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[33595] 僕が伝説になる必要はない(ドラクエ3っぽい世界観)
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:a89cf8f0
Date: 2012/08/23 03:27
 魔王バラモス。その体躯は山を超え放つ魔法は海を消し一声上げれば空を覆う程の魔物が現われ指先一つでそれらを操り瞬く間に国を滅する事が出来る……
 とある吟遊詩人の言葉である。いや、詩であるが正しいか。ともあれ、それが大仰に過ぎると笑う者はいない。現に、魔王バラモスたる化け物が世界を闇に覆わんとしているのだから。
 人々が平和を謳歌している時、奴は現れた。変化もまた唐突。晴れた日の昼下がり、町の人間が次々にモンスターに変わっていくという事件が起きた。その数数万を超える。それも、各国に届け出された報告の数が、というだけなので、実際は数十万を超えるのだろう、と人々は噂していた。
 家族が、友人が、恋人が、皆化け物に変わる姿を見た人々は嘆き悲しみ……そして怒りを覚えた。バラモスという存在をまだ知らなかった彼らは怒りの矛先を己が国に向けた。何故こんな事になったのか、理由は何だ。国はどうしてこんな事件が起こるのを予知できなかったのだ、と。当然、国家は疲弊し、特に暴動の激しかった大国ドランは同じ人間達の手によって滅ぼされた。それが十年前。
 ドラン崩壊の報せを受けた各国の国王然り、国を支える者は原因の究明をさらに急がせた。今までもそれを為さなかった訳ではないが、もう治まりだした突如人間が化け物に姿を変える事件、その原因を知るよりも自分達の国の暴動を抑える事に力を注いでいたのだ。その調査は片手間とは言わないが、心血を注いでいたとは言い難い。
 人が化け物に変わり出した日から七年の年月が経ち、最早国が国としての体裁を保てなくなりだした頃、奴は現れた。世界中の空に見るもおぞましい化け物が浮かんでいたのだ。
 化け物は、口を歪ませ尖った牙を見せつけながら、こう言った。

「我が名は魔王バラモス。貴様ら人間を駆逐し、嬲り、闇に葬る為に顕在した。人の子よ、座して待つが良い。我が牙が貴様らの喉元に迫るその日まで嘆くが良い」

 誰もが白昼夢か何かだと考えた。さりとて所詮は夢だと片付けられるほど楽観的な思考はこの七年でとうに消えていた。つまり何が起こるか? 暴動では無い、暴動に酷似した混乱である。
 掌を返すように人々は己が国に縋った。今すぐに討伐隊を、とせがんだ。自分達が身勝手だという事になんら気付く事無く。
 が、国王含む重臣達も「そらみたことか」と高笑いをする訳にはいかない。民に憤りながらも眼前に迫る脅威に対抗をしなければならないのだ。
 だが……世界にあるどの国も力を持ってはいない。暴動を抑える為に使われた労力は果てしない。とても未知の化け物に対抗できる軍隊など擁している国は無かった。
 その時、一人の男が声を上げた。その名はオルテガ。片田舎の国に住まうその男は自分の国を出て魔王バラモスに対抗すべく、魔王の配下達を次々に倒していき、世界に明かりを灯らせた。誰もが期待した、誰もが彼ならばこの世界を救ってくれるかもしれないと夢想した。その夢は、儚いものだとも知らずに。
 世界中の魔物に悩まされ中には占拠されていた国を救い(その国の中にはイシス、ポルトガなどの大国も存在する)いよいよ魔王バラモスと対峙する時が来たと、魔王バラモスの居城に通ずるとされるネクロゴンド山脈に出向いたオルテガは、バラモス配下の六騎衆、サタンパピーとの戦いの末相討ちとなり火口に落ちたという。
 再び世界に闇が訪れた。人々はまた嘆き悲しむだけの日々に戻ったのだ。
 勇者は今、この世界にはいない…………












 僕が伝説になる必要はない
 第一話 仲間との別れ












 天才、鬼才、神童、選ばれし者、賢者の素質を持つ者。皆様々に彼──アスターをそう称する。当然だろう、なんせ彼は齢十七歳にして魔法を使えるのだから。
 そう──メラだ。
 噂によると、国の宮廷魔術師でもメラを使える者は極僅かなのだという。大半は魔法の研究を主としていて、騎士団と共に魔物の討伐に行くなどありえないことなのだから。
 村の中でまことしやかに囁かれる一つの噂がある。それは彼に直結していた。なんでもアスターは魔王バラモスを倒すため勇者と共に旅をするらしい。いやいや、そもそもその勇者はどこにいるのだ。そういえば勇者の所在ははっきりしないな。じゃあアスターが勇者なんじゃね? おお、そうに違いない。勇者アスター万歳! お前が魔王を倒すその日を願って!!
 この村──レーベという田舎も田舎大田舎の村──では持ちきりの話題である。いや、最早それは噂などというあやふやなものではなく確定事項となりつつあった。その為、村人達は自分が出来る精一杯の事をしようと農作業を放っぽりだしてアスターの為に動いている。
 村長は必死に村の金を集めて大いに支持率を減らし、その集めた金でアスターの旅の支度をするなど、アスターの意志をまるっきり無視したやり方で準備をしていた。
 村唯一の協会に努めるアスターの幼馴染のシスターはいかに感動的な送り出し方をするか頭を悩ませ、今は神父と共に歌の練習に励んでいる。アスターの隣の家に住む老夫婦は何を勘違いしているのかキビの団子をせっせと捏ねあげていた。生徒数が二桁に届かない学び屋を運営している教師は世界地図とは名ばかりのレーベ周辺の情報だけを網羅しているガイドマップの制作に精を出している。鍛冶屋夫婦のゴンとアンは世界最硬度のお鍋のふたを作ろうと熱気を口から吐き金槌を叩く。お鍋のふたである理由は彼らにも分からない。


 そして──その日はやってきた。
 いつまでたっても村人達の想いを知る事無くのうのうと生活していたアスターだったがいよいよ両親に面と向かって「お前は世界を救う、いや救える力を持つ人間だ! 今こそ魔王バラモスを討つ時!!」と真摯に言われ、しばし迷った様子であったが頷いた。

「分かったよ父さん、僕のこの力が人々を救うなら……迷う必要はないよね」
「ええ、流石私の子供……でもアスター? 辛いなら無理しないでもいいのよ?」大好きな母の心配そうな言葉を受けて、アスターは一度顔に影を落としながら、その後笑った。
「大丈夫さ母さん……ただ……ただ、」一呼吸置いて、椅子を立ちテーブルに右手を置いて、哀愁を背負いながらアスターは呟く。「僕は、こんな強い力よりも、父さんと母さんと一緒に生きて、なにより普通の子供でいたかった。それは、叶わない夢なんだろうけど……」

 アスターの独白染みた言葉に、母は息を吸う。熱心に息子に旅を進めた父ですら、しまったと言うように顔を俯かせた。
 それでも、アスターは笑うのだ。大切な両親に心配をかけまいと必死に。人の身でありながら犬小屋規模の木造建築物なら全焼させ得る力を持つ彼だが、その実心は温かかった。
 ──しかし、涙は抑えられない。ひきつった声で、呟く。

「魔王なんて呼ばれてるバラモスだけど……きっと僕も似たようなものなんだ。人間が持っていて良い訳が無い力を僕は有している。僕も魔王やモンスターと同じ、化け物なのかもしれない」その自嘲はあまりに悲しく、辛いものだった。
「……違う」
「父さん?」
「そんな訳があるかッッ!!」

 アスターの父は、椅子を倒す程勢い良く席を立ちずかずかと息子に近寄って、力の限り抱きしめた。最初は驚き身じろぎしたアスターだが、やがて諦めたように力を抜き為すがままに父に体を預けた。

「正直に話そう、アスター。俺は、俺はな……怖かったんだ」
「怖い? 父さんがかい?」アスターの問いに父はぶんぶんと頭を縦に振る。
「お前がそういう風に考えてしまう事……自分の力を恐れ、化け物であると考えてしまう事が何より怖かった!!!」
「っ!」びく、とアスターの身体が震える。
「違うんだ!! それは絶対に違う、俺は、いや俺も母さんも確信を持って言える!! お前のその力は、世界中の人々の為に産まれた力なんだと!! ……確かに、お前の言うようにお前の力がこの村の人々の為だけに使われるような、そんな小さな力なら、お前と一緒にいれたのにと思わなかった訳じゃない」

 でも、でも、と繰り返すだけで父は咳き込んで涙を流すだけとなる。それを見たアスターの母は夫の背中に手を当てて、小さく微笑みながら息子の目を見た。

「でもねアスター、貴方は選ぶ事が出来るの。世界を守るか、この村を守るか。普通の人なら選べないわ、だって力が足りないから。私や父さんみたいな凡人じゃ届かない領域に貴方はいるの。だからこそ……私達は貴方のやりたい事をして欲しい。そして貴方は今悩みを抱えている。そうよね?」母の問いに、アスターは頷いた。
「そうね、貴方は自分の強すぎる力に悩んでいる。なら……その悩みを自慢に、誇れるものに変えて欲しいとお父さんは願ったわ。私は村の皆みたいに魔王バラモスを倒してほしいとは思わない。ただ……貴方が自分の力に恐れる事無く立ち向かえるようになってほしいわ」
「かあ……さん……母さん、父さん!!!」

 レーベの村、その中の一軒家で泣き声が響いていた。
 そして、それを聞きつけた村人達はより一層アスターの為に自分の作業を進めていったのだ。












 次の日の朝。アスターの旅立ちに全ての村人が見送りに現れた。
 アスターを祝福するような、晴れ晴れとした空は彼の心に清涼な風を吹かせる。
 村長が集めたお金で作らせた、レーベ特産のレーベ草を染み込ませた緑のローブに身を包み、神木とされる樹齢二十四年と八か月の木から削り取った魔法使いの杖を右手に、世界最硬度のお鍋のふたを左手に持ち、腰にはキビの団子とガイドマップをぶら下げて、仄かな恋心を抱いていた幼馴染の透明な歌声に背中を押されてアスターは旅立つ。

(この旅の中で、僕は自分の力と向き合えるだろうか?)

 小さな不安を抱いたアスターは村を出る瞬間後ろを振り向いた。
 そこには、皆優しげな表情を浮かべてアスターを見ている。両親も、同じ様に笑っている。けれど、遠目にも分かるほど、お互いの両手を強く握っていた。
 不安なのは自分だけでは無いのだ、と少しの安心感を得たアスターは再び前を見てしっかりと地に足をつけて歩きだす。
 勇者への道を歩き出した、アスター。
 年齢十七歳の、春のことだった。






 レーベを出て一刻。元来体力のある方ではないアスターは近くの岩に座りこみ小休止を取る事にする。腰から下げてあるキビ団子の袋を開けて一つ掴み取り口に運んだ。水が足りなかったのかぽろぽろと欠片が零れ落ちる団子。かさかさで粉っぽい味しかしない糞不味い団子だったが、アスターは腰の曲がった老夫婦が作ってくれたことが嬉しかったので一気に頬張った。
 まだ小腹は空いていたが、もう一度食べる気にはなれず袋を絞めて腰からぶら下げる。何処かにゴミ箱的なものはないかと探すが周辺にそれらしきものはない。渋々と立ち上がり、また歩き出した。
 彼が今歩いている所は草原。世界南部の大陸は一部を除き草原である。人の手が無いそこは明らかに街道を逸れており、あからさまにアスターは迷っていた。けれども、彼の所有する袋の中身は充実している。と言っても満月草と毒消し草と薬草しか入っていないが。採集ポイントが村人に渡されたガイドマップに書かれていたので手早く採取した結果である。ちなみに、用が無くなったのでガイドマップは捨てた。団子は捨てずガイドマップは捨てる、その理由は単に放置しても虫が湧くか湧かないかの違いだけである。レーベ村教師の三週間の努力はここで消えた。

「そもそも、僕は何処へ向かえば良いのだろう」

 問題はそこだった。魔王バラモスを倒すという名目があれど、彼は地理を知らない。世界大国として名高いポルトガやロマリアもアスターからすれば聞き覚えの無い言葉でしかない。そんな彼が目的地を定めるのは至難の技であった。

「魔王、というのだからきっと城に住んでいるのだろうな。城……城か。どれくらい大きいのだろう、村長の家くらい大きいのだろうか、憧れてしまうなあ」

 ちなみに村長の家は普通の民家の三倍の大きさである。城は通常の民家と比較しようがないので意味が無い。
 独り言を呟き続けたアスターだが、彼の頭を占めているのは腰にある重たいだけの団子を処理したいという気持ちだった。いっそその辺に捨ててやろうかと考えたが、勇者代わりとして旅立っている(と彼は考えている)身としてはそのような悪事は避けたいとも考えた。ガイドマップはかさばるので捨てたが。
 しかし、一度気になると中々他の考えが出来ない性質である彼はいよいよポイ捨てを決行しようと近くの林に立ち寄る事とした。どうやら、万一にも人にばれない場所で捨てるなら悪事では無いという結論に達したようだ。
 がさがさと音を立てて草むらを踏み倒していく。すると、途中で足もとから何者かの声が聞こえた。声というか、鳴き声だが。

「?」

 不思議に思ったアスターは足を退けて視線を落とす。そこには青い物体が地面にへばりついていた。それを見て彼は嫌そうに顔を歪めた。

「誰かの糞か。どんなものを食べればこんな糞が出るのか知らないが、全く度し難いな。旅人の迷惑を考えない蛮行、もしやバラモスの仕業だろうか」

 適当についた言葉だったが、青い糞を踏ん張り出すのは魔王らしいと考え、アスターは尚更苛立った。旅立ちの日からバラモスの卑劣な罠にかかったと、まるで掌で踊らされているように感じたのだ。

「おのれ魔王め、仮にも王という名を冠しながら野外で排便行為に及ぶとは。必ずやこの糞不味い団子を口にねじ込み窒息させてやる」

 魔王を退治する方法を編み出したアスターは怒り冷めやらぬまま林を出ようとする。思わぬ所で使い道があったので、団子を捨てる必要が無くなったのだ。
 早く新しい村に行って魔王バラモスの居場所を突き止める、彼の方針が決まった。

「ピキュー!!!」
「……何? ……糞が動いただって!?」

 しかし、アスターの道を阻む者が一匹。そう、青い糞である。先程踏んづけたばかりの糞が飛び上がり突如として彼の前に出たのだ。
 アスターは戦慄する。まさか、魔王は自分の糞ですら操り人間を襲わせるのか、と。もしかすれば、世界中を圧巻している魔物の群れは全て魔王の糞なのか!? と。至って真面目であり、中々穿った意見だと言わざるを得ない。

「ピッキー!!!」青い糞は自分の体をふるふると動かした。それはまるで否定の意を示しているようだった。勘の良いアスターは糞の考えを悟り、ふむ、と顎を引いた。
「たかが糞と侮るな、ということだな。分かったよ、僕は戦いは好きじゃないけれど……糞とはいえ魔王の糞、相手にとって不足はない!!」
「ピキーーーーー!!!!!!」

 青い体を赤くしながら、糞はアスターに飛びかかった。
 だがその動作は遅い、賢者にすら届くと村の神父に言われたアスターの詠唱速度は凄まじく、彼に言えない早口言葉は無いほどだった。

「メラ!」

 飛び込んできたスライムに避ける事は出来ない、そのまま火球に呑まれ……いや当たってしまいそのまま地面に落ちる。じりじりと燻る音が聞こえてきた。それに伴って生き物の焼ける臭いが漂い、アスターは不快感を露わにする。口元に服の袖を当てて、それでもなお驚きは消えない。

「まさか……僕のメラを喰らいながら原型が残るなんて……流石は魔王の排世物、強敵だった」

 鼻を摘みながら空いた手で十字を切っておく。己が強敵に敬意を表したのだ。背を翻し、その場を去るアスター。林を出て元の草原に戻る。そこで気付いたのが、遠くに建物が見えた。最初は何か分からなかったが、やがてアスターは手を叩き閃く。

「そうか、あれが町というやつか」

 今までレーベを出た事が無いアスターにとって町の存在は好奇心を疼かせた。足早に向かおうと、わくわくしながら歩きだしたのだが……

「ぐっ!?」

 急に背中に痛みと衝撃を感じたアスターは前のめりに倒れてしまう。顎をしたたかに打ちつけて、慌てて後ろを振り返ると、そこには火傷を負いながらも息を荒く吐いてこちらを見遣る青い糞の姿があった。
 膝を立てて、立ち上がるアスラー。その目には先ほどのような嫌悪感や、ましてや糞にぶつかった不快感など無い。ただ、ライバルに対する称賛と僅かな怯えを含ませていた。

(僕のメラを浴びながら生きているとは……なおかつ攻撃してくるだって? もしかして、こいつが噂に聞く魔王六騎衆の一人なのか?)

 驚愕。その感情が彼を支配した。平和なレーベ村の近くにまさかそのような大物が潜んでいたとは、と。
 そして新たな発見を産む。自分が今日この時村を出て糞不味い団子を捨てに来たのは運命だったのだ、と。もし今日この時彼が現れなければレーベ村はこの青い糞によって滅ぼされたかもしれない。
 そこまで考えた後、アスターに浮かぶ感情は驚愕と恐怖、そして感謝。

(ルビスよ、僕にかような試練と幸運を与えて下さった事を感謝します。そして、願わくば僕に祝福を)

 再び杖を構え直し、前面にお鍋のふたを押し出して対峙する。それを見た青い糞はにやり、と口元を歪めた。
 じりじりと、お互い自分の前に透明の物体があるかのように距離を詰めず左右に回る。距離は変わらず時間が過ぎる。相手の隙を窺っているのだろう、アスターの額に汗が流れ、その汗が目に入ろうとしたその時、青い糞が動いた。

「ピキーーーーッッ!!!」

 さながらサイドステップのように右へ左へと飛びながら、弾丸のような速度で青い糞が襲いかかる。そのスピードは最早人の身で追える速度では無い。そう、人の身では。
 ここにいるアスターはすでに人の身を超越した、正しく超越者。その知識は膨大であり、鍛え上げたのは魔力だけでは無い、その身体もまた常人に非ず。咄嗟に杖を逆手に持ち薙ぎ払うようにして杖先を押し当てた。

(……まさかっ!?)

 アスターの表情に焦りが浮かぶ。まるで軟体動物のように青い糞はその身体を変えて杖を避け、突きだしたそれに巻き付いたのだ。そして、そのまま這うようにアスターの腕に近づいてくる。
 ぞわっ、と全身の毛が逆立ったのを感じる。このままでは腕を砕かれ、いや食われてしまうだろう。杖を封じられた今魔法を唱えることは難しい。いや可能だが威力は半減し、何より詠唱時間が足りない。杖を落として一度距離を取るか? 確かに難は逃れるだろうがもう杖を取り返す機会は無いだろう。
 万策尽きた──凡人ならば、そう考えるのだろう。
 だがアスターは違う。一度戦いとなれば氷の心となれる彼だ、当然このような事態でも、焦りこそすれ取り乱す事はなく、さらには新たな一手を導き出せるのだ。ではその一手とは? 万人が驚嘆し憧れを抱くだろう知能戦の始まりである。

「せえいっ!!」
「ピキュウウーーー!!!」

 そう、左手に持つお鍋のふたで青い糞を思い切り叩いたのだ。ぐちゃっ、と嫌な音を出しながら青い糞は崩れ落ち、べたっと地面に落ちた。

「はあ、はあ、はあ……終わった、のか?」

 杖の先でついついと青い糞を突くが、震えるだけで動き出す気配はない。
 体の奥底から溢れ出る安堵に身を委ね、背中から地面に倒れこむ。汗は絶えず流れ、ゆだった体は言う事を聞かない。それでも、心は嫌に清々しいものだった。アスターは右手を上げて、掌を開き、また閉じた。

(……魔王バラモス、その手先にもこの様だ、いかに相手が強大な六魔騎衆だとしても、それでもバラモスはこいつよりさらなる力を持つに違いない。この僕でもバラモスには勝てないかもしれない)

 アスターは身震いした。恐れでは無い、もしやすれば、それは歓喜。身を縮め、自分からの死を考える程の力を得た自分でも敵わないかもしれない相手がいた事に対する、だ。そして確信する。自分の力は魔王を討つ為にあったのだと。

「……ありがとう。お前のおかげで僕は自分の道を見つける事が出来た。感謝するぞ、青い糞よ」

 倒れながら、横眼に強敵の死骸を見つめる。もう動く事もなく、彼の言葉を聞く事もないだろうが、それでもアスターは言わずにはいられなかった。彼の中に、青い糞への奇妙な感謝の気持ちが育っていた。それは恐らく、友情にも似た何かだったのかもしれない。
 ようやく呼吸が整ったので立ち上がる。ぱっぱっと土を払い杖とお鍋のふたを持つ。絶対に役に立たないので何処か別の村に行けばさっさと質に入れてしまおうと思っていたお鍋のふたが切り札になるとは、とアスターはいとおしむようにお鍋の蓋を撫でた。

「もしかしたら、このお鍋のふたは伝説の武具なのかもしれないな……なんてね、あはは」

 と、口では笑い飛ばすものの、アスターはその言葉に納得してしまう。なんせ、魔王率いる魔物の中でも最強の六魔騎衆の一人を葬ったのだ、言い過ぎではないだろう。

「……もしかして、あくまでももしかしてだけど、このお鍋のふたはレーベに伝わる伝説の金属を用いて作られたのでは……?」

 一度想像すれば、結論に至るまでは時を要さなかった。

「そうか! きっとあの鍛冶屋の夫婦は身分を隠しているけれど実は稀代の名工で、唯一レーベに伝わる伝説の金属を加工できる人材だったんだ! はっ!? ……そうか、これが噂に聞くオリハルコンなのか!!」

 驚愕に足る事実を発見したアスターは己の幸運と、流れるように魔王と戦う準備を経ている自分に運命を感じずにはいられなかった。
 詳細は分からないが、このお鍋のふたはレーベ村の鍛冶屋夫婦が十日の日数を掛けて作り込んだ名作だという。彼ら曰く、「これならおおきづちの一撃にも二発は耐えれるぜ!」だそうな。

「待っていろよバラモス! 僕が必ず退治してやる! そして、僕は僕の力を誇れるような、立派な勇者になるんだ!!」

 ざん! と力強く大地を踏みしめて、天を仰ぐ。その瞳に迷いはなく、勇気ある者として恥じない素晴らしい青年のものであった。
 目指すはおおよそ近くにあるっぽい町である。そこでバラモスの情報を集め、打ち倒す。明瞭明確な目標だ。常に、明晰たる頭脳は単純な目標を打ち立てる、

「いざ行かん!! 魔王の下へ! ……ッッ!!?」

 ────気配を、感じた。
 気配、というには大袈裟か。感じたでもない、聞いたのだ。生きる者の声を。者というのも正しくはないか、生きるモノの声を。鳴き声を。

「まさか……嘘だろう? まだ生きているというのか貴様!!」

 そう、魔王六騎衆の一、青い糞が己が体を震わせていたのだ。ふるふると……いやぷるぷると震えるそれは間違いなく生きていた。アスターの渾身の一撃を喰らい、それも伝説の武具たるお鍋のふたで叩きつけられたにも関わらず、だ。その生命力たるや、悪霊の域を超えている、凌駕している。
 しかし、その様子が奇妙であった。燦然たる登場をし、紅蓮の一撃を喰らいなおも戦意を閉ざす事無くアスターを睨んでいた青い糞が、顔を上げる事もなくぷるぷると震えるだけ。それは、まるで……

「泣いて、いるのか? 貴様」
「ピ、ピキイィィ……」
「そうか……悔しいのか。人間に負けて、悔しいのかお前…………初めてだ、僕に負けて、悔しいなんて思う奴は」

 思い起こせば、アスターは常にそうだった。どんな相手と勝負をしても負ける事を知らなかった。唯一物を数える勝負では幼馴染のシスターに後れを取ったが、こと戦いに置いて彼の右に出る者はいなかった。大の大人でさえ子供のアスターには勝てず「アスターくんは強いなあ」と頭を撫でた程に。
 アスターには負けて当然。誰もがそう思っていた、悔しいなどという感情を吐く事などレーベにはいなかった。それ故に、この青い糞の反応は酷く新鮮に思えた。
 そして、それ以上に嬉しかった。相手はモンスター、恐らく数々の人間を喰い殺し、もしかしたら国単位で滅ぼしてきたのかもしれない。そんな相手でも、彼にはとても愛おしく見えたのだ。

(……そうだ。僕はまだ勇者じゃない、そう、本当の。僕はまだ化け物だ、己の力を制御できない化け物なんだから、仲間だって同じ化け物で何が悪い)

 そう思った時には、アスターは既に手を差し伸べていた。
 青い糞は、気配を感じたのか顔を上げ、アスターの手を不思議そうに眺めていた。

「お前、名前はなんて言うんだ?」
「ピ、ピキ?」
「そうか……言葉が分からないんだよな、馬鹿だな、僕は」

 手を引っ込めて自分の頭を掻くアスター。敵意など何処にも見当たらない行動に、尚更青い糞は不思議そうに体を震わせる。気のせいか、少しだけ体を寄せてきたようにも見えた。
 一人と一匹は見つめ合い、種族は違えど、確かな何かを共有していた。

「ルビス様の教えでは、魔物であるというだけで差別をするなと仰られている。なら、こういうのも良いだろう……なあお前、一緒に来ないか?」
「ピッ、ピキッ!?」

 アスターの言葉を聞き、青い糞は柔らかそうな体を硬直させて一息に後ろに飛び下がる。当然だろう、敵対者である人間に誘われるなどあってはならないこと、いやある訳がないことなのだから。
 だが、眼の前の敵からは冗談の気配は見えない。もう一度手を差し伸べて、じっと青い糞を見つめた。
 しばし、時間が流れる。やがて、根気負けしたように青い糞は自分から歩み寄ってきた。青い糞を撫でると、その感触が気に入ったのかアスターは何度も何度も撫で続ける。
 もうそろそろ良いだろう? と言うように青い糞が少し強く体を震わせると、アスターは苦笑して手を離した。

「しかし、名前が無いのは不便だな。よし、これから僕はお前をうんこと呼ぼう。これからよろしくな、うんこ!!」
「ピキーーーーッッッ!!!!!」

 気を良くしたのか、青い糞改めうんこは走り出した。その勢いは凄まじく、二人の仲を知らぬ者が見ればまるでアスターから逃げ出そうとしているようにすら見えた。

「性急な奴だな。そうか、あの町まで案内してくれるのかうんこ。頼もしいな! うんこ!」
「ピキイイイイィィィィィ!!!!!!!」

 アスターもまた負けじと走り出しうんこの後を追う。風を切り草原を駆ける二人は短い間の付き合いしか無くとも、死闘を超えた仲間だった。
 二人で走る中、うんこが前にいる事を幸いにアスターは涙を流していた。
 初めての仲間なのだ。それも、尊敬されるだけの仲では無くお互いが対等で、力の差は僅かである仲間。これほど嬉しい事があるだろうか? 天才と呼ばれ崇められているだけの毎日では決して得られなかった対等という関係。一般の者では当たり前の存在が彼には稀有で、得難過ぎるものだったのだから。

(旅に出て良かった。村を出て間もないというのに、僕は信頼できる仲間を手に入れたんだから!)

 暫く二人で走っていると、うんこの姿が消えた。といっても少し前に背の高い草原があり、背の小さいうんこの姿が見えなくなっただけなのだが。
 後を追って、懸命に腕を振り、飛びこむように草原に入ったアスター。草原はすぐに途絶え、草の生えていない少し広い空間に出た。そこは、町と村を繋ぐ道であり、視界が一気に開ける。
 そこには、うんこ以外に人間の女性が立っていた。その女性は、片手に剣を携え……携えて────












「うんこ?」

 女性の足元には、体が分断されたうんこの姿があった────

「び、び、びっくりしたあー……いきなりモンスターが出るなんて……あれ、旅の人? 良かったわ、ねえ貴方。今すぐ私に食べ物をよこしなさい、もうお腹が減って死にそうなのよ。お金も無いけどほら、そこは私の美貌を拝めたからとかそういう理由で、」
「うんこおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」アスターは涙を流し、慟哭の声を上げた。
「ええっ!? とっ、トイレならもうちょっと行けばアリアハンだから、そこの宿屋にでも……ああ、その様子だと間に合いそうにないのね!? じゃあその辺の原っぱで……あっ、紙なら持ってるから……」
「うんっ、うん、うんこおぉ……うんこおおおおおおぉぉぉぉ!!!!!!」
「ちょっと待って!! えっ、なんで近づくのよ? か、紙ならあげる! あげるから待って……嫌よ、何がしたいの? 近づかないでってばあ!!」よたよたと歩いて来るアスターに恐怖でも感じたのか、彼の仲間であり生涯の友になり得る存在、うんこを殺めた女はそろそろと後ずさりをした。
「うんこ……嘘だろ? なんでなのさ? 早過ぎるじゃないか、そんなの早過ぎるじゃないかああああぁぁぁ!!!!」
「漏らしたの!? ど、どうしよ……えっと、ごめんなさい、男性用の下着なんて持ってないの……あの、その……元気出して、ね?」

 嘆き、悲しみ。それらに押し潰されそうになりながら、アスターは友の亡骸を抱き抱え涙する。

(元気出して、だって? お前が言うのか、その台詞をお前が言うのか?)

「あのあの! ごめんね、なんか! 見なかった事にするし、近くに川があるからそこで洗えば大丈夫よきっと! だからその……私、もう行っていいかしら? 食べ物も、いらないから……」
「……してやる」
「え?」

 幽鬼のように立ち上がり、友を抱く為に放りだした杖とお鍋の蓋を持ち見据える。狙うは女。それも人間の、だ。本来守るべき存在であり、勇者として生きていくならば対峙することはならない者。
 だが、彼はまだ幼く。世の理を重んじるにはまだ早かった。

(これが、人間? 僕の仲間を、親友を殺しておいて、嘲笑うように元気を出してとのたまうこいつが人間だって? ……ごめんよ父さん、母さん、僕はやっぱり化け物みたいだ。だって、こんなにも人間が憎い、こいつを……してやりたくて、たまらない)

 アスターの杖の先から火球が現れる。その熱量は今までとは比べ物にならず、例え消化しようとしても三つ分のバケツ一杯の水が必要となるだろう。三つ目は少し余るかもしれない。
 その極炎を女性に向けて、アスターは声高らかに宣言した。

「女、貴様を殺してやるッッ!!!!」
「は、恥ずかしいからって証拠隠滅ううぅぅぅーーー!!!!?」

 そして、アスターは友の弔い合戦の為さらなる死闘を演じる事となる。



[33595] 僕が伝説になる必要はない 第二話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:a89cf8f0
Date: 2012/07/10 02:06
 真昼を少し過ぎた、日差しの強い草原地帯で、二人の男女が向かい合っていた。一人は憤怒の炎に猛り狂い、一人は目尻を垂らし今にも泣き出しそうである。
 アスターと、アスターの仲間うんこを殺した女だ。アスターの持つ杖は怒りで震え、女の剣はぶるぶると狂的なまでに揺れている。

(……目標を定めさせない為の揺れか、落ち付くんだ僕。やはり奴は相当の使い手に違いない、いくら僕と戦って疲弊しきっていたとはいえ、あのうんこを殺した女……怒りで目が曇ったまま勝てる相手じゃない!)
「おとうさあん……おがあざあん……」

 冷静に、あくまで沈着にと念じ続けるアスターとは対称的に女は泣き事らしき言葉を呟いている。それは恐らく、相手を油断させようとする策だ、とアスターは見抜いた。その卑怯極まりない行動に舌打ちした後、一度メラの炎を消した後、アスターは己の額に杖を叩きつけた。明日にはこぶになっているだろう勢いだった。杖が当たると同時に女は「ひぃっ!」と威嚇した。

(よし、痛みで頭は戻ったか? ……これから先は一瞬の油断も出来ない。奴の物腰や構えから、歴戦の戦士であるのは間違いない、いや、奴の領域は剣豪とすら言える……)

 剣を扱う人間などレーベには一人もいなかったので、アスターは心の中で恐らくだが、と後に続けた。確証は無かったが、それは最早確信の領域だった。推論、仮定を超えた時、想像は真実となる。
 再度メラを唱えて火を向けると、女は尻餅をついて剣を手放した。気が狂ったように「いやああぁぁぁ!!!」と叫びながら己の頭を両手で隠す。客観的には、女の降伏宣言とも取れる行動。しかしアスターは決して油断しなかった。古来より、このような罠にかかり命を落とした人間は星の数を超える。その事実をアスターは知っていた。幼馴染のシスターの家に置いてあった幻想忌憚を綴る本では飽きるほど見た展開である。

(隙だらけだ……だが、それ故に恐ろしい……恐れているのか、僕は、こいつに?)

 今なら渾身のメラを放るだけで女を消しカスに出来るだろう、だがそれが誘いに直結しているのではないか? 疑心暗鬼に陥り始めるアスター、考え無しに突っ込むような思慮の浅い者よりは幾倍良いだろうが、彼はそれを臆病だと自身をなじる。
 恐怖……それはアスターにとって縁遠いもので、されど酷く近しい存在だった。
 彼は、他の存在を恐れた事は無い。どのような境地に立たされても、彼には敵を燃やしつくす力があったのだから。
 しかし彼はいつも怯えていた。自分自身にだ。いつの日か暴走した自分の力が村を、いや国を焼き尽くすのではないか、と。

(もしかしたら、僕は今日こいつに殺されるかもしれない……けれど、それでも僕はこいつを許せない……ッ!!)

 大切だったのだ。彼にとってうんこは。
 出会ってから僅かの間しか時間を共有していない。ついさっき出会いついさっき永遠の別れを経たばかりの浅い時間。さりとて、浅い関係では決して無かった。
 戦い合い、死線を潜り抜け得た勝利。そしてお互いの力を認め得た仲間。名前をつけてやった時の喜びよう。それら全て眼を閉じれば思い出せる。

「だから旅なんて嫌だったのよ!! 私お父さんみたいに強くないもん!! 私は踊り子になりたかったんだもん!! やだよお、変態に殺されたくないよお!!」

 女の声など耳に入る事無く、アスターは生きながらにして走馬灯を浮かべていた。死を覚悟しての事だろう。友の仇を討つためとはいえ、まだ年若いアスターが背負うべきでは無い覚悟を、彼は担っていた。それは、間違いなく勇者たる者の宿命。
 そして、アスターは声高らかに宣言した。

「女、貴様の本気を見せてみろ! どのような力でも、僕のメラが全て焼き尽くしてやる!! くらえええええぇぇぇ!!!」
「やだああああああぁぁぁぁ!!!!」

 杖を振りかぶり、今まさに炎をぶつけようとした瞬間、アスターは自分の鼻に衝撃が走ったのを感じ無意識に体を後ろに跳ぶ。鬼の形相となるアスターと違い、女は呆けた顔をしていた。左手には掌より少し小さいくらいの石を持っている。

「あ、当たったの……? ごめ、ごめんなさい! まさか当たるとは思わなくて……こ、殺さないでっ!!」

(──神速ッッ!?)

 アスターは目の前が真っ暗になるのを感じた。驚くべき事に、アスターの最速の詠唱、さらにその上を行く攻撃を女は繰り出したのだ。
 それはもう、女もまた常人では無く超人、いや魔人と同意であることを意味している。
 そこまで考えた時には、アスターは冷汗が止まらなくなる。

(駄目だ、この距離は不味い!!)

 急ぎ敵の攻撃範囲だろう位置から遠ざかる為、後ろを振り向き一心不乱に走る。背中を狙われるかと戦々恐々であったがその心配は杞憂となり、十分な距離を稼いで後ろを振り返った時には、まだ女は座り込んだままだった。知らず、安堵の息が漏れる。

「聞こえるか女!! もうお前の攻撃は僕には届かない! 仮に貴様の足が攻撃速度と同じように神速たるものだとしても、この距離を稼ぐ事はできないだろう! 僕の勝ちだ!!」
「え? ええ?」
「今度こそ、お前をうんこの所へ送ってやるぞ!」

 一撃で仕留めてやると、アスターは魔力を念入りに練った。大気は燃え上がり、灼熱の塊が杖の先に宿る。この熱量ならば小動物は愚か、猪でも当たり所が悪ければ死んでしまうだろう。恐るべき、魔力量だった。彼の力が飛躍的に上昇しているのは、怒りによる部分と、それに劣らぬ焦りと恐怖があるからだろう。
 幸い、敵はアスターがすぐに動けるとは思っていなかったのか未だ座ったままである。これならば、メラが外れるという事もないだろう。知らず口端が吊り上がった。






──貴方は自分の強すぎる力に悩んでいる。なら……その悩みを自慢に、誇れるものに変えて欲しいとお父さんは願ったわ──

 魔法を放つ寸前、ぎっ、と全身が錆びついたように動かなくなる。
 周りには何もないただの草原、であるのに母が隣にいたように感じたのだ。その声は優しく、自分の息子を信頼し心底案じている声だった。

──貴方が自分の力に恐れる事無く立ち向かえるようになってほしいわ──

 誇れるのか? アスターは自分の心に在る何かがそう呟いているのを聞いた。
 誇れるか? このままこの女を焼き殺して自分の力を恐れず向き合えるだろうか?
 確かに、女の力は凄まじい。彼女なら、例え無傷のうんこにも勝てたかもしれない。性格もまた、悪鬼の如く凄惨で劣悪で、下衆の極みである。だが、今の彼女の姿はどうだ? 震えているのは演技ではないとしたら? ただ自分の強すぎる力に怯えているだけだとしたらどうだ? 今の自分はただ弱い者をいたぶるだけの屑じゃないか。それではこの女と何も変わらない。
 徐々に怒りが霧散していくと、正しく霧が晴れたように視界が変わる。悪に浸かりきった魔女に見えた女は、まだ幼い少女だった。そうは言っても、アスターとそう変わらないように見えるが、年下であるのは確かだろう。

(僕は、怒りに駆られて年下の女の子を殺そうとしていたのか?)

 なるほどな、と彼は納得した。やはり自分は化け物なのだと。力だけでなくその心まで。杖を握る力が強まっていく。
 友を殺された痛みで我を失っていた自分を恥じ、憤り、だらりと腕を垂らした。残ったのはただの無力感だった。

「…………行ってくれ」
「え……な、何ですか……?」涙溢れる目を擦りながら、少女は問い返した。アスターは苛立って杖で地面を叩き叫ぶ。
「もう行ってくれ!! これ以上僕を苦しめるな!!!」
「はっ、はいい!!!」

 言うと、少女は慌てて立ち上がり、何度か躓きそうになりながらも走り去っていく。この場にいるのは沈痛な顔のアスターと、かつての友の亡骸だけだった。
 その場に座り込み、両腕を交差してそこに顔を埋めるアスター。押し殺した嗚咽が、暫くの間流れたのだった。






「最初に燃やしつくした相手が、お前だなんてね……」

 メラメラと燃える友の死体を見ながら、黄昏るようにアスターは言う。死体は灰になり風に舞って何処か遠くに飛んで行った。
 初めて生き物に魔法を使った。その相手と友になり、その友を火葬する。痛みを伴う、悲しすぎる結末。
 だが、とアスターは腹に力を込める。これが旅なのだ。これが魔王を討伐する為に必要な別れと試練なのだと。右手を後ろに払い、その際涙の飛沫が舞う。

「止まるな僕。止まればうんこの死が無駄になる。それは村の皆を……いや、うんこをも裏切る事になるんだから」

 空を見上げた時、ゆらゆらと形を変える雲が、自分の友と同じ形となり、なんとはなしに笑顔を作った。さりとて、アスターの目から涙が止まる事は無い。






 友の埋葬を終えた後、最初の目的通りに町へと向かったアスターは、今門を潜り抜け念願の町に辿り着く事が出来た。門番に「何処から来たのだ」と問われた時「レーベからです」と答えた折、「……嘘を言っているようには見えんが、レーベ? 聞いた事無いなあ」と首を傾げられた上に怪しまれ、隣国のスパイではないかと疑惑をかけられた後、はや牢獄行きかと思われたが、通りすがりの老人が「ほれ、着色料の生産地として有名なあの田舎だ」と助言をしてもらった事で解放された。何故町に入るだけでこのような面倒になるのだとアスターは憤慨したが、昔聞いた話で「町という所に住む人間はどいつもこいつも性格が悪い下衆の集団だ」と幼馴染に聞かされていた事もあり許してやることにした。

「すまんな、そういえば時々レーベという村から臭いのきつい草束が届けられることがあったよ。あれって着色料なんだな」兜を被った、短髪の少し真面目そうな門番の一人が言う。後半の疑問はもう一人の、兜をつけず少しだらしなさそうな風体の門番に向けられたもので、問われた方は「七年に一回とかのペースだろ? そんなの、覚えていられる訳ないじゃないか」と笑っていた。それが、己の非を正当化しようとしている行為にしか見えず、アスターは拳を握る。
「今回はもう許しますが、誰かれ構わず疑うのは許せません。それも、この僕に」
「なんだよあんた。何か、有名な方なのかい?」訝しむように訊く門番。それも当然か、見た目まだ年若いアスターが大人物とはとても思えない。その反応を鼻で笑い、アスターは宣言した。
「当然だ、僕はゆう……」

 アスターは、自分は勇者だと伝えようとして、口を止める。無用な混乱を避けるためである。一度勇者と口にしてしまえば、目の前の無礼な門番は畏まり非礼を詫びるだろう。だがその後尊敬の念を込めて様々な話を聞かせてくれと懇願するに違いない。旅の初日で疲れているのに、決して良い感情を持てないこいつらと話をするのはかなり嫌だった。
 それもまた勇者の仕事だと言われればそれまでだが、理由はそれだけではない。今彼らに話を聞かせるとすれば、その内容の大部分が死んでしまった友の話となる。未だ傷の癒えていない彼からすれば、それは少々耐えがたいものだった。

(けれど、旅人ですと伝えてそのままでいるのは会話の文脈がおかしくなる。何より、この礼儀のなっていない門番を調子づかせるかもしれない、かといって勇者たるもの嘘を言う訳にはいかない)

 悩んだ結果、アスターは真実でありながら相手を威嚇させる最適の言葉を思い浮かべた。

「僕は、賢者となる者だ」
「はあ……? はっ、そりゃ面白い冗談だな坊主」だらしなさそうな門番が笑って、嘘はよくないぞ、と窘めてくる。知らず、アスターは奥歯を噛みしめた。
「……僕は、人を傷つける事は良しとしない。けれど、無礼を重ねられて笑っていられるほど堕ちてもいないぞ」
「へえ、そりゃあこわ……い、な……」

 門番のおどけた態度が、消えた。
 特別、アスターが攻撃的な行動に出たのではない。彼はただじっと門番を見据えていただけだ。
 まだ二十にもとどかないだろう若者に、魔物との戦闘を想定し、鍛錬に鍛錬を重ね無法者ならば二、三人同時に相手取る門番がその若者の眼光に恐れをなしていた。
 勘が良い訳でも、戦気を感じ取れるでもない門番だが、アスターの目は雄弁に語っていた。いつでも貴様を倒せるぞ、と。
 それを悟った途端生まれたのは怒り。たかが田舎者の若造が、由緒ある自分に喧嘩を売っているのか、と。いいだろう、ならば今直ぐに殴り倒してやろう、なんなら、剣を抜いて怖がらせるのも良い。庶民が兵士に逆らって良い道理が無い……そこまでは言わないが、無礼な態度を取ってはならない。多少暴力的な思考ではあるも、あながち間違った倫理観とは言えないだろう。
 つまりは、今ここでこの門番がアスターに殴りかかろうとも、罵声を浴びせ、怒鳴りつけようとも大した問題は無いのだ。精々、上司役の兵士長に小言を言われる程度。見た目に反してプライドの高い彼にとっては田舎者に舐められる方がよっぽど問題だった。しかし──

「いや……その、悪かった、よ」門番の言葉に驚いたのは、もう一人の真面目風の門番だった。自分の相方である彼が素直に謝罪を送るとは、信じられなかったのだ。
「分かればいいよ。僕も、気が立っていたから強い言葉を使ってしまった。許してほしい……いや、許して下さい」
「いや! こっちに非があるのは確かだ。勝手に疑って謝りませず……とにかく、中に入ってくれ。アリアハンにようこそ、旅人さん」アスターが頭を下げれば、慌てて自分が悪いと告げる。気不味い気持ちもあったのだろう、先を促して町に迎えた。
 アスターが詰所から出て町──アリアハンに入ったのを見送ると、真面目風の門番が口を開いた。

「おいおい、お前が謝るなんて一体どうしたんだ? 良い事だが、あんな子供相手に頭を下げるお前じゃないだろう」
「馬鹿言うな、俺だってそういう時くらいあるさ」
「嘘つけ」相手の言葉を一蹴する。あしらうように、とも言うだろうか。
「本当だって……ただな、」一拍置いて、だらしない門番は詰所に置きっぱなしだった兜を被りながら続ける。「どうも、あいつの言葉に嘘が見えなくてよ」そう伝えると、まさか! と相手の門番は驚く。
「それじゃあ何か? あんな若い男が賢者だって、そう信じるのか?」丸っきり疑いの視線を浴びて、男は膨れた。
「賢者じゃねえよ、賢者になる男だって言ってたろ? ……初めてだよ、あんなにまっすぐで強い目を見たのは。ああいや、二回目か。オルテガ様そっくりだ、あいつの目は」
「ふうん……俺にはよく分からん」
「だろうな。これは、戦に出た奴にしか分からんもんさ」

 それっきり会話が途切れ、怠け者と陰口を叩かれている男が今日この日はいやに真面目に仕事に取り掛かっていたので、真面目な方の門番は、しばらくあの旅人の男がこの町に滞在しないかなあとぼんやり思った。












 僕が伝説になる必要はない
 第二話 新たなる出会い、邂逅












 町の様子は盛況の一言だった。騒がしいとも言える。
 今まで農村であるレーベを出た事が無いアスターにはそれが新鮮に映った。人々はごった返すように道に溢れ、世界中の人間がここに集まっているのではないかと真剣に考えたほどだ。

「あら、旅人さん? アリアハンへようこそ!!」

 路上で林檎を売っている町娘が急に声をかけてきたので、アスターは戸惑ってしまい返事をするのを忘れてしまった。相手の娘は気にする事無く新たな客を見つけようと違う人間に声をかけていた。
 決して狭い道では無く、大通りと言えよう面積があるにも関わらず道の両端に店が並んでいるせいか、少し歩けば人にぶつかるほど。立ち止まれば後ろからせっつかれるように背中を押される。長閑なレーベでは考えられない事だった。耳を防ぎたくなるほどの喧噪だが、耳を塞いでもこれは大差無いな、とアスターは人ごみの中溜息を吐く。

(けれど、悪い心地ではないな。皆笑っているんだから)

 町の人間は皆性格が悪いと思ったが、どうやら一概にそうとは言えないらしい、と認識を改める。
 改めはしたが、それでも背中を押され今にも転んでしまいそうなこの状態は芳しいものではない。アスターは体を斜めにしてすり抜けるように大通りを抜ける。その先には薄暗い、日の当たらない細い道があり、奥にある井戸で二人の中年女性が楽しそうに会話をしているのが見えた。
 そこに近づき、アスターは二人に声をかける。

「すいません。魔王バラモスの場所を知りませんか?」アスターは常に実直で直球な問いを心掛けている。断っておくが決してわざとではない。
「あははは……え? あんた、私らに言ったのかい?」どうやら、二人の女性は話に夢中でアスターの言葉に気付かなかったらしい。ええ、と頷いた後再度アスターは問う。
「魔王バラモスがいる所を知らないですか?」

 その、まるで友達の家を聞くような態度に二人の女性は目をきょとんとさせる。お互い見つめ合い、たっぷり二十秒はかけてからああ! と手を叩いた。その後、首から金の首飾りを付けた趣味の悪い女性が口を開く。

「あんた、アリアハンの人間じゃないね? ここいらでは見かけない顔だし、そうだろ?」

 嘘をつくような事でもないだろうと、アスターは素直に頷き肯定を示した。

「そうかいそうかい、やっぱりあれだね、勇者様の仲間になろうって故郷を出てきた口か。偉いねえ、見たところまだ若いだろうに……まあ、徒労に終わりそうだけどさ」最後の言葉はぽつり、と呟くように言う。呟いた言葉は聞こえなかったが、若いという部分に、悪意がある訳では無くとも、アスターはむっと顔を顰めた。
「これでも僕は十七です。もう成人の儀は終えています」
「あらやだ! そういや、中々精悍な顔じゃないか。嫌だねえ、年を取ると皆幼く見えちまう」おほほほ、と笑う女性に、私はまだそんな年じゃないよ! と不満を漏らす恰幅の良い女。未だ笑うもう一人の女性を押しのけて、その女は続きを語る。
「とにかく、魔王討伐の旅に出るつもりなんだろう? ああいや、もう出てるのか」
「はい。故に僕は魔王バラモスの居場所を……」
「それならほら、そこの大通りを進んで突き当りを右に。その後左を見ながら歩けば酒場があるはずさ。見た目は入りにくいが、そこの店主ルイーダは中々気の良い奴でね、あんたの助けになってくれるはずだよ」

 どうにも、こちらとの意思疎通がずれているようだが、これ以上彼女らと話していても実のある話は聞けそうにないな、とアスターは頭を下げた後また元の大通りに出る。その際、また呼吸を我慢しなくてはならないのかと憂鬱になった。

「……あ」

 彼女らと離れ、前後を腹の出た中年の酒臭い男性に挟まれて本当に呼吸を止めなければならないのかと覚悟を決めた時、アスターはふと思い出した。

「勇者様の仲間って……もう僕が旅に出た事が噂になっているのか。それなら、僕の顔を知っておいて然りだろうに、妙な町だなあ」

 もしかしたら、自分以外に勇者と呼ばれている人間がいるのかもしれない、などという考えは微塵も浮かばず、アスターはルイーダとかいう人物が経営している酒場へと向かった。






 酒場はすぐに分かった。教えられた道順を進めばそれは明らかだった。外観は汚れ、ドアは半分外れている。看板らしい、店の上に建てつけられたそれは黒く汚れていて何が書かれているのか判別できなかったが、店の外からでも明確に聞こえるほど人の話し声が響いていた。
 酒場というものを利用した事も無ければ入った事もないアスターだが、なんとなく騒がしいとういうイメージはあったので確信を持って店に入る。
 店の中にはまだ昼を過ぎたばかりというのに酒を飲みどんちゃん騒ぎをしている連中ばかりだった。見た目、誰もが荒くれ者らしい服装で言葉遣いも荒々しく下品な会話が飛び交っている。中には服を掴み合って喧嘩をしている者に、それを酒の肴にしている者、煽る者、どちらが勝つか賭けをしている者と、生来生真面目なアスターからすれば顔を顰めたくなる光景だった。
 なるべく、彼らと関わらないよう顔を下に向けながらまっすぐ店のカウンターに近づいて行く。その先には、金色の髪を巻いた、胸元が大きく空いている紫のドレスを纏った女性が立っていた。年齢は二十を超えて久しい、されど老けた印象の無い、同時に若々しさもまた消えうせた微妙な年頃に見えた。金箔の貼られた細長い棒を銜えていて、鼻や口から紫煙を吐き出している。良く言えば妖艶な、悪く言えば退廃的な女性。なんとも店の雰囲気にマッチした女性である。

「あの、貴方がルイーダさんですか?」多少肩肘に力が入りつつ、アスターは思い切って声を掛けた。
「んん? なんだいあんた、見ない顔だけど、もしかして旅人さん?」女性──ルイーダの言葉にアスターは頷いて、椅子に座った。
「僕は魔王バラモスを倒すために旅をしています」まだ旅立って半日も経っていませんが、とは言わなかった。
「こりゃまた……随分はっきり言うねえ。どうやら、話題を集めようなんて馬鹿な輩にも見えないし、嘘を言ってる訳でも無さそうだねえ」
「分かるんですか?」
「商売柄、嘘を見抜くのは得意なのさ」ルイーダは銜えている棒を取り、テーブルの角に当てた。すると、先端の丸い部分から何かの燃えカスのようなものがぽろ、とこぼれる。その後濡れた布で抑えると、燃えカスから出ていた煙が消えた。
「バラモスを倒すためって事は、勇者と共に旅をしようってのかい? それとも自分一人で?」さっきもそんな事を言われたな、と思いながら「勇者は僕だ!」と言いかけてやめる。無用な騒ぎは起こさないとさっき決めたばかりじゃないか、と己を戒めてとりあえず首を縦に振った。この時点で初めてアスターはここにも勇者と呼ばれている人物がいるのだな、と勘付いた。どうせ偽物だろうと決めつけてはいたが。
「まあ、そんなところです。でもその前に魔王バラモスの居場所を聞きたくてここに来ました。知っているなら教えてはくれませんか?」
「そう言われてもねえ」ルイーダは顔の横に開いた手を上げてさっぱりだ、というジェスチャーをする。「ネクロゴンド山脈を越えた先、その付近ってのは分かってても、正確な場所なんて誰も知らないのさ……って、これは常識だよ? こんな事も知らないなんて、あんた何処の出身なのさ?」

 言われて正直に答えようとしたが、また町に入る時の様な展開になるのはたまらない。そこは明言せず、アスターは先を促した。

「そもそも、ネクロゴンド山脈を越える方法も分かっちゃいない。昔、過去の勇者オルテガが越えたって噂だけど、誰もその方法を知らないのさ。あの人は仲間も連れず旅に出たからね……ああ、そういや途中で何処かの国の、何て言ったかな……そうそうサマンオサだ。そこの英雄が仲間になる予定だったらしいんだけど、土壇場になって裏切られたとか。ととっ、脱線したね」ははは、と照れ隠しのように頭を掻いて笑うルイーダに、見た眼はともかく確かに気のいい人のようだ、とアスターは力を抜いた。
「それじゃ、大事な話だけをしようか。あんたが魔王を倒したいってのが本当なら……いや、嘘をついてないのは分かるんだけどね。ともあれ、魔王を倒すならまず世界を回る事だね。ここアリアハンじゃ私以上に情報を持ってる奴はいないが、他国ならもっと色んな情報があるはずさ。そこで魔王の情報を集め、ネクロゴンド山脈を越える手段を見つける。これがまず一つ目」
「一つ目?」それで全てじゃないのか、と言いたげなアスターを制しルイーダは続ける。
「もう一つは仲間を募る事さ。あんたが勇者と旅に出るにしろ、そうでないにしろ、一人二人で魔王を倒すなんて夢物語ってもんだよ? 最低でも前衛後衛が二人ずつはいないと旅に出るだけでも厳しいね。見たところあんたは魔法使いらしいし、知ってるかもしれないが勇者は剣士だ。もし勇者と旅に出るなら、あと一人ずつ前衛後衛を集めな」
「集めなって……あの中からですか?」

 後ろを見ると、強さの質はともかく性格的に質の高い人間がいるとは思えない。共に旅をすれば路銀をすられそうな人間ばかりだ。ましてや魔王を倒すという崇高な目的を共に達そうとしてくれるとは思い難かった。
 ルイーダも自分の店のお得意を悪く言いたくないだろうが、乾いた笑いを漏らすばかりで「ああ見えて頼りになる連中だよ」というような、フォローの言葉は言わなかった。その反応を見てアスターはがっかりするでもなくやっぱりか、と呆れていた。

「強さは問題無いんだよ、あいつらもそれなりに息の長い冒険者達だからね。ただまあ、使命とか世界の為にとかってのは苦手だろうさ。それにあんたの実力は知らないけど、あんたみたいな若者と一緒に旅をしようなんて事は……まあ、引き受けないだろうねえ」
「なるほど。そういえば、勇者とやらはどうなんですか?」正直どうでもよかったが、幾度か会話の中に出てきたので聞いてみる事にする。そこには好奇心以上のものは無かったが。
 するとルイーダは自分から口にしていたにも関わらず訊かれたか、と苦い顔をしていた。

「悪い子じゃないんだよ。昔は店の手伝いにも来てくれたし、親孝行もする優しい子だった。けど……どうにも、戦いには向かないみたいでねえ、今日が勇者の旅立ちの日ってのは知ってるかい?」アスターは首を振った。
「今日がその勇者の十五歳の誕生日だったのさ。前勇者オルテガの悲報が大陸に響いた直後決まった決まりでね、オルテガの娘アルルが十五歳になった日には王様に会って準備金を貰った後魔王討伐の旅に出るって事になってたんだ」
「オルテガ?」
「あんた、まさかオルテガを知らないなんて事は……」流石にこれは笑って流せないぞ、とルイーダはジト目になった。
「別に知らなくても良いです。昔魔王に挑んだ英雄ってことでしょう?」
「まあそうなんだけどさ……今やここアリアハンでは勉学の一つのジャンルとして確立されてるくらいの偉人なんだけどねえ」まあいいか、と据え置いて続きを話し始める。「ともかく、アルルは早朝旅に出た。仲間も入れず一人でね」
「へえ、中々勇気のある人のようですね。それも女性なんでしょう?」話を聞いて急に興味が湧いてきたアスター。女性だから、という低俗な理由では無く単身魔王に挑むという精神が自分に類似していて何処か親近感を抱いたのだ。
「良いように取ればそうだろうけどね。実際は他人と接するのが苦手ってだけさ。私はオルテガを通じて昔から仲良くしてたから大丈夫だけど、初めて会った人間にはそりゃあ無礼な態度を取ったもんさ。内心おどおどしてるくせに、強がってそれを隠そうとしてるただのガキだよ、ありゃあ」
「昔から仲良くしてる割には、辛辣ですね」
「事実は事実。あの子が優しいのも、臆病なのもね」続けるよ、とルイーダが言うとアスターはどうぞ、と掌を上に向けた。
「まあ、もう話はほとんど終わりだけどね。一人で旅に出て、数時間と経たない内に泣きながら帰国さ。なんでも魔物でもない人間の変態に襲われたとさ。魔物相手に逃げ出すのも勇者としてどうかとは思うけど……ってこれは酷だね。でも変態に襲われて泣いて逃げるのは問題だろ? 少なくとも魔王を倒す勇者としてはさ」
「変態……許せないな、同じ人間同士で、それも女の子を泣かせるなんて」
「そう取るかい。案外本当にあんたならアルルと旅が出来るかもしれないね」
「本当にって、実際は僕と勇者が一緒に旅に出るなんてありえないと思ってたんですか?」
「あんたが、というよりはあの子がって意味かな。他人を怖がるあの子が違う村の、それも男となんてありえないさね」
「はあ……まあ、そうですか」仲間については期待はしていなかったと、首を振る。「そういえば、名前言ってませんでしたね。僕の名前はアスター、レーベから来ました」

 あんたあんたと言われて思いついたらしい、アスターは自分の名前を告げて手を差し出した。
 伸ばされた手を握り、ルイーダも自己紹介をする。

「私はルイーダ。見ての通りこの酒場の店主さ。ここに来たって事は知ってるだろうけどね……レーベ、アリアハンの北にある村だったかね」
「適当に歩いてきたので、北かどうかは分かりませんが恐らくそこだと思います」
「適当……やっぱりあんた、仲間を見つけた方が良いよ。旅に慣れていないなら、実力云々以前に野垂れ死んじまうよ」
「そうですか。実はここに来るまでに結構迷いました」

 アスターの言葉に、ルイーダは声を上げて笑い、アスターは笑われている理由が分からず首を傾げた。






 それから暫く話し込んでいたようで、アスターが酒場を出た時には太陽が沈み始めていた。橙の日差しが妙に切ないのは村でも此処でも同じだな、と感じる。人通りは幾分まばらになっていた。

「仲間、か」

 思い浮かべるのは、やはりこの旅最初の仲間であったうんこの事である。今でも彼? の死を思い出すと胸が痛む。アスターは無意識に自分の胸を押さえていた。
 だが、次第に過去に縛られている自分を恥じて顔を振る。勇者たる者、後ろを見ていてはいけないと強く歩き出した。一歩目の勢いが強すぎて、足の裏が痛んだ。少し、涙が浮かんだ。

「ごめんなさぁい!!!」
「?」

 突然聞こえた女の子らしき謝罪の声に、アスターは不思議そうに辺りを見回した。すると、同じ様に酒場から出てきた男がちっ、と路上に唾を吐いた。

「散々期待させといてあの様かよ。昔からなよなよした奴とは思ってたけどよ、あんな子供が産まれたとあっちゃオルテガも浮かばれねえな」

 独り言だったのだろう、男はそのまま怒りを露わにしたまま路地の奥に消えていった。
 なんとはなしにその後ろ姿を見送っていると、また女の子の泣き声が聞こえる。さっきの男の話だと前勇者の娘であり今の勇者らしい。

「これは良い機会なのかもしれないな」

 アスターは天啓を得たり、と声のする方へ歩き出していた。彼の考えは一つ。「勇者は僕だぞ」と釘を差す事である。その行動力と即断力、正に勇者であった。






「────なんだっ、て……?」

 夕日帯びる道の下、アスターの杖がからからと地面に落ちた。同じくがしゃりとお鍋のふたが転がっていくがそれを気にしている場合では無い。
 女の子が泣いている。それは分かっていた、女の子である事もルイーダの証言から知っていた。まさか自分の家だろう扉に縋りつき家に入れてもらおうとしている、まるで子供が悪戯をした事で怒られているような構図とは思っていなかったがそれはどうでも良いのだ。
 そう、今アスターの視界に映る、泣きわめいている少女は……

「うんこの、仇……!!」

 草原にて見逃した憎むべき仇敵ががそこにいた。べそを掻き、必死に家人に許しを得ようとしている。道行く人は誰もが顔を顰めて本人に聞こえるような声音で陰口を叩いていた。
 それが、アスターには許せなかった。まだ幼い女の子に陰口を叩いていた人間をではない、これだけ謝っても許す気配の無い家人をではない、眼の前で泣いている女の子を、だ。
 あれほどの闘いを自分と交わしながら、目を見張る攻撃を見せながら、哀れに許しを乞う姿に怒りを覚えた。これでは、あまりに浮かばれないではないか。うんこを殺した鬼人が何故そのような姿を晒している。
 最早耐えきれぬとアスターは早足に少女に近づき後ろ首を取ってドアから遠ざけさせた。首を絞めたか、ぐえっ、と悲鳴を上げたがアスターは意に介さない。

「なっ、えっ、あ、貴方は……ッ!?」
「お前、どういうつもりだ!!!」
「ひっ! おっ、追って来たの!? この変態!」
「変態? 何処にもいないじゃないか」アスターは後ろを振り向き恥部を露出しているか女性に乱暴をしているかしている人物を探したが何処にもそのような人物はいなかった。それが誤魔化そうとしている行動だと考え、アスターの怒りはなお高まる。
「だ、だから貴方が……」
「ふざけるなよお前!! お前がそんなんだったら、あいつはどうするんだ!? あいつは強かったのに、あいつは凄かったのに! お前がそんな無様なままじゃあ浮かばれないじゃないか!!」アスターがそう言うと、少女は怯えた眼を一変させて今度はアスターの胸倉を掴んだ。
「なによ……なによ!! 私のせいじゃないわ! 私がオルテガの娘だからって勝手に期待した皆が悪いんじゃない! 私はそんなの頼んだ覚えは無いし、望んだ事も一回も無いわ! それなのに……なんであんたみたいな変態にそんなこと言われないといけないの!? お父さんが浮かばれるとか浮かばれないとかあんたに言われる筋合いは無いわよ!!」逆鱗に触れたというように、少女は態度を変えて激昂した。ちなみに説明は不要かもしれないが、アスターの言うあいつと少女の考えている人物は違う。
「変態!? ……やっぱりいないじゃないか!! 誤魔化すのもいい加減にしろぉぉ!!!」
「あんたが変態だっつってんのよおぉ!!!」

 堪忍袋の緒が切れるとはこの事か、とアスターは目を見開いた。よもや、自分の友を汚す行為を働きながら人を変態呼ばわりするとは度し難い。思わず喉元に手が伸びたが、触れる前に押しとどめた。先程まで少女が泣こうが喚こうが岩戸の如く開かなかった扉が音を立てて開いたからだ。中からひょこっと女性が顔を覗かせた。

「お母さん!」顔を輝かせたのは少女である。さっきのまでの剣幕はどこへやら、りんりんと輝く目がそこにはあった。
「アルル……その方はもしかしてお仲間さん?」睨むような目つきでアスターを見遣る母らしき女性。娘が泣いている事に関心はないようだった。
「止めて下さい奥さん。彼女は僕の仇です」
「仇……? ちょっとアルル、どういう事か説明なさい」
「そんなんじゃないわ! ちょっと聞いてよお母さん……痛い痛い! 耳を引っ張らないで!!」
「お客さん、申し訳ないのだけれど、少しお時間を頂けないかしら? 中でお話を聞かせて下さい」
「いや、僕は旅を続けなければ……少しなら、はい。うん」

 笑いながらも殺気染みた何かを放出する女性に、アスターは怯えた訳ではないがぶんぶんと頭を縦に振った。おじゃまします、の声が随分と小さかった。
 家の中は、娘がいるにしては殺風景なものだった。入口に置かれた花瓶以外女性らしい置物は無く、装飾品の類は一切無い。部屋に通されたものの、あるのは机と椅子ぐらいだった。
 椅子には、先に老人の男が座っていた。老いてもその眼光は鋭く、若い時分には相当の剣士だったのではと推測される。
 並みの人間ならば竦んでしまいそうな視線を受けてもアスターに変化は起きなかった。家主だろう老人の許可を得る事もなく椅子に座る。その行動に老人の眉がぴくりと動いた。

「ワシの眼圧を受けて怯まぬとは、アルルめ、力は無くとも見る目はあったらしい」
「御老人、申し訳ありませんが其処の団子を取ってくれませんか。少々小腹が空いたのです」
「……礼儀に関しては、まあ良かろう。強い旅人とはえてしてそういうものだ」容貌に反して、優しい人物なのかもしれない。無礼と取られかねないアスターの実直な行動に怒りを示さず、言われたとおり机の上に置いてある団子をアスターの前に移動させた。
「かたじけない、魔物との戦いで疲れていまして、食事を取る暇も無かったのです」両手を合わせ礼をしてから団子を口に運ぶアスター。無礼なのか礼節弁えているのか分からなくなった老人はまた顔の皺を濃くした。

 そうしてすぐに、母である女性と娘──アルルが席に着く。それまでずっと耳を引っ張られていたアルルは耳を押さえつつ、団子を頬張るアスターを恨めしそうに見遣った。母の目を気にしつつそっと団子に手を伸ばすと、その手をアスターに叩かれた。

「なんて意地汚いんだ。人の食べ物を横取ろうとするなんて」
「その団子は元々私のよ!! あなたが勝手に盗ったの! 返してよ!」
「やめいアルル!! ワシが許可したのだ、臆病者に食わせる団子などこの家には無いわ!!」急突に変わる老人の態度に、アルルは痙攣したかのように震えて膝に手を置き俯いた。その様子が哀れだったので、アスターは心優しくも腰につけてあった団子の入った袋を彼女の前に置いた。
「食べなよ。一度貰ったこの団子を渡す訳にはいかないが、これなら君にあげてもいい」

 言われて驚いたものの、ちらちらと母と恐らく祖父だろう、を見て彼らが渋々了承した事でアルルは飛びつくように袋に手をかけて開いた。中にキビの団子がわんさかと詰まっているのを見て表情が綻ぶ。
 辛抱たまらぬと袋に手を突っ込み一口に半分ほど団子を詰め込んだ後、また顔が変わる。どんよりとしたものだった。

「ふごく……不味ひ……」一気に詰め込んだので、喉を詰まらせそうに言うアルルに今度は老人だけでなく母親も怒った。
「アルル! あなた、人様の好意になんて事を!!」
「根の腐った孫よ、勇気も無ければ心まで失のうたか!!」

 だってだって!! と喚くアルル。その後も様々な罵声を受けてまた泣き出しそうになった彼女はもう一つ団子を取り出して老人に差し出した。

「そんなに言うなら、食べてみてよこれ! ものすっごく不味いのよ!?」まだ言うか! と顔を真っ赤にしながら出された団子をひったくるように奪い、豪快に口を開けて食した。
「ぶほっ!! 糞不味いなこれ、喉がすげえ渇くわ」含んですぐに噴き出した後、老人らしからぬ言葉遣いで団子を否定した。それを見た母親があらあら、と慌てながら水を取りに行く。
「ほら! おじいちゃんだって不味いって思うでしょう!?」
「たわけがっ!! ワシはお前からこの団子を貰ったのだ、そこの御仁から貰ったお前から貰ったのだ! 人様の好意を無駄にしたのではない、孫の好意を無駄にしたのだ! これは天と地の差があるわ! 恥を知れアルル!!」
「おかしいよ! そんなのおかしいもん!! 一緒だもん!!」

 醜い争いが巻き起こり、たまらずアスターは椅子を蹴倒して立ち上がった。響いた音に驚いたのか、そこにいる全員が押し黙る。

「その団子は、僕が村を出る時に老夫婦が寝食を忘れ作ってくれたものです。あまり馬鹿にしないで頂きたい」そう言うアスターは当初草むらにでも捨ててやろうとしていたのだが、そういう事実は彼の中にはもう無い。ただただ、優しかった老夫婦を虚仮にされたように感じて怒っていた。素晴らしい人格だった。
「ご、ごめんなさい……」家族以外の人間に怒られる事に慣れていないのか、アルルはさっきまでとは違い何も言わずしゅんとなる。反して老人はそれ見た事かと腰に手を当てていた。
「全く、不出来な孫で申し訳ない」そう言うが、老人は不味いと言うばかりか、吐き出している。
「いえ、分かって下されば……ただ一度渡したものですので、残さず食べて欲しいですね。ああ、袋の方は後で返してもらいますが。その時に袋を洗いたいので、水を貸してもらえますか?」
「ええっ!? これを全部食べなきゃいけないの!?」
「水ですね、分かりました」

 母と娘でえらく言葉の内容が違うが、アスターは満足したように笑った。
 その後、肝心の話をしようとするまでに少々時間がかかった。行動はともかく、言葉遣いは丁寧で落ち着いた雰囲気であるアスターを母と老人が気に入ったせいだろう。気に入った理由は、いつもおどおどとしている娘に辟易していた為、それと相反して自信溢れるアスターがとても気持ち良く思えたのだろう。夕食に誘われた後、楽しそうに談笑していた。この家の住人であるアルルは「貰った団子を食べきるまで夕食は無いからな」と老人に言われ、何度も吐きそうになりながら団子を頬張っていた。途中で「涙をつけて食べれば塩味が効いておいしくなるかな……?」と漏らしていた時には流石の老人も哀れんだ目を向けていた。アスターは全く気にしなかった。重複するが、素晴らしい人格だった。

「すると、貴方は賢者であり、なおかつ勇者でもあると言うのですな?」老人が訊く。賢者と聞いて、いつのまにか言葉遣いが敬語に変わっていた。並の職業と違い、賢者とは限りの無い知識を物にした人物でしか成り得ない職業である。世界にも五人しか確認されていないとか。若くしてそのような地位についているとは、とアスターに感心と尊敬を覚えていた。アスターがアルルを敵視する理由については全く意味が分からなかったので、母親も老人も頭を傾げたが、深く聞き出す事はしなかった。何故か? 意味が分からなかったからだ。「それは、大変ですね」としか言いようが無かったのだ。然り。
「いえ、僕は勇者ではありますが、まだ賢者ではありません。今だ修行の途中です。ただ、神父様に賢者になるのはもうまもなくだと伝えられました」
「まあ、神職たる神父様に!」驚いたのはアルルの母である。娘の話を聞く時とは違い、身を乗り出してアスターの言葉を熱心に聞いていた。蛇足だが、レーベ村に住まう神父は教会許可証を持っていない。所謂モグリという奴だ。その事実を知る村人はいない。シスター以外は。

 ふむふむ、と髭を撫でつつ老人はちら、と自分の孫を見た。そこには床に座りながらもそもそと粉っぽいいやむしろ粉そのものかもしれない団子を食べているアルルの姿が。不味過ぎる団子を食べ続けて脳に異常を発したのかくすくすと含み笑いを零している。絶えず涙は流れているが。
 嫌な物を見た、とすぐに視線をアスターに戻した。

「そして、魔王バラモスの居場所を知る為にここアリアハンに来た、と。なるほど、流石は賢者を目指す身。目標は高いのですな」

 賢者になるのは過程であって、賢者を目標としている訳では無いのだが、自分で修行中の身と言ってしまった為とりあえず頷いておいた。

「バラモスの居場所は分かりませんでしたが、当面の目標は決まりました。世界各国を回り、魔物の被害に悩まされている国を助けつつ情報を集め、いつの日か魔王バラモスを倒そうと思っています」
「そうですね、まずは各国の助力を得るのが先決でしょう。しかし、旅はお一人で?」アルルの母がぽつりと疑問を呈した。アスターは頷く。
「それは……失礼かもしれませんが、無謀ではありませんかな? いかに貴方がお強いとはいえ、たった一人では戦いは熾烈を極めましょう。貴方のその格好からして魔法を扱うのでしょう? なれば、詠唱時間を稼ぐ為に壁役として剣士や武闘家を集めるべきでは?」いかにもな老人の台詞に、アスターは首を振った。
「お二方の町を悪く言うつもりはありませんが、ここアリアハンには本当の戦士はおりませんでした。例え力があれど、志無き者を仲間にしようとは思いません」

 アスターの言葉に胸打たれたように母が顔を赤くする。恋愛感情などという下賤な感情では決してない。まだ若くして自分の言葉を持つアスターが眩しく思えたのだろう。同じように老人もまた感銘を受けたような顔だったが、「いやしかし」と否定分を前置いて語り始める。

「綺麗事だと抜かすつもりは毛頭無いが、やはり力ある者でなければバラモスを倒せませんぞ。志は確かに重要だが、共に戦う内にそこは矯正されるかもしれん。例え元が卑怯であれ乱暴であれ臆病であれ、性格は変わるものだ…………そこで、ものは相談なのだが」老人は一度言葉を切り、横眼に己が孫を見る。やはりまだ泣いていた。「この子を連れて行っては下さらんか?」
「ひっく、あはは……えっ?」異質な表情を作っていたアルルは朦朧とした意識の中でも聞き逃す事無く、しかし呆けたままに疑問符を上げた。
「力も勇気も根性も無い孫だが、仮にも前勇者オルテガの娘、旅に出れば必ず花開くと信じています。どうか、この阿呆を旅の共に……」
「おじいちゃん!!! なんで私がこんな変態と!!」

 老人の言葉に異を唱えようとしたのはアルルである。アスターという剛の者と共に旅をするのはついていけないと思ったのかもしれない。現に、彼女は苦々しい顔をしていた。嫌悪巻らしきものも浮かんでいたが、それはただの思春期に違いない。
 立ち上がり指差してくるアルルを無視して、アスターはすぐさまに答えを出した。

「お断りします」
「どうして貴方が断るの!? いや、有難いけど、ああなんだか胸がモヤモヤする!!」
「それは恋よ、アルル」
「おかあさんは黙ってて!! ……あっ、痛い痛いごめんなさい耳痛いごめんなさいぃぃ!!!」

 さっきもこんな光景を見たなあ、と思いながら、アスターは耳を引っ張られるアルルを見ていた。視線を戻すと、まだ鋭く目を光らせている老人がいた。
 向かいに座るんじゃなかったなあ、と軽く後悔しながら背筋を正した。

「……不満ですか、おじいさん」
「不満という訳ではないが、もう少し考えては下さらんか? ああ見えて、剣の腕だけは悪くない。城の兵士程度には扱える……いやどうだろうか?」老人は自分で言っておいて疑問を抱いた。しかし、
「そんな事は知っています!!」

 机を叩きながら立ち上がるアスター。はっ、と我に返った時にはもう遅い。団子の時と同じくこの家の家族達は凍ったように動きを止めていた。

「この女……いや、アルルさんがいかなる力を持っているか、僕は知っている。確かに戦う力ならば、この町一番……いや大陸一かもしれない」
「……えっ?」ここ数年で初めてこの老人が呆けた顔をしたという事実を知らぬまま、アスターは続ける。
「足運び、腕の振り、瞬発力、果ては剣の扱いまで! 全てが常人では為し得ぬ位に辿り着いている! そんな事は知ってるんだ!!」
「いや、こやつはとてもそんな力は持っていませんが……」
「……謀りますか、それは僕が余所者だからですか? それとも、僕という新しい勇者が現れたので、潰そうという腹積もりですか?」

 アルルに力が無い。それはアスターにとって太陽が無くなるのと同じ程度に信じ難い事だった。嘘と断定するのに迷う必要が無いほどの言葉なのだ。
 自分の友を殺し、自分に恐怖を与え、ましてや一撃を喰らわせたこの女が弱いはずがない。
 やはり町の人間はほとんどが醜悪な性格をしているようだ、と認識を三度入れ替えた。
 ……なにより、度し難いのは。アルルを弱いと謳うこの老人は、うんこをも弱いと言っているようで耐えられなかったのだ。心底友人として認めたうんこを貶されている気がして、昼間の怒りと悲しみが蘇ってくる。
 机に立て掛けていた杖とお鍋のふたを取り、立ち去ろうとするアスターに老人が慌てながら声をかけた。

「何処へ行かれる!?」
「御食事、大変美味しく頂きました。ですが、どうやら貴方方とは話が合いそうに無い。僕は嘘を言う人間が大嫌いなんだ……礼儀の無い男と思って下さって結構。失礼します」

 どすどすと足音を鳴らしながら家を出ていったアスター。呆気に取られたまま、力尽きたように椅子に座りこむ老人。顔を手で覆い、疲れきった声で漏らした。

「この人ならば、と思ったのだが……やはり、アルルなんぞを旅に連れて行ってくれる訳がないか……」
「お義父さん、仕方ありませんよ。こうなったら恥になろうとも、王様からもう一度お力添え頂き兵士の方を貸してもらって……あら?」

 同じように希望が消えた、と落ち込んでいた母親は今の今まで耳を掴んでいた自分の娘がいない事に気づき、不思議そうな顔をしていた。
 辺りを見回せば、壁に吊るしていた剣も消えている。首を傾げるも、洗い物が終わっていない事を思い出してそちらに思考を向けた。






 外の風を感じて、アスターは深く息を吸い込んだ。怒りで熱を持った頭を冷やそうと、何度も何度も。
 ようやく、考えがクリアになったので宿屋でも探そうと、半ば散策気分で歩き出した。
 なに、分からなくなれば誰かに聞けばいいのだ、と楽観的に考えていたのだが、どうもそれは間違いだったらしい。夜が更け、深夜に差し迫ると町は音を失くし人影はまるで無くなったのだ。
 いかに治安が回復したとは言っても、全国家暴動の時代はそう昔の事では無い。その時に生まれた犯罪者はまだまだ町に根を張っているこの時代、夕食時を超えれば外を出歩く人間は急激に減るのだ。暴動時代を知らないアスターはその事を知らず、(そもそもレーベは他の国との交流をほとんどとっていないので、アスターに限った事では無いが)町とはいえ、夜は皆寝るんだな、と新しい発見をしていた。

「町の人間は皆眠らないと思ってたけど、そんな事は無いのか。あいつめ、嘘をついたな。あのズベが」

 幼馴染のシスターの言を思い出して、アスターはまた怒りが沸々と湧いて来た。レーベ村のシスターと言えば大法螺吹きで有名なのだが、アスターだけは全て信じきっていたので彼女の恰好の騙し相手であったという。真に高潔な人物とはこういう者を言うのだろう。
 それからしばし、自分の力で宿を探そうと歩き回ったが、途中で自分がお金を持っていない事に気付く。村長が集めた金は皆アスターのローブを作るのに使ってしまったので、彼は一文無しで旅に出ていたのだ。村を出たことが無いアスターだが、お金が無いと宿に泊まれない事は知っていた。聡明である。
 一瞬路上で寝る事も考えたが、勇者である自分が宿無しと思われるのは良くないと考え直した。考え直した理由は道端で泥酔して寝転げているターバンを巻いた男が豪快ないびきを立てているのを見たから、というのもあるだろう。実に醜い姿だった。

「仕方ない、勇者たる者野宿の経験も必要だろう。今日は町の外で寝るとしよう」

 幸いか、まだ暖かい季節である今日である。風も自分の着ているローブで凌ぐ事も出来るだろうと、早速アリアハンの外に繋がる門に向った。
 道すがら、最後にルイーダに挨拶をしていこうかと思いまっすぐには向かわず酒場を経由する道を選んだが、昼過ぎに寄った時よりもさらに人相の悪い男達が大勢中に見えたので店には入らず、顔を合わせないまま店の外で頭を下げ、小さく「ありがとうございました」と礼を述べて立ち去った。
 二つに分かれた道に出て、左に歩く。大通りをそのまま進むと門が見えてきた。松明の火に照らされるだけの薄暗いそれは何故か物悲しい気持ちにさせた。不安を煽るような、とも言える。これから旅に出る人々を押し留めるような、そんな効果が感じられた。
 昼間に見た門番が、木製の背もたれも無い椅子に座って船を漕いでいた。
 出会った時は礼儀のなってない門番だと不快に感じたが、夜遅くまで自分の仕事に精を出し疲れて眠っている姿を見ると、労をねぎらいたくなるアスター。松明にくべる為の薪が近くに積んであったので、いくつか手に取り門番の近くに置いて得意のメラで燃やす。これで、風邪を引く事は無いだろう。その優しさは天を救うほどであろう。

「ま、待って!!」

 門を潜ろうとした時、後ろから声がして振り返った。アルルだ。彼女がゆらゆらと瞳を揺らしながらアスターを見ていた。握った拳は頼りなく震えていた。声もまた震えていて、精一杯の勇気を振り絞っているのが見てとれる。

「なんだ、君か。もう遅いんだから、早く家に帰りなよ」言って去ろうとするアスター。あっ! と短く叫んだアルルは走り寄り、彼の裾を掴んだ。

 一体何なんだ、と僅かに怒りを覚えてもう一度アルルを見るアスター。
 文句の一つも言ってやろうとした矢先、アルルが先に口を開いた。

「勇者? 馬鹿じゃないの!? ルビス様からの神託があったの? 国王様に命じられたの? それともダーマ総本山からの命令? 貴方の父か母が勇者として活躍したの? ねえどうなの!?」
「きゅ、急にどうしたんだよ」そのアルルの豹変ぶりに、アスターは戸惑いを隠せず、彼らしくない頼りない返事を返してしまう。
「答えなさいよ! どうせ何も無いんでしょ? ちょっと他の人より戦いに優れてて、それで有名になりたくて言ってるだけなんでしょ? 良いわよねそういうの。期待なんか無い、ただ自分がやりたいようにやるだけ。辛ければ投げ出せば良いし、それまでちやほやされればラッキーくらいにしか思ってないくせに!!」深夜になるというのに、彼女の声は大きく、叫び散らすようだった。
「私は違うもの! 皆に期待されて、皆に命令されて!! そうよ、確かに十五歳の誕生日にルビス様の夢を見たわよ。初めて会った神様に『貴女は臆病者です』って言われたわよ、お父さんが死んだ時に顔も見せず言葉もくれなかった国王様に魔王を倒せって言われたわよ! ダーマからの使いとかいう神官がくっだらない祝福とやらをしてくれたわよ!!! そんなのいらない、私は勇者になんてなりたくなかったのに!!」

 それは、誰に言っているのだろうか。
 彼女の声はアスターに向けられている。しかし、彼女は本当にアスターに言っているのだろうか。目は固く閉じられている。全身に力を込めて吠える怒号はこの国に、運命に向けて飛ばされているみたいだとアスターは思った。
 しかし、同情は出来ない。何故なら、彼女の言葉は何一つ理解できるものではなかったからだ。
 小さくあくびをして、彼はこのつまらない愚痴もどきが終わるのを待っていた。

「私は踊り子になりたかったの!! 舞台に立って、舞って! 民謡や流行りの曲に乗せて体を動かしたいって! 沢山の人に綺麗だって言って欲しかった、色んな人に凄いねって言って欲しかったの!! 勇者だから凄いとか、そんなのいらない! 今までずっと馬鹿にされてた私だけど、踊りだけは上手いって褒めてもらえたから、それだけは頑張ってきたもの!」
「……それで?」義務的に、アスターは続きを聞きだそうとした。
「それで! ……それで…………」

 それっきり、アルルは黙りこくる。目線は地面に、叫びきった為息は荒い。火の灯りに照らされる彼女の横顔は不安で仕方が無いと言いたげだった。
 あ……、う……、と声にならない呻きを上げるのみ。三分程二人は黙ったままである。それでも、話を終わらせる事も、自分から話し始める事もアスターはしない。必要以上に熱血的に「君の努力は報われる! いつの日か君が素晴らしい踊り子になれるよう、そんな日を目指して頑張るよ!」と励ますこともしない。それは優しさでは無いと彼は知っているから。単に面倒だからではない。念のため。
 やがて、意を決したようにアルルが口を開いた。

「……どうして、あんな事を言ったの?」
「あんな事と言うと?」アスターが答えると、それが恍けているように聞こえたのか、アルルはもう一度威勢の良い声を出した。
「ほら! 私の家で言った事! た、大陸一番の力を持ってるとか、そういう感じの……」

 ああ、と言いながらアスターは思い出した。ほぼ間違いは無いだろうが、大陸を回った訳でもないのに大陸一は言いすぎたかな、と今更に考えた。

「嘘なら、もう少しマシな嘘をつきなさいよね。おじいちゃんや、お母さんに手解きしてもらったけど、いつもお前には才能が無いって言われたもの。もしかして、私を庇ったわけ? 家族の二人に色々言われてた私を哀れに思ったの? そんなの、良い迷惑なのよ!!」嘘をついたのか、と言われて今度はアスターが顔を赤くした。彼は、嘘をつくのもつかれるのも嫌いなのだから。
「嘘じゃない!! 僕は嘘なんか絶対につかないし、ついたこともない!!」
「じゃあ何でよ!? 言ってるでしょ、私は強くないし、才能だって!!」アスターの否定は相当の剣幕だったのだが、アルルは怯まず返した。それはとても臆病な女の子には見えなかった。
「君の強さは戦った僕が良く知ってる!! 直接武器を交えた訳では無いけれど、あの出で立ち、咄嗟に石を投げる判断力に投石の速さ! 剣の構えに戦いに対する冷酷な姿勢! 全てが君は強いという事を証明している! 勇者と呼ばれ賢者にもなれると言われた僕が言うんだ、間違いない!!」
「嘘よ! そんな事誰にも言われなかったもん! 駄目人間だって、何をやらせても微塵も身につかないっていつも言われてたもん!!」
「だったら僕が言おう! 宣言しよう! 君は世界最高峰の剣士であり、ファイターだ! この町の目の代わりに水晶がねじ込まれているような連中と違って確たる眼を持った僕が言う、君は強いと!!」
「っ!!」

 励ましも、温い優しさも無い。ただの本音をアスターはぶつけていた。それは絶対的な熱を帯びてアルルに伝わる。
 上辺だけの言葉ではない、必要無い説教染みた台詞で心を燃やす必要もない。ただの真実の羅列を送るだけ。それこそが人心を動かすのだと、今のアスターは知らない。知らないからこそ出来うるのだろうが。

「──勇者が嫌なら、剣士になればいい。僕はまだ君を許せないが、君の強さは本物だ。魔王バラモスを倒すのは僕だし勇者の座も譲る気は無い。大体、勇者なんて誰かに選ばれるでも譲られるでも無いんだから」

 そこで険しい顔を止めて、アスターが笑った。彼の柔らかい笑顔を見たのは初めてだったアルルは少しだけ顔を赤くしてそっぽを向いた。これは、近くに松明の火があるからだ、と自分自身を誤魔化して。
 顔は横向けたまま、ちらちらとアスターを窺って、そんな事をしている自分がおかしかったのか小さく吹き出してしまった。
 そのまま、くすくすと笑い続けるアルルに、アスターはルイーダの時と同じく何故笑われているのか分からず首を傾げた。
 あーあ、と落ち込むような声を出しながら、それとは反対に憑き物が落ちたような晴々しい顔でくるりとその場で回るアルル。見上げた空には、満天の星空が広がっていた。この町って、こんなに綺麗な夜空が見えるんだ、と誰に言うでもなく呟いた。

「……決めた!」
「決めた? 何を?」アスターが問う。
「私、踊り子になるわ。剣士としての私をこんなに買ってくれる人がいるんだもの。きっと踊り子としてもやっていける、なんならこの町を出て遠くの町で始めても良いし……ありがとう! アスター!」

 それは彼女が延々と悩み続けていた事。悩みは決意に変わり、少女はまた夢を持って先を見る。歩みを止める迷いは晴れた。自分を認めてくれる誰かがいるだけでこんなに心強いものか、と顔だけでなく心で笑う。
 出会いは最悪でも、こんな気持ちを抱けるなんて、確かに彼は勇者なのかもしれないな、とアルルは思い、自分と同じように笑ってくれているだろう人物を真正面に見た。






 アスターは、笑っていなかった。
 いやむしろ、白けていた。
 両手を伸ばし、アルルの肩に両手を置いて揺さぶりながら、諭すような口調で言う。

「良いかいアルル。君に踊り子は無理だ」
「………………………………え?」長い長い時間をかけて、アルルは問い返す。ほんの僅かな恋心にも似た何かががらがらと崩れ去っていくのを感じる。
「踊り子は僕も知ってる。昔小さな頃に村に興行として大道芸の集団が訪れた事があったからね。その時初めて踊り子を見たんだ、あの姿はまだ目に焼き付いている。踊り子っていうのはさ、とても綺麗なんだ。君みたいな寸胴で短足でぺちゃんこでへちゃむくれで背が低ければ腕も短い指も短い童顔と言うより幼い顔立ちの君には無理だ。絶対に無理だ。逆立ちしても無理だ。君の踊りを見るくらいなら僕は猿の芸を見る方が良い。猿の芸に倍額払うだろう」

 アルルは、言われて自分の体を見た。なるほど、同年代に比べて足は短かった。背丈は百五十に届かないかもしれない。胸もまた無い、絶壁と言われた事もある。ルイーダに。腕は屈伸しても地面に届かなかった。それは単に体が硬いからというだけではすまないほど届かなかった。指はまん丸く、三つ四つ下の子供の指に酷似している。顔立ちは毎朝鏡を見ているので知っているが、自分では童顔かどうかは分からなかった。ただ、細みのない瞳にぷっくりとした頬、小さい鼻に小さい唇、女性らしい手入れなど全くされていない多少ぼさっとした髪など、妖艶ある雰囲気とはとても言い難い。というか、幼い。
 それにしても、ここまで言わなくてもいいだろうと今日何度目になるか分からない怒りの再発を感じている中、アスターは最後の追い討ちをかけた。

「大体、君そんなに可愛くないだろう」
「可愛いわよ!! みいんな私の事可愛いって言ってたもの!! ルイーダさんや、おじいちゃんやお母さんも小さい頃は私の事可愛い可愛いって言ってたわ!!」
「仲の良い年上のお姉さんや家族が女の子である君を可愛いと言うのは当然だろう。完全に客観視して君を評せば、良い所中の上だね」
「上の中! 絶対上の中はあるはずよ! 間違いないわ! あんた眼が腐ってるんじゃないの!?」
「目が腐る訳ないだろう? 頭まで悪いんだ、君は剣士になるべきだよ。ちょうどほら、ゴリラくらいの身長だしいっそゴリラ剣士を目指すべきだよ」
「違うもん! ゴリラに似てるなんて言われた事無いもん!!」
「馬鹿言うな!! そっくりじゃないか! 自信を持つんだゴリル!!」
「私アルルだもん!!!!」

 騒がしさもここに極まれり。深夜であるにも関わらず、彼らは大層な大声を張り上げていた。町中に響くとは言わないが、門の近くに建てられた民家から光が生まれ始める。住民が目を覚ましたのだろう。
 そして、仕事の疲れから深い眠りについていた門番も目を覚ました。目を擦り、ふらふらと頭を揺らしながら周りを見遣って、「ああ、あの臆病勇者が誰かと喋っているのか。見れば、その誰かとはあの旅人か」と丁寧に思考した後、妙に体が熱い事に気づき、言葉を失った。

「…………か、火事だあああぁぁぁぁ!!!!」

 兵士の言葉に、アルルとアスターも驚いてそちらに視線を向けた。そこには、積んであった薪に火が燃え移り、詰所にまで火が移り始めている光景がある。もうもうと煙は上がり、その勢いたるや少々の消火活動では焼け石に水だと分かる。もしやすれば、城に伝達を送らねばならない程だろう。
 兵士は慌てながらも大声で住民の避難を呼びかけ、男達には消火活動を手伝うように叫ぶ。
 しばらくそれを見ていたアスター達だが、集まった兵士達が訝しそうにこちらを見ている事に気が付いた。その視線に含まれているものが何かを、アスターはいち早く知り、そして驚愕の事実を知った。

「まさか、アルル……君!?」

 呆けていたアルルだが、アスターが疑いの声を上げてきた事で目玉が飛び出るかと思った。

「は!? 私が犯人とか思ってるの!? 違うでしょあんたが原因でしょ! あんたが門番さんの近くに火を置いたりするから、その火が薪に燃え移ったんでしょ!!」遠くからアスターを尾けていたアルルは少し前の出来事を思い出して叫ぶ。
「開き直るどころか、僕に責任を擦りつけるのか!?」アスターの目は怒りと悲しみが溢れていた。
「ちっがーう!!」

 アルルとアスターの言葉に確信を抱きつつある兵士達が徐々に詰め寄ってきた。すでに抜剣の準備は整っている。斬り殺す覚悟も。
 緊迫した空気の流れる中、そんな雰囲気を悟る事も無くアスターは、はっと何かに気付いたような、思い立ったような表情を見せた。

「そうか……そんなにも辛かったのか、アルル」いきなり何言いだしてんだこいつ、とアルルは言葉を失う。
「勇者という責任が嫌で、アリアハンの皆がそれを押し付けてくる事に嫌気が差してたんだろう? その想いはいつしか憎しみに変わり……そして、」ちらり、と火事の現場を見てアスターは一筋の涙を零した。アルルの開いた口は塞がらない。

 近づいていた兵士達からどよめきが走る。まさか! そんな! 信じられない! そんなに思いつめていたのかアルル……しかし犯罪は犯罪だ! 少しでも罪が軽くなるように掛け合ってやるからな……等々。眠っていた所を叩き起こされたからだろうか、彼らは信じるべき町の仲間引いては勇者として祭り上げられている少女よりも、迷いなく断言したアスターを信じはじめていた。
 ここでアルルも「そんな事ある訳ないでしょう!」と言えれば良かったのだが、元来臆病な上に、自分を勇者扱いする町の人間ほとんどに苦手意識を抱いていた為か、大勢の兵士達相手に声を張り上げる事も出来ず、何より火事という大事態、犯罪を行ったと疑われているという初めての体験に怯み驚き怖がってしまう。つまり、流されるままになってしまっている。

「……僕のせいだ」アスターの言葉に、口には出来ずともそうだよお前のせいだよとアルルは思った。
「僕が、もっと早くに勇者として旅に出ていれば、そしてバラモスを倒していれば、君がこんな恐ろしい行為に走る事も無かったのに……」
「ち……んっ、違、う……」重度のパニックで息が上手く出来ず、どもりながらもアルルは懸命に否定しようとした。声が小さすぎて誰の耳にも届かなかったが。

 憐れみながらも、アルルを捕まえようとする兵士達にローブを翻しながら向き直り、アスターは杖を掲げて声を発した。

「皆! これから僕が言う事を良く聞け! そして理解してくれ!!」

 当然、このような事を言われても、聞くわけもなく理解も何もあったものではない。
 だがその声が。朗々たるその声が。この場にいる全ての者に届けようとするその意志が、アスターのあまりの堂々たる態度に、何故か、その場にいる全員が動きを止める。消火活動ですら、一度停止した。アルルは吃音にでもなったのかと疑うほど声を詰まらせている。

「彼女は確かに罪を犯した! それは認める、大罪だ! 下手をすれば、人死にすら有り得る危険で野蛮で低俗で最低の、人非人たる行為だ……だが!」言葉の途中で俯かせた顔をきっ、と持ち上げてアスターは続ける。両手を広げ、それは全てを包もうとする神の慈悲を思わせるような構えだった。
「これも全て魔王のせいだ! 普通ならこの子は……アルルは普通の女の子だったんだ! ……いやちょっと力の強いゴリラっぽい女の子……いや女の子っぽいゴリラ? ……ともかく普通の雌だったんだ! 本来ならば!」
「あう、あう……」本当なら思い切り否定したいのだろうが、アルルは呻きながらアスターの服の裾を引っ張るだけである。そして、彼女の手をアスターは取り上に引っ張り上げた。
「けれどこの子は勇者を背負わされた! 前勇者の娘というだけで常人には耐えがたい重圧を背負わされたんだ! ……これから言う事は、貴方達アリアハンの人間には酷かもしれない、けれど言わせてもらう! ──甘えるなッ!!」

 アスターの一喝は空気を震わせて、この場に広がる。声の波紋は止まる事無く、皆一様に固唾を呑んで先の展開を待った。

「前勇者は、きっと勇敢で立派なものだったのだろう、だがそれを所詮力が強くてゴリラみたいで剣だけが取り柄で陰湿な性格で礼儀もなにもなってないこんな子供にそれを押し付けるな!!」
「ちょ、ちょっとぉ……」「しかしなればどうすれば良いのだ!? 私達に魔王を倒す術は無い! 無茶と言われても、最早オルテガ様の影を追う事しか私達に出来る事は無いのだ! お前の言うとおり馬鹿でちびでぺたんこで臆病者で言われてみれば踊りの練習とか抜かしてた時の動きはゴリラっぽかったそんな娘だが、頼らざるを得ないだろうがッッ!!」アルルの言葉に被せるように一人の兵士が前に出てアスターに反論する。理由は分からないが、一人の女の子が膝を突き鼻をすすり出した。
「簡単な事さ、新しい……いや、本当の勇者を頼ればいい」同じように、ずいっとアスターは一歩兵士達に向かって足を踏み出した。兵士達は、値踏みするように一人の賢者を見る。
「お前が、そうだと言うのか?」
「疑うならば、見ているがいいさ。僕が世界の暗雲を払い、平和という不変の現象を作り出すのを」

 アスターの言葉に躊躇いは無く、その場にいる全員は黙って彼の声を聞いていた。












「いつまで泣いているんだ、これから僕達は魔王を倒しに行くんだぞ、勇者の仲間である君が泣いてばかりではどうしようもない」
「あって……だってえぇぇ!!!」

 アスターとアルル、彼らは先ほどアリアハンを立ち、夜の草原を歩いていた。アスターは肩で風を切るように、アルルは取り敢えず持ってきていた剣を引きずりながら。そしてべそをかきながらついていく。
 町を出るその時に、兵士長らしき男が言った言葉をアスターは思い出す。

──ならば見せてくれ。希望のないこの世界に一陣の風を、勇者である証を見せてくれ、勇者よ──

 ふっ、と笑う。当然だ、その為に村を出たのだ。両親に旅に出ろと言われたその時から勇者を背負う覚悟はできていたのだから。
 蛇足だが、アルルがついてきている理由は至極当然のようにアスターが彼女の手を引いて町を出たからだ。なんでも、「僕と共に旅をしていく上で、君の悲しみが癒えれば良い。そして、本当の勇気を教えてあげるよ」とアスター以外の人間が言えば胡散臭い事この上ない理由でアルルを旅に連れ出したとか。
 それでも、アルル本人が旅に出るのを嫌がるならば、彼女は今からでも町に帰れば良いのだが、アルルは今アリアハンにおいてはプレッシャーに負けてアリアハンに火を放った極悪人として認識されている。実際は誰が火を放ったのか不明なのだが。ともあれ、そんな彼女が一人アリアハンに残ればどうなるか分かったものではない。

(絶対私が火をつけたって思われてるんだ、さっきはアスターの勢いに負けて兵士さん達も見逃してくれたけど、今頃冷静になってるよね……今帰れば私牢獄行きだよね……)

 アルルの考えが正しいかどうか分からないが、彼らが町を出て二時間後、アリアハンにて二人の犯罪者が指名手配されたとか。罪状はそれぞれ違い、片方が放火でもう片方が犯罪幇助である。

「君を……アルルを許した訳じゃないけれど、君も魔王の被害者なんだ。それに君みたいな危険思考を持つ人間を捨て置く訳にはいかない。幸い君は相当な猛者だし、実力的には仲間として頼りになる。私怨は忘れ、君を僕の仲間として認めるよ、アルル。だからほら、泣き止むんだ」
「やあだあああぁぁぁ!!! 私は踊り子になるのっ!! お家に帰してよ馬鹿あああぁぁぁ!!!」
「やれやれ……旅は長そうだね」

 聞きわけの無い新たな仲間の様子にアスターは溜息を吐き空を見上げた。星々は煌めき、彼らの旅路を見守っている。
















 三行で終わるおまけ







「ていうか、普通にあいつら犯罪者ですよね」
「あ」

 アスター達が町を出て二分後の兵士達の会話である。



[33595] 僕が伝説になる必要はない 第三話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:a89cf8f0
Date: 2012/08/23 03:28
 強すぎる。それが、アスターがアリアハンの女勇者、アルルに抱いた印象である。
 空を飛び交う凶悪なる黒鳥を投石の一撃で沈め、ぬらぬらと光る舌を波のように這わせる狂獣を一刀の下に斬り伏せる。
 覇道、そんな言葉がアスターの脳裏に浮かんだ。額から流れる汗を拭い、やはり自分の目に狂いは無かったと口角を持ち上げた。それは残虐性からくるそれではない。むしろ、恐ろしいとすら感じていた。目の前の剣を片手に鮮血を浴びる少女の目は血走り、獲物を探す狩人そのものだったからだ。アスターは、いつか近いうちに暴走するだろう少女との戦いを想い、武者震いを隠すために笑ったのだ。
 だがしかし、その光景を斜に構えた、もう少し違う視点で解説してみよう。だがその前に、何故今アスターは魔物との戦いに手を貸さずあえてアルル一人に戦闘を任せているのか? それは単純にアスターがアルルの力の真価を見極めたいと考えたのだ。元より強さは疑っていないが、いざという時に逃げ出すようでは意味が無い。強敵との戦いでも恐怖を抑え勇気を持って立ち向かえるのか。勇者の仲間というのならば、その程度持ち得ていて当然だからだ。並びに、彼女の修行という名目もある。
 では、前述したように違う視点で彼らの闘いを見てみるとしよう。
 まずアルルだが、目から涙が流れている事から、血走っているのではなく泣き腫らしているのではないか、という考え方も出来るだろう。今現在アルルが真に迫った声で「手伝ってよ!! 私死んじゃうわよ!? 嫌でしょ私は嫌よ死にたくないいぃぃ!!!」と剣を振り回している。アスターは地面に座り込み少女の闘いを見物している。時折あくびをしているのが、アルルの精神にどのような影響を及ぼしているのか、それは誰にも分からない。

「痛い! 今当たった、魔物の攻撃が当たった!? やだやだ死にたくない助けてってばアスターの馬鹿!!」
「眠たいなあ、もう少し寝てから出発すべきだったなあ」アルルの救難を無視してアスターは寝転がった。辺りが騒がしい事を除けば、彼にとって寝るには充分な環境らしかった。そうしている間にも、アルルの剣舞──振り回しているように見える者もいるだろうが、アスターにはそれが計算されつくした剣戟であることを見抜いていた──が、口元を歪めふらふらと空を彷徨う黒い悪魔を半分に断っていた。

 これで、彼女が殺めた魔物は三匹。アリアハンを恐怖に貶めている鳥獣大がらすに、骸を貪る獣大アリクイ、旅人を誘い永遠の眠りに導く悪魔ドラキーである。大きさから見れば、どれもが成獣に達さない子供のようだったが、それでも魔物は魔物、人間では敵わない力を秘めた恐るべきモンスターなのだ。少なくとも普通の子供ならば太刀打ち出来まい。元気が良くて運動の出来る子供ならばそうでもないだろうが。
 そして、残る魔物は一匹。神代の聖獣ユニコーンに酷似した鋭い角を携えた魔物──そう、一角うさぎだ。角の鋭さも去ることながら、恐るべきはその突進力。成長した一角うさぎならば馬車すら大破させるという。子供ならば逃げる蛇くらいなら貫けるんじゃないだろうか? ちなみに、アルルの眼の前にいる一角うさぎも子供である。
 威嚇の声を上げ、一角うさぎは己が同胞を次々に殺したアルルに向かって角を向けて飛び跳ねた。まだ子供だからか、目測は少し外れ、アルルの太股を掠めるだけに終わった。万一まともに当たれば、結構な出血になっただろう。多分。

「血!? 血が出た! うわあん血が出たああぁぁぁ!! アスター助けてアスターアスターアスターあああぁぁぁぁ!!!」
「うるさいなあ、アルル、いくら戦うのが面倒だからってわざと僕に押し付けるのは止めなよ」
「違うってば馬鹿!! 本当に痛いの、お願いだから助けてよぉ……」

 左手で剣を持ち、右手で血が滲んでいる太股を押さえているアルル。その程度で戦意を失う訳が無いと知っているアスターだが、例え嘘泣きでも女性の泣き声を聴くのは耐えられないアスターは鈍重に立ち上がりのろのろとアルルと一角うさぎの間に立った。少女は安心のあまりその場で座りこむ。
 いくら相手が弱いとはいえ、戦いの最中になんて緊張感の無い、と呆れるも渋々相手の魔物を見遣る。

「随分と興奮しているみたいだけど、それで僕を倒せるかな? ──消し炭になりたくなければ消えろ。いかに魔物でも、勇者たる僕は逃げる相手を追う真似はしない」

 威風堂々、その悠々たる様は見る者に安心感を与える。そして、敵には畏怖を植え付ける。
 証拠に、アルルの震えは止まり一角うさぎの目には迷いが生じていた。本当に戦っていいのか、こいつの力は並外れた物に違いないと知らせるのだ。
 だが、それでも一角うさぎには意地があった。幼くとも、初めて人間と戦うにしても、友を殺されたのだ。魔物としての矜持が一角うさぎにはあった。例え負けるにしてもせめてあの女だけは串刺しにしてやると、魔物は鼻息を荒くした。

「そうか、逃げないのか……いい度胸じゃないか、気に入ったよ」アスターは杖を構えて迎え撃とうと腰を低く保つ。

 魔物にアスターの言葉が通じたのか、それは分からないがアスターが「気に入った」と言った瞬間、一角うさぎが口を開き「キキキ」と笑い声に聞こえる鳴き声を発した。それはまるで「俺もだ」と言っているようだった。
 この一角うさぎはまだ子供だ。本来ならば、親の一角うさぎに餌を貰い甘えていればいい年齢の幼い子供。人間を襲う事で得る愉悦や興奮など今の今まで知らなかった子供なのだ。
 しかしもう知った。戦いの楽しさも強敵と対峙した時に得る興奮も知ってしまった。そして友を失う悲しみも味わった。そんな魔物が退く訳が無い。負けても死んでも退くだけはないのだ。そう、この一角うさぎは戦士となった。

「来いモンスター! 勇者アスターが相手をしてやる!!」
「キキィィィィ!!!!!!」












 僕が伝説になる必要はない
 第三話 猛襲破砕拳の使い手、シュテン












 時は戻り、アリアハンを出た後の二人の事。
 二人は町を出て暫く歩いた後アスターの「眠い、寝よう」という簡潔な言葉により野宿の準備に入った。この頃には、ようやくアルルも泣きやみしゃっくりも止まっていた。恨めしそうにアスターを睨む事は止めなかったが。
 準備と言っても大した事では無い。辺りに生えている雑草を抜き取りアスターのメラで燃やし焚き火代わりにした後眠るだけだからだ。煙が酷かったのですぐに消したが。つまりは何もせず寝たに過ぎない。
 とはいえ、もう暖かい季節だが風の吹く野外で寝るのはアルルには厳しいものがあった。アスターのようにローブを纏っているのではなく、長袖ではあるが膝下のズボンを履いているアルルは足に当たる風が冷たくて、中々眠れずにいた。

「ねえちょっと……ねえまだ起きてるよね?」堪らず起き出したアルルは少し距離を取って横になったアスターに近づき(最初に距離を空けたのはアルルである)揺さぶった。
「んん、なんだよアルル……もしかして、魔物が近くにいたのかい?」言いながらアスターは見張りを立てるのを忘れてたなあとぼんやり思った。反省はしても後悔はしない。むしろ反省もしない。流石勇者。
「ううん、魔物はいないみたい……それより、何か防寒具とか寝具とか持ってない? 風が寒くて寝れないの……」

 こう言われれば、優しさの塊であるアスターは当然彼女に防寒の為の道具を渡す。のそのそと体を起こして、自分が付けていた薄い布の手袋を片方渡して彼女に投げた。アルルはまじまじとその手袋を見る。

「それで。じゃあおやすみ」アスターは再度横になる。
「………………うん」

 アルルはとりあえず足が寒かったので渡された手袋を足の上に置いてみた。風が吹いた瞬間飛ばされて近くの地面にぽてりと落ちた。もう一度足の上に置いた。同じ結果となった。

「……ねえアスター、起きてよねえ」少女はもう一度アスターを揺らし起こす。
「んん、なんだよアルル、今度こそ魔物がいたのか?」
「あのね、もうちょっとだけ寒さが凌げそうなもの無い? 手袋一つじゃ全然あったかくないの」
「そうだなあ……」アスターはごそごそと体を動かし防寒具の代わりになるような物を探す。しかし残念ながらそれらしいものは見つからなかったようで、どうしたものかと辺りを見遣ると、彼は良いものを見つけた! と顔を輝かせた。
「じゃあそれで。おやすみ」アスターが渡したのはお鍋のふただった。

 アルルは足が寒かったのでお鍋のふたを足の上に置いた。たかが鍋のふたのくせにまあまあ重かった。さらには、平型の物を足の上に置いたところで風が防げる訳が無かった。分かっていた事なのに希望を預けて足の上に置いた自分に苛立ちアルルはお鍋のふたを地面に叩きつけた。相当な音が鳴り、アスターがまた起き上がった。そのまま何も言わずアルルの前に立つと渾身の力で彼女の頭に拳を振り下ろした。少女は頭を押さえて悶絶する。

「良いかいアルル。こんな言葉を知ってるか?」アスターが問うが、痛みでそれどころではない少女から返事は返ってこなかった。気にせずアスターは続ける。
「ルビスの顔も三度までという言葉さ。遠い異国の地で言うことわざというものなんだってさ。それと非常に近い意味でこんな言葉がある。勇者の顔も二度までという言葉さ。意味は、勇者のように寛大な者なら二度までの無礼は許すが、三回迷惑を被られたら怒るぞって意味だ。何が言いたいか分かるかな? 何度も起こしてんじゃねえよボケがって事だよ」

 ぺっ、と地面に唾を吐いてアスターはまた地面に横になって目を閉じる。慌てたのはアルルである。このままでは寒くて眠れないし、彼が寝入ってから声をかければまた痛い思いをしなくてはいけないと焦ったのだ。

「待って! 寝る前に待って! このままじゃ私寒くて寝れないわ、凄く嫌だけど、一緒に旅をするんだから仲間の悩みを解決すべきじゃない!?」
「……なんだ、寒くて寝れなかったから僕を起こしたのか。先に良いなよ全く」

 言う前に殴ったんじゃないか、と口に出すのをアルルは止めた。また痛くされそうだからだ。短い付き合いだが、アルルはアスターという好青年の人格が分かってきたようだった。

「でもごめん、さっき渡した物以上に風を防げそうな物は無いんだ。それこそ僕のローブくらいしかない。だからといってこのローブに君を入れるとなると抱き合いながら寝るような形になってしまう。それだけは避けたい。例え君が風邪を引こうが肺炎になろうがその結果短い人生を終える事になろうがそれだけは避けたいんだ」
「…………………………ふううぅぅぅ……それで、結論は?」必死に何かの感情を抑えるような表情と間を作ってアルルは先を促した。
「さっきも思ったんだけど、野宿をするなら見張りが必要だよね。だから今は君が見張りとして起きていてくれ。横にならなければそう寒くもないだろう? 時間が来たら僕を起こしてくれ。その時に君にこのローブを貸せばいいだろう?」
「なるほど、貴方のローブを毛布代わりに、交代で使うという事ね。でもなんで最初に見張りになるのが私なの?」
「今僕は凄く眠たいからだよ」

 それ以上取り合う事も無くアスターはすやすやと眠りについた。
 普通こういう時なら男が見張りに立って女性は寝かせるものではないか、と思ったがそれは男女差別だろうし、何よりローブを貸してもらうのは自分なのだから当然だとアルルは考えた。剣をしっかり握り辺りの様子に気を配る。素人臭い気を張り詰め過ぎた構えであるが、それは仕方の無い事だった。
 彼女は内心嬉しかったのだ。今まで誰に頼られる事無く駄目人間の駄目勇者と呼ばれ続けた彼女は誰かに何かを頼まれた事が少ない。たかが見張りと言えど仲間の命を握る行為である。それを任された事が、アスターという仲間に信頼されているように感じて半ば興奮すらしていた。

(こうして考えてみると、旅に出たのも悪くない……かもね)

 鼻歌でも歌いたい気分だったが、隣にいる仲間を想い(叩かれるのが嫌というのもある)ただ静かに暗闇に目を光らせていた──





「ふわあ、よく寝たなあ。おやもう朝なのか……朝?」眼を擦りながら伸びをして、空に太陽が輝いている事を不思議に感じたアスター。隣を見ると、眼の下にクマを作った少女が人を殺せそうな視線を彼に送っている。
「おはよう、よく眠れたみたいね。羨ましいわ本当に心から羨ましいわよ」
「……もしかして、ずっと起きて見張っていたのかい? 交代しようと言ったじゃないか、何故そんな……」自分で言ってからアスターは己の過ちに気付いた。
(そうか。彼女は自分の真の力に気付く事無く、あのアリアハンの住民達に軽んじられてきたんだ。そんな彼女だからこそ、人一倍に勇者たる僕の役に立とうとしたのか。見張りくらい自分一人でやってみせると、そう意気込んで。己だけで夜を越したのか、僕の身を案じて!!)

 思い立った瞬間、アスターは堪らず少女の肩に手を置いて震えた声を絞り出した。少女の目に光は無い。

「止めるんだアルル! 僕の身を案じてくれるのは嬉しい、でも僕達は仲間なんだ!! 君一人に労を預ける気は毛頭無い! 僕達は一心同体なんだ! 眠くなれば僕を起こせばいいじゃないか、なんでもかんでも背負いこむな!」アスターの目には涙すら浮かんでいる。彼の涙には二つの理由があった。一つは少女の覚悟と優しさに、もう一つは勇者である自分に頼ってくれない、それはつまり信用されていないのではという感情からだ。
「……何勘違いしてるのか知らないけど、私が何回起こしてもあんたが起きなかっただけ。何度も、何度も、それこそ頭を叩いたり耳元で騒いだり両足を持ち上げて振り回したりしてもあんたが起きなかったの。だから私がこうして徹夜で見張ってたの。分かる?」
「そんな……っ!? 止めてくれ、自分の優しさを嘘で隠さないでくれよアルル!!」
「…………死んでしまえ」

 自分の本心を言い当てられ、照れ隠しに暴言を放つアルル。それを察したアスターは、彼女の優しさを無にしてはいけないと小さく項垂れた。
 そして、アスターは思う。勘違いだったのだと。目の前の少女はきっと残忍で残酷で性格が破綻した悪鬼の如き少女だと思っていたが、それは間違いだった。彼の親友うんこを殺したのは確かだが、いきなり力ある魔物が飛び出してくれば誰しも剣を抜いてしまうだろう。戦う力のある者なら尚の事だ。
 許してくれ、とアスターは呟いた。自分が未熟なばかりに他人の都合を考えず糾弾した事を恥じた。零れた涙は頬を伝い地面を濡らす。

「えっ、ちょっと! いやあの、確かに私も寝たかったけど、そんな泣いて謝る事じゃないわよ……初めての旅で疲れてたんでしょ? ……ま、まあそれは私もだけど……あ、アスターは沢山の魔物と戦ってたんでしょうから当然だわ、次から起きてくれればそれで良いから! 私も酷い事言ったわね、ごめんね?」
「…………そう、言ってくれるのかい?」

 ちら、と見上げるとアルルはぶんぶんと頭を縦に振っていた。
 なるほど、とアスターは感謝の中に納得を滲ませた。伊達に勇者を命じられたわけでは無いのだな、と。その優しさは勇者たる片鱗を見せている。
 だが。彼は心の奥にざわついた何かが這いあがってくるのを感じた。
 優しいのは良いことだ。しかし優しすぎるのは毒となる。勇者とは時に情けを殺す非情な戦士でもあらねばならないのだから。

(なんて、残酷な世界なんだ)

 優しいが為に人々に嫌われる見下される。あって良い訳が無いのだそんな世界が。
 誰しも優しくなりたいと願うが、実際優しさを振り撒ける人間はそういない。誰しも自分が一番大切だからだ。優しいとは自分を殺す事に他ならない。彼女はそれを躊躇い無く出来るのだとアスターは直感した。それは諸刃の剣であることも。
 勇者は人々の為に生き、人々の為に戦うべきである。だが、人々を救う為に人々を見捨てる事もあるだろう。なにより、魔物との戦いで迷いが生じてはいけない。その結果命を落としては救うことも出来ないのだから。
 残酷な世界。彼がそう評したのはそういう事だ。真の優しさを得ている彼女の心を悪と断じる、いや断じなければならないこの世界の不思議が悪癖がアスターの胸を刺した。

「──決めた」
「え、何を?」

 戸惑うアルルを尻目にアスターはすっくと立ち上がった。その際にローブを外しアルルに渡す。白い袖の無いシャツと、同じく無地のズボンが晒される。
 既に日が昇った為寒くは無いのだが、折角の優しさだとアルルは大人しくローブを身に纏った。分かっていた事だが、立ち上がっても裾が地面に着くだろうな、と彼女は思った。

「君を強くする。それは昨日から思っていた事だけど、昨日とは意味が違う。勇者の仲間としてではなく、君がこの世界で強く生きていけるように、その為に君を強くしたい」
「強くって、特訓とか修行とかって事?」アスターは頷いた。
「戦う強さだけじゃない。生き抜く強さを君に身に付けて欲しい。君の強さは身に染みて分かっているけれど、それではこの世界を渡ってはいけないから」

 澄んだ目で言うアスター、となんとなく雰囲気に飲まれるアルル。彼自身は知っているはずなのだが。アスターがまだ旅に出て二日という事を。そんな身分で他人に生き抜く強さを伝授しようとしているアスターは果てしなく賢者だった。
 一つ二つ、間を置いてからアルルはこくんと首を振る。内心では「特訓かあ。筋肉とか付いちゃうかな、やだなあ。若い頃に筋肉が付いたら背が伸びないっていうし……でも断り辛いもんなあ……」というお断りしたい気持ちが強かったが、流されやすい彼女にそれは無理だったようだ。何よりアスターの真摯な目がそれをさせなかった。












 そして、現在に戻る。魔物の集団を見つけて、アスターはアルルに一人でやるんだと命じた。少女は驚きすぎて鼻水を噴き出していた。
 何故どうして何がどうしてそうなるの!? と喚いていたが、これには意味があった。アスターはアルルの弱点を見抜いていたのだ。アルルがうんこを殺したものの、その後震えていた理由を知ったからだ。

(アルルは、戦いを知らないんだ。剣を握り他を圧倒する力を秘めていても命を奪えない。それでは勇者の旅に生き残れない!!)

 故に、助けも無く一人で魔物と戦わせてやればその弱さを克服できるのでは、と考えたのだ。
 結果は戦いの潜在能力といい現時点での力といいどちらも素晴らしい値だった。しかし最後になり命を奪う事に躊躇したのかアスターに助けを求めてしまう。
 敵は少し大きくて角が生えただけの魔物。アルルに勝てない道理は無いのだが、前述したとおりアスターは女性の助けを無視できる性格では無い。非情である必要もあるのだと考えている彼だが、彼もまた十分に優しすぎるのだ。
 そして場面は角を生やしたうさぎ──一角うさぎとの戦いに戻る。


「来いモンスター! 勇者アスターが相手をしてやる!!」
「キキィィィィ!!!!!!」

 後ろ脚で地面を蹴り、一角うさぎは弾丸の如く飛び出した。砂煙は舞い、魔物が踏み出した地面は円形に陥没している。そのスピード、筆舌に尽くし難い。成長した一角うさぎとなんら遜色ない動きだった。
 上では無く前に跳ぶ、滑空するような跳ね方だった。角は地面ぎりぎりまで、頭を下げている。下から上に突き上げる魂胆なのだろう。イメージは、アスターの喉を突き破り脳天すら貫くもの。魔物は勝利のビジョンを浮かべていた。
 重ねて言うが、恐ろしい速度だった。戦いを棄権したアルルはその突進を見て小さく悲鳴を上げた。あってはならぬ事だが、魔物から目線を離して自分を旅に連れ出した男を見る。男──アスターは……笑っていた。
 その直後、何かが地面に突き刺さるような音が聞こえて少女は視線を戻す。そこには、地面に角を突き刺してひくひくと体を痙攣させている一角うさぎの姿があった。そのまましばし眺めていたが、やがて動きは止まり魔物は死んだ。
 何があったのかアルルには何も分からない。自分が一瞬目を離した隙に、その瞬間に何があったのか。アスターが何をしたのか。それを問いただす前に、アスターが口を開いた。

「さあ行こうアルル。魔物とはいえ、死体の近くに長居したくないだろう?」
「待ってよ! アスター、貴方今何をしたの?」一角うさぎの亡骸を指差しながらアルルは訊く。アスターは一瞬だけ遠い目をして、自分の掌を見遣り、ぐっと拳を握り締めた。
「気だよ」
「気?」捻りの無い鸚鵡返しをしてしまうアルル。
「そう、気。僕の気に当てられた魔物がそのショックで自害したんだ」
「…………は?」アルルの反応にアスターは苦笑を洩らした。
「徹夜で頭が覚醒しきってない君には難しかったかな。つまり、僕の強過ぎるオーラにやられたって事さ」
「しっかりしてアスター。半覚醒の私でも分かる位に貴方おかしな事言ってるわ」

 アスターはそれ以上話さず歩きだした。結局、少女は勇者(自称)である男が何をしたのか分からないまま、疑問符を頭の上に出しつつ歩いていく。
 様々な可能性を並べ上げて、一つの考えが浮かんだ時アルルは小さく「まさか……!?」と呟いた。

「死の呪文、ザキ……?」

 死の呪文ザキ。敵の生命活動それそのものを停止させる呪術。扱える者は限られており、高位の魔物が使えるという異端の呪文。人間では選ばれた僧侶が大神官の許可を得た時だけ使用を許される魔法。そして、その選ばれた僧侶達は皆揃って人々に恐れられ、国によってはザキを使えるというだけで処刑されることもあるそうだ。
 思い至った時には、例に洩れずアルルもアスターに恐怖を抱いたが、それにしては魔物の死に方が妙である。ザキは瞬時に命を断つのだから、一角うさぎは角を地面に突き立てる事も無く横たわっていなければならない。

「走ってる途中にいきなり命を奪われて、勢い余って角が刺さったのかな……うーん」
「アルル?」考え事に熱中しすぎたか、アルルの歩く速度が遅くなり、それが気になったアスターが声をかける。それに驚き、少女は飛び跳ねるように顔を上げた。

(訊いてもいいのかな? でも本当にザキが使えるなら怖いし、そうじゃないなら凄く失礼だよね……)

 魔法を使う者にとって、ザキを毛嫌いする人物も珍しくない。有無を言わせず相手の命を奪うというやり方はルビスの教えに反しているからだ。共存を主題にしているルビス教において、それは当然の事である。まして、勇者であると自分を語る人物だ、熱狂的なルビス信徒である可能性は高い。
 どうしたものか、と悩み続けるアルルに、アスターは優しく声をかけた。

「怖いかい? 僕が」
「ッ!」悩みをずばりと言い当てられて、口籠るアルル。その時、アスターは一瞬だけ悲しそうに口を歪ませた。すぐさまに笑顔を取り戻したが。
「怖いだろうね。僕も怖いんだ、他人の君が怖がるのも当然さ」
「怖いっていうか、その……」アルルは咄嗟に否定の言葉を作れない自分の不器用さを呪った。最初は一人で戦わせたけれど、結果的には助けてくれた人物に恐怖を抱くなんて、と自分を罵倒する。
「でも大丈夫。当然だけど、僕は仲間にこの力を振るったりしない──君を傷つける事は絶対に、ね」

 その自信は揺らがず、澱み無く彼は言う。その言葉には自分が、だけでなくありとあらゆる存在からも、という意味が含まれているようでアルルは心が軽くなったような気がした。
 旅は怖かった。戦いなんて以ての外だった。今さっきも一人で戦わされて、傷も負った。けれどそれは些細な傷。治療の必要もない、走っている時にこけた方が痛いだろうくらいのもの。魔王を倒す為に旅をしているのだ、この程度日常茶飯事以下だろう。
 けれど、なんとなく。
 アルルは、本当に危ない時は彼が助けてくれるんじゃないか、と思ったのだ。彼女の心に巣食う恐怖が僅かに薄れた。

「……うん」小さくとも、色々な感情を込めてアルルは呟いた。

 それから、二人は距離を開けたまま歩きだした。
 けれども、少しだけアルルが歩くスピードを上げてその距離を縮めた事を、前を向いていたアスターは知らない。




 蛇足だが、一角うさぎが死んだのは突進中石に躓き、角が地面に刺さったからである。そのまま地面に刺さった角を軸に一回転し首を折ったのだ。アスターの放つ気に当てられたというしかないだろう。彼を止める事が出来る存在などいるのだろうか。単純にモンスターの足がもつれた為起きた事態では無いか? という憶測も立てられるがそれはそれである。





 草原を歩む二人は黙々と旅を続けていた。先ほど現れた魔物以外モンスターの姿は見えず周りは長閑なものだった。鳥は囀り太陽の光は温かく草花に元気を与えている。アルルが気持ち良さそうに伸びをした後、くはあ、と目を細めて息を漏らす。なんとも平和だった。
 すると、今まで規則的な歩行を続けていたアスターが足を止めて振り返った。急な行動だったためアルルはびくっ、と身を縮こまらせてしまう。

「何? どうしたの」
「大変だアルル、僕らは大変な間違いを犯していたんだ」
「大丈夫よ、私あなたが正しかったなんて思った事無いし。短い付き合いだけどこれからもそうなんじゃないかなって薄々感じてるわ」アルルの意味不明な言葉を無視してアスターは高らかに答える。
「次に何処に向かうべきか考えてないんだよ僕達は!!」
「ああ、道理で方角も決めずに適当に歩いてるなあと思ったわ」

 掌を空に向けてはあ、と溜息一つ。アルルは何故か疲れた様子だった。
 しかし、思いもよらなかった事態に直面したアスターはそれを気にしてはいられない。この状況もまた魔王の手によるものではないかという悪寒を彼はみしみしと感じていた。背中から何か、冷たい手が這いずっているような気になり思わず身震いしてしまう。

(恐るべき、魔王バラモス……!!)

 遥か彼方にいるだろう魔王を思いアスターは冷汗を流した。と同時に、僅かな高揚を覚える。それでこそ、己が目標であると。

「とりあえず、あなたに明確な目標が無いならあそこに向かいましょう」

 そう言ってアルルが指差したのは海を越えた先に見える塔だった。
 その塔はアスターも知っている。遠く離れたレーベからも見る事が出来たからだ。

「ああ、天気塔か」
「天気塔? 何言ってるの、あれはナジミの塔よ。勇者オルテガが訪れたという事で有名な塔じゃない」
「へえ、君達の所ではそんな風に言われてるんだね。レーベではあれは天気塔と呼ばれていて、その由来は朝からあの塔が見えるならその日は雨が降らないと分かるからだよ」
「天気予報に使われる塔って、何かシュールね」呆れたように言うアルル。
「でも何でわざわざ天気塔に?」
「なんでも塔の最上階にいるお爺さんが旅をする人に役立つ物をくれるらしいわ。塔を登りきった兵にだけ与えるとかなんとか。私も話に聞いただけだけど、お爺ちゃんとお母さんがそこに行けってうるさかったし、行って間違いは無いんじゃない?」
「そうなのか。先に言っておくれよアルル。無駄な時間を過ごしちゃったじゃないか、それでどうやってあの塔に向かうんだい? まさか泳いで渡れなんて言わないだろうね? 自慢じゃないが僕は泳ぎだけは、そう“泳ぎだけは”苦手なんだ」
「泳げない云々より人の話を聞かないとか何でもかんでも人のせいにするとかは貴方の悪い所だと思うけど、質問に答えるなら岬の洞窟とかいう場所から行けるらしいわ。その場所までは知らないけど……」

 そこから二人は困り顔で唸りだした。向かうべき場所は分かれどどうやってそこに向かうかが問題となった。アスターが「一度アリアハンに戻ってルイーダさんに聞いてみようか」と提案した際アルルが猛烈に反対したので断念。果たすべき目的を果たさずして故郷の土を踏まぬというのか……! とアスターは感涙する。アルルの目は何故か血走っている。
 しかし、アリアハンに行けないとなれば残るはアスターの故郷レーベしかない。

「よし、一度僕の故郷に帰ろう。ここで立ち往生しているよりは有意義だろう」
「また野宿するのは嫌だし、正直凄い眠たいし……村に行くのは賛成かしら」

 それから、二人はレーベに向かう。時折おおなめくじ等々の魔物が行く手を遮ったが全てアルルの剣技の前に散った。時にはアスターの手も借りたが大凡難の無い旅であったと言えよう。腐るほどあった薬草は数えるほどになったが。数えられないほどアルルは悲鳴を上げたが。数えるのも馬鹿らしいくらいアルルはアスターに殺意を覚えたが。それでもなんとか戦い抜き敵を退けたアルルは相当の実力の持ち主という事であろう。ドラキーに、まるで餅にたかる蠅の如き数に襲われた時も撃退した時はアスターはアルルの強さに驚き、しばらくアルルをさん付けで呼んだほどだ。その間中、彼女はアスターに向けて剣を構えたままだった。



 レーベに到着すると、二人は村人から盛大な歓声で迎えられた。それに目を白黒させたのはアルルだ。今まで人々からこんな歓声を浴びた事は無かったからだ。
 アスターもまた顔を綻ばせている。近寄って来た両親と抱き合い、よく無事で……と涙の再会を演出していた。たかだか一日会わなかっただけなのでは? と思う者はいない。アルルもまた(随分長い間村を出ていたのね……)と貰い泣きしていた。

「貴方、アスターのお仲間さん?」きょろきょろと視線をあちらこちらに向かわせていたアルルに一人の修道女が近寄り話しかけてきた。小さな村だけど、教会はあるんだな、とルビス信仰の強さを知る。修道女は黒い髪を腰まで伸ばした、柔和な顔立ちの長身の女性だった。アスターとそう変わらないだろう、アルルからすれば見上げねば顔を見る事も出来ない。小さな劣等感を抱きつつ、アルルは「はい」と答えた。
「そう! あの子協調性なんて無いからさ、旅の仲間なんて出来ないんじゃないかって思ってたのよ。でも良かった、貴方みたいな可愛い子が一緒なんてちょっとアスターが羨ましいわね」
「いえ、そんな……」

 可愛いと言われてアルルは顔を紅潮させ、謙遜の言葉を出しておく。並びに心の中でアスターに悪態をついておいた。見ろ、やっぱり私は可愛いんじゃないか! と。諦めかけていた踊り子への夢が蘇ろうとしていた。

「マナ、アルルは女の子だぞ、男と間違えるなよ」
「えっ! 女の子なの!? ……ああいや、分かってたわよ勿論。うん」

 なるほど、修道女──マナはアルルを男と間違えていたらしい。彼女の反応からそれが知れたアルルはにやけた顔が一変して寒々しい視線をマナに向けた。口笛を吹く修道女は何かを耐えるように自分の太ももを抓っていた。というか、何故貴様はこの無礼な修道女が私を男と勘違いしていると見抜いたのだ、等々の怒りが含まれている視線をアスターに送るのは御愛嬌。

「なあに、女の子はこれから成長するもんさ! マナ、お前だって十歳の頃は女だか男だか分からなかったぞ?」
「私、十五ですけど」ねじり鉢巻きをつけた、日焼けした男にアルルは訂正の言葉を告げる。男は静かに「すまん……」と悲しげに呟いた。

 その日の夜は、小さな村ながらに騒がしくなった。勇者の帰還だ! と誰もが笑い秘蔵の酒を振る舞った。繰り返すが、アスターが旅に出て一日の事である。
 主役はアスターとアルル。二人ともその歓迎ぶりに驚いたが、アルルはアスターの比では無い。「大変だったでしょう?」「お若いのに魔王討伐の旅に同行するなんて素晴らしい! 勇気溢るる御方だ」「お姉ちゃん、お話を聞かせて!」と、子供まで目を輝かせて彼女を見るのだ。
 二人とも疲れているだろう、夜までは静かに眠らせてやろうと気を利かせていたものだから、村人は今だ今だと二人、取り分け少女の身で旅をするアルルの話を聞きたくて仕方なかったのだ。その熱に押され、アルルは酷く縮こまってしまった。
 ええと、と口ごもらせる度にアスターが彼女のフォローに回り答える。女性を守らんとする誇るべき行いである。問題があるとすれば、彼女に代って答える言葉が些か過剰な事か。
 例えば、村人が「アルルさんはやはり相当の剣の腕前なのでしょうな?」と聞けばアスターは「僕の見立てでは、この若さでこの大陸一の腕前だろう」と答える。自信満々に。
 例えば、村人が「アルルさん、魔王を倒す事に恐れなど無いのですか?」と聞けばアスターは「彼女は自分の身に降りかかる災難など物ともしない。恐れるのは相手を傷つける行為そのものだよ」と答える。威風堂々と。
 例えば、村人が「アルルさん、貴方が戦った強敵を教えて下さい」と聞けばアスターは「そうだね、少なくともアルルは魔王幹部の一角を倒せたのだから、相当の強敵と戦ってきたのだろう。僕にも教えてくれないか?」とさらに問うた。彼の言を聞いて周りの人々から歓声が上がる。

「ほへえ!? 何言ってるのあんた何言ってるの!?」
「誤魔化すなよアルル、僕の友……いや、それはもういいんだけど……僕と出会った時の事を思い出しなよ、あの時倒したあいつは魔王幹部の一人なんだろう? なんせ、僕のメラを喰らってなお生きていた程の魔物なんだから」
「あんなのが魔王幹部な訳ないでしょうがっ!! あれはただの雑魚よ、雑魚!!」アルルは立ち上がって否定した。

 彼女の言葉は、周囲に衝撃を与えた。誰もが青褪め、その後爆発したように紅潮する。興奮の為だ。
 まさか、あのアスターの魔法に耐えた魔物を雑魚扱いするなんて! 正に剣聖! いや戦女神に違いない! と両手を上げて叫び出す。その熱は収まらずレーベ一帯を包みこんだ。

「いや、私が言ったのはそういう意味じゃなくて……」
「そういえば、アルルはルビス様の声を聞いた事があるらしいね?」アルルが何やら困惑しているのを余所に、彼女の仲間である賢者はぽつりとこぼした。
「うおおおお女神に選ばれし者というのかっ!!? なんて人を仲間にしたのだアスター!!」
「魔王バラモスめ……奴の最後はもう間近だなっ!!」

 手に持ったコップを置く事も忘れて一人の戦女神は左右に体を揺らした。震える瞳は美しく、聖女に選ばれるのも然もあらんと誰もが思った。慌てている? まさか、そんな風に思う者など誰もいはしない。鍛冶屋である男は二人分の銅像を作る計算を始めた。一人は雄々しく闇を蹴散らす炎を操る青年アスター、もう一人は不浄を断ち慧眼と無限の優しさを纏う剣の女神アルルである。ちなみにそれは二か月の月日をかけて作り上げることとなる。
 あう、あう、と何やら文呪めいた言葉を発するアルルに皆々注目し彼女の答えを待った。

「わ、私が倒した中で、一番強かったのは……のは……」そこにいる村人が一斉に「のは!?」と先を促した。その反応を見て、彼女は吹っ切れたように立ち上がりコップを掲げた。なお、中身は牛乳である。
「わ、私が倒してきた強敵は皆恐るべき力を有していたわ! 漆黒の翼を持つ闇の眷属! 何者をも溶かす地獄の悪魔! あらゆる物を貫く角を掲げた魔獣! そのどれもが私にとって強敵だった! けれど……これから先私はもっと強大な敵と立ち向かう! それは魔王バラモス! 奴と戦うのに、過去の闘いを思い返すなんて愚の骨頂よ! 私とアスターは後ろを振り返らない! なぜなら、未来は前にだけあるんだから!!」

 答えになっていない答えを返すアルル。しばし沈黙が流れると、彼女の膝が目に見えて震え始める。喉は痙攣し口を閉じてはいるもののしゃくり上げようとする衝動が収まりはしない。

(漆黒とか、悪魔とか魔獣とか言ってるけど、ドラキーとおおなめくじと一角うさぎだもんね、そりゃあ説得力ないわよね……でも私は悪くないわ! 皆が“そういうの”を期待したのが悪いのよ! だから……もう許してよう……)

 精悍な顔つきとやらを自分なりに作り上げたものの、アルルの限界は秒読みだった。このままならば泣き喚きながら村を出て行く少女が拝めたろう。
 だが、その限界はやってこなかった。

「うおおおおおおおおおおおおおおおお剣士アルルゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!!」

 誰もが立ちあがり誰もが涙していた。叩く両手は頭上へと、滂沱の涙は感動にて。
 これが泣かずにいられようか?
 魔物の襲来は運良く免れてきたレーベだが、魔王の復活を知らぬわけがない。遠眼だが魔物を見た事もある。数年に一度の行商で殺された人もいる。何より、魔王誕生の際に人々が魔物へと変化した時この村の人間もまた魔物となったのだ。町などに比べてその人数は少なかったが、確かな被害が出た。
 つまりは、皆不安だったのだ。戦う力などないただの村人である彼らが恐怖を抱かぬわけがない。
 そんな中、言ったのだから。アスターのように極炎を生み出すでは無い、勇者でもない、男でもなく、それどころか少女であるアルルが声を大にして言ったのだから。魔王バラモスと立ち向かうと。未来は前にあるのだと。
 心躍らぬ訳がない。皆感じただろう、勇者と共に剣を振るいありとあらゆる害悪を切り払う聖女を見ただろう。
 今ここに、レーベにて勇者のパーティーが誕生した。






(嘘……ついちゃった。どうしよう……嘘は駄目だって、お爺ちゃんに言われてたのに……)

 誰が思うたか、妙におどおどとした考えを抱いた者がこの場にいたとかいないとか。






「……魔王と、戦うやて?」



 妙に汗を掻き始めたアルルを称える中、レーベに必要があるのか疑問視されている宿屋の一室にて一人の女性が起き出した。
 女は肩を鳴らし、首元に手を当てた。寝汗が酷くじっとりと湿っている。脇に置いてあるサイドテーブルに手を伸ばし布を取って首から上を拭いた。それでもじっとりとした肌は変わらず、後で水風呂に入ろうと決める。
 窓を開けて空を見れば深夜とも言えない時間であると星の位置から分かった。
 女が宿屋にチェックインしたのは朝の事で、それからぐっすりと寝入っていた。その為、奇妙な時間帯に目を覚ましたのか……いや、外の騒ぎに起こされたのだ。彼女はここ二日眠っていない、彼女の考えとしては深夜に眼を覚ましてそのままチェックアウトしようと思っていたのだ。
 しかし女は当てが外れた、と気分を悪くする事も無く部屋の扉に手をかけた。颯爽と歩くのは様になっており、後ろに束ねたポニーテールが揺れている。袖の無い服は風を通し汗が乾いていった。心なしか躍動感のある、わくわくしているような歩き方だった。実際そうなのだろう、左手で拳を作りこんこんと壁を叩きながら歩いている。上機嫌である事は間違いない。

「今時そんなんやろうと思うアホがおるとわなあ……一つ噛ませてもらおうやんか」

 階段を降りながら、女はにやり、と犬歯を見せた。






 宴──いやこれは最早祭りか。両手を上げて規則的に歩調を合わせ村に伝わる歌を歌っていた。内容は精霊神ルビスを称えるものらしいが、誰もそんな事を気にしている様子は無く、ただ歌詞があるなら歌っておこう程度である。信仰心の欠片も無いものだ。得てして、神とはそういう形で使われるのが正しいのかもしれないが。
 酒は流れるように消えて食べ物もあっという間に平らげられる。小さな村だ、そのように消費しては持たない事は明々白々である。それでも、村は騒ぎ続けた。
 誰も口にはしないが、嬉しかったのかもしれない。アスターという人知を超えた力を持つ若者に仲間が出来たという事が。
 無論、彼らは皆アスターを愛している。村の仲間として、心優しい若者として、一部ではからかい相手として。ただそれはあくまで身内故のものと分かってもいた。大いなる力は人々を遠ざける。その程度の想像がつく程には彼らは賢かった。
 そしてまた、そのような事など露知らぬアルルは村人の暖かい心が嬉しかった。心から自分を認め期待されているのがひしひしと伝わったからだ。
 彼女にとって期待とはただ重いだけの必要無い、むしろ邪魔な存在だったのに、今は何故か心躍るものとなっていた。何故か? 質が違うのだ、単純に。
 必ず出来る、出来ねば期待外れだ必要無い物だ唾棄すべきものだ、出来ぬ事は許されない出来なければ理不尽だ。それが彼女が知っている“期待”である。その考えこそが理不尽だと誰も気づかない。
 対して、今彼女に当てられている期待は少々違う。きっと大丈夫、貴方なら出来る、大丈夫。
 “大丈夫”という言葉は無責任と言えよう。だが大丈夫に加えられているのは無関係な自分達だけでは無く、アルルも入っているのだ。怖がらなくていいよ、君なら大丈夫だよ、と励ますようにも聞こえる。今までの、「出来なければ許さぬ」という脅迫めいたものではなく「出来る筈だ」という安心を促す心地。
 言葉にした訳では無くとも、アルルにはそう感じた。それが……堪らなかった。
 アルルは祭りの主席を共にしているアスターを横目に見て、なるほどと納得した。疑わない訳だ、己が勇者だと。こんな人々に囲まれて、断言されては信じる筈だ。青年の信念が揺らがぬ理由、その一端が垣間見えた気がした。

「ねえアスター?」村の男衆がとっておきの踊りを披露すると息巻いた時の、人々が二人から気を逸らした瞬間を狙ってアルルはアスターに声を掛けた。
「なんだいアルル」
「私さ、頑張ってみる。さっきの言葉を本当に出来るくらいに頑張るよ」
「? 良く分からないけど、頑張るのは良いことだね」

 疑問符を上げた仲間を見て、彼女は力強く頭を縦に振った。その勢いのまま空を見て煌めく星が自分の決心を褒めているみたいで、なんだか嬉しくなった。目を瞑ると、何処までも行けそうだった。






 祭りは深夜遅くまで繰り広げられた。広場の中央で盛大な焚火をしたからか、酒が入っていたからか、皆寒いとは思わずそのまま野外で眠りに就いた。アルルだけは、村人が布団代わりの長い布を持ってきたのでそれに包まっていたが。
 やがて、日が昇った事でざわざわと目を覚ましていく。アスターもまた、体を起こし大きく伸びをした。隣に眠る少女を見てうげ、と苦い顔をして離れていく。やもすれば、体が密着しそうだったからだ。
 誤解せぬよう伝えるなら、彼は女嫌いでは無い。ロリコンではないだけだ。年がそう離れていなくとも、見た眼がそうなら彼には関係の無い事らしい。
 村の女性たちがきびきびと昨夜の片づけをしているのを見て、自分も手伝おうとする。これは私らの仕事だから、と一度断られたがそれで引くアスターではない。というか、レーベ村は女の仕事、男の仕事、というように区別はしないので全員で片付けを始めた。アルルだけは疲れているだろうから寝かせてやってくれというアスターの発言でそのまま寝かせておいたが。女性としては見ずとも仲間としては見ているアスター、流石勇者である。

「いつ出発するんだ?」アスターの父が近寄ってきてそう訊いてきた。
「アルルが起きたら、すぐにでも。昨日村に帰って来てすぐ寝たはずだからもうすぐ起きると思うよ。昼までに起きなければ僕が起こす」
「そうか……もう少し休んでいけと言いたいが、そういう訳にもいかんのだろう?」父の言葉にアスターは頷いた。寂しいが、それでは魔王は倒せないと。「なら、その前に隣の家の爺さん婆さんに会っていけ。お前に渡したい物があるそうだ」彼が言う隣の爺さん婆さんとは、アスターが旅に出る前にキビ団子を渡してくれた者達だ。
「渡したい物?」アスターは聞き返した。
「そうだ。なんでもお前のメラを更に強化するアイテムらしい」

 父の言葉に、アスターは身震いした。その感情は恐怖と、それ以上に歓喜。
 歓喜? 何故だ、自分は己の力を恐れ嫌悪していたのではないのか、それをさらに増幅する物など何故喜んで受け取るのだ。アスターは自問する。
 答えは……嫉妬だった。そう、彼は嫉妬していたのだ、まだ幼い少女アルルに。昨日は笑って聞いていたが、その実彼は恐れすらしていた。様々な強敵と戦い鬼神のような戦いを見せるアルルに自分は勝てないのではないか、と。そして、彼女は言った。そのような強敵すら霞むような敵、バラモスと。彼女がそこまで言うバラモスに本当に自分は勝てるのか半信半疑だった。
 そんな中言われたメラを強化するアイテム。喜ばずにはいられなかった。

(……旅に出てこんなに早く僕の心が変わるなんてね。まさか、もっと強くなりたいなんて思うとは……世界は広いんだな)

 そう思ってまだ寝こけている少女を見る。少女は口から涎を垂らし、「がんばるぞー」と寝言を漏らしていた。
 あれだけの強さをもちながら尚も限界を目指し続ける者がいる。それだけで、彼が迷う必要は無かった。
 まだ怖い、自分の力がどこまで行くのか、最後にはどうなるのか想像したくない。しかし怖がってはいられない。前に進むのだ、前にしか未来は無いとアルルが教えてくれた。気が付くと、恐怖は失せていた。

「分かった。父さん、悪いけどこれおばさん達に渡しておいてくれる? これで最後だから」言って、食べ残しがこびりついた皿を父に渡す。そして、半ば走るような速度で老夫婦の家へと向かった。
「…………寂しいものだな、子供の成長は」息子の後ろ背中を見送りながら、父は言う。その目には、涙が浮かんでいた。ぐっ、と袖で拭うと、肩を叩く者が。アスターの母である。彼女は笑って、言う。
「息子で良かったわね。娘なら、号泣したんじゃないかしら」冗談交じりに言うが、父としてそれを想像したのだろう、その場で座り込んで泣き声を上げてしまった。母は大層困ったと、夫の背中をさすり出す。
 その声で目覚めたアルルは、どうしたものかと視線を彷徨わせたのだった。






「良い村だったわね」レーベを出て十五分というところか、アルルがぽつりと言った。
「僕の故郷だからね。気にいってくれたみたいで、僕も嬉しいよ」
「気にいったというか……うん、そうかも」

 何だか、関係性が綻びつつある夫婦間の会話のようだ、と感じてアルルは溜息をついた。夫婦云々は勿論、綻びつつあるって何だ、まだまだ乙女であるのに何故中年の心理に近づかねばならんのか、と頭を抱えたくなったのだ。

「そういえば、私達がレーベを出る前に泥棒が出たんですって」話題を変えたくなったアルルが言う。
「それなら聞いたよ。宿代を持ってないくせに宿屋に泊まった奴の話だろう? よくあるんだ、レーベでは。なんでも女らしいよ」
「女の人なんだ……やっぱり衛兵がいないと旅人の犯罪が多いのね」アルルが言うと、アスターは腕組みをして苦い顔をした。
「宿屋だけじゃないんだよ、食事処や武器屋でも旅人がお金を持ってないのに物を買おうとする人が多いんだ」
「そんなに高いの? レーベの物価は」
「いいや。確かに住人が買うのに比べて、旅人は少し割高な値段になるのは確かだけど、それでも良心的な値段なはずさ。他の村や町を僕はよく知らないから相場は分からないけど」
「ふうん。世の中怖いのね」

 確かにレーベ村は住人が購入するにあたっては相当に品物は安い。それは宿泊でも同じことである(そもそも同じ村に実家があるのに泊まる者がいるのかどうか甚だ疑問であるが)。それらは一重に同じ村の人間を大切に思うが為の、家族と同じであると捉えている証である。
 これはあくまで噂だが、極たまに訪れる旅人はレーベのそのシステムをこう評しているらしい。曰く、「住人同士で金をやり取りしない分旅人からせびっているのだ」と。まるでぼったくりにでもあったかのような口ぶりであった。
 ちなみに、レーベ村の薬草の通常価格は2G。旅人に売る際の値段は70G。宿屋は通常価格4G。旅人を泊める際の値段は200G(素泊まり)となっている。後者は後払いとなるので、宿屋の場合うっかり泊まれば払えきれなかった分だけ無償で働かせることとなる実に合理的なシステムである。どうしても払う気が無いという犯罪者にはどういう罰があるのか、それはレーベ村に住む大人達しか知らない。
 なお、今は昔の事であるが、レーベから時折アッサラームという少々治安の悪い町へ馬車が走っていた事はこの金を払わない者への罰と何か関係があるのでは? と無粋な勘繰りをする者もいる。が、それは今は関係の無いことであろう。人身売買などという悪に染まる村では無いはずだから。

「また来たいな、レーベ。私もこの旅が終わればあそこに住もうかしら」
「いいんじゃないか? 若い人が年々減ってるんだ、アルルみたいに元気な子が来てくれるのは万々歳さ」
「そう? なら本当にそうしようかな、あそこで踊り子としての私が始まるのよ!」
「それはないよ。薪割りとか、やぐらを作るのに君の力は重宝しそうだ。鍛冶屋か大工としての活躍を期待するよ」
「……いつか見てろよ」

 しばし剣呑な空気が流れるも、いつしかそれは薄れ和気藹々と二人は話し込んでいる。出会ってまだ二日と経たぬ内に随分と壁は無くなったようだった。元々アスターは他人と壁を作る性格では無いのでアルルの棘が抜けた、というのが正しいが。ただそれは、仲間というよりも傍から見れば兄妹にしか見えないものだが。
 しかし……実はアルルは気付いていた。一つ重大な事を忘れていた事に。それを思い出してから、どことなく彼女の表情は硬かった。

(ナジミの塔への行き方、まるで聞いてなかったや……)

 一体何をしに行ったのか、ていうかアスターもアスターで何故忘れていたのか、と脳内で騒がしく論議を醸していたが、でもまあ楽しかったし私なりの決心が一つついたのだから無駄じゃ無かったよなあとぼんやり思う彼女は恐らく間違っていない。
 そのような悩みを抱いているとは露知らず、アスターは(アルルが元気になって良かった良かった)と朴訥とした考えを抱いていた。あくせく営々と話を止めないアルルに不信感を覚える事は無い。なんという純粋な心か。

「あ、そういえばナジミの塔への行き方を聞くのを忘れてたね、何で思い出さなかったんだよアルル」しかし、アスターがふと思い出した事で必要があったのかどうか分からないアルルの努力は水疱となった。
「流れるように私のせいにするのはやめてよ! もう、忘れようとしてたのに! 先延ばしにしてただけかもしれないけど!」
「駄目だよアルル。失敗を認めなければ後ろに戻る事は無くても前に進む事もできないのだから」
「言っとくけど、私とあんたで五対五だからね? 十対零で私が悪いように言ってるけど、お互い同じだけ悪いんだからね!?」
「まいったな、また戻るのか。なんだかみっともないなあ、アルル一人で戻る気はないかい?」
「もしかしてあんたと私は別の次元にいるのかもしれない。最近そんな風に思うの」

 アスターの言葉を聞かずアルルはきゃんきゃんと吠えるも、取り合う事は無い。相手の失敗を水に流す度量を持ち得てこそ勇者だという証明である。惜しくも、アルルはまだその領域に立ってはいないようだ。
 結局歩く意味を失くした二人はその場に座り、どちらが村に戻るかという勝負を始めた。村を出て行く際にも盛大な見送りをされた手前、のこのことまた戻るのは相当に恥であるとお互い分かっているからだ。ならば、どちらかだけでも恥を避ける方法を選ぶのは自明の理だろう。後、来た道をまた戻るのは面倒臭いというのも本音。
 勝負方法はシンプルにじゃいけんに決まった。掛け声とともに岩、刀、天、いずれかの形に変えた手を出す。それだけの勝負だ。岩は刀に強く天に弱い、刀は岩に弱く天に強い、天は岩に強く刀に弱い。自分が出した形が相手の出した形よりも強いものなら勝利である。遠い異国の地ではじゃんけんと呼ばれるものらしい。

「じゃい、けん、ほい!」二人は同時に手を出した。アルルの手は岩を模っており、アスターは両手を出し両足を開いていた。彼曰く、足を開いた事で天の力を得ており、両手で残りの刀と岩の力を得たとの事。分かりやすく言えば無敵の構えというやつだ。アスターの勝利が決まった。
「認めるわけないでしょ!? 反則よ反則! はいアスターの負けー!」相手を指差し顔を赤くして反論するアルル。見苦しいと言えよう。
「おいおいアルル。戦いに反則や卑怯は無いんだ、昨日あれだけ死線を越えたというのにまだ分からないのかい? 戦士たるもの、例え背中から斬りつけられようと卑怯なんて思ってはいけないんだ」
「認めないって言ってんの!! 何よそれ無敵の構えって! 子供じゃないんだから下らないことしないでよ!」
「はあ……我儘だねアルル。ちょっと引くよ」
「ひくっ!?」

 それからも顔を真っ赤にして自分の非を認めないアルルだったが、懇々とした説明に自分が悪いと悟ったか、彼女も渋々村への道を戻り始めた。

「私は悪くないもん……絶対正しいもん……」

 ずりずりと剣の鞘を地面に擦らせながら歩く様は、中々に惨めだった。
 後ろから「駆け足ー」と言われた時は、どうしてだか彼女の手が剣に伸びたが、理由は分からない。歯ぎしりの音がいやに盛大だった。彼らを囲むモンスターが二の足を踏み逃げ去ってしまう程の形相は彼女の特技なのかもしれない。
 と、彼らが微笑ましいやり取りをしている中、彼らの前──村のある方向だ──から小型の馬車が走ってきた。

「あれ、まだ行商の日じゃないのにな?」

 レーベ村から馬車が出るのはレーベ草を他の村や町に売りに行く時だけと知っているアスターは不思議そうに呟いた。レーベは三年から四年に一度だけ、それも秋口に行商を行っているのだ。所詮着色料でしかないレーベ草を欲しがる人々はそう多くないので、思い出した頃程度の周期で十分なのである。
 今は夏、初夏である。秋でもないしそもそもレーベ草の行商は去年行った事をアスターは覚えていた。

「おんやあ? アスターにアルルちゃん。まだこんな所におったのか」馬車から二人を見つけた、麦わら帽子を被った男が顔を出した。そこにとてとてと足音を立ててアルルが近づく。
「こんにちはおじさん。さっきぶりね……何を運んでいるの?」昨夜で村の大半の人間と仲良くなれた彼女は(彼女の性格からすれば快挙と言って良い事である)明るく問いかけた。

 問われた老人は何故かしまったというように顔を歪ませて、幾度か空を見上げながら目の前の少女から視線を外しつつ答える。

「いや、その……宿屋に泊まった癖に金が無いとか抜かしやがった奴がいてな? そいつを町の憲兵に突きだそうと護送してるわけさ、うん」

 老人一人で護送も何もあったものではないし、犯罪者を送るのは護送とは言わないが、ともあれ意図は伝わったようでアルルは一つ頷いた。しかし、その後間を置かず首を傾げ「でもアリアハンはそっちじゃないわよ?」と馬車が向かおうとしていた方角を指差した。

「え!? そうかい? いやあ、そういえばそうだねえ……いやあ年を取るとこういう事があるんだよなあ、あっはっは!」
「そ、そういうものなの……? っ!?」

 アルルが気の無い相槌を打った瞬間、馬車の中から苦しそうな呻き声が聞こえ、アルルは身を固くした。
 そもそも犯罪者とは無縁の人生を送ってきた彼女である。怖がるのも無理はないだろう。さっさと身を引いて行ってもらおうとした。
 しかし、それを許さぬ者が一人。

「待ってよおじさん。その犯罪者と少し話をさせてもらえないか? 勇者たる者悪に染まりし罪人に説教すべきだと思うんだ」
「え!? いんやあ、そりゃあ立派だと思うがアスター、こいつは本当、根の腐った奴でなあ……お前さんが気にかけるような奴じゃねえぞ?」頬をひくひくと痙攣させながら男は言う。アスターは顔を横に振りながら、
「どんな悪人でも必ず正道に戻れるはずなんだ。その為にも僕はその悪人と話をしたい」

 彼の言に感動したのか、はたまた困ってしまったのか、滝のように汗を掻く男。いやあ、とかええと、とかとりあえず言葉にならぬ声を吐きつつ、なおも反対した。

「いや本当に駄目な奴なんだよ。もう見るからに悪党! って感じでよ、そりゃあもう暴れ者だわ不細工だわ言葉遣いは悪いわ臭いわ太ってるわで碌な奴じゃねえ! お前さんの声を聞かせることすらおぞましいただの怪物……いやそれ以下の」
「この糞親父がああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
「んぼふっ!!!?」

 雷光、それは正に雷光が如き速さだった。
 馬車から何やら黒い影が飛び出して来て馬車を操る男が吹き飛んだのだ。きりもみ回転しながら飛んで行く男はさながら紙風船。二度地面を跳ねてぴくぴくと体を揺らすだけとなった。なんとなく、アルルは胸の前で十字を切った。
 何が起きたのか分からぬアスターは呆としたまま飛び出してきた影の正体を見た。
 そこには、体中に布の縄を巻き付けられて、首に猿轡をかけた(おそらく口を封じられていたのだろうが、途中で落ちたのだろう)黄色い武闘着を着た女性が地面でのたうちまわっていた。飛び出したまま受身も取れず地面に叩きつけられたからだろう、片目を閉じて痛みに耐えている。が、まだ男を睨んでいた。憤怒の形相であった。
 顔は土がこびり付き血管が浮かんでいるも、その顔は美しかった。狐目に少し高い鼻、荒い息を吐く度に覗かせる八重歯は彼女の性格を表しているようで、武闘家らしいすらっと伸びた手足は無駄な贅肉は見当たらない。少しかすれた声は逆に聞きやすく耳通りの良い声質だった。

「……なるほど。犯罪者らしい粗暴な人間らしいね」男ならば見惚れもしよう美しい女性だが、アスターにはただの乱暴な女性にしか映らなかったようで、酷く寒々しい視線を送っていた。
「犯罪者とちゃうわ! ウチはただ宿屋に泊まっただけ、それも素泊まりやで!? せやのに200G!? 払えるかいそんな金! ぼったくりやないか持ってへんわ!」
「素泊まりでに、200G? 王族御用達の宿屋レベルじゃない……」呆然とアルルが呟いた。それを聞いてか、武闘家風の女性はさらに声を荒げて叫ぶ。
「しかも後払いで値段を聞いたのは泊まった後や! 昨日の夜宿を出ようとした途端無理やり抑えつけられて金払えやで!? えらい手際も良かったし、山賊も真っ青やわ!! しかも!」

 女はギッ、とまだ倒れて目を回している男を見て憎々しげに吠える。

「そいつ、町の憲兵に突き出すとか抜かしよったけど、実際はそうやない! ウチ聞いとったで、あんたさっき『ちょっとくらいなら遊んでもいいよなグヘヘ』って今時聞いた事も無いゲスな台詞吐きよったやろ!? も、もうウチ大切な初めてこんな散らされ方するんかいってめっちゃ怖かったんやから!!」

 恐怖を思い出したのか、女はふるふると震えながら、声が固まっていた。涙は出ていなかったがずるずると鼻を啜っているのが印象的である。
 ふむ、と顎に手をやってから後ろを振り向くアスター。そこには吐瀉物を見る目で倒れた男を見遣る少女の姿がそこにあった。すらりと抜いた剣の光が神々しい。二三度振って、「良し」と漏らしているのは何の意味があるのか。

「なるほど、君の言い分は分かった。でも君の言葉が正しいのか僕達にはまだ判断できない。それになんだか面倒臭い話に繋がりそうだから僕としては見なかった事にしたいな。どうやら君は悪人ではなさそうだし僕が説教出来る雰囲気でもないし……どう思う?」自分の意見を提示したアスターを女は信じられない物を見た、という目で口を開いた。
「あんた頭おかしいんか!? 目の前の女の子が今にも可哀想な初体験迎えそうやっちゅうとんねん! 男やったら助けよう思わんのか!?」
「僕は、そういう男なら~~するべき、という考えは嫌いだな。小さくともそれは差別だ」
「何で今そこを論点にしとるんじゃボケェ!!」

 両手が縛られているためじたばたと金魚運動をするしかない女性は、実に滑稽であった。
 どうしたものか、と困っていると後ろからアルルが剣を剥き出しにしたまま肩を叩いてきた。その目は胡乱で、何をするか分からないという印象を与える。片手で剣の柄を回しているのがその印象をさらに色濃く変えていた。

「女の敵よアスター。今すぐその下衆を刺身にしてそこらの魔物に食わせるべきだわ」
「落ち着くんだアルル。もう一度言うがこの子が正しいという証拠はない。おじさんの話を聞くべきじゃないか?」
「これだけ怯えてるのよ? 演技とは思えないわ」柄を握る力が強まる彼女の肩に手を置き、アスターは悲しげに瞳を揺らす。
「いいかいアルル、世の中には吸って吐くように嘘をつく人物がいる。僕はそれをマナというなんちゃって修道女に教え込まれた。何よりあの女からはなんだかよくない臭いがする。嘘つきの香りだ、そもそもおじさんはあの子と遊びたかっただけだろう? 別に良いじゃないかおじさんが童心に戻って女の子と遊びたいと願っても」
「あんたの考えてる遊びとあの変態の遊びではベクトルが違うのよ!」
「こら、人を変態呼ばわりするのは良くないぞ」

 めっ、と指を立てて注意するアスター。誠実たる者の風格が滲み出ていた。
 二人はそれからも遠回りな会話、むしろ停滞した会話を続けたが縛られた女の「まずはこれを解け」という頼みを聞き入れる事とした。アスターは頑として聞き付けぬという構えを取ったものの隣に立つ少女がいつまでも剣を収めぬ事を理由に渋々受け入れた。
 一息つきながら立ち上がる女。中々の長身でアスターより僅かに低いほどか。心なしかうるんだ瞳はやけに色気のあるものであった。そのまま倒れている男の下へ向かおうとしているのをアスターに止められて、仕方ないと溜息一つ。地面で拾った石を落とした。その石で男を殴るつもりだったのか、握力を強めて殴る力を増す為に用いる気だったのか、それは分からない。聞いていないから。

「ほんま災難やわ……まさかあんな辺鄙な村であんな悪どいことしとるなんて思わんわ……」
「おい、僕の村を馬鹿にするな。レーベはとても良い所だ」
「すまんけど、同意できん。あんなトラウマ確定な出来事あったらどうしたって悪いようにしか言えんわ」
「御愁傷様……っていうべきなのかな? とにかく、無事でよかったわね」
「なんかあったらあのおっさん間違いなく殺しとるっちゅーねん」

 ぎりぎりと歯ぎしりしながら言う。なんだかもう関わりたくないなあ、とアスターは思う。というか小声で言った。アルルでさえも無視をしたので、少しさみしくなったとか。
 腕の関節をほぐしながら、女は髪をかき上げて二人を見遣る。うん、と何やら納得しながら口を開いた。

「あんたらやろ? 声しか聞いてないけど覚えてる。魔王バラモスを倒そうとしとるらしいやん」
「ああ、昨日君もレーベにいたんだよね。そうだよ、僕達は必ずやバラモスを倒し怯えて生きている人々を救おうとしている最中さ。君の名前は?」
「ウチはシュテン。名前はあれど真名はまだ無い。それはウチの国特有のもんやから、知らんでもええか。あんたはアスターで、そっちのちいちゃい女の子がアルルやろ?」

 問われて二人は頷く。アルルだけはちいちゃいに異論を挟みたかったようだが、これ以上無駄な話をするのにも疲れたのだろう、そも、自分が同年代に比べ背が低いのは変えがたい事実だと身にしみて分かっている。悲しい事に。

「そかそか。村の奴等に捕まった時は最悪や最悪やと思っとったけど、こうなったならそう悪くも無いかな……」女──シュテンは指を鳴らし少しだけ笑った。不気味な笑顔だ、と目を逸らすアスターは間違っていない。
「なあ、あんたらの仲間に入れてもらえへんやろか? ウチも魔王を倒す旅をしとる。せやけど、流石に一人で旅を続けるのはしんどいって思っとったところや」急な言葉にアルルは「へ?」と間抜けな顔を晒したが、アスターは「嫌だ!」とけんもほろろに返す。本当に嫌そうだった。その反応に気を悪くしたシュテンはぐわっ、と頭突きをする勢いで詰め寄った。
「何でや!? 見たとこ、あんたら魔法使いと剣士やろ? こう見えてもウチは武闘家やで、並の魔物やったら瞬時に潰したる!」
「いや、スピードなら間に合ってる。生憎アルルは電光の速度で走る剣士だ、僕も詠唱速度では人の域を超えると言われているんだ。早いだけの武闘家は必要無い」
「そんな、二人しかおらんねやったらとりあえずでも仲間に入れていいんちゃう!?」取りすがるように粘るシュテンだったが、その言葉は勇者にとって度し難いものだった。
「とりあえず!? 君は馬鹿にしているのか、魔王を討伐するということがいかな事か、分かっていないようだな! 並みの実力で、吹けば飛ぶような覚悟で続けられる旅じゃないんだ! 現に僕達は既に魔王幹部の一角と対峙している!!」

 なっ! とよろけるシュテンと「もういいよそれで……」と遠くを見るアルル。なんとも対称的な反応であった。
 言葉も出ない、という態度であったが、拳を握り未だ強く目を光らせながらシュテンは続ける。そこには、彼女なりの誇りが垣間見えた。

「ウチかて……ウチかて適当に言ったんとちゃう! あんたらに負けへんくらいの覚悟を持って言い出したつもりや!」
「ならば訊くよシュテン、君には何が出来る!? 力か? 早さか? 運か魔法か賢さか!? その程度の、あやふやな技能で戦い抜く事なんて不可能だ! 不明瞭な“力”で魔王を倒すなんて泡沫の夢にすらならないんだぞ!」

 どちらかと言えば、男と二人旅より女の子がいるほうがいいなー、とぼんやり思っていたアルルは(再三言うが、アルルの性格からして恐るべき成長である)小さく頑張れーとだけ呟いた。限りなくどっちでもいいや、と思ってる立場としてはそんなものであろう。そもそも、途中から話に入れなくなった彼女は退屈していた。
 ──沈黙の時は流れ、二度風が草原を揺らした時シュテンは小さくこぼした。

「ひ…………ひっさつ、わざ、とか?」

 あいたたたー……と漏らしたのはアルルである。心細げなのは良い。どもるのも許容しよう。しかし必殺技とは痛々しい。見るからにアスターと同じ、もしくはそれ以上の年齢のいい大人が発して良い言葉では無いからだ。疑問文で形成されているのもよろしくない、一つのボケとして言ったのではないと分かるからだ。同じ言うならば、「私には必殺技という武器がある!!」と豪語した方がいくらか好印象だ、とつらつら考えているアルルは今大層に暇なのかもしれない。
 しかし、我らがアスターはいやに目を輝かせて、それでいて平静を装うとしているのかちらちらとシュテンを見つつ、そわそわと自分の服の裾を握ったり離したりを繰り返していた。

「必殺技か……そうか必殺技……ふうん。そんなものがあるのか、ふうん」
「ッ! そう、必殺技や!!」どうやらシュテンは攻め時と見たらしい。
「別に僕はそんなに興味は無いけどね、ちなみにどういう必殺技なんだい? 必殺技なんだから、技名とかあるんだろう?」にやにやと嬉しそうに問うアスター。何故か身体が上下しているのは興奮しているのか。
「わ、技名は……も、もうしゅう……猛襲破砕拳や! 猛烈と襲いかかり破壊し砕く拳で猛襲破砕拳!」どや! と頭上に出ていそうな表情であった。
「も、猛襲か! そ、それはどんな技なんだシュテン!」技名を聞いた時には平静も糞もなく、前のめりになって彼女の言葉を促している。アルルはネーミングセンスとは酷な言葉だな、と認識した。
「猛襲破砕拳は、名前の通り敵に襲いかかり隙を作らせた後渾身の正拳突きをお見舞いする技や! 喰らった相手は砕け散る、武道を極めた者のみ扱える禁断の奥儀よ!」
「き、禁断だって!? 恐ろしい……流石の僕も禁断の技は使えない!!」
「襲いかかって隙を作った後どうやって正拳突きするのよ……ていうか襲いかかるって時点で技でもなんでもないじゃない……」

 アルルの言葉を誰しもが聞いておらず、他二人は熱が入った技談義をしていた。シュテンの話を鵜呑みにすれば、彼女は両手から龍の形をした気功波を撃てるらしく、その威力は三里離れた相手でも砕け散るらしい。最初はもごもごと喋っていたくせに、今は饒舌この上ない様子だった。
 それを聞く度にアスターは顔を赤くして「凄い! 凄い!」と幼子のように絶賛している。跳ねながら両手を上げている所なんか、それそのものである。可愛らしい。
 何だか色々とやる気を失ったアルルは、倒れていた男が目を覚まし馬車に乗り込んで村に帰っていくのをぼんやり見ていた。処罰すべきじゃないか? と思ったが地面を這うアリの行列が巣に餌を運ぶ様子が気になって夢中だったので無視した。小さな力でも沢山集まれば侮れないものだなあと微笑ましい気持ちにすらなっている。

「おおいアルル! 新しい仲間が加わったぞ、聞けば彼女は天上天下において比べる者無しと言われる程の武神らしい! 鉄板六枚を素手で貫通できるそうだ!」
「ああ、そう……」

 それは人間では無く魔物でもないぞ、と思いながら立ち上がるアルル。蟻達が餌を巣に運び終えたので丁度良かった。お尻についた砂を払ってシュテンを見ると、何やらご満悦といった表情だった。一仕事終えました感満載。

「ナジミの塔に行きたいんやろ? 安心しい、塔に続く洞窟ならウチが知っとる。国を出る時に世界地図を貰うたさかい! 各地の情報はびっしり書き込まれとるで!」
「あっ、それは本当にありがたいわ」
「勿論、ウチ自身もあんたらのお役にたてるよう精進する! よろしゅう頼むでアルル!」

 にっ、とまっさらな笑顔と共に握手を求められ、アルルは少し照れながら「ま、まあ二人で旅をするのは厳しいと思ってたしね……」と顔を逸らしながら握手に応えた。
 アスターは「良いなあ、僕も必殺技を作るべきだろうか?」とこれからの旅を考えて己のさらなる強化を望んでいた。「メラを極炎召喚! と言いながら発動するのはどうだろうか? いや、それはありきたりだろうか……」と、余念が無い。
 村を出てまだ僅かと経っていない内に、勇者アスターは二人の仲間を見つける事が出来た。
 次の目的地はナジミの塔、並びに岬の洞窟。
 恐らく、おぞましい魔物達の群れが彼らを待ち受けているだろう。
 だが、案ずる事は無い。彼らはそれぞれが戦いの熟練者である。
 空も大地も焼き尽くす異端の勇者であり賢者アスター。
 一度剣を振れば魔物の大軍をも切り払う閃光の剣士アルル。
 突きだす拳は空を切り穿つ天下の武闘家シュテン。
 魔王への道は確実に近づいていた────

















 おまけ

「そういえば、戦いのスタンスはどんなんやの? やっぱりアスターが後衛でアルルが前衛なんか?」シュテンに問われ、リーダーであるアスターは答えた。
「ゆくゆくはそうしようと思うけれど、今はアルルを鍛えているところなんだ。だから基本的に僕は戦いには参加しない。危なくなれば手助けはするけどね」
「そうか……うん、ウチもアスターと同じ立ち位置にしよかな」

 つまりは、基本的に自分は戦わずアルルに任せるという発言に、任せられた少女はぶぼっ! と唾と空気が混在したものを吐き出した。

「何言ってんの!? シュテンは強いんでしょ必殺技とやらを持ってるんでしょ!? だったら私を差し置いて前線に出るのが筋でしょうが!」キンキンに高い声で反論するアルルだが、シュテンは至って普通に
「いや、ウチが戦ったら一瞬で勝負決まってまうし、そもそも必殺技はいざという時に使うから必殺技やねん。分かってへんなあアルル」
「全くだよアルル。君はもう少し戦いの情緒というものを知るべきさ。恐るべき強敵と戦い、苦戦を強いられもう駄目か!? という瞬間に使ってこそ必殺技は栄えるんだ」
「あんた戦いに卑怯も反則も無いとか抜かしてたくせに、なんで情緒とか語ってんのよ!? 栄えるって何? 頭に苔でも生えてんの!?」

 多数決とは常に不条理であり、どれだけアルルが喚こうと二人は己の言を変える事は無かった。
 まあ言ってしまえばシュテンが仲間に入る前となんら変わっていないのだが、いかんせん魔物と戦う際に少しでも自分にモンスターが近付けばシュテンが「いややっ!」とか「無理無理無理!」と悲鳴を上げるのが煩わしくて仕方なかったとか。
 純粋無垢な少女が仲間ってなんだ? と黄昏るのはシュテンが仲間に入って三時間後の事だったとか。



[33595] 僕が伝説になる必要はない 第四話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:da57d23c
Date: 2012/12/26 02:32
 己を知る。これは単純に見えて非常に難解である。それでいて基本である。
 例えば魔法。大気中に存在するありとあらゆる物質(それらが何なのか、ありとあらゆると名しているが実際は複数なのか単数なのかも分かってはいないがともあれそう称されている)と自分の中にある魔力を混ぜ合わせ自然的でない現象を起こす。これが魔法である。メラ、または傷を瞬く間に治療するホイミなど、例外無く同じ方法で発動する。
 この時に、自分の魔力を過大、または過小評価して混ぜる魔力を間違えれば稀に暴走する危険もある。暴走せずとも、本来の効果は発揮され難い。己を知り、自分の力を弁え必要な分だけ魔力を消費できる人間でなければ魔法使いなど名乗るべきでは無いのだ。
 それは魔法に限った事では無く、武道も同じである。武闘家、戦士、勇者や賢者は言うに及ばず。己を知らずして魔道や武道、世界の理を知ろう等とおこがましいにもほどがある。
 当然これらは戦いに身を置く者が心得ておくものである。逆に、戦いに身を置く者ならば常識と言って良いだろう。
 だからこそ、彼女は言う。

「アルル、あんたは分かってないわ。自分ってもんをな」

 彼女──武を極めんとする武闘家シュテンは冷たく言い放った。
 事の始まりはこうだ。ナジミの塔という、勇者を目指し旅立つのならば必ず一度は向かうべきとされる場所に行く為岬の洞窟へと足を進めた一行。当然道中には魔物が襲いかかってくる事もあり、アルルの訓練として彼女一人に戦いを任せていた。
 最初は黙々と剣を振るい、怯えながらも一端の剣士らしく魔物を撃退していたのだが、森を歩いているうちに突然アルルは剣を投げ捨て喚き出したのだ。「私しか戦っていないじゃないか。これでは仲間とは言えないだろう」と。正確にはこのように淡々とした言葉では無かったが、聞くに堪えない暴言の数々で彩られたものだったので要点だけを抜き出す。
 このパーティーのリーダーであり要でもある勇者アスターは彼女を諌めようと身を乗り出したが、それをシュテンが制しアルルに言葉を投げた。それが、前述したものである。

「自分が……分かってない? 分かってないのはそっちでしょ? 必殺技がどうとか言ってるけど、魔物を見る度きゃあきゃあ叫んで戦いにも参加せずに私が危なくなってもフォローにも回らない! 役立たず以下じゃない! 戦えないなら戦えないでいいわよもう、でも一々戦い終わるごとに『さっきのはまあまあやな!』とか『剣の振りがイマイチやな』とかうるっさいのよ!!」
「おいアルル、シュテンは君を思って」
「アスターは黙っててよ!」アルルは仲介をすべく立ち上がったアスターをも睨み、矛先を向ける。「アスターだってそうよ、私はあんたが戦ってる所を見てないわ。偉そうな口ぶりに騙されてたけど、実際あんたって強いの? よくよく考えれば最弱モンスターのスライムを魔王幹部とか言ってたし、実は私より弱いんじゃないかしら? ねえどうなのよ!」

 沈黙が続いた。アルルは息を荒げ充血した目で二人を射抜いている。そこには獣に酷似した色が浮かんでおり、二人の返答いかんではそのもののように飛びかかるように見えた。
 対して二人は、実に落ち付いたものだった。
 シュテンは「しゃあないなあ」と頭を掻き、アスターは疲れたように溜息をついた後、指で自分の顎を撫でていた。

「確かに、あんたの言うようにウチはさっきから……いや、仲間に入れてもろた時から一度も戦ってへん。疑うんも無理ないわ」
「そうでしょ? なんだ分かってるんじゃない、それなら……」アルルが何か言う前に、シュテンは彼女の口を手で押さえ、にやりと笑った。
「それなら、次はウチがやったるわ。とはいえ一匹だけしかやらんけどな」

 一匹だけ、という言葉を聞いてアルルは顔をしかめた。しかし、一匹だけとはいえ戦うのに違いは無い。その戦いぶりを見た後高笑いでもしながら「その程度なの? だったら私の訓練を見るなんて言って怠けてないで一緒に戦うべきね!」と言ってやればいい、彼女はそう考えた。いやにあくどい表情を浮かべながら。ただ一緒に戦ってほしいだけで彼女は酷い顔を浮かべるようになった、一重にこの世界の混沌が生んだ悲劇である。
 そのまま彼らはその場に座り込んだ。日の光が木々の葉に反射し幻想的な彩りとなっている。
 見目麗しいシュテンは目を細めながら空を見上げていた。空、と言っても頭上には枝と葉しかないのだが、きっと彼女はその先を見ているのだろう、そう思える何処か優しい目つきだった。今から己の実力を見せてやろう、そのような気概はまるで見当たらない。
 その様を苛立ちながら見ているのはアルル、足下にあった石ころを蹴とばし樹木に思い切りよく当てている。

「無意味に自然を傷つけるのは感心しないな」とアスターが苦言を呈そうとも気にする素振りは見せなかった。

 さて、アスターだがそんな二人を見つめて小さくため息を零した。仲間とは頼もしくともやはり軋轢を生むこともあるのだと知ったからだ。いっそ一人で旅をすれば面倒が無いなという思考が頭を掠めたが、そのような冷たい行動を取れるアスターではない。結構ギリギリの選択ではあったが。
 空を見るのも飽きたか、シュテンがぐっと伸びをした時、アルルが一つ声を上げた。「来た!」と。
 彼女の指差す方を見やれば、そこには紫色の帽子を被った、おどけた表情の魔物が。足は無くふわふわと腰ほどの高さを浮遊している。
 魔物は獲物を見つけたとのらりくらりとした移動を止め一直線にアスター達に向かって来た。口元は歪み、弱いと決め込んでいる人間を捕食する事のみを考えているようだった。

「来たわよシュテン、あれはゴーストね。動きが速くてなっかなか倒せなかったわ、あんた達も手伝ってくれなかったしね?」どうやらここに来る途中でアルルは幾度かかの魔物と戦っていたらしい、その顔は苦く、彼女がいかに苦戦したのかを物語っていた。
「覚えとるわ。随分しっちゃかめっちゃかな剣の振りやった事もな」

 シュテンは何でもないようにゆっくりと立ち上がりついでにアルルに嫌味に似た言葉をぶつけた。言われた方はさらに表情を曇らせ怒りを募らせる。

「……もうきゃあきゃあ喚いても助けてなんてあげないからね」
「勝手にせえ、そっちこそウチの技を見て腰抜かしても知らんからな」

 言いながら、シュテンは武闘着のズボンの中に手を伸ばした。一瞬脱ぐのか? と考え頭がイカれているのだろうかと邪推したがそうではなかった。彼女は徐にズボンから細長い(一メートル程だろうか)筒状の妙にゴテゴテと金属がへばりついた何かを取り出した。それは、アルルが生きてきた中で見たことが無い代物だった。
 それを掲げた後、シュテンは両手でその細長い筒を持った。先端を迫りくるゴーストに向け、左手を僅かに伸ばし土台を支え右手は筒が弧形に変形している部分を掴み人差し指を筒の本体から小さく飛び出ている棒に掛けた。
 そうしている間にも、魔物はどんどんと近づいている。彼らとの距離は五メートルを切ろうとしている。
 戦うにしろ逃げるにしろ、そろそろ行動を起こすべきだと感じたアルルは少々焦りながらシュテンを睨んだ。
 その時、シュテンはアスター達に聞こえるように、落ち着きながら漏らした。

「指弾、点穴咆哮」

 彼女の右手の人差し指が、ゆっくりと曲がった。
 それから何が起きたのか、アルルにはよく分からなかった。ジュッ、と音を立ててシュテンの持つ筒に火が付いたと理解した瞬間耳を塞ぎたくなる轟音が弾け堪らず座りこんでしまったからだ。
 しかし、彼女も紛いなりに魔物と戦ってきた身、すぐ側に敵が迫る中縮こまっていてはいけないとすぐに立ち上がり剣の柄に手を掛けて立ち上がった。
 ──目の前には、事切れた魔物と悠然としたシュテンの姿が見えた。
 すっ、と筒を下ろした後シュテンはにこやかに笑って見せた。

「驚かしてもうたな、ウチの技の一つ点穴咆哮は距離があっても敵を貫ける便利な技やけど、いかんせん音がでかいんや。耳大丈夫か?」アルルに近づきそっと彼女の耳に手を当てた。

 さっきまでの言葉は何だったのかと疑いたくなるような優しい言動。アルルは次第に自分の顔が赤くなっていくのを感じた。ぼそりと「大丈夫……」と呟くので精一杯だった。

「……あれ、なんだか焦げ臭いっていうか……なんだろこれ、変な臭い……」呆としていたアルルは思った事をそのまま言葉にする。
「ああそれな。点穴咆哮は……その、ウチの気合いをこう、指で突きだす技で、えっと……空気があれよ、焦げるっちゅうか、そんな感じやからそんな臭いが出るんや。いや、女の子が臭いって嫌やろ? せやからあんまり使いとうないねん、うん」
「そうなの……その筒はなんなの?」
「これ!? …………これはやな、ウチの力を抑える為の物で、これが無いとほら、周りの木が燃えてしまうから、つまり重りみたいなもんかな! 自分を縛るアイテムっちゅーわけや!」

 えらくあやふやな説明だが、なんとなく理解したアルルはこくりと頷いた。

「臭い……ねえ、戦いたがらないのは、それが理由?」アルルの問いに、シュテンはうっ、と言葉を詰まらせた。ええと……と困った様子だったので、アスターは彼女の代わりに代弁した。
「違うよアルル、シュテンは嘘をついている」
「嘘?」ふい、と彼に目をやるアルル。
「な、何を言うんやアスター! ウチは嘘なんか付いたことが無いようなあるような!」
「誤魔化すなシュテン! …………怖いんだろ? 自分が」
「えっ? ……怖い? ウチが? 自分を?」反芻するような彼女の言葉にアスターは深く頷いた。

 そう、分かってしまったのだ。彼女の嘘とその裏側に隠れている真意、その悲しさにも。
 知ってしまった、のだ。

「僕も同じだ、僕も怖かった。自分が、他人とはまるで違う自分の力がね」独白するように、アスターは話しだした。「なまじ見た目は普通の人間だから性質が悪かった。どうせなら魔物と同じ化け物であれば良かったとさえ思った。そうだったら、周りも化け物だったら己を恐ろしいとは思わなかっただろうから!」
「アスター……」アルルは何か遠い物を見るような眼をしながら彼の言葉を聞いた。

 一つ、このような場面で思う事では無かろうがアルルは得心がいった。

──僕は仲間にこの力を振るったりしない──君を傷つける事は絶対に、ね──

 そういう意味だったのか。あの言葉は、その意味は。
 アルルは自分を強いとは思っていない。むしろ幼い頃から戦いの訓練を積んでいたにもかかわらずその成長の遅さは折り紙つきだと祖父のお墨付きと言われた事から酷く弱いのではないかと感じている。故に踊り子を目指したのだから。
 そして渇望した事もある。強くあれば、誰よりも強くあれば勇者として認められるほどならば皆々に馬鹿にされず胸を張って生きていく事ができたのに。

「本当は……分かってた、分かってたんだよ。村の皆は優しかったけれど、父さんも母さんも自慢の両親だし本当にそう思ってるけど! でも……皆、怖がってたことくらい分かってた」
「優しい……?」シュテンは自分が迎えそうだった惨事を想像して訝しげに顔を顰めたが、アスターは取り合わない。どころか、彼はシュテンの両肩に手を置き仄かに涙を浮かべながら声を荒げた。
「君もそうなんだろ!? 素手で空気を焼く程の力を持つ君も同じなんだろ!? 自分の力が怖くて堪らないから、だから戦いを避けるんだろ!? ……分かるよ、昔は僕もそうだったんだから、力を使うなんて、ましてや戦うなんて考えるだけでも嫌だった」
「じゃあ何で、魔王を倒す旅に出ようと思ったの?」

 アルルは呟いた。それは問うような声量では無く、ただただ零れ落ちたようなか細い声だったが、アスターはそれを拾い上げた。シュテンから一歩離れ、疑問を持つ少女に向き合った。

「それは……その答えは君だよ、アルル」
「私?」答えが繋がらず、鸚鵡返しに問い返す。しかし、決して聞き逃すまいと耳をすまし体を前に傾けた。もしかしたら、一つの答えが見つかるのではといった期待だった。自分の旅の目的を見つける一つの指針になるのではと思ったのだ。
「正確には君を含めた、君のように優しい人々の為だ。誰かの為に何かをしたい、誰かを救いたい、けれど魔物がそれを邪魔をする。普通の人々を、罪なき人々を恐怖に陥れる! 全ては魔王のせいでだ!」

 言いきった後、自分でも冷静では無いと気付いたか、大きく深呼吸をしてからアスターは幾分落ち着きながら言葉を続ける。

「怖がられる程に大きな力を持った僕なら、恐怖を撒き散らす存在とも対等に戦える、そう思った。君と出会ってそんな自信が生まれたんだよ、アルル」
「アスター……ごめんなさい、そんな、でも私ったら……」

 アルルの頭をよぎるのはついさっきの出来事である。「偉そうな口ぶりに騙されてたけど、実際あんたって強いの? よくよく考えれば最弱モンスターのスライムを魔王幹部とか言ってたし、実は私より弱いんじゃないかしら?」そう言った。彼女は確かにそう言った。彼の苦悩を知らず、熱した頭のまま言いたい事だけを羅列した。
 最低だ、と嫌悪する。アルルは今正に穴があれば入りたい心境であった。
 彼女とて馬鹿では無い、相手が嘘をついているか、場を凌ぐ為の方便を並べているかは少しなら分かる。今まで口では煽て上げて裏では真逆を想う人々を知っているからだ。年若くして、勇者の娘という肩書き故にすり寄り内心唾を吐く有象無象を彼女は腐るほど見てきた。その彼女が思う、彼は何一つ嘘をついていないと。彼ほど真摯な目をしている人間をアルルは知らなかった。
 小さくなって、声にしゃっくりが混じり始めた彼女を見て、アスターは少しおどけるように表情を変えて肩をすくめた。

「と言ってもさ、こう思うようになったのは君と出会って旅をし始めたからだよ。最初はそんな高尚な理由なんかじゃないんだ、ただ僕は……そう、勇者になりたかった。勇気を持つ者になれば、自分を怖がるような臆病者から卒業できるはずだと思ったんだよ……馬鹿みたいだろ?」
「そんな事……!」
「いつかさ、僕は自分の化け物染みた力を超えるほどの、大いなる勇気を持ちたいんだ。その時初めて僕は真実の意味で勇者になれるのかもしれないね」
「そう……なれるよアスター、貴方はきっと」

 無理だったんだな、とアルルは少しの寂寞感を覚えた。勇者を甘くみていたようだった。
 世界から選ばれた勇者とは、魔王を倒す事が出来る唯一の人間とはこういう者を言うのだと知った。恐れるも良い、だがそれに立ち向かう者だけが勇者を名乗れるのだ。その点では、アスターは疑いなく勇者であった。

「ええと……ちょっとええかな?」半ば二人の世界と化しつつある中、シュテンが居心地悪そうに発言した。特別理由など無いのだが、ひっ、と声を上げてアルルは赤面する。次に居心地の悪い思いをするのは彼女の番らしい。
「まあ、うん。アスターの正解やな。ウチも……何? 自分の力が恐ろしいっちゅうかそういうアレやからあんまり力を出したないねん。面倒な奴やと思うやろけど、一緒に旅をさしてもらえんやろか?」
「勿論だよシュテン。大丈夫、僕もその境地を乗り越えたんだから君も必ず戦えるようになるさ。悩みがあれば言ってくれ、僕は君の気持ちが分かるつもりだから」
「私も文句ないわ。ごめんね、疑ったりして……もう我儘言わない、ちゃんと戦う。だから、焦らなくていいからね? シュテン」
「……………………おおきに」

 感動したのか、涙を堪えようとしているのか、シュテンはあちらそちらに目をやり、二人の顔を見ないようにしながら感謝の言葉を送った。関係無い話だが、今彼女の背中は酷く濡れている。汗で。

「さて……次は僕の力を見せる番だね」アスターは二、三肩を回し指を鳴らした。
「い、いいわよもう。貴方の力を信じなくてごめん、私頑張って戦うから!」両手を握り自分の決意を表明するアルルだが、それをアスターは制しつつ答える。
「良いんだ、このままあやふやに終わらせては必ず綻びが生じる。それに、君達なら怖がらず受け入れてくれると信じている。だからこそ僕は自分の力を君達に見せておきたい」
「アスター……」

 一度は止まりかけた涙腺がまた活動を再開したようで、アルルは左手で自分の両眼を拭った。シュテンは頭を掻いていた。小さくなんのこっちゃいと呟いているが方言なのか意味が分からない。恐らくアルルと同じように感動しているのだろう。

「けれど、僕の力は危険だ。近くにいては君達も被害を受けるかもしれない。少し離れるからここにいてくれ」そう言って歩きだしたアスターを止めたのはシュテンだ。ちょっと、と声を掛ける。
「文句言うつもりじゃないけどな、離れてたらあんたが何をしたか分からんのとちゃう?」至極当然のように聞こえるが、どうやら彼女はまだアスターの真価を理解していないようだった。
「──分かるよ。どれだけ離れようともね」

 それだけ言って、アスターは振り向く事無く森の中を一人歩いていった。残るのは女二人だけである。

(……頼むでアルル、色々聞いてくんのは勘弁やでぇ……アスターがおらんと誤魔化しきれんかもしれんし……)

 彼女が思っている事だが、やはり方便がきついので何を言っているのか分からない。

「ねえシュテン……」
「うい!? なにさどうしたんよアルル?」喉の奥から何かとんでもない物が飛び出て来たような声を上げながらシュテンは応える。せわしなく視線が泳いでいるのは魔物を警戒してのことだろう。

 名前を呼んだ後、何も言わずにいるアルル。しばしして妙に感じたシュテンは眉根を上げたが、突如彼女が近寄ってきて両手を握り出した時にはまた「うい!?」と声を出していた。

「ごめんねシュテン! 辛い理由があったのに、力を見せてみろなんて言って! 私嫌な奴よね! ごめんね……」
「罪悪感が半端やない……」
「え?」
「いやいやいやなんでもないねん! ほら、もう謝ってくれたし、そもそもウチなんも怒っとらんし! 気にしたらあかんで!? な!」
「うん……シュテン、優しいね……これからも悪い所あったら指摘してね?」
(コレ持って帰りたいわあ……)

 自分の手を握りながら涙を堪えるアルルに何か良からぬ事を考えている様子のシュテンだが、おそらく大丈夫なはずだ。何がと言われれば何とも言えないが。
 ふんわりと、穏やかな空気流るる中──静寂な森を揺るがす轟音が辺りに響き渡った。

「ういあ!? どどどどないしたん!?」シュテンの「うい!?」は進化したようだ。
「凄い音……まるで火山が噴火したみたい……」アルルは呟いた。

 実際、近くで火山が噴火したのであれば鼓膜が潰れるほどなのだが、そのようにまで感じられるほどの音だったのだ。木々に止まる鳥達は一斉に飛び立ちネズミやウサギといった小動物は必死に地を駆け走っていた。

「……アスターが危ないわ!!」

 はっと気付きアルルはアスターが歩いていった方へ走りだした。恐ろしい力を有しているという事に疑いは無くなったが、だからといって身を案じる必要が無い訳では無い。彼女の顔には焦燥が浮かんでいた。
 それに遅れてシュテンも駆けだす。その際に、ポツリと何事かを呟いた。

「もう弾無くなってもうたなあ……重かったし足に当たるし、邪魔なだけやな」

 そう言って、先程力を見せた時に使用した重り、筒状の何かを地面に落としていった。
 これが何なのか、分かる者は少ない。恐らくシュテンの故郷特産の代物なのだろう。遠い異国の地では火縄銃と呼ばれているとかなんとか。その銃が恐ろしく貴重な物で多量の生産が不可能な代物である事を彼女は知らなかった。





 やがて、少女は辿り着く。上がっていた息は嘘のように静まっていた。それはまた、嘘のような光景を目にしたからだ。
 眼前に広がるは焼け果てた一つの地。木々は倒れ小さな火が揺らめいている。黒煙は立ち昇り獣の気配は疾うに消えていた、この一帯のみ森が死んだのだと感じる。
 さらに奇怪な事は、何か恐ろしいまでの力が発されたのかと思える大きなクレーター。小さな家ならば入りそうな大穴からは土煙と嫌に鼻につく臭いが噴出していた。
 そして、その前に佇む一人の青年。彼はゆっくりと少女──アルルの方に向き直り笑った。

「怖いかい?」

 青年──アスターの問いにアルルは何も答えられなかった。
 怖くない、と心では叫んでいたのだ。ただそれが口に出る事は無い。心底からくる恐怖に抗えなかったからだ。
 彼女とて伊達に勇者の名を冠されていたのではない、これまでに戦いの演習として様々な魔法を目にしてきた。それは、メラから始まりヒャド、バギ、ホイミといった多様な呪文を王宮魔道師から見せられたから。
 だが……このような力を有する魔法など見たことが無い。近いと言えば爆裂呪文イオが近いだろうか? 大気中の空気を圧縮させ魔力にて爆散させる言葉にすれば簡単な呪文、その実扱いの難しさから王宮が擁する魔道師以外覚えようとはしない高度な呪文。
 しかして、それほどの魔法でもこの凄惨な光景を作り出すには足りない、足りな過ぎる。なれば、一体目の前の賢者は何を為したのか。
 このような場にて、アルルは一つ得心がいった。自分達を遠ざけた理由は彼が言った通りだ、ただ“危険だから”。ぼんやりと彼の力を見物しようとしていれば、多少離れていようがその余波により軽傷を負うかもしれない。それ以上に、このような力を目の当たりにすればその場で腰が抜けたかもしれない、総括して彼は傷ついただろう。怖がる自分達仲間の姿を見て悲しんだだろう。今正に、アルルが答えを返さない事で俯いている彼がその答えである。

「怖い……だろうね。全く自分で自分が嫌になるよ、村を出る時にはさらに強くなりたいと願っていたのに、今ではまた自分の力が恐ろしい。なんて、勝手な人間なんだろうね僕は」
「ち、違うの……違うの!!」

 何が違うのかを伝える事すら出来ず、アルルは悔しさから奥歯を強く噛みしめた。

「良いんだアルル、僕自身怖いんだから無理しないで良いよ。そう言ってくれるだけで嬉しいから」

 そのままアスターは立ち竦んでいるアルルの横を通り抜けて、後からやってきたシュテンに「先を急ごう」と促した。
 眼前の景色とふるふると拳を握りしめているアルルの姿を見てシュテンは小さく「えっ……」と零した後、彼女に何と声を掛けたらいいのか分からず、「……行くで?」としか言えなかった。とはいえ、声を掛けられた少女は背中を押される様に歩き出したので彼女の行動は間違っていなかったのだろう。
 アスターとアルルが前を歩く中、自分もそれについていこうとして、最後にアスターが為したのであろう木々が倒れ爆心地のようになった光景を目にし、感嘆の溜息を吐いた後、ポツリと呟いた。

「無意味に自然を傷つけるのは感心しないんとちゃうんかい……」

 方便がきついから何を言っているのか分からないと、さっきから言ってるじゃないか。
 彼らの旅は続く……












 
 僕が伝説になる必要はない
 第四話 勇者達の戦い!(前編)












 後述した出来事の後、そう時間がかからずに目的の場所を見つけた。海に程近い、潮の香りが漂う場所に岬の洞窟は存在した。
 見た所、人が通った形跡のある、魔物も存在しようが決して人の手が加わっていない訳では無い少々矛盾した場所だった。
 洞窟、と言うが実際一行が目にしているのは階段である。シュテンが言うには、階段を降りた先に洞窟が広がり、そこを越えるとナジミの塔という場所に辿り着けるのだとか。

「つまり、地下から海を渡るという事かい?」
「んまあそういうこっちゃな。大した距離はあらへんし、船で行こうと思えば行けるんやろけど海は魔物がぎょうさんおるし、この道を通るんがセオリーなんや」
「そうなのか……しかし海の下に通路があるなんて知らなかった。その通路は海の重みに負けて潰れたりしないのかい?」
「んん、昔はそういう事もあったみたいやな。せやけど昨今の建築技法と魔法の発達は並やない。特にここアリアハンは攻撃呪文においては他国に比べて一歩劣っとるけど、“こういう生活の知恵”的なアレンジ魔法は際立っとる。世界中でアリアハン製の家具なんかがバカ売れしとるのはそういう理由やな」
「へえ、アリアハンは他国との貿易も盛んなんだね」
「一概にそうとは言えん……というか鎖国一歩手前くらいやな、貿易依存度は低い、ウチの故郷とどっこいやね。碌々アリアハンの製品は出回らん。数少ないからこそバカ売れしとるっちゅうなんとも妙な現象が起きとるわ、なんやったか……希少品やないな、ブランドとでもいうんかな? まあええわ、話が逸れたけど結論は安心してええよってことや」
「ふうん……貿易にも詳しいとは流石シュテン、長い旅をしてきたんだろうね」
「家柄ってのが正しい答えやけどな……」ぼそりとシュテンは呟いたが、その声を聞いた者はいなかった。
「でも徒歩で行けるのは助かるわよね、船を借りる値段も馬鹿に出来ないし、あんまり持ち合わせも無いし……」

 ほお、と感心した様子のアスターに、シュテンは気が乗ったように話を続けていた。知識はあれど外の世界を知らないアスターはどのようなことでも真摯に興味深く聞きいる所がある。そういった人間に己が知識を分け与えるのは、与える側としても楽しいようだった。
 対してアルルは一人話から外れ、小さな疑問を抱いた。その内容を上機嫌に話しているシュテンにぶつける。

「話の最中にごめん、ねえシュテン? 貴女ってどれくらいお金を持っているの?」
「えっ、なんや急に。まさかカツアゲか!?」
「おいアルル、いくらなんでも仲間からお金をせびるのは良くないぞ」
「違うわよ! これから先旅をするにもお金は必要でしょ? パーティー全員のお金を足していくらあるのか計算しておかないと宿にも泊まれなくなっちゃうわよ!」仲間から疑いの目を向けられたアルルは慌てて訳を説明する。その内容は道理的な事柄だった。
「なんやそういう事かいな。無いで」ひらひらと手を振りながら明るく言う。
「うん、私達もほとんど持ってないわ、でも宿一泊分のお金でもあれば大分助かるのよ」
「あはは、だから無いて言うてるやん、おもろいなあアルルは」

 からからと笑いながらシュテンはアルルの頭を撫でた。その身長差のせいで二人は姉妹のようだった。日の光に照らされ笑う彼女らを見てアスターは顔を綻ばせた。
 二人の空気に合わせてアルルもけらけらと笑う。その後くるりと後ろを向いて膝を抱えほろりと涙を溢したのだった。

「笑い事じゃないのにな、笑い事じゃないのになぁ……」
「おいおいアルル、知っているかい? お金なんてね、ちょっとで良いんだ。お金は人を腐らせると村長が言っていたしね」
「そやでアルル? まあアスターの村の村長は金の為に追い剥ぎ紛いの事やらかしとるけど」
「それで思い出したけど、あのねシュテン? お金が無いならどうして宿屋に泊ろうとしたの?」
「喰い逃げならぬ寝逃げって奴やな。まさか捕まるとは思わんかったが」そうやって生きてきたんよ、と笑う彼女に一片の曇りも無かった。
「……助けなくて良かったのかも」アルルは呟いた。

 素晴らしいコミュニケーションである。素晴らしいパーティーである。

「大体お金なんて魔物を倒せば入るじゃないか」アスターは笑いながら言った。しかし、それに訝しげな目を向けたのは仲間の二人である。彼女らは目を細くして口を開いた。
「何言うとるんやアスター、魔物を倒したからて金なんか入るかいな」
「そうよ、村の依頼で魔物を倒して報酬を受けとるならあり得るけど……いや、経験した事無いかららしいとしか言えないけど、そうよねシュテン?」
「うん、ウチも魔物退治の依頼なんか引き受けた事無いから分からんけどな?」

 と、アスターと仲間の間で齟齬が生まれる。彼は首を傾げ何を言ってるんだ? と言いたそうにしていた。

「魔物を倒したらゴールドを落とすんじゃないのかい?」
「なんやそのビックリ現象。魔物を倒したら残るんは死骸やろ? ……ああ、たまにアイテムを持ってる魔物がおるからそれを拾う事はあるな。けど魔物がゴールドなんか持ってる訳ないし」
「? 何でだい?」

 アスターの問いに肩を竦ませながらシュテンは答える。呆れているような動作だが、その実目は柔らかく垂れているのでやはり彼女は誰かに何かを教えるのが好きなのだろう。

「そら人間の通貨なんか持ってたって魔物からしたら使い道なんかないやろ? あいつらかて知能が無いわけやないんやし、魔物にとってはゴミ同然のゴールドを持ち歩く趣味は無いわ。ま、例外もあるけどな」
「踊る宝石だったっけ? 確か宝石やゴールドを主食にする魔物もいるのよね」
「そうそう、アルルは物知りやな」
「家の事情でね、勉強だけは人並み以上にやらされたから」褒められたのが嬉しかったのかアルルは頬を掻いて照れていた。
「そうなのか…………はっ!?」

 また新たに知識を得たアスターは考え込むように俯くと、すぐさまに顔を上げた。そこには焦り、困惑といったものが浮かんでいる。

「じゃ、じゃあ僕達はどうやってお金を稼げばいいんだ!」
「だから私はそれを言ってるのよ!!」
「仕方ない……適当な町に着いた時にでも金策を開始しよう」
「金策?」アルルは半分睨んでいるような眼でアスターを見遣った。
「ああ、これは内緒なんだけどね、勇者は勝手に人の家に押し入って壺の中身を貰ったりタンスの中の物を頂戴できるんだ!」ばっ、と両手を上げて宣言するアスター。ちょうかわいい。
「へえ、そうなんだ。ところでアスター、その魔物がお金を落とすとか人の家に押し入って云々とか、誰から聞いたの?」
「僕の幼馴染からだが?」
「その人が言った事全部忘れなさい、今すぐに。それら諸々全部嘘だから。断言できるわ」
「なん……だと? 僕は、僕はまたあいつに騙されたのか!?」
「あー、アスター騙されやすそうやもんなあ。いらん盾とか鎧とか買わされそうや」
「盾や鎧なんか買った事は無い!! 聖水ならいくつか買った事はあるけど」
「それ多分ただの井戸水よ」
「なん……だと? 僕は、僕は六歳の頃から騙され続けていたというのか!? あいつの誕生日の贈り物は毎年必ず聖水だったというのに!」

 僕は手作りの人形や銀細工の首飾りを渡していたというのに!! と慟哭の嘆きを発するアスターに仲間達は涙を禁じえなかったという……





 半刻に満たない程の時間を費やし、彼らが出した結論は新たな町に着いた時懐が侘しければ魔物退治等の依頼を引き受け金を得ようという、この世界における冒険者達の一般的な方法を取る事とした。勿論洞窟等で宝を見つければそれも無くなるだろうが。早々宝の類など見つかるものでは無いというシュテンの言からそれも期待薄と言える。
 それからさらに十分。アルルは剣を磨きアスターは来る魔物との戦いに備え瞑想、シュテンは近くの森で生っていた果実を齧っていた。渋かったそうな。

「さて……進むとしよう。何と言ってもこれから先に進むのは外ではなく中、魔物はびこる洞窟だ。油断しないように」気を張った表情で告げるアスターに二人は頷く。

 彼は当然に、アルルも洞窟という密閉空間で魔物と戦った経験は無い。室内での戦闘を想定した訓練は幾度か行ったがその成績は芳しくあらず、暗闇自体に恐怖感を得る彼女にとって相当に辛い戦いとなるのが予測出来た。

「ナジミの塔は冒険者の心得程度の場所らしいし、そう気合いを入れる所でも無いんだろうけど、私は初心者だしね。いざとなったら手を貸してね二人とも」
「勿論や。せやけどウチの技は洞窟なんかでは効果を発揮しづらいからな、期待せんとってや」
「そうなの……あれ、武闘家ってそんなんだっけ? むしろ狭い所でも力を発揮できるのが強みじゃなかったっけ?」
「ははは、狭い常識は重荷やでアルル」

 多少誤魔化された感があるが、アルルはそうなんだとだけ言って洞窟に体を向けた。一行は先に進む。
 石の階段は足音を響かせる。苔の臭いが蔓延しており皆顔を顰めたが、やがては慣れ始める。等間隔に壁に松明が備えられており視界が悪いという事は無かった。やはり人の手がかかっていると思わせる作りがちらほらと点在していて、洞窟に入る前よりも緊張感はぐっと薄れていた。それでも魔物の襲撃に備え視界は淀み無く動かされていたが。
 やがて、洞窟内に潮の臭いがまぎれ始めた。鼻を揺らしそれを確認したアスターはもう海の下を歩いているのか、と考えた。正確にはまだ陸地の地下を歩いているのだが、境目が近いのは確かである。
 あってはならぬ事だと自分を戒めるが、内心アスターはわくわくと目を光らせている。今まで経験した事の無い空間に足を踏み入れているのが楽しいのだろう、村を出ぬ者からすれば、海の下を通るなど作り話のようなものなのだ、無理からぬ事である。潮の香りと共に湿気が増え始めた事も相まり、彼の歩調は些か軽くなる。踊るようだ、というのは言い過ぎだろうが。

「? 楽しそうねアスター」その様子を見て不思議そうにアルルが問うた。かくいう彼女も新たな経験に少し浮かれている節があり、声の調子が微妙に高かった。
「うん……いけないとは思うんだけどね、やはり未知というのは魅力だよ」未知との遭遇というのは、彼の様な賢者にとって酷く喜ばしいことのようだ。
「ははは、気持ちは分かるけどな、気い抜いたらあかんで? 外よりも魔物が多いのは確かなんやから」

 と、シュテンは言ったがここに入ってしばしの時が流れそれなりに進んだ筈だが魔物と遭遇する事が全く無かった。最初は体力温存の為にも助かるな、と考えていたがあまりの長閑さにここは本当にナジミの塔へ繋がる洞窟なのだろうかと疑い始める。アルルは案内してくれたシュテンに気を遣い口に出す事は無かったが。
 実際シュテン自身も妙を感じていたのだろう、首を傾げていた。

「おいシュテン、まるで魔物がいないぞ? もしかしたら場所を間違えたんじゃないか? もしそうなら酷い無駄足だ」アスターは気を遣わなかった。勇者である。
「いや……おかしいなあ? ウチも話に聞いてるだけやけど、こんなにモンスターがおらんのは異常や……」
「冬眠中とか?」魔物に会わない事が嬉しいのか、アルルは暢気に答えた。



 結局そのままに三人は歩き続け、途中途中で開けられた宝箱を見つけつつ、ただの一回も戦う事無くナジミの塔内部に入る為の階段を見つけたのだった。最早、これはただの観光と化していた。彼らの心中もほぼ同じだろう。
 この階段を上ればナジミの塔やで! と妙な空気を払拭すべく空元気に言うシュテンの言葉を二人は信用できなかったが、実際階段を登りきれば何かしらの建物の中に出たのだ、信用せざるを得ない。それは薄橙色の壁に『ナジミの塔』と刻まれていた事で確信へと変わる。
 得心のいかぬまま、アスターは付近を見回した。外から日の光が入る構造なのか、松明だけが光源だった洞窟とは比べ物にならぬほど明るく、そして広かった。遠目にしかしていないが、アリアハンの城に届くほど大きいのでは? と推察する。実際はそこまでではないが。
 しかして、頭上を見上げるに、ぶち抜きの天井は最上階までの距離を教えてくれる。目測だが塔と言うには少々物足りぬ程度の高さしかないようだった。精々四階か五階だろう。その分一階一階の天井の高さは六メートルを超えるが、それでも塔と言うよりは灯台に近い作りなのだろう。実際ナジミの塔は灯台として使われた過去がある。他国との貿易が衰えてきたことにより違う使い方、冒険者の為の力試しにシフトしたのだ。

「にしても、魔物がいないわね」流石に塔内部にも魔物の気配が無いのは妙だと、アルルは顔を顰めた。恐ろしい魔物の出現を期待した訳ではないが、雑魚の魔物もいないとなると不安の方が強まるのか。
「これじゃ、まるで強くなる事なんて出来ないね。勇者を目指すならここを目指せとは一体何なのか」

 最も戸惑っているのはシュテンである。ここがナジミの塔であることは間違いない。だが、魔物が一匹もいないのはあり得ない。人聞きでしかない情報だったが、町や村等、人の気配の濃い所以外で魔物が生息しない地域など存在しないことは身に染みて分かっているからだ。その上、

「……魔物がおらんかった、って訳でも無いみたいやしな……」

 彼女が見ているのは床に落ちた黒い物体。激臭ではないが、無臭でもない。それは魔物のフンだった。じろじろとそれを見ているシュテンに、アスターは底冷えするような悪寒を覚えた。

「シュテン……腹が減ったのかい?」
「へ?」急に投げかけられた質問にシュテンはほけ、とした顔で呟いた。勇者は一度体中をまさぐり、深い溜息をついた。
「申し訳ないんだけど、今僕は食べものを持っていないんだ。だから君を助ける事は出来ない……けれど、それだけはやめてほしい。もしそれが君の好物だというならば、僕は君と旅を続けるのは拒否したい」
「いやいや、話が見えへん。何が言いたいねんアスター」

 じっ、と見つめられたアスターは俯き──それは決して照れくさいとかそういった感情ではなく──意を決したように口を開けた。

「……だって、拾い食いしようとしてたんだろ? それを」
「はあ!?」
「えええええええぇぇぇぇぇぇ!!!???」

 シュテンの声を掻き消すはアルルの叫び声。一足に飛び下がりアスターを盾にするようにシュテンから距離を空けた。彼女の行動は一人の武闘家をいたく傷付けた。曰く、なんでやねん。

「ちゃうわい! なんでこんな若い身空で食糞を趣味にせなあかんねん! しかも魔物の糞て!」
「や、やっぱり人間のなら良いんだね……?」ふるふると唇を震わせながら言うアスターの顔色は真っ青である。勇者とて、魔王や魔物を恐れる事は無いがディープな変態には拒否感を覚えるのだ。
「なんでそうなる!? ああいやウチの言い方が悪かった、ウチはな、魔物の糞ならあかんとかじゃなくて、排泄物に一切の興味を持ってへんねん!」
「嘘は駄目だよシュテン、もし君の言い分が本当なら、何故君は今そんなに焦っているんだい? 図星を突かれたから慌てて弁解しようとしている……そうなんだろう?」
「しゅ、シュテン……頼りがいのある、優しい人だと思ってた……ごめんなさい」
「落ち着けアルル、落ち着くんや、よくよくウチとそこのボケとの会話を思い出したらええんや、どっちが無茶言うてるかアルルなら分かるはずや、あんたは賢い子やからそうやろ? 後何で謝る? 何でそいつの後ろに隠れるんや? お姉ちゃんの目を見て答えて欲しいなー?」掌をこちらに向けて敵意は無いよ、とアピールするシュテン。効果はあまり無いようだが。
「目を合わせちゃ駄目だよアルル、もしかしたらその瞬間に自分のあれを僕達の口に突っ込もうとするかもしれない」
「ぶっ殺すぞ糞ガキ!!!」
「ほら、今糞って言ったじゃないか」
「ああああああああほんまにガキやったああああぁぁぁぁ!!!!!」

 冷静であり聡明な答えの帰結を突き付けられ哀れにもシュテンは狂ったように地団駄を踏んだ。長い髪を振り乱し掻き毟った為幽鬼のような風貌となっている。それがなお一層仲間達の恐怖を煽る結果になろうとは。
 それから水かけ論に発展した彼女らの言い合いはしばし続き、決着がついたのはそろそろ日が落ち始めるかもしれないな、という時間帯になってからだった。

「──つまり、君が魔物の糞を見ていたのは決して食そうとしていたのではなく、魔物がいた形跡があった事を確認、そしてそれならば何故ここに魔物がいないのかを不可思議に感じていたからだ、という訳だね?」
「………………………………………そうや」

 疲れ切ったのか、シュテンは床に座り込みながら頷いた。その反応にようやくアルルも震えるのを止めてその場に尻餅を着くことができたのだった。震えるというのは中々に体力を使う行為である。疲れはピークに向かおうとしていた。
 二人の様子を見た後、窓代わりになっている壁の穴から外の様子を見たアスターはやれやれ、と呟いてから、

「なら早くそう言っておくれよシュテン。酷く時間を使ってしまった、これじゃ今日中に次の町まで行こうと思ってた計画がパーじゃないか」
「おどれが勇者やと……? 認めん、ウチは認めんからなぁ……!」

 己が失態を認めず、悪態をつくシュテンに呆れを見せたアスターだが、この程度で切り捨てることはない。彼は億万の優しさを有しているのだから。その為これ以上彼女を責め立てる事も無かった。紳士イズアスター。アスターイズ紳士。
 勇者の優しさを垣間見せる場面だったが、状況は変わらない。このまま妙を疑った所で何も変わらないと、当初の目的通りナジミの塔を登り始めた。そもそも登る必要があるのかどうかもあやふやであるが塔と言えばなんとなく登るものだろうと推測した。螺旋の階段を上り、途中魔物に出くわす事も無く一行はのんびりと散策するように攻略する。何度もアルルが欠伸を漏らすことがあったがそれを咎める者もいない。アスターも「朴訥とした内装だなあ」とのんびりとした会話を続けていた。
 やがて、すっかりと太陽が赤く染まり山向こうに姿を消そうとし始める頃合いには最上階へと辿り着いたのだった。そして、眼の前には両開きの扉が。それはつまりこの塔を攻略し終えたのだという証だった。

「……塔を登り切った兵、か」アルルが言った言葉を思い出し、遠い目をしながらぼそっと呟くアスター。
「う……嘘じゃないわよ? ルイーダさんが言ってたもん、お爺ちゃんも言ってたんだから」

 とはいえ、彼がそう言いたくなるのも無理はない。兵も何も、老朽化している部分があるため子供の遊び場として最適とは言わないまでも、立入禁止になる事も無い平和な塔だったのだから。ピクニックも良いなあ、なんて考えが浮かぶくらいには。
 虱潰しに塔内部を見回ったものの、魔物は愚か宝の一つも落ちてはいなかった。こういった、洞窟や塔、魔物のはびこる場所には(ここははびこっていなかったが)宝箱が置かれているという話を知っていたアスターはかなりの期待を寄せていた。中身がどうとかではなく単純に彼の冒険心を刺激していたのだ。
 そのはずが宝箱なんて空き箱しか見ていない。もしかして世の中の宝箱には全て中身が無いのではないかとさえ思えてきた。

「……というか、もしかして洞窟等には宝箱が置かれているというのも僕の間違いなんだろうか? また騙されたのか僕は?」自問するアスターに、シュテンが否を唱えた。
「いや、魔物の多い場所なんかでは宝があるっちゅうのは確かやで? 過去に息絶えた冒険者達の遺物を魔物達が一か所に集めてるっちゅう話や」
「魔物達が?」今一つ話の内容に理解が出来ずアスターは疑問を上げた。
「そや。ま、単純に人間が己の財産を隠してるって場合もあるらしいし、一概にそうとは言えんけど」
「いや、何で魔物が人間の遺物を集めるのかが分からないよ。それこそ魔物にとってゴミみたいな物なんじゃないか?」ゴールドの話を思い出してアスターは異を唱える。それに続いてアルルも声を上げた。
「そうよね、まるでモンスターが死んだ人間のお墓を作ってるみたい」彼女の言葉に、シュテンは指を鳴らし「おもろい考えやな」と笑った。
「それが正解とは言えんけど、その説を唱えてる人間もおる。人間の身でありながら自分達に戦いを挑み散っていった者達への敬意として、簡易ながらも魔物なりに人間の墓標を作っているってな」
「死んだ人間の遺物を一か所に集めるのが墓標? 理解できなくはないけど、随分変わってるね」
「それを言うなら、魔物が人間に敬意を払って……の方が変わった考えでしょ。まさかシュテン、そんなトンデモ説を信じてるの?」

 アルルの問いに、まさか! と笑う。その後「けどな?」と前置きした後話を続けた。

「この説を唱えた人間が問題やねん。到底無視できる人物じゃないんよ──ダーマの神官、それも大神官フォズの言となればありえへんと一蹴できんと思わんか?」
「へえ……え!? フォズ大神官が!?」
「え、有名な人なのかい?」



 ──フォズ大神官。
 第二の聖域ダーマ神殿の最大権力者の名を冠するまだ年若い女性神官の事である。曰く、生後間もなく人の言葉を理解し回復呪文及び魔法の最難関とされる蘇生呪文を物心つく頃にマスター、神のみが記す事が出来る悟りの書の写しを完成させたのは十に満たなかったとか。莫大な魔力量を持ちあらゆる呪文を扱えるだろう素養を持ちながら決して他を傷つける呪文を覚えなかった現代の聖女のことである。彼女の言葉は恐ろしい影響力を持ち中国程度ならば国王すら跪く。
 さらには、このようなエピソードがある。フォズ大神官の成人(十五歳)の儀の前日、突如神殿内に緑色の空を駆るドラゴンが現われた事がある。神官達の抵抗空しく、ドラゴンはフォズの前に姿を出し、灼熱の炎にて彼女の体を焼き尽くすという事態が起こった。炭屑となり朽ち果てた彼女を見てその場にいた人々は絶望し膝を折ったのだ。誰もが涙を流し、自害を決意した。
 その時である、神殿内に光が溢れ──光が晴れた時には、火傷の痕一つ無い一人の聖女と、その女性に仕えるように頭を垂れているドラゴンがいた。
 誰もが信じられなかった、眼の前の光景を。
 誰もが信じた、彼女こそ神の代理であると。
 聖女は人々を見遣り、一つの言葉を残した。

『我、神の御加護ある限り朽ちる事無し』

 ここに、一人の神が誕生した。



「──という人なの! あってはいけない事だけど、精霊神ルビスよりもフォズ大神官こそが神だと疑わない人がいるほどの御方なの! 知らないなんて言ったら眼の色変えて襲ってくる人がいるくらいよ!」
「わ、分かったよ。アルルはそのフォズさんを尊敬してるんだね」
「フォズ大神官よ! 尊敬とかそれ以前! 大多数の人間は私くらいに敬ってるの! 常識なのよ!」
「ははは、ルビス信徒なら知ってて損は無い人物やで? 勇者やったら覚えとき、アスター」

 怒髪天を衝く勢いで言い寄るアルルとは相対的にへらへらと笑っているシュテン、勢い良く頷いているアスターはもう標的から外れたのか、アルルはシュテンにも矛先を向けた。

「シュテン、貴方もどうでもいいって顔だけど?」
「いやいやそんな事無いでー。それよりアルル、大多数がどうとか言うとるけど、あんたは普通よりも大神官を好んどるみたいやけど?」
「む……まあ、好きかな? だ、だってやっぱりあんなに色んな逸話と言うか、良い話ばっかり聞こえてくるんだから尊敬しちゃうでしょ?」

 特に恐縮する理由も無いのだが、意味も無く不順に慕っていると思われるのを嫌い、後半は声が小さくなってしまった。
 それも、シュテンが笑いながら零した言葉で声を荒げる事となるが。

「ミーハーやな、アルルは」
「な……!」
「良い噂ばっかり聞こえてくるんは、良い噂ばっかり流してるからかもしれんで?」

 その挑発としか取れない言葉にアルルが掌を壁に叩きつけた。その目は、今日シュテンの強さを疑った時よりもさらに強い敵意を秘めていた。いや、秘めてはいないのか、ただ睨んでいる。対してシュテンが何処吹く風という様子も前回と同じである。
 睨みあいは続き、ハッと鼻で笑うのはアルルであった。余裕を見せたつもりか、傍目からには酷くハリボテな余裕だったが。

「そっか、あれでしょ? つまんないわよシュテン」あえて“何を”を抜かした言葉で相手の反応を待ったが、相手は特にこれと言った返しを出さず、また口を開く。「大衆に好かれている者を嫌う、自分の個性尊重主義って奴? そんなの、独りよがりと変わらないんだから」

 言うなあ、と喉で笑うシュテン。くつくつという音は妙に寒々しく感じられた。

「大衆に逆らうんもアホくさいけど、大衆に流されるんも悪癖とちゃうか? ……ま、その方が楽やわな」
「ぐっ、何よシュテン! まさかフォズ大神官の事を……」
「嫌いやで。吐き気するくらい。くびり殺したいくらいに。奇跡かなんか知らんけど、そのまんま炭屑になって欲しかったと願うくらいに」
「────え」

 アルルは絶句する。無理もないだろう。
 この時代に置いて決して逆らってはならぬ、敵意を見せてはならない対象が大きく分けて三つある。
 一つは何処にあるのかも分からぬエルフ族の里。
 エルフとは力も無い性格も温厚な脆弱な種族とされていた。ほんの十数年前までは。
 その昔レイアムランドという国があった。そこは火を用い火を操り火を敬う蛮族の集う国だった。彼らは火の神を讃え火の神を讃えるからこそルビスを否定した。それ故に滅びた。滅ぼされたのだ、エルフという脆弱な種族に。
 エルフは弱い、だが自然の力を操れた。水を怒らせ風を荒く木を刃に炎を巻いた。僅か数十のエルフが大国をも怯えさせたレイアムランドを徹底的に砕いた、今やレイアムランドは極寒の地となり人の生きる地では無くなった。故に、人々はエルフをある種魔物よりも恐れたのだ。
 次に、二つ目。大国サマンオサである。かつてオルテガと同じく勇者と呼ばれた男サイモンの故郷である。かつてよりサマンオサは暴力的で小国を潰し暴圧的な外交を良しとしていたが、昨今その傾向はさらに強まっていた。今では同じ大国のポルトガに牽制をかけているとか。戦争の火切って落とされようとしているらしい。微かにもサマンオサを悪し様に言う事あらばその国は終わると言われている。
 そして三つ目が、聖域を謳う地域、ダーマに加えランシールである。神に最も近い第一の聖域ランシール、神が最も愛する第二の聖域ダーマ。その二つの聖域は神の名を有している。僅かにでも貶す者がいるならばダーマ、ランシールの神官ではなく、それらを敬い慕う信者達が許さない。むしろ上二つよりも身近に信者がいるだろうこの世界において一番敵に回してはならない、回す発言をしてはならない対象である。
 その発言を、今呆気なくシュテンは放ったのだ。嫌いどころか、敵意を持つどころか、憎悪を含ませた言葉を。

「え、あ……なん、で?」自分なりに熱心な信徒であると自負していたアルルはシュテンに怒りを持つ前に、ただただ何故という言葉しか浮かべなかった。
「なんで? ……まあそやな、神の代理人かなんか知らんけど、いきなり自分の親貶されたらむかつくやろ? 自分の国を穢れた地とか抜かされたら腹立つやん。しかも言うた人物に同調してバカ共が口々に自分の周りの物全てをクサしてきよる訳や……結構堪らんで? あれは」

 つまりはそういうこっちゃ、と締めくくりシュテンは目を閉じた。心なしか、彼女の手は震えているようだった。
 彼女が何を言っているのか、混乱した頭では理解の出来ないアルルは何かを言わなくてはならぬという不明な強迫観念に押され口を開いた。開こうと、した。

「なんと失礼な老人か! くされ爺め失礼する!」
「二度と来るな糞坊主!!」

 いつのまに扉の中に入っていたのか、言い合いに夢中になり気付かなかった二人はアスターによって唐突に開かれた扉と怒鳴りあう声に驚きアルルは口を閉ざし壁にもたれて目を瞑っていたシュテンは足を滑らせ強く尻を打った。
 それらを気にする事無く、アスターは目を吊り上げながら唾を吐く勢いで話し始めた。

「実に話の分からん爺だったよ! なんて奴だ、守銭奴甚だしい!!」
「イタタ……何? 何を話とったんよ?」打った尻を擦りながら立ち上がるシュテン。手の震えは、もう治まっていた。
「訊いておくれよシュテン、アルル。この扉の中には一人の老人が椅子に座り優雅なアフタヌーンティーを楽しんでいたんだ。正直、それだけで万死に値する。そう思わないか?」
「いや、何で?」アルルの問いかけにアスターは両手を広げて抗議した。
「僕達が延々と歩き足が痛い思いをしながら塔を登ってきたというのに、僕達の目的である爺は優雅な午後を楽しんでいるんだよ? あまりに不条理じゃないか」

 アルルは不条理はどちらの方だ、と言いたげだがそんな事は無いだろう。恐らくアスターの素晴らしひ考えに感動しているのだろう。うん。

「まあそれは置いといてだ。爺はよくここまで来たな、その努力に報いて良い物をやろうと大仰に、さあ今から素晴らしい物を与えるぞと言わんばかりに部屋の奥に置いてあった棚から何かを取り出したんだ、何だったと思う?」答えてごらん、と指先をシュテンに向けた。彼女は戸惑いながら答えを模索する。
「ええと……なんやろな。棚に入るくらいのもんやから……魔法の実とかか?」

 彼女が言う魔法の実とは、太古の昔精霊神ルビスが作り上げた樹木、それに生っていた果実の事である。当然ミイラ化したような見た目であり、熟した直後のような効果は無いが、それでも食べれば食した人間の力を底上げしてくれるという非常に希少な品である。
 シュテンの予想を聞いて、アスターはぶーっ! と口を3の字の形に変えつつ前傾姿勢になりながら両手を交差させた。理由は分からぬが、シュテンが舌打ちをする。小さく○ねっ! と言っていた。

「答えはこれだよ、これ! こんなちんけな鍵一つだよ? 馬鹿にしているとしか思えない。しかもどこの鍵だと聞けば答えは『大概じゃ』だってさ。ボケもここに極まれりだよ!」

 彼が出した左手の指先には小さな銅製の鍵が揺れている。鍵の根元が錆びているのか、光が鈍かった。それを見て、アルルは僅かに失望の念を見せた。アスターは彼女の反応を見逃さない。

「がっかりだろうアルル、僕もがっかりした。普通にむかついた。こんな物はいらないから金を寄こせと詰め寄った。当然の主張だ、それを言えばあのボケ爺何を言ったと思う? 『お前のような若造にはこの鍵の価値は分からんか』とこう来たよ。あまりの苛立ちと正義と友愛の名の下に僕は七十本程老人の髪の毛を燃やしてやった」ふん、と誇らしげに鼻息を漏らす勇者アスター。彼は正義と友愛を背負い戦いを続けている。後光が射す日も近い。
「半分以上強盗よね、やってること」アルルは肩を竦めながら、言う。
「……は、」

 シュテンは、何かを落とすように一音だけ漏らし、そして──

「あははははははは!!!」

 お腹を押さえて、けらけらと笑い続けた。ついさっきまでの剣呑な雰囲気はあらず、本当に楽しそうに笑ったのだ。

「……ぷっ……あはははははは!!!」

 それに釣られるようにアルルもまた笑いだした。二人は知らず距離を縮め、仲睦まじく笑い合う。そこに不和は無い。
 ただ、それを見て訝しそうに眉根を寄せるのはアスター、何故笑っているのか分からず、杖を脇に挟み両手を組んだまま笑い収まらぬ二人を見遣っているのだった。
 そうして、ようやく言葉を発せられるようになった頃、シュテンは長い腕をアスターの首に絡ませた。その姿は友人にするそれだった。

「そっか。勇者か。似合わんけど、妙ちきりんやけど……そっか!」
「? 何を言ってるのか分からないぞシュテン」
「分からんでええよ。分からんでええ」

 アスターの疑問は、氷解しないままだった。


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