植物と布を利用して造られた小屋の中。
今日も、男は寄せては引く波の音に起こされる。
のそのそと上半身を起こして背伸びし、あくびをしつつ寝ぼけ眼をこすって起床。
ぼやけた視界でおもむろに小屋内を見回す。
視線の先にはみずぼらしい小さな木のテーブルに置かれたナイフ。
男はナイフを手に取り、テーブルへ刃を向けた。
「おはよう」
「ああ」
突然かかる少女の声。
男は驚く素振りも見せずに生返事して小屋の入り口を見やる。
そこには肩にかかる程度の黒髪に青眼、日に焼けた健康的な肌を独特な模様が目を引く衣服で覆った少女が、ムスッとした顔で佇んでいた。
「やってもらいたいことがある。それにもう昼よカガヤ。あと、挨拶くらいまともにできないの」
「そうどやすな。すぐ終わる」
カガヤと呼ばれた男は少女のキツイ言葉を気にもせず、軽く返して作業を開始。
ギリッとゆっくりテーブルを切りつける音が小屋に響く中、それを見て不機嫌な顔をいくらか緩めた少女が口を開く。
「今日でどのくらい?」
「ちょうど1年だ。ん、終わった」
「そう……じゃあ、行こうか」
寝起きは辛いもうちょっとダラダラしたいとぼやきつつもナイフを置いて小屋を出る。
カガヤの短めの黒髪を暖かい風が撫でた。
まだ眠たそうな黒眼の先、一面に広がる薄く碧がかった綺麗な海。
その反対には鬱蒼としたジャングル。
すぐそこに見える小道の先には、貧しくも強かに生きる人々が暮らす村がある。
ビサイド。
それがこのスピラという世界の南方に位置する島の名前。
「ボケッとしてないで早く」
「おう」
いつの間にか小道にいる少女。
カガヤは少女に追いつくべく歩を進める。
少女はテクテクと、カガヤはふらふらと小道を歩いて村へ向かった。
誰もいない小屋の中、テーブルに刻まれた文字。
それはスピラでは文字として認識されない5本の線で印された何か。
「正」というカタチが無数に刻まれていた。
村への小道。
カガヤの足取りもしっかりしてきた頃、眉間にシワを寄せイライラしながらも呆れたように少女が言う。
「村の男達はダメ。酔いつぶれて眠ってる」
「仕方ないだろ。昨日念願のナギ節が訪れたんだ。夜通し騒ぎたくなるのも無理はない」
スピラには、約600年前に突如現れたシンという巨大な魔物がいる。
それは昔人々が機械に頼ったことへの罰として存在していると、この世界の最大組織エボン寺院によって伝えられている。
人々は幾度と無く災厄を振り撒くシンに絶望したが、希望までは捨てなかった。
シンに対抗する事が唯一可能な者、召喚士。
彼等がいつかシンを倒してくれる、ナギ節という平和をもたらしてくれると信じていたから。
そして昨日、1人の召喚士ガンドフがシンを倒した。
「そうね……でも、シンはまた現れる」
「シノ……」
俯いて言葉をなくす少女、シノ。
その顔には眉間に寄せられていたシワも呆れていた表情も消え、代わりに不安が浮かんでいた。
それから2人に会話はなく、重苦しい雰囲気のまま村に到着。
大きな石造りの神殿の前。
相当な賑わいを見せてたであろう祭りの後、広場の中心には燃え尽きた薪。
せっせと食べ物や酒の片付けをする女達。
そして、照りつける日差しの下、寝転がる男達……
その光景にシノから状況は聞いていたが顔を顰めるカガヤ。
「見ての通り男手が足りない。やって」
シノに先程までの不安に苛まれた表情はなく、視線を広場の方へやり意地の悪そうな笑みを浮かばせて言った。
彼女の目線の先には、片付けられずに残っている重たそうな沢山の酒樽。
「俺が、片付けるのか……」
何当たり前のことを言っているの? おバカさんと言わんばかりの表情でカガヤに目を向けるシノ。
ますます歪むカガヤの顔。
ため息をつきながらもさて、片付けますかとやる気なさげにおばちゃん達のところへ。
それを見て満足気に微笑むシノ。
年が離れている少女に使われる男。
……尻に敷かれていた。
「本当、助かったわぁ。ありがとうねぇ」
「いいえ、俺も普段お世話になってる身です。これくらい当然ですって」
おばちゃんのお礼に答えて、いい仕事したと気分よく首を捻って関節をパキパキ鳴らす。
そんな爽快な気分を台無しにしてくれるようなシノの声が耳に入る。
「調子の良い返事ね。広場の惨状を見たとき物凄く嫌そうな顔してたのに」
もう少し言い方もあるだろうに、こいつはいつもツンケンしている。
俺に対する発言には漏れなく棘が付いてくる。
そんなサービス要りませんよと口にした日には、だいたいアンタはとまるで母親のように欠点をペラペラ挙げてくるだろう。
少し太って年を取れば完璧。何て死んでも言えないことは思考のかなたに置いといて。
「まぁ、そうだけどさ。でも、あんなの見たら誰だって嫌な顔するだろ」
あんなのに目を向ける。
俺が片付けを手伝い始めてから結構時間が経っているのにも関わらず、今もなおダラダラと惰眠を貪る野郎共。
何人か片付けの邪魔だから家に帰って寝なさいと怒鳴られ連れて行かれたが、結構な人数がまだゴロゴロしている。
たまに上がる変な唸り声やら歯軋りが俺に、いや皆に生理的嫌悪感を与える。
シノも顔を顰めている。
「はぁ、それはそうと俺もう帰るよ? 片付けも終わったし」
やることはやった。誰が好き好んでいつまでも男達を観察するんだ。
「ねぇ……」
唐突に暗くなるシノの声色、表情にも覇気がない。
今日は良く見るなと思いつつ目で先を促す。
「スピラに永住する気はないの?」
――その話はここでは出来ない。
「これから俺の小屋に来な。それから話そう」
暗い顔で頷くシノ。
とりあえず、おばちゃんに帰ると伝えなければ。
「じゃ、俺帰りますんで」
「あら、夕飯はいいのかい?」
「せっかくですけど、すみません」
気を付けてねと見送るおばちゃんに軽く頭を下げ、俯いたままのシノと共に昼に通って来た小道を戻って、自分の暮らしている小屋に向かった。
家に帰って来たわけだが、依然として暗いままのシノ。
どんよりとした空気を少しでも晴らすために飯でもどうかと勧めてみる。
「夕飯食べる?」
「いらない」
即答されてしまった。
朝飯も昼飯も抜いて腹が減っている俺は、一緒に何か食べながら話をしようと思ったのだが。
「答えて」
シノが実に率直に問う。
別に悩むことでもないので俺もストレートに返答。
「永住する気はない」
「どうして?」
半ば俺の答えを予想していたのか、間髪入れずに返してくるシノ。
決して強い口調ではないが、納得できる説明をと妙に凄みのある目で睨まれる。
「それは半年前に話したろ。俺は自分のいた世界に帰りたいのさ」
そう、俺はこの世界の人間じゃない。
シンとか召喚士は空想のモノで、絵本や小説でしか見られない絵空事として存在する世界にいた人間。
そして、ファイナルファンタジー10というゲームをプレイしたことがある普通の人間。
「でも、どうやって帰るつもり?」
帰る方法がない。
そんなことは分かっている。だからといって諦めるわけにはいかない。
別段、絶対に帰らなければならない大層な理由はないけれど、郷愁というのだろうか? やはり、無意識に故郷へ帰りたいと思ってしまう。
だけど、それはとても大切な気持ちだ。帰る意志まで無くしてしまったら、そこで全てが終わってしまう。
もちろん永住を考えたこともあるが、この世界は危険が多すぎるしそれを回避する力が俺にはない。
すぐそこのジャングルに生息している凶暴な魔物。
ゲームだったらなんの苦戦もせずに倒せる魔物でも、大学生をしていた俺が勝てるほど弱い筈も無く。
ここらで一番弱いだろうオオカミに似た魔物ディンゴすら、俺は倒せない。
安心できる自分の世界に帰りたい。
「賭けをする」
一つだけ帰れそうな、とても方法とは呼べないけど、希望がある。
それは成功する見込みなど全く持てず、失敗すれば永遠にやり直せない大博打。
「ちょっと、まさか……あの時話したこと本気でするつもり?」
シノが目を見開く。
あの時、それは半年前のこと。
シノに俺がこの世界の人間ではないと打ち明けて、帰る方法はないかと聞き、そんなのないと言われて落ち込んで、どんな小さな希望でも可能性だけでもと話したあの日。
「ああ、そうさ。なにもせずにこの世界で終わるつもりはない」
馬鹿だ、頭がおかしいんじゃないかと言われるだろう。
分かっているさ。
だが、やってもやらなくても結果が同じなら、やって朽ちた方がいい。
「あんた、馬鹿じゃないの!? 寝言は寝てから言いなさい!」
激昂するシノ。
こいつのここまで大きな声を聞いたのは初めてだな。
しかし、もう決めていることだ。
「近いうち、やってもらおうと思う」
「……冗談じゃないわよ」
俯いて拳を固く握り、震えながらも言葉を紡ぐシノを見る。
「誰がやると思ってるの。あんた、本当に召喚獣になれると思ってるの?」
望みは薄く、決して叶わずとも、やらずにはいられない。
「迷惑だろうが、やってもらいたい。召喚獣になって自分の夢を叶えてみせる」
頭を深く下げる。
「頼む、俺を祈り子にしてくれ」
今の俺はシノの目にどんな風に映っているのか。
決まっている、情けなく映っているだろう。だけど形振りかまっていられない。
「わかったわ……」
その言葉に顔を上げる。
シノに見つめられた。どことなく疲れ諦められた表情で。
「3日後に、やるわ」
そう言って、小屋を出て行った。