「いいぜ一緒にいてやるよ」
自らの魂と共に友人である『美樹さやか』だった存在の魔女『Oktavia Von Seckendorff』の心を救うため、『佐倉杏子』が取った最後の手段、それが自らの魂と共に自爆しての心中だった。
魂が封じ込められた『ソウルジェム』が砕け散ると同時に爆発が魔女と魔法少女の体を包みこみ、佐倉杏子の人生は幕を閉じた。
閃光に包まれると杏子の体が崩壊していくのを感じながら、そのまま意識は遠のいていく。
行動に対する後悔は無かった。
ただ願うだけだった。この哀れな魔女の魂が救われることだけを。
そして二つの不器用な魂はここではない別の場所へと移されていった。
***
目が覚めると広大な草原だった。
草の感覚が心地よく、もうしばらく寝そべっていたいとも杏子は思っていたが、すぐに自分の変化に気付いた。
格好は魔法少女だった頃の赤を基調としたコスチュームではなく、パーカーにハーフパンツの人間だった頃の格好に戻っていて、つい先程の戦闘で一生残るレベルの切り傷を付けられたにも関わらず、傷一つ無い体に戻っていた。
変化に戸惑いながらも杏子は体を起こして辺りを見回す。
空を見れば雲一つ無い晴天。
自分が立っている地面は見渡す限りの草原が広がっていて、草の匂いが心を穏やかにさせていた。
(ここが死後の世界って奴なのか?)
想像していたのと全く異なる世界に杏子はただただ困惑するばかりであったが、自分と一緒に同じ世界へ行ったはずの存在を思い出すと、すぐに辺りを見回し彼女の存在を確かめようとする。
(そうだ! さやか……あれ?)
もしかしたら醜く禍々しい魔女から、元の愛らしい少女に戻っていると言う希望を持って杏子はさやかを探すが、自分に現れた変化に気付くと喉に手をやる。
そして声を出そうとするが、ただただ震えるだけであり、声帯が機能することはなく、うめき声のように小さな呼吸を繰り返すだけだった。
(声が出ない……)
声が出ないことに気付くと同時に杏子は喉に激しい痛みを感じる。
まるで燃えるような痛みは自分が生きていることを実感させられる。
魔法少女だった頃はゾンビのようになっている体であり、痛みと言う感覚は半分忘れたような物だからだ。
だがそんな物に構っている暇は今の杏子には無かった。
とにかくさやかを見つけるのが先決だと思い、走り出そうとするが足がもつれて前方に倒れ込む。
起き上がろうとしたと同時に自分の体が影に覆われるのに気付く。
辺りは雲一つ無い晴天なので、それが人影だと杏子は直感し、そこに希望を見出すと笑顔を見せて影の方向を見ようとする。
(さやか! お前も無事で、え?)
影がさやかだと言う思いは振り返った瞬間に打ち砕かれた。
自分を見下ろしていた存在、それは異形の存在と呼ぶに相応しい化け物だった。
ダチョウを連想させる丸い胴体には五つの首が生えていて、鋭く尖ったクチバシからは長い舌を出したり入れたりしていて、それぞれの首がよだれをすする音を響かせていた。
そして真に驚かされたのはその大きさ。
10メートル近い大きさの動物は自分たちの世界では見たことが無い、魔女にしても結界が存在しないのはおかしい。
(これが地獄って奴なのか?)
自分がそこに落ちる節は数えるほどある。
生きるためとは言え、人として邪道な道を歩み続け、その結果さやかとも衝突ばかりで自分自身も怒りに満ちた情けない人生を送っていたことも理解できる。
体から冷や汗が吹き出る。
恐怖と言う感情を久しぶりに思いだす。
変身しようにもソウルジェムは砕け散り、今の自分は何の力も無い非力な少女だと言うことは分かる。
もしここが本当に地獄だとしたら、さやかが居ないのも納得が出来る。
これが自分に課せられた罰なのかと思い、自分を食らおうとする五つの首をジッと眺めていた。
(やっぱり人間悪いことなんてするもんじゃないな。だがな……)
ここで元々の負けん気の強さが爆発する。
ただ罰を受け入れるほど杏子は穏やかな性格ではない。
力の限り右手に土を掴むと目に向かって投げつける。
怪鳥と呼ぶに相応しい異形は目に土が入ると、露骨に辛そうな顔を浮かべて顔を杏子から背ける。
それと同時に足に力を込めると杏子は前方へと逃げ出す。
(ただ黙って食われてやるほど、アタシは優しくねーんだよ!)
ここで聖職者ならその血肉を怪鳥へと差し出すだろう。だが杏子は戦う戦士だ。
愛する人のために奇跡を願い、心を見てもらえない悲しみと辛すぎる現実から魔女へと変貌した少女のためならともかく、訳の分からない怪鳥に自分の血肉を差し出すつもりはない。
杏子はかなわないと判断して逃げ続けるが、怪鳥はその見た目とは裏腹に脚力も相当な物だった。
人間の短い足と怪鳥の長い足ではリーチの差は歴然であり、杏子の息が上がる頃には怪鳥は飛び上がって、杏子の前に立ちふさがり、五つの首を突き出して彼女を食べる準備をしていた。
(生きたまま食われるのか……相当痛ぇーんだろうな……)
この瞬間杏子は生きていた頃に見た漫画のことを思い出していた。
猟師として多くの動物を殺した罪人を父親に持つ息子が課せられた罰、それは自らが餓えた狼にその血肉を食われて死に行くというもの。
自分も同じように死んでいくのかと杏子は思っていたが、今の自分には覚悟を決める余裕もなく、目の前の怪鳥を睨みつけることしかできなかった。
口は達者な方であり、こんな時なら相手を一瞬でも怯ませるために啖呵の一つでも切るのだが、声が出ない今はそれすらできない。
ジレンマに杏子はイライラさせられるばかりであった。
だがそんな少女の心境などお構いなしに、怪鳥は五つのクチバシを大きく開いて、杏子の体をついばもうしていた。
その瞬間杏子の中にあったのは怒りでも悲しみでも無い。
何も考えられずに頭の中が完全に真っ白に染まってフリーズしてしまっていた。
人間は誰でも必ず死ぬ。
死期は誰でも平等に訪れる。
それは怪鳥も同じことであり、殺気に気付くと怪鳥は首を止めて五つ全ての頭が杏子とは別の明後日の方向を向いていた。
「オラー!」
怒声と共に飛び蹴りを放つのは、さやかと同じ青い色の髪を持った青年だった。
左目の下には三本の傷があり、整った端正な顔立ちの青年だったが、杏子が驚愕したのはその体の大きさだった。
二メートルを超す巨体に筋骨隆々の肉体は頼りがいと言うのを感じられた。
だが青年は杏子のことなど意に介さず、怪鳥の前に立つとよだれをすすりながら怪鳥を睨む。
「『怪鳥ゲロルド』捕獲レベル15は、この辺りでは間違いなくトップレベルの猛獣……」
聞きなれない単語が杏子の頭を更に混乱させる。
怪鳥にゲロルドと言うちゃんとした名前があったことにも驚かされたが、『捕獲レベル』と言う言葉が一番困惑させられた。
捕獲と言う言葉から何らかの用途があり、国で捕獲して何かしらの役に立てるのではないかと思い、杏子の脳内では様々な情報が交錯する。
ここは地獄では無い、自分たちが居る世界とは全く別の世界なのではないかと。
だが今目の前に居る青年の姿を見れば、杏子の中にあった僅かながらの希望を消えうせるような感覚を覚える。
よだれを何度もすすりながら悪魔のような笑みを浮かべる姿は、地獄の鬼と呼ぶに相応しい存在。
その獰猛な笑みにゲロルドは恐怖を感じ、震えながら後ずさりをしようとするが、青年はゲロルドに退却を許さず、両手を擦り合わせると金属音を響かせながら、ゆっくりとゲロルドに近付く。
そして感謝の意味を込めるような真摯な態度で、目を閉じ両手を合わせると自分の中にある信念を語り出す。
「この世の全ての食材に感謝を込めて……いただきます」
杏子は自分の耳を疑った。
あの青年は目の前に居る化け物を食べようとしているからだ。
自分が居た世界で例えるなら、魔女を殺して食べるような物だ。
いくら自分が大食いで食い意地が人一倍はっている方でもそんな発想は無かった。
先程話した捕獲レベルと言うのも、食材として捕獲なのかと、再び杏子の中で様々な仮説が飛び交う中、青年とゲロルドの戦いは決着を迎えようとしていた。
ゲロルドは半ば自棄気味に最後の抵抗として五つのクチバシを尖らせながら、青年をついばもうとするが青年は意に介さず、邪悪な笑みを浮かべたまま左手を突き出すと真ん中にある恐らくはリーダー格と思われる首に手刀を突き刺す。
「フォーク!」
勢いよく真っ赤な鮮血が首から吹き出すと同時に青年の叫びが響き渡る。
一度に大量の血液を失ったゲロルドは白目を向きながら苦しそうに嗚咽を繰り返す。
トドメを刺そうと青年は右手を手刀の形にすると、5本の首めがけて右から一気に横へと振り抜く。
「ナイフ!」
叫びと共にゲロルドの5本の首と胴体は永遠の別れを告げた。
5本首があった部分それぞれから噴水のように血が流れる光景は衝撃的であり、魔女との戦いで何度も血なまぐさい戦いを経験した杏子でもショックを隠せない物であった。
(何なんだよ、コイツ……)
自分が助かったことよりも、杏子は青年の異常な戦闘力に驚愕していた。
世界で魔法少女以外に異形と戦える存在などいないと思っていた杏子に取って、青年とゲロルドの戦いはあまりに衝撃的であり、カルチャーショックを隠せないでいたからだ。
そんな杏子に構わず青年は両手をこすり合わせて、金属音を辺りに響かせると再び目を閉じて、手を重ね合わせる。
「ごちそうさまでした」
それはこれから自分に命を分け与えてくれるゲロルドに対しての感謝の念だろう。
青年は吹っ飛んでいた首も残さず、一緒に持ってきた麻袋の中に詰め込んでいき、首の無くなった胴体を抱え上げるとそのまま去っていこうとする。
(助かったのか?)
青年が自分に全く興味が無いのを知ると杏子の中で訪れたのは強い安堵感。
先程まで激痛に耐える覚悟を決めていたので、穏やかな陽気が余計に彼女に優しい気持ちを与えてくれて、杏子は重力に身を任せて後方に倒れ込むと、そのまま小さく寝息を立てた。
「さてと帰って早速……え――!?」
ゲロルドをどうやって食べようかと言うことで頭の中が一杯だった青年だが、杏子が地面に倒れた音を聞くと、ここで初めて杏子のことが目に飛び込み、一旦ゲロルドを地面に置くと青年は慌てて杏子を抱え上げ、その体を揺り動かす。
「オイ、しっかりしろ! アンタ俺の声が聞こえるか!?」
青年の呼びかけにも杏子は応じることなく、寝息を静かに立てていた。
その時点で命に別条はないことが分かるが、念には念を入れ青年は警察犬をも凌ぐ自慢の嗅覚で杏子の無事を確認しようと彼女の体に近づき、鼻を鳴らして匂いを吸い込む。
(鉄分の匂いが躍動しているから、死んでることは無いだろうが、大分疲労困憊してやがるな……)
乗りかかった船と言うのもあるだろう、猛獣たちがわんさか居るこの地区でこんな無防備な状態の少女を放っておくわけにはいかない。
青年は杏子をおぶりながら、ゲロルドを持って自分が住んでいるお菓子の家『スイーツハウス』へと向かった。
移動の最中、青年は最近ニュースで聞いた名言を思い出していた。
『まずは食わせてからだ。善人も悪人もそれからだ』
***
再び杏子が目を覚ますと見知らぬ天井が目に飛び込む。
自分が眠っている場所も草原ではなく、人が二人分ぐらい余裕で眠れそうなキングサイズのベッド。
鳥肉を焼く音と美味しそうな匂いが杏子の鼻先をくすぐったが、今の自分にはやらなければならないことがある。
一応助けてくれた人には感謝の気持ちだけは伝えておこうと思ったが、すぐに体を起してさやかの無事を確認しようとするため、杏子はベッドから降りようとした。
「オイオイ、あんまり無茶しない方がいいぜ」
そこに皿へ焼き上がった鳥肉を乗せて大事そうに持った青年が現れると、杏子を再びベッドに寝かせつける。
力が異常に強いと言うのもあり、大人しく従うを得なかったが、杏子が驚かされたのは助けてくれた相手だった。
先程まで鬼の形相でゲロルドを相手にしていた青年にそんな優しさがあるとは信じられず、杏子はただただ呆けた顔で青年を見ることしかできなかったが、青年はそんな杏子に構わず、美味しそうに焼き上がった鳥肉が乗った皿を杏子の目の前に置く。
「食え! うめぇぞ!」
そう言うと青年は屈託のない笑みを浮かべながら、杏子の手にナイフとフォークを持たせる。
鼻先をくすぐる美味しそうな匂いとほとばしる肉汁。
杏子は考えるよりも先にナイフが伸び、鳥肉を切っていくと肉汁の洪水が溢れだす。
鳥肉の匂いは更に杏子の脳内を刺激し、ここに来てから何も食べていなかったことを思い出し、反射的にフォークを突き刺して口の中に放り込む。
その瞬間杏子の脳内に電流がほとばしった。
噛めば噛むほど肉汁が溢れだし、肉汁が喉を通るたびに幸福感を全身で感じずにはいられないでいた。
空だった胃袋に物が満たされていく感覚は杏子が何よりも大切にしている美味しい物を食べる喜びであり。
この時だけは自分が置かれている状況も忘れ、目の前にある鳥肉にがっつき皿が空になり、満腹感で満たされるようになると、杏子は手を合わせて命を分け与えてくれた鳥に感謝の気持ちを送った。
「どうだゲロルドはマジで最高だろ?」
青年は笑いながら自分の分のゲロルドの肉を食べ、豪快に笑い飛ばす。
だが杏子は今食べた鳥肉が先程まで自分を食おうと襲いかかってきた怪鳥なのかと知ると、驚愕の表情を浮かべていた。
ここで疑惑は確信に変わる。
先程青年が言っていた捕獲レベルと言うのが食材としての捕獲だと言うことに。
そしてここは自分が居た世界とは全く別の世界だと言うことを。
何にしても腹も膨れ体力も回復したので、早くさやかを見つけなくてはいけない。
その旨を青年に伝えるべく、杏子は身振り手振りで思いを伝えようとするが、上手く伝わらずに情けない顔を浮かべてしまう。
「そう言えば名前を聞いてなかったな。俺はトリコだ、お前は?」
名前を聞かれると杏子も自己紹介をしようとするが、声帯が機能せず苦しそうにうめき声を上げるだけだった。
その様子を見てトリコは杏子が喋れないのではと察し、紙とペンを杏子に手渡す。
物を受け取ると杏子は自分の名前『佐倉杏子』を書くと、トリコに返す。
「何々? さくら……アンコ? 美味そうな名前だな、お前」
ゲロルドを一匹丸々食べて腹が膨れているトリコはデザートの存在を思い出して、よだれをすする。
だが杏子は自分が最も嫌う名前の呼ばれ方をしたことで、怒りの感情が頭の中で強まっていき、トリコを睨みつけると力の限り叫ぶ。
「誰がアンコだ! アタシの名前はきょうこだ!」
ここで元のように喋れるようになると杏子は驚愕の表情を浮かべて、何度も声の調子を確かめるように「あ、あ……」と言うと喋れるようになった喜びを味わう。
一方のトリコは相変わらずニヤニヤと笑いながら、間違いを訂正して改めて杏子に話しかける。
「それは済まなかった、きょうこ。んでお前はあんなところで何やってたんだ?」
トリコに聞かれると杏子はハッとした顔を浮かべて、さやかの存在を思い出し、それをトリコに尋ねる。
「そうだ! なぁアンタ、この辺りでもう一人女の子を見なかったか? アンタと同じ青い髪の色をしていて、ショートヘアーの女の子なんだが……」
まくしたてるように叫ぶ杏子に異常な事態を感じ取ったトリコ。
落ちつかせるように宥めながら当時のことを思い出すが、あの場に居たのはゲロルドと杏子、そして自分。
他の存在など居なかったことを伝えようとするが、目的の物以外には全く無頓着な自分が確信を持ってこのことを言える自信は無い。
そこでこう言った探し物を得意としている占い師の友人に頼もうと、トリコは未だに騒いでいる杏子を宥めつつも、例え地下1000メートルでも圏外にならない特別製の携帯電話と取り出すと、アドレスから『ココ』と書かれた番号を呼び出して連絡を取る。
「ああ、もしもしココ? ちょっと頼まれたいことがあってな。今からそっちに行くから!」
用件だけを伝えると、トリコはココの返答も待たずに電話を切ると、指を動かして杏子に立ち上がるよう命じる。
杏子がベッドから降りたのを見ると、トリコは物が一杯に詰まった麻袋を抱え上げ出かけようとする。
「探し物が得意な奴にちょっとお願いしたから、そいつに頼めばその女の子も見つかるかもよ、思い立ったが吉日、その日以降は全て凶日だ!」
ダイナミックな考えのトリコに圧倒される部分もあったが、細かい理屈を嫌い、シンプルなのを求める自分にも通ずるものはあるとして、杏子はトリコに付いていく。
さやかもきっとこの世界で新しい生を持っているだろうと、僅かながらの希望を信じていたいと思ったからだ。
「行くぜアンコ!」
「だから、き・ょ・う・こだ!」
『アンコ』と言う呼び名がすっかり気に入ったのか、トリコは悪びれる様子もなく、ボトルに入ったシャンパンをラッパ飲みしながら家を出て、杏子はそんなトリコに腹を立ててふとももにパンチとキックを叩きこむが、コンクリートのように固い感覚しか杏子には感じられなかった。
だがその一方で頼りになる味方が出来たことに喜びも覚え、さやかを見つけたらと考えるようにもなった。
そして杏子は信じていた。今度こそ愛と勇気が勝つストーリーを築いてみせると。
本日の食材
怪鳥ゲロルド 捕獲レベル15
5本の首を持つダチョウ体形の怪鳥。5つの首全てが違う命令系統を持ち、クチバシの目潰し、首を巻きつける締め技など多種多様の攻撃を得意とする。
また攻撃して飛んで上空に逃げるヒット&アウェー戦法を取るため、グルメコロシアムでその名を轟かせている。
と言う訳で第一話になりました。
次回は四天王の一人ココとの話になります。