ニードルの命令を受けると、シザースタッグはジグザグに動きながら頭のハサミを突き出してムールに向かって突っ込んでいく。

 その素早い動きに対応しきれずにムールが懐からノッキングガンを取り出した頃には、シザースタッグは自分の眼前にまで来ていて、右の目玉に向かってまっすぐ突進し、そのまま脳まで食い破ろうとしていた。

「ナイ――フ!」

 死を覚悟した瞬間に後ろから聞こえた怒声に振り返ると同時に感じたのは鬼の存在。

 一瞬その存在に食い殺されるのではとムールは思ってしまい、思わず尻もちを付いてしまう。

 それと同時に全容が目に飛び込む。

 後ろから現れたトリコはシザースタッグのハサミ目がけて手刀を振り下ろしていて、シザースタッグはトリコのナイフをハサミで受け止めて耐え忍んでいた。

 ギチギチと肉にハサミが食い込む嫌な感覚がトリコの中で広がって行く。

 即座に左手のフォークを突き出して回避しようとすると、シザースタッグは勢いよく飛び立って、トリコとシザースタッグは互いに距離を保ったまま牽制しあっていた。

「ムール、このクワガタはオレが引き受けた。お前はそこのブリーダーを捕まえてくれ」

「済まない……」

 本来目的が違う美食屋の力を借りるのは気が引けたが、背に腹は代えられない。

 トリコの申し出を受けるとムールはニードルに目を向けるが、半病人のムールを見るとニードルは余裕めいた笑みを浮かべながら、懐から小型のサブマシンガンを取り出すと勝ち誇った顔を浮かべながら銃口をムールへと向ける。

「ここで全員死んで、ソルト平原の栄養にでもなるんだな!」

 引き金が指にかかろうとした瞬間、第三者の攻撃が飛んでくる。

 ニードルは即座に銃口をムールから飛んできた攻撃へと向けて引き金を引く。

 だが弾丸が発射されるよりも早く放たれた槍はニードルの手首に直撃し、彼の手からサブマシンガンは離れて行った。

「何者だ!? 姿を現せ!」

 槍が飛んできた暗がりに向かって声を上げるニードル。

 叫びに応えようと杏子は暗がりから銃口をニードルに突き付けた状態で姿を現す。

 それは拳銃と言うよりは信号弾を発射する物に近い小型の大砲のような物であり、そのデザインを見るとニードルの脳内で情報が駆け巡る。

 今杏子が自分に向かって突き付けている拳銃は山火事などの消化で使用される氷の弾丸を放つタイプの銃。

 素人でも扱えるタイプであるが、この場で鎮圧用に用いるのは正しい判断とは言えない。

 この『フリーズクラッカーガン』は威力こそ高いが、スピードが極端に遅くグルメ細胞を移植された自分に取ってはスローボールのようなもの。

 素人の浅はかさにニードルは高笑いを放って勝ち誇っていた。

「所詮は素人の浅はかな考えだな! そんな物で僕を止められるとでも思っているのか!?」

「グダグダうるせぇよ!」

 甲高い声のニードルを相手にするのが嫌になったのか、杏子は引き金を引いてガンから消火用の氷の弾丸、通称『フリーズクラッカー』を銃口から放つ。

 30センチ大の雹のような氷の塊が放たれるが、ニードルは余裕めいた笑みを浮かべながら左に飛んでフリーズクラッカーをかわすと、サンドソルトに力なくクラッカーは埋まる。

 周りに炎があればここから拡散していくフリーズクラッカーだが、今は炎など全くないのでその真の威力を発揮することは無い。

 しかもフリーズクラッカーは一発しか打てない。この事実を知っているニードルは懐からサバイバルナイフを取り出して突っ込んでいく。

「今度はこっちのターンだ!」

「いいや。これでジ・エンドだ」

 杏子を見ると同じように勝負が決したような勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 言っている意味が分かったのは自分の足に冷たさが伝わり、それが痛みに変わった瞬間だった。

 後ろを振り返った時にはフリーズクラッカーは勢いよく辺りに拡散していて、ニードル自身の体を覆い、逃げようと首だけを伸ばそうとしたが最後には首の先まで氷で覆われ、醜い氷漬けのオブジェが完成した。

「まぁグルメ細胞を移植されているからな。死んじゃいないだろうよ」

「なるほど、溶解熱の原理を利用したのか……」

 杏子の狙いが分かるとムールは納得した顔を浮かべる。

 氷に塩をかけると、水に塩が溶ける。

 塩が水に溶けると言うのは塩を構成している塩素とナトリウムの結び付きが切れて、塩素がマイナスの電気を帯び、ナトリウムがプラスの電気帯びてイオン化してその周囲に水分子を電気的に結合させて安定することです。

 この時エネルギーを必要とするので周囲からエネルギーを奪い、周囲の温度を下げる。

 このように溶質が溶媒に溶ける熱の出入りを溶解熱と言い、今回の杏子の作戦はその溶解熱の原理を応用した物だった。

 一人感心するムールに構わず、杏子は未だに氷の中で苦しそうに口をパクパク動かすニードルに向かって最後の啖呵を切る。

「命までは取らない。テメェみたいに腐りきった人間になんてなりたくもないからな!」

 それだけ言うとムールに構わず、杏子はトリコの様子を見ようと彼の方を向くが、そこには予想外の光景が広がっていた。

「ナイフ!」

 トリコはシザースタッグを相手にノッキングを施そうとしていたからだ。

 何度も何度もナイフをシザースタッグのハサミにぶつけて威嚇はしているのだが、シザースタッグは攻撃力だけならば、実際の捕獲レベル以上の物を持っているため、トリコでも真っ向勝負は厳しい物があった。

 だがトリコはそれでもノッキングガンを片手に何度もノッキングを試みようとするが、昆虫は外殻が鎧のように固く、ノッキングする箇所が分かっていても素早いシザースタッグを相手にノッキングは中々成功せず、トリコは歯がゆい思いを繰り返していた。

「何の真似だ!? お前ならその程度の虫なら倒せるだろ!?」

 早速杏子は貰ったグルメディクショナリーでシザースタッグに関しての情報を得るとトリコに檄を飛ばす。

 詳しいことはまだ分からなくても、トリコに取ってまともに戦えれば決して万全の状態ではなくても、捕獲レベル19程度の相手なら何とかなるだろうと踏んだ杏子はなぜ早急に勝負を決めないのかとトリコに促す。

「ダメだ! こいつは不味くて食えたもんじゃねぇ!」

 こんな時でも持論である『食べる以外の目的で獲物は殺さない』を守るトリコ。

 だが正当防衛ならばそれは構わないと言う理屈も知っている杏子は引き続きトリコに対して怒鳴り散らす。

「そんなこと言ってる場合か! ソルトフラワーの蜜を飲まないとお前は……」

「ダメだ! 持論を曲げちまったら本当にオレが死んでしまう!」

 プライドはある意味では自分を保つための最大の武器である。

 強い想いがこもった叫びは杏子の胸に響き、その叫びを聞くと杏子は何も言うことができなかった。

 それはかつて自分を保つことができずに、魔女へと変貌してしまったさやかの姿をマジマジと見てしまったからだ。

 色々な要因はあるが、その中には自分が取った軽率な行動も一つの要因となっている。

 今自分が何の役にも立たないと分かると、杏子はそれ以上何も言わずにトリコの邪魔にならないように奥へと下がって行く。

 それと同時に一歩前に出る存在が一つ。

 ムールは懐からノッキングガンのパーツを取り出していき、持っていたノッキングガンに加えていくと、瞬く間にライフル型のノッキングガンが出来上がり、最後にトリコに確認を取ろうとする。

「ノッキングが出来ればいいんだな?」

「ああそうだ!」

「俺ならそいつのノッキングは可能だ。少しの間注意を引きつけてもらえるか?」

 そう言うムールの言葉に虚栄は無く、自信と言う物が満ち溢れていた。

 上級者同士の連携に口を出すべきではないと判断した杏子はトリコの答えを待つ。

「任せられるか?」

「任せておけ。さっきの礼だ」

「頼む!」

 トリコの了解を貰うとムールはスコープ越しから、シザースタッグを見つめる。

 その間もトリコとシザースタッグの戦いは続いていて、トリコが一瞬の隙を付いてナイフでの攻撃を振り下ろすと、シザースタッグがハサミで受け止める。

 何度も繰り返された光景だが、今は第三者の協力がある。

 手にハサミが食い込む痛みに耐えながらも、トリコはムールのノッキングを待った。

「OK! 今だ!」

 ノッキングガンから針は杏子の目には見えず、射撃されても音も硝煙も無かった。

 傍目から見れば何の変化もないように思われたが、トリコの安堵に満ちた笑みを浮かべると勝負が決したのが分かる。

 先程まで敵意をむき出しにして、襲いかかっていたシザースタッグは眠るように地面へと落ちていて、トリコの手から離れて行った。

 無事にノッキングが完了したのを見ると、ムールはノッキングガンを解体していき、鞄の中にしまうとシザースタッグをニードルが持っていたグルメケースに入れ直す。

「コイツは俺が責任を持って保護する……」

 そう言うとムールは力なく横たわり、虚ろな目を浮かべていた。

 突然のことに杏子の思考はストップしてしまうが、トリコは予想通り無理がたたったムールを心配し、そばに行って様子を見る。

「大丈夫か? って聞くのも無粋な話か……」

「俺に残された時間は?」

 途絶え途絶えの声でムールは自分に残された時間をトリコに聞く。

 トリコは今までの経験からムールに残された時間を計算すると正直にムールに答える。

「今日の朝日を見る頃にはもう命の灯は終わってるよ」

「そうか……できれば再生が成功したかどうかを見たかったが、これも自然の摂理か……」

 目の前で命が終わろうとしているのを見て、杏子の中でトラウマが次々と蘇って行く。

 自分一人を残して無理心中していった家族、目の前で助けられずに魔女へと変貌していったさやか。

 そして今また一つの命が終わろうとしている。

 この事実は今目の前に居るトリコでさえ救えられないのではと悪い考えばかりが杏子の中で繰り返され続け、体を小刻みに震わせながら二人を見つめていたが、目に眩い感覚を覚えると杏子は反射的に目を閉じる。

 同じように眩しさに目をやられたトリコが振り返ると、既に夜は明けていて朝日が昇っていた。

 新しい朝が始まる光景はどんな時でも感動的な物だが、今の一同にそれを感じる余裕は無い。

 だが感動は違ったところで起ころうとしていた。

 それにいち早く気づいたのはトリコ、横たわっているムールを強引に持ち上げるとソルトフラワーの方を指さす。

「再生が成功しようとしているぞ!」

 この言葉でムールの中で最後の気力が湧きだす。

 震えながらもムールが両目を開けると、ソルトフラワーは朝日に照らされながら大輪の花を咲かせていて、花の中には大量の美味しそうな蜜が詰まっていた。

 自分の最後の仕事が成功したのを見届けると、ムールは満足そうな笑みを浮かべていて、今度こそ思い残すことはないと目を閉じて力なく横たわって行くが、トリコは花からあふれ出す蜜を両手で受け止めると、一番栄養が詰まった一番搾りをムールに向かって差し出す。

「何を!?」

 今まではソルトフラワーの再生に喜んでいるだけの杏子だったが、トリコが自分も危険な状況なのにも関わらず、ムールを助けようとしている光景を見て、杏子は素っ頓狂な声を上げる。

 目の前に差し出されたソルトフラワーの蜜は目を閉じているムールでも食欲が沸く物であり、反射的にムールは差し出された蜜を吸いこむように飲み干す。

 その瞬間に口の中で広がったのは濃縮された極上のスープの旨みだった。

 ソルト平原全ての大地の栄養が凝縮された蜜は一口にして、様々な味が舌を襲う物だった。

 肉の旨みを感じたかと思えば、魚介のさっぱりした旨みが襲い、時折感じるのはフルーツのさっぱりとした感覚、それで舌の中がリセットされたかと思えば再び濃厚な旨みが襲い、ムールの中で活力が蘇って来る感覚が襲う。

 気づくと自分の中で受け入れようとしていた死の安楽は遠のいていき、自力で目を開くことが出来、意識もハッキリした物に戻って行った。

「どうやら延命完了みたいだな」

「なぜ俺を……アンタも相当にヤバい状況だろ?」

「オレの場合量が足りないんだよ。どっちにしろ一番搾りはアンタに譲る予定だったんだ。再生させてくれたのはアンタなんだからな。これで貸し借りなしだぜ」

 大食漢のトリコに取って、その言い分はもっともであるが、それでも自分自身もまた命の危機にさらされているにも関わらず、会ったばかりの自分を助けてくれたことが信じられず、ムールは震える足で立ちあがってなぜ自分を助けてくれたのかを聞く。

「何で俺を助けたんだ?」

「ん? 人が人を助けるのに理由が居るか? 目の前で助けられる命があるなら助ける。野生の獣だってそれぐらいはできるさ、それにな……」

 最後にトリコは綺麗にノッキングが施されたシザースタッグを指さすと、ムールの中でどこか諦めていたのではないかという想いを代弁しだす。

「アンタは自分の中では悔いは無いと言ったが、周りはそうもいかないだろ。結果的にこうなったんだ。残された時間はアンタが悔いの無いように生きればいい」

 そう言うとトリコは大量に花の中からあふれ出す蜜を直接ガブガブ飲み干して、何度も「うめぇ!」と叫びながら至福のひと時を味わっていた。

 そんなトリコに対して杏子は行儀の悪さを指摘して、説教をしようとするが強引に蜜を飲まされるとその美味しさに何も言えなくなっていた。

 一人残されたムールはこれから先与えられた命を何に使おうかと少し考えると、最後に自分が言った一言を思い出す。

 自分は最後まで再生屋として生きる。その言葉を守ろうとムールは朝日に誓った。

 自分の信念を最後まで曲げずに、最後の瞬間が訪れるまで生き通してみせると。




 ***




 ソルトフラワーの再生が成功してから、半年の時が流れた。

 多くの再生屋たちが宿を構える癒しの国『ライフ』その国のシンボルとも言える療樹『マザーウッド』

 巨大な木の中には多くの再生屋たちが再生所を構えていて、日々様々な食材の再生が行われいてた。

 その中でもボス的存在である『与作』の再生所では主である与作が一人喪服姿に着替えると、その上からトレードマークである血まみれの白衣を身に纏って、これから行う葬式に出席しようとしていた。

「鉄平! 準備は出来たのか!?」

 与作は葉巻樹に火を付けて一服しながら、ただ唯一居る弟子の『鉄平』に準備は出来たのかどうかを聞く。

 上の階段から自慢のリーゼントをセットしながら現れたのは、どこか軽薄な感じも漂わせる右目の上から顔にかけて一本の傷を負った緑色の髪の青年が現れる。

 同じように喪服姿にはなっていたが、どうしてもリーゼントのセットが自分の納得のいく物にならなかったが、目の前でイライラしている与作を見ると渋々愛用の櫛を胸ポケットしまうと強制的に準備が出来たのを軽く頷いて合図を送った。

「よーし行くぞ!」

 与作は葉巻樹を吸いながら豪快にドアを開けて、既に待っていた弔問客たちと共にマザーウッドの一番奥深くへと潜って行く。

 マザーウッドの根の部分は再生屋たちの墓地となっていて、役目を終えた再生屋たちはここで眠りに付いているのがほとんどだ。

 これは自分が死んだ後も再生に携わりたいと言う想いから、再生屋たちは死んだのではなくマザーウッドの一部となって生き続けると言う風習から生まれた物であり、ここにまた一つ新たな墓が建設されていた。

 小奇麗な新品の墓にはムールと書かれていて、ムールが長い闘病生活を終えて安らかな眠りに付いたのが分かっていた。

 鉄平はその墓に線香を上げて手を合わせると、最期を看取った者としてムールの最後を語りだす。

「穏やかな最期でした。まるで眠るように安らかに旅立っていきましたよ」

「自分のやるべきことを全てやりおえたからだろうな……」

 そう言うと与作は弔問客の顔をジックリと眺める。

 彼らは皆ムールが残してくれた技術を継承して言った弟子たちであり、自分が与えられた半年の間にムールは後世の育成に全力を注いでいた。

 それまで自分が培ってきた技術を全てテキスト化して、多くの人間に自分がやってきたことを伝えようと必死になって教え続けた結果。ムールの弟子と呼ばれる存在たちは100人を超えるほどになっていて、全員がムールの葬儀に参加していた。

 全員が神妙な顔を浮かべながら合掌をする中で鉄平は一人心の中で眠っているムールに語りかけた。

(お前の魂は死なない……ここに居る全員がお前の心を技術を継承して受け継いで行くんだ。お前は最後まで最高の再生屋だったよムール……)

 最後まで立派に再生屋として生きたムールを見て鉄平は誓った。

 自分もまた再生屋として恥ずかしくない生き方を最後まで貫こうと。

 幼い日の決意を決して曲げずに生き抜こうと。





本日の食材

サンドソルト 捕獲レベル1以下

ソルト平原に広がっている食べられる砂の塩。
普通の塩よりも上品な味わいと奥深さがあり、多くの高級料亭がこのサンドソルトを使用している。

ソルトフラワー 捕獲レベル26

ソルト平原の栄養全てを吸収して、咲く花の蜜は極上の味わい。
近年は栄養の枯渇から蜜が出ないでいたが、ムールの手によって再生に成功した。

シザースタッグ 捕獲レベル19

親指大ほどの大きさだが、油断して手を差し出すと、そのまま手ごと切り取られるほど強靭なハサミを持ったクワガタ。
植物しか食べないので動物には基本的に興味が無い、出会ったらやり過ごすのが無難な昆虫。





投降が遅れて申し訳ありません。年末に向けてプライベートが忙しくて忙しくて……

と言う訳で今回は再生屋編をお送りました。そしてついでに与作と鉄平にも出てもらいました。

しかし、前に見たマミった鉄平には本当に驚かされました。まだ手放しで喜べる状況でもないですけど。

次回は最後の一品を得る狩りになります。

次もがんばりますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ14 美食屋としての初めての発見
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:d307e754
Date: 2012/12/03 18:33




 蒸し暑くジメジメと湿った空気だけが漂い、時折吹く風も熱風と間違えるぐらい生温かなそれに杏子の苛立ちは募る一方だった。

 ツナギの胸元をはだけて体に新鮮な空気を送り込むが焼け石に水であり、何度も何度も額に浮かび上がる汗をハンカチで拭いながらも、トリコの治療のための最後の食材『ブラックタイガー』が居ないかと思って、目を皿のように丸くして辺りを見回すが、目に飛び込んでくるのは亜熱帯地方特有の巨大な植物ばかり、今歩いている道もトリコがナイフで巨大な植物を切り裂いて、その後を続いている状態であり、フラストレーションだけが溜まる一方だった。

「メインの食材だから後回しにかと思っていたが、そういうことだったんだな……」

 自分の無力さを自嘲するかのように杏子はつぶやく。

 治療のための最後の食材ブラックタイガーが生息するのは美食屋の間でも中級レベルとされる湿原。『マリン湿原』をいきなり杏子に挑戦させるのはかなり危険だからと、ココに念を押されたことからトリコはメインの食材を最後に回しておいた。

 この湿原に挑戦する前、トリコは杏子に遺書を書かせた。

 元々いた世界では死んだ上に何もない自分が書くことなど何もないと杏子は言ったが、トリコにしては珍しく真剣な顔を浮かべて書くことを強要させたので、一応杏子は書いたが書き終わってからその真意が分かった。

 常に生きて帰って来るぐらいの覚悟は持っていて当たり前。

 だが勝つとばかりも限らない世界で常々生きているトリコたちに取って、遺書を残すと言うのはある意味で挑戦する大自然に対して敬意を表しているのだと。

 トリコの後を付いて行きながら、杏子は最後の食材ブラックタイガーに付いての情報をグルメディクショナリーで調べる。

 自分が居た世界ではエビの一種なのだが、この世界のブラックタイガーは全くの別物だった。

 エビの頭に虎の体を持ち合わせた水陸両用の獣であり、捕獲レベル29と言うかなりの難敵であり、普段なら馬鹿馬鹿しいと呆れかえるだけなのだが、場合が場合なだけにブラックタイガーに対して突っ込める余裕は無く、杏子は自分に出来ることはサポートだけだと思い、入念にブラックタイガーに付いての情報を得ようとする。

 そんな時液晶画面に水滴が落ちたのを知り、杏子は上を見る。

 パラついてきた雨は瞬く間に本降りになっていき、湿原特有の変わりやすい天気を見抜いたトリコはすぐに杏子の手を取ると近くの崖下に身を寄せて、テントを広げようとする。

「オイいくらなんでもキャンプには早すぎるだろ……」

 日没になってからなら話は分かるが、まだ太陽が出ている中でこの日は休もうとしているトリコに杏子は抗議の声を上げるが、困惑している部分もあった。

 豪放磊落で思い立ったが吉日をモットーにしているトリコが、ここまで慎重になると言うことはブラックタイガーとはそこまで危険な相手なのかと思ってしまい、先程までどこかでダジャレで付けられたバカな猛獣だと見下していた気持ちも少しずつ消え失せて行くのを杏子は感じていた。

 テントが完成するとトリコはすぐに杏子の手を取って半ば強引にテントに引きずり込むと、チャックを閉めて腰をどっしりと下ろす。

 先程まで道を切り開いていたいことはトリコに取ってもかなりの体力を消耗していて、荒い息づかいを整えながら、杏子と向き合ってなぜ今テントを広げたのかを話し出す。

「ブラックタイガーはかなりの強敵だ。それもかなり警戒心が高く、自分が確実に勝てる狩りしかしない。迂闊に突っ込んだら返り討ちにあう可能性だってある」

「警戒心の高さってのは、この辺りに居る猛獣全員に言えることだけどな……」

 杏子は事前に調べておいた情報からマリン湿原の猛獣の主な特徴について語りだす。

 それは生きるため、そこに居る全員の警戒心が他の地域の猛獣に比べて異常に高く。

 本当に勝てる狩りしかしない主義であることが分かり、これまで自分たちが無事に歩めてきたのはトリコの存在が大きいと改めて杏子は思っていた。

 だが警戒心が高いのは決して喜ばしいことばかりではない。

 確かに警戒心が高ければトリコから離れなければ襲われる心配は無いが、それゆえにブラックタイガーが自分たちを襲う時と言うのは本気で覚悟を決めた瞬間。

 捨て身の相手の恐ろしさと言うのは依然影の魔女を剣で何度も何度もズタズタに引き裂いたさやかを見ていたのでよく分かること。

 それでなくてもこの地域の猛獣は餌にありつく機会が他の地域の猛獣に比べて少ない。

 飢えている相手の恐怖と言うのも自分自身十二分に分かっていることなので、トリコの行動は慎重になりすぎているとは言えない。

 もしもの時に備えて杏子は用意された雨具と豪雨の中でも視界を確保できるゴーグルを身に付けると、トリコに対して準備が出来たことをアピールするが、トリコは手を差し出してこれ以上杏子に行動をさせないようにしていた。

 その表情は獲物を狙うハンターの目になっていた。

 真剣な表情を崩さないまま、両手をこすり合わせて自分自身に気合を入れて行くと、トリコはゆっくりとチャックを開けて辺りを見回す。

 お互いに射程距離には入っていないが臨戦態勢になっているのを感じ取ると、トリコは杏子の身の安全を守るため、テントから出るように促す。

 下手にこの場に残しておけば、杏子は瞬く間に猛獣たちの餌食となって骨一本残らないであろうと言うのは杏子にも理解できたこと。

 小さく頷くと杏子はトリコに続いて外へと出る。

 その瞬間耳をつんざくような轟音が杏子の耳を襲う。

 自然の豪雨はダムの放水と見間違えるぐらいの音が辺りに響き渡っていて、雨具をガッチリと着込んでいるにも関わらず、わずかな隙間から水の冷たさが襲いかかり、体温を奪われる感覚が襲いかかる。

 まともに耳が機能しないことに杏子は苛立ちを感じだすとトリコの手から手渡されのはヘッドホン。

 同じ物をトリコが身に付けているのを見ると、杏子も同じようにヘッドホンを耳に装着する。

 その瞬間耳に響き渡っていた轟音は消えてなくなり、静寂が杏子の耳に戻った。

 落ち着きを杏子が取り戻したのを見ると、トリコは指でヘッドホンの側面部に付いているボタンを指さす。

 何だろうと思いながらも杏子がボタンを押すとトリコも同じようにボタンを押して、内部に仕込まれていたマイクを外に出す。

『聞こえるか?』

 初めて扱う代物だけにちゃんと機能しているかどうかを杏子に聞くトリコ。

 今付けているヘッドホンが防音機能だけではなく、特定の人物との会話も可能なトランシーバーとしての機能が付いているのも分かると、杏子も同じようにマイクを出してトリコと会話をする。

『大丈夫だ。これからアタシはどうすればいい?』

『オレのそばを離れるな。もうすぐ怖いのが来るぜ……』

 狩りをする時の声色であることを杏子は知ると、トリコと同じ方向を向く。

 先程まで轟音で耳が全く機能していない状態だったが、落ち着きを取り戻すと前方から襲ってくる威圧感が自分にも伝わってきた。

 全く聞こえないはずなのに耳元に伝わるのは、少しずつ自分たちの元に近づいてくる足音。

 威圧して相手を怯ませようとしている野生に対して、トリコも同じように指の関節を鳴らしながら額に血管を浮かび上がらせて威嚇を行う。

 トリコの背後で広がったのは夜叉のイメージにも怯まずに豪雨の中から現れたのは、巨大な虎だった。

 エビの頭部に虎の体、その色は漆黒に染まっていて、一見すればコラージュのような間抜けな姿だが、今の杏子にその事を笑う余裕は無かった。

 5メートル近くあるその姿は出会った瞬間に死の覚悟を決めなければいけないほどのインパクトがあり、うめき声にも似た雄たけびを上げながら何度も後ろ足を蹴りあげて、トリコと杏子を食べようとしていた。

「さすがに捕獲レベル29は伊達じゃないな。オレも本気で行かせてもらうぜ」

 以前捕獲レベル34のシャドーミノタウロスを撃破したトリコだが、それは相性の問題と言うのもあり、単純な力比べ勝負しか出来ないシャドーミノタウロスとは自分に取って相性のいい相手だった。

 だが今目の前に居るブラックタイガーは長い間餌にあり付いてなく、狡猾で二重、三重にも策を用いてくる相手だろう。

 警戒心の高い獣と言うのはそう言う物だ。覚悟を決めても決して無策では突っ込まない。

 そう自分の中で算段している間にブラックタイガーは雄たけびを上げながらトリコに向かって、まっすぐ突っ込んでいき大きく口を開けてトリコを食べようとしていた。

 それをトリコは身を屈めてかわし、自分の頭を通り過ぎようとした瞬間、無防備になっている腹の部分に向かって拳を突き立てて飛び上がり、アッパーカットを食らわせるが、トリコの手に広がった感覚は獲物をしとめた手応えではなかった。

 甲殻類特有の硬い殻は腹の部分にまでびっしり覆われていて、ブラックタイガーの体を守っていた。

 手に痛みを感じる暇もなくトリコの頭上をブラックタイガーは通過していくと、振り返って再びトリコと向き合う。

 先程と変わらず獲物を見定める目で自分を見る辺り、ブラックタイガーにダメージは無いと踏んだトリコ。

 生半可な攻撃では逆にこっちがダメージを負うだけだと分かったトリコは手をこすり合わせて金属音を響かせると、まっすぐ突っ込んで今度は自分から勝負をかける。

「ナイフ!」

 振り下ろされた手刀はどんな生き物でも急所にあたる頭部へと振り下ろされる。

 攻撃に対してもブラックタイガーは臆することなく、額を前面に突き出すとトリコのナイフに勢いが付く前に強引に止めた。

 次の瞬間トリコの手に広がったのは痛みにも似た痺れ。

 動きが止まったのを見るとブラックタイガーは前足の爪を立てて、一気に勝負を付けようと右の前足を振り上げてトリコに襲いかかる。

 だがその瞬間にトリコの口元が邪悪に歪む。どんなに防御に長けた相手でも攻撃に転じる瞬間だけはそれがおろそかになるのをトリコは知っていて、爪が自分を切り裂く瞬間に左手を爪に向かって突き出す。

「フォーク!」

 カウンターでトリコの左手のフォークが爪と肉の間の部分に綺麗に刺さる。硬い殻で覆われた体でも節目節目の部分は脆い物。

 トリコの左手が刺さった肉の部分からは激しい出血が噴き出し、ブラックタイガーは自分の身を守るように後方に飛んでトリコと距離を置く。

 負傷した前足をかばうように引きずりながらも、その目は闘志を失っておらず、今度は直接噛みつこうと口を大きく開けて牙をむき出しにしながら雄たけびをあげる。

(時間はかかるが、ここは焦らずにゆっくり体力を奪ってからしとめる作戦で行くか……)

 実際に戦ってみて手こずる相手ではあるが、決して勝てないレベルではない。

 無理をしなければ十分に倒せる相手だと踏んだトリコは、今のままのスタイルでブラックタイガーが攻撃に転じた瞬間にのみ、こちらも攻撃を加えるカウンター戦法の作戦で行くことが脳内で決まる。

 そんなトリコに構わずブラックタイガーは雨脚が強まったのと同時にまっすぐトリコに向かって突っ込む。

 豪雨で自分の気配は消えてなくなるが、トリコならばその優れた嗅覚でブラックタイガーの行動は大体分かり、今度は口の中に直接パンチを叩きこもうと右腕に力を込めて筋肉を膨張させていく。

「5連釘……」

 一気に勝負を決めようとした瞬間、日本刀で切り裂かれたような感覚がトリコを襲う。

 感覚の正体に気付いたトリコは半ば強引に体をよじらせてブラックタイガーの突進をかわすと、すぐに遠くで戦いを見守っていた杏子の元に駆け寄る。

「ちょ、何だよおま……うぉ!」

 杏子の抗議の声も聞かずにトリコは彼女の首根っこを掴むと勢いよく、後方に投げ飛ばす。

 その姿が見なくなったのを感じるとすぐに振り向いて、勢いを付けたまま襲ってくる存在に釘パンチを放つ。

 だが狙いが定まっていなく、杏子を安全な場所に送り届けるために貯めていたパワーの大半を使ってしまったパンチは敵に致命傷を与えることはできず、その軌道を狂わせるのが精一杯だった。

 豪雨の中現れた二つの影を見るとトリコの顔色も曇り、額からは冷や汗が出てくる。

「生きるために手段を選ばない、野生なら当然の判断だろうな……」

 だがそれでもまさか単体で基本的に狩りを行うブラックタイガーが二体掛かりで襲ってくるとは予想の範疇を超えていて、トリコは脳内で作り上げられたプランが実行できないことを悟った。

 カウンター戦法は相手が一体の場合にのみ出来る戦法、二体で襲いかかられたのでは俊敏さに対応が出来ずに自分は餌になるのがオチ。

 そうなると残された戦法はたった一つ。やられる前にやる。自分がもっとも得意としているシンプルで原始的な力比べだけだった。

「いいぜ。相手になってやるよ」

 自分の中で覚悟が決まるとトリコは指の関節を鳴らしてゴング代わりの合図を二体に送る。

 それと同時に雨脚は更に強まり、二体はトリコが自分たちの姿を目で追えなくなったのを直観的に感じ取ると、双方別方向に分かれて右と左から飛びかかってトリコを食べようとしていた。

「そうか、お前らそんなにオレを食いたいか? オレもお前らを……」

 食いかかろうとした瞬間、それぞれに腕を突き出して筋肉を硬直させる。

 完全に覚悟を決めたトリコの筋肉はブラックタイガーの牙を受け付けず、二体のブラックタイガーはそれぞれトリコの拳に噛みついた状態のまま宙に浮いてしまい、どうしていいか分からず足をジタバタさせることしかできなかった。

 トリコはそんな二体を前方に投げ飛ばす。体が地面に付くと二体は即座に起き上がって戦闘意欲が無くなっていないのをアピールする。

「オレもお前らを食いてぇ!」

 原始的で何の混じりけも無い純粋な殺意しかトリコには無かった。

 お互いがお互い生き延びるための野生の勝負。ブラックタイガーたちとトリコは再び突っ込んで互いを食らおうと戦っていた。

 自分たちの未来を掴み取るために。




 ***




 いきなりトリコに投げ飛ばされた杏子が行きついた先は豪雨をも遮る深い森の中だった。

 大きすぎる木は自然と雨を地面にまで届かせず、まるで家の中にでも居るような安心感が杏子を包み込んだ。

 何が何だか分からない状態ではあるが、トリコのことだから考えなしにやったとは思えないと思った杏子は自分が出来ることをやろうと自分を受け止めてくれた巨大な蓮の葉から起き上がると、生命線とも言えるであろう通信機器が無事であるかどうかを確かめる。

 ヘッドホンを付けて今も戦っているであろうトリコの声を聞く。

 叫び声と共に何度も轟音を響かせている辺り、まだトリコは無事でありそして通信機器の方も機能していることが分かると、杏子は葉っぱから降りて森の探索を始める。

 性格的にただトリコの助けを待っているだけと言うのが合わないと言うのもあるが、変に一つのところに立ち止まっていたのでは猛獣たちに自分の体を差し出すような物。

 自分を守るためにも杏子は歩くことを決め、森の中を歩きだした。

 先程までは道なき道をトリコによって切り開いて貰った状態なのだが、この森はなぜか理路整然となっていて、まるで人の手で舗装されたかのようにある一点だけは人が通れるような道になっていた。

 まるでRPGの世界にでも迷い込んだような印象を受けたが、今自分が居るのは自分の常識が何一つ通用しないデタラメな世界。

 一々驚いていたのではキリが無いと判断した杏子は開き直って、草が生い茂ってない舗装された道を歩き続ける。

 薄暗い森の中を歩くのは予想以上に体力を消耗したが、はるか先に淡い朝焼けのような優しい光が目に飛び込む。

 光に吸い寄せられるように杏子は歩み続ける。足に感じていた疲れも忘れて歩き続けた先にあったのは小さな木になる黄金に輝く桃たちだった。

 木その物は自分の世界では一般的な数メートル大なのだが、周りにあるのが異常に大きな木ばかりなので中央にポツンと佇むそれが小さく見えてしまうのは当然のこと。

 いつの間にかこの世界に毒されていることに苦笑しながらも、杏子はグルメディクショナリーを開いて桃の正体を確かめようとレーザーを当てて情報を得ようとする。

 だが次の瞬間画面に現れた情報に杏子は困惑の表情を浮かべる。

『この食材は本辞書に登録されていません。発見者であるあなたが命名してください』

 まさか新食材を自分が発見するとは思っておらず、杏子の中での感情は感動や喜びと言うよりも困惑だけだった。

 だが本格的に美食屋としてを歩む以上、こんなことは日常茶飯事だろう。

 いつの間にか自分がトリコに甘えているだけの存在なのが許せなくなり、杏子は自分もまたやるべきことをやろうと思い、入力画面に変化した液晶に見つけた桃の名前を命名する。

「『黄金モモ』と……」

 安直なネーミングではあるが、こう言う物は奇をてらった物よりもシンプルに言った方が分かりやすい物だと杏子は思い登録のボタンを押す。

 名前が決定するとすぐにグルメディクショナリーの中で情報がアップデートされていく。

 後のことはこちらの仕事ではないと判断した杏子はトリコのため、そして自分のためにいくつか黄金モモを貰おうと手を伸ばす。

 その瞬間殺気を感じ取り、杏子の手は止まり即座に背中に背負った槍に手を伸ばして臨戦態勢を取る。

 物陰から現れたのは2メートル大の猿、だが自分の世界と違うのは覆っている体毛の色だった。

 金色に輝くそれは目には鮮やかに写るが、自分の元にゆっくりと近づくそれに対して杏子は警戒心を最大に強めることしか出来なかった。

 ゴリラと言うよりは巨大な金色のチンパンジーと言った印象を受けた。出しっぱなしになっているグルメディクショナリーで情報を得ようとすると先程と同じ画面が液晶に現れる。

『この猛獣は本辞書に登録されていません。発見者であるあなたが命名してください』

 食材と違って猛獣の情報が得られないのは杏子に取ってショックな事実だった。

 目の前に居る大きなチンパンジーがどんな猛獣なのか分からない以上、どう行動していいか分からず杏子はとにかく槍を突き出したまま威嚇することしかできなかった。

 そんな杏子に構わず金色のチンパンジーは顔を大きく近付けると、杏子の近くに鼻をよせて匂いを嗅ぐ。

 何回か鼻をスンスンと鳴らし、自分の中で品定めが終わると杏子から興味なさそうな表情を浮かべて、背中を向けて立ち去ろうとする。その背には骨を加工したような棍棒状の武器が担がれていた。

 どうやら餌として食べられるかどうかを判断しようとしていたのであろう。

 結果自分は食べられない物だと判断を受け、狩りの対象にはならないとなった。

 多少怒りを覚えた杏子だが今はそんなことに構っている暇は無い。

 トリコのためにも黄金モモを持ち帰ろうと手を伸ばした瞬間、金色のチンパンジーの顔色が変わる。

 明らかに怒りの表情を杏子に向けていて、何度も唸っている様子から先程とは違い、杏子が路傍の石ころと変わらない存在から排除すべき存在へと変わっていた。

(何なんだよこの『ハネザル』は!?)

 思わず反射的に杏子は脳内で目の前のチンパンジーに『ハネザル』と命名してしまう。

 やられる前にやってしまおうと杏子は反射的に槍を突き出すが、それよりも早くハネザルは杏子の両肩を掴むと激しく揺さぶる。

 動物特有の奇声が耳元で叫ばれる。それは先程までの豪雨とは比べ物にならないぐらいの騒音だった。

 耳が機能しないのを杏子が感じていると、ハネザルは感情に任せて杏子をそのまま前方に投げ飛ばす。

 投げ飛ばされた先は柔らかい植物の上だったのでダメージ自体は無いが、杏子は飛び上がったハネザルをしっかりと見据えて反撃の体勢を整えようとしていた。

 ハネザルは完全に杏子を異物として排除しようとしていて、飛び上がりながら背中に背負った骨の棍棒を持つと杏子に向かって突き出す。

 次の瞬間、予想外の事態が起こる。

 棍棒は三節棍のように伸びて行き、間が鎖で繋がれているそれは勢いよく杏子に襲いかかった。

 当たる直前に杏子は体を少しだけ捻って最小限の動きで三節棍の攻撃をかわすが、当たった先を見てみると地面が抉れ、自分がこの攻撃を一発でも食らったらその時点で命は終わると判断してしまった。

(まさかアタシと似たようなのとやるとはな……)

 魔法少女だった頃も自分と同じ武器を使う相手との経験が無い杏子に取って、初めて戦う似たようなタイプがチンパンジーなのには少し苦笑したが、立ちあがると槍を構えながらどう戦おうか頭の中で作戦を立てる。

 まともに戦っても勝てるわけないのは分かっている。

 相手は依然戦ったブラッドベリーのような人間ではなく、警戒心の高い野生の獣。

 自分に襲いかかったのだって自分が確実に仕留められる相手だから襲いかかったのだろう。

 一切の慢心や油断は期待できない以上、自分が生き残るための手段は一つしかないと判断した杏子は首にかかったままのヘッドホンに手をかけると来るべきチャンスの時を待つことにして、槍を構えながら牽制を繰り返していた。

(格好がいい作戦とは言えないが、全ては生きるためだ! さやか……)

 自分の身を持って影の魔女戦で自分の真意を分かってもらおうと、自分の後ろで魂の状態のまま付いているさやかに語りかけようとする。

 まださやかと同じところに行くわけには行かない。自分にはやるべきことがあるのだから。

 生きるための戦いをするため、今杏子とハネザルの勝負が始まった。




 ***




 強くなる一方の雨脚は徐々にトリコの体力を奪っていき、トリコは荒い息づかいで二体のブラックタイガーを必死で見失わないように見ていた。

 鼻で位置を確認しようとしてもあまりの豪雨で匂いを識別できない状態になっていて、トリコは視覚面でのハンデがある状態で二体の強敵と戦わなければいけない状態となってしまい、何とか反撃に転じようとファイティングポーズを取るのがやっとだった。

 消耗しきっているトリコをゆっくりしとめようと二体のブラックタイガーが共に取った行動は一つ。

 激しい雨の中で出来た水たまりの中に身を隠し、その中を泳ぎながら僅かに残った陸地の上に居るトリコの気力と体力が尽きるのをゆっくりと待ち、その瞬間が訪れれば最後は二体で一気にしとめると言う作戦に出た。

 トリコは荒い息づかいを整えながら、両腕に力を込めて最後の攻撃に転じようとしていた。

 勝つにしても負けるにしてもこれがお互いに取って最後の攻撃になるだろう。

 覚悟を決めてトリコはブラックタイガーたちが水面から出るのをジッと待ち、奴らが攻撃に転じるその一瞬の瞬間を狙っていた。

 我慢比べに最初に負けたのはブラックタイガーたちだった。

 近くの木に雷が落ちて辺りが閃光と轟音で包まれた時、動物の性なのか反射的に飛び出してしまい、片方は爪を立てて、もう片方は口を大きく開けてトリコに襲いかかる。

 傍から見れば絶望的な状況ではあるが、トリコは自分の元に近づくギリギリの瞬間まで腕に力を込め、両腕の筋肉が倍近くに膨れ上がった瞬間、こちらも攻撃に転じた。

「一点集中5連アイスピック釘パンチ!」

 今自分が持ってる最大の武器でトリコはブラックタイガーに対抗しようとした。

 放たれたアイスピック釘パンチは額の真中に向けられていて、前足をあげて空中に飛び上がって無防備な状態になっているブラックタイガーはその攻撃をまともに食らってしまい、中央部にある無防備な脳に強力な攻撃を食らってしまい、中で脳が砕け散ると同時に集中された攻撃は尾が破壊されてもその衝撃は天を突きぬけて駆け抜けていった。

 一体が地に落ちて水面にその体を預けたが、それでももう一体のブラックタイガーの攻撃は止まらなかった。

 口を大きく開けて無防備になったと思われるトリコに襲いかかったが、トリコは空いている左腕を同じように突き出す。

「もう一丁!」

 連続で釘パンチをそれもより消費カロリーの多いアイスピック釘パンチを放つのは初めてであり、放った瞬間激しい痛みが左腕から発生してそこから全身へと移っていく。

 だがそれでも放たれたアイスピック釘パンチは大きく開けられた口の中に放り込まれ、喉からパンチの衝撃が放たれる。

 外側は固い甲殻と筋肉に覆われた生き物ほど内部は脆い物であり、最後のパンチが放たれる頃には背中の外殻が全て吹き飛んでいき、ブラックタイガーは口を開けた状態のままだらしなくよだれを垂らしながら水面へと落ちていく。

 もう起き上がらない二体のブラックタイガーを見ると、ここでトリコの中にも狩りに成功したと言う安堵感が生まれ、手をこすり合わせて金属音を響かせながら、手を合わせて自分のために命を分けてくれたブラックタイガーに感謝の念を送る。

「ごちそうさまでした」

 早速ブラックタイガーを解体しようとした瞬間に付けっぱなしにしておいたヘッドホンから杏子の声が聞こえる。

 酷く慌てた様子で途切れ途切れになっていることから異常事態だと判断したトリコは、通信のボタンを押して杏子と会話をする。

「スマン事情を説明している時間が無かったんだ。無事か?」

「そんなことはいい! アタシの指示通りに動いてくれ!」

 後ろで轟音が聞こえる辺りで杏子が何者かと戦闘中だと言うことは分かり、トリコは携帯電話を取り出すとヘッドホンとジャックで繋げる。

 するとヘッドホンに内蔵されている発信機が作動して、携帯の画面に今杏子が居る地点と自分が居る地点が表示される。

 杏子の指示を待ちつつもトリコは杏子が居る地点へと向かっていく。

 本当の意味での勝利を掴み取るために。




 ***




 度重なるハネザルのジャンプからの攻撃で杏子は体力を削られ、虫の息の状態になっていた。

 爪の攻撃は完全にはかわしきれず、着ていた雨具はボロボロになってしまい、役に立たない状態になってしまった。

 服としての用途をなさないボロキレを投げ捨てるが、その下のツナギも爪で傷つけられてしまい、下からは僅かに鮮血も出はじめていた。

(トリコに感謝だな……)

 ツナギには防護服としての機能もあることが身を染みて分かり、杏子は木の上で奇声を発しながら自分に向かって威嚇行為を繰り返しているハネザルを睨みつけていた。

 間違いなくハネザルが黄金モモを主食にしていることは分かる。

 自分たちの食料を確保するため、邪魔物である自分を排除しようとしているのも分かる。

 決してハネザルたちの生活を脅かすつもりはないのだが、そんなことをハネザルに言っても理解できるわけがない。

 やはりここは強行突破しか方法がないだろうと判断した杏子はヘッドホンを手に取って、次にハネザルが襲いかかる瞬間を待っていた。

 自分が仕掛けた大自然の罠。

 それが上手く成功すれば自分の勝利、負ければミンチにされるのがオチ。

 全ての準備は整った。後は勇気だけ。

 何度も何度も木の上で跳ね上がって威嚇を繰り返すハネザルに対して、杏子は槍を突き出して自分にまだ戦闘意欲があることをアピールする。

 瞬間、ハネザルの顔に憤怒の色が見られ、奇声を発しながら爪を突き立てて杏子に向かって前のめりに突っ込んでいく。

 普通ならばここで背を向けて逃げるだろうが、杏子は何度も後ろを見ながらも来るべき瞬間を待っていた。

 自分の中で感覚がスローモーションになるのを感じる。集中力が極限にまで高まる瞬間はこうなるものだ。

 自分の眼前に鋭く光る爪が近づいた瞬間に杏子は行動を起こした。

 力任せに後ろに飛び上がって爪の攻撃を回避する。

 攻撃対象を失った爪は地面へと埋め込まれ、すぐに立ち上がって反撃に移ろうとしたハネザルだが、地面の変化に気付いた時には体勢を保てないでいた。

 先程まで豪雨の中に居た杏子は雨が全く入らないと思っていたが、木蔭にも限界はある。雨は少しずつではあるが地面を濡らしていき、粘着質な土質は雨水を含むと泥に変わり、ハネザルの腕を深いところまで持っていく。

 柔い地面に持っていかれた腕、100キロを超えるハネザルの体重もあって、その体を地面の奥深くまで引きずり込まれる。

 腕と足が完全に引きずり込まれて身動きが取れなくなったのを見ると、杏子はヘッドホンをハネザルの頭に装着して伸ばしておいたマイクに向かって力の限り叫ぶ。

「今だトリコ!」

 杏子の合図を受けるとトリコはマイク越しに怒号にも似た叫びを放つ。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 突然耳元で響く轟音にハネザルは驚愕の表情を浮かべながらも悶絶し、手足をバタバタと動かして謎の轟音から脱そうとする。

 だが今自分の頭に装着されているヘッドホンの存在を理解できないハネザルに取って、それは無駄な労力でしかなかった。

 立て続けに自分の耳元で鳴り響く轟音にハネザルは意識を保つことができずに、泡を拭きながらその場で卒倒してしまう。

 大の字になって泥の上に浮かびあがっているハネザルを見て、もう戦闘意欲は無いだろうと思った杏子だが安心はできなかった。

 久しぶりの生きるか死ぬかの戦闘を体験したこともそうだが、何の力もない状態でこんな強敵と戦ったことは杏子に取ってショックは大きく、何度も何度も荒い息づかいを繰り返しながらも、脳に新鮮な酸素を送ることで自分を落ち着かせようとしていた。

 そしてある程度落ち着きを取り戻すと、杏子は力なくため息をついてその場にへたり込む。作戦が成功したのは間違いなくハネザルが自分の力を下に見て、慢心していた部分があるからだろう、もし遠くからあの三節棍状の棍棒で立て続けに攻撃されていたら、長期戦に耐えきれなくなり自分は間違いなく死んでいた。

 運も味方に付けた勝利だと思い、改めて杏子はトリコのために黄金モモの元へ向かうが、木々がざわめく音を聞くと背中に冷たい物が走る。

 恐る恐る振り返った先にあったのはハネザルの大群であり、木の上に乗っかって自分は完全に包囲されていた。

 臆病で警戒心の強い猛獣は群れをなして行動するのが常識。

 仲間を傷つけた杏子に対して、全員が強い敵対心と怒りの感情を持っていて、骨の棍棒を持って臨戦態勢を取っていた。

 体中から冷や汗が噴き出す。もう助からないと分かると、不気味なぐらい冷静になって恐らくは自分の後ろに居るであろうさやかに語りかける。

「待ってろ。愚痴でも泣きごとでも好きなだけ聞いてやるし、殴りたかったら好きなだけ殴れ……お前はお前でバカかもしれないが、アタシはアタシで何も出来なかったボンクラだからな……」

 それは不甲斐ない自分に対しての皮肉なのだろう、トリコの治療の顛末を確認できないまま死んでいく自分に対して怒りもあり、これからさやかと同じところに向かうであろう自分に対して杏子は宣言する。

 だがここで周囲の空気が変わったことに杏子は気付き、改めてハネザルたちを見つめる。

 先程まで明らかに敵意を向けていたその表情はまるで凍りついたように固まっていて、何かに怯えている様子が手に取って分かった。

 小刻みに震えながらハネザルたちは持っていた棍棒を背中に背負い直すと、全員が一か所に集まって防御の体勢を取っていた。

 全員の視線の先を杏子も同じように見る。

 伝わってきたイメージは真っ赤な夜叉の存在。

 その存在がドンドン近づいてくるにつれて、ハネザルたちは身を寄せ合って怯えを互いに分け合っていた。

 だが杏子だけはそのイメージの正体を知っているため、彼がブラックタイガーに勝利したのを喜ぶ。

「よう。さすが美食四天王トリコだな。捕獲レベル29ぐらいじゃ、お前を止められないみたいだな」

「あやうく三途の川を渡りかけたがな」

 軽口を言いあう杏子とトリコ。

 野生の勘が示した通り、今目の前に居る大男は自分たちの戦闘力をはるかに凌駕した存在。

 だが自分たちにも生活がある。

 全員が特攻を覚悟して突っ込んでいこうとした瞬間、トリコは杏子から大体の話を聞くと手を差し伸べて、黄金モモを二つだけもぐと一言言う。

「安心しろ持っていくのは二つだけだ。お前らの生活を脅かすつもりはない」

 言葉の意味は分からなかった。だが杏子を連れて引きさがって行くトリコを見て、ハネザルたちは本能的に感じた自分たちの食糧難の危機は去ったと。

 そして全員が本能的に手を絡ませて祈るポーズを取った。

 感謝の気持ちをトリコに送るように。




 ***




 マリン湿原での狩りから一週間の時が流れた。

 ブラックタイガーもデザートに杏子が取った黄金モモも二人は美味しく頂いた。

 全ての狩りが終わり、杏子の中で思い描いた図は元通りになったトリコと共に再び美食屋の修業を再開している自分。

 だが現実はそんな甘い未来を見せてはくれなかった。

 机の上に散らばったままのトリコの診断書を見る。医学用語が多く詳しいことは分からないが、癌細胞が未だに活動を続けていると言うことは分かった。

 だがそれでもトリコは希望を捨てないでいた。

 最後の手段としてトリコが取った行動は古い友人を訪ねると言う物。

 『グルメ騎士』の『愛丸』は病原菌やウィルスを食べて、自分の中で抗体を作り上げて相手に投与すると言う捨て身の治療を施す通称『病食主義』の男。

 その特異な体質と『グルメ教』の施しの精神が相まって多くの難病を抱えた人たちを救い、トリコも最後の手段として彼を頼ろうとしていた。

 自分のせいで家族を失ってしまった杏子に取って、八つ当たりだとは分かっていても宗教には良い感情が持てないでいたが、今は愛丸に頼るしかない。

 身勝手で無責任だとは分かっていたが、杏子はトリコのために祈りをささげるポーズを取った。

 トリコのため、そして自分自身絶望に負けない心を作るために。





本日の食材

ブラックタイガー 捕獲レベル29

エビの頭に虎の体を持った水陸両用の猛獣。
その肉は部位によって魚介のように淡白な部分と濃厚でジューシーな部分に分かれていて、多くの人がファンになっている。

黄金モモ 捕獲レベル5

杏子が美食屋として初めて見つけた食材。
金色に輝く桃で、普通の桃よりもずっと糖度が高く、一個だけで成人がその日必要なエネルギーを摂取できるほど。

ハネザル 捕獲レベル3(単体の場合) 群れの場合は21

杏子が初めて発見した猛獣。
高い知能を持ち合わせていて、常に集団で行動をしている。
非常に警戒心が強く臆病な性格なので、わざと怒らせるような真似さえしなければ襲いかかることは無い。





と言う訳でメインの狩りになりました。

リクエストで杏子にもやってもらいたいと言う意見がありましたので組み込みましたね。人間ではやりましたが対猛獣戦はこれが初めてだったので書いている方も嬉しかったです。

次回でこの件に関しての顛末を書きたいと思います。

次もがんばりますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ15 旅の終わり
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:d307e754
Date: 2013/01/06 18:02



 グルメ騎士が根城にしている『粗食の丘』こののどかで穏やかな地域でグルメ騎士たちは日々精進を繰り返していて、リーダーである愛丸のテントの中にトリコと愛丸は居た。
 前々からトリコの病気のことに関しては聞かされていた。愛丸自身も近々自分を頼って彼がやって来ることは分かっていて、準備は万全にしていた。
 まずはトリコの癌細胞を抽出し、それを現在分かっている中で驚異的な再生能力を持っている生物『無限トカゲ』の肉に注入し、弱い癌細胞を作り上げて愛丸が食べる。
 そして自分の中で抗体が出来上がったところで、それをトリコに注入する。これが愛丸が普段から行っている治療法だ。
 この方法で多くの人々が救われ、今頃はトリコも待つべき人の元へ戻っていくだろうと愛丸も思っていた。

 だが現実とは非情である。
 トリコは目の下に隈を作った状態で力なく、泣き崩れる愛丸をジッと見つめていた。
 それは治療の失敗を知らしていて、トリコとの永遠の別れが決まった瞬間であった。

「泣くなアイ、男前が台無しだぞ」

 自分に与えられた残りの時間は分かっているトリコだったが、それでも彼はいつも通りの態度で愛丸に接する。
 普段から自然の流れるままにをモットーにしている愛丸でさえ、古い友人の死には気が動転していたが、それでもトリコは自分を気遣っていた。
 トリコの中で覚悟が決まっているのを見ると、愛丸は涙をぬぐい失敗に終わった原因を話し出す。

「普通ならばこれで大体の病気は治るはずなんだ。だがお前の場合は普通のグルメ細胞が進化すると同時に、グルメ癌細胞は癌細胞で強靭な物に進化してしまっていたんだ……」

 普通ならばグルメ癌はその人に取って適合した食材を食べることでグルメ細胞が癌細胞を死滅させるものだが、だがトリコの場合はその強靭なグルメ細胞が仇となってしまった。
 グルメ癌細胞もまた滅びに対抗しようと食べた食材を力に変えて、進化し続けていたために再生が追いつかない状態になってしまっていた。
 自分の非力さを嘆く愛丸であったが、それでもトリコは変わらずに力なく「そうか……」とだけ言うと、立ち上がってテントを後にしようとする。

「世話になったな。『GOD』をお前に任せちまうことを許してくれ」

 それだけを最後の挨拶としてトリコは旅立とうとしていた。

 彼の性格上湿っぽいのは嫌うタイプなので、最後の瞬間もまた明日普通に出会うのではないかと言うノリで消えようとしていた。それは分かっているのだが、愛丸は最後にどうしてもやっておきたいことがあり、トリコの手を取ると一緒にテントの外へと連れ出す。

「何だよ一体?」
「会ってほしい奴が居るんだ。そいつに一言エールを送ってくれ」

 愛丸が帰りの馬を用意するとその上にトリコを乗せて、引き連れながらこれから会う新人のグルメ騎士に付いて話し出す。

 自分が助けた患者の一人であり、グルメ界の呪いにかかった少年『滝丸』は愛丸の手によって救われた一人であり、最後の瞬間まで一人ぼっちで人生を終えようとしていた自分を救ってくれた愛丸に恩返しをしようと、滝丸はグルメ騎士となって日々精進を繰り返していた。

 グルメ騎士の中ではまだまだ若輩者ではあるが、最近ようやく実戦の狩りで通用するまでのレベルになったのだが、精神面で未熟な部分が多く、その事を心配した愛丸は最後にトリコに何か一言言ってもらおうと滝丸の元へ連れて行く。

 そう話している間に訓練場である広い草原に到着する。
 滝丸は一人フォームのチェックを何度も繰り返していたが、愛丸に呼ばれると滝丸は動きを止めて愛丸の元へと向かう。

「オレの古い友人のトリコだ。挨拶をするんだ滝丸」
「初めまして滝丸と申します。トリコさん」

 行儀よく頭を深々と下げる滝丸だが、トリコが気になったのはその見た目だった。
 年齢や性別で人を差別するタイプではないトリコなのだが、その若すぎる見た目が気になってトリコは一言滝丸に質問をする。

「お前いくつだ?」
「16歳です」

 まだ未成年の滝丸を見てトリコの中で頭に浮かんだ顔は自分の家に待たせている一人の少女の存在。
 強がってはいるが本当のところ誰よりも孤独を嫌い、さみしがり屋な彼女のことを思い出すとトリコは感慨深い表情を浮かべた。

 ――ウチのチビと一歳しか違わないのか……

 目の前の滝丸と杏子をダブらせたトリコは愛丸から自分のことを何度も聞かしている滝丸をジッと見つめる。
 そして全ての情報を愛丸から聞かされた滝丸は真剣な表情を浮かべながら、トリコの顔をジッと見つめていたが、トリコはその頭に軽く手を添えると穏やかな顔を浮かべながら一言言う。

「滝丸とか言ったな。強くなれ、男なら強くだ。女を守れるぐらい強い男にな」
「ハイ」

 それは滝丸に向けてのエールも含めて、一人でも多く杏子の仲間が増えればいいと言うトリコの願いも込めての言葉。
 温かな手を添えられると滝丸の中で勇気が膨れ上がって来る。より一層強くならなければと言う想いが強まり、早くトレーニングに戻りたいと言う気持ちは体温の上昇で伝わってきた。

 これ以上は自分は邪魔になるだろうと思ったトリコは馬を帰る方向に向けると、小さく愛丸に向かって手を振りながら「じゃあな」とだけ言って、自分が最後にすべきことをやるために旅立っていく。

 最後に見送るであろうその背中を二人はジッと見つめていて、愛丸は最後に滝丸の肩を小さく叩くとトリコの背中を指さして語る。

「最後のその一瞬までアイツのように強く気高く生きるんだ。出来るな?」
「ハイ!」

 先程までどこか頼りなさがあった滝丸だが、トリコに出会った瞬間一気に男の顔になったのを愛丸は感じていた。
 瞬く間に成長した滝丸を見ると愛丸は穏やかな笑みを浮かべながら一言「いい顔だ……」とだけ言って、滝丸の特訓に付き合う。
 自分もまた自分の言った言葉に責任を持って、最後の一瞬まで気高く生きようと心に決めながら。




 ***




 周りを埋め尽くすのは水中の生物が肉眼で確認できるぐらい透明度の高い澄んだ海。
 その中央にポツンと浮かぶ小島の上で長めのビーチデッキに座りながら、トリコと立派な口髭を蓄えた金髪の老人は並んで同じ海を見ていた。

「すまねぇなオヤジ。やるだけのことはやったんだがな」
「お前はお前の戦いを最後まで諦めずにやり続けたんじゃろ。ワシに謝る必要は無いわい」

 テーブルの上に置かれたワインを飲みながら二人は語り合っていた。
 IGO会長の一龍は多忙なスケジュールを調整して、トリコと最後の語らいをするため普段はバカンスに使っている小島に招待するとトリコの最後の頼みを叶えようと彼の話を聞こうとしていた。

「じゃが何を今さらやろうとしとんじゃ? ワシは普段から口を酸っぱくして言うとるじゃろ。美食屋なんて常に死と隣り合わせの危険な仕事なんじゃから、自分が死んだ時の準備はちゃんとせぇと……」
「これだけはオヤジじゃないとできないんだ」

 長々とした説教を聞くのが嫌になったのもあるが、トリコはどうしてもIGOの技術力が無ければ出来ない最後の頼みを叶えてもらおうと一龍にここ最近話していなかった自分の近況を話し出す。

 一年ほど前からひょんなことから自分の元に居候ができたこと。
 その少女は死んでしまった友達のため、そして自分自身のために美食屋の道を歩もうとしていることを。
 そのために自分もノッキングに関しての教育や現地へ何度か連れて行ったことを全て一龍に伝えた。
 全てを聞き終えると一龍は力なくため息をつきながら空を見上げ、トリコの真意を聞き出そうとする。

「それで何じゃ? 保護でもお願いしてもらいたいのか?」
「アイツはそんなタマじゃねーよ。オレが死んでもアイツには世の中に負けないでほしいんだ。そのためには気持ちだけじゃダメだ。力が無ければ潰される」
「何も美食屋になるだけが世の中を生きる術じゃないじゃろ。何ならワシがどの道を選べるように本人と会って、教育と斡旋を行うから……」

 どこかで興奮して周りが見えていないトリコを宥めるように一龍は一言言う。
 自分の中で勝手に杏子が美食屋の道を歩むしかないと思っていたトリコは一龍の言葉で鎮静し、一言「スマン」とだけ言うと改めて自分がやるべきことをやろうと一龍に話しだす。

「だがもしアイツが美食屋の道を歩むってんなら、グルメ細胞の移植は必須だ。だから……オレのまだ安全なグルメ細胞を取り出して浄化の上保存してくれ!」
「何じゃと!?」

 トリコの発言に思わず一龍は素っ頓狂な声を上げる。
 自分の体を支えている健康なグルメ細胞の摘出、それは言うならば自分の寿命を縮める行為でもあった。

 ただでさえ短い寿命を更に短くしようとしているトリコの願いに一龍は驚愕した顔を浮かべたまま、どう対応していいか分からないでトリコの顔を見ていたが、その目には強い決意が浮かび上がっていて、否定を許さない力強さが感じられ、説得は無駄だと分かった一龍はため息を一つつくと、懐から携帯電話を取り出して部下たちに指示を出す。全ての指示が終わると携帯電話を閉じてトリコと向かい合う。

「指示は全て出しておいた30分後にはここに来るからな……」

 それだけ言うと一龍は再びビーチデッキに座るがトリコの方を見ようとはしなかった。

 その背中をトリコは力なくジッと見つめていた。
 子供の頃から大きく感じていた背中。
 身長が越した今でもその大きさは変わらない物だと思っていたが、今の一龍の背中は縮こまり小さい物にトリコは感じた。

 どこか気まずい感じで二人は時間を共有し合っていたが、もうすぐ職員たちが近づき一龍とトリコの間で恐らくは最後の時間が近づいてくるとその背中が小刻みに震えだし、一龍は最後に一言つぶやく。

「トリコ……どんなに経験を積んでも、どんなに年を取っても……涙は枯れないもんじゃな……」

 決して振り返ろうとしなかったが、その顔が涙でクシャクシャになっているのはトリコでも分かることだった。
 床が涙で濡れて行くのをトリコは何も言わずに見つめていた。変な慰めは邪魔になるだけだし、自分が声をかけてもどうにもならないと言うことは分かっている。
 トリコは何も言わずにその背中を最後までジッと見つめていた。から意地だけでもそれが最後に父親としてトリコに向けてやれるメッセージだと言うことは分かっていたから。
 そして職員たちが到着してトリコが一緒に研究所へ向かおうとしている間も二人は何も言わずに去って行った。
 こうして父と子の最後の語らいは不気味なぐらい静かに終わった。言葉は無くても通じあえる部分はある。お互いにそう信じていたから。




 ***




 グルメ細胞の摘出及び保存が終わると、次にトリコが向かったのはグルメ研究所だった。

 マンサム所長との語り合いは本当に簡素な物で済んだ。所長自身湿っぽいのを嫌うタイプであり、トリコと行ったのは最後に酒を酌み交わすことだけであり、最後の一杯を飲み終えると、まるで明日また会うかのようなテンションで「じゃあな」とだけ言うと、所長室に戻っていく。

 これ以上所長と話すことはないと感じると最後にトリコが向かったのは所長に指示された猛獣使いの控室。
 そこに誰が待っているのかは知っている。トリコが数回のノックの後に返事を聞いて中に入るとそこに待っていたのは予想通りの人物だった。

「待ってたしトリコ」

 リンはどこか寂しげな笑みを浮かべながら簡素なパイプ椅子に座ってトリコを待っていた。
 トリコは何も言わずに向かい側においてあるパイプ椅子に座ると、リンはどこかぎこちない感じの笑みを浮かべながら話し出す。

「えっと……やるだけのことはやったんだよね?」
「もちろんだ」
「だったら、ウチが言うことなんて何もないし。それでこれからどうすんの?」

 リンが一番に気になっているのはトリコの最後の時間の使い方だった。
 出来ればその一瞬まで自分と時を過ごしてもらいたいのが本音だが、トリコの心が決まっているのは分かっていた。
 だがそれをトリコ本人の口から聞きたいと言う切なる願いが本人にも届き、トリコは先程グルメ細胞を摘出された苦しみもあり、軽くせき込みながらも答え出す。

「家に帰るよ。待ってる奴も居るし」
「そうだねトリコなら絶対そう言うと思ったし」

 半分分かっていた事実だが、そう答えてくれなければ自分が好きになった彼ではない。
 落胆半分、期待通りの答えを言ってくれた嬉しさ半分でリンはどこか悲しげな笑みを浮かべながらもトリコと最後の会話を交わす。

「あのねトリコ、分かってるかもしれないけど、ウチ、トリコのこと好きだよ」
「ああ。だがお前の気持ちに応えてやることはできない、オレはお前の手の届かない遠いところに行っちまうからな」

 半分は分かっていた答えだった。トリコは自分のアプローチに対しても淡白な対応しか返してこず、トリコ自身恋愛事に大して興味が無いことも。
 だが自分自身気持ちはちゃんと伝えたいと言う想いがリンに告白をさせ、そしてちゃんと一つの恋に決着を付けた。
 トリコがそこから居なくなるのが悲しかった。だがトリコのため、そして自分自身のためにも自分がなすべきことは何かと言うことも分かり、リンは精一杯の笑顔を作るとトリコを見送ろうとしていた。

「じゃあ、ちょっとの間バイバイだね。ウチがそっちに行くのはずっとずっと先になると思うけど、その時はよろしくねトリコ」
「ああ、簡単に顔見せるんじゃないぞ。幸せになるんだぜ」

 それがトリコが送ることが出来る精一杯のエールだった。
 口下手で多くのことを語りたがらないタイプのトリコ。そんな彼だからこそ自分は彼のことを好きになって、自分なりにアプローチを繰り返していた。
 そんな自分が最後に出来ること、それは好きになった人の最後を見届けることだ。
 いつものようにのっそりと歩きながら自分に向かって手を振るトリコはいつも通りのトリコだった。
 だから自分もまたいつも通りの感じでその背中が見えなくなるまで手を振り続けていた。そしてトリコの姿が見えなくなると、どこかさびしげな笑みを浮かべながら隣の部屋に居るサニーの元へ向かう。

 ノックも無しにリンは兄がいる部屋へと入る。
 こう言う時マナーにうるさいサニーは何かと口うるさく自分を叱るのだが、今日に限っては真剣な表情を崩さないまま、パイプ椅子に足を組んで座っていて、ジッと天井を見つめているだけだった。
 何も言わないサニーを見るとリンが自分のことを報告しはじめる。

「あのねウチ、トリコにちゃんと告白できたよ……それでねフラれちゃった。『お前の気持ちに応えてやることはできない』ってね」

 どこか悲しげな笑みを浮かべながら自嘲気味に話すリン。
 サニーはそんなリンを責めるわけでも、からかう訳でもなく相変わらず普段は中々見せない真剣な表情を浮かべたまま、天井を見つめるだけだった。
 こう言う時に言葉は返って邪魔になるだけ、それを知っている二人は何も言わずに沈黙だけがその場を支配していたが、やがて耐えきれなくなったリンがおずおずと口を開きだす。

「何て言うかさ、ウチって本当にバカだよね。自分一人で舞い上がってさ、トリコの力に何にもなれてないのにさ……」
「バカなんかじゃないさ」

 自嘲するリンに対してサニーは天井を見たままではあるが、静かに口を開くとそのまま持論を語りだしていく。

「お前はお前なりにアプローチを繰り返し、そして気持ちを伝えて決着を付けた。その心のありようは誰にも真似できないお前だけの美しさだ。今お前最高に美しいよリン」

 普段は自分のことをバカにするばかりのサニーが自分を美しいと褒めたたえてくれた。
 これはリンの堤防を崩壊させるには十分な一言であり、リンはサニーの背中に抱き付くとさめざめと泣きだす。
 妹の涙を背中で感じながら、サニーは相変わらず虚空を見上げたまま一言つぶやいた。

「全く見る目の無い奴だぜトリコは、こんなにもいい女ふるんだからな……」

 そう言うサニーの目には涙が溜まっていたが、決してそれを外に出そうとはせずジッと上を見ることで涙がこぼれないようにしていた。
 子供のころからずっと一緒だった存在との永遠の別れは辛かった。だが自分にはその大切な友達と交わした約束がある。
 自分が居なくなった後、数年の後『グルメ日食』は起こり、その時はトリコがフルコースのメインディッシュに選んでいた頂点の食材『GOD』が蘇る。
 GODは多くの人民たちが狂気に導かれ、それを独占しようと言うのなら再び大規模な戦争が起こりかねない。だからこそGODは分け与える物が得て、多くの人々に分け与えなくてはいけない。

 サニーはそのことをトリコと約束したのだ。だから自分に泣いている暇などないし、涙を流すわけにもいかない。精一杯のから意地を張って、サニーは体を震わせながらも涙がこぼれないように上を見続けていた。
 これから先もっと自分は強くならなければいけない、精神的にも肉体的にも、そのための修業の一つだと思っていたから。




 ***




 何となくの予感はあった。

 トリコが本当の意味で自分の手が届かない存在になってしまうことを、だがどこかで信じたくないと言う想いから今までその事を考えようとはしなかったが、ココの口から電話で残りの時間に関しては日単位で考える覚悟を持ってもらいたいと聞くと、杏子の精神は遠い所に持って行かれそうになっていたが、ココの震える声がそれを繋ぎとめていた。

 出会って一年半ぐらいしか経っていない自分と違って、ココたちはトリコとは子供の頃からの付き合い、その濃厚さは彼らの思い出を知らない自分でもよく分かっていること。
 自分勝手にさやかと心中の道を選んだ自分が、まさかこの世界でも大切な存在と別れなければいけないと言う事実、それは15歳の少女には重すぎる現実だった。
 少しでも気を紛らわそうと杏子はココに話しかける。

「お前やサニーとはちゃんと話をしたのか?」

 言ってから激しい後悔が杏子を襲う。
 この瞬間一番辛いのはココやサニーのはず、もう一人居る四天王の『ゼブラ』とは未だに連絡が取れない状態であり、話をしたくても出来ない状態だった。
 話によれば猛獣を相手に各地で喧嘩をしていて、どこに居るのか全く分からないとのことである。会ったことはないが、身勝手極まりないゼブラに杏子は激しい怒りを覚えたが、今は質問の答えを待とうと、ココの答えを待った。

「大丈夫だ。気を遣ってくれてありがとう。君は本当に優しい娘だね」
「やめてくれ!」

 ココの言葉にも杏子は否定の言葉しか返すことが出来なかった。
 家族の時も、さやかの時も、そして今回のトリコの時も自分は何も出来ていない無力で無能な自分。
 そんな自分を許すことが出来ずに、杏子は乱暴に怒鳴り散らしていしまうが、ここで蘇ったのは魔法少女時代のトラウマの一つ。
 マミと喧嘩別れした時もちょうどこんな感じだったことを思い出すと、杏子の手から受話器が落ちそうになってしまうが、それを繋ぎとめたのはココの優しい声だった。

「ボクらはちゃんとボクらで決着を付けたさ、最後は君だ。想いに応えてやってくれ」

 抗議の声を上げようとした瞬間に電話は切られた。
 声色から言った言葉に虚勢が無いのは分かるが、それでも杏子の不満は募るばかりであった。
 こう言う時にも関わらずトリコはいつも通りだからだ。まるで残り数日の命と言うのが嘘かのようであり、自分一人が事実を受け止められずみっともないように見えるからだ。
 完全に八つ当たりだと言うのは分かるが、トリコ自身にも最後の時は悔いの無いように過ごしてもらいたい。
 だからこそ自分なんかではなく、家族同然に暮らしてきた。ココたちと一緒に過ごしてもらいたいと言うのが自分の想い。
 その事を伝えようとドアを睨んでいると、力なくゆっくりとドアは開かれた。

「トリコ! テメェ……」

 文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、ドアが閉まりトリコの姿が完全に視界に入ると杏子は言葉を失った。
 頬はこけ、目の下には隈が出来、体重は半分以上落ちて、丸太のように太かった腕も枯れ枝のようにやせ細っていたからだ。
 元が巨人だっただけにやせ細っても一般人ほどの衝撃は無いが、それでも自分の中でのトリコは絶対に負けないヒーロー像があったので、杏子の中でのショックは凄まじい物だった。
 ほんのひと月前まで自分と共に狩りをやっていた存在だとは思えなかったが、絶望に負けたくないと言う想いから、杏子は勢いよく首を振って頬を平手で思いっきり両側から叩くと自分に気合を入れなおして、トリコに対して食ってかかる。

「何でこんなところにお前が居るんだ!? お前がもう人生のエピローグを迎えようとしているのはココから聞いてるんだぞ! こんなどうしようもないクソガキに構ってないで、さっさとお前はお前が過ごすべき相手と過ごせ!」

 まくしたてるように叫び続ける杏子の口を止めたのは、いつも通りに優しく置かれたトリコの大きな手だった。
 やせ細っても、病気になっても、その手の暖かさと優しさだけは変わらず、先程まで絶望に負けないようにと怒りでコーティングされた心が溶けるような感覚を杏子は覚え、何も言えなくなっていた。

「ここがオレが最後の時を過ごす場所で、今目の前に居るお前が最後に過ごすべき相手だよ。杏子……」

 知り合ってから一年半、トリコが初めて自分の名前をまともに呼んでくれたことに驚き、杏子はハッとした顔を浮かべながら、まっすぐトリコを見つめる。
 相変わらず今にも倒れそうなぐらい不健康な顔色で、目の焦点も中々合わなかったが、それでもトリコは杏子を見つめようと、自分の体に鞭を打って同じようにまっすぐ杏子を見つめた。

「悪いな。アンコの方が呼びやすくてな。フォローに関してはお前が言ってくれ、ゴメンな……」

 その寂しげな顔は普段のトリコからは想像できない物だった。
 いつでも豪快に笑い飛ばしながら、どんな困難でも跳ね返して乗り越えてみせる。それが杏子の中でのトリコ像だった。
 だからこそ、こんなことをトリコにはやってもらいたくない。父親が崩壊していくのとは別なショックが杏子を襲い、杏子は下を向いて震えながら置かれた手を退かす。

「バカヤロウが……遅すぎるんだよ……」
「悪い……」
「もういい、アタシはアンコだ! この世界でアタシはそう生きていく。そう決めたんだよ! だから……」

 ここで杏子の堤防は崩壊し、そのままトリコの胸に飛び込んでさめざめと泣きだす。
 自分勝手に感情をぶつけているだけの身勝手な行動だとは分かっていも理性が機能しなかった。
 相変わらずのトリコと一緒の時の居心地の良さは、彼が死ぬ寸前でも変わることは無く、家族に捨てられたあの時とは全く違っていた状況に、杏子に涙を流し続けさせていた。

「アンコって呼んでくれよ……お前には最後までお前であってもらいたいんだよ……」

 それは自分のトラウマを払拭するための杏子の願いだった。
 この世界での優しさは自分が失った物を多く取り戻させてくれた。新しい肉体、寿命、美味しい食事、自分の役目、騒がしい仲間、そしてトリコと言う家族同然の存在。
 もう失いたくないと言う想いから、最後の一瞬まではトリコだけはそのままでいてもらいたいと、杏子は年相応の子供のように泣きじゃくっていた。
 初めて見る杏子の姿に、自分が死ぬと言う事実は自分が思っている以上に重たい出来事何だと改めてトリコは思う。
 そして泣きじゃくる杏子の頭に手を置きながら、彼女を宥めるようにつぶやく。

「悪かった。オレが悪かったよアンコ……」

 謝ったにも関わらず杏子は首を横に振って、トリコを許そうとはしなかった。
 こんな杏子を見るのは初めてだが、トリコは分かっていた。
 ワガママを言うのも、駄々をこねるのも、これが全部最後なんだと言うことを。
 そして自分がなすべきことが分かると、トリコは決意を固めるように天を見上げた。
 今自分の胸の中に居る少女の願いを叶えようと。




 ***




 自分の残りの時間が限られた物だと分かっていても、トリコと杏子の生活はいつも通りの物だった。
 朝起きて狩りに出かけ、同じ物を食べ、杏子はノッキングに関しての勉強、トリコは狩りをして家に帰ると言う日々をトリコは続けようとしていた。
 それは自分が死ぬからと言って、腫れ物扱いされるのが嫌だと言う想いもあったが、杏子自身が一番望んでいるのがいつも通りの生活だと言う願いを感じたからだ。
 双方の希望が合致し、二人はいつも通りの生活を行おうとしていたが、それにも限界が近づいていた。

 やがてトリコは自分で自分の体重を支えることができないほどに筋力が落ちてしまい、車椅子での生活を余儀なくされてしまう。
 当然車椅子を押すのは杏子だった。かつて、さやかの死体を運んでいた時もあったが、その時は空しさばかりが自分の胸を支配していたが、その頃のような悲しみだけではなかった。
 ずっと頼りっぱなしだったトリコの明確な役に立つことが出来ることが嬉しく、トリコの世話を杏子は献身的に続けていた。
 晴れた日には散歩に連れて行き、食事に関してもホワイトアップルをすりつぶした物しか受け付けなくなっていたが、日に数回に分けて与える食事をトリコはとても喜んでいた。
 例え死ぬ寸前でも食べている瞬間が一番嬉しい、いつも通りのトリコに杏子の中に温かい物が芽生える。

 そんな生活を過ごしながら、ひと月の時が経過しようとしていた。
 暖炉の前で二人は向かい合ってソファーに座っていて、杏子は木彫りの人形を作ろうとしていて、もうじき完成しようとしていた。
 基本的にどんなことでもそつなくこなせられる杏子ではあるが、芸術の類だけは大の苦手だった。
 だから自分が作った下手な人形を見せて、トリコと一緒に笑い合おうと思って作って出来上がった下手くそな人形をトリコに見せる。
 物を見るとトリコは軽く笑おうとするが、その瞬間にトリコの体はソファーから崩れ落ちて、力なく地面に落ちる。

「トリコ!」

 杏子は出来上がった人形を捨てるとすぐにトリコの元に駆け寄る。
 カレンダーを見れば、あれから医者に宣告された残り時間とほぼ合致していた。
 これまでかと言う想いが杏子の心を絶望に染め上げようとしていたが、一番辛いのはトリコのはずと言う想いが突き動かし、トリコに肩を貸すとベッドまで連れて行く。
 ベッドの上に横になったのを見届けるとトリコは最後の力を振り絞って、杏子の方を向くと遺言代わりの言葉を話そうとしていた。

「アンコ……遺言書はちゃんと用意してあるが、最後に話しておきたいことがある」

 トリコの言葉を一語一句聞き逃すまいと、杏子は精一杯の真剣な顔を浮かべながら、彼の手を両手で包み込むように繋ぐと、静かに首を縦に振る。
 杏子の方でも準備が出来たのを見るとトリコは語りだす。

「皆にも言ったことだが、お前にも同じことしかオレは言えない。幸せになれ、そのためにお前は生まれてきたんだ」

 ありきたりな言葉であったが、そのことをからかう余裕は今の杏子には無かった。
 ただ何も言わずに手をしっかりと握りしめて、静かにうなずくことしかできず、トリコの言葉の続きを待つ。

「なりゆきから美食屋の道を勧めたけど、別にそれだけが道じゃない。もしお前が他にやりたいことが見つかったっていうなら、オレのオヤジであるIGO会長の一龍を頼るんだ。大丈夫、オレの名前を出せば全て通るから」

 美食屋以外の道を選ぶつもりなど毛頭無い杏子だが、トリコの恩義を感じながら何度も何度も頷く、次第に感極まってきた杏子は握っていた手も震えだし、感情を抑えきれなくなったのか話し出す。

「お前これで本当によかったのかよ?」

 言葉の意味が分からずトリコは困った顔を浮かべていたが、杏子は怒りと悲しみが入り混じったような複雑な表情を浮かべていて、トリコを睨みつけながらもその目からは涙があふれ出していた。

「後悔とかないのか? もっと美味いもん食いたいとか、もっと友達と話しておけばよかったとか、そんな感情は沸かないのかってんだよ! 最後の最後までこんなアタシなんかの心配なんかしやがってよ!」
「無いな」

 断言するようにトリコはきっぱりと言い放った。
 以前この件についてもさやかと喧嘩になったのだが、彼女の時は虚勢が入っていたのは分かるが、今話しているトリコからはそれは全く感じられなかった。
 だからこそ杏子もこの発言に噛みつくことなく、彼の言葉の続きを待つ。

「そう思って、これまでの人生を思い返してみたんだがな。別に怒りや憎しみは無いよ、ただ楽しかった。それだけはハッキリと言える」

 そう言うトリコの顔は物凄い穏やかで温かな物であった。
 満たされたというのはこう言うことなのだろうと杏子は肌で感じていたが、それでも目の前からトリコが消えると言う事実はあまりに重く、何とか現世に繋ぎとめておこうと引き続き話を続けた。

「ま、待てよ! それでも……」
「特にお前だ」

 言葉に詰まっている状態の杏子に手が置かれる。
 一年前に比べればやせ細って、手からは水分が無くなって、まるで老人のようなそれになっていたが、その温かさだけは変わらなかった。
 子供扱いされているようで気に食わない行為だったが、この暖かさだけはかつて失った物を連想させる物があったので、トリコの行為を受け入れていた。
 だがこの暖かさももう感じることは出来ない、最後だと分かるとついに杏子は感情を抑えることが出来なくなってトリコの胸に飛び込んでさめざめと泣きだす。

「泣くな。もう一緒に居てやることは出来ないが、オレはお前を見守っている。それだけはマジだ」
「向こうの世界でかよ!? そんな不確かなことを言うお前じゃないだろ!」

 真意は別にあるのだが、今の興奮しきった杏子にそんなことを言っても通じないだろうと思ったトリコは後は遺言書に任せることにして、引き続き杏子の頭を撫でながら語っていく。

「話を戻すけどな。いくら思い返しても、ここ最近の記憶しか思い出せないんだ。だからなアンコ、オレの最後の言葉を聞いてくれ」

 それがトリコの最後の願いだと分かると、杏子は涙でクシャクシャになった顔を上げてトリコの言葉を待つ。

「オレは美食屋でよかった。じゃなきゃお前と言う家族とも出会えなかったしな」

 『家族』と言うキーワードは杏子に取っての琴線だった。
 自分がずっと欲していた物だが、マミともさやかとも結局それだけの関係を築くことは出来なかった。
 最後の最後でそれを手に入れることは出来ても、それも今失おうとしていた。だから杏子は必死の抵抗を見せる。

「何を言ってるんだ、まだこれからじゃないか! まだアタシはスタートラインにすら立ってないんだぞ。最後まで見守るのが先輩の役目じゃないのか!? オイ!」
「悪いがタイムリミットだ」

 置かれた手が力なく地面に落ちる。
 目が静かに閉じられるのを見るとトリコがこの世界に残された時間はもう無いと本能的に理解してしまう。
 もう自分が言えることは何もないと判断した杏子は、最後のトリコの言葉を待つ。

「悪くねぇ人生だったぜ……ごちそう、さまでした……」

 最後の言葉を言うとトリコの口から呼吸音が聞こえなくなる。
 反射的に杏子は尻ポケットに入れておいたペンライトを取り出し、目にライトを当てると瞳孔が開いていた。
 続いて胸に耳を当てる。心臓の鼓動は聞こえなかった。
 完全にトリコの存在がこの世から消えたのを悟ると、どうしようもない虚無感と絶望感、そして激しい怒りが杏子を襲った。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 雄たけびにも近い号泣が家の中に響き渡った。それと同時にトリコの携帯電話が点滅をしていた。速報が流れていたからだ。グルメ時代のカリスマとも言える存在トリコの死は全世界に配信されていた。




 ***




 グルメフォーチュンでの離れでココは一人携帯でトリコの死を確認していた。
 分かっていたことである。それに自分にはトリコから任された使命もある。
 自分が死んだ時弔問を読んでその存在を消し去ってほしいと言う願いが。
 だがその使命を遂行するためには、心を落ち着かせなければいけない。
 ココはキッスを遠くに追いやるよう指示を出すと、一人外に出て体を怒りで震わせながら力任せに地面を殴りつける。

「ボクは……ボクは……今日ほど自分の能力を恨んだことは無い!」

 信じたくなかった未来が現実になってしまったショックは大きく、感情にまかせて叫ぶと涙と共にココの上半身の筋肉は膨れ上がって全身タイツが破ける。
 紫色の涙を流しながらも、感情を抑えきれずに全身が致死量の猛毒で覆われていくココ。
 自分のパートナーが途方もない悲しみに暮れている様子をキッスは遠くから見守ることしか出来ず、キッスもまた自分の無力さに涙を流していた。




 ***




 グルメ研究所内にあるグルメコロシアムはこの日も激闘が行われていたが、トリコの訃報を聞くと急遽闘技場での戦いは無効試合となった。
 それだけトリコの存在は大きく、普通ならば盛大なブーイングが起こるところなのが、各国のVIPは何も言わずに引き上げていき、全員が全員トリコの死をショックに思いながらも心の中で黙祷をしていた。

 働いている職員たちも同じことであり、全員が家路へと向かおうとしていてリンもまた控室に戻ると、そこには予想外の人物が居た。
 サニーは相変わらず何も言わずに天井を見上げていた。二人の間に会話は必要なかった。なぜそこに兄が居るのかは理解でき、リンは自分の想い人がこの世から居なくなったショックを和らげようとサニーの胸に飛び込んで大きく泣いた。
 その悲痛な泣き声を聞くと、サニーの額に血管が浮かび上がり、ずっと溜めこんでいた涙がこぼれ出すと怒りに任せて天に向かって叫ぶ。

「テメェ許さねぇぞトリコ! 妹泣かせるような真似して、さっさと生き返れ! 思いっきりぶん殴ってやるからよ!」

 決して叶わない願いだとは分かっていたが、それでも叫ばずにはいられなかった。
 高ぶった感情を止めることは出来ずにサニーは普段は絶対に見せたくない、触覚の塊が現実に形となって現れる。
 普段は相手を仕留める時に使う代物だけは、今日だけは泣きじゃくる妹を塊と共に抱きしめた。
 彼女の美しい想いを一番知っていたのは自分だと分かっていたから。


 ***


 目の前に転がっているのは惨殺された猛獣の死体の数々。
 それは生物兵器として使用されていた機械と猛獣との混合生物『ランチャーティラノ』であり、戦争が終わった今でもこの危険な隔離生物によってそこに住んでいる人たちに安住の時は無かった。
 だがそれも一人の男によって絶滅させられ恐怖は終わった。
 赤い髪をオールバックにして、左頬が裂けて中の歯がむき出しになった凶悪な面構えの青年は試しにランチャーティラノの肉を食べてみるが、機械とゴチャゴチャになった生命体の肉が美味な訳もなく、吐き捨てるように口から出すと同時に耳にけたたましい足音が響く。

「第一級危険生物、美食四天王ゼブラだな!? お前を逮捕する!」

 今まで何度も何度も返り討ちにしてきたグルメ警察に包囲されたゼブラ。
 普通ならばここで瞬く間に返り討ちにするのだが、この日はどこか大人しい感じであり、ゆっくりと立ち上がると拳銃を突きつけている警察官たちに対して一言つぶやくように言う。

「四天王じゃねーよ……」
「何を言っている!?」
「もう4人じゃねーんだよ!」

 その感情に任せた叫びはそれだけで攻撃となって、包囲されていた警察官たちは吹っ飛んで行った。
 周りに倒れこんでいる存在が増えて、座るのにさえ邪魔になったが、ゼブラはそんなことを気にせず一人空を見上げた。

「これでもう……オレと対等にケンカ出来る存在は居なくなった……」

 それはゼブラなりの別れの言葉なのだろう。
 彼もまたトリコの死に激しいショックを受けていた。今まで感じたことの無い虚無感に戸惑いながらも、ゼブラは何も言わずにその場を後にしていった。
 闘いだけが自分の全てだと分かっていたから。




 ***




 気が付くと空は闇に覆われていた。
 泣き疲れて眠っていたのだろう。杏子が目を覚ましてもそこに居たのはトリコの死体だけだった。
 もうトリコはそこには居ない、その事実を改めて突き付けられると、次に襲ってきたのは今までのトラウマの数々。
 特に目の前に死体があると言う事実は、さやかの件を始めて思い出したくもないことばかりが蘇ってきて、それは激しい怒りとなって杏子の中で爆発した。

「神様とやら、アンタは趣味が悪すぎるぞ!」

 なぜ自分がこの世界に肉体を持って転生したのかは分からない、家族に自分だけ残して心中されてからと言うもの、そんな存在は信じないようにしていたが、今回だけはあやふやな存在に怒りをぶつけるしかなく、その怒りは言葉となって次々と発せられる。

「確かにアタシは生きるため、物を盗み、隣人を傷つけ、アンタの言う教えとは程遠い罪深い生き方をしてきたかもしれないよ。だがそれでもアタシだって人間だぞ! 幸せになりたいと願って何が悪いんだ!?」

 この世界に来れたのも何かの導きだろうと思っていたが、そんなことは今はどうでもいい。ただ杏子は頼れる存在を失った怒りをぶつける相手が欲しく、感情に任せて叫び続ける。

「アタシは魔法少女の契約をしてからと言うもの、失ってばかりの人生だった。家族、マミ、さやか、何一つとして手に入れられなかった! もう魔法少女じゃないのに今度はトリコまで失ったんだぞ、アタシは……アタシは……」

 怒りと憎しみが入り混じった目で杏子は空を睨み、そして力任せに叫んだ。

「こんなこと何べん繰り返さなきゃいけないんだよ!」

 怒りは涙となって現れ、床を濡らした。
 その叫びを受け止めてくれる者は居ない、その悲しみを和らげてくれる存在は居ない、また一つの別れを経験した少女の心は再び怒りと憎しみで覆われて行くのを感じた。
 どす黒い感情だけが杏子を占拠していく中、トリコの訃報は全世界に配信されていき、各地で天災レベルの大騒動となっていた。
 その騒動の真っただ中に居たことを杏子は理解できないでいた。





本日の食材

無限トカゲ 捕獲レベル3

驚異的な再生スピードを持ち、どんな病気にかかっても自分の力で抗体を作り出すトカゲ。
愛丸が治療に使う自然界の特効薬として、医療が発達していない地域では重宝される食材。
近年ではIGOの研究により、今まで治療に時間がかかる病気も無限トカゲの抗体を利用して、血清を作る研究が進んでいて期待が高まっている。

ランチャーティラノ 捕獲レベル41

戦争のためにランチャー砲とティラノサウルスを掛け合わせて作られた混合生物兵器。
餌さえ与えておけば、ほぼ無限大に天然のランチャーを腹から発射するのだが、ゼブラの手によって絶滅させられた。





皆様あけましておめでとうございます。そして投稿が遅れて申し訳ありません。
年末年始は本当に仕事でもプライベートでも目の回る忙しさで、こんなことになってしまいました……
次回はまたこの件の続きとなります。
本年も頑張ります。よろしくお願いします。



[32760] グルメ16 次のステージへ
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:dc565bc8
Date: 2013/03/05 22:10



 敷き詰められた『ピースフルフラワー』の中央にあるのは白黒のトリコの遺影。
 世界でも最高規模のホールで普段はクラシックのコンサートやロックアーティストが使っている『グルメホール』で行われた異例の行事、それがトリコの葬式だった。
 何しろトリコがグルメ時代において残した功績は大きい。

 多くの食材を発見したトリコの訃報は一国の大統領が死んだものよりもショックは大きく、参列者たちは一日で収まることが出来ず、一週間が経った今でもホールは常に満員状態であり、喪主を務めるココも対応に困っている状態だった。
 もう何度目になるか分からない弔問を読み上げると、各所からすすり泣く声が聞こえる。
 それは一週間連続で出ているリンも同じことであり、トリコのためにも前を向いて歩かなければいけないと言うのは分かっているのだが、涙が止まらない状態だった。
 だがそれはトリコを失った喪失感だけではない。その場にトリコの死体が無かったと言うのが一番の原因なのだ。

 死ぬ準備をしたトリコが残した遺言は二つ。
 まず自分が今まで美食屋として稼いだ財産は自分が住んでいる『スウィーツハウス』を除いて全て寄付。
 IGO非加盟国の貧しい子どもたちが少しでも飢えを凌げるように使ってやってほしいと言う意志を尊重し、彼の財産を元手にIGO非加盟国の悲惨な現状を加盟国の皆にも改めて分かってもらおうと実情を伝え、意識改革を起こさせていた。
 また募金のための窓口ももっと広い物にしようと、コンビニやネットでも簡単に行えるようにして、これらは通称『トリコ基金』と呼ばれ、貧しさや飢えから救われる第一歩を踏み出そうとしていた。

 そしてもう一つの遺言それは自分が死んだ後、その体を献体に回してもらいたいと言う物だった。
 優秀な再生屋が多く存在し、再生のための技術も向上した今でも未知の病気と言うのは多い。
 そのために命が散っていくのは悲しいことだと踏んだトリコは自分の体が何かの役に立てればと、一龍のつてで自分の体を再生屋の『与作』に委ねることを遺言として残した。
 だから今でもトリコの死体は葬儀場に無かった。
 与作を持ってしてもグルメ癌の謎を解き明かすのには時間がかかるのだろうと誰もが納得していたが、せめて最後のお別れを言いたい参列客たちに取って、そこにあるべき存在が無いと言うのは悲しい物があった。

「おかしいと思わないか?」

 少しの休憩時間の間にココに話しかけたのは喪服姿のサニー、隣には同じく喪服姿のリンも一緒だった。
 トリコの最後の頼みだからこの一週間気を張り詰めて頑張り続けたココにも疲労の色は見られ、濡れたハンカチで何度も顔を拭きながら自分に気合を入れ直すとサニーの相手を始める。

「何がだい?」
「時間がかかりすぎていることだ。普通ならば細胞を保存して、後はそれをベースに研究をするだけにいくら何でも遅すぎる」

 サニーの疑問はもっともな物であるが、今その事を追求できる余裕を持った人間は居なかった。
 正論を言われるとココの中でも疑問が生まれる。
 与作は現在居る再生屋の中でも間違いなくトップレベルの存在。
 その与作が研究一つでここまで時間をかけるのはおかしいことだと思っていたが、いくら与作でも死んだ存在を生き返らせることなど不可能だ。
 きっと与作には与作なりに何か考えがあって、こんな状態になっているのだろうと自分の中で結論を出すと時計に目をやって休憩時間が終わろうとするのを確認したが、それと同時にスタッフがココの元に現れる。

「たった今トリコ様の死体が戻ってきたところです」

 そう叫ぶと同時に別のスタッフが棺に入ったトリコの死体を慌てて、葬儀場に持って行く様子が目に飛び込む。
 その様子を見てリンは改めてトリコが死んだ存在なんだと思い知らされ、サニーの背中を借りるとさめざめと泣きだす。

「泣くんじゃねぇよリン。お前がそんな調子じゃトリコが心配するだろ……」

 触覚で宥めつつもサニーはリンに現実を見るように促す。
 リンのことはサニーに任せようと思い、ココは一礼した後に棺を開いて中のトリコの死体を見る。
 献体に出されたのだから原形を保っていられるのも厳しいと考えていたので、恐る恐る開いてみたがそこに居たのはまるで眠るように静かに目を閉じているトリコだった。
 目を凝らしてよく見れば細かい傷が体の至る所にあるが、それはパッと見では全く分からなく素人が見れば傷一つない綺麗な死体にしか見えなかった。
 一龍の紹介はまぎれもなく一級品であり、ココは安堵の表情を浮かべたが最前列にある空席を見るとその表情は再び暗い物に戻る。

 ――アンコちゃん。結局最後まで来なかったな……

 一週間ある葬儀の中で一日も出席していない杏子のことを心配に思ったココだが、スタッフに呼ばれると自分もまた喪主としての仕事を果たすために再び葬儀場に戻る。
 それが親友と交わした最後の約束だから。




 ***




 草木も眠る丑三つ時、電気も点けずに真っ暗なスイーツハウスのリビング内で杏子は毛布を頭から被った状態で何も言わずに壁をジッと見つめているだけとなっていた。
 床には今まで食べたインスタント食品の残骸が散乱していて、見るも無残な状態となっていたが、杏子は光を失った目で何も言わずにトリコが居たベッドを見つめているだけだった。

 この何もかもがデタラメな世界において、トリコが死んでしまったと言う事実を未だに杏子は認めたくなく、杏子は考えることをやめてトリコが帰ってくるのをジッと待っていた。
 またいつものようにひょっこりと顔を出して豪快に笑い飛ばしながら食事が始まるだろうと言う、都合の良い考えから抜け出すことが出来ずに杏子はただただ現実と向き合おうとせずにいた。

 風が窓を揺らす音が響く、反射的に杏子は振り返ってトリコが帰って来たかと思ったが、そこには誰も居ずにトリコが死んだと言う事実をマジマジと突き付けられるだけ。
 だがそれが気のせいだとはどうしても杏子には思えないでいた。
 実際ココから自分の中にはさやかの魂が宿っていると言う事実は教えられている。
 それと同じようにもしかしたらトリコも同じようにと思う部分もあったが、それでもそこにあるべき存在がいないと言う事実は少女の心に大きなダメージであり、行動を起こせずにいた。

(だけど……何かを感じたんだ……)

 直観的に杏子は感じていた。トリコが自分の元に戻ってきて、何かをしようとしているのを。
 だがそれが何なのかを考えるだけの冷静さは今の杏子には持ち合わせておらず、杏子は再び誰も居ないベッドを光の無い目で見つめるだけとなっていた。




 ***




 人の目には映らない透明な体に、頭には天使の輪っかと思われる物体が浮かび上がっていて、その姿を見れば自分が死んだと言うことが否応にも思い知らされてしまう。
 トリコは自分が死んだと言うことを自分の死体を見て、改めて思い知らされ、自分の葬式と死体を見届けると一番心配に思っていた杏子の様子を見るために自宅へと戻る。

 だがそこで見たのは予想していたが、見たくはない光景。
 口が悪く、何かと食ってかかることが多い杏子だが、基本的には明るく元気で心優しい杏子が、まるで力の入らない人形のような姿。
 見るに堪えない光景にトリコは完全に言葉を失ってしまい、どうしていいか分からずに困っていたが、うずくまっている杏子の後ろに青を基調にしたコスチュームに身を包んだショートヘアーの少女が目に飛び込むと、トリコは早速コンタクトを取ろうと話しかける。

「お前オレが分かるか?」

 突然話しかけられ少女はビクッと体を一瞬震わせるが、恐る恐るトリコの方を振り向く。
 葬式の時も周りの人間は自分には感づかなかった。知人たちとはちゃんと別れの挨拶を済ませたので自分から関わろうとはしなかった。
 だからこそ一週間ぶりにまともに人と会話出来ることが嬉しく、トリコは少女に向かって色々と話をしようとしたが、ここでトリコは杏子が普段から話している一人の少女のことが頭を過ぎる。

「あれかお前がアンコが普段から言ってる『さやか』か?」

 トリコの質問に対してさやかは再び体を大きく震わせながらも小さく頷く。
 この世界での杏子の行い及び、言動に関してはさやかは後ろからずっと見守っていて、時々、杏子がさやかに関してのことも言っていたのも知っている。
 もっとも死んだと言うこと以外は何も伝えておらず、トリコもそれ以上詳しいことを追求しようとしなかったので、ほとんど初対面に近い状態であり、トリコは杏子が普段から言っているさやかと言う娘がどういう人物なのか興味がありコンタクトを取ろうとする。

「オレのことは分かるなトリコだ。死んじまったもん同士、まぁ仲良くやろうぜ!」

 トリコは豪快に笑い飛ばしながら、さやかに向かって手を差し出して握手を求めるが、さやかはトリコから目を背けたまま差し出された手を取ろうとはしなかった。
 ここでトリコは杏子から聞いたさやかに付いての僅かながらの情報を思い出す。

 以前に酒の席に付き合わせた時、この日の杏子は機嫌が悪くて酔いも手伝ってか、昔のことを愚痴り出していた。
 かつて自分は生きるために物を盗み、人を傷つけていたと言う事実。
 トリコ自体裕福な生い立ちでは無く、生きるための多少の悪行が完全な悪だとは思っていないタイプなので特に杏子を責めることもなく、話に付き合っていたのだが、それに気を許したのか杏子はさやかのことに関しても愚痴を言っていたのだ。
 自分自身やさぐれていて、彼女に対して辛く当たってしまった部分も多かったが、それでもさやか自身に関して許せないところはどうしてもあった。
 好きな男のために、その身を捧げはしたが、想い人は彼女の親友とくっついてしまい、最後に残されたプライドとも言える平和を守る戦いの部分まで自分が踏みにじってしまったことを愚痴として語っていて、最後に皮肉交じりに杏子はトリコに言い放つ。

「まさしく『人魚姫』って言葉がピッタリの少女だったよ……ココの占いじゃアタシの中で魂として存在してると言うが……こんな状態でアタシはアイツを救ってやれたって言えんのかよ……」

 最後に一番腹が立ったのが無責任に自分に酔いしれているだけの自分だったのかもしれない、言いたいことを全て言い終えると杏子は酔いに負けてそのまま眠りに落ちた。
 なぜそうなったのかを全く聞かされていないトリコに取っては、どう切り替えしていいのか分からなかったが、取りあえずはベッドに杏子を運んでその場は収めた。
 肝心の部分をはぐらかされ、全く教えてくれなかった杏子からこれ以上話を聞きだすのは無理だと思っていたが、さやかなら話してくれるかもしれないと思い、事の発端を聞こうとする。

「なぁ、オレとお前コミュニケーションを取るためにも、まずは何があったかぐらい教えてくれてもいいだろ? お前もアンコを通じて、オレの人となりみたいなもんは見てくれたはずだろ? 人に話せば辛い事実でも多少はまぎれるもんだぜ」
「そんなわけないでしょ……」

 諭すように言うトリコに対して、さやかは自嘲気味に相変わらず光を失った目でうつむいたまま答える。
 その様子に異常な物を感じたトリコは咄嗟に身構えるが、さやかは相変わらずの暗い表情のままポツポツと語り出す。

「確かにこの世界もデタラメだけど、私がしてきた体験なんてもっとデタラメなそれよ。話したところで笑い飛ばすのがオチよ……」
「それを決めるのはオレだろうが、まずは話してみろ」

 さやかの意見を一蹴するとトリコは空中であぐらをかいた姿勢を取って、さやかが喋ってくれるまで動かないと言う無言のアピールをする。
 根負けしたさやかはボソボソと自分たちがどうしてこの世界に来たのかを語り出した。
 魔法少女との契約、魔法少女となったことで自分たちは魂と肉体を分けられゾンビのような体となってしまったこと、そして最後に絶望しきった時、自分たちの魂は魔女と呼ばれる異形の存在と変わり、人々を襲う魔物に変わること、そして杏子は魔女となった自分と共に心中していつの間にかこの世界に来たことを全て語った。

「どう? こんな馬鹿げた話信じるわけないでしょ。分かったんなら帰って!」
「どこに?」

 もっともなトリコの返答に対してさやかは一瞬言葉を詰まらせてしまうが、すぐに暗い怒りの感情が襲ってきたのか感情に任せて叫ぶ。

「天国にでも輪廻の輪でも好きなところに行けばいいでしょ! 何よアンタなら杏子のこと救ってあげれると信じていたのに勝手に死ぬような真似して!」
「無茶を言うな。人間なんだからいずれは死ぬよ」

 トリコの言い分は正論ではあるのだが、今のさやかに取ってこの発言は揚げ足取りにしか聞こえなく、結果として火に油を注ぐような真似になってしまい、まくし立てるように叫び続ける。

「そんな無責任なことでよく杏子の保護者なんて言えるわね! 私はね。私のせいであんなことになっちゃったから、せめて杏子には幸せになってもらいたいって思ってんのよ! 私はどうしようもなく罪深い最低な存在だから自縛霊がお似合いなんでしょうけどさ! それなのに、それなのにアンタは……」
「バカヤロウが!」

 突然の怒鳴り声にさやかは叫んでいた口が止まり、反射的にトリコの方を見る。
 先程までのヘラヘラ笑っていた緊張感の無い表情とは違い、明らかに怒った顔をトリコは浮かべていた。
 彼の人となりに関してはトリコに言われた通り、さやか自身も杏子を通じて見てきた。
 曲がったことを嫌う一本筋の通った人物であり、それを貫くための力を持ち合わせた有言実行を形に出来る人物。
 頭の中で情報をまとめようとしていると、トリコは肩を掴んで強引に自分の顔を見させるとさやかに熱く語り出す。

「お前アンコを通じて見てただろうがよ! アイツはいつもお前のことだけを考えて行動していたんだぞ。お前のことを恨んでも憎んでもない! お前の幸せだけを願っていたんだぞ。それとも何かお前は自分を殺したアンコを恨んでいるのか!? 憎くて憎くてしょうがない存在とでも言いたいのか?」
「そんなわけないでしょ!」

 再び感情に任せた叫びが木霊すると同時に、さやかは自分の肩に置かれた大きな二つの手を振りほどくと怒りと悲しみが入り混じったような複雑な表情を浮かべつつ、涙目でトリコのことを睨みながら叫ぶ。

「杏子はこんなどうしようもない私を最後まで気にかけてくれて……私が辛うじて私を保てられたのも、この世界で杏子が救われたからなのよ! なのに……なのに……」

 今自分たちの眼下に居る杏子を見ると、さやかはいたたまれない気持ちになり、思わず杏子から目を逸らして、肩で息をした状態でトリコを睨みつけた。
 身勝手な感情だとは分かっていても、今この怒りをトリコにぶつけることしか非力な少女には出来なかった。
 そんなさやかに対してトリコは頬をかきながら困ったような顔を浮かべつつも、遺書と最後に残したさやかへのビデオメッセージが撮られたDVDが入った棚を指さして、杏子に一応想いは伝えたことを示す。

「アンコに対して出来ることはやるだけやったつもりだよ。アイツならきっとやれるはずだ。オレは信じているつもりだぜ、お前はどうなんだ?」
「出来るに決まってるでしょ……杏子はアタシなんかと違って本当に天才なんだから……」

 トリコの言葉から彼女が美食屋としてやっていけるように、トリコが出来る限りのお膳立てをしたことは分かっている。
 杏子の戦いのセンスを誰よりも知っているつもりのさやかは自嘲気味に言い放つと、再び暗い顔を浮かべながら、同じように落ち込んでいる杏子に目を向けた。
 この様子からさやかは杏子に対しての負い目的な部分と、自分に全く自信が無い状態から今の負のスパイラル状態から抜けられないでいると判断したトリコは、さやかに対して問いかける。

「もうオレがアンコにしてやれることは一つだけだ。さやかお前を救うことだ」

 トリコはずっと杏子が悔やんでいたさやかに関してのことを解決しようと動きだす。
 後悔しているのは魔女となったさやかだけじゃない、ここでの幸せな生活が本当にあの時の選択が正しかったどうか分からなくなってしまい、自問自答を繰り返して苦悩している様子をトリコは見ていた。
 そんな杏子の苦しみを間近で見てきて、今自分はさやかと同じフィールドに立っている状態。
 杏子に対してしてやれることがまだあったと思い、トリコはさやかに対して問いかける。

「お前がいつまでもそんな調子じゃ、アイツはいつまでも苦しみ続けるぞ。悪いことは言わない、オレと一緒に『グルメ天国』でのんびりと過ごそうぜ」

 『グルメ天国』の存在は杏子を通じて、さやかも知識があった。
 本当に美味しく食べられた食材は天に昇って成仏し、グルメ天国と呼ばれる別世界で穏やかな日々を過ごせると聞く。
 そこには生前善行を行った善人たちも召されていて、善行を積み重ねた人間はグルメ天国で穏やかな日々を過ごせられると言うのは、この世界において気軽に子供を教育するのに手っ取り早い手段であった。

「でも私なんかがそんな天国なんて……」
「だ・か・ら! そうやって、いつまでもウジウジしていたら、アイツはいつまでも心配でお前のことを一生引きずる形になっちゃうぞ。さやか、お前が望んでいるのはアイツの不幸か? 違うだろ!」

 トリコの言っていることが正論なのは分かっている。頭では分かっていても完全に自分が救われるイメージがどうしても今のさやかには持てなかった。
 何もかもが弱い自分が向こうの世界に旅立って、やっていけるのかと言う不安が強く、足が鉛のように重くなるイメージがさやかの中で広がっていく。
 再び俯いて暗い表情を浮かべるさやかを見て、トリコの中で出した結論。それはさやかにもう一度歩き出す自信を付けさせることだった。
 そのためにトリコが取った行動は自分が最も得意としているシンプルな手段。

「あれかさやか? アンコから聞いたけどお前自分に自信が無いってことで次のステージに踏み出すのをためらうって奴か?」
「そうかもしれない……」

 ここでさやかが思い出すのは魔法少女時代、何も残せず周りを引っかき回すことしか出来なかった情けない自分。
 誰も何も言わないのをいいことに杏子に甘えているだけの自分が居たが、いつまでもそれじゃいけないと分かってはいても、トリコの言う通り次のステージへ進めない自分が居た。
 さやかの真意が分かると、トリコは指の関節を鳴らして、適当に空中を睨みつけるとイメージを広げていく。
 攻撃の際ナイフやフォークが具現化するのと同じ要領で作り上げていくのは、プロレスなどで使われるロープで覆われた四角いリング。
 何が何だか分かっていないさやかに構わずトリコはいち早く空中に作りあげたリングに上がると指でさやかを呼び寄せる。

「よしケンカだ。かかって来い!」
「何でそうなんのよ!?」

 突飛過ぎるトリコの行動にさやかは突っ込むが、トリコはそんなことお構いなしにロープによりかかるように身を預けると持論を語り出す。

「オレの実力に関してはお前も見てきただろ? お前が自分に自信が無いってんなら、無理にでも付けるしかないだろ? 人なんてものは前に進むことしか出来ないんだ」

 そう言うとトリコは指でさやかを手招きして挑発する。
 一切の理屈が通用しないと分かり、そして自分自身も激しいフラストレーションが溜まっていたことが手伝い、さやかは剣を一本召喚して右手に握りしめると飛び上がってリングの上に乗り、トリコと向かい合う。

「私だって叶えたい想いがあって魔法少女になった。でもその願いは叶ったはずなのに、情けない私は現実に負けて、身勝手な考え方しか出来ないで友達も杏子も傷つけてしまうことになっちゃった……」
「それをアンコは気にしちゃいないよ。それよりもお前がいつまでも負の感情に囚われていることの方を悲しんでいた。そのグチャグチャした感情全部ぶつけてこい。オレが受け止めてやる!」

 トリコらしい豪放磊落な煽り文句を言い放つと、二人は互いに円を描きながら距離を詰め合う。
 緊張した空気が辺りを包み込む。戦闘経験が圧倒的に少ないさやかはどこで行動を起こしていいか分からなかったが、ゴングは半ば強制的に鳴らされた。

「来い!」

 トリコの叫びは、さやかの脳に命令として伝わる。
 反射的にさやかは剣を突き立てて、剣先をトリコの胸部に向けて突っ込んでいく。
 彼の戦闘力に関しては杏子を通じて見てきたので、こんな攻撃は威嚇にもならないことは分かっているし、自分も彼も共に死んでいる存在なので不幸な結果にはならないだろう。
 それにトリコもそれを分かっているからこそ、こんな無茶苦茶な提案をしたのだろう。心臓に向けられた剣先は当たる直前でトリコが右にかわして脇腹を掠めるだけであり、返しざまにトリコは右のパンチを放つが、それもさやかは左にかわして頬を掠めるだけであり、二人のファーストコンタクトは共に空振りと言う形で終わると、二人同時にバックステップで距離を取って、リングの両端にまで位置を戻す。

 やられる前にやると言うシンプルな戦術しか出来ないさやかは、同じように剣を突き立てて今度はトリコの喉元に向かって突き刺そうとするが、それをトリコはかわそうとせずに喉に力を入れるとそのまま剣を筋肉だけで受け止める。
 剣が喉に刺さった瞬間、さやかの中でイメージが広がっていく。
 まるで巨木に剣でも突き刺したかのような感覚を覚え、腕に激しい痺れを感じると同時に見上げるとトリコは筋肉だけで剣を突き出して追い出すと一言つぶやく。

「軽いな……そんなもんじゃないだろ、お前が感じてきた理不尽に対する怒りって奴は」

 挑発するかのような物言いにさやかの中で怒りの感情が広がっていき、そして沸々と過去の苦い思い出が蘇っていく。
 感情をぶつけろと言ったのは向こうなんだ。ならばこちらも思い切りぶつけるだけだ。

「バカにするんじゃないわよ!」

 引き抜かれても続けざまにさやかは剣を突き立てて、今度はトリコの顔面を狙うがトリコは手のひらで剣の軌道を変えて逸らすと同時に左足で無防備になっている左半身に向けてサイドキックを放つ。
 反射的にさやかは左腕で体を守るようにかばうが、それでも蹴りの衝撃は凄まじく、体ごと右へと吹っ飛んで行きそうになるが、それを止めたのはトリコの右手だった。
 その場に無理矢理止められてしまうと言う予想外の事態に、さやかは驚いてトリコの顔を見てしまうがすぐさま檄が飛ぶ。

「ボサっとすんな! 実戦でそれじゃすぐ猛獣の餌食だぞ!」

 怒鳴り声に思わず体が固まる感覚をさやかは覚えるが、負けん気と怒りの感情がすぐに反撃へと移す。
 だがいくら攻撃しても剣先はトリコの手のひらでかわされ、そのたびに左のサイドキックが襲って体全体を激しい痺れが襲う。
 少しでもダメージを軽減しようと足に力が入り、自然と体も防御を意識するようになって、左腕が縮こまった状態となる。
 同じ攻撃を何回も食らい、さやかの中で学習が出来たのか、次にサイドキックが来るタイミングぐらいは覚えると、防御を腕だけではなく体全体で行うことが出来た。
 左腕に来たダメージは両足でしっかりと大地を掴んで、踏ん張りをきかせることで雷を受け流すアースのような役割を果たして、ダメージを大地へと受け流す。

 これが出来るようになれば、自然と反撃のチャンスも生まれ、17回目のサイドキックでさやかは反撃に転じる。
 攻撃自体は同じような顔面への一撃なのだが、直感的にさやかは今までとは違う感覚を覚えた。
 今までのように腕の力だけで剣を突き出したのではなく、体全体の筋肉を使って剣を突き出す感じを体で感じていた。
 攻撃の質が今までと違う物に変わったのを感じると、トリコは嬉しさに口元を歪ませながらも、右手で拳を作り上げると剣に向かってパンチを振り下ろして、さやかの体ごと後方へと吹き飛ばす。

「やればできるじゃないか。剣のような近接武器を使う場合は一撃、一撃を全て体全体の筋肉を使って打つようにしないとダメだ。腕だけの筋肉を使って刃物を振り回しても、せいぜい日焼けで皮が捲れる程度のダメージしか与えられないからな」

 トリコはニッコリと笑いながら、自分の教育が上手く行ったことを喜び、次もその調子で攻撃していけばいいと諭す。
 今までの攻撃が全て自分に効率の良い攻撃を教えるために手加減して打った物だと分かると、さやかはハッとした顔を浮かべると同時に情けなさも感じてしまう。
 杏子が言うように自分が素人レベルの戦術しか出来ないことを改めて思い知らされてしまうが、これは喧嘩だ。
 自分がトリコに対して出来ることは精一杯ぶつかってやることだけと悟ったさやかは続けて攻撃しようとするが、ここで脳内に一つの案が思い浮かぶ。

 トリコが言うことも守れているし、魔法で強化されたまま魂となった今の自分の身体能力なら十分可能な方法だ。出し惜しみはせずに一気に勝負を付けようとさやかは右足を前に踏み出すと、体を左側にねじって一気に踏み込む。
 さやかがやろうとしていることが分かったトリコが出来るのは、その想いを真っ向から受け止めることだけ、トリコは両腕のガードを下げて両の手のひらで誘うような動きを行う。

「来い!」

 叫びと同時にさやかは回転しながら一気に突っ込んでいく。
 これにより一方だけの刀の攻撃が360度全方向に向けられ、また回転することで防御の役割も果たし、以前の影の魔女戦のように触手によって自らの体を傷つけられると言う心配もない。

 近づいてくる刃の弾丸に対してトリコは覚悟を決めて、全身の筋肉をバンプアップさせて膨張させると同時に硬直もさせると、スクリューのように回転するさやかを受け止めた。
 刃と筋肉が触れ合った瞬間、まるで金属同士がぶつかりあうような高音が響き渡る。
 温かな血の感触にさやかは怯みもしたが、後方に吹っ飛んで行ったのはさやかの方であり、トリコはその場に仁王立ちしたまま動かないでいた。
 尻もちを付きながらもさやかは立ち上がると、胸に向かって横一線に刀傷を付けられたトリコが居て、思わずさやかは身を縮こませる。

(杏子もこれぐらい痛かったの……)

 魔女だった頃の記憶はほとんど無いさやかだったが、自分が杏子を傷つけて最終的に彼女を巻き込んでこちらの世界に送ったことだけは分かっている。
 その痛々しい姿を見て、改めて自分がやってしまった行いに付いて悔やんでしまうが、トリコは指で軽く傷を触って流れた血を舐め取ると、興味深そうにさやかに話しかける。

「すげぇなさやか。死んじまっても血って出るもんだし、結構いてぇもんだな。これなら天国に行っても退屈しないですみそうだぜ」

 そう言って豪快に笑い飛ばすトリコは杏子を通じて見てきた等身大のトリコだった。
 死んでしまったにも関わらず希望を持ち続けるトリコの眩しさや温かさを感じたさやかから罪悪感が少しずつ薄れていく。
 ここで下手に彼の身を案じることは逆に彼の覚悟や想いを汚す行為だと悟ったさやかは、続けざまに先程と同じように回転しながら突っ込んでいき、彼の想いに応えようとする。

「残念だが二度も同じ手は食わねぇぜ!」

 トリコは左手に力を込めてフォークを突き出そうとする。
 だがいつもと違うのはいつもなら前方に突き出して、相手を貫くはずのフォークを左フックの要領で自分の前面へと押し出して、ひしゃげた形で作り出した。
 体を覆うのは銀色のねじれたフォークの壁。出来上がった壁はさやかの剣攻撃を弾き返し、再びさやかの体を後方へと吹っ飛ばす。

「悪いな。生身の体でその剣攻撃は堪えるんでね。ガードさせてもらったぜ、さしずめ『フォークシールド』とでも名付けておくか」

 これまで防御と言うのを全くしたことが無いトリコに取ってガードは初めての体験。
 理屈だけでは分かっていたのだが実戦において、それを行う余裕が無いのと元々の攻撃的な性格が使うと言う発想も無く、それに何よりトリコをそこまで追い詰めるだけの相手が居なかったと言うのも事実。

 これにはさやかも自信が付いてきて、続けざまに立ち上がって行動を起こそうとするが目の前には巨大な壁。
 いつの間にか自分の前に移動してきたトリコは満足げな笑みを浮かべていたが、ここで終わらせる訳にはいかないと思ったさやかはトリコに教えられたとおり、全身の筋肉を使って剣を突き出すがトリコは剣を右手で受け止める。
 手のひらからは血が吹き出るが、それでもトリコの腕力の方が強くさやかは無防備な状態でトリコに顔面をさらす結果となった。

「よく頑張ったぜさやか。これからはオレがお前と一緒だ」

 笑顔のままトリコは空いている左手で拳を作ると、さやかの顔面にショートジャブを食らわせる。
 顔面に激しい衝撃が走るとさやかの体は後方に吹っ飛んで行き、ロープがしなると今度は逆方向のトリコのコーナーへと吹っ飛ばされて、鼻血を出しながら大の字になって倒れ込む。
 体を痙攣させながらその痛みに苦しむさやかだが、その顔はどこか幸福感に満ちた物もあった。

「痛いとか、怖いって言うより、何か懐かしいな……」
「こんな調子でオレも昔はオヤジにぶん殴られたもんだよ」

 トリコは相変わらず笑顔のままで倒れているさやかに向かって手を差し出すと、その体を優しく抱きしめる。

「ケンカは終わりだ。後は天国で飯でも食いながら、ゆっくりと語り合おうぜ。オレたちには時間だけはたっぷりあるんだからな」

 その優しい言葉とトリコの暖かさにさやかは彼の胸の中で大泣きした。今まで泣けなかった分も全て吐き出すように、その怒りも悲しみも全てが涙に変わって流れ出た。
 トリコは彼女が泣きやむまでその胸を貸しながらも、さやかの足元を見る。
 先程までは杏子の元から離れようとしなかった感覚がどことなくあったが、今は新たなステージに進めるような足取りの軽さを直観的にトリコは感じていた。
 それが分かるとトリコはさやかを抱きかかえたまま飛び上がる。

「行くぜさやか次のステージで美味いもんがオレたちを待ってるぜ!」
「待って!」

 猪突猛進のトリコはそのままグルメ天国へと旅立とうとしたが、さやかが引きとめる。
 いい所で邪魔をされたトリコは不愉快そうな表情を浮かべるが、下には相変わらずうつむいて膝を抱えたままの杏子が居た。

「そうだな。これが本当の意味での最後の挨拶だ」
「杏子が私のことを想ってくれたように、今度は私が杏子のこと想わないとね」

 魂だけとなった自分たちが通常生きている杏子とコンタクトを取ることは出来ないはず、だが二人は直観的に感じていた。
 まだ自分たちは杏子を元気づける程度の力は残っていると。




 ***




 体から何かが引き抜かれる感覚を杏子は覚えた。
 自分の身に何が起こったのかは分からない、だがそれがとても大事なことであると言うのは直観的に感じ取れたこと。
 杏子は慌てて被っていた毛布を乱暴に投げ捨てると、ドアノブに手をかけて外へと出ようとする。
 いつもだったら難なくこなせる簡単な動作のはずなのに、一週間の引きこもり生活がいつの間にかこんな簡単な動作さえ思うように出来ないようになっていた。
 苛立ちながらも杏子は強引にドアを開けて空を見上げる。
 自然が多く残っているこの地域では星空はとても美しく、宝石箱のようにキラキラと光り輝いていた。
 だが杏子の目に留まったのは満天の星空ではない、夜空の中でも星をライトにしてハッキリと見える一組の男女の姿。

「ト……リコ? それにさやかも……」

 一瞬自分の心を守るために見えた都合の良い幻かもとも杏子は思ったが、その想いは彼らが取った次の行動でかき消された。
 トリコは自分たちの存在に杏子が気付いたのを見ると元気よく笑顔で手を振って、本当の意味での別れの挨拶を杏子に送った。
 まるで明日また会うかのようなテンションにさやかは軽く呆れもしたが、さやかも同じようにこれまで自分によくしてくれた杏子に対して、せめてもの感謝の気持ちをと想い、ぎごちない笑顔を浮かべて手を振ると、そのまま二人は天空へと上っていき、その姿は見えなくなった。

 突然のことに呆気に取られるばかりの杏子だったが、この世界では何が起こっても不思議ではない。
 それに不思議と先程までの暗い気持ちはどこかに消し飛んだような感覚を覚え、杏子は膝を地面に付くと両手も地面に付いて、四つん這いの状態で泣きだす。

「良かった……ずっとお前の笑顔が見たかったから……」

 それはもう叶わない願いだと思っていた。
 こっちの世界でトリコと一緒に肉体を持って暮らしている自分と違って、さやかは魂だけの存在。
 自分を見て嫉妬と憎しみで狂ってしまわないかという不安もあっただけに、さやかが決して自分を憎んでおらず、再び前を向いて歩きだそうとしていることへの安心感が杏子の中で救いとなった。
 地面が涙で濡れていく、安堵感で心が満たされていく、だが次の瞬間に襲ってきたのは激しい怒り。

 家族を死なせてしまったと言う罪悪感から、周りに暴力を振るい、常に何かを食べ続けることで心の隙間を埋めてきた自分だが、今この場に居るのは自分だけ、怒りをぶつける対象はマミでもさやかでも無い、魔法少女時代からもっとも怒りをぶつけたい相手だった。
 地面に置かれた手のひらは握り拳に変わり、土を抉ると同時に握られた拳はそのまま自分の顔面へと叩きこまれる。
 パンチは鼻っ柱を潰し、勢いよく鼻血が流れ出るが構わずに杏子は叫ぶ。

「何なんだよテメェは……どこまで甘ったれれば気がすむんだ!」

 怒りの叫びと同時に室内へと戻る杏子。
 先程まで散乱していた食べ残しのゴミを蹴り飛ばしながら、その怒号は家中に響き渡った。

「『一緒に居てやる』なんて聖人じみたこと言っておきながら、結局アタシ自身はさやかに何もしてやれなかったじゃないか! 今のさやかを見てハッキリと分かったよ、アタシはアタシだけじゃなくて、さやかのことまでトリコに押し付けたって言うのかよ!」

 床を蹴り飛ばすだけじゃ、その怒りは収まらず、壁に向かって拳がめり込まれていく。
 何度も何度も鈍いパンチがクッキーの壁を襲うが、この世界でのクッキーは簡単なパンチでは崩れなかった。
 トリコは小腹が減った時に軽く叩いて、このクッキーを食べていたが今の自分はそんなことさえ出来ないでいた。その無力さがより怒りに拍車をかける。
 何度も何度もクッキーの壁を殴り飛ばすが、自分の手から勢いよく血が噴出すると痛みで我に返り、そのまま力なく壁に突っ伏す。

 ここでまた魔法少女時代のトラウマが蘇る。
 影の魔女を相手に自分を見失ったさやか。原因は自分にもあることを思い出すと、トコトン自分が嫌になっていく情けない感情で覆われていき、それは涙となって目から流れ落ちてくる。

「もう嫌だ……こんなどこまでも情けない自分、もう嫌だ……」

 この時点で決意は固まったと言える。トリコが死んでから義務だと自分に言い聞かせて、一回だけ彼の残してくれたDVDは見た。
 スイーツハウスとだけは残し、他の財産に関しては全て寄付すること。
 自分のためにグルメ細胞の保存は行っておいたから、もし本気で美食屋を目指すならココを頼ってもらいたいと言うこと。
 トリコが人生のフルコースを集めている最中であり、それはまだ一つも埋まっていないことは分かっている。

 誰かの代わりになるつもりはない、いつだって自分は自分がしてきたいことをやってきたつもりだ。
 これは単なる逃げなのかもしれないが、それでもトリコやさやかに対して自分が出来ることはこれしかないと踏んだ杏子の中で決意が固まると血に染まった両拳を握りしめながら立ち上がる。
 さやかとトリコが次のステージに行ったような自分もまた次のステージへ行くべきだと、そして心の中でさやかに対して問いかける。

――今度は食べてくれるよな。真っ当な手段で手に入れるからな……




 ***




 トリコの葬儀が全て終わって三日の時が流れていた。
 杏子に呼び出されたココ、サニー、リンの三人はグルメ細胞の移植が行われる大病院『グルメホスピタル』へと集まっていた。
 土地勘の無い杏子が向こうから自分たちを呼び出す。ココたちには何となく彼女の真意が分かっていたが、それは彼女と直に会うまで黙っていようと決め、一行は杏子が待つ病室へと向かった。

 そこはグルメ細胞の移植が行われる医療施設が整った特別室であり、様々な見慣れない機械に囲まれながら、杏子は一人中央に佇んでいた。
 トリコを失って喪失感に苛まれている杏子を相手にどう接していいか分からずリンは困り果てていたが、サニーが後ろへ追いやると同時にココが前に出て適当なパイプ椅子に座ると彼女の言葉を待つ。

「その様子じゃ心は決まったみたいだね。でも本当にいいのかい?」

 それは最後通告のような物だった。
 ここに来るまで杏子がどれだけ悩んでいたかと言うのはココには良く分かること。
 子供のころからそうなるのが当たり前だった自分たちとは違い、杏子には様々な選択肢がある。
 その中でも自分たちと同じ道へ進むことが本当に幸せなことなのかどうか、ココは改めて杏子に問いかける。

「ああ……アタシはもう決別したいんだ。こんな情けないテメェによ……」

 その声は震えていて、顔も苦痛そうに歪んでいた。
 見たことも無い杏子の姿にリンは驚きを隠せなかった。初対面でも自分を相手に噛みついて喧嘩してきた彼女のこんな弱弱しい姿を見るとは思わなかったからだ。
 だがそれがトリコの死による物ではないと言うのは何となくではあるが理解し、リンは杏子の言葉の続きを待つ。

「考えてみたら、こっちに来てからはトリコに世話になりっぱなしで、アイツが死んでからだよ。自分がどれだけヌクヌクと甘やかされて生きていたかってのを思い知らされたのは……いやこっちに来る前もアタシは徹底してテメェを甘やかし続けていた」

 初めて語られる杏子の過去の話にココは一瞬眉を動かして動揺の色を見せたが、すぐに平静さを取り戻して彼女の言葉に耳を傾ける。

「ちょっと力があるのをいいことに、物を盗んで人を傷つけ、そんな自分を正当化しようと大した知識も無いくせに威張りちらして、結果としてアタシは何もかもを失った!」

 過去の自分に腹が立ったのか、杏子は乱暴に地団駄を踏む。
 一瞬ココのことが気になり杏子はココの方を見るが、彼は相変わらずの真剣な表情を浮かべたまま眉一つ動かさず、平静な様子で手を差し出して杏子に話の続きを求めた。
 ココの優しさに感謝しながらも杏子は話を続ける。

「そしてこっちに来てからも勉強なんて偉そうなことほざいておきながら、やっていることは知識を身に付ける程度のままごとレベルのお遊戯。結局アタシは力を付けることに怯えているだけのどうしようもないクソガキだったんだよ! でも、そんなのはもう嫌だ!」
「トリコは君のことを本当に心配していた。美食屋以外の道を君が選ぶと言うなら、ボクからお父さんを通じて、バックアップは頼んでおくが……」
「それじゃダメなんだ!」

 杏子の悲痛な叫び声にリンは怯んでしまい、サニーの後ろに隠れる。
 サニーはそんなリンを触覚で守りながらも、ココと同じように真剣な顔を浮かべたまま杏子の話の続きを待つ。

「間違ってもアタシはトリコのためにやるわけじゃない。これはアタシ自身前に進むためにやらなきゃいけないことなんだよ……別にアイツのためにフルコースを集める訳じゃない、これはアタシのためなんだ! アタシはアタシがやりたいからこの選択を選んだ。だから……」

 言葉から杏子の真剣さは伝わる。
 だがこれは一生を左右する事態、ココは最後に杏子の言葉を待つ。

「だから頼むココ。アタシにトリコのグルメ細胞を移植してくれ! アタシは美食屋アンコだ!」

 新たに美食屋が生まれようとしている瞬間に立ち会った三人。
 その決意に満ちた表情を見てココもまた彼女の決意に応えようとしていた。
 だがそこに居た全員が分かっていた。これもまた簡単には終わらない杏子に対しての試練が待っていることを。





本日の食材

今日はお休み





またまた二カ月近く投稿が遅れて申し訳ありません。
相変わらずプライベートが忙しく、そしてこっち自体が長いこと落ちていたので間延びしてしまったと言う部分があって……
次回はグルメ細胞の移植の話になります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ17 杏子の中での激突
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:dc565bc8
Date: 2013/03/11 19:01




 杏子の真意をしっかりと聞いた一同。
 リンはどうしていいか分からず、サニーはこの場での代表者であるココの言葉を待っていた。
 ココは相変わらずの真剣な表情のままで杏子を見つめていて、杏子はそんなココのことを睨み返して自分の真剣さをアピールする。
 彼女が決してトリコを失ったことから自暴自棄になっているわけではないのを感じ取ると、ココはパイプ椅子から立ち上がって一言つぶやく。

「分かった。善は急げだ、君の準備さえよければ今すぐにでも始めるがどうする?」

 一生を決める問題をそんな簡単に決めていいのかと思い、リンはもう少し杏子に考える時間を与えた方がいいのではと提案を出そうと一歩前に踏み出そうとするが、サニーの手によって止められる。

「よせ、決意に対して水を差す真似をするな」

 普段は中々見せない男気溢れる一面を見せたサニーの前に、リンは何も言い返すことが出来ずにそのまま後ずさりをしてしまう。
 ココが準備のために杏子に自分の後に付いてくるように促すと、杏子は黙って彼の後ろに付いていき、事が始まろうとしているのを見守ることしか出来なかった。
 だがサニーの意見にも一理ある。杏子は誰よりも真剣だったし、それにグルメ細胞の移植と言うのは今日やったから、明日には超人になれるなんて簡単な物ではない。
 行うのならば早い段階で行った方がいいと思い、リンはそれ以上何も言わないでいたが、自分がなすべきことが何なのか分かっても、場の緊迫した空気に飲まれそうになっていて、居心地の悪さをリンは覚える。

「お待たせ」

 そうしている間にも杏子の準備は終わったようであり、先にココがトリコのグルメ細胞が保存された小型のカプセルを持って入っていき、後から入ってきたのは患者衣に身を包んだ杏子。
 ココに促されると杏子の目に飛び込んできたのは、人が一人入れる程度の大きさのカプセル。
 その中に杏子が入って蓋が閉まったのを見ると、ココはカプセルの脇にある注入口のような部分にグルメ細胞が入ったカプセルを装填すると、次々と機械のスイッチを入れていく。

「って……お前がやるのかよ!?」

 場所が場所だけに医者が行う物だとばかり思っていただけに、ココがグルメ細胞移植に関して行うとは思っておらず、杏子は抗議の声を上げるが、ココは笑いながら杏子を宥めるように話しかける。

「大丈夫、細胞の移植自体はそこまで難しい物じゃない。それはさっきの説明でも分かっているだろ?」

 諭すようなココの言い方に杏子は簡素ではあるが、先程聞いたグルメ細胞の移植法に付いての情報を思い出す。
 グルメ細胞の移植は適合すれば超人と化す素晴らしい力ではあるのだが、失敗した場合のデメリットを考え、通常は細胞を霧状に変化させて少しずつ移植者の体に馴染ませるのが定石となっている。
 今回も同じように特性の装置でトリコのグルメ細胞を霧状に変化させて、カプセル内の杏子は呼吸を繰り返すことで自然とグルメ細胞が体の中に馴染むようになっていく。
 こうすることによって無理なく自然にグルメ細胞を体に馴染ませることが出来、万が一適合しなくても早い段階での処置も可能なため、近年ではこの手法での移植が一般的とされている。
 医者の出番は馴染まなかった時のみ、それが分かると杏子は目を閉じてリラックスした状態で呼吸を繰り返し、早くトリコのグルメ細胞が自分に馴染むように無言での努力を繰り返す。

「そんなに焦らなくても、この方法で効果が表れるのは最低でも半年は……」

 安全である代わりにハッキリとした効果が表れるのは週に一回の注入を繰り返し行い、半年後ぐらいとなるとココが告げようとした瞬間、辺りにガラスが割れる炸裂音が響き渡る。
 その場に居た全員が何事かと思って辺りを見回すが、音の正体は杏子が入っていたカプセルからだった。
 原因は内部に居た杏子が内側からカプセルのガラスを拳で破壊したから。だがその事に驚いている余裕が一同には無く、もしかしてと思いココはトリコのグルメ細胞が入ったカプセルを取り出して中身を確かめる。

「バカな!? もう全部無くなっている!」

 通常は少しずつ霧状に変えて、移植者に適合させるはずのグルメ細胞が一気に空になっているのを見て、冷静沈着をモットーにしているココでも驚きの顔を隠せなかった。
 普段からトリコのグルメ細胞の圧倒的な能力には驚かされてばかりであり、一回成長してからのふり幅が恐ろしく大きいのが一番の特徴なのだが、その圧倒的なパワーは細胞だけになっても発揮されることに驚かされるばかりであったが、この非常事態にリンはすぐさま医者を呼び、サニーは一気に流れ込んできたグルメ細胞に苦しむ杏子の身を確保しようとカプセル内からその身を起こす。

「ぎゃああああああああああああああああああ!」

 カプセルから体が出た途端に病室内に響き渡ったのは悲痛なる少女の叫び。
 体中には血管が浮かび上がり、脂汗が滴り落ち、目は血走って、息も絶え絶えの状態となっていて、痛みから逃れようと爪を立てて、自分の体を掻き毟るように引っかく。

「よせ! そんなことをしても自分の体を傷つけるだけだ!」

 爪を立てて胸元から血が出始めている杏子の体をココは受け止め、サニーと共にベッドへと押さえつけてリンと医師の到着を待つ。
 だがその間も二人が驚愕していたのはそのパワーだった。
 先程まで同年代の少女の中では少し強い程度の腕力だったが、今は少しでも手を抜けばそのパワーに圧倒されそうなぐらい強い力を感じていた。
 このパワーの前に二人の脳内で思い出されるのは親友の存在。
 トリコのグルメ細胞は本人が死してもなお、その存在感は圧倒的な物だと言うことを思い知らされていると、リンが医師を連れて病室に戻り、リンは二人に対して鎖を一本ずつ渡していくと、床に楔を北、南、東、西へと四方向に医師と共に打ち付けて準備をする。

「それでアンコの四肢を縛り付けるし! そうじゃなきゃ、こいつ自殺だってしかねないよ!」

 リンが叫んでいる間も杏子は痛みに苦しんで悲痛な叫びを上げ続けていた。
 気丈な杏子がここまで痛みに苦しむのも珍しい絵だが、この叫びはもっともな物である。
 言うならばこれまで自分の体を形成していた細胞が殺され、新たにグルメ細胞が書きかえられるような物だ。それまであった物を強引に作り変えようとしているのだから、その苦痛は想像しきれない物である。

 臓器移植の際、その拒否反応に苦しめられるのと同じ、普通の手術でも終わった後は激しい激痛に襲われる物。それらを考慮すれば今の杏子のリアクションも決して大げさな物ではない。
 そうしている間にも準備は終わり、杏子の四肢は鎖で縛りつけられたが、それでも杏子の動きは収まらずジャラジャラと鎖が地面に擦れる金属音だけが病室内に響き渡り、その楔も杏子の腕力で抜けそうな勢いだった。

「無責任だと言うのは分かる。だが今のボクにはこれしか言えない、頑張るんだアンコちゃん。これは君が選んだ道だ」
「分かってるよ! んなこと!」

 ココの励ましに対して杏子は怒声で返す。
 叫びすぎて喉がカラカラになった状態ながらも血走った目で杏子は一同を睨みつけ、決意表明のように叫ぶ。

「これはアタシが選んだ道だ。痛い、苦しい、上等じゃねーか! ゾンビみたいに死んだ体引きずりまわすより100倍マシってもんだ! アタシはぜってー生き残ってやるぞ!」

 叫びと同時に両手が掲げられる。
 勢いが激しく楔が抜けそうになるのを見ると、早くもトリコのグルメ細胞が杏子に適合しようとしているのが分かっていた。
 そこに居た全員がただただ驚愕するしかなかった。トリコのグルメ細胞の潜在能力と、杏子の強い精神力に。




 ***




 何も無い真っ暗な空間を一体の夜叉が歩く。
 地面も先にある光景も全てが闇で覆われた空間ながらも、腰巻一丁の夜叉は特に恐れることなく新たな自分の居場所になるかもしれない、そこを見定めようと辺りを見回しながら散歩でもするような調子で歩む。
 が、しばらく歩いていると夜叉の視界が眩いばかりの光で覆われる。
 眩しさに目を細めるが光はすぐに収まり、再び夜叉が目を向けた時には真っ暗な空間は幻想的な光景に変わっていた。
 目の前には巨大なステンドグラスがあり、それを中心にした空間の両脇には信者が座るための長椅子がいくつも並べられていて、来た者を出迎えてくれていた。

 真っ赤な絨毯が敷き詰められた地面は先程までのあやふやな空間とは違い、踏ん張りが効くことが出来、夜叉は足で踏みつけながらその居心地の良さに口元を邪悪に歪ませる。
 目の前に置かれている長椅子は手入れが行き届いてないのか、埃を被っていたが夜叉は気にすることなく、肺一杯に空気を貯め込むと一気に吐き出して溜まっていた埃を吹き飛ばすと乱暴に腰かける。
 長椅子全体が夜叉の衝撃に驚き、激しく揺れるが何とか彼の体重を支える。落ち着ける状態が出来上がったのを見ると夜叉は新たな宿主になるかもしれない佐倉杏子の心の中にあると思われる光景を頬杖を付きながら眺める。

 儚さの中にもどことなく希望や夢を捨てられないと言う優しさを感じ取った夜叉。
 人としての部分はまず合格点だと判断したが、ふと後ろから一流の水準を持った殺気を感じ取る。
 だが夜叉はそのまま一歩も動くことなくステンドグラスを眺め続けていて、そんな夜叉の首元に後ろから突き付けられたのは槍の穂先であった。

「テメェ何もんだ? 人の心の中に勝手に乗り込みやがって……」

 振り返った先には眉間に皺を寄せ、赤を基調としたコスチュームに身を包んで、槍を持つポニーテールの少女が居た。
 その姿には見覚えがある。現在この体の持ち主である『佐倉杏子』の姿だと言うことは分かった。
 今目の前に居る彼女が彼女に取って、どんな存在なのかは分からない。だが敵意を持って行動している以上、こちらもそれに見合った対応をしなければいけない。長い実戦経験から夜叉は警告と思われる槍の穂先を軽く退かすと、振り返って立ち上がり少女と向き合う。

「我に名と言う概念は無い。故に好きなように呼ぶがよい」
「別に興味ねぇよ。今すぐ失せる奴のことなんてな!」

 世間話でもするような調子で杏子の姿をした少女は地面に付いた穂先を一気に振り上げて、今度は完全に殺すつもりで夜叉の頸動脈を狙う。
 穂先が振り上がるたびにスピードは増していき、頸動脈に届く頃にはその姿は消えてなくなっていたが、夜叉は気にすることなく右手で標準を守るように遮ると手のひらで穂先を受け止め、先程と同じように突き返す。
 だが手のひらに軽く痛みが走るのを夜叉が感じると反射的に手のひらを眺める。
 刃が肌に立つ前に受け止めたつもりなのだが、手のひらからは横に一筋の切り傷があって真っ赤な鮮血が流れ出ていた。

「ふぅ、指先を少し切ってしまったな」
「そうかい……じゃあ今度は膾にしてやるよ!」

 叫びと共に少女は空高く飛び上がって、上空から夜叉の目玉に向けて穂先を振り下ろす。
 夜叉は最小限に体を左に捻ってかわすと、体を震わせてシバリングによって体温を一気に高温へと持っていく。
 体に近づいただけでも暖房器具のような熱気を感じ、少女は一瞬眉をひそめたが、振り下ろされた穂先は止まることが出来ず、そのまま攻撃を続けようとした。
 だが持ち手が首に触れた時、その違和感に少女は驚愕を隠せなかった。

 槍を通じても夜叉から発せられる温度が生き物の体温とは思えない程の高熱を発していたからだ。
 金属製の槍は熱を瞬く間に帯びて真っ赤に変わり、その高熱に思わず放してしまいそうになってしまうが、自分たちに取って武器を手放すことは心中するのと同じ。
 魔法で手のひらの感覚を消すと、穂先を頸動脈に向けようとしたが、槍全体に絡まる奇妙な触手のような感覚に腕は止められた。
 汗によって粘着質を持った髪の毛は槍に絡まってその動きを封じ、髪の毛と槍がこんがらがった状態に少女は苦しみながらも強引に槍を引き抜くと、一旦後方に離れて距離を取る。
 一旦は生命の危機が回避されたのを知ると、夜叉はシバリングを止めて耳を指でほじりながらリラックスした調子で少女の方を見てコンタクトを取ろうとする。

「もう気は済んだか? では汝に問おう。宿主に取って汝はいかなる存在だ?」

 夜叉が一筋縄ではいかない存在だと分かると少女は先程のように不用意に突っ込むことをやめ、槍を突き立てた状態で警戒心を高めながらもジリジリと距離を詰めよって、次の攻撃の機会をうかがう。
 完全に獲物を狙うハンターと化している少女と違い、夜叉の心構えは日常のように平常心を保っている物だった。
 だがそれでも慢心や油断は無く、まるで息をするかのように自然な調子で警戒心を高めているのを見ると、少女は感じていた自分と夜叉の戦闘力の差に付いて。
 しかしそれを認めたくないのは元々の攻撃的な性格であり、歯ぎしりして憎しみの表情を夜叉に向けながらも少女は話し出す。

「下らない質問だな。アタシはアタシ『佐倉杏子』以外の誰でも何でもねーよ!」
「我には前の宿主を通じて『佐倉杏子』に関しての記憶はある。汝は我の知っている『佐倉杏子』に比べ、えらく怯えている様子が強いな。何がそんなに不安だ?」

 何気なく言った夜叉の一言に杏子と名乗る少女の顔は一気に憤怒の色に染まる。
 右手を突き出して伸びきった槍は継ぎ目が鎖で繋がれた三節棍のような状態に変わって地面に突き刺さり、勢いが付いたのを見ると上空に飛び上がって穂先は地面から強引に引き抜かれ、少女は頭の上で円を描くように槍を振り回して照準が定まらないようにして攻撃を放つ。

「したり顔で説教かよ! テメェうぜぇんだよ!」

 夜叉の一言が少女の琴線に触れたのであろう。少女は先程までの冷静さが一気に吹き飛んで感情に任せて槍を振り回し、夜叉を殺そうと勢いの付いた穂先を向けた。
 残像となって幾多にも見える穂先を前にすると、夜叉も生命の危険を感じ取ったのか、バックステップで攻撃をかわそうとするが、体が小さい分スピードに関しては少女の方に一日の長があるようであり、切っ先が少しずつではあるが夜叉の体を傷つけて行く。
 ついばむような痛みに夜叉の注意が一瞬ではあるが、標的から傷口へと向けられる。
 その僅かな隙を逃がす少女では無かった。明らかに大振りの完全に仕留めにかかる動きで縦一文字に穂先を振り下ろすと、バックステップの繰り返しで防御がおろそかになっていた右腕へと放たれる。
 その鋭い切り口は血管さえも切られた瞬間に委縮してしまい、一滴の鮮血も出ない状態で右腕は夜叉の体から永遠の別れを告げられて切り離されていく。
 初めて夜叉に致命傷とも言える攻撃を与えられたことに満足した少女は、戦利品と言わんがばかりに切り離された右腕に穂先を刺して突き上げると邪悪な笑みを浮かべながら高笑いを上げる。

「ハハハハハハハハ! ざまぁねえな、今度は首がこうなる番だぜ!」

 ここで夜叉の戦意を一気に奪おうと少女は必要以上の挑発を行うが、夜叉を見ると予想外の光景が広がっていた。
 夜叉は右腕を失ってもなお、特に気にすることなく鋭利に切られた切断面を見て、少女の実力を算段して、素直にその高い戦闘能力を認めると感心したように「ほぉ」とつぶやく。

「何が『ほぉ』だ! 右腕を失ったのに何とも思わねぇのかテメェは!?」
「どうということはない」

 そう言うと夜叉は水平に腕を持っていき、無くなった腕に力を込める。
 すると切断面から神経のような物が生え始め、神経が絡み合って腕の形が出来上がると、続いて骨格、筋肉と肉付けされていき、最後に皮膚が腕全体を覆うと腕の再生が完成した。

「テメェはトカゲか!?」
「通常の場ならば再生は不可能だ。しかしここは『佐倉杏子』の肉体の中での世界、彼女の細胞を拝借すれば肉体の再生など容易なことよ」

 腕の再生のからくりを夜叉が話すと、夜叉は新しい腕の調子を確かめる。
 握ったり、シャドーボクシングを繰り返したりして、新しい腕が以前と変わらない動きをしたのを確かめると少女の方を向く。
 これに少女は面白くない表情を見せて露骨に歯ぎしりをして、憎しみに満ちた目を夜叉へと向けた。

「勝手に人の物食うたぁな……テメェ躾がなってねぇみたいだな。あぁ!?」
「気に入らないのならば勝負をするがいい、我らが行うのは善も悪も無い、生きるための食するための戦いだ。汝も自分の居場所を守りたいのなら、我と言う外敵を蹴散らしてみるがよい」

 それは宣戦布告とも取れる発言だった。
 トリコのグルメ細胞は夜叉の姿を借りて、佐倉杏子の肉体の一つになろうとしている。
 その存在を外敵とみなした少女は憎しみの感情を前面に押し出し、血走った目で夜叉を睨みつけると同時にその体は炎で包まれた。

「ああ、うぜぇ、うぜぇ……超うぜぇ! そんなに見たけりゃ見せてやるよ! これがアタシだ!」

 その体が完全に炎に包まれると同時に佐倉杏子を模した姿の少女は消えてなくなった。
 代わりに現れたのは馬に乗った中華風の着物に身を包んだ異形の存在。
 頭部は蝋燭になっていて、炎の中にはうっすらとではあるが佐倉杏子の顔が浮かび上がっていた。

「これがアタシの本来の姿『Ophelia』だ! テメェは殺すぞ……」

 そう言うとオフィーリアの体から霧が発生し、その身を包みこんで夜叉の視界から消えた。
 霧が晴れた頃にはオフィーリアの姿は5体にまで増えていた。
 それが幻覚と言うことは分かってはいるが、そこから先程までとは違い本気で彼女が自分を殺しに来ていることが分かると、夜叉も全身の筋肉をバンプアップさせて完全な戦闘態勢を取る。

「よし! 相手になってやる!」

 右手を手刀の形に変えてナイフの形状に、左手を突き出してフォークの形状に変えると夜叉とオフィーリアの戦闘が始まった。
 魔法少女との契約でその身から魔法少女の呪縛が消されてもなお、一つのトラウマとして細胞にまで生き残っているオフィーリア。
 新たな希望となるため杏子の中に入ってきたトリコのグルメ細胞。
 互いの存亡をかけた戦いが今始まった。




 ***




 病室内では相変わらず杏子の悲痛な叫び声が木霊していた。
 痛みに暴れ回る杏子を押さえるのにココとサニーは体力を使い、二人の表情を見れば押さえきれないほどではないが、中々に苦戦している状態なのは分かり、この時点でトリコのグルメ細胞が杏子に適合し始めているのではないかとリンは僅かな希望を感じる。

「君が希望を持ちたいのは分かるがリンちゃん、状況は芳しくない状態だ」

 ココは冷や汗を額にかきながら淡々とした調子で答える。
 真実を包み隠さずに答えるのがココのやり方だと言うのは分かっているリンだが、今グルメ細胞の力で杏子の体に怪力が宿っているのだと思っていたが、杏子の動きが一旦止まったのを見ると適合が完了したのかと思い、彼女の顔を覗き込む。

「よけろバカ!」

 サニーが叫ぶと同時に手と触覚が伸びるが時既に遅し。
 杏子は白目を向きながら口から激しく吐血を噴き出し、リンの顔は鮮血によって真っ赤に染まったがリンはかかった血を手で拭おうとするが、続けざまに吐血をしていく杏子を見ると何もすることが出来ずに完全に固まってしまうが、サニーの手によって退かされる。

「今はトリコのグルメ細胞がアンコの体内で暴れている状態だ。つまり今の怪力も一時的に現れた症状にすぎない!」
「サニーの言う通りだよリンちゃん。今は元々のアンコちゃんの細胞がトリコのグルメ細胞と適合出来るかどうかの瀬戸際だ。失敗すればアンコちゃんは全ての細胞を食われて死んでしまう。この状態では処置も不可能だ」

 全てが一発勝負の綱渡りな状態の杏子を見ると、彼女が予想以上の修羅場に立たされていることが分かり、鮮血を顔で拭うともしもの時のためにと用意したフレグランス発生装置を腕に取り付け、エンドルフィンスモークを辺りにまき散らせる。
 気持ちや焦りがふと落ち着く感覚を押さえつけていた四人は覚えたが、杏子だけは相変わらず苦痛そうな表情を浮かべたまま吐血を繰り返していて、エンドルフィンスモークも大して効果が無い状態だった。

「負けてたまるか……アタシは魔女のような大人にはならない……」

 それは蚊の鳴くほどの小さなつぶやきだった。
 杏子自身は自分の体の中で何が起こっているのかは全く分からない状態であったが、本能的に察していた。
 様々な意味で変わろうとしている。自分が居ることを。




 ***




 いつの間にか周囲に合った長椅子は消えてなくなり、中央に巨大なステンドグラスがあるステージで夜叉は5体のオフィーリアを相手にどうやって戦おうか算段を立てていたが、先に動いたのは騎乗している分、機動力に優れたオフィーリアだった。
 5体全てが夜叉に向かって突っ込んでいき、蹄の音を軽快に鳴らしながら槍を突き立てる。

「手も足も出ないってか!? ざまぁねぇな!」

 槍を突き出せば夜叉を貫ける距離まで近付くと、オフィーリアの槍がしなって一気に連打を決める。
 無数の残像となって襲いかかる槍を相手に夜叉が取った行動は至極シンプルな物だった。両腕で顔面のみを守って逆にオフィーリアに向かって突っ込んでいく。

「ハハハハハ! 恐怖で頭がおかしくなっちまったのか!?」
「そっちこそ槍の本質を忘れたのか?」

 見下したような笑みを浮かべるオフィーリアとは対照的に夜叉は酷く冷静であり、穂先が腕の筋肉に刺さった瞬間に彼女もまたその自信の意味を知る。
 普段なら貫いてその獲物の感覚を槍を通して感じるのだが、穂先が貫いたのは表面部分だけであり、持ち手の部分がしなって威力が殺され、それ以上の進撃を夜叉の筋肉は認めなかった。
 槍と言う武器は中近距離に優れた武器であるが、接近戦の場合でもある程度の距離を用いて、勢いを付けなければ穂先が獲物を貫くことはない。
 夜叉はタイミングを見計らい、オフィーリアが攻撃する瞬間を待って一気に勝負を付けようと右手を手刀の形に変えて振り下ろす。

「ナイフ!」

 攻撃のタイミングはベストであり、蝋燭の顔面へと振り下ろされていくが、オフィーリアが取った行動はあえて前方に馬を捨てて逃げると言う物。
 後方へと逃げてしまえば追撃に合う可能性が大と判断した結果、オフィーリア自身の回避には成功した。
 だが振り下ろされた手刀は残された馬の首へと振り下ろされ、馬の首と胴体は永遠の別れを告げ、その首が地面に落ちると同時に馬は姿は蒸発するように消えて無くなった。

「将を射るにはまず馬からと言う言葉があるからな。いずれにせよ戦力は大幅にダウンしたな」

 馬の血で真っ赤に染まった手刀を向けながら夜叉は挑発するように言う。
 だがオフィーリアは普通ならば圧倒的に不利な状況にも関わらず、見下した高笑いを上げると槍を構えて夜叉と戦闘を再開しようとする。

「バカが、アタシは馬から降りてからが本番だ! 馬に乗った状態なら単純な機動力は上がるが攻撃力はどうしても下がっちまうからな。攻撃にのみ転じた瞬間が本領発揮って奴よ!」

 叫ぶと同時にオフィーリアは自身を5体に分身させて槍を突き出して突っ込む。
 変わり変わり交差を繰り返してどれが本体なのか分からなくさせるシンプルな戦術だが効果は絶大。
 人は単純な動きほど逆に読みにくく、見極められた際でも簡単に次の策と言うのが思いつくのが利点。
 だがシンプルな決着を求めるのは夜叉も同じことであり、彼女自身が先程吐露したようにやはり機動力が下がってスピードが落ちているのは事実、そこを突こうと今度は左手を突き出して素早い連打を放つ。

「フォーク!」

 フォークでの連打はナイフよりも攻撃範囲が広く、素早く刺しては戻しの動作も早く幻影と本体の見極めを軽々と行っていく。
 オフィーリアはその圧倒的なスピードとそれらを冷静に捉えられる動体視力に驚愕の色を隠せなかったが、自身の脳天にフォークが突き刺さりそうになると槍を振り上げてフォークを跳ね返すが、無防備になった顔面を待っていたのは右での突き下ろしのパンチだった。

「5連釘パンチ!」

 顔面にパンチが振り下ろされるが、炎を身に纏っただけの顔面の中にある少女は邪悪な笑みを浮かべると共に蝋燭に灯った炎が消え、後には一筋の煙が残るだけとなっていた。
 攻撃目標を失った釘パンチは空振りしてしまい、威力をぶつけるべき相手がいなくなったパンチの衝撃は自身の筋肉へとダメージとして伝わり、さすがの夜叉も腕に次々と襲いかかる筋肉の繊維がちぎれるような感覚に苦痛の色を隠せなかった。

「強力な攻撃な分、外れた時のダメージは相当な物だな。だがこれで勝負ありだ」

 オフィーリアが言うように夜叉の表情はこれまでとは明らかに異なっていた。
 顔には脂汗が浮かび、右腕は力なくダランと垂れ下がっていて、もう握り拳を作るのも困難な状態となり、小刻みに痙攣を繰り返していた。
 そんな右腕をかばうように左手で右腕をかばう姿に、オフィーリアは勝利を確信し、ゆっくりと歩を進めて行く。
 あえて一気に勝負を付けようとしないのは、夜叉が何かしらの罠を仕掛けているのではないかと言う警戒心から。
 勝利を確信して慢心した瞬間こそが危険だと言う実戦での経験が、オフィーリアの歩みを確実な物に変え、一歩、また一歩と踏み出していく内に頭の蝋燭は再び炎を宿し、その中に居る少女は獰猛な笑みを浮かべていて、夜叉を精神的にも追い込もうとしていた。

「異物として排除する前に答えろ。何が目的でアタシの中に入った?」
「宿主が力を欲した結果だ。この肉体は十分我と適合できる」
「だがそれは無理な話だ。アタシが居る限り誰もアタシの中に踏み入れさせない」

 どうあっても自分のテリトリーを守ろうとするオフィーリアの歩みは非常にゆっくりな物であった。
 夜叉の身体能力に対抗するため、体力の配分ペースを無視した戦闘を行い続けた結果、オフィーリアは歩くだけでも精一杯の状況になっていて、最後の一撃を確実に決めるため、そして自分自身敵にトドメをさすため、彼女の最後の策は夜叉から戦意その物を奪う。
 精一杯の強がりを見せながらオフィーリアは話を続ける。

「そうアタシは最強の魔女『Ophelia』! 誰もアタシのテリトリーには近付けさせない、いつかは宿主だってアタシが食らってみせる!」
「その解やよし……」

 初めは怒らせて冷静さを夜叉から奪おうとしたが、意に反して彼の表情は穏やかであり、笑いかけているようにも見えた。
 夜叉は痛みに耐えきれなくなり、片膝を地面に付いた状態ながらもオフィーリアが困惑して黙ったのを見ると自分の話をする。

「生きると言うことは食らうことだ。誰かが誰かを食らい、常に世の中は成り立っている。お前と言う強い邪心を見た時確信したよ、この宿主は想いだけでもなく、力も相当な物を持っているという事を」
「おべっか使って点数稼ぎって奴か? 反吐が出るな……」

 夜叉にもダメージがあるのは分かるが、オフィーリア自身もまた蓄積された疲労が一気に爆発し、足を引きずりながら歩き、そして激しい疲労感に苦しめられる。
 そうなるとここから先は意地と意地のぶつかり合い、オフィーリアは少しずつ距離を詰めて、槍を突き出せば夜叉の心臓を貫ける位置にまで到達すると持っていた槍を投げ捨て、空高く飛び上がった。

「テメェなんか煮ても焼いても食えねぇから殺すしかねーだろ!」

 上空でオフィーリアは蝋燭の頭を夜叉に向かって突き出して、重力に身を任せて落下していく。
 風が魔女の体を覆い尽くすとその体に変化が現れる。
 オフィーリアの肉体その物が巨大な深紅の槍へと変貌し、血に染まったようなどす黒い色の穂先が夜叉の心臓を貫こうとしていた。
 まっすぐ突っ込む槍を見ると、夜叉の口元が邪悪に歪む。
 どんなに攻守が完璧に備わっている相手でも、攻撃に転じる瞬間だけはどうしても隙が生まれて、0の状態になっていることを知っているからだ。
 夜叉は素早く後ろを振り向くと、背中で深紅の槍を受け止めた。
 辺りにまるで金属同士がぶつかり合ったような高音が響き渡ると同時に、槍に変形していたオフィーリアは今目の前にある真実が信じられず、元の姿に戻って驚愕の表情を浮かべていた。

「バカな! アタシの槍が獲物を貫けないだと!?」

 オフィーリアが言うように僧帽筋で槍を受け止めた結果、背中から少し血が出ている程度のダメージしか夜叉にはなく、彼女はそのまま地面へと力なく落下していく。

「背中の耐久度は正面の7倍と言われている。勉強不足だったな……」

 夜叉の説明もろくに聞かずにオフィーリアは袖の中に仕込んでおいた槍を取り出すと、そのまま夜叉の顔面に向けて突き出すが、ろくに体勢も整えずにやぶれかぶれで放った槍が獲物を捉えられる訳がない。
 狙い澄ましたかのようなカウンターのパンチが穂先に入って、槍は瞬く間に崩壊していき鉄塊と化す。
 だが夜叉のパンチの衝撃は槍を破壊するだけでは終わらなかった。
 その衝撃は槍を持っていた腕にまで伝わってきて、その威力を論理的に考えるようになれた頃には衝撃は肩まで伝わって右腕が完全に破壊され、重力に負けて力なくダラリと垂れ下がっていた。

「気持ちだけに非ず、力だけでも非ず、その両方の無力さ、虚無感を知っているとみた。よかろう他の誰もが見限っても、我だけは宿主を認めよう!」

 夜叉が杏子を適合者と認め、最後の仕上げとして、杏子の中にある邪心をも自分の中に取りこんでしまおうと拳を振り上げてトドメに入る。

「5連釘パンチ!」

 既に体力を使い果たしたオフィーリアに、先程のように頭部の炎を消して回避するだけの体力は持ち合わせていない。
 パンチは顔面から少し下の首への部分に直撃し、オフィーリアは呼吸が出来ない苦しみを感じながら合計で5回の激しい衝撃を食らい続け、勢いよく後方へと吹き飛ばされる。
 正面の7倍の耐久度を誇る背中と違って、喉は体の中で唯一鍛えようのない筋肉に覆われていない部分。
 酸素が供給されないことから頭の炎も消えて無くなり、オフィーリアは体ごとステンドグラスへと突入し、力なく大の字になって横たわる。
 抵抗する存在が無くなったのを見ると、夜叉の上空にステンドグラスが現れ、まるで祝福をしてくれるかの如く七色の眩い光が彼を照らしあげ、同時に鐘の音が響き渡り、杏子の中にある全ての細胞が夜叉のことを認め、共に歩もうとしていた。

「感謝する。では最後の仕上げだ」

 夜叉は口元に軽い笑みを浮かべながら手を上げると、鐘の音を止める。
 鐘の音が止まったのを見ると、夜叉はオフィーリアの体をステンドグラスから出して、その両肩を掴んで起き上がらせると、彼女に向かってこれから行うべきことを話し出す。

「これから何をするかは分かるな?」
「ああ、アタシを食うんだろ? 好きにしろよ」
「その答えでは半分しか正解していない。確かに食らいはするが、それで汝の存在が消えるわけではない」

 夜叉の言っている意味が分からず、オフィーリアの頭に再び炎が宿ると、炎の中の少女は困惑の表情を浮かべていた。
 まともに話し合いが出来る状態になると、夜叉はそのまま杏子を抱きしめ耳元でささやくように話す。

「これから宿主に合わせるため、我は我とは違う別の生き物として宿主に仕えるつもりだ。そのためにもお前と言う闇を受け入れなければならない、我は汝で汝は我となる」
「好きにしやがれ……テメェとの戦いはまだ始まったばかりだからな」

 自嘲気味にオフィーリアが答えると、その体は粒子に変わって夜叉の中へと入り込んでいく。
 体中の穴と言う穴にオフィーリアが入り込む感覚を覚えると、夜叉の体は穏やかな朝焼けのように発光し、その身にも変化が訪れた。
 腰巻一丁の無骨な格好から、白銀の陣羽織に身を包み、背中には巨大な槍が背負われる。
 夜叉の中にオフィーリアが完全に入りこむと、そこに居たのは夜叉でもオフィーリアでもない新たな存在。
 これからは杏子のために命ある限り彼女に力を貸そうと決めた白銀の夜叉は新たに生まれ変わった杏子に向かってエールを送る。

「祝福せよ! グルメ細胞に選ばれた戦士『佐倉杏子』を!」

 白銀の夜叉の叫びと共に細胞たちは割れんばかりの拍手を送った。
 その声に一つずつ丁寧に答えながら、白銀の夜叉は期待に胸を膨らませていた。
 この宿主は自分にどんな美味しい物を食べさせてくれるのかを。




 ***




 昼に行われたグルメ細胞の移植は日にちを跨ぎ、翌日の朝を迎えていた。
 その間、体力の限界と言うことで医者だけは外していて、三人は相変わらず暴れ回る杏子を押さえつけることで精一杯だったが、ここで杏子に変化が訪れたことにココとサニーは気付くと相変わらず力任せに押さえつけるリンに向かって話し出す。

「待つんだリンちゃん様子がおかしい」

 ココに言われるとリンは手を離して様子を見る。
 冷静になって周りを見るとサニーも既に手を離していて、真剣な眼差しで杏子の様子を見ていた。
 先程まで苦しみに悶えていた杏子だったが、今は脂汗をかいて相変わらず苦しそうにはしていたが、ただ黙ってうずくまるだけであり、耐えれない程の苦しみではないことが分かった。
 押さえつけられる苦しみが無くなると杏子は冷静に呼吸を整え、自分の中にある変化を受け入れようとしていた。
 そして脳内に白銀の夜叉のイメージが広がり、その存在が自らを認めるように小さく頷いたのを見ると、杏子の中にあった苦痛や不快感が一気に消し飛ばされる。
 電磁波が正常な物に変わったのを見たココはいち早くそれを笑顔でのVサインと言う形で伝え、リンもサニーと手を取ってグルメ細胞が杏子に適合したのを喜ぶが、蚊の鳴くような声で助けを求める杏子の声を聞くとリンは耳を傾ける。

「助けてくれ、死にそうだ……」

 浮かれている瞬間に『死ぬ』と言うキーワードを聞いたリンは青ざめながら医師を呼ぼうとするが、サニーに手を掴まれると改めて杏子の口元に顔を持ってこさせ、最後まで話を聞くように促す。

「そうじゃねぇ腹が減って死にそうだ……」
「やっぱりトリコのグルメ細胞だし……」

 杏子が元気になって嬉しい半面、トリコのグルメ細胞はこんな形でもちゃんと個性を出していることにリンは呆れながら答え、ココとサニーはそれを見て笑っていたが、杏子は相変わらず腹を両手で押さえ少しでも空腹を紛らわせながらも、怒気を含んだ声で再び話し出す。

「笑い事じゃねーだろ。マジで死にそうなんだよ……」
「で何食べるの? お粥?」
「そんなもんじゃねぇ。何でもいいから腹に溜まるもん用意してくれ……」

 まさかこんなことになるとは思っていなかったリンは、突然たらふく食べたいと言う杏子の要求にどうしていいか分からず固まってしまっていたが、ココとサニーが電話でトリコが贔屓にしていた店にあるだけの料理を用意するように出前を頼むと、店主たちが急ピッチで料理をしている様子が脳裏に浮かぶ。

「『腹が減って死にそう』か……何か懐かしいなココ」
「ああ、まだトリコは生きている。アンコちゃんの中でな」

 そう言う二人の目にはまだトリコが生きている内にやったやるべきことを見て、目を軽く涙で濡らしながら感慨深いと言った表情を浮かべていた。
 二人のつぶやきでリンもトリコとの楽しい思い出が蘇る。
 お腹が減った時の彼は猛獣と戦っていた時よりも苦痛そうな表情を浮かべていたことを。
 今の杏子にトリコの面影を見たリンもトリコはただ死んだわけではないことを理解して、天井を見上げて恐らくはグルメ天国に居るトリコに向かってメッセージを送る。

(いつかそっちに行った時、胸張ってトリコに話せるような一生を送るからねウチ……)

 これからはトリコのためにも自分自身のためにも改めて恥ずかしくない一生を送ろうと決めた三人だったが、お腹の減りすぎで苦痛しかない今の杏子に取ってその姿は神経を逆なでさせるものでしかなく、怒鳴る元気もないまま料理の到着を静かに待っていた。




 ***




 和・洋・中と様々なジャンルの料理が並べられる様は美を意識しているサニーに取っては調和の取れない見苦しい光景だった。
 そんなことはお構いなしに杏子はベッドに装着された狭いテーブルの上に置かれた料理を次々に平らげていき、わんこそばでも頼むような感覚でおかわりを要求し続ける。
 こうやってガツガツと食べていくさまもトリコを連想させる物なのだが、病み上がりで先程まで普通の人間だった杏子がトリコとほとんど変わらないペースで食べ続けていい物か気になり、一回止めさせようと話しかける。

「ちょっと少しは落ち着いて食べないと……」
「ウルセェ! こちとらただでさえ燃費の悪い細胞移植されてるんだ! まずは自分の限界を確かめるためにどが食いしてんだろうがよ!」

 まだまだグルメ細胞に選ばれた美食屋としては新人の杏子の意見はもっともであり、食事の邪魔をされて瞳孔が開きながら怒り狂う杏子を見ると、これ以上関わってはいけないと思い、何も言わずに後ろへ下がる。
 最後に杏子は残っている料理全てを大皿の上に乗せて、フォークで一気に流し込むと出前で用意された食材を全て食べきったが、全てを食べ終えると杏子を顔を青ざめた状態で口を押さえながら横たわる。

「ほら言わんこっちゃない。洗面器持って来る? え、何、何て?」

 リンが口元を押さえながらモゴモゴとつぶやく杏子に耳を傾ける。
 杏子の意見を聞くとリンは呆れた調子で二人にも伝える。

「食べたから寝るってさ」

 その品の無い部分もトリコから受け継いでしまったことにココとサニーは悲しんでいたが、今は杏子が無事にグルメ細胞の移植を乗り切ったことを喜ぼうと、寝ている邪魔をしてはいけないと思って、自分たちも病室から出ていく。
 静かに寝息を立てている杏子の横では点けっぱなしになっているテレビがニュースを流し出していた。
 天気予報の後に行われるのはゼブラ予報。
 各地で気に入らない猛獣が居れば無茶苦茶に暴れ回るゼブラの被害を受けないよう、事前に予報する物であり、最近は『キング平原』で大暴れしていることを伝えると近隣住民にアナウンサーが注意を呼び掛けていた。




 ***




 お昼頃そろそろ杏子も目を覚ました頃だろうと思い、仮眠を終えたココとサニーは数回のノックの後に杏子が居る病室へと入る。
 だがそこに杏子の姿は無かった。開けっぱなしの窓からは爽やかな風が流れていて、ベッドの上には綺麗に畳まれている患者衣があり、その上には書置きが一つ置いてあった。

『世話になった。どうしても一発かましてやらないと気が済まない奴がいるんで、今から殴りに行ってくる』

 意味深な書置きにココもサニーも渋い顔を浮かべてしまう。
 杏子が基本的に冷静なのは分かるが、感情が高ぶれば周りが見えなくなってしまう部分も持ち合わせている。
 それでなくてもグルメ細胞を移植されたばかりの杏子がいきなり実戦での狩りに向かうのは危険だし、一般人を相手に喧嘩をすれば不幸な結末が待っているかもしれない。
 気になったココは愛用の水晶玉を鞄から持ち出すと、先程まで杏子が寝ていたベッドの上へと置き彼女の残留思念から、どこへ向かい何をやろうとしているのかを見出す。

「こ・れ・は……」

 水晶玉の中に映った未来を見るとココは体をワナワナと怒りで震わせる。
 普段から冷静沈着なココがここまで感情的になるのが珍しく、サニーは何が見えたのかを聞こうとするが、その時同じように仮眠を終えたリンがあくび交じりに病室へと入っていくのが見えた。

「あれお兄ちゃんアンコは?」
「今ココに見てもらってるところだ。それでココあいつどこに行ったんだ?」

 サニーに聞かれるとココは相変わらず怒りで体を震わせながら、先程まで杏子が寝ていたベッドの脚を掴むと、少しでも感情を落ち着かせようと怒りをベッドにぶつけながら叫ぶ。

「アホですか――!」

 ちゃぶ台をひっくり返すような勢いでベッドを放り投げるココ、ベッドは凄まじい勢いと共に地面へと落下して、轟音を病室内に奏でた。
 それでもまだ怒りは収まらないらしく、肩で息をするココを見てサニーは完全に怯えているリンに代わって何が起こったのかを聞く。

「自分一人で話を終わらせるな! 一体どこに向かったって言うんだアンコの奴は!?」

 サニーに聞かれるとココは体を震わせながらも点けっぱなしになっているテレビから流れているニュース番組を示す。
 そこには現在ゼブラがキング平原にて、そこの主である『オメガフェンリル』を相手に暴れ回っている予報があり、ここからもそう遠くない位置にあるキング平原にリンは顔を青ざめさせながらココに聞く。

「まさか……」
「そのまさかだよ! 彼女はゼブラを相手に喧嘩売りに行ったんだ!」

 グルメ細胞を移植されてのデビュー戦がゼブラと言うことを知ると、サニーとリンもまた声にならない叫びを発して、三人は急いでキング平原へと向かおうとしていた。
 不幸な事故が起こる前に未然に防ごうと意気込んで嵐のように消えていった三人。
 病室に残された水晶玉には未来が映し出されていた。
 槍を持って左頬が裂けた大男と向き合っている杏子の姿を。





本日の食材

今日はお休み





と言う訳でグルメ細胞移植の話になりました。
今回オフィーリアを登場させましたが、杏子の内部での話と言うことで例え魔法少女の呪縛から解放されたとしても、その憎しみや怒りと言った邪な心はオフィーリアとして残っていると言う設定にしましたね。
次回はゼブラとの決闘です。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ18 そんなのアタシが許さない
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:862977af
Date: 2013/05/05 01:23





 20メートル大の毒々しい紫色の体をした雌狼『オメガフェンリル』は左頬が裂けた大男を相手に咆哮を放つ。
 それが精一杯の強がりだと大男は分かっていた。それは無残な姿で倒れこんでいる同胞を見ていれば分かること。
 仲間の敵討ちにとボスである雌狼は牙を突き立て、爪を突き出し同胞たちを殺した大男に敵意を向けるが、そんな雌狼に対しても大男は相手を見下した不敵な笑みを崩すことなく、フォームを崩すことなく、自分がオメガフェンリルに対して最も気に入らない部分を語りだす。

「捕獲レベル46の『オメガフェンリル』オメガとはギリシャ語で最大だから究極と言う意味で使われたりもするが、いけねぇな……」

 大男は腕に力を込めると全身の筋肉をバンプアップさせ、戦闘態勢を取る。
 威嚇を繰り返していた雌狼も完全に戦闘態勢が出来上がっている大男を前に覚悟が決まったのか、突進して一気に勝負を決めようとする。

「その程度の実力で究極を名乗るなんて、チョーシにのってるな……」

 振り下ろされた巨大な爪に対しても大男は余裕めいた笑みを崩すことなく、バックステップで攻撃をかわす。
 砂埃が勢いよく舞って大男の姿が消えて無くなるが、彼の姿はすぐに前方から起こされる突風で現れた。
 その大男は数十キロメートル先に落ちたコインの音をも聞き分ける聴力と、声を自在に操り、その振動で全てを破壊する力を持つ。
 今の攻撃も声から軽く発した程度の物であり、一気に勝負を付けようと大男は喉に力を込めて兵器と化した声を発する。

「ボイスミサイル!」

 放たれた声は衝撃波として形に変わって喉から発射される。
 眉間に直接攻撃を食らい、雌狼の体は勢いよく後方にのけ反り、体のバランスを完全に崩してしまう。
 大男は一気に勝負を付けようと先程よりも大きく息を吸って、今放ったボイスミサイルよりも更に攻撃力が高く、攻撃範囲の広い必殺技を放つ。

「サウンドバズーカ!」

 叫んだ瞬間に雌狼の全身に広がるイメージは複数の拳。
 まるで巨大な拳骨で何度も何度も全身を叩かれているイメージが広がっていき、攻撃のラッシュに雌狼は意識を保つことが出来ずに、白目を向いてそのまま後方へと倒れていく。
 群れのボスと思われる雌狼を殺し、完全にオメガフェンリルを絶滅させたのを確認すると、大男は邪悪な笑みを浮かべながら一言つぶやく。

「チョーシにのった罰だ……」

 全身の細胞が内部から破壊された状態の雌狼に対して大男は一言つぶやくと、その場を後にしようとするが、自分の元に近づいてくる足音を二つ聞きとると足を止め、音の方向に体を向ける。

「また無能なグルメ警察か?」
「グルメ警察だと思った? 残念! 再生屋ちゃんでした!」

 緑色の髪の毛をリーゼントでまとめ上げた軽薄そうな青年は精一杯の笑顔を浮かべて、横向きのピースサインを決めて語るが、大男は何が何だか分かっておらず、不機嫌そうな無表情を浮かべたまま、黙って再生屋の青年を見つめるだけ。
 完全に掴みのギャグが滑ったのを肌で感じると、青年はふてくされた顔を浮かべながらピースサインを解き、少し遅れて現れる師匠の到着を待つ。

「ししょ~! だからオレ言ったんですよスベるの嫌だって!」
「それはワシの責任じゃない。スベると言うルールを破れなかったお前の責任じゃ鉄平」

 鉄平はブツブツと文句を言いながらも胸ポケットから櫛を取り出すと自慢のリーゼントをセットし直し、バンダナを頭に巻き葉巻樹を加えた大男は豪快に煙を発しながら、先程ゼブラが殺したオメガフェンリルの躯を見つめる。

「また派手にやらかしてくれたな。ゼブラよ、これで26種目か絶滅させた種は?」
「い~や。これで27種目だ」

 ふてぶてしくゼブラは言い放つがその耳はしっかりと捉えていた。
 オメガフェンリルが我が身を挺して守っている存在の小さな鳴き声を。

「数10キロメートル先に落ちたコインの音をも聞き分ける聴覚のお前だ。オメガフェンリルと言う種の絶滅が失敗したことは知っているだろう?」

 鉄平がオメガフェンリルの躯の間に入り、中から取り出したのは三匹の可愛らしいオメガフェンリルの赤子だった。
 乳を求めて泣く赤子たちに鉄平は人差し指の爪を伸ばして『ネイル注射』の状態にすると先端から栄養剤を出して、ミルクを飲ます要領で赤子たちに飲ませていく。
 嬉しそうに栄養剤に吸いつく赤子立ちを見ると、鉄平は柔らかな表情を見せて「よしよし」とあやしながら、赤子たちが落ち着くまで対応にあたっていた。

「赤子だから殺さなかったのか? 優しいところもあるんだな」

 聞いているイメージとは違い、優しい部分を見せたゼブラに対して与作は葉巻樹の煙を豪快に口から噴き出しながらからかうように言うが、ゼブラは小さく鼻を「フン」と鳴らすと持論を語りだす。

「勘違いするな。でかくなってチョーシ乗った真似をするようなら、改めて絶滅させるつもりだったんだよ」
「まぁ何にせよ命は善だ。これはオレの方で保護しておく」

 ゼブラの真意は分からないが、与作は鉄平から三匹の赤子を預かると、ゼブラの確保を弟子に任せ、IGOの職員たちに赤子を引き渡すためにその場を後にした。
 これに対してゼブラは気を悪くして額に血管を浮かび上がらせながら、血走った目で残った鉄平を睨みつけた。

「気に入らねぇな。オレの相手なんざ、テメェ一人で十分だって態度だぞ今のは」
「ウチの師匠はスパルタでね。お前の確保もオレ一人で出来ないようじゃ、またどやされちまうからな……」

 そう言うと鉄平は爪を元の状態に戻し、ゼブラと向き合う。
 鼻息荒く興奮しきったゼブラに対して、鉄平は顔色一つ変えずに怒り狂っているゼブラを冷ややかな眼差しで見つめる。

「激しい怒りの感情が手に取って分かるな。喧嘩友達を失って誰かに怒りをぶつけなければ気が済まないと言った感じか?」
「ほざくな!」

 鉄平の言葉がゼブラの琴線に触れたのか、感情に任せてゼブラは叫ぶ。
 声を自在に操り、その振動で全てを破壊する能力を持った彼だけに軽く叫んだだけでも、大地は震えあがり、その場を激しい衝撃波が襲うが、鉄平はその中でも冷静さを保ったまま、一歩も動かずにゼブラを変わらず冷ややかに見続けていた。

「勝手に病気でくたばった奴のことなんか知らねぇな。オレはいつだってオレのやりたいようにやるだけだ」

 威嚇するように額が当たる距離でゼブラは鉄平を睨みつけるが、そんな彼に対して鉄平は一歩引いて距離を保つと、先程の大声で乱れた髪形を整えるために胸ポケットから櫛を取り出し、リーゼントのセットにあたる。

「何をチンケな髪いじってるんだ! 何とか言えよ!」

 自分の祖先の代から続くリーゼントをけなされても、特に鉄平は動揺する素振りを見せることなく、ようやく自分が納得できるセットが仕上がると櫛を胸ポケットに戻し、ゼブラと接そうとする。

「それでキレるのは違うキャラクターだ。あんな能力があればオレたち再生屋は飯の食い上げになっちまうわ」
「何をわけわかんねぇことを!」
「それと一つ忠告をしておいてやるよ」

 鉄平の言っている言葉の意味が分からず、ゼブラは激昂する一方だが、鉄平は気にすることなく、自分の信念を語りだす。

「あまり感情に任せて言葉を発さない方がいいぞ。喋れば喋るほど言葉の体重は減り、やがて空気のようにフワフワと重みの無い物になってしまうからな」

 ゼブラ本人は否定しているが、第三者の目から見れば今のゼブラがトリコを失って悲しんでいるのは目に見えて明らか。
 だがそれをゼブラに言える人間なんて誰も居なかった。ゼブラは正直に自分の意見を言う鉄平に対して好感を持つ部分もあったが、それよりも怒りの感情が色濃く出て、鉄平の頭を鷲掴みにして、自分の元に寄せると戦いのゴングを自分から鳴らそうとする。

「テメェマジで殺されてえぇみたいだな……」

 そんな状態でも鉄平はふてぶてしいぐらいに冷静で眉一つ動かさずにジッとゼブラを見つめるだけだった。
 拳を振り上げて眼下の鉄平を殴り飛ばそうとした瞬間、ゼブラの耳に聞いたことの無い叫び声が届く。

 明らかに怒気を含んで、自分に対して激しい憎しみの感情を持った叫び声の持ち主が分からず、ゼブラの拳は鉄平の顔面に当たる直前で止まり、音の方をゼブラが見やると鉄平も同じ方向を向く。
 目に飛び込んできたのはショートパンツにパーカー姿の赤毛の髪をポニーテールにした少女。
 腕には槍が握られていて、それを担ぐように持ちながら不機嫌そうに歩いているが、ゼブラの姿が視界に入った瞬間、少女は距離を一気に距離を詰めよって、ゼブラに対して怒りの感情をぶつける。

「やっと会えたな。このクズヤローが、トリコの代わりに殴りに来てやったぜ!」

 少女は地面を蹴飛ばし、砂埃をゼブラに向かって開戦の合図代わりにして槍を振りかざそうとするが、後ろに激しい力が加わって止められてしまう。
 不機嫌そうに少女が後ろを振り向くと、鉄平がため息交じりに穂先を掴んでいて、いきなり現れた少女が何者なのかを知るためコンタクトを取ろうとする。

「何だチミは?」
「何だチミはってか!?」

 どこかで聞いたようなやり取りを鉄平と少女は行っていたが、邪魔をされた少女はいら立ちつつも鉄平を相手に啖呵を切る。

「アタシはトリコのグルメ細胞を引き継いだ者だ。だからトリコの代わりに葬式にも来なかった、この薄情者を代わりにぶん殴りに来たんだよ!」

 『トリコ』と言う言葉がゼブラの琴線に触れる。
 それまで何の関心も持っていなかった少女の襟首に向かって手を伸ばすと、強引に引き上げてゼブラは自分と少女が顔を合わせられる状態になると話を進める。

「脈拍、呼吸音からウソをついてないのは分かる。詳しく説明しな、テメェ何もんだ?」

 返答の代わりに少女が放ったのは槍で横っ面を殴る暴力的な行為。
 柄の部分がしなって鋭い打撃音が辺りに響くが、ゼブラは襟首を掴んだ手を放そうとはせず、出会った時と変わらない自分に対して憎悪を向けて睨みつける少女と睨み合う。

「アタシはアンコ。トリコの家族だ!」

 そう言うと今度は杏子はゼブラの胸を思い切り蹴り上げて勢いを付けると同時に距離を取って、弱点と思われるむき出しになっている左頬の歯に向かって穂先を突き刺そうとするが、逆にゼブラは大きく口を開けて穂先を噛んで受け止める。
 辺りに金属音が響くと同時にゼブラは歯ぎしりをしながら、吐き捨てるように槍を杏子ごと吹き飛ばすと杏子の体は槍もろとも後方へと吹っ飛ばされていく。

 第三者として見ていた鉄平は双方のやり取りを見て確信した。お互いがお互いに取って倒さなければ気が済まない相手になっていることを。
 プライドを汚すような真似は無粋に当たると踏んだ鉄平は手ごろな大きさの岩に腰かけると、二人の戦いを見守ろうとする。

「家族? ああ、そういや風の噂で聞いたな。トリコの奴がガキを拾って世話してるってな。たかが一年かそこら一緒に住んでるだけで家族か? 随分とチョーシに乗ったこと言ってんじゃねぇか」
「時間は関係ない。大切なのは濃度だろう……テメェこそ何だ? 友達が死んだってのに葬式にも出ねぇで喧嘩三昧なんて、それでもトリコの友達って言えんのか!?」
「知るかよ。死んだ奴のことなんて」

 冷淡に耳をほじりながら言い放つゼブラを前にして杏子の中で思い出したくもない思い出が一気に蘇る。
 さやかが死んだ時に自分よりもショックの大きいまどかに対して、ほむらが放った言葉の数々。
 ましてや今目の前に居るゼブラは子供のころからトリコと寝食を共にしている存在のはずなのに、その態度はあまりにも傍若無人であり、自分のことしか考えていないゼブラに対して血液が沸騰する感覚を杏子は覚えた。

 ユラユラとよろけるように左右に揺らめくと同時に攻撃を開始する。
 足の親指に力を込めて大地を蹴り飛ばすイメージで駆け抜けると右往左往に飛び回って、円を描いた状態で少しずつゼブラとの距離を縮めていく。
 駆け抜けるたびに思い出すのは魔法少女時代の実戦の感覚。
 大地を蹴り上げるたびに失われていた鋭利な感覚が少しずつ戻っていくのを感じ、攻撃のチャンスをうかがっていたが、ゼブラとの距離が縮まるたびにその圧倒的な戦闘力を肌で感じる。

 身長255センチ、体重310キログラムとトリコ以上に恵まれた体格を持ち、その上声と言う特殊能力まで備わっている。
 トリコのグルメ細胞の移植により、自分の身体能力は魔法少女時代のそれと変わらないと言ってもいいぐらい驚異的な向上を見せた。
 幻惑の魔法が使えないと言うのが唯一のデメリットではあるが、家族に心中されてからは自分自身の手で封印して、それからは魔法による身体能力の向上のみで戦っていたので、この辺りのデメリットはあってないような物。
 いつだってガムシャラにやってきた負けん気と怒りだけを武器に戦ってきた。
 そしてこの世界での本格的な自分一人での初陣もまた怒りを最大のモチベーションとして戦う相手。

 ゼブラを中央に置いて完全に円を描いた状態で囲むと、杏子の姿は幾多もの残像となって槍を突き出して、少しずつ円を狭めていきゼブラを追い込む。
 普通ならば圧倒的に絶望的な状況ではあるが、ゼブラは相変わらず退屈そうにあくびを繰り返しながら小指で耳をほじり、耳に付いた垢を息で吹き飛ばす。

 ――舐めやがって……

 この挑発的な態度に杏子の脳内から冷静な思考を失わせた。
 それまでのペースを無視して一気に円を詰めると、槍を突き出せば相手を貫ける距離にまで体を持って行き、一気に勝負を付けようとする。

「動きからして、まだ体が経験に追いついてないとみたな……」

 それまでまともに存在さえも知らなかった杏子のことをゼブラは一瞬で見抜き、戦闘力の算段が終わると一言つぶやくように言う。

「アンコとか言ったな。テメェに一つ自然界の定説って奴を教えてやるよ」

 言った瞬間にゼブラの脳内に思い浮かべるのはかつて絶滅させた種族の一つ。
 自分を中心に置いて、全方向を囲んで数で攻める戦法を取っていたが、その害虫たちもゼブラは特に苦戦することなく絶滅に追い込み、何度も経験してきたことから彼の中で一つ定説が出来上がった。

「強い奴を中心に弱い奴が回るように出来てんのさ」

 吐き捨てるように言うゼブラに対して、杏子の中に残っていた最後の理性が消えて無くなる。
 額に血管を浮かべ、憎しみの視線をゼブラにぶつけると幾多の残像をまとったまま、飛び上がってゼブラに対して槍を突き出す。

「ほざいてんじゃねえ!」

 狙うのは筋骨隆々のゼブラでも唯一筋肉で覆われてない部分の顔面。
 その中でもむき出しになっている臓器である眼球を狙って、槍が突き出されていく。
 穂先が眼球に近づき、視界が穂先だけに覆われてもゼブラは動じることなく、その場から一歩も動かないでいた。

 ここから杏子は次の瞬間には獲物を刺す手応えを感じるだろうと思っていたが、次の瞬間手を襲った衝撃は槍で眼球を貫く柔らかな感触ではなかった。
 まるで壁に向かって攻撃を放ったような感覚に戸惑っていたが、目の前に現れた巨大な拳に戸惑いは消えてなくなる。
 杏子は瞬時に両手を交差して顔面を守る形態を取るが、それは空しい抵抗策であり、ゼブラの右ストレートによって杏子は体ごと後方へと持っていかれて吹っ飛んで行く。
 ゼブラの攻撃によって足場が平原は足場が悪くなっていて、泥のように柔らかくなった地面の上を杏子は転がっていき、その体はあっという間に泥だらけになった。

「かっかっか、いい化粧が仕上がったじゃねぇか」

 笑いながら皮肉を言うゼブラを杏子はすぐに立ち上がって睨みつけるが、ゼブラの前方に現れた変化に気付くとその姿をじっくりと見つめる。
 泥は前方にも勢いよく放たれたため、ゼブラの体も泥塗れになっていると思ったが、その体には一滴も泥はかかっていなかった。
 ゼブラの前方には長方形の壁が出来上がっていて、ゼブラの代わりに謎の壁が泥まみれになっていたが、壁は時間と共に消えてなくなり、泥は力なく地面へと落ちる。

(あれが『音壁』か……)

 事前にゼブラの情報に関して予習はしていた鉄平だが、間近で見るその高度な能力に関心の色を隠せないでいた。
 声を自在に操れる能力は攻撃だけではなく、防御にも使用することが出来て、その防御の声の能力の一つが今杏子に対して放った『音壁』
 自分の好きなタイミングで自在に音で構成された壁を作り上げて相手の攻撃を遮断する。言うならば自由自在に出したい時に出せる盾のような物。
 やはり一筋縄ではいかない相手だと分かると、鉄平は自分で自分の頬を叩いて気合を入れ直し、来るべき戦いに向けてモチベーションを高めた。

 杏子は自分が完全に負けると踏んでいる鉄平に腹が立つ部分もあったが、今戦っている相手はゼブラ。
 立ち上がって足で軽く地面を蹴り上げると、まだ自分に戦う力が残っていることが分かり、改めて槍をゼブラに向かって突き出す。

「ほう、まだ闘志は失われてなかったか……」

 ゼブラの脳内であったのは手加減したパンチに対して、圧倒的な戦力差を思い知らされた杏子が逃げるさまであったが、相変わらず自分に対して憎しみの目線をぶつける杏子に感心する部分を持ったゼブラはコンタクトを取ろうとする。

「てっきり自分のデカさも弁えないで、イキがってるだけの雑魚だと思っていたが、その分じゃ勝てないと分かっていても、オレに勝負を挑んだとみたな。一つ聞かせろ、何でそんな真似をした?」

 顔に拭った泥を袖で拭きながら杏子は槍を突き出して、少しずつ前へと歩んでいき、ポツポツと語り出す。

「さっきも言った通りだ。友達が死んでも葬式にも来ない薄情者に一発制裁の一撃を食らわさなきゃ気が済まないだけだ!」
「詭弁だな。お前はトリコを死んだ事実を盾にして、新しく手に入れた力をオレを相手にして試したいだけだろ?」

 ゼブラの発言はどこかで杏子自身も感じていた事実なのかもしれない。
 だがそれを敵に言われても火に油を注ぐような物。
 足の親指に力を込めて泥の地面を蹴り上げると、後方に勢いよく泥を撒き散らせながら前方に槍を突き立ててゼブラに目がけて突っ込んでいく。

 感情的になっているため、先程よりも攻撃が直線的になってしまい、狙う箇所も先程と同じ眼球になってしまって、一流の実力を持ったゼブラからすればこの攻撃は既に見切っていて、手のひらを顔面に差し出すと軽く払って穂先を地面に突き刺す。
 無防備になった杏子の腹部に襲いかかったのは巨大な拳でのボディブロー。
 ゼブラの拳は腹部だけに収まる物ではなく、胸全体でパンチを食らってしまうと杏子の体はくの字に折れ曲がって、口から血を噴き出すと重力に負けて、その場に落下する。

「雑魚がチョーシに乗ってんじゃねーぞ!」

 自惚れている杏子が気に入らなかったのか、ゼブラはゴミでも払いのけるかのように足で軽く杏子の体を蹴飛ばすと後方へと追いやる。
 顔から泥を全身にかぶったのを見届けると、杏子との戦いはこれで終わったと思い、鉄平の方を向いて次の喧嘩へと赴こうとするが、その耳は捉えていた。

 自分に対しての憎しみの息づかい、一流の水準を持った殺気と言う物を。
 振り返って見るとそこには全身が泥だらけになりながらも、未だに自分に対して強い怒りの感情を持った杏子が血を吐き出しながらも槍を構え直して戦いを挑もうとしていた。
 先程放ったボディブローで臓器にまでダメージが及ぶレベルの致命傷を負ったはずなのに、その目は闘志を失っておらず、槍を持つ手に力を込めて、くの字に折れ曲がりそうになっている足に力を込めて、しっかりと大地を踏みしめていた。

 そしてその後方には普段自分が何気なく発するグルメ細胞の実体化した姿の化身が見えた。
 白銀の体に陣羽織を着込み、巨大な槍を持った夜叉は自分に対して同じく敵意を向けていて、その姿はトリコと杏子の力が入り混じったようにも見えた。
 見たところ、まだグルメ細胞を移植して間もないにも関わらず、ここまで力を引き出せることに興味を持ったゼブラは振り返って再び杏子の相手をしだす。
 その口元には軽やかな笑みが浮かびあがっていた。

「何がおかしい!?」

 ゼブラの態度が気に入らず、杏子は満身創痍の状態ながらも叫んで威嚇をするが、ゼブラは構わずに歪んだ笑みを浮かべながら、肺に空気を貯め込みだす。

「いや何オレは膨大な戦闘経験から、呼吸音や細かな動きで大体の戦闘能力は察せられると思っていたんだがな。まさか細胞を移植したてのひよっ子がそこまでやれるとは思わなかったんでね……」

 その人を見下すような尊大な態度が気に入らない杏子は言葉を無視して、一気に距離を詰めよって槍を突き出していく。
 だが穂先が届く頃にはゼブラの充電は完了していて、肺一杯に溜まった空気を強靭な喉から放たれる声と共に発そうとしていた。

「雑魚と言った侘びだ。少しだけオレの実力の一片を見せてやる」

 そして放たれたのは声の弾丸の数々だった。
 ゼブラの叫びと共に大気中の空気が震えあがり、それまで穏やかに杏子を包んでいた空気は一つ一つが巨大な拳に変わって、全包囲から殴られている感覚に変わる。

 無茶苦茶な鈍い打撃の連打に杏子の脳内で思考がストップし、体全体が赤黒く腫れあがっていくが、それがどす黒い細胞の死滅にまで行くのに数秒とかからなかった。
 音による無数の打撃が止むと、空中で止まっていた杏子の体が重力に負けて地面へと落下する。白目を向いてトリコに買ってもらった槍もただの鉄塊となっていて、もはや武器としての用途が無い鉄塊が手から離れるのを見ると、ゼブラも鉄平も勝負がついたと判断をする。

「これが『サウンドバズーカ』だ。少しは勉強になっただろ? このじゃじゃ馬が!」
「オイ! 死んだ人間に対しての侮辱は許さないぞ、ゼブラ!」

 力なくその場に突っ伏している杏子に対して言い放つゼブラの態度に対して、鉄平はその顔に初めて怒りの表情を浮かべて、彼の元へと向かおうとするが、その場での違和感に気付くと、その足は止まる。

 杏子の指が動き、震えながらも槍を探してまだ戦う意思を見せていたからだ。
 ゼブラの性格から戦いを挑んだ相手に対して手加減をするとは思えない、今放ったサウンドバズーカも先程オメガフェンリルを滅ぼしたのと同威力のそれだと言うのも分かっている。

 だがそれでも新人以下の杏子が生きていることが信じられず、鉄平は歩みを止めると改めて二人の戦いの顛末を見届けようとする。
 ゼブラはポニーテールの根元を掴んで、杏子の体を持ち上げると自分と目線を合わせてコンタクトを取ろうとする。
 頭部の痛みと新鮮な空気に杏子は意識を取り戻し、変わらずゼブラに対して憎しみの目線をぶつけながら手を伸ばして戦闘意欲を見せようとする。

「フン、気持ちだけはお前一流の水準だよ。だが技術や体力が全く伴ってない。今は餌として小粒すぎるから見逃しておいてやる。だから……」

 ポニーテールから手を離すと同時に振りかぶったゼブラの右ストレートが杏子の顔面を射抜く。
 その衝撃は並の相手ならばパンチだけで顔面が消えて無くなるほどのレベルだが、杏子の顔面はその姿を保ったまま、はるか後方へと水切りの石のように吹っ飛んで行く。

「飯食って出直してこい!」

 その叫びはメッセージとなってはるか遠くの相手にも伝わる。『音弾』として、杏子に届けられた。
 鉄平は、はるか後方に大の字になって全身血だらけになって倒れている杏子が気がかりではあったが、今の自分の仕事はゼブラの確保。
 プロとして仕事に徹しようと心を鬼にしてゼブラと向かい合うが、冷静沈着をモットーとしている鉄平にしては珍しくその表情には怒りの色が見られ、胸ポケットに収められた様々な武器に手を伸ばし、準備万端の状態で一気に勝負を付けようとする。

「ほう。さっきまで、やたらクールを気取っていたくせに、急に熱くなったじゃねぇか」
「悪いが、目の前で女殴られて、冷静でいられるほど人間が出来てなくてな……」

 その啖呵と同時にゼブラは振り下ろしの右フックを鉄平に食らわし、鉄平はカウンターで左のアッパーカットをゼブラに食らわせようとする。
 だがその瞬間に鉄平の首元に凄まじい力がかかり、その体は後方へと追いやられ地面に落下した。
 何事かと思い鉄平が見上げた先には、オメガフェンリルの赤子を無事引き渡した与作がそこに居て、葉巻樹の煙を吐くと最後まで吸いきった葉巻樹は灰となって消え、一服を終えると与作はゼブラと向かい合う。

「師匠? 一体これは……」
「気が変わった。ゼブラの相手はワシがやろう、お前はあの元気なお嬢さんの治療に向かいな」

 相変わらずの気まぐれな与作に鉄平は呆然とするばかりであったが、与作は指の関節を鳴らし、肩の関節を回すと準備が万全なことをゼブラにアピールして、ゼブラもまた対戦相手が与作に変わったことを不満には思っておらず、戦いの合図を待っていた。

「ししょ~! ここはあれだけの啖呵を切ったオレの意思ってのも尊重してくださいよ~!」
「ならばそのルールを破ろう。ほれ結構危険な状態じゃぞ。あのお嬢さん」

 与作の信念である『ルールを破る』と言う言葉を聞いて、こうなった与作はもう止めることが出来ないと判断した鉄平は杏子の治療にあたろうと彼女の元へと向かった。
 ゼブラは新しい対戦相手である与作に対して不敵な笑みを浮かべる。
 その戦闘能力が高い物は分かっていて、久しぶりにまともな喧嘩が出来ることに喜びの笑みを隠せないでいた。

「さぁて四天王ゼブラ、どこまでのそれか見極めさせてもらうぞ」

 与作の言う『四天王』と言う言葉にゼブラは先程までの笑みが消え失せ、額に血管を浮かべながら一気に拳を振り下ろして強引に決戦のゴングを鳴らす。

「もう四人じゃねーんだよ!」

 その憎しみと怒りに満ちた目と共に振り下ろされる拳がどこまで自分に通用するのか、与作は不敵な笑みを崩さないまま組んでいた腕を解いて、ゼブラの相手をしだす。
 喧嘩の相手に飢えているのはゼブラだけではない、自分もまた再生ばかりで溜まったフラストレーションを発散させようと拳を振り上げて相手をする。
 喧嘩に飢えた者同士の決戦が今ここに始まった。




 ***




 一般人から見れば死体とも思われる杏子の姿だったが、ボロボロの状態になっていながらも息だけはしっかりとしていて、体も小刻みに震えていることから、簡単な治療と栄養剤の投与で十分な回復は出来るだろうと鉄平は踏んでいた。

 胸ポケットの中の栄養剤を調合して、杏子の口を開けて飲ませる。
 思った通り喉を通って胃に到達して、栄養剤が杏子の中で栄養に変わった瞬間にどす黒く変色した肌は元の瑞々しさを取り戻していき、血も止まって傷口も閉じていく。
 完全な回復とまではいかないが、十分に回復が見込まれたと判断すると鉄平は杏子の頬を軽く叩いて、彼女を起こそうとする。

 頬に走る痛みから杏子は意識を取り戻すと、目の前に居た相手をゼブラとだぶらせてしまい、顔面に向かって右ストレートを放とうとするが、鉄平は特に慌てることなく鉄と同じ硬さの石『鉄鉱石』を突き出して、顔面を守る。
 右手の中に収められた鉄鉱石は杏子のパンチで粉々に砕かれ、砂となって消えていく。
 その様子を見た鉄平はヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべながら対応をする。

「ハハ、凄いパンチだね。お嬢さん」

 その声で杏子は冷静になって辺りを見回す。
 自分たちのはるか前方ではゼブラと与作が戦っていたが、与作のバンダナの下からは真新しい鮮血が流れていて、一見与作が不利なようにも見えたが、それで火が点いたのか一気にゼブラを追い込もうと攻撃の連打を繰り返していて、勝負は決そうとしていた。

 その様子を見て、もう自分が入り込む余地などないと踏んだ杏子は歯がゆそうな顔を浮かべていたが、自分の耳元に音弾が届き、何度もエコーがかかったかのような叫びが耳元で連呼させられることが我慢できず、杏子は耳を塞ぎうずくまって少しでもゼブラの音弾を聞かないようにしていた。

「気持ちは分からないでもないがな。お嬢さん、この忠告は素直に耳を傾けた方がいいぜ。君はビギナーなんだから、まずは自分に見合った食材を食べて少しずつ細胞のレベルアップをだな……」
「黙れ!」

 鉄平の意見はもっともな正論ではあるのだが、ゼブラとの喧嘩に負けて頭に血が上りきっている杏子に対しては火に油を注ぐような物であり、再び鉄平に対して右ストレートを放つ。
 だが鉄平は冷静に手の中に何かを持った状態でパンチを受けとめようとしていた。
 どうせ先程と同じ鉄鉱石だと思った杏子は、また砂に変えてやろうと構うことなく、そのまま手の中にパンチを放つ。

(何だこのヌメっとした嫌な感覚は……)

 パンチを放ち右手に伝わる鉄鉱石とは違った感覚に杏子は本能的に恐怖を感じる。
 恐る恐る右手をどけると、そこにあったのは鉄鉱石ではなくどす黒い何かだった。
 知りたくないと言う想いもあったが、知らずに終えると言う恐怖の方が強く、杏子は鉄平に物の正体を聞く。

「何だこりゃ?」
「オメガフェンリルのう○こだ」
「ぎゃああああああああああああああああああ!」

 まるで腹を槍で貫いた時に発せられる悲痛な叫びが杏子の口から出される。
 慌てて杏子は尻ポケットに入れていたハンカチを取り出して、拳を拭うがそれだけでは覆いきれずに鉄平の服で付着した物体を除こうと彼の元へと向かう。
 杏子に対して鉄平は自分のハンカチを恵んであげると、杏子は無我夢中になって自分の拳を拭くことに集中していた。
 一応付着物が取り除かれたのを見ると、杏子はショックで涙目になりながらも鉄平に抗議をしだす。

「アホかテメェは!? そんなもん触って汚いと思わねぇのか!?」
「オレは再生屋だから別にう○こは平気だ。こう言うのを見て猛獣の健康状態を把握しなければいけないからな。と言うより、う○こを汚いと思うその心が汚いって話だろうが!」

 大人として説教しようとしている鉄平だったが、その姿は今の杏子には神経を逆なでするだけであり、また殴りかかったら同じ目に合うと踏んだ杏子は言葉で論破しようと、舌戦に持ち込もうとする。

「それにしたって手掴みするのはどう考えてもおかしいだろ! 大人なら常識って物を持てよ!」
「ルールを破らなければ、凝り固まった常識を打ち崩さなければ見えない世界がある!」
「そう言う意味じゃねぇ……」

 自分の師匠の名言を完全に履き違えた使い方をしている鉄平に反論しようとした瞬間、杏子の首元に刺さるような痛みが襲う。
 痛みは首元から全身に行き渡ると、まるで体の全てが機能を停止するかのような感覚を覚え、抵抗する間もなく杏子の意識はブラックアウトしていき、その場に前のめりに倒れ込んだ。

 鉄平が杏子の首元を見ると紫色の注射器が刺さっていた。
 と言っても注射器は市販の物ではなく、それ自体が毒で構成された代物であり、時間と共に消えて無くなる。
 こんなことを出来るのは一人しかいないと鉄平が見た先には、ターバンに黒タイツ姿の青年が居て、ココは荒い息を整えながら杏子の確保に成功したことに安心し、彼女の首根っこを掴むとその場を後にしようとする。

「やはり四天王ココか……自分たちのお仲間との別れの挨拶しなくていいのかい?」
「君は……ノッキングマスター次郎の血を引き、自身も優秀な再生屋として知られる鉄平か……」

 早くその場を去って、勝手な行動を取った杏子に対して説教をしてやりたいココだが、鉄平に呼び止められて、多少うっとおしいと思いながらも、彼の相手をしだす。

「別れの挨拶と言うのはゼブラのことかな?」
「そうだ。奴さんの犯した罪は重い、ハニープリズン行きが妥当だろうよ、もう日の目を見ることは無いから、今の内に別れの挨拶でも……」
「その必要はないぞ」

 二人の話の間に割って入ったのはゼブラのノッキングを終えた与作。
 額から血を流していて、応急処置でいつも巻いているバンダナをきつ目に巻いて血を止めていて、痛々しいながらもその顔は充実感に満ちていた。

「コイツの場合トリコと違って永遠の別れでもないだろうよ。1、2年したらひょっこり顔を出すだろうよ」
「ししょ~、それは致死率100%のハニープリズンに対して失礼ですよ~」
「ボクもそう思います」

 軽率な与作の発言に鉄平は苦言を呈すが、ココも同じようにゼブラがその程度で死ぬはずないと踏んでいて、信頼と受け止めていいのか分からない微妙な発言に鉄平は困った顔を浮かべてしまう。

「ゼブラはハニープリズンぐらいじゃ止められませんよ。それにボクの占いでは……」

 言いかけたがココは杏子に対しての説教を優先しようと、彼女を引きずったままその場を後にして二人に対して軽く手を振って爽やかに立ち去って行った。
 その優雅な姿に初めて出会う鉄平も彼に対して見習うべき部分が多く感心してしまう。

「クールだな……」
「ああ、初見の女の子に対して、う○こ突き付ける似非クールのお前とは大違いだ」

 自分と杏子のやり取りを与作が見ていたかと思うと、鉄平は情けない気持ちになってうなだれてしまうが、そんな彼に与作が突き付けたのはノッキングを済ませたゼブラだった。
 久しぶりに満足がいく喧嘩が出来たことに上機嫌な与作は鼻歌交じりでその場を後にするが、310キログラムの肉塊を押しつけられた鉄平は重みに苦しみながらも、その後を付いていく。
 こうして幾多の激闘が繰り広げられたキング平原での騒動は幕を下ろし、そこには誰も居なくなった。
 ただただ静寂だけが泥の海と化した平原を覆っていた。




 ***




 グルメホスピタルの病室に戻されると、目を覚ました杏子はココから地べたに正座をさせられて説教を受けていた。
 勝手な行動を取り、いきなりゼブラに挑んだ無茶をしかり、杏子が無事だと分かって帰って行ったサニーとリンも物凄く心配していたことを伝えられ、杏子は何も言い返すことが出来ず黙って説教を受けていた。

 跳ねっ返りで人の言うことをまともに聞かない杏子ではあるが、正論に対して噛みつくほど愚かでは無い。
 それに何よりゼブラに手も足も出なかったことから、少なからず自分が思いあがっていたことを思い知らされ、噛みつくだけの元気が持てないでいたからだ。
 その様子を見てココも杏子が反省していると踏んだのか、正座を解除させるように命じると自分がトリコから預かった封筒を杏子に向かって見せる。

「何だよこれ?」
「遺言書さ。ボクに対してお願いしてもらいたい事がある。読むんだ」

 促されると杏子は遺言書を開いて読む。
 そこにはもし杏子がグルメ細胞の移植に成功し、美食屋としての道を歩むのならば、しばらくの間教師役を頼まれたいと言う簡素な内容の文章が書かれていた。
 確かにココならばトリコを除けば物を教えると言うのには一番適した存在。
 だがここでもまた魔法少女時代のトラウマが足踏みさせてしまう。
 優しく穏やかなココはマミを連想させる部分もあり、また自分はワガママで傷つけてしまうのではないのかと思うところがあり、すぐに彼と寝食を共にすることに了承することが出来なかった。

「とにかく君が身の振り方を決めるのは自分の特性と言うのを身に付けてからだ。それが分からない内から勝負を挑むなんて無茶にも……」

 黙りこくってしまった杏子を見て、変な間が出来上がってしまったことから、ココはつい口うるさくなってしまう。
 自分を心配してくれてのそれだとは分かってはいるが、今の杏子にそれに応えるだけの懐の深さは持ち合わせておらず、軽く地団駄を踏んで怒りを露わにする。

「分かってるよ! そんなこと!」

 瞬間、ホスピタル全体が揺れる感覚を覚えた。
 地震が起こったのか、それとも大型の猛獣でも現れたのかと二人は思ったが、震源の中心は杏子が地団駄を踏んだ地面であり、コンクリートの地面は勢いよく地割れを起こし、先程まで体を支えていた地面は瓦礫と化して一階へと落下していき、杏子は瓦礫ともども一階のハンバーガーショップへと落下していく。

「い、いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

 店員は突然の来客に戸惑いながらも、杏子に注文を聞く。
 辺りを見回すと瓦礫の撤去も他の店員が行っていて、その手際の良さに驚かされるが、せっかく来たのだからと杏子は注文をする。

「チーズバーガーセット一つ」
「チーズバーガーは後!」

 そこに階段を下りてココが入ってきて、止めるとこの惨状と泥の地面でも普通に駆けあがれる杏子の状態を見て、トリコのグルメ細胞が彼女に与えた特性を理解し、それを杏子に告げようとする。

「分かったぞアンコちゃん。君の特性、それはずばり脚力だ!」
「脚力だ!? また微妙な能力だなオイ!」

 ベテランのココが言うことなのだから間違いないとは思うのだが、自分一人ではこの能力をフルに使いきれる自信は無かった。
 考えて見ればトリコも四人の中では決して恵まれた能力とは呼べない物。
 能力を生かすも殺すも本人次第、これから先美食屋としてやっていくためにも、まずは決意表明をしようと杏子は立ち上がって、ココに向かって自分の内なる想いを語り出す。

「ココ、アタシはな。自分のために美食屋の道を選ぶと言ったが、本当のところは後二つの理由があるんだ」
「話してみて」

 言ってから言いよどんだのをココは見逃さず、促すと杏子はおずおずと気持ちを落ち着けながら話し出す。

「一つはさやかのため。アイツは絶望しか知らないまま、この世を去ったんだ。アタシに出来ることと言ったら食い物を用意することぐらいだからな。少しでもアイツには笑ってもらいたい。そしてもう一つは怒られるかもしれないけど聞いてくれるか?」
「大丈夫」

 ココの言葉に安心したのか、杏子は最後の理由を語り出す。

「最後の理由はトリコのためだ。アイツのフルコースの話はよく聞かされたよ、この世の食い物の頂点『GOD』の話もな。メインディッシュにそれを入れることをトリコは本当に嬉しそうに話していた。だがアイツは志半ばでこの世を去っちまった」
「ああGODを分け与える者が得ることが、トリコの望みでもあったからな。その辺りはボクも念を押されてお願いされたよ」
「だからなアタシもその争奪戦に参加したいんだ。当然分け与える者としてな!」

 美食屋としてスタートラインにも立っていない杏子がそんな発言をするとは思えず、ココは一瞬驚いた顔を見せるが、その目は真剣な物であり、彼女の言葉の続きを待つ。

「飯が原因で戦争なんて起こっちゃ絶対にいけねぇ。そんなのアタシが許さない! だったらアタシがGODを得て、分け与えてやる。その為なら泥だってすすって生き延びてやるよ! だから……」

 自分の特性を知り、先程までのウジウジした気分が吹き飛んだのもある。
 決めれる内に一気に決めてしまおうと感情に任せた部分もある。
 だが何にせよ今の自分に必要なのは優秀な教師だと言うのは頭では理解していること。
 杏子はココに向かって頭を下げると同時に、その手を取って勇気を振り絞って叫ぶ。

「頼むココ、アタシを強くしてくれ! もう誰にも負けたくないんだ! ゼブラにも! アタシ自身にもな!」

 杏子の性格を考えればこれだけでも相当に勇気が居ることが分かった。
 まずは一歩大人に前進した杏子を見届けると、ココは彼女の肩を軽く叩いて顔を上げさせるように無言のアピールをする。
 杏子が顔を上げたのを見るとココは軽やかな笑みを浮かべながら語り出す。

「分かった。だが君を強くしてくれと言う願いは叶えられない。なぜならボクも君と一緒に強くならなくてはいけないからな」
「何をひねたことをそこは素直にOKを出せよな」

 そう言ってどこか小馬鹿にしたよな顔を浮かべるのはいつもの杏子だった。
 ようやくらしさが取り戻されたのを見ると、これからに付いて話し合おうとココは適当に空いている席に腰かけるが、その時杏子が注文していたチーズバーガーセットが届き、杏子は食べだす。

「まぁ泥をすするとは言ったが、まずはチーズバーガー食べるけどね」

 そう言って用意されたチーズバーガーをポテトとバニラシェイクと一緒に食べだす杏子を見て、ココはシリアスな空気が台無しになってしまったと顔を覆って嘆く。

「あ、ここの勘定お願い。アタシの小遣い、キング平原までの交通費で全部空になったから」
「その上払わせるの!?」

 この辺りの部分は間違いなくトリコの影響なのだろうかと思いつつ、ココは軽くため息をついた。
 まずはマナーや礼節に関して教えなくてはいけないと思っていたから。





本日の食材

オメガフェンリル 捕獲レベル46

キング平原の主として君臨していた。凶暴で巨大な狼。
肉は食用に向かず、毛皮も産業品としての価値は無いが、高い繁殖能力を持っていて、その遺伝子は繁殖能力の低い絶滅種と組み合わせることで、絶滅した種が復活する希望となっていて、IGOが研究に力を入れている猛獣





またまた間が空いて申し訳ありません。色々とプライベートでバタバタしていた部分が多くて……
今回はゼブラとの決戦と杏子がグルメ細胞移植によって得た特性の話です。
杏子の特性を脚力にしては出来る限り、魔法少女時代と同じ戦い方をさせたいと言うのがあり、それだったらスピードキャラの印象が杏子は強いので脚力にしました。
次回はココとの共同生活と修業の日々を書きたいと思っています。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ19 美食屋としての入口
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:862977af
Date: 2013/05/11 23:46





 グルメフォーチュンの外れにある。断崖絶壁の小高い丘の上にある簡素な岩造りの家。
 杏子はスイーツハウスからスポーツバッグに簡素な荷物を詰めて、ココの家へと引っ越しの準備を終えていて、二人はキッスの散歩が終わるまで遥か遠方にある家をジッと見つめながらこれからのことを話し合おうとしていた。

「まず君の部屋に付いてだが……」
「毛布でも用意しくれれば隣にある薬物庫で十分だ」
「話を最後まで聞きなさい、用意してはいるが少し特殊な環境だから気をつけなさいと言うことだよ」

 ココの言う『少し特殊な環境』と言う言葉に杏子は引っかかる物を感じた。
 この世界では一切自分の常識は通用せず、魔法少女として非常識な毎日を過ごしてきた自分でも驚かされたり、呆れさせたりする物ばかりである。
 トリコほどではないがココもまた一般人に比べると常識的な物がずれているのは事実。
 妙なところを用意されてないことを祈るばかりであった杏子だったが、キッスの姿が見え自分たちの元に降り立つと、ココはキッスの喉元を撫でその背中に乗ろうとするが、杏子がそれを手で制する。

「どうしたんだい?」

 ココの疑問もろくに聞かず、杏子はキッスの羽に顔をうずめると頬ずりして、その温かさと毛並みの良さを体全体で味わう。

「久しぶりだなキッス。手入れはバッチリしているみたいだなココ、モフモフしていて気持ちいいぜ」

 そう言いながらキッスの羽の中で頬ずりする杏子は年相応の少女らしい無邪気な笑顔を浮かべていた。
 杏子の優しげな笑顔を見て、ココの中で安堵感が生まれる。
 目の前にいるこの少女は決して戦うことしか出来ないすれた存在ではない。
 大人の手によって正しい道に導くことが出来ると判断したココは、トリコに託された仕事を託そうと杏子にキッスとのスキンシップを制させると、背に乗せて自分たちの家へと向かった。
 各々やるべきことをやるために。




 ***




 ココの手で出迎えられると杏子は手狭で壁一面に漢方薬の瓶が並べられた室内へと入る。
 一回しか来たことの無い部屋だが、それまで見たことの無い真新しいドアがあることに杏子は気付くが同時に違和感も覚える。
 増築をしたにしては外側からは全くその様子は分からず、前と同じようにこじんまりとした造りの家であった。
 自分がただ単に家に対しての造詣が無いだけないかもしれないと思って、ココがドアを開けるように手で促しているのを見ると、勢いよくドアを開けて持っていたスポーツバッグを放り投げようとするが、室内を見て愕然とした顔を浮かべる。
 六畳一間ほどの大きさの部屋には備え付けの家具として、洋服ダンス、テレビ、勉強用の机とベッドが用意されていたが、問題はそれらが置かれている空間。
 まるで宇宙空間にでも放り込まれたかのように真っ暗な闇で室内は覆われていて、まるで異次元にでも放り込まれたような感覚を感じたからだ。

 この妙な部屋の正体を聞こうとココの方を見ると、ココはこの事態を分かっていたのか絵付きのフリップを用意して説明をしようとしていた。
 この空間の正体は食料さえあればいくらでも体を大きくすることが出来るモグラ『亜空間モグラ』の胃袋を加工して作られた物。
 その大きさは亜空間モグラの大きさによって異なり、最小でもスーツケース並みの大きさ、最大なら小型のシェルター並みの大きさの空間を作り出し、全く場所を取ることなく荷物を収納することが出来る空間を作り出すことが出来ると説明を受けた。

(ほむらの奴の盾みたいだな……)

 デタラメな魔法の力が普通に一般社会に順応していることに杏子は呆れながらも、用意してくれた部屋の中に入る。テレビを点ければ普通に電源が入り、ニュース番組が流れていて、勉強机を開けてみるとノッキングのための参考書が多数用意されていてココの準備の良さには驚かされるばかりでありながらも、ドアを閉めると用意した着替えを洋服ダンスを手際よく入れていく。

「他にも欲しい物があったら遠慮なく言ってほしい」

 ドアの向こうからココの声が響く。
 この辺りの配慮と言う物はトリコには無い物なので新鮮味を感じながらも、杏子は早速リクエストをする。

「じゃあ壁紙を頼むわ。亜空間の中で寝るのは今一つ落ち着かない」

 もっともな意見を言われるとココは一言「分かった」とだけ言って、早速出かけてキッスの背中に乗って街へ壁紙を買いに行った。
 ココの性格を考えれば、本格的な修業は今日ではなく明日からになりそうだし、四天王の中で彼は一番良識的な性格。
 少なくとも自分のフラストレーションが溜まるような行動は起こさないだろうと思い、着替えを洋服ダンスに詰め終えると、杏子はベッドに寝転がって眠りに付こうとしていた。
 その中でも思い返すのはゼブラへの復讐。
 自分に屈辱を味あわせたゼブラへのリベンジマッチを誓いながら、この日は眠りに落ちた。




 ***




 朝、杏子は枕元に置かれた目覚まし時計の音で目を覚ました。
 時刻を見ると午前6時、魔法少女時代は昼間で惰眠を貪っていることも少なくは無かったが、家にいた頃はこれぐらいに起きるのが当たり前だった。
 これから修業の日々を送るのだから気合を入れ直そうと顔を軽く平手で叩くとパジャマから、ココが用意してくれたジャージに着替えリボンで頭頂部を結んでポニーテールを作り上げると部屋から出る。

 既にココは家から出ているようであり、家の外からは何度もキッスが自分を呼んでいる鳴き声が聞こえた。
 キッスをいつまでも待たせるわけにはいかないと思った杏子はドアを開けると同時に見下ろしてココが居るのを確認すると、そこから一気に飛び降りる。
 Gがかかる感触が心地いい、この辺りの無茶な移動は魔法少女の時以来経験していないので、懐かしさと同時に獰猛な感情も蘇ってくる。
 落ちていく最中にも思っているのがゼブラに対しての怒りだったが、それは自分の隣で同じように垂直に落ちてくるキッスの心配そうな眼差しで消えて無くなった。

「心配するな。ココに対して怒ってるわけじゃな……っと」

 階段を踏み外すのを堪えるかの調子で杏子は地面に着地し、靴に付いた埃を手で軽く払いのける。
 杏子が到着したのを見ると既に柔軟体操を終えたココは音楽プレイヤーのスイッチを押して、スピーカーからラジオ体操の音楽が流れる。

「まずは柔軟体操からだよ。こう言った事前の準備をしっかりしないと怪我に繋がるからね」

 ココの意見はもっともなのだが、杏子としては拍子抜けした気分でもあった。
 もっと漫画で見たような無茶苦茶な内容の修業を行うかと思ったのだが、意外にも自分が居た世界でのアスリートと左程変わらない内容のトレーニングに杏子は大丈夫なのかと不安に思う部分もあった。

 だが教師として指導してもらう以上、ココのやり方にケチを付けるつもりはない。
 尊大な態度を取っている分、目上の人間に対してはそれなりの敬意は表する方だと自分で思っている杏子は自分が居た世界と変わらないラジオ体操を終えると、次の指示を待つがココがその場に座るように手振りで合図をすると、おかしいと思いながらも杏子は地べたに座る。

 杏子が座ったのを見るとココが後ろから手で押し、杏子の上半身を地面に付けさせようとしていた。
 相撲で言うところの股割りだが、もう柔軟体操は終わったはずなのにまだこんなことをやるのかとさすがに疑問を感じ、その旨を杏子は目でココに訴えることにした。

「ああ、今のは早朝の柔軟体操、これから行うのは午前のトレーニングに向けての柔軟体操さ。朝食が始まる7時まで一時間みっちり行うからね」

 そう爽やかな笑顔を浮かべながら言うと、引き続きココは背中を押して股割りを続けた。
 股割りその物は苦痛ではない、柔軟さに関しては使っている武器が多方向に一気に相手を潰す三節棍型の槍と言うこともあって、その辺りの柔軟さは発想に付いていけるぐらいの体力は持ち合わせていた。
 それに柔軟体操の大切さと言うのも分かっている。格闘技によっては柔軟体操を一つのトレーニングとみなして、じっくり行う物もあり、体を柔らかくすることが強力な打撃を生み出すのも理解していた。

 だがそれはあくまで人間同士での戦いの場合。
 美食屋と言う仕事に就く以上、こんなグルメ細胞を行わなくても出来るようなトレーニングで大丈夫なのかと思いながらも、杏子はココの指示に従いながら柔軟体操を黙々とこなしていく。
 やっていく内に汗がにじみ出てきて、体が目覚めると同時に腹の鳴る音も響く。
 こんな時はやはりトリコのグルメ細胞を移植されたのだと否応にも杏子が感じていると、アラーム音が辺りに響いた。
 プレイヤーに付いていた時計を見るとちょうど一時間が経過していて、朝のトレーニングがこれで終わるとココはキッスの背に乗って手を杏子に向かって差し出す。

「次は朝食だ。まずは食べなければ何も始まらないからね」
「食うぜ。何でも……」

 その言葉は決意表明のような物。
 杏子の中で思い描かれていたのは健康や体力の向上のためだけに用意された薬膳料理のような物であり、どんな不味い物でもグルメ細胞のレベルアップのために食らってやると宣言する。
 不敵な笑みを浮かべている杏子に対して軽く笑いながらも、一行は瞬く間に家へと到着し中に入ってココが台所に立つと杏子はリビングで朝食を待ちながらも、テーブルの上に置かれた新聞に手を伸ばして読みだす。

 やはり未だにグルメ時代に大きな功績を残したトリコの死の影響は大きく、それを悲しむ声が多々聞かれる。
 考えてみればほんの数日前の出来事なのに、もう随分も前の出来事かのように杏子は感じていた。
 トリコが死んでからと言う物、ジェットコースターの如く色々なことがあった。
 さやかのことをトリコに任せてしまったこと、グルメ細胞の移植、ゼブラに手も足も出ずに一方的に殴られ続けたことと、この数日で一気に自分を取り巻く環境および自分自身は大きな変化を迎えたと思う。
 全てはトリコの死がきっかけであり、自分の中でトリコの存在は本当に大きな物だったと改めて思わされると同時にテーブルの上に食事が並べられた。

 中央に置かれたのは土鍋一杯に入った粥、周りに置かれたのは薬味が12個用意されていて、全方位埋め尽くされていた。
 だが薬味は決して食欲を奪われるような物ではなく、目にも鮮やかで自然と喉をよだれが飲み込む音が響く。
 自分の対面にココが座ると手を合わせ、食べる前の挨拶を行う。

「この世の全ての食材に感謝を込めて、いただきます」

 これはトリコと一緒に生活していた時から、ずっと言っていたことなので杏子も今では食べる前には言わなくては落ち着かなくなっていた。
 そしてこうすることでトリコを忘れないでいようと言うココの気持ちも汲み取り、杏子は用意された茶碗にお粥を入れると同時に薬味からひき肉の佃煮のような物をかけると恐る恐る食べだす。

「美味い……」

 どんな不味い物を食べさせられるのかと覚悟していた杏子に取って、今食べている肉の佃煮と粥はとても美味しく感じられ、箸は進む一方であった。
 肉の脂を落としたい時は野菜に箸を伸ばし、肉の脂とは違う味を味わいたい時は魚の煮付けに箸を伸ばし、気づいたら全方位の薬味は瞬く間に消えていき、最後に茶を飲むと一言作ってくれたココと食材に感謝の念を込めて「ごちそうさまでした」と杏子は手を合わせながら言う。

「いえ、お粗末さまでした。気に入ってくれたようで何よりだよアンコちゃん」

 同じようにお茶を飲みながらココは後片付けのために空になった食器を持って、再び台所に向かおうとしていて後片付けを始めるが、こんな調子で大丈夫なのかと杏子の不安は募る一方であった。
 だが今はココに頼るしか方法が無いことは分かっている。
 ベテランのトリコが託した存在に縋るしかないことも頭では分かっているのだが、一刻も早くゼブラへのリベンジマッチを果たしたい杏子に取っては無力感にさいなまれるばかりであった。
 せめて今のトレーニングを把握しようと洗い物を終えたココにこれからの予定を杏子は聞く。

「午前中はロードワークと後はボクが用意した機器でのトレーニングを行ってもらう。その後は昼食を行い、午後からは昼食が終わってから話すよ」

 話を聞くと杏子は軽くホッとした顔を浮かべた。
 ロードワークもそうだが、機器でのトレーニングと言うのがいかにもハードそうで拍子抜けすることはないだろうと思っていたからだ。
 すぐにでも午前のロードワークに向かおうと思っていたがココが手で制すると同時に、テーブルの上にタイマーが置かれるとココは椅子に座って静かに目を閉じた。

「食べた後に動き回るのはよくない。10分間は休憩と瞑想にあてるから、アンコちゃんも心を落ち着かせるように」

 言っていることは正論なので噛みつくことも出来ず、杏子は歯がゆい思いをしながらも言われた通りココと一緒に瞑想に励む。
 目を閉じて思い返すのはゼブラに対しての憎しみ。
 最早ゼブラはトリコを言い訳にしての対象ではない、自分自身が借りを返さなくてはいけない相手なのだと思いながら、杏子はゼブラへの復讐を心の中で誓いながら午前のトレーニングを待った。




 ***




 見上げた先にあるのは巨大なカラスの腹部。
 キッスに乗ったココは杏子の先導のため、空高く飛び上がっていて、杏子はその姿を追い続けていた。
 言われた通り午前中のトレーニングはロードワークなのだが、これもまた杏子の予想とは違い、拍子抜けする部分があった。
 てっきり舗装もろくにされてない山道を何度も何度も往復する物と思っていたが、意外にも平坦な起伏の無い平坦な山道をひたすら往復するだけの単調な内容の物であり、ロードワークと言うよりはダッシュの特訓に近い物を杏子は感じた。

 だがそれは脚力と言う特殊な能力を持っているからこそ、一般人で同じことをやればフルマラソン並みの距離を走っていることは分かっているため、何も言わずに杏子はキッスを追い続けていたが、息が乱れ出すとさすがに苛立ちを覚え出す。
 それは疲れから来る物ではない、単調な作業に苛立ちを感じていたから。
 こうなったら、もう一つのトレーニングメニューである機器を使ってのトレーニングに期待するしかないと思っていると、腕時計からアラーム音が聞こえる。
 ロードワークのトレーニングを終えるとココは口笛を吹いてキッスを地面に下ろし、上から撮影していた杏子の様子をビデオで確認しながらその様子を記帳する。
 データを取り終えるとココは再び杏子をキッスに乗せて、所定の場所まで戻っていく。
 一分もしない間にココが用意した次のトレーニング場所まで到着するが、機器と呼ばれるそれを見て杏子は愕然とした顔を浮かべた。

 そこにあるのは自分も魔法少女時代何度もゲームセンターで遊んだ体感ゲーム。
 ダンスを踊る要領で足元のパネルを踏んで得点を稼いでいくタイプのゲームが置かれていて、既に電源が入っているのを見ると、ココは杏子にプレイをするように手で指示を出す。

「さすがにこれはギャグで言ってんだろ? 一回だけなら許すから、次のトレーニングに行こうぜ……」

 額に血管を浮かび上がらせながら、ぎこちない笑顔を浮かべて杏子がこれがトレーニングと言うのが認めたくないと言う遠回しなアピールをココに送る。
 杏子に言われるとココは何かを思い出したかのように近くの茂みへと向かう。
 茂みの奥から再び現れた時ココの手には囚人が逃亡防止のために足に付けられる鉄球が付いた足かせがあり、それを杏子に足首に装着させると改めて体感ゲームに向かって手を伸ばし、やるように促す。

 足に装着させられた鉄球の重みに苛立ちながらも、これが本気なんだと分かってしまい、杏子はため息をつきながらも渋々体感ゲームの上に乗ってプレイをしだす。
 難易度の方は自分が魔法少女時代にやっていた物と変わらない上級クラスの物であったが、これも脚力の能力を身に付けた今となっては鉄球と言う足かせがあっても楽な物であり、動きづらいと言うことを除けば比較的楽に行える物であった。
 それでも鉄球の重みと動きの制限は時間がたつごとに苦痛となっていき、鎖が食い込む感覚に苦しめられていたが耐えられない程ではない。
 これが本当にトレーニングになるのかと杏子は思い、ココの方を見てこの後の予定を聞く。

「昼食の後は午後までずっと同じトレーニングを繰り返す。その後は夕食になって、後は体を休めることに専念するんだ。休息も立派なトレーニングだ」

 話を聞けば一般のアスリートと同じぐらい、場合によってはそれよりも程度の軽いトレーニングとしか思えず、杏子はただただ困惑することしか出来なかった。
 グルメ細胞を活性化させる一番の近道は、とにかく美味い食事を食べて細胞のレベルを上げる。

 だがそのためには屈強な猛獣に勝つだけの身体能力を身に付けなくてはいけない。
 一般人と同じ程度のトレーニングでそれが身に付くのかと杏子の不安は募る一方であった。
 しかし今は一つずつランクアップして早く次のトレーニングに向かわなければ、自分が望むべきことも与えてはもらえない。
 杏子が力強く最後のステップを踏むと、体感ゲームの画面にはパーフェクトの文字と派手な装飾が光り輝き、ココの拍手が鳴り響いた。




 ***




 昼食のサンドイッチの詰め合わせもとても美味しくいただき、杏子は午後のトレーニングを行うため、ココの後を付いて行ったが、その手には器具も何も持たれておらず、嫌な予感しか頭をよぎらなかった。
 げんなりとした顔を浮かべる杏子に構わず、ココは辺りを見回し猛獣の気配が無いのを感じると、周りに木が生い茂ってない適当な広さの草原に杏子を立たせるように誘導させると、大きく足を開かせて立たせる。

「それで午後のトレーニングは?」
「夕食の時間までここで立っているんだ」

 そう言うとココはその場を後にしようとするが、今までの中で一番意味が分からないトレーニングに杏子は完全に呆気に取られてしまう。
 まだ家族が居た頃、父親に罰として立たされたことは結構あり辛い思いもしたが、これがトレーニングになるとは思えず、キッスの背に乗って一足先に帰ろうとするココを必死になって呼び止める。

「ちょ……待て! さすがにこれは……」

 杏子は抗議の声を上げようとするが、あまりの事態に具体的にどう言っていいのか言葉に詰まってしまい、何も言えなくなってしまう。
 困り切っている杏子に対してココは一旦キッスから降りると胸元から一冊の短編小説を取り出し、杏子の手に持たせると彼女の目の前にカメラを設置して、ココは改めてキッスの背に乗って一足先に帰ろうとする。

「サボらないようにカメラを設置したし、その小説が読み終える頃には夕食も出来上がっているから、この辺りは猛獣も出ないし、時間になったら迎えに行くから」

 恐らく杏子が感じているであろう不安や疑問を全て簡素に答えると、ココはキッスに乗ってその場を去って行った。
 完全に本気なんだと否応にでも思いされてしまうと、杏子は諦めて渋々立ったまま時間が過ぎるのを待っていた。
 だが一時間も過ぎると退屈で頭がおかしくなりそうな感覚を覚え、仕方なく普段は全く読まない小説を開いて読む。

 しかしそれが失敗だったと思ったのは小説の内容を見たからだ。
 自分が全く興味の無い恋愛小説であり、こんな物をココは読んで楽しんでいるのかと思うと、げんなりとした気分になっていたが、今はこれぐらいしか時間をつぶせる物は無いので嫌々小説を読みだすが、誰と誰がくっついたかと言う内容の小説は杏子の興味を示す物ではなかった。

(明日はもうちょっとマシなの頼むことにしよう……)

 トレーニングはとにかく小説の内容ぐらいは選ばせてほしいと言う欲求から、杏子は取りあえず今ある小説を読み切ってしまおうと、時間を気にしながら小説を読みふけるが、普段は全く読まないので思っていた以上に文章を読むことにはかどらず、苛立ちだけが募る一方であった。
 小説を読むことばかりに気を取られていて、杏子は気付いていなかった自分の両足がしっかりと大地を踏みしめていることに。




 ***




 ココとの共同生活を開始してからひと月の時が流れた。
 初めの内は困惑させられるばかりの修業の日々だったが、今ではすっかり手慣れた物であり、自分なりに課題を作ってトレーニングを行う余裕さえ出来たほどだ。

 この日も一日の締めくくりにとずっと立っている午後のトレーニングを行っていて、リクエストから明瞭活発な冒険活劇物の小説を読みふけっていたが、これもまたひと月の間でスキルアップしてしまい、初めの内は読むのに丸二日かかった小説も今では四時間もあれば、一冊は読めるぐらいになった。
 ココがキッスに乗って迎えに来たのを見ると、杏子はビデオカメラのスイッチを切り、凝り固まった体をほぐして読み終えた小説を返す。

「今回のはまぁまぁだったな。さすがにこの手のタイプも飽きたから次はコメディ系の奴を頼む」

 そう言ってキッスの背に乗って今晩の夕食を楽しみにしている辺り、完全にトレーニングに飲まれているという雰囲気は無くなっていた。
 食事の方も米粒一つ残さず全て平らげているのを見て、ココは頃合いだろうと感じ一足先に杏子を家へと帰すと携帯電話を取り出して、電話をする。

「ああもしもしトムさん。お世話になっています、ココです」

 ココが電話をしたの相手はトリコがお世話になっている卸売りのトム。
 トリコとも強い信頼関係で結ばれていたトムは彼が亡くなった時には酷く落胆していたが、今は家族を養うためにも仕事をしっかりとこなし、色々なコネクトを築いて小型の卸売り業者ながらに捕獲レベルの高いレアな商品を入手出来る良質な業者として名を馳せていた。

 杏子が来てからは杏子に構っている時間の方が多く、自分のところに来ることが少なくなって嘆いていたが、久しぶりの四天王相手の電話が嬉しく、いつもよりもテンションが上がった状態でトムは接客をする。

「おお、ココさんか。久しぶりだね、仕事の依頼かい? どこへ船を出す?」

 話の早いトムに自然とココの口元は緩む。
 思えばその辺りはトリコの無茶ぶりに何度も応えてきたから柔軟なのだろう。
 早速ココは最近バロン諸島に現れた猛獣に付いて語り出す。

 それは捕獲レベル5の『火だるま熊』全身が火炎で覆われ、その外殻はアルマジロのように固い厄介な相手であり、このまま放置すればバロン諸島の生態系も狂わせるのではないかと思われる危険な相手であった。

 その火だるま熊の捕獲を杏子に任せたいとトムに伝えると、トムは一言「分かった」とだけ言って電話を切ろうとするが、会ったこともない杏子にデビュー戦にしては危険な相手に不安は無いのかとトムに聞こうとする。

「大丈夫さ、アンタも任せても大丈夫だと思ったから、オレに依頼をしたんだろ? それにオレはトリコとココさんが育てたアンコを信じている。四天王二人に育てられて、あのゼブラにも喧嘩を売った豪傑だろ。何とかなるって」

 笑いながらトムはあっけらかんとした調子で話し「じゃあな」と言って電話は切れた。
 電話を懐にしまうとココは安心した。トリコが死んで痛みもあったが、それでも絆は消えて無くなった訳ではない。
 トリコが与えてくれた絆に感謝しながらも、ココは杏子にこのことを伝えようと一人と一羽が待つ我が家へと帰っていく。
 杏子の勝利を信じながら。




 ***




 翌日、ココは杏子と共に世界の台所へと向かい、そこで待っていたトムに杏子のことを紹介する。
 杏子も名前だけではあるがトムのことは知っていた。二人は簡素な自己紹介を済ませると、早速船に乗ってバロン諸島へと向かおうとしたが、杏子は座ることなく船頭に立って読んでいる途中であったコメディ小説を読みだす。

 ぶっきらぼうかとも思われる行動だが、杏子の気持ちを考えればこれは仕方ないこと。
 今まで効果があるのか無いのか分からない微妙な内容のトレーニングしか行っておらず、その上デビュー戦が一人で倒せれば一級品とされる捕獲レベル5の猛獣。
 否応にも緊張はする物であった。

 だがそのトレーニングの成果は確実に出ていると言える。
 岩礁が多く狭いルートを激しく往復しながら動いているにも関わらず、杏子は小説を読みながら時折笑い声をもらしていて、完全に家にいる時と変わらない平常な状態であると言えた。
 心構えも身体能力もひと月前とは比べ物にならないぐらい成長しているのをトムは見届けると、拳を作ってココと拳を合わせてその功績を称えた。

「さすがだな。見事な教育を施しているぜ」

 褒め言葉に対してココは軽く「いやいや」と言って謙遜し、そろそろ目的地である陸地が見えようとすると、ココは杏子にツナギと新しく買った槍を手渡し、杏子は読んでいる途中の小説にしおりを挟んで返すと代わりにツナギと槍を受け取り、ツナギを着て槍を背中に背負うと戦闘準備が出来上がると同時に陸地へと到着し、二人は蒸し暑く湿気が多いバロン諸島へと乗りこむ。

 乗りこんだ瞬間に杏子の顔色が変わる。
 この辺りの緊張感は魔女の結界に入った時と同じような感覚であり、杏子はすぐさま背中に背負った槍を持って構える体勢を取る。
 トレーニングの結果、長距離走でも50メートル走並みのタイムを持続しながら走れるようになった杏子だが、その歩みは至ってゆっくりで一歩一歩踏みしめる物であった。
 今回の相手である火だるま熊のことについてはグルメディクショナリーで事前に調べておいたが、一筋縄で行く相手でないことは分かる。

 体全体は炎で覆われ、アルマジロのように丸まっての突進攻撃は装甲車をも難なく破壊するだけのパワーも持ち合わせている。
 突進のスピードも凄まじく、気づいた時には自分の体はノシイカになっていると聞く。
 だがその程度の相手も倒せなければGODの取得も、ゼブラへのリベンジマッチも夢のまた夢。

 自分は一人で幾多もの魔女を倒してきた。それに今はココも見守ってくれている。それに何より自分にはトリコのグルメ細胞が付いている。
 魔法の力は失われたが、それに匹敵するぐらいの力も武器も持っているつもりだ。
 魔女の戦闘力とグルメモンスターの戦闘力の比較は不可能だが、決して今まで自分がやってきたこと全てが無駄じゃないと思いながら歩みを進めていると、一気に空気が変わったのを感じる。

 辺りの木々は真っ赤に燃えあがりながら、無残になぎ倒されていて、辺りには食い散らかされた猛獣たちの死骸が散乱していた。
 その凄惨な光景の中央に君臨しているのは、助けを求めて叫び声を上げ続ける怪鳥の体に牙を突き立て、血をすすり肉を食らう炎で包まれた熊。
 怪鳥を全て食べ終えても火だるま熊の食欲は収まらず、杏子とココと言う新しい餌を見つけるとおたけびを上げて二人を食らおうとしていた。

 ココは杏子の戦いを見守ろうと一歩後ろに下がって様子を見ることにして、杏子は槍を突き立てて一気に勝負を付けようと距離を詰めよる。
 砂埃と共に前方に飛び上がって穂先を大きく開けられた口に突っ込もうとしたが、穂先が届く頃には火だるま熊は体を丸めて外殻に自らの急所を守らせた。
 体を丸めた火だるま熊の外殻は穂先を弾き返し、杏子の体は無防備な状態になる。
 その一瞬の隙を火だるま熊は見逃さなかった。自分の体を勢いよく回転させると火の粉を辺りに巻き散らせながら、杏子が地面に着地したと同時に杏子を目がけて突っ込んでいく。
 普通ならばここで逃げるのを選ぶが、杏子が取った行動は全く違う物であった。
 逆に火だるま熊に向かって突っ込んで走り出したのだ。

「よし! それでいい、そのまま行くんだ!」

 ココは杏子の判断が正解であることを示し、杏子の中にある不安感を消し去る。
 杏子は突っ込んでくる火だるま熊と自分の距離がドンドン近づいてくると、感覚がスローモーションになる感覚を覚える。
 集中力が極限にまで高まっているのを感じると、ずっと狙っていた部分に向かって槍を突き刺す。

 それは回転していても完全には守り切れていない頭部だった。
 回転でごまかしてはいるが、一瞬ではあるが弱点である頭部を前方に向かってさらしている瞬間があり、そこを狙って杏子は槍で貫く。
 見ると頬の部分をかすめて更に深く押せば口内にまで穂先が達するのを見ると、杏子はここが攻め時だと判断して一気に槍を押し込もうとするが、その瞬間に火だるま熊の体に変化が現れる。

 回転のために体全体を丸めた形態を解除して、爪を突き立てて直接杏子を食べようしていた。
 捕まった瞬間に自分の命は終わると判断した杏子は、持っていた槍を手放し空中に浮かびそうになった自分の体を地面へと戻す。
 魔法少女時代だった頃には考えられない行動だが、本能的に今は己の肉体を信じることが出来、右足を軸にして回転し左足でのバックスピンキックを無防備になっている火だるま熊のみぞおちへと決める。

 足が急所の一つであるみぞおちに深く決まるのを感じると、魔法少女時代にはなかった感覚を覚える。
 攻撃の全てを魔法による身体能力の強化で行い、槍での斬撃で決めた杏子に取って、自分の体だけでの近接攻撃で異形の物にダメージを与えるのは初めての体験。
 この攻撃は足腰がしっかりしていなければ何の意味も無い物だとは分かっているので、今までのトレーニングの数々が無駄ではなかったということが分かり、みぞおちの打撃に苦しみ後ずさりする火だるま熊を相手に勝負を付けようと距離を詰めよる。

「槍を返せ!」

 杏子の手は火だるま熊の頬に刺さったままの槍に伸ばされる。
 だがその瞬間に獲物の体に変化が現れる。
 頬が膨らんだと同時に肺一杯に貯め込んだ空気を吐き出すと同時に、噴き出たのは火炎放射の攻撃だった。
 自分に向かって放たれた炎と共に先程刺さった槍もこっちに向かって突っ込む。
 まるで怪獣映画のような攻撃に杏子の脳内は一瞬思考が止まってしまうが、ツナギに炎が燃え移るのを感じると熱さから緊張感が取り戻される。

 そしてその体が完全に炎で包まれると同時に槍がツナギを突き刺すのが炎越しでもココの目に映る。
 炎が止んだ時にはツナギは消し炭一つ残らない状態になってしまい、槍も炭に変わっていて地面に刺さっているままだったが、ココの顔に焦りの色は無かった。
 その視線は後方の木の上へと向けられていて、荒い息づかいで呼吸を整える杏子に向かって話しかける。

「これで分かったかな。今までのトレーニングの数々が決して思いつきでやっていたわけじゃないってことがね」
「悪いけどその件に関しては倒してからゆっくりと語り合うよ。結構切羽詰まってる状態だからな」

 槍を失ったことは杏子の中で不安感になっていて、まだまだ素手では厳しい相手だと判断した杏子は乗っていた枝に足踏みをして、枝を折ると即席の槍を作り上げて火だるま熊に突き出す。
 まだ戦闘意欲が失われていない杏子を見ると、火だるま熊は立て続けに炎を吐き出して攻撃を繰り返す。
 だが攻撃方法が分かっている以上、もう呆気に取られることも無い。
 右に左に放たれる火炎放射の数々をそれぞれ逆方向にかわしていきながら、火だるま熊との距離を詰めよって槍が届く射程の範囲に入った時に攻撃をしようとするが、頬では致命傷にはならない。

 頭の中にある良案があるのだが、それを実行するには勇気が必要とされる。
 だがこの状況では勝てる方法はそれしか存在しない。
 杏子は一旦火だるま熊から距離を取ると、わざと挑発するように手で呼び寄せるように火だるま熊を誘う。
 この意図を読み取ったのか、火だるま熊は爪を振り上げて射程距離に居る杏子に向かって爪を振り下ろすが、杏子は必要居最小限の動きで爪の攻撃をかわし続ける。
 この無駄のない動きは体感ゲームと立っているだけのトレーニングの賜物だと杏子は体で理解できた。
 体感ゲーム機は無駄のない効率的な筋肉の動かし方を体で覚え、立っているだけのトレーニングは双方にバランスよく筋肉を付けさせる物。

 ココに感謝しながらも杏子は攻撃をかわしながら、小馬鹿にしたような笑みを浮かべて火だるま熊を挑発する。
 爪での攻撃が無意味な物だと判断すると、火だるま熊は自分がもっとも得意としている火炎放射で一気に勝負を付けようと肺一杯に空気を貯め込んで、頬をリスのように膨らませて、火炎を一気に吐き出そうとした瞬間に杏子の目の色が変わる。
 粗雑な木製の槍でも思い切り勢いを付けて筋肉が薄くなっている場所へと突き刺せば致命傷になる。
 勢いを付けて胸部へと突っ込んでいくと、木製の粗雑な槍が突き刺さり、まるで杭を突き刺されたドラキュラのようになった火だるま熊は苦しそうに咳き込みながら、よろけるが体の中にため込んだ酸素に火が点いて、肺の中で暴発した火炎は胸部に収まりきらず、三倍にも四倍にも胸は膨らんでいく。

「伏せろ!」

 それは自分自身にかけた言葉なのか、ココにかけた言葉なのかは分からないが、杏子とココは同時に伏せると、火炎の圧迫に耐えきれなくなった胸部が爆発して、胸に風穴があいたまま血液を撒き散らせる火だるま熊は前方に倒れ込む。

 ――見事だ。俺を食らえ少女よ……

 倒れた瞬間に声が聞こえる。それが火だるま熊の声だと言うことは本能的に理解できたのだが、魔女との戦闘では経験の無い恨みつらみの無い純粋に生きるためだけの戦いを初めて経験した杏子はショックを拭えないでいた。

「何をしている。早く解体をしないと肉の鮮度が落ちるよ」

 ココから檄を受けると杏子は自分のために命を分けてくれた火だるま熊へと向かうが、道具も無い状態でどうやって解体をすればいいのかと思い、困っているとココの手からハンドナイフが手渡されるが、その大きさに杏子は不満を感じる。

「オイ! こんな小さなナイフでこんなデカブツ解体しろってのかよ!?」
「いいからやるんだ。これは君が一人でやらなければいけないことなんだ。それが命と向き合うということだよ」

 それだけ言うとココは一足先にトムが待っている船へと向かった。
 これもまた試練なのだろうと杏子は思うとハンドナイフを片手に解体を始めようとする。
 初めは刃を立てるのも不可能だと思っていたが、足に力を込めて全身を使って刃を突き立てれば解体は可能であり、杏子はグルメディクショナリーで解体方法を調べながら、食べれる部分と食べられない部分と分けていくが、食べられない部分の部位もそのままにしておくのは気が引けてしまい、地面を蹴り上げて穴を作ると埋めてまた命を再生させようとしていた。

 魔法少女時代にグリーフシードを手に入れている感覚とは全く違う、密接に命と関わり合う作業に体力を必要以上に消耗し、疲れが溜まっていく感覚を覚える。
 だが途中で投げ出すような真似だけは絶対にしなかった。
 それが火だるま熊の命に対してのせめてもの礼儀だと分かっていたから。




 ***




 午後の内に上陸したが、気づけば日はすっかり落ちて夜の闇が辺りを覆っていた。
 そんな状態で女の子を一人置いていいのかと普通ならば思うが、トムもココも何も言わずにジッと船頭で杏子の帰りを待っていて、周囲を無言の緊張感が包んでいた。
 その時ココの目が力強い電磁波を捉える。
 近くにあった蔦でバラした部位を体中にくくりつけて歩く杏子の姿が目に飛び込んだ。
 荒い息づかいで船の上に乗りこむと、杏子は出会い頭にココの膝に軽く蹴りを食らわせると、血のりで使い物にならなくなったハンドナイフを投げて手渡す。

「風呂敷ぐらい用意しろよバカ。持って行くの大変だったんだぞ」

 それだけ言うと疲れ切ったのか、火だるま熊の肉だけをトムに預けると、膝を抱えてうずくまって泥のように眠りに落ちた。
 待ち人が帰還したのを見届けるとトムは船を出す。
 相変わらず船は激しく揺れる状態であったが、杏子は眠っているにもかかわらず、その体は全く揺れることなく心地よさそうに寝息を立てていた。

 その様子を見てトムはトリコの堂々とした態度を思い出し、頬が緩むと同時にまた素晴らしい逸材が美食家として現れたことを喜び、将来が楽しみな少女のこれからをココに聞く。

「それでどうするんですココさん。これからの予定は?」
「ゆっくりと考えるさ……」

 そう言うとココは杏子の頭を軽く撫でると同時に毛布をかけた。
 美食屋としての入口に立った杏子だが、これから先は更に厳しい試練が待っている。
 だが杏子ならその全てを乗り越え、自分と肩を並べて共に闘いあえる存在になれるとココは信じていた。
 自分の友達が彼女を信じたのと同じように。





本日の食材

火だるま熊 捕獲レベル5

全身が炎で包まれた熊。
爪での近接攻撃も強力だが、体を回転しての突進攻撃は時と場合に置いて捕獲レベルが上の猛獣でも止められない程のパワーとスピードを持っている。
口から炎を吐くことも出来て遠距離、中距離、近距離と全てにおいて攻撃に穴が無い存在。
肉その物も美味だが、油は上質な物であり、何回揚げ物を揚げても油がにごらない良質な物である。





と言う訳で杏子の修業編と初めての捕獲編になりました。
やはり一番気を付けたところは魔女との狩りと一緒にしたくないと言う想いが強く、こうなりましたね。
次回は美食會との接触になります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ20 螺旋の力
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:862977af
Date: 2013/05/26 00:11





 ココの元で修業を続けてから三カ月の時が流れた。
 レベルアップしたトレーニングの数々を杏子は次々とこなしていき、一日ごとに自分の肉体が急成長していく感覚を覚えていた。
 だがここで不満点も現れた。最初の頃とは比べ物にならないくらい上昇した自分の身体能力ではあるが、ある程度トレーニングに慣れてしまうとどうしてもトリコのパワーと比べてしまうところがあり、今の自分のパワーを見ようと杏子は森の中で手ごろな大きさの木を見つけ、足を大きく開いて大地を掴むイメージを頭の中で作り上げると、上半身の筋肉だけではなく体全体の筋肉を使って拳を振り上げて幹を思い切り殴る。

 衝撃が幹全体に伝わると同時に、パンチを放った部分にちょうど拳大の穴が出来上がったところで振動は収まった。
 普通ならばこの圧倒的なパワーを見て満足するだろうが、杏子は違っていた。
 トリコならばこの程度の木なら幹ごと破壊することは分かっていたので、同じグルメ細胞を移植されているにも関わらず自分のパワーの無さを情けなく感じていた。

「力の無さを気にするなら、それは全く持って下らない悩みと言う物だよ」

 その様子を後ろから見ていたココに声をかけられ、杏子は多少驚きながらも後ろに居たココに気付かないことにも情けなさを覚え、歯がゆい想いが顔に出る。
 二人の間に微妙な空気が流れている間に、杏子の手によって穴を開けられた幹は自己修復が終わり、穴は完全にふさがって無くなっていた。

 新人の美食屋が重宝する『サンドバックウッド』は根さえ大地に埋まっているならば、幹その物を切られても即座に再生できる植物であり、自分のパワーを図るにはちょうど良い樹木。
 その反面切られた方はとても脆くて、せいぜい薪ぐらいにしか使えないと言う難点もあるが、新人の杏子に取ってこれはありがたい存在であると同時に自分の無力さを思い知らされる憎い存在でもある。

 ココは歯がゆそうな表情を浮かべている杏子の隣に立つと、振りかぶってサンドバックウッドを殴り飛ばす。
 先程と同じように幹全体が揺れ、殴った部分のみに穴が空くが、ココの場合それだけでは終わらない。
 パンチの衝撃は木一本だけでは収まらず、並んでいた幹にも同じように穴が空いていき、その衝撃はサンドバックウッドの森林地帯から抜けて初めて治まった。
 だがこれが自然とそうなった物でないことを杏子は理解していた。
 ココはこのフィールドを考え、周りに危害が及ばないようにパワーを調節してパンチを放ち、自分にお手本を見せてくれた。
 この辺りの本気の使い分けもまだ自分には出来なく、再び沈んだ顔を浮かべてしまうが、そんな杏子に対してココは顔を上げさせ、まっすぐ自分の目を見させながら話し出す。

「今見ても分かるようにボクにはトリコほどのパワーは無い。じゃあ何でボクは『四天王』なんて呼ばれて、あの三人と肩を並べられたと思う?」
「そりゃ、お前には毒があるんだしさ……」
「こんな物は特徴の一つにすぎない。ボクにはトリコほどのパワーも、サニーのような精密動作も、ゼブラのような聴力も無い。だがそれでもボクが三人と肩を並べられた理由はたった一つだ」

 ココが思う自分の利点と言う物が気になり、杏子の表情も自然と引き締まる。
 ちゃんと話を受け入れる準備が出来たのを見ると、ココは顔に添えていた手を退かして話し出す。

「したたかだからさ。言うならば相手の虚を突き、懐に飛び込むのが少し上手いから、何とかボクはあの三人に付いていけたんだよ」

 自分の性格が他の三人に比べて慎重派だったから、三人と肩を並べることが出来たとココは語る。
 言わんとしていることは分からないでもないが、性格を変えろと言うのはある意味ではパワーを付けろと言うよりも杏子に取っては難題。
 この直情型の性格で今まで数えきれないぐらい取り返しの付かない事態になった自分にとっては冷静さを保つと言うのは難しい課題。
 相変わらず無力感に苛まれている杏子を見て、ココは軽くため息をつくと手で誘導して、杏子のために作った道場へと案内する。
 何度も何度もココ相手にスパーリングを行ったが、一方的にあしらわれるばかりであり、そのたびに杏子はリベンジを近い、来るべき日のためにトレーニングを積んでいた。
 今度こそ一矢報いるぐらいの攻撃を放り込んでやろうと、その拳には自然と力が入っていた。




 ***




 木製の純和風の道場へ到着すると二人は互いに一礼し、中央で向かい合う。
 杏子は背中に背負った槍を取り出し、ココは目の前の杏子に向かって構えを取るとゴング代わりになったのは杏子の突進する足音。
 木の板がダッシュの衝撃に軋む音をBGMにしながら、杏子はココに向かって穂先を突き立てて突っ込んでいくが、それに対していつもなら手を突き出してパワーで押さえこもうとするココだがこの日は違っていた。

 体全体を小さく屈めて肩を突き出して、そのまま突進していく。
 穂先はココの肩で受け止められて、流されるように軌道が変わっていき、体はココの大きな体で受け止められ、付けた勢いを逆に利用されてしまい、暴走した助走エネルギーは後方へと持って行かれ、杏子の体は後方へと吹っ飛ばされる。
 轟音が道場内に響き渡ると大きく壁に穴を開けて、大の字になって杏子は倒れ込んでいたが、見た目以上のダメージが無いことから、何が起こったのか分からないと言った不思議そうな表情を浮かべていて、ココは彼女の元へと向かいその体を起こしながら、今起こしたトリックの説明に入る。

「これはボクシングで言うところのカウンターのようなものさ。相手の力を最大限に利用して、自分は最小限の労力だけで相手を倒す。ボクのようなパワー不足には持ってこいのテクニックさ」
「ここまで行くとカウンターってレベルじゃないと思うが……猛獣相手にもこんなの通用するのか?」

 ダイナミックすぎるのはこの世界では毎度のことなので、一々突っ込むのも馬鹿らしいと思った杏子は、この技術が美食屋として主に戦う相手の猛獣にも通用するのかどうかを聞く。
 カウンターと言う技術は対人間用の物であり、何もかもが規格外に違いすぎる猛獣を相手に人間相手の技術で勝負が出来るのか気になって聞くが、ココは自信満々に答える。

「出来る。カウンターと言う言い方が悪かったのかもしれないね。もっと分かりやすく言うなら、例えば人工衛星を保有している国と核ミサイルを持っている国が戦争をした場合どちらが勝つと思う?」
「そんな物核ミサイルを持っている国だろ。ぶっ放せば一発でサヨナラじゃないか」

 杏子は分かりきった質問に対して、多少いら立った調子で答えたが、ココは軽く首を横に振って浅はかな杏子の思考をたしなめると同時に答えを発表する。

「発射される前に人工衛星から核の信管に目がけて宇宙からレーザーで貫けば、その国の自滅で終わるさ。ようするにさ、ある物でどこまで工夫して戦えられるか、それが人間だけの利点って奴だよ」

 遠回しに配慮が足りない、考えが浅はかだと言われ、杏子は歯がゆい物を感じていた。
 何もかもが力任せだった魔法少女時代、実力は自分でもかなりの高水準だとは思っていたが、そう言う目線から見れば自分の実力とは三流のレベルなのだと思い知らされてしまう。

 今までも力任せでの戦いではあったが、その中でも考察をして行動を一つ一つ行っていかなければ負けてしまう。ある意味では次のステージに進んだことを思い知らされ、杏子は服に付いた埃を払いのけると、次のトレーニングに向けて柔軟体操をしだすが、靴に感じた違和感を思い出すと、両方を脱ぎ去ってココに投げ飛ばす。

「投げるなよ。これは!?」

 行儀の悪い杏子をココは叱ろうとしたが、持っていた靴を見ると驚愕の表情を浮かべて固まる。
 昨日買ったばかりにも関わらず、泥だらけで底の部分が綺麗に剥けている靴は何年も使いこんだような印象を受けてしまう。
 市販品のそれよりもずっと強力な物を使っているにも関わらず、一日で靴を履き潰してしまう杏子の脚力に驚かされるばかりのココだが、固まってしまっているココに対して杏子は立て続けに着ていたツナギも脱いで同じように投げ飛ばす。

 持った瞬間に勢いよく破けたツナギにココの表情は再び固まってしまう。
 これもまた市販品よりもはるかに強力な特注品を使っているのだが、日々の空気摩擦で焼け焦げたようにボロボロになっているそれを見て、杏子のポテンシャルの高さに驚かされるばかりであるが、脛に感じた痛みに意識を現実に戻されて下を見ると怒った顔の杏子が居た。

「呆けてんじゃねぇよ。また壊れたから新しいのを頼むって話だ」

 脛を蹴りながら話す杏子の足を止めながら、ココは昨日行ったばかりのホームセンターへ向かおうとしていたが、この行為が無駄なそれなのではと思ってしまう。
 金銭面に関しては問題ないのだが、その人に取ってレベルのあった装備を整えるのは当然のこと。
 今のままでは杏子に取っても効率が悪いし、成長の妨げにもなる。そんなことを考えながら道場から出ようとドアを開けると、そこにはひと組の男女が立っていて中に入ろうとしていた。

「ようココ遊びに来たぜ」
「ウチも居るし~」

 サニーは持ってきたお土産をココに手渡すと杏子の元へと向かい、リンは仕事から解放された嬉しさから道場内をはしゃいだ調子で踊りながら歩き、休日を満喫していた。
 リンの様子を見て杏子の中で安堵感が生まれる。
 想い人を失ったことから、さやかのようになるのではと不安に感じていた杏子だが、リン自身トリコの『幸せになってくれ』と言う約束を忘れず、周りのフォローもあってか今では彼女は元気に猛獣使いとして仕事を毎日行っている。
 と言っても激務に追われる毎日なので何かと理由を付けてはサボり、トリコを失った寂しさを忘れようとすっかりゲーマーになってしまったので、その相手をするのに疲れる部分もあったが、彼女がさやかのようにならなかったことが嬉しく自然と杏子の頬も緩んだが、手の甲に感じた触覚の感触に眉間にしわがよる。

「ふむ、グルメ細胞が活発に活動していて結構。後はもう少し美にも気を使ってくれれば及第点だがな」
「勝手に手を舐めまわすんじゃないよ、アタシだからギリギリ許してやるが、一般人にやったらただの変態だぞお前……」

 『舐めまわす』と言う杏子の表現にサニーは露骨に不快そうな顔を浮かべていて、リンはその様子を遠くから見ていてクスクスと笑っていた。
 三か月の修業の成果は確実に現れていて、出会った当初は何が何だか分からなかったサニーの触覚に関しても今では触れられたと言うことが理解できるぐらいにまでは成長した。
 髪の一本一本が手を凌駕する触覚機能を持ち合わせたサニーの髪に触れられると言うことは全身を舐めまわされるような物。
 触れられたと言う感覚程度しかないので、あえて杏子は口頭での注意のみにしていたが、サニーは女性に変態呼ばわりされたことが気に入らないのか反論を始める。

「舐めまわすとは心外だぞアンコ。手の甲へのキスはその人に対しての親愛の表れじゃないか」
「それは海外での社交場の話だろ。アタシは日本じ……」

 異文化コミュニケーションは通用しないことを言おうとした杏子だが、ここは異国どころか全てがデタラメな異世界であることを思い出し、口に出した言葉を飲み込んで言い淀んでしまう。
 一応漢字表記の名前の持ち主はいるようだが、名字だけの人も多いし、そもそも今住んでいるこの場所も母国語こそ日本語であるが、絶対に日本では無い。
 この言い分が通用しないことが分かると、どう反論をしていいか分からず、ワガママなサニーを相手に喧嘩するのも無駄な労力だと判断した杏子は彼女らしいシンプルな結論を出す。

「分かったよ! その代わり手の甲以外は絶対にやるんじゃないぞ!」
「美しい判断に感謝する」
「何したり顔で偉そうに言ってんのよ!」

 二人の間でこの件に関して話が付いたと思ったが、そこにリンが割って入る。
 杏子とリンは女性が少ない環境の中での数少ない同性同士と言うことから、自然と話すようになっていき、今ではメールのやり取りなどもしている仲。
 この場で杏子の味方になれるのは同性の自分しかいないと踏んだリンはサニーを相手に講義をしだす。

「お兄ちゃんがやってるのはただのセクハラだし!」
「誰がセクハラだ!? 何度も言うように親愛の表れだと言っているだろ!」
「ネットではそう言うの何て言うのか知ってんの? 今は自重するけど本当引くよ!?」
「やめんか! キショイわ!」

 二人は杏子のことも忘れて喧嘩になってしまい、取り残されたココと杏子は完全に呆けていたが、ココは夕食の支度をするとだけ言って一足先に道場から出ていき、杏子も逃げるようにその場を付いてこうとした。
 言い争いをしている間もサニーは杏子の変化を見逃さなかった。
 裸足で出ていった彼女の足が酷く痛んでいて、グルメ細胞の回復力を持ってしても間に合わないことを。
 直観を信じてきたのは正解だったと思いながらもサニーはリンの相手を続けていた。

「まぁアンコも居なくなったみたいだし、アイツが聞いたら気絶するようなワードだから自重したけど、その辺りも交えて話しても大丈夫?」
「ダメに決まってんだろ!」




 ***




 久しぶりのにぎやかな夕食を終え、杏子とリンが寝入ったのを見届けると、サニーはウイスキーを片手に、ココは飲めないので緑茶を片手に持って乾杯をすると今回来た目的を話し合う。
 一番の目的は杏子の修業が順調に進んでいるかどうかだが、そこで一つの障害が現れたことを見極めると解決方法をココと共にサニーは話し合っていた。
 ツナギや靴だけではなく、体全体を使った斬撃及び打撃の攻撃に最近では槍も毎回のように破損してしまい、鉄塊になってしまうことが多く消耗品と化してしまっていることをココが報告すると、サニーは少し考える素振りをして自分の中で出た結論を話し出す。

「やはりここは上級者向けの装備を与えるべきだ。必要なのは何にも怯まない強力な攻撃力を持った武器と、身を守る強固な防御力を持った衣だ」
「分かってはいるのだが……」

 武器も鎧も肉体のみで勝負をする自分たちにとっては無縁な代物なので、つての無いココは歯がゆさに苦しめられていた。
 こんなことだろうと思い、サニーは拳で軽くうなだれるココの頭を殴って注意をひきつけると、持っていた紙を懐から取り出す。
 そこには優秀な武器職人と自分も贔屓にしているグルメ仕立屋のリストがあり、後はそれを参考にしながら杏子と話し合えと言うことを伝えたかったのか、紙を手渡すと満天の星空をつまみにしながらウイスキーを楽しもうとしていたが、ココは一つだけ気になったことがありサニーに尋ねる。

「何で甲冑師じゃなくて、仕立屋なんだい? 防御を重視するならそっちの方が……」
「アホ、女の子に仰々しい鎧なんか着せられるか。それに防具に関しては俺は一つあてがある。俺には見える、最高に美しい衣に身を包んだアンコの姿がな」

 サニーは自分の直感と杏子を信じていた。自分はこれで帰るがリンは有給を消化するため、もう少しここに居座ることだけを伝えるとサニーは一人美しい妄想に浸っていた。
 まだどういう物になるのかは分からないが、美しい衣に身を包んで可憐に戦う杏子の姿を。
 並べられた紙のリストに埋もれていた中にはスーパーのチラシや、宗教の勧誘のチラシも混じっていて、その一番奥に埋もれていたのは最近美食會の人間を見かけたので注意してほしいと言う警告文であり、杏子も物だけは見ていた。
 だがもう一月も前の情報なので大した警戒はしなくても平気だろうと、その場にいた全員が思っていて、今ココは武器職人の見定めに真剣だった。




 ***




 翌日ココは見定めた武器職人とグルメ仕立屋のところに向かい、杏子の武器と防具に関しての打ち合わせを行うため出かけていて、この日の杏子の修業は一人で行うこととなっていた。
 こうして一人で修業を任されるのも信頼の表れだと言うことがリンは分かっていて、彼女の修業の様子を見守っていた。
 この日杏子は攻撃力の向上のため、ずっと練習中だった技を完全に自分の物にするため、サンドバックウッドに向かってパンチを放つ。
 初めの内は打撃音の鈍い音だったが、だんだんそれはえぐるような炸裂音へと変わっていき、音が変わるたびに杏子は手ごたえと言う物を感じていた。

 リンが見守っているが、彼女のことなど気にせず何度も何度も精度と言う物を気にしながら打っていくと、自分の中でイメージの形が出来上がっていく。
 トリコのパンチが釘を打ちつける要領で打つ物ならば、自分のイメージはドリルのように回転の力を借りて少ない力を何倍にも増量させて打つパンチ。
 頭の中でパンチの構図が出来上がると、自分の手がドリルになったかのような感覚が出来上がり、サンドバックウッドに向かって殴りかかる。
 パンチが当たる瞬間に手首を内側に捻り、回転の力を加えることでパンチの攻撃力は何倍にも上がる。
 当たった瞬間に螺旋の力が今まで拳大の大きさの穴しか空けられなかったが、威力が円のように広がっていくと、ドンドン穴が大きくなっていき、ブラックホールのように幹全体を食いつくすと最後には幹ごとサンドバックウッドは倒れて辺りに轟音を響かせた。

「アンコ、アンタ今のって……」

 これにはぼんやりと修業を見守っていたリンも驚き、杏子の元へと向かって息を整えている彼女に向かってハンドタオルを手渡す。
 杏子は顔の汗を拭きながら、倒れたサンドバックウッドを見届けると、次に自分の拳を見つめ感慨深いと言った表情を浮かべた。

(これでようやく半人前のボンクラと言ったところかな……)
「アンタ今のってコークスクリューブローじゃないのよ!」

 トリコの威力に少しでも近づけたかと思っていると、リンの甲高い叫び声が響く。
 耳元で怒鳴られて杏子は耳を指で塞ぎながらも、彼女の相手を始めるが、言った言葉の意味が分からず、不機嫌そうな表情を浮かべる。

「あ? 何だよ、そのコークなんちゃらってのは?」

 ボクシングの高等技術である『コークスクリューブロー』を知らない、杏子が本能だけでこのパンチを放ったことにリンは驚き、詳しい原理を説明しだす。
 大体のことが分かると杏子は再生しだしたサンドバックウッドに向かって飛び上がり、再びコークスクリューブローを放つが、今度は横から曲線的な軌道を描きフックの要領でコークスクリューブローを打とうとするが、上手くいかず成功するまで何度も飛び上がってパンチを放つ。

「ちょっと呼吸を整えて、まずは理論をちゃんと理解しないと……」
「そんな暇あるか!」

 リンの呼びかけも無視して、杏子はコークスクリューブローを完全に自分の物にしようと何度も何度も様々なフォームでパンチを放つが初めのような綺麗な円の斬撃が成功することが少なく、歪な形の円だけがサンドバックウッドに出来るだけであった。

「自信が無いなら、回数をこなして経験を積むしかないだろ! 馬鹿って言われるかもしれないけど、理屈や理論よりもアタシは行動で直観的に物を覚えるタイプなんだ。ようやく見つけた一つの到達点だ。グダグダやってる暇なんかねーよ!」

 杏子らしくまくしたてるように一気に自分の言いたいことだけを言うと、コークスクリューブローを完全に自分の物にしようと何度も何度もサンドバックウッドに向かって斬撃音を響かせる。
 そのストイックさにも驚かされたが、リンが本当に驚かされたのは着地の瞬間。
 杏子は本能的に行っていて気付いてなかったが、着地の瞬間に飛び上がっている際、パンチと同じように足首に捻りを加えて飛び上がっているので、普通にジャンプするよりも高く飛び上がっていて、飛び上がる瞬間も回転の力を加えているのでその飛距離は通常に飛び上がった状態の三倍にもなっているだろうと思い、杏子自身も気づいてないが、20メートル近くあるサンドバックウッドを飛び越えそうな勢いでジャンプをしているのは第三者の視点があって初めて分かる物。
 自分も一応グルメ細胞の移植が行われてはいるが、この間まで一般人だった杏子がここまでの成長を遂げることに驚愕の表情をリンは隠せないでいた。
 トリコのグルメ細胞のパワーとそれを使いこなす杏子のポテンシャルに。




 ***




 この日の修業を見守るとリンもまたこれ以上仕事は休められないので、渋々自分の持ち場へと戻っていき、杏子は再びココとの二人暮らしに戻る。
 夕食を終えると話は武器職人とグルメ仕立屋に関してのこととなり、武器に関しては槍で簡単に決まったが、問題はグルメ仕立屋の方。
 サニーの案は確かに良案ではあるのだが、それを杏子が了承してくれるかどうかというのがココに取って一番の悩みの種であり、恐る恐る杏子に向かって切りだす。

「それでサニーに聞いたと思うのだが、アンコちゃんのスピードに合わせるために、ツナギでは役に立たないので特性の防護服を作ろうと言う話になったのだが……」
「何を歯切れの悪い言葉ばかりを……言いたいことがあるならハッキリと言えよ!」

 明らかに目が泳いだ状態で、動揺しきっているココを一喝する杏子。
 そんな杏子に促され、ココはずっと言い淀んでいた言葉を放つ。

「分かった……アンコちゃんぐらいのスピードになると普通の防護服じゃダメなんだ。そこでグルメ仕立屋の『オリーブ』さんと相談した結果、ある素材を用意してくれれば、アンコちゃんのスピードにも耐えうる防護服を作れると言う話だ」
「その素材ってのは?」

 まだまだ捕獲レベルが一ケタの相手にも苦戦している自分では、とてもではないが要求する素材を捕獲することは出来ないので、杏子はどこか気の抜けた感じで答える。
 今一つ緊張感に欠ける杏子を相手に話していいか悩んだが、勢いに乗って一気に行こうとココはずっと言おうかどうか悩んでいた真実を話す。

「ライトニングフェニックスの羽だ」

 思ってもいなかった素材を言われてしまい、杏子は言葉を完全に失ってしまう。
 確かに一年前トリコから誕生日プレゼントでライトニングフェニックスの羽は貰ったが、その後は忙しさにかまけてクローゼットの肥やしになっている状態。
 一応家から持ってきていて、杏子は一旦自分の部屋に戻るとクローゼットから羽を持ちだして再びココの元へ現れる。

 クローゼットに入れっぱなしでまともな保存もしていなかったにも関わらず、その金色の羽は眩いばかりの光を発していて、久しぶりに感じる優しい光と共に思い出されるのはトリコとの思い出の数々。
 自然とその表情には愁いの色が出てくる。ココは心配していた事態に陥ってしまい、一つの提案を杏子に出す。

「君がその羽に思い出を感じているのは分かる。だからもし本当に手放したくないと言うなら、ボクの方からお父さんに頼んで捕獲をしてもらうから……」
「いや大丈夫だ」

 杏子の顔色を気にしながら話すココを諭すように、杏子は少し寂しげな笑みを浮かべたまま、ライトニングフェニックスの羽をココに向かって手渡す。
 羽を受け取るとココはやせ我慢で自分に羽を手渡したのではないかと思い、杏子の方を向くが彼女は真剣な顔を浮かべたまま丁寧に話し出す。

「これはアイツがアタシのためにくれた物だ。アタシが有効利用してやらないとプレゼントとしての意味が無いだろ。クローゼットの肥やしになっているより100倍マシだ」
「だが服に転生しても永遠に残る物ではないぞ。それこそ激しい環境の中で戦う世界だ。本当にいいんだな?」
「何度も言わせんなバカ」

 その言葉から決意の固さを受け取り、ココは早速懐から携帯電話を取り出すとオリーブに物が手に入ったことを伝え、明日には打ち合わせのためにそちらに向かえることを伝えた。
 電話が終わると杏子が武器職人の候補に挙がっている。からくり細工の武器を得意としている『与一』(よいち)の詳細情報を見ると、オリーブの詳細情報を見比べ、自分の中で結論を出すとココに話しかける。

「ただし、武器も防具に関しても、アタシの使いたい物を使わせるから、あれやれこれや口出しはするからな」

 そう言って軽やかに笑う杏子を見て、次のステージへと進む準備はしっかりと出来ているのを知ると、ココは小さく頷く。
 杏子の中では既に案はあった。後はそれを実行できるだけの能力が与一とオリーブにあるかを祈るだけであった。




 ***




 翌日、初めに向かったのは武器職人の与一の元。
 工房を訪れた二人はまず与一と初めて顔を合わせる。
 ざんぎり頭に大きめの眼鏡をかけた温和そうな男性と言う印象を受け、その線の細さに杏子は頼りなささえ感じていたが、壁に掛けられている仰々しい武器の数々を見て、その不安は払拭させられた。

 ある物は2メートル近くある巨大な大斧に、漫画の中でしか見たことがない蛇腹状に分断する剣、小型の斧を鎖で繋げたヌンチャクなど、その武器を見れば自分の実力も十二分に発揮できると思い、握手を交わして挨拶が終わったココと与一を見ると、与一にオーダーを伝える。

「用意してもらいたい武器は二つだ。これとこれを頼む」

 事前にカタログで大体の目星を付けた杏子が指定した武器は二つ。
 一つは槍ではあるのだが刃の部分が大きく、どちらかと言うと大型の剣に近い形状の槍と、もう一つはこれまで杏子が使ったことの無い三又槍であり、使いなれない武器を使うのにココは苦言を呈す。

「確かに君は器用な方だが、いきなり二刀流と言うのはさすがにどうかと……」
「話はここからだ。この二つにちょっとしたギミックを加えてもらいたい」

 自分自身でもようやく物にしたばかりの能力を武器にも追加しようとしている杏子。
 話を聞いていく内に一人でここまでの事を実行できるのかとココは感心するばかりで、与一は杏子の要望を聞くと自分に作れるかどうかを考えるが、いくつか似たようなタイプの武器も作ったことを思い出すと、結論を出して話し出す。

「了解。三日後には出来上がると思うから」
「頼むぜ」

 それだけ言うと杏子は足早にオリーブの待つアトリエへと向かう。
 気が早すぎる杏子に呆れながらも、ココはフォローとして作り笑顔を浮かべたまま後のことを任せると慌てて杏子の後を追った。




 ***




 続いて二人が向かったのはサニーもよく服を仕立ててもらっているオリーブのアトリエ。
 カラフルで色鮮やかな壁におしゃれな服がたくさん並べられた空間で、本当に自分が望む防具が作れるのかとも思ったが、ココと挨拶を交わしているオリーブの姿を見ると、何も言えずに絶句してしまう。

 身長が130センチ程度しかない彼女は一見すれば子供にしか見えず、容姿の方も子供らしく頬に紅がかかっていて、どんぐり眼に金髪の髪の毛がミスマッチであり、ある意味では一目見れば忘れられない姿であり、杏子がその姿に圧倒されているとオリーブが杏子に気付いて彼女の元へ向かう。

「あなたが依頼主のアンコちゃんね。私はオリーブ、今回極上の素材を用意してくれたあなたに感謝するわ。要望を言ってどんな服でも作ってみせるわ」

 幼い見た目に反してその態度は淑女のそれであり、柔らかな笑みを浮かべながら手を差し出すオリーブに対して杏子はぎこちない笑顔を浮かべながらもその手を取って二人は握手を交わす。
 早速作ってもらいたい防護服のデザインを描いた紙を尻ポケットから取り出すが、見せた途端に自信が無くなる。

 絵には全く自信が無く、魔法少女時代の赤を基調にしたコスチュームと全く同じ物を作ってもらいたいと要求しようとしたのだが、自分が描いたつたない絵でそれが伝わるのかと情けない想いで一杯になったが、オリーブは絵を受け取ると自分の中で考えをまとめると軽くラフスケッチをして杏子に見せる。

「あなたの要望としてはこんな感じでいいのかしら? 他にも要望があったらすぐに言って」

 オリーブのラフスケッチはまさしく自分が魔法少女時代に着ていたコスチュームと全く同じ物と言っても過言ではなかった。
 あの拙い絵から自分の理想とするコスチュームが出来上がったことに杏子は驚きを隠せないでいたが、オリーブはこれが杏子の理想であることを知ると続けて自分の感想を語り出す。

「とてもエレガントな衣装ね。もし差し支えなければ、この衣装を選んだ理由を教えてくれるかしら」

 オリーブは杏子のコスチュームを気に入り、今後の参考になればと杏子から詳しいことを聞こうとする。
 理由を聞かれると杏子は多少言いにくそうだったが、自分の決意を語り出す。

「強いて言うなら、精一杯の罪滅ぼしってところだ。やっちまったことを忘れないようにするためのせめてもの反省の気持ちって奴だ」

 そう言うと魔法少女時代の苦い思い出が蘇る。
 生きるために物を盗み、人を傷つけ、使い魔を魔女に成長させるために人を見殺しにしたことも少なくない。
 ここでの幸せな生活がそう言った行動が間違いだったと改めて再認識させられてしまい、自分の中で罪の記憶を忘れないためにも、あえて魔法少女時代と同じコスチュームを着て戦い続けようと決意を固めていた。
 杏子の真意は今一つ分からないが、デザインが気に入ったオリーブは早速ライトニングフェニックスの羽をココから受け取ると早速作業に入る。

「この羽なら5着は作れるから、襟とかのデザインを変えることも出来るけども……」
「必要無い。同じ物を5着だ」

 ここでもまた自分の要望だけを伝えると、杏子は一足先に帰っていきココもその後を追った。
 帰った後もオリーブは鼻歌交じりに羽を裁断していき、淡々と服を作っていく。
 ハサミを動かしていくたびに期待が高まっていく、新しい服が出来上がることと、その服を着て活躍する杏子の姿が自分の中で見えていくことが。




 ***




 用事が終わるとココと杏子は帰っていく。
 杏子の後ろをココが守る形で歩く。
 これは最近現れたと言う美食會に関しての防護策であり、後ろを完全にココが守ることで全ての包囲から杏子を守るというスタイルを取っていて、杏子もまた発展途上中の自分が悪の巣窟とも言える美食會を相手に戦おうとは思わない。

 だが食料の独占と言う自分が最も嫌う邪悪をそのままにしておくつもりはない、いずれはちゃんと決着を付けなければいけない相手だと分かっているので、このココの策を大人しく受け入れ二人は家路へと急いでいた。
 変わることなく歩みを進めていく杏子だったが、次に足を踏み出した瞬間に違和感を覚える。
 まるで魔女の結界にでも入ったような感覚を感じた時にはもう遅く、地面全体が泥のように柔らかく歪み、杏子の体は地面へと放り込まれた。

「バカな!?」

 地面その物が消えて無くなると言う予想外の事態にココも対処が間に合わず、手を差し出すが一歩遅く杏子の体は完全に地面の中へと消えて無くなる。
 ココは何度も何度も地面を殴って杏子の安否を確かめるが、杏子の姿が消えると地面は元の硬いそれに変わってしまう。
 この状態にココは知識をフル動員させて、この状況を再現できる猛獣が居るかを考えると一匹の猛獣が思い浮かぶ。

 『クレイリザード』は地面に埋まって相手が自分の泥の背中に獲物がかかるのを待つ待ち受け型のタイプの猛獣であり、その消極的な性格から能力の割には捕獲レベルの低い猛獣であり背中の泥は加工すれば猛獣を捕まえられる落とし穴になることも出来、新人の美食屋は重宝する代物である。
 改良すれば特定の相手を拉致するためのフィールドを作り上げることぐらい簡単だろうと踏み、ココは目に力を込めて電磁波を見極めると恐らくは美食會の刺客が入ったであろう入口を探し出す。

「間に合ってくれアンコちゃん!」




 ***




 杏子の視界に広がるのは見渡す限りの暗闇だったが、突如眩いばかりの光に包まれると一人の男性の姿が確認できる。
 男性以外は相変わらず全てが暗闇に包まれていて、行燈の灯だけが二人を照らしていて、男は杏子の姿を確認すると軽やかな笑みを浮かべて話し出す。

「待たせるなよ」
「アタシはお前なんか待ってねぇよ! どうせ美食會のクソ野郎だろ!?」

 挑発的な態度は逆効果だとは分かっているが、杏子は実際に見合わせると美食會に対して怒りの感情がメラメラと燃えあがってしまい、ついつい声を荒げてしまう。
 自分のことを知っているなら話は早いとばかりに、漆黒のローブに身を包んだ男性は自己紹介を始める。

「私は美食會のスカウトマン『ダイナ』と言う。単刀直入に言おう、美食四天王トリコのグルメ細胞を移植され、メキメキと頭角を現している存在、実に興味深い。美食會に入れ、そうすれば君の実力は二倍、三倍にも跳ね上が……」
「断る!」

 ダイナが全てを言い終える前に杏子は断言すると、彼に対して憎しみの表情を向けたまま杏子は戦いの体勢を取って啖呵を切りだす。

「テメェらのことは大体聞いてる。この世全ての食い物を独占しようとしている。どうしようもないカスの集団だってことわな! アタシだって偉そうに人に対して説教出来る身分じゃねぇがな、それでもテメェらよりはマシだ! 様子見で済まそうと思ったが気が変わった。今この場でぶっ殺す!」

 この世界にも多くの難民や飢え死にする子供たちが居ることは知っている。
 原因は色々な要因が重なってのことだが、その中には美食會の存在も大なり小なり関わっている。
 倒すべき存在が分かっているのはシンプルでやりやすい。
 怒りをぶつける相手に一気に怒りをぶつけようと、自慢の脚力で一気に距離を詰めよってまだ完全には会得しきれていないコークスクリューブローでのストレートを放つが、拳が放たれる前にダイナは左へと攻撃をかわし、杏子のパンチは空を切った。

「宣言しよう。次は左のフックが飛ぶ」

 言い終えるよりも先に杏子の左のフックが飛ぶが、それもダイナは攻撃が発動するよりも先にかわし、余裕めいた見下した笑みを浮かべる。

「次は右の前蹴り、左の振り下ろしのパンチ、次は首を掴んでのひざ蹴り……」

 全ての攻撃を発動する前にダイナはいいあて、そしてその通りに攻撃しようとしていた杏子の攻撃は全てかわされ、風を切る空しい音だけが響き渡る。
 予想以上に厳しい相手だと判断した杏子は一旦距離を取って呼吸を整えるが、ダイナは追撃しようとはせずにニヤニヤと下衆な笑みを浮かべたまま行動を起こそうとはしなかった。

「テメェどんなトリックを使いやがった!?」

 攻撃が当たらない苛立ちから杏子はダイナに向かって叫ぶと、彼は余裕めいた笑みを崩すことなく応対を始める。

「次に君が何を話すのか答えよう『黙ってないで何とか言えよ!』とね」
「黙ってないで何とか言えよ! あ!?」

 ダイナの言った通りの発言になったことが自分でも恐怖を感じ、今自分が対峙している相手が予想以上の強敵なのかと痛感させられてしまう。
 杏子の中で自分の存在が恐怖心として芽生えだしたのを見届けると、ダイナは意気揚々と語り出す。

「そろそろ種明かしをしよう。君は私には絶対に勝てない、なぜなら私は対戦相手の心が読めるのだからな」
「何だと!?」

 噂の段階ではあるが魔法少女時代にも聞いたことがあった。
 未来を見通せる魔法少女が居ると、結局その魔法少女とは一回も出会わずに人生を終えたため、それが真実かどうかも分からない。
 だがもし出会ったらそんな魔法少女にどうすれば勝てるのかと頭の中で常にシュミレーションは立てていたのだが、まさかそれが現実になるとは思わず、杏子は顔から冷たい汗が流れるのを感じる。

(そんなまさか……)
「フフフ、例えば今『そんなまさか』と考えているだろう」

 またしてもピンポイントで考えられていることを当てられると、杏子の顔にも驚愕の色が出て言葉を出すのもためらってしまう。

 ――な!? 本当に考えていることが分かるのかよ!?
「本当に考えていることが分かるのさ!」

 杏子の頭の中がパニック状態になっているのを見定め、ダイナは一気に動く。
 ノッキングガンを片手に一気に突っ込むダイナを前に杏子は何も出来なかった。
 何度も死ぬ一歩手前は感じていたが、本当に恐ろしいのは死ぬことじゃない。
 自分が自分でなくなることの方がずっと恐ろしい、それはさやかを見ていて分かったことだ。
 だが気持ちだけが焦るばかりであり、何も出来ないでいて、ノッキングガンの針が自分の眼前に近づくのを止められなかった。

「ポイズンライフル!」

 毒の出口を限界にまで収縮し、攻撃力よりもスピードを重視して放った毒の弾丸がノッキングガンの針をコーティングする。
 突然の事態にダイナは対応できずに何が起こったのかと辺りを見回すばかりであり、その隙にココは杏子の手を取って唯一の出口である入口へと向かう。
 二人の姿が見えなくなったが、ダイナは呼吸を整えてその場に座り込む。

「チッ! だがまぁいいチャンスはまだある……」

 舌打ちをしながら愚痴を言うダイナ。
 自分の思うような展開にならなかったことに苛立ちを覚え、歪で不快感を前面に出した表情を浮かべると、懐からデータを取り出して改めて確認する。
 そこにはこれまでの杏子の行動履歴が秒単位で事細かに書かれていて、それをダイナは改めて確認し、次こそは杏子を自分の元に跪かせ洗脳させようと意気込んでいた。





本日の食材

サンドバックウッド 捕獲レベル2

根さえ大地に埋まっていればいくらでも即座に再生できる樹木。
故に新人の美食屋はこれを相手に自分の技を磨くことが多く、杏子も重宝している。

クレイリザード 捕獲レベル6

地面に埋まって泥のように形状を変えられる自分の背中に獲物がかかるのを待つ待ち受け型の猛獣。
背中は加工が可能であり、落とし穴にも非常用のシェルターにもなる便利な一品。





今回は美食會との対決になりました。
ラビオリの時は杏子は見ているだけでしたが、今回初めて本格的に美食會と戦わせました。
次回はその決着です。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ21 炸裂! ドリルクラッシュ!
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:862977af
Date: 2013/06/10 18:46




 ダイナから逃げ切り、ココと杏子は自宅にて荒い呼吸を整えて体と心の平穏を取り戻そうとする。
 まだまだ情報量が少なく向こうのフィールドである以上、ココでさえも杏子を守りながらダイナと戦うのは危険だと判断して、彼女を引き連れて逃げたのだが思っていた以上に救助が遅れたことを情けなく思いココは杏子に向かって頭を下げる。

「済まない。電磁波を追ってはみたが、クレイリザードの体内は内臓が入り組んだ迷路のようになっていて最短ルートを突き進んでもこれだけの時間がかかってしまった」
「いや謝るのはアタシの方だ。あれだけ慎重を期していたのに、美食會その物を見た時怒りが治まらなかった。結果としてパンチの一発も当てられなかったよ……」

 杏子は自分の不甲斐なさが情けなく明らかに落ち込んだ顔を浮かべていたが、情報を得た部分もある。
 ココはそこを見逃さず、杏子が話が出来る状態なのを見ると情報を引き出そうとする。

「その時の状況を詳しく教えてもらってもいいか? 何かの突破口になるかもしれない」
「突破口? 心を読める相手ぶっ倒す方法なんざ、たった一つしかないだろ対処法を実践する前に圧倒的なパワーでぶっ潰す! それだけだ……」

 つい先程パワー云々に関しては創意工夫でどうとでもなると、ココから諭されたばかりの杏子ではあるが、実戦に置いて無様な結果を迎えた不甲斐なさと悔しさ、怒りと言った様々な負の感情が杏子の口調を乱暴な物に変えた。
 言い終えると完全にふてくされている杏子だったが、ココは『心を読める』と言うワードが気になり、その辺りを深く追求する。

「心を読める? そんな超能力みたいな能力、そう頻繁には出ないよ。ゼブラだって相手が嘘をついているかどうかぐらいが分かるだけで、その人が何を考えているかまでは分からないんだから。ふてくされていないで起こったこと全てを話すんだ」

 ココに促されると杏子は顔を上げる。
 厳しい目でまっすぐと自分を見つめるココに対して、杏子はため息を一つ吐くと、渋々と起こったことを話し出す。
 自分の攻撃が発動する前に宣言されて、その攻撃が全てかわされたこと。
 自分が考えていることまで的確に当てられてしまい、何も出来なかったこと。
 杏子から顛末を全て聞き終えると、ココは少し考えた素振りを見せると一つの仮説を立てて杏子に報告する。

「アンコちゃん。恐らくだけど、そのスカウトマンの言っている心を読めるって能力はハッタリだよ」
「じゃあアタシの体験したそれはどう説明する気なんだよ!?」

 ダイナのそれがトリックだと言われ、杏子はムッとした表情を浮かべて反論する。
 この世界は何もかもがデタラメで一流の美食屋と呼ばれる人間の生態は、ある意味では魔法少女と同じぐらいの特殊能力の塊みたいな物。
 なので心を読めるぐらいの能力ならあっても当然だろうと杏子は思っていたが、ココは何も言わずに一旦外へ出ると、亀と犬を連れて再び家へと入る。

「何だよそれは?」
「外を歩いているのを少し借りたのさ。これからボクも読心術を見せるから、良く見ているように」

 ココに心を読める能力はないと杏子は思ったのだが、ココは甲羅の中に閉じこもっている亀に手を当てて一言。

「怯えています」

 続いて尻尾を振ってココの頬に向かって頬ずりして懐く犬の背中を撫でながら一言。

「喜んでいます」
「バカにしとんのかい!?」

 完全に生態を見ての予測の範囲であることに杏子は怒るが、ココはそんな彼女を宥めながらダイナが行ったからくりに付いて話し出す。

「これを徹底すれば人間にも応用出来るって話さ。何気ない行動の一つ一つでもその人の心理ってのは大体予測が出来るもんさ」

 具体例に関してココは話し出す。
 腕を組むしぐさは相手に威圧感を与えると同時に自分を大きく見せる行動のため、裏を返せば不安の表れとも言える。
 こう言った何気ない行動を徹底して注意深く見続ければ、心を読めると言ったハッタリを言うことも出来る。
 もっともな意見にその事に関しての納得はするが、それでも一つだけ納得できないことがあり、その事を杏子はココに聞く。

「じゃあ攻撃に関して先読みしていたのはどう説明してくれんだ? 明らかに動く前から分かっていたぞ」
「百戦錬磨の達人となれば、僅かな筋肉、関節の動きから、相手の攻撃を予測できるが、パッと見た感じ彼にそこまでのオーラは感じられなかった。となると考えられることは一つだ」

 そう言うとココは紙に攻撃パターンの羅列を書き、ある程度のパターンを書くと杏子に手渡す。
 物を見ると杏子の表情は固まってしまう。パターンは4、5パターンぐらいしか存在せず、それが全て自分の攻撃パターンに当てはまる物だと分かると、途端にレパートリーの少なさに杏子は絶望して足が砕けそうになってしまうが、それをココの手によって止められてしまう。

「落ち着け、別に技の種類が少ないのを咎めているつもりはない。洗練されればされるほど、技の種類なんて自然と少なくなっていくもんだ。だが新人の内をこれを逆に利用されることもある」

 この発言で杏子はココの真意を汲み取った。
 ダイナはどこかで自分を観察し続け、発展途上中の自分の攻撃パターンを徹底して覚え、相手の心を読めるように見せ、自分に隙が出来るのを待って一気に捕獲しようとしていた。
 手品の種が分かると、杏子の中でメラメラと怒りの感情が湧き上がってくる。
 いいように扱われたこともそうだが、ストーカー行為の卑劣さに気付かなかったことや、そんな行為をいいようにされてしまったこととグチャグチャとしたマイナスの感情は一気に爆発し、憎しみの目線をココにぶつける。

「その様子だとリベンジマッチはアンコちゃん自身で行うみたいだね。止めても無駄なようだな」
「当たり前だ! 倒す方法はたった一つ。それはお前だって分かっていることだろ!?」

 喧嘩腰の調子ではあるが、頭の中で冷静な案はあり、勝つための策と言うのは杏子の中には存在していた。
 そのためにやるべきことは杏子もココも分かっていて、来るべき時のために自分たちのやるべきことと言うのも分かっている。
 ダイナを倒すため、そして美食屋として更なる高みを目指すため、二人は外へと出ていくと修業を行おうと飛び出す。

「短気な君のことだ。物が出来上がって、すぐにスカウトマンのところへ向かう気なのだろう? ならタイムリミットは三日だ。ボクも厳しく行くよ」
「上等だ!」

 完全に気合の乗っている杏子を見て、ココは一気にスピードを上げて道場へと向かい、杏子もその後を追う。
 自分の後を付いていく杏子の姿を見て、ココは感じていた。
 彼女の成長と言う物を。




 ***




 道場に到着すると二人は向かい合って一礼をしたのちに構えを取る。
 杏子は来るべき時のために自分の物になりかかっているコークスクリューブローの構えを取り、ココは右手に力を込めると毒で円状のクッションを作り上げ的としてダイナの頭部と思われる位置に右手を出す。

「まずは思いっきり打ってみるんだ」

 ココに促されると杏子は一気に距離を詰めて右腕を回転させ、ドリルで貫くイメージを作り上げるとココが作り上げた毒のミットに向かって打ちこむ。
 その攻撃をココは眉一つ動かさずに受け止めると同時に右手を押し出して、杏子の体を押しのけた。
 四天王の中で一番パワーの無いココだが、この程度のことは予想が出来ていた。続けざまに攻撃を行おうと杏子が立ち上がると同時に、ココは手で彼女を制して、毒のクッションを見せると細かい指導に入る。

「ダメだ。ダメだ。見てごらん、この模様の数を」

 そう言ってココが数え出したのはコークスクリューブローの打撃によって出来上がった同心円状の模様。
 まるで木の年輪のように刻まれたその数は五重の円が出来上がっていたが、これが少ないと言うことは素人の杏子でも分かった。

「これだけかよ……大体どんぐらい刻めば及第点って言えんだ?」
「そうだな……最低でもこの3倍はやってもらわなければ、あのギミックを軌道させることはできない」

 わずか三日の間に今の3倍の実力を付けろと言うのが難題だと言うことが、相当に厳しい要求だと言うことは言っているココ自身も分かっていること。
 だがそれぐらいのことをやらなければ、杏子が用意したあのギミックを使いこなすだけの体力及び技術は手に入らない。
 ココは何も言わずに同じように毒のクッションを作り上げると、長丁場になるだろうと水筒に入った水を一飲みした後に、再び同じ位置にクッションを突き出す。

「やってやるよ!」

 闘争心に火が点いたのか杏子は思い切り毒のクッションにパンチを叩きこむが、思いだけが空回りしている状態となってしまい、先程と大して変わらない年輪が刻み込まれるだけであった。
 回数をこなさなければ前進はないと分かっているので、何度も何度も毒のクッションが作られるのを待つ時間さえもったいないと言った調子で、杏子はパンチを叩きこんでいくが、そのパンチの威力が少しずつではあるが上がっていることをココは感じ取っていて、次のプランに行っても問題ないことが分かると、パンチを放つ杏子の手を止めさせ、一旦道場から出ると、再び中に現れた時には以前トレーニングで使われた体感ゲーム機を台車に乗せて現れた。

「またそのゲームかよ!?」

 緊張感に欠けると言う理由から、杏子はこの体感ゲームでのトレーニングを一番嫌っていたが、このゲームにもちゃんとした理由がある以上従わざるを得ない。
 杏子は渋々鉄球を付けてもらうために足を突き出すが、ココは首を横に振ってそれを拒否する。

「今回は鉄球なしで最高難易度に挑戦してもらう」
「足かせ無しでか!? あれが無いとスピードが付きすぎて思うように動けないんだよ……」
「それが今回の特訓の意味さ」

 何となくではあるがココの真意と言う物を杏子は理解できた気がする。
 狭いフィールドで常に踏ん張りが効くようになれば、どんな状況でもベストショットの一撃を相手に与えることが出来る。
 これを極めさえすれば空中でも強烈な一撃を与えることが出来、魔法少女時代自分の何倍もの大きさの魔女を相手に戦い続けた杏子からすれば、魔法少女時代と同じ戦い方が出来るのはベスト。
 それにそれぐらいのことが出来なければトリコに追いつくのも夢のまた夢と判断し、杏子はゲーム機の上に乗ると早速最高難易度でスタートさせるが、ここでこのトレーニングの難しさと言う物を実感させられてしまう。

 パワーが付きすぎて自分でも思うように足を指定の場所に持って行くことが出来ず、魔法少女時代は余裕でクリアできたそれが、とても難しく感じ何度もタイミングがずれて強制的にゲームオーバー扱いになってしまう。
 それだけならばまだ問題はないのだが、時折踏み外しては盛大に転んでしまうこともあり、そのたびに杏子は自己嫌悪に陥ってしまい、またしても魔法少女時代の嫌な思い出が蘇ってしまう。

(さやかのことどうこう言えた身分じゃねぇなアタシは……)

 さやかの暴走の一旦となった原因の一つに影の魔女戦での軽率な行動があった。
 もし今自分が同じ立場であんなことをやられてみたらと思うと、杏子の脳内で想像したくもない光景が広がってしまい、ゾッと背中に冷たい物が走る。
 そんな邪念を抱いた状態でのトレーニングが成功するはずもなく、また盛大に転んでしまいゲーム機から転落してしまう。

 そんな杏子に対してココは何もせずに腕を組んで様子をジッと見ているだけ。
 一見すれば冷たい行為にも思えるが、杏子は汲み取っていたココの静かな愛情と言う物を。
 ただでさえ自分を情けなく感じていると言うのに、こんなところで手なんて差し伸べ出されれば余計に自分の惨めさに拍車がかかってエネルギーが悪い方向に暴走するばかり。
 自分を救うことが出来るのは結局自分だけなんだと思い知らされ、杏子も手を差し伸べると言う意味を考えつつもパワーの制御と言う難題に立ち向かっていた。

(さやかの奴どうしてるかな? トリコと喧嘩とかしてなきゃいいんだけどな……)

 思うのは結局トリコに任せてしまったさやかのこと。
 自分と違って大人のトリコならば、さやかのことを任せても大丈夫だとは思っていたが、それでも不安は拭えなかった。
 単純な自分と違って、色々と繊細で乙女な部分も強いさやかだからこそ、豪放磊落を絵に描いたようなトリコとは衝突する部分も多いとシュミレーションしてしまうからだ。
 だが今は死んだ人間より、自分が生き延びるために修業を繰り返して、与えられた課題をこなし理想を自分の物にするしかない。
 それが生きている自分が二人のために出来る最善だと信じ、杏子は体感ゲームを繰り返しやり続けていた。
 静寂が包む道場の中で無機質な電子音だけが木霊していた。




 ***




 そして三日の時が流れていた。
 道場内では三日前と同じようにココが作り上げた毒のクッションにコークスクリューブローを決める杏子の姿があった。
 だが明らかに三日前とは違う光景がそこには広がっていた。
 ココは両手でクッションを持って衝撃を全身で受け止めていた。これは杏子のパワーに対しての敬意であり、自分自身不幸な事故が起こらないための防護策でもある。

 クッションで保護していても回転の力は腕から胴体に響き渡り、そのエネルギーを大地に受け流すのにココは苦戦していた。
 エネルギーを受け流すとココはクッションを手から取って、円状の模様の数を確かめる。
 最初に言った課題通り、15の円が描かれているのを見ると、ココは軽やかな笑みを浮かべて合格のサインを知らせるが、杏子はどこか小馬鹿した笑みを浮かべながら呼吸を整えていた。

「これで武器を使って釘パンチ一発と同レベルってところだな」
「君は君だよ。何もトリコの全てを真似する必要なんてどこにもない」

 そんな杏子を誡めるにようにココが言うと続いて体感ゲーム機を用意し、杏子にプレイするよう手で促す。
 これもまた初めの頃とは違い力の入れる部分、抜く部分をハッキリと見極められているため慣れた調子でプレイしていき、ハイスコアを更新すると最後はポーズを決めてアピールする余裕まで見せたが、やり終えた後に虚無感と言う物を感じてしまう。

「所詮はやり慣れたそれをこなしている程度に過ぎないからな。経験に勝る武器は無い、約束してくれココ、腐れ美食會との決着が付いたら実戦の場をもっと与えてくれ」

 杏子の訴えにココの表情も真剣な物に変わる。
 一番初めバロン諸島での火だるま熊戦以降、杏子には更なる修業を課すだけであって、実戦の経験と言う物をココは積ませていなかった。
 それは慎重派のココの性格と言うのも出ていたが、杏子自身実力よりも心構えの方を付けた方がこれから先長く美食屋とやっていくために必要だと判断して、基礎をとにかく向上させる特訓を積ませていた。
 だがそれも彼女の性格を考えればこれが限界だろうと判断し、ココは何も言わずに小さく頷くと同時に出入り口からノック音が響く。

「やっと来たか」

 この状況下で自分たちの元へ届く物と言えば一つしかない、杏子が出迎えるとそこには予想通りの代物が届いていた。
 初めに二つの槍を見る。注文通りの精巧な出来は芸術品とも言える妖しい美しさを発していて、槍と言うよりはどちらかと言えば大剣に近い感じの刃が大半を占めた槍に、こちらも刃の部分が大半を占めた三又槍、槍を右手に三又槍を左手に持つ杏子を見て、ココの中で今は亡き友人の姿がダブる。

「トリコ……」

 試運転として二つの槍を動かしてイメージを作る杏子を見て、ナイフとフォークを使い分けるトリコの姿がココには見えた。
 そんなココに構わず大体のイメージが出来上がると、続いて衣装が入っていると思われる服に手を伸ばす。

「オイ、もうちょっとやってからでも……」

 あまりに雑すぎる武器の扱いにココは苦言を呈そうとするが、杏子に手を差し出されて止められると同時に一枚のメモを受け取る。

『美食會の腐れストーカーがどこで見ているか分からない。全てはぶっつけ本番で行く』

 原理だけならば理解しているのでこの作戦はベストではないにしろ、間違ってもいない。
 言っても聞かないだろうと判断したココは深紅の衣装を持って感慨深い表情を見せている杏子を見ると、着替えるだろうと察し、その場から出ていく。去り際一枚のメモを出入り口に置いて。

『恐らくは通信手段として美食會は隠密行動が得意な猛獣を手懐けている可能性が高い。ボクはそれを探しておくから、アンコちゃんはしっかりとケジメを付けるんだ』

 手際のいいココに対して、軽く頷くことで感謝の意を示すと、服を脱ぎだして深紅の衣装を改めて見つめる。

(またこの服に身を包むとはな……)

 向こうでの世界にいい思い出など何一つない杏子だが、それでも衣装や武器に対して愛着を持っていたのは事実。
 着慣れた衣装が一番だと判断して、この防護服で美食屋としての戦いに挑むと決意した杏子は袖を通していく。
 ライトニングフェニックスの羽を使っているだけあって、着た瞬間に肌寒さと言うのは全く消えて無くなり、太陽の光で包まれているような安堵感が杏子を包み込む。
 上下全ての衣装を着終えると最後に胸元にソウルジェムを模した宝石を付け、全ての準備が完了すると二つの槍を背中にしまう。

 背中には亜空間モグラの胃袋を加工した袋が装着されているので、小さい物ではあるが槍程度ならば難なく収納することが出来た。
 全ての準備を終えると杏子は足に力を込めて、今でもダイナが潜伏していると思われる場所へと再び向かう。
 脚力が特性の杏子は瞬く間に道場を抜け出して目的地へとまっすぐ突き進む。
 その様子を見ていたココはあっという間に見えなくなった杏子に向かってエールを送った。

「まずは一つ課題をクリア出来るかだぞ……」




 ***




 あっという間にダイナが潜伏していると思われる場所へ到着すると、杏子は記憶を頼りに今度は自分からクレイリザードの落とし穴へと入っていく。
 準備が出来ていなかった三日前とは違い、一気に下りていくと再び最下層に到着すると同時に行燈の灯だけが照らす空間へと入る。
 ダイナは相変わらず黒いローブを身に纏って余裕めいた笑みを浮かべながら、立ち上がると今度こそはと言った感じで杏子に交渉をしようとする。

「どうだい? 気が変わったかな?」
「余裕ぶっても無駄だぜ、このストーカー野郎が」

 その紳士ぶった態度が明らかに猫を被った物であるのは分かっているので、まずはそこから潰していこうと杏子は食ってかかる。

「心が読めるなんて適当なこと抜かしやがって、もう種はばれてんだよ」
「だからどうしたというのだ。君に勝てる要素は一つもないだろ」

 例え種がばれていても自分が負ける要素など何一つないと踏んでいたダイナは余裕めいた笑みを崩さないでいた。
 その態度が気に入らず、杏子は一気に突っ込んで勝負を決めようと拳を振り上げてダイナに向かって突っ込んでいく。
 その攻撃の軌道が右ストレートだと分かりきっているダイナは、最小限の動作で左に顔だけを動かしてかわすが、その瞬間に違和感が訪れる。
 不自然な動きで杏子が空中で止まり、見たことも無い攻撃手段に対処が間に合わず、ダイナは杏子が放つ全力のヘッドバッドを食らってしまい、後方によろめいてしまう。
 続いて左のフックを放つがこれは分かりきった攻撃のためにダイナはかわす。
 だがかわした瞬間に杏子の表情が邪悪に歪む。
 空中で止まった状態で後ろを向きながら、ダイナに向かって背を向けた状態で一回転すると、勢いに任せた胴回し回転蹴りをダイナの顔面に放つ。
 無防備になった顔面に全体重が乗った攻撃を食らわされてしまい、ダイナは初めて尻もちを付いて驚いた表情で杏子を見つめてしまう。
 ローブが取れて顔が現れるとその顔を見て、空中に浮いた状態のまま杏子は小馬鹿にした笑みを浮かべて悪態をつく。

「は! 面見りゃ醜悪さって奴がにじみ出てやがるな。それに小者臭って奴も半端じゃねぇ、人の嫌なところネチネチ付くしか能が無さそうなボンクラ面だ!」

 言いように馬鹿にされてダイナは冷静さを欠いた状態で腕を振り回すと何かが引っかかる感覚を覚える。
 辺りを見回すと杏子の袖の部分からワイヤー状のロープが伸びていて、右と左に装着されたワイヤーは各々行燈を貫いていて、杏子の体を宙に浮かせていた。

「何だそのワイヤーは!? そんな物は映像にないぞ!?」
「映像の送り主と言うのはこちらでいいのかな?」

 そこにこの場に居る自分とも杏子とも違う青年の声が響く。
 落とし穴からではなく、出入り口から入ってきたココの手には小さなカメレオンが持たれていて、その額にはカメラが装着されていた。
 無理矢理にねじ込まれたカメラの部分を見て人為的に改造された物だと言うことが分かり、杏子は怒りの視線をダイナにぶつけるが、それを制そうとココが手を差し出して止めるとまずはカメレオンの説明に入る。

 隠密行動に優れ、極端に臆病で絶対に自分から狩りを起こさず、強い猛獣に寄生することで生き延びるカメレオン『スティンガーレオン』は、攻撃力が皆無ながらもその発見の難しさから捕獲レベル37を誇るカメレオン。
 もちろん実際にはカメラは装着されておらず、これはダイナによる改造だとココが告げるとノッキングを終えたスティンガーレオンをそっと安全な場所へと下ろし、その後の対処に付いて語る。

「スティンガーレオンに関してはまだまだ未知の部分も多いからね。ボクの方からIGOに頼んで保護してもらうようにするよ。もちろん体に装着されたカメラを取り除いてね」
「頼むぜ……」

 ココからスティンガーレオンに付いての処遇を聞かされると、杏子は両方に備え付けられたワイヤーを引っ張って行燈を倒す。
 辺り一面に炎が広がってそこに居た全員を照らしあげると、杏子は明らかに見下した表情を浮かべてダイナを見下ろしていた。

「覚悟してもらうぞ。テメェは許さねぇからな」
「ほざくな! もう引っかけられる出っ張りも物体も無い状態だぞ! それならワイヤーの二本ぐらい怖くも何ともないわ!」

 再び自分にチャンスが巡ってきたのを見ると、ダイナは懐からノッキングガンと愛用のナイフを取り出して勝負を決そうとする。
 最早杏子は眼中にない状態だった。
 問題はココからどうやって逃げのびるかだけしか頭になく、杏子を見やりながらも同じように自分に向かって敵意の視線を向けているココから逃れる術を考え続けていた。
 その態度が気に入らないのは杏子もココも同じことだった。
 額に血管を浮かべている杏子を宥めようとココは手のひらを叩いて合図を送ると同時に、杏子の心に静寂を取り戻させようとする。

「やるべきことをやって決着を付けるんだ」

 その言葉に杏子が静かに頷くと背中から槍と三又槍を取り出す。
 物自体は初めて見る物だが、槍と言うのは本来一本で相手の間合いに入らず、一方的に自分だけが攻撃を行うための武器。
 明らかに使い方を間違えている杏子にダイナは勝利を確信し、ナイフの柄に付けられたスイッチを押して刃の部分を杏子に吹き飛ばすが、その瞬間に炸裂音が響き渡る。
 何事かと思いダイナが杏子の方を見ると、持っていた二つの槍に変化が表れていた。
 二つの槍は合わさって一つの槍へと変化し、巨大な刃の槍は細く引き締まった状態に変わり、その刃に三又槍の刃が絡まってまるでドリルのような形状の槍が仕上がっていて、離れた刃はそのドリルによって払われていた。

「何だそれは!? そんな情報はスティンガーレオンからは届いて……」
「グダグダうっせぇよ!」

 ダイナの声を聞くたびに血液が沸騰する感覚を覚えた杏子は感情に自分が消される前に行動に移す。
 大きく足を開いてダイナに向かって槍を突き出すと、足からイメージを作り出す。
 両足全体に響き渡るのは回転のイメージ。
 その回転の力は両足から胴体へと移っていき、更に強い物へと変わり、暴れ回る回転の力を全て両腕に持って行くと最後にドリルの槍へと回転の力を与えていく。
 回転の力を受け取るとドリルは勢いよく回転を始め、獲物を求めて無機質な機械音を発し続けていた。
 その轟音から恐怖しか感じられなかったダイナは背を向けて逃げようとしたが、杏子がそれを許すはずがなく、全部の回転を両足で受け止めると一気に駆け抜けて突っ込む。

「食らいやがれ――!」

 理論だけでは狙いが定まるわけもなく、勢いに任せて放ったドリルはダイナの脇腹を軽く掠めるだけで終わり、初めての攻撃は不発に終わった。
 杏子自身もまた思っていた以上に強力なドリルのパワーに自分をコントロールすることが出来ず、ドリルの切っ先が地面に突き刺さると回転の力に耐えることが出来ずに、その体はココの方に放り投げられてしまうがココは彼女を受け止めると地面へと下ろす。

「よくやった立派だったぞ」
「ああ運のいい野郎だぜ」

 杏子も勝負が決したことはもう理解していた。
 脇腹を掠めただけでも回転の力は十分すぎるダメージを与えていて、血液が勢いよく噴き出しているのを止めるのに必死であり、傷口を両手で押さえながら何度も何度も見苦しい叫び声を上げるダイナに嫌になったのか、ココは毒で作り上げたノッキングに使う針を傷口に差し込むと強引にノッキングを行う。

「ぎゃああああああああああああああ!」

 毒ノッキングが終了するとダイナは泡を吹きながら倒れ、美食會との初めての対戦はあっけなく決した。
 最後にココは未だに血が流れ続けている傷口に対して、毒でコーティングを行うと入ってきた入口が出ていこうと、スティンガーレオンとダイナを連れて外へ出ようとする。
 それに杏子も続くが、袖に仕込まれた二本のワイヤーを使いこなせ切れない自分に嫌悪感を軽く抱いていた。

「右には『ナイフワイヤー』左には『フォークワイヤー』か……手心を加えてくれたオリーブに感謝するけどさ、これ半人前のボンクラには使いこなすの難しそうだぜ……」

 こちらから要求はしていなかったが、オリーブが美食屋としてやっていくならと手心を加えて衣装と一緒にあったメモに書いてあったそれを早くも実戦で使えたのは今までの経験から。
 それを自分の思うがままに使いこなせなかったのは、自分の未熟さ。
 まだまだ課題は山ほどあると実感させられてしまい、ため息を軽く吐くと杏子もまたココの後を追った。
 まだまだ指示してもらうことは多いだろうと思いながら。




 ***




 外に出ていくと杏子は出入り口の部分でココに待たされていた。
 ダイナをグルメ警察に引き渡し、スティンガーレオンをIGOに引き渡すのは分かるが、それだったら何で自分が待たされるのかが分からない。
 ココのことだから何かしら考えがあるのは分かっているが、その意図が今一つ分からず杏子はどこか苛立った調子で待っていると、ココの手にはブティックで買ってきた袋が持たれていて、中から取り出したのは暖かくなったこの時期には不釣り合いな大きめのコートだった。

「何だよこれは着ろってのか?」

 杏子の質問に対してココは無言で頷く。
 この時期には合っていないと踏んだ杏子は、今一つデザインが気に入らないコートを着る気にはなれずにそっぽを向く。

「嫌だよ。そんなダサいコートなんて着たくもない」
「それは勝手だが本当にいいのかい? その格好は似合っているとは思うんだが、ボクらと違って一般社会には適合する服装じゃないと思うんだが……」

 最後の方で歯切れが悪くなるココを見て、杏子はココの真意を汲み取ると一気に羞恥で顔を真っ赤にさせてしまい、慌てて貰ったコートを着込む。
 確かにココが言う通り魔法少女の衣装で街中を歩くのは、あまりに厚顔無恥と言える。
 長い魔法少女での生活からか、いつでも気が向いた時に変身が解けられると思っていたが、今着ているのはただの防護服。
 着替えを用意しないで突っ込んで行ったために、こんな間抜けな目にあってしまい、杏子はコートを着るとすぐに脚力を駆使して一気に帰ろうとするが、それをココに制される。

「何だよ!? 帰って飯にしようぜ」
「まだ一つ重要な仕事がアンコちゃんには残っている。武器と防護服の代金の支払いに付いてだが、君にはこれらの仕事をこなして稼いでもらうよ」

 そう言うとココは手作りの一冊の資料を手渡した。
 事細かに猛獣に付いての情報と対策、部位によっての価値などが書かれた資料はそれだけで一冊の本が作れるであろう精巧な出来であり、後半のページになるにつれて捕獲レベルが上がっていき、最後のページを見ると自然と杏子の表情は引きしまる。
 それは初めて自分がこの世界に来た瞬間、死を覚悟した猛獣『怪鳥ゲロルド』が居たからだ。
 戦うべき相手を用意してくれたココに感謝しながらも真剣な目でココを見つめる。

「これでアンコちゃんも経験を積めるし、ゲロルドを倒せる頃にはもう一人前の美食屋だ。その時にはボクから最後の課題を用意しておくからね」
「分かっている。こいつにはちょっとした借りがあってな。リベンジマッチの機会を与えてくれたことに感謝するぜココ」

 依頼は全部で30種類ぐらいあり、どれも一筋縄ではいかず、捕獲の依頼も屈強な猛獣だけではなく、珍しい植物や逃げ足の速い臆病な猛獣などもあり、杏子のやる気は高まる一方であり、大体見終えると背中に物をしまうが、最後にココは何かを思い出すとそれを杏子に告げる。

「最後にもう一つ君には仕事があるぞ」
「何だよ一体?」
「あのドリルの必殺技に名前を付けているのを忘れている。全ての存在には名前がなければ意味がない物だよ」

 真顔でとんでもないことを要求してくるココに杏子の頭は真っ白になってしまった。
 マミの元で指導を受けていた時も『ロッソ・ファンタズマ』と言う必殺技の名前を言うのが恥ずかしくて、マミから一番怒られたのが必殺技を叫ぶ時の堂々とした態度だったと言う歯がゆい思い出を思い出してしまう。
 当然杏子は拒否しようとしたが、この世界ではそれが当り前なのは今までの経験を見れば分かること。

 それに必殺技の名前を叫んで利点と言う物も知っている。
 モチベーションの強化に放つ際の集中力の向上など、それらを上手く使いこなせば自分の技も威力が上がることは分かっていた。
 正直な話恥ずかしいと言う想いがかなり強かったが、郷に入っては郷に従えという言葉もある。
 杏子は少し考える素振りを見せた後にシンプルに思いついた技名をココに告げる。

「じゃあ『ドリルクラッシュ』」

 深く考えずにシンプルな技名の方が色々と言われないで済むだろうと思った杏子は頭の中で適当に思いついた技名を告げる。
 その名前を気に入ったのかココは軽やかな笑顔を浮かべながら、突然懐から半紙と硯を取り出して墨をすると毛筆で絵を描いていく。
 仕上がった水墨画には杏子がドリルの槍を突き出して攻撃を決める絵が描かれていて隣は先程言った『ドリルクラッシュ』と言う技名が大きく書かれていて、物が仕上がるとココは杏子にそれを手渡す。

「おめでとう。一つ技が正式に生まれた瞬間だよ」

 そう言って、とてもいい笑顔で物を渡す辺り、もうこれを拒否することは出来ないと杏子の中で諦めが付き、引きつった顔のまま杏子は水墨画を受け取るとこれからのことに頭を悩ませていた。
 猛獣との戦い云々では無い。どうやれば恥ずかしがらずに必殺技を叫ぶことが出来るかと言うことを。





本日の食材

スティンガーレオン 捕獲レベル37

とても臆病な性格で自分から狩りを行おうとはせず、強い猛獣に寄生して危険を知らせる代わりに餌を分けてもらう共生をモットーとしているカメレオン。
どんな場所でも瞬時に擬態して身を隠すことが出来るため、発見は困難を極める。





と言う訳で美食會との決着を付けました。
マミとの指示でも恐らくこれだけが出来の悪い、それだろうと思って言いましたが、この世界では必殺技の名前を叫ぶのはデフォルトですからね。と言う訳で杏子にもやってもらうことにしました。
次回はココの最後の特訓の話になります。次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ22 生きて食すると言うこと
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:862977af
Date: 2013/06/10 18:52



 広い草原に佇んでいるのは深紅の衣装に身を包み、自分の身長より大きい三又槍を持った少女と、ダチョウのような丸い胴体に禍々しい表情を浮かべた五つ首の怪鳥。
 本格的な実戦経験を積ませてから三カ月の時が流れた。
 ココは最終試験である『怪鳥ゲロルド』との戦いがこんなにも早く訪れたことに、平静を装いながらも驚きを隠せないでいた。
 実戦経験を積ませるために現場での狩りを解禁してからと言う物、杏子はまるでゲームでも楽しむかのように最低でも一日に一個は課題を消化していき、近くに依頼の品がある場合は一日で二つ、三つの課題をこなすことも少なくはなかった。
 これがトリコのグルメ細胞が杏子に完全な適合を見せた結果か、杏子の元々の才能が爆発した結果かは分からない。だが驚くべき成長を見せている杏子を見て、自分が師事できることも残り少ないと判断したココは恐らく自分が最後に見守るであろう戦いを見続けていた。

 ゲロルドも杏子も互いに間合いを取って、相手の隙を窺う姿勢を取っていたが、長い沈黙に耐えきれなくなったのか、先に行動を起こしたのはゲロルド。
 奇声を立てながら一気に突っ込んで間合いを詰めて、五つの首を伸ばして各々のくちばしでついばもうとしていく。
 初めて出会った時にはこの時死を覚悟して、頭の中が真っ白になっていた杏子だが、今は不気味なぐらいに落ち着いていて、チャンスを待っていた。
 そしてその瞬間は訪れる。
 五つの首全てが自分の間合いに入った瞬間、杏子は勢いを付けて右から三又槍を振り上げると同時にギミックを起動させる。
 右端の刃だけを残した状態で残りの刃を柄の中に隠し、残った刃の峰で一番右端の首を叩きつけると、ドミノ倒しの要領で残り四本の首も右からの衝撃を受け、その衝撃が左端の首にまで伝わると同時にゲロルドの体は地面へと倒れ込む。
 それと同時に杏子はギミックを起動させて、刃を柄から出すと首を刃の中に一つにまとめ上げてゲロルドの移動を封じた。

(なるほど……分かってきたぜ、防御の要領って奴が)

 魔法少女時代も自分には弱点があり、それが克服できつつあることに杏子は達成感のような物を感じながらも、トドメを刺すため勢いよく飛び上がって背中からもう一本の槍を取り出す。
 三又槍を要求したのはドリルクラッシュのギミックのためというのもあるが、自分の弱点である防御に回った瞬間に一斉に攻めたてられてしまうと言う致命的な弱点を解消するためでもあった。
 当初は理屈では分かっていたが、慣れない三又槍に最初は思うように使えずに苦戦を強いられていたが、ココの丁寧な指導と元々の要領の良さも手伝って、防御を主体とまではいかないが、弱点と呼ばれる穴を塞いだ程度には防御が出来るようになり、耐えてチャンスを待つと言うことが出来るようになった。

 これで一気に波に乗ることが出来た杏子はトントン拍子で依頼をこなしていき、そして今最後のココからの依頼であるゲロルドを撃破しようと上空で倒す算段を考えていた。
 だがゲロルドもただ倒されるためだけに居る訳ではなく、意地を見せて反撃に転じようとする。
 首の力だけで強引に三又槍を動かすと、血だらけになりながらも首から槍を引き抜いて、飛び上がっている杏子に向かって咆哮を繰り返す。
 それはゲロルドが自分をただの餌ではなく、倒さなければ生き残れない敵として見た証。
 ならば自分もそれに全力で応えようと、右手に力を込めると前方に突き出して、先端にナイフの付いたワイヤーを発射する。

「ナイフワイヤー!」

 恥ずかしかった必殺技を叫ぶ行為ではあるが、効果がハッキリ出ている物だと分かると、今では格好いいとは思わないが、狩りにおいて必要な行為だと割り切って叫ぶことが出来た。
 ナイフワイヤーがゲロルドの胴体に食い込むと、杏子は利き腕で思い切り引っ張って自分の元へと持って行く。
 突如自分の体が空中に浮き上がり、獲物が眼前に居ることにゲロルドは戸惑っていて、相手が戦う準備が出来上がっていないのを見極めると、杏子は持っていた槍の背で真ん中のリーダー格のゲロルドの頭部を思い切り殴り飛ばし、今度は一気に地面へと落下させる。
 ゲロルドが地面へと激突する前に、今度は左腕を突き出すと先端にフォークの付いたワイヤーを発射させる。

「フォークワイヤー!」

 フォークワイヤーが先程、胴体に開けた穴に刺さると杏子は袖のスイッチを押して、掃除機のコードが本体に戻るかのようなスピードでゲロルドよりも早く地面へと到着し、未だに空中を浮いて防御も攻撃の体勢も取れない無防備なゲロルドに対して、杏子は刺さったままの三又槍の柄を両腕で押すとしなりが付いた状態で槍を五つの首に向かって振り上げる。

「でやあああああああああああああ!」

 最後に気合の入った叫び声が木霊すると同時に、勢いの付いた刃は一気にゲロルドの首を切り裂いていく。
 半端な実力は逆にゲロルドを苦しめるだけと分かっている杏子の気合は刃にも伝わり、ゲロルドの五つの首は一気に切り裂かれて胴体と永遠の別れを告げた。
 噴水のように吹き出す血液が大地を濡らし、地面から轟音が響き渡ると、自分のために命を分けてくれたゲロルドに対して感謝の念を込め、トリコがずっと行い、ココからもやることを共生されている儀式のような締めの挨拶を行う。

「ごちそうさまでした」

 杏子と同じようにココも手を合わせて真摯な表情を浮かべて、ゲロルドに感謝の念を送る。
 命に対する礼儀が終わると、杏子は懐から解体用の鉈に近いサイズの大型ナイフを取り出し、早速解体作業に入る。
 食材に対しての知識がまだまだ少ない杏子だけに、解体方法その物はグルメディクショナリーを見ながらではあったが、その手際の良さは今までに培ってきた経験の賜物であり、食べられる部位と、食用では無くても他の用途がある部位、全く必要のない部位と分けると、最後に杏子は全く必要のない部位を地面へと埋めて栄養に変えると、部位を亜空間モグラの胃袋が装着されたスポーツバッグに詰めて、ココの元へ手渡す。

「これで全ての依頼は完了したぜ。教えてくれココ、最後の修業ってのは何だ?」
「その表現は間違っているよアンコちゃん。人生は常に勉強であり修業だ。ボクから教えられることはここまでって意味だよ、後は自分なりに修業を積んで自分の持ち味や色ってのを出していきなさいって話さ」

 理屈っぽいココの言い回しに杏子は面倒くさそうな表情を浮かべながらも対応に回り、何とか最後の修業が何なのかを聞こうとする。
 別にココのことが嫌いなわけではないのだが、今までの経験からある程度の基礎が出来上がれば、後は自分なりに戦ってマイペースでやっていく方が早く技術や能力の向上が見込めると踏んだからだ。
 それにいつまでもじぶんにかまけてばかりではココもなまった体を元の調子に戻すのと、更なる能力の向上に時間を割く暇が無い。
 自分のためにもココのためにも早く自立したいと思っている杏子は、最後の修業を行うように促すと、彼はため息交じりに杏子を宥めながら最後の修業が行う場所が書かれた地図を手渡し、この日は帰ろうとする。

「今までの中で一番ハードな物になるから、今日は帰って大人しく体を休めるんだ。ハッキリと言っておくが、これまでの中で一番厳しい修業になる覚悟をするんだ……」

 そう言って真剣な顔を浮かべながら話すココだが、逆に睨み返すぐらいの気概が今はあった。
 自信があったからだ。今までの経験が自分を支えてくれている。
 どんな屈強な猛獣にも特殊な環境にも耐えてみせると心の中で気合を入れると、杏子は黙ってココの後を付いて行った。




 ***




 翌日、最後の修業としてココが連れてきたのは薄暗い洞窟だった。
 ココはライトを使わなくても楽々と歩くことが出来、杏子もトリコほどではないが嗅覚と薄暗くぼんやりとした調子ではあるが、前方を確認しながらココの後を付いていき、最後の修業場所へと向かう。
 肌で感じて、多少は肌寒いがそこまで厳しい環境でない以上、屈強な猛獣が相手だろうと思い、頭の中で何度もシミュレーションを重ねる。
 群れで単体を追いつめるタイプなのか、この薄暗いフィールドを十二分に利用できるタイプなのかは分からないが、自分を信じて精一杯やるだけだと杏子は決めていたが、小さな洞窟の前に立つとココは手を差し出して、杏子から武器を差し出すように要求する。

「最後の修業は武器無しで戦えって言うのか?」
「そうじゃない。辛さのあまり自殺されたら元も子も無いからな」

 言っている意味が良く分からないが、杏子は渋々背中にしまっていた二本の槍と袖に仕込んでおいた二本のワイヤー、更には解体用の大型ナイフを全て差し出すと、ココに促されて洞窟の中へと入る。
 中は薄暗くジメっと湿った嫌な空気に満ちていて、先程まではどことなく肌寒ささえ感じていたが、密室空間のためか今は逆に蒸し暑いぐらいの居心地の悪さを覚え、ここで何をするのか杏子はココに尋ねようとする。

「で、何なんだ最後の修業ってのは? だんまり決め込んでないで、そろそろ答えろよ」

 この洞窟に入ってからココの口数は全くなく、今日初めて喋ったのも先程のやりとりのみ。
 その態度が今一つ気に入らない杏子は多少いら立った調子で話すが、ココは全ての武器がちゃんと自分の元にあるのを確認すると杏子をまっすぐ見つめて話し出す。

「美食屋になれば人間の嫌な部分や汚い部分も見えてしまう。それはアンコちゃんも数える程度の任務しかこなしていなくても分かるね?」

 ココに言われてしまい、杏子は過去の嫌な思い出を思い返しながらも小さく頷く。
 清廉潔白な人間などこの世に存在しない、それは魔法少女時代に嫌というほど思い知らされたのだが、この優しすぎる世界でも、腹の中でドロドロとした邪悪な感情を蘇らせるような最低な人間は何人も見てきた。
 土地転がしのため、ただそこで暮らしているだけの猛獣を殺してほしい。
 自社の儲けのため、薬草の調達をお願いしたい。それだけなら問題ないのだが、近くにはそれしか食べることのできない捕獲レベルの低い猛獣もいたが、それらは邪魔なのでついでに駆除も要求してきた。

 もちろん、そんな胸糞の悪い依頼を完全に受けるわけもなく、猛獣は近隣住民にも被害が及んでいる状態なのでノッキングの後にIGOに保護させ、薬草も平原一面に生えているのを要求してきたが、一人前だけ取ると後はIGOの研究班に託した。
 当然その後は自分の琴線に触れた依頼主たちを殴り飛ばして、その件に関しての決着はつけたが、これからもこんな依頼を受けなければと思うと杏子は胃が痛くなる感覚を覚えた。

「痛みや悲しみを感じるのは素晴らしいことだ。だが痛みや悲しみに負けて自分を見失っては何の意味も無い」
「ウルセェ! そんなことお前に言われなくても分かってる!」

 それはココなりのフォローの言葉だったが、その言葉にさやかの顛末を思い出した杏子は乱暴に返してしまう。
 怒りはそれだけでは収まらず、胸糞の悪い話を切り出したココの真意を知ろうと彼を睨んだ。

「だから最後の修業は君がそんな悲しみや痛みに負けない。強い心を生み出す精神面での修業を行ってもらう。ここで考えるんだ」

 言っている意味が分からず、杏子は頭の上にクエッションマークを浮かべた状態でココを見ていると、ココは恐怖さえ感じるレベルの真剣な表情を浮かべたまま叫ぶように言う。

「そう言う憎しみや怒りに負けない心の中のしんがり棒と言うのは一つしかない。最後の修業はここからの脱出だ! それが出来た時、君は何にも負けない強さを手に入れられる」

 それだけを言うとココは近くにあった大きな岩で唯一ある出入り口を塞ぎ、外界と完全に遮断をした。
 静寂だけが辺りを包む。だが杏子は最後の修業がこんな物なのかと拍子抜けしてしまう部分が強く、ようはここから出られればそれで完了なのだろうと思い、力任せに出入り口を塞いでいる岩を殴り飛ばすが、全く手応えと言うのを感じられず、逆に手に痛みが走るだけ。
 これは何度殴っても結果は同じだろうと判断した杏子は、次は上からの脱出を試みようと飛び上がってみるが、どこにも上へと通じる穴のような物は存在せず、僅かな空気穴が空いている程度のそれに自力での脱出は不可能と判断する。
 なので大人しく立ち止まって考えようと観念し、20畳ほどの大きさの洞窟をジックリ見つめ、落ち着いて物が考えられる場所を探すと、ちょど中央に座るのに適した平たい岩が置かれていた。
 その上にあぐらをかいて座ると杏子は頬杖をついた状態で脱出方法を考えているが、静寂な空間が自然と心を落ち着かせたのか。杏子はあぐらをかきながらも目を閉じて精神を落ち着かせようとする。

(まさか教会の娘が座禅を組むことになるとはな……)

 違和感しか感じられない行動に杏子は苦笑いを浮かべるが、同時に腹も鳴る。
 朝食は一杯食べたはずなのだが、燃費の悪いトリコのグルメ細胞の影響か、今は空腹が一番の敵となっていた。
 とにかく最後の修業を終わらせて、美味しい食事を取ろうと杏子は考え続けた。
 自分もココも納得する答えと言う物を。




 ***




 もうどれだけの時が経ったのか分からない。
 太陽の光を浴びれず、腕時計も無いため、体内時計も狂っている状態で、杏子は一人孤独と戦っていた。
 敵は孤独だけではない、飢えと言う最大の敵は今までの中で一番辛い経験と言えた。
 水分に関しては微量の湧水を即席で作った岩のコップに貯め、一日経過してようやく唇を湿らせる程度のそれしか集まらなかったが、何もないこの状況ではそれだけでも貴重な栄養源であった。

 しかし当然それだけではトリコのグルメ細胞は満足するはずもなく、基礎代謝分のエネルギーも補給できない状態が何日も続いたため、目は霞み、肌は水分を失い老化が進んだ建造物のようにボロボロにくすみ、足腰に関してもまともに自分の体重すら支えられない状態になっていた。
 だがそれでも杏子はココに助けを求めると言う真似をしなかった。
 無様だから、格好悪いとか言う体裁の問題ではない。まだ自分が納得できる答えと言う物が見つかっていないからだ。

(アタシはさやかに教えてもらったんだ……自分が自分じゃなくなる悲しみって奴を……)

 最早声を出すのも厳しい状況でありながらも、杏子は最後さやかが人間だった瞬間のその悲しげな顔が忘れられず、自分に出来ることはただ悦楽のみに逃げて魔女化を回避できるような弱い人間ではなく、彼女がなれなかった本当の意味での正義の味方になること。
 それにトリコが果たせなかったフルコースのメインディッシュ『GOD』の件もある。
 自分に足りない物は何なのかを本当の意味で見つけるためにも、この修業で挫折する訳にはいかない。それまでの人生を振り返っても、挫折した結果、誰も守れず、何も救えず、傷つけるだけの日々を過ごしてきたのだから。

 音の無い状況は聴覚を鋭敏にさせ、水が溜まった音を聞くと、杏子は這ってその場へ向かおうとする。
 岩の地面を這っているにもかかわらず、素足に痛みは感じられなかった。
 両の足さえも感覚が無くなり、これまでで一番辛い修業と言うココの言葉をマジマジと思い知らされ、焦点の定まらない目で岩のコップに向かって手を伸ばすが、距離感が掴められず、コップを取ろうとした瞬間手が滑ってしまい、少しだけ溜まった湧き水はあっという間に地面へと吸い寄せられてしまう。
 唯一の栄養源であった湧き水さえ失ってしまい、杏子の心の中のしんがり棒が折れる音が響く。
 出入り口を塞いでいる穴に向かって手を伸ばす。そして声にならない声で叫ぼうとした。

「たす……け……」
「随分と無様なそれだなオイ!」

 そこには自分以外の声が聞こえた。ありえない状況に杏子が顔を上げて見たのは、そこには絶対に居ない存在。
 パーカーとハーフパンツ姿のいつもの格好の自分に対して、そこに居たのは深紅の魔法少女のコスチュームに身を包んで槍を持った自分だった。
 明らかに自分に対して見下した笑みを浮かべている魔法少女の自分は空になったコップをブーツで蹴り飛ばすと、屈んでボロボロの杏子に目線を合わせて話しかける。

「アタシが誰だかは分かるな? ん?」
「もしかしてアタシの魔法少女だった頃の力の一部かお前は?」
「当たり前だろ。こんな最高のオーラを放つ魔法少女が他に居るか」

 自分と対話することにも信じられなかった杏子だが、まだ魔法少女だったころの力が残っていることにも驚きを隠せず、不思議と軽くなった体を起き上がらせてもう一人の自分と向かい合うと魔法少女の杏子が話し出す。

「単刀直入に言うぜ。こんな下らない修業はやめて、アタシに身を委ねろ。そうすりゃずっと楽に面白おかしく生きられるぞ」
「ダメだ。ダメだ。こいつを乗り越えなければココの奴に愛想を尽かされちまう。それにアタシ自身さやかみたいな末路を辿ったんじゃアイツに顔向けが出来ない」
「下らねぇこと抜かしてんじゃねーよ!」

 自分の決意を話す杏子だがそれは魔法少女の杏子に取っては下らない話のようであり、柄の部分で思い切り後頭部を殴られてしまう。
 食べていないので軽い攻撃でもよろめいてしまう杏子を魔法少女の杏子が支えると、首に腕を回した状態で邪悪な笑みを浮かべながら話し出す。

「ここからの脱出なら任せろ。アタシならそれが簡単にできるし、お前自身ある意味は魔法少女時代よりも強力な力を手に入れたじゃないか。グルメ細胞は少しばかし燃費が悪いが、グリーフシードを求めて駆けずり回る生活よりはマシだろ? 所詮この世は弱肉強食、アタシなら食物連鎖の中でも生き残れることは可能だ。何か間違ったこと言ってるか?」
「それとこれとは……」

 確かに魔法少女の自分が言っていることは、間違いなくかつての自分が正しいと信じてきた言い分だった。
 今でもその全てが間違いだったとは思っていないが、ここでの幸せな生活が再び自分に人間としての良心を復活させた。
 その良心が本当にそれでいいのかと問いかけているような気がして、歯切れの悪い返事をしてしまう。
 煮え切らない態度が気に入らないのか、魔法少女の杏子は腕に力を込めて更に締め上げるとまくしたてるように喋り続ける。

「確かにこの世界は甘ちゃんの集まりだ。お前がそれに気を良くするのも分かる。だがもう充分だろ。この世界だって所詮は弱肉強食で構成されているんだ。シンプルなのが一番だぜ、GODも美食會もどうだっていいだろ。アタシはアタシだ、風の吹くまま気の向くままに生きればいいんだ」

 自由と言うのは自分が一番の心情としている言葉だった。
 その言葉に杏子の心が揺らぐ。
 別にココと袂を分かった後でも、自分のやっていることは犯罪行為ではない。
 この世界でのシンプルな戦いはある意味では元居た世界よりも自分の性にあっている。
 変に使命に囚われるよりも、毎日を気楽に生きていた方が楽に決まっている。もう一度戻りさえすれば、もうトリコを失ったような悲しみにくれる必要もない。今のように飢えに苦しむこともなく、毎日面白おかしくグルメ食材を食べる喜びに興じられる。
 飢えも手伝ってか、杏子は魔法少女の自分の胸の中に身を委ね、そのまま彼女の中に取り込まれようとしていた。

「そうだ、それでいいんだ……あのボンクラがいなければ、お前は最強の魔法少女で居続けられたんだ。もう傷つく必要はない、何もかも全てアタシに任せるんだ杏子……」

 体が魔法少女の自分の中に取り込まれる瞬間に、走馬灯のように一気に思い出が蘇る。
 それはこの世界での優しい人たちとの記憶、そしてトリコの笑顔だった。
 また昔のような生き方を選べば、間違いなくその人たちと関わり合いになることは出来ない。
 その想いだけが死に体だった自分の体に活力を与え、腕に力を込めて突き飛ばすと、憎しみが籠った目で魔法少女の自分を睨みつけた。

「何の真似だ? お前は最強の魔法少女に戻りたくないって言うのか?」
「最強の魔法少女? 違うな。アタシがなりたいのは最高の美食屋だ!」
「それだったら別にアタシに身を委ねてもなれるものだろ!」
「よく覚えておけ……アタシは見たんだ。さやかがトリコと一緒に次のステージへ旅立った時、アイツが見せてくれた優しい笑顔ってのが今でも目に焼き付いている。そこからアタシはさやかに教えてもらったんだよ……」

 そう言って拳を振り上げて、力の限り魔法少女の自分を殴り飛ばす。
 自分の頬が歪んで後方に吹っ飛んで行く感覚は決して気分がいい物ではないが、感情のままに杏子は叫ぶ。

「一人じゃねぇ奴は強ええんだよ! 魔法少女だった頃は誰も教えてくれなかったが、それをアタシはトリコに教えてもらったんだ!」

 この世界に着たきっかけもさやかを救いたいとう純粋な想いから。
 それさえ失くして、また本能の赴くままに生きていたのでは、その頃の自分さえ否定することになる。
 それだけは絶対に避けたいと言う想いから、杏子は魔法少女時代との自分との決別を宣言した。
 それに対して地面に吹っ飛ばされた魔法少女の杏子は露骨に不快な表情を浮かべながら立ち上がると、口の中に溜まった血反吐を吐き出し、杏子を睨みつけると同時にその体を紅蓮の炎に包む。

「どうやらテメェはボンクラどもに感化されすぎたようだな……大人しく取り込んでやろうと思ったがやめだ。バカは死ななきゃ治らねぇんだよ!」

 炎が止んだ時に現れたのは魔法少女佐倉杏子では無かった。
 中華風の着物に身を包み、馬に乗って槍を持ち、頭部が蝋燭状になった魔女『Ophelia』がそこに居た。
 この姿を見て、直観的に杏子は理解した。これは自分が魔女になった姿なのだと。

「見れば見るほど禍々しくて、腹立たしい姿だなオイ! テメェをぶっ潰せば、完全にアタシは魔法少女なんてクソみたいな存在と決別出来るわけだな。脱出の前に軽くこなしてやるぜ!」

 本来の目的とは違うが、いずれはやらなくてはいけないと思っていたことなので、杏子は飛び上がってオフィーリアの顔面に向かってコークスクリューブローを放つ。
 だがオフィーリアは邪悪な笑みを浮かべると同時に頭部の炎を消して、パンチが空を切ったのを見ると槍での攻撃に転じる。
 勢いよく放たれた槍の連撃は、杏子の両肩と両膝を貫いて最後に柄でみぞおちを思い切り殴り飛ばすと、勢い良く壁に向かって激突する。
 岩が頭に振りかかり、攻撃した部分から鮮血が吹き出すのを見るとオフィーリアは豪快に笑い飛ばす。

「ハハハハハハ! ざまぁねえな! もうお前は魔法少女じゃないから自然回復もしない、それにこんな食いものも無い状況じゃグルメ細胞の治癒能力も発揮しないからな。この勝負アタシの勝ちだ!」

 勝利を完全に確信したオフィーリアはゆっくりと蹄の音を鳴らして、穂先を突き付けながら杏子へと向かっていく。
 悔しいがオフィーリアの言うことは正論だ。
 なぜこうなったのかは全く分からないが、分が悪すぎる戦いにどうすることもできず、歯がゆさに苦しむばかり。
 駆動部分を貫かれた痛みだけが自分が生きていることを実感させられるが、その時不思議なことが自分の中に起こったのを感じる。
 貫かれた傷口が少しずつ塞がっているのを感じていた。
 服の上からは未だに血が滴っている状態なので、オフィーリアは気付いてないようだが、杏子は感じていた自分の中にあるグルメ細胞が活動しているのを。
 何も食べていないはずなのになぜこうなったのかは分からない。体が起き上がれるぐらい体力が回復したのを感じると、手の中に熱いエネルギーを感じ取った。

 何事かと思い、自分の手を眼前に向けるとそこにあったのは銀色に光り輝くナイフとフォークが握られていた。
 このありえない状況を普通ならば理解できないだろうが、杏子には心当たりがあった。
 トリコがナイフやフォークを放つ時、手刀や突きでの攻撃以外にもバックに手と同じ大きさぐらいのナイフやフォークが見えていたことを。
 初めは目の錯覚かと思っていたが、何度やっても必ず出てくるそれを見て憶測は確信に変わった。
 これもまたグルメ細胞の力なのだろうと。
 トリコのそれには及ばないが、素手よりはマシだろうと判断した杏子はナイフとフォークを手にオフィーリアに立ち向かおうとする。
 その姿を見たオフィーリアはナイフとフォークを手にした杏子を下品に大笑いする。

「ハハハハハハ! 何だその姿は? そんなもんでアタシを殺そうってのか!? お前笑いの天才か? アタシを笑い死にさせるつもりか!?」

 杏子の姿が完全に壺に入ったらしく、腹を抱えてゲラゲラと笑うオフィーリアを見て、チャンスだと踏んだ杏子はフォークを地面に突き刺すとその上に飛び乗って、てこの原理で一気に飛び上がろうとする。

「バカが! そんな小さなフォークでテメェの体重が支え切れるとでも思っているのか!?」
「デカくなれ!」

 杏子の指示を受けるとフォークはシーソー大の大きさに変わり、杏子の体重を受けるとしなって、その体を宙に放り出す。
 自分の元に杏子が近づいてくる恐怖と言うのもあったが、それ以前に謎の力を軽々と使いこなせることに困惑してしまい、対処が遅れてしまっていた。
 その隙を杏子は見逃さず、手の中に可能な限りイメージを作り上げて大量のフォークを作り上げると一気に眼下に居るオフィーリアに向かって投げ飛ばす。
 呆気に取られていたオフィーリアだが、目の前にフォークの雨が降り注ぐのを見ると、対処に回るため槍で振り払って顔面に向かうフォークを全て地面へと叩き落とす。

「ナイフよ……伸びろ!」

 杏子は攻撃がかわされたことにショックを抱くことも無く、次の攻撃に転じる。
 右手に持たれたナイフは杏子の命令と共に両手で持てるぐらいの大きさに変わり、杏子が勢いよく振り下ろしてオフィーリアの頭部を狙うが、オフィーリアは柄で刃を受け止めると、そのまま前方に押し倒して杏子の体を地面へと突き飛ばす。

「腐ってもさすがはアタシってところだな。だがこれで終わりだ!」

 杏子の攻撃手段が全て失われたと判断したオフィーリアは槍を振り上げて一気にトドメをさそうとするが、その瞬間に後方から引っ張られる感覚を覚え、穂先は杏子の眼前で止まった。
 何事かと思い、オフィーリアが後ろを振り返ると、ここで杏子の本当の狙いが分かり、驚愕の表情を浮かべる。
 先程地面へと払いのけたフォークは全て自分の着物の裾を貫いていて、それは地面に突き刺さって動きを封じていた。

 イメージなので抜くことも出来ず、最後のナイフの攻撃は注意を地面から自分に向けるための物。
 必死になってフォークから着物を引き抜こうとするが、裾の長い着物はフォークを完全に噛んでしまって中々引き抜けないでいた。
 一見すれば勝負は決したように見えたが、杏子は呼吸を整えて最後の一撃を叩きこむために体力を回復させようとする。
 一撃で決めなければ負けると踏んだからであり、今の自分で繰り出すことが出来るナイフやフォークの攻撃では致命傷にはならないと判断したからだ。
 本能的に杏子は手をかざし、どうすればオフィーリアに勝てるのかを考える。

(アタシはアイツが憎いから殺したいのか?)

 今までのマイナスなエネルギーを使って戦いたくない杏子は考えた。
 その結果が自分に取っても相手に取っても悲劇しか残らないのは今までの経験から分かる物。
 なら今までの美食屋としての依頼をこなしてきた時の達成感はどうだろうか。
 やっていることは魔女との戦いと変わらない血生臭い物と変わらないのに、戦いを終えた後はどこかで達成感のような物を感じていた。
 それは生きている喜びを感じられると言う物、美味しい食事を食べられる喜びを感じられると言う物、それに何より恨みっこなしの勝負と言うのは今まで経験がなかった。
 怒りや憎しみの無い純粋な野生の勝負。その勝負に生き残れる要因はたった一つ、どちらが捕食者になれるかということだ。
 捕食者になれる要因は様々、力、スピード、テクニックと様々あるが、決め手となる要因はたった一つ。
 どちらが生に対して執着が強いかどうかだ。
 それさえあればネズミでも猫を食い殺すことが出来る。
 まだまだ半人前以下の自分だが、美食屋として生きると決めた以上それだけは絶対に譲れない真実。
 そして考えがまとまると答えが自然と頭に思い浮かぶ。

(アタシは生きたい……)

 単純な答えではあったが、効果はあった。
 かざした手の中に熱エネルギーを感じ取った。それは小さなピンポン玉大の大きさの太陽のようなエネルギー。
 金色の球体はまるで自分が生きていたいという想いと連動するかのように熱量を増し、手の中に収まりきらない程のエネルギーを発し続けていた。
 感じたことの無いエネルギーに杏子が戸惑っていると、オフィーリアはようやくフォークから着物を引き抜くことが出来、怒りと憎しみに満ちた表情を浮かべながら槍を振り下ろして杏子を貫こうとする。

「死ね――!」

 槍が振り下ろされても杏子に焦りはなかった。
 穂先が顔面を貫く直前に飛び上がってオフィーリアを飛び越えると、唯一の出入り口である大きな岩に塞がれたそこを背にして、オフィーリアと向かい合うと機は熟したと見定めたのか、自分が出した答えを解き放つ。

「聞け! アタシは絶対に魔女になんてならない! アタシはアタシのまま生きる。さやかには悪いけどな……アタシは、アタシは……」

 熱エネルギーは手の中に収まりきらず、思いの丈を叫びながら熱エネルギーを解き放つ。

「生きてたいんだ――!」

 放たれた金色の球体は中央部分に裂け目が出来上がると、まるでオフィーリアを食らうように噛み砕きながらオフィーリアの中を突き進んでいた。

「ぎゃああああああああああああああ!」

 腹に巨大な空洞が出来上がるとオフィーリアの悲痛な叫びが木霊する。
 そして咀嚼を繰り返す球体と目が合うとその中にはオフィーリアに取っての宿敵が映った。

「我と共に宿主の元に帰る時が来たぞ。オフィーリアよ……」
「テメェ夜叉!」

 球体の中に浮かび上がっていたのはトリコのグルメ細胞の化身の夜叉。
 オフィーリアに取っては自分を押さえつける天敵であり、腹に風穴を開けられた状態ながらもオフィーリアは最後の抵抗と槍を突き出すが、その槍さえ腕ごと食われてしまい、自分が食べられていくのを感じると、抵抗するのをやめオフィーリアは最後に杏子に告げる。

「せいぜい虚勢を張ってほざいてるんだな。人間なんてどこまでも弱い生き物だ。その内絶対アタシが捕食者になってやる!」

 最後の負け惜しみを言い放つと同時にオフィーリアは球体に食われてしまい、その姿を消した。
 一応勝負の終結は付いたようだが、ここで杏子の中に冷静な感情が取り戻される。
 まだ根本的な問題は何も解決していないからだ。
 答えは見つかったとしてもどうやってここから脱出すればいいか分からず、取りあえずは最初やったようにココに助けを求めようとしたが、球体は自分の元へと向かい、オフィーリアと同じように食らおうとしていた。

「バカ! アタシまで食べる奴が……」

 杏子が抗議の声を上げようとしたが、そんな彼女を無視して球体は塞がれた岩を全て食べきると、続いて洞窟内にある岩壁も食べだす。
 岩を食べるその姿から何となくではあるが、脱出方法が分かり杏子が呆れた顔を浮かべていると、球体の後ろから夜叉がほほ笑む姿が映った。

「見事試練を突破した佐倉杏子よ。これからも我は貴様の力になろうぞ。覚えておけ、生きると言うことは食することだ」

 それだけ言うと球体から夜叉のイメージは消えてなくなり、再び洞窟の岩壁を食らい続けていた。
 もう大丈夫だと判断した時、杏子は安堵感から眠りに落ち、目が覚めた時にココへ高らかと宣言する言葉を考えていた。
 生きると言うことは食することだと言うのを。




 ***




 目が覚めた時、そこにあった風景は一変していた。
 20畳ほどの広さだったそこは広々としたホールへと変貌し、日の光が天から差し込んで、少しジャンプして衝撃を加えればそこから脱出できそうになっていた。
 辺りを見回しても先程まで戦ったオフィーリアは見当たらなかった。
 一瞬なの攻防は意識が混濁しての夢だとも思ったが、先程の戦いが現実のそれだと思い知らされる確固たる証拠があった。
 自分が放った金色の球体は岩壁を全て食べ終えると、満足したかのように丸々と膨らんでいて、柔らかな光を放っていた。
 この姿に答えと言うのが何となく分かった杏子だが、今はココへの報告が先だと思い、よろめきながらも立ち上がって出入り口から出てココの姿を探す。

「ココ居るか? アタシは見つけ……ココ!?」

 ココの姿を見ると杏子は驚きの声を上げて彼の元へと向かう。
 彼は確かにそこに居た。だが自分が予想していた元気な姿では無かったからだ。
 やせ細って、傍には水と塩だけが置かれている状態であり、自分と同じように断食の修業を試みていたのが分かった。
 慌ててココの元へ駆け寄り、その体を揺さぶるとココはゆっくりと目を覚まし、杏子の生還を喜んでいた。

「やぁアンコちゃん。一週間ぶりだね。どうやら答えは見つかったようだね」
「紳士ぶってんじゃねーよ! 誰がいつ、お前にアタシと同じように断食を強要させた! そんなもんテメェの自己満足だろうが!」

 胸倉を掴んで怒りをぶつけていたが、自分の言葉にハッと我に返る自分が居た。
 結果論としてさやかはトリコと共にいることで救われるだろうが、結局は自分の行動は自己満足の領域を出ていないと言うことを。
 他人の姿を見て初めて自分の幼さと言うのを理解してしまい、杏子は力なく地面に膝を付くと胸倉を掴んでいた手を離し、ココに向かって手を差し出す。

「もういい……それよりも飯だ。何でもいいから食べさせてくれ……」

 丸一週間何も食べていない杏子は食事を要求すると、ココは洞窟の方向を指さす。
 そこにあったのは金色の球体であり、金色の球体は食欲が満たされパンパンに膨れ上がると同時に勢いよく爆発し、中から現れたのは灰色のほろ苦そうな大量のクッキーだった。
 何となくではあるがココの魂胆が分かった杏子ではあるが、念のために答えを聞こうとする。

「初めから飯はあったんだな? あの洞窟にある岩壁その物があのクッキーであり、お前が閉じた岩もクッキーで出来てたんだろ?」
「その通り、あの洞窟は全てが『ストーンクッキー』で構成された洞窟でね。それに気づけば君は脱出することが出来た」

 分かってはいたが、予想通りの気の抜ける展開に杏子は力なくため息をついてその場に突っ伏す。
 今回の修業の目的は分かった。美食屋と言う仕事で金はあくまで副産物に過ぎない。
 本当に大事なのは命に感謝をして、その喜びをどれだけ多くの人に分け与えられるか、つまりは食することにどこまでも感謝の念を持ち続けるための修業だと言うことを。
 その旨を杏子はココに伝えると、ココは柔らかく笑って、岩壁だった頃とは違い砕かれて食べやすくなったストーンクッキーの元へ向かう。

「そう生きていたいと言う強い想い、それさえあれば自分の信念も貫き通せられる。もし君が暴走しそうになったら、ボクやサニーが全力で君を止める。覚えておくんだ君は一人じゃないボクらが付いている」
「暴走って言うならゼブラの奴に言うんだな。アタシはあそこまでアホじゃねーよ」

 その後ゼブラがなぜ種を絶滅させるかについてココから聞いた杏子だが、それでもゼブラに対して許せない部分はあり、皮肉を言いながら意地の悪い笑みを浮かべる。
 いつもの調子が戻ったのを見るとココは食事を取るために、ストーンクッキーの元へと向かうが、杏子が袖を引っ張ってそれを止める。

「どうしたんだい?」
「悪いけど、先に水を用意してくれ。飲まず食わずの状態でクッキーを食べるのは地獄だ……」

 もっともな要求だったが、感動の空気を台無しにされた部分もあり、ココは歯がゆい表情を浮かべながら、ストーンクッキーを回収し、杏子と一緒に洞窟を後にした。
 最後がどこか締まらないのもトリコから受け継いだダメなところなのだろうかと思いながら。




 ***




 翌日、ココから与えられた全ての修業を終えた杏子は帰り支度を進めていた。
 元々着替え程度しか自分の荷物は用意していなかったので、帰りも同じように着替えをスポーツバッグに詰めて、最後に防護服と武器を入れるために特性の亜空間モグラの胃袋を用意したそれに詰め終えると、チャックを閉めてスイーツハウスに帰ろうとする。

「本当にいいんだね? これから先君さえよければ、ここにこのまま住んでくれても構わない。もし男女が一つ屋根の下に住むことに抵抗があるなら、君のために別宅を作っても構わないが……」
「気持ちだけ貰っておくよ。お前の料理は美味いし、キッスと遊ぶのも楽しい。だけどな、あのスイーツハウスはトリコがアタシのために用意してくれた家なんだ。帰る宿主がいなければ家がかわいそうだろ」

 思い返すのはかつて自分が廃墟と化してしまった教会のこと。
 大事な場所を同じような目に合わせたくないと言う想いから、杏子は再びスイーツハウスに戻ることを決め、最後にキッスに抱きついて別れの挨拶を済ませると、バックを抱えたまま「じゃあな」と軽い調子で手を振るココの見送りを受けながら、帰ろうとするが最後に思い出し、振り返って一言言う。

「まぁ時々は面見せるよ。一人ぼっちはさびしいもんな」

 それだけ言うと今度こそ杏子は去って行った。
 半年の間に鍛え上げられた脚力であっという間に杏子の姿は見えなくなり、彼女の姿が見えなくなるとココの中で虚無感のような物が生まれ、一人寂しげな笑みを浮かべていた。

「泣かせるなよ……手のかかる、じゃじゃ馬娘のくせに……」

 この半年の間に疲れさせられることも多い杏子との共同生活だったが、ココに取って久しぶりのにぎやかな毎日はとても新鮮で、心のどこかで感じていた寂しさを完全に埋めることが出来た。
 故に杏子が居なくなってしまい、目からは一筋の涙がこぼれ落ちていたが、今の自分にこんなところで立ち止まっている暇はない。
 自分の修業もまたしなければGODの取得だけでなく、自分がフルコースのドリンクに狙っているアカシアのフルコースのドリンク『アトム』も手に入れることは出来ない。
 トリコのため、グルメ戦争を回避するため、そして何より自分自身のためにも、自分はもっと強くならなければいけない。
 両頬を平手で叩いて気合を入れ直すと、ココはキッスと共に家から飛び降りて、修業へと向かう。
 師匠として杏子が恥ずかしくないように自分を鍛えると言う見栄もあって。





本日の食材

ストーンクッキー 捕獲レベル30

パッと見では岩と見分けが付かないクッキーだが、食べればほろ苦さの中にもかすかな甘みが広がるビターな大人好みの味のクッキー。
そのままでは硬すぎて食べられないので、食べられるようになるには高度な調理テクニックが必要。
発見の難しさと調理テクニックの難易度から、この捕獲レベルが付いた。





と言う訳で今回でココの元での修業編は完結しました。
生きる=食べると言うのがトリコと言う漫画のテーマでもあるので、生欲と食欲も一つにまとめてもと思い、今回そうしました。
次回はスイーツハウスへの帰還をやります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ23 かつて諦めた夢
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:af3c53af
Date: 2013/06/16 01:33





 スイーツハウスへ向かうのは半年振りだった。
 長いこと住んでいた家ではあり、最早この世界においての我が家と言っても過言ではない場所へと向かうのだが、杏子には一つ気がかりなことがあった。
 それは食べられる家ゆえに戻ってきた時、家その物が無くなっているのではないかと言う不安。
 一応は賞味期限として一年は持つのだが、トリコが居た頃は一日で家その物が無くなってしまうのではないかと言うことも少なくはなかった。
 普段も動物や虫が食べていたので、半年も放っておいていたので家その物が無くなっているのではないかと言う不安を持ちながら、小高い丘を歩いていると見慣れない光景が広がっていた。

(何だありゃ?)

 丘の頂点にあるスイーツハウスがある場所は白い防塵シートで覆われていた。
 その中にスイーツハウスがあるのは分かるのだが、問題はそれを取り囲む人たち。
 目の下に三本の筋のような模様を入れた二人の大柄な青年を見て、穏やかじゃない感情を覚えた杏子は二人の戦力分析に入るとスポーツバッグを下ろして中から槍を取り出す。
 一人は白いおかっぱ頭の青年、もう一人は浅黒く筋肉質な体つきの青年と、二人ともかなりの実力者であることは佇まいだけでも分かること。
 今の自分の実力でどこまで通用するのかと言う不安もあったが、スイーツハウスはトリコが自分に与えてくれた唯一の財産。
 大切な人が与えてくれたそれを守るため、杏子は自分の実力を信じて、脚力で一気に間合いを詰めて二人の元へと向かおうとしたが、それよりも早く杏子の存在に気付いた二人は杏子の元へと詰め寄ると同時に、跪いて戦闘の意思がないことを伝える。

「な! 何の真似だ!?」

 色々と聞きたいたことは多々あるが、大の大人が子供の自分に向かって跪く真似が信じられず、杏子は戦う意思すら失って真意を二人に問う。
 杏子の許しを貰うと、二人は立ち上がって自己紹介を始める。

「早速のお控感謝いたします。私はグルメ騎士、蒼天組所属の『雪丸』と申します」
「同じくグルメ騎士、葉隠れ組所属の『影丸』です」

 雪丸と影丸の自己紹介を受けると、グルメ騎士と言うワードが杏子の中で引っかかる。
 グルメ騎士に関してはそこのリーダーである『愛丸』がトリコと古い知り合いであるとしか知らされていなかったが、ふとしたことから食の幸福『グルメ教』の教えを守る美食屋の集団であることを知った。
 宗教に関しては一生物のトラウマを持っている杏子からすれば、出来る限り関わり合いにはなりたくない集団だったが、その集団が今目の前に居る。
 杏子は言葉を選んで、雪丸と影丸に接する。

「アンタらがグルメ騎士ってのは分かった。じゃあ今度はこっちの質問に答えろ。人の家で何をやってるんだ!?」

 疑問を叫ぶと同時に杏子は二人に立ち上がるようにジェスチャーで命じる。
 杏子の意思をくみ取ると二人は立ち上がって、自分たちがスイーツハウスに何を施したかの説明をしだす。

「失礼いたしましたアンコさん。私たちはあなたが出ていかれてから、このスイーツハウスの保護に回っていました」
「ここは一年で賞味期限が切れるからな。それに普段も虫や動物が食べることも多いからな。それにアタシのことも知っているみたいだな」
「あなたのことはリーダーから聞かされています。僭越ながらやらせていただきました」

 スイーツハウスの保護は善意からの行為と言うことは分かったのだが、グルメ騎士の全容が未だに分かっていない杏子からすればまだまだ警戒心は取れない。
 杏子は二人に対しての警戒心を解かないまま、スイーツハウスへ向かおうとすると二人も後を付いていこうとするが、杏子は手で二人を止めて制する。

「悪いがアンタらじゃ話にならない! 直接リーダーに話を聞く!」

 恐らくは中に居るであろう愛丸に話を聞くことにして、杏子は中へと入る。
 場合によっては戦うことも辞さないと言う覚悟を持ちながら。




 ***




 久しぶりにスイーツハウスへのドアを開け中へと入る。
 だが安堵感と言う物は全くなく、まるで他人の家にでも上がっているような違和感が杏子を包み込み居心地の悪さを覚える。
 中も白の防塵シートで包まれていて、それが虫や動物からスイーツハウスを守る保護のための物とは分かるのだが、嫌な感覚ばかりが杏子の心を襲い、動悸が激しくなる感覚を覚える。
 落ち着かない白い防塵シートだらけのそこを突き進んでいくと、壁や床の様子を見ながらメモを取っている一人の青年が目に飛び込む。
 バンダナを額に巻き、前髪をセンターで分け、後ろの髪の毛を三つ編みにして、両方の眼の下に三本線の模様を入れた青年が目に飛び込むと、恐らくは彼が愛丸なのだろうと思い、杏子はコンタクトを取る。

「アンタがグルメ騎士のリーダー愛丸か?」

 杏子の質問を受けると青年は立ち上がって、杏子と向き合って話をする。

「ああ。オレがグルメ騎士のリーダー愛丸だ。君がトリコの言っていたアンコちゃんだね?」

 愛丸の質問に対して、杏子は静かに首を縦に振るだけで答える。
 自分が行った行為とは違い、愛丸は純粋に宗教としてグルメ教の教えを守っているのは分かるが、それでも宗教に関しては不信感が先に出てしまう杏子は、警戒心を崩さないまま愛丸と向きあう。

「アンタが善意からスイーツハウスの保護をやってくれたのは分かった。宿主が帰ったんだから、もう十分だろ。アンタはアンタの仕事に戻ってくれ」

 そう言うと手で追い払う仕草をして、愛丸をそこから追い出す意思を見せると、乱暴に防塵シートを捲る。
 自分でもぶっきらぼうで大人に対して酷い態度だと言うのは分かっている。
 だがそれでも宗教と言う物に対して、向きあうことが出来ない杏子は、まともに愛丸と顔を合わせないまま防塵シートを捲る作業を繰り返すが、愛丸はその場に立ち尽くしたまま杏子と向きあい続けていた。

「まだオレの仕事は終わっていないよ……」

 そう言うと愛丸はその場で直に正座して、手のひらを地面に付けて頭を下げる。
 その姿が謝罪の最高位である土下座であることはすぐに分かり、杏子は呆気に取られながらも愛丸の表情を見る。
 真剣その物であり、地面を眺めながらも決して眼前の杏子から目を背けないと言うのは姿勢で感じられ、土下座の行為が茶化してやっている物でないことは分かった。
 とは言え、大の大人にこんなことをさせている意味が分からず、杏子は苛立った調子で愛丸と接する。

「何の真似だ!?」
「トリコは君に取って大切な人だ。奴を救えなかったのはオレの責任でもある。こうするのは当然のことだ」

 行為その物は愛丸が真剣に謝罪をしているのは分かる。
 だが自分一人でどうにかすると言う考え方が魔法少女を連想させるそれに繋がってしまい、杏子は憎しみと怒りが入り混じった表情を浮かべながら、まくしたてるように叫ぶ。

「うぬぼれるな! トリコは最後まで戦い抜いて、天命を全うしたんだ! アンタが入り込む余地なんて初めからどこにもなかったんだよ!」
「そうだな、君の言う通りだ。だから……」

 それでも愛丸は土下座の姿勢を崩さないまま、話を続ける。

「この体を君の気が済むようにしてもらって結構だ。それはオレがせめて君に対して出来る償いだ」

 言葉に虚勢が無いのは分かる。
 だが無償の愛を行ったつもりが、結果として自分を他人をも傷付ける悲劇が起こってしまったのを嫌というほど杏子は見てきた。
 ここで完全に怒りに火が付いたのか来ていたツナギを勢いよく脱ぎ捨てると、着替えが面倒と言う理由から下に着ていた魔法少女の深紅のコスチュームに変わると、背中から槍を取り出して穂先を愛丸に向かって突き出す。

「アンタさ……そう言う台詞はむやみやたらに言わない方が身のためだぜ。世の中にはな、言葉一つで命を失うって状況だってあるんだぜ。特にアタシみたいな感情でしか物考えられないクソガキにその手の台詞は自殺行為ってもんだぜ」
「それで君の気が済むのなら、この目を鼻を耳を、はらわたを抉ってくれて結構だ」

 愛丸の発言から杏子の中で理性が完全に崩壊する音が響いた。
 怒りと憎しみに任せて槍を放つ。
 クッキーの床に穂先が刺さる炸裂音が何度も響き渡るのを聞くと、雪丸と影丸が慌ててリビングへと乱入するが、愛丸は目で二人を制するとそのまま土下座の姿勢を取り続ける。
 その間もクッキーの破片は勢いよく飛び続け、穂先は床を貫き続けていた。
 だがここである違和感に二人は気付く。
 土下座の体勢を保ち続けている愛丸には全く攻撃が当たっておらず、その周りだけを正確に杏子は射抜いていることを。
 少しでも体勢を崩せばその時点で致命傷になっているところの危うい攻撃を放ち続けていたが、双方共に止まる様子はなく。杏子は最後の攻撃を放とうとする。

「顔上げてこっち見ろコラ!」

 愛丸が顔を上げた瞬間に穂先が愛丸の眼の横を通り過ぎる。
 柄の冷たい感覚が愛丸の頬をなぞったが、それでも彼は表情を崩すことなくジッと真剣な顔で杏子を見続けていた。

「どうぞ」

 その表情を見て、杏子は直感で感じていた。
 自分はどうあっても彼にはかなわないと。
 それが分かった以上、これは無駄なあがきだと思い、杏子は槍を背中に収めて愛丸とちゃんとした話し合いを行おうとする。

「まずは立ち上がってくれ。愛丸……さん。そして、こんなことをした真意ってのを聞かせてく……ださい」

 マミと袂を分かってからと言うもの、敬語と言う物は杏子からは縁遠い物であった。
 こっちに来てからも特に何も言われず、トリコと同じように豪放磊落な人間が多いことから、杏子は大人に囲まれた状況の中でも自分を貫いてきた。
 ココからも特に何も言われなかったのでそのままでいたが、愛丸を前にして本当に久しぶりの敬語で話すと困惑だけが襲ってきて、戸惑いながらも投げ捨てたツナギを着なおす。
 愛丸は杏子から許可を貰うとゆっくりと立ち上がって、自分の気持ちを話し出す。

「言葉の通りさ。オレ自身、トリコを助けられなかったことに責任を感じていたからな。家族である君に殴られるのは当然のことだと思ってやったまでだよ」

 グルメ教の教えと言うのは何となくではあるが聞いたことがある。
 自らを犠牲にする施しの精神と言うのは、普通の人間では守ることが不可能な理想論しか感じられない物。
 それに何より、そう言った施しの精神から崩壊していったさやかを見ていたら、グルメ教の教えは杏子に取って嫌悪する物でしかなかった。
 だが今目の前に居る愛丸は教えに対してぶれることの無い姿勢を持っていて、崇高な精神を持っていると言うことも分かる。
 グルメ教の教えを忠実に守るグルメ騎士が決して口先だけの存在ではないと分かると、杏子は椅子に腰かけ、愛丸にも座るように手で呼び掛ける。
 愛丸が座ったのを見届けると、杏子は次の話題を出そうとしたが、あまりに疑問点が多すぎて何から聞いていいか分からない状態になっていた。

「アン……じゃなかった。あなたがここに来た目的はそれだけじゃないでしょうよ。それを聞かせてくださいよ……」

 スイーツハウスの保護と自分に殴られるためだけの理由で、恐らくは自分が出ていってから毎日保護しただけとは到底思えない杏子は、たどたどしい敬語で愛丸の真意を引き出そうとする。
 結果として半年で終わったココの下での修業だが、普通ならば年単位でここには帰って来ることが出来ず、徒労に終わってしまうのではと感じていた。
 だが軽く様子を見ただけでも毎日丁寧に保護を続け、出ていくと前と何一つ変わっていない状況となっているので、愛丸がスイーツハウスの保護に全力を注いでいたことが分かる。
 言葉には出していないが、キョロキョロと辺りを見回す杏子を見て、真意を汲み取ったのか愛丸はゆっくりと話し出す。

「アンコちゃんが思っているようにここは君が出ていってから半年間一日も休むことなく、オレは保護を続けていた」
「何でそんなことを? アタシは結果として半年で帰ってこれましたけど、場合によっては戻ってこれないことだって……」

 美食屋と言う仕事は厳しい。
 死んでも労災が下りないことがほとんどであり、致死率も高い。
 そんな状態で徒労に終わるかもしれない、行為を毎日繰り返していた真意を知りたく杏子が問い詰めると愛丸は景色を見ながら、ゆっくりと語り出す。

「それは信じていたからさ。トリコの命、そしてアンコちゃん、君のことをね」

 その一言から杏子は感じ取った愛丸とトリコの信頼関係を。
 例えグルメ細胞のみになったとしても、トリコは決して自分の夢をあきらめない存在。
 そして夢を託せられる存在と言うのも作ってきた。
 トリコが信じる自分を愛丸もまた信じていた。一つ疑問は解決したが、まだ疑問点は消えない、一つずつ解決する方法を杏子は選んだ。

「スイーツハウスの保護、アタシに殴られるため、それだけがここに居座り続けた目的じゃないですよね?」
「ああ目的は残り二つだ」

 そう言うと愛丸は懐から一枚の通帳を取り出して、杏子の手に握らせた。
 名義が自分の名前になっている通帳を開いて見ると、毎月100万円ずつ入金されているそれを見て、杏子の表情は固まってしまう。
 日付を見るとトリコが自分がグルメ癌だと分かった日から入金はされていたが、一つ気になることがあり、その旨を愛丸に聞こうとする。

「何でトリコが死んでからも100万円の入金が続いているんです?」

 トリコが死んでからも半年間、100万円の入金は続けられていて、出どころの分からない謎の金に杏子は不安がる。

「それはオレが引き継いだ。600万円じゃ、これから先やっていくのに厳しいと思ってね」
「でも……」

 杏子が言い淀んだのはグルメ騎士が粗食をモットーにしているのを知っていたからだ。
 当然金に対しても無縁の存在であろう。愛丸がなぜこれだけの金額を用意できたのか気になって聞こうとする。

「そこがここを拠点に選んだ理由さ。オレが普段ホームにしている『粗食の丘』では高価な食材と言えば『エコのり』ぐらいしかないからな。ここなら食材に困ることはないから、毎日狩りに勤しんでいたよ……」
「何でそこまで!?」

 相続税がかかるので普通に財産を工面できないから、こういう方法を選んだにしろ、600万円は一般人の観点から見れば十分な大金である。
 そこまでの大金を用意する理由が分からない杏子はその旨を聞こうとすると、続いて愛丸が懐から取り出したのは何枚もの封書の数々。
 遺言書や遺書じゃないことは分かるが、字を見れば全部トリコが書いたものだと言うことは分かる。
 一枚を手に取って中身を開いてみると、グルメタワー内にある最上層階312Fに店を構える七つ星の料亭『ガッツ』への紹介状であり、雲の上の存在である料亭に自分が出入り出来ることを知ると、杏子は目まいを起こしそうな感覚に陥るが、他の紹介状も開いて見る。
 グルメタワー内にある一見さんお断りの高級料亭がほとんどであり、その全てに出入り出来るようトリコが紹介状を書いてくれ、後は自分がサインをすれば自分はこれらの店に自由に出入りできる状況が分かった。

「これらの店での支払いは四桁行くのがほとんどだからね。アンコちゃんが美食屋として独り立ちするまでは、これでもはした金程度の金額だよ」
「だったら! 紹介状だけで十分ですよ! いずれ自分で稼いでこれらの店にも行きます!」

 世話になりっぱなしなのが情けないと思ったのか、ここで杏子は反論をする。
 そんなすぐにこれらの店へ行くほど、自分は天狗にはなってないつもりであり、なぜそこまで事を急かすのかと思い、杏子は真意を愛丸に聞こうとする。

「『GOD』をメインディッシュに選ぶんだからね。色んな物を食べるのも経験だと思ったんだろう。いい美食屋の条件として、よく働き、よく食べるって言う言葉もあるからね。それに伝えられる物は全て伝えたかったんだろうよ。トリコはあんな性格だからね」

 決して食べ物を差別する性格ではなく、自然の恵み全てに感謝するトリコだが、自分のためにも見聞は広めた方がいいと思っての行動だと言うのは分かる。
 ココの修業を終える頃にはこれらの店に行けるだけの実力も付くだろうと思っての行動だとは分かったが、普通ならばこれだけでも十分なのだが、まだ何か伝えたいことがあるのではと思い、杏子は愛丸に聞く。

「まだ、その……」
「ああ、これが一番重要な報告だよ」

 そう言って愛丸が手渡したのは一冊の本だった。
 トリコが日記として使用していたそれと同じ本を捲っていくと、トリコの字で自分に向けて書かれたメッセージが書かれていた。

『アンコへ これをお前が読んでるってことは、オレはもう死んでるってことだな。その事自体に悔いはない。やるだけのことはやったんだからな。GODの取得は必ず、オレの友達が達成してくれる。オレはそう信じている』

 別れの挨拶は済ませたはずなのだが、こうして改めて読んでみるとやはり感慨深い物があり、杏子はページを読み進める。
 トリコの性格を考えればただ挨拶をするだけで、こんなに分厚い本に遺書を残すはずがない、この本じゃなくては伝えられないメッセージがあるからこそ、この本を選んだのだと思い読み進めていく。

『だが本音を言うなら、もっと美味いもんを食べたかったってのはある。そこでだ! グルメ天国へは供物として食材の幽霊ってのを送ることが出来るんだ』

「食材の幽霊?」

 聞いたことも無い言葉に困惑する杏子だが、読み進めていくと食材の幽霊と言う物が事細かに説明されていた。
 グルメ時代に置いて死者にもグルメ食材を与えることが死者における最大の供養とされている。
 食材の幽霊の作り方とは簡単である。手に入れた食材を与えたい人の墓前に置き、一気に高温で焼いて消し炭にすれば食材は幽霊となって、食べてもらうためその人の元へと向かう。
 だが一気に高温で消し炭にするとなれば、相当な高温で焼かなければ、下手したら食材を無下に扱ってしまうこともある。
 詳しく知ろうとページを読み進めていくと、詳しい方法が図解付きで事細かに書かれていた。

 食材の周りに特性の油紙を巻き、愛丸が作った特製のライターで一気に燃やせば、食材の幽霊を作り出すことは可能。
 杏子が愛丸の方を見ると彼は重厚そうな銀色のオイルライターを手渡す。
 改造品であると言うことは目に見えて分かり、猛獣撃退用のクラッカーを作ることが出来るトリコならば十分作れるレベルの代物。
 失敗しないようにおかしいと思った時の対処法が事細かに書かれていて、自分に対しての期待と言うのがよく分かった。
 これで全て伝えたいことが終わったと思ったが、最後のページを読むとその手は自然と震えだす。

『それとさやかのことに関してはオレに任せろ。酷なことを言うようだが、アイツは死者であり、お前には何もしてやれない。さやかに囚われていてもお前には痛みしか与えてくれない。残念だが死者が生者に与えるのは痛みだけなんだ。だがお前がさやかを救ってあげたいって気持ちは分かる。だから、それはもうすぐ死者になるオレに任せてくれ』

 トリコの言っていることは正論だけに、何も言い返すことが出来ず、悔しさや怒り、儚さと言った感情が入り混じり、手が震えるだけとなっていた。
 そのことを思い出にしなければ、自分自身更に前へ進むことも出来ない。だがやはり、さやかに関して人に任せることが情けなくなっていたが、その事を誤魔化すためにもページを読み進めていくと、実にトリコらしい台詞が書かれていた。

『その為にもお前には食材の幽霊の調達を頼むぜ。まずは食べてからじゃないと信頼関係結べないからな。じゃあ最後に一言言うぜ、アンコお前は生きろ。じゃあな』

 生きている自分に向けてのトリコらしいシンプルなメッセージだったが、その温かさは十分に伝わった。
 感情を抑えきれなくなった杏子は静かに涙を流し、その場に崩れ落ちた。
 そのまま顔を覆って泣き続ける杏子の肩を愛丸は優しく抱き、彼女が落ち着くまで待ち続けていた。
 手に触れる人の温かさが嬉しく、杏子は泣きながらも愛丸に問う。

「教えてくれ愛丸さん……アタシはトリコやさやかのためにも、そして自分自身のためにも食材を調達しないといけない。だがどうすりゃ依頼ってのは貰えるんだ? 新人のアタシにはそんな物どうしていいか分からないぞ」
「話は既にヘビーロッジの方に通してあるから、そこのマスター『モリ爺』は実力に見合った依頼を用意してくれるから大丈夫だよ」
「だがアタシにはバックボーンと呼ばれる物が……」

 杏子が言うようにいきなりとっぽ出の新人の美食屋に依頼を任せようと言うほど、愚かな依頼人が居るとは思えない、自分自身ほむらに共闘を持ちかけられた時もすぐには賛同せず様子見をしてきたのだから。
 もっともな疑問をぶつけられると、愛丸は手を数回鳴らして人を呼び寄せる。
 合図を受けると、雪丸と影丸の二人はいくつものスポーツバッグを持って中へと入り、二人の元にスポーツバッグを置くと足早に去っていく。

「これは?」

 杏子が不思議がっていると、愛丸は手でチャックを開けるように促す。
 言われてみてチャックを開けると、そこにはココでの修業時代に狩った食材の数々があった。

「あの時狩った食材は全てモリ爺の元へ送られて、その実力はモリ爺の口から多くの依頼人に告げられていて、アンコちゃんに仕事を任せてもいいという依頼人も既にいるぐらいだ。後は君がヘビーロッジに行って、仕事をする意思を見せればいいだけさ」
「だがこれは武器代と防護服の代金に充てられたんじゃ……」
「そうでも言わないと君が委縮すると思ったんだろうね。どうしても払いたいと言うなら、これから仕事を進めて払えばいいさ」

 周りの大人たちの優しさに包まれていると言う事実。
 これに暖かさと同時に自分の小ささも思い知らされ、情けなさも感じてしまい、更に涙を流しそうになってしまったが、それでは今までと何も変わらない。
 自分の中で出した現時点での最上の答えを杏子は愛丸に言おうとする。

「愛丸さん……まだまだどうしようもないボンクラだけど、アタシ自身前に進むために出した答えってのが出たんだ聞いてくれますか?」

 杏子の問いに対して愛丸は静かに頷いて了承の意を示す。

「まずはアタシ自身前に進むためにも、まずはアタシが変わらないと人を返るなんて出来ませんよ。そんな状態で人を救おうって手を差し伸べてる振りして一人自己満足に浸っているアタシはとんでもないクソガキだったってことですよね」

 そう言うと涙を強引に拭き取って、スポーツバッグを持って杏子はスイーツハウスを後にしようとする。
 行き先は分かっているので、愛丸も黙って彼女の後を付いていく。
 少しだけ大きくなったと思われる背中を見つめながら。




 ***




 杏子がやってきたのは海の見える小高い丘だった。
 癌が進行して、まともに歩けなくなってからもここで海を見るのが好きだったトリコのために、ここへ墓を作ることにした。
 目立って見世物となるのを回避するため、あえて一目見ただけでは墓と分からない簡素な造りにしていて、小さな墓石の前に今まで自分が狩ってきた食材の数々を並べると、愛丸から特性の油紙を貰い、食材の周りに巻いていく。
 巻き終わると愛丸から油紙の巻物を貰う。

「これから先必要になっていくだろうから持って行った方がいい。無くなったらここに連絡をすれば用意してくれるから」

 そう言って愛丸は仕入れ先の住所が書かれたメモ用紙を手渡す。
 杏子は物を受け取ると自分の携帯電話にメモリー登録を行う。
 戸籍がないことを不安に思っていた杏子だが、この世界では戸籍よりも『グルメID』の方を重視するため、携帯を買うためにココに役所へ連れてこられて簡単な審査の後、頭に妙な機械を被せられ、脳にあった記憶をグルメIDカードに登録されて全ては終わった。
 本格的にこの世界で生きていこうと言う決意を胸に秘め、杏子は続いて改造ライターを受け取ると食材に向けて垂直に向けてボタンを押す。
 その瞬間小型ライターとは思えないほどの轟炎が一気に噴き出す。
 まるで大型の火炎放射機から放たれたかのような炎に呆気に取られながらも、油紙に巻かれた油も手伝ってあっという間に炎は食材を包み込んで昇華していった。
 煙が天に昇っていくと墓前に供えられた食材はあとかたもなく無くなっていて、トリコの言葉の意味と言うのがよく分かった。
 二人は手を合わせて祈りを捧げると、後は自分たちがやるべきことをやろうと防塵シートが巻かれたままのスイーツハウスへと向かう。

「これからどうするんだい?」
「取りあえず、前にトリコから聞いたグルメ建築家の『スマイル』に頼んで、見た目だけで食べられないようにしてもらいますよ。帰ってきた時家が無いってのはかなりへこみますからね」
「それがいいね。彼はトリコが家の改築を要求するたびに不機嫌になってたからね」
「あとは連絡が終わったら、帰る前に聞かせてもらえませんか? 愛丸さんが今までやってきたことって奴を?」

 杏子は知りたかった。自分が叶えられなかった宗教による幸福と言うのをやってのけている愛丸がどのようにしてこの世界に貢献してきたかを。
 愛丸は杏子の要求に対して「もちろん」と言ってニッコリ笑ないがら、二人はスイーツハウスを目指した。
 トリコとの楽しい思い出を語り合いながら。




 ***




 地面が全て雲だけで構成されている世界。
 頭の上には天使の輪っかがあり、まるで漫画のような世界に困惑しながらも、美樹さやかはかれこれこの『グルメ天国』で半年間トリコと共に寝食を共にしていた。
 だが一緒に住んではいるものの、寝食を共にすると言う表現が正しいのか、さやかは悩んでいた。
 物を食べることは出来るのだが、それは生者が墓前に食材の幽霊を送ってくれこそ。
 時折志半ばで倒れた猛獣が暴れたりもするのだが、それは食材としてではなく戦い抜けなかった無念から来る物なのでトリコが倒せば成仏していった。

 食べなくても生きてはいけるのだが、やることが何もなく、ただただ退屈な時間を過ごすばかりの状況でさやかが陥るのは自己嫌悪の繰り返しだけ。
 トリコの手前露骨に落ち込むような真似はしないが、何度思い返しても自分の情けなさに嫌になるばかりであり、それに本来自分たちの居る世界で恭介はちゃんと自分のなすべきことをやっているのだろうかと。
 もしかしたら、それさえも自分のわがままをただ押し付けているだけではないかと悪い方向にばかり思考が行ってしまい、さやかは散歩中でトリコが居ないのをいいことにただ膝を抱えてうずくまるだけとなっていた。

(私は……痛みしか杏子に与えられなかった……)

 自己嫌悪に陥っている最中、後ろから火柱が上り、何事かと思って振り返る。
 火柱は勢いよく燃え続け、さやかは近付くことも出来ずに茫然とした顔を浮かべていたが、炎が止むとそこにはあらんばかりの食材の数々が置かれていた。

「何よこれ!?」

 さやかは思わず美味しそうな食材の数々に引かれて、近付いて物を見てみる。
 トリコから教育を受けてきたので物がどういう物なのかは分かっていた。罪悪感からかろくに下界の様子も見れなかったさやかだが、これを用意してくれた人物が誰なのかは分かる。

「杏子……」
「オーーイ! さやか――!」

 感慨に耽っていると、後ろからテンションの高い声が響く。
 猛スピードで散歩から戻ってきたトリコは杏子が用意してくれた食材の幽霊の数々を見ると、目を輝かせながら物をジックリと眺め、価値が今一つ分かっていないさやかのために説明に入る。

「すげぇぞさやか! これは捕獲レベル15の『怪鳥ゲロルド』だし、これは『クッキーアルパカ』のクッキーだ! これなんか凄いぞ! 中々見つからない『4つ足ウナギ』だ! どれから食おうかな本当に……」
「ちょっと落ち着いてよ! トリコだったらずっと杏子のこと見守っていたんでしょ。これが来るのは分かっていたんじゃ……」

 さやかに言われると、トリコもまだまだ勉強中のグルメ天国の身の振り方に付いて話し出す。

「そうか、まだ言ってなかったな。この世界と下界じゃ時間の進む感覚がずれているんだ。だから常時見守っているつもりでも、ちょっと目を離したすきに向こうじゃ結構な時間が経過していたってこともあるんだよ。お前ここへ来てどれぐらい経ったって思ってる?」
「大体1、2か月ぐらいかと……」
「やっぱりズレてるな。さっきアンコの様子を見たら、オレらがここに来てから半年は経っているんだってよ」

 そう言うとトリコは食べる食材の選別を始めていたが、ここでもさやかは自分がやるべきことが何もなく、不毛な時間を過ごすばかりであった。
 さやかのことを気にかけながらも、トリコは用意した食材に火を通し、全てが食べる準備が出来たのを見るとさやかを呼び寄せて一緒に食べようとする。

「私もいいの?」
「当たり前だろ。食べなきゃアンコにも食材にも失礼ってもんだ。じゃあ行くぞ、この世の全ての食材に感謝を込めていただきます」

 久しぶりに言う挨拶をかわし、食材に対して感謝の念を込めるとトリコは勢いよく食材にかぶりつく。
 本当に久しぶりの食べると言う行為に感激し、トリコは感動の涙を流しながら何度も「美味い!」と叫んで、グルメ細胞が活性化したのか体を金色に輝かせながら食材たちにかぶりつく。
 そんなトリコに圧倒されながらもさやかもまた自分のために杏子が用意してくれた食材を恐る恐る口に運ぶと、それまですっかり忘れていた感覚を思い出す。

「美味しい……」

 ゲロルドの肉を食べて、口の中で線香花火のように迸る肉汁の数々に自然と頬は緩み、飲み込んだ後も幸福感が続く感覚に先程までのいじけた気持ちは吹き飛ぶ感覚を覚え、次々と食べだしていく。
 さやかに元気が戻ったのを見届けると、トリコは食べながらこれからの身の振り方に付いて話し出す。

「お前も話せる状況になったみたいだし、これからのことを話そうか?」
「これからの事って?」
「言葉通りの意味だよ。暇でやることないから、いじけて暗い気持ちになっちまうんだろうがよ」

 もっともな意見を言われ、さやかは何も言い返すことが出来なかったが、そんなさやかに構わずトリコはさやかに関してのこれからを話し出す。

「お前は癒しの魔法って奴が使えるんだろ? だったらそれを有効活用しない手はない」
「でも、このグルメ天国で狩りは出来ないでしょ?」
「いつかは来るさ。食べられずに無念だけ残した猛獣って奴が、それは相当にレベルの高い猛獣になるだろうからな。来るべき時のためにこれから先オレもお前もレベルアップしなくちゃいけないからな。アンコには負けてられないぜ!」

 そう言って豪快に笑い飛ばすトリコは、死んだことを全く後悔せず、グルメ天国でこれから先どうやって生きていくかを真剣に考えていた。
 来るべき時のために自分を鍛え続けると言うアグレッシブなトリコに、さやかは自然と自分の小ささを思い知らされ、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
 だが杏子を前に人間として最後に見せた涙とは違う。今までの情けない自分と決別し、これから先新たに生きていくための涙を流すと、泣きながらもゲロルドの肉を食べ、明日を信じて頑張ろうとさやかは誓った。
 その顔を見たトリコは笑いながら、さやかが次のステージに進むことが出来たことを喜び、下を見て杏子に向かって呼びかける。

(アンコ、こっちのことはオレに任せろ。約束したからな。嘘を付くなんてふざけた真似はしないよ。何かゼブラみたいになっちまったな)

 自分で自分に突っ込みを入れながら、トリコはその後もさやかと共に食事を続けながら、さやかのレベルアップのためのプランを考えていた。
 自分もまた杏子に負けないよう、美食屋として恥ずかしくない身の振り方をグルメ天国で行うために。




 ***




 急ピッチで進められた食べられないようにするための作業はスマイルの指示であっという間に行われ、全てが終わるとスマイルは泣きながら杏子に感謝していた。
 この姿からトリコはスマイルにも相当な無茶をさせていたことが分かり、杏子と愛丸は苦笑いを浮かべながら対応すると、スマイルはとてもいい笑顔を浮かべながらその場を去っていった。
 その後は二人で色々な話をした。
 トリコのこと。
 各々過ごしてきた人生のこと。
 さすがに杏子は魔法少女時代のそれを話すわけにはいかず、その辺りは上手に隠して話していたが、愛丸は杏子が何かを隠していると言うところまでは見抜いたが、それ以上は聞かないようにしていた。
 杏子はそれを誤魔化すため、一番聞きたかったグルメ教の施しの精神から、愛丸が何をやってきたのかを聞こうとする。

「大したことはしていないよ。トリコは救えなかったが、ただ体質的にあったから病気の元を食べて、病気を治すってだけさ」

 しれっと語ったが、とんでもない施しの精神に杏子は絶句し、自分がどうあっても彼にはかなわないと思った理由が分かった。
 家族は心中に追い込み、マミは一人ぼっちにさせてしまい、さやかは魔女になるのを食い止めることは出来なかった。
 そんな自分とは違い、自分自身の体が病に侵されながらも多くの人間を不治の病から救い、少ないながらもそんな彼の精神に賛同し、その領域に少しでも近づこうと研鑽を続けているグルメ騎士の数々を見れば愛丸の偉大さが嫌でも杏子は理解出来てしまう。
 呆気に取られている杏子の気を引こうと、愛丸は自嘲気味に話す。

「だが全てを救えたわけじゃないさ。最近家に入ったメンバーの一人も元々はグルメ界の病気でオレが治療を施したが、完全には治らずウィルスの一部は左目に残ったからね。とんだボンクラだよ、オレは本当に……」
「何を言ってるんですか。愛丸さんは凄いですよ!」

 自分を卑下する愛丸を否定するように杏子は目を輝かせながら叫ぶ。
 かつて自分が諦めた夢を愛丸は全て叶えている。本気で尊敬できる人間に出会い、杏子は久しぶりに感じる胸の高鳴りを感じながら、更に深い話を愛丸から聞き出そうとする。
 その後も愛丸は杏子にせがまれ話を続けていたが、それが止まったのは朝日が窓を差し込む感覚を覚えた時。
 最後に立ち去ろうとする愛丸に向かって、杏子は年頃の少女らしい穏やかな笑みを浮かべながら話す。

「また会えますか? それまでにアタシも頑張りますんで……」

 その柔らかな表情を見て、トリコが杏子に期待した理由が分かった。
 それはポテンシャルの高さだけではなく、心の優しさと言うのも持っているからだ。
 直に杏子と接して、それを理解した愛丸は同じように柔らかな笑みを浮かべながら答える。

「それまでオレも頑張って生きるよ」

 長年ウィルスや毒が体の中に蓄積されているため、自分自身も病気になる可能性が高い愛丸だからハッキリと約束は出来なかった。
 だがその真摯な態度が大人の対応だと言うことを知っている杏子は静かに頷いて、愛丸が出ていくのを見送った。
 足音が消えて無くなるまで見送ると、杏子は誓った。
 これから先現実に負けず、自分を貫いて生きていこうと。





本日の食材

今日はお休み





と言う訳で今回は愛丸と杏子を絡めました。
彼は杏子が諦めた、叶えられなかった夢を全て叶えたと思う人物だったのでこうしました。
初めの内はマミに対しても敬語だったので、こう言う杏子があってもおかしくないとは思います。それに目標となる人間の一つぐらい欲しいとも思いますし。
次回は一人での本格的な狩りに行こうと思います。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ24 美食屋と料理人
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:af3c53af
Date: 2013/06/23 01:36





 愛丸からの紹介状を手に杏子が向かったのは新人の美食屋が重宝している出会い酒場『Bar ヘビーロッジ』西部劇にでも出てきそうなバーの門をくぐると、既に何名かの美食屋でカウンターは埋まっていて、マスターの『モリ爺』は仕事の斡旋に忙しそうにしていた。
 さばき終わって自分の番が来たのを見ると、杏子は紹介状をカウンターに突き出して読むように手で命じた。

「ん? お前さん、もしかしてトリコのところのアンコか?」

 モリ爺の問いに対して杏子は黙って頷くと、引き続き紹介状を指でトントンと押して読むように命じる。
 愛丸からの紹介状を読まなくても、ココからその高い実力は推薦を受けていて、既に杏子に仕事を任せてもいいと言う依頼人も居る。
 だが杏子には実戦の経験が全く無い。
 訓練で優秀な成績を残したとしても、それはしょせん道場剣法の範囲で強いというレベルであり、実戦の果し合いの経験がほとんどない杏子にすぐに高難度の依頼を紹介する訳にはいかず、初めは簡単な物を与えて美食屋として下積み経験の厳しさを叩きこんでやろうと思っていたモリ爺だが、杏子の目を見ると考え方が揺らいでしまう。
 長年旅立つ者を見てきた実力や才能を見抜く、確かな目利きの能力が杏子に実力以上の実戦経験と言う物を感じ取った。
 トリコのグルメ細胞を移植されているから、初めはその七光りによる存在感かとも思ったが、そんなちゃちな物ではない。

 年齢以上の人生経験を積んでいると言うのが分かると、モリ爺は少し考える素振りを見せて、いくつかの依頼を杏子に見せて選ばせる方式を取った。
 普通ならばデビュー戦の美食屋にこんな上等な方法は取らないのだが、杏子の中にトリコ並みの頼りがいを見出したモリ爺は自分の直感を信じ、杏子に仕事を任せることにした。
 杏子は初めてなので何を基準にどう選んでいいかは分からなかったが、まだまだ実力に不安もあるので出来る限りグルメ細胞のレベルが早い段階で活性化するような食材を求めようとしていたが、どれもピンと来る物がなかった。
 何度も資料を見て迷っている杏子を見ると、モリ爺が今の杏子の実力にあったお勧めの依頼を見せる。

「これなら採取と捕獲の両方の依頼がこなせるぞ」

 一つの依頼で多くの経験が積めるのはありがたい限り、杏子はモリ爺から勧められた依頼を見てみる。
 それは最近発見された。一口食べるだけで口の中いっぱいに甘みが広がり、即効での栄養補給にも最適なイチゴ『ハニーストロベリー』の採取の依頼。
 現在はIGOの研究により人工生産も可能にはなったが、それでも天然物には遠く及ばず、物自体は小高い丘に行けば存在しているため、捕獲だけなら素人でも可能なのだが、問題はそれを主食とする猛獣。
 『グールバード』はとても大食いでいくら食べても満足できないとまで言われるほどでありながらも、食べ物の好き嫌いが激しく、消化できる物が少ないため、食べてもすぐに吐き出し、まともな食事が出来ない状態。
 そんなグールバードが唯一まともに食べられるのが、ハニーストロベリーだけであり、一粒食べただけでその日一日のカロリーを摂取できるほどであり、それがグールバードの生態の解明にも役立っている食材であることが分かる。
 今回の依頼の内容はハニーストロベリーの採取、及びグールバードの捕獲。
 通常ならばデビュー戦の美食屋には厳しい二つ同時の依頼だが、杏子ならやってのけるだろうと判断したモリ爺。
 杏子は物をジックリと見ながらグルメディクショナリーで各々の情報を集め、詳しいことをモリ爺から聞こうとする。

「ハニーストロベリーの捕獲レベルは7と中々の物だが、採取するのに決まった手順を踏まないと味が落ちるとかそう言うことか?」
「いやグールバードに狙われやすいことに加え、量がそこまで取れないことから、その捕獲レベルに落ち着いた」

 ハニーストロベリーの高い捕獲レベルの理由を聞くと、杏子は少し考える素振りを見せてから、場所を確認するとモリ爺に背を向けて現地へと向かおうとしていた。

「ちょっと待て、グールバードの捕獲レベルは11だぞ。そっちに関しての不安はないのか?」
「アタシは討伐なら経験上こなせるが、採取はまだまだ苦手でね。面倒くさい制限が無ければそれに越したことはないよ」

 それだけ言うと杏子はヘビーロッジを後にする。
 その威風堂々とした態度は既にベテランの美食屋を思わせる雰囲気があり、モリ爺は杏子に感じていた四天王並みの資質と言う物を。




 ***




 翌日、杏子はハニーストロベリーが採取出来る丘の上に到着すると、早速数人の美食屋がハニーストロベリーを捕獲している様子が目に映った。
 光景だけを見れば天然のイチゴ農園で大の大人たちがイチゴ狩りに勤しんでいるように見えるが、足元に置いてある物騒な武器の数々と常にグールバードの存在に怯えていることから、全員がその表情は真剣その物であった。
 乱獲の防止のため、一人1キログラムまでしか持ち帰ることが許されていないが、この過酷な状況を考えれば採取出来たとしても、その全てを持ちかえることが出来るかどうか微妙なライン。
 事実ここに来るまでも幾多の猛獣が襲ってきて、自分は難なくノッキングで撃退してきたが、今ここに居る美食屋たちの中にはここに来るまでだけで満身創痍の状態になっている奴も居る。
 目利きの能力を発動させてざっと見回すが、とてもではないがこの中でグールバードの捕獲が出来るような美食屋が居るとは思えない。
 ココから美食屋同士助け合うことも重要だと団結の重要性も教えられたが、それは実力がある程度近い物同士での話。
 結局は自分一人で全てを行うのだろうと杏子は思い、ため息交じりに天然の農園へと向かうとハニーストロベリーの採取を行う。

 まずは適当に自分の目線の高さにあるイチゴを摘まんでヘタごと摘み取る。
 そして用意した籠の中にハニーストロベリーを入れていくが、やっている最中でも気になるのはグールバードの存在。
 周りの美食屋ほどではないが、捕獲レベル11は馬鹿にしてはいけない存在。
 これまで一対一の対決しか経験の無い杏子に取って、採取と捕獲の両方をこなさなければいけないのは難易度の高い依頼であった。
 一つ摘んでは後ろを振り返る。この繰り返しを行っていると、耳に獣の咆哮が届き、鼻にはつんざくような獣臭が漂ってくる。
 周りの美食屋たちは気づいてないらしく、これはトリコのグルメ細胞を移植された自分の特権だと思い、摘み取ったハニーストロベリーを数個手の中に収めると、前へと出ていく。
 崖下から現れたのは羽ばたくと言うよりは飛び上がってこちらにやってきた不格好な鳥であった。
 申し訳程度の翼を両手に持ち、幼子の手のひらほどの大きさしか持ち合わせていない翼とは対照的に体は風船のように膨れ上がっていて、顔は醜悪さがにじみ出ている気持ちの悪い顔立ちであった。
 見ただけで戦意を喪失するその姿に、他の美食屋たちは各々獲物を構えて撃墜に当たろうとするが杏子は一人手を突き出してそれを制する。

「アンタらさ、今回の依頼忘れたのか? グールバードは討伐じゃない捕獲が目的だろ。出来ないのなら、すっこんでろ!」

 杏子に怒鳴られるとその場に居たほとんどの美食屋が尻すぼみ、後ずさりしてしまう。
 邪魔が無くなったのを見ると、杏子は持っていたハニーストロベリーを地面へと落とし、グールバードに食べるよう手で促す。

「別にお前らの食い物を根こそぎ奪うつもりはないよ。腹減ってんだろ食えよ」

 杏子に促されるとグールバードは地面に転がったハニーストロベリーを貪るように食べ、食べ終えると不気味な笑みを浮かべながら崖の下へと飛び立ち去って行った。
 これでしばらくは大丈夫だろうと踏んだ杏子は戻って引き続き、ハニーストロベリーの捕獲を行う。
 そこに居たほとんどの美食屋が見たこともない杏子が簡単にグールバードを追っ払ったのと、加えて決して量が多くないハニーストロベリーを簡単にあげた杏子に付いていけない部分が多く、全員が敬遠していた。
 杏子としても余計な邪魔が入らないのはありがたい限りであり、黙々とハニーストロベリーの捕獲を行っていたが、ふと隣が気になってチラリと横を見る。
 全てを均等に味がいい物から取っているのがほとんどなのだが、隣に居る肥満体の青年はどう言う訳か、まだ身が熟していない物から、熟しすぎて食用には適さない物まで取っていて、いかにも食欲が刺激されそうな物だけは残っていた。
 青年の姿を見るとイチゴ狩りは不釣り合いな上から下までガチガチに甲冑で身を覆い、武器は遠方からでも相手を攻撃できるスナイパーズライフルを使用していて、グールバードの捕獲はほとんど頭になく、ハニーストロベリーだけを捕獲することだけを頭にある装備で挑んできた。
 にも関わらず食べ頃のハニーストロベリーを残す理由が分からず、好奇心からか杏子は隣で黙々と作業している肥満体の青年に話しかける。

「アンタさ……目的はハニーストロベリーだろ? 何で食べ頃のを残して、まだ熟してない奴や熟しきってる物なんて選んで取るんだ? 制限されてんだから、無駄遣いはやめた方がいいんじゃないのか?」

 突然話しかけられて肥満体の青年は一瞬驚いた素振りを見せたが、話しかけられると自分の目的をたどたどしいながらも話し出す。

「スイマセン……もしかしたらこのハニーストロベリーがフルコースのデザートに決まるかもなので……」
「それだったらベストな物を捕獲すればいいだろ。何でわざわざ食べられない物を選ぶんだよ?」
「だからですよ……」

 青年の言っている意味が分からず、杏子は困惑した顔を浮かべるが、青年は一つハニーストロベリーを取りながら語り出す。

「例えば、この熟しすぎた奴はジャムにして食べることが出来ますし、まだ熟していないそれは苗として育てることが出来ます。その食材の全てを理解しなくてはフルコースに入れる訳にはいきません」
「自分自身納得できるもんじゃなきゃって奴か……でもそれでフルコースに入らなかった地獄だろ?」
「その時はその時です。また新しい食材を探すだけですよ」

 そう語る青年の目は非常に輝いていた。
 それに熟したハニーストロベリーを残すのはそれだけが目的ではない。
 全てを取ってしまえば、翌年にハニーストロベリーの実りが悪くなり、今は良くても十年先、二十年先は絶滅する可能性だってある。
 本当に食材を愛しているからこそ出来る行為であり、その姿を間近で見た杏子は本来ならもっと籠には入れられそうなのだが、それを丁寧に保護した上で用意していた亜空間モグラの付いたスポーツバッグに入れると空になった籠を青年に手渡す。

「熟しすぎた物を同じ籠に入れてたら、他のまで痛んじまうぜ。熟しすぎたのはこっちに移すといい」
「な、何かスイマセン……」
「いいよ。もうこっちはあとグールバードの捕獲だけだからよ。他にはどんな奴を取ればいいんだ?」

 青年の食材に対する真摯な態度が気に入ったのか、杏子は穏やかな笑みを浮かべながら青年に接する。
 青年は杏子の優しさに委縮しながらも引き続きハニーストロベリーの捕獲を続け、二人は規定量一杯に様々なハニーストロベリーを捕獲すると青年は杏子に頭を下げて帰ろうとする。

「楽しかったよアタシはアンコだ。アンタは?」

 最後に名前ぐらいは覚えておこうと思って、青年に対して名前を聞こうとすると青年は照れ臭そうに笑ないながら自己紹介を始める。

「失礼しました。アンコさん、僕はダブルと申しま……」

 ダブルが自己紹介を終えると同時に獣の咆哮が双方の耳に届く。
 予想通りグールバードがこちらに向かってきて、先程とは違い多くのグールバードの群れにその場に居た美食屋たちは戦意喪失してしまい、ハニーストロベリーを持って逃げだすが、杏子だけはグールバードの様子がおかしいことに気づく。

(あれは餌を求めると言うより、何かから逃げてると言う印象の方が強いぞ……)

 杏子が感じた通りその場に立ち尽くす杏子を通り過ぎて、グールバードは追って来る何かから逃げようとしていた。
 ハニーストロベリーの農園までグールバードが来た瞬間に、世界は影で覆われる。
 何事かと思って杏子が見上げると、そこには巨大なグールバードが居た。
 通常のグールバードは5メートル大ほどの大きさだが、今杏子の目の前に居るグールバードはその3倍の大きさはあり、よだれを垂らしながら餌を求めていた。
 だが杏子が注目したのは大きさよりも、通常の生命体には無い施しに注目していた。
 腹に大きな穴がぽっかりと開けられ、その穴を塞がれないように内部には機械が設置されていた。
 生物兵器のように改造されたそれはどんなに食べても満たされることはなく、同族を相手に大きく口を開けて突っ込んでいき、逃げまどうグールバードたちを食い散らかしていく。
 だが食べても食べても腹に開けられた大きな穴から食べた物は落ちていき、決して空腹感は治まることなく、悲痛な咆哮を上げながら餌を求める生物兵器。
 永遠の空腹地獄に陥った哀れなそれに一瞬目をそらしそうになってしまうが、ここで止めなければまた悲劇が起こるだけ。
 心を鬼にすると杏子は着ていたツナギを脱ぎ捨て、深紅のコスチュームに身を包むと背中からナイフ形体の槍を取り出して突き出す。
 自分に対して敵意を向ける相手が居ると知ると、巨大グールバードは雄たけびを上げながら、杏子に向かって顔を下ろして少女を噛み砕こうとしていた。
 だが当たる直前で少女の姿は消えてなくなる。
 一人逃げ時を失ったダブルが見上げてみると、既に巨大グールバードの上を行き、頭部に向かって穂先を突き立てようとしている杏子の姿があった。

「正当防衛だ……悪く思うな!」

 長く接していると永遠の空腹と言う恐ろしい呪いをかけられた巨大グールバードに情が移ってしまうと思った杏子は、自棄気味に叫んで頭に穂先を突き立てる。
 だが穂先が皮膚に刺さった瞬間に違和感を覚える。
 いつもならそこで刃が脳天を貫いて勝負ありなのだが、生物兵器として改良された巨大グールバードは脳にも機械が埋め込まれているらしく、手から感じる金属の感覚に杏子は戸惑っていた。
 暴れ回る巨大グールバードの頭にしがみつきながらも仮説を立てる。
 恐らくは腹に穴を開けられただけではなく、常に空腹の状態にするために脳にも改造手術を施され、満腹中枢が破壊されているか、常に空腹中枢が作動している状態になっているのかのどちらかなのだろう。
 その状態を守るため頭蓋骨もより強固な機械に改造されているのだろうと思うと、ますますこんな理不尽な改造を施した相手に腹が立つ。
 十中八九美食會だと言うことは分かるが、暴れ回る巨大グールバードに掴まっているのが困難になったのか、杏子は一旦飛び立って地上に降り立つと倒すための算段を考えようとする。

「ぼ……僕も戦います!」

 杏子が地上に降り立つのを見るとダブルが震える手でライフルを持って、共に闘おうとする意思を見せるが、それに対して杏子は嫌悪感を露骨に前面に出した顔を浮かべる。

「ダメだ! 悪いが足手まといだ!」

 一喝すると同時に再び巨大グールバードが杏子を食おうとしていた。
 直前で杏子は再び上空へと逃げるが、その間考えているのは巨大グールバードの倒し方。
 攻撃は空腹から直線的で相手を食べようとしているのがほとんどのため、よけるのは簡単だが問題はその後。
 頭部は固い機械で守られていて、腹部もまた巨大な穴がぽっかり開いている状態なので致命傷を与えるのは難しい。
 となると残りは全ての生命体の活動拠点である心臓を直接狙うだけなのだが、これだけ激しい攻撃の中を掻い潜ってドリルクラッシュを放つのは今の杏子には難しい話。
 ドリルクラッシュは全ての体全体の回転のエネルギーを全て槍に移行して放つ大技のため、後先考えずに攻撃を繰り返す巨大グールバードを相手に放つには時間がかかりすぎる。
 ここは少しずつ体力を奪って、仕留める正攻法で行こうと思ったが、巨大グールバードのポテンシャルは杏子の予想以上だった。
 口を大きく開けて中から現れたのは巨大なバキューム口。
 そこから放たれる豪風は勢いよく杏子を包み込もうとしていて、空中で無防備な状態になっている杏子はバキューム口に吸い取られ、巨大グールバードの口内に収まってしまう。
 大きな奥歯が自分を噛み砕こうとした瞬間に杏子は背中からもう一本の三又槍を取り出して、二本の槍をつっかえ棒にすると何とか食べられるのを阻止して、槍がしなったのを見ると、その反動を利用して一気に飛び出す。

 ――もう考えるのはやめだ! シンプルにぶっつけ本番で行く!

 変な手心を加えれば巨大グールバードが苦しむだけだと判断した杏子は、自分が持っている一番の武器で一気に勝負を付けようと二つの槍を一つに合体させ、ドリルの形状の槍を作り上げると頭の中で回転のイメージを作り上げる。
 地面に激突した時の衝撃を和らげるのと、イメージの具現化の二つの意味を兼ねて着地したが地面に着くとダブルが未だにライフルを巨大グールバードに向かって構えて狙いを定めているのが見えた。

「まだ居たのかよ!? 邪魔だからさっさと失せろ!」

 中々思うようにいかない苛立ちから、杏子はダブルに八つ当たりするが、ダブルはライフルの照準を腹に開けられた大きな穴に向かって放とうとしていたが、動き回る巨大グールバードのせいで中々照準が合わずに苦戦していた。

「何の真似だ? あんなところに弾ぶち込んだ所で何の意味も無いだろ?」
「この銃に込められているのは弾丸ではありません。見たところアンコさんは技を発動するために時間が欲しいみたいですね?」

 自分の真意を理解しているダブルに杏子は驚いた顔を見せるが、今は使える物は何でも使おうと言う切羽詰まった状態のため黙って頷く。
 ダブルはダブルなりに何か策があって行動しようとしているのだろう。
 それを邪魔するようなら、またさやかの時のような悲劇が待っているかもしれない。
 本能的に美食屋のプライドと言うのを理解した杏子は、巨大グールバードの注意を自分に引き付けるため、ナイフワイヤーを右手の袖から発射すると一気に距離を詰めよって、ドリル形態の槍で足を思い切り突き刺す。
 回転の力が無くても貫くと言うことに特化した形態の武器は爪と肉の間に刺さり、足の爪を引きはがすとそこから鮮血が勢いよく噴き出す。
 この耐えがたい痛みを巨大グールバードは顔を近づけて杏子を食らうことで忘れようとしていたが、攻撃方法はこれしかないと分かっているため、今度はバキューム攻撃にやられないよう地面を中心に杏子は逃げ回る。
 これで動いているのは首だけの状態になっているため、ダブルが狙っている照準の腹の穴は動かない状態になる。

 杏子の真意を理解するとダブルの集中力が自然と高まり、震える手が止まると同時に引き金が引かれる。
 言った通りライフルに込められていたのは鉛の弾丸ではなく、ゴム弾のような物が放出され、大きく開けられた腹の穴に着弾すると小さく音を立てた。
 ダブル以外何が起こったのか分からなかったが、次の瞬間浮き輪に空気が入っていくような音が響くとダブルの狙いが理解できた。
 本来は緊急用の保護クッションとして使うクッションが腹の中で一気に広がっていくと、巨大グールバードは言いようのない圧迫感を覚え、苦しそうに呻くだけとなっていた。
 この瞬間杏子はある情報を思い出す。
 肥満で苦しむ患者のために医師が行う施術の一つで、胃の中に風船を入れて食べる量を強制的に減らすと言う内容の施術がある。
 今回ダブルが行ったのはそれの応用編であり、予想通り体の中が圧迫されたのに加え、呼吸さえままならない状態となった巨大グールバードの動きは完全に止まってしまい、苦しみから逃れようと何度も深呼吸を繰り返すだけ。

 この勝機を逃がしては自分に勝ち目はないと踏んだ杏子は体全体に回転のイメージを作り上げると、それら全てを槍に移行させる。
 回転の力を受け槍が轟音を上げながら獲物を狙う。
 今までの修業でも何度か放ったドリルクラッシュだが、威力が強すぎてコントロールが思うように聞かず、必要以上に獲物を傷つけてしまったこともある。
 だが今はそんな反省をする必要はない。変な手心を加えて勝てる相手ではないからだ。
 ドリルの轟音を鎮めるように杏子は照準を合わせる。狙いは唯一の弱点と思われる心臓。
 雑な改造を施したので防御に関しては皆無だろうと判断した結果だ。例え何かしらの対策を施したとしても、それごと貫けばいいだけの話。
 足に力を込めると一気に飛び立ち、一本の矢が放たれた。

「ドリルクラッシュ!」

 まだ必殺技の名前を叫ぶのには抵抗があるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
 腹の中のクッションが破ければ、もうドリルクラッシュの発動に時間を割くことは出来ない。
 照準は左胸の心臓目がけて一直線に放たれる。修業中は照準がぶれて思うように狙った箇所に攻撃できないことも多かったが、今は不思議と落ち着いて手にも力が込められ、そのままのスピードでこなしていける確信があった。
 襲ってくる杏子に対して、巨大グールバードはやぶれかぶれに体ごと突っ込んでいこうとしたが、無駄な行為であり、そのまま矢は心臓を射抜き勝負は呆気なく終わる。
 高温を発しているドリルは傷口から放たれるはずの血液すら瞬時に蒸発させ、血管は委縮し血液の発生を許さなかった。
 杏子が空中で回転し槍を元の二本の状態に戻すと同時に巨大グールバードは勢いよく前方に倒れ、地面に轟音が響き渡るとその生涯が終わる。
 全てが終わって杏子もまた地面に着地すると改めて辺りを見回す。
 ハニーストロベリーは無事だが、辺りを見ると食い散らかされたグールバードの死体が散乱していて、見るも無残な状態となっていた。この辺りの後始末もまた美食屋の仕事だと言うのはココから厳しくしつけられているので、杏子は槍で穴を掘りながら邪魔にならないところにグールバードたちの墓を作り、ダブルもそれを手伝った。

「悪い……」
「構いません。それよりも……」

 ダブルが指さしたのは巨大グールバード。
 あれ程の大きさだと墓を作るのは困難であったが、放置しても生ゴミになるだけであり、どうしていいか分からない状態であり対処法に関しての意見を杏子に求める。

「そうだな……あれって食えるのか?」
「え!? 食べる気なんですか!?」

 グールバードに関しての情報はまだ少ないが、そのえげつない見た目から食べようとは思わない。
 思わず素っ頓狂な声を上げたダブルに対して、杏子は真剣な顔のまま頷く。

「ああ、アタシに美食屋としての基本を教えてくれた人がいつも言っていたことさ、自分で仕留めた獲物はお前が食えと、生きるためでもあるし、獲物の命に対するお前の礼儀でもあるってね」

 トリコとの思い出が頭の中で蘇っていくと、自然と優しげな顔を杏子は浮かべていた。
 その顔を見てダブルは思った。彼女は教師に恵まれたのだと。
 やれるだけのことはやってみようと思い、墓を作り終えると杏子とダブルは巨大グールバードの解体にあたる。
 機械と食べられない部分が多々あって解体には苦戦をしたが、どうにか持って帰られる状態にまですると、二人はその場を後にした。




 ***




 近くにあるバンガローを借りて、調理を進めてみる。
 と言っても杏子は料理に関しては素人以下だが、この世界の食材は焼けば食べられる簡単な物ばかりなので、そこまで苦労はしない。
 焼くだけなら自分でも可能なので、取りあえずトリコから貰った改造ライターを片手に万遍無く焼いていくと、一応は食べられる作りに仕上がったが、食欲をそそる紫色の毒々しい色合いは食べるのに勇気が居る代物だった。

「こ、この世の全ての食材に感謝を込めていただきます……」

 今まで食べた物は皆美味しいグルメ食材ばかりだったため、食用に適さない物は初めてであるが、これも美食屋をやっていく以上避けて通れない道なのだろうと思い、ナイフを入れて切ろうとするが、まるでゴムでも切っているような感覚にイライラを覚えながらも、どうにか切ってフォークで刺して震えながらも食べる。

「マズ――!」

 口にした瞬間に正直な感想を告げる。
 まるで古いタイヤでも口の中に放り込んでいるかのような不快感があり、噛めば噛むほど古びた油が口全体を覆って、喉を通り過ぎても胃の中までベットリとした不快感が残り、食べれば食べるほど不愉快になる食材に杏子はげんなりとした顔を浮かべる。

「どうします? IGOに連絡して処分させますか?」
「もう少し挑戦してみる……」

 ダブルは杏子の体を心配して巨大グールバードをIGOに処分させることを提案させるが、今焼いている分だけでも処分しようと、杏子は何度も意識を遠い所に持って行かせながらも食べ続けた。
 実際現地でしか食料を調達できない状況と言うのも美食屋をやっていれば多いはず、これも修業なのだと思って、何度も戻しそうになりながらも杏子は食べ続け、取りあえずは一ブロック食べ終えると、急激に目まいと吐き気に襲われ、一旦ソファーで横になって休む。

「まだ処分の連絡は送るなよ……まだ頑張れると思うから……」

 横になりながらも、どうすればあの不快な味を感じないで胃に放り込めるかを杏子は考えていたが、後ろで何やら作業をしている音が聞こえ、振り返って見るとダブルが食べて悶絶しながらもリュックから料理器具と調味料を取り出して、調理を試みようとしていた。

「何をやろうとしてんだテメェは!?」

 勝手な行動に気を悪くした杏子は詰めよって、ダブルの肩に手を置いて無理矢理行動を制するが、ダブルは怯えながらも反論をする。

「ス、スイマセン……でも食べるなら美味しく食べられる方がいいと思ってですね……」
「アンタだってアタシと同じ美食屋だろ、素人がやったところでどうにも……」
「確かに僕は美食屋ですけど、料理のスキルには自信があります!」

 これまで頼りなさを感じていた頃とは違い、高らかと宣言するダブルが気になって詳しいことを杏子は手を離し聞き出そうとする。
 杏子の許しを貰うとダブルはこれまでの自分の経緯を語り出す。
 元々ダブルは一流のホテルで働くコックであったが、ただホテルが用意してくれるだけの食材をさばくだけでは自分自身料理人としての成長が止まってしまうのではと言う不安感から、自分でも納得できる食材を見つけるため美食屋に転身。
 その臆病で慎重な性格が手伝ってか、何度も危険にさらされながらもどうにかフルコースを最後のデザートまで集めることが出来、コツコツ貯めた金で自分の店もオープンできるまでになった。
 これまでの経験から不味い食材も何度も経験してきたため、それを食べられる物にまで修復する方法も覚えた。
 話を聞くとこれ以上食べるのはつらいと判断した杏子はダブルに調理を任せ、引き続き自分は横になって体力の回復に専念した。
 体力を予想以上に消耗したのか、ウトウトと眠って目が覚めた時には2時間近く経過していた。
 寝ぼけ眼で巨大グールバードの様子を見ると、大量にあった肉は消えて無くなり、代わりにテーブルに並べられたのは先程よりは毒々しい紫色が薄くなったステーキが置かれていて、隣には大量のゴミ袋にあった油が存在していた。

「それは?」
「このグールバードはとにかく肉の中に油分が大量に入っていましたので、それを除去することに専念しました。これだけでも大分味が違いますよ」

 その油も濁ったまるで工場の中の廃油を思わせるような油であり、見ているだけで戻しそうになった杏子は肉を食べることに専念しようと、再びナイフとフォークを持つが、最後にダブルは大量のソースをステーキにかける。

「これをかければ大分味がマイルドになりますよ。僕が美食屋として唯一発見した新食材の『レインボーマヨネーズ』です」

 ステーキに七色に輝くマヨネーズと本当に食べ物なのかと、疑いたくなるような代物だが先程に比べればマシだろうと杏子は思いながらナイフを入れて食べだす。
 レインボーマヨネーズの効果なのだろうか、ナイフはスッと入り、先程よりもずっと肉が柔らかくなっていた。
 フォークを刺して食べると先程とは違い、肉は柔らかく何より先程まで感じていた油の嫌な感じが全くなく食べることが出来た。
 だが長いこと口の中に入れていると肉本来のえぐい感覚が出るので、その前に飲み込むと残りのステーキも食べだし、グールバードの命の礼儀と言う物を杏子なりに示した。

「ごちそうさまでした……」

 ダブルのおかげでどうにか全ての肉を食べきることは出来たが、初めて食べる不味い食事の感覚は杏子に取ってショックが強く、力なくため息をつくとそのままテーブルの上に突っ伏す。
 一応はエネルギーの補給こそできたが、今回の狩りを見れば反省点も多くその辺りも踏まえてヘビーロッジに宅急便で送ったハニーストロベリーも届いている頃だろうと思い、モリ爺と電話で相談しようとしたが、その前に一つのタルトが置かれる。
 真っ赤に光り輝く、まるでルビーのようなタルトは見ているだけで食欲が沸き、唾を飲み込む音が辺りに響き渡ると食べていいのかどうかを作ったダブルを見て、無言のアピールを行う。

「どうぞ!」

 とてもいい笑顔を浮かべて勧めるダブルに促され、杏子は一口タルトを食べる。
 口に入れた瞬間それまであったいじけた気持ちが吹き飛ぶのが分かった。
 ハニーストロベリーの本来の甘さもそうだが、上にかけられたはちみつがより甘さを引き立て、それにサクサクのパイ生地が合わさって見事な調和を生み出していた。

「うま……」
「んま――い!」

 率直な感想を述べようとした瞬間、突然響いた下品な叫び声に打ち消される。
 見るとダブルは自分が作り上げたタルトを口に含みながら満面の笑みを浮かべていて、泣きながら両手を上げて大喜びしている様はまるで子供のようであった。
 そして嬉し泣きをしながら懐に忍ばせていた紙を取り出し、自分のフルコースの最後の空白になっていたデザートの欄に書きこむ。

「僕はこのハニーストロベリーをフルコースのデザートに加えます。そして僕のフルコースは完成して、僕は美食屋を引退します!」

 自分の納得するフルコースが全て完成するとダブルは泣きながら何度も万歳三唱を繰り返して、喜びを露わにしていた。
 その姿を見て本気で美食屋としての仕事に取り組み、本気でこれから料理に対しても向き合おうと言う姿勢がうかがえた。
 どんな物なのだろうと思い、杏子はダブルのフルコースを見つめる。
 最初から最後まで見事に甘い食材で構成されているそれを見れば、思わず胸やけがしてしまい、それをからかおうと喜び続けるダブルの頭に軽くチョップを放ち、自分の方に注意を向けさせる。

「まぁおめでとさん。しかし、肉料理に『パンジーオックス』メインが『チェリードラゴンのソテー』に、ドリンクが『汁粉熊の血』って、虫歯になりそうなメニューだな」
「ハイ、僕はスイーツ専門店をやりたいと思っているので!」

 軽い杏子の皮肉も今のダブルには全く通用せず、テンションが上がりきったダブルは続いて自分の店の構想に取りかかった。
 その様子を見て杏子はココから言われた言葉を思い出す。
 自分の食材のレベルに見合った料理人を見つけたら、すぐにコンビを組むといいと、どんなに凄いフルコースを調達する美食屋がいても、それを調理できる物がいなければ何の価値もないと教えられた。
 その時はまだフリーで料理人とコンビを組んでいないココが何を偉そうなことを言っているんだとからかって終わったが、今日の狩りを振り返ればその意味はよく分かった。
 料理だけでなく戦闘面においても今回の戦いはダブルが居なかったら負けていたし、料理だってダブルのおかげで全てを食べきることが出来た。
 何となくではあるが、ココの言葉の意味を知り、レベルアップにばかり囚われていたが、これからは自分のフルコース探しについても頑張ろうと思って、この日は眠りに落ちることを選んでベッドに横になった。

「ほどほどにしとけよ……」

 未だにテンションが上がりきって喜んでいるダブルに口頭で注意をすると、杏子は眠りに落ちた。
 これから自分の美食屋としての身の振り方を考えながら。




 ***




 翌日、杏子はダブルと別れるとモリ爺に携帯で電話をかける。
 電話に出たモリ爺は見事にハニーストロベリーの捕獲に成功した杏子を褒めたたえるが、杏子は満足していない様子だった。

「いや全然ダメだよ。結局グールバードの捕獲は失敗だったからな」
「まぁ今回のは非常に運の悪いハプニングと思った方がいいじゃろ。初戦でそれだけやれれば十分じゃろ」
「それで次の依頼なんだがな……」

 杏子は次の依頼を経験の積める物ではなく、出来る限り美味しい食材が食べられる物はないかと告げ、色々と聞いてみる。
 杏子が一つ美食屋としてステップアップしたのを見届けると、モリ爺は笑いながらリストアップしていく。
 これからも杏子は素晴らしい狩りを行い続けるだろうと思いながら。





本日の食材

ハニーストロベリー 捕獲レベル7

小高い丘でのみ栽培が可能な、通常よりも糖度の高いイチゴ。
食べ方は色々あるがスイーツの素材にするのが一般的とされている。

グールバード 捕獲レベル11

とても大食いな鳥であり、通常ならばいくら食べても満足できないと言われるほどの大食感だが、ハニーストロベリーだけは一口食べれば満足できることから、IGOとしては詳しい生態の解明をしたい猛獣。





と言う訳で今回は初めての狩りをやってもらいました。
次回もまた狩りの話になります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ25 恐怖を覚えた瞬間
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:f214a1bb
Date: 2013/06/30 01:26





 数多くの依頼をこなしてきた。
 自分で新発見した食材もいくつか出てきた。
 色々なタイプの猛獣とも戦い、その全てに勝利し戦い方と言うのも曲がりなりにも熟知したつもりだ。
 少しずつではあるが、自分なりに美食屋としての道を歩き自信も付いてきたつもりではあった。
 だが今杏子は言いようのない黒い恐怖から逃げまどっていた。
 これが夢だと言うのは自分でも理解できている。そうじゃなければ何もない真っ暗な空間をあやふやな状態のまま走り抜けている訳がない。
 今までだって悪夢を見てきた経験は何度もある。だがそれは全て自分が魔法少女の頃に体験した物ばかり。

 家族、マミ、さやかと嫌なことばかりがフラッシュバックするのは少なくなかったが、今回の悪夢はそれらとは全く質が異なる物。
 根本的なレベルでの質の違いを感じながら、後ろを振り返ることすらせず、戦おうともせずに杏子は逃げ続けていた。
 だが逃走劇は呆気なく幕が下りる。
 自分の視界が更なる深淵の暗闇に包まれると同時に体を圧迫される感覚が襲う。
 気付いた時には自分の体は鼻をかんだティッシュのように丸められていき、手も足も全てが圧迫されて息苦しさを感じ取った。
 今どういう状況なのかを確認したくても目の前には暗闇しかなく、鼻を鳴らしても何の匂いもしない、手も足も動かすことが出来ず、助けを呼ぼうとしても声さえ出ない。
 ここまで息苦しい状況がこの世に存在するのかと心の中が絶望で覆われていくと、意識は完全にブラックアウトした。
 最後の瞬間その目に映ったのは、鳥のような姿をした漆黒の生き物だった。




 ***




 体中に嫌な汗をかきながら、声にならない叫び声を発しながら杏子はベッドから飛び起きる。
 荒い息づかいで辺りを見回すと、そこは自宅であるスイーツハウスの自室であり、見慣れた風景が自分を出迎えてくれた。
 額に浮かび上がった嫌な汗を袖で拭うと、気持ちを落ち着かせようと立ち上がってリビングへと向かい、蛇口をひねって牛乳を飲む。
 スマイルの計らいでスイーツハウスには若干の改良が加えられていて、その一つが蛇口を捻れば牛乳が出てくるギミックであり、これは『ミルクの泉』からパイプを引いているため可能な高度なギミック。
 冷たい牛乳を飲みながら気を落ち着かせると、朝見た嫌な悪夢の詳細を思い出そうとする。
 今までのどれとも違う初めて見るタイプの悪夢であり、正体が分からないことに杏子は苛立ちを覚えていた。

(まさか美食屋と言う仕事に対してのストレスだとでも言うのか?)

 知らず知らずに感じていたストレスが何かしらの形となって現れるのはよくある話。
 だが自分がその対象になるとは思わず、杏子は乱暴に髪を掻き毟るが依頼を受けていたのを思い出すと慌てて詳細の確認のため、携帯を取り出しメールを見る。
 杏子が美食屋としてやっていく目標は二つ。
 自身のグルメ細胞の進化と自分のフルコース探し。
 グルメ細胞の進化に関してはとにかく難しい依頼をこなしていけば何とかなるだろうと思い、フルコースの方はまだこの世界での食材を理解していないことが多く、そんな状態でフルコースを選ぶのも恥ずかしいと思っているため、取りあえずは候補を見つけておこうと、自分自身も好物のフルーツを中心に行い、まずはデザートから攻める作戦に出る。
 そして今回杏子が行う仕事は深海のメロン『パールメロン』の捕獲である。
 海底にある『フルーツあこ貝』の中にごく稀に現れるパールメロンは興味がそそられるところであり、捕獲レベルも9とそれなりの物なので、目的が二つ同時に達成できるかもしれない。
 簡素な準備を終えると今日も杏子は狩りへと出かける。
 不安を打ち消すには経験を積むしかないのは分かっているから。




 ***




 人里離れた険しい山の頂点にあるのは西洋の古城を連想させる建物。
 黒一色で統一された禍々しい城へと向かうのは、6枚の巨大な翼を持ったこの世界の物とは思えない怪鳥と呼ぶにふさわしい巨大な鳥。
 その頭部に乗っているのは鉄仮面で顔を隠した大男であり、仁王立ちして目的地である城を見続けていた。

「平気か?」

 大男は隣に居る華奢な銀髪の少女ユーの安否を確認する。
 トミーロッドから男装を命じられているので、普段は男性として美食會に従事してはいるが、その正体は年端もいかない少女であり、異世界の人間。
 それもただ異世界の人間と言う訳ではなく、奇妙な契約によって人を辞めることを強要された魔法少女と呼ばれる異形の存在。
 従事した当初はセミロングにまで切られていた髪だが、今では元の長さを取り戻しつつあり、腰のところまであるロングヘアーをなびかせながら、膝をついた状態で鉄仮面の大男と同じように目的地である古城の美食會第6支部を目指していたが、風圧に耐えきれず顔を歪めたのを見ると、大男は自分の足元にユーを寄せ、漆黒のマントでその体を包み隠す。

「無理をしなくてもいい。元々私が無理に連れだしたのだ。お前には役目もあるしな、着くまでこうしていろ」
「申し訳ありません。スタージュン様……」

 美食會副料理長のスタージュンはユーを自分の足元に置いて、安全を確保したのを見ると目で怪鳥に命令を下し一気にスピードを上げて第6支部へと突入する。
 職員たちは慌ててハッチを開けてスタージュンとユーを受け入れると、二人は何も言わずに最近設置されたばかりのロボットのコントロールルームへと向かう。
 全ての食を牛耳ろうとする美食會の最新兵器、それはより確実に食材を手に入れるため、自分は一歩も動くことなく自分の何倍もの実力を発揮し、その上操縦者と寸分違わぬ精密動作が可能なロボット、グルメテレイグジスタンスロボ、通称『GTロボ』である。
 鳥と人間が合体したようなデザインのロボットは、既に各所で食材の捕獲に成功していて、導入前は潜入さえ困難だったIGOのビオトープにも潜入出来、『陸ウツボ』『バーガー貝』『紅サソリ』などの高級食材の乱獲にも成功した。
 作業効率が大幅に上がった食材調達チームへ、わざわざスタージュン自ら乗り込む理由が分からず、屈強でグルメ細胞の進化の結果、化け物のような見た目になった構成員たちも戸惑いを隠すことが出来なかったが、スタージュンは気にせずコントロールルームへと突き進み、目の前に口が針と糸で縫われたような跡があり、幼子ほどの身長しかない、ローブを頭から被った老人の前に立つと歩みは止まる。

「これはこれはスタージュン様、遠いところを……」
「挨拶はいい。ジョージョーよ、私の専用のGTロボはどこだ?」

 GTロボを作りだした開発部主任のジョージョーは、突然のスタージュンの来訪に驚きながらも、彼の身体能力を100%発揮できるように制作された新型をすぐに彼の目の前に差し出す。
 体を覆う強化アラミド繊維の体毛が漆黒に染まっている以外は通常のGTロボと変わらないように思えるが、その性能は通常の物とは全て異なり特別性だった。
 一目見ただけでもその存在感が伝わるが、それでもスタージュンに満足した様子はなく、どこか不機嫌な感じで右手で頭をかきながら、コントロールルームへと向かおうとする。

「よーし今日も張り切って行ってみようか~!」

 そこにパイロットスーツに着替え、準備万端の美食會第6支部の支部長『セドル』が現れるが、そこに居るはずの無いスタージュンとユーを見ると、セドルは固まって何も言えなくなっていた。

「あ、あのどうしてここに……オイラまた何かヘマやらかしちゃいましたか?」
「そうではない。今日のパールメロンの捕獲は休んでいていいぞ、私が行く……」
「え!?」

 てっきり説教されるのではないかと思っていたセドルは恐怖から解放されて喜びもあったが、急に自分の仕事を奪われた驚きが優先して思わず素っ頓狂な声を上げる。
 だが呆けているセドルを気にせず、スタージュンは手早くパイロットスーツに着替えると、傍で待っていたユーの肩を叩き、屈んで彼女と目線を合わせて会話をする。

「頼むぞ。自分の仕事を行うんだ」

 美食會第2支部支部長ユーの仕事、それはグルメ食材の情報収集、未発見のグルメ食材の発見などが第2支部の主な仕事なのだが、入って二年も経っていないにも関わらずユーの情報収集能力は誰よりも群を抜いていた。
 まるで未来が分かっているかのように食材の細かい位置まで的確に把握しているため、瞬く間に前支部長のピカタを追放し、現在の地位を手に入れた。
 そして今も体を発光させながら、軽く地面から浮きあがって、今回の目的であるパールメロンの詳しい所在を語り出す。
 ユーのつぶやきを聞きながら、セドルは今回の目的地の地図と照らし合わせて、彼女のつぶやきに耳を傾けると驚愕の表情を浮かべる。

(スゲェ……まるで機械で見たかのように的確だ)

 衛星からの情報で目的地の土地勘は把握したつもりなのだが、それでも実際に現地へ行って見たのとでは雲泥の差がある。
 だが今目の前に居るユーはまるでそこに居るかのように的確にパールメロンの位置を答え続け、メモ帳を取っても覚えきれるかどうかわからないほどであり、そこのパールメロンを本当に全部持って行くのではないかと呼ばれるぐらい語りつくし、その全てを覚えるとスタージュンは手を突き出してユーに動作を止めさせ、許しを貰うとユーは地面に突っ伏て呼吸を整えていた。
 顔を見ると汗まみれであり、その白で統一されたスーツの下も汗だくになっているのだろう。
 ユーの情報収集は初めて見たセドルだが、その神秘的な光景に惹かれたのかユーを純粋に心配してかは分からないが、無意識の内に手を伸ばそうとしたが、その行為はスタージュンが手を差し出して止めた。

「こうなることは分かっている。故にユーのフォローも私の仕事だ。平気か?」
「ハイ……申し訳ありません。スタージュン様……」
「いいんだ。そこまでの精密動作となると、相当なカロリーを消費するだろう。落ち着いたらこれを食べるといい」

 そう言ってスタージュンが差し出したのは皮をむかれたバナナをホイップクリームと共にスポンジケーキで包まれた菓子パンだった。

「『カロリーバナナ』で作られた物だ。一応はお前好みの味に合わせたつもりだが、気に食わなければ食べなくてもいい、私の腕が未熟だっただけのことだ」

 それだけを言うとスタージュンはヘルメットを被り、コントロールルームへと向かい現地で待機させてあるGTロボに意識を移転させて動き出す。
 スタージュンが操縦するGTロボの視線は中央にある巨大モニターを通じて映り、セドルはスタージュンの手際の良さとユーの情報が寸分違わず合っていることに驚きを隠せなかった。

(まるで魔法でも使ってるみたいだぜ……)

 一時期食材の捕獲に伸び悩んでいた時期もあったが、その原因の一つとして情報の伝達ミスがあった。
 だがユーが支部長になってからと言う物、そう言ったミスは0に近い状態となっていて、食材の捕獲もグッと上がり、セドルに取ってユーは一番信頼できる同僚となっていたが、初めて情報を伝えるところを目の当たりにして驚きを隠せなかった。
 怪訝な顔でセドルは彼女を見ていたが、その視線に気づくとユーは菓子パンを食べながらも軽く微笑み返した。
 人形のように整った顔で微笑まれるとセドルは照れ臭くなって、そっぽを向くがジョージョーに叱られると慌てて巨大モニターに視線を移す。

(トミー様は隠しているつもりだけど、皆分かってんだよねユーが女ってことは……)

 何が目的でそんなことをしているのかは分からないが、早くカミングアウトした方が本人のためでも、周りのためでもあるだろうと思いながらセドルは巨大モニターでのスタージュンの狩りの様子を見続けていた。
 海中にも関わらず、その動きは地上と寸分変わらぬ物であり、新型GTロボの性能の良さとスタージュンのポテンシャルに驚かされながら。




 ***




 現地に到着すると杏子は崖下からパールメロンがどの辺りにあるのか大体の見当を付けようとする。
 と言っても真下に広がるのは青く澄んだ海であり、綺麗に輝いているだけだった。
 冷静になって考えればこんなことで海底の方にあるパールメロンの居場所など分かるわけないのは、少し冷静になって考えれば分かることなのだが、今回の依頼は杏子に取って冷静さを欠く要因が多かった。
 朝の夢見の悪さと言う物もあったが、一番の原因は自分の周りでコソコソと隠れている集団だった。

(全くイライラさせられるぜ……)

 上手くカモフラージュして隠れてはいるが、杏子の嗅覚は隠れている盗賊や殺し屋たちの匂いを見極め、どの場所にどれぐらいの人間が居るかと言うのを把握していた。
 全員が全員綺麗な方法で食材を得ているわけではない、自分も通常の魔法少女とは違いイレギュラーな方法でグリーフシードを得てきた邪道だから、偉そうなことを言うつもりはない。
 だがそれでもいざ自分がやられる立場になってしまうと苛立ちは隠せず、それを誤魔化すかのようにツナギを脱いで深紅の衣装になるとブーツに細工を加えて、足ひれの形状に変えると勢いよく崖下から海へと飛び込む。
 飛び込んだ瞬間に衝撃波あったがすぐに目を開けるようになると、その美しさに杏子は心を奪われる。
 透明度が異常に高く、水族館の中でしか見られないような熱帯魚や珊瑚がある光景はまさしく宝石箱と呼ぶに相応しい光景。
 泳いでいるのがマグロの尾ひれにイカの足が付けられた『イカマグロ』や、食べればチーズの味がするかたつむり『チーズマイマイ』と言った自分たちの世界では違和感しか感じられない生き物さえいなければもっと完璧なのだが贅沢は言ってられない。
 これらの生き物は危険性が無く、捕獲レベルも低い猛獣。
 そんな生き物が普通に生活をしている辺り、今回の課題はパールメロンを探せるかどうかの根気強さだけ。
 今までにない課題をこなすためにも、杏子はなるべく静かに足を動かして進んでいき、更に深い海底へと潜っていく。
 グルメディクショナリーで大体の情報は予習してきたのだが、実際に潜ってみると透明度が高くても海底の中でフルーツあこ貝を探すのは一苦労であり、物を見つけたとしても中にパールメロンが入ってないことが多く、思っていた以上の根気を要求された。
 また海中での作業は思っていた以上に体力を使い、息継ぎのために何度も海上へと上がり空気のありがたさを思い知らされる。

 事前に行った訓練では15分は潜っていられるのだが、実戦での結果その半分も潜っていられなかった。
 予想以上に海底での作業が体力を食らう物であり、自分から取りにいくよりも人が取った物を奪った方が楽だと言う理屈も分かる。
 だが苦労を失くして得た食材で自分のグルメ細胞が上がるとも思わない。襲ってくるのなら、ついでに返り討ちにすればいいだけだと思いながら再び海底へと潜ってパールメロンを探す。
 だが何度探してもパールメロンは見つからず、イライラだけが募る一方であった。
 単純に食事代を稼ぐだけなら目的は達している部分もある。パールメロンほどではないが高級な食材もいくつか見つけ、捕獲に成功している。
 だが杏子は本能的にパールメロンを求めることだけに頭が一杯になっているので、肝心の目的の物が手に入れられないのが悔しかった。
 何度目かの息継ぎをしに海上へと浮かび上がると、気づけば日も傾きかけているのが目に飛び込み、いつの間にかここまで時間が経過しているのかと驚かされてしまう。
 夕焼けに染まりかかった海面を見ると、杏子の中で冷静さが取り戻される。
 この辺りの海底は大体見て回ったが、どこにもパールメロンは見つからなかった。
 更に奥深くへ潜ることも出来るが、今の自分のスキルでそこで現れる猛獣たちと対峙するのは不可能だし、行ったところでそこにパールメロンがあるかどうかも分からない。
 実力さえ伴っていれば目的の物を発見できる。美食屋の狩りと言うのはそんな簡単な物ではない。それはトリコやココから散々教育されてきたことなのだが、実際に依頼が失敗に終わったことはこっちの世界に来てから初めての体験なので戸惑いを隠せなかった。
 だがここでトリコとの記憶が蘇る。
 一回だけ狩りに同行した時、既に食材が枯渇していたことを見たことがあった。
 その時はショックを隠せなかったが、その時にトリコが言ってくれた言葉が頭に残っていた。

『大自然へ食材の調達に向かい失敗に終わる。よくあることだ』

 そう言って笑顔を浮かべながら頭を撫でて、この日は家に帰って行った。
 その時はいつも通りの何も考えていないだけのトリコだと思っていたが、彼がいなくなり、そして現実に自分がその状況に向き合ってその言葉の真意が分かった気がする。
 自分たちは大自然によって生かされているんだ。次のチャンスを待てばいいと思っていたが、最後にもう一回だけ潜ってパールメロンの捕獲に挑戦しようとした。
 何度か潜って大体の土地勘は掴めたのだが、海の深さ大きさは異常であり、分かっていたつもりでも、まだまだ見落としているところが多かった。
 その中で新しく見つけたフルーツあこ貝の貝を開いてみる。
 すると今までとは違う手応えと言うのを感じていた。
 最後まで開いてみるとその手応えが決して虚空じゃないことが分かる。
 眩いばかりの光が杏子の眼前に広がり、フルーツあこ貝の中心にはソフトボール大の大きさの皮の無いメロンがあった。
 それはグルメディクショナリーで見たパールメロンであり、丸一日かけてようやく手に入れたそれに歓喜の震えは止まらず、恐る恐る手を伸ばした瞬間、横から首が伸び獲物は持って行かれる。
 何事かと思い杏子が振り返ると、2メートル大の小さな首長龍のような青い生き物がパールメロンを口にくわえていた。
 その存在は知っている。この辺りに生息する捕獲レベル7の穏やかな水棲猛獣の『ミニマムプレオ』主に水中に存在する果物を食べて生きている穏やかで優しい性格の獣だと言うことを。

 最後の最後でこんな形で終わるとは思っていなかったが、自分がノロノロしていたのが悪いと諦め、杏子はどこか爽やかな笑みを浮かべながら手を差し出してパールメロンを譲ることを決めた。
 ミニマムプレオは一旦腹の中にパールメロンを保管して、自分の巣へと戻っていく。
 グルメディクショナリーでその姿が成熟したメスだと言うことは分かっているので、恐らくは子供のために狩りへと勤しんでいるのだろうと杏子は予想出来ていたので、ここは敢えて失敗を経験するのを選ぼうと思った。
 だがその瞬間に体全体の神経がぞわぞわと逆立つ感覚を覚える。
 それはミニマムプレオも同じことで先程までの穏やかな表情が嘘のように険しく変わり、一人と一匹の視線は共に海底へと向けられていた。
 そこにやってくる恐怖が分かっていても、どうすることも出来ず、ただただ立ちつくすだけの一同。
 姿も見えない、音も無い、だが恐怖の正体をいち早く察知したのは杏子の鼻だった。
 生臭い血の匂いが辺り一面に広がっているのを感じる。血の匂いはドンドン上昇していき、自分たちはとんでもない何かに巻きこまれようとしているのも分かった。
 すぐに逃げなければいけないのは分かっているが、体が言うことを聞いてくれない。
 脳は逃げる命令を出しているにもかかわらず、体が恐怖のあまりに筋肉が完全に硬直してしまい、杏子もミニマムプレオも何も出来ないでいた。

 ――来る!

 杏子が本能的に察した時、海底からそこには存在しない異形の物が現れた。
 手に持たれた網の中には山盛りのパールメロンがあり、それだけでも驚かされたのだが、杏子が本当に驚かされたのはその姿。
 夢の中で見たのと同じ漆黒の体毛に鳥のような頭部を持った、この世の物とは思えない異形を前に杏子は完全にすくみあがる。
 どうあっても自分ではこいつには勝てないと言う想いは、大きくなっていきそれは近付くにつれて一つのイメージとなる。
 巨大な異形が自分に向かって手を伸ばし握りつぶそうとする様が思い浮かび、夢の中での絶望がそのまま現実の物になるのかと思っていた。
 恐怖で完全に思考がまともに働かなくなったのか、背中から二本の槍を取り出すと組み合わせてドリルの形状に変えるが、ただ突き出すだけで自分から仕掛けるようなことは絶対しなかった。
 それは精一杯の空意地であり、プライドであり、そして敬遠行為。
 異形はそんな杏子を気にせず、体全体から血の匂いを撒き散らせながら海上へと上がろうとするが、ミニマムプレオの姿を見るとゆっくりと手を伸ばそうとする。
 ミニマムプレオは戦おうとするが、本能的にそれが自殺行為だと悟った杏子は半ば自棄気味にドリルクラッシュをミニマムプレオに放つ。

「悪いがこれしか方法が無いんだ!」

 水中で放ったためスクリューのように激しいエネルギーを生み出し、水圧によるダメージがミニマムプレオのみぞおちを襲い、ミニマムプレオは白目を向きながら泡を吹き、子供のためにと腹の中に貯めておいたパールメロンを全て吐き出して地面に突っ伏す。
 三つのパールメロンを受け取ると、杏子は異形に向かって差し出し必死に命乞いをする。

「これで目的の物は全部だ。頼むアイツにはガキが居るんだ。これで見逃してくれ」

 興奮しきった杏子は水中であることも忘れ、必死に懇願する。
 異形はパールメロンを奪うように持ち去ると、一言つぶやく。

「それでいい。邪魔さえしなければ死ぬことはない……」

 水中にも関わらず声が出ることに驚いたが、その声を聞いた瞬間自分の行動は間違っていなかったと思わされる。
 全身が金縛りにでもあったかのような感覚が襲い、恐怖で人が動けなくなると言う物が本当にあるのかと思い知らされた。
 完全に固まった杏子を無視して、異形は海上へと向かう。
 その姿が完全に視界から消えたのを見ると、杏子は未だにのびているミニマムプレオの元へと向かい頬を軽く叩いて起こした。
 勝手な行動を取ったので殴られようと思ったのだが、次の瞬間ミニマムプレオは恐怖から解放されたのを知るとその首を杏子に預けて甘えるようにすり寄る。
 杏子自身もあれが何なのか分からず恐怖ばかりが頭にへばりついていたが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
 適当なところでミニマムプレオを放して別れると、息継ぎのために海上へと向かう。
 そして上がった時に先程までのさわやかな感覚とは違うおどろおどろしい雰囲気に、杏子は息を飲んだ。
 恐る恐る振り返って見るとそこには魚たちの無残な死体が浮かび上がっていて、血で真っ赤に染まった海面を見ると杏子は何も言えず、それ以上見るのが辛くなったのか、袖に仕込んだワイヤーを放出して逃げるように崖の上へと登る。
 だが地上に到着した瞬間、杏子は更なる衝撃を受けた。
 パールメロンを狙って奪おうとした盗賊や殺し屋たちが頸動脈のみをかき切られて、見るも無残な死体となってそこに転がっていた。
 魔法少女時代から死体については見慣れていた。予想通りこうなるだろうとは分かっていたが、それでもショックは拭えず苦痛に顔を歪める。
 取りあえずはグルメ警察に連絡を取って、遺体を引き取ってもらおうと思ったが、その時杏子は自分の足元の死体の首に絡まっている繊維のような物が気になり取って見る。

「これって……」

 先程の異形の体毛を首から取ると、何かの参考になるのではと思いポケットに放り込むと同時に携帯の着信音が鳴り響く。
 画面を見るとココからであり、修業を終えてから一度も連絡を取っていなかったと思いながらも電話を繋ぐ。

「アンコちゃん、今大丈夫かい?」
「ああ一つ仕事を終えたところだ。失敗したけどな」

 皮肉交じりにココに愚痴をこぼすことで、せめてもの慰めを行う。
 だがココは杏子に暇があることが分かると、そんな彼女の心情のフォローもせずに自分の要件を話し出す。

「話がある。明日来れるかい?」
「分かった。こっちも相談したいことがあったんだ」

 簡素な会話を終えるとグルメ警察が到着し、杏子にあれこれと事情聴取を行った。
 すぐに持っていた武器を調べられ、杏子がこの事件の犯人じゃないと分かるとその場で釈放される。
 だが杏子にそんなことを喜ぶ余裕はなかった。
 歩きながらも常に頭の中では異形の恐怖だけが頭の中にこびりつき、それを払拭するのに必死だった。
 生まれて初めて本気で恐怖を感じることに杏子はただただ戸惑うばかりであった。




 ***




 パールメロンの捕獲が終わると、セドルはその鮮やかな手際に感服するばかりであり、何も言えずにスタージュンを見続けていて、ジョージョーは全ての狩りを終えたスタージュンを労うように彼の元へと向かう。

「見事です。スタージュン様、このジョージョー感服いたしました」
「媚はいい。それよりもまだ改良が必要だ」

 自分の動きが出来ていないことをジョージョーに伝えると、スタージュンはパイロットスーツを脱いで私服に着替えてコントロールルームから出ていくが、その時出入り口がやたらに騒がしいことに気づく。

「スタージュン!」

 駆け抜ける轟音と共に拳を振り上げて男はスタージュンを勢いよく殴り飛ばす。
 鉄仮面の上からでもダメージはあり、スタージュンは吹き飛ばされて地面に伏せながらも自分を殴り飛ばした相手とコンタクトを取る。

「荒れているなトミー……」

 スタージュンと同じく美食會副料理長のトミーロッドは普段の冷徹さが全くなく、怒りの感情が前面に出た状態でスタージュンを荒い息づかいで睨みつけていた。

「すかしてんじゃないぞ! 勝手にユーを連れ回すな! 諜報要因を実戦の場へ狩りだすなんて、それが上に立つ者のやることか!?」
「目的のためにどこまで冷淡になれるお前らしくもないな。今回のパールメロンは位置が細かいからな。直接聞いておかないと全てを狩るなど不可能だ。それに試作機であるミクロ型を動かせるのは今のところユーだけだ。実戦の場を見せておくのも悪くないだろう」
「言わせておけば!」

 スタージュンの反論に腹を立てたユーは再び拳を振り上げて殴り飛ばそうとするが、それを止めたのはか細い女の手だった。
 トミーロッドが憎悪に染まった顔で自分の進行を止めた方向を見ると、ユーが自分の腕に体ごと絡みついて止めていた。

「やめてくださいトミー様。目的のために個を捨てなければいけない、それはあなたがここに入る時、私に言ったことではありませんか」
「ユー! それは……」

 かつて昔ユーに対して言った言葉を言われてしまい、トミーロッドは何も言い返すことが出来ずに言葉に詰まってしまうと、振り上げた腕を下ろすと、そのままユーを連れて最後にスタージュンに対して一言言う。

「とにかくあんまりボクを怒らせるな。これはボクの物なんだからな……」

 それだけ言うとトミーロッドはユーを第2支部へと送るために、彼女を連れて去って行った。
 セドルとジョージョーは嵐のように現れて去って行った。トミーロッドに唖然とするばかりであったが、スタージュンはトミーロッドが居なくなったのを見ると、口元に浮かんだ血を拭ってゆっくりと立ち上がる。

「ジョージョーよ。改良を頼んだぞ、今のままでは全く自分の動きが出せん」

 それだけを言うとスタージュンは立ち上がって去って行った。
 取り残された二人は何も言えずに呆けるばかりであったが、ジョージョーはすぐに改良に付いての話し合いを行おうと去って行き、一人取り残されたセドルは先程までの光景が頭から離れずに何度もフラッシュバックが繰り返されていた。

(あのトミー様を黙らせるなんて……)

 トミーロッドが人の話を全く聞かないのは自分も何度も経験があること。
 そんなトミーロッドを言葉一つで黙らせるユーに、その異常なまでのポテンシャルを感じ取ったセドルをショックを拭うために自室へと戻ろうとしていた。
 自分たちはもしかしたら、とんでもない相手を引き入れたのではないかと思いながら。




 ***




 翌日ココの家に到着すると、早速杏子は昨日体験した恐怖のことを話し出す。
 本来ココはココで杏子と話したいことがあって呼び出したのだが、それを無視して話を進める杏子に呆れながらも、ココは彼女の話に耳を傾ける。
 海底から現れ人語を解す生命体などいるのかと疑問に思いながら、杏子は今回の仕事で唯一の戦利品である異形の体毛をココに向かって見せる。
 物を受け取るとココは体毛をジックリと眺めながら、愛用のノートパソコンを取り出して、データを入力して自分なりに分析をしていくと一つの結論に至る。

「これは体毛じゃないよ。強化アラミド繊維だよ」
「つまりは人の手で作られた人工物って訳か。というとロボットかあれは?」

 『ロボット』と言うキーワードにココは反応を示す。
 近年IGOのビオトープも被害にあっている新型のGTロボかもしれないとココは思い、詳しい事を杏子から聞こうとする。
 杏子はその時のことを思い出すと恐怖に張り付かれるような感覚になるが、勇気を振り絞ってその時のことを一語一句丁寧に語り出す。
 顔には脂汗が浮かんで苦痛そうな表情を浮かべている辺り、杏子が感じた恐怖と言うのは相当な物だと思いながら、ココは杏子の話をまとめると杏子に真相を伝える。

「それはGTロボだよ。ボクの方からも注意するようにIGOから言われたんだ」

 そしてGTロボに関しての詳しい話をココから聞くと、杏子は今まで自分が戦った美食會の人間など末端も末端だと言うことを思い知らされてしまう。
 あの時のオペレーターの実力はロボを通じても十分に理解できた。実力の10分の1も出せてはいないだろうが、今の自分では逆立ちしても勝てないと言うことが分かり、悔しさに歯ぎしりをしてしまう。

「恐怖を感じたみたいだね、そのオペレーターに美食屋と言う仕事が嫌になったかい?」
「いや……もっと強くならなきゃいけないって改めて思ったよ……」

 震えながらもそう答える杏子に虚勢は感じられなかった。
 怯えながらも必死になって前へと進もうとする杏子を見て、安心したように笑いながらココは一言言う。

「そうか。君は少しだけ大人になったよ……」

 一応はココに一つ認めてもらったことが嬉しく、小さく「ありがと」とだけ言うと杏子は立ち去ろうとするが、ココは本来の自分の目的を思い出すと慌てて杏子を引きとめて再び椅子に座らせる。
 それと同時にパソコンの画面を杏子に見せる。
 映し出されていたのは洞窟での卒業課題の時に自分がオフィーリアと戦っている時の映像だった。
 いつの間にかカメラが仕込まれていることに驚きはしたが、カメラにオフィーリアが映っていないことに安心していた杏子だが、ココは杏子の手から球体が放たれたところで映像を止めると球体を指さして語り出す。

「ここだ。あの時はボクも満身創痍の状態でボンヤリしていたから、指摘しなかったがこれは本来凄いことなんだよ」
「何がどう凄いってんだよ?」
「この技は食欲のエネルギーその物が体外に飛び出た奥義『王食晩餐』なんだ。威力こそ小さいが、これを発動出来たのは本当に驚いているよ。正直嫉妬さえ覚えるほどにね」

 それがグルメ細胞の食欲のエネルギーその物が飛び出した物で本当に凄いことなのだとココは熱弁するが、杏子にそこまでの驚きはなかった。
 オフィーリアを倒すことが出来たのは全てトリコのおかげ、ナイフやフォークが発動出来たのも、そして最後の王食晩餐も全てトリコのグルメ細胞が自分に力を貸してくれたおかげでこうして生き延びていると言うことは分かっていた。

(結局アタシは今でもトリコに守られているのか……)

 グルメ細胞の移植が魔法少女の契約とは違い、常にトリコに守られているという安堵感に包まれている事実を知り、杏子は優しげな顔を浮かべるが、最後に気になったことがあり、その旨をココに聞く。

「んで、呼んだ理由ってのはわざわざおべんちゃらを並べるためじゃないだろ?」
「そ、そうだった。確かに凄いことだけど君には天狗にならないようにと釘をさすため、説教がましくはなると思うが呼んだんだよ」
「と言ってもアタシにはその王食晩餐ってのがよく分からないからな。どういう状況何だ今は?」

 もっともな質問をされるとココも戸惑うが、自分の中で妙案が思いつくとそれを杏子に告げる。

「まぁ分かりやすく言うと君が今放った王食晩餐は、悟空が一番初めに亀仙人のかめはめ波を真似して車をへこませた程度のかめはめ波、ボクがお父さんから教えてもらった王食晩餐は、終盤でセルを倒した時のような親子かめはめ波とでも言えば理解できるかな?」

 分かりやす過ぎる適切な例えに、杏子は引きつった顔を浮かべながらも、小さく「分かった」とだけ言って、その場を後にしようとする。
 恐怖を感じていた先程まではどこか不機嫌だったが、今は不思議と体が軽く感じられた。
 どんな時でも自分にはトリコが付いている。それは何よりも嬉しく、魔法少女時代には無かった最強の武器なのだから。




 ***




 第2支部に戻ったユーは一人支部長室にこもりながら、自分が魔法少女時代に自分の体となった存在ソウルジェムの模造品を見つめながら一人物思いに耽っていた。
 かつて自分は最悪の展開を避けるために、戦いそして敗れたのだが、その自分がまさか最悪の組織に属するとは思っておらず、人生とは分からない物だと思っていたが、頭の中で思い浮かぶのは唯一の友人の存在。
 自らを魔女と化しても自分に尽くしてくれた彼女を見て、それが善だろうが悪だろうが想いを込めて突き進んだ道ならば突き進むしかないことが分かった。

「キリカ……」

 唯一の友人呉キリカの名を呼ぶと、ソウルジェムの模造品を乱雑にテーブルの引き出しにしまい、変わりに出したのは唯一元の世界との繋がりであるボロボロになった魔法少女時代の衣類であった。
 その衣類を見ると思い出すのは、ひたすらに孤独だったあの頃。
 頼る物も無く、未来予知の魔法は残っていても、それを自分の力で変えることなど出来なかったあの頃。
 その時トミーロッドが来てくれなければ、どうなったかと思うとゾッとして今でも恐怖を感じてしまう。
 この世界に来てから現在に至るまでの二年間はまさしく激動の日々だったと思える。
 いい意味でも悪い意味でも熱く生きていたそれだけがユーの中で思い返される。
 そしてこの名を付けられた時のことがフラッシュバックする。

 ――ここに本格的に身を置きたければ、今までの個は捨てることだ。そうでなければ生きていけない。故にお前は今日からユーだ!

 ユーはその時に決意をした。魔法少女時代の名を捨て、この世界で美食會第2支部支部長ユーとして生きようと。

「そう美国織莉子はあの時死んだ。今の私は美食會第2支部支部長のユーよ……」

 それはユーの決意表明だった。美国織莉子としてではなく、これからはユーとして戦い抜くと。
 かつて自分を慕い、自分のために全てを投げ打ったキリカのように自分が信じた道を貫こうと決めたのだった。
 その為に改めて目を閉じ思い返す。
 この世界に来てからの今までの記憶と言う物を。





本日の食材

パールメロン 捕獲レベル9

フルーツあこ貝の中にごく稀にある通常のメロンよりも糖度の高いメロン。
見つけにくいことでこの捕獲レベルが付いたが、最近はスタージュンによる乱獲のため値段がつり上がっている。

ミニマムプレオ 捕獲レベル6

非常に穏やかな性格で海底にあるフルーツを好んで食べる。海の中の草食動物。
上手く手懐けることが出来れば漁の手伝いもしてくれることもあり、IGOでは家畜化のための研究も行われている。





と言う訳で今回はスタージュンと絡ませました。
後王食晩餐に付いて言われたことがあったので、今回フォローを入れてみたつもりです。
次回は美国織莉子がユーに変わるまでの物語をやろうと思います。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ26 美国織莉子からの転身
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:f214a1bb
Date: 2013/07/14 18:25





 かつて自分が生きる意味を知りたいと言って人を捨てた少女が居た。
 決して自分に優しくない価値の無い世界でも自分の世界を守ろうと奮起した少女が居た。
 だが少女の想いは報われることは無かった。
 唯一の友達を失くし、善意からでも奪った命の重さに押しつぶされそうになっていた。
 そして死の間際、彼女は一言つぶやいた。

 ――もう疲れた……

 絶望だけが心を覆っていき、美国織莉子の意識はブラックアウトした。
 だが奇妙なことに織莉子の意識は元の世界から途絶えても、その肉体と共に激しい波に飲まれていく。
 まるで激流にでも飲まれるような感覚に服は破け、意識も保っていることも出来なくなってしまい、そこが死後の世界かどうかも分からないまま織莉子の意識は再び闇に閉ざされた。




 ***




 意識が戻ると朦朧とした視界よりも先に、鼻をつんざく悪臭に織莉子は言葉を失う。
 元より言葉が出る状況では無いのは分かっている。魔法少女の礼装はボロボロに破け、危ういところだけを隠している裸同然の状態になっていて、体を動かそうと試みるが指一本動かせない意識だけが覚醒した状態に織莉子は愕然となってしまう。
 せめて状況だけでも確認しようと視界をハッキリさせた物に変えようとするが、真っ暗な空間が広がるだけであり、何も見えなかった。
 顔を覆う感覚から自分の顔が土の地面にうつ伏せになった状態になっているのは分かるが、理解できないのは鼻をつんざくような悪臭。
 一つや二つではなく、幾多もの動物や植物の野生の匂いが混在して仕上がった悪臭だと仮説を立てる。
 織莉子の精神を汚染させるのは悪臭だけでは無い、耳からも自分の命が危険な状態にあることが理解できる轟音が響き渡っていた。

 獣の咆哮を中心に響き渡る声は自分がサバンナの大平原にでもいるようなイメージが広がって行く。
 悪いイメージしか広がらない中、脳内に確立したイメージが広がっていく。
 それは自分の肉体が猛獣たちの餌食となっていくさま、それだけならばごく自然なことなのだが、問題は自分の肉体を食べる猛獣。
 見たこともない異形の猛獣たちに自分はまだ魔女の生贄になってしまうのかと考えてしまう。
 善意からとは言え、自分は無関係の人間を大勢殺してしまった。
 その報いがこのような形で訪れるのかと思ったが、同時に激しい怒りにも囚われていく。
 だがそんな怒りなど野生の咆哮の前では無意味な物であり、あっという間にかき消されると再び意識を絶望が襲う。
 背中に感じる生温かい吐息がこれから自分が食い殺されるんだと思い知らされ、織莉子の体を冷たい物が襲う。
 泣き叫びたくても声を上げることも出来ず、状況を確認することも出来ない、絶望だけが覆っていく中、声にならない声で織莉子は自分を唯一個として見てくれた友人の名を呼ぶ。

「キリカ――!」

 唯一出た叫びが自分に取って最後の言葉なのだと思った瞬間に、背中に違和感を感じる。
 温かい液体が白い背中に降り注ぐとその正体が名前も知らない猛獣の血液だと分かる。
 咆哮が悲痛な叫び声に変わっていくと、人の足のような物で自分の体がうつ伏せになると織莉子の視界が開く。
 まるで恐竜時代のような巨大な森の中で、同じように恐竜大の大きさの奇妙な猛獣たちは一人の男に向かっていた。
 おかっぱ頭の青年の手には恐らく先程まで自分を食べようとしていた猛獣の生首があり、狂気染みた笑みを浮かべながら、青年は生首を投げ飛ばすと勢いの付いた生首は猛獣の頭を抉り、再び首の無い躯が出来上がった。

「ハハハ! 『バーニングティラノ』如きが、このボクに戦いを挑むのか? 恨むなら捕獲レベル38程度でボクに挑んだその愚かさを恨むんだな!」

 青年は楽しむように全身が炎で包まれた恐竜、バーニングティラノを惨殺していく。
 狂気に満ちた笑い声を上げながら、爪を突き立て何度も何度もバーニングティラノを引き裂く光景は普通ならば恐怖しか感じられないが、その姿に織莉子は唯一の友人の姿をだぶらせる。

「キリカ……」

 手を伸ばしたくても体は動かず、おぼろげな視界でキリカとだぶらせたおかっぱ頭の青年の姿を確認しようとする。
 水玉模様のシャツに黒いパンツに腕と足には拘束具のような金属の輪っかがはめられていたが、それらは大した特徴とは言えなかった。
 一番の特徴は背中に生えた昆虫を連想させる二枚の羽。
 それらを激しく動かして空を飛びながら、襲いかかるバーニングティラノ達を薙ぎ払う姿を織莉子は見続けていたが、終焉の時は訪れる。

「きええええええええええ!」

 狂気染みた叫び声と共に振り下ろされた爪はリーダー格と思われるバーニングティラノの首を抉り、最後に一体首無しの死体が出来上がると轟音と共に死体は地面へと横たわった。
 自分が助かったのかと淡い期待を抱いた織莉子だったが、自分の元に降り立つ青年の凶悪な人相を見てその期待は音を立てて崩れさる。
 無表情で自分を見下すように品定めをしながら歩くその姿に善意のかけらも感じられず、再び自分の中で死のイメージが広がりそうになる。
 だが次の瞬間に織莉子は違和感を覚えた。
 先程の猛獣相手にはリアルな死のイメージが魔法により広がっていたが、今度はそんなマイナスのイメージが全く広がらないからだ。
 体が動かないこともあってか困惑するばかりであった織莉子だが、青年は屈んで織莉子の顔をジックリと見つめると不気味な笑みを浮かべながらその体を両手で抱え上げて持ち上げると、そのまま飛び立つ。
 空中に飛び立つのは決して初めての経験ではないが、色々なことが起こりすぎて自分のキャパシティを超えた結果織莉子の意識はそこでブラックアウトした。
 意識が無くなったのを見るとおかっぱ頭の青年は織莉子の姿を見て、歪んだ笑みを浮かべた。

「フン、新食材の捕獲にと出張ったはいいが結局無駄足で、唯一捕獲出来たのがこのフランス人形のようなお嬢さんだけか……はたしてボクに拾われたことは、幸運かそれとも不運か……」

 生かすも殺すも自分次第、生殺与奪の権利は自分にあることは分かっているのでおかっぱ頭の青年は歪んだ笑みを浮かべながら下品な高笑いを上げ続けていた。




 ***




 織莉子が再び意識を取り戻して最初に入ったのは見慣れない天井だった。
 ボロキレ同然となっていた衣装も黒いコック服に変わっていてベッドの上に寝かされていた。
 まだハッキリとしない意識の中で織莉子は上半身だけを起き上がらせ、部屋の間取りを見つめる。
 左程広くない空間に置かれているのはテーブルに使いこまれたノートパソコン。
 本棚には虫に関する本が多々存在し、手垢が大量に付いていて背表紙もボロボロなことから部屋の主は相当虫に関しての知識が高いことが分かる。
 そして部屋の主は先程自分を助けたおかっぱ頭の青年だと仮説を立てたが、織莉子は自分に取って唯一キリカとの繋がりを持った魔法少女の衣装が無いことに気づくと慌てて探し出す。
 ベッドから転がるように降りて、這いずりながらも衣装を探すが掃除が行き届いた部屋の中でボロキレは一つも見つからず、恐らくは廃棄された物だと思って激しい絶望が織莉子を襲いベッドの縁に背を預けて心を絶望に委ねる。

「お探し物はこれかな?」

 その時唯一の出入り口のドアが開いていて、光が射す方向を見るとおかっぱ頭の青年が手に持ったデジカメを弄びながら、ボロキレと化した衣装を指で振り回しているのが見えた。
 キリカとの繋がりがまだ無事なのを見ると、織莉子は這いながら青年の元へと向かい、足元にまで到達すると青年に向かって手を伸ばして衣装を取り戻そうとする。

「全く助けてもらったのに『ありがとう』の一言も無く、自分の欲求だけは求めるのか……説教の一つでもしてやりたいところだが、その這ってる姿が滑稽だったから許してやるよ」

 青年は少し不愉快そうな表情を浮かべながらも、ボロキレを地面に落として織莉子に渡す。
 織莉子は衣装を大事そうに抱えると、青年に言われた正論を思い出して深々と頭を下げて感謝の念を示すが、青年は無表情のまま話を進める。

「まぁとは言ったが、ボクがお前を助けたのはほんの気まぐれにすぎない。せっかく遠征したというのに手ぶらで帰るのもムカツクから連れ去ったが、一応の義理は果たした。後は帰るべきところに帰って怯えながらこれから先生きていくんだな」

 そう言って青年は口元に歪んだ笑みを浮かべながらクスクスと小さく笑う。
 機嫌のいい青年とは対照的に織莉子の表情は完全に曇っていた。
 帰るべき場所と言うのが自分には存在しないからだ。
 まだ詳しいことは分からないが、恐らく本来自分が居た世界では自分は死に、今自分が居るのは全く別のパラレルワールド。
 未来予知の魔法の力は残っているようであったが、これから先自分があんな危険な猛獣が居る世界で生きていける自信が全く無かった。
 何一つ後ろ盾が無い状態で生きると言うことが初めての経験だった織莉子は不安しかなく、次々と襲いかかる絶望の前に表情は見る見る内に曇っていき、痙攣を起こし恐怖に意識は支配されていく。
 何が起こったかは知らないが、自分が好きな人が絶望していく様の表情を見ると青年は再びデジカメを織莉子に向けてその様子を写真に収める。

「ハハハ! いい絶望だお嬢さん! もっとボクにその絶望を見せてくれよ!」
「オーイ、トミー……」

 緊迫感が部屋を包む中、緊張感の無い声が響く。
 いい所を邪魔されてトミーロッドは不機嫌そうに声の方向を見つめると、そこには予想通りの人物が居て、織莉子はトミーロッド以上の異形の存在が現れたことに思考が止まってしまった。
 三つの三眼に四本の腕と言う、ここがかつて自分が居た世界では無いと言うことを思い知らされてしまう異形と呼ぶに相応しい存在。
 四本腕の異形は退屈そうにあくびをしながら、トミーロッドに話しかける。

「暇なんだよ。何か笑える物とか、あっちが元気になる物とかない?」
「知るか! そんなに暇なら仕込みでもやってろグリンパーチ!」
「おやおや?」

 トミーロッドの怒鳴り声も聞かず、グリンパーチと呼ばれた異形はニヤニヤと下劣な笑みを浮かべながら品定めするように織莉子を見つめると、歪んだ笑みを浮かべながら織莉子に向かって指をさす。

「ヘイ、ユー! ユーは一体何者だ?」
「あ、いや、その……」

 急に話を振られて織莉子はどう返していいか分からず、しどろもどろになっている状態になっていた。
 畳みかければ一気に物に出来ると踏んだグリンパーチは手を伸ばすが、それを止めたのはトミーロッドの鋭い手刀。
 炸裂音が辺りに響き渡り、その轟音に織莉子は固まってしまうが、ニヤニヤと笑いながら腕をさするグリンパーチを見ると、互いに本気で無いことは分かり、トミーロッドは睨みつけながら、グリンパーチはそんな彼をニヤニヤと笑いながら話を進める。

「これは気まぐれからちょっと拾っただけの存在だ。だがそれでも今所有権はボクにあるんだ。お前が勝手に手を出すことは許さん」
「お前は自分の物に手を出されることが一番ムカツクって人だからね。んで真面目な話ユーはどこのどなた?」

 グリンパーチに言われると織莉子はここで元の社交性と言うのを取り戻しつつある。
 小さい頃から社交場へ出る機会が多かったので、コミュニケーション能力は高い方であり、いつまでも場の空気に飲まれるままではこの世界で生きるなど不可能だと判断した織莉子は自己紹介を始めようとする。

「失礼しました。私の名前は……」
「そこまでだ! それ以上の発言は許さん!」

 話そうとした時、トミーロッドが手を突き出して織莉子の発言を止める。
 突然のことに戸惑うばかりであったが、トミーロッドは自論を語り出す。

「ここでお前の存在など羽虫のような物だ。個を語りたいのであれば、まずはそれ相応の実績を残さなければな。美食會とはそういうところだ」

 ここで改めて威圧させようと思い、美食會の名前を出してトミーロッドは織莉子が今置かれている状況を思い知らされようとするが、織莉子は美食會と言われても何が何だか分かっておらず、ただただ困惑した表情を浮かべるばかりであった。

「オイオイ、トミーよ。こちらさん美食會がどう言う所なのかは勿論、国際指名手配犯であるオレたちの存在も分からないみたいだぜ。とんだシーラカンスだ!」

 見た目から決して善人でないことは分かったが、まさかこの世界における国際指名手配犯の集団だとは思っておらず、織莉子は絶句するばかりとなっていたが、トミーロッドたちからすれば自分たちのことを全く知らない織莉子の存在が珍しく二人はニヤニヤと笑いながら、その場を立ち去ろうとし、最後にトミーロッドは振り返って織莉子に告げる。

「明日までここに居させてやるよ。明日になったらそのボロキレと一緒に出ていくんだな。例え帰る場所が無くてもここに居場所はないと思うんだな」

 居場所が無いと言う痛烈なトミーロッドの言葉に織莉子は精神的にまともさを保つことが難しくなり、膝を付いて倒れこんでしまう。
 そしてそのまま衣装だった物を抱え込んでうずくまり、孤独で居場所の無い惨めな自分に涙をした。
 向こうの世界でも美国久臣の娘としか見られておらず、唯一自分を個として見てくれたキリカもこの世にはいない。
 言いようのない孤独感ばかりが支配していたが、その時にも未来予知のビジョンが織莉子の脳内で冴え渡る。
 恐らくは美食會の人間と思われる集団が、敵対組織にズタズタに引き裂かれている様子が映し出されていて、スキンヘッドの大男が一人で化け物のような集団を惨殺していて、その中には目玉のアクセサリーを大量に付けたショートヘアーの黒髪の男も居た。

 恐怖を感じるようなビジョンを見てしまった織莉子は現状を把握しようと、唯一外界との繋がりがあるトミーロッドのパソコンの前へと向かい、スイッチを押して起動させると情報を得ようとする。
 そこにはスケジュール表が事細かに記載されていて、明日には食材調達チームが希少な食材である『松茸ッコリー』を捕獲しようと、目を付けていた山岳へと向かおうとしているのだが、そこへ行けば敵対組織に惨殺されるのは目に見えている。
 元の世界では結局この力は何の役にも立たなかったトラウマもあり、助けられる命を助けようと織莉子は必死で検索を繰り返し、他に松茸ッコリーが見つかりそうなところはないかと検索をするが、どこにも情報は無く途方に暮れるばかりであった。
 だがここで再び未来予知のビジョンが発動する。
 今までに無い経験に戸惑うばかりの織莉子だったが、そこで見たのは氷山の中で氷漬けにされた松茸ッコリーの数々。
 そこで未来予知のビジョンは途切れてしまい、そこが何なのかは分からなかったが、今頼れるのはそれだけだと確信した織莉子は氷山に付いての情報を中心に探し出す。
 明日には調達チームが向かう場なので急な変更が出来ないと思われるため、もし変更が可能になるのならば近場になる可能性が高い。
 スケジュール表を基準として、織莉子は検索をしつづけた。そのついでにこの世界がどう言う物なのかも理解しようとするため、様々な知識を自分の物にしようとした。
 全てはキリカのため、自分に生きてもらいたいと願ったキリカのために。




 ***




 翌日、丸一日かけて三虎への食事を作り終えたトミーロッドは疲れ切った様子で自室へと戻っていく。
 溜まったストレスをどうやって解消しようかと考えていたが、取りあえずは織莉子を追い出すことで発散しようと自室のドアを開けると、ベッドの縁に背を預けトミーロッドの帰りを待っていた織莉子の姿が目に飛び込んだ。
 彼女の姿を見ると、トミーロッドはすぐにその細腕を掴んで強引に立たせると外へ出るように促す。

「約束だ。出て行ってもらおうか」
「その前に今回の食材調達に関してメタボ山脈へ松茸ッコリーを採りに行くのはやめてください……」

 初めてまともな会話をしたことにも驚かされたが、いつの間にかメタボ山脈へ松茸ッコリーを採取することまで知っていたことにトミーロッドは驚かされ、織莉子から手を放すと慌ててパソコンを起動させ検索履歴の方を調べる。

(一日でこれだけの量を見たのか……)

 個人でのパソコンなので検索量に限界はあるが、それは情報収集の第2支部に匹敵するぐらいの情報量を得ていた。
 昨日まで何も知らなかった織莉子が生意気にも自分に意見することが面白く、トミーロッドは続きを聞こうとする。

「それで人の組織のやり方にケチを付けるんだから、代替案があってのことなんだろうな? どこに行けば松茸ッコリーは採れるんだ?」
「メタボ山脈から北に30キロ先にある。ヒエル山脈、そこに凍り漬けになった松茸ッコリーがあります。そこならばIGO開発局のマンサムの襲撃も受けません……」

 氷山のヒエル山脈に松茸ッコリーがあるとは信じられない話だが、昨日まで何も知らなかった織莉子がIGOの存在や、最近は返り討ちにあうことも多く、第6支部は慢性的な人員不足に悩まされているのも事実。
 仮にデタラメでも懲罰を受けるのはセドル達だけだと思ったトミーロッドは時計を確認すると、もうすぐ出発の時間なのが分かり、携帯を取り出すとセドルと連絡を取る。

「ボクだ。今日の採取だが、メタボ山脈ではなくヒエル山脈へと迎え、異論は一切聞かない、いいな?」

 自分の言いたいことだけを言うと早々にセドルは携帯の電源を切る。
 予定が変わったのを見るとトミーロッドは小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、織莉子と接する。

「これで運命共同体となったわけだな。お前の言っていることがデタラメならば、責任を取らされることとなり、お前は第6支部と一緒に制裁を受けるわけだ。後悔していないのか? 居場所がなくてもまだ怯えながら暮していれば、ある程度は長生きできたかもしれないのによ……」
「私は私を信じています……」

 そう威風堂々と言うさまに年齢以上のオーラをトミーロッドは感じた。
 昨日までとは別人のように生き生きとしている織莉子を前にしても、トミーロッドは笑みを崩すことなく、小さく「フン」と鼻を鳴らすとその場を後にして行く。
 この織莉子の発言は決して虚勢から来る物では無い、織莉子には次のビジョンが見えていたのだ。
 トミーロッドの下で自分が傍らている姿が。




 ***




 日が暮れて夕方になった時、トミーロッドは第6支部の成果に驚かされていた。
 氷漬けになって解凍に多少の苦労はしそうであるが、それは仕込みの第5支部の仕事。
 全くの未開の地での採取だったので本来の予定していたよりも多くの量が採れたことから、セドルのテンションも上がり嬉しそうにトミーロッドに報告をしていた。

「本当にトミー様のお陰です! あそこであのままメタボ山脈に向かっていれば、待ち構えていたマンサム達に返り討ちにあっていたところでしたから。情けない話ですけど……」

 自虐気味に語るセドルに対して「そうか……」と気の無い返事をすると、自室へと戻る。
 だが後ろから不愉快な感覚を感じると、徹底して無視を決めこもうとして歩き続けるが、後ろの大男はそんな彼に気を悪くしたのかちょっかいをかけ続ける。

「無視すんなよトミーよ……これからあのユーの元へ向かうんだろ?」
「ボクは自室で休息を取るだけだ。そのついでにあれの今後について話し合うだけだ」
「オレも混ぜろ!」
「断る!」

 グリンパーチは女っけの少ない職場に置いて、織莉子の存在が気に入ったのか付いていこうとするが、トミーロッドは何度も断ったが、食い下がろうとしないグリンパーチに相手をするのも面倒くさくなり、そのままの状態にする。
 自室のドアを開けると織莉子は相変わらず、パソコンでの作業を繰り返していたが、トミーロッドはその手を取るとキーを叩く手を止めさせる。

「話がある。そのままでいいからこっちを向け」

 その言葉に織莉子は黙って従い、椅子から降りて正座をして二人と向き合う。
 パソコンの画面を見ると美食會に関しての社訓のページがあり、本格的にここへ身を置こうと言う姿勢が見えた。
 グリンパーチは綺麗どころが増えるのに素直に喜んでいたが、トミーロッドは厳しい表情を崩さないまま話を進める。

「まずは結果からの報告だ。お前のおかげで無事にIGOの撃墜からも逃れ、無事に松茸ッコリーの捕獲に成功した。一応は価値を認めたと言うことだな。そこでだ」

 そう言うとトミーロッドは懐から一枚の紙を取り出す。
 それは契約書であり、美食會第2支部の情報収集チームへの所属が命じられた物があった。
 契約書をトミーロッドはテーブルの上に置くと話を進める。

「お前がどうしてもここに身を置きたいと言うのなら、まずは下積みから始めてもらおうか。第2支部は情報収集だから、お前の能力も最大限に活用されるだろう」

 早速織莉子はサインをしようとペンを取って契約書に手を伸ばすが、トミーロッドはそれを取り上げて制する。

「ただしだ。お前本当にこの美食會でやっていけるのか? ただ知らなかっただけで後で騒がれても迷惑なだけなんだよ……」
「オレは別にかまわねぇぞ。このユーは綺麗どころだからオレがかわいがってやるよ。高い高いとか、よしよしをしてあげる意味じゃないぞ」
「黙ってろ!」

 真面目な話をしている時に茶々を入れるグリンパーチを叱るトミーロッド。
 その憎しみを持ったまま織莉子を睨みつけるトミーロッドだが、織莉子は自分の素直な気持ちを語り出す。

「私は今まで私としての個を必要とされたことが今まで一度もありませんでした……」
「ほう」

 多少は興味ある話題が出て、その表情が和らいでトミーロッドは織莉子の話に耳を傾ける。

「ですがここなら私でも自分の能力を役立てると思うんです。あなたを見て思いました! あなたならばトミー様なら、私を置いて一人になんてしてくれないと!」

 大なり小なりキリカの面影をトミーロッドに求めていたのは分かっている。
 それが愚かしい真似だと言うことも分かっている。
 だが今の織莉子は理性よりも欲求が勝っている状態。
 美食會の取っている行動が悪だと分かっていても、ここから離れて一人で生きていけるだけの勇気が無く、どこか組織に属して自分を見てもらいたいと言う欲求の方が強かった。
 涙目で訴えかける織莉子に対して、トミーロッドは無言で爪を突き立てると織莉子に向かって突き出す。

「そこまで言うのなら覚悟を見せてもらおうか、ここに身を置く以上命ぐらいは貰わないとな。その命を捧げてもらおう」
「それがトミー様の命ならば……」

 まっすぐトミーロッドの目を見ながら織莉子は答える。
 トミーロッドは何も言わずに爪を振り下ろす。
 それと同時に織莉子の長い髪の毛が肩までの高さとなって、ロングヘアーがセミロングまでの長さに変わる。

「髪は女の命と言うからな。これで後はサインをすれば、お前は今日から美食會第2支部の支部員となるわけだ」
「なぁその髪捨てるならくれよ……」

 髪をまとめて床から拾い上げるトミーロッドに対して、またしてもグリンパーチがちょっかいをかける。
 面倒くさそうにしながらもトミーロッドは応対にあたる。

「一応聞くが何に使おうとする気だ?」
「ちょっとした哲学に……」
「死ね!」

 グリンパーチの言葉に激怒したトミーロッドはそのまま拳を握りしめて、力の限りグリンパーチの顔面を殴り飛ばす。
 これにはグリンパーチも怒り、二人はそのままプロレスでの力比べのように組み合って睨み合うが、サインをしようとしている織莉子を見ると、トミーロッドは組まれた手を解いて、ペンを取って制する。

「忘れていたところだ。もう一つ命を貰おうか」
「もう一つの命?」
「そうだ。ここに身を置く以上、お前はこれまでの個を捨てて美食會に仕えてもらうからな。これまでの名は捨てろ! 新しいお前の名は……」

 宣言したはいいが、名前を考えていなかったトミーロッドは言葉に詰まってしまう。
 そこにグリンパーチが下衆な笑い声を上げながら、織莉子の顔を見て語り出す。

「ヒヒヒ、トミーなんてオレのところに来いよユー。オレだったら可愛がってやるぜ、毎日違う名前付けて哲学の相手をしてもらうからよ……ぶはぁ!」

 毎回邪魔をするグリンパーチに完全にキレたトミーロッドは、一回刺されれば三日間は眠り続ける猛毒を持った蜂『スリープビー』を生み出すと、刺しておいて眠らせる。
 グリンパーチが鼻ちょうちんを作りながら寝ているのを見届けると、トミーロッドはスリープビーを平手打ちで潰して話を再開する。

「そうだな。お前は今日からユーだ! たった今を持ってお前は美食會第2支部支部員としてここで働いてもらうぞ」
「ハイ、トミー様、ユーはあなたの御心のままに……」

 そして織莉子はこれから先、美食會のユーとして生きようと決意し、契約書にユーの名前でサインをするとトミーロッドに手渡す。
 物を受け取ると最後にトミーロッドは手を織莉子の顔の前に突き出す。

「では誓いの口付けを」

 手を突き出すトミーロッドに対して、織莉子は触れるだけの口付けをかわす。
 今まで人に仕えると言う喜びが無かった織莉子に取って、ここでの体験は新鮮な物ばかりであり、魔法少女と言う異形の自分でも受け入れてくれる自分に取って優しい空間だと思った。
 口が放れるとトミーロッドは懐から細かい資料を取り出して、織莉子の前に並べる。

「明日には第2支部に向かってもらうからな。しばらくはこのピカタの言うことを聞くんだ。いけすかない奴だが仕事はまぁまぁ出来るからな」
「ハイ……」
「じゃあ次はオレとも誓いの口付けをしてもらおうか~!」

 そこにグリンパーチが眠りから目覚め、織莉子に向かって唇を突き出して口付けをしようとするが、後ろから新たに角がフォークの形状をしたカブトムシの『トライデントビートル』を生み出すと、手に取ってその頭に向かって振り下ろす。

「ボクの物に手を出すな。このド低能が!」

 フォークを頭に突き出すとザクと言う効果音が似合いそうなぐらい、深々と刺さり同時に毒も回ったのかグリンパーチは痙攣しながら倒れる。

「グフ! ドム!」

 最後に断末魔の叫びをあげると、グリンパーチはうつ伏せで倒れて、そのまま鼻ちょうちんを作って眠り出す。
 放っておいてもいいのかと思ったが、トミーロッドが話を進めるので今はそれを聞くことだけに集中した。
 いい意味でも悪い意味でも楽しい職場になるだろうと思い、織莉子はこれから先の生活に期待を寄せた。
 それが例え悪であっても。




 ***




 美食會でユーとして過ごしてから、一年の時が流れていた。
 その一年で織莉子はメキメキと頭角を現し、今では現場でのリーダーとまでなるほどとなっていた。
 グルメ細胞の移植も行われていない存在が、たかが一年で多くの賛同者を集め、支部長よりも頼りにされている存在となっている。
 織莉子はここで頼られる生活と言うのにある種の充実感を感じていたが、それを面白く思っていない存在が一人居た。

(ここでの主役は貴様ではない、この私だ!)

 持っていたステッキをへし折ると、美食會第2支部支部長ピカタは明らかに憎しみが籠った目線で織莉子を見ていた。
 長年美食會に仕えていたにも関わらず、未だに上層部にまともに取り合ってもらえない自分と違い、織莉子は一年足らずで早くも副料理長二人に可愛がってもらっている。
 その嫉妬は支部員たちを通じての暴力による制裁で何度も追い込もうとしたが、翌日には怪我は全くなく出勤している様子が目に入った。

(何故だ? グルメ細胞の移植も行われていないのに……)

 歯ぎしりを繰り返すピカタの前に織莉子が姿を現し、一枚の紙をピカタに手渡す。
 それは副料理長三人からの本部に来るようにとの令嬢であり、物を見れば確かに三人の筆跡であることが分かり、ピカタは歯ぎしりをしながらも織莉子を睨みつける。

「美食會第2支部、支部長補佐ユー、これより本部の方へ向かいますがよろしいでしょうかピカタ様?」
「勝手にしろ!」

 本部へと向かう織莉子の背中に向かって折れたステッキを投げ飛ばすが、それでピカタのモヤモヤは晴れない。
 人生の大半をかけて今の地位を築いたピカタからすれば、一年足らずで自分の補佐にまで及んだ織莉子が気に入らないのは当たり前のこと。
 神がかった織莉子の諜報能力に恐ろしい物をピカタは感じていた。
 人知を超えた何かを。




 ***




 本部に到着し、指定の場所に付くとそこにあらん限りの豪華な食事が用意されていた。
 乱獲の結果、一般では手の届かない超高級食材の数々に、織莉子は言葉を失ったが、その前に緊張感を覚えたのは目の前に居る三人の男性の存在。
 トミーロッドとグリンパーチとは何度もあっているが、真ん中で腕を組んで一際異彩なオーラを放っている全身黒づくめの鉄仮面の男を見ると、織莉子の表情は自然と引き締まった。

「そうか、ユーはスタージュンとは初顔合わせだからな」

 その場にスタージュンが居ることに対して、グリンパーチはヘラヘラと笑いながら答える。
 一応は自分は男して扱われているので、嘘がばれないかと言う不安もあったが、それ以前に圧倒的なオーラの前に織莉子は自然と跪いていた。
 名前だけはトミーロッドは聞かされていたが、その圧倒的な威圧感の前に織莉子は汗が止まらなかった。
 自然と体が震え、恐怖で体が圧迫されそうになっていたが、それを解除したのは皮の手袋で覆われた大きな手だった。

「大丈夫だ。楽にしてくれていい」

 スタージュンは織莉子の肩に手を置くと、跪くのを解除するように無言のアピールを行う。
 織莉子は立ち上がって一礼すると、指定された場所に座るが目の前にある料理の意味が分からず困惑するばかりであった。

「それで皆様今日私を呼び出した理由と言うのは……」
「簡単だ。もうお前もここに所属してから一年になるからな。グルメ細胞の覚醒を行う」

 トミーロッドが宣言するが、通常グルメ細胞の移植と言うのは半年から一年かけて行う物だと言うことは知っている。
 この目の前の料理を食べることでグルメ細胞が移植されるのかと思ったが、疑問に思う織莉子を動かしたのはトミーロッドの言葉だった。

「話を聞いていたのか? 移植ではなく覚醒だ」
「しかし私はグルメ細胞の移植自体も……」
「心配しなくても移植自体はお前の食事に混ぜて行われている。後は一気に覚醒させるだけだ」

 トミーロッドに言われるとここ最近の記憶がフラッシュバックする。
 以前は未来予知の魔法を使う時にどっと疲れ、体中の筋肉が軋む感覚を覚えたが、最近では食事を取りさえすればそこまで疲れることも無いことを思い出すと、自分の体が人間でも魔法少女でもない別の存在になっていくことが分かった。

「ここにあるのはオレたち三人がユーのグルメ細胞にあったのを計算して作った物だ。遠慮なく貪りくってくれ」
「食べるんだ。不味くはないと思うがな……」

 まるで大統領の命令のようなスタージュンの言葉に反応し、織莉子は箸を手に取って目の前にある料理を食べだす。
 和、洋、中と様々なジャンルがあり、調和と言う意味では全く成り立っていなかったが、どれも食べれば、この世の物とは思えない程の至福の幸せが訪れていて、織莉子の箸は止まることがなかった。
 全ての食事が空になったのを見ると、織莉子は作ってくれた参院に感謝の念を込めて「ごちそうさまでした」と一言言う。
 しかしグルメ細胞の覚醒がこんな美味しい食事を取るだけでいいのかと思っていたが、これ以上自分がここに居る理由もないと思って、一礼した後織莉子はその場を後にする。

「ユーよ。一週間後に会おう」

 スタージュンは去り際、織莉子の背中に対して語りかける。
 この言葉から一週間後にはまた来ることが分かっているので気を引き締め直して織莉子はその場を後にした。
 織莉子が居なくなったのを見ると、スタージュンは二人を交えてユーに付いての会話を行う。

「楽しみな逸材だ。近々クロマド様に会わせてもいいかもしれないな」
「その前に第2支部の支部長へのランクアップが先だ。ボクはピカタの顔を見るだけでも虫唾が走るからな!」
「だがひ弱なのは問題だぜ」

 スタージュンとトミーロッドは織莉子を評価し、これからのことを話し合うが、グリンパーチだけは弱点を責めて苦言を呈した。

「確かにユーの諜報能力は素晴らしいが、それ以外がてんでダメだからな。ある程度の実戦は出来なければ困るだろうよ」
「そんな必要はない! ユーはボクの物だ。ボクの物を傷つける奴はボクが許さない!」
「まぁ待て、調味料戦術ならば、そこまでの体力を必要としないだろう。私からリモンの方にかけあっておく」

 言い争いになりそうなグリンパーチとトミーロッドを宥めるように、スタージュンはこの場を収める正解を語る。
 正直な話トミーロッドはリモンに織莉子を会わせることが不安だったが、背に腹は代えられないと思い、渋々首を縦に振る。

「時にトミーよ。嘘は良くないな」
「何の話をしているのか分からないな」
「とぼけるな。もう分かっているのだぞ、ユーが女性だと言うことは」

 自分とグリンパーチしか知らない秘密をスタージュンが気づいていることに、トミーロッドの顔は歪む。
 グリンパーチの一件から、もしものことを考えてユーには男性として過ごすよう命令をしたが、こんな早くばれるとは思わず、トミーロッドは立ち上がってスタージュンを睨む。

「そう睨みつけるな。私は嘘は良くないと言っただけでそれ以上は別に何もない」

 スタージュンの言葉に嘘偽りはないと踏んだトミーロッドは、馬鹿らしくなり乱暴に椅子に座る。
 そんな二人のやり取りが面白くグリンパーチは葉巻樹を吸いながら、ヘラヘラと笑っていた。


 ***


 織莉子は自室でパジャマに着替えた状態でベッドの上で一人苦しんでいた。
 自分の体が変化していく感覚に苦しむばかりであったからだ。
 まるでさなぎから蝶へと変わるような感覚に戸惑うばかりであり、その苦しみが感じられた自分が美国織莉子から美食會のユーへと変わっていく感覚を。





本日の食材

バーニングティラノ 捕獲レベル38

全身が燃え上がっているティラノサウルスであり、内部も燃え上がっているがトミーロッドの手で殺されてしまう。
肉は食用に向かないが、爪や牙は高温で熱せられても変化しない料理器具として重宝されている。

スリープビー 捕獲レベル22

一刺しすれば三日間は眠り続ける猛毒を持った蜂。
睡眠薬や新型の麻酔として重宝されている。

トライデントビートル 捕獲レベル29

角の部分がフォークになったカブトムシ。
天然のフォークは工具にも使われ、様々な用途がある。





と言う訳で美国織莉子がユーに変わるまでの前編部分になりました。
次回は後編の第2支部支部長になるまでを投下したいと思います。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ27 その魂を狂者へ
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:6ec991b8
Date: 2013/08/03 16:23





 グルメ細胞の活性化のフルコースを食べてから一週間後、スタージュンの指定通りの日時に織莉子は一週間前と同じように本部へと向かっていた。
 その際も織莉子は自分の体を何度も触って変化を確かめようとしていたが、目立った変化はどこにもなく困惑するばかりであった。
 周りの影響もあってか自分の体が醜い化け物になるのではと思っていたが、一週間丸々痛みに苦しめられ、仕事も休むことになってしまったが自分の体は見た目に関して劇的な変化はなかった。
 本当に自分のグルメ細胞が活性化したのかどうか分からなかったが、それは副料理長たちに聞けばいいと思い、指定の場所へと向かっていたがそこにはトミーロッド一人しかいなかった。

「待たせるなよ」

 非常に軽やかなノリで一言言うと、トミーロッドは織莉子の頬に軽く触れ真剣なまなざしで彼女を見続ける。
 まるで値踏みされるかのような感覚に織莉子の表情は自然と引き締まるが、判断が終わるとトミーロッドは懐から一枚の紙を取り出し、織莉子に見せる。

「今日からしばらくは護身のため、調味料戦術をマスターしてもらう。ソムリエールのリモンに話は通してあるから、すぐに向かうんだ」

 相変わらず自分の言いたいことだけを言うと、トミーロッドはその場を後にした。
 聞きたいことは山ほどあったが、それを聞いたところでトミーロッドがまともに返してくれるとも思わない。
 半ば諦めた調子で織莉子は神を見ながら、リモンが待つワイン蔵へと向かう。
 人間関係に関して自分は支部長補佐にまでのし上がったが、決してキリカのように心を許せる友人が居る訳では無かった。
 職場が男社会と言うのもあり、同性の知り合いが居ないことは織莉子に取って息苦しい要因の一つ。
 だからリモンには期待をしていた。もしかしたら話ぐらいは出来るのではないかと。




 ***




 そこはワイン蔵と言うよりも大型の図書館と言った方が正しいぐらいの広さだった。
 壁の中には無数のワインが陳列されていて、中には一世紀近く寝かせられ続けたワインもある。
 美食會のボス三虎に関しての情報は聞いている。一日の食事が一国の国民たちと同じぐらいの量を食べるうえに究極のグルメ。
 ゆえに喉を潤すワインにも相当なこだわりを持っているのが分かり、その中から毎日気分の変わる三虎に合わせてワインを選ぶリモンも相当な兵だと言うことが分かる。
 気を引き締めて奥の方へと進んでいくと、ワインを選別するリモンの姿が目に飛び込む。
 目の下に涙のような模様を施した黒一色の衣装に身を包んだ大人の魅力を感じられる女性は、足音に気付いて振り返り織莉子を見るとワインを一旦蔵に戻して話しかける。

「あなたがトミー様の言っていたユー?」

 目的だけを簡潔に聞いた質問に対して織莉子は一言「ハイ……」と戸惑った調子で答えてしまう。
 そして自分の考えが甘かったことを痛烈させられてしまう。
 ここは今まで自分が通っていた学校ではなく、大人たちが集まる企業である。それに美食會は犯罪者の集団。
 それも全世界から畏怖されている存在であり、RPGで言うなら悪の大ボスのような存在。
 そんな中で友達など出来るわけないと諦めていると、リモンの中で織莉子の値踏みが完了したのかリモンは欲望に身を委ねた下衆な笑みを浮かべて、両手を広げて織莉子に飛びかかる。

「ユーちゃ~ん!」

 突然抱きしめられ何が何だか分かっていない織莉子に構わず、リモンは服の上から織莉子のありとあらゆる部分を弄って反応を確かめていた。

「やっぱり思っていた通り女の子だったのねユーちゃんは!?」
「ハイ。そうです……」
「何でそんなことを黙っていたの? 美しい存在は皆に知らせる義務があるのよ?」
「トミー様の命令で……」

 同年代の中では豊満な胸を弄られながら織莉子はリモンの質問に対して淡々とした調子で答える。
 同性とは言えセクハラとも取れる行為は普通ならば絶叫物だろうが、こう言った経験が全くない織莉子に取っては対処法が分からず、リモンのなすがままになっていた。
 だがさすがに手をいやらしく動かせながら股間に指を這わせようとしているのを見ると、慌てて手で制してその手を力任せにはぎとる。
 自分の体からリモンが離れたのを見ると、荒々しい息づかいを整えながら織莉子はリモンを睨む。
 その様子を見ながらもリモンは考え込む素振りを見せて、一つの結論を出す。

「喜びなさいユーちゃん。テイスティングの結果、私の指導を受けるのに合格と判断されたわ」
「テイスティングって……」
「指導をするにもある程度素材が良くないと、その気にはなれないからね。トミー様もそれで私に預けるのを渋ったんでしょう」
(多分そうじゃないと思うけど……)

 グリンパーチの一件から、この女っけが極端に少ない美食會に置いて、迂闊に女性であることを公言すれば、まだまだ身を守るにも非力な自分がやっていくのが厳しいと思ったトミーロッドが判断してのことだろうと今になって思い知らされた。
 そんな織莉子を無視して、リモンは懐から五つの試験官に入った薬物を見せる。

「ユーちゃん。これからあなたは主にサポートとしての調味料戦術をマスターしてもらうわ」
「その試験官の中身は一体なんですか?」

 織莉子の質問に対してリモンは軽く笑いながら説明に入る。
 基本戦術のさしすせそであり、さは対象者の体力の回復を重視した砂糖、しは相手の視界を奪う塩、すは相手から体力を奪う酢、せは簡易の武器を作り上げる醤油、そは簡易の防具を作り上げる味噌の説明を受ける。

「使いこなすのは難しいけど、その代り使いこなせるようになればバックアップだけじゃなくて、自身も強力な戦闘のプロになれるわ。そうなれば第2支部支部長だって現実の範囲になるわ」

 話を聞く限りかなり頭を使うことを要求される戦術だが、魔法少女時代も強力な能力で圧倒するのではなく、知略型で戦うタイプの自分に取って、この調味料戦術は自分の性に合っていると思い、早速近くに無造作に置いてあった戦術指南書を読もうとするが、リモンによって制される。

「その前にもっとお互いをよく知るために風呂に入りましょう!」
「いや、その……」
「別にプロと風呂をかけたわけじゃないのよ。私も女の子の同僚は初めてだから、色々愚痴を言いたい部分もあるのよ。楽しみましょうね~」

 そう言って強引に大浴場へと連れこまれる。
 織莉子は言いようのない恐怖感を感じ、今までピンと来なかった自分を男として扱ってきた理由が何となく分かった気がした。




 ***




 織莉子をリモンの元に預けてから半年の時が流れた。
 リモンの報告では十分に実戦で使える部類となっていて、後は自分なりに訓練を繰り返して自分なりの戦い方を見つければいいと言う報告をトミーロッドは受けていた。
 報告を受けたトミーロッドは有給を取って人間界でも屈指の凶悪な昆虫が潜むジャングルに居た。
 目的はこの一帯のボス。
 いつも織莉子が大事そうに抱えているボロキレの正体が気になり、開発班に命令しボロキレの正体を解析させた。
 その結果ジョージョーから聞かされた言葉にさすがの自分も驚きを隠せなかった。

『トミー様、この布ですが……人間界の素材ではないことが判明しました』

 とてもではないが自分でも最近行けるようになったグルメ界で織莉子がやっていけるとは思えず、驚きを隠せなかったが、自分の隣を付いていけると思った織莉子にいつまでも出来あいのコック服を着せるのは自分のプライドが許せない。
 そこで比較的高いレベルの昆虫を相手にした素材で服を作ろうと思い、トミーロッドは襲いかかる昆虫たちを薙ぎ払いながら奥地へと進んでいく。
 日が昇った頃に出発したのだが、目的地にたどり着いた時には既に真夜中になっていた。
 普通ならばここで対戦相手の猛獣とは視覚面でのハンデが付く物なのだが、今回に限ってそれは無かった。

「やっと会えたよ……」

 嬉しさからトミーロッドは歪んだ笑みを浮かべた。
 現在自分が体に宿している最強の昆虫は捕獲レベル85の『パラサイトエンペラー』だが、単純な戦闘でのレベルなら、今回の昆虫は引けを取らない捕獲レベル59の昆虫であり、単体ならば最強レベルのそれと言ってもよい。
 銀色に光り輝くその体は夜でも昼間並みに周囲を照らし、目の前に居るトミーロッドを食らおうと20メートル大の巨大なカブトムシは不気味な咆哮を上げ、翼を羽ばたかせながら突進しようとしていた。

「ハハハ、いい元気だ。さすが捕獲レベル59の『シルバーヘラクレス』だ。それぐらいじゃなきゃボクもやる気が出ないからな……」

 爪を突き立て、体温をシバリングによって急上昇させる。
 戦闘意欲を上げると、双方戦いの準備が仕上がり、今各々のプライドをかけた生存戦争が始まろうとしていた。

「かかって来い!」

 トミーロッドの叫びと共にシルバーヘラクレスは羽音を発しながら、角を突き出してトミーロッドへと突っ込んでいく。
 スピードはまるで新幹線が突っ込んだかのような初めからトップスピードの物であったが、単調する動きは虫の複眼を持っているトミーロッドに取っては止まっているように見え、素早く上空に攻撃をかわす。
 不発に終わった攻撃も幾多もの大木をなぎ倒す物であり、一発でも当たれば致命傷レベルの攻撃。
 だがそれぐらいじゃなければ自分が求めている物は手に入らない。
 やる気の出てきたトミーロッドは体内にある虫の卵を高温高圧で飛ばし、水蒸気爆発を起こした卵を高速で口から放つ。

「ボムエッグ!」

 普通に放っても甲殻に防がれるので、トミーが狙ったのは甲殻と甲殻の間の継ぎ目の部分。
 人間でも関節部分は急所となっていて、それは昆虫でも同じことであり、的確に内部へのダメージが響き渡ると、シルバーヘラクレスの体は揺れた。
 痛覚が人間ほど過敏ではないため、ダメージを目測で測ることは不可能だったが、トミーロッドはそれを長年の戦闘経験で補う。
 何度も何度も的確に継ぎ目へとボムエッグを放ち、一気に勝負を決める個所を探す。
 このままボムエッグを放ち続けて殺すことも出来るが、それでは目的であるシルバーヘラクレスの甲殻に傷が付いてしまう。
 目的の物を手に入れるため、突進攻撃しか能が無い単調なシルバーヘラクレスの攻撃をかわし続け、何度もボムエッグを放った結果、ようやくトミーロッドは打つべき場所を見極めた。

「ここだ!」

 通常ならばここで『爆虫』と『起爆虫』のコンボで一気に爆発させるのだが、それでは甲殻に傷が付いてしまう。
 ウィークポイントと思われる装甲の薄い部分に何度も連射でボムエッグを放つ。
 当然シルバーヘラクレスは避けようとするが、それを執拗に追いかけ、直感から虫よりも早いスピードで先に回り、同じ個所にボムエッグを放ち続けた結果。トミーロッドの目は勝利を見定め、羽を休め近くの木に腰かける。
 突然攻撃を止めたトミーロッドをおかしいと思いながらも、動きが止まった獲物に向かってシルバーヘラクレスは突っ込もうとするが、その瞬間に違和感を覚える。
 自分の体がまるでポップコーンのように広がっていくのを理解できず、シルバーヘラクレスは自分の身に何が起こったのか分からないまま足をバタバタと動かすばかりであった。

「フン。あれだけボムエッグを食らったんだ。体の中は今水分が膨れ上がって爆発を待っている状態だろう。外部の甲殻は無事でも内部は耐えきれず、そしてDIE(死)って訳だ……」

 語ると同時にシルバーヘラクレスの体は内部から破裂した。
 だがその状態でも外部の甲殻は計算通りに無事であり、トミーロッドは全ての甲殻を回収するとすぐさま飛び立って開発部へと向かった。




 ***




 翌朝開発部に無理を言って、シルバーヘラクレスの甲殻から作りあげた銀糸を持って向かっていたのは、料理器具調達チームの第4支部。
 朝から鍛冶場に籠って鍋の制作に取りかかっている第4支部支部長のバリーガモンを見つけると、トミーロッドは肩を叩いて振り向かせる。

「これはトミー様、今日は一体?」

 突然の訪問に驚かされながらもバリーガモンは、またいつものように何かワガママを言うのだろうと思って、恐る恐るトミーロッドの応対に当たると、彼は手に持っていた銀糸の束をバリーガモンの手に持たせると一枚のデザイン画を手渡す。
 それは開発部の手によってボロキレと化した織莉子の服がどんな物だったのかを再現したデザイン画であり、純白のショールが付いた帽子に、白を基調としたまるで英国の皇女が着るようなデザインの衣装にバリーガモンは見惚れた。

「これはまた素晴らしいデザインの服ですね」
「分かりきったことを言うな。これと同じ物をそのシルバーヘラクレスの銀糸で夜までに作れ」

 分かっていたことではあるが、今の仕事とも合わせてここまで凝ったデザインと機能性に優れた防護服を指定の時間にまで作れと言うのはかなり厳しい話。
 それに調理器具の作成を主にしている自分に取って、服の制作と言うのも専門外なので厳しいところ。
 だがここで抗議の声を上げれば自分は虫の餌食になる。熱された空間で熱すぎるはずにも関わらず、バリーガモンの体からは冷や汗が吹き出し、恐る恐る小さく頷くとデザイン画を取ってジックリと物を見る。

「頼んだぞ……」

 用件だけ言うとトミーロッドはその場を後にした。
 早速バリーガモンは機織り機を持ちだして、布地の制作から始めようとした。
 普通ならば気が重いだけの作業だが、なぜか予想以上に作業ははかどっていた。
 モチベーションが高いと言うのが一番の理由なのだろう。
 ユーが女性と言うのは皆分かっていたのだが、トミーロッドが怖くて今までそれに関して誰も触れようとしなかった暗黙の了解。
 だが、もしかしたら、この美しい衣を着た彼女を見れるかもしれないと言う想いがバリーガモンの手を早め、自分でも驚くべきスピードでクオリティも高い、ほぼ要望通りの衣装が仕上がっていた。
 仕上がった衣装にバリーガモンは見惚れていたが、無骨な自分がいつまでも触れていい物ではないと思い、急いで箱にしまうと再び鍋の作成に戻った。
 だがモチベーションを全て服の作成に使ってしまい、鍋の作成は思っていた以上にはかどらず、苦戦することとなっていた。




 ***




 全ての業務が終わり、自室に戻った織莉子はいつものようにクローゼットの奥に入れているボロキレを取り出すと、慈しむようにそっと抱きしめた。
 向こうの世界では決していい思い出は少ない方だったが、それでもあの世界は自分が生まれた故郷。
 そこに想いを馳せるのは必然であり、何よりも自分の一番の友達だったキリカとの思い出が一杯詰まった服。
 既に服としての機能は果たしていなくても、このボロキレは織莉子に取って一番大事な物であるが、いつまでも過去に縛られてばかりの自分を情けないとも思っていた。
 美国織莉子を捨て、美食會のユーとして生きる。そう決めたはずなのに、自分は未だに美国織莉子に囚われている。
 ジレンマに悩まされていたが、人の気配を鍵をかけたはずの出入り口から感じると壊れた扉に背を預けたニヤニヤとうすら笑いを浮かべたトミーロッドが居た。

「扉の方は後で直させておく」

 強引なのはいつものことなので最早織莉子は何も言わないことにして、勝手に冷蔵庫の中を物色して中からレモモン絞りを取り出すと、ソファーに腰掛けて家主の了承も得ずに飲みだす。

「それでトミー様、今日は……」

 レモモン絞りを飲み終えると、トミーロッドは持っていた大きめの箱を織莉子に向かって投げ飛ばす。
 物を受け取ると織莉子はトミーロッドの方を見る。開けるように目で促している彼の指示を受け、箱を開くと予想外のそれに織莉子は自分の目を疑った。
 完全に魔法少女時代の自分が着ていた衣装が再現出来ていて、薄く銀色に光り輝く衣装を見ると懐かしささえ覚えるような感覚があり、物を抱きしめるとトミーロッドは歪んだ笑みを浮かべながら語り出す。

「喜んでもらえて何より。お前のボロキレは人間界には無い素材のようだったのでな。完全に同じ物は無理だが、シルバーヘラクレスで代用させてもらった。それでも下手な防護服よりずっと防御性能に優れた一品だ」

 シルバーヘラクレスの捕獲レベルに関して知っていた織莉子は驚愕の表情を浮かべ、先日有給を取ったトミーロッドの目的も分かり、申し訳なさそうな顔を浮かべて跪く。
 トミーロッドはそれを片手を上げることで解除させると、懐から一枚の紙を取り出して織莉子に手渡す。
 物を受け取って織莉子が目を通すと、自分が美食會第2支部の支部長への昇格が書かれていて、あまりのスピード出世に織莉子は言葉を失ってしまい、黙ってトミーロッドの方を見る。

「別に驚くほどの事でもないだろう。ユー、お前は十分に美食會へ貢献してくれた。本来ならもう少し早くてもいいが、ボクの方でどうしても納得できない部分があったのでね」
「何かユーに落ち度があったのでしょうか?」
「強いて言うなら美意識の問題だ。美しいお前をいつまでも男と無粋に扱うのは気に入らないし、そのみすぼらしいコック服で公の場に立たせるのもムカツクからな」

 結局は彼のワガママで自分の出世は思っていたよりは遠のいていたと言う事実に、織莉子は苦笑いを浮かべていた。
 だがすぐに一つの部門を任されると責任感に後押しされ、これから自分は何をすればいいのかをトミーロッドに尋ねる。
 するとトミーロッドは再び数枚の資料を取り出して、明日織莉子が行うべきことを説明する。
 現在人間界での総指揮を担当している料理長クロマドへの挨拶が終われば、後はエルグ、リモンを除く各支部長への挨拶をすれば終わりと言うことを告げた。

「それだけでいいのですか? もっと手続きに色々必要なのでは……」
「そんな暇はない、お前にはたっぷりと働いてもらわないとな。それとピカタに関しては任せろ、ボクの方で何とかしておく。お前は明日、朝一でクロマド様の挨拶をするんだ。支部長連中への挨拶の時にはボクも合流できると思うからな」

 全てのことを言い終えるとトミーロッドは立ち上がって、そのまま織莉子の部屋を後にした。
 先程まではどこか軽やかな笑みを浮かべていたが、部屋を出て行くにつれ、その表情はドンドン険しい物に変わっていき、ある程度織莉子との間に距離が出来、適当な空き部屋に入ると自分をつけていた存在と対峙する。

「言っておくがどんな弁明も無駄だぞピカタ。お前の席は明日からここには無い」

 そこには貴族服に身を包んだ初老の男性、元美食會第2支部支部長のピカタの姿があった。
 その年齢からも分かる通り、ピカタは織莉子が生まれる前から美食會で諜報の仕事で会社に貢献し、単純な忠誠心だけなら美食會でも上位にあたる存在。
 トミーロッドが織莉子と言う女に入れ込んでいるだけではないと言うのは分かるが、最後に一言どうしても彼と話し合いを行いたいと言う気持ちがピカタを生まれて初めての直談判と言う行為に移した。

「それが貴方の望みならば、このピカタ。去りましょう。どうぞこの首を受け取ってください」

 戦闘能力がほとんどないピカタに取って、それが唯一自分のプライドを守る方法だった。
 せめて殺されることでトミーロッドの中へと残り、最後の忠誠心を見せると言う形を取ろうとしていたのだ。
 残虐な彼が自分の命を気にとめないのは分かっているが、せめてもの抵抗とピカタはその場に正座しトミーロッドが手を下すのを待っていたが、トミーロッドは顔色一つ変えずにポケットから一つの機械を取り出すと、手のひらに装着する。

「ダメだ。それではお前のプライドを尊重する形になる。殺しはするが、肉体だけは生きている状態にする」

 彼が何を言っているのかピカタには分からなかったが、自分の眼前に機械を突き出され顔面を掴まれると、その真意が理解できた。
 目の前にあるのは相手の記憶を奪う道具、トミーロッドの言葉から自分は全ての記憶を抜かれ、ただの肉塊になってしまうことが分かると、精一杯の抵抗を見せようと叫ぼうとするが、その間もなく目の前で光った光を最後にピカタの意識は無くなり、地面に突っ伏してただ息をしているだけの肉塊と化していた。
 処分が終わったのを見届けると、トミーロッドは機械からピカタの記憶が入ったUSBメモリーを取り出し、地面に落とすと足で踏みつけて粉々に打ち砕くとそのまま部屋を出て行く。
 喜びも悲しみも怒りも無く、無表情のままトミーロッドは第2支部を後にしていく。
 気に入らないピカタだったが、人間として殺したところで罪悪感も快楽も無かった。
 終わる時なんてこんな物だとどこか虚無感を感じながら、トミーロッドは考えていた。
 こんな自分でもいつか晴れ晴れしい爽快感を感じる時は来るのだろうかと。




 ***




 翌朝、織莉子が一番に行ったことは記憶を全て失い巨大な赤子と化したピカタの保護であった。
 取りあえずはピカタを自分のベッドに寝かせつけると、トミーロッドの指示通り本部のクロマドの元へと向かっていた。
 その存在はトミーロッドから口頭でしか教えてもらっていないが、彼を超える実力者であると同時にそのカリスマ性から自分がまともに会話が出来るかどうかという不安が大きく、心臓は早鐘のように鳴り続けていた。
 更にその上にはグルメ界でボスの三虎のために腕を振るっている。総料理長補佐のナイスニィや総料理長のドレスも居ると聞く。
 美食會と言う組織の大きさに恐怖しながらも、ユーはクロマドが居る私室の前に立つと数回のノックの後、家主の了承を得て部屋へと入る。
 入るとすぐに目に飛び込んだのは肘掛椅子に座って、窓から景色を眺めているクロマドの後ろ姿だった。
 織莉子が入ったのを知ると、ゆっくりと振り返って立ち上がる。
 立派なカイゼル髭を蓄えたその姿に、織莉子は圧倒されながらも精一杯の自己紹介を行う。

「初めまして、この度美食會第2支部支部長に任命されたユーと申します。若輩者でご迷惑をかけることも多々あると思うでしょうが、誠心誠意、美食會のために尽くしていきたいと思います」

 そこに居るだけで体中から汗が吹き出し、体温が上昇しているにも関わらず、心はドンドン冷え込んでいく感覚に陥っていく。
 何とか平静を保とうとクロマドの返事を待っていると、クロマドは乱暴に頭に手を置いて衝撃を伝わらせると、態度だけで自分の方を見るように告げた。

「期待しているよ……」

 それだけを言うとクロマドは今日の仕事のチェックに入る。
 役目は果たしたのだと織莉子は理解して、最後に一言「頑張らさせてもらいます」とだけ言って、その場を後にしていく。
 ドアを閉めるとそこにはトミーロッドが待っていて、彼のエスコートを受けながら織莉子は支部長たちが待っている会議室へと向かう。
 その間も織莉子はこれからに付いてトミーロッドと話し合っていたが、トミーロッドからすれば初対面のクロマドとは違い、支部長たちは既に顔合わせをしているので、そこまで気を使う必要があるのかとげんなりしていた部分もあった。

「何もそこまで気を使う必要はないだろ。ボクらは全員仲間にはそれなりの敬意を持って接しているんだ。取って食われるようなことはないから安心しろ」

 それだけ言うとトミーロッドは足を速めて早めに会議室へと向かい、織莉子もその後を追った。
 他にも何故第1支部のエルグが居ないかと言うのも気になったが、それ以上の質問は許してくれないだろうと思った織莉子はダッシュで突っ切るトミーロッドの後を追う。
 会議室のドアを両手で乱暴に開くと、既に第6から第3支部までの各支部長は揃っていた。
 第6のセドルは仕込み担当の第5支部支部長のボギーウッズと言い争いになっていて、互いに髪の毛を掴んで口汚くののしり合っていたが、トミーロッドが中へ入ったのを見ると二人は自然と手を放す。
 その様子を第4のバリーガモンはボーっと眺めていて、第3支部の食材開発チームの支部長ジェリーボーイは縞柄のバナナを食べていたが、今回呼び出された原因の二人が近付くと食べきって、二人の方を向く。
 全員が話を聞く準備が出来たのを見るとトミーロッドは壇上に立って話をしようとするが、全員の視線は着飾った織莉子に向けられていた。
 不安が的中したトミーロッドは嘆きながらも壇上から話を進める。

「皆聞いてくれ。今まで男として扱ってきたユーだが、実は彼女は女性だったんだ。だがそれはボクが彼女を個として見た結果、ありのままの姿を晒し、そして彼女を個として扱うことを決めた。ユー挨拶をするんだ」

 トミーロッドに促され、ユーは壇上に上がって挨拶を行う。
 その際見慣れたはずの同僚たちが自分を血走った目で見ているのが気になったが、ここは無心で挨拶を行った。

「この度美食會第2支部支部長に任命されたユーと申します。まだまだ若輩者ではありますが、誠心誠意美食會のため尽くしていきたいと思っています。よろしくお願いします」

 お辞儀の後に去って行こうとした瞬間に、四人に一斉に言い寄られる。
 男四人は鼻息も荒げにプレゼントを持って、織莉子の気を引こうとしていて、その中でも特に目が付いたのは普段からコレクションをしているセドルの目玉の詰め合わせ。
 箱の中に多々入っている生き生きと動く眼球を見て、織莉子は絶句していたが、セドルは彼女の気を引こうと何度も差し出していた。

「目玉あげる。目玉! 一番効果な『ゴブリンプラント』のはダメだけど、それ以外なら全部持っていていいから!」
「この悪趣味が! そんなもんユーが喜ぶわけないだろ!」

 興奮しきったセドルを右ストレートで強引に吹っ飛ばすと、ボギーウッズはユーの前に立ち、爽やかな笑顔を浮かべながら、手を差し出して開く。
 中にあったのは人間の腰骨のような部分であり、うっすらと血液が入っていることから、先程まで体内で骨としての機能を果たしていたことが分かった。

「オレの腰骨だ。仙骨はダメだけど、これでオレとお前はいつでも一心同体だぜ」
「もっと実用的な物を渡せよ!」

 受け取るのに躊躇していると、バリーガモンとジェリーボーイが彼を後ろから掴んで強引に投げ飛ばす。
 バリーガモンが差し出したのは新鮮で血の滴り落ちるひき肉であり、ジェリーボーイが差し出したのはとげの付いた鞭だった。

「グチャグチャのひき肉だ! 受け取ってすぐに捨ててもいいから、受け取ってくれ!」
「何のひき肉なんですか……」
「『人食いバラ』から作った特製の鞭だ。ユーの美貌からローズウイップで名付けたから、受け取ってくれ!」
「どこかで聞いたことありますよそれ!?」

 幼いころから社交場に出る経験も多く、こう言った過度のスキンシップを求めてくる相手への対処も慣れているはずの織莉子だが、アプローチの方法があまりに常人離れしているため、織莉子は完全に固まってしまいどうしていいか分からない状態になっていた。
 そこで一気に畳みかけようと四人は何度もアプローチを繰り返していたが、その状況に苛立ちを覚えている男が一人。
 我慢の限界に達したトミーロッドは口を大きく開き、自分の中にある最も危険な昆虫、パラサイトエンペラーを解き放とうとしていた。

「カイギハオワリダ! サッサトシゴトニモドレ、コノシタッパドモ! コロスゾ!」

 今にもパラサイトエンペラーが放たれそうになっているのを見て、四人は蜘蛛の子を散らすようにその場を後にしていき、会議室には静寂だけが残っていた。
 トミーロッドはパラサイトエンペラーを再び体内に戻すと、目で織莉子にも自分の仕事に戻るように促すが、織莉子は最後に一言聞きたいことがあり、その旨をトミーロッドに尋ねる。

「トミー様、ピカタの件ですが記憶を全て失われているようですが」
「ああ大した情報は与えていないが、機密保持のためにな。あれは非戦闘要員だから、灰汁獣の素材にも出来ないしな」
「それでその後の処分についてはどうすればよいでしょうか?」
「お前の好きなようにしろ、気が済むまで痛めつけて、飽きたら殺せばいい」

 ピカタには色々と恨みもあるだろうと思って、トミーロッドはそれだけを言うとその場を後にしていく。
 『お前の好きなようにしろ』と言う言葉を織莉子は心の中で何度も咀嚼すると、自分の中で作り上げた魔法のイメージを手の中で形にする。
 それは織莉子が作り上げた穏やかな一生の物語だった。




 ***




 穏やかな木漏れ日の中で杖をついた老人はベンチに座って一人日向ぼっこをしていた。
 一人ぼっちにも関わらず老人の顔は穏やかであり、これまでの人生で得た楽しい思い出の数々が彩っていた。
 結婚をし、子供を育て、子供も遠い異国で自立をし、孫も元気にやっている。
 妻に先立たれこそしたが、いつか自分も彼女の元へ向かうその日まで幸せに生きようと、元美食會第2支部支部長ピカタだった存在は織莉子が作り上げた偽りの記憶の中で穏やかな笑みを浮かべ続けていた。
 そこに一人の幼女がよって来る。
 いつも公園のベンチに座っているピカタと自然と仲良くなった女の子は、この日もピカタの話を聞きたくてすり寄ってじゃれてきた。

「おじいちゃん。またおはなしきかせて」

 女の子に対してピカタは穏やかな偽りの人生を語り出す。だがその顔は美食會で働いていた時よりも穏やかな物であり、どこにでもいる好々爺の姿だった。
 その様子を遠くから見ている存在が一人。
 いつも美食會の中で着ている魔法少女の衣装ではなく、ごく普通の紫色のワンピースに身を包んで織莉子は木蔭から見続けていて、偽りの記憶が完全に適合したのを見届けると、織莉子はその場を後にしようとするが、その時携帯電話の着信が鳴り響く。
 画面を見るとトミーロッドからであり、電話に出ると聞きなれた彼の声が聞こえてくる。

「特大の生ゴミを再利用するとは面白いことを考えるな」

 この発言から自分がピカタに対してやったことが分かり、織莉子は青ざめた顔を浮かべてしまう。
 何かしらの処分を恐れていたが、次に聞こえてきたのはヘラヘラと小馬鹿にするようないつものトミーロッドの笑い声だった。

「そう怯えることもない。別に生ゴミをどうしようが何の興味も無い。それよりも早く仕事に戻れ、ボスの食欲は最近ますます旺盛になっているからな。お前にも新食材を発見してもらわないと困る」
「分かりました。でも何で私がここに居ると?」
「愚問だな。ボクはいつだってお前を見ている」

 まさかと思い魔法で視力を強化し、はるか上空を見上げてみる。
 予想通りそこには雲に隠れたトミーロッドの姿があり、織莉子の視線に気づくと手を振ってアプローチをした。
 こんなところにまで携帯の電波が届くのかとも思ったが、自分を見てくれているトミーロッドの存在が嬉しく、人気の居ないところまで走ると後ろからトミーロッドに抱え込まれ、空を飛んで第2支部へと戻って行く。
 この見守ってくれている安らぎを感じながら、織莉子は決意した。
 彼のために魂を捧げようと。


 ***


 夕暮れ時、ヘビーロッジで食事の用意をしていたモリ爺の元に依頼していた食材が届く。
 箱の中には大量の『味アリ』があり、その中でも特に見つけづらい甘味味アリの詰め合わせが届くと、モリ爺は依頼を成し遂げた美食屋に労いの言葉を送る。

「ようやったのアンコ。味アリの捕獲レベルは5とそこまで高くはないが、甘味味アリは特に見つけるのが難しいからの。これなら依頼主も納得するぞ」

 杏子はモリ爺の労いの言葉にも「そうか……」と気の無い返事をするだけだった。
 GTロボと出会ってから、杏子の中ではモヤモヤとした考えが常に付きまとっていて、美食屋としての仕事も一応はこなしているが、前ほどの充実感は感じられなかった。
 やはり一度絶対的な恐怖を知ってしまったことは杏子の中で強いトラウマとなってしまい、過去の嫌な記憶に縛られ思うように前へ進めない状態となっていた。
 報告書にサインをすると杏子は何も言わずに去って行こうとするが、その背中に対してモリ爺は一言投げかける。

「悩み事でもあるのかな若人よ? よければこの爺に話してみるがよい」

 モリ爺の言葉にも杏子は反応を示さず、そのまま何も言わずにドアを開けて出て行く。
 美食屋と言う仕事を続けて行く内にぶつかる壁、その内の一つとしてあるのが、生命の危機に関するトラウマがある。
 杏子の様子を見る限り、その壁にぶち当たっているのは分かった。
 最近受ける内容の依頼は猛獣との戦いでは無く、簡単な採取や、捕獲自体は難しくても戦闘力はあまり高くない猛獣の捕獲ばかり。
 好戦的な性格の杏子にしては消極的な内容の依頼ばかりをこなす辺り、それは容易に想像が出来ること。
 だが勇気を持って乗り越えるのは本人しか出来ない試練。第三者はそれを見守ることしか出来ない。
 モリ爺は一つため息をつくと、カウンターの下に置いていある。トリコとのツーショット写真を取り出し、写真の中の彼に向かって一言つぶやく。

「トリコよ。お前さんが残した希望、こんなことぐらいじゃ潰れはせんよな?」

 モリ爺は信じていた。トリコが信じていた杏子を。
 願わくば彼女がこの試練を乗り越え、更に美食屋として羽ばたいてもらいたいと祈るばかりであった。




 ***




 夜、寝静まっていた杏子だが、夢の中で激しい悪夢にうなされていた。
 GTロボと出会ってからはほぼ毎日のように情緒不安定になっている自分に対して、攻撃している輩がいる。
 その正体は分かりきっているので、何も無い暗闇の空間で夢の中に意識を移した杏子は思い切り叫ぶ。

「出てこいオフィーリア! いつまでもこんな下らないことやってんじゃねーぞ!」

 杏子の叫びに乗じて現れたのは自分と全く同じ姿をしながらも、下衆な笑みを浮かべた存在。
 鏡でもないのに自分と全く同じ姿を見ることに苛立ちを覚えていた杏子だが、怒りの感情が後押しして一気に行動へと移す。

「ハッキリ言うぞ、何度も何度も人の安眠邪魔するような真似をして! いい加減大人しくしていろ!」
「気にすることは無い、もうすぐテメェは永眠して、アタシがお前を食らうんだからな。あのボンクラのクソバカのようにな!」

 その存在が何なのかと分かると、杏子の沸点は一気に臨界点を突破し、オフィーリアに向かって飛びかかり馬乗りになった状態で殴りかかろうとする。

「さやかのことか!」

 拳を振り下ろした瞬間に手に鈍い痛みが走る。
 捉えたと思っていた体は煙となって消えていて、後ろでオフィーリアを腕を組みながらニヤニヤと小馬鹿にした笑みを浮かべていた。
 自分の魔法の特色が『幻惑』であったことを忘れている杏子を畳みかけようと、オフィーリアは一気に攻めたてる。

「心底見下すべきジコチュー女だ……お前なんかにすり寄られて、あのさやかってのもいい迷惑だろうよ本当に……」
「何だと!?」

 痛む右拳をそのまま振り上げて、杏子はオフィーリアを殴り飛ばそうとするが、再び煙となってその姿は消えて無くなり、振り返った先にはそれが本体かどうかも分からないオフィーリアが居た。

「じゃあ聞くけどよ。お前あの女のこと初めは殺そうとしたんだろ? 甘ちゃんってのが大嫌いなんだろ? 何でそれなのにそこまであの女に依存してんだよ?」
「それは……初めはそうだったかもしれないが人ってのは変わるもんなんだよ」
「無責任だな!」

 杏子の言い分をオフィーリアは一蹴する。
 押し黙った状態なのを見ると続けてオフィーリアはまくしたてるように叫び出す。

「そう言う奴なんだよテメェは! 自分のワガママで周りを傷つけたいだけ傷付けて、嫌になったらバッくれればいい。さやかに関しても所詮は死んだ人間だから、いくらでも盾にして言い訳の材料にしているだけだろうがよ! テメェのやっていることなんて皆自己満足以外の何者でもねぇんだよ!」

 オフィーリアの言うことに、杏子は何も言い返すことが出来なかった。
 結果として魔法少女時代は自分は何も救うことが出来なかった。
 だからせめてこの世界では変わって、それをさやかに見届けてもらいたいと思っていたのだが、GTロボの恐怖が脳にこびりついてからと言う物、ガムシャラに突っ走てきたエネルギーが止まり、停滞状態になっていた。
 その影響なのだろう、精神的に不安定になっていて思うようにカロリーを摂取出来ていないことから普段は夜叉が押さえつけているオフィーリアがここまで暴れるようになっていた。
 杏子の動きが止まったのを見ると、オフィーリアは槍を召喚して杏子を貫こうとする。
 突進していくオフィーリアを見て、反射的に後方へと飛び上がってバックステップで攻撃をかわすが、その瞬間に背中に燃えるような痛みが走る。
 前方のオフィーリアは煙となって消えていて、後方の本体であるオフィーリアは杏子を槍で貫きながら最後の言葉を投げかける。

「間違ってもテメェは優しい聖女様なんかじゃない! 人間って奴を象った最低な存在だよ。我を貫くことをプライドだって勘違いした最低な人間だよ!」

 こうして何度も何度も罵声を浴びせながら、朝を迎えるのが日課となっていたが、何度経験しても槍で貫かれる痛みは慣れる物ではない。
 血反吐を吐きながら黙って罵声を受け止める杏子に対して、オフィーリアは最後の言葉を投げかける。

「テメェに家族なんて出来やしねぇ、テメェの世界にはテメェしかいねぇんだよ! だから何の疑問も無く悪事に手を染めることも出来たんだよ。この腐れゴリラが!」

 要約すれば自分は永遠に一人ぼっち。
 誰も何も無いと言うイメージが脳内で広がると同時に、杏子の意識はブラックアウトしていく。
 それは悪夢からの解放であると同時に、現実へ向きあう一日が始まる合図でもあった。




 ***




 朝日と共に杏子は泥のように重たい体を起こしながら、一日の始まりを実感する。
 ここ最近はずっとこんな感じだ。オフィーリアから解放されれば、次に襲ってくるのはGTロボのあの一言。

『邪魔さえしなければ死ぬことはない』

 自分に絶対的な自信を持っていなければ言えない台詞であり、決してそれが自惚れでない事も分かっている。
 大量の汗をタオルで拭いながら、この日も狩りに向かおうとヘビーロッジへ向かおうとするが、夢の中で特に応えた一言が杏子の胸を抉った。

『テメェの世界にはテメェしかいねぇんだよ!』

 何もかも全てが自分の自己満足だったかと思われるような痛烈な言葉は杏子の中にダメージとして残っていた。
 だがそれと仕事は別問題だ。何とか気持ちを立て直そうとネットからも情報は見れるので、携帯を片手に調べていると興味のある食材を見つける。
 それは現在『ビックリアップル』を除けば、高水準なレベルのリンゴ『ゴールデンアップル』であり、捕獲レベルは22とかなりの物。
 だが問題はそれを得るための手段である。
 植物でもあるにもかかわらず、ここまでの高レベルが付いた理由は一つ。ゴールデンアップルはある食獣植物の体内でのみ作られる物だからだ。

 ゴールデンアップルの製造元は、同じく捕獲レベル22の『ベヒモスポタニカル』であり、植物ながらに主に捕食する猛獣は『怪鳥ゲロルド』や『ガウチ』と言った凶悪な猛獣を好んで食らう悪魔の植物として近隣住民からは恐れられる存在。
 そのベヒモスポタニカルを倒した時にゴールデンアップルは高水準のダイヤにも匹敵する輝きを見せ、地域によっては同等の黄金と同じぐらいの価値を持つと言われている。
 調べて行く内に食欲が沸き、自然と喉が鳴り、唾を飲み込む回数が増える。
 今は抗っているだけだとしても前に進むしかない、マイナスに飲みこまれそうな思考を誤魔化すかのように足に力を込めて突き進んでいく。
 魔法少女だった頃はそうだったかもしれない、だが自分の世界に自分しかいないなんて言わせないようにするためにも行動するしかなかった。
 それがさやかに対して見せてやれる。せめてもの罪滅ぼしだと思っていたから。





本日の食材

シルバーヘラクレス 捕獲レベル59

白銀に輝く20メートル大のカブトムシ。
突進攻撃は強力であり、それだけで台風一過並みのダメージを町は襲うことになる。
食用には適さないが、その甲殻は調理器具に多く使われ、また高い技術が必要となるが、糸に作り変え防護服に変えることも可能。





と言う訳で今回は織莉子がユーとして生きる物語の後編をお送りしました。
次回はゴールデンアップルの捕獲編になります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ28 ゴールデンアップル!
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:6b52655b
Date: 2013/09/15 00:44





 ゴールデンアップルを捕獲するため、杏子はベヒモスポタニアルが生息している平原へと向かっていた。
 そこにはすでに多くの美食屋たちがゴールデンアップルの捕獲に出張っていて、中には即席でチームを組んで目的の物を得ようとしている者も居る。
 杏子は全ての狩りを一人で行うタイプなのだが、平原の奥のジャングルへ向かうまでにも試練はあった。
 ベヒモスポタニアルはゴールデンアップルを守るため、種子を飛ばして自分の配下となる存在を作り上げて自分のリンゴを守る。
 だが増えすぎたため近隣の村ではそれの削除だけに美食屋を雇うケースも多く、社会問題になっている動く種子。
 それが、ライオンのような姿をしているが、たてがみの代わりに綿毛で覆われた50センチ大の小さなライオンのような植物『ダンディライオン』だった。
 捕獲レベルは4と大した実力では無いのだが、近隣住民がコイツによって怪我も負っているため油断できる相手では無い。
 牙を突き立てて向かってくるダンディライオンに対して、杏子はカウンターで膝をその顔面に叩きこんで吹っ飛ばす。
 だが植物は繁殖能力に関しては最も優れた個体と言ってもよく、一体倒しただけでは何の意味も無く、美食屋たちの中でもその数の多さに圧倒されドロップアウトしていく物も多い。
 自分の元にもダース単位でのダンディライオンがやって来るのを見ると、杏子は背中からナイフ形態の槍を取り出して突き出して構える。

「フン。伐採ってのはあんまり好きじゃないんだが、仕方ないか……」

 自分自身に気合を入れ直すと、杏子は槍を振り上げて勢いよく、ダンディライオンたちの体を引き裂いていく。
 植物なので血は出ず、どちらかと言うとぬいぐるみを引き裂いているような感覚が多かったが、それでも気分のいい物では無い。
 撤退と言う意思が無い以上、殲滅するしか方法が無いと判断した杏子は槍を振り上げて、防御力に関しては皆無と言ってもいい状態のダンディライオンたちを次々となぎ倒していく。
 真っ白な綿毛ライオンたちでもいい加減、杏子の実力と言う物を理解できたのか、ここでの繁殖を諦め、違う所へと向かおうとしていた。
 散り散りになって行くダンディライオンたちを見て、杏子は呼吸を整えながらようやく目的地に向かって一歩前進できることを実感させられた。

「全く、考えるだけの脳みそが無いとは言え、聞き分けがないぜ……ん?」

 大体の美食屋たちが奥深くのジャングルで日単位でのサバイバルを繰り返すために突入したのに対し、一人だけ進むことも戻ることもせずにダンディライオンを相手に怯えている存在が居た。
 見捨てるのも寝覚めが悪いと判断した杏子は、ダンディライオン相手にへたり込んでいる少女の元へと突っ込み、ダンディライオンの横っ面を思い切り蹴り飛ばして、暴虐な種子を少女の元から引きはがした。

「植物だから繁殖のために手段を選ばないのは仕方ないことだとは思うがな……むざむざ殺されたくないなら、アタシの前から失せろ!」

 本能的に杏子の剣幕を察したのか、ダンディライオンはジャングルの奥深くへと消えて行った。
 すぐに杏子も向かおうとしたが、未だにへたっている少女を放っておけないと言うのと、美食屋と言う仕事に対して覚悟が足りないのではないのかと言う怒りの感情があり、GTロボの件もあってか、手を差し出して強引に立たせながらも説教を始めようとする。

「アンタもアンタだ! あの程度の種子に負けるようで、ゴールデンアップルの捕獲になんて挑戦するんじゃ……」

 立たせてその姿を見て、杏子は言葉を失った。
 青い髪の毛のショートヘアーの女の子は自分と同じぐらいの年齢であり、その顔立ちは多少大人し目ではあったが、自分がこの世界に来るきっかけとなった少女にそっくりだったからだ。

「さやか……」

 そこに居る少女がさやかじゃないことは分かっていても、反射的に杏子は言ってしまう。
 だが言われた本人は何のことか分からず、手の力が解いたのを見ると、杏子から手を放し一言言う。

「スイマセン助けてもらって、でも『さやか』って言うのは誰なんですか?」
「あ、スマン人違いだ。じゃあアンタの名前は?」
「エンドと申します」

 エンドは自己紹介を終えると、助けてもらったお礼も兼ねて深々と頭を下げる。
 だが説教を食らったにも関わらず、ゴールデンアップルを捕獲することからドロップアウトするつもりはなく、武器を持ってジャングルへと向かおうとする。
 持っている武器も初心者用の猟銃であり、そんな物でベヒモスポタニアルが倒せるとは思えない、強引にその肩を掴むと杏子は止めるように説得を開始する。

「エンドとか言ったか? アンタさ、捕獲レベルの基準って分かっているのか? 捕獲レベル1が腕利きのハンターが10人がかりでやっと仕留められるレベルだぞ。ど素人がそんな猟銃一本持って突っ込んだ所で死ぬのがオチだろう」
「でもそれでも私は行かないと行けないんです!」

 その悲痛な叫び声から意思は固いのが分かるが、今ここでそれを許したところで待っているのは悲劇的な結末。
 さやかの悲劇を繰り返しちゃいけないという想いが、あの時とは違った方法で止めようと杏子に決意させ、怒ってはいけないと自分の中で課題を作ってエンドの説得を試みる。

「落ち着けっての! そこまで躍起になるんだ。何か理由があるんだろ。訳を言ってみろ、少しは楽になるかもだぜ」
「兄さんを放っておけません!」

 あまりに下らない理由なら平手打ちの一つでもかまして止めさせようと思ったが、理由が家族のためと言うならば話は別。
 見た目がさやかにそっくりなことと、自分と同じような理由で無茶をしようとしていることから、目の前のエンドを放っておくことが出来ず、強引に自分の方を振り向かせるとそのまま手を取って一旦拠点である近くの村へと向かう。

「乗りかかった船だ。それにダンディライオンから助けてもらったお礼もしてもらっていない」
「お礼?」

 杏子の実力を見て高水準の美食屋だと分かったエンドは代金を請求されることに青ざめていたが、杏子は軽く笑いながら一言言う。

「バカ、コーヒー一杯奢れって話だよ」

 そう言うと二人は手を繋いだまま、近くの喫茶店へと入って行く。
 その間杏子は誓っていた。
 絶対にこの兄妹を救おうと。




 ***




 近くの喫茶店へと入り、コーヒーを飲んだ杏子は一息ついた状態で窓の外の景色を見ていた。
 あまり美味しくないコーヒーでも心を落ち着かせるには十分であり、エンドもまたコーヒーを一杯飲んで先程までのいきり立った様子が無いのを見極めると、杏子は改めて話をしようとする。

「それでさっき兄貴を放っておけないと、エンドお前は言ったわけだが、その兄貴も美食屋なのか?」

 杏子の質問に対してエンドは無言で頷く。
 エンドが美食屋と言う仕事に対して、不安を覚えるのも無理はない。
 美食屋と言う仕事は労災も下りないし、死んでも治外法権扱いだ。
 大金を得るのに一番手っ取り早い方法とは言え、妹が心配するのも無理はないが、それは兄が選んだ道。
 どうしても止めたいと言うならば、出発する前に止めればいいのではないかと思い、杏子はその辺りをエンドに聞こうとする。

「んで放っておけないとは何が原因なんだ? ゴールデンアップルの捕獲は兄貴には不可能だと思っているからなのか?」

 杏子の質問に対してエンドは黙って首を横に振ると、こうなった詳細を語り出す。
 エンドの兄の『ハジメ』が率いるのは優秀なチームであり、兄は弓兵としてメンバーの統率を取りながら的確な指示を出す優秀なリーダーであった。
 数多くのグルメ食材を捕獲し、少しでも子供たちの希望になれればと、捕獲した食材を無償で寄付すると言う行為も行っていて、地元では尊敬の念を持たれるチームだった。
 だがそんなチームの存在を面白くないと思う存在が一つ。
 それがこの辺りを牛耳るグルメヤクザの存在。
 グルメ食材を違法な値段で売りさばく彼らからすれば、貧しい住民たちに格安でグルメ食材を提供するチームは邪魔な存在。
 一瞬の隙を付いて、ヤクザ達はチームのメンバーを一人ずつ拉致監禁して幽閉していった。
 美食屋と言う仕事を行っている物が行方不明になることなど日常茶飯事なので、警察もまともに取り合ってくれない。
 唯一残ったハジメは直談判して、ヤクザ達からメンバーを取り返そうとしたが取り合ってもらえず、ついには実力行使で取り返そうと暴れ出す。
 その実力の前に屈服しそうになったヤクザ達は交換条件として、組長の大好きなリンゴ、それも極上品のゴールデンアップルを持ってくれば、メンバーの解放とその後一切チームには関わらないことを約束する。
 ヤクザ相手の口約束など通用するはずないと思いエンドはゴールデンアップルの捕獲に赴くハジメを止めようとしたが、一度決めたことには頑固なハジメはメンバーのため、子供たちのためにゴールデンアップルの捕獲へと向かった。
 大体の事情を聞くと杏子はため息を一つついて、今現在の評価について話し出す。

「お前の意見は正解だよエンド。そのハジメって兄貴は馬鹿正直すぎだ。始末にも面倒くさいから、ベヒモスポタニカルに兄貴を始末させようとしたんだろ。仮にゴールデンアップルを持ち帰ったとしても、口約束なんて大人の世界で通用するはずがない」

 そう言って自嘲気味に言い放つと、キュゥべえの契約を思い出し苦い表情を浮かべる。
 だがすぐに自分の言ったことが迂闊な発言だったと思い知らされる。
 主に弓兵としてバックアップをメインとしていた兄が、一人で捕獲レベル22のベヒモスポタニカルを倒せるとは思えず、沈んだ顔を浮かべてマイナスの思考に囚われているエンドを見ると、杏子は慌てて話題を変えようとする。

「それでどんな奴なんだ。そのハジメって兄貴は? 妹の話をろくに聞かないようなバカ兄貴はアタシがぶん殴ってやるよ」

 興奮しだした杏子に対して、エンドは黙って懐からチームの映った写真を取り出し、中央に映っている兄を指さす。

「マジかよ……」

 灰色の髪に中性的な容姿を持った線の細い男性は、元の世界での上条恭介に瓜二つであり、杏子は完全に絶句した。
 この世界でもさやかはこの坊主によって苦しめられなければいけないのかと怒りもあったが、同時に何とかしてやらなくてはいけないという使命感にも狩られた。
 恋人ならば色恋沙汰には縁の無い自分にとっては、さやかを傷つける無神経な発言の数々をしたかもしれない。だが家族と言うならば話は別。
 話を聞く限りマネージャーとして、非戦闘要員ながらもチームとして縁の下の力持ちとして頑張ってきたエンドをこのまま放っておくことが出来ず、杏子の中で決心が固まる。

「話は大体分かった。仕事をこの美食屋アンコに受けて見る気はないか? 依頼はゴールデンアップルの捕獲と、ハジメ兄貴の確保だ」
「でもアンコさん。私にはお金が……」

 こう言った美食屋同士でのトラブルも、美食屋が解決するケースは珍しいことでは無い。
 再生屋もグルメ警察もこう言ったことでは動いてくれず、結局頼るべきなのは同業者だけなのである。
 だがこう言ったケースの場合、通常よりも多くの金額を取られることが多い。
 何よりも恐ろしいのは人間だと言うのを皆分かっているからだ。金額に関して常時余裕の無いエンドからすれば、その辺りが一番不安で恐る恐る聞くが、杏子は堂々とした態度で返す。

「応酬は金じゃない。チームを取り戻した時、一つ条件を付けさせてもらう。これからも子供たちのため、飢えている人たちのため多くのグルメ食材を確保し、皆を少しでも飢えから凌いでやることだ」

 自分でも臭い発言をしたと言うのは分かっている。だが杏子に後悔の二文字は無かった。
 この世界に飛ばされた時決意したことだ。さやかが果たせなかった正義を執行する者になる。そしてそれが自分の贖罪でもあり、自分自身前へ進めた目の行為なのだと。
 何も言わずに杏子は二人分の会計を済ませると、エンドに向かって「ここで待っていろ」とだけ言って出て行く。
 エンドはその背中を黙って見守っていた。
 自分と同い年か少し上ぐらいにも関わらず、その背中は大きく見えて先程まで感じていた不安が無くなっていくのを感じていた。
 まるで魔法にでもかかっていたかのように。




 ***




 ベヒモスポタニアルが生息しているジャングルの奥地への突入は通常ならば、日単位でかかる物だが脚力に特化した杏子からすれば日が傾く頃には目的地に到着することが出来ていた。
 周りを見渡すとここまで進んできた美食屋のレベルも相当な物であり、気配こそ嗅覚で感じてはいるが、詳しい場所までは理解できず、そこに居る全員がゴールデンアップルを狙っているのを理解できる。
 木々の匂いが大半を占めている中で、杏子の鼻に自然界には存在しない匂いが飛び込む。
 記憶を辿って行くと、ココから教えられた強力な眠り薬の一種であることを思い出し、薬の匂いはドンドン広がっていき、何かの手がかりになるのではないかと杏子は匂いの元を追う。
 駆け抜けた先にあったのは大きくいびきをかきながら眠る美食屋たち、肩や足と言った致命傷にならない部分には矢が刺さっていて、杏子は血が出ないように一気に抜きとると同時に止血処置を施して美食屋の安全を確保すると、穂先の匂いを嗅ぐ。
 思っていた通り強力な眠り薬が穂先に付けられているのが分かると同時に後方から殺気を感じる。
 両手を上げながらゆっくりと振り向くと、予想通りの人物が自分に向かって矢を付きたてながら弓を引こうとしていた。

「何回も言わないぞ、すぐにここから立ち去れ。でなければ撃つ!」

 今回の捜索人であるハジメの目は真剣その物であり、本気で自分を排除すると言う想いが杏子にも伝わる。
 だが杏子は至って冷静にハジメの戦力分析を行うとため息を一つついて、頭をかきながらゆっくりと語り出す。

「少しは出来るようだがやめておけ。その弓アタシには届かないよ……」
「警告はしたぞ!」

 しなった弓から手を放したその瞬間だった。ハジメは目の前の光景に言葉を失う。
 弓から矢が放たれるよりも早く杏子は自分との距離を詰めより、スピードが付く前の矢を握りしめていたからだ。
 冷や汗が顔に流れていく。ハジメの中に焦りの色が見えたのを見届けると、杏子は矢をハジメに手渡して、その頭を軽く小突く。

「妹のエンドからの依頼だ。無茶をしようとしているアンタを連れ戻してきてくれってね。ゴールデンアップルはアタシが捕獲しておいてやるからいますぐこのジャングルを出て行け。アンタなら一人で帰るぐらいのことなら出来るだろ?」

 内容のみを簡素に伝えると、杏子は更に奥地へと向かおうとするがハジメは帰ろうとはせず、杏子の背中を追う。

「聞こえなかったのか? 帰れと言ったはずだ」
「ふざけるな、僕だって曲がりなりにも美食屋だ。依頼人からの依頼に対して、限界を感じたわけでもないのにおめおめと引き返せられるか、アンタがどう言おうが僕は僕でゴールデンアップルの捕獲に挑戦する」

 それはもっともなプライドだろう。
 意固地になっているさやかとは違い、こちらは美食屋として生計を立ててきたプライドと言う物が曲がりなりにもある。
 大人が生計を立てていく商売である以上、プライドと言うのも重要なパーツなのだと言うのは分かっていたため、杏子は小さく「勝手にしろ」とだけ言うと、一気に追い放すため駆け抜けた。
 足元が悪いため走りにくいと言うのもあったが、それでもハジメの姿を見えなくさせるためには十分であり、杏子はハジメが来ない内に一気に勝負を決めようとグルメディクショナリーで調べた情報通りに、ベヒモスポタニアルが生息していると思われるジャングルの奥地へと到着する。

 草木が生い茂っている中でそこだけは平原が広がっていて、その中心を陣取っているのはゆっくりと鈍い動きを見せる大木。
 食獣植物の中では捕獲レベル22とかなりの高レベルな獰猛な植物、ベヒモスポタニアルは見るだけで戦闘意欲を失うような禍々しいデザインの植物だった。
 老朽化したような灰色の樹皮に、人間の手の骨を連想させるような枝、中央にポッカリと開いた穴にはこれまで食べてきた猛獣たちの残骸が付着していて、血と脂が入り混じった匂いに杏子は反射的に目を背け、鼻をつまんでしまい、戦う上で大事なモチベーションの意地と言うのを失ってしまう。
 だがベヒモスポタニアルは待ってくれなかった。眠ろうと思っていた瞬間に外敵が来襲したことから、咆哮をあげると愚鈍な足取りで杏子に向かって近づく。
 植物が歩くと言う非現実的な状況もベヒモスポタニアルを相手にモチベーションの維持が困難な理由ではあるが、ココの教育の成果もあり、この現象がどう言うことなのかは杏子には理解できた。
 空気中に出た根が地面まで垂れ下がり、そのまま支柱根となって幹を支える。
 これを気根と呼び、この行為を凄まじいスピードで行い続けていれば、あたかも植物が歩いているように見えた。
 だがその歩みは一般人から見ても遅い物であり、脚力を最大の武器としている自分からすればスピードでかき回せば十分に勝てる相手。
 杏子の中で倒す算段が整うと、一気に勝負を付けようと二本の槍を取り出して合体させてドリルの形状にすると、円を描く動きでベヒモスポタニアルの周りを取り囲む。
 少しずつ円が狭まって行き、攻撃を行おうとした瞬間に杏子は不気味な感覚を体中で感じ、筋肉が硬直するのを覚えた。
 それはGTロボと初遭遇した時と同じ、死の恐怖、その恐怖が杏子を動かすのを躊躇させ、詰め寄った距離を一旦解除して、後ろに飛び跳ねてベヒモスポタニアルと距離を取る。
 そしてベヒモスポタニアルの全体像を見ると杏子は愕然とする。

「何だありゃ……」

 てっきり幹の中央部分にある空洞が口だと思っていたため、杏子はベヒモスポタニアルの捕食の瞬間を見届けると、ショックを拭えずその様を茫然としたまま見続けていた。
 両端の枝の部分から大きく膨れ上がったのは二つの真っ赤な球体。
 中央に裂け目が出来て中に無数の牙のような物を突き出しながら、何度も開閉を繰り返すさまは獲物を求めて咀嚼を繰り返す猛獣のよう。
 口の部分と思われる球体に餌を与えるため、ベヒモスポタニアルはこれまでで最高の機敏な動きを見せて、上下左右に振り回して樹液を辺りに巻き散らせながら杏子を食らおうとしていた。
 その姿からリンゴが自分を食らおうとしている錯覚を受けて、杏子は苦痛に顔を歪めてしまいそうになるが、相手が興奮しきっている今は逆に一気に勝負を決めるチャンスだと踏んで、両足を大きく広げると槍を突き出して、頭の中で回転のイメージを作り上げるとドリルのギミックを起動させる。

「トラウマになったらどうしてくれんだバカヤローが!」

 リンゴに食べられての絶命なんて考えたくもない杏子は半ば自棄気味にドリルクラッシュを放つ。
 だがその瞬間に幹の穴の正体に気付く。
 生命の危機を本能的に察したベヒモスポタニアルは幹の穴から放ったのは、自分を守るための武器。
 無数の赤い球体が穴から放たれると球体は地面をバウンドしながら、中央に裂け目を作りあげ、牙のような物を突き立てると杏子を食らおうとしていた。
 最初の勢いもあり初めは一気に球体を貫いて行ったが、尋常では無い数の多さに肩や脛と言った衣装で守られていない部分についばむような痛みが走ると、杏子は地面を足で止めて強引に引きずりまわす形を取って勢いを殺すと、ドリル形態の槍を二本の槍に解除して、乱雑に振り回していく。

「だからやめろつってんだろ! リンゴに食い殺されて死ぬなんて、笑うに笑えねーぞ!」

 自分に襲いかかる球体がリンゴで無いことは分かっているのだが、その姿形からどうしてもリンゴを連想してしまう杏子は頭に完全に血が上ってしまい、二本の槍を振り回すことで自分の体を守り襲いかかって来る球体をカウンターで切り裂いて行く。
 球体の一体一体の攻撃力は低いので槍の斬撃で十分対処可能なのだが、ベヒモスポタニアルの本当の狙いが杏子には分かっていた。
 圧倒的な数で人海戦術を仕掛ける球体たちの相手に杏子の足は止まってしまい、球体だけの対処に手間取っていた。
 獲物の足が完全に止まり自分に注意が行かなくなったのを見届けたベヒモスポタニアルはゆっくりと近づき、二個の球体を杏子に向かって振り下ろし、一気に杏子を食おうとしていた。

「やっぱりな。戦闘力ではとにかく、闘いのセンスってのが無さすぎだよお前……」

 皮肉を言うと同時に杏子の姿がそこから消えて無くなる。
 これにベヒモスポタニアルは杏子を食べたと思って、咀嚼を繰り返すが栄養が体に行き渡る感覚が無く、その動きが完全に止まる。
 目と思われる部分が杏子が居た場所を見ると、先程まで杏子が居た場所には人一人分ぐらいの空洞が出来ていて、それを確認した頃には後方から轟音が鳴り響くことに気付き、愚鈍ながらも必死に振り返ろうとした。

「ドリルにはな。こう言う使い方もあるんだよ!」

 ドリルで地面を掘り抜いて後方に回った杏子は勢いよく飛び上がって、そのまま上空でドリルを回転させて一気にベヒモスポタニアルを貫く。
 植物のためか断末魔の叫びこそ聞けなかったが、確かに手応えと言う物をこれまでの経験から感じた杏子は貫いたベヒモスポタニアルの様子を見る。
 巨大な空洞が幹に大きく出来て、向こうがわが綺麗に見通せることから、致命傷レベルの斬撃を与えられ勝負は決したと杏子は感じ、獰猛な笑みを浮かべながらゆっくりとベヒモスポタニアルに近づいて行く。

「さぁて、ゴールデンアップルはどこだ?」

 体内でのみの生成としかグルメディクショナリーには書かれておらず、どこで生成されるかは個体によって違う。
 故にドリルクラッシュで貫いてしまったのではと思う所もあるが、杏子にはゴールデンアップルは無事だと言う自信があった。
 その鼻は好物であるリンゴの甘酸っぱい匂いを捉えていて、そこに確かにゴールデンアップルが存在しているのを確信していた。
 ゆっくりと歩を進め、杏子が空洞に手を伸ばした瞬間、痙攣を繰り返していた二つの球体から咆哮が放たれ、枝を一気に伸ばして再び杏子を食らおうとする。
 まだ生きていたことに驚きながらも、杏子はバックステップで距離を取って間一髪のところで攻撃をかわすと改めてベヒモスポタニアルを見る。
 よく見ると無数に枝を伸ばし続け、そこら辺に飛んでいる鳥や、地面の中に居るモグラまで無差別に食い荒らし、杏子に与えられたダメージを回復しようとしていた。
 その効果は確かに出ていて、空洞が少しずつ狭まって行くのを見た杏子は早く勝負を決さなければ危険な相手だと思い、再びドリルクラッシュを放とうとするが、そうはさせまいとベヒモスポタニアルは辺り一面に枝を伸ばして地面に刺し続けると、杏子の動きを制限させた。
 進路を奪われ、杏子はバックステップで枝の連撃をかわし続けていたが、地面に違和感を覚え、そこから離れようと飛び上がろうとしたが、一歩遅かった。
 先程の杏子の攻撃で学習したのか、今度はベヒモスポタニアルが同じことを行い、地面の中で伸ばした根を地面から突き出すと、杏子の生命線とも言える足に絡まりつき、その機動力を奪う。
 最大の武器を奪われ、足に絡みついた枝を振りほどこうとしている間に二つの球体が近づき杏子を食らおうとしていた。
 だが杏子は特に焦ることなくナイフ形状の槍で振り払って、攻撃を防ごうとした瞬間だった。
 次の瞬間そこに居た一人と一匹を襲ったのは、弓矢のスコール。
 上空から放たれた幾多もの矢は無数に伸びたベヒモスポタニアルの枝を切り裂き、杏子の足に絡んでいた根も矢で引き裂かれるのを見ると、杏子はすぐに矢の対処で頭が一杯になっているベヒモスポタニアルから距離を置き、矢を放った張本人の元へと向かう。

「やっぱりお前だったかハジメ……」

 そこには息を切らせながら呼吸を必死になって整えるハジメが居て、杏子の呼びかけにも応えずハジメは一心不乱に矢を放ち続け、ベヒモスポタニアルに反撃の機会を与えないでいた。
 一見すればハジメがベヒモスポタニアルを押しているかのように見える。だが杏子は戦局がハジメの不利に陥っていることを瞬時に見極める。
 初めからフルスロットルで攻撃を続けていると言うことは、それだけ不安で一杯で相手に反撃の機会を与えまいとしていること。
 だが弓の攻撃では動きを押さえることは出来ても、ベヒモスポタニアルに致命傷を与えることは出来ない。
 その必死の形相を見る限り、これがハジメの全力であり限界であることは理解できた。
 決着を付けるためにも杏子はハジメの脇腹を軽く突いて、注意を自分に向かせた。

「オイ、火の付いた矢ってのはあるか?」

 突然の杏子の申し出にハジメは困惑した顔を浮かべながらも、穂先に松脂の付いた矢を取り出す。

「撃て!」

 半分命令するような口調に驚きながらも、ハジメは穂先にライターで火を点け、その矢をベヒモスポタニアルに向かって撃つ。
 こんな物では致命傷にならないことは分かっていたが、次の瞬間にハジメは自分の目を疑った。
 矢が放たれると同時に杏子は飛び上がって、穂先に灯っていた炎を回転する槍に付着させ、その小さな火種を何倍にも大きくさせ、炎は槍だけではなく自らの体まで覆っていき、自らを炎の矢と化した杏子が自分に対応しきれていないベヒモスポタニアルの元へと突っ込む。

「焼きリンゴにでもなってろ!」

 叫びと共に炎の矢は二つの球体を貫く。
 だが回転の力は炎を更に増幅させ、新たに燃え移る対象を見つけるとベヒモスポタニアルの体は紅蓮の炎に包まれた。
 不気味な断末魔の叫びが辺りに木霊する。
 必死に命を繋ごうと辺りに枝を伸ばすが、その枝もすぐに炎に包まれ瞬く間にその体は灰塵と化していく。
 美食屋としてこう言った光景は何度も見てきたハジメではあるが、目の前の光景にショックを隠せず呆けていたが、すぐに杏子の安否を確認しなくてはと思い、もう戦闘不可能と判断したベヒモスポタニアルを無視して、杏子の元へと駆け寄る。
 フードを被って横たわっている杏子を見つけると、慌ててその身をゆすり動かすが、杏子は不機嫌そうにその手を払いのけるとブスっとした顔を浮かべながら、体に付着したススを払いのけて立ち上がる。

「寝てるところを邪魔してんじゃねーよ……」
「そんなことより質問に答えろ! 何で全身が炎に包まれているのに火傷一つ追ってないんだ!?」

 ハジメの質問はもっともな物だった。
 全身を炎に包まれているにも関わらず、杏子の体は綺麗な物であり、傷一つ火傷一つ無い状態。
 グルメ細胞だけならハジメ自身も移植はされているのだが、ここまでの症状が現れるとは思えない、興奮しきっているハジメにうんざりしながらも杏子は語り出す。

「簡単だよ。皮膚が炎で焼け焦げる頃には下から新しい皮膚が再生されているだけだ」
「そんなわけあるか!」

 杏子の意見に納得のできないハジメは食ってかかるが、これはまぎれもない事実である。
 脚力が特色の杏子に取って気になっていることがあった。これだけのスピードで走っているにもかかわらずなぜ自分の皮膚は摩擦熱で炎上しないのかと。
 だがそれは少し冷静になって自分自身を観察すればすぐに謎は解けた。
 走っている最中、摩擦熱によって皮膚がダメになるわけではない、だが常人よりも早く皮膚の再生するスピードが速いだけ、魔法少女時代には怪我もすぐに治ったので、この辺りの観察はほとんどしてこなかったが、科学的に解明できるグルメ細胞の力は自分でも論理的に理解できなくては100%使いこなせることなど出来ない。
 摩擦熱によって肺が焼けるのではと言う考えもあったが、それは鼻の中に大量の鼻水が自動で分泌されることで防がれた。
 女の子に取っては決して大っぴらに話したくない事実なので、杏子は苛立ちながらもハジメの応対にあたる。

「ウルセェ! テメェがどんなに抜かそうがそれが真実なんだよ! そんなことよりゴールデンアップルだ!」

 杏子に言われてハジメはゴールデンアップルが無事なのかどうかを確認するため、すでに炭と化したベヒモスポタニアルの元へと向かう。
 捕獲方法については知らない杏子に取っては、まずはハジメに取らせた方が手っ取り早いと踏んで、あくび交じりにゴールデンアップルの発見を待つが、目的の物は意外と早くに見つかった。
 根の部分を弄っていくと、高水準の黄金と見間違うかのような輝きを持つリンゴ、ゴールデンアップルが多々見つかる。
 物が無事なことにハジメは喜びの表情を見せるが、後ろに杏子が居ることに気が付くと、その表情はすぐに険しい物に変わって、杏子に向かって弓を引き矢を突き出す。

「悪いが依頼がある。君には世話になったけど、しばらく美食屋としての仕事は休業してもらうぞ」
「アンタそうやって馬鹿正直を一生続けて行くつもりか!? ヤクザ風情が約束なんてご丁寧に守るわけないだろうが!」
「だがそれでも僕は依頼人の依頼を守る!」

 話し合いが通じない状態だと判断したハジメは弓を引くが、矢が放たれるより先に杏子は矢を持ってその矢をへし折る。
 目の前に杏子の顔があるのを見て、圧倒的な戦力差を改めて感じ取ったハジメの中で心が折れる音が響き渡ると、その場にへたり込み、ゴールデンアップルを杏子に向けて差し出す。

「勝手に持っていけ! 仲間の奪還に関しては他の方法を考える」
「だから人の話を聞け!」

 苛立ちが頂点にまで達した杏子はハジメの頭を思い切り殴ると、そのまま地面に埋まる状態にさせる。
 大の字になって埋まっているハジメの首根っこを強引に持ち上げて、自分と対峙させると話を始める。

「何度も言わせんじゃねーよ! アタシはお前の妹から頼まれてんだよ、人の話ろくに聞かない馬鹿兄貴を連れ戻してこいってな!」
「だがゴールデンアップルが無くては仲間たちを返してはもらえない……」
「あくまで仲間の奪還にこだわるってか……」

 この頑なな意思の硬さを見て、このまま話し合っても堂々巡りになると踏んだ杏子は違う方向性から攻めてみようとする。

「じゃあ聞くけどさ、仮にゴールデンアップルを手に入れたとしても、それを差し出したグルメヤクザどもが大人しく仲間を返してくれると思うか?」

 もっともな正論を言われるとハジメは何も言い返せなくなってしまう。
 ヤクザと言うのは自分の持って行きやすい方向に全てを持って行く物、ゴールデンアップルを差し出したところで難癖付けて、自分たちを町から追い出すのだろう。
 だが武力行使に及んだところで現在町に潜んでいる先発隊だけを片付けることなら可能だろうが、その後すぐに本隊がやってきて自分たちのチームなど簡単に潰されるだろう。
 アンダーグラウンドな世界で生きているだけに、警察も惨事が起こってからでしか行動してくれない。
 八方塞がりの状態になっていて、それを解消するためには愚直に言うことを聞くしかないと思っていた。
 完全に言葉が詰まったハジメを見ると、杏子は話し合いが出来る状態になったと見て、ここに来るまでに考えておいたアイディアを話し出す。

「まぁそのジレンマは分からないでもないよ。だが完全に詰んだって訳じゃない。一つだけ町からヤクザを追い出す方法はあるぜ」

 杏子の案に何が何だか分からないと言った顔を浮かべるハジメ。
 大人しく自分の話を聞く気になったのを見届けると、杏子は掴んでいた手を離しハジメが自分の足で立てたのを見届けると自分のアイディアを話し出す。

「アンタらの地元で取れるのはゴールデンアップルだろ? なら商品に何の魅力も感じさせなければいいだけだ。ヤクザなんてのは現金な物だからな。引く時は一気に引くもんだぜ」
「だが偽物を出したところで、舌の肥えた組長はすぐに分かるぞ……」

 恐らくは偽のゴールデンアップルを差し出して、商品そのものに魅力を感じさせないようにさせるのだと思ったハジメは苦言を呈する。
 そんなハジメを無視して杏子はグルメディクショナリーで改めて、ゴールデンアップルに付いての情報について調べる。
 生成される場所こそベヒモスポタニアルの体内のみだが、自然と体外へ排出する場合もゴールデンアップルにはある。
 にもかかわらずゴールデンアップルにベヒモスポタニアルと同等の捕獲レベルが付いたのにはある理由がある。
 それはゴールデンアップルが特殊調理食材だからだ。
 生でも食べられることは食べられるのだが、人によっては生でゴールデンアップルを食べると甚大な副作用を発症する恐れがある。
 これを利用しない手は無いと杏子には邪悪な笑みを浮かべながらハジメに話しかける。

「まぁ任しておけ、我に策ありだ。上手く行けばアタシの任務も成功する。その時は分け前として半分はゴールデンアップルよこせよ」
「それは構わないが、何をするつもりなんだ?」
「策に関してはまずアンタをエンドに引き渡してからゆっくり話すよ。まぁ見てなってヤクザ潰すのは得意だ……」

 そう言って杏子は全てのゴールデンアップルを袋に詰めると、ゆっくりと歩き出しハジメはその後を追った。
 ふてぶてしい態度ではあるが頼りがいが感じられ、ハジメは言葉を完全に失ってしまう。
 一方の杏子は魔法少女時代の獰猛な感覚を久しぶりに思い出していた。
 仲間や兄弟の絆を引き裂き、自分の至福を肥やすためにエンドを泣かせたグルメヤクザたちを杏子は許す気になれなかった。
 久しぶりに感じる怒りと憎しみしかない自分をどうやってぶちまけようか考えながら、杏子は歩を進めていた。





本日の食材

ダンディライオン 捕獲レベル4

ベヒモスポタニアルが放出する種子。
真っ白なライオンのような姿から、ペットとして飼おうとしている人も少なくはなく、現在IGOでは家畜化として凶暴性を取り除く研究が行われている。

ベヒモスポタニアル 捕獲レベル22

体内にゴールデンアップルを生成させ、その匂いにつられてやってきた猛獣たちを捕食する獰猛な食獣植物。
捕食方法がリンゴを連想させることから、ベヒモスポタニアルと戦った美食屋の中にはトラウマでリンゴを食べられなくなったのも少なくは無い。





お久しぶりです。実は少々体調を崩して、投稿が遅れてしまいました。申し訳ありません。
次回はゴールデンアップルの完結編を書きたいと思っています。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ29 リンゴが紡いだ絆
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:aa522dd5
Date: 2013/09/22 01:24





 愚図るハジメを無視して杏子は彼をおぶさって一気に森を駆け抜ける。
 凄いスピードで森を駆け抜けて行っているため、背中におぶさっているハジメに取ってはジェットコースター並みの衝撃が肌を通じ、景色が目まぐるしく変化し、歯と歯が何度もガチガチと重なり合わさる感覚に、ハジメは僅かに残ったプライドも吹き飛びそうになっていた。
 深い森に光が刺さった瞬間を見ると杏子のスピードは一層高まり、駆け抜けるように森を後にした。
 そのスピードを保ったまま、杏子はエンドが待っているモーテルへと向かい、モーテル前に到着するとおぶさっているハジメを下ろし、受付へと向かう。
 夜が明け出した中、モーテルの受付は寝ぼけ眼を擦りがら、応対にあたろうとするが、深紅の衣装に身を包んだ目にも鮮やかな少女が息を切らせながら自分の前に立つのを見て、受付は恐れおののきながらもプロとして要件を聞く。

「いらっしゃいませ。お客様本日は?」
「ここに泊っているエンドにこう電話で伝えてくれ。『ハジメ兄貴とゴールデンアップルの捕獲に成功した』ってな」

 言われるがままに受付はエンドの部屋に電話で杏子が言った言葉を一語一句間違えずに伝えた。
 その瞬間に電話口のエンドから聞こえてきたのは、先程まで寝ていたのか、どこかとぼけた感じの声が、聞いたこともない奇声に変わり、慌てて身支度を整える音が電話口からも聞こえてくる。
 電話を切っていいのかどうか聞くため、受付は何度も「もしもし?」と聞いて、エンドに返答を求めるが、次の瞬間に聞こえてきたのは階段を駆け降りる轟音。
 何事かと思って受付が階段の方を見た時には慌てて身支度を整えたエンドの姿があった。

「それでアンコさん。兄さんは?」

 その場にハジメの姿が居ないことから、エンドは息を切らせながら杏子に聞くと、杏子は受付から水を一杯貰いながら、親指で外をさして「置いてある」とだけ言う。
 エンドが飛び出すと同時に見たのは、あぐらをかいて地べたに座っているハジメの姿だった。
 いきなり猛スピードで外に連れ出されたことから、不機嫌な顔を浮かべていたハジメだが、目の前に息を切らせて自分を涙目で見ているエンドを見ると、その顔は真剣な物に変わり、兄は立ち上がって妹の姿を見る。

「エンド……」
「兄さん!」

 暴走したことに対してどう言い訳をしようかと考えている途中で、ハジメはエンドに抱きつかれそのまま妹は兄の胸の中でさめざめと泣き続けていた。
 それは自分に心配をかけたことに対する非難、そして愛おしい兄が無事だったことに対する安堵の涙、二つの意味が込められていて、胸が涙で濡れるたびにハジメは責められている感覚に陥り、言葉が出なくなり、その場に茫然と立ち尽くしていた。

「お前の妹がお前に対して、突き離されたことに対して怒りを感じているのか、自分の身を危険にさらすことに悲しみを感じているのかは分からない……」

 そこに水を飲み終えて落ち着いて、体力が回復した杏子が割り込む。
 杏子の表情は至って冷静と言うよりは、感情が欠落したかのように冷静その物でまるで能面のような顔になっていた。
 その表情が怒りが爆発する前の静けさなのか、ハジメを見下している悪意のあるそれなのかは分からないが、圧倒されるハジメに構わず杏子は話を続ける。

「だがその涙を見ても、妹の話を聞かないようじゃ、アンタが普段から言っている子供たちの腹と夢を満たす理想なんて到底叶いっこないな。心の無い力で理想がかなうはずないだろ……」

 その言葉が誰に対して言った言葉なのかは分からない。だがハジメは思った自分だけに向けられた非難の言葉ではないと言うことを。
 泣き続けるエンドだけの時間だけが動いている状態であり、ハジメと杏子はお互いに何も言わずに固まっていた。
 朝日だけが三人を優しく照らし出していた。




 ***




 ある程度泣きじゃくり、エンドが落ち着きを取り戻したのを見ると、三人はエンドが泊っている部屋へと集まり、これからのことに関してのミーティングを行おうとしていた。
 ハジメは森の中で言っていた杏子に案に乗っかろうとしていて、その方向で話し合おうと最初にハジメが口を開く。

「約束するよ。もう僕は逃げたりしない、グルメヤクザとも真っ向から戦ってみせる!」

 決意表明のように高らかと叫ぶハジメに対しても、杏子は遅めの朝食を食べながら気の無い感じで「オウ」とだけ応えて適当にあしらう。
 別人だとは分かっていても、やはり好きにはなれないのだろう。杏子は極力エンドの方を見ながら話を進めようと、グルメディクショナリーを開きながら、手に入れたゴールデンアップルを片手に語り出す。

「今のところこいつを一番安全に食べられる方法はアップルパイでの食べ方が一般的とされていて、その中でも『羽小麦』(はねこむぎ)だけで作った生地でしか毒素を完全に封じ込めることは出来ない」

 羽小麦は高級な食材ではあるが、現在では人工栽培も可能であり、一時期よりは安価な食材として市場に流通している食材。
 用心深いグルメヤクザのことだろう。羽小麦ぐらいは事前に用意していて、自分たちが持ちこめるのはせいぜいゴールデンアップルぐらいだろうし、そこに何かの細工を加えれば即座に仲間たちも自分たちの命も危ういことになるだろうと言うのは、兄妹二人には容易に想像できた。
 沈んだ顔を浮かべる兄妹に対して、杏子は邪悪な笑みを浮かべながら、二人を呼び寄せて耳打ちをすると自分の案を伝えた。
 確かに杏子の案ならばグルメヤクザ達は自分から身を引くだろう。
 だがそれを行うためには高い調理技術を持った料理人が必要だ。今度はその事に付いて話し合おうと杏子は一番気になっていたことを聞く。

「そんな深刻な顔しないでもお前らのチームにも料理人ぐらい居るだろ? そいつに頼んでこの作戦をだな……」
「居ない……」

 蚊の鳴くようなハジメの声に調子に乗った状態で語っていた杏子の口が止まる。
 口ごもったハジメに変わってエンドが代わりに詳細を話し出そうとする。

「家のチームは決まった料理人と言うのを持ってないんです。そこまで手が回らなくて、大体はその土地で一番の料理人さんに調理の方は任せているんです」
「な……ふざけんな!」

 料理人の重要性が美食屋に取ってどれほど重要なのか分かっている杏子は、思わずエンドを相手に怒鳴り散らしてしまう。
 この作戦には料理人の存在は必須。エンドからの話を聞く限り、結構な高ベルの食材を捕獲しているので、それを調理する料理人のレベルも相当な物だと思っていたので、この作戦の実行に不可欠の料理人の存在が皆無ということを知り、思わず杏子は歯ぎしりをしてしまい、頭を抱えてしまうが、その瞬間に思い浮かんだのは自分に料理人の重要性を教えてくれた一人の料理人。
 ハニーストロベリーの捕獲の後、何かの縁だと思って携帯番号を交換しあって正解だと判断した杏子は携帯を操作して一人の料理人に電話をかける。
 数回のコールの後に電話に出たのは一人の料理人。

「ハイ……」
「ああもしもしダブルか? アタシだアンコだ、早速だけど話がある」

 若干声色から元気が無いのを感じられたが、そんなダブルに構わず杏子は話を進めて行く、強引すぎる杏子に怯えもしたがエンドはその行動力の高さと自分をここまで思ってくれていることに感謝をしていて、ハジメは杏子の名前を聞いて驚いた顔を浮かべてエンドの方を向いて話しかける。

「なぁアンコって本当なのか? あの美食四天王トリコの継承者じゃないか!?」
「え? そうなの?」
「お前も美食屋の世界に身を置くなら、それぐらい覚えておけよ!」

 無頓着なエンドにハジメは怒鳴りつけ、エンドは小さく身を縮こませてしまう。
 個性的なコスチュームで突然現れ、幾多の捕獲が困難な食材を捕獲して数カ月もしない内に一流の美食屋の仲間入りを果たした杏子の噂は瞬く間に広がり、彼女の素性に付いても調べる人は少なくなかった。
 その結果とんでもないことが分かった。
 活動を始めたのが、この世界に取って多いなる損失とも言える美食四天王トリコが逝った時と同時期であり、調べた結果、詳しい出生の事までは分からなかったが、成り行きからトリコの元で修業を積み、彼の死後、彼のグルメ細胞を移植してからは、ゼブラと対決して生き延び、その後は同じく美食四天王ココの下で修業を積んだ逸材だと知ると、水面下ではその美貌も手伝って、一気にトリコの抜けた穴を埋めてもらおうとフューチャーしそうになった。
 だが杏子本来の攻撃的な性格と、魔法少女時代に培った隠れることの上手さから、騒ぎはすぐに鎮静化し、今では知る人ぞ知る一流の美食屋として水面下で活動している杏子。
 それでもなお、そのネームバリューから一目置かれる存在となっていた。
 有名人となっている杏子を知らない物知らずな妹を兄は叱るが、そんな二人をうっとうしいと思いながらも、杏子はダブルに自分の作戦を実行してもらえないかと頼むが、ダブルは自分の悩みもあり、答えを出し渋っていた。

「話は分かりました。それで場所は……」

 初めは悩んでいたが、杏子の勢いに負けたダブルはしぶしぶ了承し、明日には到着できるとだけ告げると、詳細を杏子から聞くと、最後に報酬の話になる。

「それで一応は僕もプロですので、危険な仕事に対しての報酬の話になるのですが……」

 食いついたのを見て、杏子の中で名案が生まれる。
 話を聞くとダブルは自分の店を持とうと、今はあちこちの土地を見定めている状態なのだが、中々自分に見合った食材が調達できる土地が見当たらず、加えて自分が用意してもらいたいレベルの食材を捕獲出来る美食屋も見当たらずに困り果てていた。
 それならばと杏子は一旦電話を置いて、ハジメからエンドを引き離して話し出す。

「一つ気が変わった。応酬を追加させてもらう」
「何を……」
「この件が全て成功し、お前らの町からヤクザを追い出せたのなら、お前らはアタシが指名する料理人ダブルとコンビを組んでもらう」

 突然の難題にエンドは言葉を完全に失い。黙ってハジメの方を向いた。
 美食屋に取って料理人とコンビを組むと言うのは一生物の問題。
 話を聞く限りダブルの腕は相当な物であると言うのは分かるが、それをそんな簡単に決めていいのかとエンドは全ての判断をハジメに委ねることに決めたが、ハジメは黙って首を縦に振った。

「兄さん?」
「どっちみち、僕達はアンコの博打に乗るしかないんだ。出来る出来ないじゃない。やるしかないんだよ。もう進み続けるしかないんだ……」

 杏子の正体を知ると、ハジメは従うしかないと踏んだ。
 この世界は所詮は弱肉強食、強い相手に下手に噛みついたところで潰されるのがオチ。
 そんなことを杏子がしないことは分かっているのだが、ここは素直に従わなければ再び悲劇を繰り返してしまうことになる。
 ダメならダメで別れればいいとダブルの件に関しては思っていて、話が付いたのを見ると杏子はこの件をダブルに伝え、ダブルも試しにと言うのを条件にして話が付き、全ては明日に持ち越しへとなった。
 全ての件が終わったのを見ると、杏子はエンドのベッドを借りて寝ようとしていた。

「ハジメ兄貴よ聞き分けがいいのは正解だぜ。こっちも出来る限りのことはするが、最終的にテメェの道を決めるのはテメェだからな。全ては明日だ。それまで寝るから起こすな」

 言いたいことだけを言うと杏子は疲れがドッと出たのか、そのまま静かに寝息を立てた。
 二人きりになった兄妹は感動の再会にもかかわらず何を放していいのか分からず、固まってしまうばかりであり部屋にはただ杏子の寝息だけが響いていた。




 ***




 翌日、指定されたコテージの前に立っていたコック服に身を包んだダブル。
 到着したことを電話で杏子に告げると、杏子は兄妹を引き連れてコテージから出てくる。
 そして改めて作戦の内容に付いて話し合う。
 最終的な目的はこの街に根付いているグルメヤクザの完全な駆逐。
 その為の作戦として杏子のそれは完璧な物であり、それを実行できるのは現段階ではダブルだけだと判断して、話を改めて聞きこれならばとダブルも同意して早速行動に移そうとする。
 早速ハジメはグルメヤクザの組長に電話をかけて、ゴールデンアップルの捕獲に成功したことを告げると、組長はすぐに事務所まで来いと言って電話は切れた。
 最終的な打ち合わせをしている中で、杏子はダブルに話しかける。

「それでどうだ? こいつらとはいいコンビになれそうか?」
「データを見る限りでは、この土地は僕のスイーツに求めている食材が取れやすい環境ですし、彼らの実力も十分水準だと思います。後は……」
「ああ分かった、分かった。無理矢理にとは言わないよ。人となりに関してはこれから見てやってくれ」

 やはり一番の問題は人間関係に付いてであり、そこで上手くやっていけるかどうかをダブルも兄妹も不安に思っていた。
 その辺りは付きあって行く内に何とかなるだろうとあっけらかんとした考え方を杏子は持っていた。
 自分たちのように絶望しかない関係ではないと信じていたから。




 ***




 そうこうしている内に事務所に到着すると、早速玄関で待っていた下っ端のヤクザ達がゴールデンアップルを捕獲できたかどうかを確認する。
 木箱の中に入っているゴールデンアップルを見届けると、次にそれが本物かどうかを確かめるため簡易の測定器を持って見定めると一切の細工が無い本物だと判断できる。
 続いて危険物を持っていないかどうか、簡素なボディチェックが行われ、調理器具を持っているダブル以外はOKだと判断されて、そのまま通される。

「ちょ……調理器具が無いと料理できませんよ……」

 ヤクザの威圧感に怯えながらも、ダブルは必死に抵抗するが、代わりに用意されたのは銀色に光り輝く最高級の調理器具の数々だった。

「家の親父はリンゴに目が無くてね。これなら調理は可能だろ?」

 脅すような言い方にダブルはただ「ハイ」としか言えず、安全が確認できると四人は事務所へと通された。
 三人はこの徹底した管理に驚いていたが、杏子に取っては予想通りであり、あくび交じりに狭い階段を上る。
 魔法少女時代振り込み詐欺を生業としていた暴力団を潰した経験など何度もある杏子に取って、ヤクザなどATM代わりの存在でしかなく緊張感など微塵にも存在しなかった。
 そうこうしている内に事務所へと到着すると、そこには目の前でゴールデンアップルを調理するための調理場とアップルパイを作るために必要な大量の羽小麦が用意されていて、逃げられないことが分かった。
 ダブルは怯えながらも用意された調理器具と羽小麦を見て、これなら極上のアップルパイが作れると判断するが、ハジメは組長と向かい合うと本来の目的に付いて話し合う。

「約束通りゴールデンアップルは用意したんだ。幽閉している仲間を皆を返してくれ!」
「まぁ食べてからゆっくりと話すよ……」

 適当にはぐらかされると、組長とその一同はゴールデンアップルを唯一安全に食べられる方法、羽小麦を使ってのアップルパイが作られるのを見守っていた。
 これは作る過程を見て楽しむのに加え、何かよからぬことをしていないかと監視の二重の意味も含まれていて、ダブルの作業はスイーツ作りを専門に扱っているため、手際がよく見ていて飽きない物であった。
 全ての作業を終えて、オーブンにアップルパイの原型となる生地を入れると、時計を片手に時間を告げる。

「後は一時間ほど待ってもらえれば出来上がりますので」
「分かった……」

 短くそう言うと組長はオーブンを組員たちに持ってこさせて管理させた。
 徹底した管理ぶりと自分の考えが甘かったことにハジメは歯ぎしりをして悔しがるが、その肩に置かれたのは妹の物とは違う女の手。
 振り返ってみると真剣な顔をした杏子が小声で呟くように語り出す。

「これで分かっただろ。こういう連中ってのはどこまでも卑怯で傲慢な奴らだって、正攻法では100%奪還は望めない。それならまともじゃない方法を使うだけだ」
「まるで自分がかつてこう言った事例に屈服した被害者みたいな言い方だな」

 悔しさをぶつけるようにハジメは杏子に言い放つ。
 思いもよらない反撃に杏子は思わず面食らった顔を浮かべるが、すぐにヤクザ達の方を見て誤魔化すことにした。
 全ての準備は整った。これから先ヤクザ達を待っているのは絶望だけだと知っていたから。




 ***




 一時間が経過しテーブルの前に並べられたのは極上の金色に輝くアップルパイの数々。
 ゴールデンアップルがあってこそだが、これを調理したダブルの腕があって初めて成立する一品だった。
 切り分けると早速ヤクザ達はアップルパイに貪りつき、その美味に酔いしれていた。
 噛めば噛むほど喉をリンゴの甘酸っぱさが通り抜け、脳髄に直接幸せが感じる感覚は麻薬にも等しいレベルであり、それに加えてパイのサクサクとした食感も楽しみの一つとなっている。
 その表情を見れば満足できる水準だと判断したハジメは最後の交渉にと一歩前に踏み出して組長に語りかける。

「これで満足しただろ。仲間を返してくれ!」
「何か勘違いをしていないか?」

 その口調から次に放たれる言葉は分かるが、組長は下衆な笑みを浮かべながら話し出す。

「俺はゴールデンアップルの捕獲に成功すれば、仲間の奪還を考えてやると言っただけだぞ。誰も成功したから即効で返すとは一言も言っていない、そっちの早合点だろうが」
「そんな!」
「まぁ次も捕獲できるなら考えてはやるよ。『考えて』だけどな!」

 それは事実上自分たちの手足となって一生奴隷として働けと言う宣言のような物。
 握った拳を握りしめて、憎しみに満ちた目で睨むとハジメは組長に指さして堂々と言い放つ。

「お前らは報いを必ず受けるぞ!」
「負け犬の遠吠えだな……うっ!」

 ハジメに構わずアップルパイを食べ続けていた組長に異変が起こった。
 突然謎の腹痛が襲い、持っていたアップルパイを地面に落してしまいそうになるが、食欲だけが打ち勝ち辛うじて持つが、それでも体の方は耐えられずくの字になって地面へと落ちてしまう。
 それは他の組員たちも同じことであり、全員が腹痛を訴えて倒れ込んだ。
 チェックは完璧であり、何か仕込む要素はどこにも無かったはずなのにどうしてこうなったのか分からず、組員たちと組長は苦しむが保護を施したとしてもゴールデンアップルにあたってしまうのは仕方がないこと、だがこんなこともあろうかとそのための対抗策も万全に取ってある組長は薬箱から血清を取り出すと、自分に注射をする。

「これで数分もすれば、この腹痛も治ま……らぁ!」

 血清を打ったにも関わらず、腹痛は治まるどころか悪くなる一方であり、組員たちは我先にトイレへと駆け込んで、トイレの前では壮絶な修羅場が繰り広げられている状態となっていた。
 面子を売りとしているヤクザがトイレを借りるなんて真似が出来るわけがない。
 組長は面子から腹を押さえながら必死で腹痛と戦っていたが、その様子をまるで虫でも見るような目で冷ややかに杏子は見つめ交渉を始めた。

「これで分かっただろ。お前はゴールデンアップルに選ばれなかった人間なんだよ。保護された状態でこれなんだから、次は間違いなく命だって落とす可能性もあるぜ」
「ぐぬぬぬ……」

 もっともな正論に何も言い返すことが出来ず、おまけに今目の前に居るのは新進気鋭の美食屋アンコ。
 下手なことをすれば例え本部を動かしたとしても勝てるかどうか分からない存在。
 ヤクザが一人の年端もいかない女の子に潰されたとあっては、それこそ面子にかかわる問題。
 この地にとどまり続けている限り、この女は自分たちを地の果てまで追い詰めるだろうと判断した組長は一つの判断を下す。

「分かった。もうこの地からは手を引く、仲間も返す。だから、この件に関しては口外無用にしてくれ、そして助けてくれ……」

 そう言うと組長は金庫に保管してあった仲間たちを拉致監禁している倉庫の場所と、鍵の暗証番号が書かれたメモを杏子に手渡す。
 その厳重性からこれが本物だと判断した杏子は先に兄妹を向かわせる。
 未だに呆けているダブルに構わず、杏子は屈んで相変わらずの見下した目を浮かべながら組長に応対をする。

「最後に一言だけ言っておいてやるよ。死ね!」

 憎しみが籠った言葉と共に杏子は勢いを付けて思い切り組長の腹を蹴りあげる。
 大の大人が吹っ飛んで行く光景にダブルは目を丸くして見ていたが、すぐに地面へと落下して轟音が響き渡ると杏子はダブルの手を取ってその場を後にしていく。

「あ、あのアンコさん?」
「仕込んだお前がよく分かっているだろ。下剤がたっぷりと入ったアップルパイ食べた状態で腹を思いっきり蹴飛ばされれば、あそこは地獄絵図になるってことぐらい」

 そこから悲痛な泣きじゃくるような叫びが聞こえたことから、そこがどういうことになっているのか容易に想像できてしまい、ダブルは青ざめた状態のまま杏子に身を任せてその場を後にした。




 ***




 杏子の脚力であっという間に事務所から遠ざかって行き、完全にヤクザ達がその場から居なくなったのを見て、杏子は優しげな笑みを浮かべながらダブルを労う。

「だがさすがだ。ボディチェックは完璧だったが、さすがに手のひらに予め液状として仕込んでおいた下剤にまでは気付けないからな」

 作戦が無事に成功したことを喜ぶ杏子。ダブルもまた無茶な作戦が上手く行ったことに安堵の表情を浮かべていた。
 チェックだけなら免れるだろうが、食べた瞬間に違和感を感じて自分たちが疑われないかと踏んでいたからだ。
 それを誤魔化すためにも絶妙な配合で下剤の味を完全に打ち消して、ゴールデンアップルの旨みのみを最大限に引き出す調理法はダブルにしか出来ない物であった。
 これで全ては終わっただろうと踏んだ杏子の中に安堵感が広がっていき、一息つこうとポケットの中に放り込んでいたゴールデンアップルを取り出すと食べようとするが、そこに騒がしい数人の声が広がって行く。

「アンコさん、ありがとうございます。おかげで皆を助けられました」

 エンドは泣きながら杏子に感謝の言葉を述べる。
 そこにはハジメを含めて合計で10人のメンバーが出揃っていて、ここまでずっとブスっとした顔を浮かべていたハジメも初めて笑顔を浮かべて全員での帰還を喜んでいた。
 杏子はその様子を改めてダブルに見せて、コンビを組むかどうかを改めて確認させる。

「どうだい、あのチームを見て?」
「ハイ! とてもいいチームだと思います!」

 杏子に促され、ダブルはこの地で店を持ち、ハジメ達のチームとやっていく決心を固めて皆の輪の中にと入って行った。
 無事に大団円で事が済み、杏子は別人とは分かっているのだが、エンドの幸せそうな笑顔を見て、その姿にさやかを思い浮かべる。
 結局元の世界では彼女の心を引っかき回すばかりで、何も出来なかった自分。
 だがそれでも救いたいと言う気持ちだけは本物だった。
 自分の中で心に絶望感が広がっていき、オフィーリアがまた何かをつぶやいているような感覚に陥って、杏子に中で醜い欲望が広がっていく。
 元より自分本位な性格が出たのだろう。エンドを自分の元に呼び寄せると杏子は最後の応酬を求めようとする。

「更に気が変わった。もう一つ応酬を貰いたい」
「そう言う金銭面の問題に関しては兄を通じてもらわないと……」
「いやお前じゃなくちゃダメなんだ。実はな……」

 直接言うのが照れくさいのか、帰る直前になって杏子はエンドに向かって耳打ちをして、応酬を求めた。
 何のことか分からないエンドだったが、メモに取って求めている言葉を一語一句丁寧に覚えるとチームの皆が一緒に帰ろうと求めている中、皆の輪に戻ろうとする直前、最後に一言言う。

「杏子は私に取って最高の友達だったよ。ありがとうね杏子」

 それは結局友達と言う関係になれなかったさやかをエンドに置き換えての滑稽な行為だと言うことは分かる。
 だがそれでも結局最後まで名前すらまともに呼んでもらえなかった杏子に取っては十分すぎる応酬であり、感情を抑えることが出来ずに杏子はその場に崩れ落ちた。
 そして涙で地面が濡れる。
 今だからこそ分かる。この世界に来たのは自分への贖罪のためにここへ来たのだと。
 自分は家族を殺したと言う罪悪感を言い訳に、生きると言う大義名分の名の元に好き勝手やって生きてきた。
 そんな人間が最も苦しむ手段、それはまともさと言う物を取り戻すこと。
 まともさを取り戻せば、狂っていた瞬間が自分に取って最も苦しめられる瞬間となり、その罪は永遠に消えない物になる。
 今になって杏子は思い知らされていた。元の世界でさやかにしてきた行動の数々が、彼女を傷つけるだけの行為だと言うことに。

「嫌われて当然だよな……ゴメン、ゴメンよ、さやか……」

 だがどんなに謝ってもさやかは遠いところに居る。
 自分に出来る精一杯の贖罪をこれからも行おうと心に決め、杏子は涙を拭うとゴールデンアップルを手に取って、自分の家へと帰って行く。
 やるべきことをやるために。




 ***




 ゴールデンアップルの捕獲が終わり、トリコの墓前の前には大量のゴールデンアップルが置かれていた。
 その前で手を合わせる杏子は彼女と共にあるさやかに向かって語りかける。

「今度は食べてくれるよな? 真っ当な手段で手に入れたリンゴだからさ……」

 思い出すのは元の世界でのさやかと繰り広げたリンゴに関する一件。
 思い起こすたびに自己嫌悪に陥ってしまい、何とも言えない気持ちになってしまう。
 そんな自分を弁明する訳ではないが、杏子は今の想いをしっかりと伝える。

「散々お前に対して無神経なことしてきたアタシだからよ。魔女の状態の時みたいに意識の無い状態でボコボコにしたところで気が済まないのは分かるよ。でもアタシはまだお前やトリコのところには行くわけにはいかない」

 そう言うとゴールデンアップルの周りに油紙を巻き、ライターで火を灯して高温で一気に焼き飛ばす。
 あっという間に昇華していったゴールデンアップルを見届けると、最後に一言決意表明のように語る。

「友達になってくれなんて無神経なことは言わないよ。お前は死人でアタシは生きている人間だ。世界が違う以上、その世界で生きることしかアタシ達には出来ないんだからな。だからせめて見守っていてくれ」

 それだけを言うと杏子は依頼をこなすため、その場を後にしようとしていた。
 依頼は凶暴な猛獣ばかりであり、それまでサボっていた分を取り戻そうと、実戦での直観を鍛えるため、杏子は走り出した。
 供物だけが自分とさやかを繋げる唯一の道だと信じていたから。




 ***




 雲で形成された地面から、トリコは杏子の様子を見届けるとスッキリした顔を浮かべながら、黙って首を縦に振った。
 GTロボとの遭遇により、本当の恐怖を知った杏子はこのままダメになってしまうのではないかとも思ったが、本来の目的を取り戻した杏子はもう大丈夫だろうと踏んでトリコはさやかの元に戻る。
 思っていた通り、金色のリンゴを抱えていたさやかはさめざめと泣いていた。
 自分はとっくに杏子を許していた。いや許すどころか感謝さえしていたのに、その想いが伝わらず、その想いが伝わらずに結局杏子を苦しめているだけの行動の数々に自己嫌悪して泣いていた。
 そんな彼女の隣に座ると、トリコは泣いているさやかの頭に手を置いて撫でた。

「泣くな。お前がそんなんじゃ、アンコは苦しむだけだぞ」

 トリコの問いかけに対しても、さやかは泣きながら首を横に振るだけであって、答えようとはしなかった。
 自己嫌悪が最高潮にまで達したのか、さやかはこれまで自分が杏子にしてきた行為を思い出し、それをトリコに伝えた。

「私は結局杏子とまともに取り合おうとしなかった。魔法少女って物に正義感だけを求めて、杏子とまともに向き合おうともしなかった。私のために頑張ってくれたにも関わらず……」
「だから言っていただろ。オレたちに出来ることなんて、アイツを見守ってやることだけだ。だから食え!」

 そう言うとトリコは一つゴールデンアップルを持ち、ナイフの形状に手を変えると器用に一気に皮を剥く。
 皮一つ無い状態になったリンゴをその手に持たせると、続いてさやかが持っていたゴールデンアップルも取り上げ、同じように皮を剥く。

「死んだオレたちがいうのも妙な話だけどな。アイツが求めているのはオレたちに見守ってもらいたいってことだけだ。それなら望み通り見守ってやろうじゃないかよ、そのためにもメシ食って力付けないとな」

 そう言うとトリコはゴールデンアップルにむしゃぶりつき、グルメ天国全体に響き渡るかのような大声で「うめー!」と叫んだ。
 その様子を見て苦笑しながらも、さやかは下界の杏子の様子を見る。
 ゴールデンアップルは杏子のグルメ細胞に適した食材であり、細胞のレベルアップに成功し、恐怖を克服した杏子はこれまでよりもレベルの高い狩りに挑戦していて、『エレファントサウルス』を相手に戦おうとしていた。
 さやかはゴールデンアップルを食べながら、エレファントサウルス相手に突っ込もうとしてはいるがタイミングが合わずに、じり貧になっている杏子に向かって一言エールを送った。

「がんばって……」

 そう言ってさやかもまた杏子が自分のために用意しくれたゴールデンアップルを食べた。
 それは初めてマイナスな要因の無い二人だけの会話かもしれない、エールが届いたかどうかは分からないが、杏子は僅かな隙を付いてエレファントサウルスに猛攻を仕掛けて、ペースを掴もうとしていた。
 その様子をトリコとさやかは何も言わずに見守っていた。
 それが杏子の願いだと知っていたから。





本日の食材

羽小麦 捕獲ベル1以下

どんな物でも優しく包み込む小麦粉。
好き嫌いの多い子供も羽小麦で包まれたクレープならば食べると言われている。甘みが多い優しい食材。

エレファントサウルス 捕獲レベル17

象のような胴体で、象の鼻部分が頭部になっている恐竜。その見た目に騙されて襲いかかる肉食獣を逆に捕食する。
牙は装飾品として高値で取引され、中でもエレファントサウルスの牙の印鑑は運気が上がる幸運アイテムとして珍重されている。





と言う訳で今回でゴールデンアップルの話は完結となります。
次はまた別の狩りの話になり、今度は原作のキャラクターと杏子が絡むことになります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。



[32760] グルメ30 絹鳥とグルメ騎士
Name: 天海月斗◆93cbb5bf ID:c26d89f2
Date: 2013/09/29 00:43





 ゴールデンアップルの捕獲から数カ月の時が流れた。
 この日杏子はサニーに呼び出されておしゃれなオープンテラスのカフェへと向かっていた。
 携帯電話としての機能も搭載しているグルメディクショナリーにメールと一緒に添付された地図を頼りに向かっていると、既にサニーは到着していてこちらに向かって手を振っていた。
 テーブルの上を見ると、この間杏子が発見した新食材『金剛小豆』を使ったスイーツが二人分用意されていて、サニーに促されると杏子は席に付き、トリコから受け継いだ食べる前の挨拶を行って、二人は目の前のまるでステーキのような分厚さのケーキを食べだす。

「しかし、この金剛小豆か……中々に美しい食材だ。いい食材を見つけたなアンコ」

 金剛小豆はその名の通り、ダイヤモンド張りの硬度を持った小豆であり、一目見ただけではそれを食材と判断するのは不可能な上、調理を施しても食べるのに苦労する食材。
 だが美容効果は抜群であり、食べれば筋肉の発達と共に、肌も艶々になって若返りの効果があり、骨も丈夫になる。
 苦労する分、得られる応酬も相当な物であり、サニーはその分かりやすさが気に入ったのか贔屓にしている食材の一つとなっていて、ステーキを食べるかのようにナイフとフォークで切り分けながら、食べる際も細かく砕いてうっかり歯が持って行かれないように気を付けながら食べる。
 傍から見ている分には羊羹をバラバラにして食べているようにしか見えないが、食べている本人たちからすれば、そこそこ気を付けなければいけない食材を慎重に扱っている行為。
 アンバランスさを妙だと感じながらも、杏子はサニーの呼び出しの内容に付いて問いだす。

「んで何の用だ? わざわざ、おべんちゃらを言いにこんなところまで呼び出したわけじゃねーだろ?」

 その口調はふてぶてしいながらも自信に満ち溢れた物であり、サニーがよく知るいつも通りの杏子。
 ココの話では一時期はGTロボとの遭遇で恐怖を植え付けられて、その恐怖の前に屈服するのではないのかと思っていたが、見事に乗り越えたことを嬉しく思いながらも、サニーは本来の目的を話すため、懐から一枚の紙を取り出して杏子に手渡す。
 それは食材の捕獲依頼の詳細が書かれた書類であり、仕事のこととなって杏子はファイルを開いて書類に目を通す。
 この真剣な眼差しを見て、ココの元を離れてから一年が過ぎようとしているが、自分なりに立派な美食屋としての道を歩んでいるのだとサニーは確信した。
 見知った顔の成長を嬉しく思っているサニーに構わず、杏子は目を通していき、内容を見ると険しい表情に変わる。

「『絹鳥』の卵か……今のアタシで通用するかな……」

 食材に関しての知識も昔に比べれば比べ物にならないぐらい成長しており、絹鳥の名を聞いた途端、杏子は受けようか受けまいかを悩んでいた。
 絹鳥の捕獲レベルは40と現在のサニーでも勝てるかどうか微妙な値のグルメモンスター。
 だが絹鳥の食材としての魅力は決して絹鳥本体には無い、本体はボソボソとした口当たりの悪い味わいであり、市販の鳥のささみを更に食べにくくして味も栄養価もほとんどない代物。
 だがそれでも多くの美食家たちが絹鳥をこぞって求める理由。それは絹鳥が生み出す卵。
 卵はシャボン玉のように脆く割れやすいので、捕獲レベルも絹鳥同様に40の相当な繊細さを要求される食材。
 だが故に味の方は最高級の物であり、一度食べれば天にも昇るようなフワフワの食感が体中を包み込み、その高揚感は食後もしばらくは続く代物。
 一度でいいから地上最高のオムレツを食してみたいと、たまに絹鳥の目撃情報があれば多くの美食家たちは美食屋に依頼をして絹鳥の卵の捕獲を望んでいる。
 今回も絹鳥が近くに巣を作っているのを発見したため、大手のエステ会社の社長が美容効果も抜群の絹鳥の卵を求めてサニーに依頼をしたのだが、彼はこれを杏子に託そうとしていた。

 だが杏子はエステ会社の社長の容姿と求める理由を見た途端、不機嫌な表情に変わり乱暴にジュースを飲みながら一応は詳細を見る。
 彼女の容姿はエステ会社の社長にもかかわらず、醜く肥え太った豚を連想させるほど脂肪の塊で形成されていて、絹鳥の卵を求める理由も自分の美を更に完璧な物へと追求するため。
 自分を見極めていない物を杏子は嫌う。
 だからこそ新人のさやかに好き勝手されたことに腹が立って、あんな結末になってしまったのだ。
 だが今回の相手はさやかのように遠慮する必要はない、純粋なる悪。
 断ろうとも思ったのだが、その前にどうしても確かめたいことがあり、杏子は恐る恐る気になっていることをサニーに聞く。

「それで……美味いのか? 絹鳥の卵ってのは?」

 気にはなっていたのは未知への食材の好奇心だった。
 個人的に依頼主は気に入らなくても、どうしても味への好奇心が優先され、仕事を受けると言うケースが杏子は少なくはなかった。
 だがその際依頼された食材を全て食べてしまって、依頼が失敗に終わってしまい、この辺りの悪いところもトリコの部分を受け継いでしまったのかとサニーは苦笑する部分もあったが、杏子がやる気を出したのは素晴らしいことだと思い、当時自分が食べた思い出を語り出す。
 食べた瞬間に砂糖も使っていなのに、それがたっぷりと使われたような甘みが口一杯に広がっていき、口全体を雲が覆っているような感覚は天にも昇るような気分になれる代物。
 どんな物か食べてみたいと本能的に感じた杏子は喉が鳴る感覚を覚え、書類を握る手が力強くなっていくと書類に自分がこの任務に置いて何らかの障害を負ったとしても、東方は一切の責任を問わないと言う美食屋において常識とされる契約にサインをした。
 最後に実効日がいつなのかを確かめようとすると杏子は驚愕する。
 翌日には早速美食屋たちが招集され、巣へと向かおうと言うのだ。
 こっちにも色々と都合があると言うのにあまりに急すぎる話に杏子は文句の一つでも言おうとしたのだが、この辺りの理不尽さはトリコに振り回されることで慣れている。
 何よりも今回の依頼は自分が絹鳥の卵を食べたいから受けたいと願ったもの。
 自分のためなのだから多少の無茶は覚悟せねばならないと渋々この急な仕事を受け入れ、そのままメールでモリ爺に了承のメールを送ろうとしたが、その瞬間サニーにグルメディクショナリーを杏子は奪われてしまう。

「何すんだよ?」

 仕事を受ける気だった杏子からすれば、この横槍は腹が立つ物であり、サニーを厳しい目で睨む。
 だがサニーはそんな杏子の眼圧にも怯むことなく、真剣な顔を浮かべるとゆっくりと話し出す。

「アンコ、お前が依頼を受けるのは自由だ。だが美意識と言うのを失えば人間など獣と大差ない。それは分かるな?」
「ああ……」

 短い言葉だったが、それで思い浮かんだのは魔女になったさやかの事。
 未だに乗り越えきれない強いトラウマが脳裏を襲うが、そんな杏子に構わずサニーは話を進める。

「故に条件を出させてもらおう。それがクリアできなければ今後、俺とココはお前のバックアップから身を引かせてもらう!」
「分かった。何をすればよくて、何をしちゃダメなんだ?」

 こう言う物はハッキリと言ってもらいたい杏子に取っては早急に条件を求めた。
 潔い杏子を見ると、サニーは条件を語り出す。

「一つは絹鳥その物の捕獲は絶対に禁止だ。絹鳥は数が少なくなっている絶滅危惧種だし、飼いならして無理矢理卵を生み出そうとしているキショイ連中も居るからな。もう一つは……」

 まだ全ての資料を読み終えていない杏子に対して、サニーは手で読むように指示を送る。
 促されて杏子が読みだすと注意事項と言う物があった。
 先程サニーも言った通り、絹鳥は絶滅危惧種に認定されている。
 にもかかわらず雛が中で眠っている有精卵すら食べだす輩まで居るのだ。
 まるごと雛鳥を食べると言う狂気染みた行為に杏子は背筋にゾッと冷たい物を感じていたが、その問題を読み終えた杏子を見るとサニーはもう一つの条件を語り出す。

「もう一つはお前にもプライドはあるだろうが、有精卵しかなかった場合、この一件からは手を引け」
「見損なうな! 当たり前だ!」

 サニーが話している途中でも杏子は激怒し、立ち上がって彼を睨みながらまくし立てるように叫び続ける。

「お袋からガキを好きで奪うほど腐ってたまるか!」

 本当はまだ言いたかったが、これ以上言うと自分の苦い思い出に触れてしまう所がある。
 さやかには食物連鎖の一種だと言い放ったが、人間が人間を見捨てる行為に対して杏子が罪悪感を感じていないわけではなかった。
 それを誤魔化すためにより攻撃的になっていく性格を止めることが出来ずに、さやかと対峙してしまった。
 その悲劇を繰り返さないためにも、杏子は固く決意を固めていた。
 魔法少女としてではなく、美食屋としてこの狩りに望むことを。




 ***




 今回絹鳥が巣に選んだのは、モリ爺が居るヘビーロッジの裏山だった。
 だが裏山と呼ぶにはその山はあまりにも強大であり、杏子に取ってはまるで世界遺産クラスの山であったが、この世界は何もかもが規格外に大きいことはなれている。
 エステ社長が発する、うわべだけの激励の言葉を無視して杏子は早速現地へと向かおうとしたが、その時他の美食屋に声を掛けられて止められる。
 見ると既にチームが出来上がっていて、どうやら難易度の高い絹鳥の卵の捕獲をより確実な物にするため、急遽チームを組んで狩りに挑もうとしていた。

「なぁアンタもどうだ? 分け前は減るけどここは確実にチームワークで攻めてみないか?」
「気持ちだけ受け取っておく。その場しのぎでやったところでろくな結果は生まれないぞ」

 そう言うと肩に置かれた手を振りほどいて、杏子は頂上に巣を作っていると思われる絹鳥の元へ最短ルートで突破する方法を選んだ。
 歩いているさなか、思っていたのはほむらの存在。
 結局彼女はまどか以外全てがどうでもいい存在なのかと思うと、胸に苛立った物を感じ、そのイライラを誤魔化すかのように杏子は歩を進めた。
 付きあいの悪い杏子に美食屋たちは苦い表情を浮かべていたが、先程杏子に声をかけた美食屋とは別の美食屋が同じように単独で最短ルートで頂上を目指した美食屋のことを語り出す。

「またとんでもない自惚れ屋だな。どんな奴だ?」
「詳しくは分からないが、格好と顔に施したメイクからグルメ騎士だと思うわ。だが、それでも絹鳥は厳しいんじゃないか一人じゃ……」

 グルメ騎士の武勇伝は美食屋たちもよく知っていた。
 少数精鋭ではあるが、グルメ教の教えを守る存在。
 その崇高な理念ゆえに個々の実力も高い物であり、滅多に表舞台には姿を現さない彼らが一人とは言え、こんな俗な依頼を受けるのが信じられず、美食屋たちは少しの間どよめいていたが、いつまでも他人の心配ばかりもしていられない。
 自分たちは自分たちの出来ることをやろうと急遽作られたチームたちも出発した。
 全員が居なくなったのを見ると、エステ社長は下品にげっぷをしながら大型キャンピングカーへと乗り込み、キングサイズのベッドで昼寝をした。
 車の中からでも響くいびきを聞いて、モリ爺は不愉快そうに舌打ちをした。
 本来ならばこんな依頼を受けて仲介に回るのも嫌だが、モリ爺にも生活があるため、仕方なく受け回った。
 その事を申し訳ないとは思っていたが、一つ希望もあった。
 こんな仕事を受け入れてくれる若い存在二つ。この二つは次世代の希望になるとモリ爺は信じていた。




 ***




 山の中枢で杏子はノッキングガンを片手に次々と襲いかかって来る二足歩行のハイエナに苦戦を強いられていた。
 『ギャングフッド』は一匹一匹が捕獲レベル15とかなりの高レベルなのに加えて、基本的に群れで行動しているため、連携が他の獣に比べて物凄く上手い。
 単純な戦闘力だけなら杏子の方が上回っているが、数の多さを視野に入れ忘れていたため、ノッキングガンの針が持つかどうかが杏子に取って心配の種だった。

(一回食べたけど、死ぬほど不味かったからな……)

 以前誤って殺してしまった際、杏子はその命を弔う意味を込めてギャングフッドを食べたのだが、その時は口の中がヘドロにでもなったのではないかという錯覚を覚え、あまりの不味さに気を失いかかるという事態にまで陥ってしまった。
 食べる以外の目的で獲物を殺さないと言うのもトリコから受け継いだ信念としているため、出来る限りはノッキングで済ませようとしているのだが、矢継ぎ早に襲ってくるギャングフッドたちを相手に僅かに休む時間も与えてもらえず、ノッキングガンの針を変えながら正当防衛の名目で槍を取り出そうかどうかを杏子は悩んでいた。

「む?」

 その様子を上の崖道から馬に乗って見つめている青年が一人。
 ターバンを頭に巻き、目の下に一本の模様を施した青年は一人の少女がギャングフッドたちを相手に猛攻を繰り返しているのを見て、まだ修業時代に自分が所属する団体のリーダーの親友から言われた言葉が頭の中でフラッシュバックする。

『強くなれ、男なら強くだ。女を守れるぐらい強い男になれ』

 今こそ修業の成果を実践する時、そしてあの時交わした約束を守る時だと判断した青年は馬から降りて、馬に対して帰るように命令をすると自分は崖を飛び降りて下でギャングフッドたちを相手に苦戦している少女の元へと飛び降りた。

 そんな乱入者が現れるとも知らず、杏子は相変わらずノッキングをしつつも背中に仕込んだ槍を出そうかどうか悩んでいたが、その隙に一匹のギャングフッドに足を掴まれてしまい、上から飛びかかってギャングフッドが頭を噛み砕こうとしていた。
 仕方ないと思い、背中に仕込んだ槍へと手を伸ばそうした瞬間に第三者がこの場に介入してきた。
 空中で飛びかかって乱暴にギャングフッドを殴り飛ばすと、その体は地面に吹っ飛んでいき、青年のパンチの威力でギャングフッドは気を失い戦闘不能の状態になっていた。
 杏子と同等の実力を持った第三者の乱入に、ギャングフッドたちは戸惑っていたが、青年は意に介さず、自分の拳と拳を重ね合わせ、意識を集中させていた。

「何もんだテメェは!?」

 自分の足を取り押さえていたギャングフッドを蹴り飛ばすと、杏子は謎の青年とコンタクトを取ろうとする。
 その個性的な格好はどこかで見た気もするが、今は突然自分の戦いに割り込まれたことに対して怒りしかなかった。
 明らかに怒っている杏子に対しても青年は冷静に対応し、一つ礼をすると丁寧に語り出す。

「女性を相手に多勢に無勢なこの状況を見過ごせておけません。義によって助太刀します」
「余計な真似すんじゃねぇ!」

 第三者の介入に杏子は怒り青年を追い払おうとするが、改めて自分が置かれた状況を見つめ直す。
 ギャングフッドたちは初め戸惑っていたが、餌が増えたことに喜び、再び二人を取り囲んで食らおうと陣形を組み直していた。
 次に杏子が観察をしたのは青年の戦闘能力。
 先程吹き飛ばされたギャングフッドも一撃で戦闘不能の状態にされている。それも不安定な空中で何のテクニックも使わずに腕力だけで倒したのだ。
 今も自分の威圧に押されていないところを見ると、肉体的にも精神的にも実力は申し分ないと判断した杏子は邪悪な笑みを浮かべながら語り出す。

「と言いたいところだが、アンタならギャングフッドの群れを相手にしても遅れを取ることは無いだろう。一人でしんどかったところだ。半分任せた」
「恐悦至極、ではグルメ騎士『滝丸』参る!」

 杏子の了解が貰えると滝丸は集中力を極限にまで高めた状態を作り上げると、襲いかかるギャングフッドたちに向かって突っ込んでいく。
 爪や牙が滝丸に触れるよりも先に滝丸の拳がギャングフッドたちのみぞおちや関節部に決まる。
 だがここで杏子は妙な違和感を感じた。
 通常パンチを放つ際は拳を力強く握り締め、相手に硬く閉じた拳骨を与えるのだが、滝丸は当たる直前に拳を開く場合があった。
 それはパンチと言うよりも何かの施術のようにも思え、一旦ノッキングを止め、襲いかかるギャングフッドたちを蹴り飛ばすと、滝丸の攻撃を受け苦しそうに痙攣しながら横たわっているギャングフッドの様子を見る。

「これは!? 骨や関節だけが綺麗に外されてやがる……」

 自分には出来ない繊細な技に驚愕した杏子だが、その間もギャングフッドは待ってくれずに複数で襲いかかって杏子を頭から食らおうとしていた。

「ウルセェな……」

 これに苛立った杏子は背中から槍を取り出すと地面に突き刺し、槍を軸にして回転蹴りを放ち、360度襲いかかるギャングフッドたちを一網打尽に吹き飛ばした。
 完全に火が点いた杏子はそのまま槍をしならせると同時にギャングフッドたちの群れへと突っ込んでいき、リーダー格と思われるギャングフッドの顎に飛び膝を食らわせる。
 指示を出す相手が居なくなり、戦意が多いに下がったのを杏子は見逃さず、続けざまに拳や蹴りでの打撃音が響き渡る。
 まだ自分の実力では弱い部分を攻めさえしなければ、素手での打撃で致命傷を与えることは出来ない。
 頭に血が上った杏子は殺さないと言う最低限の条件だけ守り、食べようと大きく口を開くギャングフッドの口内に拳を叩きこんで歯を口内に巻き散らす。
 この圧倒的な戦力差を見て、ギャングフッドたちも学習した。自分たちが勝てる相手ではない、捕食者は自分たちではなく向こうなのだと。
 負傷者を抱えて、その場を後にしていくギャングフッドたちが出始めたのを見ると、杏子は最後にダメ押しの一言を言い放つ。

「とっとと失せろ!」

 威圧に負けたギャングフッドたちは蜘蛛の子を散らすように消えていき、辺りには静寂だけが包み込んでいた。
 危機が去ったのを見ると滝丸は呼吸を整えて、体と心に平穏を取り戻していくが、杏子はやりすぎで血に染まった地面を見るとバツの悪そうな顔浮かべていた。

「やべ~この事態がココにバレたら、また説教食らわされるよ。『そんな短気な性格じゃ嫁の貰い手も無いぞ!』ってよ……」
「え?」

 杏子はまた頭に血が上って必要以上に傷付けたことに対して、ココの説教を思い出して落ち込んだ顔を浮かべていまうが、それに対して滝丸は何気なく杏子が言ったココと言う言葉に反応して詳しいことを杏子から聞こうとする。

「スイマセン、ココと言うのは、元美食四天王ココのことで間違いないでしょうか?」
「あ!? そうだよ、アタシに美食屋としての基礎を教えてくれた人だよ……」

 その事に付いて感謝はしているが、何かと口うるさく説教されるのは気に入らないと愚痴っていた杏子だが、この僅かな情報と杏子の見た目から滝丸は彼女の正体に付いて質問をする。

「失礼ですが、もしかしてあなたはトリコさんからグルメ細胞を受け継いだ。アンコさんですか?」

 ここでも自分の名前がトリコを通じて知れ渡っていることに対して、杏子は苦笑いを浮かべるが聞かれたことには返さないといけない。
 見世物パンダのような扱いの現状を気に入ってはいないが、これも美食屋として仕方ないことだろうと割り切り杏子は渋々自己紹介を始める。

「そうアタシは元美食四天王トリコからグルメ細胞を受け継いだ美食屋アンコだ。だけどな、アタシは間違っても美食四天王なんてアホみたいな肩書き名乗るつもりはないからな!」

 自分の言いたいことだけをまくしたてるように言う杏子に対して、滝丸は驚愕した表情を浮かべながらその場で頭を下げ簡素な自己紹介を始める。

「失礼しました。ボクはグルメ騎士の若輩者の滝丸と申します。お会いできて光栄です」
「グルメ騎士?」

 この世界で杏子が唯一尊敬している人物の愛丸のお膝下にある滝丸の存在に杏子は驚いた顔を浮かべる。
 よく見ればグルメ騎士の特徴である目の下の模様が施されているため、少し冷静になって考えれば分かること。
 思わぬ援軍が手に入ったことに喜び、杏子は柔らかな笑みを浮かべると手を差し出して握手を求めようとする。

「そこまでかしこまらなくてもいいよ。滝丸お前なら、まぁアタシが与えられた条件みたいなのも守れるだろうよ。絹鳥の卵を手に入れるまで協力関係と行こうぜ」
「ハイ、よろしくお願いします。アンコちゃん」

 そう言うと二人は年代が近いこともあって握手を交わすと、二人は並んで歩きだした。
 先程のギャングフッドとのやり取りを見ていたためか、周りの猛獣たちも攻撃を控えて、潜伏の道を選んだ。
 危険が無くなったのを見ると、杏子は余裕を持った態度で、滝丸は相変わらず警戒心を解かないまま歩き続けていた。
 会話が無いのを辛いと感じた杏子はポケットに入れておいたチョコレートのお菓子を取り出し、滝丸に向ける。

「食うかい? ちゃんと自分の金で買ったもんだからよ」
「え?」

 お菓子を勧めたのは分かるが、最後の方で言った言葉の意味が分からず、滝丸は困った顔を浮かべるが、杏子は慌ててフォローしながら食べるかどうかを突き出すことで無言のアピールをした。

「いただきます。ではもらってばかりでは悪いので、お返しにどうぞ」

 施しの精神のグルメ教らしく、滝丸は胸ポケットから一つの食材を取り出し、杏子の手のひらの上に乗せる。
 貰った食材を見ると、杏子はキョトンとした顔を浮かべた。
 手のひらにあるのは普通はまとめて和え物などにつかう木の豆『さくらまめ』が一粒あるだけ。粗食の精神をモットーとしているグルメ騎士らしいが、さすがにこれを一粒で食べるのは初めてなので戸惑いながらも杏子は口に運ぶ。

(固っ!)

 普通は煮込んで食べる物なのだが、保存食用に天日干ししたものなので、杏子の歯でも顎が疲れる感覚を覚えていた。
 食べ物を粗末にするわけにはいかないと言う想いから、何度も何度も噛み続けるが一向に味が染みる感覚を覚えることは無く、軽い苛立ちを感じていたが、飢えた猛獣は待ってくれない。
 極限までの飢えからテンパった状態なので新しく現れた餌と判断した二人を食おうとするが、二人は冷静にノッキングで対応して絹鳥の卵を目指していた。




 ***




 絹鳥が卵を守るために選んだ巣は頂上にある巨大なほら穴。
 だがそれは絹鳥が自分自身のくちばしと爪で作られた物。
 山を丸々一つ繰り抜くだけのパワーを持っている絹鳥を見て、サニーが直接の戦闘を禁止したのは乱獲防止のためだけではなく、単純に身を案じてのことだと言うことが、杏子は理解できた。
 高低差を作って一番高いところに卵を産みつけたが、二人は協力し合って一番高いところに置いてあった巣の中にある巨大な卵を見る。
 杏子はライトを当てて中に雛鳥が居るかどうかを確認しようとしたが、その必要はないとすぐに判断できた。
 どの卵も生命の躍動が感じられ、細かく痙攣して今にも産まれそうになっている卵を見ると、ここには有精卵しかないと判断して二人は向かい合うと互いに黙って頷き、今回の任務の顛末を決めようとする。

「帰るぜ。今回は無性卵は無いからな」
「ハイ」

 ここに来るまでに滝丸がこの任務を受けた理由と言うのも杏子は聞かされていた。
 ようやく実戦で使える部類になったので、命の尊さと言う物を学ばせるために愛丸から依頼を受ける命令を受けた。
 重要なのは任務を遂行することではない、自然界の中で自分がどう生きて行くのかという心構えを学ぶためと言うことは分かっている。
 腹は減ったままではあるが、不思議と心は満たされている。
 温かな気分になったまま二人はその場を後にしようとしたが、その瞬間に違和感を覚え、二人は咄嗟にその場から飛び上がると巣は崩壊した。
 飛び上がりながら振り返った先には怒りと憎しみに満ちた目を自分たちに向ける絹鳥が居た。
 もうすぐ雛が生まれそうな命よりも大事な有精卵を飲みこんで一番安全な体内へと隠すと、絹鳥は自分の雛を狙っていると思った二人を敵だと判断した絹鳥は咆哮を上げ、二人を食らおうとしていた。
 だがここで違和感を杏子は感じていた。
 絹鳥は明らかに侵入者を威嚇するだけの行為とは思えない、まるで自分の体の一部でも奪われたような狂いようだった。
 人が狂う様と言うのは間近でさやかのそれを見ているからよく分かる。
 だが卵を取っていない自分たちがなぜここまで敵視されるのか理由が分からずに杏子は槍を構えて警戒することで一応の平穏を保とうとしていた。

「アンコちゃん少しいいですか?」
「言え」
「先程見た時、巣の大きさに対して一つ分だけ卵が無いように思えたんですが、もしかしたら誰かがボクらとは別ルートで勝手に有精卵を持ち帰ったのでは?」
「バカな!? アタシらが行ったのは最短ルートだぞ! アタシたちよりも早くに絹鳥の卵に手を付けて持ち帰ったのが居るって言うのか!?」

 滝丸の仮説が信じられずに声を荒げる杏子だが、その説を完全に否定することは出来ない。
 いずれにしろ戦闘は避けられない状態だった。
 絹鳥は自分に取って戦いやすいフィールドを作ろうと、洞窟を破壊して完全な空洞を作り上げると夕焼け空が一体と二人の体を照らしあげた。
 洞窟が完全に崩壊する前に二人は脱出するが、崩れた洞窟にした時期になった程度で30メートル近い大きさの絹鳥は死なない。
 瓦礫の中から咆哮と共に現れ、自分たちの元へ突進していく絹鳥の攻撃を二人はそれぞれ別の方向に散ってかわす。
 こんな興奮しきった猛獣が町へ下りればどうなるか分からない。ここで食い止めなくてはいけないと判断した杏子は地面に先に降りた滝丸の元に降りると作戦会議を行う。

「少しばかり予定と狂ったが仕方ない……絹鳥のノッキング箇所は分かるか?」
「知識だけなら……」
「上等! 二人がかりでも厳しい相手だがやるぞ! こいつにノッキングを食らわせて大人しくさせる!」
「了解!」

 杏子は二つの槍を一つに合わせてドリルの形状にして、滝丸は集中力を高めるためプリショットルーティンの動きを終えると、二人は興奮しきった絹鳥に向かって突っ込んでいく。
 杏子の中で思い起こすのは影の魔女戦でのさやかの暴走だった。
 今度こそあの悲劇を食い止めて見せる。あの時とは違い今度は頼りになる仲間がいるのだから。





本日の食材

金剛小豆 捕獲レベル12

その名の通りまるでダイヤモンドのように固い小豆、調理を施しても食べる際には注意が必要で、金剛小豆によって歯の治療を受ける人たちが毎年出てくる。





今回は滝丸との絡みになりました。次回で絹鳥の卵編に決着を付けます。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。


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