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[33132] 【無印完結・チラ裏から】もしも海鳴市にキュゥべえもやってきたら?【リリカルなのは×まどか☆マギカ】
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2014/10/15 23:22
更新予定という名の生存報告
 10/15
 次回更新は早くても11月中旬ごろ、最悪12月になるかもしれません。
 お待ちしている方には申し訳ないですが、取り急ぎ報告のみ。


前書きという名の注意事項

・この物語は「魔法少女リリカルなのは」と「魔法少女まどか☆マギカ」のクロス作品です。
 ただしストーリーのベースは「魔法少女リリカルなのは」となっております。

・この物語は原作のネタバレを多分に含んでおります。
 ですので未視聴、未読の方は先に原作を読むことをお勧めします。
 またここで言う「原作」とは以下の作品群を指します。
 「魔法少女リリカルなのは」
 「魔法少女リリカルなのはA's」
 「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st」
 「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's」
 「魔法少女リリカルなのはA's PORTABLE -THE BATTLE OF ACES-」←NEW
 「魔法少女リリカルなのはA's PORTABLE -THE GEARS OF DESTINY-」←NEW
 「魔法少女まどか☆マギカ」
 「魔法少女まどか☆マギカ ~The different story~」
 「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編] 始まりの物語」
 「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[後編] 永遠の物語」
 「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編] 叛逆の物語」←NEW
 「魔法少女まどか☆マギカ ポータブル」←NEW
 「魔法少女おりこ☆マギカ」
 「魔法少女おりこ☆マギカ[別編]」
 「魔法少女かずみ☆マギカ ~The innocent malice~」←NEW

・独自解釈の設定が多々出て来ることになると思います。

原作の都合上、一部残酷と思われる描写が現れます。
 極端にいえば、作中で嫁が死ぬこともあります。

・作者は三人称、および二次創作を書くのは初めてです。
 なので文中の不備やキャラクターの口調や性格に違和感を感じることがあるかもしれません。

・この物語はノリと勢いだけで書かれています。
 基本、行き当たりばったりです。

上記の点が受け付けられないという方は、閲覧を控えてくださいますようにお願い申し上げます。
その他、至らぬ点などもあると思いますが、皆様に楽しんでいただければ幸いです。
ご意見・ご感想もお待ちしております。



2012/5/14 投稿開始
2012/5/23 前書きのテイストを大幅変更
2012/5/27 嫁に対する注意書きを追加
2012/6/2 「おりこ☆マギカ」について言及
2012/6/17 タイトルを少し短く変更。旧題「もしも海鳴市にユーノくんだけじゃなくキュゥべえもやってきたら?」
2012/9/22 「おりこ☆マギカ」について強く言及
2014/7/31 原作欄を大幅更新、また更新予定欄を追加
2014/8/15 チラ裏からとらハ板に移りました。



[33132] 【無印編】第1話 それは不思議な出会いなの? その1
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2014/08/15 03:40
 その日、いつものように魔法少女になり得る素質を持つ少女を探していたキュゥべえは21個の流れ星を見た。それはジュエルシードと呼ばれるロストロギアの一種で、それ一つで強力なエネルギーを秘めている結晶体だった。

「このエネルギーは?」

 その魔力エネルギーに気付いたキュゥべえは思わず足を止め、空を見上げる。遠目から見ても確かにわかる強大なエネルギー。それは自分たちが集めている魔法少女が魔女になる時に発生するエントロピーをも凌駕するものだった。

 自分たちの知らない強大なエネルギーを発生する結晶体。それはエネルギーを集める目的のために動いている彼にとっては、大変興味深いものだった。幸い、流れ星が落ちたのは自分がいる場所からそれほど遠い場所ではない。そう考えたキュゥべえはすぐ様その方角へ向かった。

 普段から魔法少女の素質を持つ少女を探しているキュゥべえにとって、同じようなエネルギーを発しているジュエルシードを見つけることなど造作もなかった。表面は青く、まるで宝石のように均等な形で加工されたそれは、一見するとただの小奇麗な石にしか見えない。しかしその内に秘められたエネルギーは膨大なもので、これ一つで並の魔法少女数十人分のエネルギー回収ノルマを達成できそうな代物だった。

「どういうものかはわけがわからないけど、これほどのエネルギーを回収するチャンスを逃す手はないね」

 キュゥべえはジュエルシードを口にするとそれを頭上へと放り投げる。そして背中の模様の中心に落とし、そのままジュエルシードを体内へと吸収した。

 普段からキュゥべえはそうやって、ソウルジェムを浄化して汚れたグリーフシードをその器官でエネルギーへと変換していた。魔法少女から魔女になる時のエネルギーと比べると微々たるものだが、わずかなエネルギーも無駄にしない、そんな配慮が伺える行動だ。

 しかしその行動が、彼の間違いだった。

「えっ?」

 キュゥべえはいつものエネルギーを吸収する感覚でジュエルシードを飲み込んだ。エネルギーの扱いについては何万年もの間、魔女にしてきた少女たち相手に行っている。その間にそのシステムは徐々に洗練され、無駄なく効率よくエネルギーを採取できるように変化していっていた。だからこそ、ジュエルシードも同じような感覚で吸収できると思っていた。

 しかしキュゥべえはエネルギーの採取方法については知っていても、ジュエルシードの特性を知らなかった。

 その結果、キュゥべえの身体は光に包まれた。

     ☆

 ユーノ・スクライアは焦っていた。自分が発見したロストロギア、ジュエルシード。それが次元航行船の事故で管理外世界に散らばってしまったのだ。発掘した自分だからわかる。ジュエルシードはとても危険なものだ。何も知らない人がむやみに扱えばどんな現象が起こるかわからない。

 だから彼は単身、ジュエルシードがばら撒かれた第97管理外世界、現地名『地球』へとやってきた。運が良かったのか、すぐに発動前のジュエルシードを一個手に入れたユーノは、その日のうちにもう一個手に入れようと広域サーチをかけた。すると自分のいるすぐ近くの場所にジュエルシードが一つ落ちていることを発見した。幸いなことにまだ発動前のものだったこともあり、すぐに封印処置をしようとその場に向かうユーノ。しかし彼がその場にたどり着く前にそのジュエルシードは暴走した。

「なっ!? こんなに早く暴走するなんて!!」

 おそらく現地生物を取り込んでしまったのだろう。白い異形の怪物となったジュエルシードが、ユーノに向かって襲いかかる。しばらくその怪物から逃げ回るユーノ。なんとか隙を見つけて封印しようとするが、怪物の動きが予想以上に早く、まったく隙が見つからない。

「こうなったら……」

 そこでユーノは覚悟を決めた。怪物の正面に立ち、レイジングハートを構える。そんなユーノに向かって、怪物はまっすぐ突っ込んでくる。

「許されざるものを封印の輪に! ジュエルシード、封印!」

 展開した魔法陣と異形の怪物が衝突する。双方の魔力がぶつかり合う。しばらくの間、拮抗していたが、怪物はユーノの魔力に吹き飛ばされ、あたりに肉片を撒き散らしながら重い足取りでその場から逃げ出していく。

 走ればすぐに追いつけそうな速度ではあったが、ユーノは怪物を追うことができなかった。先ほどの衝突でユーノ自身もダメージを受け、立っていることすら不可能だったからだ。なんとか追いかけようとするも、身体の方がついていかず、そのままそこで気絶するようにその意識を失った。

【誰か、僕の声を聞いて。力を貸して。魔法の……力を】

 力を振り絞る思いで、ユーノは最後にそう呟く。そして次の瞬間、ユーノの身体が光に包まれると、その姿は小さなフェレットの姿になっていた。

     ☆

「ふぁ~あ。なんか、変な夢、見ちゃった」

 高町なのはは寝ぼけ眼を擦りながら、さっきまで見ていた夢を思い出していた。今まで見たこともない男の子と変な怪物が戦う夢。夢を見ることは多々あっても、こんな夢は初めてだった。ただの夢のはずなのに、妙に気になってしまう。

「うーん」

 なのはは身体を伸ばして一気に眠気を飛ばす。夢の内容は気になるけど、所詮は夢でしかない。もしかしたら今日の夜、夢の続きを見ることがあるかもしれないけど、それまでは気にしなくても良いかもしれない。そう頭を切り替えたなのはは、身支度を始めた。

     ☆

 私立聖祥大附属小学校の三年生であるなのはは、いつものように学校の授業を受けた。今はそのお昼休み。なのはは親友のアリサ・バニングスや月村すずかと一緒に屋上でお弁当を食べていた。その時、今日の授業中に先生に言われたセリフを思い出していた。

「このように色々な場所で色々なお仕事があるわけですが、みんなは将来、どんなお仕事に就きたいですか?」

 将来の夢についての授業。今日はなのはにとって『夢』というものによっぽど縁のある日らしい。もっとも、すでになのはは朝見た夢のことなどほとんど覚えていなかったのだが……。

「将来かぁ~? アリサちゃんとすずかちゃんはもう結構決まってるんだよね?」

 たこさんウインナーを食べながら、なのはは二人に尋ねる。

「うちはお父さんもお母さんも会社経営だし、いっぱい勉強してちゃんと後を継がなきゃ……ってぐらいだけど」

「私は機械系が好きだから、工学系で専門職がいいなぁと思ってるけど」

「そっかぁ、二人ともすごいよねぇ」

 それはなのはの心からの言葉だった。自分と違い、二人の親友はきっちりと将来のビジョンが見えている。それがなのはにはどこか羨ましく、そしてとても凄いことのように感じられた。

「でもなのはは喫茶『翠屋』の二代目じゃないの?」

 なのはの両親である高町士郎と高町桃子は二人で翠屋という喫茶店を経営している。学校帰りの女の子や近所の奥様方でいつも大いに賑わっている海鳴市では評判の喫茶店だ。

 そんな翠屋を継ぐのは確かに将来のビジョンの一つではある。しかしどこかはっきりとそう断言することができなかった。

「やりたいことは何かあるような気がするんだけど、それがなんなのか、まだはっきりしないんだ。わたし、特技も取り柄も特にないし」

「ばかちん!」

 そう言うとアリサはレモンの切り身をなのはに向かって投げつける。そのアリサのいきなりの行動に驚くなのは。

「自分からそういうこと言うんじゃないの!」

「そうだよ。なのはちゃんにしかできないこと、きっとあるよ」

「だいたいあんた、理数の成績はこのアタシよりいいじゃないの! それで取り柄がないとはどの口が言うわけ!」

 アリサはなのはの口の中に手を入れると、それを両方から引っ張る。その突然の行動になのはは反応できず、その痛みから涙目を浮かべる。

「だってなのは、文系苦手だし~、体育も苦手だし~」

「ふ、二人とも、駄目だよ、ねぇったら」

 最初はオロオロしていたすずかだったが、なんとか二人を止めようと声をかける。その頃には同じように屋上でお弁当を食べていた他の生徒たちの注目の的となってしまっていた。

 そんな中、なのはは二人の親友に言われたことを心の中で反芻していた。

(自分にできること、自分にしかできないことかぁ)

 本当にそんなことが自分にはあるのだろうか? なのはは心の中でどこか引っかかりを感じていた。

     ☆

 学校も終わり、なのははアリサとすずかと塾に向かっていた。

「あっ、こっちこっち。ここを通ると塾に行くのに近道なんだ~」

「そ、そうなの?」

「ちょっと道は悪いけどね」

 そう言ってアリサはその脇道に入っていく。なのはとすずかもアリサが言うのだから間違いはないだろうと特に疑問に思わずその背中についていく。

 なのはは初めて入る道だったので、興味深そうに辺りを観察する。周囲には木々が生い茂っており、足もともアスファルトではなく砂利道。しかし日の光が届かないということもなく、また道幅もそれなりに広かったこともあり特に不安にならずに歩いていくことができた。

「あっ?」

 その時、なのははここが昨日見た夢に出てきた場所にそっくりであることに気づいた。さっきまで夢のことなど忘れていたはずなのに、それを鮮明に思い出し、思わずその場で足を止めてしまう。

「どうしたの?」

「なのは?」

 そんななのはの様子に二人の親友は心配そうに声をかける。

「うん、なんでもない。ごめんごめん」

 その声に正気を取り戻したなのはは二人にかけて近寄り、心配をかけないように笑顔を浮かべる。

「それじゃあ行こ」

 その笑顔を見て安心したのか、先に歩き出すアリサとすずか。しかしなのはの心はとても穏やかじゃなかった。もしここが夢で見た場所だとするのなら、昨日見たフェレットや怪物もどこかにいるはずだ。それが気になったなのはは周囲に注意を向けつつ、二人についていく。二人はそんななのはの様子に気づくことなく、楽しげに談笑していた。

【助けて】

 その時、なのはの元にどこからか助けを呼ぶ声が聞こえる。

「ねぇ、アリサちゃん、すずかちゃん、今、何か聞こえなかった?」

「何か?」

「何か、声みたいな……」

「別に……」

「聞こえなかったかな?」

 二人がそうは言うものの、なのはにはその声がはっきりと聞き取れていた。もしかしたらもう一度聞こえるかもしれないと思い、なのはは周囲に耳を澄ます。

【助けて】

 案の定、再び聞こえてきた声。なのははその声が聞こえた方向に向かって駆け出す。そうして走っていくと、道の真ん中に苦しげな表情を浮かべた一匹のフェレットを見つける。フェレットはなのはに弱々しい表情を向ける。その首には赤い宝石のようなものがついたペンダントがかけられていた。なのははそんなフェレットをゆっくりと抱きかかえる。

「どうしたのよなのは。急に走り出して」

 そんななのはに後ろからアリサとすずかが追いついてくる。最初はいきなり走り出したことに文句をでも言ってやろうかと思っていたアリサ。しかしそれより先にすずかがなのはに抱きかかえられたフェレットに気付き、声を上げた。

「えっ、動物? 怪我してるみたい」

「うん、どうしよう?」

「どうしようって、とりあえず病院?」

「獣医さんだよ!?」

「このあたりに獣医さんってあったっけ?」

 三人はあわてながらもなんとかフェレットを助けようとする。そのことに気づいたフェレット……ユーノはこの人たちなら信用できるとなのはの胸の中で眠りにつくのであった。



2012/5/14 初投稿
2012/5/15 タイトルおよび、本文中の誤字および一部表現を修正
2012/5/19 誤字および一部表現を修正
2012/5/26 一部表現を修正
2012/6/9 誤字修正
2014/8/15 タイトルに【無印編】の表記を追加



[33132] 第1話 それは不思議な出会いなの? その2
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/05/19 14:49
 あの後、すずかが家に電話し、近くにある動物病院の場所を聞いてもらい、フェレットを連れていった。診察の結果、怪我はそこまで深くはないことを知り安心するなのは、アリサ、すずか。

「先生、これってフェレットですよね? どこかのペットなんでしょうか?」

「フェレット、なのかなぁ? 変わった種類だけど……」

 アリサの疑問に獣医ははっきりと答えることができなかった。それもそのはずである。このフェレットはユーノが変身した姿であるため、似ている種類の動物がいたとしてもまったく同じというものはあり得ない。そもそもユーノ自身、地球とは別の世界から来た人間なのだから尚更だ。

「それにこの首輪についてるのは、宝石、なのかなぁ?」

 獣医はそう疑問に思いながら、ユーノの首にかけられている宝石を触ろうとする。その瞬間、ユーノは目を覚ました。

(ここは?)

 先ほどまで、ユーノはほぼ無意識のうちに助けを呼んでいた。しかし今は獣医の治療の甲斐があってか、はっきりと意識を取り戻していた。目覚めたユーノは自分の周囲をすぐさま観察する。女性が一人と女の子が三人。その内の一人、なのはに秘められた魔力にユーノは気付く。そしてその子が自分を助けてくれたことを思い出す。

「えっと」

 ユーノがじっとなのはのことを見ていたためか、なのはは遠慮がちにユーノに向かって指を出す。それを見たユーノはその指を舐める。そのことに喜ぶなのはだったが、次の瞬間、ユーノは気絶するように倒れてしまう。その様子に不安げな表情を浮かべる三人。

「しばらく安静にした方がよさそうだから、とりあえず明日まで預かっておこうか?」

 それを見た獣医はすかさずフォローを入れる。

「はい。お願いします」

「よかったらまた明日、様子を見に来てくれるかな?」

「わかりました」

     ☆

「お父さん、フェレットさんをしばらく家で預かることってできないかな?」

 家に帰ってきたなのはは夕食の席でそう父親である士郎に相談した。翠屋は飲食を扱う喫茶店なので、本来ならば動物を飼うことは禁止だ。しかしアリサの家には大きな犬が、すずかの家には大量の猫がすでに飼われている。そんな中にフェレットを放り込んでしまったら、何かの拍子に怪我をしないとも限らない。そこでなのははダメ元で両親に相談することにしたのだ。

「フェレットか。……ところでなんだ? フェレットって?」

 その士郎の言葉に思わずなのははテーブルに突っ伏す。

「イタチの仲間だよ、父さん」

「だいぶ前からペットとして人気の動物なんだよ」

 そんな士郎にすかさずなのはの兄である恭也と姉である美由希が解説を入れる。なのはとは一回り歳の離れた兄と姉はどうやら父親よりもそういったことに詳しかったらしい。

「フェレットって小さいわよね。しばらく預かるだけなら、籠に入れておけてなのはがちゃんとお世話できるならいいかも。恭也、美由希、どう?」

 そう口にしたのは母親である桃子だ。

「俺はいいけど」

「わたしも」

 その様子を見て士郎は軽く頷く。本音を言えば、喫茶店の経営者として小動物とはいえ動物を飼うのは反対だ。しかしなのはは普段、まったくわがままを言わない子なのだ。そんななのはが珍しく自分たちを頼ってくれている。それが士郎には嬉しかった。おそらくその気持ちは桃子や恭也、美由希も同じだろう。

「だ、そうだよ」

「よかったわね」

「うん、ありがとう」

 家族に頼みをきいてもらえたことが嬉しくて、なのはは満面の笑顔を浮かべていた。そんな笑顔につられたのか、この日の高町家の夕食はいつも以上に笑顔の絶えない食卓だった。

     ☆

「きゅっぷい。やっとこの町に戻ってこれたよ」

 なのはが高町家で家族団欒を過ごしている頃、キュゥべえは昨日、自分がジュエルシードに取り込まれた場所まで戻ってきていた。

「まったく、この町の近くにはボクたちがいなかったから、戻ってくるのに丸一日もかかってしまったじゃないか」

 しかしキュゥべえはキュゥべえでも、ここにいるキュゥべえはジュエルシードに取り込まれてしまったキュゥべえとは別個体である。だがその意識は共有しており、昨日起きたことははっきりと覚えていた。

 昨日、キュゥべえがジュエルシードを体内に取り込んだ瞬間、そのエネルギーが暴走した。ジュエルシードというものは、元来とても不安定なエネルギー体だ。それを何の配慮もなくエネルギーを抜こうとしたら、そうなるのは至極当然のことなのかもしれない。しかしキュゥべえは当然そんなことは知らない。そのため暴走とともにキュゥべえの肉体は取り込まれた。

「それにしても……」

 二度目の海鳴市への来訪の時に、キュゥべえは軽率な行動をしてまた個体をなくしては堪らないと慎重にこの町へと侵入した。その過程であることに気付いた。この町は今、エネルギーに溢れている。初めはそれがジュエルシードによるエネルギーが発生しているためだと思っていた。もちろんそれ自体は間違いではない。

 しかしそれだけではない。どうやらこの町にはとても強い魔法少女の素養を持った少女がいることに気付いた。強いエネルギー体が町中に広がっているため、その少女がどこにいるのかはわからないが、少なくとも一人は確実にいるし、その少女以外にも魔法少女の素養がある少女の力を感じられる。本来ならジュエルシードを手に入れることができればそれだけでよかったが、せっかくだからこの少女たちとも契約したいと考えていた。

 それにキュゥべえだけでは肝心の結晶体を手に入れることもできない。また昨日のように無駄に個体を消費してしまう状況になるのは望ましくない。だが魔法少女がその手を貸してくれればどうだろう? 確実に成功するとは言えないが、キュゥべえだけで挑むよりはまだ成功の目がありそうだ。

「なんにしても、まずは探さなきゃいけないな。新しい魔法少女も、あの結晶体も」

 誰にともなくそう告げると、キュゥべえはその姿を影の中に消していった。

     ☆

 部屋に戻ったなのはは携帯メールでアリサとすずかにフェレットが自分の家で預かれることになったのを報告する。

【聞こえますか? 僕の声が聞こえますか?】

 そうして報告を追え、ベッドの中に入ろうとした瞬間、再びあの声が聞こえてきた。

【聞いてください。僕の声が聞こえるあなた、お願いです。僕に少しだけ力を貸してください】

 その声を聞いたなのはは迷うことなく、自分の家から飛び出した。向かう先は動物病院。なのはは本能的に助けを呼ぶ声を掛けているのはあのフェレットであることを自覚していた。だから迷うことなく、まっすぐ動物病院に向かった。

 動物病院に着いた時、頭の中に直接、嫌な音が聞こえてくる。何かが共鳴し合い発生している不協和音。その音を聞いて頭が痛くなったなのははその場に蹲る。その間に辺りの景色が色褪せていく。夜といっても木々の緑色や電灯の白い色など色々な色がある。しかしその色が今、一色に染まる。景色の色が染まりきった時、なのはの頭に響いていた頭痛は鳴りやんでいた。

 そして次の瞬間、動物病院の壁が壊れ、その中から一匹のフェレットと白い異形の怪物が飛び出してきた。ユーノは逃げながらなのはの胸に飛び込んでくる。そしてそのユーノを狙い、怪物もなのはの向こうに飛んでくる。

「キャー!!」

 とっさによけるなのは。なのはに避けられた怪物はその勢いを殺しきれず、民家に激突する。その衝撃で民家が崩れ怪物の上に瓦礫となってのしかかる。その重さゆえか、怪物はしばらく身動きできなくなっていた。その光景に茫然としているなのはにさらに追い打ちが掛けるようにユーノが言葉を口にした。

「来て、くれたの?」

「にゃああ!! しゃべったああ!!」

 そうしている間にも怪物は瓦礫から抜け出そうとその場で暴れ続ける。それを見たなのははパニックを起こしながらもこの場でじっとしていてはまずいとユーノを抱え、その場から走り出す。

「えーっと、そのー、なにがなんだかよくわからないけど、いったい何なの? 何が起きてるの?」

 走りながらなのはは自分の疑問をユーノにぶつける。

「キミには資質がある。お願い、僕に少しだけ力を貸して」

 しかしユーノから出た言葉はそんななのはの疑問に答える言葉ではなかった。

「僕はある探し物のためにここではない世界から来ました。でも僕一人の力では思いを遂げられないかもしれない。だから、迷惑だとわかってはいるんですが、資質を持っている人に協力してほしくて……。お礼はします。必ずします。僕の持っている力をあなたに使ってほしいんです。僕の力を、魔法の力を!」

「魔法?」

 なのはにはユーノが言っていることがちんぷんかんぷんだった。そんななのはの元に先ほどの怪物が襲いかかる。それをとっさに回避するも、このままではいずれ捕まってしまう。

「ど、どうすればいいのー?」

 それはなのはの心からの叫びだった。半ばパニックを起こしていたのかもしれない。

「これを」

 そんななのはの言葉を聞き、ユーノは自分の首に下げた宝石を差し出す。思わずそれを手に取るなのは。

「温かい」

「それを手に、目を閉じて心を清ませて。僕の言うとおりに繰り返して」

「う、うん」

――我、使命を受けし者也――

――契約の元、その力を解き放て――

――風は空に、星は天に――

――そして不屈の心は、この胸に――

――この手に魔法を! レイジングハート、セットアップ――

≪Stand by ready set up≫

 ユーノの言葉に合わせてなのはがそう言葉を紡ぎ終えた瞬間、掌の中の宝石、レイジングハートが赤く輝き出す。その絶大な魔力に思わず絶句するユーノ。

「なんて魔力だ」

 ユーノは思わずそう零す。しかしそう思ったのはユーノだけではなかった。遠くから眺めていたキュゥべえもまた、なのはの絶大な魔力エネルギーに気付いていた。おそらくあの子がこの町に再び入った時に見つけた魔法少女の素養を持つ子だったのだろう。だが今、目の前でその少女は別の生物と契約を行っている。

 キュゥべえの知る限り、自分と同じように魔法少女のエネルギー変換システムを行っている存在はいないはずだ。端末によって微妙な個体差があったとしても、あれほどまでに違った姿形をしているわけじゃあない。そもそも同一の存在ならキュゥべえにもその記憶は共有されるはずだ。

 ならばあれは魔法少女への契約ではないのか?

 そう思うキュゥべえだったが、その考えはまさに今、目の前で否定された。キュゥべえの見ている前でなのはの衣服が見る見るうちに変わっていく。さらにその手には杖のようなものも握られていた。また彼女のうちに潜むエネルギーも先ほどとは違い解放されており、それは今までキュゥべえが見てきた魔法少女への変化とほぼ同じといっていいものだった。

「まったく、わけがわからないよ」

 その光景を見てキュゥべえは、思わずそんな言葉を呟いてしまうのだった。

 


2012/5/14 初投稿
2012/5/15 タイトル修正
2012/5/19 誤字、および一部表現修正



[33132] 第2話 魔法の呪文はリリカルなの? マギカなの? その1
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/06/24 03:48
 自分の衣服が変化したことに、高町なのははとても驚いていた。だがそんな暇もなく、白い怪物はなのはに向かって襲いかかる。なのは反射的にレイジングハートを構えた。

≪Protection≫

 その声とともになのはと怪物の間に魔法陣が展開される。魔法陣は怪物の攻撃からなのはを守り、その勢いを反射させる。結果、怪物の肉体はバラバラになり、周囲に散らばった。その余波でアスファルトには穴が空き、辺りの民家は崩れ、電柱も倒れる。

「えええーーー!!」

 それを見てパニックを起こしたなのはは、その場から逃げ出すように走り去る。

「まっ、待って!」

 それを慌てて追いかけるユーノ。なんとか追いつき、なのはの胸に飛び乗るユーノ。しかしなのはの混乱はいまだ解けていなかった。そんななのはにユーノは怪物がまだ倒せていないことを告げる。

「僕らの魔法は発動体に組み込んだ、プログラムという方式です。そしてその方式を発動させるために必要なのは、術者の精神エネルギーです。そしてあれは忌まわしい力の元に生み出されてしまった思念体。あれを停止されるにはその杖で封印して、元の姿に戻さないといけないんです」

「よ、よくわからないけど、どーすれば?」

「さっきみたいに攻撃や防御みたいな基本魔法は心に願うだけで発動しますが、より大きな力を必要とする魔法には呪文が必要なんです」

「呪文?」

「心を澄ませて。心の中にあなたの呪文が浮かぶはずです」

 なのははその言葉に従い、目を閉じ、自分の心に耳を傾ける。そうしている間に怪物は自分の肉体を再生させ、なのはに触手のようなものを伸ばして襲いかかる。

≪Protection≫

 なのははそれを事前に察知していたかのように、レイジングハートでガードする。

「リリカルマジカル、ジュエルシード封印!」

 そしてそのまま封印の呪文を唱える。するとそれに伴い、レイジングハートの形が変形する。まるで羽のようなものが生え、桃色の光が怪物を拘束する。

「リリカルマジカル、ジュエルシード、シリアルⅩⅩⅠ、封印!」

 駄目押しと言わんばかりにもう一度、告げる。すると拘束した桃色の光が怪物の肉体に突き刺さり、分解していく。

 そうして残ったのは青い宝石、ジュエルシード。それと傷だらけになっている白い動物の姿だった。ジュエルシードはレイジングハートの中に吸い込まれるように入っていく。ジュエルシードを回収したのを確認すると、レイジングハートはなのはの服装を元に戻し、その手のひらに収まった。気がついたら、周囲の景色も色を取り戻していた。

 しかしなのははそんな周囲の変化よりも目の前に転がっている傷だらけの動物に目がいった。まるでボロ雑巾のように汚れたその白い動物は皮が裂け、ところどころから赤い皮膚が露出している。

「こ、この子、大丈夫かな?」

「大変だ。早く治療しない……と」

 そう思ったユーノだったが、すでにユーノ自身も限界に近かったのかその場で倒れてしまう。

「にゃああ!! こっちの子も倒れちゃったー! ど、どうしよー?」

 なのはは二匹に挟まれてオロオロする。さらに追い打ちをかけるかのように、遠くの方からサイレンの音が聞こえる。あれほどの騒ぎだ。近隣住民が通報し、警察と消防が駆け付けているのだろう。

「も、もしかしたら、わたし、ここにいると大変アレなのでは?」

 そう思ったなのはは2匹を胸に抱え、その場から走って逃げだした。

     ☆

 急いでその場から離れたなのはは、一息つくためにベンチに座る。その胸の中には傷ついたフェレットと白い動物。フェレットの方はともかく、白い動物のことをなのはは最初、猫だと思っていた。しかし近くで見てみるとその動物が猫ではないことに気付く。そもそも耳からさらに手だか耳だかよくわからないものが生えている動物などなのはは見たことがなかった。

「いったいこの子、何て名前なんだろう?」

「ボクの名前はキュゥべえだよ」

「ふぇ?」

 気がつくとなのはの隣にはもう一匹、別の白い動物の姿があった。

「はじめまして、高町なのは。ボクの仲間を助けてくれてありがとう」

「にゃああ! またしゃべったー!!」

 あれだけ不思議なことを体験したのにも関わらず、なのはは大変驚いた。不思議な体験というものは何度しても慣れるものではないらしい。

「まったく驚きたいのはこっちだよ」

 キュゥべえはさも当然といった様子で、なのはの膝の上に座る。

 そもそもキュゥべえは今日、なのはの前に姿を現すつもりはなかった。確かになのははすごい魔法少女の素質を秘めている。しかし彼女はすでに魔法少女になってしまった。原理はわからないが、その事実は変わらない。そんな彼女に「ボクと契約して、魔法少女になってよ」などといまさら口にしても、まったく意味がないことは明らかだ。

 だが彼女が怪物を退治した時、そこから昨日、ジュエルシードに取り込まれた別個体が出てきた。しかも先ほどまで切れていたその別個体とのリンクが復活したのだ。もう虫の息とはいえ、その個体を回収すればジュエルシードについて何かわかるかもしれない。そう思った矢先、なのはに先に持っていかれてしまったキュゥべえは慌てて追いかけ、そして今に至るというわけだ。

「えーっと、キュゥべえくんはこの子のお仲間さん?」

 そう言いながら傷ついたもう一匹のキュゥべえに目線を向けるなのは。

「正確にいえば同一の存在なんだけど、そんな説明をしても無駄だろうし、その認識で間違いはないよ」

 その言葉に不思議そうな顔を浮かべるなのは。

「よくわからないけど、もしかして、こっちの子も?」

 しばらく不思議そうな顔を浮かべていたなのはだったが、キュゥべえなら同じように話せる動物同士、ユーノのことも知っているのかと思い尋ねてみる。

「いや、そっちは知らない。むしろボクの方が知りたいくらいだよ」

「そ、そうなんだ」

「それでね、なのは。そっちのフェレットはともかくとして、ボクの仲間はボクのところに連れ帰れば傷が治せると思うんだけど、連れていっていいかな?」

「えっ、ホント!? でもキュゥべえくん。どうやってこの子を運ぶの?」

「それは、こうやって……」

 そう言うと、キュゥべえは耳から生えた手のような器官を器用に動かし、傷ついたもう一匹のキュゥべえを自身の背中に乗せる。

「へぇー、キュゥべえくんって器用なんだね~」

「それほどでも。それじゃあボクは行くね。またね、なのは」

 キュゥべえはゆっくりとした足取りでなのはの元から去っていく。

「あれ? そういえばわたし、自己紹介したっけ?」

 そう不思議に思うなのはだったが、すでにキュゥべえの姿は見えなくなっていた。

     ☆

 気絶したユーノが目覚めたのは、それから数分後の出来事だった。

「あっ? 目が覚めた? 怪我、痛くない?」

「怪我は平気です。助けてくれたおかげで、残った魔力を治療に回せました」

 そう言うと、ユーノは器用に自分にまかれた包帯を解いていく。その下にあった皮膚からは傷痕は見えない。

「よくわからないけど、すごいんだね。ねぇ、自己紹介していい? わたし、高町なのは。小学校3年生。家族とか仲好しの友達は、なのはって呼ぶよ」

「僕はユーノ・スクライア。スクライアは部族名だから、ユーノが名前です」

「ユーノくんかぁ。かわいい名前だね」

「すいません。あなたを……なのはさんを巻き込んでしまいました」

「えーっと、たぶん、わたし平気。あっ、そだ、ユーノくん怪我してるんだし、ここじゃあ落ち着かないよね。とりあえずわたしの家に行きましょ。後のことはそれから、ね」

 ユーノは沈んだ口調でそう告げる。そんなユーノを気遣ってか、なのははユーノに笑顔を向けた。その言葉にユーノの心は少しだけ、軽くなったような気がした。

「そうですね。……そういえばあの白い動物は?」

 あの時、ジュエルシードと共に出てきた白い動物の姿がないことに気付いたユーノは周囲を見渡す。

「あっ、あの子ね。さっきユーノくんが寝ている間に仲間の子が来て連れてっちゃった」

「連れてっちゃったって、あんな傷のまま放置しといたら危ないんじゃ……」

「えっ? でもキュゥべえくん。自分の家に連れて帰れば治せるって言ってたよ」

「そ、そうなんですか。ならよかった」

「うん。それじゃあわたしたちも帰ろ?」

 そう言うと、なのははユーノを抱きかかえ、高町家に向かって歩きだした。

 この時、ユーノは勘違いをしていた。キュゥべえというのはあの白い動物の飼い主の名前で、その人が自分のペットを連れ帰ったのだと思っていたのだ。もしキュゥべえという人物が大人なら、子供のなのはが連れ帰るよりも適切な処置ができるだろう。何より自分のペットなら自分で看病がしたいはずなのだから。

 本当ならユーノが治癒魔法を使って治療してから飼い主に返してあげたかったところだが、自分が気絶していた間のことなら仕方ない。ジュエルシードを探すついでにあの白い動物を探して、治癒魔法をかけてあげるのも良いかもしれない。そんな風に考えていた。

 一方、なのははユーノとキュゥべえが同じような存在だと思っていた。キュゥべえはユーノのことを知らないとは言っていたが、ユーノは別の世界から来たと言っていた。きっとキュゥべえもそういう存在なのだろう。もしかしたら二匹は別々の世界からやってきたのかもしれない。それなら面識がないのも当然だ。

 別の世界では動物が人間と話すのが当たり前のことなのかもしれない。思えばユーノもキュゥべえも自分に対してごく自然に話しかけてきた。ならそういうことが当たり前な世界からやってきたと考えるのが妥当だ。

 互いにそんな勘違いをしたが故に、なのははユーノにキュゥべえのことを詳しく話さなかったし、ユーノもなのはにそれ以上キュゥべえのことを追求することはなかった。それが後にあんな悲劇を生むことになるなんて、この時のなのはは思いもよらなかった。



2012/5/15 初投稿
2012/5/19 誤字修正
2012/6/24 ジュエルシードのシリアル番号をギリシャ数字に変更



[33132] 第2話 魔法の呪文はリリカルなの? マギカなの? その2
Name: mimizu◆0b53faff ID:a6c4fef1
Date: 2012/05/15 19:24
「ハムハム、ムシャムシャ、パクパク。……きゅっぷい」

 高町なのはと別れたキュゥべえはすぐさま、傷ついた自身を食べた。なのはには治せると言ったものの、もちろんそんな都合の良いことはない。キュゥべえの肉体は基本的に使い捨てなのだ。ある程度の傷なら自己修復できるが、ここまでボロボロになってしまってはもはや使い物にならない。だから使えなくなった自分の肉体を処分すると同時に、その肉体から少しでもジュエルシードの情報を得るためにキュゥべえは無心に自分を食べた。

 なのはとユーノのやり取りから、結晶体の名前がジュエルシードであることはわかった。そしてユーノがなのはを魔法少女にしたのは、ジュエルシードを封印するためであることもその様子から伺える。

「もしかしたらその理屈は、ボクたちが魔法少女を造り、魔女と戦わせるということに似ているのかもしれないね」

 キュゥべえの知る魔法少女は、絶望を撒き散らす魔女を退治する存在だ。魔女を倒すことで魔法少女はグリーフシードを得る。グリーフシードのエネルギーは魔法少女が魔女になる時に発生するエネルギーに比べたら塵芥みたいなものだが、まったくないわけじゃあない。それにグリーフシードが増えすぎて魔女が大量に誕生するのも困る。なのでそれを回収するのもキュゥべえの大事な仕事の1つだ。

 だがジュエルシードはそれ1つだけで、数体分の魔女発生に匹敵するエネルギーを持つ。油断していたとはいえ、キュゥべえが化け物にされてしまったのもその証拠だろう。

「そしてそれを封印するのが、あのフェレットが言うところの魔法少女。そしてフェレットの方は、ボクがグリーフシードや魔女が孵化した時のエネルギーを回収するのと同じ役割を果たしているのかもしれない」

 これはとんだイレギュラーだ。今までキュゥべえには競争相手と呼べる存在はいなかった。自分と同種の存在がそうだと言われてしまえばそれまでだが、キュゥべえの大本は大いなる一つの存在だ。つまり言い方を変えればどのキュゥべえがエネルギーを回収しようとも、最終的には宇宙の寿命の延命につながる。

 しかしユーノは違う。アレはキュゥべえとは違う存在だ。その目的はジュエルシードの回収で、なのはを魔法少女にしたのもまったくの偶然だ。しかしそのことをキュゥべえは知らない。だからキュゥべえの目から見て、ユーノは自分の目的の邪魔になり得る存在だと思えた。
「何より厄介なのは、彼がなのはを魔法少女にすることができたという点だろう」

 キュゥべえの第一の目的は宇宙の寿命を延ばすためのエネルギーを回収することだ。そのために幾多の少女を魔法少女にし、延いては魔女を生み出してきた。

 だがユーノの使った方法で魔法少女になったなのはが魔女と呼べる存在に変わるのだろうか? 魔女に変化するなら問題はない。その時にユーノを出し抜きエネルギーを回収すればいい。しかし魔女に変化しないのなら、あの方法で魔法少女を広められるのは非常にまずい。早急に対処しなければならない。

「そのためにはまず、この町で新しい魔法少女になり得る子を探すのが良いかもしれないね」

 キュゥべえ自身には戦う力はない。彼にできるのは少女の願いを叶えること、そしてエネルギーを回収することだけだ。ジュエルシードを手に入れるためにも……力がいる。

「なのはの力を手に入れなかったことは非常に残念だけど、いつまでもクヨクヨしていても仕方ない。ライバルもいることだし、早く次の魔法少女を探しに行こう」

 そうしてこれからの行動の指針を決めたキュゥべえは、闇の中へと消えていった。

     ☆

 夜遅くに無断外出したなのはは、帰ってきて家族に怒られた。しっかりしているように見えてもなのははまだ小学3年生なのだ。それも当然の話だろう。その後もユーノの餌やら処遇について高町家全員で考えるのに忙しくなり、その日の間にユーノから詳しい事情を聞くことはできなかった。

「じゃあわたし、学校に行かないといけないから、帰ってきたらお話聞かせて」

 そうして迎えた翌朝、早く話を聞きたいと思ったなのはだったが、小学校を休んでまで聞けるものではない。だから話を聞けるのは早くても放課後だと思っていた。

「あっ、大丈夫。離れていても話はできるよ」

「ふぇ?」

【なのははもう、魔法使いなんだよ。レイジングハートを身につけたまま、心で僕にしゃべってみて】

 しかしそんななのはの常識を覆すかのようにユーノの声が直接頭に響いて聞こえてくる。そのことに少し驚きはしたものの、1日経って自分の常識がほとんど通用しないことを理解したのか、なのははすぐにユーノに返事をした。

【こう、かな?】

【そう、簡単でしょ? 空いてる時間に色々話すよ。僕のこととか、魔法のこととか、ジュエルシードのこととか】

「うん、それじゃあいってきまーす!」

 その言葉になのはは上機嫌で出かけて行った。

     ☆

 一方、キュゥべえは魔力エネルギーの波動を頼りに魔法少女になり得る少女を探していた。しかし少なくとも一つ回収されたとはいえ、まだ町の中には無数のジュエルシードが存在している。その一つ一つから発せられる強大なエネルギーがキュゥべえの探査能力を阻害していた。

「これは思ったよりも厄介だね」

 普段は地道に探すことも厭わないキュゥべえだったが、今はユーノという営業上のライバルがいる。ユーノより一分でも一秒でも早く、次の素養を持つ少女を見つけないといけないという思いからキュゥべえは焦っていた。

「そもそもあのフェレットはいったいどうやってなのはのことを見つけたんだろう?」
 自分がこんなに苦労して魔法少女を探しているのに、彼はあっという間になのはを見つけ契約してしまった。その手腕に敵ながら惚れ惚れする思いをしていたキュゥべえ。しかしそれも無差別に飛ばした念話をたまたまなのはが受け取ったに過ぎない。そういった事情をキュゥべえはもちろん知らない。

 そもそもキュゥべえがユーノについて知り得ていることは、彼がジュエルシードを集めているということ。そして彼が自分とは別の方法で少女を魔法少女へと変えるという二点だけだ。その二点だけを見れば、ユーノが魔法少女を量産し、この町に散らばったジュエルシードを一気に回収してしまうということも考えられる。ユーノのことを知らないからこそ、キュゥべえは血眼になって次の魔法少女を探していた。

 そんなキュゥべえの前を白い制服を来た子供たちが通り過ぎていく。その中にエネルギーを持っている子供の姿はないが、彼らが学校に向かっているというのが一目でわかった。

「学校に行けば、一人や二人ぐらい、魔法少女の素養を持つ子がいるかもしれない」

 そう思い、キュゥべえはその後に着いていくことにした。その子供たちが着ている制服はは私立聖祥大附属小学校のものだった。

     ☆

 なのはが小学校に着くと、アリサとすずかが慌てた様子で近づいてきた。

「なのは、昨夜の話、聞いた?」

「ふぇ? 昨夜って?」

「昨日行った病院で車の事故か何かあったらしくて、壁が壊れちゃったんだって」

「あのフェレットが無事かどうか、心配で」

 心底、心配そうな表情を浮かべる二人。

「あっ、えっとね。その件は、その大丈夫だよ。あの子、今、わたしの家にいるから」

 なのはは多少しどろもどろになりながらも二人に事情を説明した。もちろん魔法についてやユーノがしゃべることは一切言っていない。そんなことを言われても信じられないだろうし、何より簡単に人にしていい話じゃないと思ったからだ。

 なのはの話を聞いて安心した二人は、笑顔を浮かべてユーノの無事を喜んでいる。そんな二人の様子になのははさらにバツの悪い気持ちにさせられた。

(嘘はついてない。嘘はついてない。ちょっと、ちょこっと真実をぼかしただけ)

 乾いた笑いを浮かべるなのはに、二人は怪訝そうな表情を向ける。

「あー、それでね。あの子、飼いフェレットじゃないみたいだから、当分の間、うちで預かることにしたよ」

「そうなんだぁ」

「名前つけてあげなきゃ。もう名前決めてる?」

「うん、ユーノくんって名前」

 そうやって3人は朝の時間を談笑して楽しんだ。

     ☆

 その光景を物陰からキュゥべえが眺めていた。彼の目には3人の少女が楽しく笑い合っている光景が写されている。しかし正確にいえば、その瞳はその3人の中の1人に向けられていた。

 なのはではない。なのははすでにユーノと契約している。なのはの持つエネルギーは魅力的だが、すでに魔法少女になっている彼女はキュゥべえにとって興味の対象外だ。ユーノとキュゥべえでは魔法少女にするシステムが違うのだから、重複契約はできそうでもあるが、それをここにいるキュゥべえは良しとしなかった。それはこのキュゥべえが魔法少女への勧誘を続ける間に身につけてしまったちょっとしたプライドのようなものだったのかもしれない。

 だから彼の目にはすでになのはは眼中にない。もったいないとは思うが、キュゥべえは合理的なのだ。魔法少女であるなのはが改めて魔法少女になる契約をするなど、キュゥべえには到底思えない。だからこそ、キュゥべえの瞳はなのはを写さなかった。

 その代わり、なのはほどではないにしろ、魔法少女の素養があるもう一人の少女に、その瞳は釘付けになっていた。



2012/5/15 初投稿



[33132] 第2話 魔法の呪文はリリカルなの? マギカなの? その3
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/05/19 14:52
 高町なのはは授業を受けながら、ユーノからの念話に意識を傾けていた。

【ジュエルシードは僕らの世界の古代遺産なんだ。本来は手にしたものの願いを叶える魔法の石なんだけど、力の発現が不安定で、昨夜みたいにたまたま見つけた人や動物が間違って使用してしまって、それを取り込んで暴走してしまうこともあるんだ。昨日の白い動物みたいにね】

【そんな危ない物がなんでうちのご近所に?】

【……僕のせいなんだ】

【ふぇ?】

【僕は故郷で遺跡発掘の仕事をしているんだけど、ある日、古い遺跡の中でアレを発見したんだ。それで調査団に依頼して保管してもらったんだけど、運んでいた時空間船が事故に遭ってしまって、21個のジュエルシードはこの世界に散らばってしまった。今まで見つけられたのはたった2個】

【あと19個かぁ。……ってあれ? ちょっと待って。話を聞く限り、ジュエルシードが散らばっちゃったのって、別にユーノくんのせいじゃないんじゃ?】

 なのはは素朴な疑問を口にする。あくまでジュエルシードがこの世界に散らばってしまったのは事故が原因だ。決してユーノの責任じゃない。

【でも、アレを見つけてしまったのは僕だから。全部見つけて、ちゃんとあるべきところに返さないと、ダメだからっ!!】

 悲痛そうな口調でそう口にするユーノ。

【なんとなく、なんとなくだけど、ユーノくんの気持ちわかるかもしれない。真面目なんだね、ユーノくん】

 ユーノは自分があんなものを見つけなければ、この世界の人を危険に晒さなくて済んだと思っている。その考え自体は否定しないが、それでもなのはにはユーノが悪いとは思えない。むしろそんな責任がないのにも関わらず、自分から回収にやってきたユーノを好ましく思えた。

【えっと、昨夜は巻き込んじゃって、助けてもらって本当に申し訳なかったけど、この後は僕の魔力が戻るまでの間、ほんの少しだけ休ませてもらいたいだけなんだ。1週間、いや5日もあれば力が戻るから、それまで……】

【戻ったらどうするの?】

 だからなのははユーノの言葉を途中で切り捨て、自分の疑問を口にする。しかしなのはにはすでにユーノがどのように答えるのかわかっていた。

【また一人で、ジュエルシードを探しに行くよ】

【それはダメ。わたし、学校と塾の時間は無理だけど、それ以外の時間は手伝えるから】

【だけど、昨日みたいに危ないことだってあるんだよ?】

 その言葉になのはは昨日の光景を思い出す。確かに突然、怪物に襲われて少し怖かった。

【だってもう知りあっちゃったし、話も聞いちゃったし、ほっとけないよ。それに昨夜みたいなことがご近所で度々あったりしたら、皆さんにもご迷惑になっちゃうしね】

 なのはの脳裏には昨日、自分の親友に言われた言葉を思い出していた。自分にできること。自分にしかできないこと。ユーノを助けることは自分にしかできないし、今の自分ならユーノを手伝うことができる。将来の夢はまだよくわからないけど、それでもユーノを助けたいという気持ちは本物だ。

【ユーノくん、一人ぼっちで助けてくれる人、いないんでしょ。一人ぼっちは寂しいもん。……だからわたしにもお手伝いさせて】

【うん。ありがとう、なのは】

 そんな会話をしている間に、すでに時刻は放課後になっていた。

     ☆

 なのはが魔法について一通り教わり終わった頃、月村邸ではすずかの姉である月村忍が紅茶を飲みつつ、午後のひと時を楽しんでいた。その傍らには屋敷のメイド長であるノエルの姿もある。

 普段なら穏やかな表情を浮かべている忍だったが、今日はどこか険しい表情をしており、それがノエルには気になった。

「どうかしましたか? 忍様」

「……何か、妙な気配を感じるのよね」

 そう答えた忍であったが、忍自身もその感覚が正しいものなのかはわからなかった。しかし忍が何か違和感を覚える以上、何かあるということをノエルは確信していた。

 忍は普通の人間ではない。夜の一族と呼ばれる、一般的には吸血鬼と呼称される一族だ。しかし伝承の中にある吸血鬼とは違い、日の下でも普通に活動でき、十字架やニンニクに弱いということもない。一族の特徴としては優れた身体能力と明晰な頭脳を持ち、それ以外にも霊能力や記憶操作術などの特殊能力を持つ。その代償として他者の血液を採取しなければならない。しかしそれも科学技術の発達によって、輸血パックを大量に貯蔵できるようになり、あまり問題ではなくなっていた。

「妙な気配……ですか?」

 忍の言葉に、ノエルの表情は強張る。最初にノエルが考えたのは、忍の命を狙う狩人のことだ。他者を襲い吸血をしていないといっても、忍の存在は人間社会において脅威となり得る。忍たちも自分の正体が明るみに出ないように細心の注意を払って行動しているが、一族の中には利益のために同族を売るものもいる。

 忍の言葉はそういったものが屋敷付近で襲撃の準備をしているのかと考えた。

「えぇ。でも敵意とかそういったものは感じないのよね」

 そんなノエルの表情を察してか、忍はそう言葉を続ける。

「では、いったい?」

「それがわかれば苦労はしないわよ。でも、念のため警戒はしといてね」

「はい。畏まりました」

 二人がそんなやり取りをしていると、玄関ホールの方からすずかの声が聞こえてきた。どうやら学校も終わり帰ってきたらしい。それに気付いた二人は、すずかを出迎えようと玄関に向かって歩き出す。近づくにつれ、すずかの話し声が聞こえてくる。

「……かな?」

「……だね」

 もう一人の声に忍は聞き覚えがなかった。もしかしたら友達でも連れてきたのかもしれない。思えば、すずかがなのはやアリサ以外の友達を連れてきたのは初めてのことだ。小さい頃からすずかはとても引っ込み思案な子だった。なのはやアリサと知り合ってからは少し明るくなってきたが、それでも他に親しい友達がいるという話はあまり聞かなかった。そんなすずかが新しい友達を連れてきたことが、忍には嬉しく感じられた。これは盛大に御もてなししてあげなければならない。

 しかし玄関ホールに来てみると、そこにはすずかの姿しかなかった。

「ただいま、おねえちゃん、ノエルさん」

「おかえりなさい、すずかお嬢様」

「おかえりなさい、すずか。ところでさっき、誰と話していたの? 声が聞こえた気がしたんだけど」

「えっ? だ、誰とも話していないけど」

 忍の言葉にすずかは酷く驚いたように声を上げる。

(うーん、気のせいだったのかしら?)

 すずかの新しい友達をどうもてなすか考えていた忍はどこか肩すかしをくらった気分だった。

「お、お姉ちゃん、とりあえず先に着替えてくるねっ!」

 すずかはそう言うと、自分の部屋に向かって走り去った。その様子は酷く慌てて見えた。すずかの後ろ姿を見送りながら、忍はさっきすずかが胸元に抱いていたぬいぐるみの姿を思い出していた。白くて赤い目をした動物のぬいぐるみ。

 そういえば自分も昔はぬいぐるみに向かって声をかけていたことがある。もしかしたらすずかも同じようにぬいぐるみと話していたのかもしれない。そしてそれを姉である忍に見られ恥ずかしがった。だから慌てて自分の部屋に戻った。そう考えると、さっきのすずかの変な態度も頷ける。

「ノエル。すずかの分の紅茶を準備してくれない?」

「畏まりました」

 だから忍はそれ以上、そのぬいぐるみについて深く考えることはなかった。

     ☆

 自室に駆け込んだすずかはそのままベッドに腰を掛けた。そしてすずかは胸元に抱いたぬいぐるみ……キュゥべえに語りかける。

「ねぇ、キュゥべえ。お姉ちゃんにはキュゥべえの姿が見えていたみたいだけど」

「そうみたいだね。ボクもびっくりしたよ。まさか姉妹で魔法少女になる素養があるなんて」

 するとぬいぐるみ、もといキュゥべえは興味深そうに声をあげた。キュゥべえの姿は本来、普通の人間には見ることができない。見ることができるのは魔法少女になる素養があるものとキュゥべえ自身が自分の姿を見ることを許可した人物だけだった。

「でも彼女を魔法少女にすることはできないな」

「えっ? どうして?」

「それはね、すずか。彼女は歳を取り過ぎているからだよ。もう少し若ければすずかといっしょに魔法少女にしてあげられたんだけどね」

 そもそもキュゥべえが少女を魔法少女にするのは、魔女になる時のエネルギー集めであるということは周知の事実だ。だがそのエネルギーはある一定の年齢を過ぎると、発生しにくくなる。しかしそういった観点を無視すれば、実のところ力を持つ人物なら何歳だろうと魔法少女にすることがはできた。

 ジュエルシード集めという点に関していえば、忍を魔法少女にする利点はある。しかし魔法少女としての力もやはり若い少女に比べると劣ってしまうのが常だ。実際にユーノたちとの戦いになった時、忍がいては足手まといになる可能性もある。そう考え、忍とは契約をするつもりはなかった。

「キュゥべえ。それはお姉ちゃんに失礼だよ! お姉ちゃんはまだ十分若いよ!」

 そんな黒い考えが込められたキュゥべえのセリフだったが、すずかが注目したのは「魔法少女」の部分ではなく「歳を取り過ぎている」という部分だった。感情のないキュゥべえにデリカシーを求めるのは酷な話だが、すずかはそんなことを知らないので、大層怒っていた。

(やれやれ、人間はつまらないことにこだわるんだから、わけがわからないよ)

 そうは思ったキュゥべえだったが、これから魔法少女に勧誘するすずかに悪印象を持たれるのはまずいと思い、素直に頭を下げた。

「それですずか。さっきの話の続きだけど……」

 キュゥべえの話を聞きながら、すずかはさっきのことを思い出していた。

     ☆

 すずかにとってキュゥべえと出会うまでは、普段と何も変わらない一日だった。強いていうならアリサに話しかけられたことに気付かなかったなのはが軽く怒られるということがあったぐらいだ。

 そして放課後、すずかが二人の親友と別れ家に向かって歩いていた時、道の端に見たこともない可愛らしい白い動物を見かけた。そしてその動物は少しずつすずかに近づいてきていた。

 普段、アリサから猫屋敷と呼ばれる月村邸に住んでいるすずかは動物の扱いには慣れている。だから家にいる猫に接するような感覚でこの動物に近づけば頭ぐらいは撫でることができるのではないかと考えた。

「はじめまして、月村すずか」

 そうしてその頭に手を伸ばそうとした時、どこからかすずかの名前を呼ぶ声が聞こえた。辺りを見回すものの、すずかの周囲には人の姿がない。少し遠くの方で井戸端会議をしている奥様方の姿が見える程度だ。

「こっちだよ、こっち。ボクの名前はキュゥべえ」

 再び聞こえてくる声にすずかはようやく目の前の白い動物、キュゥべえが話しかけていることに気付く。

「もしかして、あなた?」

「そうだよ、すずか」

 ユーノに話しかけられたなのはは思わず叫んでいたが、それに対してすずかは言葉を失っていた。驚きこそあったが、それ以上に動物好きなすずかにとっては非常に嬉しいことだった。幼い頃はよく忍に「なんで猫さんとはお話しできないの?」とわがままを言っていたぐらいだ。

「ボク、キミにお願いがあって来たんだ」

「おね、がい?」

 それでも驚いていることには変わりがない。すずかは二の句がうまく告げず、キュゥべえの言葉を反芻することしかできなかった。

「ボクと契約して魔法少女になってほしいんだ」

 そして告げられるキュゥべえの言葉。この日からすずかの運命も大きく変貌していくことになる。奇しくもそれは親友であるなのはの運命が変化し始めた、次の日の出来事であった。



2012/5/19 初投稿



[33132] 第2.5話 見滝原は危険がいっぱいなの? その1
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/05/23 19:04
 なのはが初めて魔法に出会った夜、フェイト・テスタロッサと使い魔のアルフは地球に降り立った。その目的はユーノやキュゥべえと同じく、ジュエルシードを集めるためだ。直接、欲しているのはフェイトの母であるプレシア・テスタロッサだが、その役に立てるのならフェイトは何だってする覚悟で地球にやってきた。

 しかしここでトラブルが発生した。本来ならばプレシアが事前に用意していた地球の仮住まいに転送されるはずだったのだが、転送機の故障かそれとも外的要因かはわからないが、二人が降り立ったのは海鳴市から遠く離れた町だった。

「フェイト、ここ、どこ?」

「……わからない。バルディッシュは?」

≪No Date≫

 バルディッシュの返答を聞いたフェイトはその場から上空に飛び立ち、辺りの景色を確認する。建物の形や技術レベルは事前に与えられた情報と同じものだったが、風景がまるで違う。海鳴市はどちらかといえば自然豊かな海沿いの町だ。それに対して、今、自分たちの目の前に広がっているのは高いビル群。違う次元世界ということはないだろうが、大きく転送座標はずれてしまったのは明らかだった。

「母さん、聞こえますか?」

 事情が事情なので、フェイトは時の庭園にいるプレシアに連絡を掛ける。しかし何度やっても繋がらない。一端、時の庭園に戻って海鳴市に再転送してもらおうとも思ったが、それをプレシアの許可なく行って、その逆鱗に触れるのがフェイトは嫌った。連絡がつけばプレシアは許してくれるだろうとは思う。しかし独断で行い、また転送に失敗してしまうのを恐れたフェイトは、その考えを諦めた。

「フェイト、どうするんだい?」

「とりあえずこの町と海鳴市の位置関係を調べよう。近かったら飛んでいけばいいし」

 地上に降りてきたフェイトはアルフの問いにそう答える。そしてバリアジャケットを解除し、人の姿を探す。夜も遅く、また降り立ったのが住宅街ということもあったので、なかなか人の姿を見つけられない。そうしてしばらく歩いていると、前方から会社帰りと思われる女性の姿が見えた。

「おんやぁ? こんな夜中にどうしたの~?」

 その女性に話しかけようとしたフェイトだったが、その前に女性から声を掛けられた。近づいてみるまでわからなかったが、その女性は酷く酒臭い。フェイトはその様子から、この女性に話を聞いても大した情報は得られないと思い、その場から足早に立ち去ろうとする。しかし女性はそれを良しとしなかった。

「ちょっ、ちょっとちょっと、無視は良くないぜぇ。お譲ちゃん」

 そう言ってフェイトを抱きしめる女性。そしてそのままフェイトの頬を撫でまわす。あまりに突然の出来事にフェイトは全く反応できず、されるがままとなっていた。

「あんた、フェイトに何するのさ!」

 それを見たアルフは、強引に女性からフェイトを引き剥そうとする。しかし酔っ払いの女性の方もそれに負けじと、さらに力強くフェイトのことを抱きしめる。もしフェイトが女性の胸元から抜け出そうとすれば、おそらくはすぐに抜け出すことができただろう。しかしフェイトはそうしようとはしなかった。

 それはフェイトが母親の愛に飢えていたからだ。普段、フェイトはプレシアに相当酷い扱いを受けている。同じ場所に住んでいるのにあまり会うこともできず、たまに顔を合わせても叱られることがほとんどだ。

 だからこそ、こうやって誰かに抱きしめられた経験はほとんどなく、酒の臭いには目を瞑りフェイトはその感触に身を任せていた。

(人ってこんなに暖かいんだ)

 自然とその顔から笑みが零れ落ちる。それに気付いたアルフは女性を引き離そうとせず、温かい目でフェイトの姿を見つめていた。

「良い抱き心地だったぜ。お譲ちゃん。ありがとな」

「えっと、その……どういたしまして」

 しばし抱きついていた女性だったが、フェイトの感触を満喫しつくしたのか、その身体から離れるとそっと頭を撫でる。フェイトは顔を赤くして俯く。

「それじゃあな~。縁があったらまた会おうぜ~」

 そう言って去っていく女性。その後ろ姿をしばらく茫然と眺めていたフェイトだったが、肝心なことを聞いてないことを思い出した。

「ま、待ってください。ここの地名を教えてくれませんか?」

「んー、お譲ちゃんたち、もしかして迷子か?」

 女性はその場で首を斜めにして振り返り、怪訝そうな表情でそう尋ねる。

「え、えぇ、そんなところです」

「そんなら、あたしが来た道をまっすぐ辿ってつきあたりを左に曲がれば駅だよ。そんじゃな~」

 そういって今度こそ、その女性……鹿目詢子は去っていった。

 フェイトたちは詢子の言うとおり道を進む。アルフは酔っ払いの言うことなどあてになるのかと疑問に思っていたが、しばらくすると人の賑わう声とともに、駅が見えてきた。そしてその駅の名前を口にした。

「見滝原、駅?」

     ☆

 昼間は子供やカップルで賑わっている自然公園だが、夜になればひと気は急激に少なくなる。まったくいなくなるということはないが、それでも昼間に比べるとその差は歴然だ。そういった人の増減の変化が、昼間には決して感じないであろう寂れた雰囲気を醸し出していた。

 そんな公園の中央広場の噴水前で巴マミは本日の巡回を終えた。彼女はキュゥべえと契約した魔法少女だ。街の平和を守るため、日夜見回りを行い、魔女やその使い魔を退治している。

 だが最近、魔女以外にも注意すべき対象が現れた。暁美ほむら。自分と同じ魔法少女、しかしその態度や雰囲気から自分とはとても相容れる存在でないことは明らかだった。

「わかってるの?」

 そんなほむらが接触してきやすいように、マミはわざと人目がない場所で見回りを終えた。その狙い通り現れたほむら。声を掛けてくるまで気配は全く感じられなかったが、いくら敵対しているとはいえ、いきなり襲いかかってくるようなことはしないだろう。

「あなたは無関係な一般人を危険に巻き込んでいる」

 ほむらが口にしたのは、最近、自分の見回りを見学している二人の後輩のことだ。鹿目まどかと美樹さやか。同じ中学に通っている二人の後輩は、まだキュゥべえと契約はしていない普通の中学生だ。しかしそれは時間の問題だろう。

「彼女たちはキュゥべえに選ばれたのよ。もう無関係じゃないわ」

「あなたは二人を魔法少女に誘導している」

「それが面白くないわけ?」

「ええ、迷惑よ。……特に鹿目まどか」

 後半は小声で呟くほむら。しかしその声がマミにははっきりと聞こえていた。

「ふぅん。そう、あなたも気づいてたのね。あの子の素質に」

 何度も彼女たちと共にいるうちに、マミはまどかの素質に気付いた。魔法少女になればすぐに自分以上の実力を持つことになるであろう出鱈目な魔力。さやかはともかく、まどかは契約しただけで並みの魔女を倒せる力を持つことになるだろう。

「彼女だけは契約させるわけにはいかない」

「自分より強い相手が邪魔ものってわけ? いじめられっ子の発想ね」

 魔法少女といっても、全員が全員、正義の味方というわけではない。むしろ自分勝手で利己的な魔法少女の方が多い。多くの魔法少女は魔女の落とすグリーフシードを手に入れるため、他の魔法少女を邪魔者扱いする。ほむらもそういった自分勝手な魔法少女の一人だとマミは考えていた。

「あなたとは戦いたくないのだけれど」

「なら二度と会うことがないよう努力して。話し合いだけで事が済むのは、きっと今夜で最後だろうから」

 だからこそマミはほむらに最後通告をする。マミはほむらと戦いになっても負けることはないと考えていた。それはほむらから感じられる魔力がとても微弱なものだったからだ。まどかはもちろん、さやかと比べてもほむらの魔力は少ないように感じられる。よくそれだけの魔力で今まで生きてこれたと逆に感心してしまうぐらいだ。

 ほむらとて、そんな自分の実力は把握しているだろう。ならここまで言えば、ほむらが自分の前に現れることはもうないはずだ。そう思い、マミは安心してほむらの前から去っていった。

     ☆

 詢子と出会い、現在地が見滝原市ということがわかったフェイトたちであったが、肝心の海鳴市との位置関係の方はいまだに掴めていなかった。駅にいる人に尋ねてみてもその答えは得られず、とりあえず今日のところはこの町で一夜過ごし、明日から改めて情報収集をすることにした。

 しかしどこかで休むにしても、大きな問題があった。それは二人が現地通貨を持っていないということだった。事前に用意したお金はすべて、海鳴市の仮住まいに送ってしまっている。本来ならば直接転送されるはずだったので、手持ちとして用意していなかったのだ。

 そういった理由から二人が訪れたのは近くの自然公園だった。すなわち野宿である。フェイトは昔、時の庭園でアルフやリニスと一緒に見たテレビドラマのあるシーンを思い出していた。そのシーンとは高校生ぐらいの女性が新聞紙を乗せてベンチの上で眠っているというものだ。当時のフェイトはそれを見て「わたしもお外で寝る」といってリニスを困らせたのは、今となっては良い思い出だ。

 もちろん今のフェイトは外で寝るということなど考えられない。当時はまだ幼く、好奇心から口にした言葉だったが、リニスに窘まれたことによりそれはいけないことと理解していた。しかし本当にいけないことなら、ドラマにそういうシーンを入れたりしないはずだ。それに今は非常事態、一晩くらいなら問題ない。

「フェイト~、本当にこんなところで寝るのかい? そりゃあたしは狼だから構わないけどさ、フェイトはまだちっちゃい女の子なんだから、きちんとしたベッドで寝た方がいいんじゃないかい?」

「でもアルフ、私たち、お金を持っていないんだから仕方ないよ」

「くっそ、こんなことなら、あの酔っ払いの家に泊めてもらえるように頼めば良かったよ」

「ダメだよ、アルフ。知らない人の家についていっちゃ」

 そう言うフェイトだったが、詢子なら事情を話せば自分たちを快く泊めてくれたのではないかと思っていた。しかし過ぎたことを考えても仕方ない。今は少しでも温かく眠れるように、新聞紙でも探そうとした時、誰かが歩いてくる姿を見つけた。

 それだけならフェイトたちはそこまで警戒しなかっただろう。だが目の前から歩いてくる相手から魔力を感じられた。事前情報ではこの世界には魔導師はいないことはわかっている。しかしその情報が間違っているのだとしたら、目の前の人物が自分たちをこの町に誘導したのかもしれない。そう思い、フェイトはいつでもバルディッシュを使えるように準備する。

「あら?」

 フェイトの姿を捉えた人物は不思議そうな声を掛ける。まさか向こうから声を掛けられるとは思っていなかったフェイトは警戒を強くする。自分より少し年上な女の子。着ているのはおそらく学校の制服であろう。しかしそれ以上に気になるのは、あの指輪。並々ならぬ魔力を感じる。あれがデバイスなのだろうか?

「貴女たち、こんな時間に何をしているの?」

「別にあんたには関係ないだろ」

「確かにそうかもしれないけれど、でもこんな時間にこんな小さい子を外に連れて歩くなんて非常識よ」

「ぐっ……」

 自分がついていながらフェイトを野宿させることになり、アルフは気にやんでいた。だから見ず知らずの相手とはいえ、そこを突かれてしまったアルフに、もう言える言葉は何もなかった。

「えっと、その、わたしたち、眠る場所を探してて……」

「フェイトっ!!」

 そんなアルフの様子を見かねたフェイトは、自分たちの状況を目の前の女の子に説明し始める。いきなり事情を説明し始めたフェイトに、アルフが驚いて声を上げる。

【落ち着いて、アルフ。この人、少なくとも管理局じゃないよ。それに管理局だとしても、わたしたち、この世界に来てからまだ何もしてないんだから】

【あっ!?】

 フェイトたちがこの世界に来てから、まだ1時間ほどしか経っていない。その間に行使した魔法は微々たるもの。もし相手が管理局なら次元航行許可証を持っていないから多少、拘束されることはあっても、管理外世界から来たと言えばすぐに解放されるはずだ。それに目の前の人物はどうにも隙だらけ。こちらは二人ということもあり、もし戦闘になっても負けることはないだろう。

「それなら、駅前に行けばホテルがあるから、もしよかったら案内してあげましょうか?」

「いや、その、お金もなくて……」

「もしかして、お財布を落としたの?」

「そ、そうなんだよ。それでどーしたもんかと困っちゃってさ、もうここで寝ようかなんて話してたところだったんだよ」

 その言葉に、目の前の少女は少し考えるようなそぶりを見せる。

「もしよかったら、うちに来ない?」

「い、いいのかい!?」

「えぇ、幸いうちは一人暮らしだし、ここで会ったのも何かの縁だから」

 その願ってもない提案にアルフは興奮した声をあげる。フェイトも野宿をしてみたいという気持ちは少しだけあったが、やはり温かいベッドで休みたいという思いの方が強かった。明日からのことを考えると、ここで余計な疲れを残したくない。

「お世話に、なります」

「そうそう、自己紹介をしないとね。私の名前は巴マミ、よろしくね」

 そうしてフェイトたちはマミの家で一晩明かすことになった。マミは久しぶりに誰かと眠れることで、いつもより夜更かしをしてしまった。フェイトたちもマミから情報収集の名目で他愛のない雑談をし、その夜は3人にとってとても和やかな夜となった。



2012/5/23 初投稿



[33132] 第2.5話 見滝原は危険がいっぱいなの? その2
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/06/02 12:21
 巴マミが見ず知らずのフェイト・テスタロッサとアルフを家に誘ったのは、その身体から溢れる魔力に気付いたからだ。アルフはともかく、フェイトから感じられる魔力量は自分のものを遥かに上回っている。暁美ほむらだけでも手一杯なこの状況で、さらに新たな魔法少女が現れたとしたらマミ一人では対処しきれない。ならば先に彼女たちの正体を掴み、あわよくば話し合いだけで事を解決すればいいと考えていた。

「それじゃあ、アルフさんたちは海鳴市に向かったはずが、気付いたら見滝原に来ていたというわけね?」

「そうなんだよー。しかもさ、電車の中に財布を忘れてきたみたいでさ、本当に参ったよ」

 しかしそんなマミの考えは杞憂に終わった。遅い夕食を三人で囲みながら話を聞くと、彼女たちが見滝原にやってきたのは偶然だという。肝心の魔法少女であるかどうかということはわからなかったが、この町を目的としてやってきたわけではないと知り、一安心するマミ。それだけでも自分の家に誘った甲斐があったというものだ。

「本当に、ありがとうございます」

 フェイトが何度目になるかわからないお礼の言葉を告げる。

「いいのよ。気にしないで」

「でも、こんなおいしいお料理も御馳走してもらったし……」

 テーブルの上には綺麗に食事を終えた皿が置いてある。家に招き入れた後、二人がまだ何も食べてないことを知ったマミは、あり合わせの食材で料理を振る舞ったのだ。家族を交通事故で亡くしてから、マミはずっと一人暮らしだった。そのためか、家事全般はすっかり得意なことになっていた。

「あら、ありがとう。でもそれなら、そんな申し訳なさそうな顔じゃなくて、もっと美味しそうな顔をしてくれると嬉しいわ」

「美味しそうな、顔?」

「ええ、料理を作る側としては、自分の料理を食べて誰かが笑顔を見せてくれるのが、一番嬉しいことだから」

 普段、一人暮らしであるマミは最低限、栄養が摂取できればいいと考えて料理を作っている。味については二の次で、健康バランスを考え材料を選んでいる。

 しかしそれはあくまで自分だけが食べる時の場合であって、誰かに振る舞う時は違う。食べてくれる人が笑顔を見せてくれるように、心を込めて料理を作る。それはかつて、幼い頃にマミの母親が自分に対して言った言葉だった。家族と触れ合っていられた時間が短かったマミだからこそ、そういった家族との思い出を人一倍大事に生きてきた。

 今日は突然ということもあり、あり合わせで作ることになってしまったが、できれば明日は自分の創作料理である「ティロ・フィナーレ・スパゲッティ」を振る舞いたいと考えていた。

「ところで明日からどうするの? せっかく見滝原に来たんだから、よかったら案内でもしましょうか? ……といっても、明日は学校があるから、夕方からになってしまうのだけれど。明後日なら学校は休みだから朝から案内することもできるけど」

「い、いえ、そこまでしていただくわけには……。それに先を急いでますし」

 フェイトは遠慮がちに口を開く。マミが善意でそう口にしていることはわかっていたが、二人には大事な目的がある。

「そう? でもせめて見送りぐらいはさせてほしいわ」

【……どうする? フェイト?】

 マミの言葉にアルフは念話でフェイトに尋ねる。フェイトとしては早く海鳴市に向かいたいというのが本音だ。本当なら明日の朝には海鳴市の場所を調べ、出発したいくらいだ。しかし一宿一飯の恩義がある以上、マミに黙って去るというのも気が引ける。

「えっと、その、それじゃあ、明日、よろしくお願いします」

 結局、フェイトは出発を明日の夜にすることに決めた。そのフェイトの言葉にマミは満足そうに頷いた。

     ☆


 翌日、マミが学校に行っている間、フェイトとアルフは海鳴市の場所を調べると共に、この世界の情報を調べなおした。どうやら海鳴市と見滝原市は日本という極東の島国にあるらしく、そこまで近しい距離ではないが、地続きで辿りつける距離なので、一時間も飛べば海鳴市に着くことができることがわかった。さらにもう一度、この世界に魔法が存在するかどうかを調べたところ、意外な結果がわかった。時の庭園で調べた時には発見できなかった魔力を行使した痕跡。それが複数見つかったのだ。

【これはいったいどういうことなんだい?】

【……わからない】

 そもそもなぜ、時の庭園で調べた時はその痕跡が見つからなかったのだろうか? この世界について調べたのはプレシアだ。フェイトやアルフから見ても、プレシアの魔力量やその技術は凄まじいということを二人は知っている。それなのにも関わらず、魔法の痕跡を見逃した。実際にフェイトたちが調べたところ、魔法を使用した痕跡は隠された形跡もなく、その辺に転がっている石のように堂々と残されていた。それをプレシアが見つけられないとは到底、思えなかった。

【どちらにしても、この世界に他に魔導師がいるとわかった以上、あまりのんびりしている暇はない】

 もし他の魔導師もジュエルシードを狙っているのだとしたら、争いになることは避けられない。そうなったら面倒だ。

【マミには悪いけど、急いで海鳴市に向かった方がいいかもしんないね】

【……そうだね】

 アルフの言葉に心苦しそうに返事をするフェイト。マミはとても優しかった。見ず知らずの自分にとても親切にしてくれた。そんなマミに別れを告げずに去るのは抵抗がある。

 ……だがそれ以上にフェイトにとってはプレシアが大事だ。そもそも今まで、プレシアが自分に研究の手伝いをさせるというようなことはなかった。怒られることはあっても頼られることはなかったのだ。だからこそ今回、プレシアにジュエルシード集めを頼まれたのは嬉しかった。そんなプレシアの期待を裏切るわけにはいかない。

【それじゃあアルフ。一端マミの家で合流して、海鳴市を目指そう】

 フェイトはせめて、書置きぐらいは残しておこうと思い、合流場所をマミの家にした。

【……いいのかい?】

【……うん】

 そう言うフェイトだったが、その足取りはどこか重たいものだった。

     ☆

 マミは鹿目まどかに案内されて、見滝原病院に駐輪場まで来ていた。フェイトとアルフ見送る約束をしていたマミだったが、その約束を違えてもやらなければいけないことができたからだ。

「ここね」

 それはまどかとさやかが偶然、孵化する寸前のグリーフシードを見つけたことだった。こんな場所でもしグリーフシードが孵化してしまえば、多大な犠牲が出る。マミの使命はこの町の平和を守ること。その願いは命を繋ぎ止めること。フェイトたちには悪いが、その使命を優先しなければならない。

 まどかの話ではまだ結界は発生していないということだったが、二人が駐輪場にたどり着いた時にはその場に結界ができていた。幸いなことにまだ魔女は孵化していないが、それも時間の問題だろう。

【キュゥべえ、状況は?】

 マミはさやかと共にグリーフシードを見張っているキュゥべえに状況を確認する。

【まだ大丈夫。すぐに孵化する様子はないよ。むしろ迂闊に大きな魔力を使って、卵を刺激する方がまずい。急がなくていいから、なるべく静かに来てくれるかい?】

【わかったわ】

 そう言うと、マミはまどかを引き連れてその結界の中に入っていった。

     ☆

「結界!?」

 フェイトたちがその結界を発見したのは本当に偶然の出来事だった。すでにマミに対しての書置きを終え、見滝原市から海鳴市に向かって飛んでいる途中、足もとから強烈な魔力反応を検知したのだ。無視して行くことも考えた二人だったが、少しでもこの世界の魔導師についての情報が欲しかったので、その結界に近づくことにした。

 結界は明らかに自分たちの知るものとは違う術式で展開されていた。自分たちが使う結界は、魔法効果の生じている空間と通常空間の時間の流れをずらすといったものだ。しかしこれは次元のはざまに別の空間を作り出すという手法が使われている。そういった方法が自分たちの魔法でできないこともないが、酷く非効率なやり方だった。

「どうする? フェイト」

 アルフのその問いは、この結界の中に入ってみるかどうするかというものだ。明らかに未知の魔法を使う魔導師がこの中にはいる。今のところ、こちらに争う理由がない以上、下手に魔力の消費をするのはあまり得策ではない。

「行こう。何か情報が掴めるかもしれない」

 だがそれと同時にこの世界の魔導師の情報を集めるチャンスでもある。虎穴に入らずんば、虎児を得ず。フェイトたちは結界の中に侵入していった。

     ☆

 フェイトより先に結界内に入っていたマミとまどかは、グリーフシードを刺激しないため、歩いてキュゥべえたちのところまで向かっていた。

「間に合って良かった」

「無茶しすぎ……って怒りたいところだけど、今回に限っては冴えた手だったわ。これなら魔女を取り逃がす心配は……」

 まどかに声を掛けようと後ろを振り向いた時、マミにはこの町にいるもう一人の魔法少女、暁美ほむらの姿が目に入った。まさか昨日の今日で出会うことになるとは思っていなかったマミは一瞬、虚を突かれるも、すぐにきつい目つきでほむらを威嚇する。

「言ったはずよね。二度と会いたくないって」

「今回の獲物は私が狩る。あなたたちは手を引いて」

「そうもいかないわ。美樹さんとキュゥべえを迎えにいかないと」

「その二人の安全は保障するわ」

「信用すると思って」

 マミは隙だらけのほむらに拘束の魔法を掛ける。もしここでほむらを行かせたとしたら、さやかはともかく、キュゥべえの安全は保障できない。ほむらは以前、キュゥべえを殺そうとしていたのだ。今までの態度からみても、その言葉を信用できるはずがない。

「馬鹿っ! こんなこと、やってる場合じゃ……」

「もちろん怪我させるつもりはないけど、あんまり暴れたら保障しかねるわ」

 マミにとってほむらは嫌いではあるものの、決して敵ではない。あくまでマミの敵は魔女であり、町の平和に害をなすものなのだ。町の平和を守るという点では、ほむらと共闘するのが一番なのだろうが、信用できない相手に背中を任せるわけにはいかない。ならば自分の邪魔ができないように拘束しておくのが一番だ。

「今度の魔女は、これまでの奴らとはわけが違う」

 それならば、なおのこと自分が行かなければならない。マミがほむらに掛けた拘束魔法はその気になれば簡単に解くことができるようなものだった。しかしそのためにはある一定以上の魔力を拘束具に注ぎ込まなければならない。だが魔力量の少ないほむらには不可能なことだった。そんなほむらが相手にしても返り討ちに遭うだけだ。

「おとなしくしていれば、帰りにちゃんと解放してあげる。行きましょう、鹿目さん」

 そう告げてマミはまどかを引き連れて結界の奥に進んでいった。

     ☆

「ホント、悪趣味な結界だよ」

 アルフは辺りを見回しながらフェイトに零す。それはフェイトも同じ思いだった。結界の中に入って、最初にフェイトが感じたのは気味が悪いという印象だった。視界に入ってくるのはすべてが抽象的。絵具だかクレヨンだかで書かれた歪な光景。普通の人間なら入っただけでおかしくなりそうな不思議な世界。

 しかし彼女たちは魔導師だ。幼い頃から優秀な家庭教師に鍛えられたおかげか、どんな状況でも的確に対処をする術がある。流石にこのような光景は想定外ではあったものの、的確に道を選び、奥へと進んでいく。

「それにしても、いったいどこまで続いてくんだろうね」

 結界の中に入ってみたのはいいが、二人は何の情報も掴めていなかった。強いていえば、この結界は未知の魔力術式で編まれたものであることがわかったぐらいだが、それだけでは何もわかっていないのと同じだった。せっかく危険を承知で結界に侵入したのだから、せめてこの世界の住人が作ったのか、それとも別の世界からやってきた人物が作ったのか、その点だけははっきりさせておきたかった。

「……あれは?」

 そんな二人の前に現れたのは、まるで絵本に描かれた怪物だった。丸い身体に二本の細い足。身体は全体的に黒く、赤い斑点のような模様で描かれている。動かなければ周囲の景色にとけ込んでしまう見た目をしている。そんな子供の背丈ほどある怪物が数匹、二人に襲いかかってきた。

「敵っ!?」

 それに気付いたアルフは、慌ててフェイトの前に庇うように立ち、襲いかかる怪物に拳を食らわす。すると実にあっけなく怪物は吹き飛んでいく。そのあまりの脆弱さに拍子抜けするアルフ。フェイトもバルディッシュをデバイスフォームに展開し、魔力弾で怪物を吹き飛ばしていく。

「こいつらはいったいなんなんだい!?」

「たぶん、この怪物たちは結界を張った副産物として発生しているのかもしれない」

 魔力弾で怪物を粉砕しながら、フェイトは告げる。フェイトは襲ってくる怪物から自我というものがまったく感じられなかった。これは怪物というより人造生物に近い。プレシアが作り、時の庭園の警備に使っている人造兵器も思えば簡単な命令……例えば侵入者の排除などといったものしか受け付けない。ただ命令に従って動く人形。襲ってくる怪物からはそれらと同じ印象を受けていた。

「それじゃあ何かい? こいつらと争っても時間の無駄ってわけかい?」

「……たぶん」

 数こそは多いものの、怪物は一発で仕留められるほど脆弱だ。おそらくこちらの魔力を消費させることが目的なのだろう。そう判断したフェイトは攻撃を止め、回避に専念しながら奥へ進んでいく。アルフはどこか釈然としないものがあるものの、そんなフェイトの後に従った。

 よく見渡すと怪物はそこらかしこにいたが、隠れながら進む分には一向に襲いかかってくる気配がなかった。注意力があるわけでも、そこまで素早いわけでもない。慎重に進めば発見されることもなく、仮に発見されたとしてもすぐに撒けてしまう。そんな怪物を二人は脅威に思わなかった。それでも警戒を怠ることはできないが、ほっと一息をつく二人。

「そんじゃま、ちゃっちゃとこの先に誰がいるか、調べに行きますかね」

「そうだね、アルフ」

 そうして二人はさらに奥へと足を進めるのであった。

     ☆

 暁美ほむらはこれから起こることを想像し、歯がゆい思いをしていた。これからマミが戦うであろう魔女……シャルロッテは彼女一人では倒すことはできない。そのことをほむらは今までの経験から痛感していた。だからこそ、ここはマミではなく自分が戦うとそう告げたはずなのに、マミに拘束されてしまった。そんな自分の迂闊さに嫌気がさす。

 ほむらの目的は鹿目まどかを救うことだ。それが絶対であり、唯一の目的だ。そのためにはワルプルギスの夜を倒さなければならない。倒せなければまどかはキュゥべえと契約し、魔法少女になってしまう。何度繰り返してもその結末は変わらなかった。

 だからこそここでマミに死なれてはならない。彼女の力はワルプルギスの夜との戦いには必要だ。心は弱いが力はある。それがマミに対するほむらの評価だった。

「……くっ」

 現にマミの拘束を解こうとするほむらだが、まったくびくともしない。ほむらとマミの魔力量には絶対の差があった。今までほむらは繰り返しの中で数多の魔法少女と出会ってきた。基本的に出会う魔法少女は自分やまどかを含めて五人だが、稀に例外もある。まどかの魔法少女としての素養を知り、キュゥべえと契約する前に殺そうとしてきた二人組の魔法少女。ジェム摘みという名目でソウルジェムを集める魔法少女の集団が訪れたこともあった。そういった例外の発生条件はわからないが、そのすべての魔法少女に共通することは、自分より魔力が強いということだ。

 今までほむらは自分より弱い魔力の魔法少女に出会ったことはない。弱い魔法少女に会ったことはあっても、そのいずれも自分以上の魔力量の持ち主だった。油断しなければ負けることはないが、今みたいに束縛されたらそれを自力で解くことはできない。

 迂闊だったが過ぎたことを悔やんでも仕方がない。マミがいなくなれば、この町には杏子がやってくる。杏子は実に魔法少女らしい魔法少女だ。彼女にメリットを用意すれば、協力体制を取るのは簡単なことだ。本当なら三人でワルプルギスの夜に挑みたかったが、こうなってしまっては諦めざるを得ないだろう。

 そんなことを考えていたほむらの背後から足音が聞こえてくる。首を捻って後ろを見るとそこにはフェイトとアルフの姿があった。

(新しい魔法少女!?)

 ほむらは今まで見たこともない二人の魔法少女の姿に焦った。

「あんたは?」

「その質問に答える前にこのリボンを切ってくれない?」

 だがそれと同時にチャンスだとほむらは考えた。自分一人で解けない拘束でも、外部からの干渉を受ければ話は別だ。拘束さえ解ければ、あとは自分の魔法を使ってどうとでもなる。

「……バルディッシュ」

≪Scythe Form≫

 フェイトが言うと、手にした杖の形が変わり鎌状に魔力を放出する。その鎌でほむらに巻きついていたリボンを切り裂いた。

「それであんたは何者なんだい?」

 フェイトとアルフは目の前の人物が一般人でないと見抜いていた。一般人ならこのような場所で拘束されてあのように落ち着き払っているようなことはないからだ。しかし捕らわれていたことから結界を張った人物でないことも明らかだった。

「感謝するわ。でも今は時間がないの」

 そう言うと、ほむらは魔法少女の姿になり、自分の魔法を使用する。時間操作。それがほむらの使える唯一無二の魔法だった。自分を助けた二人のことも気になるが、今はそれよりもまどかのことが気になる。ほむらはこまめに時間を止めながら、まどかの元に向かって走り出した。

     ☆

「……いない?」

「いったいどこへ?」

 フェイトとアルフにとって、ほむらの姿が消えたのはほんの一瞬の出来事だった。彼女の衣装が変わったかと思うと、次の瞬間には消えていた。身構えている暇もなかった。

「移動したって雰囲気じゃなかったし、転送でもしたのかね?」

「でもアルフ、魔法陣は発生しなかったよ」

 フェイトたちの使うミッドチルダ式魔法は、使用する際に魔法陣が足元に現れる。それが現れなかったということは、やはり彼女は自分たちとは違う、現地の魔法を使用したということになる。結界の作りや魔法の使用痕跡を見ても確信できなかったが、これではっきりした。この世界には独自の魔法体系を使う魔導師がいる。

「母さんの調査が間違っていたとは思えないけど……」

「でも現にあたしたちとは違う魔法を使われたのは明らかだろ?」

「……そうだけど」

「それでどうする? フェイト。とりあえずこの世界にも独自の魔導師がいるということはわかった。今日のところはそれだけで十分じゃないのかい?」

 アルフはそう告げるがフェイトはほむらの去り際に告げた台詞が気になった。――時間がない。それはつまり彼女はこの先で何が起こるのか知っているということだ。

「もう少し先に進もう。情報を集めるだけ集められれば、今後のジュエルシード探しの役に立つかもしれないし」

「はいよ。それじゃああの女に追いつけるように、急いで行こうかね」

「うん」

 二人はその場から飛び出すように走り出した。

     ☆

(身体が軽い。こんな幸せな気持ちで戦うなんて初めて。もう何も恐くない!)

 マミは辺りにいた魔女の使い魔を蹴散らして奥に進む。自分の後ろには、大切な後輩であるまどかの姿があった。彼女の言葉がマミを孤独感から解放した。

 すでにキュゥべえからグリーフシードの孵化が始まったことを告げられたマミは、その前に何としても合流しなければならないと考えていた。キュゥべえと一緒にいるさやかはまだ魔法少女ではない。そんな彼女を危険から守れるのは自分しかいない。そしてこの戦いが終われば、まどかが魔法少女になってくれる。そうなればもう自分は一人ぼっちじゃなくなる。その思いがマミに力を与えていた。

「お待たせ」

「ああ、間にあった」

 マミとまどかはグリーフシードの前で隠れていたキュゥべえやさやかと合流する。孵化する前に現れたマミの姿を見て安心するさやか。

「気をつけて。孵化するよ」

 だが一息する間もなく、魔女……シャルロッテが孵化し始める。そうして現れたのは、人型の小さなぬいぐるみのような魔女だった。とてもほむらが言うような、強力な魔女とは思えない。

「せっかくのところ悪いけど、一気に決めさせてもらうわよ!」

 マミはシャルロッテに近づくと、マスケット銃をバットの要領で振りかぶり遠くに吹き飛ばす。その動きに対応できてないシャルロッテに向かって、銃を連射する。本来、マスケット銃は単発式だ。それを無限とも呼べる数を自身の周りに展開し、使い捨てて攻撃する。それがマミの戦闘スタイルだった。

 なす術もなく銃撃の雨に見舞われるシャルロッテ。しかし流石は魔女。使い魔と違い、銃弾を無数に食らわしても生きている。このままでは埒が明かないと判断したマミは大技で一気に蹴りをつけようと、魔女をリボンで拘束する。

 そんな魔女に向かって一丁のマスケット銃を構える。さらにそれを魔法でコーティングし、巨大化させる。その大きさはすでに大砲と呼べるほどのものとなっていた。

「ティロ・フィナーレ」

 そこから発射される一撃。それがマミの必殺技だった。その流れ技にはまったく無駄がない。手ごたえもあった。威力もある。ティロ・フィナーレをまともに食らい、生き残った魔女は今までいない。だからこそマミはシャルロッテを倒せたと思い――油断した。

 シャルロッテの口の中から現れる巨大な魔女。どこにその巨体が収納されていたのか、そんなことを考えても仕方がない。魔女に常識など通用しないことは魔法少女をやっている身としては承知しておかねばならない事実だからだ。

 シャルロッテはまっすぐマミの正面に向かい、大きな口を開く。マミの視界にはシャルロッテの口の中しか見えない。だがその脳裏には魔法少女になってからのさまざまな出来事が流れ混んできた。キュゥべえに命を繋ぎ止めてもらい、一人戦いに明け暮れる毎日。時には同じ魔法少女と共闘し、また争うこともあった。挫けてしまいそうなことがあっても、自分の力で誰かを助けることができる。自分と同じように理不尽に家族と引き剥がされる子を救うことができる。その思いがマミをここまで突き動かしていた。

 そんなマミに後輩ができた。まだ魔法少女じゃない。でもこの戦いが終われば、魔法少女になり、自分と共に戦ってくれるはずだった後輩。ここで自分が敗れれば、その後輩も危険に晒される。それは自分が死ぬこと以上に恐かった。

(鹿目さん、美樹さん)

 そんな二人の身を案じ、マミの意識はそこで途切れた。



2012/5/26 初投稿
2012/5/27 一部修正
2012/6/2 誤字脱字修正、および一部描写追加



[33132] 第2.5話 見滝原は危険がいっぱいなの? その3
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/12/25 18:08
 フェイトの一番の持ち味はその機動力にある。早く動くこと、動かすこと。――そして鋭く研ぎ澄ますこと。それは彼女が使う魔法の特徴であり、一番得意なことだった。もちろん苦手なこともあるが、今はその長所が生きた。

 フェイトとアルフがその場にたどり着いた時、マミがシャルロッテに食べられる寸前だった。それを見たフェイトは反射的にソニックムーブを発動。間一髪のところでマミを救いだしていた。

「フェイト!?」

「わたしは大丈夫」

 言いながらフェイトは自分が助けだした人物に目を向ける。

(やっぱり、マミさん)

 助けに入る前は遠目だったので確信は持てなかったが、近くで見てはっきりした。昨日一晩、自分に優しくしてくれた年上のお姉さん。それがフェイトから見たマミの印象だった。しかしこうして魔法少女の姿をしているのがわかればその事実は逆転する。

 それはマミがこちらの情報を得るために、偶然を装い近づいたということだ。思い返せば昨夜はマミに様々なことを尋ねられた。中でもこの町に来た目的はしつこいぐらいに聞かれた。それは全てこちらの狙いを探るためではないのか。その事実に気付き、フェイトは悲しい気持ちになる。

「フェイト!?」

 マミの真意に気を取られていたフェイトは、自分に向かって牙を立ててくるシャルロッテに気付かなかった。シャルロッテは『お菓子の魔女』という異名を持つ。さらに自分が欲しいものは絶対に諦めないという性質も兼ね備えていた。つまりは食い意地が悪いのである。そんな彼女が目の前で御馳走を奪われれば、怒るのは当然だろう。

「くっ……」

 重荷を抱えたフェイトは普段のように素早く飛ぶことができなかった。万が一、ソニックムーブを発動した時にマミを落としてしまえば、彼女はすぐさまシャルロッテに襲われてしまうだろう。シャルロッテの噛みつきを紙一重で避けていく。そんなフェイトをフォローするように、アルフはシャルロッテに拳を突きたてる。しかし怒りで我を忘れているのか、シャルロッテの目にはフェイトとマミしか映っていなかった。

「くっそ、この!? こっち向けよ!!」

 執拗に拳を食らわすアルフ。確実にダメージは蓄積していっているはずだが、その手ごたえがまるで感じられない。重い一撃を放てば流石に動きを止めるだろうが、それには溜めが必要だ。その隙にフェイトがやられてはと思い、軽いジャブしか放てずにいた。

 フェイトも攻撃に転じたかったが、マミを抱えている現状ではそれもかなわない。フェイトの攻撃魔法は主に電撃だ。こんな状態で放てば、まず間違いなくマミまで感電させてしまうだろう。非殺傷設定で放つ魔法でも、電撃属性を持つものは他者をショック死させてしまう可能性がある。そのことをフェイトはリニスから、口が酸っぱくなるくらい注意されていた。だから今のフェイトには避け続けることしかできなかった。

「アルフ、このままじゃ埒が明かない。ここは大きな一撃を与えて」

 このままではジリ貧になると考えたフェイトは、アルフにそう持ちかける。

「で、でもフェイト。そうしている間にあんたが……」

「わたしは大丈夫だから、お願い」

「――その必要はないわ」

 その瞬間、突然シャルロッテの身体が爆発した。突然の出来事に茫然とするフェイトとアルフ。

「あなたは今のうちに巴マミを抱えて逃げなさい」

 それは暁美ほむらの仕業だった。彼女は時を止め、シャルロッテに向かってダイナマイトを投げつけたのだ。突然の爆発にシャルロッテもよろけ、動きを止める。フェイトはほむらの言葉に従い、その隙にシャルロッテから距離を置き、そのまままどかとさやかが隠れている場所に着地した。

「この人をお願い」

 そして有無を言わさぬ勢いでマミを託すと、フェイトは再び前線へと戻っていった。



     ☆ ☆ ☆



 先ほどまで執拗にフェイト達を追いたてていたシャルロッテは、今度はほむらを一飲みにしようと大口を開けながら迫ってくる。しかしその単調な動きを避けるのはほむらにとってわけのないことだった。

 ――時間操作。それがほむらの魔法である。時を止め、その間に時限式の爆弾を口の中に仕込み距離を取る。そうして時を再び動かし、数秒の時を置いて体内からシャルロッテを爆殺する。学習能力のないシャルロッテには何をされたのかもわかっていないのだろう。口から煙を吐きながら、ひたすらにほむらに迫ってくる。

 このままシャルロッテを倒すこと自体は、簡単だ。しかしほむらはあえてシャルロッテに止めを刺そうとはしなかった。時を止めながらほむらはイレギュラーな二人に目線を向ける。金髪の少女と獣耳の女性。それはほむらが今まで出会ったことがないイレギュラーな存在だった。先ほど助けてもらった手前、表立って敵対するつもりはほむらにはない。しかし彼女たちの目的、それ次第では過去のイレギュラー同様にいずれは戦うことになるのだろう。そうなった時のことを考え、ほむらは戦いを長引かせて彼女たちの手の内を観察することにした。

「あの、さっきはその、ありがとう」

 マミをまどかたちに預けて戦場に戻ってきたフェイトは、恥ずかしそうにほむらに礼を告げる。

「いいえ、それはお互い様よ。……それより今は協力して目の前の魔女を倒すことだけを考えましょう」

 魔法少女の行動理念には様々なものがある。マミのように町の平和を守るために身を粉にして戦う魔法少女もいれば、人を犠牲にしてでもグリーフシードを手に入れようとする魔法少女もいる。大多数の魔法少女は後者である場合が多いのだが、目の前の少女はマミと同じタイプに思えた。

 それは彼女がほむらを何の疑いも持たずに助けたからだ。もしほむらの知る赤い魔法少女なら、あの場面で不必要に助けようとはしない。仮に助けることがあったとしても、その前に何かしらの対価を得ようとするだろう。だが目の前の少女にはそれがなかった。魔法少女とはいえ彼女はおそらく小学生。腹の探り合いなどできるものではないだろう。

「私が囮になるから、止めはあなたたちに任せるわね」

 その言葉に頷くフェイト。そんなやり取りをしている間にも、シャルロッテは二人を丸呑みしようと牙を突きたてようとする。左右に避けた二人に対して、シャルロッテは案の定ほむらの方を向いた。ほむらは小刻みに時を止めながら、シャルロッテではなくフェイト達の動向を観察する。

 ほむらが囮を買って出てくれたことで、フェイト達は攻撃するための準備を万全に行うことができていた。念のためにアルフには、無防備なマミ達を守るように念話で告げている。シャルロッテの注意がほむらに向いているうちに、フェイトは詠唱を始める。それに呼応するかのように、その足元には膨大な魔力の渦が展開する。初めて魔女と遭遇したフェイトにとって、目の前の相手がどの程度の強さを持つのかはわからない。だからこそフェイトは、決して仕損じないように自分の持ち得る最大の一撃を食らわせようとしていた。

 それを察知したほむらは、その膨大な魔力量に戦慄する。もちろんそれ以上に強い魔力を感じたことを、ほむらは何度もある。ワルプルギスの夜を筆頭に、魔法少女と化したまどか。そしてそのまどかが魔女化した存在。それらは全て一線を画した魔力の持ち主だ。だがフェイトから感じられる魔力はそれらに次いで高いように感じられる。もちろん前者たちとは一回りも二回りも劣る魔力量だが、それはあくまで比較対象が規格外なだけなのだ。

 だからこそ、シャルロッテもまた背後で魔法陣を展開しているフェイトの存在に気付き、動きを止める。そして先ほどまで追っていたほむらを無視し、一目散にフェイトに向かって飛んでいく。大きく口を開き、フェイトの足元に展開した魔法陣ごと飲み込んでしまう勢いで一気に近づいていく。

「――撃ち抜け、轟雷」

≪Thunder Smasher≫

 だが時すでに遅し。魔力のチャージが終わっていたフェイトはシャルロッテの口に向かって金色の輝きを放つ。辺りに轟音を撒き散らしながら、シャルロッテを内側から貫いていく。ただ一発、それだけで勝負がついた。



     ☆ ☆ ☆



 結界が解け、病院の駐輪場には六人の少女の姿があった。すでに彼女たちの服装は日常の者へと戻っている。

「それであなたたちはいったい何者なのかしら?」

 ほむらは地面に落ちたグリーフシードを拾うと、フェイトやアルフに向かってそう告げた。ほむらは最大限の警戒をフェイト達に向けていた。それはフェイトの持つ強大な魔力が原因だ。もしこれほどの魔力を持つ魔法少女と敵対することになるのだとしたら、いくら時間停止の魔法を持つほむらとはいえ対策なしでは勝つことは限りなく不可能だろう。だからまずは彼女たちの目的を早急に確かめる必要があった。

「それはこっちの台詞だよ!」

 そんなほむらに返答したのはアルフだった。現地の魔導師の情報を得なければいけないのはフェイトたちも同じである。そもそもこの世界には魔導師は存在しないはずなのだ。しかしその様子から別次元からやってきた魔導師とも思えない。もしこの世界に魔導師がいるのなら、その情報は是が非でも必要だ。
 それに先ほど交戦した魔女と呼ばれた怪物。怪物を倒して結界が解けた以上、あの結界はあの怪物が展開していたと考えるのが自然だ。あのような怪物、フェイトもアルフも見たことがない。今回はほむらのおかげで倒せたが、全く情報がないまま再び怪物と交戦することになるのだけは避けたかった。

「あ、あの、マミさんを助けてくれてありがとうございます。ほむらちゃんも……」

 そんな両陣営の険悪な雰囲気を破ったのはまどかだった。まどかの言葉に毒気が抜かれたのか、ほむらは小さくため息をつく。そしてそのまま背を向ける。

「なっ!? あんたどこに行くってんだい?」

「あなたたちが何故、この町に現れたのかはわからないけれど、詳しいことは巴マミが起きたら尋ねてみるといいわ」

 彼女たちがこの町に留まるのなら、また出会う機会はある。話し合いの最中にマミが起きても面倒だ。今の状況で三つ巴の戦いになることだけは絶対に避けなければならない。そう思ったほむらはそれだけ告げると、その場から消えた。

「……それであんたたち、何者?」

 いなくなったほむらの代わりにさやかが尋ねる。

「その前にマミさんをどうにかしないと……」

「そ、そうですね」

 だがいつまでもマミをアスファルトの上にいつまでも寝かしとくわけにはいかない。フェイトたちはとりあえず自己紹介だけ済ませ、マミの家に向かうことにした。



     ☆ ☆ ☆



「あら? ここは?」

「おっ? 目が覚めたかい?」

「えっ!?」

 マミのマンションを目の前にして、マミは目を覚ました。そしてすぐさま、自分がどのような状態か気付き赤面する。

 マミはアルフにおんぶされていた。そもそもマミを運ぶ手段はそれ以外、なかっただろう。フェイトはもちろん、まどかやさやかの華奢な身体では人一人をおぶさって長い距離を歩くことはできない。しかしアルフは成人女性の姿をしている。しかも元は狼だ。純粋な筋力だけなら、この場で一番の持ち主だろう。

「マミさん! 目が覚めたんですね!!」

「身体、痛いとこないですか?」

 マミが目覚めたことに気付いたまどかたちが心配そうに声を掛けてくる。その目にはうっすらと涙を浮かべている。

(これはいったい、どういう状況?)

 首を傾げて今日の出来事を順序立てて思い出そうとするマミ。そうしているうちに、自分がシャルロッテに食べられたことを思い出した。

「い、いったい、どうして……」

 思い出した途端、身体の震えが止まらなくなる。そうだ、自分はあの時、死んだはずだ。あの魔女に食べられたはずだ。あんなにリアルな光景が夢であるわけがない。

「あんたが間一髪のところを、フェイトが助けたんだよ」

 そんなマミの疑問にアルフが答えた。

「フェイト、さんが?」

「そうですよ。マミさん。フェイトちゃんたちも魔法少女なんですよ!」

「まさかこんなちびっこが魔法少女なんて、最初に見た時は驚きましたけどね」

「えっ? えっ? えっ?」

 突然告げられた事実にマミの頭は混乱する。確かにフェイトの魔力は普通の人間より多かった。だからこそ、二人に近づいた。しかし昨夜の話ではそれらしい素振りは見られなかった。

「魔法少女?」

「なんだい? それ」

 しかしまどかたちの言葉にフェイトたちは疑問を示す。

「えっ? あんたたち、魔法少女じゃないの?」

「それについてはボクからも尋ねたいところだね」

 そう口にしたのは、まどかに抱かれていたキュゥべえだった。

「なっ!?」

「使い魔!?」

 いきなり言葉を話したキュゥべえに警戒を露わにするフェイトとアルフ。

「……キュゥべえ、いたんだ」

「酷いなあ、さやか。ボクたちはずっと一緒だったじゃないか」

「だってあんた、さっきから全然しゃべんなかったじゃない」

「話しかけるタイミングが見つからなかったんだよ。それよりそこの二人、ボクは使い魔なんかじゃないよ」

「……それじゃあなんだってんだい?」

 訝しむ目でキュゥべえを見るアルフ。そんなアルフにキュゥべえはやれやれといった具合に告げる。

「ボクの名前はキュゥべえ。使い魔じゃなくて、魔法少女のマスコットだよ。とりあえず、詳しい話はマミの部屋についてからにしないかい?」

「……そうだね」

 キュゥべえに対する不信感を拭えないアルフであったが、その言葉には従い、マミの家に入っていった。マミの部屋に戻った一向は最初、全員でマミを休ませようとした。特に怪我らしい怪我をしていないとはいえ、彼女は魔女に殺されかけた。その精神的ダメージは計り知れないものだろう。本当はすぐにでも話を聞きたいと思っていたフェイトやアルフですら、そんなマミを気遣い、ベッドに押し込もうとした。

 しかしそれをマミが断った。マミとしてはむしろ眠るのが恐かった。夢の中でシャルロッテに食べられる光景を見てしまいそうで、それなら情報交換でもしていた方が気は紛れる。マミは率先して人数分の紅茶を淹れ終え席に着くと、すぐに情報交換が始まった。

「それで、あんたさっき、尋ねたいことがあるって言ってたけど、それってなんなのさ」

「それはいったい誰がキミたちと契約したということだ」

「えっ? どういうことなの、キュゥべえ?」

 マミにはキュゥべえの言葉が理解できなかった。だがその答えはすぐにキュゥべえから語られた。

「それは彼女たちがボクと契約した魔法少女じゃないということだ」

「……ってちょっと待って!! キュゥべえと契約しなくても魔法少女になれるの!?」

 それに驚いたのはさやかだ。まどかも口にしないだけで、とても驚いている。

「少し前まではそんなことはなかったはずなんだけどね。別の町でボクと契約せずに魔法少女になった子がいることは確かだよ」

 キュゥべえはそう言いながら、昨夜、別の町にいるキュゥべえが見た光景を浮かべる。高町なのはを魔法少女にしたフェレット、ユーノ。今まで自分たちのような存在がいなかった以上、ユーノがフェイトたちを魔法少女にしたと考えるのが自然だった。

 フェイトたちはその問いに対して、どう答えるのか迷っていた。もし別次元からやってきた魔導師ということなら、自分たちもそういった存在だと告げるのは簡単だ。しかしそうでないなら、その情報は隠しておいた方が得策だと考えられた。

「その前にこっちの質問に答えてくれないか?」

 話を逸らす意味も込めてアルフがそう尋ねる。この問いには先に向こうの情報を引き出すことで、こちらがどこまで話してよいかを判断する意味も込められていた。

「魔法、少女って何?」

 フェイトは幼い頃に見ていたアニメに憧れていた自分を思い出し、自然と照れが入り小声になってしまった。それが魔導師や魔女といったものなら、知識として実際にミッドチルダに存在しているのを知っているので照れはない。だが魔法少女というのは、あくまでアニメの中だけの存在だと思っていたフェイトにとって、ある意味でカルチャーショックのような単語だった。

「えっ? フェイトちゃんって魔法少女じゃないの?」

「うん。少なくとも、わたしたちは魔法を使う人たちのことを『魔導師』と呼んでいるから」

 だから自然とそんな言葉を口にしてしまう。

「そ、そうなのね。……私もこれから魔導師って名乗ろうかしら?」

「マ、マミさん」

 小声で呟いたマミの発現に思わず苦笑いを浮かべるまどか。しかしキュゥべえが注目したのはその部分ではなかった。

「『わたしたち』ってことは、キミたち以外にも魔導師がいるんだね。いったい、どのくらいいるんだい?」

「……その前にこっちの質問に答えろ、ちんちくりん」

「そんなに睨みつけないでくれよ。恐いじゃないか」

 アルフはキュゥべえのことをどうにも信用できなかった。その理由はわからないが、動物の勘がこいつとフェイトを二人きりにしてはならないと告げていた。

「魔法少女というのはね、キュゥべえと契約して願いを叶えてもらう代わりに、魔女と戦う正義の味方のことよ」

「願いを叶える?」

「そうだよ。ボクはどんな願いでも一つだけ叶えてあげられる。その代わりにその後の人生は魔女との戦いに身を置いてもらうことになるけどね」

 キュゥべえの言葉はフェイトにとって、とても魅力に感じられた。それはフェイトが母親の愛に飢えていたからだ。プレシアに笑顔を向けてほしい。昔のように自分に優しくしてほしい。常日頃からそんな願いを抱いているフェイトが反応してしまうのは当然のことかもしれない。

 思わず自分のそんな願いを口にしてしまいそうになったフェイトだったが、他人の力を借りてプレシアの笑顔を見ても意味がないと思いなおし、口を噤んだ。

「それじゃあ魔女ってのはなんなんだい?」

「キミたちもさっき戦っていただろう。もしかして正体もわからず戦っていたって言うのかい?」

「さっきのって……」

 二人の脳裏には、先ほど戦った怪物のことを思い浮かべた。不気味な結界を張り、他者を襲う獰猛そうな怪物。

「そう。あれが魔女。この世に絶望を撒き散らす存在さ」

 そうしてマミとキュゥべえはフェイトたちに魔女と魔法少女について説明する。魔女と呼ばれる怪物。人の呪いから生まれたそれは、人々を襲い、死に追いやる。そんな怪物と戦うために生まれた魔法少女。その説明を聞いて二人は酷く驚いた。内容はもちろんだが、この戦いは世界中で行われているらしい。それほど大規模な範囲に存在する魔力反応をプレシアが見逃した。やはりそれが信じられなかった。

「こちらの事情は話したんだ。今度はキミたちのことを聞かせてくれないか?」

 キュゥべえとしては、なんとしてもこの二人から情報を手に入れたいところだった。

「そ、それは……」

「いいよ、アルフ。わたしが説明するから」

 言葉を濁すアルフに対し、フェイトは優しげな笑みを浮かべてそう言った。その言葉にアルフはすごすごと引き下がる。

「……わたしたちは母さんの研究のため、ある宝石を手に入れにいくところだったの」

 キュゥべえの話を聞きながら、フェイトは彼女たちにどう説明するかを考えた。別次元からやってきたことを説明するとややこしくなる。かといって、まったく説明せずにこの場を去ることはおそらくできないだろう。

「ある宝石って?」

「……ジュエルシード」

 その名前を聞き、内心驚くキュゥべえ。

「詳しいことはわたしにもわからないけど、それは母さんの研究に絶対必要だから、手に入れてきてほしいって」

「それがあるのが、海鳴市ってわけね」

 二人の向かう先を知っていたマミが告げる。それに頷くフェイト。

「本当なら昨日には海鳴市についているはずだった。でも手違いでこの町に来てしまった。だから……」

 そう言ってフェイトとアルフは立ち上がる。

「わたしたちはこのまま海鳴市に向かいます」

 フェイトが考えたのは、情報を説明する時間がないという状況を作り出すことだった。急ぎの目的があると知れば、彼女たちは強く引き留めることはできないだろう。そのためには少しだけこちらの事情を話さなければならないが、遠く離れた町の出来事なのだから彼女たちには関係ない。

「えっ!? でもこんな夜遅くに……」

「そうだよ。もう少しのんびりしていきなよ。あたしももうちょっと話聞きたいし」

「急ぎなんです。もしわたしたちの邪魔をするというのなら、容赦しません」

 まどかとさやかがなんとか引き留めようとするが、フェイトの言葉に二人は押し黙る。引き留めたいのはマミも同じだったが、その様子を見て、観念したように告げた。

「……わかったわ。でもフェイトさん、用事が済んでからでいいから、また見滝原に来てくれない? 今日のお礼もしたいし」

 フェイトが見滝原にやってきたのは偶然だが、もしそうでなかったら自分はあの時、シャルロッテに食べられ死んでいただろう。

(それに鹿目さんと美樹さんも……)

 あの場にはキュゥべえがいたので、とっさに願いを決めれば魔法少女になることはできたかもしれない。しかしなりたての魔法少女では、魔法は使いこなせない。使いこなせるようになる頃には、すでにシャルロッテの腹の中だろう。

 マミはほむらの忠告を思い出す。――無関係な一般人を危険に巻きこんでいる。彼女たちは無関係ではないにしろ、まだ一般人なのだ。それなのに自分の実力を過信し、危険に晒してしまった。これからも一人で戦うのは嫌だが、それ以上に彼女たちを危険に巻きこみたくないという思いがマミの中には生まれていた。

(用事が終わったら、フェイトさんとアルフさん、見滝原に留まるように頼んでみるのも良いかもしれないわね)

 その戦いぶりは見ていないが、自分を助け、シャルロッテを倒した技量から、二人は戦い慣れているのではないかとマミは予測を立てていた。そんな彼女たちと一緒に戦えれば、こんなに心強いことはなかった。

「おいしいケーキ、用意しときなよ!」

「ア、アルフ!?」

「ふふ、わかったわ」

 フェイトとアルフはベランダに向かう。おそらく飛んでいくつもりなのだろう。マミたちも見送るためにベランダに出る。二人はバリアジャケットを展開し、飛行魔法で宙に浮く。

「それじゃあマミさん。お世話になりました」

「いえいえ、こちらこそ助けてくれてありがとう」

 そう言って二人の魔導師は見滝原を後にした。その姿が見えなくなるまで、マミたちは二人を見送った。その場にはいつの間にか、キュゥべえの姿はなくなっていた。



     ☆ ☆ ☆



 フェイトとアルフから聞けた話はキュゥべえにとって、とても興味深いものだった。彼女たちが何かを隠していることは明らかだったし、それを追求できなかった落ち度もある。だがキュゥべえには気づけたことがあった。

 それはなのはとフェイトの魔力運用がとても似ているということだ。一つの例を見てもわからないが、二つの例を見ればわかることがある。もちろん魔導師になりたてのなのはより、フェイトの動きの方が洗練されている。だがその根本的な流れが同じだったのだ。

「そう考えると、あの二人もなのはと契約したフェレットが魔法少女……じゃなくて魔導師にしたということになる」

 いや、フェイトとアルフ、二人ともと言うと語弊がある。なのはとフェイトの運用方法はほぼ同じと言っていいのに対し、アルフの運用法は少しだけ違っていた。

 それは魔力の源だ。なのはとフェイトは自身の中から魔力を放出している。しかしアルフはその魔力をフェイトから経由して使用していた。

 その違いの理由はわからないが、その運用法の関係に似ているものをキュゥべえは知っている。魔女と使い魔の関係だ。魔女が生み出した使い魔は最初、魔女からエネルギー供給を受けている。そのエネルギーを糧として成長し、魔女となる。その関係とフェイトとアルフの関係はとても近しいものであった。

「その関係性はそれはそれで興味深いけど、それ以上に彼女たちの魔力の源が知れたのは大きかったかな」

 魔導師の魔力の源、それはリンカーコアと呼ばれる器官だ。大気中の魔力を体内に取り込み蓄積し、それを外部に放出するのに必要な器官。もちろんキュゥべえはその名を知らない。しかしそれに近い働きをするものの名前を知っていた。

「あれはまるで、ソウルジェムじゃないか」

 厳密にいえばリンカーコアとソウルジェムは同じものではない。リンカーコアは魔法を運用するのに必要な器官で、ソウルジェムは魔女と戦うためにキュゥべえが加工した魔法少女の魂だ。だがその働きはキュゥべえの目から見てもとても似ていた。

「これはいったい、どういうことなんだろうね」

 どちらにしても、すでにこの町にはフェイトはいない。だからその答えをここにいるキュゥべえは解明できない。すべての謎を解くのは海鳴市にいるキュゥべえの役目だ。

「なんにしても、ボクはボクの仕事をしよう」

 ――鹿目まどか。彼女と契約し、後に発生する膨大なエネルギーを回収する。まどかのエネルギーとジュエルシードのエネルギー。それらを回収することができれば、間違いなくこの星でのエネルギー回収ノルマは達成できるだろう。

 その道が如何に困難だろうとも、達成させなければならない。――自分たちの真なる目的のために。



☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★



※2012/6/2 追記
 感想掲示板にてシャルロッテの本体についてご指摘がありました。
 調べなおしてみたら、公式でぬいぐるみ≠本体と言及されてました。
 ですので、あくまでぬいぐるみ=本体というのは、独自設定という解釈をしてくださると幸いです。
 勘違いさせてしまい、もうしわけございません。
 本当は修正した方がいいのかもしれないけど、直すの面倒くさいとは口が裂けても言えない。



※2012/10/5 追記2
 シャルロッテの本体の件で再びご指摘がありましたので、修正します。
 ただし修正時期については無印編が完結したタイミングで行おうと思います。
 これは修正よりも完結に重きを置いて書きたいという私の我儘です。
 ご理解のほどをよろしくお願いいたしますm(_ _)m



※2012/12/25 追記3
 前言を撤回する形となりますが、シャルロッテ戦を修正しました。
 なお、これまでの追記につきましては折りを見て全て消す予定です。
 修正した今となっては特に必要のないものだと思いますしね。



2012/5/30 初投稿
2012/6/2 誤字脱字修正、および追記追加
2012/10/5 追記2追加
2012/12/25 コメント欄にて指摘のあったシャルロッテ戦を修正



[33132] 第3話 ライバル!? 新たな魔法少女なの! その1
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/06/02 12:52
 翌日、ベッドから起き上がった月村すずかは寝不足だった。それは昨日キュゥべえに言われた言葉が原因だ。

「ボクと契約して魔法少女になってほしいんだ」

 その言葉から始まったキュゥべえの説明は、夜の一族という普通の人間ではないすずかにも驚きの内容だった。少女の願いを一つだけ叶える代わりに魔法少女として、魔女と戦ってほしい。まるで小説の中の物語のような話だった。

 もちろん、すずかにも叶えたい願いはある。それこそ奇跡や魔法でもなければ解決できなそうな願い。絶対に与えられるはずのないそんな力を手に入れる機会をすずかは手に入れた。

 しかしすずかには、その願いを叶えて戦いに身を置く決意がなかった。だからキュゥべえに一日だけ返事を待ってもらったのだ。

「わかった。それじゃあ明日のこの時間、返事を聞きにくるよ」

 すずかのそんなちょっとした願いをキュゥべえは快く叶えてくれた。そしてすずかの元から去っていった。キュゥべえがすずかの元から離れたのは、他に魔法少女の素質を持つ少女を探しに行くためだったが、一人で考える時間が欲しかったすずかには非常にありがたいことだった。

 そうして一晩中、考え続けたすずかはすっかり寝不足になってしまったのだ。

「はぁ~」
 一人ため息をつくすずか。寝ずに考えても、その答えは決まらなかった。もし彼女が恵まれていない少女なら、すぐにキュゥべえの言葉に飛びついただろう。だがすずかはお嬢様なのだ。生まれが少し特殊ではあるが、今の生活に不満はない。優しい家族に仲の良い友達、そんな存在がすずかの周りにはたくさんいる。これ以上を望むのは贅沢というものだ。

 だがこんな機会は二度とない。ここで断ってしまったら、この願いは一生、叶うことはないと確信していた。だからこそ迷い、悩み、苦しんでいた。

「すずかちゃ~ん。朝ごはんの準備、できたわよ~」

 扉の外でファリンが声を掛ける。すずかは普段、一人で起きるようにしている。そして食事ができる前に食堂に顔を出していた。しかし昨夜の夜更かしのせいで、今日は少し寝坊してしまったらしい。

「ご、ごめんなさい、ファリン。まだ着替えてないから」

「そう~? わかった~。冷めないうちに来てくださいね~」

 ファリンが去っていく足音を聞きながら、すずかは身支度を整える。

(そういえば今日はなのはちゃんとアリサちゃんが家に来るんだっけ?)

 自分の髪を梳かしながら、すずかは本日の予定を思い出す。今日は土曜日、学校も休みなので三人でお茶会をする予定だった。

(なのはちゃんとアリサちゃんにキュゥべえのこと、相談してみようかな?)

 もちろん本当のことをそのまま話すわけにはいかないけど、二人なら自分の期待する答えをくれるはずだ。

 そう決めたすずかは身支度を済ませ、足早に食堂へと向かっていった。

     ☆

【なのは、今日はゆっくり休日を楽しみなよ】

 すずかの家に向かう支度をしているなのはにユーノが話しかけてきた。なのはは昨日、学校帰りの神社でジュエルシードを見つけていた。子犬に寄生し戦闘になったものの、大した苦も無く封印に成功。これでなのはたちが手に入れたジュエルシードは三個となっていた。

 その戦闘でユーノはなのはの素質に大変驚かされていた。すでに自分の渡したレイジングハートはなのはのことを主人と認めている。戦闘に関してはまだどこか覚束ないものがあるものの、自分より強いのは明らかだ。魔力量に関してもそうだが、それ以外、魔法の使い方でもなのはは天才的だった。

【でもユーノくん。またジュエルシードが暴走したりしたら……】

【その時は行ってもらうしかないけど、そんな簡単に暴走したりしないよ】

 ジュエルシードは不安定だといっても、そんな頻繁に暴走するようなものじゃない。誰かの意思に触れてしまえば別だが、道端に捨てられているだけならそう簡単に暴走などしないはずだ。すでに一昨日、昨日と暴走しているが、だからこそ今日もまた暴走するなんて心配はないだろう。

【そうなの?】

【そうだよ。だから今日一日はジュエルシードのことを忘れて楽しんで。僕も楽しむからさ】

 なのははあくまで協力者なのだ。だからこういった用事をキャンセルしてまで、なのはに手伝わせたくない。しかしユーノが一人で探しに行けば、責任感の強いなのはなら必ずその後をついてくるだろう。だからなのはを安心させるために、ユーノも今日はのんびり過ごす気でいた。

 まだ少しどこか引っかかるものを感じていたなのはだったが、ユーノの言葉に納得し、笑顔で頷いた。

「なのは~、そろそろ行くぞ~」

「は~い。ちょっと待って~」

 言いながらリボンをつけて、鏡で確認する。変なところは特にないことを確認したなのはは、リビングで待っている恭也の元に向かった。

 リビングに着くと、恭也は美由希と一緒にニュースを見ていた。それは隣の県で少し前に起きた家族三人が殺害された事件のニュースだった。殺害されたと言っても人間にではなく、野生の熊に襲われたものだ。現に警察が事件発生からすぐに山狩りを行ったところ、ふもと付近で一匹の熊が発見され、射殺されていた。

「まだ娘さん、見つかってないんだね」

「そうだな」

 すでに解決しているような事件だったが、一つだけまだ解明されていない謎があった。それはその家族の娘の死体が見つかっていないということだ。発見されたのは両親の死体だけ。いくら探しても娘の死体が見つからなかった。解剖した熊の胃の中からも娘の痕跡は発見されていないことから、全国で目撃情報を募っていたのだ。

「確かなのはと同じ年頃の女の子よね」

 暗い表情を浮かべて美由希が呟く。その家族のことを自分たちのことに当てはめてしまったのだろう。

「安心しろ。美由希。仮に何かがあったとしても、俺がなのはを必ず守ってやるから。もちろんお前もな」

 そんな美由希を安心させるために、恭也が告げる。それは恭也の本心からの言葉だった。

「恭ちゃん。……そうだね。それじゃあ二人とも、いってらっしゃい」

 その言葉に美由希は暗い雰囲気を振り払い、笑顔で二人を送り出した。

     ☆

 なのはより先に月村邸に着いていたアリサはすずかや忍と一足早くお茶会を楽しんでいた。ファリンの淹れる紅茶は非常に美味しい。アリサの家にもメイドや執事はいるが、これほど上手く淹れられる人物はいなかった。普段はかなりのうっかりやだと聞いていたが、こういった特技もあるからこそ、彼女はすずかの専属メイドを務めることができるのだろう。

 アリサは紅茶を口に入れながら、正面に座っているすずかの様子を伺う。

「はぁ~」

 今日、アリサが月村邸に訪れてから七度目のため息。明らかに昨日とは違うすずかの雰囲気に、アリサは心配していた。本来ならすぐに問い詰めたいところではあったが、まだ口に出す気はない。それはこの場にすずかの姉である忍がいることと、もう一人の親友であるなのはがいないからだ。

 すずかの様子がおかしいことは忍もノエルも気づいているだろう。その上で何も言わないのなら、今この場で自分から言う必要はない。だが、なのはと三人になれば話は別だ。アリサは自分のことを我の強い女であると自覚しているし、自覚しているかはともかく意思が固いのはなのはも同じだ。そんな二人を前にして、目の前にいる引っ込み思案な親友が隠しごとできるとは思えない。そうなってから問い詰めればいい。

 少し待てば自然とその状況ができるのだ。ならば今は、優雅にファリンの淹れた紅茶を楽しんだ方が得だろう。

 そんなことを考えているうちに、なのはが着いたようだ。その肩にはユーノを乗せ、隣には恭也の姿もあった。

「恭也。なのはちゃん。いらっしゃい」

 忍は立ちあがって二人を出迎える。だがその足はまっすぐ恭也に向かっていた。忍と恭也は付き合っている。だから自分たちの中でなのはとすずかは特に仲が良いかというと、決してそういうわけではない。以前、二人に聞いてみたが、なのはたちも最初、自分たちの兄や姉が付き合っていることを知らなかったのだという。まったく別の場所で仲良くなっていった二組の兄妹、姉妹。世界が狭いとはまさにこういったことを言うのだろう。

「じゃあ、私と恭也は部屋にいるから」

「私たちはお飲物をお持ちしますね」

 そんなことを考えている内に、恭也と忍、ノエルとファリンが部屋から出ていく。残されたなのはは空いている席に座る。

「すずかちゃん、アリサちゃん、おはよ~」

「おはよう。……相変わらずすずかのお姉ちゃんとなのはのお兄ちゃんはラブラブだよね~」

 アリサは茶化すようにすずかに声を掛ける。しかし、すずかからは何の返事もなかった。

     ☆

 部屋から去っていく忍と恭也の背中を見て、すずかは羨ましいと感じていた。

 忍は数年前から月村家の当主として、夜の一族を支えている。夜の一族には敵が多い。だから弱みを見せぬと忍はすずかの前でさえも常に厳しい表情をしていた。

 そんな忍が急に笑顔になったのは、恭也と知り合ってからだった。まだ二人が恋人になる前、忍はよく自分やノエルに学校であった恭也の話ばかりしていた。その話を聞いて、すずかは恭也がどのような人物か会ってみたくなった。

 その当時、すずかが偶然仲良くなったなのはの兄が恭也だと知ると、さっそく翠屋に遊びにいった。その日、恭也は翠屋でウェイターをしていた。そして偶然、忍もその場に訪れていた。すずかは忍に見つからないようにしながら、二人の様子を観察する。すると忍は今まで見たことないようなとても楽しげな表情を浮かべていたのだ。それはすずかにとってとても衝撃的な出来事だった。しかしその数日後、すずかはさらなるショックを受けることになる。

 それは忍が恭也を月村邸に連れてきて、自分の恋人だと紹介したことだ。そしてすずかのいる前で夜の一族についての全てを恭也に口にした。

 夜の一族のことを知ることができるのは、将来的に一族に連なる者になる人物だけだ。もし忍の話を聞いて恭也が拒絶したら、その記憶を消さなければならない。だから忍は酷く恐ろしげに恭也に一つひとつ説明していった。

 すずかは普通の人間が自分たちの秘密を知って、受け入れてくれるわけがないと思っていた。自分たちは人間にとって恐ろしい存在。決して受け入れられるはずがない。だからこそ忍はあんなにも眉間に皺を寄せ、一族の敵と戦ってきたのだ。

 だから恭也が忍のことを受け入れた時、すずかにはとても信じられなかった。しかし忍は恭也のことを心から信じ、また恭也もそんな忍の信頼を裏切るような真似をしていない。そんな二人の姿を見て、いつしかすずかもその関係を認めるようになっていた。

 そんな二人の姿をすずかは見ていてとても微笑ましく思えるが、たまに憎らしく感じる時もある。忍には困った時に相談できる相手がいる。しかしすずかには忍以外にそんな相手はいない。なのはやアリサは親友だが、それでも夜の一族のことは話せない。もし話してしまったら、二人を一族に加えるか、その記憶を消さなければならない。受け入れられないのももちろん恐いが、すずかは二人を一族に加えたいとも思わなかった。二人には普通の人間であることを手放して欲しくない。だからすずかから夜の一族のことを話そうとは思わなかった。

 そんな思いがあるからこそ、すずかは二人との間に見えない壁のようなものを感じることがある。二人は普通の人間で、自分は夜の一族だから。

「……ちょっとすずか、聞いてるの!!」

「えっ……?」

「えっ、じゃないわよ! やっぱり今日のあんた、ちょっと変よ!!」

「ア、アリサちゃん。落ち着いてよ~」

「なのはは黙ってなさい!」

 なんとかアリサをなだめようとするなのはだったが、こうなったアリサが止まらないことをすずかはなのは以上に理解していた。

「ご、ごめんね。アリサちゃん」

「ごめんじゃないわよ! あたしが来てからため息を七回もしてるし! 何か悩みがあるなら言いなさいよね!!」

 それだけ言うと、すずかは腕を組んで明後日の方向を向く。その光景に茫然とするなのはとすずか。

「……ふふふ、ははは、あはははは」

 すずかの口からは自然と笑い声が響き渡った。それは次第に大きくなり、今では腹を抱えて笑っている。滅多に見れないすずかの馬鹿笑いを見て、今度はそれにアリサが茫然とする。

「な、なにがおかしいのよ!」

「だ、だって、アリサちゃん。私がしたため息の数、数えてたんだもん」

「なっ!?」

 すずかの指摘に顔を真っ赤にするアリサ。すずかはあまりの面白さに、目元から小さな涙を零す。いや、それは決してアリサの台詞が面白かっただけで流れ落ちたものではないだろう。

「……ありがとね。そこまで心配してくれて」

「……やっと笑ったわね、すずか」

 アリサは悪戯に成功した子供がするような笑みを浮かべる。そうして辺りには二人の笑い声が響き渡った。

「ちょ、ちょっとー、なのはも会話に混ぜてよー!」

 来たばかりでまだ状況を正確に掴めていないなのはが頬を膨らませて抗議する。それを見て、さらに二人は笑い合うのであった。

     ☆

「ごめんね、なのはちゃん」

「ごめん、なのは」

「むー」

 一頻り笑い終えた二人は、素直になのはに向かって頭を下げる。それに納得できないなのはは頬を膨らまして二人を睨む。

「お嬢様方、お待たせいたしました。紅茶をお持ちしましたよ~」

 まるでタイミングを見計らったように現れるファリン。実のところ、ファリンは先ほどまでのやり取りをすべて物陰から聞いていた。しかしここで自分が下手に出て行ってしまったら、さらに場をややこしくしてしまうのではないかと思い、ずっと物陰に隠れていたのだ。

「そうだ。せっかく天気も良いことですし、お茶会の続きは庭でしませんか?」

 さも、今思いついたかのようにそう告げる。今でこそ、和やかな雰囲気になりつつあるとはいえ、先ほどまで口論していた場でお茶会を続けるというのも、風情に欠ける。さらに気分を一新できればというファリンなりの配慮だった。

「そうね。アリサちゃん、なのはちゃん、そうしましょうか」

「わかりました~。ではお嬢様方、私に着いてきてくださいね」

 そうしてファリンを先頭に四人は部屋を後にした。

     ☆

「それですずか。あんた、何を悩んでるの? このあたしに話してみなさい」

 紅茶を淹れ終えたファリンがその場を後にすると、アリサが開口一番にすずかに尋ねた。

「えっと、ね。もしアリサちゃんが魔法使いに何でも一つだけ願いを叶えてもらえる代わりに、怪物と戦わなければならないって言われたらどうする?」

「……はぁ? なによそれ。あたしはね、あんたの悩みを聞かせてって言ったのよ!」

「だ、だって、これが悩みなんだからしょうがないじゃない!」

「え、えーっと、すずかちゃん。もしかしてそれって本のお話?」

 すずかの言葉だけでは、その悩みの意味はわからなかった。しかしなのはが補足したおかげでアリサにもなんとなく、すずかの悩みを理解した。

「つまりそれって、あんたが書いてる小説の話ってこと?」

 すずかは読書家だ。学校のある日は毎日必ず図書室に顔を出すし、市内の図書館にも週一で通っていると以前、聞いたことがある。そんなすずかが小説を書いていると言われたら、アリサは納得するしかなかった。

「そ、そうなの! こんなこと言われたら、主人公がどんな行動を取るのかなって悩んじゃって……」

 その言葉自体は方便だが、実際にすずかは趣味で小説を書いていた。誰にも見せたことのないその小説の内容は小学生の女の子らしい恋愛もの……ではない。吸血鬼の能力に目覚めた一人の少女が刀片手に戦い抜くという異能力バトルアクションだ。

 しかしアリサやなのはがそのように勘違いしてくれるのなら、好都合だと考えた。そもそもキュゥべえのことを話したところで、二人には到底信じてもらえるとは思わない。なのははともかくとして、アリサはとても現実主義なところがあるから尚更だ。

「はぁ~。くだらない」

 アリサは大きくため息をつく。アリサはすずかが重大な悩みを抱えていると考えていたので、ある意味その反応は当然と言える。しかしそれと同時に、大した悩みでなくてよかったと安堵もしていた。

「く、くだらなくなんかないよ~。大事なことなんだから」

「くだらないわよ。ねぇ、なのは」

「にゃ!? ここでなのはに振るの!!」

 いきなり話を振られたなのはは反応に困り、乾いた笑いを見せる。

「でも、すずかちゃんの書いた小説かぁ。ちょっと読んでみたいかも」

「……そうね。すずか、今からその小説持ってきなさいよ!」

「ひ、人に見せるのはちょっと……。それにまだ完成もしてないし」

 そもそもすずかは自分の書いている小説を人に見せる気はなかった。というよりも、あの作品はとても他人には見せられない。すずかはストレスを発散させるために小説を書いている。そのため敵を完膚なきまでに滅ぼし、その死体さえも切り刻むといった描写が何度も描かれていた。執筆中は楽しんで書いているが、書き終わるとたまに不快感を覚えるぐらいだ。そんな作品を見せられるはずがない。

「それじゃあ完成したら、あたしたちに一番に見せなさい」

「あ~、ずるいよ、アリサちゃん。わたしも一番に読みたいよ~」

 なのはとアリサはすずかの書いている小説の話で盛り上がる。その会話の節々に恋愛物語を示唆する単語が出てくるが、すずかの書く小説に恋愛要素など一切ない。あるのは憎しみと生き死にを掛ける戦いだけだ。

「あ、あはは。……そ、それでね、なのはちゃん、アリサちゃん。さっきの話なんだけど……二人ならどうする?」

 別の誤魔化し方をすればよかったと少しだけ後悔するすずかだったが、いっそ開き直ることにした。自作の小説の醜さよりも今はこの悩みを解決させることの方が先だ。キュゥべえが来た時に、もう一日待って、と言わないために二人の考えを参考にしたかった。

「そうね~。あたしなら願わないわね。なのは、あんたは?」

「にゃはは、なのはも願わない、かなぁ?」

「えっ? どうして」

 すずかはまさか二人とも願いごとしないと返事してくるとは思わなかった。

「だって願いの代わりに怪物と戦わなきゃいけないんでしょ? そんなの嫌よ。それにどうしても叶えたい願いがあるのなら、あたしなら自分の力で叶えようとするはずよ。そもそもその魔法使いが信用できないし」

 それはバニングス家の家訓だった。アリサの両親の教育方針と言い換えても良いだろう。神に祈らず自分に祈れ。自分を信じて努力し続ければ、必ず求める物が手に入る。アリサは両親や教育係の執事にそのように言われて育った。だからこそ、自分の願いは自分で掴み取ろうとするし、上手い話には乗らない。実に現実主義なアリサらしい答えだった。

「えーっとね、なのはは、まず怪物と戦うことになってまで叶えたい願いごとが思いつかないんだよね。何か願いごとがあったら、魔法使いさんに頼っちゃうかもしれないけど……」

 一方でなのはは恵まれていた。もちろんちょっとした願いごとならなのはにもある。しかしそんな危険を冒してまで叶えたい願いごとをなのはは思いつかなかった。怪物と戦う分には、すでにジュエルシードの暴走体と戦いを繰り広げるということもあり、まったく問題にはならないだろう。しかし肝心の願いごとが思いつかなければそんな魔法使いの言葉など無意味だった。

「どう? 参考になった?」

「う、うん」

 そう答えて見たものの、実際のところ、二人の答えは期待外れだった。そもそもすずかの願いごとは努力でどうにかできるものではない。彼女は生まれた時からその業を背負っている。まさに宿命なのだ。

「そ、それじゃあ、その願いが自分の力じゃ解決できないようなものなら、どうかな?」

「それでもあたしは願わないわね」

 だからこそすずかは突っ込んで尋ねるが、それをアリサはばっさり切り捨てた。

「そもそもなんでそいつは自力で叶えられないって決めつけちゃってるのよ! やってみなきゃわからないじゃない」

 さらにアリサの言葉がすずかを抉る。その言葉は確かに一理ある。やらないで諦めたら確率は0%だが、やれば1%は可能性があるかもしれない。

 ……しかしそれはすでにやってみた人物に対しては意味がない。

 今でこそ、すずかは図書館に通うのは週一だ。しかしもっと幼い頃、すずかは毎日のように図書館に通っていた。毎日、毎日難しい本を読み漁り、必死にその方法を探した。図書館だけじゃない。月村邸の書斎に貯蔵されている万を超える書籍も乱読した。そこで見つからなかったから図書館に通うようになった。そうして調べて調べて調べて調べて
 ……わかったことはただの一人もその運命に抗うことができなかったということだけだった。



 ――そう、すずかの願いは普通の女の子になることだった。



 何故、自分は他の子より頭が良いのだろう?

 何故、自分は他の子より運動神経が良いのだろう?

 何故、自分のことを他の子に話してはいけないのだろう?

 何故、自分は血が吸いたくなるのだろう?

 はじめはそんな疑問から書斎にある本を読み始めた。そうして行き着いた。自分が普通の人間ではない、夜の一族と呼ばれる存在だということを知った。本来なら、すずかがそのことを知るのは、もう少し大人になってからだった。それは忍の配慮によるものだ。まだ幼いすずかが、自分は人間じゃないと告げられ、冷静でいられるかわからない。早くても小学校を卒業してからと忍は考えていた。

 しかし現実は小学校の卒業どころか、入学前にすずかはその事実を知ってしまった。普通の人間ならまだ本に書いてある内容が理解できなかったかもしれない。だが夜の一族であるすずかは、本の内容を一度読んだだけで理解してしまった。それだけなら、まだ真実だとは思わなかっただろう。しかし忍を問い詰めた時に見た表情を見て、それが真実だと悟ってしまった。

 それからすずかは、自分の本心を隠すようになった。姉である忍のことはもちろん、メイドのノエルやファリン、そして親友のなのはやアリサのことも信用しているし大好きだ。だが最後の一線は踏み込めない。本当のすずかを知る者は誰もいなかった。

「……ごめんね。アリサちゃん、なのはちゃん、ちょっとお手洗いに行ってくるね」

 だからすずかがいきなりそう言って、その場から屋敷に戻って行った時、二人は彼女の本心に気付くことができなかった。

(あれ?)

 本心には気付けなかったなのはだったが、すずかの首筋になにか汚れのようなものがついていることに気がついた。それはまるで誰かの口付けのような形をしていた。



2012/6/2 初投稿



[33132] 第3話 ライバル!? 新たな魔法少女なの! その2
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/12/25 18:39
(……やっちゃった)

 すずかは月村邸の洗面所で自己嫌悪に陥っていた。それはなのはとアリサの前で、本心をさらけ出してしまいそうになったからだ。

 夜の一族の衝動というのは、大きくわけて二種類存在する。それは吸血衝動と破壊衝動だ。吸血衝動は血液パックで抑えることはでき、破壊衝動もきちんと血を飲んでいれば表に出てくることはない。

 それを危うく、なのはとアリサの二人――いや、アリサに向けてしまうところだった。すずかの質問に対するアリサの答え。それは『持っている』人間だけができるものだった。

 そもそもアリサとすずかの家はお金持ちという点においては同じである。広い敷地に広い屋敷、猫と犬の違いはあれど、多くの動物と共に暮らしている。メイドと執事に囲まれ、なのはという共通の友人もいる。

 ――だが一点、致命的に違う点がある。普通の人間と夜の一族。その一点がアリサとすずかを致命的にわけ隔てていた。



 自分と似ているからこそ大好きになれた。……それと同時にだからこそ憎らしい。アリサの全てを奪ってやりたい。



(……って私は何を考えてるの!?)

 すずかは自分の考えに驚いた。どうやらまだ破壊衝動が収まっていないらしい。もう一度、自分を鎮めるために深呼吸する。しかし何度深呼吸しても衝動が収まりきらない。こうなると、アリサたちの元に戻る前に血を飲みに厨房に寄った方がよいかもしれない。そう思ったすずかは厨房に向かおうとする。だがその周囲の景色が歪み、すずかは月村邸から忽然と姿を消した。



     ☆ ☆ ☆



 フェイト・テスタロッサの朝は早い。だが例外もある。昨日、夜通しで飛んでいたフェイトが海鳴市に到着し、ベッドの中に入ったのは深夜のことだった。大人ならともかく、まだ九歳のフェイトが寝る時間としては、非常に遅い。アルフもシャルロッテとの戦闘で疲れているであろう主人を気遣い、朝に起こそうとはしなかった。

 だからフェイトたちがジュエルシードの捜索を始めたのは、ほんの一時間ほど前からだった。空を飛び、広域サーチで周囲の魔力反応を探す。そして見つからなければ次の地点に移動して、またサーチする。そうした地道な作業を繰り返し、時間を掛けて探していくつもりだった。だが幸いなことに、ジュエルシードの反応はすぐに見つかった。

 だがそれだけではなかった。ジュエルシードの反応があったすぐ近く、そこに魔女の結界と同様のものを発見したのだ。

「これは、厄介なことになったね」

 そもそもフェイトたちは魔女についてほとんど何も知らないといって等しい。シャルロッテとの戦いの時は、ほむらの助力が会ったおかげで難なく倒すことはできたが、今回もそう上手く行くとは限らない。止めの一撃こそフェイトのサンダースマッシャーだったものの、彼女が弱らせていなければどうなっていたか、二人には判断の付けようがなかった。

 正直な話、倒せるものならば倒しておきたい。魔女を放っておけば一般人に被害が出る。それは彼女たちにとっても望むところではない。もちろん一番に優先すべきはジュエルシードだが、無関係な人々を死に至らしめる存在を放置するような真似はできない。

「……わたしたちだけで、倒せるのかな?」

【キミたちになら、それも可能だろうね】

 自然と漏れるフェイトの不安。それに応えるかのように聞き覚えのある声がフェイトたちの脳裏に響く。周囲を見渡すと眼下に一匹の白い生物がいるのに気がついた。フェイトたちはその生物の元に向かって降り立つ。

「……キュゥべえ?」

「やぁフェイト・テスタロッサ。それにアルフ。初めまして」

「あんた! どうしてここに!?」

 いきなり現れたキュゥべえを露骨に警戒するアルフ。それもそのはずだ。キュゥべえと出会ったのは、海鳴から遠く離れた見滝原。夜通しで飛んでやってきたフェイトたちについてきたわけでもないのに、海鳴市にいるのはどう考えてもおかしい。

「一つ、訂正させてもらいたいんだけど、昨日、見滝原で会ったボクと、ここにいるボクは別の存在だ」

「……どういうことだい?」

「簡単な話だよ。魔女はこの世界の至るところにいる。現にキミたちだって、先ほど発生した結界を感知したはずだ。それなのにボクがたった一匹で魔法少女を探していると思うのかい? ――答えは否だ。魔女があらゆる場所にいるように、ボクたちも世界中に散らばっている。そしてそれぞれの町で祈りを叶えたい少女を探しているというわけさ」

「……じゃあなんで、あんたがあたしたちのことを知ってるんだい?」

「世界中のボクたちは意識を共有しているんだ。だから言っただろう。『初めまして』って」

 キュゥべえの説明を理解することはできたが、それでもアルフは警戒を緩めなかった。キュゥべえはやはり得体のしれない存在だ。ある意味、魔女以上に不気味だとアルフは感じ取っていた。

「それでフェイト、実はキミにお願いがあってきたんだ」

「あんたまさか、フェイトに魔法少女になって魔女と戦えっていうんじゃないだろうね?」

 アルフとしては、それだけは何としても避けたかった。シャルロッテのような怪物と日夜、戦い続ける生活など、フェイトを不幸にするだけだ。

「半分は当たりかな」

「半分?」

「そう、実は今、この町に魔法少女はいないんだ。一人、契約する直前の子がいるんだけど、どうやらその子が結界の中に捕らわれてしまったみたいなんだ。だからフェイト、その子を助けてあげてくれないかな?」

 もちろんキュゥべえは、フェイトを魔法少女にできるのが最良と考えていた。今、この町で魔法少女資質を一番に持つのはフェイトだ。なのはも確かに強い資質を持っているが、それでもフェイトの持つ因果の深さには負けているように思う。

 魔導師を魔法少女にすることができるかどうか、それは今はまだわからない。だがそれを確かめる意味でも本当はそう持ちかけたかった。しかしアルフのいる前ではそれは不可能だろう。もしフェイトに契約を持ちかければ問答無用で拳を叩き込む。そう彼女の目が語っていた。

 だから今は、すずかの命を最優先と考えた。魔法少女にしてしまえばエネルギー回収は簡単に行えるが、普通の人間のままではそれも不可能。並みの魔法少女にしかならないとはいえ、ジュエルシードのことも考えると、このまま死なせてしまうのは非常に惜しい。

 それにここでフェイトたちとの関係を深めておけば、いずれ魔導師やユーノについて聞ける機会があるかもしれない。彼女たちの使う魔法はなのはの使うものと同じなのだから、必ずつながりがあるはずだ。その情報は何としても手に入れなければならない。

「……わかった」

「フェイト、いいのかい?」

「うん。母さんの願いを叶えるのは大事だけど、それでも誰かを見殺しにするようなことはできないから」

「そりゃそうだね。……んじゃま、そういうわけだから、あんたには案内役を頼むよ」

 アルフはキュゥべえの首根っこを掴むと、頭に乗せる。

「……アルフ、ずるい」

 それを見たフェイトが頬を膨らませて愚痴る。どうやらキュゥべえは自分が運びたかったらしい。見た目だけで言えば、キュゥべえは可愛らしいマスコットのような外見をしている。だからこそ、数多の少女が騙され、契約してしまうのだ。

 アルフとしては、フェイトとキュゥべえを近づけたくないが故の行動だったが、それがフェイトを怒らすことになるとは思わなかった。

「あー、えっと、これはだねぇ」

 なんとか誤魔化そうとするアルフだったが、フェイトの無言の圧力に耐えきれなくなり、結局キュゥべえをフェイトに渡すことになった。受け取ったフェイトは、年相応の笑顔を浮かべると、その身体を強く抱きしめた。

「……やれやれ、わけがわからないよ。こんなことしている場合じゃないのに……」

 その胸の中でキュゥべえは小さくそう呟いたが、フェイトがその声に耳を貸すことはなかった。



     ☆ ☆ ☆



 すずかは自分の身に何が起きたのかわからなかった。自分は厨房に向かって廊下を歩いていたはずだ。それなのに気がついたらまったく見覚えのない場所に立っていた。いや、見覚えがないだけならまだいい。すずかの周りの景色は、彼女が歩くたびに変化し、道を複雑にしていく。まるで変化する迷路みたいだ。右を見れば、ウエスタン時代の街並み。左を見れば宇宙ステーションの残骸。そして再び右を見れば深海。光の届かない海の中を写したような暗闇。他にも表現しきれないくらい、様々な景色がすずかの前で変化していった。

「もしかしてこれが魔女の結界?」

 昨日、ある程度の話をキュゥべえから聞いていたすずかは、すぐにその可能性に思い当たった。しかし知識として理解していても、実際に体験するのとではまるで違う。すずかの目の前で繰り広げられる常識が通用しない光景に、彼女は身体を強張らせその場で膝をついていた。

(……こ、恐い)

 人間というものは未知のものに恐怖する。ホラー作品などまさにその極みだ。初めてホラー映画を見た人が驚くのは、突然お化けや怪物が画面内に現れるからだ。すずかも例に及ばず、目の前で移り変わる景色に恐怖を覚えていた。身体は震え、足はすくみ、まともに立っていることすらままならない。

(……しっかりしないと)

 すずかは自分の両頬を手で叩く。痛みで強引に震えを抑える。こんなところで蹲っていたら、それこそ魔女の餌食になってしまう。今の自分は誰かに見張られているわけでも、ロープで縛られているわけでもない。自由に歩くことができる。ならば早くここから立ち去るべきだ。

 なんとか立ちあがったすずかは、その場から駆け出す。走る音が辺りに反響する。その音を聞きつけたのか、異形の怪物がすずかの前に現れた。一言で表すなら人面蝶。しかしその顔は決して人間の顔ではあり得ない。鼻も口も一つずつだが、目の数が二つではなかった。七つ。その怪物には七つの目玉がついていた。それが三匹。その全てがすずかの姿を捉えて離さなかった。

「……ひっ!!」

 冷静さを取り戻したすずかだったが、再びパニックに陥ってしまう。夜の一族とはいえ、すずかの持っている力などほとんどない。せいぜい普通の人間より運動神経が良く、普通の人間より頭が良い。それもオリンピックを目指す候補選手や学者などに比べれば遥かに劣る。所詮、すずかなど少し優秀な人間でしかないのだ。アニメや小説のような強力な吸血鬼の能力があれば話は別だが、ほぼ普通の人間であるすずかにこの状況を打開できる手立てはなかった。

 すずかはなんとか足の震えを止め、走り出す。しかし人面蝶はその見た目とは裏腹に、ものすごく速かった。あっという間にすずかを囲い込む。そしてジリジリと近づいてくる。

「イ、イヤッ! 誰か助けて!!」

 すずかは思わずその場に蹲り目を閉じる。辺りに響く爆音。そしてしばしの静寂。すずかが恐る恐る目を開けると、そこに人面蝶の姿はなく、代わりに金髪の少女の背中が映っていた。



     ☆ ☆ ☆



「大丈夫?」

 フェイトは蹲っていたすずかに声を掛ける。髪は乱れ、目元には涙の跡がある。よっぽど恐い思いをしたのだろう。

 人面蝶がすずかに群がる直前、フェイトは雷撃で吹き飛ばした。間一髪のところで誰かを助けるのはすでに二度目だ。それもこの世界に来てからまだ三日。元々、怪物退治に来たわけではないフェイトたちにとっては聊か複雑な気持ちだった。

「すずか、怪我はないかい? こんなことになるなら、もっと早くに契約しておけばよかったよ」

「キュゥ、べえ?」

「そうだよ。まさかキミの家の中で結界が発生するなんて、思いもよらなかったよ」

 キュゥべえの姿を見て安心したすずかは、その身体を強く抱きしめ泣き始めた。為すがままにされながら、キュゥべえは魔女が結界内を動き出したことを察知する。

「……アルフ。すずかを連れて結界を出て。お願い」

「フェイト!? それは……」

 そしてそれはフェイトも同じだった。大きな魔力反応が近づいてくる。おそらくこの結界を作り出している魔女だろう。魔女を相手に自分がどこまで戦えるのかはわからない。それでも彼女は守らなければならない。だからこそフェイトはアルフにすずかを先に逃がすことを命じた。

「いいから早く!」

 だがフェイトたちにはそんな暇すら与えられなかった。辺りの景色が突然、ガラスのように割れる。そうして広がるのは花畑。ただし地面にだけではない。全方位、頭上にも壁にも花に包まれていた。それ以外に目立った障害物はない。それはすずかを隠せるような場所もないということを意味していた。

 そうして魔女バルバラが姿を現した。最初に目につくのは巨大な花。花弁の色は虹色、辺りには鼻が曲がりそうなほどきつい香りが漂っている。樹齢何千年の樹木ほどある茎の先は無数の蔦にわかれている。その色は花弁と同じく虹色。その蔦の一つひとつの先に小さな花が咲き誇っていた。

「昨日の魔女と、まるで違う」

「魔女はその性質によって、姿形が違うんだ」

 フェイトの疑問にキュゥべえが解説する。しかしフェイトにはその声を聞いている暇はなかった。それはバルバラから無数の蔦がフェイトに襲いかかってきたからだ。フェイトはその蔦を時にかわし、時に切り裂きながら距離を詰めていく。なんとか攻撃に転じたいところだったが、そんな暇もないくらいの勢いでフェイトに蔦が襲いかかる。

 一方、アルフたちの元へも蔦が襲いかかってきていた。アルフは防御結界を張って持ちこたえる。しかし圧倒的な物量で迫る蔦に、押し潰されそうになっていた。

「アルフ!? ――バルディッシュ、アークセイバー!」

≪Yes sir. Arc Saber≫

 フェイトはとっさにアークセイバーを放ち、アルフの防御結界を囲っていた蔦を切り裂く。しかし切り裂かれた傍から蔦が伸び、アルフの結界を圧迫し続ける。

【フェイト、このままじゃ……】

【わかってる。……だけど】

 アルフを助け出すには、速攻でバルバラを倒しきるしかない。しかしまるでマシンガンのような蔦の猛襲がフェイトの動きを封じていた。何度か、花弁に向かってアークセイバーを放つことができたフェイトだったが、その周りには防護壁があるようで攻撃が届かない。

(こうなったら……!)

 遠距離攻撃が効かないのなら近距離から攻めるしかない。フェイトは魔女バルバラに向かって真っすぐ突っ込んでいく。もちろんそんなフェイトに向かって無数の蔦が襲いかかる。それをフェイトは紙一重でかわしていく。時にはクモの巣のように網を張り、フェイトの行く手を遮ろうとする蔦もある。だがそれもアークセイバーで切り裂き、確実に花弁へと近づいていった。

「はぁーッ!!」

 そしてフェイトはその勢いを殺さないまま、花弁に向かってサイズフォームのバルディッシュを叩きつけた。金色の刃と虹色の防護壁が火花を散らす。そうしている間に、フェイトの身体に蔦が絡みつく。

「フェイト!?」

 それを結界の中で見ていたアルフは声を上げる。しかしフェイトは攻撃を止めない。むしろその力をさらに強める。その甲斐あってか、少しずつバルディッシュの刃が防護壁に食い込んでいく。

 だがそれと同時にフェイトの身体も蔦に包まれていく。すでに下半身は蔦で完全に覆われてしまっていた。上半身もほとんど見えない。このままじゃ、防護壁を破る前に魔女に捕らわれてしまうのは明白だった。

「――バルディッシュ。お願い」

≪Yes sir. Photon Lancer≫

 それを打開するために周囲にフォトンランサーを展開する。その半分をアルフの結界に向けて飛ばし、そしてもう半分を自分の身体にぶつけた。アルフの結界に向けて飛ばしたフォトンランサーは、一切その結界を傷つけることなく、周囲の蔦だけ焼き焦がした。

 しかしフェイト自身に向かって飛ばした物は違う。フェイトの攻撃魔法には電撃属性がつく。それを至近距離で食らえば、フェイト自身も感電するのは当然のことだ。

「くぅ……あぅ……。はぁーッ!!」

 だがそのおかげでフェイトに絡まっている蔦の大半は焼け落ちた。再び邪魔される前にフェイトは、バルディッシュに込める力を強める。そして一気にバルバラを守る結界を切り裂いた。

「これで、おしまい!!」

≪Scythe Slash≫

 そしてそのままバルバラの胴体を一刀両断する。バルバラを倒した。――フェイトはそう確信していた。



     ☆ ☆ ☆



 すずかはアルフの作った結界の中でフェイトの戦いを眺めていた。自分と同じぐらいの年齢の女の子。それなのにも関わらず、巨大な魔女であるバルバラに向かって果敢に挑んでいく。自分に近づく蔦をギリギリで避けながらバルバラに向かって飛んでいく。

「はぁーッ!!」

 そしてついにフェイトはバルバラに肉薄すると、その身体に鎌を突き立てた。だがその攻撃はバルバラを守る結界によって阻まれる。それでもフェイトは引かなかった。身体に蔦がいくら巻きつこうとも、その場から離れようとしなかった。

「フェイト!?」

 結界を張っていたアルフが声を荒げる。フェイトの身体はバルバラの蔦によって覆われていく。しかしフェイトはそんなことにまるで気付かないように攻撃をし続ける。そしてあっという間に蔦に包まれてしまう。そうしてフェイトの全身が包まれた時、バルディッシュから光の刃が消えた。

「フェイトォォォーーー!!」

 アルフが咆哮する。だがその声はフェイトには届かない。フェイトは今、バルバラが作りだした夢の中にいた。バルバラの本体や蔦の先に咲いている花弁から放たれる甘い香り。それは対象の意識を幻惑する効果が含まれていたのだ。その結果、フェイトはバルバラを倒した幻を見せられ、身動きが取れなくなってしまった。

「すずか。この場を打開するには、キミが魔法少女になるしかない」

 この状況に危機を感じたキュゥべえがすずかに語りかける。

「このままではフェイトは死ぬ。そしてボクたちもいずれは、あの魔女にやられるだろう。それを打開するには、キミの力が必要だ」

「で、でも、私は……」

「すずか、ボクにはキミが何を迷っているのかはわからない。でも叶えたい願いはあるんだろう? それを叶えないうちに死んでしまっていいのかい?」

 キュゥべえはすずかに何かしらの願いがあることを見抜いていた。ただ魔法少女になる決断ができないだけ。だからこそ一日の猶予が欲しいことを持ちかけられた時、キュゥべえはその提案を受け入れた。一日経てば、彼女は魔法少女になるという確信があったから。

 しかしキュゥべえは知らないことだが、魔法少女になるということはすずかの願いが完全に叶わないことを意味する。彼女の願いは普通の女の子になること。それをキュゥべえに願えば、彼女は夜の一族ではなくなることはできるかもしれない。だがその代わりに魔法少女になる。魔法少女は決して普通の人間とは呼べない。そのことがこんな状況でも、すずかを迷わせていた。

「……すずかって言ったね」

 そんなすずかにアルフが声を掛ける。

「お願いだよ。フェイトを助けておくれよ。このままフェイトが死んじまったら、あたしは、あたしは……」

 アルフは泣きながら、すずかに懇願する。フェイトが死ねば、使い魔であるアルフは消える。それは恐くない。そんなのは最初からわかりきっていたことだし、覚悟もしていた。だがフェイトを守れず消えるのがアルフには恐かった。群れからはぐれ、自分の命を救ってくれたフェイト。そんなフェイトを守りきることができず、なにが使い魔か。本当ならすずかたちを放って助けに行きたい。だがフェイトに頼まれた。すずかを守れと。だからアルフはその使命を守る。唇を噛み締めながら、フェイトを助けに行きたい思いを我慢する。

「……っ!! キュゥべえ、お願い」

 そんなアルフの姿を見て、すずかは自分の迷いを断ち切る。魔女は恐い。自分ではフェイトのように上手く戦えないかもしれない。

 ――だがそれ以上に今、ここで何もできないまま死ぬのは嫌だった。

「それじゃあすずか、願いを言ってごらん」

 キュゥべえの問いかけに、すずかは自分の素直な思いを告げる。今まで望んでいた願いではなく、この場で生まれた強い想い。その全てをキュゥべえに捧げた。



「私は――私は強くなりたい」

「夜の一族である私を受け入れられる強さを――」

「私の大切な人たちを守れる強さを――」

「そして運命を切り開いていける強さを――」

「――そう、私は強く在りたい」



 普通の女の子になること。それは確かにすずかの願いであり夢だった。だが夜の一族であることを止めて普通の女の子になったところで何になるというのだ。確かに吸血衝動や破壊衝動に怯えなくなるかもしれない。なのはやアリサに隠しごとをしなくて済むかもしれない。

 ――だがそれだけだ。それよりもすずかは、その運命を受け入れて、さらに切り開く強さを選んだ。他人を気遣う優しさを持つ高町なのはのように。自分を信じる強さを持つアリサ・バニングスのように。果敢に魔女に挑んでいったフェイト・テスタロッサのように。そして……涙を浮かべながら自分を守ってくれたアルフのように。

「契約は成立だ。キミの祈りはエントロピーを凌駕した。さぁ、解き放ってごらん。その新しい力を」

 すずかの胸から赤紫色の輝きをした宝石が出てくる。ソウルジェム。願いをかなえた代償として出てくる魔法少女の命。それを手に持ち、すずかは祈った。あいつを倒せる力を――。フェイトを助け出す強さを――。

 ――そして次の瞬間、すずかの姿は輝きに包まれた。



2012/6/5 初投稿
2012/12/25 第2.5話のシャルロッテ戦の顛末の修正により、矛盾が発生した部分があったので微修正



[33132] 第3話 ライバル!? 新たな魔法少女なの! その3
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/06/12 23:06
 光に包まれたすずかの姿は、まるで別人のように変わっていた。

 まず目につくのは赤い瞳だ。すずかの本来の瞳の色は紫だ。それが今は血のような深紅に染まっている。さらに口元からは牙が見え隠れしている。長く伸びた犬歯は、とても人間のものとは思えない。服装は赤と黒を基調にしたシックなドレス。その胸元には彼女のソウルジェムが赤紫色の輝きを見せている。そんな彼女の手には一本の刀が握られていた。その刃も銀色ではなく深紅。まるで人を斬り、血を吸って色づいたかのような血色だ。

 彼女の姿はさも、伝説の中の吸血鬼のようだった。子供なので風格はないが、その全身から漂う威圧感に近くにいたアルフは身震いした。

「アルフさん、結界を解いてください」

「……えっ? でもそんなことしたら……」

 突然のことにアルフはしどろもどろになって答える。心なしかすずかの口調も少し高圧的に思えた。

「解きたくないなら、私が自分で破っても構いませんよ」

 すずかは手に持った刀を構える。まるで居合のような構え。しかしその刀は鞘に収まっていない。むき出しの刃の部分を、さも鞘があるかのように握る。当然、その手は切れ、血が刃に滴る。だが決して床に垂れることはなかった。すずかの手から零れる血を、刀が吸収しているからだ。

「アルフさん、早く!!」

 すずかが急かすように告げる。その言葉にただならぬ気配を感じ取ったアルフは、すぐに防御結界を解除した。結界がなくなると同時に、囲っていた蔦が襲いかかってくる。

「赫血閃ッ!!」

 その蔦がすずかたちの身体に触れる前に、刀を薙いだ。

 薙いだ刀から飛ぶ赤い閃光。前後に放たれたそれらは、周りに広がっていた蔦を滅していく。切り裂かれているのではない。当たった端から燃焼しているのだ。それを茫然と眺めているアルフ。茫然としていたアルフが気がついた時には、すでにすずかは動き出していた。彼女は目にも止まらぬ勢いで魔女の目の前に行くと、その脇にあった蔦の塊を切り裂いていく。そしてその中から気絶したフェイトを救い出した。

「これは、想像以上だ」

 すずかの動きを見てキュゥべえが呟く。だがすずかがそれほどの強さを発揮したのは、ある意味で当然のことなのかもしれない。彼女の願いは強く在ること。つまりあれはすずかの理想の強さなのだ。もしも、すずかの願いが当初の普通の女の子になることだったならば、これほど圧倒的な展開にはならなかっただろう。

 しかしそれだけでは説明がつかないことがある。それはすずかの力が強いだけでなく、戦い慣れていたことだ。蔦をかわす動きも最小限のもので、攻撃の切れ味も鋭い。さっきまでただの少女だったすずかが、願うだけでここまで別人のような動きができるものだろうか? 今まで数多の少女の願いを叶えてきたキュゥべえだったが、すずかのような例は初めてだった。

「アルフさん。フェイトちゃんをお願いします」

「あ、あぁ、わかったよ」

 魔女の猛攻を振り切りアルフたちの元へすずかが戻ってくる。そしてその手の中で眠っているフェイトをアルフに託すとすぐさま、戦場に戻っていく。そんなすずかにバルバラの蔦が無数に襲いかかる。しかしそれを悉くかわしていく。

(――見える)

 すずかには魔女の攻撃が手に取るように見えた。いや、攻撃だけじゃあない。魔女が展開する見えない防御結界、そして魔女の心臓ともいうべき核。その位置が彼女の目にははっきりと写されていた。

 すずかは刀身に親指を当てる。切れた親指から流れる血液を刀に吸わせる。血を吸うごとに手に持つ刀の鼓動を感じる。

 そう――この刀は生きていた。すずかとは違う生命、はっきりとした命を持っている。名前は火血刀。火途、血途、刀途の三途からなる地獄、畜生、餓鬼の三悪道の名だ。火途とは猛火で身を焼かれる地獄道。血途とは互いに食い合う畜生道。刀途とは刀剣や杖で脅迫される餓鬼道を意味する。それら三つの性質をこの刀は持っていた。

 その刃から放たれるのが赫血閃。先ほど蔦を燃やしつくした技の名前だ。自分の血液を贄に、他者を食らいつくす業火の刃。吸わせる血が多ければ多いほど、強靭で強力な力となる。

 その刀は本来、この世に存在しないものだ。だがすずかはその名を最初から知っていた。それはすずかの書いていた小説の主人公の持つ刀だったからだ。いや、刀だけじゃない。彼女が魔法少女になった姿、それ自体が小説の主人公の姿だったのだ。自分が思い描いた小説のキャラクター。その能力や技を、すずかは全て把握している。だからこそ彼女は、魔法少女になりたてだというのに、自分の力を完全にコントロールできていた。

 一撃でバルバラを倒すために、すずかは火血刀に血を吸わせる。そしてその吸血鬼の眼で見抜いた、バルバラの核へと近づいていく。

 ――バルバラの核、それは根っこの部分にあった。植物が栄養を採り入れる箇所は大きく分けて二つ。すなわち葉と根だ。葉で太陽光を吸い、根で地面の水分を吸う。しかしバルバラには葉はない。あるのは大量に咲き誇る花だけだ。ならばその心臓部が根っこであるのは当然の帰結だった。

 すずかは射線上にバルバラの核を捉える。そして先ほどと同じように居合の構えをし、一気に解き放った。

「赫血閃ッ!!」

 叫ぶ技の名前は同じ。しかしその威力は先ほどとは比較にならない。最初に放った赫血閃では蔦は燃えて、後には燃えカスを残した。しかし今度の赫血閃では、まるで蒸発していくように触れた端から消滅していく。蔦だけでなく、防護結界でも一瞬の足止めにすらならない。もはやバルバラにその閃光を止める術はなかった。

「■■■■■■■■■■■■■■■■――!!」

 核が斬り裂かれたバルバラは声にはならない悲鳴を上げ、燃え尽きる。その炎が消え去った時、そこには真っ二つに切られた小さな使い魔と二つの宝石が落ちていた。それはグリーフシードとジュエルシードだった。

     ☆

「ふぅ~」

 裂かれた使い魔の姿と共に結界が消え、周囲の景色は月村邸の廊下へと戻る。魔法少女の衣装から普段着に戻ったすずかは、その場で腰が抜けたかのように倒れこんだ。そんなすずかの元に近づいてくるアルフとキュゥべえ。二人はその足元に転がっている青い宝石を見てとても驚いた。

「これはジュエルシードじゃないか!? こっちの黒いのはよくわからないけど」

「黒い方はグリーフシードだね。あれほどの魔女だったんだ。むしろ持っていない方がおかしい。しかし……」

 キュゥべえはバルバラが倒された時に現れた使い魔の姿を思い出す。真っ二つに裂かれ、燃えていた使い魔。すずかの攻撃の射線上には、使い魔などいなかっただずだ。だとすると……。

「すずか、立てるかい?」

「あ、ありがとうございます。アルフさん」

 キュゥべえがそんなことを考えている間に、アルフがすずかを気遣うように手を差し出す。すずかはその手を受け取るとゆっくりと立ち上がった。

「礼を言うのはこっちのだよ。フェイトを助けてくれて、ありがとね」

 アルフの背中に背負われて眠っているフェイトには目立った外傷はない。バルバラも倒されたことだし、もう少ししたら目が覚めるだろう。

「それじゃ、あたしたちは行くよ」

 アルフは床に落ちていたジュエルシードを拾い上げると、すずかにそう告げる。

「ちょ、ちょっと待ってください、アルフさん。フェイトちゃんを休ませないと……」

「流石にそこまで世話になれないよ。それにあたしたちのことを家族にどう説明するんだい? まさか魔法少女と魔女のことを話すわけにもいかないだろ?」

 アルフの言うとおり、すずかには忍たちに説明する言葉を持ち合わせていなかった。自分が魔法少女と呼ばれる存在になり、魔女と戦うことになったなどと話したら、きっと忍は放っておかないだろう。そして自分を手伝おうとするはずだ。だがそんなことをさせるわけにはいかない。夜の一族とはいえ、魔法の使えない忍たちがあの魔女と戦えるとは思えなかった。

 終始、圧倒しているように見えたバルバラ戦だが、実のところすずかに余裕はなかった。初めて魔法を使うということもあっただろうが、時間を掛けて戦えば自分もフェイトと同じように幻惑に捕らわれてしまうことがわかっていたからだ。

 吸血鬼化したことで全ての五感が常人以上になっていたすずかにとって、あの臭いはとてもつらいものだった。だからこそ圧倒的な力で全てを燃やし尽くすような戦い方をしたのだ。

 そんな戦いに自分の家族や友達を巻き込めるはずがない。事情を話せるのは精々、フェイトたちのような他の魔法少女だけだろう。

「わかりました。でも、また会えますか?」

「……そうだね。今度、フェイトと一緒に改めてお礼を言いに来るよ」

 そう言ってアルフはすずかの頭を優しく撫でる。

「んじゃ、またね。すずか」

 そう言ってアルフは、近くの窓を開けると、そこから飛び去っていった。その姿をすずかは見えなくなるまで見送った。

     ☆

「すずか、大丈夫かい?」

 すずかの肩に乗ったキュゥべえが、気遣うように声を掛けてくる。キュゥべえの目にはすずかが酷く消耗しているように見えた。

「うん、大丈夫だよ」

 そうは言うものの、すずかはフラフラだった。その原因は貧血。敵の攻撃を受けてはいないとはいえ、戦闘で大量に血を消費してしまった。これで貧血になるのは無理がない。

「すずか、とりあえずグリーフシードを」

「そう、だね」

 昨日のうちに一通りの説明を受けていたすずかは、その言葉だけでキュゥべえが言わんとすることがわかった。グリーフシードを使って魔力供給する。魔法少女の魔力は無限ではない。使えば使うほど、ソウルジェムは穢れていく。その穢れを払うために使うのが、魔女の落とすグリーフシードだ。

 すずかは足元のグリーフシードを手に取ると、自分のソウルジェムに当てる。するとソウルジェムの穢れがグリーフシードに吸い込まれていく。穢れがなくなったすずかのソウルジェムは、元の赤紫色の輝きを取り戻していた。それと同時に先ほどまで感じていた倦怠感も幾らか楽になった。

「キュゥべえ、使い終わったグリーフシードってどうするの?」

「使い終わったグリーフシードはボクが回収することになっているんだけど、そのグリーフシードはまだ使えそうだからすずかが持っていていいよ」

「うん、わかった」

 そうしてすずかは軽い足取りで厨房に向かって歩き出した。

     ☆

 仮住まいに戻ってフェイトを寝かしたアルフ。フェイトの寝顔は安らかなもので、目立った外傷もない。しかしフェイトの身を案じたアルフは、熱心に看病した。

「……アルフ?」

「フェイト、目が覚めたんだね」

 その甲斐もあってか、夜にはフェイトが目を覚ました。どうして自分が寝ているのか、フェイトはアルフに尋ねる。そこで聞かされたのは、自分がバルバラの幻惑に陥ってしまい、そこを魔法少女になったすずかに助けられたということだった。

「ごめんね。アルフ、心配かけて」

「いいんだよ。フェイトが無事ならそれで」

 幻惑にかかっていたことなど、フェイトは全く気付いていなかった。彼女の中ではバルバラは自身の手で倒し、ジュエルシードもきちんと手に入れられていた。

「そういえばジュエルシードは?」

「それなら心配しなくてもいいよ、ほら」

 アルフはバルバラが落としたジュエルシードをフェイトに見せる。ほっとした表情を浮かべるフェイト。だが昼間、広域サーチをした時の反応を思い出したフェイトはアルフに尋ねた。

「アルフ、もう一つのジュエルシードは?」

 フェイトの問いかけに押し黙るアルフ。

 実はバルバラの結界に入る前、フェイトたちが察知したジュエルシードの反応は二つあった。正確な位置を掴んでいたわけではなかったが、まず間違いなくあの付近には二個のジュエルシードがあったはずだ。本来ならばそちらを先に回収に行くところだが、魔女の結界がどういう影響を及ぼすのかわからない。だからこそキュゥべえの頼みを聞き、先に結界内に入っていったのだ。

 しばらく押し黙っていたアルフだったが、フェイトの目に見つめられ言いずらそうに口にした。

「…………ごめん、フェイト。でもフェイトのことが心配だったから!」

 アルフにとってはプレシアの願いより、フェイトの身の方が大事だった。だからこそ彼女は、付近にあるはずのジュエルシードの捜索をせず、彼女を連れて隠れ家に帰ったのだ。

 考えようによっては、その中で一個だけでもジュエルシードが手に入ったのは僥倖と言えるだろう。しかしプレシアはできるだけ多くのジュエルシードを必要としている。せっかく見つけたジュエルシードを見逃すわけにはいかない。フェイトは自分の身体を起こす。

「駄目だよ、まだ寝てなきゃ」

 だがそれをアルフが制する。

「でもあそこにはもう一個、ジュエルシードがあったんだよ。回収しなくちゃ……」

 無理にでも立ち上がろうとするフェイト。しかし彼女の身体は震え、上手く立てないようだった。

 確かにフェイトの身体には外傷はない。しかしその魔力は酷く衰弱していた。蔦の中に閉じ込められていたフェイトは、その中でバルバラに魔力を吸収されていたのだ。一日眠れば回復するだろうが、彼女にはそれを待つほどの余裕はなかった。そうしておぼつかない足取りで歩き出したフェイトは、その場に倒れそうになる。それをアルフがそっと抱きとめた。

「フェイト、そんな身体で無茶だよ」

「でも、折角見つけたジュエルシードが……」

「だからってそんな身体で回収しに行くことないよ。ジュエルシードはあたしが探してくるから、フェイトは今日一日、じっとしてて」

 アルフはフェイトの目を見てまっすぐ告げる。その目を見て、フェイトはアルフを信頼して、任せることにした。

「……わかった」

 ベッドに戻ったフェイトはアルフを安心させるために目を閉じる。するとすぐに眠気が襲ってくる。それに身を任せ、彼女は夢の世界へと落ちていった。

 それを見届けたアルフは、月村邸付近でもう一つのジュエルシードの反応を探す。だがいくら探しても、ジュエルシードの反応が見つからず、フェイトに謝ることになるのだった。




☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★



オマケ 魔女バルバラのパーソナルデータ

バルバラ
花畑の魔女。その性質は幻想。魔法少女になる時の願いは、砂漠にオアシスを作ること。
砂漠で遭難し、死にかけた自分が見た幻のオアシスを本物だと思い続け、無意識にキュゥべえに願い実体化させてしまった。将来の夢はお花屋さん。



オリジナル魔女を登場させたら、毎回こんな感じのものを書いていこうと思います。
一応、「まどか☆マギカ」の公式ページの魔女表をベースに、契約時の願いごとも毎回考えて書いていこうと思っています。

またすずかの魔法少女としてのステータス表は、次回更新時になのはやフェイトのも含めて載せようと思っています。
まぁなのはたちの表は、基本的に原作と変わらないんですけどねw



2012/6/9 初投稿
2012/6/12 誤字脱字、および一部表現を修正



[33132] 第3話 ライバル!? 新たな魔法少女なの! その4
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/06/12 23:23
 時は少しだけ遡る。すずかが屋敷の中に戻った後、なのはとアリサは二人でお話していた。ユーノはそんななのはの膝の上で目を閉じ眠っていた。実に穏やかな時間、今日はこのままのんびり一日を過ごそう。そう思った矢先の出来事だった。

【なのは!?】

 近くで発動しつつあるジュエルシードの反応。それに気付いたユーノはなのはに声を掛ける。もちろんなのはもそれに気付いていたが、すぐに動くことができなかった。この場にアリサがいる。自分が迂闊に動けば、アリサもついてくると思ったからだ。

 そのことに察したユーノは、なのはの膝の上から飛び降り一目散に駆けていく。それを目で追うなのはとアリサ。

「ユーノどうかしたの?」

「う、うん。何か見つけたのかも、ちょっと探してくるね」

 ユーノの意図に思い当ったなのははアリサにそう告げ、後を追おうとする。

「なのは、もしかしてあたしを一人置いてく気?」

「で、でもすずかちゃんが戻ってきた時、誰もいなかったらきっと困っちゃうよ」

「……それもそうね。でもすぐ戻ってきなさいよね」

「う、うん」

 なのはのとっさの切り返しが功を奏したのか、アリサはそれ以上、追及してこなかった。なのはは慌ててユーノの後を追い、月村家の庭に広がっている森の中へと足を踏み入れた。

 月村邸の敷地の広さは下手な自然公園よりも広大だ。敷地内に入ってから月村邸までの距離が徒歩一〇分と言えば、その広さはわかるだろう。その広大な敷地内にはたくさんの自然が溢れている。人が通るために整えた正面の道以外は、人の手はほとんど入っていない。ある意味、ジャングルに近いような空間だ。

 その中をなのはとユーノは走っていた。フェレットであるユーノはともかく、なのはは足元に注意しながら慎重に奥へと進んでいく。

「あっ、発動した!?」

 なんとか発動前にジュエルシードを回収しようとした二人だったが、その願い空しく発動を感知する。人目を気にしたユーノは、結界を展開する。結界を張り終えた直後、なのはたちの目の前に現れる巨大な子猫。矛盾している言葉だが、この場合に限ってそれは正しい。まだ成熟していない子猫が、一〇メートル近い大きさでなのはたちの前に現れたのだ。それを見て思わず絶句する二人。

「あ、あ、あ、あれは?」

 なんとか振り絞るように言葉を紡ぎ出すなのは。

「た、たぶん、あの子猫の大きくなりたいって思いが正しく叶えられたんじゃないかな、と……」

「そ、そっか」

 今まで暴走するジュエルシードばかり見てきたが、今回のように願いごとが正しく叶う場合もある。だがジュエルシードが叶えられる願いは単純な願いごとだけなのだ。あの子猫の身体が大きくなったのは、早く大人になりたいという願いを持っていたからだ。だが猫にはそこまで高度な知能はない。だからこそ、大きくなりたいという純粋な思いが叶ってしまったのだ。

「だけど、このままじゃ危険だから元に戻さないと……」

「そうだね。流石にあのサイズだとすずかちゃんも困っちゃうだろうし」

 なのはは巨大な子猫を観察する。見たところ襲ってくる様子はない。それどころか、自分の身体が巨大になったことにも気付いてないのだろう。その場で毛づくろいを始めてしまった。

「それじゃあ、ささっと封印しちゃ……」

「おいおい、いつから日本はアマゾンになったんだ?」

 なのはがバリアジャケットを展開しようとすると、どこからともかく女性の声が聞こえてきた。

「結界の中に人が!?」

 その声に一番驚いたのはユーノだ。ユーノは結界や防御などのサポート魔法を得意としている。戦闘に関してはなのはに劣る自覚のあるユーノだったが、そういった側面に関しては一族の子供の中でも秀でた存在だった。そんなユーノが結界を張って、一般人が紛れこんでしまうということはないはずだ。

「つーか、なんだよこの結界。魔女も使い魔もいねぇじゃないか!?」

 だが彼女も一般人ではなかった。彼女は魔法少女。キュゥべえと契約し、魔女と戦う者。常日頃から魔女の結界の中に侵入や脱出を繰り返す彼女にとって、ユーノの結界に入るのには何の苦もないことだった。

「なぁ? どうなってんだよ?」

 声の主は子猫の背中に降り立つ。なのはたちはその姿を見上げていた。なのはよりも少し年上の少女。その少女の特徴を一言で表すなら赤いという言葉が相応しい。髪の毛も赤。瞳の色も赤。そしてその服装も真っ赤である。唯一、その手に握られている長槍は赤くない。特に特徴のない、先端に金属が付いているただの槍。だがその槍には魔力が込められていることに二人とは気付く。

【ユーノくん、この人】

【うん。たぶん魔導師だ。でもどうして……】

 ユーノが疑問に思ったのは、この世界が管理外世界という魔導師が存在しない世界だったという点だ。なのはのように魔力を持つ人間はいるものの、魔法技術はまったく発達していない。しかし目の前の少女はどこからどう見ても魔導師であることは間違いなかった。

「おい! 聞いてんのか?」

 彼女は反対の手に持っていたたい焼きを口に入れながらなのはたちの前に降り立ち、その槍を構える。

「ま、待ってください」

 今にも攻撃を仕掛けてきそうな少女の顔を見たユーノは慌ててなのはの前に立つ。それを見た少女は目を丸くした。

「巨大な猫の次はしゃべるイタチってか。ここは仰天動物園かよ!?」

「僕はイタチじゃなくてフェレットです!」

「イタチでもフェレットでもどっちでもいい! あたしが聞きたいのは……あんたがこの町の魔法少女かってことだ」

≪Protection≫

 少女はなのはに向かって槍を振り下ろす。少女は相手が一般人の可能性も考慮して、当たる寸前に槍の切っ先を止めるつもりだった。だがその前になのはの危機を察知したレイジングハートが、プロテクションを展開する。それを見て少女はにやりと笑った。

「へぇ……」

「な、何をするんだ!?」

 ユーノが抗議の声を上げる。

「いやさ、少しばかり挨拶でもしとこうって思ってね」

 少女は槍を引っ込めると、なのはたちに背を向ける。

「もうここには魔女も使い魔もいないみたいだし、今日のところは引いてやるけど、次に会ったら容赦しないからな」

「ま、待って」

 去ろうとする少女をなのはは反射的に呼びとめる。その声に少女は不機嫌そうに振り返る。

「名前、あなたの名前は?」

「……佐倉杏子。そんじゃあな」

 それだけ告げると杏子は結界の中から姿を消した。

     ☆

 杏子が去った後、なのはは何事もなく子猫についたジュエルシードを封印する。元の大きさに戻った子猫を抱えて、なのはたちはアリサの元へと戻っていく。

「ねぇ、ユーノくん。杏子さんって何者なのかな?」

「……わからない」

 あの槍や衣装はデバイスやバリアジャケットに見えたが、それらの纏う魔力の雰囲気がユーノの知る魔導師のものとは違っていた。彼女が魔法を使えばもう少しはっきりしたのだが、残念なことに杏子は目立った魔法を一切使わなかった。

 なのはと似たような名前の響きから、現地魔導師の可能性もある。だが地球は管理外世界、すなわち魔法技術がないとされている世界だ。もしそういった技術が発展していけば、それはすぐに管理局が察知するはずだ。

 それに杏子が言っていた魔女や使い魔という言葉。その意味もわからない。言葉だけならユーノは意味を知っている。しかし杏子の口ぶりから、それは自分の知らない用法で使われていることは明らかだった。

「次に会ったら、戦うことになるのかな?」

 なのはは思う。槍を振るう杏子の姿にはまるで迷いがなかった。それは剣道ではなく剣術を生業としている自分の家族の姿に被って見えたのだ。相手を倒すためなら、自分の持てる力を全て振るい、ありとあらゆる手段で戦い抜くという覚悟。なのはは士郎や恭也、美由希がそういった実戦形式の試合をしているのを何度か見学させてもらっていた。普段の優しい様子からは想像できない、戦う時の家族の姿。その姿が杏子にダブって見えたのだ。

 だからこそ、なのはは恐怖する。今までは町を守るために怪物と戦うだけだった。しかし初めてレイジングハートを受け取った時を除けば、簡単にジュエルシードを封印することができた。初めての時もただ魔法の使い方がわからず戸惑っただけで、知っていれば簡単に封印できただろう。

 だが、もし杏子と戦うことになったら、そうは簡単にいかない。今の自分では杏子に手も足も出ない。それが本能的にわかっているからこそ、なのはは尋ねずにはいられなかった。

「……わからない。でも事情を説明すれば、戦いを避けられると思う」

「どうして?」

「だって杏子は、ジュエルシードを持っている子猫に興味を示さなかったから」

「あっ!?」

 その言葉になのはは気付く。あの時、なのははレイジングハートのセットアップすらしていなかった。そして杏子は子猫の上に降り立ったのだ。それなのにも関わらず、杏子はジュエルシードにまるで興味を示さなかった。むしろ状況の把握もできていなかったように思える。

【とりあえず杏子さんのことは忘れて、今日は休日を楽しみなよ。そのために来たんだからさ】

【にゃはは、そうだね】

 もうすぐアリサのいる中庭に戻る二人は、念話に切り替えて会話を続ける。なのはにはどこか釈然としないこともあったが、杏子のことはわからないことばかりだ。

(今度会ったら、きちんとお話したいな)

 なのはは予感していた。杏子とはまた会えると。そしてその予感は、思いもよらない形で現実になることになる。

     ☆

「帰ったぞー」

 海鳴市に数多あるホテルの一室、それが杏子の今の活動拠点だった。元々は見滝原で生まれ、そこで魔法少女になった杏子はマミと共に魔女と戦っていた。しかし自分の願いが家族を一家心中に追い込んでしまったのをきっかけに魔法少女としての姿勢を変えることになる。その結果、マミと決別し、見滝原を離れることとなった。

 それからというもの、杏子は町から町へと渡り歩く魔法少女となった。その中で彼女は他の魔法少女と対立することもあった。魔女や敵対する魔法少女との戦いは苛烈を極め、その中で杏子が敗走することもあった。だがその経験が杏子を強くし、歴戦の魔法少女に成長させた。

「キョーコ、おかえりー」

 そんな杏子を出迎える小さな少女。歳の頃はなのはやフェイトと同じくらい。くりくりしとした青い瞳。その瞳はまっすぐ杏子の姿を映している。緑一色のワンピースを着ており、それがライムグリーンの髪の色とマッチして、少女の可愛さを惹き立てていた。

 彼女の名前は千歳ゆま。杏子が魔女から偶然助け出した少女だ。

「おう、ただいま、ゆま。飯買ってきたぞ」

 言いながら杏子は袋からコンビニ弁当を取り出す。それを見たゆまは不満げに顔を膨らます。

「えー、またコンビニ弁当なの~?」

「カップラーメンよりマシだろ」

「たまには高級料理が食いたいぞー」

「ゆまにはまだ早い」

「ぶーぶー」

 しゃべりながら二人は飲み物を用意し、テーブルに座る。

「それじゃ、いただきます」

「いただきまーす」

 その言葉と同時に、二人は夜飯を貪り食べ始める。

 戦いに明け暮れた日常を送っていた杏子にとって、ゆまと一緒に行動し始めたこのひと月は、実に穏やかなものだった。そもそも杏子がゆまと出会ったきっかけは、彼女とその両親が魔女に襲われたことだった。グリーフシードが欲しかった杏子はその魔女を狩った。別にゆまたちを助けようとしたわけではない。たまたま自分の獲物の獲物がゆまの家族だった。ただそれだけだ。そのため、魔女を狩り終えた時には、すでにゆまの両親は事切れていた。その姿を見て茫然としているゆまを見て、杏子は自分のことを思い出した。

 自分を残して一家心中してしまった杏子の家族。そこから一人で生き抜いていくことはとても大変だった。恥も外聞もない。世間一般では悪と呼ばれることもたくさんやった。グリーフシードを手に入れるために、使い魔を見逃したことも指では数え切れないほどある。他の魔法少女と戦い、奪ったことさえある。

 そこまでして杏子は一人で生きてきた。初めはなにをやっても上手くは行かなかった。しかし繰り返すうちに慣れ、今では片手間でも生きていくことができるようになった。

 だが目の前の少女は違う。彼女はこれから試行錯誤して生き抜く術を探さなければならない。その姿が過去の自分と重なったのだ。そんなゆまをそのまま放っておくことができなかった。だから杏子はせめて彼女に一人で生きていく術を教えようと行動を共にしていたのだ。

「キョーコ、今日は魔女や使い魔を見つけたの?」

 助けた時の経験からか、彼女は魔法少女に憧れていた。しかし杏子はゆまに魔法少女になってほしくなかった。いや、本当なら誰にも魔法少女になってほしくない。魔法少女になって杏子は不幸になった。そして今まで出会ってきた魔法少女たちも大なり小なり不幸な生い立ちを抱えているように思えた。だからこそ杏子はそんな宿命を背負わせたくないと思っていた。

「いや、今日は空振りだ。……でもその代わり、変な奴らに会ったぜ」

「変な奴ら?」

「ああ。十メートルぐらいの猫としゃべるイタチだ。面白いだろ?」

「えっ? なんなの? なにそれ!? もっと詳しく聞かせて!」

 ゆまは目を輝かせて杏子に尋ねる。上手く魔法少女から話を逸らせたと杏子は内心ほくそ笑む。

(しかし、本当にあいつらはなんだったんだ?)

 ゆまに面白おかしく脚色しながら話をする杏子だったが、その頭の中は実に冷静になのはたちのことを考えていた。

 自分の攻撃をバリアのようなもので受け止めたことから、あの少女はまず間違いなく魔法少女だろう。だがあの猫とイタチがわからない。あれが彼女の願いから生まれた魔法だと考えるのが自然だが、動物を大きくしたり、しゃべらしたりしていったいどういう意味があるのか、杏子にはまるでわからなかった。

(ま、もう一度出会うとは決まってないし、どうでもいいか)

 杏子は考えるのを止め、今の楽しい時間を満喫することにしたのだった。



2012/6/12 初投稿



[33132] 第4話 激突! 魔導師vs魔法少女なの! その1
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/06/17 10:41
「今日も魔女探しにはわたしも付き合うからねっ! 別にしゃべるイタチや大きな子猫が見たいとか、そういうわけじゃないからねっ!」

 早朝、ゆまに黙ってホテルを出ようとした杏子だったが、その甘い考えは即座に打ち砕かれた。普段、杏子はゆまを置いて魔女探しを行っている。だがそれにはわけがある。ゆまがこれ以上、魔法少女に対して憧れてしまうのを避けるためだ。

 しかしここ数日、杏子はゆまを連れて魔女探しを行っていた。それは彼女が起きる頃には、すでにゆまが準備万端といった具合に身支度を整え終わっているからである。

「……はぁ」

 そして今日もリュックサックを背負って、欠伸を浮かべているゆまを見てため息をつく。現在時刻は午前四時である。まだ日が昇り始めたばかりだ。眠くて当たり前の時間だろう。

 そもそも事の発端を作ったのは杏子自身である。この前、ゆまにした動物の話は、彼女の心を鷲掴みにしてしまったのだ。ゆまを喜ばすためにあのような話をしたのだが、それがこのような結果をもたらすとは、杏子には予想外だった。

「……わかった。ただし、もう少し寝とけ。あたしも二度寝するから」

 すでに説得が不可能だと判断した杏子は、互いの寝不足を解消するために二度寝を提案する。ゆまが眠いのはもちろんだが、杏子自身もまだ寝足りないのだ。それでも四時に起きたのは、この時間ならゆまを出し抜けると思ったからだ。しかしそれが通用しない以上、万全な状態でゆまを連れていった方が安全だ。

「一人で行ったりしない?」

「しねぇよ。ほら、ベッドに入ろうぜ」

 不安げなゆまを安心させるために、杏子は先にベッドの中に入る。そして布団を上げ、ゆまを向かい入れる姿勢を作る。ゆまは少し迷ったようだったが、リュックサックを置いて、杏子のいるベッドの中に入っていった。

     ☆

 同時刻、フェイトはすでにジュエルシードの捜索を始めようとしていた。バルバラ戦を行った日はアルフのことを立てて一日休んだものの、その次の日からは積極的にジュエルシードを探していた。むしろ一日、休んだからこそ、その遅れを取り戻す意味でも早朝から捜索を行っていた。その甲斐あってか、フェイトはさらにもう一つ、ジュエルシードを見つけていた。

「フェイト、身体は大丈夫かい?」

「大丈夫だよ」

 このやり取りもすでに三日になる。バルバラ戦以来、アルフはフェイトに対して過保護になってしまっていた。彼女の命令に従い、すずかを守り続けたアルフだったが、それでも主人を危機に晒してしまったことを心の底から悔いていた。だから口を開けば、フェイトの身体のことばかり。そんなアルフの気遣いにフェイトは鬱陶しいと思うことはなく、ただただ感謝するばかりだった。

「それじゃあアルフはあっちの方を探してくれる? わたしはこっちを探すから」

「了解。でもフェイト、もしジュエルシードを見つけても一人で封印しようとはせず、必ずあたしを呼ぶんだよ」

「わかった」

 フェイトは笑顔でアルフに答えると、その場から飛び去った。アルフはその後ろ姿を心配そうな眼差しで眺めていた。

     ☆

 高町家は皆、朝に強い。翠屋の店主である士郎と妻の桃子は仕込みの関係から、毎朝五時には仕込みを始めていた。恭也と美由希も剣術の朝稽古が日課なので、遅くても六時には着替え終わっている。

 そんな朝型一家の高町家であるが、なのはだけは少しだけ朝に弱かった。彼女が普段、起きるのは七時である。だがたまに目覚ましに気付かず、眠り続けてしまうことがある。だからなのははいつも六時四五分から目覚ましを鳴らすようにしている。そうすれば一度目の目覚ましの音に気付かなくても、スヌーズ機能により、二度三度と目覚ましは鳴り続け、七時に目を覚ますことができるからだ。

 しかし最近のなのはの起きる時刻は七時ではない。五時である。それはユーノから魔法を習うためだ。放課後はジュエルシード探しをしなくてはならないなのはたちにとって、朝の時間は貴重である。そこで散歩と称してユーノと出掛け、魔法を習得していったのだ。

【なのは、朝だよ】

 だが七時に起きていた子が五時起きになるというのは、言うほど楽なものではない。それでもなのはが起きることができるのは、毎朝ユーノが起こしてくれるからに他ならない。ユーノは高町一家ほどではないにしろ、朝に強かった。だからなのはの目覚ましが鳴り始めた時、決まってなのはより目を覚ます。そしていまだベッドから出てこないなのはを念話で起こす。それがここ数日ですっかり習慣と化していたのだ。

「ふぁ~あ、おはよう、ユーノくん」

 なのはは寝ぼけ眼をこすりながら、ユーノに挨拶する。その仕草は実に無防備だ。髪の毛は無造作にはね、口元にはよだれを垂らした後もある。決して他人には見せられない姿だった。もしユーノがフェレットではなく、普通の男の子であると知っていたら、きっと顔を真っ赤にして恥ずかしがっているところだろう。

 そんなユーノを尻目に、なのはは自分の寝巻に手を掛け、素肌を晒していく。ユーノは身体を180度回転させ、目を瞑る。背後からは布の擦れる音が聞こえる。顔を真っ赤にしつつ、その脳裏ではなのはの着替える光景を思い浮かべては、首を振るユーノ。

 何故、なのはが自分に対して無防備なのか、ユーノは考えたこともある。そこで思い当ったのが、ミッドチルダと地球とでの価値観の違いだ。生活環境が変われば価値観が変わる。おそらく地球ではなのはぐらいの子供には、そこまでの羞恥心はないのだろう。そうでなければ、なのはが目の前で着替えたり、自分を連れてトイレやお風呂に入ろうとするはずがない。

 実際はユーノの正体を知らないだけなのだが、ユーノは最初になのはに会った時に自分の正体を見せていると思い込んでいたので、その考えには至らなかった。どちらにしてもユーノが察し、なのはの姿を見ないようにするしかない。

 悶々としているユーノの背後でテキパキと支度をするなのは。そんな彼女が部屋から出ても、ユーノは気付くことはなく、背後で行われている光景を頭の中で夢想するのであった。

     ☆

「すずか、なんだか寝むたそうね」

 小学校に向かうバスの中、一番奥の後部座席で、すずかがあくびをしたのを見てアリサが尋ねた。

「うん、ちょっと夜更かししちゃってね」

「それって、この前言ってた小説を書いてたから?」

「ち、違うよ~」

 すずかの寝不足の原因、その大部分は彼女が魔法少女になったことにあった。まだ魔法少女になりたてのすずかは覚えなければならないことが多い。そのため毎夜、キュゥべえに様々なことを教えてもらいながら、使い魔相手に実戦訓練を繰り返していた。

 ちなみにこの場にキュゥべえの姿はない。基本的にキュゥべえがすずかの前に現れるのは夜だけだ。それ以外の間、キュゥべえは他の魔法少女になり得る子供を探している。本来なら成り立ての魔法少女には慣れるまでキュゥべえがついて教えることになっている。しかしすずかの力が強いとはいえ、ジュエルシードを奪う戦いを行うには、彼女一人では心伴い。だからこそキュゥべえは、さらなる魔法少女候補を探し続けていたのだ。

「まぁいいわ。それで、その小説はいつ読ませてくれるの?」

 すずかが小説を書いていると聞いて以来、アリサは事あるごとに小説の内容を尋ねた。

「だから、完成するまで待ってよ」

「それじゃあ、いつ完成するのよ?」

「それは、わからないけど……」

「なら完成してなくてもいいから、あたしに見せなさいよ。もっとちゃんとアドバイスしてあげられると思うし」

 どんなに頼まれてもすずかは小説を誰かに見せるつもりはない。あのような血みどろでグロテスクでスプラッタな小説を書いていることが知られたら、アリサもなのはもドン引きしてしまうだろう。

「ごめんね。やっぱり完成するまでは恥ずかしいから」

「ちぇ~」

 残念そうな表情を浮かべるアリサ。夜の一族や魔法少女という絶対に秘密にしておかなければならないこともあるので、見せられるような自作小説は読ませてあげたかった。しかし内容が内容だけにそれは絶対にできない。こんなことなら普通の恋愛小説でも書いておくんだった。

(もし恋愛小説を書いていたのなら、魔法少女姿はどうなっていたのかな?)

 バルバラとの戦いの時はそこまで冷静に自分を観察できなかったので気付かなかったが、すずかの魔法少女に変身した姿は、自身の書いている小説の主人公と全く同じものだ。その子は高校生、自分は小学生という違いはあるものの、頭の中で思い浮かべていた服装や戦闘スタイルそのまんまの戦い方だった。

 すずかはあの時、強く在ることをキュゥべえに願った。臆病な自分を捨て、誰かを守れる自分を創造した。その結果があの小説のキャラクターになるとは思っていなかった。

(確かにあの子は強い吸血鬼っていう設定で考えてたけど……)

 自分が願った強さとは外見の強さではない。他人を守れる心の強さ。それを願ったのだ。その願いが叶っているのか、今のすずかにはまったくわからない。

(だけど……)


 すずかはバスの中の人たちの姿を見る。私立聖祥大附属小学校の送迎バス。その中にいる子供たちが笑顔を浮かべて和気藹藹に話をしている。

「あっ、なのは、おはよう」

「おはよう。アリサちゃん、すずかちゃん」

「おはよう、なのはちゃん」

 そして、自分の横に座る二人の親友、なのはとアリサ。自分が今、笑顔を浮かべられるのは、この二人のおかげでもある。

(私は平和を守れる力は手に入れたんだもん。頑張らなきゃ!)

 すずかは眠気を押し殺し、改めて魔法少女としての使命を全うすることを決意するのであった。

     ☆

「まさかキミがこの町に来てるとはね」

「うわぁ、キュゥべえだ~」

 二度寝を終え、ファミリーレストランで遅い朝食をとっていた杏子とゆまは、そこでキュゥべえと遭遇した。キュゥべえの姿を見たゆまは食事をそっちのけ、その身体を抱きかかえる。

「……何の用だよ」

 それを杏子は不機嫌そうな表情で眺めていた。杏子としては一刻も早く、この場からキュゥべえに去って欲しかった。隙あらばゆまを魔法少女にしようとするキュゥべえに、杏子は腹を立てていた。ゆまもゆまで、隙あらばキュゥべえに願いを告げ、魔法少女になってしまう魂胆を企てていたのだから、杏子の苛立ちは当然のものだろう。

 むしろこの一ヶ月、杏子はキュゥべえのいない町を探し歩いていたといっても良い。ゆまが一人で生きていけるようになった時、キュゥべえのいる町には置いていけない。神出鬼没だが、どこかに穴があるはずだ。それを探すために各地を転々としていたのだ。

「今日はキミにとって良い話を伝えにきたんだ」

「良い話?」

 胡散臭い。実に胡散臭い。キュゥべえが自分に対して良い話を持ってくるはずがない。そこには必ず裏がある。初めて見た時は可愛らしい生物だと思ったが、今ではこの能面のような変化のない表情が気持ち悪い。こいつの表情のなさは、何か後ろめたいことを隠すために存在している。付き合いの長い杏子にはそれがわかっていたからこそ、ゆまとキュゥべえを出会わせることに過敏になっていた。


「ああ、取引と言い換えてもいい。杏子がこの話に乗ってくれたら、ゆまを魔法少女にしないと約束しよう」

「えー、それは困るよー。わたしは早く魔法少女になってキョーコのことを助けたいんだよ?」

「ゆまはちょっと黙ってろ!」

「ぶーぶー」

 ゆまの言葉は置いておくとして、キュゥべえの発言は杏子には到底信じられないものだった。それはキュゥべえが魔力を持つ少女を見つけては手当たり次第に魔法少女に変えていく姿を見てきたからだ。自分が行く先々の町で新しい魔法少女を作りだし、その面倒を押し付けられてきた杏子からしてみれば、明日は槍でも降るんじゃないかと思わせるほど意外な言葉だった。

「……とりあえず、話を聞かせなよ」

「キミに頼みたいことは二つだ。一つは新しい魔法少女を鍛えてもらいたいということ」

「ちょっと待て。またあたしに子守りの真似ごとをさせるつもりなのか!?」

 杏子は反射的に言い返す。それは昔、キュゥべえに騙されたことが原因だ。絶好の狩り場があると言われやってきた町。しかしそこで待っていたのは、五人の新人の魔法少女。しかも全員年下で、テレビアニメの魔法少女ものにでも憧れたのか、マミみたいに必殺技名を叫んだり、ポーズばかり決めようとする素人集団だった。確かに異様に魔女の多い町だったが、それ以上に子守りが大変で、ソウルジェムの穢れる速度がいつも以上に早かった。結果的には予備のグリーフシードまで使い尽くす羽目になったぐらいだ。そんな経験は二度とごめんだった。

「安心していいよ、杏子。その新しい魔法少女はすずかって言うんだけど、実力はぴか一だから。ちょっとコツを教えれば、すぐに一人で魔女を探して戦えるようになると思う」

「……へぇ~」

 成り立ての魔法少女をキュゥべえが褒めるのは実に珍しいことだった。そもそもキュゥべえは魔法少女が一人立ちするまで、戦闘のサポートや指南するという役目もある。自分にはマミという手本になる魔法少女がいたが、マミの場合は全てキュゥべえに教わったと聞いたことがある。マミほどの魔法少女ですら、キュゥべえの指南を受けなければ強くなれなかったというのに、そいつは初めから強いという言葉に杏子は興味を引いた。

(そういえば……)

 杏子はイタチや猫といた少女のことを思い出す。直接、戦闘になったわけではないのではっきりとしたことはわからなかったが、あの少女の魔力量は尋常ではなかった。今まで杏子が知り合った中で一番、魔力が多いと思っているのはマミだ。だがあの少女はそんなマミをも超える魔力を持っていた気がする。

「だが、そいつはごめんだな」

「理由を聞いてもいいかい?」

 杏子はキュゥべえの頼みを断る。絶大な魔力量を持つ魔法少女というのには興味がある。今でも十分強いなら、杏子が鍛えれ、慣れてくればより強くなるのは間違いない。
だがその後が問題だ。もしそいつと敵対することになった場合、杏子はまず負ける。もしすずかというのが昨日の魔法少女だとすると、単純に魔力でぶつかりあった場合、勝負は一瞬でつくだろう。そんな相手をこれ以上、強くするメリットは杏子には感じられなかった。もちろん、それをそのまま答える杏子ではない。

「あたしはすでにお荷物を一人、抱えてんだ。これ以上抱えられるかってんだ」

「お、お荷物ってなによ! わたしだって魔法少女になればすぐにキョーコなんか倒せるようになるんだから。そういうわけだから、キュゥべえ、契約お願い」

「だからおまえは魔法少女になろうとするなって言ってんだろ!」

「ぶーぶー」

 ゆまを怒鳴りつけると、杏子はその胸に抱かれたキュゥべえを奪い去り、そのまま放り投ようとする。

「杏子、投げるのはちょっと待ってくれ」

「なんだよ。あたしはこれでも忙しいんだよ。今日はゆまの動物探しに付き合わないといけないんだから」

「いや、もう一つの頼みごとだけでも聞いてくれないかなと思ってね」

 そういえばキュゥべえは二つ頼みたいことがあると言っていた。どうせ碌でもない頼みごとなんだろうが、話を聞くといった手前、このまま放り投げるのは流石に悪いと思い、自分の横に座らせた。

「それで、もう一つの頼みってなんだよ?」

「それはジュエルシード集めを手伝ってほしいんだ」

「ジュエルシード?」

 聞き覚えのない単語に、杏子は頭を傾げる。

「うん、これなんだけどね」

 キュゥべえはどこからともなく青い宝石を取り出す。それはキュゥべえが作りだしたジュエルシードのレプリカだった。ソウルジェムを作る要領で作り出された真っ赤な偽物。一度、体内に取り込んだことで、特徴を少し理解したキュゥべえは、何かの役に立つと思い作っていたのだ。技術自体は人間の魂をソウルジェムに加工する時に用いるのを応用したものだが、それがこんな形で役に立つとは思いもよらなかった。

「それはレプリカだけど、本物は凄い魔力を秘めてるんだ」

「へぇ、こんな石っころがねぇ」

 ジュエルシードのレプリカを手に取ると、杏子は繁々と観察する。

「でもこれ、どこら辺にあんだよ?」

「たぶんこの町の中全域に散らばってるんじゃないかな」

 初めてジュエルシードを見つけた時から、全世界に散らばったキュゥべえたちは、自分たちの担当地域でも同じようなものがないか探した。しかし今のところ一個として見つかっていない。この町の中ではすでに二個も観測されていることから、やはりこの町の全域が捜索範囲と見て間違いないだろう。

 キュゥべえの話を聞いて、杏子は面倒くさいと思った。そもそもキュゥべえや他の魔法少女がこの町にいる時点で、彼女がこの町に留まるメリットは少ない。新しい魔法少女というなら、縄張りを奪い取ってしまうことも考えたが、キュゥべえの口ぶりからその相手に喧嘩を売るのは得策でないことが伺える。

「別に無理に探してとは言わないよ。手に入れたらボクにくれればいいんだ。それだけで、ボクの方からゆまに契約を迫らないと約束するよ」

 杏子が断りの台詞を告げる前に、キュゥべえは条件を引き下げる。ゆまと契約してエネルギーを回収するより、ジュエルシード一個から得られるエネルギーの方が遥かに大きい。たった一人、凡庸な素養の少女を諦めるだけでいいんだから、キュゥべえとしては是が非でも杏子に協力してほしかった。

 ジュエルシードを集めるということはなのはだけでなく、フェイトとも争うことになるはずだ。あの二人は非凡な才能を持つ、希有な子たちだ。そんな相手が敵なのだから、杏子のようなベテランの力は絶対に必要だ。

「……嘘じゃねぇだろうな?」

「ボクに嘘がつけると思うのかい?」

 睨みあう一人と一匹。しかしいくら睨んだところで杏子にキュゥべえの真意は見抜けないし、キュゥべえは杏子に下手に出るしかなかった。

「わーった。でもこっちから積極的に探すような真似はしないぞ。それでいいな」

 結局、杏子が折れた。確かにキュゥべえの言うとおり、こいつは本当のことは言わないことがあっても、嘘はつけないだろう。ならば嘘でもいいから約束さえしてしまえば、キュゥべえはゆまに契約を迫ることはない。

 それに杏子は海鳴市を気にいっていた。小さな観光都市だからこそ、自然の豊かさがあり、それでいて無警戒な観光客が集まる。飯も美味い。観光客という餌に食いつき、この町にやってくる魔女もいる。狩り場としてはなかなかの土地だ。他の魔法少女とは事を構えない程度でしばらく滞在しつつ、ジュエルシードを探しだして、キュゥべえに渡す。それで十分義理は果たせるはずだ。

 そう思っていた。だがその考えは次のキュゥべえの台詞で脆くも崩れ去った。

「そういえば言い忘れていたけど、ジュエルシードを狙っているのはボクだけじゃないんだ」

「……どういうこった?」

「ボク以外の存在と契約して魔法少女になった少女がいる」

「はぁ? なんだそりゃ!?」

 様々な町に赴いた杏子だったが、それは初耳だった。そもそも魔法少女のシステムを作りだしているのはキュゥべえだけと思っていた杏子には寝耳に水の話だった。

「その子たちは魔導師っていうんだけどね。ボクにもどういう存在なのかわからないんだ。唯一、わかっていることはジュエルシードを狙っているということだけ。だからいずれ争うことになるかもしれない。気をつけて」

「なんでそれを先に言わない」

「だってそれを先に言ったら、杏子は引き受けてくれなかったでしょ?」

「…………」

 図星だった。杏子は別に戦闘狂というわけではない。多少、喧嘩っ早いところもあるが、不必要な戦闘は避けるようにしている。だからこそ彼女はここまで生き残ってこれたのだと言えるだろう。

「何にしてもよろしく頼むよ。杏子だけが頼りなんだ」

「……わーったよ。一度引き受けるって言っちまったしな」

 杏子は観念したようにそう告げる。騙された気分だが、魔導師という存在も気になるし、何よりゆまのためだ。それぐらいのリスクは覚悟しよう。

「ありがとう。それでこそ杏子だ。助かるよ。それじゃあボクは行くね」

「ああ、さっさと帰れ」

「またね~。キュゥべえ~」

 片や厄介払いができたと言わんばかりの冷ややかな表情で、片や満面な笑顔で手を振りながらキュゥべえを送り出していく。どちらがどちらかということは、説明しなくてもわかるだろう。

 その声を受けながら、キュゥべえは内心でほくそ笑んでいた。魔導師のことを伝えたキュゥべえだったが、ジュエルシードが現地生物や使い魔に取り付き、暴走することはあえて告げなかった。そこまで言ってしまえば、本当に杏子が引き受けない可能性もあると考えたからだ。

 この町にいる限り、杏子はいずれそういう現場に自然と遭遇する。そこでなのはやフェイトと戦闘になるだろうが、手くせの悪い杏子ならそこでジュエルシードを掠め取ることも可能だろう。

(杏子、キミの力、頼りにしてるよ)

 キュゥべえは心なしか軽い足取りで去っていった。



2012/6/17 初投稿、およびご指摘の脱字修正



[33132] 第4話 激突! 魔導師vs魔法少女なの! その2
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/12/25 18:59
 午前中、日本に住む一般的な子供が学校で授業を受けている時間だが、別世界の住人であるフェイトには関係ない。彼女は母親のため、ジュエルシードを見つけ、持ち帰るという使命がある。そのために食事と寝る時間を除けば、フェイトは一日中、ジュエルシードを探していた。

 そんな彼女は内心で焦っていた。バルバラとの戦いの時に発見したもう一つのジュエルシード。時間を置いて探しにいったとはいえ、それがなくなっていたのだ。

 何も知らない現地住民や動物が偶然拾ったのかもしれない。だがそれにしてはタイミングができ過ぎている。ジュエルシードの反応があったのは、すずかの家の敷地内の森の中だ。一般人が入り込むことは限りなく少なく、動物が拾ったのだとしても敷地の外に出ることはほぼあり得ないだろう。だからフェイトは自分たち以外にもジュエルシードの捜索者がいると考えていた。そのためか、彼女はこの三日、そのほとんどの時間をジュエルシードの捜索に当てていた。

 それを危惧したのはアルフである。アルフが何を尋ねても「大丈夫」だと告げるフェイトだったが、その疲労は目に見えてわかる。かといってアルフがいくら休むように言っても聞いてはくれない。

 フェイトはまだ九歳の子供である。ただでさえジュエルシードの捜索は体力を使うのだというのに、睡眠時間は多くても四時間。食事に至っては朝に食べたきり、何も口にする素振りを見せなかった。

 こんな生活を続けていれば、いずれ身体を壊してしまうのは間違いない。だからこそ、アルフは一計を案じた。

「ふぇ、フェイト」

「どうしたの、アルフ?」

「そろそろお昼だからさ、ほら、これ」

 そうしてアルフが見せたのは、可愛らしい動物が描かれた四角い包みだった。

「えっと、これって……?」

「お弁当、作ってみたんだ。だからさ、少しジュエルシード探しは休憩にしてさ、お昼にしないかい?」

 アルフが考えたのは、フェイトが断りにくい状況を作り出すということだった。ただ単に「昼食にしよう」といったところで、今のフェイトは聞き入れてはくれないだろう。だからこそのお手製弁当だ。

 いきなり出された弁当の入った包みを見て、フェイトは目に見えて戸惑っている。どうしていいのかわからず、視線を辺りにさ迷わせている。アルフはそんなフェイトを追い詰めるかのようにダメ押しの一言を告げる。

「もしかして、あたしが作った料理じゃあ不安?」

「そ、そんなことない! とっても嬉しいよ。ありがとう、アルフ」

 慌てて答えるフェイトの姿を見てアルフは自分の作戦が上手く行ったことを悟る。フェイトの優しさに付け込む形になるのには少し心を痛めたアルフだったが、それで昼食、そして休憩をとらすことができれば安いものだ。

「それじゃあさ、あっちに景色のいい公園があったから、そこに行って食べよう」

 アルフはそう言うと、フェイトの手を掴み、臨海公園に向かって飛んでいった。



     ☆ ☆ ☆



 杏子はゆまを連れて歩きながら、今朝のキュゥべえとのやり取りを思い出していた。キュゥべえには自分からは探さないと言った杏子だったが、実際はその逆。こうして歩いている間も辺りに魔力の残滓がないかを探っていた。

(思えば、この町に来てから感じていた違和感の正体は、ジュエルシードの魔力なのかもしれねーな)

 杏子は普段から、魔女や使い魔が残した魔力の残滓を元に、その居場所を特定している。だが海鳴市に来たときに感じたのは、空気中に漂う魔力の多さだった。他の町とは比べ物にはならないほどの濃密な魔力の気配。だからこそこの町には大量の魔女がいて、狩り場にはもってこいだと思っていた。

 だがこの町で初めて感じた強い魔力のある場所にいたのは、巨大な猫としゃべるイタチ。そして一人の魔法少女だった。最初は目の前の魔法少女が魔女を片づけたのかとも疑ったが、それにしては辺りの結界は解けてなく戦闘の痕跡もない。

 ならばあの場で感じた魔力は魔女のものではなくジュエルシードのものだったのだろう。

(……しかし魔導師、か)

 杏子は結界内にで出会った少女について思い出す。ゆまと同じ年頃の少女。魔導師というものが魔法少女とどのような違いがあるのかはわからないが、ジュエルシードを求めるということはいずれは彼女と戦うことになるだろう。

「キョーコ、お腹空いたー」

「ん?」

 横を歩いていたゆまの言葉に杏子は思考を一端止め、時計に目をやる。時刻はちょうど正午を過ぎたあたりだった。

「そうだな。そろそろ昼飯にするか。ちょうど都合よく、目の間にはコンビニがあるしな」

「えー、またコンビニ弁当? たまにはちゃんとしたレストランで御飯が食べたいよー」

 杏子の言葉にぶうたれるゆま。そんなゆまの姿を見て、杏子は意地悪な笑みを浮かべる。

「そうだな。それならゆま、あたしと勝負しようぜ」

「しょーぶ?」

「ま、勝負っつってもいつもの課題の延長線上みたいなもんだな」

 杏子は生きるために必要な技術を課題という形でゆまに叩きこんでいた。初めのうちは失敗しても罰はなかったが、最近では一食抜きなどの過酷な条件の元で行うものもある。だからゆまは杏子の言葉に身を引き締めた。

「もしこれがこなせたなら、今日の夜はゆまの好きなものを食わせてやる」

「ほんと!」

 だが次の言葉にゆまは目を輝かせる。

「もっとも、その分課題は難しくなるけどな。……んで、どうする? やるか?」

「もちろん!」

「ならこれを先に渡しとくな」

 そう言って杏子は財布を取り出し、ゆまに百円玉を一枚渡す。

「それじゃあゆま、今からそこのコンビニでパンと牛乳を買ってこい」

「わかった。……あれ?」

 そうして言い渡された課題にゆまは驚き戸惑う。そんなゆまの姿を見て、杏子は意地悪そうに笑う。

「どうした、ゆま?」

「キョーコ、百円だけじゃあパンと牛乳は買えないよ?」

 もしもパンだけ、牛乳だけならば、百円玉一枚でも買うことはできただろう。しかしその両方となると、百円玉一枚で購入することはほぼ不可能だ。探せば百円で買える店もあるかもしれないが、あくまで課題は目の前のコンビニで購入すること。ただでさえスーパーより物価が高い場合が多いコンビニで購入するには無茶のある課題だった。

「そうだな。でもそこを考えるのも今回の課題のうちだ。ちなみに制限時間は十分な。ほら急がないと夕食のディナーが遠のくぞ」

 杏子はからかうようにゆまに声を掛ける。ゆまはその言葉に返事をすることなく、云々唸って考えていた。

 ゆまは今まで、杏子から様々なことを教わっていた。学校では教わらない様々なこと。その中では一般的には悪いと呼ばれることもたくさんあった。その中の一つをゆまは思い出す。

 ――万引き。お店にある商品をお金を払わずに盗み出すこと。すなわち泥棒である。

 もちろん万引きにはかなりのリスクが伴う。まず店に設置された監視カメラの存在だ。店員が油断している隙に盗むことができても、監視カメラに記録されていては意味がない。その位置関係を確かめることが重要なのだが、その時間はない。たった十分で見極めることなどとても不可能だ。

 さらに店の入り口に設置されているセンサー。会計の済ませていない商品が通過するとブザーを鳴らし、店員に知らせる警報装置。その音を振り切って走って逃げることも可能と言えば可能だが、そこは大人と子供。ゆまの足では簡単に捕まってしまうだろう。

 捕まりそうになれば杏子が助けてくれるかもしれないが、それでは課題は失敗したことになる。つまりこの方法は使えない。それでも今まで教わってきたことの中に、今回の課題に使えるものがあるはずだ。だからゆまは一つずつ思い出す。杏子と今までやってきたことを。

 初めて入ったホテルの一室にあるベッドの上で騒いでしまったこと。初めて万引きをした時、ゆまは店員を引き付けるために泣き真似をしたこと。初めて銭湯に忍び込んで一緒に身体を流しあったこと。嫌いなものを残そうとして杏子に強く叱られたこと。

「ゆま、残り五分だけど、店に入らなくていいのか?」

「まだ考え中」

「おいおい、そんなんじゃ日が暮れちまうぞ。……そうだな、泣いて頼まれたらヒントぐらい出してやってもいいぜ」

「そんなのやだ!」

「ならせめてコンビニに入って値札を確認しにいけよ。もしかしたら百円玉一枚で二つとも買えるかもしれないぞ?」

 その杏子の言葉で自分の右手に握られた百円玉の存在を思い出す。課題を始める前に杏子から貰った百円玉。つまり初めから杏子はゆまにお金を使えと言っていたのだ。そのことに気付いたゆまは急いでコンビニの中に入っていく。

 コンビニの中に入ったゆまは真っ先にパンと牛乳の値段を確認する。一番安い組み合わせでも百円以上は確実に掛かる。だがそれでよかった。ゆまは無造作にパンと牛乳を一つずつ選んでレジに運ぶ。

「これくださーい」

「お嬢ちゃん、お使いかい?」

「うん。そーだよ」

 レジの向こうにいたのは優しそうな中年女性だった。

「それじゃあパンと牛乳、合わせて百五十七円になります」

「はーい。……あれ?」

 元気よく返事をしたゆまは、わざと大げさにその場でポケットの中身を漁る。中から出てくるのはティッシュとハンカチ、そして先ほど杏子から渡された百円玉のみ。それ以外のものが入っていないことをゆまも知っていたが、それでも他にも何か入っていたはずだと言わんばかりにその場で困ったように探り、そして次第に嗚咽を漏らし始める。

「どうしたの? お嬢ちゃん」

「ひっくひっく、ぐすっ……、お金が、足りないの。ポケットに入れといたはずなのに」

「えっ!?」

 その言葉に驚きの声を上げる店員の女性。ゆまはダメ押しとばかりに言葉を続ける。

「これじゃあ、ママに怒られちゃう。ぐずっ……」

「……いくら足りないのかな?」

「これしかないの」

 そう言ってゆまは杏子に渡された百円玉をレジの上に乗せる。それを見て少し考える素振りを見せた中年女性だったが、泣きじゃくるゆまを見てその迷いを捨てる。そして手慣れた手つきでレジ袋にパンと牛乳を詰め込むと、ゆまの手にそっと渡す。

「わかった。それじゃあ今日はこれだけでいいよ」

「……ほんと?」

「ええ、だけど次来る時はお金を落としちゃダメよ」

「うん! ありがとう、おばちゃん」

 ゆまは顔を輝かせて感謝の言葉を告げると、駆け足でコンビニの外に出ていった。そしてコンビニの外で待っている杏子を見つけると、嬉しそうに駆け寄る。

「じゃじゃーん。キョーコ、ちゃんと買えたよー」

 自慢げに今日の戦利品を見せつけるゆま。その姿を見て、杏子はやれやれといった表情で笑みを浮かべるのであった。



    ☆ ☆ ☆



 アルフの案内でやってきた臨海公園は、平日の昼間ということもあり人の数はそこまで多くなかった。そのためすぐに空いているテーブルを見つけることができた。そこにアルフは二つの弁当箱を置く。包んでいる布を解いていくフェイト。その姿をアルフは息を飲みながら眺めていた。

 実のところ、アルフは料理を作った経験はほとんどない。幼い頃はリニスがいつも作ってくれており、その時に少しばかり教わっていた。しかしリニスがいなくなってからというもの、アルフは料理をすることは一度としてなかった。時の庭園には保存食が大量にあり、他の世界に赴いた場合も買い食いを主な食生活となっていた。

 つまりこの弁当が、アルフにとって初めて一人で作った料理ということになる。

 だからこそ、アルフは緊張していだ。フェイトを休ませる口実で作った料理とはいえ、それが不味くては意味がない。気を衒うこともなく、料理本に書いてある通りの料理にして見たが、それでもミスがないとは限らない。味見の時は問題はなかったとは思うが、それでもフェイトが気にいるとは限らない。だからこそアルフはフェイトの一挙一動すら見逃さない勢いで凝視していた。

「アルフ、そんなに見られると恥ずかしいよ」

「ご、ごめんよ、フェイト!」

 だからフェイトに指摘された時に出た声もどこか上擦ったものになってしまった。そんなアルフの姿を見て、フェイトは仄かに笑う。

「大丈夫だよ、アルフ。そんなに心配しなくても」

「へっ?」

「アルフがわたしのために作ってくれたお弁当だもん。絶対に美味しいよ」

「ふぇ、フェイト……」

 弁当箱を開ける前から告げられたフェイトの絶対の信頼に、アルフは感涙しそうになる。

 だがそれはフェイトも同じだった。フェイトはその視線をアルフの手に向ける。そこに付けられた無数の絆創膏。それは弁当を作るにあたってできてしまった傷なのだろう。そこまでして自分を気遣ってくれるアルフの心遣い。それがフェイトには嬉しかった。

 フェイトは弁当箱の蓋を開ける。右半分には梅干しと振りかけが塗してある白米が敷き詰められている。それに対して左半分は色とりどりの野菜。キャベツにニンジン、キュウリにセロリ。さらに不格好に切り刻まれたリンゴと、少し焦げている卵焼き、そして形の歪なハンバーグがすし詰め状態で収められていた。

「これ、本当にアルフが作ったの?」

「そ、そうだけど、やっぱりどこか変だった?」

「ううん、そうじゃなくて凄く美味しそうだなって……」

 確かに一目見ただけでも多くのミスがあることはわかる。だがそれでもアルフの真心というものが、見ただけでフェイトにはハッキリと伝わった。フェイトにしてみれば、食べる前からすでに満たされる想いだった。

 そんな幸せな思いを胸にフェイトはまずは卵焼きから口にしようと箸で掴み……その手を止める。そして卵焼きを元あった位置に戻すと、弁当箱の蓋をする。そしてフェイトは申し訳なさそうに立ち上がる。

「ごめん、アルフ。お昼はもう少し後でいいかな?」

「えっ、フェイト?」

 その言葉に悲しげな表情を浮かべるアルフ。

「微弱だけど、あっちの方からジュエルシードの魔力を感じる。わたしは先にジュエルシードのところに向かうから、アルフは念のために結界を張って」

「――ッ! わかった!」

 だがフェイトの指摘でアルフはその真意を悟り、身を引き締め直す。

 その返事に満足したフェイトは、もう一度名残惜しそうに弁当箱の方を見てから、ジュエルシードの反応のある場所に向かって飛んでいった。



    ☆ ☆ ☆



 フェイトがジュエルシードの魔力を感じ取った時、その一番近い場所にいたのはフェイトたちではなく杏子たちだった。それは彼女たちもまた、昼食を摂るために臨海公園とやってきていたからだ。

 だが魔力に気づきつつも、杏子はそちらに向かおうとはしなかった。杏子には魔女とジュエルシードの魔力を完全に見極めることができるわけではない。一人だったらそれを確かめる意味でも魔力に向かって突っ込んでいったのだろうが、この場にゆまも一緒にいる以上、安易にそのような真似をするわけにはいかない。

 しかしこの町にはキュゥべえお墨付きの魔法少女やジュエルシードを求める魔導師がいる。ならば今回はそいつに任せればいい。最悪、一端放置したとしても後でまたこの場に一人でやってくればいい。そう楽観視していた。

 そう杏子が思ったのとほぼ同時に、彼女たちを巻き込む形で結界が展開する。その結界はフェイトに命じられてアルフが張った結界だ。だがそのことを知らない杏子は、魔女が張った結界だと思い、周囲に気を配る。するとすぐに近くの林から、眩い輝きと強大な魔力が放たれた。

「キョーコ、何アレ?」

 あれほどの輝きだ。自分の隣にいるゆまが気づかないわけがない。ゆまは実に好奇心旺盛だ。たまに杏子でも手を焼くような動きをすることもある。そんなゆまがあんな光を見て、興味を示さないわけがない。

「ねぇねぇ、あっち行ってみようよ!」

 ゆまは杏子の手を引っ張り、促す。どうやらゆまはここが結界の中だということを気づいていないらしい。魔女の結界と違い、周囲の色が褪せるだけの魔導師の結界は、魔法に携わらないものならその異変に気付きにくい。いくら素養があるといっても、ゆまはまだ一般人だ。気づかなくても無理はない。

「あんな光、どうだっていいだろ? それよりあっちで飯を食おうぜ」

 ゆまが結界の中だと思っていないなら、そう勘違いさせたまま外に出てしまおう。そう思った杏子は光とは逆方向に向かって歩き出す。杏子本人としてはさり気なくを装ったつもりだったが、それがかえってゆまに不信感を持たせてしまった。

「もしかして、あの光って、魔女の仕業?」

「そ、そんなわけないだろ。ただのイルミネーションだよ」

「こんな時間から?」

「大方、間違ってスイッチが入ったとか、そんなんだろ」 

「そうなんだ。……それじゃあわたし、あっちの様子見てくるね!」

 必死に誤魔化そうとした杏子だったが、それが仇となり、ゆまは光の方に駆け出していった。

「あっ、おい、くそ!」

 それを見た杏子は魔法少女の姿になり、その背を追った。ゆまに追いつくことは簡単だった。しかしゆまはすでにジュエルシードの前にいた。もちろんただのジュエルシードではない。思念体としてその場にいた猫を取り込んだのだろう。大きな翼を生やしたサーベルタイガーのような獰猛な獣がそこにいた。サーベルタイガーはゆまの姿を捉えると、すぐに襲いかかってくる。杏子はゆまを庇うようにその前に立つと、槍を使ってサーベルタイガーを薙ぎ払った。

「やっぱり魔女だったじゃん。嘘つかないでよ」

「ゆまがいたら足手まといになるからに決まってんだろ!」

「ならわたしが魔法少女になれば問題ないじゃん」

「それは駄目だ!」

 二人の中でお決まりと化したやり取りをしつつ、杏子はゆまを抱え、サーベルタイガーから距離を取る。そして改めて観察して、目の前の存在から不自然さを感じていた。

(そもそもこいつは魔女なのか?)

 杏子が初めて魔法少女として魔女と戦った時に感じた印象は、美術館で抽象画を見た時の印象に似ていた。あの歪な絵のタッチ。見る人が見ればその芸術性がわかるが、素人目から見たら何もわからない。そんな抽象画と魔女の見た目が、まだ未熟だった頃の杏子には同じように見えたのだ。

 今でこそ数十体の魔女と戦ってきたので、そういう思いはないが、だからこそわかることがある。目の前にいるサーベルタイガーは魔女らしくない。魔女は大なり小なり気持ち悪さが存在する。進化の過程で自然発生しないような歪さと言い換えてもいい。それが目の前のサーベルタイガーにはなかった。そんな自然さが逆に魔女としては不自然だと杏子に思わせてしまった。

(そういえば、あの魔導師と出会った時も動物がいたっけな)

 杏子はしゃべるイタチと巨大な猫のことを思い出す。もしかしたらジュエルシードは動物になんかしらの影響を与えるものなのかもしれない。そう推測を立ててみるが、根拠は何一つない。

 どちらにしてもゆまを連れた状態で戦うのは得策ではないだろう。そう判断した杏子は、ゆまを抱えて逃亡を試みる。

「に、逃げるの? キョーコ」

「逃げるんじゃねぇ。戦略的撤退って奴だ!」

 その言葉を聞きながら、ゆまは改めて自分が足手まといになっていることを実感した。ゆまが今まで見てきた魔女は多かれ少なかれ、何かしらの威圧感があった。魔女が魔女たるゆえんは絶望を撒き散らすこと。その負の感情がゆまには威圧感として感じられたのだ。しかし目の前のサーベルタイガーからはそれがない。確かに恐くはあるが、あれはただ力を持て余して暴れているだけ。杏子なら軽くやっつけられる。ゆまは本能的にそう悟っていた。

 それなのにも関わらず、杏子は逃げている。それはこの場に自分がいるからだ。自分さえいなければ簡単にやっつけられるはずなのに……。

(どうしてキョーコはわたしを魔法少女になるのを許してくれないんだろう?)

 杏子の許可さえもらえれば、ゆまはすぐにでもキュゥべえと契約して魔法少女になるつもりだ。しかし杏子はそれを頑なに反対している。そんな杏子を無視して勝手に契約することもできる。だがそんなことをして杏子に嫌われるのは嫌だった。今は杏子の庇護にあるゆまだが、いつかは杏子の横に並び立ち、杏子を助けられるようになりたかった。

 ――だから目の前に自分と同じ歳くらいの魔法少女が現れた時、ゆまはただただ羨ましいと感じてしまった。



☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★



オマケ ジュエルシードが発動した時の三人娘 なのは視点ver.

【なのは、ジュエルシードの反応だ】

【うん、わかってる】

 昼休み、屋上でアリサちゃんとすずかちゃんとお話していたわたしは、遠くの方でジュエルシードの発動した反応に気付いた。もしすずかちゃんの家の子猫みたいに願いが叶っただけならそこまで危険じゃないけど、最初にユーノくんを助けた時みたいな暴走をしていたら町の人が大変だ。早く助けにいかないと。そう思ったわたしは立ちあがった。

「どうしたの? なのは、すずか。二人していきなり立ち上がったりして」

「「えっ?」」

 気がつくと、わたしだけでなく、すずかちゃんも立ちあがっていた。それを座りながら不思議そうに眺めるアリサちゃん。

「「ちょっとお手洗いに……」」

 またすずかちゃんとハモっちゃったの!?

「なのはちゃんも?」

「うん、すずかちゃんも?」

 まったくの偶然って恐いの!? 別にわたしはお手洗いに行きたいわけじゃあない。ジュエルシードを探しに行きたいだけなのに。

「まったく、二人揃って凄い気が合うわね。こうなったらあたしも付き合わせてもらうわよ」

 そう言って立ち上がるアリサちゃん。これじゃあジュエルシードを探しに行けないの。

【ごめん、ユーノくん。後で行くから、先に行ってて】

【わ、わかったよ。でも早く来てね】

 わたしは念話でユーノくんを送り出す。その後で三人仲良く、お手洗いまで向かった。本当は急いで済ませたかったけど、アリサちゃんとすずかちゃんの手前、そんな慌てて駆け込むような真似はしたくなかった。そうして辿りついたお手洗いで身だしなみを整える。本当は別にいいんだけど、折角来たんだからちょっとぐらいは確認したいよね。

「にゃああ! 口の横にケチャップがついてるのー!!」

「なのは、気づいてなかったの?」

「気づいたからお手洗いに行きたいって言ったのかと思ってた」

「二人とも、知ってたなら教えてよー!」

「あはははは、ごめん、なのは」

「ごめんね、なのはちゃん」

 わたしは二人の謝る言葉を聞きながら、水道の蛇口をひねり、ケチャップを落とす。それを完璧に落とせたのを確認したわたしは、今度こそジュエルシードのところに行こうとしたらチャイムが鳴った。

「やばっ、なのは、すずか。急いで教室に戻りましょ」

 アリサちゃんはそう言って駆けてくの。でもこのまま教室に戻るわけにはいかなかったわたしは、アリサちゃんを呼びとめた。

「アリサちゃん、わたし体調が悪いから、保健室に行ってるって先生に言ってほしいの?」

「アリサちゃん、わたし調子が悪いみたいだから、保健室で休んでるって先生に言っておいてくれないかな?」

 保健室で休むってアリサちゃんに誤魔化してもらおうと思ったら、横で同じことをすずかちゃんも言ってるの!? それにはすずかちゃんも酷く驚いたようだった。だけどそれ以上に、アリサちゃんの顔が印象的だった。

「あ~ん~た~た~ち~、さっきから一体何をたくらんでるのよ。白状しなさーい!」

 アリサちゃんは怒りながらわたしたちに飛びかかってきたの。それを無視していくわけにもいかないから、わたしとすずかちゃんでなんとかなだめようとした。そうしているうちに先生が通りかかって、教室に連れてかれちゃったの。

【ごめーん、ユーノくん。学校、抜け出すことができなかった~】

【そ、そうなんだ。わかったよ。今回は僕一人でなんとかしてみる】

【ホント、ごめんね。ピンチそうだったらすぐ呼んで。絶対駆けつけてみせるから】

 わたしは授業を受けつつ、ユーノくんに謝る。この授業中は無理だけど、終わったら早退してでもユーノくんのところに向かわなくちゃ。

 そういえばすずかちゃんにも悪いことしちゃったな。わたしと違って、たぶん本当に体調が悪かったから保健室に行こうとしたのに。あとできちんと謝らなくっちゃ!

 そうして授業が終わった後、すずかちゃんに謝ることはできたわたしだったが、結局、ユーノくんの元へ向かうことはできなかった。



2012/6/20 初投稿
2012/12/25 ジュエルシードが発動する前の部分を大幅修正



[33132] 第4話 激突! 魔導師vs魔法少女なの! その3
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/06/24 03:38
 人助けという行為をするためにフェイトは地球にやってきたわけではない。しかし二度あることは三度あるという具合に、またしてもフェイトはジュエルシードの攻撃から杏子とゆまの二人を救った。ただし先の二回に比べて、今回は劇的に危機だったわけではない。フェイトが放っておいても杏子はゆまを抱えながら、その場から離脱できただろう。

「おまえは!?」

「あなたはその子を連れて逃げてください。いくよ、バルディッシュ」

≪Yes sir. Photon Lancer≫

 驚いている杏子を尻目にフェイトはサーベルタイガーへ向かって、フォトンランサーを放つ。それを瞬時に飛んでかわすサーベルタイガー。だがその時にはフェイトはサーベルタイガーの上を取っていた。そのまま斬りかかるも、サーベルタイガーは身体を捻りそれをかわす。その体制のまま爪でフェイトの身体を切り裂こうとする。だがそれはプロテクションで防御し、そのまま強引に距離を取る。

 距離ができたサーベルタイガーは、翼から蛇のようなものを複数フェイトに向かって飛ばしてくる。それをフォトンランサーで迎撃するフェイト。その衝撃波で辺りに爆煙が漂う。その煙の中でフェイトとサーベルタイガーは接近戦を繰り返す。一進一退の攻防。しかしフェイトにはどこか余裕があった。

 それはサーベルタイガーの攻撃速度がバルバラに比べるとだいぶ劣っていたからだ。実のところ、倒そうと思えばすぐに倒すことがフェイトにはできた。だがそれをしないのは万が一、仕留め損なった場合、その矛先が自分ではなく地上にいる二人に向くことを考えたからだ。杏子はともかく、抱えられたゆまは一般人だ。それを一目で気づいていたフェイトは二人がこの場から離れるのを待っていたのだ。

 攻撃を受けながら地上の様子を確認する。すでに二人の姿は先ほどの位置にはない。そろそろ大丈夫だろうと判断したフェイトは、一気に攻撃に転じることにした。

 先ほどまでプロテクションで受けていたサーベルタイガーの攻撃を避け、一瞬で背後に回り込む。そしてその翼を一気に斬り落とした。片翼を失ったサーベルタイガーはバランスを崩しながら地面に落下していく。しかしすぐさまに翼を再生させ、体制を整え直す。だがその正面にすでにフェイトは立っていた。

「ジュエルシード、シリアルⅩⅥ封印!」

≪Scythe Slash≫

 そしてそのままその身体を縦に引き裂いた。爆発するサーベルタイガー。霧散していく肉体。そうして爆散した破片は全て消滅し、最後にはジュエルシードと傷ついた猫の姿が残った。そして地面に落下していくそれらを受け取ったのは、先ほど去ったはずの杏子だった。

     ☆

 フェイトの助けもあったため、杏子たちは簡単に戦闘区域から離脱することができた。背後ではフェイトとサーベルタイガーのぶつかる衝撃音が何度も響き渡る。それが気にならないこともないが、今はゆまの安全な場所まで送り届けるのが先決だ。

「キョーコ、ここでいいよ」

「…………」

 その言葉を無視して、杏子は走り続ける。ある意味で、ゆまの言葉は正しい。すでに彼女たちは戦闘範囲外に来ているため、この場にゆまを置いて杏子だけ戦闘区域に戻ることはできただろう。

 杏子がそれをしないのは、できるだけフェイトの戦いをゆまに見せたくなかったからだ。昨日出会ったなのは、そしてフェイトもゆまもそう変わらない年齢だ。子供の成長速度も考えると、同じ歳ということもあり得る。そんなフェイトが魔法少女として戦う姿を見たら、ゆまの魔法少女になりたいという思いが強まってしまう。それだけはなんとしてでも避けたいところだった。

 幸いなことに使い魔の類は出てこない。やはりあのサーベルタイガーは魔女ではないのかもしれない。それならその戦闘は見ておきたいところだが、優先度を間違えてはいけない。

「キョーコ、無視しないでよ!」

「……っ! ゆ、ゆま?」

 突然の大声に杏子は驚き、足を止めた。そして脇に抱えたゆまの顔を見る。ゆまは酷く怒っていた。そして杏子の目を見て捲し立てるように杏子に告げた。

「キョーコが何を考えているのか、わたしにはわかるよ。安全な場所まで連れて行くというのは建前で、本当はあの子の戦いをわたしに見せたくないんでしょ? もうキョーコとは一ヶ月も一緒だったんだもん。それぐらいわかる。キョーコがわたしを魔法少女にしたくないと思ってるのも、わたしのためだってこともわかってる。わたしはそれでも魔法少女になりたい。だってキョーコはわたしの目標で、憧れの存在だから。……そんなキョーコがわたしのために逃げ出すなんて我慢できない。それに格好悪いよ。魔法少女なら格好よくなくちゃだめだよ」

 そこまで言い終えたゆまは大きく息をつく。

 杏子はゆまがここまで自分のことを理解しているとは思わなかった。魔法少女になりたいのは本心なのだろうが、それは自分勝手な我儘だと思っていた。

(それにしても憧れ、か)

 そもそも杏子は魔法少女であることを誇りに思っていない。契約したての頃は違うが、家族に心中されてから彼女は自分の本来の魔法を使っていない。この世の中、力がなければ生き残れないが、それでも彼女は自分の家族を不幸にしたこの力を嫌っていた。そんな自分を杏子は一度として格好いいとは思わなかった。

 そんな自分がまさか憧れの存在になっているとは、考えもしなかった。しかし一度それに気づいてしまえば、そうなるのは当たり前だということがわかる。ゆまが魔女に襲われた時、杏子が現れなければ彼女は間違いなく死んでいた。さらにその後、杏子がゆまに様々なことを教えようと思わなければ、一人で生き延びることもできなかったかもしれない。そんな杏子のことをゆまは感謝し、尊敬し、憧れるのは当然の帰結だった。

「……確かに、逃げ出すなんてあたしらしくないよな」

 杏子はゆまをその場に降ろす。ゆまの目線の高さにしゃがみこみ、その目をまっすぐ見て告げた。

「ゆま。あたしは行くけど、絶対ついてくるなよ。それでできるだけ遠くに行け。……そうだな、先にホテルに帰ってるのがいい。あたしは必ず戻ってくるから」

「キョーコ……うん、わかったよ」

 杏子は立ち上がりゆまの頭を軽く撫でる。

「それじゃあ、行ってくる」

 一頻り撫で置いた杏子は、まっすぐ自分が辿った道を戻って行った。ゆまはその背が見えなくなると、その反対方向へ向かって走り出した。

     ☆

 杏子が戦闘区域に戻ってきた時、フェイトがサーベルタイガーに止めを刺すところだった。真っ二つに引き裂かれたサーベルタイガーは爆散する。その中から落下する一匹の子猫と一つの宝石。宝石はともかく、子猫の方は上空から落下してただで済むとは思わないと感じた杏子は、その身体を抱きとめた。子猫には目立った外傷はない。意識もあるようで、杏子の腕の中で毛づくろいを始めている。だがそもそも杏子には、あの爆発の中から子猫が出てきたこと自体が不思議だった。

 そしてついでにキャッチした宝石、それは今朝がたキュゥべえに見せられたジュエルシードだった。偽物とは違い、本物には膨大な魔力が込められているのが一目でわかる。何故キュゥべえが欲しがるのかはまだわからないが、無視できない魔力量だった。

「それを渡してください」

 そう告げたのはフェイトだ。杏子の頭上でフェイトは自分の周囲にフォトンランサーを展開している。杏子が応じなければ、すぐに発射するつもりなのだろう。その態度が杏子は気にいらなかった。

「それってどっちだよ。こっちの猫か、それとも宝石か」

「宝石の方、子猫には用はない」

「そうか」

 杏子は周囲を見回し、ちょうど良い木の根元に子猫を降ろす。

「ほら、ここは危ないからさっさと行け」

 杏子は言葉と共に、子猫に殺気を飛ばす。その殺気に恐怖を感じ取った子猫は、急いでその場から離脱した。それを見届けた杏子は頭上にいるフェイトに向き直る。

「一応、礼は言っておくぜ。さっきは助かった」

 礼というのは、自分が助けられたことではない。ゆまを安全な区域まで送り届けることができたことに対するものだ。杏子はフェイトがわざと戦闘を長引かせていたことに気づいていた。彼女とあのサーベルタイガーとでは純粋な魔力量が違う。その力の差だけでねじ伏せることも簡単だったはずだ。

「……だがこいつをただで渡すわけにはいかねぇな」

 しかしそれとこれとは話は別だ。結局、あのサーベルタイガーの正体は掴めていない。目の前の少女のこともだ。それならば、できる限り手札は多い方がいい。

「もう一度言います。その宝石、ジュエルシードを渡してください」

「おいおい、勘違いすんなよ。渡さないとは言ってない。ただでは渡せないって言ったんだ」

「ならどうしたら、ジュエルシードを渡してくれますか?」

「なぁに、いくつか質問に答えてくれればいい」

 ジュエルシードはキュゥべえとの取引のために必要だ。別に個数の取り決めはないんだ。一個でも渡せば、納得させることはできるだろう。だがその前に杏子には圧倒的に情報が足りなかった。情報がなければ後手に回る。後手に回った結果、待っているのは死だ。ならばジュエルシードをチラつかせ、情報を掴むのが上策というものだ。

「……わかりました。答えられることについては答えましょう」

 フェイトは周囲に展開したフォトンランサーを霧散させる。そして杏子の元へと降りてくる。実際、地上で並び立つと、なおのことゆまと同年代ということがわかる。背丈もそうだが、その身体つき。男と女の見わけがつかない子供。顔立ちは整っているので、将来的には美人になるのは間違いないが、今はまだゆまとそう変わらないただの小娘にしか見えなかった。

 一定の距離を保ちつつ、杏子はフェイトからジュエルシードに関して得られるだけの情報を得た。ジュエルシードが願いを叶える宝石であること。先ほどのサーベルタイガーがジュエルシードの暴走体であること。ジュエルシードは膨大なエネルギーを内包しており、そのため非常に暴走しやすいこと。ジュエルシードの数が二十一個であること。

 さらに魔導師についての話も聞けた。いくつかの質問には答えが返ってこなかったが、この結界が彼女の手によるものだと知れたのは大きい。魔女が張る結界とは異なる結界。その中にいたあの白い魔法少女も魔導師だったということになる。それを知ることができたのは、杏子にとっては非常に意味のあることだった。

 そうして一通りの情報を聞きだした杏子は、最後にあることを確かめようとした。

「それじゃあ最後の質問だ。おまえがジュエルシードを集める目的はなんだ」

「……っ」

 その質問をした時、フェイトは焦った表情を浮かべた。その後も言いづらそうに言葉を渋る。杏子としては、彼女が魔導師か魔法少女を確かめるためにした質問だったが、その顔つきの変化を見ただけで彼女が魔導師だということがハッキリした。理由は簡単だ。もしキュゥべえに頼まれてジュエルシードを集めているのだとしたら、素直に話すはずだからだ。

「いや、答えたくないなら答えなくていいや。その代わり、こっち質問に答えてくれ。――このジュエルシード、あたしがもらっていいか?」

「なっ……!?」

 杏子の言葉に驚愕の表情を浮かべるフェイト。だがすでにその時には杏子は動き出していた。逃げ出すのではなく、フェイトに向かって真っすぐ突っ込んでくる。そして手にした槍でフェイトの身体を横に薙いだ。その衝撃で彼女の身体は茂みの中まで吹っ飛んでいく。

 初めから杏子は、ジュエルシードを渡す気はなかった。二十一個もあるのだから、運が良ければもう一度、手に入れられるかもしれない。だが杏子にはジュエルシードを探る術がない。先ほどは暴走した時に近くにいたからたまたま発見できたが、そう上手い話が何度もあるとは限らない。

 ならば今、手に入れたジュエルシードを渡さなければいい。杏子にはジュエルシードが一個あればそれで十分だと考えていたのだ。キュゥべえと取引した時、数は指定されなかった。あとで複数個必要になったと言われても無視して突っ張ればいい。それでも無理やりゆまと契約しようとするなら、それこそキュゥべえと敵対すればいいだけだ。

「悪いな。あたしにもこいつが必要なんだ。どうしても欲しいってんなら、力づくできな」

 先ほどの攻撃は確かにフェイトの不意をついた。しかしあくまでフェイトに奇襲が掛けられただけで、彼女の持つデバイス、バルディッシュには通用しなかった。攻撃がフェイトの身体に当たる前、バルディッシュがプロテクションを展開したのだ。

 それに気付いていたからこそ、杏子は茂みの中からフォトンランサーが飛んでくることが読めていた。それをかわし、槍で薙ぐ杏子。そうして一通りはじき返した時、茂みからフェイトの姿が出てきた。その身体にはまったく外傷はない。ただその顔つき、それが明らかに戦闘前の真剣なものへと変わっていた。

「わかりました。そうさせてもらいます」

 そして今度はフェイトが杏子に向かって突っ込んでいく。ぶつかり合う戦斧と槍。単純な筋力だけなら年齢の都合上、杏子の方に分がある。しかし魔力勝負になればフェイトの方が上。そのため、杏子は徐々に押されていた。

 このままでは押し負けると判断した杏子は、後ろに飛び退く。だがフェイトはそれを許さない。退いた傍から杏子に隣接する。その一瞬の間にバルディッシュをサイズフォームにし、サイズスラッシュを繰り出す。先端が伸びたことにより、受けにくくなるものの、なんとか槍で受け止める。

(こりゃ、やばいかもな)

 杏子はフェイトのことを舐めていた。魔力量が上とはいえ、相手は歳下。戦闘経験は自分の方が多いだろうから、その差は埋めることができる。そう過信していた。だが魔力の差は思いの外、大きいものだった。フェイトにとっての通常攻撃が、杏子の決め技クラスの攻撃力がある。さらに二人とも攻撃力ではなく速度に重きを置いた近接戦闘型である。何よりフェイトは空を飛べる。遠距離から魔弾を飛ばすこともできる。そのどちらも杏子にはできないものだ。

「そういやまだ、名前を聞いてなかったな」

「……フェイト・テスタロッサ。そういうあなたは?」

「へぇ、格好いい名前じゃねぇか。あたしは佐倉杏子ってんだ」

「……えっ?」

 格好いいと呼ばれた瞬間、フェイトの顔が赤くなり、手に込められた力が一瞬緩む。その隙に杏子はフェイトの腹を蹴り飛ばし、強引に距離を取る。

(思った通りだ)

 様々な魔法少女と戦ってきた杏子は、その中で観察力に磨きを掛けた。相手の特徴を瞬時に見抜き、どうすれば勝つことができるか模索する。そして自分の勝てる戦い方で勝つ。その上で杏子がフェイトに対してとったのは、口で揺さぶりを掛けるという方法だった。強いとはいえ、彼女は九歳。その年頃の扱い方は、ゆまとのやり取りである程度理解していた。

 もちろんそれだけでは誤魔化しながら戦うことはできても、フェイトを倒すには至らない。いずれジリ貧になり、敗れ去ってしまうだろう。だから杏子はフェイトから距離を取り、その槍を引っ込めた。そしてフェイトの足元に青い宝石を投げる。

「っ!? 何のつもり?」

「……止めだ。そいつはフェイトにやるよ」

 突然の申し出に戸惑うフェイト。

「いきなり、どうして?」

「あたしじゃフェイトに勝てない。一対一なら多少はやりようはあったが、二対一じゃあ流石に話にならないからな」

 杏子は後ろの茂みを見ながらそう告げる。するとその茂みからアルフが姿を現した。

「……いつ気づいたんだい?」

「強いて言うなら最初からだな。あんた、殺気強すぎ。あんなに鋭い視線をぶつけられてちゃ、嫌でも気づく」

 その言葉に押し黙るアルフ。杏子は再び、フェイトの方に向き直る。

「ま、そういうわけだ」

「だからってこうも簡単に……」

「そっちはどうだか知らないが、あたしは最悪、一個あれば十分なんだ。ジュエルシードは二十一個もあるんだろ。それならここで無理して得なくても、そのうちどっかで楽に手に入れるのが得策ってもんさ」

 確かに杏子の言うとおり、必要なジュエルシードが一個だけならば、そういう手もありだろう。まだどこか釈然としないものもあるが、フェイトはとりあえずそれで納得することにした。

「それじゃあ、あたしは行くぜ。またな、フェイト」

 杏子はそれだけ言うと、逃げるようにその場から走り去った。去ったふりをして再びジュエルシードを狙ってくる可能性もあるので、周囲の警戒は怠らない。フェイトはアルフに警戒を任せ、足元に落ちたジュエルシードを拾う。そしてそれをバルディッシュに仕舞う。だがそこでバルディッシュから予想外の言葉が告げられた。

≪これはジュエルシードではありません≫

「えっ?」

 そうしてバルディッシュから放り出される先ほどのジュエルシード。フェイトは手に持ち、確認する。ジュエルシードには、一つ一つシリアルナンバーが刻まれている。先ほど、封印する時もⅩⅥというナンバーが刻まれていた。だが今、手にしているジュエルシードにはそれがない。何より、そのジュエルシードから感じる魔力は杏子のものだった。

≪そのジュエルシードは偽物です≫

 バルディッシュの言葉にその場で立ちつくす二人であった。

     ☆

(強さは一人前でも、中身はまだまだ子供だな)

 杏子は走りながら、まんまと二人を出し抜いたことをほくそ笑んでいた。先ほど杏子がフェイトたちの前に投げたジュエルシードは、今朝、キュゥべえからもらった偽物だ。その中に杏子のありったけの魔力を込め、二人に渡したのだ。

 それは戦闘では勝てないと悟った杏子が取った苦肉の策だった。二対一、そして実力もフェイトの方が上。その状態で杏子に勝ちの目はない。だからこそ自分から負けを認め、二人に偽物のジュエルシードを渡したのだ。

 先ほどフェイトに告げた言葉も嘘ではない。だがここで手に入れられるのならば、それに越したことはないのも事実だ。

 結界から脱出できるかどうかが一番の懸念事項だったが、もし脱出不可能なものなら、あの結界内にゆまの気配があったはずだ。しかしフェイトと戦闘を始めた時にはその気配は消えていた。フェイトから聞いた結界の性質から考えても、簡単に脱出することができると判断した杏子は、元の姿に戻り走り始めた。そうして結界を抜け出した杏子だったが、抜け出した後も走り続けた。

 フェイトならばジュエルシードが偽物だとすぐに気づくだろう。その時、近くにいたら見つかってしまう。あの二人を相手に杏子は油断しない。だから杏子はすでにこれから何をするべきかを考えていた。それはゆまと合流し次第、ホテルのチェックアウトすることだ。今のホテルにはすでに一週間近く泊まっている。その周囲で聞き込みされれば、自分の目撃情報が出るかもしれない。念には念を入れるなら宿を変えるべきだろう。

(それにしても、なんでキュゥべえはこんなものを欲しがるんだ?)

 走り疲れた杏子は歩調を緩め、自分の手のひらに収まったジュエルシードを見ながら考える。フェイトの話が本当ならジュエルシードには願いを叶える力がある。だがそれはキュゥべえも持っている力だ。

(まさかあいつ、人に願いを叶えてばっかりいたから、自分の願いでも叶えたくなったのか?)

 あり得ないとは思う。しかし断言はできない。キュゥべえは何を考えているかわからない得体の知れない存在だ。絶対に何か裏がある。

(ジュエルシードは、まだキュゥべえに渡さない方がいいかもしれないな)

 切り札は最後まで取っておく。渡すにしても二個以上手に入れてから、一個だけ渡すのがいい。杏子はジュエルシードを仕舞い、ホテルに向かって再び走り始めた。



     ☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★



オマケ ジュエルシードが発動した時の三人娘 すずか視点ver.

【すずか、大変だ】

【どうしたの? キュゥべえ】

 お昼休み、私がなのはちゃんとアリサちゃんとお弁当を食べ終えて雑談に花を咲かせていると、突然キュゥべえの声が聞こえた。

【どうやら臨海公園の方でジュエルシードが発動したみたいなんだ】

【ジュエルシード?】

【そうだ。魔女とも使い魔とも違うエネルギー結晶体。魔女たちと違って結界なんて張ることができないから、暴走すればそれがそのまま現実世界への実害になる】

 キュゥべえの言葉を聞き、私はぞっとした。バルバラと戦った時は結界の中だから周囲の被害など気にせず戦うことができた。でももしあれが結界の外で行われていたら、それだけで酷い被害になっていたのは間違いない。

【キュゥべえ、どうしたら?】

【幸い、この町には他にも魔法少女がいる。でもジュエルシードは危険だ。彼女一人で対処できるかどうか……。だからできればすずかにも現場に向かってもらいたいんだ】

 私はキュゥべえの言葉を聞いて、途端にその場から立ち上がる。

「どうしたの? なのは、すずか。二人していきなり立ち上がったりして」

「「えっ?」」

 気が付いたらなのはちゃんも立ちあがっていた。それを座りながら不思議そうな顔で見つめるアリサちゃん。

「「ちょっとお手洗いに……」」

 お手洗いに行くつもりなんてなかったのに、偶然なのはちゃんとハモっちゃった。

「なのはちゃんも?」

「うん、すずかちゃんも?」

 これで本当にお手洗いに行くつもりでハモったのならなのはちゃんと通じあえて嬉しかったと思える。だけど私が行きたいのは海鳴臨海公園。その言葉とは裏腹な自分の考えが残念だった。

「まったく、二人揃って凄い気が合うわね。こうなったらあたしも付き合わせてもらうわよ」

 そう言って立ち上がるアリサちゃんは少しだけ拗ねているように見えた。私はそんなアリサちゃんをなだめつつ、三人でお手洗いに向かった。そこで三人で鏡に並んで身だしなみを整える。

「にゃああ! 口の横にケチャップがついてるのー!!」

 そうしていると横で自分の顔を見たなのはちゃんが大声を上げた。あんなに大きなケチャップをつけて歩いていたのだから、それも仕方ないけど。

「なのは、気づいてなかったの?」

「気づいたからお手洗いに行きたいって言ったのかと思ってた」

 もちろん私は最初から気づいていた。それで教えようとしたのだけど、それをアリサちゃんに「面白いから言わないでおこう」とアイコンタクトで止められていたのだ。

「二人とも、知ってたなら教えてよー!」

「あはははは、ごめん、なのは」

「ごめんね、なのはちゃん」

 なのはちゃんは念入りに顔を洗い、口元のケチャップを完璧に落とそうとする。それを横でずっと眺めていたら、チャイムが鳴ってしまった。

「やばっ、なのは、すずか。急いで教室に戻りましょ」

 そう言うと、アリサちゃんは駆け出していく。私はそんなアリサちゃんの背中に声を掛けた。

「アリサちゃん、わたし体調が悪いから、保健室に行ってるって先生に言ってほしいの?」

「アリサちゃん、わたし調子が悪いみたいだから、保健室で休んでるって先生に言っておいてくれないかな?」

 すると横で全く同じ内容をなのはちゃんが口にしていた。私の言葉になのはちゃんはとても驚いたような表情をしていた。

「あ~ん~た~た~ち~、さっきから一体何をたくらんでるのよ。白状しなさーい!」

 だがそれ以上に私となのはちゃんのハモりっぷりがアリサちゃんの琴線に触れたらしい。その目は「屋上にいた時に自分だけでなく、なのはともアイコンタクトしたんでしょ!?」と言っている。だが私にはそんな覚えはなかった。

 結局、怒り狂うアリサちゃんをわたしとなのはちゃんでなだめているところを先生が通りかかり、教室に連れて行かれた。

【ごめん、キュゥべえ。すぐにそっちに向かえそうにないかも】

【そうか。わかったよ、すずか。彼女は優秀な魔法少女だから、今回は一人の力で何とかしてもらうことにするよ】

【うん。ところでキュゥべえ。それってフェイトちゃん?】

【違うよ、すずか。フェイトは魔法少女じゃなくて魔導師だから】

 魔法少女と魔導師? いったい何が違うのだろう?

【よくわからないけど、フェイトちゃんじゃないなら今度その人を私に紹介してくれないかな? 他の魔法少女の子も見てみたいし】

【わかったよ。ただ彼女は気まぐれだから、素直に会ってくれるかどうか……。まぁ頼んでみるよ】

【ありがとう、キュゥべえ】

 私は授業を受けながら、他の魔法少女のことを考えて夢想していた。夜、キュゥべえと会った時にその子の特徴も聞いてみよう。

 それにしても、なのはちゃんには悪いことをしちゃったな。私と違って、本当に体調が悪くて保健室に行くって言ったはずなのに。そうだ。この授業が終わったら、なのはちゃんを連れて保健室に行こう。それがいい。

 こうして授業が終わった後、私はなのはちゃんを保健室に連れて行った。その時、なのはちゃんが「どうしてこうなるのー!」と叫んでいたが、その意味が私にはまるでわからなかった。



2012/6/24 初投稿



[33132] 第5話 海鳴温泉で大遭遇なの! その1
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/06/26 21:41
「なのは。そろそろ日が暮れるし、今日はこの辺にしようか」

 本日のジュエルシード探しに終わりを告げ、帰路に着くなのはとユーノ。毎日、地道に探しているが、月村邸で子猫の願いを叶えたのを最後に、二人はジュエルシードを手に入れることができないでいた。

「ユーノくん、やっぱりこの前のことが気になってるの?」

「うん」

 しかしまったく見つけることができないでいるわけではない。数日前に察知した暴走したジュエルシードの反応。なのはが学校に行っていたため、ユーノ一人で反応のあった臨海公園に向かったわけだが、彼が辿りついた時にはすでに反応は消えており、辺りをいくら探してもジュエルシードを見つけることができなかった。

 気になるのはジュエルシードの発動を感知した後、その付近で結界が張られたことだ。そして結界が解除された時、すでにジュエルシードの反応は消えていた。張られた結界がユーノの使うものに似ていたことから、それがミッドチルダの魔導師の仕業であることは明らかだった。

「あの時に張られた結界、あれはいったい誰が……」

「杏子さん、じゃないんだよね?」

「たぶん。……彼女の持っていた槍型のデバイスやバリアジャケットは僕の知っているものとはだいぶ違った。それなのに使う魔法が同じというのは考えにくい。とはいっても、彼女の魔法を直に見たわけじゃないから、絶対にそうだとは言えないけど」

「でもそれじゃあ、杏子さん以外にもこの町に魔導師がいるってことになるんだよね? どんな人なんだろう?」

 なのはは三人目の魔導師の姿を頭に思い浮かべる。しかしユーノの心はそんなのんきに構えていなかった。ジュエルシードの反応に対応し結界を張り、それが解けた時にはジュエルシードの反応がなくなっていた。それはつまり結界を張ったものが、ジュエルシードを持ち去ったことを意味する。

(いったい誰が……何の目的で……)

 ジュエルシードは危険なものだ。だからこそユーノは自身の危険を承知で単身、回収にやってきたのだ。そもそもこの世界にジュエルシードが落ちたことを知っている人物がどれだけいるだろう。ユーノ自身と発掘の協力者二名、それととこの世界に来る前に連絡を入れたスクライア一族の仲間と時空管理局。ユーノに思いつくのはそれぐらいだ。

(管理局ならいいんだけど、もしそうじゃないとしたら……)

 自分の考えが悪い方に偏っていることに気付いたユーノは、頭を振る。ジュエルシードが地球に散らばってしまったのは不幸な事故だけど、それ以外はそんな悪いことばかりじゃない。なのはという現地協力者に出会うことができ、二週間も経たずに四個も回収できたのだ。それで上出来じゃないか。

「そういえばなのは。明日は家族で出かけるんだよね?」

「そうだよ~。毎年恒例の家族旅行。今年はアリサちゃんやすずかちゃんも一緒だし、楽しみだなぁ」

 なのはたちは一端、ジュエルシードのことを忘れて、明日の家族旅行のことを思い、話に花を咲かせるのであった。

     ☆

「明日は少し、町の郊外を探してみようと思う」

 夜、本日のジュエルシード探索に終わりを告げたフェイトとアルフは、仮住まいで明日の方針について話し合っていた。ここ数日、ジュエルシードと杏子を町中で探していた二人だったが、そのどちらも見つかることはなかった。彼女たちは合計四個のジュエルシードを発見している。しかし手に入れたのはそのうちの半分の二個。町中をメインで探してその程度の成果しかでていないのだから、自分たちの探し方を見つめ直すためにもアルフにそう告げた。

「そりゃいいね。町の中は空気が淀んでいて嫌だからね」

 ミッドチルダと地球とでは魔法の有無に関係なく、純粋な科学水準でも大きな開きがある。その一つの例として、ガソリン車があげられる。排気ガスを撒き散らし、空気を汚すガソリン車。ミッドチルダではすでにガソリン車は使われていない。ガソリンの代わりに電機やメタノールで走る車が一般的だ。さらに空気を浄化する技術も地球に比べ、格段に進んでいる。そのため町中の空気は彼女たちにとって、あまり好ましいものではなかった。

 だが自然溢れる海鳴郊外の森の中なら、話は別だ。木々が二酸化炭素を浄化し、新鮮な酸素に作り替えているため、特に狼を素体に作られたアルフにとっては非常にありがたい話であった。

「それと魔女や魔法少女についてなんだけど、なにか新しくわかったことある?」

 ジュエルシードを探す合間をぬって、フェイトたちは魔女や魔法少女について調べていた。きっかけはバルバラと杏子だ。倒したバルバラから出てきたジュエルシード。そしてジュエルシードを奪い去った杏子。ジュエルシード探しをするとなると、今後もそういった魔女や魔法少女と戦うことになるかもしれない。きちんとした対策を考えるために情報を得る必要があった。

「全然だめ。表だった情報網には全然引っかからないよ。裏の世界の情報を得られれば、多少は何かわかるかもしれないけど、この世界でそんな伝手があたしたちにあるわけないしね」

 情報にも表と裏がある。一般的に公開されているものは簡単に手に入るが、国家単位で隠されているものは、それ相応の伝手がなければ手に入れるのは難しい。まだ地球にやってきて二週間そこらのフェイトたちにそんなものがあるはずもない。

「いっそあたしがもう一度、見滝原に行ってこようか? マミなら何か知っているかもしれないし」

 見滝原にはマミがいる。彼女は現役の魔法少女だ。フェイトの疑問に全て答えられるとは限らないが、まったくの無駄足にはならないだろう。

 しかし魔法少女たちに気を取られて、本来の目的であるジュエルシード回収に遅れが出るのも問題だ。

 そろそろプレシアに報告しに、時の庭園に一度、戻らなければならない。その時、せっかく見つけたジュエルシードを見逃したと知られれば、プレシアは酷く怒るだろう。

「母さんのところに報告に戻るまではジュエルシードを探して、魔法少女のことはその後で相談して考えよう。もしかしたら母さんが何か情報を掴んでいるかもしれないし」

 だからフェイトは残された時間をジュエルシード探しに当てることに決めた。

「了解。それじゃあ明日に備えて、今日はもう寝ようか」

「そうだね。おやすみ、アルフ」

 そうして二人はベッドの中へと潜っていった。

     ☆

「キョーコ、背中の流しっこしよー」

「はぁー、しょうがねぇなぁ」

 同日、同時刻、海鳴市郊外の温泉宿に杏子とゆまの姿があった。ちょうど温泉に入ったばかりの二人は、タオルを片手に一糸纏わぬ姿になっていた。

 ゆまの身体はまだ子供のそれだ。彼女の年齢ならすでに胸が膨らみ始めている少女もいるが、ゆまにはまだその兆候すらない。そんな幼い身体には、いくつかの古い傷がある。目立った痕ではないが、身体を洗うほどの近くの距離で見れば気付ける傷痕。それは彼女が両親に虐待を受けていた証に他ならない。すでに両親と死に別れて一ヶ月経つが、殴られた痕は消えても、煙草を押し付けられた火傷の痕が身体のあちこちに残っていたのだ。身体の成長が遅いのも、まともに食事を与えられていなかったからなのかもしれない。

 理由は違うが、杏子の胸も中学生としては小さい方だ。彼女の場合は虐待ではなく貧困。子供の頃、お金がほとんど入ってこなかった佐倉家では、まともな食事を振る舞われたことはなかった。ご飯一杯だけで一日を済ましたことも、両手で数え切れないほどある。そんな幼少時代に比べると、今の方が食生活は良いくらいだ。コンビニ弁当やジャンクフード、お菓子などをまともな食事と呼べるかは別だが、きちんと三食をとることができるようになり、彼女の生活スタイルは劇的に変わった。本来なら太ってしまいそうな食生活でも、日々の魔女との戦いが良い運動となり、彼女のスタイルは徐々に女性らしいものへと変化していった。今はまだ、少女の名残はあるものの、数年後には期待できる逸材であることは間違いなかった。

「ゆま、背中を向けろ。先に洗ってやるから」

「うん」

 杏子はゆまを隣の洗い場に座らせると、背中を向けさせる。その背中を泡のついたハンドタオルで洗い始めた。

 フェイトたちと遭遇してから数日、杏子たちは海鳴温泉のある旅館に泊まっていた。元々は普通のホテルに泊るつもりの杏子だったが、たまたま近くを通りかかり、ゆまがどうしてもこの温泉宿が良いと言ってきかなかったのだ。

 そもそも彼女たちは中学生と小学生の組み合わせである。そんな二人組が通常の手段でホテルにチェックインできるわけがない。しかしビジネスホテルなら杏子が以前、偽造した免許証で年齢を誤魔化し泊まることができた。偽造した免許証には、杏子は二〇歳と書かれている。流石に多少、無理のある年齢だが偽造の出来が良かったため、疑われたことはほとんどない。ホテルによっては証明書の提示を求められない場合もあった。流石にゆまを連れている現状では、年齢の提示は必要になってしまうが、それでもばれたことはなかった。

 なのでその温泉旅館にもすんなり泊まることができた。ゆまの要望もあり、一週間で受付をした杏子たちは、すっかり温泉を気に入り、暇さえあれば入浴しにやってきていたのだ。

(こんなのんびりしている場合でもないんだけどな)

 ゆまの背中を洗いながら、杏子は思う。すでに杏子は魔導師と敵対してしまった。一人ならこの前みたいになんとかなる。しかしその場にゆまがいたら、あの時のように逃げ出すことは難しいだろう。かといって、戦うわけにはいかない。ただでさえ実力に開きがあるのに二対一。自分が得意なフィールドでも勝ちの目は薄いと言っていいだろう。

「きゃッ! キョーコ、くすぐったいよ」

「わりぃわりぃ」

 考え事をしていたためか、変なところを触ってしまったのだろう。ゆまが不満の声を上げる。杏子は洗い終えたゆまの身体にお湯を掛ける。そして今度は自分がゆまに背中を向けた。

「それじゃあゆま、頼むわ」

「うん、わたしに任せなさい!」

 自信満々に答えたゆまに任せ、杏子は物思いに耽る。フェイトのこともそうだが、もう一人に魔導師、なのはのことも気になる。まだ杏子は名前すら知らないなのは。最悪の場合、なのはとフェイトが組んでいることも考えられる。フェイトに感じた魔力量に匹敵する魔力を持つなのは。その二人を同時に相手にした場合、逃げ出すこともできないだろう。

(やっぱりあの場で無理にジュエルシードを奪ったのは間違いだったかもしれないな)

 杏子の手に入れたジュエルシードはフェイトによる封印処理が施されている。そのため暴走する心配はないが、調べることもできなかった。なにせ迂闊に魔力を込めれば暴走してしまうのだ。至近距離で暴走して、自分が取り込まれたら話にならない。

「キョーコ、お湯で流すよー」

 ゆまは杏子の背中をお湯で流す。

「どう? 気持ちよかった?」

「そうだな。くすぐったかったな」

「な、なんだよー。そんなこと言うキョーコ嫌いー」

「じょ、冗談だって。気持ちよかったよ。ホントだぞ」

「えへへ~」

「それじゃあとっとと髪を洗って、湯船に浸かろうぜ。なんだったら、ゆまの髪も洗ってやろうか?」

「え、ホント? それじゃあお願いしちゃおうかな?」

 ゆまは再び、杏子に背を向ける。その背中が妙に小さく見える。そういえば背中の洗いっこはしたことはあったが、髪の毛を洗ってやるのは初めてだなと杏子は思う。

「ゆま、もしかして緊張してるのか?」

「そ、そんなことないよ。全然ないよ、ホントだよ」

「はいはい。そういうことにしといてやるよ」

 妙に上擦った声を上げるゆまの髪を杏子は念入りに洗っていく。ゆまの髪は自分の髪に比べてかなり短い。だがその分、手入れが行き届いているようで、かなりサラサラだった。まるで砂漠の砂が指の間から零れ落ちるような感触。頭を撫でることはあっても、髪の毛の感触にまで意識を向けたことがなかった杏子は、それが少し羨ましかった。

 杏子のロングヘアは、ここまで手入れは行き届かない。洗うのにも時間が掛かるし、戦闘の邪魔になる時もある。それでも散髪しないのは、父親がその長い髪を褒めてくれたことがあるからだ。そしてゆまも、杏子の長い髪に憧れ、自分も伸ばすと言ってくれている。だからこそ、多少面倒ではあるが、杏子はロングヘアでい続けていた。

「ゆま、お湯で流すからきちんと目を瞑ってろよ」

 一通りシャンプーで洗い終わったゆまの髪にお湯を流す。シャンプーが流され落ちたゆまは頭を振り、顔に着いたお湯を払う。

「んじゃ、ゆまは先に湯船につかってな。あたしは髪を洗ってから行くから」

 ゆまを促す杏子だったが、彼女は一向にその場から動こうとしなかった。

「ん? どうしたゆま?」

「……ねぇ、キョーコ。今度はわたしがキョーコの髪を洗ってあげよっか?」

 ゆまの意外な申し出に驚く杏子。

「いや、でもな、あたしの髪は長いし、面倒だろ?」

「いいの。わたしが洗いたいだけなんだから。ほら、早く背中向けて」

「お、おう」

 ゆまの迫力に気圧されるように背中を向ける杏子。すぐにゆまのか細い指先の感触が髪の毛を伝い始める。その感触に身をまかせながら、杏子は思う。

(本当にやばくなったら、久しぶりにアレを使うかな)

 自分一人なら絶対に使わない。だけどゆまが危険に陥るのなら仕方ない。

(ま、そう簡単にそんな状況になるとは思えないけどな)

     ☆

 深夜、すずかは使い魔と交戦していた。舌をだらしなく垂らす犬のような使い魔。顔についた目玉は三つで、足は七本、尻尾は三本とかなり見栄えが悪い。動物好きのすずかにとっても、嫌悪の対象となる見た目をしていた。

 今回、すずかは吸血鬼化していない。周りに魔女の気配はなく、また吸血鬼化すると体力を非常に消耗するためだ。そのため彼女の瞳は紫で、刀の刃も銀色だ。

 そのため、すずかは相手に致命的なダメージを与えることができないでいた。攻撃を避けることはできる。しかし当てることができないのだ。相手はなかなか俊敏だ。ヒットアンドアウェイを繰り返すという、基本に忠実な戦い方をしている。その攻撃をすずかは刀でなんとか捌いているという現状だ。

 そもそも魔法少女となったからといって、彼女の筋力が劇的に上がるわけではない。夜の一族であるため、普通の同年代の女の子よりは筋力はあっても、刀を自在に振り回せるほどの力は持ち合わせていないのだ。それなのにも関わらず、彼女は頑なに吸血鬼化しようとはしない。

【いつまでこんなことを続けるんだい? 力を解放すれば、そんな相手すぐに倒せるだろう】

 その戦いを近くで眺めていたキュゥべえが問いかける。すずかの戦い方は彼にはまるで理解できないものだ。今回、彼女が戦っている使い魔はかなり弱い。まだほとんど魔力を帯びてない生まれたての使い魔だ。そんな相手と互角の戦いを繰り広げるほど、すずかは弱い魔法少女ではない。彼女の実力は、歴戦の魔法少女である杏子と比べても遜色ないはずだ。

【でも、私は……】

 おそらく自分の身体にセーブを掛けようとしなければ、彼女はすぐにでも吸血鬼化してしまうだろう。だがすずかにとって吸血鬼の力は忌むべき力なのだ。強く在ることを願ったすずかは、夜の一族である以上の吸血鬼の力を手に入れ、さらにそれを自分の思い通りにコントロールする術を得た。だが彼女はそもそも吸血鬼という存在そのものを受け入れたわけではない。だから極力、その力を使いたくないと考えていた。

【すずかが何に対して躊躇しているのかを、ボクは知らない。だけどせっかく手に入れた力を使わないなんて、勿体ないじゃないか。キミは強くなることを願ったんだ。その結果として手に入れた力なら、きちんと受け入れていかないと】

【受け入れる?】

 そもそもすずかがキュゥべえに力を求めた時、それはある意味で夜の一族である自分を受け入れた証を立てるためでもあった。普通の女の子になれば、夜の一族ではなくただの人間として生きていける。だけど強さを求めれば、その果てあるのは吸血鬼ということは薄々わかっていた。夜の一族である自分を受け入れ、誰かを守れる強さが欲しい。そう願ったはずなのに、もうその自分を否定している。

【そうだ。力はただ、力でしかないんだ。それがどんな性質を持っていようと、使い手次第で善にも悪にもなる。だけどせっかく持っている力を使わないことは一番、愚かな選択だ。キミは魔女と戦う宿命を背負ってまで強さを求めたはずだ。その強さを否定するには、まだ早すぎるんじゃないかな?】

 キュゥべえの言葉を聞き、すずかの瞳は赤くなる。火血刀の刀身もそれに呼応し赤く染まる。そして次の瞬間には、使い魔の身体は真っ二つになっていた。一瞬である。彼女が吸血鬼化して三秒も経っていない。さっきまで苦戦していたのが嘘みたいな決着である。

 使い魔が消えると結界も消え、彼女の姿も元に戻る。

「キュゥべえ、ありがとう」

 すずかは足元に寄ってきたキュゥべえの頭をそっと撫でる。

 実際、一瞬でも吸血鬼化してすずかは思ったことがある。やはりすずかは吸血鬼の力は好きになれない。彼女の願いは強く在ること。彼女にとって強さの象徴は吸血鬼。だけどそれは忌むべき力。

(でもいつか、そんな力を受け入れる強さも私は欲しい)

 キュゥべえの言葉でそう思えたからこそ、すずかは感謝の言葉を告げた。理想は吸血鬼化しないでも使い魔や魔女を倒せるようになること。だけどその前に、もう一度だけ夜の一族である自分と向き合わなければならないとすずかは悟る。

「お役に立てたみたいで何よりだ」

 そんなすずかをキュゥべえは感情の籠っていない瞳で見つめながら、そう告げた。



2012/6/26 初投稿



[33132] 第5話 海鳴温泉で大遭遇なの! その2
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/06/30 23:40
 翌日、高町家五人、月村家四人、そしてアリサの合計十人で海鳴温泉に向かった。人数の関係上、二台の車に別れて乗車して向かう。組み方は恭也を除いた高町家四人とアリサ、すずかの二人が一号車、忍と恭也、ノエルとファリンが二号車となる。仲の良い三人娘と恋人関係の忍と恭也を同一の車両にするのは当然なので、自然とそういう組み分け方になった。

 その一号車の中、すずかは眠っていた。元来、夜の一族はその名前の通り、夜の方が活動しやすい。さらに昨夜の使い魔との戦闘の興奮もあり、ベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。若干、明るくなってから帰ってきたこともあり、一睡もできなかったのだ。そんな状態で身支度をした彼女は、車に乗ったところでついに限界が訪れ、そのまま眠ってしまう。

「すずかちゃん、昨日の夜、興奮して眠れなかったのかな?」

「まさかー!? 子供じゃあるまいし」

「にゃはは……、わたしたち、まだ子供だと思うんだけど……」

 横に座っているなのはとアリサが、そんなすずかの寝顔を見ながらしゃべっている。彼女たちとしては、親友の一人がこんなに早い時間から寝てしまうなんて考えてもいなかった。

「まぁ寝てるなら、それはそれで都合がいいわ。美由希さん、この車の中に油性ペンってあります?」

「ア、アリサちゃん!? いくらなんでもそれは……」

「こんな無防備に寝ちゃうのが悪いのよ! なのはも見てみなさいよ。すずかの寝顔」

 すずかはとても気持ちよさそうに眠っていた。規則的に呼吸を繰り返し、良い夢でも見ているのか、口元がだらしなく緩んでいる。

「こんな気持ちよさそうに寝ちゃってさ。悪戯してくれと言わんばかりじゃない」

「そ、そうだね。……じゃなかった。駄目だよ、寝ている顔に落書きなんかしちゃ!?」

 一瞬、説得されかけたなのはだったが、すぐにその過ちを反省し、アリサを止めようとする。

「アリサちゃん、これでいい?」

 美由希は自分のペンケースから油性ペンを取り出し、アリサに渡す。

「お、お姉ちゃん!?」

「さっすが、美由希さん。話がわかる~。とりあえず基本は額よね。なんて書こうかしら?」

「やっぱり定番の『肉』がいいんじゃないかしら?」

「お母さんまで何言ってるの!?」

「桃子さん、なんで『肉』が定番なんですか?」

「……ジェネレーションギャップって嫌だわ」

 アリサの疑問の言葉に、桃子は少なからずショックを受けているようだった。その雰囲気を察した三人はなんとか話を逸らす。そうして運転中の士郎も含めた五人で、旅館に着くまで和やかに会話し続けるのであった。

     ☆

「すずかちゃんが夜中に外出してる?」

「えぇ、どうやらそうみたいなの。しかも昨日は帰ってきたの、明け方みたいだったし」

 一方、二号車の方では恭也が忍の口から相談事を聞かされていた。一週間ほどくらい前から、すずかが夜中に外出するようになったというのだ。一日だけなら心配ないが、それが一週間も続くとなると話は別だ。

「どおりで眠そうな表情をしていたはずだ」

 恭也は今朝、車に乗る前のすずかの様子を思い出す。何度も欠伸をし、瞼を擦っていた。その時はただ単純に早起きに慣れてないからと思ったが、朝帰りならほとんど寝ていないはずだ。きっと今頃、車の中で熟睡しているに違いない。

「恭也、どう思う?」

「……そうだな。これは確認なんだが、夜の一族が夜間の外出すること自体に、なにか特別な風習でもあったりするのか?」

 忍から一通り、夜の一族について聞かされていた恭也だが、細かい点については知らないことも多い。夜の一族という名前から、「夜」というキーワードに何か意味があると考えてもおかしくない。

「いいえ、そんなことはないわ。恭也には話したと思うけど、私たちは昼の間でも何の制限もなく活動できるのよ。そういった風習がまったくなかったわけじゃあないけど、それはあくまで昔の話。今は普通の人間と変わらない生活を送っているわ」

「そうか。……ノエルやファリンは何か心当たりないか?」

 後部座席に座っている二人の方を向きながら恭也は尋ねる。

「私には特にございません。ファリン、あなたなら何か知っているのではない?」

 すずか付きのメイドであるファリンなら自分の知らないことも知っているんじゃないかと、ノエルが尋ねる。

「いいえ、お姉さま。わたしも特に心当たりはないよ」

「ほんの少しでもいい。いつもと違う様子はなかったか?」

 恭也にもなのはという歳の離れた妹がいる。美由希ぐらい近しい年齢なら異性とはいえ、まだ理解できる面もあるが、一回りも年齢が離れているとなると、なかなかそうもいかない。それは同性の忍でも同じだろう。だからこそ些細な手がかりが欲しかった。

「そういえば……」

「何かあるの? ファリン」

「直接、関係あるかはわからないんですけど……すずかちゃん、この頃、独り言が多くなったような気がするんだよね」

「独り言?」

「うん。わたしが近づくとすぐに止めちゃうから何を話しているかわからないけど……」

 独り言と聞いて、忍は思い出す。少し前、すずかが学校から帰ってきた時にぬいぐるみに話しかけていたことを。今、思えばそのすぐあとからすずかは外出を始めたような気がする。

「独り言……か。確かにあまり関係なさそうだな」

「いえ、もしかしたら関係あるかもしれないわ」

 忍が何かを思いついたように呟く。

「どういうことですか? 忍お譲様」

「恭也も知っていると思うけど、裏の世界には人間以外にも様々な生物がいるわよね」

「あ、ああ、俗に言う妖怪や物の怪と呼ばれる存在だろ?」

 夜の一族と同様に、この世界には様々な生物が住んでいる。鬼や人狼、河童など恭也は一度も見たことないが、そういう存在が世界のそこらかしこに隠れ住んでいると忍に聞いていた。

「それでね恭也、たぶんなんだけど、すずかが夜中に外出するのは幽霊の仕業なんじゃないかなと思うの」

「幽霊だって!?」

 忍の意外な言葉に恭也は驚きを隠せなかった。これが大学の友人の言う軽口ならただの笑い話だ。しかし夜の一族である忍が言えば無視できない。

「正確にいえば霊魂っていうのかしら? この世に強い感情を残し死んでしまった魂や使いこまれた物に宿る精神体。普通の人間には見ることも話すこともできないけど、波長が合えば話すこともできるって、前に海鳴神社の巫女さんに聞いたことがあるわ」

 迂闊だったと言わざるを得ない。夜の一族である忍たちのことを狙う人物は多い。そのため、彼女は屋敷内に常に警戒網を敷いていた。だがそれは目に見える存在に対してのみだった。鬼や物の怪ならそれに引っかかるが、幽霊ならそれに引っかからなくてもおかしくない。

「でもまだそうだと決まったわけじゃないんだろ?」

 あくまで忍が告げたのは彼女の推測だ。実際はもっと性質の悪い知的生命体に引っかかっているのだが、それを推理する情報はこの場にいる誰も持ち合わせていなかった。

「……ところですずかちゃんにそのことを尋ねてみたのか?」

「ま、まだよ。どう切り出せばいいのかわからなくて……」

「それならまずは話を聞いてから結論を出せばいい。今夜にでも尋ねてみて、本当に取り憑かれているようならすぐに神社に連れていけばいいだろう。そうじゃなかったら、また相談に乗ってやるから」

「そ、そうね。わかったわ。ありがとう、恭也」

「ありがとうございます、恭也様」

「ありがとうございます、恭也さん」

 三人からお礼を受ける恭也。しかし彼女たちの表情はまだどこか硬い。

「せっかくの旅行なんだ。忘れろとは言わないけど、楽しまなくちゃ損だろ? そんな顔をすずかちゃんに見せたら、それこそ不安がらせてしまうよ。ほら、笑顔笑顔」

 恭也は何とか場を和ますために笑顔を浮かべる。それを見て次第に自然な笑顔を浮かべていく三人。それを見て一安心する恭也。

(しかし幽霊か。本当にそうだったら俺には相談に乗るくらいしか手伝えることはないな)

 恭也は思う。相手が実態を持っているのなら、御神の剣が通用するかもしれないが、幽霊ならばどう足掻いても通用しないだろう。

(だが何もしないのは性にあわない。せめて旅行中ぐらいは、すずかちゃんが夜中に抜け出さないよう、気を配っておこう)

 あえて忍たちにそのことを伝えることはないが、恭也は心の中でそう思うのであった。

     ☆

 杏子が起きて最初に目にしたのは、至近距離にいるキュゥべえの顔だった。風が吹いたら触れてしまいそうな至近距離に、杏子の頭は一気に覚醒する。

「て、てめぇ、何してやがる!!?」

「杏子が起きるのを待ってたんだよ」

「だ、だからってそんな至近距離で待ってんじゃねぇよ! 恐いだろ!!」

「酷いなあ。これでもボクは数多の魔法少女に『可愛い』って可愛がられる存在なのに……」

「てめぇの顔のどアップが起き抜けに飛び込んできたら、誰だって驚くわ!」

 杏子はキュゥべえの頭を掴み、壁に向かって全力投球する。顔面から壁に向かって飛んでいったキュゥべえだが、器用に身体を捻り衝突を免れた。

「……杏子、いくらなんでもやって良いことと悪いことがあるよ」

「はいはい。悪うございました。……んで、こんな朝っぱらから何の用だよ?」

 そう尋ねつつも、杏子にはキュゥべえが何を目的でやってきたのか薄々わかっていた。

「ジュエルシードを受け取りに来たのさ」

「……持ってないもんは渡せないな」

「嘘はよくないよ、杏子。ボクは知ってるんだ。キミがフェイトを騙してジュエルシードを手に入れたことをね」

「…………」

「なんで知っているんだって顔をしているね。簡単な話だよ。あの時、ボクも結界の中にいた。それだけさ」

「……まだこいつは渡せねぇ」

 誤魔化しきれないと判断した杏子は、素直に自分の持つジュエルシードをキュゥべえに見せた。

「何故だい? キミはゆまを魔法少女にしたくないんだろう? ジュエルシードを渡せば、ボクは二度とゆまに契約を迫らないと約束したはずだ」

「おまえはこいつを何に使うつもりなんだ?」

 ジュエルシードは願いを叶える結晶体だ。その中には莫大な魔力を有している。そんなものをキュゥべえに簡単に渡してよいのだろうか? 渡したら大変なことになるのではないか? そんな嫌な予感をしていた。

「……それはキミが知る必要のないことだよ」

 あからさまに自分の目的を隠したこと。それが杏子の予感を確信へと変える。そもそも会うたびにゆまに対して契約を進めてきたキュゥべえが、ジュエルシードを渡すだけで契約をしないということ自体おかしい。契約を渋る少女に対しては諦めることもあるが、ゆまはむしろその逆。自分から魔法少女になろうとしている。それを諦めてまでジュエルシードを求めるキュゥべえに、杏子は不信感を募らせていたのだ。

「ならなおさら、こいつを渡すわけにはいかないな」

「……一応、理由を教えてくれないかい?」

「簡単な話だ。これを渡したところで、てめぇがゆまに契約を迫らないという保証はない」

 所詮は口約束である。破る気になれば簡単に破ることができる。もちろんそうなったら、キュゥべえを槍で貫くことにはなる。しかし抜け目のないキュゥべえのことだ。杏子の目を盗んでゆまに近づくことなど、簡単にできるだろう。現についさっき、あれほど至近距離に近付かれたことに気付けなかったぐらいだ。

「……それを言われると、ボクにはどうしようもないよ。ゆまに二度と近づかないことはできても、杏子には使い終わったグリーフシードを回収するために会わなくちゃならないわけだし」

 杏子に会いに来るということは、高確率でゆまにも会うということだ。その目の前で勧誘をしようとは思わないが、ゆまと定期的に会うことになる以上、杏子が不安になるのも仕方がないとキュゥべえは考えた。

「でも、ボクにはどうしてもそれが必要なんだ。なんとかならないかい?」

 ジュエルシードが一個手に入れば、キュゥべえのエネルギー回収ノルマはかなり進む。またライバル心からユーノには渡したくないという思いもある。魔導師であるフェイトを抱き込んで奪うよりは、魔法少女である杏子から貰うというのが自然な流れでもある。なにより一個でも手元にあれば、色々と調べることができるかもしれない。だからこそ、杏子が持つジュエルシードがどうしても欲しかった。

「……強いて言うなら、あたしがもう一個か二個、ジュエルシードを手に入れるまで待てばやらないこともない」

「それは本当かい?」

「疑り深い奴だな。こんなもの、そう何個も持ってたら危ないったらありゃしないからな。自分の分とおまけにゆまの分があれば、あとはお前にやるよ」

 もちろんこれは杏子の詭弁である。だがこうでも言わなければキュゥべえは引き下がらないだろう。

 それにまったくの嘘というわけではない。杏子はキュゥべえがジュエルシードを求める理由次第では、別に渡しても良いと考えていた。そこに何か嫌な予感を感じたからこそ、渡さないのであって、理由が自分たちに害を成さないものなら、杏子は気前よく渡していただろう。

 しかしキュゥべえはその理由を隠した。ならば少しでも時間を稼ぎ、その間にジュエルシードについて調べられるだけ調べればいいと考えた。それである程度はキュゥべえがジュエルシードを求める目的もわかるだろう。

(大体、願いを叶える宝石ってのが胡散臭いんだよな。……キュゥべえと同じで)

 杏子はじっとキュゥべえの姿を見る。ジュエルシードが欲しいというのは本当だろうが、その姿からは焦りというものを全く感じない。あくまでここまで欲しがるのは口先だけで、実は独自でジュエルシードを手に入れる方法も別に考えているのかもしれない。

「わかったよ、杏子。キミならあと二個ぐらい、簡単に手に入れられそうだしね。ボクはゆっくりその時を待つよ」

 キュゥべえは杏子に背を向ける。そして部屋の外に向かってゆっくりと歩いていく。

「……だけどそれまでは、ゆまを魔法少女にしようとし続けるからね」

 最後にそんな捨て台詞を残し、キュゥべえは杏子の前から去っていった。その捨て台詞に思わず反応し、部屋の外に出たキュゥべえを追いかけてやろうと思ったが、すでに廊下にはキュゥべえの姿はなかった。

     ☆

 旅館に着いたなのはたちが最初に向かったのは温泉だった。別の町に観光に来ていたのなら、先に市内観光をしていたかもしれない。しかし同じ海鳴市で、また毎年のように訪れている高町家にとっては、すでに見慣れたもの。元々、骨休めが目的なので、最初に温泉に入るのは当然のことなのかもしれない。

 だがユーノにとって、ここで予想外のハプニングが発生した。

(な、なんでなのはたちと一緒に女湯に入ることになってしまったんだ!?)

 そもそもユーノはフェレットではない。今はフェレットの見た目をしているが、彼はれっきとした人間である。雄ではない、男の子なのだ。だから彼は男湯に入る者だとばかり思っていた。しかしなのはは執拗にユーノを女湯に誘ったのだ。それだけならまだ回避できた可能性がある。だがアリサやすずか、それに美由希までユーノのことを掴んで離さなかった。そんな状態でユーノは逃げることはできなかった。

 現在、脱衣所でユーノは壁を向いている。決して後ろを振り向いてはならない。ユーノは頑なに素数を数え、現状を誤魔化そうとしている。

 しかし否が応にもユーノの耳には、背後の姦しい声と布の擦れる音が聞こえてくる。それが彼の頭に浮かんでいる数字を吹き飛ばす。

 考え方を変えれば、九歳の男の子が女湯に入るのは許容できる範囲だろう。よほどの事がない限り、十歳以下なら女湯に男の子が入っても問題だと思わないはずだ。

 しかしそれは地球、もっと言うのなら日本での話だ。ユーノの済むミッドチルダでは、就業年齢が早い。それはその分、精神も早熟で成長することを意味する。ユーノ自身も発掘の仕事を行っていることから、それは容易に想像できるだろう。

 一言で言えば、ユーノは「見た目はフェレット、中身は大人」という存在なのだ。理由はどうあれ大人の男が女湯に入るのは犯罪である。つまりはそういうことだ。

【ユーノくん、温泉入ったことある?】

 ユーノが葛藤していることに全く気付いてないなのはが、無邪気に話しかけてくる。

【あ、うん、その、公衆浴場になら入ったことあるけど……】

【えへへへ~。温泉はいいよ~】

【ホ、ホント?】

 なのはの言葉に思わず振り返るユーノ。そこに広がっていたのは、良く言えば桃源郷、悪く言えば目のやり場に困る光景だった。

 最初に目に入ったのは忍とすずかの姉妹である。忍は実に大人らしい黒いレースのブラジャーをつけていた。今、まさにそのブラジャーを外し、乳房が外気に晒そうとしている。流石にそれを見てはまずいとユーノは反射的にすずかに目をやる。だが彼女は九歳だ。まだ胸に下着をつけるには早い。そのため、すでにその乳房は露わになっていた。ユーノの視線は、そのサクランボに釘づけになる。すでに膨らみかけた胸が、将来的には姉の忍と同じように大きな胸になることは確定的に明らかだった。

 幸いなことにすずかも忍と同様、下腹部には白いパンツを穿いていたので、ユーノが一番大事な部分を見ることはなかった。だがこれ以上、見てしまわないようにと、ユーノは再び壁に目を向ける。しかし一度、掴んだ幸せを簡単に手放せないように、ユーノも背後で展開されている桃色の光景に魅了され、再びゆっくりと振り返る。故意か無意識かはわからないが、その方向は先ほどとは逆の方向だった。

 振り向いた先にいたのは美由希とアリサである。しかもユーノが目撃したのは、ちょうどアリサが美由希の胸を揉みしだく光景だった。美由希の大きな胸が、アリサの手によってパン生地のように弄くりまわされる。それはユーノには刺激の強い光景だったが、目が離せずにいた。
そうしていると、今度は美由希の反撃といわんばかりに、アリサのパンツを脱がしに掛かる。薄いピンク色のパンツが今、まさに目の前で脱がされそうになっている。しかしアリサはそこまで嫌そうな表情をしていない。

(これはもしかして、見続けてもいいのかな? ……って、何を考えているんだ、僕は!)

 どんどん深みにハマっていくユーノは、悪魔のささやきに負けそうになったが、なんとか致命的な部分を見る前にその目を閉じた。

 しかしこのままでは彼女たちの全てを目撃するのは時間の問題だろう。今ならまだ間に合う。この場から脱出するべきだ。ユーノは決意を新たに、なのはに声を掛けた。

【な、なのは、僕はやっぱり――ギャアアアアァァァァ!!】

 やっぱり男湯に入ると言い掛けたユーノだったが、その声に振り向いたなのはの生まれた時の姿を正面から至近距離で見てしまったことで最後までしゃべることができなかった。今日まで、なのはが自室で着替えも絶対に見ないようにしてきたのに、下着姿を通り越して全裸を見ることになるとは思いもよらなかった。

【その、やっぱり、恭也さんと士郎さんと男湯の方に……】

【えー、いいじゃない。一緒に入ろうよ~】

 なのはは不満げな顔をして口にする。すでにユーノは身も心も限界だった。もはや彼は立つこともできず、その場にのたうちまわることしかできないでいた。

「わぁ~、ファンタスティック」

「すご~い、ひろ~い」

 結局、ユーノにできる精一杯の抵抗は、ずっと目を瞑っていることだけだった。なのはの胸に抱かれながら、ユーノは女湯に突入した。背中に感じるなのはの肌の感触は気になるが、これ以上は見なければ問題ないと頑なに目を瞑り続けている。どうやら温泉の中にはなのはたち以外の人はいないのか、知らない声は聞こえてこない。それはユーノにとって、少しだけありがたい話であった。

「お姉ちゃん、背中を流してあげるね」

「ありがとう、すずか」

「じゃあ、わたしも」

「ありがとう」

 すずかと忍、なのはと美由希が背中の流し合いをする話をしていると、ユーノはアリサに首筋を掴まれ、そのまま自分の胸へと抱き込んだ。

「ふふふ~ん、じゃああんたはアタシが洗ってあげる」

 その言葉を聞き、ユーノはぞっとする。いくらフェレット形態とはいえ、他人、それも同じ歳の女の子に身体を洗われるのは恥ずかしかった。女湯に入るだけならまだ許容できたかもしれないが、自分の大事な部分までアリサに触られることを想像したユーノはなんとかアリサの胸元から脱出しようとする。

「心配ないわよ、アタシ洗うの上手いんだから」

 それをただ単純に、動物特有の水で洗われるのを嫌っているだけだと勘違いしたアリサは、ユーノを安心させるためにそのような台詞を放つ。だがユーノにとっては上手い、下手は二の次なのだ。

【な、なのは、助けて!】

 思わずなのはに念話で助けを求めるユーノ。すでに美由希の背中を洗い始めていたなのはは、ユーノに向かって笑顔を向けた。

【いいじゃない。せっかくだから洗ってもらいなよ。きっと気持ちいいよ~】

 そしてその笑顔が、ユーノを絶望の淵へと追い込んだのだった。



     ☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★



追記
 本記事を投稿する際、ネットの回線の調子が悪かったのか、同じタイトルで多重投稿される中途半端に途中までの記事が上がるといった不具合がありました。
 パソコンを再起動したら、4つも同じタイトルが投稿されてて驚いた。
 再起動前はこちらで何度ブラウザを更新しても投稿された形跡はなかったのにorz


 おそらく初めに投稿してから10分もかからない内に直すことができたと思いますが、その10分の間に来た方に紛らわしい思いをさせてしまったことを、ここで謝罪申し上げますm(_ _)m



2012/6/30 初投稿および追記追加



[33132] 第5話 海鳴温泉で大遭遇なの! その3
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/07/04 20:11
「フェイト、この反応は!?」

「うん、あの杏子って人の魔力反応だ」

 海鳴郊外でジュエルシードの捜索を始めたフェイトたちは、ジュエルシードを探す広域サーチで杏子の魔力を補足した。肝心のジュエルシードの反応はまだ見つからないが、少なくともこの前奪われた一個は彼女が持っていることは確実だ。接触しない手はない。

 だが見つけた魔力反応は杏子の物だけではなかった。そのすぐ近くで一緒に移動している三つの魔力。そのうちの一つはアルフに覚えのあるものだった。

「フェイト、こっちの反応の一つはすずかだよ」

「そうなの? アルフ」

「うん、間違いないよ」

 すずかが魔法少女になった時に意識をなくしていたフェイトはすずかの魔力を知らない。だがアルフはフェイトを助け出したすずかの強力な魔力をその肌で感じ、はっきりと覚えていた。

「すずかの魔力ってどれ?」

「んと、これだよ」

 アルフが示したのは、三つの中で一番小さい魔力反応だ。アルフの話からすずかの実力は相当高いものだと思い込んでいたフェイトは、アルフの指摘を意外に思う。三つの中の一つは自分に匹敵する魔力量であり、事前に聞いていた話からすずかの魔力値が高いと思い込んでいたから当然だろう。

「だけど、前に会った時よりずいぶんと小さいような……。あの時はそれこそ、こっちの魔力量ぐらいあった気がするよ」

 そんなフェイトの勘違いに訂正を入れるアルフ。

 すずかの魔法は吸血鬼化である。吸血鬼になったところで魔力の総量が上がるわけではないが、その出力が向上する。さらにあの時、すずかは全力だった。だからこそアルフには、すずかの魔力量がフェイト並みにあると勘違いしていたのだ。

「フェイト、すずかに会いに行くかい?」

「うん。でもその前に杏子からジュエルシードを取り戻さないと」

「そうだね。……しかしそうなると、この位置関係は問題だね」

 仮にこの場で結界を張り、杏子を逃げられないようにするとしたら、ほぼ確実にすずかたちを巻き込んでしまうだろう。事情を知らないすずかがその状況を見て、どのような行動をとるかはわからない。

「とりあえず近くまで行ってみようか? 杏子には気づかれるかもしれないけど、それで距離を取ってくれればこちらとしても都合が良いし」

 二人は杏子の魔力反応に向かって飛んでいく。そこにあった旅館を見て、二人は杏子とすずかが近くにいる理由に得心がいった。

「すずかたち、ここに泊まりに来たのかな?」

「たぶん杏子って奴もそうなんだろうね」

 だけどこれは非常に厄介だ。旅館ということは二人が別々に泊まりに来たのか、それとも今は別行動しているだけなのかがわからない。すずかと一緒にいる二人も含めて、この地域にいる魔法少女が一同に介しているのかもしれない。すずかだけなら有無を言わずに敵対するということはないだろうが、彼女は魔法少女だ。同じ魔法少女である杏子と共闘する可能性もある。もしそうなれば、すずかを含め四対二の戦闘になってしまうだろう。

 それを確かめるためにサーチャーを飛ばして、情報収集をするという手段もある。だが魔力反応に敏感な人物がいたら、すぐに気づかれてしまうだろう。

「アルフ、わたしたちもあの旅館に行こう」

「フェ、フェイト?」

「わたしたちにはあまり時間がない。ここで待っていれば、杏子だけどこかに出掛けるということもあるかもしれないけど、できればその前に仕掛けたい」

 前回の戦闘でフェイトは杏子が狡猾だと学んだ。そんな彼女が一人で出掛けるということは、油断していると見せかけて逃げ出す準備が万全に整ったからなのかもしれない。あるいは、逆にこちらの不意を突き、さらにジュエルシードを奪いに来ることも考えられる。それを見分ける術はフェイトたちにはない。ならば多少、危険だが直接乗り込んだ方が確実だ。

「そ、そんな危険な橋を渡らなくても……。もう少し周囲を探せば、ジュエルシードが見つかるかもしれないし」

「でも、見つからないかもしれない。だったらわたしは、確実にジュエルシードがある場所に行きたい」

 フェイトの焦りがアルフにも伝わる。すでにフェイトの中では、杏子と対峙するのは決定事項なのだ。いかなる説得も通用しないだろう。

「……わかったよ。でもフェイト、無茶だけはしないでよ」

「大丈夫だよ、アルフ。わたし、強いから」

 そうして二人は旅館の入り口から、堂々と中に入っていった。

     ☆

「じゃあお姉ちゃん、忍さん、お先でーす」

「はーい」

 温泉に入って早一時間、なのはたち三人は美由希と忍を残して、先に上がることにした。温泉を堪能し、すっかりリフレッシュできたなのはたちだが、一人だけ、温泉に入る前よりぐったりとしている者がいた。

 ――ユーノである。

 ユーノは浴場での自分の危行を思い出す。

 アリサはユーノを満足のいくまで洗った後、羨ましそうにそれを眺めているすずかの視線に気づいた。

「もしかして、すずかもユーノを洗いたかった?」

 アリサの問いかけにすずかはゆっくりと頷く。それを見たアリサは、ユーノをすずかに渡す。

「ならすずかも洗ってみたら? ユーノの身体、凄く気持ちいいわよ」

「でも……」

 すずかはユーノの様子に目を向ける。すでにユーノの口からは半分ほど魂が抜けだしていた。すずかの手の中でぐったりとしている。

「きっとよっぽど気持ちよかったのね。最初のうちは嫌がってたけど、すぐに大人しくなったわよ? 案外、洗われるの好きなんじゃない?」

 正確には自我が軽く崩壊しただけなのだが、そのことに気付かないアリサは自分の都合よく解釈した。

「そう、なのかな?」

「そうよ。だからすずかも洗ってあげたら? きっと喜んでくれるわよ」

 それを横で聞いていたなのはは、少しだけユーノのことが心配になる。普段、家ではユーノが自分で身体を洗っているので、なのはが洗ったことはない。だがそれでも、あのようにぐったりしているユーノの姿を目撃したことはなかった。

【ユーノくん、大丈夫?】

 念話でユーノに声を掛けるも、返事はない。なのはは不安になり、すずかの手の中のユーノを覗きこむ。



 ――笑ってる。



 全身に力なく横たわっているが、その口元は少しだけつり上がっていた。それがなのはには笑っているように見えたのだ。

【ユ、ユーノくん!?】

【アハハハハッ!!】

 乾いた笑い声がなのはの脳裏に響き渡る。その若干、狂気を帯びたユーノの笑い声になのははすずかからユーノを攫い取る。

「なのはちゃん?」

「すずかちゃん、ごめんね。ユーノくん、どうしたの? ユーノくん!?」

【アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――ッ!!】

 ユーノを揺さぶって正気に戻そうとするなのはだが、一向に頭に響く笑い声は止まない。

【ユーノくん? ユーノくん!?】

【アハハハ――ッ!! ……ああ、なのはか? いったいどうしたんだい?】

【どうしたって、それはこっちの台詞だよ!?】

【いや、なに、少しこの世界から見たら、自分という存在がちっぽけだということを感じてね。笑わずにはいられなかったのさ】

【ユーノくんが何を言ってるのか全然わからないの!!?】

【うん、僕にも自分が何を言っているのかわからない。でもなのは、心配しなくていいよ。もう何も恐くないからッ!!】

 そういうと、ユーノは自分からすずかの元に戻る。

【こうなったらとことん洗ってもらおうじゃないか。コンチクショー!!!】

【ユ、ユーノくんが壊れちゃったの……】

 ユーノの変貌ぶりに唖然とするなのは。そうしている間にも、すずかの手によって、ユーノの身体が再び現れ始める。すずかの手がユーノの身体に触れるたびに、ユーノの口からはフェレットの鳴き声が漏れる。

「なによ。あたしの洗い方が気持ち良くなかったわけ!?」

 その様子が嬉しそうに見えたアリサは、すっかり拗ねて頬を膨らます。

 ユーノを洗っているすずかは徐々に楽しくなってくる。今度、キュゥべえを洗うのも楽しいかもしれない。

 そうして楽しく洗っていると、今度は美由希がすずかに羨ましそうな目を向け始める。

 ……そういった感じで連鎖し始め、最終的にはなのはを除く四人にユーノは身体を許した。しばらくの間は壊れたままのユーノだったが、洗面器に溜められた湯船に浸かりしばらくした辺りで、自意識を取り戻し、己の行動を恥じるのだった。

【ユーノくん、大丈夫?】

【な、なんとか……】

 脱衣所で浴衣に着替え、廊下を歩き始めたなのはから、ユーノを気遣うような声がかかる。フェレットの姿をしているのでわからないが、今、人間形態に戻ったらその瞳の輝きは失われていることだろう。

「すっごい気持ちよかったね~」

「ねぇ、温泉で汗流したし、卓球しない?」

「うーん、アタシさ、ちょっとお土産見たかったんだけど……」

 なのはの前ではアリサとすずかがこれからどこに行くかを話し合っている。なのははユーノのことはしばらくそっとしといた方が良いと判断し、二人の会話に混ざることにした。

「それじゃあ、どっちから行くか、じゃんけんしたら?」

「それもそうね。それじゃあいくわよ、すずか。最初はグー」

「えっ、アリサちゃん、ちょっと待って」

「じゃんけんぽん」

 アリサが出したのはパーだ。何も考えてないようで、アリサは実は深い考えの元、パーを繰り出していた。いきなり仕掛けて反応のできないすずかが出すのはグーかパーのどちらかだろう。反射的にチョキのような複雑な手が作れるとは思えない。だからこそ、その二つに負けることのないパーを選んだのだ。

 が、しかし……。

「アリサちゃん、私の勝ちだね」

「そ、そんな~」

 すずかが出したのは、そのチョキだった。アリサの敗因は、むしろいきなりじゃんけんを挑んだことにあっただろう。アリサが拳を繰り出す瞬間、すずかの瞳が一瞬だけ赤く染まった。突然のことすぎて、反射的に吸血鬼の力を使ってしまったのだ。その結果、アリサの手の動きが遅く見えたすずかは、それに合わせるようにチョキを出したのだ。

(つい反射的に能力を使っちゃったけど、別にいいよね?)

 自分に言い訳をしたすずかは、なのはやアリサと共に卓球場に向かっていった。

     ☆

 旅館に入ったからといっても、フェイトたちは杏子やすずかたちの前に直接、姿を見せるつもりはなかった。あくまでここでは情報収集に徹し、戦闘は杏子が一人で外に出掛けた時に仕掛ける。旅館にいたもの全員が共闘するリスクもある以上、フェイトたちにはその選択肢を取ることしかできなかった。

 だがその考えは、受付を済まし、部屋に案内される段階で崩されることになる。

「て、てめぇ。どうしてここに……」

 仲居の案内で連れて行かれた部屋は、なんと杏子たちの部屋の隣だった。さらに運が悪いことに、ちょうど彼女たちが部屋を出たところに遭遇してしまう。

 早々に杏子にばれてしまったことに動揺したフェイトは、反射的にバルディッシュを出そうと構える。

「あ、あの、この前の魔法少女の子だよね? わたしのことを助けてくれてありがとう」

 しかしゆまにお礼を言われたことで、そのタイミングを逃した。それは杏子も同じようで、頭を掻きながらこの状況をどう納めるべきかを思案した。

「とりあえずそこの仲居が待ってるし、部屋に荷物を置いてきたらどうだ? あたしは待っててやるから」

「……そう言って、また逃げ出すつもりじゃないだろうね?」

「逃げねぇよ。不安だったら、そっちの部屋までついてってやろうか?」

 結局、念のために杏子たちに部屋についてきてもらうことにしたフェイトは、その場でテーブルを囲み、話し合いの場を設けることになった。

 杏子からすれば、この状況は彼女の油断が招いた結果に他ならない。実際に会うまで、フェイトたちが近くに来ていることに気付かなかった。そんな自分の迂闊さを呪わずにはいられない。

(あたしも甘くなったな)

 横にいるゆまにチラッと目をやる。どうしても一人で動いていた時より、制約は多い。その現状が楽しいと思えるのも事実だが、誰かと行動を共にすることは油断していいという理由にはならない。むしろ守るべき相手がいる以上、一人の時よりも気を張っていなくてはならないだろう。

 それをこの中で一番理解しているのは、アルフだ。話し合いの席となったが、彼女が杏子に向ける目線は厳しいものだ。杏子がいつ、槍を取り出し、フェイトの喉元に突き立ててくるかわからない。だからこそ、アルフは常に戦闘になってもいいように、自分の拳に魔力を溜めていた。

【アルフ、話し合う前からそんなんじゃダメだよ】

 そんなアルフをフェイトが窘める。フェイトは少なくともこの場では戦闘にならないと思っていた。その理由はゆまがいたからだ。この前会った時、杏子はゆまを守るように行動していた。そんな彼女がいる状況で、戦闘に打って出てくるとは思えない。こちらから戦闘を仕掛けるような行動を取るのも、杏子の怒りを無駄に買うだけだ。

【で、でも……】

【大丈夫だから。だからその拳を解いて】

 フェイトの言葉は納得できるものではなかったが、アルフは仕方なくといった感じで拳を緩める。それでもその視線は杏子の一挙手一投足を見逃さないと言わんばかりに釘付けになる。

 そのためか、場の空気はとてもピリピリしたものになっていた。そしてそれを敏感に感じ取ったゆまは何も言うことはできなかった。ゆまからしたら、フェイトは自分を助けてくれた同年代の魔法少女である。――そう、彼女は自分と同年代なのだ。先ほど間近で見た時に改めて思ったが、フェイトとゆまの身長はほとんど変わらなかった。精々、数センチ程度の差だろう。そんな彼女が魔法少女をやっている。そんなフェイトのことをゆまが気にしないわけがない。

 また、ゆまが杏子以外の魔法少女に会うのは、実はこれが初めてである。杏子はゆまがこれ以上、魔法少女に興味を持たないように、極力会わないように町を移動していた。それなのにも関わらず、ゆまが最初に目にした魔法少女が、彼女と同年代のフェイトというのは、ある意味、皮肉な話だろう。

「……おい、そんな睨みつけるなよ」

 しばしの沈黙の末、最初に口を発したのは杏子だった。

「あんたが姑息なのはわかってるからね。常に注意を払っておきたいんだよ」

「なんだそりゃ、話し合いじゃなかったのかよ。それとも話す言葉は持ち合わせていないってか? まぁいいや。やり合いたいっていうならいいぜ。表出ろよ」

 杏子はアルフを挑発する。その言葉にアルフは立ちあがる。その顔は真っ赤に染まっていた。

「待ってください! アルフもほら、落ち着いて」

「でもフェイト、こいつは……」

「今のはアルフが悪いよ。まだ戦いになるとは決まってないんだから。ほら、座って」

 仕方なく、アルフはその場にふんぞり返るように座る。

(どうしてフェイトはこんな奴に遠慮してるんだい? 二人で掛かれば、簡単に倒せるじゃないか)

 納得できないアルフは、心の中で愚痴る。だがフェイトが決めたことに口を挟むつもりはない。もし杏子がフェイトの想いを踏みにじるのなら、その時に容赦なく戦えばいい。

「すいませんでした」

「いや、別にあたしは気にしてないから。……しかし驚いたな。あたしはてっきり、見つかったらそいつみたく有無を言わさず襲いかかってくると思ってたんだがな」

 杏子とて、ジュエルシードを騙し取ったことに対してまったく罪悪感がないわけじゃない。犯罪行為を良心の呵責なく行ってしまうようになってはおしまいだ。あくまで必要だから行っているだけで、そういう行為を杏子自身が好ましく思ったことは一度もないのだ。

「いえ、戦闘しないに越したことはありませんから」

「つまり、必要とあれば、戦うことも辞さないってわけだな」

「……その通りです」

「あたしは好きだぜ、そういうの」

 傍から見ているゆまには、すでにフェイトと杏子は戦っているように見えていた。魔法を使った派手な戦いではない。論理と言葉を使った静かな戦い。それが今、彼女の目の前で繰り広げられていた。

「ねぇ、キョーコ」

 だからこそ、ゆまは口をはさまずにはいられなかった。

「なんだよ、ゆま。今、忙しいんだから後にしろよ」

「でもさ、そもそもどうして……えっと」

「フェイトです。フェイト・テスタロッサ。こっちはアルフ」

「あっ、わたしは千歳ゆまっていいます。よろしく、フェイト、アルフ」

 ゆまとフェイトは互いに自己紹介をしていないことを思い出し、軽く名乗り合う。そしてゆまは再び杏子に視線を向けた。

「それでキョーコ、どうしてフェイトと言い争ってるの?」

 ゆまに指摘され、杏子は視線を泳がせる。なんとか誤魔化す手はないかと考えるが、すでにこの状況では誤魔化しようがない。杏子は素直に事実を口にすることにした。

「あー、それはな、あたしがフェイトからこいつを奪っちまったからだ」

 そう言って杏子はジュエルシードを取り出し、テーブルに置く。

「うわぁ、きれ~い」

 ゆまはジュエルシードを手に取ろうとする。

「触っちゃダメ!」

 それを見てフェイトが叫ぶ。魔法を使える人間ならともかく、そうでない一般人がジュエルシードに触れれば、封印状態とはいえ、発動してしまうかもしれない。その声に驚いたゆまは目を丸くする。その先には申し訳なさそうな表情を浮かべるフェイトの姿があった。

「いきなり大声を出してごめんなさい。でもこれは危険なものだから」

「そうなんだ……。それでキョーコ、これをフェイトから奪ったってどういうこと?」

 杏子は観念して、自分がフェイトを騙してジュエルシードを手に入れた経緯を口にする。

「キョーコ、ジュエルシードはフェイトに返そう」

「でもな、ゆま」

「わたし、キョーコにそんなことしてもらっても嬉しくないよ」

 ゆまにはすぐに杏子が自分のためにジュエルシードを持ってきたことがわかった。自分を魔法少女にさせないためにキュゥべえに渡すつもりで手に入れた。それほどまで杏子に思われていることは嬉しかったが、そのために他人を騙して奪うのは許容できるものではない。

「ごめん、フェイト。ジュエルシードは返すよ」

「おい、ゆま。おまえ、何を勝手に……」

「キョーコは黙ってて! ……でもね、キョーコを責めないであげてほしいんだ。キョーコはたぶん、わたしのためにジュエルシードを持ってきたはずだから」

「……どういうこと?」

「それはボクから説明させてもらうよ」

 フェイトが疑問を浮かべるのと同時に、その場に現れるキュゥべえ。それを見てフェイトは驚き、アルフは嫌悪感を露わにする。杏子は面倒な奴が来たと頭に手を抱え、ゆまは成り行きを見守るために黙ることにした。

「実はね、ボクは杏子にある取引を持ちかけたんだ」

「取引?」

「そうさ。ジュエルシードをボクにくれたら、ゆまを魔法少女に勧誘しないという取引だ」

「……あんたもジュエルシードを狙ってたっていうのかい?」

「そういうことになるね」

 この場でそれをフェイトたちに明かすのは若干リスキーではある。しかしこうでも言わなければ、せっかく杏子が手に入れたジュエルシードはフェイトの手に渡ってしまうだろう。杏子から手に入れる手段はキュゥべえに用意できるが、フェイトからはおそらく不可能だ。それにこれをきっかけに今後、杏子はジュエルシード探しに消極的になる可能性もある。まさかゆまが杏子を諫めるとは思っていなかったキュゥべえにとって、この状況は完全に予想外のものだった。

【フェイト、やっぱりこいつ、信用できないよ。ずっと前からあたしたちに会ってたのに、自分もジュエルシードを狙っていることを隠しているなんて】

 アルフはキュゥべえに対する不信感をさらに強める。ここまで来ると狼の本能など関係ない。絶対にキュゥべえのことを信用してはならないのは明白だった。

「ところで、どうしてジュエルシードを渡す代わりにゆまを魔法少女にしないの?」

 フェイトは純粋に疑問を口にする。目の前の杏子を筆頭に、マミやほむら、さらにはすずかといった魔法少女をフェイトは見てきた。彼女たちは特に不自由な点は感じられない。それどころか願いを叶えてもらった上で戦う力までもらえる。そのどこに不都合があるのか、フェイトには理解できなかった。

「それは杏子に直接、聞いてくれないかい? ボクとしては資質のある子を眠らせておくのは惜しいんだけどね」

 杏子に皆の視線が集まる。思えばゆまも杏子から「魔法少女にはなるな」と言われ続けてきたが、その理由をちゃんと聞いたことがない。だから固唾を飲んで、杏子の言葉を待った。

「……魔法少女になった奴は不幸になる。それに魔女と一生、戦い続けなければならない。そんな責務、ゆまに負わせたくない。それだけだ」

 願いを叶える代償に、日常という尊いものを失う。今にして思えば、杏子は魔法少女になる前の自分を不幸だと思ったことは一度もなかった。父親の説法を聞いてもらえないと悔しい思いはしたが、それでも笑顔の絶えない家庭だった。貧しいながらも、皆、幸せに暮らしていたと思う。

 そんな日常は二度と帰ってこない。これから杏子が大人になっても、彼女には恋して愛して結婚して家庭を持つことはできないだろう。魔女はどこにでもいる。子など生したら、それこそ戦うことはできない。魔法を使わなくても、ソウルジェムは穢れていく。契約した時はそういうことを考えたこともなかったが、魔法少女になるというのはその後の人生を諦めなければならない。杏子はそんな想いをゆまにさせたくなかった。

「……キョーコは勝手だよ」

「ゆ、ゆま」

「だってそうじゃん。自分一人で戦って、わたしを守ってさ」

 ゆまの想いを杏子は痛いほど理解していた。だからこそゆまに厳しい課題を出しつつも、日々の雑務は全てゆまに任せていた。

「わたしだって魔法少女になればキョーコの手伝いができるのに。キョーコの隣で、ずっと一緒にいられるのに」

 ゆまは涙を浮かべている。彼女にとって、すでに杏子の存在は家族以上のものになっていたのだ。そもそもゆまは両親に虐待されていたのだ。そのせいかゆまは保育園や小学校にもまともに通えていなかった。そのため、ゆまに初めて優しく接したのは杏子ということになる。だからこそ、ゆまは杏子のために精一杯やれることをやりたかったのだ。

 家族以上の存在と感じていたのは、杏子とて同じだ。一緒にいた期間は一ヶ月あまりだが、その一ヶ月は彼女の家族が心中してからの中で唯一、色のある一ヶ月だった。それ以外の期間は色褪せた世界を惰性で生きてきたに過ぎない。いつ絶望してもおかしくない状況、そんな時に出会ったゆまは杏子には希望に思えたのだ。

 そんなゆまにだからこそ、杏子は拒絶の言葉を口にする。

「……ダメだ。おまえは魔法少女になるな」

「キョーコの……キョーコの……馬鹿ァァァァアアアア!!!」

 今まで溜めこんでいたモノが爆発したのだろう。ゆまは叫んで部屋から飛び出していった。杏子はその背中を追おうとはしなかった。

「……追わなくていいんですか?」

「ほっとけ。仮に一人になったとしても、キュゥべえの野郎はここにいるんだ。勝手に魔法少女になるということもない」

「……まったく、そこまでゆまを魔法少女にしたくないなら、素直にジュエルシードを渡してくれればよかったのに」

「えっ?」

「どういうことだい?」

 キュゥべえの言葉に疑問の声をあげるフェイトとアルフ。

「ああ、言ってなかったね。実は今朝、杏子にジュエルシードを渡してくれと頼みにいったんだよ。でも何故か断られてしまったんだ」

 その言葉にフェイトはまた、杏子という人物がわからなくなった。ゆまを大切にしていることはその様子から明らかだ。しかしその行動の指針というのが、まるで見えない。

「杏子が言うには、ジュエルシードを三個手に入れたら、一個はボクにくれるって話だけど、それって不思議だよね。まるで自分もジュエルシードに叶えたい願いがあるみたいじゃないか?」

 キュゥべえはそう言うが、フェイトには杏子がそんな人物でないように思えた。彼女の場合、どんな願いも自分の力で叶えようとする。杏子のことを深く知っているわけではないが、フェイトには漠然とそう思えた。

 だからこそ、彼女がジュエルシードをキュゥべえに渡さない理由がわからない。今、彼女の一番の目的がゆまを魔法少女にしないということは間違いない。だがそのためにジュエルシードを二個も必要としないはずだ。目の前にあるジュエルシードをキュゥべえに渡す。ただそれだけでその目的は達成できるだろう。

「……ゆまはああ言ったけど、そういうわけだから、このジュエルシードはどちらにも渡せねぇな」

 杏子は現状を冷静に理解しつつ、その命取りとも言いかねない台詞を口にした。キュゥべえ相手なら、無理やり奪おうとしてきても自分の力だけで叩きつぶすことができる。しかしフェイトたちは別だ。ゆまがこの場からいなくなった以上、杏子は一人で好きに立ちまわることができるが、それでも勝つことは難しいだろう。一番最悪なのは、フェイトたちの戦闘に夢中になっている間に、キュゥべえにゆまとの接触を許すことだ。

 にも関わらず杏子がこのような挑発的な態度を取ったのは、ある意味でフェイトを信頼していたからだ。彼女なら今すぐ、この場で戦闘を仕掛けることはない。それは先ほど、アルフを窘めた一件から明らかだ。

「わかりました。ではこういうのはどうでしょう?」

 フェイトはバルディッシュに収納していたジュエルシードを一つ取り出す。

「わたしと杏子、それぞれのジュエルシードを一つずつ賭けて戦いましょう」

「……それってあたしに不利じゃねぇか? そっちは二人だろ?」

「アルフには手出しさせません。それにその他、細かい条件も杏子に決めてもらって構いません」

「フェイト!?」

 フェイトの言葉にアルフが声を荒げる。そんな条件、馬鹿げてる。二人がかりで仕掛ければ、確実に倒せるはずだ。それなのに、そんなフェイトにとって不利な条件を設定するなんて。

 そしてそれは杏子も同じ思いだった。だがこのような好条件、一度言い出した以上、撤回させるつもりはさらさらない。

「へぇ~。いいのかい? そんなこと言って負けても、言い訳は聞いてやんないぞ」

「いいですよ。それでも勝つのはわたしですから」

「面白ぇ。その鼻っ柱へし折ってやるよ。……なんだったら今からやるか?」

 フェイトの自信満々な表情が杏子に火をつけた。

「いえ、杏子はゆまときちんと話してきてください。決闘はその後で」

「わ、わかったよ」

 ゆまの話を振られ、動揺する杏子。この場に留まってはいるが、ゆまのことは気にならずにはいられない。それは誰の目から見ても明らかだ。

 実のところ、フェイトは杏子とゆまの関係が羨ましく感じられた。互いに互いを思いやる関係。それはフェイトがいつか、プレシアと築きたい関係であった。だからこそ、そんな二人が喧嘩したままでいるのは、彼女としても望むところではなかった。

「ちょっと待ってよ。あたしは納得したわけじゃないよ! フェイト一人を戦わせるなんて」

「平気だよ。わたし、強いから」

「だけど……」

 アルフはさらに言葉を続けようとしたが、フェイトの目を見て何も言えなくなる。彼女の目には覚悟があった。そんな目をしたフェイトの心を迷わせるようなことを、アルフには言うことができなかった。

「話はまとまったか?」

「はい。大丈夫です。では今夜、ゆまとの話し合いが終わったら迎えに来てください」

「わーった」

 杏子はそう言うと、キュゥべえの首筋を掴む。

「な、なにをするんだい、杏子?」

「おまえはゆまが見つかるまではあたしと一緒だ。理由は言わなくてもわかるだろ?」

「……今日は何があってもゆまとは契約しないよ。……って口にしても、きっと無駄なんだろうね」

「よくわかってるじゃないか」

 キュゥべえは今日一日の予定が潰れたことにショックを隠せなかったが、渋々、杏子と行動を共にすることにした。

「んじゃ、また後でな」

 そうして杏子とキュゥべえはフェイトたちの部屋を後にした。




2012/7/3 初投稿
2012/7/4 ご指摘いただいた誤字修正、および一部表現を変更



[33132] 第5話 海鳴温泉で大遭遇なの! その4
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/07/07 16:14
 卓球のラケットやボールをロビーから借りるには、お金を払ってチケットを買わなければならない。そんな当たり前のことを忘れていたなのはたち三人は、財布を取りに揃って自室へと戻っていた。部屋を出る時に残っていたのはノエルとファリンの二人だったが、今は恭也が一人いるだけだった。

「三人とも、お帰り」

「あっ? お兄ちゃん、先に帰ってたんだね。ところでノエルさんとファリンさんは?」

「入れ違いに温泉に向かっていったよ。二人に何か用か?」

「えとね、部屋を出る前になのはたちのお財布をノエルさんに預けたんだ」

 温泉に行くだけなら財布を持っていく必要はない。そこでなのはたちは先に荷物整理を済ませたいという、ノエルたちに財布を預けて温泉に向かったのだ。

「ああ、ノエルから預かってるぞ」

 そう言って恭也はビニール袋に無造作に詰め込まれた三人の財布を示す。それを一人ひとりに確認しながら手渡していく。

「早速、買い物か?」

「それもあるけど、その前に卓球をしに行くの!」

「そうか。楽しんでこいよ」

「うん! それじゃあいってきまーす」

 そうして三人は再び来た道を戻っていく。



 ――だが彼女たちが卓球場に向かうことは結局なかった。それはなのはが曲がり角の死角から走ってきた一人の少女とぶつかったからである。



「キャッ?!」

 たまたま先頭を歩いていたなのはは、少女と正面からぶつかりその場で尻持ちをつく。

「ご、ごめんなさい」

 ぶつかってきた少女はなのはに謝ると、そのまま走り去っていった。

「なのはちゃん、大丈夫?」

「いったいなんなのよ、あの子。ろくに謝りもしないで……」

 なのはに手を差し伸べるすずか。すぐに走り去っていったことに憤慨するアリサ。なのははすずかの手を取り立ちあがると、少女が去っていた方を見て呟く。

「……あの子、泣いてた」

「どうしたの、なのはちゃん?」

「なのは?」

 ぶつかる刹那に見た少女の表情がなのはの脳裏を掴んで離さない。凄く寂しそうな表情で泣いている少女。その姿が数年前、士郎が怪我で入院した時に寂しさで枕を涙で濡らしていた時の自分に重なった。

 それはなのはが五歳の頃だ。士郎が事故に遭い、生死の境をさまよったのだ。ちょうどその頃、翠屋はオープンしたばかりでまだ経営も安定していなかった。そこで桃子は経営に追われ、その手伝いを恭也と美由希で分担して行っていた。しかしまだ幼いなのはは手伝いに参加することもできない。そのため彼女は、一人でいることが多かった。朝食も昼食も夕食もほとんど一人。その寂しさに涙を零したのも一度や二度ではない。

 しかしなのははその涙を決して家族に見せようとしなかった。幼いなりにもなのはは、家族を気遣っていたのだ。今、自分が泣いているのを家族に見せたら、きっと皆が心配して駆け付けてくれるだろう。だがそれが皆の迷惑になることは明白だ。だからなのはは一人、泣いた。

 そしてどうしても誰かに見てもらいと思った時は鏡の中の自分を見つめていた。自分で自分を見ることで寂しさを薄めようとしたのだ。その時、鏡に映った自分の表情、それは先ほどぶつかった少女の泣き顔に凄く似ていた。

「ごめん、アリサちゃん、すずかちゃん。わたし、あの子、放っておけない」

「えっ? なのは!?」

「なのはちゃん!?」

 だからなのはは二人の制止を振り切り、少女のことを追い掛けた。

     ☆

 そんなことは露知らず、涙を流しながら走り去る少女――千歳ゆまはとにかく我武者羅に走っていた。

 杏子に迷惑をかけたくないとは思いつつも、今のゆまには彼女の傍にいることができなかった。杏子の想いと自分の想い。それが相反することなど今更だ。

 だけど、それでもゆまは魔法少女になることを諦めきれなかった。魔法少女になれば、杏子に近づくことができる。魔法少女になれば、杏子の隣に立つことができる。それがゆまの夢であり、目標なのだ。

 それを改めて真っ向から否定されてしまったからこそ、ゆまはその場にいることができなかった。

 もちろん彼女とて、魔法少女が危険なものということは十分に理解している。魔女は恐ろしい。その恐ろしさは実際に襲われたことのあるゆまにははっきりとわかる。魔女との戦闘は小さなミスで命を落とす。そんな戦場にゆまを立たせたくないという杏子の気持ちは理解できなくもない。

 しかしそれでも魔法少女になることが、即、不幸になるという言葉の意味がゆまには理解できなかった。

 ゆまはその場に足を止める。いつの間にか旅館の外に出てきてしまったらしい。それも観光地とは真逆の森の中。多少は道が整備されているので人里の近くなのには違いないが、それでも地面は石や枝が無造作に落ちている。すぐ近くには小川があり、そのせせらぎがゆまの心を落ち着かせる。

「……っ」

 落ち着いたゆまに突然、鋭い痛みが走る。痛みを発した足を見てみると、擦り傷だらけになっていた。森の中を出鱈目に走っていて、辺りの草で切ってしまったのだろう。さらにゆまは靴を履いていなかった。夢中で走っていたため、靴を履くという当たり前のことすら忘れて外に出てきてしまったのだ。

 一度、気づいてしまうと、その痛みを抑えることができない。ゆまは近くの原っぱに腰を降ろし、特に痛みが強かった足の裏を確認する。そこには小石や枝が食い込んでボロボロになった小さな足があった。ゆまは痛みを我慢し、慎重にそれらを取っていく。その裏からは青く変色した皮膚や深々と切り裂かれて血が出ている凄惨な状況だった。それを見るだけでここから歩いて帰るのが億劫になってしまう。

「……っ!? キョーコ?」

 そうして痛みに耐えながら食い込んでいるものを取っていると、遠くから誰かの足音が聞こえてくる。杏子が自分を追い掛けてきてくれたことを期待したゆまだったが、その人影が徐々に近づくに連れ、彼女の表情は落胆へと変わった。

 近づいてきたのは自分と同じ年頃の見ず知らずの少女だった。その服装はピンクと紫を基調にした紅葉柄の入った可愛らしい浴衣。それは現在、ゆまも着用している旅館の浴衣だった。おそらく同じ宿に泊まっている客なのだろう。降ろした髪は自分よりは長いがロングヘアと呼べるような長さではなく、精々セミロングといったところ。ここまで走ってきたのか、その髪はかなり乱れていた。ゆまはおそらく自分の髪もあんな状態になっているのだろうと想像し、また少し凹んでしまう。

「よかった~。見つけられて……」

 そうしてしばらく眺めていると、その少女――なのはから声を掛けられる。最初は自分に向けられた台詞だとは思わなかったが、この場には彼女とゆましかいない。どこかで会ったことがあっただろうかとゆまが頭を巡らすと、彼女は先ほど走っている時にぶつかった人物だということを思い出した。だが何故、自分に声を掛けてくるのか、その理由がまるでわからなかった。

 なのははゆまの隣に座り込む。その表情は終始、笑顔。そんな表情を向けられる理由も、ゆまにはなかった。

「……ってその足どうしたの! 大丈夫!? えーっと、こういう時どうしたら……。そうだ、そこの小川にハンカチを濡らして……」

 ゆまの足の状態を見たなのはの表情が驚きに変わる。そして慌てて川に向かって走っていくと、持っていたハンカチを濡らして戻ってきた。

「少し染みるかもしれないけど、我慢してね」

 そして丁寧に傷口に当てていく。ひんやりと冷えたハンカチは気持ちよくもあり、また傷口に染みて痛くもあった。だがそれ以上にゆまは困惑していた。

「あの……」

「話は後! 先に手当てをさせて」

 ゆまは尋ねようとするが、それを強い口調で止められる。その迫力にゆまは黙っていることしかできず、なのはの手当の様子を眺めることしかできなかった。

     ☆

「よし、これで大丈夫なの!」

「あ、ありがとう」

 一通り傷口を水で流したなのはに、ゆまは照れながらもお礼を告げる。ゆまは気づいてないが、彼女の足はユーノの治癒魔法によって治療されていた。そのためすでに痛みが消え、傷口も塞がり始めている。どんなに遅くても明日には完治するだろう。

「ところで、わたしに何か用? ぶつかったことに文句を言いに来たとか?」

 それだけの目的でわざわざこんなところに来たとは思えないが、それ以外になのはとの接点をゆまは持っていない。

「えっとね、なんでさっき泣いてたのかなって……?」

 なのはの言葉にゆまは目を見開く。それを見たなのはは慌てて取り繕うように振る舞う。

「あわわわ、いきなりこんなこと聞いちゃってごめんね。そ、そうだ、まずは自己紹介しよう。わたし、高町なのは。聖祥大附属小学校の三年生」

「……千歳ゆま」

「そっかぁ、ゆまちゃんって言うんだ~。もしかして同じ歳かな?」

「…………」

 怪我の手当をしてくれたことはありがたかったが、ゆまはなのはに対して警戒心を解くことができなかった。そもそも目の前の少女は見ず知らずの自分にいきなり泣いていた理由を尋ねてきたのだ。訝しまない方がおかしい。

「にゃははは……。なんかごめんね。いきなり押しかけたみたいになっちゃって。でもゆまちゃんのことが気になったのは本当」

「どうして……?」

「それはね、ゆまちゃんの泣き顔が昔のわたしの顔と似ていたから、かな」

 なのはは話す。父親の交通事故のことを。母親が店の経営に奮闘したことを。兄と姉がそんな母親を支え続けたことを。そしてその間、自分は一人で寂しい思いをしてきたことをなのははゆまに包み隠さず話した。

「今にして思うとね、あの時のわたしって寂しがっていたんじゃなくて、悔しがっていたんだと思うの。もう少し大きければ、わたしもお母さんの手伝いができたかもしれない。お兄ちゃんやお姉ちゃんを助けることができたかもしれない。……でも小さいわたしにはそれができなかった。だから家で待っているしかなかったんだって」

 奇しくもその場でなのはの過去を聞くことになってしまったユーノは、何故、彼女がこんなにもジュエルシード探しに協力してくれるのかがわかった。なのはは自分の見える範囲で困っている人を放っておけないのだ。

 父親の交通事故の時は、力がないから苦しんだ。今より幼いなのはが親兄姉の手伝いをすることができないのは仕方のないことだ。むしろ幼いなのはが我儘を我慢しただけでも、十分、立派だと思う。

 ジュエルシード探しはその逆で、必要以上の力をなのはは持ち合わせていた。だからユーノがいくら言っても、なのはは協力を惜しまなかった。巻きこんでしまったことは申し訳ないと感じているが、それでもなのはの力があったからこそ、この短期間で四個も回収できたのだ。もし自分一人だったら、こうも上手くはいかなかっただろう。

 今だってそうだ。ゆまのような見ず知らずな女の子が泣いていたところで、自分から関わりにいこうとする人間は少ない。しかしなのはは、アリサやすずかを放置してまでゆまに関わりに行った。そんなこと、普通の子にできることじゃない。

 なのははどこまでも真っ直ぐなのだ。それでいて他人を気遣える思いやりもある。すでになのはには、ユーノの姿が見えていないのだろう。彼女の目にはゆましか映っていない。ユーノはこれ以上、なのはに無断で話を聞いてしまわないように、二人から距離を取ることにした。

「今ではお父さんもお母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも、それにわたしも笑顔で過ごすことができてるけど、あの時は本当に大変だった。もしあのままお父さんが死んじゃってたら、こんな風に笑い合うことができなかったかもしれない。だからこそ思うんだ。あの大変な時に、何もできなかった自分が悔しいって」

 そうしている間も、なのはは話を続ける。しかしゆまには、そんな話を聞かされる理由が思い当たらなかった。

 そもそも不幸自慢ならゆまも負けてない。むしろ生まれた時から虐待され続け、その両親が彼女の目の前で魔女に惨殺されたゆまの方が、よっぽど過酷な運命を生きているだろう。だから聞く人が聞けば涙するその話も、ゆまの心には響いてこなかった。

「……今のゆまちゃんもそんな昔のわたしと、同じ気持ちなんじゃないかな?」

 だが次の言葉に、ゆまの心は揺さぶられる。

「皆のために何かしたい。なんでもいいから役に立ちたい。でも自分にはその力がない。それが悔しい。……ゆまちゃんの顔はね、あの時のわたしと同じなんだ。だから放っておけなくて……」

 なのはが口にしたのは、ゆまが常日頃から感じていることだった。魔法少女として魔女と戦う杏子。それを見ている自分。自分も何かの役に立ちたい。

 もし、ゆまに素養がなければすぐに諦めることができただろう。魔女とは人類の理解が到底及ばない存在なのだ。いくら杏子を助けたいといっても、ただの人の身でそれに立ち向かうことがどんなに無謀なことかをきちんとゆまは理解していた。

 しかし彼女には素養があった。キュゥべえに認められた魔法少女になることのできる素養。だからこそ、ゆまは苦しんできたのだ。

「……もし、力が手に入るなら……」

「えっ?」

「その後の人生を犠牲にすれば、その人を助けることのできる力を手に入れられたら、あなたならどうする?」

 自分と同じ思いを持っていたなのはにだからこそ、ゆまは尋ねずにはいられない。

 ゆまの問いになのはは考える素振りを見せる。だが深く考えずとも、なのはの中にはその問いに対する答えが最初から用意されていた。

「それでもし、わたしが誰かを助けられるのなら、その力を手にすると思う」

 なのはの答えに、ゆまはやっぱりと思う。

「でも……」

 しかしなのはの言葉はそれで終わりではなかった。

「もしその人がその力を望まないのなら、わたしは別の方法を考えるかな」

「望まなかったら?」

「うん。わたしね、さっきの質問を自分のことに置き換えて考えたの。それでもしあの時、わたしがその力を手に入れてお父さんを助けても、きっとお父さんは喜んでくれないんじゃないかなって思う」

「な、なんで……」

「だって、その力の代償にその後の人生が犠牲になるんでしょ? それはきっとお父さんは望まないと思うんだ。もちろんお母さんたちも。皆、きっとわたしの幸せを考えてくれている。だからそれを犠牲にしてまで誰かを助けても、きっと皆、不幸になっちゃうんじゃないかな?」

「でも、それで悔しい思いするのは嫌でしょ?」

「うん。――だからわたしは精一杯、別の方法を考える。あの時のわたしにとって、それが皆に我儘を言わないことだった。寂しいと口にしないことだった。涙を誰にも見せないことだった。……にゃはは、もう少し頭が良ければ、もっときちんとした手助けができたかもしれないんだけどね」

 なのはは笑う。それを見てゆまはなんて強い子なのだろうと思った。自分はただ、杏子のために魔法少女になろうとしていた。彼女の考えをきちんと理解したつもりで、それでも魔法少女になりたいと思っていた。

 だがなのはの言葉を聞いて、その考えは変わる。ゆまは決して杏子のことを理解していたわけではなかった。理解したつもりになっていただけだ。だから彼女がどんなに「魔法少女になるな」と言っても、それを頑なに受け入れなかった。今は無理でも、自分が一人前になれば、きっと杏子は認めてくれる。そうすれば杏子の横に並び立つことができる。……そう思っていた。

「……そっか」

 ゆまは満足そうに呟くと立ち上がる。そして小川の水で顔を洗う。その顔は実にすがすがしいものに変っていた。

「ありがとう、ナノハ。わたし、戻らなきゃ」

 なのはの話を聞いても、まだ魔法少女になることは諦めきれない。だけど、少なくともこんなところで泣いていちゃダメだ。しっかり杏子と向き合って話さなきゃならない。ゆまの瞳に覚悟の色が宿る。

「うん。ゆまちゃん、頑張って」

 それはなのはの目から見てもよくわかった。だからなのはは走り去るゆまの背中を満面の笑みで送り出すのであった。

     ☆

「おーい、ゆま~、どこだ~?」

 まさかゆまが旅館の外に出てしまっているのだと露にも思わない杏子は、旅館の中を捜しまわった。温泉、卓球場、土産屋、挙句の果てには厨房やゴミ捨て場にまで足を伸ばしたが、どこにもゆまの姿はなかった。

「杏子、ボクも暇じゃないんだ。早くゆまを見つけてくれないかい?」

「うっさい。文句を言うならおまえも手伝え!」

 杏子の肩の上に乗ったキュゥべえがぼやく。彼にとっては実にいい迷惑な話だった。ジュエルシードを貰いに来たのに得ることができず、フェイトに自分の目的を告げる羽目になり、探索する時間をもこうして杏子に奪われているのだから。こんなことなら普段通り、町で新たな魔法少女を探していればよかった。今日はキュゥべえにとって厄日以外の何物でもないだろう。

「なのはちゃ~ん、どこ~?」

 そしてまた、彼にとっては予定外の出来事が発生する。目の前の廊下をすずかが歩いてきたのだ。

 すずかたちの目の前でいきなり走り出したなのは。その尋常ならざる様子に呆気にとられるも、その背中を追った。しかし追いかけ始めるのが遅すぎたのか、すぐになのはのことを見失ってしまった。そこですずかはアリサと別れ、なのはを探していたのだ。

 ここですずかを杏子と会わせても良かったが、今日はこれ以上の面倒事はごめんだ。キュゥべえは杏子の肩から飛び降り、すずかの死角に移動しようとした。だが無情にも、それは杏子の手によって阻まれた。

「てめぇ、なに逃げだそうとしてやがる!」

「ご、誤解だよ、杏子。ボクはただ……」

「キュゥべえ?」

 なんとか杏子に弁明しようとするキュゥべえだったが、その前にすずかに気づかれてしまった。

「あん? なんだてめぇは?」

 こうなってしまっては隠れる必要はない。キュゥべえは観念し、二人に互いを紹介することにした。

「杏子、彼女が前に話したこの町の魔法少女、月村すずかだ。……すずか、こっちは佐倉杏子。ベテランの魔法少女だよ」

「へぇ~、こいつがあの……」

 すずかがこの町の魔法少女と知った杏子は、興味深そうな目線を向ける。あのキュゥべえが新人にしてはやると告げた魔法少女。それがどの程度の存在か見定めるためだ。しかし杏子は見た感じ、すずかがそれほど強い魔法少女とは思えなかった。

(……ていうか、こいつもゆまと同じ年頃だな。ここにゆまがいなくて良かったぜ)

 魔導師のフェイトに会っただけでも、ゆまには刺激になってしまうのだ。これで同じ年頃の魔法少女などに会ったりしたら、また興奮して何を言い出すかわからない。しかも今は、まさにそのことで喧嘩別れになっている最中だ。見定めは適当に切り上げて、できれば今日のところはすぐに別れたいと考えていた。

 一方のすずかは自分と同じ魔法少女に出会ったことに、多少テンパってしまう。キュゥべえからこの町にもう一人、魔法少女が来ていると聞いてはいたが、いざ目の前にすると、何を話していいのかわからなくなったのだ。尋ねたいことはたくさんある。だが自分と同年代ならまだしも、相手は年上。人見知り気味であるすずかにとっては、話しかけるだけでも厳しい相手だった。



 ――だからかもしれない。すずかの瞳が赤くなり、吸血鬼の姿になったのは。



 その雰囲気の変化を敏感に感じ取った杏子は思わず後ずさる。先ほどまで自分より弱い魔力しか感じなかった。しかし今のすずかから溢れ出ている威圧感が、杏子の頭に警鐘を鳴らしていた。この場にいてはまずい。逃げろ、にげろ、ニゲロ――。彼女の本能が絶え間なくそう告げていた。

 だがすぐにその雰囲気はなくなる。

「ご、ごめんなさい。私、緊張しちゃって……」

「い、いや、別に気にしてねぇよ」

 そう言う杏子の背中は嫌な汗でびしょ濡れになっていた。とても気のせいだとは思えない恐怖感。あの赤い瞳を見た瞬間、杏子の脳裏には死のイメージが刻まれた。フェイトと対峙した時でさえ、そんな感情を覚えることはなかった。だが目の前の相手には絶対に勝てない。杏子は一目でそれを感じ取ってしまったのだ。

 一方、すずかも何故、吸血鬼化してしまったのか不思議に思う。もちろん彼女に戦闘の意思はない。本当にただ緊張してしまっただけなのだ。

「…………」

「…………」

 一回、変な空気になってしまった二人は、どう話を切り出したらいいかわからなかった。杏子はさきほどの力のことについて聞きたい。すずかは魔法少女としての矜持というものを先輩の口から聞いてみたい。だが、場の空気がそれを許さない。

 しかしこの場には、そんな空気を全く読もうとはしないキュゥべえという存在がいた。

「二人とも、なんで黙って見つめあっているんだい? 互いに何か聞きたいことがあるんだろう? 同じ魔法少女なんだから、遠慮せずに話し合えばいいじゃないか」

 キュゥべえとしては、杏子が早くゆまを見つけ、解放されたかっただけである。別に場を和ませようとか、そういうことは一切考えていない。だがそんな歯に衣着せぬ物言いが、この場合、上手く作用した。

「えと、月村すずか、です」

「……佐倉杏子だ」

 ぎこちないながらもなんとか会話を始める二人。杏子はゆまを、すずかはなのはを探していたこともあってか、二人は歩きながら会話することにした。そうして話しているうちに、二人の間から徐々にぎこちなさが失われていった。

「へぇ~、杏子さんって町から町を渡り歩く魔法少女なんですね。そのゆまって子も魔法少女なんですか?」

「いや、ゆまは魔法少女じゃねぇよ。本人はなりたがってるみたいだけどな」

「もしかして、素養がないんですか?」

「いや、魔法少女になる条件は十分、満たしてるよ」

「それじゃあ、どうして……」

「……魔女と戦うのは危険だからな。そんな真似、あいつにはさせられねぇよ」

 魔法少女、それもなりたての相手に魔法少女を否定するような言葉をぶつけるのを憚られるので、杏子はもう一つの理由を口にすることにした。

「……優しいんですね」

「ばっ、そんなんじゃねーよ!」

 すずかの指摘に杏子は顔を真っ赤にして否定する。

(もしお姉ちゃんも魔法少女のことを知っていたら、杏子さんみたいに止めてくれたのかな?)

 すずかには、魔法少女にならなければ叶わない願いがあった。結局、その願いとは別の願いを告げてしまったわけだが、そのことに後悔はない。だがそれでも、今、少し話に聞いただけの杏子とゆまの関係が羨ましかった。魔法少女になる前に、お姉ちゃんにそのことを相談しても良かったかもしれない。きちんと理解してもらって、その上で魔法
女になるべきだったのかもしれない。

「――すずか?」

「お、お姉ちゃん!?」

 忍のことを考えていたすずかの前に当の本人が現れる。

「どうしたの? こんなところで。……そちらの方は?」

「え、えっとね、お姉ちゃん。この人は杏子さんっていって、えっと、その……」

「さっき偶然知り合ったんだよ。なっ、すずか」

「う、うん」

 言葉に詰まるすずかをさりげなくフォローする杏子。自分のことを誤魔化したということは、すずかは忍に魔法少女のことを話していないのだろう。それは至極当然のことだが、その結果として自分の家族がどうなったかを思い出し、表情を暗くする。

「そうなんだ。ところでなのはちゃんたちはどうしたの?」

「それがね、お姉ちゃん。なのはちゃんが知らない女の子を追い掛けて、いきなりどこかに走り去って行っちゃって……。それを今、アリサちゃんと手分けして探しているところなんだよ」

「そうなの?」

「うん。その時にね、同じように人を探している杏子さんに出会ったんだ。それで一緒に探すことにしたの」

「……そういうことだったのね」

 実のところ、忍はすずかがなのはたちではなく、見ず知らずの年上の女性といることに大層驚いていた。仮になのはやアリサが一緒ならば、そういうことがあってもおかしくない。アリサはとても活発な女の子だし、なのはも明るくて元気な子だ。しかしすずかはどこか引っ込み思案なところがある。そんな彼女が見ず知らずの女性と一人で仲良くなったことを、忍は大変喜ばしく思えた。

「ところですずか、部屋は調べた? もしかして先に戻ってるんじゃない?」

「あっ!?」

 そういえばまだ自室を調べてなかったことを思い出す。なのはの様子から先に戻っているということはなさそうだが、それでも万が一ということもある。

「それなら私が見てきましょうか? ちょうど部屋に戻るところだったし」

「いいよ、お姉ちゃん。私も一緒に行くから。……それじゃあ杏子さん、そういうわけですから」

 杏子とはまだ話したいことはたくさんある。しかし今はその前になのはだ。

「ああ、わかった。まぁ同じ宿に泊ってるんだ。また会う機会もあるだろ」

「そうですね。それじゃあ、また」

 そう行ってすずかは忍と共に自室に戻って行った。

     ☆

「キョーコ!」

 杏子がゆまと合流できたのは、その十分後のことだった。すずかが部屋に戻ったのを見た杏子は、もしかしたらゆまも部屋に戻っているんじゃないかと思い、自室に戻ったのだ。だがそこにゆまの姿はなく、すぐさま探しに戻ろうとした矢先、ゆまが息を切らせながら戻ってきた。

 その格好は、フェイトの部屋から出て行く前とだいぶ様変わりしていた。身体中、葉っぱだらけ。顔には枝で切ったのか切り傷がある。なにより酷いのは足だ。いくらユーノに治療されたとはいえ、再び砂利道を歩けば傷つくに決まっている。なのはがそのことに気づいたのは、ゆまを送り出してからであり、慌ててその背を追いかけるも、すでに彼女の姿は見えなくなっていた。

 その理由はゆまが道なりではなく、森を突っ切って旅館まで戻ってきたからである。そもそも、彼女がなのはと話した場所までに来た道を覚えていなかった。なのはに聞けば帰り道を教えてもらえただろうが、その頃にはすでに自分がどこを走っているのかわからなくなっていた。

 仕方なくゆまは来た時同様、我武者羅に走り、途中ですれ違った若い夫婦に旅館の場所を教えてもらい、こうして帰ってきたのだ。だがその過程ですでに彼女の両足は、また傷だらけに戻ってしまっていた。

「ゆ、ゆま!? どうしたんだ、その傷は?」

「そんなことはどーでもいいの!」

「いや、どうでもいいってことはないだろ」

「いいから黙ってわたしの話を聞いて!」

「お、おう」

 ゆまの迫力に思わず気圧される杏子。

「キョーコはわたしを魔法少女にしたくないんだよね。なんで!?」

「なんでって……。そりゃさっきも言っただろ。魔法少女になったら……」

「不幸になるって言うんでしょ? でも皆、不幸になるとは限らないじゃんか。そう言うってことは、きっとキョーコは魔法少女になって不幸になったんだと思う。でも、わたしが不幸になるとは断言できないはずだよ」

「そ、それは……。いや、それだけじゃない。魔法少女になるってことは、魔女と一生戦い続けなきゃならないんだぞ」

「そんなの別に、わたしは平気だよ。だってキョーコが一緒に戦ってくれるもん!」

「あのなぁ。魔女と戦い続けるっていうことは、単に命の危険があるだけじゃねぇんだぞ。魔法少女になったら、普通の生活がまるで送れなくなるんだ。学校に行って、友達を作って、恋をして、結婚して、子供を作り、そして死んでいく。そんな当たり前のことすらできなくなるんだぞ」

「なんだよそれ。そんなの今と全然変わらないじゃんか! 今だって学校に行ってないし、友達だってキョーコだけで十分だよ」

「んじゃ、恋は、結婚は、子供は! それはどうするっていうんだよ!」

「別にそんなのわたしには必要ないよ。わたしにはキョーコがいてくれる。それだけで十分だよ。むしろキョーコの役に立てない方がつらいよ」

「……誰がゆまのことを役立たずなんて言ったんだ?」

「えっ?」

 売り言葉に買い言葉。ゆまの迫力に思わず怒鳴るように言葉を並べ散らす杏子だったが、あるワードが引っ掛かり、その雰囲気を一転させた。

「ゆまは役立たずなんかじゃねぇ! 十分、役に立ってくれている! 誰だ、そんないい加減なことをゆまに吹き込んだ奴は!! ……さてはてめぇだな、キュゥべえ!!!」

 杏子は魔法少女の姿になると、その場にいたキュゥべえに対して槍を突きつける。

「え、冤罪だよ。ボクがそんなこと言うわけないじゃないか」

「いいや、お前ならゆまを魔法少女にするために、いい加減なことを吹き込んだっておかしくない。この場で三枚におろしてやる」

 杏子は部屋の中で槍を振り回す。それをキュゥべえは必死に避けていく。

「キョーコ、やめて! 落ち着いて!」

「離せ、ゆま! いつもこいつには煮え湯を飲まされてきたんだ。今日という今日は我慢ならねぇ。その身体を串刺しにしてやる」

「ダメだって。キュゥべえじゃないから。わたしのことを役立たずって言ったのは!?」

「……それじゃあ、誰だってんだ?」

 ゆまの言葉に杏子は槍を引っ込める。キュゥべえは穴だらけになったテーブルと畳を見て、一歩間違えれば自分がそうなっていたとゾッとする。

「……わたしのパパとママ」

 その名を呼ぶゆまの表情はとても陰鬱なものだった。

「……わ、悪かったな。嫌なことを思い出させちまって」

「ううん、わたし、平気だよ。あの人たちはもういないし……」

「ゆま……」

「あのね、キョーコ。聞いてほしいんだ。わたしはやっぱり魔法少女になりたい。でもね、それは突き詰めれば魔法少女にどうしてもなりたいんじゃなくて、キョーコの役に立ちたい。キョーコの傍にずっといたいってことだったんだ。そのために魔法少女になるのが、一番手っ取り早いと思ってた。でもキョーコは、わたしに魔法少女になって欲しくない。でもそれはわたしのためを思って言ってくれてるんだよね。それは凄く嬉しいことだけど、同時に悲しいことなんだよ。だってキョーコはわたしの力を必要とせず、魔法少女と戦うことができるってことだもん」

「それは……違う」

「ううん、そういうことなんだよ。少なくともわたしにとってはね。……だけどね。さっきある子に言われて気づいたんだ。それは安直な考えだったんじゃないかって。別にわたしが魔法少女じゃなくても、キョーコがわたしを見捨てることはない。何があっても助けてくれる。ずっと一緒にいてくれるって」

 その言葉に杏子は何も言えなかった。確かに杏子は何があってもゆまを助けるだろう。絶対にゆまを見捨てることはないだろう。……しかしずっと一緒にいることはできない。杏子はいつか自分も魔女に敗れ、過去の数多の魔法少女と同じように死んでいくと思っていた。そうじゃなくても、ゆまを一人前にできれば、その時に彼女と別れるつもりだった。だからこそ、杏子はゆまの想いに返す言葉がなかった。

「たとえ魔法少女になれなくても、キョーコの役に立つ手段はある。キョーコは言ってくれたよね。わたしを一人前にしてくれるって。だからわたしはその時まで、その方法を考え続ける。それまでは絶対に魔法少女にならない。魔法少女になりたいなんて言わない。だけど、もしわたしが一人前になった時に、それでも魔法少女になりたいと思ったなら、キョーコは許してくれる?」

 杏子を見つめるゆまの瞳。それはどこまでも真っすぐで、その瞳に対して、杏子も真っすぐ正面から向き合った。

「……わかった。だけど、その分これからは厳しく行くからな。覚悟しとけよ」

 杏子は笑う。ゆまの成長を嬉しく感じる自分がいる。それと同時に別れの時を想像し、寂しく感じる自分もいる。

「上等だよ。いつかキョーコをあっと言わせてあげるんだから」

 だが今は、ゆまと笑い合おう。いずれ彼女が魔法少女になろうとも、自分が魔女に殺されようとも、ゆまと一緒にいて幸せだと感じるこの気持ちは、嘘偽りのない真実なのだから。



2012/7/7 初投稿



[33132] 第5話 海鳴温泉で大遭遇なの! その5
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/07/10 21:56
「……そろそろか」

 ゆまとの話し合いを終えた杏子は、彼女を手当てした後、宣言通りみっちり扱いた。旅館内でできることなどたかが知れているが、それでも杏子はいつも以上に厳しい課題を課し、ゆまはそれを必死に行っていった。それらを全て終える頃には、すでに夜も耽り始めていた。

 それはフェイトとの約束の時間を意味する。正確な時刻を決めていたわけではない。だが、そろそろ良い頃合いだ。

 杏子がフェイトと決闘すると聞いた時、ゆまは最初、それを全力で止めた。すでに二人にとって、ジュエルシードは何の必要のないものになっていた。ゆまが一人前になるまで魔法少女にならないと約束した以上、キュゥべえとの取引を果たす義理は、今度こそ本当になくなったのだ。だからゆまは、戦うことなくフェイトにジュエルシードを譲ってしまえばいいと思っていた。

 だがフェイトが決闘を挑んできた時の態度を聞き、その考えは一変する。杏子を馬鹿にした自信満々な態度。いくら自分を助けてくれた恩人とはいえ、杏子を馬鹿にすることはゆまにとって許せることではなかった。それでも杏子のことが心配だったゆまは、その決闘に立ち会おうとするが、それを杏子が止めた。

「キョーコ、本当に一人で大丈夫?」

「当たり前だろ。あたしは負けねぇ。絶対にだ」

 杏子はゆまの頭を優しく撫でる。ゆまはとても気持ちよさそうに、杏子の手のひらの感触を楽しむ。その手が離れた時、少しだけ名残惜しくも感じてしまうが、ゆまはそれ以上せがむことはなかった。

「別に起きて待ってる必要はないからな」

「ううん、待ってるよ。キョーコの勝利を信じて」

「……わかった。んじゃ、行ってくる」

「いってらっしゃい」

 ゆまに見送られた杏子は、隣のフェイトの部屋に向かう。だがノックする前にフェイトが部屋から出てくる。フェイトもまた、そろそろ杏子が来ると予想し、準備をしていたのだ。

「待たせたな」

「いいえ。それでは行きましょうか」

 そうして二人は歩いていく。近くの森の中へ。なるべく人が立ち入らなさそうな、森の奥へ奥へと歩を進めていく。

「ここでいいでしょう」

 少し開けた場所に出たフェイトがそう告げ、その場を中心に結界を張る。そしてそのままバリアジャケットを展開し、バルディッシュを構える。杏子も普段着から魔法少女の姿になり、槍を持ちながら周囲を警戒した。

「そういや、あいつはどうした?」

 あいつとはアルフのことである。たとえ自分が戦わなくても、フェイトの戦う姿を見に来ると思っていたので、この場にいないのは以外だった。

「アルフには別の仕事を頼みました。安心してください、不意打ちを仕掛けるような真似はしませんから。何でしたら、第三者が介入したら負けというルールを加えてもらっても構いませんよ」

「そんなまどろっこしいことはしねぇよ。追加のルールは単純に二つだけだ。一つは空を飛ぶのを禁止。ジャンプ程度ならいいけど、浮遊はなしだ」

 空を飛べない杏子にとって、この条件は必須である。こちらの攻撃が届かない空から、延々と魔力弾を打たれることになっては、勝ち目は薄い。

「そしてもう一つは遠距離からの魔力弾は禁止だ。遠くからちまちま削るなんてちゃちな真似はせず、近距離で殴り合おうぜ」

「……わかりました」

 前回の戦闘で、二人は主に近接攻撃で戦った。だからこそ、杏子はこの誘いをフェイトに乗ると踏んでいた。

 最も、遠距離攻撃をされて不利なのは、やはり杏子の方である。彼女が遠方の相手に攻撃する術など槍を伸ばすか、あるいは相手に投げつけるぐらいしかない。それに対して魔力弾を自在に展開し、飛ばせるフェイト。この違いは大きい。これを上手く利用されれば、地上戦のみでも杏子に勝ちの目はなかった。

「んじゃ早速、押っ始めようぜ」

 その言葉を皮きりに、杏子はフェイトに向かって突っ込んでいった。

     ☆

 近接戦闘武器の中において、槍の優位性はそのリーチの長さにある。剣よりも細く長いその形状は、数ある近距離武器の中において他の武器よりも遠方から攻撃することができる。もちろん弓などの純粋な遠距離武器などと比較すれば近距離用の武器に違いないが、剣や斧と比べると、それは遥かに広い間合いを持つ。それだけである種の優位性を持つことができた。

 普通の槍は一本の細長い形状だが、もしそれが自在に変形し、鞭や多節棍のように扱うことができれば、様々な状況に対応できる非常に使い勝手の良い武器に化けることになるだろう。

 一方、斧はその一撃の威力が大きいとされている。剣より遥かに太い刃は、一撃を食らうだけでも致命傷は必至である。リーチが短く、また重いという点から扱いが難しいとされているが、その分、使いこなすことができればこれほど厄介な武器はない。

 もしその重さを消すことができればそれだけで脅威だ。さらに斧の先端から別の刃を自在に生やすことができれば、リーチが短いという弱点も消せるだろう。もしそんな武器が存在したとすれば、それこそ一騎当千の活躍をこなせる武器になるのは間違いないはずだ。

 フェイトと杏子の戦いはまず、そんな武器と武器との戦いの様相を呈していた。

「うぉりゃああああ!!」

 杏子は槍を振り回し、フェイトに仕掛ける。最小限の動きでそれを避けるフェイト。しかしそんなことは杏子にとっても百も承知だ。暇をつける間もなく、攻撃を繰り返す。避け続けるフェイトだが、その攻撃の激しさに次第にかわしきれなくなり、バルディッシュでその攻撃を受ける。

 杏子はその時を待っていた。バルディッシュに当たる瞬間、武器の形状を槍から多節棍の形に変える。ぶつかった先から勢いよく折れ曲がり、フェイトの頭に迫る。

≪Protection≫

 しかしフェイトもそこまで甘くない。頭に当たるはずだった多節棍の先端は、バルディッシュのプロテクションでしっかり阻まれる。そのままの態勢でいては自分の不利を悟った杏子は、後ろに飛び、フェイトから距離を取る。案の定、先ほどまで杏子の身体があった辺りは、バルディッシュの鎌で切り裂かれていた。

「ありがとう。バルディッシュ」

≪No problem≫

 感謝の言葉を告げるフェイト。しかしその心は驚きに満ちていた。まさか槍があのように変形するとは思わなかった。前回の戦闘に置いて、杏子が自分に見せたのは槍を使った戦いだけだ。それ以外の攻撃方法は何一つとして見せていなかった。

 思えばフェイトは魔法少女がどのような魔法を使うのか、全く知らない。マミはフェイトが来てすぐに気絶し、すずかの時はその逆。唯一、ほむらがシャルロッテを倒す姿は見ていたものの、それがどのような魔法による攻撃なのか、フェイトには全くわからなかった。

(前回は圧倒できたから簡単に勝てると思ったけど、そう簡単にはいかないかもしれない)

 フェイトは自身の気の緩みを締め直す。これはジュエルシードを賭けた戦いなのだ。ここで負けるわけにはいかない。もし負けてしまってはプレシアに合わせる顔がない。フェイトは持てる全力の力を出して戦おうと冷静にどのように攻めるか考えた。

「……ちっ。仕留め損なった」

 一方の杏子はすでにいっぱいいっぱいである。小手先の技はいくつか考えてきたものの、地力ではあきらかに格下。自分に有利なルールを敷いたとはいえ、それでも辛いことは変わらない。杏子の本来の魔法を使えばまだ勝負はわからないが、彼女にその気がまるでない以上、今の戦い方を続けるしかない。

「おい、仕掛けてこないのかよ」

「……仕掛けてきて欲しいんですか?」

「そういうわけじゃないけどさ、さっきはあたしから仕掛けたんだ。今度はそっちから仕掛けるのが、礼儀ってもんだろ? ……それともまたあたしから仕掛けていいのか? ルールを決めさせてくれたり、ずいぶんとサービスしてくれるんだな」

 杏子はフェイトを挑発する。しかしフェイトはそれに耳を貸さない。言葉巧みに誘導して、相手のミスを誘う。それが杏子の戦闘スタイルであることを、フェイトは前回の戦闘で学んでいた。だからこそ、フェイトは隙だらけに見える杏子に対して、仕掛けようとはしなかった。

「……せめて武器を構えてください。そんな隙だらけの相手に攻撃を仕掛けるほど、わたしは冷徹じゃありませんから。もちろん、そちらから仕掛けてもらっても構いませんが」

「あっそ、んじゃ遠慮なく」

 杏子は武器の形状を槍に戻し、フェイトに向かって突っ込んでいく。それに合わせて、フェイトも杏子に向かって突っ込んでいく。二人の間の中間地点での激突。まるで爆弾が爆発でもしたかのように、辺りに暴風が吹き荒れる。その中心では一進一退の攻防が繰り広げられていた。

 フェイトがサイズスラッシュを仕掛けると、杏子は後ろに飛んで避け、二の足でフェイトに向かって槍を突き立てる。それをブリッツアクションで避けながら、杏子の後ろに回り込んでバルディッシュを振り下ろす。杏子はまるで後ろにも目があるが如く、彼女の攻撃を槍で受けると、器用に身体を捻り、反対にフェイトに向かって槍を振り下ろす。それを受けるまいとし、フェイトはバルディッシュを横に薙ぐ。互いの攻撃はそれぞれの肩と背中に当たる。

「……ぐっ!!」

 腰に攻撃を食らった杏子は声を上げながら吹き飛ばされる。しかしフェイトは再び、プロテクションを張り、肩への攻撃から自分の身を守っていた。

 槍をつき立てながら、樹木の間から出てくる杏子。その口元には吐血したのか血液が流れている。それを腕で拭いながら、フェイトのプロテクションを突破する方法を考える。

 そもそもプロテクションという魔法は、実はそこまで有用な魔法ではない。プロテクションでは全身を守ることはできない。あくまで一面からの攻撃のみを防御する魔法なのだ。それでも杏子の攻撃を全て防御しきれているのはフェイトとバルディッシュ、その両方が優秀であるからに他ならない。戦闘で相手の動きを先読みし、プロテクションを張るフェイトと、自分で考え、主のために全力で事に当たるバルディッシュ。その二つが組み合わさり、相乗効果となって杏子の攻撃を完全にシャットアウトしていたのだ。

 そしてそのことを杏子は何度も攻撃を防がれたことで気づいていた。魔導師との本気での戦闘はこれが初めてだが、数多の魔法少女と戦ってきた杏子だからこそ、その魔法の性質に素早く気づくことができた。

 フェイトは杏子のピンチを逃す前と一気にその距離を詰める。相手は槍をつかなければ立ってられないほど弱っている。フェイトはこれで勝負を決めるつもりで仕掛けた。しかしその攻撃は杏子の槍に止められてしまう。だがそこまではフェイトも予期していた。だからきちんと止めの一撃を用意した。

「はぁーッ! アークセイバー!」

≪Yes sir! Arc saver≫

 フェイトは至近距離でアークセイバーを放つ。ルール上、遠距離からの魔力弾は禁止だが、至近距離で魔力弾をぶつけるのは禁止されていない。もちろん、自分も隣接しているので多少のダメージは覚悟しなければならないが、杏子を無傷で倒すことができると考えるほど、フェイトは舐めていない。だからこそ、必殺の一撃は彼女に気づかれない
で放ちたかった。

「読めてんだよ!」

「なっ……!?」

 しかしそれは全て、杏子に読まれていた。そもそもルールを決めたのは杏子である。狡賢い彼女が気づかずにそんなミスをするわけがない。杏子はわざと、そのようなルールの穴を用意し、フェイトの隙を誘ったのだ。杏子はアークセイバーの魔力弾を槍で貫く。そしてそのまま、フェイトの身体をも突いた。一瞬、反応に遅れたフェイトはそのダメージをモロに受けてしまう。口元を苦痛に歪ませながら、態勢を立て直そうと杏子から距離を取る。

(いったい、何が……)

 フェイトにはアークセイバーを防ぎ、自分を攻撃した槍がどこから来たのかわからなかった。杏子の槍はあの時、バルディッシュを受け止めていた。魔力で重みを増していたので、とても片手では受け切れなかったはずだ。それならばあの槍はいったいどこから来たのだ? そう思い、杏子の手元を見て、フェイトは気づく。

 いつの間にか杏子が手にした槍が伸びていた。伸びた槍はまるで巨大な三節棍のようにコの字型に曲がっている。その刃先とは反対側の先端が、フェイトを攻撃した槍の正体だった。

「変形だけじゃなく、伸び縮みもできるんですね」

「まあな」

 先ほどの弱っていた様子とは打って変わって、その場で槍を振り回す。その動きは実に切れのある動きで、とても先ほど吐血した人間と同じ動きとは思えなかった。それを見てフェイトは、また杏子の演技に騙されたことを悟る。ダメージを全く与えていないわけではないのだろうが、それでも槍を杖代わりにしなければ立っていられないほどのダメージを負ったわけではなかった。

 杏子は普通の人間ではない。魔法少女なのだ。普通の人間なら膝をついてしまうようなダメージでも、彼女にはあの程度のダメージで済む。そのことに気付けなかった時点で、フェイトは劣勢に立たされていた。

「それじゃあ、第二ラウンドと行こうぜ」

 そう言って杏子はその場に槍のフィールドを展開した。

     ☆

 魔導師の使う魔法とは、自然摂理や物理法則をプログラム化し、それを任意に書き換え、書き加えたり消去したりすることで作用に変える技法である。主な作用は大きく分けて「変化」、「移動」、「幻惑」の三つである。攻撃魔法はこの内の「変化」に属する。すなわち術者の魔力を「変化」させ、攻撃属性を添付するというわけだ。そのような性質のため、得意不得意はあるが、魔力を持ち得る人物なら誰でもどのような魔法も使うことはできる。ただし使いこなせるかどうかは、本人の資質と練習によるものが大きい。

 フェイト・テスタロッサはミッドチルダでも珍しい「金色」の魔力光の持ち主だ。さらに「電撃」の魔力変換資質を持つ。金の魔力光と電撃属性。この二つが合わさるフェイトの魔法は、ミッドチルダ式でもかなり独特な部類に入るだろう。また急ごしらえで戦闘を行えるように教育を受けたため、その独特さはさらに尖り、元々の才能もあってか、それが彼女の強みへとつながった。

 魔法少女の使う魔法は、魔導師のものと違って、そこまで便利なものではない。少女たちの祈りが願いを叶え、魔法少女に変える。その願いの質、それが少女たちの魔法につながる。身体強化や感覚強化などは魔法少女になる時の副産物であり、彼女たちの使う魔法とは呼べない。あくまで願いの性質に属する魔法しか使用することができない。

 杏子の願いは「皆が父親の話を聴くようになること」。実に家族想いな願いごとだが、その願いが生み出した杏子の魔法は「幻惑」である。しかし彼女はその魔法を一切、使おうとはしない。それは彼女の願いが、家族を死に追いやったからに他ならない。魔法少女になれば不幸になる。家族を失うきっかけになった力を杏子は否定し、二度と使う
いと決めた。



 ――自身の魔法を尖らしたフェイト。自身の魔法を否定した杏子。そんなある意味で魔法との向き合い方が正反対の二人の戦いは苛烈を極めた。



 それはまるで槍のジャングルとでもいうのだろうか? フェイトの周りには、その行動を制限するように杏子の槍がそこら中から生えていた。無造作に生えた槍の檻。その本数は実に数百本。だが厳密には、それは無数の槍が生えているわけではない。元はとんでもなく長い一本の槍。それが複数に枝分かれ、フェイトの頭上や地面の下で繋がり、彼女の動きを邪魔していたのだ。一見すれば触れても大丈夫そうだが、微粒子レベルで見ればその柄にも無数の刃がついており、触ればその手は血まみれになってしまうだろう。

 フェイトは杏子を睨みつける。それに対して杏子は笑う。笑いながら、彼女の手にした槍を伸ばし、槍の隙間を縫いながらフェイトに攻撃を仕掛ける。

「どうだい? その檻から抜け出すことができるかい?」

「……遠距離攻撃は禁止なんじゃなかったんですか?」

「勘違いするなよ。あたしが禁止したのは遠距離から魔力弾を飛ばすことだぜ。あんたにはこの槍が魔力弾に見えるってのかい?」

 ルールの穴を上手く突けるのは、そのルールを作りだした人物の方だ。杏子は初めからこの状況に持っていくことも想定して、あのルールを作りだしたのだ。彼女としてもあまり好ましくない卑怯な戦い方だが、フェイトの鼻っ柱を折るためにはこれぐらいするのも仕方ない。

 遠くから攻撃を仕掛ける槍を避けるフェイト。だが避けて地面に生えている槍に触れるたびにその身体が少しずつ傷ついていく。その傷の一つひとつは大したことはないが、塵も積もれば山となるように、徐々にその動きが衰えていく。その間中、フェイトは杏子のことを睨みつけていた。

「……まるで卑怯者って言いたげな目だね。まぁ自覚はあるよ。でもね、戦いに卑怯も正々堂々もありはしないんだ。あるのは勝つか負けるか。勝てば生き、負ければ死ぬ。今回はルールありの勝負だけど、勝つために手段を選んでるようじゃ、あんた、いずれ死ぬよ?」

「……はぁ……はぁ……。……いえ、別にわたしは杏子のことを卑怯だとは思っていませんよ。むしろ杏子の言う通りだと思います」

「なに?」

「どんな手を使っても勝てばいい。わたしもそう思うって言ったんです。だからわたしはずっと観察してました」

「観察ってなにを?」

「杏子に攻撃が届く道筋を……」

「いったい何を言って……」

 杏子が言い終わる前に、彼女の視界からフェイトの姿が消えていた。そして次の瞬間、彼女は背後から金色の刃で切り裂かれた。

「がっ……」

 背中を大きく切り裂かれ、その場で膝をつく杏子。非殺傷設定での攻撃であったため血が噴き出すことはなかったが、切り裂かれた部分は電流が走り大きく火傷したように赤く染まっていた。そうして彼女が背後を向くと、そこには全身に引っかき傷を持つフェイトの姿があった。

 フェイトが行ったのは、槍の合間を高速で移動する。ただそれだけである。そもそも杏子の槍がフェイトに届くほどの隙間はあるのだ。探せばフェイトが抜け出せる隙間もあるかもしれない。その箇所をフェイトは杏子の攻撃を避けながらずっと探していたのだ。

 だがそれでも無傷と言うわけにはいかない。なるべく広い空間を移動していったとはいえ、急な方向転換を、自分の身体ギリギリの空間を通りながら何度も繰り返したのだ。全くの無傷で抜け出すなど無理な話だ。すでにフェイトらはマントが零れ落ち、無数に避けたバリアジャケットから彼女の軟肌が覗き見えていた。

 一つの大きな傷を負ってしまった杏子と無数の小さな傷を受けたフェイト。フェイトは大きく肩を動かし、その場で呼吸をしながら杏子の様子を伺う。背後に大きな一撃を受けた杏子は感じる痛みと痺れを我慢しながらなんとかその場に立ち上がる。だが彼女もすでに立っているだけでやっとなのか、手に持った槍を支えにしていた。

 ダメージ量で言えば、フェイトより杏子の方が大きい。もし普通の人間なら、それだけで致命傷の一撃だ。しかし彼女が魔法少女だ。魔法少女になったことで身体能力と治癒能力が向上していたからこそ、杏子は渾身の力で立ち上がることができた。

 もちろんフェイトとて、すでに立っているのがやっとだ。本当ならば自分の持つ魔力全てを使って治癒にあたりたいほどの無数の傷。しかし杏子が立ち上がった以上、魔力を治療に当てることはできない。ここで魔力弾を打てれば楽なのだが、ルール上、それはできない。彼女は自分の命よりもジュエルシードを手に入れることを優先したのだ。

「……だ」

「……えっ? 今なんて?」

 杏子が何かを口にする。しかし傷の痛みからその声がよく聞こえなかったフェイトは、杏子に尋ねる。だがその返答代わりに、杏子はフェイトにジュエルシードを手渡した。

「……二度は言わねぇ。だが約束だ。そいつは持ってけ。もうあたしには必要ないものだしな」

 まだ杏子にはなんとか戦う力はあった。しかしフェイトがジュエルシードを求める覚悟。それを目の当たりにした杏子は、卑怯な手を使った自分を恥じ、素直に負けを認めたのだ。

 一瞬、自分の手の中に収まっているものが理解できないフェイトだったが、それがジュエルシードだとわかると、それまで張りつめていた気が緩み、杏子めがけて倒れこむ。杏子はその身体を倒れる前に支えた。杏子の胸の中で、フェイトは穏やかな寝息を立てていた。

「……ったく、しょうがない奴だな」

 そう愚痴を零すが、杏子の顔には笑みが浮かんでいた。

 正直なところ、この場にアルフを呼んでもらって旅館まで連れ帰ってほしいところだったが、起こすのも悪いと判断した杏子はフェイトをお姫様抱っこする。そしてそのまま旅館まで連れ帰ることを決めた。

「そういやこの結界、いつになったら解けるんだ?」

 フェイトが戦いのために張った結界。それがまだ、杏子の周りには展開されていた。思わず自分に抱っこされているフェイトに目を向ける。杏子はその全身は僅かに光っていることに気付いた。それはフェイトが自身の治療に全魔力を集中させた証だった。身体中にある無数の傷口から血が止まり、中には塞がり始めているものまである。

 そんな穏やかな表情を眺めていると、自然と彼女が張った結界が解除されていく。これで旅館に帰ることができる。この時はそう思っていた。

「なっ……」

 だがその考えはすぐさま否定される。結界が解けた先に広がっていた光景――それは元の世界ではなく魔女の結界の中だった。



2012/7/10 初投稿



[33132] 第5話 海鳴温泉で大遭遇なの! その6
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/07/15 00:37
(どうやら、始まったみたいだね)

 フェイトと行動を別にしていたアルフは、森の奥で結界が発動したことを察知し、フェイトと杏子の戦闘が始まったことを知る。その戦いが気にならないわけではなかったが、彼女はフェイトに頼まれた仕事をきちんとこなそうと、そのことを頭の隅に追いやった。

 フェイトに命じられたこととは、この付近にあるジュエルシードを手に入れることである。

 元々、二人が海鳴郊外にやってきたのは杏子と会うためではなく、ジュエルシードを探すためだ。偶然、杏子が見つかったとはいえ、本来の目的をおろそかにしてはならない。そう考えた二人は杏子と決闘の約束をした後、共に付近のジュエルシード探しを行った。その結果、この付近に発動前のジュエルシードがあることを突き止めた。昼間のうちに詳細な位置を特定するには至らなかったが、徐々に捜索範囲を狭めて行けたので、見つかるのも時間の問題だろう。

 しかしこの時、アルフは焦っていた。彼女としてはフェイトが戻ってくる前にジュエルシードを手に入れておきたかった。もしフェイトが戻ってきた時にジュエルシードを手に入れることができていなかったとしたら、きっとどんなに傷だらけの身体でも一緒に探そうとするに決まっている。だからこそアルフは、焦りのあまり周囲の森に魔力流を打ち込んだ。だいたいの目星も突いていたこともあり、ジュエルシードは呆気なく発動した。

 アルフは反応があった場所に急行する。そこは奇しくも、昼間、なのはとゆまが語らい合った場所の近くだった。アルフの眼下に広がる川の中で、ジュエルシードが魔力を放出して光り輝いている。その中で思念体が身体を形作る。おそらく小魚を取り込んだのであろう。全身が鱗に塗れた鮫のような凶悪な魚の姿がそこにはあった。

「さてと、それじゃあフェイトが勝って戻ってくる前に、きっちり封印しないとね」

 アルフは拳を鳴らす。そしてアルフは思念体に向かって挑んでいった。

 だがこの時、アルフは気づいていなかった。魔力流を撃ち込まれたことで、ジュエルシード以外にも活動を開始したものがいたことに。そしてそれがきっかけで、さらなる戦いの火種を生んでしまったということに……。

     ☆

 夜も更けてきた頃、すずかはなのはたちと共に寝支度をしていた。

「すずか、少しいいかしら?」

「なに、お姉ちゃん?」

 一通り寝る準備を終え、あとは布団に入るだけという時にすずかは忍に声を掛けられた。

 忍の様子はどこか不安げで、チラチラと恭也の方に目を向ける。だがそれに対して、恭也は首を横に振る。その目は「大事なことだからまずは二人だけで話すべきだ」と告げていた。

「ここじゃあなんだから、もう一つの部屋に行きましょう?」

「う、うん」

 忍は覚悟を決め、すずかと二人で男性陣用にとった部屋に向かう。

 士郎と恭也のためにとった部屋は、女性陣の部屋よりも少し狭い作りをしていた。その作り自体は女性陣の部屋と同じ和式の部屋なのだが、単純にそれが縮小された感じの部屋だった。

 この部屋には今、月村姉妹以外の姿はない。恭也はもちろん、士郎や桃子にも事前に事情を説明し、話し合いの最中に誰かが訪ねてくるといったことのないようにしてもらっていた。

「それでお姉ちゃん、話って何?」

 しばらくの間、どう切り出すべきか迷っていた忍だったが、すずかに尋ねられ、意を決してその問いを口にした。

「すずか、最近ひとりで夜中に屋敷を抜け出してるみたいだけど、いったいどこに行ってるの?」

 忍の言葉にすずかはピクンと反応する。すずかはいつ、忍の口からその質問をされてもいいように覚悟していた。

 夜の一族の秘密は基本的に門外不出。敵対者も多いため、月村邸には様々な警備システムが備え付けられている。その包囲網に気付かれず侵入することは不可能だろう。そしてその逆もまた然りだ。

 だからこそ、すずかは忍に自分が夜中に無断で外出していることに気付かれているとわかっていた。それでも問われるまでは黙っていようと思っていたのは、魔女や魔法少女のことを迂闊に話してしまうのはよくないと考えていたからだ。だからこうして尋ねられた時、それを誤魔化す上手い言い訳も考えてあった。



 ――しかし、すずかは忍に対しては、本当のことを言ってもいいのではないかと迷っていた。



 そうすずかに思わせたのは、昼間に杏子と出会ったことがきっかけだった。ゆまを魔法少女にさせようとしない杏子。自分はすでに魔法少女になってしまったが、そのことを知った忍がどのような反応をするのだろうか? すずかはそれが気になってしょうがなかった。

 だが話してしまえば忍を魔女との戦いに巻きこんでしまうかもしれない。自分の些細な好奇心で忍を魔法少女の世界に引き込むわけにはいかない。だからすずかは忍の言葉にすぐ返事をすることができないでいた。

「あのね、すずか。別に夜中に外出することが悪い事とは言わないわ。でもね、せめて行き先ぐらい教えてくれないと、何かあった時に心配するでしょ。……私に教えたくないというのならそれでもいいわ。でもせめてノエルかファリンのどちらかには伝えておいてくれないかしら?」

 押し黙るすずかの様子を見かねた忍が口にする。すずかは大事な妹だ。だからといってその全てに干渉したいわけではない。夜の一族の責務は自分が全て引き受ける。だからその分、すずかにはできるだけ自由に生きて欲しかった。

 それでも彼女は小学三年生、まだ九歳である。夜間の外出は推奨できるものではない。それを許可することはできても、行き先だけは誰かに知らせて欲しかったのだ。その相手が自分でないのは少し淋しいけれど、言いたくないことを無理に聞き出す真似は忍にはできなかった。

「ち、違うよ、お姉ちゃん。別にお姉ちゃんだから言いたくないってわけじゃないんだよ」

 忍の言葉にすずかは取り繕うように告げる。むしろ本当のことを告げるとするなら、最初は忍に対してだろう。

「それじゃあ、誰にも言えないってこと?」

「えと、その、あの……うん」

 本当のことを話したい。でも忍を巻き込みたくない。ならば嘘をつく? でも忍に嘘をつきたくない。そんな思考がぐるぐる回り、すずかの頭を混乱させていく。

「……それじゃあ質問を変えるわね。どうして私たちに行き先を告げることができないの?」

 忍はすずかの様子から、自分だけでなくノエルやファリンにも行き先を言うことができないのであることを悟り、そのような質問をする。

「……お姉ちゃんたちを、巻き込みたくないから」

 その言葉を聞き、忍は考える。巻き込みたくないからということは、それがどのようなものだとしても、すずか自身にきちんと自覚のある事柄だということだ。無意識の行動ではなく、すずかが自分の意思で毎夜出掛けているということになる。そしてここまで頑なに話そうとしないということは、大なり小なり危険なことなのだろう。

 忍はすずかのことを強く抱きしめた。何の前触れもなく抱きしめられたすずかは、とても驚いた。

「お、お姉ちゃん!?」

「すずか、あんまり私を心配させないで。確かに私たちは夜の一族という普通の人間とは違う存在よ。でもね、少し運動神経が良くて頭が良いからって、普通の人間と同じように怪我もするし病気にもなる。むしろ普通の人間と違うからこそ、色々な存在に狙われる。却って普通の人間よりも危険に身近な存在なの。それにあなたはまだ子供。もう今までの事情は聞かないから、これ以上、危険なことに首を突っ込む真似は止めなさい」

「お姉ちゃん……わ、私」

 忍の言葉にすずかは戸惑う。すでに自分は魔法少女になってしまった。キュゥべえの話ではソウルジェムは何もせずとも次第に穢れていく。だからこそグリーフシードを手に入れるために魔女と戦わなければならない。戦い続けなければならない。

 杏子が言っていたことを思い出す。「魔女と戦うのは危険だから」。それはつまり、魔法少女になった以上、魔女と生きている限りずっと戦い続けなければならないということなのだ。その意味を悟った時、すずかは少しだけ、ほんの少しだけ魔法少女になったことを後悔した。

 そしてそんな彼女の気持ちに関係なく、近くの森から膨大な魔力反応を感知する。それはかつて、すずかが魔法少女になった時に感じた魔力反応に似ていた。それに気付いたすずかは、忍からそっと離れた。

「すずか?」

「ごめんね、お姉ちゃん。私、行かなくちゃ」

「すずか!? あなた、私の話、聞いてたの!!?」

「……うん。凄く心に染みた。……でも、それでも私は行かなくちゃ行けないの」

 この旅館には杏子もいる。だからといって彼女だけに任せるわけにもいかない。それに今、ここにはすずかにとって守りたい人たちが集まっている。だからこそ、すずかはじっとしてはいられなかった。

「お姉ちゃん、話の続きはまた今度にしよう。その時は、今日のことも含めて全部話すから。――だから今は行かせて」

「……わかったわ」

 しばらく押し黙っていた忍だったが、すずかの力強い瞳に負け、喉から絞り出すような声で告げる。本当ならここで行かせたくない。だけどいくら止めても、すずかは一人で行ってしまう。すずかの目にはそういった覚悟が宿っていた。

「ありがとう、お姉ちゃん」

 そう言ってすずかは部屋から飛び出していく。忍はその背中が見えなくなるまで見つめていた。

     ☆

「すずか、遅いわね」

「そうだね」

 なのはとアリサの二人は、布団の中ですずかのことを待っていた。この後は寝るだけなので別にすずかを待つ必要は二人にはない。しかし隣の部屋にいる大人たちの異様な雰囲気が、なのはたちの心を掻き乱し、すずかに何かあったのではないかと不安にさせていたのだ。

 二人は布団の中から出ると、音を立てずにふすまを少し開け、そこから隣の部屋の様子を伺う。

「お兄ちゃん、まだ腕を組んだままなの」

 壁に背を着きながら腕を組み、目を閉じている恭也。それだけならどうということもないのだが、忍が部屋を出ていった時からずっと同じ姿勢でいるとなると話は別だ。しかもその全身からは目の見えない凄みが滲み出ている。それはまるで、士郎や美由希と練習試合する時の雰囲気に似ていた。家の中ならともかくとして、旅行先、それもこんな夜に恭也がそのような状態で立っていること自体、なのはにとっては異様に思えた。

「ノエルさんも、この短時間の間に三回、時計を見たわよ。……あっ、これで四回目だわ」

 アリサはノエルの挙動不審さに注目する。一見すればテーブルの前に正座で座りながら、美由希やファリンと楽しげに話しているようにしか見えない。しかしその視線が度々、部屋に飾られている大きな置時計に向くのだ。ずっと見ていたわけではないので正確な回数はわからないが、最低でも一分間に一度は時計に目を向けている。その表情はと
も不安げで、他人から見てもこの場にいない忍とすずかのことを案じているのは明らかだった。

 そんなノエルと話しているためか、ファリンや美由希の様子もおかしい。なんとか盛り上げようと見当違いな発言をするが、ノエルはそれに対して「そうですね」としか言わないため、どことなく冷たい風が吹いているように思えた。

 唯一、士郎と桃子の二人にはそういった様子はなかったが、それでも事情は察しているような素振りを時折見せている。

「……やっぱりおかしいわよ、なんなの、これ」

「わからないの。たぶん、忍さんとすずかちゃんのことを皆で心配していると思うんだけど……」

「それがわからないっていうのよ! 二人は姉妹なのよ。皆に心配される云われなんて、ないじゃない!!」

「わ、わたしに言われても……」

「こうなったらなのは! すずかたちのところに様子を見に行きましょう!」

「えぇー!!」

 なのはは思わず大声を出してしまう。その口を慌ててアリサが塞ごうとするが、時すでに遅し。ふすま戸は開けられ、その正面には先ほどまで微動だにしなかった恭也が立っていた。

「二人とも、どうしたんだ? 眠れないのか?」

「にゃはは、えーっと」

「ねぇ、すずかと忍さんに何かあったの?」

 なんとか誤魔化そうとするなのはに対し、アリサはストレートに尋ねた。

「……二人には関係ないことだよ」

「関係ないことなんてないわよ! あたしたちはすずかの親友だもの! 事情を聞く権利ぐらい、あるはずだわ!!」

 恭也の物言いが気にいらなかったのか、アリサは食ってかかるように詰め寄った。その様子の必死さから恭也は素直に自分の非を詫び、頭を下げた。

「しかし俺の口から勝手に説明してしまっていいものか……」

「大丈夫だと思いますよ、お二人になら」

 そう口添えてきたのはノエルである。気がつくと、ふすまの前に全員が集合していた。アリサの剣幕の凄さに、すでになのはたちは注目の的となっていたのだ。そのことに気付いたアリサは、先ほどの自分の態度を思い出し、俯きながら赤面する。

「恭也様が躊躇なさるのでしたら、私の方から説明させていただきますが……」

「いや、ここは俺が言うよ。アリサちゃんにあんな啖呵を切られたんだ。ここで人任せにはできないよ」

「きょ、恭也さん! さっきのことは忘れてください!!」

「はははっ」

 笑い出す恭也にアリサはポコポコと殴りかかる。特に痛くもないその拳を一頻り受けた恭也は、改めて二人に向き直り話し始める。

「まぁあんなことを言っといてなんだけど、俺もそこまで大した事情はないんだ。実はな、ここ最近、すずかちゃんが夜中に一人で出掛けているらしいんだ。それを心配した忍がどこに行ってるのか聞き出すために呼び出した。それだけのことだよ」

 なるべく二人に心配を掛けないように、恭也はあえて軽い口調で説明する。しかしその語られた内容はなのはやアリサにとって、十分驚きの内容だった。

「すずかちゃんが一人で?」

「夜中に出掛けてる?」

 思わず恭也の言葉を反芻してしまう二人。それほどまでにすずからしくない行動なのだ。なのはたちが知っているすずかは、決して行動力がないとは言わない。自分で決めたことは頑なに守ろうとする頑固者の一面もある。だがそれでも夜中に一人で出掛けるようなことをするような子ではなかった。出掛けるとしても周りに心配を掛けないように、事情を説明する。周りに気を配るのを忘れない。それがなのはたちから見たすずかという少女だった。

「その様子だと、お二人とも知らなかったみたいですね」

 ノエルの言葉に二人は頷く。

「俺も行きの車で聞かされた事なんだがな、実は昨日の夜もすずかちゃんは出掛けて行ったらしいんだ。すずかちゃん、そっちの車の中でずっと眠ってたんだろ?」

「……確かに爆睡してたわね」

 車の中での出来事を思い出す二人。思い返せば、学校に向かうバスの中や休み時間なんかでもあくびを多くしていたようにも思える。

「今日の朝は、すずかちゃんが帰ってきた時には辺りが明るくなり始めていたらしいんだ。忍じゃなくても心配する気持ちはわかるだろ?」

「そうね」

「心配なの」

「だから一度、二人でじっくり話し合った方が良いと思ってな。いい機会だし、俺たちの部屋で話し合いをしているというわけだ。……さ、二人とも、これで納得しただろ? すずかちゃんが心配なのもわかるが、明日は皆で観光するんだ。早く寝なさい」

 恭也の言葉に嘘はない。それでもなのはたちはどこか納得できなかった。

「……気にいらないわね」

「アリサちゃん?」

「気にいらないって言ったのよ! どうして一人で抱え込もうとするのよ! 忍さんたちにも話せないのなら、少しぐらいあたしたちを頼りなさいよ。なのはもそう思うでしょ?」

 アリサは叫ぶ。その叫びに大人たちは皆、目を丸くする。しかしその横にいたなのはだけは、そんなアリサの気持ちが手に取るようにわかった。

 要は自分たちに秘密にされて悔しいのだ。すずかが何の理由もなく、他人に心配を掛けるような真似をするわけがない。つまり今の彼女はそうせざるを得ない状況に追い込まれているということだ。そんな状況だからこそ、何故、自分たちに相談してくれないのか。どうして自分たちを頼ってくれないのか。それがアリサには悔しかった。

 だがそれと同時になのはには、すずかの気持ちも理解できた。それは彼女が魔導師として、ジュエルシード集めを手伝っているからだ。ユーノ曰く、自分には才能があり、それを成せる力があった。しかし皆がそうとは限らない。それにジュエルシードの思念体は危険な存在だ。皆を巻き込みたくない。巻き込むわけにはいかない。だからそのことは絶対に知られてはいけない。

(きっとすずかちゃんも、わたしと同じ気持ちなんだろうな)

 淋しいと思う気持ちもある。だが、その心境を理解できるからこそ、なのはは諭すようにアリサに説いた。

「アリサちゃんの気持ちもわかるよ。でもすずかちゃんが自分から話すまで待ってあげようよ」

「なによ、なのは。あんたまでそんなこと言うの!?」

「うん。わたしにはアリサちゃんの気持ちも、すずかちゃんの気持ちも理解できるから」

「人の気持ちを勝手に理解してる気になってるんじゃないわよ! もう怒ったわ。こうなったら今からすずかのところに直接、殴り込んでくるしかないわ」

 アリサは大きな歩幅で部屋の外に出ていく。

「あ、アリサお嬢様、お待ちください」

 アリサの剣幕に茫然としていた一同だったが、いち早く正気を取り戻したノエルがそれを止めようとする。それを皮切りに他の大人たちもアリサの説得に廊下に向かう。

「ノエルさん、止めないで。あたしはすずかに事情を聞かなきゃ気が済まないのよ!」

 アリサは完全に頭に血が上っていた。だから誰が何を言おうと耳を貸さない。

 まさかアリサがこのような真似に出るとは、恭也は思いもよらなかった。すずかのことを話したことを少しだけ後悔した恭也であったが、アリサの親友を思う気持ちに心打たれている自分もいて、強く止めることができないでいた。

 そのまっすぐ前を向いた瞳には、どんな言葉も通用しない。それを悟った恭也は説得するのを諦め、アリサの首根っこを掴むと、そのまま彼女を持ちあげた。

「恭也さん、何するのよ!?」

 持ち上げられたアリサは、なんとか振り切ろうと暴れる。時には恭也に向かって蹴りつけたりもする。しかし幼い頃から鍛えている恭也はその蹴りを物ともせず、アリサを掴み続けていた。

「アリサちゃん、落ち着いてくれ。そんな真似をするんだったら、俺がすずかちゃんのことを話したのを忍に怒られてしまう」

「私がどうかしたの?」

 そんな風に廊下で騒いでいる一向の前に現れた忍は、どうしてこのような事態になっているのか首を傾げていた。忍が戻ってきたのに気付いた恭也の手から力が抜け、アリサは落下する。突然のこと過ぎたので、アリサはその場に尻もちをつく。だがすぐに立ち直し、すずかを問い詰めようとした。しかしそこにはすずかの姿がなかった。

「忍さん、すずかは?」

「……行っちゃったわ」

 アリサの目を見て、全ての事情を知っていると判断した忍は、一言告げる。

「どうして止めなかったのよ!?」

「それは、今のアリサちゃんと同じ目をしていたから、かな?」

「あたしの目?」

 忍の言葉の真意はアリサには理解できず、首を傾げる。

「忍、よかったのか?」

「ええ、今日のところはね」

 すずかを行かせてしまったことに忍がショックを受けているのではないかと心配した恭也だったが、彼女の様子から納得した上で送り出したことを知り、安心する。

「さぁこんな時間にこれ以上、廊下で騒いでいたら他のお客さんに迷惑になるわ。皆、部屋に戻りましょう」

 桃子がその場で一回、手を叩くと場を仕切り直すように告げる。その言葉に従い、全員で部屋の中に戻っていく。アリサはどこか釈然としない気持ちがあったので、こうなったらこの鬱憤をなのはととことんやり合うことで発散しようと思考を切り替える。

「……なのは?」

 だが部屋に戻った時、アリサがいくら探しても部屋の中にはなのはの姿はなかった。

     ☆

 なのははバリアジャケットを展開し、ユーノを肩に乗せて空を飛ぶ。アリサを追って全員が部屋の外に出たが、なのははその背中を追うことができなかった。それは近くでジュエルシードが発動したことに気付いたからだ。幸いなことに皆、アリサを追って廊下に出て行ったので、なのはたちは窓から外に飛び出したのだ。そしてそのままバリアジャケットを展開し、飛行魔法でジュエルシードの元まで向かっていた。

「なのは、あのまま出てきちゃってよかったの?」

「うん。アリサちゃんには悪いけど、ジュエルシードを放っておいたら何が起きるかわからないから」

 アリサと半ば喧嘩別れみたいな形で外に出てしまったなのは。そのことを危惧してのユーノの発言だったが、なのははあっけらかんと答えた。

 もちろん実際は気にしているのはユーノの目から見ても明らかだ。だが本人が我慢している以上、ユーノからはな何も言えなかった。

 それにしても驚異的なのは、たった数日の練習でなのはが飛行魔法をマスターしたことである。まだ覚えたてなので多少覚束ないところもあるが、こうして空を飛べているだけでも十分に凄いことだ。ユーノはなのはが空中でバランスを崩さないようにサポートしながら、ジュエルシードの場所まで向かっていく。

「なのは、気をつけて。誰かがジュエルシードの傍にいる。それにその人以外にもそこら中に魔力の残滓を感じる」

 そうして飛んでいたユーノは、辺りに漂う魔力反応の多さに気づいた。ジュエルシードの強大な魔力に隠れて存在する複数の魔力反応。そのことに気付いたユーノはなのはにすかさず注意を促した。

「ふぇ? どういうこと?」

「僕にも正確なことはわからない。だけど少なくとも、この付近に二人以上の魔導師がいる」

 ユーノが二人以上と推測したわけは、ジュエルシードとは違う位置に結界の反応があったためだ。もしジュエルシードが目的ならそれを巻き込むように展開するはずだ。そうでない以上、この場にはジュエルシードを求める者とそれとは別の目的で動く者、最低でもその二人がこの付近にいることは明らかだった。

「ふ、二人も!?」

 思わず聞き返すなのは。そうしているうちになのはたちはジュエルシードを視認できる距離まで近づく。

「うぉりゃぁぁぁああああ!」

 そしてそれは、オレンジ色の髪が特徴的な一人の女性が、ジュエルシードの思念体に魔力を帯びた拳を叩きこむところだった。

「ジュエルシード、シリアルⅩⅣ、封印!」

 叩きつけられた拳の魔力で、ジュエルシードが封印されていく。しかしその拳の勢いが良すぎたのか、封印されたジュエルシードは少し離れた位置に吹き飛ばされていった。

「あちゃー、やっちゃったか。……ん?」

 頭を掻きながら呟いているその女性――アルフは、飛んできたなのはの姿に気付いた。

(また新しい魔法少女かい? ……いや、あのデバイスに魔法はミッドチルダ式みたいだね。どうしてこんなところにミッドの魔導師が?)

 アルフは警戒心を強める。そしてなのはのことを管理局の人間なのではないかと推測した。もし管理局の魔導師なら厄介なことになる。この近くではフェイトと杏子も戦闘している。フェイトの勝利を疑っているわけではないが、杏子は無傷で勝てるほど甘い相手ではない。そうなった時、管理局とやりあえるほどの余力が残っているかどうかはわからない。

「はぁぁぁああああ!!」

 だからこそアルフは、言葉の前に手を出した。なのはに向かって放たれる拳。いきなりの攻撃に慌てたなのはだったが、肩に乗っていたユーノとレイジングハートがプロテクションを張ることにより、その攻撃によるダメージを受けずに済んだ。

「い、いきなり何をするんですか!?」

「あんたが管理局だったら厄介だからね。ここで仕留めさせてもらうよ」

「管理局?」

 初めて聞く単語に首を傾げるなのはであったが、考える暇さえなくアルフは攻撃のラッシュを続ける。それを戸惑いつつも避け続けるなのは。

「ねぇ、ユーノくん、管理局って何?」

「管理局っていうのはね……ってその前に彼女の誤解を解かないと」

 管理局についてなのはに説明するのは簡単だ。しかしこのように攻撃をされている状況では、落ち着いて話もできない。ユーノはアルフの攻撃をなのはのプロテクションと協力して押し留める。

「ま、待ってください。僕らは管理局じゃありません」

「じゃあ何だってんだい? こんな管理外世界にミッドの魔導師がいるなんておかしいじゃないか?」

「僕はともかく、彼女は現地住民です」

 ユーノのその言葉にアルフの拳が止まる。

「現地の魔導師? 魔法少女じゃなくて?」

「魔法、少女?」

 なのはの疑問がさらに膨らむ。だがそれを考える間もなく、彼女たちは魔女の結界に取り込まれていった。

     ☆

 すずかは林の中を突き進んでいった。彼女が感じている大きな魔力反応。それはバルバラと戦った時にも感じたものと同じだった。それはジュエルシードの魔力なのだが、それを知らないすずかはこの魔力を魔女のものだと錯覚し、全速力でその反応に向かって駆けていた。

【キュゥべえ、杏子さん。聞こえていたら返事をしてください】

 走りながらすずかは、テレパシーで語りかける。しかしそのどちらからも返事がない。何度も何度も語りかけるが、声が返ってくることはなかった。

 だがそうしているうちに、先ほどまで感じていた魔力反応が消えてしまう。そのことにすずかは足を止める。

 もしかしたら先に杏子が魔女を倒したのかもしれない。そう結論付けるには早すぎるが、最初に思い浮かんだのはそれだった。キュゥべえの話では杏子は優秀な魔法少女だという。実際、どのような戦い方をするかはわからないが、魔女が倒されたならそれに越したことはない。

 念のため、まだ使い魔が残っていないかを周囲の魔力の流れで感じ取ろうとする。そこですずかは初めて、この場の異様な状況に気付くことができた。

 まずは先ほどの魔力を感じた地点に存在する、三つの魔力。それがしきりに激突し合っている。魔力の質から魔女や使い魔のものではないことは、まだ未熟なすずかにもすぐにわかった。魔女や使い魔ではないのなら、その魔力は魔法少女のものということになる。だがそれならば何故、魔法少女同士で争い会っているのか、すずかには理解できなかった。

 そして森の奥の方に展開している結界。この場から近い距離ではあるが、先ほどの魔力反応とは正反対の場所だ。位置の関係上、同じ魔女が張った結界だとは思えない。それなばらこの付近には魔女が二体いるということになる。

 前門の争う魔法少女と後門の結界。そのどちらも気がかりではあったが、彼女は踵を返し、後方の結界に向けて走り出す。もし前方に魔女がいたとしても、その場には他の魔法少女がいる。ならば後方の結界に向かうべきだと冷静に判断を下すことができた。

 駆けている間に、すずかも結界の中に取り込まれていく。そうして彼女の目の前に現れた結界を見て、旅館に残してきた忍たちのことを思う。絶対に彼女たちをこんな危険に巻き込んではいけない。そのためには自分が魔女を倒して倒して倒し続けるしかない。そう心に決めたすずかは火血刀を握り、さらに駆け足で結界の奥へと向かっていった。



2012/7/15 初投稿



[33132] 第5話 海鳴温泉で大遭遇なの! その7
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/08/02 20:10
ちょっとした前書き
 今回と次回に関しまして、一部タグ表記を使用しております。
 なにか不都合のある方がいるのでしたら、感想版に言ってくださればタグない本文も投稿しますので、遠慮せずにおっしゃってください。

 では、本文をどうぞ!



     ☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★



「なに、ここ?」

 眼前に広がる光景を目にし、なのはは思わずそう零す。先ほどまでなのはたちは満月と星の輝きが届く屋外にいた。それなのに今、彼女の目の前に広がっていたのはあらゆるものがクレヨンに描きかれられてしまった空間だった。太い線と無造作に塗り潰されたパステル調の背景。床には乱雑におもちゃのようなものが転がっており、そこらかしこに無数の絵が飾られている。

 全てが異様に思えるこの空間で、特になのはが異質に感じたのは飾られている絵だった。本来、絵画というものは壁に飾られるものだ。しかしその画用紙は宙に浮いているかのごとくそこら中に点在している。そこに描かれているのはまるで幼稚園児が描いたような稚拙な絵。それも全て人物画だ。大人の男女と一人の少女が笑顔を浮かべている家族団欒の風景。シチュエーションは様々で、食事の風景から遊園地に一緒に遊びに来ているようなものまである。

 それだけなら実に微笑ましい絵なのだが、よく見てみるとそこに描かれている人物の身体の一部がどこかしらが欠落していた。あるものは腕、あるものは足、あるものに至っては顔が黒いクレヨンで塗り潰されている。

(凄く、嫌な感じ……)

 その絵を眺めていると自然と鳥肌が立ってしまう。全ての絵に意思があり、そこから無数の視線を向けられたように錯覚。その視線もただ注目を浴びているというわけではなく、異物に対するものに向ける忌避の視線。それがなのはに対し、底知れぬ恐怖を植え付けた。

「あの、これはいった……い?」

 なのはは先ほどまで争っていた女性――アルフなら何か知っているのではないかと声を掛ける。だがその言葉を最後まで告げることなく、彼女は絶句した。それはアルフの姿がまるで橙色のクレヨンで塗り潰されたかのようになっていたからだ。全身を塗り潰されたアルフは、その顔も身体つきも判別できなくなっていた。

ユーノくん。どーなってるの!? ……あれ?」

 なのははアルフの異常な佇まいに、尋ねる矛先を自分の肩に乗っているユーノに変えた。しかし今、確かに自分はユーノの名前を呼んだはずなのに、その部分だけまるで自主規制音が掛けられたようにかき消された。それに名前以外の部分も、発音はきちんとされているものの、その声質は少女特有の可愛らしいものではなく、まるで機械音声のような無機質なものに変えられていた。

 またユーノの姿もアルフと同じように変わっていた。橙色のアルフに対し、ユーノは緑色という違いはあるが、姿がまともに見ることができないという点では同じだった。

なのは、どうかしたの!? その姿はいったい?」

 なのはのおかしな声に対して返事をするユーノだが、彼の声もまた、個人の特定を許さない機械音声に変えられてしまっていた。さらになのは本人は気づいていないが、彼女の姿もまた、ユーノたちと同じように桜色で塗り潰されてしまっている。だがそのことになのはが気付かないのも無理はない。彼女には自分の姿は正常に見えているのだ。それはユーノやアルフも同じで、声の変化には気づいているが、あくまで違って見えるのは他者の姿のみで、自分の姿形は正常に見ることができていた。

「落ち着きなって」

 パニックになりかけている二人を落ち着かせるために、アルフはなのはにデコピンをする。その姿が塗り潰されていたこともあり、おでこを狙ったはずのアルフのデコピンは、見事になのはの鼻に命中した。

「にゃ!? 何するの!!?」

 なのはは鼻を押さえ、涙を浮かべながら抗議する。

「悪かったね。でも落ち着いただろ?」

「うー、いくら落ち着かせるためとはいえ、鼻にデコピンするなんて酷いの」

「おや、そこは鼻だったのかい? そりゃ悪いことをしたね」

 まるで悪びれることもなく告げるアルフ。

「でもこの際、さっきのことも含めて、水に流してくれないかい? こんな状況なんだ。とりあえずここは一時休戦と行こうじゃないか。そもそも魔女の結界の中であたしたちが争っていても間抜けなだけだしね」

「魔女?」

 アルフの言葉をなのはが反芻する。

「なんだい? あんたたち、魔女を知らないのかい? よくそれでこの世界で無茶な真似ができたね。ま、あたしたちもこの世界に来るまでは、魔女や魔法少女のことなんて全然知らなかったんだけど」

 アルフの言っていることはよくわからなかったが、一時休戦の申し出は二人にとってありがたかった。

 元々、なのはたちにはアルフと交戦する意思はない。ジュエルシードを奪いあう関係ではあるが、なのはたちはその前にアルフの事情が聞きたかったのだ。それに先ほどのジュエルシードはアルフが吹き飛ばしてこの場にない以上、戦いを続ける理由はない。それにアルフはこの場の事情に精通してそうだ。ならばここで敵対するより、彼女と行動を共にするべきだろう。

「わかりました。それで魔女って一体?」

「それは移動しながら説明するよ。ついてきな」

 歩きながらアルフは二人に簡潔に魔女と魔法少女について説明する。アルフとてこの世界のことに詳しいわけではない。それなのにも関わらず、二人に魔女と魔法少女について説明できたのは、見滝原でマミに出会っていたおかげだった。彼女から受けた説明をそのままに、アルフは説明していく。

 アルフの言葉を聞いているうちに、なのはたちは過去に魔女という単語を別の人物から聞いていたことを思い出した。

ユーノくん、魔女って確か杏子さんが……】

【うん。確かに言っていた。しかしまさかこんな意味を持つ言葉だったなんて……】

 おそらくアルフの言っていることは本当だろう。目の前に展開されている異様な結界がそれを物語っている。しかしそんな危険な存在を管理局が今まで、発見することができずにいたことにユーノは驚愕していた。

 なのはも自分たちが今まで暮らしてきた世界に、そのような恐ろしい存在がいたことに驚きを隠せなかった。

「それで肝心なのはここからだ。魔女っていうのはね、何かしらの性質があるんだってさ。たぶんあたしたちの姿や声がこんな風になっているのも、そのせいだと思う」

「性質?」

 なのはは何のことかわからなそうに首を傾げる。そんななのはに対して、ユーノが補足するかのように説明した。

「いいかい、なのは。例えば今みたいに直接、名前を呼ぶと声がかき消されてしまうだろう? だけどなのはのことを『キミ』とか『あなた』とかそういう風に呼ぶ分には普通に呼べるんだ。声が機械音声みたいになっているのと、変な見た目になっているのはどうしようもないけどね」

「な、なるほど」

「念のためだけど、この結界の中にいる間は互いに名前で呼ぶのは止そう。変な感じになるってことは、それだけこの結界の主の干渉を受けるってことだからね。しゃべるのも必要最低限のことだけにした方がいいかもしれない」

「そうだね」

「わかったよ」

 ユーノの提案に二人は頷きながら肯定する。そうして三人は、結界の奥へと進んでいった。

     ☆

 魔女の結界の中で、杏子はフェイトを庇いながら奮闘していた。自身も戦闘のダメージがあり、立っているのもやっとの状況。それなのにも関わらず彼女たちは無数の使い魔に囲まれてしまい、杏子は戦闘を余儀なくされていた。

 性質の悪いことに、その使い魔の姿は杏子の目から見えるフェイトの姿とあまり変わらないものだった。黒いクレヨンで塗り潰されたヒト型の異形体。黒一色であったため、使い魔とフェイトの見分けは簡単につけることができたが、これで色合いがカラフルだったのならその区別がつかなくなっていたに違いない。

(しかしあたしが赤で、フェイトが金色ってのもずいぶん安直なカラーリングだよな)

 杏子は本来、幻惑の魔法の使い手である。だからこそ、彼女には自分が他人にどのように見えているのか理解できていた。……だが、それだけだ。今の足りない魔力では魔女の幻惑を打ち破ることは不可能。使い魔との戦いにしても、普段ならどうってことのない相手だが、枯渇しかけた魔力では槍操術のみで撃退していくことしかできない。残った魔力はフェイトを守るための防護結界に使い、攻撃の手は純粋な体術のみで行っていた。

 杏子に守られているフェイトはいまだに目を覚まさない。無理に叩き起こすことも可能だったが、杏子はそれをしなかった。彼女はフェイトの体力を回復させ、その力で魔女と戦ってもらおうと考えていたのだ。一見、他力本願な戦法ではあるが、先ほどの戦いで二人とも満身創痍なこの状況では、それが最善の一手だった。

(せめてすずかやアルフ辺りに連絡がつけば、もっと楽にこの状況を解決できるのかもしれないんだけどな)

 杏子は心の中で愚痴る。どうやらこの結界内では念話やテレパシーといった方法でのやり取りも阻害されるらしく、すずかに何度、テレパシーを送ってもノイズのような返答しか戻ってこなかった。アルフに至っては、杏子から連絡の取りようもない。フェイトが目覚めていたら頼んだのだろうが、すずかに連絡がつかないことを考えると、おそらくは無駄に終わるだろう。

「おい、フェイトはまだ目を覚まさねぇのかよ」

 使い魔を斬り伏せながら、杏子は声を荒げる。

≪まだ十分な体力を回復するに至りません。もう少々、お待ちください≫

 その返事をするのはバルディッシュだ。普段、主以外のものとはまったく口を利こうとしない無口なインテリジェントデバイスの彼だが、この非常事態に一時的に杏子と手を組んでいた。彼はほとんどのリソースをフェイトの回復に回しつつ、杏子の張った結界の補強も行っている。

「こっちだってそんな保たねぇんだ。早くしろよ」

 実際のところ、杏子の体力もすでに限界を超えていた。視界は霞み、敵の攻撃を避けるような素早い動きはこなせない。彼女にできるのは精々、自分に迫ってきた使い魔を撃退する。ただそれだけだった。

 そんな彼女を絶望に陥れるかのように、徐々に大きな魔力が自分たちの元に近づいてくる。黒いヒト型とは比べ物にならないほどの強大な魔力。今の状況でそんな相手に勝てる目算は、杏子の中に存在しなかった。

(こいつは本当に、やべぇかもな)

 杏子は槍を握る手に力を込める。そしてその思考は、最悪の場合も想定して動いていた。

     ☆

 すずかは一人、結界の奥へと進んでいく。時折、襲いくる使い魔の相手をしながら、この先に感じる強い魔力を目指して歩いていく。

 その足取りはどこかゆっくりとしたものだ。思えば、彼女が魔法少女になってから単独で魔女の結界に入るのは、これが初めてである。今までは彼女が魔女や使い魔と戦う時には必ず、その脇にキュゥべえの姿があった。彼が戦闘に参加するということはなかったが、横からアドバイスをしてくれるだけでも心強いものがあった。

 しかし今は一人、助けてくれるものは誰もいない。だからこそすずかは慎重に結界内を進んでいた。いつ魔女に襲われても大丈夫なように吸血鬼の力を解放し、周りにいる使い魔を威嚇する。吸血鬼化する前は襲ってきていた使い魔も、今の彼女には勝てないと本能的に悟ったのか、まるで蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ出していった。

 すずかはそんな使い魔を相手にせず、まっすぐ歩を進めていった。そんな彼女の目の前にあったのは、アンティークな雰囲気を漂わせる扉だった。大きな仮面の模様が描かれた鉄の扉。目の部分は妖しく赤く光っており、まるで何者かの意思を感じさせる。

「――赫血閃ッ!」

 だからこそ、その扉に不用意に近づくような真似はせず、少量の血液を吸わせた火血刀を一気に振り抜いた。そこから放たれた赫血閃が鉄の扉を横に切り裂き、そのまま扉の向こうに飛んでいく。扉の先からは、使い魔の断末魔が響き渡る。そんな音を瑣末も気にせず、すずかは切り裂かれた扉の隙間から隣の部屋に入っていく。

 赫血閃の放たれた部屋の中では、そこらかしこで使い魔が燃えていた。燃焼した使い魔から発生した煙が、すずかの視界を狭める。それを煩わしく感じた彼女は、再び火血刀を振り抜く。ただし今度は血を吸わせていない。すずかはあくまで、高速で剣を振っただけだ。だがその風圧だけで辺りに蔓延していた煙を吹き飛ばし、部屋の視界をクリアにした。

 そんな彼女が目にしたのは、少し色合いの違う二匹の使い魔だった。すずかを何度も襲ってきたのは黒いヒト型の使い魔である。しかし今、彼女の前にいる二匹の使い魔はヒト型ではあったが、その色は違った。リンゴのような赤色と雷のような金色。金のヒト型は力なく横たわっており、そんな彼女を中心に防御結界が展開している。それを守るように赤いヒト型が佇んでいた。その二匹から感じる魔力は、今まで襲ってきていた黒いヒト型とは比べるのも馬鹿らしいほど大きな差があった。

(あれがこの結界の魔女なのかな? でもなんで二人もいるんだろう?)

 すずかは僅かに疑問を覚えたが、それを一端、頭の隅に追いやる。魔女だろうと使い魔だろうと、人間に仇成す存在には変わりない。この近くにはなのはやアリサ、なにより忍のいる旅館がある。見逃すわけにはいかない。

 すずかは刀を握る力を強め,まずは手前にいる赤いヒト型に向かって駆けて行った。

     ☆

 杏子は目の前の赤紫色のヒト型と対峙した時、ある既視感に襲われていた。あの圧倒的な威圧感。正面から戦いあってはいけない。どう足掻いても今の自分では勝てない。心の奥底から湧き出る「逃げろ」という衝動。

 それは昼間、すずかと出会った時に感じたものと同じものだった。そして目の前の人物がすずかではないかという可能性に思い当たる。自分やフェイトが色違いとはいえ、使い魔と似たような姿なのだ。目の前の赤紫色のヒト型がまた別の魔法少女であってもおかしくはない。

 そう思った杏子は自分の目に魔力を込め、赤紫色の靄に隠された、目の前の敵の真実の姿を覗き見ようとする。やっとの思いで一瞬だけ杏子の瞳に写すことができた相手の姿は、やはりすずかのものだった。西洋の社交界で着られているようなドレスに身を包み、その手には刀身の赤い刀を握っているが、それは彼女の魔法少女としての装束なのだろう。まず間違いなく旅館で会った魔法少女に間違いなかった。

(くそっ、この変な幻視はそういう意味かよ)

 すずかの正体がわかったことで、改めてこの魔女の結界の恐ろしさを杏子は実感する。互いの姿がまともに見ることができない。声も等しく同じ物に変質する。名乗り合うこともできない。それはつまりこの場に何者かが現れても、それが敵か味方かわからないということだ。初めから一緒にいたフェイトなどは、その姿が変わっていくのを間近で見ているのだからまだわかる。しかしすずかのように、後から現れたものは別だ。色の違いで味方かもしれないとは思えるが、それを証明する手立ては通常の手段では存在しない。

 そしてもし、すずかのようにこの結界に一人で入ったのだとしたら、なおのこと厄介な状況に陥っているはずだ。すずかから見れば色違いとはいえ、使い魔と杏子たちが同じに見えているのだ。そんな相手のことを敵だとは思えても、味方だという発想はまず出てこない。

(考えれば考えるほど、忌々しい結界だな)

 杏子は襲いくるすずかの攻撃を受け流しながら思う。彼女の攻撃に迷いはない。明らかにこちらを殺す気で刀を振るっている。だが相手がすずかだとわかった以上、杏子から攻撃することは躊躇われてしまう。

 そもそも今の杏子がすずかに勝つことはまず不可能だ。それは単純に疲弊しているからだけでなく、杏子の心に根付いた「逃げろ」という本能からの訴え。どんなに意識を振り払っても、根底で逃げ腰では勝てるわけがない。疲弊しきっている現状ならなおさらだ。

「おい、あたしの声が聞こえるか?」

 杏子はすずかに声を掛ける。しかしすずかからの返答はない。返ってくるのは化け物らしい呻き声だけだ。どうやら認知できた相手同士でないと、会話することもできないらしい。

すずか、おい、聞こえるか!?】

 肉声がダメなら思念通話だと、杏子は試みる。先ほどまではノイズしか届けることができ時なかったが、これほど近くならもしかしたら届くかもしれない。そう一縷の望みを託すも、結果はダメ。やはり何の返答も戻ってこなかった。

≪杏子殿、そちらではありません?≫

「……ッ」

 会話することに集中し過ぎていたためか、杏子の槍はすずかのいない虚空を突いてしまう。確かに先ほどまでそこにいたすずかであったが、杏子の攻撃を察知し、逆サイドに回避していたのだ。

 何もない空間を突いてしまったため、杏子はすずかの前にその身体を差し出すような態勢になってしまう。すずかは刀を振りあげるだけで、杏子の身体を真っ二つに切り裂けるような態勢だった。

(こんなところでやられてたまるかよ!)

 杏子は自分の身体を無理に捻りながら、槍を伸ばす。そして伸びた柄の部分でなんとか刀を受け止めようとした。だが杏子の予想とは裏腹に、すずかは斬り上げてこなかった。かといって別の攻撃をしてきたわけではない。

 彼女の身体は何故か、その体制のまま硬直していた。杏子はその隙に、フェイトの元へと戻る。そして一体、すずかの身に何が起きたのかを考えた。

     ☆

 それは絶好のチャンスのはずだった。赤いヒト型が間抜けにも自分の間合いに無防備な身体を晒したのだ。もちろんすずかにそのチャンスを逃す手はない。一刀両断の元、赤いヒト型を消滅させるつもりだった。

≪杏子殿、そちらではありません!?≫

 しかしその攻撃は、突如として聞こえてきた機械音声に止められてしまった。杏子を呼ぶ、謎の声。近くに誰かいるのかと思い、すずかは周囲に目をやる。だがこの付近にいるのは自分と二体のヒト型のみ。杏子どころか他の使い魔の姿さえ見ることができなかった。

 その隙を突かれて、赤いヒト型は態勢を立て直すといった具合に、金のヒト型の元に戻っていく。だがそんなことよりも近くに杏子がいるなら、一緒にこのヒト型と戦いたかった。

杏子さん、近くにいるんですか?」

 だからすずかは、杏子の名を呼ぶ。

≪……すずか嬢。杏子のことがわかるのですか?≫

 返ってきたのは先ほどの機械音声だ。だが驚いたのは、その声の主が自分の名前を知っていたことだった。

「……えと、あなたは誰? どうして私の名前を知ってるの?」

≪これは失礼しました。我が名はバルディッシュ、我が君、フェイト・テスタロッサの戦斧でございます≫

フェイトちゃんの? フェイトちゃんもこの結界の中に来てるの!?」

 思いもよらない名前が出たことで、すずかの動揺が増す。

≪……杏子、少し黙っていてください。今、私の方で事情を説明しますから≫

杏子さんも一緒なの? 一体どこに?」

 声はすれども姿は見えず。そんな現状にすずかは思わず声を荒げてしまう。

≪我々は貴女の目の前にずっといます。貴女から見て赤い魔力の持ち主が杏子、金の魔力の持ち主がフェイトです≫

「……えぇー!?」

 バルディッシュの発言を聞き、思わず声を上げてしまうすずか。その後、バルディッシュの口を通して、この魔女の結界の性質を聞いて納得したすずかは、今まで戦っていた杏子に平謝りし続けるのであった。

     ☆

 一方その頃、なのはとアルフは襲いくる使い魔を撃破しながら、確実に魔女へ向けて歩を進めていた。アルフとしては、フェイトのことが気がかりではあったが、彼女は戦闘中とはいえ、自分の作り出した結界の中にいる。それならばこの結界内には取り込まれないだろうと高を括っていた。むしろそんなフェイトを危険に晒さないためにも早急に魔女を打倒し、この結界内から抜け出すことを考えていた。

 なのはは初めて見る使い魔に戦々恐々で攻撃を外していたが、次第に慣れてきたのかその攻撃の命中精度が普段通りになり始めていた。

 だがユーノは、現状をそこまで楽観視できないでいた。それはアルフが吹き飛ばしたジュエルシードにあった。封印処置が施されているとはいえ、一度補足したジュエルシードだ。ユーノがそう簡単にその位置を見誤るということはない。だからこそわかるのだ。ジュエルシードもこの結界内に取り込まれているということに。そしてその魔力が明らかに封印状態ではなく、発動状態となっていることに。

「二人とも、気がついてる?」

「何かな、ユーノくん?」

「この先に魔女だけじゃなくて、ジュエルシードの反応もあるって」

「えっ? そうなのー!?」

 驚くなのは。それを尻目にアルフが告げる。

「もちろんあたしは気づいているよ。……実を言うとね、前にもこんなことがあったのさ。あたしたちがこの町に来て初めて戦った魔女。そいつを倒した時にね、ジュエルシードを落としたんだ」

「なんだって!?」

「……これはあたしの勘でしかないんだけどさ、魔女ってのは強い魔力に惹かれるんじゃないか?」

 願いを叶えるという特性がなくても、ジュエルシードが秘めた膨大な魔力だけで十分に魅力を感じる者もいる。現にプレシアや杏子、キュゥべえまでが狙っているのだ。目の前にいるなのはたちもそうだ。どういう目的でジュエルシードを求めるのかはわからないが、中には願いを叶える特性ではなく、純粋な力として求める者もいるだろう。

 魔女という存在に知性があるかどうかはわからないが、もし本能だけで動いている魔法生物だとしたら、その可能性も十分にあり得るだろう。

 どちらにしても、先ほどのジュエルシードは魔女の元にあるのは間違いない。ならば覚悟を決めなければならない。その強さはおそらく現住生物を取り込んだ思念体を遥かに上回るものになっているのだから。

「この先、だね」

 考えているうちに、三人は魔女のいるであろう空間の前にたどり着く。なのはの手は震えていた。扉の先にいる存在、そこから放たれる魔力は今まで彼女が感じたことがないほど禍々しいものだった。

≪大丈夫ですよ、マスター≫

「レイジングハート?」

 なのはの不安を敏感に感じ取ったレイジングハートが、主を励ますために声を掛ける。

≪マスターは強いです。この先にいる魔女は確かに、ジュエルシードの力を使っています。しかしマスターがジュエルシードを再封印することができれば、その力は大幅に激減するはずです≫

「でも、どうやって?」

なのは、いつもと同じようにやればいいんだよ。僕もサポートするし、今回は彼女もいるからね」

「ま、そういうことだね。つっても、ジュエルシードはあんたらにやる気はないけどさ」

「そこは僕らも譲れないけど、それは魔女を倒してからだ」

≪お二人とも、言い争いはそのくらいにしてください。そろそろ行きますよ≫

「うん、いくよ」

 ユーノとアルフ、そしてレイジングハートのやり取りになのはは心強く感じられた。そして勢いよく、魔女のいる空間へと足を踏み入れた。

     ☆

「ケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラッ――――!」

 なのはたちがその部屋に足を踏み入れると、けたたましい笑い声が辺りに響き渡る。実に不愉快な嘲笑。サラウンドで鳴り響く声が、ダイレクトに脳に響く。あまりの煩さに思わず三人とも耳を塞いでしまうほどだ。

 それは周囲に飾られていたイラストから聞こえていた。描かれた三人家族、それらすべてが笑っているのだ。一人ひとりの笑い声は小さくても、無数にいる人物の声は重なり合い、なのはたちの脳を掻き乱すほど大きな笑いへと変化していた。

 そんな部屋の中心に、一人の少女の姿があった。少女はその場に蹲り、クレヨンで床に何かを描いているようだ。それを見守るように立つ男女。それはさながら、少女の様子を微笑ましく見守る両親のよう。――実際、なのはたちも初めはそう思った。

 だがその三人が人間でないことにすぐに気付く。遠目から見てもわかるほど、三人の身体は平面的だった。さらに彼らの身体をよく見ると、その輪郭は歪で、顔つきも出鱈目だ。

 それは先ほどから何度も見てきた、壁に飾られた絵の中に描かれた家族そのものだった。壁に飾られている絵の中の人物たちが動くことはなかったが、目の前にいる三人は確かに動いている。しかしその動き方は酷く歪。身体の作りが歪んでいるためか、歩いたり屈んだりする動きから人間味が感じられない。もはや直視するのも憚られる不快感。周囲の笑い声も合わさり、なのはたちは部屋の中心から目を逸らしてしまう。



 ――だからこそ、いつの間にか部屋の中心にいる人物が二人に減っていることに気付かなかった。



「危ないっ!!」

 最初に気付いたユーノが声を張り上げる。先ほどまで部屋の中心にいたはずの男のヒト型が、なのはの背後に立っていた。そこから繰り出される拳。それはなのはの後頭部に向かって振り下ろされる。それをユーノはとっさにプロテクションしてガードする。

「えっ?」

 なのはの口から間抜けな声が漏れる。通常ならそれでダメージを免れることができるはずだった。しかしプロテクションに当たった男の拳はそのまま砕けた。砕けて――破片がプロテクションを貫通してなのはに降り注ぐ。頭から破片を受けたなのはだったが、そこに痛みはまるでなかった。それこそまるで蚊に刺されるほどの痛みだった。

「このッ――」

 なのはに攻撃を仕掛けてきた男に向かって、アルフは蹴りを入れる。その蹴りは見事に命中したが、アルフに手ごたえはなかった。手ごたえはなかったが、男の身体を上半身と下半身に砕くのには十分だった。身体が二つに裂けた男はそのまま消滅する。しかしその際、男の身体に触れた部分が奇妙な違和感に支配される。

「いったいなんなんだい、これ……は?」

 しゃべりながら、アルフは自分の足を見て言葉を詰まらせる。男を蹴り砕いた部分、そこだけクレヨンで描かれたイラストに変異していた。それもただ、元の姿をイラスト化したものではなくとても醜い。アルフの足はまるで腐敗した肉のような青い色をし、何者かに食い荒らされたかのように骨が浮き出ていた。クレヨンで描かれたイラストなのでグロさは軽減されているものの、それでも実に痛々しい光景には違いなかった。

「くぅ……」

 それを知覚した途端、アルフの足に痛みが走る。

アルフさん、どうかしたんですか?」

 苦しそうなアルフの様子になのはが不思議そうに尋ねる。しかしアルフはそれに答えようとしない。なのはにはアルフの足がどうなっているのか、見えていないのだ。他人の姿は相変わらず、クレヨンで塗り潰されたようにしか見えない。だからなのはには、アルフの足の醜悪な姿を見ることができなかったのだ。

 それと同時に思い至る。なのはは先ほど、男の破片を頭から被った。つまり彼女の顔は今、とても見るに堪えないものになっているだろう。おそらく痛みを感じていないのも、そのことに気付いていないからに違いない。

 だがもし再び、男の破片を手や足に被ればすぐに自分の状態に気付いてしまうだろう。その時、この九歳の少女がその現実に耐えることができるだろうか? いくら魔女の攻撃とはいえ、自分の顔が醜いものに変わっていると知ったらとても正気ではいられないはずだ。おまけにそれを知覚した途端、痛みまで走るのだ。下手すれば命さえ危うい。

「あんたたち、あいつに近接戦闘を仕掛けてはダメだ。アレはやばい。できるだけ遠距離から攻撃を仕掛けるんだ」

「えっ? どうして?」

「いいからあたしの言う通りにしな!」

「わ、わかりました」

 アルフの迫力に押されたなのははそれだけ告げると、部屋の中心にいる少女と女に向かってアクセルシューターを飛ばす。二人はその攻撃を避ける素振りも見せない。しかしなのはの攻撃は二人に当たることなく、迎撃された。迎撃したのは先ほど撃退したはずの男と同じような存在だった。男はまるで二人の楯となるようにアクセルシューターの前に立ち、その魔力弾を道連れに消滅していった。

「うそ……」

 その光景になのはは茫然自失となる。男は確かに消滅した。アクセルシューター一発に対し、一人ずつ消滅していった。しかしその端から、どんどん男が出現していく。まるで鼠算式に増えていく。よく見ると、男たちは部屋に飾られている絵の中から這い出てきているようだった。

「なんだい、あの数は?」

 アルフは思ったことをそのまま呟く。すでに少女と女性の姿は見えない。それほどまでに男が密集しているのだ。その数はすでに両手では数え切れない。数十匹、いや下手をすると百を超えるかもしれない。

 その視線が一斉になのはたちに向けられる。なのははその数に恐怖する。ユーノはなんとかなのはだけでも守る方法を考える。アルフはフェイトの無事を祈りながら、敵の大群を睨みつける。

 そうして襲いくる男のヒト型。その圧倒的な物量を前に、なのはたちは無情にも呑みこまれていくのであった。




2012/7/17 初投稿
2012/7/18 タグについての前書き追加
2012/8/2 誤字脱字、および一部表現を修正



[33132] 第5話 海鳴温泉で大遭遇なの! その8
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/08/02 20:51
アルフ!?」

 フェイトは何の前触れもなく、目覚めると同時にアルフの名前を叫んだ。本来ならまだ全快していないフェイトが目覚めることはない。だが彼女はリンカーコアを通して繋がっているアルフの危機を本能的に察知し、飛び起きたのだ。

「うおっ! いきなり叫ぶんじゃねぇよ。ビックリするじゃねぇか」

フェイトちゃん? 身体はもう大丈夫なの?」

 目覚めたフェイトに掛けられる二つの声。しかしフェイトにはその声に聞き覚えがなく、また同一人物の声にしか聞こえなかった。声のした方に目を向けると、そこには赤と赤紫のヒト型の異形体の姿がある。それを目にしたフェイトはとっさにバルディッシュを構え距離を取り、フォトンランサーを放とうとする。

≪お待ちください。彼女たちは味方です≫

「えっ?」

 だがバルディッシュの言葉で、その攻撃が放たれることはなかった。そしてフェイトが眠っている間に起きた出来事の説明を受け、現状を把握した。

杏子、ありがとう」

「へっ?」

 バルディッシュの話を聞いて、フェイトが最初にしたことは杏子に感謝の言葉を告げることだった。

「あなたが守ってくれなかったら、わたしは回復することはできなかった。それに使い魔にやられていたかもしれない。だからお礼を言わせて」

 塗り潰されて他人には見ることはできないが、フェイトは顔を赤くして感謝の言葉を告げる。だがそれ以上に杏子の顔は真っ赤に染まっていた。彼女は感謝されることに慣れていない。ゆまを魔女から救いだした時は、彼女が茫然自失となっていたのでここまで正面から感謝されることはなかった。それ以前は敵を作るような戦い方をしていた。そう考えると杏子がまともに感謝されたのは、見滝原を飛び出して以来のことかもしれない。

「き、気にすんなよ。あたしとしても、フェイトに回復してもらった方が、都合がよかったんだからさ。おそらくまだ全快はしていないようだけど、すずかもいるし、今回の魔女との戦いは二人に任せるぜ」

 その照れ隠しのためか、どこか棘のある言い方になってしまった。

「うん、わたしは勿論そのつもりだから安心して。……それとすずかもありがとう」

 杏子に自信たっぷりな返事をしたフェイトは、そのまますずかにもお礼を告げた。

「えっ? 私も」

「うん。この前の魔女との戦いでわたしを助けてくれたお礼をまだ言ってなかったから」

「あ、あれは、むしろ私の方がフェイトちゃんに助けられたんだよ!? お礼を言うのはこっちの方だよ!!」

 そもそもすずかはフェイトに対して、僅かばかりの憧れを抱いていた。魔法少女になる前、命がけで自分を助けてくれたフェイト。その姿は今でも鮮明に思い出すことができる。そんな彼女の戦いっぷりを見たからこそ、すずかは「強く在りたい」とキュゥべえに願うことができたのだ。

「ならこの結界から出たら、改めて顔を見てお礼を言い合おう」

「うん、そうだね」

 フェイトとすずかは互いに約束をする。それを微笑ましく眺める杏子。

 そんな三人のやり取りに水を差すように、結界の奥から使い魔がやってくる。先ほどと同じ黒いヒト型。しかしその数が尋常ではなかった。先ほどとは桁を一つ間違えたような膨大な数のヒト型。しかもそれは全身が黒づくめのものではなく、きちんとした顔を持った男のヒト型だった。まるで下手な人間のようなヒト型の存在に気付いた三人はそれぞれ武器を構える。

「ここは私に任せてください。一気に片付けます」

 そう言ったのはすずかだ。すずかは二人を制止し、一歩前に出る。彼女はヒト型の来る方から、強大で禍々しい魔力が満ちていることに気付いていた。まず間違いなく、この結界を作り出した魔女だろう。ならばこんな場所で足止めを食らうわけにはいかない。それに先ほどの話から、二人が消耗しているのは明らかだ。それならばここは自分が敵を倒さなければならない。そう思っての発言だった。

「いたっ……」

「馬鹿、ここはあたしの出番なんだよ」

 だがそれを杏子は許さなかった。杏子は先走ろうしているすずかの頭を、軽く槍で叩く。

「いいか。この先には魔女もいるんだ。それなのに万全なあんたが力を消耗して全力で戦えなかったら、元も子もないだろう。こういう場合は、一番足手まといな奴が雑魚を引きつけるってのがお約束なんだよ」

「それならわたしが……」

 杏子の言葉に今度はフェイトが一歩前に出る。

「なに言ってんだよ。なんのためにあたしが苦労して、フェイトを休ませたと思ってるんだ。魔女と戦ってもらうためだぜ。それなのにこんなところでせっかく回復した力を使おうとするんじゃねぇよ」

「でも杏子、あなたの身体は……」

「ガキがいっちょ前にあたしの心配なんてするな。あたしを誰だと思ってるんだ。あんな攻撃で受けたダメージなんて、もう毛ほどにも感じてねぇんだよ。……だから、早く行って魔女を倒してこい」

 杏子の言葉に、杏子の背中に、フェイトはある覚悟を見た。

「……わかりました。行こう、すずか

「えっ? いいの、フェイトちゃん!? 杏子さんを置いてっちゃって」

 フェイトの言葉にすずかは驚きの声を上げる。

「大丈夫、杏子が強いのは戦ったわたしが一番よく知ってるから」

 それだけ言うと、フェイトは使い魔の大群に向かって突っ込んでいく。しかし彼女は一切、攻撃の手を加えようとはしない。その隙間を縫うように高速に抜けていく。

「戦ったって? あっ、待ってよ、フェイトちゃん」

 その後を追うようにすずかも続く。フェイトのように高速で動けないすずかは、火血刀を振るい、強引に道を切り開いていく。だがその剣筋には一切の魔力は込めていない。あくまで押しのけるためだけに使っているだけだった。

 もちろん使い魔とて、そんな二人をただで通すわけがない。執拗に攻撃を仕掛ける。しかしフェイトは持ち前の速度でそのすべてをかわす。すずかは剣で受け流しながら道を切り開いていく。そうして大群の向こうに抜け出した二人を使い魔はさらに追いたてようとした。

「……おいおい、あたしを無視すんじゃねぇよ」

 だがそれは杏子の攻撃によって阻まれる。フェイトやすずかと同じように、使い魔の大群をいつの間にかすり抜けた杏子は、その場で仁王立つ。

「さぁて、もってくれよ。あたしの身体」

 そして迫りくる使い魔の大群に杏子は覚悟を決めて、一人で立ち向かっていった。

     ☆

 なのはとアルフは迫りくる敵を確実に撃退していった。殴りかかってくる男たちの攻撃を避けながら、ディバインシューターやフォトンランサーを使って距離を取りながら倒していく。今のところは敵の攻撃を食らわずに済んでいたが、それも時間の問題だった。

「はぁ……はぁ……くぅ……」

 アルフは肩で息をする。変貌した右足からひりついた痛みを感じる。時と共にその痛みはどんどん増していく。足に目をやると、先ほどよりも膿が広がっているように見える。初めは膝だけだったのが、今では足首や股関節の辺りまで到達しつつある。そのあまりの痛みに、いっそのこと自分の足を斬り落としてしまいたい思いだった。

アルフさん、大丈夫ですか?」

 一方のなのははまだ少し余裕があった。先ほどから顔中から嫌な汗は噴き出ているものの、まだ敵と戦えていた。それはユーノがサポートに徹したおかげだろう。今のなのははまだ、飛行魔法を覚えたてなのだ。そんな彼女が飛びながらディバインシューターを敵に命中させるのは至難の技。そこでユーノはなのはの飛行魔法のリソースを自身に肩代わりし、その分、なのはには攻撃に専念させていた。

 しかしその分、ユーノの疲労は確実に蓄積されていた。なのはと違い、ユーノの魔力量はそこまで多くはない。本来なら一人で飛ぶべき飛行魔法のリソースを二人分肩代わりし続けながら戦うというのには無理があった。

「なんとか……って言いたいところだけど、このままじゃまずいね」

「僕もそう思います」

 なのはもそのことには薄々、気づいていた。今まで三人が戦ってきたのは、魔女の本体ではない。いくら襲いかかってくる男を撃退したところで、本体にダメージが通るわけがない。なんとか隙を作って魔力弾を飛ばすも、それが悉く男が身を挺して防いでしまうため、かすり傷すら与えることができていなかった。

ユーノくん、こういう時はどうしたらいいの?」

「そうだね、単純に強大な一撃を放てればあるいは……」

 射撃魔法の威力では、敵の本体に攻撃が届かない。それならばより強力な魔法を放つしかない。なのはの魔力ならそれも可能だろうが、まだユーノはそこまで強力な魔法を教えていなかった。

「……強力な一撃だね。わかった。やってみる」

≪Shooting Mode≫

 ユーノの言葉になのはは念じる。そんななのはの思いに呼応するかのように、レイジングハートの形がシーリングモードからシューティングモードへと変化する。その先端には膨大な魔力が込められる。だがその魔力が放たれる前に、敵の攻撃によりなのはの態勢が崩される。

「うわわっ!?」

 その攻撃をかわすために空中で回転したレイジングハートの先からは、魔力が霧散してしまっていた。

「このままじゃ、魔力を溜められないの!?」

 本能的に発射のやり方は掴んでいたなのはだったが、まだ魔力を込めるのに十秒ほどの時間を要さなければならなかった。しかし今のなのはにはその時間を作ることができない。

「あ、あの、少しの間でいいから、あの男の人たちの気を引いてくれませんか?」

「僕からもお願いします」

 だからこそ、なのはたちはアルフにお願いする。

「わかった。でも長い時間は稼げないよ」

 それに二つ返事で了承するアルフ。どちらにしてもこのままでは全滅してしまうのだ。それならば彼女に賭けた方がマシだった。

「うぉぉぉおおおお!!」

 アルフは覚悟を決め、男たちに向かって突っ込んでいく。自分に注意を惹きつけるために、ヒト型が群がった中心で、フォトンランサーを連発する。隣接されたら、ヒト型の身体を拳で直接砕いていく。その度にアルフの身体に男の欠片が降りかかる。破片がかかる度に、アルフの身体には激痛が走る。たった十秒、それだけの時間稼ぎのはずなのに、アルフには数時間にも感じられた。

「できた!」

 そんなアルフの奮闘もあり、レイジングハートには十分な魔力が蓄えられる。なのははそれをそのまま、魔女であろう部屋の中心にいる少女のヒト型に向けて発射した。

「いっけぇぇぇええええ!!」

≪Divine Buster≫

 レイジングハートから射出される砲撃、ディバインバスター。それに気付いた男たちはアルフを放置し、少女を守るために壁になる。だがディバインバスターに当たる端から、男たちの姿は消滅していく。その勢いはとどまることを知らない。そしてそのまま、その場に蹲っていた少女のことをかき消した。

「や、やった?」

≪Mode Release≫

 なのはの声と共に、レイジングハートがシーリングモードへと戻っていく。なのはの砲撃によって、辺りにいた男たちはほぼ全滅していた。残った男もなのはに近寄ってこようとしない。少女がいた辺りは、小さなクレーターが出来上がっていた。そこにいたはずの少女は、跡形も残っていない。少女を倒すことができたのは、誰の目から見ても明白だった。



 ――そう、少女の形をした使い魔を倒すことができたのは……。



 なのはの気が抜けた瞬間、少女の傍らにいた女のヒト型が背後に現れる。その手には包丁のようなものが握られており、それをなのはに向かって振り下ろした。

なのは!?」

 いち早く気付いたユーノが叫ぶ。激突するプロテクションと包丁。男の拳と違い、プロテクションとぶつかるだけで砕けるということはなかったが、ジリジリとプロテクションに食い込んでいく。このままではプロテクションが破られるのは時間の問題だった。

「くそっ」

 それに気付いたアルフが女に攻撃を仕掛けようとする。しかし再び現れた無数の男のヒト型にその攻撃は悉く防がれ、なのはに近づくことすらできなかった。なんとか近づくための道筋を探るアルフは、周囲に目を向ける。そこで先ほどディバインバスターに呑み込まれたはずの少女が生きているのを見つけた。いや、正確には先ほどとは違う少女なのだろう。壁に描かれているイラストの中から出てくる少女。そのイラストに目を向けると、すでに男の姿もなく、女が一人淋しく描かれているだけのものになっていた。

 新しく出てきた少女は、その場に座り込むと先ほどの少女と同じようにクレヨンで絵を書き始める。少女の元へ向かうことは簡単にできそうだが、今はなのはを助けるのが先決だ。アルフは一端、その少女のことを頭から忘れ、なんとか男たちを振り切ると、なのはに向かって飛んでいった。

 だが時すでに遅し。アルフが男たちを振り切っている間に砕かれるプロテクション。そしてそのままなのは目がけて包丁を突き立てようとする。だがなのはに包丁が当たる直前、突如として飛んできた赤い剣閃によって、女の腕ごと包丁を斬り落としていた。

 その隙をついて、女のヒト型から距離を取るなのは。攻撃が放たれた方向を見てみると、そこには今までの使い魔とは違う、金と赤紫のヒト型の姿があった。

     ☆

 魔女のいる空間にたどり着いたフェイトとすずかが見たものは、混迷する戦闘模様だった。男のヒト型に囲まれた橙色のヒト型。そして女のヒト型に襲われている桃色のヒト型。そこから少し離れた場所にいる少女のヒト型と黒いヒト型。見た目で判別できない以上、誰が味方で誰が敵なのか、二人には見分けがつかなかった。

「バルディッシュ。敵はどれ」

≪サー。敵は塗り潰されていない男と女、それと壁際にいる少女です≫

 だが二人には見えていなくても、インテリジェントデバイスであるバルディッシュには敵味方を明確に見分けることができていた。そしてその指摘通りなら、今、まさに桃色の少女が使い魔に止めを刺される寸前だった。

「赫血閃ッ!」

 それに気付いたすずかが火血刀を振り抜く。狙いは正確に女のヒト型に命中し、その身体を桃色のヒト型から引き離すことに成功した。ついでに辺りにいた男たちをアークセイバーと赫血閃で薙ぎ払った二人は、桃色のヒト型――なのはと合流する。

 それを見ていた橙色のヒト型――アルフは、新たな敵がなのはを襲おうとしていると思い、フェイトに攻撃を仕掛ける。

≪待ちなさい、アルフ≫

「えっ? その声はバルディッシュ?」

 突然、聞こえてきたバルディッシュの声にアルフの攻撃はぴたりと止まる。

「もしかして、フェイト?」

 名前の部分はかき消されてフェイトには聞こえていないはずだが、フェイトにはアルフが確かに自分の名前を口にしたことに気付いていた。

「うん、そうだよ」

フェイト~」

 目の前の金のヒト型がフェイトだということに気付いたアルフは、その身体に思いっきり抱きついてくる。いきなりのことで驚いたフェイトは、そんなアルフを宥める。

「再会の喜びを祝うのは後。今はこの魔女を倒して、早く結界を解かないと」

「そ、そうだね」

 フェイトの指摘にアルフは気を引き締め直し、その身体から離れていく。

「そちらもそれでいいですよね」

「はい。僕たちもそれで構いません」

「うん。……えと、その、さっき助けてくれたのはあなた?」

「いえ、さっきのはこっちの子」

 そう言ってフェイトは横にいるすずかを示す。

「そうなんだ。さっきは間一髪のところを助けてくれてありがとう」

「う、うん、あなたが無事でよかった」

 なのはとすずかは互いに互いの正体に気づいていなかった。そのため普段と違い、どことなく硬い口調で会話していく。

≪マスター≫

「ん? どうしたの? レイジングハート」

≪……いえ、なんでもありません≫

 バルディッシュと同じく、インテリジェントデバイスであるレイジングハートにはもちろん、すずかの姿がはっきりと見えていた。そのことをなのはに伝えるべきかどうか悩んだが、今は命を掛けた戦闘中。なのはに余計な考え事を増やすのは得策ではないと判断し、この場では黙っていることにした。

「ところでアルフ、わたしには皆、敵の使い魔に見えるんだけど魔女がどれかわかる?」

「それなんだけどさ、あたしたちは最初、あの少女のヒト型が魔女だと思ったんだ。それで一度は倒したんだけど、結界は解けなかった。それどころか壁から再び復活してきたんだよ」

「ということは、さっき吹き飛ばした女が魔女?」

「それも違うと思うよ」

 フェイトの考えを否定したのはすずかである。

「さっきの剣閃なんだけど、とっさのことだからほとんと力を込められなかったんだ。だけどあの女の人は吹き飛んだでしょ。魔女は使い魔よりも強いはずだから、あれぐらいの威力じゃあ気を逸らすことはできても、ダメージを食らわすのなんて無理なんじゃないかな?」

「それじゃあ一体、魔女はどこに」

 フェイトたちは頭を巡らせる。しかしゆっくり考える時間を与えまいと言わんばかりに男たちが襲いかかってくる。それを散開して迎撃する一同。

 フェイトは男たちを各個撃破していきながら、部屋の様子を注意深く観察した。今、この部屋の中にいるのは自分たち五人と少女と女のヒト型が一体ずつ、そして無数の男のヒト型だ。少女と女は一ヶ所に固まっており、男はこちらに対して襲いかかってくる。周囲の壁には、クレヨンで描かれた家族の絵が飾られている。しかしその絵は初めは三人だったものが、今ではそのほとんどが母親と少女の二人だけの絵になっている。そこに描かれていたはずの男は、今、目の前に襲いかかってくる使い魔だ。

 絵から出てきた使い魔? そのことが気になったフェイトは、試しにフォトンランサーの一つを壁に描かれた絵に向かって放つ。だがその攻撃が絵に当たることはなかった。当たる直前、絵の中から女のヒト型が現れ、その攻撃を弾いたのだ。

 だが使い魔のその行動が、フェイトに一つの答えを見出した。つまり男も女も少女も、ここにいるのは全部、使い魔だということに。それに気付いたフェイトはすずかの元に近づき、そのことを話した。

すずか、壁に飾られている絵だ。たぶんそれを攻撃すれば使い魔は消える」

「……っ!? わかった、やってみる」

 すずかはフェイトの言葉を聞き、刃を握る力を込める。そして赫血閃を壁に向かって放った。先ほどと同じように攻撃を防ぐために現れた女のヒト型。しかし赫血閃を弾こうと触れた瞬間、自身の身体が燃え、それは叶わなかった。そしてその炎は背後にあった絵に燃え移る。そしてそれは絵から絵と、芋づる式に燃え移っていった。

「ギャァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ」

 部屋に響き渡る断末魔。燃え移っていく絵の端から、男の身体が燃えていく。突然、目の前で燃えていく男の姿に驚くなのはとアルフ。そんな二人と合流しつつ、フェイトたちは事の顛末を見守った。

 燃え尽きた部屋の中に残ったのは、男のヒト型、ただ一人だけだった。だがそこから感じられる魔力の質、それは明らかに先ほどまでとは違った。その禍々しい魔力が解放されると同時に、まるでメッキが剥がれるように男の身体が崩れさる。

 その中から現れたのは女のヒト型だった。しかし先ほどまでの女のヒト型とはまるで別人のように見えた。先ほどまでの女のヒト型はすらっとした若い女性をモデルにしたような感じだったが、目の前にいるのは小太りの女性だ。子供の描いたイラストであるようなタッチは変わらないが、その被写体がまるで別人ともいうべき変化。そしてそれこそが、この結界を作りだしたクレヨンの魔女、ラウラの真の姿だった。

 魔女の咆哮と共に湧き出てくる男と女、そして少女のヒト型。先ほどまでと打って変わって、男だけでなく女や少女も際限なく湧き出てくる。それも絵の中からではなく、ラウラの足元からだ。無限に近いヒト型を生みだす。それがラウラの能力だった。

 最初に動いたのは、フェイトだった。彼女は周囲に無数のフォトンランサーを一気に展開し、ラウラに向かって攻撃を仕掛ける。だがその一つひとつをラウラが生み出した使い魔が身体を張って防いでいく。フェイトに習い、なのはやアルフもアクセルシューターやフォトンランサーで攻撃するも、やはり結果は同じだった。

「皆、どいてください」

 そんな三人に対してすずかは声を掛ける。なのはたちが攻撃している間、すずかは火血刀に血を吸わせていた。細かい攻撃が聞かないなら、強力な一撃で仕留める。それは先ほど、なのはたちが少女に対してディバインバスターを放った時と同じ発想だった。その考えの元、赫血閃をラウラに向けて飛ばした。

 しかし鼠算式に増えたヒト型が、赫血閃の射線上に並び、その威力を削いでいく。結局、赫血閃がラウラの元に届くことはなかった。

 すずかはこの一撃で仕留めるつもりだったため、血を使いすぎたのかその動きに精彩を欠く。そんな隙をつき、すずかに対して執拗に使い魔は追いたてる。その群がる使い魔はなのはとフェイトの手によって撃退する。

「あ、ありがとう」

すずか、さっきのもう一度、打てる?」

 フェイトは尋ねる。すずかの赫血閃はラウラの元まで届かなかったとはいえ、まず間違いなく今の自分たちの持ち得る魔法の中で一番、強力な攻撃魔法だ。だからこそ、その可能性に賭けてみたかった。

「……ごめん。打つことはできるけど、次に放ってもあそこまでの威力は出ないかな」

 だがすずかは、先ほどに力を込めすぎたせいか、すでに血が足りなくなっていた。これ以上、血を使ってしまえば吸血鬼化を維持することすらできなくなる。次に赫血閃を放つとするなら、それこそ止めの一撃として至近距離で放つしかないだろう。

「でも目の前で打つことができれば、今の弱った魔力でも倒すことはできると思う」

「そうなると問題はどうやって魔女の元に近づくかだね」

 フェイトの言葉を聞き、すずかにはある考えが浮かんでいた。だがそれを実行するためには、なのはの協力が必要不可欠だった。

「すいません。さっき桃色の閃光を撃ったのはあなたですよね?」

「えと、その、はい」

「あれってもう一度、撃つことはできませんか?」

 すずかの言葉になのはは言い淀む。先ほど撃ったのは、ほとんど出たとこ勝負で出した砲撃だ。同じことをやれと言われて、なのははやれるかどうか自信がなかった。

≪問題ありません。マスターの魔力なら、いくらでも放つことが可能でしょう≫

「レイジングハート?」

≪マスター。あなたはもう少し自信を持った方が良い。それに彼女には何か考えがあるようです。それは魔女を倒すための必勝策。……違いますか?≫

「その通りです。たぶん、あの防御を突破するには、これしか方法がありません」

 そうしてすずかはなのはに自分の作戦を告げる。その作戦を聞いたなのはは酷く驚き、その案を否定した。

「そんな……そんなこと、わたしにはできません」

「どうして?」

「だって失敗したらあなたが……」

「……でもたぶん、これしか方法はないと思うから。そしてそのためにはあなたの力が必要なんです」

 すずかはなのはに頭を下げる。その姿を見て、なのはは困惑した。できるかできないかで言われれば、できるとは確信している。しかし失敗した時、危険な状況に置かれるのは自分ではないのだ。失敗して自分が危険な目に遭うなら問題ないが、赤の他人を危険な目に合わせてしまう可能性のあることを実行できるわけがない。

「……なのは、やってみよう」

ユーノくん?」

 そんななのはを後押しするかのようにユーノが告げる。

「彼女の話は到底、現実的ではないけど、僕もこの状況を打開するにはそれしかないと思う。それにこのままじゃあ、いずれ僕たちは全滅だ。それなら多少、危険でも賭けてみるしかないんじゃないかな?」

「わたしもそう思う」

 ユーノの言葉にフェイトが続ける。

「このまま隙を伺うよりは、よっぽど効率的で最善な方法だ。本当ならもっと楽に勝てる方法もあるけど、今はそれをすることができない。だからお願い、あなたの力を貸して」

 そう言ってフェイトが頭を下げた。彼女の言う楽な方法とは、広域攻撃魔法であるサンダーレイジで使い魔を一掃したところからのすずかの赫血閃を至近距離で放つという至極単純なものだ。しかし多少は回復したとはいえ、杏子との戦いで受けた傷は大きい。まだ強力な広域攻撃魔法を制御しきるほどの体力は回復していなかったのだ。一歩間違えれば味方をも巻き込んでしまう魔法を、こんな状況で使えるわけがない。

「……うん、やってみる」

 ユーノとフェイトの言葉がなのはの心を動かし、力強く頷く。

「ありがとう」

「ううん、お礼はあの魔女を倒してから、だよ」

「そうだね」

 なのはとすずかは和やかに笑う。笑いながら、この作戦が失敗することはないという確信を持てた。二人は互いに目の前の相手が長らく親しんだ相手のように感じていた。実際にそうなのだが、現状ではそのことを知らない二人は、互いに妙に息が合っていることに内心で驚いていた。

「それじゃあわたしたちが使い魔の気を惹きつけるから、その間にお願い。行くよ、アルフ

「ほいきた」

 フェイトとアルフはヒト型の気を惹きつけるために飛んでいく。その間になのははレイジングハートの先端に魔力を溜める。先ほど放った時よりも、遥かに大きな魔力。その魔力の大きさに気づいたヒト型がなのはの元に向かおうとするが、それはフェイトとアルフの連携で完全に防がれていた。そうして蓄えられた魔力は、すでに先ほどラウラに向けられた赫血閃よりも強大なものになっていた。

「もしかしたら、私の出番はないのかもしれないね」

「にゃはは、そんなことはないんじゃないかな?」

 なのはから強大な魔力が放出されていることに気付いたラウラは、一端、攻撃の手を緩め、自分の周囲にヒト型を集めた。それだけでは飽き足らず、さらにヒト型を生み出し続けている。新しく生み出されたヒト型の手には、一様に楯のようなものを手にしている。全力で守りにきてる姿勢。しかし彼女たちには、この攻撃が防がれることはないと確信していた。

「それじゃあ行くよ。準備はいい?」

「うん、いつでも大丈夫」

 なのはの言葉にすずかは火血刀に血を吸わせ始める。勝負は一瞬、使い魔が消え去ったその瞬間が勝負だ。

「じゃああとはよろしくね。ディバイーン」

≪Buster≫

 レイジングハートの先端から放たれる桃色の光。それを防ごうとした使い魔を容赦なく呑み込んでいく。その膨大な威力の魔力の渦に、すずかは自分から飛び込んでいった。すずかの立てた作戦、それは自身をディバインバスターで押し出し、一気にラウラを叩き切るという至極単純なものだった。

「くぅ……」

 全身に感じる焼けるような痛み。その感覚を全て無視し、ディバインバスターの放たれる力を利用してラウラに一気に近づいていく。ディバインバスターの外から、すずかを掴もうとする使い魔の手が伸びる。だがディバインバスターに触れる端から、その手が消えてなくなっていく。先端の方では、使い魔が消滅していく姿が見える。しかし楯持ちの使い魔はその見た目通り、防御に特化しているのか、普通の使い魔よりも消滅するのに時間がかかっていた。だがそれでも、なのはのディバインバスターを防ぎきるには至らなかった。

 しかしその軌道をずらすことには成功したようで、砲撃はラウラの横を通過していった。だがそれで手一杯。ラウラのすぐ目の前まで来たすずかは、ディバインバスターの中から飛び出す。ラウラと目が合うすずか。使い魔たちはディバインバスターの攻撃を防ぐのに手一杯で、すずかにまで手が回らなかった。

「……さようなら」

 ディバインバスターの中で力が込められ続けた赫血閃が降り抜かれる。その威力は先ほどのものよりは弱い。だがその赫血閃は閃光を飛ばすためのものではない。直接、魔女を斬り抜くものだ。縦に切り裂かれたラウラ。その切り口からはカラフルな液体がまるで血のように噴き出す。その姿を見て、なのはたちは勝利を確信した。……ただ一人を除いて。

 それはラウラに攻撃を仕掛けたすずかである。本来なら赫血閃でラウラの身体は真っ二つに切り裂かれているはずだった。だが斬り裂かれたのは顔から上半身にかけてのみ。下半身は辛うじて繋がっている状態だった。

 火血刀の一撃を止めていたのは、ラウラの体内に存在した一つの宝石だった。妖しく光る青い宝石。青い宝石に当たった火血刀は、その部分からぽっきりと折れる。普通の宝石だったとしたら、火血刀ならダイヤモンドだって一刀両断できるだろう。しかし今、奇しくも火血刀が斬ろうとした宝石には魔力が込められていた。それは他人の願いをも叶えられるレベルの魔力。



 そう――それはジュエルシードと呼ばれる宝石だった。



 それは一瞬の出来事だった。赫血閃によって刺激を受けたジュエルシードから膨大な魔力が放出された。それはさながら魔力の柱。青白く輝く膨大な魔力がラウラの肉体を一瞬で消滅させ、至近距離にいたすずかのことを吹き飛ばす。吹き飛ばされたすずかをアルフが支える。

「大丈夫かい?」

「あ、ありがとう、アルフさん」

 そういうすずかは非常にぐったりしていた。魔力を使い果たしたところにあれほどの衝撃を受けたのだ。無理もない。彼女はもう魔法少女としての姿を維持することもできず、旅館の浴衣姿に戻っていた。

 フェイトは横目ですずかの無事を確認すると、再びその視線を青白い魔力の柱に向ける。ある程度、放出しきったのか、魔力の柱は徐々に小さくなっていき、元の宝石の形へと戻る。しかしそのジュエルシードからは、膨大な魔力が不安定に溢れていた。このままでは先ほどよりもさらに強力な魔力が放出されるのは、誰の目から見ても明らかだった。

 そことは反対側の位置からジュエルシードを見ていたなのはとユーノは、突然のことでまともに動くことができなかった。アルフもそうだが、二人は初めからこの付近にジュエルシードがあることに気付いていた。しかもそれを魔女が持っていると予測も立てていた。それなのにも関わらず、このような事態を招いてしまい、すずかはもちろん、この世界そのものを危険に晒して仕舞っていたことを悔いていた。

 なんとかジュエルシードを封印しなおさなければならない。なのはとフェイト、二人の考えはこの時一つになっていた。

 一気にジュエルシードに向かって飛んでいく二人。その飛行魔法の練度から、先にジュエルシードの元にたどり着いたのはフェイトだった。すでにジュエルシードはどんな刺激でも暴走してしまう状態だった。ならば自分の魔力を直接ぶつけて強制封印する他ない。フェイトはジュエルシードをその両手で握りしめた。

「フェイト!? ダメだ、危ない!?」

 そんなフェイトの姿を見てアルフが叫ぶ。しかしフェイトはそれに耳を貸さない。その場に座り込み、念じるように目を瞑り魔力を籠めていく。

「止まれ、止まれ、止まれ、止まれ止まれ止まれ止まれ」

 もし彼女が消耗していないのなら、それで十分、封印できていただろう。だが杏子から魔女との二連戦で、フェイトは自分の想像以上に消耗していた。彼女の両手は、ジュエルシードの魔力が抑えきれず裂けていく。その痛みを我慢しながら、それでもジュエルシードを握りしめた。

(ダメ、このままじゃ、抑えきれない)

 心の中で弱音を漏らす。もってあと十秒。その間にフェイトはアルフに逃げてと伝えようとする。だがその前に、フェイトの手は暖かいぬくもりに包まれた。

 フェイトの手を上から握ったのはなのはであった。その姿はすでに魔女の結界によって塗り潰されたものではない。少し疲弊している様子も見え隠れするが、ラウラやその使い魔であるヒト型とは違う、きちんとした人間の顔がそこにあった。

「わたしも手伝うから、一緒に頑張ろう」

 そう告げると、なのはの手から放たれる魔力がフェイトに伝わる。なのはの魔力を受け、フェイトは気合を入れ直し、ジュエルシードを封印しようとする。二人の足元には金色と桃色の魔法陣が重なる。二人の指の間から洩れる、青白い輝きが徐々に失われていく。そしてその輝きが完全に失われた時、ジュエルシードはきちんと再封印された。

「はぁ……はぁ……やった」

「……うん、これでなんとか」

 なのはは握りしめていたフェイトの手を離す。二人の手は互いの血で血まみれになっていた。なのははなんとか立ち上がることができたが、フェイトは立ちあがることすら困難だったため、その場で気絶するようにその意識を失った。

「フェイト~」

「フェイトちゃん」

 それに気付いたアルフとすずかは、フェイトに向かって駆けよっていく。アルフは何事もなく、フェイトの元に駆け寄ったが、すずかの足はその途中で止まった。

「な、なのはちゃん?」

「すずかちゃん、なの?」

 姿を隠すものがなくなった今、なのはとすずかは互いの姿を見る。先ほどまで魔女に対して共闘していた相手、それがまさか親友であったことになのはとすずかはその驚きを隠すことができなかった。



☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★



オマケ 魔女ラウラのパーソナルデータ

ラウラ
クレヨンの魔女。その性質は痛み。魔法少女になる時の願いは「両親が自分に笑顔を向けてくれること」
両親から虐待を受けていた彼女が望んだ淡い願い。しかし願いを叶えてもらっても両親の虐待は止まらない。ただその表情だけが笑顔に変わっただけだった。
契約する前はクレヨンで仲の良い家族の絵ばかり描いていた。



2012/8/2 初投稿、およびクレヨンの魔女ラウラのパーソナルデータを追加



[33132] 第6話 錯綜し合う気持ちなの その1
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/08/05 00:30
「すずかちゃ~ん、朝ですよ~。起きてくださ~い」

 扉の向こうからファリンの声が響き渡る。その声が耳に入っていないわけではないが、すずかは自室のベッドに顔を埋め、その一切を無視し続けた。

 ここ数日、すずかは一歩たりとも屋敷の外に出ていない。その原因は数日前の温泉旅行にあった。

 すずかにとって今回の温泉旅行はとても楽しいものになるはずだった。家族以外の友人との初めてのお泊まり。期待するなという方が無理な話だ。その予感通り、昼間のうちは旅行を満喫していた。

 それが崩れたのは近くに魔女がいることを察知した時からだろう。このまま放っておいたら大切な家族が、友達が巻き込まれてしまうかもしれない。だからすずかは単身、魔女の結界に向かっていった。魔女ラウラの力は強力だったが、結界内には自分と同じように魔女と戦う魔法少女や魔導師が何人もいた。結界の作用で互いにその顔を見ることはできなかったが、その場にいた全員でラウラを倒すことに成功した。

 そうして結界が解け、改めて顔を見合せた時、そこに意外な人物の姿があった。フェイトとアルフはまだわかる。二人はすずかを魔女から救ってくれた恩人だ。使い魔の足止めに一役買ってくれた杏子も含めて、すずかが魔法という存在に触れなければ出会うことのなかった人たちだ。

 だが最後の一人が問題だった。高町なのは。それはすずかが小学校に入学してから初めてできた親友の一人だ。魔法とは全く関係ないところでできた大切な友達。そんな彼女がこの場にいたことにすずかは驚きを隠せなかった。それはなのはも同じようで、すずかのことを見つめる彼女の顔は大きく眼が見開かれている。

 誰がどう見ても目の前の人物はなのはなのだが、それでもすずかはこの場になのはがいることを否定したかった。自分と初めて友達になってくれた女の子。なのはがいたから、すずかは一人ではなくなった。それはきっと、この場にいないもう一人の親友も思っていることだろう。

 そんな彼女に戦いの場は似つかわしくない。血で血を洗う、魔女との戦いに相応しいのは自分のような人外の存在だけなのだ。決して彼女のような普通の女の子が巻き込まれていいものではない。

「ど、どうしてなのはちゃんが魔法少女なんてやってるの!?」

 だからこそ、すずかは叫ばずにはいられない。ラウラとの戦いでボロボロになった身体で出せる精一杯の怒声。大声を出すだけで身体に響くほどの傷を負っているのにも関わらず、すずかは怒りを露わにしていた。

「そ、それはこっちの台詞だよ。どうしてすずかちゃんが……」

 そんなすずかの迫力に押されつつも、なのはは反論する。彼女が強く言い返せなかったのは、すずかの怒っている姿だけではなく、彼女の傷だらけの身体を見たのが原因だった。すずかから言いだしたこととはいえ、なのははすずかを危険な目に合わせてしまった。ディバインバスターの中に飛び込ませ、ラウラの眼前で止めの一撃を放った。その結果、ジュエルシードの魔力を一番近くで受けたすずかに対し、なのはは責任を感じていた。だからこそなのははすずかほど、強く言うことはできなかった。

「私はいいの!? でもなのはちゃんはダメ。もう絶対、魔女と戦っちゃ……」

 そう言い掛けてすずかは言葉に詰まる。キュゥべえと契約した魔法少女はグリーフシードを求めて魔女と戦い続けなければならない。ソウルジェムが穢れきる前に浄化しなければならない。そんな宿命を背負わされてしまう。だからこそ魔導師と魔法少女の違いを知らないすずかは言葉を詰まらせてしまった。

「……『私はいい』ってどういうこと?」

 だがなのはにとって重く響いたのはすずかの台詞の後半部分ではなく、前半の部分だった。先ほどまで気圧され気味のなのはだったが、すずかの言葉を聞き、その視線を強く細める。

「どうしてそんなことを言うの? すずかちゃんに何かあったら皆、悲しむんだよ。忍さんやアリサちゃん、それにわたしだって。それなのに『私はいい』だなんて言わないで!」

 キッとすずかを見つめながら、なのはは力強く言う。アルフから魔法少女について聞いていたなのはは、自分とすずかの違いをきちんと理解していた。自分は魔導師、別に魔女と積極的に戦っていく必要性はない。それに対してすずかは魔法少女、先ほどのような魔女と戦う存在だ。もちろんジュエルシードの思念体と戦う自分にだって全く危険がないとは言い難い。だが実際に魔女と戦ってみて、その危険度は天と地ほどの差があるとなのはは実感していた。

 だからこそすずかの言葉が許せない。彼女の言葉はまるで、自分はどうなってもいいと言っているように聞こえた。戦い方もそうだ。傷を負いながら敵に近づき一刀両断する。親友がそんな覚悟で戦いに臨んでいることをなのはにはとても許容できなかった。

 しばらく睨み合う二人。その均衡が崩れたのは、突然すずかが身体をよろめかしたからだ。倒れそうになったすずかをとっさに支えるなのは。すずかは目を開けてはいるものの、その焦点は合っていなかった。さらに彼女の身体に無数に存在する傷。浴衣に隠れて見えない部分もあるが、その生地はところどころ赤く滲んでいた。その一つひとつがラウラとの戦いですずかが受けた傷なのは間違いなかった。

「ユ、ユーノくん、すずかちゃんが……」

「うん、わかってる」

 それに気付いたなのはが悲痛そうな声でユーノに声を掛ける。それを聞くのと同時に、ユーノはすずかに対して回復魔法を掛けた。なのははすずかを気遣うようにその場で寝かせる。

 すずかはおぼろげな意識の中で、彼女の手のひらに目がいった。ジュエルシードを封印するために血まみれになったなのはの両手。傷が塞がっておらず、まだ傷口からじわじわと血が溢れ出ている。その臭いがすずかの嗅覚を刺激し、夜の一族の本能である吸血衝動を呼び覚ます。



 ――嗚呼、血が飲みたい。



 混濁する意識の中で、すずかが思ったのはただ一つの欲求だった。自分の腹を満たしたい。失った血液を取り戻したい。目の前にある極上の血液にむしゃぶりつきたい。

 もし彼女がラウラとの戦いで血を失い過ぎなければ本能が呼び覚まされることもなかっただろう。もしなのはの手のひらが血まみれでなければ、すずかは理性で本能を押さえつけることができていただろう。だがその二つが重なったすずかは、理性の箍が外れてしまう。彼女の脳裏にはただただ血が飲みたいという欲求で支配された。

「ねぇ、こっちを見て」

 幸か不幸か今のすずかは血を流し過ぎたため自分から襲いかかることはできない。だからこそ、彼女はか細い声で呼びかける。その瞳はうっすらと赤みを帯びていた。

「どうしたの、すずかちゃ……」

 すずかの声に素直に顔を向けるなのは。だが彼女の目を見た途端、なのはは力なくすずかの上に倒れ込む。それは夜の一族が持つ魔眼の力だった。夜の一族は魔眼で強力な暗示を掛けることができる。本来は一族の秘密を知った一般人や外敵の記憶を消すことに使われるが、すずかにはまだそこまで魔眼を使いこなすことはできない。精々、対象の意識を失わせることができるだけだ。

 だが今はそれで十分だった。彼女の身体が、首筋が自分の口のすぐそばまで寄ってくれればそれでいい。あとは重たい身体を動かして、柔らかそうな肌に齧りつけばいいだけだ。

 目の前に転がる結構の良い肌を見て、すずかは無意識のうちに唇を舐める。飲む前から目の前の少女の血液は極上なものだと、すずかの本能が訴えていた。とびきりの魔力を持つ若い少女の穢れのない血液。そんなものが目の前に差しだされたとしたら、どんな吸血鬼でも我慢できるわけがない。彼女の血液は誰にも譲らない。彼女は、なのはは自分だけのものだ。

(なのは、ちゃん?)

 なのはの首筋に牙が触れるか触れないかという時、すずかはふいに正気を取り戻した。そして自分がやろうとしていたことを思い出し、ゾッとする。

 すずかはなのはの血を吸うつもりだった。すずかはなのはの血を吸い尽くすつもりだった。すずかはなのはのことをただの餌としか見ていなかった。



 ――すずかはなのはが死んでしまっても構わないと思っていた。



「いやっ、いやっ、いやぁぁぁぁああああッ!!」

 自分のおぞましい思考に気付いたすずかは慌てて飛び起きる。彼女の身体の上に横たわっていたなのはは、その衝撃で地面に頭から顔をぶつける。その痛みで目覚めたなのはは、目の前で錯乱しているすずかの姿を見て驚いた。

「すずかちゃん、どうしちゃったの!?」

 自分の意識がなくなっていたことなど疑問に思わず、なのははすずかに駆けより落ち着かせようとする。だがすずかには周りの状況がきちんと把握できていないのか、ただその場で暴れまくるだけだった。その拳がなのはの頬に偶然ぶつかる。不意の出来事に対応できなかったなのはは、その場で尻もちをつくように倒れる。

 そんななのはと視線が合うすずか。すずかの瞳はまるで電球が切れかけているかのように点滅していた。いつものすずかが見せる優しい黒い瞳。魔力を帯びた赤い瞳。それが不規則に点滅している。

 そんなすずかの視線は自分が殴ってしまった彼女の頬に釘づけだった。仄かに赤く染まっているなのはの右頬。それをやったのが自分だと、すずかははっきり自覚していた。……自覚していたからこそ、彼女はこの場に留まっていることはできなかった。

「すずかちゃん、どこ行くの!?」

 なのはの制止の声を振り切り、すずかは脇目も振らず森の奥へと走り去っていく。その背中を追おうとしたなのはだったが、どうやら突き飛ばされた時に足を捻ってしまったらしい。痛みに耐えながらなのはが立ち上がる頃には、すでにすずかの姿はその場から見失ってしまっていた。

 その後のことはすずかにもよく思い出せなかった。ただ気がついた時、すずかは自分の部屋のベッドに寝かされていた。目が覚めたすずかを強く抱きしめる忍。その脇ではファリンも涙を流して喜んでいる。ノエルはほっとしたような笑みを浮かべていた。

 ユーノの治癒魔法が効いたのか、すずかには目立った外傷はない。だが見えないところ、彼女の心は酷く傷ついていた。目の前で繰り広げられている光景がまるで夢か幻のような感覚でしか見ることができなかった。そうして唐突に思い出される自分の凶行。未遂に終わったとはいえ、自分がなのはを傷つけた事実には変わりない。

 突然暴れ出したすずかを慌てて抑える忍たち。キュゥべえと契約したことで身体能力を大幅に向上させたすずかを押さえつけるのは、三人がかりでも一苦労だった。忍は魔眼を使い、ノエルやファリンは自動人形としてのスペックをフルに使い、無理やり組み敷いた。

 しばらくして落ち着きを取り戻したすずかは、部屋の惨状を見て驚き、再び自分が大切な人を傷つけてしまったことを自覚した。

 そうして彼女は心を閉ざした。

 そのためすずかは学校はもちろん、屋敷の外に出ようともしなかった。多くの時間をベッドの中で過ごし、部屋の外に出る時もなるべく忍たちに会わないようにしていた。ノエルやファリン、時には忍が彼女の部屋に食事を運んでくるもほとんど口にすることはなかった。しかし血液パックだけは毎晩、こっそり部屋を抜け出して最低でも一袋は飲むようにしていた。身体の中に血液が満たされていれば、今後なのはたちを襲うことはないと信じて。

 そうやってほとんどの時間を一人で過ごしていたからこそ、すずかは見過ごしていた。すでに彼女の瞳は、その意思に関係なく赤く染まるようになっていることに。そしてソウルジェムの穢れる速度が徐々に増していることに……彼女はまったく気づいていなかった。



     ☆☆☆



 ケータイのアラーム音が鳴り、高町なのはは気だるい身体をベッドからゆっくり起こしていく。そのまま部屋を出て、洗面台に向かったなのはは、鏡に映る自分の顔を見た。なのはの顔には落ち込んでいる、思い悩んでいるといった感情がありありと現れていた。

 すずかと同じく、彼女が悩んでいるのは温泉旅行の夜の出来事だ。初めて出会った魔女という存在。そしてそれと戦う親友、月村すずか。それだけでもなのはの悩みは尽きないのに、彼女にはもう一つ考えなければいけないことがあった。

 すずかが走り去っていこうとした時、なのはは意地でもその背中を追っていくつもりだった。自分を突き飛ばした時に見せた彼女の表情。あんな顔を見せられて、なのはは放っておくわけにはいかなかった。それが親友ならなおさらだ。

「レイジングハート、お願い」

 だからこそなのはは、自分のデバイスに祈る。足がまともに動かせないなら飛んで追いかければいい。見失ったのなら、すずかの残した魔力を辿っていけばいい。ラウラとの戦いで一番ダメージが少ないなのはには、それぐらいのことを行える魔力は残されていた。

「なっ、なにをするんだっ!」

 しかしいざ追いかけようとしたなのはだったが、背後から聞こえてきたユーノの叫びに中断させられる。見るとユーノはアルフの魔力弾で吹っ飛ばされていた。なのははとっさにユーノと木の間に入り、その身体を優しく受け止める。

「大丈夫、ユーノくん。何があったの?」

「ありがとう、なのは。実は……」

 ユーノが事情を説明する前に、アルフはその場に落ちていたジュエルシードを掴み取る。その背にはフェイトの姿もあった。

「フェイトを助けてくれたことには感謝してる。でもこいつはあたしたちがいただいていくよ」

 有無を言わさない迫力を見せるアルフ。なのははその姿を見て、アルフとジュエルシードを巡って争っていたことを思い出す。

「待ってください。ジュエルシードは危険なものなんですよ。それにその子の治療がまだ……」

 事情を察したなのはは、アルフに背負われているフェイトの方を見て叫ぶ。すずか同様、彼女もまたその身体に多くの傷を残していた。

 杏子との戦い、ラウラとの戦い、そしてジュエルシードの強制封印。フェイトがこの夜の間に行った三つの行動。例え優秀な魔導師だとしても、九歳の子供が行うには過酷すぎた。

「……その気持ちだけはありがたく受け取っておくよ」

 なのはの言葉に少しだけ心が揺れたアルフ。ジュエルシードのことを考えなければ、なのはの言う通りこの場でユーノの治療を受けさせた方がフェイトのためなのだろう。だがそうして油断している隙に管理局に通報でもされたら、目も当てられない。目の前の相手を確実に信用できない以上、アルフは一端引いて、時の庭園で治療を受けさせるべきだと考えた。

 アルフはフォトンランサーで地面を抉り、土煙を巻き上げる。突然のことに反射的に目を閉じてしまうなのはとユーノ。その隙にアルフはフェイトを連れて離脱した。

 その場からアルフたちの姿がなくなっていることに気付いたユーノは、すぐに周辺に対して探査魔法を使用する。

 一方、なのはは二人に気を取られて忘れていたすずかのことを思い出す。だがすでに彼女の姿も周囲にはなかった。先ほどの様子から森の奥に入ってしまったのだろう。

「ユーノくん、あの人たちだけじゃなくてすずかちゃんも探して。お願い」

「……わかった。やってみる」

 なのはの願いも聞き入れ、二人だけではなくすずかも同時に捜索するユーノ。だがいくら探してもその行方が掴むことはできなかった。逃に徹しているアルフたちはともかく、すずかまで見つけることができなかったユーノは、非常に心苦しい思いだった。

「ごめん、なのは。今日のところは一端、皆のところに帰ろう。すずかももしかしたら先に帰っているかもしれないし」

「……うん。そうだね」

 暗い表情で頷くなのは。なのはにはユーノが言っていることが気休めだと薄々わかっていた。おそらくユーノはジュエルシードを持ち去ったアルフたちを主として探したのだろう。しかしなのはには彼女たちよりすずかのことが気になっていた。

 魔法少女となってしまったこともそうだが、突き飛ばされた時に見せたすずかの表情。それがなのはの脳裏に焼き付いて離れなかった。瞳の色が点滅していたのも気になったが、それ以上に彼女の表情が印象的だった。まるで何かを恐れているような表情。そして脇目も振らず逃げ出すように駆けていった後ろ姿。とてもただごとだとは思えなかった。

「なのは、どこ行ってたの!?」

 そんなことを考えているうちに旅館の客室まで戻ってきたのだろう。なのはに向かってアリサは怒った様子で駆けてくる。部屋の中には案の上、すずかの姿がなかった。だがそれだけではなく、士郎や恭也を始めとした人々の姿も見当たらなかった。客室の中にはアリサを除くと他には桃子しかいなかった。

「ごめんね、アリサちゃん。ユーノくんが突然走りだしちゃって……。ところで他の皆は?」

「他の皆はなのはたちのことを探しに行ってるわ」

 ゆっくりとした足取りで近づいてきた桃子がなのはにそう告げる。その顔を見て、なのはは怒られることを覚悟した。普段はぽややんとした雰囲気を醸し出す桃子だが、今はとても真面目な顔をしてなのはのことを見下ろしていた。こんな母親の顔、士郎が事故に遭った直後以来見たことがない。

「お母さん、ごめんなさ……い」

 だからなのはは桃子が怒る前に素直に謝った。だがそんななのはを包み込むように桃子は優しく抱きしめた。

「本当に心配したのよ。なのはが無事でよかった」

 なのはの耳元で告げられる桃子の言葉。その言葉が嬉しいと同時になのはの心はチクリと蝕んだ。自分を心配してくれている人たちに嘘をつかなければならない申し訳なさ。全てを話してしまいたいが、ジュエルシードだけではなく魔女のことを知った今では、なおのこと話すわけにはいかなかった。

 高町家は翠屋を経営する裏で剣術の道場も持っている。師範の士郎の元に集う門下生は恭也と美由希だけだが、素人目に見ても彼らが常人から逸脱した強さを持っていることをなのはは知っていた。そんな自分の家族なら、事情を説明すればまず間違いなく手伝いを申し出るだろう。

 だが彼らは強いといってもただの人間なのだ。そんな彼らを魔女やジュエルシードといった人外の化け物との戦いに巻き込むわけにはいかなかった。

「ごめん、なさい」

 だからなのはは謝ることしかできなかった。皆を心配させてしまったこと。本当のことを話すことができないこと。その複雑な思いが絡み合い、彼女は心の底から謝り続けた。

 謝っているうちになのはは、すずかの気持ちを少しずつではあるが理解していった。魔女は危険な存在、放っておいたら誰かが危険な目に遭うかもしれない。だからその前に自分が魔女と戦って皆を守る。

 魔女とジュエルシードという違いはあれど、その思い自体はなのはの戦う理由と全く同じものだった。だからこそ、危険な戦いの場に守るべき相手が現れ、気づかないうちから共闘していた。それがなのはにとってはショックであり、すずかにとってもショックだったのだ。

 それでもすずかの言い分は許せるものではない。なのはにも皆を守れる力がある。それは一緒に戦ったすずかも知っているはずだ。にも関わらず、すずかはなのはにこれ以上の戦いを望まなかった。自分一人で戦うと告げたのだ。その気持ちはわからなくもないが、それでもすずかが「自分と一緒に戦おう」と言ってくれなかったことがなのはには悲しかった。

 戦わずに済むならそれに越したことはない。でも今はジュエルシードと魔女、放っておいたら危険な存在が二つもあるのだ。それなのに頼って貰えなかったことがなのはには、ただただ悔しかった。

 だからすずかが帰ってきたら今までの事情を全て話し、一緒に町を守ろうと言うつもりだった。最初のうちは反対されるかもしれないが、すずかなら話せばわかってくれる。なのははそう確信していた。



 ――だがその後、なのははすずかに会うことができなかった。



 あの後、なのはが見つかったことは桃子のケータイから士郎たちに伝えられたが、彼らはそのまますずかの捜索を続けた。結局、すずかが見つかったのは朝方になってからだったが、忍の判断で彼女はそのまま月村の屋敷に連れ戻されたのだという。

 その時は学校が始まればまたすずかに会えると思っていた。だが学校が始まってもすずかが登校してくることはなかった。アリサと二人ですずかのことを心配して電話もしてみたが、忍の口から「体調を崩している」と聞かされただけですずかと話すことすらかなわなかった。

(だけど、わたしはすずかちゃんときちんとお話したい。いったいどうすればいいんだろう?)

 鏡の前でなのはは悩む。おそらくすずかが登校してこないのは体調を崩しているわけではない。単純に自分と顔を合わせたくないのだ。だから何も考えずにお見舞いに尋ねても、きっと会うことはできないだろう。

「なのは~。早く支度しないと遅刻するわよ~」

「わかった~」

 リビングの方から桃子の声が聞こえてくる。うっかり鏡の前で考え込んでしまっていたらしい。なのはは一端、すずかのことを頭の隅に追いやり、顔を洗い始めた。



     ☆☆☆



「いい加減にしなさいよ!」

 昼休み、教室内にアリサの怒声が響き渡った。それはなのはに向けられて発せられたものだった。その声に教室内に残っていた生徒の視線がアリサたちに集中する。そんな視線をものともしないように、アリサは怒鳴り続ける。

「こないだっから何話しても上の空でボーっとして」

「ごめんね、アリサちゃん」

「ごめんじゃないわよ。すずかのことが心配なのはわかるけど、それにしたって最近のあんたはボーっとし過ぎよ。あたしと話しているのがそんなに退屈なら一人でいくらでもボーっとしてなさいよ」

 言いたいことを言い終えたアリサは、一人で弁当箱を持って教室の外に出ていく。そのまま屋上に上がると、誰も座っていないベンチに腰掛ける。座りながらアリサは先ほど、いきなり怒鳴りつけたことを反省していた。

 こういう時、すずかがいれば二人の間に入って宥めようとしてくれるだろう。だがすずかはいない。彼女とは温泉旅行に行って以来、一度も会うことができなかった。

 アリサにとってあの温泉旅行は一生の思い出にもなりかねない大切な旅行になるはずだった。家族以外の人と初めての泊まりがけの旅行。仕事が忙しく来れなかったアリサの両親。その代わりに士郎や桃子、忍といった保護者の元、親友三人で堪能する楽しい旅行になるはずだった。

 楽しい旅行が終わりを告げるきっかけとなったのは、すずかが忍に呼び出されたことだった。部屋に残った恭也に話を聞いてみると、すずかが最近、夜中に無断外出しているという。その話を聞いて、アリサは少しでもすずかのために何かしたいと思った。だからこそ彼女は、忍との話を終え戻ってきたすずかを問い詰めるつもりだった。

 しかし彼女は忍との話の途中でどこかに行ってしまったらしい。忍がすずかを止めなかった理由はわからない。だが遅くとも朝には戻ってくるのだ。その時に問いただせばいい。それまではなのはとすずかについて相談でもしていよう。そう楽観的に考えていた。

 だがいつの間にか、なのはの姿もなくなっていた。皆が目を話したほんのわずかの時間、その間に客室からなのはの姿が忽然と消えたのだ。

 すずかのこともあったせいか、大人たちは過敏に反応したのだろう。すぐになのはの捜索に向かうことが決まった。アリサもなのはやすずかのことを探しに行きたかったが、子供であるというただそれだけで桃子と共に居残りを言い渡された。

 ただ待つだけというのがこれほど苦痛だとは思わなかった。できることといったら桃子と話をして気を紛らわすことぐらい。だが話せば話すほど二人のことが気になってしまう。それは桃子も同じだったようで、気がついたら二人の間で言葉が交わされることはなくなっていた。

 そんな静寂を破ったのは、なのはが一人で戻ってきたことだ。

「なのは、どこに行ってたの!?」

 頭から考える前に言葉が出ていた。気づいた時にはなのはに向かって駆け寄っていた。二人には帰ってきたら文句を言ってやるつもりだった。だが彼女の無事な姿を見た瞬間、その言葉は全て吹っ飛んでしまった。ただただ、なのはが戻ってきたことに対して喜んだ。

「ごめんね、アリサちゃん。ユーノくんが突然走りだしちゃって……。ところで他の皆は?」

 申し訳なさそうにそう告げたなのはは、部屋を見回しながらそう尋ねてくる。

「他の皆はなのはたちのことを探しに行ってるわ」

 その返答をしたのは桃子だった。桃子が近づいてきたことを察し、アリサはその場を彼女に譲る。なのはに言いたいことはたくさんある。でも今、この場は桃子に譲るべきなのだ。数時間、二人だけで過ごしていたからわかる。桃子が心の底からなのはのことを心配していたことを。本当は誰よりもなのはのことを探しに行きたがっていたことを。

 そんな彼女の想いをぶつけるように、桃子はなのはを優しく抱きしめた。

「本当に心配したのよ。なのはが無事でよかった」

 その言葉が桃子の想いの全てだった。ただ黙ってじっと待ち続けた桃子が見せる安堵の表情。それを受け止めるなのはの申し訳なさそうな表情。それを見てようやくアリサはほっとした。後はすずかが戻ってくれば明日からまた、楽しい温泉旅行の続きが行える。そう思っていた。

 しかしすずかが旅館に戻ってくることはなかった。朝方に見つかったすずかは忍の判断で屋敷に連れ戻された。それに不満を覚えたアリサだったが、それでも学校が始まれば元の日常が帰ってくると信じていた。どこかなのはが落ち込んでいる様子も気になったが、それも昨夜のことが尾を引いているだけですぐに元の元気な姿を見せるはずだ。だからアリサはそんな二人の分まで努めて明るく振る舞った。

 ……しかし時が過ぎてもアリサの思い描いた未来にはならなかった。学校が始まってもすずかは登校してこない。なのはも日に日にため息の数を増やしていく。この時になってアリサはようやく、あの夜、なのはがすずかと外で会ったことに気づいた。そこで何かがあり、すずかが学校に来なくなり、なのはの元気がなくなったのだ。

 そう当たりを付けたからこそ、二人に対してアリサは苛立ちを募らせた。何故、二人とも自分に相談しないのか。相談してくれれば一緒に悩んであげることぐらいはできる。もしかしたら一気に解決させてあげられるかもしれない。それなのに二人は一向に悩みを話す気配はない。なのはは常に上の空で、すずかに至っては電話にも出ないし、メールの返事もよこさない。

 アリサは屋上の扉をチラチラと目線を送る。もしかしたら怒ったなのはが自分を追い駆けてくるかもしれない。喧嘩になるのは嫌だが、それでも今の落ち込んでいるなのはの姿を見るよりはマシだ。しつこいぐらいに扉の方に目線を送るアリサだったが、一向に姿を現す気配がなかった。

 来るかどうかわからないなのはを待っていては昼休みが終わってしまう。アリサは仕方なく弁当のふたを開けると、一人で弁当を口にする。

(……不味い)

 いつもは冷めていてもとても美味しく感じるお弁当。だが今日はひんやりとした触感がアリサを不快に思わせた。だがアリサは昔、この味の弁当を毎日のように食べていた。

 それはなのはやすずかと仲良くなる前のことだ。二人と仲良くなる前、アリサは一人、孤立していた。その主な原因は彼女の容姿だろう。子供というのは無邪気だが、時としてそれが残酷でもある。アリサ・バニングスという名前の通り、彼女は外国の血が流れている。母親こそ日本人ではあるものの、彼女は父親の血が色濃く出てしまった。綺麗な金の髪に日本人よりも白い肌。大人になれば美人になるのは間違いないが、子供は自分たちとは違う存在を受け入れない。そのため彼女は保育施設に預けられていた時も一人で過ごすことが多かった。

 それでもアリサの方から歩み寄ろうとすれば、その状態はすぐに打開されただろう。しかし彼女は大会社の社長令嬢である。幼いながらにそのことを理解していたアリサは、無駄にプライドが高かった。何でも自分の思い通りにならないと気が済まない高飛車な性格。今でこそ他人を思いやる心を持ったアリサだったが、幼い頃は本気で自分を中心に世界が回っていると思っていた。だからこそ彼女は周りの子供が自分より低レベルだと決めつけ、自ら接しようとは思わなかった。

 そんな高飛車な性格のまま小学校に入学したアリサは、やはり一人で過ごすことが多かった。初めのうちはクラスメイトに声を掛けられるも、アリサはまともに相手にしようとはしなかった。そうしているうちにクラスはいくつかのグループに別れて、大多数の生徒はどこかしらのグループに所属していた。そんな中で自分と同じように孤立している存在が一人だけいた。それが月村すずかである。

 休み時間になると決まって本を読み、誰かに誘われてもやんわり断る物腰が穏やかな少女。だがその節々に感じる他人を拒絶する態度。そんな部分が自分に似ていると感じたアリサは、気がついたらすずかのことを目で追うようになっていた。そこから実際に話してみたいと思うまで、大した時間はかからなかった。

 だがここで問題なのは、どうやって声を掛けるかである。普段、周りの子供をあしらい続けたアリサにとって、自分から誰かに声を掛ける方法がまるでわからなかった。

 そんなアリサの目に留まったのは、彼女がいつも付けているカチューシャ。特に何の変哲もないカチューシャだが、毎日つけてきているということはきっとお気に入りなのだろう。そこから話を広げればいい。そう決意したアリサはすぐに行動に移した。

「ねぇ、そのカチューシャ貸しなさいよ」

 だがアリサは言葉を知らなかった。家族以外とコミュニケーションを取ることがなかったアリサの言葉は傍若無人で唯我独尊だった。

「いや」

 仲の良い相手ならともかく、この時の二人はただのクラスメイトという間柄だ。さらにすずかのカチューシャは両親からプレゼントされた大切な物。それを貸すという選択肢はすずかの中には存在しなかった。だから彼女は手にした本から視線を移すことなく、アリサの命令を断った。

 それに激高したのはアリサである。アリサは今まで、欲しいものはなんでも手に入れてきた。アリサが頼めばバニングス家に仕える使用人は何でも用意した。だからこそ彼女は、自分が頼めば誰もがそれを渡すと考えていた。彼女にとって物事を断られるのは想定外のことだったのだ。

 アリサは実力行使に出る。すずかの頭からカチューシャを奪い取ると、そのまま走り出す。

「返してっ」

 大事なカチューシャを取られたとなっては、無視するわけにはいかない。すずかは慌ててアリサの背中を追う。そんなすずかの様子がアリサにはとても面白おかしく思えた。こんなどこにでもあるようなカチューシャを取り戻すために彼女は必死で追い掛けてきている。その様がとても滑稽でアリサは当初の目的を忘れてすずかをからかって遊ぶことにした。

「アハハ。返して欲しかったら力づくで奪い取りなさい」

 すずかを翻弄するようにカチューシャを彼女の目の前で左右に動かす。それに掴みかかるようにするすずかだが、アリサは寸前のところで避けていく。



 そうして楽しくなっていたアリサは、自分の傍に近づいてくるもう一人の影に気がつかなかった。



 辺りに響く乾いた音。その音が自分の頬がぶたれた音だと気付くのにアリサは数刻の時間を要した。叩いたのは栗色の髪をしたクラスメイト、高町なのはである。

「な、何するのよ!」

 赤く腫れた頬を抑えながらアリサはなのはに向かって叫ぶ。そんなアリサに対して、なのはは涙を浮かべながら悟らせるように口にした。

「痛い? でも大事な物を取られちゃった人の心はもっともっと痛いんだよ」

 その言葉はアリサの心にとても響いた。自分が思いついたこともない考え方。それがアリサには新鮮だった。

 ……だが、それだけだ。いきなり叩かれたアリサはなのはの言葉に耳を貸さず、彼女に掴みかかる。互いに叩きあったり、髪の毛を引っ張り合ったり、二人は激しい争いを始める。

「止めて!」

 しばらく喧嘩し合っていたアリサとなのはだったが、それを止めたのは意外にもすずかだった。そこでようやく担任がやってきて、喧嘩を諫めた。そのことがきっかけで三人は互いに意識し合い、気づいた時には親友と呼べる間柄になっていた。その関係はあれから二年経った今でも続いている。

(昔のことを思い出すなんて、どうかしてるわね)

 アリサはいつもより不味く感じた弁当を食べ終わると、ベンチから立ち上がる。結局、なのはが屋上にやってくることがなかった。すずかに至っては学校にすら来ていない。これで自分まで落ち込んでしまったら、本末転倒だ。

 アリサは心底、二人に感謝していた。二人がいなければ、アリサは今でも昔のまま、他人を寄せ付けない嫌な子供だっただろう。今でもクラスの中で浮いた存在だっただろう。きっとお昼に弁当を美味しいと感じることもなかっただろう。

 だからこそ、そんな二人が困っているのなら絶対に助けなければならない。そうでなければ、二人の親友を名乗る資格はない。

(待ってなさいよ。なのは、すずか。このアリサちゃんが二人の悩みを丸ごと解決してあげるんだから)

 アリサは決意新たにまずは、どうやって二人の悩みを突き止めるかをチャイムが鳴るまで考え続けるのであった。



2012/8/5 初投稿



[33132] 第6話 錯綜し合う気持ちなの その2
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/08/15 02:24
 ラウラとの戦いから翌日、時の庭園の医務室内で、アルフは心配そうな表情でフェイトの寝顔を眺めていた。なのはたちを巻いたアルフはその足で時の庭園に戻り、フェイトを医務室に運び込んだ。医療知識のないアルフだったが、システムのアナウンスに従い、精一杯フェイトの治療を行った。その甲斐があってか、今は安らかな顔で眠っている。目を覚ますまで時間の問題だろう。

『……アルフ』

 アルフは身体を休めつつフェイトを眺めていると突然、ディスプレイの向こうから呼びかけられる。それは時の庭園の主でありフェイトの母親であるプレシア・テスタロッサからだった。

「なんだい」

 プレシアから話しかけられたアルフはあからさまに顔を顰める。アルフはプレシアのことが嫌いだ。

 アルフにとって母親とは、何があっても子供を守るものだと思っていた。フェイトの使い魔になった当初は、顔を見せることは少ないが、フェイトが語り聞かせる優しいプレシアのエピソード。それにリニスの存在もあり、きちんとフェイトのことを気に掛けている立派な母親だと思っていた。

 しかしリニスがいなくなってから次第に見せ始めるプレシアの本性。フェイトが何か失敗するたびに罵声を浴びせ、場合によっては鞭を振るう。任務を果たしたとしても特に褒めたりすることはない。それどころか休ませることもなく次の仕事に向かわせる。そんなプレシアのフェイトに対する所業はアルフにとって、とても許されたものではない。フェイトの前では口にしないが、内心では「鬼婆」と思っていた。

『どうして戻ってきているの? まだ定期報告の時期ではなかったはずよ』

「フェイトが大怪我をしたんだ。その治療に戻ってきたんだよ」

『……そう』

 フェイトが怪我をしたというのに、眉一つ動かさないプレシアにアルフは怒りを心頭させる。

「……他にも何か言うことがあるんじゃないのかい」

『そうね。アルフ、あなたは先に第97管理外世界に戻ってジュエルシードの捜索を行いなさい』

「はっ?」

 プレシアの口から出た言葉が、アルフには理解できなかった。アルフが想定していたのは、フェイトを心配する言葉だった。いくらプレシアが母親としては最低の部類だとしても、自分の知らないところで娘が怪我をして帰ってくれば、少しは心配するはずだとアルフは信じていた。だがそんなアルフの思いは予想外の形で裏切られる。

『聞こえなかったのかしら? それならもう一度言うわ。あなたは先に地球に戻ってジュエルシードの捜索を続けなさい。転移ポートはすぐにでも使えるようにしておくから』

 呆けているアルフに対し、プレシアはそう続けた。

「ちょ、ちょっと待ちなよ。あんた、フェイトの母親だろ。少しは心配してもいいんじゃないのかい!?」

 あまりにもプレシアが淡々とし過ぎているのを見て、アルフは慌てて指摘する。

『……心配してるわよ。フェイトは貴重な戦力だもの。だからこそ今すぐ叩き起したりしないで、目を覚ますまでは待ってあげようと思っているんじゃない』

「あ、あんたは……」

 プレシアの言い分にアルフは言葉が回らなかった。プレシアがフェイトに向けている感情は決して心配などではない。ただ冷徹に利用価値があるかどうかを見定めているだけだ。その上で傷が完治すれば、フェイトはまだ戦えるから今は寝かせておくと言っているのだ。

『でもアルフ、見たところあなたの傷なら十分、ジュエルシードを探しにいけるはずよ。何よりあなたはフェイトの使い魔なのでしょう? なら主が動けない間はその代わりに主のやるべきことを行う義務があるわ。フェイトのことは私が見てあげるから、あなたはさっさとジュエルシードを探しに行きなさい』

 プレシアの言い分も少しは理解できる。自分はフェイトの使い魔なのだ。主に命じられたことはきちんとこなさなければならない。しかしその前に、アルフはプレシアに言っておくことがあった。

「……プレシア、そもそもフェイトがどうしてこんなに大怪我して帰ってきたと思っているんだい?」

 その言葉にプレシアは少し考える素振りを見せる。

『大方、暴走したジュエルシードに巻き込まれたのでしょう』

 プレシアの推理は実に簡単なものだ。地球は管理外世界。つまり魔導師のいない世界だ。質量兵器は使われているものの、結界を張ってしまえばその中に追ってこれる者はいない。ならば原因は単純明快だ。例えプレシアでなくても、地球が何の変哲もない管理外世界だと思っている人物なら同じ結論を出しただろう。

「確かにそれもあるけど、それだけじゃない。あんた、あたしたちに言ったよね。地球は魔導師のいない管理外世界だって」

『そうね。それは間違いないはずよ』

「なのにどうして、あの世界に独自の魔法体系を持つ魔導師がいるんだい」

『……どういうこと?』

 アルフの言葉に初めてプレシアは驚愕の表情を浮かべる。地球出身の魔導師はミッドにもいる。しかしあの世界自体には魔法の技術そのものが存在しない。それは管理局のデータベースにも記載されている事柄なので、まず間違いないはずだった。

「言葉通りの意味だよ。地球はただの管理外世界じゃない。魔女と呼ばれる怪物と魔法少女と呼ばれる人間が戦いあっている危険な世界だったんだよ!?」

 そこまで言い切ったアルフは、いつの間にかプレシアを映していたディスプレイが消えているのに気づいた。話の途中で勝手に消えるなんて相変わらず身勝手な奴だ。そんな奴の命令なんて聞いてやる必要はない。そもそもアルフの主はフェイトなのだ。プレシアの命令を聞いてやる義理はアルフにはない。だからアルフはそのままフェイトの寝顔を見守り続けることにした。

 だがそれも数分も持たなかった。いきなり医務室の入口の扉が開くと、そこにはプレシアの姿があった。まさか直接やってくると思っていなかったアルフは、プレシアの姿を見て戸惑う。

 プレシアはそんなアルフを無視して、フェイトの眠っているベッドに歩み寄る。その顔を一瞥したプレシアの表情が、アルフには少しだけ曇ったように見えた。

「アルフ、バルディッシュはどこ?」

 だがそれも一瞬のことで、すぐにプレシアの表情が普段の仏頂面なものへと戻る。アルフは無言で部屋の脇にあるテーブルを指差した。傷一つないバルディッシュが置かれていた。プレシアはそれを手にすると、医務室から出ていこうとする。

「ちょ、ちょっと、バルディッシュをどこに持っていこうっていうんだい?」

「少し、あなたの言葉を確かめるだけよ」

 バルディッシュをはじめとするデバイスには映像を記録する機能を持っている。ストレージデバイスなら魔導師の意思を介さなければ記録しないだろうが、自分の意思を持つインテリジェントデバイスなら話は別だ。彼らは自分たちの判断で戦闘の状況を記録する。特にバルディッシュはプレシアの使い魔であるリニスが予算を気にせずに作り出した最高のデバイスだ。もしアルフの言うようなイレギュラーな事態が起こったのなら、その出来事を記録していないことなどあり得ないだろう。

「……あなたにもあとで確認することがあると思うから、フェイトの看病でもして暇を潰してなさい」

「えっ?」

 プレシアはアルフの方を向くこともなくそう告げると、医務室から出ていく。その意外な言葉にアルフはしばらくの間、呆気にとられるのであった。



     ☆☆☆



 自室に戻ったプレシアは、早速バルディッシュに記録された映像を見ようとする。だがその前に、フェイトが回収したジュエルシードを確認することにした。

「たった四つ。これはあまりにも酷いわ」

 バルディッシュから放出されたジュエルシードはプレシアが想定していた数よりも、遥かに少ないものだった。フェイトたちが時の庭園を出たのが約三週間前、もし地球がただの管理外世界だったらプレシアはフェイトに対して鞭打ちを行っていただろう。

 だがアルフの言葉を信じるのならば、地球には独自魔法体系があるのだという。それはプレシアの興味を十二分に惹きつけた。未知の魔法を知ることでプレシアの目的を叶える手がかりが見つけられるかもしれない。だからこそ、彼女はアルフに待機を命じたのだ。

「さぁバルディッシュ。見せてごらんなさい。あなたが地球に行ってから見た光景、その全てを」

 プレシアの魔力が込められたバルディッシュは、記録されていた映像を順に映し出す。見滝原に降り立ち、現地の魔法少女と共に魔女シャルロッテと戦ったこと。海鳴市に行きすずかを助けるために魔女バルバラと戦ったこと。ジュエルシードを巡って魔法少女である杏子と争ったこと。一度は出し抜かれた杏子からジュエルシードを奪い返したこと。他の魔導師や魔法少女と共に、強大な力を持った魔女ラウラを撃破したこと。

「……どうやらアルフの話は嘘ではないようね」

 映像を見終えたプレシアは小さく呟く。しかしその内心では驚きの連続だった。

 違法研究に身を置いているプレシアには、裏の世界に精通している情報屋がいる。彼女は自分の研究材料となり得る存在を、そういった情報屋に探らせていた。ジュエルシードの情報もそんな情報屋の一人から買い取ったものだった。地球についてはちゃんとした情報を買ったわけではなかったが、それでも何か普通ではない存在がいれば情報屋はそういった存在を臭わせ、さらに金を毟り取ろうとしたはずだ。だがジュエルシードの情報を売ってきた情報屋からはそういった素振りは全くなかった。つまりその情報屋は本当にこの情報を知らなかったのだろう。

 また管理局もそれは同じだ。プレシアの知る管理局が地球にこのような技術があることを知って放っておくはずがない。いくら極秘裏で地球の魔法少女と接触したとしても、必ずどこかから情報が漏れるはずだ。つまり管理局もここに映されている存在を知らないということになる。

(……まぁそんなことはどうでもいいわ)

 プレシアはバルディッシュに記録された映像を操作し、ある人物の姿を映す。いや、それは決して人ではない。白い体毛に赤い瞳、プレシアが映したのはキュゥべえの姿だった。映像の中のキュゥべえはフェイトたちに対してこう口にする。

「ボクはどんな願いでも一つだけ叶えてあげられる。その代わりにその後の人生は魔女との戦いに身を置いてもらうことになるけどね」

 この発言で重要なのは「どんな願いでも一つだけ叶えてあげられる」という部分。その言葉はプレシアにとってとても魅力的なものだ。もし事実ならば、今までプレシアが行ってきた研究内容をすべてすっ飛ばし、彼女の目的を達成することができる。

 しかしプレシアはキュゥべえの言葉をそのまま鵜呑みにしなかった。

 そもそも彼女がフェイトに命じて集めさせているジュエルシードにも使用者の願いを叶える作用がある。酷く不安定なのでとても使えたものではないが、膨大な魔力を秘めている分こちらの方が汎用性に長けると言えるだろう。

 だがもしキュゥべえの言葉が事実だとしたら……。プレシアは映像を操作し、魔女バルバラとの戦いをディスプレイに表示する。月村すずかという名の現地住民。彼女を助けるために、フェイトは自分の身を危険に晒した。バルバラの蔦に捕らわれ、その中で意識を失うフェイト。その暗闇が光に照らされた時、ただ守られているだけのすずかが強大な力を発していた。先ほどまで魔力の反応がまるで感じられなかったすずかから、あれだけの力が発揮される。あれがキュゥべえと契約し、魔法少女になるということなのだろう。

 肝心な部分を見ることができなかったのではっきりしたことは言えないが、キュゥべえの言が本当ならフェイトが捕らわれている間にすずかの願いを叶えたということになる。そしてそれを目撃している人物が、当事者以外に一人だけいた。

 それを問いただす前に、プレシアは最後に気になった部分を表示させる。それは旅館内で佐倉杏子という魔法少女と向かい合っている時に見せたアルフとキュゥべえのやり取りだった。

「……あんたもジュエルシードを狙ってたっていうのかい?」

「そういうことになるね」

 キュゥべえがジュエルシードを狙っている事実。さらに……。

「……魔法少女になった奴は不幸になる。そんな責務、ゆまに負わせたくない」

 杏子が頑なに千歳ゆまを魔法少女にしたくないと主張している点。その二つがプレシアには引っかかった。

 キュゥべえがジュエルシードを狙っている点については検討もつかないが、ゆまを魔法少女にしたくないという杏子の心情はある程度、推測できた。つまり魔法少女になることで、なにかしらのデメリットがあるのだ。彼女が口にしていた一生魔女と戦い続けなければならないというのもその一つだろう。だが果たしてそれだけなのだろうか? なにせ好きな願い事をかなえて貰うのだ。代償がたったそれだけであるはずがないとプレシアは予測を立てていた。

 ある程度、今ある情報の考察を終えたプレシアは、改めて医務室に通信を繋ぐ。

『今度はなんだい?』

「バルディッシュに記録されている映像を見たわ」

『ならあたしが言ったことは本当だってわかっただろ』

「ええ、だけどいくつか確かめたい点があるから、今から言う質問に答えなさい」

 プレシアの妙な態度に、アルフは顔をしかめる。基本的にプレシアとアルフは直接会話しない。そもそもお互いに話すことはないし、たまに話すことがあったとしてもその間には必ずフェイトがいた。二人が一日の間にこれほど言葉を交わすのは、初めてのことかもしれない。

『……ま、まぁ、あたしにわかることなら』

 医務室から出ていく時に見せたプレシアの言葉も相まってか、アルフの言葉に込められた刺々しさが薄まっていた。そんなことに意を止めないプレシアは淡々とアルフに確認事項を口にした。

「アルフ、あなたは月村すずかがキュゥべえにどのような願いをしたか知っているかしら」

 その質問はアルフには想定外のことだった。何故、ここですずかの名前が出てくる。キュゥべえや杏子ならまだわかる。胡散臭い要素が満載のキュゥべえとジュエルシードを巡って敵対している杏子。どちらもアルフにとっては警戒対象だった。

 だがすずかは別である。彼女はジュエルシードを狙っていないし、何よりフェイトの命を救ってくれた。魔女ラウラとの戦いのときだって、彼女が自分の身を削る捨て身の攻撃を仕掛けなければ倒すことができなかっただろう。そんな相手に警戒心を抱くほど、アルフは疑り深い性格をしていなかった。フェイトの母親とはいえ、プレシアの方が信用できないくらいだ。

『えーっと、確か、私も強くなりたい、とかだったかな? 何でそんなことを知りたがるんだい?』

 だが特に黙っている理由もなかったので、アルフはその時の状況を思い出しながら答えた。
しかしその答えはプレシアの望むものではなかった。即物的な願いならすずかの周辺にサーチャーを飛ばすだけで確かめることができただろう。しかしすずかの願いは概念的なことだ。事実として確かに彼女は強くなっているが、それが願いを叶えた結果なのか、魔法少女になったからなのか、プレシアには判断のしようがなかった。

「キュゥべえがジュエルシードを狙う理由に心当たりはある?」

 アルフの疑問に答えず次の問いかけをしてくるプレシア。そんな態度にアルフは少し腹が立ったが、この程度の対応はプレシアなら仕方がないと自己完結した。むしろ普段よりもまだとっつきやすさがあるぐらいだ。

『そんなことあたしが知るわけないだろ。さっきからこんな話にどんな意味があるってんだい?』

 だからアルフも少しなれなれしくプレシアに口をきく。

「……使えない使い魔ね」

『なっ……』

 小声で呟いたプレシアの言葉はアルフの耳にもしっかりと届いていた。否、プレシアはわざとアルフに聞こえるようにそう口にしたのだ。アルフはすかさず言い返したが、プレシアはそんな言葉に耳を貸さず、通信を切った。

 他にもまだ確認したいことはある。だがその答えをアルフは持ち合わせていないだろう。そしてバルディッシュと常に行動を共にしていたフェイトもまた、プレシアの疑問に対する回答を持ち合わせていないはずだ。

 だがそれでも、フェイトが持ち帰った情報はプレシアに新たな可能性を見出した。管理外世界に存在した未知の魔法体系。何でも願いを叶える存在、キュゥべえ。絶望を撒き散らす魔女。それらの存在を知ることで、プレシアは自身の研究を完成させることができるかもしれない。もしくはそういった過程を飛ばして、キュゥべえに願いを告げるだけで彼女の生涯を賭けた目的を達成させることができるかもしれない。

「もうすぐよ。もうすぐ、あの子の笑顔を再び見ることができる。もうすぐあの子を自由にしてあげることができる。待っててね、私の愛しいアリシア」

 プレシアは誰にともなく呟く。その声はフェイトやアルフが今まで聞いたことのないくらい優しさに満ちていて、それでいて狂気的なものだった。



2012/8/12 初投稿
2012/8/15 台詞と字の分の行間が詰まっている箇所があったので修正



[33132] 第6話 錯綜し合う気持ちなの その3
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/08/15 19:17
 学校が終わり帰路に着いた高町なのは、どうにも家に帰る気分にならなかった。普段の彼女は寄り道なんて真似はしない。だが今の自分の暗い表情を想像し、それを家族に見せたくないと思った彼女は寄り道をすることにしたのだ。

 そうしてやってきたのは臨海公園。海の見えるベンチに座り、沈んでいく夕陽を眺めながらアリサとすずかのことを考える。自分とは違う形で魔法という存在に触れ、魔女と戦うすずか。自分のことを含めてすずかについても隠し事をしなければならないアリサ。そんな二人の親友のことを考え、なのはは心を痛めた。

 二人のことを色々と考えているうちに、なのはは三人が初めて話した日のことを思い出す。

 小学校に入学したてのなのはは、とても淋しがり屋だった。幼少期、士郎の事故で家族に構ってもらえなかった淋しさ。そんな家族のために自分ができる唯一のことが我儘を言わないことだけだった悔しさ。そうした二つの思いが幼い頃のなのはを支配していた。そのため士郎の怪我も完治し、家族がなのはに笑顔を向けるようになった頃には、孤独感が付きまとうようになっていた。

 士郎も桃子も恭也も美由希も声を掛ければ優しく笑顔で返事をしてくれる。朝御飯と夜御飯はいつも家族五人で食べている。それなのにも関わらず、なのははそんな家族の輪に入りきることができないでいた。それは彼女が家族の危機に直接立ち合っていないから。他の皆が協力して高町家を守ろうとしている中で、自分だけが役立たず。できることはそんな家族の足を引っ張らないことだけ。そうしている間にも自分以外の家族は絆を深めあっていた。だからこそなのはは、自分だけ取り残されてしまったと感じていたのだ。

 そのためなのはは、小学校では友達を作ることに躍起になっていた。誰に対しても笑顔を向け、誰に対しても優しく接する。そんないい子になろうとなのはは必死だった。

 だから気がついた時には、なのははほとんどのクラスメイトと交友を深めていた。そんな中で彼女がまだ一度もまともに話すことができないでいる人物が二人いた。それこそがアリサ・バニングスと月村すずかである。

 アリサはとても高圧的な態度をとる子だった。他のクラスメイトに話しかけられても自分目線でしか話すことができない。頼みごとをしようものなら、罵倒が返ってくる始末だ。

 すずかはその逆でとても静かなタイプだった。休み時間や昼休みは常に本に目を通している女の子。だがそれ故に、どんなタイミングで話しかければいいのか、なのはには掴むことができなかった。

 そんな二人に共通していたのは、仲の良いクラスメイトがいないことだった。アリサはあのような性格で他人を寄せ付けない。すずかは表面上は穏やかな態度をとっているが、自分からは誰かに話しかけようともせず、放課後も一人ですぐに帰ってしまう。だからだろうか、入学式から一ヶ月も経てば二人の周りにはほとんど人が寄り付かないようになっていた。

(どうして自分から他人を遠ざけるようなことができるんだろう?)

 彼女たちの周りに人が集まらなくなったのは、二人の態度が原因なのは明らかだ。だがなのはにはそんなことをする理由がまったく考えられなかった。彼女にとって孤独とは一番辛く悲しいことだ。あの時の悔しさ、そして淋しさは二度と感じたくない。だがアリサとすずかは自分からそうなる状況を作り出している。それがなのはには不思議でしょうがなかった。

 気がつくと、なのはは二人の姿を目で追うようになっていた。なのはは二人のことを放っておけなくなっていた。例え自分の意思で孤立しようとしているのだろうと、なのはにはそれを許容できない。だからなのはは二人とじっくり話してみたかった。それが仲良くなりたいと思うようになるまで、そんなに日数は掛からなかった。

 だが自ら孤独であろうとする二人には、そのきっかけを見つけることが難しい。だからなのはは可能な限り、二人の動向を伺っていた。

 そして二人と話す機会が巡ってきたのは、それから数日後のことだった。屋上のベンチで本を読んでいたすずか。そんなすずかに対し、アリサが近づいていき何かを話しかける。その光景はなのはにとって青天の霹靂だった。

 今、自分が一番気になっている二人。それが何かしらを話している。なのはが知る限り、二人は口をきいたことがないはずだ。そもそも孤独を貫き通していたアリサから声を掛けたこと自体、なのはにとってはショッキングな出来事だった。……しかしそれ以上にこれはチャンスだ。今なら二人の会話に自然に混ざることができるかもしれない。

 そう思った矢先、アリサがすずかが頭につけたカチューシャを奪う。

「返してっ」

「アハハ。返して欲しかったら力づくで奪い取りなさい」

 突然のことに一瞬、茫然としたすずかだったが、すぐにアリサからカチューシャを奪い返そうとする。そんなすずかの様子をさも滑稽だと言わんばかりの笑みを浮かべながら、アリサはかわし続けた。

 そんな二人の様子を見て、なのはの足は自然と速くなっていた。
なのはは他人の気持ちが理解できる子供だった。他人の気持ちが理解できれば、何をすれば喜ばれ、何をして欲しくないかがなんとなくわかる。それは必死で高町家を支えている自分以外の家族の気持ちを知るために身につけたなのはの処世術だった。

 だからこそなのはは二人の間に割って入り、アリサの頬を思いっきりぶっ叩いた。

 頬を抑えながら茫然とするアリサ。だがそれはなのはも同じだった。アリサの頬を叩いた手のひらはジンジンと痛む。ぶたれたアリサはもっと痛く感じているだろう。

「痛い? でも大事な物を取られちゃった人の心はもっともっと痛いんだよ」

 だがなのはには、この場で一番痛い思いをしているのは自分でもアリサでもなくすずかであると指摘した。それはなのはが過去に感じた経験則に基づく台詞だった。

 理不尽な交通事故で士郎が入院し、家族が自分を置いていった。自分の大事なものが目の前から消えた喪失感。それは辛く、淋しく、そしてなのはの心を強く痛めつけた。そんな経験を誰にもさせたくない。少なくとも自分の見ている前では絶対に許せない。

 だからこそ、なのはは言葉より先に手が出てしまったのだ。そして一度、手を出してしまえば相手から返ってくるのも言葉ではなく暴力だ。何をされたか理解したアリサは、なのはを強く睨みつけると殴りかかってきた。

 こうなってしまうともう止まらない。なのはとアリサには理性というものが吹き飛んでしまっていた。だからこそ二人は互いに涙を浮かべながら、ただただ言葉のない喧嘩を続けた。

「止めて!」

 それを止めたのは、すずかだった。その叫び声を聞いて手を止めたなのはとアリサ。ちょうどそのタイミングでやってきた担任の教師に仲裁され、その日の喧嘩は終わった。

 翌日、なのはにはアリサに対してはやり過ぎてしまったという反省もあり、学校に着いてすぐに謝った。アリサの方がその件でなのはに謝ることはなかったが、すずかには頭を下げていた。すずかはすずかで、自分のせいで二人が喧嘩をする羽目になったことに対して謝り、なのはにはそれと同時に感謝の言葉も告げた。それから三人は互いに意識するようになり、自然と会話も増え、友達になっていったのだ。

(あれ? そういえば……)

 そうして過去の思い出に浸っていたなのはは不意に気づく。自分がすずかと一度たりとも喧嘩したことがないことに。

 アリサとは何度も衝突していた。初めての喧嘩の時ほど大きなものではなかったが、ちょっとしたことで何度もやりあった。だがすずかと喧嘩になったことは一度もない。なのはの知る限り、アリサとも喧嘩になたのは最初の一件だけだ。

 そのことに気付いた時、同時になのははあることに気付く。

(もしかしてすずかちゃん、いつもわたしやアリサちゃんに気を使ってた?)

 一度気がついてしまうと、思い当たる節がどんどん湧き出てくる。三人で遊びを決める時、すずかは自分から意見を言うことは少なかった。大抵、アリサや自分の意見に対して賛成か反対を告げるだけ。彼女自身からやりたいことを口にすることは全くと言っていいほどない。

(わたしって、きちんとすずかちゃんのお友達をやれていたのかな?)

 思ってからなのははその考えを否定する。自分はすずかのことを友達だと思っている。アリサも含めて唯一無二の親友。何があっても一生友達でいられる大事な存在。少なくともなのははそう思っている。

 ……だけどすずかはどうだろう? すずかには自分やアリサ以外にはそこまで親しい友達はいない。だけど元々、すずかは他人を拒絶していた。今でこそ自分たちとは仲良く話しているが、他のクラスメイトに対してはまだどこか距離を感じるような時がある。

 もしすずかにとって自分やアリサが他のクラスメイト同様、いてもいなくても変わらない存在だと思われているとしたら……。

「そんなの嫌なの!」

「なにが嫌なの?」

 思わず夕日に向かって叫ぶなのは。そんな叫びに返事の声が聞こえてきたことに驚き、なのはは背後を振り返る。そこにはゆまと杏子の姿があった。



     ☆☆☆



 佐倉杏子は悩んでいた。

 ラウラとの戦いの傷が癒えた杏子は温泉宿を引き払い、次の町に向かうつもりだった。新米とはいえこの町にはすでに魔法少女はいるし、魔導師やジュエルシードといった未知の存在もある。自分ひとりなら情報収集も兼ねて状況をかき回すのも面白いとは思ったが、ゆまの安全を考えるとさっさと次の町に移動した方が良いと考えていた。

 だがそのことに反対したのは、他でもないゆまであった。ゆまはもう一度、フェイトと話をしてみたかった。杏子を巻かしたことに対する文句ではない。ただ自分と同じ歳ながら戦いに身を置いているフェイトのことが気になってしょうがなかったのだ。

 ゆまは一度言い出したらそう簡単には意見を曲げない。そのことを知っている杏子はため息をつきながらも、ゆまのフェイト探しに付き合うことにした。

「キョーコ、たい焼き買ってきたよ~」

 そうして二人は連日のように海鳴市を歩き回り、今は臨海公園に来ていた。移動販売の車でたい焼きを買ってきたゆまは満面の笑みを浮かべながら杏子に駆け寄ってくる。杏子はたい焼きの入っている茶色い袋を一つ受け取ると、ゆまの横に並んで歩き出す。

 中を覗くと、そこには十個のたい焼きが入っていた。そんな袋が杏子の手の中だけではなく、ゆまも持っている。杏子がゆまに買いに行かせたたい焼きの数は二十一個。それは移動販売のたい焼き屋で売っている具の種類と同じ数だった。

「なぁゆま、もうそろそろ諦めたらどうだ?」

 杏子は袋から無造作にたい焼きを一つ取り出しながら尋ねる。数日はゆまに付き合った杏子であったが、そろそろこの町から離れなければと考え始めていた。魔女ラウラを倒した時にその傍にいなかった杏子ではあったが、それでもジュエルシードから放たれた魔力の柱を見ることができた。それ自体はきちんと封印されたので問題はない。

 しかしその魔力につられ、今、海鳴市には無数の魔女が集まりつつあった。幸い、魔女と遭遇することはなかったが、まだ体力の回復しきっていない今の自分がどこまで戦えるかわからない。だからこそ、海鳴市が魔女の巣窟となる前に脱出しなければと焦っていた

「そんなの嫌に決まってるじゃん。わたしはフェイトにどうしても尋ねたいことがあるんだから」

 ゆまがフェイトに尋ねたいこと、それは魔法少女と魔導師の違いについてだ。杏子の口からフェイトが魔法少女ではなく魔導師という全く別物の魔法の使い手ということを聞かされたゆまは非常に強い興味を持った。だからフェイトの口から直接、魔導師とはどういうものか聞いてみたかったのだ。その点については杏子も興味はあったからこそ、ゆまのフェイト探しを認めていた。

「そうは言っても、ここ数日、ずっと歩き通しだろ? いい加減、疲れてきてるんじゃないか?」

 正確には歩きっぱなしなどという生易しいものではない。フェイトを探すのと同時に杏子はゆまに対してランニングを課していた。無理のないペースで走らせ、一時間おきに休憩は挟んでいたものの、それが毎日のように行われているとなると、子供であるゆまにはとても厳しいものだろう。

「あのぐらい屁の河童だよ。それに今はこうしてお腹も満たされてるんだから大丈夫」

 そう言うと、ゆまは袋の中からたい焼きを一つ取り出し、一口で飲み込む。一気に喉の奥に押し込むと、袋の中から新しいたい焼きを取り出し、さらに口の中に放り込んだ。

「でもなゆま、おまえさっきからまっすぐ歩けてないぞ」

 杏子の隣を歩いているゆまはまるで平均台の上に乗っているかのごとく、その身体を左右に揺らしていた。指摘されたゆまは意識してまっすぐ歩くようにするが、それでも身体が大きく揺れるのを抑えきることはできなかった。

「口と違って身体は正直だな。今日はとっとと帰って風呂入って寝るぞ」

「……わたし、まだ走れるもん」

 納得できなかったゆまは頬を膨らましながら、杏子に訴える。

「わたしはまだまだ余裕なの! 今からその証拠を見せてあげる」

 ゆまは手に持っていたたい焼き袋を杏子に押し付けると、全力で走り出す。だがその速度は誰の目から見ても遅いと言えるものだった。しかも左右にふらふらしながら走っている。どうせ、放っておけばすぐに体力が尽きるだろう。案の定、ゆまはベンチの近くで足を止めていた。

「おーい、もうバテたのかー?」

 すぐに根を上げようとしたゆまをからかってやると、杏子は声を上げる。だがベンチに近づいてみると、そこにはゆま以外にもう一人の少女の姿があった。ゆまと同じような背丈。栗色の髪が桜色のリボンで結われている。町の探索を行っている時に見かけた白い制服を身に付けたその少女のことを杏子はよく知っていた。

「……おまえ、どうしてここに?」

「ゆまちゃん!? ……それに杏子さんも?!」

「えっ? 二人とも知り合いなの?」

 魔女ラウラの結界に囚われながらも、そこで出会うことのなかった魔導師と魔法少女。その二人をつなぐ一人の少女の手によって、ようやく再開を果たした。



     ☆☆☆



「すずか、入るわよ」

 忍はすずかの返答を待つことなく、部屋の扉を開ける。家具が整然と並んだ広い洋室。全身を写す姿見には汚れひとつなく、衣服が収納された引き出しはきっちり閉まっている。カーテンが閉められているので少しうす暗くはあったが、とても整頓された部屋だった。

 普段ならばそれも当然だろう。すずかが学校に行っている間、ノエルかファリンが毎日のように掃除をしている。だがここ数日は違う。すずかが部屋からほとんど出ない以上、彼女の部屋はまともに掃除を行うことができなかった。

 それなのにも関わらず、すずかの部屋は整い過ぎていた。今のすずかの部屋には生活感というものがまるでない。どちらかといえば長い間、人の住んでいない物置のような空気。忍がすずかの部屋に入って最初に感じたのはそんな空気だった。

 だがそんな部屋の中で、唯一、熱を持っている個所があった。部屋の中央に置かれたすずかのベッド。そこに敷かれた掛け布団が不自然に盛り上がっている。忍はそんなベッドの脇に腰かけると、布団の中で蹲っているであろう大切な妹に声を掛けた。

「すずか、あなたにいったい何があったの?」

 旅館の夜にすずかと話した時はこんな兆候はなかった。自分には隠しごとはしていたが、あの時のすずかは前だけを向いていた。その力強い瞳を信じたからこそ、忍はあの時、すずかを送り出したのだ。

 だが次に目にしたすずかの姿は、忍の想像を超えるものだった。ノエルと共にすずかのことを見つけた時、彼女は一心不乱に暴れ続けていた。周囲の木々は不自然に折れ曲がり、それを為したであろうすずかの両手は血で真っ赤に染まっている。浴衣はボロボロに引き裂かれ、そこから覗く肌は無数の傷で赤く染まっている。自分で掻き毟ったのか、すずかの艶やかだった髪の毛は、まるでヤマンバを彷彿とさせるぐらいボサボサだ。

 しかしそれらの事柄が瑣末のことに感じられるぐらい驚愕だったのは、彼女の瞳だ。血のような深紅でありながら、それと同時に深い闇を孕んだ黒い瞳。そんな瞳をしたすずかの姿に忍は思わず涙を流した。そんな忍のことなどまるで気付いていないのか、すずかはその場で暴れ続けている。

 そんなすずかの姿は見ていられない。ノエルは忍のことも考え、すずかを押さえつけようと上からのしかかる。だが彼女の力だけではすずかを止めることができなかった。

 それに一番驚いたのは吹き飛ばされたノエルではなく忍の方だった。夜の一族の力というものは各々の個性がある。その中ですずかは体力に優れていた。学校の体育では同学年のどの生徒よりも力が強く、素早い動きをする。それでも彼女はまだ子供である。大人と腕相撲などしようものなら何度やっても、すずかは勝つことができないだろう。

 しかし今、すずかはなんなくノエルの身体を吹き飛ばした。もしノエルが普通の人間なら、今のすずかでも吹き飛ばせるかもしれない。だがノエルは夜の一族が作り出した自動人形なのだ。機械で作られた彼女が出す力は並みの人間を遥かに上回る。それ以前に機械の身体であるノエルは、普通の人間とは比較にならないほどの重さなのだ。まだ子供であるすずかが押しのけられるとは到底思えない。

「ノエル、少しの時間でいいからすずかを押さえなさい」

「……っ! 了解しました」

 忍はすずかに向かって駆けていく。子供であるすずかが自分の全力以上の力をふるい続ければ、どんな悪影響かでるかわからない。だからこそ忍は涙を拭き、すずかに向き合うことにした。忍がなにをしようとしているのかをすぐに察したノエルは、その場ですずかを羽交い絞めにする。それを無理に引き剥がしたすずかだったが、一瞬でも彼女の動きを止められれば十分だった。

 すずかの顔を正面から見つめた忍は、自身の魔眼がすずかに暗示を掛ける。動きを止め、深い眠りに就かせる暗示。暗示に掛けられたすずかは、特に抵抗らしい抵抗を見せずその場で意識を失った。

 その後、家に連れ帰ったすずかは意識を取り戻してから一度も屋敷を出ていない。命じてすずかの部屋に運ばせた食事にも一度も手につけていない。いったいなにが彼女を変えてしまったのか、忍にはそれがわからず悔しかった。

「……すずか」

 忍は布団の上からすずかの身体を優しくなでる。忍の手が触れた瞬間、すずかがピクンと反応を示したが、その後は微動だにしなかった。

「ねぇ、すずか。あなたが望むならもうこの屋敷から外に出なくてもかまわないわ。でもね、何も食べないでいたら身体を壊すわ。私たちは血を飲んでいるだけじゃあ、生きられないのよ。だからせめて、出された食事だけでも口にしてくれない?」

 忍はすずかが毎晩、備蓄されている血液パックを吸っていることを知っていた。極論を言ってしまえば、血液だけでも夜の一族である自分たちなら生きていくことができる。しかしその代わりに大事なものを失わせてしまう。それは人間性。血に頼り、血に溺れ、血に染まる。血を吸わなければ体調を崩す夜の一族ではあるが、血の吸いすぎも問題なのだ。だからこそ、出された食事だけはきちんと口にしてほしかった。

 忍がいくら語りかけても、すずかからの返答はない。そうしているうちに翠屋でのバイトの時間が迫ってくる。本当はバイトなど休んですずかの看病をしていたい。だが現状を打開する手立てが思いつかない以上、ここで一人で看病するよりも恭也に相談して、少しでも力づけて欲しかった。

「ごめんね、すずか。私もう行かないと。また帰ってきたら、話の続きをしましょうね」

 名残惜しむようにすずかのベッドを見つめる忍。だが布団はピクリとも動かない。そんな現状に深いため息をついて、忍はすずかの部屋を後にした。



     ☆☆☆



 布団の中にいたすずかは、忍の言葉を一つひとつ噛み締めていた。しかし彼女には、その言葉に対する返事を持たなかった。

 なのはを傷つけ、血を吸おうとした事実。そのことがすずかを臆病にしていた。自分に親しくしている人物に対して、どのような顔を向けていいのかわからない。そんなすずかが誰か言葉に対してまともに返事ができるわけがなかった。

【すずか、キミはいつまでそうしているつもりだい?】

 そんなすずかに対して、今度はキュゥべえが声を掛ける。頭に直接、語りかけてくるキュゥべえの言葉は、布団の中で耳を塞いでも入ってくる。忍やなのはとは違い、キュゥべえはすずかにとって守るべき対象ではない。だからその言葉は今のすずかにとってはただただ不快だった。

【この町には今、ジュエルシードの魔力に気付いた魔女たちが集まってきている。そんな状況でこの町の魔法少女であるキミが寝込んでいたら話にならないだろう? いくらこの町には杏子やフェイト、なのはのような戦える少女たちがいるからって……】

【……キュゥべえがなのはちゃんとも契約したの?】

 なのはの名前を聞いてすずかは反射的に尋ねる。キュゥべえはずっと、新しい魔法少女を探していた。そのこと自体は問題ではない。だが新しい魔法少女というのがなのはとなれば話は別だ。

 すずかの願いは強く在ること。その根底にあるのは、自分の大切な人を守りたいという思いがある。そんな対象であるなのはを危険な目に遭わすきっかけを作った存在を、すずかは許すことができない。それが例えキュゥべえであったとしても、すずかは糾弾するつもりだった。

【それは違うよ。確かになのはの素養は素晴らしいものがある。だけどボクがなのはと初めて顔を合わせた時、すでに彼女はボク以外の存在と契約していたんだ】

【……いったい、誰と?】

【ユーノ・スクライア】

【ユーノ?】

 キュゥべえから聞かされた意外な名前に、すずかは思わず反芻する。ユーノというのは、なのはが見つけたフェレットの名前だ。森の中で怪我をして倒れたのをアリサと三人で保護し、そのままなのはの家で飼われている可愛いフェレット。その名前と同じ名前がキュゥべえの口から語られたことが、すずかには甚だ疑問だった。

【そうか。すずかも知っているんだったね。そうだよ、あのフェレットがなのはと契約した存在、ユーノ・スクライアさ】

 すずかの疑問を確信に変える言葉を紡ぐキュゥべえ。途端にすずかの心はどす黒い感情に囚われる。自分の前で何食わぬ顔でくつろいでいたフェレット。ずっと可愛いと思っていたのに、まさかそれがなのはを危険な戦いの場に招いていたなんて思いもよらなかった。

【正直、彼についてはボクも知らないことが多くてね。おそらくジュエルシードを狙ってこの星にやってきたのだとは思うけど、それ以外の目的は一切不明なんだ。こんなこと、ボクたちがこの星に来てから初めてだよ】

 キュゥべえが長々と講釈を垂れているが、すでにその言葉はすずかの耳には入っていなかった。

(……許せない)

 すずかの心は、ユーノに対する怒りで支配されていた。自分の大切な親友を危険に巻き込んだ罪。それは到底許されるものではない。

 まだなのはと顔を合わせる勇気をすずかは持てていない。彼女を襲おうとし、傷つけてしまった自分の罪。それと向き合うことはできない。けれど、こうして自分が寝ている間に大切な親友が危険な目に遭うことをすずかは許容できなかった。

 だからすずかは布団の外に出る。そしてベッド脇の引き出しから自身のソウルジェムを取り出す。半分ほど黒く濁り、最初の美しい赤紫色を失わせた穢れた宝石。だがそんな色のソウルジェムが今の自分には相応しいとすずかには思えた。

「……ねぇ、キュゥべえ。どうすればなのはちゃんを戦いのない世界に連れていくことができるかな?」

 すずかは窓際に佇んでいるキュゥべえに尋ねる。数日ぶりに出したすずかの声は酷くしゃがれた声だった。だが仮に普段通りの声が出たのだとしても、そこに込められた黒い意思は変わらないものだろう。

「それは難しいと思うよ。彼女はすでに力を手にしてしまった。一度手に入れた力は、そう簡単に手放せるものじゃない。それこそ彼女が戦う必要のない状況を作り出さない限り、それは不可能だろうね」

「……でも何かしらあるんじゃないのかな?」

 キュゥべえの返答にすずかは不満げに答える。そんなすずかの様子にキュゥべえは迂闊な言葉を言うことはできないと本能的に察した。

「……そうだね。ユーノの目的はジュエルシードを集めることだ。だからジュエルシードをなのはの代わりに集めてあげればいいんじゃないかな」

 だがそれと同時にチャンスだとも思えた。今まではすずかに対して積極的にジュエルシードを集めるようにキュゥべえは言うことはできなかった。魔法少女にとってジュエルシードを集める必要は本来ない。だが彼女自身がそれを求める状況になれば話は別だ。

「ジュエルシード?」

「キミが初めて魔法少女になって、魔女を倒した時にグリーフシードと一緒に落ちてきた青い宝石のことさ」

 その言葉を聞いて、すずかは思い出す。魔女バルバラを倒し、アルフが持ち去った青い宝石のことを。そして魔女ラウラを赫血閃で切り裂いた時、その体内に存在した青い宝石のことを。

「ボクにはジュエルシードが何個あるかはわからないけど、おそらく十個以上はあるだろうね。それにフェイトや杏子もジュエルシードを集めている。なのはたちが何個のジュエルシードを求めているのかはわからないけど、もし全部だとしたら場合によっては彼女たちとも戦うことになるかもしれない。すずかはそれでもいいのかい?」

 キュゥべえはすずかを試すつもりでそう問いかける。

「……関係ないよ。だってジュエルシードを集めているのはなのはちゃんじゃなくて、ユーノなんでしょ?」

 だがすずかからの返答は、キュゥべえの予想の斜め上をいくものだった。

 キュゥべえは言った。「ユーノ」がジュエルシードを集めていると。そしてそれがなのはの戦う目的なのだと。ならばその目的をなくしてしまえばいい。ジュエルシードを集めることなく、なのはから戦う目的を奪う方法。

「なら、ユーノがいなくなれば、きっとなのはちゃんが戦うことなんてないよね」

 普段のすずかなら、すぐにその方法に大きな矛盾を孕んでいることに気付くことができただろう。しかしソウルジェムが黒く穢れ始めた今のすずかには、自分が考えているこの方法こそが、なのはを救う唯一無二の手段だと信じて疑わなかった。



2012/8/15 初投稿、および一部シーンの言葉回し微修正



[33132] 第6話 錯綜し合う気持ちなの その4
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/08/28 18:17
「えと、杏子さんにはこの間は自己紹介できなかったけど、わたしの名前は高町なのは。私立聖祥大学付属小学校三年生、です」

「小学校三年生なんだぁ。ならたぶん、わたしと同じ歳だね」

「あれ? ゆまちゃんにはこの前、自己紹介をしたと思うけど?」

「そうだっけ?」

 一つのベンチに座る三人の少女。その中央に座っているゆまは満面の笑みで他愛のない話を繰り返していた。そのほとんどがなのはに向けられたものだ。ゆまはフェイトと同じくらいに、なのはとももう一度話をしたいと思っていた。なのはの言葉がなければ、ゆまは前に進むことができなかった。だからその時のお礼を言いたかったのだ。

 ゆまの左手側に座っていたなのはは、その言葉を聞きながらチラチラと杏子の顔を伺う。ゆまとの再会もなのはにとって喜ばしいことではあったが、それ以上に杏子の存在が気になっていた。

 なのはの視線を感じ取っていた杏子ではあったが、敢えて二人の会話には口を挟もうとはせず、思考を巡らせていた。海鳴市でフェイトより先に出会った魔導師。それがなのはだ。本来なら情報が少ない相手には警戒をして然るべきところではあったが、ゆまがなのはに懐いていることから危険はないと判断していた。

「ところでなのはとキョーコはいつ知り合ったの?」

 一頻り再会を喜んだゆまは、そんな質問を二人にぶつける。

「それはこっちの台詞だ。ゆまはいったいどこでこいつと知り合ったんだ?」。

「えーっと、ほら、あの時だよ。温泉宿に泊まっていた時、フェイトちゃんの部屋から飛び出して行ったでしょ? あの時になのはと少しお話したんだよ。ねっ?」

「にゃはは……。えと、その、そんな感じです」

 最後にゆまに同意を求められたなのはだったが、なのは視点から見れば泣いているゆまを追い駆けて話しただけなので、そんな曖昧な返事をすることしかできなかった。

「そういえばキョーコには言ってなかったけど、なのはの言葉があったからわたしは我儘を言わないって決意をすることができたんだよ」

 それまではゆまの話をただ聞いているだけの杏子であったが、次の言葉に目を大きく見開いた。ここで言うゆまの我儘というのは、すなわち「一人前になるまで魔法少女になるとは言わない」という彼女の決意表明を指す。

 思い返してみれば部屋に戻ってきたゆまは妙に物わかりが良かった。特に杏子が諭すことなく、自分でその結論を口にした。あの時は一人で考えてそういう結論に行きついたのかと思っていたが、まさかなのはの言葉がきっかけになっていたとは、杏子には思いもよらなかった。

「それならあたしはなのはにお礼を言わなきゃならないな」

 そう言って杏子はなのはに頭を下げた。いきなり頭を下げた杏子の姿になのはとゆまは驚かされた特にゆまは素直にお礼を言う杏子の姿などを見るのは初めてのことだったので、思わず自分の頬を抓って、夢かどうかを確認してしまったぐらいだ。

「えーっと、そのー、わたしにはなにがなんだか……」

 お礼を言われる心当たりがまるでなかったなのはは、軽くパニックに陥る。

「わからないならそれでもいいさ。あたしにもいったいゆまとの間でどんなやり取りがあったのかなんて知らないしな。でもなのはのおかげでゆまが魔法少女になるなんて戯言を言わなくなったんだ。だからあたしのお礼は素直に受け取ってくれ」

「キョーコ、それ言っちゃっていいの!?」

 魔法少女のことを隠さないで口にする杏子に対し、ゆまは今日一番の大声を上げる。

「いいんだよ。こいつはフェイトと同じ、魔導師なんだから」

「……ええええぇぇぇぇっ? そうなのーーーー?」

 そしてその記録はすぐに塗り替えられることになった。

「えーっと……」

 ゆまに尋ねられ、なのはは答えを窮する。杏子の関係者とはいえ、話を聞く限りゆまは一般人だ。そんな相手に魔導師のことを話してしまってよいのか、なのはにはわかりかねた。

「別に隠す必要はねぇよ。どうせ今、言わなくても後であたしが説明させられることになるしな」

「そ、そうですか。……ところで杏子さんは魔導師じゃなくて魔法少女なんですよね?」

「ま、そうだな」

 あっけらかんと答える杏子。そんな杏子に対して、なのはは真面目な瞳を真っ直ぐに向けた。

「杏子さん、魔女ってなんなんですか? それに魔法少女っていったい?」

 ここで魔法少女である杏子と話す機会を得られたことは、なのはにとって非常に幸運なできごとだった。彼女から魔法少女や魔女についての話を聞けば、すずかの考えていることが少しは理解できるようになるかもしれない。だからこそ、なのはは真剣にならざるを得なかった。

「いきなりそう言われても、どっから説明すればいいのやら……」

 そんな真剣な態度に当てられた杏子だったが、漠然とそう聞かれるとどう答えて良いのか返答に窮した。

「魔法少女っていうのは正義の味方で、魔女っていうのは人類の敵。そうだよね、キョーコ?」

 そうして悩んでいる杏子を尻目に、ゆまがさらっと答える。

「正義の味方?」

「そうだよ。魔女っていう化け物から人々を守るために戦う正義の味方。それが魔法少女だよ。ま、キョーコは全然、正義の味方っぽくはないんだけどね」

「あたしが正義の味方じゃないってこと以外は間違いだらけじゃねぇか!?」

 思わずゆまの説明に突っ込む杏子。確かにゆまの言う通り、そういった信念で戦っている魔法少女もいないわけではない。杏子自身も正義のために、人々のために魔女と戦っていた時期も確かにある。しかしそれは幻想。事実とは程遠い。

「えーっと、わたしが聞きたいのはそういった話じゃなくて、そもそもどうやって魔法少女になるかとか、なんで魔女っていう怪物がどういったものなのかなって話なんですけど……」

 勘違いして得意げに語るゆまになのはは指摘を入れる。

「どういうこと? なのはは魔法少女になりたいの?」

「そういうわけじゃないんだけど……」

「それならなんでそんなことを聞きたがるんだ? もしかして知り合いが魔法少女にでもなったのか?」

「……えと、その、はい」

 まさか冗談で言ったことが当たるとは思っていなかった杏子には次の言葉がすぐに浮かんでこなかった。だがすぐに、杏子にはなのはの知り合いという魔法少女が誰なのか見当がついた。

「もしかして、すずかか?」

「すずかちゃんを知ってるんですか!?」

 杏子の口から語られた親友の名前に、なのはは思わず前のめりになって杏子に詰め寄る。

「まぁ少しだけな。……なんかあったのか?」

 魔法少女の話になってからなのはの様子はどこか変だ。真剣なように見えて心ここに在らずといった具合に物思いに耽るような顔を見せる。話の流れからその原因を作ったのはすずかに間違いないのだろうが、杏子の中でのすずかの印象はそんなに悪くない。初対面の時や魔女ラウラの結界内で戦った時に感じた恐怖心。それ自体は好ましいものではないが、実際に話してみた印象だけで言えば、ゆまよりも手のかからない子供といった印象だった。

 それはフェイトや目の前にいるなのはもそうだ。常日頃からゆまという幼い少女と接しているせいか、杏子はそのぐらいの年頃の少女の気持ちが少しは理解できるようになっていた。

 だからこそ杏子にはなのはが深く悩んでいることがわかった。思えば初めからなのはの表情にはどことなく憂いを帯びていた。ゆまと話している時も、自分と話している時も、表面上はきちんと返事をしているが、心ここに在らずといった感じだった。おそらくそのことにはゆまも気づいているだろう。

「別に話したくないなら話さなくてもいいけどさ、たぶん話した方がすっきりすると思うぞ。実際、ゆまの悩みもなのはと話したから解決したようなもんだしな」

「そうだよ! なのはがわたしと話してくれたから、わたしは一歩前に進むことができたんだよ。あの時、なのはが追いかけてきてくれなかったら、わたしはまだ杏子と仲直りできてなかったと思う。だからわたしも、なのはが困っていたら少しでも助けてあげたいんだ。なのはがわたしを助けてくれた時みたいに」

 言い渋るなのはに対し、杏子とゆまは言葉を掛ける。そんな二人の言葉がなのはの心に浸透する。

 思えばなのはには大切な家族や親友はいたが、悩みを相談できるような相手はいなかった。もし違った悩みならアリサやすずかに相談することができたかもしれない。だが今、なのはが悩んでいるのはそんな二人のことについてなのだ。それを当人に話せるわけもない。

 それだけに杏子とゆまのその言葉は嬉しかった。二人とも今日で会ったのは二度目なのにも関わらず、自分に優しい手を差し伸べてくれている。幼い時に抱いていた孤独感と同じ物を感じていた今のなのはにとって、それは涙を流すほど嬉しいことだった。



     ☆☆☆



 時の庭園から海鳴市に戻ってきたフェイトとアルフは、すぐに行動を開始した。一つは前々から行っていたジュエルシード探し。もう一つはプレシアから新たな任務だ。

「キュゥべえ、それが無理なら魔法少女を一人、時の庭園まで連れてきなさい」

 時の庭園で目覚めたフェイトに突きつけられた新しい指令、それはキュゥべえの捜索だった。二人にはプレシアの意図はわからなかったが、フェイトはそれを快く引き受けた。

 そもそもプレシアの意図など、フェイトには関係ない。彼女はプレシアが喜んで、自分に優しい笑みを向けてくれればそれでいいのだ。だからこそフェイトは従順にプレシアから言われた仕事をこなそうとした。

 一方のアルフは、プレシアから与えられた新たな任務を怪訝に思う。バルディッシュに記録されている映像は、後でフェイトと共に見たアルフだったが、特別変わったものは映されていなかった。強いて言えばアルフが直接見ていなかった杏子との戦いは興味深いものだったが、それがプレシアの興味を引くとは到底思えない。

(どちらにしても、キュゥべえを時の庭園に招くのは、なんか嫌な予感がするよ)

 すずかなら何の心配もなく招くことができる。杏子も個人的には嫌いだが、特に問題はないだろう。……しかしキュゥべえは不味い。あの腹の底が見えない生物をプレシアに合わせたら、いったいどんな悪だくみをするかわかったものではない。だからアルフは、サーチャーの探査対象からキュゥべえを除外していた。フェイトに気付かれれば怒られてしまうかもしれない。それでもアルフは自分の悪い直感を信じて疑わなかった。

 そうしてしばらく探していると、アルフのサーチャーが近くの繁華街の方からすずかの魔力反応を示す。

【フェイト、見つけたよ。すずかだ】

【こっちも杏子を見つけたんだけど、あの時の子も一緒みたい】

【あの時の子? あのゆまって子のことか?】

 彼女なら杏子と一緒にいてもおかしくない。もし仮に、また杏子と争うことになったとしても、何の力を持っていないゆまは障害にはならない。一度、フェイトが一人で杏子を打ち負かしている以上、二人で会いに行くのなら何の問題もないだろう。

【その子もいるけど、もう一人。ほら、この前、一緒に魔女と戦ったミッドの魔導師の女の子】

 だがフェイトの口から語られたのは、アルフの頭から抜け落ちていたもう一人の魔導師だった。自分とジュエルシードを巡って争い、魔女の結界内では共闘した白い魔導師。フェイトを助けてくれた恩もあるが、ジュエルシードを狙っているということは遠からず敵対することになる相手だろう。

【ならここは、先にすずかのところに声を掛けにいかないかい? 念のため杏子の位置は常に補足しといておけば、すずかに断られたとしてもすぐに会いにいけるだろうし】

 アルフとしては、病み上がりのフェイトに無茶をさせたくない。バルディッシュに残された映像から、すでに杏子とは敵対することはないだろうとは思ったが、今はなのはも一緒だ。もしかしたら二対二の戦闘に発展する可能性もある。

 だがすずかなら安心だ。彼女はジュエルシードを必要としていないし、何よりフェイトを助けてくれた少女だ。戦闘になることなどまずあり得ない。アルフは安易にそう結論付けた。

【……そうだね。それじゃあアルフ、あなたは先にすずかに事情を説明しといて。わたしもすぐに行くから】

【りょーかい!】

 フェイトは少し迷った様子だったが、結局すずかのところに先にいくことを了承してくれた。一端、念話を終えたアルフはすぐにすずかの元に向かった。

「あれ? 珍しいね。フェイトと一緒じゃないなんて。今日はキミ一人だけなのかい?」

 この時、アルフは一つのミスを犯していた。それはキュゥべえを探査対象から除外していたこと。だからアルフはすずかがキュゥべえと行動を共にしていることに気づけなかった。

「なっ、なっ、なっ……、なんであんたがここにいるんだい!?」

 今、一番会いたくなかった奴と遭遇したことでアルフの声が裏返る。

「おかしなことを言うね。ボクが魔法少女になりたてのすずかと行動を共にするのは、そんなに驚くことなのかい?」

 キュゥべえの主張は至極当然のものだった。だからこそ、アルフは二の句が告げず、言葉を詰まらせる。

「……アルフさん、何か御用ですか?」

 そんなアルフにすずかが低い声で尋ねる。そうして改めてすずかの顔を見た時、アルフの全身に鳥肌が立った。

 血のように赤いすずかの瞳。それは何度か戦いの場で見ていた。だが記憶が確かなら、それは鮮やかな深紅だったはずだ。しかし今のすずかの瞳はどこか黒ずんでいる。不純物が混ざった鬱血したような色。その闇の深さにアルフは本能的に恐れてしまったのだ。

「あ、あんた、その目は一体どうしたんだい?」

「ああ、これですか。元の色が戻らなくなってしまって……。大丈夫ですよ、きちんと見えてますから」

 色が変わろうとも、すずかの目はきちんと機能を果たしていた。……いや、正確には果たし過ぎていると言える。元々、すずかの視力は悪くない。さらに夜の一族の特性上、夜目も普通の人間以上に効く。だが今はそれだけではなく、魔力な微量の流れもその瞳に映し出していた。また魔眼としての機能にも磨きがかかり、一瞬でも視線を合わせるだけで相手に畏怖の感情を植え付けることができるようになっていた。アルフが必要以上に恐れてしまったのもそのためだろう。

「それでアルフさん、いったい何の御用なんですか? できれば後にしてもらいたいんですけど……」

「そ、そうなのかい? それじゃあまた今度にでも……」

 すずかに怯えたというのもある。だがそれ以上にキュゥべえがいるこの場では話したくなかったアルフは、そう言って立ち去ろうとした。

「アルフ、お待たせ」

 しかし幸か不幸かそのタイミングでフェイトがやってきてしまう。フェイトが来てしまったことにより、アルフは立ち去るタイミングを完全に失ったことを悟る。

 そんなアルフの胸中には気づいていなかったフェイトだが、場の空気がどこかおかしいことには気づいていた。アルフの身体は妙に縮こまっており、すずかからはどこか禍々しいとも言える魔力が感じられる。

「すずか、その目は……?」

 そうして注意深くすずかの様子を伺おうとしたフェイトは、すぐに彼女の目が赤く染まっていることに気付いた。服装は白いワンピースとまったく魔力を感じない普通の衣服なのに、その瞳からは強い魔力が放たれている。

「ちょっと、ね。フェイトちゃんこそ、あの後、大丈夫だった?」

 アルフの時とは違い、言葉を濁して返事をするすずか。それと同時にフェイトの身体も気に掛ける。

 今のすずかは魔眼の力を完璧にコントロールができない。強弱くらいは付けることは可能だが、その力を抑えることはできなかった。そんな状態でフェイトと目を合わせたら、彼女の傷に障るかもしれない。だからこそ、すずかは決してフェイトとは目を合わせようとはしなかった。

「うん。もう大丈夫だよ」

「それならよかった」

 フェイトの返事を聞いて、ほっと胸をなで降ろすすずか。その仕草自体はフェイトの知っているすずかそのものだ。だが彼女に帯びている雰囲気の禍々しさ。おそらく赤い瞳から放たれている魔力のせいなのだろうが、そんなすずかのちぐはぐさがフェイトに警戒心を抱かせた。

「……ところで結局、キミたちは何をしにここに来たんだい?」

 そんなすずかに対し、どう本題を切り出すべきかと悩んでいたフェイトに救いの手を差し伸べたのは意外にもキュゥべえだった。すずかに注意を取られていたせいで、この場にキュゥべえがいたことにフェイトは気付いていなかった。

 しかし考えると、この場にキュゥべえがいるのはフェイトにとって都合が良い。元々、フェイトが優先的に探していたのはすずかや杏子ではなく、キュゥべえの方なのだ。だから一端、すずかからキュゥべえに視線を移し、自分の目的を伝えようとする。

「実は、あなたにお願いがあってきたの」

「お願い? それはもしかしてボクと契約して魔法少女になってくれるってことかい?」

 フェイトから意外な申し出に思わず期待してしまうキュゥべえ。

「そうじゃないよ。母さんがあなたに……」

 ……会いたがっているから一緒に来てほしいんだ。

 ――そう言い掛けたフェイトだったが、突然、魔法少女の姿になってフェイトの横を駆け抜けていったすずかを見て、その言葉を飲み込んだ。

 その数瞬後にすずかの走っていった方から強い魔力が放たれているのを感じ取る。それはジュエルシードから発せられる魔力だった。幸い、まだ発動前のようだが、こんな町中で発動すればどんな被害が出るかわからない。

 そのことにいち早く気付いたからこそ、すずかは周りの目を気にせずに全力で駆けだしたのだろう。

「アルフ、わたしたちも行かないと。すずかだけじゃあ、ジュエルシードの封印をすることができないだろうし」

「そ、そうだね」

「……ごめん、キュゥべえ。さっきの話はまた後で」

「ジュエルシードは危険なものだからね、仕方ないよ。でもボクもその場に同行させてもらう。それぐらいは構わないだろう?」

「構わないけど、あんたにはジュエルシードはやらないからね」

 ついてこようとするキュゥべえに釘を刺すアルフ。

「別にそこまで図々しいことは言わないよ。それよりも今は、すずかのことが放っておけないからね」

 このままいけばすずかは遠からず魔女になる。今のキュゥべえにとって、それは好ましいことではない。彼女は貴重な戦力なのだ。ここで失うのは欲しい。

「それに話の続きは、移動しながらでもできるだろう?」

「……そうだね」

 アルフはどこか釈然としない思いがあったが、ここで問答していても仕方ないとキュゥべえの首根っこを掴んでフェイトに渡した。そして駆け足ですずかの後を追った。



     ☆☆☆



「変なところを見せちゃってごめんなさい!」

 一頻り泣きやんだなのはは、杏子とゆまに向かって思いっきり頭を下げた。

「いや、あたしは気にしてないからそっちも気にすんな」

「もちろんわたしもね」

 そんななのはに杏子とゆまの二人は笑顔を向ける。それを見て安心したなのははホッとした表情を浮かべた。

「それでどうする? 泣いてすっきりしたっていうなら、あたしたちは無理にその話を聞きだそうとはしねぇけど?」

 実際のところ、断片的にではあったものの、なのはは泣きながら自身の悩みを吐露していた。本人がそのことに気づいているのか気づいていないのかは知らないが、その内容を推察するに無理に聞き出すのを杏子には躊躇われた。

「いえ、むしろ二人には聞いて欲しいです!」

 なのはは目元に残った涙を拭いながら二人の顔を見つめる。そうして紡がれるなのはの悩み。ユーノとの出会いから始まったジュエルシード探し。始めて自分にできることが見つけられ、嬉しく思っていた浅ましい自分。そんな中、自分と同じようにジュエルシードを狙う存在との戦い、そして巻き込まれた魔女の結界。そうして魔女を撃破した場所には、幼い頃からの親友であるすずかの姿があった。そしてそんな彼女になのはは拒絶された。

「杏子さんはどう思いますか? すずかちゃん、わたしにもう戦うなって言うんです。皆で戦ってやっと倒せた魔女との戦いにわたしを巻き込みたくないって気持ちはわかる。だけど、わたしにも戦える力がある。だから……」

「……一つ、聞いていいか?」

 なのはの悩み自体は杏子にも理解できた。だがそれに対してのアドバイスをする前に、魔導師であるなのはに確かめたいことがあった。

「魔導師が魔法を使うのに何かしらの制約ってあるのか?」

 魔法少女である自分やすずかが魔法を使えば、その度にソウルジェムへの穢れが溜まる。ソウルジェムが穢れれば魔法が使えなくなり、死に至る。杏子はキュゥべえからそう聞かされていた。

 だが魔導師であるなのはやフェイトはどうなのだろう? 頭の中で思い出すなのはやフェイトの魔導師姿には、ソウルジェムのような宝石はついていない。宝石らしい宝石といえば、彼女たちが持つ杖の方だった。

「えーっと、レイジングハート、制約ってあるのかな?」

 なのはには杏子の問いの答えがわからなかったので、代わりにレイジングハートに答えてもらおうと問いかける。

≪マスターの魔力が尽きれば、魔法は使うことができなくなりますが……≫

「それじゃあ、その失った魔力はどんな風に回復するんだ?」

≪その前に魔導師がどのように魔法を使用するかをお伝えします。魔導師の体内にはリンカーコアと呼ばれる魔力生成器官があり、魔法を使う際、その器官から魔力を生み出し使用しています。もちろん人体の器官なので、魔力を溜めておける貯蔵量には限界があります。しかしそうして限界まで魔力を使用したとしても、きちんとした食事と健康的な睡眠を繰り返せば、自然に回復していきます≫

「そうか。それならすずかの言うことはあながち間違いじゃないな。……なのは、おまえはすずかの言う通り、魔女とは戦うべきじゃあない」

「えっ? どうして杏子さんまでそんなことを言うんですか!?」

 まさか杏子にまですずかと同じことを言われるとは思わなかったなのはは驚きの声を上げる。

「理由は簡単だ」

 杏子はなのはを納得させるために、懐からソウルジェムと一個のグリーフシードを取り出す。

「こっちの赤いのがソウルジェム。魔導師で言うところのリンカーコアだな。よく見てみればわかると思うが、ここのところが少し黒く穢れてるだろ?」

 杏子の指摘した部分を見てみると、黒いゴミのようなものが漂っていた。

「ソウルジェムは魔法を使えば使うほど穢れていくんだ。そんな穢れを取るのがこっちのグリーフシード。ソウルジェムとグリーフシードをこうやって近づけると……」

 なのはの目の前で、ソウルジェムの黒い穢れがグリーフシードに吸いこまれていく。改めてソウルジェムに目を向けると、先ほどまであった黒い汚れはそこにはなく、綺麗な赤い輝きを取り戻した宝石がそこにはあった。

「こんな風にソウルジェムの穢れを取ることができるんだ。魔法少女の魔法は、ソウルジェムがなければ使うことができない。そうして使えば使うほど、さっきの穢れは溜まっていく。それは自然に綺麗になったりすることはない。だからこそ、魔法少女はグリーフシードを集める必要がある。――そしてここからが肝心なんだが、グリーフシードは魔女が落とすんだ」

「えっ? それってつまり……」

「そうだ。一度、魔法少女になった以上、グリーフシードは必要不可欠なものだ。それを手に入れるためには、どんなに危険でも魔女と戦わなければならない。でもなのは、おまえにはグリーフシードなんて必要ないだろ? だからすずかはそんな危険は冒す必要はないって意味で、そう言ったんじゃないか?」

 なるべくなのはに理解してもらえるように、杏子は優しく諭すように告げる。だが杏子にもすずかの意図がわかり兼ねる部分があった。

 それはなのはから聞かされた、魔女ラウラに対してとったすずかの戦術だ。自分を犠牲にした捨て身の攻撃。その話を聞いて、杏子は耳が痛くなる思いだった。

 魔法少女になった当初は、杏子も似たような無茶をした記憶がある。だが魔法少女で在る限り、決してそんな戦い方をするべきではない。

 ソウルジェムは魔法を使うだけでなく、身体の傷を癒すのにもその穢れを増す。それに対して魔女を倒してもグリーフシードが手に入るとは限らない。苦労して倒した結果、魔女がグリーフシードを落とさなければ、ただの骨折り損に終わるだけだ。仮にグリーフシードを落としたとしても魔女からダメージが大き過ぎれば、それ一つでソウルジェムの穢れを全て浄化できるとは限らない。だからこそ、魔女との戦いで傷を負うことは致命的なのだ。

「でもわたしは……」

 そう言い掛けた時、なのはは遠くの方でジュエルシードの魔力を感じる。そこまで大きな魔力ではないので、まだ発動はしていないようだが、その魔力が酷く不安定でいつ発動してもおかしくない状態であることは感じ取れた。それは杏子も同じようで、なのはと共に都市部の方に顔を向けていた。

「二人とも、どうしたの?」

 唯一、事情を察することができないゆまが問いかける。だがそんなゆまを無視して、なのはと杏子の二人はベンチから立ち上がる。

「杏子さん、話の続きはこの後でいいですか?」

「それは構わないが、あたしもついていっていいか?」

「別に大丈夫ですけど……」

 思いもよらない杏子の申し出になのはは遠慮がちに答える。ジュエルシードに興味がない杏子がここで着いていくと告げたのは、もしまたジュエルシードを魔女が手に入れた場合を想定してのことだった。なのはから聞かされた魔女ラウラを倒した時の状況を考えても、おそらく一人では倒すことは難しいだろう。ジュエルシードの魔力に気付いたフェイトがやってくることも考えられるが断言はできない以上、ここは杏子自身が向かうしかない。

「もう、二人ともさっきからなんなの!? いったい、何が起きてるの!!」

 最初はおとなしめに尋ねていたゆまだったが、自分に何も言わずにどこかに行こうとした二人を呼びとめる。その声でようやくこの場にゆまがいたことを思い出した杏子は、彼女の目線までしゃがみ言い聞かせるように告げた。

「ゆま、あたしは今からなのはとジュエルシードの封印をしてくる。だからお前は先にホテルに帰ってろ。できるな?」

 ジュエルシードという言葉を聞いて、ゆまもようやく杏子たちが抱いている危機感を察する。だが彼女は、それと同時にその場に行けばフェイトにも会える可能性にも思い当たった。

「やだ。だってそこに行けば、フェイトに会えるかもしれないでしょ」

 だからこそ、ゆまは杏子の言葉を一蹴した。

「フェイトに会えるかもって、フェイトがやってこないかもしれないだろ?」

「でもフェイトだってジュエルシードを探してるんだから、来るかもしれないじゃん?」

 それは奇しくも、ついさっき杏子自身が考えたことと同じだった。フェイトがやってくると断言できないと同時に、フェイトが現れないとも言い切れない。だからこそ、杏子はゆまを説得することが不可能だと考えた。

「……いいか。ゆまはあたしやなのはの前には出ないこと。もし戦闘になったら、すぐにその場から逃げ出すこと。その二つが守れれば連れてってやる」

「上等だよ!」

「ならあたしの背中に乗れ。そっちの方が早い」

 杏子はゆまに背を向ける。そんな杏子の背中に抱きつくようにしがみつくゆま。杏子はほとんど重さを感じないゆまを背負いながら、何の苦もなく立ちあがる。

「杏子さん、いいんですか? ゆまちゃんも連れて行っちゃって」

 まさかゆまを連れていく判断をすると思わなかったなのはが尋ねる。

「いいんだよ。いざという時はあたしが守ればいいだけなんだから。それにゆまを説得する時間ももったいないしな。……ところでなのはは空を飛べるか?」

「はい。なんとか……」

「なら飛んで先に行ってくれ。ジュエルシードが暴走したり、魔女に奪われる前に封印できれば、それに越したことはないしな」

「わ、わかりました。……レイジングハート、お願い」

≪Standby ready set up!≫

 なのはは杏子の言葉に従いレイジングハートをセットアップする。学校の制服からバリアジャケットに変わったなのはを見て、ゆまは目を輝かせる。

「それじゃあ杏子さん、いってきます」

「ああ、あたしもなるべく急いで行くから、あんまり無茶するなよ」

 飛んでいくなのはにそう声を掛ける杏子。それになのはは頷くと、真っ直ぐジュエルシードの反応に向かって飛んでいった。それを見送りながら、杏子は赤い魔法少女の衣装へと変身する。

「それじゃあ行くか。ゆま、急いで行くからちゃんとしがみついてろよ。でないと振り落とされるぞ」

「わかった」

 そうして杏子もまた走り出す。急いで行くとは言ったが、ゆまを気遣う杏子の速度は、最高速の半分にも満たなかった。それでも十分早いので、ゆまは杏子の背中に目を瞑ってしがみついている。

 すでに頭上にはなのはの姿は見えない。もしかしたら二人が着いた時にはことが全て終わっているかもしれない。だがそれでもいざという時のために、杏子は今出せる精一杯の速度で大通りに向けて駆けていった。



     ☆☆☆



【なのは、ジュエルシードが!?】

 杏子の指示に従い、先行して飛行していたなのはの元にユーノからの念話が入ってくる。

【わかってる。今、杏子さんと一緒にそっちに向かってるから】

【杏子さんと!?】

 すずかとはまた違う、未知の魔法少女。そんな人物となのはが一人で会っていたことにユーノは驚きを隠せなかった。

【なのは、一体いつの間に杏子さんと知り合ったんだい?】

【ついさっき、町で偶然】

【偶然って、もしそうならもっと早くに僕に知らせてくれれば良かったのに】

 優しく指摘するユーノだったが、内心ではなのはの無事を安心していた。最初に出会った時は戦闘になることはなかったが、あれからもう数週間経っている。その間に杏子がジュエルシードのことを知り、それを狙ってなのはに襲いかかってくる可能性もユーノは考えていた。

 なのはの成長には目を見張るものがあったが、それでも彼女はまだ魔法に触れてからひと月にも満たないのだ。まだ自分がついていなければどこか危なっかしいところがある。

【なのは、次にまたこういうことがあったらすぐに僕を呼んで。何かあってからじゃ大変だから】

【ご、ごめんなさい】

 素直に謝るなのは。しかし自分の悩みで頭がいっぱいだった彼女がそこまで気を回すことができなかったのは仕方ないことかもしれない。ユーノもなのはがすずかのことで悩んでいることを知っていたから、これ以上そのことで責めるような真似はしなかった。

【それでなのは、杏子さんとは何を話したんだい?】

【そ、それは秘密なの!?】

 ユーノの問いかけになのはは恥ずかしそうに叫ぶ。

【でも杏子さん、悪い人じゃないよ。たぶんジュエルシードも欲しがっていないし】

 なのはは杏子と話した時に感じた印象を事細かくユーノに伝える。その絶賛ぶりにユーノはそれ以上、杏子のことを疑うことができなくなった。

【あっ、ユーノくん。わたし、もうすぐジュエルシードのところに着くよ。まだ暴走はしていないみたい】

 そんな話をしているうちになのははジュエルシードのある場所が見えてきた。どうやらジュエルシードはビルの屋上にあるらしい。地上にはたくさんの人がいるので、このままの姿で降りるのは難しかったから、なのはとしてはありがたい話だった。

【わかった。僕ももう少ししたら着くと思う。でもなのは、油断しないで。万が一、封印する前に魔女に手に入れられたらすぐに逃げるんだよ。少なくとも、絶対に一人で相手にしようとは思わないで】

【う、うん。わかった】

 ユーノの言葉に返事をしながら、なのははビルの屋上に降り立つ。周囲を見渡してみても、魔女どころか人の姿すらない簡素な屋上。その中心には、青く輝くジュエルシードがあった。ジュエルシードからは不安定な魔力が放出されているものの、まだ暴走はしていない。これなら楽に封印できるだろう。そう思い、なのははレイジングハートをジュエルシードに向けた。

 その時、屋上の扉が強い力で吹っ飛ばされる。何かが爆発したような轟音に釣られ、なのははそちらに目を向ける。

「なのはちゃん、久しぶり」

「すずか、ちゃん?」

 そこにはすずかの姿があった。突然現れたすずかの姿に驚くなのは。それに対して、すずかは乾いた笑みを浮かべるだけだった。



2012/8/20 初投稿
2012/8/28 誤字脱字、および口調などを微修正



[33132] 第6話 錯綜し合う気持ちなの その5
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/09/18 21:51
 すずかの姿を一目見た瞬間、なのはの中には二つの感情が芽生えた。

 一つは喜び。ずっと会うことのできなかった親友との再会。話したいことはたくさんあるのに、連絡を取ることが一切できず、会いに行っても門前払いを食らうのは間違いないという状況。門前払いというのは思い込みではあったが、そんななのはがふいにすずかの顔を見ることができて、嬉しいと思わないはずがない。

 だがそれと同時になのははすずかの姿を見て悲しく思えた。しばらくぶりに見たすずかの顔は、酷く痩せこけていた。見た目こそ小奇麗に整えられているが、ほぼ毎日のように顔を合わせていたなのはだからこそ、すずかが化粧で顔色の悪さを誤魔化していることにすぐに気づいた。

 さらに魔女ラウラの結界の作用のせいで見ることのできなかったすずかが魔法少女となった時の姿。魔力を帯びた赤と黒で彩られたシックなドレス、赤い刀身を煌めかせる刀、そして赤く染まったすずかの瞳。そんな姿を見て、彼女が日常の中の住人ではなく、魔法という非日常の世界に足を踏み入れた少女であることを改めて叩きつけられる。

 すずかだけではなく、なのはも皆を守りたいからユーノのジュエルシード集めを手伝うことにした。初めて見たジュエルシードの思念体。暴れただけで動物病院の壁が崩れ、無残にへし折られた木々の残骸。あんな力を人に振るわれたら、この町に住んでいる人には一溜まりもない。それを倒せる力があったからこそ、なのはは危険を顧みずジュエルシード集めを手伝うことにした。

 魔女とジュエルシードという違いはあれど、なのはとすずかの動機は全く同じだ。誰かを守るために自分の力を使いたい。しかしなのははすずかと共に戦いたいと思い、すずかは自分ひとりで戦うという。

「ねぇすずかちゃん、すずかちゃんはまだ、わたしには戦わないでって思ってるのかな?」

 その話し合いにはまだ決着はついていない。話の途中ですずかが走り去ってしまったから、なのはは自分の考えをきちんと彼女に告げていない。だから次に会った時は、きちんとすずかとお話をするつもりだった。

「……アハ――ッ」



 それなのに――すずかは嗤った。



 思えば屋上に入ってきた時からすずかは笑みを浮かべていた。しかしそれはにこやかな表情をしているだけで、なのはにはそこまで気になっていなかった。

 しかしなのはの言葉を聞いた瞬間、確かに彼女は確かに嗤った。

 その笑みがなのはと再会した喜びを現すものならどんなに良かっただろう。その笑いがいつもすずかが学校で見せるような優しさを帯びたものだったらどんなに良かっただろう。

 ――だが今のすずかが見せる嗤いは明らかにそういったものとは違う。深い絶望が込められた心の底からの嗤い。普段のすずかからは想像もできないほどの大きな嗤い声。そんなすずかに対して、なのははなんて声を掛けて良いのかわからなかった。

 そうして迷っているうちにすずかは何の前触れもなくぴたりと嗤いを止め、なのはに向き直る。

「ねぇ、なのはちゃん。なのはちゃんはまだ、そんなことしているの?」

「そ、そんなことって?」

「魔導師のことだよ、魔導師。なのはちゃんもこの前、魔女と戦ったからわかるでしょ? 魔法に関係することって本当に危ないんだよ? それなのに普通の女の子であるなのはちゃんが魔法を使い続けてるなんてダメだよ。そういった危険なことは私みたいな子に任せて、なのはちゃんはアリサちゃんといつものようにお茶会でもしててよ?」

「す、すずかちゃん? なに言ってるの? どうしちゃったの?」

「別に私はおかしなことを言ってないよ? むしろおかしいのはなのはちゃんの方でしょ? なのはちゃんは普通の女の子なんだから、こんな戦いが巻き起こる場にいちゃダメだよ。なのはちゃんとアリサちゃんは私にとって大事な友達なんだから、平和な場所で笑っていてよ。私はそんな平和を、そんな日常を守るために魔法少女になったんだよ? そんな平和を奪おうとする存在は誰ひとりだって許すわけにはいかない。魔女もジュエルシードも、みんな私が壊してあげる!!」

 なのはにはすずかの言っている言葉の意味がきちんと理解できなかった。否、理解したくなかった。すずかの考えは、魔女ラウラを倒した時に少し話した時から全く変わってない。それどころか、あの時以上に強烈な言葉をぶつけられ、なのはの目頭が熱くなる。

 杏子はなのはのことを気遣ってすずかが戦いに巻き込まないように告げたと言った。しかし今のすずかの姿を見ると、そんな風には考えられない。むしろそれが当たり前のことだと言わんばかりに言葉を浴びせかけてくる。

 そんなすずかの姿を見ていると、まるで自分の知っている月村すずかという少女そのものが、まるで虚構の中にだけいる存在のように思えてくる。

 それでもすずかが自分やアリサのことを気に掛けてくれていることはわかる。その部分だけは共通しているが、それ以外はまるで正反対。穏やかで優しくて、後ろからいつも見守っていてくれる、そんなすずかの面影は、目の前の少女からはまるで感じられなかった。



 ――だからこそ、なのははすずかにレイジングハートの切っ先を向けた。



「……なのはちゃん、どうして私に杖を向けているのかな?」

 突然のなのはの行動に、すずかは目を細める。なのはとて、親友であるすずかにこんな真似はしたくない。それでも今のすずかをそのまま放っておくわけにはいかない。このまま放っておいたら、なのはの知っている月村すずかという少女がいなくなってしまうかもしれない。それはなのはにとって何事にも耐えがたいことだった。

「ねぇすずかちゃん、わたしたちが初めて話した時のことって覚えてる?」

 だからなのはは問いかける。まだすずかが、自分の親友である月村すずかであるならきっと覚えてくれていると信じて。

「忘れるわけ、ないよ」

 なのはの言葉を聞いたすずかは目を丸くし、そして憂いを帯びた表情へと変わる。そうして当時の出来事に思いを馳せた。

 自分が夜の一族という人とは違う存在であると知ったばかりのすずかは、学校に馴染むことができなかった。いや、初めから馴染む気になれなかった。この場にいる子供の中で、自分だけが人間じゃない。人間のような見た目をした化け物なのだ。そのことがすずかに重く圧し掛かり、彼女は純粋に周りの子供たちと接することができなかった。

 そんなある日のことだ。アリサがすずかの宝物であるカチューシャに興味を示し、強引に奪い取ったのだ。

 必死に取り戻そうとするが、アリサは巧みにすずかの動きを避ける。全力で取り戻そうとすれば、すずかならすぐにでもアリサからカチューシャを奪い返すことができただろう。しかし彼女は夜の一族。全力で動いた時にアリサを傷つけてしまうかもしれない。それを嫌ったすずかは消極的な動きになるしかなかった。

 しかし何度も何度も避けられていくうちにカチューシャを奪われた悲しみから、アリサに対する怒りが込み上げてくる。目の前のただの人間の少女は、自分を嘲笑って楽しんでいる。それが許せない。もう我慢できない。夜の一族の力を使ってでも、アリサからカチューシャを取り戻す。

 すずかがそう思った時、一人の少女が二人の間に割って入り、アリサの頬を思いっきり叩いた。

 ――それがなのはだった。

 突然、頬を叩かれたことに茫然としているアリサ。それはすずかも同様で、いきなり現れた目の前の少女にその目が釘付けになっていた。そんな二人を前にしてなのはは言う。

「痛い? でも、大切なものをとられちゃった人の心は、もっともっと痛いんだよ」

 その言葉はアリサに向けられたものだったが、すずかにとっても衝撃的な言葉だった。

 すずかが数ヶ月前に失った普通の女の子である日常。それは彼女にとってとても大切なことだった。もしその真実を知ることさえなければ、すずかは今でも影のない笑顔を浮かべることができただろう。他人を拒絶することなく、クラスの皆とももっと仲良くすることができただろう。

 目の前で喧嘩をし合うなのはとアリサ。互いに顔を引っかき、髪の毛を引っ張り合っている無邪気な喧嘩。

 だけどすずかは知ってしまった。自分が人間ではないということに。自分が化け物だということに。だからすずかには他人とそんな喧嘩をすることすらできない。もしが何の考えもなしにすずかが喧嘩してしまえば、相手に大怪我をさせてしまうから。それが悔しい。それが苦しい。

 それでも時たまに思うことがある。もし自分の持てる力を全部引き出した状態できればどんなに楽しいのだろう、と。

「止めて!」

 だからこそすずかは叫ぶ。彼女の目の前で繰り広げられている児戯にも等しいなのはとアリサの喧嘩。それを止めるためにすずかは腹の底から声を上げる。だがその理由はなのはやアリサが想像しているものとは違っていた。



 ――すずかはただ、喧嘩し合える二人のことが羨ましかった。



 なのはとアリサは明らかに全力を出していた。今の二人が出せる精一杯の力。理性を取っ払い、相手を傷つけるために振るう暴力。大人の手が介入すれば簡単に止められてしまいそうな小さなやり取りではあったが、そこでは確かに手加減抜きの全力の戦いが繰り広げられていた。

 それがすずかには羨ましかった。

 彼女が全力でそんな喧嘩をし合える相手は、家族を除いてはほとんどいないだろう。その家族でさえ、自分より年上。同じ歳の子を相手にしたら、例え相手が男の子だろうとすずかが圧倒するのは間違いない。

 他人を傷つけたいとは思わない。ただ、すずかは自分の全てを見せられる相手が欲しかった。自分と対等に接してくれる相手。家族や一族のものではない、自分と近い歳の子。自分の全てを受け入れてくれる存在。そういった友達がすずかは欲しかった。

 だがすずか自身、夜の一族である自分を受け入れているわけではない。それなのに夜の一族でないものが果たしてこんな自分を受け入れてくれるわけがない。忍を受け入れた恭也のような人物が、そう簡単に見つかるはずがない。だからこそすずかは『普通の女の子になりたい』という願いを持つようになり、それを目の前で体現してくれた二人と仲良くなりたいと思ったのだ。

 キュゥべえに別の願いを叶えて貰ったとはいえ、その願い自体がなくなったわけではない。より普通から遠ざかってしまったすずかであったが、それでも彼女はまだ、心のどこかで『普通の女の子になりたい』と願っていた。

 だがそれは今となってはもはや不可能だろう。だからせめて、自分の親友にはいつまでも『普通の女の子』であってほしかった。少なくとも、危険のない場所で笑って過ごしていてほしかった。

「……なのはちゃんは、どうして魔導師になったの?」

 当時の気持ちを思い出し、少し冷静さを取り戻したすずかが尋ねる。

「……最初は偶然だったんだよ。ユーノくんと出会って、ジュエルシードの思念体に襲われて、そこでレイジングハートをユーノくんから貰って封印した。それからユーノくんにジュエルシードを集める理由を聞いて、それでお手伝いをしようと思ったの。だけど今は違う。お手伝いをするようになったのは偶然だったけど、今は自分の意思でジュエルシードを集めてる。自分の暮らしている町や自分の周りの人たちに危険が降りかかったら嫌だから」

 なのはの言葉にすずかは満足げな表情を浮かべた。

「そっか。……なのはちゃんはあの時からまるで変わってないんだね」

「えっ?」

「あの時、なのはちゃんは何の躊躇もなく、私とアリサちゃんの間に割って入ってきてくれたよね? たぶん私もアリサちゃんもなのはちゃんのそういうところに惹かれて友達になったんだと思う」

 なのはの他人を思いやる気持ち。あの頃の自分たちにはなかったそういう優しさをなのはは当時から兼ね備えていた。その優しさに触れたからこそ、すずかもアリサも一人ではなくなった。そのことを自覚していたからこそ、やはりなのはには魔法なんていう物騒な戦いの場には似つかわしくない。

 なのははその思いだけで他人を救うことができるのだ。魔法なんてものに頼らなくても、誰かを助けることができるのだ。だからこそ、意地でもなのはには魔法を使わせない、使わせたくなかった。

「でもだからこそ、なのはちゃんには危険な目に遭ってほしくない。だからお願い。なのはちゃんは魔法のことは忘れて、アリサちゃんと私の帰りを待ってて」

 すずかは先ほどの狂気に満ちた赤い瞳ではなく、優しさを帯びた黒い瞳でなのはのことを真っ直ぐ見つめる。その目を見てなのはは安心すると同時に、自分を頼ってくれないすずかの姿勢が変わらないことが悲しかった。

「……それは無理だよ。だってわたし、知っちゃったから。わたしたちが今まで暮らしてきた平和な世界の裏側で、魔女と戦う魔法少女って子たちがいることを。そしてわたし自身も魔法を使って魔女と戦うことができることを!」

「なのはちゃんは魔法少女じゃないんだよ!? 別に魔女と戦う必要なんてないよ!!」

「ううん、そんなことない。すずかちゃんが戦っているのに、それを知っているのに、わたしはそれを待っているだけなんて絶対にできない」

 二人の言葉は平行線。互いが互いを想い合うが故に、その意思が交わることはない。だからこそなのはは覚悟を決めた。

「ねぇ、すずかちゃん。わたしたちってこういう風に言い争ったことってなかったよね? きっと、お互いに言いたくても言いきれなかったこともあったと思うんだ。――だからね、今まで言いあえなかった分、存分に話そう。わたしたちの思いを魔法に乗せて」

 なのははすずかと本気でぶつかるためにレイジングハートに魔力を込める。魔力を込められたレイジングハートはデバイスモードからシューティングモードに姿が変わり、その先端に桜色の魔力が集まりはじめる。

 すずかとしては、なのはと戦いたいとは思わない。なのははすずかにとって親友なのだ。だがなのはの見せる真剣な表情。そしてその言葉に込められた思い。それらを無碍にすることなど、すずかにできるわけがなかった。

「……そうだね。いい機会かもしれないね。だけどなのはちゃん、これだけは約束して。私が勝ったら、もう二度と魔法には関わらないって」

 少し迷った末にすずかは火血刀の切っ先をなのはに向ける。しかし迷いが断ち切れないのか、火血刀の刃はどこか震えていた。

 それはなのはを傷つけてしまうかもしれないというすずかの恐怖心の表れだった。なのはの真剣な思いには応えたい。だが彼女に刃を振るうというその行為を想像するだけで、身体の震えを止めることができなかった。

「それじゃあわたしが勝ったら、すずかちゃんは一人で危険な真似はしないようにして。何かあったら、すぐにわたしに相談して」

 本当ならなのはも、すずかと同じ条件を告げたかった。だがそれはできない。もしそんな真似をすれば、彼女が魔女と戦う覚悟までした願いごを否定することになるのだから。

「それじゃあ行くよ、すずかちゃん。わたしの思い、きちんと受け止めてね」

≪Divine Buster≫

 こうしてディバインバスターの砲撃を皮切りに、親友同士の戦いの火ぶたが切って落とされた。



     ☆☆☆



 なのはとすずかが戦いを始める少し前、ビルの入り口で佐倉杏子、フェイト・テスタロッサ、そしてユーノ・スクライアの三グループが遭遇していた。

「……杏子さん、どうしてここに?」

 フェイトは警戒を込めた瞳で杏子の動向を探りながら尋ねる。ジュエルシードの魔力を追ってやってきた場所で出会ったということは、杏子の狙いも十中八九ジュエルシードだろう。こちらにはアルフがいて、また杏子がゆまを背負っていることから、仮に戦闘になっても負けるということはほぼないだろうが、搦め手を使う杏子に対してフェイトは油断をすることはできなかった。

「どうしてと言われれば、そりゃジュエルシードの魔力に気づいたからとしか言いようがねぇな。ま、安心しろよ。今回はジュエルシード自体を狙ってきたわけじゃあないから」

 フェイトとは違い、杏子は彼女たちと遭遇したこと自体に驚きはなかった。ジュエルシードの近くに行けば、必ずフェイトと出会える。元々、そう予測を立ててここ数日、ゆまと一緒に歩き回っていたのだから当然だろう。

 むしろ懸念すべきことがあるとすれば、目の前のフェイトたちではなく、杏子に背負われているゆまの方だった。フェイトと会いたがっていた彼女のことだ。下手をすれば場を弁えずにフェイトに魔導師のことで質問攻めしてしまうかもしれない。なのはが先行しているとはいえ、魔女が近づく前にジュエルシードを封印する必要がある以上、余計なことで時間を掛けたくなかった。

「キョーコ、とりあえずわたしを降ろしてくれない?」

「降ろすのは構わないけどな、ゆま、一応言っておくけど……」

「フェイトと話をするのは、ジュエルシードの封印が先って言うんでしょ? それぐらいわかるよ」

「なら、いいんだけどな」

 妙に聞きわけのよかったゆまに拍子抜けした杏子は、素直に自分の背中から彼女を降ろす。

「わたしに話?」

 ゆまの言葉が耳に入ったフェイトが尋ねる。

「フェイトとはもっと話してみたかったんだよ。温泉の時は色々あってあまり話せなかったから……。ダメだった?」

「いや、別にそんなことはないけど……」

 ゆまから告げられた意外な言葉に、フェイトは純粋に驚いた。そんなフェイトを尻目に、ゆまは色々な言葉を浴びせかける。

(結局、話してんじゃねぇか)

 その様子を見て杏子は内心で呆れるが、楽しげに話しかけるゆまと、時折り顔を赤らめながら受け答えするフェイトの様子を見て、止める気にはなれなかった。

「と、いうわけだ。だからいい加減、そんな風に睨むのを止めてくれよ」

 その代わりか、杏子はアルフに声を掛ける。遭遇した時から、杏子のことを強く睨みつけていたアルフ。フェイトを護りたいというアルフの気持ちはわからなくもないが、すでに彼女たちとは争う気のない杏子にとって、その視線は目ざわり以外の何物でもない。

 だがいくら声を掛けても、アルフはまったく耳を貸そうとはしなかった。

「はぁ~。……ところで」

 一向に睨むのを止めないアルフに対してため息をつきながら、杏子はその場にしゃがみこむ。そして近くに寄ってきていたフェレットの首根っこを掴み持ちあげた。

「久しぶりだな。えーっと……」

「ユ、ユーノ・スクライアです、杏子さん。とりあえず首を摘むのは止めてもらえませんか?」

「あっ、悪い悪い」

 そういって杏子はユーノをとりあえず自分の腕の上に乗せる。

 いきなり首根っこを掴まれて驚いたユーノだったが、なのはから杏子が悪い人ではないと聞かされていたのでそこまで慌てることはなかった。現にユーノの首をすぐに放してもらえたのがその証拠だろう。

「お、お前はっ!?」

 ユーノの姿を見たアルフは、思わず声を上げる。

「えと、その、お久しぶりです」

 そんなアルフに向かってユーノは小さく頭を下げる。

「なんだ、おまえら知り合いなのか?」

「ええ、この前の魔女との戦いの時に……」

 言いながらユーノはその場に集まった面々を観察する。なのはの話から杏子とゆまは敵にはならないだろう。彼女たちはジュエルシードを狙ってもいないし、なによりなのは自身がゆまとはかなり親しく接していた。杏子は魔法少女であるとはいえ、二人は現地住民だ。よっぽどのことがない限り、敵対することはないだろう。

 だが残りの二人は違う。ミッドの魔法を使用し、ジュエルシードを狙う魔導師、フェイト。そしてその使い魔と思わしき女性、アルフ。おそらく彼女たちもジュエルシードの気配を辿ってこの場にやってきたに違いない。

 そうして彼女たちを警戒混じりの目で眺めていたユーノの目に、フェイトの胸に抱かれた白い動物の姿が目に入る。

「あ、あの動物は?」

 その姿を見てユーノはすぐにキュゥべえのことを思い出した。なのはと出会った時にジュエルシードの思念体に取り込まれた動物。なのはからは飼い主が引き取りにきて連れ去ったと聞かされていたが、まさかこの二人が飼い主だったのだろうか?

「ん? お前もキュゥべえのことも知ってるのか?」

「えっ? キュゥべえって?」

 杏子の言葉に覚えた違和感。その理由をユーノはすぐに気づくことができた。ユーノの中ではキュゥべえという名前は、白い動物の飼い主ということになっていた。しかし今のアルフの言葉は、あの白い動物を指してキュゥべえと告げられていた。

 そもそも冷静に考えれば、この二人がキュゥべえの飼い主であるなどとは考えにくい。もし二人が飼い主なら、自分の力でジュエルシードの思念体と戦えばいいのだ。あの場で初めて魔法に触れたなのはが倒すのを待つ必要はない。

 ユーノは訝しげな表情でキュゥべえを見る。キュゥべえの赤い瞳はまっすぐユーノに対して向けられていた。それはまるで明確な意思を持つ生物のようにはっきりと、ユーノのことを見つめていた。

「キュゥべえって、もしかして……」

 ユーノがそう口に仕掛けた時、ビルの屋上で急激な魔力の高まりを感じる。ゆまを除いたその場にいた全員が頭上を見上げる。すると屋上の方から微かに、桜色の光が零れ出していた。

「あれは、なのは!?」

 ほぼ毎日のように見ているなのはの桜色の砲撃、ディバインバスター。それにいち早く気づいたユーノは慌てて駆けだそうとする。だがそれを杏子は再び首を掴んで止めた。

「そう慌てんなって。あんたの足じゃあ、屋上までたどり着くのに何時間かかると思ってんだ?」

「でももしジュエルシードを取り込んだ魔女が相手なら、なのはが!?」

「大丈夫だ。まだ屋上には魔女はいねぇよ。その証拠になのはは魔女の結界に取り込まれてないだろ?」

「そ、そうなんですか?」

「ああ、魔女ってのは通常、結界の外には滅多に出てこないからな」

 杏子の言葉を聞いて少しだけ安心するユーノ。しかしそれならば、なのはは何に対して魔力を向けているというのだ? 真っ先に疑うべき対象なのはジュエルシードの思念体だが、屋上の方から感じる魔力にそういった気配はない。

 同じように疑問に思った杏子は屋上から感じる魔力を探る。そこで杏子は気づいた。屋上にはなのはとは別にもう一人の魔法少女がいることに。

「すずか!?」

 杏子がその可能性に思い当たるのと、フェイトが叫びながら屋上に飛び上がるのはほぼ同時だった。アルフもすぐにフェイトを追って飛びあがろうとする。

「ま、待って! わ、わたしも連れてって」

 それに待ったを掛けたのはゆまだった。その大きな声にアルフだけではなく、先行して飛んでいたフェイトも振り返る。

「ゆま、お前いったい何を……」

「わかってる。キョーコもフェイトもアルフも魔法が使えるけど、わたしには魔法は使えない。そんなわたしが戦いの場に出ても、役立たずなのはわかってる。だけどこのまま一人で待たされるのはもう嫌なの!!」

 ゆまはその場にいた全員の顔を見回しながら告げる。その顔には強い決意が込められていた。

 これが魔女やジュエルシードの思念体とすでに戦い始めている状況だったのなら、杏子は返事を迷わなかっただろう。しかし屋上にいるのは理性を持った人間で、そのどちらも杏子の見知った存在なのだ。

 むしろこの距離でゆまと別行動することの方が愚策だ。遠からずここにもジュエルシードの魔力に惹かれた魔女や使い魔が集まってくる。そんな時にゆまを孤立させている方がよっぽど危険だ。

「……アルフ、ゆまを屋上まで連れてってくれないか?」

 だからこそ、杏子はゆまを連れていくことに決めた。今、一番重要なのは屋上で行われようとしている戦闘を止めること。あの二人ならゆまに故意に攻撃を仕掛けてくる心配もない。それはフェイトやアルフにも同じことが言えるだろう。

「いいのかい? ジュエルシード欲しさにあたしがその子をあんたに対する人質にするかもしれないよ?」

「問題ねぇよ。あたしたちはジュエルシードが魔女に取り込まれなければそれでいいんだ。その後の奪い合いには関与する気はないからな。……それで結局、頼まれてくれるのか?」

 杏子はアルフ、そしてフェイトの顔を見て告げる。

「……わかりました。アルフ、ゆまを屋上まで連れていってあげて。それと戦闘になったら最優先でゆまのことを護ってあげて」

「わかった。……ところで杏子、あんたはどうするんだい? あたしやフェイトは飛べるけど、あんたは飛べないんだろ?」

 ゆまを背負いながらアルフが尋ねる。それに対して杏子はユーノをしっかりと握りしめながらビルとビルの小さな隙間に向かって歩いていった。

「あたしのことなら気にすんな。先に行っておくから」

 そう言うと杏子は左右にあるビルを蹴りながら、三角飛びの要領でどんどん高度を上げていった。思わずそれに見惚れるフェイトとアルフ。だがいつまでも茫然としていても仕方ないと、すぐに飛行魔法でビルの屋上に向かって飛んでいった。

 そうして屋上までたどり着いた一同が見たのは、予想外の光景だった。



     ☆☆☆



 至近距離で放たれたなのはのディバインバスターに対して、すずかは避ける素振りを見せず正面から受け止めようとした。火血刀を使ってその砲撃を切り裂くのは簡単だ。しかしすずかはその選択肢を真っ先に除外した。

 火血刀の鎬を向け、ディバインバスターを正面から受け止める。魔女ラウラとの戦いでその中を移動したすずかであったが、その時とは比べ物にならないほどの威力をその手のひらに感じていた。少しでも気を緩めれば火血刀が折れてしまいそうな強大な魔力。ジリジリと後ろに押されていくすずか。徐々に後がなくなり、フェンスに背中を押しつけられる。そうなってようやくすずかはディバインバスターの方向を逸らし、頭上へと受け流した。

 そんなすずかに対してなのはは攻撃を緩めるつもりはなかった。ディバインバスターの方向が変えられたと悟ったなのはは、その位置からすずかに向かって正面から突っ込んだ。

 それは魔女ラウラ戦で見せたすずかの戦い方の模倣だ。砲撃手であるなのは自身がディバインバスターの中を通ることはできないが、それでもその射線上を突っ込むことはできる。そしてそれは十分な奇襲性能を兼ね備えた攻撃だった。

 近づかれるまでなのはの存在に気がつかなかったすずかは、本能に従いに刀を振るう。それをレイジングハートで受け止めるなのは。火花を散らせる二つの武器。その鍔迫り合いもなのはが押していた。

 純粋な近接戦闘能力では、まず間違いなくすずかの方が上だろう。それでもなのはがすずかのことを押していた理由は二つ。一つは彼女がディバインバスターを弾くのに態勢を悪くしていたということ。そしてもう一つはすずかの迷いが、彼女の力を弱らせていたことだ。

 なのはは攻撃の手を緩めることなく、すずかに隣接した状態で周囲にディバインシューターを展開する。そして自分にダメージが入る覚悟で、ディバインシューターをすずかに向けて飛ばした。なのは自身は着弾する直前に後方に身体を逸らすが、彼女にギリギリまで抑えつけられていたすずかが避けられるはずもなかった。

 ディバインシューターが着弾した衝撃で、すずかの身体の周りには土煙が舞う。そこに向けて砲撃を加えても良かったが、なのははその前にどうしても確かめたいことがあった。

「すずかちゃん、どうして本気を出してくれないの?」

 一連の攻防の中で、なのははこれがすずかの本気ではないことにすぐに気付けた。魔女ラウラとの戦いの最中に見せたすずかの動き。それは今よりも遥かにすぐれたものだった。彼女ならば最初のディバインバスターを切り裂くことも、鍔迫り合いになった時に態勢が悪くてもなのはを押しのけることも軽くやってのけただろう。

「わたしは精一杯、自分の気持ちを込めて、全力全開ですずかちゃんに向き合ってるんだよ。それなのにどうして……?」

「……できないよ」

 土煙の中ですずかは火血刀を一振りし、視界をクリアにする。ディバインシューターの直撃を受けたすずかの魔法少女装束はところどころが焦げて破れていた。しかし彼女の身体そのものには傷一つない。それはとっさにガードしたというわけではなく、すずか自身の素の防御力がディバインシューターの攻撃を完全に防いでいる証拠だった。

「やっぱりできないよ。なのはちゃんと戦うことなんて」

 すずかの澄んだ黒い瞳がなのはに向けられる。その瞳には強い決意が込められていた。

「私も最初はなのはちゃんと全力で戦いあえるかもしれないって思った。……だけど、さっきの攻防で気づいちゃったんだ。お互いに魔法使いにはなったけど、やっぱり私となのはちゃんじゃあ身体の構造そのものが違い過ぎる。このままお互いに本気で戦いあったら、なのはちゃんだけが大怪我をさせちゃうって」

「確かにお互いに全力で戦いあったら怪我をさせちゃうかもしれない。でもそうしないと互いの気持ちは伝わらないんだよ。それならやるしかないじゃない!」

「……そうじゃないよ、なのはちゃん。たぶんお互いに全力を出し合って戦ったら、私は怪我ひとつ負わない。ただなのはちゃんだけが一方的にやられてしまうだけ。私となのはちゃんにはそれほどまでに差があるの」

 一連の攻防、それがすずかに気づかせたのは、なのはとの実力差だった。確かに彼女は本気を出すことを恐れた。だから火血刀に血を吸わせず、夜の一族としての力を出さずになのはと戦った。それなのにも関わらず彼女はほぼ無傷。

 それに対してなのははその言葉通り、持てる限りの力を出していた。元々、なのはの運動神経はあまり良いものではない。魔法の攻撃は確かに強力だが、ただそれだけだ。これなら魔女ラウラの結界の中で戦った弱った杏子の方がまだ強く感じられるくらいだ。

「そんなことないよ! わたしとすずかちゃんが魔法について知ったのは、たぶんほとんど同じぐらいでしょ? 魔法の種類が違うとしても、そんなに実力に差があるなんてわたしには思えないよ」

「魔法の問題じゃないんだよ。初めに言ったでよね? 身体の構造が違い過ぎるって」

 それでも彼女の強い思いははっきりと伝わった。真正面からすずかに向き合おうとするなのはの思い。全力で戦い合うことはできなくても、その思いだけにはすずかは応えたかった。

「えっ?」

「なのはちゃんは魔法に出会うまでは正真正銘、普通の女の子だった。だけど私は違う。私は生まれた時から、魔法少女になる前から普通の女の子じゃなかったんだよ。普通の人間より強靭な肉体と明晰な頭脳を持つ『夜の一族』っていう吸血鬼、それが私なの」

 だから彼女は、それに応えるために今まで隠しにしてきた秘密をなのはに明かす。すずかが人間ではなく化け物であるという真実。自分でも受け入れることを否定していた夜の一族という事実。それを包み隠さずなのはに話すことで、その思いに応えようとしたのだ。

 もちろん自分が化け物だと知られることに対する恐怖はある。だがそれ以上になのはが戦いで傷つくこと、その果てに死んでしまう可能性があることの方がすずかにはよっぽど怖かった。

「だからね、魔女やジュエルシードなんていう危険なものとはなのはちゃんじゃなくて私が戦うべきなんだよ。化け物は化け物同士、殺し合うのがお似合いなんだから」

 すずかはこのような冗談をいう子ではないことを、なのはが一番良く知っていた。だからこそ今、彼女が口にしていることは本当のことなのだろう。すずかの親友であるからこそ、それを理解することができ、すずかの親友であるからこそ、その言葉の全てを否定したかった。

「そんなこと、ない」

「あはは。ごめんね、なのはちゃん。今まで私みたいな化け物が友達面しちゃってて。だけどこれだけは聞いてほしい。やっぱりなのはちゃんには戦ってほしくない。なのはちゃんは私の憧れる普通の女の子の一人だから」

「すずかちゃんは化け物なんかじゃないよ! 少なくとも魔女やジュエルシードの思念体なんかとは違う!」

「同じだよ」

「違うよ! だってすずかちゃん、今、泣いているじゃない!!」

「えっ?」

 なのはの指摘にすずかは自分の目元を手で拭う。彼女の手には確かに涙が付着していた。

「嬉しいことがあったら一緒に笑って、悲しいことがあったら一緒に泣く。誰かが困っていたら手を差し伸べることもできる、そんな優しい女の子。それがわたしの知っている月村すずかっていう女の子なんだよ。……だから決して化け物なんかじゃない! 化け物なんて、言わせない! もしそんなことを言う悪い子がいたら、わたしの魔法でぶっ飛ばすの!!」

 普段のなのはから想像できない乱暴な言葉にすずかは目を丸くする。だがその口元は自然と綻んでいた。

「……ありがとう」

 すずかは心からの礼を言う。そして自分の顔を思いっきり叩いた。叩かれたすずかの両頬は真っ赤に染まる。だがその痛みが、すずかに覚悟を決めさせた。

 すずかは改めてなのはのことを見る。その目は澄んだ黒色から魔力を帯びた血の色へと変わる。だがそこには再会した時に感じた狂気の色はない。水平線に沈む夕日のような、綺麗な瞳の色だった。

「それとごめんね、なのはちゃん。やっぱり私も負けられない。私の全力全開、受けてくれる?」

 すずかはなのはに向かって火血刀を構える。その途端、周囲の空気が一瞬で変わる。緊張感の漂う張りつめた空気。その雰囲気に当てられ、なのはの全身から冷や汗が零れ落ちる。

(すずかちゃん、本気なんだね)

 一変した空気がすずかの言葉が事実だとなのはに悟らせる。しかし例えすずかが自分とは違う存在であっても、それでもなのはは負ける気はしなかった。どんなにすずかが強くても、なのはは絶対に折れない。むしろすずかと初めて正面から向き合える。そのことがなのはの中に力を溢れさせていた。

「……っ! うん!!」

 だからこそなのはは満足げに頷き、レイジングハートを構える。そしてそのまま二人は互いに向かって突っ込んでいった。








































「――ストップだ」

 レイジングハートと火血刀が激突する瞬間、なのはとすずかの間に割って入る一人の男。黒衣のバリアジャケットを身に纏い、レイジングハートを籠手に覆われた手のひらで、火血刀を手に持つデバイスで軽く受け止めたその男の名は……。

「ここでのこれ以上の戦闘は危険すぎる。時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ。詳しい事情を聞かせて貰おうか。――そちらの人たちもだ」

 なのはとすずかの二人だけではなく、クロノが介入するのとほぼ同時に屋上にたどり着いたフェイトや杏子たちにも鋭い目線を向ける。そんな見ず知らずの第三者の介入に、場に集まった一同は驚き戸惑いを隠しきることができなかった。



2012/8/30 初投稿
2012/9/18 誤字脱字修正



[33132] 第6.5話 見滝原に現れた新たな魔法少女なの その1
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/09/05 01:46
「お邪魔しました」

「マミさん、ケーキ、とっても美味しかったです」

 その日、久しぶりにマミの家でまどかとさやかを招いてのお茶会が行われた。だがこの日は彼女たち三人だけではなくもう一人、ほむらの姿もあった。まどかとマミに強く誘われたほむらは断りきることができず、お茶会に参加することにしたのだ。

「ほむらちゃんも美味しかったよね? マミさんのケーキ」

「そうね、素人が作るにしてはまずまずだったわ」

 台詞こそ手厳しいものはあるが、四人の中で一番マミお手製のケーキを食べていたのはほむらである。

「まったく、転校生は素直じゃないんだから」

「……美樹さやか、その転校生っていうのはいい加減やめてもらえないかしら」

「あんたがあたしのことをフルネームで呼ばなくなったらね」

「……善処するわ」

「いや、そこは簡単にできるところでしょ」

 ほむらとさやかのやり取りに思わずマミは笑みを浮かべる。

 マミは少し前まで、ほむらに対して険悪な態度を取っていた。それを反省し、こうして共にお茶会を開けるような関係になろうと思ったきっかけは、命の危機を改めて、間近で実感したからだろう。

 シャルロッテとの戦いの時、ほむらは自分に忠告してくれた。その言葉に耳を貸さず、それどころか彼女の身動きを封じてしまった。その結果としてマミは命を落としかけた。

 自分の命は惜しくない。キュゥべえがいなければ、マミはあの時に死んでいた。だから彼女は自分が死ぬことに関してはそこまで恐れない。

 しかしあの場には、まどかとさやかがいた。自分が巻き込んでしまった二人の後輩。魔法少女の素養があるとはいえ、彼女たちはまだ普通の人間だ。ここで自分が敗れれば、彼女たちの命が危ぶまれる。

(私が二人を巻き込んだから……)

 そのことだけが、死を間際にしたマミの後悔だった。幸い、フェイトの助けもあり一命を取り留めたマミだが、自分の身勝手さとちっぽけなプライドが二人を危険に晒したことを恥じた。

 マミは仲間が欲しかった。自分を慕ってくれる魔法少女の仲間が。一年前、見滝原を去っていった彼女のような頼もしい仲間が。自分を一人じゃないと感じさせてくれる大切な人が欲しかった。そのためにキュゥべえに協力し、まどかとさやかを魔法少女にしようとしたのだ。

 それをほむらが邪魔をした。彼女は頑なに二人を巻き込むのを否定し、自分の前に現れた。そもそもマミの方から魔法少女と争う理由はない。ほむらが友好的な態度で自分の前に現れたとしたら、彼女のことをここまで毛嫌いすることはなかっただろう。

 執拗にキュゥべえを襲うほむら。それを助けるマミ。その出会い頭の構図は、二人を敵対関係にするには十分な理由だった。

 だがそんな自分に対して、ほむらは危機を訴えてくれた。今にして思えば、それはほむらの優しさに他ならない。シャルロッテに殺されかけたからこそ、マミにはほむらの言葉の裏に潜む理由に気付くことができた。そしてそのことに気付いたからこそ、ほむらがまどかやさやかを魔法少女にしようとはしない理由もわかった。

 彼女は決してライバルが増えるのを嫌っていたわけではない。ただ二人を、まどかを魔女との戦いの場に連れて行きたくなかったのだ。

「暁美さんって優しいのね」

 マミは今までのことをほむらに謝りに行った際、彼女に対してそう口にした。その言葉を聞いたほむらは目を見開き、顔を真っ赤に染める。それを見てマミの予想が半ば正しかったと確信した。

 それからはほむらの考えに同調し、まどかやさやかを魔女の結界内に連れていくことは止めた。そして今までの分まで、ほむらと仲良くしようと決めたのだ。

「マミさん、やっぱりわたしたちが魔法少女になるのは、反対ですか?」

 物思いに耽っていたマミは、そんなまどかの言葉で現実に連れ戻される。その言葉はほむらやさやかには聞こえていなかったようで、二人の注意はこちらに向いていなかった。だからマミは、まどかにだけ聞こえるように自分の考えを口にした。

「えぇ、反対よ。あれだけ魔法少女になることを進めてきた私が言っても説得力はないけれど、魔女と戦うのは危険なことだから。だから決して『御馳走とケーキを用意して』なんて願いで魔法少女になるのはよくないと思うの」

 マミは自分の皮肉も込めてそんな言葉を告げる。それを聞いたまどかはどこか暗い表情をしていた。そんなまどかに対してマミはさらに言葉を続ける。

「……でもね、本当に叶えたい願いごとがあるなら、その時はキュゥべえと契約してもいいと思うわ。軽はずみな思いではなく、絶対にどうしても叶えたい願い。その後の人生を魔女との戦いの犠牲にしても良いという覚悟があればの話だけど……」

 本音を言えば、二人には魔法少女になってほしくない。魔法少女ではないとはいえ、二人とも大事な後輩なのだ。その事実は変わらない。いくら素養があるとはいえ、彼女たちには危険な目には二度と遭ってほしくないし、遭わせたくもなかった。

 それでも彼女たちの祈りを否定する言葉をマミは持たない。魔法少女になるかならないかを決めるのはあくまで自分自身。マミには先輩として彼女たちにアドバイスすることしかできないのだ。

「その後の人生を犠牲にしても良いと思えるほどの願い、か」

 そう口にしたのはさやかである。いつの間にかほむらとのじゃれ合いを終えたのか、さやかはとても真剣な表情をしてマミの言葉を反芻していた。

 一方のほむらはマミのことを物凄い形相で睨みつけていた。それこそ、視線だけで呪い殺せてしまいそうな険しい顔だ。

「……巴マミ、あなたはやっぱり何もわかっていない」

「あ、暁美さん?」

 先ほどまで上機嫌だったはずのほむらが、打って変わって不機嫌な様子を見せる。マミは遠慮がちに声を掛けるが、ほむらからの返答はなく、彼女はそのまま踵を返し、マミの前から去っていった。

「あっ、待ってよ、ほむらちゃん。マミさん、今日は本当にごちそうさまでした」

「マミさん、今度、友達に御馳走したいんで、よかったらケーキの作り方を教えてくださいね」

 そんなほむらの後を追っていくまどかとさやか。その背中を見つめながら、マミはどうしてほむらを怒らせてしまったのか考えを巡らせるのであった。



     ☆☆☆



「待ちなよ、転校生」

 早足で帰ろうとしているほむらにいち早く追いついたさやかはその肩に手を掛け呼びとめる。振り向いたほむらの表情は先ほどと同じく、酷く不快そうなものだった。

「……なに?」

「なに、はこっちの台詞だよ。なんだよ、さっきの態度」

「別に、あなたには関係ないことよ」

「関係ないわけないだろ。あたしたちは……」

 そう言い掛けて、さやかは言葉に詰まる。あたしたちは何なのだろう? まどかとは親友、マミは先輩。しかしほむらと自分のことを表す適切な言葉がさやかには浮かばなかった。

 友達、という表現が一番近いのかもしれない。だがさやかはまだ、ほむらのことをそう呼ぶことに抵抗があった。

 それはほむらのことをまだ、ちゃんと認めたわけではなかったからだ。出会った当初よりは評価は良くなったとはいえ、まだほむらが自分たちに何かを隠していることにさやかは勘付いていた。だからこそ、さやかは未だに彼女を名前で呼ぶことに抵抗を持っていた。

「とりあえず、その手をいい加減どけてくれない」

「あっ、ごめん」

 ほむらの肩に手を乗せっぱなしだったさやかは謝りながらその手を引っ込める。

 そうしている間にまどかも追いついてきた。走ってきたのか、彼女は膝に手を付き、大きく息をしている。

「ふ、二人とも、なんでそんなに早くいっちゃうの?」

「いや、急いで追いかけないと、転校生を見失っちゃうところだったし」

「……ちょうどいいから二人に忠告しておくわ」

 ほむらはそんな二人の姿を一瞥して口を開く。

「巴マミはああ言っていたけど、例えどんな願いがあろうとも、絶対にキュゥべえと契約してはダメよ」

「……どうしてそんなこと言うのさ?」

 ほむらの言葉にさやかは不満そうに漏らす。

「巴マミも含めて、貴女たちは魔法少女の本質というのがわかっていない。魔法少女になるということは、全てを諦めるということなの。どんな魔法少女も契約した時に叶う奇跡とは比べ物にならない絶望といずれ向き合うことになる。そしてそのことに気付いた時にはすでに手遅れなの」

「それってほむらちゃんも手遅れってこと?」

「……ええ」

 最初はワルプルギスの夜を倒せればいい。彼女との出会いをやり直し、その力になる。そうすればまどかを救うことができる。そう思い、ほむらは魔法少女になった。

 だが実際は魔法少女になった時点ですでに手遅れ。数多の時を超えて魔法少女の真実を知った時、ほむらは自分のことを諦めた。しかしまどかのことは諦めなかった。まどかを救う。それだけがほむらの希望であり、行動原理であった。

「私も巴マミもそれ以外の魔法少女も、キュゥべえと契約した時点で後戻りはできなくなる」

 まどかが何度も死ぬ様を見た。いや、まどかだけじゃない。さやかもマミも杏子も皆、ほむらの前で幾度となく死んでいった。その屍に目を背け、ほむらは何度も繰り返した。まどかを救う、ただその目的のために彼女は共に戦った少女たちの思いを否定し続けてきた。ただ一つの思いだけを胸に秘め、彼女が戦い続けた。

「でもあなたは、あなたたちはまだ間に合う」

 だからこそほむらは慎重に言葉を選ぶ。今回こそ、まどかを救う。その目的のために彼女は全力を尽くす。

 幸い、今回の時間軸は上手いこと事を運んでいる。フェイトというイレギュラーは気になるが、ほむらと和解し、まどかたちが魔法少女になることを否定するマミ。完璧に否定しているとは言い難いが、それでも彼女の心境の変化は大きな一歩と呼んでもいいだろう。

 フェイトというイレギュラーには遭遇したものの、彼女はもう見滝原にはいない。自身の目的のために、ここから遠く離れた街に向かった。完璧に無視することはできないが、それでも彼女が敵に回ることはないだろう。上手く事を運べば、ワルプルギスの夜を倒すのに協力してもらえるかもしれない。

「悪いことは言わないわ。魔法少女になろうだなんて、二度と思わないで」

 そうすればこの長い旅路も終わる。まどかを救うことさえできれば、あとは自分がどうなろうが関係ない。大切な親友と交わした約束を果たす。それだけが今のほむらを支えている希望なのだ。

 だから彼女は、まっすぐまどかのことを見てそう告げた。そんなほむらの目にはまどかしか映っていないことに、さやかははっきりと気づいていた。



     ☆☆☆



 翌日、さやかは幼馴染の上条恭介の見舞いのために見滝原病院に来ていた。かつては将来を期待されていたヴァイオリニストであったが、交通事故で指が動かなくなり長らく入院している恭介。そんな彼を元気づけるのはさやかの日課であった。

「恭介、遊びに来たよ~。……あれ?」

 元気よく病室に入ったさやかは、そこがもぬけの殻になっていることに気付き、間抜けな声を上げる。

「あら? さやかちゃん?」

 そんなさやかに声を掛けてきたのは、お見舞いに訪れるうちに顔見知りになった女性医師の石田だった。

「上条くんなら今、検査室で傷の経過を調べているからいないわよ。たぶん、あと三〇分もしたら終わるんじゃないかしら?」

 それだけ言うと、石田は忙しそうに去っていく。その背中にお礼を言いながら、恭介が戻ってくるまで、何をして暇を潰そうかと考え始める。とりあえず病院内を彷徨いながら恭介を待つことにしたさやかは外の散歩コースにまで足を伸ばした。

「う、う~ん」

 そうしていると、自販機の前で車椅子の少女が精一杯、背伸びをして一番上のボタンを押そうとしている姿が映った。自分と同じショートカットの小学生くらいの少女。その少女は恭介のお見舞いに来るようになってから、何度か見かけていた少女だった。

「どれ?」

「えと、一番右上の青汁プリンってやつです」

 少女はさやかにいきなり話しかけられたことで少し驚いた様子だったが、その意図を察し、自分が望む飲み物の名前を口にした。

「青汁プ……なんだって?」

 少女の独特なイントネーションも気になったが、彼女の口にした缶ジュースの名前もさやかには引っかかった。少女の言葉に従い、自販機の右上に目を向ける。そこには大きく緑色のプリンがプリントされた飲み物が確かにあった。よく見ると『振っておいしい青汁プリン』と小さく書かれている。それはパッケージを見つめるだけで胃もたれしてしまいそうな代物だった。

「あたし個人としては、あまりお勧めしないんだけど……」

「なに言っとるんや。こないな珍しい飲み物、他の自動販売機にはなかなかお目にかかれんよ。それに飲んでみたら意外と美味しいかもしれんし」

 本人がそれでいいならいいかと、さやかは青汁プリンを購入する。

「お姉さん、ありがとうございます」

 取り出し口から青汁プリンを手にした車椅子の少女は満面な笑みを浮かべてお礼を言うと、その場から去っていこうとする。

「ちょっと待った」

 だがそれをさやかが呼びとめた。

「なんですか?」

「いやさ、あたしもどんな味かちょっと気になるからさ、飲んだ感想聞かせてよ。その代わりと言っては何だけど……」

 そう言いながらさやかは車椅子の取っ手を手にする。

「この病院にいる間はあたしがどこにでも連れてってあげるからさ」

「あ、ありがとう、ございます」

 そんなさやかの態度に呆気に取られる少女だったが、その優しさを感じたのか笑顔を浮かべてお礼を言った。

「そうだ、自己紹介しないとね。あたし、美樹さやか。よろしく」

「さやかさん。私は八神はやていいます」

 ――そうして魔法少女の素養を持つ少女と闇の書の主に選ばれた少女が出会った。その傍らで様子を眺める白い動物の姿があったことに、二人はまるで気づかなかった。



2012/9/5 初投稿



[33132] 第6.5話 見滝原に現れた新たな魔法少女なの その2
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/09/09 03:02
 自己紹介を終えたさやかとはやては近くのベンチまで移動し、他愛のない話をする。さやかにとっては恭介が病室に帰ってくる暇つぶしのつもりだった。しかし妙にはやてと馬が合ったためか、時間を忘れて会話を楽しんでいた。それははやても同じで、大人以外の人物と話すこと自体が久しぶりだったこともありはしゃいでいた。

「それにしてもさやかさんは彼氏さんのお見舞いかあ。やっぱり中学生は進んでいるんやなあ」

「い、いや、恭介は彼氏じゃないし! ただの幼馴染だから!!」

 そう言うさやかの表情真っ赤だった。太陽は傾いているが、決して夕日の光が差したせいではないだろう。

「でもいいんですか? こないなところでわたしと話していて。彼氏さん、待っているとちゃいます?」

「だから彼氏じゃないって。……それに今日は検査が長引いているみたいでさ。もう少ししてから行くつもり」

「そうですか。……でも羨ましいなあ。聞いた限りだと、さやかさん、ほぼ毎日お見舞いに来ているんですよね? ……わたしのところには誰も来てくれないから」

 はやてには身寄りがまったくなかった。大阪で生まれたはやては幼い頃に両親を亡くし、父の友人を名乗るギル・グレアムからの援助を受けて暮らしていた。しかし仕事の関係上、グレアムがはやての元に訪れることは全くと言っていいほどなく、基本的に彼女は物心の付く前からヘルパーの手を借りつつも、基本的には一人で生活をしていた。さらにその数年後、原因不明の病で足が動かなくなり、車椅子での生活を余儀なくされていた。

 そうして不自由な生活を強いられることになったはやてだが、特に不満に思ったことは一度もない。出掛けた先では不自由を感じることもあるが、先ほどのさやかのような親切心を持った誰かが手を差し伸べて助けてくれる。家の中も至るところにバリアフリー設備が施されており、また通いでやってくるヘルパーの人たちもとても親切だ。主治医の石田も献身的に治療を続けてくれている。そんな日常をはやては不満に思うどころか、恵まれていると感じていた。

 だがそれは、裏を返せばはやては今以上の生活を欲していないことに他ならない。はやては家族の温かみを必要とはしていない。自由に動く健康的な身体もいらない。今の生活で満足している。だからこれ以上、嫌なことは起きないでほしい。はやてが今の生活で望むのは、ただそれだけだった。

「なら、これからはあたしがはやてのことを見舞ってあげるよ」

 だから最初、さやかの口から出た言葉がはやてには理解できなかった。

「いや~、こうして話してみるとはやてってかなり面白いしさ。……恭介の見舞いをするついでっていうと言葉は悪いけど、二人を同時に見舞うくらい、さやかちゃんにはどうってことないからね」

 戸惑っているはやてを尻目に、おどけた口調で言葉を紡ぐさやか。だがその目は真っ直ぐ、はやてのことを見つめて離さない。真正面から向けられるさやかの優しさに、はやてはなんて答えれば良いのかわからなかった。

「えと、その、でもそれは、さやかさんに迷惑なんとちゃいます?」

 だからか、はやては入院をしているわけでもないのにどこかずれた言葉を告げてしまった。

 そんなはやてにさやかはいきなりデコピンをする。突然のことにはやては避けることができず、弾かれたおでこは赤くに染まる。

「な、なにするんですか!?」

 おでこを抑えながら抗議の言葉を上げるはやて。だがさやかはまったく悪びれた様子はなかった。

「ごめんごめん。でもはやてだって悪いんだよ。あたしたちってもう友達じゃん? 友達が友達を見舞うのは当然じゃない。……それを迷惑になるから来るなだって? あたしのことを気遣う暇があったら、その前に早く足を治しなさいな」

 それはさやかの本心からの言葉だった。はやてとは歳も違うし、ほんの一時間前に初めて会ったばかりの間柄だ。しかしその間、彼女とは楽しく会話に花を咲かすことができた。そんな相手を『友達』と呼ぶことは、さやかにとっては自然なことだった。

「……友達」

 だがはやてにとってその言葉は、とても衝撃的な言葉だった。

 今までもはやてに親切にしてくれる人はたくさんいた。一度、町に出かければ彼女は色々な人の助けを借りて目的地まで移動した。その中で主治医の石田や商店街のお肉屋のおばちゃん、近所の主婦など顔見知りになって親しくなる大人の人はたくさんいた。

 だがその中には友達と呼べるような間柄の人は一人としていなかった。学校にも通っていないはやてには、同年代の友達が一人としていなかった。

「あ、あれ? あたしたち、もう友達になってると思ったけど違った?」

 驚いた表情を浮かべるはやてにさやかは疑問の言葉をぶつける。

 さやかの見る限り、自分と話すはやてはとても楽しそうだった。年相応の笑顔を浮かべ、下半身に目を向けなければどこにでもいるような少女。そんな彼女が両親に先立たれ、両足が原因不明の病で歩くことができないことなど、さやかには到底信じられなかった。

 はやての見せた一喜一憂の表情は、年相応の少女の顔そのものだ。同じように腕を動かすことができずに入院している恭介の悲壮感に溢れた表情とは違う。彼女の笑顔には曇りがほとんどなかった。

 そんなはやてだからこそ、さやかは何の躊躇もなく、はやてのことを『友達』と呼んだのだ。人間、相手と少し話せば大体、その人物と話が合うかどうかはわかる。その上ではやてには、もっと話したいと思わせる何かがあったのだ。

「うわわっ、もしかしてあたし、何か気に障ること言っちゃった!?」

 そんなさやかの気持ちを敏感に感じ取ったはやては、瞳からぽつぽつと涙を零していく。

「そうやない、そうやないよ。私、そないなこと言われたの初めてで、凄く嬉しくて……ごめんな。でも嬉しくて涙が止まらへん」

 はやては全てのことを諦めていた。物心つく前からいなくなった家族。麻痺した両足。幾多の不幸を抱えながらも、彼女は懸命に生きていた。――懸命に『一人』で生きてきた。

 そんな彼女にふいに差し伸べられた手。憧れつつも求めることができなかった友達という存在。何の前触れもなくそのように呼べる存在が与えられたはやては驚きと喜びのあまり、そのあふれる感情を抑えることができなかった。



     ☆☆☆



 泣きやんだはやてを見送った後、さやかは恭介の病室に向かった。いきなり泣かれた時はどうなることかと思ったが、泣きやんだはやては実にすっきりした表情をしていた。その上ではやての方から改めて『友達になること』をお願いされた。それを拒む理由はさやかにはない。そうして晴れて友達になった二人は、携帯の番号を交換し、再会の約束をして別れた。

 その時のことを思い出す度に、自然と頬が綻ぶさやか。そうしているうちに恭介の部屋の前に到着したさやかは、気を引き締めるために自分の頬を思いっきり叩いた。それから扉をノックする。

「恭介、入るよ」

 ノックに対する返事はなかったが、どことなく人の気配を感じたさやかは病室の中にそう声を掛けてから入っていく。案の定、恭介はベッドに横たわりながらCDを聴いていた。さやかはそれを邪魔するのは悪いと、音をたてないようにその傍らに座る。さやかが来たことに気付いた恭介は、チラッと彼女を視界に入れるが、すぐにその視線を窓の外に戻した。

 その表情を見て、さやかは先ほどまでの浮き浮き気分が砕かれる。恭介の表情はとても硬く無機質ものだった。こんな表情の恭介を、さやかは昔、一度だけ見たことがある。

 それは彼が交通事故に遭う前、コンサートに出ていた頃だ。将来を有望視されていた恭介は、数々のコンクールに出場し、良い成績を収めていた。だがあるコンクールでちょっとしたミスをしてしまい、大賞を逃してしまったことがあったのだ。素人のさやかが聞いてもわかるようなイージーミス。そんな恭介を励まそうとしたさやかに向けられた表情。今の恭介はその時と同じ顔付きをしていた。

「何を聴いてるの?」

「亜麻色の髪の乙女」

 恭介はさやかの方を見ようともしない。不機嫌そうな仏頂面のままだ。恭介にとって、クラシックとは掛け替えのない大好きなものだったはずだ。それなのに何故、そんな顔をして聴いているのだろう。恭介が今、何を思って耳を傾けているのか、さやかにはまるでわからなかった。

「あぁ、ドビュッシー。素敵な曲だよね」

 だからこそ、さやかは努めて明るく振る舞う。

「……あたしってほら、こんなだからさ、クラシックなんて聴く柄じゃないだろって皆が思うみたいでさ、たまに曲名とか言い当てたら凄い驚かれるんだよね。意外過ぎて尊敬されたりしてさ」

 それでも恭介は眉一つ動かさない。虚空を見つめる恭介の表情に、さやかは言い知れぬ不安を覚える。

「……恭介が教えてくれたから。でなきゃあたし、こういう音楽、ちゃんと聴こうと思うきっかけなんて、多分一生なかっただろうし」

「……さやかはさ」

 照れ混じりでしゃべり続けるさやかに、ようやく恭介が口を開く。

「なに?」

「さやかは僕を苛めてるのかい」

「えっ?」

「なんで今でもまだ、僕に音楽なんて聴かせるんだ。嫌がらせのつもりなのか?」

 恭介の口から、彼に最も似つかわしくない言葉が飛び出してきたことに、さやかは愕然とした。

「だって恭介、音楽好きだから」

「もう聴きたくなんかないんだよ! 自分で弾けもしない曲、ただ聴いてるだけなんて。僕は……僕は……」

 恭介は泣き叫びながら、CDプレイヤーに向かって左手を力いっぱい振り下ろす。CDは粉々に砕け、恭介の手は血で染まる。だが恭介はそれでも振り下ろすのを止めようとしない。それを見兼ねたさやかは慌ててその腕を抑えつけた。

「……動かないんだ、もう痛みさえ感じない。こんな手なんて……」

 恭介は悲痛な声で告げる。

「大丈夫だよ。きっとなんとかなるよ。諦めなければきっといつか……」

「諦めろって言われたんだ!」

「えっ……?」

 恭介が口にした言葉を、さやかはすぐに理解することができなかった。

「……もう演奏は諦めろってさ」

 恭介のヴァイオリンを聴くことがさやかにとって、一番大切な時間だった。自分には何の取り柄もない。どこにでもいる普通の女の子。そんな彼女の自慢は、幼馴染の男の子がとても格好よくヴァイオリンを弾きこなすことだった。

「さっき先生から直々に言われたよ」

 恭介のヴァイオリンコンクールをはじめて見に行った時のことを、さやかは今でもはっきり覚えている。正直、それまではさやかはクラシックと呼べるものに全く興味がなかった。勉強と同じで、どこか堅苦しい感じがしたからだ。それでも恭介に強く誘われ、その演奏を聴きに行き、さやかの世界は変わった。クラシックとはそれほどまでに人の心を揺さぶるものなのか、と。

「今の医学じゃ無理だって」

 それからというもの、さやかは毎回、恭介が出るコンクールを見に行くようにした。家でも恭介に何かと演奏を聴かせてとおねだりもした。そのたびに恭介は「仕方ないな」といった具合に、さやかにヴァイオリンを聴かせてくれた。その音を聴くだけでもさやかは楽しかった。だがそれ以上に、それを楽しそうに弾く恭介の姿。気がついた時にはその姿がさやかの世界の中心になっていた。

「僕の手はもう二度と動かない」

 ……その姿をもう二度と、見ることができない。彼の弾く音楽をもう二度と聴くことができない。そんなのは嫌だ。さやかはクラシックが好きなわけじゃあない。恭介が弾くヴァイオリンが好きなのだ。クラシックについて覚えたのだって、恭介の弾いている曲の名前を知ったり、自分のリクエストを恭介に弾いてもらいたかったからだ。

「奇跡か魔法でもない限り治らない」

 さやかはクラシックが好きなんじゃない。恭介の事が好きなのだ。彼のヴァイオリンを弾いている時の楽しげな顔を見るのが、さやかにとって一番幸せなことなのだ。そしてさやかは、それを取り戻す手立てを知っていた。

「あるよ。奇跡も魔法もあるんだよ」

 さやかは目線を恭介から窓に向ける。恭介はつられて窓の方を見る。だがそこには何の姿もない。ただ夕日に照らされた街並みが広がっているだけだ。

 だがさやかの瞳には、魔法の素養のある少女にしか見ることのできない白い動物――キュゥべえの姿を映していた。



     ☆☆☆



 一方その頃、まどかは一人で町中を歩いていた。歩きながら、昨日ほむらに言われたことを思い出す。魔法少女になるということは、全てを諦めるということ。もう後戻りできない。あれはいったい、どういう意味なのだろう?

 魔法少女になっていないまどかがいくら考えても、その答えは出なかった。だが一つだけ確かなことは、その言葉を口にしたほむらがとても寂しそうな目をしていたということだ。

 ほむらとはまだ、彼女が転校してきてからの数週間の付き合いだ。それなのにも関わらず、まどかにはもっと昔から彼女を知っているように思えて仕方なかった。それは彼女が転校してくる日、まどかの見た夢にほむらが出てきたのも関係しているだろう。

 だけど夢で見るよりもっと前から、彼女のことは知っていた気がする。だからこそ、ほとんど無愛想な表情をしているほむらから、その感情の機微を見抜くことができていた。

「あれ?」

 そんなことを考えていると、前方の噴水広場を横切っていく学友の志筑仁美の姿を見つけた。仁美はさやか同様、まどかが特に仲良くしている友達の一人だ。しかし彼女は魔法少女のことは一切知らない。そんな彼女に魔法少女のことを隠しているのは、少しだけ心苦しい。だが仁美は魔法の素養を持っていない。そんな彼女を巻き込まないためにも、黙っていた方がいいとさやかと二人で決めたのだ。

 しかし魔法少女のこともあり、さやかやほむら、マミとばかり会っていて仁美と話す時間が減っているようにまどかは感じていた。たまに暇な時間があっても、仁美はお金持ちのお嬢様ということもあり、放課後は習い事を掛け持ちしている。だからここ最近は彼女とは学校にいる間しか話すことができないでいた。

「仁美ちゃーん。今日はお稽古ごとじゃ……」

 まどかは仁美に駆け寄りながら声を掛ける。しかし仁美の首筋にある痣が付いているのを見つけて、まどかはその表情を曇らせ言葉に詰まった。

 仁美の首筋に付いているのは魔女のくちづけと呼ばれる紋章だ。この紋章は魔女に狙われ、操られている人に付けられると以前、マミから聞かされたことがあった。実際、魔女のくちづけを付けた女性が屋上から飛び降り自殺を図る現場を目撃したこともある。その時はマミも一緒だったから事なきを得たが、もしいなかったら間違いなくその女性は死んでしまっていただろう。

「仁美ちゃん、ねぇ、仁美ちゃんってば!?」

「あら? 鹿目さん、ごきげんよう」

 肩を揺らし何度か声を掛けたまどかに対し、仁美は今になって気づいたのかあっけらかんと返事をする。

「どうしちゃったの? ねぇ、どこ行こうとしてたの?」

「どこってそれは……ここよりもずっといい場所、ですわ」

「仁美、ちゃん?」

 仁美の様子のおかしさに、まず間違いなく彼女が魔女に操られていることを悟る。

「ああ、そうだ。鹿目さんもぜひご一緒に。そうですわ、それが素晴らしいですわ」

 そう言うと、仁美は楽しげな足取りで進んでいく。そんな仁美のことを放っておくわけにはいかず、まどかはその後ろをついていった。

 しばらく歩いていると、同じように魔女のくちづけを付けた人たちが集まり始める。仁美一人なら、なんとか止めることができたかもしれないが、こんなに大人数を助けるのはまどかには不可能だろう。

(そうだ、マミさんとほむらちゃんに連絡しなきゃ)

 シャルロッテのグリーフシードを見つけた時のこともあり、まどかたちは何かあった時のために互いの連絡先を交換していた。それを思い出したまどかは慌てて携帯を取り出すと、アドレス帳からまずはマミの名前を出し、慌てて電話する。

「あら? 鹿目さん、どうしたの?」

「もしもしマミさん、大変なんです」

 まどかは魔女のくちづけを付けた人が町はずれの工場に集まっていることを告げた。

「わかったわ。今から急いで向かうから、鹿目さんは家に帰りなさい」

「で、でも、このまま放っておくなんて……」

「あなたは今、一人なんでしょ。それだけの大勢の人が集まっているということは、その先にはまず間違いなく魔女がいるはずよ。そんな場所に魔法少女でない貴女が一人で行くなんて、いくらなんでも危険すぎるわ」

「そ、それでもわたしは……」

「あら? 鹿目さん、どなたに電話していらっしゃるの?」

 気がついた時、まどかの目の前に仁美が立っていた。さらに周囲を見渡すと、先ほどまで一心不乱に歩いていた人たちも、今はまどかの方を向いて立ち止まっている。

「行けない子ですわ。これから私たちは幸せな場所に行くんですのよ。電話なんてしてないで、早く向かいませんと」

 仁美はまどかの手から携帯電話を奪うと、無言でその電源を切る。その間、まどかは震えで身動きすることができなかった。正面から見た仁美の目。どす黒く濁ってハイライトが一切ない。楽しげな口調で話しているのとは裏腹に、その目は一切笑っていない。それは周囲の人々も同じだ。そんな状況になって初めて、まどかはマミの言っていた言葉の意味を理解した。そしてすでに、自分はこの場から逃げ出すことは不可能なのだと気づいてしまった。



     ☆☆☆



「本当にどんな願いでも叶うんだね」

 恭介の病室を後にしたさやかは、病院の屋上でキュゥべえに問うた。

「大丈夫、キミの祈りは間違いなく遂げられる」

 抑揚のない声でキュゥべえが告げる。その言葉を聞き、さやかは内心、ほっとする。恭介にああも啖呵を告げて飛び出した手前、彼の腕が治らないのでは話にならない。恭介のためにも、自分のためにも、キュゥべえには絶対に願いを叶えてもらわなければならない。

「……じゃあ、いいんだね」

 確認するようにキュゥべえが訪ねてくる。その言葉を聞いてさやかは静かに目を閉じる。そうして思い浮かべたのは、昨日ほむらが告げた言葉だ。「魔法少女にはなるな」。さやかは薄々、その言葉が正しいことを理解していた。魔女に殺されかけたマミ、まどかに向けるほむらの態度。そういったものを加味して、あの時のほむらの言葉は純然たる事実であるとさやかは考えていた。

 ほむらのことはまだよくわからない。初めて彼女の姿を見たのは、教卓の前で転校の挨拶をした時だ。その時はただ、自分とは性格が合わなそうな子だと思った。見た目で人を判断するのは良くないが、彼女が大多数のクラスメイトに向ける目が、他人に興味はないと顕著に語っていたのだ。いくら長期入院をしていたとはいえ、そんな相手と仲良くしてやる義理はさやかにはなかった。

 次に出会ったのは、彼女がキュゥべえを襲っている時だ。コスプレをして見たこともない動物を襲う不審者。何も知らない人物がその時のほむらを見ればそう思うだろう。後に魔法少女のことを知りマミから説明を受け、やはり彼女とは相容れない存在だと思った。

 さやかから見れば最悪の出会い方をした相手だったが、ほむらはさやかのことなど露ほども思っていなかっただろう。まどかやマミがほむらと仲良くしようとしなければ、クラスメイトだとしても一生話すことはなかったに違いない。

 だが実際に話すようになって、一つだけわかったことがある。それはまどかのことをとても大切に思っているということだ。どういうわけかは知らないが、ほむらがまどかに向ける目とそれ以外に向ける目はまるで違う。まどかのことを見る時だけ、ほむらの目が優しさを帯びるのだ。それこそ、まどかのためなら何でもする。命でも投げ出してもいい。そういう覚悟が見え隠れする瞳だ。

 そんな彼女がまどかに対してあれほど強い口調で「魔法少女になるな」と言ったのだ。きっとそれは正しいのだろう。

 ……だがそれはあくまでまどかに対してだけだ。あの場には自分もいたが、ほむらはまどかのことしか見ていなかった。つまりまどか以外の人物が魔法少女になろうとどうなろうと彼女にとっては関係ないのだ。

(悪いな、転校生。でもあたしはもう決めたんだ)

 心の中でほむらに謝る。

 さやかはほむらのことを友達だとは思っていない。だが一緒にまどかを心配し合う仲にならなってもいいと思っていた。ほむらのまどかに向ける優しさは、数年来付き合っている自分よりも遥かに深い。同じようにまどかのことを気にかけていた自分だからわかる。そしてそんな相手がいるからこそ、遠慮なくさやかはまどかよりも恭介のことを優先した。

「うん、やって」

 さやかは覚悟を決め、目を開ける。眼前にいるキュゥべえの眼が妖しく光る。その眼をまっすぐ見つめながらさやかは自分の願いを祈る。

 恭介の腕が元通りに治ること。昔のように楽しげにヴァイオリンを弾いてくれること。……初めはただ、そう祈るつもりだった。

 だが彼女は唐突に思い出す。先ほど出会った車椅子の少女の事を……。八神はやて。家族に先立たれ、原因不明の病で足が動かないでいる一番新しい友達。まだ彼女とは一時間ほどしか話していない。それでもさやかは知ってしまった。恭介と同じように苦しんでいる少女のことを。そんな相手を放っておけるはずがない。



 ――そうして、彼女の祈りは契約の直前で似て非なる別のものへと変わった。



「さぁ、受け取るといい。それがキミの運命だ」

 さやかの祈りが、願いが、形となり、彼女の胸から零れ出す。それはソウルジェムという魔法の源になり、さやかの胸から現れ、その手のひらに収まった。さやかは自分の手のひらに収まった青い輝きを放つソウルジェムを見つめる。さやかはそれを見て、自然と笑みを零すのであった。



2012/9/9 初投稿



[33132] 第6.5話 見滝原に現れた新たな魔法少女なの その3
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/09/15 05:08
 工場の中でまどかは目の前で起きている光景をただ眺めていた。生気のない瞳で彷徨い歩く十数人の人々。そのうちの一人がバケツの中に洗剤を注ぐ。さらにもう一人がまた別の洗剤を注ごうとする。

 まどかにはその洗剤に見覚えがあった。それは普段から、鹿目家で使われているごく普通の洗剤だ。だが問題はその組み合わせだ。塩素系の漂白剤と酸性の洗浄剤、各々で使う分には問題のない代物だが、一度混ざると有毒ガスが発生する。だから取扱いには気を付けるようにと詢子に言われていた。

 そして今まさに、まどかの目の前で二種類の洗剤が混ぜられようとしていた。

「ダメ……それはダメ!」

 そのことに気付いたまどかは、慌ててそれを止めようと駆け寄ろうとする。だがそれを仁美に阻まれた。

「邪魔をしてはいけません。あれは神聖な儀式ですのよ」

「だって、あれ危ないんだよ! ここにいる人たち、皆死んじゃうよ!!」

 まどかは必死に叫ぶ。だが仁美はこの事態をきちんと理解していないのか、うっすらと笑みを浮かべているだけだった。

「そう、私たちはこれから皆で素晴らしい世界に旅に出ますの。それがどんなに素敵なことかわかりませんか? 生きている身体なんて邪魔なだけですわ。鹿目さん、貴女もすぐにわかりますから」

 そんな仁美の言葉に呼応するかのように、周囲の人たちは拍手を送る。まどかには目の前にいる仁美が、まるで仁美の皮を被った別人にしか見えなかった。口調こそ確かに彼女のものだが、その言葉の節々から感じられるものがまるで別人。そんな仁美に似た何かにまどかは触れられることさえ耐えられなかった。

「離して!」

 まどかは仁美の手を振り切ると、そのまままっすぐ走り出す。そしてバケツを中に入った洗剤ごと窓から外に放り投げた。

(これでいい。これで皆、死ななくて済む)

 まどかがそう安堵しかけた時、背後から物音がし悪寒が走る。振り返ってみるとそこには、怨嗟の目を向けた人々が集まっていた。まるでゾンビのようなうめき声を上げながら、恨めしそうにまどかに近寄ってくる人々。その姿にまどかの危機感は最高潮へと達する。
壁に追い立てられ、そのまま壁伝いに逃げていくまどか。そうしていると、まどかの手がドアノブに触れた。とっさにドアノブを回しその中に逃げ込むと、鍵を掛け外の人々が入って来られないようにする。だが外にいる暴漢たちはそれでも諦めようとはせず、扉を突き破ろうと何度も叩く。

「どうしよう、どうしよう」

 まどかは半ばパニックを起こしながらも出口を探す。そんなまどかをあざ笑うかのように、異形の怪物が姿を現す。長い髪を赤いリボンでツインテールに結んでいる少女の姿。長い前髪で顔は見えないが、一見すればどこにでもいるような黒髪の少女だ。しかしその身体が彼女のおかしさを際立てた。彼女の身体のあるべき場所にはブラウン管のモニターのようなものが備え付けられている。そのモニターの中には、彼女の名前がラテン文字で記されている。H.N. Elly(Kirsten)――エリー、それが目の前にいる魔女の名前だった。その姿を見てまどかは気づく。すでにこの工場はエリーの結界内に取り込まれていたということに。そしてまどかを囲むように魔女の使い魔たちが群がってきていることに。

「嫌だ、そんな……ッ!」

 天使の輪っかを乗せた白い人形のような使い魔――ダニエル&ジェニファーがまどかの身体に纏わりつく。人形ほどの大きさしかない使い魔に掴まれたまどかは身動きが取れなくなる。

「嫌だ、助けて! 誰かぁぁぁぁああああッ!!」

 まどかが叫ぶと同時に、その身体は虚空に砕けた。



     ☆☆☆



 まどかの危機を察知したマミはほむらだけではなく、さやかにも捜索を頼んだ。本当なら一般人であるさやかに頼むのは気が引ける。しかし電話が切れた時の様子から、もはや一刻の猶予もないと考え、彼女にも伝え、一緒に探してもらうことにしたのだ。

「いい? 美樹さん、もし鹿目さんの居場所を見つけたら、すぐに私か暁美さんに連絡するのよ」

「わかってますって。あたし一人でどうこうしようとは思いませんから」

 さやかは走りながらマミに返事をする。実際、さやかは一人で魔女に戦いを挑む気などさらさらなかった。まださやかが魔法少女になって一時間ほどしか経っていない。その間に自分の魔法少女として使える魔法はわかったが、戦闘面ではマミやほむらほど動けるとは思っていなかった。

 さやかは自分の手の中に収まったソウルジェムを見る。少し黒く濁ったソウルジェム。ここに来る前、一度だけ自分の魔法を使ってしまった代償だ。さやかの魔法は燃費が悪い。たった一度、魔法を使っただけで目に見えて濁ってしまう。おそらく十回も同じ魔法を使えば、ソウルジェムは濁りきってしまうだろう。

 だからこそ、さやかはキュゥべえにも決して一人で戦おうとするなと言われていた。素人である前に、さやかの魔法は脆弱なのだ。さやかの願いが彼女の魔法の在り方を決定づけた。さやかは例えどんなに魔法少女としての経験を積んでも、一人では戦うことはできない。彼女の祈りがさやかに与えたのは、そんな魔法だった。

 だがそこに後悔なんてあるわけない。戦闘面での不利はあるが、この魔法があるからこそ救うことのできる人はいる。――先ほどの恭介のように。

「――マミさん、実はあたし……」

 さやかは自分が魔法少女になったことをマミに明かそうとした。だがその言葉は途中で止まる。近くで魔女の結界の反法を感知したからだ。

「マミさん。見つけました、たぶんここです」

「なんですって!? 美樹さん、貴女、今どこに?」

 さやかはマミに自分のいる場所を伝える。

「わかったわ。そこならたぶん暁美さんの方が近いでしょうから、貴女は暁美さんに連絡してちょうだい」

「いえ、それはマミさんにお願いします。あたしは今から、結界の中に先に突入しますんで」

「なっ……!? 美樹さん、何を考えているの? 貴女は魔法少女じゃないのよ。それなのに一人で結界の中に入るなんて。今日はキュゥべえも一緒じゃないんでしょ。無茶もいいとこだわ」

 慌ててさやかを引き留めようとするマミ。だがさやかの心はどこか落ち着いていた。

「大丈夫ですよ、マミさん。あたしも魔法少女になったんですから。……というわけで転校生への連絡、お願いします」

「えっ? ちょっと美樹さん、美樹さん!?」

 マミの呼びかける言葉を無視してさやかはケータイを切る。

「それじゃいっちょ、まどかを助けに行きますか。できることなら、魔女と出会いませんように」

 そう言って、さやかは結界の中へと飛び込んでいった。



     ☆☆☆



 まどかはエリーが作り出した結界の中を漂っていた。全身に力が入らず、ただただ結界内を揺蕩っている。まるで海の中にいるような感覚。辺りには無数のモニターと一輪のメリーゴーランド。その馬の背や使い魔の頭に乗せられたモニターに、まどかの半生が映し出される。彼女が今まで生きてきた証。その細部に至るまで、包み隠さずモニターに映し出されていた。

 人生というのは選択の連続である。どちらにお菓子を買うかという小さいものから、自分が将来目指すべきものは何にするかという重要な物まで千差万別だ。だがそうした選択肢の積み重ねが今の自分を作り出している。

 しかしその全てが正しかったと思えるわけではない。中には「ああしとけばよかった」と思える部分もあった。そういった後悔している選択肢は二度と取り戻せない。だがモニターの中の自分は時として、実際とは間逆の選択を選んでいるものもあった。そうして得た幸せや笑顔。それを延々と見せられたまどかは、今の自分を否定されている気分に陥る。

(そっか。やっぱりあの時はああしていればよかったんだ)

 一度、そう思ってしまうと、後悔していない選択肢も間違っていたような気がしてくる。それが結界の作用とは気づかず、まどかの心は深い闇へと沈んでいく。

「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」

 エリーの甲高いの笑い声が辺りに響く。まどかの四肢に群がるダニエル&ジェニファー。力なく漂っているまどかの手足を、ゴム人間顔負けに伸ばしていく。そのまま放っておけば、彼女の身体はズタズタに引き千切れるだろう。しかしまどかは抵抗しようとしなかった。もう自分はどうなってもいい。いっそ、仁美と一緒に幸せの国にでも行けたらいい。そんな風に考えていた。

 だから突然、四肢に群がったダニエル&ジェニファーが消滅していき、目の前のモニターに見知った青い髪の毛の少女が現れた時、それが誰だかわからなかった。

「まどか、大丈夫?」

「……さやか、ちゃん?」

 さやかはまどかに返事をする代わりに、モニターの向こうから手を差し伸ばされる。まどかはその手を恐る恐る握ると、強い力で引っ張られモニターの中に引き込まれる。まどかの身体はそのままモニターを潜り抜け、さやかの元へと飛び出していく。

 実のところ、先ほどまでまどかはモニターを介して自分の過去を見ていたわけではなかった。まどか自身がモニターの中に捕らわれていたのだ。その呪縛から解放されたまどかは、先ほどまで自分が何を考えていたのかを思い出し身震いする。そんなまどかを気遣うように、さやかは自分の背中に付けていたマントをまどかに掛けると、その身体をお姫様抱っこの要領で持ち上げた。

「さ、さやかちゃん!?」

 思いもよらないさやかの行動に戸惑うまどか。しかしさやかはそれに意を介そうとしなかった。

「さぁてと、それじゃあまどか、ここから逃げるよ。しっかり捕まっててね」

 そう言うや否や、さやかはまどかを抱えてジャンプする。とても普通の人間ではできないような跳躍力。そんなさやかを追いたてるダニエル&ジェニファー。さやかはダニエル&ジェニファーを蹴り飛ばしながら結界の出口を目指して駆けていく。

 突然の展開に戸惑うまどかだったが、次第に冷静さを取り戻し、さやかの服装がいつもと違うことに気付く。白と青で彩られた騎士装束。マントで隠されている部分は彼女の白い肩を剥き出しにしているオフショルダーの上着。斜めにラインを取ったスカートはさやかの活発な性格を如実に現している。そしてヘソの辺りには青く輝くソウルジェムが収まっていた。

「さやかちゃん、もしかして魔法少女になったの?」

「気づくの遅ッ! ……まぁあんな状況じゃあ仕方ないけど」

 さやかは実に軽い口調で告げる。だがまどかには、何故さやかがそんなあっけらかんな態度でいられるのか理解に苦しんだ。

「どうして? 昨日、ほむらちゃんに魔法少女になっちゃダメって言われたばかりなのに……」

「あはは……。でもマミさんが言ってたじゃん。覚悟があればあとは自由だって」

「でも危ないんだよ! 一歩間違えたら死んじゃうんだよ!!」

 震える声で指摘するまどか。思い出すのはシャルロッテに食べられかけたマミの光景。もしあのままマミが死んでしまっていたらと想像するだけで涙が溢れそうになる。もしさやかがそんな目に遭ってしまったら、まどかには耐えられる自信はなかった。

「……まどか。別にあたしは軽はずみな気持ちで魔法少女になったわけじゃないよ。どうしても叶えたい願いがあったから。そのためになら、その後の人生なんて犠牲にしても良いって思えたから」

 さやかは真面目な顔をしてそう告げる。その顔を見たまどかは、寂しさを覚えた。時たまにほむらやマミに覚える距離感。魔法少女と普通の人間である自分との間にある超えられない壁。それを今、まどかはさやかに対しても感じてしまったのだ。だからこそまどかには、それ以上は何も言えなくなってしまった。

「……本当にそうなのかしら?」

 そんなまどかの代わりに辺りに響く第三者の声。それと同時にさやかたちの背後に近づいていたダニエルとジェニファーが爆散する。突然の爆発に思わずその場で足を止めるさやか。その爆炎の中にはほむらの姿があった。

「遅かったじゃない、転校生。……それでさっきのはどういう意味なのさ」

「あなたは……」

 ほむらは何かを言い掛け、言葉に詰まる。

「……いえ、別にあなたがどうなろうと私には関係ないわ。あなたはさっさとまどかを連れて結界の外に逃げなさい。こいつは私が狩るから」

 その代わりに出てきたのは、現状に対する指示とも呼べる言葉。ほむらはさやかにそれだけ告げるとその場から消え去った。本当ならほむらの言う通り、すぐにでもまどかを連れてこの結界を抜け出さなければならないだろう。だがほむらが去り際に見せた瞳の色がさやかの心を掴んで離さなかった。

 まるで憎らしい邪魔者を見るかのような黒い瞳。さやかにはそんな目を向けられる心当たりは全くない。確かに彼女の言いつけを守らず、魔法少女になったことは、ほむらからすれば気にいらないことだろう。だがそれだけであんな黒い感情をぶつけられるとは思いもよらなかった。

 さやかは思わず唇を噛み締める。さやかは今まで、自分が魔法少女ではないからほむらの考えが理解できないのだと思っていた。――だがそれは違った。魔法少女になったことで、さやかにはそれまで以上にほむらのことがわからなくなってしまったのだ。

「さやかちゃん?」

 いつまでもほむらがいた場所を睨みつけていたさやかに、まどかは心配そうに声を掛ける。その声に気付いたさやかは、今、自分がやらなければならないことを思いだした。

「ごめん、まどか。少しボーっとしてた。魔女の結界の中だってのに、危機感ないな、あたし」

「ううん、それはいいんだけど……」

「とりあえず転校生の言う通り、まどかはあたしが責任を持って安全なところまで送り届けるからさ。大船に乗ったつもりで安心してよ」

 さやかは再び、結界の外に向かって走り出す。その胸の中でまどかは、先ほどの二人のやり取りを思い出していた。さやかに向けるほむらの瞳、ほむらが去った場所を見るさやかの瞳。自分の知らないところで何か見えないやり取りをしていたような二人。

(……わたし、一人だけ取り残されちゃったのかな?)

 魔女や魔法少女のことを知っている知り合いの中で、自分だけが未だ魔法少女ではない疎外感。初めから魔法少女だったほむらやマミ。自分の願いを決めて魔法少女になったさやか。そんな彼女らに対して、まどかにはどうしても叶えたいと思える願いすらない。そんな強い思いを持てない自分に、まどかはもどかしさを感じていた。

「ほい、到着っと」

 その言葉で我を取り戻したまどか。いつの間にか結界から抜け出していたらしい。

「それじゃああたしは結界の中に戻って転校生の手伝いをしてくるね」

「待ってさやかちゃん」

 すぐに結界に戻っていこうとするさやかをまどかは気づいたら呼びとめていた。

「さやかちゃんは、キュゥべえに何をお願いしたの? やっぱり上条くんの腕のこと?」

 まどかに思いつく限り、さやかがキュゥべえに叶えてもらいたい願いというのは十中八九、彼女の幼馴染である上条恭介の腕のことだろう。

「……確かにそれもあるんだけど、厳密には違うかな?」

「えっ?」

 だからさやかの口から、遠回りとはいえ否定の言葉が出てきた時には驚いた。

「もちろん最初はね、『恭介の腕を治して』って願うつもりだったんだよ。でもね、そう願う直前、ほんの少し前に知り合った女の子のことを思い出したんだ」

「女の子?」

「そう。小学三年生の女の子。その子はね、原因不明の病で足が動かないんだって。その子のことを思いだしたらさ、一度限りの奇跡を恭介にだけ使っちゃうのは不公平なんじゃないかって思ったんだ。だからあたしはこう願った。『どんな病も怪我も治せるようになりたい』って」

 さやかの願い、それは奇跡の安売りだ。本来なら一回しか叶えられない権利の行使。だが限定的条件とはいえ、その権利そのものを得ることをさやかは願った。そしてキュゥべえはそれを叶えた。

「実は願いを祈った後、キュゥべえに怒られたんだよね。突然、願いを変えるなってさ。本当ならさっきまどかを助けた時、派手に魔女を倒してみたかったんだよね。転校生の魔法はよくわからないけど、マミさんみたいに派手に魔女と戦ってみたかった。……でもあたしの魔法には攻撃手段がない。だって治すことを祈ちゃったんだから」

 本来なら代償などなく、魔法の力を手に入れることができる。だがさやかは自身が得る魔法そのものを願ってしまった。だからこそ、彼女は願った魔法以外のものは何一つ得ていない。魔法少女になったのにも関わらず、武器らしい武器を作り出すこともできない。無限に物を持ち運びすることもできない。身体能力こそは強化されたが、それ以外は回復することしかできない魔法少女になってしまったのだ。

「だけどあたしには後悔なんてないよ。ここに来る前、あたしの手で恭介の腕を治すことができたんだ。魔女と戦えなくたってこの力さえあれば誰かを助けることはできる。魔女との戦いだって、傷ついたマミさんや転校生のサポートに徹すればいい。――だから後悔なんてあるわけない」

 さやかは力強く告げる。そんなさやかをまどかはまぶしく思えた。……いや、さやかだけじゃない。ほむらもマミも、まどかから見たらとてもまぶしくてたまらない存在だった。

 マミは願いごとこそ考える時間がなかったと言っていたが、魔法少女になってからは「この町の平和を守る」という使命感の元、戦い続けいていた。

 ほむらは理由こそ聞かされていないが、精一杯、何かのために頑張っている節があった。それがきっと彼女の願いに関係することなのだろう。

 皆、何かしら強い思いを持っている。だけどまどかにはそれがない。何でも願いを叶えられると言われても、どうしても叶えたいと思える願いさえ浮かばないのだ。

「……それじゃあそろそろあたし行くね。転校生のことだからたぶん大丈夫だと思うけど、万が一怪我していたらあたしの出番だからね」

 そう言ってさやかは元来た道を戻っていく。そうして去っていく姿がまどかにはとても羨ましく、そして寂しく感じさせた。



     ☆☆☆



 ほむらはエリーと対峙して、奇妙な違和感を覚えていた。彼女は同じ時間を何度も繰り返している。その中で何度となく同じ魔女とも戦ってきた。目の前にいる魔女も、過去に幾度となく撃ち滅ぼしている。そのためほむらには魔女ごとにどういう攻撃を繰り出し、どこら辺に攻撃を仕掛ければ有効なのかが全てわかっていた。

 ……にも関わらず、ほむらは攻めあぐねていた。そもそもエリーの使い魔、ダニエル&ジェニファー自体、ほむらが知っているものより数段強い力を持っている。時を止め、至近距離で手榴弾を爆発させてようやく倒すことができる二匹一対の使い魔。しかし過去の周回では、拳銃を一発当てれば倒すことができていた。

 力を付けた使い魔が魔女になるように、魔女も人を喰らうことで成長する。だがそれにしても、エリーの力はほむらの知っているものとは違い過ぎた。エリーの急所にダイナマイトをいくら仕掛けても、ビクともしない。ワルプルギスの夜を除いて、魔女相手にこれほど苦戦を強いられたことは今までなかった。

(この周回はイレギュラーが多すぎる)

 ほむらは内心で舌打ちする。目の前のエリーもそうだが、一番顕著なのは魔導師フェイト・テスタロッサの存在だろう。魔法少女とは違う魔導師というカテゴリーに属する少女。ほむら自身が彼女から話を聞いたわけではなかったが、マミ経由で話を聞く限り、魔法少女とはまた別の法則の力を操ることは明らかだった。

 しかしそんな彼女は今、見滝原にいない。ジュエルシードを求めて見滝原から電車で数時間ほどの距離にある海鳴市に向かったはずだ。フェイトがマミに嘘をついて見滝原に留まっている可能性も考え、町中を虱潰しに探してみたが見つからなかったのだ。少なくともその点に関しては本当のことなのだろう。

 だからこそ、ほむら自身がフェイトから話を聞けなかったことを後悔する。まさか彼女があのまま見滝原を去ってしまうとは思っていなかったが故、彼女のことを後回しにしてしまった。そのためほむらには魔導師の正確な情報が伝わっていなかった。もしかしたら魔導師の技術を使えば魔法少女としての力を向上させることができるかもしれない。そうすればワルプルギスの夜との戦いで、大きな武器となり得たはずだ。だからこそ、ほむらはいずれフェイトにコンタクトを取ろうと考えていた。

(どちらにしても――こんなところでは負けられない)

 ほむらはエリーを睨みつけながら時を止める。そして周囲の使い魔、およびエリーの本体に無数の爆薬を仕掛ける。今までは事前知識を元に、エリーの弱点ヶ所にしか仕掛けなかった爆弾。しかし今回は彼女の身体の至る所に爆弾を張りつけた。その数は実に百にも及ぶ。これほどの数を消費してしまうのは勿体ない気もするが、失った爆弾はまた作るか盗み出すかすればいい。今はまどかを危険な目に合わせた魔女を倒すことに全力を注いだ。

 ほむらが爆発に巻き込まれないように遠くの物陰に移動してから時を動かし始める。それと同時に結界内に響き渡る轟音。辺りに包まれる硝煙。爆発の衝撃で、頭上から使い魔の肉片が降り注ぐ。これほどの爆発だ。いくら強力な魔女とはいえ一溜まりもないだろう。ほむらは結界が解けるのを静かに待つ。

 そんな彼女の甘い考えはすぐに否定された。爆炎の中から見え隠れするエリーのシルエット。煙が晴れると、そこにはまだエリーが存在していた。だが流石に無傷というわけではない。焼けただれた肌はマグマのように泡立ち、身体のモニターにはノイズが走っている。黒かった髪の毛はすっかり焼け焦げてしまったかチリチリになり、前髪で隠れていた彼女の瞳を剥き出しにしていた。人間で言うところの眼球が収まっている場所だが、エリーのそこには小さなブラウン管が収まっていた。だがそれも左側のみ。火傷の多い右側は爆風で吹き飛んでしまったのか空洞になっている。その奥に何かあるのか、妖しく青く輝いていた。

 どうやらあの場にいたダニエル&ジェニファーは全て消滅させるに至ったようだが、肝心のエリーは倒しきることはできなかったらしい。それでも数の暴力が有効であることはわかった。後はエリーが死ぬまで爆弾を張りつけ続ければいい。――それで勝負は決まるはずだった。

 しかし突然、エリーの目の奥の青い光が強さを増す。その輝きは彼女の身体を包み込む。そしてその輝きが収まった時、そこには傷一つないエリーの姿があった。

「嘘、でしょ?」

 思わず茫然とするほむら。その隙をエリーは見逃さなかった。エリーの目から放たれる青白いレーザー光線。その突然の攻撃に茫然となっていたほむらは対処することができず、左足に照射される。

「くぅ……ッ!!」

 痛みに耐えながら、レーザーの射線上から逸れるほむら。照射を受けた左足を見てみると、小さな正方形の形でほむらの左足が焦げ付いていた。茶色を通り越して黒ずんだほむらの左足の一角。心なしかそこから芳ばしい香りが漂ってくる。おそらくこの足では素早く動くことはもう不可能だろう。もし自分が魔法少女でなかったら、立っていることも不可能だったかもしれない。

 そんなほむらを追い立てるように、エリーはレーザーを放ち続ける。ほむらは時を止めながら避けながら、どうすればエリーを倒すことができるのか考えていた。

 単純に考えれば先ほど以上の攻撃、それこそダイナマイトではなくミサイルなどの対艦兵器で攻撃を仕掛ければ一発で仕留めることができるかもしれない。威力はあるが爆破範囲の狭い対人爆弾とは違い、ミサイルなら町一つを焦土と化す威力を持っている。しかし結界内でそのようなものを使えば、ほむらもただでは済まないだろう。ワルプルギスの夜ならともかく、ただの一魔女ごときと相撃ちで死ぬなど、彼女の目的を考えればあってはならないことだ。

 つまり今の彼女には、エリーの攻撃を避け続けることしかできない。有効な攻撃手段を持ち合わせていないほむらは、援軍の到着を待つことしかできなかった。

「いたっ……」

 だが単純に時を止めて避け続けるのにも限界があった。ほむらは足の痛みに注意が逸れ、反応に遅れてしまう。その隙をついて、彼女の額めがけて放たれるレーザー光線。とっさに時を止めようとするが、間に合うかどうかはギリギリだった。

 しかしほむらに命中する直前、彼女はまるで空気砲にでも吹き飛ばされたかのように射線上から無理やり逸らされる。痛みはなかったが、突然の出来事に受け身を取ることができずその場に倒れこんでしまう。

 すぐに追撃の手が来ると思ったほむらだったが、彼女の予想に反し、エリーからの攻撃はほむらに向けられなかった。

 それはエリーが現在、マミと戦っていたからだ。彼女はほむらに攻撃の手が向かわないよう、派手に立ちまわりその注意を惹きつけている。おそらく先ほどの空気砲を放ったのもマミだろう。とっさのこととはいえあの場合、敵の攻撃を避けるためにはマミの判断は最適だったとほむらも思う。

「大丈夫、転校生?」

 そんなほむらに手を伸ばしてきたのはさやかだ。ほむらはその手を取り、立ちあがろうとするが足の火傷がそれを許さなかった。倒れた時に打ちどころが悪かったのか、ほむらの足から焦げた皮膚がパラパラと落下していく。

「あんた、その足は?」

「……ちょっとあの魔女にやられてしまっただけよ。そんなことよりまどかは?」

「まどかならきちんと結界の外に送り届けたよ」

 言いながらさやかはほむらの傷に手を当てる。

「あなた、いったい何を?」

「いいから黙って見てなって」

 さやかの手のひらから優しい青い光が零れる。その光はとても温かく、先ほどまで感じていたほむらの足の痺れが取れる。さやかにもそれがわかったのか、彼女が手をどけると、攻撃の受けた部分は火傷一つない綺麗な肌に戻っていた。

「これで立てるでしょ?」

 そう言ってさやかは再び手を差し伸べる。だがほむらは敢えてその手を取ろうとはせす、自分一人でその場に立ちあがった。

「……一応、感謝しておくわ」

「全く素直じゃないなぁ」

 ほむらの言葉がさやかには照れ隠しだと思い、にやついた笑みを浮かべる。しかしほむらの心の中にあったのは、さやかの魔法が今までの周回とは違うことに対する驚愕だった。魔法少女になった時の衣装自体はほむらも見知っているものだ。だがさやかの魔法に他人を治癒するようなものはなかったはずだ。彼女の願いは『上条恭介の腕を治すこと』。その願いを叶えたキュゥべえは、おそらく一時的に恭介の自己治癒能力を驚異的なレベルで上げたのだろう。だからこそ、さやかの魔法も自己治癒能力に特化したものだったはずだ。

 だが目の前のさやかは他者に対する治癒能力を持っている。この二つは似ているようでまるで違う。自己治癒能力はどんな怪我や病気を負っても、時が経てば自然と治るようなものだ。例えさやか本人に意識がなかろうとも、その身体は自動で彼女のことを治し続けるだろう。

 しかしああして手を翳して治療する魔法の場合、明確に『治す』という意思を持たなければ自分を治すことはできない。他者にまで有効な魔法というのは一見すると強力に思えるが、実際はその逆。自分の意思を介さねば使えない治療魔法など後方支援としては最適だが、基本的に一人で戦うことの多い魔法少女にとっては致命的な欠陥を持つ能力だった。

「……美樹さやか、やはりあなたは魔法少女になるべきではなかった」

「なっ、なんだよ、あたしの治療を受けといて偉そうに」

 いきなりのほむらの発言にさやかは怒気を荒げる。そんなさやかのことを無視するかのように、エリーを惹きつけているマミの傍に向かう。

「暁美さん、ごめんなさい。遅くなってしまって」

「いえ、別に気にしてないわ。それよりもあなたに頼みたいことがある」

「あら? 何かしら?」

 ほむらはマミの手を握ると時を止める。いきなり周囲の景色が静止したことに驚いたマミだったが、それがほむらの魔法だと知るとすぐに納得した。

 そんなマミに対し、ほむらが一人で戦っている間に考えたエリーの攻略法をマミに伝える。

 ほむらはまず、目の前のエリーと過去に自分が戦った一番の違いを考えた。その中でも一番目立つのが、過去のエリーの攻撃パターンにレーザー光線などは存在しなかったことだ。彼女の攻撃手段は主に精神に揺さぶりを掛けるというもの。魔法少女でなければ簡単に捕らわれてしまう人心掌握。しかしそれ以外は、大した攻撃手段を持たず、成り立ての魔法少女でも楽に倒せてしまうような魔女だった。

 さらにエリーの見せた驚異的な回復能力。あれほどの傷を一瞬で回復してみせたエリーは、普通の魔女と一線を画した存在なのは誰の目から見ても明らかだろう。

 そこでほむらは気づく。そのどちらも青い光が関係していることに。青い光に包まれたエリーは、次の瞬間には傷一つなくなっていた。彼女の目から放たれるレーザーの色は青色だ。つまりそこにエリーの強化の秘密があると考えた。だからこそ、傷ついたエリーの右目の奥で光っていた青い輝きがほむらには気になった。

「つまり暁美さんがあの魔女を無防備にしてから、私がその青い光目がけてティロ・フィナーレを放てばいいわけね?」

 ほむらの説明をマミは簡潔に纏める。ほむらの攻撃では範囲を絞った強力な一撃を放つことはできない。マミのティロ・フィナーレは強力な砲撃だが、無傷のエリー相手ではその攻撃を奥にまで届かすことはできない。だからこその協力作戦。

「ところで、そのことを美樹さんには伝えたの? 彼女にも協力してもらったらもっと上手く行くんじゃないかしら?」

 マミは静止した世界に留まるさやかの姿を見る。怒気を孕んだ迫力のある表情。おそらくほむらが何かしらを言ってさやかを怒らせたのだろう。案の定、さやかの名前を出すとほむらの目つきが一際、鋭くなる。何もこんな時まで喧嘩しなくてもいいのにとマミは呆れた。

「伝える必要はない。美樹さやかの魔法は攻撃面では全く期待できない。むしろ周りをチョロチョロされると邪魔になるだけだわ」

「随分と手厳しいのね。そんなに彼女が魔法少女になったことが嫌だったのかしら」

「……別に」

 言葉とは裏腹に、ほむらがさやかのことを気にしているのは明らかだ。結界内で一足先にさやかと合流したマミは、電話で事前に聞かされていたとはいえ、彼女が本当に魔法少女になっていることに驚いた。だがそれと同時に納得している自分もいた。さやかは以前、誰かのために願いを使いたいと言っていた。その理由までは聞いていなかったが、おそらくその相手に対して願いごとを告げたのだろう。その行為自体を、マミは否定するつもりはなかった。

 しかしほむらは魔法少女になることに対して否定的だ。そんな彼女がさやかに怒るのも無理はないとマミは理解していた。

「暁美さんにも美樹さんにも譲れないものがあるのね。……とりあえずそのことについては、あの魔女を倒してから納得のいくまでゆっくり話し合うといいんじゃない?」

「……今から一度、時を動かすわ。その五秒後に私が魔女に攻撃を仕掛けるから巴マミは止めを刺す準備して」

 マミの言葉に対して、ほむらは事務的な返答をする。そして次の瞬間、周囲の時は動き始めた。ほむらたちの姿を見失ったエリーだったが、ほむらの方から近づいてくるのを見て、レーザーを放つ。その隙にマミはさやかを連れて近くの物陰に隠れる。突然のことに戸惑うさやかだったが、マミの有無も言わさぬ迫力に着き従うしかなかった。

 そのきっかり五秒後、結界内には巨大な爆音が響き渡る。突然の轟音に戸惑うさやか。それに対してすでにその事態を覚悟していたマミは何も動じず、物陰の頭上にティロ・フィナーレを放つための巨大なマスケット銃を精製する。煙の中から一筋の青い光が見える。煙の合間からボロボロになったエリーの右目の奥が光っていることは、誰の目から見ても明らかだった。

「今よ!」

 ほむらの叫ぶような声。その声に従い、マミは引き金を引いた。放たれるティロ・フィナーレ。それはまっすぐにエリーの右目の空洞目がけて飛んでいく。僅かな隙間の中に吸い込まれるように、ティロ・フィナーレが注ぎ込まれる。そしてそのまま青い光を放つ宝石に衝突する。衝突した瞬間、結界を吹き飛ばすほどの勢いで魔力が青い柱となって放出される。先ほどまでエリーから感じていたものとは比べ物にならないほどの強大な力。それが目の前の青い柱から発せられていた。次第にその力は収まっていき、最後には一つの青い宝石がその場には落ちていた。

 この場にいる人たちの中で、その名前を知るものは誰もいない。しかし海鳴市で活動している魔法少女や魔導師にとっては、その宝石――ジュエルシードはとても見慣れたものだった。



2012/9/15 初投稿



[33132] 第6.5話 見滝原に現れた新たな魔法少女なの その4
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/09/22 22:53
「待っていたわ。よく来てくれたわね」

 空に輝く綺麗な満月の光に照らされる鉄塔の上に、一人の少女の姿があった。どうやって持ち込んだのか、鉄塔の上には似つかわしくない白いテーブルが置かれていた。その席に着きながら少女は白いカップに淹れられた紅茶を飲みながら来訪者に声を掛けた。

 少女はとにかく白かった。足跡のない純白の雪景色のような白さ――ではない。まるで嘘で塗り固められたペンキのような白さだ。白を基調としたゴシックドレスに身を包み、その頭には純白なショールがあしらわれた帽子をかぶっている。胸元につけられたパールホワイトの輝きを放つ宝石は、星々の輝きと組み合わさり、煌びやかに反射している。それは彼女の銀色の髪も同じで、彼女を中心とした一角は実に幻想的な雰囲気に包まれていた。

「これがキミの言っていた見せたかったものかい?」

 そんな彼女に返事をした来訪者は、人間ではなかった。白い毛皮に赤い模様、感情の籠っていない宝石のような赤い瞳。猫のような小さな矮躯と可愛らしい仕草で数多の少女を魔法少女に勧誘してきた知的生命体、キュゥべえである。

「ええ。実に興味深い光景だと思わない?」

 白の少女は視線をテーブルの上に置かれた水晶に向ける。水晶に映されたのは、この近くの廃れた工場で繰り広げられている非現実的な光景だ。華美な衣装に身を包んだ年端もゆかぬ黒髪の少女が、異形の怪物との戦いを繰り広げていた。黒髪の少女は魔法少女と呼ばれる正義の味方だ。そんな彼女と相対しているのは魔女と呼ばれる絶望を振りまく存在だ。

 だが当然、そのようなことは当然、キュゥべえは知っている。魔法少女になる少女たちの願いを叶えるのはキュゥべえだし、そもそも魔女を「魔女」と名付けたのは彼なのだ。だからこそ、目の前の少女が自分を態々こんなところに呼んだ理由がわからなかった。

「わからないな。一体、この戦いにはどのような意味があるんだい?」

「あら、気づかないかしら? あの魔女の異様な魔力に」

「異様な魔力?」

 少女の言葉に、キュゥべえは魔女の魔力エネルギーを探る。すると驚くべきことに、目の前にいる魔女は、並みの魔女の数倍の力を持っていた。

「これはいったい、どういうことだい?」

「貴方も知っているわよね。ここから三時間ほど行ったところの町で発見された魔力を帯びた宝石、ジュエルシード。それをね、あの魔女……いえ、使い魔だったものに与えたのよ」

「……使い魔だって?」

 驚愕の声を上げるキュゥべえ。そんな彼を尻目に白の少女は淡々と話し続ける。

「そうよ。使い魔がジュエルシードを手に入れたらどうなるかという実験。結果はご覧の通り、ジュエルシードの魔力を吸収した使い魔はすぐさま魔女へと変貌し、それどころか並みの魔女以上の力を得るまでに至ったわ」

 キュゥべえは水晶の中に目を向ける。確かに水晶に映されている魔女の繰り出す攻撃や放っている魔力は通常の魔女より遥かに強力なものだった。

 その姿を見て、海鳴市で初めて遭遇した魔女――バルバラのことを思い出す。思えばバルバラも通常の魔女より遥かに強い魔力を放っていた。さらにすずかがバルバラを倒した時、そこにはジュエルシードとグリーフシードのほかに、真っ二つに切り裂かれた使い魔の死骸があった。見間違いかとも思ったが、やはりあの使い魔こそがバルバラの正体だったのだ。

「キミはあのジュエルシードが魔女の手に渡ることは考えなかったのかい?」

 そう考えると恐ろしいのは、ジュエルシードが元々、魔女の手に渡った場合だ。使い魔でさえ、あれほどの力を放つ魔女へと変異するのだ。もし初めから魔女が手にしていたら、それこそワルプルギスの夜のような魔女の集合体並みの力を発揮してもおかしくはなかった。

「その点については大丈夫よ。ジュエルシードを手に入れた段階で、使い魔の方がそれを生みだした魔女より強くなっていたから。使い魔が魔女を喰らう光景なんて、初めて見たわ」

 紅茶を口に含みながら、白の少女はその時の光景を思い出しす。彼女自身には、その光景に対して何の感想もない。ただ予想が予想通りの結果に終わっただけだ。唯一の例外は、使い魔が魔女を喰らいさらに力を付けたことだが、それでも予測の範囲から洩れたとは言えないだろう。それにいくら力を付けたと言えど、この町にいる魔法少女が力を合わせれば十分勝てる相手だ。特に心配する必要もない。

「ところで肝心なことを聞き忘れていたけど、ジュエルシードはいったいどうやって手に入れたんだい?」

 使い魔の話で逸れてしまったが、そもそも何故、彼女がジュエルシードを知り、手に入れることができたのか。自分がジュエルシードを入手する上でも、その方法がキュゥべえにとっては喉から手が出るほど知りたかった。

「そうね。ただ彼女たちの戦いっぷりを見ているだけでは、貴方にとってはつまらないかもしれないわね。それじゃあ少しだけお話させてもらおうかしら? あれは確か、十日ほど前のことね」

 そうして白の少女――美国織莉子は軽い口調で語り始めた。



     ★★★



 その日、高町なのはは月村すずか、アリサ・バニングスと共に父親である士郎がコーチ兼オーナーをしているサッカーチーム、翠屋JFCの試合を応援に来ていた。なのはたちの応援の甲斐もあってか、二対〇で勝利を決めた。

 今はその祝賀会。なのはたちは翠屋のテーブルで、昼食がてらおしゃべりに興じていた。しばらく和やかに話していると、祝賀会が終わったのか翠屋JFCのメンバーが店から出てきた。少年たちはそれぞれの帰路についていく。その中の一人が鞄の中から青い宝石を取り出し、ポケットに入れる姿をなのはは偶然、目撃した。

(あれってジュエルシード? ……でも、気のせいだよね。ユーノくんも何も言ってないし)

 マネージャーの女の子と一緒に帰っていく少年の後ろ姿を見ながら、なのはは思う。

「さて、じゃあ、あたしたちも解散?」

「そうだね」

「そっか、今日は皆、午後から用があるんだよね」

 先ほど聞いた話では、アリサは久しぶりに日本に帰ってきた父親とお買いもの。すずかは忍と出掛けることになっているのだという。

「いいなぁ。月曜日にお話、聞かせてね」

「うん、任せなさい」

 何故か自信満々に答えるアリサ。しかしすずかの表情はどこかぎこちないものだった。
実のところ、彼女が忍と出掛けるというのは嘘である。本当はキュゥべえと共に魔女探しを行う予定だったのだ。まだすずかは魔法少女を上手く見つけることができない。慣れれば魔女や使い魔の魔力を敏感に感じ取れるようになるらしいのだが、すずかは未だにそれを感じ取ることができなかった。

「おっ? 皆も解散か?」

 少年たちを見送った士郎がなのはたちに話しかける。どう誤魔化そうか思案していたすずかは、そんな士郎に心の中で感謝した。

「今日はお誘いいただきまして、ありがとうございました」

「試合、格好良かったです」

「すずかちゃんもアリサちゃんもありがとな。応援してくれて。帰るのなら送って行こうか?」

「大丈夫です」

「同じくですー」

「……なのははどうするんだ?」

「うーん、おうちに帰ってのんびりする」

「そうか。父さんも家に戻ってひとっぷろ浴びて、お仕事再開だ。一緒に帰るか?」

「うん」

 そうしてなのはと士郎はアリサとすずかを見送り、その後、帰路に着いた。

 その道すがら、二人は一人の女の子と出会った。その少女の姿に、士郎の視線は釘づけになる。黒いショートカットに金の瞳、何故かその服装は休日にも関わらず制服だ。まだ幼さの残る身体つきから、おそらく高校生ではなく中学生だろう。しかしその制服はこの近くでは見たことのないものだった。

 だが問題なのはそういった見た目ではなく、彼女から漂う血の臭いだった。目的のためなら息をするかのごとく、人を殺しそうな気配。それは士郎がボディガードを行っていた時代、幾度となく戦った殺し屋や達人たちの雰囲気と同じものだった。

「お父さん、どうしたの? 顔、恐いよ」

 なのはが不思議そうな表情で声を掛ける。そんななのはに心配をかけないようにと、士郎は努めて穏やかな笑顔を浮かべた。

「いや、なんでもないよ。ちょっと新しいメニューについて考えていただけさ」

 そんな話をしている間に、黒の少女――呉キリカは士郎たちとすれ違っていく。彼女の狙いはわからないが、この町で争い事は止めてほしい。士郎はそう切実に願うのだった。



     ★★★



 翠屋JFCのキーパーとマネージャーの女の子は家が隣同士の幼馴染である。兄妹のように育った二人の間に恋心が生まれるのは当然の帰結だった。だからこそ少女は、少年がサッカーチームに入ると言いだした時、自分もマネージャーとしてチームに参加することにしたのだ。
「今日も凄かったね」

「いや、そんなことないよ。ほら、うちはディフェンスがいいからね」

「でも、格好良かった」

 少女の言葉に少年は顔を赤くする。

「あっ、そうだ。……はい」

「きれーい」

「ただの石だとは思うんだけど、綺麗だったから」

 少年は少女の笑顔が好きだった。だからサッカー場に向かう途中の土手で拾った青い石を少女にプレゼントした。思った通り、少女の顔は笑顔に包まれる。それを見て、少年の心も温かくなっていった。

「ひょい」

 だがその石を少女が手にする前に、いきなり背後に現れた女性に取られてしまう。それはキリカだった。キリカは少年が手にした石――ジュエルシードを見つけ、それを何の躊躇もなく掴み取る。

「なっ、なんなんですか、あなたは!?」

「悪いな、少年。これは織莉子が欲しがってるものなんだ」

「織莉子? いや、それが誰だっていい。それは僕が彼女に上げようとした石なんだ。勝手に取るなよ!」

 少年は力強く、キリカを睨む。その後ろで少女は怯えながらその様子を眺めている。だがそんな二人のことなど、すでに眼中にないかの如くキリカは振る舞う。

「織莉子、私がきちんとジュエルシード手に入れたって知ったら喜んでくれるかな~。そうだ、きちんとお使いを果たしたんだし、何かをねだろう。何が良いかな~? やっぱり抱き締めてもらうのがいいかな? いや、膝枕も捨てがたい。いっそ一日デートしてもらうっていうのも悪くない。……でもよく考えると、私って今、織莉子から二七三キロメートルも離れた場所にいるんだよね。そんな場所に一人で向かわせるなんて……織莉子の意地悪。この寂しさを埋めるには一日デートじゃ物足りない。一週間はデートしないと……。でも、そんなこと織莉子に頼んだらやっぱり迷惑かなぁ。……そうだよね、織莉子は私と違って忙しいはずだし、あまり身勝手を言うのは悪いよね。私が我慢して織莉子の頼みを聞き続ければ、それだけで織莉子は幸せになってくれるはずなんだ。ほんのちょっとの寂しさぐらい、我慢できるはずだ。……けど少しぐらい我儘を言うのはいいかな? そこの少年もそう思うよね?」

「……えっ? そ、そうですね」

「だよね~。私の愛は無限だけど、この時の流れは有限なんだ。その短い時の中では、たまにその愛を確かめ合うことも重要だもんね。もちろん織莉子が私に向ける愛を疑ってるわけじゃあないけど、でも目に見えない愛というものを実感するためには、やっぱり行動で示してもらうしかないもんね。私が示したんだから、たまには織莉子にも示してもらわなきゃ。そうと決まったらさっさと見滝原に帰らないと……。待っててね織莉子、あなたのキリカが今から帰るから」

 キリカは身体をくねらせながら歩き出す。その背中を少年と少女はただ唖然として見ていることができなかった。

「なんだったの、あれ?」

「さぁ?」

 二人が口を開けたのは、キリカの姿が見えなくなって、さらに数分が経過してからだった。



     ★★★



「織莉子~、ただいま~」

 家に飛び込んできたキリカはそのまま織莉子の身体に抱きつく。そんなキリカを受け止めた織莉子もまた、彼女のことを強く抱きしめていた。キリカは甘えた声を上げながら織莉子に頬擦りをする。織莉子はそんなキリカを成すがままにしていた。

「ところでキリカ、ジュエルシードはきちんと手に入れられたの?」

 三〇分後、一頻り満足した様子を見せ始めたキリカに織莉子が問いかける。

「ばっちし。ほら見てよ、これ~」

 そう言うとキリカはポケットの中に無造作にしまってあったジュエルシードを取り出す。それ受け取ると、織莉子は満足そうに目を細める。

「ありがとう、キリカ」

 織莉子はキリカの頭を優しく撫でる。キリカは頬を赤らめ、目を閉じ、その感触を堪能する。そんなキリカを尻目に、織莉子は撫でながら自分の手の中に収まるジュエルシードに目を向ける。

 封印状態のため、そこまで強大な魔力は感じない。しかし微かに漏れる魔力が、ただの宝石でないことを確かに示していた。

 だが問題はその用途である。織莉子もただの好奇心でジュエルシードを手に入れたわけではない。彼女には明確な目的があった。しかしどのように使用すれば効率よく運用できるのか。ジュエルシードの不安定な魔力エネルギー。それを暴走させることなく、織莉子の目的のために使うにはどうすればいいか。

 彼女は目を閉じる。途端に瞼の裏側には様々な映像が流れる。まるでかつて自分が体験してきたような記憶の残照。だがそれはまだ、織莉子が体験したことのないものだ。

 織莉子の魔法は予知である。彼女は未来を見通す。未来で起きることを知ることができれば、危機回避も可能だ。もちろん織莉子が望む未来が必ず見ることができるわけではないが、それでも行動の指針にするには十分な情報だった。

「織莉子?」

 キリカの声に織莉子は目を開ける。キリカは織莉子のことを心配そうに見つめていた。そんなキリカを安心させるために、織莉子は優しく微笑む。

「ねぇキリカ、今から少し出掛けない?」

 そうして織莉子は右手にジュエルシード、左手に織莉子の右手を握りしめ、家の外に出た。

 頭の中でこれから起こることに胸を膨らませる。彼女の見た予知通りなら、これでジュエルシードの使い方がある程度は理解できるはずだ。あとは間違えなければいい。予知した未来の通りの台詞、行動をなぞっていけばいい。

「ふふっ……」

 口から妖しい笑みが零れる。その笑いを見て、キリカは自分と出掛けるのがそんなに嬉しいのかと思い、顔を輝かせるのであった。



     ★★★



「……そうして私はキリカと手頃な使い魔を連日連夜、探し続けた。そうしてようやく見つけたあの使い魔にジュエルシードを埋め込んだというわけ。突然、魔女に姿が変貌したせいでジュエルシードを取り出すことはできなくなったけど、おかげでどうすれば効率よく運用できるかを知ることができたわ」

 事の経緯を話し終えた織莉子は、すでに冷めてしまった紅茶に口を付ける。織莉子がどのようにしてジュエルシードを手に入れたのか、それはキュゥべえにも理解できた。だがやはりわからないことがある。

「織莉子、キミはどうしてジュエルシードを求めるんだい?」

 織莉子の話を聞く限り、彼女はジュエルシードを手に入れるためにキリカを送りだした節がある。だがその目的がわからない。織莉子の能力についてはキュゥべえも知っている。織莉子と契約したのも彼なのだ。彼女がどのような魔法に目覚め、どのような方法で魔女と戦うのかを全て把握していた。

 その上でキュゥべえは美国織莉子という少女が危険な存在だと認識していた。初めはどこにでもいる普通の少女だった。強いていえば思春期特有の悩み深い少し暗い性格の少女。それがキュゥべえの見た織莉子の第一印象だ。しかし彼女は願いを叶え――変わった。

 変わること自体は多くの魔法少女に起きる変化だろう。今まで他人に誇れるものがなかった少女たちが、普通の人とは違う異能の力を手に入れたのだ。変わらない方がおかしい。多くの少女は使命感に目覚め平和のために戦い続けた。また力に溺れ、身を滅ぼした少女たちもいた。中には願い自体で別人になることを求める少女もいた。

 だが織莉子の変化はそのいずれとも違った。目先のことにしか見ていなかった彼女が、魔法少女になった途端、俯瞰的な瞳をするようになった。キュゥべえが魔女との戦い方を教えなくても織莉子は自分の戦い方を知っていた。時には魔法少女の素養を持つ少女のことを見つけてくることもあった。

 常日頃から個体別に感情を持つ人類という種を理解できないキュゥべえだが、中でも織莉子は別格だった。彼女の行動は一貫性がない。しかしそれでいて、何か大きな目的のために動いているようにも思える。だからこそキュゥべえは織莉子という人物に警戒を覚えていた。

「……そうね。強いて言うのならこの世界を救うため、かしら」

「いくらボクでも、それが嘘だということぐらいわかるよ」

「残念ね、信じてもらえないなんて」

 織莉子はうすら笑いを浮かべながら薄っぺらい言葉を紡ぐ。だが言葉とは裏腹に、織莉子は目の前の魔女を退治しようとはしない。水晶の中で繰り広げられている戦いを、まるで映画鑑賞のように楽しんでいるだけだった。

 そちらに目を向けると黒髪のイレギュラーな魔法少女が、その仲間であるらしい金髪のベテラン魔法少女と青い髪の素人魔法少女と合流しているところだった。彼女たちは二言三言、会話を交わすと攻撃の手を仕掛ける。突然、爆発する魔女。それに畳みかけるように金髪の魔法少女が止めの一撃を食らわす。すると魔女の身体から強大な魔力が放出される。おそらくはジュエルシードに蓄えられていた魔力だろう。そして次の瞬間、結界を突き破ったその巨大な魔力は現実世界に現れ、天まで届く青い柱となる。

「キュゥべえ、貴方、こんなところにいていいの?」

「……どういう意味だい?」

「いえ、あなたはエネルギー回収を目的として地球にやってきているのでしょう? あれほどのエネルギーが無駄に霧散していく様を黙って見ていていいのかなと思って」

「……キミは、どこまで知っているんだい?」

 織莉子の発言にキュゥべえは驚かされた。キュゥべえが織莉子にそのことを話した記憶はない。契約を迫る際、相手の少女に尋ねられれば話している事実であるが、そうでない限り話すことはないキュゥべえの秘密の一つだった。

「少なくとも私たち魔法少女の行く末と、貴方の正体は知っているわね」

「……それを知ることができたのも、キミの力なのかい?」

 別に知られてしまって困るようなことではない。織莉子が口にしたのは、聞かれれば素直に答えられるようなことだけだ。それを知った少女たちは大方、絶望し、非難めいた言葉をぶつけてくるが、所詮はそれだけだ。場合によっては肉体が死に至ることはあるが、キュゥべえにとってそれは何ら不都合なことではない。

「ええ、そうよ」

 だが問題なのは、織莉子の魔法がどの程度の範囲で有効なのかということだ。もし誰かの口から聞かされたのならいい。特に気にする必要もなかった。

 しかし彼女はキュゥべえの問いを肯定した。こうなってくると、キュゥべえにとって不都合な事実も織莉子に掴まれてしまった可能性もある。彼女の力は有益だが、今後のことを考えると排除してしまった方が良いかもしれない。

「キュゥべえ、あのジュエルシードなのだけれど、貴方にあげるわ」

 青い柱が漸減していく様を見ながら、織莉子はそんなことを告げる。その言葉にすっかり毒気が抜かれたキュゥべえは、思わずため息をついてしまった。

「……せっかくのジュエルシードを自ら手放してしまうなんて、ボクにはわけがわからないよ。本当に貰ってしまってもいいのかい?」

「ええ。その代わり、しばらくは私に干渉しないでくれない?」

 キュゥべえが自分に対してどう思っているかも織莉子は知っていた。だからこその提案。ジュエルシード一つでキュゥべえの動きを制限できるなら、それは安いものだった。

「……わかったよ。ボクとしても貴重な魔法少女を処分してしまうのは、勿体ないしね」

 織莉子に自分の考えが知られていることに気付いたキュゥべえは、もはや隠す素振りも見せようとしない。キュゥべえにとって織莉子はすでに危険な魔法少女だ。だからといって、キュゥべえ自身には織莉子を始末する手立てはない。彼にできることは、他の魔法少女を先導して織莉子にぶつけることだけだ。だが織莉子はあくまでキュゥべえの秘密を知ったというだけで、他の魔法少女は彼女の存在自体、認知していないだろう。

「キュゥべえ。これは忠告だけど、そういう発言は思っていても控えた方がいいわ」

「どうし」

 キュゥべえが織莉子の言葉に疑問を唱える前に、その肉体はかぎ爪によって三枚におろされていた。それはキリカの手によるものである。織莉子とは対照的な黒い装束に身を包んだキリカの魔法少女姿。その手に握られたかぎ爪には、赤い液体と白い毛皮がこべりついていた。

「だって私には、頼もしいナイトがいるのだから。不用意にそんなことを言ってしまったら、すぐに殺されてしまうもの」

 すでに事切れているキュゥべえに対して、織莉子はたむけの言葉を与えた。

「……ねぇ、織莉子。どうしてあのジュエルシードをキュゥべえなんかにあげちゃったの?」

 不機嫌そうな表情で織莉子に尋ねるキリカ。

「あら? もしかして拗ねてるの?」

「うん」

 織莉子の言葉に素直に頷くキリカ。彼女が拗ねた理由はただ一つ、自分がプレゼントしたジュエルシードを織莉子が第三者の手に渡したということだ。自分の愛情を籠ったプレゼントがないがしろにされた。キリカは自分以上に織莉子のことを大切にしたいと思っている。彼女に対して無限の愛を誓い、そのためなら何だってする覚悟がある。

 だからこそキリカは不安だった。キリカなら織莉子に貰ったものは例え鼻水ついたティッシュペーパーだろうと大事に取っておく。だが織莉子はどんな貴重な物でも簡単に手放してしまうのだ。そのことがキリカには我慢ならなかった。

 愛とは一方通行。自分が無償の愛を向けても、相手が愛してくれるとは限らない。だがそれでもキリカは織莉子に愛してほしかった。自分が愛するほどの愛を織莉子にも持ってほしかった。それが我儘だということはわかっている。それでも自分が寂しい思いをしてまで取ってきたジュエルシードを、一日も経たずに手放してしまうような真似は止めて欲しかった。

「まったく、キリカは可愛いわね」

「えっ?」

 織莉子はキリカのことを優しく抱きしめる。労わるように優しく、愛おしくその身体を包み込む。織莉子の体温を間近で感じ、キリカの頭は徐々に熱を上げていく。そんなキリカに対して、織莉子は耳元でぼそっと呟いた。

「別にいいじゃない、一個ぐらい。これからもっとジュエルシードを取りに行くんだから。……二人で」

「二人で?」

「そうよ。あの一個はいわば撒き餌。キュゥべえの注意を惹きつけるためのね」

 キュゥべえがジュエルシードに多大な関心を示しつつも、入手できていないことを、そしてその巨大な魔力の暴走にエネルギー回収に失敗したことも織莉子は知っていた。だからこそ一個でも手に入れれば、キュゥべえがジュエルシードに秘められた魔力を効率よく回収する方法を考えることに専念するはずだ。

「キュゥべえがたった一個のジュエルシードに気を取られている間に、私たちは残りのジュエルシードを手に入れる。どう?」

「す、凄いよ、織莉子。まさかそこまで考えていたなんて」

 キリカは先ほどまでの自分を恥じた。織莉子が自分を裏切るわけがない。織莉子は自分にはおよびのつかないほどの考えの元で動いている。そんな彼女のことを疑ってはいけない。疑うこと自体、織莉子に対する愛情の裏切りなのだ。織莉子のすることは正しい。織莉子のすることは絶対。これからはただただ、それだけを信じよう。

「それじゃあ今日のところは家に帰って、明日の朝一で向かいましょうか。運命の町、海鳴へ」

「うん」

 そうして白の少女と黒の少女は仲良く帰路に着いた。



2012/9/22 初投稿



[33132] 第7話 少しずつ変わりゆく時の中なの その1
Name: mimizu◆914480f5 ID:ab282c86
Date: 2012/10/17 19:15
 時空管理局本局に収容されていた次元空間航行艦船『アースラ』船内では、次の任務に向かうための補給と整備が行われていた。その艦長室で二人の人物の姿があった。それはアースラ艦長であるリンディ・ハラオウンと、その息子であり執務官のクロノ・ハラオウンだ。

「クロノも資料には目を通していると思うけど、改めて確認するわね。先日、第97管理外世界、現地名称『地球』において小規模の次元震が二度、観測された。その観測時刻は一日ほどのズレがあるものの、『地球』が管理外世界であることから、自然発生のものではない可能性が高い。その調査、およびに同世界内に散らばっているロストロギア『ジュエルシード』の回収。それが今回の任務よ」

 リンディは手元にある資料を読みながら今回の任務概要を口にする。次元震、そしてロストロギア。そのどちらも世界を滅ぼしかねない危険なものだ。管理局として放っておくわけにはいかない。だがそれ故に、クロノには解せない部分があった。

「艦長、二つほど質問があるのですがよろしいですか?」

「なんですか?」

「一つはジュエルシードについて。ジュエルシードが時空航行間で事故に遭い、管理外世界に散らばった件は、すぐに本局に捜索願いが届けられていたはずです。だのにどうしてこんなに指令が下るのが遅かったのでしょうか?」

 資料によると事故が起きた翌日には、ジュエルシードを発見した考古学者、ユーノ・スクライアからの捜索届けが願い出されている。ロストロギアは危険なものだ。いくら魔法に対する知識がない管理外世界に散らばったとはいえ、初動が遅すぎるようにクロノには感じられた。

「その件については、対応した職員の不手際としか言いようがないわね。管理外世界で起きた事件だから後回しにしてもよいと思ったのでしょう。実際、次元震が発生しなければジュエルシードの捜索が始まるのは、もう少し後になるという話だったみたいだしね」

 リンディは残念そうに呟きながら、ティーカップに口を付ける。その味を堪能しながら、上層部が今回の不手際をどのように収拾するかを想像した。

 対応した職員のクビが切られるのは間違いないだろうが、その後の信用を回復させられるかが問題だ。今回の事件はミッドチルダのニュースでも大きく取り上げられている。突如、次元震が二度も発生した管理外世界。その原因を作りだしたロストロギア。そして捜索依頼がすでに管理局に届いていたのにも関わらず後回しにした怠慢さ。ミッドと直接関係はないとはいえ、世界を滅ぼしかねない不手際を管理局が行ったとして連日連夜、大々的にニュースに取り上げられていた。上層部は今、その対応に追われ忙しく過ごしていることだろう。

 だからこそ、管理局の生え抜きであるアースラに今回の任務が下った。元々、ロストロギアの捜索および回収が主な任務とはいえ、今回はいささか事件の規模に対して動員される人員が多いように思える。指令書にも『極めて迅速に事態を収拾せよ』とある。本局は初動の遅さを事件解決の速度でカバーし、今回の不手際を有耶無耶にしてしまおうという腹なのだろう。

 動機については賛成できるものではないが、早期解決できるならそれに越したことはない。だからリンディは増員の申し出を素直に受け入れた。

 たった一度のやり取りでそういった背景があると推察したクロノは、この話を打ち切りもう一つの質問をすることにした。

「もう一つは次元震についてです。今回、次元震が二度起きたのは本当なのでしょうか?」

「……ええ、本当のことよ」

 リンディの返答に、クロノは思わず息を飲む。もしも次元震が発生したのが一度だけなら、管理局がここまで叩かれることはなかっただろう。通常、次元震というのは世界の寿命が訪れない限り、滅多なことでは発生しない。それでも稀に自然現象として発生するケースもある。だがそれも精々、世界ごとに数百年に一度、あるかないかといった頻度だ。管理局が設立して以降、そのように自然発生したケースはたった一度しかない。

 そもそも世界の寿命が尽きて滅んだケース自体、管理局のデータベースにすら残されていないのだ。それこそ、次元震が原因で滅んだ世界など、幼い頃に聞かされた『アルハザード』のおとぎ話ぐらいである。

 だが今回に限ってそれはあり得ない。確かに短いスパンで次元震が二度起きたのは世界崩壊を臭わせるが、今回観測されたのはいずれも小規模次元震だ。世界が滅びの危機に瀕しているのだとすれば、起きるのは最低でも中規模以上の次元震だろう。何よりジュエルシードが地球に散らばったタイミングを考えても、原因はそちらにあると考えるべきなのは明白だった。

『艦長』

 続けて詳細な質問をしようとしたクロノだったが、艦長室のディスプレイにブリッジにいるアースラ通信主任のエイミィ・リミエッタからの通信が入る。

『乗員予定の局員、搭乗し終えました。整備も終わりましたし、いつでも発進できます』

 その連絡を聞いたリンディはクロノに目配せする。そこには「質問の続きはアースラを発進させてからね」という意味合いが込められていた。

『わかったわ。今からブリッジに向かいます。あなたたちはすぐに発進できるように、引き続き準備をお願い』

『ラジャーです』

 通信を終えると二人はブリッジに向かう。ブリッジに着くと、ブリッジクルーの視線がリンディに集中する。リンディはそんな職員たちを一瞥すると、艦長席に腰を降ろす。クロノはその傍らに構えていた。

「ではこれより、アースラ発進します。目的地、第97管理外世界『地球』」

 リンディの掛け声とともに、アースラが躍動する。その躍動を肌で感じながら、クロノは今回の任務は一筋縄ではいかないと覚悟し、気を引き締めるのであった



     ☆ ☆ ☆



 数日後、クロノは地球に降り立ち、二人の少女の衝突を防いだ。そしてすかさず、これ以上の戦闘が行われないように、二人の身体にバインドを掛け、身動きを封じた。

 バインドを掛けられた白い魔導師――高町なのはは目を丸くして茫然とした表情をしている。突然のことで何が起きたのか正確に把握できていないのだろう。その姿から彼女は戦闘経験が少ないとクロノには容易に想像できた。しかし攻撃を受け止めた際に手のひらに感じたなのはの魔力。それはとても強力なもので、並みの武装隊員では防ぎきることはできないほどの力が込められていた。

 だがそれ以上に脅威に思えたのが、もう一人の刀を持つ少女――月村すずかである。驚き戸惑っているなのはに対し、すずかはあの一瞬で刀に込める力を強めた。少しでもバインドを掛けるのが遅かったら、あのままS2Uは叩き斬られていただろう。さらにバインドで拘束されてからも、彼女からは強い殺気を向けられている。それは視線だけで人を殺せると錯覚できるほど強いもので、執務官として様々な任務についてきたクロノでさえ、中々味わったことのない不快な視線だった。

 さらにクロノが二人の戦闘に介入するのとほぼ同時に現れた少女たち。元々、彼女たちが近くにいることも覚悟の上での出撃だったが、実際にこうして対面してみるとなかなか厳しいものがあった。

 なのはやすずかと同じ歳くらいの黒衣の魔導師――フェイト・テスタロッサからは先の二人同様、強大な魔力を感じられる。使い魔と思わしき耳と尻尾を生やしている女性――アルフもまた、素体となった動物次第では厄介な相手かもしれない。

 だがクロノが一番警戒したのは、そんな彼女たちと一緒に現れた赤い装束を身に纏った少女――佐倉杏子に対してだった。他の少女たちはともかく、彼女だけは油断して立ちあったら即、敗北に繋がるとクロノの執務官の経験が告げていた。

 それは彼女たちがこの場に現れた時、杏子だけが表情を崩さなかったからだ。フェイトやアルフ、ゆまといった少女たちは拘束されているなのはやすずかの姿を見て、少なからず驚きの表情を浮かべていた。しかし杏子だけはそんな二人に一瞥すると、すぐにクロノに対して警戒の眼差しを向けた。

 一流の魔導師は戦いの場で自分の感情を見せず、常に冷静で在らねばならない。もし感情に任せて行動すれば、そのまま死に直結する。特に執務官という危険な犯罪者と個人で対面することもある仕事を目指したクロノは、その点を口酸っぱく師匠たちに言われてきた。今にして思えば一流魔導師の基本的な心構えであることをクロノは理解しているが、それを戦闘の中で意識せず行えるようになるまで数年の時を要した。だからこそわかるが、この技術をできる者はなかなかいない。感情任せに魔法を振るう犯罪者はもちろん、管理局の職員でさえ、この心構えを身につけていないものは多い。

 しかし杏子に関してはそのようなことはないだろう。彼女の視線は現状を分析するために忙しなく動いている。この状況で自分がどう動くべきかを冷静に見定めている証拠だった。

「改めて名乗らせてもらう。僕は時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。詳しい事情を聞かせて欲しい」

「時空管理局だって!?」

 そう口を開いたのは、杏子の肩の上に乗っていたユーノだった。さらにフェイトやアルフもその言葉を聞いて、警戒心を強める。

「おいユーノ、時空管理局ってなんだ?」

 だがこの場において、その名前を知っているのは彼女たち三人だけである。拘束されているなのはたちや杏子はその存在すら知らなかった。

「時空管理局は様々な次元世界に干渉する災害や犯罪を対策する組織だ。今回、僕たちは第97管理外世界『地球』……すなわちこの世界に置いて次元震を観測したため、その調査にやってきた」

 杏子の疑問に対して、ユーノの代わりにクロノが答える。

「次元震?」

「次元震とは次元災害の一つで、放置してしまえば世界そのものを滅ぼしかねない危険なものだ。今回、その原因とされているのがロストロギア『ジュエルシード』。あれは次元干渉型の結晶体だ。流し込まれた魔力を媒体として次元震を引き起こすことがある。だからこの場での戦闘に介入させてもらった。……いきなり拘束してしまったことに対しては、すまないと思っている」

 一頻り説明を終えたクロノはなのはとすずかに向き直り、軽く頭を下げる。しかしすずかから向けられる殺気は変わらず、なのはに至ってはクロノの言った言葉の意味を正確に理解できていないのか、首を傾げていた。

「さて、これでこちらの事情は大体わかってもらえたと思う。だから今度はそちらの話を聞かせてくれないか? この世界で、何があった?」

 二人から視線を外したクロノは再び杏子たちの方に向き直り、その挙動を観察する。クロノが事情を素直に話したのは、彼女たちがどのような目的を持った人物なのかわからなかったからだ。おそらくジュエルシードを求めているのには違いないが、何のためになのか推理することすらできない。自衛のために集めているのかもしれないし、そもそも彼女たちこそが次元震を引き起こした張本人なのかもしれない。だからこそデバイスを向けないまでも、クロノは警戒を緩めなかった。

(しかし何故、彼女はあんな質問を……)

 クロノが疑問に思ったのは、杏子が最初に口にした言葉である。フェイトやアルフと違って地に足を付けているとはいえ、杏子から感じる魔力は魔導師特有のものだ。彼女が身につけている衣装や手に持つ槍からも魔力を感じることから、彼女が魔導師であることは間違いない。

 それなのにも関わらず、彼女は最初『時空管理局』について尋ねた。管理世界出身の魔導師なら、そんな基本的な質問をする必要はない。魔法を修得し行使していく上で管理局の名前を耳にすることぐらいあるだろう。

 そもそもここは管理外世界、すなわち魔法文明がまったく発達していない世界なのだ。そんな世界にこれほど強力な魔導師がいること自体おかしい。

(やはり一筋縄ではいかない、か)

 クロノはジッと、杏子からの返答を待つ。彼女からどんな返答が来てもいいように、クロノは周囲に最大限の注意を払っていた。

「……なるほどな。そっちの言い分は大体わかった。……けどさ」

 言いながら杏子はクロノに向かって踏み込んだ。そして手に持った槍をクロノに向かって突き立てようとする。

 そんな杏子からの返答は、クロノの予想の範疇のものだった。真正面から突っ込んできた杏子に対し、クロノは半歩移動しつつS2Uで槍の軌道を逸らす。さらにその無防備になった背中に対してスティンガーレイを発射した。

 態勢を崩している杏子にそれを避ける術はない。だがその攻撃は杏子の背中に現れたラウンドシールドが阻んだ。それは杏子の衣服にしがみついていたユーノの手によるものだった。

「ぐっ……」

 それでも杏子は無傷というわけにはいかなかった。スティンガーレイのいくつかはラウンドシールドを貫き、杏子の背中に襲いかかる。その痛みに耐えながらも杏子は手近にいたすずかを抱え、クロノの傍から離脱した。

 元々、杏子の狙いはクロノに攻撃を食らわせることではなく、二人の救出だった。思いの外、クロノの反撃が手厳しいものだったため、すずかしか助けることはできなかったが、それでも今は十分な戦果と言えるだろう。

「だ、大丈夫か、すずか?」

 槍を支えに態勢を立て直しながら、杏子が尋ねる。しかしすずかはどこか不満げな表情をしていた。

「杏子さん! どうしてなのはちゃんを先に助けてあげなかったんですか!!」

 そして感情のまま杏子に言葉をぶつける。今のすずかにとって一番優先するべき存在はなのはである。なのはから魔法の関わりを一切なくさせ、平和な世界に連れ戻す。それがすずかの目的だった。そのために親友に刃を向ける覚悟をしたすずかにとって、クロノの存在は邪魔者以外の何物でもない。

 そんなクロノになのはは未だ拘束されている。それはすずかにとって到底許せるものではなかった。

「そ、そんなこと言われてもな。たまたま手の届くところにいたのがすずかだけだったんだからしょうがないだろ」

 礼を言われることはあっても文句を言われるとは思わなかった杏子は、戸惑いながら言い訳をする。その言葉にすずかは完全に納得できたわけではなかったが、杏子とてなのはを助け出そうとしたことには違いないのだ。いつまでも奴当たりをするのは筋違いというものだろう。

「……わかりました。でも次にこういうことがあったら、その時はなのはちゃんを優先的に助けてあげてください」

「あ、ああ……」

 数日ぶりに会ったすずかの雰囲気の違いに戸惑いつつも、杏子は返事をする。そして彼女を縛っているバインドを切断すると、気を引き締めてクロノに向き直った。

「……一つ聞きたいんだけど、どうして今の隙にあたしたちに追撃をしてこなかったんだ?」

 警戒を怠ってなかったとはいえ、先ほどまでの杏子は無防備を装っていた。すずかに至ってはバインドで縛られたままだ。そうした絶好の隙を狙って攻めてきたところを返り討ちしようと思っていた杏子は、少し拍子抜けしてしまっていた。

「こちらにはわざわざキミたちと敵対する理由はないからね。先ほども言ったと思うが、僕たちは事情を聞かせて欲しいだけなんだ。……だがもし事を構えるというのなら、僕も本気にならざるを得ないな」

 クロノは鋭い視線を杏子とすずかの二人に向ける。それに応えるかのように、杏子は槍を握る力を強め、すずかは火血刀に自分の血を吸わせ始めた。



     ☆ ☆ ☆



【ねぇフェイト。あいつが杏子たちに気を取られている隙に、あたしたちは逃げ出さないかい?】

 その様子を静観して眺めていたフェイトにアルフが問いかける。フェイトたちはここで管理局に捕まるわけにはいかない。彼女はプレシアのために管理局を出し抜き、ジュエルシードを集め続ける必要があるのだ。だからこそ、この場にあるジュエルシードを手に入れるための隙を伺っていた。

(でも、それだけじゃない)

 フェイトは視線をバインドで縛られたなのはに向ける。彼女とはジュエルシードを奪い合う関係であることは、すでにアルフから聞いている。その彼女が動けない以上、クロノが杏子たちの戦闘に乗じてジュエルシードを奪って逃げ去るのはわけのないことだろう。

 だがフェイトはこのままなのはを見捨てて逃げ出したくなかった。魔女ラウラの身体から出てきた暴走したジュエルシード。その強制封印に失敗しかけた自分に手を差し伸べてくれた少女。そんな彼女を放って逃げるような真似だけはしたくなかった。

【アルフ、わたしはあの子を助けたい。ダメかな?】

【フェ、フェイト!? なに言ってるんだい? 相手は管理局なんだよ! いくら杏子やすずかがいるからって、戦うなんて無茶だよ】

【大丈夫。わたしはあの子を助け出すだけだから】

 フェイトには初めからクロノから戦う気はない。なのはとすずかを一瞬でバインドし、杏子の攻撃に対して最小限の動きでやり過ごした手腕。一対一はもちろん、仮にすずかや杏子と連携して戦ったところで勝つのは難しいだろう。

 さらに相手は管理局。矢面に立っているのはクロノだけだが、おそらく他にも仲間がいるはずだ。流石に執務官であるクロノより強い局員はいないだろうが、その可能性がないとは言い切れない。それに下手にクロノと戦って動けないなのはや魔法の使えないゆまを危険に晒すような真似は絶対に避けたかった。

【でも……】

【心配しないで、アルフ。わたしは大丈夫だから。だからアルフは、ゆまを守ってあげて】

 フェイトはアルフに目配せする。その瞳を見て、アルフは何も言えなくなる。フェイトの使い魔をやっているからこそ、これ以上なにを言っても無駄だとアルフはすぐに悟った。

【わかった。でもフェイト、あの子を助けたらすぐに逃げるよ。いいね?】

【うん、ありがとう。アルフ】

 フェイトは視線をクロノたちに戻す。クロノと杏子、そしてすずかは睨み合ったままその場に佇んでいた。おそらく互いに隙を伺っているのだろう。遠目から見てもクロノには隙が見当たらない。しかも彼の注意は目の前の二人だけではなく、こちらに対しても向けられている。この場から不意打ちを仕掛けたとしても、すぐに対処されてしまうだろう。

 だからフェイトは信じた。すずかと杏子なら必ず、なのはを助け出すチャンスを作り出す。フェイトはその時が来るのをじっと待ち続けた。



     ☆ ☆ ☆



 クロノと睨み合っている杏子の背中は汗でびっしょり濡れていた。単純にクロノから感じる威圧に気圧されているというのもあるが、それ以上に横に立っているすずかの殺気が心労を募らせていた。

【杏子さん、こうしていても埒が明きません。攻めましょう】

【さっきから落ち付けって言ってんだろ。考えなしで突っ込んだらまた捕まるぞ?】

【でもなのはちゃんが……】

【わーってる。けど無策で突っ込んで行っても、なのはは助けられないぞ】

【…………】

 杏子の言葉に不服そうな目線を向けるすずか。杏子とて、すずかの焦る気持ちはわからなくもない。彼女となのはは親友だ。そしてすずかはなのはを危険な目に遭わせたくないはずだ。それなのにも関わらず、今のなのはは捕らわれている。そんな目に合わせたクロノのことをすずかが許すとは到底思えない。例え勝ち目がなかろうとも、彼女を助け出そうとするだろう。

 だが何の策もなしに突っ込んでどうにかなる相手なら、先の一撃で二人とも助け出すことができていたはずだ。しかし結果は痛み分け。すずかを助けることはできたが、その代償に杏子は手痛い反撃を受けてしまった。ユーノが防いでくれなかったら、あの攻防だけで杏子が地に伏すことになっていたのは明らかだ。

「杏子さん、待ってください。管理局は……」

「敵じゃないって言いたいんだろう?」

 ユーノの指摘を先読みして杏子は答える。

「そうです。杏子さんたちが知らないのは無理もないことですが、管理局は世界の安寧のための組織なんです。……それに管理局に散らばったジュエルシードの回収を依頼したのは僕なんです。あれはとても危険なものだから、僕一人で全部見つけられるかわからなかったから……」

 ユーノは必死に訴える。ジュエルシードの危険性はこの場にいる誰もが知っている。だからこそいち早く見つけ出し、然るべき処置を施し保管する必要があった。背後で静観しているフェイトたちはともかく、そういった目的が一致しているユーノと管理局が争う理由は全くなかった。

「……なぁユーノ、それならなんであいつらは今頃になってのこのこと現れたんだ?」

「えっ?」

「ユーノが管理局にジュエルシードのことを依頼したのは、この世界に来る前なんだろ? あたしの知る限り、ジュエルシードは十日前にはこの世界に散らばったはずだぜ。本当に危険なものだって理解してるなら、今頃になってやってくるのはおかしいじゃねぇか? そもそもユーノはどうして管理局と一緒にこの世界にやってこなかったんだ?」

「そ、それは……。管理局に依頼したら準備が整い次第、回収しに行くって言われて……。それでその前に少しでも見つけ出そうと……」

「ユーノ一人でこの世界までやってきたってわけか。でもユーノは自分ひとりの手に余るものだってわかってたんじゃないのか?」

 杏子はなのはをチラッと見る。もしユーノが管理局と一緒にやってきていれば、彼女は魔導師なんてものになることはなかっただろう。事故が起きてジュエルシードが散らばってしまったことは仕方のないことだし、それを一人で回収しに来たユーノを責める気もない。そんな彼に手を貸し、自ら日常を手放したなのはのことも一概に否定することはできない。すずかが魔法少女になったのはまた別の理由だろうが、それでもなのはのことで彼女がここまで固執するようなことはなかっただろう。

「ユーノは気づいてないと思うけどな、今この町は魔女だらけなんだ。ジュエルシードの魔力に引き付けられた有象無象の化け物がそこら中を闊歩している。たらればなんて語る気はサラサラないけどさ、それでもあたしは思うんだよ。あいつらがもう少し早く来ていれば、もう少し状況はマシだったんじゃないかってな」

 杏子の言葉にユーノは息を飲む。そんなユーノに杏子は言葉を続けた。

「状況を考えれば、管理局に協力した方が効率的ではあるんだろうな。けどな、あとからやってきて自分たちの正義を押し付けるような真似、あたしは認めるわけにはいかなねぇんだよ!」

 杏子は今まで、自分の力だけで生き抜いてきた。その中で何度も命の危機に遭遇し、時には他の魔法少女が死ぬ様も見てきた。そんな弱肉強食の世界の中で生きてきた杏子にとって信じられるものは自分の力だけなのだ。

 だが力とは純然たる暴力であり、生き抜いていくために用いるものだ。どんな詭弁を並べたところで純然たる力の前では無意味である。勝ったものが正義であり、負けたものには死が待っている。例えどんな生き方だろうとそれを頭から否定し、自分の正義を押し付けるような真似を杏子は許容しない。……かつて自分が父親のために祈った願いがそうだったように、善意の押しつけを杏子は許さない。

「だ、だけど……」

 それでもなんとか杏子を説得しようとユーノは言葉を探す。

「別にあたしがどうしようと関係ないだろ? そもそもあたしたちは味方でもなんでもないんだ。あたしが何をしようとそれはあたしの勝手だろ? ……だからユーノはこれ以上、あたしに付き合う必要はねぇよ」

 そんなユーノに対して、杏子は自分の言い分を押し通そうとする。その言葉を聞いて、ユーノはこれ以上返す言葉を持たなかった。杏子には杏子の思いがあり、ユーノにはユーノの考えがある。これ以上の説得は無駄だと判断したユーノは杏子の肩の上から降り、戦闘の邪魔にならないように屋上の隅へと移動した。

「杏子さん。その言い方だとなのはちゃんを助けるのはついでみたいですね」

 それを見計らって黙って二人の話を聞いていたすずかが声を掛ける。その目つきは訝しげで、杏子に対する不信感がありありと現れていた。

「まぁそうかもな。捕まっているのがすずかならともかく、なのはならあいつらも危害を加えることはなさそうだし」

「……杏子さん、冗談でも怒りますよ?」

「別に助けださねぇとは言ってねぇよ。でもさ、あたしがあいつと正面からぶつかり合ってる間にすずかがなのはを助ける。それでいいじゃねぇか」

 杏子の言葉に対して納得しきれたわけではない。だがそれでも今、杏子と敵対しても何の得もない。すずかがこの場で優先すべきなのは、なのはの救出であり、杏子がなのはに危害を加えることは決してないのだから。

「……そうですね。でも杏子さん、私もあの人と戦いますよ。あの人のやり方、私も許せませんから。だから逆の立場になった場合、杏子さんがなのはちゃんを助けてあげてください」

 あの時、二人がぶつかりある直前、すずかは初めてなのはと本気で向き合えた。夜の一族であるという秘密を打ち明け、自分の思いを全てぶつけてもなのはは受け入れてくれた。それがすずかには嬉しかった。だからこそ今度はなのはの本気の思いを正面から受け止めるつもりだった。

 それをクロノに邪魔された。あの一撃には単純に魔力だけじゃない。なのはとすずか、二人の思いも乗せられていた。それを片手で防ぎ、一切の警告もなしに拘束した。

 自分たちの友情が踏みにじられた気分だった。そして今もまだ、なのははクロノの拘束を受けている。

 ――許せるわけがない。どんな理由があろうとも、どんな言い訳をしようとも、目の前にいる男は敵だ。この手で切り裂き、灰も残さぬ業火で燃やす。相手が人間だろうと関係ない。すずかにとってクロノは敵以外の何者でもないのだから。

「わかった。だけどすずか、一人で突っ張るような真似だけはするなよ」

「……はい」

 そうして二人は改めてクロノに向き直る。そんな二人の態度を見て、クロノは諦めに似たため息を吐く。

「やはりキミたちは、素直に話を聞かせてくれる気はないんだね」

「ああ。あたしたちの口を割らせたけりゃ、力づくできな。もしあたしたちをねじ伏せることができれば、その時はこの町で起きているだろうがスリーサイズだろうが何でも答えてやるよ」

「……わかった。そういうことなら遠慮はいらないな」

 今まで受け身のスタンスを取っていたクロノが、初めてS2Uを構える。クロノの目的はあくまで次元震の発生を突き止め、ジュエルシードを回収することだ。別に杏子たちと真っ向から争う必要はない。だが彼女たちを言葉で説得することはもはや不可能だろう。ならばクロノも力を振るうしかない。

「それじゃあ、行くぜ!!」

 その掛け声と共に、魔導師と魔法少女たちの戦いの火ぶたが切って落とされた。



2012/10/5 初投稿
2012/10/17 誤字脱字および一部台詞回しを修正



[33132] 第7話 少しずつ変わりゆく時の中なの その2
Name: mimizu◆6de110c4 ID:a6c4fef1
Date: 2012/10/31 20:01
「フェイト、一つ尋ねたいんだけど、魔導師というのは皆、キミたちのように強いものなのかい?」

 クロノと杏子、そしてすずかの戦闘をフェイトの肩の上から観察していたキュゥべえは、自分の疑問を思わず口に出していた。

 キュゥべえの知る限り、杏子は実に魔法少女らしい魔法少女である。自分のために力を振るい、意に沿わない相手がいれば問答無用で叩き伏せる。それがキュゥべえの知る佐倉杏子という魔法少女だ。ゆまと出会ってから多少甘くなった部分もあるが、それでも彼女ほどの実力を持つ魔法少女はなかなかいない。現存する全ての魔法少女と比べても、上位の実力を持っているのは間違いないだろう。

 そしてすずかもまた、実力でいうなら杏子に負けていない。魔法少女としての戦闘経験は少ないが、彼女の強さには目を見張るものがある。契約する前に感じていた彼女の資質からは考えられないくらい強力な力。それが彼女の願いから生まれた結果だとしても、驚嘆に値するものだった。

 そんな二人と相対してなお、クロノは優位に戦闘を運んでいた。近接戦闘に特化している杏子とすずかに対して、クロノはオールラウンダー型の魔導師だ。距離を詰めようと踏み込んでくる二人を軽く往なし、スティンガーレイやスティンガースナイプを巧みに操り距離をとり続けていた。

 驚くべきことにクロノはそんな状態なのにも関わらず、まだフェイトに対しても警戒を続けていた。そのことに気づいているからこそ、フェイトはこの場から動けずにいた。

「……たぶんそれはないと思う。あの人、自分のことを執務官って言っていたから」

 次元世界という意味で尋ねたキュゥべえの質問を、管理局の中という解釈でフェイトが答える。その意図には齟齬があったが、それでもキュゥべえは望んだ答えがフェイトから得られたことに満足し、そして驚きを隠せなかった。

 そもそもキュゥべえが知る魔導師というのは、なのは、フェイト、そしてクロノの三人だけである。そのいずれもが一級品の実力を持っており、キュゥべえの知らない仕組みで魔法を行使していた。そしてそんな彼らと契約し魔導師にするのがユーノ・スクライア……だと思っていた。

 しかしクロノの説明に出てきた『次元世界』という言葉。それはすなわち彼らが別の世界からやってきたことを意味する。それはまだキュゥべえの仮説に過ぎなかったが、そう考えれば納得できる事柄がいくつかあった。

 事の発端となったジュエルシード。この世界の隅々まで探したはずなのに発見することのできなかったエネルギー結晶体。だがそれも外部の世界から漂流してきたと考えれば簡単に説明がつく。さらにそれを追ってきたユーノ、そしてフェイトやクロノをはじめとする魔導師。今まで繋がらなかった点と点が線となって、キュゥべえの思考を駆け巡る。

 そうして出た結論は、次元世界には魔導師が当たり前のように存在しているということだった。だがそれ自体は驚くべきことではない。キュゥべえの契約が必要とはいえ、人類は魔法少女になることができるのだ。身体の構造がほぼ同じなら何か別のきっかけで魔法に目覚めることがあってもおかしくはないだろう。

(驚くべきは、別世界の人類とはいえ彼らに世界を渡航する技術があったことだろうね)

 キュゥべえの知る人類の印象は、遥か昔、彼らが地球にやってきた頃からまるで変わらない。知的生命体へなり得る頭脳と身体を持っているにも関わらず、それを使いこなすことのできない下等生物。それがキュゥべえが人類に抱いた印象だ。

 エントロピーの法則に縛られないエネルギーを求めて地球にやってきたキュゥべえは、そこに住んでいる人類の姿を見て大変驚いた。彼らは穴倉の中で暮らし、石槍といった古典的な武器を用いて狩猟を行っていた。その姿は知能を持たない獣と何ら相違ない。武器や罠を作り出していることから少しは知能があるのだろうが、それでも目の前の生物を知的生命体だとは認めたくなかった。

 それでも少しでも宇宙の寿命を延ばすためにと、キュゥべえは魔法の素質を持つ人類を見つけると、その端から強制的にソウルジェムへと変換し、エネルギーの回収を行った。当時は今のように効率よくエネルギーを回収できる方法を知らなかったため、質よりも量を重視してソウルジェムを量産していった。

 そうしてソウルジェムへとなった人類のほとんどがすぐにグリーフシードへと姿を変えたが、一部のものはそうして得た魔法技術を使い、その生活を発展させ、敵対する他種族を滅ぼしていった。そういったことを何万年も繰り返していくうちに人類は徐々に高度な知能を身につけ、それと同時にキュゥべえもまたより効率よくエネルギーを回収する術を身につけていったのである。そうして人類社会と魔法少女システムは今の形へとなっていった。

 もちろんキュゥべえの介入がなくても、人類が知的生命体として果てしない進化できた可能性もある。だが魔法と触れることで人類は急速に進化していった。キュゥべえが地球にやってこなければ、人類がここまで進化するのにさらに数万数億の年月を要しただろう。

 そんな地球人類と見た目こそは大して変わらないのにも関わらず、フェイトやクロノはその身体に秘められた力を自由に行使している。

(次元世界か。一度、行ってみる必要があるかもしれないね)

 今のエネルギー回収効率を作りだすまでに費やした時間は数万年。それでもなお、キュゥべえの目的を果たすほどのエネルギーは回収できていない。だからこそキュゥべえは次元世界に興味を持った。

 眼下で行われている魔導師と魔法少女の戦い。それを眺めながらキュゥべえは、今までの情報を纏め、今後自分がどのように動くべきなのかを考え始めるのであった。



     ☆ ☆ ☆



 バインドで拘束されているなのはは、すずかたちの戦いをただ見ていることしかできなかった。何もできない辛さというのは、なのはが一番よく知っている。だからこそなのはは、目の前の戦闘から目を逸らさず、その成り行きを真っ直ぐ見詰めていた。

 まず間違いなく、この場を支配しているのはクロノだろう。杏子とすずかの二人を相手に一歩も引けを取らず、逆に圧倒している戦闘技術。戦闘に関しては素人に近いなのはであったが、恭也や美由希、士郎といった家族たちの稽古を見て育ったなのはには、クロノの動きがとても洗練されているように見えた。まるで杏子たちの移動先が読めているのではないかと思わせるほどに、正確に放たれているスティンガーレイ。隣接されたとしてもデバイスでその攻撃をきっちりと受け止め、すぐ様反撃し距離を取る体術。その一切に無駄がない。

 そんなクロノに対し、すずかの動きはどこかぎこちないものだった。その理由はなのはを助けたいという焦りと、彼女を傷つけてしまう恐れからきていた。現在進行形でバインドが仕掛けられたなのはは自由に身動きを取ることができない。そんな彼女に赫血閃が当たったとしたら、避けるどころか防御することすらままならない。意識的にしろ無意識的にしろ、なのはが傷つくことを恐れるがあまり、どこかキレの悪い動きになっていた。

 その一方で杏子は自分の手の内を極力隠し、また隙だらけを装っていた。クロノに迂闊に近づけないことを悟り、槍を伸ばして攻撃しているが、それはあくまで直線的にのみでその形状を一度も変形させていなかった。

 それはクロノの絶好の隙を生みだすためだ。隙のない相手と敵対した場合、隙は自分で作り出さなければならない。だがそのためにはそれ相応の準備が必要である。その一つが相手に油断を作り出すこと。そのために杏子はわざと直線的な動きで戦っていた。自分を極力弱く見せ、攻撃手段を槍による直線的なものしかないと誤認させる。それが確認できた時、初めて曲線的な攻撃に移る。予想の外からの攻撃は、いくら戦闘に慣れていようとも対処が難しい。クロノが場数を踏んでいるということは、最初の立ち合いの時点で杏子にも理解できた。だからこそ彼女は念のいった方法を使ってクロノを倒そうと考えていた。

 その様子を上空から眺めるフェイト。二度に渡り杏子と戦ったフェイトには、杏子の意図がなんとなく掴めていた。そしてその策を成した時が、なのはを助け出す絶好のチャンスとなる。だからこそフェイトは、杏子の動きを注意深く観察し続けた。

「アルフ、わたしを降ろして。そうすればアルフは自由に動けるようになるでしょ?」

 そんな中、なのはと同じように歯がゆい思いをしていたゆまが告げる。今、状況は完全に膠着している。ゆまの目から見ても戦闘はクロノ優勢で進められているのはわかる。もし自分が魔法少女なら、すぐに杏子を助けに行くことができるだろう。だけどゆまには何の力もない。戦闘に置いて自分は役立たず。砲撃を放つことも、素早く動くことも、斬撃を放つことも、駆け引きで相手を油断させることもできない。

 それでもゆまは諦めたくなかった。自分は何もできないと決めつけ、ただ皆の戦いを眺めているだけでいることを拒んだ。何もできない自分でも何か役に立つことがある。それを必死に考え、そうして出した結論がアルフの存在だった。

「あんた、自分が何を言っているのかわかってるのかい!?」

「別におかしなことはゆってないよ。わたしがいなければアルフも戦えるよね?」

「そりゃ確かにそうだけどさ……」

 アルフが動けないのは、ゆまというお荷物を抱えている身体。しかしそのお荷物さえなくなれば、彼女は戦闘に参加することができる。未だ静観しているフェイトも含めれば四対一の構図。いくらクロノが強い魔導師だとしても、杏子たち四人を同時に止めることは不可能だろう。

「だったら迷うことないよ。私を降ろしてキョーコやあの子、そしてなのはを助けてあげて」

「でもあんたにもしものことがあったら……」

「わたしは大丈夫! 杏子に目一杯鍛えてもらってるから。逃げ回るくらいわけないよ」

 これで杏子たちが戦っている相手が魔女やジュエルシードの思念体なら、そのような発言に意味はなかっただろう。しかし今、彼女たちが戦っているのは人間である。それも次元犯罪者なとといった危険な思想を持つ人物ではなく、むしろそれを取り締まる側の管理局。無抵抗なゆまに手を上げるような真似はしないはずだ。

 それでもアルフは決断を渋る。故意にゆまを攻撃するようなことはないだろうが、流れ弾が飛んでこないとも限らない。いくらゆまが逃げ回れると自己申告したとしても、彼女の安全を絶対に保証できなければ動くわけにはいかなかった。

「わたしはキョーコの……みんなの足手まといにだけはなりたくない。だからお願い、ゆう通りにして!!」

 アルフの迷いを見抜いたゆまは、彼女の目を真っ直ぐ見詰めて自分の主張を押し通そうとする。強い決意を帯びた藍色の瞳。それを見てアルフは自分のゆまに対する認識が間違っていたことを悟る。

 アルフにとって、ゆまは杏子のオマケ程度の認識でしかなかった。小細工を弄してフェイトを翻弄した魔法少女。初めは敵として出会い、今でもアルフは心を許していない。

 だが彼女がゆまを守るために戦っているであろうことは、アルフにも理解できた。ゆまのためにジュエルシードを集めようとし、彼女が魔法少女になることを頑なに拒む姿勢。それ自体はアルフにもどこか共感できるものがあった。

 フェイトに拾われ、使い魔になることで命を救われたアルフ。素体が狼であったアルフは、初めこそフェイトより幼く弱い存在だったが、今では立派に成長し彼女を守れる爪と牙を得ることができた。そしてその精神も肉体に引っ張られ、大人と呼べるものになっていた。

 そんなアルフにとってフェイトは大切なご主人様であると同時に、母親であり姉であり、そして妹のような存在なのだ。自分を救い、新たな命を与えてくれた母親としての側面。生まれたてで物事知らなかった自分にリニスと一緒になって様々なことを教えてくれた姉のような側面。……そして母親の愛に飢え、子供らしい感情を見せる妹のような側面。

 いくら凄まじい魔力を持ち、並みの魔導師相手なら圧倒できる実力を持っているとしても、フェイトはまだほんの九歳の子供なのだ。そんな彼女に戦場は相応しくない。将来的に戦場を駆けるようなことがあっても、今のフェイトにはまだ早い。彼女にはまだ、リニスがいた時のような穏やかな生活を過ごして欲しかった。

 もちろん今のフェイトとの関係には不満はない。しかしそれでもアルフにとってフェイトは守るべき対象なのだ。できることなら戦わせたくない。

 おそらく杏子もゆまに対して同じように思っているからこそ、彼女を魔法少女にさせまいと必死なのだろう。そしてゆまも、そんな杏子を助けようとできる限りのことを精一杯やる姿勢を見せている。そんな二人の関係は、アルフにとってとても羨ましいと思えるものだった。



 ――だからこそ、ゆまの提案を聞き入れるわけにはいかない。二人の関係を壊すような真似は絶対にしたくない。



「……たぶん誰も、ゆまのことを足手まといなんて思ってないさ」

「えっ?」

「少なくとも杏子はそう思ってないはずだよ。でなきゃ、こんなところまでゆまを連れてくるわけがない。あいつはゆまを下に置いてきぼりにすることだってできたんだからね」

 杏子の正確な意図はわからない。だが彼女がゆまを危険に晒すような真似だけはしないことはアルフにもわかる。その上で彼女はゆまの同行を許した。管理局がこのタイミングで介入することは杏子にも予想できなかっただろうが、それでもクロノに向かっていったということは、この場でゆまが危険な目に遭うことはないと判断したに違いない。

「……それにあたしはフェイトに『ゆまを守ってあげて』って言われたんだよ。その信頼を裏切るわけにはいかない」

「だ、だけどこのままじゃあ、キョーコとあの子が……」

「大丈夫だって。あの二人なら相手が管理局だろうと負けやしないさ。……大体、ゆまが杏子のことを信じてあげないでどうするんだい?」

「あっ……?」

「あたしが直接戦ったわけじゃあないけどさ、フェイトと杏子は二回戦って、その両方をあたしは見てるんだ。その上で言わせてもらうけど、あいつはまだ全然本気出してないよ。だから今はあたしが下手に動くよりも、こうしてゆまを守りながら臨機応変に動ける状況でいた方がいいんだ。わかったらそんな馬鹿なことを言わないで、杏子の応援でもしてやんな」

 アルフの言葉にどこか戸惑いながらゆまは頷く。できることなら自分自身の力で杏子の助けになりたい。しかし今のゆまにはそれができない。だからこそアルフにそれを託そうとした。

 だがアルフの言葉で目が覚めた。杏子の勝利を信じていなかったわけではない。それでも現状、戦闘は二対一であるにも関わらず杏子たちが劣勢に立たされている。杏子とすずかの攻撃は悉く避けられているのに対し、クロノの攻撃は確実に二人にヒットしている。なのはもバインドで拘束され、フェイトも動かない。そのような有様を目の当たりにして口から零れた弱音。それをアルフに見抜かれ、そして恥じた。

「キョーコ!! ガンバレー!! 負けるなー!!」

 そんな不安を抱いた自分の感情を奮い立たせる意味でもゆまは叫ぶ。今の自分にできることは杏子を信じ、応援することだけなのだから。



     ☆ ☆ ☆



 クロノは戦闘を優位に運んでいた。だがそれと同時に余裕もなかった。杏子とすずか、二人の攻撃はとても重い一撃だった。もし食らってしまえば自分の動きが鈍り、二人の攻撃に対処できなくなる。そのためクロノは、それを一発たりとも受けるわけにはいかなかった。

 そのためには、場の状況を正確に把握しておかなければならない。だからクロノは杏子やすずかだけではなく、フェイトやアルフにも細心の注意を払っていた。

「キョーコ!! ガンバレー!! 負けるなー!!」

 だからこそ、いきなり聞こえてきたゆまの叫びに一瞬、動きを止めざるを得なかった。もしクロノが目の前の二人だけに集中していれば、その声は耳に入ることすらなかっただろう。だが彼女たちからの攻撃の危険性があることを理解していたからこそ、クロノはその声を無視することができず、反射的に防御の構えを取ってしまった。

 だが動きを止めたのはクロノだけではなかった。杏子もまた、突然聞こえてきたゆまの声に動きを止める。杏子の意識は目の前のクロノにのみ向いていたが、それでもゆまの声は杏子の集中力を貫いた。

 二人の動きが止まったのは僅か一秒にも満たない。これがクロノと杏子、一対一の戦いだったのならば、何の支障をきたすこともなかっただろう。しかしこの場に置いて、戦闘に参加していたのは二人だけではなかった。そしてそのもう一人の少女、すずかには、ゆまの言葉が耳に入る余地は一切なかった。

「しまっ……!?」

 クロノの死角から斬りかかるすずか。視線を逸らしていなければ十分に対応できていた剣戟。しかし見当違いの方向に意識を向けていたクロノは一手遅れた。ラウンドシールドを展開している暇もなく、無理な体勢になりながらもS2Uで火血刀を受け止めようとする。

 そんなクロノの思惑虚しく、S2Uはまるでキュウリのようにスパッと斬れた。そのままクロノ目がけて振り下ろされる火血刀。なのはに剣を構えていた時と違い、その剣筋に迷いはない。目の前にいるのはなのはを捕えた敵。例え相手が魔女やジュエルシードの思念体ではなく人間だとしても、なのはに危害を加えた相手を許す理由はどこにもない。

「すずかちゃん! それはダメー!!」

 その時、すずかの耳になのはの悲鳴に似た叫びが聞こえる。面識のないゆまと違い、なのはの声ははっきりとすずかの脳裏に響いた。反射的に声のする方を向き、そしてその言葉に従い攻撃を止めようとするすずか。しかしすでに勢いづいた火血刀は止めることができず、彼女の意思に関係なくクロノを切り裂いた。

「……えっ?」

 頭から火血刀を叩きつけられたクロノの身体は二つに裂ける。だがその手ごたえがまるでない。すずかの手には空を斬った感触しかなかった。そして次の瞬間には、クロノの姿は霞のように消え去った。

「すまないが、少しの間だけ眠っていてもらう」

 それと同時に、すずかの背中から申し訳なさそうな声が掛かる。そしてすずかは何一つ対応することができず、その意識を刈り取られた。その場で崩れ落ちるように倒れるすずかの身体を支えたのは声を掛けた張本人、クロノだった。

「……さて、キミたちもこの戦いに参加するのか?」

 クロノは気絶したすずかにバインドを掛けると、その場に優しく寝かせる。そしてS2Uを再生させながら改めて杏子たちの方に向き直り尋ねた。

 だがその言葉は杏子にではなく、その横に立っているなのはとフェイトに向けられたものだった。フェイトもまた、あの一瞬の隙をついてなのはの元に近づきバインドを解除したのだ。

「すずかちゃんを、どうする気なんですか?」

 不安げな表情を浮かべながらなのはが尋ねる。先ほどの戦いを見る限り、クロノは悪い人ではないことをなのはは見抜いていた。それでもいざという時は、自分がすずかを助けに行こうとなのははレイジングハートを握る力を強めた。

「別にどうもしない。詳しい事情を聞くだけだ」

「ならわたしがお話するから、すずかちゃんを許してあげてください」

 仏頂面で答えたクロノに対して、深く頭を下げるなのは。それを見てクロノはどこかバツの悪い気分に陥る。クロノからすれば杏子から執拗に挑発され、すずかに殺気を向けられ続けたから反撃に転じただけなのだ。

「……僕は別に怒っているわけじゃあない。だが見たところキミたちは全員が仲間というわけじゃあないのだろう? なら互いに知らないことも知っているんじゃないか?」

「そ、それはそうかもしれないけど……」

 クロノがなのはの提案を聞き入れるのは簡単だ。情報が不足している現状、一人でも友好的に話を聞かせてくれるというのなら、他の人物を見逃すのも一つの手なのだろう。

「なら僕はキミたち全員から話を聞く必要がある」

 しかし彼女の提案を飲むということは、すずかを逃がすことになる。先ほどの立ち合いで、クロノはすずかの危険性を十二分に理解していた。『戦い』という舞台に置いては彼女よりも杏子の方が脅威だろう。しかし『殺し合い』となると話は変わる。すずかがクロノに向けた殺気。それは到底、彼女のような子供に出せるようなものではない。すず
かの剣に躊躇いが生まれていなければ、クロノはあのまま斬られて死んでいただろう。

「今更こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないが、そちらから仕掛けなければこちらからは一切の危害を加えないと約束しよう。もちろん彼女にも……」

 クロノは気絶しているすずかに視線を向ける。

「だから事情を聞かせてくれないか?」

 そして改めてなのはたちの方に向き直り頭を下げた。クロノにとって、この提案が通ることが最善。しかし他の少女はともかく、杏子がこの提案を受けないことはクロノには止そうがついていた。

【艦長、先に彼女をアースラに転送できますか?】

 だからこそクロノは、頭を下げながら次善策の準備をアースラにいるリンディに伝える。

【もちろんできるわよ。でもいいの?】

 リンディの懸念すること、それは彼女たちに黙ってすずかを転送してしまうことで、場の雰囲気がより険悪になるということだった。すずかや杏子からは明確な敵意を向けられているが、今話をしているのなのは、そして先ほどまで静観し続けていたフェイトたちがこちらに敵対する意思があるかどうかまではわからない。すずかを勝手にアースラに転送してしまえば、なのはたちは良い感情を浮かべないだろう。

【この話し合いの結果次第、ですね】

 杏子以外の全員がこちらの提案を飲んでくれれば、そんなリスクのある真似をする必要はないだろう。彼女と一体一の戦いになったとしても、クロノには負ける気がない。おそらくまだ隠し玉はあるだろうが、それでも地力でこちらが上回っているとクロノは確信していた。

 問題なのは、全員が拒絶した場合だ。そうなった場合、彼女たちはまず間違いなくすずかを取り戻すために戦いを挑んでくるはずだ。杏子の力量はわかったが、他の二人は未知数だ。それに二人だけではなく、使い魔もいる。もし全員で掛かられた場合、流石のクロノでも勝利するのは難しいだろう。

(果たして彼女たちはどう動くか)

 クロノは緊張しながら、彼女たちがどう出てくるかを待ち続けた。



     ☆ ☆ ☆



 再び捕らわれたすずかを見て、フェイトは自分の失策にはっきりと気付く。当初の目的であるなのはを救いだすことに成功したフェイトだったが、その代わりにすずかが捕まってしまった。これではまるで意味がない。

 しかも一度動いてしまった以上、もうクロノの不意をつくような真似は難しいだろう。まだ明確に敵とみなされたわけではないが、それでも先ほどより助け出す条件が厳しくなったのは確実だ。

「……なのは、フェイト。あいつはあたしが惹きつけるから、あんたらはその隙に逃げな」

「杏子!?」「杏子さん!?」

 そうして思い悩んでいると、唐突に杏子が小声で呟く。

「なのははともかくとして、フェイトたちはあいつに捕まりたくないんだろ?」

「ど、どうしてそれを……!?」

「見てりゃあわかるさ」

 杏子の見立てでは、先の戦いでフェイトがクロノの隙をついて動こうとしているのは明らかだった。問題はその狙い。クロノの隙を突いて逃げるのか、はたまたジュエルシードを手に入れるために動くのか。その判断が杏子にはつかなかった。

 だがどう動くにしても状況が変わるのには間違いない。逃げようとすればフェイトに注意が向き、こちらから仕掛ける隙が生まれるかもしれない。ジュエルシードもそうだ。クロノの注意がフェイトに集中し、死角から攻撃を突きやすくなるだろう。どちらにしても状況は動き、こちらが優位になるのには間違いない……はずだった。

「ま、でもフェイトが真っ先になのはを助けに行くとは思ってなかったけどな」

「それは……」

 なのはとフェイトはジュエルシードを奪う敵同士。例え助けに向かうことがあっても、それはフェイトがジュエルシードを手に入れてから。むしろ助け出さずに去ってしまう可能性が高いと杏子は踏んでいた。

 しかしフェイトはそんな杏子の予想を裏切り、また自分もクロノに隙を見せてしまった。その結果、すずかが再び捕らわれた。

「別に責めてるわけじゃねぇよ。さっきも言ったと思うが、あたしたちは別に味方同士ってわけじゃあねぇんだ。それぞれの思惑があって動くのは当然だろ? ……だからこそ、ここからは優先度を間違えるな」

 その言葉にフェイトはハッと気付く。フェイトがこの場にやってきた目的はなのはを助けることでも、すずかを助けることでもない。ジュエルシードを手に入れるためだ。そして今後もジュエルシードを集めるためには、ここで管理局に捕まるわけにはいかない。

「なのはも余計なことは考えず、この場から離れることを考えな」

「で、でも杏子さん、わたし、すずかちゃんのことが……」

「心配すんな。そっちはあたしが意地でもなんとかしてやる。……だから二人とも、ゆまのことを頼む」

「えっ? 杏子さん、それって……」

 杏子の言葉を聞いて、なのはは疑問の声を上げる。それに対してフェイトは、これから杏子がやろうとしていることをなんとなく理解していたため、悲しげな表情をしながらも黙って頷いた。

「それじゃあ、行ってくるぜ!」

 その言葉を皮切りに、杏子は一気にクロノに突っ込む。最初の時と同様、槍を正面に向けて突いてくるその姿勢を見て、クロノは同様に対処するつもりだった。しかし杏子の背後でフェイトがジュエルシードに向かって駆けだしているのを見て、スティンガーレイを放つ。

 放たれたスティンガーレイを杏子が槍で撃ち落とす。しかしそのいくつかは杏子ではなく、フェイトに狙いを定めて放たれていたものだった。ほとんど無防備で駆けていたフェイトは自分に向かって飛んできているスティンガーレイに気付くと被弾を覚悟する。

 しかしフェイトにスティンガーレイが当たることはなかった。何故ならそれらは横から放たれた桜色の輝き――なのはのディバインバスターにかき消されたからだ。

「……ありがとう。ジュエルシード、シリアルⅧ、封印!!」

 一瞬、なのはの方に顔を向けたフェイトはそのままジュエルシードを封印する。それをバルディッシュの中に収納すると、その場から離脱を図ろうと飛び上がる。

「ま、待て!!」

 もちろんそれをクロノが黙って許すわけがない。すぐにフェイトの後を追いかけようと、自身も宙に浮かぶ。

「お前の相手はこっちだ」

 だがそんな隙を見せたクロノを杏子が見逃すはずがなかった。杏子の槍を鞭のように変形させ、クロノの身体に巻きつける。今まで直線的だった杏子の攻撃が曲線的になったことで、クロノは避けきることができず絡め取られてしまう。

「アルフ、受け取れ!」

 そうしてクロノの動きを阻害している間に、杏子は気絶しているすずかをアルフに向かって強引に投げ飛ばす。突然のことに慌てたアルフだったが、間一髪のところですずかを受け止めた。

「あ、あんたいきなり何を……」

 思わず文句を言おうとしたアルフだったが、その言葉を喉の奥に引っ込める。それは杏子の瞳が、先ほどのゆまの瞳と同様に決意に満ち溢れたものだったからだ。

 そうして逡巡している間に、杏子の首筋にはクロノがS2Uを突きつけていた。だがそれと同時に杏子もまた、クロノの腹部に槍を突きつけていた。

「存外、抜け出すまで早かったな」

「あれがバインドの類だったら、こうも早く抜け出すことはできなかったけどね」

 杏子がクロノの身体に巻きつけたのは、彼女の魔法で生みだした鞭である。魔法で生みだしたとはいえ、その鞭にバインドのような拘束性能はない。精々、少しの間動きを止めるのが精一杯の代物だった。

「それでもしてやられたよ。キミは初めからこの状況を作り出そうとしていたんだろう?」

「まぁな」

 だがそれも杏子の狙いのうち。彼女はこうしてクロノと互いに牽制し合い、身動きを封じあう状況を作り出すことが目的だった。

 その間にフェイトはアルフと合流する。そしてゆまの顔を見ると申し訳なさそうに一言呟いた。

「行こう、アルフ」

 そしてフェイトはアルフにそう告げる。その直後に彼女たちの足元に展開する魔法陣。それを見てゆまはフェイトたちが何をやろうとしているのかを悟る。

「ちょ、ちょっと待って。まだキョーコがあそこに」

「……ごめん、ゆま」

 ゆまの方に顔を向けず、謝るフェイト。そんなフェイトに対してゆまが声を発する前に、彼女たちはこの場から姿を消した。

【ゆま、しばしのお別れだ。元気でやれよ】

 テレパシーに乗せた杏子の別れの言葉。それがゆまの元に届いたのかはわからない。だがとりあえずフェイトやすずかと一緒ならゆまも安心だろう。それよりも今は……。

「なのは、お前は逃げなくていいのか?」

 杏子はこの場に残っているなのはたちに声を掛ける。

「杏子さんこそ、どうしてゆまちゃんと一緒に行ってあげなかったんですか!?」

「どうしてって言われてもな、こうでもしなきゃフェイトたちが逃げ出すことは無理だったからな。仕方ねぇだろ。」

「でもだからって……」

「それよりも、なのはは良かったのか? すずかと一緒に行かなくて。仲直り、まだできてないんだろ? 今ならまだ、逃げ出せると思うぜ」

 杏子の言葉になのはは押し黙る。なのはとて、すずかとは早く仲直りしたい。それでもなのはは一歩も動けなかった。

 バインドで捕らわれていた時に見たすずかの動き。それはとても素早く、それでいて荒々しく、今の自分では到底ついていけるようなものではなかった。もしあの時、クロノが止めに入らず戦い続けたら、すずかの想いをきちんと最後まで受け取ることができただろうか?

(強く、ならなきゃ。いざという時、すずかちゃんを止められるくらい、強く)

 今のすずかはとても不安定だ。ちょっとしたきっかけで狂気に囚われ、なのはの知る優しいすずかが失われてしまうかもしれない。いざという時、そんなすずかを止められない。だからすずかと向き合う時は、今じゃない。

 なのはは真っ直ぐ杏子を見つめる。そこに込められた強い意志。その理由までは杏子にはわからなかったが、それでも彼女がこの場から逃げ去る気はないということを知るには十分だった。

「はぁ~。わーったよ」

 杏子は呆れたようにそう言うと、手に持つ槍を引っ込める。そしてクロノに降参といった具合に、両手を上げた。

 ……こうしてこの場での戦いに終止符が打たれた。



     ☆ ☆ ☆



「戦闘行動は停止。捜索者の半数は逃走」

「追跡は?」

「多重転移で逃走してます。追いきれませんね」

「そう」

 アースラ艦内で戦闘の一部始終を眺めていたリンディは、管制室メンバーの言葉を聞いて腰を降ろす。

「本当にこれでよかったのかしら?」

 今の戦闘を振り返ってリンディは思わず零す。クロノがなのはとすずか、二人の戦闘を迅速に停止させたところまでは良かった。しかし売り言葉に買い言葉で別の少女たちとの戦闘行動。その果てにロストロギアを奪われ、逃走も許される。相手の人数が多く、また一人ひとりが非凡な魔導師であったこともあって仕方ないとも思えるが、もう少し上手く立ちまわれたのではないかと疑問の残る戦闘だった。

「特にクロノと直接戦ったあの子たち」

 クロノとデバイスを突きつけ合っている赤い髪の少女と連れ去られた刀を使っていた少女。彼女たちの使う魔法はアースラのデータベースには一切記載されていないものだった。敵の使う魔法を素早く分析し、武装隊のサポートをするのも管制スタッフの役目だ。それらがまったくない状態でクロノは十分よくやったと言えるだろう。しかし少なからず、相手に反感を覚えさせてしまった。特に刀の少女は次に管理局と遭遇したら有無を言わさず襲いかかってくるに違いない。

「クロノ、お疲れ様」

 だが今は、彼女たちから事情を聞くのが最優先だ。リンディは映像通信をクロノに掛ける。

『すいません。半数を逃がしてしまい、ロストロギアも奪われてしまいました』

「まぁ今のところは大丈夫でしょ。それでちょっとお話を聞きたいから、そっちの子たちをアースラに案内してくれるかしら」

『了解しました。すぐに戻ります』

 それを聞いてリンディはクロノとの通信を切る。

「それじゃあ私は事情聴取に立ちあってくるから、引き続き、情報収集の方をお願いね」

 それだけ言うとリンディはブリッジを後にする、そうしてこれからやってくる客に対する準備を始めた。


 
2012/10/17 初投稿
2012/10/31 誤字脱字修正



[33132] 第7話 少しずつ変わりゆく時の中なの その3
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2012/10/31 20:13
【ユーノくん、ここっていったい?】

【時空管理局の次元航行船の中だね】

 クロノに連れられアースラ船内へ足を踏み入れたなのはは、その後に続きながらユーノに尋ねる。その言葉だけではなのはが理解できないと思ったので、ユーノはわかりやすく説明しなおしたが、それでもなのはにはその言葉の意味がほとんど理解できなかった。

 なのはは不安げに隣を歩いている杏子の方を見る。クロノによってバインドを掛けられた杏子は、実に窮屈そうに顔を歪めていた。射殺すような目で前を歩くクロノを睨みつけながら、なんとかバインドを解除しようと腕に力を込めている。

「……いい加減、人を睨みつけるのは止めてくれないか?」

 そんな杏子の視線がいい加減鬱陶しくなったのだろう。クロノは足を止めてこちらを振り向くと、観念したような口調で告げる。

「てめぇがこれを解けば、すぐに止めてやるよ」

「……バインドを解除した途端、襲ってこないだろうね?」

「ここまで来てそんなことしねーよ!!」

「……わかった、信じよう。だがキミもすぐに武装は解除してくれよ」

 怒鳴りつけるように文句を言う杏子に対して、クロノは諦めに似たため息を吐きつつも、彼女の身体を拘束しているバインドを解除した。拘束が解除され私服姿に戻った杏子は、その場で伸びの運動をしながら身体を解す。

「キミたちも、バリアジャケットとデバイスは解除してもらって平気だよ」

「あっ、はい」

 クロノの言葉に従い、なのははバリアジャケットを解除する。

「……キミもだ。そっちが本来の姿じゃないんだろう?」

「ああ、そういえばそうですね。ずっとこの姿でいたから忘れてました」

 ユーノはそう言うと、全身を輝かせそのシルエットがフェレットのものから人型へと変化していく。そうして光の中から出てきたのは、なのはと同じ年頃の一人の少年だった。

「なのはにこの姿を見せるのは、久しぶりになるのかな?」

 ユーノと同じ髪の色をし、ユーノと同じ目の色をした少年は、優しげな笑みを浮かべながらなのはに語りかける。その声もまた、紛れもなくユーノのもので、目の前の少年がユーノであることは、もはや疑いようがなかった。だがその衝撃的な事実になのはの理解が追いつかず、その驚きは叫びへと変わった。

「ふぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 アースラ艦内に響き渡るなのはの叫び声。そんななのはの態度を見て、ユーノも驚き戸惑う。

「な、なのは?」

「ユーノくんて、ユーノくんて、あの、その、なに!? えーっと、だって、嘘!!?」

「……ユーノ、おまえ、人間だったのか!?」

 なのはの横で同様に驚いた表情を見せた杏子が、その言葉を代弁する。それを聞いてなのはは首を縦に思いっきり振る。

「あ、あれ? 杏子さんはともかくとして、なのはと僕が最初に出会った時って僕はこの姿じゃ……」

「違う違う! 最初っからフェレットだったよー!!」

 首を大きく横に振り否定するなのは。そんななのはの姿を見て、ユーノは出会った時の状況を回想する。そしてすぐに自分の勘違いだったことに思い至った。

「あーっ! そうだ、ごめんごめん。この姿、見せてなかった」

「だよね! そうだよね! ビックリしたー」

「……あの、ちょっといいか? キミたちの事情はよく知らないが、艦長を待たせているので、できれば早めに話を聞きたいんだが」

 そんな二人のやり取りに呆れつつも、クロノは自分の職務を思い出し、声を掛ける。クロノの言葉に申し訳なさそうな表情を見せるなのはとユーノ。

「別にいいじゃねぇか。こんなところに連れ込まれちまった以上、あたしたちはもう逃げられねーんだからさ」

 そんな二人を庇うように杏子が声を掛けるが、その途端にクロノに睨まれる。

「わーったよ。でも一つだけ質問させてくれ。念のために確認しとくけど、ユーノはそっちが本当の姿なんだよな? イタチの方が本当の姿ってわけじゃあねぇよな?」

「ち、違いますよ! 正真正銘、僕はれっきとした人間ですから!!」

「そっか。ならいいんだ。それじゃあ行こうぜ。執務官さん」

「あ、あぁ、それではこちらへ」

 そう言ってクロノは三人を先導する。そうして歩きながら、杏子が何故そのような質問をしたのかを考える。だがこの時のクロノは、結局その答えを見つけることができなかった。



「艦長、来てもらいました」

 クロノの案内で連れられたミーティングルーム。それはなのはたちが想像していたものとは趣が異なり、日本的な和の雰囲気に包まれていた。無数の盆栽が飾り付けられている壁際。敷き詰められた絨毯の上には茶道で使う釜や柄杓が用意され、人数分の茶器と和菓子が並べられている。さらに部屋の隅では鹿威しが一定のリズムで水の滴る音と竹のぶつかる音を奏でていた。

「お疲れ様。皆さん、よく来てくれましたね」

 そんな部屋の中心に座って待っていたリンディはなのはたちがやってきたことに気づくと、屈託のない笑みを浮かべる。

「あんたは?」

「初めまして、私は時空管理局提督、リンディ・ハラオウンです。とりあえず皆、こっちに来て座って楽にして」

「あっ、はい」

 リンディに案内されるがままに絨毯の上に正座になる一同。そしてなのはたちは簡単に自己紹介を済まし、今までの経緯をリンディとクロノに説明した。

「そうですか。あのロストロギア、ジュエルシードを発掘したのはあなただったんですね」

「はい。それで僕が回収しようと……」

 ユーノの名前を聞いた段階で、リンディとクロノは彼がジュエルシードの発掘者であることは見抜いていた。管理局に救援を求め、それが叶わないから一人で回収に向かう。

「立派だわ」

「だけど、同時に無謀でもある」

 そんなユーノの話を聞いた感想を二人が告げる。厳しい言葉を掛けるクロノだったが、ユーノの心意気自体は否定する気はない。それはユーノがきちんと正規の手順を踏んで管理局に依頼を出していたからだ。本来なら管理局がすぐ動くべきところであったはずなのに動いてもらえなかった。だから自分ひとりでなんとかしようとした。その考え自体はクロノにもある程度は理解できた。

「あの、ロストロギアってなんなんですか?」

 意気消沈のユーノの姿を見て、話を逸らす意味でもなのはが質問する。

「遺失世界の遺産……って言ってもわからないわね。次元空間の中にはいくつもの世界があるの。その中にはよくない形で進化し過ぎる世界があるの。進化し過ぎた技術や科学が自分たちの世界を滅ぼしてしまって、その後に取り残された失われた世界の危険な技術の遺産」

「それらを総称してロストロギアと呼ぶ。使用法は不明だが、使いようによっては世界どころか、次元空間さえ滅ぼすほどの力を持つことのある危険な技術」

「然るべき手続きを持って、然るべき場所に保管されていなければいけない代物。あなたたちが探しているジュエルシードもその一つ。あれは次元干渉型のエネルギー結晶体。流し込まれた魔力を媒体として、次元震を引き起こすこともある危険物」

「それについてはキミたちの方が、よく知っているはずだ」

 クロノの言葉でなのはは魔女ラウラとの戦いの顛末を思い出す。青白い膨大な魔力の柱。柱に吹き飛ばされたすずかは傷つき、封印する時も二人がかりでやっとできたようなものだった。

「たった一つのジュエルシードでも、あれだけの威力があるんだ。複数個集まって動かした時の影響は計り知れない」

「大規模次元震やその上の災害、次元断層が起きれば世界の一つや二つ、簡単に消滅してしまうわ。そんな自体は防がなきゃ」

「だからキミたち……いやキミが知っている情報を教えて欲しい。佐倉杏子」

 クロノの言葉で一同の視線が杏子に集中する。杏子は最初に名乗った後、この場で一度も口を開いていなかった。それは魔法少女と魔女のことを話して良いものかと図り兼ねていたからだ。

 しかしリンディたちが語ったジュエルシードの危険性。それは杏子の想像を遥かに上回るものだった。彼女たちの言うことを鵜呑みにすることはできないが、実際にジュエルシードの暴走を目にした身としては、あながち嘘とも言い切れない。もし本当だとすれば、杏子ひとりの手には余る代物だ。近くの町の魔法少女に声を掛けて協力を募ったとしても、肝心のジュエルシードを封印できる技術を持っているとは限らない。海鳴市の現状を考えると、二度手間になるようなことに時間を割いている暇すらないだろう。

「……そいつに負けたわけじゃねぇから、何も話す気なんてなかったんだけどな」

「それじゃあ、話してくれるのかしら?」

「ああ、いいぜ。どこから聞きたい?」

「そうね。……まずは杏子さんの出身世界とクロノとの戦闘で使って見せた魔法について聞きたいわ」

「出身世界?」

「ええ。なのはさんたちの世界は管理外世界に認定されているの。この管理外世界というのはね、人類が社会形成を成している世界の中で、魔法技術が発達していない世界を指して使う言葉なの。ユーノくんに魔法を教えて貰ったなのはさんはともかく、杏子さんの魔法は私たちの使うミッドチルダ式の魔法と大きく異なるわよね?」

「……なるほどな。それであんたたちはあたしが別世界からやってきた魔法使いだと考えたわけか。――だがその予想は的外れだ。あたしは正真正銘、なのはたちの同じ世界の出身だよ。それにあたしの使う魔法は誰かに教わって身に付けたものでもねぇ。あたしの内から生まれてきたもんだ」

「そんな馬鹿な!? キミはあれほどの戦い方を自力で身につけたというのか!!」

 杏子の言葉にクロノが身を乗り出して声を荒げる。一対多数の戦いだったとはいえ、クロノがフェイトたちを逃がすきっかけを作ったのは間違いなく杏子である。さらに彼女の状況判断能力は執務官である自分に匹敵するものがあった。執務官である自分を出し抜く戦闘センスを自力で身に付けたなど、クロノにとっては悪夢のような事実だった。

「……ま、正確に言うと戦い方については少しばかり教わっていたこともあるし、あたし本来の魔法ってのは諸事情があって今は使えないんだけどな」

 クロノの指摘に杏子は思わず、昔の自分の事を思い出す。魔法少女になり立ての、まだ正義に燃えていた頃の自分。今、杏子たちがやろうとしていることはこの世界を救うという、いかにも正義の味方が好んでやりそうなことだった。正直、自分本位で暮らしている今の杏子にとっては忌避すべき事柄。

(こういう時、あいつなら率先して協力しようとするんだろうな)

 杏子は思わず、見滝原で出会った先輩の魔法少女のことを思い出す。少しの間だけ彼女を師事し、色々なことを教わりながら協力し魔女と戦った日常。魔法少女としての方針の違いから喧嘩別れになってしまったが、彼女は今頃どうしているだろう?

「杏子さん?」

「あ、ああ、わりぃ。……とにかくだ、あたしやすずかの使う魔法はこの世界特有のものだ……と思うぜ」

 断言すべきところだったかもしれないが、杏子は言葉に詰まらせ、最後にそう付け加えた。

「杏子さん、あなたは本当にそう思っているのでしょうか?」

 もちろん杏子のそんな挙動の違和感をリンディが見逃すわけがない。彼女はすでに管理局に十五年以上も務めているのだ。いくら杏子が他人を出し抜く術が優れているからといっても、リンディとは年季が違った。

「…………あたしも昨日まではそんなこと、考えたことはなかったんだけどな。でもあんたらみたいな別世界があるとなると話は変わってくる」

 そこで杏子は一度、言葉を区切るとお茶菓子の水羊羹を一口で飲み込む。そして真剣な面持ちで続きを口にした。



「――あいつは、キュゥべえはもしかしたら別の世界からやってきたのかもしれない」



「キュゥべえ、くん? 杏子さん、キュゥべえくんのこと、知ってるの?」

「そ、そうだ。杏子さんにあの動物のことについて聞こうと思ってたんだ!」

 意外なことに杏子の口からキュゥべえの名前が出ると、真っ先に反応してきたのはなのはとユーノだった。

「なんだ? 二人ともキュゥべえのことを知ってたのか?」

「は、はい。わたしが初めてユーノくんと会った夜、ジュエルシードに取り込まれたキュゥべえくんと戦ったんです。それでジュエルシードを封印した後、傷ついたキュゥべえくんをどうしようかと思ったら、別のキュゥべえくんがやってきて連れてっちゃって」

「なのは、それ本当!?」

「えっ? なんでユーノくんが驚くの? ユーノくんには話したよね?」

「確かに聞いたけど、僕はてっきりキュゥべえは現地の生物で、飼い主が連れ去っていったんだと思ってたから」

「そんなことないよ! 地球には言葉を話す動物はいないもん。だからわたしはユーノくんとキュゥべえくんは同じところからやってきたんだと思ってたんだもん」

「……だからキミは、ユーノが本当に人間かどうかを確かめたわけか」

 言い争いをしている二人を尻目に、クロノは杏子に確認するように尋ねる。

「ああ、もしかしたらキュゥべえも人間の可能性があるんじゃないかって思ってな」

 思い返してみると、キュゥべえは自分のことをほとんど口にしない。魔女を倒す魔法少女を探している不気味な生物。穢れの溜まったグリーフシードを回収し、魔法少女にとって有益な情報があれば伝えてくれることもあるそれ以上のことを杏子は知らない。普通に考えれば、キュゥべえが地球上の生物であると考える方が無理のある話だ。だがもし、ユーノと同じように変身魔法で動物に化けているのだとしたら……。

「それで杏子、そのキュゥべえという生物は何者なんだ?」

「簡単に言えば、あたしを魔法少女にした胡散臭い動物……ってところか」

 そうして杏子は順序立てて、自分が魔法少女になった経緯を話していく。

 話をしながら杏子は、フェイトに託したゆまのことを思う。フェイトの元なら今のところはゆまが危険に遭う可能性は少ないだろう。だが海鳴で行われる戦いは、今後さらに苛烈なものになっていくのは間違いない。ならばいつまでもゆまを海鳴市に留まらせるわけにはいかない。なんとかしてゆまと合流し、彼女を安全なところに避難させる必要がある。

(といっても、流石にここには置けないよな)

 根なし草の杏子に帰る家など残されていない。だからといってアースラに連れてくるのも気が引ける。

(……気は進まないけど、他に選択肢はないよな)

 今の杏子には、頼れる人は一人しかいない。自分から決別した一人の魔法少女。杏子の知る限り、魔法少女の中で唯一、人を守るために戦っている先輩――巴マミ。彼女なら信用できる。

(マミが許してくれるまで、ゆまを預かってもらえるまで頭を下げる。……ある意味で、ジュエルシードを取り込んだ魔女との戦いよりも辛いものになるかもしんないな)

 それでも杏子はやらなければならない。彼女を守るためなら何だってする。杏子にとってゆまはかけがいのない存在なのだから。



     ☆ ☆ ☆



 同時刻、管理局を撒くことに成功したフェイトたちは、隠れ家へと戻ってきていた。未だ意識の戻らないすずかをベッドに寝かせると、フェイトは改めてゆまに声を掛ける。

「ゆ、ゆま、あのね」

「……どーして? どーしてキョーコを置いて逃げたりしたの?」

 ゆまは暗い面持ちでフェイトとアルフに尋ねる。目元に涙を溜め、恨みがましそうな表情で二人を見る。

「し、仕方なかったんだよ。あの状況だと杏子を助けに行く余裕は……」

「あったよ。フェイトもアルフも、キョーコを助けにゆくことはできたはずだよ」

 あの時、アルフはゆまを抱えていた。だがその前にゆまは自分を気にせず、杏子たちを助けに行ってくれと頼んだ。もしアルフがそれを拒まず受け入れてくれていれば、彼女は自由に動くことができただろう。

 そしてフェイトは杏子よりもジュエルシードを優先した。杏子がクロノに向かって突っ込んでいった時、フェイトの援護があれば杏子はクロノを倒しきることができていたかもしれない。少なくとも、すずかを助けるのに放り投げるなんて無茶な真似はしなかったはずだ。

「……そうだね。少なくともわたしには、杏子を助けに行くことができたと思う」

「フェイト!?」

 フェイトの言葉に思わず驚きの声を上げる。だが驚いたのは、ゆまも同じだった。

「なら、どうしてキョーコのことを助けなかったの?」

「それは杏子がわたしに、ゆまを連れて逃げることを望んでいたから」

「えっ……?」

「アルフがゆまを抱えていたというのもあると思うけど、あの場で管理局の追尾を撒くことができたのは、たぶんわたしたちだけだったと思うから。だから杏子はいざという時、ゆまを巻き込まないために自ら囮になったんだと思う」

 フェイトの言葉に、ゆまはそれ以上なにも言わずぽろぽろと涙を零す。

「ゆ、ゆま!? 大丈夫だって。あたしたちがこんなことを言うのもなんだけど、管理局はミッドの司法組織なんだから。だから杏子はそんな酷い目に遭うことはないって」

 いきなり泣き出したゆまを見て、アルフは狼狽し慰めの言葉を掛ける。だがゆまは頭を横に振った。

「ひっく、ひっく、そうじゃない……そうじゃないの……」

 ゆまの涙の理由、それは彼女が何もできずに杏子に守られたからだ。

 初めて杏子に出会ったあの日から、少しは成長できたと思っていた。魔法少女にはなってないけど、杏子の教えを元に少しは成長できたと思っていた。

 でも結局、ゆまはただの足手まといで終わってしまった。どんなに周りに否定されても、ゆまはあの場で何一つ役に立つことができなかった。それがとにかく悲しかった。

「ごめんね、ゆま」

 そんなゆまをフェイトが優しく抱きしめる。

「あの時、もう少しゆまの気持ちを考えてあげれば良かった。少し考えれば、ゆまが悲しむのはわかるはずなのに……。それなのにわたしは……」

「ううん、フェイトは悪くない。悪いのは、何の力もないわたしだから……。何も考えずにキョーコたちについてったわたしだから……」

 フェイトに会ってもう一度、話がしたい。その思いがあったからこそ、ゆまは何も考えずに杏子に無理を言ってついていった。だが今回、屋上に向かうまでに立ち止まれるチャンスは二度もあった。その時にゆまが杏子についていこうとせず待っていれば、このような結果にならなかっただろう。少なくともアルフは自由に動け、杏子もゆまを逃がすために囮を買って出るような真似はしなかったはずだ。

(――強くなりたい。皆の足を引っ張らないくらい、そしてキョーコを守れるくらい強く)

 ゆまは改めて決心する。杏子との約束でまだ、キュゥべえと契約はできない。しかし魔法少女にならなくても、強くなる方法はあるはずだ。

 ゆまは涙を腕で拭う。とめどなく流れ出ようとする涙を、無理に我慢する。そうして一頻り涙を拭いたゆまがフェイトを見る。そこには明確な決意の炎が灯っていた。

「ねぇ、フェイト。一つだけ、わたしのお願い聞いてもらっていい?」

「……うん。わたしにできることなら」

 ゆまの瞳を見て、フェイトはなんとなくこれからゆまが告げるであろう言葉が予想できていた。



「――なら、わたしに魔法を教えて」



 ゆまは真っ直ぐフェイトを見つめて告げる。杏子には「魔法少女になるな」と言われ続けた。だからゆまは、なのはに言われた通り精一杯、別の方法を考えた。キュゥべえと契約することなく、魔法を使えるようになる方法。その答え自体は、実に簡単に見つかった。魔法少女になれなければ、魔導師になればいい。魔法少女としてではなく、魔導師として杏子の隣に立つ。

(ごめんね、キョーコ。キョーコはきっと、こんなこと望んでないよね)

 杏子がゆまに望んでいるのは平穏な生活だ。それを杏子が口にしたことはないが、ゆまはそれをなんとなく理解していた。……そしてそのために、いつか杏子が自分の前から去っていくつもりであることも。

(でもわたしはずっとキョーコと一緒にいたい。そのためになら、わたしはなんだってする。……これを最後の別れにするために。だからキョーコ、待っててね。次に会う時には、わたしも一緒に戦えるようになってるから)

 杏子がゆまを大事に思うように、ゆまもまた杏子のことを大切に思っていた。だからどんなに杏子に否定されても、強くなることを諦めることはできない。それが杏子に助けられ、彼女の背中を見て育ち、彼女の隣に立つことを目標としているゆまの願いなのだから。



     ☆ ☆ ☆



「つまり話を纏めると、キミはキュゥべえに願いを叶えてもらう代わりに魔法少女になり、魔女と呼ばれる怪物と戦っている。そういうことでいいのか?」

「ああ、概ね間違ってねぇよ」

 杏子の話はこの場にいた全員にとって衝撃的な話だった。魔法技術のない管理外世界だと思っていた地球の魔法。それは確かに技術によって生み出された魔法ではなかった。地球の魔法の根源は少女たちの祈り。技術ではなく奇跡の名の元に行使される魔法。杏子の話を一言で纏めたクロノ自身、彼女の言葉を素直に受け入れられなかった。

「杏子、キミのソウルジェムを見せてもらってもいいか?」

「ああ、こいつがそうだ」

 自分の手のひらにソウルジェムを乗せる杏子。手のひらに収まる小さな赤い宝石。海鳴市にやってきてからソウルジェムの浄化を怠っていたためか、杏子のソウルジェムは少し濁っていた。それに気づいた杏子は、ついでと言わんばかりにグリーフシードを取り出すと、全員の見ている前でソウルジェムから穢れを取るのを実演する。

「うわぁ、きれ~い」

 輝きを取り戻したソウルジェムを見たなのはが小さく呟く。その一方でクロノは難しい表情でその現象を眺めていた。杏子の手の中にある二つの宝石からは、確かに魔力を感じる。ジュエルシードと比べれば遥かに小さい魔力だが、それでもこんな小さな宝石から魔力を生み出す技術は、それ自体がロストロギアと呼べなくもない代物だった。

「ねぇ、杏子さん。ソウルジェムとグリーフシードを調べさせてもらえないかしら?」

「そいつはダメだ」

 クロノと同様の考えに至ったリンディは杏子に尋ねてみる。だがそれは一刀両断の元に断られた。

「理由を聞いても?」

「あたしはまだあんたらのことを完全に信用したわけじゃねぇ」

 杏子が素直に事情を話したのは、地球に危機が迫っていたからだ。もし自体が自分ひとりでどうにかなるようなものなら、彼女は決して魔女と魔法少女のことを管理局には口にしなかっただろう。

「仮に信用できたとしても、ソウルジェムを預けようとは思わねぇけどな」

 杏子にとってソウルジェムとは力である。自身の忌むべき願いが生み出し、家族を崩壊させた宝石。だがソウルジェムがなければ杏子は魔女と戦うことはできない。例えゆまにだって、ソウルジェムを預けることはできないだろう。

「そうね。そういうことなら仕方ないわね」

 残念そうに呟いたリンディは、シュガーブロックを放り込んだお茶に口をつける。それを見てなのはは目を丸くし、杏子は自分がゲテモノ料理でも食べたかのようなうめき声を上げた。

「……では、これよりロストロギア、ジュエルシードの回収については時空管理局が全権を持ちます。――その上で佐倉杏子さん、改めてあなたにお願いがあります。あなたはこのままアースラに残って、魔女との戦い方を私たちに教えてくれないかしら?」

「か、艦長!? 彼女は民間人ですよ!!」

 思いもよらないリンディの言葉にクロノは声を荒げる。

「あら? 私は妥当な判断だと思うわよ。杏子さんはこの世界独自の魔法を使い、この世界独自の怪物と戦い続けたエキスパートなんだから。それに彼女自身、このまま引き下がるような性格だとは思えないしね」

「そ、それはそうですけど……」

「それにフェイトさんとすずかさん、あの二人のこともあります。もしまたどこかで遭遇した時、私たちと一緒に杏子さんがいれば彼女たちも不必要に戦いを挑んでくることもないでしょう」

「あのさ、あたしが口を挟むことじゃあないけど、それはないと思うぜ」

 黙って聞いていた杏子がリンディに指摘する。

「あら? どうしてかしら?」

「フェイトはなのはたちとは別の理由でジュエルシードを狙ってる。あんたたちがジュエルシードを回収するっていうなら、間違いなく争うことになると思うぜ。それとすずかはたぶん、個人的にクロノに対して敵対心を持ってるから、あたしがいても関係なく襲ってくると思うぞ」

「すずかちゃんはそんなことしないよ!」

 杏子の指摘に今度はなのはが反論を入れる。しかし杏子はなのはの言葉をそっと制し、してリンディに話し続ける。

「……すずかのことは置いておくとしても、あたしとしては地球が滅びさえしなけりゃ、どっちがジュエルシードを手に入れてもいいんだけどな。そして個人的にはあんたらよりもフェイトの方が信用できる」

「この期に及んでキミはまだ僕たちと争うっていうのか!?」

「別にそうは言ってねーよ。ただ協力するに際し、いくつか条件があるだけだ」

「聞きましょう」

「条件は三つ。一つはあたしの行動に口を挟まないこと。あたしに命令するのはいいけど、従うか従わないかを決めるのはあくまであたしってことだ。別に構わねぇよな?」

「……いいでしょう。次は?」

「なのはたちを家に帰すこと」

「杏子さん!?」

 自分の名前が出てきたことになのはが驚き、声を上げる。そんななのはを無視して杏子は言葉を続けた。

「協力するのはあたしだけ。なのはたちからこれ以上、話を聞く必要もないだろ? だったら家に帰してやれ」

「それについては、こちらもそのつもりだったので異論はありません」

 一つ目の条件と違い、リンディは迷う素振りを見せることなくその条件を呑む。

「ちょ、ちょっと待ってよ! わたしそんなの嫌だよ。わたしだって戦えるし、それにジュエルシードを探すって決めたのは、わたし自身なんだもん。このまま中途半端で放りだすことなんてできないよ!」

 だがそれに納得できないのはなのはである。自分の関わりのないところで、そんな重要なこことを勝手に決められるわけにはいかない。

「次元干渉に関わる事件だ。民間人に介入してもらうレベルの話じゃない。……僕としては杏子に協力してもらうことにも反対なんだ。その上でキミたちの手を借りることになんてこと、容認できない」

「で、でも……」

「なのは、もう一度だけ言う。――優先度を間違えるな。なのはにはジュエルシードを探す前に、やらなきゃいけないことがあるだろう? まずはそれを済ましてこい」

 杏子の言うなのはがやらなければならないこと。それはすずかときちんと話し合うことだ。クロノの介入で中途半端に終わってしまったすずかとの話し合い。杏子はなのはに先にそれを済ましてこいと言っているのだ。

「それを済ました後でなら、管理局を手伝おうとフェイトを手伝おうと独自にジュエルシードを集めようと、あたしは何も文句は言わねーよ。けどな、このまま言いたいことも言えずに喧嘩別れなんて真似になるようなことだけは、あたしがぜってぇ許さない」

 温泉宿で会った時に比べて、すずかは荒んでいた。表情も厳しく、まともに食事を摂っていないのか頬がこけていた。クロノに挑む姿勢もかなり好戦的だったこともそうだが、なのはに対する執着度が異常だ。そしてその原因がなのはとの確執にあるのは明らかだった。

「……なのは、杏子の言うことに従おう。もしなのはが魔法に出会ったせいで、すずかと喧嘩したままになってしまうのは、僕も嫌だ」

 杏子以上にすずかを知っているユーノは、よりそのことを敏感に感じ取っていた。なのはが魔導師だと知ってからのすずかは、それ以前とはまるで違う。このまますずかを放置すれば、きっとなのはは不幸になる。それはユーノにとっても望まないことだった。

「杏子さん、ユーノくん。……うん、わかった。わたし、すずかちゃんときちんと話してみる」

 すずかとの力量差は一長一短には埋められない。このまま戦っても負けるのはわかってる。……だけどそれならそれで構わない。なのはの目的はすずかに勝つことではなく、すずかと話しあうことなのだから。

「でも杏子さん、それが終わったら改めてわたしにもジュエルシード探しを手伝わせて」

「……それはなのはとすずかが決めることだ。あたしの決めることじゃねぇ。……だからその辺のことも含めて、しっかり話し合ってこい」

「はい!」

 杏子の言葉になのはは虚を突かれ、目を丸くする。だがその意味をすぐに理解し、なのはは力強く笑顔で返事をした。



     ☆ ☆ ☆



「やぁすずか、ようやく目を覚ましたみたいだね」

「キュゥ、べえ?」

「そうだよ。身体の方は大丈夫かい? あれから数時間もキミは眠りっぱなしだったんだから」

 キュゥべえの言葉を聞きながら、気絶する前のことをぼんやりと思い出していくすずか。久しぶりに家の外に出て、フェイトと再会して、ジュエルシードの気配を感じて、そして……。

「――そうだ! なのはちゃんは!? なのはちゃんはどこ!?」

 なのはのことを思い出したすずかはベッドの上から飛び起き、辺りの様子を観察する。見覚えのない室内、無機質な鉄の壁に囲まれた飾り気のない部屋。部屋の中にいるのはキュゥべえとすずかだけで、他の人物の姿はない。

「ねぇキュゥべえ、なのはちゃんは、なのはちゃんはどこ!? 無事なの、ねぇってば!!」

 興奮したすずかはキュゥべえに掴みかかり、その身体をシェイクする。

「お、落ち着いてすすか。そんなに揺らされたら話しにくいじゃないか」

「何でもいいから早く教えてよ!!」

「……ぼ、ボクたちはフェイトたちの転送魔法でここまで逃げてきたんだ。なのはがその後、どうなったかはボクにもわからないよ」

 すずかの剣幕に押されたキュゥべえは、観念したように呟く。だが今のすずかにとって、その言葉は逆効果でしかなかった。

「嘘!? 何で!! どーして!! どーしてなのはちゃんを連れてこなかったの!! ねぇ、キュゥべえ、なんでよ!!」

 キュゥべえを握る力を強めたすずかは、焦点の合ってない瞳でキュゥべえを問い詰める。そんなすずかからなんとか逃れようともがくキュゥべえ。だがもがけばもがくほど、すずかの爪がキュゥべえの腹に食い込み、痛覚を刺激していった。

「すず……、やめっ……苦し……、離し……」

 必死に助けを求めるキュゥべえだったが、腹を圧迫されていることで上手く声を出せない。そうしているうちにその意識が徐々に遠のき、口から泡を噴き出しながらキュゥべえの意識は刈り取られる。

「ねぇ、キュゥべえ、答えてよ、ねぇってば!!」

 それでもすずかは追求を止めない。爪が肉に深く食い込むほどの力でキュゥべえを揺さぶりながら、唾が飛ぶほどの大声で問いただし続ける。そうしているうちに、騒ぎを聞きつけたフェイトとアルフ、ゆまが部屋の中に飛び込んでくる。

「すずか、目が覚めたんだ。よかっ……」

 元気そうにしているすずかの後ろ姿を見て、安心するフェイトたち。だがすずかが向き直った瞬間、彼女の魔眼によって動きを縛られる。

「……フェイトちゃん、キュゥべえからなのはちゃんを置いて逃げたってけど、ホント?」

 眼球を震わしながら尋ねるすずか。その視線はフェイトを中心に向けられたものだったが、魔法に一切の抵抗力を持たなかったゆまは、その強烈な視線に耐えられるはずもなく、意識を一瞬で刈り取られる。

 フェイトとアルフは気絶することはなかったが、すずかの瞳を見た瞬間に無数のヴィジョンが脳裏に浮かぶ。イメージの中でありとあらゆる責め苦を味わうフェイトたち。幻視だとわかっているはずなのに抗うことができず、二人の心を消耗させていた。

 なんとかフェイトだけでも逃がしたいと思うアルフだったが、魔眼に囚われた彼女は瞬き一つ自由にこなすことができなかった。

「……だ、大丈夫だよ、すずか」

 そんなアルフたちの横で、フェイトはやっとの思いで声を絞り出す。金縛りによって声帯が上手く動かせず、その声は掠れていたがすずかにもはっきりと聞き取れた。

「だいじょうぶ? なにがだいじょうぶなの? フェイトちゃん?」

「すずかがあの執務官の隙を突いてくれたから、なのはを助け出すことができたんだよ」

「……えっ?」

 フェイトの言葉にすずかは気の抜けた声を上げる。そしてクロノに気絶させられる直前に見た光景を思い出す。自分を止めるなのはの叫び声。その先にいたバインドの解かれたなのはとそれを支えるフェイト。杏子とフェイトの助けを借りつつも、きちんとクロノの手からなのはを助けることができたことをはっきりと思い出す。

「あ、あはは……、なのはちゃん、無事だったんだ」

 安心したことですずかの魔眼の力が弱まったのか、その場に崩れ落ちるように二人は倒れる。アルフはそのまま突っ伏すように気絶したが、フェイトは手で身体を支え、すずかを安心させるように笑顔を向けた。

 そんなフェイトたちの姿を見て、すずかはようやく正気を取り戻し、自分の魔眼が皆を苦しめていたことに気付く。

「ご、ごめんね。フェイトちゃん。私、私……、目が……」

 視線を逸らし、目の辺りを手で隠しながらすずかは謝る。謝りながら、魔眼が収まるように力を入れ、暴走している血の瞳を無理やり魔力で押さえつける。深呼吸を繰り返し、精神の高ぶりを落ち付かせ、冷静さを取り戻す。

 そんなすずかの目に飛び込んできたのは、部屋の中の惨状。床に倒れたキュゥべえの腹は無残に切り裂かれ、桃色の肉が体毛の節々から覗き見えている。ゆまとアルフの意識はなく、辛うじて目を開けているフェイトは息も絶え絶えだ。それを招いたのが自分であるということがわかるからこそ、すずかはショックを隠せなかった。

「だ、大丈夫だよ、すずか。気にしないで……」

 フェイトはか細い声ですずかを気遣うように声を掛ける。だがすでに彼女に向けられた魔眼の効果は切れているというのに、全身から冷や汗が止まらない。すずかの瞳を見た瞬間に襲ってきた恐怖心が脳裏にこびりついており、身体の震えが止まらない。

 それでもなお、フェイトは笑顔を浮かべていた。すずかを憂う優しい笑顔。それと同時にその笑顔がとても痛々しい。顔の皮膚が麻痺しているかのようなぎこちない笑み。そんなフェイトの顔を見るだけで、すずかは胸が締め付けられる思いだった。

「ごめん、フェイトちゃん!!」

 すずかはこれ以上、皆を傷つけるわけにはいかないと、部屋の外に飛び出す。

「す、すずか、待って、すずか!!」

 その背後からフェイトの呼びとめる声が聞こえる。それでもすずかは足を止めなかった。靴も履かずにフェイトたちの隠れ家のビルの一室から飛び出し、無我夢中で走り続けた。



「あっ……」

 そうしてたどり着いた場所、それは喫茶『翠屋』だった。無意識のうちになのはを思い続けたすずかが翠屋に行きついてしまうのは、ある意味では当然の話だろう。

 中に入る勇気を持てなかったすずかは、そっと窓から中の様子を覗き見る。翠屋の中になのはの姿はなかったが、その代わりに忍と恭也が仲睦まじくウェイトレスとして働いていた。労働の中でも楽しげな笑みを浮かべる姉の姿を見て、すずかの胸が苦しくなり、自然と目元から涙が溢れる。

 少し前まで、すずかも今の忍のように自然な笑顔を浮かべながら日常を満喫していた。夜の一族である秘密を抱えながらも、なのはやアリサと過ごす他愛のない日々が楽しくて仕方なかった。魔法少女になったばかりの頃も、自分がその笑顔を守ることができると嬉しくてたまらなかった。

 ……だけど今の自分はどうだろう? 自分を助けてくれたフェイトたちを傷つけ、魔導師になったなのはとは未だにわかりあえていない。こんな自分が心の底から笑えるはずがない。表面上は取り繕うことはできても、きっと本心から笑うことはできないだろう。

(……私、何のために魔法少女になったんだっけ?)

 自分のソウルジェムを取り出し、すずかは自問自答を続ける。強く在りたいという願いが生み出したソウルジェム。穢れを溜め、今では赤紫色というよりも黒に近い輝きを放つそれを初めて手にした時、すずかは生まれ変われた気さえした。今まで嫌いだった夜の一族である自分を受け入れ、その力を使って人々の笑顔を守るために戦っていく。魔女は怖かったが、それでも皆のためならとやりがいさえ感じていた。

 だがなのはが魔導師になったと知った時、すずかの中で何かが崩れた。魔法少女としてこの町に住む人々を、忍やアリサ、そしてなのはを守っていたはずなのに、すずかの知らないところでなのはも戦いの中に身を置いていた。そのことがただただ悲しく、それでいて許せなかった。そして自分の意思に関係なく、吸血欲求に従いなのはを傷つけてしまい、そして武器を向けあった。

 自分が夜の一族であるということを話しても受け入れてくれたのは嬉しかったが、すずかはなのはが魔導師であることを受け入れることはできない。

(今なら、杏子さんの気持ちがわかるような気がする)

 魔女と戦うのは危険だから、魔法少女にはさせたくない。温泉街で杏子が口にした言葉。あの時は単純に魔女との戦いで命を落とす可能性があることについて示唆しているだけかと思った。もちろんそういう意味も込められていないわけではないが、それ以上に魔法少女自体が危うい存在なのだ。自分の願いを叶えて手に入れた魔法。しかしその願いに揺らぎが生じた場合、すぐにそのコントロールが上手くいかなくなる。

 窓ガラスに反射したすずかの真っ赤な瞳。魔眼の効力を抑えていても、夜の一族としての力を解放していなくても、元の色に戻らない。指先からは鋭利に爪が伸び、口の中で歯を噛み合わせると、今朝よりも犬歯が伸びている事に気づく。魔力こそ意識的に抑えてはいるが、少しでも気を抜くとすずかの意思に関係なく解放されてしまうのは明らかだった。

 すずかの願いは強く在ること。確かに彼女は強くなった。……肉体的に。内に秘めた魔力は日が経つごとに増え続け、身体能力も今や人間を遥かに上回る。すずかの願った抽象的な願いが、彼女を際限なく強くし続けた。その結果、人間としてのすずかは壊れ、夜の一族、延いては吸血鬼としての側面を強めていった。



 ……そしてその先に待ち受ける自分の行く末も、すずかにはなんとなく想像がついていた。



 すずかは翠屋に背を向け、ゆっくりと歩き出す。フェイトたちの元に戻ろうにも、どのような道順でここまで来たのかわからない。だからといって忍の元にも帰れない。今のすずかは導火線に火がついた爆弾みたいなものだ。それを自覚しているからこそ、忍たちの傍にもいられない。

(ごめんね、お姉ちゃん、フェイトちゃん、なのはちゃん。私はもう……)

 自分の力を抑えられない以上、すずかはもう平穏な生活には戻れない。彼女の前に広がるのは戦いの日々、それだけだ。だからせめて戦って戦って、それで守りたい人の生活だけは最後まで守り抜きたい。

(さようなら、皆)

 最後にもう一度、翠屋の方を振り返る。目元に溜めた拭いながら心の中で別れを告げる。そして翠屋の中にいる忍の顔を目に焼き付けたすずかは、その場から消えるように忽然と姿を消し去った。



2012/10/31 初投稿



[33132] 第7話 少しずつ変わりゆく時の中なの その4
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2012/11/23 00:10

第7話 少しずつ変わりゆく時の中なの その4

 地平線まで見渡せる広大な丘の上、果てしなく青空の元、一組の母子がピクニックにやってきていた。母親は二十代後半から三十代前半といったところの妙齢の女性。腰までとどく紺色の髪を風に揺らめかせながら、正面に座っている娘の様子を優しげな笑みを浮かべて眺めている。娘の方は四歳くらいの小さな少女で、頭の上に白い花冠を乗せ、屈託のない笑顔を母親に向けていた。

 それはフェイトにとって懐かしい思い出。まだアルフと出会う前、リニスに魔法を教わる前、プレシアの休暇に合わせて草原にピクニックに来た日の出来事だった。

(これは、夢?)

 過去の自分たちの様子を第三者の目線から眺めるフェイトは、すぐに目の前の光景が自分の見ている夢だと気付く。眼前に広がる懐かしい光景を、フェイトは懐かしむと同時に胸の苦しい思いで見つめていた。

 今のプレシアは夢の中のような穏やかな笑みなど浮かべたことは一度もない。何かに取り憑かれたように寝る間も惜しんで研究に没頭している。その手伝いができること自体は、フェイトも誇らしく感じていたが、たまに顔を合わせる度にやつれていくプレシアの姿には心を痛めていた。

 プレシアと一緒に遊びたい、食事をしたい。そういった感情がフェイトにもないわけではない。だがそれ以上にフェイトは今のプレシアには休んで欲しかった。だから少しでも彼女の負担を減らすために、どんなに大変なことだろうともプレシアからの願いは全て聞き入れてきた。いなくなったリニスの分まで、自分がプレシアを支えなければならない。その一心で頑張ってきた。

「――――、お誕生日のプレゼント、何か欲しいものある?」

 夢の中のプレシアが尋ねる。思い返せばこの一週間後には自分の誕生日が控えていた。今のフェイトとしては、この日のようにプレシアと一緒に出かけられるだけで満足だが、この頃のフェイトはそこまで大人ではない。何かしらをねだったはずだ。

(でも、この時わたしは母さんに何をねだったんだっけ?)

 少し考えてみたものの、フェイトには思い出せない。この年の誕生日に貰ったプレゼントはハッキリと覚えている。……一匹の猫。後に母さんの使い魔になるリニスの素体。仕事で忙しくて留守にしがちだったプレシアが、一人でも寂しくないようにと自分に与えてくれた薄茶色の山猫。だがこの時、フェイトが願ったのは別のものだった気がする。

「んーとね」

 夢の中のフェイトが顎に手を当て考える。そしてすぐに何かを閃いたように口を開いた。

「……イト、大丈夫かい? フェイト?」

 だがそこから出てきた声は自分のものとは違う、感情の色がまったくない無機質な声だった。それと同時に目の前の幸せの時間が急にぼやけ始める。目の前の夢が急激に終わりを告げ、一気に現実に引き戻される。

 ――そうして目を開けたフェイトに飛び込んできた光景は、傷一つないキュゥべえの姿だった。



     ☆ ☆ ☆



「キュゥ、べえ?」

「フェイト、目が覚めたんだね。よかった」

「あれ? わたしはどうして?」

 重たい身体をゆっくりと身体を起こしながら、辺りの様子を確認するフェイト。そしてすぐに自分の横で同じように倒れているアルフとゆまの存在に気づく。そしてそれを見た瞬間、自分が意識を失う前の出来事を一気に思い出す。

 悲しげな表情を浮かべながらフェイトたちの前から走り去るすずか。そんなすずかを必死に呼びとめようとした自分。なんとか追いかけようとしたが、身体が思うように動かず、次第に意識が遠のき、そのまま気絶してしまったのだ。

「キュゥべえ、すずかはどこ?」

「残念ながらボクにもわからない。ボクが気付いた時には、すでにこの家にはいなかったよ」

「……そう」

 キュゥべえの言葉を聞いて意気消沈するフェイト。

 とりあえず二人をいつまでも床の上に寝かしておくわけにはいかない。フェイトは二人をベッドに移動させた後、改めて先ほどのことについて考える。

 すずかの様子から見て、フェイトたちを気絶させてしまったのは彼女の意思によるものではない。……おそらくは魔力の暴走。魔法少女の魔法の使い方の仕組みはわからないが、すずかはまだ魔法少女となって日が浅い。自分の魔法のコントロールが上手く出来ずに暴走させてしまうことも十分に考えられる。そして今もまだ魔力の暴走が続いているのなら、探すのは簡単だ。町中にサーチャーを飛ばして捜索すればいい。だがそれは、同時に自分たちの居場所が管理局に察知されるリスクを伴う。すずかのことも心配だが、杏子からゆまを託されている以上、そのような危険な真似をするわけにはいかなかった。

「ところでフェイト、さっきは聞きそびれたんだけど、キミたちがボクに頼みたいことっていうのは一体何だったんだい?」

 すずかのことに頭を悩ましているフェイトに対して、キュゥべえは見当違いの言葉を掛ける。その言葉を聞いて、フェイトはすずかたちに会いに行った当初の目的を思い出し口にする。

「あっ、えっとね、実はわたしの母さんがキュゥべえに会いたがっているんだ。だから一度、時の庭園まで来てほしいんだけど?」

「キミの母親?」

「うん。母さんはプレシア・テスタロッサって言うんだけど、魔法少女のことを話したらキュゥべえたちから一度話を聞いてみたいから連れてきてくれって」

「それはいいけど、すずかが一緒じゃなくてもいいのかい?」

「うん。母さんが一番話を聞きたがってたのはキュゥべえに対してだったから」

 その申し出はキュゥべえにとっても願ってもないものだった。当初の予定ではフェイトに別れを告げ、なんとか杏子を通じて管理局と接触を図ろうと考えていた。そこで次元世界についての話を聞き、あわよくばそちらの世界からエネルギーを回収する算段を付けるつもりだった。

 だが次元世界の話を聞けさえすれば、キュゥべえにとってその相手が管理局でなくても問題はない。いずれは管理局とも接触する必要も出てくるだろうが、向こうから接触を求めてくる存在を無視することはできなかった。

「そういうことならボクは構わないよ。……それでいつ時の庭園に向かうんだい?」

「母さんはすぐにでも連れてきて欲しいって言ってたんだけど……」

 言葉を濁しながらフェイトは再びすずかのことを考える。キュゥべえを時の庭園まで案内するのは簡単だが、このまますずかを放っておいていいのだろうか? 今のすずかは誰かの助けを求めている。去り際に見せた彼女の悲しげな表情、それが顕著に物語っている。

「……すずかのことが気になるんだね? それならボクに任せて欲しい」

 そんなフェイトの心の機微を見抜いたキュゥべえがすかさず声を掛ける。

「ボクがキミたちとこの町で初めて会った時、ボクが世界中に散らばっているって話はしたよね? 本来ならボクたちが世界中に散らばっているんだけど、今のこの町にはジュエルシードの魔力に惹かれた無数の魔女が集まりつつあるんだ。その対処するためにボクの仲間が他の町の魔法少女を連れてこの町に集まってきている。だからすずかのことは一端、ボクたちに任せてくれないか?」

 それはフェイトの迷いを断ち切るための言葉だったが、キュゥべえとしてもここですずかという貴重な戦力を失うわけにはいかなかった。ジュエルシードを集める上で、杏子の協力を得ることは、もはや不可能に近いだろう。管理局やフェイトたちといった勢力と争うために、すずかの強力な魔法の力はキュゥべえにとって必要不可欠なものだった。

「それにこのまま彼女たちを放っておくわけにもいかないだろう?」

 思案顔のフェイトにキュゥべえは未だ意識を取り戻さないアルフとゆまを示す。二人とも規則正しい寝息を立てているが、時折り苦しそうにうめき声を上げていた。

「これはボクの推察でしかないけど、時の庭園に行けばここよりも医療器具が揃っているんじゃないかな? そういった意味でもボクたちはすぐにでも時の庭園に向かうべきだと思うよ」

 キュゥべえの言っていることは正しい。このまま寝かしておくよりは、時の庭園の医務室でメディカルチェックを掛けた方が確実で早く二人を目覚めさせることはできるだろう。すずかのことも気になるが、今後、管理局を出し抜いてジュエルシードを手に入れるためには、あまり悠長にことを構えている時間はない。

 別れ際に杏子が口にした言葉を思い出す。「優先度を間違えるな」。今のフェイトが優先すべきことはすずかを探しに行くことではない。プレシアの願いを叶えることなのだ。それを果たすのに、こんなところでのんびり迷っている時間などない。

「……わかった。それじゃあキュゥべえはベッドの上に乗って」

 心残りがないと言えば嘘になる。それでも今のフェイトにできることはキュゥべえを時の庭園に連れていくことぐらいなのだ。ならば一端、すずかのことは忘れよう。彼女のことは改めて海鳴市に戻ってきてから考えればいい。

「これでいいかい?」

「うん」

 キュゥべえがベッドの上に乗ったのを確認したフェイトは、時の庭園に向かうために次元座標を呟き始める。ベッドを中心に魔法陣が展開され、フェイトの言葉と共にその輝きを徐々に増していく。

「――開け、誘いの扉。時の庭園、テスタロッサの主の元へ」

 そしてフェイトが呪文を唱え終わると、その場から彼女たちの姿は一瞬で消え去った。



     ☆ ☆ ☆



「母さん、キュゥべえを連れてきました」

 時の庭園に着いたフェイトは、先にアルフとゆまを医務室に寝かせ、それからキュゥべえをプレシアのいる応接室に案内した。応接室に入ると、プレシアからの鋭い視線がフェイトを貫く。だがその視線はすぐにその足元にいるキュゥべえに向けられた。

 キュゥべえもまた、そんなプレシアに視線がくぎ付けになっていた。彼女の全身から溢れ出る魔力。それはキュゥべえが今まで数えるほどしか見たことのないほど、極上のものだった。もし彼女が魔法少女だとしたら、魔女になる時に回収できるエネルギーは質、量ともに素晴らしいものだろう。

「……御苦労さま、フェイト。あなたはもう下がっていいわ」

「えっ、でも……」

「私の言うことが聞けないの?」

 すぐに退室しようとしないフェイトに厳しい目線を向けるプレシア。その視線にフェイトは渋々、応接室を後にする。それを確認した後に、プレシアは改めてキュゥべえに目を向けた。バルディッシュに記憶された映像と同じ、白い体毛に赤い瞳を持つ未知な生物。その鋭い瞳に睨みつけられてもなお、キュゥべえは飄々とした面持ちでその場に佇んでいた。

「はじめまして、プレシア・テスタロッサ。それでキミは、一体ボクに何の用なんだい?」

「……そうね。あなたには色々と聞きたいことがあるわね。でも初めに一つだけハッキリさせておきたいことがあるわ。――あなた、ジュエルシードを何の目的で集めようとしているの?」

「フェイトから聞いたのかい?」

「いいから質問に答えなさい」

「……本当だよ。でも残念ながら、ボク一人の力では手に入れるに至ってはないけどね」

 実際のところは見滝原で織莉子から一つ譲り受けているが、それをここでプレシアに語る必要はない。

「……そう」

「どうしてそんなことを聞くんだい?」

「単純な好奇心よ。それで、あなたはジュエルシードを手に入れて何をしようっていうのかしら?」

「その質問にはどうしても答えないと駄目かい?」

「別に答えたくないなら答えなくてもいいわ。でもこれからの話し合い次第によっては、私が持つジュエルシードをすべて、あなたに譲ってあげてもいい」

 フェイトがジュエルシードを求める理由は間違いなくプレシアのためだろう。それなのにも関わらずプレシアは何の感情も浮かべず淡々とそのようなことを口にする。感情がないキュゥべえといえども、驚くには十分な内容だった。

「……それは一体どういう意味だい?」

 だがそれ故にプレシアの考えが読めない。ジュエルシードの莫大なエネルギーはキュゥべえとしても喉から手が出るほど欲しい。それはプレシアとて同じはずだ。それを話し合いだけで譲るなど正気の沙汰とは思えなかった。

「私にとってジュエルシード自体はそれほど重要なものではないの。ジュエルシードはあくまで私の目的のために必要なエネルギー結晶体。その目的が叶うのならば、こんなものは必要ないわ」

「つまりプレシア、キミはボクがその目的を果たすために必要な情報、もしくは力を持っていると考えているわけだね」

「その通りよ」

「ならキミからの問いに答える前に、ボクからも一つ質問をさせてくれ。キミの目的は一体何だい? それがわからないことには、ボクとしても協力のしようがない」

「……残念だけどその問いには答えられないわね。まだあなたのことを完全に信用できるわけではないもの。――それはあなたも同じでしょう?」

 プレシアの目つきが一際、鋭くなり、手に持つ杖をキュゥべえに向ける。彼女の機嫌を損ねるような発言をすれば、キュゥべえは容赦なく攻撃されるだろう。それに抗う術を一切持たないキュゥべえにとって、それは致命的だ。だからこそキュゥべえは敢えて強気に告げる。

「確かにキミの言うことにも一理ある。だからといってキミは、迂闊にボクに攻撃を仕掛けることはできないはずだ。ここで安易にボクに攻撃を仕掛ければ、今後二度とボクとの交渉の機会は生まれない。それはキミとしても困るだろう?」

 プレシアの魔力は明らかにフェイト以上だ。それも過去に何らかの形で歴史に名を残すことになった稀代の魔法少女たちと同等の力を秘めている。抗う力を持たないキュゥべえなど、一発で黒焦げになるのは間違いない。

 だが相手はそれでも人間である。異世界人とはいえ、人間相手の交渉をキュゥべえは数万年もの間、繰り返してきたのだ。キュゥべえとしても求める情報がある以上、腹の探り合いで簡単に負けるわけにはいかなかった。

「……そうね」

 プレシアはキュゥべえに向けた杖を消し去り、椅子に腰を降ろす。それを見てキュゥべえは安堵のため息をついた。

「ふぅ~、肝が冷える思いだったよ。できればあのような真似は二度と御免蒙りたいね」

「それはあなたの態度次第よ」

 鋭い目付きでキュゥべえを射抜くプレシア。その目はすぐに攻撃する気はなくとも、彼女にとって利を生みださなければ速やかに排除するという意思がありありと現れていた。

「……それでプレシア、結局のところキミがボクに聞きたいことってなんなんだい? まさかジュエルシードの用途を聞くためだけにボクをここまで連れて来させたわけではないんだろう?」

 キュゥべえは改めてプレシアに尋ねる。本当なら彼女の目的を聞きたいところだが、これ以上しつこく詮索すれば二度とプレシアとの交渉の機会は失ってしまうだろう。今後、どう動けばいいのか判断のし辛いこの状況では、断片的な情報を得て推測を立てていくしかない。

(はてさて、鬼が出るか蛇が出るか。どちらにしてもフェイトには感謝しないといけないな。異世界の情報を得る貴重な機会を与えてくれたんだから)



     ☆ ☆ ☆



 応接室を追いだされたフェイトはアルフとゆまを寝かせている医務室に顔を出す。未だ二人は目覚めた様子はなかった。フェイトは心配そうにベッドの間の椅子に腰を降ろし、その顔を覗き見る。静かに寝息を立てているゆまに対して、アルフは苦しそうに寝汗をかいていた。その汗をタオルで優しく拭きながら、フェイトは二人が目覚めるのを待つ。

 そうしながら頭をよぎるのはすずかのこと。キュゥべえに諭されてすずかのことを後回しにしてしまったが、本当にこれでよかったのだろうか? 今なら先に地球に戻り、すずかを探しに行くこともできるだろう。だがこのままアルフたちを放っていくのも気が引ける。

 そんなことを考えていると、事前に行っていた二人のメディカルチェックの結果が出る。二人ともに、あと数時間も経てば自然と目が覚めるようだ。それを見てホッと一安心するフェイト。ついでにそれ以外にも二人の身体にどこか異常がないかとフェイトは調べ始める。

「えっ? これって……?」

 そうして調べていった結果を見て、フェイトは思わず声を上げる。アルフの方には全く問題ない。彼女の身体は健康そのもの。戦闘で生じた古い傷などの診断結果は出ているが、特に気になるようなものではない。おそらく彼女自身も「放っておけば治る」と一蹴してしまうような細かい傷ばかりだった。

 問題なのはゆまの方だ。彼女の身体に見つかった夥しい数の古傷。傷の治り具合から二ヶ月以上前に受けたものがほとんどだが、診断結果を見る限りそれ以前は断続的に行われていたようだった。

「ゆま、ちょっとごめんね」

 気になったフェイトはゆまの着ている上着をめくる。露わになったゆまの上半身には無数の痣があった。それ以外にも刃物で切り付けられたような切り傷や煙草を押し付けられたような火傷の痕もある。そしてそれらの傷は明らかに何者かに暴行を受けたことを示していた。

「どういうこと……?」

 杏子がこのような真似をするとは思えない。杏子は何よりもゆまのことを大事に思っている。彼女の目がある場所でゆまにこのような傷を付ける者がいたとすれば、それこそ相手が普通の人間だろうと杏子は容赦しないだろう。

 フェイトの中の疑問は尽きないが、少なくともそのような傷をいつまでも残しておいて良いものではない。フェイトは医務室に備え付けられた端末の前に座り、なんとかゆまの身体についた傷痕を消し去ろうとキーボードを打ち始めるのであった。



     ☆ ☆ ☆



「私があなたに尋ねたいこと。それはキュゥべえ、あなたは本当にどんな願いごとでも叶えることができるのか、ということよ」

 プレシアの口から告げられた質問。それを聞いてキュゥべえは内心、呆れていた。プレシアは限りなく強大な力を持っている。異世界の技術力がどの程度のものかはわからないが、時の庭園だけでも人類には過ぎた技術の塊だ。その上でなお、彼女はさらに望みがあるという。それがキュゥべえにはとても滑稽なことに感じられた。

「キミがどのような願いを抱いているかはわからないけど――可能だよ。ボクと契約すれば、それが例えどんな願いであろうとも奇跡の名の元に叶えられ……って何をするんだい!?」

 キュゥべえの言葉にプレシアは無言でフォトンランサーを放つ。それらはキュゥべえの身体を囲むように床に突き刺さる。

「御託を並べるのもいい加減になさい。奇跡というものは、そう簡単には起きないから奇跡というのよ。あなたの言うことが仮に事実だとしても、それ以外にもデメリットが複数あるのでしょう。まずはそれを話しなさい」

 奇跡の代償は大きい。プレシアはそのことは十分に理解していた。狂気に囚われながら二十五年もの間、研究をし続けられたのがその証拠だろう。だからこそ、キュゥべえの言を鵜呑みにはできない。願いを祈るだけで叶えられるといった夢物語があるなどと信じらるわけがない。

「それを答えるのは別に構わないけど、キミはどの程度ボクと魔法少女について知っているんだい? 省略できる部分は省略して説明したいからね」

 キュゥべえをキッと睨みつけるプレシア。その目は口より物を語っていた。

「……はぁ~、わかったよ。それじゃあ一から説明するよ」

 そうしてキュゥべえはプレシアに魔法少女について順序立てて説明していく。少女と契約を交わす時、願いが叶いソウルジェムを生み出すこと。ソウルジェムは魔法を使えば使うほど穢れを溜めること。その穢れは魔女を倒した際に手に入るグリーフシードを使えば浄化できること。――そしてソウルジェムは契約した少女の魂を元に創られるということ。

「……正直、この話はあまりしたくなかったんだ。これを話すとそれまで契約するのに乗り気だった人でも、手のひらを返すようにボクとの接触を避けるようになるからね」

 大抵の場合はソウルジェムの真実について語ることのないキュゥべえだが、それでも契約前の質問内容によっては今回のように語らなければならない場合も出てくる。そういった時、嘘偽りなく説明することにしているが、それを聞いて契約しようなどと言った少女は過去に数例しかなかった。

「それでプレシア、キミはどうする? 本来なら第二次成長期の少女としか契約しないんだけど、キミほどの魔力を持っているなら話は別だ。この話を聞いてもまだ契約する気があるなら、ボクは快くキミの願いを叶えよう」

 キュゥべえが少女としか契約しないのは、回収できるエネルギー量の関係からだ。思春期の少女の持つ感情エネルギーは極上だ。戦士としての資質は同程度だとしても、魔女へと変貌する時に発生するエネルギーの総量や質に明確な差がある。不必要に魔女を増やさない意味でも、キュゥべえは意図的に少女にターゲットを絞っていた。

 しかしプレシアは違う。彼女は少女と呼ぶには歳を取り過ぎている年齢だが、内に秘めた魔力は素晴らしい。また彼女が抱えた因果もフェイトやなのはには劣るものの目を見張るものがある。これなら後に回収できるエネルギーも申し分ない。魔女としては強すぎる部類のものが誕生してしまう恐れもあるが、エネルギー回収ノルマがもうじき達成できる以上、そこは度外視しても問題ないだろう。

「勘違いしないでちょうだい。私ははじめから、あなたと契約する気なんてないわ」

「どういう意味だい?」

 プレシアから放たれた言葉、それはキュゥべえにとって予想外のだった。

「今の話を聞いて契約する気をなくしたというのならわかる。しかし初めから契約する気はないというのは、どういうことだい?」

「言葉通りの意味よ」

 プレシアは短く語る。だがその言葉だけで納得できるはずがない。願いが叶えられるかの有無を聞き、さらにはその代償までプレシアは尋ねたのだ。契約する気がなければそのようなことを尋ねる理由がないはずだ。

「それじゃあ、どうしてボクをここまで連れてきたんだい? キミはさっき言ってたじゃないか。ボクに願いを叶えられるのかって。それはボクと契約したかったからじゃないのかい?」

「……そうね。あなたと契約したいという思いも確かにあるわ。でもね、キュゥべえ、ソウルジェムに作り替えられた者の末路がわかってて、契約する人間がいると思う?」

「どうしてそれを……?」

「あなたは知らないでしょうけど、バルディッシュにはデータを映像として記録する機能がついているのよ。その映像を調べてすぐにわかったわ。魔法少女の使う魔法と魔女が使う魔法の仕組みが同じということにね。――それを確かめる意味でも、あなたに直接話を聞いてみたかったのだけれど、その反応だとどうやら本当みたいね。……残念だわ」

 どのような条件で魔女になるのかはプレシアにも把握しきれてはいなかったが、契約してアリシアを甦らしたとしても、そんな彼女を残して化け物になるような道をプレシアが選べるはずがない。そもそも彼女が望むのはアリシアとの平穏な生活だ。日夜、地球で魔女と戦うような未来が目に見えている時点で、プレシアには契約の意思はなかった。

「……そのことを黙って契約しようとしたことは謝るよ。でもそれを知っていたなら、なおのことボクと話をしたがった理由が見えてこないんだが……」

「そうね。それじゃあ本題に入りましょう。私があなたとしたかったのは契約ではなく取引。今から言うことを実行してくれれば、私が持っている全てのジュエルシードをあなたに譲りましょう。なんだったらその後も、あなたのジュエルシード集めを手伝ってもいいわ」

 プレシアはアリシアの蘇生という奇跡を求めた。その果てに長い研究を重ね、そうしてプロジェクトF.A.T.E.により、フェイトという失敗作を生み出した。長い年月を掛けて完成させたフェイトは、アリシアとは似ても似つかない紛い物として誕生した。

 だがプレシアとて、フェイトに対して全く関心がないわけではない。フェイトはアリシアではない。だがフェイトは間違いなくアリシアでもあるのだ。フェイトを形作るDNA、それらは紛れもなくアリシアと同一のものだ。長い年月を掛けて完成させたフェイトは、アリシアとは似ても似つかない紛い物として誕生した。だからこそプレシアにとってフェイトは憎しみの対象となり、すぐに処分することができなかった。

「……ボクは何をすればいいんだい?」

 キュゥべえの目には、プレシアが震えているように見えた。両の目を大きく見開き、大望の成就を確信したような笑みを浮かべている。

 この時、キュゥべえはプレシアに対して脅威を覚えていた。ごく少量の情報から魔法少女の真実に気付いた頭脳、そして彼女が最初から持ち合わせている魔力。さらに時の庭園のような施設を個人で所有している。どれをとってもプレシアは強大な存在だと思えた。

 だからこそキュゥべえはこのチャンスを逃すわけにはいかない。今ならプレシアとの取引に応じれば、ジュエルシードを譲ってもらえるのだ。その言葉が真実かどうかは判断のしようがないが、少なくとも今はまだプレシアに敵と見なされていない。それだけでもこの状況は有益だ。それ故に、キュゥべえはプレシアからどんな無理難題を命じられても、それに応じる覚悟でいた。

「キュゥべえ、あなたにはフェイトと契約してもらうわ。ただしその契約でフェイトに私の願いを叶えさせなさい」

 ――しかしプレシアの口から出された取引の内容、それはキュゥべえにとっても前代未聞の内容だった。



2012/11/10 初投稿
2012/11/23 台詞回しを微修正



[33132] 第7話 少しずつ変わりゆく時の中なの その5
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2012/11/23 01:47
「プレシア、キミがどんな願いを抱いているのかは知らないが、そのために自分の娘をボクに売り渡そうっていうのかい?」

「ええ、そうよ」

 キュゥべえの言葉にハッキリと断言するプレシア。契約前に魔法少女の末路について見抜く少女というのは、過去には何人か存在した。自分の魂が肉体から解き放たれ、ソウルジェムに作り替えられるというだけでも忌憚するのが人間だ。中にはそれでも契約したがる少女もいたが、そんな彼女たちでもいずれ魔女になるということを知っていれば契約を渋っただろう。プレシア自身、そういった事情を知っているからこそ、自分で契約するという選択肢を消したはずだ。

 しかしだからといって自分の娘を差し出すというのは異常である。キュゥべえたちのような感情のない生物ならともかく、人類は感情を行動の指針とする生物であり、それでいて個体間の血のつながりを大事にする。プレシアが行ったのは、そんなキュゥべえの知る人類とは間逆の行動なのだ。彼女が異世界人ということを加味しても、感情を持つ人類からそのような提案をされるとは思いもよらなかった。

「それでこの取引、受けるのかしら?」

 プレシアの問いかけ。それに対するキュゥべえの答えはもちろんイエスである。彼女の言う通りにフェイトと契約すれば、ジュエルシードが手に入り、またフェイトという優秀な魔法少女の感情エネルギーも回収することができる。断る理由は何一つない。だが……。

「……引き受けるのは構わないよ。だけどキミは一つ、勘違いをしている」

 プレシアは無言でキュゥべえに続きを促す。

「そもそもボクが少女たちの契約時に行っているのは、彼女たちの魂をソウルジェムに作り替えることだけなんだ。契約者の魂をソウルジェムに作り替える過程で発生した感情エネルギー。魂という器から強引に変換するにあたって、収まりきらなかった少女たちの想い。そういった彼女たち自身から溢れ出たエネルギーが、彼女たちの願いを叶えているんだ」

 巴マミの願いは『命を繋ぎ止めること』。あの場に置いて、彼女は何よりも自分の命を尊んだ。事故で一緒に死んだ両親のことは頭の外に追いやり、自分だけの生還を願った。その結果、彼女自身の生命力が増し、死ぬことを免れた。そして魔女との戦いでもそう簡単に命を落とさないだけの高度な魔法を覚え、戦闘技術を身に付けるに至った。

 佐倉杏子は『父親の話に耳を傾けて欲しい』と願った。人々から蔑まれる父親を見て心を痛めた。父親の主張は正しい。なのに人々はそれに耳を傾けようともしない。だからこそ彼女には幻惑の魔法が生まれた。それが教会に近づいた人々に無作為に作用し、彼女の父親の元に足を運ばせ、その説法が正しいものだと信じさせた。

 美樹さやかが願ったのは『どんな病も怪我も治せるようになりたい』というものだ。大事な一人のためではなく、苦しんでいる多くの人を救いたい。一度限りの奇跡を自分の手により何度でも行えるようになりたい。魔法少女としての素質が少ないさやかがそう願ったからこそ、彼女の魔法は治癒に特化し、その他の能力が欠如する形で現れたのだ。

 月村すずかが望んだのは『強く在ること』。自分の弱さを否定し、他者を守れる強さを求めた。その結果、彼女は今でも際限なく強くなり続けている。彼女の意思に関係なく、人間を超えた強さを得続けている。

 それらは全て、彼女たちの望んだ願いである。そしてそれを叶え続けたのも彼女たち自身なのだ。キュゥべえはあくまで、それにほんの少し手を貸したに過ぎない。むしろ自分の利益を求めた副産物で少女たちの願いが叶う結果となったと言った方が正確だろう。

「確かにボクと契約することで、彼女たちの願いは叶っている。だけどそれはあくまでソウルジェムを作る上で発生する副産物なんだ。だからフェイトの意思を無視して、キミの願いを叶えるような契約はボクにはできない。それでもキミの願いをフェイトに叶えさせるつもりなら、フェイト自身にその願いを叶えさせたいと思わせなければならない」

 人々の願いは千差万別。長い年月、人類の願いを聞いてきたキュゥべえでさえ、その多様性には舌を巻く。だがそれらは一つとして、他者から強いられたものではない。自分の内から湧き出た願い。自分のために叶える者、他人のために願う者、世界のために祈る者、そういった違いはあれど、それらは全て他人に強いられたものではなかった。

 他人に強要された想いは弱い。あくまで他人のためにと自発的に発揮した願いでなければ、強い感情エネルギーは生まれない。どんなに魔法少女としての素質はあっても、強い想いからなる願いでなければ、一部の例外を除いて強い魔法少女、延いては強いエネルギーは発生しない。そういった意味では、プレシアの求めるものはキュゥべえとしては歓迎できるものではなかった。

「口で言うのは簡単だけど、これは非常に難しいことだよ。他人が抱いた願いを、さも自分の内から願いだと思い込ませる必要があるのだからね。……だからもし、キミが本当に願いを叶えたいのなら、そんな不確実な方法ではなく、キミ自身の願いとして叶えることをお勧めするよ」

 ジュエルシードをもらえる条件を反故にしてしまうのは惜しい。しかし極論を言えば、どちらに転んでもキュゥべえとしては問題がなかった。キュゥべえにとって一番身入りの少ないパターン、それはプレシアの言う通りに動き、失敗した場合だ。フェイトと契約することができず、プレシアからジュエルシードを譲り受けることもできない。仮に契約できたとしても、プレシアの望む形での契約でなければジュエルシードを貰うことはできないだろう。

 成功する可能性が大きいのなら試す価値がある。しかしプレシアから提案された取引には前例がないのだ。フェイトに契約の意思を芽生えさせる自信はあっても、人間の感情を理解できないキュゥべえには彼女の願いまで操作できる自信はない。

「……といっても、すでに魔法少女の行く末を知っているキミに契約を迫るのも酷な話か。とりあえずフェイトとの契約はキミの願いを叶えさせるように動いてみるけど、あまり期待しないでもらえるとありがたいかな」

 逆にキュゥべえにとって一番、事が上手く運んだパターンはフェイトとプレシア、両名との契約を達成することだ。二人が魔女になった時に発生するエネルギーは並みの魔法少女から発生するそれよりも明らかに純度が高い。その上ジュエルシードまで手に入れることができれば、回収ノルマ達成に大きく近づく。

 プレシアが魔法少女の行く末まで掴んでいるのがネックだが、最悪どちらかと契約できればそれで良い。むしろ異世界の情報を掴むためだけにプレシアの誘いに乗ったキュゥべえにとって、フェイトに契約を迫る機会を与えられたことだけでも、今回の成果は十分と言えるだろう。

「……そうね。期待しないで様子を見させてもらうわ」

 一方のプレシアはキュゥべえの言葉を聞いて、特に落胆した様子もなく淡々とそう告げる。

 アリシアの命を甦らせるだけなら、プレシア自身が契約すればいいのだろう。だがそれは論外だ。ソウルジェムになることには何ら抵抗はないが、もし自分が魔女になってしまった時、その凶刃がアリシアに向かないとは限らない。それ以前に魔女退治に追われ、アリシアと共に過ごす平和な時間が削られること自体、由々しき問題だった。

 プレシアが最も望むのはアリシアとの平穏な生活だ。そのためにはアリシアを蘇生させるだけでは事足りない。プレシア自身もまた、五体満足の身体でなければならないのだ。今の病魔に蝕まれた身体が健全な状態であるとは言い難いが、それでもいずれ魔女になってしまうような契約を受け入れるよりはマシだろう。

 元々、プレシアはそこまでキュゥべえに期待をしていたわけではない。あくまでキュゥべえとの取引は保険。本命はあくまでもアルハザードに至り、その技術を用いてアリシアの蘇生を図ることなのだ。

 いざという時は自身がキュゥべえと契約することも考えてはいるが、それは今ではない。本命と保険、その両方が失敗し万策が尽きた時に改めて考えればいい。

「――さぁ、もうあなたに用はないわ。行きなさい」

 キュゥべえに冷たく言い放つプレシア。プレシアからはこれ以上、キュゥべえに話すことは何もない。キュゥべえが自分の思い通りに動いてくれば上々、そうでなくてもこちらに失うものはない。

「その前にプレシア、簡単でいいからボクにキミたちの世界のことと魔導師について教えてくれないかな?」

「何故?」

「キミはボクのことを何かしらの方法で見て知っているのかもしれないけど、ボクはキミたちの世界のことを全く知らないんだ。もちろん、あの管理局って人たちのこともね。それに普通の人間ならともかく、魔導師と契約するなんて初めてだからね。何かあるといけないから念のために事前に色々と知っておきたいのさ」

 その言葉を聞いたプレシアは面倒くさそうにため息をつく。それがキュゥべえの方便であることはプレシアにはすぐにわかった。要はミッドチルダについての情報が欲しいのだろう。いずれそちらの世界に渡り、魔法少女の契約を行うために。

 だがキュゥべえがミッドチルダで何をしようと、プレシアには何ら関係がない。彼女が求めるのはあくまでアリシアとの平穏の生活なのだ。仮にミッドチルダが魔女だらけの世界になったとしても、時の庭園で暮らす限り直接的な被害を受けることはないだろう。

「……そうね。話す代わりにあなたが知っている魔法少女と魔女、それにあなたの持っている知識と技術を教えてくれるのなら考えなくもないわ」

「それぐらい、お安い御用だよ」

 ――そうしてプレシアとキュゥべえは互いの世界についての情報を交換していく。それぞれの思惑を内に秘めて。



     ☆ ☆ ☆



 ゆまが目を覚まして最初に見たのは、心配そうに自分の顔を覗き込むフェイトの姿だった。

「あ、ゆま。目が覚めた?」

 それに気付いたフェイトがゆまに優しく声を掛ける。

「あ、あれ? フェイト?」

 それに戸惑いながらも返事をしながら、ゆまは周囲を見渡す。……見覚えのない一室。見ただけでわかる清潔さと見たこともないような精密機器が立ち並んでいる。それも現代日本の科学技術では到底再現できないようなモノばかり。まるでSFドラマの中に来てしまったと錯覚してしまうような部屋だった。

「ゆま、気絶する前のこと、覚えてる?」

 困惑しているゆまにフェイトが尋ねる。その問いかけにゆまは頭を巡らす。脳裏に浮かんだのは赤い瞳。刹那、全身に寒気が走る。それを必死に抑えながら、断片的に記憶を掘り起こしていく。そうして徐々に気絶する前の出来事を思い出していく。

「えっと、すずかの寝ている部屋から物音がしたから皆で様子を見に行ったんだっけ?」

「そうだよ。それでゆまはすずかの暴走した魔力に当てられて気絶したの。それで念のために時の庭園、わたしの家に連れてきて後遺症がないかを調べてみることにしたんだ」

 そこでフェイトが一瞬、表情を曇らす。

「……それでね、魔力による後遺症は特に見当たらなかったんだけど、ゆまの身体に残ってる無数の痣を見つけたんだ」

 言いにくそうに続けるフェイトの言葉を聞き、ゆまは顔を曇らした理由をなんとなく察した。 

「もうほとんど、傷痕しか残っていないようなものばかりだったけど、あんな傷、いつまでも身体に残しておくのも良くないから、治しといたんだけど……」

 次の言葉を聞いたゆまは、その場で自分の上着をめくる。昨日、お風呂に入った時は確かにあった無数の痕。それが確かに消えていた。

「うわー、ほんとだー。ありがとー、フェイト」

 それを素直に喜ぶゆま。その態度にフェイトは思わず毒気が抜かれる。

「でも魔法ってすごいんだねー。こんなことまでできちゃうんだー」

「えと、治癒魔法が得意な人はできるだろうけど、ゆまの傷を消したのは時の庭園の医療設備によるものだよ」

「そうなんだー」

 あっけらかんと答えるゆま。そんなゆまにフェイトは自分の疑問をぶつけていいものか躊躇ってしまう。

 ゆまの身体につけられた暴力。それはフェイト自身の身体にも幾重に刻まれたこともあるものと同質のものだろう。すなわちプレシアからの仕打ち。プレシアの怒りに触れ、彼女の鞭によって行われた暴力。ゆまの身体についていたものには鞭によるものはなかったとはいえ、傷がついた理由自体はそこまで大差あるものではないだろう。

 だからこそフェイトは気になってしまう。そもそもフェイトはゆまと杏子について何も知らない。知っていることと言えば、杏子が魔法少女だということ。そして彼女がゆまを魔法少女になることを嫌っているということだけだ。それ以外についてフェイトはまだ、何も知らないのだ。

「……やっぱり気になる?」

「えっ……?」

「あれだけ傷だらけな身体していたんだもん。気にならなはずないよね」

「えと、その……」

 ゆまの問いかけにフェイトは上手く答えることができなかった。気にならない、と言えば嘘になる。だがそれはゆまにとって触れて欲しくないことなのではないだろうか?

 もしフェイトが逆の立場なのだとしたら、自分の身体につけられた傷痕について答えることを躊躇うだろう。戦いでついた傷なら話すのに何ら問題ない。しかしその傷をつけたのが自分の最愛の母親なのだとしたら……それはきっととても辛いことだから。

「別にフェイトが気にすることはないよ。もうわたしを痛めつける人はいなくなったんだし」

「えっ?」

「フェイトが治してくれた傷をつけたのはね、わたしのママ」

(……やっぱり)

 そう内心でフェイトは呟く。だがその前にゆまが言った「いなくなった」というのはどういう意味なのだろう。

「フェイトには話しとくね。この傷痕のこと。そしてわたしが杏子と出会った時のことを」

 そこから語られるゆまの痛ましい過去。不仲の両親。父親は家を留守にしがちで、たまに帰ってきても母親と喧嘩ばかり。母親はヒステリーに泣き喚き、周囲のものに当たり散らす。その様子をゆまはただ、黙って見ていることしかできなかった。

 次第にエスカレートしていく両親の喧嘩。その捌け口としてゆまが暴力を振るわれるようになったのはいつの頃からだっただろう。気にいらないことがある度に、母親は殴る蹴るの暴行を繰り返す。

 だがゆまはそれでも構わなかった。暴力を振るっている間だけ母親は自分のことを見てくれる。ゆまは一人じゃない。誰かに必要とされている。そう実感できるだけでゆまは幸せだった。

 だからゆまは痛めつけられながらも――笑っていた。

 いつか母親に言われた言葉を思い出す。――役立たず。だがこうして殴られている限り、ゆまは役立たずではない。両親を楽しませるのに役立っている。だからゆまは心の底から笑えていた。

 ……そんな日々が続いたある日、珍しく家族三人で買い物に出掛けた休日。父親がいて、母親がいて、自分がいる。父親は不遜な表情をし続けたが、母親は珍しく楽しそうに笑っていた。そんな二人の間に挟まり、手を繋いだゆまもまた自然な笑みを浮かべていた。

 久しぶりの外出で興奮したのだろう。ゆまははしゃぎ、両親とはぐれてしまった。気付いた時には周囲に人の姿はなく、見たこともないような花が咲き誇る空間へと迷い込んでいた。辺りを見回しながら、ゆまは両親を探す。そんなゆまの前に何かが落ちてくる。



 興味本位で近づき、目にしたもの。――それはゆまの両親だった。



 ゆまに気づいた母親は助けを求める。その身体はすでに下半身と別たれ、顔の半分がドロドロに溶け始めている。それでもゆまにはそれが母親だと、ハッキリとわかった。そしてわかったからこそ、ゆまは恐怖で身体の自由を失くす。

 そんなゆまの前に現れた人型の異形。一見すると小柄な子供のような外見をしているが、よく見ると頭にあたる部分は黒い球体でしかなく、纏う雰囲気が人間のものとは明らかに違った。今ではそれが魔女だということはわかるが、この時のゆまにはそれはただの化け物にしか見えなかった。ゆまのことは目に入ってないのか、化け物は助けを求める母親に喰らいつき、残った身体を引き裂いていく。

 ゆまに関心を示そうとしなかった父親。ボロ雑巾のように痛めつけた母親。その姿は見る影もない。そこにあるのはただの肉塊。ニンゲンだったモノ。辺りに血を撒き散らし、化け物はひたすらに両親だったものを貪っていく。

 その光景をゆまは、ただただ眺めていた。その場で膝を付き、魔女が両親を喰らう様を瞬き一つせず眺め続けた。その時、自分が何を思っていたのかゆまには思い出せない。ただ次にああなるのは自分だと、それだけは確信していた。

 だがそれは覆されることになる。佐倉杏子の手によって。彼女の魔法によって化け物は殺され、その場にはゆまと両親だったモノが残された。

「……あの時、キョーコがどーしてわたしに声を掛けてくれたのかはわからない。だけどわたしはキョーコに感謝してる。あの時、キョーコが声を掛けてくれなかったら、わたしは生きる意味を失くしてた。きっとこーして笑うことはできなかったと思う」

「……ごめんね、ゆま。辛いこと思い出させて」

 一通り話を聞き終わったフェイトは、思わずゆまの身体を強く抱きしめた。

「ううん、わたしはへーきだよ。パパとママのことはどーしようもなかったけど、今のわたしにはキョーコがいるから」

「……ゆま」

「だからね、フェイト。わたしに魔法を教えて。キョーコがわたしに魔法少女になるなって言うなら、わたしは魔導師になる。それでキョーコの役に立ちたいんだ」

 ゆまは改めてフェイトにそう告げる。満面の笑みを浮かべて。その顔がフェイトにはとても眩しかった。

 フェイトもプレシアのためなら何だってする覚悟はある。しかし時たまに思うのだ。本当にこれでいいのかと。年々、プレシアはやつれ、顔色も悪くなっている。たまに会うからこそ、その変化はフェイトには顕著にわかっていた。それにプレシアから与えられる任務の中には、倫理的にも法的にも問題なのではないかと思えるようなものまである。

 その度にフェイトは迷うのだ。無理やりにでもプレシアに研究を止めさせ、療養させた方がいいのではないかと。

 もちろん自分にプレシアを押さえつける力量がないことは、フェイトも十分にわかっている。それにできることなら、プレシアの研究を妨げたくないという思いもある。だからこそフェイトは無茶をしてでもプレシアから任された任務をこなす必要があったのだ。

 プレシアのために、と思いつつもフェイトは常に迷いを抱えていた。だがゆまにはそれがない。その真っ直ぐさ、それがフェイトには純粋に羨ましかった。

「いいの? たぶん杏子は反対すると思うよ」

「わかってる。だけどお願い。わたしはやっぱり杏子を助けられるようになりたいから」

 ゆまは真っ直ぐフェイトの目を見つめて懇願する。先ほど問われた時はどうしようかと思ったゆまの願い。おそらく杏子が知れば、彼女はフェイトを恨むだろう。ゆまを戦いの場に置きたくない杏子の想いを、フェイトは踏みにじることになる。

 だけどフェイトにはゆまの想いを否定できない。ゆまが杏子のことを想う姿勢は、フェイトがプレシアを想う姿勢をとてもよく似ていたから。そんな一途なゆまの想いを応援したいと思ってしまったから。

「わかった。それじゃあ厳しく行くから、覚悟してね」

 そんなゆまの想いに応えるように、フェイトもまた彼女の目を真っ直ぐ見てそう告げた。



     ★ ★ ★



 管理局が杏子と、プレシアがキュゥべえと話し合いをしていた頃、海鳴市郊外に魔女の結界が広がっていた。その中で呉キリカは一体の魔女と戦っていた。

「――遅いッ!!」

 手に持った鍵爪が人の形を模した魔女の身体を引き裂くキリカ。肉を引き裂く独特の感触。魔法少女になりたてのうちは不快だったその感触も、今では慣れてしまい何も感じない。

「あれ?」

 キリカはその一撃を止めのつもりで放ったつもりだった。しかしその攻撃は確かに魔女の身体にダメージを与えたものの、致命傷にはならなかった。むしろ懐に入り込んだキリカを飛んで火にいる夏の虫と言わんばかりに攻撃を仕掛けてくる。それを慌ててよけながら一端、魔女から距離を取る。そんなキリカに放たれる無数の弾丸。散弾銃に広がりながら弾丸はキリカに襲いかかる。

「甘いよ」

 そんな弾丸に対してキリカは魔法を放つ。キリカの魔法は速度低下。あらゆるものから速度を奪う。その魔法に掛けられた魔女の弾丸は空中で静止し、文字通り止まって見えた。

 キリカは動きが遅くなった弾丸の隙間を縫うように移動し、再び魔女に肉薄する。――そして斬激。先ほどダメージを負わせた箇所への追撃。それも大振りで、だ。並みの魔女なら一溜まりもない攻撃だろう。

 しかしそれでも、目の前の魔女は平然としていた。痛みに動きを鈍らすことなく、キリカに攻撃を仕掛ける。それをギリギリのところで避けるキリカ。

(へぇ、こんなにも強くなるものなんだ)

 キリカは内心で感嘆を零す。先ほどからキリカが行っている行動は全て全力で行っている。攻撃も防御も回避も、魔力の消費を度外視した動きばかりだ。並みの魔女なら数体分を倒すのに使う魔力を要している。しかし目の前の魔女には効いてはいるものの、まだ平然と動いている。

「キミ、やるね」 

 思わずキリカは目の前の魔女に声を掛ける。もちろん相手は魔女。人間性などありはしないので、返事が返ってくるはずもない。それでもキリカはしゃべるのをやめない。

「流石はジュエルシードを取りこんだ魔女ってことはあるね。……でもさ、私も負けるわけにはいかないんだよ、織莉子のために」

 今、この場に織莉子の姿はない。この場にいるのはキリカとジュエルシードを取りこんだ魔女だけだ。――だからこそ負けられない。

 織莉子の力を用いれば、魔女がジュエルシードを取りこんでしまう前に見つけだすことも容易いだろう。事実、海鳴市に来て二日、彼女たちはすでにジュエルシードを二つ、手に入れている。そのいずれも発動前のモノ。他の捜索者にはとても真似のできない芸当だろう。

 海鳴市に魔女が集まっているとはいえ、ジュエルシードを取りこんだ魔女は存外少ない。町に散らばっている物の多くが発動前のもので、そのほとんどの位置をすでに織莉子は未来視で把握している。ジュエルシードを集めるだけなら、そういった道端に落ちているものを拾っていくのが一番手っ取り早いのだろう。

 それなのにも関わらず、キリカはこうしてジュエルシードを取りこんだ魔女と戦っている。キリカとて馬鹿ではない。それが如何に非効率なことであるかは十分に理解している。

 それでも彼女がこうして挑んでいるのは織莉子のため。織莉子が視たという未来。それを変えるために戦っている。

 キリカには織莉子がどのような未来を視て、目の前の魔女を倒すことでどう変わるかは知らない。尋ねれば教えてくれたかもしれないが、キリカにとってそこに意味はない。

 織莉子がキリカに願った。キリカにとってはそれで十分なのだ。織莉子のためなら何だってする。他の魔法少女を殺してと言われれば何も考えずに実行するし、自分の通う学校を魔女化して結界で取り込めと言われればキリカは笑顔で応じるだろう。

 キリカにとって世界=織莉子なのだ。

 織莉子のため。そう思うだけでキリカには無限の力が溢れてく。例えどんな魔法を使えるようになったとしても、織莉子が与えてくれた愛の魔法に勝るものはない。

「私と織莉子のラブパワーは、ジュエルシードを取りこんだくらいで覆せるわけがない!!」

 キリカは一気に走り出す。真っ直ぐ、真正面から魔女に向かって全速力で駆けていく。もちろんそれを魔女が黙って見過ごすわけがない。キリカ目掛けて弾丸を撃ち放つ。先ほどとは違い、一発だけ。だがその一発は速かった。キリカの魔法の影響を受けているのにも関わらず、ライフル並みの速度でキリカの脳天目掛けて放たれる。それでもキリカは怯むことなく走り続けた。そして弾丸がキリカの額に触れる寸前、無言で手に持った鍵爪を使って打ち払った。

 そのお返しと言わんばかりに、キリカは左手に持った鍵爪を魔女に向かって投げつける。魔女の身体に吸い込まれるように鍵爪が食い込む。その瞬間、魔女は鍵爪に込められた魔力によって石像になってしまったかのようにピタリと動きを止める。

 それを確認したキリカは、空中に大量の鍵爪を配置し巨大な鋸を作り出す。不均等に配置された鍵爪がさも鋸のギザギザの刃を再現する。その柄をキリカが握ると、まるでチェーンソーのようにその刃が回転し出す。そしてそれをそのまま魔女の脳天から叩きつけた。鈍い音と共に魔女の身体が削られていく。辺りに魔女の肉片を飛び散らしながら、少しずつ抉っていく。それでも魔女は微動だにしない。――否、できないのだ。キリカの魔法によって。

 それでもしばらくの間は結界を保たれていたが、ついに耐えきれず絶命したのだろう。周囲の景色が広大な荒野から狭い裏路地へと変わっていく。あとに残されたのは一組のグリーフシードとジュエルシード。念のために確認したジュエルシードのシリアルナンバーはⅩⅢ。事前に織莉子から伝えられた通りの番号だ。

「やっぱり織莉子と私の愛の力は偉大だね」

 私服姿に戻ったキリカは一言そう呟くと、落ちているグリーフシードとジュエルシードを仕舞い込み、早々に織莉子が待っているであろうホテルへと帰って行った。



2012/11/23 初投稿



[33132] 第8話 なまえをよんで…… その1
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2013/01/07 00:25
 現在、時空航行船アースラの会議室では、どのような形でジュエルシードの回収任務にあたるのか話し合われていた。その席に参加した佐倉杏子は、その様子をただ黙って眺めていた。

 思い返すのは、会議が始まった時にリンディに自分が紹介された時のことだ。魔法少女――管理局員からすれば現地の魔導師ということだが、リンディからその話を聞かされた時、室内にざわめきが巻き起こった。事前に地球が管理外世界、つまりは魔法文明の発達していない世界と認知されていることは杏子も知らされていたが、それにしたって局員の驚き様は実に滑稽なものだった。そういった人物を黙らすために杏子はその場で魔法を披露し、またアースラに記録されたクロノとの戦いを見せることで一応の納得は得られたわけだが……。

(あんまし、歓迎されてるって風でもないよな、これは)

 この場に集まった多くの職員が何かと杏子の方に意識を向けている。チラチラとこちらの様子を伺う視線が実に鬱陶しく感じられる。それでも杏子は黙って静観していた。

「ところで杏子さん、悪いんだけどもう一度この場で魔女について説明してもらえるかしら?」

「別に構わないけど、魔女のことだけでいいのか?」

「えぇ、それ以外のことは必要に応じてまた後日、説明してもらうことになるかもしれないけれど、とりあえず今のところは魔女のことについてのみで構わないわ」

 リンディはそれだけ言うと、椅子に座りこむ。それと入れ替わるように杏子は立ち上がると、魔女について簡単に説明を始めた。魔女は絶望を喰らう。普段は結界の中に身を潜む性質を共通して持つが、その姿形は千差万別。攻撃方法や強さなどもマチマチで、杏子たち魔法少女の倒すべき存在。

「ここで問題なのは、そういった魔女たちがジュエルシードの魔力に惹かれ、ある一地域に集まっているということです。杏子さんの話によれば、すでに一度、ジュエルシードを吸収した魔女と交戦した経験があり、その強さは普通の魔女とは比較にならないということでした。またそうでなくとも、魔女が集まっているということはそれだけ現地の一般人に何らかの被害が生まれるのは間違いないでしょう」

 杏子の説明が終わったのを確認すると、再びリンディが立ち上がりそう付け加える。その言葉を聞いた集まった局員たちはどのように事態を収拾するべきかを近くにいるものたちと話し合いを始める。そうした職員たちの動揺をリンディは、大きく一拍することで抑え込んだ。そうして皆の視線が集まったのを確認し、改めて言い放った。

「そこで今後、本艦全クルーの任務はジュエルシードの捜索と回収、および現地に集まった魔女を駆逐することに変更されます。いいですね?」

「――了解しました」

 そうして場を纏めたリンディは、細かい動きについてを一つひとつ説明していく。その姿は実に見事なもので、杏子は心の中で感嘆の声を上げるのであった。



     ☆ ☆ ☆



 その翌日、クロノは単身で魔女に戦いに臨んでいた。目の前にいるのは身の丈十メートルはあるであろう蛇の化け物。もちろん大きさだけでなく、外見的特徴も普通の蛇ではない。胴から枝分かれした四つの頭。そのそれぞれが単眼で、口からは大量の青い液体を垂らしている。垂れた先の地面はグズグズに溶け、その場に紫色の蒸気が発生させていた。

 見るからに毒を持っていそうな蒸気に近づかないよう、クロノは遠距離魔法を中心に攻撃していく。近づいてくる魔女を巧みに翻弄しながら、スティンガーでその身体を削っていく。そうしてできた傷口から零れ落ちる青い液体は魔女の口から吐き出されるものと全く同質のものなのだろう。傷つける度に紫色の蒸気が発生し、どんどんと魔女の身体を包み隠すように広がっていった。

 これ以上、戦闘を長引かせればいずれは蒸気がこの空間を覆い尽くしてしまう。そう判断したクロノは一気に勝負を決めようと、魔女の頭めがけてブレイズキャノンを四発放つ。そのそれぞれが魔女の四つ首の頭を粉砕する。おまけに辺りに立ち込めていた蒸気にまでその炎は燃え移り、魔女は悲痛の声を上げながらその場で力尽きたように突っ伏した。

 それを見てクロノは魔女に背を向ける。――その瞬間、立ち込める煙の中からクロノ目がけて飛んでくる影があった。それは魔女の尻尾の部分。まるでトカゲの尻尾切りのように自ら切り離し、隙を見せたクロノに襲いかかる。飛んでいく最中、その尻尾の形状が徐々に変形する。それはまるでもう一つの蛇の頭。矢面に立っていた単眼の頭とは違い、四つの目を持つそれは、クロノを一飲みにするために大きな口を開けたまま突っ込んでくる。

「……スティンガーブレイド・エクシュキューション」

 それに気付きつつもクロノは振りかえることなくそう呟く。その瞬間、無数のスティンガーが飛びかかってきた五つ目の頭を襲撃する。おそらく戦闘の合間に展開しておいたのであろうその数は四十本。その一本たりとも外れることなく、魔女の頭を貫いていく。

「■■■■■■■――――ッ」

 背後から聞こえる悲鳴に似た叫び。クロノは確認の意味も込めて振り返る。そこには全身を串刺しにされ絶命した魔女の姿があった。その姿はすぐに霞と消え、それと同時に周囲に張り巡らされた結界が解けていく。あとに残されたのは一個のグリーフシードだけだった。

 クロノがため息交じりにグリーフシードを拾うと、辺りから乾いた拍手が聞こえてくる。顔を上げるとそこにはこの戦いの一部始終を眺めていたであろう杏子の姿があった。

「流石だな。でもあんたならもう少し早く決着を付けることができたんじゃないか?」

 実のところ、クロノが魔女の結界に入ってからすでに三十分ほど経過している。魔女と遭遇し戦闘が行われていた時間も約十分。クロノの力量を知っている杏子からすれば、それは不思議に思えた。

「僕たち管理局員にとっては初めての魔女との遭遇だったからね。色々とデータを取っておきたかったんだ」

「ふ~ん。……んでどうだった? 初めての魔女との戦いは?」

「……なんとなくだが、キミがなのはを家に帰した理由がわかった気がする」

 杏子の問いにクロノは少し考えてからそう答えた。

 魔女との戦い自体は終始、クロノ優位で行われていた。すぐに倒しては情報の収集にならないと、わざと攻撃を緩めて行っていたぐらいだ。普通に戦っていれば、おそらくは一分ほどで魔女を倒しきることができただろう。

 しかしだからこそ、クロノは気付いてしまった。執務官クラスならともかく、普通の武装局員では魔女との戦いは荷が重いと。少なくとも単独では不可能だろう。おそらくは一班、いや一分隊ほどの人数が必要になってくるはずだ。

 仮に魔女の性質や攻撃方法などがわかっているのならば、そこまで難しい話でもない。しかし魔女の性質は千差万別。実際に相対してみなければどのような攻撃を仕掛けてくるのかわからないのだ。それを瞬時に判断し、効果的な攻撃方法を見つけ出すというのは、執務官クラスならともかく並みの武装隊員には荷が勝ち過ぎるだろう。

 そしてそれはなのはもまた、同じなのだろう。彼女は杏子のような魔法少女ではなく、それまでは魔法に振れたこともない現地住民。いくら魔力が強いからとはいえ、高度な戦闘技術など持ち合わせていないはずだ。そんな彼女では魔女の多様性には対処できまい。

「確かに彼女は強い魔力を持っている。だけどそれだけでは魔女との戦いでは生き残れない。そうだろう?」

 魔女との戦いでは如何に早くその性質を見抜くことができるかが重要だ。今回の蛇の魔女も、もし本体が尻尾の部分であることに気付かなければ、倒したと油断したところに奇襲を喰らって、そのまま死んでいただろう。純粋な魔法の力よりもまずは相手の性質を見抜くこと。それが魔女との戦いでは重要なのだ。

 それに今の海鳴市の状況を鑑みるに、いずれはジュエルシードを取り込んだ魔女と戦うことになるのは、ほぼ間違いないだろう。そうなった時、おそらく自分も杏子も庇えない。連携して事に当たっていても、いざという時に他人を気遣う余裕はそうないはずだ。

「……それもあるけど、何よりなのはには魔女と戦う個人的な理由がないからな」

「個人的な理由?」

「……あたしたち魔法少女と違って、なのははまだ引き返そうと思えば引き返せる場所にいる。そんな奴が町の平和を守りたいなんて理由で戦うなんて真似、あたしにはさせられねぇよ」

 思い返すのは昔の自分。父親のためとキュゥべえと契約し、表と裏から人々の平和を守ると躍起になっていた愚かな子供。それでもまだ、あの時の杏子には戦う理由があった。しかしなのはにはそれすらない。ジュエルシードを巡ってフェイトと争う理由はあっても、人々を襲う魔女と戦う理由は、彼女にはないのだ。

 それでもなのはは戦おうとするだろう。町の平和を守るため。自分にもできることがあるから。そう言って戦火に身を投じようとするだろう。

 しかしそれは魔法少女である杏子の立場からすれば、愚かな行為であるとしか言いようがない。日常というものは尊い。持っている間はそれが当たり前のものとしか感じられないが、いざ手放すとそれがとても得難いものだということがわかる。

 杏子やすずか、魔法少女になってしまった者には、日常をいくら欲したところで掴み取ることはできないのだ。仮初の平和は体感できるかもしれないが、魔法少女である限り魔女と戦い、グリーフシードを得る必要がある。だが魔導師であるなのはにはそれがない。自ら望まない限り、彼女は平和で暮らせるのだ。

「僕としては、今でもキミに力を借りるのは反対なんだけどね。もしこの世界の魔法に僕たちが精通していれば、艦長が何を言おうとも丁重に断っていたぐらいだ」

「そりゃ残念だったな。だけどあたしは別に管理局に協力しているわけじゃねぇ。あくまでその力を利用するために一緒に行動しているだけだ。そこのところを勘違いするなよ」

「まぁ僕としては、足を引っ張らなければそれでいい」

「むっ……。なんだったら今ここで決着を付けるか?」

 杏子は手に槍を取り出し、クロノの首筋に突きつける。服装こそは私服のままだったが、その目はいつ戦いを始めると顕著に訴えていた。

『はいはい、ストップストップ。二人とも戦うにしてもアースラに戻ってきてからね』

 そんな一触即発の二人をアースラのブリッジで眺めていたエイミィが止めに入る。その楽観的な口調に興が削がれてしまったのか、杏子はつまらなそうに槍をしまった。

『それにしてもさっきまで魔女と戦っていたって言うのに、二人とも元気だねー』

「エイミィ、それは違う。魔女と戦ってたのは僕一人だけだ!」

『ごめ~ん。こっちからじゃほとんど、魔女との戦いの様子は観測できなかったんだ』

「なっ……!?」

 甘えた声で謝るエイミィにクロノは驚きの声を上げる。

「おかしいじゃないか!? 結界の中でサーチャーはきちんと動いていたんだぞ。なのにどうしてそれがアースラに伝わってないんだ?!」

『別にまったく状況がわかってなかったわけじゃないんだよ。なんとなくだけど、クロノくんが何をしているのかはわかったし。たけどそれ以外はぜんぜ~んダメ。魔女の姿はもちろん、周りに広がっている結界の風景さえわからなかったよ。それにクロノくんだって、私からの呼び掛けに気づかなかったでしょ?』

 クロノが結界に入ってからエイミィは何度もクロノに呼びかけた。だがその返事はなく、映像は乱れ、音もノイズばかり。リアルタイムの観測を諦め、記録された映像の解析を試みても、まだその成果は上がっていなかった。

「そ、そうなのか?」

『そうだよー。こっちからは映像通信と音声通信の両方を試してみたけど、どっちも繋がらなくてさ、もしかしたら二人がやられちゃったんじゃないかって凄く心配したんだからね~』

 口調こそ茶化すような雰囲気のものだったが、その言葉はエイミィの偽らざる本心だった。いくらクロノが優秀な執務官とはいえ、相手は人間ではなく未知の化け物なのだ。いくら慣れている杏子が同行したとはいえ、後方支援ができないどころか戦闘の様子が伝わって来ないというのがこれほど不安にさせられるものだと知らなかった。

「心配掛けてすまなかった」

 そんなエイミィの心境がわかったからこそ、クロノは真面目な顔をして頭を下げた。

『や、やだなー。そんな真剣に謝らないでよー。どう反応していいのかわからないじゃん。……と、とにかく、二人とも早く戻ってきてよ。もしかしたらデバイスには魔女の姿が映っているかもしれないし』

「そうだな。転送頼めるか、エイミィ」

『任されましたー』

 エイミィが元気に告げたきっかり五秒後、二人の身体は光に包まれアースラへと転送されていった。

 そうしてアースラに戻ってきたクロノたちはブリッジで待っているエイミィの元に赴き、魔女との戦闘データを渡す。クロノから渡された戦闘データはサーチャーから送られてきた映像とは違い、鮮明に記録されたクロノと魔女との戦い。それを真剣なまなざしで眺めながらエイミィは杏子やクロノに色々な質問をぶつけていた。

「あら? これってさっきの魔女との戦い? エイミィ、映像の処理に成功したのね」

 そこに私服姿のリンディが入ってくる。モニターに流れている戦闘を興味深そうに眺めながら、エイミィに尋ねた。

「いえ、これはクロノくんが戦闘中にデバイスで記録した映像ですよ」

「ああ、どおりでクロノの姿がほとんど映ってないわけね」

 ちょうどモニターに映されるのは、クロノが魔女に止めを刺すシーン。倒したと思われたところからの奇襲。それを読んでいたかのように難なく倒し、結界が解け、あとにはグリーフシードが残された。

「そうだ。これをキミに渡しておかないとね」

 そう言うと、クロノはグリーフシードを杏子に手渡す。

「ん? いいのか? 管理局としてはこいつを調べたいんじゃなかったっけ?」

「それはそうだが、その前にジュエルシードの回収が先だ。それに悔しいが、やはりキミの力は得難いものがある。いざという時、魔力切れで使い物にならないと言われても困るからね」

「……てめぇ、やっぱり喧嘩売ってんだろ」

「そうじゃない。僕はあくまで客観的事実を言っているだけだ。キミたち魔法少女の魔力の源がそれなら、数はあった方が良いだろう? それに実際に調べる必要が出てきたら、今日のように魔女を狩ればいい。わざわざこちらで管理するのも手間だしね」

「……ま、一応納得しといてやるよ」

 杏子はどこか腑に落ちない表情を浮かべながらも、グリーフシードを仕舞い込む。

「ところで杏子さん、クロノが戦った魔女はどの程度の強さなのかしら?」

「ん?」

「昨日伺った話だと、魔女の性質や強さというのは千差万別なのよね? 私たちは魔女についての予備知識しかないから、この魔女の強さを魔導師ランクに置き換えることはできても、魔女の平均から見てどのくらいの強さなのかわからないのよ」

「ああ、そういうことか。……そうだな、今回クロノが戦った魔女は、どちらかといえば弱い部類の魔女だろうな」

「えっ? これで弱いの!?」

 杏子の言葉に驚きの声を上げるエイミィ。口には出さないまでも、それはリンディもクロノも同じだった。彼女らの見立てでは、今回クロノが戦った魔女の強さは魔導師ランクで例えるならBランク~Aランク相当。強過ぎる、ということはないがそれでも弱いと一蹴できるものではないだろう。

「あくまでどちらかといえば、だけどな。攻撃力はそこそこあったとはいえ、そのパターンは単調だし、動きもそこまで早くない。本体を偽装していることに気づけば、キュゥべえと契約したてな魔法少女ならともかく、それなりに戦いを続けた魔法少女なら倒すのは容易だろうな」

 新米でも偽装にさえ気付けば十分に勝てる相手ではあるけど、とさらに続ける杏子。しかし杏子以外の三人はそうまで楽観視していなかった。実際に戦ったクロノはもちろんだが、リンディやエイミィも映像に映された魔女を相手に武装隊員を単独で当たらせるのは危険だと考えていた。

 そのような相手を杏子は弱いという。結界の中ではアースラからの支援はほとんど行えない。そんな状況で武装局員たちがこれ以上の実力を持つ魔女を相手にする。それは果たして可能なのだろうか? その疑問が尽きない。

「ん? どうしたんだ? そんなに難しい顔して?」

「杏子、もう一度確認するが、キミはこの魔女が弱いと思うんだね」

「ああ。それはあんたたち管理局にとっても同じだろう?」

「……杏子、もしかしてキミは魔導師がなのはやフェイトたち並みに強いと勘違いしてるんじゃないか?」

「そんなことはねぇよ。あたしにだってなのはやフェイトが規格外ってのはわかるさ。だけどあたしやクロノ程度の魔力はあるんだろう?」

 そんな杏子の様子にクロノは思わず頭を抱える。

「結論から言うと、それはキミの勘違いだ。おそらくキミは、今アースラにいる人物の中で僕の次に魔力が高い。そして他の武装局員の魔力は、二ランクは下のものばかりだ」

 魔導師ランクは別にして、魔力値だけを見ればなのはやフェイトはAAAランク、クロノはAAランクに属する。おそらく杏子もクロノと同程度なのだろう。しかし一般的武装局員の魔力値はBランク、隊長格でもAランクだ。

 そして今回、アースラに同行している局員もその例に及ばずだ。今回程度の相手でも武装局員が単独で対処するには荷が重いのだ。もしこれ以上となると、どのくらいの人員を割く必要があるのか計り知れない。そして何より問題なのは、魔女の強さは実際に遭遇しなければ図ることができないのだ。そうなると常に必要以上に人員を割く必要がある。それは現状を鑑みると由々しき問題だった。

「えっ? そりゃおかしいだろ。だって昨日あたしがアースラの中を案内された時に見た武装局員たちは、どいつもクロノより歳上の奴ばっかだったぞ」

 普通は若者よりも年配の人物の方が実戦経験も豊富だし、実力も伴っていると考えるのが自然だ。魔法少女のように若い少女しかなれないものならともかく、魔導師にはそういった制限がない。クロノよりも青年の管理局員の方が強いと考えるのは、至極当然の話だった。

「魔導師ランクに年齢は関係ない。努力により向上もするが、魔力量というのは基本的には先天的な素質によるものだ」

「杏子さんにはわからないことなのは無理もないことかもしれないけど、執務官って言うのは管理局の中でも一部の人しか名乗ることができない肩書きなの。難しい筆記と実践の試験をクリアしてようやく名乗れる役職。この船の中で言えば、私に次いで強い権限を持っているのよ」

「そんなクロノくんは『アースラの切り札』なんていう二つ名まで持ってるくらいだしね~。実際、アースラに乗ってる武装隊員が全員で掛かってもクロノくんを倒すことはできないんじゃないかな~」

「……ってことは、こいつは管理局でも指折りの実力者ってことか!?」

 訝しげにクロノのことを眺める杏子。確かにクロノは強かった。それは杏子も認めるところだ。しかしどうして魔導師はこう……。

「なのはといいフェイトといい、魔導師はガキが強いって傾向でもあるのか?」

「なっ……、誰が子供だ!!」

 杏子の言葉に怒鳴りを上げるクロノ。その横でエイミィは腹を抱えて笑っていた。

「ねぇ、杏子はクロノくんのこと、何歳ぐらいだと思ってるの?」

 笑い涙を拭いながら、エイミィは杏子に尋ねてくる。その質問の意図はわからなかったが、杏子は思ったことを素直に答えた。

「ん? そりゃあれだろ。なのはたちと同じぐらいの背丈だし、九歳ぐらいじゃないのか?」

「僕は十四歳だ!!」

「…………マジ?」

 クロノの心からの叫びに、思わず杏子は一瞬固まる。その驚き様はユーノが人間に戻った時以上のもので、返答に数秒の時間を有した。

「もう少し身長が伸びてくれればと、私も思っているんだけどね。ホント、誰に似たのかしら?」

「大丈夫ですよ。クロノくんは今のままでも十分可愛いですから」

「それもそうね」

「エイミィ、母さんまで……」

 二人の会話に内心で落ち込むクロノ。しかし自分の背丈が低いのは事実なので、クロノはそれ以上何も言い返すことができなかった。

 その一方で杏子はクロノの強さに納得する。なのはやフェイト、すずかと同程度の年齢化と思った少年は、実は自分に近い年齢だった。それならば戦いの場で見せた状況判断も頷ける。

「……話を戻させてもらうけど、つまりは魔女との戦いで戦力として当てにできるのは、こいつだけってことか?」

「そういうわけじゃない。普通の魔女相手ならば、武装局員でも複数で当たれば倒すことはできるだろう。だけど念のため、僕か杏子がそこについていく必要があるだろうね」

「……そうね。相手の能力が未知数、それでいてアースラからの支援も行えないとなると、あまり戦力を分散させるのも得策ではないでしょうしね」

「ってことは必然的にあたしかクロノがお守をする必要があるってわけか。……めんどくせぇ」

 実際のところ、普通の魔女退治だけならば管理局と一緒に行う必要はないだろう。単独で出撃し、あっという間に倒し帰ってくる。それぐらいの芸当は杏子なら十分に行える。それはこの場にいる誰もが十分に理解していることだった。

「もう少しデータが集まったらその必要もなくなるかもしれないし、ここ数日は頼まれてくれないかしら?」

 その上でリンディは杏子に頼み込む。魔女のデータはまだ一つだけだ。魔女の性質が千差万別だといっても、そのデータが集まれば強さの幅はなんとなく掴むことができるだろう。そうなれば武装局員が死なない程度の隊編成が行えるようになるはずだ。

「それにきっと、杏子さんにも得るものがあるだろうし」

「あたしに? 一体何が?」

「それはやってみてからのお楽しみってことで」

 この時、杏子にはリンディの狙いがまったくわからなかった。しかしだからこそ、杏子は面白いと感じていた。どちらにしても自分のやることは変わらない。魔女を殺す。あるいはジュエルシードを回収する。ならば今は管理局の口車に乗っておこう。いざという時、ゆまを守りきるために――。



     ☆ ☆ ☆



 その頃、高町なのはは学校で授業を受けていた。教卓の前に立ちわかりやすく説明する教師。問題を出され、元気よく手を上げるクラスメイト。日本の小学校ならばどこでも見られるようなごく有り触れた光景。ついこの間までは何の疑問も抱かず、それが当たり前のものだと思っていた日常。しかし今のなのははどこか心ここに在らずで、その視線を何度も唯一空席となっている机に向けていた。

 ――月村すずか。なのはの親友の一人であり魔法少女。現在、仲違い中である彼女は今日も学校を休んでいる。ジュエルシードの前で互いの想いを言い合い、そして互いの想いをぶつけあおうとしたのは昨日のこと。だがそれはクロノの乱入により中途半端なところで終わり、彼女はフェイトと共に姿を消した。

 今にして思えば、あの時フェイトを追えば良かったと思う。彼女たちがどのような手段で逃げたのかはなのはにはわからないが、もしかしたら追いつけたかもしれない。そうすればすずかとは互いに納得のいくまで話し合うことができたはずだ。

(すずかちゃん、どこに行っちゃったんだろう?)

 杏子の勧めで管理局と別れたなのはは、真っ先に月村邸に向かった。そこで待っていればいずれはすずかが帰ってくる。そうしたら先ほどはできなかった喧嘩の続き。例えすずかに勝てなくても、それでも自分の想いをぶつければすずかならわかってくれる。そうなのはは信じていた。

 だが実際は、その機会を与えられることすらなかった。拒むノエルたちを強引に説得し、月村邸で待ち続けること数時間。途中ですずか不在の報を聞いて帰ってきた忍、そしてなのはのことを聞いた恭也がやってきて一悶着あったが、それでもなのはは月村邸ですずかのことを待ち続けた。



 ――しかし結局、すずかが月村邸に戻ってくることはなかった。



 そのことはまだ、なのはと恭也、そして忍たちしか知らない。散々、忍にすずかのことを問い詰められたなのはだったが、それでもなのはは忍たちに魔法少女のことを口にはしなかった。

 すずかの気持ちを考えると、勝手に教えてしまうのは気が引ける。だがすずかを心配する忍たちの様子。その気持ちもなのはには痛いほどわかるのだ。だからこそなのはは学校に行く前、忍たちに「学校から帰ったら今までのこと全部話す」と約束した。

 おそらくはすずかは未だフェイトたちと行動を共にしているのだろう。もしかしたらクロノとの戦いで受けたダメージが大きくて動けないのかもしれない。

(だけど……)

 そうは思いつつも、頭のどこかではそうではないような気もしていた。屋上で見たすずかの姿。穏やかで優しい黒い瞳のすずかではなく、どこか狂気的な赤い瞳のすずか。その姿がなのはの胸中を締め付ける。

 正直、あの時のすずかは恐かった。なのはの知っているすずかが消え去ってしまったという恐さもあるが、一番は純粋な忌避。今まで聞いたこともないような深い絶望が込められた嗤い声。それにあの時、捲し立てるように告げた言葉。それは今でも一字一句違わずに思い出せる。

 今のすずかは危うい。自分の意見を一方的に告げ、小刻みに震えた赤い瞳でこちらを見るすずかの姿。その後、一時的にとはいえ元のすずかに戻ってはくれたが、その狂気が元のすずかを塗り潰してしまうのではないかと、なのはには堪らなく不安なのだ。

「――さん、高町さん、聞いていますか、高町さん」

「ふぁい!!?」

 教師の呼び掛けになのはは慌てて席から立ち上がる。

「……月村さんのことが気になるというのはわかりますが、だからといって上の空でいるのは感心しませんね」

「ご、ごめんなさい」

 なのはは素直に担任の教師に頭を下げる。その様子を見て笑うクラスメイト達。そんな中ただ一人、アリサだけが真剣な表情でなのはのことを見つめていた。



     ☆ ☆ ☆



「なのは、今から少しあたしに付き合いなさい!」

 放課後、学校から帰ろうとしたなのはを呼び止めるアリサ。その声になのはは困ったような表情を浮かべる。

「ごめんね、アリサちゃん。わたし今日はちょっと……」

「ダメ、今日は絶対に逃がさない。例えなのはにどんな用事があったとしても、今日だけはあたしを優先しなさい」

 断りの文句を告げるなのはに対し、アリサは有無を言わさない勢いで言い放つ。そしてなのはの手首を掴むと、そのまま引っ張って教室を出ていった。

「あ、アリサちゃん!?」

「いいから、黙って付いてきなさい!」

 ずんずんとなのはを引っ張って歩き続けるアリサ。強い力で掴まれた手首がジリジリと痛む。だが振りきれないこともない。手を強く後ろに振り抜けば、簡単に抜け出すことができるだろう。だがなのははその手を振り切ろうとはしなかった。ただ黙ってアリサの後を付いていく。

 そうして彼女たちが訪れたのは学校の屋上。その一角にある花壇。そこまでやってきたところでアリサはなのはから手を離し、こちらに向き直る。

「なのは、昨日はゴメン」

 そしてすかさず、アリサはなのはに向かって大きく頭を下げた。その突然の行動になのははただただ困惑する。

「あたし、なのはに八つ当たりしてた。すずかのことが心配なのはなのはも同じなのに、その気持ちを考えずにいきなり怒鳴り散らして。本当にゴメン」

「あ、アリサちゃん。頭を上げてよ! わたし全然気にしてないから!」

「嘘っ!? だってなのは、今日ずーっとボーっとしてたじゃない。それにあたしと目を合わそうともしてくれなかったし」

「そ、それは……」

「あたし、ずっとなのはにいつ謝ろうかって機会を伺ってたのよ。それなのになのはってばずーっと窓の外かすずかの机を見てため息ばかりついてるし。少しはあたしのことも気にしてくれたっていいじゃない!!」

「ご、ごめんね、アリサちゃん。だから落ち着いて」

「落ち着いてなんかいられないわよ。なのははあたしの知らないところで何かに巻き込まれて、それで悩んでるんでしょ!? すずかに至っては学校にも来ないし。そんな状況で落ち着いてられるわけないでしょ!!」

「えっ……?」

 そこでなのはは気付いた。アリサの目からぽろぽろと涙が零れ落ちていることに。アリサはそんな涙を拭おうともせず、言葉を続ける。

「どーして二人ともあたしに何の相談もしないのよ! あたしたち、友達じゃない!! 友達が困っているのに何の力にもなれない。こんな惨めなことってある?! あたしだって少しは二人の力になりたいのに!!」

 アリサは胸に秘めた思いの丈をぶちまける。その言葉になのはは何も言い返すことができなかった。事情を知っている自分とは違い、わからないからこそ感じる不安。おそらくは忍たちも感じているであろう不安。

(ごめんね、すずかちゃん。わたし、もう黙っていることなんてできないよ!)

 そんなアリサの姿を見て、なのはは今まで内に秘めていたことを話す決意をする。全く迷いがない、と言えば嘘になる。しかしこれ以上、アリサや忍に黙っていることはもはや不可能だった。

「アリサちゃん、今までごめんね。わたし、アリサちゃんがそんなに心配してくれるなって知らなかった」

「な、なのはぁ……」

 なのはは泣きじゃくるアリサを優しく抱きしめる。その目からはアリサ同様、大粒の涙が溢れ出ていた。

「ねぇ、アリサちゃん、覚えてる? わたしたちが初めて話した時のことを……?」

「忘れるわけ、ないじゃない」

 昨日、すずかに対しても行った質問に、アリサは強く答える。むしろだからこそ、アリサはこの場所になのはを連れてきたと言える。

 この花壇の前でなのはとアリサは盛大に喧嘩した。叩き合い、引っ掻き合い、髪の毛を引っ張り合い、お互いの思いの丈をぶつけ合った。剥き出しな感情をぶつけ合い、すずかが止めに入るまでお互いに泣きながら喧嘩し合った。それ以降も小さな喧嘩は何度かしたが、あの時ほど感情を露わにやりあったことはない。

 だからこそ、アリサは今日、なのはをここに連れてきたのだ。ここでならアリサは自分の胸に秘めた思いを全てぶつけられる。見栄も体裁も関係なく、自分の気持ちを我慢せず素直に吐露することができる。――そしてなのはなら、きっとその想いに応えてくれる。そう信じていたから。





☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★



ちょっとしたご報告
 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 普段は感想版でコメ返信のオマケ程度にあとがきを書いているのですが、今回はそちらまで見てない人にも知らせる必要があるのでこちらに書かせていただきます。
 別に前回更新からコメントがまったくなかったから仕方なく本文上で報告とか、そんな理由では断じてありませんよ?

 今回の話と直接、関係あることではないのですが、第2.5話その3と第4話その2を大幅に修正を行いました。
 前者についてはコメント欄で指摘のあったシャルロッテの本体について、後者については読み返して「これはないな」と思い変更させていただきました。
 またシャルロッテ戦の顛末が変わったことで矛盾が発生した第3話その2も微修正を行っております。
 今後の伏線などを追加したわけではありませんので、今まで読んでくださった方は特に読み返してもらう必要はありませんのでその点はご安心ください。

 それでは今後とも、この作品をお楽しみくださいませ。
 


 ……ちなみに今回はサブタイトルに色々と突っ込みどころがあるとは思いますが、その件については少なくとも第8話が終わるまで黙秘させていただきますのでご了承くださいm(_ _)m



2012/12/25 初投稿
2013/1/7 誤字脱字修正



[33132] 第8話 なまえをよんで…… その2
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2013/01/07 00:33
 月村邸には現在、八名の人物が集まっていた。互いに顔を見合わせた室内は重苦しい雰囲気に包まれている。だが決して静まり返っているわけではない。場に集まったうちの半数以上の人物が、なのはの口から語られている話を聞き逃さないように耳を傾けていた。

 何も知らない人が聞けばそれは荒唐無稽な御伽噺。一人の少女が一匹の動物と出会い、魔法を使って怪物と戦っていく。それは何の捻りもない王道な物語。もしこれが毎週放映されているアニメだったら、きっと笑いながら語り合うことができただろう。



 ――だが決してそうではないことをアリサは知っていた。



 昨日まで何も知らず、二人の親友が何かに巻き込まれているとは気付いてはいたものの、その核心には迫ることはできていなかった。しかしこの期に及んで、なのはに嘘をつく理由はない。あえて理由を挙げるとすれば、忍たちを心配させないためにというものだが、今更それは不可能だろう。それに仮に嘘をつくとしたら、こんな荒唐無稽な話をするはずがない。もっと現実的で実際に起こり得そうな話をするはずだ。

 それに話を始める前に行われたユーノによる『魔法』の実演。なのはが空を飛んでいる姿にも驚いたが、それ以上に驚かされたのはただのフェレットだと思っていたユーノが人間に変身したことだ。あれを見てしまえばもはや信じざるを得ないだろう。

 なのはの口から語られる『ジュエルシード』という宝石を巡って行われている戦い。その過程で出会った『魔女』と呼ばれる怪物。そしてその『魔女』を狩るために存在する『魔法少女』。

 ……確かに危険な行為である。今まで何も知らなかった一般人が『魔法』に触れ、戦いに身を投じる。本人はこの町を守るために必死に戦っているつもりなのだろうが、それを知らされる家族としては溜まったものではない。現に恭也も時折り、なのはが戦う原因を作りだしたユーノに鋭い目線を向けていた。

 もちろん叱咤の気持ちを抱いているのは忍も同じだが、その一方でホッとしている自分もいた。それはまだなのはもすずかも目に見える形で傷ついたわけではないからだ。話を聞く限り、綱渡りのような危うい戦いもあったのだろうが、なのはもすずかもまだ取り返しのつく場所にいる。ならば今からでも彼女たちを戦いから遠ざけ、大人である自分たちがその戦いに決着をつける。彼女たちが納得しないようだったら、一緒に手伝わせればいい。――そう楽観的に考えていた。



 ――しかし現実はそこまで甘くはない。



 なのはの横に立つ魔法少女から語られる救いようのない事実。その言葉を聞いた瞬間、忍の頭は真っ白になる。そしてすぐさま、否定の言葉を少女にぶつける。理屈も何もあったものではない感情に任せた言葉。その度に、少女は理詰めで一つひとつを丁寧に説明していく。

 魔法の世界は知らないまでも、忍がいるのは裏の世界だ。人外が跋扈し、油断すればすぐに命を失うこともある。そんな世界に身を置いているからこそ、少女の口から語られる言葉がまぎれもない事実だと納得させられてしまう。

 忍はもはや自力で立つことは叶わなかった。その場にへたり込んでしまいそうになったところを恭也が支えるが、すでにその意識を留めておくことすら不可能に近かった。

 本来ならば主である忍がそのような姿を見せれば駆けつけるはずの二人の従者――ノエルとファリンもまた、少女の言葉に狼狽していた。ノエルの顔色は真っ青を通り越して真っ白になっている。胸の内から溢れる想いを必死に抑えてはいるが、その頬からは静かに涙が流れ落ちていた。ファリンはその逆で、その場に蹲り嗚咽を必死に抑えながら顔を涙に濡らしていた。

 そしてその話はなのはやユーノにとっても与り知らぬところだった。魔導師であるなのはにはなく、魔法少女であるすずかにのみ起きる悲劇。そのことを聞かされた瞬間、まるで時が止まったかのように部屋の空気が固まり、この場に集まった全員を絶望の底へと叩き落としたのだ。



「もう一度だけ言うわ。魔法少女はね、いずれ魔女になる。……例外などなく、否応なしに」



 そう語った魔法少女――美国織莉子は静かに目を閉じる。目の前で絶望に打ちひしがれている者たちから目を逸らし、自分の思考に没頭する。そうして考えるのは先ほどの出会い。なのはたちからすれば偶然の出会いであるそれは、織莉子にとっては自身の魔法で導き出した必然の出会いだった。



     ☆ ☆ ☆



 屋上でアリサの想いに触れたなのはは、彼女を連れて月村邸へと向かった。元々、忍たちには全てを話す必要があったのだ。今ここでアリサ一人に話すより、その場に集まって全員に同時に聞かせようと考えるのは当然のことだろう。

 アリサの執事が運転する車で向かうことも考えたが、話し合いがいつ終わるかわからないと考えたアリサは「今日は徒歩で帰る」と家に告げていた。そのため迎えの車もなく、それを待っている時間が勿体ないので歩いて帰ることにしたのだ。

 硬く手を繋いで月村邸へと向かう二人だが、そこに会話はない。本来ならば今すぐにでも聞きたいアリサだったが、ここで一つでも質問をすれば間違いなく言葉が止まらなくなってしまうだろう。だから彼女は自分の欲求をぐっと我慢し、その弊害で口を開くことができなかった。

【ねぇ、ユーノくん。できれば杏子さんかクロノくんを呼んだ方がいいと思うんだけど……】

 その一方でなのははユーノと念話を用いて会話を行っていた。杏子かクロノとは言いつつも、本当の意味で必要なのは魔法少女である杏子の方だ。多少は杏子から魔法少女について聞いてはいるとはいえ、実際のところなのははほとんど知らない。自分のことについても説明しなくてはならないが、今回はあくまですずかがメインの話になるだろう。その時に魔法少女である杏子と一緒の方が話がスムーズに進むと考えたのだ。

【そうだね。杏子とは直接、連絡をつけることはできないけど、アースラにいるのなら僕の方から連絡を取るのは可能だよ】

【そうなの? それじゃあお願いしてもいい?】

【うん、わかった。やっ――】

 その時、まるでいきなり電波が遮断されたかの如く、ユーノの声が不自然に途切れる。

「な、なのは? ねぇ、なんかおかしくない?」

 それと同時に、先ほどまで黙っていたアリサが不安げに声を掛けてくる。

「えっ? これって?」

 思わずなのはは零す。二人の目の前で周囲の景色が目まぐるしく変化していく。まったく同じものではないが、なのはにはその変化に覚えがあった。

「レイジングハート、これって?」

≪間違いありません、魔女の結界です≫

 それを聞いて、なのはは内心でゾッとする。かつて戦ったクレヨンの魔女。その時のことを思い出し身震いする。あの時はすずかやフェイト、アルフの協力もあって倒すことができた。だが今回はユーノすらいない。この場で戦えるのは自分ひとりだけ。そんな状況で果たして魔女と戦い、勝利することができるだろうか?

「な、なのは? いったい誰としゃべってるの?」

 そんななのはの姿を見て、アリサは戸惑いながら声を掛ける。

「それに何? この薄気味悪い感じ? 辺りの景色も急に変わっちゃうし、一体どうなってるわけ?」

 言葉こそいつもの強気な口調なアリサだったが、握った手からは彼女の震えがしっかりと伝わっていた。

(そうだ。ここにはアリサちゃんもいるんだ)

 すずかやフェイトとは違い、アリサは戦う力を持たない。そんな彼女を守れるのはこの場にただ一人、自分だけなのだ。だからこそなのはは自分がしっかりしなければと気を引き締める。そしてなのははそっとアリサから手を離すと、そのまま彼女を真っ直ぐ見つめて告げた。

「あ、アリサちゃん!? えーっと、わたしから絶対に離れないで! それからたぶんビックリすると思うけど驚かないで!」

「な、なのは? どういうこと?」

 アリサはそう尋ねるが、なのはの耳にはその言葉は入っていないようで、手に持った赤い宝石に向けて独り言のようにぶつぶつと呟く。

「レイジングハート、わたし一人でもアリサちゃんを守ることってできるよね?」

≪All right. My master≫

 なのはの疑問に力強く答えるレイジングハート。その答えになのはは大きく頷くと、いつものようにレイジングハートを天に掲げ、呪文を呟く。

「いくよ! レイジングハート、セーットアップ!!」

 その掛け声とともに展開されるバリアジャケット。その姿の変化にアリサは唖然としていた。頭の中に数え切れないほどの疑問が生まれて積み重なっていく。そんなアリサを尻目に、なのははハニカミながらそっと右手を差し出した。

「な、なのは? あなたいったい?」

「その質問は後! それよりもアリサちゃん、ぜーったいにわたしの手を離さないでね」

「う、うん」

 そうして改めて二人は硬く手を握り合うと、結界の中を一目散に駆けていった。



     ☆ ☆ ☆



 一方その頃、突然なのはとの念話が切れてしまったユーノは急いで月村邸から駆け出していた。通常では考えられないような不自然な念話の切れ方。そしてそれ以降、感じられなくなったなのはの魔力。その代わりに微粒ながらも魔女の結界の気配を感じ取ったユーノは、なのはの危機を察知し、現場へと向かって急行したのだ。

『アースラ。こちら、ユーノ・スクライア。聞こえますか!?』

 そうして向かいながら、ユーノはアースラに連絡を入れる。

『はい。こちら時空管理局次元空間航行船アースラ、管制のエイミィ・リミエ……』

『杏子さんはいますか!?』

 エイミィの言葉を遮る形でユーノは自分の用件を口にする。管理局員でもなのはの救援は行えるかもしれないが、万全を期すために魔女との戦いのスペシャリストである杏子と直接コンタクトを取りたかった。

『杏子? ごめん、彼女は今、クロノくんと一緒に魔女の結界の中に行っちゃってて……。もしかして急ぎの用?』

 だがそんなユーノの願い虚しく、杏子は現在、不在なのだという。もしかしたら同一の魔女の結界なのかもしれないが、そこまで楽観的に考えるほどユーノは愚か者ではなかった。

『実は……』

 ユーノは端的に状況をエイミィに説明する。とりあえずなのはが消えたと思われる座標をユーノから教えてもらうと、確かにそこには魔女の結界が展開されていた。

 だが今のエイミィにできるのはそこまでである。先ほどから二人が入った結界の中に何度も通信で呼びかけているが、聞こえてくるのはノイズばかり。おそらく戻るように伝えても、二人にその声は届かないだろう。他の武装隊員が艦内に待機しているとはいえ、杏子の口から告げられた魔女の実力を考えるに、彼らだけで救援に向かわせて良いものか考えあぐねる。

『エイミィ、ユーノさん、話は聞かせてもらいました。私が直接、武装局員を引き連れてなのはさんの救援に向かいます』

 そうして悩んでいると、リンディが二人の会話に入ってくる。

『艦長、いいんですか!?』

 その言葉に驚くエイミィ。

『えぇ、なのはさんもいるし、なんとかなるでしょう。それよりも支度を急いで頂戴』

『わ、わかりました』

 そうしてエイミィはアースラの転送装置の転送座標を、なのはたちを取り込んだ魔女の結界付近に設定しようとする。だが……。

『あ、あれ?』

『どうしたの、エイミィ?』

『さっきまであったはずの結界がなくなってる? それに……』

 アースラに映し出されるサーチャーから送られてくる映像。そこにはバリアジャケットを展開したなのはの姿がハッキリと映しだされていた。



     ☆ ☆ ☆



 なのはとアリサは結界内を駆ける。周囲の光景などに目もくれず、襲いくる使い魔をディバインシューターで追い払いながら、結界の出口を探していく。だがいくら探しても出口は見つからず、走り続けたためか次第に二人の息が切れてくる。

 流石に限界を迎えたのか、なのははその場で足を止め、肩で息を吐く。元来、なのはは運動が苦手である。今までの戦闘時は飛行魔法を使って移動していたため息を乱すことはなかったが、全力に近い速度で走りながら魔法を行使すればこうなるのはある意味で当然だろう。なのはほどではないとはいえアリサも息を乱してはいるが、それでも彼女はその場にへたり込むほどではなかった。

「ぜぇ……ぜぇ……。あ、アリサちゃん……、だ、だいじょう、ぶ?」

「人のことより自分の心配をしなさいよ」

 疲れきっているなのはの代わりに、アリサが周囲に警戒を向ける。先ほどまではじっくりと観察する余裕がなかったのでわからなかったが、どうやらこの空間は騙し絵の迷路みたいに入り組んでいるらしい。頭上に目を向けるとそこには階段や扉があり、時折り異形の化け物が闊歩していた。

(……確かにこんなの、人には言えないわよね)

 まだ直接、彼女の口から聞かされたわけではないが、それでもこうして今、巻き込まれている現状がなのはたちが秘密にしていたことだとアリサは悟っていた。基本的に現実主義なアリサとはいえ、こうして目の前でファンタジーの実物を目の当たりにしたら、信じざるを得ない。もしも日常の中でこのような話を聞かされたとしても、それは冗談か御伽噺にしか思えなかっただろう。

「ねぇなのは、あなたたちが今まで秘密にしていたことってやっぱり……」

 それでもアリサは、なのはの口から真実を聞きたかった。今更、秘密にしていたことをどうこう言う気はない。だがそれでも、確かめずにはいられなかった。

「……うん」

 アリサの疑問になのはは一言、そう頷く。その表情は暗い。魔導師や魔法少女について話すこと自体には抵抗はない。しかし実際に巻き込んでしまうとなると話は別だ。魔女がなのはたちを結界内に取り込んだのは偶然なのかもしれないが、それでも自分と一緒じゃなければアリサを巻き込まずに済んだのではないかと思わずにはいられなかった。

「それならさっさとここから出て、話の続きを聞かせて貰わなくちゃね」

 そんななのはの責任感を感じ取ってか、アリサは努めて明るくそう告げる。その言葉に茫然とするなのは。

「どーしたのよ? そんなあっけに取られたような表情をして?」

「だ、だって、もっと色々聞いてくるかと思って……」

「そりゃ聞きたいことは山ほどあるわよ。でも今はそんな場合じゃないでしょ? まずはここから出て、話はそれからよ」

「アリサちゃん、うん、そうだね!」

 なのははアリサの気遣いが嬉しかった。それと同時にもっと早くすずかのことを話していればという後悔が生まれる。なのはとしても本当は今すぐにでも話を始めたいところだったが、ここはアリサの言う通り、結界から出る方法を考えるのが先決だろう。

「……ところで、なのははどうやったらここから出られるのかもちろん知ってるのよね?」

「えっ!?」

 アリサの疑問になのはは驚きの声を上げる。その声にアリサはどことなく嫌な予感を覚えた。

「もしかして、知らないなんて言わないでしょうね?」

「えーっと、そのー、実はそうだったりして……」

 厳密に言えば、魔女の結界の抜け出し方を一つだけ知っている。それは結界を作り出している魔女を倒すこと。だがなのはは海鳴温泉で出会ったクレヨンの魔女しか知らないのだ。あの魔女はジュエルシードを取り込んだことにより大幅に強くなっていたが、なのははそのことを知らない。だから彼女はこの結界を作り出している魔女も同等の力を持つのではないかと考えていた。

「……なのは、今更隠しごとをしてもあたしにはお見通しよ。何か方法があるんだったらさっさと話しなさい」

 その考えが表情に出ていたのだろう。アリサは毅然とした態度でなのはに問いかける。ジッとアリサに強い眼差しで見つめられたなのはは、観念したように魔女を倒せば結界が消えることを告げた。

「なら話は簡単ね。行くわよ、なのは」

 そう言うとアリサはそっとなのはに手を伸ばす。なのははその手に捕まり、引っ張られるように立ち上がる。

「あ、アリサちゃん!? 行くってまさか……」

「決まってるでしょ? あたしたちをこんなところに閉じ込めた魔女って奴を懲らしめに行くのよ!」

「ま、待って!? 魔女って言うのはアリサちゃんが考えてるような……」

「シャラップ! 黙りなさい、なのは。あたしはね、こう見えても頭に来てるのよ。せっかくなのはと仲直りして今まで隠していたことを聞けると思ったのに、こんなことに巻き込まれて先送りにしなければならない現状。なんとなく秘密にしていたことはわかったけど、それでも到底許せるものじゃないわよ。一言、文句でも言ってやらないと気が済まないわ」

 アリサはなのはの手を強く握ると、そのまま結界の中を進んでいく。そんなアリサの剣幕になのはは何も言い返すことができなかった。






 しばらく結界の中を歩いたなのはたちは、開けた空間に出た。先ほどまでいた狭苦しい迷路のような道ではなく、東京ドーム並みの広さ。その中心部から、なのはは激しい魔力のぶつかり合いを感じ取っていた。その一方でアリサも、先ほどまでいた場所との空気の違いを敏感に感じ取る。

 なのはは周囲に警戒をしつつ、魔力の発生源へとゆっくり近づいていく。遮蔽物で身を隠しながら何が起こっているのか覗き見る。ある程度、近づいた二人は物陰からそっと顔を出しながら様子を眺める。アリサには、そこで二人の人物が戦っているように見えた。

 一人は全身を白いドレスに身を包んだ若い女性。頭には十字架を象られた帽子を被っており、手には一冊の本が握られている。そんな彼女の周囲には大きな宝石のようなものが無数に浮いていた。それを彼女は自由に操作し、目の前にいる相手に飛ばしていく。

 それを弾き返すのは西洋の騎士甲冑に似たような姿をした人物だった。一見すれば鎧に身を付けた人間とも勘違いできそうな格好だがその実は違う。なのはたちの位置からはわからないが、近くで見ると尻尾が生えており、また腕も四本ある。尻尾の先には掌が付いており、その四本の腕と一本の尻尾にはそれぞれ違った武器が握られていた。騎士の
 魔女はそれらを巧みに操りながら、魔法少女からの攻撃を弾き返し、さらにそこから空気の刃を発生させて攻撃していた。

 二者から発せられる魔力の質の違いから、なのはには白いドレスに身を包んだ女性が魔法少女であり、騎士の方が魔女であることはすぐにわかった。

 しかしアリサはそうではない。一般的に『魔女』と聞いて思い浮かべるのは怪物ではなく人間の女性だ。そして彼女の前にいるのはどちらも人型。近くで見れば騎士の方が怪物であることはわかっただろうが、あいにくとそれがわかる距離ではなかったため、アリサは白い女性の方が自分たちを閉じ込めた魔女だと判断していた。

 本来ならば一言、文句を言ってやろうと思っていたアリサだったが、魔女と魔法少女の戦いはとてもアリサのような一般人が立ち入る余地のないものだった。

「アリサちゃん、わたし、あの人を助けに行ってくるね」

「ちょっと待ちなさい! なのは、正気?」

 だがなのははそこに何の躊躇もなく助けに行こうとする素振りを見せる。それを慌てて止めるアリサ。いくらなのはに不思議な力があるとはいえ、そんな危険な場所に見す見す親友を送りだすような真似はしたくなかった。

「にゃはは……。酷いな、アリサちゃん。わたしだって戦えるんだよ? それにあの程度の相手ならあの人と二人で掛かればなんとかなると思う」

 実際、騎士風の魔女から感じる威圧感はそれほど大きなものではない。下手をすればクレヨンの魔女の結界内で遭遇した使い魔などよりも小さいとも思えるぐらいに。おそらくは自分が手を貸さなくても、あの魔法少女一人で魔女を倒すことはできるだろう。だが見ず知らずの人に戦いを任せ、自分は見ているだけというのはなのはには我慢のならないことだった。

「……ッ、わかった。だけどなのは、絶対に無茶だけはしないでね」

 力になれない自分が悔しいと思いながらも、アリサはなのはに告げる。本当ならしがみついてでもなのはを止めたい。だがそれを聞き入れるなのはではないことも、アリサは知っていた。彼女は決して、困っている人を放っておかない。それはなのはの美徳であり、そんな彼女がいたからこそ、すずかを含めて自分たちは親友になれたのだと思っているアリサには、なのはを強く引き留めることができなかった。

「うん、それじゃあ行ってくるけど、アリサちゃんは絶対にこっちに来ちゃダメだよ」

 そう言ってなのはそっとアリサから手を離す。失われた感触を名残惜しそうに感じながらも、アリサはなのはを送りだした。






「あら? ようやく来たのね。待ちくたびれたわ」

 なのはが自分に近づいてくるのを横目で気付いた白い魔法少女が優しく微笑みながら語りかける。視線こそなのはに向けているものの、その前方では騎士の魔女を相手に球体を巧みに操り、こちらに近づけないようにしていた。

「あ、あの、あなたは魔法少女、ですよね?」

「えぇ、そうよ。私の名前は美国織莉子。よろしくね、高町なのはさん」

「えっ? どうしてわたしの名前を?」

「キュゥべえから少し、ね」

 実際のところ、織莉子は自身の魔法でなのはの存在を知ったわけだが、そのことを今の彼女に語る必要はない。

「ところで会ったばかりで悪いんだけど、私のお願いを聞いてもらっても良いかしら?」

「お願い?」

「そう、今、私が戦っているあの魔女、彼女には貴女の手で止めを刺してもらえないかしら?」

 織莉子の頼みを聞いてなのはは不思議そうに首を傾げる。その理由がまったく理解できないといった風体だ。そんななのはに対して織莉子は説明を入れる。

「魔女を倒せば結界が消滅し、現実世界に戻るということはあなたも知っているわよね? その姿を誰にも見せたくないの。本来、私はこの町にいるべき存在じゃないから、できる限り目立つような行動は取りたくないのよ」

 織莉子が警戒しているもの、それは管理局のサーチャーとキュゥべえである。未来を知ることのできる彼女にとって、海鳴市が管理局の監視下にあることを知るのは実に容易いことだった。いずれは管理局とも接触しなければならない時が来るかもしれないが、それは少なくとも今ではない。自分の動きが管理局に縛られ、監視される状況に陥ることだけは絶対に避けなければならなかった。キュゥべえに関しては言うまでもない。

「だから貴女が魔女に止めを刺す前に私は身を隠したいの。お願いできるかしら?」

「えっと、それならわたしも織莉子さんに一つお願いがあるんですけど……」

「何かしら? 私にできることなら叶えてあげるわよ」

「あそこの物陰に隠れているアリサちゃん、わたしの友達を守ってあげてくれませんか?」

 結界の中には魔女だけではなく使い魔もいる。もし魔女との戦いの最中にアリサが使い魔に襲われたら、なのはには救い出す手はないだろう。だが織莉子にアリサのことを守ってもらえれば、なのはも心置きなく魔女と戦うことができる。

「……なのはさん、一つだけ忠告しておくけれど、見ず知らずの相手をあまり信用しない方がいいわ」

「えっ?」

「確かに私は魔法少女だけど、中には悪い魔法少女もいるのよ。自分の利益のために一般人を見殺しにするような、そんな娘もね。それに魔法少女じゃなくても、世の中には悪いことを考えている人がたくさんいるの。だからそう簡単に他人を信用するものではないわ」

「でも織莉子さんは、悪い魔法少女じゃないですよね?」

「……どうしてそう思うのかしら?」

「だって織莉子さん、凄く優しい目をしてるから」

 その言葉に織莉子は虚を突かれ、目を丸くする。そして次第に口から小さな笑い声が漏れだした。

「ふふっ、ありがとう、なのはさん。そんな風に言われちゃったら、頼みを聞かないわけにはいかないわね。あなたの友達は責任を持って、私が守らせていただくわ。だけどその代わり、魔女を倒すのは貴女に任せたわよ」

「わ、わかりました」

 そうして二人はそれぞれ背を向けて動き出す。片や飛ぶように魔女に向かっていくなのは。片やのんびりと散歩するように歩を進める織莉子。その途中で織莉子はチラッと後方を振り返る。その表情は先ほどまでの楽しげなものではなく、どこか悲しげなものへと変わっていた。



     ☆ ☆ ☆



 アリサは物陰からなのはの様子を気が気ではない思いで見つめていた。それはなのはは真っ直ぐ『魔女』と思わしき白いドレスに身を包んだ女性に向かって突き進んだからだ。だが予想外なことに、『魔女』はなのはに攻撃を仕掛ける気配はない。それどころかどこか楽しげに会話しているようにも見えた。

 どういうことなのか考えていると、『魔女』が自分に向かって近づいてくるのに気付く。思わずアリサは身構える。それと同時になのはがどこにいるのかを探る。するとなのははあろうことか、騎士風の人物と戦っていた。

「初めまして、貴女がなのはさんの友達ね。私の名前は美国織莉子、よろしくね」

 そんな風に疑問に思っていると、いつの間にか白いドレスの女性――織莉子が目の前までやってきていた。いきなりのことで戸惑うアリサだったが、先ほどまで感じていた怒りを思い出し、アリサは強気に言い放つ。

「あなたね、あたしたちをこんなところに閉じ込めたのは!? さっさとここから出しなさいよ!!」

 いきなり怒鳴り声をあげられ、織莉子は驚きの表情を浮かべる。

「……貴女、何か勘違いしていないかしら?」

「勘違いなものですか!? あたしはなのはから『魔女』があたしたちを結界の中に取り込んだってことは聞いてるのよ!? 誤魔化そうとしたってそうはいかないわよ!!」

 その言葉を聞いて、織莉子は考えるように目を細める。そしてその勘違いにすぐに思い当たった。

「もしかして、貴女は私のことを『魔女』だと思っていたりする?」

「……? おかしなことを聞くわね。それじゃあまるであなたが魔女じゃないみたいじゃない」

 アリサの言葉に、織莉子は再び笑い出す。その態度が気に入らなかったのだろう。アリサは戸惑いながらも織莉子に尋ねる。

「な、なにがおかしいのよ!?」

 普段、織莉子は感情を露わにしない方だが、それでもこの時は淑女らしさを微塵もなく、少女らしい無邪気な笑みを浮かべていた。

「ふふっ、ごめんなさい。さっきのなのはさんといい、貴女といい、今日は良く笑わせられる日だわ」

 織莉子は目元を拭いながらアリサに告げる。そんな織莉子の態度を見て、アリサは何か自分が勘違いしているのではないかとようやく考え始めた。

「まず一つ、訂正させてもらうけど、私は魔女じゃない。魔女は今、なのはさんが戦っている方ね」

 織莉子が指差す方を見ていると、なのはが騎士風の人物と戦う姿が見えた。なのはの杖から放たれる砲撃を騎士は武器を使って切り払っていた。

「そもそも魔女というのはね、人間ではないの。ここからでは見えにくいとは思うけど、あの騎士風の魔女には四本の腕と尻尾があるわ。果たしてそんな人間がこの世界にいるのかしら?」

 織莉子の言葉にアリサは目を細めて騎士の姿を凝視する。すると織莉子の言う通りであることがすぐにわかった。

「ご、ごめんなさい。あたしてっきり……」

「ふふっ、気にしてないからそんなに頭下げてもらわなくてもいいわよ」

「で、でも……」

「それならまずは貴女の名前を教えていただけるかしら?」

 その言葉を聞いて、アリサは未だ自分が名乗っていなかったことを思い出す。

「あっ、はい。アリサ・バニングスです」

「そう、それじゃあアリサさん。行きましょうか」

 そう言って織莉子はアリサの手を掴むと、ゆっくりと歩き出す。

「ちょ、ちょっと、どこに行くって言うんですか!?」

「決まってるじゃない。この結界の外よ」

「へっ? でも魔女を倒さなきゃ結界の外には出られないんじゃ……?」

「別にそういうわけではないわ。入ってきた場所さえ覚えていれば、自由に魔女の結界から抜け出すことは可能よ。最も、今回の貴女たちは取り込まれて結界の中に入ったわけだから、その出入り口の場所を知らないでしょうけど」

「ま、待って、織莉子さん。それならなのはも一緒に……」

「残念だけど、それはできないわ。なのはさんにはあの魔女を倒してもらわないといけないもの」

 織莉子は遠い目をしながらそう告げる。その目を見て、アリサは底知れぬ恐怖を覚える。まるで全てを見透かし、それでいて深いナニカを感じさせる灰色の瞳。

「だったら織莉子さんもなのはと一緒に戦ってあげてください」

 それでもアリサはその場に立ち止まる。織莉子の手を振り払い、真っ直ぐとその目を見て、自分の意見を主張する。

「安心なさい。なのはさんが負けることはない。むしろ貴女がここにいたら、なのはさんの足手まといになるだけよ。そのことは貴女もわかっているでしょう?」

 織莉子の言葉は正論だ。何の力も持たないアリサがこの場に留まる意味は全くないだろう。それでも自分だけ安全なところに避難するというのには我慢ならなかった。これが我儘だということはアリサにもわかっている。だがなのはの友達として、彼女の戦いを最後まで見届けたかった。

「そ、それでも……あたしは逃げ出したくない。一緒に戦うことができなかったとしても、それでもなのはを、友達を置いて逃げ出すような真似だけはしたくない」

 アリサは振り絞るような声で告げる。その姿を見て、織莉子は小さく笑った。それはアリサがなのはに向ける気持ちが、自分がキリカに向ける気持ちに近いモノを感じたからだった。

「……わかった。貴女を結界から先に連れ出すのは止めにするわ」

 だから織莉子は気まぐれに、アリサの願いを叶えることにした。

 本来ならば無理にでもアリサを結界の外に連れ出すべきなのだろう。織莉子にはそれを行うだけの力はあるし、アリサには抗う力はない。だが彼女がなのはに向ける強い気持ちが織莉子の心を動かしたのだ。

「えっ? いいの?」

 まさか聞き入れられるとは思っていなかったのだろう。アリサは茫然としながらも確認のためにそう尋ねてくる。

「ええ。だけどこの場に留まり続けるというわけにはいかないわ。ここは聊か、戦いの場に近過ぎるもの。私の傍にいる限り安全は保障するけど、それでも万が一があっては困るでしょ? だからもう少しだけ距離を取りましょう。いいわね?」

「わ、わかりました」

 そうして二人は戦いの場から距離を取る。その過程で何体かの使い魔が襲いくるが、二人が歩を緩めることはなかった。それを織莉子は球体を操り蹴散らしていく。

「ここら辺でいいかしら?」

 そうして二人がやってきたのは空間の端っこ。そこからなのはたちの戦いを見ようとするアリサだったが、遮蔽物に遮られさらに距離もあるこの位置ではなのはの姿がほとんど見えなくなっていた。目を細めてなんとかなのはの姿を見れないかと奮闘するアリサ。だがなのはの砲撃の光は辛うじて見えるものの、肝心のなのはがどこにいるかは全くわからなかった。

「アリサさん、こっちに来て」

 そんなアリサを織莉子は手招きをして呼び寄せる。その手にはいつの間にか水晶が置かれていた。そしてその水晶にはなのはが魔女と戦う姿がありありと映されていた。

「織莉子さん、これって?」

「私の魔法でなのはさんの戦う様子を映し出しているの。これならなのはさんの戦う気配を感じながら、その姿も見ることができるでしょ?」

 アリサから尋ねたことだったが、すでに彼女の耳には織莉子の言葉は入っていなかった。アリサの目は水晶の中で展開するなのはと魔女の戦いに釘づけになっていた。

 なのはの周囲に浮かぶ桜色の弾。それがなのはの掛け声とともに魔女に向かって飛び交っていく。それを魔女は時に避け、時に薙ぎ払っていく。そして攻撃が止んだタイミングで一気になのはに向かって突っ込んでいく。それを急上昇でかわすなのは。迂闊に突っ走った魔女の武器は空を切り、体制を崩す。それを狙っていたとばかりに、なのはは特大の砲撃を魔女に浴びせる。

 やったと思ったアリサだったが、なのはの表情は未だ固い。そしてそれを裏付けるように爆炎の中から魔女の持っていた武器がなのはに向かって飛んでくる。そのことはなのはにも予想がついていたのだろう。なのはは特に慌てた様子もなく一つひとつかわしていく。

 そうして煙が晴れたところにいた魔女は、騎士甲冑が崩れ、先ほどとは大きく姿を変えていた。人型なのには間違いないが、それは明らかに人ではない風体だ。顔に当たる部分には口や鼻などはなく、大きな赤い目だまが一つだけ付いているのみ。全身は黒い鱗に覆われており、お腹に当たる部分が大きく裂けていた。

 驚くべきことに魔女はその裂けた腹に自分の腕を突き入れる。そしてそこから先ほどなのはに向かって投げつけた武器と同じ物を取り出すと再びなのはに向かって投擲する。流石のなのはもその姿に面を食らったのか驚いた表情をしていたが、その攻撃を確実にかわしていく。だが魔女は四本の腕を使い、なのはに攻撃の態勢に移らせる暇もなく投げ続ける。

「おそらく、いくら待ってもあの武器がなくなることはないでしょうね」

「……どうしてそう思うんですか?」

 なのはの動きを見て零した織莉子の呟きに、アリサは反射的に反応する。その言葉に返答する代わりに、織莉子は水晶で魔女が投げた武器を映す。しばらくは壁に突き刺さっているのみで何の変化もなかったが、次第にその形を崩壊させていく。そうしてできたのは黒い靄のようなモノ。それらは一直線に魔女に向かって飛んでいく。そしてその身体に触れると、自然と魔女の身体へと溶け込んでいった。

「あれは魔女が作り出した武器の形をしたモノ。厳密に言えば武器ですらない。だから魔力が尽きない限り、あの攻撃が止むことはない。そしてその魔力も一度投げたモノを回収することによって極力消費しないようにしている。実に良くできたカラクリね」

 その言葉を聞いて、アリサの顔色が悪くなる。織莉子が言っていることが事実だとすれば、なのはに勝機などあるのだろうか? このままではなのははやられてしまうのではないだろうか? そんな不安がアリサの中から止めどなく溢れてくる。

「安心なさい。さっきも言ったと思うけど、なのはさんが負けることはない」

「ど、どうしてそんなことが言い切れるんですか!? 織莉子さんが助けてくれるって言うんですか!?」

「いいえ、私が手を貸すことはできないわ。ここで手を貸してしまったらなのはさんのためにならないもの。……それにね、ハッキリ言ってなのはさんは強い。おそらく私なんかよりもずっとね。だからアリサさん、貴女はそんな彼女を信じてあげなさい。彼女は今、貴女のために戦っているのだから」

「あたしの、ため?」

「そうよ。魔導師であるなのはさんは本来ならば魔女と戦う必要はないの。魔女と戦うのは私たち魔法少女の役目。それでも彼女が戦う理由があるとすれば、それはアリサさんが結界に取り込まれてしまったから。もちろん自衛のためというのもあるのでしょうけど、それ以上にあなたを守りたいという強い思いがあるはずだわ。そうでなかったら初めて会った私に貴女の護衛を頼むはずはないもの」

 交換条件であったとはいえ、なのはは考える素振りも見せずアリサのことを織莉子に託した。二人で戦った方が魔女を早く倒すことができるのはなのはにもわかったはずだ。その上でこちらの願いを聞き入れ、なおかつアリサの身の安全を保障するような条件を提示した。深い考えがあってのことではないのだろう。だがそれでもなのはがアリサを想う気持ちは織莉子には痛いほどわかった。

 そしてアリサもまた、なのはのことを大事に想っている。自分ひとりで結界から抜け出そうとせず、なのはの戦いを見届けたいと思う心。決して興味本意ではなく、真になのはのことを大事に思っているのが会話の節々からわかる。

「人はね、守るべきものを持つと強くなれるの。なのはさんもそう。……でもただ黙って守られる方は辛いわよね。友達を危険な場所に置いて、自分は安全なところでぬくぬくしている。そんなこと、貴女には許せないのでしょう? でもねアリサさん、貴女にだってできることはある。――それはなのはさんを信じること。彼女の勝利を疑わず、心の底から応援してあげること。例えは声が届かなくても、その想いは必ず届く。貴女たちが真に友情で結ばれているのなら、ね」

 そう言って織莉子はアリサに手を握る。突然のことにアリサは戸惑うが、それを尻目に織莉子は言葉を続ける。

「さぁアリサさん、念じなさい。ここからじゃあどんなに声を張り上げてもなのはさんには届かないでしょう。だけど私がその声を届けてあげる。貴女の声援が何よりの力となるはずよ」

 その言葉にアリサは無言で従い、織莉子の手をぎゅっと握る。そして目を瞑り、必死になのはのことを祈りはじめる。

 ……なのはが魔女を倒したのは、それからすぐのことだった。



     ☆ ☆ ☆



「どうやら、私たちの出番はなかったみたいね」

 結界から解放されたなのはの姿を見て、リンディは安心したように零す。すでにユーノとは通信を終えている。結界が消滅し、なのはが無事に解放されたことを伝えたら、ユーノは喜び勇んでなのはの元へと駆けていった。

「ふぅ~、一時はどうなる事かと思いましたよ」

「あら? エイミィ、もしかして私のこと心配してくれた?」

「そりゃしますよ! 艦長がいなくなったら、アースラは立ち行かなくなってしまうんですから。ホント、艦長自ら結界の中に行くって言った時は、焦りましたよ」

「ごめんなさい。でもね、私も一度、自分の目で魔女の姿を見てみたかったの」

 杏子から聞かされた魔女の話、それが実際どの程度の存在なのか、リンディは自分の目でも見定めたいと考えていた。もちろん彼女が戦場に赴くのはよっぽどな時を置いて他ならない。人員が足りている現状では、中々難しいだろう。

「艦長のことだから、何か考えがあるんでしょうけど、それでもあたしたちに黙って勝手に行くのだけは勘弁してくださいね」

「あら? 私が今まで、そんな危険な真似をした時があったかしら?」

「そりゃないですけど、何事も気の迷いって奴がありますからね。気を付けてくださいよ~」

「安心なさい、エイミィ。少なくとも一人で戦場に赴くような真似はしませんから。それじゃあ、私は艦長室に戻ってるから、エイミィは引き続き、クロノたちから送られてきた映像の解析をお願いね」

「わっかりました~」

 そう言ってリンディは自室に戻っていき、エイミィは映像の解析作業の続きを始める。

 ……だがその間もサーチャーはなのはの姿を映し続けていた。先ほどまで一人だったなのはがアリサ、そして織莉子と合流し、仲良さげに歩いていく。その映像を見たものは、管理局の中に誰一人として、存在しなかった。



     ☆ ☆ ☆



 その後のことは語るまでもない。なのはと合流した織莉子は月村邸でこれから行う魔法少女についての説明を頼まれ、それを快く引き受けた。そしてなのはすらも知らない魔法少女の真実を無慈悲に明かした。ただそれだけである。

 その結果、その場に集まったものは全員、何らかの形で打ちひしがれている。すずかのことを嘆き悲しみ涙を流す者。頭が真っ白になりその場に立ち尽くす者。そうして少なからず全員がショックを受けている中、たった一人、織莉子を鋭い目つきで睨みつけている人物がいた。

「……アリサさん、何か言いたいことがありそうね」

「……あたしは信じないわよ。すずかを救えないなんて。あなたはまだ、あたしたちに言ってないことがあるんでしょ、違う?」

 目に涙を溜めながら、アリサは力強く織莉子に告げる。アリサは思い出していた。魔女の結界の中で見せた織莉子の底知れぬ瞳。彼女の言葉はおそらく本当のことなのだろう。だがそれだけではないはずだ。目の前の女性は何かを隠している。アリサはそう確信していた。

「……どうしてそう思うのかしら?」

「そんなの、あなたの目を見ればわかるわよ。あなたの目はあたしたちに向けられてない。どこか遠い何かを見ている。そんな目をした人が本当のことを全部言うわけがない」

 アリサの言葉に織莉子は驚きの表情を浮かべ、そして微笑みかけた。

「バレてしまったのならしょうがないわね。……確かに私はまだ、貴女たちに言っていないことがある。だけどこの話をしたところで、すずかさんを救うことができるのかと問われると、ごく僅かな可能性しかないわ。それこそ自分の命を賭けて、望むだけの未来を引き寄せる力がないと到底不可能な話よ。アリサさん、貴女にそれだけの覚悟と力があるのかしら?」

「……アリサちゃんだけじゃないよ」

「アリサちゃんだけじゃない。忍さんもノエルさんもファリンさんも、それにわたしだってすずかちゃんを救いたいと思ってる」

 先ほどまで俯いて泣いていたなのはが立ち上がる。その目には強い輝きが宿っていた。
魔法少女はいずれ魔女になる。それを聞かされた時、なのはは絶望に包まれた。今にして思えば、魔法少女として再会したすずかの変調。あれも魔女になり掛けている証だったのだろう。そう思えたからこそ、なのはの思考はそこでストップし、悲しみに暮れた。

 だがアリサの言葉がなのはの目を覚ました。すずかはまだ、魔女になったわけではない。それならば絶望するには速過ぎる。なのははまだ、すずかにきちんと自分の想いをぶつけていないのだから。

「そう、ね。なのはちゃんの言う通りだわ」

 そんななのはの言葉に呼応するかのように、その場でへたり込んでいた忍もまた、立ち上がる。

「忍、大丈夫なのか?」

「ええ、もう大丈夫よ、恭也。心配かけてごめんなさい。でも今はこんなところで泣いている場合じゃないもの。――そうでしょ? ノエル、ファリン」

「はい。私たちが途方に暮れたところで、すずかお嬢様が救われるわけではありませんからね」

「すずかちゃんのためなら、私、なんだってやりますよ~」

 忍の言葉にノエルとファリンがそれぞれ、自分の強い意思を告げる。それを見て、忍は満足そうに頷いた。

「確かに、私たちには覚悟はあっても力が足りないかもしれない。魔女というものを実際に見たことがあるのはなのはちゃんとアリサちゃんだけだし、織莉子さんから見れば戦えるとなったらなのはちゃんだけなのかもしれない。でもね、そんなのやってみなければわからないのよ? 恭也は強いし、その気になればノエルやファリン、そして私も戦える。……だから話してくれない? 私たちはすずかを救いたいの」

 忍の言葉に織莉子以外の全員が力強く頷いた。

 先ほどまで葬式のようだった部屋の雰囲気が嘘のように晴れやかになっている。それ自体は、織莉子の予想の範疇である。彼女の見た未来の一つには、魔法少女の真実を知った彼女たちが悲痛に暮れながらも立ち上がり、すずかを助けるために奮起するものもあった。だがそれを促した人物、それがアリサだったことが織莉子にとっては予想外だった。

 ……そもそも、彼女が最初に見た未来では、魔女の結界に取り込まれるのはなのはだけだった。そこでなのはを助け、彼女に魔法少女についての真実を話す。ただそれだけだったのだ。

 織莉子の知らないところで未来が大きく変わりつつある。それが果たして良い方向なのか悪い方向になのかはわからない。

「……貴女方の覚悟はわかりました」

 だが今、この場で織莉子がやることは変わらない。自分の見た未来に従い、予定通りの言葉を予定通りの人物に口にする。それで未来はまた大きく変わる。その変化の先にある明日を掴むために、織莉子は満を持して口を開いた。

「結論から言わせてもらうと、魔法少女でいる限り魔女化を防ぐことはできません。でももし、魔法少女から人間に戻すことができれば、その限りではありません」

 それは荒唐無稽かつ夢物語。だが口にしている織莉子は至って真面目で、聞き手であるなのはたちはそれ以上に真剣に織莉子の言葉に耳を傾けていた。

「そして私の知る限り、キュゥべえと契約という形を取ることによってのみ、その願いは成就される」

 誰かが魔法少女になることによって、魔法少女を人間に戻す。だがそこには一つ、問題があった。

「しかし厄介なことに、その願いは誰でも叶えられるわけではない。他者の願いを否定する願いであるそれを叶えるには、最初に願いを叶えた少女の因果を大きく上回る因果を持つ少女でなければならない」

 人を呪わば穴二つ。だがこれは呪術ではなく、純然たる契約なのだ。その契約を破棄させるには、より対価を大きく差し出さなければならない。この場合、対価とは魔法少女としての素質だ。少女の因果をさらに大きな因果によって上書きさせる。そうすることで初めて、魔法少女から人間に戻すという願いが達成される。

「そしてこの場にいる人物の中で、それほどまでに大きな因果を持つ少女はたった一人しかいない。……それはなのはさん、貴女よ」

 その言葉に部屋中の視線がなのはに向けられる。突然、名前を呼ばれたことでなのはは驚きの表情を浮かべるが、すぐに元の真剣な顔つきに戻り自分の決意を口にした。

「わ、わかりました。わたし、キュゥべえくんと契約して魔法少女に――」

「「「「「「ダメだ(よ)、なのは(ちゃん)!?」」」」」」

 だがその言葉が最後まで紡がれることなく、なのはと織莉子以外の全員に止められる。すずかを救いたいという気持ちは皆、少なからずあるだろう。しかしだからといって、なのはを犠牲にしてまでそれを成したいと思うほど冷酷な人物は、この場には一人もいなかった。

 そして口々になのはに言葉をぶつける一同。それを尻目に織莉子はゆっくりと部屋の出口に向かって歩を進める。

「織莉子さん、どこへ?」

 それに気付いたなのはが呼びとめる。

「もう話せることは全て話したから、私は帰ることにするわ。あとは貴女方で話し合ってどうするか決めなさい。だけどなのはさん、最後に一つだけ忠告させてもらうけど、私としてはこの方法はあまりお勧めしないわ。他に方法がなかったとしても、ね。……それじゃあまたいつか会いましょう」

 ――そうして織莉子は月村邸を後にした。別れ際に彼女が口にした言葉は紛れもない本心である。だがそれと同時に彼女の目的とは相反する言葉であることを、この時の織莉子はまだ気付いていなかった。



2013/1/7 初投稿



[33132] 第8話 なまえをよんで…… その3
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2013/03/23 19:15
 ところ変わってここは見滝原。この数日間、ほむらは何事もない日常を満喫していた。学校に通い、まどかたちと他愛のない雑談をし、放課後はマミの家で連日のように開かれているお茶会に参加する。魔女との戦いも先日のハコの魔女以来行われることはなかった。

 実に穏やかな日常。ずっとこんな毎日が続けばいいのに。そう思わずにはいられない。

 しかしだからこそ、ほむらはその現状に一抹の不安を抱いていた。今回、彼女は目立って特別なことを行ったつもりはない。おそらくフェイトたちの介入がなければマミと和解することはできず、最悪、彼女をあの場で死なせてしまっていただろう。だが結果だけ見ればマミはあの戦いに生き残り、その臨死体験を経て和解に成功した。またそれだけではなく、まどかたちに積極的に魔法少女になることを強要することもなくなった。それでもさやかは魔法少女になってしまったが、肝心のまどかは魔法少女に対する憧れが薄れ始めているのが目に見えてわかった。

 だがそんな状況を成したのはほむらではない。フェイトたちだ。あれ以降、彼女たちの姿は見ていない。マミから聞いた話では、彼女は海鳴という町に用があり、見滝原に立ち寄ったのは偶然だったという。ならば彼女たちはすでに見滝原にはいないのだろう。

 今にして思えば、もう少し深く自分の手で調べれば良かったと思う。今の見滝原は静かすぎる。まるで嵐の前の静けさと言わんばかりに、町からは魔女や使い魔の姿が消えていた。それ自体は喜ばしいことだが、今までの経験からほむらは素直に喜ぶことはできなかった。

 ――自分の知らないところで何かしらのイレギュラーが発生しているのではないか? そう考えたほむらは町の至るところに監視網を敷き、何が起きてもすぐに対応ができるように準備を整えていた。



     ☆ ☆ ☆



 月村邸で話し合いが行われているのとほぼ同時刻、フェイト、アルフ、ゆまの三人は地球へと戻ってきていた。ただしその場所は海鳴ではなく見滝原だ。

 彼女たちが見滝原にやってきたのには訳がある。もし素直に時の庭園から海鳴に戻れば、管理局に察知される可能性がある。そこで海鳴から遠く離れた見滝原を経由することで、その監視から逃れようとしたのだ。

 ちなみに戻ってきた面々の中にキュゥべえの姿はない。彼は一人、時の庭園に残り、未だにプレシアとの話し合いを続けていた。

「ところでフェイト、これからどうするんだい?」

「とりあえずどこかで一泊して、明日の朝一で海鳴に戻ろう」

 本来ならすぐに海鳴市に戻りたいフェイトだったが、万全を期すためには飛んで戻るわけにもいかない。そこで電車を乗り継いで戻ろうと考えていた。

「泊まるってことは、またマミの家に厄介になるのかい?」

「ううん、今回はちゃんとお金を持ってきているから、どこかのホテルに行こう。マミに会いたいって気持ちもあるけど、いきなり尋ねるのは悪いしね。ゆまもそれでいい?」

「えーっと、よくわからないけど、フェイトがそうゆうならそれでいいよ」

 そう言って三人はホテルを探すために駅前を目指して歩き出そうとする。

「……久しぶりね」

 だがそこにほむらが現れ、三人を呼び止めた。転送時に発生した微量な魔力、それがほむらの監視網に引っ掛かり、彼女はこの場に様子を見に来たのだ。

「えっと、あなたは確か……」

「暁美ほむら。そう言えばあの時は名乗ってはなかったわね」

 ほむらは悠然とフェイトたちの前に立ち、彼女たちの顔を見据える。だがその顔がゆまに向けられた時、ほむらの表情は驚きのものに変わった。

「千歳ゆま!? どうしてここに?」

「えっ? おねーさん、わたしのこと知ってるの?」

 そんなほむらに不思議そうな表情を向けるゆま。ゆまにとってはほむらとは初対面だが、ほむらは別の時空でゆまと会ったことがあった。

 それは美国織莉子と呉キリカというイレギュラーが現れた時のことだ。ゆまは杏子に付き従う魔法少女として見かけたことがあった。直接話したわけではないが、それでもあの時、魔法少女の真実を知り絶望しかけたマミと杏子に口にした言葉はほむらにも印象深く残っていた。その言葉でマミと杏子は立ち上がり、それが結果的にほむらの窮地を救った。結局、まどかを死なすことになってしまったが、それでもあのイレギュラーが発生した周回はほむらの記憶にも強く残っていた。

 そんな彼女がフェイトと共に行動している。もしこれがゆまでなくまったく見知らぬ少女であったのなら、ほむらはここまで動揺しなかっただろう。しかしゆまの姿を見ると、織莉子やキリカの姿が脳裏に蘇る。

 世界を守るためにまどかを殺そうとした二人の魔法少女。あの一件以来、彼女たちがほむらの前に姿を見せたことはない。直近の周回では彼女たちの動向にも気を配っていたが、特に魔法少女になった様子もなく過ごしていた彼女たちの姿を見て、あの周回が特別なイレギュラーだったと知り、それ以降は特に気にすることもなく過ごしていた。

 だがゆまがこうしてほむらの前に現れた以上、それに連動して織莉子やキリカもまた何らかの動きをしている可能性がある。ほむらはそれを一刻も早く確認する必要があった。

「フェイト、少し話を聞かせてくれるかしら?」

 しかし今はフェイトから話を聞くのが先である。海鳴市にいるはずのフェイトが、どうしてまだ見滝原にいるのか。それを確かめないことには話は始まらない。

「えと、その……」

 だがほむらにはフェイトに話を聞く理由はあっても、フェイトにはない。フェイトたちが転送場所に見滝原を選んだのは、転送装置に見滝原の座標が記録されていたからであって、それ以外の他意はない。ほむらはもちろん、マミにも挨拶せず海鳴に戻ろうとしていたのがその証拠だろう。

 けれどほむらの目は、フェイトたちを逃がさないと言っている。その鋭い瞳にアルフは二人を庇うように前に立つ。殺気を露わにし、今にも戦闘が起きそうな険悪な雰囲気が両者の間には漂っていた。

「ねぇ二人とも、話ぐらいしてもいいんじゃないかな? わたしもこのおねーさんのこと、気になるし」

 そんな二人に見兼ねて仲裁を買って出たのはゆまだった。ゆまはアルフを軽くなだめると、改めてほむらに向き直る。

「え~っと、おねーさんも魔法少女なんだよね?」

「ええ、そうよ。あなたもそうなんでしょう?」

「ゆまは違うよ? 杏子に止められてるし」

「……なんですって」

 ゆまの言葉にほむらは本日二度目の驚きを覚えた。ゆまがキュゥべえと契約していない時間軸。だが彼女の口から出た杏子の名前。それが一体何を意味しているのか、今のほむらにはそれを考えるだけの情報が不足していた。

「なぁゆま、簡単に言ってくれるけどさ、こいつのこと信用していいのかい?」

 そうして悩んでいるほむらを尻目に、アルフが尋ねる。ほむらのことは以前、見滝原に来た時に一度会っただけだ。その時、両者にはロクに会話などなく、目の前の魔女を倒すという意思の元で共闘したに過ぎない。そんな相手に素直にこちらのことを話すのは、アルフには気が引けた。

「信用ってゆうのとは違うけど、わたし、この人のことが気になるんだよ。だから少し話してみたいって思ったんだけど、ダメかな?」

 そんなアルフの問いに返したゆまの答えは、とても自分本位のものだった。

 ゆまは今まで、杏子と共に複数の町を巡ってきた。その中で何人かの魔法少女と顔を会わす場面もあり、その全員をゆまは克明に記憶していた。それは彼女自身が魔法少女になることを望み、何かの参考になるのではないかと熱心に観察していたからなのだが、それでもその中にほむらの姿はなかったように思う。

 しかし彼女は明らかに自分の顔を見て驚いていた。いくら考えてもほむらのことは思い出せないのに、相手は一方的に知っている。それがゆまには不思議でしょうがなかったのだ。

【フェイト、ゆまはこう言ってるけど、あたしゃ反対だよ。こいつ、なんか得体のしれない感じがするし】

 ゆまの様子を見兼ねたアルフは、それでも自分の意見だけは伝えようと、念話でフェイトに話しかける。

 フェイトもまた、そんな二人の意見を耳にして、どうすればいいのか悩んでいた。彼女にこちらの情報を話すメリットはフェイトたちには存在しない。だがそれと同時に目立ったデメリットもまた、存在しないのだ。ここは海鳴市から遠く離れた見滝原。彼女はジュエルシードを狙う魔法少女ではなく、何かしらの目的を持っていたとしても、それはフェイトたちと重なることはおそらくないだろう。

「……やれやれ、少し目を離した隙に随分と面白いことになっているじゃないか」

 そんな彼女たちに声を掛けてくる者の姿があった。キュゥべえである。

「なっ……、おまえ、どうしてここに!?」

「キミたちが見滝原にやってくるってことは、時の庭園でボクは聞いていたからね。……それにしてもまさかキミがここにいるとは思わなかったよ、暁美ほむら」

「それはこちらの台詞よ。どうしてあなたが彼女たちのことを知っているのかしら?」

 キュゥべえを見つめるほむらのきつい眼差し。それは先ほどアルフに向けたものとは比べ物にならないほど鋭く、明確な殺気が込められていた。

「単純な話だよ。ついさっきまでボクは彼女たちと一緒にいた。といってもそれはここにいるボクとは別の個体だけど」

「……そう。どうやらあなたたちに聞かなければならないことが増えてしまったみたいね」

 そう言ってほむらは睨みつけるようにフェイトたちに視線を向ける。

「待ってくれ。その前にボクの用事の方を先に済まさせてくれないかな?」

 だがキュゥべえがそれを止める。その言葉にほむらの視線はさらに鋭くなるが、それに意を介さずキュゥべえはフェイトの方を見て告げた。

「実はね、プレシアから頼まれたことがあるんだ」

「えっ? 母さんから?」

 その言葉に驚くフェイト。そんな彼女の横でアルフが訝しげにキュゥべえを見つめていた。

「より正確に言うのならボクがプレシアに頼まれたことなんだけどね。でも事はフェイトも関わることだから今のうちに伝えておこうと思ってさ」

 その言葉にアルフの視線はさらに鋭くなる。キュゥべえがプレシアと何らかの密約を交わしていることは、アルフは本能的に理解していた。流石にその内容までは知る由もないが、それでもそれがロクでもないことであることは間違いないだろう。

「……それは私が聞いてもいいことなのかしら?」

 そこでほむらが言葉を挟む。

「別に構わないよ。キミはどうやら、フェイトたちに興味を持っているみたいだからね。これからボクが話すことはそのとっかかりにもなるんじゃないかな?」

「……そんなことをしたところで、私があなたに抱く感情は変わらないわよ」

「それは残念だな。でもこの話を聞いたところで、今のキミには何もできないはずさ。そもそもキミが魔法少女にしたくないと思っているのは、まどかだけみたいだしね」

 まどかの名前を出されたほむらは目を大きく見開く。その表情はすぐに元の仏頂面に戻ったが、その変化は誰の目から見ても明らかだった。

「……どうしてそう思うのかしら?」

「そんな態度を見せていれば、ボクじゃなくたって気付くよ。でも今はまどかのことよりもフェイトの話だ。話を円滑に進めたいから、今は黙っていてくれないかな?」

 キュゥべえはほむらとの話を強引に切り上げ、改めてフェイトの方に向き直る。

「フェイト、プレシアはね、キミに魔法少女になってもらいたいみたいなんだ。しかもその願いの行使権を彼女に譲る形でね」

 そしてまるでその場にほむらなどいないかの態度で本題を切り出していった。

「なっ、なんだよ、それ!? 魔法少女になったら一生、魔女と戦い続けなきゃなんないんだろ!? なのにその願いごとまであの鬼婆の自由にさせろって言うのかい!? 冗談じゃないよ!!?」

 その言葉に最初に口を挟んだのはアルフだった。アルフにとってそのような提案、到底受け入れられるものではない。頑なにゆまを契約させようとしない杏子、そして初めて会った時に比べて様変わりしたすずか。そんな二人の姿を見てきたアルフは、魔法少女になることに対して否定的な考えを持つようになっていた。

 それでもフェイトがどうしても魔法少女になると言うのならば、アルフは止めようとはしなかっただろう。フェイトの願いはプレシアの健康。目に見えて弱ってきているプレシアの身体に活力を取り戻し、研究を終えた彼女と昔のように仲睦まじく暮らす。フェイトが願っているのはそんなごく当たり前の幸せだけだ。魔女との戦いは大変だろうが、そこは自分がサポートしていけばいい。そう考えていた。

 だがそれはあくまでフェイトが自分の願いを叶えて魔法少女になった場合だ。その願いまでプレシアに譲るような真似、とても許容できるものではない。

「キュゥべえ、そもそもそれは本当に可能なのかしら?」

 そうして怒りを露わにしている横で、ほむらが冷静に問いかける。フェイトたちの事情は知る由もないが、それでもキュゥべえが口にした言葉は今までの常識を覆すようなものだ。契約時の願いを他人に譲渡する。これが可能ならば優しいまどかのことだ。誰かの願いを叶えるために魔法少女になると言い出し兼ねない。だからこそ、ほむらはその真偽を是が非でも確かめる必要があった。

「本来ならば、魔法少女との契約の対価足る願いは、契約する少女自身にしか叶えられない。だからプレシアの願いを叶えるにしても、それをフェイトが心の底から叶えたい願いであると思わなければならない」

「……母さんの、母さんはキュゥべえに何をお願いしたの?」

「それがボクにもまだ教えてくれないんだ。フェイトには何か心当たりはあるかい?」

 そう尋ねられたフェイトは重く押し黙る。フェイトの記憶にある限り、ここ数年、プレシアとは事務的な会話しか行っていない。最後に一緒に食事を取ったのも、リニスの教育課程を全て修了し、バルディッシュを受け取った日なのだ。その程度しか接点を持てていないフェイトには、皆目見当もつかなかった。

「どうやらフェイトも知らないみたいだね。ならこの話はいったん保留しておこう。でもフェイト、そう言った話しがあると言うことは心の片隅にでも留めておいてくれ。――それじゃあボクは行くよ。あとはキミたちで好き勝手話し合ってくれ」

 自分の目的を達したキュゥべえはそれだけ言うと、その場から去っていく。その背中に声を掛ける者は、この場には誰もいなかった。



     ★ ★ ★



 なのはたちに伝えるべきことを伝え、月村邸を後にした織莉子は次なる目的地へと足を向けていた。その傍らにはキリカの姿もある。だが二人の間には会話はない。普段ならば織莉子と一緒にいるだけで楽しげな表情を浮かべるキリカだったが、今の彼女は真剣そのもの。何があっても織莉子だけは守ると周囲に警戒を向けていた。

 彼女たちが歩いているのは結界の中である。血のように赤い液体が足元を浸し、頭上に広がる赤い空には満月のような球体が煌々と輝いている。周囲には障害物などなく、使い魔の姿もない。ただただ広い空間。その中で時折り、衝撃音が彼方から聞こえ、その方角から炎が赤く燃え盛る光景を見ることができた。

 織莉子たちはその音と炎を頼りに歩を進めていく。距離が近づくにつれ、炎の熱を肌に感じる。さらに炎で照らされた灯りから、戦闘している者のシルエットが見え始めてきていた。

 戦っていたのは刀を持つ少女と十数体の異形。使い魔というには巨大に見えるそれらは間違いなく魔女なのだろう。一番小さいので三メートル、大きいので優に十メートルは越えている。それらの魔女が全て、刀を持つ少女に襲いかかっていた。少女はその攻撃を巧みにかわし、まるで同士討ちさせるかの如く、互いの攻撃を魔女にぶつけていた。

 元来、魔女というものには知性がない。どのような魔女であっても本能のまま、欲望のままに絶望を振りまく。そんな魔女に協力という概念はない。自分が生み出した使い魔を使うことはあっても、自分とは別種の魔女と連携して人間を襲うなどという真似はしない。だから少女と戦いつつも魔女は他の魔女に対しても攻撃を仕掛けていた。

 そうしてできた隙を少女は見逃さない。魔女の攻撃で気を取られた別の魔女に対して、すかさず斬撃を食らわしていく。少女の斬撃を食らう端から魔女の肉体は燃え、崩れ落ちる。一体、また一体と次第に数が減っていき、織莉子たちが少女の声を聞きとれるほどの距離に近づいた時には、すでに魔女の数は片手で数えられるほどのものとなっていた。

「――赫血閃・繊月」

 刀を振るう少女が叫ぶ。それと同時に刀から赤い斬光が生み出され、魔女めがけて飛んでいく。まるでブーメランのように細いそれは、曲線を描きながら魔女の身体を切り裂き、燃やし尽くす。その炎は魔女の身体に当たってもその勢いは留まるところを知らない。切り裂いた端から次の魔女へと飛び火し、その命を奪っていく。中にはそれを避ける魔女もいるが、そうした相手には少女は背後から瞬時に近づくと、直接の斬撃を持ってその命を刈り取っていった。

「ねぇ織莉子、やっぱり帰ろう、あいつ危険だよ」

 その光景を目の当たりにして、キリカは珍しく弱気な発言を零す。目の前で戦闘を繰り広げた少女は、魔女よりもよっぽど魔女らしかった。倒した魔女から零れ落ちたグリーフシードを回収することなく、次の魔女に向かう姿勢。魔女の攻撃が直撃しても動じず、それを逆手にとって魔女に近づき切り裂くという戦闘スタイル。まだ数十メートルほどの距離はあるのにも関わらず感じられる威圧感。そのどれをとっても恐れを抱くには十分すぎるものだった。

「そうね。確かに今の彼女は危険だわ。でもね、だからといって今、このタイミングを逃せばもう二度と彼女と話をすることができなくなる。そうなってからでは遅いのよ」

 そう言うと織莉子はキリカの制止の声を無視して少女に向けて歩を進める。そうして近づく間に少女は周囲の魔女を全て片づける。そして近づいてきた織莉子に目を向ける。だがそれも一瞬のこと。少女はすぐに踵を返し、まるで興味なさげにその場から去っていこうとした。

「貴女、月村すずかさん、よね?」

 それを織莉子が呼び止める。名前を呼ばれたことで少女――すずかはその足を止め、改めて織莉子の方へと振り返った。

「……誰?」

 すずかは訝しげな表情で織莉子とその後方から駆け寄ってくるキリカのことを見る。

「初めまして、私は美国織莉子。こっちは呉キリカ。今日はあなたに話があってきたの。だからそんな目を向けないでくれないかしら?」

 すずかとは目を合わせようとせず、織莉子は微笑みながら語りかける。だがそれでもすずかは二人を睨みつけるのを止めない。彼女の瞳に込められた魔力、それが魔眼として二人に襲いかかっていた。もしすずかの瞳を直接見てしまうようなら、二人の意識はすぐにでも刈り取られてしまっていたことだろう。

 視線を合わせないようにしながら織莉子はすずかの姿を改めて見る。織莉子がすずかと直接対面したのは、今日が初めてのことである。しかし未来視という織莉子特有の魔法でその姿を何度も視てきた。だがそうして見てきたすずかと目の前にいるすずかはまるで別人と呼べるほどに変貌していた。

 長く綺麗だった髪の毛はその首元から大きく切り裂かれ、すっかり短くなっている。もちろんそこにカチューシャなど付けておらず、その代わりに十字架を象ったヘアピンが付けられていた。魔法少女としての服装も以前のような華美な装飾が施されたドレスではなく、半袖にミニスカートといった実にシンプルなもの。だが何よりも目を引くのはその背中から生えた、一対の黒い翼だろう。まるでコウモリのようなそれは、紛れもなく彼女の背中から生えてきているものであり、それこそが彼女が人間と魔女の境界に立つ証でもあった。

「……ごめんなさい。もう私にはこの眼を抑えることはできないの。だから我慢して」

 そう口にするすずかだったが、そこには申し訳なさを微塵も感じられない。織莉子はそのことに対して気にした様子はなかったが、その横でキリカの目付きがさらに険しいものになっていた。

「そういうことなら仕方ないわね。なら手短に用件だけ伝えることにするわ。今から五日後、貴女のよく知っている人間が死ぬ」

 織莉子の言葉にすずかは目を大きく見開く。そして次の瞬間には彼女の首筋に火血刀を突きつけていた。

「おまえ、織莉子に何をする気だ!!」

「……っ、待ちなさいキリカ!!」

 それを見て激情したキリカがすずかに飛びかかる。それを慌てて呼び止めた織莉子だったが、時すでに遅し。キリカの攻撃は止まらない。すずかの身体に容赦なく鉤爪を突き立てるべく迫りくる。だがすずかはそれを片手で受け止めると、造作もなくへし折った。そしてそのままキリカの腹を蹴り付け、彼女を彼方まで吹き飛ばす。

「……織莉子さん、それってどういうこと?」

 そして何事もなかったかのようにすずかは告げる。そんなすずかに対して織莉子は視線を逸らすことしかできなかった。キリカのことは心配だったが、織莉子は一端そのことを忘れて返答する。

「貴女も魔法少女ならわかると思うけど、キュゥべえとの契約によって私たちには様々な魔法が生まれる。それによって私は未来を見通す力を得たわ。……それで視えたのよ。今日から数えて五日後に貴女の友達――高町なのはさんが魔女に殺される姿をね。でもそれは私たちにとっても望むところではないの。だからあなたの力を貸してくれないかしら?」

 織莉子の言葉にすずかはしばらくその真偽を図るかのように疑いの眼差しを向ける。もしその言葉が本当だとしたら、何を置いても守らなければならない。なのはを初めとする大切な人たちを守ることは今のすずかに残された唯一の行動理念なのだ。彼女たちを守ることにすずかも何の異論もない。

「協力はしない、なのはちゃんは私一人で守って見せる。だからあなたが見たという未来を全て教えて」

 だがそれでもすずかは織莉子の提案を断った。刀を突きつけ、さらなる情報を織莉子から引き出そうとする。そんな態度を見せるすずかに織莉子は物おじした様子もなく口を開く。

「教えるのは構わないわ。でも最初に一つだけ言っておくと、未来というものはほんの些細なことで簡単に変わってしまう。だから今ここで私が教えたことと現実が違っても――」

「前置きはいいから早く!」

 すずかは火血刀に込める力を強める。刃の切っ先が織莉子の皮膚に触れ、そこから血が滴り落ちる。

「……正確な時刻はわからない。ただ日が昇っている時刻であることは間違いないわ。そこでなのはさんは近くにいる多数の一般人たちと共に魔女の結界に取り込まれる。その中でなのはさんは結界に取り込まれた人たちを守るために戦い続けるの。もちろんなのはさんだけではないわ。佐倉杏子や管理局の魔導師なんかもその異常事態を察知してやってきた。だけどそうして全員の力を合わせてもその魔女を倒すことができなかった」

「そんな話はどうでもいい! 聞きたくない! なのはちゃんがどうして結界に巻き込まれるのか、それだけ教えてくれれば後は私がなんとかする!!」

 すずかは激昂するように叫ぶ。そんなすずかに対して織莉子は酷く冷静にそれでいて確実に起こり得るであろう核心のある未来を口にした。



「……貴女たちが通っている小学校、その授業中に小学校の敷地内全てが丸ごと結界に取り込まれるわ」



「えっ……?」

 その言葉を聞き、ショックのあまりすずかは火血刀を地面に落とす。そして目に見えて取り乱したように身体を振るわせ始めた。

「う、嘘、そんなの嘘に決まってる。だってあそこにはなのはちゃんだけじゃなく……」

 そうして思い出すのはもう一人の親友、アリサの姿。なのは同様にすずかにとってはかけがえのない友達。だがなのはと違い、彼女は紛れもなく普通の人間だ。――いや、それだけではない。なのはやアリサほどに親しい相手はいなかったが、同級生や先生など、すずかの顔見知りの人物がたくさんいる。

 小学校にはたくさんの思い出がある。なのはやアリサを初めとした級友たち築いてきた楽しい思い出。今となっては求めても手に入れることのできない大切な日常。そんな場所が魔女に侵されるなど、すずかには我慢ならないことだった。

「ね、ねぇ、どうしたらそれは防げるの? 教えてよ!」

 すずかは織莉子に縋りつくと、彼女の身体を揺さぶりながら問い掛ける。今のすずかには先ほどまで見せていた威圧的な魔法少女の姿など微塵も感じさせない。ここにいるのはただ必死に大切な人たちを心配する心優しい女の子だ。

 そんなすずかを見て、申し訳なさそうに織莉子は首を振る。

「残念だけど、結界の発生に限定して言えば、防ぐことはほぼ不可能でしょうね」

「どうして!? ねぇ、どうしてなの!!」

「単純な話よ。五日後に現れる魔女の現在の居場所が私たちにはわからない。それがわかれば先に倒すことはできるでしょうけど、それを掴む手段は皆無だわ。尤も、海鳴市にいる魔女を全て狩り尽くせば、五日を待たずともなのはさんを救うことができるかもしれないけどね」

 実際のところ、織莉子が魔法を酷使すれば五日後に現れる魔女の現在位置を特定することも可能かもしれない。だが五日後の戦いは世界を守る上で必要なものであり、またそれ以前に確実に魔女の居場所を突き止められるわけではないのだ。例え犠牲が出るのがわかっているとしても、そんな不確実な労力を割く理由は織莉子にはない。

(……それにしても、未来視で見るのと本人を前にするのとでは、これほどまでに違うものとはね)

 織莉子は内心でそう呟く。未来視とはさしずめ映画を見ているようなものだ。登場人物がどんなに焦っても、観客である織莉子がそれを実際に体験できるわけではない。実際、その時にならなければわからないこともある。

 現にすずかを前にして織莉子が感じた力の差は想像以上のものだった。勝つことは不可能でもキリカと二人で掛かればいざという時、逃げ出すことはできるはず。――こうして実際に相対するまではそう思っていた。

 だが先ほどキリカを往なすすずかの姿を織莉子はほとんど捕えることができなかった。おそらくキリカはすずかに対して魔法を使っていたのだろう。速度低下というキリカの魔法。その効果を受けてもなお、すずかの方が早かったのだ。

 彼女の願いはこれ以上ない形で今でも叶い続けている。確かに今のすずかは強い。おそらく現存する魔法少女の中では最強の一角に数えられるほどに。少なくとも運動能力に関して言えば、織莉子の知る魔法少女の知識の中にすずか以上の者は誰一人としていなかった。

 織莉子とすずかの強さには大きな隔たりがある。例え未来を予測してすずかの攻撃を回避しようとしても、それ以上の速度で彼女は迫ってくる。そんな相手と戦ったところで織莉子に勝ち目はない。そのことは説明されるまでもなく明らかなことだった。

(私を思っての行動とはいえ、あとでキリカを叱らないといけないわね)

 もし先ほどの攻防ですずかの怒りを買ってしまったとしたら、その時点で二人の命は終わっていただろう。そうなればこの世界を守ることができなくなる。いずれは命を賭けなければならない局面が来るかもしれないが、それは決して今ではない。今は来るべき時に備え、彼女たちにより力を付けてもらわなければならないのだ。そのために彼女たちに与えるべき情報を与えるだけでいい。



「――ねぇ、それって本当?」



 織莉子がそんなことを考えていると、まるでそのタイミングを見計らったかのようにすずかが尋ねた。その声は先ほどまでの取り乱したものではなく、酷く冷静で冷徹な氷のような鋭さを持つ声色だった。

「それじゃあわからないわね。もう少し具体的に言ってもらわないと」

 織莉子は微笑みを浮かべつつも、内心では焦っていた。すずかの持つ力は魔法少女としても魔女としても規格外と呼べるレベルに到達しているのは一目見てわかった。だがそれは肉体的なものだけで、内面的なものまでもそうだとは思っていなかった。

(確かに私は、魔女の捜索は可能だと考えてしまった。もしそれを『読まれていた』としたら……?)

 他者の心を読む魔法少女というのは過去にいなかったわけではないのだろう。織莉子がそのような魔法少女と会ったことがあるわけではないが、未来を視ることのできる魔法があるぐらいだ。他者の心を読むなどといった魔法が例外的に存在しないはずがないだろう。

 そしてもし、他人の考えていることは手に取るようにわかれば、それは即座に戦いにおける強さへと変換することができるはずだ。相手の動きが事前にわかっていれば、それに合わせて戦えばいいだけなのだから。

(もし彼女が読心の魔法を得ているのだとしたら、少々不味いことになるかもしれないわね)

 織莉子の頭の中には自分の魔法で見たこれから起こり得る出来事が無数に蓄えられている。それがすずかのような危うい魔法少女に筒抜けになった時に起こり得る事象。それは想像するだけでもおぞましいと呼べる凄惨な事態となるだろう。

 それが世界を守るためのプロセスだとすれば織莉子は何の感情も抱かず受け入れる。だが自分のミスでそれが引き起こされるのだとしたら、それは唾棄すべき事態である。

 だから織莉子は、次にすずかが何を言っても対応できるように、思考を巡らし続けるのであった。



     ☆ ☆ ☆



 キュゥべえが去った後、その場に残った四人の間に言葉はなかった。彼がもたらした話は少女たちの心に深く突き刺さり、それぞれが思い思いに考えに耽ってしまったからである。

「フェイト、魔法少女になるの?」

 どのくらい経ってからであろうか。そんな場に一石を投じたのはゆまであった。彼女は不安げな表情でフェイトを見つめる。杏子に認められ、その上でキュゥべえと契約し、杏子を助けられる魔法少女になる。それはゆまの夢であり目標であった。

 しかし今、ゆまはフェイトに魔法少女になって欲しくないと思っていた。

 彼女自身もその理由はよくわかっていない。だがキュゥべえから聞かされた話、それはゆまにとっても不快なものだった。自分で願いを決められないというのもそうだが、それ以上に短い言葉の中に込められたフェイトを不安にさせるようなキュゥべえの物言い。それが酷く気に入らなかった。

「……わたしはやだよ。フェイトが魔法少女になるの」

 だからこそ、ゆまは自分の素直な感情を表に示す。まさかゆまの口からそのような言葉が出てくるとは思ってなかったのだろう。フェイトは驚きの表情を浮かべた。

「だってフェイトはわたしの魔導師としてのししょーなんだよ。それなのに魔法少女になるなんて、納得できない。それにわたしはフェイトに不幸になって欲しくない」

 そんなフェイトに対してゆまはなおも言葉を続ける。その言葉は考えなく自然に口から出てきたものであったが、確かにそれは偽らざるゆまの本心であった。

「……私もその意見には同感ね」

 そんなゆまの言葉にほむらが乗っかる。

「魔法少女になれば必ず不幸になる。例えひと時、自分の願いが叶って幸せを感じたとしても、後に必ず後悔する時が来る。ただでさえ絶望しか待ち受けていないというのに、唯一の希望である願いを手放してまでなるものではないわ。もちろん、自分で願いを決められるとしても契約するべきではないけれど」

 ほむらにとってまどか以外の少女がキュゥべえと契約するかどうかはどうでもいいことだ。だが「契約すべきか?」と問われればその答えは間違いなくノーである。

 ほむら自身、キュゥべえと契約したことに後悔を覚えたことはある。まどかを救う、その手段を得るために魔法少女になったことに対しての後悔ではない。そもそもの原因を作りだした存在であるキュゥべえの手を借りて力を得たことにだ。考える暇がなかったとはいえ、キュゥべえの口車に乗っかり後の事を考えずに契約してしまった事実。そのことだけは後悔してもし足りないくらいに感じられた。

 魔法少女になれば取り返しがつかない。キュゥべえとの契約は言うなればパンドラの箱なのだ。いくら外観に豪華な装飾が施された宝箱であろうと、一度でも蓋を開けてしまえばその先には絶望しか待っていない。唯一、願いが叶えられて希望が残ったとしても、多くの魔法少女は魔法少女であるが故に降り注ぐ絶望に押し潰され、絶望に苦しみ、思い悩ませ、死んでいくのであろう。事実、何度も繰り返す中でほむらはそのような光景を数え切れないほどに見てきた。だからこそ、その言葉はとても重い言葉だった。

 そんな二人の強い意思を向けられ、フェイトは思わずアルフに視線を向ける。その表情でフェイトが助けを求めていることはわかったが、それでもアルフはフェイトを擁護するのではなく自分の意思を主張することを選んだ。

「……一応言っておくけど、あたしもキュゥべえと契約するのは反対だよ。フェイトは幸せになるべきなんだ。そりゃフェイトがプレシアのためなら魔法少女になるのだって構わないって考えていることくらいわかるよ。でもね、そのために自分の人生を犠牲にするなんて絶対にやっちゃいけないことだよ」

 魔法少女になることでフェイトが待ち受けるのは魔女との戦いの日々。平和を乱す危険極まりない魔女と戦い続ける日常。そんな世界に足を踏み入れたら最後、責任感の強いフェイトが無理をして戦い続ける姿は容易に想像できた。そしてその果てに待ち受ける結末までも。

 本能的に受け入れられないキュゥべえと契約し、人の親とは思えない態度でフェイトに接するプレシアの願いを叶える。そんなことをアルフが許すはずもなかった。

 こうして三人の意見を告げられたフェイトはすぐに返事を返すことができなかった。フェイトとて言われるがままにキュゥべえと契約しプレシアの願いを叶えようとは考えていない。もちろんプレシアが望むことがあるのならできる限り叶えてはあげたい。だがそれはあくまで自分の手で行うのであって、奇跡の力で叶えるものではないと考えていた。

 だからこそフェイトが気にするのは、プレシアが望む願いである。考えてみれば、ジュエルシードにも願いを叶える力がある。こちらは非常に不安定で正常な形で願いが叶うことはないとされているが、それでもプレシアは執拗に求めていた。こうなるとジュエルシードを求めていた理由も研究のためではなく、彼女が何らかの願いを叶えるために集めようとしているとも考えられる。

(母さんは一体なにを願っているんだろう?)

 ロストロギアやミッドにはない魔法に頼ってまで叶えたいと思うプレシアの願い。それを知らないでいることがフェイトには悲しかった。改めて考えてみると、フェイトはプレシアのことについてほとんど何も知らなかった。彼女がどのような研究を行っているのかを初め、好き嫌いから趣味や特技といった瑣末なことさえ、フェイトは知らないのだ。

「……正直、わたしにもどうしたらいいのかわからないんだ。母さんの願いは可能な限り叶えてあげたい。だけど本当にただ、言われるがままにキュゥべえと契約してもいいのかなって迷いもある。それにわたしはアルフのこともゆまのことも悲しませたくない」

 今までのようにプレシアから頼まれたものを採取しに行くだけなら、フェイトは迷うことなく実行しただろう。例えその先にどんな危険が待ち受けているとしても、アルフと二人で必死に切り抜けて望む品を手に入れてようとしただろう。だが実際に魔女と戦い、杏子から話を聞き、すずかの姿を目の当たりにしたフェイトもまた、魔法少女になることに対して恐れを抱いていた。

「……あのね、前になのはが教えてくれたんだ。自分を犠牲にしてまで願いを叶えたとしても、それじゃあ最後に皆が不幸になっちゃうって。だからさ、別の方法を考えてみようよ。フェイトがキュゥべえと契約しないでフェイトのママの願いを叶える方法」

「別の、方法?」

「うん。きっとあるはずだよ。わたしたちも一緒に考えてあげるから」

 ゆまはそう言ってフェイトの手を取る。ずっと夜風に当たっていたためか、フェイトの手はすっかり冷え切っていた。だが握られた掌から感じるゆまの温もり。それが掌を通じて心にまで染みていくように感じられた。

 それを見てアルフもまた、二人に手を重ねる。プレシアのことは好きではない。その感情に変わりはない。だがそれでもプレシアはフェイトの母親で、その母親のことをフェイトが大切にしていることは十二分にわかっているのだ。プレシアのためではなくフェイトのため。それならばアルフに何の躊躇いもなかった。

「ゆま、アルフ、……ありがとう」

 プレシアの願いを叶える別の方法など果たしてあるのかどうか、今のフェイトにはわからない。それ以前にプレシアの願いすら知らないフェイトたちにはそれを考えることすら難しいだろう。それでもフェイトを思う二人の思い。それが切に伝わったからこそ、フェイトは礼を告げた。

「……考えるのは構わないけれど、その前にこちらの質問に答えてもらえるかしら?」

 そのタイミングを見計らってほむらが口を挟む。ほむらとてゆまの言葉に対して思うところがないわけではない。だがフェイトに事情があるようにほむらにも優先すべき事情がある。

「おねーさん、そこは空気を読むところだよ?」

「そうかもしれないわね。でもこちらにも事情があるの。それに少し話を聞かせてくれれば、その別の方法とやらを私も一緒に考えてあげないこともないわ」

 その言葉は決して親切心からではない。彼女たちというイレギュラーを自分の目の届く範囲に留めておくためだ。海鳴にいるはずのフェイトたちが再び見滝原に現れた理由。そしてゆまの存在。とても放置しておけるものではない。

「とりあえずいつまでもこんなところに居続けたら身体が冷えてしまうわ。今日のところは私の家に来なさい。そのまま泊まっていってもいいから」

 そう言ってほむらは歩き出す。いきなり歩き出したほむらに戸惑いの表情を浮かべるフェイト。だがゆまはなにも気にせず、そのままフェイトと手を繋いだままほむらの背を追った。アルフはまだ、内心でほむらのことを訝しんでいたが、それでも特に何も言うことなくその後を追って歩き出した。



     ★ ★ ★



「魔女を殺し尽くせば、本当になのはちゃんを救うことができるの?」

 すずかが口にしたのは、織莉子の言葉に対しての返答だった。心の声に対する返答でないことに少しだけ気が抜ける。だがそれが間違いだった。

 一瞬の気の緩み、それをすずかは見逃さなかった。織莉子の隙を突き、一気に近づいたすずかはその髪を鷲掴みにし、顔を近づける。

「ねぇ、どうなの? 教えてよ?」

 唇と唇が触れてしまいそうなほど至近距離。もちろんその距離では視線を逸らすこともままならない。正面から見てしまったすずかの魔眼。底知れぬ血のように赤く、それでいて黒い瞳。それを見た瞬間、全身に寒気が襲う。まともに物を考えられなくなり、その身体からは力が抜ける。もはや自力で立っていることは叶わず、その場に膝を突く。それでもその場に倒れ込むことがなかったのは、未だすずかが織莉子の髪を掴み続けていたからだった。

「す、すずかさん、貴女、何を……」

 歯をガチガチと鳴らしながら、必死に問いかける織莉子。そんな織莉子にすずかは素直に驚きの表情を浮かべた。

「へぇ、魔眼に見つめられてもしゃべることができるんだ。でもあんな未来を視っているぐらいだもんね。耐えられるのも当然か」

 すずかは実に楽しげに笑う。だが織莉子は心穏やかではいられなかった。今のすずかの言葉に感じる違和。まるですずか自身も織莉子の見た光景を知っているような言いぶり。

「ちょっと強引だと思ったけど、少しだけ織莉子さん記憶を覗かせてもらったんだよ」

 それを肯定するようなすずかの発言。だがそれは織莉子の予想以上に厄介なものだった。心ではなく記憶を読む。心、すなわち考えていることならば織莉子にも対処のしようがあった。深層心理深くまで読みとられでもしない限り、自分の考えを偽ることなど織莉子には造作もないことだ。

 だが記憶は違う。織莉子の頭に蓄積された未来の知識。それは決して誰にも知られて良いものではない。確定された未来ではないとはいえ、それが起こり得る可能性が強いからこそ視るに至ったのだ。

「それにしても未来を視る魔法って凄いんだね。そんなことまでわかっちゃうんだ」

 粗方、織莉子の記憶を探り終えたのだろう。すずかはそっと掴んでいた頭を離す。身体の自由が効かない織莉子はそのまま地面に手を突く。地面を満たした赤い液体が織莉子の白い衣装を赤く染める。

「あ、貴女は、いったい私の何を視たというの……?」

 織莉子は震える身体に鞭を打ち、なんとか立ちあがり、弱々しく尋ねる。



「一言で言うと世界が滅びる光景、かな? ……正直、思いもよらなかったよ。このまま放っておけば来年には地球がなくなっているなんて」



「……そう、貴女もあれを見たの」

 すずかの言葉に織莉子は自分の奥底に仕舞っていた記憶を思い出し、暗い面持ちになる。魔女と呼ぶのもおこがましい化け物に蹂躙され尽くす未来。たった一週間の間に世界中の生きとし生ける者は例外なく死に絶え、最後にはこの星をも喰らう最悪の化け物。

「それにしても織莉子さんも凄い方法を思いつくね。まさかそんな方法でこの世界を救おうとするなんて。だけど……」

 そこまで言って織莉子の首を掴みかかるすずか。子供とは思えないほどの力で首を絞め上げ、そのまま背中の羽を使って空を飛ぶ。地に足がつかなくなった織莉子は、必死にすずかの手を振り払おうとする。だがすずかはそれに意を介すことなく、真っ直ぐ織莉子に底知れぬ殺気を込めながらただ一言告げた。

「――それになのはちゃんたちを巻き込もうとするのなら私が許さない」

 そう言ってすずかは織莉子の首から手を離す。重力に従い落下していく織莉子の身体。呼吸困難に陥っていた身ではまともに受け身を取ることも叶わず、そのまま地面に叩きつけられる。その場で蹲りながら辛そうに咳き込む織莉子。そんな彼女の姿をすずかは頭上から冷酷な見下ろしていた。

「世界を救うのになのはちゃんの力は必要ない。五日後の魔女も世界を滅ぼす魔女もそれ以外の全ての魔女も私が殺す。殺し尽くす。その後で私自身が魔女化する前に死ねばいい。それで世界は救われる。だから織莉子さん、あなたの力はもう必要ない」

 そう言ってすずかは火血刀を取り出し、大きく振り被る。

「だから――さようなら」

 そして何の躊躇もなく、織莉子目がけて剣閃を飛ばした。



     ☆ ☆ ☆



「なんつーか、凄い家だな」

「そう? 別に普通だと思うけれど」

 ほむらの家に招かれたアルフは、思わずそう漏らす。だがその反応はある意味、当然だろう。ただっ広い白いリビングの壁には無数の抽象画を映し出しているディスプレイが飾られている。その天井で回る無数の歯車に大きな鎌状の振り子。どうにも現実感の乏しい内装。これがこの世界の常識なのかとも思ったが、マミの家や海鳴の旅館にはこのような奇怪な設備は何一つなかった。つまりこれはほむらの趣味なのだろう。そう考えると、ますます目の前の少女の事を胡散臭く感じられた。

 その一方でゆまとフェイトは、その内装を珍しく思ったのか目を輝かせていた。ゆまは振り子の揺れるのに合わせて首を振り、フェイトも興味深そうに辺りの装飾を眺めている。

「……それで早速だけど、話を聞かせてもらえるかしら?」

 そんな子供二人をいつまでも待っていてはあれなので、ほむらはアルフの方を見ながら口を開いた。

「話って言ってもな。そもそもあたしたちに何を聞きたいって言うのさ?」

「……そうね。聞きたいことは色々あるけれど、まずは見滝原に戻ってきた理由を聞かせてもらえるかしら?」

 この問いは大した問いではないように見えて、とても重要な問いであった。海鳴で何らかの目的を持っていたフェイトたち。その目的絡みで彼女たちが再び見滝原にやってきたのだとしたら、それ次第ではほむらと敵対することになる。この問いに言い渋るようなら、警戒を強めなければならないだろう。

「海鳴の追手から目を暗ますためだよ。別に見滝原じゃなくても良かったんだけど、できればある程度見知った場所が良かったから」

 そう答えたのはフェイトである。相変わらず天井にチラチラと目を向けているゆまと違い、いつの間にかフェイトはソファに腰を降ろし、ほむらの話を真剣な面持ちで聞いていた。

「追手?」

「うん。前にマミ達には前に話したんだけど、私たちはジュエルシードっていう宝石を集めるために海鳴市に向かったんだ。でもそこで同じようにジュエルシードを集める人たちがいて、その人たちの探査能力から逃れるために転移を繰り返して、その最後に見滝原にやってきたんだ」

「……つまりあくまで見滝原を中継点として選んだだけで、この町には何の用事もないというわけね?」

 その言葉を鵜呑みにするわけでもないが、一応筋は通っている。唯一の懸念はフェイトたちを追ってやってくる人物がいるかどうかだが、もしそういった魔導師が来ればフェイトたち同様、すぐにほむらの警戒網に引っ掛かるだろう。

「それじゃあ次の質問。美国織莉子、呉キリカ、この二人の名前に聞き覚えはある?」

 ゆまがこうしてほむらの前に現れた以上、同じ時間軸で現れた二人のイレギュラーも何らかの形で動いているかもしれない。そしてゆまがフェイトたちと行動を共にしていた以上、その場が海鳴市である可能性は十二分にあった。

「……フェイト、聞いたことある?」

「ううん、わたしもないよ」

 だが予想に反して二人は不思議そうな顔を浮かべてそう答えるだけだった。明らかに初めて聞いたという表情。おそらく嘘ではないのだろう。

「……千歳ゆま、あなたは?」

「ううん、しらない」

 念のためにゆまにも尋ねてみたほむらだったが、その答えはフェイトたちと同じものだった。

「ところでおねーさんはどーしてゆまのこと知ってたの?」

 そして反対に今度はゆまに尋ねられる。不意に尋ねられたこともあり、ほむらはその答えに窮した。自分の魔法を明かすわけにはいかず、かといってほむらとゆまの間に接点などは存在しない。

「……佐倉杏子に聞いたのよ、電話で」

 だからほむらはそんな無難な返答をすることしかできなかった。もちろんそれは嘘である。あとで杏子に確かめればすぐにばれるような嘘。しかしとっさに思いついた言い訳がこれだけだったのだ。

「キョーコに?」

「ええ、そうよ」

 ゆまの口ぶりからどうやら誤魔化せたことを悟ると、ほむらは内心で安堵する。

「……もしかしておねーさんがキョーコの言ってた魔法少女の先輩?」

「えっ?」

 だがそんなほむらに思いもよらない言葉を掛けてくる。

「キョーコがね、前に話してくれたことがあるんだ。自分に戦い方や魔女の探し方を教えてくれた魔法少女の先輩がいるって。詳しいことはなにも教えてくれなかったけど、でもおねーさん、キョーコと電話するほど仲の良い魔法少女なんでしょ? そんな人、その人ぐらいしか思いつかないもん」

 ゆまの話を聞いてそれがマミのことであることはすぐに分かった。現実には杏子はマミに電話など掛けないだろうが、それでも彼女が気にする魔法少女などマミ以外に存在しないだろう。

「……残念ながらそれは別の魔法少女よ。尤も、その魔法少女もこの町にいるけどね」

「ホント!?」

 ほむらの言葉にゆまは目を輝かせて聞き返す。その迫力に思わずたじろぐほむら。

「会いたいのなら紹介してあげてもいいけど……」

「会わせて!」

 そんなほむらに二つ返事で答えるゆま。

「ダメだよ、ゆま。わたしも杏子に戦い方を教えた人には興味あるけど、わたしたちは一刻も早く海鳴に戻らないと」

 そんなゆまをフェイトが諫める。だがゆまも譲る気はなかった。

「でもフェイト。その人はキョーコのししょーなんでしょ? それならキョーコの危機を知れば一緒に来てくれるかもしれないよ?」

「そ、それはそうかもしれないけど……」

「ちょっと待ちなさい。佐倉杏子の危機ってどういうこと?」

 ほむらとしてはゆまをマミにところに案内しようがしまいがどちらでも良かったが、聞き逃せない単語が出てきたことで思わず口を挟む。

「杏子はわたしたちを敵対する組織から逃がすために囮を買って出てくれたんです」

 その言葉はほむらにとって驚きだった。杏子が海鳴市にいることはゆまが存在することで薄々わかっていた。だがほむらの知る杏子はとても利己的な魔法少女である。自分の利益のために使い魔を見逃し、泳がせて、魔女になったところを見計らって狩る。実に魔法少女らしい魔法少女だ。そんな彼女が誰かを逃がすために囮を買う姿など想像もできなかった。

 しかし改めて考えてみると、そんな兆候がまったくなかったわけではない。別の時間軸では魔法少女になり立てのさやかを気に掛ける姿が多々あった。それに彼女はマミに教えを請うた魔法少女でもある。最初から冷酷な少女ならば、いくらマミが底抜けの寂しがり屋とはいえ杏子を受け入れたりはしないだろう。

 だが何より驚きなのはフェイトと杏子が二人揃った場で、一方が相手を引きつけなければ逃げ出すこともできない相手が海鳴にはいるということだ。杏子が強い魔法少女であることはほむらも良く知っているし、フェイトの戦いも一度しか見たわけではないが、それでも並みの魔法少女よりは強いのは一目瞭然だ。そんな二人を同時に相手にして互角以上の振る舞いができる相手がいる。見滝原にいるわけではないのでそこまで強く警戒する必要はないが、それでもその組織についての情報を得るに越したことはないだろう。

「……フェイト、話せる範囲で構わないから、海鳴で何が起こっているのかを教えなさい。それ次第によってはあなたの力になってあげないこともないわ」

 ここにきてほむらの不安が一気に高まる。ここで対策を練らなければ取り返しのつかないことになる。具体的に何がどう、ほむらに関わってくるのかはわからない。それでも今までの経験から目の前の問題をこのまま放置しておくわけにはいかなかった。

「……わかりました。話せないこともありますが、できる限りお話します」

「フェイト、いいのかい?」

「うん、ほむらも杏子の知り合いみたいだし、ある程度の事情は知ってもらった方がいいと思うから」

「フェイトがそう言うなら構わないけど……」

 そうしてフェイトが説明を始める。自分たちがこの世界とは別の世界から来た魔導師であること。ジュエルシードは願いを叶える力を持つが、制御が難しい魔力結晶体であること。自分たちは母親の命でジュエルシードが散らばった海鳴市にやってきたこと。だがそこには自分たち以外にもジュエルシードを集める人物がいたこと。

 一見するとほむらには関わりのない情報の羅列。だがそれでもいくつかほむらにも見過ごせない情報があった。それはキュゥべえがジュエルシードを狙っているということだ。その過程でフェイトにジュエルシードを見せられたが、その瞬間、ほむらは自分の失策を悟る。

 数日前に戦ったハコの魔女。普通の魔女以上の力を持ち、ほむらの魔法をマミに明かしてやっと倒すことのできた魔女。その時に出てきた青白い宝石。それは紛れもなくジュエルシードだった。あの時はマミが魔女の止めを刺したということもあり譲ってしまったが、おそらくすでに彼女の手から離れているのは間違いないだろう。

「……っ」

 そのことに思い至ったほむらは思わず苦虫を噛み潰したような表情になる。魔女を倒した時に出てきたジュエルシードから感じられる魔力が小さかったのは、その直前に大量に放出していたからなのだろう。そんな簡単なことにも気付かなかった自分の失態。そのことを後悔し、苛立ちを募らせた。

「ほむら? どうかした?」

「……いえ、何でもないわ。話を続けて」

 ほむらに促されたフェイトは話を続ける。ジュエルシードを集める中で戦うことになった杏子。杏子とは別の海鳴市で魔法少女になったすずか。そして自分とは別の魔導師であるなのは。そして時空管理局と呼ばれる次元世界を管理する司法組織。

「……なるほどね、事情は大体わかったわ」

 その話のほとんどはやはりほむらになんら関わりのないことだろう。だが魔女がジュエルシードの魔力に惹かれて集まっているという事実。それがほむらには気になった。

 見滝原では最近、ほとんど魔女の姿を見かけない。それに対して海鳴には多くの魔女が集まりつつある。この二つがまったく関係ないということはないだろう。ほむらの立場からすれば、見滝原に魔女が現れないのは良いことである。彼女にとってまどかを守ることが唯一無二の目的だ。極論を言えばそれ以外のことはどうなっても構わないと考えている。

(だけどもし、ワルプルギスの夜もジュエルシードの影響で見滝原ではなく海鳴に現れるのだとしたら……)

 あの魔女がいたから、まどかは死の運命から逃れることができなかった。それが見滝原に現れないということは、まどかの生存率は格段にあがり、同時に彼女がキュゥべえとの契約に踏み切る理由も一つ消える。それ自体は非常に喜ばしい。

 だがその確証は何一つない。他の魔女とは違い、すでに絶大な力を持つワルプルギスの夜にはジュエルシードがもたらす恩恵など、塵にも等しく感じられ興味を示さない可能性もある。

 結局のところ、ほむらは見滝原から動くわけにはいかない。いざという時、まどかを守りきるために。

「前言を撤回する形で申し訳ないけれど、やはり私は力になれそうにないわ」

「なっ、ふざけるなよ。ここまで話させておいて」

 そう言ってアルフがほむらに殴りかかろうとする。とっさに時を止めて避けようとしたほむらだったが、その前にフェイトがアルフを止めた。

「ダメだよ、アルフ。ほむらにはほむらの事情があるんだから」

「だけどさ、フェイト」

「……話は最後まで聞きなさい。私は今、ある事情でこの町から離れるわけにはいかない。だけど巴マミが今の話を聞けば、あなたたちの力になってくれると思う。それが佐倉杏子絡みとなれば、むしろ私より適任のはずよ」

「……どうしてそこまで言い切れるんだい?」

「それは巴マミが魔法少女にしては珍しい平和を守るために戦っている魔法少女だからよ。それに彼女は先ほど話に出た佐倉杏子に戦い方を教えた先輩の魔法少女でもある。これ以上、事情を知る人間を増やしたくないというのなら別だけど、そうでないのなら今からここに連れてきてもいいわ」

 本来ならばフェイトたちにそこまで肩入れする必要はないのかもしれない。だが海鳴の情勢が何らかの形で見滝原での戦いにも関わってくるとしたら、このまま見過ごすわけにはいかないだろう。

 それでもまどかから目を離すのは危険過ぎる。ほむらのいない間にまどかがキュゥべえと契約してしまえば、それこそ本末転倒だ。

 だからほむらはマミという代理人を立てることにした。もちろん見滝原の守りを減らすというのにはリスクがある。それでもワルプルギスの夜がやってくる日時はわかっている。ならばその日までにマミに戻ってきてもらえばいい。さらに言えば、海鳴の問題が解決すれば、フェイトやアルフ、さらには杏子辺りも一緒に戦ってくれるかもしれない。そこまで見越しての提案だった。

「……いえ、それには及びません。これはわたしたちの問題ですから」

 だがフェイトはその提案を断った。そもそもフェイトがほむらに事情を説明したのは、彼女の手助けが欲しかったからではない。杏子の現状をほむらにきちんと説明しておくべきだと考えたからだ。もし彼女がフェイトたちと一緒に海鳴に行くといっても、フェイトは断っていただろう。

「……そう。それならこの話はここまでにしておきましょう。幸い、今の話で私の聞きたいことは概ね聞けたしね。それじゃあここからは約束通り、千歳ゆまが言っていたフェイトの母親の願いを叶える別の方法でも考えましょうか」

 ほむらはそう口にしながら、すっかり冷えてしまった紅茶に口をつける。そんなほむらのことを意外そうな顔でアルフは眺めていた。

「……何かしら?」

「い、いや、まさかあんたの口からそんな言葉が出てくるなんて思わなくてさ」

「確かに自分でもらしくないことを口にしたとは思うけれど、約束は約束だしね。それにあなたたちは明日には海鳴市に戻るんでしょう? なら一晩くらい、答えの見えない問答に付き合うのも悪くないと思っただけよ」

「ほむら、ありがとう」

「礼を言うのは、その方法とやらを思いついてからにしなさい。まずはあなたの母親がどんな願いを抱いているのかを推察するところから考えてみましょうか」

 少ない情報の中からほむらは限りなく様々な願いの推測やそれを叶える方法を考える。フェイトもほむらの話を聞きながら自身でも色々な物を思いついていった。最初のうちはついていけていたアルフとゆまだったが、二人の白熱する会話に口を挟む余裕をなくし、また夜も更けていったこともありその場で眠りこけてしまった。それでも二人の間に会話が止むことはなく、結局その問答は朝まで続いた。

 結局、考えが纏まるには至らなかったが、それでも見滝原を後にするフェイトの表情は、ほむらの家に案内された時と比べるととても晴れやかとしたものになっていた。



     ★ ★ ★



 剣閃が地面に衝突し、辺りに血飛沫が弾け飛ぶ。その場所をすずかはじっと眺めていた。

 すずかが織莉子を殺そうとしたのは、彼女の未来を視るという魔法が脅威に感じたからだ。魔法少女でいるうちは何の問題もない。問題なのは彼女が魔女化した場合のことだ。魔法少女であるが故に、織莉子もまた魔女になることは避けられない。そうなった時、あれほどまで鮮明に未来を見通すことのできる存在を殺すのは今のすずかでも少々骨が折れることだろう。だから魔法少女であるうちに始末したかった。

「……逃がすつもりなんてなかったのに」

 だがそれは叶わなかった。あの瞬間、すずかの目には悠々と織莉子を抱えて走り去るキリカの姿が映されていた。火血刀から放たれた剣閃は、まるで亀の歩みのように遅く宙を進んでいた。すずかの身体もまた思うように動かすことができなかった。

 それはキリカの魔法、時間停滞の効力だ。あの時、蹴り飛ばされたキリカだったが、決して気絶したわけではなかった。ただ絶好の機会を見計らって息を潜めていたのだ。それが結果的に織莉子の命を救った。

「ま、いっか。織莉子さんは織莉子さんで世界を救おうとしているんだし、たぶんまたどこかで会うこともあるよね」

 そう言ってすずかは踵を返す。今、気にしなければならないことは織莉子たちのことではなく、五日後に現れるなのはを殺す魔女のことだ。織莉子の記憶を読みとってみた魔女の姿。人の形に見えるが四足歩行、そして無数の尻尾を持つ醜い魔女。昨日から数十体の魔女を狩ってきたすずかは、もしかしたらすでにその魔女を殺したのではないかとも思ったが、記憶の中にはそのような魔女の姿はなかった。

 したがってすずかのやることは変わらない。魔女を結界に取り込み、その中で殺していく。ただそれだけだ。

「待っててね、なのはちゃん。あなたのことを必ず救ってあげるから」

 そうしてすずかは翼を大きく広げて飛び去っていった。まだ見ぬ魔女に向かって。



     ★ ★ ★



「織莉子、目を開けてよ、ねぇってば!!」

 織莉子を抱えてホテルに戻ってきたキリカは、必死に声を掛ける。だが織莉子が意識を取り戻す様子はない。

 間一髪のところで織莉子を救い出すことができたとはいえ、それでも織莉子のダメージは甚大だった。本当ならすぐにでも織莉子を助けに行きたかったが、すずかとの距離が離れていなければ蹴り飛ばされた時の二の舞になってしまう。焦って助けに入り、それで織莉子を助けられなかったのでは意味がない。だからこそ、キリカはあのタイミングでしか助けに入ることができなかったのだ。

 しかしその結果として、織莉子は全身に深いダメージを追い、意識を戻さない。キリカは両拳を強く握る。自制の効かない力で握ったためか拳から血が滴り落ちる。

「……許さない、あいつだけは絶対に許さない」

 キリカにとって織莉子は全てである。その織莉子を傷つけたすずかをキリカが許せるはずがない。

 織莉子がそんなことを望まないのはわかっている。そして自分とすずかの間に抗いようもない力があることも。それでもキリカは織莉子を傷つけたすずかを許す気はない。

「……五日後にあいつはあそこに必ず現れる。そこであいつを殺す。例えどんな手を使っても――」

 キリカの目に強い負の光が宿る。その視線の先には彼女が織莉子に命じられて集めたジュエルシードが煌々と輝いていた。



2013/2/20 初投稿
2013/3/23 コメントにてご指摘のあった誤字を修正



[33132] 第8話 なまえをよんで…… その4
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2013/03/29 19:56
 それから五日、管理局は順調に魔女を駆逐し、それと同時にジュエルシードの回収を進めていた。管理局がこの五日で手に入れたジュエルシードの数は三個。幸いなことにそのいずれもが魔女に吸収されることなく、単体で暴走したものだった。ジュエルシードの暴走体は魔女と戦い続けた管理局にとって、その回収は拍子抜けするほどに楽に行えるようになっていた。

 だが裏を返せば、それほどまでに魔女との戦いが苛烈を極めていたということだ。一日に管理局が相対する魔女の数は十数体。いくら退治しても次の日には同じ場所に別の魔女がいるという混沌とした状況。武装局員はもちろん執務官のクロノや魔女退治には慣れているはずの杏子でさえ、幾分かの苦労を伴うものだった。

 クロノ班と杏子班という二つのグループに分けて行われた魔女退治。それぞれをリーダーとして、それに付き従うように数人の武装局員と合同で行われた魔女狩りは、その性格の違いが色濃く出るほど、戦術の取り方に違いがあった。

 クロノの方は局員と協力して魔女との戦いを行っていた。といっても、極力はサポートでクロノが前に出て戦おうとすることはほとんどなかった。それはリンディの指示があったからだ。いずれ遭遇する可能性のあるジュエルシードと取り込んだ魔女。その戦いに備えてできるだけクロノの力を温存しておきたかったのだ。

 彼についた局員の多くは、その助けを借りてやっと魔女を倒していた。初めのうちは魔女に圧倒されっぱなしの武装局員たちであったが、次第に魔女の風貌にも免疫がついてきたのか、その戦い方が洗練されていった。今ではクロノがほとんど手を出さなくても魔女を倒せるほどに成長している者たちもいた。

 そんなクロノとは逆に、杏子は自分を戦いの中心に置いた。武装局員のサポートを受けつつも、矢面に立つのは自分だけで実質ほとんど一人で戦っているようなものだった。そのためクロノに比べてその決着のほとんどは早くつき、相手によっては武装局員がまったく手を出すことなく片付けることもあった。

 最初はそのような戦い方をしていた杏子たちだったが、ある時からそれは劇的に変化するようになる。それは何戦目かの魔女との戦いの時に杏子が隙を突かれ、攻撃を受けてしまいそうになった時のことだ。しまったと思った時にはもう遅い。その回避不可能な攻撃を杏子はダイレクトに受けてしまうことを覚悟した。だが杏子の身体に痛みが襲ってくることはなかった。それは同行した管理局員がその攻撃を魔力弾で撃ち落としたからであった。

 そうして戦いの中で助けられた杏子は、少しずつではあるが管理局員のサポートを頼るようになった。自分は攻撃に専念し、周りのサポートで相手の攻撃を防ぐ。自分を中心に置いた戦いには変わりないが、そのスタンスはまるで違う。周りの助けを信じているからこその戦い方。その信頼に応えるために全力を尽くそうとする管理局員。そうした信頼関係が生まれ、いつしか杏子はアースラ内で誰かとすれ違うたびに声を掛けられるようになっていた。

「杏子殿、お疲れ様です。この後、もしよろしければ一緒に食事でもいかがですか?」

「わりぃな。もう食事は済ませたんだ。また今度な」

 今もこうして廊下ですれ違った局員に食事に誘われた杏子だったが、それを丁重に断り、真っ直ぐ自室に戻ると、そのままシャワールームに直行する。そうして熱湯を頭から浴びながら、思考を巡らした。

 この五日で杏子は数え切れないほどの魔女を倒してきた。いくら数人のチームで戦ってきたとはいえ、この短時間でこれほどの魔女と相対した経験は杏子にはない。おかげで一年ぐらいなら魔女と戦わずに済んでしまうほどのグリーフシードを手に入れることはできた。

 だがその疲労は確実に彼女の中に蓄積されていた。いくら倒しても海鳴の魔女は一向に減らない。むしろ日を追うごとにその気配は増えてきているとさえ思える。

 その理由は実に明白だ。グリーフシードはソウルジェムの穢れを浄化するだけではなく、放っておけばそこから魔女が生まれてしまう。今の海鳴市には管理局を総動員しても倒しきれないほどの魔女が集まっている。それらの魔女がグリーフシードを生み、そこから魔女が孵る。外から来る魔女と中から生まれる魔女。そのどちらもが通常では考えられない数なのだ。いくら倒してもその数が減ったと感じられないのは当然だろう。

(ゆまは無事だよな)

 だからこそ杏子はゆまの身を案じずにはいられなかった。フェイトの元にいればある程度の安全は保障されるだろうが、海鳴市の状況を鑑みるにそう楽観できるものではない。できることなら早いところフェイトと密会し、ゆまを安全な場所まで避難させる必要があった。

 しかし今の状況では杏子が単独でゆまたちの行方を探ることができず、またフェイトも管理局を警戒して自分の前に出てくる可能性は極めて低い。一応、魔女と戦う前と結界が解けた後にゆまとすずか、そしてキュゥべえにはテレパシーで声を掛けるようにしている、しかし未だに誰からも返答が来ない。近い場所にいないのか、それとも意図して返事をしていないのかはわからないが、これでは完全な八方塞がり。こうなるともう、管理局の捜査網にフェイトが引っかかってくれるのを待つしかない。

 シャワーを浴び終えた杏子は、部屋着に着替えてベッドに横たわる。そしてそのままうとうとと、意識を沈めていく。せめて夢の中だけでも久しぶりにゆまと会いたい。そんなことを思いながら、眠気に全てを委ねていった。



     ☆ ☆ ☆



 この五日でフェイトが手に入れたジュエルシードの数は二個。実際に反応を見つけられた数は五個だったが、その内の三個はフェイトが回収に向かった時にはすでに回収されてしまっていた。管理局の手によるものということはわかってはいるが、それでも歯がゆく感じずにはいられない。

 現在、フェイトが手に入れたジュエルシードは全部で七個。プレシアから事前に聞かされているジュエルシードの個数と比べてその数は三分の一。プレシアの望む願いを叶えるためにいくつ必要なのかはわからないが、それでも多いに越したことはないだろう。だからフェイトはさらに捜索範囲を広げるために、探査魔法を発動しようとする。

「フェイト、一端帰って休もう」

 だがそれをアルフが止めた。すでにフェイトは一晩中、ジュエルシードの捜索に時間を当てていた。こんな状態で管理局に見つかれば一溜まりもないだろう。

「だけどアルフ、わたしは母さんに……」

「ゆまも心配して待っているはずだよ」

 フェイトの言葉を遮るようにしてアルフが告げる。その台詞にフェイトは言葉を詰まらせる。すでにフェイトとアルフは丸一日、隠れ家に戻っていない。そこで一人待たせているゆまに申し訳ない気持ちがないと言えば嘘になる。杏子と離れ離れになりすでに五日。最初に取り乱して以降、ゆまからは一度もその話題に触れてこない。

 一応、ジュエルシードを探すと同時に杏子のことも探すフェイトだったが、その姿を捕えることは未だできていない。こうなると杏子は管理局に囚われている可能性も考えなければならない。そうなった時、ゆまになんと説明すれば良いのか。

「ごめんアルフ、やっぱりまだ帰れないよ。杏子も探さないといけないし」

 だがまだそうと決まったわけではない。あの杏子がそう安々と捕まってしまうなど、フェイトには想像できない。だからフェイトは疲れた身体に鞭を打ち、次なる捜索場所へと向かって飛んでいった。そんなフェイトを支えるように、アルフもまた彼女に付き従うのだった。



     ☆ ☆ ☆



 小学校に向かうバスの中、多くの生徒が楽しげに日々に起きた他愛のないことで話に花を咲かせていた。しかしその一方で、なのはとアリサは暗い面持ちで考えごとに耽っていた。二人の間にほとんど会話はない。それでも彼女たちは互いに何を考えているのか手に取るように分かり合っていた。

 それは五日前に織莉子に言われたことだ。魔法少女はいずれ魔女になる。その衝撃的な事実を突きつけられ、その場にいたものは一様に動揺し、絶望に悲観した。唯一、すずかを救う方法も、代わりになのはを犠牲にするという手段しか提示されなかった。

 魔導師としてすでになのはは戦いの中にその身を置いている。そんな自分が魔法少女になったところで戦う相手が変わるだけである。魔女になるのは怖いがすずかを救うことができるのなら、それでも構わないとなのはは思っていた。

 だがそれをその場にいた全員から止められた。口々に理由を告げ、別の方法を考えようとなのはを諭す一同。表面的にはその言葉に納得したなのはだったが、その内心ではその言葉は一切、彼女の心に響かなかった。

 それはなのはが実際に変わっていくすずかを見たからである。今でも脳裏に焼き付いて離れない狂気の笑みを浮かべるすずかの姿。あの時はなのはの言葉ですぐに持ち直すことはできたが、その後乱入してきたクロノに対して向けられたすずかの瞳は酷く冷たい印象を受けた。

 すでにすずかは変わってしまった。なのははそう思わずにはいられない。根柢には心優しい穏やかなすずかの心が残っているかもしれない。だけどあの時見たすずかの狂気。あれを消し去るにはもう言葉だけでは足りないだろう。だからこそなのははあの場でレイジングハートを向け、すずかと戦う道を選んだのだ。それが言葉よりもすずかの凍りきってしまった心を溶かせると信じたから。

 だけどその機会はもう失われてしまった。この五日、すずかは一向に忍たちの元に帰って来ない。なのはたちも必死に探し続けるが、それでも手がかりさえ見つからない。クロノや杏子に頼んで、管理局の方にもすずかの捜索は手伝ってもらっているが、未だに見つかったという連絡はない。

 果たしてこのまますずかが見つかるまで手をこまねいているだけでいいのだろうか。今のうちに自分にできることを全てやるべきなのではないか。

「……馬鹿なことを考えるのは止めなさいよ」

 そんななのはの思考に待ったを掛けるようにアリサが告げる。

「そりゃ織莉子が言ったことはたぶん本当だと思う。あんたがそのキュゥべえとかいう奴と契約すれば、すずかは魔女にならずに済むかもしれない。だけどね、その代わりにあんたが魔女になったらそれこそ本末転倒でしょうが」

「で、でも、アリサちゃん」

「でもも待ったもなしよ。その話はあの日、決着がついたでしょうが! 一番すずかのことを心配しているはずの忍さんでさえ、あんたのことを止めたのよ。その意味を考えなさい」

 言いながらアリサは視線を窓の外に向ける。自分の苛立っている表情をなのはに見せないように。

 アリサは悔しかった。なのはとすずかが抱えていた秘密。それを知ることはできたが、何の力にもなれていない。今のアリサにできることと言えば、なのはが無茶をしないように見張ることぐらいだ。

(……どうしてなのはだけなのよ! ――なんであたしじゃダメなのよ!!)

 もしなのはの代わりに自分がすずかを救えるのなら、アリサは惜しげもなくその身を差し出そうとするだろう。なのはと同じように。

 だからこそ、今のなのはの苦しみが手に取るようにわかる。すずかを救いたくてたまらないのに、救うことで周りの人を悲しませるという状況。あちらを立てればこちらが立たず。そのような天秤に掛けられているなのはの姿を見るのは辛い。代わってあげられるのなら、すぐにでも変わってあげたかった。

「うん、ごめんね、アリサちゃん。心配掛けて」

 その言葉にアリサはなのはに目を向ける。必死に浮かべた作り笑い。違和感しかない笑みを浮かべるなのはの姿は、とても痛々しいものだった。

「……わかればいいのよ、わかれば。ところで話は変わるけど――」

 だからアリサはそれ以上、突っ込んだことは言わずに話を逸らす。アリサを心配させまいとしたなのはの配慮。それに気付かないフリをして、逆になのはを気遣うように話題を変えていく。そうしてぎこちないながらも徐々に二人の間に笑顔が戻っていった。



     ☆ ☆ ☆



 小学校に入っていく送迎バスの姿を、すずかは物陰から眺めていた。十日ほど前まで、自分もあのバスに乗って小学校に通っていたことを今ではとても懐かしく思う。

 この五日間はすずかにとってとても長い日々だった。やっていることは魔女を狩るというただそれだけの単調な行動。だが魔女を斬り捨てる度に自分が自分じゃなくなっていくのを実感する。まるで強さに取り憑かれた鬼。そんな自分の変化に戸惑い、何度も絶望した。

 それでもすずかが魔女になりきらなかったのは、奇しくも織莉子の記憶を奪ったからだろう。

 織莉子が視た未来。それにより判明した滅ぶ世界。それを回避するためにすずかはまだ、魔女になるわけにはいかなかった。

 回避するだけなら織莉子の考えている方法でも可能だろう。だが彼女はすずかにとって大切なものを犠牲にそれを成そうとしている。それだけではなく、場合によっては世界以外の全てを犠牲にしてでも、彼女は救おうとするだろう。

 世界を守るためなら何でも犠牲にするという織莉子の考えは、今のすずかの行動理念と反する。仮に織莉子の策が成され、世界が救われたとしても、そこに生きる人がいなくなっていれば、それは滅びと何ら相違ない。

 だから少なくとも、Xデーとも言うべき破滅の魔女が生まれるその日までは、すずかは生き残らなければならなかった。

「あっ……」

 そんなことを考えていると、バスの中からなのはとアリサが降りてくる。数日ぶりに見る二人の親友の顔は、すずかの記憶と比べて少しだけやつれているように見えた。特になのははその具合が顕著で、見るからに寝不足といった隈が目の下にできていた。

 二人はそれを周りに同級生や教員には悟らせないように、務めて明るく挨拶をしながら校舎の中に入っていく。その光景を見て、自然と涙が溢れてくる。

 少し前まであの中にすずかもいた。ごく当たり前に、ずっと続いていくと信じて疑わなかった日常として。だがもうすずかは二人の間に入ることはできない。魔女でなくてもすでにすずかはもう人間ではないのだ。それを確かめるかのようにすずかはゆっくりと目の前の日向に手を伸ばす。日陰の中から突き出たすずかの手は、鉄板の上で焼かれる肉のような音を立てながら煙を上げていく。その痛みに耐えることもせず、彼女はその手を元の日陰に引っ込める。

 すずかは確かに強くなった。人間離れした身体能力と魔力、さらには戦況を把握する頭脳も自身の願いと戦いの経験によって強まった。だがその代償として彼女は夜の一族の本質的な遺伝子を目覚めさせた。



 ――そう、伝承の中にしか存在しない、本物の吸血鬼という存在になったのだ。



 それ故に今のすずかはもう、日の元を歩くことすら叶わない。夜の一族という名の通り、日の元ではその力に大きな制限を掛けられてしまう。日の届かない場所でならその能力を存分に発揮できるが、それでも不自由なことにはこの上ない。

 この強さを求めたのはすずか自身である。人間でもなく魔法少女でもなく魔女でもない。吸血鬼という存在になることで力を得て、平和を守ろうとした。そこに後悔がないと言えば嘘になるが、それでも今はこの力が必要だ。世界を、そしてなのはたちを守るために。

 すずかは涙を拭い、気を引き締める。織莉子は「なのはたちは授業中に魔女の結界に取り込まれる」と言っていた。しかしそうなる保証はどこにもない。「未来はほんの些細なことで変化する」。これも織莉子の言である。もしかしたらこの瞬間にでも魔女の結界が発生する可能性もあるし、すでにこの五日間の間でこの場に現れるはずだった魔女を倒してしまっているかもしれない。後者なら何の問題もないが、もし前者なら今のように取り乱した状態ではまともに戦うことはできないだろう。

 だからすずかはいつ魔女が現れてもいいように、深呼吸をしながら精神を落ちつけていった。



     ☆ ☆ ☆



「それじゃあ織莉子、行ってくるね」

 ベッドで眠っている織莉子に声を掛けるキリカ。そこに返答はない。この五日間、キリカの献身的な介護虚しく、織莉子が目を覚ますことはなかった。

 初めは医者に診せることも考えた。だが織莉子が目を覚まさないのは心的要因であることは明白である。しかもその原因を作りだしたのは魔法少女だ。魔法少女の問題は魔法少女で解決した方がいい。それに織莉子のことをキリカは隅々まで知り尽くしている。だからこそ、手厚く看護すればすぐに目を覚ましてくれると思っていた。

 だが織莉子は目覚めることなく、今日を迎えてしまった。すずかが現れる場所を特定することができるようになってしまった。織莉子を一人残して行くのは心苦しくもあるが、今日というチャンスを逃せばすずかに復讐する機会は永遠に失われてしまうかもしれない。

「……ごめん織莉子。きっと織莉子はこんな私を許してくれないよね。でもさ、やっぱり許せないんだよね。私のとても大切でたった一人しかいない織莉子を傷つけたあいつをさ」

 キリカの目に黒い光が宿る。今でも蘇るすずかによって殺されかけた織莉子の姿。身体の自由を奪われ、高所から付き落とされ、刀を持って殺そうとした蝙蝠女。

 おそらく織莉子はすずかに手を出すことを許さないだろう。単純にキリカの身を案じてという意味合いもあるのだろうが、それ以上に世界の救済を成すために、彼女に下手なちょっかいを出すことを織莉子は躊躇うはずだ。

 だがキリカにとって世界の救済など織莉子が望んでいるから手伝っているに過ぎない。キリカにとって織莉子が全てであり、世界そのものなのだ。織莉子がいない世界などに存在価値はなく、それを奪うものがいれば例え織莉子が止めたとしてもキリカは許さないだろう。

 もちろん織莉子の気持ちを踏み躙るような真似を進んでするつもりはない。だから世界の救済に必要な人物の命は見逃すつもりである。だがすずかの力は世界の救済に必要なファクターではないことを、キリカはすでに織莉子から聞かされている。だから遠慮なく殺せる。

「安心してよ。私はあんな奴にもう負けない。だってあいつにないものを、私は持っているから」

 そう言ってキリカは眼帯で塞がれている右目を軽くなぞる。この五日の間にすずかはさらに強くなっているだろう。それが彼女の願いの性質。それでもキリカは本心から、もうすずかに負けることはないと信じていた。

「だから織莉子は私が帰ってくるのを待ってて。それで起きたらまたいつものように名前を呼んでくれたらそれだけで嬉しいな。それでまた二人だけのお茶会を開こう。ね、織莉子、約束だよ?」

 そう言ってキリカは立ち上がる。そして名残惜しそうにもう一度、織莉子の顔を目に焼き付けて、部屋を後にしていった。



     ☆ ☆ ☆



 すずかが気を引き締め直してから約四時間。時刻はもうすぐ正午を迎えようとしたところでそれは起きた。

「――みぃつけた」

 背後から感じる強烈な殺気と風を切る音。反射的に火血刀で防御した先には、鉤爪で斬りかかるキリカの姿があった。

「……キリカ、さん!?」

 突然のことを思わず戸惑いの声を上げるすずか。キリカに斬りかかられたことについてではない。攻撃を受ける寸前まで彼女の気配に気付けなかった。そのことに対してだ。

 すずかは力を振り絞り、キリカの身体を押し返す。しばらく鍔迫り合いにでもなるかと思ったが、キリカはそのすずかの力を利用する形で距離を取った。

「……キリカさん。一体何のつもりですか?」

「そんなの、殺すつもりに決まってるじゃん」

 すずかの問いにキリカは表情を変えずに答える。彼女がすずかを襲った理由はわかる。おそらくは五日前の意趣返し。ほぼ一方的に織莉子を痛みつけたことに対する復讐。それは容易に想像できた。

 しかし何故、このタイミングなのか? 織莉子の考えを読みとっていたすずかは、彼女がなのはたちの力を利用してこの世界を救おうとしていたことを知っている。だが放っておけば今日のうちに死んでしまう。だからすずかにそのことを知らせ、なのはの命を救おうとした。

 今日、この日になのはの命を救いたいということに関しては、すずかと織莉子の利害は一致しているはずだ。それなのにも関わらず、織莉子と一緒にいたキリカがその邪魔になる行動を取っている矛盾。それがわからなかった。

 そんな疑問を考える暇もなく、キリカは再びすずかに襲いかかる。その動きは五日前と同様に単調なものだが、その鋭さは格段に上がっていた。ここが自分の結界の中ではなく、真昼間だということを差し引いても、キリカの攻撃は早くそして重いものへと変貌していた。今のすずかにはその攻撃を受けることで精一杯だった。

(今はこんな奴と戦っている場合じゃないっていうのに――)

 心の中で毒づくすずか。こうしている間にも、魔女の魔の手がなのはたちの元に迫っているかもしれない。自分の結界を展開し、キリカごと取り込んでしまえばこの状況から打開することはできる。しかしそれがわかっていても、そうするわけにはいかなかった。

 魔女の結界はその性質上、内部の様子ならば例えどんなに離れた場所だろうとその様子を察知することはできる。だが外部、すなわち結界の外についてはまったく情報が入って来ないのだ。もしキリカと結界内で戦っている間に、別の結界になのはたちが取り込まれても、それを知ることができなくなる。今のすずかにとって、魔女の出現に備えることが一番重要なことなのだ。それを疎かにしてまで目の前の相手と戦うわけにはいかなかった。

「織莉子はいつも私に優しく微笑んでくれた。織莉子はいつも私の我儘に付き合ってくれた。織莉子はいつも私の想いに応えてくれた。織莉子はいつも私が寂しい時に抱きしめてくれた。織莉子はいつも私に甘えさせてくれた。織莉子はいつも私と遊んでくれた。織莉子はいつも私の気持ちを分かってくれた。織莉子はいつも私と一緒にいてくれた。織莉子はいつも私に――」

 一撃に込められるキリカの深い感情。その苛烈な攻撃にすずかは次第に耐えきれなくなり、一歩後ずさる。その瞬間、背中が焼けつくような痛みに襲われる。縮めていた翼の一部が日の光に晒されたのだ。日光を浴びた部分からは煙が昇り、溶けるように灰になる。

 その痛みでできた一瞬の隙、それをキリカは見逃さない。無防備になっていたすずかの首を斬り落そうと、容赦なく鉤爪を薙ぐ。

 だがそれがすずかの首に届くことはなかった。すずかはキリカの方を見ることなく火血刀を握っていない左腕を伸ばし、襲いくる鉤爪を素手で掴む。そしてそのままキリカごと力任せに遠くに投げ飛ばしたのだ。

 流石にそんなすずかの行動はキリカも予想していなかったのだろう。呆気に取られていたため受け身を取ることができず、そのまま地面に落下した。

「……………………はぁ~、キリカさん、いい加減にしてくないかな?」

 そしてすずかは一つ、大きなため息を吐く。そしてすずかは火血刀を右手から左手に持ち替えながら言葉を続ける。

「今の私はあなたと遊んでいる時間はないの。今の私にはなのはちゃんやアリサちゃん、それに学校の皆の守るっている大事な使命があるの。だからいつまでもあなたの復讐ごっこになんて付き合ってられない」

「なっ……、復讐『ごっこ』だって!?」

「えぇ、だってそうでしょう? あなたはまだ、魔女になってないじゃない。もしも織莉子さんが死んだのなら、あなたは絶対に魔法少女のままでなんかいられないもの」

 少し考えればわかることだ。織莉子から読みとった記憶の中にいるキリカは、完全に織莉子に依存していた。そんな彼女が織莉子の死に直面すれば、絶望せずにいられるはずがない。

「大方、記憶を奪われた時の反動で、意識を失ったままになっているんでしょ? 死人の復讐ならともかく、まだ生きてるなら私の相手なんかしてないで看病し続ければいいと思うけど?」

 本音を言えば、すずかもここでキリカを見逃したいとは思わない。あれだけの力を持つ魔法少女はこの場で始末しといた方がいいとは思う。だが今、優先すべきはなのはたちを守ること。目の前の魔法少女と戯れている事ではない。

「……ふざけるなよ。織莉子をあんな目に遭わした張本人のくせに!」

「ふぜけてないよ。キリカさんがどの程度、聞かされているかわからないけど、ここでなのはちゃんが死ぬことは織莉子さんも望んでない。そして私はそんななのはちゃんたちを助けるためにここにいる。そんな織莉子さんの計画をキリカさんの手で崩しちゃっていいの?」

「……そうだね。確かにお前の言う通り、なのはって子が死ぬのを織莉子は望んじゃいないし、私も望まない」

「なら……」

「でもね、裏を返せばそれってなのはって子が死ななければ何をしてもいいってことなんじゃないかな? 例えばこんな風にね」

 そう言ってキリカは指を鳴らす。すると周囲の景色がまるでガラスが割れるように崩れていく。そこから広がるのは市松模様の世界。地面も空も全てが黒と白のコントラストで描かれている無機質な空間。それと同時に先ほどまで感じられなかった負の魔力エネルギーを周囲から感じる。

 だが何より衝撃的だったのは、すずかの目に移る周囲の変化は、世界を彩る模様が変わっただということだ。その場にある建物や木々の形をそのままに、ペイントだけチェック柄に塗り替えられたような世界。もちろんその中には聖祥大付属小学校の校舎も含まれていた。

「これで織莉子の予言通り、あの小学校は魔女の結界に包まれた。でもここは私の結界の中だからなのはは殺さない。殺されない。尤もそれ以外の一般人がどうなろうと、私の知ったことではないけどね」

 その言葉を聞いて瞬時に駆け出すすずか。そして左手から滴り落ちる血を吸わせた火血刀を右手に持ち替え、そのまま赫血閃を放った。キリカの魔法は速度停滞。あくまで動きを遅くするだけで自分が早く動くことはできない。だからこそ、すずかは瞬殺の一撃を放った。だが……。

「遅いよ、吸血鬼」

 そう言いながらすずかの背に生えた一対の翼を串刺しにし、そのまま引き裂いた。

「――ッ!!」

 声にならない叫びをあげるすずか。だがそれと同時に疑問が湯水のように溢れ出す。結界を張ることができる理由はまだわかる。自分にだって同じことができるのだ。ならばキリカがそれをできたとしても、不思議に思う必要はない。

 だが先ほどの一撃は不可避のものだった。直接斬りかかったわけではないとはいえ、今のすずかが出せる全力の速度で放った赫血閃。それをキリカは難なくかわし、挙句の果てに自分の背に回り込み翼を切り裂いた。

「不思議そうな顔をしてるね、吸血鬼。冥途の土産に教えてあげるよ。どうしてこんなに私が強くなれたのかをさ」

 地に伏すすずかの顔を踏みつけながら、キリカは得意げに語る。

「ジュエルシードって名前、聞いたことない? どんな願いでも叶えてくれる異世界から現れた宝石」

 その名前を聞いて、すずかは目を見開く。なのはを戦いの中に巻き込んだ忌むべき宝石。すずかにとってそれは憎むべき対象とも言うべき存在だった。

「その顔は知っているって顔だね。ジュエルシードは全部で二十一個あるらしいんだけど、その全てに膨大な魔力が秘められてるんだ。でもその分、扱いが難しくて、通常の手段では望む願いを叶えることはできない」

 言いながらキリカは眼帯に手を掛け、強引に引っぺがす。本来ならば眼球があるべき場所、そこにギリシャ数字でⅩⅢと刻印された青白く輝く宝石が収められていた。

「だけどね、織莉子が未来視を何度も使って、その使い方が解明する未来を発見したのさ。言うならば未来の技術を逆輸入したってわけ。凄いよね、織莉子」

 まるで自分のことのように自慢げに語るキリカ。そんなキリカをすずかは忌々しいと思いながら眺めることしかできなかった。

「本当は時が来るまで、ジュエルシードの力は使わないようにって織莉子に言われていたんだけど、仕方ないよね。だって織莉子の愛の発見がなかったら、敵を殺すことができないんだから。……でも安心してよ、すずかが死んだらこの結界はすぐに解いてあげるから。お前は織莉子の敵だけど、なのはって子は織莉子が世界を救うための道具なんだからちゃんと壊さないで大事に仕舞っておかないとね」

 そうしてキリカはすずかを踏む力を強める。そしてそのまま踏み抜き、辺りにはすずかの脳漿がぶちまけられた。




2013/3/2 初投稿
2013/3/8 一部微修正
2013/3/29 一部描写&誤字脱字修正



[33132] 第8話 なまえをよんで…… その5
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2013/03/29 19:57
 それは突然の事態だった。普段通り、学校の授業を受けていたなのはとアリサ。時折り、教室内で空席となっているすずかの机に目をやる以外は、別段いつも通りの日常。それが何の前触れもなく崩れ去った。

 直前に感じた大きな魔力反応。そしてそれとほぼ同時に辺りの景色が別の色に塗り替えられていく。教室内にある机やロッカーの形はそのままに、白と黒のコントラストで描き直されていく。そのあまりの突然の出来事に、教室内にいたクラスメイトや教鞭を取っていた教師は言葉すら発することができなかった。

「なのは! これって!?」

 その中でいち早く動いたのはアリサだった。周囲の変化に一瞬、フリーズしてしまったアリサだったが、五日前に一度、魔女の結界に取り込まれた経験があったからすぐに復帰することができた。

 そんなアリサの声になのはもようやく我に帰る。そして自分たちの置かれた状況を自覚する。

「うん、魔女の結界の中、みたい」

 震える声でそう返事するなのはは改めて周囲を見渡す。教室の形をそのままに魔女の結界の中へと放り込まれた自分たち。教室の中で授業を受けていたクラスメイトや教師もまた、例外なく取り込まれてしまっていた。

 状況を把握していない他の生徒たちもまた、突然の事態に騒ぎ始める。だがそのほとんどが好奇に満ちた声。魔女や使い魔という存在を知らない彼らは、現状に子供らしい多大な興味を示した。特に男子生徒の一部は「すげー」と声を荒げ、そのまま教室の外の様子を見に行こうとする。

「みんなー、落ち着いてー。勝手に教室を出ていかないように」

 そんな生徒を諫めるために、教室内で唯一の大人である教師が声を大きく注意する。その声を聞いて外に出ていこうとした男子生徒はその足を止め、素直に自分の席へと戻っていった。

「先生はこれから何が起きたのか見に行くから、皆は教室の中で待ってなさい」

 そしてそのまま教師は状況を把握するために、生徒たちを教室で待たせて外に様子を見に行こうとする。

「待ってください先生、一人で行くのは危険です」

 それを見て、アリサは慌てて呼び止めた。大人とはいえ、教師は魔法など使えるはずもない。そんな人物を一人にしたらどうなるか……想像は容易かった。

「大丈夫よ、少し様子を見に行くだけだから、ね?」

「そうじゃない、そうじゃないんです、先生。ここは……」

 アリサがそう言い掛けたところで、頭上からぼとぼとと何かが落ちてくる。それは黒いシルクハットを被った綿飴のような物体。一見するとぬいぐるみのようにも見えるそれは、この結界に住まう使い魔だった。だがそんなことを何一つ知らない他の生徒たちは、突然現れた使い魔に興味を惹かれ深く考えもせずに手に取ろうとする。

「駄目、それに触っちゃ!!」

「えっ……?」

 なのはの必死の叫び虚しく、その綿飴は大きく口を開く。鋭い牙の生え揃った凶暴な口。そして一番近くにいた生徒の一人に群がるように集まり、喰らいつく。

「な、なんだこいつ!? 止め……誰か……助け……ぐぁ……」

 辺りに虚しく響き渡る骨の砕ける音と助けを求める声。その様子を他の生徒はただ茫然と眺めていることしかできなかった。そんな中でなのははレイジングハートを手にすると、バリアジャケットを見に纏い、その生徒を襲う使い魔に魔力弾を放つ。打ち抜かれた使い魔は音もなくその場で消滅していった。その中から出てきた男子生徒は血まみれで、本来あるべきはずの肉体の一部がところどころ掛けた状態だった。さらに肉を無理に引き千切られたためか、身体はあらぬ方向へと曲がりくねっており、とても生きているとは思えなかった。

 それを目の当たりにした他の生徒たちは叫びながら一刻も早くこの場から逃げ出そうと教室の外へと走りはじめる。そしてそれは先ほどまでアリサと話していた教師もまた、同じだった。

「ちょ、ちょっと、皆どこに行くのよ!? 待ちなさいよ!!」

 アリサはそんなクラスメイトや教師を必死に呼び止めるが誰もその言葉に耳を貸さない。パニックを起こした生徒たちは阿鼻叫喚の叫びをあげながら一刻も早くこの場から遠ざかろうと走り去ってしまう。

 そうして最後まで教室に残っていたのはなのはとアリサの二人だけだった。

「なのは、早く皆を追わないと――。……なのは?」

 このままでは他の皆も使い魔に襲われてしまうことを危惧したアリサは、なのはにそう声を掛ける。だがなのはからの返事はなかった。

 なのはは犠牲になったクラスメイトの亡骸の前で茫然と立ち尽くしていた。話したことは少ないが、全く知らない中ではない男子生徒。この教室の中にいた人物は、少なからず二年近く同じ学び屋で学んだ者同士なのだ。助けられたかもしれない命だが、なのはには救うことができなかった。

 思い返すとなのはが何かの死に直接触れたのは、これが初めての出来事だった。魔女やジュエルシードの戦いで危険な目に遭いつつも、そこで犠牲者は誰一人として発生しなかった。フェイトやすずか、杏子と言った他の少女たちとも比べ、なのはは戦いの中で目立った怪我すら負ったこともなかったのだ。幼い頃に父親が死に掛けたこともあったが、実際に死んだわけではなく今も元気に暮らしている。

 それ故に彼女は知らなかった。人間はこうも呆気なく死んでしまうのだと。ちょっとした油断と判断ミスで助けられる命が簡単に零れ落ちるのだと。

「……ごめん、なさい」

 自然と口から零れる謝罪の言葉。目尻からは止めどなく涙が溢れ出る。どんなに謝ろうとどんなに泣き喚こうと、彼が生き返ることはない。それでもなのはは溢れ出る涙を止めることができなかった。

「――なのは、しっかりなさい!」

 そんななのはをアリサは思いっきり引っ叩く。叩かれた頬が真っ赤に染まり、ジンジンと痛む。

「アリサ、ちゃん?」

「いい? なのは、よく聞きなさい。この結界の中で皆を守れるのはなのはだけなのよ。それなのにその肝心のなのはがこんなところでボーっとしてどうするのよ! ……そりゃなのはが悲しんでるのはわかるわよ。あたしだって悲しいもの。それが例えちょっとしか話したことのない相手でもね。でもだからってできることをしないでいい理由にはならないはずよ!」

 その言葉になのははハッとなる。アリサの言う通り、使い魔や魔女と戦うことができるのは、この場に自分しかいないのだ。自分にできること、自分にしかできないこと。それをやらずにこんなところで嘆き悲しんでいる暇など、なのはにはなかった。

「ごめんね、アリサちゃん。それと、ありがとう」

 涙を拭いながらなのははアリサに言葉を掛ける。その言葉に思わず赤面するアリサ。

「べ、別になのはが心配だからとか、そんなんじゃないわよ。ただやっぱり、このままここに居続けるだけじゃあ何も状況は変わらないと思ったから」

「うん、わかってる。悲しむのは後でもできるもんね。今はわたしにできるだけのことをしないと……」

 そう言って必死に作った笑顔を見せるなのはに対して、アリサは心を痛める。なのははそこまで強い子ではない。数日前まで自分と同じ、どこにでもいる普通の女の子だったのだ。そんななのは一人に危険を押し付けた自分。魔女の結界内ではできることなど何もない無力な自分。それがアリサには悲しく、許せなかった。できることならそんなきつい役目をなのは一人に押しつけたくない。代われるものなら代わってあげたい。そう思わずにはいられない。

「……アリサちゃん?」

 そうして思い悩むアリサの表情に、なのはは不思議そうに尋ねる。

「ううん、なんでもないわ。それじゃ行きましょ。確か皆はあっちの方に向かったはずよ」

 そう言ってアリサは誤魔化し、クラスメイトたちが逃げ出した方に向かってなのはと一緒に駆け出すのであった。



     ☆ ☆ ☆



『杏子、大変だよ、起きて!』

 自室のベッドで眠っていた杏子は、そんなエイミィの慌てた声で叩き起こされた。

「なんだよ? そんなに慌てて、どーしたんだ?」

 瞼を擦りながら間延びした声で返事をする杏子。熟睡していたところを起こされたためか、まだその頭は夢見心地で、身体を起こそうとはしなかった。

『なのはちゃんの通っている小学校に魔女の結界反応が感知されたんだよ! それも今までの結界と比べても、破格の大きさのものが……。しかも同じ場所からジュエルシードの反応が複数あって』

「なんだって?」

 だが次のエイミィの言葉で、杏子は一気に目が覚め、慌てて身体を起こす。

「エイミィ、そのことをクロノは?」

『クロノくんならすでに何人かの武装局員を引き連れて現地に向かってもらってるよ』

「そうか、ならあたしもすぐに支度して現地に向かうから、転送機の準備をしといてくれ」

『りょーかい!』

 そう言ってエイミィは通信を終える。杏子は手早く部屋着から普段着に着替えると、自室から出て転送機の元まで走って向かう。

 もしこれが魔女だけ、ジュエルシードだけならば杏子もここまで焦らなかっただろう。仮になのはが結界に取り込まれていたとしても、彼女の力量なら一人でもそれなりには戦うことができるはずだ。だがそれが同時というのはまずい。なのはが通う小学校ならば、その場に落ちていたジュエルシードであることはあり得ない。つまり何者かが持ち込んだことを意味する。

 すなわち相手は十中八九、ジュエルシードを取り込んだ魔女である。しかもエイミィはジュエルシードの反応が複数と言っていた。つまりそれは今までの魔女とは比較にならないほどの力を持っているということだ。

「杏子殿、お待ちしておりました」

 急いで転送機の元に付くと、そこには普段、杏子と一緒に魔女退治に向かう武装隊員が勢ぞろいしていた。杏子は彼らを一瞥すると、なにも言わずに転送機の中に入っていく。それを見て他の局員たちも空いた転送機に順次入っていく。全員が入ったところで転送機が起動し、杏子たちの身体は光に包まれる。

 そうして杏子たちもまた、戦場へと向かって転送されていった。その先に何が待ち受けているとも知らずに。



     ☆ ☆ ☆



 ジュエルシードの捜索をしていたフェイトたちもまた、その反応を察知し、なのはたちの小学校まで向かっていた。小学校を包み込むように展開されている魔女の結界。その中から感じるジュエルシードの反応。フェイトはすぐ様、結界の中に入ろうとするがそれをアルフに止められる。

「待ちなってフェイト。こんな状態でジュエルシードを取り込んだ魔女と戦っても勝てるわけないよ」

 フェイトたちは早朝から今まで、休むことなくジュエルシードを探し続けていた。その疲労がある状態でジュエルシードを取り込んだ魔女と戦う。そうでなくても厳しい相手なのだ。アルフとしてはなんとしてでもフェイトを止めたいところだった。

「でもアルフ、せっかく見つけたジュエルシードを見逃すわけには……」

「確かにそうかもしれないけど、だからってフェイトの身を危険に晒すわけにはいかないよ。それにこれだけ巨大な反応だ。いずれ管理局の奴らもやってくるはずさ」

 小学校を取り込んでいる魔女の結界は、決して秘匿しているものではない。魔法の知識があるものならば、すぐにでも察知できるようなものだった。それを見逃すほど管理局は無能ではない。

「ジュエルシードも大事だけど、あたしにとってはそれ以上にフェイトのことが心配なんだよ。だからここはぐっと我慢して」

「だけど……」

 そうして口論していると、結界のすぐそばに何者かの転送反応を察知する。それに気付いた二人はこれ以上話すのを止め、自分たちの気配を消しながらそちらに注意を向ける。

 そこに現れたのは杏子率いる武装局員の一群だった。杏子が無事だったことに安堵しつつも、何故管理局と行動を共にしているのかを疑問に思うフェイトは彼らの言葉に黙って耳を傾けた。



「結界の中に入る前に一つ言っておくことがある。今回相手にする魔女は、今までの相手とは比べ物にならないからお前らは絶対に手を出すな」

 結界を前に杏子はその場に居合わせた武装局員たちに淡々と告げる。その言葉に局員の中でざわめきが起こる。

「杏子殿、それは無茶です。一人で戦おうだなんて」

「別に一人とは言ってねぇよ。結界内でクロノと合流したら、二人だぜ」

「それでも無謀です。例えクロノ執務官と二人で戦うのだとしても、我々の援護があった方が確実なはずです」

 それでも食い下がる武装局員。杏子にもその気持ちは痛いほどわかっていた。短い間とはいえ、同じ釜の飯を食い、一緒に魔女と戦ってきた間柄なのだ。ここで戦力外通告されればそう簡単に納得もできないだろう。だからこそ杏子は敢えて厳しい言葉を武装局員に投げかけた。

「……正直な話、てめぇらの援護なんてあってないようなものなんだよ。一緒に戦ってきたからこそ、あたしにはそれがわかるんだ」

「それならば我々は一体何をすればいいというのですか!?」

「そう怒鳴るなよ。確かに魔女相手にはてめぇらの魔力は通用しねぇかもしれねぇ。だが何もできねぇってわけじゃないぞ。今回、あたしがあんたらに頼みたいのは、結界に取り込まれた子供たちを救うことだ。これだけの規模の結界を小学校に展開させられたんだ。おそらく授業を受けていた子供たちは皆、結界の中にいるはずだ。だからそいつらを見つけたら片っ端から結界の外に連れていく。それがあんたらの今回の任務ってわけだ」

 自分でも似合わないことを言っていると杏子は思う。魔法少女としてここに立っているのなら、結界に取り込まれた一般人など無視すればいいのだろう。だがそれでもゆまと同じ年頃の子供が無残に魔女に殺されることなど、今の杏子には見過ごすことはできない。

「さて無駄話はもう終わりだ。そろそろあたしたちも結界内に入るぞ」

「了解しました」

 先ほどまでのどよめきが嘘のように、武装局員たちは声を合わせて杏子の命令に従う。そんな態度に杏子は少し驚き、軽く笑みを浮かべる。そして満足そうに結界の中へと進軍していった。



「アルフ、やっぱりわたしたちも結界の中に行こう。何の力もない巻き込まれている人たちをこのまま見過ごすわけにはいかないよ」

 杏子たちの会話を一部始終聞いたフェイトは改めてアルフにそう口にする。アルフには今の話を聞いて、フェイトならそう口にすることがなんとなくわかっていた。

 フェイトは決して困っている人を見逃さない。目の前の結界の中に多くの子供が閉じ込まれ、危険に晒されていることを知って放っておけるほど、薄情な人間ではない。そしてそれはアルフも同じだった。

「わかったよ。知っちまった以上、このまま放っておくのは寝覚めが悪いしね。だけどフェイト、一つだけ約束して。絶対にあたしから離れちゃダメだよ。今のフェイトは魔女どころか杏子にすら勝てるかどうかもわからないんだから」

「うん、わかった。約束するよ。それにしてもどうして杏子は管理局と一緒に行動しているのかな?」

 それはアルフも疑問に思ったところだった。先ほどの杏子はまるで管理局を率いるリーダーのような立ち位置だった。ゆまのこともあるのでなんとか接触したいところではあるが、もし管理局に協力しているのなら、互いの立場を考えるとそれは厳しいだろう。

「そいつはあたしにもわからないよ。だけどもし杏子が管理局の仲間になっているのなら、迂闊に接触しない方がいいかもしれないね。万が一、騙し打ちを食らったら溜まったものじゃあないしね」

 杏子には過去にジュエルシードを騙し取られた前科がある。純粋な魔力戦ならともかく、そういった騙し合いでフェイトが杏子に勝てるとは思えない。それは例え自分が一緒だとしても同じだろう。

「わたしはそんなことないと思うけど……」

「ま、そう都合よく、結界内で杏子に遭遇するとは限らないんだ。とりあえず今のところは一端、杏子の事は忘れてあたしたちは成すべきことをしよう」

「うん、そうだね」

 そうしてフェイトたちは杏子たちが入っていったのとは別の入り口から結界内に入っていった。



     ☆ ☆ ☆



「キミたち、もう大丈夫だ」

 杏子に先んじて結界に入っていたクロノは、迷宮のように入り組んだ結界の中を突き進み、そこで使い魔に襲われそうになっていた子供たちを助け出したところだった。だがそんなクロノの声が聞こえないのか、子供たちは酷く取り乱し、泣き叫び、パニックを起こしていた。よく見ると、その服が血で汚れている。しかし見る限り、それは彼らの血ではない。おそらく一緒に逃げていた子供が目の前で犠牲になったのだろう。

「……どうして?」

「えっ……?」

 その内の一人がクロノに声を掛ける。それは子供たちの中でも一番年長の女の子から発せられたものだった。

「……どうしてもっと早くに助けに来てくれなかったの? そうすれば先生が、それに皆も死ぬことはなかったのに。ねぇ、どうしてよ」

 少女はクロノに掴みかかる。焦点の合わない瞳で取りとめのない思いをクロノに訴えかける。

「先生は私たちを逃がすために囮になって食われたのよ! 自分から化け物に向かって突っ込んで行って、それで私たちの目の前で殺された! それだけじゃない! 先生が必死になって逃がしてくれた子たちも、半分以上は目の前で食べられた。皆、必死に助けを求めていたのに。それなのにあなたたちが来てくれなかった。……ねぇ、どうして私たちがこんな目に遭わなければならないの!? ねぇってば!!」

「こら、落ち着きなさい」

 ただならぬ事態に気付いた一人の武装局員がクロノと少女の間に割って入り、少女を抑える。それでも少女は言葉を荒げ続けた。

「ねぇ、教えてよ! 教えてってば!!」

 それでも少女は必死に問いかける。そんな少女の態度を見兼ねた局員は、彼女に魔法を使い、その意識を眠らせる。

「執務官、出過ぎた真似をして申し訳ございません」

「……いや、構わない。キミたちは彼女たちを安全なところまで避難させてあげてくれ。怪我をしているようならアースラに連絡して医療スタッフを呼んでもらっても構わない」

「了解しました」

 武装局員は子供たちを連れて、結界の外に向かっていく。その背中をクロノは苦々しい思いで見つめていた。

(……世界はいつだって、こんなはずじゃなかったものばかりだが、それにしたって今回の事例は――)

 あの少女に何の罪はない。そして少女たちを庇った教師や道中で犠牲になった他の子供たちにも。この世界にこのような化け物が存在し、そんな相手に自分が食べられることになるなどとは、彼女たちは予想もしていなかっただろう。現に時空管理局として他世界を渡り歩くクロノでさえ、魔女や魔法少女などといった存在がいたことなど、今回の任務に着くまで知る由もなかったことだ。

 それでもこの事態に理不尽さを覚えずにはいられない。彼女たちにとってこの事態は常識外の出来事だ。犯罪や天災などはまだ想定することはできるだろう。しかし魔法技術のない世界における魔法に関連した事件など、想像することは不可能なはずである。

 だからこそクロノは許せない。この事態を引き起こした魔女を。罪のない一般人、それも子供を食い殺そうとした存在を。

「皆は引き続き、結界内に取り込まれた子供たちの救助を頼む」

 クロノはこの場に残っている局員にそう告げると、自身の身体を宙に浮かす。

「執務官、どちらへ?」

「僕は――先に元凶を叩きに行く」

 その言葉にその場に居合わせた局員たちは驚きの表情を浮かべる。そしてその中の一人がクロノに反論した。

「失礼ながら、一人で向かうのは危険過ぎます。ここはまず一般市民の避難に専念し、それが完了した後に全員で魔女に当たるべきです」

「……確かにキミの言う通り、その方が確実だと僕も思う。だけどその間にさらなる犠牲が出るだろう。ならばその可能性を少しでも無くすために、僕一人でも魔女を叩きに行くのが最善のはずだ」

「し、しかし……」

「キミが僕の身を案じてくれているのはわかる。だがそれは僕ではなく、この結界内で心細く逃げ回っている子供たちに向けてくれ。頼む」

「……わかりました」

 クロノの言葉にその局員は完全に納得したわけではないのだろう。だがそれでもその場に居合わせた局員たちはクロノの言葉に従った。

「すまない、それでは頼むぞ」

 そう言ってクロノは一気に結界内を飛んでいく。奥の方に感じる強い魔力に向かって、全速力で移動していった。



     ☆ ☆ ☆



 結界の最奥でキリカはすずかの肉体を嬲り続けた。地面に突っ伏して動かない彼女の身体を、その鉤爪で串刺し、切り裂いていく。何度も何度も、飽きもせずに。すでにすずかは物言わぬ?となっている。それなのにも関わらず、キリカの目には未だ深い憎悪が込められていた。

「ねぇ、いつまで死んだ振りしてるの? いい加減起きなよ」

 それでもキリカは、まだすずかが生きていると確信していた。そしてそれに呼応するかのように、すずかの指先がピクリと動く。そこからは早かった。先ほどまで物言わぬ?と化していたすずかの胴体。四肢を切り裂かれたその肉片から足や腕、頭が生え始め、見る見るうちに元の人型のシルエットを取り戻していく。そうして約一分の後にすずかはその肉体を再構成させた。

「……どうして私がまだ生きてるとわかったんですか?」

「だってソウルジェムが見つからなかったから。魔法少女なんだから、ソウルジェムが砕けるまでは生きているって考えるのが自然でしょ?」

 キリカがすずかの身体を嬲っていたのは、ただ単純に憎かったからではない。すずかのソウルジェムが見つからなかったからだ。魔法少女ならば身につけてなければおかしくないソウルジェム。だがすずかの外見にはそれらしき宝石の姿はなかった。だからキリカはそれが体内に隠されていると考えた。だから必要以上にその肉体を痛めつけ、切り裂いていったのだ。

「……そうですか。それであんなに執拗に攻撃を続けていたんですね」

「うん。でもまさかこうも簡単に傷を癒すなんて思わなかったよ。お前、本当に元人間?」

 ソウルジェムさえあれば、魔法少女は永久に生き続けることができる。どんなに傷を負おうとも、それは魔力で治せるし、その痛みも軽減される。だがそれはあくまで真実を知った魔法少女の話である。普通の魔法少女は心臓を刺されたり血を流し過ぎれば、数日間は身動きが取れなくなる。場合によってはソウルジェムが砕かれなくても肉体の生命活動を停止させてしまうこともあるだろう。

 だが仮に自分が人間ではないと割りきれたとしても、脳を潰された状態から肉体を再構成させるなどという真似ができる魔法少女はいないはずだ。それも物の数分という短い時間で。結界を張れるほど絶望し、ジュエルシードの力を借りているキリカでも、そんな芸当はとてもできるものではなかった。

「違うよ、キリカさん。私は夜の一族、吸血種なの。キュゥべえと契約する前からね。だから人間であろうとすることを諦めてしまえば、その特性を自由に使うことができる。そして魔法少女であるが故に元からあった再生能力が向上し、ソウルジェムが砕けるか魔女化しない限り死ぬことはない」

 言ってすずかは地面に落ちている火血刀を拾い上げる。そして改めてキリカを、そして周囲に展開している結界を見据えた。

 キリカが展開している結界は学校ごと取り込んでいるのは明らかだ。なのはやアリサもこの結界の中にいるのは間違いないだろう。だがそれは、織莉子から奪った記憶の中で見た結界とは明らかに違うものだった。

 キリカ以外の魔女がこの場に近づいているのか、それとも織莉子が視た未来が代わり、結界を展開するのがキリカになってしまったのか、それは今のすずかにはわからない。だがどちらにしてもキリカを殺すのには変わらない。すでに彼女は魔女になり掛けている。ジュエルシードの力を使ってなのはやアリサを危険に晒している。それを見過ごすことはできない。

「なーんだ。なら安心だ」

「……安心?」

「うん。だってソウルジェムさえ壊せば吸血鬼でも殺せるんでしょ? なら話は簡単だよ。何度でもやっつけてそれでソウルジェムを壊せばいい」

 金と青の双眸でキリカはすずかを見据えながら愉快そうに告げる。それがすずかには不快だった。

「そう簡単にさせると思う?」

「できるよ。だって私と織莉子の愛に不可能はないからね」

 その言葉を皮切りに、二人は再び刃を合わせる。こうして二人の戦いは第二ラウンドを迎える運びとなる。



     ☆ ☆ ☆



 教室の形そのものは変化していなかったこととは裏腹に、その外に通じる廊下は入り組んだ迷宮と化していた。無数の扉と空間がねじ曲がっている歪な道。それを見てなのはとアリサは一瞬、怯んだが、先に出ていったクラスメイトたちを助けようと進んでいった。当初の目的であるクラスメイトとの合流は叶わなかったが、他のクラスの生徒たちと合流することはできたなのはたちは、そのまま彼らを守りながら結界の出口を探し続けていた。

 現在、二十人ほどの行軍となっているなのはたちであるが、人数が増えるのに比例し、襲ってくる使い魔の数も増えていった。だが戦うことができるのはなのは一人。気を休める暇もなく守り続けるなのはは、その疲労を確実に溜めこんでいった。

「なのは、大丈夫?」

 そんななのはを労うようにアリサが声を掛ける。彼女たちがいるのは先ほどまでの息の詰まるような狭い廊下ではなく、障害物の少ない見晴らしの良い広場であった。そこでなのはたちは互いに周囲を警戒しつつ、ゆっくりと結界の中を進んでいく。

 他の生徒たちの様子を見てみると、いきなりこのような場所に巻き込まれた多くの生徒は未だパニックを抜け切れてないのか、泣き喚くものが過半数を占めていた。それでも何人かはいち早く状況を把握し、そうしてパニックを起こしている生徒を宥めている。だからこそアリサはなのはを労うことに全神経を使うことができた。

「うん、大丈夫だよ」

 アリサの問いかけになのはは笑顔で答える。だがその表情はとても辛そうで、全身にはびっしょりと汗を掻いている。誰の目から見てもなのははもう限界に近かった。助けられた生徒もいるが、それと同時に助けられなかった者もいる。そんな人たちを目の当たりにし続け、それでもなお守るために戦い続けなければならないなのはが感じている重圧。それは想像を絶するものだろう。

 だからこそ、アリサはこれ以上の追及をしようとはしなかった。せめてこの結界から抜けだす方法さえ分かればと思わずにはいられない。当てもなく彷徨い続けるというのは精神的にも肉体的にも辛い。それはなのはだけでなく、自分やついてきている他の生徒にも言えることだ。だが歩みを止めればそれこそ使い魔にとっての絶好の獲物と化してしまうだろう。

 そんなことを考えていると、また性懲りもなく使い魔が群がってくる。広場であったため、遠くからやってくるのにいち早く気付いたなのはは飛び出し、使い魔を倒しに向かう。その様子を他の生徒たちは不安げな表情で見つめつつ、周囲に警戒を強めていた。

 なのはが使い魔を倒し、戻ってくるまでの時間は長くても数十秒程度だろう。その僅かな時間に使い魔に襲われれば、こちらは一溜まりもないのだ。それ故に何人かの生徒は他に使い魔が近寄ってきてないかと目を凝らす。



 ――そうして周囲に警戒していたが故に、突如として襲った結界内の揺れに対応できなかった。



 轟音と共に結界内が大きく揺さぶられる。それに呼応し頭上から大きな塊が降り注ぎ、床には無数の裂け目ができる。アリサはそれらを持ち前の運動神経で何とかかわしていく。

 そんな彼女の目の前で一人の生徒が裂け目の中に落ちていく光景が映る。それを見てアリサは反射的に駆け出し、その生徒に向かって大きく手を伸ばす。なんとかその腕を掴んだアリサは、そのまま勢いに任せて引っ張り上げようとする。結果、自分と入れ替わる形でその生徒を助け出すことに成功するが、代わりに今度はアリサ自身が裂け目の中へと落ちていく。

 重力に従い裂け目の中へと飲み込まれていくアリサ。必死に手を伸ばし、辺りを掴もうとするが、虚しく空を切る。

「なのは、ごめんね。せめてあなただけでもすずかに……」

 過るのは自分がいなくなって悲しみに暮れる親友の顔。そしてしばらく顔を合わせていないもう一人の親友のこと。こんな時でもアリサは二人の親友のことを思わずにはいられなかった。

 ――こうしてアリサは他人を思いやりながら裂けた空間の中へと飲み込まれていった。



     ☆ ☆ ☆



 戦いが始まり、すずかはすぐにその違和感に気付くことができた。

(身体が――鈍い?)

 自分の一挙手一投足、そのすべてが頭の中で思い描く物よりも遅くなっていた。それ故にすずかの攻撃はキリカに当たらず、逆に彼女の攻撃を避けきることができずその身に受けてしまう。致命傷になるような攻撃ではなかったが、あの程度の攻撃を食らってしまった事実、それ自体がすずかの心に黒い感情を呼び起こす。

「アハハハハ――ッ。言い様だね、吸血鬼。私に傷一つ付けられないなんてさ」

「……キリカさんだって、まだ私に止めを刺すことができてないじゃない」

 高らかに笑いながら切りかかるキリカ。それをすずかは冷ややかな表情で受け止め、その腹を蹴り飛ばす。

 そして今度はすずかの方からキリカを攻め立てる。火血刀から放つ赫血閃の波状攻撃。迫りくる炎の刃。だがそれがキリカの身体に当たることはなかった。イメージよりも遅い速度で飛んでいった赫血閃は、キリカを射線上から退避させるには十分だった。誰もいない方向に飛んでいく無数の剣閃、それが結果的にすずかの考えを纏めるに至った。

 キリカの持つ速度低下の魔法、それがすずかの動きを阻害していた。五日前とは違い、今のキリカにはジュエルシードによって与えられた莫大な魔力がある。さらにここは彼女が作り出した結界。それ故にすずかはその魔法に抗うことなく、その影響下に身を置くことになっていたのだ。

「でも私が有利なのには変わりないよ。それにこうしている間にも結界内で人間は死んでいってるよ? 織莉子に言われてるからなのはって子には手を出さないけど、それ以外の人はどんどん死んでるよ。あなたはそれでいいのかな?」

「……ッ」

 その言葉にすずかは醜く顔を歪める。目を細め、キリカに向ける殺気を強める。それでもキリカの余裕な態度は変わらない。それがなおのこと、すずかの苛立ちを増長させた。

「なのはって子以外にも、あなたには友達がいるんでしょ? 私はその子のことは知らないから、もう死んじゃってるかもしれないよ? まぁ織莉子以外の存在が死のうがどうなろうが私の知ったことではないけどね」

「……もういい。これ以上、あなたの言葉は聞きたくない。だから――黙れ」

 そう短く呟いたすずかは、その身に秘めた魔力を解放する。織莉子が未来視で視た結界は、キリカが作り出したものではない。ならばこの後、本命の魔女が現れるかもしれない。だからすずかはジュエルシードの力を使ったキリカ相手でも余力が残せるように戦うつもりだった。

 しかしもうそんなことは関係ない。例えこの後に別の魔女が控えていようがキリカを殺す。なのはたちを守りたいという感情以上にキリカをどうしようもなく殺したいと思えてくる。

「アハハ――ッ。それだよ、吸血鬼、それが私は見たかったんだ! 全力のお前を完膚なきまでに叩き潰す。それで初めて織莉子を傷つけた罪が贖える!」

 そんなすずかを挑発するようにキリカは声を荒げる。それを見てすずかは火血刀の刃を強く握る。痛みを度外視して強く握った掌から流れ出る血液をその魔力で作り出した刀に吸わせる。そして次第に火血刀の刀身が赤く染め、その血液を燃料としその刀身を炎で燃やす。だがその色は赤ではなく紫。そんな見目禍々しい色を纏う刀身をキリカに向けた。

「黙れって言葉が理解できないのならそれでもいい。もうあなたが何を言おうと関係ない。なのはちゃんたちを傷つけようとする魔女は私が殺す。この世界に住まう人々に不幸を招く魔女を殺し尽くす。この世界を滅ぼす敵も私が滅ぼす。そした最後に――私が死ねば平和な日常が守られる。だから――あなたはここで死ね」

 すずかは一気に踏み込む。たった一歩、だがそれだけでキリカとの距離を零にする。そして一気にキリカに向けてその刃を振り降ろした……つもりだった。

「……えっ?」

 キリカの魔法の影響下であっても、その一撃は必殺の一撃のはずだった。当たればキリカを燃やし尽くす。例えジュエルシードの魔力があっても消えることはない不滅の炎。すでにすずかはどの程度、自分の速度が奪われているのかを把握している。それを元に計算して動けば、その一撃が外れることなどあり得るはずがなかった。

 だが現実にその一撃は放たれることすらなかった。すずかの両腕は振り上げた状態でその動きを止めていた。正確には微弱ながらも振り下ろされているが、それでも攻撃が失敗したことには変わりはない。そして必殺で決まる一撃とすずかが思い込んでいたが故に、その身体は隙だらけになる。

「ステッピングファング!」

 無防備なすずかに向かってキリカは無数の鉤爪を射出しながら距離を取る。すずかが反応できたのは、その一撃目が腹部を貫いてからのことだった。痛みに耐えながらまだ自由の効く下半身を上手く使い、その攻撃を避けていく。それを見てキリカは笑みを浮かべながら告げた。

「それじゃ避けにくいだろ? だから返すよ」

 キリカがそう呟いた瞬間、すずかの腕は速度を取り戻し、虚空に向かって火血刀を一気に振り下ろす。避けるという不安定な姿勢で繰り出されることになったため、火血刀はすっぽ抜け、頭上高く飛んでいってしまう。しかもただ飛んで行っているのではなく、回転しながら炎を放出していく。火血刀が回転しているためかそれはまるで炎の竜巻と呼べるようなものへと変貌していった。それがこの空間の天井に衝突する。轟音と共に結界そのものを揺らす驚異の威力。もし命中していれば、例えキリカがジュエルシードの魔力を全開に使って防御しても無傷では済まなかっただろう。

 その一方ですずかは大技を無理な体勢で放つ羽目になったが故に、その全身に強い痺れを感じていた。もはや攻撃を避けるだけのスピードを出せないと悟った彼女は、自分の身体に刺さっている鉤爪を抜き、それを使って迫りくる他の鉤爪を弾き落とす。

 その表情は息も絶え絶え。先ほどの一撃に全精力を込めていたのが、目に見えて分かるほどに衰弱しきっていた。だがその瞳は決して死んでおらず、未だにキリカのことを捕えて離さなかった。

 すずかの間違いは、今の状態がキリカに速度を奪われた状態であると決めつけて考えてしまったことだ。だが実際、キリカはこの結界の中ではその速度を自由に奪い、与えなおすことができる。あくまで奪うだけで自分の速度を速くするような真似は出来ないが、それでも相手が出せる速度の範囲内では自由に弄ることができるのだ。そのリズムを狂わせ、隙を作るには容易い能力だろう。

 もしすずかが勝負を焦らずじっくりと戦おうとすれば、そのメカニズムを把握し適切な攻撃を仕掛けることができたかもしれない。そうじゃなくても、彼女がキリカよりも先に結界を展開し、自分のテリトリー内で勝負を挑んでいれば結果はまた変わったかもしれない。

 だが現実にすずかは武器を失い、その身に宿した魔力の大半を失った。対してキリカは未だ無傷。与えたダメージは距離を取るために行った蹴りが一発のみ。

(このままじゃアリサちゃんや他の皆が……)

 すずかの中に先ほどまで立ち昇っていた黒い感情が消え、他人を思いやる気持ちが戻ってくる。キリカの言を信じるのならなのはは無事なのだろう。だがアリサを初めとする他の生徒に関しては、その限りではないはずだ。しかもなのはと違ってアリサたちが使い魔に抗う力など持ち合わせているはずもないのだ。

 すずかは自分の失策を呪い、それでもなお一刻も早くキリカを倒しこの結界を解く術がないかを模索し始める。

「ねぇ吸血鬼、もしあんたがこのまま私にソウルジェムを差し出すって言うのなら、この結界をすぐに解いてやってもいい。私が殺したいのはあんただけで、他の人間はあまり関係ないからね」

 そんなすずかの心を読んだかのごとく、キリカはそう問いかける。現状、キリカは事を優勢に運んでいる。すでにすずかの肉体を一度殺し、そして今もまた、その必殺の一撃を無駄打ちさせた。すでにその実力では、キリカはすずかより上であることは証明できた。だから今度はその精神を屈服させる。すずか自身に負けを認めさせ、彼女の手自らでソウルジェムを差し出される。そこまでしてようやく、キリカの復讐は完了する。

 そんなキリカの提案はすずかにとっても悪くないものであった。すでにすずかは満身創痍。先ほどの一撃に魔力を込め過ぎたためもう一度、肉体に大きな損傷を貰えば、再生には時間がかかるだろう。なればここで負けを認め、勝負を早めに切り上げることで助けられる命があるかもしれない。

 だが返事をする前にすずかはどうしてもキリカに聞いておきたいことがあった。

「……一つだけ聞かせてください。どうしてあなたはなのはちゃんを、アリサちゃんを、小学校の皆を巻き込むような真似をしたの?」

 今日、この場で出会うまで、キリカは格下の相手に過ぎなかった。すずかにとって警戒すべき相手は織莉子の方であり、キリカの魔法や能力などすずかの力を以ってすればどうとでもなる。そういう認識を持つ相手だった。

 そんなキリカを前にして、すずかに逃げるという選択肢はあり得ない。むしろ飛んで火に入る夏の虫と言わんばかりに、目の前に現れた格好の獲物として始末しようとしただろう。

 だからこそすずかはわからなかった。何故彼女は今日、現れたのか? なのはの死を回避したいと思っているのは、織莉子も同じである。それを邪魔しかねないキリカの行動。すずかはそこに矛盾が感じられた。

「そんなの決まってるじゃん。こうすればお前が逃げないと思ったからだよ、吸血鬼」

 だがキリカの口から出てきたのは、思いもよらない答えだった。

「強さを願うっていうのは、自分が弱いと言ってるようなもんだ。だから吸血鬼はもし自分の命が危険に晒されれば、簡単に逃げ出す。でもそれは人質がいなければの話さ。ここは吸血鬼にとって縁のある場所なんだろう? 顔見知りがたくさんいる場所なんだろう? だったら吸血鬼は逃げ出さない。どんなに相手が強くても自分の命が危険に晒されようとも吸血鬼は戦う。戦い続ける。……ま、これは織莉子の受け売りなんだけどね。でもそのおかげで敵を殺せるんだから、やっぱり織莉子の愛は偉大だよ」

 キリカは続けてすずかに語るが、その言葉は彼女の耳には入っていなかった。すずかの精神分析についてはどうでもいい。だが重要なのは、そのために罪のない数百人のもの人間を巻き込んだということだ。確かに小学校という空間の中ですずかの顔見知りと呼べる人間は数十人ほどはいるのだろう。だが学年が違えば、その繋がりができる機会もほとんどない。残りの数百人に関しては、名前は愚か下手をすればすれ違ったことすらないのだ。ただ同じ学び屋で学んでいただけ。それだけの理由で巻き込まれ、命を落とした人物がいる。それをキリカは是とした。それはすずかにとって衝撃的な言葉だった。
「……私を殺す、ただそれだけのためにあなたは罪のない一般人を結界に取り込んだって言うんですか!? そんなことのために――」

「そんなことだって?」

 それまで笑みを絶やさなかったキリカがその言葉に強く反応する。表情を醜く歪め、その目に狂気の宿った青い輝きを灯したキリカは、すずかの首を鷲掴みにすると、そのまま力任せに締め上げる。

「織莉子を傷つけた相手を殺すんだよ? そんなことのはずがないじゃんか。だってこの世界は織莉子がいなければ滅ぶんだよ。そんな織莉子を傷つけた。それって世界を滅ぼそうとしたことと同じじゃないか。そのための犠牲なんだ。あれだ、ささいだよ! 織莉子のためだもの、そんなこともわからない吸血鬼はやっぱり死んじゃった方がいい。織莉子傷つけたし」

 人間とは思えないほどの怪力ですずかの首を圧し折ろうとするキリカ。すずかはそこから逃れるために手にした鉤爪でキリカの腹部を貫く。その痛みで一瞬、キリカの手の力が緩み、その拘束から逃れるすずか。そのまますずかは翼を広げ、上空へと距離を取る。

「やってくれるじゃん、吸血鬼。でもね、このぐらいの傷で私の愛を止められると思ったら大間違いだよ!」

 キリカは腹部から鉤爪を引き抜く。すると傷口が青白く光り輝き、次の瞬間には完全に塞がっていた。そしてお返しと言わんばかりにすずかに向かって無数の鉤爪を飛ばし、撃墜を試みる。それを巧みに避けながら、すずかはキリカに対しての考えを改め直した。

 ――呉キリカは危険である。自分のため、織莉子のためなら何を犠牲にしても良いというその思想。そしてジュエルシードの魔力を自在に操り、相手の速度を奪うその魔法。彼女は今、ここで確実に殺しておかなければならない相手だ。

 アリサや他の生徒たちの安全を考えれば先ほどの取引に応じるのも手の一つだった。しかしもし仮に応じたとしても、殺した後で心変わりすることも考えられる。あるいはジュエルシードの魔力に捕らわれ、魔女化してしまう可能性もある。何よりここで自分が死ねばなのははいずれ、織莉子の言う世界の救済のために死ぬ羽目になるのだ。どちらにしてもこんなところで負けを認めるわけにはいかない。

 すずかはキリカの執拗な攻撃を避けながら火血刀を探すためにその高度を上げていく。望まぬ形の一撃だったとはいえ、それは偽りの空を砕くには十分な威力を持っていたらしい。攻撃を放たれた場所まで近付くと、そこには大きな穴が開いていた。辺りには攻撃の余波により広がった紫の炎が未だ猛り燃え続けている。火血刀はそうしてできた穴の先にあると違いないと考えたすずかは、体制を立て直す意味も込めて大穴の中へと躊躇なく飛び込んでいった。



     ☆ ☆ ☆



 結界に蠢く使い魔を潰しながら、杏子は魔女の元へと向けて駆けていた。ただし彼女一人でではない。その背後には数名の武装局員が並走していた。

 当初の予定では、杏子以外の武装局員は結界の中で子供たちを探しに散らせるつもりだった。しかしそれを命じてもなお、数人の局員は杏子の言葉に従わなかった。

「杏子殿についていっているのではありません。あくまでこちらに取り残された一般人がいないのかと探しているだけです」

 その際に彼らが告げた理由がこれであった。魔力の探知など魔法技術を身につけていない一般人にできるはずがない。そのため運悪く、魔女のいる方向へと逃げてしまっている者もいるかもしれない。そういう者がいた時のために、自分たちは杏子と同じ方角を捜索する必要がある。そんな武装局員の言い訳は表向きの理由としては妥当なもので、さらに彼らの言う通り、道中で幾人かの子供を発見するに至ったため、杏子は強く突き放すことができなかった。

「まだついてくるつもりか?」

「えぇ、他にもこの先に取り残されている子供たちがいるかもしれませんから」

 振り返ることなく尋ねる杏子に、武装局員の一人が淡々と答える。初めは十人近くついてきていたその人数も子供たちを結界の外に連れていくために今は三人まで減っている。最初よりは幾分身軽になったとは思うが、それでも彼らが魔女との戦いでは足手纏いになることに変わりはない。

 結界の奥から感じる濃密な魔力の気配。生半可な力で挑めば一撃でやられることになるであろう強烈な悪意。今まで戦ってきた魔女とは比べ物にならないほどの力を感じる。それ故に杏子は、この辺でついてきている武装局員を撒き、一人で魔女の元へと向かいたいと思い始めていた。

 そんなことを考えながら走り続けること数分、杏子たちは狭い迷宮から大きな広場のような空間に出た。そうして少し進むと、その遥か向こうに結界に取り込まれた一般人の集団を見つける。さらにその一群にじりじりとにじり寄る使い魔の姿。

「杏子殿」

「ああ、わかってる。急ぐぞ」

 それに気付いた杏子たちは移動速度を速める。そして手近な使い魔に向かって杏子は槍を放り投げる。突如として現れた杏子たちに使い魔は警戒し、そして襲いかかる対象を子供たちから杏子たちへと変更する。それを待ってましたかのように杏子と武装局員は目の前の使い魔を確実に葬り去っていく。

「大丈夫か? あたしたちが来たからにはもう安心だぞ。あっちのおじさんたちがこれからお前たちを出口に案内してやるからな」

 一分も掛からずに使い魔を駆逐した杏子たちは、子供たちにそう声を掛ける。その言葉に何人かの子供たちは安堵の表情を浮かべる。

「しっかし、よくこれだけの人数が一緒に行動して、今まで無事で済んでたな」

 実際にここに来る途中で杏子たちが保護した子供たちのほとんどは一人か二人で行動しているものばかりだった。それが途中で逸れたのか、共に行動していた子供が使い魔の犠牲になったのかは知る由もなかったが、そういうことなく今までこれほどの大人数で行動できたのは奇跡に近い。

「えっと、それはさっきまで彼女が私たちを守ってくれたから」

「彼女?」

 杏子の言葉を聞き、集団の中の一番の年長であろう少女がそう説明する。そんな彼女の視線の先を追うとそこには杏子の見知った少女の姿があった。

「もしかして、なのはか?」

 そう問いかける杏子だったが、それが本当になのはかどうか、一瞬わからなかった。杏子の前にいる彼女は大声で泣き、床を爪でひっかき続けていた。明らかに冷静さを失くしているなのはの姿を見て、杏子は慌てて駆け寄り声を掛ける。

「おい、なのは。何があったんだ?」

「きょうこ、さん?」

 声を掛けられたなのはは、初めてこの場に杏子がいることに気付き、そのまま杏子の胸に飛び込んでくる。いきなりの事で杏子はなのはを支えきれず、その場に尻もちをつくように倒れる。だがそんなことは関係なしと言わんばかりに、なのはは杏子の胸に顔を埋めて再び泣き喚く。そんななのはの様子にただ事ではない事態を感じた杏子は、先に他の武装局員に他の子供たちの避難を任せ、彼女の話を聞くことにした。

 泣きながらの説明だったので要領を得るものではなかったが、それでもなのはがクラスメイトが使い魔に喰われる姿を目の前で目撃してしまったこと。それでも一人でも多くの人を助けるために必死に戦っていたこと。それなのに親友を守りきることができず、助けに行くことさえできなかったということ。

「もしわたしがもうちょっと皆の近くにいれば、アリサちゃんを助けることができたかもしれない。わたしがもう少し強ければ、誰も死なずに済んだのかもしれない」

 そしてそのことを悔い、泣き喚き続けていたということはすぐにわかった。

「いつまでも泣いてんじゃねぇよ!」

 そんななのはの甘ったれた態度に杏子は、彼女を強く突き放した。杏子の突然の行動に、なのはは心底驚いた表情で見つめる。

「確かにアリサって奴の状況は絶望的だ。あたしやなのはと違って魔法の使えない子供なんて使い魔にとって格好の餌だろう。しかもそいつは結界の裂け目に落ちて、その裂け目もすでになくなってるんだろ? どうなってるかわかったもんじゃない」

 杏子の現実を突きつけるような言葉に、なのははさらに気落ちする。

「けどな、そいつが死んだところは誰も見てないんだ。なら友達であるなのはは、そいつが生きていることを信じてやらなくちゃ駄目なんじゃないか?」

 その言葉になのははハッとなる。そんななのはに杏子はさらに言葉を続けた。

「……あたしはこれから、この結界を作り出した魔女を倒す。そうすれば結界が解け、中に捕らわれている人々は自然と解放されるだろう。その間、なのはは好きなだけここで泣いていればいい。なのはなら例え一人で落ち込んでたとしても使い魔ぐらい、撃退できるだろうしね」

 そこまで言うと、杏子は立ち上がる。そしてなのはを置いてゆっくりと立ち去ろうとする。

「ま、待ってください、杏子さん」

 そんな杏子をなのはは慌てて呼び止める。そして目に溜めた涙を拭いながら、真っ直ぐと杏子のことを見て告げた。

「わ、わたしも連れてってください。わたしもまだアリサちゃんが生きている可能性に賭けてみたいんです」

 なのはの目に強い輝きが灯る。先ほどまで暗く絶望に沈んでいたものとは違う、可能性という希望に満ちた瞳。それを見て杏子は満足そうに笑い、一言こう口にした。

「……好きにしな」

「――ッ! はい!!」

 こうして杏子はなのはと共に結界の奥に進んでいくこととなる。

 本当のところ、杏子としてはなのはを魔女の元に連れて行きたいとは思わなかった。先ほどまで一緒だった武装局員よりは強い魔力を持っているとはいえ、その戦闘技術はまだまだ未熟。それでもこの場は彼女の意思を尊重してあげたかった。彼女が魔法少女でなくても、今回は明確な戦う理由があったから。



     ☆ ☆ ☆



 裂け目に落ちていったアリサは自分の死を覚悟していた。この深い闇がどれほど続いているのかはわからないが、どちらにしても落下していることには変わりはない。そのためいずれは終着点が訪れ、そこに激突したときが自分の最後であるということを理解していた。心残りはたくさんあるが、アリサにはもはやどうしようもない。今の彼女にできることと言えば、その運命を受け入れることぐらいであった。

 だがその最悪の予感は外れることになる。深い闇を抜けた先にあったのは、先ほどと同様のチェック柄の奇妙な空間だった。地面を目視したことでアリサはぎゅっと目を瞑る。そしてすぐに自分の身体に衝撃を感じ、その命を奪われることを構えていた。

 しかしいつまで経っても衝撃が襲ってこない。そこで恐る恐る目を開けたアリサは、自分が宙に浮いていることに気付く。先ほどまでの風切るような速度ではなく、シャボン玉のようにゆっくりと下降しているアリサの身体。そのことに驚きを感じつつもアリサは冷静に自分の態勢を整え、そのまま地に足を付けた。

 頭上を見上げると先ほどまであった裂け目は閉じていくのが見えた。どちらにしても飛べないアリサがそこに自力でたどり着くのは不可能なことだったが、これで誰かの助けを期待することはできないことを悟る。

(どうにかしてなのはたちのところに戻らないと)

 アリサは当てもなく歩きはじめる。内心ではいつ使い魔が現れ、襲ってくるか不安でしょうがない。もしかしたら一ヶ所に留まっていた方が安全かもしれない。そう思いつつもアリサは歩みを止めようとはしなかった。自分がいなくなったことでなのはが感じる悲しみ。それをできるだけ早くやわらげてあげたいと思ったから。

(それにしても、なんか熱いわね)

 先ほどまでいた場所とは比べ物にならないほどの熱気。まるでサウナの中にでもいるような、強烈な熱さを全身で感じる。熱で体力がじりじりと奪われていく中、アリサは次の空間に続く扉の前に辿り着く。

「あ、熱ッ!」

 ドアノブに触れると火傷してしまいそうなほど熱く、反射的に叫んでしまう。それでも他に進む道がない以上、アリサはその扉を開けるしかなかった。服越しにドアノブを握りしめ、熱さに耐えながらゆっくりと扉を開いていく。その先はまるで炎熱地獄のような世界だった。辺りを猛る紫色の炎が床や壁を溶かし、燃え盛り続けている。今まで通ってきた道とはその様相が違う空間。見るからに危険な場所。このような道を進むなら、まだ来た道を戻って別の通路を探した方が安全と思えた。

 だがアリサはその部屋の中に躊躇なく入っていく。それはその先に人影を見つけたから。炎の中から刀を取り出し、握り締める少女。それはここ連日、アリサがずっと会いたいと思っていたもう一人の親友。

「すずか!? あなた、すずかなんでしょ!!?」

 アリサは精一杯その名を呼ぶ。アリサの知っている長い髪ではなくショートカットになった彼女。人間には絶対に生えていないであろう蝙蝠のような翼を生やし、その全身を血で汚し、見覚えのない一振りの刀を握り締めていようとも、アリサがすずかのことを間違えるはずもない。

「ねぇ、こっちを向いてよ、すずか。ねぇったら!!」

 だからアリサは必死に叫ぶ。何度もその名を呼び続ける。彼女がこちらに振り向いてくれるその時まで――。

 


2013/3/8 初投稿
2013/3/29 一部描写&誤字脱字修正



[33132] 第8話 なまえをよんで…… その6
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2013/04/06 18:46
「すずか!? あなた、すずかなんでしょ!!?」

 始め、すずかはその声を幻聴だと思った。この結界の中に彼女が捕らわれていることは知っている。それでもここは結界の中心部に限りなく近い場所だ。さらにキリカとの戦いの余波で辺りには炎が猛り狂っている。こんな場所に何の力もない彼女がいるはずがない。

「ねぇ、こっちを向いてよ、すずか。ねぇったら!!」

 だがそれを否定するかの如く、再度彼女の声が聞こえてくる。一週間前まで毎日のように聞いていた慣れ親しんだ声。それと同時にもう二度と聞くことはないと思っていた大切な親友の声。そんな彼女が自分の名前を必死に呼んでいる。

 できることなら彼女の呼び掛けに応えたい。だが今のすずかにそんなことをする資格はない。すでに彼女はその手を血に染め、人として生きる道を放棄してしまったのだから。

 だからすずかは彼女の――アリサの声とは反対方向に向かって飛び立とうと翼を広げる。アリサは決して馬鹿ではない。自分の姿が見えなくなれば、こんなに炎がうねる中に自ら飛び込むような真似はしないだろう。

「待ちなさいよ、すずか! あたしはあんたに言いたいことがたくさんあるのよ! 絶対に逃がさないんだから!!」

 しかしそんなすずかの考えとは裏腹にアリサは歩を進める。炎の熱気に怯えながらも、真っ直ぐすずかのことを見つめて、少しずつ近づいてくる。

「来ないで――ッ」

 それに気付いたすずかは腹の底から声を上げる。彼女の怒気を孕む声にすずかの魔力でできた炎はさらにそのうねりを高める。それに一瞬、怯むアリサだったがそれでも歩みを止めることはなかった。少しずつ確実にすずかの元へと向かっていく。

「……来ないで、来ないでよ。どうしてそんな危ない真似をするの!」

 そんなアリサの姿をすずかは目を離すことができなかった。このまま飛び去ってしまうことは簡単だろう。しかしそんなことをすれば、アリサはこの炎の渦の中に取り残されることになる。それはすずかとしても望むところではなかった。

「どうしてって決まってるじゃない。あたしの方から近寄らなきゃ、すずかは絶対にこっちに来てくれないことがわかってるからよ」

「そんなこと……」

「ないとは言えないはずよ。あたしとはすずかの方から来てくれれば嬉しいけど、もしそれができるならこんなに会えないなんてことなかったはずだもの」

 その言葉にすずかは詰まる。アリサの言は紛うことなき事実だ。このような事態でなければ、すずかは二度と人前に姿を現すつもりなどなかった。魔法少女としての業の中で生き、この世界を救い、人知れず死ぬつもりだった。

「でも一体何を考えてそんな結論に至ったのかわからないけど、すずか、あんた意外と馬鹿なのね。今、あたしたちはこうして会話してるし、それにほら、もうすぐ顔を合わせることだって可能だわ」

 そんなことを話しながらもアリサは巧みに炎を避け続ける。最初はおっかなびっくりといった感じの動きだったが、次第に慣れてきたのかその歩みを速め、気付いた時にはすずかの正面に立っていた。

「ねぇ、すずか、あたしたちは今、こうして顔を向かい合わせている。これってそんなに難しいことじゃないはずよ。こんな簡単なことをできないと思い込むなんてどうかしてるわよ」

 からかうように告げたアリサはにこやかに笑う。目元に涙を浮かべた優しい笑顔。それがすずかにとても懐かしく感じられた。

 だがそれ故にすずかはその顔を直視できない。魔眼の暴走した時の被害を極力避けるという意味もあるが、それ以上に今のアリサの顔はすずかには眩し過ぎた。

 今のすずかはその手を血に染めている。人間であることを止め、魔法少女として生きる道を選んだ。そんな自分がアリサに笑顔を向けられる資格などない。

「……にしてもすずか、どうしてこっちを見ないのよ? ちゃんとあたしの目を見て話しなさい」

 そう言いながらアリサはすずかの顔を掴み、強引に自分の顔に向けさせようとする。

「だ、駄目、それは駄目!?」

 だがすずかはとっさ半歩後ろに下がることでそれを回避する。

「なによ、別にいいじゃない。久しぶりにすずかの顔を間近で見たって」

「そう言う問題じゃないよ。アリサちゃんは知らないかもしれないけど私は――」

「魔法少女なんでしょ? それぐらい知ってるわよ。でもそんなの関係ないわよ。なのははなのはだし、すずかはすずか。そりゃ秘密にされていたことには少しムカッときたけど……」

「そうじゃないんだよ、アリサちゃん」

 魔法少女であるだけなら、何の問題はない。現にすずかが皆の元を離れようと決心したきっかけは力のコントロールができず、その果てに自分がどのような末路を迎えるのかを知ったからだ。いくらアリサが優しい言葉を掛けようとも、その事実を知らない上での言葉など、上っ面だけの言葉でしかない。

「なら魔法少女はいずれ魔女になるから一緒にいられないとでも言うのかしら?」

「えっ……?」

 だがそんな前提はすぐにアリサの口から覆されることになる。

「……その顔を見ると、どうやら本当みたいね。はぁ~、もしかしたら織莉子さんが嘘言ってるのかもと思ったけど」

 さらにアリサの口から紡がれる言葉にすずかは驚きを隠そうとしなかった。

「アリサちゃん、織莉子さんのこと、知ってるの?」

「えぇ、実は五日前にもね、あたしとなのはが魔女の結界に取り込まれたことがあったのよ。その時に偶然助けてもらって、ついでに魔法少女について色々聞かせてもらったってわけ」

「そう、なんだ」

「ま、それはともかくとして、あたしはもちろん、なのはや忍さんだってすずかが魔法少女だろうがなんだろうが気にすることはないわよ? それにもし、すずかが魔女になるって言うのなら、それを全力で止めてみせる。だからすずか、あなたは何も心配せずに皆の元に帰ってきていいのよ?」

 アリサは優しくすずかを諭す。その言葉の一つひとつがすずかの心を温かくしていく。だがすずかは首を静かに横に振った。

「ごめんね、アリサちゃん。それでもやっぱり私は皆の元には帰れないよ。だって私はもう……」

 すずかがそう言い掛けた瞬間、背後から強烈な殺気を感じる。そしてとっさにアリサを抱きかかえ、その場から飛び退く。そうして先ほどまですずかたちが立っていた場所には無数の鉤爪が突き刺さっていた。

「逃がさないよ、吸血鬼」

 そしてすずかの耳に入ってくる忌まわしい声。声のする方を睨みつけると、そこには笑みを浮かべたキリカの姿があった。

「といってもここは私が作り出した結界なんだから、いくら逃げ出しても無駄なんだけどね」

「――別に逃げたつもりはありませんよ。私はただ、刀を拾いに来ただけです」

「ふぅん、ま、いいや。ところでそいつ、誰?」

 キリカは怪訝そうな表情でアリサのことを見る。その瞳はまるで路傍に転がる石でも見るような、そんな無為で空虚な表情だった。

 その視線に晒されたアリサはまるで蛇に睨まれた蛙のように硬直する。キリカとしては特に意識せずに向けた視線。だがそこに籠められていた魔力によってアリサはその自由を瞬時に奪われてしまったのだ。

 そんな視線にこれ以上、アリサには触れさせまいとすずかは庇うようにその間に割って入る。

「あなたが結界内に取り込んだ一般人ですよ。さっきたまたまそこで使い魔に襲われそうになっていたのを見つけて助けてあげただけです」

 そして淡々とアリサについて嘘の情報を与える。もしキリカが自分とアリサの関係を知れば、決して見逃そうとはしないだろう。織莉子に生かすように言われているなのははともかく、アリサについては何も言及されていないはずだ。だからこそすずかは自分からその関係性を否定し、少しでもアリサの身の安全を考えた。

「それより戦うのなら先ほどの場所まで戻りませんか? ここで戦うと関係ない彼女まで巻き込んでしまう可能性がありますからね」

 この場でアリサを一人にするのは危険であるが、それでも傍に置いた状態でキリカと戦うことの方が危険度は上だ。それ故のハッタリ。後はキリカがその提案を乗ってくれるかどうかだが……。

「別に私はそれでも構わないよ。私が殺したいのは吸血鬼だけだし、下手に近くをうろちょろされるのも目触りだしね。でもさ――」

 言いながらキリカは頬を釣り上げる。その笑みからは残忍さが滲み出ていた。

「わざわざ私たちが移動しなくても、そいつが先に死んじゃえば関係ないよね?」

 そう言ってキリカはすずかたちに向かって駆け出す。それを迎え撃つかの如くすずかは飛びだし、その鉤爪を火血刀で受け止める。

「キリカさん、あなたが殺したいのは私だけなんでしょ!? なのにどうして?!」

「決まってるじゃん。こうした方が吸血鬼の苦しむ顔が見れると思ったからだよ。それに私が吸血鬼の提案なんて飲むわけないじゃんか」

「……くっ」

「ところで、敵は私とこんなことをしていていいのかな?」

 そう言うや否や、どこからともなく無数の鉤爪が飛んでくる。それはすずかを狙うものではなく、アリサを標的として飛ばされたものだった。

 未だ身体が強張っているアリサはそれを避けようとすることすら叶わない。それに気付いたすずかは即座に反転し、アリサの元へと駆け出す。

「アハハ――ッ。私に背中を見せるなんて良い度胸じゃん、吸血鬼」

 そんなすずかの背中をキリカは両手に持つ十の鉤爪で大きく切り裂く。裂かれた背中からは大量の血が噴き出し、その場に火血刀を落とす。

 だがそれでもすずかは止まらなかった。痛みに耐えながら今の自分が出せる全力でアリサの元に近づき、そのまま彼女を突き飛ばした。すずかの視界に入るのは驚きの表情を浮かべるアリサと、自分に迫りくる無数の鉤爪、そして高笑いを上げるキリカの姿だけだった。



     ☆ ☆ ☆



 結界の奥に向かっていたクロノは、目の前の出来事に対してどういう対処をするべきか思い悩んでいた。

 先ほどまでクロノは使い魔と交戦していた。結界に取り残された子供たちを襲う使い魔。執務官以前に一人の魔導師として助け出すのは当然のシチュエーションだ。そしてそれはクロノの後からやってきた二人の魔導師――フェイトとアルフにとっても同じことだったのだろう。

 子供たちを助けるという共通の理由を持っていたため、クロノは彼女たちと協力して周囲に群がっていた使い魔を駆逐した。そして今は使い魔に襲われ怯えきった子供たちをなだめながら、偶然遭遇した二人の処遇について考えていた。

 このような状況でなければ、彼女たちを拘束しアースラに連れていくべきなのだろう。しかしここは魔女の結界の中で、そこには未だに多くの力なき子供たちが取り残されている。そんな状況下で彼女たちと不必要に事を構えている余裕はクロノにはない。一刻も早く結界の奥にいる魔女を倒し、この現状を打開しなければならない。

「すまない。キミたちに一つ頼みがある。彼らを結界の外まで連れて行ってあげてはくれないか?」

「えっ?」

 そんなクロノの提案が意外だったのだろう。フェイトから意外そうな声が上がる。

「本来ならばキミたちを拘束し、アースラで事情聴取をしたいところだ。しかし今は状況が状況だ。そんなことに時間を割いている余裕はない」

「だから今日のところはあたしたちを見逃す代わりにこいつらを結界の外に連れていけってことか?」

「そういうことだ」

 クロノは毅然とした態度で答える。

 そんなクロノの態度は気に入らなかったが、アルフとしてもその提案は良いものと言えた。ジュエルシードを目的として結界の中に入ってきたとはいえ、今の二人だけではジュエルシードを取り込んだ魔女を倒すことは難しいだろう。杏子と合流し協力すればあるいはとも考えたが、どちらにしても危険な相手であることには変わりない。もう一つの目的である一般人を助けるという意味でも、その提案には賛成であった。

「あたしとしてはそれでも構わないよ。フェイトもそれでいいかい?」

 だからこそ、アルフはフェイトが口を開く前に自分の意見を告げる。そのことに驚くフェイトだったが、最終的にはアルフと同様の考えに落ち着き、首肯でクロノに答えた。

「なら僕はそろそろ行く。彼らのことをくれぐれも頼む」

 そう言ってクロノはその場から飛び立とうとする。

「ま、待ってください!」

 だがそれをフェイトが呼び止める。フェイトにはどうしても確かめたいことがあったからだ。

「一つだけ聞かせてください。あの後、杏子はどうなったんですか?」

 それは杏子についてのことである。結界に入る前に杏子の姿を目撃したとはいえ、それでもわからないことが多い。ゆまのこともある以上、杏子の現状を確かめておく必要があった。

「彼女は民間協力者として僕たちに協力してくれている。おそらくここにも来ているはずだ」

「そう、なんですか。なら一言、伝言をお願いできますか。『ゆまは元気にしてる』って」

 本当ならば杏子との連絡役を頼みたい。しかしフェイトとクロノではその立場が違い過ぎる。このような状況でなければ、遭遇した瞬間に戦闘になってもおかしくない間柄なのだ。それでも最低限のことだけは伝えておきたかった。

「……そうか。やはり千歳ゆまはキミたちと一緒にいるのか」

「ゆまのことを知っているんですか!?」

「ああ。杏子に少し聞かされただけだけどね。だが今はその話は置いておこう。とりあえず僕はもう行く。伝言は必ず杏子に伝えるから安心するといい」

「はい。よろしくお願いします」

 そう言ってフェイトは頭を下げる。その姿にクロノはどこかばつが悪くなったように感じ、これ以上は何も言わずにその場から飛び去った。

 そうして飛びながら、何故フェイトのような少女がジュエルシードを必要としているのか、クロノは頭を捻らせるのであった。



     ☆ ☆ ☆



 そこに立っていたのは死に体の少女だった。腹部に三本、両足と右腕に一本ずつ、計六本の鉤爪がすずかの身体を貫いていた。それらの傷口からは止めどなく血が溢れ出ており、その場で立っていられるのも奇跡と呼べるような状態だった。

 無数の鉤爪に身体が貫かれた時、すずかは自らの死を覚悟していた。すでに身体からは致死量を超える血液が失われている。魔力もほとんど残っていない。このような状態では身体を再生させることができず、いずれはキリカによってソウルジェムを砕かれることになる。そう確信していた。

 もちろん心残りは山ほどある。織莉子の記憶を覗いた時に見た破滅の魔女はもちろん、それ以外にもこの世界の脅威となり得る存在はたくさんいる。それらを駆逐することなくこんなところで命を散らすことは、すずかとしても本意ではなかった。

(やっぱりこれって、報いなのかな?)

 すずかが実際に手を掛けてきたのは、何も魔女だけではない。いずれ魔女になる可能性のある魔法少女もまたその手で殺してきた。魔女になり掛けている以前に、そんな血塗られた道を歩き続けた彼女はもう決して平和な日常へと帰ることはできない。だがそれでもなのはとアリサ、そして忍たちが幸せな日常を謳歌できればそれでいい。そう思っていた。

 だが実際に死を間近にして、すずかは未だ何も果たせていないことに気付く。ここですずかが死んだところで世界は何も変わらない。来るべき破滅をもたらす最後の敵を前にすずかが死に、織莉子が意識を戻さなければ立ち向かえる者など誰もいない。ジュエルシードの魔力などをその身に使っているキリカなどとても半年もの間、生き続けることは不可能だろう。

 それ以前に自分はアリサを救うことすらできていない。自分がいなくなればこの場に残るのはアリサとキリカ。そしてキリカが自分を殺せばアリサはどのような行動を取るだろう? そう考えた時、諦めの表情を浮かべたすずかの瞳に強い光が灯る。

(まだ、私は――ッ)

 傷ついた身体を無理に動かそうとするすずか。唯一鉤爪に貫かれることのなかった左腕を使い、その身体に刺さっている鉤爪を引き抜こうとする。だが……。

「流石は吸血鬼、しぶといね」

 そんなすずかの思い虚しく、その正面にキリカが立つ。そして今まさに引き抜こうとしている鉤爪を掴むと、傷口を抉る。

「――ッ!!」

 声にならない叫びと共にすずかの口から大量の血液が吐き出される。それをキリカは正面から浴びるが、その手を緩めることはなかった。

「どうやらさっきとは違って、もう回復する魔力すら残されてないみたいだね」

 執拗にキリカは鉤爪ですずかの腸を抉り続ける。狂気に染まった両眼ですずかの苦痛で顔を歪める姿を見つめる。

「あ、アンタ、すずかに何してるのよ!! 今すぐ離しなさいよ!!」

 そんなすずかを助けようとアリサが怒鳴りをあげる。その手にはすずかの落とした火血刀。震える手で自分の力では扱いきれないほどの重量を持つ刀をキリカに向けながら、精一杯の虚勢を張る。

 そんなアリサの姿を一瞥したキリカはすぐ様、興味を失くしたようにすずかの方に向き直る。

「む、無視するんじゃないわよ!!」

 そう言ってアリサは火血刀を持って突っ込んでくる。キリカはその姿を見ることなくアリサの攻撃を避ける。だがアリサはめげずに何度もキリカに襲いかかる。それがあまりにもしつこかったため、キリカはすずかを蹴り飛ばし、剣を向けてくるアリサの襟首を掴みあげた。

「キミ、ホンキ? ただの人間が魔法少女に剣を向けるなんて殺してくれって言ってるようなもんだよ? そのまま隅で隠れてた方が良かったんじゃない?」

「ふ、ふざけないでよ。友達を見捨ててまで生きたいとは、あたしは思わないわよ」

「友達? この吸血鬼と?」

「そ、そうよ。すずかはあたしの大事な親友よ。あ、あんたなんかに好きにはさせないんだから」

 そう言い放つアリサだが、その声はか細く震えていた。キリカの言う通り、アリサは何の力も持たないただの人間だ。先ほどのやりとりでキリカの持つ力が圧倒的だということはアリサにもわかっている。

 それでもアリサは退くわけにはいかなかった。ここで退いたらもう二度と、アリサは胸を張ってすずかのことを親友だと呼べなくなる。そう思ったから、精一杯の虚勢を張り続けた。

「ふ~ん、親友ねぇ」

 そんなアリサの言葉を聞いて、キリカは掴んでいた襟首を離す。突然の事に対応できなかったアリサはその場で尻もちをつく。そうして痛がるアリサをキリカは冷徹な表情で見降ろした。

「ねぇ、キミは吸血鬼のことを愛してるの?」

「あ、愛?」

 キリカの口から出てくる意外な言葉に、思わずアリサは反芻する。

「そう、愛だよ。私は愛する織莉子のために敵を殺す。その邪魔をキミはする。キミの力では絶対に私には勝てないのに向かってくるなんて、そんなの愛がなければできないことだよ。もしキミが吸血鬼のことを愛してるっていうのなら、私にも少し考えがあるけど?」

 真っ直ぐアリサの顔を見るキリカ。キリカの深い闇色の瞳に見つめられたことでアリサは悲鳴にも似た呻き声をあげるが、すぐにその怯えを自分の中から消し去る。そして逆に強い意思を瞳に籠めて、キリカに言い放った。

「……あんたの言う愛って言葉の意味はわからないけど、愛しているかいないかで問われれば、間違いなくあたしはすずかのことを愛していると断言できるわ。だってすずかはあたしにとってかけがえのない親友なんだから!」

 キリカはアリサの目を真っ直ぐ見据えながらその言葉を聞く。二人の間にしばしの静寂が流れる。ほんの数秒でしかなかったが、アリサにとってその間は永遠とも呼べる長い時間に感じられた。

「――キミ、名前は?」

 その後にキリカはアリサの名前を尋ねる。どこか満足のいった表情を浮かべながら、ジッとアリサの瞳を見つめてその返事を待った。

「あ、アリサ・バニングスだけど」

「そっか、キミってアリサって言うのか。キミの吸血鬼に対する愛は紛れもなく本物だよ。とても清廉で潔白な純粋な愛。私以外でここまで愛が深い人を見たのは初めてだ。キミは愛について語り合える同志、いや伝道師だ。その相手が吸血鬼っていうのが少し気に入らないけど、愛する相手は個人の自由だ。そこに誰も口を挟んじゃいけない。もしそんな奴がいたら、そいつは愛について何も知らない。ただの嘘つきだ。愛は無限に有限で、それで唯一のものでなければならないものなんだ。他人の言葉に耳を貸すようじゃ、そんなの本当の愛とは言えないよ。だから私はキミの吸血鬼に対する愛を肯定する。私が否定したところでキミの愛が本物という事実に変わりはないから意味はないけど、それでも私はアリサの愛を認めるよ」

 キリカは目を輝かせながら爛々と語る。先ほどまでとの態度の違いに、アリサは思わずたじろぐ。

 しかし同時に今はすずかを救い出すチャンスでもあった。先ほどまでは誰の言葉にも耳を貸さないといった雰囲気だったが、今のキリカはとても友好的に思える。キリカのことを許す気は毛頭ないが、それでもすずかを救い出せるかもしれない絶好の機会を逃すつもりはなかった。

 だが……。

「でもそれ故に残念だな。せっかくこんなに愛の造詣が深い人に会えたのに、もう別れることになるなんて」

「キリカさ……えっ?」

 アリサが意を決して話しかけようとしたところで、キリカの口から雲行きの怪しい言葉が紡ぎだされる。キリカはそんなアリサの動揺にまったく気付かず、言葉を続けた。

「本当なら七日七晩ぐらいアリサと愛について語り合いたいところだけど、私の愛がそれを許さない。今すぐ吸血鬼は屠らなきゃならない。そして私はアリサの愛を引き裂くような真似はしたくない。だからせっかくできた同志もこの手に掛けなきゃならない。正直、あまり気は進まないけど、これも愛のため。愛なら仕方ない。織莉子に対する愛だけは絶対に否定してはいけない。否定したくない。だからそのためにせっかくできた同志アリサも殺す」

 そう言うとキリカはアリサを殺意の籠った眼差しで睨みつける。誰かから直接殺意を向けられた経験がなかったアリサはそれだけで腰が抜け、全身から嫌な汗が噴き出し、寒くもないのに身体が震えだしてしまう。

「でも正直、私はアリサのことが羨ましいよ。だって死ぬ時も愛する者と一緒なんて、なかなかできるものじゃないよ。死ぬことによって二人は愛によって永遠に結ばれる。一緒に死ぬんだから何も怖くないし、離れることもない。これほど素晴らしい愛の成就は他にないよ」

 そこまで言うとキリカはアリサから視線を外し、すずかの方に顔を向ける。

「良かったじゃん、吸血鬼。キミは死んでも一人にはならないみたいだ。この子が付き合ってくれるみたいだよ。キミみたいな敵には勿体ないほどの贅沢だけど、でも私はキミを敵として恨む前にアリサを愛の伝道師として認めて一緒に殺したいんだ。このことを知ったらもしかしたら織莉子は嫉妬しちゃうかもしれないけど、だけどたまには織莉子をヤキモキさせる権利は私にだってあるはずなんだ。そうだよね? 織莉子」

 キリカは誰にともなくそう呟く。すでにその瞳は焦点があっていなかった。誰もいない虚空を見つめて、ただただ織莉子の名を呼び続ける。もちろんその言葉に返事は来ない。

「……織莉子、待っててね。今、私が愛を証明してあげるから」

 一頻りそうしたキリカは、改めてアリサに向き直る。そしてその首筋に鉤爪を突きつけた。

「本当は二人同時に逝かせてあげたいところだけど、まだ吸血鬼を身体のどこにソウルジェムを隠しているかわからないから、先にアリサから殺してあげるね。でも安心してよ、すぐに吸血鬼も逝かせてあげるから。だからアリサは安心して吸血鬼を向かい入れる準備でもして待っててよ」

 キリカの言葉にアリサは何も返さない。狂気を帯びたキリカの殺意に当てられ続け、ただの一般人であるアリサがここまで意識が持っていただけでも奇跡に近いことなのだろう。そのことにキリカは少しだけ不満を覚えたが、それでも彼女がやることは変わらない。

「それじゃあさよなら、アリサ。私が死んだらその時は、二人で愛について語り合おう。約束だよ」

 別れの言葉と共にキリカは手首を軽く捻る。それだけでアリサの首が飛び、彼女が死ぬはずだった。

「あれ?」

 しかしそうはならなかった。跳ね跳ぶはずのアリサの首はその場にくっついたまま。それどころか手ごたえすらない。まるで目の前のアリサが幻とすり替わってしまったかのような、そんな感覚。それでもキリカは何度もアリサを殺そうと鉤爪を突き立て続けた。



「いくらやっても無駄だよ。本物のそいつはもう、この場にはいないんだから」



 どこからともなく聞こえてくる第三者の声。それと同時に目の前のアリサが霞となって消え去る。そしてそれは少し離れたところにいるすずかも同様だった。

 そしてその代わりに目の前に現れる一人の少女。赤い装束に身を包み、その手には一筋の槍。酷く不機嫌な表情を浮かべ、真っ直ぐキリカのことを睨むその魔法少女の名は佐倉杏子。管理局と協力し、この結界内に潜むジュエルシードを持った魔女を倒すためにやってきた魔法少女だった。

「――キミは、誰? アリサと吸血鬼をどこにやったの?」

「はん、そんなこと、教えるわけねぇだろ。バーカ」

「……なら殺してでも聞き出すから」

 そう言ってキリカは杏子に襲いかかる。そんなキリカに杏子は出し惜しみなどせず、全力で挑んでいった。



2013/3/29 初投稿および誤字脱字修正
2013/4/6 感想版にてご指摘のあった箇所を修正



[33132] 第8話 なまえをよんで…… その7
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2013/04/06 19:30
 時は少しだけ遡る。杏子となのははジュエルシードの魔力の元に向かいながらアリサの姿を探していた。少しでも被害を抑えられるように目に付く使い魔を駆逐しながら、結界の奥へと進んでいく。

「ん? あれはクロノか?」

 そうしていると目の前からクロノが近づいてくることに気付く。フェイトたちと別れた彼もまた、引き続き結界の奥へ向かって真っ直ぐ飛び続けていたのだ。

「杏子か。それとキミは確かなのは、だったね。無事合流できたのか」

「そういうクロノはこんなところで何してんだよ? 先に結界に入って一般人の救助をしてたんじゃなかったのか?」

「キミも人のことは言えないだろう。それにどうやら、考えていることは同じようだしね」

 言いながらクロノは目の前の扉に目を向ける。扉越しからでもわかる熱気と濃厚な魔力の気配。まず間違いなく、この奥に結界を作り出した魔女がいる。二人はそう考えていた。

「それで、どーすんだ? このまま扉を突き破って一気に魔女に襲いかかりでもするか?」

「……いや、それは得策じゃないだろう。キミたちと違って僕はジュエルシードの力を得た魔女の実物を見たことはない。だがこの奥にいる相手は一筋縄でいかないことはわかる。戦うにしても何らかの情報を得てからの方がいいだろうな。だからまずは扉の隙間からサーチャーを飛ばし、中の様子を探る」

「……なるほどな。でもあまり分析してる暇なんてないぞ」

「わかってる。僕としてもこの結界はできるだけ早く解きたいところだからね」

 そう言ってクロノは扉の隙間からサーチャーを飛ばす。そうして覗いた空間の光景を見て、思わずなのはが叫んだ。

「アリサちゃん!? それにすずかちゃんも!!?」

 サーチャーが映しだしたのは、鉤爪で串刺しになっているすずか。恐怖で顔を引き攣らせているアリサ。そして楽しげに言葉を紡ぐキリカの姿だった。見たところ魔女の姿はないが、それでも親友二人の危機を察知したなのはは、すぐ様二人を助けに向かおうとする。

「待て、なのは!」

「待てません! アリサちゃんとすずかちゃんが酷い目に遭っているのに、大人しくしているなんてわたしにはできない!!」

 慌てて杏子はなのはを止めようとするが、彼女はそれを聞き入れようとはせずに扉に手を掛ける。――だがその扉が開くことはなかった。それはクロノがなのはにバインドを掛けたからだ。

「気持ちはわかるが落ち着け。今、キミが無策で行っても、二人の状況がより悪くなるだけだぞ」

「だ、だけど!?」

 なのはは力任せにクロノのバインドを解こうとする。しかしいくら魔力を籠めてもバインドはびくともしなかった。

 そんななのはの様子を見て、杏子は意を決したように告げる。

「……クロノ、なのはのバインドを解け。あたしに考えがある」

「杏子?」「杏子さん?」

「……二人とも良く聞け。あたしがあいつの注意を引き付けるから、その間に二人を助け出せ」

「そんな!? 一人じゃ危険ですよ?!」

「そうだ。どんな作戦かは知らないがキミ一人にそのような真似はさせられない。むしろ残るのは僕の方だ」

「いいやクロノ、お前は二人の治癒役だ。映像を見る限り、アリサはともかくすずかの傷はやばい。あの魔法少女の様子からおそらくはまだ死んじゃあいないんだろうが、もう自力で動くことはできないはずだ。本当ならアースラの医療スタッフに任せるべきなんだろうが、そんな時間はなさそうだしな。……そしてなのは、お前は二人の治療をしているクロノを守れ。いくらこいつでも治癒魔法を使っている間は無防備だろうからな」

 杏子の魔法は攻撃に特化していると言ってもいい。彼女の願いから生まれた本質的な魔法こそ幻惑だが、それ以外は攻撃に主を置いた魔法ばかりを習得してきた。そのため魔法少女になった当初から治癒魔法は苦手で、よく師匠であるマミにきちんと練習するように注意されていた。マミと袂を分かってからも練習は続けたが、自己治癒能力が多少向上した程度で他人を治癒するほどの魔法を会得するに至らなかった。

 そしてなのはもまた、治癒魔法の類は一切使えない。元々、彼女は魔法少女でもない普通の女の子だ。多大な才能を秘めているといっても、彼女はまだ砲撃と探査魔法ぐらいしか使用することができない。特に治癒魔法に関してはユーノが得意だったこともあり、それに甘え練習さえしてこなかった。

 そんな杏子の意図が伝わったのだろう。二人は神妙な面持ちで頷く。

「しかし杏子、一体どんな手段で二人を助け出すつもりだ? まさか正面からぶつかっていくなんて言わないだろうな?」

「もちろんそんな真似はしねぇさ。――あたしの『魔法』を使う」

 そう言うと杏子は二人の肩に手を置き、短く何かを呟く。すると杏子の姿が目の前から忽然と消えていく。さらにそれに呼応するかのごとく、なのはとクロノの姿もまた消えていった。

 突然、自分たちの姿が消えたことにうろたえるなのはだったが、クロノには杏子の掛けた魔法に少しばかり心当たりがあった。――オプティックハイド。術者と術者が触れているものを消し去るミッドの幻惑魔法だ。もちろん杏子の使った魔法がミッドの魔法ではないのだが、その効果は同様のものだろう。

「……今、あたしたちの姿はあいつには見えないはずだ。その隙をついて二人を逃がす」

「しかし杏子、確かに僕たちの姿は見えないだろうが、流石にあの二人を担いで逃げ出せば気付かれるんじゃないか?」

「その点もきちんと考えてるさ。とにかくあたしが合図したらなのははすずかを、クロノはアリサを抱えて離脱しろ。なのは、その後はクロノの指示に従ってくれ。いいな?」

「は、はい。わかりました」

「ああ、しかし杏子、キミも無茶はするなよ」

「どの口がそんなことを言うんだよ。ま、安心しろって。あたしだってそれなりに場数を踏んできてるんだ。引き際ぐらい弁えてるさ。――それじゃあ行くぞ」

 そう言うと杏子たちは音もなく扉の向こうに入っていく。杏子の指示通り、なのははすずかの元へ、クロノはアリサの元へと急行する。

 それに対し、杏子はまずはすずかの傍に駆け寄った。キリカに蹴り飛ばされ、その場に突っ伏している串刺しのすずか。これほどの傷を負えば例え魔法少女とは言えど、普通ならば死んでいてもおかしくないだろう。しかしそれでもすずかは生きていた。ほとんど自由の効かない身体で、全身に刺さった鉤爪を引き抜こうと足掻いている。

 その様子を見て、なのはは叫びたい気持ちで堪らなくなる。だがここで叫んでしまえば杏子の作戦は失敗してしまう。だからなのはは必死に口を紡ぎ続けた。

【すずか、聞こえてるか?】

 そんななのはを尻目に杏子はテレパシーですずかに話しかける。

【……その声は杏子さん? どうしてここに?】

【あたしだけじゃねぇ。今ここにはなのはとクロノも来てる】

【っ!? なのはちゃんが? でもどこに?】

【あたしの魔法で姿を消してるんだ。それでだすずか、今からお前の姿を消すから、それに乗じてなのはの手を借りて逃げてくれ】

【ダメだよ。ここで私が逃げたらアリサちゃんが。それにキリカさんの狙いは私なの】

【……事情はわかんねぇけど、その身体じゃあどちらにしてもも戦うのは無理だ。ここはあたしの言う通りにしな】

 そう言いながら杏子はすずかに手を掛ける。それと同時にすずかの姿がその場から消え去り、その代わりに自分と全く同じ姿をした幻が現れる。

 それこそが杏子の魔法。本来なら忌避すべき自分の願いから生まれた幻惑の魔法。最近は全く使うことがなかったため、杏子の全身に底知れぬ虚脱感が襲う。さらに一度は否定した魔法を無理に使用したためか、胸の奥から不快感が込み上げてくる。

 だがそれでも杏子は止まるわけにはいかなかった。続いてアリサの元に向かうと、すずかに施したのと同様の魔法をかける。

【なのは、クロノ、今の内だ。急げよ、あんまり長い時間は保たないからな】

 そして全ての準備が整った杏子は、改めて二人に念話で指示を出す。その言葉に従い、なのはとクロノは離脱していく。キリカはそれに気付いた様子もなく言葉を続ける。誰にともなくしゃべり続ける狂気的な言葉。その果てにアリサの幻影の首に鉤爪を突きつける。その首を刎ね飛ばそうとするも
 刎ね飛ばせず不思議そうな表情を浮かべるキリカ。それは実に滑稽な光景だったが、これ以上黙って見ているわけにはいかないだろうと杏子は声を出す。

「いくらやっても無駄だよ。本物のそいつはもう、この場にはいないんだから」

 そうして杏子は自身の幻惑の魔法を解く。アリサとすずかの幻はその場から掻き消え、杏子の姿がその場に現れる。この場にはいないが、離脱していった四人の姿も現れているはずだろう。

「――キミは、誰? アリサと吸血鬼をどこにやったの?」

 いきなり現れた杏子にキリカは驚きの表情を浮かべながら尋ねる。その視線に晒された杏子は、彼女から放たれる並々ならぬ魔力に気付く。そしてそれが右目に埋め込まれたジュエルシードから放たれていると知る。

(こいつは、本気でやべぇかもな)

 ジュエルシードの危険性を杏子は身を持って体験し、さらに管理局にも教えられていた。すずかを圧倒したことである程度の強さは覚悟していたが、それでもジュエルシードの魔力を使っているのは予想外だった。おそらく正面から掛かれば、魔力差だけで杏子は呆気なく敗れてしまうだろう。

「はん、そんなこと、教えるわけねぇだろ。バーカ」

 だが今の杏子の役割は囮だ。少しでも長い時間、キリカを自分に引き付ける。そのために必要以上に挑発した。

「……なら殺してでも聞き出すから」

 その挑発が功を奏し、キリカは杏子へと向かって攻撃を仕掛けてくる。それに対し、杏子は全力で向き合うのであった。



     ☆ ☆ ☆



 すずかとアリサを連れだしたクロノたちは、キリカと杏子のいる空間からある程度の距離を稼ぐとその場で二人の容態を診る。

 アリサは意識を失っているだけで目立った外傷はない。念のためアースラの医療スタッフにも後で見てもらうつもりだが、おそらく数時間もすれば何事もなく目が覚めるだろう。

 しかし問題はすずかの方だ。すでにその身体からは大量の血液が失われている。刺さっている鉤爪に目が行きがちだが、それ以外にも無数の細かい傷があり、呼吸も乱れている。このままでは命を失くすのも時間の問題だろう。

「クロノくん、アリサちゃんは、すずかちゃんは大丈夫なの?」

「……そっちの子はたぶん大丈夫だ。しかしすずかの方はもはや一刻の猶予もない。僕は今から彼女に治癒魔法を掛けるから、キミは周囲の警戒を頼む」

「わ、わかりました」

 クロノはなのはにそう指示を出すと、自分の持てる限りの治癒魔法と応急処置をすずかに施す。失った血液や魔力を甦らせることはできないが、それでもすずかの負った深い傷口を塞ぐことはできる。だがこれはあくまで一時的な処置だ。なのはや杏子より治癒魔法に長けているとはいえ、それでもすずかを快調にさせるには至らない。ある程度の処置を終えたら、すぐにでも結界を抜け、アースラまで戻る必要があるだろう。

 しかしそうなった時、問題になるのは囮を買って出た杏子のことである。一度手合わせをしたからわかることだが、すずかも並みの使い手ではない。動きは読みやすいが、その一撃に籠められた威力はクロノでも脅威だと感じられるものだった。そんなすずかをここまで一方的に傷つけた相手を前に、杏子がどこまで戦えるのか? 二人を逃がすためとはいえ、彼女一人を囮にしたという事実。それがクロノに重く圧し掛かった。

 もしこの場が魔女の結界でなかったのならば、なのはに結界からの抜け道を教えて、自分は杏子の元に戻るという選択をしただろう。しかし魔女の結界は複雑だ。一応ここまでの道筋を記憶してきたとはいえ、それを他人に正確に伝えられる自信はクロノにはない。

 さらに言うと、なのはを杏子の元に向かわせるというのはもっとあり得ない。彼女は民間人で、今回の事件の被害者なのだ。執務官として、そんな判断をするわけにはいかない。

「……ねぇ、クロノくん。杏子さん大丈夫かな?」

 そんなことを考えていると、なのはがそう尋ねてくる。すずかの治療に集中していて気付かなかったが、周囲には使い魔の残骸と思われる肉片が無数に散らばっていた。おそらくこの辺りにいる使い魔を一掃してきたのだろう。

「……杏子なら大丈夫だ。キミも彼女の強さは知っているだろう?」

「うん、そうだけど、でもやっぱり一人だと心配だよ」

 そう言うとなのはは治療を受けているすずかの方に目を向ける。先ほどより幾分か呼吸が落ち着き、その傷も大きなものを除き、ほとんどが塞がりつつある。それでもその顔色は悪く、まだ予断は許さない状況であることは明白だった。

「クロノくん、わたし――」

「――駄目だ。キミに危険な真似をさせるわけにはいかない」

 なのはの言葉をクロノが遮る。クロノにはなのはが何を言おうとしているのかわかっていた。それはクロノ自身も一度考え、即座に否定したこと。

「だけど、こうしている間にも杏子さんが危険な目に遭っているかもしれないんだよ! わたし、そんなの放っておけないよ!!」

「キミの気持ちはわかる。しかしそれでもキミを杏子の元に行かせるわけにはいかない。むしろ行くとしたら僕の方だ。すずかの治療が終わったらすぐにでも……」

「……嘘はダメだよ、クロノくん。さっきクロノくんが自分で言ってたでしょ? すずかちゃんはもう一刻の猶予もないって。それなのにこんなすぐに治療が終わるわけないよ」

 なのはの鋭い指摘にクロノは押し黙る。そんなクロノに対して、なのはは言葉を続けた。

「それにね、クロノくん。わたしは許せないんだよ。すずかちゃんやアリサちゃんにこんな酷いことをしたあの人を……。もちろん、杏子さんを助けに行きたいって気持ちもある。だけどそれ以上にわたしはあの人がどうしてすずかちゃんとアリサちゃんを傷つけたのかを知りたいの。あの人の口から直接お話を聞かせてもらいたいの。――だからお願い、わたしを杏子さんのところに向かわせて!」

「……ッ。駄目だ、キミがなんと言おうとそんな判断を下すわけにはいかない」

 なのはの強い眼差し。それを見てクロノは一瞬、揺れてしまう。だがすぐに執務官としての責務を思い出し、彼女の願いを却下する。

 普段のなのはならそれで引き下がっただろう。彼女は元来、穏やかで優しく、それでいて他人の気持ちを理解できる良い子だからだ。しかし今、なのははかつてないほどに怒っている。自分の大切な二人の親友をこれほどまでに傷つけたキリカをただ黙って許せるわけがない。なのは自身、誰かに対してそのような感情を抱くことに戸惑いを覚えたが、それでも彼女はハッキリとキリカのことを憎らしいと感じていた。

「ごめんなさい。高町なのは、指示を無視して勝手な行動をとります」

 ――だからこそ、なのははクロノの指示を無視して飛ぶ。キリカと戦闘を続けているであろう杏子の元へ。

「ま、待て。キミ一人じゃ危険だ」

 そんななのはを必死で呼び止めるクロノ。だが彼はその場から一歩も動くことができなかった。今、ここで治療を止めてしまえば、塞がり掛けたすずかの傷口が再び開いてしまうから。そして意識のない彼女たちを置いてこの場を離れることがどれほど危険なことかを解っているから。

「くそっ、二人とも無事で戻ってきてくれよ」

 結局、今のクロノにできることはすずかの治療と、杏子となのはの無事を祈ることだけだった。



     ☆ ☆ ☆



 杏子とキリカ。その二人の戦いは実に一方的なものであった。杏子が全速力でキリカに攻撃を仕掛けても、彼女の魔法によってその速度は殺され易々と避けられてしまう。さらに動きを鈍った状態ではキリカの攻撃を回避することもできず、手数の多い鉤爪に一方的に蹂躙される。持ち前の戦闘センスでなんとか致命傷だけは負わずに済んでいたが、それでも杏子がジリ貧なのは火を見るより明らかだった。

「ねぇ、キミはそんな実力で私の織莉子に対する愛を邪魔したの? 馬鹿にしてるの?」

 鉤爪に言葉を乗せてキリカが襲いくる。それを杏子は手に持つ槍で防ぐ。すでに何度も鉤爪を受け止めたことで傷だらけになっている名もなき槍は、ついにその攻撃に耐えきれず中ほどからぽっきりと折れてしまう。そのまま杏子の身体を鉤爪が引き裂くが、そこから血が流れる様子はなく、その輪郭は徐々におぼろげになりその場から掻き消えてしまう。

 ――ロッソ・ファンタズマ。その技はかつて杏子が師事していたマミによって名付けられた必殺技だ。自分の分身を作り出し、相手を撹乱し、隙を作り出し攻撃する。昔は最高で十三体もの分身を作り出すことができたが、今では二人作るので精一杯。しかも魔力消費はもちろん、願いを否定した代償で使う度に不快なものが胸から込み上げてくるという始末。先ほどのように気付かれないところで使うのならばともかく、本来ならばとても実戦で使えるような代物ではないだろう。

 それでも杏子はキリカに対してそんな不完全な技を使用した。杏子にはわかっていたのだ。キリカという魔法少女が自分の手札を全て晒さなければ到底太刀打ちできないであろう相手だということに。ジュエルシードの魔力を打ち破るには、彼女の不意を突いた一撃を行わなければならないということに。だから杏子はこの奇襲に全てを賭けた。

 背後から音もなくキリカの身体を一突きする。キリカの胸から生え出す槍。普通の人間であるならば、それだけでショック死してしまいそうな強烈な一撃。だが相手は魔法少女、普通に人間より頑丈にできていることは杏子自身も良く知っている。それ故にこのまま追撃を仕掛けようとした。

「――ッ!!」

 だが突如として背筋がぞわりとする。嫌な予感を感じた杏子は反射的に後ろに飛び退き、キリカから距離を取る。

「……いったいな~。キミ、攻撃するなら正面から来てよ。背中からじゃ受け止められないじゃん」

 そしてそれを裏付けるかのように、キリカの口から当たり障りのない口調で話しかけられる。今、彼女の胸には槍が刺さっているというのに、その声に一切の淀みはない。内臓が傷ついていれば、少なからず声に何かしらの違和があってもおかしくないはずなのに。

「それにしてもさっきの何? いきなり消えたと思ったら背後から刺されてたんだけど? そう言えば吸血鬼やアリサもそんな感じて消えたっけ?」

 キリカはぶつぶつと呟きながら、何事もなかったかのように胸に刺さった槍を引き抜く。勢いよく引き抜かれたことによって、キリカの胸に空いた穴から血が勢いよく噴き出す。

 ……だがそれはほんの数秒の出来事だった。槍という異物が体内から消え去った途端、キリカの傷がみるみるうちに塞がっていく。

 魔法少女は普通の人間より丈夫な身体を持ち、戦闘で受けた傷も魔力を用いればすぐに治せるということは杏子も知っている。だがいくら治せるといっても、そこには限界がある。治癒魔法に特化した魔法少女でもない限り、一瞬で傷口を塞ぐというのは不可能なはずだ。

 だがすぐにある可能性に至る。――ジュエルシード。その魔力と性質を使えば、傷口を一瞬で塞ぐことも可能だろう。もちろん何故、彼女がジュエルシードの魔力をそこまで自在に操れるのかという疑問はあるが、今はそんなことはどうでもいい。問題なのは杏子の全てを賭けた一撃は全く効果がなかったということ。その一点のみである。

「ま、いいや。キミが私のてきなのは間違いないし、吸血鬼たちの前にキミも織莉子の愛で殺してあげるよ」

 キリカは改めて杏子に殺気を向ける。その背筋も凍るような殺気に、杏子はキリカがまったく本気を出していなかったことを悟る。



 ――そして次の瞬間、杏子の右腕が中ほどから斬り落とされた。



「……なっ?」

 杏子の口から間抜けな呻き声が漏れる。実際に斬られるまで、杏子はキリカの接近にすら気付くことができなかった。一太刀の元で切断された杏子の右腕は虚空で血を撒き散らしながらその場にぼとりと落下する。傷口からは血がほとばしり、地面に赤い染みを作り出す。

「――ッ!!」

 遅れてやってきた激痛に杏子は声にならない叫びを上げる。そして反射的に槍をキリカに向かって突き出しながら距離をとる。

「テメェ、何をしやがった!?」

 杏子は傷口を抑えながらキリカに怒鳴りつける。あの瞬間、いったい何が起きたのか、杏子にはまるで理解できなかった。油断していたつもりはない。彼女はキリカを確上の相手として認識し、戦いに臨んでいた。それなのにも関わらず、キリカは杏子の認識の外側から彼女の右腕を斬り落としたのだ。

「う~ん、私の魔法はばれてるみたいだし、教えてもいっか。――簡単に言うとね、キミの思考速度を遅くしたんだよ。正直できるかどうか半信半疑だったけど、やってみるもんだね」

 その言葉を聞いて杏子は愕然とする。思考の速度低下。それは言うほど容易いことではない。脳の電気信号に干渉し、その思考を鈍らせる。一瞬の出来事に思えたキリカの動きは別にそこまで素早いものではなく、ただ杏子が認識できなかっただけ。

「本当はあのまま気付かないうちに殺しちゃおうと思ったんだけど、やっぱりそんなに長い時間は使えないみたいだね。でもキミに次はない。次はその胸元についてるソウルジェムを狙うから間違いはないよ」

 その言葉に杏子はゾッとする。そして考えるよりも前に杏子はロッソ・ファンタズマを発動し、分身をキリカに向かわせる。たった一人の分身。それでも数秒、キリカの目を晦ますことができればそれで十分だ。

 杏子は分身を使い、その隙を突いてこの場から離脱しようと考えていた。すでに自分の囮としての役割はほぼ完了していると言ってもいい。キリカを倒さなければ何の解決にもならないが、今の杏子ひとりではそれはもはや不可能だろう。だからこそ体制を立て直す意味も込めて戦略的撤退をしようとした。

 しかしそんな時間稼ぎの策も虚しく、キリカは杏子の分身に視線を向けることなく鉤爪を飛ばし迎撃する。無数に飛ばされた鉤爪に貫かれた分身体は一撃の元で露と消える。その間にもキリカは徐々に杏子との距離を詰めていく。まだ先ほどキリカに掛けられた魔法の効力が完全に消えていないためか、接近されるのは時間の問題だろう。



 ――だがそれは思いもよらない形で破られる。



 突如としてキリカを襲う桃色の砲撃。予想外の攻撃にキリカは反応できず、そのまま吹き飛ばされてしまう。それはなのはのディバインバスターだった。クロノの制止を振り切り戻ってきたなのはは杏子の危機を悟り、間髪いれずにキリカに攻撃を仕掛けたのだ。

「なのは、どうして戻ってきた!」

「だって、杏子さん一人じゃ心配で……」

 結果的に助けられた杏子だったが、それでも怒鳴らずにはいられない。今、この場になのはがやってきたところで、状況が好転するわけではない。むしろ先ほどのディバインバスターも不要にキリカの恨みを買うだけだろう。

「あたしの心配なんてしてる暇があったら、すずかたちについていてやれよ。あいつらはなのはの親友なんだろ?」

「そうだけど、でも杏子さんだってわたしにとって大切な友達だから」

 すずかやアリサのことはもちろん大切だと思っている。だがなのははそれと同じくらい杏子のことも大切な友達だと感じていた。

「あたしが……友達?」

「そうだよ! 杏子さんはすずかちゃんのことで悩んでいたわたしの背中を押してくれた。それに今もすずかちゃんとアリサちゃんのことを助けてくれた。そんな杏子さんのピンチを放っておけるわけないよ!!」

 そんな真正面からぶつけられたなのはの言葉に、杏子は赤面する。だがすぐに冷静さを取り戻し、この場において最善と思われる言葉をなのはに告げた。

「……そう言ってくれるのは嬉しいけどさ、それでもなのはは今すぐクロノのところまで戻れ。ここはあたしが食い止めてやるから」

 それは杏子なりの感謝の証だった。自分を助けにきて友達だと言ってくれたなのは。そのことが杏子は素直に嬉しく、だからこそこれから行われる戦いに彼女を巻き込むわけにはいかないと覚悟を決める。

 なのはのディバインバスターは確かに強力だ。杏子の見立てでは並みの魔女ならその一撃だけで仕留めることができるだろう。……しかしキリカには届かない。先ほどは彼女の不意を突く形で放たれたために命中したが、次からはそうはいかない。他人の思考速度さえも減速させることができるキリカならば、砲撃の速度を操ることなど容易いだろう。すなわちキリカに攻撃を食らわせるには近接攻撃を行うしかなく、砲撃魔導師であるなのはとの相性は限りなく最悪のものだろう。

 そうでなくともキリカの力はケタ違いであるということは、先ほどの戦いで杏子は嫌というほどわかっている。キリカを倒すには、杏子の持てる限りの力を全て使わなければならない。――その結果、自分が力尽きることがわかっていたとしても。

「……杏子さんはずるいよ」

 そんな杏子の覚悟を敏感に感じ取ったなのはは、ぼそっと呟く。そして静かに自分の内に秘めた思いの丈を打ち明けていく。

「いつもそうやってお姉さんぶって。確かに杏子さんの方が私より歳上だし、魔法使いとしての戦いの経験も多いけど……でもわたしだって戦えるんだよ! それなのにすずかちゃんの事に託けて一人だけアースラに残っちゃうし、今だってすずかちゃんとアリサちゃんを助けるために自分から一番危ない役割を引き受けて、そんな怪我まで……」

 なのははチラッと杏子の右腕に視線を向ける。肘から先がない杏子の右腕。その酷く痛ましい光景を見てその声は自然と沈み、表情を曇らせていく。

「これはあたしがヘマした代償だ。なのはの気にすることじゃねぇよ。……それにこれぐらいの傷、魔法少女やってるなら日常茶飯事だから、大したことねぇよ」

 そんななのはを慰めようと杏子は残った左腕でなのはの頭を軽く撫でる。口ではそう言う杏子だったが、流石に部位切断となるとそう簡単に治せる傷ではない。すずかやキリカが規格外なだけで、杏子は至って普通の魔法少女なのだ。彼女自身、治癒魔法が苦手ということもあるが、それでもこの傷を完全に治すのに数ヶ月の時は要するだろう。

「……やっぱり杏子さんはずるい。本当は凄く痛いはずなのに、わたしに心配掛けないようにって我慢してる」

「そんなこと……」

「あるよ。わたしにはわかる。それにゆまちゃんのことだってそうだよ。杏子さんだって本当はゆまちゃんのことが心配なんでしょ? それなのにわたしやすずかちゃんのことばっかり気にして、いつまでも会いに行こうとしないでさ。本当は杏子さんだってゆまちゃんに会いたいんでしょ? それなのにわたしを逃がしたら、杏子さん今度こそ本当に……」

「――なのは、それ以上は言わなくていい」

「えっ?」

「確かにあたしは腕の痛みを我慢してるし、ゆまのことを考えなかった日はない。正直、照れくさいから反論したいところだけど、そいつは認める。だけど今はそんなことを言い合っている場合じゃないだろ?」

 そう言って杏子はキリカが吹き飛ばされていった方に目を向ける。ディバインバスターによって巻き起こされた煙が晴れ、その中からキリカが姿を表す。そこに目立った外傷はなく、まるで何事もなかったかのように杏子たちの元に近づいてくる。

「正直、あいつの強さは異常だ。あたしだってそれなりに修羅場はくぐってきたつもりだ。だけどあいつの強さはなんつーか、次元そのものが違う。おそらくはジュエルシードの魔力を自由に操っているせいだろうが、正直、勝てる気がしねぇ。……でもな、全く手がないわけじゃない。だからなのは、援護を頼む」

「はい、わかりました!」

 その言葉になのははパーっと笑顔を咲かす。それを見て杏子はなのはに距離を取るように告げると、一気にキリカに向かって駆け出した。

 本当のことを言えば、杏子はまだ、なのはにはこの場から離脱して欲しいと思っていた。しかしもはや、それを説得する時間すら残されていない。だから杏子は援護という形でなのはを戦いの中心地から遠ざけた。せめて彼女が巻き込まれずに済むように――。



2013/4/6 初投稿



[33132] 第8話 なまえをよんで…… その8
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2013/04/06 19:31
 すずかは夢を見ていた。初めに見ていたのはすずかの理想を体現したような夢。普通の人間として生まれた彼女が、なのはやアリサと出会い、時に喧嘩し、時に悲しみを共有し、時に笑い合う。そんな夢。普通の人間だから運動神経がそこまで良いことはなく、テストの点数もあまり高くない。それでも夢の中のすずかは幸せだった。だって彼女は人間だから。なのはやアリサと同じ、何の力も持たないどこにでもいる普通の女の子だったから。

 だがその夢は突如として現実に塗り潰される。夜の一族の吸血種として生まれ、その生まれを知り絶望した過去の自分。すずかはただ、普通に生きたかっただけなのに、それを真っ向から否定された。自分の血に怯え、他人を傷つけることを恐れた彼女は孤独でいることを選んだ。

 家族はいる。夜の一族という血の絆で結ばれた家族。自動人形という血の通っていないが故に不用意に傷つけずに済む家族。そういった意味では、すずかは真に孤独ではなかったのだろう。しかし彼女には友達がいなかった。喧嘩し、悲しみを共有し、笑い合える。そんな友達が欲しくて欲しくて堪らなかった。

 だからなのはやアリサと仲良くなれた時、すずかは心の底から嬉しかった。彼女たちと一緒にいる時間が何よりも愛おしく、大切に感じられた。

 それ故に、すずかは自分の血を呪った。もし夜の一族ではなく普通の女の子だったのならば、すずかは大切な親友に秘密を持たずに済んだのだろう。もし秘密を持たなければ、すずかはより踏み込んでなのはたちに接することができただろう。もしより踏み込んで接することができていれば――すずかは魔法少女になることもなかっただろう。

 キュゥべえに願いを聞かれた時、すずかは自分の血を受け入れる強さが欲しかった。だから彼女はキュゥべえに『強く在りたい』と願った。その先にどんな結末が待っているとも知らずに、彼女は漠然と強さを願った。

 確かにすずかは強くなれた。魔法少女として海鳴市の平和を守ると誓ったあの時から、すずかは夜の一族である自分を受け入れることができた。魔女との戦いは怖かったが、それ以上に魔女を放置して誰かが傷つくことの方が怖かった。だからすずかは日夜、必死に魔女と戦い続けた。自分が怖い思いをしてでもこの町の平和を、誰かを救うことができるならそれでいい。あの時までは確かにそう思っていた。

 しかしなのはが戦いの場に現れた時から、すずかの歯車が狂い始める。すずかにとってなのはは特に守りたい人の一人である。それなのになのはは自ら戦いの場に赴いている。その矛盾、それがすずかの人間としての枷を外した。

 なのはを守るためには、圧倒的な力を手に入れなければならない。彼女の力などがまるで役に立たないほどの力の差を見せつけなければならない。それでも戦うというのなら、そもそもこの世界から戦いを失くさなければならない。ジュエルシードを回収し、この世界にいる全ての魔女を駆逐する。
 そのためにすずかは際限なく強くなった。その結果、すずかの中の『ニンゲン』と呼べる部分は消失し、『吸血種』という部分だけが残った。

 初めは普通の女の子に、人間になりたかった。ただそれだけだったのに、すずかの中の人間と呼べる部分はもうほとんどない。彼女はすでに人間ではなく化け物なのだ。そのことに絶望しつつも、すずかが魔女にならなかったのは最後の希望が残されていたから。



 ――それはなのはたちが平和に暮らせる世界を作り出すこと。



 自分の犠牲で皆が平和に暮らせるのなら、すずかは絶望はしない。むしろその未来に希望を繋ぐ。そのためなら自分がどうなろうとも構わない。例え化け物と罵られようとも、吸血種として日の元で暮らせなくなろうとも構わない。それで大切な人たちを守れるのなら、その果てに死ぬことになろうとも構わない。

 ――だから今は、こんなところで寝ている場合じゃない。早く起きて、キリカの元に戻らなければ。そして今度こそ、彼女を仕留め、この結界から皆を解放しなければ……。

 そう決心してから、すずかが実際に行動を起こすまで、一秒と時間は掛からなかった。



     ☆ ☆ ☆



「……いい加減にしてくれないかな? 私はただ吸血鬼を殺したいだけなのに、織莉子への愛を貫きたいだけなのに、どうして邪魔するんだよ?」

 ディバインバスターの直撃を受けたキリカは、酷く苛ついていた。威力自体は今のキリカにとってそう問題ではない。不意を突かれたので驚いたが、キリカにとってなのはの砲撃は精々、肩を叩かれた程度の痛みでしかなかった。

 だが先ほどの杏子の足止めから数えて、すでにキリカはそのイライラがピークを迎えつつあった。彼女が邪魔しなければすでにすずかを殺すことはできていただろう。にも関わらず、現在はその行方さえわからない。さらに執拗に足止めを食らわされている。元々、気が長い方ではないキリカにとって、これは耐えがたい苦痛であった。

「どうして邪魔するかだって? 強いて言うならあんたが気に入らねぇからだな」

 最初にキリカと対峙した時は、そこまで明確な理由はなかった。ただ目の前で殺されそうになっている子供がいる。そしてなのはがそいつらの知り合いで、杏子自身もすずかとは面識があったからこそ助けに入った。

 しかし今は違う。実際にキリカとやり合ってわかったことだが、この結界は彼女が作り上げている。どのような手段でキリカが魔女のような結界を作り出せているのかは杏子の知るところではないが、あまつさえジュエルシードのような危険なものを用い、不必要に一般人を巻き込むようなやり方を今の杏子は許しはしない。

 魔法少女が魔女を狩るのは仕方ない。そのために使い魔を成長させるために見逃すのもまだ理解できる。しかしキリカがやっているのは、不必要な虐殺である。魔女のいない結界に一般人を閉じ込め、使い魔に襲わせている。それも魔女の口付けを与えられたものではなく、小学校という何の力もない子供たちに対して。

「でも本当のところ、あんたと戦うのに特に理由なんて必要ないんだよね。何の目的であんたがこんな騒ぎを起こしたのかあたしは知らない。だけどこれだけはハッキリしてる。――あんた、異常だよ。あたしが言えた義理でもないけど、こんなの魔法少女のすることじゃあない。こんな絶望を振りまくような真似は魔女のすることだ。……だからあたしはてめぇを殺す。魔法少女が魔女を殺すのに理由なんていらないからね」

 杏子はキリカを強く睨みつける。本来、杏子は賢い魔法少女である。勝てない相手と無理に戦うような真似は避け、確実にグリーフシードを手に入れてきた。ゆまと出会ってからは自分の利益のみを追求することも少なくなったが、それでもその戦いに対するスタンスそのものは変わっていないだろう。

 そういった観点で言えば、この場は退くべきところである。キリカの邪魔をしないことを約束し、さらにすずかがいそうな場所を教えれば杏子は戦闘を回避することも可能だろう。

 だがキリカだけはこの場で仕留めなければならない。例え命を削る結果になったとしても、こいつを見逃せばまたさらに今日のような事態が引き起こされる。それだけは絶対に避けねばならないことだった。

「ふ~ん、私が魔女ね。それってあながち間違いじゃないよ?」

「……なんだって?」

「あの吸血鬼と同じさ。ジュエルシードを埋め込んだ以上、私ももう後戻りできないところまで来てるだよね。尤も、人間であることを止めたところで私の愛は止まらない。例え魔女になろうとその程度で私の織莉子に対する愛が消え去るわけがない。もちろんキミ程度の魔法少女に阻まれることなんてもっとあり得ないけどね」

 言い終わると同時に杏子の身体に無数の鉤爪が突き刺さる。四方から突如として飛ばされた鉤爪に、杏子は反応することすらできなかった。

「……良かったよ。自分で魔女だって言うなら、それこそあたしはあんたを心おきなく殺すことができる」

 その声はキリカの背後から聞こえてくる。そこにはもう一人の杏子の姿があった。それを視認したと同時に、キリカの正面に立っていた杏子の姿が幻となって消え、その場にはキリカの飛ばした鉤爪だけが残される。

「でもそのおかげで準備は整った」

 杏子の足元から生えてくる無数の巨大な槍。敵を貫くというより押し潰せそうなほどに巨大な槍は多節棍のように曲がりくねり、まるで鉄の龍のような様相を見せる。その中で一際大きな槍の上に杏子は飛び乗ると、冷ややかな目でキリカを見降ろした。

「いくらあんたがジュエルシードの魔力を得てようが関係ねぇ。あたしの全力全開、受けてみな!」

 そう言って杏子は一気に突っ込んでいく。キリカは狂気を帯びた笑みを浮かべながら、それを正面から立ち向かっていった。



     ☆ ☆ ☆



 クロノにとってそれは突然の出来事だった。すずかの治療に専念していた彼にとって、それは予想できるはずもなく、それ故に彼は初め、自分の身に何が起こったのかわからなかった。

「キ、キミは何を……!?」

 思わず零れる疑問の言葉。その表情を赤面させ、クロノはすぐ間近にあるすずかの横顔を見る。

 彼は今、すずかに抱きつかれていた。先ほどまで死に体だった彼女のどこにそんな力が残っていたのかわからなくなるほどの強烈な力。軽く引き剥がそうとするが全くびくともしない。もちろん本気の力を込めれば引き剥がすことは可能だったかもしれない。しかしすずかが深い傷を負っていたこともあり、無理に遠ざけようとはしなかった。

「ごめんなさい、少しだけ頂きます」

 そんなクロノの耳元ですずかは申し訳なさそうに囁くと、その首筋に思いっきりかぶりつく。そしてその傷からクロノの血をどんどん吸っていく。

 そうなって初めて危機を察知したクロノは、なんとかすずかを引き剥がそうと目一杯力を込める。しかし血を吸われるという未知の経験をしているクロノは上手く力を入れることができなかった。それとは逆に血を吸うごとにすずかの力はどんどん増していった。

 クロノという歴戦の魔導師の血液はすずかにとって、何よりの栄養剤だった。元々、吸血種にとって一番の栄養となるのは異性の血液である。それに加えてすずかは魔法少女。キリカとの戦いで失われた魔力と血、その両方がクロノの血液によって満たされていく。それに伴い、未だにすずかの身体に残っていた傷は全て癒されていった。

「ふぅ~、ごちそうさまでした」

 口元に残った血液を拭いながら、すずかは満足そうに告げる。少しだけと言いつつ、すずかはかなりの量の血液をクロノから吸い取った。それでも満腹には程遠いが、キリカと対峙するには十分だろう。

 自分がどの程度回復したかを確認したすずかはアリサの方に目を向ける。キリカの魔力に中てられ、未だに意識を取り戻さないアリサ。そんな彼女を見ながらすずかは懐からカチューシャを取り出す。それはすずかの宝物であり、なのはやアリサと仲良くなるきっかけを作ったカチューシャだった。それをすずかはアリサの手に握らせる。

「これはアリサちゃんにあげる。それと、私と友達でいてくれて今までありがとう」

 そう言うすずかはとても穏やかな顔つきをしていた。まるで憑き物が落ちたかのような決意に満ち溢れた表情。そしてアリサの顔を目に焼き付けたすずかは、ゆっくりとその場から立ち上がると、結界の奥に視線を向ける。

 その先から感じる大きな魔力が三つ。初めて出会った自分以外の魔法少女である杏子。守るべきもう一人の親友であるなのは。そして忘れもしないキリカ。そんな三人の魔力が結界の一点から感じ取れる。すずかは翼を広げ、その位置に向かって飛び立とうとする。

「……ま、待て!」

 だがそれを呼び止める声があった。クロノである。血を吸われたクロノは自力で立つことができず、S2Uを杖代わりにしてすずかを睨みつけていた。

「どこに……行くつもりだ? それに、さっきのはいったい……?」

 息も絶え絶えになりながらクロノは尋ねる。そんなクロノを一瞥すると、すずかは申し訳なさそうに、それでいて決意に満ち溢れた声色でこう言い放った。

「ごめんなさい。それを話している時間はないみたい。……だけど安心してください。この結界はもうすぐ解いてみせるから。だからそれまでの間、アリサちゃんのこと、お願いします」

「なっ、それはどういう……!?」

 クロノはすずかの言葉の真偽を確かめようとするが、突如として辺りに突風が吹き荒れる。そして風が止むと、すでにそこにすずかの姿はなくなっていた。



     ☆ ☆ ☆



 杏子の全魔力を籠めた渾身の一撃。いくらジュエルシードの魔力を持つキリカであろうとも、この攻撃を正面から受ければ倒せると、杏子は信じていた。

 ――だがその希望は儚く散ることとなる。杏子が作り出した巨大な槍に対してキリカは正面から向き合った。鉤爪を網目状にクロスさせ、槍を受け止めるキリカ。その重みに身体は押されるが、結果的にキリカにダメージを与えるに至らなかった。そうして攻撃を防ぎながらキリカは槍の速度を奪い、その隙をついて上に乗っている杏子を蹴り落とす。頭にクリーンヒットしたことで杏子の意識が一瞬飛び、周囲に作り出していた他の槍も順次に霧散していく。その後は一方的な虐殺ショー。杏子の身体から速度を奪い、少しずつその身体を斬りつけていった。

「杏子さん!」

 もちろんそんな状況になってもなお、なのはが黙って見ているわけがない。杏子の危機になのはは慌てて助けに入ろうとする。だけどそれすらもキリカの予想の範疇だった。なのはの回りを取り囲むように鉤爪が降り注ぐ。それを紙一重でかわしながら、なのはは杏子を助けに向かう。しかし鉤爪を必死に避けることに夢中になっていたなのはに、背後からキリカが近づいてくることに気付かなかった。キリカはそっとなのはの肩に手を置きその全身から速度を奪う。途端になのはの身体が硬直し、まるで石像のようにその場に立ち尽くしてしまう。

「たぶんこの子がなのはだよね? ホント、織莉子の言ってた通りの魔導師だ。よかった。もし事前に織莉子からなのはの見た目について聞いてなかったら、間違って殺しちゃってたところだよ。流石は織莉子、抜け目ないね」

 キリカはなのはの姿を近くでマジマジと確認しながら、織莉子の名前を出す。そのことになのはは内心で驚きを浮かべていた。

「……てめぇ、なのはを解放しやがれ」

 そんななのはに対して杏子は震える身体に鞭を打ち、槍を支えに立ちあがる。言葉自体は強気な口調の杏子だが、もはやその身に魔力や体力はほとんど残されていない。手持ちのグリーフシードを使えば魔力だけは回復することはできるが、キリカがそのような時間を与えてくれるはずはないだろう。

「安心しなよ。他の連中はともかく、なのはって子は殺しちゃだめだって織莉子に言われてるんだ。だからこの子には私が吸血鬼を殺すまで、このまま大人しくしてもらうつもりだよ。……でもキミは別だ。キミは吸血鬼を逃がした張本人だし、それにさっきも散々人のことを馬鹿にしてくれたからここで殺してあげるよ」

 そう言うとキリカは無慈悲に鉤爪を杏子の頭めがけて飛ばす。先ほどと同じ轍を踏まないために、殺すと決めたこの瞬間に殺す。そう思っての一撃だ。

 しかしまたしても、キリカの鉤爪は命を奪うに至らなかった。

「……へぇ、戻ってきたんだ、吸血鬼」

 それはすずかが鉤爪を火血刀で叩き落としたからであった。すずかが戻ってきたことに杏子は驚き、キリカは愉快そうに笑う。身動きを取ることができないが、なのはもあれほどの傷を負っていたすずかがこの場に現れたのは予想外だった。

「すずか、おまえ、どうやって……!?」

「あの程度の傷、少し魔力が戻れば自力で治せます。それより杏子さん、なのはちゃんを連れてこの場から離れてください。あの人の狙いは、私ですから」

「……残念ながらそれは違うよ。織莉子に頼まれているなのはって子はともかくそいつは私のことを好き勝手言ってくれたんだ。だからそいつも殺す。逃がさせはしないよ、吸血鬼」

 すずかの言葉にキリカが憮然とした態度で返事をする。だがすずかはそんなキリカの姿は眼中にないようで、その視線は真っ直ぐなのはに向けられていた。

「おい、聞いてるのか!! 吸け――ッ!!!」

 そう言い掛けたキリカはすずかの刀による一撃で吹っ飛ばされる。杏子にはその動きがほとんど見えなかった。まるで瞬間移動したかのようにキリカの手前に移動し、気付いた時にはキリカが吹っ飛ばされていた。杏子の目には一連の光景がそのように移っていた。

 そうしている間にもすずかはなのはの身体に近づくと、そのままをお姫様抱っこで持ちあげる。そして杏子の傍まで運ぶと、優しくその場に降ろした。

「杏子さん、今ならまだ、キリカさんの呪縛でなのはちゃんは動くことができません。たぶんなのはちゃんは私の言うことを聞いてくれないから。だから今の内になのはちゃんを連れて逃げてください」

「……悪いがすずか、そいつはできねぇよ。あたしとしてもすずかのなのはを逃がしたいって言う気持ちはわかる。でもな」

 そう言って杏子は自分の切断された右腕を見せる。

「右腕はこんなだし、それに体力も魔力もほとんど残ってねぇ。あたし一人ならともかく、なのはを連れて逃げるのは今のあたしには無理だ」

 実際のところ、多少の無理をすれば今の杏子でもなのはを抱えて逃げることは可能だっただろう。しかしそうしなかったのは、なのはの意思を確かめてないからである。すずかの言う通り、もしキリカの呪縛が解ければなのはは絶対にこの場に残ろうとするだろう。それがどれだけ危険なことか杏子自身もわかっているが、だがそれでも今、この場ですずかとなのはを一言も会話せずに別れさせるのは良くないと、杏子の直感が告げていた。

「……そう、ですか」

 その言葉にすずかは顔を曇らせると、なのはに向かって火血刀を一振りし、キリカの魔法による呪縛から解放する。そんななのはにすずかは真正面から向き合った。

「……久しぶりだね、なのはちゃん」

「うん、久しぶり、すずかちゃん」

 お互いにお互いの視線を合わせて名前を呼び合う二人。たったそれだけの行為なのに、堪らなく懐かしさを感じてしまう。

「再会したばかりで悪いんだけど、なのはちゃん、杏子さんと一緒に逃げてくれないかな?」

「……嫌だよ。すずかちゃんもわたしがそう答えるってわかってたから、杏子さんに連れて行かせようとしたんだよね?」

「……うん。だけどこれだけは譲れない。なのはちゃんには絶対にここから避難してもらう」

「どうして? どうしてすずかちゃんはいつも一人で何でも抱え込もうとするの? あの時、温泉の夜に魔女を倒した時だって、すずかちゃんは自分が傷つくことも厭わなかった。ねぇ、どうして?」

 その言葉にすずかは押し黙る。これまで隠してきたこと、今まで感じてきたこと、そしてこれからやろうとしていること。そのすべてがすずかに重くのしかかり、彼女の口を詰まらせる。

「……すずか、一分だけ時間をやる」

 そんなすずかに杏子は優しく声を掛ける。その視線はキリカの吹き飛ばされた方に向けられていた。

「杏子さん?」

「今のあたしだとそれが限界だ。だからその間になのはと互いが納得のいく答えを見つけろ。いいな」

「杏子さん、待っ……」

 そんなすずかの制止虚しく、杏子はキリカの吹き飛ばされた方向に向かって駆けていく。その数秒後、少し離れたところで金属のぶつかり合う音が響き渡る。杏子とキリカによる火花散らす攻防。杏子がすでに満身創痍なのはすずかの目から見ても明らかだったのに、それでも今の杏子はキリカの猛攻を精一杯防ぎきっていった。

 本当ならすぐに助けに行くべきところだろう。しかしなのはもすずかも、その場から一歩も動こうとしなかった。ただ漠然と、杏子とキリカの戦いを遠くから眺めていた。

「……杏子さんって凄いよね」

 そんな杏子の戦いぶりを見てなのはが静かに語り掛けてくる。

「歳上っていうのもあるんだろうけど、わたしにはあんなに他人の事を思いやって命を賭けるような真似、何年経ってもできないかもしれない」

「……そんなこと、ないよ。なのはちゃんだってきっと、杏子さんみたいに誰かのために命を賭けられるようになる。だってなのはちゃんは現に、私やアリサちゃんの本当の気持ちを理解してくれたから」

 始めて話して、喧嘩になったあの日から、アリサもすずかも孤独ではなくなった。夜の一族という秘密を抱えたままだったとはいえ、すずかは確かになのはに救われたのだ。その事実は変わらない。

「私がどうしてなのはちゃんに戦って欲しくなかったのかって言うとね、なのはちゃんは魔法なんか使わなくても、誰かを救うことができる人だったからなんだよ。……なのはちゃんがいたから私もアリサちゃんも一人じゃなくなった。なのはちゃんが私たちを結び付けてくれたんだって、私もアリサちゃんも本当に感謝してるんだよ。……少し話が逸れちゃったね。とにかく私はなのはちゃんは魔法なんて使えなくても、誰かを救うことができると思ってる。でも私はそうじゃない」

「そんなことない! すずかちゃんだってアリサちゃんのことを救ってたんだよ!!」

「えっ?」

「前にね、アリサちゃんに聞いたことがあるんだ。『どうしてすずかちゃんに声を掛けようとしたの?』って。そうしたらアリサちゃん、凄く恥ずかしそうに『すずかが自分に似ている気がしたから、あたしのことを理解してくれるかも』って答えたんだよ! それにわたしも、二人のことは前から気になってたから、ずっとお話しするタイミングを伺ってたんだ。すずかちゃんはわたしが三人を結び付けたって言うけど、でも本当にわたしたちを結び付けてくれたのは、すずかちゃんなんだよ」

「そう、だったんだ」

 なのはの言葉にすずかは涙を浮かべながら頬を緩ませる。嬉しくて堪らないから、止めどなく涙が溢れてくる。

 夜の一族として、魔法少女として、吸血種としてすずかは今まで生きてきた。普通の人間とは違う、特別な力の中ですずかは暮らしてきた。その中で力に怯えたことも、受け入れより強くなろうともしてきた。

 だけどそんな必要はなかった。夜の一族だろうと魔法少女だろうと吸血種だろうと関係ない。ただ一人の女の子として、こんなにも優しく、それでいてかけがえのない親友が二人も持てた。それだけで十分だったのだ。

「なのはちゃん、今までありがとう。やっぱりなのはちゃんは凄いや。こんなことなら初めからなのはちゃんに悩みを素直に打ち明けていればよかったよ。もちろんアリサちゃんにもね」

 すずかは涙を拭いながら微笑みかける。温かみのあるすずかの微笑み。それなのになのははそれを見て、酷く嫌な予感を覚えてしまう。まるでこれで最後のお別れのような、そんな予感。

「……そろそろ一分だね」

 そう言うと、すずかはなのはの前から二歩下がる。そして次の瞬間、なのはを取り囲むように紫色の炎が檻を作る。慌てて隙間から出ようとするが、それを炎が阻む。近づくととても熱いのに、それでも決してなのはに燃え移らない温かい炎。それは間違いなくすずかが作り出した炎の檻だった。

「すずかちゃん!?」

「ごめんね、なのはちゃん。本当はこんなことしたくなかったけど、でもなのはちゃんは頑固だから。絶対に許してくれないと思ったから。だから……」

「ダメ、ダメだよ、すずかちゃん。そんなことしちゃ、ダメだってば!?」

 なのははすずかがやろうとしていることを本能的に悟る。そして涙ながらに必死にすずかを止める。そんななのはに対し、すずかは終始笑っていた。魔法少女になったすずかが見た狂気を帯びた笑みではない。なのはの親友である月村すずかが浮かべる優しく穏やかでとても温かみのある微笑み。

「ねぇ、なのはちゃん、これを見て」

 そう言ってすずかは自分のソウルジェムを取り出す。紫色に澄んだすずかの魂。そこに一切の穢れはなく、そこに内包されている膨大な魔力になのははただただ圧倒される。

「魔法少女の魂であるソウルジェム。その穢れはね、魔力の消費だけじゃなくて魔法少女本人がどれだけ絶望しているかでその濃さを増すんだよ。私のソウルジェムもついさっきまで、真っ黒だった。でもね、なのはちゃんの今の言葉で私は救われたんだ。だから……」

「イヤイヤイヤ! そんな話聞きたくない!!」

 なのはは必死に泣き叫ぶ。その先にすずかの言葉を聞かないように耳を押さえ、声を荒げる。



「……だからね、なのはちゃん、私は絶望の果てに死ぬんじゃない。希望を繋げるために死ぬんだよ」



「あっ……」

 聞かないために声を出していたはずなのに、見ないために目を瞑っていたはずなのに、なのははその最後の言葉をハッキリと耳にしてしまった。それを語る満面な笑みを浮かべたすずかの姿をハッキリと目にしてしまった。

「たぶん、これからなのはちゃんはもっと辛い目に遭うと思う。もっと大変な戦いに巻き込まれると思う。そんななのはちゃんをこれから助けてあげられないのは残念だけど、でも決してめげないで。そしていつまでも誰かを救える人でいて」

「待って、すずかちゃん。待ってってば!?」

「さようならなのはちゃん。――今までありがとう」

 すずかは最後にそう言うと、なのはの必死の制止の声を無視して飛び立った。そして先ほどまで笑顔を浮かべていたその顔を大きく歪めた。自分の中の悲しみに必死に耐えながら、すずかは声を殺して涙を流すのであった。



     ☆ ☆ ☆



「杏子さん、お待たせしました」

「……おせぇよ」

 すずかがキリカと杏子の戦いの場に辿り着いた時、すでに杏子は立ってすらいなかった。その場に大の字で倒れ込み、大きく息を吐いている。あと数秒、その場にやってくるのが遅ければ、杏子の命は失われていただろう。

「でも、その顔を見る限り、互いに言いたいことは言い合えたみたいだな」

「はい。ありがとうございました」

 そうして礼を告げた後、すずかはキリカに視線を向ける。全身がボロボロの杏子とは違い、キリカに目立った傷はない。もちろんそこまでの期待をすずかはしていない。戦いを始める前から杏子は片腕を失い、魔力もほとんど残っていなかったのだ。むしろここまで耐えただけでも奇跡に近いだろう。

「何? 今度は吸血鬼が私の相手をするわけ? もういい加減、誰か一人ぐらい殺したいんだけど」

「安心してください、キリカさん。これで最後です」

「ん?」

「もう私は逃げも隠れも致しません。私とあなた、どちらかが死ぬまで殺し合いましょう」

「……へぇ、面白いじゃん」

「ただし、少しだけ場所を移しませんか? ここには杏子さんもいますし、それに近くにはなのはちゃんもいますから。下手に横やりを入れられるのは、キリカさんももう嫌でしょう?」

「そうだね。わかったよ。それじゃあ最初に戦ってた場所でいい?」

「えぇ、どこでも構いません。他の人が巻き込まれない場所でしたら」

「お、おい、すずか」

 とんとん拍子に話が進んでいく中、杏子は疑問に思いすずかに声を掛ける。だがその言葉に返事しようとせず、すずかはキリカに連れられ歩いていく。その最中、チラッとすずかは杏子に目を向けると、一言、テレパシーを使ってこう告げた。

【杏子さん、これからもなのはちゃんのことをよろしくお願いします】

 それを聞いて杏子は不審に思い、何度もすずかにテレパシーを送るが、返事が返ってくることは一度もなかった。



     ☆ ☆ ☆



「キリカさん、初めに言っておきます。私はこの一撃に全てを籠めます。だからキリカさんも最大の攻撃手段を以って、私に攻撃を仕掛けてください」

 場所の仕切り直しをし終えたすずかは、火血刀をキリカに向けながらそう言い放った。その言葉に疑念を抱くキリカだったが、敢えて問い掛けようとは思わなかった。

 それはすずかの目が先ほどとはまるで別人のもののように見えたから。一度、殺す寸前まで追い詰めたすずかの目は酷く濁っていた。まるでこの世の全てに絶望し、それでもなおたった一つの希望に縋っている愚か者の目つき。単純な実力では並みの魔法少女以上だが、それでも魔法の相性とジュエルシードの魔力を用いれば負けることはない相手だった。

 しかし今のすずかの瞳はとても澄んでいる。濁りのない赤い瞳でキリカのことを真っ直ぐ見詰めている。それを見て、先ほどまでのような挑発的な戦い方では勝つのは難しいと、本能的に感じ取っていた。

「それともう一つ、織莉子さんのことはすみませんでした」

「――ッ!? おまえ、何を今更!!?」

 そんなすずかの言葉にキリカは激昂する。謝ったところですずかがやったことの何の罪滅ぼしにもならない。キリカにとって織莉子は全てであり、この世界そのもの。それを無慈悲に奪ったからこそ、キリカはジュエルシードの魔力にまで頼り、関係ない一般人まで巻き込み戦いを挑んだのだ。それを今更謝られたところで、許せるはずがない。

「別に許してもらおうなんて思ってないですよ。私だって、キリカさんのことは許せないですしね。でもこれだけは最後に言っておこうと思ったから」

「吸血鬼ぃぃぃいいいいい!!!!!」

 その言葉にキリカの堪忍袋の緒が切れる。まるで自分が勝つことが当たり前といった自信満々な態度。そして何より、すでに自分は救われてると言わんばかりのすずかの瞳。それがキリカの琴線に触れ、その本気を引き出した。

「喰らえ、ヴァンパイアファング!!」

 そうして繰り出されるのは必殺の一撃。大量に生成された鉤爪が丸鋸の形で形成され襲いかかってくる。

 すずかはそれに対して避ける素振りも見せなかった。正面から火血刀で受け止めると、そのまま軌道を逸らす。しかしそれだけで終わるキリカではない。第二第三のヴァンパイアファングを次々と生み出し、すずかに猛攻を仕掛けていく。また軌道を逸らした最初のヴァンパイアファングも弧を描きながらすずかの背後から迫り来ていた。

「――アハハッ、どうだ、吸血鬼。ヴァンパイアの名を冠するこの技と織莉子の愛でとっとと死んでしまいな!!」

「……キリカさん、私、言いましたよね。最大の攻撃手段を以って攻撃してきてくださいって。そして私はこの一撃に全ての力を籠めるって」

 すずかは火血刀を頭上に構える。真っ直ぐ振り上げた無防備なすずかの身体に、キリカの放ったヴァンパイアファングが食らいつく。すずかの肉を抉り続けるキリカの牙。それでもすずかは刀を振り上げた体制のまま、動こうとしなかった。

 そうしている間にも確実にすずかの肉が抉られていく。だがそれは胴ばかりで、火血刀を振り上げた腕や力強く地に足をつけている脚部、そして何より首を飛ばすには至らなかった。

 それを不気味に感じたキリカは、すずかの全身に速度停滞の魔法を掛ける。刀を振り上げた無防備な体勢で固定させられたすずかの命を狩り尽くすのは時間の問題だろう。そうキリカは考えていた。

「……キリカさん」

 だがその考えが間違いだということにキリカはすぐに気付く。

「ごめんなさい。私の考えなしの行動があなたをジュエルシードの魔力に頼らせるなんていう結果を招いてしまった」

「な、何を言ってるんだ、吸血鬼。これは織莉子が私に教えてくれた使い方で……」

「でもそれは、こんなところで使用して良い技術じゃなかったはずですよ。織莉子さんの予測では、半年後に現れる破滅の魔女を生み出す存在が現れるまで、使用は禁じられてたはずです」

 織莉子の記憶見たすずかは知っている。彼女が何重にも策を巡らせ、この世界を救おうとしていたことを。ジュエルシードの魔力に頼るのは、その手段の一つであり、そしてその力がもたらす先にある未来もまた、織莉子は知っていた。そしてそのことを織莉子がキリカに伝えてないはずがないとすずかは確信していた。

「そ、それは……。でもお前を殺せば織莉子は喜んでくれるはずだから、だから私は……」

「そう思わせてしまったことが私の罪。そしてその結果、罪のない一般人を大量に死なせてしまった。だから私はその責任を取らなきゃならない。その事態を巻き起こした元凶と私自身の命を以って――」

 だから彼女はここで討たなければならない。ジュエルシードの力によって引き起こされる破滅の魔女を滅ぼした後の二次災害。それをこんな時期に起こしてしまわないために。それが最善の未来につながると信じて。

 すずかの強い思いに呼応し、振り上げた火血刀に魔力が集中する。すずかの持つ全ての魔力。彼女の持つソウルジェムが光り輝き、その魂を消費させる。それに呼応するように火血刀もまた熱く燃え、光り輝く。そのあまりの眩しさにキリカは直視することすらできなかった。

「――赫血閃・日輪」

 そうして振り下ろされる巨大な太陽。何かが砕けた音と共に放たれたそれは剛球となってキリカのヴァンパイアファングを飲み込んでいく。日輪に触れた牙は一瞬の元で蒸発し、跡形も残さなく消えていく。それを見たキリカは、慌ててこの場から逃げ出そうとする。だが日輪の持つ引力がキリカのことを掴んで離さなかった。徐々に徐々に引き寄せられていくキリカ。右目に埋めこんだジュエルシードの魔力を全開にしてその引力から逃げ出そうとするが、精々、その場に留まっているだけで精一杯だった。

「嘘だ嘘だ嘘だ。私の織莉子に対する愛がこんなところで負けるはずがない。こんな吸血鬼なんかに私の愛が否定されるはずがない。嫌だ、嫌だよ、織莉子、助けて織莉子。お願いだから。もう勝手にジュエルシードを持ち出したりしないから、だからぁぁぁあああああ!!!!!」

 キリカは叫びと共に日輪に飲み込まれる。そしてそれと同時に爆発を起こす。結界を揺るがす轟音。ジュエルシードの魔力と合い合わさって、炎を纏った光の柱がキリカの創り出した結界を打ち破っていった。



     ☆ ☆ ☆



 結界が破られたことで、次々と捕らわれていた小学校の子供たちが解放されていく。その中になのはや杏子、クロノやアリサの姿もあった。

「すずかちゃん!? すずかちゃんはどこ?!」

 結界が解けるのとほぼ同時になのはの周囲を覆っていた炎の檻が消え去ったのを確認すると、彼女はすぐにすずかの姿を探し始める。無事に生還できたことに喜び勤しんでいる生徒たちのことなど一切気にせず、一番魔力の残滓が感じられるところに向かって人目も気にせず駆け寄っていく。

 そうしてなのはが目撃したのは、校庭にできた大きなクレーターだった。魔力の余波で抉られた地面と燃え続ける白い炎。そしてその中に倒れている見知った人影。

「すずかちゃん!?」

 なのはは慌ててその傍に駆け寄る。だがそうして間近まで近付いてなのはが目にしたのは、両腕が大きく焼け爛れ、全身に無数の深い傷のある親友の姿。傍には刀身のない柄だけの刀が落ちており、傍には砕けたソウルジェムの欠片が散らばっている。

 なのははすずかの身体を軽く揺さぶろうとする。

「熱っ」

 だがなのはは反射的に手を離す。すずかの身体はとても人間の体温とは思えないほどの熱を持っていた。そのことがなのはの脳裏に最悪の予感をよぎらせる。

「う、嘘、嘘だよね? すずかちゃん? さっき言ってたことは全部、嘘なんだよね? ね、嘘だと言ってよ。ねぇってば!!」

「止せ、なのは。もう止すんだ」

 すずかに必死に縋りついて泣こうとするなのはを杏子が必死に引き剥がす。

「杏子さん、止めないでよ。私はすずかちゃんに、すずかちゃんに……」

「なのは、現実を受け入れろ! すずかはもう……」

「そんなことない! ようやくさっきすずかちゃんと仲直りができたんだよ。あの時、すずかちゃんはいつものようにわたしに笑いかけてくれたんだよ。わたしのなまえをよんでくれたんだよ。だから、だから――」



「諦めろ、なのは。すずかはもう死んじまったんだよ!!」



 杏子によって現実を突きつけられたなのはは、その場で力なく膝をつく。焦点の合っていない瞳から、止めどなく涙が溢れてくる。そんななのはの姿を杏子はただ、見ていることしかできなかった。



2013/4/6 初投稿



[33132] 第9話 キミが望めばどんな願いだって その1
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2013/05/12 00:16
 なのはたちが結界に取り込まれ、キリカとの死闘を繰り広げられていた頃、ユーノは結界の外で助け出された子供の治療を行っていた。最初はユーノも結界の中になのはを助けに行こうと考えていた。しかしそれをクロノに止められたのだ。曰く、一般市民であるユーノを危険に晒すような真似は容認できないとのことであり、その言葉は管理局の姿勢としては正しいものであるとユーノ自身も理解していた。

 それでも食い下がろうとしたユーノだったが、結界から助け出されてきた少年の姿を見て、その考えは変わった。血まみれになり泣き叫ぶ子供。その左足は使い魔に喰らいつかれたのか、無残に形を歪めている。何人かの管理局員がその子供の元に集まり治癒魔法を使っているが、少なからず後遺症は残ってしまうだろう。

 周囲を見渡してみると同様の怪我をした子供が数人おり、目立った外傷のない子供もその多くは何らかのパニックを起こしていた。

 そんな惨状を目にしたユーノは、自分の我儘で管理局員を困らせるような真似を止め、その治療を手伝うことにした。なのはを助けに行けないというのなら、せめて助け出された人の傷を少しでも癒したい。そしてなのはが結界から抜けだした時にいち早く駆け寄れる場所にいたい。そう考えての行動だった。

 ユーノはなのはの無事を祈りながら子供の治療を続ける。彼女は他の子供とは違い魔導師である。そう簡単にやられるということはないだろうが、それでも結界から助け出された子供の姿を見る度に不安を覚える。なのはは正義感の強い女の子だ。なまじ戦う力がある分、進んで危険に飛び込んで行ってしまう可能性もある。結界の中でクロノや杏子と合流できていれば良いが……。

 そんなことを考えていると、突如として結界が爆発するように消失し、そこから青白い魔力の柱が立ち昇る。それはかつて温泉街でも見たジュエルシードの暴走だった。暴走したジュエルシードは轟音を撒き散らしながら地面を揺らす。ユーノは周囲にいる救助された民間人を庇いながら、魔力が収まるのをただじっと待つ。

 約一分に渡り暴走し続けていたジュエルシードだったが、次第にその輝きが収まり、静寂を取り戻す。ユーノは暴走の余波に巻き込まれて怪我をした人がいないかと周囲を見回す。すると辺りにいる子供の数が先ほどよりも増えていることに気付く。

 それは結界が破壊されたのと同時に取り残されていた人が無作為に解放されたからであった。異空間から見知った青空の元に解放されたことで、安堵の声を上げる子供たち。そんな子供たちの姿を見てホッとしたユーノは、すぐになのはのことを探し始める。

【なのは? どこにいるの? 僕の声が聞こえたら返事をして】

 辺りを見回しながら念話で呼びかけるユーノ。しかし一向になのはからの返事がない。そのことがユーノに不安を募らせる。

 そこでユーノはなのはの名前を呼びながら、辺りを駆け回る。まさかとは思う。それでもユーノは先ほど見た少年の姿を思い出し、その顔色を青くする。見過ごすことがないように一人ひとり丹念に顔を確認しながら、なのはのことを探し続ける。

 それでも見つけられないことに焦ったユーノは飛行魔法を使って、上空からなのはのことを探すことにした。仮になのは自身が見つけられなくとも、結界の中に入っていったクロノや杏子ならなのはの所在を知っているかもしれない。そう期待しての行動だった。

 そんなユーノの目に飛び込んできたのは、校庭にできた大きなクレーターだった。そこはジュエルシードの魔力が暴走した時に中心地となった場所だった。そこに佇む二人の少女。それはユーノが探し求めていた人たちの姿であった。

「なのは、杏子さん、無事だったんだ……ね」

 探し求めていたなのはの無事を悟ったユーノは、胸を撫でおろしながら彼女たちの元へと降りていく。だが近づくに連れ、なのはがその胸に誰かを抱いていることに気付く。それはすでに物言わなくなったすずかの遺体だった。

「……ユーノくん。杏子さんってばわたしに意地悪なことを言うんだよ。すずかちゃんが死んだって、もう二度と目を覚ますことはないって。そんなこと、ないよね? すずかちゃんは戦いつかれて、眠っているだけだよね」

 ユーノが自分の元にやってきたことに気付いたなのはは、沈んだ声で尋ねる。そんななのはにユーノはなんて返事をしていいのかわからなかった。なのはに抱きかかえられているすずかは、とても見るに堪えないものだった。肩口の辺りまで炭化した両腕。腹から胸に掛けて大きく切り裂かれた上半身。誰の目から見ても、すでに事切れているのは明らかだった。

「そういえばユーノくんは治癒魔法が得意だったよね? 流石にこのままじゃあ可哀想だから、すずかちゃんを治してあげてくれないかな?」

 それなのにも関わらず、なのははその現実を受け入れようとはしない。目から止めどなく涙を溢れさせ、震える声でユーノに懇願する。その姿が酷く痛ましく、思わず視線を逸らしてしまう。

「ねぇ、どうして目を逸らすの? ユーノくんはわたしの魔法のお師匠様なんだから、きっとわたしの知らない魔法ですずかちゃんを……」

「いい加減にしろ! なのはの気持ちはわかるがすずかはもう――」

「いやっ、それ以上は聞きたくない! すずかちゃんが死んじゃったなんて認めたくない! だからユーノくん、早くすずかちゃんを治してよ!!」

 それまで黙っていた杏子だったが、なのはの態度に見兼ねて声を挟んだが、なのははそれを拒絶するように目を閉じて耳を塞ぐ。そのあまりにも弱々しいなのはの姿を見て、杏子はとても悔しそうに顔を歪めた。

「……ユーノ、悪い。なのはのフォロー、任せてもいいか?」

 そして視線をユーノに移すと、疲れ切った声でそう告げる。その時になってようやく、ユーノは杏子の右腕が異様に短くなっていることに気付く。肘から先が存在しない右腕。切断面からは未だに血が流れ続けており、このまま放置しておけば命に関わるであろう深い傷。

「……腕のことなら心配いらねぇよ。魔法少女は普通の人間より、頑丈だからな。これぐらいの傷、自力で治すこともできるさ。……尤もそれでも限界はあるけどな」

 そんなユーノの視線に気付いたのだろう。杏子は安心させるように優しげな口調で告げる。だがその言葉には悲壮感も込められており。それがすずかのことを言っているということはユーノにもすぐに察せられた。

「わかりました。なのはのことは僕に任せてください」

 だからこそユーノは杏子の言葉に力強く、簡潔にそう答えた。それを見て杏子は満足そうに頷くと、なにも言わずにその場から去っていった。

 その背中を見送ったユーノは、改めてなのはに向き直る。すずかの亡骸を前に涙を浮かべながら語り続けるなのはの姿。それはある意味、この場で一番痛ましいとも思える光景だった。

 ここ数日、なのはがすずかのことで悩んでいる様子をユーノは間近で見てきた。如何にすればすずかに自分の力を認めさせることができるのか、そしてすずかが魔女になる運命を覆すにはどうすればいいのか。すずかの行方を探しながら、なのははそれらの方法を必死に考え続けていた。それがこのような形で死に別れることになったのだ。簡単に受け入れられるはずがない。

 だがそれでも、なのははすずかの死を受け入れなければならない。だからユーノはそれを受け入れさせるために、なのはと同じ目線になるようにしゃがみこむと、彼女に対し治癒魔法を掛け始めた。そんなユーノの突然の行動に、なのはは驚きの表情を浮かべる。

「えっ? ユーノくん、どうして……」

「なのはが怪我をしていたから」

「そうじゃなくて、どうして先にすずかちゃんを治療してくれないの? わたしのことなんていいから、すずかちゃんを診てあげてよ」

「……ごめんなのは。確かに僕は魔導師だけど、それでも死んだ人を生き返らせる魔法は使えないんだ。それにミッドのどこを探しても死者を甦らせる魔法は存在しないと思う」

 容赦なくなのはに現実をぶつけるユーノ。その途端、なのはから表情が消える。一瞬にして空気が冷え切り、まるで道端に生えている雑草でも見るかのように、なのははユーノのことを見た。

「……ユーノくんも杏子さんと同じようなことを言うんだね。……もういいよ、こうなったらクロノくんとか他の魔導師さんにすずかちゃんのことを診てもらうから」

 そう冷たく言い放ったなのははその場から立ち上がると、他の魔導師を呼びに走り去ろうとする。しかしユーノはなのはの腕を掴み、それを止める。

「離してよ、ユーノくん。こうしている間にもすずかちゃんが……」

「嫌だ、絶対に離さない」

 ユーノはなのはの目を真っ直ぐ見つめる。芯の通った強い瞳。そんなユーノの視線に耐えられず、今度はなのはの方から視線を逸らす。けれどユーノはそんなことはお構いもせずに強引になのはを自分の元に引き寄せると、その身体を強く抱きしめた。

「ゆ、ユーノくん!?」

 突然の行動になのはは戸惑いの声を上げる。そんななのはの動揺など気にせず、ユーノは優しく語りかけていく。

「聞いてなのは。僕はあの結界の中で何が起きたのかを知らない。だけどなのはたちの様子を見る限り、とても悲痛で辛いことが起きたんだと思う。それでなのはが悲しむ気持ちもわかる。受け入れたくないって気持ちもわかる。でも僕にとっては他のことが気にならないくらいに、なのはが生きて帰ってきてくれて嬉しかったんだ」

 そこでユーノは一度、言葉を区切る。そしてなのはの肩を抱き、改めてその表情を見つめながら言葉を続けた。

「僕にとってなのはとても大切な存在だ。掛け替えのない、とても大事な人なんだ。……そしてそれはきっとすずかにとってもそうだったんだと思う。その証拠に彼女はこんな状態になっても優しげに微笑んでいるじゃないか」

 その言葉になのはの目が大きく見開かれる。ユーノの言う通り、すずかは傷だらけの肉体とは裏腹に、とても穏やかな表情をしていた。それこそ、まだ魔法に触れる前の日常の中で慣れ親しんだすずかの笑顔とも遜色がないほどに。

「すずかが死んだことを悲しむなとは言わない。でもそれを受け入れないのはダメだ。だって彼女はこんな満足そうに眠っているんだよ。それを友達であるなのはが否定するなんて、悲しいじゃないか。だからなのは、今はいっぱい悲しもう。僕も一緒に泣いてあげるから」

 ユーノはなのはに笑い掛ける。血だまりの中にいたなのはに触れたことで、ユーノの服も真っ赤に染まっていた。しかしそんなことはまるで気にならないような慈愛に満ちた微笑み。そんなユーノの真っ直ぐな気持ちを受けて、なのははその瞳から失わせた輝きを取り戻していく。それと同時にまるで氷山の一角が崩れるかのように、深い悲しみがなのはの内から湧き出てくる。

「…………すずかちゃん、すずかちゃぁぁぁああああん」

 その感情に身を任せるかのように、なのはは必死で親友の名前を呼び続ける。正しく死を受け入れ、心の底から打ち拉がれるなのはの姿。そんななのはを慰めるようにユーノは背中をさすりながら、共に涙を流し続けるのであった。



     ☆ ☆ ☆



 死者十三名、行方不明者五十六名、重軽傷者合わせて三百十二名、それがキリカの引き起こした事件における最終的な被害者の総数である。額面上は行方不明者と記載されているが、ほぼ間違いなくその五十六名はすでにこの世にいないだろう。あくまで使い魔の食べ残しが判別のつく範囲で確認された人数が十三名であり、それ以外の行方不明者は消去法で五十六名と定められたに過ぎない。実際はすでに骨の欠片も残らず、使い魔に喰われてしまっているだろう。

 どちらにしても七十人弱の犠牲者を出したこの事件は、国内有数の凶悪事件としてニュースで大々的に取り上げられていた。新聞では一面を飾り、テレビでは通常時間帯のニュースとは別に緊急特番として取り上げられている。

 その際、この事件は『集団幻覚事件』として扱われた。子供たちの笑顔溢れる私立の小学校を襲った悲劇。犯人は小学校に忍こみ、多量の幻覚剤を散布。それを嗅いだ生徒と教師の多くは怪物に襲われる幻覚に囚われ、パニックの中で多大の犠牲者が出たという筋書きだ。

 しかし真実は違う。一人の魔法少女が暴走の果てに引き起こし、事件の原因を作ったとも言うべきもう一人の魔法少女がその命と引き換えに終わらせた。もちろん、そのような話を全国ネットで放映するわけにはいかない。地球において『魔法』存在しない。それが世の中に知られる一般常識なのだ。よって魔法に関する事件など、存在してはならない。このような場合、本来ならば事件ごと黙殺するのが常である。しかし此度は犠牲者が多過ぎた。そのために事件を完全に揉み消すわけにはいかず、このような形で真実を隠蔽するしかなかった。

 もちろんそれで納得できない人も多いだろう。実際に現場の捜査を行った警察の捜査官や一部のマスコミ関係者などがそうだ。だが真実が公になることは決してない。事件に疑問を抱いたものがいくら口酸っぱく訴えたとしても、真実は闇の中に葬られることになる。その記憶を直接、書き換えられることによって――。

「ありがとう。また何かあったら連絡して頂戴」

「はい。では失礼いたします」

「……ふぅ」

 県警本部長との通話を終えた忍の口から自然とため息が零れる。事件発生から二日、忍は事件の事後処理に追われていた。隠蔽工作や遺族への対応、そして今後の対策など、忍は休む暇なく働き続けていた。

 何故、忍がそのような真似をしているのかというと彼女が夜の一族であり、月村家当主だからである。今回のような常識外の要因によって引き起こされた事件は、決して一般人に知られてはならない。そのためこのような場合、国内の夜の一族の当主が直接、事件の隠蔽工作を行わなければならない。国内には月村家以外にも夜の一族の名家はあるが、今回は事件が発生した場所が海鳴市ということもあり、その対応を忍が行うこととなったのだ。

「……お疲れ様です、忍様。あちらに軽食を用意しておりますので、お召し上がりください」

 ぐったりとした表情を見せる忍にノエルは労いの言葉を掛ける。今の電話で一応の一区切りはついたが、それでもまだまだ忍がやらなければならないことは多い。他の夜の一族に事件の推移を説明しなければならないし、それ以前に海鳴市は未だに魔女だらけという現状だ。まだまだ忍の心が休まる時間はないだろう。

「ありがとう、ノエル。だけど今は食事をとりたい気分ではないの。少し部屋で寝てくるから、一時間後に起こしてもらえるかしら」

「……かしこまりました。おやすみなさいませ、忍様」

 忍はノエルの言葉を背に自室へと戻っていく。そしてベッドに倒れ込むと、その顔を枕に埋めた。

「すずかぁ……、すずかぁ……」

 そのまま枕を涙で濡らしながら、何度も最愛の妹の名を呼ぶ忍。だがいくら呼んでも、もう二度とすずかからの返事は返ってこない。そのことを理解しつつも、すずかの名を呼ばずにはいられなかった。

 ――忍がすずかの死を知ったのは、事件が終わってすぐの出来事だった。なのはの手によって運ばれてきたすずかの死体。真っ黒に焼け焦げ炭化した両腕。鋭利な刃物で幾重にも斬り裂かれた身体。伸ばしていた髪が短くなっていることなど気にもならないほどに、すずかの肉体はボロボロだった。とてもまともな死に方ではない。それなのにすずかの表情は何かをやり遂げたかのような、非常に安らかなものだった。

 その後、なのはと共にすずかの遺体を運んできたクロノの口から、その死に様が語られる。すずかがなのはやアリサをはじめとした、結界に取り込まれた人々を救うために相手の魔法少女と相討ちとなったこと。元々、相手の魔法少女の狙いはすずかであり、彼女がそのことに責任を感じていたこと。実際にはもう少し詳しい説明がなされていたが、忍の耳に残ったのはこの二点のみであった。

 正直なところ、忍にとってすずかの死んだ経緯などどうでもよかった。どんな死に方であろうと、すずかが死んだことには変わりはない。忍にとってすずかは唯一の肉親であり、最愛の妹だった。そんな妹が自分の与り知らぬところでその命を散らした。その事実が忍の胸を締め付けて離さなかった。

「……すずか、どうして、どうして魔法少女になんてなってしまったの?」

 涙で目を腫らしながら、忍は何度となく考えた問いを口にする。結局、忍はすずかの口から何も聞けなかった。温泉街の夜にした約束も叶うことなく、すずかは逝ってしまった。今にして思えば、あの時に無理やりにでも聞いておけばよかったと思わずにはいられない。

 忍はすずかの姉として精一杯やってきたつもりである。すずかが物心つく前に両親が事故で亡くなり、その後はノエルやファリンと協力して一緒に育ててきた。若くして月村家の当主となった重圧と戦いながら、それでもすずかのことは常に気に掛けてきたつもりだった。

 だけど結局、すずかが何に悩み、何を願ったのかを忍が知ることはなかった。姉である忍に、すずかは最後まで悩みを打ち明けることはなかった。それが忍には堪らなく悔しく、それでいて悲しかった。

「……すずか、ごめんね。お姉ちゃんがもしっかりすずかのことを理解してあげられていたら、こんなことにはならなかったのかもしれないのに……」

 忍は自分を責める。いくら自分を責めてもすずかが戻ってこないのはわかっている。それでも忍はもっとすずかのことを理解することができたのではないかと後悔する。まだすずかが赤ん坊だった頃から現在に至るまで、自分の悪かったところを想い起こしては涙し、後悔し続けた。

 そうしているうちに今までの疲れもあってか、自然と忍は眠りにつく。そうして見る夢の中でもなお、忍はすずかを失った悲しみをわすれることはなかった。



     ☆ ☆ ☆



 アリサが目覚めたのは事件から二日後、アースラの医務室でのことだった。アリサの身体にはリンカーコアが存在しない。魔力を持たない人間が、大量の魔力を正面から浴びれば人体に悪影響を及ぼすこともある。そのため、キリカの魔力を正面から浴びたアリサは、アースラにて精密検査を受けることになったのだ。

 幸いなことにアリサには魔力による人体への影響は発見されなかったため、その後は地球の病院に搬送することも考えた。しかしそれをなのはが頑なに拒んだのだ。すずかを失ったなのはが恐れたさらなる喪失。未だアリサが目を覚まさない以上、万が一の可能性ということも十二分に考えられる。そんななのはの不安を察したクロノと杏子はその意見を尊重し、少なくとも目が覚めるまではアースラのベッドで寝かせておこうということになった。

 そして現在、目覚めたアリサにクロノが掻い摘んで事情を説明していた。簡単に管理局についての説明を終えたクロノは、そのままアリサも巻き込まれた事件についても説明していく。

「嘘よ! あたしはそんな話、絶対に信じないんだからね!!」

 そうして話が佳境に入ったところで、アリサはベッドから立ち上がりクロノを怒鳴りつけた。肩を上下させ、怒気を露わにするアリサに対して、クロノは淡々と事実を突きつける。

「嘘じゃあない。キミには受け入れがたい事実かもしれないが、月村すずかは死んだ」

 ――すずかの死。それは彼女の親友であるアリサには到底受け入れられるものではないだろう。だがすずかの死は純然たる事実である。クロノ自身も確認したすずかの死体。無数の外傷があるのにも関わらず、その表情はとても安らかだったすずかの亡骸。

 それを思い出し、クロノは自分の首筋をそっとなぞる。キリカの創り出した結界の中でクロノはすずかによって血液と魔力を吸われた。あの時に感じた虚脱感は今でも残っている。実際、血を吸われてしばらくは貧血で立っているのもやっとの状態だった。事件から二日経った今でもその影響は残り、魔力は全体の四割ほどしか回復していない。

 何故、彼女があのような行為で魔力を回復できたのか、それはクロノにもわからない。しかし結果的にクロノがあの場で治療したことが原因で彼女を死なせてしまった。

 あの時、クロノにはアリサとすずかを連れて結界の外に出るという選択も取ることができたはずだ。そうすれば少なくともすずかが死ぬことはなかっただろう。

 しかしながらすずかが命を賭してキリカと戦わなければ、犠牲者がさらに増えていたことは間違いない。実際にキリカと対峙した杏子の話を聞く限り、なのはを含めて三人がかりで挑んだとしてもキリカに勝つのは難しかっただろう。そうなればいたずらに民間人の犠牲は増え、最悪、杏子やなのはも死んでいたかもしれない。

 今でもどのような行動を取ることが最善だったのか、クロノにはわからない。だが一つだけ言えることがあるとすれば、それはすずかがあのような結末になったことを後悔していないということだ。

 執務官として、クロノは様々な戦場に降り立ってきた。その中で死体を何度も見てきた。こちらが非殺傷設定で戦うとはいえ、相手の魔導師がそうだとは限らない。それに例え非殺傷の魔法だとしても、偶然が重なれば相手を死に至らしめてしまうこともある。

 そんな命がけの闘いの中でクロノが目にしてきた死に顔は、苦悶に満ちたものがほとんどだった。苦痛に歪ませた顔。恐怖に引き攣った表情。狂気の笑みを浮かべながら死んでいく姿。相手が凶悪犯罪者、もしくはそんな犯罪者に殺された民間人ということもあるのだろうが、クロノの見てきた死に顔はそういったものがほとんどである。

 それに対してすずかの死に顔はとても安らかなものだった。やり遂げたことを誇る満足げな笑み。焼き焦げた両腕や抉られた胴体の傷とは裏腹に、その顔つきは驚くほど綺麗なものだった。

 だからクロノはすずかを死なせてしまったことに責任を感じつつも、その在り様を認めていた。命がけで友を、罪のない人々を守り抜いたすずかの姿はある意味で、クロノが目指す管理局員としての理想の一つの体現だった。

 もちろん目の前にいるアリサも含めて、すずかのことを以前から知っていたなのはや杏子は彼女の行動を肯定しないだろう。クロノ自身もすずかの行動を尊敬しているし、理解もしているが、その死に納得できたわけではない。

 それでも一人ぐらい、すずかの行動を認めてあげる人がいても良いと思う。命を賭して皆の命を救った月村すずかという少女の生き様を。

「……信じない、あたしは絶対に信じないわよ。すずかが死んだなんて」

 すずかのことを考えながら語られたクロノの言葉に、アリサから強気な態度が消え、どこか悲痛に満ちたものへと変わっていく。それでも彼女は頑なにすずかの死を認めようとはしなかった。

「……そうか。ならこの話は一端、終わりにしよう。だがいくら否定したところで事実は変わらない。……彼女の死については僕にも思うところがある。だから僕の話が聞きたくなったら、いつでも呼んでくれ」

 そんなアリサの態度を見たクロノは、それだけ言うと医務室を後にする。そうして閉じた扉の向こうから、アリサのすすり泣く声が響いてくる。それを聞いたクロノは医務室の外に待機していた医務官に「しばらく一人にしてやってくれ」と頼み、自室へと戻っていくのだった。



     ☆ ☆ ☆



 魔女の結界内で杏子は左腕で槍を振るう。大きく薙いだ槍が魔女の胴に辺り、まるで大砲のように大きく吹き飛ばされていく。その先には杏子が事前に創り出していた無数の槍。まるで剣山のように突き出している大量の槍に向かって吹き飛ばされた魔女は、成すずベなく串刺しとなりその身体を消滅させていく。そうして呆気なく魔女が死に辺りの景色が現実のそれに戻っていくのを見ても、杏子の感情には一切の揺らぎが存在しなかった。

 今回、杏子が魔女との戦いに有した時間はほんの数秒である。その中で杏子が使用した魔法は槍を生み出す魔法のみ。幻惑の魔法はもちろん、身体強化の魔法すら彼女は使用しなかった。持ち得る運動能力のみで魔女の攻撃を避け、返しの一撃を食らわした。ただそれだけで杏子は魔女を駆逐したのだ。

 決して相手の魔女が弱かったわけではない。今の魔女も管理局の武装隊員ならば八人がかりでやっと倒せるような相手である。クロノでもこれほど短い時間で始末することは不可能だっただろう。それでも今の杏子には物足りない相手だった。

『エイミィ、次の魔女はどこだ?』

『えっ? もう倒しちゃったの!? まだ前に連絡を貰ってから十分も経ってないのに』

『あの程度の相手、物の数にもならねぇよ。むしろ結界の中で魔女を探すのに手間取るくらいだからな』

 事実、十分のうち九分は魔女探索に時間を掛けたと言っても過言ではないだろう。道中の使い魔を適当にあしらいながら結界の中で魔女を探すのは、それこそ魔女と対峙するよりも骨が折れることなのかもしれない。

『えーっと、そこから三十メートルほど東にいったところに魔女の結界反応は出ているけど……。でも杏子、さっきから休みなしでもう二十体以上もの魔女と戦ってるんだよ。いい加減、少し休んだ方がいいんじゃない? 右腕のこともあるしさ』

 そう言ってエイミィは表情に影を落としながら杏子の右腕に目を向ける。見た目だけなら左腕と変わらず存在している杏子の右腕。しかしその実態がないということをエイミィは知っていた。

 今、エイミィの目に映っている杏子の右腕は彼女が魔法で生み出している幻惑である。魔法少女である杏子ならば、切断された右腕が残っていれば繋げることもできただろう。しかし杏子の右腕はキリカの結界と共に消失した。すずかがなのはと対話する時間を作るためにキリカの足止めを買って出なければ、杏子は右腕を回収することができたかもしれないが、杏子には一切の悔いはなかった。

 それはすずかの死に顔を見たからである。最終的にすずかは満足して逝けたのだ。多くの魔法少女が後悔と怨嗟を残して魔女に殺される中、彼女は納得して死んでいった。すずかと直接、話したのは一度しかない杏子だったが、それでも見知った少女が心残りなく戦いに殉じられたと考えれば、右腕一本など安い代償である。

 そもそも切断された右腕がなくとも、再生させることができないわけではない。魔法少女の治癒能力は常人のそれを遥かに上回る。杏子は治癒魔法が苦手なためすぐに再生治療を施すことはできないが、それでも数日の時間を掛ければ元の状態に再生させることは可能であった。

 だが現状、右腕の治療に時間を掛けている暇はない。海鳴市にいる魔女の数は日に日に増え続けている。そんな状態の中、杏子が戦線から離脱すれば民間人の犠牲者はさらに増加するだろう。見ず知らずの相手がいくら死のうとも杏子には関係ないが、それによってゆまが危険に晒される可能性を考えると、治療を後回しにしてでも魔女を駆逐しに赴く必要があった。

『その辺の魔女なら例え片腕がなくたって余裕で倒せるから問題ないさ。それに腕がないならないで、戦いようがないわけじゃないしね。……っと、そろそろ結界の入り口に着くから話はまた後でな』

 もはや作業感覚になりつつ魔女狩りに飽き飽きしながらも、杏子は結界の中に入っていく。――その先で待ち受ける魔女がどのような相手とも知らずに。 



     ☆ ☆ ☆



【なのは、ご飯は部屋の前に置いておくからね。少しずつでいいからきちんと食べるんだよ】

【うん、ごめんね。ユーノくん】

 ノックの痕、ユーノが部屋の中にいるなのはに声を掛ける。その声になのはは力なく返事をする。そんななのはの様子にユーノは心配したが、それ以上声を掛けることなくその場を後にした。

 この二日間、なのははまともに食事をとることができなくなっていた。それはすずかの死に堪えたというのもあるが、それ以上に目の前で使い魔に食べられていく同級生の姿を間近で目撃したのが原因だった。助けを求める声に応えることもできず、その場で血を撒き散らしながら肉塊へと姿を変えていくクラスメイト。何かを口にする度になのはの脳裏にはその光景がフラッシュバックし、胃の内容物を吐き出してしまうのだ。

 それでも少しずつではあるが野菜や果物だけなら食べることができていたなのはだったが、未だにすずかを失った悲しみが癒えることはなかった。アースラで眠っているアリサの様子は気になるものの、一日のほとんどをベッドの中で過ごし、自分の世界に閉じ籠ってしまっている。

 そんななのはは現在、布団の中で携帯電話を弄り続けていた。画像フォルダに保存されているいくつかの写真。それを延々と眺め続けていた。

 しばらくの間は一定のリズムで写真を次から次へと表示していたなのはだったが、ある一枚の写真を目にしてその手を止める。その写真には三人の人物が写されていた。無邪気な笑みを浮かべながら目を輝かせているなのは。そっぽを向きつつも視線だけはきちんとカメラに向けているアリサ。どこか照れくさそうに頬を赤らめつつ微笑んでいるすずか。学校の屋上にある花壇の前で撮影されたその写真は、三人が初めて一緒に撮った写真だった。花壇の前で喧嘩したなのはたちが友達になれた記念にと撮影した思い出の写真。

 全てはここから始まった。その後は何をするにしてもほとんど三人一緒で、なのはたちは様々な思い出を積み重ねていった。

 ……しかしもう二度と、三人が揃うことはない。すずかは死んだ。これ以上、犠牲者を出さないために皆を救った。その命を犠牲にして――。

「……どうして、すずかちゃん、どうしてなの?」

 ユーノの言葉で正しくすずかの死を受け入れたなのはであったが、それでも疑問に思わずにはいられない。確かにキリカの力は圧倒的なものだった。経緯は見ていないが、すずかを死の淵まで追い込み、杏子の右腕をも斬り飛ばした。なのははキリカの姿を間近で眺めただけだが、それでも自分の実力では勝てないと否が応でも思い知らされた。

 だがあの場にはなのはを含めて四人の魔法使いがいた。四人でキリカに戦いを挑めば、あるいはすずかは死ななかったかもしれない。そう思わずにはいられなかった。

「……ううん、そうじゃない。きっとそういうことじゃないんだ」

 しかしすぐにその考えが間違いであることになのはは気付く。あの時、杏子はアリサとすずかを助け出し、さらにキリカの足止めをした。クロノは助け出された二人の治療をし、その治療を受けたすずかはキリカを打倒するに至った。皆、自分にできることを精一杯行っていた。

 だというのにあの場でなのはが行った行動といえば、不意打ちでキリカに攻撃を仕掛けた。ただそれだけである。今のなのはが放てる最高の攻撃魔法、ディバインバスター。それを背後から当てたのにも関わらず、キリカは傷一つ負わなかった。その後、もう一度キリカに攻撃を仕掛けようとした時には、成す術なく身体の自由が奪われてしまった。

 さらに言えばキリカと遭遇する前、使い魔と戦っていた時ですら、なのははアリサを守り切ることができなかった。なのはが目を離した隙にアリサは結界の裂け目に飲み込まれ、彼女を孤立させてしまった。もし運が悪ければ、そのままアリサが死ぬこともあり得ただろう。

 なのはは最後に告げられたすずかの言葉を思い出す。「なのはちゃんは魔法なんか使わなくても、誰かを救うことができる人なんだよ」「いつまでも誰かを救える人でいて」。そんな言葉の数々がなのはの胸を締め付ける。

 すずかの言葉を否定するような真似はしたくないが、果たしてあの場で誰かを救うことができていたのだろうか。アリサを危険に晒し、杏子に酷い怪我を負わせ、すずかを死なせてしまった。確かになのはがいたから救われた命もあったのかもしれない。それでもすずかが成したことには到底及ばない。キリカの手から皆の命を救い出したのはすずかであり、そしてそれは彼女の持つ魔法少女としての力だった。

「……わたしも魔法少女だったのなら、すずかちゃんと一緒に戦うことができたのかな?」

 なのはが戦うことをすずかは頑なに否定していた。魔導師であるなのはは魔女と戦うべきではない。それはすずかだけではなく杏子も口にしていた言葉だ。魔法少女にとって魔女から手に入るグリーフシードは生きるために必要不可欠なものである。それ故に魔法少女は魔女と戦い続けなければならない。けれどもグリーフシードを必要としないなのはには、魔女と戦う理由はどこにもない。それが杏子の言い分であり、おそらくはすずかも同様の理由でなのはが戦うのを嫌っていたのだろう。

 戦う覚悟はなのはにもあった。誰かを守りたいという気持ち、そこに偽りはない。さらになのはには戦う力もあり、魔力量だけで言えばユーノやクロノよりも多いとお墨付きをもらっていた。――だけどそれだけでは全然足りなかったのだ。すずかと杏子は魔法少女。それに対してなのはは魔導師。その絶対的な違いが、戦いに対する覚悟の違いを生み出していた。

 そのことに気付いた時、なのはの目から自然と涙が零れ出す。この二日間で枯れるほど泣いたはずなのに、それでもなのはの悲しみは止まらない。

 織莉子の口から魔法少女の末路について聞かされた時、周りからどんなに反対されようともキュゥべえと契約すれば良かったのだ。そうすればアリサが危険に晒されることも、杏子が右腕を失うこともなかった。そして――。

「あの時、皆に反対されてでもわたしが魔法少女になっていれば、すずかちゃんは死ぬことはなかったのに!!」

 心の中をの後悔を吐き出すようになのはは叫びを上げる。枕を涙で濡らし、自分の無力さを痛感する。








































「――それがキミの望みかい?」

 その言葉はあくまで、なのはの心の内の叫びだった。返事など期待せず、ただ思うがままに口から出た言葉。だというのになのはの言葉には予想外の返事があった。思わず声のする方を向くと、そこにはキュゥべえがいた。まるで最初からそこにいたかのように、キュゥべえはその場に佇んでいる。

「キュゥべえ、くん?」

「久しぶりだね、なのは。こうして直接話をするのは、あの夜以来かな? ……ところでキミは今でもボクと契約する気はあるのかい? キミが望むならどんな願いだって叶えてあげるよ」

 キュゥべえは瞳を妖しく輝かせ、なのはに問いかける。そんなキュゥべえの悪魔の言葉は、今のなのはにはまるで天使の囁きのように聞こえたのであった。




2013/4/18 初投稿
2013/5/12 一部描写加筆&修正



[33132] 第9話 キミが望めばどんな願いだって その2
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2013/05/12 01:08
 まどろんでいた忍の意識を覚ましたのは、扉を叩くノックの音だった。はじめ、それをノエルが忍を御輿に来てくれたものだと思った忍は目を擦りながら起き上がり、そのままドアを開けようとする。

「忍、今、少しいいか?」

「きょ、恭也!? ちょっと待って」

 だが扉の外から聞こえてきたのは恭也の声だった。予想外の出来事に忍は慌てふためき、手近な手鏡を見ながら涙の跡を拭き、乱れた髪を整えていく。

「ごめんなさい、待たせちゃって」

 そうして約一分後、簡単に身なりを整えた忍は扉を開けて恭也を部屋に招き入れる。

「いや、こっちの方こそ急に押しかけて悪いな」

「それは別にいいんだけど……。でも今日はどうしたの? いきなり尋ねてくるなんて珍しいじゃない」

 忍と恭也は恋人同士ではあるが、なるべくお互いに連絡を入れてから会うようにしている。それは忍が夜の一族で、月村家の当主であることが関係していた。恭也はある程度、忍の口からa夜の一族についての事情を聞かされており、その上で恋人として支えている。しかし二人の関係はあくまで恋人であり、少なくとも今はまだ一生涯の伴侶というわけではない。それ故に現状では恭也に一族の秘密を全て伝えることができないでいた。

 もちろん忍としては将来的にはそういった事情を全て話したいとは考えている。しかし月村家の当主と言っても夜の一族全体からみれば彼女はまだ若輩者。例え恋人とはいえ一族の秘密を独断で語るような真似をすれば、罰は免れない。そういった関係上、不用意に恭也が夜の一族の秘密を知ることのないように、月村邸を尋ねる時は事前連絡をもらう取り決めをしていたのだ。

 だからだろう。忍の言葉に恭也は申し訳なさそうな表情を見せる。そんな恭也の心の機微を感じとった忍は慌てて弁明する。

「あっ、違うのよ、恭也。別に私は怒っているわけじゃなくて……」

「わかってる。だけどなんとなく、先に連絡していたら忍は会ってくれないような気がしてな」

「…………そうね、確かに恭也の言う通りかもしれないわね」

 恭也の言葉に忍は言葉を詰まらせる。だがすぐにそれを肯定した。

 今にして思えば、忍はすずかの死を知ってから、意図的に恭也のことを頭の中から消し去っていたように思う。すずかの死んだ悲しみを一族の責務で誤魔化し続け、不意に空いた時間も一人になって涙を流す。だがもし、悲しみに暮れている時に恭也が傍にいたらどうだろう。おそらく忍は恭也に甘えてしまうはずだ。自分を律することができず、一族の責務も忘れ、恭也に依存してしまっていただろう。

 それが忍には怖かった。すずかの死は忍の心にぽっかりと穴を空けた。その穴を埋めるために恭也に縋る。そうしてすずかのことを忘れようとしてしまうことを、忍は何よりも恐れたのだ。

「きっと恭也は私のことを心配して来てくれたんだと思う。そのことに関しては凄くうれしいし、本音を言えば今すぐにでも胸を借りて泣きたいくらい。でもそうしたらきっと、私はもう二度と、一人で立ち直ることができなくなると思う。だから……」

「それ以上は言わなくていい」

 忍の言葉を制した恭也は、彼女が瞳に溜めている涙をそっと拭う。涙を拭われたことで忍は自分が泣いていたことに気付く。

「……正直なところ、忍のことが心配だったという気持ちもあるが、それ以上に俺自身が忍に会いたかっただけなのかもしれない」

「…………えっ?」

 さらに次いで恭也の口から紡がれた恭也の予想外の言葉に、忍は驚きの感情を浮かべる。

「あれから二日、なのはは未だに自分の部屋から出てこようとしない。それに町の中では未だに多数の行方不明者が出続けていると聞く。そんな中で、忍がどうしているか、酷く不安で心配だったんだ」

 なのはのことは初耳だったが、行方不明者の件はすでに忍の耳にも入ってきていた。一週間ほど前から多数出ている海鳴市内での行方不明者。警察署に届けられた捜索願の数は有に百数件にも上っていると聞く。届け出が出ていないものも含めれば、その数はさらに増えるだろう。そしてその原因は間違いなく、市内に充満している魔女に違いなかった。

「……実を言うと昨日、魔女と戦ったんだ。その中で使い魔程度なら相手になったが、魔女が相手では互角の戦いをするのが精一杯だった。時間を掛けてなんとかその一体を倒すことはできたが、それだけで俺は集中力を使い果たしてしまったよ。もしその状態で別の魔女の結界に取り込まれていたら、俺は生きて帰ることができなかっただろう。今まで御神の剣士として修練を重ねてきたつもりだったが、自分がまだ未熟だと思い知らされ――」

 そこまで口にしたところで、部屋の中に大きな破裂音が響き渡る。それは忍が恭也の頬を思いっきり平手打ちした時に発生した音だった。そのあまりの鋭さに恭也はぶたれるまで、反応することすらできなかった。

「馬鹿ッ! どうしてそんな無茶な真似したのよ! いくら恭也が強いからって魔女と戦うなんて!! 恭也は夜の一族でも魔法使いでもないのよ。もし万が一、すずかみたいに死んでしまったら、私はどうすればいいのよ」

 大粒の涙を零しながら忍は顔を歪ませる。先ほどまでなるべく見せないようにしていたすずかを失った悲しみごと恭也にぶつける。

 恭也にしてみれば魔女と戦ったのは少しでも早くこの町に平和を取り戻すためだった。すずかを死に追いやり、なのはをも巻き込んだ事件。その根底にあるのは魔女という化け物の存在である。それを駆逐すればなのはも安心して部屋の外に出てくるようになり、忍の負担も減る。そんな考えからの行動だった。

 だが目の前で泣き喚く忍の姿を見て、それがどんなに浅はかな行動だったのかを恭也は改めて悟る。どんなに気丈に振る舞おうとも、忍がすずかを失った悲しみがなくなったわけではない。そんなこと恭也が一番わかっていたはずなのに。

「……すまなかった、忍」

 だから恭也はただ一言、申し訳なさそうに謝罪する。不必要に自分の命を危険に晒してしまったこと、そして忍を不安にさせてしまったこと。それを心の底から反省する。

「……恭也、お願いだからもう二度と、そんな無茶な真似はしないで」

 そんな恭也の胸にしがみつき、忍は懇願する。目を大きく腫らした忍の泣き顔を見て、恭也は決意する。もう二度と、忍を悲しませるような真似はしないと。そして彼女を守れるぐらいの強さを手に入れようと。



     ☆ ☆ ☆



≪――動かないでください≫

 飄々とした足取りでなのはに近づこうとしているキュゥべえに、レイジングハートが待ったの声を掛ける。なのはのことを気遣い、黙って見守っていたレイジングハートだったが、キュゥべえのような存在が現れたとなれば話は別である。

≪どのような方法を用いてマスターの部屋に侵入したのかはわかりませんが、それ以上マスターに近づかないでください≫

 明滅するように赤く光りながら、キュゥべえに対して警告するレイジングハート。しかしキュゥべえはその言葉で怯んだ様子はない。なのはの元に近づくのを止め、代わりにレイジングハートが置かれているなのはの机の上に飛び乗った。

「これは驚いたね。キミのデバイスもインテリジェンスデバイスだったのか」

 そうして見降ろすようにレイジングハートを眺めながら、感嘆に満ちた声を上げる。インテリジェントデバイスについてキュゥべえが知っていたのは、プレシアからもたらされた情報によるものだ。魔導師というキュゥべえの知らない魔法体系。それに対する知識は今、こうしている間にもプレシアからもたらされ続けている。プレシアの研究内容や彼女が抱いている願いなど、肝心な部分は未だに聞き出すことはできていないが、それでも次元世界についての基本的な知識をすでにキュゥべえは身につけていた。

「しかし話をするためにやってきただけなのに、そこまで警戒されるなんて心外だよ。せめてとりつく島ぐらい用意してもらいたいところなんだけど」

≪マスターの部屋に無断で侵入した貴方にそんなものがあるとでも?≫

「……やれやれ。そういうことなら今日のところはこのまま帰るとするよ。ボクには他にもやらなければならないことが山積みだからね」

 キュゥべえはなのはに背を向けて立ち去って行こうとする。それを見て安堵するレイジングハート。だが意外にも、そんなキュゥべえをなのはが呼びとめた。

「待って、キュゥべえくん。わたし、キュゥべえくんにどうしても聞きたいことがあるの」

≪マ、マスター!?≫

 そんななのはの行動にレイジングハートは戸惑いの声を上げる。

「ごめんね、レイジングハート。でもわたし、どうしてもキュゥべえくんに聞いておきたいことがあったから」

≪……わかりました。ただし警戒は怠らないでください。相手はすずかを魔法少女に仕立て上げた張本人なのですから。せめて何があってもいいようにバリアジャケットは展開しておいてください≫

「うん、ありがとう、レイジングハート」

 なのははレイジングハートの忠告を素直に従い、シーリングモードでレイジングハートを握りしめて、バリアジャケットを展開する。そうして改めて、キュゥべえに向き直った。

「まったく、呆れるほどの念の入りようだね。ボクには何の力もないっていうのに。……それでボクに聞きたい話ってなんなんだい? あとでボクの話を聞いてくれるのなら、何でも話してあげるよ」

「――それじゃあ教えて。どうしてすずかちゃんがキュゥべえくんと契約して魔法少女になったのかを」

 そうしてなのはは予てより抱いていた疑問をキュゥべえにぶつける。そもそもおかしい話なのだ。なのはの知る限り、すずかは虫も殺さないような性格の女の子である。そんな彼女がどうして魔法少女などという戦いの中にその身を置くことになったのか。それがなのはにはどうしても不思議だった。

「そうか。実を言うとね、ボクがなのはに話をしに来た理由の一つもそれなんだ。すずかはなのはのことをかなり気にしている様子だったからね。本来ならば魔法少女が死んだ後のアフターケアなんてする必要はボクにはないんだけど、それでもなのはには聞く理由があると思ったからさ。……しかしどこから話したものか」

 思いもよらないキュゥべえの言葉に、なのはは考え込むように押し黙る。キュゥべえに対してなのはが抱く感情は複雑だ。キュゥべえがいなければすずかが魔法少女になり、命を落とすことはなかった。そういう意味では、キュゥべえもまたキリカと同様に憎むべき対象である。

 しかしその一方でキュゥべえはなのはの知らないすずかの姿を知っている。さらにキュゥべえと契約すれば、このような悲劇をもう二度と起こさないための力を手に入れることもできる。それ故になのははどのようにキュゥべえと接すればいいのかわからなかった。

「……それじゃあキュゥべえがすずかちゃんと契約しようと思った理由から教えてくれないかな」

 拒絶する心と求める心。相反する感情の中で揺れ動きつつ、なのはは尋ねる。その質問に対して、キュゥべえは機械的な口調で淡々と答えていく。

「それはすずかの他に魔法少女の素養を持つ子がいなかったからだよ。ボクが探した限り、この町に住んでいて魔法少女となり得る素養を持つ子はなのはとすずかの二人だけだった。だけどなのはのことを見つけ出した時には、すでにキミは魔導師になっていたからね。だからボクはすずかと契約することにしたんだ」

 今でこそ魔導師であるなのはやフェイトと契約しようと目論んでいるキュゥべえであったが、それは魔導師についての知識をプレシアから聞き出せたからに他ならない。事前知識のない状態では、魔導師を魔法少女として契約することができたのかもわからないし、何よりユーノに自分の存在が知られることは危険であると考えていた。結果的にそのどれもが杞憂であったわけだが、そのためにキュゥべえの動きが束縛されていたのは自由だろう。

「すずかちゃんは、キュゥべえくんとの契約を嫌がったりすることはなかったの?」

「うん、悩む時間が欲しいとは言っていたみたいだけど、嫌がる様子はなかったね。おそらくだけど、その悩む時間も願いを決めるための時間じゃなくて、魔法少女になるかどうかを決心をつけるための時間だったと思うしね」

「そう、なんだ」

 その言葉を聞いて、なのははさらに疑問を募らせる。キュゥべえの口ぶりでは、まるですずかは最初から何らかの願いを抱いていたように思える。そしてその願いを叶えるためにすずかはキュゥべえと契約した。果たしてその願いというのは、いったいどのようなものだったのだろう。

 なのはの目から見て、すずかは決して不幸な少女ではなかった。家族に愛され、友達もいる。常日頃からすずかと一緒に行動していたなのはにも、すずかが落ち込んだ様子を見せたことはほとんどない。強いてあげるとすれば、月村邸に住んでいる猫が死んでしまった直後くらいであろう。

 なのはにとってすずかは掛け替えのない親友だ。それは間違いない。それなのにも関わらず、すずかが抱いていた願いの見当すらなのはにはつかない。それがとても悲しく、悔しかった。

 すずかが何を願っていたのか、その答えを得るのは簡単だ。今、この場でキュゥべえに尋ねればいい。今ならどんな質問にもキュゥべえは答えてくれるだろう。

 しかし果たして、それでいいのだろうか。すずかが胸の内に秘め続けた願い。それはすずかにとって、何よりも大切な願いだったはずだ。例えもう二度とすずかに会えないのだとしても、それを第三者の口から聞き出すことに、なのはは抵抗を覚えた。

「……ねぇ、キュゥべえくん、結局、すずかちゃんは何を願って魔法少女になったの?」

 それでもなのはは聞かずにはいられなかった。すずかが一体、どんな想い抱いて最期まで戦い抜いたのか。その真実が知りたかったから。



     ☆ ☆ ☆



 結界の奥に向かう道中で襲いくる使い魔を片手間で倒しながら、杏子は進んでいく。この二日の間に彼女が倒した魔女の数は有に百体を越えていた。それほどの数の魔女とこの短期間で戦うというのは、一見するととても無謀な行為に思える。だがそれには訳があった。

 キリカの事件以降、海鳴市で発見される魔女の数が急激に増えていたのだ。今、杏子が潜っている結界と先ほど杏子が戦っていた結界の距離はたった三十メートルしかない。成人男性ならばほんの二十秒程度で歩けてしまうような距離。それほど近くに魔女の結界が複数できることなど通常ならばあり得ない。しかし今の海鳴市には、それが当たり前のように起きている。

 それ故に杏子だけではなく、戦える管理局員は皆、ほとんど休む間もなく魔女と戦い続けていた。幸いなことにすでに海鳴市に出現する魔女の種類は管理局でも把握している。グリーフシードから孵る魔女は元の魔女の亜種であることがほとんどであるため、一般の武装隊員でもチームを組んで挑めば難なく倒すことができるようになっていた。しかしそれでもその数の多さにすでに何人かの局員は怪我を負い、戦線から離脱している。

 杏子や管理局は知らないことだが、この二日で魔女が急激に増え始めたのはすずかの死が関係していた。すずかは死ぬまで毎日のように数百体もの魔女を屠ってきた。人間であることを止め、この町の人々を守るために身を粉にして戦い続けていた。だからこそ今まで魔女による被害を最小限に抑えることができていたのだ。それがなくなれば飽和状態になるのは至極当然の話だった。



 ――そして増え続けた魔女がこの先どうなるのか、杏子はすぐに思い知ることになる。



 少し迷った末に結界の最奥に到着した杏子が見たものは、異質な光景だった。通常、魔女の結界の中に存在する魔女の数は一体であることが常だ。しかし現在、杏子の目の前には四体の魔女がいる。赤い薔薇を咲かした巨大な植物型の魔女。黒いクレヨンで人型に塗り潰されたような実態のない魔女。四つ首を持つ蛇型の魔女。そして西洋の騎士甲冑に身を包んだ人型の魔女。そんなどこかで見たことのあるような四体の魔女が幾重にも折り重なり、互いに喰い合っていた。

「……どうなってんだ、おい」

 思わず口から出る疑問の言葉。しかしこの場に、杏子の問いに答えてくれるような相手はいない。この場にいるのは言葉を介さない四体の魔女のみである。

 杏子は何が起きているのかを把握するために、目を凝らして魔女の様子を観察する。蛇の魔女の口の一つが大きく開き、そのまま西洋甲冑の魔女を一飲みにする。さらにそれに呼応するかのように、植物の魔女が蔦を伸ばし、西洋甲冑の魔女を飲み込んだ蛇の頭を絡め取る。飲み込まれた西洋甲冑の魔女は蛇の頭を切り裂き、その切り口から脱出を図ろうとする。しかし鎧が引っかかっているのか、その上半身しか這い出てこなかった。だがその甲冑には先ほどまでなかったクレヨンで描かれた落書きのような模様が描かれている。

 それからも四体の魔女は互いに互いの身体を重ね合わせ、徐々にその身体を一つに纏めていく。それは決して見た目だけの出来事ではなく、その内から放たれている魔力もまた、より禍々しく強力なものへとブレンドされていった。

「……チッ、ボーっと眺めている場合じゃないな」

 しばらく茫然と眺めていた杏子だったが、このままでは厄介なことになると感じ、槍を手にして魔女の群体へと突っ込んでいく。するとそれまで杏子のことなど意に介してなかった群体から無数の蔦が伸ばされる。それを避けつつ一気に懐に潜り込もうとした杏子だったが、無策に飛び込むことを本能的に避け、ロッソ・ファンタズマを囮に使う。

「なっ……!?」

 そうして突っ込ませた杏子の分身体は、蔦から放たれる青い液体に貫かれ一瞬の内に消失する。分身体を通過した青い液体は地面に付着すると、その場で毒々しい蒸気を発生させた。さらによく見ると、伸びてきている蔦の一つひとつの先端には小さな蛇の頭があった。どうやら青い液体はその口から吐き出されたものらしく、今度は杏子の本体に向かって射出される。

 蛇、そして毒素を持つ青い液体。それはかつて杏子の見守る中でクロノが戦った蛇の魔女の攻撃方法だった。しかし蛇の魔女にはあのような蔦はない。あれは植物の魔女の身体の一部であったはずだ。

 そんな疑問を抱きつつ、魔女の様子を眺めていると、いくつかの蔦が不自然な動きをしている事に気付く。地面に先端を擦りつけているいくつかの蔦。それはまるで何かを描いているような動きだった。そう考えた時、杏子は温泉街で出会った魔女のことを思い出す。杏子が直接対峙したわけではないが、その攻撃方法と使い魔の生み出し方を杏子はなのはとの会話で聞かされていた。

 そしてその記憶通りに、地面から複数の人型が現れる。しかしその形はただの人型ではなく、まるで騎士甲冑でも身につけているような勇ましいものだった。皆が一様に剣を持ち、鎧に身を包む姿は、西洋甲冑の魔女のシルエットとほぼ同一のものだった。

「おいおい、冗談きついぜ」

 そこまで見て、杏子はようやく四体の魔女が合体したという現実を受け入れる。歪な形ではあるが、互いに互いを喰い合い、その長所を融合させた姿に杏子は忌避すら覚える。その背中にびっしりと冷や汗を掻き、目の前の魔女をどのように攻略するかを考える。

 もしこれが魔女を四体同時に相手にするだけならば、杏子はここまで危機感を覚えなかっただろう。しかし今、目の前の相手から感じる魔力の禍々しさはキリカほどとは言わないまでも、驚異的なものだった。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッ!!」

 耳を劈くような魔女の咆哮。群体と化した魔女は歪な身体でありながら素早く動き、杏子へと襲いかかる。無数の蔦と騎士型の使い魔を用いた波状攻撃。騎士の攻撃を槍で受け止めることはできるが、毒液は命中するだけで致命傷だ。攻撃を凌ぎきることは可能だが、一向に魔女の本体へと近づくことができなかった。

 そうしている間にも杏子は徐々に結界の隅へと追い詰められていく。彼女としてもこれ以上、時間を掛けるわけにはいかない。魔女が融合するなど、杏子でも知らなかったことなのだ。クロノは別にしても、もし他の武装隊員がこのような相手と遭遇すれば一溜まりもないだろう。だから杏子は一刻も早く目の前の相手を始末し、その情報をエイミィに伝える必要があった。

 そこで杏子は賭けに出る。ロッソ・ファンタズマを使っての撹乱攻撃。本体と二体の分身を分散させ、三方向から一気に攻め立てる。作戦と呼ぶにはおこがましいが、それでも状況を打開するにはこれしかない。

 しかし杏子は失念していた。ロッソ・ファンタズマを使えば目視では決して見分けのつかない分身体を生み出すことが可能である。だがそれはあくまで視覚に頼った相手にのみ有効な魔法である。視覚情報に頼らない相手には、いくら分身を生み出したところで意味はない。

「なっ……!?」

 それ故に目の前から伸びる蔦は分身体に目もくれず、杏子に迫りくる。攻撃の密度が下がることを期待していた杏子は、すでに前傾姿勢で踏み込んでしまった。そんな杏子に向かって吐き出される毒液。まるで散弾銃のように放たれる毒液に隙間などなかった。

「こんなところでやられてたまるかよ!!」

 万事休すかと思われた杏子は、とっさに身体を捻りながら右腕を突き出す。肘から先は実体のない幻の右腕。それが霞と消え、代わりに腕と同等の太さの槍が飛び出してくる。そしてそれを力任せに大きく薙ぎ、飛んできている毒液を付着させながら周囲の蔦を薙ぎ払う。そうしてできた僅かな隙間に、杏子は身体を滑り込ませる。

「……くぅ」

 僅かに触れた毒液が杏子の肌に染み込み、骨を溶かす。その痛みに表情を歪めるが、それを無視して魔女の本体に槍を大きく突き立てる。刺さったのは蛇の魔女の頭の一つ。そこに杏子は魔力をありったけ注ぎ込みながら、大きく切り裂いていく。そのまま植物の魔女の花弁を斬り上げ、西洋甲冑の魔女の上半身に向かって思いっきり振り下ろす。そして槍を突き立てまま杏子は魔女から距離を取り、槍に込めていた魔力を爆発させる。

 そんな杏子の渾身の一撃を受けた魔女は、大きく音を立ててその身体を崩壊させていく。周囲には赤い花弁を散らし、西洋甲冑は中身が抜けたようにその場で崩れ落ちていく。蛇の胴体は干からびたように縮こまり、いつの間にかその全身に描かれていた不気味な紋様は消え去っていた。そうして息絶えた魔女の群体は、その場に四個のグリーフシードを残して結界を消滅させた。

「ああー、つかれたー」

 魔女が死んだのを確認すると、杏子はその場で大の字になって倒れ込む。目に映るのはどこまでも広がる青い空。そんな空に向かって杏子は腕を伸ばす。そうして伸ばした肘から先のない右腕を見ながら、杏子は先ほどの戦いを振り返る。

 ――右腕の仕込み槍。よく映画などで見る義手に武器を仕込んでおき相手の不意を突くという戦術。武器は刀や銃など様々だが、本来武器などないと思ったところからいきなり飛び出してくるというのは、不意打ちとしてかなり有用な策である。それを杏子は幻惑の魔法で再現した。

「実践で使ったのは初めてだったが、まさかここまで有効だとはな」

 だがそれはあくまで机上の空論。腕の再生に当てる時間がなかった杏子が考え出した苦肉の策である。実際、今回の戦いでは役に立ったが、常に右腕の幻惑の中に槍を隠し持つというのは思いの外疲れる。それまでの疲労もあったのだろうが、杏子はどうにもその場から起き上がる気にはならなかった。

「でもま、とりあえずさっきの魔女のことをエイミィたちに伝えないとな」

 そう思って杏子は管理局に通信を繋ごうとする。だがそんな杏子の思惑虚しく、彼女は結界に取り込まれてしまう。突然のことに警戒の表情を浮かべる杏子だったが、すぐにその警戒を解く。それはこの結界が魔女の創り出した結界ではなく、魔導師が創り出した結界だったからである。そして今、この状況で杏子を結界に取り込む魔導師は一人しかいない。

「……久しぶりだな、フェイト」

 そうして姿を見せる金髪の魔導師。杏子は親しみを込めてその名を呼ぶ。それに対してフェイトは暗い面持ちで杏子の右腕のあった場所を見つめるのであった。



2013/5/12 初投稿



[33132] 第9話 キミが望めばどんな願いだって その3
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/05/28 20:13
 目の前に横たわる杏子の姿をフェイトは無言で見つめる。それは彼女がなんて声を掛けていいのかわからなかったからだ。

 キリカの起こした事件の顛末は、フェイトも知っていた。結界の中でクロノと別れた後、フェイトは何度も結界の中と外を往復し、取り残された子供たちの救出を行っていた。管理局に自分たちがこの場にいることを悟られないようにしながら、状況の推移を見守っていた。そして隙あれば、結界の奥にあるジュエルシードを奪おうと考えていた。

 しかし結界が解けた後にフェイトが見たものは、すずかの亡骸を抱くなのはと右腕が切断された杏子の姿だった。その傍らにはジュエルシードも落ちており、もしフェイトが何の感情も抱かずにジュエルシードを奪おうとすれば、簡単に奪うことができただろう。

 ――だがフェイトはそんな見知った少女たちの姿を見て、動くことができなかった。

 杏子とは時に激突し、時に共闘する中でその実力はフェイトも嫌というほど理解していた。出会い方こそ諍いのあるものだったが、今ではフェイトも杏子のことは内面的にも実力的にも信頼している。そんな彼女があのような手酷い傷を負ったことが、フェイトには到底信じられなかった。

 なのはとはジュエルシードを奪い合う関係だというのに、どうにも敵視できない相手である。それは温泉街でジュエルシードが暴走した時、助けてくれたからだろう。もちろんジュエルシードの奪い合いということなら容赦はしないが、それ以外の理由で不必要に敵対するつもりはない。

 そしてすずかは、この町に来て初めて出会った少女である。最初はフェイトが助ける形で出会い、結果的にすずかに助けられた。それまでは魔法とは一切、縁のない生活を送っていたはずなのに、キュゥべえと契約して以降のすずかは驚異的なスピードで力を身につけていった。その果てしない魔力にはフェイトも抗うことができず、最終的には望まぬ形で別れることになり、ずっと気に掛けていた。

 そんな彼女は今、物言わぬ死体となっている。その事実を目の当たりにしてフェイトは衝動的に駆け出そうとする。

「ダメだよ、フェイト」

 しかしそれはアルフに止められる。なのはたちがいるのは校庭の中心。周囲には無数の管理局員がおり、助け出された子供たちの治療を行っている。そんな中に無策で飛び込んで行けば、いくら今回に限り、クロノに便宜を図ってもらっているとはいえ、捕らわれてしまうだろう。

「でもアルフ、すずかが……すずかがっ!!」

「そんなのあたしにもわかってるよ! だけどあたしたちが行ったところでどうなるってんだい!」

 アルフは悔しげに歯を噛み締め、拳を握りしめる。結界の奥で何があったのか、気にならないと言えば嘘になる。できることならすずかをあんな目に合した奴を殴り付けなければ気が済まない。しかしそれを行ったであろう魔女はすでになのはたちが討伐したはずである。今更顔を見せても、何の意味もないだろう。

「フェイト、今日のところは一端帰ろう。それで改めて杏子に話を聞きに行こう」

 元々、フェイトが結界の奥に行かなかったのは、その消耗が激しかったからである。ジュエルシードを吸収した魔女の相手をするのは荷が重く、仮に倒せたとしてもその後はジュエルシードを巡って管理局と争わなければならない。そんな分の悪い賭けをしないためにも、クロノとの取引に応じ、結界内に取り残された子供たちを助けることを選んだのだ。

「……うん、そうだね」

 それがわかっているからこそ、フェイトはアルフの言に従った。管理局に気付かれないようにこの場から去り、自分たちの隠れ家に戻る。その目から無数の涙を溢れさせながら――。



 それからの二日間、フェイトは碌に眠ることができなかった。すずかを死に追いやり杏子に深い傷を残した事件、そしてキュゥべえから告げられた契約の話など、様々な事柄がフェイトに重く圧し掛かる。無意識のうちに答えの出ない問題に頭を悩ませ、フェイトの意識を疲弊させていた。

 それでもフェイトはジュエルシードの捜索を止めることはなかった。それはプレシアの頼みであるということももちろんあったが、それ以上に動いている間は余計なことを考えずに済んだからである。しかしいくら探してもフェイトの魔力探知に引っ掛かるのは魔女の創り出した結界ばかり。肝心のジュエルシードは一個も見つけることができなかった。

 杏子を見つけたのはそんな矢先の出来事である。満身創痍で倒れ伏す杏子。魔法少女の姿のまま横たわる杏子が、つい先ほどまで魔女と戦っていたということはフェイトにもすぐにわかった。

 フェイトの視線は自然と杏子の右腕に向かう。左腕に比べて半分ほどの長さしかない痛々しい右腕。すでにその傷は塞がっているが、切断されたことには変わりはない。そんなハンデを背負った状態で魔女と戦っていたという事実にフェイトは驚きを隠せず、杏子の前に姿を現すことができなかった。

「でもま、とりあえずさっきの魔女のことをエイミィたちに伝えないとな」

 そんなフェイトに杏子は一切気付いた様子もなく、管理局に通信を繋ごうとする。それを察したフェイトはとっさに、杏子を巻き込む形で結界を展開する。今を逃せば、次に杏子と話をする機会を得られるのはいつになるかわからない。それ故の行動だった。

 とっさのこととはいえ、まだフェイトの中で整理がついたわけではない。話したいことはたくさんあったはずなのに、なんて声を掛けていいのかわからない。

「……久しぶりだな、フェイト」

 そうやって逡巡していると、杏子の方から声を掛けてくる。身体を起こすような真似はしなかったが、その視線は真っ直ぐフェイトの方に向けられていた。そんな杏子の瞳に晒され続けたフェイトは、渋々といった具合で姿を現し、杏子の元に近づいていく。

「……うん、久しぶり、杏子」

 そうしてやっとの思いで出せたのは、そんな当たり障りのない言葉だった。そんなフェイトの態度に杏子は不思議がるが、その視線が今は無き自分の右腕に向いている事に気付き、得心がいく。

「ああ、この右腕のことか? この前、少しドジっちまってな。でも安心しろって、魔法少女やってりゃ、こんな傷は日常茶飯事だからな」

 杏子はさも大したことのないように笑みを浮かべる。だがそれが逆にフェイトの琴線を刺激した。

「……どうして杏子はそんなに傷ついてまで、魔女と戦うの?」

 そして思わずその疑問が口から飛び出してしまう。遠くから眺めている時は右腕の傷しか気付かなかったが、こうして近づいてみると杏子が全身に無数の傷を負っているのがわかる。左腕や両足の至るところに爛れたような傷がある。おそらくは先ほどの戦いでついた傷なのだろう。実際に杏子の戦いを目撃したわけではないが、もし杏子に右腕があればここまでの傷を負うことはなかっただろう。

「どうしてって、そりゃあたしが魔法少女だからに決まってるだろ? 魔法少女である以上、魔女を倒してグリーフシードを手に入れなければ、いずれは魔力が枯渇しちまうからな。別世界の魔導師であるフェイトにはわからないかもしれねぇけど、この世界の魔法少女っていったらそんなもんだぜ」

 魔法少女は基本的に打算的な生き物である。失った魔力を供給できるグリーフシードという利益のために魔女と戦う。言わばそれが魔法少女の仕事なのだ。

 そして現在の海鳴市は絶好の狩り場。どこを歩いても魔女が闊歩しているというこの町の現状は魔法少女である杏子の目からしても異常である。もちろんそんな利己的な理由のみで戦っているわけではないが、そのような側面があるのは間違いない。だからこそ、杏子は管理局と連携して魔女を狩っているのだ。

「でもそれでそんな怪我をしたり、死んじゃったりしたら元も子もないよ!!」

 だがそんな理由ではフェイトは納得することはできなかった。

「確かにわたしは魔導師で杏子は魔法少女だから、本当のところは理解し合えないかもしれない。だけどそれでも杏子がそんなボロボロになってまで戦っているのを見過ごすわけにはいかない。……だからもし、これ以上杏子が無理な戦いを続けるっていうのなら、わたしが力づくで止めてみせる」

 そう言うと、フェイトは杏子にバルディッシュを向ける。

「……フェイト、お前、本気か?」

 そんなフェイトに対して、杏子もまた睨みつけるように言葉を返す。だがそれでもフェイトの決心は揺るがない。

「うん。これ以上、杏子に傷を負わせ、あまつさえ死なせるようなことになったら、わたしはゆまに顔向けできない。だからもし、杏子がそんな腕でこれ以上、無理をするっていうのなら力づくにでも――止める」

 そう宣言すると同時にフェイトの足元に魔法陣が展開し、杏子をバインドで拘束する。警戒していたはずなのに、杏子はそんなフェイトのアクションに対応することができなかった。しかしバインドで拘束されているのにも関わらず、杏子は慌てた様子を一切見せなかった。そして一つ息を吐くと、観念したようにこう告げた。

「わーったよ。そこまで言うのならこれ以上の無理はしねぇよ。正直、もうグリーフシードは十分過ぎるほど集められているしな」

 連日の連戦と管理局員から戦利品として渡され続けたグリーフシードによって、杏子はしばらくの間、魔力の心配をしなくていいほどのグリーフシードを集めていた。もちろん強敵との戦いで過剰に魔力を消費してしまえば別だが、それでも戦わなくても一年は大丈夫な蓄えがあった。

「っていうか、例えあたしが万全な状態だったとしても、そんな顔をしている相手とやり合う気はサラサラないしな」

 杏子の目に映るフェイトの顔は、依然として暗い面持ちのままだった。瞳にこそ、強い決心が宿ってはいるものの、とても今から戦おうという人物がする顔つきではない。

「……もしかしてフェイト、責任でも感じてんのか? あたしの腕とすずかが死んだことを」

 クロノから結界内でフェイトと遭遇したことは、すでに杏子も聞かされている。杏子としてはあのクロノが条件付きとはいえフェイトを見逃したことに驚いたが、よくよく考えればあの場にはフェイトもいたはずなのだ。そして彼女の狙いはジュエルシード。いくらクロノに見逃されたとはいえ、そのまま遠くまで逃げ出しているとは考えにくい。おそらくは事の顛末をどこかで目撃していたはずだ。

 そう当たりをつけての言葉だったが、どうやら予想は的中していたらしい。図星を突かれたフェイトはまるで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、動揺からか杏子に施したバインドを解除してしまう。

「やっぱり知ってたんだな、すずかが死んだことを……。別に慰めるわけじゃあねぇけど、仮にあの場にフェイトがいたところであの結界を創り出した女には太刀打ちできなかったと思うぜ。現になのはは何もできなかったし、あたしもこの様だしな」

 キリカの力は絶大なものだった。魔法少女の力量は決して魔力の絶対値で決まるわけではない。戦いの経験や魔法の性質、その他諸々の要素が組み合わさって決定される。杏子の幻惑の魔法とキリカの速度低下は決して相性が悪いということはない。戦いの経験で言うならば、おそらくは杏子の方が上だろう。それでも杏子が一方的に蹂躙され、足止めすることしかできなかったのは、キリカとの魔力差が大きかったからに他ならない。

 ジュエルシードによって底上げされたキリカの魔力。その圧倒的な魔力の奔流に杏子は抗うことしかできなかった。油断していたわけでもなく、ただ純粋な魔力差によって右腕という代償を支払うことになった。もしもキリカが自分と同等に戦い慣れていたとしたら、そしてすずかが命がけでキリカを倒さなければ、杏子もまた、あの場で命を落としていただろう。

「それでも、それでもあの時、わたしが結界の中にいたらすずかは死なずに済んだかもしれない。杏子の腕を失くすようなことはなかったかもしれない。だから、だからわたしは……」

 フェイトはその場でポロポロと涙を零す。胸の中に秘めていた感情を溢れさせるかのように、その涙は止まらない。そんなフェイトを安心させるために杏子は彼女の傍まで近付くと、その身体をそっと抱き寄せた。

「フェイト、お前がそこまで責任を感じることはねぇよ。確かに犠牲はあったけど、それでもすずかは満足して逝ったはずだ。なんたってあいつの死に顔はとても安らかなものだったからな」

 その言葉を聞いて、フェイトは二日前に見た光景を思い出す。なのはに抱かれるすずかの顔は確かにとても小奇麗だった。身体に付けられた数多の傷とは裏腹に、とても満足げな表情だった。

「それにあたしの腕だって別にこのままってわけじゃない。魔法少女の身体ってのは便利なもんでな、死にはしない限り、どんな損傷だろうと魔力で治癒することができるんだ。尤も、あたしは治癒魔法が苦手だから、部位欠損ほどの傷となると治すのに数日は掛かっちまうけどな。……だからさ、フェイトがそんなに気に病むことはないって」

 そう言って杏子は笑いながらフェイトの頭をくしゃくしゃにかき回す。突然の出来事に呆気にとられるフェイトだったが、次第に杏子に釣られて彼女の口からも笑みが零れる。

 果たして本当に杏子の腕が治るのか、その真偽は今のフェイトにはわからない。それでも杏子が自分を慰めようと、励まそうとしている気持ちは十分に伝わった。

「ごめん、杏子。そしてありがとう」

 だからこそ、フェイトは礼を言う。すずかの死に対する悲しみが薄れたわけではない。だが、それでも杏子の言葉で少しだけ気が楽になったことも確かだ。

「気にすんな。すずかを死なせてしまったことで悲しむ気持ちはあたしにもわからんでもないからな。でもいつまでも気にしていていいことじゃねぇ。特にこの町の現状を考えてみればな」

「この町の現状?」

「ああ。でも詳しい話はもう少し後にした方がいいかもな。そろそろこの場所に張られている結界が魔女によるものではなく魔導師によるものだって気付かれているだろうし」

 この一週間、管理局と行動を共にしてわかったことは、決して彼らは無能ではないということだ。武装局員の強さは杏子の目から見れば非力なものだったが、魔女やジュエルシードの探査能力だけを見れば、杏子の持っている力を遥かに上回るものだった。下手をすればこうして話している間にも、結界の外で管理局員が結界を突破しようと何らかを講じている可能性だってある。

「……あっ?」

 その可能性を考えていなかったフェイトは間抜けな声を上げる。そもそも彼女としても、杏子を結界で取り込んだのは、あくまで反射的な行動だったのだ。もし彼女が冷静であったのなら、こんな愚策を取るようなことはないだろう。

「って気付いてなかったのかよ! てっきりあたしは何か考えがあってこんな真似をしたのかと思ってたんだがな」

「ご、ごめん、杏子」

「いや、別に責めてるわけじゃあないんだけどさ。でもそうなると、もう外には武装局員が待機しているってことぐらいは想定しといた方がいいかもな」

 言いながら杏子はどのようにしてフェイトを逃がすかを考える。彼女としてはこの場で管理局と事を構えるつもりはない。杏子の目的はあくまでジュエルシードによって集まっている魔女の駆逐。ジュエルシードそのものが目的ではないため、その所持者が管理局だろうとフェイトだろうとどちらでも構わないのだ。


 それでもフェイトを逃がすことを第一に考えたのは、ゆまを預かってもらっている恩があるからだ。またいち早くゆまと会いたいという気持ちもある。そのためにはここでフェイトが捕まるよりも、逃がした上で連絡を貰った方が早いと考えていた。

「フェイト、もし結界の外に管理局の連中がいたらあたしが引きつけとくから、その間に逃げろ」



「――そういうわけにはいかないな」



 そんな第三者の声が聞こえるのと同時にフェイトと杏子の身体はバインドによって拘束される。結界の中に未だ侵入者はいないと思っていた二人は、完全に不意を突かれる形となった。そしてそのバインドは杏子にはとても見覚えのあるものだった。

「一体いつからそこにいたんだよ、クロノ」

 杏子は魔法が飛んできた方向を睨みつけながら名前を呼ぶ。

「ついさっきだ。キミたちにばれないように結界に入るのには苦労したよ。だがそのおかげで最小限の魔力行使でキミたちを捕えることができた。エイミィには感謝しないとな」

 それを聞いて杏子には得心が行く。杏子からの連絡がなかったことに心配したエイミィが異常を察知し、それをクロノに伝えたのだろう。クロノを結界内に転送させることができたのも、彼女の手腕によるものかもしれない。

「でもどうしてあたしまでバインドで拘束してるんだよ」

「キミは彼女を逃がそうとしていたのだから当然の処置だと思うんだが……」

「…………チッ」

 杏子は舌打ちしてクロノを睨む。だがそんな視線などまるで気にせず、クロノはフェイトに向き直って告げる。

「フェイト・テスタロッサ、残念だが、今日はキミを見逃す理由はない。それにいくら抵抗したところで、そのバインドはすぐに解除できるものではない。このまま大人しく僕についてくればキミに手荒な真似はしないと約束する。もちろんキミの使い魔にもね」

「……わかり、ました」

 すでにバインドで拘束されている以上、フェイトにはクロノに逆らう手立てはない。仮に杏子が自由に動けるのなら、まだ抗いようがあったがそうでない以上、ここは素直に捕まるしかないだろう。

(ごめん、アルフ)

 フェイトは心の中で別行動中のアルフに謝罪する。おそらく自分が捕まったと知れば、アルフは冷静ではいられないだろう。できることならアルフには危険な真似はしないで欲しい。そう願わずにはいられなかった。



     ☆ ☆ ☆



「――強く在りたい。それがすずかの願いだよ」

 すずかの叶えた願いをなのはに尋ねられたキュゥべえは、そう簡潔に答えた。だがその一言だけでは、なのはにはその願いにどのような意味があるのか実感がわかなかった。それをキュゥべえも察したのだろう。首を傾げているなのはに対し、キュゥべえは言葉を続ける。

「そうさ。その言葉にすずかがどんな想いを込めていたのかまではボクにはわからない。だけどすずかはその願い通りに強くなり続けた。実のところ、すずかの持つ魔法少女としての素質はそこまで優れたものではなかったんだ。だけど彼女は短期間で、歴代でもトップクラスの魔法少女になるまで成長することができた。それは間違いなく、すずかが強くなることを望んだからだ。もし違った願いで彼女が魔法少女になったのなら、あれほど強くなることはなかっただろうね」

「……それじゃあ、それじゃあすずかちゃんは自分の願いに殺されちゃったようなものじゃない!?」

 キュゥべえの心ない言葉を聞いて、なのはは激昂する。確かになのはの目から見てもすずかは異様なまでに強かった。それも見る度にその強さは遥かに増していった。

「言われてみれば確かにそうだね。だけどそれもすずか自身が望んだ結果だったはずだよ。だって彼女は自ら命を魔力に変換してキリカを倒したんだから。もしすずかが自分の命を第一に考えたんだとしたら、キミたちを見捨てて逃げ出せば良かったんだからね」

「……そんなこと、すずかちゃんにできるはずがないよ」

 キュゥべえの言う通り、自分の命のことだけを考えれば、すずかがキリカと正面からぶつかる必要性はどこにもなかった。彼女はあの場になのはを守るために現れ、アリサを初めとした結界に取り込まれた人々を守るために戦ったのだ。

 だがそれができないことをなのはは知っている。すずかは誰よりも優しい女の子なのだ。他者が傷つくのを何よりも恐れ、時にはなのはやアリサにさえ遠慮を見せたすずか。だからこそ、彼女は皆の命を守るために自らの命を散らしたのだ。仮に結界に捕らわれたのが見ず知らずの他人だったとしても、すずかは同じように命を賭して戦っただろう。

「そうだろうね。彼女の願いの根底にあったのは、他者を守るための強さだったことは明白だし、魔法少女としても損得を考えない珍しいタイプだったからね。ある意味では、あの結末も当然の帰結だったのかもしれないね」

「……なんでそんなことを言うの? キュゥべえくんはすずかちゃんが死んだの、悲しくはないの?」

「ボクたちには人間の言う『感情』というものが存在しないんだ。だから人間が他者の死を悲しむというプロセスは、ボクには全く理解できないんだ。ただ、貴重な戦力が失われたという意味では、ボクも悲しむべきなんだろうね」

 そう語るキュゥべえの姿は、なのはには酷く冷酷に見えた。口先だけの言葉。感情がないキュゥべえの言葉には重みがない。そんな彼が口にするすずかを悲しむという気持ち。それがなのはには酷く不気味であり、腹立たしかった。

「……出てって。もうこれ以上、キュゥべえくんと話したくない」

 なのはは涙を浮かべながらまるで親の仇でも見るような眼差しでキュゥべえを睨みつける。本当はまだまだキュゥべえに聞きたいことはたくさんあったはずである。だがこれ以上、キュゥべえの言葉を聞きたくなかった。酷く淡白であっさりとしたキュゥべえの言い分は、なのはをただただ不快にさせるだけだった。

「聞きたいことを聞き終えたら追い出そうとするなんて、キミは随分と身勝手なんだね。……でも流石にこのまま出ていくわけにはいかないかな。だってボクはまだ、肝心な話をできてないのだから」

 そう言ってキュゥべえはなのはに向かって近寄ってくる。その仕草におぞましさを感じたなのはは反射的にバリアジャケットに身を包み、レイジングハートの先端をキュゥべえに向ける。しかしキュゥべえはそんななのはの態度を全く気にせずに言葉を続けた。

「なのは、キミはさっき言っていたよね。自分が魔法少女になっていさえいればすずかは死なせることはなかったって。――実際、その通りだと思うよ。キミの魔法少女としての素養はすずかより遥かに上だ。それに短期間とはいえ魔導師として戦ってきた経験がある。それらを組み合わせれば、キミはきっと現存するどの魔法少女よりも強い魔法少女になれるだろう。そうすればもう二度と、大切な人を失うようなことはなくなるんじゃないかな」

 キュゥべえの言葉になのはの心が大きく揺れる。自分に力がないということは、なのはが一番よくわかっている。もう二度と、あんな悲劇を起こさないためには強くなるしかない。そして魔法少女になることがその一番の近道であるということも明らかだった。

≪黙りなさい。これ以上、マスターを誑かすような言葉は許しません≫

 もちろんレイジングハートはそれを許さない。魔法少女は最終的に魔女になる。そのことをすでになのはたちは知っている。それがなくとも魔法少女になることで魔女と戦う運命を背負わされるのだ。すずかの死を目の当たりにしたレイジングハートが、自分のマスターであるなのはにそのような道を取らせるはずがない。

 しかしそれでもキュゥべえは言葉を止めない。レイジングハートの警告などまるでなかったかのように、なのはに声を掛け続けた。

「今の海鳴市の状況はなのはも知っているだろう。ジュエルシードの魔力に惹かれてやってきた無数の魔女。飽和した魔力によって魔女の行動は活性化し、無数のグリーフシードや使い魔が生まれ、それがまた魔女へと育っていく。杏子や管理局の魔導師が頑張っているみたいだけど、明らかに手が足りていない。魔女との戦いから疲労が生まれ、いずれは隙を突かれて死んでしまうかもしれない。そんなことになったらなのはも嫌だろう?」

≪マスター、このような戯言に耳を貸す必要はありません。マスターの力は私が保証します。このような輩と契約し魔法少女にならなくとも、魔女と渡り合うことは十分に可能です≫

 もしレイジングハートが自分の意思で砲撃を放つことが可能であれば、この時点ですでに撃っていただろう。だがレイジングハートはあくまでデバイス、使い手が命じない限り魔法の行使をすることはできないのだ。それを知っているからこそ、キュゥべえは歩みを止めずに語り続けた。

「キミのデバイスはそう言っているけど、本当にそうなのかな? 確かに普通の魔女と戦う分には今のなのはの力でも問題ないだろう。――でもこの町には魔女が集まり過ぎた。ここまで魔女が一ヶ所に集まってしまう例は極めて稀だ。それでも今までに全くなかったわけじゃあない。だからこそ言えるのだけれど、一度こうなってしまったらボクたちにはもう手のつけようがない。いずれは魔女の群体が誕生するか、あるいはすでに群体と化した魔女がやってくることになるだろう」

「群体の魔女?」

「簡単に言えば魔女の集合体といったところだね。一体の魔女が核となり、他の魔女の波動を集めることで生まれた存在。その力は既存の魔女とは一線を画す。魔法少女でないキミたちは知らないと思うけど、ワルプルギスの夜と呼ばれる魔女が最たる存在だろうね。もしあの魔女がやってきたとすれば、この町に現存する全ての戦力をかき集めたとしても、太刀打ちできないだろう」

 その話を聞いてなのはは息を飲む。それを見てキュゥべえはダメ押しと言わんばかりに言葉を続けた。

「実を言うとね、本来ならもっと早い段階で魔女の群体が海鳴市で誕生していてもおかしくなかったんだ。でもそうならなかったのは、この町にすずかという魔法少女がいたからなんだ」

「えっ?」

 突然出てきたすずかの名前に、なのはは驚きの声を上げる。

「すずかはね、キミたちの知らないところで一日に数百体もの魔女を駆逐していたんだ。慢性的に増え続ける魔女を、それ以上の速度で彼女は倒し続けていたんだよ。たった一人でね」

 キュゥべえから明かされる衝撃の事実に、なのはは言葉も出なかった。口元を手で押さえ、目からは大粒の涙が零れ落ちる。だがそれでもキュゥべえの言葉は止まらない。

「だけどそんなすずかはもういない。杏子や管理局が引き続き魔女と戦っているようだけど、それでもすずかが行ってきた戦いには到底及ばない。このままいけば、あと数日もしないうちにこの町は壊滅的な被害を受けることになるだろう。それはなのはとしても望むところではないだろう」

「……うん、そんなこと、絶対に許しちゃいけない」

 なのははレイジングハートを強く握る。すずかがその身を犠牲にして守り続けたもの、それを壊すような真似、今のなのはに許せるはずがない。

≪マスター、騙されてはいけません。確かに現状、海鳴市には多数の魔女がいます。しかしだからといって、キュゥべえの言うような強力な力を持つ魔女が現れるとは限りません≫

 そんななのはの様子に危機感を覚えたレイジングハートは焦ったように苦言する。

「そうだね。でもレイジングハート、どちらにしてもこの町をこのままにしておくのはまずいと思うんだよ。わたしたちがこうしている間にも、魔女は罪のない人たちを襲っている。すずかちゃんが守ろうとした人たちを。それをこのまま見て見ぬふりをするなんて、わたしにはできない」

 なのはは後悔していた。すずかを死なせてしまったことを。自分に力があれば、すずかを死なせることはなかった。そしてキュゥべえと契約し、魔法少女になることによってその力を手に入れることをなのはにはいつでもできたのだ。

≪マスターは今の力でも十分に魔女と渡り合うことができます。それに修練を重ねれば、マスターはいずれ一流の魔導師になることも可能なはずです≫

「……ごめんね、レイジングハート。でもわたしはもう決めたんだ」

 なのはは申し訳なさそうに呟く。しかしその決心は揺らがない。自分に力がないからすずかを死なせてしまった。そしてまた、同様の悲劇が起ろうとしている。もしすずかが生きていれば、全力でそれを阻止しようとしただろう。例え自分の全てを投げ打ってでも。

「たぶんすずかちゃんはわたしがそんなことをすることを望まないと思う。でもこのまま放っておいてすずかちゃんが守ろうとしたものが壊されるっていうのなら、そんなのわたしには耐えられない。だからわたしはキュゥべえくんと契約して魔法少女になる」

≪……マスター≫

 レイジングハートはこれ以上、なのはに掛ける言葉は見つからなかった。なのはのデバイスになってから一ヶ月、レイジングハートはずっと彼女の姿を見てきた。だからこそこれ以上の説得は無意味だと、痛いほど理解していた。

「そうか。よく決心してくれたね、なのは。それで、キミの願いはなんだい? キミの魔力資質なら、それこそすずかを甦らせることだって可能なはずだよ」

「キュゥべえくん、それってホント!?」

「うん。しかもすずかの肉体はまだ残っているんだろう? それならより確実だね」

 魔法少女になり力を手に入れること、それが今のなのはにとって重要なことであった。だからその言葉を聞くまでは、なのはは特に願いらしい願いを抱いていたわけではなかった。強いて言うのなら魔法少女になることそのものが、なのはにとっての願いだった。

 だがすずかを甦らすことができると言うのなら話は別である。あの時、なのははすずかと仲直りすることはできたが、それでも言いたいことを全て言い合えたわけではない。まだまだ聞きたいことも言いたいことも山ほどある。

 なのはは目を瞑り、祈るようにすずかの姿を思い浮かべる。出会い、育み、そして永遠の別れることになった親友。平和だった頃、何度も見たすずかの優しい顔。そして最後に見せた、皆を守りきった後の満足げな笑み。それを願えば、もう一度その顔を見ることができる。それはなのははもちろん、すずかの死を悲しんでいるはずのアリサや忍といった人々にも喜ばしいことだろう。

「わ、わたしは――」

 しかしふと、なのはの脳裏に映るすずかの表情が曇る。まるでそんなことは望んでいないと言わんばかりの沈んだ表情。首を横に振り、辛そうな、それでいて詮方ないといった笑みを浮かべるすずか。



『……だからね、なのはちゃん、私は絶望の果てに死ぬんじゃない。希望を繋げるために死ぬんだよ』



 なのははすずかの最後の言葉を思い出す。できることならすずかともう一度、会ってお話をしたい。だがそれはなのはの我儘だ。すずかは自分の死に全く後悔していなかった。そんな彼女の想いを踏みにじっていいわけがない。だから……。

「わたしの、わたしの願いは――」

 なのはの気持ち、そしてすずかの想い。それらを乗せたなのはの願い。この命、そして魂さえも代償にしても構わない。それほどの感情を込めて、なのはは告げた。

 それと同時になのはの胸に激しい痛みが奔る。膨大な魔力の輝きを放つソウルジェムが、なのはの胸の内から生まれてくる。桜色の輝きを持つ、穢れのないソウルジェム。自分の身体に溢れる魔力に、なのはは驚愕の表情を浮かべる。

「……契約は成立だ。キミの祈りはエントロピーを凌駕した。なのは、これでキミも晴れて魔法少女というわけだ。それにしてもこれは想像以上だね。資質の高い子だと思っていたけど、まさかこれほどの魔法少女が生まれるなんて思いもよらなかったよ」

「……ねぇキュゥべえくん、わたし、強くなれたのかな?」

「もちろんだよ。今のキミの魔力やキリカやすずかに勝るとも劣らないものだよ。実際、戦ってみないことにはわからない部分もあるけど、それでも契約前より強いのは確かなはずさ」

「そう、なんだ」

 なのは自身、自分の内から湧き出てくる魔力に驚きを隠せない。だが自分で望んだはずの力を手に入れたはずなのに、なのはの表情はどこか陰を帯びていた。それはさながら、これから巻き起こるであろう戦いの激しさを暗示しているかのような、そんな悲痛に満ちた表情だった。




2013/5/28



[33132] 第10話 ごめんね。……そして、さようなら その1
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/09/22 23:21
 なのはがキュゥべえと契約し、フェイトがクロノに捕まる一日前、時の庭園ではプレシアとキュゥべえによる情報交換が行われていた。

 プレシアが提供するのは主にミッドチルダの魔法と次元世界の仕組みである。肝心のプレシアの目的などの情報は一切、聞き出すことはできなかったが、多くの人類がまだ見ぬ別世界に存在していると知れただけでもキュゥべえとしては十分な成果と言えるだろう。

 もちろんキュゥべえ側もその対価としてプレシアにいくつかの情報を渡していた。その一つはキュゥべえが魔法少女と契約するメカニズムである。元々、プレシアは自力で魔法少女の真実に気付いたため、今更彼女に対して隠し立てしても無駄だと判断したキュゥべえは、惜しげもなくその技術を披露した。

 またそれと同時にキュゥべえはプレシアに、海鳴市で起きている事象をほぼリアルタイムで伝えていた。そのため、キリカが引き起こした事件はすでにプレシアの耳にも伝わっている。結界に取り込まれた無数の子供が喰われ、キリカを倒すために一人の魔法少女が相討ちとなった。

 一般人や魔法少女がいくら死のうがプレシアには一切、関係のないことだ。だがこの戦いの中には見過ごせない点があった。それはキリカがジュエルシードの力を用いて自身の魔力を向上させたという点である。

 ジュエルシードの仕組みについては、プレシアも未だ解明できていない。フェイトに手に入れさせた七個のジュエルシードをいくら調べても、正常な形で願いを叶える方法はわからず、またその魔力を自在に引き出す術も見つかっていなかった。

「その魔法少女は本当にジュエルシードの力を使いこなしていたのね?」

「実際にその姿を間近で見たわけではないけれど、おそらく間違いないと思うよ」

 訝しむような表情でキュゥべえを観察するプレシア。相手が人間であれば、その観察眼である程度の嘘を見抜くことはできたが、相手は異世界の知的生命体である。見た目はただの獣と相違なく、その表情からは何の感情も読みとれない。

 しかしキュゥべえからもたらされたその情報が本当ならば、プレシアには見過ごせない事柄である。

 プレシアの願いはアリシアの蘇生。それを叶えるためにジュエルシードの膨大な魔力を用いてアルハザードの道を開く。そうしてたどり着いたアルハザードの技術を用いてアリシアを蘇生させる。それが当初の計画であった。

 もちろんその計画自体は今も引き続き継続している。だがそれと同時にもう一つ、キュゥべえとフェイトを契約させアリシアを甦らせるという思惑も並行して企てていた。尤もこちらについてプレシアがやれることは何もないに等しい。最悪の場合、プレシア自身でキュゥべえと契約することも視野に入れてはいるが、それでも現状は黙って静観していることしかできなかった。

 どちらにしても現状のプレシアにできることはフェイトに命じ、ジュエルシードを集めさせること。そしてアルハザードの存在する次元座標を正確に特定する。その二点しかないのだ。

 そんな最中に提示された第三の可能性。ジュエルシードを用いてアルハザードに行くのでもなく、ジュエルシードを対価にキュゥべえと取引するのでもなく、ジュエルシードそのものを使ってアリシアを蘇生させる。

 当然プレシアとてその方法を考えなかったわけではない。違法研究に身を置いているとはいえ、彼女が一流の科学者であることは間違いない。だがその知識と技術を持ってしても、ジュエルシードの正確な解析はできなかった。それを未知のものとはいえ、別世界の魔法体系で解明されたというのは俄かに信じ難い話である。

「そしてジュエルシードの活用法を見出したのは、実際にジュエルシードの力を行使して死んだ魔法少女ではなく、美国織莉子という別の魔法少女というのも確かなのね」

「むしろそんなことができるのは、ボクの知る限りでは織莉子ぐらいだろうね。彼女の持つ未来視という魔法は契約時に生まれる魔法としては特殊なものだし、何より彼女はボクが情報をもたらす前にジュエルシードの存在を知っていたみたいだからね」

「……そう」

 キュゥべえの言葉を聞き、プレシアは思考を巡らせる。プレシアの持つジュエルシードの数は現在七個。アルハザードへの道を開くには聊か心伴い数である。しかし正しい意味で願いを叶えられるとすれば、十分過ぎる数だろう。織莉子という魔法少女がジュエルシードの正しい使い方を知っている保証はどこにもないが、それでも探し出す価値は十分にあった。

「念のため確認しておくわ。あなたはその美国織莉子という魔法少女が現在どこにいるのか知らないのね」

「残念ながらね。ボクが織莉子を最後に見たのは十日も前の話だよ。それも海鳴市ではなく見滝原っていう別の町でのことだし、今の彼女がどこにいるのか、ボクには想像もつかないね」

 海鳴市内でのみだったのならば、織莉子の捜索をフェイトに任せることもできるだろう。しかし織莉子が海鳴市にいる確証はないのだ。ジュエルシードの捜索も引き続き行っていかねばならない以上、海鳴市外にまで手を伸ばす余裕はない。

 プレシアが時の庭園からサーチャーを飛ばして捜索するという手もあるが、管理局が出てきてしまっている以上、余計な干渉をして時の庭園の次元座標をばらすような真似もしたくなかった。

「ところでプレシア。そろそろキミがフェイトにどんな願いを叶えさせようとしているのか教えてくれないかな? それさえわかればフェイトとの交渉はもう少し上手く行くと思うのだけど」

 そんなことを考えているプレシアに、連日のように尋ねられている言葉が耳に入る。それを聞いてプレシアは一瞬、不機嫌そうに顔を顰めるが、すぐに何かを思いついたかのように狂気を帯びた笑みを浮かべた。

「……そうね。でもその前に一つ頼まれごとを引き受けてくれないかしら。これを引き受けてくれたら、私がどんな願いを抱いているのか教えてあげてもいいわ」

「それは本当かい?」

「ええ、それであなたに頼みたいことというのはね――――」



     ☆ ☆ ☆



 時は戻って現在、クロノによって拘束されたフェイトと杏子はアースラに連れて来られていた。バルディッシュを没収され、手錠と足枷によって自由と魔力の両方が封じられているフェイト。そんなフェイトに対してクロノは何らかの情報を得ようときつい口調で問いただす。しかしフェイトはその一切に答えようとはしなかった。

「どれだけ聞いたところで、そいつが口を割るわけはねぇよ」

 その様子を横で眺めている杏子が口を挟む。フェイトとは違い今の彼女はすでに拘束が解かれている。それは彼女が管理局の民間協力者であるからに他ならない。リンディやエイミィ、それに多くの武装隊員が杏子に一定の信頼を置いている。クロノとしては杏子の拘束を解くことに一抹の不安はあったが、他の局員の心証を悪くしないためにもそれはやむを得ない判断だった。

「あたしだってフェイトがなんでジュエルシードを集めるのか知らないんだ。敵対関係にあるクロノに教えるわけがないだろう?」

「……どうやらそのようだね」

 そうして見据えるクロノの先にいるフェイトは、絶対に何もしゃべらないといった覚悟を見せるかのように口元に手を寄せている。不安げに瞳を揺らしながら、部屋の中にいる面々の顔を見まわしている。

「だいたい、どうしてあのタイミングでやってくるんだよ! あそこでてめぇが現れなければ、今頃は久しぶりにゆまと再会できてたってのに!」

 杏子にとって不満なのは、まさにその一点であった。今まさにゆまの元に行こうとその瞬間に、クロノによって阻まれた。それが杏子を苛立たせていた。

「杏子さん、ごめんなさいね。でも管理局としては彼女のことを見逃すことはどうしてもできなかったのよ」

「それにさ、ある意味ではあの場にフェイトちゃんがいたのはラッキーだったと思うんだよね。さっき調べてみたら杏子ってば自分で思っているより疲弊していたみたいだし」

 そう杏子をなだめるのはリンディとエイミィの二人である。そんな二人の言葉を聞いて杏子は小さく舌打ちする。

「ま、なんだかんだで一週間も行動をしてたら、あんたらの事情っていうのもなんとなくはわかるけどさ、それでもあたしはすぐにでもゆまと合流しなきゃならなかったんだ。それを邪魔した代償は高くつくぜ」

 杏子が懸念していたのは、フェイトと遭遇する直前に戦っていた魔女のことだ。四体の魔女が折り重なり集まってできた歪な魔女。しかしその姿とは裏腹にその力は普通の魔女とは一線を画していた。単純に四対一とは言い難いほどの戦闘力を持っていた魔女の群体。あれが一体だけとは考えにくい。今の海鳴市の状況を考えれば、町の至るところであのような魔女の群体が生まれているだろう。

 疲弊していたとはいえ、一歩間違えればあの場で杏子は死んでいた。相手はそのような強さをもった存在である。フェイトたちの力を信頼していないわけではないが、それでも目の届かないところで万が一、ゆまに何かがあれば後悔しても後悔しきれない。フェイトとの再会はそんな矢先の出来事だったのだ。彼女が怒るのも無理のない話である。

「杏子、さっきから何度も言っているがキミには悪いことをしたと思っている。だがこちらとしてもこれ以上、彼女を見過ごすわけにはいかなくなったんだ」

「……どういうことだ?」

 そんなクロノの物言いに杏子は疑問を挟む。クロノは一瞬、フェイトの方を見て意を決したように小さく呟く。

「……プレシア・テスタロッサ」

「――――ッ!?」

 クロノの口から出た名前を聞いて、フェイトがあからさまな反応を見せる。

「その様子だと、やはりキミは彼女と関係しているんだね」

「おい、あたしにもわかるように説明しろ」

 話についていけない杏子がクロノに食ってかかる。

「プレシア・テスタロッサはかつてミッドチルダのとある研究機関に所属していた優秀な科学者よ」

 そんな杏子にリンディからの補足説明が入る。その場にいる人物の視線がリンディに集中する。もちろんその視線の中にはフェイトのものも含まれていた。

「本人の魔導師としての資質も一級品で、次元世界でも数少ないSSランクに認定された魔導師だった。……だけど彼女はある事故がきっかけでその輝かしい経歴を全て失い、行方不明となった。もちろん管理局は血眼になって彼女を探したわ。プレシアは科学者としても魔導師としても超一流。そんな人物を管理局としては放っておくわけにはいかなかったからね。しかしいくら探しても彼女が見つかることはなかった」

「……母さんが事故に巻き込まれた?」

 リンディの話を聞いて、思わずフェイトがそう零す。リンディの口ぶりから察するに、その話はミッドでは有名な話なのだろう。しかしフェイトはそのことをまるで知らなかった。

 だがおぼろげに覚えていることもある。時の庭園に住むようになる前、確かにプレシアはどこかの研究機関で夜遅くまで研究に追われていた。まだ自分に微笑みかけてくれた優しかった頃のプレシア。幼かった自分はそんなプレシアの帰りを眠気と戦いながら待っていた記憶がある。事故というのにはまったく記憶はないが、それでもリンディの語っていることが真実であるとフェイトは理解していた。

「……そう、あなたは知らなかったのね」

 フェイトの呟きを耳聡く聞きつけたリンディがそう答える。その表情はどこか悲しげなものだった。

「それで、それのどこら辺がフェイトを見逃せない理由になるんだよ?」

「当時、プレシアを見つけることはできなかったけれど、それでもいくらかの情報を得ることができた。――その一つに、彼女が違法研究を行っているというものがあった。もしフェイトさんがプレシアの関係者なら、ジュエルシードを求める目的は間違いなく彼女の研究に関係しているはずよ。彼女ほどの科学者がジュエルシードのような膨大な魔力を秘めた結晶体を用いて行っている研究。場合によっては世界を滅ぼしかねない危険なものかもしれない。だからこそ、その事実確認をするためにも一刻も早くフェイトさんから話を聞く必要があったのよ」

「なるほどな。……それでフェイト、その話ってどこまでが本当なんだ?」

 リンディの話を聞いた杏子はそのままフェイトに事の真偽を尋ねる。

「……母さんがジュエルシードを求めているっていうのは、その人の言う通りです。だけど何のために必要としているのかは知りません」

 その問いにフェイトは躊躇しながら答える。これが管理局による問いかけだったのなら、先ほどと同様にフェイトは口を噤んでいただろう。だがそれをこのタイミングで聞いてきたのは杏子である。管理局は敵だが、杏子は敵ではない。さらに管理局には自分とプレシアの関係性をすでに知られてしまっている。だからこそ、フェイトは素直にその問いに答えたのだ。

「……そうか」

 それを聞いたそう呟くと杏子は目を瞑り、何かを考え込む。そして次に目を開いた時、彼女はフェイトの傍に駆け寄っていた。そんな杏子の突然の行動にフェイトはもちろん、リンディをはじめとしたこの場に同席している人物は誰一人として対応することができなかった。

「それでフェイト、おまえはこれからどうしたい? おまえが望むなら、あたしがここから逃がしてやってもいい。もちろんその後すぐにゆまのところには案内してもらうけどな」

「なっ!? 杏子、一体何を!?」

 杏子の言にクロノが驚きの声を上げる。

「何をってフェイトを助けようとしているだけだけど」

「だからなんでそんなことをしようとしてるのかと言っている!!」

 杏子の言葉にクロノは怒鳴り声を上げ、デバイスを向ける。だが杏子はそんなことに物おじをせず、言い放った。

「あたしが管理局に協力するにあたって提示した条件、クロノは覚えてるか?」

 杏子の言葉にクロノはその時のことを思い出す。そしてすぐに杏子の提示した条件の中で今の状況に当てはまるものを見つけ出した。

「『キミの行動に口を挟まない』だろう? しかし彼女は僕たちにとって重要な参考人だ。いくらなんでも、そんな勝手を許すと思うか?」

「……思わねぇよ。だからあたしはフェイトに聞いたんだ? 『これからどうしたい』ってな。もしフェイトが何も言わなきゃ、あたしはこれ以上、何もする気はねぇよ」

 言いながら杏子の服装が私服から魔法少女のものへと変わる。

「だけどフェイトがここから出ていくことを望むのなら、あたしはそれを全力で手助けする。なんたってフェイトにはゆまの面倒を見てもらった恩があるんだからな」

 一週間、管理局と行動を共にしてきた杏子にとって、彼らは決して敵ではない。ギブアンドテイクの関係ではあったが、それでも戦いの中で芽生えた絆というものも確かに存在した。

 そしてそれはクロノにとっても同じである。だからこそ、この時の杏子が本気であることはクロノにも深く理解することができた。

 もしこの場で杏子たちと戦うことになったとしても、今の疲弊した二人ならクロノ一人でも十分に制圧することが可能だろう。仮に一人では対応しきれなかったとしても、この場にはリンディとエイミィもおり、またアースラ内で待機している武装隊員もすぐに呼び出すことができる。

 そのことに杏子が気付いていないはずがない。故にクロノには杏子の態度が不気味に感じられた。彼女の表情は自信に満ち溢れている。この場にいるクロノを含めた三人を出し抜き、その上でアースラからフェイトを連れて逃げ果せる算段が必ず用意されているはずだ。

 杏子がここから逃げ出す手段として考えられる可能性として、まず考えられるのが杏子の持つ幻影魔法だ。自分や他者を分身させ、また姿を眩ますことができる杏子の魔法少女としての特性。それを有効に使えば誰にもばれずにアースラから地球へと戻ることは可能だろう。しかしそれはあくまでネタが割れていない場合の話である。クロノ達はすでに杏子がそのような魔法を使うことを知っている。ならば油断さえしなければこの部屋から逃がすことはないだろう。

 問題は別の手段で杏子がフェイトを逃がそうとしてきた場合である。クロノは杏子のことを決して甘くは見ていない。キリカが創り出した結界の中で初めて幻影魔法を披露したように、未だに隠し玉を何個か持っているのも十二分に想定できる。なればこそ、どんな方法に訴えてきても対応できるようにその一挙手一投足に全神経を注いでいた。

「それでフェイト、おまえはどうしたい? あたしとしてはこのまま二人で逃げ出して、その足でゆまのいる場所まで案内してもらいたいところなんだけどな」

 杏子は実に普段通りの口調でフェイトに告げる。それに対してフェイトは迷っていた。杏子の提案はフェイトにとって実に魅力的なものである。管理局にこのまま捕まってしまえば、プレシアの願いを叶えることができなくなってしまう。ジュエルシードを集めることができないし、キュゥべえと契約することもできない。むしろ捕まることでプレシアに迷惑を掛けることになってしまう。それだけはなんとしても避けたかった。

 けれども杏子の身体は万全ではない。片腕を失い、さらにはほんの一時間ほど前までは魔女との激戦を繰り広げていたのだ。いくら彼女が強い魔法少女だとしても、そんな状態では管理局の執務官を始め、多数の武装隊員とやり合うことなど不可能なはずだ。何らかの作戦があるのかもしれないが、それでも現状で逃げ出そうとするのは無謀だとフェイトも感じていた。

「……フェイト、あたしに気を使ってんなら、気にする必要はねぇよ。確かに今のあたしのコンディションじゃクロノ相手に勝利を掴むことは無理だろう。だがこれは勝つための戦いじゃない――逃げるための戦いだ。それなら十分にやりようはあるさ」

 だが次に杏子の言葉に、その不安が払拭される。思えば杏子はいつもそうだった。始めて出会ってジュエルシードを奪われた時、ジュエルシードを賭けて決闘をした時、その直後に魔女の結界に捕らわれてしまった時、屋上でクロノを相手に共同戦線を張った時、そのすべてにおいて杏子は知恵を巡らせ、その場その場に合った戦い方を行ってきた。そんな杏子がここまで自信たっぷりに告げたのだ。それならばとフェイトは覚悟を決めた。

「杏子、わたしはここから出たい。管理局の手から逃れて、アルフやゆま、そして母さんの待つ家に帰りたい」

 フェイトがそう告げた瞬間、彼女の手首を拘束していた手錠が真っ二つになる。手の自由と同時に魔力を奪っていた手錠が外れたことで、フェイトの身から溢れんばかりの魔力が解き放たれる。さらに杏子はクロノによって回収されていたバルディッシュをフェイトに返す。

「なっ!? いつの間に……!!」

 フェイトから没収したバルディッシュを、クロノは無警戒で懐に仕舞い込んでいた。普段からスリを行って食費や宿泊費を得ている杏子にとって、バルディッシュを気付かずに奪うのは実に簡単なことだった。

 そんな予想外の事態に一瞬とはいえ動揺してしまったクロノ達に対し、杏子は一気に分身を作り出し三方向に駆け出していく。その突然のアクションにそれぞれが対応しようと行動に移す。リンディやクロノはそんな杏子の動きにすぐ対応したが、普段から管制官でいることの多いエイミィはその動きについていくことができなかった。そしてそうなることがわかっていたからこそ、杏子自身はエイミィに向かって駆け出していた。反射的にデバイスを構えたエイミィだったが、それよりも早く杏子が槍を振るい、そのデバイスを吹き飛ばす。そしてそのまま当て身をぶつけ、その意識を一気に刈り取った。

 一方で杏子の攻撃にすかさず対応したリンディとクロノは、杏子の奇襲をカウンターの形で対処する。だがそれがすぐに分身体だということに気付いた二人は、間髪いれずに次の行動に出る。直接、攻撃してきたのは杏子だが、今の二人にとって重要なのはあくまでフェイトを逃がさないことである。それ故に二人は部屋を見回しフェイトの動きを阻害しようとした。

 しかし二人の目に映ったのはエイミィを制圧した杏子と、扉に向かって駆け出す杏子。そしてその場に佇んでいる杏子だけだった。分身に気を取られているうちに杏子はフェイトの姿を自分と同じものに差し替えてしまっていたのだ。その一瞬の早業にクロノは思わず舌を巻く。クロノ自身、杏子の幻影魔法を警戒していたはずなのに、こうも簡単に引っかかってしまった。

 だがまだ負けたわけではない。最終的にフェイトを逃がしさえしなければ問題ないのだ。そう考えたクロノは手近な杏子に向かって駆け出そうとする。だがその前に無数の槍が立ち塞がる。まるで檻のようにクロノの行く手を遮る槍。それはリンディも同じようで、狭い部屋の中に敷き詰められている槍にその自由を奪われている。その隙に部屋の中にいる三人の杏子は悠々自適にドアを開けて部屋の外へと駆け出していった。



     ☆ ☆ ☆



 アースラの医務室の中でアリサは枕に顔を埋め、声を殺して涙を流し続けていた。クロノから伝えられたすずかの死。口ではそれを否定したアリサだったが、内心ではクロノの言ったことは真実なのではないかとも考えていた。それはアリサの目の前ですずかがキリカの手によって串刺しにされていたというのもあるが、それ以上に彼女が目覚めた時、その手に見覚えのあるカチューシャを握りしめていたのが何よりの理由だった。

 一見するとどこにでもあるような何の変哲もないカチューシャ。しかしアリサにはすぐにそれがすずかが大事にしているカチューシャであるということがわかった。

 彼女が両親に貰った宝物。アリサがすずかと話をするきっかけとして使われ、結果的に三人の友情を結び付けた思い出の品。アリサの知る限り、すずかは外に出る時はいつもこのカチューシャを身に着けていた。それが今、アリサの手の中にある。その事実がどうしようもなくクロノの言葉に信憑性を与えていた。

「……信じない。あたしは絶対に信じないわよ」

 それでもアリサは頑なにその死を認めようとはしなかった。あくまでアリサが見たのは満身創痍になったすずかの姿であり、彼女の死体を見たわけではないのだ。さらにすずかの死を伝えたのは初対面のクロノである。もしこれがなのはや忍の言葉であるなら信じる他なかったが、見も知らぬ相手から伝えられた友人の死など、とても受け入れられるはずなどない。

「……そういえば、なのははあの後、どうなったのかしら?」

 そこでアリサはふと、もう一人の親友のことを思い出す。魔女の結界の中ではぐれたもう一人の親友。先ほどはすずかの死のことで頭がいっぱいでなのはのことを聞くことを忘れてしまっていたが、こうして思い出した以上その安否が心配である。もしすずかの死が事実であれば、あの心優しい友人は心を痛めてしまうだろう。それはアリサにとっても避けたい事態だった。

「……あんな知らない奴にすずかが死んだだなんて言われてメソメソしている場合じゃないわね。あたしが気絶している間に何があったのか、確かめに行かないと」

 アリサは顔を上げ、涙を拭う。真っ赤になった瞳には先ほどまでなかった強い意思が宿る。そして身体中に付けられている医療器具を無造作に外すと、そのまま医務室から飛び出した。

 しかしそんなアリサが廊下に飛び出し目にしたものは、所狭しと生え出している無数の槍だった。しかもそれは消えては突き出し、消えては突き出しといったことを繰り返す。それはまるで行く手を阻む槍の迷路だった。

「……なんだかわからないけど、こんなことで今のあたしを止められるとは思わないことね」

 日常を生きてきたものにとって、槍が突き出しては消えるなどという光景は間違いなく非現実的なものだ。しかしすでにアリサは魔法少女の存在も異世界の存在も知っている。だから彼女は怯むことなく、その槍の合間を縫って歩を進め始める。ただ真っ直ぐ、真実を確かめるために――。



     ☆ ☆ ☆



 杏子の考えた逃亡作戦は実にシンプルなものだった。最初にフェイトの拘束を解き、クロノ達の隙をついて部屋から脱出する。その後は幻影の魔法を使って槍を生み出し、行く先々に槍を生え渡らせ時間を稼ぐ。そして転送装置の元まで行き、地球へと帰る。ただそれだけのものだった。

 もちろんただ幻影の槍を生やすだけでは足止めとしては不十分なので、幻影の中には本物の槍を混ぜている。またそれだけではなく自分やフェイトの幻影を作り、捕まえにやってくる管理局員を撹乱させていた。

 念のために転送装置へ向かう最短ルートは避け、大きく迂回しながら目的地へと目指す杏子とフェイト。足を一切止めることなく、ただただ通路を駆けていく。その行く先々で何人かの武装隊員とも遭遇したが、杏子は何の苦もなく一瞬でそれらを無力化していた。

「ねぇ、杏子。本当にいいの?」

 そんなことを何度か繰り返しているうちにフェイトは思わず疑問を零す。自分たちの前に姿を現した管理局員には、どことなく杏子に攻撃を仕掛けることに躊躇いを感じているようだった。それに対して杏子には一切の容赦が感じられない。片腕であるのにも関わらず、大振りで槍を振り、立ち塞がる管理局員を一撃の元で薙ぎ払う。フェイトにとってはありがたい話ではあるが、自分のせいで親しくなった相手に攻撃を仕掛け、心を痛めているのではないかと心配になったのだ。

「別に気にすることねぇよ。こいつらだってそんな軟な鍛え方をしてきたわけじゃねぇんだ。これぐらいの攻撃を受けたところで対して問題にはならねぇだろうよ」

 そんなフェイトの心遣いとは裏腹に、まるで気にしている様子はない杏子。だがそれは杏子にとっての信頼の裏返しでもあった。自分と共に戦った何人かの武装隊員。最初は魔女相手に杏子がいないと歯が立たず中には魔女を見ただけで及び腰だった者もいたが、この一週間の間に連携に磨きを賭け、チームで戦いを挑めば杏子の手助けなしでも魔女を倒せるように成長した。

 だからこそ、杏子は武装隊員に対しての攻撃に手心を加えない。今後、海鳴で戦いを続けるということは、普通の魔女だけではなく数時間前に杏子が戦ったような魔女の群体と戦うこともあるかもしれない。融合したことで普通の魔女よりも遥かに上の力を持つ魔女の群体。今、ここで杏子の攻撃を受けて受け身を取れないようでは、その命を無駄に散らすことになるだろう。

 管理局の在り方自体は今でも受け入れていない杏子だったが、それでも個人としてはそれなりに親しみを持てるような相手もいる。そんな相手が無残に死なれるというのは、やはり寝覚めが悪い。だからこそ彼女は、自分の実力を再認識させる意味でも出会う管理局員一人ひとりに大仰な攻撃を仕掛けていたのだ。

「……一応、フェイトにも言っておくけど、できることなら早くこの町から離れた方がいいぜ。今のこの町はかなりやばい。そこら中に魔女や使い魔がうようよしているし、挙句の果てに魔女同士が合体して襲ってきやがった。しかもただ合体したんじゃなく、その特性までも併せ持った非常に強い魔女となってだ。正直、あたしもゆまと再会したらすぐにでもこの町を離れるつもりだしな」

 杏子にとって片腕ということはハンデにはなり得ない。片腕なら片腕なりの戦い方を行うことは十分に可能である。それでも四体の魔女の群体と戦った時は満身創痍の末の勝利だった。多大に魔力を消費し、一歩間違えればあの場で死ぬところであった。たった四体でそれである。これがもし数十、数百の魔女が一つとなったとしたら、その強さは計り知れないものとなるだろう。いくらフェイトが強い魔導師とはいえ、そうして生まれた魔女の強さには敵わないはずである。それ故の忠告だ。

「ごめん杏子。心配してくれる気持ちは嬉しいけど、それはできないよ」

 フェイトは申し訳なさそうに俯きながら口にする。杏子の気遣いは非常に嬉しい。しかしフェイトにはジュエルシードを集めるという目的がある。フェイトが手に入れたジュエルシードの数は七個。全体のちょうど三分の一の数である。しかしそれでもプレシアが求めている数には程遠い。管理局に奪われてしまっているため最早、全て入手することは不可能に近いが、それでも集められるだけ集めなければならないという使命感がフェイトにはあった。

「……フェイト、参考までに聞かせて欲しいんだが、ジュエルシードは何個回収したんだ?」

「えっと、七個だけど?」

 反射的に答えたフェイトだったが、杏子の問いの意味がわからず首を傾げる。そんなフェイトの疑問を解消するかの如く、杏子は自分の考えを口にする。

「あたしの知る限り、管理局が回収したジュエルシードの数は八個。その内、四個は管理局が地球に来る前になのはが回収した奴だけどな。それでいてフェイトが持っているジュエルシードが七個ってことは、逆算するとまだ六個ものジュエルシードの行方が知れないってことになる。……でもそれってよく考えたらおかしくないか? 今、海鳴には魔女が大量発生しているんだぜ。もしそんだけのジュエルシードが道端に落ちているんだとしたら、すでにジュエルシードを手に入れた魔女と遭遇していてもおかしくないだろ?」

「あっ……!?」

 杏子に指摘されてフェイトはようやく、状況の違和に気付く。この二日間、すずかの死を忘れるためにフェイトは血眼になってジュエルシードを探し続けた。それでも一つとして見つけることができなかった。どこでサーチしても探知できるのは魔女ばかり。今までフェイトは魔女のことを民間人を襲うこの世界特有の脅威として認識していたが、そもそも魔女がここまで海鳴市に集まったのはジュエルシードの魔力に惹かれたからである。

「魔女の数は膨大だ。この町の至る所に魔女がいると言っても過言じゃねぇ。にも関わらず、魔女がジュエルシードを見つけた様子はねぇ。もし魔女が見つけたとしたら、その膨大な魔力ですぐにわかるはずだからな」

 実際、キリカが結界を創り出した時、管理局もフェイトたちもその結界を創り出した相手がジュエルシードの魔力を運用していることがわかっていた。キリカは魔女ではないが、創り出された結界の性質は魔女のものと相違なかった。

「あたしが管理局と協力することにした一番の理由が、ジュエルシードを手にした魔女の脅威を警戒したからだ。温泉街の時は都合よく四人もの魔法少女や魔導師が集まったが、次もそうとは限らねぇ。だからこそ、あたしは最悪、一人で戦うような自体に陥らないように管理局と手を組んだんだ。だけど結局、あれからジュエルシードを取り込んだ魔女は現れていない。二日前の戦いも結界を創り出していたのは、あのキリカとかいう頭のいかれた魔法少女だったみたいだしな」

「……つまり杏子はこう言いたいんだね。わたしたち以外にもジュエルシードを集めている人たちがいるって」

「ああ」

 管理局もフェイトたちもあれだけ熱心にジュエルシードを探し回っているのに、未だに見つかってないものが六個もある。これが一個や二個ならたまたま見過ごしてしまっているという可能性もあるだろう。しかし海鳴市の現状を考えると、三分の一に近い数が見つかっていないのは明らかに異常である。

「でも杏子、それってキュゥべえのことじゃないの? キュゥべえもジュエルシードを欲しがっていたよね?」

「確かにその可能性もある。だけどあいつ自身には魔女どころか使い魔と戦う戦闘力すらないからな。どちらにしてもあたしたちの知らない魔法少女が絡んでいる可能性は高いはずだ」

 そもそも杏子がジュエルシードのことを知ったのも、キュゥべえから回収するように取引を持ちかけられたからである。そうでなければここまで海鳴市に留まることもなく、次の町へと向かっていただろう。

「もちろんジュエルシードはたまたま誰にも見つけられていないだけなのかもしれない。もしくは海鳴市周辺だけではなくもっと遠く、例えば他の国とかにまで散らばってしまって見つけられていないだけなのかもしれない。だけど現実的に考えれば、誰かが回収しているって考えるのが一番しっくりくるんだ」

 事実、キリカの存在がその裏付けとなっている。杏子の知らない魔法少女であり、ジュエルシードを運用したという技術。そして何より、あの結界の中にあるジュエルードの反応は複数あったはずなのに、管理局が回収できたのはキリカの目に埋め込まれていた一つだけだったのだ。そのすべてが管理局ともフェイトたちとも魔女とも違う、第四のジュエルシードを集める存在を示していた。

 それがキュゥべえに頼まれた人物なのか、それともまた別の魔法少女や魔導師なのか。それは今の杏子にもわからない。だが一つだけ確かなことは、管理局にもフェイトたちにもその動向を掴ませていない相手が海鳴市に潜んでいる。魔法少女としての魔法の力なのか、それとも本人が思慮深い性格をしているのか。どちらにしても脅威であることは間違いないだろう。

「……もしフェイトがこれから先、さらにジュエルシードを求めるというのなら、それは人間同士の戦いになる。そしてあたしが思うに管理局の連中もまだ見ぬ敵も今のフェイトには荷が重い。フェイトの母親が何の目的でジュエルシードを集めているのかは知らないけど、七個もありゃあ充分なんじゃないか?」

 杏子は親切心からそう口にしていた。彼女としてはフェイトの母親がジュエルシードを集めてどう使おうがどうでもいいことだ。元々、フェイトたちは異世界の魔導師。たまたまこの世界にジュエルシードが散らばったからやってきただけだ。それならば少なくともこの世界や自分たちに害を成すような目的で集めているわけではないことはわかる。ならばどう使おうがそれは手に入れた当人の自由である。

「うん、杏子の言う通りかもしれない。だけどわたしはそれでも母さんのためにジュエルシードをもっと集めたいんだ」

 それでもフェイトは譲らない。頑なにプレシアのためにジュエルシードを集め続けるつもりだった。杏子の言葉を信じていないわけではない。彼女の言う仮説には確かな説得力があり、こうして簡単に管理局に捕まってしまった自分では、これ以上ジュエルシードを集めるのは難しいというのは紛れもない事実である。

 しかしプレシアはきっとそれでは納得しない。彼女はフェイトに頼んだのは『ジュエルシードを全て集めること』なのだ。例えどんなに力が及ばない状況だろうとも、プレシアの望みを叶えなくてはならない。それが自分の務めだとフェイトは感じていた。

「……あたしは忠告したからな」

「うん、心配してくれてありがとう、杏子」

「さっきも言ったと思うけど、ゆまの面倒を見てもらった礼だから気にすんな」

 その言葉を最後に、二人の間からは一切の会話がなくなった。無言で廊下を掛けながら、着実に転送ポートのある場所に向かって駆けていく。

 そんな中、フェイトは密かにあることを考えていた。今のフェイトにジュエルシードを全て集めることができるほどの力はない。ならばその力を得るためにプレシアのもう一つの願いである『キュゥべえと契約し、自分の願いを叶える』というのもありなのではないか。フェイトが契約し魔法少女となることで、プレシアの望みを一つ叶えることができ、さらにジュエルシードの奪い合いを行う上でのさらなる力を手に入れることができる。

 まだフェイトの中ではっきりとした答えが出たわけではない。プレシアが何を望んでいるのか、その願いは見当もつかない。それでも自分に力が足りないのなら何だってする。そういった覚悟がフェイトの中で芽生えつつあった。



     ★ ★ ★



 その頃、とあるホテルの一室で、一人の少女が熱心にテレビを眺めていた。昼下がりの小学校を襲った惨劇。それはキリカが引き起こし、すずかを死に至らしめた事件のニュースだった。

 夜の一族による情報規制によって、現代的な事件として解釈された内容を延々とニュースキャスターが語っている。何度かチャンネルを変えてみるが、どのチャンネルでも大体が同じような内容だった。

「これじゃあ本当のことは何もわからないわね」

 そんなニュースを見て、少女はため息をつきながらテレビの電源を落とす。少女にはこの事件が常識の外の要因で引き起こされたものだということは解っていた。それどころか大まかにではあるが、事件の概要も掴んでいる。それでも彼女がテレビのニュースなどというものに情報を求めたのは、自分の半身とも言うべき存在が死に至ったより詳しい情報を知りたかったか らだ。

 だから彼女は、情報を知っているであろう存在をおびき寄せるために自分の魔力を辺りに散らした。ごく少量の微弱な魔力。魔女の魔力が飽和している今の海鳴市に置いて、とても探査できるほどの魔力ではなかったが、それでもかの生物ならそれだけの魔力でも自分の居場所を特定できると少女は考えていた。

「やれやれ、こんなところにいたんだね。探したよ、織莉子」

 そんなホテルの一室に何の前触れもなく現れるキュゥべえ。そのあまりにも予想通りの展開に少女――織莉子は全く動じず、ただ優雅に笑みを浮かべながらキュゥべえを迎え入れる。

「……そろそろ来る頃だと思っていたわ」

「織莉子、あれはどういうことだい?」

「あれ、と言われてもわからないわね。いったいなんのことかしら?」

 キュゥべえに問いかけられた織莉子は、微笑みながらわざとらしくはぐらかす。

「とぼけても無駄だよ。キリカのことさ。キミならキリカがあんな暴挙に出ると知ったら、即座に止めると思ったんだけど。それともあれはキミの指示なのかい?」

「……そう、やっぱりあれはキリカが起こした事件なのね」

 キュゥべえの言葉を聞いて、織莉子の中にあった疑問が確信に変わる。先ほどまでニュースで騒いでいた集団幻覚事件。しかし実際にあの場で起きたのは一人の魔法少女によって引き起こされた集団拉致事件である。すずかを逃がさないために人質として彼女の通う小学校を丸ごと結界で取り込んだ。その中で約七〇人もの人間が死んだのは、不幸な偶然によるものである。

「一つ訂正させてもらうけど、私はこの数日すずかさんによって眠らされていて、目覚めたのもほんの数時間前のことなの。だからその間にキリカが何をしたとしても、私にはそれを知る由はないわ。だから逆に聞かせてくれない? あの中でいったい何があったのかを」

「そうなのかい? ボクもその場にいたわけじゃないから人から聞いた話になってしまうけど、それでも良いかい?」

「ええ、構わないわ」

 織莉子は自分のカップに口をつけながら、キュゥべえの話に耳を傾ける。キュゥべえから聞かされた話の大部分は織莉子がすでに知っていたことだった。しかしそれはあくまで未来視で視た知識としてである。そのため織莉子としても確認の意味で本当にキリカが死んだのかを確かめておきたかったのだ。

 ほんの数時間前に目覚めた織莉子は、眠っている間に長い夢を見ていた。未来視という名の今後、現実で起こり得る出来事を。その中で織莉子は今回の事件の顛末も全て視っていた。

 キリカが織莉子のためにジュエルシードの力を使い、すずかに戦いを挑んだこと。小学校の子供たちを人質に取り、すずかを本気にさせたこと。その上で一度、すずかを打ち破ったこと。アリサと合流したすずかを追い詰めたこと。それを杏子によって阻まれるも、彼女を圧倒し続けたこと。そして魔力を回復させたすずかの命を賭けた一撃によってジュエルシードごとキリカは葬られたということ。

 それは今まで視たことのなかった未来。織莉子が倒れたことでキリカがすずかに復讐心を抱き、それを止める者もいなかったために引き起こされた凶行。おそらくはすずかに記憶を読みとられた時に生まれた未来。織莉子はそう推察していた。

 もちろん未来視による未来は確実に引き起こされるものではない。しかし可能性が高かったからこそ、無意識の内に見るはずの夢の中にまでその未来は現れたのだろう。そして織莉子にはそれを止めるだけの時間はなかった。何故なら彼女が目覚めた時、すでに事が起きた後だったから。

「ボクが知っているのはこんなところかな? それで織莉子、本当にこれはキミの意思じゃないんだね?」

 大体の説明を終えたキュゥべえは訝しむような口調で織莉子に尋ねる。

「……何故、そう思うのかしら?」

「正直なところ、キミの考えはボクにも想像がつかないからね。それでいて、キミが起こす行動には何らかの意味が感じられる。この前ボクにジュエルシードを与えたのも、ただの気まぐれではないのだろう?」

「そうね。貴方にジュエルシードを与えたのは、その必要があったからというのは確かよ。でも今回の件に関して言えば、私は何も関与していない。強いて言うなら、キリカが行動を起こす原因となってしまったことぐらいね」

 織莉子は再度、カップに口をつける。

「……本当のことを話すとね、今回の事件は本来、別の魔女が起こすはずだったのよ」

 織莉子が最初に視た未来では、あの日、結界を創り出して小学校ごとなのはたちを取り込んでしまうのは、ジュエルシードを二つ取り込んだ魔女であった。中に入ったら最後、自力で脱出できるようなものではなく、脱出するためには魔女を倒すしか手立てのない状況。しかし結界の仕掛けや使い魔によって中にいる魔法少女や魔導師を分断・消耗させられ、個々の力で魔女に立ち向かわなければならなかった。それでも少しずつ魔女を消耗させ倒すことはできたが、すでにその頃には結界内にいた八割の人が死んでしまっているという未来だ。その死者の中にはなのはの姿もあった。

 だが問題はその後である。なのはの死を知ったすずかがどうなるか、そんなことは未来を視なくてもわかる。一番守りたかった場所で一番守りかった人が死んだ。その絶望にすずかが耐えられるはずがなく、彼女は間違いなく魔女になてしまっていただろう。それもただの魔女ではない。強さだけを求め続ける性質を持つ吸血の魔女。先の戦いとの連戦ということもあり、魔女になったすずかを止められるものは誰もいないだろう。



 ――だからこそ織莉子は、事前になのはの死を伝えたのだ。最悪の未来を回避するために。



 なのはの死を知れば、すずかは正常ではいられない。死をもたらす相手に執着し、なのはを守りながらも確実に殺しきるだろう。本来ならばそれだけで最悪の未来は回避されるはずだった。

 しかし織莉子はすずかの力を測りかねていた。魔眼によって記憶の一部を読み取られ、さらにその意識も刈り取られた。その結果、事件を起こす相手が変わり、事件の顛末も変わった。結果的には織莉子に取っても予想外の結末を迎えてしまった。

「今回の戦いで偶然が悪い方に重なってしまえば、その時点でこの世界が終わってしまう可能性もあった。尤もそれは限りなく低い可能性ではあるけれど、それでも零ではなかった。もちろんこの結果が良いとは言わないけれど、それでも最悪ではないでしょう? 私にとっても、貴方にとっても」

 そう言って織莉子は冷ややかな目線をキュゥべえに向ける。その瞳に明確な言葉を籠めて、織莉子はキュゥべえを見降ろし続ける。

「……キミには敵わないね。確かにその通りだよ。この事態はあまりボクにとってもよろしい状況ではないけど、それでもやり方次第ではすずかという戦力を失った以上の実入りがあった。キミはそう言いたいんだろう?」

「ええ、その通りよ。それが解っているのなら、早く行動を起こした方が良いんじゃないかしら?」

「……止めないのかい? キミにはボクが何をしようとしているのか、全てわかっているんだろう?」

「そうね。でも今回に限って言えば、貴方と私の利害は一致している。それに私には他にもやらなければならないことがあるの。だからこれ以上、貴方に構っている暇はないわ」

 そう言って織莉子は立ちあがる。今まで眠ってしまっていた分、彼女もまたあまりのんびりはしていられない。後に控えている戦いのために、さらなる準備を行う必要があった。

「待ってくれ織莉子。今回、ボクがキミの元を訪れたのはキリカのことを聞くためだけじゃないんだ」

 そんな織莉子をキュゥべえが止める。この時、初めて織莉子に動揺が奔ったが、彼女はそれを表情におくびにも出さなかった。

「他の用事?」

「キミのことだからすでに掴んでいると思うけど、今、この町には異世界の魔法少女がやってきているんだ。その中の一人がキミに会いたがっている。だからボクについてきて、その人と会ってくれないかな?」

 その言葉を聞いて、織莉子は一考する。実のところ、織莉子には自分を呼び出す魔導師に心当たりはない。直接、尋ねてくることは考えていても、キュゥべえを使って呼び出されることなど想像すらしていなかった。

 ――それはつまり、彼女がこうしてキュゥべえを通じて魔導師に呼び出される未来を視ていないことを意味する。本来ならば、未来視で視ていてもおかしくない出来事であるはずなのに、一度たりとも織莉子はこのような光景を目にしたことはなかった。これはつまり、キリカが引き起こした事件によって生まれた未来ということだ。

「わかったわ。会いましょう」

 だからこそ、織莉子はその人物が誰なのかを聞かずに、会うことを了承する。普段の思慮深い織莉子なら、会うかどうかを決める前に誰が会いたがっているのかキュゥべえに尋ねたところである。仮にそうではなくとも、有無を言わずに断ってしまっていたところだろう。

 しかしこの未来を生み出したのはキリカである。ならばその先に待ち受けるものは自分たちの望みに通ずる未来であると織莉子は信じていた。

「まさか二つ返事でOKをもらえるとは思わなかったよ。もしかしてキミは知っていたのかい? 今日こうしてボクがキミを呼びにくることを」

「いえ、そういうわけではないわ。でも今回の誘いに関しては何の情報がなくとも受けるだけの理由があった。ただそれだけよ」

「……わけがわからないよ」

「別に貴方に理解してもらおうとは思わないから安心なさい。それよりも待ち人を待たせるのも悪いから、早速案内してくれない?」

「わかったよ。それじゃあボクについてきて」

 織莉子に促されたキュゥべえはゆったりとした足取りでホテルから出る。そんなキュゥべえのあとを織莉子は無言でついていく。思えば未来を全く視らずに何かをすることなど、久しぶりにことである。だというのに織莉子には一切の不安がない。それは織莉子の中でキリカという少女の存在が大きかったからに他ならない。

(キリカ、貴女が残してくれた可能性は、決して無駄にはしないわ。だから貴女はいつまでも私を見守っていて)

 知らぬ間にキリカを失ってしまった喪失感は確かにある。だがそれでも織莉子は歩みを止めることはない。絶望ではなく、希望のある世界を手にするために――。



2013/6/15 初投稿
2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正



[33132] 第10話 ごめんね。……そして、さようなら その2
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/09/22 23:22
「もうホント、なんなのよこれ!?」

 アースラの廊下を走りながら、アリサは誰にともなく毒づいていた。なんとかここから出るために廊下を駆けるアリサだったが、そもそも彼女はアースラの出口がどこにあるのかを知らない。誰かに尋ねようにも、ここにいるのは管理局員のみ。アリサが勝手に抜けだしたと知られれば、元の医務室に連れ戻されてしまうだろう。

 幸いなことに未だアリサが医務室から抜けだしたことは気付かれていないようだが、それも時間の問題だ。ならばせめて、脱出の糸口だけでも掴もうと必死だった。そのために彼女は、目の前にいる管理局員を尾行していた。

(それにしても、さっきから出たり消えたりしてるこれはいったいどういうものなわけ!?)

 そう思いながらアリサは自分の目の前にある槍を忌々しく睨みつける。まるでこちらの行く手を遮るかのように出現しては消えていく槍。脱走者の動きを封じるようなその動きに、実はアリサが逃げ出したのがバレ、管理局に弄ばれているのかもしれないと勘繰りたくなる。

(……でもそれなら、こうして尾行しているのも気付かれているはずよね)

 アリサ死角に隠れながら、その先にいる管理局員の様子を伺う。廊下を走る管理局員には、アリサに気付いている様子はない。それどころか、彼もまた、目の前の槍にその動きを阻まれていた。

(……それにこれがここの防衛装置かなにかだとしたら、それを仕掛けた側の動きまで妨害されるっていうのはおかしな話よね)

 アリサは管理局員が見えなくなったのを見計らって死角から飛び出すと、一本ずつ確実に槍を避けながら先ほどの管理局員が進んでいった方へと向かって進んでいく。

(つまりこの槍を発生させているのって――)

「止まりなさい」

 アリサがそこまで思考したところで、廊下の先から会話が聞こえる。そこでアリサはピタリと動きを止め、曲がり角に隠れてそっと覗く。そこにはアリサが尾行していた管理局員の他に二人の少女の姿があった。一人は艶やかな金髪に露出の多い黒い衣装を身に纏っている自分と同じ年頃の少女。しかしそれ以上に目に付くのは彼女の手に握られた大きな鎌だ。先端から伸びている刃は金属でできたものではなく、金色に輝く魔法の刃である。それに対してもう一人は、自分より歳上の中高生ぐらいの少女だ。赤い衣装に身を包み、その手には一本の槍が握られている。その槍は先ほどからアリサの動きを阻んでいる槍と同じものだった。

 間違いなくあの二人は魔法少女であり、さらに管理局と敵対している。そしてこの槍を生み出しているのもあの赤い魔法少女だろう。もしそうだとするならば、彼女たちについていけば、ここから脱出できるかもしれない。しかし彼女たちがアリサにとって味方になり得るとは限らない。だからアリサは固唾を飲んで、その動向を陰から見守ることにした。



「止まりなさい」

 一人の武装隊員が単独で現れたのを見て、杏子たちはその足を止める。その武装隊員はアースラで杏子が暮らす中で、一番会話した記憶のある武装隊の隊長だった。

 しかし不思議なのは何故、彼が単独なのかということである。彼は一部隊の隊長だ。魔女と戦う時もその背後には数人の部下を引き連れて臨んでいる。突然の事態に単独で動くことになったということも考えられるが、杏子の実力はこの隊長も十分に知っているはずである。それなのに単独で動いているという事実が、杏子の警戒心を強めた。

「杏子殿、これは何の真似です?」

「何の真似って言われてもな。あたしはあたしの都合でフェイトを逃がそうとしているだけだ」

「そうですか。ならあなたたちをここで拘束します」

「あのなぁ、状況をよく見てみろよ。こっちは二人でそっちは一人だ。それにフェイトはともかく、あたしの実力を知らないわけじゃないだろ? いくらなんでも無謀すぎるんじゃないか?」

 会話をしながら、杏子は目の前の人物が何を考えているのかを探ろうとする。だがデバイスを構えるのみで、何ら作戦らしいものは感じられない。自分の知る通りの実力なら成す術なく無力化されるだけだということは、彼もわかっているはずである。必ず何らかの意図があるはずだと、杏子は視線をさ迷わせる。

(あれは……?)

 そうして見つけたのは、物陰からこちらの様子を覗く一人の少女。なのはの友人であるアリサであった。何故、彼女がこんなところにいるのか。そもそもいつ目を覚ましたのか。杏子の中で疑問は尽きない。もしかしたらアリサこそが杏子たちを捕えるために彼が用意した作戦に関わっているのかもしれない。

「……杏子殿の言う通り、私ではあなたに手傷を負わせることすら不可能でしょう。しかし数秒の足止め程度ならできるはずです。その間に執務官殿が駆けつけてくれれば、杏子殿を拘束することは十分に可能なはずです」

 だが隊長の様子を見る限り、アリサを気にしている様子は一切ない。もしや気付いていないのか。そう思えるほどに彼は背後を気にせず、真っ直ぐ杏子たちの方に目を向けている。

 どちらにしても、管理局の調べではアリサにはリンカーコアはないはずである。そしてキュゥべえと契約しているというわけでもない。つまり彼女はどこにでもいるただの一般人のはずだ。あの場から援護射撃などが飛んでくるわけはないだろう。

「ま、理屈の上ではそうだな。……しかしそう都合よく、クロノがやってくると思うか?」

「――思います」

 そう断言する彼に杏子は一瞬、怯む。だがすぐに睨み返し、一気に懐まで踏み込んで攻撃を仕掛けた。彼がどのような策で自分たちの前に現れたのか、その策が読めたわけではない。しかし彼の言う通り、この場にクロノやリンディなどが現れたら非常に厄介である。先ほどは不意を突いたということもあり上手くいったが、次も同じように撒けるとは限らない。だからこそ杏子はこれ以上の問答は止め、有無を言わさず目の前の相手を無力化しようとしたのだ。

 それに対して隊長は驚きの表情を浮かべるも、その唇が釣り上がる。まるで自分の思い通りの展開になったと言わんばかりの笑み。それでも杏子の攻撃は止まらない。彼が手に持つデバイスを槍で吹き飛ばし、足を払ってその場で転倒させる。隊長はそんな杏子の早業に防御どころか受け身すら取ることができなかった。転んだ拍子に頭を思いっきり叩きつけられ、そのまま意識を刈り取られる。

 実のところ、彼には明確な作戦があったわけではない。自分単独では杏子相手に一撃で沈められることは、十分に理解していた。その上で彼が選んだのは、敢えて一人で杏子たちの前に姿を現し、言葉巧みに時間を稼ぐことだった。いきなり攻撃を仕掛けてもやられるだけ。それならばせめて少しでも時間を稼ぎ、クロノたちがやってくる時間を稼ぐ。それが今の彼がとれる最善の策だったのだ。

「杏子、よかったの? この人、知り合いだったんでしょ?」

 それまで黙っていたフェイトが杏子に声を掛ける。

「いいんだよ、こんな奴!?」

「でもわたしにはとても親しげに見えたけど……」

「そんなことねーよ。確かにこいつとは行動を共にすることが多かったけど、それだけだ」

 思い返してみると、魔女退治に向かう時以外にも、やたらとこの隊長は自分に絡んできたようにも思う。食堂で食事をしていれば積極的に隣に座ろうとし、部屋で休んでいるとゲームを持って尋ねてきたり。退屈することはなかったが、それでも心を許した覚えはない。

 そんなことよりも今、重要なのは先ほど彼が見せた笑みである。目の前に倒れ伏す隊長は、こちらの油断を誘う演技などをしているわけではなく間違いなく気絶している。彼にとって気絶してしまったのはまったくの偶然だが、そのことが逆に杏子の中に疑念を残らせた。時間を稼ぐにしてはこの結末はあまりにも間抜けすぎる。何か別の作戦が用意されているはず。

【ところでフェイト、気付いているか?】

【うん。物陰にいるあの子のことだよね】

 二人は念話で会話しながら、アリサに気付かれないように視線を向ける。

【あいつはアリサっていってな、なのはやすずかの友達なんだ】

【すずかの!?】

【ああ。といってもあいつは魔法少女でも魔導師でもないけどな】

 もしアリサがなのはやすずかのように、彼女にも力があるなら杏子も警戒するだろう。しかし杏子の知る限り、アリサはただの子供である。管理局の検査でもリンカーコアは発見されず、キュゥべえと契約しているわけでもない。それを知っているからこそ、そこまでの警戒を向けていなかった。

【そうなんだ。でもそれならどうしてあの子は管理局の船の中にいるの?】

【……あいつもあの日、結界に巻き込まれたんだ。しかもそこで襲われて意識を失わされたんだ。だからアースラで治療を受けていたんだよ】

 だが杏子が知っているのはそこまでだ。いつアリサが目覚めたことも、こんなところに一人でいる理由も杏子は知らない。

「おい、そこで見てるの、アリサだろ? 出てこいよ」

 だからこそ、杏子は声を掛けることにした。彼女には杏子たちを捕まえようとする理由はない。仮にあったとしてもその理由がわからない。どちらにしてもアリサが脅威にならない以上、彼女がここにいる理由を確かめておくのも悪くない。そう考えての行動だった。

 一方のアリサは、自分の名前が突然呼ばれたことに驚く。アリサからしたらクロノ同様、杏子たちもまた面識のない相手である。にも関わらず、彼女は自分の名前を呼んだ。そのことに戸惑いを隠せない。

「出てこないっていうならこっちから行くぜ」

 そう言うや否や、杏子はアリサが隠れている曲がり角の元まで踏み込む。その素早い動きにアリサは一切反応ができず、驚きからかその場に尻もちをついてしまう。

「あの、大丈夫?」

 杏子と一緒にアリサの前に立ったフェイトが、彼女を立ち上がらせようと手を差し出す。しかしアリサはその手を握り返そうとはしなかった。一人で立ったアリサは、警戒しながら杏子たちから距離を取り、敵意を込めた眼差しを向ける。

 アリサにとってアースラ内にいる人間は全て、面識のない相手である。ただでさえ面識のない相手のはずなのに、さらに杏子たちは管理局の人間と敵対していたのだ。そんな相手に警戒心を解くほど、アリサは愚かではなかった。

「あんた、どうしてあたしの名前を知ってるのよ!?」

 そんなアリサの態度に杏子は訝しく思う。アリサに向けられるのは明らかな敵意。魔法の力の持たない何の変哲のない少女。そんな彼女からいくら敵意を向けられたところで杏子は痛くも痒くもない。

 しかしフェイトは別だった。見ず知らずの相手に謂われのない敵意を向けられる。そんな経験をほとんどしたことのなかった彼女は、それだけで戸惑ってしまう。

「あたしがアリサの名前を知ってたのは、なのはから聞いていたからだ」

 そんなフェイトの感情の機微を感じ取ったからこそ、杏子はアリサの問いに素直に答えた。結局のところ、アリサを警戒する理由は杏子にはないのだ。むしろ警戒しすぎてその隙をクロノ辺りに突かれる方が厄介だ。だから杏子はゆまやフェイトと同じような感覚でアリサに接した。

「それにしても、どうしてアリサはこんなところに一人でいるんだ?」

「あ、あたしは……なのはのことが心配で。それにすずかのことも……」

「……もしかして、知らないの? すずかのこと……」

 フェイトは躊躇いがちにアリサに踏み込んだ質問をぶつける。それに対してアリサは大きく目を見開き激高する。

「……さっきクロノって奴から聞かされたわ。でもあたしはそんなの信じない。すずかが死んだだなんて、絶対に信じないんだから!!」

 目元に涙を溜めながら真っ直ぐ睨みつけてくるアリサ。そんなアリサの必死な様子に、フェイトは思わず視線を逸らす。先ほど杏子に慰められたとはいえ、フェイトにもまだすずかの死を完全に受け入れられたわけではないのだ。だからこそ、アリサの言葉はフェイトの心に深く突き刺さった。

 そんな二人の様子に杏子は危うさを感じていた。なのはとは違う意味で、アリサはすずかの死を受け入れていない。なのはの方はユーノに任せたことでとりあえずは持ち直すことはできたが、アリサは見知らぬ場所ですぐにその残酷な真実を突きつけられたのだ。見知った人間がだれ一人もいない状況で、親しい友人の死を突きつけられれば、アリサでなくとも受け入れるのは難しいことだろう。

 さらにフェイトもまた、同様だ。なのはやアリサと違ってフェイトがすずかと接した時間はそこまで多くはないだろう。しかし先ほどの会話で彼女がすずかを思う気持ちは本物だと十分に理解している。二人の間で何があったのかは知らない。しかし杏子の腕のことも含めて、フェイトには気にして欲しくはなかったのだ。

「……確かに信じられないのも無理はねぇ。本当のこと言えば、あたしにだって信じられねぇし。でもな、こんなこと言うのは酷かもしんねぇけど、すずかは死んだんだ」

 だから杏子は厳しい言葉をぶつける。表面的にはアリサに向けての発言だが、フェイトの心にも届くように、杏子は言葉を選んでいく。

「嘘よ!!」

「嘘じゃねぇ! ……そもそもあたしだって、あいつを死なせたことを後悔してんだから」

「「……えっ?」」

 杏子の意外な言葉にアリサとフェイトの声がハモる。そのことを気にすることなく、杏子は言葉を続けた。

「……正直なところ、あたしはそこまですずかと親しかったわけじゃねぇ。きちんと話したのも一度だけだしな。それでもわかることがある。――あいつは誰よりも優しい魔法少女だった。ガキだからなのかもしれねぇけど、それでも皆を守りたいっていう自分の信念を最後まで貫き通した。正直、あいつがいなけりゃあたしたちもアリサも、それになのはだって今頃は死んでたと思う」

 キリカの力は圧倒的なものだった。ジュエルシードの力もさることながら、彼女の戦い方にはまるで躊躇いがなかった。魔女を相手にそれならわかる。敵は自分とは違う化け物なのだ。しかしキリカは人間相手、それも魔力を持たない一般人を前にしてもその太刀筋が鈍ることはなかった。

 そんなキリカを倒すために、すずかは自分の持てる力の全てを賭けた。彼女自身も杏子より遙かに強い力を持っていたはずだ。もし周りを犠牲にしてもいいという覚悟があれば、きっとすずかは死ぬことなかっただろう。すずか一人なら逃げることは容易だっただろうし、あるいは命を散らさずともキリカを倒すことができたかもしれない。

 それでもあの時、すずかは自分の命よりも皆の生存を優先したのだ。

「信じたくない気持ちはわかる。でもな、あいつの死を否定しちゃダメだ。特にすずかの友達ならなおさらだ」

 杏子の言葉にアリサは大きく心を揺さぶられていた。アリサにとって杏子は今日、初めて出会った赤の他人である。しかし杏子がすずかのことを語る時に見せた表情。それは確かに、心の底からすずかの死を悔やんでいるといったものだった。

「……あたしは、すずかの命を犠牲にしてまで助けられたいとは思わなかった」

 それでも、アリサはすずかの死を受け入れない。アリサにとってすずかは唯一無二の存在なのだ。親友という意味ではなのはもいる。だがなのはとすずかでは致命的に違う点があった。

「あたしは例えどんなことになったとしても、すずかに生きていて欲しかった。あの子はあたしにとって初めてできた友達で、それでいて放っておけない子だったから」

 アリサにとって、同年代で初めて意識した相手、それがすずかだった。自分とどこか似ていると感じる少女。常に一人でどこか孤独感を感じる彼女に親近感を覚えたからこそ、アリサは自分から彼女に話しかけたのだ。

 だがすずかと仲良くしているうちに、自分とすずかでは友達ができなかった理由の違いに気づく。社長令嬢であるが故にプライドが高く傲慢だったアリサに対し、すずかは常に他人の目を気にする少女だった。それでいて時折、ごくありふれたことに対して、羨望の眼差しを向けることがあった。まるで自分には遠い世界の出来事のような遠い目をするすずか。本人は隠しているようだったが、アリサにはそんなすずかの視線を敏感に感じ取っていた。

 しかし結局、アリサには何故、すずかがそのような目をする理由を突き止めることができなかった。それが悔やんでも悔やみきれなかった。

「……本当はあたしにだってわかってるのよ。あたしにはすずかやなのはのような力はない。あの結界の中でもあたしは守られているだけだった。それが凄く悔しいし、悲しい。……でもだからってそれを受け入れていいわけじゃない。あたしにはあたしにできることがある。魔法は使えなくとも、すずかとなのはを支えることができる。そう思っていたのに……」

 アリサは静かに涙を流す。必死に否定しながらも、心のどこかで否定しきれない悲しみが溢れ出す。

「……なんと言われようとあたしは信じない。この目で確かめるまで、すずかが死んだだなんて信じたくない。せっかく久し振りにすずかと再会できたのよ。それがこんな別れなんて、絶対に嫌っ!!」

「……ならあたしたちがなのはのとこまで連れてってやろうか?」

 涙を見せながらも気丈に振る舞うアリサに、杏子は手を差し伸べる。

「もちろん覚悟はしてもらう。あたしと一緒にくるってことは、その先には数多の危険が待ち受けることになる。管理局の追っ手を撒かなきゃいけねぇし、何より今の海鳴市は魔女だらけだ。安全度で言うなら、このままアースラに留まり続ける方がよっぽど安全だ。どうする?」

「そんなの、決まってるじゃない」

 杏子の差し出した手を、アリサは迷うことなく掴む。その顔に迷いはない。なのはに会い、すずかが本当に死んだのか、それを確かめることができるのなら、どんな危険が待ち受けていようと構わない。そんな覚悟に満ちた表情だった。

「……悪ぃな、フェイト。勝手に決めちまって」

「ううん、杏子が言わなかったらわたしの方から言いだしていたと思う。わたしからもあの子にはきちんと話をしなければならないと思うし」

 杏子の言葉が響いたのは何もアリサだけではない。フェイトもまた、同様に一つの決意を固めていた。それはなのはに謝ること。あの結界の中に侵入したのにも関わらず、フェイトは引き返すことを選んでしまった。それ以前にも、フェイトは自分の前から立ち去るすずかの後を追うことができなかった。それをきちんとなのはに話、詫びなければならない。

「……そうか。だがこれ以上の話は後だな。今はさっさと海鳴に戻るぞ。アリサもしっかりついてこいよ」

 そうして三人は走り出す。杏子はゆまに再会するために。フェイトはすずかのことをきちんとなのはと話すために。そしてアリサはすずかの死を確かめ、なのはに話を聞くために――。



     ☆ ☆ ☆



「フェイト、遅いね~」

「そう、だね」

 一方その頃、ゆまとアルフは隠れ家で帰りの遅いフェイトの心配をしていた。ゆまには黙っているが、アルフは内心で気が気ではなかった。すでにフェイトが戻ると告げた時刻から二時間も過ぎている。しかしフェイトからは何の音沙汰もなく、アルフがいくら念話で話しかけても何の返答もない。そのことがアルフに不安を募らせた。

 考えられる可能性は二つある。一つはフェイトが魔女の結界に取り込まれてしまった可能性、そしてもう一つは管理局に捕まってしまった可能性だ。

 どちらにしても、危険なことには代わりのない状況。本当ならばすぐにでもフェイトを探しに行きたかった。しかしそうしなかったのは、この場にいるのが自分とゆまだけではなかったからだ。

「アルフさん、心配ならフェイトさんを捜しにいってもいいのよ。その間、私はゆまさんと話をして待たせてもらうから」

 そう言って紅茶に口を付けるのは織莉子であった。何故、彼女がここにいるのかというと、時は二時間ほど遡る。



「あたしも理論はそこまで詳しくないんだけどさ、魔導師の魔法っていうのは体内にあるリンカーコアって器官から魔力を生み出し、外に放出するってことらしいんだ。だからまずは自分の中に魔力の流れがあるってことを感じ取るのが重要だ」

 ゆまはアルフの指導の元、魔導師の魔法を使う練習を行っていた。ただしゆまのリンカーコアはまだ目覚めていない。魔法少女としての魔法は杏子の側で幾度となく見てきたが、魔導師のそれは数えるほどしかない。そのためまずは自分の中のリンカーコアを意識することから始めさせられていた。

「アルフはそうゆうけど、全然ピンとこないよ。もっと具体的にゆってくれないと……」

 フェイトが幼い頃に使っていた練習用のストレージデバイスを持ちながらゆまはぶーたれる。すでに魔力の流れを感じ取るための修行を始めてから一週間近く経つ。しかし一度たりとも、ゆまは自分の身体に魔力を感じ取れたことはなかった。

「具体的にって言ってもな、あたしもフェイトも魔法自体は自然に使えるようになっていたからなぁ……。もちろん今ぐらいの実力になるのには時間はかかったけど……」

 前提条件としてゆまとフェイトとでは決定的な違いがある。フェイトは魔法が一般的に普及している世界で生まれ、物心つく前から魔法に触れて育った。そのためまるで言葉を覚えるかのように魔法を使えるようになった。もちろん今の実力になるにはそれ相応の努力をこなしてきたが、魔力の流れ自体は生まれた時から自然と身体中を巡っていたと言っても過言ではないだろう。

 それに対してゆまは、魔法少女や魔女といった存在がいる世界に生まれたとはいえ、魔法に触れたのはほんの数ヶ月前の出来事である。ただでさえ魔法に触れた経験が少ないというのに、今、ゆまが覚えようとしているのは別世界の魔法体系である。さらにゆまの持つリンカーコアはフェイトやなのはが持つような大きな魔力を秘めてるものではなく、どちらかと言えば小さな部類のものだ。苦労するのも当然だろう。

「むー、それじゃあフェイトもアルフも生まれた時にはもう魔導師だったってこと?」

「いや、流石にそこまでじゃあないけどさ。でも今のゆまよりは簡単に魔法を使える身体だったのは確かだよ」

「そんなのずっるーい。ひきょーものだ!!」

「い、いや、そんなこと言われてもな」

 ゆまの態度に思わずたじろぐアルフ。こんな時、フェイトがいてくれればゆまをいい感じでなだめてくれるのだが……。

「二人とも楽しそうだね」

 そんなやりとりをしていると、いつの間にかキュゥべえが二人の前に現れた。

「あっ、キュゥべえ久しぶり~」

 キュゥべえが現れたことで話の矛先がそれたことに安堵するアルフ。だがすぐに気を引き締め、キュゥべえに対し警戒の眼差しを向ける。

「あんた、何の用だい? フェイトに用なら、あいにく今は留守だよ」

「いや、今日はフェイトに直接、用ってわけじゃあないんだ。実はプレシアからある魔法少女を捜してくれと頼まれてね」

「もしかしてあたしたちにもその魔法少女を捜すのを手伝えってことか?」

「いや、織莉子――その魔法少女自体は思いの外早くに見つかったんだけど、でもボク一人じゃ時の庭園まで連れていけないから、フェイトかアルフに頼もうと思ってきたんだよ」

「なるほどな。そういうことか」

「それで今、織莉子を玄関のところで待たせているんだけど、部屋に入れてもいいかな?」

「…………」

 キュゥべえの言葉にアルフは返事を窮す。初対面、それもキュゥべえが連れてきた相手を部屋の中に招くのは危険なんじゃないかと思う。だからアルフは部屋に招くようなことはせず、そのまま時の庭園に連れていこうと考え、その旨をキュゥべえに伝えようとした。

「いいよー。魔法少女ならわたしもお話ししてみたいしね」

 だがその前にゆまがフランクに答え、そのまま玄関に向かって走っていく。

「あっ、おい、ゆま、ちょっと待て」

 それを慌てて追いかけ、ゆまを止めようとするアルフ。しかしその時にはすでに、ゆまは玄関の扉を開けて件の魔法少女を迎え入れていた。制服に身を包んだ、大人びた雰囲気を持つ魔法少女。その佇まいはとても優雅なもので、思わずゆまは見入ってしまう。だがその背後にいたアルフは、その魔法少女にただならぬ気配を感じていた。どこか浮き世離れした雰囲気に、全てを見透かすかのような眼差し。今まで出会ってきたどの魔法少女とも異なるものを、織莉子から感じ取っていた。

「あら? これは可愛らしいお出迎えね」

 そんな異なる感想を抱いている二人に対して、織莉子は普段と変わらない自然体な態度でゆまの頭を軽くなでる。突然のことに驚くゆまだったが、織莉子の手の感触はとても心地よいもので特に嫌がる様子もなく受け入れた。

「えっと、あの、おねーさんも魔法少女なの?」

「えぇ、そうよ。ところで貴女がフェイトさん?」

「ううん、わたしはゆまだよ?」

「そう、貴女がゆまさんね。私は美国織莉子っていうの。よろしくね」

 そうゆまに微笑みかけた織莉子は、その後方に待機していたアルフを視界にいれる。直接、織莉子と視線を合わせた瞬間、アルフの全身に鳥肌が立つ。アルフの狼としての本能が警鐘を鳴らす。

「あら? どこか顔色が悪いようだけれど、大丈夫?」

 そんなアルフの様子に織莉子は心底、心配した表情を浮かべ歩み寄ってくる。

「いや、大丈夫だよ。ちょっと立ちくらみがしただけさ」

 アルフは半歩下がって、織莉子から距離を取ると、誤魔化すように告げる。

「そう、ならいいけれど……」

「それで、あんたを時の庭園まで連れて行けばいいんだろ? ちょっと待ってな、今から準備するから」

 アルフは一刻も早く、織莉子から離れたいと思い、さっさと時の庭園に連れて行こうとする。だがそれに織莉子が待ったを掛けた。

「アルフさん、別に急ぎというわけではないから、そこまで焦らなくてもいいわよ。体調も悪そうだし」

「いや、だからちょっと立ちくらみがしただけだって。あんたを時の庭園に連れて行くくらい訳ないよ」

「そう、なのかしら?」

 アルフの必死の言葉に、織莉子はその様子を一変させる。だがそんな織莉子の雰囲気の変化にゆまとキュゥべえは一切、気づかない。織莉子に真っ直ぐ見つめれているアルフだけが、その変化を敏感に感じ取っていた。

【アルフさん、貴女は本当は早く私から離れたいだけ何じゃない?】

「なっ……!?」

 そして誰にも聞かれないように、織莉子は念話にてアルフにだけ語りかける。

【貴女は私に底知れぬ不気味さを感じている。その理由まではわからないけれど、でもとにかく私の側から一刻も早く離れたい。だから時の庭園に急いで連れて行こうとしている。違うかしら?】

「そ、そんなこと……ッ?!」

「どうしたの? アルフ」

 念話で話しかけてくる織莉子に対して、アルフは口から言葉を出す。そのことがゆまに不審に思われる。

「い、いや、なんでもないよ」

【安心なさい。私は貴女方の敵ではないわ。……少なくとも今はね】

 そう話す織莉子は穏和な笑みをアルフに向ける。しかしその裏に潜む織莉子の本音が、アルフにはまるでわからない。

【それに今、この場で戦うことになったとしても、きっと私一人ではアルフさんには勝てないでしょう。だから……】

「キュゥべえ、プレシアさんも別にそこまで急いでいるってわけではないのでしょう? なら少しここでゆまさんやアルフさんとお話ししたいんだけど、かまわないかしら? フェイトさんにも会ってみたいし」

「そうだね。プレシア自身は一刻も早く織莉子に会いたがっているみたいだったけど、少しぐらいなら問題ないと思うよ」

「なっ、なにを勝手に……」

「別にいいでしょう? 貴女だって本当はフェイトさんが帰ってくるのを待っていたいだろうし」

「……わかったよ」

 織莉子自身は敵ではないという。しかし彼女を見たときに感じた嫌な感覚。それが間違っているとはアルフにはどうしても思えない。だから織莉子という人物を見極めるためにも、その提案を渋々受け入れた。

「ふふ、ありがとう。せっかくだから自家製の紅茶をごちそうするわ」



 ――それから二時間、ゆまと織莉子はすっかり仲良くなっていた。織莉子が振る舞った紅茶が美味しかったというのもあるが、それ以上に織莉子の話術。それがゆまの感情を引き立たせ、懐かせた。その表情はまるで杏子と話している時と同じくらい楽しげなものだ。

 だからこそ、アルフは織莉子のことを末恐ろしく感じてしまう。いくらゆまが人なつっこい性格をしているといっても、それでも初対面の相手にここまで自分をさらけ出すような真似はしなかった。フェイトですら、今のゆまの表情を引き出すまでに数日の時間を要したのがその証拠だろう。

「ねぇねぇ、オリコ。オリコはどんな願いでキュゥべえと契約したの?」

「私の願い? 気になる?」

「うん、すっごく」

「そう。なら特別に教えてあげる。私がキュゥべえに祈ったのは『生きる意味を知りたい』って願いよ」

「生きる意味?」

「魔法少女になる前の私はただ漠然と生きていた。生きる目的もなく、ただただそこに居るだけだったの。だからどうしても知りたかった。私が生まれてきた意味ってものをね」

「それで、オリコはしることができたの?」

「ええ。凄く尊くて大切な私だけの生きる意味をね」

「それは?」

「ふふふ、それは……秘密よ」

「えー、そこまでゆっといて秘密だなんてずるいよー!!」

 事実、ゆまはこのような踏み込んだ質問をぶつけるほどに織莉子と仲良くなっている。織莉子は時に正直に答え、時にうまくかわし会話を誘導していく。

「ごめんなさい。でもね、私の生きる意味なんてそこまで大したものじゃないのよ」

「そうなの?」

「ええ。私としては、どうしてゆまさんが魔法少女ではなく魔導師になろうとしていることの方が気になるわ」

「そんなの決まってるよ。キョーコと一緒にいたいから。だからキョーコの隣に立てるような強い魔導師になりたいの」

「本当にゆまさんは杏子さんのことが好きなのね。でもそれならキュゥべえと契約して、魔法少女になった方がお手軽じゃないかしら?」

「そーだけど、それはキョーコが望まないから。キョーコが望まない方法で力を手に入れても、キョーコは喜んでくれない。それにわたしがいつの間にか魔導師になってたら、きっとキョーコはびっくりするしね」

「ふふふ、そうね。私も影ながら応援してるわ。がんばってね、ゆまさん」

「うん!」

 二人からすれば、それは他愛のない会話の応酬なのだろう。しかし端から見ているアルフからすれば、二人の会話は実に危うい。織莉子の話術を持ってすれば、ゆまの口から様々な情報を割ることが可能だろう。下手をすればアルフ自身も気づかぬ内に、何らかの秘密を暴かれているかもしれない。

「ところでアルフさん、本当にフェイトさんを捜しにいかなくていいのかしら?」

「えっ?」

 そんなことを考えていたアルフは、不意に織莉子に話しかけられおかしな声を上げてしまう。

「さっきそのことを訪ねてからもう三〇分、つまり彼女が帰ってくる予定の時刻からもう二時間半も過ぎていることになる。これはいくらなんでも遅すぎるわ。ゆまさんもそう思うわよね?」

「うん。でもフェイトは大丈夫だよ」

「……どうしてそう思うのかしら?」

「だってフェイトはキョーコに勝ってるし、何よりわたしの魔法のおししょーさまだからね。だからちょっと遅くなっても、きっと無事に帰ってくるよ」

 心強い言葉を掛けるゆまだったが、アルフは内心で気が気ではなかった。確かにフェイトは強い。それはアルフにも十二分にわかっている。しかしいくら強いからといって、安心はできない。現に強い魔法少女だったはずのすずかが二日前に見るも無惨な姿に変わってしまったのだから。

「ゆまさん、貴女は一つ勘違いしているわ」

「えっ……?」

「いくらフェイトさんが強いからといって、心配しない理由にはならないのよ。楽観視していて万が一のことが起きれば、きっと貴女は後悔する。違うかしら?」

 そう語る織莉子の胸中は、キリカのことでいっぱいだった。織莉子には心配する時間すら与えられなかった。織莉子が目覚めた時にはすでにキリカは死んでいた。

 意識を失う前と目覚めた後で、織莉子を取り巻く世界は大きく変わった。もしあの日、すずかに会いに行かなければこんなことにはならなかっただろう。そのことを後悔していないと言えば嘘になる。

 しかし織莉子にはこの未来は見えていなかったのだ。未来視という他の人物にはない力を持ちながら、彼女は自分の半身と言うべき存在を失ってしまった。

 そこまで大げさでないにしても、ゆまやアルフにとってフェイトが大切な存在であることは間違いない。なればこそ、二人にそんな思いを味会わせることに抵抗を覚えた。

「それはアルフさん、貴女とて同じよ。私のことを警戒したくなる気持ちはわかるけど、それで大切な存在を亡くして、貴女は納得することができるの?」

「そ、それは……」

 織莉子の言葉にアルフが詰まる。彼女の言うことはまさしく真理を突いていた。織莉子のことに意識を向けすぎていたが、よく考えれば今の海鳴が危険であるという事はアルフにも十分わかっている。それなのに今まで、フェイトを助けに逝くこともなく、こうしてこの場に留まり続けた自分を恥じた。

 そんなアルフを後目に織莉子は立ち上がり、玄関に向かって歩を進める。

「あんた、いったいどこに行こうってんだい?」

「アルフさんが私とゆまさんを二人きりにしたくない気持ちもわかる。だから二手に別れて捜しに行きましょう。それなら何の問題もないはずよ」

「……どうしてそこまでしてくれるんだい?」

 アルフは思わず訪ねる。アルフにとって、織莉子は今日、初めて出会った相手である。それだけではなく、二時間もの間、常に警戒の眼差しを向け続けていた。それなのに彼女は無償で手を差し伸べている。腹のうちに底知れぬ化け物を秘めている予感のある少女が取った意外な行動が、アルフにはどうに不思議だった。 

「……実を言うと、私もついこの間、大切な人に死なれてしまったの。私が預かり知らぬところで彼女は戦い、そして死んでいった。私には止めようがなく、気づいた時にはもうすでに事が済んでいた。……そんな思い、もう誰にも味あわせたくないの」

 そんなアルフの疑問に織莉子は明確な答えを示す。キリカの死。それが織莉子に与えた影響は大きい。他人を思いやる気持ちがまったくなかったわけではない。それでも目的のためなら他人の命はもちろん、自分の命がどうなろうと構わない。それぐらいの覚悟が織莉子にはあった。

「オリコ、大丈夫? 今のオリコ、凄く泣きそうな顔をしてるよ?」

 しかしキリカの死は織莉子には許容できなかった。自分に純真な眼差しを向けてくれたキリカ。父親ではなく、初めて織莉子を織莉子として見てくれた大切な人。こうしていなくなってみて初めてよくわかる。織莉子にとってキリカはなくてはならない存在だった。表面上が取り繕っているものの、その心にはぽっかりと穴が空き、ちょっとしたことで心が乱されてしまう。

「……ごめんなさい。少しあの子のことを思い出してしまって、それで……」

 織莉子は目元に溜まった涙を拭いながら、改めて二人の顔を見る。もう少し時が経てば、キリカの死という事実をしっかりと受け入れることができるだろう。しかし今はまだダメだ。自分のような気持ちを他の人にも味あわせたくない。だから自分でもらしくないとは思いつつも、率先してフェイトを捜しに向かおうとした。

「……悪かったよ」

 そんな織莉子の顔を見て何の前触れもなくアルフは立ちあがり頭を下げた。織莉子のことをきちんと理解できたわけではない。彼女の持つ独特の雰囲気は、今でもアルフの本能に訴えかけている。それでも先ほど、織莉子が語って見せた表情は決して偽りのものではないだろう。

「アルフさん、貴女が頭を下げる必要はないわ。それより今はフェイトさんを捜しに行くのが先決でしょう?」

「……そうだね。それじゃあゆま、あたしと織莉子はフェイトを捜しに行ってくるけど……」

「もちろん、ゆまも行くよ!」

「ダメだ。ゆまの気持ちもわかるけど、フェイトと入れ違いになるといけないから、ゆまはここで待っていてくれ」

 気合いたっぷりにフェイトを迎えに行くつもりだっただけに、ゆまは表情を沈める。だがすぐにその顔に笑顔を取り戻し、アルフと織莉子に信頼を込めた言葉を放った。

「……わかった。でもアルフ、オリコ、絶対にフェイトを連れて帰ってきてね。約束だよ」

「えぇ、わかったわ」

「任せろ」

 そんなゆまに見送られて、フェイトを捜しに行く二人。その先で待ち受けているものを、まだ二人は何も知らなかった。



2013/7/1 初投稿
2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正



[33132] 第10話 ごめんね。……そして、さようなら その3
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/09/22 23:24
「くそ、杏子の奴、いったい何を考えているんだ!?」

 杏子に出し抜かれたクロノたちが拘束を解いたのは、彼女たちが去って一分後のことだった。一分というのは、時間にしてみれば大したことはないが、この状況では致命的なタイムロスだと言えるだろう。

「そんなに怒るものじゃないわよ、クロノ。それよりも今はフェイトさんたちを逃がさないように先回りしないと。とりあえず私は管制室に行くから、クロノは転送室で杏子さんたちを待ち伏せしてちょうだい」

 そう言って二人は廊下に出る。しかしそこはすでに杏子の魔法によって行く手を阻む仕掛けが施されていた。バリケードのように張り巡らされた槍の数々。それは他の場所のような幻覚ではなく、確かな実体を持つ本物だ。

 いくら管理局員が集まったところで、それは杏子には驚異になり得ない。今、アースラにいる中で驚異になり得る可能性があるのは、あくまでハラオウン親子のみであり、その二人を閉じ込めておくのが脱出への最善の策であると考えての仕掛けだった。

「……やってくれるわね、杏子さん」

 これほどの仕掛け、とてもこの短時間で仕掛けられるものではない。おそらくはこの一週間、彼女がアースラに住んでいた頃から少しずつ、気付かれないように仕掛けていったのだろう。しかし彼女もこのような自体になることなど、想定していなかったはずだ。万が一、管理局と敵対することになった時のために用意していた。その思慮深さと剛胆さは驚嘆に値する。

「艦長、一気に吹き飛ばすので少し離れていてください」

「ダメよ、クロノ。こんなところで範囲魔法を使ったら、アースラにどんなダメージを与えることになるかわからないわ」

 クロノやリンディの力なら、この程度のバリケードを吹き飛ばすことだけなら実に容易い。だがその代償としてアースラの壁に穴を開けてしまう可能性がある。廊下とはいえ、壁の中には無数の配線が所狭しと通っている。もしそれらを傷つけてしまえば、どんな事態が起きるともわからない。

「ここは地道に撤去していきましょう。幸い、通信手段は封じられていないようだしね」

 リンディは念話でアースラ内全局員に杏子たちを捕まえるように通達する。リンディからの連絡を受けた局員たちはその内容に慌て、急いで杏子たちを捜しに向かう。

 しかしリンディは誰よりもアースラ内にいる武装隊員の実力を把握している。数の上では圧倒的に有利だとしても、杏子もフェイトも相手は共に一流の使い手。捕まえるどころか、足止めすら難しいだろう。

(……どうせ逃げられてしまうなら、ここは一度逃がしてしまうのも手かもしれないわね)

 そうしてリンディは一つの策を講じることにする。この方法で思慮深い杏子を出し抜くことができるとは限らない。しかし現状、杏子たちを捕まえられる可能性はおそらくこれしかないはずだ。

 だがどちらにしてもここから解放されないことには始まらない。リンディはクロノに自分の考えを説明しつつ、アースラを傷つけないように槍の撤去を始めるのであった。



     ☆ ☆ ☆



 アースラの廊下を駆け抜けた杏子たちは、ようやく転送装置のある部屋までたどり着いた。人の気配がまるで感じられない広い一室。その中央には、船の外に出るための装置が煌々と光っている。

「……妙だな」

「妙って何がよ?」

「考えてもみろよ。あたしたちがアースラから出るには、必ずこの転送装置を使わなければならない。……にも関わらずだ、ここには誰もいないし、転送装置の電源が切られているわけでもない」

 これでは好きに逃げ出せと言わんばかりだ。杏子の予想では、武装隊員で足止めしている間にクロノをはじめとした精鋭を待機させておくとばかり思ったのだが、そのような気配は一切、感じられない。

 もちろんそうならないように杏子は、クロノたちを閉じ込めた部屋の周りには、特別面倒な足止めを仕掛けたつもりだ。簡易的なものだが、それでもリンディやクロノを少しの間、閉じ込めるのには十分な仕掛けだろう。

 だがそれにしたって他の武装隊員がいないのはおかしい。杏子たちがこの場所を目指していることは、少し考えればすぐにわかることだ。それなのに誰も待機させていないのはおかしさを通り越して不気味である。

「でも杏子。いくら怪しいからって転送装置を使わないわけにはいかないよね?」

 そんな尻込みをしている杏子にフェイトが声を掛ける。フェイトにも杏子の不安はわかる。しかしそんな不鮮明なもので足を止めるぐらいなら、初めから逃げ出そうとはしない。ここまできた以上、彼女たちは足を止めることを許されない。

「……そうだな。ここで物怖じするようじゃあ、何のためにここまできたのかわからねぇしな」

 三人はリスク覚悟で転送装置に乗る。目的地は海鳴市郊外。そこからまずは徒歩でフェイトの隠れ家を目指す。そうしてゆまと合流したのちに、今度はなのはの元にアリサを連れていく。

「一応、最後にもう一度聞いておくけど、本当にいいんだな、アリサ。このままあたしたちについてきて」

「くどいわよ! このままここにいたところで何も変わらないんだったら、どんな危険が待ち受けていようと行くしかないじゃない!!」

「ならいい。それじゃあ帰るぞ。海鳴市へ」

 その掛け声とともに転送装置は起動し、三人の身体は光に包まれる。そうして三人は海鳴市へと戻っていった。



     ☆ ☆ ☆



 フェイトを捜しに外に出た織莉子とアルフだったが、手がかりすらない現状ではそう簡単に見つけることはできないと判断し、二手に別れて捜すことにした。主にアルフが上空から広範囲を捜し、織莉子が足を使って地道に捜索する。

 そんな役割分担で捜索を開始してから約一時間、織莉子は未だにフェイトが見つかるどころか手がかりすら掴むことすらできなかった。普通なら人に尋ねて捜すという方法が取れるのだが、フェイトは魔導師。一般人にその姿が目撃されている可能性は限りなく少ないだろう。ならば魔力の残滓を頼りに捜すという手も考えられるが、至るところにいる魔女のせいで、そんな微かな魔力など探知できるはずもなく、結局のところ地道な捜索活動に従事する以外に手はなかった。

「……あら?」

 そんな織莉子は不意に、不思議な魔力の気配を感じ取る。絶望の気配を漂わせる魔女の多い今の海鳴市の中で、強く猛々しいと思われるほどの強力な魔力。しかしその魔力からはどこか不安定で弱々しさも感じられる。

 だが問題なのはその魔力を感じた先だ。織莉子のすぐ傍にある魔女の結界。魔力はそこから漂ってきている。おそらくは戦いの渦中の魔力がここまで漂ってきているのだろうが、結界を創り出した魔女の魔力ならともかく、結界に侵入したものの魔力が溢れ出ることなど、織莉子は聞いたことがない。可能性があるとすれば結界に綻びがあるか、もしくはその魔力の持ち主がとてつもなく強大な魔力の持ち主であるかのどちらかだ。

 念のため、その魔力がフェイトのものではないかと疑うが、魔力の質から見てこれは魔導師のものではなく魔法少女の魔力である。それでもこれほどの力を持つ魔法少女が海鳴市にいるという事実は見過ごせない。織莉子はその魔力の正体を確かめようと、記憶の奥底から心当たりのある魔法少女の魔力を一人ひとり検証していく。織莉子が未来視によって知り得た魔法少女の数は少なくない。その中から該当する人物を絞っていく。

「……えっ? でも、まさか、そんなことがあり得るはずが……」

 そうして行き着いた人物を思い浮かべた織莉子は、驚きのあまりに思わず口から疑問が零れる。結界の中で戦っている人物が、織莉子の想像通りの人物であることはあり得ない。織莉子の知る限り、その人物は二日前に死んでいる。その死体を確認したわけではないが、未来視という形でそのシーンは目撃しているし、その後にキュゥべえにも事実確認をした。



 ――しかし何度、確かめてみても間違いなく、この魔力はすずかのものである。



「これはいったい、どういうことなのかしらね」

 未来視はあくまで未来に起きる可能性を視せるもの。つまり織莉子の視た未来の光景は実際の出来事ではないのかもしれない。だがそうなるとキュゥべえの言葉はどうなる。キュゥべえは織莉子の問いにすずかは死んだと答えていた。嘘を突かれたとも考えられるが、その理由が織莉子には見当もつかない。

 だがこの事実をこのまま見過ごすわけにはいかない。織莉子は無言で結界の中に入っていく。入ってすぐに感じられる濃厚な戦いの気配。複数の魔女が混在し、絶望の気配の漂う結界の中で、何者かが一人で戦っている。その正体を突き止めるために、織莉子は周囲を警戒しつつ結界の奥へと向かっていくのであった。



     ☆ ☆ ☆



 その少し前、なのはとキュゥべえは魔女の結界の中を訪れていた。今や海鳴市の至るところに存在している魔女の結界。その中でも彼女たちが訪れたのは一際、巨大な結界だった。複数の魔女の結界が入り混じり、混沌としている魔女の結界。しかしいくら周囲を見回しても、辺りに使い魔の姿はない。それはなのはが倒したからいないというわけではなく、彼女たちがこの結界に入った時にはすでに死滅していたからだ。その代わりに存在しているのが、数十数百とも思える魔女の大群。だだっ広い結界、その中央で魔女同士が喰い合い、より強力な魔女へと姿を変質させている最中だった。

「……キュゥべえくん、これがすずかちゃんの見ていた光景なんだね」

「厳密には少し違うかな? すずかが生きていた頃は、ここまで露骨に魔女が喰い合うようなことはなかったからね。むしろすずかがさせなかったと言うべきか」

 本来、魔女は同一の結界の中に存在しない。各々のテリトリーに潜み、その中に迷い込む人間を絶望に誘う。どのような性質をもっていようと、その魔女の本質には違いはない。

 だが今の海鳴市にいる魔女は違う。強大な魔力にあてられ、さらなる力を求める野獣と化している。現になのはの前にいる魔女たちは、彼女のことなど一切気にせず、力を得るために目の前の魔女を喰らい、そして喰らわれている。

 そのあまりにも醜い光景を目の当たりにして思わず口元を抑えるなのは。互いに喰い合う魔女の姿そのものが気持ち悪いのではない。その際限なく力を求めるという在り様。その歪さになのはは吐き気を催したのだ。

 それでも決して視線を外そうとしない。胸の奥から込み上げてくる吐き気に耐え、ただじっとその光景を目に焼き付けていた。

「……わたしはあの魔女たちのことを否定しない。だってそれは、すずかちゃんの願いも否定しちゃうことになっちゃうから」

 なんとか吐き気を飲み込むと、なのははそう言って魔女へ向かって一歩ずつ近づいてく。より間近でその光景を脳に焼き付けるために。

「なのは、どこに行くんだい? キミをここに連れて来たのは、すずかが見てきた光景を見たいと言ったからだ。いくら魔法少女となってさらなる力を身につけたと言っても、キミはまだ魔法少女としては半人前。その初陣にしては、ここにいる魔女の大群を相手にするのは聊か厳しいんじゃないのか」

 キュゥべえはなのはを心配して声を掛ける。尤も、キュゥべえが心配しているのはなのはの無事ではなく、彼女から回収予定のエネルギーに関してだ。なのはの素養、そして魔法少女になる時に叶えた願い。その二つを加味すれば、彼女が魔女になる時に発生するエネルギーの総量は想像がつかない。彼女一人でノルマ回収が達成できるとは思えないが、それでもキュゥべえにとって大きな一歩になることは間違いない。

「確かにキミは強い。魔導師として素晴らしい素養を持ち、その上で魔法少女になったんだ。まず間違いなく最上級の力を持つ魔法少女になれただろう。でもキミはまだ、その力の使い方をきちんと理解していない。そんな状態でこんな大群に戦いを挑むのは無謀なんじゃないかな?」

 だからこそ、キュゥべえもまた慎重にならざるを得なかった。なのはならあるいは、ここにいる魔女を殲滅させることも可能かもしれない。しかし万が一、こんなところで悪戯になのはを死なせて、その魂が絶望に染まる時に発生するエネルギーを回収し損ねるようなことになれば、それはキュゥべえにとって大きな損害である。それ以外にも、いずれジュエルシードを全て手に入れる上でもなのはという戦力は絶対に必要になってくる。それ故の言葉だった。

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。わたしは魔女なんかには絶対に負けないから」

 しかしなのははその言葉に耳を貸さない。魔法少女になったことで自分の実力を過信しているというわけではない。このまま魔女を放置して逃げ出せば、新たな犠牲が生まれる。それが許せないからこそ、なのはは魔女の大群に戦いを挑むのだ。例え自分がどんなに傷つくことになったとしても、それで一人でも多くの命が救えるのならそれでいい。――そう、すずかがそうやってなのはたちの命を救ったように。



      ☆ ☆ ☆



 転送装置で地球に戻ってきた杏子たちが降り立ったのは、奇しくも四人の少女が一同に集まり、初めて管理局の存在を知ったいつかのビルの屋上だった。郊外どころか海鳴市の中心とも言うべき都市部に降り立ったことで、杏子はすぐに警戒態勢をとる。

 それとほぼ同時に彼女たちに襲いくるスティンガー。杏子はとっさにフェイトを突き飛ばし、アリサを抱えてその場から飛び退く。

 突然のことで驚きの表情を浮かべる二人だが、すぐに自分たちが管理局の罠にハマってしまったことに気付く。そうしてスティンガーが飛んできた方向へ視線を動かすと、そこには案の定、クロノの姿があった。

「……おいおい、随分と手厚い歓迎だな、クロノ」

「それはこっちの台詞だ。アースラに仕掛けられた君のトラップには本当に手を焼かされたよ」

 クロノは鋭い目つきで杏子を睨みつける。その視線には明確な敵意が込められており、この後、起きる展開は容易に想像できた。

「しかしアリサ・バニングス、どうして君までここにいるんだ? まさか杏子に人質にでもされているのか?」

「人聞きの悪いことを言ってんじゃねぇよ! こいつは自分の意志であたしたちについてきたんだ」

「……そうか。だが杏子、君はそれでよかったのか? 彼女をアースラから連れ出すということは、なのはの頼みに反することだ。そのことに君が気づいていないわけがないだろう?」

「なのはの頼み?」

 クロノの口からなのはの名前がでたことで、アリサは思わず口を挟む。

「なのはは僕たち管理局に君の保護を頼んだんだ。今の海鳴市は僕たちから見ても危険過ぎると判断せざるを得ない。そんな場所に何の力もなく、さらにいつ目覚めるかわからない君を置いておくことになのはが強く反対してね。特別扱いするわけでもないが、あの魔法少女に直接ダメージを与えられたということもあり、その頼みを聞くことにしたんだ」

「なのはが、そんなことを……」

 クロノから説明を受けて、アリサはその表情を沈める。それはなのはの思いを踏みにじってしまった罪悪感からではなく、彼女と自分との間に明確な距離があると改めて自覚させられたからだ。

 確かにアリサには何の力もない。だからって彼女一人、避難させて自分は海鳴市に留まり続けている。その事実がアリサにはどうしても許せなかった。

「それで、君はどうするつもりだ? もしアースラに戻るというのなら、すぐにでも転送させよう。だが、杏子たちについて行くというのなら……」

 そう言ってクロノはS2Uを構え、アリサに対しても敵意を飛ばす。それに怯むアリサ。そんなアリサの前に杏子とフェイトが守るように並び立つ。

「天下の執務官殿が民間人相手に殺気を飛ばすなんて大人げないぜ」

「わたしはアリサのことはついさっき知ったばかりだけど、彼女の気持ちはなんとなくわかるから、だからここで無理矢理連れさるなんて真似はさせない」

 二人はそれぞれに武器を構え、臨戦態勢をとる。もし二人が各々の目的を優先するのならば、ここはアリサを見捨てて逃げの一手を打つ場面である。そうすれば二人は間違いなくクロノから逃げ果せることができるだろう。しかしその選択肢は二人の頭にはない。

 アリサをすずかの死ときちんと向かい合わせ、なのはと会話させる。なのはとアリサ、二人の様子をみてきた杏子は、それが必要不可欠なことだと杏子は感じていた。ユーノだけではなのはを立ち直らせることはできなかった。そんななのはを立ち直らせることができるとしたら、それはもうアリサを置いて他にはいない。そしてそれはアリサにとっても同様だろう。だからこそ、二人をきちんとした形で向かい合わせる必要があると感じていた。

 フェイトは未だ、後悔の中にあった。あの時、すずかを無理にでも追いかけていれば。そしてあの結界の中を無理にでも進んでいれば、何かが変わっていたかもしれない。もちろん過ぎてしまったことは変えられない。しかしこれから起こることは変えることはできる。すずかが命を賭けて守ろうとしたものを、フェイトもまた守りたかった。

 考えは違えど、二人がアリサを守り、その想いを尊重したいという気持ちに変わりはない。

「あたしはあんたと一緒に帰ったりなんかしない。仮に連れ戻されたとしても、何度だって抜け出してやるわ!」

 そんな二人の強い想いに触れ、アリサは強く決意し、自分の意志をクロノに告げる。アリサは、何も知らないままでいるのが嫌だった。傍観者ですらなかった自分を置いて、親友二人が遙か遠くにいってしまっていた。それがどうにもたまらなく辛かった。

 しかし今にして思えば、アリサは無理に二人から事情を聞きだそうとしなかったことも事実である。それは下手に二人の秘密に触れようとしたことで、今の居心地の良い関係が壊れるのが嫌だったから。だからアリサは今でもなのはが魔導師になったことも、すずかが魔法少女になったことも知らないままだったかもしれない。それがどんなに恐ろしいことか、想像もしたくない。

 だがもう迷いはない。例えどんな危険が待ち受けていようとも、その結果、なのはとの関係が変わってしまおうともアリサは前に進み続ける。もう絶対、大切なものを零れ落とさないで済むように。

「……そうか。君の気持ちは十分に理解したよ。だが一つだけ忠告させてくれ。敵対している僕がこんなことを言うのもおかしな話だが、僕たちの戦いに巻き込まれないように気をつけてくれ。生憎と、僕も彼女らも君を気遣う余裕などないだろうからね」

 クロノがそう告げると同時に、周囲には管理局が創り出した結界が立ちこめる。ビルの眼下から聞こえてきた喧騒の音はなくなり、隔離された位相空間へと場所を移す。

「……フェイト、あたしがクロノとやり合っている間にこの結界を突破することって可能か?」

「もしこれが普通の結界ならできたと思うけど、きっとこれはわたしたちを逃がさないために管理局の人たちが創り出したものだから、そう簡単にはいかないと思う」

「ってことは、どうやらあたしたちがそれぞれの目的を果たすためには、ここでクロノを倒さなきゃならねぇってことだな」

 そう言って杏子たちは覚悟を決める。魔女相手ならば杏子の方が戦い慣れている分、クロノよりも優位に戦うことは可能だが、直接対決となると話は別である。自由自在に飛べるクロノに対して、杏子は基本的に地に足をつけた戦い方しかできない。さらに同じ魔導師でも執務官であるクロノとフェイトとでは、その実力に天と地ほどの差があることも知っている。

 だがそれでも、杏子は足掻く。もしこれがクロノと一対一の戦いならば、逃げるための策を考えただろう。しかし杏子には秘策があり、さらに横にはフェイトが立っている。この状況ならば、クロノを出し抜くことは十分に可能だろう。

「戦う前に一つだけ約束しろ。あたしたちが勝ったら、この場は素直に結界を解いてあたしたちを見逃せ。クロノを倒しても結界が解けないまま閉じ込められるとかになっちまったら、あたしたちとしても溜まったものじゃないからな」

 だからこその条件提示。クロノを倒した後、結界を破る魔力が残っている保証はどこにもない。それ故に杏子は確実にクロノを倒せばこの逃亡劇が終わる保証が欲しかったのだ。

「その条件を飲んでも構わないが、その代わりにこちらからも一つ条件をつけさせてもらう。僕が勝てば君たちの知っている情報は全て開示してもらおう。もちろんそれは杏子だけじゃなく、フェイトも同様だ」

「……あたしは別に問題ねぇが」

 そう言って杏子は並び立つフェイトをチラリと見る。正直、杏子はフェイトがこの条件を飲むとは思えなかった。フェイトが自分の目的のためにその身を犠牲にしてまで戦ってきたのは、杏子も知っている。そしてその情報を不用意に開示しようとしないのもおそらくは母親のためだろう。二対一とはいえ撒ける可能性がある以上、この条件をフェイトが飲まない可能性もあると考えていた。

「わたしもその条件で構いません」

 だが実に呆気なく、フェイトもまたその条件を了承する。

「……いいのか?」

「構いませんよ。だってわたしたちが勝てばいい。それだけの話なんですから」

 思わず確認をした杏子に、フェイトは力強い笑みを見せる。それを見て目を丸くした杏子は、次第に腹の底から笑いが込み上げてくる。

「……ぷっ、あーっはっはっは! そうだな、その通りだぜ、フェイト。やっぱお前は最高だぜ!!」

 そうして一頻り笑った杏子は、アリサに視線を移し、声を掛ける。

「フェイトがここまで強気な発言をしたんだ。これで負けるなんてありえねぇからな。だからアリサ、お前は安心してあたしたちの戦いをその目に焼き付けてろ」

 そうして戦いの火蓋が切られる。先ほどのような逃げるための戦いではなく、倒すための戦い。だからこそ杏子は出し惜しみせず、最初から全力でクロノに挑んでいった。



     ☆ ☆ ☆



 なのははレイジングハートを握り、バリアジャケットに身を包み、魔女たちへと戦いを挑んでいく。魔法少女になったからといって、なのはの基本的な戦闘スタイルは変わらない。高威力の魔法で敵を殲滅する砲撃型。レイジングハートの先から放たれる魔弾によって、魔女が次々と打ち抜かれていく。

 今までのなのはの砲撃ならば、それだけで倒すのは難しかっただろう。ディバインバスターを溜め打ちすれば今までのなのはでも可能だっただろうが、今の彼女が放っているのはディバインシューター。それも拡散性が高く、一発一発の威力が通常のものよりも劣るバリエーションだ。それなのにも関わらず、通常の魔女はその一撃で身体を貫かれ消滅していった。

 それはキュゥべえと契約したことで、なのはの持つ基礎魔力が大幅に向上したからだ。また連射速度、射撃精度についても同様で、なのはは三十発近いディバインシューターをほぼ同時に放ち、そのすべてを確実に魔女に命中させていた。

 もちろんそれだけでは倒せない魔女もいる。すでに他の魔女を喰らい、力をつけた他よりも一回りほど大きな魔女。言わば大魔女とも呼ぶべきそういった魔女は、なのはの放つディバインシューターを気に留めることなく、未だに他の魔女を喰らっていた。

 その中でも一際、大きな魔女がいた。三十メートルはあるであろう大きな巨体。しかしその身体つきに整合性はなく、その身体は様々な生物を無理やり縫い合わせたようなものだった。その腹には通常の魔女なら一口で飲み込めてしまいそうな大きな口があり、他の魔女を捕まえては、まるでポケットに物をしまい込むように放り込み続けていた。

【なのは、早くあの大きな魔女を倒すんだ。これ以上力をつけられたら、手に負えなくなる】

 そんな大魔女の姿を見て、キュゥべえはなのはに指示を飛ばす。すでになのはの実力はすずかと同等かそれ以上だ。それは彼女の願いの産物でもあるのだが、なのはにはまだ伸び代が十分に残されている。

 その証拠にこの戦闘で彼女が使った魔法は全て魔導師としてのものだ。移動に使っている飛翔魔法も攻撃の手段として放つディバインシューターも、魔法少女としての力ではなく魔導師としての力だった。

 魔法少女になったものは、自分の願いが叶うと同時にいくつかの力を授けられる。それを一括りに魔法と呼んでいるが、そうして手に入る力は千差万別。他者を拘束する魔法、傷を癒す魔法、幻影を作り出す魔法、時を止める魔法、未来を視る魔法。その願いによって少女が手に入れる魔法は大なり小なり違いはあるが、例外なく全ての魔法少女にはそうした力が与えられていた。

 だが未だ、なのははその一切を見せようとしない。こちらの攻撃にびくともしない相手にも、頑なに魔導師としての魔法を使い続ける。隙をついてディバインバスターなどを放っていたりもするが、それでも大魔女はびくともせず、魔女を喰らい続けていた。

【なのは、キミはもしかして魔法少女としての戦い方がわかっていないんじゃないのかい?】

 そんななのはの姿を見て、思わずキュゥべえが尋ねる。今まで魔導師として魔法を振るってきた弊害。ほとんどの魔法少女はキュゥべえと契約した瞬間、本能的に魔法の使い方を理解することができる。しかしなのはは今まで、短いながらも魔導師として戦ってきた。それ故に身体に染みついてしまった癖が、彼女を砲撃魔導師としての戦いをさせていたのだ。

 もちろんそれだけでも彼女は以前より遥かに強い。キュゥべえと契約したことにより基礎魔力が向上し、放つ魔法一つひとつの威力も精度も上がっている。しかし今の海鳴市で戦い抜くには、その程度の実力では物足りない。せめて大魔女にダメージを与えられる程度の魔法を行使できなければ、この先の未来は存在しない。

【なのは、確かにキミの魔法少女としての素質は素晴らしい。それはボクも認めることだ。だけど満足に行使できなければ、それは宝の持ち腐れだ】

【……何が言いたいの? キュゥべえくん】

【なのは、ボクはね。キミに死んでほしくないんだ。今のキミに倒すことは無理でも、魔法少女としての力を使いこなせるようになれば、この程度の魔女を倒すことなんてキミには造作もないはずさ。だからここは退いて、ボクと一緒に魔法少女としての力を少しずつ覚えていこう】

【……そんなのダメだよ。今、あの魔女を倒せるのはわたしだけなんだから】

 必死に呼びかけるキュゥべえだが、なのはは聞き入れようとはしない。なのは自身、溢れんばかりの力を手に入れたことは自覚している。現にさきほどから放っているディバインシューターやバスターは、以前までとは比べ物にならない威力だ。それでも大魔女には傷一つ負わせることができない。

 だがそれでも、なのはは自分の力が目の前の魔女に劣っているとは思わない。なのはの内から溢れる炎のように熱い魔力。上手く外に出すことはできていないが、それを自由に解放することができれば、あんな魔女の大群など一撃で消し炭にできると確信している。

 しかし何度、念じてもなのはは自分の内にある魔法を上手く引き出すことができない。レイジングハートの先から出るのは、契約前と同様の桜色の砲撃のみ。それでも強くなったことには変わりないが、それでダメージを与えられない以上、意味がない。

「こうなったら……」

 焦りのあまり、なのはは大魔女の正面に躍り出る。そしてそのまま至近距離でディバインバスターを放つ。自分の持ち得る魔力を限界まで引き出して放たれるディバインバスター。それを真正面から放てば、無傷とはいかないはずだ。そう考えての行動だった。

 しかし無情にも、そんななのはの必死の一撃でも、大魔女に大したダメージを与えられなかった。ディバインバスターが直撃した部位には大きな穴が空き、魔女は低くうめき声を放っている。しかしその動きを鈍らせるどころか、なのはの存在に気付いた様子もなく手近な魔女を喰らい続けている。さらにそうして喰らって魔力を得たためか、なのはが作りだした傷は一瞬で回復してしまっていた。

「そ、そんな……」

 その無情な現実になのははショックを受けるあまり、レイジングハートをその場に落としてしまう。そのまま宙で茫然自失となり、その場に動きを止める。

 そうしてできた大きな隙。大魔女はなのはに注意を向けないものの、他の魔女もそうというわけではない。なのはの近くにいた魔女の一匹が触手を伸ばし、その身を自分の元に引き寄せる。

 触手から逃れようと必死にもがくなのは。しかしその手にはレイジングハートもなく、上手く自分の魔力を練ることができない。力任せに抜けだそうとしても、なのはは九歳の女の子。魔法少女になったことで身体能力が向上したといっても、高が知れている。もがけばもがくほど、なのはの身体に触手の棘が食い込み、脱出を困難にしていく。

 そうして徐々に引き寄せられる先にいた魔女は、大きく口を開きなのはを飲み込めるのを今か今かと待っている。そんな絶望的な状況に、なのはは死を覚悟し目を閉じる。その心の内は後悔で溢れていた。せっかく魔法少女になり、皆を守れる力を手に入れたはずなのに、誰も守ることができなかった。そんな後悔がなのはの心を絶望に染め上げる。

 だがそんな中、なのはは不意にすずかのことを思い出す。すずかは最後まで諦めなかった。自分がどんなにボロボロになろうとも皆を守り切った。そんなすずかが今のなのはの姿を見たらどう思うだろう。きっと軽蔑されるはずだ。

 皆に止められたのに魔法少女になり、誰も守れず死んでいく。それでは何の意味がない。なのはが死ぬ時、それはすずかのように誰かに希望を繋げる時だ。今のように絶望の果てに死ぬということはあってはならない。だから……。

「わたしに力を貸して、すずかちゃん!!」

 なのはがそう叫ぶのと同時に、魔女は触手を一気に動かし、なのはを口の中に引き込んでいく。そして口を閉じ、何度も咀嚼する。

 だが次の瞬間、その魔女の全身から大きな魔力の柱が立ち昇る。炎のように赤い魔力の柱。その発生源たる魔女は、その魔力に中てられ、その身を業火に燃やされ、一瞬で消し炭にされる。そんな燃え尽きる身体の中から現れる人型のシルエット。

 ――それはなのはだった。一本の杖を握りしめ、爆炎の中から舞い上がるなのは。その胸に紫色のソウルジェムを輝かせた姿は、先ほどまでとは、一線を画すものだった。



2013/7/14 初投稿
2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正



[33132] 第10話 ごめんね。……そして、さようなら その4
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/09/22 23:25
 杏子とフェイト、戦う上でどちらをより警戒するかと問われれば、クロノは杏子だと即答する。純粋な魔力だけを見れば、フェイトの方が遙かに上だ。それでも杏子の方が驚異と思えるのは、彼女の魔力の運用法が素晴らしいからに他ならない。杏子は一の魔力で十を為す。アースラの廊下内に張り巡らされたバリケードも、規模とは裏腹に消費魔力はそこまで多くはなかっただろう。彼女はほとんど無限に槍を生み出すことができ、さらにその魔法の性質は幻惑。自分の得意な魔法の組み合わせであるが故に、彼女の消費した魔力は微々たるものだったはずだ。

 さらに杏子がこの一週間、アースラで共に暮らしていたことも彼女を警戒する大きな要因だ。共に魔女を倒しにいくことはそこまで多くはなかったが、それでも全くなかったわけではない。また何度か模擬戦も行う中で、互いの手の内をいくつか見せてしまっている。もちろん全てを見せたというわけではないが、それは杏子も同じだろう。だからこそ、クロノは杏子の動きに細心の注意を払っていた。

 しかしそれでも杏子はあくまで魔法少女。魔法少女は基本的に空を飛べない。彼女たちの戦いの舞台は閉ざされた魔女の結界の中である。結界内という四方八方が壁に囲まれた空間では、飛ぶ必要がそもそもないのだ。

 そして結界内とはいえ、ここは屋外。空を飛べぬ魔法少女が、空を駆ける空戦魔導師に勝てる道理などない。模擬戦の時は飛翔魔法を使うのを遠慮していたクロノだったが、実戦でそんな遠慮は無用の産物である。故にクロノは魔法少女には手の届かない上空で戦い、遠距離魔法で杏子を追い詰めていくつもりだった。そうなれば目下の相手はフェイトのみ。彼女の魔力量も恐るべきものではあるが、同じ魔導師である以上、純粋な技量で自分が劣っているとはクロノは露ほどにも考えていなかった。

「接近戦はあたしがやるから、フェイトは中距離から援護を頼む」

 しかしそんな安易なクロノの考えは、いとも簡単に崩れ去る。――杏子は今、その身を空に浮かべていた。それもただ身体を浮かべるだけに留まらず、まるで風になったかの如くクロノに迫り槍を振るう。それをクロノはS2Uやシールドを使って守ってはいるが、それでも驚きを隠すことができなかった。

「杏子、いったいいつの間にそんなに速く飛べるようになったんだ!?」

「そんなの一々覚えてねぇよ。ただ一つ言えるのは、これも努力の産物って奴だ」

 杏子が今、使用しているのは魔法少女としての魔法ではなく、魔導師としての飛翔魔法である。何故、彼女が魔導師の魔法を使えるのかというと、その理由は至極単純でクロノたち管理局に教わっていたからである。

 管理局に協力する上で杏子が提示した条件は三つ。一つは管理局の指示に従うかどうかの判断は杏子自身に任せること。管理局が恒久的に味方でいるのかわからない以上、この条件は杏子としては当然の主張だった。

 もう一つがなのはを戦いに巻き込まないこと。なのははゆまの道しるべになってくれた恩人だ。また彼女にはきちんとした家族がおり、戦う必要性など皆無なほどに幸せな日常を満喫している。魔法少女ならば別だが、そうでない以上、彼女がこれ以上、戦いの場に出てくることに抵抗を感じていた。

 そして最後の一つが魔導師の魔法を伝授してもらうことだった。自分の知っている魔法とは違う魔法体系。それを身につけることができれば、戦いの幅は確実に広がる。だからこそ、杏子はそんな管理局の魔法を盗めるだけ盗んでやろうと考えていた。

 もちろんミッドの魔法を全て使えるようになりたかったわけではない。すでに杏子の戦闘スタイルは完成している。そこに下手な魔法を混ぜ込んで、自分の持ち味を殺してしまうのは杏子としても望むところではない。

 だから彼女が望んだのは飛翔魔法とバリアジャケット生成、そしてミッドの幻影魔法の三種類であった。特に飛翔魔法に関しては、それだけで大幅に戦いの幅が広がり、それ以外にも有用性があると考えて、優先的に教わっていった。

 元々魔法を使い慣れていたこともあり、杏子はすぐに飛べるようになった。しかし空を飛ぶのと空戦をするのとでは、まるで違う。武具を使った攻撃に重さを持たせるには、地上で同様な動作をするだけでは足りず、平面的な視覚ではなく空間的な視覚を得ることができなければ、敵の攻撃を避けるのも難しい。管理局の空戦魔導師が陸戦魔導師に比べて少ないのも、そういった技術面での難しさが主な理由だ。

 しかしクロノに立ち塞がる杏子は、すでに飛翔魔法を完全に自分のものとしているようで、その攻撃にも確かな鋭さがあった。実際に杏子に飛翔魔法を教えていたクロノが知る限り、杏子は飛べるといってもこれほどの速度で飛ぶことはできなかったはずだ。今にして思えばそれが杏子の演技だったというのは明白だが、何とも恐れ入る話である。

 それでも彼女が飛翔魔法を覚え始めてからまだ一週間しか経っていない。そのため動きの端々に精彩さを欠き、ほとんど直線的な動きしか取れていない。だが今までの杏子の態度やチ戦い方を考えれば、そんな単純な動きはクロノを誘う罠であるという可能性も否めない。だからこそクロノは迂闊に杏子の隙を突くことができなかった。

 それに隙を突こうとしても、後方で控えたフェイトからの援護射撃にクロノの動きは阻害されていた。もしこれが杏子ひとりだったとしたなら、簡単に組み伏せることは可能だったが、空戦に慣れている魔導師が後ろに控えているということが、クロノを前に踏み込ませるのを躊躇わせていた。

 そんなクロノを杏子は攻め続ける。彼女お得意の幻影魔法、ロッソ・ファンタズマ。それは空を飛んでいようとも性能は変わらない。四人に増えた杏子は空を縦横無尽で駆け廻り、クロノを囲い込み、一気に畳みかけていく。分身はあくまで分身でしかないが、それでも視覚的に同時に攻められるというのは、それだけでプレッシャーになる。クロノはその場で旋回しながら杏子の追撃を回避し、一体ずつ確実にスティンガーを打ち込んでいった。

 スティンガーに当たった杏子の分身は、それだけで露となって消え去る。一体、二体、三体、四体。スティンガーに打ち抜かれた四人の杏子はそのいずれもが例外なく消滅した。だがはじめからそれが予想通りだったかのように、クロノは誰もいないはずの虚空を見つめて言い放つ。

「分身だけでは僕は倒せないぞ、杏子」

「……チッ、バレていたか」

「君のことだから、素直に正面から攻めるなんてこと、あり得ないと思っただけさ」

 クロノにとって予想以上の実力を見せつけた杏子だったが、それでも攻めきることはできなかった。杏子が管理局でクロノの戦い方を学んでいたように、クロノもまた杏子の戦い方を見知っている。彼女は常に最善の立ち回りをしようとする。二手三手を読み、相手に隙を作らせ攻め立てる。大雑把なように見えてとても繊細な性格だということを、この一週間でクロノは理解していた。

 今回の場合もその例を外れない。杏子は自身のリスクは最低限に最大限の効果を生み出す。それが杏子の戦術の組み立て方だ。それをきちんと理解してしまえば、その策を読むのは実に容易かった。

「…………」

 クロノの一言でそんな自分の癖のようなものを見抜かれていることを悟った杏子は内心で焦る。フェイトの支援があるからこそ良い勝負になってはいるが、もしこれが一対一の戦いだとしたら、すでに決着がついていただろうことは杏子も理解していた。飛翔魔法を使えるようになったとはいえ、杏子にとってのまともな空戦はこれが初めて。それに対してクロノは百戦錬磨の空戦魔導師だ。その経験の差を埋めるのはほぼ不可能に違いない。

 もし何のリスクも考えずに勝利することだけを考えるのなら、空戦に慣れているフェイトを前面に出し、杏子が支援するという戦い方が理想的だろう。しかしクロノの一番の目的はあくまでフェイトを捕えることである。管理局にとっては杏子とアリサを逃がすことになったとしても、フェイトだけは捕まえたいと考えているはずだ。フェイトが前に出ることで確実に勝てる保証があるのならまだしも、そうでない現状では取れるべき戦い方ではない。

 しかしこのままではジリ貧であることも間違いない。今はまだ、フェイトのアシストもあってか杏子の付け焼刃の空中戦が通用しているが、いつ打ち破られるともわからない。一気に攻め立てるべきか、このまま今の戦術で戦い続けるべきか。そんな答えの見えない問いに杏子はクロノを攻め立てつつも頭を悩ます。

 そんな思考に没頭している杏子の隙をクロノは見逃さない。クロノは杏子の死角を突くように多角的にスティンガーを生成し、追い詰めていく。慣れない空中戦ということもあってか、杏子はクロノの攻撃を受けきることができず、槍を弾かれてしまう。無防備なった杏子にクロノは止めと言わんばかりにブレイズキャノンを放つ。

 完全に杏子を捕えた一撃。しかしそれが杏子に命中することはなかった。直前で、フェイトが二人の間に割って入り、シールドで防いだからである。

「すまねぇ、フェイト。助かった。……だけどあんま前に出てくるんじゃねぇ。あいつはフェイトのことを狙ってるんだから」

 杏子は礼を言いながらフェイトに下がるように促す。だがフェイトは首を横に振ってそれを拒絶した。

「杏子、捕まることを恐れて今の戦い方を続けても、あの執務官には絶対に勝てない。だからわたしも援護だけじゃなくて前に出て戦う」

 戦いが始まってから杏子の援護に徹していたフェイトは、すぐに杏子の飛翔魔法が単調で粗いものであるということに気付くことができた。杏子が空を飛べたという事実に驚きこそしたが、今の杏子の空戦技術は、魔導師になり立てのなのはにすら劣るものだ。時間が経てば経つほど、クロノにその動きを見切られ、いずれは撃墜されてしまうだろう。

 それに今、この場にいるのはクロノだけだが、アースラ内にはまだ多くの武装隊員が待機している。もちろんその実力はこの場にいる者よりも遥かに劣っているだろうが、この戦いは決して二対一の戦いではないのだ。むしろ少数派なのはフェイトたちの方で、数の上でも圧倒的に管理局が勝っていた。

「杏子がわたしのことを心配してくれるのは嬉しいけど、でもそれで勝つことができなかったら何の意味がない。だからここは多少の危険は覚悟で一気に攻めよう。それぐらいしないと、きっとわたしたちの目的は果たすことはできないと思うから」

 数の上でも個々の実力でも、フェイトたちは管理局に負けている。そんな状況をひっくり返すには、リスク覚悟で短期決戦を挑むしかない。杏子もフェイトも、そしてこの戦いをただ見守ってるしかないアリサも、ここで負けるわけにはいかないのだ。

 だからこそ、フェイトは真っ直ぐ杏子の目を見て自分の意見を主張する。戦いの最中で敵から目を離すというのは愚の骨頂。だがそんな当たり前のことをフェイトが理解していないわけがない。それでもなお、杏子に強く主張したい想いがあったからこそ、フェイトは敢えてクロノから視線を外したのだ。フェイトが杏子の目を見つめたのは僅か一秒にも満たない時間だったが、それでも彼女の覚悟は十分杏子に伝わった。

「……そうだな。フェイトの言うとおりだ。あいつの実力はフェイトよりもあたしの方が解ってるはずなのに、どうかしてたぜ」

 フェイトの言葉に心動かされた杏子は、自分の頬を強く叩き気を引き締め直す。リスクを恐れていては何も手に入れることはできない。そんなことは言われずともわかっていたはずだ。それでも杏子は自分のこと以外のリスクを勘定に入れていなかった。

 杏子自身が危険な役回りをするのは構わない。しかしそれをフェイトやアリサ、いや二人だけではなくゆまやなのはに対しても無理を強いるような真似はしたくない。それ故に彼女は今までも無意識から矢面に立っていたのだ。

 もちろん、それで事が解決すれば問題ない。しかしクロノ相手ではそれは不可能だ。杏子自身、自分の空戦技術は未熟であると自覚しているし、何よりクロノは強敵だ。それなのに杏子は今まで、相棒であるフェイトを戦いの外側に配置していた。二対一という優位性を活かそうとしなかった。

「悪かったな、フェイト。ここからはきちんと力を合わせて、あの野郎をぶっ飛ばそうぜ」

 そのことに反省した杏子はフェイトに謝り、そして改めて共闘を求める。それを断る理由はフェイトにはない。杏子の言葉に満面の表情で頷いたフェイトは、バルディッシュをサイズフォームで構える。杏子も新しい槍を生み出す。そして二人は示し合わせたかのようにクロノに各々の武器を向け、突っ込んでいった。そんな二人の強い視線に晒されたクロノは、この後の激戦の予感を感じずにはいられなかった。



     ☆ ☆ ☆



 魔女の口の中に引き込まれたなのはだったが、全く絶望していなかった。先ほどまで感じられなかった力強い魔力の息吹。炎のように熱い魔力が、血のように全身を巡っていく。そんな今まで感じたことのない感覚に戸惑いつつも、これが自分の手に入れた真の力なのだと、なのはは如実に実感していた。

 そしてそれを爆発させるかのように、溢れんばかりの魔力が炎の柱となってなのはの身体から迸る。炎は魔女の体内を突き破り、天高く伸びていく。そんななのはの内から溢れ出る炎は、その身に纏ったバリアジャケットの色を塗り潰していく。純白だった白い生地は炎で焦げたような黒紫に、青空を彷彿とさせるブルーのアクセントは紫がかった牡丹色に、胸に象られたリボンは純紫色に、それぞれ変色していく。

 さらにその手の中に生み出される一振りの杖。レイジングハートに酷似してはいるが、カラーリングはバリアジャケットと同様に紫を主として作られた異彩の杖。初めて握ったはずなのにレイジングハート以上になのはの手に馴染み、凄まじい魔力を感じることができる。

「これが……わたしの新しい力」

 なのはは自分の内から生まれた杖を握りしめ、感慨深く呟く。通常、魔法少女の持つ武器には名前がない。それは彼女たちが魔力の続く限り武器を無限に生み出せるからだ。だが杖を握りしめた瞬間、なのはの脳裏に杖の名前が思い浮かぶ。煉獄の炎を操るほどの力を持つ最上級の悪魔。そこから放たれる敵を殲滅することが星の輝き。

「――ルシフェリオン」

 自然と口から漏れる杖の名前。初めて口にする言葉なのになのはの耳に馴染み、それでいて先ほどまで感じられなかったルシフェリオンの躍動を感じる。まるでなのはの呼びかけに呼応するかのように脈打つルシフェリオン。そこから感じられる力強い息吹が、なのはの願いがきちんと叶っていることを証明していた。

「ありがとう、すずかちゃん。……そして、ごめんね」

 なのははルシフェリオンの先端を魔女の大群に構えながら今は亡きすずかに感謝し、謝罪する。そしてその言葉が引き金となって、ルシフェリオンから砲撃が放たれる。今までのような桜色の光線ではなく、血のように紅い炎線。射線上にいた魔女を一瞬で蒸発させ、掠っただけのものもその全身を業火に染め上げていった。

 そんななのはの魔力に、今まで見向きもしていなかった多くの魔女たちが、なのはに向かって襲いかかる。だがなのははそれに一切慌てることなく、確実に一体ずつ撃ち抜いていく。ルシフェリオンの先端から放たれる炎の弾幕。最初に撃ったのがディバインバスターに酷似した砲撃だとするのなら、今回のはディバインシューターに似た灼熱の炎弾。速度はディバインシューターよりも若干遅いが、その威力には天と地ほどの差があり、触れた箇所から例外なく魔女の身体を燃やし尽くしていった。

 さらにそんな弾幕の合間を縫って、なのはは直接魔女の懐に潜り込み、ルシフェリオンで殴りかかる。そうやって殴られた箇所から炎が燃え広がり、魔女を絶命させていく。

 大半の魔女がそんななのはの直接攻撃と炎弾で滅することができたが、それを受けてもなお、まだ生存している魔女の姿もあった。それはいずれもすでに大量の魔女を喰らい、力をつけた魔女たちだった。もちろんダメージを与えられていないということはないが、それは決して致命傷ではなく、さらに一部の魔女に至っては、ダメージを負った部分を切り離し、そうして失った部位を手近な魔女を喰らい補充するようなものまでいた。ダメージを与えられていないわけではないので、こうして戦い続けていれば確実に魔女の数を減らしていくことができるだろう。しかしそれが結果として一体一体の魔女を強くしている。その果てに残る最後の一体がどれほどの強さになるのかわからない以上、早急に決着をつける必要があった。

 それ故になのはは一端、魔女たちから距離を取り、砲撃の態勢に入る。足元に赤い魔法陣が展開し行われる長距離砲撃の構え。以前のなのはなら、そこから放たれるのは間違いなくディバインバスターだろう。もちろん魔法少女になったことで、ディバインバスターの威力も上がり、その性質も炎熱属性に変わっている。――だがそれでもまだ足りない。ディバインバスターは主砲になりえても切り札とは言い難い。それは魔法少女となった今でも同じである。だからなのははずっとレイジングハートと考えていた未完成の収束魔法を使おうとする。戦いの中で霧散し、空気中に漂っている魔力の残滓。それをかき集めるだけかき集め、一発の砲撃に乗せることができれば果たしてどれほどの威力になるのだろうか。そんな発想から生まれたなのはとレイジングハートの二人で考えたオリジナルの魔法。

 元々、この魔法はすずかを説得するときに使うための切り札にするつもりだった。屋上での戦いで自分とすずかの実力差を痛いほど思い知ったなのはは、いずれ訪れるであろうすずかとの再戦に備え、何かしらの切り札を用意しておこうと合間を縫って魔法の練習を行い続けていたのだ。結局、その機会は二度と訪れることはなくなり、この魔法も未完成のまま放置することになったが、それでも今、この場で魔女を一気に一掃するにはこの魔法しかないと考えていた。

「……ぐぁ、あああアアーーッ!!」

 だが、ここでなのはにとって予想外のことが起こる。今、この場に霧散している魔力のほとんどは魔女が残したものだ。魔女は千差万別な性質を持つとはいえ、その根底にあるのは等しく絶望。そんな絶望的な魔力がなのはの身に集まり、その精神を汚していく。

 ただでさえ未完成の魔法の上に、彼女の手に握られているのはレイジングハートではなくルシフェリオン。魔力の制御が大変なのに、それを自分ひとりの力で為さねばならないために、負担がなのはの全身に襲いかかる。

 それでもなのはは魔法の発動を止めようとはしない。魔女の与える絶望に負けないために、歯を食いしばり魔力を集中させていく。ルシフェリオンの先端に、徐々に黒い魔力が集まっていく。そんな魔力の収束に、魔女たちは引き寄せられるように近づいてくる。

 なのはは何とか、すべての魔女を射線上にいれようと、魔女たちがギリギリの距離に近づいてくるまで必死に耐える。耐えながらなのはは、やはりすずかのことを思い出していた。

 なのはが最後に見たすずかのソウルジェムは、とても澄んだ色をしていた。それは彼女が全く、絶望していなかったことを意味する。自分の死を前にしてすずかはその胸に一片も絶望を抱いていなかった。何故、すずかがそこまで澄んだ気持ちでいられたのか、その答えは未だになのはにはわからない。

 それでもなのはは、すずかの意思を継ぐと決めたのだ。だからこれしきの絶望でソウルジェムを汚されるようなことはあってはならない。なのはが絶望するとしたら、それはすずかの意思を果てせなかった時だけだ。

「――スターライトブレイカー!!」

 だからなのはは放つ。絶望を乗せた滅びの魔法。平和を守るために、この場にいる魔女を全て屠るために。殲滅の星光と呼ぶべき魔法を――。



     ☆ ☆ ☆



 結界の中に入り込んだ織莉子は、そこで魔女の大群と戦うなのはの姿を目撃していた。炎の柱から現れたなのはは以前とは異なる出で立ちで、魔力光どころか魔力の質そのものが違う。それを見て織莉子はすぐになのはがキュゥべえと契約し、魔法少女になったことを察する。

 だがそれでもわからないことがある。それは彼女から発せられる魔力がすずかとほぼ同質のものという点だ。いくら魔法少女として契約したからといっても、魔力の資質が変わるわけではない。キュゥべえの行う契約によって、魔力が解放されることはあっても、その本質は生まれ持ったもののはずだ。

 しかし今のなのはから感じられるのは、紛れもなくすずかの魔力である。もちろんなのは本来の魔力が全く感じられないわけではない。結界の外にいた時にはわからなかったが、微弱ながらもなのは自身の魔力も感じられる。しかし今のなのはが纏っている魔力の大部分はすずかのものだ。それが織莉子には不思議でしょうがなかった。

「やぁ織莉子、さっきぶりだね」

 そんな織莉子にキュゥべえが声を掛ける。気付いた時には織莉子の足元にいたキュゥべえだったが、織莉子はそのことに動じず言葉を返す。

「そうは言っても、貴方はさっきまで一緒にいた貴方ではないのでしょう?」

「まぁね。でも気持ちの問題さ。ボクの主観ではほんの一時間前までは一緒にしゃべっていたのだからね。織莉子から見ても、ボクたちには個体差はないのだから似たようなものだろう?」

「確かにそうね。……しかし同じ町の中で違うキュゥべえを目撃することになるなんてね」

 いくらキュゥべえが個体間で意識を共有しているといっても、その肉体の数には限りがある。生半可な数ではないのだろうが、それでも地球全土で活動するとなると、一つの町に複数の個体を置くというのはあまり効率的ではないだろう。

「本来なら予備の肉体はあまり動かさないんだけど、この町にはジュエルシードと魔導師っていうイレギュラーがあったからね。魔女の数も格段に多いし、とても身一つじゃ状況を把握しきることは不可能なんだよ。それにこの町ではやらなければならないことも多いしね」

 キュゥべえの話を聞いて織莉子は納得する。今の海鳴市の状況を考えれば、キュゥべえの行動も理にかなっているのは間違いない。織莉子とて、もし身体が複数あるのなら、同じようにしていたらだろう。

「ところで織莉子、キミはフェイトを探していたんじゃなかったのかい?」

「そうだったのだけれど、気になる魔力を感じてついね」

 そう言って織莉子は戦うなのはに視線を戻す。炎を纏った砲撃を放つなのは。三十にもおよぶ炎弾はその数だけ魔女を燃やし、その大多数を絶命させていく。

「もしかしてそれは、なのはから発せられるすずかの魔力について言っているのかい?」

「……やはり貴方はその理由を知っているのね」

「もちろんだよ。だってなのはがすずかの力を得たのは、ボクと契約したおかげなんだから」

 そんな前置きと共に、キュゥべえはなのはの部屋を訪ねた時のことを思い出す。なのはの願い。それはキュゥべえにとっても予想外で理解できないものだった。



     ★ ★ ★



「――わたしの、わたしの願いは、すずかちゃんの意思を継ぐこと。すずかちゃんが繋いでくれた希望を絶やさず、未来へ繋いでいくための力。そのための力が欲しい」

 なのはの口から語られた願いに、キュゥべえは思わず首を傾げる。

「意外だね。ボクはてっきりすずかの蘇生を望むと思っていたのに」

 事実、先ほどまでキュゥべえはなのはにすずかの蘇生を促すような発言をしていた。なのはの魔力資質ならば完全にとはいかないまでも、魔法少女としての力を持った状態ですずかを蘇生させることも可能だろう。

「……うん。本当はわたしもすずかちゃんに会いたい。でもすずかちゃんはわたしたちを守るために命を懸けた。そんなすずかちゃんの想いを汚すわけにはいかないから」

 だがなのははそれを願わなかった。すずかの蘇生を願うことは容易い。今この場でキュゥべえに望めば、すぐに叶う。しかしそれだけはやってはいけない。そんなことをすればすずかが皆を守るために命を散らしたという事実を汚してしまう。

 それにすずかを蘇らせたとしても、きっと彼女はまた命賭けの戦いに身を投じる。そうなればいずれ、すずかは二度目の死を迎えてしまうだろう。もちろん魔法少女となったなのはがそれをさせまいとするだろうが、いざとなればすずかは自分の命を躊躇なく切り捨てるはずだ。

 そんな姿、もう二度と見たくない。だからなのはは少しでもすずかの想いを引き継ぐ。彼女が繋いでくれた希望を絶やさないために。そしてすずかが何を想い戦っていたのかを知るために――。

 そんな心の底からの願いが叶い、なのはの胸のうちからソウルジェムが生まれる。なのはの魔力光と同じ、桜色のソウルジェム。身体の中から無理やり魂を引き摺り出されたような感覚に、なのははその場で蹲りうめき声を上げる。

「なのは、キミの願いはエントロピーを凌駕した。喜ぶがいい。これでキミも晴れてすずかと同じ魔法少女になれたわ……」

「嗚呼アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!」

 そんなキュゥべえの言葉を、なのはの叫びが掻き消していく。魔法少女が契約する時に生み出されるソウルジェム。その際に少なからず痛みを伴うのはキュゥべえも知っている。しかしそれにしては、なのはの苦しみ様は異常であった。そもそもすでになのはのソウルジェムは体外に放出されている。だがそれでもなのはの胸の苦しみは収まらない。

 そしてそれに呼応するかのように、なのはのソウルジェムにも変化が訪れる。桜色だった彼女のソウルジェムが血のような赤紫色に塗り潰され、さらにその形状も徐々に変化させていく。体外から出た当初は確かになのは特有の輝きを持つソウルジェムだった。しかし今のなのはのソウルジェムは、すずかのソウルジェムに酷似した色と形に変貌していた。それに伴い、そこから感じられる魔力もまたすずかのものとも錯覚できるものに変わっていった。

「……これは、いったい?」

 ソウルジェムの形が変わるのは、キュゥべえが知る限り、魔法少女が絶望し魔女になる瞬間のみである。それは一万年という長い時の中で、今まで一度も観測したことのない現象だった。それ故にキュゥべえは目を輝かせる。魔導師が魔法少女になることでこのような変化が起きたのか、それともなのはの願いのもたらした結果なのか、それはまだキュゥべえにもわからない。

 それでもただ一つ言えるのは、彼女が過去に類を見ない魔法少女になったのには間違いないということだ。それ故になのはがこれから、どのような戦いをしていくのか、キュゥべえは最後まで見届ける必要があった。

「はぁ……はぁ……、ふぅ……」

「……大丈夫かい、なのは?」

 キュゥべえは徐々に息を整えているなのはに向けて声を掛ける。その声に反応し、なのはは立ち上がりながらキュゥべえを見降ろす。その目はまるですずかのように、血のような赤色に変化していた。

「……うん、大丈夫だよ、キュゥべえくん。それとありがとう。おかげでいろいろなことがわかったよ」

 そう言うと、なのはは目を瞑りながら、深呼吸する。そうして目を開けると、その瞳は元の色へと戻っていた。そんななのははレイジングハートとソウルジェムを手に取ると、そのまま部屋の窓を大きく開けて、遠くを見つめる。

「ねぇ、キュゥべえくん。今、この町には魔女がたくさんいるんだよね?」

「うん」

「それってジュエルシードの魔力に惹かれてやってきたんだよね」

「そうだけど、もうそれだけじゃあなくなってるよ。魔女が魔女を呼び、絶望を加速させ、それを糧に新たな魔女が生まれていく。もうこの町からジュエルシードが全て取り除かれたとしても、魔女が増え続けるのを止めるのは非常に困難だろうね」

「でもだからって、何もしないわけにはいかないよ。だってわたしはそのために魔法少女になったんだから」

 そう言ってなのはは扉に手を掛ける。

「なのは、どこに行くんだい?」

「決まってる。魔女がたくさんいるところ」

「魔法少女になった途端に実践かい? 確かにキミは魔導師として今まで戦ってきたけど、新しい力をいきなり実践で試すのは無謀だよ。まずはどのような魔法を使えるようになったのか、確かめないと」

「ううん、そんな必要ない。そんなことをしている暇があったら、一秒でも速く魔女を倒しにいきたい。だからキュゥべえくん、このあたりで一番、魔女の気配が濃い結界の場所を教えてくれないかな?」



     ★ ★ ★



「そんな経緯でなのはをこの結界まで案内したわけなんだけど、正直なところ冷や汗ものだったよ。確かになのはから感じる魔力は以前よりも遙かに強力になったけど、戦いの中でそれを上手く使いこなしてなかったからね」

「……それは、そうでしょうね」

 キュゥべえからなのはが魔法少女になった経緯を聞いたすずかは、その願いから生まれたなのはの力の源を悟り、表情を曇らせる。

「なのはの願いは月村すずかの意志を継ぐこと。だけどそれはあくまでなのはが口に出した願いに過ぎない。彼女が心の中で真に望んだのは、すずかのすべてを継ぐことだ。彼女の強さも、記憶も、その想いさえも。もちろんその全てを引き継ぐことができたとはボクにも思えないけど、それでも大部分のものを引き継ぐことができたのは間違いないと思うよ」

 もしなのはが普通に魔法少女の素養があるだけの少女だったのなら、すずかの意志だけしか引き継ぐことはできなかっただろう。しかしなのはの魔力資質は人一倍素晴らしいもので、さらに魔導師としての才能をユーノによって開花させられてしまった。魔法少女と魔導師という違いはあれど、なのはの身体はすでに自身の魔力に馴染んでいたのだ。

「本来、一人の人間には一人分の魔力しか存在しない。しかし今のなのはには自分の魔力とすずかの魔力の二人分の魔力が内包している。それはなのはが持つ器が大きかったからに他ならない。きっと彼女は、ボクと契約しなかったとしてもいずれはあれほどの力を手に入れたのだろうね。もちろん今すぐにというわけにはいかなかったのだろうけど」

「……そうね。彼女は非常に強い子だわ。でもまだ子供。だからこそ、貴方みたいなのに簡単につけ込まれてしまった」

「それは心外だね、織莉子。ボクはきちんとなのはの願いを叶えてあげたんだ。これは正当な取引だよ。もちろんその代償はきちんといただくつもりだけどね。それに織莉子、なのはを魔法少女にしたかったのはキミも同じだろう?」

 キュゥべえの言葉に織莉子は何も返さない。事実、織莉子はなのはの力を必要としていた。彼女の持っていた才能、それを使うことで滅びの未来を回避しようと考えていた。しかしそれでも、このような形で彼女に契約させることを望んではいなかった。

「ほら織莉子、いよいよクライマックスだよ。なのはの手に入れた力をその目を焼き付けるといい」

 そうして顔を曇らしている織莉子に、キュゥべえは告げる。その言葉を聞いてなのはの方に視線を戻すと、彼女は周囲に霧散している魔力を集め、最大級の攻撃を放とうとしていた。だがその砲撃は絶望で塗り固められた魔女の魔力を用いたものだ。威力だけを見れば破格なものには間違いないが、それで果たして救世を為すことが可能なのか。織莉子は甚だ不安で仕方なかった。

「――スターライトブレイカー!!」

 その言葉と共にルシフェリオンの先端から放たれる黒い閃光。すべてを飲み込む滅びの光。それは星の輝きというには邪悪で破滅的な光だった。彼女の小さな身体からは想像できないほど強大な魔力。それは大きなうねりとなって、魔女たちを飲み込んでいく。そしてそのまま結界の外壁部に激突し、結界内を大きく揺らす。

 轟音と共に崩壊し出す結界。砲撃の激突地点から徐々に罅が広がり、魔女の結界を突き破る。それは純粋な魔力のみで破れたのか、それとも結界内の魔女が全滅して自然と消滅したのかは定かではない。しかし結界を突き抜けたその砲撃は、思いも寄らない結果をもたらすことになる。



     ☆ ☆ ☆



 フェイトと杏子、二人のインファイターに攻め立てられ、意外にもクロノは防戦一方だった。フェイトの攻撃をかわしたと思えば、杏子の鋭い一撃が飛んできて、それを上手く防御してもフェイトからの追撃が振り下ろされる。二人ともパワータイプではなく、スピードタイプの戦い方を主としているが故に、その攻撃は苛烈を極め、クロノは攻勢に移ることができなかった。

 何よりクロノにとって予想外だったのは、二人の息が想像以上に合っていたことである。今まで二人が共闘したことは何度かあるが、共に前に出て戦うというような真似はしたことはない。至近距離の攻撃を繰り返すということは、よほど息のあった戦い方ができない限り、味方の攻撃にも注意しなければならない。

 だが二人はそんなそぶりを一切見せず、思い思いに攻撃を続けていた。それでも味方の攻撃があたるどころか、互いに動きを鈍らせるといったことすらない。

 何故、二人がこれほどまでに息の合った戦い方ができるのかというと、それは二人の戦いのルーツが他者と連携することに起因しているからに他ならない。

 魔法少女になったばかりの頃、杏子はマミに指示し、少なくない時間をマミと共に戦ってきた。マミは遠距離型ではあったものの、その時の経験は確かに今の杏子の中にも息づいている。今でこそ、一人で戦うことを好む杏子であったが、パートナーの動きを把握し、上手く協力して戦うことができたのは、その時の経験があったからである。

 さらにフェイトは元々、アルフとの連携を前提に戦い方を学んでいた。どちらかと言えば共にインファイターであることもあり、接近戦で連携する技術だけで言えば、フェイトの方が一日の長がある。そんな技術面で卓越した二人が目的を共にし、共闘すればこうなるのは当然の帰結であった。

 ……それでも二人はクロノを仕留めきることができなかったのは、執務官としてクロノが様々な危険な任務に従事してきたからだ。普段、クロノが戦う相手の多くは次元世界に蔓延る凶悪犯罪者。そんな犯罪者が非殺傷設定の魔法など使ってくるはずがなく、基本的には相手を殺すために放つ殺傷的な魔法を好んで使用してくる。それを上手く防ぎ、制圧する。それが執務官としての戦い方なのだ。そうした戦いを繰り返してきたためか、自然と守りに比重を置いた戦い方が自然と身に着いていた。

 攻めに特化した二人の少女と守りに特化した執務官。一進一退、終わりの見えない少女たちと少年の戦い。そんな戦いをアリサは固唾を飲んで眺めていた。アリサと杏子たちには距離があり、さらに素早い動きもあってか、アリサは目で追うことすらできなかった。

 それでもアリサは目を細めて、少しでも戦う姿を目に焼き付けようとする。杏子やフェイトが見せているのは、なのはやすずかが行ってきた戦いの一端だ。もちろん戦闘スタイルは違うが、魔導師と魔法少女という点では相違ない。だからこそ、アリサはビルの屋上から乗り出し、食いつくようにその戦いを眺めていた。

 ――しかしその戦いは、唐突に終わりを告げる。突如として響きわたる轟音。そしてどこからともなく飛び込んでくる黒い閃光。突然、現れた閃光が空中で戦闘中の三人を飲み込んでいく。

 そのあまりの光景にアリサの頭は真っ白になる。魔力を持たないアリサでもわかるほどの絶望的な魔力。アリサに向かって飛んできているわけでもないのに身が竦み、その場で肩を抑えて震え出す。

「助けに、行かないと……」

 それでもアリサは自由の効かない身体で足を踏み出す。魔法の使うことのできないアリサにできることなど高が知れている。しかしこのまま見て見ぬ振りなどできるわけがない。先ほどの黒い光が何なのかはわからないが、少なくともここまで自分を連れて来てくれた杏子とフェイトの無事を確かめずにはいられなかった。

 だからアリサは必死にビルの下へ降りていき、杏子たちが戦っていた場所へと向かって歩き出す。

「えっ?」

 だがその途中、アリサは思いもよらない形で親友との再会を果たすことになる。



     ☆ ☆ ☆



 砲撃が通った道筋には惨状だけが残された。幸い、管理局の作った結界が作用したことで現実世界に影響を及ぼすことはなかったが、そのことをなのはは知らない。少し周囲を見回せばここが魔導師の結界内であるということはすぐにわかるが、今のなのはには目の前の惨状しか目に入らない。魔力を浴びて砕けたビル街。多くの建物は崩れ去り、砲撃が直撃した箇所に至っては大きく抉られている。それを現実世界の光景であると認識しているが故に、なのははその場で力なく膝をついて悲観していた。

「これを、わたしがやったの?」

 砲撃を放った時、なのはは目の前の魔女を倒すことしか考えていなかった。魔女を放っておけば、いずれ多くの人が不幸になる。だからこそ、なのはは今の自分が持てる全力全開を以って、魔女を滅した。しかしその結果、壊滅的な都市部を見せられ、なのははすずかが自分たちの前から姿を消した理由を悟る。



 ――彼女は怖かったのだ。自らの手で平和を壊してしまうことが……。



 人間であることを止め、魔法少女としていきることを決心したすずか。その溢れんばかりの力を抑えきることができず、それ故に恐怖した。この力で誰かを傷つけることを。大切な人たちを傷つけてしまうことを。

 だからすずかは姿を消した。もしも小学校が結界に囚われることがなければ、すずかがなのはたちの前に姿を現すことはなかっただろう。

「ごめんね、すずかちゃん。ごめんね」

 その事実を知り、なのははその場で蹲り号泣する。自分が得たすずかの力。そのあまりにも大きすぎる力故への葛藤。それになのはは気づいてあげることができなかった。その悲しみに、彼女は涙を止めることができなかった。

「見事だったよ、なのは。まさかあれほどの力を手に入れるとはね」

 そんななのはにキュゥべえは声を掛ける。しかしなのはにはそんなキュゥべえの言葉は耳に入らない。有り余る悲しみの中にいるなのはには、キュゥべえなど眼中にはなかった。

「……なのはさん、安心なさい。ここはどうやら現実世界ではなく、擬似的な空間のようだから」

 しかしそれに次いで聞こえてきた声に、なのはは思わず顔を上げる。現実世界ではないという言葉の意味もそうだが、それ以上にその声を発する人物になのはは用があった。

「織莉子、さん?」

 そんな織莉子の姿を見て、なのははフラフラと立ち上がる。なのはにはどうしても確かめねばならぬことがあった。

「織莉子さん、キリカって人のこと、知ってる?」

 それはキリカのこと。結界内の戦いでキリカは何度も織莉子の名前を口にしていた。キリカはすずかを死に追いやった張本人だ。そんな彼女が織莉子の名前を何度も親しげに口にした。だから次に織莉子にあったときは、それを問いただそうと決めていたのだ。

「……もちろん知ってるわ。だってキリカは私の大切なパートナーだったもの」

 そんななのはの問いに織莉子は素直に答える。織莉子の力ではなのはには勝つことは不可能だ。それでもなお、織莉子が素直に答えたのは、なのはに対して負い目を感じていたからだ。すずかの死の引き金を引いたのは織莉子だ。すずかの力を甘くみて、彼女に近づいた結果、織莉子はキリカを失った。しかし元を質せば、織莉子が油断しなければこのような結末を迎えることはなかったのだ。

「……もう一つだけ答えてください。すずかちゃんが視た、あの未来の光景は本当のことなんですか?」

 なのはの問いかけ。それはすずかが織莉子の記憶を読みとった時に見つけた情景。最悪の魔女によって滅ぶ地球の姿。辺りには阿鼻叫喚が響きわたり、世界を飲み込む負の力。そんな倒れ伏す人々の中に立つ一人の少女。残忍な笑みを浮かべ、倒れた人々の頭を踏み潰す。その度に愉悦の表情を見せ、破壊の限りを尽くしていく。

「私にはなのはさんがすずかさんを通じて視った光景がなんなのか、正確なところはわからない。でもそれに近いことが起きるのは間違いないわ。多少の細部が変わったとしても、根底の事実は変わらない」

 なのはが視たという光景が正確にはどの未来のものなのか、織莉子にはわからない。だがそれでも、滅びの未来であることは間違いない。だからこそ、織莉子はその事実をなのはに突きつけた。

「それで、それを知ってなのはさん、貴女はどうするつもりなのかしら? 確かに今の貴女の力を使えば、あの未来を回避することができるかもしれない。だけど一歩間違えれば貴女自身の手で目の前に広がっている光景のような未来を作り出してしまう可能性もある。今回は幸いにも疑似的な世界に迷い込めたおかげで被害を免れることはできたけれど、それでも次も同じような幸運に見舞われるとは限らない。だからなのはさん、貴女は自分の力がどの程度のものなのかを理解しなければならない。そうしなければ、貴女自身が世界を滅ぼすことになりかねないのだから」

「わ、わたしは……」

 織莉子の言葉になのはは躊躇いがちに自分の意思を伝えようとする。だが視線の端に予想外の人物の姿を捕えたことでなのはは言葉を詰まらせ、反射的にその名を告げる。

「アリサ、ちゃん?」

「……なのは?」

 そうして互いに名前を呼ぶ二人。魔法少女として変わり果てたなのはと、アースラで眠っているはずのアリサ。二人はこうして再会したのであった。



2013/7/28 初投稿
2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正



[33132] 第10話 ごめんね。……そして、さようなら その5
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/09/22 23:26
「クロノ!?」

 アースラの管制室で事の成り行きを眺めていたリンディは、突然の出来事に思わず椅子から立ち上がり叫ぶ。突如としてクロノたちを襲った、超弩級な魔力砲撃。炎を纏った黒い閃光が結界内に現れ、そのまま戦闘中のクロノたちを飲み込んでいく。そんな光景を目の当たりにして管制スタッフは心中穏やかでいることはできなかった。

「――ッ!? 皆、すぐにクロノと杏子さんたちの無事を確認して」

 それでも感情を押し殺して、命令を下すリンディ。その言葉にエイミィをはじめとしたスタッフは冷静さを取り戻し、クロノたちの捜索を始める。キーボードを巧みに操り、サーチャーから送られてくる映像を次々と切り替えていくエイミィ。それからすぐに結界内に人影を見つける。初めはクロノたちかと思ったが、その人物の姿を拡大したエイミィは、思わず戸惑いの声を上げる。

「どうしたの、エイミィ」

「結界内に先ほどまではいなかった二名の人物を発見しました。おそらくは先程の砲撃を放ったものたちだと思われるのですが……」

 尋ねられたエイミィは、映像をアースラのメインモニターに映し出す。そこには二人の少女の姿が映されていた。

 一人は純白な衣装に身を包んだ少女。年の頃は杏子よりも少し年上のようだが、その身から漂う雰囲気は妙齢の女性のそれに近い。さらに映像からでも感じられる逸脱した雰囲気。実際に対面しているわけではないが、彼女が普通の魔法少女よりも遥かに高みにいるということが感じられた。

 そんな少女と一緒にいるもう一人の少女。それは管理局の人間にとっても顔見知りの相手だった。九歳という年齢には不釣り合いなほどの魔力を持つ現地の魔導師、高町なのは。バリアジャケットやデバイスの意匠は以前とは違ったものになっていたが、それでも彼女がなのはであることは間違いない。

「艦長、なのはちゃんの身体から発せられる魔力が劇的に向上しています」

「なんですって!?」

 しかしその身から溢れ出る魔力。それは以前とは比べ物にならないほどに向上していた。リンディが最後になのはの姿を見たのは二日前のことである。キリカの創り出した結界を抜け、すずかの死に嘆き悲しんでいる彼女。その時の彼女はこれほどの力を有していなかった。年齢を考えれば天才的な才能を秘めていたなのはだったが、それを加味しても今の彼女の魔力は明らかに異常である。純粋な魔力量もそうだが、その性質が以前とはまるで別人と思えるほど変貌している。通常、魔力の量が上がることはあっても、その性質が後天的に変わることはまずあり得ない。レアスキルという可能性も考えられるが、それを抜きにしてもたった二日の間にこれほどの変化を遂げたなのはにリンディは驚きを隠せなかった。

 どちらにしてもこの二人は先の砲撃に関係している。それは間違いないだろう。それでも、リンディとしてはあれをなのはが放ったとは思っていなかった。確かになのはの得意な魔法は遠距離からの砲撃だ。だが魔力の質、量ともに大幅に向上したといっても、それでも先ほどの砲撃には届かないだろう。クロノたちを襲った砲撃は絶望的な魔力に覆われており、とても個人の力で放てるような代物ではなかった。いくらかの力を得たとはいえ、それは九歳の少女が放ったものだと、リンディは信じたくなかったのだ。

 だがなのはは明らかに憔悴しきっている。それに対して白い魔法少女は温和な笑みを浮かべるのみで、息一つ乱していない。これではどちらが放ったのかは、誰の目から見ても明らかである。

「エイミィ、アースラ内の指揮系統を一時あなたに預けます」

 リンディの突然の言葉に、スタッフ一同は意味がわからず、茫然とした表情を見せるが、その中でエイミィがいち早くその言葉に秘められた裏の意味を気づく。

「艦長、まさか直接、なのはちゃんたちのところにいくつもりですか!?」

 リンディは自らなのはたちの前に赴き、話を聞くつもりなのだ。それも相手が抵抗するようならば、無理矢理拘束することも辞さない覚悟で……である。

「いくらなんでも危険過ぎます! あんな魔法を無尽蔵に撃てるとは思いませんけど、それでも今のなのはちゃんは味方かどうかわかりません。もし戦闘になったら……」

「……これは艦長命令よ、エイミィ」

 エイミィの言葉をリンディは鶴の一声で黙らせる。それを聞いてようやくエイミィは、リンディの様子が普段とは異なることに気付く。表情にはほとんど出ていないが――リンディは怒っていた。不意打ちでクロノたちに攻撃を仕掛けた相手に対しての怒り。もちろんクロノたちの身を案じる気持ちもあるが、それ以上にあの砲撃の真意を確かめ、場合によっては仇討ちしたいという感情を、隠そうとすらしていなかった。

「……わかりました。でも艦長、相手はあれほどの砲撃を放ったと思われる相手です。決して無茶だけはしないでくださいよ」

 そんなリンディの気持ちは理解できなくもない。フェイトはともかくとして、クロノとは訓練校の頃からの付き合いでもあるし、杏子ともたった一週間とはいえ一緒にクロノをからかった間柄である。エイミィだけではなく、他のスタッフもまた少なからず二人と接しているだろう。そんな二人が云われのない攻撃を受けて姿を消したのだ。リンディが怒るのも当然の話である。

 それ故にエイミィはこれ以上、リンディを止めることができなかった。彼女もまた、できることなら自身の手で問いただしたい。しかし彼女にできるのは、クロノたちを探すことだけである。それも現場に赴くよりもアースラの管制室から探した方がよっぽど効率が良い。だからこそ、エイミィは自分の想いもリンディに託して送り出すことにしたのだ。

「安心なさい、エイミィ。私だってこれでも若い頃は現場でぶいぶい言わせてたんだから」

 そう言ってウインクを浮かべたリンディは、そのまま管制室を後にする。それを見て頼もしく思うと同時に、一抹の不安を感じずにはいられなかった。


 
     ☆ ☆ ☆



 なのはとアリサ、その二人はあまりにも唐突な形で再会してしまった。それ故に互いになんて声を掛けてよいのかわからなかった。話したいことはたくさんある。しかし上手く声を発することができない。何から尋ねればいいのか。どこから話せばいいのか。話を聞けば怒るのではないか。そんな思いが二人の間に駆け巡り、話しかける勇気が持てなくなっていたのだ。

 ただ、お互いに上手く言葉にできないという状況は同じだが、実際のところその理由は大きく異なる。

 なのはの場合、反対されていたはずなのにそれを無視してキュゥべえと契約してしまった。それを後悔しているわけではないが、先ほどの戦いですずかがどうして自分たちの前から姿を消したのかを痛感したところである。もし今ここにアリサが現れなければ、なのはは二度とアリサの前に姿を現すつもりはなかっただろう。そんな彼女にはアリサに掛ける言葉などあるはずもない。再会してしまった以上、別れを告げる必要はあるが、そうすることで別れがさらに辛いものになるであろうことも、なのはは理解していた。だから口を開こうとすることすらしなかった。

 それに対してアリサは、先ほどから何度も何かを言い掛けては口を噤んでいる。なのはに聞きたいことは山ほどある。すずかのこと。先ほどの黒い閃光。隣にいる織莉子の存在。今でもアリサの脳裏には湯水のごとく、質問事項が次々と思い浮かんでいく。だが聞きたいことがあまりにも多いからこそ、アリサはどこから切り出すべきか考えあぐねていた。

「アリサさん、久しぶりね」

 そんな二人の様子に見兼ねてか、織莉子が声を掛ける。温和な表情を浮かべながら、アリサに微笑みかける織莉子。しかし今のアリサには、そんな織莉子の態度が不気味でしょうがなかった。

「あ、あんた、どうしてなのはと一緒にいるのよ!? まさかなのはに何かするつもりじゃないでしょうね」

 なのはに対しては消極的なアリサだったが、織莉子には強気な態度を見せ、警戒を露わにする。

 アリサが織莉子を敵視するのは、キリカが何度も織莉子の名を口にしていたのを聞いていたからである。それはあまりにも親しげで、まだ色恋をきちんと理解していないアリサにも、キリカの狂った愛情がありありと感じられた。少なくとも二人は知り合いで、もしかすれば織莉子もキリカのように悪い魔法少女かもしれない。そんな思いがアリサの中で渦巻いていた。

「安心なさい。私がなのはさんに何かをするということはないわ。仮に彼女に危害を加えようとしても、今の私の力では手も足もでないでしょうしね」

 しかしそんなアリサの視線など、織莉子は露とも思わない。いくら警戒したところで、アリサにできることは高が知れる。織莉子は自然体のままで、アリサの疑問に答えた。

「えっ? それってどういうこと?」

「アリサさんも見たのでしょう? 先程の黒い輝きを――。あれはね、なのはさんが放ったものなの。彼女がこの町に絶望をまき散らさんとする魔女を駆逐し尽くすためにね」

「う、嘘……。そんなの嘘よ」

 織莉子の口から告げられた衝撃の事実を、アリサは否定する。絶望的なまでの力を感じた黒い輝き。それがアリサの目の前で杏子やフェイトを飲み込んでいった。それを創り出したのがなのはだと、アリサは認めたくなかった。

「嘘よね、なのは? あたしは魔法についてそんなに詳しくないけど、それでもあれがなのはの仕業じゃないってことはわかる。だってあれは――」

 ――杏子とフェイトを飲み込んだんだから。そう続けようとして、アリサは言葉に詰まる。魔法について知らないことが多いからこそ、あれがなのはの仕業ではないと断言できない。そしてそれを肯定するかのように、なのはは表情を曇らせ、口を開いた。

「……ううん、織莉子さんの言うとおり、あれはわたしが放った魔法なの。結界の中にいる魔女を倒すために、魔女が使った魔力を利用して放った収束砲撃魔法、スターライトブレイカー。わたしがイメージしていたものとは、少し違っちゃったけどね」

 なのはがレイジングハートと共に練習していたスターライトブレイカーは、正にその名に相応しい星の輝きとも思えるほど煌めいた砲撃だった。彼女の魔力資質である桜色の輝きで放たれる眩き閃光。周囲で霧散した魔力を集めそれを一斉に放つという意味では同じだが、あくまで術者であるなのはの魔力が色濃く出るはずのものだった。

 しかしルシフェリオンを介して放たれた先ほどのスターライトブレイカーは違う。まだ不完全というのもあったのかもしれないが、あの時放たれたのは魔女の絶望の魔力を凝縮した塊だった。なのは自身の魔力をも蝕んだ黒い魔力。魔法少女になったことで加わった炎熱の魔力変換資質も交わりそれは当初考えていたスターライトブレイカーと呼ぶには異質過ぎるものへと変化していた。

「実を言うとね、わたしにもあんなに凄い魔法になるなんて思ってなかったの。確かにあの時、結界の中には魔女の魔力が充満していたけど、それでも一撃で全滅させることができるなんて思ってもみなかった。それに結界を突き破り、町を破壊することになるなんてことも、ね」

 差し詰めルシフェリオンブレイカーと呼ぶべき邪悪な砲撃。術者自身も蝕み、敵を全て消し炭へと変えたなのはの切り札とも言うべき収束魔法。敵の力に依存するという欠点はあるものの、それはすなわちどんな強敵が相手でも一度、放つことができれば撃ち勝てるということだ。

 しかし使いどころを誤れば、周りの惨状を引き起こしてしまうことにもなる。星を砕き、敵を塵と化し、文明を滅ぼす。ルシフェリオンブレイカーはそんな魔法なのだ。決して多用すべきものではない。今後は多少の被害が出る覚悟でも敵を倒さなければならない時にしか使うことはできないだろう。

「…………てよ」

「えっ?」

「どうして、そんな風になっちゃったのよ!? あたしが知っているなのははちょっと頑固なところはあるけど、どこにでもいる優しい女の子だったはずよ。それなのにどうしてこんな、こんな……」

 怒鳴りながらなのはの胸に掴みかかったアリサは、そのまま嗚咽を漏らして号泣する。その姿を見て、なのはの心が痛む。だがそれはアリサの言葉に対してではなく、これから自分がやろうとしていることをアリサに告げるのに対してだ。

 それでもなのはは意を決すると、アリサの肩を抱き、ゆっくりとその身を自分から離す。

「……ごめんね、アリサちゃん。でもね、わたしはもうアリサちゃんと一緒にはいられない」

 その言葉を皮切りに、なのははアリサの顔を真正面から見つめながら、この二日の間に何が起きたのかを包み隠さずアリサに伝える。すずかの死からはじまり、その意思を継ぐためにキュゥべえと契約し魔法少女になったこと。その力を試すために魔女が大量発生している結界の中に進んで入っていったこと。その中で自分の力を上手く使いこなすことができなかったこと。それでも危機的な状況で力に目覚め、自分の中にすずかの記憶と力が止めどなく流れ込んできたこと。

「アリサちゃん、今のわたしにはね、すずかちゃんの記憶もあるの。わたしがキュゥべえくんに願ったのは、そういうものだったから。だからこそ、わかるんだ。きっとすずかちゃんは誰よりも日常を愛していた。他愛のない平和な世界。その尊さを誰よりも理解していたらからこそ、身を粉にしてまで戦い続けることができたんだ」

 夜の一族として生まれ、普通の少女に憧れたすずか。本来ならば普通の女の子としては生きることすら難しかったかもしれないその生い立ちの中で、彼女に手を差し伸べてくれた二人の少女がいた。彼女たちと仲良くなったことで、すずかは普通の女の子としての人生を歩み始め、幸せの絶頂の中にあった。

 だがこの世界の平和が上っ面だけのものだった。それを知ったからこそ、すずかは普通の女の子である道を捨て、強くなることを願った。

「わたしはね、そんなすずかちゃんの意思を、想いを継ぎたいんだ。それがすずかちゃんに託された希望だから」

 すずかは希望の中で果てた。あの絶望的な状況の中で、すずかは希望を見出して死んでいった。それを決して無駄にするわけにはいかない。

「きっとアリサちゃんは納得しないと思う。だけどもう決めたことだから。だからアリサちゃん、今日でわたしとお別れしよう」

 それ故になのはは自分の決意をアリサに告げる。アリサと別れることが辛くないと言えば嘘になる。だがこれ以上、アリサを危険に巻き込むわけにはいかない。すずかがそうしたように、今度はなのはが平和のために身を粉にして戦う番なのだ。

「そ、そんなのダメよ。魔法少女になっちゃったことやあの黒い魔法のことは、済んでしまったことだからしょうがないけど、でもこのままなのはと離れ離れになるなんて、そんなの絶対に認めない」

 もちろんそんななのはの決意をアリサが受け入れるはずがない。涙を拭いながら、必死になのはと別れたくない気持ちをぶつける。

「……アリサちゃん、ごめんね。でもわたしはもう、決めたから」

「謝らないでよ! そりゃ、あたしに黙って魔法少女になったことは許せないわよ。でもね、あたしの前から勝手に消えることだけは許さない。すずかだけじゃなく、あんたまでいなくなったりしたら、あたしはこれからどう過ごせばいいっていうの!? また昔みたいに一人で冷めたお弁当を食べなきゃいけなくなるなんて、そんなの嫌よ!!」

 喧嘩から始まった三人の友情。互いの全てをぶつけ合ったからこそ、三人が固い友情で結ばれるまで、そう時間はかからなかった。しかしすでにそのうちの一人はもういない。そしてまた一人、アリサの前から姿を消そうとしている。そんなことにアリサが耐えられるはずがない。

「――そうよ! あたしも魔法少女になればいいんだわ! そうすればなのはとずっと一緒にいられる。……いいえ、それだけじゃない。すずかのことを望んで魔法少女になればきっと、また三人でいつも一緒にいることができる。それなら……」

 だからこそアリサは必死に考え、なのはと別れない方法を見つける。なのはが魔法少女になって戦いに赴くというのなら、アリサも魔法少女になればいい。魔導師と違い、魔法少女はキュゥべえと契約すれば簡単になることができるはずだ。そうすればなのはと一緒にいることができる。これほど完璧な考えはないはずだ。

「……それは無理だよ、アリサちゃん」

 そんなアリサの考えをなのはが一刀両断する。

「そんなことない! なのはやすずかにだってできたんだもの。あたしにだって……」



「ううん、アリサちゃんは絶対に魔法少女になることはできない。……だってアリサちゃん、今ここにいるキュゥべえくんのこと、見えてないんでしょ?」



「……えっ?」

 なのはの言葉にアリサは間抜けな声を上げる。そんなアリサを尻目に、なのはは自分の足元に視線を移し、声を掛ける。

「キュゥべえくんの姿を見ることができるのは、魔法少女の素養がある人だけ。キュゥべえくん自身が望めば、魔力のない一般人にも姿を見えるようにすることはできるけど、でも魔法少女になれないことには変わらない。そうだよね、キュゥべえくん?」

「そうだね。なのはの言う通り、彼女には魔法少女としての資質はない。資質のない子まで魔法少女にしてあげることなんてできないよ」

「……よかった。これでアリサちゃんはわたしたちみたいにならなくて済む。わたしたちみたいに平和な日常から抜けださずに済む」

 心底、安堵したような表情を浮かべるなのは。そんななのはの態度が、アリサにはまるで理解できなかった。

「な、なのは? 何を言ってるの? いったい、誰と話してるの?」

 それはアリサにキュゥべえの声が届いていなかったからである。今のなのはとキュゥべえのやりとりは念話やテレパシーといったものではなく、肉声で行われたやりとりである。にも関わらず、アリサにはなのはの声しか耳に入ってこない。そのことが彼女の魔力資質が零であることを意味していた。

 もちろん魔力資質がなくともキュゥべえと契約すること自体は可能である。キュゥべえが契約時に行っているのは、人間の魂に関する干渉だ。リンカーコアのような魔力精製機関はなくとも、人間には等しく魂が存在している。ソウルジェムの元になるのはそんな魂なのだから、その気になればキュゥべえは全ての人間、いや地球上に存在する全ての生物を魔法少女へと作りかえることが可能であった。

 しかしそれはキュゥべえにとって、メリットがまるでない。キュゥべえの目的はあくまで宇宙の寿命を延ばすこと。そのためのエネルギーを回収できない相手と契約する必要性は、キュゥべえには存在しなかった。

「アリサちゃんには見えていないと思うけど、わたしの足元には今、キュゥべえくんがいるの。アリサちゃんも織莉子さんから聞いて知っていると思うけど、魔法少女になるにはキュゥべえくんと契約しなければならない。でもキュゥべえくんの姿や声が見ることも聞くこともできなければ契約のしようがないよね?」

 なのはの指摘に覆しようのない事実を思い知らされたアリサは、その場で膝をつく。アリサは聡い子供である。だからこそ、なのはの言わんとする言葉に否が応でも気付かされてしまう。



「だからね、アリサちゃん。わたしはもう、アリサちゃんとは一緒にいられない」



 そうして再度、なのはの口から別れの言葉を告げられるアリサ。しかし最早、アリサにはなのはとの別れを止める手立てはない。無理やりなのはについていくことは可能かもしれないが、戦いの中でアリサが危機に陥れば必ずなのはは助けようとするだろう。あの時のすずかのように。そしてそれが結果的になのはの命を奪うことになるのだとすれば、アリサは決してついていけるはずがない。アリサにとってなのははもう、唯一無二の親友なのだから。

「……た、確かに、あたしは魔法少女になれないかもしれない。で、でもね、だからって、完全に姿を消さなくてもいいじゃない。ほら、たまにあたしの家に顔を出すとかすればさ。それならあたしがなのはの足を引っ張ることもないし……。そうよ、それがいいわ」

 それでもアリサは納得しきれるものではない。震える声でなのはに考え直してもらおうと、万に一つの可能性に駆けて必死に言葉を掛ける。それでもなのはの心が揺らぐことはない。

「わたしね、すずかちゃんがどうしてわたしたちの前から姿を消したのかわかったの。……きっとすずかちゃんは自分の力が大切な誰かを傷つけるのが怖かったんだ。すずかちゃんが手に入れたのは、平和を守るための力だけど、一歩間違えればそれは破滅の力に変わる。それを理解してたからこそ、すずかちゃんはわたしたちの前から姿を消したんだと思う」

「で、でもあなたとすずかは違う。そうでしょ?」

「ううん、同じだよ。さっきも言ったように今のわたしにはすずかちゃんの記憶がある。だからこそ、わかるんだよ。こうするのが一番正しいことなんだって。……それにね、アリサちゃん。きっとアリサちゃんがわたしの立場だったら、同じように姿を消すと思うんだ。だってわたしは、アリサちゃんに日常の中で生きていて欲しいと思うから。下手に関わって、それで危険に巻き込むような真似はしたくないから」

 漠然としか理解できなかったすずかの強さが今になって理解できる。純粋な戦闘能力だけではなく、戦いにおける覚悟の違い。平和を守るためならばその身を犠牲にしてでも戦い抜いたすずかと、ただただすずかに危険な目に遭ってほしくなかったなのは。これでは勝てる道理はない。

 そして今のなのはは、そんなすずかの矜持に近い位置にいる。魔法少女になり、すずかの想いを知ったことで抱いた感情。それは決して偽りのものでも、すずかから与えられたものでもなく、なのはの本心だった。

「アリサちゃん、わたしね、強くなるってことは、同時に人を孤独にするってことだと思うんだ。強過ぎる力は災いを呼び、それだけで平和を乱しちゃう。だからこそすずかちゃんは一人で戦って、苦しんで、慈しんで、そしてわたしたちを守って死んでいったんだ。……そして今のわたしにはそんなすずかちゃんと同じくらいの力がある。だからすずかちゃんの想いはわたしが背負う。わたしがすずかちゃんの分まで戦って、アリサちゃんの生きる平和を守る。――だからアリサちゃんとはもう会えない」

 そう告げるなのはの表情はとても健やかなものだった。これで今生の別れになるというのに、なのはは満面の笑みをアリサに向ける。それは自らの悲しみを隠す仮面の笑みだった。

「……ッ!!」

 そのことに気付きつつも、今のアリサにはなんてなのはに声を掛けたら良いのかわからなかった。もうアリサの言葉はなのはには届かない。なのはが頑固な女の子だということは、アリサが一番よくわかっている。だからこそ、その決意がとても固いもので、もうアリサには止めようのないことだと言うことをはっきりと理解してしまった。

「それじゃあアリサちゃん、わたしはもう行くね」

 そう言ってなのはは飛翔魔法を使い、上昇していく。それを見てアリサは慌ててなのはの元まで駆け寄る。だがその頃にはすでになのはは空に舞い上がっていた。そんななのはを必死に捕まえようとアリサは何度も飛び跳ねる。なのはが静止しているのは、地上から五メートルほどの高さだが、それがアリサには限りなく遠く、絶対的に越えられない距離だった。

「待って、なのは、行かないで! なのはァァァ!!」

「ばいばい、アリサちゃん。わたしがこんなこと言うの、勝手かもしれないけど、わたしたちのことは忘れて、アリサちゃんは平和な日常の中を生きて」

 必死になのはの名を呼んで、縋ろうとするアリサに、なのはは笑みを浮かべたまま少しずつ上昇していく。目元に込み上げてくる悲しみを堪えながら、せめて最後まで自分の笑顔を見てもらおうと必死に表情を作る。

「――残念だけどなのはさん。今はまだ、あなたを行かせるわけにはいかないわね」
 
 だがその時、なのはの身体は緑色のバインドに拘束される。それはなのはだけではなく地上にいたアリサや織莉子もまた拘束していた。突然の事態に驚くなのはたちと表情一つ変えない織莉子。そんな二人の視線の先にはリンディの姿があった。



2013/8/10 初投稿
2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正



[33132] 第10話 ごめんね。……そして、さようなら その6
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/09/22 23:28
 なのはが魔法少女になった経緯を説明し、それをアリサが顔面を蒼白にしながら聞いている。その様子をリンディは物陰から伺っていた。幸いなことに二人は油断しきっているので、この場で飛び出してもすぐに拘束することができただろう。しかし今のなのはの話はリンディにとって興味深い話だった。魔法少女になったことで劇的に魔力を底上げし、その力によって先の砲撃が放たれた。キュゥべえと契約するだけでこれほど劇的に魔力を上げることができるのかと、リンディは内心でとても驚いていた。

 彼女とて、魔法少女のことを全く知らないわけではない。たった一週間とはいえ、アースラには杏子が滞在していたのだ。その時に彼女から魔法少女についての話は粗方、聞けている。彼女がキュゥべえと契約した理由など意図して隠されている話もあったが、それでも大体のことは理解したつもりだった。

 しかしそれでも、なのはが契約したことによって手に入れた魔力は、リンディの想像を遥かに上回るものだった。おそらく元々、彼女が魔導師として稀有な才能を持っていたのも関係しているのだろうが、それにしたって今のなのはの魔力は異常である。まともにやり合えばリンディやクロノはもちろん、管理局本部にいる数多のエースでさえ今の彼女に勝つことは不可能だ。小手先の技術で撹乱することぐらいは可能かもしれないが、それだけでは二人の間にある純粋な魔力差を縮めることは到底、不可能であると感じられた。

 ――だがそれ以上に恐ろしかったのは、なのはの横にいる織莉子と呼ばれる魔法少女である。その身から感じられる魔力はそこまで多くない。良くて杏子と同等、下手をすればそれ以下の魔力しか感じられない。純粋な戦闘になればリンディ一人でも十分制圧できるレベルだろう。

 けれども彼女から感じられる雰囲気。それはなのはの持つ異常な魔力よりも際立って感じられた。何より彼女はリンディが隠れて様子を伺っているのに気付いている。おそらく近づいてきている段階で、彼女はその存在に気付いていたのだろう。それなのにも関わらず、彼女は静観を貫いている。念話でなのはに伝えている可能性もあるが、それにしては無警戒過ぎる。いくら底知れぬ魔力を身に付けたところで、なのははまだ九歳の少女なのだ。こちらに気付いているのならその挙動に現れる。それがないということは、織莉子はなのはに教えてはいないのだろう。

 リンディのことをなのはに伝えない理由、それがわからないうちは動くわけにはいかない。話の内容自体も興味深いものではあるので、リンディはじっとチャンスを待った。だがそうしているうちに二人の話も佳境を迎え、なのはがアリサの元から去ろうと飛び上がる。こうなるとリンディは動かないわけにはいかない。例え織莉子からどんな妨害を受けることになったとしても、今ここで彼女に去られて良い訳がない。そう思いリンディは手早くバインドをなのはたちに飛ばす。アリサはともかくとして、すでに空を舞っているなのはとこちらに気付いている織莉子には命中させられるかは賭けだったが、意外なことに二人とも呆気なく捕えることができた。

「リンディ、さん?」

 突然の拘束魔法に戸惑いの表情を浮かべながら、なのははリンディの名前を呼ぶ。そんななのはを地上に降ろしながら、リンディは言葉を返す。

「ごめんなさいね、なのはさん。でも管理局……いえ、私個人としてもあなたをこのまま行かせるわけにはいかないの。それにそっちのあなたもね」

 口調こそ和やかだが、リンディの目つきはアースラを出た時から何も変わっていない。底知れない二人を相手に警戒する気持ちもあるが、言外でその感情を二人に訴えていた。

「とりあえずどうして私たちを拘束したのか、その理由を聞かせてもらえるかしら?」

 しかし織莉子はそれを軽く受けながし、自らの疑問をぶつける。バインドで拘束されているはずなのに、織莉子の態度からはどこか余裕すら感じられる。それがリンディには不気味でしょうがなかった。

「決まってるじゃない。先ほどの砲撃。あの所在と目的を聞きたいのよ」

 それでもリンディはここに来た目的を果たさなければならない。すでになのはが砲撃を放った理由やその威力については、アリサとの会話を盗み聞きしたことでわかっている。だがまだ織莉子のことについては何ら触れられていないのだ。織莉子がどのような目的で動く魔法少女で、何故なのはがそんな彼女と行動を共にしていたのか。その理由を確かめなければならない。

 そのためにリンディはなのはに揺さぶりを掛ける。織莉子がどのような人物かわからない以上、ここは御しやすいなのはから崩していこうと考えたのだ。

「あ、あれは……」

 そんなリンディの考えなど読めるはずもなく、なのははその問いを聞いて表情を曇らせる。なのはにとってルシフェリオンブレイカーがもたらした惨状は、気軽に触れられて良いものではない。それ故に言葉を濁してしまう。

「貴女がどこから話を聞いていたのかはわからないけれど、あれはなのはさんが魔女を駆逐するために放ったのよ。他意はないわ」

 そんななのはに代わって織莉子が答える。もちろんそのことはリンディも知っている。だが今の会話で確かめたかったのは、そういうことではない。なのはを追い詰めた時、織莉子がどういった態度を示すのかを見たかったのだ。

 結果、織莉子は間髪いれずになのはを庇った。アリサとの会話の時に不用意に口を挟まなかったことから考えても、彼女がなのはを擁護する立場にいるのは間違いない。強大な力を持つようになったなのはと、その目的が一切不明でどこか常人とは違う雰囲気を持つ魔法少女である織莉子。その二人の組み合わせが今後、どのような災厄をもたらすことになるのか。それがリンディには不安でしょうがなかった。

「ずいぶんと険しい顔をしているわね。そんなに今の言葉が意外だったかしら?」

「……そうね。とても信じられるものではないわ」

「でも事実よ。あれはなのはさんの仕業。調べればすぐにわかることよ。今のなのはさんの魔力が、今までとはまるで別物になっているということがね」

「…………」

 織莉子の言葉にリンディは押し黙り、考え込む。リンディにはどうにも織莉子の考えが読めない。リンディが随分前からこの場にいたことに気付いていた織莉子なら、すでにルシフェリオンブレイカーを放った人物がなのはだということを掴んでいることは知っているはずである。それなのにも関わらず、敢えてそのことには気付いていない素振りを見せる織莉子に、リンディはどこか訝しむ。しかし彼女の言葉の一つひとつの真偽を探ろうとすればするほど、思考の迷宮に囚われてしまう。

「聞きたいことがそれだけなら、そろそろこの拘束を解いて欲しいのだけれど……」

「だ、ダメよ! まだあなたたちを逃がすわけにはいかないわ?!」

「逃がすって、別に私たちは貴女から逃げ出す理由はないじゃない。ねぇ、なのはさん?」

「ふぇ? えっと、はい、そうですね」

 いきなり話を振られたことで、なのはは間抜けな声を上げながら反射的に答えてしまう。だがなのはとしては逃げ出す理由は十分にあった。ただしそれはリンディに対してではなく、アリサからである。まだ先ほどのショックが抜け切れていないのか、アリサは嗚咽を漏らしながら咽び泣いている。しかしアリサは強い子だ。今は悲しみに暮れていても、すぐに立ち直りなんとかしてなのはを捕まえようとするだろう。その時に彼女の傍でバインドで拘束されているというのは、なのはには非常に不味いことだった。

「あら? そうとは言い切れないわよ。だってあなたたちはすでに私たちに攻撃を仕掛けているのだから」

 だがその次にリンディから発せられた言葉は、とてもなのはには無視できるものではなかった。

「……どういうことですか? リンディさん」

「もしかして気付いていなかったの? あなたの放った砲撃がクロノや杏子さんたちを巻き込んでしまったことに……」

「…………えっ?」

 リンディの口から語られた衝撃の事実に、なのはの頭の中が真っ白に染まる。事実を事実として受け入れることができず、茫然とした表情を浮かべるなのは。そんななのはに追い打ちを掛けるかのように、ずっと俯いて泣き続けていたアリサが言葉を口にする。

「……あの黒い光に杏子とフェイト、それに管理局の人が飲み込まれたの」

「う、うそ……」

「こんなことで嘘言ってもしょうがないじゃない!! あたしだって信じたくないわよ。あれがなのはの仕業だなんて!!」

 今まで放心状態だった分、感情を高ぶらせたアリサが叫ぶ。そんな切迫した態度だからこそ、アリサの言葉が真実だと悟り、なのははその表情を絶望に染め上げた。

 なのはは自分の力が恐ろしいものであると自覚していた。しかし今回は、幸いなことに誰にも被害を与えることなく済んでいたと本気で信じていた。

 だがその事実が根底から覆された。平和を守るために手に入れた力で知り合いを傷つけた。その事実を受け入れられるほど、今のなのはは強くない。急激にその魂が絶望に染まり始め、徐々にその呼吸を乱していく。

「なのはさん、気をしっかりと持ちなさい!」

 そんな絶望に囚われたなのはを織莉子は叱咤する。それは先ほどまで表情を崩さなかった織莉子が、初めて感情を露わにした瞬間だった。

「すずかさんの意志を継ぐというのなら、この程度のことで絶望に囚われてはダメよ。貴女は魔法少女が最終的にどうなるのか、それを知っていてこの道を選んだのよね? それなのにこんな簡単に諦めるの? 貴女が決心した想いはそんな軽いものだったの!?」

「……ッ!?」

 織莉子の言葉がなのはに叩きつけられ、その目に強い輝きを取り戻させる。すずかの名を出されたというのもあるが、それ以上に必死な形相で自分を励まそうとしている織莉子の態度が、なのはにはとても意外だった。

「……なのはさん、貴女がすずかさんの想いを引き継いだように、私にもやらなければならない使命がある。それを果たすためなら、私は何だってする。自分の命を捨てることはもちろん、最愛の人の死を利用することだってね」

 すずかの記憶を断片的に知ったことによって、織莉子たちとすずかの間でどのようなやりとりがあったのかを、なのはも把握している。すずかが織莉子を傷つけ、それをキリカが怨んだ。それがあの小学校で起きた事件の裏側である。

 元を正せば、すずかが負の感情を押さえきれなかったからこそ起きた悲劇。そのためなのはの中にはキリカの仲間である織莉子を怨む気持ちは露ほどもない。

「だからなのはさんが揺らぐ必要は何一つない。貴女はただ自分の思いのまま、真っ直ぐにすずかさんが守ろうとした世界を守ればいい。そのためならば、私はいくらでも力を貸してあげる。……そしてもし、誰かを犠牲にした絶望に囚われ、その魂の穢れを取ることができなくなったら、その時は私が殺してあげる。この世界を貴女に壊させないために――」

 織莉子の言葉はなのはの深いところまで響く。魔法少女になった以上、その先に待ち受ける運命は限られている。戦いの中で非業の死を遂げるか、絶望に囚われ魔女になるか。大抵の場合はそのどちらかである。戦いの中で死ぬのならまだいい。心残りはあるだろうが、それでもすずかのように自分の信念を貫いたまま死ねるのだ。それならばまだ救いはある。

 だが魔女になってしまえば、平和を守るはずに戦っていたはずなのに、今度はそれを壊す側に回ってしまう。それはなんとしても避けたかった。

 しかし織莉子と行動を共にするのなら、その心配はないだろう。彼女もまた世界の平和を求めている。そんな彼女だからこそ、妙な仏心を出して魔女化するのを見逃すような真似をするはずがない。

「それになのはさん、貴女の知り合いはまだ死んだと決まったわけじゃない。そうでしょう?」

 そう言って織莉子は微笑みかける。確かになのはの放った砲撃は非情に強力なものだった。しかしそれは放たれた直後の話。杏子たちの元に届くまで、ルシフェリオンブレイカーは魔女の大群を飲み込み、さらには結界を突き破っている。それでも非常に強力なものであったことには違いないが、速度や威力の大部分は削がれているはずである。それをあの三人がなす統べなく食らうはずがない。多少のダメージを負うことはあっても、命まで奪われているということはないだろう。

「そもそも、なのはさん。貴女は知っているはずよ。あの三人がこんなところで死ぬ運命にないということを」

「あっ……!?」

 その言葉を聞いて、なのはの脳裏に絶望の未来の光景が甦る。強大な力を持つ終末の魔女の前に為す術なく倒れ伏すなのはたち。その中には杏子やフェイト、クロノの姿もあった。それこそが、彼女らがこの場では死んでいない確固たる証拠となり得た。

「未来には絶望しか待っていないかもしれない。だけどそれが希望に転じることもあり得る。この場合、彼女たちの命は確かに半年後まで証明されているということよ」

 もちろん、織莉子は未来が不確定なものということを知っている。ちょっとしたきっかけで未来は変わり、現実とは異なるものに変質してしまう。もしかすれば先の一撃で三人はそのまま消滅してしまっている可能性も十分にあった。

 だがそれを隠してでも、なのはをここで絶望させてはならない。終末の未来を覆すためにはなのはの力は必ず必要になるし、何よりこの場で魔女化でもされたら、とても今の戦力では対処できないだろう。そうなれば世界を救うどころか、滅びを早めてしまう。それはこの場にいる誰にとっても、益のないことだ。

「誰にでも間違いはある。だからなのはさん、今は傷ついたフェイトさんたちに謝りに行きましょう。多少、文句を言われるかもしれないけれど、きちんと事情を説明すれば許してもらえるはずよ。そうよね?」

 そう言って織莉子はリンディに視線を向ける。言外にバインドを解けと告げている織莉子の視線。

「ダメよ。あなたたちはこのままアースラに連れて行くわ」

 しかしリンディはそんな織莉子の意思に耳を貸さない。なのははまだいい。彼女の放った砲撃は故意ではなかった。それは嘘ではないのだろう。むしろ魔女を駆逐するために放ったものなのだから、責める道理などありはしない。もちろん直撃を受けたであろうクロノや杏子たちからしてみれば堪ったものではないだろうが、リンディはこれ以上なのはを攻める気にはなれなかった。

 アリサもまた同様だ。とっさのことだったので一緒にバインドで拘束してしまったが、彼女にはこちらと敵対する理由はなく、また一切の脅威とはなり得ない。なのはと再会を果たした以上、きちんと事情を説明すれば彼女はアースラに戻ってきてくれるはずである。仮に戻ってきてくれなかったとしても、その時は多少の危険はあるものの彼女の家に送り返せばいい。事件解決までアリサを保護するというなのはとの約束を違えるのことになるのは申し訳ないが、それがアリサの意思というのなら尊重するしかないだろう。

 だが織莉子は別である。今のやりとりでも、結局彼女の目的が何一つとして明かされてはいない。それに彼女から放たれる威圧。常人を遥かに上回るそれは、決して彼女が魔法少女だから放たれるといったものではないのだろう。ここで織莉子を逃がせば良い意味でも悪い意味でも何かが起こる。そうリンディの管理局員としての勘が告げていた。

 織莉子を自由にできない以上、彼女に手を貸す可能性のあるなのはも自由にできないということである。そしてアリサに関しては先ほどのなのはとのやりとりで傷心気味であり、どのような行動を取るかわからない。結局のところ、現状は三人とも拘束したままでいるのが最善だとリンディは考えていた。

「別に連れていくのはかまわないわよ。でもその前に私たちの手でフェイトさんたちを捜させてもらえないかしら? 貴女だってなのはさんがこのまま謝りもせずにいるというのが、よくないことであるというのはわかるでしょう?」

「そうね。でもクロノたちに謝りたいというのなら、別に自分で捜す必要はないはずよ。今、管理局のスタッフが全力で捜索にあたっているから、その報告を待ちなさい」

 織莉子の態度はなのはに対して非常に親身で優しいものだ。それが本心からの言葉なら問題ないが、おそらくそれはないだろう。織莉子はなのはを出汁にして、この場からの離脱をはかろうとしている。心情的にはなのはの気持ちも理解できないわけではないが、それでもアースラ艦長としてリンディは許可することができなかった。

「……そう。ならこの場に留まる理由はもうないわね」

 そんな話し合いに最早、何の意味もないと感じたのだろう。織莉子はそう呟くと自身を拘束したバインドを苦もなく解除する。あまりに自然体な所作で解除されたため、リンディに一瞬の隙が生まれる。

 それを織莉子が逃がすはずがない。水晶球を作り出しリンディに向かって飛ばす。それを何とかシールドで防御したリンディだが、その途端に水晶球が至近距離で爆発する。威力こそさほどはないが、辺りに爆風が舞い、リンディの視覚から織莉子たちの姿が隠れる。リンディはそんな土埃を自身の魔力で吹き飛ばす。だがその時にはすでに織莉子の手によってなのはとアリサを拘束していたバインドが解除されていた。

「大丈夫? なのはさん、アリサさん」

 拘束を解いた二人に対し、優しく接する織莉子。アリサはそんな織莉子のことを未だに信用できずに睨んでいたが、なのはは素直に礼を言う。

「あ、ありがとう。織莉子さん。でもリンディさんに攻撃するのは、いくらなんでもやりすぎなんじゃ……」

「なのはさん、貴女はとても優しい子だわ。それは美徳ではあるけれど、戦いの中では必要のない感情よ。特に敵に対してはね」

「リンディさんは敵ってわけじゃ……」

「敵よ。なにせ彼女は有無を言わさず、私たちを拘束したのだから」

 そう言って視線をリンディに戻す織莉子。そこから感じる織莉子の威圧。リンディを敵とみなし、いつでも戦闘に入れるように準備を整えている。しかしなのはにはどうにもリンディを敵と思うことができなかった。

「敵じゃないよ。だって悪いのはわたしだもん。わたしが考えなしにあんな魔法を撃ったから杏子さんたちが酷い目にあった。それにリンディさんが怒るのは無理もないよ」

 それは彼女にこのような行動を取らせた理由が自分にあるから。知らぬこととはいえ、なのはがクロノたちに攻撃を仕掛けてしまったのは紛れもない事実である。だからなのはは自分の非を素直に認めていた。

「確かにその点に関してはなのはさんの言う通りね。偶然とはいえ、貴女の砲撃が他者を傷つけてしまった。その事実に関しては覆らないでしょう。……だけどそもそもあの三人はこんな場所で何をしていたのかしら? ここは管理局が作った結界の中、そこにいた三人の魔法使い。だけどその三人は決して味方同士ではなかったはずよ」

 織莉子の言葉になのはは気づく。フェイトは独自にジュエルシードを集めようとしていた。その目的を考えれば管理局と敵対しているのは間違いない。杏子についてはどちらとも取れないが、少なくともクロノとフェイトが敵対関係にあったのは間違いないだろう。

 そんな三人が同じ場所にいる理由。それは一つしかない。すなわちクロノとフェイトが交戦し、そこに杏子も加わっていたというものだ。杏子がどちらの味方だったのかは、今のなのはには知る由もないが、そんな戦闘中の場所にルシフェリオンブレイカーが飛び込んでいったのは間違いないだろう。

「今だから話すけど、私はフェイトさんを捜していたの。いつまでも帰りが遅いから捜してきてってアルフさんとゆまさんに頼まれてね。……だからどちらにしても、私にとってリンディさんは敵なのよ。少なくとも今はね」

 織莉子はそこで一度、言葉を区切る。それはリンディがスティンガーで反撃してきたからである。織莉子は未来を予測しながらそれをかわし続ける。そして隙を見ては水晶球を飛ばし、反撃に移ろうとする。

 だが織莉子は元来、戦いには向いていない魔法少女である。彼女の願いから生まれた未来視の魔法。それ自体は非常に特殊なものだが、それ以外の魔法となると織莉子はあまり上手く使えない。それは未来視という魔法があまりにも強力すぎるからである。

 強い魔法を使えるようになるのには、強い魔法少女としての素養が必要になる。織莉子はその強力すぎる願いの代償で、攻撃性のある魔法を上手く使うことは出来なかった。もちろんまったく使えないというわけではないが、それでも純粋な戦闘能力で言えば杏子より見劣りするものだろう。

「……織莉子さんは、フェイトちゃんを攻撃したわたしを責めないの?」

「別に。だってあれはなのはさんのせいではないでしょう? 偶然、貴女の放った射線上にフェイトさんたちがいた。ただそれだけのことよ。それに彼女が死んでいないということは先ほど説明したはずよ。違う?」

 戦いながら織莉子はなのはの言葉に返す。実際のところ、フェイトの生存が確定したわけではない。だがこの場合、織莉子にとってフェイトの生存などどちらでも構わないのだ。もちろん生きているに越したことはないが、今の彼女が用のあるのはフェイトではなくプレシア。将来的にフェイトの力を当てにしている部分もあるが、それは今の彼女の力ではない。織莉子の行動によってフェイトの命が左右される場面なら迷わず助けに向かうが、現在はその所在すらわかっていないのだ。その居場所を捜しに向かうのをリンディに邪魔されているせいで……。

「でもね、なのはさん。死んでいないといってもあれほどの砲撃の直撃を受けたのだとしたら無傷というわけではないはずよ。だからこそ、私たちはこんなところで足止めを食らっているわけにはいかない。例え管理局の方でフェイトさんたちを捜していると言っても、人手が多いには越したことはないはずだもの」

「……そう、ですね」

 織莉子の言葉になのははリンディに向けてルシフェリオンを構える。なのはとしてもリンディと戦いたいとは思わない。しかし自分のせいで命の危険に晒してしまった相手をこのまま放っておくことなど、なのはにはできるわけがないのだ。

「なのはさん。織莉子さんの口車に乗ってはダメよ。あなたと織莉子さんがどのような関係なのか、私は知らない。でも数々の犯罪者と対面してきた私の勘が告げている。織莉子さんはとても危険な人物よ。このまま逃がしてしまえば、どのような被害があるかわからない。だからお願い、私と協力して織莉子さんを捕まえるのを手伝って」

 だがそれに慌てたのはリンディである。現状、リンディの力で織莉子を抑えきることができている。しかしここになのはの力が加われば、リンディと言えど対処は不可能になってしまう。

「……ごめんなさい、リンディさん。でもわたしはフェイトちゃんや杏子さん、それにクロノくんにも直接、謝りたいから」

 なのはにとって望まぬ戦い。せめて極力傷つけないようにしなければ。そう思いつつ、砲撃を放とうとする。

「待ちなさい、なのは!?」

 だがそれを止めたのはアリサだった。ルシフェリオンを構えるなのはの正面に手を大きく広げて立ち塞がるアリサ。そんなアリサに攻撃を仕掛けるわけにはいかず、なのははルシフェリオンの先端に集めていた魔力を霧散させる。

「アリサちゃんどいて。そこにいたら危ないよ」

「いいえ、あたしはどかない。だってなのはにはこの人たちと戦う理由なんてないんだもの」

 なのはに別れを告げられ、傷心しきっていたアリサだったがそれでもこの場で行われている会話にはずっと耳を傾けていた。

「なのはがフェイトや杏子を傷つけたことに責任を感じてるってことも、そのことを謝りに直接、捜しに行きたいって気持ちもわかる。でもね、なのは。それならこんな戦いに混ざることなく、捜しに行っちゃえばいいのよ」

 その中で感じた矛盾。管理局としても織莉子としても、フェイトたちのことを捜しに行きたいという事情は変わらない。だがその理由が違うのだ。だからこそ、二人は争うことになっている。

 しかしその理由になのはは一切、関わりがない。だがそれでも二人がなのはを無視できないのは、その力を恐れているから。もしなのはが敵に回れば、その瞬間に勝負が決する。それほどまでに強い力をなのはが備えているからこそ、織莉子もリンディもなのはに協力を求めているのだ。

「なのは。さっきあんたはあたしの生きる平和を守るって言ったわよね? でもこの戦いで織莉子に味方することが、本当に平和を守ることに繋がると思う?」

「えっ?」

「あたしはそうは思わない。だって管理局って平和を守る組織なんでしょ? そのトップを攻撃することが平和に繋がるなって、あたしには思えないわ」

「た、確かにそうだけど、でも織莉子さんは……」

「……いえ、アリサさんの言う通りだわ」

 なのはがアリサの言葉に反論しようとするが、それを制したのは他でもない織莉子だった。

「確かにこの戦いに限って言えば、なのはさんには戦う理由はないでしょうね。彼女がなのはさんを逃がさないために攻撃を仕掛けているのなら別だけど、どうやら目的は私だけみたいだし。……だからなのはさん、貴女は今すぐアリサさんとこの場から離脱なさい」

 織莉子の言葉に驚きの表情を浮かべるなのは。それはアリサも同じだった。先ほどまで織莉子はなのはに自分の味方をするように、熱心に勧誘していた。それをこんな風に掌を返すとは、思いもよらなかった。

 確かになのはの協力を得たい気持ちは織莉子にもある。だがそれ以上に重要なことは、なのはの精神を安定させることだ。織莉子の言葉で少しは持ち直したが、それでもまだ彼女の中では不安が払拭しきれていないはずだ。

 それに今のなのはの中には、彼女自身の記憶とすずかの断片的な記憶が混在している。一人の人間の中に二人の人間の記憶がある。それは想像以上に危うい状態だろう。おそらくちょっとした揺さぶりで彼女は魔女に転化してしまう。それはなんとしてでも避けなければならない。

 そのために、今のなのはに必要なのは何事にも揺るがない不屈の精神だ。自分の信念に命を捧げる覚悟を手に入れ、最期の時まで戦い抜く。その覚悟を早急に身につけさせる必要があった。

「で、でも織莉子さん、わたしはもう、アリサちゃんとは……」

「確かに貴女の中ではすでに答えがでているのでしょう。でもよく考えてみて。貴女がアリサさんと離ればなれになる決断をしたのは、彼女を危険な目に遭わせないためよね?」

「う、うん」

「ならこうして戦いの渦中にアリサさんを一人で孤立させることは、その考えに反しているのではないかしら?」

「あっ……!?」

 織莉子の指摘に気づかされる矛盾。彼女のいうとおり、この場にアリサがいるのはそれだけで危険である。人間同士の戦いとはいえ、流れ弾がないとは言い切れない。それがもしアリサに命中でもすれば、彼女は一溜まりもないだろう。

「なのはさん、今の貴女はアリサさんから逃げているだけよ。彼女を平和な日常に送り返すという名目で関わらないようにしているだけ」

「そ、そんなことは……」

 ない、と言い切ろうとするなのはだったが、そこで言葉を詰まらせる。なのは自身も無自覚に認めているのだ。自分はただ、アリサと向き合う覚悟がないということを。だからなのははそのまま押し黙ってしまう。

「なのはさん、貴女はすずかさんとは違う。例え彼女の記憶を引き継いでいても、まだその意志を完全に引き継ぐことができてない」

 そんななのはの心に織莉子は揺さぶりを掛ける。魔女化のことを考えればこれは危険な行為かもしれない。しかしこの程度の揺さぶりで魔女になってしまうというのなら、それこそ織莉子は容赦なくなのはのソウルジェムを砕かなければならないだろう。

「すずかさんがどれほどの覚悟を以て、一人で戦う道を選んだのか、今の貴女にならわかるでしょう? 彼女の意志を継ぐということは、そんな過酷な道を選ばなければならないということよ」

「わ、わたしは……」

 なのはは必死に言葉を紡ごうとする。だがうまく声を出すことができない。

「……なのは、行こう」

 そんななのはの手をそっと握りながら、アリサが呟く。織莉子の口車に乗ると言うのは、アリサとしてはどこか釈然としない気持ちがある。彼女はキリカの仲間で、それでいてなのはを戦いの道に引き摺りこんだ一人であることは間違いない。

「わたしはまだ、なのはと別れることに納得したわけじゃない。例え魔法が使えなくたって、なのはと一緒にいることはできる。あたしはそう信じてる。でもなのははそれを望まないんでしょ? ならあたしを力づくにでも納得させなさい。……フェイトたちを捜しながらでもそれぐらいはできるわよね?」

 それでもアリサはなのはとの対話を望んだ。先ほどのような一方的な別れではなく、お互いの気持ちをぶつけ合った問答。誰の邪魔も入らないところで、二人だけの話し合い。

 もちろんアリサには、どんなに話しあったところで、お互いの意見が交わらないであろう事は、薄々と理解している。それでも自分の思いを伝えないまま別れるなんて悲し過ぎる。

 そう思ったからこそ、アリサはなのはの手を引っ張って駆け出す。その手を振り払うことは、今のなのはにとって赤子の手を捻るより簡単だろう。しかしなのははそうしようとはしなかった。どんなに虚勢を張ったところで、なのはとすずかは違う。すずかのようになろうとしても、なのははそこまで非情になれないし、感情を押し殺すことはできない。

 だからなのはは素直にアリサについていく。これ以上、アリサと話せばせっかくできた決心が鈍ることになるかもしれない。それでも今のなのはには、そのアリサの温もりを手放すことができなかった。



     ☆ ☆ ☆



「すまねぇ、クロノ。助かった」

「あ、ありがとう」

「気にすることはないさ。あんなものが突然、飛び込んできたとあっては助けるのは管理局員としては当然だからね」

 時は少し遡り、海鳴市郊外の森の中にクロノたち三人の姿があった。素直に礼の言葉を告げる杏子とフェイトに対し、クロノは不遜な態度で答える。何故、彼らがこのような場所にいるのかというと、それはクロノが機転を利かせたからであった。

 ルシフェリオンブレイカーが結界内に突如として出現した時、クロノたち三人はとても近しい距離にいた。互いの武器で鍔迫り合いをしている杏子とクロノ。そんなクロノの背後に回り込み、サイズフォームで切りかかろうとするフェイト。砲撃が飛び込んできたのは、ちょうどそんなタイミングでのことである。

 いきなり現れた超弩級の巨大砲撃。まともに受ければ命すらも危ういと感じられたそれに対し、クロノは冷静に対処した。二人の腕を掴み、転移魔法を発動するクロノ。とっさのことだったので転移先の設定はできなかったが、緊急回避ができればそれで十分。それぐらいの気持ちで発動された魔法は、クロノたちを結界の外、遥か数キロ先まで飛ばしたのだ。

「……おいクロノ。念のために聞いておくけどよ、あれがおまえの必勝の策って奴なのか?」

「そんなわけないだろう! あれは非常に殺傷性の高い魔法だった。あんなのが直撃すれば、君たちはもちろん、僕だって無事には済まなかっただろうさ」

「……なら本当にあれはなんだったんだ?」

「……僕にもわからない。しかしまずは一刻も早く、アースラに僕たちの無事を伝えないと」

 クロノはそう言うと、アースラに連絡を取ろうとする。だがそんな二人を無視して、フェイトがふわりと飛び上がる。

「待てフェイト、何処に行く気だ? 君が僕たちの元から去りたい気持ちは分かるが、今は現状を把握するのが……」

「そんな悠長なこと言っている場合じゃない! まだあそこにはアリサが取り残されているんだ!」

 だがフェイトはそんなクロノの言葉を一括する。歴戦の魔導師や魔法少女ですら命の危険を感じ、逃げの一手を打つことしかできなかった黒い閃光。誰が何の目的で放ったものなのか、今の三人には検討もつかない。

 しかし少なくともあれを放った人物が近くにいたのは間違いないのだろう。そんな場所に魔法の使えないアリサが取り残されている。あの結界を創り出しているのは管理局だが、執務官のクロノですら緊急避難するのがやっとだったのである。他の武装隊員がいくら束になったとしても、到底勝てるわけではないだろう。

「クロノ」

「わかってる。あの結界があるのは、ここからだと……東に十キロといったところか」

「だそうだぜ、フェイト。あたしたちは後から行くから、アリサのことが気になるなら先に……ってもういねぇか」

 その言葉を聞いて、フェイトは隼のように飛び去る。立場上、フェイトを見送るような真似はしたくなかったが、それでも彼女がこのまま逃げ出すような人物ではないということは、クロノも十二分に理解していた。



 ――それに何より、今のクロノはとてもフェイトを追っていける状態ではなかった。



「……杏子、すまない」

「……何の話だよ? あたしがクロノに礼を言うことはあっても、クロノがあたしに謝る理由なんてないはずだぜ」

「だが君が誤魔化してくれたおかげで、どうやらフェイトには気付かれずに済んだんだ。それだけは感謝させてくれ」

「……別にあたしは誤魔化す必要なんてなかったと思うけどな」

 そう呟く杏子の目の前で、彼女の前に立ち、先ほどまでフェイトとも話をしていたクロノの姿が幻のように消え去る。それを確認した杏子はゆっくりとした足取りで一本の木の元まで歩き出し、その背後に回り込む。するとそこには木にもたれかかり、息を大きく乱すクロノの姿があった。

「それよりもだ、傷の具合はどうだ?」

「あいにくと大丈夫とは言い難いな。今もこうして治癒魔法を掛け続けているが、一向に傷口が塞がらない。どうやら魔力自体も尽きかけているらしい。早くアースラに戻らないと……」

 クロノを蝕む大きな二つの傷。それはルシフェリオンブレイカーによるものではなく、杏子とフェイトの手によって与えられたものだった。とっさのことだったとはいえ、あの瞬間、クロノは自分の守りよりも二人を助けることを選んだ。鍔迫り合っていた時に握っていたS2Uから手を離し、右手で杏子を、左出てフェイトを掴んだクロノは、そんな二人の攻撃をモロに受けてしまった。そのため脇腹にはバルディッシュによる電撃を伴った酷い大きな火傷があり、胸元は杏子の槍の切っ先で深く切り裂かれた裂傷がある。

「それに傷を負ったのは僕だけじゃあないだろう?」

「……ま、そうだけど、それでもあたしは魔法少女だからな。少なくともクロノよりは痛みには強いはずだぜ」

「……そんな大きな火傷を負っていて、よく言う」

「……うっせ。あたしとてめぇとじゃあ、文字通り身体の出来が違うんだよ」

 杏子の背中には黒く大きな火傷の痕があった。炎に焼かれ爛れきった杏子の背中。それは見ているだけで惨たらしい。それこそ、紛れもなくルシフェリオンブレイカーがもたらした傷であった。

 とっさに転送魔法を発動させたクロノだったが、正面と背後から切り裂かれたことによってその集中力は大きく乱れ、魔法の発動に一瞬のタイムラグが生まれた。そのため、砲撃の飛んできた方向にいた杏子は、その身で二人を庇おうとしたのだ。魔導師とは違い魔法少女である杏子はあらゆる傷を魔力によって治癒することができる。治癒魔法が苦手とはいえ、その事実は揺るがない。だからこそできた無茶だった。

 しかしルシフェリオンブレイカーの威力は杏子の想像を遥かに上回っていた。杏子の背中が晒されたのは、僅か一秒にも満たない時間だったが、それでも杏子の背中に深い傷を負わせるには十分だった。あと少し転移が遅れていれば、確実に魔力が枯渇するか、絶命していただろう。

「さて、それじゃあそろそろあたしもフェイトの後を追うか」

「待て! その傷では無茶だ!!」

「あたしより酷い傷を追ってる奴がなに言ってんだよ?」

「そうは言うが、杏子。その傷の痛みを抑えるためにグリーフシードを何個使ったんだ?」

「……五個」

 一個のグリーフシードで魔法少女が回復できる魔力量がどの程度のものなのか、クロノは知らない。だが杏子が管理局に協力し、魔女と戦っていた時はほとんどグリーフシードを使っている様子はなかった。もちろん全く使っていなかったというわけではないが、基本的に数戦に一個といった非常に少ない頻度で使用していたはずだ。それを一気に五個も使ったと言うのだから、先ほどの砲撃で彼女が受けたダメージは恐るべきものだろう。

「ダメだ。このまま君をフェイトのところに向かわすことは許可できない。一緒にアースラに来て治療を受けるべきだ」

「気持ちはありがてぇけど、フェイトには後で行くって言っちまったしな。それにさっきまであたしたちは戦ってたんだぜ。今更、戻れるわけねぇだろ」

 杏子がアースラ内で行った立ち回り。それは彼らの信頼を裏切る行為であることは間違いない。杏子自身に管理局と敵対する理由がないとはいえ、それでも今のアースラは敵地なのだ。そんな場所に傷を負った状態で戻るなどという提案を受け入れられるはずがない。

「……杏子、僕が言うのもなんだが、こう見えて君にはそれなりに感謝をしているんだ。僕や他の局員が魔女と渡り合うことができるようになったのは、間違いなく君のおかげだ。確かに今はフェイトのことで敵対関係と呼べるが、それを抜きにすればまだ協力関係は解消されていないはずだ」

「……ま、確かにそうだな」

 元々、杏子が管理局に協力したのは、海鳴市に集まった魔女の驚異に対抗するためだ。ジュエルシードを吸収した魔女の驚異。そしてそれによって引き起こされるかもしれない大災害。それをどうにかするために、杏子は管理局と協力することにしたのだ。

「だけどそれでもあたしはアースラに戻る気はねぇよ。少なくとも今はまだ、な」

 それでも今の杏子は確かめねばならぬ事がある。先ほどの砲撃から感じられた絶望的な魔力。しかし直接、被弾したからこそその中に見知った魔力の気配が感じられた。その理由を杏子はこの目で確かめる必要があった。

「……そうか。ならこういうのはどうだ? 今の僕はアースラと連絡を取ることができず、さらに立つことすら叶わない状態だ。もしそんな僕が魔女の結界に取り込まれでもしたら、どうなると思う? 使い魔程度ならなんとかできるかもしれないが、魔女と相対して生き残ることはおそらく不可能だろう。だがもし杏子も残ってくれれば、お互い手負いとはいえ、なんとかなるかもしれない」

「…………てめぇ、汚ぇぞ。そんなこと言われたら、行くに行けねぇじゃねぇか」

 そう言って杏子はその場に腰を降ろす。殺意を込めた表情でクロノを睨みつけながら、クロノに対して罵詈雑言をぶつける。

「ああ。今はなんと言われようと構わないさ。このまま君を死地に行かせるくらいならね」

 だがそれをクロノは何食わぬ顔で受け入れた。確かにクロノの傷は深い。だが杏子の傷はそんなクロノのものよりも深いはずだ。魔法少女だから痛みに強いというのは本当なのだろうが、すでに隻腕で戦っている彼女にこれ以上、クロノは無茶をして欲しくなかったのだ。

「すまない、杏子。少し眠ってもいいか」

 文句を言いながらも一向に去る様子のない杏子を見て、クロノは安心したのだろう。その瞼がゆっくりと降ろしていく。

「お、おい、何ふざけたこと言ってんだ! 寝るんじゃねぇ! 二度と起きれなくなるぞ!!」

「……何を、言ってるんだ? そんなわけ、ないだろう。最近、魔女との、戦いばかりで、少し寝不足、気味だったから。だから、少しだけ…………」

 そう言ってクロノは瞼を閉じる。その後も杏子は何度もクロノの名を呼ぶ。だがそれに対するクロノからの返答は、一切なかった。



2013/8/25 初投稿、およびに不具合で分割投稿していたのを統合
2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正



[33132] 第10話 ごめんね。……そして、さようなら その7
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/09/22 23:28
「フェイト~!! 会いたかったよ~!!」

 アルフがフェイトを見つけたのは、彼女がアリサの元に戻ろうとしている途中の出来事だった。先ほどまで一切、フェイトの魔力を感じられなかったアルフだったが、フェイトが結界の外に解放されたことにより、すぐにその居場所を特定するに至ったのだ。

 長い間、フェイトのことを捜していた反動か、アルフは感極まってフェイトの身体を思いっきり抱きしめる。瞳から大粒の涙を零し、フェイトの無事を安堵する。

「……ごめんね、アルフ。心配かけて」

「ううん、いいんだよ。フェイトが無事ならそれで」

 思いっきり甘えるようにアルフは、フェイトの身体に顔を埋める。そんなアルフの背中を優しく撫でるフェイトだったが、今の彼女にはあまり時間が与えられていなかった。

「それじゃあフェイトも疲れただろうし、ゆまの待っている家まで帰ろう」

 そう満面の笑みで告げたアルフだったが、フェイトは首を横に振る。

「ごめん、アルフ。わたしはまだ帰れない。このままだとアリサが……」

「アリサ?」

「説明は向かいながらするから、今はわたしについてきて」

 初めて出る名前に首を傾げるアルフ。そんなアルフに対して、フェイトは有無を言わさぬ勢いで言い放ち、猛スピードで飛んでいった。どこか釈然としない気持ちを感じつつも、アルフはその後を追う。その道すがらにフェイトから大体の事情を聞かされたアルフは、驚きの連続だった。杏子との再会からはじまり、管理局の次空航行船に連れて行かれ、そこからの脱出。そして執務官相手に杏子と共闘。その果てに突如として現れた砲撃に晒されたと言うのだ。驚かない方が無理のない話だろう。

 特にフェイトが間一髪のところで退避できたという砲撃。その魔力に関しては結界の外にいるアルフにも感知することができた。フェイトの魔力残滓を探している時に引っ掛かった強い負の魔力。そんな魔力を感じたからこそ、アルフは心底、フェイトの無事を喜んだのだ。

 しかしそれがすでにフェイトに向けられて放たれたということを知り、アルフは後悔する。フェイトの強さを過信し、すぐに捜しに行かなかった自分。一歩間違えればフェイトは大怪我、下手をすればその命すら落としていたのかもしれない。

 それはまさに織莉子の言った通りの状況だった。自分の手の届かないところで大切な人を死なせてしまったという織莉子。アルフもまた、そんな織莉子と同じ思いをするところだった。

 想像するだけで辛いであろうその状況。だが未だに危機的状況から抜け切れたとは言いにくい。何故なら、フェイトは今、そんな砲撃を放った相手がいるであろう結界の中に戻ろうとしているのだから。

「なぁフェイト。やっぱりゆまのところに帰らないかい? あたしはそのアリサって子がどんな子か知らないけどさ、でもそこまで危険を冒してまで助けるような子なのかい?」

 故にアルフは尋ねずにはいられない。フェイトが助けようとしているアリサ。魔法を一切、使うことのできないすずかの友達。アルフとしてもすずかのことについては思う部分がある。けれどアルフにとって一番大切なのはフェイトなのだ。そんな彼女が自らの危険を顧みず助け出す価値があるかどうか、アルフには判断のつけようがなかった。

「……うん。わたしはどうしてもアリサを助けたいだ。それはわたしがすずかに手を差し伸べてあげることができなかったから」

 そんなアルフにフェイトはアリサを助ける理由を告げる。フェイトにとってすずかは初めて出会った同世代の魔法使いである。魔導師と魔法少女という違いはあれど、戦いの中で二人は出会い、互いに助け、助けられてきた。話をする時間こそ、そこまで多くはなかったが、それでもすずかがフェイトに与えた影響は大きい。

「アルフがわたしに危険な目に遭って欲しくない気持ちはわかる。でもここで帰って、それでアリサに万が一のことがあったら、きっとわたしは後悔する。すずかの時みたいに――」

「フェイト……ごめん、馬鹿なことを聞いたね。忘れて」

 アルフは自分の両頬を力いっぱい叩く。そして自分の中の不安を消し去る。先ほどとは違い、フェイトの傍には自分がいる。ならば自分がフェイトを守ればいい。例え相手がどれほど強大で恐ろしい力の持ち主だとしても、フェイトの意思を守り切ればいい。それこそがフェイトの使い魔たる自分の使命なのだから。

「それじゃあフェイト、さっさとそのアリサって子を助けてさ、ゆまのところに帰ろう。いい加減、ゆまも待ちくたびれているだろうしね」

 そう言うとアルフはフェイトの手を掴み、引っ張るようにして飛んでいく。そんなアルフの行動にフェイトは内心で感謝しつつ、さらに速度を上げて結界に向かって飛んでいった。



 それから程なくして結界の場所まで辿り着いた二人は、何の躊躇もなく管理局へと飛び込んでいった。本来ならば侵入も脱出も困難なはずだった結界。しかしそれを容易く打ち破ることができたのは、先ほどのなのはの砲撃の影響に他ならない。突如として内側に発生した強大な魔力。それに揺さぶりをかけられた結界には大きな綻びができていた。結界という体裁は整ってはいるものの、その侵入も脱出も容易く行えるほどに弱々しい。

 だからこそ、フェイトたちは難なく結界内に戻ってくることができたのだ。もちろん、いつまでもそのような結界が維持されるとは考えにくい。いずれは結界の強度が耐えきれなくなり自動で解除されるか、あるいは管理局の手によって元の強度に戻されるか。前者なら問題ないが、後者だとしたら再び結界の外に出るのは非常に困難になってしまう。故にフェイトたちは一刻も早く、アリサのことを見つける必要があった。

「あれってもしかして織莉子か?」

 だがフェイトたちが最初に見つけたのは交戦中だった織莉子とリンディの姿だった。

「あの人のことを知ってるの? アルフ。見たところ魔法少女みたいだけど……」

「あ、ああ。そういや、まだフェイトには言ってなかったね。織莉子っていうのは、あの白い魔法少女のことなんだけどさ、フェイトがいない間にキュゥべえが連れてきたんだ。なんでもプレシアが織莉子に聞きたいことがあるとかで……」

「母さんが?」

 プレシアの名前を出されたことで、フェイトは視線を改めて織莉子に移す。おそらくは杏子と同じ魔法少女なのだろうが、その出で立ちはまるで違う。服装から髪に至るまで、白一色とも呼ぶべき姿。同じ白い衣装と言うと、フェイトにはリニスとなのはの姿を想像するが、その二人とは違い、どこか近寄り難い雰囲気すら感じる。こうして遠くから眺めているだけでも、フェイトにはどこか捕らえ難い人物であるという印象を与えていた。

 本来ならば、そんな二人の戦いに関わっている時間はない。アリサに自分たちの無事を伝え、その身を保護するという必要がある以上、すぐにでも捜しに向かうべきだろう。しかし彼女をプレシアが求めている。その事実を無視するわけにはいかない。

「アルフ、わたしは織莉子さんの援護に行く。だからアルフはわたしの代わりにアリサを捜し出して護って……」

「……ごめんフェイト。それはできない相談だよ。フェイトはさっきまでずっと戦い続けていたんだ。そんな魔力が消耗している状態で助けに入ったら、逆に足手まといになるかもしれないだろ? だから織莉子の援護はあたしがする。フェイトはその間、少しだけ待っていてくれないか?」

 フェイトの頼みを遮り、アルフは自分の意見を告げる。本当なら一緒に援護しに行く、あるいは二手に別れてアリサを捜しに行って欲しいと頼むべきところなのだろう。しかし先ほどの黒い砲撃のことが引っかかり、アルフはそんな消極的な意見を告げることしかできなかった。

「アルフの言うことも一理ある。でもわたしはただ待っているなんてことできないよ。いつ結界が修復されるかわからない以上、ここは二手に別れて事に当たるしかない」

 それ故に簡単に反論を許してしまう。アルフがフェイトの身を案じているというのは彼女も理解している。それでもフェイトは譲らない。まともに戦闘が行えるほどの魔力が残っていないことはフェイトにもわかっている。しかしだからこそ、管理局の手によって結界が修復される前に何としてでもアリサを見つけ出し脱出しなければならなかった。

「フェイト、ここにはまだ、例の黒い砲撃を放った相手がいるかもしれないんだ。だからフェイトを一人で行かせるわけには……」

「それならなおさら一刻も早くアリサを捜しに行かないと。アリサを見つけられなかったら、それこそここに戻ってきた意味がないよ」

 真っ向から対立するフェイトとアルフ。しばらく見つめ合った二人だが、結局折れたのはアルフの方だった。

「……はぁ、わかったよ。でも織莉子の援護をしに行くのはあたしだ。その点は譲らないからね」

「うん、ごめんね、アルフ。心配かけて。それと気をつけてね。あの人はきっと強いから」

 真剣な表情でフェイトの身を案じるアルフ。だがそれはフェイトも同じだった。織莉子が戦っている相手。それはアースラの中で見た管理局のリーダーである。アルフはもちろん、フェイトですらリンディとは勝負にならないだろう。織莉子の実力がわからない以上、フェイトは不安を隠すことができなかった。

「安心しなって。……だけどフェイトも気をつけなよ。ここは管理局の結界なんだ。きっとあたしたちが外から侵入したことにも気付いているはずだ。だから決して油断だけはするんじゃないよ」

「……わかってる。でもだからこそ、アリサを一人にはしておけない」

 アリサとはまだ出会って一時間ほどしか経っていない。しかしそれでも彼女のなのはとすずかを思う気持ちが本物だということは、フェイトにも理解できた。そんな彼女の強い想いにフェイトは惹かれていた。フェイトがプレシアを想うように、ゆまが杏子を想うように、アリサもまたなのはとすずかのことを案じている。そんな自分と近しい部分を敏感に感じ取ったからこそ、フェイトは手を差し伸べずにはいられなかったのだ。

「ホント、フェイトは誰にでも優しい良い子だね。だけどフェイト、いざとなったら自分の身を一番に優先するんだ。そしてアリサを見つけたら、すぐにここから離脱するんだよ。いいね?」

「……大丈夫。ちゃんとわかってるから」

 フェイトにはやるべきことがある。プレシアのためにジュエルシードを手に入れる。フェイトにとって何より優先すべきことはそれなのだ。魔女から人々を助けるのも、アリサの事に固執するのも、それらはフェイトの目的とは何ら関係のないことだ。それでもフェイトは目の前で困っている人を見て見ぬふりをすることができなかった。

「それじゃあアルフ、わたしはもう行くね。アルフも気をつけて」

 フェイトはそう言うと、リンディたちに気づかれないように、低速で飛んでいく。そんなフェイトの後ろ姿をアルフは不安げな表情で見送る。しかしすぐに気を引き締め直し、覚悟を決めて戦いの場に飛び込んでいった。



     ☆ ☆ ☆



 未来を見通すというのは、莫大な魔力を消費する。数秒後の未来ならば、そこまでの消費はない。しかし数日、数ヶ月、数年後の未来となるとそうはいかない。現在から時間が遠ざかるほどに魔力消費が増え、もし限度を考えずに未来を覗こうとすれば、一瞬で魔力が枯渇し魔女になってしまうだろう。それでも魔力さえあれば、何年先の未来でも視ることは可能……なはずだった。

 しかし織莉子は今より一年後、より正確に言えば来年の未来を見通すことができなかった。それはこのままいけば来年には、この世界が滅んでいるからに他ならない。クリスマスに生まれる終末の魔女。その力によってこの世界は一週間で死滅させられるだろう。

 それを防ぐ意味でも織莉子は常日頃から破滅の未来を回避するための術を未来視の力によって捜していた。敵の正体や自分に力を貸してくれる人物など、織莉子は幾度となく未来を覗き捜し続けた。その過程で織莉子は魔導師の存在、そしてジュエルシードが海鳴市に降り注ぐことを知ったのだ。

 魔導師の存在は、織莉子にとって希望だった。キュゥべえの契約を介さない魔法の行使。それだけでも希望となり得るのに、ジュエルシードを求めて海鳴市で争うことになる二人の少女は、そのどちらも一般的な魔法少女と比べて遥かに優れた力を持っていた。もちろんそれだけで滅びの未来を変えるには至らないが、それでもその発見は大きな一歩へと繋がった。

 だから織莉子は未来視で覗き込む範囲を海鳴市に狭め、さらに情報を集めた。ジュエルシードの落下地点を予測し、苦もなく幾つかのジュエルシードを入手した。管理局やキュゥべえの動きを予測し、自分が海鳴市にいることを悟られないようにした。そして絶妙なタイミングでなのはと出会い、彼女に魔法少女の真実を伝えた。

 未来を知るというアドバンテージを持つ織莉子は、常に事を優位に運び続けてきた。だがそれはちょっとした油断から脆くも崩れ去ってしまう。世界の救済のために必要になるであろうなのはの力。その命を救うためにすずかの協力を得ようとし、織莉子は手痛い反撃を受けた。すずかの力を計り損ね、その一撃によって記憶を奪われ、数日の間、昏睡状態に陥っていた。

 その結果、織莉子の知らぬところでキリカが暴走し、その命をすずかと相討ちという形で散らしてしまった。その事実を最初に知ったとき、織莉子は涙すら流さなかった。自分が傷つけられた段階で、キリカが何らかの行動を移すということは予想がついていた。まさかジュエルシードまで持ち出してしまうとは思っていなかったが、その結果としてジュエルシードの魔力をその身に受けても少なくとも数時間は自我をある程度は保てるという証明にはなったのは大きな一歩と言えるだろう。

 だがそれ以上にキリカとすずかの二人に死なれてしまった損失は大きい。貪欲に強くなろうとするすずかは危険な存在ではあったが、それでも破滅の未来をもたらす相手に対して、絶対的な戦力になっただろう。キリカは織莉子の手足となって動き、さらに彼女の身を守る矛と楯でもあった。それがなくなったとなれば、必然的に織莉子自身が動かなければならなくなる。後々のために魔力をためる必要があるのにも関わらず、積極的に物事の渦中に飛び込んでいかなければならない。

 現に今も織莉子はリンディと戦っている。本来ならば戦う必要のない相手。魔法少女ではないということは、魔女になることのない相手ということだ。魔女は絶望をもたらし、世界に破滅を呼ぶが、魔導師にはそれがない。つまり織莉子にとって、本来ならば敵対する必要のない相手なのだ。

 それでも彼女がリンディと戦うのは、ここで管理局と行動を共にするのは得策ではないからだ。今、この時において織莉子が管理局についていけば、今後二度とプレシアと出会う機会は訪れないだろう。プレシアが織莉子に何を求めているのかはわからないが、それでも彼女の協力を得られることができれば、世界の救済にまた一歩近づくことができるはずだ。

 織莉子の知る限り、管理局とはこの先、交渉できる機会は何度となく訪れるだろう。しかしプレシアに関しては、今この時を置いて他にない。彼女はもうすぐ死ぬ。それがどのような形であれ、その死を覆すことはほぼ不可能だろう。なればこそ、今の内に彼女の助力を得られるのだとしたら、その力を借り受けておきたかった。

(だけど今の私では彼女を打ち倒すどころか、逃げ果せるのも難しいでしょうね)

 しかし彼我の戦力差を考えればそれが非常に難しいことであると、織莉子は理解していた。流石は管理局の次空航行船の艦長というべきか、リンディの放つスティンガーは全て鋭く、それでいて的確に放たれていた。現状、織莉子はその軌道を未来視で読み取ってはいるが、すでに何発かはその身に受けている。致命傷と呼ぶべきようなものはないが、それでも直撃を受けてしまうのも時間の問題だろう。

 それに対して織莉子の攻撃には決定打はない。彼女の飛ばす水晶球は自由自在に操れるとはいえ、その威力は防御シールドで簡単に防がれてしまうようなものだ。高威力な技もあるにはあるが、今後のことを考えればこれ以上、彼女の心証を下げるわけにはいかなかった。

(こんなことなら素直になのはさんの助力を得ようとすればよかったかもしれないわね)

 過ぎたことを後悔しても仕方ないが、それでも織莉子としては今すぐにでもなのはに戻ってきてもらいたかった。彼女の絶大な魔力があれば、この場から切り抜けることは造作もない。いや、この際なのはでなくてもいい。状況が変わるきっかけ。それがどのようなものであれ、少しでもリンディの気を逸らすことができれば、それに乗じて織莉子はこの場から離脱することも可能だろう。

 織莉子はリンディの攻撃を紙一重で避けながら、その時が来るのをじっと待つ。誰でもいい。第三者がこの場に介入し、できることなら織莉子に組みする何者かがこの場に現れるのを、織莉子はリンディに悟られないように待ち続けた。

【織莉子、後ろに飛びな】

 そんな織莉子に聞こえてくる念話。織莉子はその言葉に従い、バックステップを踏む。それと同時に嵐のように降り注ぐフォトンランサー。突如とした第三者の介入にリンディは一瞬、反応が遅れる。それでも防御シールドを展開し、その猛攻を防ぐ。

「……助かったわ、アルフさん。だけどどうしてここに?」

 織莉子は自分の横に降りてくるアルフに礼を言う。時間を稼げば誰かが現れる可能性は高いと踏んではいたが、それでもアルフが現れるとは思っていなかった。

「それはこっちの台詞だよ。なんであんたが管理局の結界の中に入り込んでいるんだい?」

「こっちにも色々とあるのよ。……それにしてもアルフさん、助けてもらってこんなことを言うのもあれだけれど、フェイトさんを捜さなくていいのかしら?」

 アルフにとってのフェイトは、織莉子にとってのキリカに匹敵するような対象だ。そんな彼女を放っておいてアルフが自分を助けてくれたことが、織莉子には意外だった。

「フェイトとはもう会ったよ。今はアリサって子を捜しに行ってる」

 だがすぐにそんな織莉子の勘違いは正される。フェイトの所在がハッキリとしているというのなら、アルフが自分を助けに現れたのも、ある程度は納得できる話である。しかしそれと同時にアルフの危機感覚がまだ足りてないと織莉子は感じていた。

 彼女が本当にフェイトを護りたいと思うのなら、敵地で別行動を取るなどというのは絶対に行ってはならないことだ。ここが魔女の結界ではないから命の心配はしなくても良いとはいえ、それでも管理局に捕えられる可能性は十分にある。フェイトにそこまで肩入れする理由は、今の織莉子にはないが、それでもここでフェイトの動きが拘束されるのは織莉子にとっても好ましいことではなかった。

「フェイトさんは無事だったの!?」

 そのことをアルフに伝えようとした織莉子だったが、それを遮るようにリンディの驚きの声が辺りに響き渡る。フェイトが無事だったということは、同時にクロノや杏子の無事である可能性が高いということだ。リンディは是が非でもそこを確かめたかった。

「アルフさん、だったわね? フェイトさんと一緒に黒衣を身に付けた魔導師と槍を使う魔法少女は一緒じゃなかったかしら?」

「……管理局のあんたに教えてやる義理はないけど、ついでだから教えといてやるよ。杏子もクロノって奴も、多少の手傷は負ったみたいだけど、無事だよ。今、ここに向かってるってさ」

「……そう」

 アルフの言葉を聞いて、心の底から安堵を浮かべるリンディ。そうした気の緩み、それをアルフは見逃さなかった。簡単な捕縛魔法でリンディを拘束する。普段のリンディならばとても引っかからないような単純な手口。それでもクロノが無事であると聞かされては、母親として当然の気の緩みだろう。

「あんたには悪いけど、あたしにはあたしの事情があるんでね。ほら織莉子、あたしに捕まりな。さっさとフェイトと合流するよ」

 アルフは有無を言わさぬ勢いで織莉子を背負うと、そのまま飛び去っていく。アルフは決して織莉子の加勢をしにきたわけではない。彼女はただ織莉子をこの場から釣れ出しに来たのだ。

 だがそれは決してプレシアのためではない。織莉子に恩があったからだ。フェイトは強いと高を括っていた数時間前の自分。しかしそうしている間にフェイトは管理局に捕らえられ、命の危険にも見回れていた。織莉子の忠告を聞き、もっと早くに捜しに行けば、フェイトがそのような目にあわなかったかもしれない。まだ織莉子を完全に信用したわけではないが、それでも彼女の言葉は正しかった。だからアルフは、自分の中で誠意を示したかったのだ。

「……アルフさん、少し恥ずかしいのだけれど」

「我慢しな。あんたは飛べないんだから」

「それはそうなのだけれど、さすがに誰かに背負われたというのは、子供の頃以来だから」

 織莉子はどこか照れくさそうに告げる。だがアルフはそんな織莉子の感情の一切を無視する。おそらくフェイトはまだ、この結界内にいるはずだ。まだ彼女と別れてから数分しか経っていない。そんな短時間で、目的の人物を捜し出すことなど不可能だろう。

 だからアルフはフェイトの魔力の気配を探る。使い魔であるアルフは、位相空間や別の世界にでもいない限り、フェイトとの繋がりを感じ取ることができる。それを頼りに、真っ直ぐフェイトの元に向かって飛んでいった。



     ☆ ☆ ☆



 なのはとアリサの二人は無言で結界内を歩き続けていた。その手を握り締めながら、フェイトたちを捜すという名目でなのははその後を着いてきた。だがその実、二人にはフェイトたちを捜す気は全くなかった。その安否が気にならないと言えば嘘になる。しかし本当にフェイトたち三人のことを捜しているのなら、こうして歩くのではなくなのはの飛翔魔法を使って上空から捜した方がよっぽど建設的なはずだ。なのはがそれをしなかったのは、三人の安否以上にアリサの存在を気にしていたからである。力強くなのはの手を握り締めるアリサ。その様子は決してフェイトたちを捜しているというわけではなく、初めから目的地が決まっているかのようだった。脇目も振らず道を歩き、一つのビルの中に入り、その階段を上っていく。そうして辿り着いたビルの屋上でようやくアリサは足を止め、なのはに向き直る。

「ねぇ、なのは。一つだけ改めて確かめさせてほしいんだけど、本当にすずかは死んだの?」

 そして開口一番に、なのはに疑問をぶつける。それはなのはにとっては思い出したくもなく、それでいて一生忘れることのできない出来事についての問いだった。

「……うん。すずかちゃんはわたしたちを守って死んだ」

 本来ならば他人には触れられたくないデリケートな部分。だがそれを尋ねたのがアリサなら話は別である。彼女はなのはの親友で、それでいてすずかの親友でもあるのだから。だからなのははアリサの目を真っ直ぐ見つめて、力なくそう告げた。

「……そっか。やっぱりそうなのね」

 なのはの言葉にアリサは短く呟き、酷く気落ちした表情を見せる。先ほどまで頑なにすずかの死を否定してきたアリサだったが、それでもなのはに言われれば信じざるを得ない。――すずかは死んだ。なのはやアリサ、そして多くの人の命を救うためにその身を捧げた。そのことがアリサにもようやく事実だと受け入れることができた。

「でもさ、どうしてすずかが死ななくちゃならなかったの?」

 だがそれはあくまでアリサはその死を事実として受け入れただけだ。納得したわけではない。故に尋ねる。自分と同じくらいすずかを大切に思っていて、なおかつ自分よりすずかに近い位置にいるであろうもう一人の親友に。

「……それはすずかちゃんが誰よりも強い子だったからだよ。誰よりも優しくて、誰よりも穏やかで、誰よりも苦しんでいたすずかちゃんだからこそ、きっと日常というものに尊さを感じていたと思うんだ」

 すずかは夜の一族に生まれ、普通の女の子としての人生に憧れていたからこそ、日常に焦がれた。そんなすずかの光となったのは、他ならぬなのはとアリサである。二人がいたからすずかは毎日を楽しめた。二人がいたからすずかは皆を護ろうとした。二人がいたからすずかは最後まで希望を失わずに済んだ。

「……確かにすずかは優しくて、穏やかで、とても苦しんでたわよ。それはあたしにもわかる。でもね、すずかが強いとはあたしは思わない。あたしから見たすずかは誰よりも弱い女の子だった。必死に自分の感情を隠し、他人を立てることで傷つかないようにする、そんな弱い子。それがあたしから見たすずかなのよ。そしてそれはあたしもなのはも、みんな同じだったはずよ!!」

 なのはの考えとアリサの考え。そこには微妙な齟齬があった。それを顕著に感じ取ったからこそ、アリサは激昂する。アリサもすずかも、そして自分も弱さを持っていた。そんな心の深い傷とも言いかえれるであろうものを抱え込んでいたからこそ、それを補う意味でも三人は友達でいることができた。

「……そうだね。確かにアリサちゃんの言う通り、わたしたちは皆、弱かった。わたしは良い子でいようとしたし、すずかちゃんもずっとわたしたちにも話せない秘密を抱えていた。そしてそれはアリサちゃんも一緒だったと思う。……だけど、きっとすずかちゃんはそんな自分が耐えられなかったんじゃないかな? だからキュゥべえくんに願って強くなろうとした」

 しかし今は違う。すずかは魔法少女になり、強くなることを望んだ。それは単純に力を欲したわけではない。何物にも揺るがない意思の強さも求めた。

「……どうしてそんなことがわかるのよ」

「それはね、わたしがキュゥべえくんに祈った願いが……すずかちゃんの意志を継ぐことだったから」

「すずかの、意思?」

「うん。さっきも少し話したけど、今のわたしにはね、すずかちゃんが普段、なにを考え、なにを望み、なにに苦しんでいたのか。そういったものが全部わかっちゃうんだ。わたしがキュゥべえくんに叶えてもらったのは、そんなすずかちゃんの尊厳を踏みにじるような願いなの」

「……ッ!? どうしてそんなことを……」

「アリサちゃんがキリカさんの創り出した結界の中で意識を失くしている時にね、わたしは少しだけすずかちゃんと話をしたの。すずかちゃん、これから命賭けでキリカさんに挑むっていうのに、笑ってた。心の底から、凄く安心したような表情で笑い続けてたの。それでね、そんな風に笑いながらすずかちゃんはこう言ったんだ。『私は絶望の果てに死ぬんじゃない。希望を繋げるために死ぬんだよ』って。あの時は凄く悲しかったけど、それ以上にどうしてすずかちゃんがそんなことをしたのかがわからなかった。だからわたしはキュゥべえくんと契約してすずかちゃんの意思を継ごうって思ったの」

 なのはの言葉にアリサは何も返せず息を飲む。そんなアリサになのはは言葉を続けた。

「そうして契約して、はじめてわかったことがある。すずかちゃんは、わたしやアリサちゃん、それに学校に取り残されている皆を護ることができたのが誇らしかったんだ。どこまでも強くなることを望んで、魔女と戦い続けたすずかちゃんだけど、本当に自分の力で誰かを護ることができるのか、ずっと不安だったんだと思う。それを目に見える形で成し遂げることができた。だからすずかちゃんは、満足して戦い抜くことができたんだよ」

「……そんなの勝手よ。あたしはまだ、すずかときちんと話したいことが山ほどあったのに。それなのにすずかは勝手にいなくなって。今度はなのはもいなくなろうとしている。しかもそのなのははすずかの気持ちが全てわかるですって? これじゃあ本当に、あたし一人だけが取り残されちゃうじゃない」

 言葉と共に涙を流すアリサ。アースラで目覚めてから、アリサが泣いたのはこれで何度目のことだろう。すでに枯れるほど泣いているとも思えるが、それでもアリサの涙は止まらない。

 そんなアリサを優しく抱き締めるなのは。そして慰めるように自分の中にあるもう一人の思いを告げる。

「ごめんね、アリサちゃん。……でもね、アリサちゃんはそれでいいんだよ。だってもしアリサちゃんまでわたしたちと同じような存在になってしまったら、それこそわたしがキュゥべえくんと契約してまで強さを求めた理由がなくなっちゃう。だってわたしはアリサちゃんに、ずっと平和な世界に生きて欲しいから。それでわたしたちが得られなかった幸せを掴んで欲しいから」

 そう語るなのはの瞳は紅く輝かせ、穏和な笑みを浮かべていた。その顔はまるですずかを彷彿とさせる、そんな穏やかな笑みだった。

「……そんなこと言われても、あたしが納得できると思う? あたしはずっとなのはとすずかの三人で一緒にいたかった。一緒に学校に通って、勉強して、お弁当を食べて、遊んで、家に帰る。そんなごく当たり前の生活をずっと続けていたかった。それがこんな形で離れ離れになって、あたしが幸せになれると本気で信じてるの?」

 アリサは弱々しい声でなのはに問いかける。彼女の中には最早、意地もプライドもない。すずかの死が悲しい。なのはと離れたくない。そんなアリサの剥き出しの感情がなのはに向けられる。

 そんなアリサの姿を見て、なのはは揺らいでいた。彼女とて、できることならこのままアリサと離れ離れになりたくない。すずかがいなくなった以上、アリサはなのはにとって唯一無二の親友なのだ。そんな彼女ともう二度と会えなくなることを、望むはずがない。

「アリサちゃんが納得できないって気持ちもわかる。わたしが逆の立場だったら、きっと意地でも追いすがろうとするだろうから。それでもアリサちゃんにはわたしのことを諦めてもらわないといけない。だから……」

 しかしそれでも、決断しなければならない。一時の気の迷いでアリサを危険に巻き込むわけにはいかない。すずかがいない以上、なのはにとってはアリサだけが希望なのだ。

 だから、なのはは意を決してアリサの瞳を覗き込む。真紅の瞳をさらに輝かせて、真正面からアリサを見つめる。そんななのはの瞳に晒されたアリサは、次第にその表情をどこかぼんやりとしたものへと変えていく。先ほどまでの怒りや悲しみはどこ吹く風と言った具合に、その頭を真っ白になっていく。さらにそんなアリサの脳裏の中に描かれていた大切な思い出もまた、同時に白く塗り潰されていく。まだ平和だった頃、アリサとなのはとすずか、三人で過ごした数々の記憶。それが無慈悲にも失われていく。それを止める術は、アリサにはなかった。

 なのはがアリサに行ったのは、夜の一族の持つ記憶操作の術である。なのはがすずかから引き継いだのは、魔法少女としての力だけではない。その夜の一族としての特性。それすらもまた、自分のものとしていたのだ。

 本来ならば、このような真似はしたくない。だがこうでもしなければ、アリサは絶対に諦めないだろう。魔法が使えなくとも、どんなに危険が待ち受けていようとも、彼女はなのはを捜し続けるはずだ。なのはがこれから行っていく戦いを考えれば、その後を追うというのは自殺行為に等しい。

 ――だからこそ、なのはは記憶を消すという手段を選んだ。大切な親友だからこそ、自分を追って危険な真似などして欲しくない。自分のことを引き摺って、いつまでも悲しみに支配されて欲しくない。それ故になのはは心を鬼にして、アリサの中から自分とすずかに関することを消し去った。

 術を掛け終わったアリサは、力なく倒れる。それをなのはは支え、ゆっくりとその場に寝かせる。次にアリサが目覚めた時、彼女の中からはなのはのことも、すずかのことも完全に忘れ去られてしまっているだろう。

「ごめんね、アリサちゃん。……そして、さようなら」

 そんなアリサになのはは謝罪と別れの言葉を告げる。別れを告げたはずなのに、彼女の身体はまるで石像になったかのように動かない。だがその目元からは大粒の涙を零し続ける。そして本当にこれで良かったのかと、なのははただただ、自分自答し続けた。



2013/9/7 初投稿
2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正



[33132] 第10話 ごめんね。……そして、さようなら その8
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/09/22 23:29
 アルフと別れたフェイトはアリサを捜すために結界内を飛び回っていた。アリサは魔法が使えない。もし魔法が使えるのなら念話で呼びかけることも、その魔力を頼りに位置を探ることもできるのだが、それができない以上、地道に目視で捜していくしかなかった。

「――――ッ!!」

 そんなフェイトが不意に感じた強大な魔力。背筋が凍るほどの冷たく、それでいておぞましい魔力。それは先ほどの黒い砲撃と同質のものだった。フェイト一人では勝負にすらならないだろう。それほどまでに圧倒的な魔力。しかしだからこそ、フェイトは魔力の気配が色濃い方に向かって飛んでいく。魔力に対して何の対処もできないアリサが万が一、その魔力をまともに浴びれば一溜まりもない。そんな彼女を守るために、フェイトは覚悟を決めてその魔力を放つ人物の元へ近づいていった。

 そうして近づいた先のビルの屋上に佇む一人の少女。紫と赤を基調としたバリアジャケットに身を包むその姿。フェイトの位置からではその顔を確かめることはできないが、それでも彼女こそが先ほどフェイトたちに攻撃を仕掛けてきた魔法使いであると確信を持てた。

「……ッ!?」

 そんな彼女の足元で横たわっているアリサの姿を見て、フェイトは思わず声を上げそうになる。目立った外傷はないがその目は閉じられており、意識がないのは明白だった。状況から考えて、目の前の少女が何かを行ったのは間違いないだろう。

 故にフェイトは反射的に飛び出し、バルディッシュで切りかかる。彼女が何の目的でアリサに手を出したのかはわからない。それでもこのまま放っておくわけにはいかない。相手の持つ魔力は明らかにフェイトより強大なものだ。それ故にフェイトは一撃必殺の覚悟で少女に襲いかかった。

 だがそれほどの魔力に少女が気付かないはずはない。フェイトの接近に気付いた少女は驚きの表情を浮かべながら、その顔を上げた。

「えっ……?」

 その少女の顔を見て、思わずフェイトは動きを止める。アリサの傍に佇んでいた少女、それはなのはだった。その顔を涙でぐしゃぐしゃで歪めたなのは。彼女が泣き腫らす原因となったのは間違いなくアリサだろう。しかし彼女から感じられる魔力はとても禍々しく、フェイトにとっては忘れたくても忘れられないあの黒い砲撃から感じられたものと同じものだった。

 何が何だかわからなかったフェイトは、その場で硬直する。バルディッシュに込められていた魔力も霧散し、頭の中では様々な疑問が湯水のごとく溢れてくる。そんなフェイトに対してなのはは思いっきり抱きついた。

「よかった、フェイトちゃん。無事だったんだ。本当によかった」

 フェイトの身体を抱きしめながら、なのはは心の底から安堵し、その無事を喜ぶ。状況を把握できないフェイトに対し、なのはは突然姿を見せたフェイトの無事を心から喜んだ。自分の砲撃に巻き込んでしまったフェイトが五体満足で無事に生存していた。それがなのはには嬉しくてたまらなかった。

 そんななのはの姿にフェイトは何も言うことができず、しばらく為すがままにされ続けた。だがその視線はアリサへと釘付けになっていた。規則正しい寝息を立てているアリサの姿を見て安堵すると同時に、一体この場でなにがあったのかが気になって仕方がない。

「……あのね、フェイトちゃん。わたし、フェイトちゃんに謝らなければならないことがあるの」

 一頻りフェイトの無事を喜んだなのはは、申し訳なさそうに語り始める。それは先の砲撃を放ったのが自分であるという告白だった。今のなのはの魔力を考えれば、あの禍々しい砲撃を放てたのも不思議ではない。

 だがそんなことよりも疑問だったのは、何故なのはがこの短時間にこれほどまでの魔力を手に入れることができたのかということだ。しかもただ強大な魔力になっただけではなく、今のなのはから感じられる魔力の質は以前とは違い、とても混沌としたものだ。なのはが嘘をついているとは考えてはいないが、それでも警戒を緩めることはできなかった。

「……フェイトちゃん、わたしに聞きたいことがあるって顔をしてるね」

 そんな考えが表情に表れていたのだろう。どこか俯きながら訪ねてくるなのは。フェイトがなのはを信用しきれなかったのは、アリサの現状にあった。もしあの砲撃を放ったのがなのはだとするなら、この結界の中にアリサを傷つけるような人物は一人もいないということになる。だがアリサは眠っている。目立った外傷はなく、呼吸も規則正しいが、それでも彼女の意識はない。その理由がフェイトにはわからなかった。

「……それじゃあ教えて。どうしてアリサはここで寝ているの? それになのはから感じられる魔力。いったい何があったの?」

 だからこそフェイトは距離を取り、バルディッシュを構える。目の前にいるのは自分とは別格の力を持つ魔導師である。いつでも戦闘になってもいいように、細心の警戒を払いながら、なのはの返答を待った。

「……そういえばフェイトちゃんは、杏子さんと一緒にアリサちゃんをアースラから連れ出したんだったね。なら教えてもいいかな?」

 なのはがそう告げると同時に彼女の身体から黒い魔力が迸る。魔力は黒い炎となってなのはの周囲を包み込む。そのあまりの熱量にフェイトは恐ろしさを感じると同時に、どこか懐かしさも覚えた。

「なのは!? 何を……ッ?!」

「何って少しだけ魔力を解放しただけだよ。わたしがキュゥべえくんと契約して得た魔力をね」

「キュゥべえと契約って、それって魔法少女になったってこと?」

「そうだよ」

 フェイトの問いに間髪いれずに肯定するなのは。以前のなのはの魔力はフェイトとほぼ同程度のものだった。それがキュゥべえと契約しただけでこれほどまでに変わってしまうものなのかと、フェイトは驚きを隠せなかった。

「……あなたはどうして、キュゥべえと契約したの?」

 だがそれ以上にフェイトが気にしたのは、なのはがキュゥべえと契約した理由である。キュゥべえに契約を迫られているのはフェイトとて同じである。それも自分の願いではなく、プレシアの願いを叶えるというイレギュラーな形で契約を求められている。

 だからこそ、フェイトはなのはがどのような理由で契約したのかを聞きたかった。数日前に出会った時には、そんな素振りすら見せなかったなのはが契約した理由。そこにフェイトの悩みを解決する糸口があると思ったから。

「……すずかちゃんのように強くなりたかったから、かな?」

「すずかのように?」

「うん。フェイトちゃんもすずかちゃんのことは知ってるよね。誰よりも日常を愛し、それ故に力を求めて、最後には希望を託して死んじゃったすずかちゃん。そんなすずかちゃんの意志をね、わたしは引き継ぐことにしたの。彼女が残した希望をこのまま枯らせるわけにはいかなかったから」

 その言葉はとても重いものだった。キュゥべえの叶える奇跡の力があれば、すずかを蘇らせることもできたかもしれない。しかしそうはせず、なのはは彼女の気持ちを優先した。なのはとて、すずかともう一度会いたいと願っていたはずだろうに。

「でもね、すずかちゃんと同じ立場になって初めてわかったこともあるんだ。きっとわたしはもう、日常には戻れない。この力は平和を守ることはできるけど、それと同時に簡単に誰かを傷つけてしまう恐ろしい力なんだ」

「そんなことは……」

「ないとは言い切れないはずだよ。だって現に、わたしの意図しない形でフェイトちゃんたちを傷つけてしまったのだから」

 なのはの指摘にフェイトは押し黙る。あの砲撃から感じた強烈な死の臭い。あのまま直撃していれば、おそらく三人ともただでは済まなかっただろう。現に杏子とクロノはまだこの場に現れない。あの二人の力量ならすでに結界内に到着していてもおかしくないはずなのに。

「強大な力は人を孤独にする。すずかちゃんはそれを理解したからこそ、みんなの前から姿を消した。そしてわたしもそうするつもりだった。でもね、それをアリサちゃんは納得しなかった。――だからわたしはアリサちゃんの記憶を消したの」

 だがなのはの次の言葉を聞いた瞬間、フェイトの頭は一瞬で真っ白になる。思わず聞き返してしまいそうになるフェイトだったが、そんな暇が与えられることなくなのはの言葉は続いていく。

「すずかちゃんに追い縋ろうとしたわたしのように、きっとアリサちゃんもわたしのことを捜し出そうとする。だけどアリサちゃんには魔法の素質が全くない。体内にリンカーコアもないし、キュゥべえからも魔法少女の素質はないとはっきり言われた。そんなアリサちゃんがわたしのことを捜そうとすれば、どのような危険な目に遭うかわからない」

「……だから記憶を消したっていうの?」

「うん。凄く悲しいことだけど、でもこれでアリサちゃんの平和が守られる。だから……」

「……るな」

「……フェイトちゃん?」

「ふざけるな!!」

 なのはの言葉に、フェイトは怒鳴りを上げる。記憶というのは、その人の人格をも形成するための大切な要素である。そして思い出はその人にとって何よりも掛け替えのないもので、他人にどうにかされていいようなものではない。

 だがなのははそれを汚した。それも自分の友達であるはずのアリサのをだ。それがフェイトには堪らなく許せなかった。

「なのは、君はアリサの気持ちを考えたことがあるの? アリサはね、ずっとなのはやすずかのことを考えていた。なのはの口から聞くまではすずかの死を頑なに信じようとはしなかった。例えどんな危険な目に遭うとしても、それでもなのはの口から真実を聞くためにここまできたんだ」

「……だからだよ。すずかちゃんがあんな風になった以上、わたしにとって友達はアリサちゃんだけなんだよ。だからアリサちゃんには絶対に安全な場所にいて欲しかった。だからリンディさんやクロノくんに頼んでアースラに置いてもらっていたのに、それなのに……」

「アリサは一人で待っているのが嫌だったんだ! なのはやすずかが危険な目に遭っているのに、自分だけが蚊帳の外にいるのが嫌で、だからこそ必死に縋ろうとしたんだ! アリサと知り合ってほんの数時間のわたしでもわかるんだから、ずっとアリサと友達をやっていたなのはなら、わかるでしょう?」

「わかるよ。でもだからこそ、わたしはアリサちゃんの記憶を消すしかなかった。きっとアリサちゃんはどこまでもわたしを追いかける。それがわかっていたから、だからアリサちゃんの中からわたしたちを消して、その日常を守るしかなかったの!!」

「それは違う! なのは、君がアリサの日常を壊したんだ。アリサにとっての日常は、きっとなのはとすずか、その二人がいてはじめて成立するものだったはずだ。すずかはもういないけど、それでもまだなのはがいればアリサの日常は守られたはずなんだ。それなのになのははアリサの中から自分とすずかの存在を消した。それはとても残酷で無慈悲なことだよ!」

「……っ!? ……それじゃあ、それじゃあわたしはどうすればよかったって言うの!? 魔法少女になった以上、わたしはもう普通の生活は送れない! 常に戦い続けなくちゃならない! そこにアリサちゃんを巻き込めるわけないじゃない!!」

「……それでも、それでもアリサの記憶を消すなんて悲し過ぎる。きっと誰もそんなことは望まなかったはずだ。アリサはもちろん、きっとなのはも、本当はそんなこと、望んでなかったはずだ」

 なのはの言わんとすることは、フェイトにも理解できる。大切な人には危険な目に遭って欲しくない。その気持ちは痛いほどわかる。それでもフェイトはなのはの考えを受け入れることはできなかった。

 それはフェイトの目の前でなのはが悲しげな表情を浮かべているから。必死で自分の感情を押し殺し、それでもなおアリサの身の安全のために彼女は記憶を消し去る道を選んだ。そのことがフェイトとて理解できないわけではない。場合によってはフェイトには口出しをする必要すらないだろう。

「もしこれが二人とも納得しての選択だったらわたしは何も言わない。……でもそうじゃない。アリサはもちろん、なのはだって納得していないっていうのがわかっている以上、あなたはわたしが止める。例え力ずくでも、アリサの記憶はわたしが取り戻してみせる」

 そう言ってフェイトはなのはにバルディッシュを向ける。今のなのはとフェイトとの間には、絶対的な魔力の差がある。それでも迷いのあるなのはとなら、十分に勝機はある。フェイトはそう考えていた。



「……フェイトちゃん、ホンキ?」



 しかしバルディッシュを構えたフェイトに対して、なのはは急激に冷ややかな目つきを向ける。つい先ほどまで取り乱していたのが嘘だったかのように、今のなのははとても静かで、それでいて不気味だった。

「あぁ、わたしは本気だ。確かに今のなのははキュゥべえと契約して、わたしよりも強い魔力を持っている。……それでも、わたしは負けない」

 そう言ってフェイトはバルディッシュでなのはに切りかかる。だがなのははそれを受け止めた。ラウンドシールドでもルシフェリオンを使ってでもなく――素手で。電撃を伴った魔力刃を直接掴んでいるはずなのに、なのはは眉一つ動かさない。ただただ冷ややかな瞳をフェイトに向けるのみだった。

「なっ……!?」

「フェイトちゃんがアリサちゃんを思う気持ちは嬉しいけど、それでもわたしは誰にも負けるわけにはいかないから。だから……ごめんね」

 なのははバルディッシュを掴んだまま、もう片方の腕でルシフェリオンを構え、フェイトに砲撃を浴びせる。至近距離から放たれた黒いディバインバスターは、そのままフェイトを飲み込んで、吹き飛ばしていく。なんとか防御しようとしたフェイトだったが、彼女がとっさに展開したラウンドシールドを一瞬で溶かし、そのまま彼女の意識を刈り取っていく。砲撃の中で何度も気絶と覚醒を繰り返し、それでもなおなんとか砲撃から逃れようとフェイトは足掻き続けた。

 どうにか砲撃の中から逃れることができたフェイトだったが、すでにその身は満身創痍の状態だった。身に纏ったバリアジャケットはボロボロに焼け焦げ、飛んでいるのもやっとの状態。それでもフェイトの心は決して折れていなかった。

 だがそんなフェイトに追撃を掛けるかのように、なのははその背後に回り込み、ルシフェリオンを突きつける。そこから感じられる魔力は、先ほどフェイトが喰らったディバインバスターよりも、なお大きなものだった。

「……ごめんね、フェイトちゃん。こんなことしといてなんだけど、できればしばらくの間、アリサちゃんを守ってあげてくれないかな。――わたしにはもう、その資格がないから」

「……ま、待って。なのは」

 なのはの言葉に待ったを掛けようとするフェイト。しかしその間もなく、なのははディバインバスターの二射目を放つ。背後から放たれたそれは、今度こそフェイトの意識を確実に刈り取っていく。

 確かにフェイトはここに来るまでに大部分の魔力を消耗していた。それになのはとの戦力差を見誤ってもいなかった。それでもこのような結果になったのは、純粋な実力差の表れだった。それがフェイトには堪らなく悔しく、それでいて悲しかった。

(わたしに、もっと力があれば――。わたしも、魔法少女になっていれば……)

 フェイトが魔法少女になるチャンスは、もう随分前からあった。もしフェイトが魔法少女になっていれば、ここまで一方的にやられることはなかっただろう。いや、それ以前に最初にキュゥべえから持ちかけられた時に契約していれば、なのはが魔法少女になることもなく、すずかを助けることもできたかもしれない。

 そんな後悔を抱きながら、フェイトの意識は沈んでいく。どこまでも深い闇の中へと、フェイトの心は堕ちていった。



     ☆ ☆ ☆



「……っ!?」

「アルフ、どうかしたの?」

 フェイトの元に向かって飛んでいるアルフの表情が突然、強ばる。フェイトとアルフ、魔導師と使い魔というものは目に見えない絆で繋がっている。故に時たま、フェイトの感情がアルフの中に流れ込んでくる時がある。別の世界にいる時や結界の内と外などはそういったものが流れ込んでくることはないが、今のように近しい距離にいる時に、フェイトが何かしらの強い感情に捕らわれた時は、漠然的だがそれを感じ取ることができた。

 そんなアルフが胸のうちに抱いている感情を一言で表すなら「悔しさ」。どうしてそんな思いがフェイトの中から溢れているのかは、今のアルフには知る由もないが、それでもフェイトが危機的な状況に陥っているということだけはハッキリと理解できた。

「織莉子、悪いけど少し飛ばすよ」

 アルフはそう告げると織莉子の許可をもらう前にその飛行速度を上げて飛んでいく。そうして飛んでいった先に並んで横たわっている二人の少女。それはフェイトとアリサだった。目立った外傷もなく規則正しい呼吸で眠っているアリサと、全身が大きく傷つけられうめき声をあげているフェイト。そんなフェイトの姿を見て、アルフは慌てて駆け寄り、その身体を抱き起こす。

「フェイト!? 一体だれが、こんな……」

「落ち着きなさい、アルフ」

「こんな時に落ち着いてなんて……」

「こんな時だからこそ落ち着きなさいと言っているのよ! ……今は一刻も早くここから脱出してフェイトさんの治療をしなければならない。そうでしょう?」

 織莉子の言葉にアルフはハッとなる。彼女の言う通り、今この場でアルフが泣き叫んだところで何にもならない。今は一刻も早くフェイトを安全な場所に運び、治療を受けさせる必要があった。

「そ、そうだね。それじゃああたしがフェイトを運ぶから織莉子はそっちの……」

「いえ、アルフさん。その必要はないわ。ここは管理局に助力を請いましょう」

 だからこそアルフは、管理局の結界から抜け出し、時の庭園まで戻ることを提案しようとするが、その前に織莉子が自分の考えを告げる。

「なっ…!? なにを言ってるんだい!! あたしたちは管理局と敵対してるんだよ。それなのに管理局に助けを求めるなんて、冗談じゃないよ!!」

 しかしそれに納得できるアルフではない。アルフたちと管理局は敵対関係にある。望まぬこととはいえ、次元世界の法に触れることも数多くしてきたアルフにとって、管理局に助けを求めるのは抵抗があった。

「アルフさん、貴女にとって重要なのは管理局に捕まらないことではなく、フェイトさんの身を守ることでしょう? 本当にフェイトさんの身を案じるのなら、ここで下手に動かすよりも、管理局に任せた方が良いと思うのだけれど」

「そ、それは……」

 だが織莉子の切り返しに、アルフは反論のしようがなかった。フェイトがどの程度、弱っているのかアルフにはわからない。それはつまり、下手に動かせば命に関わる可能性も考えられるということだ。

 そもそもアルフにとって重要なのはプレシアの願いを叶えることではなく、フェイトの幸せだ。そのために甘んじてプレシアのために動いてきたアルフだったが、フェイトの命には代えられない。

 間違いなくフェイトは管理局の助けを受けることに納得しないだろう。しかしそれでも彼女のことを考えればそれが最善のはずだ。

「……わかったよ。あたしはここで管理局の連中がやってくるのを待てばいいんだね?」

「えぇ、管理局の人たちなら、きっとフェイトさんのことを悪いようにはしないはずよ。……尤も、私が一緒にというわけにはいかないけれど」

 そう言うと、織莉子はアルフに背を向け屋上の出口へと向かって歩いていく。

「ちょ、ちょっと待ちなよ、織莉子。あんたはあたしたちと一緒に来てくれないのかい?」

「残念だけれど、私はまだ管理局に捕まるわけにはいかないの。申し訳ないけれど、貴女とは一緒には行けないわ。ゆまさんのことも一人にしておくわけにはいかないしね」

 そう言う織莉子ではあるが、ここで管理局と一緒に行くという選択肢がないというわけではない。しかし織莉子はすでに管理局が一枚岩でないことを視っている。例えリンディを信用して織莉子の知る全てを話したとしても、その情報が管理局上層部に伝われば、どのように動くのか、織莉子にも想像がつかない。もちろんいずれは管理局にもこの世界の運命と魔法少女の真実について話さなければならない時が来るだろうが、それは決して今ではない。織莉子にとって今は管理局よりも優先すべきものが複数存在する。

「……アルフさんには申し訳ないとは思うけど、私には私の目的があるの。その目的のためには一度、プレシアさんと話をしなければならないわ」

 故に織莉子はアルフに別れを告げる。元々、織莉子にとってアルフはフェイトのおまけでしかない。そしてフェイトでさえ、今の織莉子にとってはプレシアのところに向かうための案内人に過ぎなかったのだ。そんな彼女がこうして怪我を負い、意識がない以上、織莉子にとってこれ以上この場に留まる理由は存在しなかった。

「だけどさ、時の庭園に行くにはあたしかフェイトがいないと……」

「私が一方的にプレシアさんに会いたいと願っているのならそうでしょうね。でも最初に私に会いたがったのはプレシアさんの方よ。キュゥべえに伝言を頼めば、きっと迎えを寄こしてくれるはずだわ。もしかしたら今の状況すらもプレシアさんに伝わっているかもしれないわね」

 リンディとの戦いの最中に姿を消したキュゥべえだが、おそらくはどこかに姿を潜ませて様子を伺っているのは間違いないだろう。ならばフェイトとアルフが管理局に捕まったという情報もすぐにプレシアに伝わるはずだ。プレシアが織莉子に何を求めているのかはわからないが、最終的な望みについては視っている。自分の手足となるフェイトとアルフが使えなくなったとなれば、プレシアも少しは焦るだろう。そうなれば迎えの手はきっと早まるはずだ。

「どちらにしても、私が管理局と顔を合わせる時は今ではないわ。本来なら先ほどの戦闘ですら予定外のことだったのだもの。これ以上、未来の方向を変えるわけにはいかないの。だからごめんなさい、アルフさん。これ以上、貴女と行動を共にすることはできないわ」

 織莉子はそう謝ると、再び歩を進め出す。織莉子を引き止めたい気持ちはアルフにもある。彼女の言葉がなければ、こんな状況になってもアルフはただ、フェイトの帰りを待ち続けていたかもしれない。そのことにアルフは恩義を感じていた。

 しかし織莉子の言葉に込められた強い意志。それを感じ取ったアルフは、これ以上の説得は無駄だと悟る。

「……わかったよ。でも織莉子、プレシアには気をつけなよ。フェイトの前ではとても言えないけど、あいつは人の皮を被った悪魔なんだから」

 だからせめて織莉子に対して忠告する。プレシアは自分の研究のためなら何だってする。実の子であるフェイトにすら、無茶な仕打ちをし、それがこなせなければ容赦なく鞭を振るう。もしフェイトやアルフが時の庭園内にいれば織莉子を守ることもできるだろうが、それができそうもないからこそ、織莉子に注意を促したのだ。

「……ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ。プレシアさんが人の皮を被った悪魔というのなら、私は人の皮を被った魔女なのだから」

「へっ? それってどういう?」

 織莉子の予想外の返答にアルフは問いかけるが、織莉子は返事を返すことなく、そのままアルフの前から姿を消す。その謎めいた織莉子の言葉は、その後、アルフの中にしばらく引っかかり続けるのであった。



     ★ ★ ★



 織莉子との戦闘の折に、リンディはアルフの不意打ちでバインドを仕掛けられ、身動きを封じられたが、それ自体は物の一分も掛からないうちに解除することができていた。今すぐ追えば、彼女たちが結界を抜け出す前に追いつくことができる。それがわかっていたリンディだったが、しかし彼女はすぐに二人の後を追おうとはしなかった。

「こうして管理局の人間と直接対面するのは初めてのことだから自己紹介をさせてもらうね。ボクの名前はキュゥべえ」

 それはリンディの足下で、キュゥべえが話しかけてきたからだった。最初はなのはと共に魔女の結界にやってきたキュゥべえは、そこで織莉子と合流したが、先の攻防の最中でなのはにも織莉子にもついて行くことはせず、この場に止まり続けていたのだ。

 キュゥべえは時空管理局という組織に多大な興味を持っている。数多ある次元世界を管理する司法組織。次元世界についてより正確な情報を得ようとするなら多角的視点から情報を集めなければならない。そう言った意味では、管理局の人間というのは、キュゥべえにとって実に都合の良い対象だった。

「あなたがキュゥべえさんね。私は時空管理局提督、リンディ・ハラオウンです。あなたのことは杏子さんからいろいろと聞かされているわ」

「杏子からということは、きっとボクの悪口がほとんどなんだろうね。彼女はボクのことをだいぶ煙たがっているみたいだから」

「確かにそうね。……でも実物は思ったより可愛らしい見た目をしているのね」

 可愛らしいと称しながらも、リンディはキュゥべえに警戒を込めた眼差しを向ける。少女たちの願いを叶え、その上で魔法を使えるようにする人類とは別種の知的生命体。魔法少女の使う魔法は本質的に魔導師が使う魔法とは違う。体内器官であるリンカーコアから技術的に魔力を引き出す魔導師とは違い、魔法少女の魔法はその想いから生まれる。杏子が管理局にいる間、何度も彼女の魔法を計測させてもらったが、彼女の使う魔法は間違いなく次元世界に存在する魔法体系とは全く別種のものだ。

 それを少女の感情から引き出し、さらに願いまで叶えてしまう技術など、リンディは聞いたことがない。まるで自らの意思を持つロストロギアだ。そんなキュゥべえがこのタイミングでコンタクトを取ってきた。その理由がわからないからこそ、リンディは用心していたのだ。

「ありがとう、リンディ。だけどそう警戒しないで欲しいな。ボクはただ、キミたちの住んででいる世界に興味があるだけなんだから。それにそれはキミたちだってボクに興味を持っているのは同じだろう?」

「……その通りね。管理外世界で独自で生まれた魔法体系。管理局員としても一人の人間としても、興味がないわけではないわ。――だけど今はあなたの話を聞いている時間はないの」

 警戒すべき対象とはいえ、キュゥべえから話を聞くのは確かに魅力的だ。今回の事件において、魔女と魔法少女は密接に関わり過ぎている。どのような顛末を迎えるにしても、報告書に記さなければならないだろう。その上でキュゥべえから直接、話を聞くことができれば、より正確に魔法少女と魔女の実態を掴むことができるはずである。

 だが今のなのはと織莉子も捨て置くわけにはいかない。九歳という若さに似合わないほどの魔力を持つなのはと、どこか秘めたる恐ろしさを感じさせる織莉子。そんな二人をこのまま放置してしまうことに、リンディは一抹の不安を抱いていた。

「キミたちの事情は十分に理解しているつもりだよ。でもさリンディ、考えてみなよ」

 そう言いながらキュゥべえは軽快なステップを踏みながらリンディの肩の上まで上っていく。

「ボクを連れて行くことになにか不都合なことがあるかい?」

 肩に乗っているはずなのに、キュゥべえからはほとんど重みを感じない。このまま走ったり、飛んだりしても何の不都合がないほどまでに、キュゥべえからは重みがなかった。

「それにボクがいれば織莉子やなのはがその足を止めてくれるかもしれないよ。なんたって彼女たちを魔法少女にしたのは、他ならぬボクなんだからね」

「……確かに、そうかもしれないわね」

「なら早速、織莉子たちの元に向かおう。ボクにとってもキミにとっても、こうして足を止めている時間は勿体ないからね」

「……そうね」

 どこか釈然としない思いを感じながらも、リンディはキュゥべえを抱えながら飛び始める。今は迷っている時間はない。キュゥべえと話を聞く機会を見逃すことも、なのはや織莉子たちを逃すこともリンディにはできないのだ。

 正直なところ、このままキュゥべえを連れていくことに不安はある。それでもキュゥべえを連れていくことを選んだのは、やはりキュゥべえについての情報が圧倒的に不足しているからに他ならない。

 魔女と戦う上で、キュゥべえの情報は少なからず重要になってくる。キュゥべえがどのような目的で動いているのか。どのような技術を用いて少女たちの願いを叶え魔法少女へと変えるのか。そもそもキュゥべえは本当に自ら意思を持つ人類とは別種の知的生命体なのか。そのすべてが未だに明かされてはいないのだ。それらの情報を得られる機会をみすみす逃す手はない。

 ――しかしその判断が、結果的に重大な過ちを生むことになるとは、この時のリンディにはまだ、知る由もなかった。



2013/9/16 初投稿
2013/9/22 サブタイトル変更。および誤字脱字修正



[33132] 第11話 わたしはアリシア その1
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/10/06 18:04
前書き
 感想版では何度か触れてましたが、第10話のサブタイトルを変更しました。
 内容自体は少し誤字脱字を修正した程度なので、特に読み返す必要はありませんので、ご安心ください。

 それでは本編どうぞ!




     ☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★





 アルフたちと別れた織莉子はゆっくりとした足取りで結界の中を歩いていく。本来ならば管理局に狙われている彼女にのんびりしている余裕などない。しかし織莉子がアルフたちとの別れ際に視えたほんの数分先の未来。それを視たからこそ、織莉子は真っ直ぐプレシアの元に向かおうとはせずに寄り道をする未来を選んでいた。

「……さてと、そろそろいいでしょう。そこにいるのはわかっているわ。アリサさんもフェイトさんも近くにいないことだし、いい加減出てきたらどうかしら?」

 そう言う織莉子の背後から出てきたのは、なのはだった。アリサの記憶を奪い、フェイトを撃墜し去ったように見えたなのはだったが、実はまだこの結界の中に止まり続けていた。フェイトにアリサを託したとはいえ、なのはは彼女を必要以上に傷つけてしまっている。いくら管理局の結界の中とはいえ、何が起こるかわからない。だからなのはは気配を殺して、二人が無事に保護されるまで見届け続けたのだ。

「……どうしてわかったの? わたしがここにいるって」

「それはなのはさんの魔力が強大過ぎるからよ。この結界の中にはなのはさんの魔力が充満しているけど、それでも近くに本人がいればなんとなくわかるものよ」

 尤も、織莉子がなのはの接近に気づくことができた理由はそれだけではない。今、織莉子が一人になれば必ずなのはが現れる。そんな未来を視たからである。

「それにしても、貴女もずいぶんと無茶な真似をしたものね。アリサさんと決別するために彼女の記憶を消してしまうなんて」

 なのはとアリサの間で行われたやりとりについても、織莉子は未来視を介してすでに把握している。というより、織莉子はそれを見越して彼女たちを二人っきりにしたのだ。

 もちろん織莉子とて、なのはがそんな強硬手段を取るなどということを予測していたわけではない。あくまで今後、戦いの中に身を投じる上で迷いを断ち切って欲しい。そう思い、彼女たちを二人だけにしたのだが……それがまさかこのような結果になるとは思いもよらなかった。

「でもね、なのはさん。わたしの個人的な意見を言えば、アリサさんの記憶を消すべきではなかったと思うわ」

 なのはとて望んでアリサの記憶を消したわけではない。あくまでアリサを危険な世界から遠ざけるため。そのことは織莉子にも理解できる。しかしそのためになのはは、自分たちが築いてきた今までの思い出を踏みにじった。そのことに織莉子は悲しみを覚えた。

「……織莉子さんまでそんなことを言うんですか?」

「私だからこそ言えるのよ。……っと話の続きはこの結界を抜けてからにしましょう。ここにいたらまた管理局の人たちが私たちを捕まえにやってこないとも限らないものね」

「……そうですね。アリサちゃんのことはともかく、織莉子さんにはきっちりと聞かせてもらいます。これからわたしたちが戦うべき敵がいったいどういう存在なのかを」

「ふふっ、随分と頼もしいことを言ってくれるのね。それじゃあ行きましょうか」

「……はい」

 そう言って二人は飛び上がる。なのはに引っ張られるようにして空を舞った織莉子が結界を抜け出すのに、大した時間はかからなかった。 



     ☆ ☆ ☆



 結界内に残された魔力の残滓。それを辿って駆けつけた先でリンディたちが見たものは、倒れ伏すフェイトとアリサ、そしてそんな二人を守るように立ち塞がるアルフの姿だった。

「あなたは確か、アルフさんだったわよね? いったいなにが……」

「待て、それ以上近づくんじゃない!!」

 状況を確認しようとしたリンディをアルフは強く止める。その態度は敵意を向けているというより、こちらを用心しているような対応だ。しかもそれはどちらかと言えばリンディに対してではなく、キュゥべえに向けられたものだった。

「……キュゥべえ。どうしてあんたが管理局と一緒にいるんだい? あんたはゆまと一緒に待ってたんじゃなかったのか!?」

「勘違いしないで欲しいな。今でもボクはゆまと他愛のない話に興じているところだよ。ここにいるボクは、また別の個体さ。……ところで、なにがあったんだい? アリサはともかく、フェイトは重傷じゃないか」

 キュゥべえの言葉にリンディはアルフの背後にいる二人に注意を向ける。キュゥべえの言う通り、フェイトには無数の傷があり、時折苦しげに表情を歪めている。その隣に眠っているアリサが安らかな表情をしているためか、その差が顕著に感じられた。

「その話は後だ。……それよりもあんた、管理局の人間なんだろ?」

「ええ、時空管理局提督、リンディ・ハラオウンです」

「提督ってことはあんたが今、地球にやってきている管理局員の中で一番のお偉いさんって事だな。なら都合がいい。フェイトを……いや、二人を助けてやってくれ!」

 アルフは勢いよく頭を下げてリンディに懇願する。その態度は、先ほど織莉子を助けに入ってきた時とはまるで別人のようなものだった。

「頭を上げて、アルフさん。二人をアースラで治療するのは構わないわ。だけどその前に一つだけ聞かせて。織莉子さんやなのはさんはどうしたの?」

「……織莉子はどこかに姿を眩ましたよ。自分がいると、管理局と話が拗れるかもしれないって。なのはって子に関しては、あたしがこの結界に入ってからは一度も姿を見てないよ」

「……そう」

 事ここに至ってアルフに嘘をつく理由はない。おそらく織莉子もなのはもすでにこの結界から抜け出しているのだろう。だがそれと同時にリンディは、織莉子の計算高さに恐れを抱いた。織莉子はリンディが傷つき助けを求めた者を前にし、どのような行動を取るのか、完全に把握していた。故にフェイトとアリサという撒き餌を蒔いて、自身は悠々と姿を眩ましたのだ。

「……アルフさん、フェイトさんたちを治療するのは構わないわ。だけどそれが終わったら、詳しい話を聞かせてくれないかしら? ここでなにがあったのかはもちろん、あなたたちがどうしてジュエルシードを集めていたのかもね」

「それでフェイトたちをきちんと治してくれるのなら」

 アルフの返事を聞いたリンディは大きく頷き、素早くフェイトに駆け寄る。近づいてみると、その身体は大きく熱を持っていることがわかる。傷は見た目ほど深くないのだろうが、それでも魔力と体力の消費が激しく、このまま放置しておくのは危険過ぎる状態だった。

「エイミィ、状況は把握しているわね。今すぐ二人をアースラの医務室に運び込むから、治療の準備をしておいてちょうだい」

 リンディはそんなフェイトに治癒魔法で応急処置を行いながら、アースラにいるエイミィに通信を飛ばす。リンディは医療の専門家ではないし、何よりこの場には十分な設備がない。アリサの状態も診なくてはならない以上、必然的にアースラで本格的な治療を受けさせる必要があった。

『わかりました。それじゃあ今から五秒後アースラに転送します。それと艦長、実は……』

 そんなリンディの指令を聞いたエイミィはどこか戸惑いが混じった声で返事をする。

「どうかしたの? エイミィ?」

『いえ、これについてはアースラに戻ってきてからお話しします』

 どこか真面目な声色で話すエイミィの態度に疑問を抱く中、リンディたち四人と一匹の足元に魔法陣が展開する。そうしてアースラに転送されたリンディたちを待ち受けていたものは、予想外の事態だった。



     ☆ ☆ ☆



 なのはと合流した織莉子たちが管理局の結界を抜け訪れたのは、魔女の創り出した結界の中だった。管理局の結界を抜けたところで、今の海鳴市には無数のサーチャーが飛び交っている。織莉子はともかく、未だに膨大な魔力を完全にコントロールできないなのはには、その捜査網から逃れることはできないだろう。

 しかしいくらサーチャーといえど、魔女の結界の中までは探知することができない。結界の内と外では、ほとんどの情報が遮断される。そんな性質を逆手にとり、二人は魔女の結界の中に身を潜めることにした。もちろん辺りには魔女や使い魔が複数いたが、今のなのはにとってそれは物の数ではない。二人は結界に巣食う魔女を駆逐しながら、念話で話し始めた。

【話をするとは言ったけれど、今の私にはなのはさんが聞きたがっていることをすべて話している時間がないの。だからとりあえず必要最低限のことだけを伝えるわね】

 そう前置きして織莉子が語ろうとするのは、今まで彼女が胸の内に秘めてきた破滅の未来に関する情報の真実だった。それはキリカにも伝えることのなかった、織莉子の抱える深い闇。本当なら誰にも言わずに済まそうと思っていた情報だ。

 それでもなのはに話そうと思ったのは、彼女が世界を救う上で鍵となる少女の一人だからだ。彼女の持つ力は滅びの未来を回避することも、逆に世界を滅ぼす道に誘うこともできる。それは織莉子が求めても手に入れられない絶対の力だ。

【まず大前提として言っておくけれど、この世界に滅びをもたらす運命は決して一つではないわ。私が見た未来、それは例外なく滅びの運命を辿っていたけれど、滅びの形は様々だったわ。だけど一つだけ確かなのは、滅びの日は今年のクリスマス前後。つまり、この世界の寿命はあと半年ほどしかないのよ】

 言葉にすれば数行程度の漠然とした事実。しかしそれはこの世界に生きるものにとって、とても重大な現実だった。突きつけられた事実の大きさに、なのはは言葉も出ない。だがそんななのはに対して織莉子はさらに言葉を続けていく。

【私も正確なところをきちんと把握しているわけではないわ。それでも大まかに分けてこの世界を滅びへと導く可能性は三つのパターンがあると考えられる。一つは破滅的な力を持つ魔女が誕生し、星を喰らう未来。二つ目の滅びはある少女が叶えた奇跡から生まれる滅び。そして最後に人々が知らないところで、緩やかに世界が滅んでいく未来よ。――もちろん、今語った要因以外でも、世界の滅び方はあるのでしょう。でも目下、対策しなければならないのは、この三つ。尤も、三つ目に関しては私たちの力ではどうにもならないのでしょうけどね】

 織莉子が言う三つ目の滅びというのは、この世界、延いてはこの宇宙の寿命についてのことである。それを延ばす役目を担っているのは人類でも魔法少女でもない、キュゥべえだ。他の二つの滅びはともかく、宇宙の寿命を延ばさなければ滅んでしまうのは、キュゥべえとて同じなのだ。そう言った意味では、この三つ目の滅びに対してのみ、人類とキュゥべえの利害は一致しているとも言えるだろう。

 しかしキュゥべえは宇宙を救うためなら惑星の一つを犠牲にすることぐらい、何とも思わない。何よりキュゥべえは次元世界を知ってしまった。地球よりも遙かに高品質で大量のエネルギーを採取できる世界を知ってしまったのだ。ならば宇宙を一時的にでも延命させるために地球を滅ぼすことを躊躇する理由はない。そのために織莉子が視た他二つの滅びの未来を誘発する可能性も十分にあり得た。

 故に織莉子はキュゥべえに自分の動きを極力、悟らせないように動いていたのだ。キリカの一件でそれも露見してしまったが、それでもまだ、キュゥべえに織莉子の狙いは気付かれていない。それならば、まだやりようはある。

【この世界の寿命を延ばす方法に関しては、私に少し考えがあるわ。だからなのはさんには残りの二つの滅びについて説明するわね。といってもこの二つに関しても、確定と言える情報はあまり提供できそうにないのだけれど……】

 織莉子の未来視というのは、それが未来の事象であればあるほど、その精度が下がっていく。それでも最終的には先に話した三つの滅びの未来のどれかに繋がってしまうのだから、この世界が絶望的な状況の上に成り立っているというのは間違いない。そして何度も何度も未来視をしてきたからこそ、その統計によって導き出された情報はある程度の信憑性はあるものだと考られた。

【まずは一つ目、魔女によってもたらされる滅びに関してだけど、これはなのはさんにもイメージしやすいわよね。絶望を撒き散らすというのが全ての魔女に共通している性質。普通の魔女ならそれほどの脅威にはならないけれど、中には非情に強い力を持つ魔女もいる。そしてその中には身を隠すための結界を必要とはせず、直接この世界に顕現しうるものもいる。そういった強大な力を持つ魔女によってもたらされる未来のことよ】

 今までもなのはは様々な魔女と戦ってきた。ジュエルシードを吸収した魔女や互いに喰い合い、さらなる力を付けた魔女など、普通の魔女とは一線を画す魔女とも渡り歩いてきた。しかし今、織莉子が語っている存在はそういった魔女よりもさらに上の存在だ。

【ただ勘違いしないで欲しいのは、世界を滅ぼすほどの力を持つ魔女は一体だけではないってことよ。一体だけでも世界を滅ぼしかねない強大な力を持っている魔女が、この世界には複数存在している。そしてそれらが一斉に動き出せば、それこそ世界の滅びは防ぎようがないでしょう。だからなのはさんにはまずはこう言った魔女を一体ずつ駆逐していってもらいたいの】

 今のなのはの力を持ってしても、単独でそういった魔女と対峙するのは厳しいだろう。しかもそれが複数同時に現れる可能性があるとなればなおさらだ。それでも仕留めなければならないのだから、万全を期す意味でも出現ポイントを予測し、確実に一体ずつ駆逐していく必要があった。

【だけどね、滅びをもたらす魔女になるということは、元はとても強い力を持つ魔法少女である可能性が高いということよ。魔法少女として強大な力を持つが故に世界を救うことができ、そしてそれ故に世界を滅ぼすことになる。どういうことか、わかるわよね?】



【……つまり織莉子さん、わたしが世界に滅びをもたらす魔女の一人ということなんですね】



 織莉子の問いかけにそれまで黙って話を聞いていたなのはがようやく口を開く。その声はとても重々しいものだった。

【その通りよ】

 なのはの言葉に織莉子は何の感情も込めずに言葉を返す。魔法少女になるリスク。それは絶望し魔力が枯渇すれば魔女に転化するということだ。そして今のなのはは間違いなく現存する魔法少女の中で最強の存在だ。それ故に最悪の魔女になり得る可能性は十分にあった。

【なのはさん、貴女は世界を救うことができるでしょう。でもその果てに世界を滅びに導くのは貴女自身かもしれない】

 仮になのはが世界中の魔女を倒しきったとしても、その先に待ち受けているのは魔力の枯渇だ。魔女がいなくなれば魔法少女の魔力回復の手段がなくなる。そうなれば身体を動かすだけで魔力を消費してしまう以上、いつかは魔女になってしまうだろう。それもただの魔女ではなく、最凶最悪の魔女に。

 そう考えたなのはは思わず、自分のソウルジェムに視線を向ける。紫色に輝くなのはのソウルジェム。穢れる度にグリーフシードでこまめに回復をし続けているためか、今のところは穢れ一つなく美しい輝きを放っている。しかしもし、この中が穢れでいっぱいになってしまえば、なのはは世界を救う側から滅ぼす側へと回ってしまう。そのことが彼女にはとても恐ろしく感じられた。

【一応、釘を刺しておくけれど、決して自分のソウルジェムを砕いてしまった方がいいだなんて考えてしまってはダメよ。もちろんいずれはそうする必要が出てくるかもしれないけれど、それは決して今じゃない。……尤も、自分で自分のソウルジェムを砕くことができる魔法少女なんて、一握りぐらいしかいないでしょうけどね】

【それってどういう?】

【ソウルジェムは魔法少女にとっての弱点であり、命そのものでもある。でもね、これが砕ければ魔法少女は魔女にならずに済む。……だけど事はそう簡単な話ではないの。ソウルジェムを砕くと言うことは、自らの手で自らの魂を砕くということ。――だけど果たしてキュゥべえがそんなことをできるようにしていると思う?】

 しかし世の中、そう甘くはない。キュゥべえの目的は人類から発生する感情エネルギーを回収すること。その効率を上げるために彼らは少女を魔法少女にし、魔女にする。だがもし、魔法少女の真実を知って魔女になることを拒んだ少女が自らその命を絶とうとしても、果たしてそれは可能なのだろうか?

【この世界には七十億人の人類がいるとはいえ、その数は決して無限ではないわ。それも魔法少女になり得る素養を持つ少女となれば、さらにその数は少なくなるでしょう。もしそんな少女にあっけなく死なれてしまえば、それはキュゥべえにとっての損失よ。大を救うために小を犠牲にすることも厭わないキュゥべえが、その点を見過ごしているとは思えない】

 キュゥべえにとって人類は宇宙を肥やす為に存在している家畜としか考えていないだろう。それなのに彼らは魔法少女となった少女たちに、魔女の退治を示唆している。そういうストーリー性は少女たちの乙女心を刺激し、契約に結びつけるのに役立つのはわかる。しかしそれで魔女に返り討ちに遭い、肝心のエネルギー回収が遅れてしまえば、それでは本末転倒だ。

 だからこそキュゥべえは、魔法少女と行動を共にしているのだ。特に新米の魔法少女に対しては戦い方や魔法の使い方まで伝授している。そうして魔力を使わせることで、ソウルジェムの穢れを早め、そしてエネルギーを回収し不要になった魔女を排除させているのだ。

 キュゥべえは何よりも効率を重視する。感情がなく、ただ宇宙の寿命を延ばすという目的のためだけに、彼らは行動している。だからこそ魔法少女がいずれ魔女になるという情報を明かさずに、少女に契約を持ちかけているのだ。もし魔法少女が魔女になることを知れば、多くの少女が契約を拒むのをわかっているから。

 本来、魔法少女がいずれ魔女になるということは、魔法少女には伏せられている情報である。しかしそれを知れば、多くの魔法少女は絶望するだろう。それは魔力消費を高め、魔女に転化する速度を速めることを意味する。そして魔女にならないために自らのソウルジェムを砕こうとする魔法少女が出てくるのは容易に想像できるはずだ。

【だから私はこう思うの。自らのソウルジェムを砕くことはできない。仮に砕こうとしても身体がうまく動かすことができなくなるってね】

 魔法少女になった少女は、すでにキュゥべえに身体の構造を作り替えられている。ソウルジェムという形でその魂を体外に摘出されているのがその証拠だ。だが果たしてキュゥべえに弄られたのは、魂に関わる部分だけなのか? 

【私たちの魂はソウルジェムに作り替えられている。だけどそれと同時にこの肉体も魔女と戦う上ですぐに壊れないように強化されているの。肉体のリミッターを緩め、痛みをも遮断している。だからこそ魔法少女は普通の人間よりも優れた運動能力を持っているのよ。でもそんな風に人体をキュゥべえが弄れるのなら、例えば自分のソウルジェムを砕こうとするなどといった行動に対して、なんらかの制限が掛けられていたとしてもおかしくはないはずよ】

 これはあくまで仮説だが、それでも織莉子はこの仮説が正しいものだという前提で行動していた。本当は真実かどうか確かめたいところだが、確かめるわけにもいかない。もし仮説が間違っていたとすれば、その時点で自分自身の手でソウルジェムを砕いてしまうことになるのだから。

【それじゃあ、いざという時、自分でソウルジェムを砕くことはできないってことですか?】

【いえ、必ずしもそうとは限らないわ。すずかさんの例を思い出して。彼女が死んだのはキリカと相討ちになったからだけど、でもだからってキリカがすずかさんのソウルジェムを砕くことができたというわけではないわ】

 だが何事にも抜け道はある。すずかは自分の持てる力の全てを解放し、キリカに特攻した。そしてキリカの肉体ごとソウルジェムを滅し、その反動で自身の肉体やソウルジェムも滅びた。結果的には相打ちとはいえ、決して向かってくるすずかにキリカが対応できたわけではないのだ。

【これは想像の域をでないのだけれど、ソウルジェムには許容量があって、それを越える魔力を扱うと砕けてしまうのではないかと、私は考えているわ。もちろん個人差はあるでしょうけどね】

 事実、すずかはキリカに対して一方的に嬲られていた。それでも最終的に勝利したのはすずかである。その命を犠牲にはしたものの、それは揺るぎない事実だ。

【だからもし、本当に勝てない相手と遭遇したのなら、その時は……】

【自分の命をかなぐり捨ててでも、その相手と差し違える覚悟で挑めばいいってことですね】

【……まぁそれも間違いないけれど、私としてはできればその場では無茶をせずに逃げに徹して欲しいところね。例え、目の前にいる魔女を倒すことができたとしても、この世界に滅びをもたらす可能性のある魔女は何体もいる。もちろん倒せるに越したことはないけれど、その結果なのはさんが死んでしまっては元も子もないわ】

 いずれは命を賭けて戦わなければならない時が来る。しかしそれは決して今ではない。滅びが約束された日まで、まだ半年以上もあるのだ。海鳴市は絶望的な状況だが、世界的に見ればまだ急を要する自体でない以上、今から無茶な戦いをする必要はない。

【……それでも、わたしは逃げ出したくない。だってわたしはすずかちゃんの大好きだった日常を守るために、この力を手に入れたのだから】

 だが織莉子の言葉になのはは納得することができなかった。なのはは人々が暮らす日常を守るために戦っている。故に彼女は例え、自分の命が危機に陥ったとしても、一般人を見捨てようとはしないだろう。例えその場に自分以外は誰もいなくても、敵前逃亡したことでその魔女が破壊をもたらすことがわかっているのなら、彼女はその場に留まり命を賭してでも戦い続けるだろう。

 しかし織莉子の目的はあくまでこの世界を救うこと。世界を救うためには多少の犠牲は厭わない。もちろん知り合いなどが死ぬことに心を痛めるが、それでも結果的にそれが世界の救済に繋がるのなら、織莉子は容赦なく他者や自分の命を捨てる選択を選ぶだろう。

 結局のところ、なのはと織莉子とでは戦う理由が違う。相手にする敵は同じでも、その戦う理由が違う以上、状況判断の仕方に齟齬が生まれるのは至極当然の話であった。

【……そのことについては、またいずれ話し合う必要がありそうね。でも今は一端、置いておいて本題を続けましょう】

 そんななのはの意思を変えることのできないと悟った織莉子は、話の軌道を元に戻す。そのことに対して、なのはにも異論はなかった。

【魔女による滅び。これを回避するのは実に簡単よ。強大な力を持つ魔女を駆逐し、なおかつ私たち自身が魔女にならないようにすること。すでに魔女として再誕しているものについては仕方ないけれど、そうすることで敵も極力減らし、魔女による滅びを回避することができるわ。そしてもう一つ重要なのが、これ以上、魔法少女を増やさないようにすること。……尤も、こちらに関しては止めるのは中々難しいのだけれどね】

 現状、この世界が年越しを待たずとして滅ぶことを知っているのはなのはと織莉子の二人のみ。それに対してキュゥべえの数は圧倒的に多い。いくら二人が目を光らせたところで、キュゥべえの契約を止められるはずがない。今、こうして話している間にも、キュゥべえはなのはたちの知らぬところを新たな魔法少女を生み出しているのかもしれない。そうして生まれた魔法少女が魔女になり、世界に絶望を撒き散らす。その中にはいずれ、世界に滅びをもたらすほどの素養を持つ少女もいるかもしれない。

【……それに魔法少女が増えれば、その中に私たちと敵対する人物もいるかもしれない。なのはさんの力は素晴らしいけれど、それでも同じ人間相手に使いたいとは思わないでしょう?】

 正義のために魔女と戦っている魔法少女など、ごく一部だ。多くの魔法少女は自分が生き残るため、自分の魔力を回復するために魔女と戦っている。そして中にはより多くのグリーフシードを得るために、他の魔法少女を排斥するような相手もいる。

【確かにそうですけど、でもお話しすればきっとわかってもらえると思うんです。だってわたしたちの力は、平和を守るためにあるんですから】

 それでもなのはは信じていた。魔法少女が正義を為そうとする希望の存在であると。いずれは魔女になり、絶望を撒き散らすことになるのだとしても、それでも魔法少女でいる間は人々のため、この世界のために戦うことができるはずだ。

【……果たしてそうかしら? なのはさんは魔法少女があたかも希望を持って戦っていると思っているようだけど、決して皆が皆、そう言った考えの元で戦っているわけではないのよ? 魔法少女の中には魔女になる前から破滅的な考えを持って戦っているものもいる。結界の中でのキリカと遭遇しているなのはさんなら、そのことはわかっていると思っていたのだけれど……】

 すずかを圧倒したキリカの力の源は決して希望の類ではない。恨みや憎しみといった負のエネルギー。そういったものがキリカに力を与えていた。ただ何の目的意識もなくジュエルシードの魔力を引き出したところで、あそこまで一方的にすずかほどの魔法少女を嬲ることはできなかっただろう。

【……まぁキリカの例は特殊だけれど、そうでなくとも誰かに対する憎しみや恨みからキュゥべえと契約し、魔法少女になる子も少なからずいるはずよ。そう言った子に関して言えば、ある意味で魔女よりも厄介な敵になるでしょうね】

【魔法少女が……敵?】

【えぇ、そうよ。そしてそれこそが二つ目の滅びの未来。ある魔法少女から始まる滅びの運命。残念ながらまだその魔法少女がどこの誰で、どうしてこの世界を滅ぼそうとしているのかはわからないけれど、その滅びの未来は確実に存在している。魔女による滅びの影で暗躍し、世界を滅びに導いていく存在がね】

【本当にそんな人がいるんですか?】

【正直なところ、まだ確証はないわ。魔女による滅びや宇宙の寿命と違って、これに関しては私の未来視でも正確なヴィジョンを視ることができてないの。でも決して魔法少女は正義の味方じゃあない。彼女たちが戦うのはあくまで自分のため。私や貴女のように世界のために戦うなんて目的意識を持っている魔法少女なんて、それこそ一握りしかいないの。だからなのはさん、相手が魔法少女だからって決して気を許しては駄目よ】

 織莉子がそこまで言ったところで周囲の結界が消滅する。それは二人がこの結界内に存在していた魔女を全て倒しきったことを意味していた。

「……どうやら今日の話し合いはここまでのようね」

 現実世界に戻った織莉子は私服に戻り、なのはにそう告げる。結界の外に出てしまえば、今のなのはの強大な魔力を隠し通せるものではない。すぐにこの場所も特定されてしまうだろう。このまま別の結界に入って話の続きをすることもできるが、これ以上プレシアを待たせるわけにもいかないだろう。

「ちょっと待ってください。織莉子さん、わたしにはまだ聞きたいことが……」

「なのはさん、貴女がこの世界を真に救いたいと願うなら、すぐにでも再会することができるはずよ。その時に、今は話せなかった話をしましょう。当面の敵のことはもちろん、平和になった時に何がしたいのとかね」

 まだ話足りないなのはに対し、織莉子はやんわりと告げる。その言葉になのはは返答を窮す。

「織莉子さん、わたしはもう……」

「平和な日常を楽しむ資格なんて、誰にも必要ないわ。普通の人間だろうと魔法少女だろうと、平和な世界を謳歌する権利はあるはずよ。だからなのはさん、次に会う時までに未来を救った後、何がしたいのかを考えておきなさい」

 織莉子はそう言ってなのはの頭を優しく撫でる。不思議とそれがなのはには心地よく感じられた。

「それじゃあなのはさん、私はもう行くわ。貴女の未来に幸あらんことを」

 そう言って織莉子はなのはに背を向け、歩き始める。そんな織莉子の背中が見えなくなるまで、なのはは見つめ続けていた。



2013/9/23 初投稿
2013/10/6 最新話表記を削除



[33132] 第11話 わたしはアリシア その2
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/10/06 18:21
 アースラに戻ったリンディを待ち受けていたのは、傷だらけになって医務室で治療を受けているクロノと杏子の姿だった。クロノは二つの刺し傷を負い、現在は集中治療室で治療を受けている。杏子は意識こそはあるものの、その背中に大きな深い火傷を負い、時折り苦しげに表情を歪めていた。

「すいません、艦長。本当は早くに伝えるべきだと思ったのですが……」

「……いえ、あなたの判断は正しいわ。もしこのことを知っていれば、私はきっと冷静ではいられなかったもの」

 エイミィの言葉にそう答えるリンディの表情は暗い。アースラの医務室に用意されているベッドの数は四つ。現在ではそのすべてが埋まっている。

「それでエイミィ、クロノと杏子さんの様態はどうなの?」

「杏子の方は命には別状はないみたい。普通の人間があれほど酷い火傷を負えば、本当ならすぐにでも外科的治療を施さなきゃならないけど、魔法少女の持つ身体能力のおかげで治癒魔法だけでも傷は癒えているみたい。もちろんしばらくは絶対安静ですけどね。……だけどクロノくんの傷はどちらも致命傷らしくて、どうなるかわからないって」

「…………そう」

 エイミィの言葉にリンディは短く呟き、目元を抑える。溢れ出そうになる感情を堪えるかのように、リンディはその場に立ち尽くしていた。

 結局、彼女が現場に出向いたところで為した成果と言えば、キュゥべえとコンタクトを取ることができただけである。織莉子という存在を視認し、なのはが魔法少女になって膨大な力を手に入れたことも知ることはできたが、彼女たちに逃げられてしまっては意味がない。今も管制室では必死にその足取りを追っているが、一向に見つかる気配はない。おそらくは魔女の結界の中に隠れているのだろうが、それがわかったところで見つけ出す術は今の管理局には存在しない。海鳴市に発生している魔女の結界が数個ならまだ見つけようはあるが、市内全域にこうもたくさんの数の結界がある現状では、虱潰しに探していくことすらできなかった。

「……行きましょう、エイミィ。ここにいても治療の邪魔になるだけだわ。それに私たちには、話を聞かなければならない相手もいることだしね」

「……待てよ」

 そう言ってリンディたちは執務室を後にしようとするが、その背後からそれを呼び止める声があった。リンディは背後を振り返るとその声の主が横たわっているベッドの元に歩み寄り、その名を呼ぶ。

「何かしら、杏子さん」

 ベッドにうつ伏せに横たわりながら、現在進行形で医務官による治癒魔法が施されている。その剥き出しになっている背中の火傷は未だに痛々しく、また医務官の治癒魔法が効きにくいのか一向に塞がる気配がなかった。

「呼び止めて悪かったな、リンディ。だけどどうしても一つだけ、言っておかなきゃいけないことがあってな」

 そう言うと杏子はゆっくりとその身体を起こそうとする。身体を動かすたびに背中の火傷が痛み、その表情を苦痛に歪ませる。治癒魔法を掛けていた医務官の制止の声を無視して、そのままベッドから立ち上がる。



「リンディ、もしクロノが死んだらあたしを恨め。あいつに致命傷を負わせたのはあたしなんだから」



 そして真っ直ぐリンディの目を見つめて、自分の罪を告白した。結界の中でルシフェリオンブレイカーが杏子たちに襲いかかった時に起きた出来事。それをリンディは、ただただ黙って聞いていた。

 すでにそのことを杏子はエイミィを始めとした管理局員には語っている。それでも杏子はクロノの母親であるリンディに直接、その事実を告げたかったのだ。

「あの砲撃を短時間とはいえ、その身に受けたあたしだからこそわかる。もしあの砲撃に飲み込まれていれば、あたしたちは三人とも死んでいた。……だからこそ、あたしはクロノに感謝してるし、それと同時に愚かだと思う。だってあいつは一人で逃げ出すこともできたんだからな」

 クロノの負った二つの裂傷。一つは電撃を伴った斬撃。そしてもう一つは鋭い刃物による刺し傷。それは紛れもなくフェイトのバルディッシュと杏子の槍によるものだった。フェイトの斬撃は非殺傷設定で放たれたものなので、そこまで深い傷ではないだろう。しかしそんな便利なものなど、魔法少女には存在しない。さらに攻撃が同時に行われたのが致命的だった。前方から行われた杏子の刺突と背後からのフェイトの斬撃。結果としてフェイトの斬撃に押される形で杏子の槍はクロノの腹部に深々と突き刺さり貫通した。

 もしもクロノがフェイトや杏子のことを助けようとはせず、単独で転移魔法を使っていれば、彼は無傷で脱出することができただろう。しかしクロノはそうはせず、敵であるはずの杏子やフェイトを助けた。そこにどういった理由があったのかは、今の杏子にはわからない。だが一つだけ確かなのは、クロノが死にかけているのは自分たちのせいだということだ。

「……ホント、あの野郎は馬鹿だよ。敵であるあたしたちを庇って死にかけてるんだから」

 だからこそ、杏子は心ないことを言って自分の感情を誤魔化そうとする。しかしいくらやせ我慢したところで、その瞳からは涙が止まらない。それは肉体の痛みからではなく、心の痛みから流れ出る杏子の叫びだった。

「……馬鹿さ加減なら杏子さん、あなたも負けていないはずよ。その背中の火傷もクロノとフェイトさんを庇おうとして負ったものなのでしょう? ならあなたが罪の意識に苛まれる必要はないわ。あなたもクロノも自分で傷つく覚悟で他者を守ろうとしたのだから。……もしそれでも納得できないというのなら、あなたは絶対に生き残りなさい。それが命を賭けてあなたを守ろうとしたクロノに対しての最大の感謝の示し方なのだから」

「……そう、かもな」

 リンディの言葉に杏子は短く呟く。その言葉は今の杏子にとってとても重たい言葉だった。そもそもあのような状況を作り出したのは、杏子がフェイトに肩入れしたからに他ならない。ゆまのことがあったとはいえ、杏子は管理局に協力関係を続けていれば、いずれはフェイトの口からその居場所を聞くこともできただろう。

 クロノやリンディを初め、杏子は管理局の局員とも親交を深めていた。それでも彼女はあの時、フェイトを逃がすことを選んだ。自分の実力ならば、フェイトを逃がし、ゆまと合流することは容易い。そんな杏子の傲慢さがこの結果を生みだしたのだ。

「……リンディ、あたしに聞かせてくれるか。あの後、結界内で何があったのかを」

 そう言う杏子の視線の先にはフェイトとアリサの姿があった。アリサに関しては落ち着いた寝息を立てて眠っているだけだが、フェイトは杏子と同様に医務官の治癒魔法をその身に受けながら眠っている。杏子とは違い、その治癒魔法は確実に効いているようで、徐々にその表情は安らかなものへと変わっていったが、それでも杏子は気が気ではなかった。

 砲撃から逃れた時、フェイトは確かに無傷だった。魔力の消耗はあったものの、杏子とクロノの手によって彼女はほとんどダメージを負うことなく生還した。それにも関わらず、今の彼女はこうして杏子の隣で治療を受けている。

 さらにそんなフェイトを励ますように寄り添うアルフ。管理局と敵対している彼女がここにいること自体、杏子にとっては気が気ではなかった。

「それについてはボクの方から説明させてもらうよ。おそらく結界の中で起きたことに関しては、ボクが一番よく知っているだろうからね」

 さらにこの場に同席しているキュゥべえの存在。リンディたちについてアースラまでやってきたと言うが、それはつまりキュゥべえもまたあの結界の中にいたということだ。それだけでも驚きなのに、今はこうしてアースラの中にいる。――砲撃から逃れた後、フェイトと別れていた時間は三十分にも満たない。その間にこのような状況が生まれるとは、誰に予想できただろう。

「……あの砲撃がてめぇと契約したなのはの仕業、だって?」

 だがキュゥべえの口から語られた事実。それこそが杏子にとって一番の驚きだった。自分の身を未だに蝕む砲撃を放ったのは魔法少女になったなのは。杏子たちを狙って放ったものではなかったものの、その魔力の禍々しさと威力は杏子がその身を持って体験している。魔法少女になる前からなのはの魔力は杏子を遙かに上回っていた。しかし今のなのはの持つ魔力はそれよりもさらに強大であることは、実際に対面していない杏子にも理解できた。

 そして美国織莉子という魔法少女。はじめて聞く名前だが、今のなのはと行動を共にしているということから、彼女が魔法少女になった理由に何らかの関わりがあることは間違いない。

「アルフ、その織莉子って奴は信用できるのか?」

 しかしそんなことよりも重要なのは、織莉子がゆまの側にいるかもしれないという事実だ。すでに彼女はフェイトたちの隠れ家を知っており、ゆまとも面識がある。フェイトとアルフがアースラの中にいる以上、今のゆまに接触できるのは織莉子とキュゥべえのみ。杏子がその目で信用できると判断したフェイトやアルフならともかく、そんな身も知らぬ魔法少女やキュゥべえなんかとゆまを二人っきりにするような真似は避けたかった。

「……正直なところ、あたしにもわからないんだ。最初に織莉子に会った時、あたしは言い知れぬ不安感に襲われた。でもゆまは織莉子に懐いてたし、あたしも織莉子の言葉がなければフェイトの危機に駆けつけることができなかった。今、こうして管理局の世話になることを決めたのも、織莉子の言葉がきっかけだしね」

 声を掛けられたアルフは、杏子の方に向き直るとどこか申し訳なさそうに語る。そこにはゆまを一人きりにしてしまった罪悪感か込められていたのだろう。だが杏子にアルフを責める気はない。そもそも杏子が今日まで本腰を入れてゆまを探そうとしなかったのがいけなかったのだ。その間、ゆまを守ってくれたアルフをどうして責められよう。

「アルフ、あたしはまだ自分で自分の身体を自由に動かせねぇ。だからこうなった以上、管理局にゆまの居所を教えてやってくれないか?」

「あぁ、わかったよ」

 杏子の頼みを快く引き受けたアルフはそのままリンディたちに自分たちの隠れ家を示した座標を伝える。それを聞いたリンディはすぐに武装隊員に指示を飛ばし、ゆまの保護を命じようとする。だが……。



「残念だけど、もうゆまはそこにはいないよ」



 しかしそれはキュゥべえの言葉によって阻まれた。その言葉に一同の視線がキュゥべえに集中する。特に杏子からの視線は殺意すら込められていた。

「アルフは知っているだろうけど、別個体のボクがさっきまでゆまと一緒にいたんだ。だからね……」

 そう言ってキュゥべえはあの後、フェイトの隠れ家で何が起きたのかを語り始めた。



      ☆ ☆ ☆



「アルフたち、遅いね~。キュゥべえ」

「そうだね」

 時は少し遡り、フェイトたちの帰りをキュゥべえと一緒に待っていたゆまは、退屈な一時を過ごしていた。すでにフェイトを捜しにアルフと織莉子が隠れ家を後にしてから三時間近く経っている。はじめこそは一人で魔法の練習をしたり、部屋の片づけをしたり、キュゥべえを相手に話をしたりなど時間を潰していたゆまだったが、流石に暇を持て余したのか、今ではつまらなそうに机に突っ伏していた。

 ここにいるキュゥべえもまた、何かゆまに用があると言うわけではなく成り行き上、仕方なくこの場に留まっているだけである。それ故に自ら口を開くことはなく、ゆまに何かを聞かれた時だけ機械的に反応しているだけだった。

「この魔力は、まさか?」

 だが突如として海鳴市に発生した巨大な魔力に、思わずソファーから立ち上がり、ベランダへと向かう。

「どうしたの、キュゥべえ?」

 それに釣られるようにゆまもまた、ベランダへと向かう。すると先ほどまで雲一つない晴れ渡る空をしていたはずなのに、暗雲が漂っていることに気づく。春先だというのに肌に冷たい風が絡みつき、思わず肌をさするゆま。しかしキュゥべえはそんなゆまのことを一切、気にせず暗雲漂う空を眺め続けていた。

「まさか、先のなのはの一撃で呼び込んでしまったというのか?」

 思い出すのは、結界内で放たれたなのはの砲撃、スターライトブレイカー。星の輝きというには、その閃光は漆黒で、さらに黒炎すら纏った負の魔法。だがその威力は紛れもなく、有史から数多の魔法少女の姿を見てきたキュゥべえからしても最強と呼べるものだった。

 だがそれはあくまで魔法少女が放った魔法としての話である。魔女の中には先ほどの砲撃を受けても耐えられるものが極わずかに存在する。途方もない素質を持った魔法少女が魔女に転化し、さらに他の魔女を喰らってさらに強大な力をつけた魔女。なのはが結界の中で放ったスターライトブレイカーが超弩級の砲撃魔法というのならば、そういった魔女は超弩級の魔女とでも呼ぶべきだろう。

 強大な力を持つが故に結界を必要とせず、その場に降り立っただけで現実世界に多大な被害をもたらす超弩級の魔女。古き時代から存在し、その本当の名も忘れ去られてしまった舞台装置の魔女。

 確かに今の海鳴市は町中に散らばったジュエルシードの影響で魔女が集まり、それらが喰い合い強力な力を持つ魔女も誕生している。そうして飽和した魔力がより強力な魔女を呼び込むことになっても、おかしな話ではない。

「……これは少し、予定を繰り上げないといけないかもしれないね」

「……それについては私も同感よ」

 独り言を口走ったキュゥべえに予想外の返事が返ってくる。その声がする方に振り向くと、そこには織莉子の姿があった。

「あっ、オリコ~、おかえり~」

「ただいま、ゆまさん」

 帰ってきた織莉子の姿を見て、ゆまは表情を輝かせて抱きついてくる。それを優しく受け止めながら織莉子はその頭を撫でる。その感触を堪能しようとしたゆまだったが、周囲を見渡して帰ってきたのが織莉子一人だけだということに気づき、疑問符を浮かべる。

「あれ? アルフとフェイトは?」

「……ごめんなさい。彼女たちはしばらくここに帰ってこれそうにないの。だから私が代わりにゆまさんのことを頼まれたの」

 織莉子はゆまに事情を誤魔化して説明しながら、その裏ではテレパシーでキュゥべえに語りかけていた。

【キュゥべえ、フェイトさんたちが今どうしているか、貴方なら把握しているわよね】

【まぁね。そのことをゆまに話さなければいいのかい?】

【それはもちろんだけど、もう一つ頼みがあるわ。プレシアさんにここまでの迎えをよこしてもらえないか伝えてくれないかしら?】

 フェイトとアルフがいない以上、時の庭園に向かうには、直接プレシアの手を借りるしかない。すでに状況はかなり切迫している。すずかとキリカの死を皮切りに加速し始めた未来。なのはが魔法少女になり、そしてその魔力に惹かれるかのように海鳴市にやってこようとしている超弩級の魔女の存在。キュゥべえが感じ取れたそれを織莉子が見逃すはずがない。

 まだ織莉子は戦う準備ができていない。なのはという心強い戦力を手に入れることはできたが、それでもまだ確実に未来を救えるという保証は得られていないのだ。今後のことを考える意味でも、ここでプレシアの協力を得ることは絶対条件であった。

【そのことはすでにプレシアには話してあるよ。織莉子の準備さえよければ、すぐにでも時の庭園まで案内されると思うよ】

【そう、なら今すぐ頼むわ。それとゆまさんも一緒で構わないか確認してもらえないかしら?】

【ゆまもかい? たぶんだけど、プレシアはそれを望まないと思うよ。彼女は自分のテリトリーに必要のないものを入れようとはしないからね】

 事実、すでに時の庭園に長期滞在しているとはいえ、キュゥべえは未だにその全貌を掴むことができていなかった。外観や当たり障りのない部屋などはキュゥべえも一通り見て回ったが、肝心のプレシアの研究室はもちろん、彼女の研究に関する資料がおかれた部屋などは一向に見つけることができなかった。

 そんな彼女が魔法少女ですらないゆまを連れていくことを望むはずがない。すでに一度、時の庭園に足を踏み入れているゆまではあるが、あの時は彼女の意識がなく、またフェイトの手によって連れてこられたものだ。今回とは事情が違う。

【ならプレシアさんに伝えてちょうだい。ゆまさんも一緒に時の庭園に連れていくこと。それが私と交渉する前提条件よ】

 だがそれでも織莉子はゆまを時の庭園に連れていくことを強く望んだ。織莉子一人だけが転送されないように、ゆまの小さな手を優しく握る。いきなり抱きしめられたゆまは戸惑いの表情を浮かべながらどこか照れくさそうに頬を朱に染める。

 織莉子が何故、ゆまの手を握り締めたのかといえば、彼女を置いて時の庭園に連れて行かれないための用心のためだ。プレシアは織莉子にしか用はない。ならば余計なものを連れてくるのを拒むはずだ。しかし今、この町にゆまを一人、残すわけには行かない。

【杏子ならわかるけど、どうしてキミがそこまでゆまに固執するんだい? 彼女は確かに魔法少女になる素養はあるけど、でもキミにとって彼女はほんの数時間前にはじめて顔をあわせたばかりじゃないか】

【詮索は無用よ。貴方はただ、メッセンジャーとしての仕事を果たしなさい】

【……まったく、わけがわからないよ】

 キュゥべえが最後にそう呟くとテレパシーが途切れる。おそらくはプレシアに織莉子のメッセージを伝えているのだろう。だがそんな殺伐とした会話をしている間も、ゆまとはどこかほのぼのした会話を繰り広げ続けていた。

「お、オリコ? どうしたの? 恥ずかしいよ」

「ごめんなさい。でもこうでもしないと私だけ魔女に連れ去られかねないから」

「魔女って? オリコ大丈夫なの?」

「心配してくれてありがとう。でも魔女といっても魔法少女の敵という意味の魔女ではなく、ファンタジーやおとぎ話に出てくるような人間の魔女だから、そんな心配しなくても大丈夫よ」

「おとぎ話にでてくるような魔女って、三角帽子を被って毒リンゴを売り歩いているような?」

「……少し違うけれど、概ねそんな感じかもね。私も会うのは初めてだから、何とも言えないけれど……」

 そんな会話をしている最中に、織莉子を中心として一陣の魔法陣が現れる。それと同時に織莉子とゆまの身体が光に包み込まれていく。

「どうやらそろそろ向かうみたいね。ゆまさん、私の手を離さないようにしっかりと握っていてね」

「う、うん」

 人間の魔女にいざ会うことになり、ゆまは自然と緊張し、身体を強ばらせる。そんなゆまを宥めるように、織莉子は優しく抱きしめた。

「安心なさい。これから私たちが会うことになるのは良い魔女とは言えないけれど、それでも貴方に危害を加えるようなことは無いはずだから。それにいざとなったら私が守ってあげる。フェイトやアルフ、それに杏子さんの分までね」

「オリコ……ありがとう」

「どういたしまして」

 織莉子にとってゆまは取るに足らない存在だ。世界の救済に必要な存在でもなく、守るべき対象でもない。どこにでもいる一人の女の子。ただそれだけだ。しかしそれでも織莉子はゆまを危険な目に遭わせたいとは思わなかった。いや、彼女と敵対するような真似はしたくないと感じていたのだ。

 何故、そのように感じるのか、織莉子自身にもわからない。強いて言えば織莉子の魂が感じ取った予感のようなものだろう。未来視というきちんとした形でそれを予見したわけではない。それでも織莉子はその予感が信じるに値するものだと感じていた。

「それじゃあ参りましょうか。時の庭園へ」

 織莉子がそう告げた瞬間、二人の身体が光に包まれて消えていく。――そうして二人は時の庭園へその足を踏み入れた。



     ☆ ☆ ☆



「だから今更、フェイトの隠れ家に戻ってもまったくの無駄足になると思うよ?」

 織莉子とゆまがプレシアの手によって時の庭園に連れて行かれた。キュゥべえは事も無げにその事実を語ったが、それを聞かされたリンディや杏子、アルフの胸中は複雑なものだった。

「これはまた、随分と厄介なことになったわね」

 リンディにとってみれば、捕まえるべき対象が一ヶ所に集まっているのは好機とも言える。しかし肝心の時の庭園の座標を、管理局は掴めていない。そもそも魔女のことで手いっぱいになっていたため、フェイトの裏にいる人物がプレシアだという確証すら掴めていなかったリンディたちにすれば、寝耳に水の話だった。

「アルフ、そのプレシアって奴はどんな奴なんだ?」

 それに対して杏子はただ純粋にゆまの身を案じていた。織莉子と名乗る見知らぬ魔法少女。そしてフェイトの母親であるプレシア。どちらとも会ったことがない杏子であったが、一筋縄で行かない相手であることは容易に想像できる。実際、織莉子と対峙したリンディは彼女のことを強く警戒しているし、フェイト程の魔導師の母親と言うからには、プレシアもまた一流の使い手なのだろう。何よりフェイトたちはプレシアに命じられてジュエルシードを集めていた。ロストロギアなどという危険な代物を集めて行う研究など、ろくでもないことに違いない。

「……あたしはプレシアをフェイトの母親だとは認めていない。あいつはなにかフェイトが失敗する度に、フェイトを傷つけてきた。どんなにフェイトがプレシアに見てもらおうとがんばってきても、プレシアはそんなフェイトの努力に見向きもしなかったんだ。あんな奴、鬼婆で十分だよ」

 そしてアルフはプレシアについて、彼女の主観に基づいた意見を口にする。母親というものは子供を守ってしかるべき存在だ。しかしプレシアの行う行動はその正反対。アルフ自身、使い魔になる前は群から逐われ、一人病気に蝕まれていた。そんなアルフを群から逐いだしたのは、他ならぬアルフの母親だ。そんな相手をアルフは母親だとは認めていない。アルフにとっての母親はフェイトであり、そのフェイトがプレシアから自分が受けた以上の苦しみを与えられている。故にアルフはプレシアのことが心の底から嫌いだった。

「正直、得体の知れなさなら織莉子の方が上だけどさ、でもプレシアと織莉子、どちらを信用できるかって言われたらあたしは間違いなく織莉子って答える。だからこそ、あたしはプレシアに助けを求めるんじゃなくて、管理局に助力をこうことを選んだんだ」

 もしもあの時、プレシアにフェイトを助けるように頼んでも、きっと彼女はフェイトを助けてはくれなかっただろう。もし仮にフェイトを助けたとしても、おそらくは傷が治らないうちにより過酷な戦いの場に向かうことを命じるはずだ。

 この世界に来てから、フェイトは何度となく死にかけた。それでもなお、彼女は頑なにプレシアの言いつけを守ろうとするだろう。それがもうアルフには耐えられなかった。

「……フェイトはただ、プレシアに褒めて欲しいだけなんだ。だからどんなに辛くてもプレシアの言いつけは守るし、そのためにならどんなことだってしてきた。……でもプレシアにとってフェイトは都合の良い道具でしかないんだ。実の母親だってのに、プレシアのフェイトを見る目はまるで家畜でも見るような、そんな目をしてるんだ。もちろんフェイト自身、そのことに気づいている。それでもフェイトは頑なにプレシアの言うことを聞き続けているんだよ! いつか、プレシアが自分に微笑みかけてくれる日がやってくることを信じて。……でもそのために何度も傷ついて、死にかけて。あたしはもう、そんなフェイトの姿を見たくない!」

「……アルフさん、もういいわ。安心なさい。フェイトさんは必ず目を覚ますから」

 嗚咽を漏らすように、自分の胸中を語るアルフを、リンディは優しくなだめる。プレシアがフェイトに与えた仕打ちは決して見過ごせるものではない。事件の解決のためにも、そしてフェイトとアルフのためにもプレシアを早急に捕らえる必要があると感じていた。

 そして杏子もまた、アルフの話を聞いて思うところがあった。プレシアと織莉子、そのどちらとも杏子は会ったことはないが、話を聞く限りどちらも信用できる相手ではない。そんな二人とゆまが行動を共にしている。ならば杏子の取るべき行動は一つだ。

「……杏子さん、行かせないわよ」

 だがそんな杏子の心理を察し取ったリンディが医務室の扉を塞ぐように立ち塞がる。

「どけよ、リンディ」

「いいえ、どかないわ。杏子さんには一刻も早く傷を治してもらわないといけないもの。それに今の杏子さんは冷静さを欠いているわ。まだ敵の居所も特定できていないというのに無理を押していこうとしているのがその証拠よ」

「……確かにそうだけど、それを知っている奴ならここにいるだろ」

 そう言うと杏子はキュゥべえの耳を乱暴に掴み上げる。

「おいキュゥべえ。てめぇはプレシアがどこにいるのか、知ってんだろ?」

「確かに知ってるよ。でもボクに話を聞いても無駄さ。ボクが知っているのはプレシアが時の庭園という次元空間にいることぐらい。そこに向かう術は持ち合わせていないさ」

 それを聞いた杏子は、次にアルフに視線を向ける。だが……。

「ごめん杏子。あたしにも時の庭園に戻ることは難しいと思う。時の庭園は管理局なんかの追撃を逃れるために、常に次元空間を移動しているんだ。あの鬼婆があたしたちが管理局に捕まったってことを知っているなら、いつまでも同じ場所に止まっているとは思えないよ」

「……ちっ」

 それを聞いた杏子は舌打ちをしてベッドに腰掛ける。

「杏子さん、焦ることはないわ。いずれチャンスがくる。だからあなたは万全の体調を取り戻すことが先よ」

「……ああ、わかったよ」

 リンディの言葉に一応の納得を示す杏子。しかしその胸中はゆまのことでいっぱいだった。織莉子やプレシアがゆまになにかしらの目的を持って近づいたとは考えにくい。ゆまはどこにでもいる普通の少女だ。そんな彼女に何の用があるというのだ。

 どちらにしても、今の身体では満足に戦うことができない。隻腕を幻影で隠して不意打ちを仕掛けるのとは違い、背中の火傷は完全に重石だ。

「リンディ、もしゆまの居場所がわかったらすぐにあたしに知らせろ」

 杏子はそれだけ告げると、返事を待たずにベッドに横たわり目を閉じる。そして全神経を背中の傷を治すことに集中し出すのであった。



2013/10/6 初投稿



[33132] 第11話 わたしはアリシア その3
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/10/20 23:56
 時の庭園に訪れた織莉子たちはキュゥべえの案内の元、プレシアの執務室の前に訪れていた。

「どうしたんだい、織莉子? 扉を開けないのかい?」

 しかし織莉子はその扉の前で立ち尽くす。ここまできた以上、彼女にはプレシアと会う以外の選択肢はない。しかしこの扉を開けた瞬間、一つの未来が確定する。それは織莉子にとっては望ましいものだが、他の人物にとってはそうではない。これから行われる話し合い、その結果として引き起こされる戦い。それによって救われる命と失われる命が存在するのだ。そしてそれを知った上で織莉子はこの未来を選択しようとしている。

 もし何も知らぬまま、その選択を選んでいるのだとすれば織莉子はここまで悩まないだろう。自分の為すべきことを為し、その上で出た犠牲だ。悔みはするが、それは全てが終わってからの話だ。まだ始まってもいないこの時点では、こんな悩みを覚えることもない。

「オリコ、顔が真っ青だよ? だいじょーぶ?」

 それでも織莉子は選ばなければならない。この世界を救うために彼女は例え何であろうと犠牲にすると決めたのだ。しかもすでに織莉子は一番大切だった存在を失くしている。これ以上の犠牲があるはずもない。

「えぇ、大丈夫よ、ゆまさん。心配してくれてありがとう」

 そう言って織莉子は扉を開け、ゆまを引き連れて執務室の中へと入っていった。



 執務室の中で織莉子のことを待っていたプレシアは非常に苛立っていた。キュゥべえが織莉子を発見したという報告をしたのは今から四時間前。その間、プレシアはただ織莉子のことを待っていた。もちろん何もしていなかったわけではないが、それでもこれほどの時間、待たされるとは予想だにしていなかった。

 そしてその理由がフェイトにあるということも拍車を掛けていた。それでも初めのうちはまだ良かった。相手は魔法少女――それも未来視などというレアスキルの持ち主だ。もし交渉が決裂し敵対した場合、使える駒は多い方がいい。そう思い、フェイトを待ってから時の庭園に向かうという連絡を聞き入れた。

 しかし結果的に、フェイトは深手を負い、アルフは管理局に投降した。時の庭園に織莉子を連れていく人手を失い、プレシアが余計な手間をかけることになった。ただでさえ時間がないというのに待った結果、状況はより悪い方向へと傾いたのだ。プレシアが苛立つのも当然の話である。

 さらに織莉子が連れてきた千歳ゆまという存在もプレシアは気に入らなかった。一週間ほど前にフェイトが連れてきた少女。時の庭園にある医療器具でアルフと共にフェイトが治療し、プレシアとは顔を合わせることもなく地球へと帰っていった。ゆまはプレシアの存在を知らなかったし、プレシアもまたゆまを歯牙にも掛けてなかった。

 しかしそんな彼女が再び時の庭園の土を踏み、今こうしてプレシアの前に立っている。リンカーコアはあるようだが、決して優秀な素質があるとは言い難く、魔法少女ですらない。そんな少女が視界に入っていること自体、プレシアは気に入らなかったのだ。

「貴女がプレシアさんね。初めまして。私は……」

「自己紹介なんて不要よ、美国織莉子。それより本題に入る前に一つだけいいかしら? どうしてそんな小娘をこの場に連れてきたのかしら」

 織莉子の挨拶をプレシアは立ち上がりながら制すると、強くゆまを睨みつける。敵意と魔力による威圧を込められた視線に、ゆまは思わず織莉子の陰に隠れる。

「……色々と理由はあるけれど強いて言うならば、ゆまさんを時の庭園に連れてくることは、この先の戦いで重要な意味を持つからかしらね」

 プレシアの問いに織莉子は回りくどい言い方で答える。その言葉の真意は読み取れない。しかし相手は未来を読む少女。ならばそこに何らかの意味があるのは間違いないのだろう。

「……そう。とりあえず今はそれで納得しといてあげるわ。でも流石にその小娘を私たちの話し合いに立ち会わせるつもりではないでしょうね?」

「それはもちろん」

 そう言った織莉子はゆまの背の高さまでしゃがみこんで、にこやかに微笑みながら「……ゆまさん、私は今からプレシアさんと大事な話をするから、貴女はキュゥべえと一緒に外で待っていてくれないかしら?」と告げる。その言葉にゆまはコクリと頷くが、それに納得しないのはキュゥべえである。キュゥべえからすればプレシアも織莉子も油断ならない存在だ。そんな彼女たちを二人だけで話し合わせることに不安を抱かないはずがない。

「ちょっと待ってよ! ボクもキミたち二人と話さなければいけないことが……」

「貴方と話し合う時間はきちんと後で作ってあげるわ。でも今はプレシアさんと二人きりで話したいの」

「キュゥべえ、織莉子の言うことに従いなさい。今の私にとってあなたはその小娘と同様に必要ない存在だわ」

 そんなキュゥべえに対し優しく頼み込む織莉子と無慈悲な言葉をプレシア。そんな二人に睨まれてしまえば、キュゥべえに抗う術があるはずもない。ここで無理を押し通せばそれは後に明確な確執となってしまうだろう。

「……わかったよ。でも必ず後でボクも呼んでよね?」

「えぇ、約束するわ」

 キュゥべえの言葉に織莉子は優しく微笑みながら答える。キュゥべえは後ろ髪を引かれつつも、ゆまを連れてプレシアの執務室を後にした。

 こうして後に残された織莉子とプレシアは改めてお互いの姿を観察する。

 織莉子から見たプレシアは、全く隙を感じさせない魔導師だった。その身体から溢れ出る魔力はもちろん、立ち振る舞いや言葉の一つひとつからも明確な意味を感じさせる。戦闘になればまず間違いなく織莉子一人では太刀打ちできず、下手をすれば舌戦でも厳しい戦いになるだろう。

 その一方でプレシアもまた織莉子のことを油断できない存在であると考えていた。それは彼女の持っている未来視という魔法ももちろんだが、それ以上に先ほどのキュゥべえに対する立ち回りであろう。もしも織莉子がゆまをこの場に連れてこなければ、キュゥべえは頑なに出ていこうとはしなかっただろう。彼の生物はプレシアの抱いている願いを聞きつけようと常にプレシアの行動に目を光らせていたぐらいだ。そんなキュゥべえをいとも簡単に遠ざけてしまった。

「あなたがあの小娘を連れてきた理由が一つ、わかった気がするわ」

「こういう結果になったのは偶然よ。私としてはゆまさんには目の届くところにいて欲しかったのだけれどね」

 織莉子はそう言うが、プレシアはその言葉を信じるつもりは毛頭ない。この状況を作り出したのは偶然などではなく、織莉子の計算によるものだ。キュゥべえとて馬鹿ではない。見た目こそは可愛らしい姿をしていても、その腹の中で飼っているのは化け物だ。そんな相手をやり込めるだけでも目の前の魔法少女は相当な切れものと考えていいだろう。そこに未来の情報が加われば、それこそ場を支配するのは赤子の手を捻るより簡単なのかもしれない。

「……それじゃあプレシアさん、早速本題に入りましょう。貴女が私をここに呼んだのは何故かしら?」

「とぼけても無駄よ。あなたは私がどうして呼んだのか、察しがついているのでしょう? ……いえ、より正確に言うならば知っていると言うべきね」

「……やっぱりキュゥべえから私の魔法についても聞かされているのね」

「えぇ。でもそれだけではないわ。キュゥべえ曰く『美国織莉子は現存する魔法少女の中で一番、考えが読めない相手』だそうよ」

 プレシアがキュゥべえから事前に聞かされた織莉子の情報。未来を見通す魔法を持ち、それ故に常に深い考えを持ち続ける魔法少女。多くの魔法少女が自分の利益のために魔女を狩る中で決して織莉子はそうではない。さらに正義のために魔法を振るっているようでもない。純粋な戦闘力では平均値でしかないが、それでも常に警戒を抱かずにはいられない。それがキュゥべえから見た織莉子の姿だった。

 もちろんその話を聞いただけではその真偽のほどは定かではない。しかしこうして実際に対面してみてよくわかる。先ほどキュゥべえをこの場から追い出す手際もそうだが、先ほどからプレシアは織莉子に対して魔力による威圧を掛けている。それにも関わらず織莉子の態度はどこ吹く風。そんなプレシアの睨みなどまるで気にした様子はない。しかもそれに気づいていないというわけではなく、きちんとこちらに警戒も向けた上でだ。

 キュゥべえから聞く限り、織莉子の戦闘能力は高くない。未来視という魔法にさえ注意していれば、プレシアならば容易に勝てる相手だろう。そしてそのことは織莉子も理解しているはずだ。それなのに彼女は強気な態度を崩さない。そんな織莉子の心の在り方。それはプレシアを以ってしても厄介であると言わざるを得なかった。

「考えが読めないというのは心外ね。こう見えても私は結構わかりやすい性格をしていると思うんだけど……。それにキュゥべえには何度も、私の目的についても話しているしね。それなのにそんな風に見られていたなんて思いもよらなかったわ」

「なら聞かせてもらえるかしら? あなたの目的が何で、どうして私の誘いに乗ったのかを……」

 プレシアがそう言うと、部屋の空気が一気に張りつめたものになる。それは織莉子から放たれる雰囲気が先ほどまでの甘えたものから、どこか真剣なものへと変わったからだ。

「私の目的は世界の救済よ。あと数ヶ月で滅びかねない私たちの世界を救うこと。それを主として行動しているわ。ここにきたのも世界の救済に必要だと思ったからよ」

「……へぇ、おもしろいわね。詳しく聞かせなさい」

 そうして告げられる織莉子の目的。それにプレシアは感嘆の息を吐く。確かに織莉子の真意はプレシアから見ても読みとれない。だが世界の救済というその言葉、それは事実だろう。今の織莉子の雰囲気がそれを物語っていた。

「それを語るのは構わないけれど、貴女が私を呼んだのはそんな話をするためではないでしょう?」

「確かにそうね。でもどうせ未来視という魔法ですでに読みとっているのでしょう? 私の目的も、貴女を読んだ真の理由も。そしてこれから何をしようとしているのかもね」

 その言葉に織莉子は何も返さない。だがこの場でそれは肯定していると同義だった。だからこそ、プレシアはさらに言葉を続けていく。

「そして私の目的を知った上であなたが協力をするとは考えにくい。大方、その世界の救済とやらのために何かしらの取引を持ちかけてくるのはわかりきっているわ。……だからまずはあなたから話しなさい、美国織莉子。その上で必要があれば私の話も聞かせてあげるわ」

 そこまで言い終えると、二人の間に沈黙が訪れる。それはとても重苦しい沈黙だったが、その間も二人の頭の中では考えを巡らせていた。そんな二人の駆け引きはまだ始まったばかりである。



     ☆ ☆ ☆



「それじゃあキュゥべえさん、話を聞かせてもらえるかしら?」

「構わないよ。でもボクとしてもキミたち、時空管理局には興味が尽きないからね。質疑応答は交互に行う形で構わないかな」

 時の庭園で織莉子とプレシアが腹の探り合いを繰り広げている頃、アースラ内でもリンディとキュゥべえによる情報交換が行われようとしていた。アルフからも事情を聞かねばならないところではあるが、そちらはエイミィに任せている。フェイトのこともある以上、アルフは聞かれたことに素直に答えてくれるだろう。

 しかしキュゥべえはそうではない。彼の生物が変身魔法を用いた人間、あるいはそれに類する魔法でキュゥべえの肉体を遠隔操作しているのならばここまで身構える必要はない。だがこうして対面しても、キュゥべえには次元世界における魔法の痕跡はない。こうしている今も、管制スタッフにはキュゥべえの肉体の解析をしてもらっているが、その構造は普通の動物とほとんど変わらない。未知の器官は何種類かあるものの、それでもキュゥべえが一個の生命体であることは紛れもない事実だった。

 だからこそわからない。その小さな肉体のどこに人間を魔法少女に作り替える力があるのか。そして少女たちの願いを奇跡という形で叶えることができるのかを。

「それで構わないわ。それじゃあ私から質問させてもらうわね。キュゥべえさん、あなたは本当に人間ではないの?」

「まさかそんな質問を最初にされるとは思ってもみなかったよ。――答えはイエスだ。ボクは人間とは別種の生命体だよ、リンディ。尤も、それを証明する手だてなんてキミたちからすればないのかもしれないけどね」

「……どうしてそう思うのかしら?」

「簡単な話だよ。そういう質問が出てくるってことは、魔導師の使う魔法の中には動物に化ける魔法があるのだろう。もし仮にボクが人間ならば、この場で変身を解けばその証明にはなる。だけど逆に人間でない証拠なんて出しようがないじゃないか。流石にこの肉体を解剖させるわけにもいかないしね」

 肉体の予備はあるとはいえ、無駄に使うわけにはいかない。なにより破壊されるのならともかく、解剖されていらない情報を引き出されるのはキュゥべえとも避けたかった。

「確かにその通りね。だから今のところはあなたの言葉を信じることにするわ」

「そう言ってもらえるとありがたいよ。それじゃあこちらからの質問だけど、そもそも時空管理局というのは何をする組織なんだい」

「一言で言うのならば時空管理局は数多ある次元世界を管理、統制する司法組織よ。その中で魔法を使って悪事を働く次元犯罪者を捕らえることや、今の技術では創り出すことのできない魔法の産物『ロストロギア』を回収し、保管することが私たちの主な任務ね」

「『ロストロギア』っていうのは、いったいなんだい?」

「その質問に答える前にまずはこちらからの質問よ。キュゥべえさん、あなたはどうやってこの世界の人間を魔法少女にしているのかしら?」

 キュゥべえが人間が化けている存在であろうと、人類とは別種の知的生命体であろうと、魔法の使えない人間を魔法少女という存在にするというのは、ロストロギア級に危険な技術だ。なにせそれまで戦いとは縁のないものが、願いを叶える代償とはいえ強制的に戦火に巻き込まれているのだ。それを見過ごせるほどリンディは非情にはなれない。

「その言い方には少し語弊があるかな。ボクは決して魔法少女を創り出しているわけじゃあない。少女たちの願いを叶える手助けをする過程で、彼女たちは魔法少女に生まれ変わるんだよ」

「……もう少しかみ砕いて説明してもらえる?」

「つまり魔法少女になるのは、願いを叶える副産物なんだ。奇跡の代償と言い換えてもいい。でもその副産物でこの世界に不要となった魔女と戦うことができる。魔法少女という形でね。ボクはそんな人間が持つ可能性を引き出しているだけに過ぎないんだ」

 流暢に語るキュゥべえ。その言葉に嘘はない。確かに魔女はキュゥべえにとって不要な存在であるし、そんな魔女を倒すことで魔法少女の魔力を回復することもできる。しかしキュゥべえは肝心なことを何一つ口にしていなかった。

「それじゃあ杏子さんやなのはさん、それに美国織莉子のような魔法少女の力は、彼女たちの持つ本来の力だというの」

「そうだよ。もちろん願う願いによって使えるようになる魔法の種類は変わるけれど、その根底にあるエネルギーは、本来人類が持ち得るものだ。尤も、なのは並みのものを持っている人間は極めて稀だけれどね」

 その言葉にリンディは押し黙る。魔力を回復できなくなるというデメリットはあるが、キュゥべえとの契約は管理局にとって言わばパンドラの箱だ。魔法の知らない世界に生まれた杏子や織莉子の戦闘力は、管理局の武装局員を大きく上回っている。なのはに至ってはおそらくアースラ全戦力を投入したところで倒すには至らないだろう。

 しかし逆に考えれば、優れた魔導師がキュゥべえと契約した場合、簡単により強力な力を手に入れられるということだ。もしそれを知れば必ず悪用しようと考える人間が現れるだろう。それは危惧すべきことだった。

「それじゃあ次はボクが質問する番だね。今度こそロストロギア、それとジュエルシードについて教えてくれないかな」

 そんな思考をキュゥべえの言葉で中断させられる。考えるのは後でもできる。今はなるべくキュゥべえから情報を引き出すのが先だ。代わりにこちらもいくらかの情報を渡さなければならないが、それは必要経費であろう。

「え、えぇ、わかったわ。ロストロギアっていうのは……」

 こうしてリンディとキュゥべえは情報交換を続ける。時に口を濁し、時に嘘を交えながら、二人は情報収集に勤しみ続けた。



     ☆ ☆ ☆



 二人の間に流れる沈黙はどれほどの時間だっただろうか。数分とも数時間とも思える静寂、それを破ったのは織莉子であった。

「……確かにプレシアさんの言う通り、私は私の魔法で色々なことを知っているわ。例えばプレシアさんが実の娘であるアリシアさんを甦らせるために、ジュエルシードの魔力を暴走させて伝説の中で語り継がれているアルハザードと呼ばれる世界に行こうとしていることとかね。だけど私の魔法もそこまで万能ではないの。今の知識も別の未来でプレシアさん自身が私に語ったこと。私の未来視はあくまで私の周りで起きることしか視ることができない。だから残念だけれど、私はジュエルシードを真の意味でコントロールできるわけではないし、プレシアさんがアルハザードに辿り着くことができたのかまでは知る由がないの」

 織莉子の未来視はあくまで未来に起こり得る可能性を視るものだ。現在から辿って実現不可能な未来まで視ることはできない。ジュエルシードを真の意味でコントロールすることができればアリシアを甦らせることも、世界を救済することも容易だろう。しかし何度、試したところでそんな未来を視ることができなかった。アルハザードについても同様である。

「もしそれが本当なら、これ以上あなたと話すことはないわね。……でもそう単純な話じゃないのでしょう?」

 織莉子の口にしたことが事実ならば、プレシアにとって彼女は何の役にも立たない存在だ。元々プレシアが織莉子に興味を持ったのは、ジュエルシードの魔力を引き出して戦闘を行っていたからであった。故にプレシアは織莉子がジュエルシードを使いこなせる技術を持っていると考えた。

 しかし彼女はそれを自ら否定した。織莉子の持つ交渉での優位性。それを自ら投げ捨てたのだ。普通に考えれば馬鹿としか言いようがない所業だが、先ほどの数回のやりとりですでに目の前の少女がそんな愚か者ではないと知っている。故に今の発言にも何らかの意味があるはずだとプレシアは考えた。

「えぇ。確かに私はプレシアさんが私に求めていたものを提供することはできない。でもそれ以外の形で貴女の力になることはできるわ」

「……聞かせなさい」

「それはこの場にほぼすべてのジュエルシードを集め、貴女をアルハザードに送り届ける手伝いをすることよ」

 プレシアの言葉に織莉子は簡潔に答える。だがその発言はプレシアにとって予想外のものだった。

「この場にジュエルシードを全て集めるですって。すでに管理局が残りのジュエルシードを回収してしまっている状況でそんなことができるとは、到底思えないわね。それにアルハザードに到達した未来を視ることができなかったと言うさっきのあなたの発言とも矛盾するわ」

「さっきも言ったと思うけれど、私の魔法はあくまで私の未来に起こり得ることしか映し出すことができないの。そして私にはアルハザードに向かう気は一切ない。だから何度魔法を発動したところで、私がアルハザードの地を踏む未来は存在しないのよ」

「何故? あなたの目的は世界の救済なのでしょう。そこまで知っているということはアルハザードがどんな世界なのかわかっているはずよね?」

「えぇ。次元世界の狭間に存在し、今は失われた秘術が眠る地。それがアルハザードなのでしょう。確かにそれだけ聞けば魅力的だし、プレシアさんがその世界を追い求める気持ちもわかる。……でも、そこから帰れる保証はどこにもないの。この世界を救うことを望む以上、私はそんな不確定な要素に賭けるわけにはいかないわ」

 時の庭園や次元世界と言った帰れる保証のある場所ならいい。しかしアルハザードはすでに滅んだ世界である。そこに眠る技術は確かに魅力的だが、それを持ち帰れないのでは意味がない。

 そもそもこうして織莉子とプレシアが顔を合わせることができた未来自体、ほとんど存在しなかったのだ。仮に合わせたとしてもこのような状況で二人きりになれることなどなく、大抵の場合は横にクロノや魔法少女となっていないなのはといったものを引き連れ、プレシアの敵として立ち塞がっていた。

 キリカが命を賭してくれたからこそ、この状況が生みだされたのだ。そんな貴重な機会を賭けに出て棒に振るわけにもいくまい。だがそんな織莉子にもアルハザードの技術を転用することのできる可能性が僅かに残されていた。

「でもだからこそ私はプレシアさんにアルハザードに向かってもらいたいの」

 それは無事にアルハザードに到達しアリシアを取り戻したプレシアが、そこからアルハザードの技術を持ち帰り織莉子に提供するという可能性だ。だが当然、これには様々なリスクが伴う。プレシアがアルハザードに辿り着くことができない可能性。辿り着くことができたとしても、滅んだ世界には何も存在しない可能性。さらに秘術が残されていたとしても、アルハザードからこの世界に戻って来られない可能性。そして上手く戻って来られたとしても、そうして持ち帰った秘術が織莉子の望む世界の救済には何の役にも立たない可能性だ。

「アルハザードに向かいたいプレシアさんと、アルハザードの秘術を手に入れたい私。利害は完全に一致している。後は私の持ち得る知識でプレシアさんをアルハザードまで送り届ければいいだけ。……もちろん百パーセント辿りつける保証はできない。私の助力があったところで、その可能性を数パーセント上げることしかできないでしょう。それでもプレシアさん、貴女は私との交渉に応じるはずよ。だって今の貴女にアリシアさんを甦らせる手立てはキュゥべえと契約することぐらいしかないのだから」

 織莉子の言葉は紛れもない事実である。そのことはプレシア自身、痛感していた。フェイトが集めてきた七個のジュエルシードだけではアルハザードに到達するには足りず、そのフェイトも今や管理局で捕らわれの身。プレシアの意思を伝えることができない以上、今の彼女にはキュゥべえと契約したところでプレシアの願いを叶えることはできない。そして織莉子からジュエルシードで願いを叶える方法を聞き出すという道も失われてしまった。

 こうなった以上、プレシアに残された道は少ない。織莉子と手を組みアルハザードに向かう道。過去を取り戻すことを諦め、キュゥべえと契約しアリシアの命だけでも取り戻す道。もしくは織莉子と手を組むことも、キュゥべえと契約することもせず、今あるジュエルシードだけで独自にアリシアを甦らそうとする道。精々、その三つぐらいしかない。

「……この場に残り全てのジュエルシードを集めると言ったわね。具体的にどうするつもりか話しなさい。それを聞いてから、あなたと手を組むかどうか考えてあげるわ」

 プレシアは睨みを聞かせて織莉子に問う。その言葉を聞いて織莉子は緩やかに笑う。

「私の考えは実に簡単よ。この場にジュエルシードを揃えたいと言うのなら、管理局の人たちに持ってきてもらえばいいのよ」

 そしてあっけらかんとただそう告げて自身の計画を話す織莉子。そんな織莉子の態度が始めは気に入らなかったプレシアだが、その話を聞き終えた時、彼女は上機嫌だった。

「ふふっ、なるほどね。確かにその方法ならジュエルシードをこの場に集めることは可能ね。そしていくら未来が読めるとはいえ、あなたの計算高さは驚嘆に値するわ」

「お褒めに預かり光栄だわ」

 そうして二人は静かに笑い合う。それは実に楽しそうで――それでいて残忍さを漂わせる邪悪な嗤いだった。



2013/10/20 初投稿



[33132] 第11話 わたしはアリシア その4
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/11/24 18:21
 明晰夢というものがある。睡眠中に見ている『夢』を『夢』と自覚して見る現象のことだ。なのはによって撃墜され、アースラに収容されたフェイトは今、正にそんな夢の世界に放り込まれていた。

 彼女が見ているのは幼き日の記憶。時の庭園に移り住む前にプレシアと二人で暮らしていたミッドのマンションの一室。そこでフェイトは猫のリニスと共にプレシアの帰りを待っていた。

「……ママ、遅いね、リニス」

 寂しさのあまり、フェイトはリニスに語りかける。もちろんリニスは何の返事も返さない。この時のリニスはプレシアの使い魔ではなく、ただの猫なのだからそれも当然だろう。

 そうして待っているフェイトの前にはラップの掛かった夕食が二人分、置いてある。それはホームヘルパーが作っていったフェイトたちの夕食だ。すでに作られてから数時間が経ち、冷めきってしまった夕食。それでもフェイトは一口も手を付けようとは思わなかった。

 それはプレシアと一緒に夕食を食べたいと思っていたから。いつも日付を跨ぐような時間にプレシアが帰ってくることはフェイトも重々承知している。それでもフェイトは頑なに一人で夕食を食べようとはしなかった。一人で食べる食事ほど、寂しいものはない。フェイト自身が寂しいと感じる思いもあるが、それ以上にそんな思いを疲れて帰ってくるプレシアに味あわせたくはなかった。

 それでもいつもフェイトはプレシアが帰ってくる前に眠気に耐えきれず、ソファーで眠りこけてしまう。そして気付いた時にはプレシアの手によってベッドまで運ばれ、朝になっているのが常だった。

 だがこの日は違った。ソファーで眠りこんでしまったフェイトだったが、プレシアが帰ってきたタイミングで目を覚ますことができたのだ。フェイトが眠っている間に帰ってきて仕事に向かってしまうプレシア。だからフェイトがプレシアの顔を見たのは、実に二週間ぶりの出来事だった。

「ママ、いつまで忙しいの?」

 その後、プレシアと一緒に遅い夕食をとり、ベッドに入ったフェイトは思わずそう尋ねてしまう。本当ならプレシアを困らせるような真似はしたくない。でもフェイトは不安だったのだ。このままプレシアと過ごす時間が減っていってしまうことが。だからそれがプレシアを困らせるであろう質問であることはわかりつつも、こうして直接顔を合わす機会に聞かずにはいられなかった。

「来週、実験があってね。それが済んだら、少しお休みが貰えるわ」

「ホント?」

「うん、きっと」

 プレシアは疲れた表情でそう告げる。もしその言葉が本当ならば嬉しい。しかしプレシアはそう言って前にも急な仕事が入り、ピクニックに行く予定が潰れてしまったことがあるのだ。だから手放しに喜ぶことはできない。

「ピクニック、行ける?」

「どこでも行けるわよ」

「約束、だよ」

「うん、約束」

 だが期待せずにはいられない。プレシアとて、自分と一緒にいたいと思っているはずなのだ。そしてそれがあと一週間の辛抱で叶う。だからフェイトはあと一週間と思い、自分の思いを我慢することにした。

 そして実験の日、当日。今でもフェイトは忘れられない。いつものようにプレシアの仕事場をベランダから眺めていたフェイトが目にした光の柱。それはプレシアの仕事場から発せられた光だった。そしてそれは大きな爆発を起こし、あっという間に放射状に広がっていった。そしてフェイトはその光を浴び、意識を刈り取られたのだ。

 そうして次に目が覚めた時、すでにフェイトたちは時の庭園に移り住んでいた。泣きながら自分が目覚めたことを喜んでいるプレシアの表情が今でも記憶にハッキリと残っている。

「ほら、ここがあなたのお部屋よ」

 その後、プレシアに抱きかかえられて連れて行かれた新しい部屋はとても広く天井には星座を象られたプラネタリウムまでついていた。

「しばらく身体を休めて元気になったら、ピクニックでも遊園地でも、どこにでも連れて行ってあげる」

「でも、お仕事平気なの?」

 今まで仕事漬けでそんな色々な場所に遊びに行くことができなかったフェイトは、思わずそんな疑問をぶつける。

「平気よ、もう平気なの」

 だがそんなフェイトにプレシアは満面の笑みで答える。それを見たフェイトは嬉しくなり、いつものようにプレシアの顔に手を伸ばす。そんなフェイトの手をプレシアはとても懐かしそうな表情で受け入れ――そして何かに戸惑ったかのようにその表情を強張らせた。

「ママ? どうしたの?」

 そんなプレシアの突然の変化に戸惑うフェイト。そんなフェイトの言葉に我を取り戻し、プレシアは安心させるようにフェイトに微笑みながら告げた。



「なんでもない、なんでもないわ。大丈夫よ、『アリシア』」 



「……えっ?」

 プレシアの口から出てきた『アリシア』という名前。その名前を聞いた瞬間、フェイトの中に幼き日の記憶が流れ込んでくる。確かに自分は幼い頃、アリシアと呼ばれていた。アリシア・テスタロッサ。それが自分の名前だったはずだ。それがいつからだろう。フェイトがフェイトと呼ばれるようになったのは……。

 少なくともアルフと出会った時にはフェイトはフェイトと呼ばれていたはずだ。さらに言えばリニスからもアリシアと呼ばれた記憶は一度もない。だが夢の中ではプレシアはハッキリと自分のことをアリシアと呼んでいた。ならば少なくとも時の庭園に移り住んだ当初はフェイトはアリシアだったはずなのだ。

 そこまで考えてフェイトは不意に気付く。フェイトの中にあるプレシアの笑顔。それはフェイトがまだアリシアと呼ばれていた時代の記憶ばかりだ。フェイトがフェイトと呼ばれるようになってから、プレシアがフェイトに微笑みかけてくれたことなど一度もない。

 そのことに気付いた瞬間、フェイトの視界が暗転する。そして自分の記憶にない光景が目の前に甦る。幼き日の自分の前で取り乱すプレシア。髪を乱し、目を血走らせながら周囲の物に当たる。テーブルの上に置かれた花瓶は割れ、魔力を込めて叩きつけられたテーブルは窪む。そのプレシアの突然の豹変に幼き日の自分は戸惑い震える。そんなフェイトの腕をプレシアは容赦なく掴み引っ張ると、そのまま別の部屋へと向かって歩き出す。

「母さん? 腕が痛いよ」

 そうプレシアに訴えかけるフェイトだが、プレシアはそんなフェイトに返事すら返さない。ただただ、無理やりフェイトを引っ張り続けている。そうしてフェイトが連れてこられたのは、プレシアの実験室だった。所狭しと実験器具が置いてある一室。その中心には子供が一人入りそうなカプセルが備え付けられている。プレシアはそのカプセルの中にフェイトを放り込むとその蓋を閉じる。

「母さん、出して! ここから出して!!」

「もう耐えられないわ。こんな失敗作を『アリシア』と呼ぶなんて。見た目も声も記憶も同じなのに、『アリシア』じゃない。そんな子をアリシアと呼ぶなんてもう耐えられないわ。こんな子、『フェイト』で十分よ」

「母さん? なに言ってるの? わたしは『アリシア』だよ? 『フェイト』じゃないよ?」

「違う。あなたは『アリシア』じゃない。『アリシア』だけど『アリシア』じゃないのよ!!」

 そう言ってプレシアはコンソールのキーボードを操作する。はじめのうちは必死にプレシアに声を掛け続けたフェイトだったが、次第にその意識が薄れ、カプセルの中で眠りこけてしまう。

「……おはよう、『フェイト』」

「うん、おはよう、母さん」

 そしてフェイトが次に目覚めた時、プレシアはフェイトを『アリシア』とではなく『フェイト』と呼んでいた。そしてフェイトもまた、そのことになんの違和感も覚えず受け入れるのであった。

 ――この時からフェイトはフェイトとなった。そしてそれ以降、プレシアが二度とフェイトに微笑みかけてくれることはなかった。



     ☆ ☆ ☆



 プレシアとの話し合いを終えた織莉子は、ゆまを捜して時の庭園内をさまよっていた。結果だけ見れば、プレシアと織莉子の間で行われた取引は無事に終わったと言っていいだろう。織莉子の考えた策にプレシアは乗り、今はジュエルシードを全て手中に収めるための準備を行っている。全ては織莉子の思惑通りにことが運んでいた。

 しかし油断はできない。プレシアは希代の魔導師だ。いくら未来を視るというアドバンテージがあるとはいえ、彼女の持つ力と知識は本物だ。戦闘になった場合、織莉子一人ではとても太刀打ちできず、そうでなくとも彼女の思慮深さはとても織莉子に御しきれるものではないだろう。

 だが今はそれでいい。織莉子には手に負えないほどの力を持つプレシアだからこそ、組む価値がある。何せ織莉子がこれから闘わなければならないのは、そんなプレシアの力を持ってしても勝つのが難しい相手なのだから。

 そんなことを考えているうちに織莉子は時の庭園の中庭までやってきていた。その一角にあるテーブルスペースでゆまとキュゥべえが座って向かい合い、他愛のない話に興じていた。

「あっ、織莉子。話は終わったの?」

「えぇ、滞りなくね」

 そう言いながらゆまの隣に腰を下ろす織莉子。だがここに織莉子がいるということ、その意味を考え、キュゥべえが異議を申し立てた。

「織莉子、確かキミは後でボクを呼ぶと言っていたよね? それなのにどうしてもう話し合いが終わっているのかな?」

「そうだったかしら? ごめんなさい、忘れてたわ」

 しれっとそう言う織莉子だが、彼女は初めからキュゥべえをプレシアとの話し合いに参加させる気など無かった。織莉子にとってもプレシアにとってもキュゥべえは一番に警戒しなければならない相手なのだ。そんな彼の生命体を腹の割った話し合いの席に同席させるはずがない。

「忘れてたで済まさないで欲しいな。正直なところ、キミとプレシアが手を組んで何もことを起こさないとは考えにくい。今後のためにもキミたちが為そうとしていることを教えて欲しいのだけど」

「……別に教えないとは言ってないわよ。そもそもその話をするために私は二人を捜していたわけだしね」

 そう言って織莉子は言葉を区切ると、懐からティーポットを取り出し、ゆまとキュゥべえに紅茶を振る舞う。

「ねぇ、オリコ。その話ってわたしも聞いてだいじょーぶなの?」

 カップを受け取りながら、ゆまはそんなことを尋ねる。先ほどのプレシアの様子から、自分が部外者であることはゆまも十分に理解していた。織莉子が自分をここまで連れてきた理由はわからないが、これ以上経ち入った話を聞いて良いものかと考えていた。

「もちろんこれからの話はゆまさんにも聞いてもらいたいわ。その上で考えてもらいたいこともあるしね」

 そんなゆまに織莉子は微笑みながら答える。そして注がれた紅茶に口を付けながら、話を切り出した。

「まずは端的に話し合いで決まったことを教えるわね。私たちはこれから管理局に戦いを挑むつもりよ。狙いは管理局の持っている全ジュエルシードの回収。そしてその魔力を使ってプレシアさんの望みを叶えること」

「プレシアってさっき会ったフェイトのママのことだよね? ジュエルシードでその願いを叶えるの?」

 織莉子の言葉にゆまが疑問を挟む。その言葉に織莉子は首を横に振る。

「いいえ、そうではないわ。ジュエルシードには確かに願いを叶える性質がある。けれどジュエルシードはとても不安定よ。そこから望み通りの魔力を引き出し願いを叶えることなんてほとんど不可能に近いわ。だからプレシアさんの望みは彼女自らの手で叶える。ただしそのためには莫大な魔力がいる。そのために一個でも多くのジュエルシードが必要なのよ」

 そう言って織莉子は自分が持っているジュエルシードをこの場に取り出す。その数は四個。

「今、時の庭園にあるジュエルシードは私が持っている四個とプレシアさんがフェイトさんに集めさせた七個。それに事前にキュゥべえに預けておいたジュエルシードを足すと全部で十二個になる。一応、過半数以上のジュエルシードは時の庭園に揃っているけれど、それでもまだ足りない。万全を期す意味でも全てのジュエルシードがこの場に揃っている必要があるの」

「ちょっと待って織莉子。あれはキミがボクにくれたものなんじゃ……」

「えぇ、その通りよ。だけど今は一個でも多くのジュエルシードが欲しい。だから一端、貴方に預けたジュエルシードを返してもらえないかしら」

「……残念だけどそれはできないよ。キミがボクにジュエルシードを譲ってくれたのは海鳴ではなく見滝原での出来事だ。ここにいるボクが持っているわけがないじゃないか」

「そんなの最初からわかっているわ。でもね、そんなの転送装置を使って運んでくれば関係ないでしょう? 幸いなことに貴方にジュエルシードを託したのは見滝原。例え転送装置を使ったとしても、海鳴市を張っている管理局には気付かれないはずよ。……これでもジュエルシードを貸すのを拒むのかしら」

 そう言って織莉子はキュゥべえを見降ろす。実のところすべてのジュエルシードを集める必要はまったくなかった。もちろんあるのならそれに越したことはないが、おそらくはあと三個ほどあれば次元に亀裂を入れることも可能なほどの魔力を揃えることができるだろう。

 それでも織莉子がキュゥべえにジュエルシードの返還を求めたのは、キュゥべえがジュエルシードにどの程度の執着心を持っているかを見るためだ。ジュエルシードから回収することのできるエネルギー。それが果たしてキュゥべえにとって必要なものなのかそうでないのか。それを確かめておく必要が織莉子にはあった。

「そうだね。正直なところ、ボクはジュエルシードを手放したくない。あれは貴重なサンプルだ。ボクたちの技術力を持ってしても、未だにジュエルシードの仕組みは解明しきれてないし、一時的とはいえ、今は返すわけにはいかないよ」

 そんな織莉子の問いに対するキュゥべえの答えは拒絶。もしこれがキュゥべえにとってジュエルシードが不必要なものだと断言できる状況ならば何も拒むことなく織莉子に返していただろう。だがジュエルシードの願いを叶えるプロセス、その仕組みを解明するまでキュゥべえはジュエルシードを手放すわけにはいかなかった。

「そう、それならいいわ」

 そんなキュゥべえの言葉を聞いて織莉子はあっさり引き下がる。今の話でキュゥべえがジュエルシードを必要としているのはよくわかった。それは織莉子にとってこの場ですんなりジュエルシードを渡されるよりも利のあることだった。

「いいのかい? プレシアの願いを叶えるにはすべてのジュエルシードがあった方がいいんだろう?」

「確かにその通りよ。でもそれはあくまでプレシアさんにとっての都合。私にとってみれば、別にジュエルシードが全て揃わず、プレシアさんの願いが叶わなかったとしても関係ないもの。もちろん、叶うに越したことはないけれどね」

 そう言って織莉子はカップに追加の紅茶を注ぎ、口に含む。そしてその味を堪能した後、改めてゆまに向き直り話を振る。

「……さて、それじゃあ今から計画を説明しようと思うけれど、その前にゆまさん、貴女に聞きたいことがあるわ」

 そう問いかける織莉子の表情は実に真剣なものだった。そんな織莉子に見つめられたゆまは緊張からか背筋をぴんと伸ばし、次の言葉を待つ。

「私たちと管理局の戦いは最早、避けられない。だからこのままここに残ればゆまさんも戦いに巻き込まれることになる。もちろん貴女のことは私が全身全霊を賭けて守ってあげるけどね」

「うん、それはわかるよ。でもそれがどーしたの? わたしは管理局のことはよく知らないし、戦いに巻き込まれるって言っても織莉子が守ってくれるんでしょ? それなら何も問題はないよ」

 元々、ゆまは管理局のことをよく知らない。だが一つだけハッキリしていることがある。それは管理局のせいでゆまと杏子が離れ離れになったということだ。それ故に管理局と敵対することになったとしてもゆまにはまったく問題はないはずだった。

「でもね、ゆまさん。もし杏子さんが管理局に協力しているとしたらどうする?」

「えっ……?」

 だがそんなゆまの楽観的な考えは、織莉子の一言で一変する。

「私の視る限り、杏子さんは今、管理局と行動を共にしているわ。だからこのままここに残るのだとすれば、必然的に私たちは杏子さんと敵対することになる。ゆまさんが望む望まずに関わらずね」

「そんなのやだよ! キョーコと敵になるなんて!!」

 ゆまにとって杏子は掛け替えのない大切な存在だ。杏子のためならゆまは何だってするし、そんな杏子の隣に立ちたいからこそ魔導師になることを夢見て努力していた。

 しかし織莉子もまた、ゆまにとって大切な存在になりつつある。まだ出会ってから一日と経っていないが、織莉子と話している時間はとても楽しかった。それに織莉子が自分に向ける眼差し。そこに確かな温もりを感じ、そこからは杏子とはまた違う安心感を覚えていた。

 そんな二人が戦うことに抵抗を覚えずにはいられない。もし仮に目の前で二人が争えば、間違いなくゆまは杏子に着くだろうが、それでもできることならば争って欲しくはなかった。

「ゆまさんならそう言うと思ってたわ。だからもし、ゆまさんが私たちの戦いを見たくないと言うのなら、海鳴市に送り返してあげる。それによって管理局にこの場所が気付かれるとしても、それはゆまさんをここまで連れてきた私のミス。だから甘んじて受け入れてあげるわ。……でもね、ゆまさんにとってこの状況は一概に悪いとは言い切れないはずよ。理由はどうあれ、杏子さんは時の庭園にやってくる。すなわちそれは、ゆまさんにとっては杏子さんと再会するチャンスでもあるの」

「キョーコがここに来るの?」

「おそらくね。でも絶対とは言い切れないわ。確かに杏子さんは管理局に協力していた。でも今もそうとは限らない。プレシアさんが管理局からジュエルシードを奪う準備を整え終えるのに少し時間がかかるから、その間に杏子さんが管理局を離反しないとも限らない。……だけどもし、杏子さんが管理局に協力し続けているのだとすれば、このままゆまさんが時の庭園に留まり続ければ確実に再会できるでしょう。そのための作戦も考えてある」

「作戦?」

「えぇ。でもそれは私たちの計画に大きく関わってくるから、ゆまさんがここに残ると決意しない限り詳細を話すことはできないわ。今言えるのはもしもゆまさんが時の庭園に残り、計画に協力してくれると言うのなら、杏子さんの元に帰ることができ、私と杏子さんの戦いも避けられるかもしれないということ。だけどその代償にゆまさんは杏子さんを初め、多くの人を騙すことになるということよ。貴女にその覚悟があるのかしら?」

 織莉子は真っ直ぐゆまの目を見て尋ねる。その真剣な眼差しにゆまは思わず目を逸らす。そんなゆまの様子を微笑ましく眺めながら、織莉子は二つのティーカップを取り出す。一つは白を基調として赤い装飾の施されたティーカップ。もう一つは模様こそは同じだが、青い装飾の施されたティーカップだ。

「ゆまさんがもし、どんなことをしてでも杏子さんに会いたいと言うのなら青いカップを取りなさい。そうすれば私がゆまさんと杏子さんを再会させてあげると約束してあげる。……だけどもしゆまさんにそこまでの覚悟がないのなら赤いカップを取りなさい。それなら残念だけれど、貴女を今すぐに海鳴市に帰してあげるわ。その後、杏子さんと再会できるかもしれないけれど、少なくともここに残るよりはだいぶ先のことになるでしょうね」

 織莉子の問いかけにゆまは言葉を窮す。杏子に会いたい気持ちに変わりはない。例え時の庭園に残らなくても、いずれ杏子に会うことは叶うだろう。しかしそれでもゆまは悩む。それほどまでにゆまにとって、杏子は必要な存在なのだ。そんな杏子とすぐにでも再会できる。その可能性が提示されたゆまは頭を悩ませる。

「わ、わたしは……」

 そうして悩み続けること数分。ゆまはカップへと手を伸ばす。自分でもこの選択が正しかったのかわからない。それでもゆまは選んだ。そんなゆまの姿を見て、織莉子はただただ、満足そうに微笑むのだった。



     ☆ ☆ ☆



 フェイトが目覚めたのは、彼女がアースラに収容されてから三時間後のことだった。まだ失った魔力と体力は戻っていないものの、医務官の熱心な治療によってなのはによって与えられたダメージはほぼ完治していた。それでも目覚めたてのためか頭がよく働かず、フェイトは茫然と天井を見つめ続ける。

 そうして考えるのは先ほど見た夢のこと。普通の夢ならすぐに忘れてしまいそうだが、この時に限ればフェイトはハッキリと夢の内容を覚えていた。幼い頃、アリシアと呼ばれていた自分、そしてフェイトと呼ばれるようになった自分。それを境にプレシアの態度が豹変したという事実。どうしてそんな重要なことを忘れていたのか。まだ少し頭に靄が掛かっているが、それでもフェイトの耳には『アリシア』と愛おしそうに呼ぶ夢の中のプレシアの声が離れなかった。

「……フェイト、目を覚ましたのか」

 自分の名前を呼ぶ声に、フェイトはその意識を現実へと引き戻される。そして声のする方へと視線を向けると、そこには杏子の姿があった。自分の隣のベッドの上でうつ伏せで横たわっている杏子。その背中には包帯がきつく巻かれており、それにフェイトの視線が釘付けになる。

「杏子、その背中どうしたの?」

「あぁ、これか。ちょっとヘマしてな。ま、安心しろよ。命に別状のあるような傷じゃないから。……それよりもフェイト、ここがどこだかわかってるか?」

 そう問いかけられたフェイトは改めて周囲を見渡しながら考える。ここがどこかの医療施設であることは間違いない。ベッドの傍に備え付けられた心電図や点滴。それは紛れもなく医療機関でしか見ることのできないものばかりだ。

 だが重要なのはそれがミッドチルダ性の製品であるということだ。任務の際、どうしても怪我をしてしまうことがある。そう言う時、フェイトとアルフは時の庭園の医務室で自らの傷を治療してきた。その際に使用したのと同じ医療器具が複数目に入る。だがここは時の庭園の医務室ではない。それはある事実を意味していた。

「もしかしてここって、管理局の……」

「そう、アースラの医務室だ。あたしたちは管理局と敵対していたはずなのに、こうして管理局で治療を受けることになるなんて、皮肉以外の何物でもないよな。……だけどフェイトの負った傷はそのまま放置しておいていいようなものじゃなかったってことは自分でもわかってるだろ?」

「……うん」

 杏子の言葉で甦るのは、自分が意識を失う前に見たなのはの悲しげな表情と黒い閃光だ。彼女の圧倒的な力の前にフェイトは為す術もなく撃墜された。そのことに無力さを感じずにはいられない。

「あたしもアルフからある程度の事情は聞いてる。だけどあいつも肝心なところは知らないみたいでさ。……だからフェイト、聞かせてくれないか? あの後、一体なにがあったんだ?」

 フェイトの表情に陰が差していることに気づいてはいたが、それでも杏子は訪ねずにはいられない。フェイトと、そしてアリサがどうしてアースラの医務室に運び込まれるような事態に陥ったのかを。

「……そうだね。杏子には話しておかないとね。あの後、何があったのかを……」

 そう言ってポツポツと杏子と別れてから何があったのかを語り出すフェイト。その話を聞き終えた時、杏子が感じたのは憤りだった。キュゥべえと契約することですずかの意志を継いだなのはが、アリサを危険から遠ざけるために彼女の中から自分たちの記憶を消した。それを目の当たりにしたフェイトは、アリサの記憶を取り戻すために戦い、一瞬で撃墜された。

 言葉にすれば単純だが、起きた事実はそう単純なものではない。なのはが魔法少女になったことを初め、記憶を奪われたアリサ。そしてフェイトもまたそんなアリサを守ることができず、心に大きな傷を負ったであろうことは容易に想像がついた。

「ねぇ、杏子。わたしからも聞いていいかな? あの後、杏子たちはどうしてたの? それにアリサはどこに?」

「……あたしとクロノはフェイトと別れた後、すぐにアースラに収容されたよ。あたしは見ての通りだし、クロノもあの時に魔力をだいぶ消費しちまったみたいだしな」

 杏子はこれ以上、フェイトに負担を与えないようにと事実を一部ぼかして話す。一日経った今もクロノの治療は終わっていない。未だに集中治療室の中で医務官が付きっきりで治療を行っていた。だがそれを今のフェイトに伝える必要はない。クロノが生死の境を漂う理由を作ったのは、他ならぬ杏子自身とフェイトなのだ。ただでさえアリサのことで自分を責めているフェイトに、これ以上負担を与えたくなかった。

「それとアリサだけど、あいつはまだ目を覚ましていない。今は別室で精密検査を受けている最中だ」

「……そう、なんだ」

 そんな杏子の話を聞いてフェイトは目に見えて落ち込む。フェイトはこの戦いでなに一つとして為すことができなかった。不用意に杏子に接触した結果、管理局に捕まったところから始まり、杏子の手を借りなければアースラから脱出することはできず、脱出した先でも杏子とクロノに庇われる形でなのはの砲撃から逃れた。そしてアリサを助けに戻った結界の中で自分の意思を押し通すこともできずなのはに撃墜されてしまった。

 この数時間の間にフェイトが失ったものは多い。最早、今のフェイトにはプレシアの手助けをすることもできず、さらにその自信すら喪失してしまった。そんな自分の無力さを痛感したフェイトは、杏子から顔をそむけ、布団を頭からかぶる。

「……フェイト、落ち込みたい気持ちはわからないでもないが、そんな姿、アルフには見せてやるなよ。あいつはフェイトを救うために管理局と協力する道を選んだんだからな」

「えっ……?」

 杏子のその言葉を聞いて、フェイトは布団の中から顔を出す。

「尤も、管理局の連中は総じてお人よしだからな。そんな約束をしないでもフェイトのことを助けてやったとは思うぜ。まぁ傷が癒えたその後は独房に直行するのには違いないけどな」

 フェイトはわざと明るく振る舞ってそう告げる。だがフェイトにはわからなかった。どうしてアルフがプレシアにではなく管理局に助けを求めたのかを。アルフがプレシアを嫌っていたのは知っている。しかし危機的な状況になった時に敵対している管理局に頼るというのは考えもしていなかった。

 確かにプレシアの態度は厳しい。任務を果たしたところでフェイトを褒めるような真似はせず、逆に何かに失敗した時は体罰を交えて躾けられた。それでもフェイトは知っている。プレシアがかつて、自分に対して微笑んでくれたことを。プレシアがかつて、自分に無償の愛を与えていてくれたことを。



 ――アリシア。



 その時、夢の中で呼ばれていた昔の名前が脳裏を過る。どうして自分が『アリシア』とではなく『フェイト』と呼ばれるようになったのか、その理由は思い出せない。しかし呼び名などどうでもいい。フェイトにとってプレシアは母親なのだ。そんな母親を信じずに誰を信じるというのか。

 フェイトにとってすでに『アリシア』は過去の名前だ。今のフェイトは『フェイト』として全力を尽くす。それが自分の、延いてはプレシアのためにもなるのだから。

「ま、何にしてもフェイトが目覚めて良かったぜ。一応、あたしも後で取りなしてやるけど、とりあえず今はフェイトが目を覚ましたことをアルフやリンディに伝えねぇとな。かまわねぇだろ?」

「えっ? あっ、うん」

 自分の考えに没頭していたフェイトは、杏子の言葉に空返事を返す。しかし杏子はそのことに気付かない。手近にあったコンソールを使ってフェイトが目覚めたことをリンディやアルフに伝えている。その後ろでフェイトがある決心をしていることに、彼女はまったく気づいていなかった。



     ☆ ☆ ☆



 結界の中でなのはは魔女と戦い続けていた。織莉子と別れてから三時間、彼女はずっと戦いを続けている。すでになのはが殺した魔女の数は優に百体を越える。その中には他の魔女を喰らって強大な力を手に入れた大魔女も複数含まれていた。

 魔法少女になり、莫大な力を手に入れたなのはだったが、まだその力を持て余していた。だからこそ、彼女は実践の中で自分の持つ力の使い方を徐々に学んでいった。

 なのは本来の魔法資質は遠距離からの砲撃魔導師である。魔力を収束させ放つなのはの魔法は、その一発一発が並みの魔導師を一撃で撃墜させるほどの威力を秘めていた。

 しかし今のなのはの砲撃はそんなレベルとは比べものにならないほど強力だ。特に彼女が創り出した魔法、ルシフェリオンブレイカーは空気中に霧散する魔力を喰らい尽くす。それはつまり、相手は強い魔法を使えば使うほど、より強力な一撃を放てるようになると言うことだ。もちろん収束した魔力が多すぎればなのは自身にも制御が難しいだろうが、それでも世界を滅ぼすような魔女相手には切り札になることは間違いなかった。

 しかしなのははまだ自分の力が不足していると感じていた。確かに契約前よりは強くなった。すずかの意志と強さを引き継ぎ、なのはが本来持つ素質も相まってか、今の彼女の強さは一介の魔法少女、一介の魔導師を大きく上回っている。

 それでも今のなのはに救えるのは目の前の人々だけだ。確かにそれで一時的な平和は訪れるだろう。だが織莉子から聞かされた世界を滅びに導こうとする存在。それが魔女であれ、魔法少女であれ、複数存在しているという以上、一切の油断はできない。

 現になのはがこうして戦っている魔女は、依然アリサと一緒に結界に捕らわれた時に出遭った魔女よりも遙かに強い。温泉街で交戦したジュエルシードを取り込んだ魔女にも引けを取らない。しかもそれが一体だけではないのだ。もしもキュゥべえと契約していなければ、まず間違いなくなのははここで命を散らしていただろう。

 だが今のなのはは一切の苦もなくこの魔女の集団を相手にすることができていた。魔力コントロールはまだ上手くいってはいないが、それでも多少他の魔女を喰らった程度の相手に今のなのはが負けることはない。負けるとすれば、それは自分自身に対してだ。魔力の消費と共に脳裏に浮かぶ負の感情。すずかを死なせてしまったことへの後悔。アリサの記憶を奪ったことへの罪の意識。フェイトを撃墜した時に感じた高揚感。それらはすべて、なのはの心を黒く塗りつぶしていく。だがそれに負けるわけにはいかない。そうなればなのはは目の前の魔女と同じになってしまう。いや、同じではない。もしなのはが魔女になってしまえばただ一人でこの世界を滅ぼせるほどの強大な魔女になってしまうのだ。それを知っているからこそ、なのはは自分の負の思いに負けるわけにはいかなかった。

 なのはの使う収束魔法、その弊害とも言うべきか、魔女の絶望的な魔力にあてられ、彼女の心にも様々な負の思いが浮かぶようになっていた。

 炎をまとったなのはの砲撃が、辺りの魔女を焼き尽くす。それこそ塵も残さない勢いで魔女の肉体を燃やし尽くす。そうして焼けた跡に残ったグリーフシードを逐一回収しては、なのはは自分の心を清めていく。

「少し見ない間に、ずいぶんと無茶な戦いをするようになったね、なのは」

 結界の中の魔女を焼き尽くし、結界から解放されたところでそう声を掛けてきたのはキュゥべえだった。なのははそれに一瞥すると、すぐに次なる目的地へ向かって飛んでいこうとする。

「ちょっと待ってよ。どうしてボクのことを無視するんだい?」

「……わたしにはキュゥべえくんと話している時間はないの。一刻も早くこの町から魔女を倒し尽くさないと」

 そう告げるなのはの顔は疲労感に溢れていた。だがそれでもなのはは立ち止まるわけにはいかなかった。――この町にはアリサがいる。例えなのはとの思い出を亡くしたとしても、彼女がなのはにとってかけがえのない存在であることには違いない。それにアリサだけではなくなのはの家族や忍たち、それ以外にもこの町にはたくさんの知り合いがいる。

 故になのはは戦い続ける。織莉子の言うこの世界を滅ぼす魔女と戦う力を付ける意味でも、後顧の憂いを絶つ意味でも、なのはは海鳴市から魔女を撲滅させなければならなかった。

「なのは、そう焦ることはないんじゃないかな。確かにこの町にいる魔女の数は異常だ。でも何の考えもなしに魔女を退治し続けても、魔女はそれ以上の勢いで孵り続けるんじゃないかな?」

 魔女の生まれる方法は三つ。一つは魔法少女が絶望し、魔女に転化すること。しかし事、海鳴市においてその可能性は限りなく低いだろう。海鳴市にいる魔女は強力だ。魔女の数こそ多いため多くの魔法少女が集まってきてはいるが、並みの魔法少女では絶望する前に殺されてしまうか、他の狩り場を求めて去っていくだろう。二つ目は使い魔が成長し魔女になること。しかしそれもあり得ない。この町にいる魔女の数は多すぎる。そのため使い魔が生まれたところですぐに他の魔女に喰われるだけだ。だから必然的に三つ目のグリーフシードから孵ることで魔女が増え続けていっていた。

「この町にいる魔女がどのくらいの数なのか、ボクにも正確なところはわからない。グリーフシードを生まない魔女もいるけれど、それでも大量と言うべきグリーフシードが至るところに散らばっている。そうして生まれた魔女がまたグリーフシードを生み、そうして鼠算式に増えているのが今の状況だ。例えなのはが数十や数百の魔女を倒したところで、魔女の数は対して減らないだろうね」

「……ならどうすればいいの?」

「魔女が増え続けるのは、この町にジュエルシードという莫大な魔力が存在したからだ。今でこそ、すべてのジュエルシードは誰かしらに回収されているけど、それでもすでにこの町は魔女の魔力が飽和している状態だ。そんな魔女の魔力がまた魔女を呼び、そしてさらに魔女を呼ぶ。そんな循環ができているんだ。これを崩すには並大抵の努力では済まないよ。……だから発想を逆転させるんだ。この町にいる魔女を駆逐するのではなく、他の場所で莫大な魔力を発生させて魔女の注意を他の町に引き寄せるという形でね」

「……駄目だよ、そんなの」

「何故だい? なのははこの町の人々を守りたいのだろう。それを確実に、そして手早くに為すにはこの方法しかない。それはキミにもわかっているはずだ」

「でもだからって、他の町を犠牲にするやり方、わたしには認められないよ」

 なのはとてこのままただ戦い続けることに大した意味がないことは理解している。それでも彼女はキュゥべえのやり方を許容できない。なのはの目指す平和な世界。それは自分以外、何一つ犠牲のない世界だ。例え見ず知らずの相手だろうと、自らの手で死地に誘うような真似をするなど以ての外だ。

「まったくこれだから人間はわけがわからないよ。大を救うために小を切り捨てる。これは当然の考え方じゃないか。どちらも救おうとしてどちらも救えないんじゃ話にならないよ」

「それでもわたしは諦めない。わたしは皆を守るために魔法少女になったんだから」

 なのはの決意。すずかの想い。それは等しく同じものだ。それに反する行為などできるわけがない。もしそんなことをすれば、なのはのソウルジェムはすぐに穢れきってしまうだろう。

 だからなのははそう口にして飛び去る。新たな敵の元へ。もうこれ以上、キュゥべえと話すことはないと言わんばかりに。

「……なのは、キミは何も理解していない。キミが戦えば戦うほど、この町にいる魔女が強力なものになっていっていることをね」

 そんななのはの背を見送りながら、キュゥべえは呟く。そして彼もまた、自身の目的のために動き出すのであった。



2013/11/24 初投稿



[33132] 第11話 わたしはアリシア その5
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/12/07 17:17
「フェイトさん、身体の具合はどうかしら?」

「魔力はまだですけど、体力の方はだいぶ戻りました」

 フェイトが目を覚ましてから少しして、リンディは彼女に事情を聞くために医務室を訪れていた。そこには隣のベッドで横たわっている杏子はもちろん、エイミィやアルフの姿もある。

「それでフェイトさん、あの結界の中であなたたちに何があったのか、聞かせてもらえないかしら?」

 リンディの問いかけにフェイトは頷くと、杏子に話したのと同様の説明をしていく。

「なんだよ、それ!! なのはとアリサは友達なんだろ?! それなのにこんな……」

 フェイトの話を聞き終えたアルフは真っ先に怒りを露わにする。フェイトを傷つけられただけでも腹立たしいのに、その上彼女は自分の友人であるアリサの思い出をも奪った。自分に置き換えて考えてみればフェイトに出会ってから今までの出来事を全て忘れるようなものなのだ。アリサのことはよく知らないアルフだったが、それがどんなに残酷なことか痛いほど理解できた。

 その横でリンディは眉間に皺を寄せながら、神妙な面もちを浮かべていた。彼女が考えていたのは、アリサの様態の不可解さであった。アリサには一切の外傷がない。検査の結果、身体そのものは健康体。どこにも異常が見つからない。にも関わらず、アリサは一向に目覚める気配がない。初めはそれが記憶操作を掛けられたことによる副作用と考えていた。しかしフェイトの言葉で一つの可能性に思い至る。それはなのはに迷いがあったという可能性だ。なのはにとってアリサは大切な友人であることは間違いない。その記憶を奪う決断をするというのは、生半可な覚悟では行えることではない。

 確かに彼女は魔法少女になったことで変わってしまった。実際に対面したわけではないが、放たれた砲撃やフェイトの話を聞く限り、以前までの彼女とはまるで別人のように感じられる。だが彼女は九歳の少女だ。魔法少女になったことで性格が変わってしまったとしても、冷徹に徹しきることは難しいだろう。それもつい一ヶ月前まで魔法のない世界で普通に暮らしていたなら尚更だ。

 おそらく彼女は無意識の内に躊躇ってしまったはずだ。もし相手がアリサではなく、特に関わりのない人間ならばそのような迷いを持つことはなかっただろう。しかし相手はなのはにとって最早唯一無二とも言ってもよい親友なのだ。そんな彼女から自分との思い出を奪うことに抵抗がないわけがない。

 そして迷いがあれば魔法の効果は乱れる。その結果としてアリサは目を覚まさないのではないか。なのはの目的はあくまでアリサを危険に巻き込まないようにすること。そしてアリサの性格はなのはが一番よくわかっている。その上でなのははアリサが自分をどこまでも追い続けると考えたからこそ、記憶を消すなどという強硬手段を取ることにした。だがアリサが目を覚まさなければ、その目的自体は達成できる。

 もちろんこれは予測の範疇に過ぎない。ただ単純に記憶操作の副作用ですぐに目を覚まさなくなっているだけなのかもしれない。ただどちらにしても一度なのはに会い、アリサの現状を伝える必要がある。リンディはそう結論づけた。

「フェイトさん、なのはさんのその後の行方についてはわかるかしら?」

「……わからない。あの時、なのははあくまでアリサの記憶を奪ったとしか言わなかった。わたしはアリサの記憶が奪われたところを見ていたわけでもないし、なのはがどうやってそんなことをしたのか検討もつかない」

 そう語るフェイトは肩を振るわせていた。そんなフェイトを慰めるようにアルフは抱きしめる。そんな二人の様子を見ていた杏子はリンディを睨みつけながら、念話で語りかける。

【リンディ、参考までに聞くけど魔導師の魔法の中に記憶を操作するなんてものはあるのか?】

【あるわよ。――だけど魔導師になって一ヶ月ほどのなのはさんには使えるような魔法ではないし、何より次元世界でも禁忌になっているような魔法だから彼女が知る術すら存在しないはずよ。むしろ私はこれがなのはさんの魔法少女としての魔法と考えるのだけれど……】

【いや、それはないはずだ。もちろんキュゥべえとの契約でこの手の魔法が生まれないって保証はないけど、それならあの黒い炎の説明がつかねぇからな】

 一度、その身に受けただけとはいえ、なのはの砲撃に付加された黒い炎の恐ろしさを杏子は深く実感している。そしてそれは以前までのなのはにはなかった力だ。ならばあれこそがなのはの魔法少女としての魔法の一端なのだろうと推測する。

【黒い炎と記憶操作の魔法を同時に修得したということは?】

【確かにその可能性もあるが、基本的に魔法少女が契約時に身につける魔法は一つだけだ。だからもし同時に身につけたのだとすればアリサに外傷がねぇってことは考えにくいな】

 あくまでアリサに外傷はない。もし黒い炎と記憶操作が関連した魔法の一種だとすれば、アリサの身体には火傷痕が残っているはずだ。しかしそういったものはない。意識がないということを除けば、アリサは健康体そのものだ。それにアースラに運ばれる以前に魔力による治療を受けたという痕跡もなかった。

【どちらにしてもなのはがどうやってアリサの記憶を奪ったのか。それを得るには情報が足りねぇ。……尤もなのはの魔法だけなら知ってそうな奴が一人、いや一匹いるけどな】

【……キュゥべえね】

 杏子の問いかけにリンディは確信を持って答える。今はアースラの設備を見て回りたいという要請を受け、何人かの管理局員の監視の元にアースラ内を案内されている。

【あいつが素直になのはのことを吐くかわからねぇけど、それでも一度聞いてみる価値はあるかもな】

【そうね】

 杏子の意見に同意したリンディはすぐにキュゥべえをこの場に呼び出そうとする。だがその前に管制室にいるスタッフからの通信が入った。

『艦長、大変です。プレシア・テスタロッサから通信が入っています。今すぐ管制室に来てください』

 その通信の内容に一同は戦慄する。プレシア・テスタロッサが自らこちらにコンタクトを取ってきた。その事実にリンディは驚き、俯いていたフェイトも顔を上げ目を大きく見開く。

「わかったわ、今すぐ管制室に戻ります。あなたたちは時間を稼ぎながらどこから通信が来ているのか、その座標の特定を急いで」

『了解しました』

 リンディは的確に管制スタッフに指示を飛ばすと、慌てて医務室を後にする。それに続こうとするエイミィ。そしてアルフもまたそんなエイミィに続いて管制室に向かおうと椅子から立ち上がる。

「待ってアルフ。わたしも連れてって」

「エイミィ、悪いが手を貸してくれ。あたしもプレシアって奴には用があるんでな」

 だがそれをベッドに腰掛けるフェイトと杏子が呼び止めた。プレシアが管理局に通信をする理由はわからない。しかし二人にとってこのチャンスを逃すわけにはいかなかった。

「いいのかい? フェイト、たぶんあいつはフェイトのことを気にするような奴じゃない。きっと別の目的で管理局にコンタクトを取ってきたはずだよ」

「うん、なんとなくわかるよ。でもわたしは母さんに謝りたいんだ。ジュエルシードを集めることができずにごめんなさいって」

 今日一日でフェイトは嫌というほど自分が無力だということを痛感した。思い返せば今までのプレシアの仕打ちもフェイトが力足らずなばっかりに怒らせていたのかもしれない。管理局に捕まってしまった以上、フェイトはもうプレシアと顔を合わせる機会がないかもしれない。故に通信越しとはいえ、きちんとプレシアに謝りたかったのだ。

「……わかったよ。でもそれが終わったらすぐにベッドに戻るんだ。今のフェイトは体力も魔力も回復しきってないんだから」

「ありがとう、アルフ」

 本音を言えばアルフは、今のフェイトをプレシアに会わせたくはなかった。しかし例えこの場でプレシアと会わなくとも、いずれはプレシアと再会する時が必ずくる。それならばいっそ通信越しで一度話し合わせるのもいいかもしれない。それならば少なくともフェイトの肉体が傷つけられることはないのだから。

「杏子、ダメだよ。まだ安静にしてないと傷に響くって!!」

 その一方で杏子は背中の火傷の痛みを我慢しながら立ち上がる。そんな杏子をベッドに戻そうとするエイミィ。だが杏子は首を横に振る。

「こんな傷、あたしにとっては屁でもねぇよ。それよりゆまの行方について少しでも情報を集めねぇと……」

 織莉子と行動を共にしているゆま。そんな織莉子が向かった先が時の庭園と言うならば、プレシアの口からゆまの様子を確かめることができるかもしれない。うまくいけばそのままゆまと会うことも叶うかもしれない。そんな貴重なチャンスを逃すわけにはいかない。

「それならあたしや艦長に任せて……」

「別にエイミィやリンディを信用してないわけじゃねーよ。でもこればっかりはやっぱり自分で確かめたいんだ。例えエイミィが止めてもこればっかりは譲れねぇ。あたしは這ってでも管制室に向かうからな」

 杏子は真っ直ぐエイミィの目を見てそう告げる。その強い眼差しにあてられ、エイミィはため息交じりで答える。

「――杏子、それは卑怯だよ。そんなこと言われたら連れて行かないわけにはいかないじゃんか」

 この一週間、杏子がアースラに滞在している時に一番彼女と話したのはエイミィである。だからこそ杏子がゆまのことを何よりも優先することはよくわかっている。そしてそんな杏子のことをエイミィはとても好ましく思っていた。だからこそエイミィは杏子に肩を貸すことに決めた。あとでリンディに怒られるかもしれないが、その時はその時だと考えて。

 こうして四人は医務室を後にする。その足取りはとてもゆっくりだが、それでもできるだけ管制室に急ごうと真っ直ぐ向かっていった。



    ☆ ☆ ☆



「なのは、いたら返事をして!!」

 一方その頃、海鳴市にいるユーノは夜の町を駆けていた。そして必死になのはの名前を呼び掛けながら、彼女のことを捜していた。

 なのはが部屋からいなくなったのをユーノが気づいたのは、彼が夕食を持ってなのはの部屋を訪ねた時のことだった。扉をノックしても一向になのはからの返事が返ってこない。初めは眠っているだけかとも思ったが、妙な胸騒ぎがして部屋の中を探査魔法で調べてみると、そこには僅かな魔力の痕跡が残るだけで、なのはの姿はなかった。そのことを士郎や恭也に伝えたユーノは、そのまま町へと飛び出し、今の今までなのはを捜し回っていた。

 だが未だになのはがどこにいるのか手がかりを掴むことすらできなかった。そもそもユーノにはなのはがどこに行ったのか、まるで見当がつかなかった。強いて考えられるとすれば月村邸だが、すでにそこには恭也が向かい、なのはがいなかったことはわかっている。さらにキリカの事件の後、封鎖されている私立聖祥大附属小学校にも捜しまわったが、なのはの姿はどこにもなかった。そうなるともうユーノにはお手上げである。

 だがそれでもユーノは一歩たりとも足を止めない。探査魔法を用いてなのはの魔力を探しながら、彼女の名前を呼び続けた。

 そうして夜通しでなのはのことを捜し続けたユーノの執念が身を結んだのか、微弱ながらもなのはの魔力を捕らえることに成功する。その魔力を頼りにユーノは駆ける。そうして行き着いた先にあったのは、魔女の結界への入り口だった。そしてなのはの魔力は結界の中へと続いていた。

 そんな魔女の結界にユーノは躊躇無く入っていく。魔女の恐ろしさはユーノも身を以て体験している。ジュエルシードの思念体と同様、おそらく自分一人では太刀打ちするのすら難しいだろう。それでもユーノは迷わない。この中になのはがいる。例えどんな凶悪な魔女や使い魔が現れようとも、それだけで危険に飛び込むには十分な理由だった。

 だが結界に一歩踏み入れた瞬間、ユーノの身は竦む。結界の奥から感じる凶悪な魔力。それは今まで感じたこともないような邪悪さと強大さを持つ魔力だった。足が自然と震え、思うように動けなくなる。それでもユーノは必死に前へ歩を進めようと自分の足に命令する。そうしてようやくユーノは歩を前に進め出す。その足取りはとてもゆっくりとしたものだが、それでもユーノは逃げ出すわけには行かない。何せこの結界の中にはなのはがいるのだ。これほどの凶悪な魔力を持つ魔女のいる結界の中で、彼女を一人残しておけるはずがない。

 そうしてたどり着いた結界の最深部。そこでユーノが目にしたのは思いもよらない光景だった。一人の少女に群がる複数の魔女。それを少女が放つ砲撃で燃やし尽くしていく。触れた端から蒸発していく魔女を前に、少女は笑みを浮かべ、次なる標的を求めて杖を振るう。

 そんな光景を目の当たりにしてユーノはようやく気付く。ここまで来る道中、ユーノは使い魔から一切の妨害を受けることがなかったことを。そして奥へ進めば進むほど邪悪な魔力と比例するようになのはの魔力がより色濃く感じられるようになっていったことを――。

「……どうして」

 ユーノは思わず呟く。だがその声は魔女の断末魔にかき消され、少女の耳には届かない。

「……どうして魔法少女になんてなってしまったんだ、なのは」

 それでもユーノは自分の疑問を声にせずにはならなかった。ユーノの目の前で戦っている少女、それは紛れもなくなのはだった。見慣れた白いバリアジャケットではなく、黒衣の魔法少女の装束に身を包み、冷たい目をしながら魔女を狩っている。そこに一切の油断も慈悲もなく、確実に魔女を殺すためだけになのはは杖を振るっていた。それを見てユーノはすぐになのはがキュゥべえと契約し、魔法少女になってしまったことを確信した。

「……聞かなくちゃ」

 故にユーノは思う。なのはがどうして魔法少女になったのか。どうしてこんな風に魔女と戦っているのか。その理由を聞かねばならない。そう考えたユーノは一歩、また一歩と踏み出していく。

 未だなのはは戦闘中。辺りには無数の魔女の姿があり、そのいずれもが命を脅かす存在だ。しかし今のユーノの目にはなのはの姿しか映っていない。周囲に対する警戒もなく無防備なまま、ゆっくりとした足取りでなのはに近づいていく。

 初めはそんなユーノの存在に誰も気付いていなかった。周囲にはなのはの放った黒炎が立ち昇り、それが濃厚な魔力の気配となってユーノの魔力を掻き消していたからだ。

「……ッ!!」

 だからなのはがユーノの姿に気付いたのは全くの偶然だった。たまたま魔女に砲撃を放とうとした射線上にユーノがいた。ただそれだけだった。そしてその傍には一体の魔女がおり、ユーノのことを狙っていることにも気付くことができた。

 なのははとっさにブラストファイアーの射線をユーノから逸らし、彼に攻撃を仕掛けようとした魔女に向けて放つ。結果、ユーノを魔女から守ることには成功したが、その代償は大きかった。本来とは違う角度で放たれたブラストファイアー。その結果、生き残ってしまった魔女がいる。そしてそれはよりなのはの近くにいた魔女であった。

 目の前にいた魔女から放たれる斬撃。なのははそれを身体を捻ってかわそうとする。だが元々無理な体勢でいたこともあり、かわしきれず左腕が宙を舞う。その痛みに表情を歪めながら、なのはは薙ぎ払うようにルシフェリオンを振るう。その先端から噴き出る黒い炎。それがなのはの周りに集まる魔女を燃やし尽くす。そうして活路を見出したなのはは、ユーノの元へ向かって一直線へと飛んでいく。その間にもなのは目がけて数多の魔女が攻撃を仕掛ける。近づいてくる魔女は杖で薙ぎ払い、炎で燃やすだけで片がつく。しかし遠方から飛んでくる攻撃に関しては、その全てをなのははその身で受けた。

 いくら左腕を失ったからとはいえ、その程度でなのはの魔法は揺らがない。本来ならばその全てを避けるか弾き飛ばすことが可能だっただろう。しかし万が一にもそれがユーノに当たらぬとも限らない。だからこそなのはは自らの身体を盾として使ったのだ。

 純粋な魔力弾。針による毒の注入。酸による腐食。熱線によるレーザー。それ以外にも様々な攻撃がなのはの身を襲う。だがなのははそれら全てをその身に受ける直前、攻撃を受ける部位を黒炎で燃やした。それはダメージを最小限に抑えるためだ。魔女の攻撃は千差万別。その性質によって効果が異なる。中には一発で致命的なものもあるだろう。だからこそ彼女そうした効果を自分の黒炎で中和しようとしたのだ。そんなとっさの考えは上手くいき、毒は炎で浄化し、レーザーは煙で遮断。酸や魔力弾も蒸発させた。自分で作り出した炎とはいえダメージがないわけではないが、それでも魔女たちの攻撃をそのまま受けるよりは軽減できたと言えるだろう。

 そうしているうちにユーノの元までやってきたなのははその眼前で反転し、ブラストファイアーを連射する。それはまるで龍のようにうねりながら、迫りくる魔女を飲み込んでいく。魔女たちもそれに必死に抗おうとするが、なのはの魔力には敵わない。断末魔を上げながらその身を燃やされ、息絶えていく。そうして後に残ったのは無数のグリーフシードと傷ついたなのは。そして茫然と立ち尽くすユーノだけだった。

「なのは……?」

 辺りの魔女の結界が解け、不気味な空間から閑静な住宅街へと解放されていく二人。ユーノは改めてなのはを目視し、そしてその身体の傷に気付く。損なわれた左腕。全身にある無数の火傷。それらは全て自分を守るためになのはが負ったもの。その事実に気付いたユーノは慌ててなのはに駆け寄り、治癒魔法を掛けようとする。だがなのははそんなユーノを制した。

「必要ないよ、ユーノくん。この程度の傷、すぐに治せるから」

 そう言うとなのはの全身が炎に包まれる。それは先ほどまでの黒炎ではなく、夕陽のように赤い炎。だがすぐにその炎は周囲へ霧散する。そうして炎の中から出てきたなのはには、一切の傷がなくなっていた。全身にあった火傷はもちろん、失われた左腕もまるでそんなことがなかったかのように元通りになっている。

「なのは、どうして……?」

「……魔法少女は魔女と戦うためにできている。だから魔力があればどんなダメージだろうと簡単に癒すことができるの。今みたいにね」

「違う! 僕が言いたいのはそういうことじゃない!! どうして魔法少女なんかになってしまったんだ!! 魔法少女になった人間がどうなるのか、なのはも知っているだろう!? それなのにどうして、こんな……」

 ユーノは腹の底から叫ぶ。そんなユーノの姿を見てなのはは表情を曇らせる。だがそれも一瞬だけで、すぐに彼女は能面のような無表情に戻り、一言こう告げた。

「……それはわたしに力がなかったからだよ」

「そんなことない! 僕の知るなのははとても強い女の子だったはずだ! キュゥべえと契約しなくても誰かを助けることができる、そんな人だったはずだ!!」

 ユーノの知る限り、なのははとても心優しい少女だった。ジュエルシードの回収をしようとする自分に屈託のない笑みを浮かべながら手を貸してくれたなのは。誰かが傷つくことを嫌い、温泉宿では悩んでいるゆまに声を掛け、暴走したジュエルシードを抑えようとしたフェイトにも手を貸した。

 そんななのはにユーノは惹かれていた。今はすずかの死を悼み、悲しんで落ち込んではいるが、それでもいずれは必ず立ち直ってくれる。そんな強さを感じさせる少女だった。

 だが先ほどのなのはから感じるのは強さは強さでも圧倒的な暴力。他者を蹂躙し、目的のためなら手段を選ばない。そんな力だ。それはユーノの知っているなのはとはとてもかけ離れているものだった。

「ううん、それでもわたしは弱かったんだよ。だからすずかちゃんを死なせることになってしまった。そのせいですずかちゃんが守っていたこの町の人々を危険な目に遭わせることになってしまった。……だからわたしはすずかちゃんの思いを、強さを引き継ぐことにしたの」

 そう言ってなのはは正面からユーノの瞳を覗き込む。血のように紅い瞳に見つめられたユーノは本能的に危機感を感じ、視線を逸らそうとする。だがそうはならなかった。ユーノの身体はまるで蛇に睨まれた蛙のように硬直し、逸らすどころか瞬きすらままならなかった。

「ごめんね、ユーノくん。わたし、もう行くね。こうしている間にも、誰かが魔女の犠牲になってないとも限らないから」

「な、のは、まっ……」

 必死に呼びとめようとするユーノ。しかしなのはに掛けられた呪縛によって身体の自由が効かず上手く声が出せない。そんなユーノになのはは振り返ることなく去っていく。その儚げな背中をユーノはただただ見つめることしかできなかった。



     ☆ ☆ ☆



 いち早く管制室に戻ってきたリンディは、スクリーン越しにプレシアと対峙していた。

「初めまして、プレシア・テスタロッサ。私は……」

『くだらない挨拶はいいわ』

 なるべく事を友好的に運ぼうとしていたリンディを一蹴するプレシア。

『そんなことより、ビジネスの話をしましょう』 

「ビジネス?」

『そう、取引と言い換えてもいいわね』

 プレシアはただ真っ直ぐリンディを見降ろしながらそう告げる。その言葉の真意をリンディは計りかねていた。

「プレシア。あなたがどのような意図でそんな話を切り出そうとしているのかはわからないけど、私たちがそんな話に乗ると思う?」

 リンディたちは管理局。そしてプレシアは管理局に無断でロストロギアを集めている次元犯罪者だ。もし何も知らずに彼女がジュエルシードを集めようとしていたのなら、情状酌量の余地はあるだろう。しかしアルフの話から、プレシアがジュエルシードを輸送していたスクライア一族の護送船を襲ったという供述が取れている。その事実を前にして、取引も何もないだろう。

『思わないわ。あなたたちは管理局員で、そんな管理局員としての尺度から見れば、私は次元犯罪者なのだから。……でもね、私には時間がないの。だからあなたには必ずこの取引に応じてもらう必要がある』

 プレシアがそう言うと、スクリーンの右下に別の映像が映し出される。そこには二人の少女の姿があった。白い衣装を纏った魔法少女がもう一人の幼い少女を庇いながら傀儡兵と戦っている様子。そしてその二人が誰なのか、リンディには心当たりがあった。魔法少女の方はリンディに苦渋を舐めさせ、自ら時の庭園に向かったという織莉子。そしてもう一人の少女はおそらく――。

「ゆま!?」

 その時、リンディの背後で叫び声が響き渡る。その声に思わず振り向くとそこには杏子たち四人の姿があった。

「杏子さん、あなたどうしてここに……!?」

「すいません艦長。でもどうしてもゆまちゃんについての情報を得たいからって杏子がきかなくて……」

 リンディの疑問にエイミィが申し訳なさそうに答える。だが杏子にはそんな二人のやりとりがまるで耳に入っていないかのようにスクリーンに目が釘付けになっていた。

「まずいよ。あの傀儡兵は時の庭園に備蓄された魔力で動いてるんだ。一体一体は大した強さじゃないけど、あれだけの数となると……」

 そう呟いたのはアルフである。まだリニスに修行をつけてもらっていた時、フェイトとアルフは実戦訓練と称して何度もあの傀儡兵と戦ってきた。一体だけならば大した実力ではないが、それがあれだけの数となると、とても一人では捌ききれるものではない。それが誰かを守りながらなら尚更だ。

『さて、取引というのはね。彼女たちの命とジュエルシードを交換しないかというものよ』

 そんな映像に戦慄している管理局スタッフに、プレシアから無慈悲な言葉が告げられる。

「てめぇ、ゆまに傷一つでもつけてみろ!! ただじゃ済まさねぇぞ!!」

 それにいち早く激高したのは杏子であった。背中の火傷に響くこともお構いなしに声を張り上げる。だがプレシアはそんな杏子を歯牙にもかけようとしない。

『そう思うならあなたが管理局からジュエルシードを奪って私の元に持ってくればいい。それができなければ、彼女はいずれ死ぬことになるでしょうね』

「なっ!?」

 それどころか、そんな杏子のゆまに対する想いすら利用してジュエルシードを手に入れようとさえ考えていた。そんなプレシアの発言に思わず杏子は槍を出し、スクリーンにその先端を向ける。

「……フザケるなよ。誰がてめぇの言うことなんて……」

『そう、ならあなたはあの小娘が死んでもいいのね』

「……クソッ」

 その言葉に杏子は槍を降ろす。確かにゆまを助けたい。だが管理局とこれ以上、敵対するような真似ができるはずがない。

「母さん、どうしてこんなこと……。こんなの母さんらしくないよ」

 そんなプレシアの様子を見て、フェイトが口を開く。本来ならば、フェイトがプレシアの目的の妨げになるようなことはしない。しかし今回の場合、フェイトの目から見てもプレシアが卑劣なのがわかる。ゆまは自分の友人で杏子は恩人。そんな二人を傷つけてまでプレシアの望みを叶えたいとは、いくらフェイトでも思うはずがない。

『それはねフェイト――あなたが役立たずのお人形だからよ』

 しかしプレシアはフェイトの言葉に耳を貸さない。

『あなたが集めてきたジュエルシードの数はたったの七つ。全体の三分の一でしかない。――これでは足りない。それなのにあなたは傷つき、管理局に捕まってしまった。所詮、失敗作は失敗作だったということね』

 それどころか何度もフェイトに辛辣な言葉を浴びせる。人形、そして失敗作。その言葉が何度となくフェイトの耳に反芻する。

『確かにあなたの言うとおり、こんな真似は私らしくないのかもしれない。でもねフェイト、それはあなたが役立たずだったからよ。もしあなたがすべてのジュエルシードを集めていれば、私がこのような真似をする必要などなかったのに。――こんなことなら、失敗作など再利用などしようとはせずに、さっさと処分すればよかったわ』

「か、母さん、何を言ってるの?」

 プレシアの言葉にフェイトは震える声で反応する。人形、失敗作、再利用、処分。そして夢の中で『アリシア』と呼ばれていた自分。それらの言葉がフェイトの中でぐるぐる回る。

『良い機会だから教えてあげるわ。フェイト、私はね、ずっとあなたのことが――大嫌いだったのよ』

 その言葉を聞いた瞬間、フェイトの心が砕け散る。なのはに為す術なく敗れ、杏子とクロノが身を呈して自分を守ってくれたことにも気づかなかったフェイト。そんなフェイトが最後のより所としていたプレシアへの想い。それがプレシアの手によって容赦なく砕かれた。そんな心に呼応するかのように、フェイトの身体もその場に崩れ落ちる。

「フェイト!? しっかりしろ!!」

 そんなフェイトを慌てて支えるアルフ。しかしフェイトは何も返さない。彼女の心は今、確かに折れたのだ。

「……てめぇ、それでもフェイトの母親か!?」

 そんなフェイトの様子を目の当たりにして、さらに杏子は怒る。もしこれがスクリーン越しではなく直接、対面しての会話であるならば、杏子は迷わずプレシアに突っ込んでいっていただろう。

『私がフェイトの母親ですって。――そんなわけないじゃない。私にとってフェイトはただの失敗作でしかあり得ない。ただ捨てるのがもったいなかっただけ。私の娘は過去も未来もアリシアただ一人だけよ』

「あり、しあ?」

 プレシアの言葉にフェイトは虚ろな表情で顔を上げる。プレシアの口から告げられた『アリシア』という名前。だが夢の中とは違い、そうプレシアから呼ばれたフェイトが感じたのは嫌悪感だった。夢の中の自分は間違いなく『アリシア』だった。だが今の自分は『アリシア』ではない。そのことを感覚的にフェイトは実感してしまう。

 だがそれはおかしい。フェイトには紛れもなく『アリシア』としての記憶がある。幼い頃、プレシアに微笑みかけられ、共に笑顔を浮かべていたとても幸せでとても大切だった日々。その思い出があるからこそ、フェイトは今まで戦ってこれた。あの頃の思い出があったから、いつしか再びプレシアが自分に微笑みかけてくれる。フェイトはそう信じて疑わなかった。



『フェイト、あなたはね、アリシアを模して作られたお人形なの』



 だがそんなフェイトの僅かな希望をプレシアは容赦なく打ち砕いた。

『私がアリシアを蘇らせるために始めた人造生命体を創り出す研究。『Project F.A.T.E.』。これが為せばアリシアが蘇ると信じて疑わなかった。だけどせっかくアリシアの記憶を上げたのに、あなたは決定的にアリシアとは違った。アリシアとは利き腕も違うし、魔力の質も異なった。それなのに見た目だけはアリシアと同じ』

 プレシアの言葉一つひとつがフェイトの心を抉る。フェイトはその場で力なく膝を付き、もう声を発する気力すら残っていなかった。それでもプレシアは語るのを止めない。

『……だけどそんなあなたにも利用価値があった。アリシアと違って無駄に高い魔力資質。それを鍛え上げて道具として使えば、アリシアを生き返らせるのに役立つと思ってね。だから私は今日まであなたを生かしてきたのよ。……それなのにあなたは肝心なところで役立たず。お使いすらまともにこなせない。――そんなあなたを愛せるわけがないじゃない』

 そしてそれは、その話を周りで聞いている杏子やリンディ、アルフを不快な気分にさせるには十分な破壊力だった。

「……なぁリンディ。あたしはもう無理だ。我慢できそうにねぇ。ゆまのことだけでも相当頭に来てたってのにこれだ。もう背中が痛かろうと片腕がなかろうと魔力が回復しきってなかろうと関係ねぇ。あたしは今すぐにでもあいつをぶちのめしに行くぞ」

 そう言うと杏子は魔法少女の姿へと変わる。さらに彼女の周囲からほとばしる魔力。それは怒りからか普段よりも数段と強力に感じられた。

「杏子、あたしも付き合うよ。プレシアは曲がりなりにもフェイトの母親だった。だからあたしは言いたいことがあっても我慢してきたんだ。それをフェイトが望まなかったから。――でもプレシアはフェイトを捨てた。フェイトの信頼を裏切った。もうこんな奴、フェイトの母親でもなんでもない。ただの鬼婆だ。だからあたしがぶちのめす」

 そんな杏子の言葉に呼応するかのようにアルフが立ち上がる。そして射殺すような目つきでプレシアを睨みつけながらそう告げた。

 そんな二人の様子を見て、プレシアは実に愉快そうに笑う。その笑い声がさらに二人の心を不快にさせた。

『別にかまわないわよ。私をぶちのめしにこようと捕まえにこようと私は拒まないわ。――ただし、入場券としてジュエルシードは持ってきてもらうわ。それができなければ、あなたたちでは時の庭園には入ることができないでしょうからね』

 その言葉と共に右下の映像が織莉子とゆまの戦う様子から時の庭園の全体像へと切り替わる。そして杏子たちの眼前で強力な防護結界が敷かれていく姿が克明に映っていた。それはプレシアが組み上げた外敵の進入を阻む結界だ。如何なる転移魔法をも無効化し、さらに膨大な魔力砲撃を防ぐ時の庭園の最終防衛ライン。

 元々、防護結界自体は時の庭園にあったものだが、それでもこれほど強固で他者の進入を阻むものではなかった。だが織莉子から聞かされたジュエルシードの魔力転用の仕組み。それが使われたことによって、並大抵の魔導師では進入することも破壊することも困難なものへとなったのだ。だが一つだけ、この防護結界を簡単に中和する方法があった。

『この結界にはジュエルシードの魔力が使われている。それを中和して進入するには同じくジュエルシードの魔力を使わなければならない』

 それは同質の魔力をぶつけること。異質な魔力には反発するが、同質の魔力は簡単に受け入れる。そういう防護結界をプレシアは敷いたのだ。本来ならばそれは致命的な欠点となり得るが、この場合はそれがメリットになる。何故なら今のプレシアが求めるものこそ、ジュエルシードの魔力だったのだから。

「……つまり取引に応じるにしても、てめぇを捕まえにいくとしても、ジュエルシードを持ってこなければ時の庭園には入ることができないってわけか」

『そういうことよ。それで、管理局としてわたしの取引に応じてくれるのかしら?』

 プレシアの言葉に、一同の視線がリンディに集まる。この場でジュエルシードを持ち出す決定権があるのは、リンディだけである。こうしている間も、管制室のスタッフの何人かはなんとか時の庭園の防護結界を突破する術がないかを調べてはいるが、プレシアは一流の技術者だ。そんな彼女を上回る技術力がなければそれを見つけるのは不可能であろう。

 かといってここでプレシアを見逃すわけにはいかない。織莉子はともかくゆまを見殺しにすることを杏子が許すはずがない。ここでプレシアがゆまの救出を拒めば、彼女は再び管理局と敵対することになるとしてもジュエルシードを奪おうとするだろう。リンディとしてもそれは望まなかった。



「……わかりました。あなたとの取引に応じましょう。プレシア・テスタロッサ」



 だから今、ここでの最善策は時の庭園に赴くこと。そして少しでもゆまたちを救える可能性を上げること。そのためにリンディはプレシアの取引に乗ることにした。――表面的には。

『そう、ならジュエルシードは佐倉杏子、あなたが持ってきなさい。それ以外の者が時の庭園に足を踏み入れるのは許さないわ』

 しかしプレシアとて、そんなリンディの算段が読めないはずがない。故にジュエルシードの受け渡しに杏子を選んだ。もしこれがリンディをはじめとする管理局の魔導師ならば、すかさず時の庭園との転送パスを繋ごうとするだろう。そんな相手の進入を簡単に許すほど、プレシアは甘くない。

「杏子さんは民間協力者よ。だから取引には私が……」

「……いや、あたしはかまわねぇ。アルフには悪いけど、あいつは一度ぶちのめさないと気が済まねぇしな。ゆまを襲い、フェイトを傷つけた報いはきっちりと払ってもらうさ」

 杏子はまっすぐ強い眼差しを向けてリンディを諭す。そこには強い自信が満ち溢れており、なんらかの策があるのは明らかだった。

「……まったく、杏子さんには叶わないわね」

 リンディは呆れたようにそう告げると、改めてプレシアに向き直る。

「わかりました。その条件を飲みましょう。でも杏子さんは怪我人な上、ジュエルシードは特別な処置をして仕舞ってあるの。だから少しだけ時間をいただくわよ」

『……なら今から一時間後にもう一度連絡を入れるわ。それまでに準備なさい』

 プレシアはそう告げ、一方的に通信を切る。

「……それで? 杏子さん、あなたには何らかの作戦があるのでしょう?」

 それを確認したリンディは改めて杏子に問いかける。リンディを説得した杏子の眼差しは決して屈したものではなかった。むしろプレシアに一泡吹かせてやろうという杏子の決意がありありと現れていた。

「いや、作戦ってほど明確なものはねぇよ。ただどちらにしても時の庭園には行かなきゃならねぇ。そのためならあたしがどんな傷を負っていようとも関係ないさ。……なんにしてもあまり時間はねぇから、準備をしながら色々と考えてみるさ。――だけどその前に」

 そう言って杏子はフェイトの前にしゃがみ込み、正面からその顔を見やる。心を無くしたかのように虚空を見つめるフェイト。アルフの必至の励ましの言葉にも耳を傾けず、フェイトはただただ沈黙していた。

「……フェイト、一時間だ。もしフェイトがプレシアに言われた言葉に納得できないのなら、一時間後にプレシアが再度、連絡を取ってくるまでに立ち上がれ。そうすればあたしが必ず、フェイトをプレシアの前に立たせてやる。わかったな」

 そう言って杏子は軽くフェイトの頭を撫でる。そしてアルフの方をちらりと見ると、ニヒルな笑みを浮かべながら、管制室を後にした。



     ☆ ☆ ☆



『……プレシアさん、もう終わったかしら?』

「えぇ、管理局との交渉は上手くいったわ。少なくとも今のところわね」

 一方、アースラとの通信を切ったプレシアはすぐさま織莉子と連絡を取っていた。

「それにしても派手にやってくれたわね。これからのことを考えれば、そうたくさん壊して欲しくはなかったのだけれど」

 プレシアはそう言って織莉子の周りに転がる傀儡兵の残骸に目をやる。いくら織莉子が戦闘タイプの魔法少女ではないとは言え、それは魔女相手の話である。未来を予測する織莉子にとってみれば、機械の思考パターンなど魔法を使わずとも自然に読むことができた。

『これでも一応、手加減しようとはしたのだけれどね』

 しかしそれでもゆまを守りながらというハンデ。さらには管理局の面子を騙す演技力。その両方を見せつけるためには、手を抜くことはできなかった。

 尤もプレシアからすれば、ここで織莉子を始末できれば、それでもかまわないつもりで傀儡兵に襲わせていた。織莉子の持つ未来視は有用だが、同時に驚異でもある。今は利害の一致から行動を共にしているが、いつまでもそうしているとも限らない。織莉子はプレシアの技術力を望み、そしてプレシアは織莉子からもたらされる情報を望んだ。そんな信頼のない協力関係。それはほんの些細なきっかけで壊れてしまうほどに脆いものだろう。

「……まぁいいわ。それじゃあ私は次の準備に入るから、あなたたちはそこで適当にくつろいでなさい」

 そう言うとプレシアは一方的に織莉子との通信を切った。そうして一人、物思いに耽る。考えるのは先ほど管理局の前でプレシアが話した内容についてだ。ジュエルシードを求めるために、ジュエルシードの魔力でしか中和できない防護結界を作った。それはまだ解る。しかし管理局との交渉の中でアリシアの存在を明かしたこと。それがプレシアには納得できなかった。

 彼女としてはアリシアのことはぎりぎりまで秘密にしておきたかった。それはアリシアがプレシアのアキレス腱だからに他ならない。管理局は司法組織と言えば聞こえはいいが、その裏でどのようなことをやっているのかはプレシアの耳にも聞き及んでいる。今回、交渉した提督はそういった裏の事情を知らないだろうが、上層部ともなればそうではない。事実、プレシアも過去に管理局の闇の部分と技術提供をし合う間柄であった。そうした技術の粋で完成したのが他ならぬフェイトなのだから。

 今でこそ、そういった管理局の黒い部分とは縁を切っているプレシアだが、彼女の所在を掴めば彼らは黙っていないだろう。プレシアの持ち得る技術力や魔力を、管理局は喉から手がでるほど欲しがっているのだから。

 故にプレシアは管理局相手にこちらから通信を仕掛け、しかもその回線上でアリシアの存在を明らかにしたことに一抹の不安を抱いていた。

 それでもプレシアが実行に移したのは、こうすることでプレシアの計画が成就する可能性が高くなると織莉子に聞かされたからだ。正直なところ、未来視の能力を信用することはできても、織莉子自身を信用することはできない。それでも残された時間が少ないプレシアには、その案に乗るしかなかったのだ。

「……まぁいいわ。アリシアさえ甦らすことができれば、後のことはどうとでもなる」

 誰にともなくプレシアはそう呟くと、研究室へと戻り、管理局が攻めてくるのに備えるのであった。



     ☆ ☆ ☆



『……まぁいいわ。それじゃあ私は次の準備に入るから、あなたたちはそこで適当にくつろいでなさい』

 その言葉を最後にプレシアからの通信が切れる。それを確認した織莉子は辺りの惨状に改めて目を向けた。織莉子の周囲に転がる十数体の傀儡兵の残骸。そしてピタリと動きを止めた数十体の傀儡兵。先ほどまで管理局に送られていた映像は、紛れもなくリアルタイムで行われていたことである。しかしそれは決してプレシアと織莉子が敵対したからではない。むしろ二人の協力関係は続いているといってもいいだろう。

 全ては管理局を騙すための演技。正義を振り翳す管理局なら、人命を対価に要求されれば表向きだけでもそれを飲むことは容易に想像がついた。もちろん素直にジュエルシードを渡す気でないことはわかっている。しかし時の庭園に敷いた結界の作用で、彼女たちは要求を飲むにしろ飲まないにしろジュエルシードを持ち込まざるを得ないのだ。だから多少回りくどくとも、織莉子とプレシアはこのような騙りを取ることにしたのだ。

 もしプレシアと敵対する人間が織莉子だけならば、管理局は見捨てたかもしれない。だがそこにゆまが加わればその成功率がグンと上がる。管理局と事を構えた織莉子と違い、ゆまは生粋の民間人だ。しかも杏子が管理局に協力している以上、その要求は間違いなく飲まれる。それを見越して織莉子はプレシアに策を施したのだ。

「ねぇオリコ、これで本当にキョーコがくるんだよね?」

「えぇ。杏子さんはゆまさんが危機に陥ったのを知って放っておくような人ではないはずよ。そのことはゆまさんの方がよくわかっているはずでしょう?」

「うん、そうだけど……」

 ゆまの表情は暗い。やはり皆を騙すような真似をして心苦しく感じているのだろう。魔女に両親を目の前で殺されることを体験し、杏子から一人で生き抜く力を、フェイトたちから魔導師の魔法の手ほどきを受けているとはいえ、ゆまはどこにでもいる人間の少女なのだ。織莉子やなのはのように魔法少女の宿命を受け入れたわけでも、クロノやフェイトのように魔導師として戦いの場に出ていたわけでもない。今はまだ少し稀有な経験を積んでいる普通の女の子に過ぎない。

「……ゆまさん、もしかして貴女は後悔しているのかしら? 時の庭園に残るという決断をしたことを――」

 だからこそ、織莉子は優しく尋ねた。尋ねながら織莉子はほんの数時間前、時の庭園に残るか去るかを尋ねた時のことを思い浮かべる。あの時、ゆまは迷いながらも時の庭園に残る道を選んだ。それはすなわち織莉子たちの計画の片棒を担ぐことを決意したことを意味する。その果てに杏子と敵対することになるかもしれない覚悟を持った上でだ。

 ゆまがどのような考えの元で時の庭園に残ることを決断したのか、正確なところは織莉子にも解らない。だが少なくとも杏子により早く会える可能性に賭けたのは間違いない。そんなゆまの心意気に織莉子は共感を覚えた。

 だがそれ以上にゆまが残る決断をしてくれたことで、織莉子は自信の計画が成功するという確信を得られた。織莉子の考えている計画の中でゆまが関わってくるのは二ヶ所。その内の一つが先ほどの傀儡兵との戦いだ。管理局に見せるために行われた茶番。しかしそれを茶番と見抜かれるわけにはいかない。織莉子もゆまも本気で戦い、傀儡兵に追い込まれているという風に管理局に思い込ませなければならない。

 そのために織莉子はあえてゆまに何も話さなかった。突如として傀儡兵に襲われ、逃げ回るゆま。そんなゆまを身を呈して守ろうとする織莉子。そしてプレシアもまた本気で織莉子を殺すために時の庭園に存在する大部分の傀儡兵を投入した。そんな死力を尽くした戦いを見せたおかげで、管理局はプレシアとの取引に応じた。本当に管理局が騙されてくれたのかどうかは直接やりとりしたわけではないため解り兼ねるが、ジュエルシードを持って杏子がやってくるということであれば、計画を次の段階まで進めても良いだろう。

「ううん、わたしは後悔なんてしてないよ。キョーコを騙したのはちょっと悪い気がするけど、でもこれでキョーコに会えるのなら全然平気。それより織莉子、もう一つわたしがやらないといけないことがあるんでしょ?」

 ゆまは自分の気持ちを悟られないように誤魔化しながら織莉子に尋ねる。そんなゆまを微笑ましく思えながら、織莉子は告げる。

「そうね。あと一、二時間もすればここに杏子さんがやってくるでしょう。その時、ゆまさんは杏子さんに連れられてアースラ、管理局の次元航行船に乗ることになる。でもそうなるとおそらく私とはしばらく会うことはないでしょう。だからゆまさんにこれを預かってもらいたいの」

 言いながら織莉子は懐から一つの宝石を取り出す。至る所に罅が入り、明滅する赤い宝石。それにゆまは見覚えがあった。

「これってもしかして……?」

「そう、レイジングハートよ。尤も見ての通り、かなり傷ついているから今はまともにデバイスとして機能していないでしょうけどね。それでもボイスメッセージを録音できたのは僥倖だったわ」

 何故、織莉子がレイジングハートを持っているのかと言えば、なのはが落としたレイジングハートを回収したからに他ならない。もし織莉子が回収していなければ、レイジングハートは魔女の結界の消滅と共に虚空の彼方へと消え去っていただろう。

「ねぇオリコ、これってなのはのだよね? わたしがもっていてだいじょーぶなの?」

「……ホントのことを言うとね、レイジングハートをなのはさんに返す機会は何度かあったの。でも今のなのはさんに返して良いものか、迷っているの」

 魔法少女となったなのはは確かに強い。しかし彼女がその力を引き出すのに、最早デバイスは必要としない。なのはの想いが生み出した新たな武器、ルシフェリオン。レイジングハートを模倣して作られ、それでいて今のなのはの魔力を引き出し、コントロールするのにはレイジングハート以上に適切なデバイスであろう。

 もちろん、レイジングハートと優れたデバイスだ。その性能が優れているのは魔導師ではない織莉子にもわかる。だがそれ故に今はなのはに渡すよりゆまに渡す方が適切だと思ったのだ。

「ゆまさん、貴女はまだ弱いわ。確かにフェイトさんに習って魔導師の魔法を少しは使えるようになったかもしれない。しかしその程度の魔法では、杏子さんの役に立つことはできない。……でもデバイスがあれば話は別よ。レイジングハートはとても優秀なデバイスだわ。ゆまさんと信頼関係を深めた後に望めば、きっとゆまさんの力になってくれるでしょう。――だからなのはさんに再会する時まで、有効に活用なさい。そしてもしなのはさんにレイジングハートを渡すべきだと判断したその時に、ゆまさんの手から返してあげて」

「うん、わかったよ」

「ありがとう、ゆまさん。――これで私も安心して戦いの場にいけるわ」

「……ねぇオリコ、本当にキョーコと戦うの?」

「その必要があればね。でもゆまさんが一緒にいてくれればその必要はないかもしれないわ」

「ホント!?」

「えぇ。だけど杏子さんとの戦いが避けられるかどうかはゆまさんに掛かっていると言っても過言ではないわ。だからよろしく頼むわね」

「うん!!」

 その言葉にゆまは目を輝かせながら頷く。そんなゆまの様子を見て織莉子は微笑む。今のところ、織莉子の計画は万事、順調に進んでいる。もちろん最後まで上手くいくかどうかは解らない。それでも織莉子は完遂しなければならない。例えそこにどんな犠牲を孕むことになったとしても。

 ……それでも、と織莉子は思う。例え犠牲を孕んでも計画は達成する。しかしできることならその犠牲は最少であって欲しい。少なくとも目の前の少女が悲しむことがない程度には――。

「そうだ。ゆまさん、杏子さんを説得するついでにもう一つ頼まれてくれないかしら。もしフェイトさんに会ったら一言、こう伝えて欲しいのだけれど……」

 だから織莉子は気まぐれにゆまに伝言を頼む。その言葉の意味がゆまには解らず首を傾げる。 だがそれはフェイトにとって深い意味を持つ言葉ということをこの時のゆまはまだ、知らなかった。



2013/12/7 初投稿



[33132] 第11話 わたしはアリシア その6
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2013/12/13 22:52
 プレシアからの通信があってちょうど一時間、彼女との取引を間近に控えた杏子は、転送ポートの前に来ていた。そんな彼女の背後にはリンディの姿がある。

「杏子さん、決して無茶はしないでね。あなたは怪我人なんだから」

「わかってるって。そこまで無茶なんてせず、大人しく仕事をこなして帰ってくるさ」

 そう言う杏子だったが、彼女がそこまで聞き分けがよくないことをリンディも知っていた。

「そんなことよりもリンディ。援護は任せたぞ。いくらあたしでもこんなものを持って一人で立ち回るのはきついものがあるからな」

 そう言って杏子は淡く光る八つのジュエルシードを取り出す。今は封印の術式が掛けられているため、暴走の気配はない。しかし万が一、魔力弾が命中すれば、その封印はあっけなく破られることだろう。そして一個暴走すれば、近くにあるジュエルシードも連動し、とんでもない事態になるのは間違いなかった。

「わかってるわ。でもどちらにしても杏子さんが内側から時の庭園の結界を破らないことにはどうにもならないのだから、その点は頼りにしてるわよ」

「わかってる。必ず破ってみせるさ。だからいつでも援護しにこれるように戦力を整えておけ。……それとフェイトにはあとで話があるって伝えておいてくれ」

 そう言って杏子はこの場にいないフェイトに思いを馳せる。プレシアの言葉で傷つき、心に深い傷を負ったフェイト。しかしそれでもフェイトにとってプレシアはかけがえのない存在であったのは間違いない。

 そんな相手を杏子は今からぶちのめそうとしている。フェイトのことを考えれば、それは杏子の役目ではないが、それでも今は杏子が動くしかない。まだフェイトは立ち直れていないのだから。

「それじゃあ、行ってくる」

 そう言って杏子は転送ポートに入る。そしてそのまま時の庭園まで転送されていった。転送中、魔力障壁に阻まれた杏子だったが、手に握りしめたジュエルシードの魔力がそれを中和し、杏子の進入を許していく。

 そうして杏子は時の庭園の中庭に降り立った。基本的には整備された綺麗な庭園。しかしその一角にはスクラップになった傀儡兵の山が盛り上がっていた。そしてそこには予想外の人物の姿があった。

「キョーコ~、久しぶり~」

「貴女が杏子さんね、初めまして」

 それはゆまと織莉子であった。満面の笑みを浮かべて杏子に手を振るゆまと温和な笑みを浮かべながら挨拶してくる織莉子。しかも二人の側にはティーセットが広げられており、優雅な午後の一時を彷彿とさせるような光景が繰り広げられていた。

「…………はっ?」

 そのあまりにも予想外の光景に、杏子は思わず間抜けな声を上げる。二人はプレシアに捕らわれ、傀儡兵に襲われていたはずだ。確かに先ほどまで戦闘を繰り広げていた痕跡はあるものの、二人は五体満足で杏子の前に立っている。それがあまりにも不思議だった。

「あれ? キョーコ? どうしたの?」

「どうしたの、じゃねぇよ!! どうしてそんな呑気そうにお茶を飲んでんだよ!! あたしがどれだけ心配したと……」

「そのことについては私から説明するわ」

 そうゆまに怒鳴りかかる杏子の間に織莉子が割って入る。

「確かに私たちはプレシアさんの操る傀儡兵に襲われ、管理局との交渉材料に使われた。だけどあれはフェイク。実際に私たちは傀儡兵に襲われたけど、でもそれはこの場にジュエルシードを集めるための作戦。だから杏子さんの心配は杞憂で、初めからゆまさんの命が狙われているとかそういったことはないの」

 そしてそのまま杏子に真実を告げる。ただでさえ呑気にお茶を飲んでいる姿を見た杏子は、その言葉の意味を一瞬理解できずにフリーズする。

「…………はぁ!! それじゃあ何か!? プレシアはあたしにジュエルシードを持ってこさせるためだけに、あんな一芝居を打ったってことか」

 だがすぐに元の調子を取り戻し声を荒げて織莉子を問い詰める。そんな杏子に織莉子はゆっくりと首肯した。それを見て杏子は一安心したのか、ホッと一息つき――そしてすぐに自分がはめられたことに気付いた。

 確かにゆまは無事だった。プレシアの人質になっているようなことなどなく、呑気にお茶を飲んでいたくらいだ。しかしプレシアがジュエルシードを求めているという事実に変わりはない。そして自分はまんまとジュエルシードを持って時の庭園までやってきてしまったのだ。

「ゆま、今すぐアースラに戻るぞ」

 だからこそ杏子はゆまの腕を強引に掴み、元来た道を戻っていく。

「あら? 杏子さん、どこに行くというのかしら?」

「アースラに戻るんだよ。あたしの目的はゆまだけだからな。そのゆまが無事ってんなら、このまま帰っても問題ないだろ?」

「いえ、そういうわけにはいかないわ。貴女が持ってきたジュエルシードを頂いてからではないと……」

 そんな織莉子の言葉と共に時の庭園が大きく揺れる。そして杏子の懐にあった八つのジュエルシードもまた、何かに呼応するかのようにその輝きを増していく。そのことに気付いた杏子はとっさにゆまの手を離し、遠くに駆け出す。だがそんな杏子の抵抗むなしく、彼女の懐にあったジュエルシードは全て、まるで何かに導かれるようにどこかへ弾け飛んでいったのであった。



     ☆ ☆ ☆



「艦長、大変です。時の庭園内で強力な魔力反応。これは……ジュエルシードの魔力です」

「なんですって!?」

 杏子が時の庭園に向かって数分も経たないうちに、アースラ内では非情アラームが響き渡っていた。それは時の庭園から複数のジュエルシードが発動した反応を感じ取ったからだ。先ほどまで外界との接触を拒むように張り巡らされていた結果は消え、時の庭園の内から膨大な魔力の柱が十九本、立ち昇っている。そのいずれもがジュエルシードの魔力だった。そしてその魔力総量は、次元震を起こすだけでは留まらずそれだけで世界を滅ぼしかねないほどに強大なものだった。

 一個のジュエルシードが暴走しただけの魔力とは考えにくい。まず間違いなく十個以上、おそらくは柱の数と同じ十九個のジュエルシードが発動しているだろう。下手をすれば全てのジュエルシードがあの場で暴走しているのかもしれない。

「エイミィ、結界が消えたという事は時の庭園に向かうことは可能ということね」

「そうですが……。まさか艦長、今から時の庭園に向かうつもりですか!?」

 今の時の庭園に満ち溢れている魔力。それはいくらリンディが優れた魔導師でアースラの支援があるといっても抑えることができるものではないだろう。

「そのつもりよ。今の状態を放っておけばこの世界はもちろん、周辺の次元世界にどのような影響を与えるかわからないわ。もちろん、アースラとて一溜まりもないでしょう。……それでもこのまま手を拱いているわけにはいかないわ」

 しかしそれでもリンディは迷わない。ここで自分が向かわなければ地球はもちろん、他世界に与える影響は計り知れない。例えその命を投げ打ってでもジュエルシードの暴走を止める必要があった。

「で、ですが……」

「エイミィ、あなたに指示を一任します。できるわね?」

 不安げな表情をしているエイミィにリンディは優しく微笑みかける。

「……ずるいですよ、艦長。そんな顔をされたら、断るに断れないじゃないですか。……わかりました。でも艦長、絶対に無茶はしないでくださいね。クロノくんと一緒に帰りを待ってますから」

「えぇ、必ずプレシアを捕まえて戻ってくるわ」

 そう言ってリンディは管制室を後にする。残されたエイミィを初めとした管制スタッフはその背中を見送ると、すぐさま他の局員に指示を飛ばし、自分たちのやるべきことを始めるのであった。



     ☆ ☆ ☆



「おいてめぇ、一体何をした!?」

 杏子は織莉子の首筋に槍を突きつける。しかし織莉子はそれに動じない。むしろそんな杏子と織莉子の険悪な雰囲気にゆまの方が慌ててしまったぐらいだ。

「やったのは私ではなくプレシアさん。今、この時の庭園には十九個のジュエルシードがある。そのジュエルシードを使って、彼女は目的を果たそうとしているの。アルハザードに向かうっていう目的をね」

「アルハザード?」

「私が聞いているのは、数多ある次元世界において、突出した技術力を持ち、それ故に自らの技術に溺れて滅んでしまった世界のことよ。そこに行ってプレシアさんはアリシアさんを蘇らせるつもりなのよ」

「……だが、そのどこにジュエルシードを暴走させる必要があるんだ?」

「それはアルハザードが本当に存在しているかどうか、わからない世界だからよ。次元世界では子供に聞かせる童話として語り継がれてきただけで、その世界が本当に存在するのかその確証はないの。……尤も、プレシアさんは何故かアルハザードが存在していると確信しているみたいだけどね」

「つまりアレか? 本当にあるかわからねぇほど不確定な世界に向かうためだけに、プレシアは世界を危機に晒していると、そういうことか?」

「……えぇ、そういうことよ」

 その言葉に杏子は槍を降ろし、織莉子の横を通過する。

「杏子さん? どこに向かうというのかしら?」

「決まってる。プレシアのところだ」

 フェイトの一件、ゆまに対しての行い、そして織莉子から聞かされた話。そのどれを取ってもプレシアと戦うには十分な理由になる。杏子にとってこの世界がどうなろうと、それは知ったことではないが、それでもゆまを危険な目に遭わせ、フェイトを傷つけた落とし前だけはつけなければならない。

「いえ、それは杏子さんの役目ではないわ」

 だがそんな杏子の肩を掴み織莉子が呼び止める。それを鬱陶しそうに振り払う杏子だったが、織莉子の真剣な眼差しに気づき、その足を止める。

「杏子さん、貴女はゆまさんを連れてアースラに戻りなさい。プレシアさんとは、私が決着をつけるから」

「……あんたがか?」

 織莉子の言葉に杏子は目を見張る。杏子からすれば、織莉子はプレシアとグルの可能性が高い。杏子にとって織莉子とは初対面で、何より彼女は自らプレシアの誘いに乗って時の庭園にやってきたのだ。何より織莉子自身、未だにプレシアと協力関係であることを認めたばかりだ。そんな彼女にプレシアのことを任せるわけにはいかない。

 しかしだからこそ、杏子は逡巡する。もし織莉子とプレシアがグルなら、そんな織莉子とゆまをこのまま二人きりにしておいていいのだろうかと。確かに今のところ、織莉子がゆまに危害を加えた様子はない。しかしだからといって織莉子を信用していいわけではなく、さらに言えばゆまを連れてプレシアの元に連れて行くわけにもいかない。

「杏子さん、貴女が私を疑う気持ちはわかる。でもね、貴女にとって優先すべきことはプレシアさんを倒すことでもジュエルシードの魔力を抑えることでもない。ゆまさんの身の安全を守ることよ。ゆまさんのことを考えれば、今すぐ彼女をアースラに避難させるのが一番の得策よ。この場で私に預けるというのも杏子さんには不安だろうし、ゆまさんを連れてプレシアさんのところに行くなどというのは以ての外。それならば選べる選択肢は一つしかないのではなくて?」

 そんな杏子の心理を突くかのように、的確な言葉を告げる織莉子。図星を突かれた杏子は思わず視線を逸らし、そのままゆまの顔を見る。未だにゆまの表情は不安げだ。その表情の意味はわからないが、少なくともそんな顔をしているゆまを残してプレシアの元に向かうなどできるはずもなかった。

「……そう、だな」

 どこか不満そうに織莉子に向かってそう告げる杏子。彼女の言葉が正しいことを杏子は理解している。だがそれと同時に事が織莉子の思い通りに運んでいるのもまた事実なのだ。それが杏子にはたまらなく気に入らなかった。

「ゆま、帰るぞ」

 それでも今は織莉子の言葉に従うしかない。杏子にとって何よりも大切なのは、間違いなくゆまなのだから。ゆまの身の安全を考える以上、いつまでも彼女を時の庭園に居させるわけにはいかなかった。

「う、うん。オリコ、またね」

 そんな苛立ちがゆまにも伝わっているのだろう。その口調にはどこか戸惑いが混じっていた。

「えぇ、ゆまさん。またいずれ会いましょう。それに杏子さんも」

「……次に会ったらてめぇもただじゃおかねぇからな」

 杏子は織莉子に背を向けたままそう呟くと、ゆまを連れて時の庭園の転送ポートのある場所へと戻っていった。後に残された織莉子はそれを見送ると、ゆっくりと歩きはじめる。だがその方向はプレシアの執務室へ向かうものではなかった。



     ☆ ☆ ☆



 時の庭園にやってきたリンディは、アースラからの魔力支援を受けながら、これ以上ジュエルシードの魔力が暴走しないように自分の魔力で無理矢理押さえつけようとしていた。

 しかしただでさえ膨大な魔力の塊であるジュエルシードが複数発動している以上、とてもリンディ一人では抑えきることができなかった。リンカーコアが痛みを発しているが、それを無視して魔力を行使し続けるリンディ。

「ん? そこにいるのはリンディか」

 そんなリンディの前にゆまを連れた杏子がやってくる。

「杏子さん、無事だったのね。それにゆまさんも」

「まぁなんとかな。しかし大丈夫か。酷い顔してんぞ」

 リンディの顔には脂汗が浮かび、その表情も苦痛に満ちたものだった。

「今のところはね。それより杏子さん、あなたに預けたジュエルシードは……?」

「……すまねぇ、奪われちまった」

 その言葉を聞いても、リンディは特に驚きはしなかった。時の庭園の現状を考えればそれもそのはずだろう。しかしそうなると、今この場ではどんなに少なく見積もっても十五個以上のジュエルシードが発動しているということになる。その莫大な魔力を正面から受け止められるのは、如何にアースラの支援があったとしても後数分が精一杯だろう。

「ところでリンディがここにいるってことは、結界自体はもう破れているってことだよな」

「破れたというよりは、プレシアが自ら解いたと言った方が正しいけどね」

 本来ならばプレシアとの取引に向かう前に時の庭園を囲む結界を解除する任を杏子は受けていた。プレシアの言葉通り、ジュエルシードの魔力があれば時の庭園を囲む結界は中和できた。その性質を利用し、杏子は自分の持つジュエルシードを使って結界を中和し、リンディたち管理局を招きいれようと考えていたのだ。

 しかしその工作をする間もなく杏子の前にゆまと織莉子が現れ計画は頓挫。結果的に管理局は時の庭園に侵入することはできたが、肝心なジュエルシードは全て奪われてしまった。勇んでやってきた杏子にとってこの結果はとても不本意なものだっただろう。

「まぁこうなった以上、どちらでもそう違いはねぇか」

 そう呟くと、杏子はゆまの元にしゃがみ込んで告げる。

「ゆま、おまえは先にアースラに向かってろ」

「えっ? キョーコは?」

「あたしには、落とし前をつけなきゃならねぇ奴がいるからな」

 ゆまのことがあったから、あの場は織莉子に任せて戻る道を選んだ杏子だったが、それでもこのまま帰るのはシャクである。何より杏子は織莉子のことを信用していない。いくら彼女がプレシアを倒すようなことを宣ったとしても、それを信じられるほど杏子はお人好しではないのだ。むしろゆまを出汁に杏子を遠ざけ、プレシアと共にこの場からの離脱を計ろうとしていると考える方が自然である。

「ならゆまも一緒に……」

「駄目だ!!」

 そんな杏子に着いていこうとしたゆまだったが、それを杏子の一括で止められる。いきなり大声を上げた杏子にゆまは思わず驚いてしまう。

「……いきなり怒鳴って悪かったな。でも今回ばかりはゆまを守ってやれる自信がねぇ。だからゆまはあたしの帰りを待っててくれないか?」

 杏子はゆまの頭を軽く撫でる。久しぶりに感じる杏子の手の感触。だがそこにゆまは違和感を覚える。杏子の様子は何も変わりはないはずなのに、何かが違う。そんな漠然としたものがゆまの心に不安を植え付けていく。

 だからゆまは無言で杏子の腰にしがみつく。そして自分の思いの吐露していく。

「や、やだよ。せっかくこうしてキョーコと会えたのに、また離ればなれになるなんてわたしはやだ」

「……何言ってやがる。あたしはすぐに戻ってくるさ。だから……」

「嘘だよ。だってキョーコはこの前だってフェイトやなのはを逃がすために自ら囮になったじゃん。そんなキョーコのことを信じられるはずがないよ」

「……ゆま、でもな」

「それにキョーコは知らないだろうけど、わたしも少しは魔法を使えるようになったんだよ。まだキョーコの隣に立つには心とも無いけど、でも自分自身の身を守るくらいは……」

「ゆま!? てめぇ、魔法少女になったのか!?」

 快活に語るゆまの言葉を遮り、杏子が再び怒鳴りつける。先ほどのようなとっさに出た大声ではなく、心の底から怒りに満ち溢れた杏子の言葉。そんな杏子の姿にゆまは思わず怯むも、少しずつ杏子の勘違いを正していく。

「ち、ちがうよ、キョーコ。わたしは魔法少女になってないよ」

「それじゃあどうして魔法が使えるようになるってんだよ!! 魔法少女にならなければ魔法なんて――」

 そう言い掛けて杏子は気づく。この数日、彼女が共に行動し共闘していたものたちは皆、キュゥべえと契約することなく魔法を行使していたことを。そして今までゆまが誰と行動し、そして誰の拠点で過ごしていたのかを……。

「ううん、わたしはただフェイトとアルフに魔法を教わっただけだよ」

 その言葉を聞いて自分の考えが正しかったことがわかり、安堵する杏子。だがそれと同時に別の疑問が湧き上がる。

「そうか。でもどうして魔導師の魔法なんて」

「だってキョーコ。わたしにキュゥべえと契約して欲しくなかったんでしょ。でもわたしはキョーコの役に立ちたかった。今はまだ身体を少し浮かべることぐらいしかできないけど、でも絶対足を引っ張らないって約束する。だから……」

「悪いな、ゆま。でも約束する。あたしは絶対にゆまのところに帰ってくる。だからさ、ゆまは安全なところで待っててくれよ。そっちの方があたしも安心して戦えるからさ」

 そう言うゆまの言葉を遮り、杏子は自分の意志を告げる。ゆまの目を真っ直ぐ見つめて、自分の想いをはっきりと伝える。

 そのような杏子の想いを受けたゆまは頷くしかなかった。もちろんゆまとて杏子のことを信じていないわけではない。それでも不安なのだ。杏子はたまに無茶をする。普段は自分の身を守るのが最優先と言っている癖に、いざとなれば平気でその身を犠牲にする。そんな杏子だからこそ、ゆまは懐き、力になりたいと思ったのだ。もし魔法少女になればその力はすぐに身につくだろう。だがそれを杏子が望まない以上、ゆまはその選択肢を選ばない。それに杏子はゆまが魔導師になることを止めなかった。ならば焦らずじっくり魔導師の魔法を覚えていけばいい。

「ねぇキョーコ。この戦いが終わったらわたしに戦い方を教えてくれないかな?」

 そう思いつつもゆまは一歩踏み込んだ願いを告げる。杏子の隣に立てるようになるには生半可な努力では足りない。魔法だけではなく体術を身につけ、息のあったコンビネーションも身につけなければならないだろう。

 それにはキョーコから戦い方を学ぶのが一番早い。そんな願いを杏子が聞き入れてくれるとは限らないが、それでも頼まずにはいられなかった。

「……ならそれまでにある程度は魔法を使えるようにならないとな」

 だが意外にも杏子はそれを拒まなかった。

「キョーコ、ほんとうにわたしに戦い方をおしえてくれるの?」

「……あたしの知らないところで魔導師になろうとするぐらいなら、まだ目の届くところで訓練させた方がいいからな。……でもそれは海鳴市での戦いを終えてからだ。だから今は大人しくアースラで待ってな」

「うん、わかったよ!」

 杏子の言葉にゆまは満面の笑みで答える。それを見て満足した杏子はそのままゆまをアースラへと転送させようとする。だがその直前、杏子は思い出したかのようにゆまに告げる。

「ゆま、一つだけ頼まれてくれねぇか」

「なに、キョーコ?」

「アースラにはフェイトもいるんだが、少しショックなことがあって落ち込んでいるみたいなんだ。だからゆま、そんなフェイトを励ましてやってくれないか」

 今のフェイトに欲しいのは慰めの言葉ではないことはわかっている。それでも今のフェイトは見るに耐えない。自分の存在そのものを否定された彼女の姿は、まるで父親に魔女と罵られた昔の杏子とダブってしまうから。

「うん、いいよ」

 そんな杏子の頼みを快く引き受けたゆまは、自らの意思でアースラに向かっていく。そんなゆまの姿が見えなくなるまで見守った杏子は、気持ちを切り替えてプレシアのいる時の庭園の奥地へと向かって走り出すのであった。



     ☆ ☆ ☆



「フェイト、杏子のことが心配だからあたしも行ってくるよ」

 アースラの医務室のベッドに横たわるフェイトに声を掛けるアルフ。しかしフェイトからの返事はない。未だに彼女は虚空を見つめながら目元を涙で濡らし続けていた。

 そんなフェイトを一人にしておくのには不安がある。しかしこのままプレシアの暴挙をただ見ているわけにはいかない。アルフには力があり、そしてプレシアに対する怒りもある。このまま手を拱いている間に世界に多大なダメージを与えるプレシアを放置して置くわけには行かなかった。

「すぐ、帰ってくるからね」

 アルフは名残惜しむようにフェイトの頭を軽く撫でると、転送ポートに向かって駆けだしていった。そんな彼女が去っていってもなお、フェイトは如何なるものにも反応を示すことはなかった。自分は偽物。失敗作。道具。そして『アリシア』。そんな言葉がフェイトの脳裏を何度も巡る。確かにフェイトにはアリシアの記憶がある。自分に対して優しく微笑んでくれるプレシア。しかしそれはフェイトに対してではなく、アリシアに対してだ。

 フェイトが頑なにプレシアの命に従っていたのは、彼女に認めてもらい、昔のように微笑んでもらいたかったからだ。そのためにフェイトはどんな困難な任務でも文句を言わずに行っていった。しかし何をやったところでプレシアはフェイトを認めない。微笑みかけてくれない。プレシアが見ていたのは常にアリシア。自分ではない。それを理解してしまったからこそ、フェイトの心は壊れてしまった。

「やれやれ、キミはいつまでそうしているつもりだい?」

 そんなフェイトに声を掛けてきたのはキュゥべえであった。リンディやエイミィを初め、全てのアースラスタッフがプレシアの行おうとしていることを止めようとしているが故に、キュゥべえの監視はフリーになっていた。だからこそキュゥべえは先ほど得た新しい情報を元にフェイトに近づいたのだ。

「正直、ボクには人間の気持ちはわからない。プレシアがどうしてアリシアを求めるのかも、フェイトが偽物と言われてショックを受けることも、まるで理解ができないよ。ボクは時の庭園でアリシアの肉体をみたけど、キミたち二人は瓜二つだ。もちろん死んだアリシアの方がキミより幼い見た目をしていたけど、見た目だけなら大差ない。そこに宿る魂が例え別物だとしても関係ないじゃないか」

 まるでフェイトを慰めるかのようなキュゥべえの言葉。その言葉はフェイトの耳を右から左に抜けるだけだが、それでもキュゥべえはしゃべるのを止めない。

「そもそもプレシアがそんな簡単な願いを抱いているなんて、ボクには予想外だったよ。人一人生き返らせる事なんて、彼女の持つ魔力ならボクと契約すれば造作もないことなのに、それなのにわざわざフェイトに叶えさせようとしたんだからね」

 キュゥべえの発言にフェイトがわずかに反応する。キュゥべえの言う通り、もしプレシアがアリシアを本当に蘇らそうとしているのならば、自身がキュゥべえと契約すればそれで済む話だったのだ。しかし彼女はそうしなかった。その理由は何故か。

「それに今でもプレシアはボクと契約せず、自らの力でアリシアを蘇らそうとしている。そんなことに何の意味もないのに、どうして人間は無駄な努力をしたがるのか、わけがわからないよ」

 そう言ってキュゥべえはフェイトに歩み寄る。感情のない赤い瞳を輝かせながら、フェイトの顔の正面に座り込む。

「でもきっと、プレシアはいずれアリシアを蘇らせるだろうね。その方法がどのようなものであれ、彼女の執念は本物だ。彼女の言うアルハザード世界にたどり着くにせよ、ジュエルシードの性質を引き出すにせよ、ボクと契約するにせよ、きっとプレシアは自分の望みを叶えるだろう。……そうなったらきっとフェイトは本当にお払い箱だろうね。だってプレシアにとって必要なのは本物であって、偽物のキミではないのだから」

 キュゥべえの辛辣な言葉に、フェイトの瞳から涙が零れる。必至に否定しようにも、フェイトにはキュゥべえの言葉が事実であると受け入れてしまっていた。造られた存在だとしても、フェイトがプレシアの娘であることには変わりない。だからこそ、プレシアに告げられた先ほどの言葉が事実であるとどうしようもないほどに理解できた。



「でも今ならまだ間に合う。もしフェイトが望むなら、ボクがキミを本物のアリシアにしてあげてもいい」



 そんなフェイトに告げられた誘いの言葉。その言葉を聞いて、ずっと虚空を見つめていたフェイトの瞳の焦点が合う。

「キミには力がある。何者にも負けない魔法少女としての素質が。それはなのはにも引けを取らないだろう。もしキミが魔法少女になれば、なのはと同等、いやそれ以上の魔法少女になれるだろう。その上でキミはプレシアの本当の娘にもなれる。プレシアの娘として彼女の願いを叶え続けることができる。それはキミにとって最良の未来なんじゃないのかい?」

「……母さんの本当の娘」

 キュゥべえの言葉を反芻するフェイト。その脳裏に浮かぶのは、アリシアが生きていた頃の記憶。プレシアと二人、和やかな日々を送っていた暖かな記憶。それが偽物だと知った時は絶望したが、もし本物だとしたらこれ以上の幸せはないだろう。

「もしフェイトがアリシアとしてプレシアを助ければ、きっとプレシアもフェイトのことを認めるだろう。キミが自分の娘だと。……だけどボクと契約する前にアリシアが蘇ってしまえば、その機会は二度と失われてしまうだろうね。だってプレシアの娘はたった一人だけなんだから」

「……母さんの娘はたった一人」

 フェイトはアリシアではない。それは紛れもなく事実だ。だが少なくともその遺伝子と幼き頃の記憶という意味では、フェイトとアリシアは同一の存在である。彼女とアリシアを別人たらしめているのは、その魂であり魔力資質だ。しかし言い換えればフェイトとアリシアの違いはそれしかないのだ。

 そして彼女は知っている。すずかの意思を継ごうと魔法少女になったなのはがどのような変化を起こしたのかを――。実際になのはと戦ったからこそわかる。その魔力資質は元々のなのはのものではなくすずかに近いものになり、その記憶すらも引き継ぐに至った。

 ならば遺伝子レベルで同一な存在であるフェイトがアリシアになることを望めばどうなるのか、その答えは明白である。

「もちろんキミ自身がアリシアになるのではなく、本物のアリシアを蘇らせるのでもいいだろうね。それがプレシアの望みだろうしね。でもボクとしてはどちらを願うのかはキミに選んで欲しい。だってこれは人間特有の家族間の問題という奴なのだから」

 キュゥべえの言葉にゆっくりとフェイトは身体を起こす。すでに彼女の中に魔法少女になることに対する抵抗はない。杏子やゆまには非難されるだろうが、それでもこのままプレシアに見捨てられることだけは何よりも嫌だった。

「キュゥべえ、本当にわたしが願えばアリシアは蘇るの? わたしはアリシアになることができるの?」

「次元世界出身の魔導師だからだろうね。キミの魔力資質はなのはよりも上だ。ボクの知る限り、キミ以上の魔力資質の持ち主は一人しかいない。これほどの資質があれば、他者を蘇らせることも、他者に成り代わることも容易だろうね」

 それを聞いたフェイトは目を瞑り深呼吸をする。自分の胸の内にある様々な感情、それを整理していく。

 魔法少女になることを頑なに反対している杏子。そんな杏子の想いを汲み、それでも彼女の力になりたいと魔導師になろうと努力を始めたゆま。フェイトの力が足りず、守ることのできなかったアリサ。圧倒的な力でフェイトを撃墜したなのは。そんななのはに自分の想いを託し死んでいったすずか。常に着き従い、気遣ってくれたアルフ。そしてどんなに厳しい言葉を浴びせられたとしても、フェイトにとって誰よりも大切な存在であるプレシア。

「キュゥべえ、わたしは――」

 そんな数々の想いを胸にフェイトは告げる。自らの望む願いを――。そこに一切の迷いはない。彼女はただ自分の思いの丈を口にした。



     ☆ ☆ ☆



 一方その頃、地球にいるなのはは異変を感じていた。こことは違う次元の壁の向こうで発せられている膨大な魔力。そのあまりの巨大さに捨て置くことができず、なんとか発信源を突き止めようと奔走する。

 しかし地上にいる限り、その魔力の元に行くことなど不可能だ。魔力の発信源は次元の狭間を航行している時の庭園。いくらなのはの魔力が凄まじいものとはいえ、次元の壁を打ち破る事ができない以上、向かうことなどできるはずもない。

 だがそれ以上になのはが気になったのは、海鳴市に近づいてくる膨大な負のエネルギーだ。今までなのはが戦ったどの魔女よりも強大で、それでいて絶望に満ちあふれた魔力。それが少しずつ海鳴市に近づいてくるのをなのはは顕著に感じていた。

 故になのは自らそこに向かって飛んでいく。ただでさえ、海鳴市は魔女だらけだというのに、そのような存在が現れれば、壊滅的な被害を被ってしまう。だからこそ、なのはは海鳴市を守るために攻めて出ることにしたのだ。

 幸い、向かってくる方向は海鳴市湾岸。その魔力の出所も海上と言うこともあり、なのはは真っ直ぐ魔力の発生源に向かって飛んでいった。

 そこにいたのは一体の魔女。まるで台風の目のような巨大な魔力の渦に覆われた強大な存在。耳障りな笑い声をあげ、身体を回転させている黒ずくめの魔女。人型の形を取っているが、頭が下、脚部が上と逆立ちのような状態で浮かんでおり、その下半身には巨大な歯車が備え付けられている。

 だが見た目のことなど、すでに数多の魔女を狩ってきたなのはにとっては大した問題ではない。問題なのは、その魔女が結界の中ではなくこの世界に顕現しているということだ。明らかに今まで戦ってきた魔女とは明らかに一線を画す存在。それでいて結界を形成せず、ただそこに存在しているだけで負のエネルギーをまき散らす存在。

(これが織莉子さんの言っていた、世界を滅びに誘う魔女の一体!!)

 そう確信するには十分な相手だった。だからこそ、なのはは遠慮しない。初っぱなから全力で魔力を込めたブラストファイアーを撃つ。普通の魔女ならその一発で沈んでしまうほどのなのはの砲撃。しかし目の前の魔女には傷一つ与えることができなかった。

 だがそれでも魔女の注意を引きつけるという意味では十分だったのだろう。先ほどまでなのはを無視して進行していたその魔女の視線がなのはに向く。その瞬間、なのはは身の毛もよだつほどの寒気に襲われる。本能的に後退し、魔女から距離を取る。そんなのはに対し、無数の影が飛んでくる。まるで次元を切り裂く刃のような攻撃をなのはは避け続ける。だがそうして影が通った端から生まれる無数の使い魔。それらは全て人型のシルエット。宇宙の星の輝きを映すようなベージュ色。それぞれが特有の得物を手にし、またその衣装も独特。だが何よりも驚嘆すべきは、その一人ひとりから感じられる魔力。それは並みの魔女を遥かに上回るものであると同時に、魔法少女を彷彿とさせるような気高さをも感じさせた。

 まるで影魔法少女と呼ぶべき使い魔。一体一体ならば大したことはない。それに集団で襲いかかろうとも、なのはの敵ではないだろう。しかし問題なのはこれらの存在が使い魔という点だ。使い魔である以上、本体の魔女が生きている限りほぼ無限に生みだされていくのは間違いない。そしてその本体であろう目の前の巨大な魔女は、なのはの攻撃で傷一つ負っていないのだ。

 苛烈を極める影魔法少女たちからの攻撃。それと同時に魔女から次々と生み出される影魔法少女。それにたった一人で挑んでいくなのは。こうして誰も知らぬところでなのはとワルプルギスの夜との戦いが始まったのであった。



     ☆ ☆ ☆



 自らの命を賭して、最愛の存在を取り戻そうとするプレシア。そんなプレシアに認められようと禁断の果実に手を伸ばしたフェイト。未来を見えるが故に、滅びを回避しようと画策する織莉子。義理堅いからこそ、自分を傷つくことを省みずに行動する杏子。そして平和を守るために今もなお、戦い続けるなのは。

 それぞれの思惑が錯綜し、彼女たちの知らないところで事態は動く。それはまるで蛇のようにうねり、彼女たちを思いもよらない結末へと導いていくことを、今この時、誰にも知る由もなかった。



2013/12/13 初投稿



[33132] 第12話 これが私の望んだ結末だから その1
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2014/04/01 17:34
 見滝原市在住の魔法少女、暁美ほむらは時を駆ける少女である。たった一人の親友であるまどかを救うためにキュゥべえと契約し、彼女の死の運命を覆すために戦い続けていた。

 まどかに死をもたらすもの、それはキュゥべえとワルプルギスの夜である。

 キュゥべえと契約し魔法少女になったものは皆、魔女となる運命を背負うことになる。言うなればそれは呪いのようなものだ。魔女との戦いで力尽きて死ぬとしても、魔女になるのだとしてもその先に待ち受けるのは破滅である。過去の周回でのまどかとの約束もある以上、絶対にキュゥべえと契約させるわけにはいかなかった。

 そのための最大の障害となるのがワルプルギスの夜。結界を必要としない超弩級の魔女。そこに存在するだけで絶望を振り撒き、自然災害以上の被害をもたらす存在。普通の魔法少女が何人束になっても敵わないほどの力を持ち、何度となくほむらは敗れてきた相手だ。

 そんなワルプルギスの夜を倒すために、延いてはほむらや見滝原に住む人々を救うためにまどかは決まって魔法少女になる。まどかの持つ凄まじい魔法少女としての素養。それがあって初めて、ワルプルギスの夜を倒すことができるのだ。――まどかから最凶最悪の魔女が生まれるのを引き替えに……。

 ほむらは何度もその光景を目の当たりにしてきた。どんなにほむらがキュゥべえとの契約を阻んでも、ワルプルギスの夜との戦いで必ずまどかは契約する。運命が収束するかのように何度となくその結末を迎えてきた。

 それでもほむらは諦めなかった。次こそは、次こそはとまどかを救うために過去に戻り、前回の失敗を糧として運命に抗い続けた。

 そうして迎えた何度目かわからない運命の今日。フェイトというイレギュラーのおかげでほむらとマミは和解することができ、魔法少女になったさやかもいる。杏子が見滝原に現れなかったという点を差し引いても、三人でワルプルギスの夜に挑むことのできる状況を作り出すことができた。

 ここまでは上々、あとはワルプルギスの夜を倒すだけ。そうすればまどかを救うことができる。ほむらはそう確信し、ワルプルギスの夜が現れるのを待った。二人に事情を説明し、作戦を立て、万全の準備を整えた。なのに……。

「ねぇ、転校生。いくらなんでもあたしはこれ以上、待てないよ。そりゃ魔法少女としてはあんたの方が先輩だし強いけどさ。でも現れない魔女をどうやって倒すって言うのさ」

「そうね、美樹さんの言う通りだわ。確かにワルプルギスの夜を相手にするにはこれぐらいの準備は必要だと思うけれど、でもだからっていつ現れるかわからない相手をただ待つほど、今の私たちには余裕はないはずよ」

 しかしワルプルギスの夜は現れなかった。多少の前後はあるものの、必ずワルプルギスの夜はこの日、この時刻に現れる。そのことをほむらは痛いほどよく知っていた。その経験則に従い待機していたのにも関わらず、ワルプルギスの夜が現れる気配は一向になかった。

 何故、と問われても答えられないのはほむらも同じだ。現在の見滝原は平和そのもの。現在の見滝原は平和そのもの。ワルプルギスの夜どころか、普通の魔女や使い魔でさえ姿を見せない。そんな戦うべき相手のいない現状でまどかに契約を持ちかける気もないのか、最近ではキュゥべえの姿すらほとんど見ることがない。

 キュゥべえもワルプルギスの夜も現れない見滝原。これはある意味、ほむらが尤も望むべき状況だ。もちろんキュゥべえがこの星から撤退したわけでも、ワルプルギスの夜が滅んだわけでもない。故に不安は残る。

「暁美さん、悲嘆に暮れることはないわ。ワルプルギスの夜を初め、魔女が現れないということは、むしろ幸せなことよ。確かに私たち魔法少女にとって、グリーフシードが手に入らないのは死活問題だけれど、でもこの平和な日常は尊いものよ。それを否定するわけにはいかないわ」

「マミさんの言う通りだよ。そりゃせっかく魔法少女になったんだからちょっとは戦ってみたいって気持ちはあるけどさ、でもあたしの魔法は戦闘には不向きだし、それに今はまだ転校生が分けてくれたグリーフシードのストックもある。なら別にあたしたちが気を張りつめている必要はないさ。もっと気楽に考えてた方がいいんじゃない?」

 そんなほむらの不安が顔に出ていたのだろう。マミやさやかが励ましの言葉を掛けてくる。

 だがそれはほむらの心に響かない。二人が心配していることとほむらが懸念していることはまるで違う。

 何度も過去を遡ってきたほむらの前には必ずワルプルギスの夜が現れた。イレギュラーが原因で到来の日以前に過去に遡った時を除けば、全ての周回でほむらはワルプルギスの夜と相対してきたことになる。そんなワルプルギスの夜が現れない。それは今までの周回の中で最大のイレギュラーと言えるだろう。

 そのことをほむらは考え、そしてすぐに一つの回答を得る。今回の周回にあって、今までの周回になかったもの。そんなイレギュラーな存在が今回はもう一つあったことを――。

「……巴マミ、それに美樹さやか。無駄な時間に付き合わせてしまってごめんなさい。申し訳ないのだけれど、少し調べたいことができたから今日のところはもう解散でいいわね?」

 ほむらは有無を言わさぬ迫力でそう言うと、時間停止の魔法を使ってこの場から去る。その脳裏には一つの考えが過る。フェイトたち異界の魔導師、そしてキュゥべえも求めているジュエルシード。そこにワルプルギスの夜が現れなかった理由があるのではないか。そう考えたほむらは時を止めながら家に戻る。そしてそこでフェイトたちが向かうと言っていた海鳴市の場所を調べ始めるのであった。



     ☆ ☆ ☆



 なのはは焦っていた。なのはは放つディバインバスターとブラストファイアー。それは並みの魔女ならば一発で消滅させるほどの威力を持つ。しかしワルプルギスの夜にダメージが通っている様子はない。間違いなく直撃しているはずなのに、彼の魔女はその動きを一切緩めない。精々、その場で足止めするぐらいが精一杯だった。

 さらにワルプルギスの夜が作り出す数多の影魔法少女。それらが放つ攻撃は千差万別であり、その一発一発が重い。如何になのはと言えど全てを避けきることができず、すでにその身はボロボロ。戦闘中でなければ肉体再生を掛けることもできるが、一瞬でも動きを止めればそれが命取り。なのはは攻撃を避けながら少しずつ身体の治癒をしていくかなかった。

 魔力の方はまだ問題ない。魔法少女になってから寝ている時間を除いてずっと戦い続けていたなのはのグリーフシードの貯蔵は十分にある。よっぽどの魔法を放たなければ、魔力が枯渇するなどという事態にはならないだろう。だがこのままでは間違いなくジリ貧だ。いずれなのはの魔力が尽き、ワルプルギスの夜の進行を許してしまう。今は海上にいるだけなので大した被害は出ていないが、一度でも海鳴市に上陸を許してしまえば、そういうわけにもいかない。こうして戦っている間もワルプルギスの夜を中心として辺りには竜巻が発生し、上空には雷雲が漂っている。まるで自然災害そのもののようなワルプルギスの夜が海鳴市に辿り着けばどれほどの被害が出るか、火を見るより明らかだ。

 目の前にいる存在は魔女であって魔女でない。もし普通の魔女を絶望の欠片と言うべき存在だとしたら、ワルプルギスの夜は差し詰め絶望そのものだ。ただそこに在るだけで絶望をまき散らし、世界を滅ぼしかねない存在。魔女と言うには巨大過ぎる力を持ち、それ故に結界を必要とはせず、本能の赴くままに進んでいく傍若無人な存在。それがワルプルギスの夜なのだ。

 そんなワルプルギスの夜と対峙し続けて、なのははふと織莉子に言われたことを思い出す。「もし本当に危機的な状況に陥ったのなら、逃げ出して体制を立て直して欲しい」。彼女はそう言っていた。その言葉の真意はわからない。だが少なくとも今後、ますます苛烈になっていく戦いを見越しての言葉であることは間違いないだろう。

 それがわかっているからこそ、なのはは逃げるわけにはいかなかった。今後、より強力な魔女と対峙するのだとしたら、目の前の相手に苦戦しているようでは駄目だ。それでは世界どころか、なのはの大切な人たちすら守れない。例えこの場で命燃え尽きることになったとしても、絶対にワルプルギスの夜だけは倒さなければならなかった。

 けれどディバインバスターもパイロシューターもワルプルギスの夜には効かなかった。そうなるとなのはに残された手は一つしかない。

 ――ルシフェリオンブレイカー。なのはの持つ最大最凶の魔法。辺りに漂う魔力を収束させ、なのはの魔力と合わせてぶちかます破滅の光。如何にワルプルギスの夜とも言えど、自らが発した魔力をその身に受ければ一溜まりもないはずだ。

 だがそれはなのはも同様だ。あれからなのははまだ一度も、ルシフェリオンブレイカーを撃っていない。初めてルシフェリオンブレイカーを放った時、偶然とはいえフェイトたちを放ってしまったこと。そして魔女の魔力を収束させたときに感じた不快感。切り札ともなり得る魔法だが、その分リスクも大きい。そのことをなのはは身を持って自覚させられていた。

 それでもなのはに残された手はそれしかない。このまま戦い続けてもじり貧なのは目に見えている。故になんとしてでもなのははルシフェリオンブレイカーを放たなければならなかった。

 だが強大な魔法であるが故に、ルシフェリオンブレイカーを放つには溜めの時間が必要だ。それには影魔法少女が邪魔である。すでになのはは五十体近くの影魔法少女を屠ってはいるが、まだ周囲には百体以上も残っている。そしてそれはこうして戦っている間にも増え続けているのだ。

 せめて一人ではなく仲間がいれば、そう思わずにはいられない。だがこの状況を作り出したのはなのは自身だ。自ら望んで友を遠ざけ、世界の平和を守る道を選んだ。しかし一人では何も守れない。そのことを嫌と言うほど痛感させられながらも、今のなのはは少しでもワルプルギスの夜の注意を引くことしかできなかった。



     ☆ ☆ ☆



 杏子と別れた織莉子はプレシアの元に向かわず、時の庭園内を彷徨っていた。もちろん、彼女が何の目的もなくそのような真似をしているわけではない。織莉子は時の庭園からジュエルシードを回収していたのだ。

 すでに時の庭園にはジュエルシードから引き出した十分な魔力が満ち溢れている。その分、今のジュエルシードに残された魔力はカスほどにもない。だが織莉子にとってジュエルシードの魔力が必要なのは今ではない。半年も経てば失われたジュエルシードの魔力は自然と回復することだろう。それに魔力のないジュエルシードは制御しやすく、また他者の探知にもかかりにくい。そうして織莉子はジュエルシードをほぼ全て手に入れるのが狙いだったのだ。

 もちろんこのことはプレシアも承知の上だ。彼女にとってジュエルシードの魔力が必要なのはアルハザードに向かうただ一瞬のみ。元々プレシアはそのためにジュエルシードをフェイトに集めさせたのだ。

 だからこそ、織莉子は急がなければならない。プレシアの計画では、アルハザードには時の庭園ごと向かう。もしもその転移に巻き込まれでもしたら、織莉子は二度とこの世界に戻ってくることができない可能性が高い。織莉子にとって重要なのは世界の救済。そのためなら、如何なる犠牲を払っても構わない。だがそれを為すためにはこの世界にいることが不可欠だ。他の世界、特に次元世界においてもオーバーテクノロジーとされるアルハザードの技術が魅力だが、それでも戻って来られない可能性がある以上、賭けるにはチップが大き過ぎる。

 なんにしても織莉子は十九個のジュエルシードを手に入れた。残り二つのうち一つも織莉子が自ら手放しキュゥべえに渡したものだ。問題は最後の一つだが、別に全てのジュエルシードが必ず必要というわけでもない以上、急いで探す必要はない。

 どちらにしてもジュエルシードを手に入れるという織莉子の目的は果たされている。ゆまや杏子も時の庭園から離れている以上、これ以上ここに留まる理由もない。そう判断し、織莉子はプレシアのいるであろう研究室へと向かう。それは決してプレシアを止めるわけではなく、最後の仕上げをするためだった。



     ☆ ☆ ☆



 アリシアの入ったカプセルの前で、プレシアはアルハザードへ向かう最終調整を行っていた。如何にジュエルシードから抽出した魔力が膨大だといっても、ただ発動させるだけでは意味がない。きちんと目的の座標を指定し、そこに全魔力を注がなければアルハザードに到達できるはずがない。

 失われた世界と言えばアルハザードの伝説が有名だが、それは彼の世界が現代のミッドチルダでも再現不能な技術を持っていたが故に伝わっているだけであって名も無き滅んだ世界などごまんとある。無作為に次元障壁を打ち破るだけでは、そうした有象無象の世界にたどり着いてしまう可能性が高い。故にプレシアはただひたすらにタイミングを計り続けていた。

 思い返せばここに至るまでの道筋は長かった。フェイトという失敗作を創り出したその時から派生したアルハザードに向かう計画。そのために時の庭園に巨大な魔力タンクを用意し、次元障壁を破るための魔力を得ようと奔走した。そうして目を付けたジュエルシードを管理外世界の一地域に落とし、フェイトに回収させる。言葉にすれば簡単だが、これが非常に困難を極めた。

 それは魔導師のいない世界だと思っていた地球に魔女や魔法少女といったイレギュラーが存在したからだ。そのせいでフェイトが手に入れたジュエルシードは僅か七個。確かにジュエルシードは膨大な魔力を秘めている。しかしこれでは足りない。欲を言えば全て、最低でもこの倍の数がなければプレシアの計画は頓挫していただろう。

 だがそこに織莉子が現れ、ジュエルシードの制御法とこの場に集める術をプレシアに教えた。そのことで彼女の計画の成功率は大幅に上げた。集まりの少なかったジュエルシードはほぼ全て時の庭園に揃い、さらに暴走させるのではなく制御する形で魔力を引き出すことができた。これで転移に失敗でもしようものなら、それこそプレシアは千載一遇のチャンスを逃すことに他ならない。

 故にプレシアは全ての不安要素を排除する。ジュエルシードが集まり、その魔力を時の庭園を中心とした形で抽出することはできた。あとはこの場から不必要な異物を取り除けばいい。管理局、そして美国織莉子を――。

「プレシアさん、約束通りジュエルシードは戴いていくわね」

 そんなことを考えていると、ジュエルシードを回収し終えた織莉子がやってくる。彼女の周りには力を無くした十九個のジュエルシードが浮いていた。だがそれはただの抜け殻。時間が経てば魔力を回復することはあるだろうが、今のプレシアには興味がない。

「……好きにすればいいわ」

 視線を変えずにそう答えるプレシア。その瞬間、織莉子の足下に白い魔法陣が発生する。それは転移魔法発動の合図だった。そしてそれは織莉子の足下だけではなく、リンディや杏子を初めとした時の庭園にいる全ての生命体の足下に発生していた。

「プレシアさん、これは?」

「転移魔法よ。これ以上、私とアリシアの邪魔はさせない。誰にもね。だからあなたたちを元いた世界に送ってあげる」

 本来ならば同時多発的に強制転移魔法を発動させることは、プレシアでも不可能な芸当だ。しかし今の彼女にはジュエルシード十九個分の魔力がある。時の庭園を通して供給される莫大な魔力。それを以てすればこの程度のこと、造作もないことだった。

 もちろんプレシアは親切心からそんなことをしたわけではない。すでに織莉子からは必要な知識と魔力を得ることができた。これ以上の介入は必要ない。そのために管理局と共に排除するための転移魔法であった。

「そう、それじゃあプレシアさん、貴女が無事にアリシアさんと再会することを祈ってるわ」

 織莉子がそう告げた瞬間、彼女の身体は光に包まれ消えていく。そしてそれは織莉子だけではなく、プレシアを除いた時の庭園にいる全ての生命体に等しく訪れた現象だった。

 こうして誰もいなくなった時の庭園でプレシアはコンソールを操作し続ける。時の庭園がアルハザードに限りなく近くなるその一瞬を見逃さないために、目を血眼にしてスクリーンの波形を見やる。

「ああ、アリシア。もうすぐあなたに会える。もうすぐあなたを思いっきり抱きしめてあげられる」

 プレシアは誰にともなくそう呟きながら、ジュエルシードの魔力を解放させる。その瞬間、世界は揺れ、そして時の庭園はその場から跡形もなく消失した。



     ☆ ☆ ☆



 時の庭園がジュエルシードの魔力によって転移した時に発生した衝撃。それは戦闘中のなのはの元にも届くほどのものだった。大気を振るわし、空中にいるのにも関わらず地震に遭っているような感覚。初めはワルプルギスの夜が何かしたのかと考えたなのはだったが、すぐにそれが違うことに気付く。

 それは彼女が今までジュエルシードを集めてきたからに他ならない。ユーノと出会い、魔法の世界に踏み込んだきっかけとなったロストロギア。その魔力をなのはが間違えるはずがない。

 だが今は戦闘中。それも相手は遥かに格上の魔女。一瞬、戸惑いはしたもののなのははすぐに意識を目の前のワルプルギスの影魔法少女に戻す。そこでなのは初めてワルプルギスの夜の変化に気付く。先ほどまで辺りに響き渡っていた耳を劈くような不快な嗤い声。それが今はそれがぴたりと止んでいる。さらに先ほどまで絶え間なく襲いかかってきていた影魔法少女もまた、その動きを止めていた。

 どういう理由かはわからないがこれ幸いとなのははワルプルギスの夜から距離を取り、収束魔法を放つ構えをする。もちろんこれがなのはを油断させる罠とも限らない。そのため周囲に警戒を向けながら、ルシフェリオンの先端に魔力を収束させていった。

「――ッ!?」

 その瞬間、なのはは胸が締め付けられるような苦しみに襲われる。それはかつてルシフェリオンブレイカーを放った時にも感じたもの。魔女の負の魔力によって心が塗り潰されていくような感覚。だが前回は漠然と深い絶望や悲しみを感じただけだが、今回はそうではなかった。

 なのはの中に流れ込んでくる断片的なビジョン。それはワルプルギスの夜に吸収された影魔法少女が人間だった頃の記憶だった。キュゥべえと出会い、契約し、魔女との戦いに身を投じ、そして絶望の中で魔女に転化していった少女たちの記憶。それがなのはの中に湯水のごとく流れ込んでくる。

 その記憶の奔流に耐えきれず、なのははその意識と収束させていた魔力を手放す。だが意識を失っていたのはほんの一瞬のこと。脳裏に溢れる他者の記憶がなくなったことですぐになのはは意識を取り戻し、再びワルプルギスの夜を見遣る。

 ワルプルギスの夜はゆっくりとその身を回転させている最中だった。そしてそれは少しずつ早くなっていこうとしている。それを見て嫌な予感を感じたなのはは、とっさにディバインバスターとブラストファイアーを連発しその動きを止めようとする。だがそれらの攻撃はワルプルギスの夜の周囲に集まった影魔法少女たちに防がれてしまう。

 そのことがさらになのはの中に嫌な想像を膨らませる。先ほどまで、ワルプルギスの夜は攻撃を避けるどころか防御する構えすら取ろうとしなかったのだ。それを今、こうして防ぐということはそこに必ず何かしらの意味がある。そう感じたなのははさらに攻撃を仕掛けようとワルプルギスの夜に向かって突っ込んでいく。

 だが先ほどまでピクリとも動かなかった影魔法少女たちがなのはの行く手を阻む。なのははそんな影魔法少女を一撃の元で葬ろうとするが、脳裏に先ほど見た記憶が浮かぶ。相手は最早、人間ではない。この世に絶望を撒き散らす存在だ。それがわかっているはずなのに、彼女たちが人間だった頃の記憶を目の当たりにしたなのはに躊躇が生まれてしまう。

 その隙を突いて、影魔法少女たちは一斉になのはに攻撃を仕掛ける。刀剣、長柄、打撃、投擲、銃撃といった物理的攻撃手段から炎、氷などの属性を持った魔力攻撃。それらが一斉になのはに襲いかかる。なのははそれらを反射的にプロテクションを用いて防御、あるいはディバインバスターで撃ち落として対処していく。

 そうしている間にもワルプルギスの夜は回転を早め、ついには巨大な竜巻を発生させるに至る。その暴風に晒され、なのははもちろん影魔法少女たちもまた数多の方角へと吹き飛ばされていく。そうして吹き飛ばされながらなのはは見る。ワルプルギスの夜の正面の空間が歪み、少しずつ切り開かれていくことを。その歪みはワルプルギスの夜の回転が速くなるのに呼応するかのように大きく広がり、最終的にはワルプルギスの夜を飲み込んでしまうほどの大きさのものへと広がっていった。

 その裂け目にワルプルギスの夜はゆっくりと入り込んでいく。なのははその後を追おうとするが、それを阻むが如く影魔法少女がなのはに群がる。このままワルプルギスの夜を見過ごすというのも手の一つだろう。あの先がどこに続いているのかはわからないが、少なくとも海鳴市ではないことだけは確かだ。このまま海鳴市に向かうというのなら、命を賭けて止めなければならないが、そうでない以上、そこまでワルプルギスの夜に固執することはない。

 だが先ほど見た数多の魔法少女たちの記憶。それらは断片的なものばかりだったが、彼女たちは皆、絶望の中で魔女になった。その中にはワルプルギスの夜に敗れ、吸収されたものの姿もあった。皆、希望を持って魔法少女になったはずなのに、絶望の中で死んでいった。そして今でも絶望に捕らわれ続けたままだ。同じ魔法少女として見過ごせるわけがない。

 だからなのはは影魔法少女の追撃を振り切り、次元の裂け目に飛び込んでいく。その先に何が待ち受けていようとも、ワルプルギスの夜を倒す。その覚悟の元に――。




2013/12/26 初投稿
2014/4/1 全体的に微修正&気付いた誤字修正



[33132] 第12話 これが私の望んだ結末だから その2
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2014/04/01 17:34
 プレシアの手によって時の庭園から飛ばされた織莉子が辿り着いたのは、海鳴市の臨海公園だった。漆黒の風が強く吹き荒び、頭上では雷雲が音を鳴らし蠢いている深夜の臨海公園。この悪天候の深夜ならば人っ子一人見当たらないであろうというのに、織莉子の目の前には無数の人の姿があった。それは彼女同様、時の庭園からこの場に飛ばされてきたリンディや杏子、アルフ、そしてその他の武装隊員たちである。織莉子はその姿を視認するや否や、この場からの離脱を試みる。だがその前に彼女の四肢はバインドで拘束され、さらに杏子の手によって組み伏せられた。

 そんな現状になって織莉子が思うのは目の前の二人に対してではなく、この場に転移させたプレシアのことだった。織莉子とプレシアは協力関係だったが、それはあくまで互いの利害が一致したからに過ぎない。故に織莉子もプレシアも相手のことは全く信用していなかった。だから彼女は織莉子を管理局員の只中へと転移させたのだろう。おそらくは囮として織莉子を利用するために――。

「美国織莉子さん、あなたには聞きたいことが山ほどあります。ご同行願えるかしら?」

「そうは言っても、私に拒否権はないのでしょう? この状況だと逃げられそうにもないし、別に構わないわよ」

 そう告げた織莉子だったが、内心では一刻も早く管理局の目の届かない所へと移動したかった。それは彼女が時の庭園で回収した十九個のジュエルシードを隠し持っているからに他ならない。今はプレシアによってその魔力がほぼ奪われ抜け殻と化しているジュエルシード。そのおかげか今のところは所持していることに気付かれている様子はない。しかしアースラへ連れていかれて身体検査でもされようものならすぐにばれてしまうだろう。そうなれば押収されるのは目に見えている。

 それでも織莉子が抗わなかったのは、状況の不利を悟っていたからだ。実際に戦いになれば織莉子ではリンディ一人倒すことができないのは、先日の戦いで証明されている。リンディ一人でも手に余る相手なのに今は杏子を初め、他の管理局員やアルフの姿もある。説得次第でアルフは味方になってくれる可能性もあるが、フェイトがアースラにいることを考えるとそれも厳しい。故に織莉子は素直にリンディの言葉に従うことにしたのだ。

「……随分と素直なのね。てっきりすぐに逃げ出そうとするのかと思ったわ」

「確かにそれができるのならそうしていたけれど、これだけの人数を相手に逃げ出せるほど私の魔法は使い勝手のよいものではないからね。何より今回は途中で誰かが助けに入ってくれるということもなさそうだしね」

 そう言って織莉子はアルフの方を見る。するとアルフは目に見えて申し訳なさそうな顔を浮かべた。

「アルフ、別に気にすることはねぇぞ。こいつはあんな手の込んだ芝居を使ってまで、ジュエルシードをあたしから奪っていったんだからな」

 そんなアルフにすかさずフォローを入れる杏子。だがアルフはこの場に居合わせている中で唯一、織莉子に友好的な印象を持っていた人物である。故に杏子の言葉を鵜呑みにするようなことはなかった。

「アルフさん、杏子さんの言ったことは本当よ。私はプレシアさんに加担してジュエルシードを奪った。そのことに間違いはないわ。ついでに言えばゆまさんを使ってジュエルシードを杏子さんに持ってこさせるというアイデアを出したのも私よ」

 だがそんな杏子の言葉を織莉子自身が肯定したことでアルフの目が大きく見開かれる。それと同時に明かされたゆまを利用した話を聞き、織莉子を押さえつける杏子の力も強まる。だが織莉子にとってそれらは瑣末な問題だった。

「……ところでリンディさん、貴女はこんなことしている時間はないと思うのだけれど?」

 織莉子は挑発的に告げる。確かに織莉子は管理局に対し敵対的な行動を取り、プレシアに協力までした存在だ。拘束される云われは十分にある。けれど今、ジュエルシードの魔力を行使しようとしているのは織莉子ではなくプレシアなのだ。目に見えて危険な存在と潜在的に危険視される存在。どちらを先に対処すべきかを理解できないほど管理局は愚かではないはずだ。

「もちろんプレシア・テスタロッサのことを忘れてはいません。彼女についてもすぐに対処します。でもそれがここであなたを見逃す理由にはならないわよ」

「別に見逃してと頼んでいるわけではないのだけれどね。どちらにしてもこのまま私に注意を向けているようではプレシアさんを捕まえることはできなくなるわよ。プレシアさんが私を含めた邪魔者を時の庭園から排除したということは後数分で彼女の目的が果たされるということなんだから」

 その言葉を聞いてリンディはハッとなる。プレシアの目的、それはアリシア・テスタロッサを甦らせることだ。そしてその手段を求めるためにアルハザード世界へと向かおうとしているそのために彼女はジュエルシードを集めようとしたのだ。そして今、彼女の元にはジュエルシード十九個分の魔力がある。一個でも暴走すれば小規模な次元震を引き起こすような魔力の塊が複数存在している。その魔力をもし、一斉に発動させるとしたら――。

『艦長、大変です! プレシア・テスタロッサが時の庭園ごと転移、座標を見失いました。さらにその余波で次元空間が非常に不安定。このままでは中規模から大規模の次元震が発生すると思われます』

 リンディがそこまで考えた時、アースラのエイミィからの緊急通信が入る。それはまさにリンディが思い描いた中で限りなく悪い知らせだった。それを聞いたリンディは慌てて周囲にいる武装局員、およびにアースラで待機しているスタッフに指示を飛ばす。

「杏子さん、申し訳ないけど織莉子さんのことはあなたに任せていいかしら?」

 そうして一通り指示を終えた後、リンディは申し訳なさそうに杏子とアルフにそう問いかける。その言葉に杏子は強く頷く。それを見てリンディはすぐにその場から転移し、アースラへと戻っていった。

 こうしてその場に残されたのは捕まっている織莉子を除けば杏子とアルフの二人のみ。二人は厳しい目つきで織莉子のことを見ているが、当の織莉子はそんなことは気にせず、ただじっと夜の空を眺めていた。雷雲蠢く海鳴市の空。肌に感じられる濃厚の魔力の気配。だがそれは海鳴市の方からではなく海上の方から感じられていた。そしてその魔力がすぐに消え去ったことを確認すると、織莉子は内心でほくそ笑む。だがそれを彼女は一切表情に出さず、杏子に話しかけた。

「ねぇ、杏子さん、いつまで私はこうしていればいいのかしら?」

「さぁな。プレシアが捕まるまでじゃねーのか?」

「なら杏子さんもしばらくこの場から動けないということね」

「……それがどうかしたのか?」

 織莉子の言葉に杏子は訝しむ。だが織莉子はそんな杏子の言葉に返さず、アルフに顔を向ける。

「それにアルフさんも、この状況だとアースラに戻りにくいでしょう?」

「ま、まぁそうだね。それに織莉子には少し聞きたかったこともあるし」

 アルフはどこか目を泳がせながら織莉子の言葉に答える。

「そう。ならせっかくだから貴女たちが聞きたいことっていうのに答えてあげるわ。時間はたっぷりあることだしね。それじゃあまずはどうして私がこの町にやってきたところから話しましょうか」

 そうして織莉子はゆっくりと語り始める。アルフはそれを興味深そうに、杏子は怪しんで耳を傾ける。しかし二人は気付かない。この時、織莉子は二人をこの場に引きつけるためにその話をしだしたということを。そして二人の知らないところで状況は加速度的に変化しているということを――。



     ☆ ☆ ☆



 幼い頃のプレシアは両親に聞かされるアルハザードについての御伽噺が大好きだった。その物語はまるで夢の中のように素敵で、子供のプレシアを夢中にさせた。しかし夢はいずれ醒めるもの。成長するに連れアルハザードの伝承は現実ではあり得ない御伽噺として一蹴するようになり、いつしか耳にすることも無くなっていた。

 そんなプレシアがアルハザードの名を次に目にしたのは、アリシアを亡くした後に始めた研究資料を集めている時だった。どのような手段を用いれば、アリシアを再び目覚めさせることができるのか。それを模索していた時期。プレシアはありとあらゆる分野の文献に目を通した。そうした文献のいくつかにアルハザードの名が出てきたのだ。藁にも縋りたい気持ちであったプレシアは、そういった文献内容を無視せず一つひとつ頭の片隅に蓄積させていった。

 多くの文献にその名を記されるアルハザード世界。その中で共通するのは現実に存在しているかどうか定かではないほど遥か昔に滅びているということ。そしてその技術体系は現代のミッドチルダを初めとした次元世界では再現できないということだった。

 特筆すべきは、それらの情報は全て図書館に貯蔵されているような書籍に記載されていたということだ。誰の目にも留まる書籍においてアルハザード世界の技術を再現することは不可能であると書かれている。それが一冊や二冊ならば偶然であると考えられるが、十数冊となれば話は別だ。意図的な情報操作。まるでアルハザード世界の技術を再現させまいとする意志を感じられた。

 だからプレシアは裏の情報屋を使って、アルハザード世界について調べた。残念なことにアルハザード世界そのものに通じる情報を得ることはできなかったが、その過程である人物の名を知るに至った。

 ――ジェイル・スカリエッティ。法的には禁忌とされている研究も行っている科学者。その研究内容には人造生命に関するものもあり、アリシアを甦らせることを目的としているプレシアにとってみれば、是が非でも接触したい相手であった。

 しかし問題もあった。それはスカリエッティが管理局最高評議会によって生み出された存在であるということである。次元世界において管理局の力は非常に大きい。だがそれは決して司法組織として人々を助けてきたからではない。犯罪者を取り締まるのと同時に時には法に逆らってまでその影響力を広めようとしてきたからである。一般人にしてみれば管理局は次元世界における正義の象徴とも呼ぶべき組織だが、少しでも裏の世界に精通したものならその実態が下手な犯罪者よりも性質が悪い存在であることを知っていた。

 そんな管理局の中で最高評議会は、まさに裏の部分を象徴する存在だ。元々は世界の平定のために立ちあげられた時空管理局。しかし世界の平定を求めるあまりそこに住まう人々すらも蔑ろにするのが最高評議会のやり方だ。そんな彼らが創り出したスカリエッティに接触するということは、少なからずプレシアも目をつけられるということになる。しかしアリシアを目覚めさせる研究を進める意味でも、アルハザード世界についての情報を得る意味でも接触を避けることはできなかった。

 結果から言えば、スカリエッティとの邂逅はプレシアの望みを叶えるには至らなかった。彼が精通していた生命操作や生体改造の研究はProject F.A.T.E.の前身となり、またアルハザード世界が存在する確証をプレシアに与えた。しかしProject F.A.T.E.によって創り出されたフェイトはアリシアと呼ぶにはあまりにも別者であり、アルハザード世界に関してもその座標を正確に知ることはできたものの、そこに向かうだけの魔力を手に入れることができなかった。さらにアルハザード世界の情報を盗み出したことで最高評議会に目を付けられ、その後の行動にも慎重にならざるを得なかった。

 だがプレシアには時間がなかった。その身を蝕む病。寝る間も惜しんで研究し続けた代償か、プレシアの身体は病魔に蝕まれていた。もちろんその程度のことで立ち止まるプレシアではない。リニスを使ってフェイトを鍛えている間も彼女はアリシアを取り戻すために動き続けた。最高評議会から盗み出したアルハザード世界に関する情報と技術を使い、どうにか彼の世界に赴く方法を模索し続けた。

 そうして見出した高純度の次元干渉型エネルギー結晶体であるロストロギア、ジュエルシード。残された時間も僅かであるということもあり、プレシアはその魔力に一縷の望みを託した。その過程で魔法少女と魔女という想定外の知識も手にし、ジュエルシードもほぼ全て手に入れた。あとはアルハザード世界に赴き、その技術を用いてアリシアを蘇らせればいい。そう思いプレシアはアルハザード世界へと転移した。



 ――だがプレシアの思惑はものの見事に外れた。



 頭上に広がるのは赤く罅割れた空。次元そのものに亀裂が奔り、ボロボロと崩れ落ちる赤い空。その罅割れた隙間から覗くのは、七色の虚数空間。それはまさに滅んだ世界と呼ぶに相応しい空だ。そうして割れた空の欠片が落ちるのは無間の闇。本来、地表が広がっているべきはずの空間であるのにも関わらず、そこには一欠けらも存在しない。その先がどこまで続いているのか目視することもできず、サーチャーを飛ばしてもその制御をすぐに無くし押し潰される。そんな漆黒の世界がそこにはあった。

 そんな闇を見てプレシアは悟る。これが滅びを迎えた世界なのだと。もし文明が滅びただけであれば、そこには生きた痕跡が残る。それならば例え数千数万の年月が経とうとも、考古学的観点から分析、解明することも可能だっただろう。しかしアルハザード世界は文字通り、世界そのものが滅びたのだ。

 世界を構成する粒子が歪み、その因果を捻じ曲げる。そうでなければ空が割れ、大地が崩落するなどということが起こり得るはずがない。そんな通常では起こり得ない現象が起きてしまったのも、アルハザード世界の技術が現代のミッドチルダよりも遥かに高度な文明が栄えた証だろう。それ故にこの世界には生き物はもちろん、過去に栄えた文明の名残はほとんど残っていないことを悟る。

 だがそんな絶望的な現実を前にしてもなお、プレシアは諦めない。彼女は多大な犠牲を払い、僅かな望みを託してここまで到達したのだ。それを無駄に終わらすつもりはない。例え可能性は僅かだとしても、今のプレシアにはそれに駆けることしかできない。だから彼女は目を血眼にしながらキーボードを動かし、この世界の様子を探るのであった。



    ☆ ☆ ☆



 ワルプルギスの夜を追ってなのはがやってきたのは、不思議な空間だった。眼下に広がるのは底知れぬ闇。降り立つ地面は一切なく、一度落ちたら最後、這い上がることができないほどの暗さを感じさせる。そして頭上に広がるのはひび割れた空。血のように紅い空の至る所に亀裂がはしり、ポロポロと空が欠片となって落ちていくのが目に入る。そうしてできた穴の先には眼下と同じように深い闇が広がっていた。

 現実世界はもちろん、魔女の生み出した結界ともどこか違うように感じさせるこの空間。異端だらけの光景の中で唯一、なのはが見知っているものと言えばワルプルギスの夜の存在だけだった。そんなワルプルギスの夜は、なのはのことには目もくれず、一点を目指して進んでいく。その先にあるのは浮遊した大地。まるでこの世界に残された最後の陸地とも思える場所に向かって、ワルプルギスの夜は今まででは考えられないほどの速度で向かっていた。そんなワルプルギスの夜の接近に気付いたからだろう。浮遊した大地から無数の魔弾が放たれる。しかしそのすべてがワルプルギスの夜に当たることなく、影魔法少女に迎撃されていった。

 次に現れたのは、全身を甲冑で覆った無数の人影だった。それを見てなのは慌てて声を掛けようとするが、すぐにそれらが人間ではなく魔力で創られた傀儡兵であることを悟る。なのははそんな傀儡兵を援護するかのようにディバインバスターを放ちながら戦いの最中へと割り込んだ。

 ワルプルギスの夜が傀儡兵、延いては浮遊する大地に気を取られているうちに魔力を収束させてルシフェリオンブレイカーを放つこともできただろう。だがなのははそうしなかった。それはこの場に漂う魔力だけではワルプルギスの夜に届かないと判断したからだ。次元の壁を超えたことで戦場に漂う魔力はリセットされてしまった。それではワルプルギスの夜を倒すには至らない。

 それに傀儡兵が影魔法少女に放つ数々の魔法、それらは全てフェイトが戦いの中で見せた魔法に酷似していた。もちろんそれはフェイトが使っていたものより威力が劣ってはいたが、関係性を疑わずにはいられない。

 なのはは魔法少女としてはもちろん、魔導師としてもまだビギナーだ。純粋な戦闘力でそのことを忘れがちになるが、彼女がユーノから学んだのは簡単な魔法についての説明だけだ。ミッドチルダの成り立ちや魔導師の使う魔法の仕組みといったことはほとんど教わっていない。だから今、目の前で傀儡兵が使っている魔法はミッドチルダではポピュラーな魔法なのかもしれない。しかしそれでもフェイトのことを思い起こさせる魔法を使う傀儡兵が気になり、故にそれを操る人物について興味を持たずにはいられなかった。



 ――そしてそれは時の庭園の中で傀儡兵を操るプレシアも同様だった。アルハザード世界に眠る秘術を探し続けたプレシアの前に突如として現れたワルプルギスの夜。その存在に驚きつつも、アルハザードにやってきて初めて出会った生きた存在。それだけでプレシアの興味を惹くには十分だった。だが相手は魔女。それもフェイトからの情報にあった魔女よりも遥かに強力な力を持っている存在だ。そう安々と時の庭園に近づけるわけにもいかず、迎撃しながらその生態を調べ始めた。

 だがすぐにプレシアは落胆することになる。ワルプルギスの夜が持つ絶望的なまでの負の魔力。それはプレシアが求めていたものとは遠くかけ離れているものだったからだ。だがそれもそのはずである。魔女の性質は千差万別だが、人々に絶望をもたらすという本質はどの魔女も変わらない。そんな魔女の絶望が凝縮され融合した存在がワルプルギスの夜なのだ。

 何故、アルハザード世界に魔女がいるという疑問は残るが、それでも目の前の存在はプレシアの求める存在ではなく、むしろこうして時の庭園の進行を阻害している以上、排除すべき対象でしかない。故にプレシアは本腰を入れてワルプルギスの夜を討伐しようと傀儡兵を派遣する。

 だが排除するにはワルプルギスの力は膨大だった。本体はもちろん、ワルプルギスの夜が生み出す使い魔一体一体の実力も並みの魔導師をも遥かに上回る。仮にプレシアの体調が万全だったとしても、ワルプルギスの夜を撃退できたかどうか、疑わしいところだろう。

 それでもやらねばなるまい。時の庭園を捨てて逃げる選択肢などありはしない。ここにはアリシアがいる。アリシアを見捨てることなどできるはずがない。例えこの身を犠牲にしたとしても、彼女はアリシアを護りきるつもりだった。

 だから彼女は時の庭園を自動制御に設定し、自らも戦いの場に赴くつもりだった。なのはが現れたのはそんな時である。

 傀儡兵を援護するように戦うなのは。なのはのことはフェイトからの情報でプレシアも知っている。だがプレシアの持っている情報はなのはがキュゥべえと契約する以前のものである。だから彼女は今のなのはの力に驚きを抱かずにはいられなかった。間違いなく彼女の魔力は全盛期のプレシアを上回っている。あれほどの魔力があれば、ワルプルギスの夜を倒すことも可能だろう。

 それ故に惜しい。なのはが魔法に触れたのはほんの一ヶ月前、魔法少女になったのなどついこの前の話だ。故に彼女の戦い方には無駄が多い。未だその魔力を自由に扱い切れているわけではなく、その膨大な魔力で相手を叩き潰しているという戦い方であった。

 格下の相手ならばそれで問題はない。しかし相手はワルプルギスの夜。その身から溢れる魔力は今のなのはをも有に上回るものだ。そんな相手に魔力をぶつけるだけでは太刀打ちできるわけがない。

【高町なのは、私の声が聞こえるかしら?】

 だからこそ、プレシアはなのはに声を掛ける。そしてその判断は紛れもなく、プレシアが取れる中で最善の行動だったと言えるだろう。



     ☆ ☆ ☆



 なのはは戦いの中で自身の消耗具合に焦りを覚えていた。海鳴市周辺の海上での戦いからここまで彼女は常に神経を研ぎ澄ませながら戦い続けている。いくら魔力に優れていると言えど、各上の相手とそんな戦いを続けていればいずれは限界がくる。事実、先ほどからなのはの攻撃の被弾数は劇的に上がっている。今はまだ反射的にラウンドシールドでそれらの攻撃を防御することができるが、その余裕がなくなるのも時間の問題だ。

 かといって立ち止まるわけにもいかない。どこかに降り立とうにも大地はワルプルギスの夜が取りつこうとしている浮遊大陸しかなく、影魔法少女の数も徐々に増えてきている。何体かは傀儡兵が引き受けてくれてはいるが、それでもなのはの比重が減るどころか徐々に増え始めていた。

【高町なのは、私の声が聞こえるかしら?】

 なのはの脳裏にプレシアの声が響き渡ったのは、そんな時のことだった。突然の念話になのはは一瞬、注意をそちらに取られてしまうが、すぐに意識を引き戻し、隙を突こうとして攻めてきた影魔法少女を迎撃する。

【……あなたは誰? どうしてわたしの名前を知ってるの?】

 その後になのはは改めて声の主に問いかけた。マルチタスクが使えるとはいえ、今のなのはに意識を分割している余裕はない。これが普通の魔女や影魔法少女だけならそれでも何とかなっただろう。しかし相手は自分より遙かに格上の魔女。この声の主がなにを思ってこのタイミングで念話をしてきたのかはわからないが、今のなのはにとってそれは限りなく迷惑に近かった。

【私はプレシア・テスタロッサ。あなたにはフェイトの母親と言ったほうがわかりやすいかしら?】

 そんななのはの考えとは裏腹に声の主、プレシアはさらになのはの気を取られるようなことを告げる。フェイトの母親、つまりはフェイトにジュエルシードを集めさせようとした張本人。何故、彼女はジュエルシードを集めようとしていたのか、そして何故、ワルプルギスの夜が向かった先にいたのか、疑問は尽きない。

【だけど今、そんなことは重要ではないわ。それははあなたにもわかっているでしょう?】

【……そうですね】

 だが一つだけわかったことがある。傀儡兵を操り、あの館に住まう人物はプレシアということだ。そしてそんな彼女がこのタイミングで声を掛けてきたとすれば……。

【それでね、少しばかりあなたに協力してもらいたいことがあるんだけど、聞いてもらえないかしら?】

【奇遇ですね。わたしもプレシアさんに頼みたいことがあったんです】

 なのはとプレシア。立場や目的は違えど、今の二人には情報が不足し、共通する敵が存在している。そしてその敵は二人が手段を選んでいる余裕がないほどに強大だ。

【そう。なら話が早いわ】

 そう言うと、なのはの足下に見覚えのない魔法陣が展開する。

【……っ?! プレシアさん、これは!?】

【安心なさい、転移用の魔法陣よ。その先であなたに目の前の魔女を倒すだけの力をプレゼントしてあげるわ】

 驚き戸惑うなのはに対し、プレシアは事も無げに告げる。プレシアの考えはなのはには読めない。しかしそれでも結果的にワルプルギスの夜を倒すのに繋がるのならそれでいい。そう思ったなのはは抗う事はせず、魔法陣によって転移されていった。



     ☆ ☆ ☆



 一方その頃、アースラに送られたゆまはすぐにフェイトの元へと向かった。ゆまの目から見たフェイトは、強い魔導師であると同時にとても繊細な心を持つ少女だ。普段は自分に魔法を教えてくれる心優しい師匠。だが母親に対する悩み苦しむ姿は、ゆまにとって羨ましくもあり、そして心苦しく感じられた。それはゆまにとって母親、もっと言えば両親と過ごした日々の記憶が辛いものだからに他ならない。

 記憶に残る両親の姿。それは毎日のように怒鳴り合い、何か気に食わないことがあればゆまに暴力を振るう姿であった。どんなに泣き叫ぼうとも二人が満足するまで暴行が止むことはなく、その度にゆまの身体には傷ができた。

 ただゆまにとって両親は決して憎むべき存在ではなかった。例え暴力を振るわれようとも、何度「役立たず」と言われようとも、ゆまにとって両親は掛け替えのない存在だった。

 今にして思えば、二人は魔女の口づけを受けていたのかもしれない。魔女の口づけは人を狂わす。そんな呪いを受けてもなお、必ず自分を取り戻し涙ながらに謝罪したゆまの両親は本当にゆまを愛していたのかもしれない。

 そんな両親も魔女に無惨に殺されもういない。二人がゆまのことを本当はどう思っていたのか、今のゆまには確かめる術はない。もちろんゆまは二人が自分を心から愛してくれていたと信じている。だからこそ、母親のことで悩むフェイトの力になってあげたかった。自分の母親にジュエルシードを集めることを命じられ、さらにはキュゥべえとの契約を強要されたフェイト。そういった命令が下される度に怒りを露わにするアルフ。フェイトの母親のことを知らないが故にはっきりとしたことはわからないが、それでもゆまはフェイトが愛されていると信じたかった。

 しかし実際に顔を合わせたプレシアの姿を見て、その考えが揺らぐ。ゆまがプレシアと顔を合わせたのは一度、織莉子に連れられて時の庭園に再び足を踏み入れた直後だけだ。その際に見たゆまを見つめるプレシアの瞳はひたすら冷酷だった。ゆまのことを塵芥を見つめるような瞳で睨みつける冷酷な女。それがゆまにとってのプレシアの印象だった。

 もちろんたった一度、少しの時間を共にしてわかることには限りがある。しかし彼女はフェイトのことをゆまに訪ねようとはしなかった。ゆまがフェイトやアルフと一緒に行動していたことはプレシアも知っているはずだというのに、彼女は一度として二人の名前を話題に出さなかった。もしかすればゆまがいないところで織莉子にフェイトのことを聞いたのかもしれない。そう考えればあの時、織莉子がフェイトへの伝言を頼んだのにも説明がつく。ゆまにはその言葉の意味がまるでわからないが、重要なのはその言葉をフェイトに伝えるということだ。

 さらに言えば、杏子からもフェイトのことを頼まれている。杏子の話では今のフェイトは酷く落ち込んでいるらしい。なればこそ、すぐに励ましてあげよう。ゆまはそう意気込んでフェイトのいる一室へと踏み込んだ。

「…………えっ?」

 だがそこでゆまが目撃したもの、それは地面に突っ伏したフェイトとその傍に佇んでいるキュゥべえの姿だった。

「やぁゆま、遅かったね」

 何事もなかったかのように声を掛けてくるキュゥべえ。しかしそんなキュゥべえの言葉はゆまの耳には入らなかった。

「フェイト!? しっかりして!!」

 ゆまは慌ててフェイトの元に駆け寄ると、その身体を抱き起こす。フェイトの身体はとても重く、そしてその身体から急速に熱が抜けていくのを感じる。そんなフェイトの身体を必死に揺らしながら、ゆまは声を掛け続ける。だが何度、声を掛けてもフェイトからの返事はない。

 そんなゆまの様子を見て、キュゥべえは感情のこもっていない声で、ただ一言こう告げた。



「ゆま、そんなことをしても無駄だよ。それは中身のないただの肉の塊なのだから」



 その声を聞いて、ゆまの動きは固まる。そしてまるで信じられないものを見るかのようにキュゥべえを見つめる。そんなゆまにキュゥべえは容赦なくこの場で起きたことを告げる。それは今のゆまにとってとても受け入れられないほどに、残酷で冷酷な真実だった。




2014/1/15 初投稿
2014/4/1 全体的に微修正&気付いた誤字修正



[33132] 第12話 これが私の望んだ結末だから その3
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2014/04/01 17:35
「わたしはアリシアになりたい。アリシア・テスタロッサとして母さんを手助けしたい」

 フェイトは自分の感情を偽ることができなかった。彼女が『フェイト・テスタロッサ』という存在である以上、プレシアから愛情を向けられることはあり得ない。何故なら『フェイト・テスタロッサ』は『アリシア・テスタロッサ』を模して創られ、失敗作の烙印を押されてしまった存在だ。そんな不完全なレプリカがオリジナルと同様に愛されるはずがない。

 しかしそれはあくまで自分が不完全な模造品だからである。ならば本物になればいい。奇跡の対価に戦いの日々が待ち受けることになるとしても、それでプレシアの愛を受け取ることができるのならば何の問題もない。むしろこれは失敗作であった『フェイト・テスタロッサ』が成功体になるために必要な過程なのだ。そう考えればキュゥべえと契約し、魔法少女になることに対して躊躇など生まれるはずもなかった。

「――キミの願いはエントロピーを凌駕した。誇るといい。これでキミはプレシアの娘だよ」

 そんなフェイトの純然たる願いがをキュゥべえによって叶えられる。ゆっくりと彼女の胸の内から金色の輝きと共に生まれるソウルジェム。それは紛れもなく、フェイトが魔法少女になった証だった。

 だが次の瞬間、フェイトのソウルジェムはその場から忽然と消え去る。フェイトとキュゥべえが見ている目の前で忽然と、まるで初めからそこに何もなかったかのように一瞬の間にその場から消失した。

 それに呼応するかのようにフェイトの意識も刈り取られる。まるで糸の切れた人形のように倒れ伏すフェイト。そんなフェイトをキュゥべえは一切、感情のない瞳で見つめる。

「まさかこんな結果になるとはね。キミといい、なのはといい、やはり魔導師というのは興味深い存在だね」

 だがその口から出た言葉は、感情のないキュゥべえにしてみれば極上の賛辞とも言えなくもないものだった。

 ――ゆまがこの場に現れたのは、この出来事からちょうど一分後のことであった。



     ☆ ☆ ☆



 なのはにとってみれば、プレシアという存在は謎の人物という一言に尽きる。わかっていることはフェイトの母親ということだけ。ジュエルシードを集めている理由はもちろん、その略歴や生い立ち、さらには見た目に至るまでなのはには知る由もなかった。

 そんな彼女が今、なのはの目の前に立っている。時の庭園の管制室で対峙した彼女の姿を見てなのはがまず思ったのは「フェイトに似ている」ということだった。

 顔立ちはもちろん、立ち振る舞いからデバイスの持ち方までどことなくフェイトと重なる部分がある。髪の色こそ違うが二人が親子であるということは、疑いようもなかった。

 それでもプレシアとフェイトでは決定的に違う部分が存在する。それは彼女の目だ。酷く冷たい眼差しでこちらの様子を伺うプレシア。殺気というには弱いが、それでもこちらが怪しい素振りを見せればすぐに攻撃を仕掛けるつもりであろうことは明白だ。例えフェイトがこちらに敵対したとしても、あのような目をすることはないだろう。それは実際にフェイトと敵対し、戦ったことのあるなのはだからこそ言えることだった。

「あなたがプレシアさん?」

 故になのはもこれ以上の距離を詰めようとはせず、デバイスを構えたまま話しかける。これから協力しようという相手だというのに、二人の間には奇妙な緊張感が漂っていた。

「そうよ、高町なのは。早速だけれど、本題に入らせてもらうわ。あなたにはアレを倒すこと算段があるのかしら?」

 そんななのはの態度にプレシアは一切、揺らぐことなく本題を切り出しながら、スクリーンを示す。そこには現在のワルプルギスの夜と傀儡兵との戦闘の様子が克明に映されていた。影魔法少女に一機、また一機と撃墜されていく傀儡兵。数ではまだ優位であるが、一体一体のスペックが違い過ぎる以上、この先の結果は火を見るより明らかだった。

「わたし一人の力じゃ無理です。でもプレシアさんが協力してくれるならあるいは……」

 そう言ってなのはは自分の魔法について明かす。大気中に漂う魔力を収束させて放つ砲撃魔法、ルシフェリオンブレイカー。なのはの持ち得る手札の中では、おそらくこれ以外にワルプルギスの夜を倒すことができないであろう魔法のことをプレシアに説明する。

「確かにその魔法ならば、あの魔女を葬り去ることができるかもしれないわね。……でも確実じゃない」

「そうです。まだ大気中に漂う魔力が足りない。それを収束させる時間も必要ですけど、それ以前に今の魔力量じゃあの魔女を倒すには至らない」

 ルシフェリオンブレイカーはあくまで大気中に漂う魔力を集めて放つものだ。ワルプルギスの夜に内包する魔力を吸収するようなものではない。彼の魔女がどれほどの力を持っているか解らないが、それでも膨大な力をもっていることだけはわかる。そんなワルプルギスの夜を倒すには、現時点で戦場に漂っている魔力をかき集めたところで不可能だろう。

「……ならこれを使えばどうかしら?」

 だがそんな不可能を可能にするためのアイテムをプレシアは示す。それは高密度の魔力が圧縮されてできた結晶体だった。その途方もない魔力はなのはの全魔力をかき集めたところで到底届かない。下手をすればワルプルギスの夜に匹敵するほどのものだ。そしてなのはにはその魔力に覚えがあった。

「これってもしかして……?」

「そう、ジュエルシードから抽出した魔力よ。あなたの言う収束魔法。それにこれだけの魔力を乗せればあの魔女を倒すことができるのではなくて」

 プレシアの言葉になのはは息を飲む。なのはの前にある魔力結晶。それは少なくともジュエルシードが暴走した時に発生した魔力よりも遙かに多く感じられた。これだけの魔力があれば、確かにワルプルギスの夜を倒すことができるかもしれない。

 だからこそ解せない。ちょっとしたきっかけで暴走し、思念体を生み出す危険なロストロギア。それがなのはの知るジュエルシードである。そんなジュエルシードから魔力だけを抽出することなど果たして可能なのだろうか。こうして現物がある以上、不可能ということはないのだろうが、それでも普通の方法ではとても不可能だろう。

 それだけではない。そもそもこれほどの高エネルギーを手に入れてプレシアは何をしようとしていたのか。フェイトがジュエルシードを集めていた理由にプレシアが関わっていることは間違いない。だがこんな巨大なエネルギー、一個人が扱うには過ぎたものだ。それをプレシアは手に入れ、そして今、こうして何の躊躇いもなくなのはに渡した。そのことがなのはに警鐘を訴えた。

「何をしているの? 今はのんびりしている時間はないはずよ。早くあの魔女を倒しにいきなさい」

 魔力を受け取ったなのはがいつまでもこの場を去ろうとする気配を見せないのに気づいたプレシアは苛立ちを隠そうともせずに告げる。そんなプレシアになのはは向き合い、疑問を口にする。

「プレシアさん、これだけは答えてください。あなたはどうしてわたしにこの魔力を渡そうと思ったんですか?」

 なのはにとって疑問はたくさんある。だがその中で一番、不思議に思ったのはプレシアが何の躊躇いもなくジュエルシードの魔力をなのはに与えたことだ。如何にワルプルギスの夜が驚異とはいえ、これはおかしい。何せプレシアは未だになのはのことを警戒し続けているのだ。如何にワルプルギスの夜が厄介極まりない存在とはいえ、果たしてそんな相手に強大な魔力を授けるだろうか。

 答えは否である。もし逆の立場だとすれば、なのははプレシアにこの魔力を渡さない。仮にこの魔力を使ってワルプルギスの夜を打倒しようとするにしても、まずは自分で使うはずだ。如何にルシフェリオンブレイカーが有用だと感じられる魔法とはいえ、信頼のない相手に貴重な魔力を預けるということなど考えにくい。

「…………そんなこと聞かなくてもわかるでしょう。あなたの言ったルシフェリオンブレイカーという魔法があの魔女に有効だと感じたからよ」

「――いえ、例えプレシアさんがそう感じたとしても、それだけでわたしに、心の底から信用できない相手にこれだけの魔力を預ける理由にはなりません。……これはわたしの想像ですけど、すでにプレシアさんは目的を果たしてるんじゃないですか。これほどの魔力を使ってプレシアさんが何をしようとしたのかはわたしにはわかりません。でもプレシアさんはすでにこの魔力を使って何かを成した。だからもうこの魔力は不要であり、故にわたしに何の躊躇いもなく渡すことができた。……違いますか?」

「……三十点といったところね」

 プレシアがそう告げた瞬間、時の庭園が大きく揺れる。おそらくワルプルギスの夜、あるいは影魔法少女が大技を放ったのだろう。

「もうあまり時間が残されていない。だから一つだけあなたの疑問に答えてあげる。確かに私はその魔力を用いて目的の一つを叶えた。でも完全ではない。そしてその目的を完遂するためにはあの魔女が目障りなの。だから躊躇わず、全てを使い切る覚悟で使いなさい。むしろ下手に遠慮して、あの魔女を倒しきれなかったなんて事態になれば、それこそ意味がない。それはあなたにとっても同じでしょう?」

 そこまで言うと、プレシアは有無を言わさぬ勢いでなのはの足下に魔法陣を展開する。それは彼女をここに連れてくる時に使った転移魔法だった。

「…………わかりました。でもプレシアさん、これだけは約束してください。この戦いが終わったら、わたしの疑問に全て答えるって」

「えぇ、約束するわ。私としてもあなたには色々と話を聞かせてもらいたいからね」

 プレシアのそんな言葉を受けながらなのはは転移する。プレシアの思惑はわからないことが多い。だが今はそれをおいておこう。何せこれから倒す魔女は余計なことを考えながら戦えるような相手ではないのだから。



     ☆ ☆ ☆



 プレシアからしてみれば、それは苦渋の決断だったと言えるだろう。なのはに渡した魔力結晶。それはアルハザードへの道を開くために用意したジュエルシード十九個分の魔力、その余ったもので創られたものだ。結果としてその魔力を全て消費することなくアルハザードに到達することはできたが、それでも残った魔力は最初に抽出した時と比べてもごく僅か。多めに見積もったとしてもジュエルシード二、三個分ほどしか残されていないだろう。

 もちろん平時ならば、それだけで極上の魔力と言える。だがプレシアが行おうとしているのは、娘を蘇生させるという奇跡である。アルハザードの技術が如何に万能とはいえど、全くの対価なく死者蘇生などという奇跡を行うことは不可能だろう。だからプレシアはこの魔力はその時のために取っておくつもりだった。



 だがプレシアにはわかってしまった。突如として時の庭園に現れた魔女の狙いがこの魔力だということに――。



 そもそもこの世界には魔力がほとんど存在していない。空が割れ、大地が闇に飲み込まれてしまった終末の世界。おそらくはまともな生物は全て死に絶え、残っているものといえば世界を構成する要素の残りカスだけ。そのことは先ほど少し調べただけで十二分に理解できた。

 それでも僅かばかりの文明の痕跡でも見つけることができれば、それを元にアリシアの蘇生術を見出すことができる。プレシアはそう考えていた。

 しかしそのためにはあの魔女が邪魔になる。ジュエルシードの魔力を狙い、時の庭園に組み付いている超弩級の魔女。今後の憂いを絶つという意味でも、確実にあの魔女は葬り去らなければならなかった。

 故にプレシアはその札を切った。アリシアを蘇らせるために莫大な魔力が必要である可能性は高く、その魔力をこの世界で見つけるのは文明の名残を見つけるよりも困難だろう。それにも関わらず、彼女はアリシア蘇生のために必要であろう素材の一つを自ら手放さなければならない。それは苦渋の決断以外の何者でもないだろう。

 果たしてこの選択が正しかったのか今の彼女にはわからない。しかしそれでもプレシアは賭けるしかなかった。ジュエルシードの魔力を使って高町なのはが、本来ならばこの世界にいないはずの彼女がワルプルギスの夜を倒すことを。

 そもそもあの魔女にしても、なのはにしても何故、この世界にいるのか疑問である。ここはアルハザード、次元の壁を突き破った先の世界だ。プレシアはここに至るためにジュエルシードの莫大な魔力を用いた。それならばなのはは一体、どのような手段でこの世界に至ったというのだ。

 なのははプレシアに疑問をぶつけてきたが、本当ならば話を聞きたいのはプレシアの方なのだ。あの巨大な魔女に、この世界にいるはずのない魔法少女。苦労の末にアルハザードに至ったはずなのに何故、彼女たちがこの世界にいるのか。

 ……どちらにしてもなのはがワルプルギスの夜を倒さないことには話は始まらない。ワルプルギスの夜が求めていた魔力がなのはに渡った以上、その注意はなのはに向かうことになるだろう。その苛烈な攻撃の中で魔力を収束させ、放つまでの時間をプレシアは稼ぐ必要がある。そのためにプレシアは時の庭園に残された傀儡兵をすべて稼働させる。例え撃破されることが目に見えているとしても、今はなのはにルシフェリオンブレイカーを放つだけの時間を稼がなければならない。

 そのためにプレシアは傀儡兵を自動操縦から手動操縦に切り替えようとする。だがそうする前に時の庭園に非常警報が鳴り響き、プレシアは一時作業を中断する。そして焦ったように管制室を後にする。そうして向かったのはアリシアの肉体がある彼女の研究室。そこに辿り着いたプレシアは思いもよらない光景を目撃することになる。



     ☆ ☆ ☆



 フェイトが意識を失ったのとほぼ同時刻、水溶液に浸されたアリシアの肉体が保管されたカプセルの中に一つの宝石が現れる。それは先ほど、フェイトの目の前から消失したソウルジェムであった。金色に輝くそのソウルジェムは、まるで意志を持っているかのようにアリシアに徐々に近づき、その唇に接触する。するとソウルジェムの色が徐々に輝かしい金色から澄み渡る空色へと変化していった。

 それと同時に先ほどまで微動だにしなかったアリシアの肉体に変化が訪れる。僅かに揺れる指先。そしてゆっくりと開かれる瞼。瞼の奥から覗かせる焦点の合っていない瞳。だがこの瞬間、紛れもなくアリシアは十数年ぶりに目を覚ました。

(…………ここは?)

 ぼやけた頭でアリシアは目の前の光景を眺める。どこかの研究室のような一室。その中で水溶液に浸されている自分。その現実を自覚した時、彼女は思わず口を開ける。直後、大量の水溶液が口の中に入ってくる。それなのにも関わらず、不快感は感じれど苦しさは感じなかった。

 だがそれでもパニックにならずにはいられない。言いしれぬ不安に駆られ、カプセルの中で暴れまわる。何とか脱出しようとガラスに拳を叩きつける。しかしガラスはビクともしない。アリシアは何か使えるものがないかを探り、そして見つけてしまう。カプセルの中で自分と一緒に漂うソウルジェムを……。

 アリシアは最初、それをガラスに叩きつけて脱出をしようと考えた。だがそうしてソウルジェムを手にした瞬間、彼女の脳裏に見覚えのない幾多の記憶が流れ込んでくる。それは自分と同じ姿の少女が戦う姿。数多の戦闘を経験し、その果てに自分の出生を知り、挙げ句の果てにキュゥべえと契約し魔法少女となったフェイトの記憶。

 しかしそれらの記憶はアリシアの脳裏にしっかりとした形で残ることはなかった。あまりにも一瞬の出来事。まるで夢物語を見たかのようにアリシアは戸惑う。だが少なくともこれは夢ではないということをアリシアは本能的に自覚した。

「えーっと、『フォトンランサー』」

 故に彼女はソウルジェムを手にしながら、その魔法を口にする。彼女にしてみれば生まれて初めて口にする魔法の名前。だがそれだけでアリシアの持つソウルジェムは答えた。彼女の手から水色の雷の槍が生み出され、それはそのままアリシアを閉じこめていたカプセルのガラスを貫き破る。

 それは指先程度の小さな穴。そこから少しずつ水溶液が漏れ出しながら、カプセルに罅が広がっていく。アリシアはそんな罅に向かって拳を大きく振り上げて殴りかかる。その際、ガラスの破片がアリシアの拳を傷つけたが、それが決定打となりカプセルは大きな音を開けて砕け散った。

 水溶液と共に投げ出されるようにカプセルの外に出たアリシア。それと同時に辺りには劈くような警報音が鳴り響く。その音はアリシアの危機感を刺激するには十分だった。とっさにその場から逃げ出すように走り出すアリシア。

 ……そんな風にアリシアは焦っているがあまり気づかなかった。ガラスを殴りつけた時に切りつけた右の拳の傷がすでに治っていること。そして僅かに彼女の手の中にあるソウルジェムが黒く濁り始めていることに――。



     ☆ ☆ ☆



 時の庭園の外に放り出されたなのはを待ち受けていたのは、影魔法少女からの一斉攻撃だった。彼女が現れた場所は、決して戦場のど真ん中であったわけではない。戦闘区域の端、少なくとも体勢を立て直しができるような位置取りだったのは間違いないだろう。

 それでも影魔法少女が傀儡兵を無視してまでなのはに襲いかかってきたのは、プレシアの読み通り、ワルプルギスの夜の狙いがジュエルシードから抽出した高密度の魔力結晶であるからに他ならない。

 今はなのはの両手に握られているそれを奪うために、影魔法少女が全力で攻撃を仕掛けてくる。なのははそれを巧みにかわしながら思考を巡らす。この苛烈な攻撃の中で魔力を収束させるのはほぼ不可能だ。当初の予定ではプレシアの操る傀儡兵に注意を引きつけてもらっている間に一気にルシフェリオンブレイカーで殲滅することを考えていたが、影魔法少女が傀儡兵に見向きもしなくなった以上、それはできない。

 かといってジュエルシードの魔力を手放すことはできない。すでに集まった高密度の魔力を霧散させ、再チャージするには時間がかかる。できることならばこの魔力結晶はこのままの形で使いたかった。

 そう思ったなのははルシフェリオンを呼び出し、その中にジュエルシードの魔力を収納する。それは彼女がキュゥべえと契約する前、封印したジュエルシードをレイジングハートにしまうのと同じような感覚でである。

 ――しかしそれが間違いだった。レイジングハートがジュエルシードを収納できたのは、それが封印されていたからに過ぎない。もし封印されていないジュエルシードを放り込もうとすれば、それはレイジングハートと反発しすぐさま暴走を引き起こしてしまっただろう。

 そして今、なのはが用いているデバイスはレイジングハートではなくルシフェリオンである。それはレイジングハートを模して作られたなのはの魔法少女としての武器だ。だがそれはあくまでレイジングハートを模したもの。レイジングハートはもちろん、デバイスの仕組みに詳しくないなのはが自らの魔力だけで練り上げた簡易的な魔法補助の武具。それがルシフェリオンなのだ。

 確かにルシフェリオンはレイジングハート以上になのはの魔力を行使するのに長けてはいる。だがルシフェリオンが優れているのはあくまでその一側面のみ。レイジングハートと違って自分の意志を持たず、またなのはの不得意な魔法を補助するということはルシフェリオンにはできない。言うなればルシフェリオンはなのはの長所を伸ばすことができるだけなのだ。

 そもそもルシフェリオンブレイカーの魔力チャージ時に感じる不快感。それこそがルシフェリオンとなのはのソウルジェムが密接に繋がっていることを意味する。なのはが練り上げた魔力を最適な形で射出するのがルシフェリオンの役割であるが、あくまで魔力を練り上げる肯定が行われるのはなのはのソウルジェムの中でなのだ。つまりチャージした魔力は少なからず、一度なのはのソウルジェムに入り込むことになる。ソウルジェムは言わば魂そのもの。そこに魔女の持つ負のエネルギーが入り込んでしまうが故にあの不快感は発生するのだ。

 そして今、なのはがルシフェリオンを通じて仕舞おうとしたジュエルシードの魔力結晶。その行方もまたなのはのソウルジェムの内であった。魔女のものとは違い負のエネルギーを帯びていない純粋な魔力の塊。だがその魔力の質・量ともになのはのソウルジェムには巨大過ぎた。

 魔力結晶を仕舞った瞬間、胸を貫くような激痛がなのはの全身に襲いかかる。それは魔法を行使する集中力を維持できないほどの激痛だった。影魔法少女の執拗な追撃をトンでかわしていたなのはは、その激痛に耐えきれずそのまま墜落していく。だが影魔法少女、延いてはワルプルギスの夜はそれを見逃さない。一斉になのはの身体を取り囲むように集まる影魔法少女。そしてそのままなのはに覆い被さるように群がっていく。

 結果、その場にはなのはを中心とした黒い球体が出来上がる。それでもなお、影魔法少女はなのはに吸いつくのを止めない。最早、中心にいるであろうなのはに手が届かないのは明白なのに、一体、また一体とその球体にくっついていく。

 その中心にいるなのはの肉体は少しずつ解体されていた。まるで解け込むように肌にへばりつく影魔法少女。そこからなのはの魔力が吸い上げられているのを感じる。それがなのはにはどこか心地よく感じられた。無論、その状況が不味いということはわかっている。しかし彼女の肉体は全身に廻っている痛みによって麻痺し、指先一つまともに動かすことができなくなっていた。

 そんな肉体の状態とは裏腹に、彼女の意識はハッキリとしていた。自分が影魔法少女に取り囲まれ、魔力を吸われている。その事実を冷静かつ客観的に認識していたのだ。

 初め、なのははあの魔力にプレシアが何らかの細工をしたのではないかと考えた。だがすぐにその考えを否定する。それはこんなことをしたところで、プレシアに何の利もないからだ。ワルプルギスの夜を倒したいのはプレシアも同じのはず。それなのになのはの不利を誘発する細工をするなど考えにくい。ならばこれは初めからワルプルギスの夜の狙いがジュエルシードの魔力だったと考えた方が利口だろう。そうなれば海鳴市海上で突如としてワルプルギスの夜が進路を変えた理由にも説明がつく。

 ワルプルギスの夜は極上の餌を求めていたのだ。通常、魔女は人の絶望を喰らう。しかし海鳴市に置いて、魔女は魔女同士で喰らいあっていた。確かに人間の行方不明者も多かったが、それはあくまで海鳴市にいる魔女の数が異常とも言うべきほどに多かったからである。海鳴市に置いて魔女は人間を結界に招き入れるような真似をしたのではなく、その数が多いが故に偶然入りこんでしまう人が多かっただけなのだ。

 ワルプルギスの夜が海鳴市にやってこようとしていたのは、そこで互いに喰い合い、力を身に付けた魔女を喰らうためなのだろう。普通の人間、普通の魔女を喰らうよりもそれは栄養価の高い餌だ。それを嗅ぎ取ったが故にワルプルギスの夜は海鳴市を目指し、そしてそれ以上に極上の餌だと感じたが故にその矛先をジュエルシードの魔力結晶のある時の庭園に向けたのだ。

 だからこそなのはにはわかる。今、自分はワルプルギスの夜に喰われている。こうして意識がある以上、まだソウルジェムは砕けていないのだろうが、それでも肉体の方は最早、まともに残っていないのかもしれない。さらに言えば少しずつ確実に彼女の魔力はワルプルギスの夜に吸われている実感があった。今はまだ、魔力結晶に蓄えられた魔力があるから問題ないが、それが尽きればそのままなのは自身の魔力も吸い尽くされてしまうだろう。

 そしてそうなった後にワルプルギスの夜が向かうのは海鳴市であることは間違いない。元々、ワルプルギスの夜が狙っていたのはそこにいる魔女なのだ。如何に海鳴市にいる魔女が互いに喰い合い強大な力を手に入れたとしても、ワルプルギスの夜には敵わないだろう。だが問題なのは、その戦いにおける海鳴市の被害だ。ワルプルギスの夜は結界を持たない。それはつまり現実世界に直接、被害が出るということだ。

 そんなこと、なのはに許せるわけがない。あの町にはなのはの大切な家族がいる。なのはのことを心から心配し、だからこそ決別することになった親友がいる。そして何より、海鳴市を守ろうとして最期まで命がけで戦ったもう一人の親友の想いを踏み躙るわけにはいかない。

 例えここで死んでも構わない。そのことで悲しむ人がいるのはわかっている。でもなのは一人の命で皆を、なのはの大切な思い出に満ち溢れた海鳴市を守ることができるのなら、それで構わない。

 だからなのはは持てる全ての魔力を注ぎ肉体を再構築する。原型を留めていない今の肉体を捨て、新たな肉体を魔力によって生み出そうとする。それはとても魂と肉体の繋がりを断ち切ることのできない人間には真似できないこと。魔法少女の行く末と真実を知っているが故にできることだ。

 むしろこの時、なのはは魔女になっても良いとさえ考えていた。魔法少女である以上、引き出せる力には限界がある。だが魔女になればどうだろう。確かになのはという個人の意識は存在しなくなるかもしれない。だがそれを代償にさらなる力を得ることができるはずだ。その力でワルプルギスの夜を倒せるのならそれに越したことはない。

 もちろんリスクがないわけではない。ワルプルギスの夜を倒すことのできる魔女、しかもそのおそらくはその力を喰らってしまうのだからより驚異的な存在になってしまうだろう。だがなのははこの場所のことを知らない。ここがどこでどのようにしてワルプルギスの夜はやってきたのか、なのはには想像もつかない。だがこの場合、それは非常に都合がいい。何せこの世界には何もないのだ。そんな世界で魔女になったところで、誰に迷惑を掛けるわけもない。唯一、懸念することがあるとすればプレシアの存在だが、彼女はフェイトの母親であるということ以上のことをなのはは知らない。だがどのような手段を用いたのかはわからないにしろ、彼女はこの場にいる以上、元の世界への帰り方も知っているはずだ。ならば何も問題はない。

 そう考え、なのはは自分の限界以上の力を引き出す。プレシアから託されたジュエルシードの魔力も取り込みながら、自身の肉体を再構築していく。――そうして再誕した新たななのはの肉体は、人間の器に収まるようなものではなかった。




2014/1/24 初投稿
2014/4/1 全体的に微修正&気付いた誤字修正



[33132] 第12話 これが私の望んだ結末だから その4
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2014/04/01 17:36
 アースラに戻ったリンディは時の庭園、延いてはプレシアの行方を追っていた。ジュエルシードの膨大な魔力エネルギーと共に忽然と消失した時の庭園。プレシアの言葉が確かならば、彼女はその力を使ってアルハザードに向かったということになる。しかしリンディはその言葉を全く信じてはいなかった。

 確かにプレシアの集めたジュエルシード十九個分の魔力ならば次元の壁を貫き、その先にある管理局ですら干渉することのできない世界に到達することも可能だろう。しかしその世界がアルハザードであるとは言い切れない。そもそも彼女の向かった先は数多ある次元世界のさらに向こう側の世界なのだ。例え次元の壁を超えることができたとしても、そこが果たして彼女の求めるアルハザードに都合よく繋がっているとは到底思えない。下手をすれば次元跳躍できたと思えただけで、どこか別の管理世界や管理外世界に行きついている可能性も十分にあった。

 だからこそ、リンディはアースラにある全ての機材、全ての人員を用いて、時の庭園が残した魔力の残滓を探る。少しでも手がかりが見つかれば、そこからプレシアの行方が掴めると信じて――。



「私はね、ジュエルシードの魔力を使ってワルプルギスの夜をおびき寄せるためにこの町にやってきたの」

 同じ頃、地上にいた杏子とアルフは、織莉子の口から衝撃的な事実を聞かされていた。思いがけない単語が織莉子の口から出てきたことで驚き戸惑う杏子。魔法少女なら誰でも知っているワルプルギスの夜の存在。絶対的な力を持つ超弩級の魔女。その名前を今、この場で聞くとは予想だにしていなかった。

「なぁ杏子、ワルプルギスの夜って一体なんだい?」

 その横でアルフは素直な疑問を杏子にぶつける。彼女は魔法少女ではなく、魔導師の使い魔。その名前を知らないのも無理のない話である。

「――ワルプルギスの夜っていうのは魔法少女に伝わる伝説の魔女の名前だ。その力は並みの魔女を遥かに上回り、身を守る結界を必要としない。だからワルプルギスの夜が通った場所は大災害が引き起こされると言われている。もちろんそんなワルプルギスの夜を倒そうと今まで何人もの魔法少女が戦いを挑んだらしいけど、誰一人として倒すことはできなかった。そんな圧倒的な力を持つ魔女のことだ」

「……そんな奴が本当にいるのかい?」

「あぁ。あたしたち魔法少女の間じゃあ知らねぇ奴がいないくらい有名な話だ。つってもワルプルギスの夜の存在は所謂、伝説の類の話だ。本当にいるかどうかは誰にもわかりゃしねぇ。なんたって戦った魔法少女は皆、そいつに敗れて散っていったなんて言われているぐらいなんだからな」

 だからこそ、杏子は訝しげな表情で織莉子を見降ろす。織莉子の言葉はワルプルギスの夜がいるという前提での言葉だ。それが杏子には解せなかった。ワルプルギスの夜と戦って生き残った魔法少女はいない。それが義憤に駆られて挑んだにせよ、それとも自分の住まう地域にワルプルギスの夜が偶然現れたにせよ、彼の魔女と相対して生き残れた魔法少女はいない。故に本当にワルプルギスの夜が存在しているのか疑う魔法少女までいるくらいだ。それなのにも関わらずハッキリとワルプルギスの夜の存在を肯定する織莉子の言葉はどこか不気味に思えた。

「杏子さん、貴女の疑問は尤もな話よ。でもね、私の魔法を考えればその答えは簡単に得られるんじゃないかしら?」

「――ッ!? 未来視か?!」

「その通りよ。私の魔法は未来を視ること。色々と制限はあるけれど、それでも本来ならば知り得ることのできない知識を得ることもできる。望む望まないに関わらずね。……だからこそ、私には視えたのよ。ある一人の少女を巡る運命の因果をね」

 脳裏に思い浮かぶ破滅の未来。人々が死に絶え、その次に大地、そして世界そのものが終焉していく。そんな未来。未来視という形で織莉子は何度となくそのような未来の姿を視てきた。だが破滅をもたらす存在は違えど、そこには必ずある一人の少女が関わっていることに織莉子は気付いていた。



「――本来ならワルプルギスの夜は海鳴市ではなく見滝原に現れるはずだった。そしてそこで一人の少女がキュゥべえと契約し、魔法少女になるはずだったの」



 織莉子の口から出てきた見滝原という言葉を聞き、驚きの表情を浮かべる杏子とアルフ。二人は共に見滝原のことは知っている。杏子はかつて自分が師事した魔法少女が住まう町として。アルフは偶然立ち寄ることになり、魔法少女と魔女の存在を知るきっかけとなった町として。

 だがそんな二人の様子は気にせず、織莉子は語り続ける。

「彼女はどこにでもいる普通の少女だった。父親と母親、そして生まれたばかりの弟とどこにでもあるごく普通の幸せな家庭に住まう優しい女の子だった。そんな彼女だけど人と違う点が一点だけあった。それは魔法少女としての素養。彼女の持つ素養はキュゥべえとただ契約するだけで、全ての魔法少女をも超えるほどに膨大なものだった。そんな彼女の存在にキュゥべえが気付かないはずがない。だからキュゥべえは彼女を魔法少女にしようと勧誘したの。だけど少女には魔法少女になる理由がなかった。何故なら彼女は現状の暮らしに満足していたから。もちろん時に悩み、時に悲しむこともあったけれど、それでも奇跡を祈るほどの願いを有していなかった。また彼女のことを大切に思っている魔法少女が、彼女がキュゥべえと契約しないように手を回していたのも大きかったのでしょうね。だから彼女は魔法少女になることなく、人として幸せに暮らしていけるはずだった。……だけどもしそこにワルプルギスの夜が現れて、彼女の親友とも言うべき少女が命の危険に晒されたらどうかしら?」

「そりゃキュゥべえと契約し、魔法少女になるんじゃないのかい?」

 織莉子の言葉にアルフがそう返す。

「えぇ。アルフさんの言う通り心優しい彼女ならば迷わずに魔法少女になるでしょうね。その先にどんな運命が待ち受けているのだとしても、彼女は親友を助ける道を選ぶでしょう。――そうして魔法少女になった彼女の力はキュゥべえの想像をも超えるほどの力だった。ただ一撃の元にワルプルギスの夜を倒し、彼女は親友を、大切な家族をワルプルギスの夜の魔の手から救った。……けれどその代償は大きかった」

 織莉子はそう言って言葉を区切る。織莉子の言葉の真意をアルフは未だに図り兼ねていた。話を聞く限り、厄介なのはワルプルギスの夜という魔女のみでそれ以外、後の憂いは何もないはずだ。――だがそれは魔法少女の契約システムの真実を知らないものの陥る思考である。もし魔法少女が最終的にどのような末路を辿るのかを知っていれば、その先に待ち受ける未来は容易に想像がついただろう。

「途方もない希望の祈りは、果てしなく深い絶望を生む。最強の魔法少女となった彼女はワルプルギスの夜を倒した代償として最悪の魔女となった。そして彼女の愛した親友と家族、そしてこの世界を滅ぼした。……これが私の視た未来の一つの結末よ」

「……ちょっと待ってくれ、織莉子。今、なんつった?」

「そう言えばアルフさんは知らなかったわね。魔法少女というのはね、いずれ魔女になる少女たちのことを言うの」 

「はっ?」

 キュゥべえに願いを叶えてもらう代償として魔女と戦う宿命を与えられる魔法少女。そんな彼女たちがいずれは自らが倒してきた魔女になるというのは、笑えない冗談にもほどがある。

「信じられないのも無理もないわ。私もこの真実を視った時、大きく取り戻したもの。……尤も杏子さんはそこまで驚いてないようだけれど――もしかしてすでに知っていたのかしら?」

「…………薄々そうなんじゃないかとは思っていたよ。もちろんそうじゃなきゃいいとは思ってたけどな」

 杏子は苦々しくそう答える。杏子とて、初めからその可能性を考えたわけではない。杏子は様々な町を渡り歩き、その中で数多の魔法少女と出会い、幾重もの魔女を狩ってきた。その中で不意に疑問に思ったのだ。何故、ソウルジェムの穢れを魔女の卵ともいうべきグリーフシードで浄化できるのかと――。魔法を使えば使うほど溜まっていくソウルジェムの穢れ。その色がグリーフシードの穢れた輝きと似ていると気付いた時、杏子はその考えに至ったのだ。

「確証があったわけでも、誰かに聞かされたわけでもねぇ。ただキュゥべえが何かを隠しているのは明らかだったからな。――今ならよくわかるぜ。あいつと契約して魔法少女になるってことは、それ以外の全てを諦めるってことなんだってな」

 杏子が頑なにゆまに「魔法少女になるな」と言い続けた理由もそこにある。魔法少女の行く末が魔女ならば、自分はもう手遅れだ。仮に魔女にならないとしても一生、魔女と戦い続けなければならないというのはそれだけで未来の自由を奪われたことを意味する。だがゆまは別である。確かに彼女は魔女によってその人生を歪められた。魔女の結界から助け出し、そのまま一緒に旅をするようになったのも成り行きのようなものだが、それでも彼女の未来は未だに輝かしい者だ。そんな未来をキュゥべえになんかに穢されることを良しとしなかった。

「何にしても魔法少女はいずれ魔女になる。もちろんソウルジェムが穢れきってしまう前にグリーフシードを使って穢れを落とすことができれば別だけれど、この真実を知った魔法少女の多くは自分の行く末に耐えられず、自ら穢れを溜め込むようになる。本当によくできたシステムだわ」



「――織莉子、キミにそう言ってもらえるなんて光栄だよ」



 織莉子がそう告げたところで、どこからともなく現れるキュゥべえ。その姿を見た瞬間、アルフは全身の毛を逆立てて威嚇し、杏子もまた織莉子を取り押さえていた手を離し、槍の切っ先をキュゥべえに突きつける。

「てめぇ、何しに来やがった!!」

「やれやれ、どうやら歓迎されてないみたいだね。でもボクの話を聞いてもなお、その態度を続けていられるかな」

 今にも殺されそうな状況であるにも関わらず、キュゥべえは余裕の態度を崩さない。そんなキュゥべえの姿に三人は訝しむ。

「御託はいいわ。用件を話しなさい」

 織莉子は立ち上がり、服についた土埃を払いながらキュゥべえに問いかける。

「それじゃあお言葉に甘えて。……織莉子、海鳴市にいる魔女なんだけどね、どうやらもうほとんど残っていないみたいだよ。ボクが確認する限り、残りの魔女はおそらく一体だけだ」

「なっ……!? そんなはずないだろ?! あんなに馬鹿みたいにいた魔女がもう一体しか残ってないなんて!!?」

「驚くのも無理はない。でも決して舐めてかかっちゃいけないよ。その一体というのは、大多数の魔女がなのはに駆逐されたことで、そのなのはに対抗するために一体に融合した魔女なんだから。流石にワルプルギスの夜ほどの力を持つとは言わないけれど、それでももう結界を必要としないくらいには力をつけているみたいだ。気を付けた方がいい」

 魔女が結界の外に出てくるという話を聞き、驚く杏子とアルフ。先ほどの織莉子の話によれば、魔女が結界の外に出るのは結界で自らの身を危険に晒しても良いほどの強い力を持つ者のみ。そう考えれば二人の驚きも当然だろう。

「……なのはさんはどうしたの? 彼女は海鳴市に魔女がいることを許容しないはずよ。それが結界から自ら出てくるとなれば尚更でしょう?」

 だがその一方で織莉子は疑問に思っていた。例えどれほどの魔女が誕生しようとも、この町にはなのはがいる。多少の魔女が喰い合い融合したところで、今のなのはには敵ではないだろう。そのことはキュゥべえもわかっているはずだ。

「そのなのはなんだけどね、どうやらワルプルギスの夜を追って行ってしまったみたいなんだ。だから今、この町を守れるのはキミたちしかいないんだよ」

「……そう、やはりなのはさんは行ってしまったのね」

 しれっと告げられたキュゥべえの言葉に織莉子はそう返す。それは十分に考えられる事態ではあったが、それでも避けて欲しい展開であった。すずかの意思を継ぐことを願ったなのは。そしてすずかの意思とは、例えその身を犠牲にすることになっても人々の平和を護ることであった。そんななのはがワルプルギスの夜のような強大な存在を目の前にして見逃すなどあり得ない。一応、この事態も見越してなのはに釘を刺してはいたが、どうやらさしたる意味はなかったようだ。

「ちょっと待て。なのはがワルプルギスの夜を追っていったってどういうことだ!?」

 そんな織莉子の横で声を荒げながらキュゥべえに掴みかかる杏子。

「キミたちがプレシアに気を取られていた頃なんだけどね、海鳴市海上にワルプルギスの夜が現れたんだ。それに気付いたなのはが迎撃に向かったんだけど、そのままワルプルギスの夜と共にどこかに忽然と消えてしまったんだ」

「……あの馬鹿、一人でなんて無茶をしやがるんだ」

 キュゥべえの話を聞いて、杏子はそう一人ごちる。魔法少女となったなのはは確かに強くなった。だがワルプルギスの夜は仮にも伝説に名を連ねる魔女である。伝説と呼ばれる以上、それ相応の力を兼ね備えているのは間違いないだろう。いくらなのはが魔法少女と魔導師のハイブリットとはいえ、たった一人で相手取るには聊か厳しい存在だろう。

「キュゥべえ、本当になのはさんの行方はわからないの?」

「そうだね。ボクが知っているのはワルプルギスの夜が空間に穴を開け、そこに入っていったところまでだ。今ではその次元の穴も閉じてしまっているし、その先がどこに繋がっているのかはボクには見当もつかないよ」

「……そう」

 キュゥべえの言葉に織莉子は納得したようにそう告げる。織莉子にはなのは、そしてワルプルギスの夜が向かった先がどこなのか見当がついていた。しかしそれは今、この場で口にしても詮無きことである。むしろ重要なのは、海鳴市に残っている最後の魔女を相手にするということだろう。

「何にしても今の海鳴市に残された戦力はキミたちと管理局の魔導師ぐらいだ。すずかが死に、フェイトとなのはの行方がわからない以上、この町を守ることができるのはキミたちしかいない」

「ちょっと待て。フェイトの行方がわからないってどういうことだ!?」

「言葉通りの意味だよ。キミがアースラから時の庭園に向かった後に、フェイトはボクが止める間もなくどこかへと転移していったんだ。これはボクの想像でしかないけど、おそらくプレシアの元に向かったんじゃないかな」

「そ、そんな……。だってプレシアは今、行方がわからないって……」

 その言葉を聞いてアルフは力なく膝をつく。フェイトと離れ離れになってしまったということはもちろんだが、それ以上にすぐにフェイトの元に駆けつけることができない状況ということにアルフは危機感を与えた。プレシアが向かったのはアルハザード世界。プレシアがジュエルシードの魔力ほぼ全てを集めなければ向かうことのできなかった世界。そんな場所にフェイトがいる。それもおそらくはプレシアと向き合うために。フェイトの使い魔としてその手助けができないことにアルフは茫然自失となっていた。

「……アルフさん、フェイトさんはきっと大丈夫よ。だって彼女は強い娘だもの」

 そんなアルフを織莉子は慰める。だが同時にキュゥべえの言葉に微かな違和感を覚えていた。キュゥべえは尋ねられたことに嘘はつかない。しかし尋ねられなければ、自分から話さないこともある。そしてこの場合、キュゥべえが告げなかった真実は、アルフを絶望のどん底にまで突き落とすには十分なものだと、織莉子は本能的に理解していた。それ故に彼女は敢えて藪蛇を突かず、自分の考えを口にすることはなかった。

「そう、だね」

 織莉子の言葉に力なく答えるアルフ。そんなアルフの姿を見て、織莉子は杏子に念話を飛ばす。

【杏子さん、アルフさんのことを任せてもいいかしら?】

【それはかまわねぇけど、てめぇはどうするつもりだ?】

【私はキュゥべえの言う海鳴市最後の魔女を倒しに行くつもりよ】

【馬鹿言ってんじゃねぇよ。相手は普通の魔女じゃねぇんだぞ。てめぇ一人で倒せるわけ……】

【確かにそうかもしれない。でも今のアルフさんを連れていくわけにはいかないし、それに杏子さん、貴女だって戦える身体ではないでしょう?】

 織莉子の指摘に杏子は口を閉ざす。彼女の言う通り、今の杏子は立っているだけでもやっとの状態だった。なのはのルシフェリオンブレイカーをその身に受けた時の傷は決して完治したわけではない。本来であるならば未だベッドで安静すべき身体を、ゆまを助けるために無理に動かしているに過ぎない。そのことに織莉子は気付いていた。

【貴女の目的はゆまさんを助けること。それは叶ったはずでしょう。ならばあとは私に任せなさい】

【そんなことを言って、てめぇ逃げる気だろ?】

【……否定はしないわ。今、ここで私は管理局に捕まるわけにはいかないもの。だから私はこのチャンスを利用して海鳴市から去るわ。それを邪魔するというのなら不本意だけれど、貴女を倒してこの場から離脱せざるを得なくなる。それは私としても本意ではないわ。だから杏子さん、ここは黙って見送ってくれないかしら?】

 その言葉に杏子は黙る。真っ直ぐ睨みつけるような表情で織莉子を見つめながら、杏子は自分がどうすべきかを考える。織莉子の言うことは確かに筋が通っている。杏子は管理局の人間ではなく、ゆまもすでにプレシアの手から救出済み。織莉子に対し不信感はあるものの、今の自分の身体とアルフの精神状態を考えれば、例え二対一だとしても織莉子を取り逃してしまうのは違いないだろう。かといってリンディに応援を頼むこともできない。リンディたちとしては織莉子から聞きたいことは山ほどあるのだろうが、優先すべきはあくまでプレシア。プレシアの行方がわからない現状で織莉子の方にまで手が回るとは到底思えない。だからこそリンディはこの場を杏子とアルフに任せてアースラに戻っていったと言えるだろう。

「……おい、アルフ。いつまでそうやって落ち込んでいるつもりだ?」

 だがそれ故に杏子はアルフを叱咤する。胸倉を掴み、無理やりアルフをその場に立たせる。

「で、でもさ、杏子。フェイトが、フェイトが……」

「だぁーッ!! フェイトの事を心配する気持ちはわかるが、そうしてウジウジしたところで何も変わりはしねぇだろ。どうせそうしてるぐらいなら、せめてこの町でも守って気分を紛わせろ!!」

「あ、あぁ……、そうだね」

 杏子のあまりの剣幕に戸惑いながら答えるアルフ。その様子を織莉子は呆気に取られた様子で見つめていた。そんな織莉子に杏子は念話を飛ばし、自分の答えを告げる。

【悪ぃけど、まだてめぇには聞きたいことは山ほどあるんだ。だから逃がすわけにはいかねぇよ】

 そんな杏子の言葉に織莉子は一瞬、虚を突かれるも、すぐに笑みを浮かべる。それは彼女の思惑通りに行かなかったにしては、実に満足げな笑みだった。

「――えぇ、わかったわ。ならまずは魔女を倒しに行きましょうか。三人で」

 こうして三人は海鳴市を護るための最後の戦いに向けて動き出した。



     ☆ ☆ ☆



 研究室に辿り着き、眼前に広がる惨状を目撃したプレシアは目を血走らせ頭を抱えた。アリシアの肉体が保管していたカプセルが無残にも砕け散っていた。プレシアはそんなカプセルに駆け寄る。足元には水溶液とガラス片が散らばっており、彼女の足を傷つけたがその痛みを感じないほどにプレシアは錯乱していた。

「アリシアは? 私のアリシアはどこにいるの?」

 それはこの場にアリシアの肉体が残されていなかったからだ。プレシアが今まで心血を注ぎ、再び愛するために蘇らそうとしていたアリシア。その姿がないとなれば、半狂乱にもなるだろう。

 しかし平静さを失いながらも、プレシアの行動は一貫して的確だった。視界の端に捉えたコンソールに向かった彼女は、そのまま監視カメラの映像を映し出す。時の庭園の至る所に仕掛けられた監視カメラ。それはこの研究室も例外ではない。プレシアはアリシアを映していた監視カメラの映像を巻き戻し、そこで何が起きたのかを確かめようとしたのだ。

 そうして映しだされた光景はプレシアにとって予想外のものだった。カプセルの中で突如として目覚めたアリシア。そのアリシアが魔法を放ち、カプセルを砕き、自らの足でどこかへ向かって歩き出す。それがこの場で起きた一部始終の映像だった。

「なんなの!? なんなのよ、これは?!」

 映像の中とはいえ、プレシアが愛して止まないアリシアが目覚め、どこかに歩いていく。それはとても喜ばしく、それでいて不可解な光景だった。この二十年、プレシアはアリシアのことだけを考えて生きてきた。アリシアを再び目覚めさせるために人生の全てを賭けて様々な研究を行ってきた。それでもアリシアを目覚めさせることができなかったからこそ、プレシアは未知の蘇生術が存在するであろうアルハザード世界に至る道を選んだのだ。

 だが映像の中のアリシアは、多少戸惑っている様子を見せるとはいえ、プレシアの記憶の中のアリシアそのもの。アリシアがカプセルを破る時に見せた魔法こそ、まだアリシアの知るはずのない技術だが、その魔力光は澄み渡る空色。遺伝子レベルで同一の存在であるフェイトですら、その魔力光は金色というアリシアとは似ても似つかないものだったのに、映像の中の彼女のそれは紛れもなくアリシアのもので間違いなかった。

 だからこそプレシアは血眼になってアリシアの行方を探る。それが本当にアリシアという確証はまだない。むしろ現在進行形で時の庭園を攻めているワルプルギスの夜や影魔法少女の見せる幻と考えた方が自然だ。しかし事実としてアリシアの肉体はこの場から消え去った。そのことがプレシアに期待を募らせ、同時に焦燥感をかきたてた。

 そうしてコンソールを弄ること数十秒、プレシアはアリシアの姿を捉える事ができた。それは時の庭園の中庭への入り口。現在進行形でなのはとワルプルギスの夜の戦いが行われているすぐ近くだった。

 それを見たプレシアは慌ててアリシアの元に向かう。……だから彼女は気付かなかった。その直後、アリシアの身体が青白い光に包まれ変質したことに――。




2014/2/17 初投稿
2014/4/1 誤字脱字修正、および後半部分を全カットしてその5へ



[33132] 第12話 これが私の望んだ結末だから その5
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2014/04/01 17:41
 時の庭園を駆け巡るアリシアは不思議な感覚に囚われていた。今のアリシアにとって時の庭園は初めてやってきた場所に等しい。それなのにも関わらず彼女にはどこを通れば最短で出口に着くのかを理解していた。そのことを不思議に思いながらもアリシアはその足を止めずに歩を先に進める。

 そうして彼女が辿り着いたのは時の庭園の中庭に通じる入り口だった。しかしアリシアはどうしてもその扉を開ける気にはならなかった。この先に広がるモノ。アリシアはそれが何なのか本能的に理解していた。故に彼女はそこで立ち止まってしまったのだ。

 それでもこの扉は開けねばならない。いずれはカプセルから逃げ出した自分を捕まえに誰かがやってくる。こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。

 だからアリシアはそっと扉に手を掛け、外の様子を伺おうと隙間を作る。そこには想像を上回る光景が広がっていた。罅割れた鈍色の空。その空を縦横無尽に駆ける無数の黒い影と炎を纏った少女、そして巨大な異形。

 それはまるで怪獣映画さながらの現実感の希薄な光景。先ほどまで自分がカプセルの中に閉じ込められていたこともあり、アリシアは思わず頬を抓る。そこに確かな痛みを感じ、改めて目の前で繰り広げられていることが現実であると認識する。だがアリシアにできるのはそれだけだ。何せ彼女は非力な五歳児なのだ。

 アリシアにできることは戦いを眺めることだけだった。ただ一発魔法を放つだけで黒い影を消滅させていく少女。その力は圧倒的なように感じられた。しかし黒い影は空を覆い尽くせるほどの数が存在している。しかも減らした端から巨大な化け物がその影を次々と生み出し、少女を襲わせていく。それでもアリシアには少女の負ける姿が想像できなかった。

 その予測を裏切るように、少女の動きが突如として鈍る。そんな少女に群がる黒い影。そうしてできたのは黒い球体。アリシアにはそれが酷く強大でおぞましい存在に思えた。けれど黒い影はそれではまだ足りないと言わんばかりにさらに群がり続ける。それに比例するように黒い球体は巨大化し、まるで黒い太陽のように思えるほどになった。

「助けなきゃ――」

 その光景を目の当たりにして、口から自然とその言葉が零れる。それと同時にアリシアの頭の中に再び断片的な記憶が過る。それはあの少女に関する記憶。かつて敵として出会い、共闘し、その果てに一方的な実力差で撃墜させられた。

「なの、は?」

 その記憶を省みたアリシアは無意識に少女の名を告げ、そしてハッとなる。自分はあの少女のことを知っている。そしてその理由はわからないけれど、自分はあの少女に言いたいことがあったはずだ。何を言いたかったのかは思い出せなかったが、それでもその事実を目の当たりにした時には外に飛び出していた。今まで躊躇っていたのが嘘のように外に駆け出していく。その胸中にあったのは『なのはを助けたい』という思いだけだった。

 そんなアリシアの思いに応えるかのように、彼女のソウルジェムは淡く輝く。その光は彼女の身体を包み込み、その身に戦うための防具を纏わせ、武器を与えた。

 そうして光の中から飛び出たアリシアの姿は、先ほどまでとは様変わりしていた。その身にピッチリと張りつくような黒いレオタード状の衣装。肩から腰元に掛けては濃い青色のマントが誂えられており、それとは別に腰回りには水色のスカートが青いベルトと共に装飾されていた。さらにその手に一挺の斧が握られていた。妙に手に馴染むその斧は金属製である見た目とは裏腹に非常に軽く、非力であるアリシアにも容易に振るうことができた。だが何よりも極めつけは彼女の輝かしい金髪が、晴天を彷彿とさせるような空色へと変化していたことだろう。さらにその髪は藍色のリボンで結われ、ツインテールとなっていた。

 そんな自身の変化に戸惑いながらもアリシアはそのまま宙へと駆け出す。この変身が自分に与えられた力なのだと彼女は確信していた。頭の中には様々な魔法の知識が鮮明と蘇り、それと同時に自分がどのような存在であるのかも徐々に思い出していく。

 だがアリシアは敢えてその事実から目を逸らし、そして自らの意思で戦いの場へと飛び込んでいった。



     ☆ ☆ ☆



 新たな肉体を再構築したなのはが最初に感じたことは『疑問』だった。彼女はワルプルギスの夜に対抗するために、人間であることを捨てようとした。魔女にその身を堕とし、プレシアから託されたジュエルシードの魔力結晶を使って、ワルプルギスの夜と相対するつもりだった。

 しかしそんな彼女の思惑とは裏腹に、今のなのはにはハッキリとした『自我』が存在した。絶望に囚われることなく、希望を見失っていない。彼女は先ほどまでの自分と何の遜色もないほどに、いやそれ以上に自己というものを確立していた。

 だがその姿は以前とまったく同じというわけにはいかない。その姿は魔女のような異形な化け物ではなく、完全な人型。身に纏う衣装も今までの黒を基調にしたバリアジャケットからそこまでの変化はない。だがその大きな違いは背丈にあった。そこにいたのは小さな子供の少女ではなく、成熟した一人の女性。小学生らしい平らだった胸元は、つんと張りのあるものに。子供らしい起伏の少なかった胴体は、スラっとしたくびれのあるものに。幼さの残る顔つきは、とても大人びたものに。言うなればこの姿はより戦闘に適した姿と言っても過言ではないだろう。すずかの意思を継ぐために、そして目の前の強敵を倒すために手に入れた力をより実践的な形で使える形態。それが今のなのはの姿だった。

 だからだろう。今のなのはには影魔法少女はもちろん、ワルプルギスの夜にさえ脅威を感じない。むしろ哀れみさえ覚えていた。

 魔女というものは、魔法少女が深い絶望の果てに変質するものである。そうした魔女から生まれる魔女という存在もいるが、少なくともワルプルギスの夜はそうではないだろう。ある意味、全ての魔女のオリジナルとも呼べる存在であるからこそ、他の魔女や魔法少女を駆逐し、その力を我がものとしてこれたのだろう。そうして失意の内にワルプルギスの夜に敗れ、吸収されていった魔法少女や魔女もまた、影魔法少女として新たな役割を与えられることになった。そんな彼女たちを不憫の思うことはあれど、憎しみを抱くことなどできるはずもなかった。

「……ごめんね」

 なのはは誰にともなくそう呟く。彼女がこれから行うのは同法とも言うべき存在への虐殺だ。ルシフェリオンブレイカーを放とうと魔力を収束させた時、そしてこちらの魔力が影魔法少女を介してワルプルギスの夜に吸われた時、なのはには数多の魔法少女たちの記憶が流れ込んできた。それは言わば先達たちの無念の記憶だった。人々を護るために戦ってきたはずなのに、報われることなく失意の中で絶望し、魔女へと転化してきた魔法少女たち。中にはワルプルギスの夜と戦い、その肉体ごと喰われたものもいた。魔女となりながらも、僅かばかりの記憶が残っているものもいた。自分勝手に生きながらも、最期の最期で後悔して死んでいったものもいた。そうして敗れていった彼女たちに与えられた影魔法少女という新たな役割。だがその想いは完全には失われていなかったのだろう。だから今、なのはは感じている。彼女たちの嘆きの声を。それとは裏腹に、影魔法少女は一目散になのはに群がっていく。だがそれは決して彼女たち自身の意志ではない。そこにあるのはワルプルギスの夜からの逆らえない命令。影魔法少女はワルプルギスの夜の使い魔であり、その命令に逆らうことはできない。

 だからこそ、なのははそんな彼女たちが苦しまないように、一撃の元で屠った。その全身から炎を噴出し、それで跡形も滅することによってワルプルギスの夜に囚われた魔法少女たちの魂を浄化していく。

 その時、なのはの全身に強烈な不快感が襲いかかる。その出所はワルプルギスの夜の視線だった。今までワルプルギスの夜はなのはのことを路傍の石程度の存在としか認識していなかった。だがこの時、ワルプルギスの夜は初めてなのはに注意を向けた。たったそれだけのことなのに全身からは嫌な汗が噴き出す。

 しかしそれと同時になのはは嬉しく思った。何故なら今、この瞬間を以って、なのははワルプルギスの夜に認められたのだ。対等の立場であるかどうかはわからない。しかし少なくとも、ワルプルギスの夜が自分のことを『敵』と認識されたのだ。『餌』ではなく『敵』。その違いは些細なようでとても大きいものだった。

 故になのはも気を引き締め直しながらルシフェリオンを構える。それを見てワルプルギスの夜の顔が大きく歪む。その表情の意味するところはなのはにはわからない。だがそれは今までの高嗤いしていた時の顔とは違い、とても歪でそれでいて人間らしいと感じられた。

 そんなワルプルギスの夜になのはは果敢に挑んでいく。もちろん無策にというわけではない。なのはが戦いの中で最初に意識したこと、それはワルプルギスの夜を時の庭園から切り離すことだった。覚醒した魔法少女としての魔力とジュエルシードの魔力。その二つを何の考えもなしに放てば、ワルプルギスの夜だけではなく時の庭園も一緒に崩壊させてしまう可能性がある。それを避ける意味でも、なのははなるべく大技を避け、小技で攻め立てた。

 ルシフェリオンを一振りするだけで生み出される無数の魔弾。その一つひとつを自由自在に操り影魔法少女の数を減らしていく。そして隙を見つけては、ディバインバスターやブラストファイアーを放ち、ワルプルギスの夜に攻撃を仕掛けた。同じディバインバスターでも先ほどまでとは違い、そこに籠められた魔力量に大きな差があり、確実にダメージを受けるワルプルギスの夜。その過程で幾数もの影魔法少女を葬ることになり、その度になのはは表情を曇らせるが、それでも攻撃の嵐を止めるわけにはいかなかった。

 もちろんワルプルギスの夜もただやられているわけではない。影魔法少女を生み出すと同時に無数の触手で攻撃を仕掛けるワルプルギスの夜。その面を制圧する質と量は圧倒的だった。撃ち落とすことも防御することも避けることも不可能だと感じたなのはは、敢えて自らその中に飛び込んでいく。そして全身の至る所から炎を噴き出し、自らの身体ごと触手を燃やし尽くした。

 なのはの使う炎の魔法は大きく分けて二種類に分類される。一つは自身の身体能力の向上、さらには傷ついた肉体を治癒する命の灯とも言うべき紅い炎。もう一つは敵を灰をも残さず燃やし尽くす黒き炎である。そしてこの時、なのはが使ったものは後者であった。黒い炎弾と化したなのはの肉体はそのまま自らの肉体ごと影魔法少女の群れを燃やし尽していく。それはまるで導火線のように影魔法少女の身体を伝ってどんどん燃え広がり、辺りには焼け爛れた影魔法少女の燃えカスとなのはのソウルジェムだけが残った。

 だがそれも一瞬だけのこと。今度はソウルジェムから紅い炎が噴き出す。その中でなのはの肉体は再構成される。それはさながら不死鳥の如き蘇生術であった。

 魔法少女とは言わば、ソウルジェムそのものであり、肉体はあくまで外付けのハードウェアみたいなものである。故に魔力さえあればその肉体が滅んだところで何度でも蘇ることができる。もちろんその際に多大な魔力を消費し、さらには肉体が死を迎えることで精神的にも疲弊する。普通の魔法少女にはとてもできない芸当だろう。しかし今のなのはには覚悟があり、さらにジュエルシードの魔力もある。それらが合わさることによって一見不可能なこの戦術も可能となっていた。

 そんな捨て身な戦い方をしながら、なのはは大気中にワルプルギスの夜を倒せるほどの魔力が霧散するのを待っていた。確かに今のジュエルシードの魔力をそのままルシフェリオンに乗せて放つだけでも倒すことができるかもしれない。だが確実ではない。もし倒しきれなかったとすれば、それすなわちなのはの敗北を意味する。後に待っているのはワルプルギスの夜に一方的に蹂躙される未来だけだろう。

 幸いなことにこの空間には戦いの余波で破壊してしまう町などといったものはなく、砲撃で結界を突き破り現実世界に影響をもたらすということもない。だからこそ遠慮はしない。今のなのはができる最大限の攻撃を以って、確実にワルプルギスの夜を仕留めるつもりだった。そのためにならば何時間でもワルプルギスの夜と戦い続けるつもりだった。

 ――だがそれは思いもよらない形で崩されることになることを、この時のなのはは予想だにしていなかった。



     ☆ ☆ ☆



 意を決してなのはを助け出すために動き出したアリシア。しかしそれはそう簡単にいくはずもない。勢い勇んでなのはの元に駆けつけようとしたアリシアであったが、そのことにワルプルギスの夜が気付いていないはずがない。彼の魔女はアリシアに対して数体の影魔法少女を差し向け、その進行を妨害する。いくら断片的な記憶によって魔法が使えるからといって、アリシアにとってみれば実践は初めても同然。そのため無数の影魔法少女の猛攻に為す術もなかった。

 そんなアリシアを救ったのは彼女が助けに向かおうとしたなのは本人であった。正確に言えば、なのはにアリシアを助けた自覚はないのだろう。彼女はただ、自らの肉体を再構築し、その溢れんばかりの魔力によって周囲に群がる影魔法少女を滅し、ワルプルギスの夜との戦いに臨んだだけだ。しかしそれが結果的にアリシアに群がる影魔法少女の数を減らすこととなった。

 そうしてようやく五分の戦いができるようになったアリシアは、戦いの中でさらなる記憶を想起することになる。アリシア本人には覚えのない記憶。だがそれは確かに現実にあったことだと、アリシアは認識していた。

 アリシアの死をきっかけに生み出された一人の少女。彼女はただ母親に愛されたかった。ひたすらに母親を慕い、母親が望むことなら何だって叶えようと一生懸命に戦い続けた。……だけど結局、彼女はそんな些細な望みすら叶えることができなかった。母親にとって彼女の存在は体の良い人形。それも愛すべき娘と同じ姿をした存在。故に彼女は愛されることはなかった。

『わたしはアリシアになりたい』

 故に彼女は願ってしまった。自分が本当の娘でないのなら、本当の娘になればいい。母親の愛情を受け取れる存在になればいい。そう彼女――フェイトは願ってしまった。奇跡の代償に全てを失う契約を履行してしまった。

 結果、フェイトはアリシアとなった。その肉体もその魂も全て捨て、アリシアとなってしまった。

(ママ、なんで、わたしの分までフェイトを愛してあげなかったの?)

 戦いの中でそのことを思い出したアリシアは涙する。アリシアにはフェイトの気持ちがよくわかる。フェイトはただ愛されたかっただけだ。誰よりも母親に、プレシアに愛されたかっただけなのに、それが叶わなかった。だからこそ自分すら捨ててしまった。フェイトという自分を捨て、アリシアを生かす道を選んでしまった。

 フェイトはそれほどまでにプレシアを思っていた。もしプレシアとフェイトが普通の親子として生まれたのならそんなことはなかったのだろう。しかしアリシアを亡くしたことでプレシアは歪み、そんな歪んだプレシアの執念がフェイトを生み出したのだ。それがアリシアには堪らなく悲しかった。



     ☆ ☆ ☆



 プレシアが時の庭園の中庭に到達した時、戦場は混迷の最中にあった。頭上を埋め尽くす無数の影。それらは全てワルプルギスの夜が生み出した影魔法少女であった。そんな影魔法少女の中で炎を振るうなのはと思わしき女性。しかしその姿はプレシアの知っている幼い少女のものではなく、妙齢の女性の姿だった。彼女の振るう魔法の節々にジュエルシードの魔力を感じ取れるのでその女性がなのはであることは間違いないのだろう。しかし一体何がどうなってあのような姿になっているのか、プレシアには理解できなかった。

 そんなことを考えているうちに迫りくる影魔法少女はその圧倒的な物量により、なのはを押し潰されていく。だが次の瞬間、なのはがいた場所を中心として大爆発が起こる。周囲にいた影魔法少女は為す術もなくその爆炎の中に飲み込まれ、阿鼻叫喚の悲鳴をあげながら消滅していく。その中から飛び出してきたなのはには目立ったダメージが見られず、彼女はそのままに次の標的へと向けて砲撃魔法を放っていた。

 そのあまりにも派手な戦いに思わず目を奪われてしまったプレシアだが、すぐに彼女はこの場にやってきた目的を思い出す。すなわちアリシアの捜索である。プレシアはしきりに辺りを見回し、アリシアの姿を捜す。すると戦場の中心から逸れた場所でもう一つの戦闘が起きているのがわかった。

 どこかで見覚えのある衣装に身を包み、どこか見覚えのある魔法を行使する一人の少女。その姿は紛れもなくプレシアの愛して止まないアリシアそのもので、だけど同時にどこかアリシアとは別人のように感じられた。アリシアはもちろん、フェイトとも似ても似つかない青い髪。そして何よりアリシアにはあれほどの魔力を有していないどころか、魔法の使い方さえ知らないはずだ。彼女の纏う魔力光こそアリシアと同一のものだが、彼女がアリシアでないことは明白だ。

 彼女がどういった存在なのかはわからないが、彼女の存在はプレシアにとって冒涜的なものである。プレシアにとってアリシアは愛すべき娘であり、全てを犠牲にしてでも取り戻したい存在だ。そんな彼女を模した存在など、許せるはずがない。

 故にプレシアはその少女に向かってフォトンランサーを放つ。自分で創り出したフェイトにさえ憎しみの感情を覚えていたのだから、この反応は当然だろう。

 突如として戦いの最中に飛んできた第三者による攻撃。それはアリシアと影魔法少女の注意を引くには十分だった。アリシアは持ち前のスピードでプレシアの放ったフォトンランサーをかわす。そしてすぐにそれを放ったのがプレシアだということがわかる。

「ママ!!」

 それに気付いたアリシアは満面の笑みを浮かべてプレシアの傍に飛んでいく。そんなアリシアに対し、プレシアは無言でフォトンランサーを放つ。それを間一髪のところでかわしたアリシアであったが、その意図がわからず目を白黒させる。アリシアにとってもプレシアは唯一無二の存在なのだ。そんな母親に攻撃をされたという事実を、幼いアリシアは冷静に受け止めることができなかった。

「……あなた、私のアリシアをどこにやったの?」

 そんなアリシアに対してプレシアは容赦ない言葉をぶつけてくる。アリシアにはその言葉の意味が理解できなかった。彼女にとってみれば自分こそがアリシア・テスタロッサ当人である。そしてそのことをプレシアは何の言葉なしに理解してくれるのが当然だと考えていた。だがプレシアがアリシアに向ける目つきは敵意。その瞳には愛情などとは程遠い、むしろその逆の憎しみが籠められていた。

「ま、ママ? なに言ってるの? わたし、アリシアだよ」

「あなたがアリシア? 馬鹿も休み休み言いなさい。私のアリシアはそんな髪の色をしていないし、ましてや魔法なんて使えない。これならまだ目覚めたばかりのフェイトの方がアリシアに似ていたくらいよ!!」

 その言葉は今のアリシアにとって致命的だった。今のアリシアを生かしているのはフェイトの願いである。彼女がアリシアになりたいと願ったことで、アリシアは目覚めることができた。その想いの懇願はプレシアに愛されること。それなのに彼女はアリシアを愛そうとしない。自分は紛れもなくアリシア・テスタロッサであるはずなのにプレシアはそれを認めようとはしない。

 それがアリシアの、そしてフェイトの心の均衡を崩す。キュゥべえとの契約によってアリシアになったはずのフェイトの意識が表層へと蘇ってくる。今までアリシアが断片的に視ていたものではなく、ハッキリとしたフェイトの記憶。それが脳裏に次々と蘇ってくる。それは幼いアリシアの意識を塗り潰すには十分だった。

「ち、違う。わたしはアリシアだよ。フェイトじゃない。わたしはアリシアになったんだよ。だからママは、母さんは……」

 ブツブツと呟くアリシア。……否、その意識は最早完全にフェイトのものになっていると言ってしまっても過言ではないだろう。

「あなたが何者なのかなんてことには興味はないわ。――でもね、アリシアの肉体は返してもらおうかしら。それはあなたには過ぎたるものよ」

 だがプレシアにとってそんなことはどうでもいい。彼女がフェイトだろうとそれ以外の何者であろうと関係ない。プレシアにとって重要なのは彼女がアリシアかどうかである。そして彼女がアリシアではないという結論を下した。だがそれでも目の前の少女が使っている肉体はアリシアのものに間違いないだろう。そうである以上、なんとしてでもその肉体を取り戻し、そしてそれを奪った彼女にそれ相応の報いを受けさせる必要があった。

 プレシアはこちらに迫ってくる影魔法少女を迎撃しながら、アリシアを名乗る少女をバインドで拘束する。すでに心の均衡を保つことのできなくなっていたアリシアは、それに一切の抵抗を見せなかった。プレシアはそんな彼女を連れて時の庭園の中に戻ろうとする。

【駄目です、プレシアさん。その娘を連れていっちゃ駄目!!】

 だがそれに待ったを掛ける声があった。それはワルプルギスの夜と激戦を繰り広げているなのはからのものだった。

【……解せないわね。どうしてあなたがこの娘に執着するのかしら?】

【その娘は……魔法少女です。それもソウルジェムにかなりの穢れを溜めている。このまま放っておいたら、いつ魔女が孵化してもおかしくないぐらいに】

【なんですって!?】

 なのはの言葉にプレシアは足を止める。その表情は驚愕に染まっていた。キュゥべえによる魔法少女契約のカラクリ。それがどのようなものなのかをプレシアは知っている。キュゥべえとの契約によって肉体と魂が切り離され、より魔法を行使しやすいソウルジェムへと変換される。ソウルジェムは魔力を行使する度に穢れを溜め、それが一定のラインを突破することでソウルジェムが孵化し魔女となる。それがプレシアの知る魔法少女契約の全てである。

 しかしアリシアは今まで目覚めることはなかった。そんな彼女がキュゥべえと契約することは不可能なはずだ。ならば可能性は一つしかない。――フェイトに命じたキュゥべえとの契約。それが果たされたのだ。どうしてフェイトではなくアリシアが魔法少女になっているのかはわからないが、そう考えれば彼女がこの場に生きて存在している説明がつく。

 それに気付いたプレシアは自分が今までアリシアに対して行った仕打ちに気付く。アリシアであるはずの彼女に冷たい言葉を浴びせ、さらには攻撃魔法まで放ってしまった。その事実がプレシアの冷静さを損なわせた。

「わた、私は、なんてことをしてしまったの!!?」

 その場で取り乱し、頭を抱えるプレシア。集中力が途切れたことでアリシアを拘束していたバインドは解除される。それでもアリシアはピクリとも動かない。依然として茫然自失のまま、その場に立ち尽くす。

 そんな二人の隙を影魔法少女は見逃さない。二人の元へ一気に近づくとその凶刃をプレシア目がけて振り下ろす。なのはは必死にプレシアに念話で訴えるが、その声はプレシアには届かない。今の彼女は自分がアリシアを傷つけてしまった自責の念でいっぱいだった。

 故に彼女は影魔法少女が接近したことにすら気付かなかった。本来ならプレシアはこのまま影魔法少女の凶刃に倒れるところだっただろう。しかしそうはならなかった。それはとっさにプレシアを護るために二人の間に割って入った少女がいたから。足元に倒れ伏す少女からは血だまりが広がっていく。それを目の当たりにして、プレシアは叫ぶ。

「い、いやぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!! アリシアぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 辺りに響く慟哭。それを皮切りに戦いはいよいよ佳境へと入っていく。




2014/4/1 初投稿



[33132] 第12話 これが私の望んだ結末だから その6
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2014/04/12 02:18
 プレシアの罵声を浴びせられた時、彼女は自分が本当にアリシアなのかわからなくなってしまった。自分がアリシア・テスタロッサであるという自覚はある。

 しかしアリシアにはもう一人分の記憶がある。――フェイト・テスタロッサ。プレシアが創り出したもう一人のアリシア。そしてアリシアになることができなかった少女。どんなに辛いことがあってもひたすらに耐え続け、ただひたすらにプレシアに喜んでもらうことだけを考え努力し続けたもう一人の自分。

 アリシアとフェイト。二人の間には大きな違いはない。それでもアリシアには底知れぬ愛情が、フェイトには深い憎しみが与えられ続けた。

 そんな相反する二人の少女の記憶が今の自分にはある。その記憶はどちらもはっきりと自分が体験したもののように感じられ、それと同時にどこか他人目線で見ることもできた。

 自分はアリシア? それともフェイト? いくら考えてもわからない。

 だが一つだけ確かなことがある。自分がアリシアだろうとフェイトだろうと、プレシアのことを母親として大切に想っているという事だ。アリシアはもちろん、どんなひどい仕打ちを受けようともプレシアを想い続けたフェイト。その想いに偽りはない。

 彼女にとって自分が何者なのか関係ない。ただただ、自分を愛してくれたプレシアを守りたかった。その結果、プレシアに嫌われることになろうとも関係ない。

 ――だから彼女は迷わなかった。プレシアに迫る凶刃の間に割って入り、自らの身体を盾にすることを……。



     ☆ ☆ ☆



 プレシアは目の前で起きた現実を受け止めることができなかった。自分の目の前に躍り出たアリシア。その小さな身体が影魔法少女によって切り裂かれ、そのまま辺りに血を巻きしながら倒れ伏す。その一連の流れをプレシアは目で追うことしかできなかった。

 もちろん影魔法少女がそれだけで止まるはずがない。アリシアを切り裂いた影魔法少女はそのままプレシアに向けてその刃を振り上げる。だがその刃がプレシアに届くことはなかった。

「い、いやぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!! アリシアぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 それはプレシアが悲鳴を上げると共に自らの魔力を爆発させたからであった。それはプレシアにとって無意識の行動だったが、結果的にこれがプレシアの身を救った。病魔に蝕まれているとはいえ、プレシアが内包している魔力量は並の魔導師を遙かに上回る。普段はそれを効率的に運用しているプレシアだったが、感情の爆発と共にその魔力が膨れ上がり、辺りにいた影魔法少女を吹き飛ばしたのだ。

「アリシア!! 目を開けて!! お願いだから……」

 けれどもプレシアは自分がそんな危機的状況だったということに気付くこともなかった。倒れるアリシアに駆け寄りながら声を掛ける。必死に治癒魔法を掛けながら懇願するが、アリシアはうんともすんとも答えない。苦しげにうめき声を上げながらその場で血を流し続ける。治癒魔法によって徐々にその勢いは収まってきているが、このままでは一刻を争うのは間違いない。今すぐにでも時の庭園内の医療設備を使って治療をしなければ命が危ういのは明白だった。

 けれどプレシアはその場から一歩も動くことはできなかった。それはプレシアがようやく周囲の状況を把握したからであった。執拗にプレシアに迫りくる影魔法少女。先ほどプレシアが無意識に行ったのは影魔法少女を突き飛ばしただけであって倒したわけではない。そんな影魔法少女が今、プレシアたちを狙って周囲に群がっていた。

 そんな影魔法少女を近づけないようにプレシアはとっさに防護結界を展開する。その防護結界に阻まれて影魔法少女の攻勢を止めたプレシアだったが、結果的にそれがプレシアの動きを封じた。治癒魔法と防護結界。マルチタスクを用いて二つの魔法を同時に使いこなしているプレシアだったがこの上、時の庭園内に避難するために転移魔法を発動するのは不可能だった。

 もしプレシアの身が五体満足であるならばあるいは可能だったかもしれない。しかし彼女もまたその身に病魔を抱えている。さらに先ほどの魔力爆発によってその身に残された魔力の大部分を放出してしまっている。そんな今のプレシアにはこうしているだけで精一杯だった。

 だからこそプレシアは後悔する。この事態を引き起こしたのは紛れもなくプレシア自身である。彼女がアリシアのことを否定し、傷つけてしまったからこそ生み出されてしまった状況。せめて自分がもう少し冷静に事に当たれていれば状況はもう少し良かっただろう。後悔してもしきれない。

 だが後悔するのは後でいい。今はアリシアを救う。あの時、救うことのできなかった愛娘を今度こそ救う。そのためにプレシアは自身に残された全魔力をアリシアに注ぎ込まんと治療をつとめた。



     ☆ ☆ ☆



 アリシアが倒れる様をなのはが見たのは、二人を助けるために向かおうとした矢先の出来事だった。なのはのいた場所からプレシアたちがいる場所は目に届く範囲ではあるが、決して近い距離ではない。さらには影魔法少女の邪魔もあり、間に会わなかったのは当然のことっだろう。

 それでも目の前の現実を目の当たりにして思わず苦渋の表情を浮かべる。確かになのはは莫大な力を手に入れた。ユーノと出会って魔導師になり、キュゥべえと契約し魔法少女にもなった。さらにプレシアからジュエルシードの魔力結晶までもらっていた。その力がどれほど強大なものか、なのはは身に染みてわかっている。

 それでも彼女は目の前にいる少女一人すら守れなかった。その事実は変わらない。

 だが完全に手遅れというわけではない。まだ彼女を救う手立てはある。そのためになのはは行く手を阻む影魔法少女を迎撃しながら、プレシアの元へと一気に向かう。

「プレシアさん! ちょっとの間、足止めお願いします」

 そしてプレシアたちの側に降り立つと、有無を言わせぬ迫力でそう告げる。その言葉にプレシアは一瞬、考える素振りを見せる。今のアリシアはプレシアの治癒魔法で延命しているようなものだ。それを止めるということは、塞がりかけているアリシアの傷口が再び開くことを意味する。すでに大量の血液を流しているアリシアにとってそれは致命的なことだった。

「……必ず生かしなさい。もし死なせたらあなたを殺すわ」

 それでもプレシアはなのはに場を譲った。このままプレシアがアリシアの治療を続けたとしても彼女を救うことはできない。プレシアの魔力と体力には限界がある。治癒作業に専念できるのなら問題ないのだろうが、今は影魔法少女の攻勢を受けている。そんな状況で満足な治療ができるはずがない。
 だがなのはは違う。彼女には今のプレシア以上の魔力があり、そして同時にプレシアの知らない魔法を使える可能性のある魔法少女である。少なくともこのままプレシアが治療を続けるより助かる確率は高い。そう判断してプレシアはなのはにアリシアを託したのだ。
「大丈夫です。必ず助けますから」

 そんなプレシアになのはは力強く答える。その姿を見てプレシアは満足げに立ち上がる。そして自分たちの頭上を舞う影魔法少女の群を見遣る。なのはがこの場に移動してきたことによって、その数は先ほどの数十、数百に上るほどの数となっていた。一体いったいだけを見ても、並の魔導師以上の魔力を内包しており、とてもプレシア一人では相手にできるような数ではないことは明白だった。そしてその奥に控えているワルプルギスの夜。影魔法少女を次々と生み出している彼の魔女に至っては、相手しようとすら思えない。

 だがプレシアは引かない。今はただアリシアを守る。そのために彼女はより強固な防護結界を作り上げ、そして合間からフォトンランサーを放つ。それはまるでマシンガンの如く凄い勢いで放たれ続ける。それをその身に受け撃墜されていく影魔法少女。しかし場にいる影魔法少女は一向に減っている気配はなかった。

 ただ今は耐える時。そのためにプレシアは惜しみなく自身の魔力を消費していった。



 一方、アリシアの側にしゃがみ込んだなのははその身体を仰向けに動かす。胸から腹に掛けて存在する深い切り傷。一歩間違えば身体が真っ二つになっていそうなほど深い傷を受けながらアリシアが未だに生きていたのは彼女が魔法少女だからだろう。魂と肉体のつながりは人間のそれよりも薄く、それと同時により魔法の効果が伝わりやすい肉体。それがアリシアの命をギリギリのところでつなぎ止めていた。

 現にアリシアのソウルジェムは徐々に穢れ始めている。元は空のように澄み切った青色をしていた彼女のソウルジェムは、今ではその半分以上が黒く淀んでいる。仮に傷を塞ぐことはできても、このままでは穢れを溜め込み魔女を孵化するのは間違いない状態だった。

 そんなアリシアのソウルジェムになのははグリーフシードを当てて穢れを取り除く。ここに至るまでになのはが手に入れた数百にも及ぶグリーフシード。ワルプルギスの夜との戦いの中ですでになのはもかなりの数を消費していたが、それでもまだ百以上のグリーフシードを要するなのはにとって、ソウルジェムの穢れはあってないようなものだった。

 いくつかのグリーフシードを用いてソウルジェムの穢れがなくなったことを確認したなのはは、次にジュエルシードの魔力結晶を取り出す。それを先ほどと同様にアリシアのソウルジェムに翳し、その魔力を流し込む。膨大な魔力に刺激を受け活性化し始める。

【わたしの声が聞こえる? 聞こえるなら返事して】

 そんなソウルジェムに対し、なのはは声を掛ける。なのはが行おうとしていること、それはアリシアの肉体の再構成であった。先ほどから戦いの中で何度も行ってきた肉体の破棄と再構成。魔法少女である以上、アリシアにもまたそれが可能なはずだ。しかしそれを為すには条件が二つある。一つは膨大な魔力が必要であるということ。そしてもう一つは自分の肉体と魂が切り離されていると明確に意識すること。一つ目の条件に関してはジュエルシードの魔力結晶があることですでに満たしている。問題はもう一つの条件。魔法少女とはいえ、元は人間として生まれている以上、魂と肉体の区別など通常ならばつけられるはずがない。それには何かしらのきっかけが必要だ。

【ねぇ聞こえてるんでしょ。答えてよ、フェイトちゃん】

 そのためになのはは語りかける。彼女のことをフェイトと呼びながら。



     ☆ ☆ ☆



 彼女が目を覚ました場所はとても穏やかな平原だった。地表に広がるのは一面に広がる草原。地平線の先が見えないほどに広大な草原の中に一本の大樹がぽつんと立っていた。空に視線を移すとそこは雲一つない晴天の空。辺りには草花が咲き誇り、耳を澄ませば川のせせらぎや風に揺れる葉っぱの音などが聞こえてくる。それらの自然はそこにいるだけで心を落ち着かせ、穏やかな気持ちにさせてくれた。

 だが同時に一つ、疑問がある。何故、自分はこのような場所にいるのか。そう考えた時、彼女の脳裏はチクリと痛む。何度、思い返そうとしてもこの場にいる理由が思い出せない。それどころかここ最近、自分が何をしていたのか。挙げ句の果てには自分の名前すら思い出すことができなかった。

「わたしは、一体誰なの?」

 誰にともなくそう呟く少女。その言葉は決して返答を期待して発せられたものではなく、全くの無意識のうちに出てきた言葉だ。けれど予想外なことにその言葉に対する答えが、予想外な形で帰ってくる。

 少女がそう告げた途端、先ほどまで無造作に咲いていたはずの草花が大きく道を作り出す。その道は真っ直ぐにこの草原の中にある一本の大樹に向かって伸びていた。

「この道を歩いていけばいいの?」

 そう問いかけるも今度は返事が返ってこない。少女は不安に思いながらもゆっくりとした足取りで大樹へ向かって歩き出す。そうして歩きながら彼女は少しずつ自分を取り戻していく。自分が今までどのような環境に身を置き、どのような想いで生きてきたのか。その記憶を少しずつ、確実に取り戻していく。その記憶を取り戻していく度に、少女の中には焦りが生まれ、徐々にその足取りは速くなっていく。最初は歩き、次第にその足は駆け足へと変わり、最終的には飛行魔法を用いて大樹の元へと向かう。

 そうして大樹の元にたどり着いた先で待っていたのは一人の少女だった。それも自分と瓜二つの少女。どこか自分より幼い印象を持つその少女は、彼女がこの場にやってきたのを見て、微笑みながらその名を呼んだ。

「ようやくここまでたどり着いたんだね、フェイト」

 その声を聞いて少女はようやく自分の名前を取り戻す。――フェイト・テスタロッサ。プレシアに愛されることだけを望み続け、その果てに自分すら捨て去った少女。それが少女の名前だった。そしてフェイトは目の前にいる自分と瓜二つの少女の名前を知っていた。

「あり、しあ?」

「うん、わたしはアリシアだよ」

 戸惑いながら問いかけるフェイトに対して、アリシアは微笑みを絶やさない。フェイトにしてみれば、目の前の光景は受け入れ難い光景であった。フェイトはアリシアになることを願い、魔法少女となった。だがアリシアはここにいる。それならば自分は一体誰になったのか。そもそも何故、アリシアが存在しているのか。その理由がフェイトにはわからなかった。

「フェイト、難しいこと考えてるでしょ? ここはね、夢の世界なの。わたしたち二人のね」

 そんなフェイトの疑問にアリシアはあっけらかんとした態度で答える。

「ゆめのせかい?」

「そう。ここはわたしとフェイトの夢の中。わたしもびっくりしたよ。今までずっと身動きのできない狭い場所にいたのに、いきなりこんな開けた場所に放り出されたんだから」

「そ、そうなんだ。でもどうしてこんなことに?」

「う~ん、わたしにも難しいことはわからないんだけど、確かフェイトはわたしになろうとしてキュゥべえと契約して魔法少女になったんだよね?」

「キュゥべえのこと知ってるの?」

「うん、ずっとママとフェイトのことを見てたから。それでね、どうやらその時にわたしとフェイトは一緒になってしまったみたいなのだ」

 ソウルジェムはフェイトがキュゥべえとの契約によって摘出されたフェイトの魂そのものである。しかしそのソウルジェムが動かしているのはアリシアの肉体。本来ならば一つの身体に二つの魂は宿らない。しかしアリシアの魂はアリシアの肉体の中にあり、フェイトの魂はアリシアの肉体の外にあった。そのために彼女たちの魂は混在していたのだ。

「でもフェイトってば、すっかり自分のことをわたしだと思っているから焦ったよ。わたしがいくら呼びかけても答えてくれないし」

 そう言って拗ねるような表情を見せるアリシア。肉体の内と外という隔たれた場所に存在した二人の魂。通常ならばいくら呼びかけたところで意志疎通は不可能だっただろう。

 だけどあの時、プレシアを守るという共通の意志を二人は持った。さらにはその結果として、肉体が意識不明の重体に陥った。表層にあったフェイトの意識はその衝撃に耐えきれず、アリシアの意識があったこの場所まで降りてきたのだ。

「でも、ママも助かったし、こうしてフェイトと話すことができるようにもなったし、結果オーライだよね!」

「アリシアは、その、怒ってるの?」

「怒る? なんで?」

「だって、わたしは母さんに愛されたい一心でアリシアになろうとしたから」

 フェイトがアリシアになろうとしたのは、プレシアに愛されようとしたからである。こうしてアリシアの意識と出会うことなどフェイトは想像などしていなかったが、それ故に罪の意識を覚えてしまう。言うなればフェイトはアリシアを乗っ取ったのだ。怒られても仕方のないことだと思う。

「ううん、ぜんぜん怒ってないよ。むしろわたしが怒るとしたらママにだよ」

「母さんに?」

「だってフェイトはわたしの妹なのに、ママったらいつもきつく当たってばっかりなんだよ。もしわたしが自由にしゃべったり動いたりできたら、ママのほっぺたを思いっきりひっぱたいてるところだよ」

 それはアリシアの本心であった。アリシアにとってフェイトは紛れもない妹。それ以外の何者でもない。いくらプレシアが母親だとはいえ、最愛の妹に対して理不尽な要求をしてそれができなければ暴力を振るうなど以ての外である。

「わたしの方こそごめんね。お姉ちゃんなのに今までフェイトを守ってあげられなくて」

 むしろ申し訳なさを感じていたのはアリシアの方であった。彼女は全て見ていた。あの事故があった時、確かにアリシアは死んだ。しかしその魂はアリシアの肉体の中に残り続けていた。もしもアリシアの肉体が普通の死者のように弔われ埋葬されていれば、自然とその魂は肉体から解き放たれていただろう。しかしそうはならなかった。プレシアの手によってアリシアの肉体は万全な形で保存された。それが結果的にアリシアの魂を現世に留まり続けさせたのだ。

 そしてそれからの十数年間、彼女は人生の全てを賭けてアリシアを蘇らそうとし続けた。そんな母親の姿を見て、アリシアは必死に声を上げ続けた。もういい、自分のことは忘れて幸せになって欲しい。何度もそう訴えかけ続けた。

 だがその言葉はプレシアには届かない。当たり前だ。アリシアは死者なのだから。死者には何もできない。プレシアが病魔に蝕まれても、リニスが使い魔としての役目を終え死にゆくのも、フェイトがプレシアに辛く当たられ続けるのも、アリシアには見ていることしかできなかった。それがアリシアにはたまらなく辛かった。それでもアリシアは決して目を反らそうとはしなかった。アリシアのせいで皆が苦しんでいる。そのことから目を反らしてはいけない。アリシアはずっとプレシアやフェイトたちの行く末をただただ見守り続けるつもりだった。

 だけどそんな日々は唐突に終わりを告げる。フェイトがキュゥべえと契約し、アリシアになった。表層にいるフェイトの意識はフェイトのものではなく、創られたアリシアとしての記憶だったが、それでもアリシアには二度とあるはずのないチャンスだった。そのために目覚めてから何度もフェイトを呼び、そして今、彼女は自分の目の前にいる。

 だからアリシアは以前からフェイトにしてあげたかったことをする。フェイトの目の前に駆け寄り、その身体を思いっきり抱きしめる。

「あ、アリシア? 何を……」

「……本当ならずっとこうしてあげたかったんだ。フェイトは頑張ってるよって誉めてあげたかったんだ」

 驚き戸惑うフェイトに対し、アリシアは優しげにそう告げながら頭を撫でる。そんなアリシアの想いに触れたフェイトは自分を恥じた。プレシアの愛が欲しいがために、フェイトはアリシアになろうとした。そんな自分の浅ましい心がどうしようもなく恥ずかしくなった。

「アリシア、ごめんなさい。わたしは取り返しの付かないことを……」

「ううん、この世の中に取り返しの付かないことなんてない。わたしたちがこうして話すことができているのがその証拠だよ」

「で、でも……」

「それにね、わたしはフェイトにお礼を言いたいんだよ。わたしの代わりにママを支えてくれてありがとうって」

 フェイトはどんなに酷い仕打ちを受けても、プレシアを見捨てようとはしなかった。もしアリシアが逆の立場ならば、きっと耐えることはできなかった。そう思えるほどの仕打ちを受け続けてもなお、フェイトはプレシアを愛し続けたのだ。そんなフェイトにアリシアは尊敬の念すら覚えていた。

 そんなアリシアの言葉にフェイトは何も言えなくなる。確かにアリシアの言うとおり、フェイトはプレシアを支え続けた。しかしそれは偏にアリシアとしての記憶がそうさせたに過ぎない。幼い頃の自分によく見せてくれたプレシアの笑顔。それがもう一度、見たい一心でフェイトはどんな理不尽にも耐え続けることができたのだ。

「違う、違うよ。アリシア、わたしは……」

「ううん、違うなんてことない。例えフェイトがどんなことを想っていたとしても、それでも今までママを支えてくれたことに変わりはないよ」

 アリシアの言葉にフェイトの心はズキリと痛む。フェイトが今までプレシアのために動いてきたのは、プレシアを喜ばせたかったというよりもプレシアに褒められたかったという思いの方が強い。プレシアのためではなく自分のため。だからフェイトはアリシアを甦らすことではなく、アリシアになることを願ったのだ。

「フェイト、そんな顔しないで。そんな顔されたら、わたしも泣いちゃうよ」

 そう言って微笑むアリシア。その目元にはフェイト同様に、涙を溜め込んでいた。それを見たフェイトは涙腺を決壊させる。ここに至ってフェイトは自分の選択が間違いだったということに気付く。

「ねぇ、アリシア。これからはわたしの代わりに――」

 だからこそフェイトはアリシアに自分の代わりに意識を表層に出してみないかと提案しようとする。実際にこうして話してみたからこそわかる。プレシアにとって本当に求められているのは紛いものの自分ではなく本物のアリシアだ。どんなに頑張ったところで自分はアリシアにはなれない。自分はアリシアのように強くはない。アリシアのように優しくもない。それが痛いほどわかってしまった。ならば自分は潔く身を引くべきだ。あくまで自分はアリシアの代用品。本物が存在しているのなら自由に動く身体も、プレシアの愛も全て本物に譲ろう。自分はそんなアリシアの中でプレシアの喜ぶ顔を見ることができればそれだけで十分だった。

「……それは無理だよ」

 そう思って告げようとしたフェイトだったが、それを言いきる前にアリシアは首を振った。

「今、こうしてフェイトと話をすることができていること自体、本当だったらあり得ないことなんだよ。それもフェイトの願った奇跡の力によって。だからたぶん、わたしはどう頑張っても表に出ることはできないんだと思う」

「そ、そんなの、やってみなくちゃわからないよ」

「わかるよ。本当はフェイトだってわかってるんでしょ?」

 その言葉にフェイトは何も言えなくなる。フェイトの願いは『アリシアになること』であって『アリシアを蘇らせること』ではない。あくまでフェイトにできることは自分がアリシアになることだけなのだ。いくら願ったところで今からではアリシアの意識を表に出すことは不可能だろう。

「でもそれでいいんだと思う。だってわたしが死んじゃってるってことには変わりはないんだから。だからその分、生きているフェイトが愛されなくっちゃ駄目だよ。本当ならわたしとしてじゃなくてフェイトとして愛されて欲しいとは思うけどね」

 そう告げるアリシアは、笑顔だった。痛々しいほどに悲しい笑顔。本当はプレシアに会いたいはずなのに、それをひた隠そうとしているのが見てわかる。そんな笑顔だった。

「ごめん、ごめんね、アリシア…………お姉ちゃん」

 そんなアリシアの姿にフェイトは泣き崩れる。そんなフェイトを優しく慰めるアリシア。そんな彼女の頬もまた、涙が伝っていた。



「――ごめんね、お姉ちゃん。もう大丈夫だから」

 一頻り泣き終えたフェイトはそう告げる。まだその目は真っ赤に染まっているが、それでもいつまでも甘えているわけにはいかない。

「ほんとうに? ほんとうに大丈夫なの?」

「うん。名残惜しいけど、いつまでもこうしているわけにはいかないから」

 二人にはわかっていた。外ではまだ苛烈な戦いが繰り広げられている。それなのに自分たちがこんなところで寝ているわけにはいかない。プレシアを助ける意味でも早く身体を治し、戦場に戻らなければならない。

 そう思いながらもフェイトは躊躇っていた。なんとなく、なんとなくだが、もう二度とこうしてアリシアと話すことができないような、そんな気がする。それは理由のない直感のようなものだが、そんな言い知れぬ不安をフェイトは感じ取っていった。

「フェイト、気にしなくていいんだよ」

「でも……」

「むぅ。それじゃあわたしの代わりにママを助けてきてよ。それでママにこう伝えて。アリシアはママの娘でいられて幸せだった。今までありがとう。そしてこれからはフェイトを、わたしの妹を愛してあげてって」

 そんなフェイトの気持ちを断ち切るようにアリシアは伝言を頼む。アリシアとて、できることなら自分でプレシアのことを助けに行きたい。しかし彼女にはその資格も、その手段も持ち合わせていない。だからその想いをフェイトに託す。フェイトなら自分以上にプレシアを助けるのに相応しい。何せアリシアにとってフェイトは自慢の妹なのだから。

「わかったよ。でもお姉ちゃん、ときどきここに遊びに来てもいいかな?」

「……うん。フェイトならいつでも歓迎するよ」

 それは心の底からの笑顔だった。その顔を見て安心したのだろう。ようやくフェイトも破顔し、そして改めて表情を引き締める。するとフェイトの身体が淡く輝く。それと同時にフェイトの意識が現実に引き戻されていく。

「それじゃあお姉ちゃん、いってくるね」

「うん、いってらっしゃい」

 フェイトは最後の力を振り絞ってアリシアに満面の笑みと共に告げる。その言葉に同じく笑みで答えるアリシア。その会話を最後に、フェイトの身体は露となってこの場から消えていった。

「……フェイト、頑張ってね。わたしはずっとあなたの中で見守っているから」

 そしてフェイトの身体が消えると同時にアリシアは満足げに誰にともなく告げると、その姿を消した。



    ☆ ☆ ☆



【フェイトちゃん、お願いだから目を覚まして】

 アリシアと別れ、意識の表層に昇っていたフェイトは不意になのはの声を耳にする。

【……なのは?】

【フェイトちゃん、よかった。ようやく繋がった!】

 フェイトが声を返したことでそう安堵するなのは。

【あのね、フェイトちゃん。今から言うことをよく聞いて。フェイトちゃんの身体は今、死の淵に瀕しているの。でもフェイトちゃんは魔法少女だから、十分な魔力があれば今の身体を捨てて新しい身体を作り出すことができるの。わたしが今からサポートするからフェイトちゃんは……】

【ごめん、なのは。それはできないよ】

 フェイトに肉体の再構成のプロセスを伝えるなのはだったが、言い終わる前にフェイトがそれを断る。

【えっ? フェイトちゃん、それってどういうこと?】

【だってこの身体はわたしのものじゃなくて、アリシアの身体だから。だからこの身体を破棄して新しい身体を作るなんてこと、わたしにはできないよ】

 それは今のフェイトにとって譲れない境地だった。もしフェイトがアリシアに会わなければなのはの提案に従っていただろう。しかしフェイトは知ってしまった。この身体の中にアリシアの魂があることを。フェイトにはアリシアを切り捨てることなどできるはずもない。

【なのはがわたしの身を案じてくれている気持ちはわかる。でもわたしにも譲れないものがあるから。だから……】

 そう言うとフェイトの身体が青白い光に包まれる。とても温かく淡い光。それがフェイトの身体の傷を癒していく。それと同時にフェイトのソウルジェムが急激に穢れていくが、それでもフェイトは身体を治すのを止めない。例え自分の魔力を使い尽くそうとも、アリシアの身体を治す。そしてプレシアを助ける。その決意の元、フェイトは限界を超えて魔力を行使する。

 そんなフェイトの気持ちを悟ったなのはは、ジュエルシードの魔力を与える。魔力の消費量だけで言えば、肉体を再構成するよりも今ある傷を治癒する方が少なく済むことはなのはにもわかっていた。だがそれでも肉体の再構成をさせようとしたのかというと、その所要時間に大きな差があるからだ。一から肉体を作り出すのと細胞を繋げるのとでは、後者の方がより繊細な作業が必要となる。それをなのはは度重なる戦いの中で理解していた。

 それに今のフェイトの身体はある意味で戦闘に不向きだ。子供だった元のなのはの肉体よりも今のフェイトはさらに幼い。魔法少女である以上、フェイトもなのはと同様の魔力を有しているのは間違いないだろうが、それでも肉体の方がこれからの戦いに耐えられるかわからない。故になのははフェイトにより強い肉体を与えて自分のサポートをしてもらいたかったのだ。

 だがフェイトがそれを拒んだのなら仕方ない。そこに揺るぎない想いがある以上、なのははフェイトの意志を尊重した。自分の持つジュエルシードの魔力の半分を与えて、フェイトの肉体を活性化させる。あれだけ深かった傷口が見る見るうちに塞がっていく。さらに失われた血液もまた、魔力によって補充される。

「おはよう、フェイトちゃん」

「おはよう、なのは」

 そうして光が収まった時、そこには傷一つないフェイトの姿があった。



     ☆ ☆ ☆



 すでにプレシアは限界だった。アリシアを護るために創り出した防護結界。それを維持するだけで今のプレシアには精一杯だった。すでに防護結界は影魔法少女の群れに隙間なく覆われており、少しでも気を緩めたら最期、すぐにでも壊されてしまうところまできていた。

 それでも結界が壊れずに済んだのは、プレシアの強固な意志の強さがあったからに他ならない。アリシアを護る。それをプレシアは命が尽きても完遂するつもりだった。周囲にはプレシアの口から吐き出された血液が飛び散っている。時折り、胸が締め付けられるように苦しくなる。それでもなお、プレシアは気を緩めない。ただひたすらになのはを信じて結界を維持し続けた。

 その時、突如としてプレシアの気が軽くなる。先ほどまで影魔法少女に膨大な圧力を加えられていたのが、そっくりそのままなくなる。それでも結界は壊れていない。そのことを不思議に思い周囲を見渡すと、つい先ほどまで結界を取り囲んでいたはずの影魔法少女の姿は全てなくなっていた。その代わり、結界の外にはなのはの姿があった。デバイスを手に一気に影魔法少女を殲滅していくなのは。それを見てプレシアは反射的にアリシアの倒れていた場所に視線を移す。そこにはアリシアが立っていた。

「アリシア!!」

 それに気付いたプレシアは彼女の元へと駆け寄ろうとする。

「待ってください。――母さん」

 それを他ならぬアリシアが止める。その言葉にプレシアは足を止め、表情を固まらせる。そして改めてそこに立つアリシアの顔を見る。アリシアとは似ても似つかない青い髪の少女。そこから感じられる魔力はプレシアの全盛期の魔力を遥かに上回るほどの魔力を纏わせていた。しかし彼女が魔法少女ということを考えれば、その膨大な魔力にも納得ができる。

 だが彼女は今、プレシアのことを何と呼んだだろうか? 聞き間違えでなければ確かに『母さん』と呼んだ。それはアリシアではなくフェイトが自分を呼ぶ時に使う敬称だった。

「――母さん。わたしは母さんに聞いてもらわなくちゃいけないことがあります」

 その時、プレシアはようやく目の前にいる少女の正体に辿り着く。アリシアに似て非なる少女の正体。それはプレシアのよく知る相手だった。

「……今はそんなことを言っている場合ではないでしょう。話があるというのならこの状況を打開してからにしなさい」

 だからこそ、プレシアはいつものように冷徹に命じようとする。だが意識すればするほど、それができなかった。それは彼女から以前以上にアリシアを感じさせるからだ。それは彼女の肉体がアリシアのものだからなのかもしれない。それとも魔法少女になり、魂の形を変質させたからなのかもしれない。

 それでもプレシアはハッキリと目の前の相手がアリシアではなくフェイトであると確信する。確かに節々の仕草や気配はアリシアを彷彿とさせる。だがそれ以上に目の前の少女はフェイトなのだ。自分を慕い、その感情を利用し尽くして切り捨てたアリシアの紛いもの。フェイト自身、アリシアと同じ遺伝子を使って創り出したこともあり似ているのは当たり前なのだが、その明確な違いをプレシアはハッキリと見分けることができる。故にそう結論付ける。

「それじゃあ一言だけ。『ママ、わたしはママの娘で幸せだったよ。今までありがとう』。――そしてさようなら」

 けれどプレシアがそう確信した瞬間に見せた彼女の顔は、まさにアリシアそのものだった。そのことにプレシアが驚いている間に少女はなのはの元に向かって飛んでいく。

「あの娘はアリシア? それとも……」

 その背を見送るプレシアの口から零れた疑問に返す声は、この場に存在しなかった。



2014/4/12 初投稿



[33132] 第12話 これが私の望んだ結末だから その7
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2014/04/24 19:20
 なのは不在の海鳴市に生まれた最後の魔女。織莉子の本音を言えば、彼の魔女と事を構える意義は薄い。確かに数百体の魔女が融合した存在は脅威だ。しかしそれでも世界を揺るがすには程遠い。仮にこの場で織莉子が手を下さなくとも、いずれは杏子や管理局の手によって屠られるのは間違いない相手である。なのはに対する義理はあるが、それ以上の理由はない。

 そもそも彼女は矢面に立って戦闘するタイプの魔法少女ではない。戦うことができないわけではないが、どちらかと言えば後方支援タイプの魔法少女だ。前衛で戦ってくれるパートナーがいて初めて、織莉子の力は十全に発揮できる。そして今、織莉子には信頼できる前衛のパートナーがいない。並みの魔女ならともかくとして、仮にも相手は海鳴市の魔女の中で最後まで残るほどの強敵だ。今の織莉子では死力を尽くしたところで勝つことは難しいだろう。

(……彼女たちが万全の状態ならば、あるいは簡単に倒すこともできたのかもしれないけれどね)

 織莉子は自分と並走する杏子とアルフの姿を見る。今のこの二人、特に杏子はまともに戦えるような状態ではなかった。彼女が受けたルシフェリオンブレイカーによる傷は未だに癒えていない。本来ならば戦うのはもちろん、こうして駆けているだけでも激痛が伴っているはずだ。それをおくびも表情に出さない杏子はある意味で流石だと言えるが、あくまでそれだけだ。戦力として期待するのは無理な話だろう。それに対してアルフは肉体的には万全な状態だが、その精神面が追い詰められていた。主であるフェイトが行方不明という事実。それによって先ほどから心ここに在らずといった状態だ。そんな二人を連れて戦うというのは考えようによっては一人で戦うよりも厳しい状況だった。

「杏子さん、今の内に聞いておきたいのだけれど、このままの状態で戦って勝算はあると思う?」

「そんなの、相手を見てみなくちゃわからねぇよ」

「本当にそうかしら? 貴女なら相手の戦力を予測し、その上で現状の戦力と照らし合わせるということぐらい容易に行えると思うのだけれど……」

「……チッ、てめぇの思っている通りだよ。おそらくこのまま挑んでも勝てねぇ。せめてあたしかアルフが万全の状態であれば、まだわからなかったけどな」

 織莉子の問いかけに杏子は苦々しく答える。杏子としては答えたくなかったことだが、それでも現状の戦力を冷静に見つめてそう判断せざるを得なかった。実際に戦闘になった時、おそらく一番の足手まといになるのは自分であることは、彼女が一番よくわかっていた。それでも彼女が戦場に赴こうとしているのは、これから戦いを挑む魔女以上に織莉子のことを警戒していたからだ。

 そもそも彼女たちが魔女に戦いを挑みに行くことになったのは、そう織莉子が提案したからである。だがもしこの提案に乗らなければ、織莉子とはあの場で敵対状態になっていただろう。そうなった時、彼女を逃がさず制す自信が今の杏子にはなかった。身体が万全に動くのならば問題ない。如何に織莉子の魔法が強力だろうと、少なくとも五分の戦いに持ち込める自信はあった。あの場にアルフもいた以上、八割以上の確率で織莉子を逃がさずに済んだだろう。

 しかし現実はそうではない。自分は手負い。そしてアルフはキュゥべえの言葉に心乱されている。故に織莉子を逃がさないためには魔女に戦いに挑む以外の選択肢は残されていなかったのだ。

「杏子さん、私の魔法はその性質上、前線に立って戦えるようなものではない。そのことは貴女もわかっているでしょう? だけど本来、前線に立って戦うべき貴女とアルフさんは万全の状態じゃない。普通の魔女ならいざ知らず、相手は仮にも海鳴市の戦いを最後まで生き残った魔女よ。このまま何の策もなく戦いを挑んだとしても勝算はないでしょうね」

「ま、そうだな。でもさっきも言ったと思うが、てめぇ一人で魔女との戦いに行かせるわけにはいかねぇぞ。そのまま逃げられかねないからな」

「わかっているわよ。けれど言ってしまえば今の貴女たちは足手まといにしかならない。賢明な杏子さんならその自覚はあるわよね?」

「……否定はしねぇよ」

「それがわかっているのなら話が早いわ。だから杏子さんには私が魔女を相手にしている間にやってもらいたいことがあるの」

 そう言ってから織莉子は自分の案を杏子に告げる。それは作戦というには稚拙過ぎるものだった。けれど同時にそれを否定できるような代案を杏子は持ち合わせていなかった。それでも織莉子が提案してきた以上、素直に従うわけにはいかなかった。

「正直に言っていいか? ――いくらなんでも無茶が過ぎるぞ。そんな回りくどいことをするくらいなら、まだ時期を置いて戦った方がマシだと思えるぐらいだ」

 そもそも今の戦力で戦いに挑む方がどうかしているのだ。あと一日でも経てば杏子の身体は今よりはまともに動くようになっているだろうし、アルフも平静を取り戻すことができているかもしれない。それどころか管理局の手を借りることも、なのはやフェイトの行方がわかり共闘することさえ可能かもしれなかった。

「そうね。でもそういうわけにはいかないわ。相手は他の魔女を喰らい尽くしているのよ。そんな相手が次に狙うのは誰なのか、聡い杏子さんならばすぐにわかるでしょう?」

 魔女が本来喰らうのは、人間である。魔女同士が喰い合う自体を引き起こしていた海鳴市が異常なのだ。そんな魔女同士の喰い合いで最後まで勝ち抜いた魔女。ジュエルシードの力があったとはいえ、まだ魔法少女の枠の中で結界を生み出したキリカでさえ小学校を一つ丸ごと飲み込むほどの結界を創り出すことができたのだ。最低でも同程度の被害が出ることは間違いない。

 以前までの杏子であれば、そんな被害など気にも止めなかっただろう。しかし今は違う。ゆまに出会い、管理局で過ごし、そしてすずかの死に様を見てきた今の彼女にとって、救えるはずの命を見捨てることはできない。その規模が数百ともなれば尚更だ。

「もちろん、これはとてもリスクの高い戦いであることは十分承知しているわ。それでもこの戦いにおける勝機はこれしかない」

「……ま、そうだな。だけど本当にいいのか? 失敗したら一番リスクが高いのはあんただぞ?」

「そのぐらいのリスク、構わないわよ」

 織莉子はうっすらと笑みを浮かべる。相手の魔女の実力がどれほどのものかはわからない。しかしどんなに少なく見積もっても、普段の彼女たちが戦ってきた魔女よりは遥かに上なのは違いない。仮に考え得る策が全て成功したとしても勝てるかどうかはわからない。彼女たちが今から挑もうとしているのはそんな相手なのだ。それ相応のリスクは覚悟の上だ。

「……っと、どうやらここが結界の入り口のようね」

 そんな話をしている間に三人は結界の入り口まで辿り着く。それに気付いて足を止める織莉子と杏子。やはりアルフは集中力を欠いていたのか、入口から通り過ぎるが、すぐに二人が足を止めていることに気付き、その場に戻ってくる。

「アルフ、いい加減気を引き締めろよ。フェイトのことが気になる気持ちはわかるが、それで油断して死んでしまったらどうしようもないんだからな」

「わ、わかったよ」

「ならいい。――それと織莉子、一応、その案には乗ってやる。アルフには後であたしの方で説明しといてやるから安心しな」

「えっと、一体何の話だい?」

「それは魔女の元に向かう道すがらに説明してやる。とりあえず今は結界の中に入るぞ」

 その掛け声を合図に三人は魔女の結界の中へと入っていく。こうして彼女たちの海鳴市における最後の戦いの幕が上がった。





     ☆ ☆ ☆





 ワルプルギスの夜、それは魔法少女の伝説の中に語り継がれる存在だ。結界を必要としない超弩級の魔女。並みの魔女や魔法少女など歯牙にもかけず、ただその場に現れるだけで全てを蹂躙していく存在。その力の前では如何なるものも無意味。敵対すれば最後、その命を賭して戦ったとしても傷一つつけることのできない存在だ。

 しかし今、そんなワルプルギスの夜を相手に善戦している魔法少女たちがいた。一人は少女というには幾分か成熟しきった肉体。それはさながら子供から大人へと変化したばかりの若々しさを感じさせる少女だった。彼女が放つ黒炎は全てを飲み込み、襲いくる影魔法少女を蒸発させていく。その攻撃は敵としてみれば恐ろしくあり、そして味方からみれば頼もしくもあった。

 それに対してもう一人の少女はまさに少女と呼ぶにふさわしい幼い容姿をしていた。その手に握る戦斧は少女の身の丈に対してどこかアンバランスさを覚える大きさで、それを精一杯振り回す姿はどこか微笑ましい。だがそこから放たれる青い稲妻の力は本物だ。音を置き去りにする勢いで放たれる雷撃は、ワルプルギスの夜が生み出す影魔法少女の身体を貫き、その活動を停止させていった。こちらの少女はまだどこか魔力を持て余している感じがあったが、それでもその実力は並みの魔法少女や魔導師と比べて頭一つ抜きんでていると言っても過言ではなかった。

 二人に共通して言えること、それはとても幼く、それでいて稀有な才能を持つ少女ということだ。見た目で言えば二人の年齢には大きな隔たりがあるように思える。しかしその実、二人の元々の肉体年齢はほとんど同様のものだ。けれど彼女たちは片やより戦闘に適した肉体へ、片や自らが憧れ望んだ肉体へとその魂の置き場を移した。共に慣れ親しんだ肉体ではなかったが、すでに彼女たちは自身の肉体を使いこなしていた。大人の肉体を得た少女は、その長い四肢を活かして、近づいてきた影魔法少女を大きく薙ぐ。デバイスを直接、叩きつけられた相手は一気に燃え出し、その生命活動を停止させる。もう一人のより幼い肉体を手に入れた少女は敵の群れの中に自ら飛び込み、身軽な肉体と雷撃魔法の性質を活かして、内側から敵を感電させていった。

 その戦いに一切の無駄はなく、それでいて目にもとまらぬ速さでワルプルギスの夜の使い魔たる影魔法少女を殲滅させていく。一秒に一体の頻度で生み出されていた影魔法少女だったが、ここにきてついにその速度を上回り始めていた。

 ワルプルギスの夜を打倒すべく戦い続ける少女たちの名は高町なのはとフェイト・テスタロッサ。それは平均的な魔法少女や魔導師の年齢からみればとても幼い、運命に翻弄された少女たちの姿だった。





 戦いの中でフェイトが感じていたのは、プレシアとアリシアに対する申し訳なさであった。プレシアの望みであったアリシアの蘇生。それは結果的に望まぬ形で叶ってしまった。フェイトが乗り移るという形でアリシアは蘇り、そのアリシア本人の意識は表に出てくることは叶わない。ここにいるのは紛いものの自分。それがフェイトにはどうしても許せなかった。

 例え一度だけでもいい。アリシアとプレシアに直接、話をさせてあげたい。そのためには今、ここにいる自分が邪魔になる。アリシアとして創られ、アリシアであることを望み、アリシアになることのできなかった自分。プレシアからすれば、自分の存在は忌々しく思えても当然だろう。

 だからフェイトはアリシアからの伝言を半分しか伝えなかった。アリシアのプレシアに対する思いのみを伝え、自分に関わる部分は黙殺した。今更、フェイトはどんな顔をしてプレシアに愛されたいと、愛して欲しいと言えるだろうか。自分は彼女の最大の望みが叶うチャンスを潰してしまったのだ。そんな自分には愛される資格はない。この戦いでプレシアを守ったら最後、フェイトはその命を絶つつもりだった。

 故に彼女の戦い方は自分の身を顧みない。敵陣の真ん中に飛び込み、その身に電撃を宿して殲滅する。その色は本来の自分の魔力光ではなく、アリシアのもの。それを見る度に、フェイトは痛感する。



 ――ここにいるのは『アリシア』でも『フェイト』でもない。『別の誰か』だ。



 プレシアに愛され続けたアリシア。プレシアに愛されたいと願ったフェイト。今、ここにいる自分はそのどちらでもない。差し詰め、プレシアを助け続けたいと思う誰かだ。アリシアの身にフェイトの魂を宿した彼女は、戦いの中で自分の在り方を徐々に歪めていっていた。





 ワルプルギスの夜と戦うことになって、なのははどんどんとその存在を変質させていった。人間であることを止め、魔法少女として生きていくことを決めたなのは。しかし今にして考えると、海鳴市で魔女と戦っている時はまだ人間でいられたのではないかと思う。確かに魔女と数日もの間、常に戦い続けるというのは、とても人間業とは思えない。だがそれでもあの時のなのはは自らの身体が傷つくことを極端に恐れた。それはダメージを受けることで満足に戦えなくなることを危惧した故だったが、改めて考えればそれは人間としての当然の本能があったからなのかもしれない。

 けれど今のなのはは敵から受ける攻撃に恐れはない。もちろんダメージを受ければそれに伴う痛みを感じる。しかし今のなのはそれに怯むことはない。むしろその痛みを糧として、次なる攻撃へと繋げることができる。必要とあらば肉体すらも切り捨て、新しい肉体を創り出す。そんな彼女をもう『ニンゲン』と呼ぶことはできないだろう。

 だがそれでいいのだ。夜の一族という人とは違う種族に生まれ、それでも『人』であることを望んだすずか。そんな彼女は最終的には人を護るために人であることを捨てようとした。

 おそらく今の自分を見れば、すずかが悲しむことは間違いない。人を捨て、友を捨てた自分を彼女が生きていれば叱咤されたかもしれない。

 それでも、もうなのはは止まれない。立ち止まることは許されない。すでになのはは知っている。この世界が危ういことを。一歩間違えれば、いつ滅びの時を迎えてもおかしくないということを。なのはにはそれを止めるだけの力がある。もし自分一人の犠牲でなのはの愛する多くの人を救えるのなら、それで本望だ。

 だから彼女は覚悟を決める。ここまでの戦いですでに辺りには十分な魔力が満ちた。魔力の収束を邪魔する存在も、フェイトが倒し続けてくれるだろう。あとはなのはが人としての最後の欠片を捨てる覚悟さえできれば、それで十分だった。





「……凄いわね」

 プレシアは頭上で繰り広げられている戦いを眺めてそう零す。すでに戦いにおけるプレシアの役目は終えている。本来ならば傀儡兵を操りなのはをサポートするのがプレシアの役目だったが、傀儡兵など今の二人には邪魔にしかならない。それほどまでに二人の動きは洗練され、無駄のないものだった。尤も、プレシアにはその全てを追えるわけではない。なのはもフェイトも、その動きを際限なく高め、プレシアには彼女たちが通った残像しか見えなかった。

 すでに時の庭園の中庭で無防備に立っているプレシアを襲おうとする影魔法少女の姿はない。すでに影魔法少女の数は当初より劇的に減らしており、さらに二人の強さは戦いの中でさらに磨きが掛かっている。影魔法少女はそんな二人と相手するだけですでに手いっぱいとなっており、プレシアにまで注意を回す余裕はなかったのだ。

 そんな戦いの中でプレシアが考えるのは、やはりアリシアと、そしてフェイトのことだった。今、頭上で戦っている彼女。初めに見た時はアリシアではないと思った。それは彼女の青い髪と潤沢な魔力、そして魔法を行使する時の技術力が原因だ。しかしそれ以外の要素については、アリシアそのものとしか言いようがなく、その後なのはから彼女が魔法少女だと聞き、それらの差異の理由に説明がついた。

 だが次に目覚めた彼女は明らかにアリシアではなかった。プレシアのことを「母さん」と呼び、その仕草や態度もフェイトに酷似していた。魔法少女として契約したのが誰なのかと考えれば、それは当然のことだろう。

 しかし戦いに赴く前にそんなフェイトが見せた表情。アリシアが言ったとしか思えない言葉。同時にアリシアとはどこか違う、別れ際に見せたフェイトの表情。それを見て、プレシアは今度こそ、彼女が何者なのかわからなくなってしまった。

 できることならば、そんな彼女の手助けをしたい。そう考えるプレシアだったが、すでに戦いの次元が違う。あの戦いに割って入ることのできる存在など、この世に何人いるだろうか。それほどまでにワルプルギスの夜と二人の戦いは苛烈で、そして痛ましいものだった。

「戻ってきなさい。あなたたちにはたっぷり聞きたいことがあるんだから」

 プレシアはそう言って踵を返す。本当ならこのまま最後まで戦いを見ていたい。だが自分がここにいれば邪魔になる可能性がある。そう思い、プレシアは時の庭園の中へと戻っていった。





 ――フェイトちゃん、少しだけでいいから時間を稼いでもらえるかな?

 ――わかったよ、なのは。無理だけはしないでね。

 戦いの中で行われた一瞬の目配せ。二人はそれだけでお互いの言いたいことを理解した。そこからのフェイトの動きは早かった。なのはに迫る影魔法少女を優先的に打ち落としながら、ワルプルギスの夜に近づいていく。もちろんワルプルギスの夜はそれを良しとしない。フェイトを阻むべく影魔法少女で壁を作り、一斉に攻撃する。フェイトはその攻撃を全て紙一重でかわしながら、詠唱を紡いでいく。

「――アルカス・クルタス・エイギアス」

 フェイトが紡ぐのはフォトンランサー・ファランクスシフト。フォトンランサーのバリエーションにして、彼女の持つ最大の攻撃魔法。彼女の持ち得る魔力のほぼ全てを行使し、無数の発射体を生み出し目標を殲滅する魔法である。本来であればそれほどの大魔法を行使するのならばそれ相応の準備が必要だ。必殺の一撃であるため、確実に相手を仕留めるために拘束魔法で動きを止め、そこに全魔力を叩き込む。それほどの一撃であるため、他の魔法の行使はもちろん機動戦を仕掛けながら詠唱を紡ぐことなど以前のフェイトにはできなかった。

 だが今のフェイトは違う。彼女は的確に影魔法少女の位置を把握しながら、なのはのことにも気を配り続けている。なのはの邪魔になり得る影魔法少女を優先的に撃墜し、さらに意図的に全身から魔力を放出させることでワルプルギスの夜の意識を自分に向けようとする。


「――疾風たりし天神 今導きのもと撃ちかかれ」


 大魔法を唱えながらも、大魔法並みの魔力を消費し続ける。それは簡単なことではない。ただでさえこれから多大な魔力を消費することがわかっているというのに、それを彼女は惜しみなく消費し続ける。雷のような速度で空を飛びまわり、なのはへの攻撃を代わりに受け、それでいて魔法を振るい続ける。それはとても魔法少女になっただけではこなせない芸当だっただろう。

 それを可能にしていたのは、フェイトの中にいるアリシアの存在だ。決してアリシアの意識が表層にでてきているわけではない。それでもフェイトは確かに自分の中にアリシアの鼓動を感じた。それがフェイトにさらなる力を与え、不可能を可能にしていた。

「――バルエル・ザルエル・ブラウゼル」

 確かにフェイトはアリシアになることはできなかった。奇跡に縋って魔法少女になり、アリシアの肉体を得たのだとしても、それは『アリシア』ではなく『アリシアの身体を動かすフェイト』でしかない。だがフェイトが願いの本質はアリシアになることではない。彼女が願ったのは『アリシア・テスタロッサとしてプレシアを助けること』。今のフェイトはその身にアリシアの魂を宿した肉体を操り、プレシアの敵であるワルプルギスの夜と戦っている。

 キュゥべえとの契約はたった一つを得るためのそれ以外の全てを犠牲にする悪魔の契約である。しかし言いかえれば、そのたった一つのものは確かに手に入っているのだ。それがどんな形にせよ、彼女たちは願ったものを必ず手にすることができるのだ。それは全ての魔法少女に等しく訪れる奇跡なのだ。



「――撃ち抜け雷神! フォトンランサー・ファランクスシフト!!」



 詠唱を終えると共にフェイトの周囲に一気に展開する発射体の数は約二百。魔導師としてのフェイトが一度に展開することのできた発射体の数が三十程度だったと考えると、その数は実に約七倍。そこから絶え間なく降り注がれるフォトンランサー。それはさながら雷の雨とも呼べるほどの勢いでワルプルギスの夜へと襲いかかる。いくらワルプルギスの夜が影魔法少女を盾にフェイトの攻撃を防ごうとしても、その数を越える攻撃を与えられればその限りではない。無数に放たれる雷槍は影魔法少女の壁を突き破り、その奥に潜むワルプルギスの夜へと届く。一発一発は大したダメージにならない一撃。しかしそれを同じ個所に数百数千数万と打ちこまれればどうだろう。いくら強大な存在だとしても、ダメージは通る。

 それでも相手はこの程度の一撃でやられるような魔女ではない。例えフェイトがその身に宿した力以上のものを行使しているとはいえ、相手は伝説の魔女。そう簡単に倒れるような存在ではない。フェイトの役目はあくまでワルプルギスの夜の注意を引き付けること。フェイトは一切の油断もなく、自分の役目に従事し続けた。





「――集え、明星」

 周囲に漂う魔力を収束させるなのはは、自分に流れ込んでくる無数の意識に精神が汚染されていた。ワルプルギスの夜に取り込まれ、影魔法少女として戦わされている無数の少女たちの記憶。世界に絶望し、自らの滅びを望み、それでもなおワルプルギスの夜に従属させられ続ける少女たちの悲痛な叫び。それが一人や二人ならば問題ない。しかしここまで、なのはたちが倒してきた影魔法少女の数は有に数百、下手をすれば千を数えるほどかもしれない。その全ての声をなのはは魂に直接、受け続けていた。

 ルシフェリオンブレイカーは言わば、未完成の魔法である。レイジングハートと共になのはが生み出そうとしたスターライトブレイカー。しかし彼女はまだ、収束させた魔力の制御法を確立させてはいなかった。現状のルシフェリオンブレイカーは、収束させた魔力をなのはがその身に受けることで無理やり制御しているといった状態だ。それが魔力と共に膨大な思念が流れ込んでくる理由でもある。

 だが仮にスターライトブレイカーを完成させていたとしても、なのはには今の事態を防ぐことはできなかっただろう。それはこの場にレイジングハートが存在していないからである。

 なのはが初めて魔法少女として戦いに赴いたあの時、レイジングハートは消失した。魔法少女になったことに精一杯であったなのはは、完全にレイジングハートのことを失念していた。なのはがそのことに気付いたのは、しばらく経ってからのことである。ルシフェリオンがあまりにも手に馴染むデバイスであったということを差し引いても、これはなのはの失態だ。もちろん、その後の海鳴市における戦いの中でもなのははレイジングハートを捜し続けた。魔女の結界で落とした大切なパートナー。その結界の主を倒したとすれば、レイジングハートもまた現実世界に返ってきていてもおかしくない。しかし何度、念話で呼び掛けてもレイジングハートからの応答はなかった。考えられる理由は二つ。返事を返せないほどに傷ついてしまっているか、あるいは魔女の結界内に囚われているかだ。

 結局、ここまでの戦いの中でレイジングハートを見つけることはできなかったが、その中で自分が今までレイジングハートにどれだけ助けられていたのかを痛感させられた。もし彼女の手にレイジングハートがあればここまで苦戦することはなかったかもしれない。少なくとも、なのはの魂に直接、影魔法少女の思念が流れ込んでくるなんてことはなかったはずだ。下手をすればその思念になのはは気付くことなく屠り続けることになっていただろう。それは悲しいことではあるが、今の苦痛を考えればレイジングハートを失ったのは大きな痛手だろう。

 歴戦の戦士の様相を呈しているが、なのははついこの前までは魔法の存在すら知らないどこにでもいる九歳の少女だったのだ。そんな彼女にこれほどの思念を受け止めきれるほどの精神力が備わっているはずがない。すでに彼女はその意識を手放すか手放さないかの瀬戸際まで追いつめられていた。

「――すべてを焼き消す炎と変われ」

 このまま眠りたい。意識の奔流に身を委ね、全てを投げ出したい。そんな衝動に駆られるなのはだが、寸前のところで気を持ち直す。もしここでワルプルギスの夜を倒すことができなければ、次に彼の魔女が向かうのは間違いなく海鳴市であろう。そうなれば海鳴市にいるなのはの大切な人々はどうなる。為す術もなく蹂躙され、その平和な日常は終焉を迎えるだろう。そうさせないためにも、ワルプルギスの夜はこの場で倒さなければならない。その御膳立ては十分にできている。おそらく今がワルプルギスの夜を倒すことのできる最初で最後のチャンスなのだ。それを台無しにするわけにはいかない。

 精神をすり減らしながらも、なのははそのことだけを考え、辛うじて意識を繋ぎ止め続ける。今の自分はあくまでワルプルギスの夜を倒すための砲台。ワルプルギスの夜を倒すことさえできれば、この命、この魂を失うことになったっていい。だから――。



「――轟熱滅砕ッ!! ルシフェリオンッ! ブレイカァァーーーーッ!!」



 ――彼女は放つ。彼女が戦いの中に蓄えた影魔法少女の魔力。プレシアから譲り受けたジュエルシードの魔力。そして彼女自身が元々、持ち得た魔力。その全てをワルプルギスの夜に向けて。





     ☆ ☆ ☆





 織莉子たちが結界の中で遭遇した魔女。その姿はとにかく巨大だった。下から見上げたところでその頭が見えないほどに巨大な身の丈。下半身の部分は一つの面を六角形とした角張った球体となっており、その一つ一つから鎖に繋がれた魔女が生えていた。その造形は様々で、中には過去に杏子が海鳴市で倒した魔女の姿もあった。その頂点となる場所には下半身の大きさとは比べものにならないほどに小さい人間大の上半身があった。その身体はには無数の糸で縫い合わせてできたようなつながりが見受けられ、見ているだけで痛ましいと思える顔立ちをしていた。

 そんな魔女を目の当たりにして、アルフは本能的に全身の毛を逆立たせ、杏子もまた槍を構えて警戒する。明らかに今まで出会ってきた魔女のものとは違う魔力。その量も質もケタ違いで、仮に万全の状態であったとしても相手にしたくないと思えるほどに強大な存在だった。

「おい、織莉子。本当に一人で相手するつもりか?」

「えぇ、結界に入る前に話した通り、最初は私一人で戦うわ。杏子さんはその間にアルフさんに協力してもらって少しでも身体の傷を癒してもらいなさい」

 そんな杏子の心配をよそに織莉子は涼しい顔で答える。それは結界に入る前に織莉子が杏子に提示した作戦だった。作戦と呼ぶには稚拙な考え。しかし今のアルフを戦わせることの無謀さ。それがわからない二人ではない。ならば杏子の傷を癒して織莉子と二人で戦った方が万全だ。そんな彼女を癒すだけの時間を稼ぐと織莉子は言っているのだ。

「そうは言うけどな、いくらなんでもこいつとサシで戦うのは無茶だ。ここは一端引いて、管理局の連中に強力を仰ぐべきだ」

「……本当ならそうしたいところだけれど、でももう遅いわ。これだけの力を持っている以上、いずれは結界を破って外に出てくるはずよ。そうなってからでは全てが遅い」

 目の前の魔女はワルプルギスの夜には及ばないが、その力はとても結界内で収まりきるものではない。現にここにくるまで、結界の至る所にヒビが入っていた。今はまだ、魔女自身が結界内に収まってはいるが、その必要がないとわかればすぐにでも外に出てくるだろう。

「それに見たところ、この魔女はまだ完全に融合しきっていない。倒すとしたら今、この時を置いて他にないわ」

 織莉子たちがこうしている間も、魔女はその身を蠢かせ、その身を変質させていく。鎖の先にいる魔女のなれの果てと思われる存在の形が次々と変わっていく。それはまるで最適な形を模索しているかのような光景。おそらくそれが見つかった時、この結界はその役目を終えるのであろう。

「だ、だけど……」

「御託を言い合っている時間はないわ。文句があるのなら、さっさと傷を治して私を助けに来なさい」

 杏子の言葉を封殺して、織莉子は魔女に向かって駆けていく。その背を追い掛けることは簡単だ。しかしそれこそ愚策。今の自分やアルフが助けに入ろうとすればするほど、織莉子の足を引っ張ることになる。

「……アルフ、頼む。魔力を使いきっても構わない。だから早くあたしの傷を癒してくれ」

「あ、ああ……」

 結局、杏子は織莉子の指示に従い、アルフの治療を受ける。とはいえ、アルフは治癒に特化した魔導師ではない。杏子を完全に癒すには数時間ではとても足りない。そんな時間が残されていない以上、最低限戦いができるほどに傷が癒えれば杏子は戦場に飛び込んでいくつもりだった。

 ――この時、杏子は想像すらしていなかった。結局、彼女は織莉子を助けに向かうことができないということを。





     ☆ ☆ ☆





 なのはから放たれたルシフェリオンブレイカー。それはただそこにあるだけで破滅をもたらすほどの破壊力を秘めたものだった。その業火に影魔法少女はもちろんワルプルギスの夜さえも飲み込んでいく。声を上げる暇もなく消滅していく影魔法少女。それに対してワルプルギスの夜はルシフェリオンブレイカーをその身に受けながらも焼き尽くすことができなかった。

 そんな状況になのはは焦りが生まれる。ルシフェリオンブレイカーに込められた魔力は、とてもなのはに制御しきれるものではない。現にその膨大な魔力を放つなのはの身も炎に包まれつつある。砲手を握る両手から徐々に炎はなのはの身体に向けて立ち昇り続けている。それでも彼女は意識を手放さない。もし気を失えば、ブレイカーに込められた魔力は一気に制御を失い霧散する。そうなれば最早、ワルプルギスの夜を倒す手立てはない。故になのはは自分の中に存在する全てを込めて撃ち続けた。

 だがそれだけではワルプルギスの夜を倒すことはできない。確かにルシフェリオンブレイカーにはワルプルギスの夜を倒すことができるだけの魔力が十分に込められているはずだ。それでもワルプルギスの夜は耐えている。ただひたすらにルシフェリオンブレイカーを耐え続けている。そうなれば先にガス欠になるのはなのはの方である。五秒……いや一秒でもいい。一時的に今以上の魔力を込めることができれば、その勢いでワルプルギスの夜を倒すことができるはずだ。

 けれどその魔力を調達する方法はたった一つしか残されていない。すなわちソウルジェムの中に秘められし全てを解放し魔女になること。魔女になればその魔力量は魔法少女であった時よりも増大する。そのことをなのはは今までの戦いの中で本能的に理解していた。もしここでなのはが魔女化すれば、間違いなくワルプルギスの夜を倒すことができるだろう。

 しかしそれは同時に新たな魔女が誕生することを意味する。ジュエルシードの魔力を持ち、ワルプルギスの夜を打倒しうるほどの魔女。その力がどれほどのものになるのか想像もできない。ただ一つだけ確かなのは、そんな魔女を誕生させてしまった時点でこの戦いは全く無意味なものとなる。魔女を倒すためにより最悪な魔女を誕生させる。そんな結果にだけはするわけにはいかない。

 時間はもう残されていない。あと数秒もすれば徐々にルシフェリオンブレイカーの勢いは落ちていくだろう。そうなれば今度こそ手詰まり。なのはたちはワルプルギスの夜に喰われ、そしていずれは世界も滅ぶ。それだけはなんとしても防がなければならない。

 ワルプルギスの夜に敗れ喰われるか、ワルプルギスの夜を倒し魔女になるか。残された結末は二つに一つ。だからなのは決断する。自分に残された人としての最後の枷。それを解き放とうとする。あわよくばすずかのように、その命を散らすことでワルプルギスの夜を倒そうと、自身のソウルジェムを握りしめる。そしてそのまま自分の限界を超えた魔力を引き出そうとする。

「待って、なのは」

「えっ? フェイトちゃん」

 それにフェイトが待ったを掛ける。なのはにとってこの場にフェイトが現れたのは意外だった。すでに彼女の周りは業火に包まれており、何人たりとも近づけない状態だった。そんな中にフェイトは何の対策もなしに現れ、ルシフェリオンを握るなのはの手に自身の手を重ねる。灼熱の砲撃を放つ今のなのはの手は、周囲の大気と同様に酷い熱を持ち、触れただけでフェイトの手は火傷する。そんなことはお構いなしと言わんばかりにルシフェリオン越しに自身の魔力をなのはに流し込む。金色の魔力と空色の魔力。そんな二人分の魔力がなのはの中に充満する。それは炎の中でもなお感じられる温かみのある魔力だった。

「……なのはが今、何をしようとしていたのかはあえて聞かない。でもなのは、そんなことをしたら駄目だよ。なのはがいなくなったら悲しむ人がたくさんいるんだから」

「そ、そんなこと……」

「ないとは言えないはずだよ。そうでなかったらアリサの記憶を消す必要なんて、なかったはずなんだから。それに少なくともわたしはなのはが死んだら悲しい。なのはと敵対していたわたしでさえそう思うんだから、きっと他にもなのはがいなくなって悲しんでいる人がいるはずだよ」

 その言葉を聞いてなのはは何も言えなくなる。魔女になってはいないだけで、すでになのはは自分のことを人間とは思っていなかった。魔女との戦いの中で人間であることを捨て、数多の傷を負おうとも大した痛みを感じず、あまつさえ再起不能になれば肉体を捨て再構成までできるようになった。その身体能力も魔力で練り上げる時に操作し、今のなのはの身体は元の面影があるだけで別人と言い換えても良いほどに別物だ。さらに自分の唯一残された親友であるアリサの記憶まで消し去った。

 そんな人間と呼ぶにはあり得ない芸当や行いをしてきたなのはだが、フェイトの言葉に覚悟が揺らぐ。アリサの記憶は間違えなく消した。だがそれ以外にもなのはに関わりを持つものはたくさんいる。士郎や桃子、恭也や美由希といった家族。すずかの家族である忍やノエル、フェイン、それにアリサの家の執事である鮫島といった面々も少なからず話す機会はあった。……そしてユーノ。

 思い返せばすずかが死ぬことになるまで、なのははユーノと二人三脚で魔導師としてジュエルシードの回収を務めていた。初めて自分が誰かの役に立ち、自らやりたいと思えたジュエルシード集め。今にして思えばあの頃はどれほど楽しかっただろうか。まだそんな日にちが経っていないはずなのに、もうとても遠い日のように感じる。アリサを除けば魔法少女になったなのはが唯一、別れを告げることになった相手。

「アリサのこともそうだけど、なのはとはまだ話したいことがたくさんある。それにすずかの時の二の舞は繰り広げたくないから」

 何より今は亡きすずかに対して申し訳ない。今のなのはがあるのはすずかが命がけで助けてくれたからだ。その命をこんな形で捨てることが果たしてすずかの意思を引き継ぐことなのだろうか。少なくともすずかは絶対に喜ばない。それはなのは自身がすずかを失った痛みからわかることだ。

「……ごめんね、フェイトちゃん。そしてありがとう」

 なのははソウルジェムを掴んでいた左手をルシフェリオンに、フェイトの手に重ねるように乗せる。ここにきてようやくなのはは理解する。確かになのはは強くなった。魔法少女になり、戦いの中でその技術をどんどん洗練させていった。しかしそれだけでは決してなのはの守りたいものは守れない。どんなになのはが強かろうと一人では限界がある。

 だがなのはは一人ではない。彼女には大切にしたい日常がある。掛け替えのない家族がいる。そして心の底から信頼できる仲間がいる。だからなのははその手を借りる。自分一人で守れないのなら、誰かの力を借りればいい。一人で足りないなら二人。二人で足りないなら三人。それでも足りないならもっと多くの人の力を借りる。それは決してみっともないことではなく、むしろ誇らしいことなのだ。

 なのはがそれを悟った瞬間、放たれていたルシフェリオンブレイカーに変化が起きる。黒い炎を纏った負の魔力を帯びた砲撃が、徐々に清廉な桜色の、なのは本来の魔力光へと変化する。それはまさに星の輝き。なのはがレイジングハートと思い描いていたスターライトブレイカーそのものだった。

 もちろんなのはが想定していたスターライトブレイカーに負の性質を正の性質に変換するなどといったものはない。だがそうとしか考えられない。先ほどまでなのはの脳裏にこべりついていた影魔法少女の怨嗟の声はすでになく、二人の身体の至る所にあった無数の傷が癒え始めているのもその証拠だろう。

「なのは、これはいったい?」

 ルシフェリオンブレイカーの突然の変化に戸惑いの声を上げるフェイト。それに対し、なのははさも愉快そうに答える。

「フェイトちゃん、これがわたしの、わたしたちの希望。魔女の振り撒く絶望も変える希望の光、スターライトブレイカー」

「スターライトブレイカー?」

「うん、わたしの、わたしたちの全力全開、本気の魔法」

 最早、どす黒く歪んでいた影魔法少女の絶望の魔力は微塵も感じられない。砲撃に込められているのは希望を信じ、未来を馳せる希望の魔力。突如として魔力の質が変わったことで、先ほどまで耐えていたワルプルギスの表情が醜く歪む。彼の魔女がルシフェリオンブレイカーを耐えることができたのは、そこに込められている魔力の多くが影魔法少女から収束させた魔力だからに過ぎない。影魔法少女の持つ負の魔力。それはワルプルギスの夜にとってはダメージを与えることはできても倒すことはできない。しかしその絶望の力は今、そっくりそのまま希望の力へと変わっている。それを受け、徐々にワルプルギスの夜が押されていく。その表情を苦悶に歪め、嗤い声も弱々しいものへと変わっていく。

「――フェイトちゃん」

「――なのは」

「「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーー!!」」

 それに気付いた二人は互いに頷き合い、さらに魔力を込める。全ての魔力を使い果たすほどの勢いで、スターライトブレイカーに魔力を注いでいく。フェイトの魔力が加わったことで、桜色の砲撃に金と青の螺旋が加わり、さらにその威力を爆発的に増大させる。

「アヒャヒャヒャ……アヒャヒャ……アハ…………」

 ワルプルギスの夜はそんな二人の魔力を正面から受け、そして閃光の中へと消えていった。



2014/4/24 初投稿



[33132] 第13話 それぞれの旅立ち、そして世界の終わり その1
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2014/05/04 02:13
 なのはとフェイトの希望を乗せたスターライトブレイカーによってワルプルギスの夜は閃光の中へと消えた。――しかしその代償は大きかった。不完全な形で放たれたルシフェリオンブレイカー、さらには絶望から希望へと転化したスターライトブレイカー。それほどの離れ技をやってのけ、ただで済むはずがない。全ての魔力を使い果たした二人は最早、その場で浮かんでいることすらできなかった。

 地球であったならば、それでも地面に落下するだけだった。けれどここはアルハザード世界。すでに滅びを迎え、大地すらも消失してしまった世界である。そんな二人の足元には無限の闇が広がるだけ。その中に二人は真っ逆さまに落ちていく。

 それだけではなく魔力を使い果たしたことで、二人のソウルジェムは急激に濁り始める。ソウルジェムが穢れる条件は二つ、絶望するか魔力を消費するかである。確かに二人の放ったスターライトブレイカーはなのはの集めた魔力を収束して放ったものだ。しかし絶望の魔力を希望の魔力に転化するのに使われたのは、紛れもなく二人の魔力なのである。さらに確実にワルプルギスの夜を屠るために彼女たちの中に残っていたジュエルシードの魔力も全て消費してしまった。

 もちろんなのはにはルシフェリオンブレイカーを放つ段階でそうなることはわかっていた。ただ誤算があるとすれば、フェイトの協力を得たことだ。結果的にフェイトの助けがなければワルプルギスの夜を倒すことができなかったとはいえ、この場にいる二人の魔法少女が共に魔女になりかかっているというこの状況。いくらこの世界が別世界ということがわかっていたとしても、それは限りなく不味い状況だった。

 なのは一人ならばさしたる問題はなかっただろう。時の庭園でプレシアと対峙した時、彼女にはグリーフシードを渡してある。プレシアならばその使いどころを決して間違えないだろう。



 ――問題はプレシアに渡したグリーフシードがたった一個だけということだ。



 あの時点でなのはもプレシアもフェイトが魔法少女になってこの場にいるということを知らなかった。さらにルシフェリオンブレイカーにワルプルギスの夜が耐えることも想定していなかった。そしてフェイトがなのはの元に来て、魔力を差し出すことさえ想像していなかった。

 フェイトがいなければワルプルギスの夜を倒すことができなかった。それこそまさに奇跡と言い換えても良いだろう。だが奇跡を起こすには代償が必要だ。それこそキュゥべえと契約し、途方もない願いを叶えてもらう代償に魔法少女になるのと同様に。

 赤の他人と実の娘。二人のうちのどちらを救うかと問われれば、その答えは明白だ。それでもなのはは諦めない。僅かな力を振り絞り、グリーフシードを取り出そうとする。だがそうして無理に耐性を捻った瞬間、なのはの胸元に備え付けられていたソウルジェムが外れた。落下する中で外れたソウルジェムを、なのはの肉体は置いていく。重力に従い、なのはの肉体は加速度的にソウルジェムを置き去りにする。

(……嫌だ、魔女になんかなりたくない。わたしはまだ、死にたくない)

 離れていく自身のソウルジェムを見ながら、なのはは思う。戦いの中で一度は人間であることを捨て去ったなのはが、ようやく人であることを取り戻すことができたのだ。ワルプルギスの夜を倒し、皆を、海鳴市を救うことができた。あとは海鳴市に帰ってユーノに謝り、アリサに記憶を返し、そしてすずかが守りたかった日常に帰るだけなのだ。

(……ごめんね、皆。わたし、もう帰れそうにないや)

 なのはは最期にそんな思いを抱きつつ、その意識を手放すこととなった。



     ★ ★ ★



 クロノ・ハラオウンが目覚めたのは、海鳴市における最後の戦いが終わってから三日後の出来事だった。死の危機に瀕していたクロノであったが、医務官の懸命な治療、そして彼自身が持つ生命力の高さもあり、辛うじて命を繋ぎ止めることができた。

 そんなクロノを待っていたのは、戦いの爪痕と自由の効かなくなった身体だった。命の危機こそ脱したクロノだが、彼の受けた傷は深い。目覚めることはできたとはいえ、今のクロノは一人で立ち上がることはもちろん、上半身を起こすことさえ不可能だった。

「母さん、杏子。僕が眠っている間、何があったんだ?」

 だがそれでも彼は執務官だった。見舞いにきたリンディと杏子に、自分が眠っている間の出来事の仔細を尋ねる。だが二人はそれを語ろうとはしなかった。リンディはクロノには治療に専念して欲しいと願い、杏子に至っては表情を暗くするだけで何も言わない。それだけでクロノには望ましくない結果になったことを理解する。しかしだからこそ、クロノは強くそれを尋ねた。

「……わかったよ」

 そんなクロノの姿を見て、杏子は折れる。彼女としてもクロノに余計な心労を与えるのを好ましいとは思わない。だがクロノも海鳴市における戦いの当事者に違いないのだ。自ら聞きたがっている以上、話すのが筋というものだ。

「だけどクロノ。正直なところ、あたしたちにもわかってないことは多いんだ。その点を踏まえて話を聞いてくれよ」

 そう言って杏子は語り出す。クロノが意識を失ってからのことを。なのはがアリサの記憶を消したこと。プレシアとの取引に応じ、時の庭園に赴いたこと。時の庭園の座標をロストし、未だに見つかっていないこと。なのはがワルプルギスの夜の後を追って姿を消したこと。そして自身が織莉子たちと共に海鳴市における最後の戦いに臨んだことを――。



     ☆ ☆ ☆



 織莉子の指示に従い、杏子は身体を癒すためにアルフの治癒魔法を受け始めていた。もちろん戦場でのことだったので、集中して治癒を受けることができたわけではない。それでも治癒魔法を受けている時だけは傷の痛みが和らぎ、杏子は槍の投擲を問題なく行える程度には身体の自由を取り戻していた。

 魔女と戦う織莉子は水晶球を操り、距離を取りながら戦っている。そんな織莉子に向かう無数の鎖。その先端にいる魔女を象った存在から、様々な攻撃が仕掛けられる。あるものは剣戟を、あるものは炎を飛ばし、あるものは毒液を撒き散らす。織莉子はそれらを全て紙一重で避けながら、少しずつ魔女にダメージを与えていっていた。

 彼女がここまで的確に魔女の動きを読むことができたのは、偏に未来視の魔法の効果があったからである。彼女は数秒後の魔女の位置を視続け、それによってヒット&アウェイの戦法を可能としていた。

 けれど彼女の戦法には致命的な弱点がある。それは強烈な一撃がないことだ。確かに織莉子の回避能力は素晴らしい。例え万全な状態だとしても、杏子にはあれほど絶妙に攻撃を避け続けることはできないだろう。だがそれだけだ。織莉子が優れているのはあくまで回避行動のみ。攻撃性能はないとは言わないが、それでも魔女にダメージを負わせることができているのかと問われれば疑問が残る。相手が普通の魔女ならば十分に傷を与えることは出来そうなものだが、相手は少なく見積もっても百体以上がより集まってできた魔女である。持ち得る魔力も普通の魔女より数段上。決して図体が大きく手数が多いだけではない。如何に未来視の魔法を持っているとはいえ、いつまでもあのような危険な戦い方をさせるわけにはいかない。一刻も早く傷を癒し織莉子を助けに行かなければ。

 だが杏子がそう思った時、突如として織莉子の操る水晶が青白く輝き始める。そのあまりの眩しさに思わず目を背ける杏子とアルフ。そうしている間も輝きはより強く、より魔力を帯び始める。その魔力の輝きを二人は知っていた。

 ――ジュエルシード。アルフがこの世界にやってきた理由であり、杏子が管理局や異世界の魔導師と関わることになった原因。魔力の規模そのものは以前、ジュエルシードの暴走時に感じたものと比べれば微々たるものだが、それでもその魔力光を二人が見間違えるはずがなかった。

 それを間近で見て、杏子はようやく織莉子がプレシアに協力していた理由を思い至る。そして自分の浅はかさを呪う。何故、彼女がジュエルシードを持っている可能性に気付くことができなかったのか。何故、彼女が単独で魔女と戦おうとしたのか。何故、彼女が海鳴市にやってきたのか。その全てに杏子は合点が行った。

【杏子さん、アルフさん。この魔女はとりあえず私が始末しておいてあげるわ。今後、お互い生き残ることができればまた出会うこともあるでしょう。今日のことはその時にでも話してあげるわね。――それじゃあさようなら】

 脳裏に響く織莉子の念話。それと同時に彼女と魔女を中心に大爆発が起こる。青い輝きの魔力爆発。杏子とアルフは反射的に防御態勢を取る。

 ……そうして爆発が終わり、煙が晴れた時にはすでに魔女の結界は消失し、そこに織莉子の姿はなかった。



     ☆ ☆ ☆



「……あいつは、織莉子はジュエルシードを持っていた。完全に油断してた。てっきりプレシアに全て渡したと思っていたのに」

 事実、プレシアが時の庭園を転移させるのに使った魔力はジュエルシードによるものだ。それも一個や二個のものではない。正確な数はわからないが、あの時に発生した魔力量はジュエルシードのほぼ全てが暴走した時に発生したものだと考えられていた。そのこと自体はアースラスタッフの懸命な解析により間違いないだろう。

 だが肝心のプレシアや織莉子の行方については未だに掴めていない。時の庭園と共に転移したプレシア。ジュエルシードという魔力を抱えている織莉子。すでに捜査の手は大規模に広がっている。プレシアは管理局が把握しているだけの次元世界全域に指名手配がされており、織莉子の方は捜査範囲を海鳴市だけではなく地球全域に広げている。しかし未だに手がかりの一つさえ掴めない。決して管理局が無能なわけではない。しかしプレシアが転移したのは管理局でも存在が疑問視されているアルハザード世界であり、そして織莉子もまた結界の中にその身を隠している。そんな二人を見つけることを今の管理局の技術では不可能だった。

「――それで艦長。これからどうするつもりですか?」

 クロノはリンディに尋ねる。話を聞く限り、すでに管理局としての任務は失敗と言っても過言ではないだろう。管理局が回収したジュエルシードは全てプレシアに奪われその所在は行方知れず。その上アースラの切り札とも呼ばれているクロノは再起不能な傷を負った。アースラクルーの成果と言えば、第97管理外世界にミッドチルダとは異なる魔法体系が存在していることを突き止めたことぐらいだった。

「……大変不本意だけど、一度アースラは本局に戻るつもりよ。クロノをミッドの病院に入院させる必要もあるし、今の戦力ではプレシアや織莉子の行方を負うのは難しいでしょうしね」

 そう言うリンディの表情は酷く疲れ切ったものだった。この状況を招いた要因は様々だが、その一つは紛れもなく彼女の判断ミスが原因だ。そのことをリンディ自身も自覚している。もし魔法少女と魔女の存在を知った段階で本局に応援を頼んでいれば、このような状況に陥ることはなかっただろう。

 後悔しているのは杏子も同じだった。それは織莉子のことはもちろんだが、それ以上になのはとフェイトに関することであった。

 なのはは未だに海鳴市に戻ってきていない。ワルプルギスの夜の後を追っていったというなのは。その彼女が戻ってこないということはすなわちワルプルギスの夜に敗れたことを意味する。彼女が魔法少女になってしまっただけでも言い訳しようもないことなのに、これ以上ゆまになんて伝えればいいのだ。

 そしてフェイト。彼女は未だに目を覚まさない。いや、このままではもう二度と目を覚まさないだろう。フェイトが倒れているところを最初に発見したのはゆまだという。そしてゆまはキュゥべえから彼女が魔法少女になったこととソウルジェムを喪失したことを聞かされた。未だにフェイトのソウルジェムは見つかっておらず、その肉体は完全に死んでいる。今はベッドに寝かされてはいるが、完全に生命活動を停止しているフェイトの肉体はいずれ腐敗してしまう。おそらくは近いうちに冷凍保存されるのは間違いないだろう。

 そんなフェイトの現状を目の当たりにして、アルフは心に酷い傷を負った。四六時中、眠っているフェイトに声を掛け続け、必死に彼女が目覚めるのを待っている。だがフェイトがアルフに返事を返すことはない。それどころが冷たくなっているフェイトの姿を目の当たりにして、時折り病室で暴れ出す始末だった。

 そのような三人の現状を知り、ゆまは――。



     ☆ ☆ ☆



 ゆまはアースラの一室のベッドの上で蹲っていた。表情を涙で曇らせ、その視線の先にはレイジングハートがあった。

「……ねぇ、魔法ってなんなのかな?」

 レイジングハートを茫然と見つめながらゆまは尋ねる。だが彼女は何も言わない。レイジングハートの負った傷は未だ癒えておらず、現在も自己修復機能をフル稼働で続けている。そんな彼女にはゆまに返事を返すことができなかったのだ。

「レイジングハートは魔法を使うための、魔導師を助けるための仲間なんだよね? でもここにはなのははいない。なのははレイジングハートのことを置いてどっか行っちゃった。それにフェイトも……」

 なのはとフェイト。二人はゆまを差し置いて魔法少女になった。魔導師としての魔法が使えたはずなのに、その上でキュゥべえと契約した。二人の願いはキュゥべえの口から聞いている。『すずかの意思を継ぐこと』。『アリシアになること』。すずかとほとんど接点がなく、またアリシアの存在を知らないゆまにはそこにどのような価値があるのかはわからない。だが彼女たちが魔法少女になった、その事実に違いはない。

 ゆまは二人のことを尊敬していた。なのはは魔法少女になることが杏子の横に並び立つための唯一の方法だと思っていたゆまに、別の道があることを示してくれた。フェイトは魔法少女としてではなく魔導師として杏子の横に並び立つための手解きを手伝ってくれた。ゆまにしてみれば二人とも杏子とはまた違う憧れに似た何かを抱くには十分すぎるほどの力を持っていた。

 それなのに彼女たちは魔法少女になってしまった。魔法少女になりたかったゆまを差し置いて。

「……キョーコに出会う前、わたしは魔法が皆を笑顔にするためのものだと思っていた」

 両親に虐待を受けていたゆまにとって、掛け値なしに幸せだと感じる時間は両親が不在の時間帯だった。特にその時間にやっていたアニメがゆまにはお気に入りだった。魔法を振り撒き、皆を笑顔にしていく少女のお話。テレビの中の女の子はいつも幸せそうで、その姿にゆまは憧れていた。

「だけどキョーコと出会って、魔法少女はそんな幸せな存在じゃないと知った」

 そんなゆまは両親の死と引き換えに本物の魔法少女と出会う。だけど本物の魔法少女はゆまの想像の中の魔法少女とはまるで別物だった。可愛らしく幸せの中にいるのではなく、過酷な戦いの中に身を置く凛々しい存在。だけど等しくゆまに笑顔を与えてくれる、そんな存在だった。

 ゆまはそんな魔法少女に憧れた。憧れ、そしていつしか自分も誰かを助けられる存在になりたいと思うようになっていた。そのために自分も魔法少女になるのが一番だとゆまは考えた。しかしゆまを助けた魔法少女は――杏子はそれを否定した。『魔法少女なんて碌でもない。そんなものになる必要はない』。そう一蹴された。それでもゆまはひたすらに魔法少女になることを求めた。

「それでもわたしは魔法少女になりたかった。キョーコのように誰かを助けたかったから」

 けれどその思いはなのはと出会ったことで変わった。魔法少女になるだけが杏子を助ける道ではない。杏子がそれを望まない以上、他の道で杏子を助けるべきだ。そうなのはに教わった。

 それを実践するためにゆまはフェイトに魔法を習い始めた。自分に才能があったのか、それはわからない。だがそれでもゆまは魔法を使うことに成功した。それは小石を数秒浮かべる程度の魔法だったけれど、それでもこれが杏子を助けるための第一歩になるのだと、ゆまは信じて疑わなかった。

「なのはと話して、フェイトに魔法を学んで、わたしは別に魔法少女にならなくても杏子を、誰かを助けられる人になれるって思った。それなのになのはもフェイトもキュゥべえと契約して魔法少女になっちゃった」

 なのはもフェイトもゆまにとって杏子とは違う意味で憧れの存在だった。杏子はゆまを助けてくれた正義の味方。魔法少女として魔女と戦う姿はとても格好よく、いずれは彼女のように誰かを助けられる人になりたかった。だけどそれは現在ではなく未来の話。杏子とゆまとの間には絶対的な経験の差があり、それは例え魔法少女になったところで覆せない。もちろん今の自分が杏子と対等な関係を築けるのならば良いが、そうでないことはゆまも十分にわかっている。

 だがなのはとフェイトは違う。彼女たちはゆまとほとんど同じ年。それなのに魔導師として類稀なる才能を持ち、さらに各々が信念を持って戦っている。それは杏子とは違った意味で格好よく、ゆまが憧れを抱くには十分だった。杏子の横に立つことは無理でも、頑張れば二人と同じくらいのことはできるはずだ。ゆまはそう思い、だからこそ魔法少女になることを諦め、魔導師としての魔法を会得しようと頑張ってきたのだ。

 そんな二人が魔法少女になった。それはゆまにとって裏切りにも似た何かに感じられた。すでに杏子と同じように戦えるのに、魔法少女になってゆまを突き放した二人。そんな二人の心がゆまには理解できない。例えキュゥべえに叶えてもらいたい願いがあったとしても、誰かが望まない方法ならばなのははそれをしないのではなかったのか。アルフに心配を掛けてまで魔法少女になってフェイトが為したいことは何だったのか。それがゆまにはわからない。

「ねぇレイジングハート、わたしが間違ってたのかな? わたしも二人のようにキュゥべえと契約していれば杏子が傷つかなくて済んだのかな? 魔導師になるなんて悠長なことは言わず、キョーコのいないところで魔法少女になっていた方がよかったのかな?」

 ゆまにとってショックだったのは、戦いの中で杏子が幾多にも傷を負っているということだった。彼女は隠しているようだが、長く行動を共にしてきたゆまには彼女が右腕を失くしていることに気付いていた。だがそれ以上になのはとフェイトのことで心を痛めていることを知っている。そんな杏子に対してゆまは何の役にも立てない。慰めようとしてもはぐらかされ、逆にゆまの方が気遣われてしまう。それがゆまには堪らなく辛かった。

≪……わたしはそうは思いません≫

 そんなゆまの問いかけにそれまで黙って聞いていたレイジングハートが初めて答える。決して彼女の修復が終わったわけではない。それでもレイジングハートは目の前の少女の問いかけに答えずにはいられなかった。

≪フェイトやバルディッシュのことはわかり兼ねますが、少なくとも私はマスターがキュゥべえと契約するのは反対でした。そしてそれは今でも変わりません。現にマスターは帰ってこない。私を手放すことになってなお、マスターは戦い続けている≫

 自己修復中とはいえ、レイジングハートは己の身に何が起きたのかを正確に把握していた。戦いの中でなのはと別れ、織莉子に拾われ、ゆまの手に渡った。その一部始終の経緯をレイジングハートは事実として認識していた。だがどのような過程を辿ろうともレイジングハートにとって重要なのはただ一点、すなわちこの場になのはがいないという事実だけだった。

 依然としてなのはは行方不明。管理局があの手この手と捜索を続けているが、手がかりすらつかめていない状況だ。それでもなのはは戦い続けているであろうことは明白だった。彼女はそのために魔法少女になったようなものなのだから。

≪私にもっと力があれば、マスターは魔法少女になることはなかったでしょう。マスターを危機に貶めることもなかったでしょう。マスターと離れ離れになることもなかったでしょう。そのことが私は許せません≫

 レイジングハートとなのはとの付き合いは、それこそひと月ほどでしかない。それでも彼女はなのはとの出会いに運命を感じずにはいられなかった。長い間、遺跡の中で眠りにつき、時を超えて出会った今代のマスター。彼女の素養は目覚ましいものもあったが、それ以上に彼女の心そのものをレイジングハートは気に入っていた。しかしキュゥべえと契約し魔法少女になったことでその心が歪んでしまった。すずかのことがあったにせよ、あの悪魔の囁きに耳を傾けるなのはを止められなかったことを後悔してもしきれない。

≪だから私ももっと力があればというゆまの気持ちは理解できます。――それでも私は魔法少女になることは反対です。私はデバイスですが、仮に魔法少女になれると言われても決して首を縦に振らないでしょう。それほどまでに魔法少女になるということが愚かしく、救いのないということを知っているから≫

 魔法少女になることで確かに彼女たちの願いは叶ったのだろう。けれどそれだけしかない。強く在ることを求めたすずかは、強さの果てに命を散らした。すずかの意思を継ぐことを決めたなのはは、人であることを止め家族と友を置き去りにした。アリシアとなりプレシアを助けることを望んだフェイトは、己の存在そのものがわからなくなった。確かに彼女たちの願いは叶っている。だがそれと同時に彼女たちは大切なものを失っているのだ。

 魔法少女になるということはたった一つの奇跡の代償に全てを諦める。言い得て妙な話だが、それこそが魔法少女の本質なのではないかとレイジングハートは考える。奇跡という名の希望に縋り、その果てに絶望の化身になる。魔法少女というものは斯くも残酷で、慈悲のないものなのだ。

≪そもそもゆまは肝心なことを勘違いしています。あなたは先ほど『魔法少女になれば杏子の傷つかなくて済んだのか』と言いましたが、ゆまが魔法少女になったところで、むしろ魔法少女になればなおのこと彼女は傷つくはずですよ。杏子が守りたいと思っているのはゆま、あなたの日常なのです。そんなあなたが魔法少女になったのだと知れば、それだけで彼女は傷つくでしょう。それも決して癒えることのない心の傷を……。それはゆまとしても本意ではないはずです≫

 杏子はどこまでも面倒見が良く、身内に甘い少女である。だからこそ彼女は腕を失い、深い傷を負いながらも戦場に立ち続けた。自分が立つことで他の者が傷つかずに済むように。そんな杏子が何よりも大事にしているのは紛れもなくゆまなのだ。なればこそ彼女はゆまに強く『魔法少女になるな』と言い続けた。その気持ちは痛いほどよくわかる。

≪ですからゆま、あなたは魔法少女にならないでください。私に止める権利などがないことは重々承知しています。それでも魔法少女になることだけは止めさせていただきます。杏子とゆま、あなたたち二人の関係は私の目から見てもとても好ましい。互いに互いを大事に思い、尽くし合おうとしている。その関係を崩すような真似だけは、決してしないでください≫

 だからこそ、レイジングハートはゆまが魔法少女になることを反対する。なのはが魔法少女になることは止めることができなかった。故にこれ以上、レイジングハートは誰かが魔法少女になるところは見たくなかった。

「……ありがとう、レイジングハート。わたしの質問に答えてくれて」

 レイジングハートの話を聞き終えたゆまは、しばしの沈黙の後に礼を告げる。彼女とて本当は魔法少女になることで杏子が傷つくことになるくらいわかっていた。それでもゆまは杏子を助けられる存在になりたかったのだ。例え失望されることになったとしても、杏子がこれ以上傷つかずに済むように、彼女を支えられる存在になりたかったのだ。

 そんなゆまの前にぶら下がるキュゥべえとの契約。魔女と戦い続ける運命を受け入れるだけで杏子を助けられる力を手に入れることができるのだ。一度は否定した選択肢だが、その否定した人物もまた魔法少女になってしまった以上、心が揺らいでしまうのは必然であろう。

 だがレイジングハートの言葉で目が覚めた。なのはが魔法少女になることを止められなかったことを彼女は傷つき、悲しんでいる。ゆまでさえ辛いことなのだ。なのはのパートナーであるレイジングハートならその思いは一際、大きいだろう。そしてそれはアルフやバルディッシュにも言える。フェイトが魔法少女になり、さらに寝たきりという現状、彼女の抱える悲しみはそれこそレイジングハート以上だろう。

 魔法少女になったことで本人は願いが叶い、幸せなのかもしれない。しかし周りにいる者たちは皆、不幸になっている。ならばゆまが魔法少女となった時、不幸になるのは誰なのか。そんなの答えるまでもない。だから魔法少女にはならない。例えどんなことがあったとしても、魔法少女になるわけにはいかない。

「……ねぇレイジングハート、わたしに魔法をおしえてくれないかな」

 故にゆまは尋ねた。キュゥべえと契約することを禁じられているが、魔導師になることに関しては杏子の許可も貰っている。あとは優秀な教官の元で学べばいい。その点、レイジングハートはこれ以上もない適役だ。なにせ彼女はなのはに魔法を教えた張本人なのだ。フェイトがいない以上、彼女に学ぶのが一番だろう。

 もちろんレイジングハートに習うからといって、なのはのようにすぐに戦えるようになるわけではない。ゆまの魔導師としての資質は決して高くはない。天才的な資質を持っていたなのはやフェイトやもちろん、クロノやユーノにも有に及ばない。年齢も加味すれば仕方のないことだが、管理局の一般的な魔導師よりも発している魔力は少ないだろう。

≪確かに私はゆまに魔法を教えることは可能でしょう。しかしあなたの魔力資質では前線に出て戦えるような魔導師になるのは難しいですよ≫

「……それでも構わない。もうなにもできないのは嫌だから。ほんの少しでも杏子や皆の役に立ちたいから」

 海鳴市における戦いで、ゆまは常に足手まといだった。ゆまにできたのはただ見ていることだけ。近くで戦いを眺めて、杏子を危機的な状況に追い込んだことだけ。例え誰が否定しようとも、その事実は変わらない。

≪それに魔導師になるということは、少なからず杏子の意に反することになると思いますが≫

「そこはキョーコに我慢してもらうよ。それにわたしはもう、ほんのちょっとだけだけど魔法を使うことができるしね」

 そう言いながらゆまは身体を浮かす。それは地面から5センチほどの僅かな浮遊。それでも紛れもなく、ゆまが自分の力で行使している魔法には違いなかった。

≪――決意は固いようですね≫

「うん!」

≪ならばゆま、わたしがあなたに魔法を教えてあげましょう。ただし私の指導は厳しいですよ≫

「厳しいのにはキョーコで慣れてるから平気だよ」

 こうしてレイジングハートはゆまに魔法を教えることとなった。その姿を見て思う。なのははまだ生きている。その確信はある。それでももしゆまがレイジングハートの想像を超えるほどの魔導師に成長するならば、その時は彼女のことを新しいマスターと認めよう、と。



2014/5/4 初投稿



[33132] 第13話 それぞれの旅立ち、そして世界の終わり その2
Name: mimizu◆0b53faff ID:ab282c86
Date: 2014/05/19 00:31
 なのはの放ったルシフェリオンブレイカー。それによってほとんどの影魔法少女は消滅した。しかし肝心のワルプルギスの夜を消滅させるには至らなかった。彼の魔女はルシフェリオンブレイカーの一撃を浴びながらもなお耐えていた。もちろんまったくダメージを受けていないわけではない。灼熱の業火に焼かれたワルプルギスの夜の身体は少しずつ崩れていく。このままルシフェリオンブレイカーを受け続ければ、彼の魔女とて間違いなく死に絶えるだろう。

 だが果たしてそれまでの間、なのははルシフェリオンブレイカーを撃ち続けることができるだろうか。如何にジュエルシードの魔力を持っているとはいえ、その魔力は無限ではない。いずれは魔力が底を尽く。それまでにワルプルギスの夜を倒すことができなければ、もう打つ手はない。そうなればなのはもフェイトも間違いなくワルプルギスの夜に喰われることになるだろう。

 それを危惧したフェイトは、急ぎなのはの元へと向かう。すでにフェイトの放つフォトンランサーは大した意味を為さない。ならば残った魔力を全てなのはに渡し、彼女の放つ一撃に駆けるしかない。

 しかしフェイトはすんなりとなのはの元に辿りつくことができなかった。なのはの周囲は炎に包まれ、辺りには黒炎を纏った竜巻が渦巻いている。それはなのはの意図した発生したものではなく、言わばルシフェリオンブレイカーの余波のようなものだ。莫大な魔力を込めた一撃から漏れだした魔力によって生み出された炎を乗せた熱風。それらがフェイトの行く手を阻み続けた。

 それでもフェイトが元の身体だったならば、無理を押してでもなのはの元に向かっただろう。けれど今のフェイトが使っているのはアリシアの肉体である。アリシアの肉体が傷つけば申し訳が立たず、さらにはプレシアを悲しませることになる。それがフェイトに躊躇いを覚えさせた。



 ――フェイト、わたしのことは気にしないで。あの娘を助けてあげて。



 その時、フェイトの脳裏にアリシアの声が響く。本来ならば表層にアリシアの意志が出てくることはできない。それはアリシア自身がフェイトに告げた言葉だった。故に今の声は極限状態で戦い続けたことで聞こえた幻聴だったのかもしれない。けれどフェイトはアリシアの意思に従い、自らを省みずに炎の中に飛び込んでいった。どの道、ここでワルプルギスの夜を倒すことができなければ、フェイトたちに未来はない。多少、アリシアを傷つけることになってもなのはに魔力を届ける。その覚悟の元、フェイトは突き進んでいった。持ち前のスピードを活かし、炎を直接浴びないように注意しながら的確に進んでいくフェイト。その中心点に近づくに連れ、徐々に汗を滲ませる。目も開けていられないほどの熱気にあてられながらも、フェイトは必死になのはの元へと辿りつこうとし、そして到達する。

 それは奇しくも彼女がソウルジェムを握りしめるのとほぼ同時だった。その姿を見てフェイトは直感的になのはが自らの命を捨てる覚悟でワルプルギスの夜を倒そうとしていることを悟る。そんななのはの想いをフェイトは必死に思い留めようとする。自分の胸の内を暴露し、説得するフェイト。その言葉は確かになのはの心に響いたのだろう。なのはは穏やかな笑みを浮かべながらフェイトに礼を言う。

 それと同時に放たれていたルシフェリオンブレイカーに変化が起きる。先ほどまではどす黒い魔力を乗せていたそれは、今では輝かしい希望に満ち溢れた光に変わる。さらにその変化によって先ほどまでルシフェリオンブレイカーに耐えていたワルプルギスの夜が苦悶の表情を浮かべる。それを見てなのはとフェイトは魔力を一気に込める。自分の中にある魔力を全て注ぎ込み、ワルプルギスの夜に向けて放つ。それを正面から受けたワルプルギスの夜はその威力に耐えきれず閃光の中へと消えた。

 それを確認するとフェイトの中からふっと力が抜ける。ワルプルギスの夜を倒しきることができた安心感。その気の緩みから脱力し、そのまま宙に投げ出される。その浮遊感にフェイトは焦って身体を浮かそうとする。だが上手くいかなかった。ワルプルギスの夜を倒すためにフェイトは自身の魔力を余すことなく使い切り、その魔力はもう一遍たりとも残っていなかった。

 さらにそれと同時に突如として痛む胸元。まるで内側から喰い破られるような感覚に、フェイトは表情を苦痛に歪ませる。フェイトは苦痛に抗いながら、痛みの発生源を見る。それは彼女のソウルジェムだった。晴天の空を思わせる青い色をしていたフェイトのソウルジェムに漂う穢れ。それは時間が立つごとに加速度的に増加し続け、それに比例するように痛みも増していく。

 止めどなく穢れが溜まっていくソウルジェムを見て、フェイトは危機感を覚える。だがフェイトに出来ることは何もない。今の彼女には魔力は一欠けらほども残されておらず、さらに穢れを取るためのグリーフシードすら持ち合わせていない。フェイトにできることはただこのまま永久の闇へと落ちていくことだけだった。

(駄目ッ! 母さんにアリシアを返すまでは駄目だ!!)

 それでもフェイトは必死に痛みに抗う。もう魔力など残っていないのは明白にも関わらず、身体を浮かべようとする。自分はどうなってもいい。だがアリシアの身体を傷つけるわけにはいかない。その思いの一新で彼女は必死に祈り続ける。

 その時、フェイトの指先の端に何かが触れる。それはなのはのソウルジェムだった。フェイトのものと同様に加速度的に穢れを溜めている。周囲を確認すると、なのははフェイトの遥か下方に落下していた。

「なのはッ……!!」

 それを見てフェイトは叫ぶ。しかしなのはは一切の反応を示さないまま、闇の中へと飲み込まれていく。そしてフェイトもまた、そんななのはを追うように永久の闇へと落ちていった。



     ★ ★ ★



 アルフにとってフェイトは掛け替えのない唯一無二の存在だった。幼少時に病気になり群れから追い出されたアルフは、フェイトの使い魔になることによってその命を助けられた。魔導師にとっての使い魔は、目的のために使われる道具の意味合いが強い。そんな中でフェイトがアルフに望んだのは
『ずっと傍にいること』。孤独の中で死に逝く宿命だった自分を何の見返りもなく助け出してくれたフェイト。そんなフェイトだからこそアルフは心の底から支え尽くしてきた。

 けれど今、アルフの傍にはフェイトはいない。フェイトの行方は最後の戦いから四日経った今でもわかっていない。本当のことを言えば今すぐにでもフェイトを捜しに飛び出していきたい。しかしアルフにはやらなければならないことがあった。

 それはこの場に残されたフェイトの肉体の世話である。ベッドの上で横たわっている物言わぬフェイトの肉体。呼吸はおろか心臓すら動いていない冷たく冷え切ったその肉体は、紛れもなく死んでいると言い切れる状態だ。キュゥべえによる魔法少女契約。一つの願いを叶える代わりに魂をソウルジェムという器に作り替えられる悪魔の契約。本来であるならばキュゥべえと契約したところでこのような状態になるはずはなかったが、フェイトのソウルジェムは契約と同時に何処ぞへと消えて去ってしまった。この場に残されたのは物言わぬ肉体のみ。魂がなければそれはただの死体である。それだけ見ればフェイトは死んでしまったとほとんどの人物が考えるだろう。

 ――それでもフェイトはまだ生きている。その確信がアルフにはあった。それはアルフが今、この場に存在しているからだ。使い魔であるアルフはフェイトからの魔力供給がなければ存在することすらできない。そして死者に魔力供給は行えない。すなわちフェイトはまだ生きている。それは確固たる事実であった。

 問題はフェイトのソウルジェムがどこに行ってしまったのかである。正確な場所は誰にもわかっていないが、アルフにはなんとなくフェイトのソウルジェムがどこにあるのかわかっていた。フェイトが願ったのは『アリシアになること』。それは延いてはプレシアのためだ。つまり今、フェイトはプレシアと共にいる。その点については間違いないと言っていいだろう。

 尤もアルフにわかるのはそれだけだ。プレシアはジュエルシードの魔力を使ってアルハザード世界へと転移した。その行方は未だ、見つかっていない。何よりプレシアが本当にアルハザード世界へ到達できたのかすらわかっていない。仮にプレシアがアルハザード世界にいるのだとしても、今のミッドチルダの技術力ではプレシアの元に辿りつくことすら困難だろう。

(くそっ、どうしてあたしはフェイトから目を離してしまったんだ!!)

 アルフは心の中で一人愚痴る。フェイトが悩んでいたことはわかりきっていた。プレシアに命じられたジュエルシード探しも満足にこなせなかったことに始まり、管理局から逃げる際に杏子とゆまを離れ離れにしてしまったこと。なのはに為す術なく敗れアリサの記憶を守ることができなかったこと。助けられたかもしれないすずかを死なせてしまったこと。そして何よりプレシアに告げられたフェイトが本当の娘ではないという事実。思い返せばフェイトはこれだけのことを抱え込んでいたのだ。

 そんなフェイトを支えるのが自分の本当の役目だったはずだ。それなのにアルフはプレシアに対する怒りに身を任せ、フェイトの傍を離れた。大切な人から目を離してはいけない。それは織莉子にも言われていたことだ。けれどアルフには許せなかったのだ。献身的に尽くしてきたフェイトを、心ない言葉で突き放したプレシアを。母親に捨てられる悲しみ。それがどれだけ辛いことか、アルフは身を以って知っている。だからこそプレシアを殴りに行かずにはいられなかった。

 言い換えればそれはフェイトの想いよりも自分の怒りを優先したことを意味する。今までもプレシアのフェイトに対する態度は目に余るものがあった。それでもアルフが直接、プレシアに食ってかからなかったのはフェイトに止められていたからだ。フェイトがひたすらに母としてプレシアを慕っていたからこそ、アルフはプレシアに対する不満を自分の中に黙殺した。しかしプレシアはそんなフェイトの想いを裏切った。それも一番、傷つくであろうやり方で。

 それがアルフは許せなかった。フェイトのことは心配だったが、それでも怒りを抑えることはできなかった。幸い、管理局の中ならばフェイトの身の安全は十分に保証されている。そうした油断からアルフはフェイトを置いて時の庭園に向かってしまった。――そしてその結果、アルフはフェイトを失った。

「フェイト、あんたは今、どこにいるんだい?」

 物言わぬフェイトの肉体を撫でながら、アルフは呟く。もちろんその言葉に返事は返ってこない。だがそれでもフェイトは生きている。アルフの中にフェイトの魔力は確かに流れ込んできている。けれどそれが一体どこからきているのかが分からない。アルフの前にいるのは物言わぬフェイトのみ。その事実が堪らなく悲しくなり、自然とアルフの目元から涙が零れる。

≪――アルフ、あまり根を詰めるものではない≫

 そんなアルフにこの三日、ずっと沈黙を貫いていたバルディッシュが声を掛ける。突然、声を掛けられたことでアルフは驚き、視線を向ける。そんなアルフの視線など気にせず、バルディッシュはおもむろに自分の考えを告げる。

≪この三日、ずっと考えていた。私がサーに対して今、何ができるのかと……。サーは生きている。それは間違いない。ならばその従者たる我々は今すぐにでもサーを捜しに行くべきだろう≫

「けどここにいるフェイトの身体はどうするんだい?」

≪もちろんその世話もしなければならない。サーの肉体を腐らせるなどあってはならないことだ。だからアルフ、ここは役割を分担しよう。サーの肉体の世話は引き続きアルフに任せる。その間、私は――≫

「――あたしたちと一緒にフェイトのソウルジェムを捜す。バルディッシュはそう言いたいんだろ?」

 その時、部屋の中に入ってきた杏子がバルディッシュの言葉を引き継ぐ。その後ろにはゆまの姿もあった。

「杏子? ゆま? どうして?」

「そんなのフェイトが心配だからに決まってるよ!」

「つっても、あたしたちが捜すのはこの世界だけだ。次元世界全域なんてただの魔法少女のあたし一人じゃ手が回らないからな。そっちの捜索は管理局の連中に任せるさ。けどさ、予想が正しければフェイトと、そしてなのはが見つかるのはあたしたちの世界だと思うぜ」

 杏子はさも当然のようにそう告げる。それぞれが消えた理由は違えど、その原因には二人が魔法少女であることが関わっているのは間違いない。そして魔法少女であるならばいずれグリーフシードが必ず必要になる。そうなった時、身動きが取れないような状況でもない限り彼女たちはいずれ魔女と事を構えることになるだろう。そして二人は共に非常に強い魔法少女である。それほど強い魔法少女ならば、各地を転々としている杏子たちの耳に入ることもあるだろう。

「もちろん絶対に見つけるなんて断言はできないけど、当事者の中でこの世界を自由に動けるのはあたしたちだけだ。ならあたしたちがやるしかないだろ?」

「ほんとはアルフも一緒に誘いたいんだよ。でもアルフは、ここにいるフェイトの面倒を見ないといけないから。だからアルフの分までわたしたちが捜しに行くんだよ」

「……杏子、ゆま、恩に着るよ」

「その言葉はフェイトが見つかった時まで取っておけ」

 そう言って杏子はバルディッシュに手を伸ばす。杏子の手の中に収まったバルディッシュは淡く明滅しながら、申し訳なさそうにアルフに語りかける。

≪アルフ、すまない。本当はお前こそサーを捜しに行きたいだろうに≫

「別にあたしは気にしちゃいないよ。デバイスと使い魔という違いはあれど、あたしたちは共にフェイトを支えてきた仲じゃないか。バルディッシュの言うようにフェイトを捜しに行きたい気持ちはもちろんあるけど、今回はフェイトの帰るべき場所を守ることに専念するよ。でもこれだけは約束しとくれよ。フェイトが見つかったらすぐにあたしのところに会いに来るって」

≪当然、どのような手段を用いようとも必ず≫

 アルフの言葉に力強く答えるバルディッシュ。バルディッシュとてフェイトを心配する気持ちでは誰にも負けない自負はある。けれどフェイトとの付き合いは自分よりアルフの方が長い。さらにフェイトに対して献身的に世話をする姿勢はバルディッシュとしても見習いたい部分も多い。そんなアルフにだからこそ、物言わぬフェイトの肉体を安心して託すことができた。

「それじゃああたしたちはそろそろ行くわ」

「アルフ、元気でね」

「あぁ、杏子はともかくゆまは無理するんじゃないよ」

 そんな二人の別れの言葉にアルフは笑みを浮かべながら見送る。そして二人はそのままフェイトの眠っている部屋を後にした。

「……杏子、ゆま、バルディッシュ。信じて待ってるからね」

 二人が部屋を去った後に、アルフは誰にともなくそう呟く。その表情は悔しさを噛み殺したような、苦渋に満ちた表情だった。



     ★ ★ ★



 あの日、海鳴市の最後の魔女との戦いに向かうことになった時、その時点で織莉子の勝利は確定していた。今の織莉子にとって、ただの魔女など自分を害するに値する存在ではなく、それは海鳴市で互いに喰い合い強力な力を手に入れた大魔女といっても例外ではなかった。

 もちろん織莉子自身には大した力はない。未来視という魔法とそれに通ずる攻撃手段は確かに魔法少女の中でも上位に位置する。それでも彼女の本質は後方支援のサポートタイプ。本来ならば前に出て戦うようなタイプの魔法少女ではない。そういった意味でも織莉子にとってキリカは必要不可欠な存在と言っても過言ではなかった。

 だがそれは先日までの話である。事、戦闘面のみに限定すれば、最早キリカの存在は織莉子には必要のないものとなった。

 その理由は彼女が持つ十九個のジュエルシードにある。魔力を根こそぎ吸われ、ほとんど空となっているジュエルシード。だがそれ故に暴走の心配はなく、それでいて願いを叶えるという性質だけはそこに残っていた。



 ――つまり織莉子はジュエルシードに願っただけなのだ。『目の前にいる魔女を殲滅せよ』と。



 もちろん無条件でその願いが叶えられるわけではない。ジュエルシードの魔力が空っぽということは、その願いを叶えるための魔力をどこからか引っ張ってこなければならない。しかしそれこそ無用の心配だ。なにせ織莉子は魔法少女なのだ。魔法少女の魔力はグリーフシードさえあればいくらでも回復することができる。故に織莉子はただそれだけで海鳴市を救ったのだ。

「……思ったより疲れるわね、これは」

 壁に背を預けながらそう零す織莉子。その手に握られていた織莉子のソウルジェムは、どす黒く濁っていた。魔女を撃破する時に遣った魔力。そして杏子たちの目を暗ますために使用した転移のための魔力。杏子があの場で願ったのはその二つだけだが、それだけで彼女のソウルジェムは真っ黒に穢れきっていた。その濁りを織莉子は手持ちのグリーフシードで回収する。一個では回収しきれない穢れの量であったことに驚きを感じながらも、織莉子は自分のソウルジェムの穢れを全て浄化した。

「……キュゥべえ、いるんでしょ? グリーフシードを渡すから出てきなさい」

「やれやれ、キミには敵わないよ、織莉子」

 織莉子の言葉にキュゥべえはさも初めからそこにいたかのようにゆったりとした足取りで現れる。そんなキュゥべえの姿を捉えた織莉子は、軽く微笑みながらそこに向かって複数のグリーフシードを投げつける。それをキュゥべえはまるで踊りでも踊っているかのようにすべて落下する前に背中で受け止めて吸収していった。

「きゅっぷい。ごちそうさま、織莉子」

「どういたしまして。それじゃあ私は杏子さんや管理局に気づかれる前に行くわね」

「ちょっと待ってよ。まさか織莉子はグリーフシードを回収させるためだけにボクを呼んだのかい?」

「そうよ。それが貴方の仕事なのだから、当然でしょう」

「確かにそうだけど、でもボクには聞く権利があるんじゃないかな。キミがこの海鳴市で本当に為そうとしたことはなんだったのかをさ」

「…………さぁ? 何の事かしら?」

 織莉子はさもとぼけたようにそう告げる。事実、彼女が杏子やアルフに話した内容に嘘はない。確かに彼女は一人の少女を救うためだけにこれほど大がかりな準備をしてワルプルギスの夜をこの町に呼び寄せたそれは紛れもない事実である。

「とぼけても無駄だよ。そもそもキミがワルプルギスの夜を見滝原ではなく海鳴に呼び寄せたと言っていたけど、偶然ジュエルシードがこの町に降ってこなかったら、そんなことできなかったはずだ」

 だがキュゥべえはすぐに矛盾を指摘する。織莉子一人の力でワルプルギスの夜の餌を用意することはできない。それは例えキリカが生存していようが同様だ。

 そもそもワルプルギスの夜を見滝原に向かわせようとしたのはキュゥべえの策略である。見滝原に住まう魔法少女としては破格の素質を持つ鹿目まどか。彼女と契約するための駄目押しとして用意した最終手段、それこそがワルプルギスの夜だった。ワルプルギスの夜の襲来で彼女たちが契約前に死んでしまう可能性もあったが、そのリスク以上にまどかから回収できるエネルギーは魅力的だった。

 もちろんキュゥべえとて、初めからそのようなリスクのある方法を試そうとしたわけではない。しかし幾度となくまどかと契約しようとしたが、その全てを暁美ほむらに邪魔された。だからこそワルプルギスの夜を使うなどという強硬手段に出るしかなかったのだ。

 だがワルプルギスの夜を初めとした多くの魔女はまどかの持つ潜在的な魔力よりもジュエルシードの放つ魔力に惹かれた。そしてそこにはまどかには及ばないまでも優れた魔法少女の素養を持つなのはと、魔導師という異世界の魔法体系を身につけたフェイトの二人がいた。ジュエルシードそのものは織莉子から譲り受けた一個しか手に入れることができなかったが、二人と契約できたのはキュゥべえにとっては大きな一歩と呼べるはずだった。その上でまどかと契約し魔女化させることができれば、間違いなくエネルギー回収ノルマは満たせるはずだった。

「それなのにキミはまんまとボクを出し抜き、ワルプルギスの進路をこの海鳴に変更し、そしてその原因となったジュエルシードのほぼ大多数を手中に収めた。おまけになのはとフェイトの存在は魔女化することなくこの星から消失した。いくら未来視の魔法があるからといって、果たしてここまで上手くいくものなのかな?」

「……別にすべてが私の思い通りに事が運んだわけではないわよ。本来ならば貴方に預けたジュエルシードも含めてこの時点ですべてのジュエルシードは私が手にしている予定だったし、何よりキリカを死なせてしまった。これは私の視た未来にはなかったことよ」

「それでも結果だけ見れば、今回の戦いで一番得したのは紛れもなくキミのはずだ。魔力を失っているとはいえ、願望機であるジュエルシードを十九個も手に入れた。確かにボクもなのはやフェイトと契約できたことでエネルギーが回収できたけど、彼女たちがすでに消失してしまった以上、これ以上のエネルギーを回収することはできないだろうしね。……そもそもキミは初めからこうなることがわかっていたんじゃないのかい?」

「否定はしないわよ。プレシアさんがアルハザードと呼んでいる場所に向かう時に使うジュエルシードの暴走した魔力。それを使えばワルプルギスの夜を釣るのは容易だったし、なのはさんもフェイトさんも年齢不相応の心の闇を抱えていたのには気づいていた。……それでもできることならば二人には人間として生きていて欲しかったわ」

 織莉子は思う。なのはとフェイト。彼女たちならば例えキュゥべえと契約しなくとも、優れた魔導師になることができていただろう。性急に力を求めず、優れた師匠の元に指示していればなのはの才能はきちんと開花していたはずだ。自分と他者を比べようとはせず、自分は自分とはっきりとした個を持っていればフェイトは誰かに成り代わろうなどと思わなかったはずだ。

 だがそうはならなかった。なのはは心半ばに死した友のため、フェイトは愛して止まない母親のため、それぞれキュゥべえと契約した。その結果、二人は確かに求めていたものを手に入れることができただろう。その先に待ち受けているものは破滅だとしても、彼女たちは自分の願いに殉じた。それを否定する気はない。

「私たち魔法少女に未来はない。それはキュゥべえ、貴方が一番よく知っているはずよ」

「そうだね。確かにキミたち魔法少女の行く末は死ぬか魔女になるかのどちらかだ。だけどそれがどうしたというんだい。キミたち人類は一日に数千数万と増殖をし続けているじゃないか。その一人や二人をこの宇宙のための犠牲にしたところで、何の問題もないだろう?」

「それは貴方たちの尺度でしょう? 私たち人類の考え方は違う。私たち人類はいつでも未来を求めている。そしてそこには個としての意識があり、貴方たちのように同一の意識を持つような存在とは違うわ」

「確かにそうだね。キミたち人類の中には赤の他人でも犠牲にできないものもいる。でもキミはそうじゃないだろう」

「……どうしてそう思うのかしら?」

「簡単な話だよ。キミは世界を救うために戦っていると言ったね。そしてそのためならばいかなる犠牲も厭わない。大を救うために小を犠牲にする。それはボクら、インキュベーターの考え方と類似しているものだ。もちろん細かいところを突き詰めれば違いは出てくるとは思うけれどね」

 キュゥべえの言葉はまさしく正しい。織莉子にとって未来を救うための犠牲なら自分さえも犠牲にして良いと考えていた。

 そもそもこの世界にとって真に不要なのは魔女と魔法少女と考えている節が織莉子にはあった。だから織莉子は魔法少女になってしまった相手には冷たい。唯一の例外であったキリカを除いてしまえば、彼女は等しく魔法少女を憎んでいた。

 そしてその憎しみは諸悪の根元であるキュゥべえに向いていないはずがない。キュゥべえが地球にやってこなければ、この世界には魔女も魔法少女もいなかったはずだ。仮にそのせいで人類が未だに穴蔵の中で暮らすような生活をしていたとしても、それは自然の摂理に乗っ取った流れである。それを否定できるはずもない。

 本来の生態系ならばむしろ、今のこの状況の方がおかしな話なのだ。キュゥべえの言う通り、穴蔵で暮らしていた過去の人類。それがここまで進化することができたのは、それこそインキュベーターの介入があったからだ。むしろそれ以外に理由がないと言い切ってもいいだろう。

「……確かにその通りよ。でもね、キュゥべえ。私は貴方たちを決して認めない。この世界に魔女という絶望を振りまき、少女たちの希望を犠牲に宇宙の延命を望んだ貴方たちの存在をね」

 故に織莉子はインキュベーターを否定する。彼らの独善的な行いで犠牲になっている人類。それは長い歴史における生命の淘汰という観点から見れば正しいものなのかもしれない。共生に似た形で発達してきた文明と幾人もの犠牲の末に延命する宇宙。宇宙全体で見ればそのインキュベーターの行いは確かに正しいものなのだろう。

 しかし織莉子はあくまで人類だ。キュゥべえによって身体を弄られようと、その心は未だに人類側である。

「別にキミに認めてもらう必要はないよ。ボクらはボクらで正しいことをしていると思っているけど、それはキミたち人類の犠牲の果てに成り立っていることは否定できないしね。……でもだからといって今のエネルギー変換の仕組みを否定されても困る。キミたち魔法少女のおかげで宇宙の寿命は間違いなく延びた。その事実は確かなのだから」

「……確かに宇宙を延命させるという意味では、貴方の取った手段は最適な方法なのでしょうね。でもそれは果たして必要なことだったのかしら?」

「どういうことだい?」

「私はね、この宇宙は一度、滅ぶべきだったと考えているの。いえ、この世界の仕組みを考えればすでに宇宙は一度滅んでいると言ってもいいわね」

「馬鹿な。そんなはずはないよ。現にキミたち人類もボクたちインキュベーターもこの宇宙に存続している。それこそが宇宙が滅びていない何よりに証拠になるはずだ」

 織莉子がキュゥべえに叶えてもらった願い。それは自分の生きる意味を知りたいというものであった。そしてその願いから生まれた魔法こそが未来視。未来を覗き、そこから最善の未来を選択することができる能力である。

 だが考えてみればそれはおかしい。彼女は生きる意味を求めていたはずなのに、その結果として現れたのが未来視の能力である。確かに未来がわかればこれから自分がどのような人生を歩んでいくのかはわかる。だがそれでわかるのは彼女がどのように生き、どのように死んでいくかだけである。そこから生きる意味を見出すことは可能だろうが、本当の意味で生きる意味を知ることにはならないだろう。

 そもそも未来はとても移ろいやすいのだ。些細なことで変化するその未来は、すでに彼女が魔法少女になった当初のものとは大きく異なる様相を描いているだろう。果たしてその中に彼女の生きる意味と呼ぶべきものが存在するのだろうか。答えは否である。

「……キュゥべえ、私は知ってしまったのよ。この世界の仕組みを。そしてこの世界の本当の姿をね。そしてそれはおそらく、貴方も知らない事実のはずよ。私はそれを知ったからこそ、運命と戦う道を選んだ。例え何を犠牲にしても、得難い未来をつかみ取るためにね」

 そう語る織莉子に一切の揺らぎはなかった。彼女は紛れもなく、自分が見た世界の真実とやらを信じ、そしてそれに基づいて行動している。そのことは彼女の態度から明らかだった。

「それで、キミが知った世界の真実とはなんなんだい?」

 だからこそキュゥべえは問う。自分たちの知らない真実。それが何なのか、キュゥべえにも興味がある。もちろんそれが織莉子の考え違いである可能性の方が高いと思ってはいる。だが万が一、彼女の言う世界の真実がキュゥべえたちでも認知していないものだとすれば、それは是が非でも聞き出したいところだった。

「それは……まだ教えられないわ。それに貴方にも時がくれば自然とわかるはずよ。この世界の本当の姿も、そして私が何を為そうとしているのかもね」

 だがそんなキュゥべえの期待を裏切り、織莉子は口を割らなかった。まるでキュゥべえをあざ笑うかのように、彼女はごく自然にそう答えた。

「さて、それじゃあ私は今度こそ行くわね」

「待って織莉子。キミはまだボクの質問に答えてくれてないじゃないか」

「……そうね。ならば一つだけ教えてあげるわ。私はこの世界を救うために戦っている。そして貴方たちインキュベーターの目的は宇宙の寿命を延ばすこと。それは決して相反するものでもないけれど、決してイコールでは結び付かない。だから私は貴方に全ての真実を語らないのよ」

「……わけがわからないよ」

「貴方たちはそれでいいのよ、キュゥべえ。この事実は、誰も知らない方がいい。それは私たち人類だけではなく、貴方たちインキュベーターにも言えることだわ。……けれど私は知ってしまった。だから戦うのよ。例え無謀だとわかっていたとしても、この歪み切った世界を守り抜くためにね」

 織莉子はそう言ってジュエルシードを空に掲げる。それと同時に青白く光るジュエルシード。そのあまりのまぶしさにキュゥべえは一瞬、織莉子から視線をはずす。そしてそのまばゆき光がなくなったとき、この場に織莉子の姿はなくなっていた。




2014/5/19 初投稿



[33132] 第13話 それぞれの旅立ち、そして世界の終わり その3
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2014/07/31 22:10
 ワルプルギスの夜がスターライトブレイカーに消え去る光景。それをプレシアは時の庭園の管制室で目撃した。最初に放たれたルシフェリオンブレイカーの魔力とはまるで正反対のスターライトブレイカーの魔力。その質量はプレシアが今まで見た中で間違いなく最高の魔力と言えるだろう。それほどの魔力を正面から浴びて逃れることのできる存在などいるはずがない。それと同時にそれほどまでの魔力を発して術者が無事で済むはずがない。それがプレシアの考えだった。

 故に彼女の動きは早かった。ワルプルギスの夜が消え、スターライトブレイカーの威力が消失し始めた時にはすでに彼女は動き始めていた。管制室から一端外へ転移し、さらにそこから魔力を使い果たしたなのはとフェイトの救出に向かう。それこそが今のプレシアにとって最重要の仕事だった。

「うっ……」

 早速、時の庭園の中庭にやってきたプレシアだったが、辺りに漂う魔力の残滓の濃さに思わず口を塞ぐ。それはスターライトブレイカーの余波ともワルプルギスの夜が残した残滓とも言えるほどの正と負が入り混じった魔力。膨大な魔力を内包しているプレシアですら、魔力酔いを起こすのだ。もし一般的な魔力資質の持ち主がこの場に足を踏み入れれば、それだけで意識を失ってしまうだろう。

 プレシアはデバイスで身体を支えながら、なのはとフェイトの位置を捕捉する。管制室にいた時と比べて二人のいる位置は遥かに下降しており、魔力切れで為す術なく落下しているのは明らかだった。プレシアはとっさに二人をこの場に転送しようとする。だが周囲に漂う魔力の残滓がそれを阻害する。プレシアの集中力を削いでいるのもあるが、それ以上に魔力同士が干渉し転移魔法の発動座標を上手く固定できなかった。

 そうしている間にも二人の身体はどんどん落下していく。その先に待つのが大地であったのならば、そこにクッション作用を与えるだけで済んだだろう。しかし彼女たちの落下する先に地面はない。あるのは光さえ通さない永久の闇。おそらくその中に飲み込まれてしまえば、救出は困難となるだろう。

 だからこそ、プレシアはすぐに思考を切り替える。二人をこの場に呼び寄せるのではなく、自身が二人を助けに向かう。幸い、この世界に障害物となり得るものはない。プレシアは直線距離でなのはとフェイトの元に飛んで向かう。回収すべきはアリシアの肉体と二人のソウルジェム。それ故にプレシアは闇の中に落ち行くなのはの肉体には目も暮れず、真っ直ぐフェイトの元へと向かって飛んでいく。

 そして間一髪のところでフェイトの腕を掴む。闇の中に頭まで遣ったアリシアの肉体。それをプレシアは力任せに引き上げる。その胸元にはフェイトのソウルジェムがあり、さらに左手にはなのはのソウルジェムが握られていた。それを確認したプレシアは、すぐさま時の庭園の中庭へと戻る。そして彼女はなのはから渡されたグリーフシードを取り出して、そこで動きを止める。

 グリーフシードがソウルジェムの穢れを吸い取る性質を持つことはプレシアも知っている。けれどたった一つのグリーフシードでは二人の穢れを取ることができないであろうことは一目でわかった。加速度的に穢れを溜め続ける二人のソウルジェム。そこに最早、一刻の猶予もないことは明らかだ。このまま放っておけば間違いなく二人とも魔女になるだろう。

 なのはとフェイト、救えるのはどちらか一人だけ。魔法少女として類希なる力を持ち、プレシアの知らない情報も握っていると予測されるなのは。実力はあるがプレシアにとっては失敗作であり、すでに捨て去った人形であるフェイト。

 もしプレシアが本当の意味でアリシアだけに傾倒し、冷血な人間であったのならば迷わずなのはのソウルジェムにグリーフシードを当てただろう。だがプレシアは迷っていた。最早、一刻の猶予もないこの状況で、フェイトを見捨てることがどうしてもできなかった。

 確かにプレシアはフェイトに辛く当たってきた。だがそこに全くの後悔がなかったと言えばそうではない。アリシアと同じ顔なのにアリシアではない。だけど全くの別人とは思えない。プレシアが創り出したフェイトは言わば、そのような存在だ。アリシアとの差異は明らかなのに、それでもアリシアを想起させてしまう。そんなフェイトの姿を見たくなかったからこそ、プレシアはフェイトを傷つけ、遠ざけたかったのだ。

 はじめはそれだけだったはずなのに、いつしか憎しみを抱くようになった。アリシアを蘇らせる研究が上手くいっていなかったこともあり、プレシアはその感情を止めることができなかった。いや、止めようとすらしなかったのだ。そうしてプレシアはフェイトを『人』ではなく『道具』として見るようになった。

 けれどアリシアの肉体で会話したフェイトのことを、もうただの『道具』として見ることはできなかった。先ほどのフェイトの姿はよりアリシアを感じさせた。影魔法少女から身を挺して自分を庇ってくれた彼女を、ただの『道具』として片づけてしまって良いのだろうか。

「うぅ……あぁ……」

 そんな葛藤を浮かべているプレシアの耳に入るフェイトのうめき声。アリシアの身体でアリシアの口から出てきた苦痛の声。

「アリシア!!」

 そんな彼女をプレシアはとっさにそう呼ぶ。そしてそれがプレシアの答えだった。確かに今のアリシアの肉体を動かしているのはフェイトのソウルジェムである。だがそれでもプレシアは彼女のことをフェイトではなくアリシアと認識した。故に彼女はフェイトのソウルジェムにグリーフシードを当てた。



 ――ありがとう、ママ。フェイトを助けてくれて。



 そんなプレシアの脳裏にそんな声が聞こえる。それはフェイトの声とは似て非なるもので、そしてプレシアがとても聞きたかった声。思わずプレシアは辺りを見回す。だがいくら周囲を探ってもその声がどこから聞こえてきたのか、プレシアにはわからなかった。



     ☆ ☆ ☆



「ゆま、準備できたか?」

「もうちょっと待って」

 数日後、アースラが本局に帰る日に合わせ、杏子とゆまもまた旅支度をしていた。そうは言っても彼女たちは元々根無し草。持ち歩いているものなど少ない。それでも海鳴市で彼女たちは互いに背負いきれないほどの荷物を抱えることになった。その全てを清算するわけにはいかないが、それでも不必要なものはこの場に置いていくつもりだった。

 ゆまは鏡の前に立ち、最低限の身支度を整える。着ている服装自体は、彼女が海鳴市にやってきた時と変わらない。そんな自分の姿を確認したゆまは、最後に机に置いてあった首飾りを付ける。その垂れ下がる先には傷一つない赤い宝石が輝いていた。

「レイジングハート、変なところはないよね?」

≪No Problem! 似合ってますよ、ゆま≫

「ならよかった」

 ゆまの問いに赤い宝石、レイジングハートが答える。その答えに満足したゆまは、ハンドバックを片手に部屋を出る。そこにはすでに準備を整えた杏子の姿があった。

「遅ぇぞ、ゆま」

「ごめん、キョーコ。でもなんでそんなに焦ってるの?」

 ゆまと杏子。二人は自由気ままな旅人だ。そんな二人は普段、時間に囚われるようなことは何もない。それにも関わらず杏子はどこか焦っているようだった。

「んなもん、待ち合わせがあるからに決まってるだろ?」

「待ち合わせ? 聞いてないよ」

 杏子から出た意外な言葉にゆまは首を傾げる。

「昨日、話しただろ。あたしたちはこれから旅の同行者と合流して、そのまま海鳴を後にするって」

「そーだっけ?」

「そうだよ。っていうか、そのために昨日の内にリンディやクロノに別れの挨拶をしたんだろ」

 ゆまはなんとか記憶を掘り起こそうとする。だが杏子はそんな時間はないと言わんばかりにゆまの手を引っ張り、アースラの転送ポートへ向けて走り出す。

「キョ、キョーコ、痛いよ。もうちょっと優しく……」

「バーカ。このぐらいの痛みで騒いでるようじゃ、あたしを助けられるようになんてなれねーぞ」

「むぅ、キョーコ、今それを持ち出すのはズルい。ルール違反だよ」

「ルールなんてねーだろ。……ってか、見送りはいらねぇっつったのに」

 そんなことを言い合っている間に二人は転送ポートに辿りつく。そこには二人を見送ろうとリンディやクロノを初めとした管理局の主だった面々が待ち構えていた。

「おいおい、別れの挨拶は昨日の内に済ませたんじゃないのかよ」

「……これもリハビリの一環だから気にするな」

「車椅子でよく言うぜ」

 杏子の言葉に答えたのはクロノである。本来ならまだ病室で寝ていなければならないような状況だが、それでも彼は杏子の見送りにやってきていた。

「杏子さん、今までありがとう」

 そう言ってリンディは頭を下げる。

「おいおい、まるで今生の別れみてぇじゃねぇか」

「……正直、その可能性は否定できないわ。今回、私たちは任務を失敗した。だけど未だに脅威は続いている。ジュエルシードは間違いなくこの世界に存在し、さらには魔女という管理局で認知していない異形の化け物もいる。おそらく管理局としてもこの事態を放っておかないでしょう。すぐにでも別部隊が派遣されることになるわ」

「……そうか。ところで本当にあたしがバルディッシュを持っていっていいのか?」

「えぇ、必要な記録は全てコピーさせてもらいましたし、それになによりそれがアルフさんの意志ですから」

 本来であるならば、バルディッシュは今回の事件の重要な証拠品である。敵方が使っていたインテリジェントデバイス。事件の調査をするためにはより深い解析が必要であることは誰の目から見ても明らかだ。だがそれをリンディは是としなかった。彼女としてもフェイトの身は気がかりなのだ。だからこそ捜索の手助けとなるように杏子の手に託すのはリンディとしても賛成だった。

「ならいいけどよ。けどリンディ、あたしとしてはできれば次もあんたらと組みたいぜ。管理局っていう組織はまだ信用しきれないけど、あんたら個人に関してはそこそこ信用しても良いってわかったしな」

「私としても同じ意見よ」

「ならあたしは待ってるぜ。リンディが戻ってくるのをな。クロノも、次に会う時は身体の傷を治しとけよ。勝負の決着もつけたいしな」

「あぁ、その時を楽しみにしているよ」

 そう告げて杏子はゆまを連れてアースラを後にした。その去り際を見送ったリンディとクロノはすぐに踵を返す。一刻も早く地球に戻ってくるために。



     ☆ ☆ ☆



 高町家の食卓は家族円満の明るいものだった。それはとてもありふれた光景。家族が仲睦まじく楽しげに語らう日常。その会話内容がどんなものだったのかと後で問われれば思い出せないような些細なもの。それでも確かに幸せを感じることのできる時間だった。

 しかし今の高町家の食事風景はお世辞にも明るいと呼べるものではない。それはテーブルを囲む空席の存在だ。……高町なのは。高町家の末っ子であり、類稀なる魔導師としての素養を持ちながらも、キュゥべえと契約した少女の席だった。彼女の座る席の前にはきちんと彼女のための食事が用意されている。けれどその食事を口にするものはここにはいない。後にごみに捨てられることになるだけの食事。それでも高町家の母親である桃子はなのはの食事を用意せずにはいられなかった。今、この瞬間にも彼女が帰ってくることを信じて。

 すでに彼らは知っている。彼女が魔法少女となり、魔女との戦いの中で行方知れずになったことを。それを管理局から聞かされた時の高町家一同の取り乱しようといったら尋常ではなかった。まず母親である桃子が泣き崩れ、次に長男の恭也が話をしにきたリンディに斬りかかろうとする。それを止めたのも高町家の家長である士郎だったが、リンディを見つめるその眼差しは仇でも見るような射殺す視線だった。

「……ごちそうさまでした」

 だが一番になのはが行方不明と聞かされて心に傷を負ったのは長女である美由希だった。彼女はその現実を受け入れることができなかった。そもそも魔法少女も魔女も普通に生活している人々にとってみればファンタジーの領分である。管理局や魔導師、次元世界などとなんら変わらない。そんな存在に妹を奪われたと言われ、果たして素直に受け入れられるだろうか。分別のある大人であるならば、管理局の説明に矛盾がないと理解できるかもしれない。しかし美由希は良くも悪くもまだ子供だった。兄である恭也ですら怒りを抑えられずに斬りかかったくらいなのだ。それも当然と言えるだろう。

「恭也、本当に行くのか?」

 故に現在、高町家の食卓には空席が二つある。なのはと美由希。行方不明になった末妹とその妹を捜しに姿をくらました長姉。しかし残された家族からしてみれば、どちらも変わらない。自分の我儘を押し付け、父と母、そして兄に心配を掛ける馬鹿な娘たちだった。

「はい。父さんと母さんには心配を掛けることになるけど、でも絶対に美由希となのはを連れ戻すから」

 そんな妹たちを今日から恭也は捜しに向かう。もちろん士郎と桃子に黙って家を飛び出した二人と違って恭也は毎日電話を入れ、定期的に家には戻るつもりだ。だがこれから彼が飛び込もうとしているのはこの世界の裏側というべき希望と絶望の入り混じる魔法の世界。

「恭也、これだけは約束しろ。決して無茶はするな。そして魔女と戦闘になるようなことになれば、すぐに逃げろ」

 そんな恭也に対し、士郎は真剣な表情で告げる。本当のことを言えば、今の二人を放ってなのはたちを捜しにいくことには抵抗がある。士郎は大丈夫だろう。彼は人一倍強い剣士であるということは恭也自身が一番よく知っている。けれど桃子は違う。彼女はなのはと美由希が行方不明になったことに酷く心を痛めている。その上、自分まで家を出ると言っているのだ。口には出さないが、言外に反対しているのは明白だった。

「わかってるよ。俺はそこまで馬鹿じゃない。必ずなのはと美由希を無事に連れて帰るためにもね。……それじゃあ父さん、母さん、行ってくる」

 それでも恭也は止まるわけにはいかない。どれほど士郎と桃子に心配を掛けることになるのだとしても、恭也は立ち止まるわけにはいかない。何故ならなのはも美由希も、恭也にとってみれば最愛の妹たちなのだから。



     ★ ★ ★



 ユーノにとってなのはは掛け替えのない存在だった。だがユーノがそのことに気付いたのは彼女を失ってからのことだった。

 初めて出会った時、ユーノは申し訳なさを覚えつつもなのはの持つ類稀なる才能に縋った。自分の力だけではジュエルシードを回収することができない。実際に思念体と戦ってそのことは痛いほどにわかった。しかしなのはと一緒ならば話は別だ。彼女の力があればジュエルシードの思念体とも十分に渡り合えることができる。巻き込んでしまったことに申し訳なさを覚えつつも、それを気にする素振りを見せないなのはの優しさにユーノは甘えた。

 だがその状況はたった一夜で一変する。魔女と呼ばれる化け物。そしてそれを狩る魔法少女。管理外世界における独自の魔法事情。そして魔法少女として姿を現したすずかと織莉子から告げられる魔法少女の末路。――そしてすずかの死。それはなのはの心は非常に負担になったはずだ。それも自分を守るための犠牲になったのならば尚更だ。そしてだからこそ、なのははキュゥべえと契約し魔法少女になってしまったのだろう。自分の無力さを嘆き、さらなる力を手に入れるために魔法少女になった。

 そんななのはの姿を目の当たりにした時は取り乱してしまったが、後になって考えれば、それも仕方のないことのように思える。あの時、なのはは「すずかの意思と強さを引き継ぐ」と言っていた。おそらくそれがなのはの願いなのだろう。すずかの意思がどのようなものかはわからないが、なのははその思いに殉じるつもりなのだろう。例えその果てに自分がどのような末路を迎えることになるのだとしても。

「僕のせいだ。僕がなのはを巻き込んだから」

 ユーノの脳裏に後悔が過る。なのはを魔法の世界に引き込んだのは他ならぬユーノ自身である。この世界の魔法少女や魔女のことを知らなかったとはいえ、その事実に変わりない。もしも二人が出会うことがなければ、なのはは今でも平和な世界で暮らせていたのではないだろうか。

「……いや、違う」

 そう考えたユーノだったが、すぐにその考えが間違いであることに気付く。確かにユーノと出会ったのがきっかけでなのはの運命は大きく変わった。だが例えユーノと出会うことがなくとも、なのははいずれ魔法少女になってしまったのではないだろうか。

「なのはの持つ魔導師としての資質は凄まじいものだった。もしそれが魔法少女としての資質にそのまま直結するのだとしたら……」

「ボクと契約した彼女は最強の魔法少女となり、そしていずれは最強の魔女へとなるのだろうね」

 ユーノの言葉を引き継ぐように告げたのはキュゥべえだった。いつからそこにいたのか、彼の生物は赤い瞳を輝かせながらユーノに近づいてくる。

「なのははどこだ、キュゥべえ」

 そんなキュゥべえに対し、ユーノは冷たく言い放つ。それも当然だ。ユーノにとってキュゥべえは自分からなのはを奪い去った存在なのだ。そんな相手に友好的に振る舞えるほど、ユーノは大人ではない。

「いきなりのご挨拶だね。残念ながら僕らでもなのはが今、どこにいるのかは掴めていないんだ。そんなことよりボクと少し話をしないかい」

「僕に話だって? 冗談じゃない。なのはを魔法少女なんかにした奴と話すことなんて何にもない」 

「そう邪険に扱わないでよ。なのはに魔法を授けたという点では、ボクもキミも同じ穴のムジナじゃないか」

「やめろ! 僕はお前みたいになのはの人生を狂わせたわけじゃない!!」

「同じだよ。キミはジュエルシードを集めるため、ボクはエネルギーを回収するためなのはの持つ力を利用した。そこに違いはないはずだよ」

「違う! 僕はそんなつもりじゃなかった。ただ僕一人の力じゃジュエルシードを集めることができなかったから、だから……」

「だからなのはの力を利用した。彼女の持つ類まれなる素質に目を付け、一般人だった彼女を魔導師に仕立て上げた」

「違う!」

 ユーノは必死に否定する。ユーノが行ったのは決してキュゥべえの言うような契約ではない。だがしかし、平和な日常を生きていたなのはを危険な世界に招き入れたという意味では同じなのだ。だからこそユーノはその言葉を強く否定した。

「違わないさ。キミとボクの違いがあるとすればそれはキミが人間でボクがインキュベーターであることぐらいの些細なものだよ。……でもだからこそ、キミにはなのはを救える可能性がある」

「…………えっ?」

「ユーノ。キミはボクが何故、彼女たちと契約したのかを知っているかい?」

「そ、それはこの宇宙の寿命を延ばすためのエネルギーを回収するため」

「その通りだ。この果てしなく無限に広がる宇宙は常にエネルギーを消費し続けている。そしてそれはそのままこの宇宙の寿命ということになる。ボクたちはそのエネルギーが枯渇しないために人類の感情をエネルギーに変換して宇宙の寿命を延ばしている。……だけど言い換えればこれはボクたちインキュベーターだけではとても為し得ないことだ。知っての通り、ボクたちには感情がないからね。この宇宙はボクたちインキュベーターとキミたち人類、この二つの種族がいて初めて延命することができるんだ」

 インキュベーターにとって人類は家畜同然の存在だ。彼らの目から見て感情は精神疾患でしかない。さらに個体間の意思疎通方法が口頭を介したものしかなく、そして感情があるが故に意志の同期を完全な形で行うことができない。

 だがその感情こそが、この宇宙の延命に繋がっている。かつてインキュベーターが進化の過程で置き去りにした感情がこの宇宙を救うために必要な唯一無二のエネルギーを生み出しているというのは因果な示し合わせだとも言える。

「本来ならばボクたちは人類が家畜を扱うように、キミたち人類に相対することができる。だけどそうしないでいるのは、キミたちの存在がなければこの宇宙を存続させることができないからなんだよ。もちろん感情を持つ種族は他にもいるし、感情エネルギー以外の方法で宇宙の寿命を延ばすこともできる。だけど人類から回収できるエネルギーほど効率よく運用できるものは他にないのも紛れもない事実だよ。特になのはやフェイトとの契約時に回収できた感情エネルギーは、ここ百年では他に類を見ないほどの質と量を兼ね備えていたと言えるね」

「……いったい、何が言いたいんだ?」

「つまりはね、ボクたちにも欲というものがでてきたということだよ。本来、ボクたちが一番効率よくエネルギーを回収することができるのは少女との契約時ではなく、彼女たちが絶望し魔女になるその瞬間だ。だけど二人と契約した時に回収することのできたエネルギー量は、並みの魔法少女のそれを遥かに上回っていた。ならばもし彼女たちが魔女になった時に発生するエネルギー量は一体どれほどのものだろうと思ってね」

「この上まだなのはの心を弄ぶつもりだって言うのか!!?」

 そんなキュゥべえの言葉にユーノは激怒する。今までの話は全てキュゥべえの理屈だ。そこに例えどんな崇高な理由があるのだとしてもとても許せるものではなかった。

「そんなつもりはないよ。だけど今のままじゃ仮になのはが魔女になったとしてもボクたちはエネルギーの回収は行えない。何せ、今の彼女はワルプルギスの夜を追っていってしまったからね。時代によって名称は異なれど、ワルプルギスの夜は有史以前から存在した最古参の魔女であり最強の魔女だ。如何になのはの持つ力が優れているとは言っても、そこには限界がある。彼女一人の力では善戦することはできたとしても、完全に消滅させるには至らないだろうね」

「そんな!? でもそれなら皆でワルプルギスの夜を倒しに向かえば……」

 そう言い掛けてユーノは口籠る。そんなユーノの心を代弁するかのようにキュゥべえが言葉を続ける。

「行かないんじゃない、行けないんだよ。最初に言っただろう。今、なのはがどこにいるのかはこのボクたちにすらわからない。この星の至る所にいるはずのボクたちにもね。それにワルプルギスの夜は結界を必要としない魔女だ。だけどそれは決して結界を作らないという意味じゃない。獲物を結界の中におびき寄せる必要がないという意味だ。考えてもみなよ。それほど強大な魔女が結界もなしに常に行動をしていれば、この星はすぐに滅びているはずだ。そんな魔女の結界だ。その性能もまた、他の魔女のそれと比べて優れているのだろう。それを見つけるのは容易ではないだろうね」

「……だからってこのまま放っておくわけにはいかない。きっとなのはは今もまだ苦しんでいるはずだ。魔女との戦いもそうだけど、それ以上にその心を誰かが救ってあげなきゃならない」

 なのはが魔法少女になったのは、すずかを失った喪失感が原因だ。それはいくら戦いを続けたところでなくなるはずがない。完全に癒すことはできないにしても、それでも支えることぐらいならユーノにだってできる。だからこそ手遅れになる前になのはを見つけ出さなければならない。

 そう思い、ユーノはキュゥべえに背を向け歩き出す。そんなユーノの背中にキュゥべえは変わらず声を掛け続ける。

「そうだね。そう思っているだろうキミだからこそ、ボクは話をしに来たんだ。この状況でなのはを見つけるのは容易ではない。仮に見つけることができたとしても、その時にはすでに手遅れかもしれない。……だけどすぐになのはを見つける方法がないわけでもない。もちろんそれ相応のリスクはあるし、何よりキミ自身にとってこの手段は受け入れ難いものかもしれない。それでもボクは提案させてもらう」

 その言葉を聞いてユーノはその足を止め、再びキュゥべえに向き直る。そんなユーノにキュゥべえは普段と全く変わらない口調で言い慣れた台詞を告げた。





「ユーノ・スクライア、なのはを救うためにボクと契約して魔法少女になって欲しいんだ」





第一部「もしも海鳴市にキュゥべえもやってきたら?」 END






[33132] 第一部 あとがき
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2014/07/31 17:05
第一部 あとがきと色々と突っ込んだ話

 作者です。
 ここまでお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。
 これにて第一部「もしも海鳴市にキュゥべえもやってきたら?」は終了となります。

 苦節二年と少し、ここまでくるのに些か時間がかかってしまったように思えます。
 というのも、この作品は私にとってリハビリ作品兼実験作品の意味合いで書き始めたからです。
 元々、私はオリジナル畑の人間だったのですが、とある事情でしばらくの間スランプに陥り、プロットがまったく組めなくなりました。ただ執筆欲求だけは徐々に溜まっていき、ある時にふと「二次創作ならなんとかなるのではないか?」と思い至ったのが執筆開始のきっかけです。
 さらに「どうせ書くのが久しぶりなら三人称にチャレンジしよう」「商業的に投稿するようなものではないのならクロスオーバーにしよう」など思いつきで方向性を決め、当時私の中のマイブームが「魔法少女」というジャンルだったこともあり、今作を書き始めたわけです。

 とはいえ、ストーリー面での初期構想はというと、

・なのはベースで無印からスタート
・原作ベースでまどかキャラはキュゥべえ以外未定(むしろ他のキャラは一切出さない方向?)
・キュゥべえと契約するのはフェイトちゃん。

 とこれだけの漠然としたものしか決めてませんでした。どこかで言ったような気もしますが、プロットを本格的に書き始めたのも第5話を過ぎた辺りからでしたからね。
 そんな感じでスタートしたわけですから序盤に関しては本当に純度百パーセントの「ノリと勢い」で書かれています。そんなフィーリングのみで書かれた結果、

・フェイト初登場が見滝原でまどマギ勢登場。
・すずかが契約して魔法少女(病み風味)になる。
・全体的にまどマギ勢よりおりマギ勢の方が好きだからという非常に個人的な理由でゆま、織莉子、キリカがメインキャラとなる。

 と相成ったわけですw

 そんな感じで理論よりも勢いを大事に執筆している関係上、今でも新しい話を投稿するときは毎回、戦々恐々な気持ちです。誤字はもちろんのこと、突っ込んで読まれると矛盾点は多々ありそうですし、序盤読み返すと「この設定失敗だったなぁ」と思う部分が多々あります。中には没ネタにした物の方が良かったのではないかとすら思うものもあったりするぐらいです。
 そんな作品ではございますが、少なからず読者もつき、それなりに楽しんでもらえたようなので重畳といったところです。おそらくA’s編に関しては無印編以上にぶっとんだ展開が多くなりそうな気がしますが、今後ともお付き合いいただければ幸いです。



 以下、第一部のTips的なモノ。ある意味ではネタバレとも呼べるものも含まれているので、不要な先入観を覚えたくない方はスルー推奨。また「これについて聞きたい」という意見があれば、第二部のネタばれにならないものなら追加で掲載することもあるかもしれません。



◆織莉子の目的とこの世界の秘密
 おそらく第二部で一番の肝となる設定。ただこの設定自体、無印編終盤(11話の途中くらい)に思いついたということもあり、それまでの話にそこまで伏線はありません。またこの設定に関してはクロスオーバー作品ではなくまどマギオンリーの二次創作の方が生かしやすそうなものでもある。さらに言えばこれはとある二冊の漫画の中に出てきた設定を今作風にアレンジして織り交ぜたものなので、思いつく人には簡単に思いつけるかもしれない。
 まぁこの作品はミステリーではありませんので、そこまで深く考えなくとも大丈夫だと思います。正直、真実が明らかになった後に突っ込まれれば色々と粗が出てきそうですしね。



◆織莉子的ジュエルシードの使い方
 ジュエルシードが暴走するのは膨大な魔力を秘めているからであり、その魔力がなくなってしまえば後に残るのは願望機としての性質のみ。なのでそこに魔力を必要量注げばある程度ならば好きに願いを叶えることができる……という独自設定。
 ちなみにこの方法ならジュエルシードの力でアリシアを蘇らせることも可能と言えば可能です。ただしそのための前提条件として必要な魔力を賄うにはプレシア一人ではとても足りず、闇の書の覚醒と同様に魔力蒐集をしなければならないこと。そもそもとしてアリシアの魂を確保することの二点が必要となります。



◆アルハザードの三人
 ぶっちゃけ、このままフェードアウトするなんてあり得ないよね?



◆本作第一部における見滝原の扱い
 前述のジュエルシードの影響で魔女がいなくなる。
→不要な戦いがなくなる。
→描くことがなくなる。

 元々、無印編は海鳴、A's編は見滝原と考えていたので私としてはそれほど問題はなかったけれど、杏子以外のまどかファンの方にはヤキモキさせてしまった点については反省。
 前述した通り、書き始めた当初はキュゥべえ以外は出すつもりがなかった弊害と言えばそれまでだが……。さらに私がまどマギ勢5人の中で杏子好きというのがこの結果を生んだと言っても過言ではない。



◆没ネタについて
 執筆メモから一部抜粋して掲載しようとしたけど、HDDのデータが飛んだので覚えている限りを復元。

・フェイトはアースラに捕まる段階でキュゥべえと契約して魔法少女になっている予定だった。
 このルートだとプレシアにアリシアのことを聞かされた段階でフェイトが魔女になる=アースラ内での魔女化。そこから導き出される可能性としてアースラ撃沈の未来があり、それが私的にツボって他の展開が思いつかなくなったこともあり没にした。
 実際、アースラが撃沈するとか一発ネタでしかないので、それ以上物語の膨らませようがないと思う。

・ワルプルギスの夜戦
 なのはは影魔法少女の負の思念を浴び自我を保てなくなるが、多人数の思考を垣間見たことで冷徹に理詰めができるようになる。
 フェイトは自分がアリシアなのかフェイトなのかがわからなくなり自我を保てなり、結果的にさらに幼い人格へと変貌する。
 つまりなのははシュテル化、フェイトはレヴィ化する。
 これについてはそれまでのストーリーに伏線をいっぱい入れていたのだけれど、この展開はどちらかと言えばバッド寄りの展開であることは間違いなく、実際に書き上がったもの(第12話ラスト)が作者的にかなり気に入ったということもあり渋々没に。
 なお第13話その3に無理矢理人格変換することも考えたけど、ちょっと無理のある考えしか思いつかなかったので止めました(その結果、なのはの生死については完全にぶん投げる形になったけれど)



◆「☆」と「★」について
 本当は何かしらの意味を持たせようとしたけど、2014年7月31日現時点では特に意味はない。もしかしたら今後、上手く意味を持たせることがあるかもしれないけれど、その時は少なからず修正が入ると思うので、やっぱり現時点でのものはほとんど意味がない。



◆魔法熟女プレシア☆マギカ
 プレシアさんがキュゥべえと契約しても魔法少女は無理があるよね。ちなみにこのルートをたどった場合、少なくとも無印編は大団円を迎えたと思う。その後は知らないけど。
 なおエイプリル企画用に少しだけ書いたものがあり、もしかしたら無印完結記念の番外編として掲載するかもしれない。
 ……と思っていたけれど、HDDのデータ消失とともに消えた。書く書く詐欺になって本当に申し訳ないですm(_ _)m



◆魔法少年ユーノ☆マギカ
 キュゥべえが少女と契約するのは、あくまでそこから回収できるエネルギーが一番効率が良いという理由であり、もしそれと同等以上のエネルギーを回収することができるのだとすれば、別に少女との契約にこだわる必要はない。そういう観点で言えば、プレシアさん以上にユーノくんが契約対象に選ばれても問題ないと思う。
 ちなみにあの展開、HDD消失前のプロットには一切記載されていませんでした。つまりこの作品は最後までノリと勢いを重視した作品だということです。


◆すずかについて
 本作の方向性を決めてくれた作者的には頭が上がらない方。すずかがいなければなのはが魔法少女になることはなかったといっても過言ではない。
 一応、すずか生存ルートなるものもあったのですが、そうなった場合あそこで死ぬのはなのはだったので、物語はまったく別の様相を見せていたと思う。少なくともより陰鬱な物語になったのは確定的に明らか。



◆StSについて
 ぶっちゃけると現時点ではやるつもりはございません。元々、こんな長くなるとは思っていませんでしたし、A's編が無印編と同等以上に長くなることを考えると可能性は絶望的です。
 というより、オリジナルや他の原作で書きたいものがかなりあるんですよ。実際、投稿していないだけで内々でたまにそういったものも書いていますしね。
 ただ同時連載になるとモチベーションの維持はもちろんのこと、リアル時間を考えると更新ペースが絶望的になるのは明らかなので、やるかどうかはわかりません。
 とはいえ、物によっては本作以上にプロットがしっかりと書けていて、本作以上にモチベが高いものもあるので、超不定期連載前提で始めるのも視野に入れている私がいるのも事実です。ちなみに今現在で一番可能性があるものは東方と幽白のクロスオーバーものです。



◆今後について
 とりあえずA’s編に入る前に第14話という名目で番外編をいくつかお届けしようと思います。現時点での予定は全三編、うち二編は内容も決めていますので八月中にそこまではお届けできるかと思います。そして可能であれば九月の頭から第二部を開始しようと考えております。


 
 以上、重ねてではございますが、ここまでお読みいただき本当に本当にありがとうございました。



[33132] 第二部 次回予告
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2014/07/31 17:07
織莉子の策略によってワルプルギスの夜は見滝原に現れなかった。
なのはとフェイト、二人の力によってワルプルギスの夜は閃光の中へと消えた。
その結果、世界は滅びの運命を一時的に回避した。

だが世界は何も変わらない。
依然として滅びの未来を抱えたまま、世界は穏やかに流れていく。
ゆっくりと、でも、確実に……。



――見てみてキョーコ~、わたしもようやく飛べるようになったんだよ~。

――こんな大人数に食事を振舞うのは初めてだから、少し緊張しちゃうわね。

――ウェヒヒ、よろしくね、はやてちゃん。

――昴かずみです。不慣れなことも多いと思いますが、よろしくお願いします。



少女たちは束の間の平和を満喫する。
いつまでもこんな日々が続けばいい。
誰もがそう思っていた。



――魔法少女狩り?

――初めまして、暁美ほむら。……いえここは久しぶりと言うべきかしら?

――なんだよこいつら? この世界にはこんな奴らがたくさんいるってのかよ!?

――名乗られたからには名乗り変えさねぇとな。あたしの名前は佐倉杏子、どこにでもいる普通の魔法少女だ。



だが仮初の平和は脆く儚く崩れ去る。
そうして少女たちは否応なく戦いの渦へと巻き込まれていく。



――半年前の戦いで確かにワルプルギスの夜は倒された。だけど本当にそれで鹿目まどかは救われたと言えるのかしら?

――さやか、キミの力では彼女の足は治せない。あれは病気でも怪我でもない。言わば呪いのようなものだからね。

――なっ!? てめぇはあの時、死んだはずじゃ……。

――魔力、蒐集。



そうして告げられた事実。
それを受け取り、少女たちはなにを思うのか?



――こんなのってないよ! あんまりだよ!

――なんだよ、これ? なんだよこれぇぇぇぇええええええええ!!?

――すずか? どうして……?

――真実なんて、得てして不幸の塊みたいなものよ。それはあなたが一番よくわかっているはずよ。



幾多の苦難に見舞われ、少女たちはその命を散らしていく。



――あれが、破滅の魔女? 世界を滅びに導く存在?

――独りぼっちじゃ、寂しいもんな。

――アルフ、ごめんね。わたし、もう帰れそうにないや。

――いこう、レイジングハート。この戦いを終わらせに……。

――キュゥべえ、いえインキュベーター。貴方にはこの星、いえこの世界から出ていってもらうわ。



その果てに待ち受ける未来、そこに何があるのか?
そして彼女たちは世界を、そして未来を守ることができるのか?



第二部「もしも八神はやてが見滝原在住だったら?」
Coming Soon...



※なお、この次回予告は第一部終了時点でのものであり、実際の第二部とは異なってくる部分が出てくると思います。
 ご了承ください。



[33132] 番外編1 魔法少女さやかちゃんの日常 前編
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2014/09/16 20:40
 上条恭介にとってそれは奇跡に等しい出来事だった。天才的なバイオリニストとして将来を嘱望されていた彼は、事故により腕が麻痺してしまう。医者に匙を投げられ、もう一生元のようにバイオリンが弾けないと宣告され、一時は自殺も考えた。

 そんなある日、何の前触れもなく彼の指先が動き出す。事故に遭ってから一度として自由に動かすことのできなかった彼の指先。それが徐々に元の動きを取り戻しつつあることを恭介は実感する。医者ですら不思議がる回復力を見せた自身の腕に、恭介は神に感謝した。

 ――けれど彼は知らない。その裏で一人の少女が戦いの中に身を置く運命を背負ったことを。そして彼女自身もまた、その契約によって自身がどのような存在に変化してしまったのか、明確に自覚してはいなかった。



     ☆ ☆ ☆



「これでとどめだー!!」

 魔女の結界の中で一人の少女が咆哮を上げる。白いマントを靡かせ、握り締めたサーベルを魔女の身体に突き立てる。それを受けた魔女は悲鳴を上げながら消滅していく。それと共に周囲に張り巡らされていた結界もまた解けていく。そうして後に残されたのは二人の少女のみ。一人は先ほどまで魔女との戦いを繰り広げていた美樹さやか。そしてもう一人はさやかの師匠の一人であり先輩の魔法少女である巴マミであった。

「お見事よ、美樹さん。私のサポートなんて必要なかったかしら?」

「あはは、ありがとうございます。でもマミさんのサポートがなければ、ここまで簡単に倒すことはできなかったですよ。それにマミさんなら一人で、しかももっと早く倒すことができたんじゃないんですか?」

 マミの言葉にさやかは照れくさそうに返す。先ほどの戦いは終始、後方で控えていたマミがリボンで魔女の動きを封じ、さやかがサーベルで切りつけるという戦法で行われていた。いくら動きが封じられているとはいえ、初めのうちは踏み込みが甘く、なかなか致命傷たるダメージを与えることができなかった。

「……確かに美樹さんの言う通りね。でも今回の戦いは美樹さんに経験を積ませたかったから、だから私はサポートに徹することにしたのよ。現に美樹さんの戦い方は前回と比べてだいぶ上達しているように見えたわよ。魔女との戦いが二回目とも考えれば上出来だと思うわ」

「そう、なんですかね」

 マミの言葉にさやかは釈然としない思いを浮かべる。マミの言う通り、今日の戦いはさやかにとって二戦目である。一戦目は彼女が魔女になった日、まどかや仁美を助けるために行った。しかしあの時のさやかは対して役に立つことができなかった。魔法少女になり立てというのもあるが、彼女自身ほとんど攻撃性の魔法を習得することができなかったからである。

「マミさんにそう言ってもらえるのは嬉しいですけど、やっぱりあたしは後ろでマミさんや転校生の傷を治すことに専念していた方がいいと思うんですよね」

 さやかに与えられた唯一の武器はサーベル。しかしそこに殺傷能力はあれど、魔法的な加護があるわけではない。さやかの持つサーベルは魔法で創られているだけのただの刃物である。人間相手にするならばそれで十分だろうが、相手は魔女。今回の魔女には刃が通ったが、いずれは刃を通さない鱗や皮膚を持った魔女もいるだろう。そうした相手に対して今のさやかは何の有効手段を持てていないのは純然たる事実だった。

「そんなことはないわ。確かに今の美樹さんの攻撃力は低い。けれど鍛えればその限りではないはずよ。私はもちろん暁美さんだって、今のように戦えるようになるまでは色々と練習してきたはずだもの。もちろん個々の願いや才能によって違いはあるけれど、初めから強い魔法少女なんていないのよ。だから美樹さん、これから一緒に頑張っていきましょ」

「わかりました。マミさん」

 マミの言葉にさやかは務めて明るく振る舞う。マミが嘘をついていると思っているわけではない。だがどうしてもさやかは彼女の言葉を頭から信じることはできなかった。確かに戦いを続ければ今よりは動けるようにはなるだろう。それは今日の戦いの中で実感できた。けれど自分がマミやほむらのように一人で戦えるようになるとは思えないのだ。

 それは彼女がキュゥべえに祈った願いに起因する。どんな病も怪我も治せるようになりたい。その願い通り、彼女の魔法は治癒に特化している。恭介の麻痺した腕はもちろん、その気になれば切断された四肢すら繋ぎ合わせることも可能だろう。魔法少女は得てして自己治癒能力を持っているが、他者の傷をそこまで治せるほどの魔法を持っているものは中々いないとキュゥべえも言っていた。故にこの魔法自体は有用なものであるということはわかる。

 だがそのせいでどうしてもさやかは攻撃系統の魔法が上手く使えない。サーベルを創り出すにしても、マミがマスケット銃を創り出すように素早く行うことができない。魔女の攻撃を避けるよりも上手く避けられず、むしろ初めから受け止めようとした方が返ってダメージが少なく済んだ場面も多い。

 言わばさやかの魔法少女の戦い方のイメージと実際の戦い方が合わないのだ。今までさやかが出会った魔法少女はマミとほむら、そして厳密には魔法少女ではないがフェイトの三人だけである。微妙な差異はあるものの、そのいずれもがスピードで相手を撹乱し高火力で攻めるタイプである。その戦い方に憧れを抱きつつも、今のさやかにはそれを行うだけの素養も技量も経験もない。果たして経験を積んだところでマミのように華麗に戦うことができるだろうか。それが今のさやかの悩みの一つであった。

「ところで美樹さん、明日の誕生会についてなんだけれど、ケーキに挿す蝋燭は何本だったかしら?」

「あっ……、九本でお願いします。でもマミさん、本当に良かったんですか? 誕生会やるの凄く急な話だったし」

「いいのよ。むしろ彼女のことはもっと早くに教えてもらいたかったわ。……ほら、私も一人暮らしじゃない。だからわかるのよ、その子の辛さがね」

「……マミさん?」

「あ、あら? ごめんなさい。なんか湿っぽい雰囲気になっちゃったわね。それじゃあ私はケーキの仕込みもあるから、今日は解散ということで」

「はい。それじゃあマミさん、明日ははやての誕生会、よろしくお願いします」

「えぇ、わかったわ。それじゃあまた明日ね」

 そう言ってさやかはマミと別れ、その足ではやての誕生日プレゼントを買いに商店街へと向かった。



     ☆ ☆ ☆



 翌日、さやかははやてを誕生会を行うマミの家に案内するために彼女の家にやってきた。

「あっ、さやかさん、こんにちわー」

「やっほー、はやて。出掛ける準備はできてるかー?」

「いつでもいけますよー」

 さやかの言葉に明るく答えるはやて。それを聞いてさやかははやての後ろへ周り、車椅子の取っ手を掴む。

「それじゃ、早速だけど出発しよっか」

「はい、お願いします」

 そうしてさやかははやてを連れてマミの家に向かう。さやかが面白おかしく学校であったことを話し、それを聞いてはやてが笑う。そんな他愛のない雑談をしながら、さやかははやてと出会ってからのことを思い出していた。



 さやかがはやてと出会ったのは恭介の入院している病院での出来事だった。恭介の見舞いに訪れたさやかと車椅子で病院に通院していたはやて。中学生と小学生と歳は離れていたが、二人は自然と馬が合った。だがそれだけではなく、はやての境遇はさやかが魔法少女になる際の願いにも影響を与えた。

 幼い頃に両親を亡くし、後見人はいれど基本的に一人で暮らしていたはやて。数年後に病気によって両脚を不自由し、ヘルパーの介護を受けながらも彼女は一人で生き続けていた。そんなはやてのことをさやかは放っておけなかった。同情の念が全くなかったと言えば嘘になる。恭介以上に苦しんでいる年下の少女。そんな彼女の力になりたい。お節介なさやかがそう思うのは当然だろう。そしてこの時、さやかには奇跡を叶えるチャンスが与えられていた。

 キュゥべえとの魔法少女契約。願いを叶える代わりに魔女と戦い続ける運命を背負う。初め、さやかは恭介の腕を願いで治してもらい、魔法少女になるつもりだった。だがキュゥべえに願いを告げる時に、不意にはやてのことを思い出したのだ。家族を失い、車椅子という不自由ながらも笑顔を浮かべ、必死に生きる少女。もし彼女のことを知らなければ、さやかは間違いなく恭介のためだけに一回限りの奇跡のチャンスを使っただろう。

 だがさやかは知ってしまった。恭介と同様に、いやそれ以上に理不尽な目に苦しんでいる人たちがこの世界にはたくさんいることを――。

 だから彼女は『どんな病も怪我も治せるようになりたい』と願った。これなら恭介やはやてだけではなく、他にも理不尽な病気や怪我で苦しんでいる人も救うことができる。そう思い、さやかは自分の魔法の素養のほぼすべてを治癒方向へと特化した魔法少女へと生まれ変わった。

 そして彼女はすぐに恭介の腕を治した。恭介の腕はすぐに治った。さやかが魔法を使ったことがばれないように少しずつ恭介の腕を癒していった。その甲斐あって悲痛に暮れていた恭介の顔に笑顔が戻り、退院も間近に迫っていた。

 その後、さやかは同じようにはやての脚も治そうとした。恭介の腕の時と同様に、はやての見舞いとして彼女に会いに行く度にその脚に魔法を掛け、少しずつでも感覚が戻ることを期待した。

 しかし何度魔法を掛けてもはやての脚が治ることはなかった。順調に回復していく恭介とは違い、はやては病状が悪化していないものの、改善もされていない。それに痺れを切らしたさやかは、はやての脚に直接治癒魔法を掛けるために自分が魔法少女であると明かすことにした。

「ねぇはやて、魔法少女って知ってる?」

「魔法少女? それって日曜の朝にやっているテレビ番組のこと?」

「そうじゃなくて現実にいる魔法少女のことだよ。……っていうか私のことなんだけどさ」

「……さやかさん、いくらなんでもそないな冗談信じるほど、わたし子供じゃないんよ?」

 はやてとしてはさやかとは年齢に開きがあるとはいえ、対等な友人でいたいと思っていた。それなのにこんな冗談を告げる彼女に腹が立ったのだろう。はやてはジト目を浮かべて頬を膨らます。

「へっへー、これを見てもそう言ってられるかな~」

 そう言いながらさやかはその場で一回転する。それと共に彼女の服装が制服から魔法少女の戦闘装束へと変わる。それを見てはやては思わず身を乗り出す。

「……えと、凄い手品やね。いつ着替えたのか、全然わからなかったよ」

 はやては目を丸くしながら、やっとの思いでそう告げる。だがその目は限りなく泳ぎ続ける。目の前で起きた現象を上手く認めることができなかったからである。

「手品じゃなくて魔法! ……別に信じたくないなら信じなくてもいいけどさ」

 そんなはやての態度がお気に召さなかったのだろう。さやかはどこか拗ねたように告げる。

「……い、いや、目の前でこんなもん見せられて信じられないわけやないんよ。ただいきなり魔法や魔法少女言われても、受け入れられなかったというか……」

「言われてみればそうだよね。あたしだって魔女の結界にいきなり巻き込まれてなければ、たぶんマミさんや転校生の話を信じる気にはならなかったと思うし」

「さやかさん?」

「あぁ、ごめんごめん。つまりあたしが何を言いたいのかと言うとさ、はやての脚、見せてもらえないかなってこと」

 さやかははやての正面にしゃがんでスカートの裾をゆっくりとたくし上げていく。

「ちょっ、さやかさん!? こないなところでいきなり何を……?」

「いいから、ちょっと黙ってて」

 突然の行動に顔を真っ赤にし抗議するはやて。しかしさやかははやての声を黙殺し、真剣な表情でスカートの中に潜んでいたはやての脚に目を向ける。子供であるということを加味しても、それは非常に細く白い、ほとんど筋肉のついていない骨ばった脚だった。そんなはやての脚にさやかは手を当てる。そして念じるように魔力を込めて治療しようとする。

「な、なんだかむず痒い気がするわ」

 仄かに光るさやかの手。それに触れられたはやてはどこか気恥ずかしい思いを感じる。もちろんいくら触られたところで、はやてにはその感触を正確に感じることはできない。僅かに感じる圧迫感と温かみ。それだけだった。

 一方のさやかは一切の手ごたえを感じることができなかった。さやかは自分の治癒魔法に絶対の自信がある。その治癒能力に関してはマミにもほむらにも認められており、今までも恭介の腕を治した以外にも、目に付いた人々の怪我の程度を軽くしてきた。しかしいくらさやかが魔力を込めても、はやての脚に一切の変化がなかった。

「……ごめんはやて。どうにもあたしの力じゃはやての脚を治せないみたい」

「もしかしてわたしの脚を治そうとしてくれたの?」

「うん、こう見えてもあたし、治癒魔法だけは得意でさ。だからもしかしたらはやての脚も治せるんじゃないかなって思ったんだけど……ごめん」

「そない気にせんでええよ。流石に魔法云々は驚いたけど、でもさやかさんの気持ち、嬉しかったわ。ありがとな」

 申し訳なさそうに頭を下げるさやかに対し、はやてはそんなこと全く気にしてないように笑顔で告げる。そんなはやての態度に、さやかは悔しさのあまりに涙を零しそうになる。だがそれを必死に耐える。本当に辛いのは自分ではなくはやての方なのだ。勝手に彼女を期待させるような真似をした自分が涙を見せるわけにはいかない。だからさやかは務めて明るい表情を見せた。

「ねぇはやて、時々で良いからはやての脚、見させてもらっていいかな? 今回は駄目だったけど、何度かやってみればいずれは治せるかもしれないし」

「うん、別にええよ。ありがとな、さやかさん」

 その後、さやかとはやてはいつも通り他愛のない雑談やらゲームやらに興じて別れた。はやてといる時は普段通りに明るく振る舞っていたさやかだったが、内心でさやかは憤りを感じていた。今までさやかが治そうと思った怪我や病気で治せなかったことは一度もなかった。程度の差はあれど、少なくとも全く効果を見せなかったのは今回が初めてだった。

「キュゥべえ、いるんでしょ。出てきてよ」

 故にさやかは苛立ちを隠そうとせずキュゥべえを呼び寄せる。その言葉に従い、どこからともなくキュゥべえが現れる。

「やぁさやか。どうしたんだい?」

「どうしたもこうしたもないよ。キュゥべえ、あんたあたしの願いを叶えてくれたんだよね」

 そんなキュゥべえに対し、さやかは詰問する。そんな怒りを露わにするさやかに対し、キュゥべえはいつも通りの表情と口調で答える。

「そうだよ。キミたちに過酷な運命を背負わせる代償に一つだけ願いを叶える。それが魔法少女の契約だ。そこに一切の例外はない。さやか、確かにキミはあらゆる怪我や病気を治すことができるようになったはずだ。その点については疑いようのない事実だよ」

「だったら、どうしてはやての脚は動かないままなんだよ!」

「はやて? 今キミははやてって言ったのかい? それはもしかして八神はやてのことかな?」

「そ、そうだけど……?」

「それならボクを責めるのはお門違いだよ。さやかキミの力では彼女は治せない。あれは病気でも怪我でもない。言わば呪いのようなものだからね」

「……どうして呪いだって断言することができるんだよ?」

 キュゥべえの言葉にさやかは苦虫を噛み潰したような表情で問いかける。

「実を言うとね、彼女の存在はずっと前から知っていたんだ。なにせ彼女の魔法少女の素養は非常に素晴らしい。まどかには劣るけれど、もし彼女がボクと契約すれば近代では他に類を見ないほどの力を持つ魔法少女になるのは間違いない。はやてにはそれほどの素質がある。……けれど残念なことに彼女にはボクの姿を見ることはできないんだ。おそらくこれも彼女を蝕む呪いの効果だと思う。実に興味深い対象だよ。魔法少女としての素養はあるのに、ボクの姿を見ることができないなんて」

 その後もキュゥべえは言葉を続けていたが、さやかの耳には入らなかった。ただ一つだけはっきりしたのは、さやかの力でははやての脚を治すことができないということだけだった。さやかがキュゥべえと契約した一番の理由は恭介の腕を治すことだ。だが二番目の理由としてはやての脚を治したいという想いがあったのも事実だ。魔法少女になったのにも関わらずそのもう一つの願いは叶わない。そのことがさやかは堪らなく悔しかった。



「さやかさん、どないしたん?」

「い、いや、なんでもないよ」

 考えていることが表情に出ていたのか、心配そうに問いかけるはやて。さやかはそんなはやてに慌てて取り繕う。はやての脚を治すことができなかったこと。それはさやか自身の不徳の致すところだ。それではやてに余計な心配を掛けるわけにはいかない。何より今日ははやての誕生日だ。彼女を悲しませるようなことだけはしちゃいけない。そう思い、さやかは一端そのことを忘れ務めて明るく話題を振り続けた。

 さやかが面白おかしく学校であったことを話し、それを聞いてはやてが笑う。そんな他愛のない雑談をしながら、二人はマミの家に到着した。

「はやて、チャイムを押すけど心の準備はできてる?」

「ばっちこいや」

 さやかの確認にはやては明るく答える。それを聞いたさやかはマミの家のチャイムを押す。するとすぐに中から声がし、玄関の扉が開く。

「あら? あなたがはやてちゃんね。もう準備はできてるわよ。さぁあがって」

 そんな二人を出迎えたのは家主であるマミだった。二人はマミに案内されてリビングに向かう。そして扉をくぐった瞬間、複数の破裂音がはやてを襲った。

「はやてちゃん、誕生日おめでとう~」

 そして拍手とともに温かな声で迎えられるはやて。その光景にはやては呆然となる。リビングにいる人物は三人。そのいずれもがはやてとは初対面の人物である。それなのにも関わらず、彼女たちは暖かい笑みで自分の誕生日を祝ってくれている。それが凄く嬉しい。

「……あ、あかん、嬉しすぎて泣いてしまいそうや」

 幼い頃に両親を亡くし、自身もまた下半身が不自由になってしまう。学校に通うこともできなくなり、生活も一人で悪戦苦闘しながらの日々。はやては多くの時間を孤独の中で生きてきたと言っても過言ではないだろう。

 故にはやては人の感情に敏感だ。周りの人が自分に対してどのような感情を覚えているのか、それがはやてには理解できていた。幼いながらも不自由なはやてに手を差し伸べてくれる人は少なからず存在する。けれど世の中にいる人全てがそんな優しさを持ち得るわけではない。直接、害を為すような人物に遭遇したことはないが、それでも遠巻きにはやてを眺め、鬱陶しそうな視線を向けるものがいたのも事実である。

 今日の誕生会に集まることになっていたのは、さやかの友達とはいえ初対面の相手だ。不安がなかったと言えば嘘になる。だが先ほどのサプライズの祝いの言葉にそんな感情は吹き飛んだ。今はただただ嬉しくて仕方ない。

「はやて、泣いてる場合じゃないよ。早く蝋燭の火を消さないと」

「そ、そうやね。皆さん、こないに祝ってくださって、本当にありがとうございます」

 さやかの指摘にはやてはケーキに灯った蝋燭の火を一気に吹き消し、改めてこの場に集まった一同に礼を告げる。

「はやて、さっきも言ったけど気にしないでいいってば。だって今日集まったのは、皆はやてを祝ってあげたいって思った人ばかりなんだからさ」

「そうだよ、はやてちゃん。確かにわたしたちははやてちゃんより歳上だけど、友達だと思ってくれて構わないよ」

「で、でも、わたし、こないな大人数に祝ってもらったの初めてで……」

「そんなに気にするのなら次のあたしの誕生日の時は一緒に祝ってくれればいいよ」

「そうね、それがいいわ。美樹さんから聞いた話だとはやてさんは料理が上手みたいだし、私もその時を期待しているわ」

「……ッ、はい。ありがとうございます」

 皆の言葉を聞いてはやてはなおのこと、嬉しそうに礼を言う。

「ところではやてさん、改めて自己紹介してもいいかしら?」

「あっ、はい。わたしも皆さんのことはもっと知りたいですし」

「じゃあまずは私からね。私は巴マミ。美樹さんとは中学の先輩後輩の関係よ」

「ちなみに今日のケーキはマミさんお手製のものでもある」

「えっ? そうなんですか? こないな大きなケーキを一人で作るなんて凄いな~」

「そんなことないわよ。美樹さんに聞いたところ、はやてさんってかなり料理が上手なんでしょう。私がはやてさんぐらいの歳の頃は包丁すらまともに握ったことはなかったもの。きっとはやてさんなら教えればこれぐらい、すぐに作れるようになると思うわ」

「ほんまですか。なら今度教えてください」

「えぇ、いいわよ」

 そう言ってマミははやてに微笑み返す。マミもはやても共に両親を亡くし一人暮らしの生活だ。だからこそマミは年長者としてはやての世話を出来る限り見てあげたいと考えていた。

「じゃあその時はわたしに試食させてもらおうかな? ……って自己紹介がまだだったね。わたしは鹿目まどか。よろしくね、はやてちゃん」

「ちなみにまどかとは小学校からの幼なじみで、色々と恥ずかしい話も知ってるから、何か気になることがあったら遠慮なくあたしに訪ねてくれていいよ」

「ちょ、ちょっと、さやかちゃん。なに言ってるの!? 勘違いしないでね、はやてちゃん。別に恥ずかしい話なんてないからね」

 さやかの言葉にまどかは顔を真っ赤にして否定する。だがさやかはその言葉を待っていましたと言わんばかりに話を続ける。

「えー、そうかなぁ。ついこの間だって授業中に居眠りして涎垂らしてたじゃん!」

「垂らしてないからね!? はやてちゃん、これはさやかちゃんの嘘だからね!!」

「あはは、二人とも仲ええなあ。やっぱ幼なじみって言うだけあって呼吸もぴったしや」

 阿吽の呼吸で話す二人にはやては思わず笑う。その笑顔に釣られてまどかも笑う。さやかからはやての話を聞かされた時、まどかははやてのことを「可哀想な少女」だと思った。はやての境遇と比べて、今の自分はどれほど恵まれていることか。もし自分がはやてのような立場に立てば、きっと笑ってはいられない。だからこそ、今日ははやてに存分に楽しんでもらおうと思っていた。

 だが実際にはやてを見て、まどかは致命的に勘違いしていたことに気づく。はやては自分の不幸を苦になどしていない。もちろんそういった感情が全くないということはないのだろう。だが少なくともそれを外に出すのを良しとしない強い子であるということは一目でわかった。

「それじゃあ最後は暁美さんね」

 マミがそう促したことで一同の視線がほむらに集まる。それに対しほむらは、はやての目をまっすぐ見つめながら真剣な表情で短く告げた。

「暁美ほむらです。よろしくね、八神はやてさん」

「……あのさ転校生。他に何か言うことはないの?」

「あら? 私はてっきり美樹さやかが補足の説明をしてくれるものとばかり思っていたけれど……」

「……いや、確かにそうしたいのは山々なんだけどさ、よくよく考えるとあたしってそこまで転校生のことよく知らないんだよね」

「……そう。なら八神さん、私の方から一つ質問をしてもいいかしら?」

「えっ? なんですか?」

「あなた、美樹さやかから魔法少女についてどの程度まで聞かされているの?」

「ちょっと暁美さん、なにもこんな時に……」

「いえ、これは大事なことよ。幸い、ここには事情を知っている人間しかいないし、話せることが話しておきたいわ」

 ほむらの物言いに待ったを掛けたマミだったが、ほむらの切り返しは正論だと言葉を引っ込める。その姿を見てさやかもまどかも口を挟むべきではないと考え、口を噤む。

「あの、もしかしてここにいる皆、魔法少女なん?」

「いいえ、そういうわけではないわ。確かに暁美さんと私はそうだけれど、鹿目さんは違うわ」

「そうなんか?」

 ほむらの言葉を聞いたはやては、まどかの方を向いて問いかける。

「うん、わたしには魔法少女になってまで叶えてもらいたい願いもないから……」

「今は彼女のことはいいわ。それよりも八神さん、さっきの質問に対する答えは?」

「えっと、さやかさんが魔法少女っていうことと、わたしの脚はさやかさんの魔法じゃ治すことができなかったってことぐらいやけど……」

 ほむらがそれほどまでにはやてに問う理由、それは彼女の中に秘められた魔法少女としての素養に気がついていたからだ。まどかには劣るが、確かにはやてから感じる素養は並という言葉では片づけられないほど強大だ。さやかが気に掛けているということも考えれば、すでにキュゥべえが目をつけていても何らおかしくはない。

「……それだけ?」

「それだけやけど」

 しかしはやてから返ってきた返答は当たり障りのない部分のみ。ほむらやマミが魔法少女だったということはもちろん、どのようにして魔法少女になるのか、魔法少女の敵である魔女についても彼女は知らなかった。

「…………そう。ならいい機会だから魔法少女について一通り説明させてもらうわ」

 そしてほむらの口から簡単に魔法少女がどのようなものか説明される。

「願いを叶えてもらう代わりに魔女と戦う使命を与えられるかぁ。さやかさん、本当にファンタジーの世界の住人やったんやなぁ」

「だいたい理解できたようね。なら最後に一つだけ忠告させてもらうわ。決して魔法少女になろうとは思わないで。魔法少女になるということはたった一つの願いと引き替えに全てを諦めるということなの」

「全てを諦める?」

「そう。もしあなたが願えば、その動かない脚が自由に動くようになるかもしれない。だけどその代わりにあなたの魂は未来永劫、魔法少女という楔に囚われることになる。まどかもそうだけれど、できることならあなたにもそうなって欲しくはないわ」

 ほむらがこれほどまでにはやてを気に掛ける理由、それは彼女の姿がほむらの過去と重なるからだ。魔法少女になる前のほむらは、病弱だった。そのためまともに小学校に通うことができず、入院した自分の元に両親が見舞いにくることもほとんどなかった。そんな自分の過去とどことなく重なるはやてに親近感を覚えるのも無理はない。

 はやてと出会ったのはついさっきのことだが、それでも昔の自分を思い起こさせるこの少女に、自分と同じ運命を歩ませたくないと思うのは当然の感情だろう。

「大丈夫ですよ、ほむらさん。確かにこの脚が動くようになれば便利やけど、でもわたしはもうそれ以上に欲しい物を手に入れることができたから」

 そんなほむらの不安を余所に、はやてはそう言いきる。脚が動かないことに対して不便に思うことはあっても、不自由だと思ったことはない。それ以上にはやてを苦しめていたのはどうしようもない孤独感だった。家族はおらず友達もいない。そんな現状に寂しさを覚えてしまうのは無理もないことだろう。

 だが今のはやてにはさやかがいる。対等な相手、と呼ぶには年齢が離れているように感じるかもしれない。しかしはやてにとってさやかは初めての友達なのだ。そしてその友達が自分のために誕生会を開いてくれた。はやてにとってみればそれこそが最高の誕生日プレゼントだった。
「その言葉、信じさせてもらうわね。それとごめんなさい、八神さん。せっかくの誕生会にこんなつまらない話を聞かせて。これはお詫びというわけではないけど、私からのプレゼントよ」

 そう言いながらほむらはプレゼントを取り出してはやてに渡す。その表情は先ほどまでの真剣なものとは違い、どこか優しげなものだった。それを皮切りに誕生会は和やかな雰囲気へと戻り、はやては終始笑顔を浮かべ続けるのだった。



     ☆ ☆ ☆



 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、誕生会は恙なく終わりを迎えた。さやかとまどかははやてを家まで送っていくために先にマミの家を後にし、残ったほむらはマミと共に誕生会の後片づけに勤しんでいた。

「それにしても暁美さん、はやてさんに魔法少女について説明するにしても、もう少し日を選ぶべきではなかったのかしら?」

 飾り付けを外しているほむらに対し、マミはテーブルを拭きながらそう問いかける。

「巴さんも気付いたでしょう。八神さんの魔法少女としての素養に。美樹さんがどの程度、話したのかわからない以上、手遅れにならないとも限らないでしょう」

「それはそうだけど……」

「彼女にはキュゥべえにしか叶えられない願いがある。そうである以上、警告するのに越したことはない」

 この場にいないまどかも含め、すでに彼女たちはさやかからはやての脚が魔法の力では治せなかったことは聞かされている。

「でも美樹さんが言うには、キュゥべえははやてさんに近づけないのでしょう?」

「そんなの、出任せに決まってるわ。確かに八神さんの境遇には同情するし何とかしてあげたい気持ちもあるけど、でもだからといって魔法少女になることだけは賛成できない」

「……ねぇ、暁美さん。どうしてあなたはそんなに魔法少女になることに否定的なの」

 マミは真剣な表情でほむらに尋ねる。出会った当初は単純に自分のライバルが増えることを危惧してキュゥべえの契約を阻もうとしていると思っていた。しかし一度、命を落とし掛け、ほむらと共に戦うようになってからその考えは間違いであると気付かされた。

 彼女は不器用だが、それでも優しい心を持っている。そんな彼女が自分の取り分が減るなどという利己的な理由でキュゥべえとの契約を阻むとは思えない。きっと何か別の理由があるはずだ。

「……魔法少女の戦いは過酷なものよ。そんな戦いに大した覚悟もなく踏み込んで欲しくないだけよ」

 ほむらの言う通り、魔法少女の戦いは命がけだ。奇跡の代償と考えれば安いものかもしれないが、それでも日常を謳歌している人に推奨するべきものではないと理解できる。

 けれどそれははやての場合には当てはまらない。彼女の場合、不自由な両脚というハンデを持って生活している。そしてそれが現代医学で治すことができないのなら、奇跡に縋るしかない。五体満足ならばそれで納得できるが、そうでない以上ほむらが何かを隠しているのは明白だった。

「……そうね。確かに暁美さんの言う通りだわ。ならなくて済むのなら、魔法少女になんてならない方が良いわよね」

 しかしそんな思いとは裏腹にマミはそんなほむらに同調する。もちろん本当のことが気にならないと言えば嘘になる。けれどマミはそれを無理に聞き出すつもりはない。マミにとってほむらは大切な戦友であり後輩だ。そして後輩を支えるのは先輩としての大切な役目だと思っている。

 彼女がそれを口にしないということは、まだマミはそこまでほむらに信頼されていないということだ。ほむらと共同戦線を張ることにしてから彼女からの協力要請があったのは、ワルプルギスの夜の一件のみ。しかもその日にワルプルギスの夜が現れるという根拠についての説明は一切なく、結局現れることもなかった。

(確かに私はまだ、暁美さんに信頼しきれてもらえていないのかもしれない。でもいずれ、暁美さんが抱えていることを全て話してもらうわよ)

 ほむらがどのような境遇で魔法少女になったのか、この町に来るまでどのような戦いを繰り広げてきたのか、マミは知らない。それでもマミはいずれほむらに信頼されるような先輩になりたいと思う。そのために今後も精進を続けることを改めて誓うのであった。



     ☆ ☆ ☆



 一方その頃、はやてを家まで送るためにまどかとさやかの三人は仲睦まじく会話をしながら暗い夜道を歩いていた。

「それにしてもほむらちゃん、どうしてあんなことを言ったんだろう?」

 そこでふと、まどかは誕生会でのほむらの発言を思い出す。

「そりゃあれだろ? あたしだけでも手一杯だってのに、これ以上初心者の面倒は見きれないってことじゃない?」

「そうかなぁ。それだけじゃないと思うんだけど……」

 頑なに魔法少女になることに対して否定的なほむら。その姿勢は出会った頃から一貫して変わっていない。確かに魔法少女が命がけということはまどかもさやかも理解している。それでもほむらがあそこまで過敏にキュゥべえとの契約を阻止しようとしている理由がわからなかった。

「暁美さんっていつもあんな感じなんですか?」

 そんな二人のやりとりを聞いていたはやてが尋ねる。誕生会が始まったと同時に忠告してきたほむら。その時の彼女の真剣な表情と眼差しは今でもはやての脳裏に焼き付いている。だがそれ以降のほむらからはそういったきつい様子は一切なく、時折り笑みさえ浮かべていた。

「そうだよ! 空気が読めないというか、重要なことを話さないというか、物腰がいちいち敵対的っていうか……」

「さやかちゃん、そんな言い方ほむらちゃんに悪いよ」

「でもさ、まどか。なにも誕生会の席で初対面のはやてに詰問することはなかったとは思わない?」

「うーん、さやかちゃんの言いたいことはわかるけど、でもほむらちゃんははやてちゃんのことを本気で心配していたんだと思うよ」

「そうなんですか?」

「うん。わたしもね、前に同じことをほむらちゃんに言われたの。それも転校初日にね。いきなりだったから最初は驚いちゃったけど、でも今にして思えばほむらちゃん、本気でわたしのことを心配してくれてたんだなぁって思えるんだ」

 その言葉を聞いてはやては納得する。誕生会が始まったと同時に忠告してきたほむら。その時の彼女の真剣な表情と眼差しは今でもはやての脳裏に焼き付いている。だがそれ以降のほむらからはそういったきつい様子は一切なく、時折り笑みさえ浮かべていた。

 真剣な表情のほむらと微笑みを浮かべるほむら。おそらくどちらも彼女の本質なのだろう。日常を大事にし、それを守るためには手段を選ぶことも厭わない。だからこそ彼女は、初対面のはやてにあのような忠告をしたのだ。

「さやかちゃんも似たようなこと、ほむらちゃんに言われたことはあるでしょ?」

「それは、まあね。だけどあたしの場合、それ以上に辛辣な言葉を浴びせかけられたよ。……とはいってもそれはほむらの忠告を無視して魔法少女になったから仕方ないことなのかもしれないけど」

「もしかしてさやかさんって魔法少女になりたてなん?」

「そういやはやてには話してなかったね。実を言うとあたしはまだ魔法少女になってから一ヶ月の新米でさ。しかも魔法の系統が戦闘向きとは言い難くて、今はもっぱらマミさんかほむらに引っ付いて戦い方を学んでいるところなんだよ。マミさんの時は優しく指導してくれるからいいけど、ほむらの時はもう最悪。あたしがどんなに頑張っても、あいつは文句しか言わないでやんの」

「でもそれって裏を返せば、さやかさんが簡単に魔女にやられないように厳しく鍛えているってことやろ? やっぱりほむらさん、優しい人なんやない?」

「……ま、確かにまどかやはやての言うことも理解できるよ。だけどさ、まだあいつはあたしたちに心を開ききったわけじゃない気がするんだよね」

「そうかなぁ? わたしはそうは思わないけど……」


 さやかの言葉にまどかは疑問を返す。

「そりゃ転校してきた頃よりは心を開いてくれていると思うよ。でもさ、あいつはあたしたちに何かを隠してる。それが何なのかはわからないけど、そこにあいつが頑なに魔法少女になることを阻もうとしている理由があると思う」

 出会った当初とは違い、ほむらと頻繁に話をするようにもなり、共に魔女の捜索を行うようになった。しかしさやかには未だに彼女とどこか距離を感じるのだ。今更、ほむらが裏切るような真似をするとは思ってはいない。しかしそれでも彼女には何か秘密があることをさやかは直感的に感じ取っていた。

「正直に言えば、少し悔しいかな。今のあたしじゃあ、あいつの力になれない。いったい、何を抱えているのか知らないけど、少しはあたしやマミさんを頼れってんだ」

「……さやかちゃん」

「ま、とりあえずは今ははやての脚の治療をできるレベルになるのがあたしの目標かな? そうなればほむらの奴もあたしの力を頼ってくるだろうしね。時間はかかるかもしれないけど、あたしは絶対に諦めないからね」

 先日の魔女との戦いでさやかは確かな成長を感じていた。依然として未熟とはいえ、さやか歯一人で魔女を倒せる程度には成長することができたのだ。それもひとえにマミとほむらがほぼ毎日のように熱心に戦闘訓練を行ってくれたおかげだ。

 もちろん自身の魔法が戦闘向きでないことはさやかが一番よくわかっている。だがそれでも、マミやほむらのサポートをこなせるレベルにまで成長できれば問題はない。何せ彼女の本分は他者に対する治癒魔法なのだ。信頼できるパートナーがいる以上、一人で戦う必要はない。

 それにはやての脚にしたって、さやかのレベルが上がれば少しは改善させることができるかもしれない。彼女の脚を治療すること、それがさやかが魔法少女になるきっかけとなった理由の一つなのだ。そう簡単に諦めるわけにはいかない。

「さやかさん、ホントありがとな」

「な、なんだよ、急に。改まって」

「だってさやかさんは一人ぼっちだったわたしに手を差し伸べてくれて、それに今日の誕生会だって……。もう感謝しても感謝しきれんわ」

 そう言いながらはやての瞳から一筋の涙が零れる。だがその顔は溢れんばかりの笑顔だった。その屈託のない表情にさやかの顔は朱に染まる。

「そんなの、友達だから当然でしょ」

 そして照れくさそうに頬を掻きながらそう告げた。だがそれがはやての涙腺をさらに刺激したのだろう。彼女の瞳からは止めどなく涙が零れ落ちる。それを見て慌ててなだめようとするさやか。しかしいくらさやかが言葉を口にしても、はやての涙が止まることはなかった。

「はやてちゃん、嬉しいのはわかるけど、泣くのはまた今度に取っておこう。きっとその方がさやかちゃんも嬉しいはずだよ」

 その様子を見かねたまどかは、言いながらはやてにハンカチを渡す。その言葉の意味を理解したはやては、なんとか涙を止め、ハンカチで目元を拭う。

「そ、そうやね。ごめんな、さやかさん。困らせるような真似をして」

「い、いや、それは構わないけどさ」

 どうにもはやての言葉が照れくさく、その顔を正面から見ることができないさやか。そんなさやかに満面の笑顔を向けるはやて。そしてまどかはそんな二人の様子を微笑ましく思いながら眺めていた。



 ――平和な日常、この時の三人は確かにそれを謳歌していた。だがこの時、三人は気付いていなかった。ひっそりと暗闇から彼女たちを狙う魔女が近づいていたことを。そしてその様子を感情のない赤い瞳で見つめるキュゥべえがいたことを……。



2014/8/15 初投稿
2014/9/16 タイトルのナンバリングを簡略化、および誤字脱字微修正



[33132] 番外編1 魔法少女さやかちゃんの日常 中編
Name: mimizu◆6de110c4 ID:ab282c86
Date: 2014/09/16 20:40
 それは突然の出来事だった。周囲に立ち込める濃厚な魔女の気配。それが一気にさやかたち三人を包み込んでいく。同時に辺りの景色は街灯に照らされた人気のない住宅街から魔女の結界特有の不可思議な空間へと変わっていく。そんな光景を目の当たりにしてはやては驚き、まどかは困惑し、そしてさやかは気を引き締めた。

「さやかちゃん、これって……」

「うん、魔女の結界だ」

 言いながらさやかは自身の油断を恥じる。見滝原ではさやかがキュゥべえと契約したのと同じ頃からその数は激減し、一ヶ月ほどの間、使い魔一匹すら発見できない状態が続いていた。その理由はマミにもほむらにもわからないようであったが、魔女が現れないということは、すなわち平和ということであり、魔法少女たちはさやかの戦闘訓練を行いつつも束の間の休息を味わっていた。

 だがここ一、二週間ほど前から再び使い魔が姿を見せるようになり、つい先日にはさやかも魔女と交戦した。魔女が見滝原に戻ってきている。その事実をきちんと受け止めてさえいれば、まどかとはやてをこのような事態に巻き込むことはなかっただろう。

「これが魔女の結界かあ。話で聞いていた通り不思議な場所やなあ」

 そんなことを考えているさやかを尻目に、はやてはそう呟きながら興味深そうに周囲を見回す。今、彼女たちが立っているのは広大に広がる砂漠の中心だ。四方三六〇度、見渡す限りの地平線。砂漠特有の熱気に、遠くの方はぼやけた蜃気楼のように見える。それだけならば現実世界の砂漠と同じと言えるが、ここは魔女の結界。現実との明確な差異として頭上には大小の違いはあれど燦々と輝く太陽が五つもあり、足元に広がる砂もその色を赤、青、黄など千差万別であり、それらはまるで小さな虫のように蠢いていた。

「はやてちゃん、大丈夫? 暑くない?」

「平気ですよ。それにしても魔女の結界がこんなに暑いとは思わんかったなあ」

「いや、ここまで暑いのはあたしも初めてだよ。……ってそんな雑談してる場合でもないか」

 その言葉とともに魔法少女姿になるさやか。その手にはサーベルが握られており、表情を強張らせていた。思い起こすのはかつてさやかが魔法少女になる前に行われていた『魔法少女体験ツアー』。魔法少女としての素養があるまどかとさやかに、マミが発案して行われた魔法少女がどのようなものかを教えるために行われていた魔女との戦いの見学会。今のさやかの目から見てもマミは強く、憧れを抱く対象だ。けれどそんな彼女ですら、さやかたちの目の前で殺されかけた。幸いにしてその時は事なきを得たが、あのマミでさえ油断があれば魔女に敗れることもあり得るのだ。

 そんなマミと比べて今のさやかは魔法少女としての実戦経験が乏しく、戦闘技術も拙い。さらに言えば目に見える範囲には一切の遮蔽物がなく、足場も悪い。このような場所で二人を守りながら戦うというのは、今のさやかには非常に辛いものがあった。

「……まどか、情けない話なんだけどさ、あたしの実力じゃ二人を守りながら魔女と戦うのは難しいと思う。かといって結界の出口を探すってのも現実的じゃない。だから危険だけど、ここはあたし自身を囮にして魔女をこの場に引き摺り出して一気にやっつけようと思う。だからまどかははやてと一緒に少し離れた場所でじっとしていて欲しいんだ」

 二人を守りながら戦うことができないのなら、さやか一人で魔女と対峙すればいい。それがこの状況でさやかが導き出した答えだった。

「それでね、あたしが魔女との戦いで手間取っている間にまどかたちが使い魔に襲われたとしたら、あたしは助けに入れない。もちろんそんな状況にならないようにするつもりだけど、でも万が一ってことがある。だからまどかにはこれで自分の身を守って欲しいんだ」

 そう言ってさやかは自身の手にしたサーベルをまどかに差し出す。もちろんさやかはまどかがそれを使うな状況にするつもりはない。だがそれでも万が一の時の自衛の手段は必要だ。幸いなことにさやかが創り出したサーベルは、本物の金属ほど重くはない。華奢な女子中学生であるまどかでも、振り回すことぐらいはできるだろう。

「む、無理だよ、さやかちゃん。わたしにはそんなこと……」

 だがいきなりそんなことを言われて二の句もなく頷けるほど、まどかは図太くない。確かにまどかには魔法少女としての絶大な素養がある。しかしその才能が活かせるのは、あくまで魔法少女として開花した場合に限る。今のまどかはどこにでもいるごく一般的な女子中学生に過ぎない。そんな彼女には例え使い魔とはいえ、自分を守るために他者を殺すという行動に抵抗があった。 

「大丈夫だって。あくまでそれは念のためだ。あたしだって魔法少女としての戦闘訓練を一ヶ月も積んできたんだ。そう簡単に二人を危険な目に遭わせるつもりはないさ」

 さやかは言いながら笑う。だがその目は真剣そのものだ。それを見てまどかは自分の考えを改める。さやかは冗談や酔狂でこのような提案をしているのではない。自分の実力不足を恥じ、大切な友達をこのような場所に招き入れてしまった責任。それを精一杯とろうとしているのだ。

 そんなさやかの考えを感じ取ったまどかは意を決して頷く。まどかは本来、引っ込み思案で喧嘩などほとんどしない。それは彼女が優しく、他者を傷つけることを由としないからだ。

 それでも今はさやかの指示通りに動くしかないと思う。この場でのまどかはさやかに守られるものだが、それと同時にはやてを守るものでもあるのだ。はやては一人で戦うことはもちろん、逃げることすらできない。そんな彼女と共に振るえていることはできるだろう。だが少なくともまどかにはあらがうことができる。それが例え僅かな力だとしても、ほんの少しでも時間を稼ぐことができれば必ずさやかが助けてくれる。そう信じてまどかはさやかのサーベルを手に取った。

「……二人ともごめんな。怖い目に遭わせて。この埋め合わせは必ずするから。だから二人とも無事に結界から抜け出そう」

「ならさやかちゃんには今度、この前できた美味しいケーキ屋さんで奢ってもらうよ」

「おっ、そりゃいいな。わたしも楽しみや」

「ははっ、それぐらいで済むならお安いご用だよ」

 三人は笑う。魔女の結界の中なのにも関わらず、平和な日常を思い描き、楽しげに笑い合う。

「さぁて、それじゃあそろそろ魔女の出迎えだ。二人とも手筈通りに頼むよ」

 だが次の瞬間、その表情を真剣なものへと引き締め直し、さやかは正面に集まり始めた使い魔の群に向かって掛け出していった。



     ☆ ☆ ☆



「巴さん、片付けはこのくらいで大丈夫かしら?」

 マミの家で片付けを一通り終えたほむらはマミに確認を入れる。

「ええ、ありがとう、暁美さん。このまま帰すのも悪いし、紅茶を入れるわね」

「いえ、もう時間も遅いですし、今日はこのままお暇します」

「別に遠慮しなくてもいいのに」 

 どこか寂しげにそう呟くマミ。その姿にほむらはため息を付きながらその場に腰を下ろした。

「巴さん、一杯だけよ」

 その言葉を聞いてマミの顔がパッと明るくなる。そして迅速にキッチンに戻り、ティーカップとポットを持ってやってきた。そして慣れた手つきでカップに注ぎ、ほむらの前に差し出す。

「……それで?」

「それでって?」

「ここまで強引に引き留めたということは、まだ私に話すことがあるのでしょう。魔法少女になることについてはさっき十分に話したと思うけど?」

 ほむらとしては片付けしている間にマミとの会話は十分に済ませたと思っていた。目の前にいるマミのことを信用していないわけではない。しかしまだ話せない。ほむらは過去の周回で真実を知ったマミがどのような行動をしたのかを身を持って知っている。この先、今以上にほむらがマミに信頼を寄せたとしても、話すことはないだろう。

「ああ、勘違いしないでちょうだい。そのことも確かに気になるけど、今から話すのははやてさんの脚のことよ」

 そう前置きしたマミは神妙な面持ちで話を始める。

「さやかさんの治癒魔法を受け付けない怪我でも病気でもない呪い。それっていったいどういうものなのかしら? キュゥべえも迂闊に近づけないって言うし」

「……流石に情報が無さ過ぎて何とも言えないわね。ただ少なくとも、近づけないというのが嘘だと私は思っているけれど……」

「心外だな、暁美ほむら。ボクはその程度のことで嘘は言わないよ」

 ほむらの言葉にそう返したのはキュゥべえだった。突然現れたキュゥべえにほむらは厳しい目を向け、マミはどこからともなく新しいカップを取り出す。

「あら? キュゥべえ、久しぶりね。今までどこに行ってたの?」

「少し興味深い対象がいてね。……それはともかくボクがはやてに近づけないのは本当だよ」

「……信じられないわね」

 キュゥべえの言葉に訝しげな目を向けるほむら。そんな視線に晒されながらキュゥべえは自分に宛がわれたカップを器用に扱い口を付ける。

「信じられないのは無理もない。ボクとしてもこのようなことは初めてなんだ。いや、正確に言えば二度目、かな? 尤も一度目の彼女の場合は厳密に言えば近づくこと自体は可能だったから違うんだけどね。ただはやてとその子には大きな共通点がある」

「共通点?」

「そう、ボク以外の存在と契約した魔法の使い手という意味での共通点さ」

 その言葉は衝撃的なものだった。魔法少女というものはキュゥべえと契約して、はじめてなれる存在だ。それ以外の可能性を魔法少女を生み出すキュゥべえ自身に示唆されれば、驚くのは当然のことだろう。

 だがすぐに二人は思い出す。キュゥべえと契約したわけでもないのに魔法を行使していた一人の少女のことを。異世界の魔導師、フェイト・テスタロッサ。マミにとっては命の恩人、ほむらにとっては最初のイレギュラー。二人にとって彼女との出会いは忘れたくとも忘れられないほどに印象深いものだった。

「……それはフェイト・テスタロッサのことを言っているのかしら?」

 一拍早く彼女の存在に思い至ったほむらがキュゥべえに尋ねる。しかしその言葉にキュゥべえは首を横に振った。

「残念ながら彼女とは違うよ。彼女は決して魔導師になるために誰かと契約したわけではないはずだからね。それに正確に言えば、はやてが本当に誰かと契約しているかどうかもわからない」

「……どういうこと?」

「はやてに魔法少女としての素養があることは間違いない。そしてボクが彼女に近づけないということも本当だ。それじゃあどうしてボクがはやてに近づけないか。それは第三者がはやての周りにいて、彼女のことを見張っているからさ。そして少しでもボクが近づこうとすると、必ずその動向が察知され始末されてしまうんだ」

「始末って……大丈夫なの、キュゥべえ?」

「ああ、マミには言ってなかったね。ここにいるボクは数ある端末の一つでしかないんだ。ボクたちキュゥべえは個体ごとの違いはなく、全ての個体が意志を共有しているからね」

「えっ……?」

 初めて聞く話に困惑の表情を浮かべるマミ。だがそんなマミを尻目にほむらは自身の疑問をぶつける。

「キュゥべえ、一つ聞かせなさい。はやてに近づくと始末されるって言っていたけど、それはどのように殺られるのかしら?」

「それがボクにもわからないんだ。はやてを視認できる距離まで近づくと、気付いた時には殺される。後でその現場にいっても死体すら残っていないから、どうやって殺されるのかボクには見当もつかないよ」

「……そう」

 その言葉を聞いてほむらは短く呟き、思考を纏め始める。キュゥべえを始末することができるということは、相手は魔法関係者であることは間違いないだろう。なおかつキュゥべえが察知できない相手ということは、それは魔法少女というより魔導師である可能性が高い。

 ほむらとてそこまで魔導師に詳しいわけではない。だが少なくとも魔法を使えばその残滓はその場に残るはずだ。しかしほむらが見滝原の内部で感じる魔力反応は彼女の知る魔法少女と魔女のものだけだ。それは相手がキュゥべえを察知するのに魔法を使っていないか、もしくはこちらの探査魔法を遥かに上回る隠蔽魔法を使っているのを意味する。

「それでキミたちに一つ頼みたいんだけど、今度はやてと会う時、ボクも同席させてもらってもいいかな?」

「それぐらい別に構わな……」

「それは早計よ、巴マミ」

 キュゥべえの頼みに二つ返事で引き受けようとするマミの言葉を遮り、ほむらが告げる。

「どういうこと、暁美さん?」

「別に私もキュゥべえが八神はやてに接触することそのものを止めるつもりはないわ。だけどもし、私たちがはやてとキュゥべえを結び付けようとすれば、必ず妨害が入るはずよ。キュゥべえの言う、第三者にね」

「あっ……?」

 その指摘にマミは気付く。相手は頑なにはやてとキュゥべえの接触を防ごうとしている。それはキュゥべえの話からも明らかだ。そんなキュゥべえを引き合わせようとすればどうなるかは明白だった。

「話を聞く限り、相手は私たち魔法少女ではなく、フェイト・テスタロッサのような魔導師である可能性が高い。それもキュゥべえや私たちに気配を悟らせないほどのね。そんな相手と事を構える必要はこちらにはないわ」

「でも暁美さん、そのような人たちがはやてさんの周りにいるということ自体、私には不安だわ」

 ほむらの言にマミが反論する。はやてには魔法少女としての素養はあるが、間違いなく一般人である。そんなはやての周りに存在する正体不明の魔導師。その目的が何であれ、そこにははやてが関わっているはずだ。あんな少女がこれ以上、何かに巻き込まれるのを見過ごすことなどマミにはできるはずもない。

「そうね。でもだからといっていきなりキュゥべえを引き合わせようとする必要はないはずよ。まずは向こうの正体と目的を探るところから始めるべきね」

「それは……確かにそうかもね」

「……というわけでキュゥべえ、あなたの頼みを引き受けるつもりはないわ。少なくとも今のところはね」

「そういうことなら構わないよ。ボクとしてもこれが危険な頼みであることは理解していたしね。だけど二人とも覚悟した方がいい。ボクははやてと対面していないけど、キミたちは知り合ってしまった。はやてを守護する存在がボクだけでなくキミたちに牙を向く可能性もないと言いきれないからね」

 そう言ってキュゥべえはマミの部屋から去っていく。その後ろ姿を見送った後、ほむらは今の話を思案する。

 ほむらは今日、初めてはやてと対面した。話した感じでは年相応の子供らしい無邪気さを持ち合わせつつも、境遇からかどことなく年齢に不釣り合いなほどの大人びた印象を受けた。だが少なくとも彼女自身が魔法に精通しているということはなく、そういった意味では一般人と遜色がないように感じられた。

 だがそんな彼女から感じられる魔法少女としての素養は、ほむらやマミを遥かに上回るものだ。幸いなことに彼女自身に魔法少女になる意志はないようだが、それでも奇跡を祈るに足る願いを彼女が持ち合わせているのは間違いなく、キュゥべえが勧誘したいと考えるのも無理もない相手だった。

 だからこそ解せない部分がある。それははやてが昔から見滝原に住んでいたということだ。ほむらはまどかを救うために何度も同じ日々を繰り返してきた。その中で『八神はやて』なる少女と出会ったことはもちろん、名前を聞いたことも一度もない。もし彼女が過去の周回にも見滝原に住んでいたとしたら、必ずキュゥべえは彼女と契約するために動いていただろう。けれどそんな素振りは一切なかった。

 そこから導かれる答え、それは彼女もまたこの周回特有のイレギュラーということだ。異世界の魔導師であるフェイト・テスタロッサとの遭遇やキュゥべえと契約していない千歳ゆま。そして統計上、初めてXデーに現れなかったワルプルギスの夜。佐倉杏子が見滝原に現れなかったという点を含めるとこれで五つ目のイレギュラー。これは異常な事態と言ってもいいだろう。

 そう考えたほむらだったが、すぐにそれが間違いであることに気付く。今日は六月四日。ほむらがこうして六月を迎えたのは、彼女がキュゥべえと契約し魔法少女になってから初めてのことなのだ。

 キュゥべえと契約し、そしてワルプルギスの夜が現れるまでの一ヶ月を永遠に繰り返し、まどかを救おうと奮闘してきたほむら。そうして同じ毎日を繰り返すことで、ほむらはどの日にどの魔女がどの場所に現れのかという情報を全て得ていた。しかしここから先の出来事は全てがイレギュラー。何が起こるかわからず、その中でまどかを護りきらなければならない。

「暁美さん、大丈夫? なんだか怖い顔をしているけど……」

 そこまで考えたところでマミがほむらのカップに新しい紅茶を注ぎながら声を掛ける。

「……ごめんなさい。少し考えごとをね」

「やっぱりはやてさんのこと?」

 マミの問いかけにほむらは黙って頷く。実際にはそうではないのだが、余計な説明を省く意味でもほむらは肯定した。そんなほむらにマミは一瞬、悩むような表情を見せ、そして意を決したように尋ねる。

「……ねぇ、暁美さん、さっきのキュゥべえの話なんだけど、おかしいと思わない?」

「おかしいって?」

「話を聞く限り、キュゥべえを近づけないのははやてさんを護るためなんでしょ? でもそれなら、キュゥべえを遠ざけるより前に前にはやてさんの脚を診るべきだとは思わない?」

「……確かにそうね」

 マミの指摘にほむらは頷く。さやかの治癒魔法すら受け付けないはやての両脚。キュゥべえはそれを『病気や怪我ではなく呪い』と言った。

「もしかしたらだけど、そもそもはやてさんの脚を動かなくしているのが、そいつらなのかもしれない。彼、ないし彼らは何らかの方法ではやての脚を動かなくさせた。そして脚が動くようになって困ることがあるからキュゥべえをはやてに近づけないようにした。…………自分で言ってて思ったけど、いくらなんでも荒唐無稽過ぎるわね」

 ほむらは自分の考えの最後にそう付け加える。そもそもはやての脚が動かなくなることに何のメリットもありはしないだろう。

「……どちらにしても私たちはあの子のことを知らな過ぎる。さっきも言ったけれど、はやてを監視している第三者の存在も含めて、彼女について調べるところから始めた方がいいと思うわ」

「…………えぇ、そうね」

 ほむらの言にマミはそう返す。しかし言葉とは裏腹に、その表情はどこか納得いかない感情を押し殺しているようなものだった。



     ☆ ☆ ☆



 さやかは群がる使い魔を相手に戦い続けていた。身体のほとんどが砂でできた色とりどりな使い魔。その形は個体ごとに異なるが、共通して目玉が弱点のようでサーベルで刺す、斬る、叩きつける等して次々と薙ぎ払っていく。多勢に無勢な現状だが、それでも使い魔程度にやられるようなことはなく、まどかたちに注意を払いながら一匹一匹確実に葬っていた。

(それにしても、いつになったら魔女が出てくるんだ!?)

 使い魔を串刺しにしながら、さやかはまだ見ぬ魔女への警戒心を強める。当初は早々に魔女がこの場に現れると思っていた。しかしすでに彼女たちが結界に囚われてから三十分近く経つにも関わらず、一向に姿を現す気配がない。そしてそれは彼女たちにとって都合の悪い展開だった。

「はぁ……はぁ……」

 頭上に輝き続ける五つの太陽。そこから放たれる熱気が徐々に、だが確実に彼女たちの体力を奪っていく。もちろん魔法少女であるさやかにはある程度の耐性はある。しかしそうではないまどかとはやてには別である。

 さやかが戦い始めた時からはやては車椅子から降り、まどかと共に魔女や使い魔に見つからないように姿勢を低くして身を潜めている。普通の環境ならばそれは大した苦ではないだろう。しかしこの場の温度は軽く五十℃を越え、さらに様々な角度から照りつける日差しによって物影一つない。ただそこにじっとしているだけで、確実に二人の体力を奪っていた。

「大丈夫、はやてちゃん?」

「正直に言えば少し辛いかな。だけどさやかさんが何とかしてくれるって思うから、このぐらいの暑さでヘコタレてられなんかいられないよ」

 汗だくになっているはやてに対し、心配げに声を掛けるまどか。そんなまどかに対し、はやては精一杯強がって笑顔を見せる。

 さやかが魔法少女であるという事は事前に聞かされていた。しかしこうして戦う姿を見るのは初めてのことである。群がる使い魔を一瞬で倒し、時折りこちらに気遣うように視線を向けてくるさやか。そんなさやかの姿にはやては尊敬の念を抱いていた。

「そうだね。きっとさやかちゃんならここからわたしたちを救い出してくれる」

 まどかもまた、そんなはやてに同調する。まどかにとってさやかが戦う姿を見るのはこれで二度目である。尤も、一度目の時、彼女はまどかを逃がすことを優先したため、このように前にでて戦うようなことはしなかった。だがそれでもまどかの目には今と前とでさやかの動きが格段に良くなっているということが理解できた。それこそほむらやマミに遜色がないほどに、さやかは魔法少女として戦えていた。

 だがまどかは知っている。かつてマミが魔女に殺され掛けたことを。あの時は間一髪のところでほむらとフェイトに助けられたが、そう都合の良いことが何度も起きるとは思えない。さやかのことを信頼しているというのは事実だが、それでも彼女の身の安否が心配で、内心ではハラハラしながらさやかの戦う姿を眺めていた。

 だからこそ、最初にその違和感に気付いたのはまどかだった。そんな彼女が何気なく頭上に視線を向けると、そこにあったはずの太陽の数が一つ減っていた。その変化を目の当たりにしたまどかはすぐに視線を逸らし、恐る恐るさやかから渡されたサーベルを手に取る。そして周囲を探り、減った太陽がどこにいったのかを探る。

 それはすぐに見つかった。砂に紛れながらゆっくりと転がっている黒い球体。頭上にあった時ほどの大きさはなく、熱気も感じられない。だがそれでもこの砂漠の中でそれは明らかに異物だった。

「ヒッ……」

 まどかはその動向をしばらく見ていると、その黒い球体と視線が合う。それは目玉だった。どす黒い眼球。それと視線があった瞬間、まどかの全身に寒気が襲う。先ほどまではただひたすらに暑いだけだったのに、今はむしろ凍えるほどの寒さを感じる。そんなまどかを尻目にその目玉はにやりと笑い、そして砂の中に潜っていく。その一連の光景を目の当たりにして、まどかは確信する。あれこそがこの結界を作り出した魔女なのだと。

「まどか、さん?」

 そんなまどかの様子に不思議そうに声を掛けるはやて。だが彼女もまた気付く。突如として足元から感じる圧迫感。息苦しいと言い換えてもいい。最初はそれがなんだかわからなかったが、次第にそれがどこからきているのか気付く。それは彼女の下にある無数の砂の一つひとつから感じられる視線だった。そう、彼女たちが砂漠の砂だと思っていたそれらは全て、小さな眼球だったのだ。もちろん一つひとつが与える影響は少ない。しかしこの場にある砂の数はどれほどのものだろうか。その無限とも思える数の視線に晒されたはやての身体は自然と震え、自由が効かなくなっていく。

 他人に見られるということ。それは時としてそれだけで恐怖に変わる。特に脚が不自由なはやては、そういった蔑むような視線に晒された経験も多く、否応なくその記憶を思い起こされる。次第に呼吸が荒くなり、胸が痛くなってくる。

「はやてちゃん、大丈夫だから。大丈夫だから、ね?」

 そんなはやての様子に気付いたのだろう。まどかはとっさにその身体を優しく抱きしめる。熱帯の暑さとは違う人肌の温かな感触。それに触れたことで徐々に呼吸が整い、震えも止まる。

「あ、ありがとう。まどかさん」

「ううん、わたしも怖かったから、お互い様だよ」

 それは抱きしめたまどかも同じだった。はやてが恐怖にもがき苦しむ姿を目の当たりにしたことで自身の恐怖心を黙殺することができた。冷静さを取り戻し、さやかがこの場にやってくるまでの数秒の時間稼ぎをする覚悟を決めることができた。

「はやてちゃん、怖いかもしれないけど、でもじっとしててね。きっとさやかちゃんが助けてくれるはずだから」

「まどかさん、何を……」

 はやてがそれを言い終わる前に、まどかは立ち上がる。さやかから渡されたサーベルを両手で握り絞め、震える身体に鞭を打ち、一気に駆け出す。向かう先は先ほどまどかが魔女を目撃した地点。足元に広がる砂に足を取られながらただひたすらに、我武者羅に、一心不乱で走り続ける。

 そんなまどかに釣られるように、この場の全ての視線がまどかに集中する。はやてはまどかのことを心配そうに見つめ、さやかは突然走り出したまどかの姿に危険が迫っていることを感じ取り、そして魔女は極上の得物が自らこちらに近づいてくることを察した。

「まどか!? クソッ、どけ!!」

 その段になってようやくさやかはまどかたちに危機が迫っていることに気付く。そして一気に二人の元へと向かおうとする。だがその時、突如として頭上で輝き続けていた残り四つの太陽がさやかの元に押し寄せる。そして囲むようにさやかを包囲すると、一気にその輝きを強める。あまりに突然のことだったため、さやかは対処が遅れ、瞳に燃えるような痛みが奔る。それでもさやかは視覚以外の情報を頼りに、自分に群がってくる使い魔と太陽を蹴散らし、まどかの元へと急ごうとする。

 だがその頃にはすでにまどかは魔女の目と鼻の先まで辿りついていた。実際のところ、まどかは自分が魔女を倒せるなどとは思っていない。ただ魔女や使い魔の注意をはやてから引き離し、さやかがこちらの状況に気付いてくれればいい。そう思って駆け出したに過ぎない。けれどその思惑は必要以上に功を成した。自分に近づいてくるまどかに向かって、魔女もまた一目散に動きだした。そして使い魔にさやかの動きを封じるように命令した。結果的にさやかは一時的に視力を奪われ、魔女もまたまどかのすぐ目の前にその姿を現した。

「いや、いやぁぁ……」

 自分から近づいていったとはいえ、魔女の急接近に驚いたまどかはその場に尻もちをつき、無我夢中でサーベルを振りまわす。魔女はそれを軽く往なし、遠くに吹き飛ばす。自衛の手段を無くしたまどかは身体を震わし、恐怖に身を竦ませる。

 その一部始終の光景をはやてはただ黙って見ていることしかできなかった。まどかが自らの危険を顧みず魔女に向かっていったのは、脚の不自由なはやてのためだ。だから彼女は魔女の注意を自分に向けた。逃げ出すことすらままならないはやての元に向かわせないために。そんな彼女の意図がわかるからこそ、はやては堪らなく悔しかった。

「なんで、何で動かんのや!」

 自分の脚が動かないばかりにまどかが殺されようとしている。その事実を正面からまざまざと見せつけられたはやては、自分の脚を責める。もしはやてが自由に動くことができさえすれば、少なくともまどかは魔女の注意を惹きつけようとはしなかっただろう。言い換えれば、はやてこそがまどかを危機的状況に追い込んだ張本人なのだ。そのことが悲しく、それと同時に何もできない自分に対して腹を立てた。

(今だけでいい。今だけでいいから、動いて! わたしに友達を見殺しにさせないで!!)

 今更はやてがまどかのところに向かったところでできることなどたかが知れている。それでもはやては思わずにはいられなかった。はやてにとってまどかはすでに大切な友達の一人なのだ。そんな彼女に庇われ、そして見殺しにするなんてこと、許容できるはずがない。

 そんな彼女の強い感情、それに呼応するかのようにはやての足元に三角形の魔法陣が描かれる。そしてその魔法陣から四つの光が飛び出す。――それが後にはやてにとって掛け替えのない存在となり、そして彼女の人生を大きく変えていくことに、この時のはやてはまだ知る由もなかった。



2014/9/16 初投稿


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