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[33614] 【習作】機獣新世紀 ZOIDS GT 【クロスオーバー、ゾイドシリーズ+ガンダムX】
Name: 組合長◆6f875cea ID:3a5d5162
Date: 2013/01/16 02:02
 前々から書き進めていたものが区切りの良い所(だいたい文庫本1冊くらいの分量)にまで達したので、今回書き上げられた分を投稿したいなと思いました。
 題材はゾイドとガンダムXによるクロスオーバー物。ゾイドとガンダムのクロスオーバーがなかなか見られないことから、自分で書いてみようというのが発端でした。
 今後の予定が忙しく詰まっていることにより現在書き上げた分以降の更新は未定ですが、私自身の文章力向上のための意味も含めて、感想、批評、アドバイス、誤字・脱字等の指摘を頂ければ幸いです。
 また投稿第1話の前半部にて、私が以前2chに投稿した短編を加筆修正したものを使用していますので、その点は予めご了承をお願いします。
 それでは、まず予告編から。


==============================


『──


 銀河の彼方にある惑星Zi。


 そこには優れた戦闘能力と自らの意志を持つ金属生命体『ZOIDS』が存在した。


 長きにわたる戦争と、古代より続いてきた宿命、そして暗躍。


 大いなる災いをもたらした死の巨竜は、英雄たちの活躍によって始祖の母と共に地中へと沈んでいった。


 戦争の時代は終わり、争いで傷付いたこの惑星に平和の時が訪れようとしている。


 戦いが終息したばかりの拓かれし時代。


 人と機獣とが住まうこの大地に、青き星たる地球から1組の少年と少女が舞い降りる。


 彼らはかつて地球で起きた戦争によって荒廃した世界を生き抜き、その後の動乱に終止符を打ったあと、自分たちが望む未来を求めて流離うふたりの旅人であった。


 これはそんな彼らと、機獣たちとの出会いから始まる物語────。


 ──』




[33614] 第1話「あの空の月を見て!」
Name: 組合長◆6f875cea ID:3a5d5162
Date: 2012/11/03 15:52





   ──ZOIDS GT──





 荒涼たる大地に、鐘の音が鳴る。
 それは金属を鋳造して作られた荘厳なものではない、機械によって合成された電子の鐘の音だった。あたかも身体の芯を揺さ振るかのように広がっていき、やがていくばくかの余韻も残さぬまま風の中へと消えていく。
 風に流れる雲とうっすら赤く染まり始めた空と静まり返った広大な荒野。
 あの鐘の音は火線の飛び交う闘技場に勝敗の結末と静寂の到来を告げるもの。
 数時間にも及ぶ戦いが、ついに終止符を打たれたのである。
 戦いを司るジャッジマンから勝利者の名が告げられて、それが己の所属するチームの名であると認識した時、最後まで倒れることの無かった青年はハッと我に返った。
 本当に、終わってしまったのだろうか。狭く閉じられたコックピットの中で、止まりかけた意識にふとそんな言葉が去来してくる。
 呆然と、頭の中が真っ白になったかのような感覚だった。眼前のモニターには最後の最後まで栄光を競い合った強者の倒れ伏した姿が見える。通信機越しにひと言も声を発せずにいる仲間たちの震える吐息が聞こえる。そしてさらに、足元から突き上げてくる己の『相棒』の咆哮が心の芯にまで届くようになって、それでようやく青年の意識は現実へと引き戻された。


 ──戦いが、終わった。


 そう、終わったのだ。


 ──自分たちは勝ったのである。


 一番初めに沈黙から脱却して、喜びに声を発したのは誰であったか。
 まるで堰を切ったかのようにコックピットは仲間たちの喝采に満たされた。
 邪道なまでに武装を施した狙撃竜を愛機とし、普段からトラブルメーカーな少女が。
 その少女の父親であり、自分に数多く力をもたらしてくれた博士が。
 いつもは柔和な性格だけれども、戦いになればガラリと豹変する翠翼竜の少年が。
 何かとクールで素っ気なさを示しながらも、その心に熱き魂を宿す影狐の青年が。
 皆が皆、誰もが掴んだ勝利と栄光を称え合い、喜びに声を上げている。
 そのおかげで、ようやく目の前の光景を、己らが勝ち得た栄冠を現実として溜飲することができた。
 ただ戦いが終わったという事実と、張り詰めていた緊張が解きほぐれた安堵感と、何もかも虚脱してへたりこみたくなるような感覚が、心を支配している。
 戦いの終わってもなお残る、湧き上がるような高揚感がとても心地良い。
 今回ばかりはいつもとは異なりその味はまた格別なものだった。
 幾多数多の強者たちが夢見る、はるかな頂点の高み。
 限られた者たちのみが挑戦することを許される、王座の称号。
 今そこに住まう王者に打ち勝ち、その地位に立つことができて、青年の頭の中をこれまで駆け巡ってきた日々の情景がよぎっていく。
 かつて、望み求めるものを探して荒野を流離っていた自分。
 ひょんなことで出会った、掛け替えの無い『相棒』や仲間たち。
 誇りを賭け、互いに腕を競い合った好敵手たちとの激闘の日々。
 風と雲の赴くままに任せて『相棒』と共に駆けた冒険の道のり。
 全てはあの日あの場所で、あの格納庫から始まったゼロの軌跡が。
 胸いっぱいになった思いを拳に乗せて天に向かって突き上げると、それに呼応するかのように『相棒』もまた力強く咆哮を上げた。
 機械を介さず直接響いてくる『相棒』の声を、心の深い所で感じることができる。もはや言葉など要らなかった。強靭な意志をもって語りかけてくる『相棒』のささやきに受け応えると、彼は……いや彼女はその通りだ、とばかりに歓喜に奮える。
 青年が大きく息を吸い込んでその温かな余韻を噛み締めていると、唐突に通信機からコール音が鳴り響いた。仲間からではなく、外部からのものである。
 何だろう、と思いつつ回線を繋げると、目の前にこの戦い主催した連盟の長の顔が現れた。
 連盟の長からの勝利者への祝辞。威厳のある面持ちで穏やかな笑みを浮かべた連盟の長は、青年たちの健闘を称え、勝利者がこれから向かうべき場所を告げた。
 その言葉を聞き、青年は行く。
 西へ傾く太陽を視界の隅に据えて、赤く染まっていく空の下を『相棒』と共に。


 ──もっと。もっと速くだ。


 とてつもなく熱い意志が『相棒』の“核”より発せられ、それを伝達された四肢の鋭い爪が地面を掴むと、蹴り起こされた土埃の尾を引きながらなおも速度を上げていく。歓喜に奮えた『相棒』の叫びが荒野に轟いた。
 荒野を走り抜け、やがて青年たちは指定された地点にへと辿り着く。
 ここに何があるのか。期待に胸を膨らませて立ち止まって周囲を見回すと、そこにはある意味予想外な光景が広がっていた。
 砂があり、岩があり、遠くには山がそびえている。起伏が富んでいるわけでもなければ、遺跡や建造物が鎮座しているわけでもない。ただそれだけであった。この“惑星”において、ごくごく一般的な風景でしかなかったのである。


 ──ここに一体、何があるんだ?


 いくら注意深く目を凝らしても砂と岩しかないというのは、目的地として如何なものであろうか、と思う。座標を確かめてみても間違ってなどいなかった。再度見て回っても、やはりこれといって特別な何かが存在しているということではないのである。
 あまりに拍子抜けと思える光景におのずと首を捻ってしまう。連盟の長は自分たちをここに来させて何を見せたいのか、真剣に考えてみることにした。
 ああでもない、こうでもないと唸っていると、今度は通信機ではなく、登録機能を兼ねる携帯端末がデータを受信した。
 そこに表示され始めた文字に目を向けて、青年は思わずあっと息を呑んだ。
 最初に表示されたのは『YOU WIN』の短い言葉。間を置いてその後に、流れるように文字が記され始めたのだ。
 それは、あの時と同じであった。
 思い出すのは数年前、Sクラス入りを決めたロイヤルカップ。
 あの時も今と同様に勝利を掲げた時、かつて英雄と呼ばれ、風と雲と冒険を愛した者を称える言葉が綴られたあの時と。
 ただ違うのは、そこに記されている内容──。
 前回とよく似た文体で、前回とは異なる者たちのことが示されていく。

「かつて、この地に……」

 だからまた、青年はそこに表れた言葉を、声に出して読み上げた。
 あの時と同じように、その言葉を己の心へと刻み付けるために。
 時は移ろい、夕暮れは次第に夜の世界へと変貌を遂げていく。
 太陽は西の地平線にさしかかり、その反対側、闇に染まりゆく東の夕空には、ひと足早く昇った月が、ひとつだけかがやいていた。





   第1話「あの空の月を見て!」





 蒼く澄んだ空の下、熱波を伴った荒野が見渡す限りどこまでも広がっている。
 目に付くのは乾いた土や砂や岩ばかり。さりとて静けさといったものはまるで感じられない。海岸までまだ少し離れたこの地域は、自分たちが足を踏み入れた時以来において、いつにも増して賑やかな喧騒に包まれていたのだ。
 空に高く昇った太陽から降り注ぐ昼間の日差しが、赤みを帯びる大地を容赦なく灼熱化させ、立ち上った大気がざわめくように視界を歪ませている。風が低く唸るような音を奏でながら大地をくまなく駆けずり回り、舞い上がった砂埃が生き物の存在さえ拒絶する不毛な荒野の表情を刻一刻と変えていき、この世の全てのものが無常であると主張しているかのようだった。

「昨日の夜の静かさが、嘘みたい……」

 荒野に孤立する小高い岩山のすぐそばに停められた1台のオフロードトラックからその風景を眺めていた少女は、不意に湧き出た感想を呟いた。
 少女の呟きは喧騒に流され、乾燥した大地に散っていく。かわりに鼓膜を揺らしてくれるのは、断続的なリズムを刻む、荒野の奏でる喧騒とはまた違った音だった。
 喧騒に紛れ耳に届くその音は、鳥の羽ばたきにも似ていると思う。風になびく髪の毛と帽子を押さえ、音の発生源に目を向けると、岩山の頂上に古びて茶色くなった布を木の棒に括り付けただけの1本の旗が風にロープを軋ませてはためき、飛ばされないようにじっと耐えていた。分厚い雲に隠れていた太陽が長い冬を隔てて顔を出した頃、今から約10年も前に立てられたというそれは、旅の道標として今までこの地を訪れた人たちをずっと見送ってきたことだろう。ほつれてボロボロになった布地には侘しさと、ある種の風格さえ漂わせている。

「────んっ」

 少女は思考を一旦やめて座席に腰掛けたまま手足を伸ばした。座席はそう広くなくお世辞にも綺麗とは言い難いオンボロなものだ。車体のいたるところで塗装が剥げ落ちて茶色い錆が目立ち、フロントガラスは黄色く濁っており、ライトの片方は失われ、サイドミラーには亀裂が入っている。後部座席には食料や水、燃料、生活道具一式などを収めた荷物が積まれ、少女の足元にはそれとは別に非常用の水筒や食料などを入れたカバンが2つ置いてある。全てはこの荒野を越えるために用意したものであった。
 少女が手足を伸ばすと、その動きに合わせて桜の花びらを連想する色の衣服が形を変え、いつもはゆったりとした上着と丈の長いスカートに隠れている少女の華奢な体のラインを浮かび上がらせた。頭に被った帽子は日光から肌を守るために用意したものであり、ひさしと耳元や首筋を覆うように布切れが付いている。その中に納まらない、うしろで1つに束ねた少女の長い髪が肩口からさらりとこぼれ落ちる。
 軽く伸びをして長時間座りっぱなしになっていた身体をほぐした少女は、腰を少し浮かして座り直し、また周囲の喧騒に意識を向けた。

「…………」

 北米大陸の西岸部に近いこの荒野は、相も変らぬ喧騒に包まれ、生命の存在をまるで感じさせないでいる。これでこの地が昔は豊かな穀倉地帯だったというだから驚きだ。
 当時を知る人たちによると、今の季節には麦の穂がたわわに実ってあたり一面が黄金色に輝いていたらしい。農場の経営者は多くの人を雇い、飛行機を使って豪快に種や農薬を撒き、大量に収穫される作物から莫大な富を築いていたというのだ。
 だがそれは、少女がこの世に生を受ける前、今から16年前に終わった地球圏全域を巻き込む戦争の被害によって大地が大きく削り取られ荒廃する前の話である。今では人々の営みの痕跡はおろか虫1匹、草1本すら確認できない。豊穣の秋がもたらしたかつての栄華は完全に消え失せていた。
 だけど──と少女は思う。
 確かにあの戦争で人類は母なる地球に多大なダメージを与え、自らの文明を崩壊させてしまった。世界の秩序は脆くも失われ、食料不足による飢饉や疫病の流行が起こり、人々は生きる糧を求め争った。その結果として、100億を誇った地球人口の約99%が死に絶えてしまった。その混乱はいまだに治まりきっておらず、各地で紛争が続き、決して平和になったとは言えない。
 しかしそれでも、世界は確実に復興への兆しを見せ始めているのだ。
 生き延びた1%の人々は懸命に時を紡ぎ、荒れ果てた大地に種を撒いてまた新たな営みを芽吹かせる。明日を求め命を燃やし生き続けようとする彼らに諦めるという意思はない。今はまだ乾燥した土で覆われたこの地も、いつの日か実りのある秋が蘇ってくるのも遠い未来ではないはずだ。旅の道中で出会った人々の営みに思いを巡らせて、少女は確信に近い予感を胸に懐いていた。

(私はそのとき、何をしているのかしら?)

 ふと隣の運転席に目を向け、そこに座っている少年の横顔を見詰めた。
 その少年は今、膝の上に地図を広げ、コンパスの針をじっと見ている。
 クセのある黒髪と、どこか幼さを残した、見ようによっては中性的にも見える端整な顔立ち、少年が持つ心の純粋さを表したエメラルドの原石のように澄んだ瞳が、少女と同じ帽子の中から覗いて見える。着慣れたズボンと白いシャツの上に赤いジャケットを羽織る引き締まった小柄な体からは、やさしく人を惹き付けてやまない雰囲気を漂わせており、それでいてどんな困難に陥っても前を向いて突き破る意志の強さを溢れさせていた。ひとたび口を開けば、弾むようにくるくる変わる表情や仕草が少女の心を魅了させてくれることだろう。
 少女は少年と共にこの荒野を旅している。少年がこの世界を見て回り、様々な人々と出会って自分がどんな未来を求めているか考えたいと望み、少女は少年と共にあり続けることを望んだ。こうして手の届くところに少年がいて、彼の横顔を眺めているだけで、ふつふつ、ふつふつと嬉しさが込み上げてくる。

「────────ガロード……」

 ほとんど無意識にその名を呟くと、少年は「どうした?」と振り向いてきた。
 少女は自分が声を出したこと、その声を聞かれたことに少し驚いて「ううん。なんでもない」と誤魔化す。すると少年は「そっか」と微笑んでコンパスに目を戻した。
 しばらくして、コンパスと赤いペンで書き込みが入った地図を見比べて道を確かめ終えた少年は、地図を折りたたんでポケットに、コンパスをウエストポーチにそれぞれ仕舞い込み、トラックを発進させた。
 エンジンが始動すると、車体の外見から想像もできない軽快な駆動音を荒野の喧騒に加え、4つあるタイヤがその産声に応える。トラックは道も何もない荒野をひた走っていくのだった。
 走り出して間もなく、先に口を開いたのは少年であった。

「よーし、と。これであとは真っ直ぐ行くだけだぜ。ずっと座りっぱなしで退屈だっただろ。疲れたりしてねぇか、ティファ?」

 自分の名を呼ばれて少女──ティファ・アディールは、はにかんだ。

「私は平気。ガロードこそ、大丈夫?」

 言葉を返すと、対する少年──ガロード・ランはおどけるように答えた。

「これ位へっちゃらさ。この分なら、今日の夕方までにはメルグラストに着けそうだからな。今日でやっと味気ねえメシとおさらばできるんだ。久し振りに美味いもんが食えるんじゃないかって楽しみだぜ」

 ここ数日の食生活を思い浮かべて、ティファもくすりとする。

「ティファは、何か食べたいものとかあるか?」

 問われてティファは「えっと……」と考える。

「…………果物、かしら?」

 リンゴやオレンジやブドウなど、パッと思い浮かんだものを口に出してみる。
 この荒野に入ってからというもの、乾パンと干し肉といった携帯食料と水ばかりの食生活で、新鮮で特に酸味の強い食べ物が恋しくなっていたのだ。

「メルグラストに着いたら、真っ先に市場の方へでも行ってみるか? その時間までやってりゃいいけど……」

「ガロードは?」

「ん、俺はそうだな……」

 うーん、と唸るガロード。

「……俺はやっぱり魚料理、だな。メルグラストは港町だから安くて美味いもんが食えそうだし。晩メシはそれでいいか? 宿が決まったら、市場行くついでに美味い店がどこにあるか訊いてみようぜ」

「ええ」

 もちろんと同意するティファ。
 ガロード・ランとティファ・アディール。今夜の夕食を、続いて今後の予定を話題に談笑するふたりを乗せたトラックは順調に北西へと走る。磨り減りかけたタイヤが地面を蹴って車体を小刻みに振動させ、サイドミラーは流れていく大小様々な岩や人型機動兵器──モビルスーツの残骸を映し出していた。
 フロントガラス越しに正面を見る。
 空と大地とを区切る地平線がうっすらその輪郭をぼやけさせながらも、左右に真っ直ぐ伸びている。まだ見えないが、あの彼方の向こうには広大な青い海が広がっているはずなのだ。

「それにしても、さ……」

 話がひと通り済んで再び荒野の喧騒とエンジン音だけ残った車内で、ガロードの声が囁くように紡ぎ出される。

「これでこうやって、ティファと一緒に旅をするようになってから、もうどれくらい経つんだろうな……?」

「え……」

「ん、ああ。なんだかひと区切りついて、いろんなこと頭ん中に浮かんできてさ。時々不思議になるんだ。もう10年くらいティファと一緒でいるんじゃねぇかって思うときがあるし……」

「そう……」

 10年は長過ぎかも──と答えかけて、ティファは心の中で首を振る。ガロードと過ごす日々はどんなものでも計れないと思い直したのだ。
 指折り数えて、今までの月日を思い返す。

「カリスと別れたのが半年前だから……5ヶ月くらい、かしら」

「そっか。まだそんなもんなんだよな。今までいろいろあり過ぎて、ちょっと信じられねぇや」

「うん……」

 戦後の動乱に巻き起こった自分たちの戦いに終止符を打ち、ガロードと共に旅に出て過ごした日々。辛いことも、悲しいことも、楽しいことも、他人には言えないやや恥ずかしいことも含めてたくさんあった。
 それはガロードと出逢うまでの人生をほとんど無感動に歩んできたティファにとってめまぐるしい出来事の連続だったのである。
 ガロードと出逢う以前の過去を思い出すたびに、今でも心が冷え冷えと凍て付いて背筋が寒くなる。その頃のティファの心には、温もりも安らぎもなかった。
 もはや愛情を与えて育ててくれた人たちは遠い記憶の彼方にあり、色あせてくすんだ白黒写真のようにすら思い出せない。
 その生まれ持った特異なチカラゆえに、周囲から冷たい狂喜を孕んだ好奇と畏怖を向けられ続け、記憶の大部分を埋めていたのは強化ガラスの窓1つを除いて外との繋がりが一切存在しない、当時のティファの心を象徴したような、時間さえ停止したかの如く閉じられた牢獄だった。
 終わらないと思っていた極寒の冬の中にいた心の氷を溶かし、殻に閉じこもっていたティファに光を差し込んだのは去年の春。あのガロードとの運命的な出逢いに他ならない。止まっていたティファの時計の歯車は再び回り始め、ガロードと過ごした時間が暗い過去の記憶を奥に押し込めて、生きてきた長さの10分の1にも満たない歳月がティファの心の大部分を占めている。
 あの出逢いから年月を数えて1年半。短いようで長い、長いようで短い時の流れが過ぎていた。
 ティファはおもむろにスカートのポケットからあるものを取り出すと、それを見て顔をほころばせる。それは1枚の写真を収めた皮製の写真入れ。大切な思い出の1つを写したティファの宝物である。

「──何見てるんだ?」

「この前の、結婚式の写真……」

 ああなるほど、と納得するガロード。
 ティファが見ている写真には、こぢんまりとした教会で結婚式を挙げる純白の衣装に身を包んだ新郎新婦と、大勢の参列者たちが写っている。その中にはカメラへ微笑み掛けるガロードとティファの姿がある。思い返せば、親しい誰かと一緒に写真に写ったのは初めての経験だった。

「たしかに、あれは凄かったよな。間に合って良かったぜ」

「ええ。みんなにまた会えたから……」

 写真に写っている、ガチガチに緊張して固まった短い金髪の新郎と、嬉しそうに涙を浮かべる小麦肌の新婦は、ガロードとティファが1年ほど前まで、共に旅をし、共に戦いを切り抜けたかけがえのない仲間だ。
 つい先日、彼らの結婚式が新郎の故郷で執り行われることとなり、その知らせを受けたガロードとティファは西へ向かう予定を急遽繰り下げ、喜び勇んで彼らが待つ村に赴いた。そしてそこには、かつて身を寄せていたバルチャー艦フリーデンのメンバーが一同に揃っていたのである。誰もが新郎新婦を祝福し、誰もが彼らの幸せを心から願ったものだ。式が質素ながらも盛大なものになったのは言うまでもない。

「トニヤさん、とても幸せそうだった。ウィッツさんも……」

「あはっ、ウィッツなんて、いざ指輪の交換って時にうっかり落としちまったくらいだったしな。あの慌てっ振りは傑作だったぜ」

「うふふっ。でも、あの人らしいことだったと思う」

 式の最中で発生したささいな事件。参列者一同、新郎の混乱振りに呆れ笑い合ったものだ。誰も不吉な出来事だとは思わなかった。彼らの新婚生活が波乱と幸福に満ちたものであると予感させられたぐらいだった。

「ふたりとも、幸せでいて欲しい。いつまでも……」

 ティファは写真をそっと胸に抱き、祈る。

「あのふたりだけじゃない、みんなも……」

「ああ。みんな、元気でやってるみたいだったしな。キッドたちは商売繁盛してるって言ってたし、テクスはあちこちの野戦病院を回ってて、ロアビィとエニルはなんでかウィッツの家にいた。ジャミルとサラは相変わらず忙しそうだったよな~。仕事があるって言って、すぐ帰っちまったっけ……」

 仲間たちの近況を並べるガロードは言葉を切ると、空を見上げた。

「カリスは…………今頃どこで何やってるんだろうな。あいつ、結局顔見せなかったんだぜ? 一応連絡が付いて、行けるかどうかわからないって言ってたらしいけど……」

「心配、なの?」

「んー心配ってほどじゃねぇかな? あいつだっていろいろあるだろうし、来れなかったとしても仕方がないかなってとも思う。それにあいつだったら……身体のことがあるにしても、どこへ行っても上手くやっているじゃねぇかって気がするしな。今度会う時は、あいつにも恋人とかがいたりするかもしれないぜ?」

 初めは敵として出会い、心を通わせわかり合い、半年ほど前まで一緒だった少年の未来を勝手に思い描くガロードが笑う。その顔を見て、ティファも「くすっ、そうかも」と声を漏らした。

「──でも……」

 しかし、その笑顔は長くは続かなかった。
 ティファは名残惜しそうに顔を伏せ、手に持つ写真に視線を落とした。
 それに気付いたガロードがちらりとティファの横顔を覗き込む。

「ティファ?」

「ううん。ただ、みんなにしばらく会えないって思って……」

 ふたりはこれから北米大陸を離れ、近頃になって就航するようになったという定期船で海を渡り、アジアやオーストラリアを巡る予定なのだ。
 それは仲間たちとのしばしの別れを意味していた。次はいつ会えるか、それは定かではない。少なくとも数年は顔をあわせることはないだろう。
 心配して気遣う視線を浮かべるガロードに、ティファは努めて微笑みを向ける。それでも、少しぎこちないものになってしまったのだろうか。ガロードは切なそうにハンドルを握り締めながらティファを窺った。 

「──なあ、ティファ。ティファは、本当に良かったのか?」

 寂しいと思うのはガロードとて同じ。自分の我が侭に付き合わせて、不本意な旅に連れてしまっていないか。純粋にティファの気持ちを察しようとする、そんな想いが彼の心から伝わってくる。
 だからこそ、ティファは告げた。

「私は、自分の意志で選んで決めたの。ガロードのそばにいたい、私もいろいろなものをガロードと一緒に感じたいって。それに……」

 見送ってくれた元フリーデンクルーたちの笑顔が浮かんでは消えていく。
 ティファは微塵の迷いも打ち消して言葉を続けた。

「みんな、また会いましょうって約束してくれたから、だから大丈夫」

 再会は誓い合ったのだ。ならば、自分にできることといえば、いつか来たるその日を信じて、一時一時を懸命に生きていくことだけである。
 その思いはティファだけではない、ガロードも胸にいだいているもの。ハンドルを握り締め直した彼は「そっか。そうだよな……」と言って不敵に笑った。

「今度会った時には土産話をたっぷり持って帰って、あいつらを驚かせてやろうぜ。みんな頑張ってるんだ。俺たちも、負けてらんねぇよな?」

「うん」

 ティファはガロードの笑顔に力を貰い、決意を新たに頷いた。
 彼の笑顔にはこの先どんな苦難に遭遇したとしても、正面から立ち向かい、乗り越えていく勇気と自信に満ちている。彼となら、どこまでも行ける。なんでもできる。根拠なしにそう思える眩しい笑顔だった。
 だからティファもまた、ガロードにつられて微笑みを浮かべる。
 自分はガロードの共にいる。それがティファ自身の望みであり、それを自らの意志で選んだのだ。彼と共に進むこの道がいつまでも続くのだろうと、ティファは根拠なしにそう捉えていた。
 しかし、旅というものは得てして────。
 それまでと異なる道筋へと、簡単に逸れてしまうものなのである。
 大きく、果てしなく。

「────ん…………、あれ?」

 全ての始まりは、ガロードのこの一声が切っ掛けであった。
 荒野をひた走るトラックの車内。正面へと向けられたガロードの目がカッと見開かれ、ぽかんと開かれたその口から「あれ? あれれ?」と声がこぼれ落ちてくる。何らかの危機を察知したのとは違った、少し間の抜けた様相だった。
 その横顔を見詰めたティファが「どうしたの?」と問う間もなく、快調に走っていたトラックは徐々に速度を落としていく。何か進路を塞ぐ物でも存在するのだろうか。ティファは進行方向上の先に広がる光景に目を向けて、ガロードが驚いた理由を悟った。
 トラックが速度を落とす中、ガロードもティファも、ふたりは揃って目の前の現実に釘付けとなってしまう。トスン、と軽い衝撃を伴って停止したトラックの先には、ガロードにもティファにとっても予想だにしていなかった光景が広がっていたのだ。

「なんだこりゃ、一体どうしてこんなモンがここにあるんだ?」

 座席から身を乗り出してその光景を見詰めたガロードの言葉には、心底「不思議だ」という戸惑いの色が含まれていた。無理もないと思う。このまま直進していけば目的地に到達していたはずなのに、目の前にこんな物があっては誰だって困惑に首を傾げてしまうだろう。
 ガロードとティファが見詰めた先、トラックの止まった地点から数十m進んだ向こうで今の今まで平坦な道のりだった大地が途切れ、深く陥没していたのだ。ちょっとした大穴、といった程度の規模ではない。ざっと見積もってみても半径数百m以上……いや、直径が1kmに達していようかという巨大な窪地が視界いっぱいに広がっていたのである。見た目はそう、コロニーの破片や宇宙戦艦などが落着して形成されたクレーターに近かった。

「おっかしいな。こんなのがここにあるなんて聞いてねぇぞ……」

 と言いながら地図を広げるガロード。

「なあ、ティファ。この前に会ったメルグラストから来たって連中は、こんなのがあるなんてひと言も言ってなかったよな?」

 確認の声にティファは頷いた。

「ええ、そのはず。この辺りまでくればあとは何も無いって、あの人たちは」

「だよなぁ。流石にこんなデカイのがあったなんて、言い忘れたとは思えねぇぜ」

 未確認のクレーターが存在すること自体は別段珍しいことではない。今まで旅してきた中でもそういったものが原因で道を変更せざる得なかったことはたびたびあった。
 とはいえ、目の前に立ち塞がるこのクレーターはあまりにも巨大過ぎたのである。
 これほどまで巨大なものが、人のそれなりに通過するこの地域で長い期間存在し続けていたとは到底思えないと、ガロードの横顔は物語っていた。
 ではなぜ、このクレーターはここにあるのだろうか。
 疑問に心を膨らませたティファは、クレーターの周囲を見回してみる。
 そして少し離れたところに、あるものを発見したのだった。
 くいくいとガロードの袖を引っ張る。

「ガロード。あれ……」

「どうした? 何か見つけたのか?」

 それはクレーターの内部、トラックが走っている時には死角となっていた外周部付近にある、砂の中に埋もれかけた赤と青の色をした物体だった。
 遠目から見てもかなり大きい。顔を見合わせたガロードとティファはトラックを始動させ、物体のほぼ真上にあたる地点を目指す。再び停車させたトラックから降りると、ふたりは断崖のすれすれまで歩いていき、下を覗き込んだ。
 砂を大量に被っている『ソレ』は、ガロードとティファがいる所から見て、ほんの数十m下の場所で無造作に転がっているようであった。大きさはおよそ30mから40mくらい。表面は元々赤と青の鮮やかな塗装が施されていたみたいだが、無数の傷や亀裂が幾重にも走り、黒く焼け焦げた痕が見える。遠くからでは判別できなかったおおまかな形も知ることができる。
 その形状を目にしたガロードが、なんとも言えぬ表情で口を開いた。

「ハサミ……だよな。カニとかエビとかの」

「ええ。そうみたい……」

 そう、その物体の形はカニやエビなどの甲殻類が持つハサミに酷似していたのだ。
 明らかに人工物と思しき装甲板によって形作られている『ソレ』には、非対称で大きさも異なる、モビルスーツをも丸ごと簡単に握り潰せそうなほどの、巨大で肉厚な爪が2つ組み合わされている。その使用目的や機能性はなんにしろ、機械としては一線を画す生物的な形状だったのだ。
 そこに存在するのはこの『ハサミ』1つだけであり、そこから伸びる腕の関節の根元からまるで力ずくに引き千切られたかのように寸断されている。そのため本体に当たる部分はどこにも見当たらなかった。
 隣にいるガロードが、不可解さを隠すことなく首を捻る。

「一体なんだろうな、これ……」

「ここがこうなのと、何か関係があるのかしら?」

「うーん……どうだろうな。つい最近誰かがドンパチやって何か爆発でもあったって考えるのが妥当かもしれねえけど、こんな街まであと半日だって場所にあんなのが置いてあって、バルチャーが人っ子ひとりもいないってのはおかしいぜ。俺たち自身、昨日まで何も気付けなかったわけだしよ……」

「うん……」

 考えれば考えてみるほどに、この光景の異様さ、異常さが浮き彫りになってくる。
 この『ハサミ』もさることながら、クレーターそのものが忽然と存在すること自体奇妙な事実だった。このクレーターが長く見積もっても数日以内、下手をすればここ数時間の内に出来上がったと考えて間違いないだろうが、原因が爆発にしても地盤沈下にしても、規模からして轟音や地震といった形でその予兆がわからなかったのはおかしなことである。記憶を遡ってみてもそういった異変があった憶えはなく、付近に意識を向けてみても誰かが潜んでいるという感覚もまったくなかった。ガロードの言う通り、戦争の遺物を回収または略奪し、それを転売や修復したりすることを生業としているバルチャー達がいた形跡がないのも不自然なことである。

「…………」

 誰にも知られることなくまるで陽炎のように現れたクレーターと『ハサミ』の存在。
 ティファは目の前の事態のわからなさに、一抹の不安と気味の悪さを懐き始める。
 しかしそれとは裏腹に、その存在をじいっと眺めているとなぜだかこう、不思議と心を惹きつける何かを感じるのだ。

(これは……何?)

 ティファがその『ハサミ』の姿形に魅入っていると、不意に隣からガロードの声が掛かった。

「ティファ?」

 ハッ──と目を見開いて振り向くと、心配そうに瞳を揺らすガロードがいる。

「どうしたんだ? ぼうっとしちまって。何度か声掛けても返事がねぇからちょっと心配しちまったぜ」

「あ……。ううん、ごめんなさい。あそこにある物を見ていると、なんだか不思議な気持ちがしてきて……、心が強く惹きつけられるような気がしたの」

「惹きつけられる……ってアレにか?」

「ええ。どうしてなのかは、自分でもわからないけど……」

 眼下の『ハサミ』を見詰めてそう告げると、ガロードはやや驚いたように目を丸くした。

「へぇー。なんか珍しいな。ティファがああいうのを見て、そんなふうに言うなんて」

「ふふっ。私もそう思う。自分でも不思議……。いつもなら、ガロードの方が先に興味を示すから」

 言われてみればそうかもしれない。
 雄大な景色や野に咲く草花ならばいざ知らず、ああいった機械の残骸にこのような感情を抱くのは初めての経験かもしれなかった。自分でもおかしく思う感慨にティファが微笑むと、ガロードもつれられて表情を崩した。

「あはっ。言えてる。普通に考えりゃトンデモねぇお宝だよな。こんなのがあるなんて今の今まで夢にも思わなかったぜ」

 一度笑い始めればそこはガロード。
 困惑に沈みかけていた雰囲気を明るく払拭して彼は言う。

「さあて、珍しいモンも見れたことだし、先を急ぐことにするか。折角のお宝だけど、今の俺たちにアレをどうこうするなんざ無理なことだからな。メルグラストに着いてこのことを適当な連中に話しておけば、あとのことは大丈夫だろうよ」

「うん」

 特に反対する意見も無いので、ティファはガロードのその提案に頷いた。
 突如として現れたクレーターの存在は不思議なことではあるし、あの『ハサミ』の在り様が気にならないと言えば嘘となる。だが、このままここで憂慮に耽っていけも何かが変わるというわけではないのも事実であった。今の自分たちに『アレ』を移動させることもできない上、調べるだけでも大変な手間となるであろう。まして、自分たちは所帯少ない旅人なのだ。
 ガロードとティファは揃って踵を返し、旅路を再開すべく歩み出した。
 停車したままのトラックまでの距離はおよそ十数mといったところ。歩数にして20歩程度の道のりを、ふたりは歩調を合わせて戻っていく。
 すると……、その時であった。
 ガロードと共にトラックへ向かうティファがその“声”を聞いたのは。
 今までに感じたことの無いかつてない雰囲気を、ティファの心が捉えたのは。
 何気なく正面に向けていた感覚を切り裂いて、聞こえてくる。


 ──キュルゥウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……。


 例えるならばそれはまるでイルカのような、まるでクジラのような、それらとはまたどこか異なる、笛のように高く鳴り響く何かの“咆哮”だった。
 歩き始めて10歩と満たぬ所。ちょうど崖縁とトラックとの中間地点。何気なくガロードと歩いていたティファは、湧き立つ感覚とその“声”に思わず足を止め、後ろを振り返る。しかしそこには、件のクレーターとあの『ハサミ』が存在するばかり……。
 ふわああっ、と荒野に吹く風が、ティファの髪を風下へなびかせていく。

「今の、声……」

 振り向きあたりを見渡してみてもそこには何もいない。
 何かが動く影も、誰かが潜んでいる気配も、何も。
 変わらぬ喧騒を示す大地の姿に、ティファは言いようのない感覚を胸に募らせていった。

「今の声は、何……?」

「ん……、ティファ? どうしたんだ?」

「ガロード……」

 気付けばガロードもまた歩みを止め、視線をこちらに向いてきている。
 怪訝そうに眉をひそめるその姿からは、何らか異変が起きたということに気付いた様子は全く見受けられない。
 彼は口を開く。

「またなんか、おかしなモンでも見つけたのか?」

「ええ。それが今……声が、聞こえてきた気がして……」

「……声?」

 ティファの答えにガロードは首を傾げる。

「声って、それって一体どんな声だったんだ?」

「わからない。確かに今、ここで聞こえた気がしたの……。何かの鳴き声みたいで。たぶん、人の声じゃなかったと思う。だけど……」

 そこまで言ってティファは視線をクレーターに戻した。
 隣に歩み寄ってきたガロードが「うーん……」と声を洩らす。

「確かに何かがいるって感じはしねぇよな、ぱっと見た限りでだと」

「ええ。だからとても不思議で、その声がどこから聞こえたか、わからなくて」

「なるほどな。じゃあここじゃなくって、もっと遠くとか、そんなんだったんじゃねぇか? もしそうならティファが何かを感じ取ったって、ちっとも不思議じゃねぇだろうし」 

「……そうかもしれない。ごめんね、引き止めるようなことを、してしまって」

 謝るティファに、ガロードはくすりと表情を崩した。

「これくらい何でもないさ。ま、この先も気をつけて行こうぜ、ティファ」

「うん……」

 もう不安はないという訳ではないのだけれでも、そんなティファを察しようとするガロードの心を見、努めて笑顔になるように心掛ける。
 が、その努力はすぐさま水泡に帰すこととなってしまった。
 今度ばかりは勝手が違ったのだ。
 あの“声”が気のせいでも何物でもなく、すでに間近に迫った現実であると、改めて認識せざるを得ないことが起こる。
 ティファもガロードも、そのことをはっきりと異変として捉える出来事がついに訪れたのであった。


 ──ドクン、と。


 それはまるで大地が、いや世界そのものが胎動したような奇妙な感覚だった。
 ズンッ、と重い振動があたりに響く。それを合図に風が止み、世界が静まり返った。
 突如として起こったこの変化に、ふたりは揃って空を振り仰いだ。

「────え……」

「────なんだ?」

 この時、何故この空を見上げてしまったのかは自分でもわからない。
 ただ、そこに何かがあるのだと直感したのだ。
 あのクレーターの中心付近に、何かが。
 はたしてそれは起こった。この眼で見える形で。この自らの耳で聴こえる形で。
 青く澄んだ空が、そこに歪みが生じたと認識した途端、突然白く弾けたのである。

「────うっ!」

「────ぐっ!」

 さながらそれは目の前で太陽が生まれ落ちたかのよう。
 閃光と爆音、吹き荒れる嵐。
 あたりは一瞬にして白に染め上げられ、雷鳴のごとき轟音によって埋め尽くされる。
 強烈な突風に晒され、反射的に身を寄せ合い地面に倒れこむガロードとティファ。
 そうするより他に、この未曾有の出来事を凌ぐ術を、ふたりは持たなかったから。

『──ギュゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォン!!』

 そしてティファは、この時もまた再び“声”を聞いた。
 先ほどのものとは異なる、怨念と破壊の衝動を詰め込んだとしか思えない、恐ろしさに身体が震え上がる激しい“声”を。まるで戒めを無理矢理解き放たんと唸る轟きを心を揺さ振られ、ティファは思わずガロードのジャケットを握る手に力を込めた。
 やがてその“声”は消える、無くなっていく。あたりの轟音と風のうねりと一緒に。
 降って湧いた静けさに、ガロードとティファがほぼ同時に恐る恐る目を開くと、視線を向けた先には、変わらぬクレーターと大地の様子が焼き付いてきた。
 ぽつりと、ガロードが引き攣ったままの表情で呟く。

「なん、だったんだ……、今の……」

「………………」

 訳がわからず、呆然とあたりを見渡すガロードとティファ。
 ふたりの目には、砂と土と岩、乾いた風が吹く荒野の光景が映っていた。
 しかし、その光景はもはやいつもの荒野と同じであるとは思えなかった。
 ドクンドクン、と胸をかき鳴らす警鐘が嫌に速くなっていくのを実感する。
 下から湧き上がるような、身体に直接響いてくるみたいなざわめき。
 それが音となって聴覚に届いたのは、間もなくのことであった。

「────ん?」

 何かに気付いたガロードが立ち上がると、その視線を音の発生源と思しき方向へ向ける。ゴォォォォォォォォ、と絶え間なく続く音。止められたトラックの反対側へと視線を向けていたガロードは、ややあって「────っ!? あれはっ!」と明らかな異常を察知した叫び声を上げた。驚愕に染まった顔で、彼は絶叫する。

「冗談だろ!? 今度は砂嵐だってぇ!?」

「────……えっ?」

 ガロードの叫びを聞き、ティファもまたハッとなって地平へと目を凝らす。
 地面の下から登りつめてくる黒ずんだ茶色いモヤを認識し、それが徐々に大きく迫ってきているのがわかると、自分たちが今どういう状況に置かれているのかを明確に理解してくる。
 気付けば風が吹いていた。絶え間なく続く長い風が。まるでティファたちを、このあたり一帯にある全ての物を、クレーターの中心にへと引き摺り込むように。
 いくつも走る砂の筋が、ふたりの脇を駆け抜けていく。

「────っ! ティファ! こっちへ!」

「え、ええっ!」

 今からトラックを始動させてもおそらく間に合わない。そのことをいち早く把握したガロードがティファの手を引いて走リ出すと、風がまた一段と強くなった気がした。一刻も早くトラックに乗せられた荷物のもとに辿り着くのが先か、あの砂の奔流に巻き込まれるのが先か。もはや時間との勝負だった。

「くそっ! 思った以上に速ぇぞ、あの砂嵐の奴っ!」

 悪態付くガロードの視線の先、これまで旅をしてきた荒野はとっくに舞い上がる砂の壁に覆いつくされ、黒く淀んだその全貌を顕わにしていく。
 砂嵐。砂塵嵐。大量の塵や砂を上空へ巻き上げていく熱風が、見る見るうちにその高さを増していく。その砂と風の暴走は、さながら獲物を求める獣の群れのよう。空気を激震させながら大きく黒い口を広げて牙を剥くその姿は、今までに経験したどんな砂嵐と比べても比べ物なら無い、あらゆる全ての物を呑み込もうとしてしまうのではないかという程の強大で苛烈を極めた物としか思えなかった。
 意識が理屈ではなく、もっと根本的なところで恐怖一色に染め上げられる。
 もしこの場にガロードがいなければ、もしガロードがこの手を引いてくれなければ、ティファの心はとっくに恐怖に潰れ、そのまま1歩も動けなくなっていたに違いない。
 ガロードとティファは走る。一縷の望みを託して、停車したトラックのもとに。
 一刻の猶予も無く急いでトラックに戻ったガロードは、ティファが座っていた助手席から非常用の装備が詰まったカバンを2つとも引っ掴むと、備え付けのタオルと水筒も手に取って「伏せろ!」とティファの体を引っ張った。ティファは背中に回されたガロードの腕と身体に絡ませたカバンの重みを感じ、熱せられた砂の上に倒れ込む。

「っ! ガロード!」

「いいか! 眼を閉じて口を塞ぐんだ! 大丈夫だからな! 俺がついてる! 絶対にティファを────ぐ、ぐわっ!?」

 鋭く叫んだガロードの声を掻き消すように、砂の轟音が迫る。
 言われるままにティファは瞼をぎゅっとつむり、口元をタオルで覆った。
 その直後、トラックを盾にしてうずくまったガロードとティファの頭上ぎりぎりを、砂塵が熱風を伴ってもの凄い勢いで通過していく。
 砂と風が荒れ狂う轟音に、ティファは身体を震わせる。痺れるくらいに強く抱き締めているガロードの体温を感じていなければ、とっくに意識を手放していたことだろう。
 もはや周囲がどうなっているかさえ把握できない。飛び散った砂に頬を打たれ、耐えられなくなったティファは両目をさらにきつくつむってガロードのジャケットにしがみついた。
 長い長い砂と風の暴走はまだまだ続く。その勢いは徐々に徐々に増している。
 まるでここに存在するもの全てを、ガロードも、ティファも、ふたりが乗っていたトラックも、正体不明なあの『ハサミ』も、そしてクレーターそのものまでも、全てを全て砂で埋め尽くさんとしている。そう思ってしまうような凄まじい激流だった。
 ガキンと、耳をつんざく、大きな質量と質量同士がぶつかり合う衝撃。砂の暴風に耐え、奮闘を見せて踏み留まってくれていたトラックに何かが激突し、その衝撃でボンネットが潰れた音が聞こえた。トラックは粉微塵に破裂したかのように吹き飛ばされ、遮るものを失ったガロードとティファの身体が、荒れ狂う砂の奔流に晒される。

「ぐっ、うわあああっ!?」

「────っ!」

 脇腹に衝撃が走り、肺を握り潰すような激痛によって息が詰まった。
 苦痛に叫ぶガロードの声が聞こえた。ティファは悲鳴を上げることさえ叶わない。
 遠のく意識。砂の激流に呑み込まれ、ふたりの身体が浮かび上がる感覚がする。
 それまでがティファの限界であった。身体を包み込むガロードの温もりと、キンッと何かがズレたような奇妙な感覚を最後にして、ティファの意識は急速に暗闇の中へ落ちていく。ティファはそのまま、ガロードの腕の中で突っ伏すようにして、意識を宙に手放したのだった。










「う……ん……」

 気を失ったティファが目覚めたのは、それからはたしてどれほどの時間が経過した時のことであっただろうか。
 頬を撫でる風の感触にうっすら目を開くと、ティファの視界にはオレンジ色に染まった空と地平線のすぐそばに、傾く太陽の姿が映し出されていた。時刻はすでに夕暮れ時となっており、今日という1日の終わりを告げる夜が、迫ってきている。
 あの強烈な砂嵐はもうとっくに過ぎ去ってしまったらしい。だからと言ってあたりが完全な静寂によって満たされているわけではなかった。長い時間気絶していたためか、意識ははっきりせず、ざらつくような違和感がある。それに誰かの、必死に呼び掛けてくる声が聞こえてきているのだ。

「────ファ……、ティファ! なあ、ティファ!」

 それは、ティファがよく知る少年の声だった。
 何度も何度も呼び掛けられるのは自分の名。
 いまだ焦点が定まりきらぬ目をそのままに向けてみると、そこにガロードがいる。
 頭がぼうっとしていて視界がぼやけていても、間近にある瞳の色と髪の色、シャツ越しに頬で感じる胸板の感触、鼻先をくすぐるほのかな香り、心から伝わってくる温かい心地良さによって、目の前にいる少年がガロードだとわかる。
 ティファがとろんとした瞳でガロードの顔を眺めていると、彼はほっと息を吐いて心底安心したという表情を浮かべていた。

「良かった。気が付いたんだな、ティファ……」

「ガ、ロード……?」

 次第に焦点が定まっていき、輪郭が明瞭になっていく。
 おそらく風で飛ばされてしまったのであろうか。帽子を被っていないガロードの顔をつぶさに目で確認することができる。
 ティファはぽつりと、唇を動かした。

「私たち……、今……」

「大丈夫だ。もうとっくに、砂嵐は過ぎちまった。ティファも俺も生きてるぜ、ちゃんとな」

 心に直接染み込んでくるガロードの声。
 その声に何より、安堵と生きているということを実感する。
 ティファはさらなる温もりを求めて、ガロードの胸に額を乗せる。
 トクン、トクン、と彼の鼓動を肌で感じられた。

「……うん。良かった、ガロード……」

「ああ。ティファ。どこか、怪我とかしてないか?」

「大丈夫……少し経てば、平気なくらい、だから」

 腹部にまだ痺れるような鈍痛が残っている。けれど、時間さえ置けばじきに引いてしまう程度のもの。他にこれといって痛む箇所があるわけでもなく、歩くくらいなら問題なさそうだ。ガロードの声が聞こえてガロードの顔が見えるということは、眼や耳にも異常はないのだろう。ガロードも特に怪我をせずに済んだらしい。
 ティファはホッとして身体から力を抜くと、ガロードに全てを預けた。
 彼の愛用のジャケットを握り締め、身体の脇に絡みつかせたままのカバンの重みを感じる。流石に少し重くて、いつまでも乗っていてはガロードに悪いかな、と思いはしたが、ついつい離れるのが名残惜しくて、いつまでも顔を埋めていたくなってしまいそうになる。そんなティファにガロードは文句ひとつ言わず、黙って頭の後ろに手を回して砂の絡みついた長い髪の毛を丁寧に梳いてくれていた。
 しばらくの間互いの体温を感じ合い、頃合を見たガロードが「そろそろいいか?」と言い、それに対しティファも「うん、ありがとう」と答えて、ふたりは立ち上がった。
 夕陽に染まりゆく空の中、ガロードとティファの顔が赤く淡い光に照らされる。
 服や体にこびり付いた砂埃をはたき落とし、ガロードは口を開いた。

「さてと、結局さっきのアレは何だったんだ? なんかだいぶ離れた所まで飛ばされちまったみたいだし……。まあ、あんな砂嵐に遭って、命が助かっただけでも良しとしなきゃいけねぇんだろうけどよ……」

「ええ、そうみたい……。ここは、どこなのかしら?」

「正直、まだわからねぇ。相当遠くだってのは、間違いなさそうだ」

「うん……」

 夕陽に照らされた大地を見詰め、ガロードとティファはそれぞれ疑問と困惑を顕わにする。
 ふたりがそう思うのも無理はない。あたりの風景は明らかに一変していたのだから。
 あの砂嵐に遭う前と比較して、ここは荒野というよりも典型的な砂漠の砂地といったイメージに近かったのである。クレーターも例の『ハサミ』も消え去り、足元の地面はさらさらとした砂によって覆われている。夕陽に照らされた砂の海が見渡す限りどこまでも広がり、各地に点在する岩場や、はるか彼方には見えなかったはずの高い山がそびえていた。
 当然、乗ってきたトラックはどこにもない。砂嵐で別の場所に飛ばされてしまったか、もしくは砂の中に埋もれてしまったのかもしれない。よしんば探して見つけられたとしても、あの状況では完全にスクラップになっている可能性が高かった。
 ふう、と隣にいるガロードの口から、溜め息がこぼれ出てくる。

「どのみち、こっから先は歩かなきゃならないかもな。ごめん、ティファ。せっかく今日中には街に着けるはずだったのに、またえらく遠回りになりそうだ」

「ううん。そんなことない。決してガロードの所為じゃないから……。それに、ガロードといれば、きっと大丈夫だもの……」

 そう微笑みかけると、ガロードの顔が自信に満ちた笑顔に変わる。
 なによりもティファが大好きな、力強くやさしい笑顔だった。

「ありがとな。今は、とにかくここがどこだか早いとこ確かめねぇと。────良し。ティファ、とりあえずあそこまで、歩けるか?」

 と言って、ガロードはある一点を指差した。
 そこにあったのは比較的近くにある、割と大きめな1つの岩場であった。
 彼の意図を察したティファは頷き、2つあるカバンの片方をよいしょと背負う。身体に絡ませていたおかげで、2つとも失わずに済んだのは本当に幸運なことであった。中には水や食料が入っているため、これがそのままふたりの生命線に繋がっているのだ。それなりに重いけれども、こればっかりはガロードを頼るわけにはいかなかった。
 彼が示した岩場は、天辺までの高さが地上から大体20m位であり、近付いて下から見上げるとちょっとした小山程の大きさがある。途中には足場となる段差が多かったので、体力の乏しいティファでも登り易そうだった。その形を見ていると、手が長く足が短い、がっしりとした体格の巨人が前のめりに倒れているようにも思えてくる。
 さほど時間をかけることなく、太陽が沈み切る前に岩場に到達できたガロードとティファは、荷物をひとまず置いてその岩肌を登っていく。やがて巨人岩の肩に当たる箇所まで辿り着くと、ガロードは早速とばかりにウエストポーチから小型の双眼鏡を取り出してそれを覗き込んだ。

「えーと。あっちが西で、こっちが北だよなっと……」

 手掛かりを求めてあちらこちらへ目を向けるガロード。
 そんな彼をティファが固唾を呑んで見守っていると、少年はある一点を見詰めてぴたりとその動きを止めたのだった。

「………………」

 ガロードは動きを止めたそのあとで、何度も肉眼による光景と双眼鏡を交互に見比べた。そして次第に彼の口がぽかーんと開かれていく。

「ガロード……どうしたの?」

 心配になって声を掛けると、ガロードは振り向いてティファに言った。

「あ、うん。悪い。ちょっとおかしいなって思ってさ。なあ、ティファ。ここって北米大陸で間違いねぇよな? 西の端っこの方の……」

「え……」

 ティファは一瞬、ガロードが何を言っているのか理解できなかった。
 なぜそんな当たり前のことを……と思いはしたものの、彼の顔や心に不真面目さや冗談といった感情はまるで存在しなかった。
 言葉をそのまま、真摯に受け止めて、ティファは訊ね返す。

「……どういうこと?」

「いや、その……。なんか西の方に、山脈みたいなのが見えるんだ」

「山、脈……?」

「ああ。あっちの向こう側……。ホラ、太陽を直接見ねぇように気をつけてちょっと見てみてくれよ。雲に隠れて少し見えづらくなってるけど……」

 勧められるままに、ガロードから双眼鏡を受け取ってティファは遠くへと目を凝らしてみる。
 2つのレンズを通して見える先には、波打つ砂の大地が地平線の彼方までかなり広い範囲で広がっていた。どこを見渡してみてもクレーターや道標となっていた旗が立てられた岩山は見られない。そしてガロードの言う通り、陽が沈む西側の地平線に山脈らしき影が雲に紛れて見え隠れしている。ここが北米大陸の西海岸部に位置しているのであれば、地理的に考えてあり得ない光景だ。よもやロッキー山脈の向こうまで戻されたとは思えない。ここがこれまで旅していた荒野と同じだとは到底信じられなかった。

「どういうことなのかしら、これ……?」

「うーん……」

 ティファが顔から双眼鏡を離して呟くと、流石のガロードもこのあり得ない現実を前にしてすぐに答えを見出すことはできせずにいるようである。
 彼がそうしている間にも太陽は沈んでいき、夜の時間が迫ってきている。
 しばし思案顔になっていたガロードは、降参とばかりに「あー駄目だ。いくら考えても全然わかんねぇ」と嘆息し、その視線の先をティファに戻した。

「なあティファ。ティファは今、何か感じ取ったりしてねぇか? 少しでもここがどこだか、手掛かりが欲しいんだ」

「ええ、わかったわ。少し、やってみる」

 生物が少ない荒野や砂漠ではあまり期待できないが、試みる価値はあるだろう。
 ティファは目を閉じて、それまでガロードにのみ向けていた意識を『外』へと集中させてみる。かつて人の革新であると信じられ、他者の心を感知し、果ては未来とされるものをも視えてしまうことができるティファのチカラ。あたかも手足を世界に浸透させるみたいにして、ティファはチカラを解放する。
 そこで感じることのできた、初めての手応え。
 その感覚に、ティファは表情を険しくする。

「何……これ……?」

 意識を外へ伸ばして途端にわかった、とてつもない異質感。
 まさか、と思い、何度か意識を集中し直してみても、その結果に変わりはなかった。
 隣で見詰めていたガロードが、不思議そうに声を掛けてくる。

「どうしたんだ? 何か感じ取ったのか?」

 目を開き、ガロードを見る。
 ティファは震える声で答えた。

「ものすごく、ざわざわするの……」

「え?」

 ガロードはその答えに目をぱちくりさせる。

「ざわざわって、どういうことだよ、そりゃあ?」

「わからない。ざわざわして、まるで霧が掛かっているみたい。すぐそばにいるガロードの心は、確かに感じるの。でもそれ以外は、何も。こんなの初めて……」

「俺以外は、全く?」

「うん……」

 ここにいるガロードの心は、確かに感じられる。
 今も困惑に苛まれている彼の心を手に取って包み込むことができる。
 だがしかし、そこから先、ただ少し離れただけでも、それ以上何も感じ取ることができなくなっていた。まるで先程の砂嵐みたいにして、空間を数多く満たすノイズがティファの心を掻き乱している。どんなに振り払ってみても、それに変わりはなかった。さながら、世界全体がティファを拒絶しているかのよう。無理に耳を傾けていると、呑み込まれてぐらりと足元がおぼつかなってしまう。十分鋭敏なのにも拘らず、外へ伸ばした感覚が全く機能していない。こんなことは初めての経験であった。

「ごめんなさい。肝心な時に、役に立てなくて……」

「いや、十分だぜ。ティファがそんなふうに感じているんだとしたら、ここがそんだけおかしな場所だってことだろ? だとすると俺たちは…………トンデモねえ所に迷い込んじまったってことなのか……?」

「………………」

 自然と、じわりじわりと背後から、嫌な予感が湧き上がってくる。
 この場所がどこであるのか、いくら考えてみてもその答えを導くことはできない。
 夕陽はどんどん赤みを増していき、空の色はなおも深くなっていく。夕焼けがよりいっそう色濃くふたりのいる世界を燃やしていたのだ。いつもなら心が安らぐ美しい鮮やかな光景であるはずなのに、ティファにはざわつく居心地の悪さも手伝ってか、真っ赤に染まったその光景が世界を焼き尽くさんと燃え上がる劫火のように思えた。
 ガロードとティファはひと言も語らず、沈みゆく太陽を眺め続けた。
 さりとて何か異常が起こるという訳ではない。西の地平線へ太陽は普通に傾き、普通に沈んでゆく。夕陽の光は地平線の向こうへ消え、世界を照らす炎のような夕焼け空が過ぎていく。果てしなく広がる砂の大地には、夜独特の静寂が満ちていき、だんだんと星が瞬き始めた。
 すっかり夜となった空を見詰めていると、ややあってガロードが言葉を発する。

「結局、ここがどこだか、何もわからなかったな。やっぱり、さっきのアレが原因ってことなのか…………? ま、ここがどこにしろ、どうにかするしかねぇよな、こういう場合は」

「ええ。明日になって、何かわかればいいんだけど……」

「ん、そうだな。今日はゆっくり休んで、明日に備えようぜ。歩くにしても助けを待つにしても、今のうちにやれることがたくさんあるからな」

 全く手掛かりを得られなかったことにティファは少なからず落胆していたが、いつまで悩んでいても仕方がない。この拭い切れないざわつきも、明日になれば元通りになるかもしれなかった。そう思うことにした。
 そうしてティファは、小さく息を吐いて視線を落とすと不意に、後ろの方から淡く蒼い光が差し込んできているのに気が付く。思わず「え……」と声を漏らした。

「どう、して……?」

 夜になったばかりなのにも拘らず、周囲の景色が思いのほか明るい。砂の広がる地面にはガロードとティファを乗せた岩場の影が西に向かって長く伸びていた。その影は一見、月に照らされてできるもののように見える。これは奇妙なことだ。昨日の夜は下弦の月だったのだから、月はまだ昇る時刻になっていないはずである。それになぜだかわからないが、岩場の影は2つの光源から照らされたみたいにして、一部が重なり別方向に伸びて見えていたのだ。

「…………」

 後ろに気配はないが、何かがあるのだろうか。試しに振り向いてみても、ちょうど巨人岩の頭が邪魔をして直接目にすることができない。だが、光の源は間違いなくこの岩の向こう側にある。えも言われぬ不安が心の中に巣食ってくるかのようだった。
 一度気に掛かってしまうと、もはや放置できる事柄ではない。ティファは意を決してそちらに歩み寄り、夕陽が沈んだ反対の空を、見えにくくなっていた東の夜空を視野に収めるために、身体をややずらして覗いてみることにした。
 淡い光に包まれている地平線近くの夜空。
 その一見何気ない景色を目にした瞬間、ティファは自らの頭の中を真っ白とさせることになる。

「……────────ッ!?」

 それは、かつてない衝撃であった。
 ティファは撃たれたかのようにまばたきを止め、停止しかけた心の中でぽかんと“それ”を見上げ続ける。心臓の脈拍が抑えられないくらいに速まっていくのを聞き、加速した血流に乗って動揺が体中に広がっていくのを感じる。心の芯まで凍えるような、今まで信じていたものが跡形もなく崩れ去っていくような、砂嵐と向き合った時に感じたものとは全く別種類の恐怖を募らせていってしまう。頭の中で否定しようと首を振ってみても、目の前の現実を変えることは不可能なことであった。

「い……、あ……」

 ティファは初め、自分が何を見ているか、理解できなかった。信じられなかった。
 いや、その正体が何であるのか、ティファ自身、それはもうとうにわかってはいる。
 動揺を表に出すまいとしても無駄な足掻きだった。
 額に、手に、体中の隅々に汗がにじみ、ぐらぐらとめまいが襲い掛かってくる。

「ガ……、ガ……」

 声を上げようにも喉が掠れてうまくいかない。
 何としても、このことをガロードに知らせなければならない。
 持てる気力を総動員して息を飲み込み、ティファは叫び声を上げた。

「ガ、ガロード! ガロードっ! ガロードォ!!」

 一度叫んでしまえば、あとは堰を切ったように想いが氾濫する。
 ティファはいまだこの事実に気付いていないガロードの左腕に飛びついて、その体を力いっぱいにガックンガックン揺さ振った。

「わっ! わっ! わっと!? どうしたんだよ、ティファ?」

 不覚を取りティファのされるがままになっていたガロードが、やや乱暴に彼女の肩を押さえる。それでもティファの動揺は収まらない。唇を震わせ、恐怖で心が押し潰されそうになりながらも、伝えなければいけない言葉を必死に紡ごうとする。

「ガロード、────きが……」

「はぁ?」

 肝心なところで息が途切れてしまい、言葉が届かない。
 もう一度。もう一度だ。ティファは胸が張り裂けんばかりに声を張り上げた。

「ガロード! 月を……月を! あの空の月を見て!!」

「月ぃ? 月って、今日はまだ、月の出まで時間が……」

 ガロードはティファの懇願にも似た叫びを聞き入れ、眉根を寄せつつもティファが指し示す方角──あの“月”が昇り始めたばかりの、東の空へ目を向けてくれた。
 ティファに連れられて巨人岩の肩から首の後ろに回り、空を見上げるガロード。
 彼の身体は、彼の意識を表すかのごとく、ぴしりと固まった。
 不審に揺れていたガロードの言葉が、それ以上続くことはない。
 ティファの腕を掴む手から、すとんと力が抜ける。
 彼は呆然と目を見開き、こめかみにサーと汗を伝わせていく。
 絶句。
 それはいつ振りのことだろうか。もしかしたら、ティファが直接目にするのは初めてのことかもしれない。ガロードが、あのガロードが、我を失うほど動揺し、なす術もなくただ空を見上げるしかない、この姿は。
 やがて微動だにしていなかったガロードの身体が、ふるふる、ふるふると、小刻みに震え出す。

「ガ、ロード……?」

 ティファが恐る恐る呼び掛けると、ガロードは搾り出すように呟いた。

「なんで……」

 なんで。どうして。
 必死に押さえようにも押さえ切れない、ガロードの心の叫びが突き刺さる。

「どういうことなんだよ、こりゃあ……」

 ティファも叫びたくなる衝動に駆られたが、ぐっと堪える。縋り付くようにガロードの手を取り、再び太陽と入れ替わるように現われたあの“満月”を視野に入れた。
 ガロードから伝わってくる、止まりえない心の震え。
 ティファの手の震えも収まらない。なおも大きくなっていく。
 きゅ、とその手を強く握り締められた。

「なんで……、ぐっ……」

 ガロードはひとたび頭を振り、また空を見上げて声を滲ませる。
 東の空でひときわ目立つ“2つのかがやき”に向けて。

「なんで……なんで月が、月が2つもあるんだよ!!」

 それは、ふたりが知らない、決して見ることのできないはずの月の姿だった。
 大きく歪みのない真円を描いた月のそばに、一回りも二回りも小さい、同じ輝きを持ったもう1つの月が寄り添い並んで浮かんでいる。本来1つであるべき月が、2つ存在していたのだ。
 夜の世界をじっとこれまでも、いつまでも見下ろし、何人たりとも寄せ付けない、鍛え抜かれた刃のような2つの月明かり────まるで抽象画の一部を切り抜いて貼り付けたかのような、ガロードとティファにとって常軌を逸した光景そのものだった。

「一体……どこなんだよ、ここは。地球じゃ、ねぇってことなのか……」

 ガロードの呟きは夜が訪れたばかりの闇の中へと消えていく。
 その夜空には、2つある月がただ静かにかがやいていた。





   第1話「あの空の月を見て!(ティファ・アディール)」了


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 お読み頂きましてありがとうございました。
 物語の導入部分。投稿第1話はここまでとなります。
 すでにお気付きの方はいらっしゃるかと思いますが、作中では名前を伏せて何体かのゾイドを、ゾイドに繋がるものを登場させました。
 地球とこの時代の惑星Ziを比較して見た目的にもっとも顕著な違いであり、そしてガンダムXにとって重要な要素である“月”の存在。それはガロードとティファにとっても精神的に重大な影響を及ぼすものに他ならないと、私は思います。
 近日中に続く第2話の投稿も行ないたいと思っていますので、しばしのお付き合いを。
 では。



[33614] 第2話「貴方と一緒に走りたい」
Name: 組合長◆6f875cea ID:3a5d5162
Date: 2012/11/03 15:53





   ──ZOIDS GT──





 夜の砂漠とは、とても静かなものだ。
 足を踏み出すたびに、ふとそんな思いが頭によぎってくる。
 砂漠は夜になると昼間の灼熱から気温が下がり、澄み切った空気に揺らぎもほとんど見られなくなる。時折吹いてくる風も、昼間のものと比べればだいぶ穏やかで、地面を覆う砂の粒を、わずかばかりに流してゆく程度であった。
 そんな砂の大地を踏み締めて、1歩、また1歩と歩き続ける。
 靴底に押し退けられて、積み重なった砂が形を変えてさらさらと崩れていく。
 今までずっと、この3日の間に夜の砂漠を歩き続けた。また1つ足跡を砂の上に記していき、なおも前へと進んでいく。これでもう、今夜だけでも十数kmの距離は稼ぐことができたはずだ。後ろを振り返れば、砂に記された靴の跡が、波打つ丘の向こうまで延々と続いていることだろう。
 再び、1歩を踏む。まだまだ歩かねばならなかった。
 正面を向いて見えるのは、広大な砂漠と、遙か遠くにうっすらと輪郭が確認できる山の頂。尖った頂を中心に雪が積もっており、麓の裾が左右に大きく伸びている。この付近で最も近く、最も目に付く物体があの山だった。あれが目下、この砂漠を歩くための道標となっているのだ。
 淡く蒼い光に照らされる中、足元をしっかり見据えながら、着実に歩を進める。夜の闇が深くて視界を確保できぬ状況ではこうはいかない。闇夜を照らす存在が無ければ、あの山を目印にすることも、足場の悪い砂地を歩くことも、極端に難しくなってしまっていたであろう。
 歩く。歩く。歩き続ける。
 この砂の大地を夜通し歩き続けている少年──ガロード・ランは、ふとした拍子に空の様子が気に掛かり、足を止めぬまま、ふう、とひと息をついて振り仰いだ。

「…………」

 そこには、この夜の世界を照らす存在が、2つある。真円から少し欠けた、大小1つずつ存在する月のかがやき。あの2つの月の光によって、この夜の砂漠の明るさは保たれているのだった。
 その光景を見るたびに、ガロードは大きく溜め息を溢す。

「やっぱり2つ、なんだよな……」

 何度見上げても、この空には2つの月が存在していた。
 生まれた時からずっと、正確には5歳の時から見上げ続けていた1つしかない月が、今ここでは2つに見えている。3日前に今踏み締めている大地が生まれ育った地球ではないと知らしめ、恐怖と絶望をもたらした存在。それが夜を灯す源となり、道中を導かれているのだから、なんとも皮肉な話である。
 最初は恐怖すら抱いた光景も、あまりに荒唐無稽すぎて、3日も経てばもう現実は現実として見慣れてしまった。しかしそれでも、次見上げた時には月が1つになっているのではないかと、ついつい目を向けてしまっている。何度見ても、月は2つあった。

「あーもうやめやめ。先を急がねぇと……」

 雑念を振り払い、ガロードは視線を前に戻す。
 そして数歩足を運んだところで、後ろから繋いだ手をくい、と引っ張られた。

「……ティファ?」

 ガロードは独り砂漠を歩いていたわけではない。足を止めて振り向くと、ガロードと手を繋いだ1人の少女が、何も掴んでいないもう片方の手のひらを胸に当てて肩を上下させていた。
 彼女の名前はティファ・アディール。ガロードが一緒に旅している、そして現在も共にこの砂漠を流離中の、ガロードにとって最も大切な少女であった。

「ティファ……、大丈夫か?」

 ガロードはそっと彼女の顔を覗き込む。
 まっすぐに切り揃えられたティファの前髪は穏やかな月の光を浴びてきらめき、柔らかく閉じられた唇が呼吸をするたびにゆっくり動いている。わずかに色付いた肌は絹のように艶やかで、上下する肩と長く伸ばした髪の隙間から見える首筋のラインに目を奪われる。その可憐な容姿と華奢な体つきをひと目見て、月下の妖精を思わせる幻想的なものを感じさせられた。
 だがティファのその表情は重く、額には汗がにじみ出ていて、目の下にはくっきり隈ができている。足場の悪い砂地を長時間歩いているのに加え、水や食料の入ったカバンを背負って歩き続けたのだ。疲労の色をありありと浮かばせた彼女の身を案じずにはいられない。
 ティファはガロードの声に、顔を上げて真っ直ぐに見詰め返してくる。

「大丈夫……。私はまだ、歩けるから……」

 そう告げたティファの瑠璃色の瞳が放つ眼差しは、強い。内に秘めた感情を表に出さない人外な妖精のそれではなく、年相応の少女が持つあどけなさと、ティファならではの聡明さを湛えた、やさしくも力強い眼差しだった。
 彼女の眼差しを見、ガロードは頷く。

「わかった。もうすぐ夜明けだからな。もう少しだけ、我慢していてくれよ?」

「うん……」

 互いの手と手を、しっかりと握り締め直すガロードとティファ。
 ふたりは再び、歩み出した。





   第2話「貴方と一緒に走りたい」





 すでにこの名も知らぬ地にやって来た日から数えて、1日が過ぎ、2日が過ぎ、3度目の夜がもうすぐ終わろうとしていた。
 ガロードとティファのふたりはこの3日間、夜の砂漠を歩き、昼間をどこかの日陰で休んで身体を癒すといった道程を繰り返している。もどかしいと思いながらも、昼の灼熱地獄を歩くのはあまりに自殺行為なのだ。幸いにもこの砂漠では、昼間の灼熱に対して夜間の気温はそれほど冷え込まず、あの2つの月明かりのおかげで視界が確保できていたため、少ない装備でも歩き続けられた。
 今日もまた、夜が終わり、朝がやって来ようとしている。
 地球でもこのまだ名前も知らぬ大地でも太陽は1つしかなく、日が沈めば夜となり、日が昇れば朝となるのに違いはなかった。しいていつもと異なることと言えば、せいぜい太陽が日の昇る方向を東と基準にした場合、北側の空を回って動いていることくらい。ここが南半球に位置しているのか、そもそも地球とは自転の向きが反対であるのか。どちらにしても、あの2つの月を目にした後では、別段驚くに値しない事実だった。
 東の空が、白んでくる。
 この光景は地球と変わりない。
 空に瞬く星が徐々にその数を減らしていき、月の明かりが目立たなくなってくる。
 地平線の彼方から銀の色彩が増していき、ひと足早く日の光を浴びた雪化粧が山の高嶺でキラキラと光輝き出していた。
 1日の始まりを告げる朝日がとうとう顔を見せる時間となったのだ。
 地平線より洩れ出でた日の光を見詰めて、ガロードは眼を細める。

「……これで、4日目の朝……か」

 あと2時間もすれば容赦なく大地を灼熱化させる太陽が、この時間だけとても清々しい顔を見せてくれる。ガロードが5歳の時から見知っている日の出とほとんど違いは見られない。穏やかな時間が、ただ静かに流れていた。
 フゥゥゥ──と、息を吐き出す。

「そろそろ、休める場所を見つけねぇとな。ええっと……」

 いつまでも朝日に見入っているわけにはいかない。昼間の直射日光を避けるため、適度な休憩場所を探さなければならなかった。ガロードはそれを見つけ出すべく周囲を見て回した。日中も常に日陰になるような、砂の丘陵や岩石といったものがあれば望ましいのではあるが……。

「おっ」

 今日の朝も思いのほか、簡単に見つけられた。
 砂の大地に取り残されたみたいに存在する1つの小さな岩場があったである。
 小さい、とは言ってもそれはあくまで相対的なものであり、人間に比べればかなり大きい。全長約15mの細長い、四肢を縮ませて地面に伏せたイヌかオオカミのような形をしている岩だった。
 この砂漠に来てからというもの、こうした何かの生き物の形に良く似た岩塊がいくつか見られる。初日に見つけた歪な巨人岩もそうであるが、中には高さが5m程度の割と小さい物まで、大きさも形も様々であった。そのどれもが風化によって表面が荒々しく削られており、どこか動物を思わせる形をしている。いわば大自然が作り出した彫刻といったところだろうか。おかげで休憩場所を探すのに困らず、さほど手間も掛からなかった。

「ティファ、今日はあそこにしようぜ。すぐそこだ」

「ええ……」

 ガロードとティファは慌てずゆっくりと、そのオオカミ岩へと向かった。
 途中足を取られぬよう気を使いながら、慎重に確実に、歩を進めていく。
 太陽が完全にその姿を現し、少しずつ気温の上がり始めた大地。
 やがて、目的の岩場まで辿り着けたふたりは、昼間になっても日が当たらず風除けにもなるちょうど良い大きさの窪みを見つけ、先に入ったティファがぺたんと腰を下ろした。ガロードも肩に下げたカバンを地面に置き、岩肌を背もたれにして地面に座る。服越しに感じるひんやりとした砂と岩の感触。疲れが溜まった身体をほぐしていく。

「今日はここまで、だな。だいぶ、歩けたと思うぜ」

「はぁ……、はぁ……」

「ティファ、荷物……」

「あ……ありがとう……」

 ガロードはティファの背中に背負われたままのカバンを下ろすのを手伝い、自分のものとまとめて1ヶ所に置いた。そしてカバンの脇に固定しておいた水筒を取り外し、蓋を開けて中身を確認してからティファに差し出す。

「ほら、ティファ、水だぜ。少しずつ、ゆっくりな」

「うん……」

 ガロードから水筒を受け取ったティファは、ちびり、ちびりと、少しずつ喉を湿らせるようにして水を飲んでいった。よっぽど喉の渇きを覚えていたのだろうか。やがて、徐々に水筒の傾きが増していっているのに気付いたガロードは、その加減を見計らって待ったを掛ける。

「おっと。もうその辺にしといた方がいいぜ。あんま飲み過ぎると、すぐに喉が乾いちまう」

「……ん……、ハァ……」

 ガロードがそう言うと、ティファは頷いて唇を離した。
 こうした乾燥地帯を歩く場合、必要以上に摂取した水分は排出を促すだけで、かえって身体にも良くないのだ。経験上、消耗した分よりもやや少ない、といった分量に抑えた方が、身体の機能を損なわずに済むうえ、当然ながら水の節約にもなる。これは食料に関しても言えることであり、消化による水分の消費を減らすために食事の量を減らすのも乾燥地帯での基本であった。
 ティファが水を飲み終えたのを見たガロードは、あらかじめ水で少し湿らせておいたタオルを手に取り、彼女の顔に手を伸ばす。
 そのきめ細かな肌に触れると、ティファは身体をぴくりと揺らめかせた。

「え……ガロード?」

「ごめんな。ちょっとの間だけ、じっとしといてくれよ」

 ガロードはティファの頬や額に浮かんだ汗やこびり付いた砂埃をささっと拭き落としていく。汗疹になってしまわないように丁寧に丁寧に。初めは驚いたふうに顔を強張らせたティファであったが、すぐに目を閉じてガロードの成すがままになってくれた。すっかり汚れの落ちたティファの顔を見詰めて、ガロードは満足にニコッと笑う。

「────良しと。これで完璧。綺麗になったぜ、ティファ」

「うん……、ありがとう……」

「へへっ、どういたしまして、だな。──って、ティファ?」

 手に持つタオルの感触がふわっと消える。
 驚くガロードを余所に、何を思ったのだろうか、タオルを奪い取るティファ。
 タオルをきちんとたたみ直した彼女は、持ち手を替えて、こちらを向いてくる。

「今度は……私の番……」

「え……」

「お願い。昨日は出来なかったから……」

 そう言われてしまえば、ガロードにそれを断る理由も術もない。観念して「じゃあ、頼む」とティファの思うままに任せた。ティファの細い指先が、ガロードの頬や額に触れる。先程ガロードがティファにそうしたように、汗や砂埃を取り除いていく。しばらくして視界を塞ぐタオルがなくなると、小さく微笑んだティファが目の前にいた。

「……はい、おしまい」

 それはあたかも、荒野に咲いている一輪の花のような微笑みだった。
 ティファのそのやわらかな笑顔に、ガロードは思わず見惚れてしまう。
 例えやつれていたとしても愛らしい笑顔に変わりはない。こうして真正面からティファの笑顔を見たのは久し振りだと思う。最後にティファの笑顔を見たのは……そう、こちらに来てまだ間もない頃、まだこの地が地球でないと知る前であった気がする。
 その笑顔に複雑な想いを募らせていると、ティファが不思議そうに首をかしげた。
 彼女の潤んだ唇が、そっと動かされる。

「……ガロード?」

「え? あ、いや、その……」

 急に名を呼ばれてドキリとしたガロードは、慌てて取り繕うように目を逸らして頬をかいてみたものの、ティファ相手にそんなことする必要もないな、と思い直して、改めて心中を告白してみた。

「ちょっと驚いてたんだ。ティファ、やっと笑ってくれたなって……。ここに来ちまってからずっと、辛そうにしてたからさ……」

「え……、そう、だった?」

「ああ。自分でも情けねえって思ってるけどな。いくらこんな状況だからって、少しでもティファを元気付けなきゃならないのに……」

「そんなこと、は……」

「いや、現にまだ、助かる見込みなんざまるで見付けられてないんだ。このままじゃいけねぇってのはわかってる。水だってあれからちっとも手に入れられてない。ホント、ざまあねぇよな」

「ガロード……」

 ガロードは視線を上げて、はるか遠くに見える山の峰を見詰める。
 一応はあそこを目印としているが、あくまであの山の麓まで行けば何か水や食料になる物が存在しているのではないか、と期待しているだけにすぎない。助かる確証も何もないのだ。しかしそれでも、誰かの助けが得られるとは思えない現状では、例えどんなに可能性が低くともそれに縋るしか方法がなかった。
 目指す場所は、まだまだ遠い。移動を夜に限定していたとはいえ3日も歩いたのだから、たぶん30kmか40kmほどの距離は稼げたはずである。それでもまだ、この砂漠に終わりは見えない。あまりにも巨大で、人間とスケールが違いすぎる大地の容貌に半ば呆然とするより他がないガロードであった。水を得られていないという事実も、それに拍車を掛けている。

「まだまだ先は、長そうだぜ。どうにかして水を探さねぇと。このままじゃ、あそこに着く前に干上がっちまいそうだ」

 空腹は暑さで食欲が落ちるためある程度我慢できるけれど、喉の渇きはどうにもならない。何もしなくても、ただでさえ汗として流れ出ていくのだ。オアシスもなければ、サボテンに代表される乾燥帯の植物の類や昆虫の姿もない、寒暖の差があまりないため朝霧を集めることも期待できない今の状況では、水を得るのは困難を極めた。
 緊急時にとカバンの中に入れていた飲料水用の容器はやや大きめのサイズがそれぞれ2つずつ。そのうち、片側はまだ手付かずであるが、もう片方はそろそろ底を突きかけている。今後のペースを考えるに、あと3日くらいで……いや、どんなにぎりぎりまで節約したとしても5日も経てば水が尽きてしまうのは確実であろう。
 いまだ助かる見込みもわからず、水の補給する目処も立たない。
 助かるために、生き残るためにも、どうにかしなければならなかった。
 しかし、それがわかっていたとしても、地道に探していく以外に状況を打開するための手段を一向に考え付けなかった。そう思い悩んでいると、その心が伝わったのだろうか、ティファが申し訳なさそうに顔を俯かせ、膝の上でタオルをきゅっと握り締める。

「本当なら……私のチカラで、水を探せればいいのに……」

 彼女の呟きにガロードは先日交わした会話の内容を思い出す。

「こっちに来てからほとんど感じられなくなっちまったんだっけ。あれから、まだ何もなのか?」

 ティファはこくりと頷いた。

「あれからずっと、ざわざわしていて、それがちっとも収まらない。周りのことがまるで感じられないの。ガロードの心だけは、いつでも感じることができるのに……」

 人の心を感じ取ったり、動物と話せたり、果ては未来とされるものが視えたりするティファのチカラ。かつて人の革新が具現化した証だと信じられ、何度もガロードたちを導いてきて、そして人の革新と全く関係がないと告げられた彼女のチカラが、ここに来てからというもの、著しく鈍くなってしまったようなのだ。
 環境の変化か、体調の所為か、精神的なものか、あるいはその全てか。
 ティファにとっても初めての経験であり、その原因はいまだハッキリしないらしい。
 いつもあるはずの感覚が無くなって不安が助長されているためだろうか、ティファが居心地の悪そうに視線を落とし、身を縮め込ませている。
 彼女は、ぽつりと呟いた。

「ガロード……」

「ん、どうした?」

「ごめんなさい。力になれなくて……」

 洩れ出でてくる謝罪の言葉。
 間を置かずガロードはティファに言った。

「いや、そんなことはねぇって。いくらティファのチカラで水のある場所がわかったって、結局最後は自分の眼で探すのに変わりはないんだろ? 水を手に入れること自体になったら、それこそまた別問題だ。ティファが気を病む必要なんか、これっぽっちだってあるもんか」

「でも、それでももし見つけられたら……。その所為でガロードに……」

 心成しかしょんぼりして見えるティファに、ガロードはやさしく微笑み掛ける。

「気にすんなよ。それよりも今は、少しでも早く水を手に入れられるか、そのことだけを考えようぜ。水が流れた跡とか鳥とか虫とか地面が湿った所とか。何だっていい。俺ひとりで探したら見落としちまうかもしれねぇけど、ふたりで探せばきっと見つけられる。ティファがいてくれれば、俺ももっと頑張れるからさ」

 心のままに発した言葉。決してチカラだけがティファの全てではない。彼女にもちゃんと目があって耳があって、嗅覚も触覚も十全に備えているのだ。水の探し出す方法がない訳ではない。ふたりで探せば必ず見つけられる。この砂漠をきっと越えることができる。余計なことに囚われなければ、物事は案外単純なもの。単純ゆえに成し遂げるのは困難だとも言えるが、悩んでばかりいてせっかくの可能性を見落としてしまうような愚だけはなんとしても避けねばならなかった。
 ガロードは手を伸ばし、ティファの頭を触れてみる。3日間砂漠を歩き続けていてもしっとりとした艶やかさを保っている髪の毛に指を通して軽く撫でていると、ティファはくすぐったそうに眼を細めた。小さく「うん……」と頷いた彼女を見て、ガロードも嬉しくなる。自然と笑みを深めていった。
 しばらく間ティファの髪の毛に触れていると、その瞼が眠そうにうとうとと垂れ下がってきているのに気付く。何度か休憩を挟んだとはいえ、夜通し歩いたのだ。ガロードはともかくとして、ティファの体力ではかなり堪えたはずである。本当に、辛いだろうによく頑張っていると思う。そんな彼女の頑張りがあったからこそ、ガロードも心を折らずに気力を保ち続けられたのだ。心の中で済まなさと労いと感謝の気持ちがせめぎ合い、ガロードはティファの頭からすっと手を離す。

「今のうち、寝ときな。眠いんだろ?」

「うん。でも、その前に……」

 と言ってティファが示すのは水筒であった。

『ガロードは、すぐ我慢するから』

 以前そう言った時のティファの顔が、今と重なる。
 ちゃんと飲み終わるまで起きているだろうなと思い、ガロードは飲み過ぎないように注意して、ひと口、ふた口、と含んで身体にじっくり滲み込ませる。もうこれ以上は、と判断したところで水筒の蓋を閉め、元あった場所に片付けた。

「あの、ガロード……」

 ティファが遠慮がちに声を掛けてくる。

「今日も……いい?」

「ん? ああ。もちろんだぜ」

 その言葉と表情で、ティファが何を望んでいるかを察するガロード。
 頷いたティファが腰を上げて隣のすぐ脇にちょこんと座り直し、ガロードはその肩をそっと抱き寄せて迎え入れる。彼女の温かい体温を胸に抱き、肩にはティファの頭が乗せられた。ぴったり身を寄せ合ったふたりは自然と体の力を抜いて、眠る姿勢に入る。

「ティファ、苦しくないか?」

「ううん……とっても、温かい……」

 ティファの瞼がゆっくりと閉じられていく。
 少し前まで同じ部屋で枕を並べて眠ることさえ気恥ずかしかったのに、今はもうこうして互いに触れ合っていないと不安で眠れなくなってしまっている。今日は昨日よりもティファの温もりをさらに近く感じられた。

「おやすみ、ティファ」

「うん。おやすみなさい、ガロード……」

 就寝の挨拶を交わしてまもなくすると、ティファの静かな寝息が聞こえ始める。
 それを見守り見届けたガロードにも疲れがどっとのしかかってきた。
 押し寄せてくる睡魔に、あくびを噛み締める。

(……頑張らないとな。ティファが、ずっと笑顔でいられるように。俺が、もっとちゃんと、しっかりしないと……)

 ガロードはティファの手を握ったまま岩を枕に目をつぶる。
 外界の光は閉ざされ、疲労や眠気や喉の渇きといったものが残った。
 今夜もまだ歩かねばならないのだから、今は休まねばならない。
 体中から力を抜いていき、眠る体勢に入るガロード。
 と、その時であった。

(……ん?)

 ガロードが、とても奇妙な感覚に触れたのは。
 眼を閉じたまま、その感覚に意識を集中させてみる。

(なんでだろ……? なんだか……すっごくあったけえや)

 腕に感じるティファの温もり──だけではない。それとは異なるもう1つの何かが背中全体をふわっと包み込んでいる。背中にあるのは硬い岩肌であるはずなのに、柔らかい生き物にも思わせる、親鳥の羽毛に抱かれていたような感覚だった。
 試しに空いた手で触ってみると、そこにあるのはやはりザラザラとした岩と砂の感触しかない。指先がそのような感覚に触れることはついぞ訪れなかった。
 やっぱり気のせいか。相当疲れているのかな、と溜め息が出る。
 今夜も──正確には今日の夕方からもまた歩き続けなければならない。
 明日を生きるために今は休もう。進んだ先に希望があると、そう信じて。
 ガロードはティファともう1つ別の何かの温もりに抱かれたまま、まどろみの中に意識を手放した。





     * * *





 ティファは、ティファ・アディールは夢を見ていた。
 それは今まで見たこともない、とても不思議な夢だった。
 眼下を、砂や岩が洪水のようにもの凄い勢いで流れている。速く流れ過ぎていて、そして近くにあり過ぎているためか、ティファの動体視力では転がっている石や岩の形状を把握できなかった。
 いまだかつて経験もしたことがない、信じられない速度である。ガロードが操縦する車やモビルスーツといった乗り物よりも、はるかにずっと速く感じる。
 初め、自分が地面すれすれを鳥のように飛んでいるのか、とさえ思った。
 だがティファは空を飛んでなどいない。足から伝えられてくる躍動は、地面を力強く蹴ることによって生まれるもの。身体が信じられないほど軽くなって、地面の上を滑っていくみたいにして、ティファは自らの足で砂の大地を走っていたのだ。

(これは……夢?)

 本来なら絶対に成し得ない自分の行動に、ティファはこれが夢であると自覚した。
 それと同時に、自分自身の足で風の如く走っていることに、夢にしては考えられないほど実感が伴っていることに戸惑いと興奮を覚えた。
 夢に、心を委ねてみる。
 足から伝えられてくる躍動と、心の奥底から湧き上がってくる衝動に身を奮わせ、まるで自分が野生の獣になったように、本能の赴くままにティファは走った。


 ──もっと。


 まだ足りないと、心が求めてくる。


 ──もっと速く。


 身体がその要求に応え、さらにスピードを上げた。
 正面から当たる風圧が強くなり、ティファは片目を閉じる。


 ──もっと遠くへ。


 見渡す限り広がる砂漠の向こうまで行ってみたい。
 決壊寸前の思いが身体から吹きこぼれてくる。


 ──まだだ。もっと速く。もっと遠くへ。


 まだだ。自分の力はこんなものではない。自分はもっと速く走れる。どこへでも行ける。この砂漠を隅々まで走り抜けたい。
 内に秘める感情を爆発させ、ティファは吼えた。
 ティファは持てる力を振り絞り、行く手を遮る風を切り裂き、種族の限界を、自分の限界を超えて、自分が出せる、種族の中で自分にしか出せないと自負できる、最高の速度で砂漠を走り抜ける。


 ──熱い。熱い。心も体も。


 難題を成し遂げた達成感と、初めて体験するたまらない爽快感にすっかり夢中になってしまった。いつまでも走り続けたい。ティファは心の底からそう思った。

『いいぞ。さすが俺の相棒だ。お前は最高だぜ』

(────っ!)

 突然、投げ掛けられた声にティファの意識は跳ね上がる。
 自分ではない。ガロードでもない。聞き覚えがまるでない1人の男性の声だった。

(誰……?)

 見回してもその姿は見えない。ティファはひとりで砂漠を走っている。
 だがなぜだろう。決して“独り”ではないような気がした。

(……嬉しい、の?)

 ティファは、その男性に褒められて歓喜に奮える“何か”の心を感じ取った。
 とても近くに。

(何……これ?)

 温かくて、純粋で、無邪気で、それでいて誇り高い“何か”の心。その姿はどこにも見えず、それが何者なのか、その正体はわからない。
 ただティファは感じる。その“何か”の心はガロードのそれと同じようにとてもきれいで、力強くて、とてもやさしいものであるということを。
 直感的に今までの感情はこの“何か”のものであり、この夢が未来を見る夢ではなく“何か”の記憶であると理解できた。
 夢の中でティファはちょっと怯えながらも、その心があまりに温かだったので、“何か”の意識に触れてみようと手を伸ばす。両手いっぱいに、腕いっぱいにその存在を受け止めてみて、その大きさと温もりに不安や恐怖が薄らいでいく感じがした。

『さあ、そろそろ帰るぞ。────、──』

 また男性の声を聞こえてくる。
 名前を呼ばれたみたいだったが、聞き取ることはできなかった。
 その指示に対して“何か”の心は、まだ走りたいのに、と不服を訴えている。

『そう言うな。早く戻らないと、命令違反だってどやされるだろう?』

 男性はそう言って、不満そうに拗ねる“何か”をなだめた。
 その声には相手を慈しむやさしさと固い絆で結ばれた信頼が込められていた。

『また、一緒に走りに来ようぜ。俺とお前ならどこへでも行ける。なあ相棒!』

 速度が緩んだかと思うと、ティファの意思を無視して視界がぐるっと回り、また加速した。男性の指示に従って“何か”が走る向きを変えたのだ。しぶしぶ納得していないながらも嬉しさに隠さぬ感情が流れ込んでくる。

(…………っ! 待って!)

 いつの間にか、ティファは立ち止まっていた。
 ティファを置き去りにして、男性と“何か”は走り去っていく。
 走り出そうとしても身体は前に進まない。
 逆に後ろへ引っ張られるような力が働く。
 視界が色彩を失い、急速に黒く塗り潰されていった。

(待って!)

 全てが黒く染まる前にティファは叫ぶ。
 その叫びに応えるように、疾走する“何か”が、天に吼えた。

『ウォオオオオオオォオオオオオオオオオォン!』

 野生の狼の遠吠えを思わせる、夢の中に響き渡る巨大な雄叫び。
 最後にそれを聞き、ティファは目覚めた。





 ぱちりと開いた視界には、もはや見慣れてしまった、砂の大地が映っていた。
 すっかり日は高く昇り、昼間の喧騒とざわめきを取り戻した灼熱の砂漠が見える。 
 ティファは慌てて頭を揺り動かし、見える範囲に目を向けてみた。

「……どこにも、いない……」

 いくら探してみても、求めるものらしき姿はどこにも存在しない。砂漠を駆ける“何か”の姿も、声しかわからぬ男性の影も、誰かが通り抜けた際にできる足跡や轍といった痕跡さえも、ティファの眼には見つけることができなかった。

「今の夢は……何?」

 視線を正面に戻して、ティファはひとり考える。
 先程見たあの夢は、一体何だったのだろうか、と。
 とても心地良く、最後はぷつりと途切れてしまった、とても不思議な夢。
 あれは未来ではなく過去に起きた出来事であり、自分でもガロードでもない“何か”の記憶や思念を反映させたものなのであろう。ティファは自らが持つチカラゆえにそうした夢を見ること自体は特に珍しいことではない。今でもガロードとの願望を投影させた普通の夢に混ざって時折見ている。だが、今さっき見た夢は、それらともどこか、何かが異なっているように思えた。だからこそ、不思議だった。

「私は、誰の夢を……?」

 この砂漠を目にも留まらぬ速さで走る“何か”の夢。あれがただの、空想の産物だとは思えない。大地を走り抜けた感触が、喜びに奮えた“何か”の躍動が、信頼に呼び掛けてくる男性の声が、最後に聞こえた雄々しき咆哮が、そのどれもがティファの心を掴み、頭の中から離れていこうとしなかった。
 もしかしたら単に目で見えないだけで、自分たちの他に誰かがいるかもしれない。意識を集中させ、感覚を外へ向けてみる。ティファは心の奥底からいるかどうかもわからぬ正体不明な“何か”に呼び掛け、必死に意識を傾けてみる。もしかしたらと思いはしたものの、やはりと言うべきか、やがてそれはただの徒労に終わってしまう。

「……やっぱり、だめ」

 ティファは探すのを諦め、落胆に息をこぼす。
 いくら精神を集中させてみても、感じられるのは隣で眠るガロードの心のみ。物心ついた頃からずっと嫌が応がなく共にあった感覚が、この砂漠に来て以来ほとんど機能しておらず、周囲に知覚できるものは何もない。まるでチカラが目隠しをされて、耳を中途半端に塞がれているかのよう。探索の手を広げてみようにも、相も変わらず空間を満たす雑音に遮られて、少しでも気を抜けば手の届く範囲すら何もわからなくなってしまうのだ。
 この地に来て以来、やっと感じることの出来た“何か”の存在。それをきちんと確認できなくて、ひょっとしたら何かの手掛かりになっていたかもしれないと、残念に思う気持ちは拭い切れない。落ち込んで顔を俯かせていると、眠っていたはずのガロードが急にティファの名を呼ぶ。

「────んっ、ティファ……」

「……! ガロード?」

 呼ばれてティファは、小さく驚いて彼の顔を覗き込んだ。

「…………」

 声を掛けてみても返事はない。どうやら寝言だったようだ。
 起こしてしまったのだろうかと心配していたティファは、ガロードの無防備な寝顔を見詰めて安堵する。彼はティファが眠る前と同じ姿勢で、ほとんど音を立てずに気持ち良さそうに眠っていた。

「ガロード……」

 その安らかな寝顔を見、ティファは微笑む。
 ふたりきりで旅をするようになって知ったことだが、ガロードはそばに他の誰かがいるとき、決して警戒を緩めようとしない。どんなに眠くとも浅く眠り、いびきを掻くことさえ稀である。不用意に近付いてくる者がいれば、すぐさま目を覚まして不測の事態に備える。ガロードはティファとふたりきりでいるときに限って深い眠りの世界に入るのだ。ガロードの安心しきった寝顔はティファにしか見せてくれないもの。ティファはそれが嬉しく、誇らしかった。
 ティファは起こさないように注意して、ガロードの頭を自分の肩にへと誘う。

「ごねんね。私の所為で……」

 ガロードがティファを足手まといじゃない、ティファの存在が心の支えになっていると言ってくれて、実際にそれが嘘偽りない本心であるとわかっていても、自分が彼に負担を掛けているのは事実だった。
 同時に、チカラが乏しくなった自分はなんと無力であろうか、とティファは思う。
 ただチカラが思うように使えなくなっただけで、今まで当たり前に感じられたものが感じられなくなっただけで、ただそれだけのことなのにも拘わらず、ティファの心は不安や恐怖にも似た感情に晒されている。
 この地。この砂漠。名もわからぬこの大地。
 大自然の強大な存在に比べれば、人はあまりに微弱でちっぽけだ。そしてそれはチカラのあるなしで覆るような生易しいものではないのだと、改めて思い知らしめられる。
 もしもここにガロードがいなければ、もしもガロードの心に触れられていなければ、途方に暮れて砂漠を歩こうという発想さえも起きず、とっくにティファの心は潰れて力尽きていたに違いなかった。

「私は、私ひとりだけだと、何も出来ていない……」

 自分は、自分の心は、ガロードに依存している。
 それは決して不快なことではない。ティファがティファでいるための大事な要素だとも思う。だが、いつまでも今のままでいたくなかった。少しでもガロードと苦労を分かち支え合い、彼の負担を軽くしてあげたかった。ガロードに甘えたいという欲求がある反面、甘えたくない、甘えさせたいという感情が芽生えてくる。
 ふと、さっき見た夢の情景が蘇ってきた。
 この砂漠をもろともせずにひた走る“何か”の存在。
 それは強烈に、いつまでもティファの心に焼き付いている。

「私、走ってた……」

 あの夢の中でティファは自分の足で走っていた。体が軽く、風のように速く。
 いつの日にか、ああして走れる日が来るのだろうか。あの“何か”と男性のように、ティファはティファ自身の力でもって、ガロードもガロード自身の力でもって、互いの信頼によって力を合わせ、時には互いを補い合いながら同じ道を走る日が。
 いつかそうなりたいと想う。その想いを実現させたいと、ティファは心より願う。
 しかしその為には、願うばかりではいけない。それは他でもない、ガロードから教えてもらったこと。未来は自分たちの手で切り開くものなのだ。力でも想いでもない、願いを実現させるに必要なだけの『強さ』が欲しいとティファは思った。

「ガロード……」

「う……ん……」

 少年の名を呼び、その手を強く握った。
 ガロードはむずったが、一拍置いて安らかな眠りを再開する。
 ティファは自分の思いの丈を、言葉にして綴った。

「ガロード。私はいつか、貴方と一緒に走りたい。私、頑張るから……」

 ガロードが起きたら、あの夢の話をしよう。
 名も知らぬ男性と固い絆を結んで砂漠を走る“何か”の話を。
 ティファは本日2回目の「おやすみなさい」を言って再び眠りにつく。
 また夢を見るために。今度はガロードと一緒に、彼と並んで走る夢を見るために。
 ティファの意識は、眠りの世界へと落ちていった。





     * * *





 ひとたび目覚めた片方の意識は、また眠りについたようだ。
 何の因果か、私はまだ生きている。
 本来なら真っ先に失われているはずの意識が、僅かに取り残されていたのだ。
 過去に主を失い、自らも核に致命傷を負った私の身体が、完全に“石化”してしまっているのにも拘らず。
 もう走ることはおろか、立ち上がることも、喉を震わせることも、首をもたげさせることも、爪1つを動かすことさえもできやしない。眼や耳が外の情報を伝えてくることもない。身体と意識が切り離され、自分のものではなくなっていた。
 何をするのも叶わず、何も感じられない。外部と隔離された世界で心はすっかり麻痺し、考えることさえ億劫になっていく。感動も死への恐怖も時の流れの中に置き去ってしまった。たゆたう時間の中をただ無気力にあり続け、孤独と退屈を友にし、己の核が機能を停止するのをじっと待つ。そのまま本当に永遠の闇の中に沈んでいってしまいそうに見えたし、自分でも心の片隅でそう願っていたかもしれない。
 しかし、そんな私の心を揺り動かす事件が起こる。
 いつものように虚ろな暗闇を漂っていると、自分に接近してくる2つの命の存在を感じ取ったのだ。人間だった。
 その感覚に私は「おや?」と思った。眼も耳も失ってしまった今の私はその姿を見ることもできなければ、聞くこともできない。それなのにもかかわらず、私はその存在を感じることができた。センサーを介さずに私の核へ直接働きかけてくるような、不思議な感覚だった。
 俄然興味を引かれた私は好奇心を押さえられず、石化した身体の中からその2つの命に注意を向ける。彼らは石になった私の存在を知ってか知らずか、全く気付いていないといったふうに近寄ってきて、私のすぐそばで立ち止まると心を寄せ合うように身と心を癒し始めた。
 私はそれをずっと石化した身体の中から感じていた。
 弱々しく、踏み付ければ消えてしまいそうな儚い命の灯火。彼らの心は互いに固い絆で結ばれ合い、支え合い、慈しみ合っていた。その心に触れているうちに私自身の心が温かくなってきた。人の心に触れるのが懐かしいと思った。
 おのずとかつての主人を彷彿とさせられ、記憶の奥底に仕舞い込まれていた思い出の日々が蘇ってくる。呼び覚まされた記憶の中で私は主人と共に全力で大地を駆け巡り、咆哮を上げた。



 ──また、走れた。


 ──彼と一緒に、また走れた。


 たとえ身体が朽ち果て、心が麻痺しようとも、情熱の炎はくすぶり続けていた。私の核は熱を持っていき、鼓動が跳ね上がる。あの懐かしき日々と同じように…………。
 だが、もう限界だった。
 意識が遠退いていく。ほとんど灰になっていた私の核が、この2つの小さな命に触れて燃え盛り、燃え尽きようとしていた。命の残り火が今にも消えそうだ。おそらくもう2度と目覚めることはないだろう。
 後悔は、ない。
 むしろ最期の一刻までこの身に宿る激情を心に描けて満足のいく思いだった。
 その切っ掛けを与えてくれたふたりの小さき者たちに感謝したかった。もしもこの身が万全ならば、共に走ってみたいとさえ思う。もはや叶わぬ望みだ。
 ついに、私の核が燃え尽きる。核全体に広がっていた亀裂がさらに広がっていき、細かく砕け散っていくのにつれて心が霧散していった。今世との、別れの時である。

『よくやっ……、……ルフ』

 声が、聞こえる。私にとってとても懐かしい声が。

『よくやったな、ウルフ。コマンドウルフ……!』

 この地で散ったかつての主人が最期に告げた言葉。
 その声が今、聞こえた気がしたのだ。





     * * *





「ハァ……、ハァ……」

 ガロードは、歩いていた。
 固く乾いた土で覆われた大地の上を、ただひたすらに、前へ向かって。
 あれから、あのオオカミ岩を出発してすでに丸4日が経過し、この大地にやってきて8日目の今日。現在位置は山の麓の程近く、さらさらした砂の大地が終焉を迎えたばかりの丘陵地帯に差し掛かっていた。
 だが、事態は悪化してきていると言ってよい。ガロードが足を踏み出すたびに。その額からは汗の滴が流れ、頬を伝って地面に落ちていく。気温が、かなり上っててきているのだ。朝日が昇ってからもうすでに、3時間が過ぎていた。静かな夜はとっくに終わりを告げ、生きとし生きるもの全てを焼き尽くす炎のような日差しが、頭上から容赦なく降り注いでいる。風に舞い上がった砂粒や粉塵が皮膚に当たって表面を削っていき、口や鼻の中にも侵入してきていた。

「くっ、ハァ……、ハァ……、くそぉ……」

 ガロードの足取りは、当然ながら重い。もう今日だけで何度目なのかわからなくなった悪態を吐き捨てた。膝がコチコチに固まり、まるで足枷でもされているみたいに、思うように靴底が地面から離れなかった。太股とふくろはぎの筋肉が膨れ上がっていて、血豆が出来て潰れているのか、固い地面を踏むたびに足の裏に痛みが走る。

「──痛っ! あ……」

 何とか姿勢を保とうとしたがもう遅い。痛みでから足を踏んだガロードは、バランスを崩しかける。寸でのところで踏みとどめられたが、その拍子に背中にある重みがずるりと落ちてしまう。支えていた重心が後ろに移動して、今度は身体を仰け反ってしまいそうになった。

「この! う、よっと……。フゥ……」

 ガロードは器用に反動を利用して踏ん張り、背中のものを元の位置に背負い直す。
 耳元で「────んっ」と吐息が漏れた。ガロードの耳元のすぐ傍にある少女の声。身体の向きを後ろに回さずとも、眼と首を少し動かせば、肌と肌が触れ合う距離に目を閉じてぐったりとガロードの背中に身を預けているティファの顔がある。

「頑張れよ、ティファ。今……休める場所……探すからな……」

「…………、…………」

 返事の声はなかったものの、ガロードの肩に置かれたティファの手と頭がわずかに動いた。頷いたのだと、なんとなくわかる。同じやり取りが数分に1回は、必ず繰り返されていた。

「畜生……、早いとこ、ティファを休ませねぇと……」

 ティファが倒れたの今から5、6時間前、夜が明ける前のことだ。
 ここ数日間と同じように、昨夜も双月に照らされた大地を歩いていると、その途中、辛そうに身体を揺らめかせていたティファが、膝から力が抜けたようにガクリと腰を落とした。彼女はガロードに謝罪の言葉を述べ、すぐに立ち上がろうとしていたが、足腰が言うことを聞かず、ぴくりとも動かない。ティファの脚力はもう限界であった。それでも無理を圧して歩こうとするティファを何とか説き伏せ、ガロードは彼女を背負い、今こうして歩を進めていたのである。

「つ……、この……、ハァ……、くっ、せめて、日陰だけでもありゃあ……」

 ガロードは、焦っていた。
 日が昇ってかなりの時間が経過しているにも拘らず、休憩に適した日陰を見つけることが出来ていない。昨日までのガロードとティファに適度な日陰をもたらしてくれていた岩場たちは、砂漠が終焉を迎えると共にその姿をすっかり消していた。地面を掘って日陰を作ろうにも土が固く、それを実行することは叶わない。今はジャケットを脱いでティファの頭に被せ、時々頭の遙か上空を流れ去っていく雲の影を、日除けにしているに過ぎなかった。

「あ……暑い……くそっ!」

 言うまでもないが、熱射の影響に受けているのはティファだけではない。
 ガロードも暑さにやられ、意識が朦朧としてきている。大気の揺らぎに関係なく目がかすんでふらふらし、思考も単調になってしまっていて考えるのも重労働だった。そのためなのか、いちいち口にする必要のないことまで声に出してしまう。

「まだ……まだだ……まだ、終わらねぇ……」

 足を踏み締めて前に進むごとに、汗の滴が荒野へ落ち、瞬く間に蒸発していく。

「……せっかく、ここまで来たんだ……」

 ガロードは歩き続けていた。1つ1つ、歩みを積み重ねてながら。
 胸に宿るほんの僅かな希望を、ただそれを信じて。

「……誰かが、いるんだ……ここには、絶対っ」

 思い出すのは、4日前にティファから聞かせてもらった話。
 あのオオカミ岩でティファが見たという夢の話だ。
 名も姿もわからぬ男らしき人物と、男と共に砂漠を走る“何か”の存在。
 ティファの夢がもたらす意味。それはこの大地にも、この砂漠の果てにも、地球と同様に誰かが生きて暮らしているという可能性だった。
 たかが夢といえばそこまでだが、他でもないティファの言葉である。ガロードは誰が何と言おうと、彼女の言葉を、ティファを信じた。あれからそれらしき姿や形は目にしていないものの、この地が生きるものの全くいない死の世界ではないと、確信していたのだ。ガロードは希望を持った。だからこそ決意を新たに足を踏み出している。

「ティファ……、頑張れ……、ティファ……」

 緩やかな斜面を登りながら、ガロードは背中にいる少女に呼び掛ける。
 そして自分へも。

「……死なせて……たまるか……」

 背中に掛かる、ティファの重み。大切な命の重み。

「……死んで……たまるか……」

 その存在その温もりが、ガロードの意志を強固なまでに奮い立たせていた。
 かつてモビルスーツに乗っていた頃、彼女のために戦った日々と同じように。
 自分が倒れたら、もう2度と立ち上がれない。
 きっとそうなってしまうだろうという自信さえあった。
 自分が倒れてしまえば、ティファの命も潰えてしまう。
 その脅迫観念にも似た想いがガロードの身体を突き動かしていた。

「ハァ……ハァ……」

 ガロードは歩く。
 ガロードは諦めない。
 歩かなければ道を切り開くことはできないのだ。自分とティファが生き延びるため、生きるため、たとえどんなに歩みが遅くても、足枷がされたように足が思う通りに動かなかったとしても、ガロードは前へ進むのを諦めはしなかった。

「よっ、このっ…………ふう。やっと、越えられたか……」

 やがて傾斜がなくなり、視界が開ける。登ってきた丘の頂上に着いたらしい。
 ガロードを足を止めて一旦深呼吸をする。その後で息を整えつつ頭を上げ、今まで大地の下に隠れていた光景を見て回し、表情を愕然としたものに変えてしまった。

「うそだろ。あれは……」

 ガロードたちが登ってきた丘は緩やかに下っていき、起伏の少ないなだらかな丘陵をしばし続けている。しかし問題は、そのさらに向こうにあった。まるでナイフで切り取ったかのような壁面が、切り立つ崖となってそびえている。その高さは目測でおよそ40mから50mといったところだろうか。左右を見渡せば、その末端がくっきり見えないほどの幅である。この先をこのまま直進するのは事実上不可能だった。

「くそ……ここまでなのか?」

 気力を振り絞って崖下まで辿り着いたガロードは、半ば折れかけた心で、その切り立つ岩肌を憎々しげ見上げてみる。
 ほぼ垂直に立ち塞がっている巨大な岩の壁には足掛かりになろそうな場所がほとんどなく、ティファを背負ったまま登れるような場所はどこにもない。
 今度は左を見、右を見る。
 太陽との位置関係で、崖と地面の境界にふたりの身体が収まるほどの日影は生じていなかった。身体を休める場所さえ見つけられない。
 本当に、もう助かる術はないのだろうか。そんな嫌な考えが頭の中をちらつく。

「────いや、まだだ。必ずどっかに……」

 自らの考えを振り払い、ガロードは見落としがないかと目を凝らした。
 ほんの僅かでもいい。自分とティファが助かる為ならば何でも良かった。
 そうしている間にも時間は無常にも止まることなく進み続けている。
 額から頬を伝った汗が落ちて、乾いた土の中にへと吸い込まれていく。
 ガロードは、考えた。

「どっちに行く……?」

 左か右か。どちらへ行くべきか。
 どちらを選ぶにしても、今いる場所に引き返すことはおそらくないであろう。
 一方を選べば助かり、もう一方を選べば助からないかもしれない。あるいは両方とも助かる道であり、両方とも助からない道である可能性もある。こんなとき少しでも手掛かりが欲しいけれど、無い物ねだりしても仕方がなかった。
 ガロードは、しばし悩む。
 どちらに行こうか、そう簡単には決めあぐねていた。時間が経てば経つほど焦る気持ちが膨張し、流れる汗もその量を増大していく。いつまでも悩んでいられるほど、悠長にしていられる余裕などないと頭でわかっていても、安易に決断を下すことはできなかった。

「……ん?」

 そしてガロードはあることに気付く。
 1つは焦る心の中に染み入ってくるみたいに荒野を駆け巡る乾いた風が吹き込んできたということ。それとは別にもう1つ、ガロードの汗でにじんだ頬を、ぱたぱたと小さな風が繰り返し当たっていることであった。心成しか、音まで聞こえる。

「あれ……これって……」

 気にしなければそのまま無視してしまうようなとても弱々しい空気の流れ。
 だが、それは確かに感じられるのだ。いったい何が──その不可思議な感覚にうろたえたガロードの耳元から、1匹の蝶がひらりひらりと舞い上がった。

「……。…………。え……?」

 それは名前も種類もどこからやって来たかもわからない、一見どこにでもいそうな何の変哲もない1匹の黄色い蝶だった。4枚の翅を上下に羽ばたかせ、鳥とも飛行機とも異なった、独特の舞を見せる1匹の蝶が、昼間の荒地を優雅に飛んでいる。
 まるで時が止まったかのように周囲の音が消え去った。
 しんと静まり返った空間の中に、蝶の羽音だけが不思議と耳に届く。
 あたかもそれは幻想を見ていると錯覚するような、ある意味、現実離れしているのではないかと思わせられるような光景だった。

「……………………」

 ガロードはついつい息をするのも忘れて見入ってしまっていた。
 蝶はガロードの視界の中で何度か弧を描いて飛び回ると、いずこかへ去っていく。
 徐々にその姿が小さくなってきて、ガロードはハッと我に返ってそれを追いかけた。

「ま、待てよ……」

 身体の痛みも疲労も忘れ、ガロードは足を速める。

「待ってくれよ……」

 蝶はひらひらと、立ち止まってしまうとすぐに見失ってしまいそうで、触れてしまえば霞んで消えてしまいそうな、追いつこうと思っても、追いつけるようで追いつけない距離を保ったまま宙を舞っている。

「待てって……」

 ガロードは一心不乱に、無我夢中で蝶を追いかける。

「待てっ……────うわあっ!?」


 蝶に意識が向いて、足元への注意が疎かになっていた。
 ちょっとした地面のゆるみに足を取られ、躓いてしまう。
 ガロードはティファを背負っていてまともな受身を取れず、額を中心に顔面をしたたかに打った。
 額をぶつけた衝撃で頭をくらくらとさせつつ、追いかけていた蝶を捜す。
 宙を見上げても、その姿は見当たらない。
 まだどこかにいるはずだ。地面に、晴れた空に、崖の壁面に目を向けてみる。

「え…………」
 
 ガロードは身体を硬直させて、蝶を捜すのをやめた。
 もう、追いかける必要が、なくなったのだ。

「────あった」

 どこまでも続いているかに見えた崖が、一部だけ亀裂が入ったかのように途切れている。重なり合った崖の壁面の奥に、荒野の熱風や灼熱から隠れる形で木々が生い茂り、隙間からその緑を覗かせている。追いかけていたのと同じ種類の蝶がたくさん、木々に咲いている花に群がり、蜜を吸うのを競い合っていた。

「やった……」

 谷間の奥から吹いてくる風がしっとりと湿気のある空気を運んできて、緑の葉と甘い花の香りを乾燥した砂の大地の上に蒔き散らす。夢でも幻想でもない。確かな命の営みが、そこにあったのである。

「やった! やったぁ! あった! あったぜティファ! ティファ、なあ!」

 ガロードは飛び上がらんばかりに、喜んで肩越しにティファの顔を覗き込んだ。
 一刻も早くこの喜びを彼女に伝えたい。ガロードはそう思っていた。
 だがしかし……ティファの応答は、ついぞ訪れない。

「────っ! ティファ!?」

 くっと乾いた息を飲み込む。
 ガロードは動転した。同年代の少女たちに比べれても軽い方に入る、小柄な彼女の身体が嫌なくらいに軽く感じ、異常なまでの熱を帯びてきている。肩から垂れ下がる彼女の左手に、力は無い。先ほどの転倒で怪我はしていないようだが、ティファは明らかに意識を失っていた。これは転倒による失神などとは違う。

「ティファ!? ティファ! おい、しっかりするんだ! ティファ!」

 いくら呼びかけても、揺すっても、反応はなかった。ティファは何も答えない。
 せっかく木々が生い茂っている場所を見つけても、ティファが無事でいなければ意味がないのだ。蝶を追いかけるのに夢中になったあまり、彼女の状態に気付けなかった自分を、ガロードは罵った。

(落ち着け……落ち着けよ……まだ死んだって決まったわけじゃねぇ!)

 心の中で呪詛のように唱え、神経を研ぎ澄ませる。
 すーはーと深呼吸をして、再度ティファの顔を窺った。

「よかった……、生きてる……」

 自然と顔がほころぶ。ティファはまだ、生きていた。
 かすかに唇から吐息がこぼれ、衣服の布越しに彼女の心臓はガロードの背中へ小さな鼓動を伝えてきている。命の鼓動は消えてなどいなかった。
 ガロードは、声を張り上げる。

「ティファ、もう少しの辛抱だ! 頑張れ! 頑張れよ、ティファ!」

 急げばまだ間に合う。
 水と、新鮮な食べ物さえあれば、ティファは元気になれる。
 ガロードは我が身を省みず、渾身の力を込めて立ち上がった。
 全ては最も大切な愛する少女のために。
 その為の希望は、ガロードのすぐ目の前にあるのだから。





   第2話「貴方と一緒に走りたい(ティファ・アディール)」了


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 第2話をお読み頂きましてありがとうございました。
 本作におきましては、ゾイドは個体によって多かれ少なかれ自意識を持っているものとして話を進めていきたいと思います。
 また第1話でも少し触れましたが、ティファのチカラは惑星Zi上においてかなり限定的なものとなっています。具体的に言えば今回のような特殊なケースを除いて現段階ではガロードの心ぐらいしかまともに感知できないといった具合です。
 1週間ほどの日数を掛けて砂漠越えを果たしたふたりがどのようになるのかは第3話にて描いていますので、お楽しみを。
 では。



[33614] 第3話「そんなに驚くことじゃないだろ?」
Name: 組合長◆6f875cea ID:3a5d5162
Date: 2012/11/03 15:53





   ──ZOIDS GT──





 月が、出ている。
 それは清らかな白色にも、鮮やかな黄色にも、澄んだ蒼色にも、あるいは妖しく艶やかな朱色にも見える、生まれる前からずっとそこにあった、ただただ美しい光でかがやく、たった1つの満月だった。
 月を見上げる。ただそれだけの行為が心から不安を洗い流し、代わりに満たす安らぎをいつも与えてくれる。どんなに辛いことや悲しいことがあったとしてもやさしく包み込んでくれる。そんな不思議な力が月にはあるのだと、幼い頃からずっと思っていた。
 淡い闇色に彩られた中天の夜空、降り注ぐ月光に照らされた世界で、どこまでも見渡す限り広がる砂の大地にぽつんと座り、過ぎていく時の流れに身と心を任せている。
 どれほどの時間を、そうして過ごしていただろうか。
 わずか数分のことにも思えるし、数刻経ったとも思えてくる。
 きっかけは些細なことだった。
 不変に続くかに見えた世界に新たな風が吹き込んでくる。
 じっと月を眺めていると、さくっ、さくっ、と後ろから誰かの足音がやってきた。
 世界が変わる。変わっていく。まるでその足音に相槌を打つかのように。世界が少しずつだけれども確実に拡がり、涼やかな静寂さから温かく芳醇なものへと変わっていくのを、心の深い部分で感じ取ることができた。
 背後から近付く足音は、すぐそばで、止まる。
 それが誰のものであるか、とうにわかっていた。
 足音の持ち主を思い浮かべ、微笑みながら振り返る。
 そこには、幸せそうな笑顔を浮かべたひとりの少年がいた。


 ──ガロード……。


 ──ティファ……。


 名を呼び合い、短く言葉を交わす。
 互いへの想いを、その存在を確かめる。
 少年が隣に腰を下ろし、ふたりは微笑み合って一緒に月を眺めた。
 そっと肩を抱かれ、引き寄せられる。少年の体にもたれ掛かると、心を温かくて気持ちいい、ぬるま湯につかったみたいな感覚が満たしていく。きゅっと回された少年の腕から彼の温もりが伝わってきて、最後に残っていた心の障壁を溶かしてくれていた。
 もはや、ふたりの心を分け隔てるものは何もない。
 息を吸い込むのと同じ仕草で感じ取れる。
 この少年の心ならば、いつでも飛び込んでいける。
 少年の心は、例えどんなことが起こったとしても自分を受け止めてくれる。
 それは、あの月光の下、初めて出逢った時からずっと育まれてきた、これからもさらに育んでいきたい、自分が自分であるための、彼が彼であるための、何にも代えられない大切な想いが織り成す真実だった。
 ふたりを包む月の明かりが増す、増していく。
 あたかもふたりの想いを具現化し、祝福するかのように。
 明るくなった夜空には、いつしか月が2つとなって並んでおり、見上げる少年と自分を包み込むようにして、やさしく、柔らかな光でもってかがやいていた。





   第3話「そんなに驚くことじゃないだろ?」





「う……、ん……」

 眠りから覚めたティファが瞼を開くと、そこに双月を掲げた夜空の光景はなく、青い空に白い雲、何本もの交錯した木の枝や生い茂る緑の天蓋が広がっていた。
 ひと口に緑といっても様々な色がある。濃い色薄い色、黄色味が掛かったものや赤味が掛かったもの。それら全てが太陽から降り注ぐ光を透かし、影を作って十重二十重にも重なり合っている。時折、ふわぁと爽やかな風が吹くたびに、木の葉と木の葉が擦れ合い、鈴のような音色を奏で、どこからともなく聞こえる小鳥のさえずりや虫たちの声と混ざり、刻々と変化していくメロディーをティファの耳にへと届けてくれていた。
 視界を彩る色彩にふと懐かしさを覚え、風と共に増減する太陽の光に眼を細める。
 大きく息を吸い込むと、風に散らされ運ばれた緑の香りが鼻腔に立ち込めてきた。

(とても……いいにおい……)

 ぽかぽかと、身体全体に降り注ぐ爽やかな木洩れ日。
 月明かりとはまた違う、実感のある温もりがティファを包み込んでいる。
 額に置かれた、なにやら柔らかくてひんやりとした感触が非常に心地良い。
 久し振りに味わえた、とても気持ちの良い目覚めであった。
 鳥の鳴き声が、ひときわ大きく聞こえてくる。

(鳥……ないている……)

 クゥルッ、クルックゥ、と独特な響きを持ち、どこかで聞き覚えのあるようなないような、そんな不思議な調べに、この鳴き声はどんな種類の鳥が奏でているものだったろうかと、持ち得る記憶と知識を照らし合わせてその姿を思い浮かべてみる。
 そっと頭上に広がる緑の天蓋に目を向けると、空気を打つ羽ばたきと共に、1羽の鳥が飛び立っていくのが、ちらりと映った。
 羽毛は白く、くちばしは大きくて尾が長い、初めて見る鳥だった。

「────……えっ?」

 鳥だ。紛れなく鳥である。
 その鳥が飛ぶ様を目の当たりにして、ティファは意識を一気に覚醒させた。
 反射的に身を起こそうとしたけれども、その途端、身体中を痺れるような痛みが駆け巡ったため、トスンと背中を地面に打ち付けてしまう。身体が思うように動かず、信じられないくらいに重い。起き上がることさえ叶わなくて、無理に動こうとするたびにおのずと口から呻き声が零れ落ちてきた。

「う……、んんっ……」

 どんなに抗おうにも、下手に力を入れようとすればそれだけで節々に刺すような激痛が襲い掛かってきて、ティファを地面に縛り付ける。呼吸は乱れ、汗が滲み、早くなった脈拍をティファは聞いた。立つことはおろか起きることすらも叶わず、ティファは地面に仰向けな状態のまま、身を捩じるしか術がなかった。
 ティファの身体は、ティファが思っている以上に衰弱していたようである。何も身体を蝕むのは痛みばかりではない。いくらか軽減されたとはいえ、まだまだ全体的に気だるさや火照り、喉の渇きが残っており、意識も曖昧としていて咄嗟の判断が出来ずにいる。自分がどういう状況に置かれ、自分の身に何が起きているのか、考えようにも思考がまともに働かず追い付いていないのが現状だった。

「ふぅ……、ん……、すぅ……、はぁ……、はぁ……」

 とにかく落ち着こう。ティファは起き上げるのを諦め、痛みの波が引くのをじっと待つ。息を整えつつ徐々に意識をまとめていき、改めて周囲へと注意を向けてみた。生い茂る木の枝を見、青い空を見上げる。
 そうすることでいくらか落ち着きを取り戻してきたためか、徐々にではあるが、自らが置かれた状況について把握し出してくる。

「ここ……、は?」

 ティファはどうやら、どこかの森の中にある、芝生の上に寝かされているらしい。背中を包むのは乾いた砂ではなく、やや湿り気を含んだ草と土の感触であり、頭上を見上げれば天に向かって伸びる太い木の幹があった。

「ここは……どこ?」

 おかしい。どうして。ティファの頭の中を2つの言葉が首をもたげて反芻する。
 記憶にある限り自分たちは先ほどまで砂漠を歩いていたはずなのだ。それにも拘わらず、ここには生命が満ち溢れ、生い茂る木々や力いっぱい羽ばたく鳥がその姿を見せてくれている。
 生きるもののいない灼熱の砂漠から、命の営みのある森の中へ。
 記憶が途切れる前と後で変わりに変わってしまった環境に戸惑わざるを得ない。
 ここはどこなのか。なぜ自分はこんな所で横になっているのだろうか。困り果てて視線を彷徨わせていると、何かの拍子でティファの額から、柔らかく冷たい感触がずれ落ちてくる。ゆっくり手を動かして触れてみれば、それは1枚の湿ったタオルであった。

「これ……」

 よくよく注意を向けてみると、袖はめくられ、靴は脱がされており、軽く濡れたタオルで拭かれたためか、手足に水滴が付いている。これはいつだったか教えてもらった、熱中症に罹った場合に施す対症療法だった。
 一体誰が──そこまで考えて、ひとりしかいないのだと、ティファは思い至る。

「ガロード……」

 ティファが最も大切に想い、ティファを最も大切に想う、共に旅してきた少年の名。
 彼の名はガロード・ラン。そうガロードだ。途中で歩けなくなったティファを背負ってくれたのもガロードであった。ティファをここに連れてきて、寝かせてくれたのも彼に違いない。彼は今、どこにいるのだろうか。

「……ガロード!」

 ティファは仰向けに横たわった状態のまま、辛うじて動く首を回し、ガロードの姿を求める。一刻も早く飛び起きて駆け出したかったが、今の自分の状態ではそれを行なうことはできなかった。身動きできない自分の身体を心中で罵りつつ、ティファは目を凝らしてガロードを探した。

「あ……」

 何ということはない。ガロードはティファのすぐそば、手を伸ばせば届く所にある木の幹に背中を預けて、疲れ切った表情で眠っていた。その寝顔は呼吸さえ感じさせられないほど静かであったけれども、僅かに上下する肩の動きが彼の生存を物語っている。

「ガロード……」

 ティファは安堵して、彼の名を呼んでみる。珍しい。よほど疲れて深く眠っているのか、ティファが起きたのに気付いた様子はまるでなかった。
 この十数日で伸びた髪の毛の下に見えている、初めて出逢った頃と比べて精悍さが増してもなお、いまだ幼さを宿した容貌と少し不似合いな無精髭。小柄な割に鍛えられた身体を持つ少年が、子供のようにあどけなく眠っている。夢でも幻でもない、本物のガロードだった。

「良かった……」

 彼の顔を見ていると、自然と嬉しさがこぼれ出でてくる。
 チカラを解き放なたなくても感じられる、心の息吹き。
 彼がここにいる。ただそれだけで湧いてくる、生への実感。
 ガロードの存在が自分にどれだけ力を与えてくれるか、とてもではないが言葉で言い表せるものではなかった。
 今から約1週間前、あの砂嵐に巻き込まれたガロードとティファは、月が2つもある見知らぬこの大地に立っていた。右も左もわからず、目に見えて存在するものといえば空と雲と砂と岩ばかり。生まれ持ったチカラも、明確に感じられるのはガロードの心だけとなり、他はノイズが入ったみたいにぼやけてしまった。今まであった感覚が閉ざされ、空虚な闇に放り込まれたかのような不安。一時は、世界が自分たちを残して死んでしまったとさえ錯覚したものだ。
 そんな途方に暮れたティファを突き動かして「歩こう」と励ましてくれたのは他でもない、ガロードであった。ガロードが手を引いて歩いてくれたからこそ、ティファも歩き続けられたのである。途中ティファが力尽きて歩けなってしまい、水や食料が尽きかけた絶望的な状況であっても、ガロードは決して諦めてなどいなかった。あの時の、歩けなくなった自分を背負って支える、シャツ1枚越しに感じた、いつもよりもさらに大きく感じられた、ガロードの背中の感触。それが意識を途切れさせる前、ティファが覚えている最後の記憶だった。

「ガロード……」

 もっとガロードを手に取る形で感じたい、ガロードの声をこの耳で聞きたいと思いはしたが、せっかく気持ち良さそうに眠っているのに、わざわざ起こすのは少々躊躇われた。ティファ自身、もうしばらく彼の寝顔を眺めていたいという気持ちもある。なので時間が許す限り、ティファはガロードを見詰め続けることにした。
 爽やかな風が吹いている。時折吹き込んでくる、適度な湿度を含んだ空気の流れが、ガロードの髪を揺らめかせている。思えばこうして心にゆとりを持って、ただただのんびりとガロードを眺めていられるのは、一体いつ振りのことであろうか。
 何分間かそうしてガロードを見詰めていると、ふと彼の向こうに何かがじっと佇む影があるのに、ティファは気付いた。動物や樹木といった類ではない、それはどうやら石で出来た何かのようである。表面をコケやツタで覆われていたが、その姿形はおぼろげながらにも見て取れる。
 なんとなく興味を引かれて視線を向けたティファは、その瞬間から、奇妙な既視感を覚えた。何かに似ている。そう思ったティファは目を凝らして注意深くそれを観察してみた。そして自分が何を見ているのかを認識し、驚愕に心が跳ね上がる。
 それはどう見ても明らかに、誰かの手によって作られた石の彫像だったのだ。

「────え?」

 不意打ちだった。言語を絶する、とはまさにこのことであろうか。
 何かの見間違い……だとは到底思えない。
 風雨によって削られて、表面がツタやコケに覆われていたとしても、その原形はまだ残っている。切り出した岩を精巧に彫って形作られたらしきそれは、見たところ何らかの生物を模しており、風任せ水任せでは決して生まれることのない荘厳さでもって、これまた細やかな装飾彫りの施された台座の上に置かれている。意識をさらに外へ向けてみれば、他にも同じような石像がいくつか見られ、それらが規則正しく配列させられているのがわかった。

「ここ……」

 人為的に並べれたと思われる石像の数々。
 目に映る光景に、ティファは呆然と呟いた。

「遺跡……?」

 ここはただの森の中ではない。
 元々あった遺跡が、長い年月を掛けて緑によって覆い尽くされた場所なのだ。
 もちろんのことではあるが、今ここにいるガロードとティファを除いて人がいる気配はなく、誰かが暮らしているという痕跡も見受けられない。だがしかし、この1週間、人間はおろかまともに生き物の姿さえ目にしていなかったティファを困惑の極致へ誘うには十分過ぎるほどの衝撃であった。
 ここがこの大地がどこでどういった場所であるのか。あの2つの月を目にして以来、ずっと胸に秘め続けてきた思いが再び湧き上がってくる。

「ガロード……」

 ティファは今も眠るガロードの顔に目を向けた。
 あの砂漠からティファをここまで運んでくれたのは間違いなくガロードだ。彼ならばもっと詳しい事情を知っているかもしれない。先ほどは躊躇したが、膨れ上がった疑問の念と、少しでも早くガロードの声を聞きたいという気持ちに突き動かされ、ティファは手を伸ばす。

「ん……」

 肩から先しか上手く動かなかったけれど、草の茂る間を手の指が這うように進んでどうにかしてやっと、ガロードがはいているズボンの裾を指先でちょこんと摘むことが出来た。試しに1度くいっと引っ張ると彼の口から声が洩れ出てくる。ティファは彼の名を呼びながらズボンを揺すった。

「ガロード。ガロード」

 やはり相当疲れを溜めているためか、そう簡単に目を覚ます様子はない。
 諦めずにティファは呼び掛ける。彼が起きるまで、何度も、何度でも。

「お願い。起きて、ガロード……」

「────んっ」

 やがて幾度目かのティファの声に反応して、ガロードのまつ毛がぴくりと動いた。
 目覚めが近い。そう思ってティファは身体の痛みも構わず指先に力を込める。
 閉じられていた少年の瞼が開き、その奥から虚ろなエメラルド色の瞳が現れた。

「…………、ティファ……?」

「ガロード?」

 瞼を開いて彷徨う視線をこちらに向けてくれていたものの、ガロードの様子が少しおかしい。耳を澄ましてみれば、ガロードのその口から何度も「ティファ……、ティファ……」と呟く声が聞こえる。

「え、と……」

 どうやら、寝惚けているみたいだ。寝付きと目覚めが良過ぎるぐらいに良い部類に入るガロードにとって、滅多にあることではなかった。ティファが念のためもう一度彼の名を呼び掛けると、次第にガロードの瞳はいつもの輝きを取り戻していき、まばたきひとつの後にカッと見開かれた。

「って、ティファ! ティファじゃねえか! 一体いつ目が覚めたんだ? 身体の方はもう────でっ! ぐ、痛っつぅぅぅ~……」

 まどろみから急激な復活を遂げたガロードが焦ったふうに腰を浮かした途端、彼の身体はガクリと力を失ってその場にうずくまった。

「ガロード! 大丈夫?」

「ティファ。あーくそ、いててっ」

「………………」

 膝を抱えて苦悶に震えるガロードは本当に痛そうで、今まで酷使し続けた筋肉の上げる悲鳴が聞こえてくるようだった。のた打ち回るその姿に、ティファも初めは心配に心を揺らめかせたものの、なぜだか見ているうちに嬉しさとおかしさが込み上げてきてしまい、思わず吹き出してしまった。

「ふふ、ふふふ……」

 自分でも、どうしてかわからないくらい笑ってしまう。訊きたいこと、訊くべき内容もひとまずどうでも良くなってしまいそうになる。ガロードには悪いと思うけれど、なかなか止めることができなかった。ふと脳裏を、派手に痛がるのは無事元気な証拠──そんなどこかで聞いた言葉が掠めていく。

「く……何笑ってんだよ、ティファ……」

「ごめんなさい。なんだか嬉しくって、つい」

「ついって、なんだよそりゃあ」

 そう言ってガロードはしかめっ面とは裏腹に、口元はなんともいえない苦笑を浮かべている。ティファが笑うのをやめて「大丈夫?」と問い掛け直すと、彼からは「なんとか、これくらいは。少し、油断しちまったぜ……」との答えが返ってきた。

「てか、そんなことなんかよりもティファ! 本当にいつ目を覚ましたんだ? 身体の方はもう大丈夫なのか? どっか具合が悪いところとか……頭とか痛かったりしてねぇか?」

 心配そうに言葉を並べるガロードに対し、ティファは1つ1つ受け答えていく。

「私が目を覚ましたのは、さっき……。身体の方はちょっと……、まだ思うように動かないけれど、もう大丈夫みたい、だから」

「ホントか? ちょっと熱計るな」

 と言ってガロードは、ティファの額に手の平を伸ばしてくる。
 冷たさを宿したタオルが消え去り、代わりに温もりのある肌の感触がやってくる。
 ガロードは、ふうと溜め息を溢した。

「良かった。もう少しってところだな。だいぶ熱は下がったみてぇだ。一時はどうなることかと思ったぜ……」

 ティファの体温を計ったことで、安堵に打ち震えるガロードの心。
 その心の震え、彼の表情を見たティファは、自分たちがいかに危うい状況にいたのかを再認識させられた。

「とにかく今はじっとして、ゆっくり休んでな。もうあの砂漠を歩く必要も、何もないんだからよ」

「ええ……」

「──水、飲めるか?」

「お水?」

「ああ。だいぶ喉が渇いてるはずだろ。早いとこちゃんと飲んどいた方が良いぜ」

「あ……」

 言われてからはたと気付く。口の中に残る渇き具合。そこまで急を要することではないと、自覚はあまりなかったが、身体はいつも以上に水分を欲していないはずがないのだ。この身体のだるさも、水分の不足から生じるものとみて間違いはないだろう。
 ティファはガロードを見詰めて、頷き返した。

「うん、お願い……」

「よしきた」

 一応上体を起こそうと思ったけれども、ティファの身体は思うように動かない。地面に横たわったまま自力で起き上がれないティファを、ガロードは左腕全体で抱え込み、ゆっくりと引き起こす。そのおかげで、少し高くなるティファの視界。ガロードに抱きかかえられながら見えるようになった光景に目を向けていると、その目の前に蓋の開いた水筒が差し出された。

「ほらよ、ティファ……」

「ん……」

 促されるまま、ティファはそれに口をつけ、中の水を飲んでいく。ティファの身体はティファが思っている以上に水分を求めていたようだ。1度沸かしたためか多少ぬるくはあったが、まるで乾いたスポンジみたいにして、身体が水分を吸収していくのがつぶさにわかる。
 ティファは水を飲む。飲んでいく。たくさん、たくさん、たくさんと。今まで生きてきた中で、これ以上ないくらいに欲して。
 ガロードの補助の下、息継ぎ早に喉を潤したティファは、唇を水筒から離して「──ぷはぁ」と大きく息を吐き出した。

「ティファ……?」

「うん……」

 すう、はあと息を整えて瞳を揺らすガロードに答えると、ティファの身体はまた、芝生の上に横たえさせられる。背中に再び芝生の感触を感じていると、額に冷たい、濡らし直されたタオルが乗せられる。

「ティファ。他に何か、欲しいモンとかあるか? 食べ物とかだったら少し探せばあると思うぜ」

 様子を窺ってくるガロードに、ティファは首を小さく左右に動かした。

「ううん。今は、良い……。それよりも、ガロードがそばにいてくれる方がずっと嬉しいから……」

 ティファがそう告げると、ガロードはふっと微笑みを浮かべる。

「わかった。じゃあ俺も、今日はずっとここにいる。────今回ばっかりはいろいろとあり過ぎて、俺も疲れちまったからさ……」

「ええ……」

 思わず、といった形で呟かれたガロードの言葉。
 そこに込められた思いを読み取ってティファは頷いた。
 本当に様々なことが起こったのだ。
 あの突然の閃光と砂嵐に始まり、2つの月を目にし、当てもなく砂漠をひた歩き、その最中に不可思議な夢を見、その果てにガロードとティファはここにいる。
 ティファはガロードに訊いておきたいこと、訊かねばならないと思ったことがあったのを思い出した。

「あの、ガロード……」

「ん、どうした?」

「ガロード。私は、どれくらい……? それに……あれは……」

 ティファが視線でもって件の石像を指し示すと、ガロードは一度そちらに目をやったあと、優しげな雰囲気から真剣なものへとその表情を引き締めた。ティファに視線を戻して彼は言う。

「ティファももう気付いてたんだな。あそこにアレがあるっていうのには」

「ええ。私もさっき見つけて、すごく驚いたの。それで、それをガロードに訊こうと思って……」

「そっか、だよなぁ。いきなりあんなの見せられたら、誰だってそう思うよな。俺も、最初アレを見た時はびっくりしたモンだったぜ……」

 見つけたの時のことを思い出したのだろうか、そう呟くガロードの心には少なくない動揺が窺い知りえる。

「ガロード。やっぱり、ここには……」

「ああ、だと思う。ここにも人間か、人間みたいなのが暮らしていたっていうのは間違いなさそうだ。100年か200年か、下手すりゃもっと前か。今はもう誰も、人っ子ひとり暮らしちゃいないみたいだけどな」

 ティファの問わんしていることが余すところなく伝わったのだろうか。
 ガロードはティファが知りたいことの全てを答えてくれる。

「ここはさ、あの山の麓にあった崖のさらに奥にある場所でよ。どっかからか水が引かれてて、そのおかげで木とか草が生えてるんだ。あそこにある石の像もアレだけじゃなくって、他にも普通の家みたいな跡やでっかい神殿みたいな建物まである。まだじっくり見て回った訳じゃねぇからはっきりしねぇけど、広さはたぶん、ちょっとした村がすっぽりと収まるくらいはあるはずだぜ」

「ちょっとした、村くらい……」

「ああ。俺がここを見つけたのは本当に偶然だったんだ。たまたま……たまたま1匹の蝶が通り掛って……、そいつ追いかけたらここに辿り着いた。草木や鳥や虫を見つけた時、俺はただ嬉しかった。これで俺たちは助かるんだって思って。そしたら今度は、あんな石の像を見つけたんだ。びっくりした。まさか、誰かが暮らしてた跡まであるなんて、夢にも思っていなかったからさ……」

 ガロードは目を伏せ、ふうと息を吐き出した。

「そっから先は簡単だな。とりあえず落ち着ける場所を探して、そこにティファを寝かせて介抱して……気付いたら俺も疲れて寝ちまってた。あとのことはティファも知っての通り。それがたぶん……今から3、4時間くらい前のことか。流石に丸1日以上時間が経ってるってことはないと思うぜ」

「そう……」

 太陽の位置から大まかな時刻を確認したガロードの説明を聞き終えて、ティファはその内容をじっくりと反芻していく。
 この場所があの砂漠の程近くにあるということ。
 自分がさほど、長時間気を失っていたという訳ではないこと。
 水があり、様々な生き物たちが生息しているということ。
 そして、人間か、もしくは地球においての人間に該当する、人間とは全く別の進化の道筋を辿ってきた文化文明を持つ知的生命体が暮らしていたという証拠の数々。
 望んでいたこと。少し意外だったこと。それさえも上回る、予想外な現実。
 その様相に、ティファはただただ思考の渦に沈むしか、他がなかった。
 と、そこにガロードの声が掛かる。

「なあ、ティファ……」

 それはどこか迷うような、内にある思いを発露させるような声音だった。

「ティファはどう思う? ここが……いやこっちがさ、一体どんな場所なのかって」

 ここ、ではなくこっち。どこ、ではなくどんな。
 それはガロードだけのものではない、ティファもずっと懐き続けた疑問である。
 ここが、この大地がどのような場所であるのか。
 自分たちが生まれ育った地球との関連性は。
 ガロードとて、その答えをティファに求めたわけではないのだろう。ただ胸に秘めているだけでは何の解決にもならないと、自らへ向けて問い掛けるように言葉を続ける。

「俺にはわからねぇ。こうして見てると地球とほとんど違いがねぇのに、なんでか月は2つある。あれさえなけりゃ、ここも地球なんだって信じて疑わなかったはずだぜ。あの時ティファが見たっていう夢にしたって、わからねぇことだらけだ。一体ここはどういう場所なんだろうな……」

「………………」

 ティファが返答に窮していると、ガロードは済まなそうに頭を垂らした。

「ごめんな、こんなこと。ティファだって訊かれても困るだけってのに」

 謝るガロードにティファはかぶり振った。

「ううん。私は、かまわない。その気持ちは私もガロードと同じだから……。私も知りたいの。ここがどんな場所なのか。あの夢が一体誰の夢だったのかを。今はまだ、たとえすぐにはわからなくても……」

 砂漠を彷徨う最中に見た“何か”が駆け抜ける夢の存在。
 あの夢の存在があったからこそ、自分たちはここまで歩き続けられたのだと、ティファは心の奥底から思う。もしも実際に出会えたならばきちんと感謝の言葉を伝えたいと常々考えていた。
 しかしその正体はいまだわからず、それを探る手掛かりさえも掴めない。もしかしたらあの“何か”がこの遺跡で暮らしているのではないか、と期待していたが、どうもその様子もないらしい。行き場のないやるせなさと苛立ちがせめぎ合うような感覚が心の中にほん僅かではあるけれども、ふつふつと湧き上がってくる。
 そんなティファの心の機微が察したのであろうか、考え込む仕草をとっていたガロードが、ふっとその表情を和らげた。

「ま、例の夢のヤツがどんなヤツにしても、縁があればきっとまた会えると思うぜ。こうして、こっちにも生き物がちゃんといるってのがわかったし、ここがどんな場所かってのもいつかわかるようになると思う。────俺たちが知ってる地球に帰る手段だって、きっとな」

「…………っ! ガロード……?」

 ガロードが終わりの方に呟いた言葉に小さく驚いて、ティファは視線を彼へ向けた。
 何気なく告げられた彼のひと言。彼は今何と言ったか。そのことに対しての理解にやや時間を要してしまうティファだった。
 ティファのこの反応にガロードは、

「そんなに驚くことじゃないだろ? どうしてだかまだわからねぇけど、俺たちはこうしてこっちに来ちまったんだ。一方通行だなんて思えねぇ。だからきっと、元いた地球に帰る手段も必ずあるはずなんだって、俺は考えてるぜ」

 と、当たり前なことを語るふうに笑顔でその考えを口にした。
 陰りも偽りも焦りも全く無い、心の奥底から発した言葉でもって。
 ティファはただ唖然と、その言葉を告げた少年の顔を眺め続けていた。
 ほとんど無意識の内であったが、心の一部ではやはり諦めていたのかもしれない、とティファは自分自身を思う。もう自分たちは帰れないのだと。自分たちは帰れず、仲間たちとは2度と再会することが出来ず、このままこの見知らぬ大地で朽ち果てるしかないのだと、薄々心のどこかで考えていたやもしれなかった。
 しかしガロードは違っていた。彼は諦めてなどいなかった。そういう発想さえも。
 決してそれは根拠の無い虚栄心でも、ティファへの慰めや同情の言葉でもない。ガロード自身が自分の中で考えて、培われてきた意思と望み、その2つを混ぜ合わせて形作った確固たる未来への希望だったのである。
 未来を、信じる。自分たちは帰れるのだと。
 その強固なまでの思いを目の当たりして、ティファは納得すると同時に思った。

(やっぱり、ガロードには敵わない……)

 敵わないな、と。自分はまだまだだ、と。
 ガロードは自分よりもさらに先を見据えている。
 これが彼の強さなのだろうかと、改めて思い知らされる。
 彼の心の輝きが眩しくて、ティファは自然と眼を細めた。

「────……い、ね、ガロードは」

「うん? 今なんか言ったか、ティファ?」

 不思議そうに目を丸くするガロードに、ティファは言った。

「ガロードは凄いなって、そう思ったの。私にはとても、ガロードみたいには考えられなかったから……」

 ガロードはこの言葉に一瞬表情をきょとんとさせるが、すぐさま気を持ち直して苦笑する。

「そんなことねぇさ。単に開き直ってるってだけだぜ。そうでもしてないと心が不安でいっぱいになっちまうから。俺がしっかりしてねぇとティファを守れねぇから。だからそういうふうに思って、強がってるってだけだよ」

「……例えそうだとしても、それはそれでとても凄いことだと思う。私も、強がってみたい。私もまだ、諦めたくないから」

 心に生まれる確かな想い。それは約束だった。
 ここに来る前のあの日、新婦となったかつての仲間と交わした「また会いましょう」の言葉。自分がここで諦めれば、彼女はきっと怒るだろう、きっと悲しむだろう。ティファ自身もきっと自分を許せなくなる。
 ならば自分はどうすべきか。それは簡単なことだ。
 自分は走りたいと望んだのだ。彼と一緒に。
 ティファの心に忘れかけていた想いが、今動き出す。

「──ティファならできるさ。俺だって諦めたくなんてない。ふたりで強がって、足掻いて足掻きまくって、それで最後まで諦めずにいられたらいつかきっと、俺たちが帰りたい場所に帰る道筋だって見つかると思う。俺はそう信じてる。だからさ、なあ、ティファ……」

 ガロードはティファを見据え、手を握り、しっかりとした声音で語り掛けてくる。

「だから、こっちでも一緒に頑張って生きていこうぜ。まだ名前もわからねぇこの大地でも、ずっと」

「ええ。私も、生きていきたい。貴方と一緒に、ずっと……」

 言葉と視線を結び付け合い、1つの誓いを交し合うガロードとティファ。
 ふたりの頭上を、1羽の鳥がまた、青い空へ向けて羽ばたいていた。











「おーい、ティファーっ! 準備はいいかー? 今から落とすぜーっ!」

 ガロードとティファのふたりがあの砂漠を踏破し、切り立つ岩肌に囲まれたこの遺跡に辿り着いてから、2日の時が経った。空には相変わらず晴れ間が広がっており、時折その狭く区切られた蒼い色彩の中を白い雲が端から端へと風に流れ、過ぎてゆく。
 そんなよく晴れ渡った、遺跡での昼下がり。ガロードとティファのふたりは、これからの生活に備えて食糧の採集に精を出していた。
 遺跡に辿り着いた当初は起き上がることさえままならなかったティファの体調も、ゆっくりと2日間休んだことで徐々に良くなってきており、今では走ることは無理でも普通に歩き回れる程度にまで回復してきている。そのため今日の朝方からはティファもまた、ガロードと遺跡の中の探索を兼ねた食糧集めに乗り出していたのである。
 ガロードと共にいること。ガロードと共に1つの目的へ向けて歩みだしていること。
 これがこの上なく嬉しいことであると、ティファは改めて思う。昨日までは寝床の作成や火種の確保、簡単な道具の調達などなど、ここでの生活に必要となる準備をガロードひとりにほとんど任せ切りになってしまっていた。無論、ティファとて出来る限りのことで手伝いはしたけれども、座り込んだまま身体ではその範囲は自ずと限られたものとなってしまったのは言うまでもない。
 しかし、今日からは違うのだ。今日からは走り回ることは無理でも歩くことは出来るのだから、ガロードとふたりで食糧を集めに出掛けられる。まだまだ知識も経験も乏しくとも、そこで諦めてなどいられない。少しでもガロードから生きるための知識や知恵を学び取り、少しでも彼の役に立てるようになりたいと、ティファは意気込んでいた。
 さて、ここで冒頭のガロードの言葉に戻るのだが、ティファが現在佇んでいるのは、ふたりが拠点としている地点からやや離れた場所に位置している木の根元近くである。頭上から響くガロードの声。その声がした方を向けば、木の上に登ったガロードの姿が視界に収まる。太い枝に身体をしがみ付けさせた彼のその手には、オレンジ色の1つの物体が握られていた。

「そおれっ!」

 視線を向けたことを合図と取ったのか、ガロードはその物体をぱっと手放した。
 ガロードの手という支えを失い、そのオレンジ色の物体は重力の法則にしたがって落ちてくる。これを木の下で受け止めるのがティファの役目なのだ。
 落下してくる物体からその軌道を見定めて、ティファは身体の立つ位置を調節する。あの砂漠を歩くにおいてではやや不便に思っていたりもしていたが、長いスカートという物はこういう時に意外と便利となる物だ。端の方を両手で摘んで腕を伸ばせば、落ちてくる物体を簡単に受け止めることができる。自らのスカートを使い、ガロードからの落下物を受け取ったティファは、それに傷が付かないように注意しながら、あらかじめ作っておいた即席の籠の中にへと移しておく。
 ガロードが登った木の上からティファに向けて落とした物体。それはたわわに実っていた、その木の果実だった。見た目はオレンジ色で、大きさは握り拳よりも少し大きいくらい。表面をやや固い果皮に覆われた面長な形をしており、細長い葉で構成されたヘタから先端に向けて放射状に6本の筋が伸びているのが特徴であった。
 木の上に登ったガロードが直接手で果実をもぎ取り、ティファがそれを下で受け止める。そうした作業を幾度か繰り返し、やがてガロードが役目を終えて降りてくる頃になると、籠の中はその果実でいっぱいとなっていた。ティファはそれらの中から1つを選び取り、木から降りてきたガロードへと差し出す。

「お疲れ様。はい、ガロード」

「おっ、ありがとな。さぁって、今度のコイツはどうかな……」

 ティファから果実を受け取ったガロードは、それにそのまま噛り付いたりはせず、ナイフで丁寧に皮を剥いてから、柔らかい果肉をサイコロ状に刻んでその1つを摘んで口の中に放り込んだ。
 ゆっくり慎重に。顎と唇をもごもごと動かして咀嚼していくガロード。
 はたしてこの果実は食用として適しているのであろうか。先程食べたのが“ハズレ”だったこともあり、ティファが固唾を呑んで見守っていると……やがて問題がないのがわかったのか、ガロードは表情をやわらげた。
 口の中の物を飲み込み、彼は言う。

「コイツは大丈夫そうだ。ティファも食べてみろよ。結構いけるぜ」

「ええ」

 その言葉、その表情にティファもひとまず安堵を浮かべる。
 ガロードが笑顔で言うだけあって、口にしても安全なだけでなく、舌触りも味も相当に良いのであろう。薦められるままにティファも彼に倣って果肉をひと摘みすると、口の中にはビワによく似た芳醇な香りと独特の酸味の利いた甘い味が広がってきた。
 噛めば噛むほどに果汁が溢れ出てくる、新鮮な歯ごたえ。
 自然とティファの顔も綻んでいく。

「とっても、美味しい味……」

 今まで集めた中でも1番に美味しいと感じられる果実であった。
 その反応に満足したのか、ガロードもまた笑みを深める。

「これでまた1つ、確保、だな。この辺だけでもかなりの量が集められたぜ」

「ええ。でも本当に良かった。食べられる物が、たくさんあって……」

 ティファの言葉に、ガロードが大きく頷いた。

「確かに、言えてる。俺も実際に口にするまで不安だったけどさ、こっちでも食える物がたくさんあるんだっていうのは本当に運が良いぜ。この分なら、しばらくの間は食い物で困ることはなさそうだ」

 ここが生まれ育った地球ではないのは、もはや覆りようのない事実である。
 いくら水が得られたとはいえ、いくら緑が豊富に存在しているとはいえ、そこで得られる全ての物が食用に適しているという保障はどこにもないのは当然のことだ。中には毒を含んだ物もあるだろうし、土地の質が変わればそこに住まう生き物の性質も変わってくる。一見食べられそうであっても、地球出身である自分たちの身体に適合しない可能性さえあった。だからこそ細心の注意を払って1つ1つ自らの味覚と嗅覚を頼りに確かめていかねばならず、その結果として、遺跡の一角から食べても安全だと判断できる物を見つけれたのはまさに僥倖であると言えよう。

「よしと。じゃあ今度はあっちの方にも行ってみようぜ」

「うん」

 休憩がてらに得られた果実を1つ食べ終えたガロードとティファは、一旦拠点としている場所まで戻って荷物を置き、再び食糧の採取に赴くべく歩みを開始する。
 ガロードが以前、ちょっとした村がすっぽりと収まるくらいだと評したように、それなりの広さを誇るこの遺跡の内部には様々な形の建物や石像が点在しており、木々や草花がそれらをまとめて覆い尽くすかのごとく生い茂っている。林立する木々や石像の間をすり抜けて進んでいくガロードとティファ。その途中で地面に落ちていた木の実を拾い集めたり、獲物を捕らえるための罠を設置したり、地球でも馴染み深いタンポポやワラビによく似た草花を摘み取ったり、一見食用に適さないような地衣類や口にするには少々躊躇ってしまいそうになる昆虫類などなど、僅かでも食材として利用できる可能性のあるものを随時見つけて1つ1つ確かめたりしながら、ふたりは遺跡の中を奥へ奥へと突き進んでいった。
 しばらくそうして歩いていくと、石を積み上げて形作られた建物の入り口らしき穴が目に入る。遺跡の内部にはこうした建物の跡がいくつも点在しており、また新たに1つを見つけて興味を持ったガロードとティファはその中を覗き込んだ。

「えっとここは……普通の家みたいだな。やっぱりここも……、何にも無し、か」

 薄暗く、がらんとした空間を見てガロードがそう呟いた。その横顔がどこか寂しげだったのは、何か使えるものはないか、と期待していたからであろうか。
 だがそんなガロードの思いも虚しく、入り口から覗いて見た室内には石でできた壁面と床が確認できるだけで、家具や調度品といった物は一切存在していない。ある物といえばせいぜい、細かい石が転がっているのと入り口や窓の付近を中心に草やコケが生えているのみであった。しかしその反面、建物の造り自体はしっかりしているらしく、風化や浸食によってひび割れた箇所はほとんど見受けられず、意図的に破壊された跡も見られない。簡単な掃除や施工を行なえばそのまま住めてしまうくらいの状態に保たれている。現にふたりが拠点としているのも、こうした建物の跡を利用してのことだった。

「ここまで建物の中が何も無ぇってのも、同じのが続くとちょっと考えものだよな。なあ、ティファ?」

「ええ。ここに暮らしていた人たちは、どこへ……」

「さあなぁ。何かしらの事情があってここを離れなくちゃいけなくなったんだっていうのはわかるけどさ、そっから先は流石に、な……」

「…………」

 外側の建物がほぼ完璧な状態で残っているのにも拘わらず、その内側が誰かの手によって片付けられたかのように物が存在しないということはすなわちそういうこと。
 もしもこの遺跡で暮らしていた人々が何者かの襲撃により死に絶えたのだとすれば、何かしらの形でその痕跡は今も残されているはずなのである。いくら長い年月が経過し、盗掘された可能性もあるとはいえ、衣服や遺体などならばいざ知らず、家具や調度品までの物が破片も残さず完全に朽ち果てて失われてしまったとは少々考えにくい。
 地球を旅していた時、何度となく『そういった』集落の跡を目にしてきたガロードとティファには、かつてこの遺跡に暮らしていた住民たちが何らかの事情を抱えて立ち去ったのだという予想がすぐさま立てられていた。
 ここに暮らしていた人たちは、今どこに……。
 胸の中に湧き上がる、もやもやとした感情。
 それをはっきりとさせないまま足を進めていくと、しばらくして視界が開けた。
 建物や木々の生い茂る場所を抜けて辿り着いたのは、遺跡の中心部にある広場であった。所々無秩序に伸びた草、向こう側に見える建物の並び。広場の中央には、石のタイルを隙間なく敷き詰めた通路が走っている。ふたりは大まかに一周を回ってここに行き着いたようだ。
 付近をぐるりと見て、ふうと息を吐き出したガロードが、

「これで、だいたいの場所は見て回ったか。あと残ってる場所はと言うと────」

 と言って、彼はある方角に視線を向けた。

「────あそこ、だけだよな……」

「うん……」

 ふたりが向けた視線の先にあったのは、2日前にガロードが「神殿みたいだ」と評した、この遺跡で最も巨大な建造物だった。広場の通路もあそこへと続いている。どうやらこの遺跡そのものが、あの神殿を中核として造られたものであり、荘厳さも規模も周囲とは別格である。通路から繋がるなだらかな階段。その両側に並び立つ大きく太い柱の列。建物のかなり奥の方にそびえる、少し尖ったドーム状の構造体。表面を覆うツタとツタの間からは、青い鮮やかな色をした化粧石と、そこに刻まれた複雑な文様のレリーフが垣間見えていた。

「…………」

「…………」

 その圧倒的な存在感を放つ遺跡を前にし、ガロードとティファは押し黙る。
 やがて考えがまとまったのか、先に口を開いたのはガロードであった。

「なあティファ。ちょっとあそこまで行ってみて、中を調べてみねぇか? たぶん食べ物になりそうなヤツは無いだろうけど、なんか面白そうなモンが見つけられそうだし」

 その提案にティファは同意した。

「ええ。私もあの中を見てみたい。私もとても、あそこに興味があるから……」

「へへっ、じゃあ決まりっと。荷物はこの辺に置いて、早速行ってみようぜ」

 と言ってガロードは、これまで採集した食物の入った籠を適当な木の枝に引っ掛けたあと、その足を遺跡に続く通路へと向けた。
 通路に差し掛かってからは道のりに沿って真っ直ぐ進み、坂道を登っていく階段を1段1段踏み締めていく。一部折れて横たわった柱の脇を抜け、階段の登り切った地点に行き着くと、そこには目の前にポッカリと空けられた玄関口が待ち構えていた。その横幅は3mくらいで、高さはおよそ4mから5mといったところ。上部が丸いアーチを描く入り口の奥には、同じ幅の廊下がずっと奥の方まで一直線に伸びていた。どうやらこの廊下は、あのドームの所まで続いているようである。廊下は暗く、入り口から差し込む太陽の光以外に明かりが無い。数十m進んだ先が辛うじて見える程度であった。
 どちらからともなく身を寄せ合い、手を握り合うガロードとティファ。
 ふたりが一歩を踏み出すと、そのたびに外の喧騒が小さくなっていく。
 足音だけが小さく反響するなか、すぐ隣を歩くガロードがふとした拍子に呟いた。

「……意外と中はすっきりしているんだな。てっきり外みたいに、中の方もいろんな像が立ってるんじゃねぇかなって、思ってたんだけど」

 目が暗闇に慣れていき、徐々にではあるが、中の様子がはっきりとわかってくる。
 建物の廊下の内部は、良く言えば堅実、悪く言えば殺風景な造りだった。外に施されていたような装飾はほとんど見られず、床も壁も平らに削られた石地のままの質感。ただただ奥へと続く廊下をゆっくりとしたペースで進んで行く。
 それから150mか200mほどの距離を歩いただろうか。廊下が終わり、少し開けた空間に出る。左右に目を向ければ壁面に半ば埋め込まれた形で幾本もの柱が立てられており、上を仰ぐとそこには天井に空けられた天窓からこぼれる光が見える。おぼろげながらにも映る光景から、そこそこ大きい広間に着いたのだということが理解できた。そして正面には、自分たちの進路を塞ぐ形で、部屋の中央に佇む“何か”の影が見て取れる。けれどもその詳細な姿形はわからず、大まかな輪郭がうっすらと浮かび上がっているだけ。ウエストポーチから携帯用の小型ライトを取り出したガロードが“それ”を照らすと、ふたりは揃って目を丸くした。

「え……」

「な……、これって……」

 照らし出されたその姿に思わず足を進めて近付くガロードとティファ。
 ふたりは目の前に現れた物体を捉えて、それぞれに驚きと感嘆の声を洩らす。

「凄い……」

「あ、ああ。俺もこんな凄ぇのは初めて見たぜ……」

 ふたりの視線の先にあるもの、それは2頭の生物が絡み合うように競う場面を題材とした、見るに素晴らしく感じる石の彫刻であった。外の存在していたものとは比べものにならない。今にも動き出しそうな様相に、我知らず魅入ってしまいそうになる。
 ガロードとティファを驚かせたのはそのことだけではなかった。
 いつだったかは忘れたが、その姿にはどこか見覚えのあるものだった。

「これって確か……、きょうりゅう、ってヤツだよな? 大昔の地球にも、暮らしていたって話にある」

「たぶん……。私も、そうだと思う……」

 大きく発達した直立する2本の足に長い尾、トカゲのような細長い顔と申し訳ない程度に付いた小さな両腕。大きく上体を持ち上げていたり、身体全体をひねっていたり、突起の位置が異なっていたりするなどの違いはあれど、それぞれ前のめりになった姿勢でいる石の彫刻の形は、人類が種として誕生する数千万年以上も前の地球を席巻していたと伝えられる、すでに地上から絶滅してしまった巨大爬虫類の特徴をそのままに有していたのである。
 その表面はまるで鱗ではなく滑らかな甲殻で覆われたかのよう。唯一爬虫類らしくない点が挙げたとしても、その魅力を損なうことには至らず、有り余るほどの凄まじい躍動感をガロードとティファに示している。

「凄ぇなぁ。こっちにはこんなのがいたってことなのか……。いくらなんでもこいつは凄過ぎるぜ」

「ええ。私も……、実際に生きている姿を見ていないと、こんなに凄い物は作れなかったと思う……」

「ああ。やっぱりこっちって、俺たちが思っている以上に地球とは全然違う場所なんだよな。なんかちょっと安心したっていうか、だんだんワクワクしてくるぜ。へへっ」

 そう言って、どこか面白そうな笑顔を浮かべるガロード。
 彼につられてティファもまた、己の顔に微笑を描く。

「ふふっ。今のガロード、なんだかとっても楽しそう……」

 その横顔に向けて告げると、返って来た答えは肯定だった。

「かもな。自分でも不思議な気分だぜ。こういうの見ていると、なぜだかこう……湧き上がるって言えば良いのかな? そんな気分になってくるんだ」

 ガロードの言葉にティファは頷き、視線の先を彫刻に戻した。

「私もその気持ち、なんとなくわかると思う。私の心の中にも、不思議な気持ちが湧き上がってくるのを、感じることができるから」

「そっか。良かった。俺ばっかりがこんな気分でいたらティファに悪いなって思ってたしよ」

 子供のように無邪気に笑うガロードは本当に楽しそうだった。やはり男の子というものは、こうした生き物に対し、少なからず憧れを懐くものなのだろうか。嬉しさと好奇心に揺れるガロードの心に触れていると、そんな思いが頭の中に去来してくる。

「さてと。まだ奥があるみてぇだな。これからが本番ってか、これよりもっと凄ぇのがありそうだぜ」

「ええ。行きましょう、ガロード」

「おう!」

 2頭の竜の彫刻の向こうには、横一列に並んだ4本の柱があり、その柱と柱の間のさらに向こう側には、とてつもなく広い空間が広がっている。どうやらそこは、建物の外側から見えたあのドームの内部のようである。足を踏み入れてみると、天井は高く、壁は緩やかに円形を描いている。いくつか存在している窓の外から取り入れられた光が空間を照らし出し、薄暗い屋内に何本もの筋を引いている。その筋に照らされて浮き上がる天井の様子。中心部に向けてすぼまるドームの内側に目を移してそこを見上げれば、ふたりは再び……心を揺るがす感動の思いに震え上がったのだった。

「う、わぁぁぁ」

「………………っ!」

 ガロードもティファも、その衝撃のあまりに言葉を失ってしまう。
 ドームの内側の天井にあったものは、それほどまでに凄まじい物だったのだ。
 天井全体に張り巡らされている、まるで樹木のように枝分かれした石の道があり、そこには様々な動物たちの姿を模ったレリーフが、種別ごとに系統立てられて配置されていたのである。そのほとんどが地球でも生息していそうな生き物ばかりで、石の道の上を疾走する野犬の群れや、雌雄を決しようとしてる獅子と虎もいれば、クモやサソリ、大空を飛ぶ鳥たちや宙を泳ぐ魚たちもいる。先ほど見た2頭の恐竜に近い仲間たちもちらほらと闊歩しており、果ては絵本に出てきそうなドラゴンやペガサスのような幻獣までもが存在していた。
 地球では1度に目にすることは決して敵わぬ動物たちの石像の数々。その1つ1つが途方もなく精巧な出来栄えであり、ちょっとしたきっかけがあればすぐにでも飛び掛ってきそうな勢いと迫力を持っている。
 ガロードとティファは、それらを星空を見上げるみたいにしてじぃっと眺めていた。
 ふたりの視線は自ずと、合流していく道筋を辿っていく。

「ん……、あれは……」

 枝分かれしていた石の道を逆に遡っていくと、最終的には根幹となる1本に集約していき、その根元の部分に1つの像が鎮座されていることに気が付いた。根元の場所はガロードとティファがいるちょうど反対側にある、祭壇らしき台座の向こうだった。
 その形は他のものとは異なり人間そのもの。女性。女神なのだろうか。
 高さはおよそ10mくらい。天に向かって祈りを捧げる女性の立ち姿が、これ以上存在し得ないくらいに美しく彫り込められており、その端整な顔立ちや身に纏う薄い布地の質感が石とは思えない透き通るような雰囲気を醸し出している。
 おそらくこの女神像が、ドーム全体を取り巻く雄大な作品の中枢部分。祭壇の両脇には文字と思しき文様がびっしり刻み付けられた石版がそれぞれ安置されている。ここに描かれているものたちが何を意味し、何を物語っているのか、それはわからない。だがしかし、これらを形作った人たちの思いは、長い時を経たとしても伝わってくるものだと、ティファにはおぼろげながらにも感じられていた。

「凄い、よな……。なあ、ティファ……」

 半ば呆然と女神や動物たちの像を眺めていたガロードが、声を洩らす。

「俺、考えてみたらさ……、こういった遺跡に来たのは初めてでよ。だからって訳じゃねぇけど、こんだけ凄ぇあるなんて今まで考えたこともなかったんだ。ここに暮らしてた連中は相当凄ぇ連中だったんだと思う。そんな奴らがここで暮らして泣いて笑って、どこかに行っちまった……」

 そしてガロードがティファを見、ティファもガロードを見詰め返す。
 一瞬の間。心地良い沈黙。互いに視線を交し合うふたりの間には、確信めいた想いが生まれていた。

「ティファ。ひょっとしてティファも?」

「うん。私も、ガロードと同じことを考えてる」

 ティファが答えると、ガロードは心の底から嬉しそうに破顔した。

「じゃあさ、今度は俺じゃなくってティファから言ってみてくれよ。いつもこういう時は俺ばっかりだから、だからたまには、な?」

「ふふっ。ええ。わかったわ、ガロード」

 少しイタズラっぽく笑うガロードにおかしさを感じつつ、ティファは彼の提案を了承する。いつもであればガロードが先に口にするであろう言葉。それを今回はティファの方から先に告げるのだ。遺跡を探索していた時から……否、この遺跡に辿り着いた日からずっと胸に秘めていたもやもやとした想いを、明瞭たる形として。
 ティファは目の前に佇む女神像を見据え、大きく息を吸い込んだ。

「私は、探しに行きたい。ここで暮らしていた人たちを。私は感じたいの。今もこの大地に暮らしているかもしれない人たちの、心を、私は感じてみたい……。ガロードと一緒に」

 だから、と。
 ティファはそこで一旦言葉を切って、視線をガロードへと向けた。

「探しに行きましょう、ガロード。貴方と一緒なら、私はきっとどこへでも行ける。私は貴方と一緒に行きたいの、ガロード」

 想いを言葉に乗せるのは、やはり大事なことだと思う。
 全ての想いをこめたティファに対し、ガロードは「ああ。もちろんだぜ、ティファ」と真摯に応えてくれた。

「俺も同じだ。俺も探して、会って、できれば話だってしてみたい。全部が全部上手くいくとは限らねぇけど、それでもきっと、その先に俺たちが望む未来があるんだって信じられるからさ──」

「うん……」

 ふたりは互いの手を握り締める。
 その力に、想いの全てを込めて。
 ティファはガロードを。ガロードはティファを。
 ふたりは新たな目的に向けて、静かに頷き合ったのだった。





   第3話「そんなに驚くことじゃないだろ?(ガロード・ラン)」了


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 第3話をお読み頂いてありがとうございました。
 今回の内容は、状況確認と今後への展望について、となるでしょうか?
 ゾイド成分は比較的薄めでしたが、ティファが見た鳥、採集した果物、遺跡で見付けた石像などを通して世界観を示してみました。
 遺跡を探索したことで、かつてここで暮らしていた者たちに思いを馳せ、1つの目的を見出せたガロードとティファ。
 次回のお話である第4話は、もしかしたら賛否両論の内容となるかもしれません。
 推敲に推敲を重ねてから投稿をしたいので、次回は日を跨いでの投稿となると思います。
 感想や指摘等がございましたら是非ともお願いします。
 では、またの機会に。



[33614] 第4話「こんな生き物がいるなんて…」
Name: 組合長◆6f875cea ID:3a5d5162
Date: 2012/12/21 09:03




   ──ZOIDS GT──





 ──動け。


 心の深い部分から出てくる確かな望み。
 それはまた、同時に絶望を意味していた。


 ──動け。


 望む。望み続ける。
 何度も、何度も、更に念じる。


 ──動け。動け。動け……。


 欲することはただ1つ。この大地を思うままに駆け巡る己の姿。
 四肢に力を込めて、立ち上がらんと強く唸り声を上げた。


 ──動いてくれ。我が肉体よ。


 だが、動かない。
 たとえどんなに立ち上がろうと奮起したとしても、たとえどんなに前へ進もうと躍起になったとしても、もはや身体は自分の意思には従わず、走り回ることはおろか、もう立ち上がることさえできなくなっていた。
 さながらそれは地面という名の楔によって繋ぎ止められた、朽ち果てかけた流木にでもなったかのよう。降り積もった土砂や岩塊によって身体の動きは阻害され、無理を押して動こうとするたびに身体中を刺すような痛みが駆け巡った。時間の経過と共に入るべきはずの力も徐々に失われていき、今では辛うじて動かすことのできる指先と、喉の奥から発せられる呻きだけが、己の意思を示し出す最後のものとなってしまっている。
 思わず、唸った。
 すでに何日の時を、この状態でこうして過ごしてきたであろうか、と。
 歯痒かった。自分の迂闊さが。
 ほんの一瞬の油断。つまるところ、たったそれだけのこと。
 ただそれだけが原因となって、自分は今、動くことができなくなってしまったのだ。
 情けなかった。すっかり身も心も弱り切ってしまった自分自身が。


 ──自分はこのまま、ここで朽ち果ててしまうのだろうか。


 不意にそのような、不吉な考えを意識の中に思い描いてしまう。
 ぎじっと、動かせる指先の爪で地面を引っ掻いた。
 嫌だ、と思わずにはいられなくなる。
 このまま何も出来ずに朽ち果てたくなどない。
 自分はまだ、走り続けていたいのだ。
 時に野を駆け山を越え、時に獲物を求めて彷徨い、時に縄張りを争うために爪や牙を研ぎ澄まし、時にじっと身体を蹲らせて風や日の光を浴びながらのどかを過ごす。そんなありきたりな、危険や退屈と隣り合わせなありふれた日常なれども、それが今の自分の全てなのだから。
 走りたい。走っていたい。いつまでも、ずっと。
 この身を焦がす、渇望と苛立ち。
 それらの感情が混ざり合わせることでこの身に宿る本能を突き動かす原動力が何度となく生じてくるものの、願いは虚しいものだ。四肢を伝達した思いがその力量を発揮する時はついぞ訪れなかった。
 すでに諦めるしか術はないのだろうか。次第に思考に回す体力も消耗していき、だんだんと周囲に目を向け耳を傾けることさえも億劫になってくる。いつもであるならば、この身が万全であるならば、己が誇る膂力をもってして抜け出すなど容易い程度なのにも拘わらず、今はただ、風雨に晒されるがままに耐え忍ぶしかないがこの状況だった。


 ──何か……、何かないのか。ここから抜け出す術は……。


 救いを求めるかのように、限りある意識の中でふと空を見上げてみる。
 空を見上げたからと言って状況に変化が訪れるというわけではない。空は相も変わらぬ晴れた日の青さを湛えており、風に吹かれて白い雲は自由気まま形を変えながらゆったりと運ばれていく。さも、谷底で倒れ伏した自分のことなど全く関わり合いないと宣言するかのごとく。自分という存在が透明になってしまい、一握の岩塊のように、世界の全てから忘れ去られたかのような感覚だった。
 身を置く空間と己自身の間に感じるその隔たりに、たゆたう心が満たされずぎゅうと締め付けられる。このまま自分は朽ち果てて、身体全ては石に還っていき、心は“核”の中に封じられたまま地中に埋没していくのであろうか。そう遠くない将来を思い描いて、再び混濁とした思考の中にへと陥ってしまう。
 すると、その時であった。
 土砂に埋もれていた意識をコツンと打ち起こす、とても奇妙な感覚がどこからともなく入り込んで来たのである。
 身動きできなくなって幾日と過ぎた、ある日のことだった。


 ──なんだ、これは……。


 温かく、まるで打ち据えたあとに心を優しく包み込んでくれるかのような、涼しげな岩場で眠っている時に差し込んでくる朝日の光を彷彿とさせられるような、心地良さ。
 これまでに経験したことの無い、初めての感覚だった。
 初めてゆえにその正体はわからない。
 わからないが……、悪い気はしなかった。


 ──この感覚は、一体何なのだ……。


 自然と、興味が湧き出てくる。滞りだしていた意識にも力が宿る。
 足の爪の他に動かすことのできる首をもたげさせ、あたりを探ってみることにした。
 眼を。耳を。鼻を。持てる感覚を全て動員して、自分の心に立ち入ってくるものの正体を突き止めるべく意識を研ぎ澄ます。
 岩があり、川があり、谷底から見上げた空には白い雲が流れている。遠くから巨大な水飛沫による轟音が聞こえ、谷間の気流に乗ってその湿ったにおいが立ち込めてくる。もう何日も見続けて、すっかり見慣れてしまった光景だった。
 だが何かが違う、と思う。何かが異なるはずなのだ。
 周囲を見渡してみる。
 動くものは、ない。
 しかし着実に……何かが近付いてきているのがわかった。
 足音らしきものが川のせせらぎや飛沫の音に混じって、ひたり、ひたり、と少しずつこちらへ忍び寄ってきているのだ。


 ──誰が、近付いてきている……?


 弱った自分を狙う襲撃者だろうか。しかしそれにしては様子がおかしい。
 試しに威嚇の意を込めて低く唸り声を上げると、やや離れた場所からビクンッと飛び跳ねるような気配がした。数は2つ。思っていた以上に小さい気配だった。
 未知な存在に対する純粋な驚きと戸惑い、不安や好奇心といった感情が、1つの混ぜこぜになった状態で流れ込んでくる。


 ──これは、一体……。


 少なくともそれは自分のものではない。
 おそらくは、こちらに近付く者たちより発せられる感情なのであろう。
 互いを慈しみ合う2つの心。そこから奮い立たされる果て無き勇気。
 それら2つが、すぐそばまで迫って来ている。
 とても、不思議な気持ちになった。
 この感覚は本当に一体何なのだろう、と。
 そして自分は出逢う。
 今日この日この場所で、1つの出逢いを果たすこととなったのだった。





   第4話「こんな生き物がいるなんて…」





 水のせせらぎを耳にしていると、心は自然と穏やかな気分になってくる。
 それはたとえ、足場の悪い川の岸辺を歩いていたとしても変わることはない。
 あの遺跡を発ってすでに3日。この名も知らぬ大地を旅するガロードとティファのふたりは現在、山間を流れる川縁に沿って下流へと向かって歩いていた。
 流れは速く、川幅はそう広くない。おそらく山の頂上付近に降り積もった雪の溶け水を源にしているのであろうか。流れ方や川底の形によって刻一刻と姿を変えていく水の様相は、さながら柔らかさと透明感を兼ね備えた繊細なガラス細工であるかのよう。陽の光を受けてきらめく水の飛沫が、見る角度によって7つの色に分けられてきらきらと輝いていた。

「ティファ。ここ、滑りやすくなってるぜ。気をつけてな」

「う、うん」

 歩きながら足元の様子を観察していたガロードが注意を払うと、すぐ後ろを歩くティファがそばにある岩に手を添えつつ神妙な面持ちで頷いている。そんな彼女の見せる様子にちょっとした愛らしさを感じて微笑むと、ガロードは再び次の1歩を踏み出した。
 ガロードは進む。この川の岸辺をティファと共に。
 その1つ1つはとても小さな積み重ねである。だがその小さな積み重ねが幾重にも折り重なるからこそ、旅の道筋は少しずつ、そして着実に築かれていくのだと、ガロードはこれまでの経験からわかっていた。
 川岸を埋め尽くしてる岩や石はそのどれもがゴツゴツと角張った形をしており、川の水飛沫を浴びて湿っている箇所がちらほら見える。体力の回復や食糧の確保に10日間ほど費やしたため荷物の詰まったカバンは重く、進む道はお世辞にも歩きやすいとは言い難い。しかしそれでも、前へ前へ歩み続けるガロードとティファの足取りはどことなく軽やかだった。
岩と岩の間を縫うように、あるいは1つまた1つと段差を乗り越えて前へと突き進んでいく。

「よっと、ほっ。ふぅ……。これでだいぶ、長い距離を下って来れたよな。山の頂上がもうあんなに遠いや。川の傍を歩くってのはそれだけで気分が良いぜ」

 やはり、すぐ横を水が流れているという事実がその理由として大きいのだろうか。心がどうしても湧き立ってくるような気分になってくる。それに加えて、あの砂漠をただ生き延びるために彷徨うのとは違う、確固たる目的を持って行動しているという事実が自分たちに力を与えているのではないかと、おぼろげながらに考える。これと言って根拠は無いが、ガロードはそのことに対して微塵も疑いを懐いてはいなかった。
 ガロードとティファの目的。それはかつてあの遺跡で生活を営んでいた、今もなおこの名も知らぬ大地で生きているかもしれない人々を探し出し、彼らと出会うことだ。
 今現在、こうして川を下っているのもその可能性を求めてのことである。水というものは特殊な例外を除いて、常に重力の作用を受けて上から下へと流れていく。河川についてもそれは同様であり、水源より始まってから、上流から中流へ、中流から下流へ、そして最後にはたとえどんな道筋を辿ったとしても必ず海に至る。海まで行ければ、もしくはその過程の上で、誰かが暮らしている人の集落を発見することができるかもしれない。集落そのものを直接見つけられずとも、何かしらの手掛かりを得ることができるかもしれない。と、希望を込めて。
 最初はかなり険しかった道筋も徐々に緩やかなものとなってきている。遺跡の水源を辿ってこの川の上流を見つけてから2日が過ぎた。視界が開ければそろそろ変化が表れてくるのではないか。そう期待を持ち始めた、矢先のことであった。

「────あれ?」

 太陽が空高く昇り切る前、ガロードは前方より聴こえてきた音を耳にして目を見開いた。
 それまでの水のせせらぎとはまた違った音。ドドドドドドドドドド────と絶え間なく響いてくる旋律が谷間の岩々を抜けて、遙か向こうの方から聴こえてきたのだ。
 ふたりは思わず足を止め、顔を見合った。

「ガロード。この音……」

「ああ。こいつはひょっとして……」

 もしかしたら、と思い、逸る心を抑えつつ歩みを再開させるガロードとティファ。
 歩調がおのずと早まっていくなかで、その音源があると思しき場所へと向かうと、そこはおよそ数百mほど進んだ先の、川が描いていた緩やかな曲線が終わりを迎えた地点であり、同時にこれまでの川と山道が途切れている場所だった。
 正面に見えるのは雄大に広がった空と岩肌と僅かな緑が織り成す空間。
 大量の水が流れ落ちる滝が、ガロードとティファの眼前にあったのである。

「やっと……、ここまで来れたんだな」

「きれい……」

 その落差は優に100mを超えているだろうか。上から覗き込めば滝つぼまで目も眩みそうになるほどの高さに感じられた。風に舞う飛沫によって七色に輝く光の架け橋が空中に描かれており、崖下に落ちて再び流れ始めた水は、山岳地帯から伸びてくる別の川にへと注ぎ込んでいる。あたりを見渡せば、そういった流れの小川や滝がちらほらと確認でき、1つの大きな河となって山の麓へと向かっていく。その遙か彼方には見渡す限りに広がる平原が見え、そこを流れる川の両岸に、まばらではあるけれども草や木が固まって生えている箇所がここからでも目にすることができていた。
 心の中で常に望んでいた、雄大な景色。その美しさにしばし魅了されていたガロードは大きく息を吸い込んで「うっ、んんんーっ!」と身体を伸ばす。

「よぉっし! これでやっとひと段落だ。いよいよこれからが本番って感じだよな」

「ええ。下の河の流れは、とても穏やか……。それに、緑も少しずつ増えてきている。あの向こうにもきっと……」

「そうだな。このまま下流に向かっていけば、これからもっともっと増えてくるだろうぜ。本当に、これでいよいよ、だ」

 山地から平原へ。川の流れは上流から中流へ。変わりゆく景色を見詰めては、やはりこうした眺めは旅を続ける上で欠かせないものだと、ガロードは思う。
 あの砂漠にいる時は目に見えるものといえば岩と砂ばかりで、なにより生きるか死ぬかの瀬戸際なあの状況では、周囲の景色を楽しむゆとりや余裕など欠片も存在しなかった。すぐそばを水が流れているからというのもあるかもしれないが、あの砂漠を越えた先で、こうして絶景を目にすることができたことへの感慨はひとしおなものである。
 しばらくそうやって見える景色を十分に楽しんだガロードとティファだったが、いつまでもこうしてぼうっと眺めているわけにもいかない。
 ガロードは頃合を見計らって、右を見、左を見て、これから進むべき道筋を探る。

「とりあえずこのまま下流の方には向かえるみたいだな。しばらくは崖に沿って歩かなきゃならねぇみたいだけど。どっかでか下に降りれる場所があるかもしれねぇから、どうにかなるよな。────うん。よし、っと」

 最後に太陽の位置を確認して考えはまとまった。
 ガロードは隣に立つティファの方を向く。

「じゃあ、ティファ。ここらで一旦休んで、早めのメシにしようぜ。一応水とかも補給しとかなくちゃいけないだろうし。先を進むのは、それからだ」

 このガロードの提案に、ティファはこくんと頷いた。

「わかったわ、ガロード。じゃあ私は…………、あそこの流れの緩やかな所に戻って、お水を汲んでくるね」

「ん、任せた。だったら俺は昼メシの準備をしとくぜ。わかってると思うけど、足元には気を付けてくれよ?」

「うんっ」

 と言ってティファは背中の荷物を下ろすと、ちょうど空になっていた容器を携えて比較的流れの緩慢な浅瀬へと向かっていった。
 そんな彼女の後ろ姿を見送り、ガロードも荷物を下ろして昼食の準備に取り掛かる。
 ガロードがカバンから取り出したもの。それはあの遺跡に群生していた大きめな草の葉を用いた包みであり、結び目を紐解くと一見してクッキーのような保存食がその中に入っていた。
 1枚1枚の大きさは手の平に乗るほどの、形は薄くて歪な円盤状。集めたナッツを煮詰めてアク抜きし、丁寧に磨り潰してから刻んだ野草や乾燥させた蟻の粉末や小さな幼虫などを混ぜ合わせたあと、薄く伸ばして火に掛けた平らな石の上で焼いたものだ。
 これはかさ張らずに栄養価ができるだけ高くなるように、そして虫食に慣れないティファにも食べやすいようにとあれこれ試行錯誤をした結果であり、味にある程度のバリエーションも持たせてある。その甲斐があってか最初こそ引き攣った表情でおそるおそる口にしていたティファではあったが、今ではだいぶ平気になってきたとのこと。ふたりが今の状況において最も頼りにしている食物の1つだった。

(さてと、今日の昼はこいつとこいつとこいつにするか。これにあとは干した果物を加えれば良いだろうし。でもやっぱもう少し他にいろんなモンも欲しくなるよなぁ。ハチミツとかでもあればって思うけど、無い物ねだりしててもどうしようもねぇし。今日の晩メシは奮発して鳥の燻製を使ったスープでも作ろうかな?)

 これからの行動を視野に入れ、あれやこれやと考え込むガロード。
 ティファが戻ってくるまでの短い時間。そうやって思案に耽っていると、不意にどこからか、水の音に混じって僅かに…………ある奇妙な音が、聞こえてきたような気がしてきたのだ。


 ──……ゥゥゥ。


 と。

「────ん?」

 何の前触れもなく聞こえてきた響きに反応して、ガロードは振り返る。

「今、確か……」

 特別何かを求めてというわけではなかったが、確かに今、自分の耳は何かしらの音を捉えたのだと思った。目を凝らし、耳を澄ましてみる。だけれども、ざあああっと流れ落ちる滝の様子くらいしかこの場の喧騒を掻き乱すものが存在しない。結局それらしきものの影はついぞ発見できなかった。

「…………」

 いまいち腑に落ちなかったが、空耳だったのだろうか。それとも聞き間違いか、単なる風の音か。その音自体が意識を少しでも背けてしまえば確実に聞き逃してしまう程度のものだっただけに、時間が経つにつれて「それはどんな音だったのか?」「なぜ自分はその音に気を留めてしまったのか?」と問われると、少々答える自信がなくなってきてしまうガロードだった。

「やっぱり……気のせい、だったのかな?」

 と、誰となく問い掛けていると、水をたっぷり補充してきたティファが容器を抱えて戻ってくる。彼女はこちらの様子に気付いたらしく、不思議そうな顔で首を傾げていた。

「……? どうしたの?」

「いや、なんか聞こえたなって気がしたんだけどな。ただの気のせいだったみたいだ。水、お疲れさん。ありがとな、ティファ」

「ううん。はい、ガロード」

「おう。早速メシにしようぜ」

 いちいち気にしていても仕方がないし、何か変化があればその時対応すれば良い。
 ガロードが己の考えを打ち捨てて微笑みかけると、ティファはちょっと照れくさそうに表情をやわらげる。
 それからふたりは目の前に見える景色を眺めながらの昼食を取り、おのおの身体をほぐしたり、ひと通り荷物の状態を確かめたりしてからの出発となった。
 流れ落ちる滝を離れ、視界の脇に崖下の河を収めつつ地面がむき出しになった道を下流へと向かうガロードとティファ。この河を下るためにはただ前を行けば良いというものではない。この崖を下へと降りていかなければならない。途中何度か傾斜の緩やかな場所や適度な段差を見つけるたびに高度を落としていき、少しずつ、少しずつ、谷底の河に近付くように心掛けていく。
 しかしどんなに注意を払ったとしても、いかんともしがたい場面に差し掛かってしまうこともよくあるもの。それがふたりの行く末を定める結果をもたらす可能性も十分ありえる。
 歩き始めてしばらく、進んだ先でふたりの選んだ道筋が不自然に狭まっている場所を見つけたのは、さほど長い時間が経過していない間もなくことであった。

「──っと。なんか崖崩れでもあったみたいだな、ここは」

 山側のほぼ垂直に立った急勾配と谷側の寸断された地面を見比べて、ガロードは思わず嘆息する。
 パッと見た限りでは数日以上前に崩落したのだろうか。まるで地面が巨大なスコップかシャベルを使って抉り取られたかのようにも見えてくる。試しに足元に落ちていた石を放り投げたり崩れた縁際を足で叩いたりして確かめた具合では、通ろうと思えば通れないこともないかもしれない。だが、道幅の関係上どうしても半身になって進めねばならない所もあり、ティファと2人でいることと荷物の重さを考慮するとこのまま安易に足を踏み出せば良いというわけでもなさそうだった。
 万一足場が崩れてしまう危険性を考えると、ここは素直に一旦引き下がって迂回するべきであろうか。この崩れている場所を越えれば、その更に先に道が繋がっていることがここからでも認められるだけに、ガロードは進むか否かを思い悩む。
 そして至った結論は、

「とりあえず1人ずつ行ってみて確かめてみるか……? 人ひとりなら何とか通れそうだし……」

「ガロード……」

 視線を傍らにいるティファに向けると、彼女は心配そうに瞳を揺らめかせていた。
 ガロードはフッと笑う。

「そんなに心配しなくても大丈夫さ。ちょっとでもやばいって思ったらすぐ引き返せば良いんだからよ。ティファはここで待っててくれ。ちょっと行って、確かめてくる」

「気をつけて……、ガロード」

「わかってる。じゃあ行ってくるぜ」

 よしと。意を決して足を進めるガロード。慎重に確実に。ゆっくり1歩1歩、つま先で地面の状態を探りながらでの進行となった。こののちにティファも通ることを考えると、一見大丈夫そうであっても油断はできない。どこを踏み締めたら良いのか。どこに重心を持って行けば良いのか。半身にならねばならない箇所では足場だけでなく、手掛かりも。谷側を背に、斜面にうつ伏せるような形でガロードは前へと進んでいった。
 すると、


 ──……ォォォォォン。


「────へっ?」

 またしても意識にさわりと触れてくる奇妙な音が聞こえてきた。
 つい先ほどの、昼食前に聞いたものと同質と思われる音が。
 今度ははっきりと。思いのほか、近くに。
 ガロードは岩肌にしがみ付いたまま、首を動かして後ろを振り返る。

「今、何か……」

 何かが聞こえてきたような……。
 意識を周囲に向けたことによる、ほんの些細な気のゆるみ。
 それが命運を分かつ結果となったのは、ある意味自然なことであったかもしれない。

「────っ! ガロード!?」

 張り裂けるみたいにしてティファが叫ぶ。
 しかし、もはや手遅れであった。

「くっ! やべぇ!?」

 微細な力加減によって均衡が崩れてしまったのだろうか。
 ズルリと足下の岩が地面から外れ、ずれ落ちる。
 そこに体重を掛けていたガロード自身もまた。
 ガロードは焦った。
 せめて頭から転落は避けなければならない。
 ガロードは滑り落ちつつも必死に斜面へ手を伸ばした。

「こ、んのっ!?」

 がりがりと、足と指先で地面を削っていく。そうやって減速を試みたものの、それはあと1歩というところで届かずにガロードの身体は空中に投げ出された。
 ふっと身体に掛かる重さが消える。
 ガロードの身体は勢いをそのままに谷底へと落下していく。
 まずい。まずいまずい。
 ガロードは最後の意志と気合を総動員させた。視界の隅に映る、石の出っ張り。無我夢中でそれを引っ掴んだ。掴んだ石を基点にしてガロードの身体はまるで棒切れになったかのように振り回される。どうにかぶら下がることに成功したようであったが、それも束の間のこと。落下する勢いを殺しきれず石の出っ張りごと剥がれ落ちてしまい、ガロードは結局、そこから数m下の地面に腰をしたたかに打ち付けたのだった。

「ぐわぁ!?」

 口から飛び出す、己の呻き声。
 幸い背負っていた荷物のおかげで頭部の直撃は免れたものの、腰から下に痺れるような激痛が走る。

「いつつつつつ……」

「ガロードっ!」

 身体の痛みに悶えていると、頭上からは焦ったふうなティファの声が響いてくる。
 ガロードはそんな彼女を安心させるべく、痛む身体を押して言葉を張り上げた。

「大丈夫、大丈夫だティファ! ちょっと腰を、あたたた……」

 どうにかして上体だけでも起こそうとしてみたけれどもそれは叶わず。どうやら骨や内臓に異常はないようだが、流石にすぐ飛び上がれる程度の痛みでもなかった。手で腰を押さえたまま、ガロードは周囲を窺う。

「一体なんだったんだよ、さっきのは。昼メシの時といい、やっぱり何かがいるっていうのか?」

 2度も捉えた奇妙な音。誰かの呻き声とも風のうねりとも取れるそれは、確かにどこからか聞こえてきた。1度目よりも2度目の方がより明確であったため、もしかすると自分たちはその音の源に近付いているのではないかと、ガロードは思った。
 しばらくすればまたあの音が聞こえてくるのだろうか。そう考えて意識を集中させたガロードの耳に届けられたのは、正体がわからぬ奇妙な音ではなく、ガロード自身よく耳に馴染んだティファの声であった。
 切羽詰った彼女の声が予想した以上に間近なところから聞こえてくる。

「ガロード! ……ああっ!」

「え?」

 先ほどよりも近いほぼ真上。
 反射的に見上げれば、そこには今しがたのガロードと同様に崩れた崖縁に手を掛けてぶら下がるティファがいた。落下したガロードを心配して慌てて降りてきたのであろうか。どんな経緯でもって彼女がそのような行動に走ったのかはわからなかったが、今は関係なかった。
 風にそよぐスカートの隙間から、細くて白い足のふとももがちらりと映る。
 考えるよりも先に、ガロードの身体は動いていた。

「きゃあっ!」

「うわああぁっととと!?」

 寸での瞬間にティファが落ちてくる。
 咄嗟の出来事に対し焦ったガロードは半ば無理矢理に身体を地面との間に割り込ませると、上から落ちてきた彼女を受け止めて下敷きとなってしまった。
 いかにティファが細身の少女とはいえ、この衝撃はきつい。
 顔面を強打したガロードの口からは、肺に溜まった空気が余すことなく全て吐き出される。
 堪らず、呻いた。

「う、ぐぅぅぅ……」

 痛い。だが柔らかい。
 頭の後ろに感じる土の固さと鼻頭に触れるティファの温もり。
 そんな天国と地獄の狭間を行くガロードが意識を混雑とさせていると、やがて身体に掛かる負荷が消え去り、新鮮な空気がもたらされる。いまだくらくらする頭を押さえつつ起き上がって瞼を開けば、目の前にいるティファがバツの悪そうに顔を曇らせていた。

「あの……」

 おそるおそるといった感じで、彼女は口を開く。

「ごめんね、ガロード……。痛かった?」

 心配に震えるティファの声音。
 ガロードは己の意識をハッキリさせようとかぶり振った。

「これくらい、なんとかな。ティファこそ、怪我はしなかったか?」

「私は平気。ガロードが、その……受け止めてくれたから……」

「そっか、良かった。────って、そんなに気にすんなよ。元はといえばドジった俺が悪いんだし。それに、ちょっと役得だったしな?」

「やく、とく……?」

 気を落とすティファを元気付けるためにほとんど冗談めかしに笑い掛けると、その瞬間彼女はきょとんと目を丸くしていた。そしてガロードが意図としたことを理解し始めるにしたがって顔を赤らめていき、「もう……」と呟いて頬を膨らませた。
 滅多に見せてはくれないむくれたティファの表情を見、その様子におかしさを感じてガロードは笑う。つられてティファも次第に笑い始めた。ふたりの男女が笑い合う声が響くなか、ガロードはこの事柄の要因となった出来事を思い出す。

「って、いつまでもこうしている場合じゃなかった。なんか変な音が聞こえてきたんだよな、ついさっき」

「変な、音……?」

「ああ。ティファは聞いてなかったか? 何かが唸るような音でさ、それがどっかからか聞こえてきたんだ」

「私には何も……」

 そう言葉を交わし合ったガロードティファは、視線を周囲に向けてみた。ふたりが今いるのはちょっとした棚台のようになっている地点であり、少し進めば谷底に繋がる急斜面があった。聞こえるものといえば、遠くに響く滝のせせらぎと谷間に吹く風くらいなもの。ちっとも変わらない様相を見せる景色に、ガロードは困惑を顕にさせる。

「うーん。確かに聞こえたんだけどな。最初のはともかく、さっきのはかなりはっきりしてたし……」

「ここからだと、見えないところからかしら?」

「あり得るとしたらそういうことだよな。だとすると………」

 と、そこまで言いかけたとき、ガロードは言葉を止めた。
 またしても聞こえきたのだ。
 これで3度目。もはや聞き間違えようはない。
 あの奇妙な音が思いのほか近い場所から、心をも揺さ振るかのような重厚感のある低音でもってここまで響いてきたのである。


 ──グゥオオオオオオオォ……。


「な……!?」

「っ! ガロード……!」

 それは明らかに、何らかの生物のものと思われる唸り声だった。
 今回ばかりはガロードだけではなくティファもこの音を耳に捉えたらしい。
 思わず飛び上がるを抑えつつ、ふたりは揃って顔を見合わせ声を押し殺した。

「な、なあ、ティファ。今の……」

「え、ええ。私にも、聞こえてきた」

「なんだ。何がいるって言うんだ、一体……」

「…………」

 ガロードは余計な物音を立てないように注意しながら、斜面の下を覗き込んだ。

「やっぱり……この下に何かがいるってことなのか?」

「たぶん……きっと、そうだと思う」

「だとすると、どうするかな……。このまま無視して先を進むのが1番だと思うけど、やっぱり気になるよな……」

「ガロード……」

 ひと呼吸置いて、とにかく心を落ち着かせてみる。
 最悪の事態も想定して自問自答を繰り返し、自分が持ちうる全ての手段を考えて結論を導き出す。
 ガロードはティファに告げた。

「俺、とりあえず行ってみようと思う。何がいるかわからねぇけど、このまま避けてたら何も始まらないって気がするんだ。ヤバイと思ったら、逃げるくらいのことなら何とかできるだろうし」

 拳銃やナイフがどこまで役に立つか不明ではあるものの、なけなしの爆薬や閃光弾を上手い具合に駆使すれば逃げ延びるための時間稼ぎにはなるはずだ。
 この下に一体どのような存在がいるのか。ガロードが決意を込めてぎゅっと拳を握り締めていると、ティファも表情を引き締めて瑠璃色の視線をこちらへと向けてくる。
 その眼差しは、強い。さながら彼女が持つ心の意志の強さを体現するかのように。

「私も行く。私も、知りたいから……」

 そう語る彼女の指先は若干震えていた。
 未知なる存在に相対することへの不安や恐怖は計り知れないものだ。それらはガロードの心の中から湧き上がってくるものと同じ感情。だがしかし、今この場面ではそれらを押さえ込んででも勇気を奮い立たせねばならないときであると、ガロードとティファの間に確固たる思いが結ばれた。
 
「わかった。ありがとな、ティファ。正直俺1人だとおっかないなって思ってたところなんだ。ただ、いつでも逃げれる準備だけは心の中でしておいてくれよ。いいな?」

「──うん!」

 力強く頷くティファを見て、ガロードの決心は固まった。

「──よし、行くぜ!」

 身体の痛みはすでに引いてきていた。
 ガロードは行く。ティファと共に。
 ふたりはそれまで以上に注意を払って、谷底へと下っていく。
 なるべく足音を立てないように。この先にいる『何か』を刺激しないように。
 数十分掛けて川原に辿り着くと、そこから上流に向けて引き返す。
 この先に『何か』がいる。おそらく自分たちの想像を絶する『何か』が。
 それがいると思しき地点まであと50mといったところか。その姿はいまだに確認できないが、音の発生源には確実に近付いている。ガロードとティファはいつしか、互いの手を握り締め合っていた。


 ──ウウウゥゥゥ……。


 目の前の岩の向こうから聞こえてくる“声”に心が跳ね上がる。
 ガロードは片腕をティファに預けたままホルスターから愛用の拳銃を引き抜くと、安全装置を解除。1度深呼吸をして心を落ち着かせた。

「これからだな、いよいよ……」

「うん……」

「これで、とうとうエイリアンとのご対面か? ──って、エイリアンは俺たちの方かな、こういう場合は」

「ガロード……」

 不安げにこちらを見詰めてくるティファ。
 その両手はもはや、ガロードの左腕を抱え込むように引き寄せている。
 ガロードは言った。

「ティファ、怖くないか?」

 それはかつて、決戦へ赴く直前に発したひと言。
 あの時の想いは、今でもちっとも衰えてなどいない。むしろ強くなっている。
 だからこそ今一度、ガロードはティファに訊ねたのだ。
 そんなガロードの心を察したであろうか。ティファはハッと気付いたような素振りを見せたあと、あの時と同じように真剣な面持ちで答えを返してくれた。

「大丈夫。ガロードと、一緒だから」

 たったこれだけ。それだけのこと。
 ティファが信じてくれる。ただそれだけのことで自分は力を振り絞れる。
 もう躊躇わない。覚悟を決めたふたりはその1歩を前に踏み出した。
 そしてガロードとティファは、出逢う。
 今日この日この場所でついに……、その『存在』との邂逅を果たしたのだった。

「…………?」

「……んん?」

 初め見た時、ガロードもティファもそれが何であるのかを理解し切れなかった。
 岩の向こうから現れた白い影。その巨大さ、その細部に至るまでの細やかな質感を目にし、ふたりはぽかんと目の前にいる『存在』を眺めていた。
 だが、それを見て数瞬の後になってガロードとティファは知る。その『存在』が何であるかを。時が移ろうに従ってそのことを認識し始めたガロードとティファは、あまりの事実に驚愕の表情を浮かべて震え上がった。

「────────っ!?」

「ん、な……、あぁ……っ」

 ガロードとティファの、言葉にならない掠れた声がそれぞれ口から洩れ出でてくる。
 実際に視覚に捉えても信じられない。あまりに常識からかけ離れて、夢にも思わなかった存在。明らかに地球のものとは全く異なる形態の『生物』が、そこにいたのである。

「な、ん、なんだ……、こ、こいつは……」

「ゴォウゥゥゥゥゥゥ……」

 ガロードが驚愕に声を震わせると、その存在からは低い唸り声が発せられた。
 この場に侵入してきたガロードとティファを一心に睨み付ける、磨かれた紅玉のような真紅の眼差し。その輝きが増していく。不審や警戒といった感情を隠さず、まるで挑むように、まるで見定めているかのように、決して後ろには引かぬ強靭な鋭い意思をもってガロードとティファのことを凝視し続けている。
 同様の意思を孕んで奮える鋭い牙や爪、太く逞しい前脚、そして頭部を覆うタテガミのような部位。
 その姿形を見て、ガロードは呟いた。

「ひょっとしてこいつは……ライオン、なのか……?」

 そこには『獅子』がいた。
 とてつもなく強靭な体躯を持つ、1頭の巨大な白き『獅子』が。
 けれどもこの『獅子』を前にして、地球に住まうそれと同一であると言える者が果たしているであろうか。
 実際に本物のライオンを目にしたことのないガロードではあったが、これだけは断言できる。
 この存在は違うと。このような生き物は絶対に地球には存在し得ないと。
 いかにライオンが地球上で最強クラスの肉食獣だと称えられているとしても、ここまで身体が大きいものではない。話に聞く限りではせいぜい体長が2mから3mといったところなのだ。それに対して目の前にいる『獅子』の大きさはまさに桁違いであった。上顎に生やした最も長い牙だけでも全長が1mに達しており、鋭い爪を生やした指の1本1本はそれぞれ人の身の丈を遙かに凌駕している。頭の大きさもそれなりであり、タテガミを含む頭部だけでもガロードたちが以前乗っていたオフロードトラックと比較して同等以上のボリュームがあった。頭の先から尻尾の先まで、その全体の長さはおそらく20mを超えているだろうか。口をぱっくり開けばモビルスーツの頭部でさえ丸かじりにできそうな、人間を10倍のスケールで拡大したサイズを持つモビルスーツに匹敵しそうなくらいに巨大な『白き獅子』が、喉を震わせながらガロードとティファのことを睨んでいたのである。

「ガ、ガロード……」

「あ、ああ……」

 その他に地球のライオンと異なる点をもう1つ挙げるとするならば、身体の表面が薄茶色の柔らかな毛並みで覆われているのではなく、独特な光沢と滑らかな質感を兼ね備えた銀白色の甲殻によって覆われていた点だろうか。見た目の印象としてその形状は突起が少なく流麗な、エビやカニのようにごつごつとしたものと比べたら、カメムシやカブトムシといった甲虫類の外殻を更に分厚くしたものに近かった。
 サイズ的に見ればモビルスーツを目の前にした状況と同じではあったが、そこから受け取る威厳や迫力といったものはまるで別ものだ。頭部を囲うタテガミの荘厳さ、指1つ、爪1つ、牙や頬や瞼の動きの細部に至る1つ1つの仕草が、獅子そのものが持つ生命感を満ち溢らせ、機械からは決して感じることのない息吹きを肌と感じさせられる。
 低く喉元を震わせながら睨み付けてくる白き獅子と向かい合い、ガロードとティファはその眼光から発せられる威圧感に身を竦ませていた。だがけれども、自分たちが知りうる常識からあまりにかけ離れた生き物を前にして、ふたりは視線をライオンから外すことは1度もなかった。
 ぎゅう、とティファにきつく握り締められた左腕が徐々に痺れてくる。
 山間を流れる川のすぐそば。水のせせらぎや風に運ばれる雲をどこか遠い世界の出来事であるかのように感じてしまうなかで、ガロードとティファはライオンと交わす眼と眼を決して逸らさずに見詰め続ける。
 それからどれほどの時間が経過しただろうか。
 ほんの数秒のことだとも思えるし、とっくに数時間を越えたとも思えてくる。
 時間への感覚がだんだんと麻痺してくる頃合になって、いつまでこの状態が続くかと身構えていると、先に視線を逸らしたのはライオンの方だった。
 突然やって来たガロードとティファのことを脅威と捉えなくなったのか、そもそもそれほど意識に留めていなかったのか、ライオンはさながら興味を無くしたかといったふうにぷいっと顔を背ける。その口元から洩れ出でてくる呻き声はどこか儚げで、弱々しく感じられた。
 張り詰めていた重圧から解き放たれたガロードは「ふう……」と溜め息をこぼす。持っていた拳銃をゆっくりホルスターに収めてから、ほとんど無意識に空いた右手で首筋を拭うと、手の平には尋常でないほどの量の汗がべったりとへばり付いていた。ゆっくりとその拳を握り締めて、開く。いまだ背筋を凍るような冷たさが上から下へと伝っていくのを、自分の肌で余すところなく確認できていた。
 すぐそばにぴたりと寄り添うティファもそれは同じよう。彼女もまた額やこめかみに汗を滴らせて安堵の息に打ち震えている。
 ガロードは再び視線をライオンに戻して、口を開いた。

「……とりあえずひと安心みたいだな。それにしても何なんだ、こいつは……? こんなのは初めて見たぜ」

 見れば見るほどに、眼前に伏しているライオンの姿は異様としか映らなかった。
 あまりに巨大過ぎる体躯も、貝殻ともカメの甲羅とも違う白き外殻の質感も、両腕でひと抱えできそうな程の宝玉を嵌め込んだように見える真紅の眼も、その眼の奥から発せられるおのずと火の玉を連想とさせられる瞳の輝きも。
 心が冷静になるにしたがって初めて気付くこともある。ぐったりと地面に伏せたままでいるライオンの反応に不可解さを覚えたガロードが視線を周囲に向けて動かすと、ライオンがじっとうずくまっている理由をようやく悟った。

「こいつ……、ここから動けないのか?」

「グ、ゥゥゥ……」

 ガロードが問い掛けるように囁くと、まるでそれに応えるかといったふうに、ライオンの声がその喉の奥から滲み出てくる。
 ライオンは、動かない。いや、動きたくとも動くことができないと言った方が正しいであるだろう。その巨体の上には崖から崩れ落ちてきたと思われる大量の土砂や岩が降り積もっており、半身のほとんどを埋め尽くしている。土砂の外に飛び出て見えている箇所と言えば頭と両前脚くらいなもので、後脚や腰の部分は確認できず、下半身で唯一目にすることのできた尻尾の先端が妙に痛々しかった。

「この子、いつから……」

「……わからねぇ。こいつ、何日ぐらいここでこうしていたんだろうな。近くに仲間がいるってわけじゃないみたいだし……。きっと、俺たちが来るまでずっとここにいたんじゃないかな」

 モビルスーツ並に巨大な身体を持っているのにもかかわらず、雨の日に濡れた子猫のような雰囲気を醸し出しているように見えるのはその所為であろうか。不思議と、ついさきほどまで胸中を席巻していた恐怖心や焦りといったものがすぅっと鳴りを潜めていく。
 代わりとなって自分の中に現れてくる思い、それは……。

「……ガロード」

 呼び掛けられた声に振り向くと、悲しげな感情を瞳に湛えたティファがガロードを見詰めていた。

「この子は、このままだと……」

 その眼差しを通じて伝えられてくる、彼女の想い。
 ガロードは頷いた。

「そうだな。やっぱり、このまま放ってなんておけねぇよな。俺だって助けられるもんなら助けたい。けど、俺はともかく……ティファは大丈夫なのか? いろいろと……」

「…………」

 イルカを助けるためにゴムボートで単身海に乗り出したティファのことだ。これくらいの予想は簡単にできていた。ティファが持つ心の優しさは、自分が1番よく知っている。ましてや、このライオンを助けたいと思ったのはティファだけではなくガロードも同じなのだから。
 しかし、感情では彼女の願いを叶えてあげたいと思う一方で、理性ではそれに待ったを掛けている。
 現実は無情だ。想いだけではどうにもならない部分がある。幸いにもライオンに降り積もった岩や土砂のそれぞれ1つ1つの大きさは、2人の人間が協力して行なえば決して取り除くことが不可能ではないといった程度ではあったけれども、全体の分量は半端なものではなかった。ふとしたことを切っ掛けに崖が再び崩れ始めることも考えられるし、今は攻撃の意思を見せていないライオンが突如として暴れ出すことも考えられる。あの巨大で鋭利な牙や爪に掛かれば、自分たちの身体を物言わぬ肉塊に変えることなど造作も無いことであるだろう。それにティファの体力が持つかどうかの心配もあった。また砂漠での時のように倒れられたとしたら、今度こそ彼女の身が危うくなるかもしれないのだから。一時感情に身を委ねれば、それが命取りとなってしまうかもしれない。
 ガロードの懸念はティファも重々承知のはずである。
 だからこそ、そのことを踏まえた上でガロードは確認を取ったのだ。

「…………」

「…………」

 ふたりの間に流れる、言い様のない雰囲気。
 ガロードはただじぃっとティファを見詰めて、彼女の言葉を待った。

「──ガロード」

 呼吸と共に1度閉じられた瞼が開かれると、力強い意思を放つ瑠璃色の瞳がそこから現れる。
 彼女は自らの手を胸の前で握り締めて、告げてきた。

「私は、この子を助けたい。今この子をこのまま見捨てたら、きっと私たちはそのことでずっと後悔すると思う。そんなのは嫌……。ガロードにもそんな気持ちになって欲しくないの。私たちにこの子を助けることができるのなら私は助けたい。ガロードと一緒なら私も頑張れるから」

「ティファ……」

「だからお願い、ガロード……」

 ひとたび口を開けば躊躇いも無く発せられるティファの言葉。
 ガロードは彼女の想いを受け止めて、息を大きく吸い込んで吐き出した。

「──わかった。俺も後悔だけはしたくねぇからな。やれるだけのことはやってみようぜ」

 ガロードがそう答えると、ティファの表情はふっと和らいだ。

「ええ。ありがとう、ガロード……」

「良いんだ。俺の方こそ、ありがとな」

 言葉を交わし終えたガロードとティファは、眼と眼を向かい合わせてしっかりと頷き合った。
 ふたりの視線は再びライオンへと向けられる。
 ライオンはガロードとティファのやり取りの内容を知ってか知らずか。全く意を介していないふうにして、ぴくりとも動かないでいた。もはや自分たちのことなど眼中に無いのか、それとも……。

「……とにかく、こいつとちゃんと向き合わなきゃ何も始まらねぇよな。大丈夫かな、俺たちが近付いて……?」

「たぶん……きっと大丈夫だと思う。この子から、そんなに悪い気はしてこないから」

 そのティファの言葉に、ガロードはまばたきをひとつした。

「悪い気はしてこないって……。こいつの心がわかるのか?」

 ガロードが問うと、ティファは首を左右に振って答える。

「ううん。そういうわけじゃないの。今の私にはこの子の心を感じることはできないけど、ただ……ただこの子を見ていると、そんな気がしてきて……」

 若干自信のなさそうに語るティファの横顔からは、彼女とて確信をもって告げたのではないのだということが窺い知れた。
 それはすなわち、彼女のチカラによる感覚ではなく、彼女自身が心に懐いた不確かな直感であるということ。
 2つは似ているようでそこに込められた想いや意味は全く異なる。ティファが自分の目で見て耳で聞いて、このライオンのことをそのように感じたのなれば、ガロードはどうすべきか。その答えはすぐに見つけられた。

「そっか。なら、ちょっとずつな。そぉっとそぉっと、近付いていってみようぜ」

「うん」

 ティファを信じる。そして自分自身の想いも。
 ふたりは特に示し合わせることを必要とせずに、どちらからともなくライオンへの1歩を同時に踏み出した。
 ゆっくり、慎重に。1歩……、2歩……、3歩……、と。
 ライオンの巨大さから錯覚しそうになるが、ライオンまでの距離はあと15mといったところ。そのまま歩いて接近したガロードとティファが、ライオンの伸ばした前脚先の爪まで数歩のところに差し掛かると、さしものライオンも気に掛かってきたのか、その頭をぐいっと持ち上げた。

「…………っ!」

 近付く二人を正面に捉えて、輝きが増していく紅い2つの眼。
 眉の下で別の構造を為す硬質の瞼は閉じられ、その眼の形がすぅっと細められる。
 ガロードとティファはぴたっと立ち止まった。
 ライオンはふたりを見詰めて喉を震わせている。

「グォウゥゥゥ……」

「えーとぉ……」

 いざここまで近付いてみてはみたものの、この先どうすればよいのかをガロードはしばし思い悩む。ライオンの声音には今のところ警戒の色は見られないようだが、どこか戸惑いや怯えといったものが垣間見える。これほどまでに巨大なライオンが自分たちに対してというのは奇妙な話ではあるけれども、少なくともガロードの目にはそう映っていた。相手は手負いだ。下手に刺激を加えてはならないのはわかるが、これでどうすればよいのか、具体的な考えは思い浮かばない。
 困り果てたガロードが立ち尽くしていると、隣で表情を引き締めたティファが前に進み出た。ガロードが呼び掛けるよりも先に、彼女はライオンにそっと囁きかけるようにして言葉を紡ぎだす。

「──助けに、来たの」

 と。小さいながらも、凛とした声音で。
 両手を差し伸べるように広げて、彼女は言葉を続けた。

「私たちはあなたを助けに来たの。私たちは、あなたを助けたい。あなたをそこから出してあげたいの……」

 その瑠璃色の瞳でライオンの赤い眼をしっかり見据えて歩み寄りながら。
 ライオンは思わずといったふうに前脚を引いたが、ティファは止まらなかった。

「だから、だから……だから私たちを信じて欲しい。お願い、だから……」

「ティファ……」

「グォ、オォォゥ……」

 物静かに語り掛けるティファではあるけれども、ライオンに向けられた彼女の眼差しからはガロードが止めるのを躊躇させられるほどの気迫が解き放たれていた。必死に、懸命に。たとえ言葉が通じなくとも。ライオンを救おうとする彼女の想いが余すところ無く全て伝えられてくるかのようだった。
 ライオンはそんなティファを見詰めたまま気圧されたふうに喉を鳴らしている。
 ガロードは、その様子を見てなぜだか微笑み浮かべてしまった。きっと大丈夫だと。そしてティファの隣に並び立つ。

「ああそうだ。俺たちはお前を助けに来たんだ。だから俺たちを信じてくれ。すぐにそこから出してやるからよ」

 ガロードとティファは手を伸ばして上に掲げる。
 不思議と怖さは感じなかった。ガロードは向かって右側から、ティファは左側から、心に慈しみを宿してライオンの鼻先近くの頬に触れようとする。
 目の前に迫る鋭い牙の列。腕を自分の肩あたりにまで持ち上げなければ、その牙の付け根に届かない高さだ。

「ウ、ウゥゥ……」

「大丈夫、だから……」

「大丈夫だ。ほら……」

「グォッ……! ウゥゥゥ……」

 ふたりとライオンの距離は、ついにゼロとなった。
 ガロードとティファがその硬い甲殻に手を当てると、ライオンは一瞬びくりと身構えてはいたが、数拍の間の置いておとなしくなる。
 触れた指先からは、冷たさと硬さを兼ね備えた独特な感触と温もりのある息吹きが伝わってきていた。ライオンの喉元からは、心成しか甘えてくるような声が響いてくる。
 暴れ出す気配はない。すっかりおとなしくなったライオンの様子を見て、ガロードとティファは互いの顔を見合った。

「ふふっ」

「あはっ」

 ようやく成し遂げられた命との触れ合い。
 そのことに対する喜びを分かち合い、ふたりはくすりとする。

「やっぱり、ティファは凄ぇな。こんなばかでっけぇ生き物に触れ合おうなんてさ。俺ひとりだったらきっと考え付きもしなかったろうぜ」

「それは私も同じ。私もガロードがいてくれたから……ううん、ガロードと出逢えたから、私にも出来ただけ。それだけのことだから」

 と言ってティファは身体を預けるようにして、ライオンの頬にその頭を寄せた。
 頬を抱き締められたライオンはくすぐったそうに首を僅かに動かしたけれども、それだけである。振り払う素振りをちっとも見せず、ライオンはティファのする行為を眩しそうに眼を細めて受け入れてくれている。
 初めて見た生き物に触れ合えたことも然ることながら、この反応は純粋に嬉しい。
 ガロードもティファに倣ってライオンのその硬い甲殻を撫でてみる。
 こびり付いていた砂埃や土をさぁっ、さぁっと手で拭き落としていく。
 すると、あることに気が付いた。

「う、ん?」

 甲殻を撫でる手触りより伝えられてくる、ある違和感。
 いやそれは既視感と呼ぶべきものだろうか。この生き物に今日初めて触れたのにもかかわらず、記憶の隅に引っ掛かるような感覚があった。そう、自分はこの甲殻に似た感触をずっと以前から知っている。

「って、ちょっと待てよ、こいつは……」

 まさか、と思い、ガロードは目を擦った。
 いや、まさかそんな。
 ライオンを初めて目撃した時とは別の意味で、心を驚愕に染めることとなる。

「もしかしてこいつ……身体が金属で出来ているのか?」

「…………えっ」

 そのガロードの言葉を聞いてティファが顔を上げた。
 彼女の訴えてくる視線に応える前に、ガロードは今1度確認してみた。
 やはり、と言うべきか。その結果に変わりはなかった。

「間違いねぇ。こいつ、身体が金属で出来てやがる……」

「うそ……」

 何度確かめてみても見間違いようがない。紛れもなくこのライオンの身体は金属で出来ていた。
 身体が金属で出来ていると言っても、それは骨の主成分の1つがカルシウムであったり、血液の成分に鉄が含まれているといった次元の話ではない。爪も牙もタテガミも甲殻も全て、それぞれ金属特有の冷たさと鈍い光沢を持っていたのである。
 身体が金属で出来ているといっても、決して機械ではない。
 指先に感じる息吹きや鼓動は紛れもなく、生きとし生きる者のそれであるのだから。
 ガロードはおののいた。

「凄ぇな。まさか、こんな生き物がいるなんて……」

「ええ。でも、凄く、凄く綺麗……」

「ああ……。こっちじゃこういう生き物がいて当たり前なのかもしれねぇな。あの遺跡にあった像の中にはこういう姿のヤツがたくさんいたし」

 あの遺跡で見た石像やレリーフの数々を思い返すと、そうとしか考えられない。鳥や虫などの普通の生き物も暮らしているようだが、こうした金属の甲殻を持つ生き物が他にもいるのであろう。ライオンの他にも、イヌやトラやウシやヘビやクモやサソリ、果ては恐竜や幻獣のような生き物まで。一見地球とは似ているようでいて、ここはまるで異なる世界だというのを改めて知らしめられる思いだった。
 ガロードはライオンの口元を覗き込んだ。

「とりあえず水……、だよな。なあお前、水は飲めるんだよな? ちょっと待っててくれよ」

 いかに身体が金属であるとはいえ、生物である以上何らかの形で水を必要としているはずである。ガロードは背負った荷物を下ろし、中から水用の容器を取り出すと、試しにライオンの目の前で垂らしてみることにした。

「グゥ、ウ……?」

 ジョロジョロと流れ落ちる水の音。
 日の光を浴びてきらめく軌跡を見詰めて、ライオンは物欲しそうに口をひく付かせていた。
 その様子にガロードは身を屈め、容器をびっしりと生え揃った牙と牙の隙間から口の中にへと差し入れてみる。

「そら、水だぜ。俺の腕ごとがぶり、は止してくれよ……」

「ウゥゥ、ウゥ……」

 ガロードがそう言って容器を傾けた。中に入った水を注ぎ込むと、ライオンは首を器用に動かして、下顎に溜まった水を喉の奥へと誘っていく。
 ぐ、ぐ、ぐ、ぐ、と。
 よほど水分を欲していたのか、ライオンは勢いよく水を飲み干していった。
 人間の感覚から見ればそれなりに大きな容器ではあるものの、それでもこのライオンの体格から考えれば小さ過ぎる物だ。案の定、中身の水はすぐに無くなってしまった。
 まだだ。まだ水は足りていない。
 幸いにも河の岸辺はすぐ傍にあった。
 今はとにもかくにも、ライオンに水を与えることが最優先としなくてはならない。

「よしっ。ティファ!」

「ええっ!」

 ガロードが立ち上がって呼び掛けると、すでにティファの準備は整っていた。
 まずは水を。この数奇な運命の中で、出逢えた者のために。
 やるべきことはこれから、始まったばかりなのである。





   第4話「こんな生き物がいるなんて…(ガロード・ラン)」了


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 お待たせしました。
 第4話をお読み頂いてありがとうございます。
 続けて投稿予定の第1章もいよいよ中盤に突入。
 今回のお話ではついにガロードとティファのふたりと、ゾイドとの出逢いを描きました。
 ふたりが出逢ったゾイドは、野良ゾイドではなく、スリーパーでもなく、ましてや人が乗るものでもない、完全な『野生ゾイド』です。
 正直なところを申しますと、本作で野生ゾイドを登場させるか否かには最後まで悩みました。アニメではほとんど触れられなかった野生ゾイドを果たして取り扱ってよいものかと。当初の予定ではこの野生ゾイドとの出逢いはなく、現在の形に落ち着く前の第1稿では、あの遺跡にいた段階でバンたちと出会う場面を書いていたくらいです。ですがそのまま書き進めようとしたところ、ある問題が浮上してきました。

『このままどうやってガロードとティファに、ゾイドが皆生き物であることを肌で感じさせるか?』

 ジークはまだいいとしても、ブレードライガーをはじめとする他の“通常”のゾイドたちのフォルムは明らかに機械的で、すでにMSという概念を知っているガロードたちにとってはそのイメージが先行してしまい、一度それが根付いてしまうとゾイドがれっきとした生き物であることを認識させるのにかえって手間取るのではないか、と考えたからです。無論、それはそれで描く価値はあると思いますが、どうも私の中のイメージにそぐわなかったので、バンたちに出会うよりも先に『この世界には金属の身体を持つ生き物(=ゾイド)がいる』ことをはっきり示しておくことにしました。DOMEやルチル、Dナビといった存在を知るガロードとティファにとってこの問題は避けては通れないものだとも言えますし。
 当然、この件に関しては様々な意見があると思います。
 私自身覚悟の上の選択なので、何か意見がございましたらぜひお寄せ下さい。
 それでは、次の機会に。



[33614] 第5話「ずっと、ここにいるから」
Name: 組合長◆6f875cea ID:3a5d5162
Date: 2013/08/06 21:12





   ──ZOIDS GT──





 見上げた空には月がある。
 夕暮れの終わった空の高い所に浮かんだ、半分だけの形でかがやく月が。
 その数は2つ。大きい月も小さい月も、まるで夜空を優しく包み込んで支えるかのようにしてかがやきを放っている。最初見た時は驚きのあまり恐怖さえ懐いてしまった光景ではあったものの、ここ数日はただぼんやり見上げるだけで心に安らぎをもたらしてくれるような、地球の月を見上げる時と同じ不思議な魔力を再び感じるまでになっていた。
 だが、今日見上げる夜空の月の光は、昨日のそれに比べて、心成しか暗い。月の満ち欠けを考えると満月に近付いているのにも拘わらずだ。さながらその様相は思考の渦に沈むティファの心をそのままに写し取る鏡であるかのよう。深い藍色に染め上げられた夜空に浮かんだ2つの月はそこで静かにかがやいている……。

「────ティファ」

 月の光に照らされた狭い夜空。すぐ傍を流れる河のせせらぎに耳を傾け、パチリ、パチリと音を立てて燃える焚き火の温もりを肌で感じていると、両手に金属製のマグカップを持ったガロードが声を掛けてきた。

「はいよ、コーヒー。今日のは上手いこと淹れられたと思うぜ」

「うん……」

 ゆらゆらと白い湯気が昇るカップを受け取って口を付けると、ほのかな香りが鼻腔をくすぐると共に、普通のコーヒーには無い、思いのほかまろやかな味わいが舌の上に広がってくる。

「美味しい……」

 思わずティファがそう呟くと、隣に腰を下ろしたガロードが嬉しそうに微笑した。

「気に入ってくれて良かったぜ。これでだいぶコツがつかめてきたかもな。俺も最初、テクスから花の根っこでコーヒーが作れるって聞いた時はびっくりしたけどさ、実際作ってみると結構イケるもんだよな、こういうのも」

「私は、こっちの方が好き……。とっても優しい味、だから……」

 それはきっと、ガロードの想いがふんだんに込められているから、という要素もあるからかもしれない。
 ガロードがまごころを以って淹れてくれた茶褐色の飲み物は、コーヒーと言っても本物のコーヒー豆を使った物ではなく、あの遺跡に自生していたタンポポモドキの根を小さく刻んでから乾燥させ、更に細かく砕いたあとに火に掛けて焙煎した物なのである。
 花の根からコーヒーが作れると聞いた時は少なからず驚きもあったが、実際に作って飲んでみると、意外に苦味が少なくて口当たりも良く、全体的な味の印象はコーヒーそのもの。ガロードがかつて聞いた話によれば、普通のコーヒーに比べて苦味成分であるカフェインがほとんど入っていないとのことなので、ティファにとってはこちらの方が飲みやすく、そして美味しく感じられた。
 口の中に立ち込めてくる、芳醇な香り。夜の闇の静寂の中、それを余すところ無く感じながらゆっくり飲んでいると、隣でカップを傾けていたガロードが、ぽつりと問い掛けてくる。

「なあ、ティファ……」

 そう語る彼の声音には、どこか憂いのようなものが含まれていた。
 翠玉色の眼差しをティファに向けて彼は言う。

「大丈夫か? いろいろと……」

「…………」

 何が、とは問わない。わざわざ問い返さずともそんなことはわかっていたし、彼の問い掛けは彼自身にも向けられたものでもあるのだから。
 カップの中の水面に映った2つの月を眺めつつ、ティファは答えた。

「私は平気。今は私以上に、それよりも……」

 と言ってティファは視線を持ち上げる。ガロードと共に同じ方向へとその矛先を向けてみる。するとそこには……今のふたりが最も気に掛けている、心配に心の大部分を揺らがせている1つの存在がいたのだ。

「…………」

「…………」

 ふたりが視線を向けた先、そこには、ほんの数時間前に思いも掛けぬ偶然からの邂逅を果たした1頭のライオンが、ぐったりうつ伏せる形のまま土砂に埋もれていた。何度見てみても、信じられないくらいに巨大な身体である。体長はおよそ頭の先から尻尾の先まで20mといったところ。その体表は柔らかな体毛ではなく、金属で出来た白い甲殻によって覆われており、それを感じさせないほどの流麗なラインを描いている。逞しく発達した四肢に鋭く大きな爪や牙、荘厳なタテガミ。身体の大きさや体表の質感を除いた姿形を見れば地球にも生息しているとされている百獣の王ライオンとほぼ同一のものであったが、地球に生まれ生きてきた自分たちから見れば、常識を遙かに上回る特異な存在としか言いようがなかった。
 かのライオンは地面に倒れ伏して身体の大半を土砂によって埋もれており、その場所から動くことができないでいる。ただじっとそこにうずくまっていて、今は本当に眠っているのか、時折大きく呻き声を漏らしていた口元はとても静かで、ライオンの赤く輝く瞳も閉じられた瞼の奥に隠されていた。

「とりあえず落ち着いたみたい、だけどな……」

「ええ……。きっと大丈夫だって思う、けど……」

 今日だけでできる範囲のことは全てやったつもりではあるが、ライオンに降り積もった土砂にはほとんど手をつけていないのが現状であった。できたことと言えば、ガロードと交互に河岸とライオンのいる場所を何度も往復して水を飲ませてあげたことと、比較的小さな石をいくらか退かせたことくらい。日が落ちてくるにつれてあたりがすっかり暗くなってしまったため、今日これ以上は危険であるとガロードが判断し、本格的な作業は明日からということになっている。
 今はただ、身体を休めて明日になるまでの時間を待つよりも他がなく、ここからライオンの様子を見守っていることしかできなかった。気持ちのままに従えば、一刻も早く救い出したい思いはあるけれども、焚き火の炎や月の光やガロードが持つライトだけでは、この暗さの中であの岩々を動かすのは非常に難しいことも理解できるのだからやるせなくなる。それゆえに焦りにも似た無力感が、ティファの心の中を支配していた。
 適度な大きさの石を椅子にして座った膝の上で、手に持ったカップをきゅっと握り締める。

「………………」

 初めて見た時からずっとその場所から動かず、脚を伸ばして立ち上がることさえできないでいる白きライオン。そんなライオンの姿を目にしていると、おのずと胸の内がぎゅうと締め付けられるような気分にさせられ、冷たく重い何かが背中にのしかかってくるような錯覚を覚える。
 ライオンから視線を落とし、地面を見詰める。肩を狭めて瞼を伏せがちにしていると、カップを握る手にガロードの手が添えられた。

「そう思い詰めることもないと思うぜ、ティファ。大丈夫さ、コイツのことなら」

「え……」

「だってそうだろう? コイツも俺たちと同じで生きている。俺たちはコイツを助けようって思って、コイツはそれを受け入れてくれたんだ。あとは俺たちが諦めずに、このまま頑張っていけば良いってだけのことじゃねぇか。あの時と……、あの白イルカたちの時と同じように……、な?」

「ガロード……」

 ティファが呆然とその顔を見詰め返すなか、ガロードは視線をライオンに戻す。

「それにしても、もしコイツが元気な姿でいたら一体どんな感じなんだろうなぁ。こんだけでっかい身体をしているんだ。走り回ってたらたぶん、コイツはトンでもねぇ速さでこの大地を走っていくんだろうぜ」

「この子が、走る姿……」

 言われてその姿を頭の中に思い描いてみる。
 このライオンの太く逞しい四肢も鋭く尖った爪も、それらは地面を掴んで走り、求める獲物を追い詰めるためのもの。これほどの巨体が立ち上がって走りゆく様はいかほどのものであろうか。おそらくティファが想像で描いている以上ものであると考えて難くない。白き甲殻に覆われた体躯がその1歩を踏み出すたびに躍動し、地面にあった石や砂を蹴り上げていく。風のように、雷鳴のように。力強い咆哮を周囲に轟かせながら山々を駆け抜け、大地を疾走するのだ。
 それはティファが知るどんな生き物よりも、どんな乗り物よりも、迫力と驚きに満ちた光景であるのに間違いはないだろう。もしもこのライオンが元気な姿を取り戻したとしたらその勇姿を実際に見ることができるかもしれない。そう思うと、自然と口の端の方が、ほんの僅かにではあるが持ち上がってくる。ティファは微笑んだ。

「そうだといい……。この子が元気になれたのなら、私もその姿を見てみたい……」

「そうだな。俺もコイツが力いっぱい走ってるところをこの目で見てみたいぜ」

「うん……」

 助けられるかどうかを不安がっていたティファとは異なり、ライオンを助けたあとのことも含めてずっと前を見据えているガロードに驚きを懐きつつ、本当にそうなって欲しいなとティファは心より願った。1つ1つ切り開いていけば必ず辿り着けると、決意と希望を込めて。

「うーん、でも待てよ……」

 と、そこにガロードの声が掛かった。
 彼は何かしらの引っ掛かりを覚えたのか、考え込むような仕草を見せる。

「いや、もしかしたらって思ってさ」

 ティファが疑問を呈するよりも先に、ガロードは顔をこちらに向けて言葉を続けた。

「ほら、ティファも憶えているだろ? あの砂漠を歩いている時にティファが夢の中で見た、もの凄ぇ速さで走ってたっていう連中のことを……」

「え、ええ」

 問われた内容に戸惑いを覚えつつ、ティファはしっかりと頷き返した。
 忘れるはずがない。
 夢の中でティファ自身が懐いた高揚も躍動も。砂漠をひた走る“何か”が、共にいる男性に呼び掛けられて嬉しさに奮えていた時の感情も咆哮も。
 あの夢はこの名も知らぬ大地にやってきて初めて感じることのできた、ガロードの心以外の唯一の出来事であったのだから。その時の感覚は今もなおティファの胸の中に息づいている。
 ガロードはクスリとイタズラっぽい笑みを顔に灯した。

「コイツを見てたら思ったんだ。ひょっとしたらソイツって、このライオンみたいな奴だったんじゃないかってな。人間が跨るにしちゃでか過ぎるかもしれねぇけど、もしコイツみたいなのに人間が乗ることができたとしたら、丁度そういうふうになるんじゃないかって……」

「あ……」

 ティファはハッと目を見開いた。
 言われてみれば確かに、あの夢に出てきた“何か”と先ほどティファが頭の中に思い描いたライオンの雰囲気や印象は非常によく似ている。夢の中の存在と想像の産物を比較しているに過ぎないと言われたらそこまでであるけれども、1度認識するとそうとしか思えない部分が多々あった。

「どう、かな? 自分で考えててもそうたいして外れたことじゃないって、思ってるんだけどよ……。やっぱ、違ってたかな?」

 不安そうに頬をかくガロードを見て、ティファは首を左右に振った。

「ううん、そんなことない。私もきっと、ガロードの言う通りだと思う。そうであって欲しいって思えてくるから……」

「あはっ。そうだな。そうだといいな、本当に」

「ええ」

 今1度思い出すのは、あの夢の中を走る“何か”と、それと共にいた男性のこと。
 両者は互いを信頼し合い、尊重し合っていた。男性の呼び掛けに応えて喜びを遠吠えを発した“何か”の心の息吹きは、忘れようにも忘れられないものだった。
 ただの家畜として扱われていたのであれば、決してああはならないであろう。
 彼らの関係がはたしてどういったものであるのかはわからないが、そのことだけは十分に理解できる。
 信頼と愛情。そこに生まれていた絆はなんと素晴らしいことであるだろうか、と。
 月の光が満ちてくる。先ほどまでよりもずっと明るく、鮮やかなものへと変わっていく姿がつぶさに捉えられる。
 ティファは夜空を見上げてふと、そんな思いに浸ってくるのであった。





   第5話「ずっと、ここにいるから」





「いくぞ! そおーれぇ!」

「ん、んんーっ!」

 夜空の下での会話から数えて2日後の朝、昇ってきた太陽によって光が差し込んできた河の岸辺で、ガロードとティファは土砂に埋もれたライオンを救うべく、昨日に引き続いての行動を開始していた。ひと口に土砂とは言っても、ライオンに降り積もっている石や岩は、握り拳大の丸く削れたものから人の身の丈程もある角張ったものまで、様々な大きさや形がある。両手に作業用の手袋をしっかり填めて、頭にはフキンを巻いて。小さいものからこつこつと。ガロードと共にティファは、ライオンを埋める土砂を取り除こうとその華奢な身体を一心に動かしていた。

「そぉーれ! そぉーれ!」

 丸1日を掛けて目に付いていた小さな石や土の塊をあらかた運び終えたあとは、いよいよ大き目の岩を移動させる作業となる。人間の身長とほぼ同程度の大きさを持つ岩の重量は当然それなりにあり、ティファはもちろんのこと、体力で勝るガロードであっても独りではどんなに力を振り絞ったとしても転がすことさえ困難な状況だった。ひとりでは無理でもふたりならば。ふたりで力を合わせ、掛け声と共に力を込めて岩を動かしていく。そうしてライオンの身体の上に乗っていた岩を1つ2つと押して、地面にへと落とすのを繰り返していくのだ。

「せいっ!」

「────……っ!」

 ガラッ、ゴロゴロゴロッ。
 両腕に掛かっていた重みが消え、目の前の視界を塞いでいた岩が重力に引かれて転がり落ちてゆく。途中何度か引っ掛かるような素振りを見せながら、最後にドスンと音を立てて、ライオンからやや離れた地点で止まった。また1つ、障害を除くことができたのである。

「……ふう」

「はぁ、はぁ」

 地面に転がり落ちた様を見届けてガロードとティファはそれぞれに息を整える。
 これでももう幾つ終えることできただろうか。まだまだたくさん残っているものの、だんだんと顕になってくるライオンの下半身の輪郭を見、作業が着実に進んでいることを実感できる。自分たちの努力は決して無駄ではない。乱れる息の中、そのことがわかると心が高揚とした気分になってくるのは、なんとも奇妙な心地であった。

「よし、今度はコイツか。次も行くぜ、ティファ」

「ふぅ……、ええっ」

「そら、せーのっ!」

「────んっ」

 1つが終われば、また次へ。
 延々と続く行いを諦めず繰り返し、時折何度か休憩を挟みながら着々と岩をどかす作業をこなしていくガロードとティファ。そんなふたりに対し、岩の下に埋もれたままでいるライオンはとてもおとなしく、とても静かだった。ぐったりしているのとも違う。ただ眠ってしまっているのとも違う。薄っすら開いた瞼から覗くその紅い瞳は、じっとガロードとティファの方を見詰めており、どこか観察しているような、どこか戸惑っているような、もやに揺らぐ夕陽のような眼差しを送ってきていた。
 無論、そのことはティファも気付いているし、ガロードも気付いている。そこに込められている感情や意識といったものを感じることは出来なかったが、ライオンが自分たちに懐いている思いが決して悪いものではないと、なんとなくわかる。そのようなライオンの様子を見るたびに、より一層助けたいという気持ちが強くなってくる。
 時間が進むに従って徐々に終わりへの行き先が見えてくるなか、いよいよをもって最大の困難が訪れた。

「──こいつはでけぇな。どうにかして動かせるかな、ふたりだけで……」

 すっかり埃や汗でまみれた顔を拭ったガロードがそう呟いてしまうほど、目の前に鎮座している岩の大きさは圧倒される物であった。最初見た時は先端の部分を少し晒している程度だったのだが、周囲の土や岩を取り除いてみると、ひと際大きいその姿形が明らかとなった。試しにふたりで押してみたものの、それまでの岩とは格が違い、ちょっとやそっとの力ではビクともしないのである。
 やや黒ずんだその岩に触れながら困り果てた表情で「まいったな……」とガロードが呻く。

「流石に梃子でもなきゃ無理かもしれねぇな。こいつさえ動けばあと少しだって思うんだけどよ」

「……もう一度やって、みる?」

「うーん、そうだなぁ……。さっき散々探しても大した木の枝は見当たらなかったし、試しにやってみて、それでも無理だったらもういっぺん考え直すしかねぇよな。とりあえずまわりをもうちょっと片付けてからにしてみようぜ」

「うん……」

 件の岩はちょうどライオンの腰の上に乗っかる形でそこに存在しており、今も土の中に埋まっている後脚の動きを阻害しているのは目にも明らかだった。
 これさえ動かせれば。これがおそらく最後の砦。
 ふたりだけで動かすには非常に大きく、そしてかなりの重量がある。梃子になりうる適度な太さと長さと強度のある棒切れでもあればとも思うが、周囲を見渡してみてもせいぜい小枝程度しか見られない今の現状では儚い望みでしかない。
 岩のまわりに残っていた土や石の欠片をできる限り取り除いていき、少しでも岩が転がりやすいように環境を整えていく。
 ザラザラとした岩のへこみに手を沿え、足場を確認。互いに視線で合図を送りあったふたりは、ガロードの「さあ、いくぜ!」の掛け声と共に、再度の挑戦を実行に移すのだった。

「う、くぅぅぅ……」

「はっ、んんっ……」

 ふたりの口から漏れ出でてくるのは、それぞれの苦悶の声。
 思わず目を閉じ、奥歯を噛み締める。
 あらかじめわかっていたことではあるが、やはりとてつもない重量であった。
 不安定な足場で姿勢を崩さぬよう、足先を必死に踏み締める。もはや腕を添えるのではなく、身体全体を押し付けるような格好となっていた。のしかかってくる重みに屈しそうとなるのを何とか堪えつつ、逆に押し返えして持ち上げんと膝に、腰に、背中に、両肩に、両腕に込める力を全て振り絞る。閉じていた瞼をうっすら開くと、隣にいるガロードも同様に必死の形相で岩に立ち向かっていた。
 谷間の川べりに生まれた短い一幕。身体に掛かる負荷と苦しさに喉を震わせて、それでもなお小さな身体に力を込めるのをやめようとしないガロードとティファ。
 すると僅かに……ほんの僅かにではあるけれども、先程はピクリとも動かなかった岩がぐらりと浮き上がった。
 もう少し、もう少しだ。
 強張りきった身体にこれ以上の力は上手い具合には入らない。
 関節や骨から軋んだ悲鳴が聞こえてきたような気がしてくる。手袋の中に納められた手の平は、これ以上にないくらいに真っ白となっていることだろう。

「この、ままっ……!」

「うっ、くっ……!」

 だが諦めない。ガロードも、そしてティファも。
 持ち上げられた数cmに全ての望みを託し、ふたりは渾身の力を目の前の岩に注ぎ込んだ。

「こ、ん、のおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉーっ!」

「────っ!? はっ、あ、ん、んんんんんんーっ!」

 唱和するふたりの声音。
 思いの全てを乗せたふたりの叫びが、あたりにこだましていく。
 しかしその甲斐も虚しく、ずるりと滑った腕の支えを失い、再び重力に引かれた岩塊はドシンと音を立てて元の位置に戻ってしまった。

「きゃあ!?」

「うわぁ!?」

 持ち上げた際の反動に弾き返されて尻餅をつくガロードとティファ。
 幸いにも特にこれと言って怪我はしなかったものの、打ち据えた腰の痛みに「っ!」と顔をしかめる。
 動かそうと奮起する前と後でちっとも変化を見せない岩の姿を、ふたりは息も気力も絶え絶えな様子で見上げるしかなかった。

「はぁ、はぁ……」

「ふぅ、ふう……」

「ったく、はぁ、なんて重さだ。やっぱり、ビクともしねぇぜ……」

 やはり自分たちだけでは、まともな道具も無しでは不可能なのことなのか。
 ただ動かそうと躍起になったところでどうにもならない。いかにしてこの岩を取り除くための手段を講ずるか、一筋縄では行きそうにない状況に歯痒さを覚える。隣で腰を打ち付けたままのガロードもそれは同様らしく、溜め息をこぼして「どうすっかな。最悪爆薬使って砕くことも考えなきゃならねぇかもしれねぇけど……、コイツのことを考えたらあんまり使いたくはねぇし……」などと呟いていた。その横顔からライオンのことを慮る心を感じ取り、とにかく立ち上がらねばと思って膝を立てた、その時だった。

「グ、グ、ウウゥ……」

「ん?」

「え?」

 下の方から湧き上がってる、かすかな震え。
 ハッ、と目を見開いて後ろを振り向くと、それまで沈黙を保っていたライオンが喉を強く震わせて首をもたげさせていたのだ。辛うじて動く両前脚を交互に打ち鳴らし、肘を引いて地面に爪を突き立てる。その紅い瞳に力強い意思の光を宿したライオンは頭を大きく持ち上げて、空へ向けて咆哮を上げた。

「ウ、グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォ──ッ!!」

 それはかつて聞いたこともない、鼓膜を引き裂かんばかりの轟きであった。
 あまりの音量に両の手で耳を押さえたガロードとティファは、突然の出来事に驚きを顕にせざるを得ない。

「な、何だぁ!?」

「────っ!?」

「オオオオオォォォ──ッ、ウオオオオオオオオオオォォォォォォ──ッ!!」

 ライオンの爪が地面に食い込み、砕けた石や岩がミシミシと音を奏でる。
 曲げていた肘を伸ばし、伏せていた身体を強引に引き起こそうとするライオン。
 谷間に響く咆哮に呼応するが如くぐらりぐらりと揺れる足場。振動に揺さ振られ、白い甲殻の表面に降り積もっていた土砂がみるみるうちに崩れていく。当然、ライオンの背中に乗ったままとなっているガロードとティファにとっても堪ったものではなく、突如として暴れ始めたライオンに戸惑いを覚えつつ、立つことさえ困難になった状況に慌てふためいた。

「ななな、うわっ!?」

「きゃ!?」

 地面を捉えた前脚の力を受け、ライオンの上体が持ち上がる。
 ほとんど転がり落ちるようにしてライオンの背中から飛び降りたガロードとティファは、上体を持ち上げて下半身を引き抜こうとしているライオンの様を離れた場所から見守るしか術がなかった。
 モビルスーツが歩く時とはやや異なる、巨大なハンマーを大地に叩きつけたかのような足音が左右交互に発せられる。裂帛の叫びに呼応して動き始めたライオンの身体が地中より抜き出されると、太く逞しい流麗な後脚のラインが現れた。ふたりの力では動かせなった岩塊をも押し退けて、埋もれていた土砂の中から抜け出すことに成功したライオンはそのまま後脚を引き摺るようにして歩を進めていき、そして数歩進んだ所で力尽きたのか、ふらりと身体が傾げた途端、まるで糸を失った操り人形が崩れ落ちるかのように倒れ伏した。
 推定数十tの巨体が倒れ込んだことによるひと際大きい大地の震えと鈍い轟音。
 ライオンは起き上がった時とは打って変わって弱々しい呻き声を口から吐き出した。
 思わずティファは口元を押さえ、ガロードは弾かれるように「おい、大丈夫か!?」とライオンの元へ駆け寄った。ティファもその後に続く。顔面を地面に打ち付けて呻くライオンの頬に触れながら後脚の方を見やったガロードが、くっ、と乾いた声で、

「ぱっくり傷が開いてやがる……。お前、怪我までしてたのかよ……」

「……ゥ、ゥ……」

「馬鹿。こんな身体で無茶するからだ。もう少し待っててくれりゃ、あんな岩くらいどうにかできたってのに……」

「……ゥゥ、ウゥゥ……」

 咎めるガロードの言葉に反応して、ライオンは心成しかしょんぼりと喉を鳴らした。
 ライオンの後脚に刻まれた傷。それはまるで鋭利な刃物で切り裂かれたかのよう。見るからに痛々しく、決して軽傷とは言えない深いものだった。いまだ残っている土砂の一部が、その傷口を塞いでしまっている。傷から先の脚に力は感じられなかった。いかに生物所以の治癒能力があろうとも、これでは傷の治りようがないのであろう。

「…………っ、ガロード」

 ティファの呼び掛けにガロードは「ああ」と頷いた。

「とりあえず傷口を洗って、まずはそれからだ。ティファ、水を頼めるか?」

「ええ。待ってて」

 ティファは踵を返すと、自分たちの荷物を置いてある場所へと向かった。
 一昨日の夜や昨夜に灯した焚き火の跡をすり抜けた先、これまで何度となくお世話になった水用のタンクを手に取って中身を確認してみたところ、残りの分量は半分を切っていて少々心許ない。河へ行き、水を汲み直す。タンクの中身を満タンにし終えたティファがガロードの元へ戻ってみると、彼はちょうど、ライオンの後脚によじ登って傷口に手を伸ばしているところであった。

「ガロード!」

「おっ。ありがとな、ティファ。ちょっとそのまま待っててくれねぇか?」

 どうやらガロードは傷口を水で洗う前に手で取れる範囲は取ってしまおうと考えているようだ。傷口に引っ掛かっていた石をひょい、ひょい、と投げ落としていき、手袋の嵌った手をシャベルみたいに使って土をかき出していく。頃合を見計らったティファが水の入ったタンクを手渡すと、ガロードは早速とばかりに傷口へ水を注ぎ込んだ。

「グゥッ!?」

 これにはさしものライオンも驚いたらしく、堪えきらなかった痛みにライオンをビクンと身をよじらせた。ライオンにとってはそれほど大した動作ではなくとも、体格差のあるガロードやティファにとっては決して無視できる動きではない。危うく地面に落ちかけたガロードはライオンの方を向いて、

「わっと! ごめんな。痛ぇだろうけど、もう少しだけ我慢しててくれよ」

「ウゥゥ……」

 その言葉が伝わったか伝わっていないのかは定かではないが、ライオンはしゅんとうな垂れたかのような仕草を見せて喉を鳴らした。
 たとえ身体が金属で出来ていたとしても痛みを感じるのは普通に生き物と何ら変わりはないらしい。せめて気を紛らわせることが出来ればと、短い距離を駆け寄ったティファはライオンの頬に手を添えてなだらかに擦った。
 手袋越しに伝わってくる、冷たさはあるがどこか温もりもある独特な感触。
 硬質な甲殻の表面に走っている筋を何度かなぞるように撫でていくと、ライオンから発せられる息吹きが少しずつではあるものの、次第に落ち着いたものへと変わっていくのがわかった。
 ライオンの後脚に登ったままの姿勢でその様子を見やったガロードは、どこかほっと安堵した表情を浮かべて水を注ぐのを再開する。慎重に、ゆっくりと。茶褐色に染まった泥水が白い甲殻を伝って地面に流れ落ちていくなか、一旦手を止めたガロードが傷口を覗き込むと、そこから見えたものに感心したのか「う、わぁ……」と驚きに満ちた声を発した。

「────凄ぇな。身体の中まで金属で出来てやがる。これが筋肉で、これが血管みたいなモンか? だとすると……」

 どうやらこのライオンの肉体は体表だけではなく体内においても金属で構成されているらしく、想像以上の事実に打ち震えるガロードの心がここからでも感じ取れる。
 何やらぶつぶつと呟き、あれやこれやと検討を重ねているガロード。
 しばらくその姿を見守っていると、やがて結論に至ったのか、ガロードはひょいとライオンの後脚から飛び降りて「ティファー!」とティファのことを呼んだ。何かあったのであろうか。頭の中に疑問を懐きつつ駆け寄っていくと、ガロードはすでに地面に置いてあった荷物の傍で腰を下ろしてその中身をまさぐっていた。

「どうするの?」

 わざわざティファのことを呼んだのだから、それなりの方策を思い付くことが出来たはずである。己の疑問をそのままに呈したティファに対し、ガロードはカバンの中身を外に出して並べながら、

「傷口を調べてみたらよ、そこに血管みたいなチューブが何本か走ってて、途中切れているところからオイルみたいなヤツが流れ出てたんだ。そのまんまにしておくのは拙いだろうし、とりあえず切れているのを繋げてみようと思う。俺がワイヤーを使って繋げてみるから、ティファにはそれを押さえてて欲しいんだ」

 と答えて、遺跡で罠を張った際に使用したワイヤーや普通の針金、修繕用の金属テープなどを取り出した。

「……身体が金属で出来ているから、やっぱ普通の紐よりかはこっちの方が良いよな。──うん、良しと。ティファ、こっちだ」

「ええ」

 ティファは頷き、先を行くガロードの後を追う。ガロードに付き従ってライオンの後脚をよじ登ったティファは、その太ももに深く刻まれた傷口を覗き込んで患部の状態に目を向けてみた。

「…………」

 あらかじめ身体の内部までもが金属で構成されているとは知っていたものの、実際にそれを視覚に捉えてみれば驚きに目を丸くしてしまう。
 傷口から内部を見下ろした光景に映っていたのは、いまだこびり付いている土の色を除くと、そのほぼ全てが鈍い光沢を持つ銀色であった。血の赤さも無ければ脂質の白さも無い。一定の方向に揃えられた金属の繊維の束が幾重にも走り、その束と束の間を縫うように張り巡らされた管状の器官が何本も存在していた。ガロードの言葉を頼りに想像すれば、この繊維の束は筋肉であり、管は血管に当たるのだろうか。よくよく奥の方を観察してみると、骨格と思しき太い塊のようなものが確認でき、外側の甲殻と同様に鋭利な刃物で切り裂かれたように寸断された管からは、ポトリ、ポトリと、粘性の高い琥珀色の液体が滴り落ちていた。落ちた先で黒く変容した液体が、焦げた油かすのようになって固まっているのがここからでもつぶさに見ることができる……。
 思わず身を強張らせ、息を飲み込む。
 そこにあるものが金属であるにも拘らず、生物独特の生温かさが空気を越して伝わってくるかのよう。ティファが手で触れるのを躊躇わせるには十分なくらいの生々しさがそこにあった。
 これまでに経験の無い、初めての様相に怖じ気づいていると、そんなティファを励ますようにぽんっと肩に手が置かれる。


 ──大丈夫。さあ、やろう。


 振り向いた先で自らの思いを瞳に乗せたガロードが静かに微笑んでいた。
 優しくはあるが、同時に力強い意思を宿した眼差し。ガロードと視線を交わしたティファは改めて覚悟を決め直し、首肯する。
 作業そのものはそれほど複雑なものではなく、あくまで単純なもの。切れていた管を元通りに合わせ、ティファがそれを押さえている間にガロードがワイヤーや金属テープを用いて繋いでいくのだ。切れた管を握っているたびに、手袋をしていても感じることの出来る、ぬるりとした温もりのある感触。血とも油とも少し違った独特なにおい。ウエストポーチから取り出したペンチでワイヤーをほぐし、管から流れ出てくる液体にも馴染ませる。器用な手つきで管同士を繋いでいくガロードをティファは支えながらに見守り続けた。
 時折、ふたりがうっかり傷に触れたことで痛みを感じたのか、ライオンが短く呻いて身を震わせていたけれども、不用意に暴れ出すこともなければ必要以上に声を上げることもなかった。
 ライオンはライオンなりに、自分たちを信頼してくれてじっと堪えてくれている。その紅い視線をこちらへ向けつつもうずくまったままの白き獅子の様子を見て、ティファはそう感じていたし、ガロードもまたそう思っているだろう。俄然、見も気も引き締まるような思いとなってくる。
 手早く、丁寧に。目で見た範囲で繋げられる全て管を繋ぎ終えたガロードとティファは、それらがきちんと繋がれているかどうかを確かめた後、傷口を改めて洗い直し、何枚かの布切れを繋ぎ合わせて傷口を覆い隠しておいた。布地を固定するためのロープを結び終わったガロードは、気の緩みからか、フゥゥゥゥゥ──と、大きく溜め息をこぼす。

「……あとは様子見、だな。これで上手い具合に治りゃあいいんだけど」

「うん……」

 手探りな状況下でやれるだけのことはしてきたはずである。
 あとのことはライオン自身の体力と自然治癒力次第だろうか。自分たちに出来ることはせいぜい、水を汲んで喉を潤してあげることと、食物となるようなものを探しに行くこと、そしてライオンが再び立ち上がるのを祈って待ち続けることぐらい。
 1つの物事を終えられたことによる充足感と気の緩み、もう今の段階ではできることがないことへの理解と空虚な思い、そして焦りにも似た感情。それらの要素が複雑に混ざり合った心情のままティファが佇んでいると、いつの間にかこの場から離れていたのか、横手から現れたガロードが絞ったタオルを差し出してきた。

「お疲れさん。よく頑張ったな、ティファ。頬とか汚れて結構真っ黒だぜ?」

「え……!?」

 言われて思わず手を頬にやってみた。しかしその両手にはそれぞれ手袋が填められており、頬に触れるとかえって汚れを広げる結果となってしまう。ティファはあわてて手袋を脱いでガロードからタオルを受け取り、己の顔をさっ、さっ、と軽く拭いてみる。湿り気を含んだ布地で顔を拭いていくと、タオルには拭いた箇所からすぐさま黒くなっていく。自分がどういう状態だったかを思い描くと、その恥ずかしさから顔が火照るような感覚となってきた。
 そんなティファの様子をきっと気付いているはずのガロードは、ただニコニコとしながら彼は彼で自分の顔の汚れを拭い落としているのみ。己自身に対する羞恥心と若干うらめしさを覚えつつ、顔の汚れを落とし終えたティファは、頭に巻いていたフキンもほどき、まとめていた髪の毛を解放する。
 ふう、とひと呼吸。
 広がった髪に手櫛を通して整えたティファは、視線を再度ライオンに向けた。

「──オオオォウゥ……」

 小さく、低く、捉えようによっては何かを求めるふうに響く、かわいらしい鳴き声。
 首をもたげて寂しそうな視線をこちらに送ってくるライオンに対し、ティファはくすりと微笑みを浮かべて歩み寄り、語り掛けた。

「大丈夫……。貴方が治るまで、ずっと、ここにいるから」

「──オオォ……」

 手を伸ばしてその喉元に触れてみると、くすぐったそうに眼を細めるライオンの様子はまるで甘えてくるネコのよう。
 身体ごと寄せるみたいにしてライオンと触れ合う。そうすることでライオンが持つ心の鼓動を、ティファ自身のいちばん深い深い部分で感じることができるのではないか、と思いを乗せて。この子の心を感じてみたい。だが今の自分にはそれを行なうことはできない。心の底から湧きたつ願いと、それを阻む現実。相反する2つに対する感情がせめぎ合いうなか、そんな自分を見詰めていたガロードから、あはっと笑う気配がした。

「なんか、すっかり懐かれちまったみたいだ。コイツって、意外と寂しがりやなのかもしれねぇな」

 と告げて、ガロードもまた手を伸ばしてライオンに触れた。

「そうかもしれない……。ずっと独りでここにいてこの子もきっと……とても寂しかったんだと思う」

 だから、なのかもしれない。
 初めてライオンと遭遇した時、警戒に震えた紅い瞳の奥に映っていた、暗い影のようなものを目にして、ライオンのことを「放っておけない」と思ってしまったのは。不安や怯え、どこか心細そうに喉を鳴らした姿と、かつての自分自身を重ねて。
 ライオンにとって要らぬ同情に過ぎないのかもしれない。しかしティファ自身はそうは思いたくなかった。己の力だけではどうもできなくなってしまい、ただ立ち上がることも自分の意思で歩くことさえもできなくなり、悠久の流れの中に閉じ込められて取り残されていく時の気持ちは、ティファにはわかる気がしてくる。
 ただの同情でもない、チカラによるものでもない、もっと心のずぅっとずぅと奥深い部分で感じることのできる、どこか予感めいた思い。
 だからこそ、このライオンから離れたくないと思ってしまうのだろうか。
 チカラを介さずとも伝わってくる、ライオンの温もりと、脈絡と感じることのできる命の鼓動を耳にするたびに、この指先に感じる温もりを失わせたくない、この子が再び立ち上がるための手助けをしたい、という思いがむくむくと膨れ上がってくるのだ。
 ライオンは今、この場所でガロードとティファと出逢ったことで何を考えて、何を思っているのだろうか。
 ……わからない。それを知る術もない。
 だが、わからないからこそ理解したいと思う。
 このライオンのことも然ることながら、そのことに対してティファ自身が胸に懐いている不確かな、それでいて不思議と穏やかな気持ちになってくる感覚についても。
 このガロードに対するものとはやや異なる、いとおしさにも似たこの感情は一体……。

「あなたは……。どうして……?」

 半ば自分に対して向けたそのティファのつぶやきに答えるようにして、ライオンのゴロゴロと喉を転がす震えた唸り声がまた、谷底の空間に放たれる。
 まるで何かを求めるように、はるかかなたへもその声を届けるように。
 ライオンの声は、低くどこかへと響いていったのである……。





     * * *





 ──この気持ちは、一体なんだろう。


 今日という日は巡り、再び夜がやってきた。
 身体はまだ、思うようには動かない。
 だが、だいぶ楽になってきた、と思う。
 傷ついた我が身を地面に縛り付けていた土砂はすでになく、ようやく抜け出すことのできた身体の表面を撫でているのは冷たい夜風。その涼しげな空気の流れがやってくるたびに、心の中まですうっと染み込んでくるような安らぎと、戒めから解き放たれたことによる開放感があった。
 わずかに、身じろぎをする。これまではほんの少し四肢を動かすだけで節々に苦痛が走ったものだったが、今ではもうそれほど大したものではない。多少の痛みはあれども、失われていた感覚は蘇っており、その爪の先の細部に至るまで己が意思を滞りなく行き渡らせることができる。
 久しぶりに感じることのできた、もう2度と蘇るとは思えなかった感覚だった。
 いつもであれば、振って沸いた幸福に対して素直に歓喜で振るえているであろう、喜ばしい出来事。
 しかし、この心の大部分を満たすのは、今まで生きてきた中でも経験したことのない、自分でもよくわからない、どことなく戸惑いに近い感情であった。


 ──一体、なぜ……。


 そっと首を動かし、音を立てて気付かれぬように注意しながら、今自分のすぐそばにいる2つの存在に視線を送ってみる。この状況へと至るまでの要因となった者たちへと。
 そこには、彼らがいた。


 ──…………。


 灯した炎とそばで腰を下ろして何かを語り合っている2つの存在。ここでうずくまっている自分とは比べるまでもない程の小さな身体を持ち、その体表は硬い甲殻ではなく柔らかな皮膚で覆われ、頭部から生えた毛髪と身にまとう衣服が特徴的な、自分とはまるで異なる有り様で生きている者たち。人間と呼ばれる生き物だ。
 彼らとの出逢いは取り立ておかしなものだったというわけではない。彼らが意図として近付いてきたのか彷徨い歩いた結果であるのかは定かではないが、それぞれ緊張と恐れ、そしてそれらを振り払うように心を奮わせながら現れた彼らは、自分という存在を目にしてひどく驚いていた。さも、彼らが自分と出逢ったことそのものが思いもよらならぬ偶然であると告げるかというように。
 だからといってどうこうし始めたわけでもない。身を引きつらせて佇む様子しばらく眺めて見てみても、別段害を為してくる気配もなければ、まして自分にとって獲物として生きる糧となる存在でもない。視線を交わしているうちにおのずと興味が消え失せ、顔を彼らから背ける。このまま放っていれば勝手に立ち去っていくだろう。そう思っての行動だった。
 だが、しかし……。


 ──彼らは……、どうして……。


 その自分の予想は外れていた。今も立ち去ることなくこの場に留まり続けている彼らを見ていると、なぜ、と思わずにはいられなくなる。
 留まるだけならまだしも、彼らはなんと土砂に埋もれて動けなくなった自分を救おうとし、それを実行に移したのだ。
 動けない自分に水を与えてくれて、動きを妨げていた土砂をその小さな身体でもってどかそうとしてくれた。自分たちが傷付くこともいとわずに、決して諦めようとも、途中で投げ出そうともせずに、土砂の重みに打ちひしがれながらも2人だけで……。
 自分には彼らの行為が不思議でならなかった。理解できなかった。
 あるいは自分を何かに利用しようとしている、何かを得ようとしているとも考えた。
 けれども、どんなに注意深く観察してみても彼らの心からそういった邪まな感情を感じることはできなかった。
 ただ純粋に、助ける。2人で、一緒に。
 温かく、触れているだけでどこかほっと安心でき、それでいて己の“核”の奥底にまで突き抜けるような感覚。彼らから発せられる心の息吹。その清廉さに困惑こそ覚えたが、自分にはそれをつぶさに感じることができた。


 ──そう、全てはあの眼差しを見たときからだった。


 1度は興味が失せて視線をそらした時、ふと気付いた時には再び近付く歩みを再開していた2つの足音。よもやと思い目を戻してみると、並び立つ両者から自分へと向けられるそれぞれの瞳が映った。
 不思議と月夜を髣髴とさせられるような、澄んだ水面のような眼差しと、太陽のような温かさを以ってして、確かな強さを内に秘めた眼差し。
 差し出されてきた手の指先が眼に映る。
 おのずと、心が揺さぶられた。
 なぜ、と思う。
 なぜ自分は彼らという存在を受け入れることができたのだろうか、と。
 以前であれば、普段であれば彼らのような小さき者たちのことなどほとんど意識せずに野生の中を謳歌していたにもかかわらずだ。近付いてくる彼らへ威嚇に吼え立てることもしなければ、辛うじて動く爪を振りかざすこともしなかった。彼らのような存在とただじっと互いの瞳を見つめ合い続ける機会などこれまで生きてきて1度も無かったからだろうか。その時感じた彼らの眼差しと、己自身の心の動き。自然と湧き上がってきた疑念を振り払うことも、抑え切ることもできなかった。


 ──……わからない。


 気付けば彼らに触れられることに安堵を覚える自分がいて、それを喜ぶ彼らがいた。
 そうしなけらばならない理由など無いにもかかわらず目の前に立ちふさがる困難へ挑み続ける彼らがいて、それを眺めているだけで何もできないままでいる己自身を不甲斐なく思う自分がいた。
 彼らの存在を、彼らの思いを感じるたびに、心が沸き立つ。
 ふつふつ、ふつふつと。
 身体が、高揚とする。かつてないほどの力がみなぎってきた。
 まるで彼らの奮起する心に呼応するがごとく。
 思わず、吼えた。
 理由はわからない。だが自分にはできる気がした。
 地面に爪を立て、足先を引き付けんと力を込める。
 動いた。身体中に激痛が走る。
 わずかに崩れていく土砂を目にした瞬間、感情が爆発した。
 立てる。動ける。
 感覚が滞っている後ろ脚の片側はだらりと脱力したままだが、前脚と残った後ろ脚に力を込めることができて上体を引き起こせただけで十分だった。
 背中から慌てて飛び降りて離れていく2人の姿が見える。
 もはや躊躇いも遠慮も必要なかった。
 前脚を引き、動く後ろ脚を踏み込んで、身体を土砂の中から引き抜く。
 土砂の量は2人のおかげでだいぶ減っていた。
 身体を身じろぎし、揺さぶるみたいにしてよじらせるたびに、残されていたものも大きいものから順々に落ちていく。


 ──ああ……。


 と。
 束縛を強いられていた状況から解き放たれ、身体が軽くなる。
 この時心に感じた開放感は今もなお記憶に新しい。
 1歩、2歩と、もたつく足取りではあったものの、己の意思でもって歩むことができたのは本当に久方振りのことだった。
 そのまま数歩歩いたところで身体がぐらついてしまい、地面に倒れ伏す。
 やはり四肢の内の1つが不全なのに加えて、体力そのものが消耗してしまっている状態では姿勢を保つだけでもやっとであった。痺れるような痛みが走る側の脚に目を向けてみると、その後ろ脚の付け根の部分に刻まれた『あの時』の傷の形がはっきり見える。
 すると弾けるように飛び出してくる声が投げ掛けられた。
 あの2人だった。
 彼らは焦ったふうに駆け寄ってくると、脚の付け根の傷を見詰めてその顔を強張らせていた。そしてそうするのが当たり前だと主張するように、その小さな身体でよじ登ると傷口に詰まっていた土や石を取り除き始めた。ある程度塊になっているものは自らの手で、それでも落とせぬ細やかなものは水で洗い流して。もはや彼らの行動に対して猜疑心を持つという発想は起きなかった。
 彼らの手が開いた傷に触れるたびに刺すような痛みが走る。だがそれは我慢ができる程度のものだった。


 ──彼らは、どうしてここまで……。


 それは彼らと出逢ってからずっと懐き続けた疑念、ずっと不思議に思っていたことであった。
 彼らはどうして自分を救おうとしてくれたのだろう。
 彼らはどうしてこの場を立ち去らず、そばに居続けているのだろう。
 そして自分は彼らのことを……どう思っているのだろうか。
 わからなかった。なにぶん遠目で観察する以外、こうして人間とまともに触れ合うことさえ初めての経験だったのだから。
 考えを巡らせれば、生きる糧となる獲物がどのような場所に生息し、どのような習性でもって徘徊しているかはわかる。空の様子を見、風の流れを読み、大地から発せられる“うねり”を見れば、これからの天候がだいたいわかる。走る時、躍動する四肢をどう動かし、首元から尻尾の先まで至る背筋をどう駆使していけば良いのかは意識せずとも感覚でわかる。
 だからこそ今この身に宿る思いを理解することは混迷を極めていた。
 それに対する知識も無ければ、直感的にすぐさま導き出せるというものでもない。
 自分は何を思い、自分は彼らに何をしたいのか。 
 その答えを、いまだ見つけることができなかったのである……。





   第5話「ずっと、ここにいるから(ティファ・アディール)」了


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 どうにか今日中に間に合いました。
 第5話をお読み頂きありがとうございます。
 感想の欄にも書きましたが、やはり野生ゾイドを登場させたことに対する声は多く、おおむね好評だったことから正直安堵している思いです。
 今回のお話は少し短めで、野生ライガーを救出しようとするふたりの姿と、それに対するライガー自身の独白を描きました。
 野生ライガーの傷口から覗いた内部構造は「だいたいこんな感じかな」と想像を膨らませてみました。
 次回は物語が動きますので、どうかお待ちを。
 それでは、またの機会に。



[33614] 第6話「俺たち、生きているんだよな…?」 ※注:捕食シーン有り
Name: 組合長◆6f875cea ID:3a5d5162
Date: 2012/11/03 15:56





   ──ZOIDS GT──





「う……、んんっ……」

 異変が訪れたのは、あの数奇な出逢いを果たした日から数えて、4日目の朝を迎えた時のことであった。
 眠りから覚めたガロードが目を開くと、そこには大小さまざまな形の石や岩が転がっている河の岸辺と、昨日燃した焚き火の跡が見える。うっすら白くぼやけている視界に鼻をくすぐる湿ったにおい。朝もやが立ち込める周囲の様相に、いまだ覚醒し切っていない眼でそれを眺めたガロードは、息を吸い込んだ。

「……ふう」

 鼻腔を通じてもたらされる新鮮でひんやりとした空気。
 睡眠によって凝り固まった身体を伸ばそうとしてみたところ、己の右の肩と腕全体に掛かる適度な硬さと柔らかさを兼ね備えた感触に気付き、その動きを止める。ちらりとそちらに目を向ければ、ガロードの肩に頭を預けたまま眠っている少女の黒い髪の毛が艶やかに流れる様相を見せている。健やかに寝息を立てているティファが、そこにいた。

「…………」

 規則正しく肩をわずかに上下させ、安らかな面持ちで眠るひとりの少女を、ただじぃと眺めているだけで、おのずと心に満ち溢れてくるこの気持ちは一体何なのだろうか。覚醒したばかりの意識に来訪してくる、春のそよ風にも似た心地良さ。腕に寄り掛かってくるぬくもりと感触を余すところ無く感じ、ティファを起こさぬように注意しながら彼女の髪の毛に手櫛を通していくと、ほどよく朝露に湿らされたことによる冷たさがあった。そうして何度かティファの髪を己の指で梳いていく。特別何かを欲したわけでもない、取り留めのない行為がガロードの心に安らぎをもたらしてくれていた。
 静かに、時間が流れる。
 聞こえる音といえば近くを流れる河の水音くらいのもの。
 この谷間にやって来て以来、いつにも増して穏やかな朝だった。

「…………ん? ……あれ?」

 しんと特別音を発するものは無く、静かで穏やかな朝。
 ここにいるガロードとティファ以外に誰も存在を感じられない、静か過ぎる、朝。
 そのことに違和感を覚えたガロードは思わず声を発した。
 何かが欠けている。そう思ったガロードが周囲に視線を向けてみると、そこにあった昨夜までとは異なる、予想だにしていなかった光景に目をしばたたかせた。
 何かの見間違いかと思いまばたきを繰り返してみても現実にまるで変化は見られない。
 首を大きく動かし、右を見、左を見る。
 朝もやにぼやけた山々の輪郭と、その間を流れる河川に転がる石や岩。白く霞んだ景色の中にあるそれら全てを眼に焼き付けたガロードは、ぽつりと呟いた。

「あいつ……、どこに行っちまったんだ……?」

 口には出してみたものの、誰からも答えが返ってくるわけもない疑問。
 ガロードは呆然と、目に映った光景を言葉無く眺めるより他がなかった。

「……ガロード?」

「ッ! ティファ?」

 自分の名を呼ぶ声に反応して振り返ってくると、つい今しがたまで眠っていたはずのティファがとろんとした表情でうっすらと瞼を開けていた。いまだ眠気が抜け切っていないらしいその表情は、声を掛けずに放っておいたらすぐにでも再び寝付いてしまいそうに見えた。
 ガロードはティファの肩を掴むと、正面から彼女の顔を見据えて口火を切る。

「ティファ! ティファ! 起きてくれ、ティファ!」

「どう……したの?」

 ティファはまだ気付いていない。自分でさえついさっき気付いたばかりなのだから。
 気を抜けば思わず荒らげてしまいそうになる声を抑えつつ、ガロードは告げた。

「いないんだ、あいつが!」

「……え?」

「だから、いないんだって! あいつが! そこに!」

「…………、────えっ!?」

 ようやく言葉の意味を頭に染み入ったのか。目の前にいるガロードと周囲の景色に視線を往復させたティファは、半ば飛び上がるようにして背もたれにしていた岩から身を起こすと、先ほどのガロードと同じようにあちらこちらへとせわしく目を動かす。そしてガロードの告げたことが事実であると知り、その驚きを表すように彼女の目は大きく見開かれていく。

「あの子、いつ……」

「わからねぇ。俺が気付いた時にはもうここにはいなかったんだ」

 まさに忽然と、その姿は消え失せていた。
 あいつ。あの子。この数日間、ふたりの心を引き付けて離さなかった1つの存在。
 つい昨夜、眠りに入る前まですぐそばの地面にうずくまっていたはずの巨大な白き獅子の姿が、ガロードとティファの前から完全に消えうせていたのだ。ライオンがいたはずの空間には朝の湿った空気と河原を構成する石や岩が転がっているばかり。唯一ライオンの傷を塞ぐために使っていた布切れだけが、昨日までの出来事を夢や幻ではなく本当に起きた現実であると主張しているに過ぎなかった。
 他はもう何もない。石や岩ばかりが転がるこの河原では足跡さえもまともに残されてはおらず、その痕跡を確認することはできなかった。
 地面に落ちた布切れを拾い上げ、そのほつれた糸の具合を目にしたガロードは、再び周囲を見やる。

「本当に、一体どこに行っちまったんだ、あいつは……?」

「…………」

 当ても無く視線を彷徨わせるガロードの横で、隣に立つティファもまた、その表情に戸惑いを顕にしていた。
 と、そこに、


 ──ォオォオォォォ……。


「あ……」

「今の……」

 決して大きくはない大きさながらも、聞こえて、響いてくるライオンの唸り声に、ふたりは揃って不意を突かれたかのごとくハッと顔を揺らめかせた。
 互いに顔を見合わせ、それが空耳ではないことを確かめ合う。
 今、確かに声が……。
 思いのほか近しい位置からのものだっただけに、ガロードはティファと共に心なしか慌ててその場で振り仰ぎ、視線を持ち上げてみる。
 すると……、

「あっ!」

「────っ! ガロード!」

 ズゥゥン、ズゥゥン、と重たい足音らしき音が近付いてきて、一定のリズムを刻みながら徐々に徐々にその大きさと明瞭さを増してきているのに気が付いた。
 山へと続く岩肌の上。ふたりのいる河原からほんの数十mの高さにある道筋。その縁取りに沿ってまるでなぞるように歩み寄ってくる白い影が現れたのは、それから間もなくのことである。
 立ち込める朝霧の中からぼうと浮かんで現れる赤い双眸の輝き。生物独特のなめらかさと金属独自の堅牢さを併せ持った白き甲殻。1歩1歩足を踏み出すたびに地面を打ち据えて音を奏でる太く尖った四肢の爪。
 ゆっくりとした歩調で霧の向こうから姿を現したライオンは、河原までの高低差をもろともせず、さもその巨体の重量を感じさせないといったふうに、ひょい、ひょい、と軽やか足取りで跳ね降りてきて、ふたりの前までやってきた。その様子を呆気にとられた表情で目にしていたガロードとティファを見下ろす形で立ち止まり、そしてライオンは口に何かを咥えたまま喉を鳴らす。
 ふたりは、言葉を失っていた。

「お前……」

 告げるべき言葉も、口に出して言いたい言葉も見つからず、ただじっと顔を上げ、ライオンと目と目を合わせて佇むしかないガロード。
 自然とその視線をライオンの後脚へ──ライオンが怪我をしていた箇所へと向けてみると、そこにはくっきり傷跡こそ残っていたが、傷口は完全に塞がり、内部組織の様子が全くわからなくなっていたのが、ここからでも窺い知ることができた。

「──そっか」

 塞がった傷口を見、しっかりとした足取りのライオンを見、ガロードは傷の治りの早さに驚きを示しつつ、そのあとで顔をふっと和らげた。

「良かった。ちゃんと……歩けるようになったんだな、お前は」

「ォオォォォ──ッ!」

 心の奥底から湧き上がってきた言葉をそのまま発してみると、ライオンもまたそれに応えるように声を上げる。
 身と心を同時に満たしてくる、安らぎと達成感。
 ちらりと隣にいるティファを覗けば、彼女も自分と同じ気持ちでいるのだろうか、瞳をにじませながらライオンへと微笑みを送っている。視線が合わさりあい、ふたりは頷き合った。

「──って、お前今まで何処にいたんだ? 朝起きたら何処にもいねぇから、びっくりしてたんだぜ」

 ふとして浮かんできた疑問の念。相手が言葉が通じない野生の獣であるのは重々承知していたものの、ガロードはそう訊ねずにはいられなかった。
 そんなガロードの言葉がはたしてライオンに通じたのかどうかは誰にもわからない。しばしの間を沈黙でもって応えたライオンは、突然前脚を屈して身をかがめると、何か塊のようなものを咥えていた口を開き、その中身を地面にへと放し落とす。
 鈍く音を立てて石を押しのけて半ば地面にめり込むような形で落下したその物体は、見た目にもかなりの重量があるようであった。

「な、何だぁ!?」

「っ!」

 全体的な色は黒っぽく、ところどころ節くれだっている。なぜか木の枝のように極端に細く折れ曲がっている部分もいくつかあり、少なくとも単純で一様な塊には見えなかった。
 一体ライオンは何を持ってきたのか。当然このような物体を初めて見たガロードとティファは互いに身を寄せ合っておののきながらも、その物体の正体に対する興味を示す。
 だがふたりは次の瞬間、予想を斜め上にいく現実を目の当たりするのだった。


 ──ピク、ピクピク。


「────へ?」

「────え?」 

 一見完全に固まっていたかに見えたその物体の、木の枝のような部分が確かに動いた。
 そう認識したのも束の間。わらわらと動きを大きくした何本もの木の枝は放射状に広がりを見せて蠢き、それが生えた本体そのものも含めてまとめてひっくり返る。木の枝かに思えた部位はその物体、ならぬ生物の“脚”だったのだ。

「いいっ!?」

「ひゃっ!?」

 それはまさしく地球にもいる『蜘蛛』と同じ姿をしていた。
 左右に4本ずつ生えている細い脚と、でっぷりと丸く膨れた腹部を持つ胴体。身体全体はライオンと同様に金属で出来ているのか、その黒さの中に鈍い光沢がある。
 よもやこの物体が人間をも上回る大きさを有する蜘蛛だとは思ってもみなかったガロードとティファは一斉に飛び上がった。
 蜘蛛が、走る。
 さも捕らえられていたライオンから逃げようと命がけで這いずるがごとく。
 それは必然的に、ふたりの方へと向かってくる行動となった。

「なっ!」

 いまだ驚きから脱却しきれていなかったガロードは対処に遅れて慌ててティファの身を庇おうと引き寄せる。
 向かってくる蜘蛛。でたらめに見えて、人間が走るよりも遥かに速いスピード。
 その境界があいまいな頭部にある多数の眼と鎌状の牙が迫り来る様子に、ガロードは思わず身を強張らせてしまうこととなるが、それもすぐさま終わりも迎えることとなる。
 ブオン、と風を薙ぐ音が聞こえた。
 数瞬遅れて目の前に叩きつけられる、途轍もない衝撃。
 ライオンがその膂力をもって振り下ろした前脚を、蜘蛛に叩きつけたのだ。
 その衝撃は凄まじく、一瞬地面が震えて足先が揺らぐ程のものだった。
 ライオンの強烈な一撃によって取り押さえられた蜘蛛は、身に食い込んだ太く鋭い爪の下で己の脚をじたばたと動かし「キーキー」と鳴いて身悶えるのみ。
 一連の出来事に、もはや驚きを通り越した感情を胸に懐いたガロードはその口元に乾いた笑みを浮かべるしかなかった。

「あ、はは……」

 そのまま引きつった笑顔をティファに向ける。

「と、とりあえず、だ、大丈夫みたい……だよな?」

「う、うん……」

 どぎまぎと脈打つ鼓動を抑えつつ、どうにか心を落ち着かせて頷き合うガロードとティファ。
 と、そんなふたりの反応の意味を知ってか知らずか、ライオンはまるで意を解したようなそぶりを見せずに、蜘蛛を片前脚で押さえ付けたまま身体を地面につけると、人間で言えばちょうど腹這いとなる姿勢をとった。蜘蛛を押さえ付ける脚をもう1本増やし、両側から挟み込むみたい形にして持ちかえると、自らの方へと引き寄せる。
 一体を何を、と目を見張ったガロードを余所に、ライオンは抱え込んだ蜘蛛に顔を近付けると、顎を大きく開いて牙を立て始めた。
 ばたつく脚を食い千切り、胴体を覆う外殻を1枚1枚牙で噛み剥がしていく。
 金属同士がこすれてゆがみ、鋭い牙によって破断されるたびに発せられる甲高い音。
 ライオンは食い千切った脚も引き剥がした外殻も内部組織も全て口に含み、蜘蛛を生きたままかじって咀嚼していく。
 どうやら“お食事”を開始したらしい。

「あー……」

 ふたりが見ている前で繰り広げられるライオンの“お食事”に、ガロードはぎこちなく頬を掻いた。
 この数日間、ガロードとティファが試しにといくつか食物を差し出してみてもちっとも興味を示さなかったライオン。手持ちの食料だけでなく周囲を探して様々なものを試してはみたが結果は変わらなかった。よほど長い期間をこの場を動けなかったライオンは当然腹をすかせていただろうし、それを満たすべく“狩り”に出掛けていたのだとすれば、朝起きた時に姿を消していた理由も理解はできる。
 しかし、だからといって目と鼻の先でライオンが蜘蛛を食している光景はお世辞にも気分が良くなるシロモノではなかった。ライオンを咎めるわけもいかず、素直に考えれば喜ばしいことであるのもわかっていたため、何とも複雑な心境となるガロードであった。
 ガロードはティファと顔を見合い、力無く言葉を紡ぎだす。

「……とりあえず、俺たちもメシにするか? どうせ放っといてもしばらくはこのまんまだろうし」

「ええ……。そうしましょう、ガロード」

 たとえどんな状況であっても身体は朝の食事を求めるというもの。
 ひとまず目の前の“お食事風景”は頭の片隅に置いておき、ふたりは自分たちの朝食の準備に取り掛かる。
 その最中、ふと気になってライオンの方に視線を戻してみると、ライオンはちょうど蜘蛛の体内から取り出した球体状の部位をぺろりと平らげているところだった。
 あれは卵か何かなのだろうか。牙に挟まれ球体を覆う殻が砕かれて飲み込まれていく様がここからでもはっきり目にすることができる。
 朝の一幕はそのようにして、平和に時が過ぎていくのだった。





   第6話「俺たち、生きているんだよな…?」





 日が昇り、谷間を覆っていた霧が晴れ渡る頃となった。
 頭上に山々の尾根によって切り取られた青い空が見え、そこを小さく風に流れる雲が過ぎていく。霧に湿った空気が取り除かれると、それと入れ替わるようにして、ガロードたちがいる河のそばにもからっと温かく乾いた空気が舞い込んでくる。
 髪をそよがせる風の息吹きに、河からわずかに聞こえてくる穏やかな水音。
 手早くそこそこに朝食を済ませたガロードとティファは、同じく“お食事”を済ませたライオンと互いを見据え合っていた。

「これで、もう大丈夫なんだよな……」

 じっとそこで佇みこちらを見下ろしてくるライオンと向き合ったガロードは、その心が示すままに呟いた。そして笑い掛ける。

「もうこんな、誰も助けてくれるような奴が来ない所で動けなくなるんじゃねぇぞ。今度は俺たちみたいな奴が通り掛るとは限らないんだからさ」

「……、グァオオォォォ」

 半ばおどけて告げたガロードの語り掛けに対して、ライオンはまるで喜びを表すように口を大きく開いて喉を響かせると、顔をふたりに近付けて鼻頭をこすり付けてきた。

「うわっと!」

「きゃっ!」

 ライオンにとってはやさしく甘えるような具合で擦り寄ってきているだけなのかもしれなかったが、やはりこのサイズ差はいかんともしがたいものだ。あわやバランスを崩して地面に倒れそうになったけれども、ライオンもそれなりに加減をしてくれたらしく、どうにかその場に踏みとどまることができた。
 頬をなでる少し生暖かい吐息と半ば強引に押し付けられる硬い甲殻の感触に、ガロードはやれやれといった心持ちで微笑む。
 なんとも不思議な気分だった。
 言葉を交わさずとも確かに心が通じ合えている。ただただライオンと視線を交し合い、触れ合ってその鳴き声を聞いていると、そんな錯覚さえしたのである。
 だから、なのかもしれなかった。

「ところでお前、他に仲間とかはいねぇのか? もし俺たちみたいな人間に会ったことがあるなら、教えてくれると助かるんだけどよ」

「グォ?」

 ライオンに答えが返ってくると期待できない問い掛けをしてしまったのは。
 心のどこかに例えようのない嬉しさと寂しさを感じてしまったのは。
 そのことを自覚し、ガロードは笑いに自嘲さを付け加えた。

「なんてな。わかってたとしても、答えてくれるわけはねぇよな……」

「ふふっ」

「あはっ」

「………………」

 ふっと湧いたおかしさにガロードとティファは笑顔を見せ合う。
 そんなふたりを見詰め、沈黙を保ったままでいるライオン。
 やがて来るべき時が来たのか。それ以上何も声を発しなかったライオンは、ふたりから離れると、その場でくるりと踵を返し、前へ向かって歩き始めた。
 1歩、1歩、1歩と。ゆっくりと足音を響かせながら。
 このまま別れることとなる。そう思ってライオンの後姿を見送っていたガロードとティファだったが、別れの言葉を投げかけるよりも先に、その予想はすぐさま裏切られることとなる。
 河原を上流に向かっていたライオンが数歩進んだ所で歩みを止まると、こちらを振り向いてきたのだ。
 さも、何かを求めるような眼差しで、

「…………、ゴゥオォ」

 くいっと首を動かし、ふたりに向けて合図を送るような仕草を見せる。
 この行動にはガロードもティファも驚きを隠せなかった。
 もしやと思い、間を置いて待ち構えてみてもライオンにその場から立ち去る気配もなければ、引き返してくる様子も見受けられない。
 ただじっと動かず、ふたりが来るのを待っている。
 そのことが時が経つにつれてだんだんと確信を深めていくのだった。

「ひょっとして……、付いて来いってことなのかな?」

「たぶん……。きっと、そうだと思う……」

 何度まばたきしても状況に変化は訪れない。
 ライオンは視線をこちらに向けたままの姿勢で、ガロードとティファのふたりが来るのを待っているとしか思えなかった。
 このかつて無い出来事に困り果てたガロードとティファは1度だけ顔を互いに見合わせると、どちらからとも無くすでに準備を終えていた荷物を背負い、ライオンのいる場所に向かって歩き始めた。
 ライオンまでの距離は2、30mといったところ。
 ふたりが歩き出したのを見て取ったライオンは顔を正面に戻し、歩みを再開する。
 河べりにそって水の流れを遡る方角へ向けて。
 人間であるふたりと巨大な体躯を持つライオンとでは、その歩幅差からすぐさま距離が開いてしまうものの、ある程度離れるたびにライオンはこちらの位置を確認すると共に足を止めて、ガロードとティファが追い付くのを待ってくれていた。そうして同じことを何度か繰り返すうちにあちらもペースを掴んできたのだろうか、次第にふたりの足の速度に合わせた歩調となっていき、いくらか進んだ頃となるとほぼ一定の距離を保ったまま歩み続けることができるようになっていた。
 ライオンが四肢の1つ1つを踏み出すたびにゆらゆらと揺れる尻尾の先端を見上げながら、ガロードは隣を歩くティファにも聞こえる声で呟いた。

「やっぱりあいつ、俺たちをどこかに案内しようとしてるんだよな……」

「ええ。どこに行こうとしているのかは、わからない、けど……」

 果たしてライオンは自分たちを何処へ誘おうとしているのであろうか。
 もしかしたら本当にガロードの告げた言葉の意味が通じたのかもしれないし、ただ単純にお気に入りの棲み処へ連れて行こうとしているだけなのかもしれない。そこに何らかの意図があるのか、それとも気まぐれによるものなのか。この数日間触れ合ってライオンに対する親愛と呼べる感情が芽生えて始めているのは確かだけれども、期待と不安、その相反する気持ちが心の中でせめぎ合うのは致し方の無いことだった。

「俺たちに道案内してくれてるのか、それとも……ってか」

 しかし、いくら悩んだところで答えなど導き出せないのもまた事実。
 現にこうしてガロードもティファもライオンの後を追うことを選んだのだから、引き返すという選択肢が思い浮かばない以上、今はライオンを信じてこの道を行くだけのことである。
 思い悩む思考を打ち切り、ガロードは歩きながら肩を竦めた。

「ま、流石に今更取って食われることはねぇだろうし、このままあいつに付いて行ってみようぜ。どうせ元から行く当てなんざないんだ。このまま付いていって、そこから先で手掛かりを探すってのも、なんだか面白そうだしよ。な、ティファ?」

「ガロード……」

 ガロードがそう確認の声を取ると、ティファは一瞬顔をきょとんとさせていたものの、すぐに同じ考えに至ったのか「くすっ、そうだね」と微笑んでくれた。
 ライオンを先頭に、その後を歩くガロードとティファ。
 2人と1頭が織り成す奇妙な道程は、続く。
 流れの穏やかな河のほとりをひた歩き、比較的平坦な道のりを突き進んでいく。
 最初は夜の砂漠を歩き、ふとした切っ掛けで見つけた遺跡を探索し、そこから水源を辿り川を下ってここまでやってきた。振り返ればこの名の知らぬ大地にやってきて以来、ずっと歩き通しだったな、と思う。おそらくこれからも歩き続けることとなるだろう。この前までは車や列車での移動で、そのさらに前は仲間と共に艦に乗っての旅だった。海を巡り、宇宙を翔け、月にまで行ったことを考えると、こうして巨大な獅子の後を歩いて追いかけていくという今は、なんとも奇妙な心持ちであった。
 空は青を深め、いつしか頭上には雲ひとつ無い晴天が広がっている。まぶしい太陽の光にさらされつつも、眼前に響く重い足音を鼓膜で受け止め、脇を流れる河のせせらぎを肌で感じていた。
 道はゆるやかに曲がり、最も高い山の頂を右手に見ながら迂回していく。それがひと段落着くと今度は左へ。長く伸びたS字を描いて蛇行する向こうには、切り立つ岸壁が幾重にも連なっていた。
 目的地らしきものはまだまだ見えない。てっきりそのままライオンは川筋に沿っていくものと思っていたが、ここで突如として進路を変更しようとするそぶりを見せる。
 歩く速度は変わらず、まるでそうすることがごく自然であるかのように向きを変えたライオンは、微塵の躊躇いも示さずにその足先を水面に浸した。水の流れに波紋が生まれ、舞い散る飛沫が白く光る。ざばん、ざばん、と音を立てて水を掻き分けたライオンは、ふたりが見ている目の前で対岸を目指し、それこそあっという間に肘から下が没する深さまで離れていく。

「って、おいっ!」

 これにはさしものガロードも動揺せざるを得ず、すぐさまライオンを呼び止めようと声を発したものの、その歩みは止まらなかった。
 ガロードは両手を口の前で構えると、より大きな声で叫んだ。

「おーい! 待ってくれよぉ、なあ!」

「……ウォ?」

 ガロードの呼び掛けに応えて、ライオンは立ち止まると短く吼え声を返してきた。振り返り、そこでようやくガロードとティファが河岸で佇んだままでいることに気が付いたのか、渡河を中断して引き返してくると、不思議そうな眼差しでこちらを見詰めてくる。
 ライオンの赤い瞳を見上げながらガロードは、

「なあお前、この河を渡ろうとしているのか? 他に道とかはねぇのか?」

「ォォォ……」

 一応質問はしてみたものの、流石にその意味は理解できないのか、ライオンはその場で喉を鳴らすばかりで、具体的な思惟を示してはくれない。
 困り果てガロードは、頭の後ろに手をやった。

「あー、どうするかな……」

 川幅や水深を考えてみても、荷物を携えたまま渡り切るのはガロードにもティファにも不可能なのは明白だった。例え荷物が無くとも、わざわざ好きこのんで泳ぎ渡ろうとする者などそうはいないであろう。貴重な荷物を捨てるわけにもいかず、何か手段はないかと頭を働かせていく。幸い、一番手っ取り早い方法がすぐに浮かんだので、ティファにも目で確認を取ってから、ガロードは改めてライオンと向き合った。

「なあ、せめて俺たちをお前の背中に乗っけるとか、そういうのってできねぇかな? わかるか、背中だ、背中」

「………………」

 腰を屈して背負ったカバンを後ろに回した両手でぱんぱんと叩く。言葉だけでは足りないのなら、手足も交えて。この身振りで正しく伝われば良いのであるが。

「ちゃんと、通じたかな? 今ので……」

「……、わからない……」

 野生生物相手に初めて尽くしの連続ということもあり、やはり不安は禁じえない。
 ガロードとティファが見守るなか、しばしひと吼えもせずに黙ってふたりを見下ろしていたライオンは、やがて考えが至ったのか、肘と膝の両方を屈して身体全体を伏せさせると、顔をガロードとティファのすぐ近くまでに寄せてきた。そして口を大きく開いた。
 静寂が、満ちる。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………ォォ」

「…………────って、ええっ!?」

 まさかと思い、ガロードは声を跳ね上げた。

「あ、いや、待てよまさかお前……自分の口の中に、入れって……言うんじゃねぇだろうな? 俺が言ったのは背中なんだぜ?」

「ゥルル……」

 ガロードが指摘するが、ライオンはずいっとさらに顔を、開いた口を寄せてくる。
 ……どうやら、本気のようだ。
 ずらりと並んだ鋭い牙を前にして、すでに冷や汗をかいて身を竦ませかけていたガロードは、同じように緊張した面持ちでいるティファと視線を通わせ、ライオンに告げた。

「……やっぱり、背中にしてくれねぇか? 口の中ってのはなぁ……」

「え、ええ……。私も、お願い……」

 今回ばかりはガロードだけでなくティファからも発せられた嘆願の声。
 このふたりの反応にはライオンも何かを感じ取ったのか、一瞬困ったように首を傾げると、頭を引き、その場で立ち上がる。

「……はぁ。流石に、ビビったぜ」

「うん……。私も、こんなの初めて……」

 そう言いながらふたりで揃って肩を落としていると、


 ────ぱくりっ。


「────へ?」

「────え?」

 次の瞬間だった。問答無用だった。
 視界の端に迫り来るライオンの口を捉えた時、ガロードは自分の身に何が起きたのかを正確に把握することができなかった。
 気付けば目の前が真っ暗になっていた。
 気付けば身体を目隠しされた状態で持ち上げられ、ブンと振り上げられる感覚がした。
 数度上下に揺さぶられてより奥へ奥へと導かれる頃になり、ようやく理解が状況に追い付いてくる。ライオンの口の中は、外から見て感じる通りに狭いとしか言いようがなかった。

「なななななななななななななななななななっ!?」

「────────っっ!?」

 わずかに差し込んでくる光で見える光景と、思いのほか弾力に富んだ柔らかい感触。
 ガロードはうつ伏せになった状態のまま仰天し、ティファは声にならない悲鳴を上げてぎゅっとしがみ付いてくる。動ける範囲で手足を乱暴に振り回して抗議を送ってみても、ライオンは全く気を害したそぶりさえも見せない。そのままふたりを口に入れて再び歩き始め、ざぶん、と先程よりも勢いのある速度で水を掻き分けていく。
 ガロードとティファはどうにか身体を動かして、頭を口先に、足先を喉の奥の方へ向けてみると、ライオンはすでに河の中央付近を通過していた頃合だった。水深はもっとも深い場所でもライオンの足が着く程度のものらしく、ガロードとティファのいる口元には水は一切跳ねてこない。下を流れる薄茶色に濁った河の水に、徐々にその距離を狭めてくる対岸の景色。並び生える牙と牙の隙間から見える、歩行に合わせて上へ下へと揺れる外の世界は、まさにライオンが見ている世界であった。

「うっ……、うわっ、ちょっ、お前っ!」

「きゃ! ……っ、はぅ……」

 だがしかし、生き物の──それも肉食獣の口の中にいるのは、どんなに落ち着こうと思ってもそう簡単に落ち着けるものでは断じてなかった。胸の鼓動がこれでもかと速まり、お腹の下の部分が冷えてすぼまるかのような感覚に陥ってしまう。どうにか掴める牙に縋り付き、己を見失わないようにするのがやっとな状況。心でも感情でもない、人間としてもっともっと深い箇所、それこそ本能と呼ぶべき場所から生じてくる途轍も無い締め付けであった。
 そうこうしているうちにライオンは河を渡り切ると、濡れた四肢を小刻みに震わせて水を弾き落とし、地面を何度か爪で引っ掻く。そして伸びをし、身体をほぐすような動作をする。それが終わると今度は、また再び河の上流へ向けて進行を再開する。無論、ガロードとティファはライオンの口に入れられたままである。

「なあおーい! まだ降ろしてくれねぇのかよ! なあ!」

『グゥオオオオ──ッ!』

 時間が経つにつれて次第に心の落ち着きを取り戻してきたガロードだったが、やはり居心地の悪さは変わらない。駄目元で降ろしてくれるように呼びかけてみても、返ってくるのは身体全体に直接響いて揺さぶりを掛けてくる、どこか自信あり気にも聞こえてくる唸り声だけだった。
 もはやなす術も無く、自分たちふたりが置かれた状況のトンデモなさに、ガロードはがくりとうな垂れる。

「確かに楽っちゃ楽なのかもしれねぇけどさ……。まさかライオンの口に入れられて運ばれる日が来ようなんざ、夢にも思わなかったぜ……」

 よりにもよって捕らえた獲物を食い破る鋭い牙を備えた肉食獣の口の中に、である。
 そういえば、朝もここで蜘蛛型の生物が食われていたんだよな、と今朝方見た光景が脳裏を過ぎり、今更ながら肝がより一層冷えてくる心境となるガロードだった。

「ガロード……」

 と、そんなガロードを見詰めていたティファが心細そうな顔をして、

「あまり……、そのことは、考えないで……」

「…………、ごめん」

 珍しく発せられた咎めの声に、ガロードは平謝りするしか他がなかった。ガロードが着ているジャケットの袖口を握り締めて、声を震わせながら告げてくる彼女を見ると、自分の至らなさに申し訳なくなる。
 謝罪を一身に込めてティファを見詰め返し、不意にあることに思い至った。

「────と、そうだ」

「…………?」

 突然声を改めたことに目をぱちくりとさせるティファを視野に捉えつつ、ガロードは彼女が背負うカバンの脇にあるポケットに手を突っ込むと、そこから1本のロープを取り出した。ライオンの歩行で揺れ、生温かい空気に満たされるなか、絡まらないように注意して結び目を解くと、その片側をティファに差し出し、

「ティファ、こいつを自分の腰に回して、こっちにくれねぇか?」

「え……、うん」

 ガロードの言葉にティファは最初こそ訝った表情を浮かべていたものの、すぐに頷いて言う通りにしてくれた。腰とカバンの間にロープを通し、それをお腹側に回すと、ガロードに手渡してくる。

「はい」

「ほいっと。腰を縛るからな。きつかったら言ってくれよ」

 ティファからロープの先端を受け取ったガロードは、それをある程度の長さになるまで手繰り寄せて、ティファのほっそりとした腰周りに結わえ付けた。ティファが終わると次は自分に。1本のロープでふたりの身体を繋ぎ終え、最後に結び目の締り具合を確かめると、ほっとひと息を付く。

「これで良しと。これでもうそう簡単には解けたりはしねぇだろ。な?」

「ガロード……」

 ふたりの身体を繋ぐロープを結ぶガロードの一連の様子を見ていたティファだったが、その名を呟いてしばし呆然としたあと、何かにおかしさを覚えたのだろうか、顔の表情を崩して和らげた。

「くすっ、ふふふっ」

「……ティファ?」

 ライオンの口の中にいるという変わらぬ状況下。笑い始めたティファに、今度はガロードが呆気に取られる番となる。訳がわからないでいるガロードに、ティファは笑う声を引っ込めて、微笑みを浮かべつつ答えてくれた。

「ううん。そんなに大したことじゃないの。ただ、これで何が起きても、ガロードと一緒だなって思えたから……」

 そう告げられて一体何に対してのことだかをガロードはいまいち判断が付かなかったけれども、ティファが浮かべる笑顔を見ているうちに、徐々に理解が染み入ってくる。単純に何かの拍子でどちらかが地面に落とされないようにと、その対策のつもりであったが、見方を変えれば別の一面も見えてくるだろう。願わくばそんなことが起きて欲しくはないと思うものの、なぜだか不思議とおかしさがにじみ出てくるのだった。

「あはっ、確かにそうだ。これで仮に振り落とされるか、飲み込まれたとしても、その時はその時で一緒……だよな?」

「──うんっ」

『グゥ? グオオオオーッ!』

 内に出てきたおかしさにガロードが言葉を紡ぐと、ティファが嬉しそうに頷いただけでなく、ライオンもなぜか口を閉じたまま咆哮して応える。咥内に響いてくる大音量を耳にし、どこか無邪気に楽しんでいるようにも聞こえる様相に「ったく、もとはといえば誰の所為なのか、わかっているのか?」と悪態はついてみたものの、心はいつの間にか晴れやかになっていた。
 河の流れに沿って岸辺を遡上していたライオンは、道筋を本流から逸れて、いくつかある中から選んだ支流の1つへと進路を移す。両岸の幅は一気に狭くなり、進むにしたがって道は険しくなってくる。人の足や車両はおろか、モビルスーツでさえ歩いて行き交うのが困難な地形であってもライオンはもろともせず、その巨体と逞しい四肢と鋭い爪を駆使して軽やかに段差を乗り越えていく。
 坂道を登るにつれて、川の流れからも外れ、岩だらけの山道を行く。ライオンの奏でる足音と時折漏れる吐息だけが、草が1本も生えていない静かな世界に響き渡っていた。
 歩き始めてからだいぶ時間が経過し、太陽の位置があと1、2時間でもっとも高くなる時間帯に差し掛かった。道の傾斜が無くなり、空の面積が広がる。左右の景色を視覚から遮っていた岸壁が消え去ると、特に大きな岩も見られない平らな場所に出た。正面から当たる風が、ライオンの口の中にも吹き込んでくる。
 開けた外の景色に目を凝らしたガロードは我知らずに声を上げた。

「うわぁ……」

 ライオンが山道を登って辿り着いた場所は、もともと起伏の乏しかった岩盤の柔らかい部分が風雨によって削られて、硬い部分が取り残されたことで形作られた、周囲から孤立している台形状の高地がいくつも見られる渓谷だった。赤茶けた大地は空との境界である地平線まで見渡す限りに広がっており、侵食によって露出している岸壁には綺麗に色分けられた地層がここからでも確認できる。白っぽい層もあれば黒ずんだ層もある。幾十、幾百にも積み重なった大地の記憶は、この地が形成されてからの永い年月を主張しているかのよう。唐突に目の前に現れた雄大な景色に、ガロードもティファもそれぞれに目を見張っていた。
 対してライオンの方は目に見える光景へ特に感慨を懐いていないのか、歩くペースを保ったまま平坦な地面の終焉まで進んでいくと、そこでようやく立ち止まって崖下を覗き込んだのであった。

「…………」

「…………」

 眼下に見えるは断崖絶壁とまでは言わないものの、かなりの急斜面が谷底へと続いている。ライオンが頭を下げたことにより、ふたりの身体が迫り出されて数百m下の地面に吸い込まれそうになる錯覚がしたが、ぐっと堪えた。ただの人の身である自分たちでは、この道を降りるという発想さえも起きない、目もくらむような高低差。この先はここを下っていくのだろうか。そう思って身構えていると、ライオンは小さく喉を鳴らしてから顔を横に向け、来た道を引き返していく。この予想に反した行動にはガロードもティファも互いの顔を見合わせるしかなかった。

「どうしたんだ? 道でも間違えたのか?」

 ライオンが何をしようとしているのか意図がわからず、ガロードが問い掛けてみてもちっとも反応は返ってこない。進む向きが反転したことで、見覚えのある山の頂が遠くに霞んで見えていた。

「ホントに、どこに行こうとしているんだ、こいつは……」

 そろそろ降ろしてくれるならば降ろして欲しいのが本音ではあるが、ライオンは一向にそういう気配を見せずにいる。もしかして別の道を探そうとしているのだろうか、と思っていると、先程まで歩いてきた山道に入る直前の地点でまたも進行方向を180度折り返した。
 顔を谷の方に向けてその場で停止すると、全ての四肢を地面に着かせたライオンは、正面を見据えたまま喉の奥を震わせる。まるで見えない何かに向けて威嚇し、意識を研ぎ澄ますような鋭さをもって。

「……んん?」

「……、どうしたの?」

 これまでの道中とは明らかに異なる変化に、ふたりは戸惑いを顕にするが、ライオンは押し黙っているだけだった。
 さてどうしたものか。対応に困ったガロードがふと外に視線を巡らせてみると、少し離れた場所にある小さな岩場にあるものが生えていることに気が付く。

「あれは……」

 それは野に咲く1輪の花であった。他に何も草花が全く見られない場所で、ぽつんと孤独に咲いている白い小さな野花の存在が妙に印象に残る。
 風が吹き、合わせて白い花びらも、細い茎も、広げられた葉っぱも、全てが揺れる。
 ゆらり、ゆらゆらと。
 空の青さはいよいよもって色濃くなり、風の声は心にまでも吹き込んでくる。
 ある種の寂寥感を伴なった静けさが、この大地にもたらされる。
 それを打ち破ったのは、他ならぬライオンの唸り声だった。

『──ウゥゥゥオオオオオオォォォ……』

 最初はあくまで低く唸るのみの喉の鳴り響き。
 内に秘めた感情を燻らせるかのように長く長く唸ってから、少しずつそこに力強さを加えていき、一拍息継ぎを置いて、最後はそれを裂帛の気合を孕んだ咆哮へと変えいくのであった。

『ゴゥオオオオオオゥオオオオオオオオオオオオオオォォォーッ!』

「────ッ!?」

「────くっ!? なんだぁ!?」

 咄嗟に耳を押さえてもなお揺さ振ってくる圧倒的な力感。
 鼓膜だけでなく、身体の全てが直接訴えかけられてくるような凄まじき咆哮。
 伸ばしていた肘を屈し、ライオンは姿勢を低くする。
 地面を打ち鳴らし、そこに足の爪をしっかりと食い込ませて。
 足元を確かめるように地面を踏みしめたライオンを見て取ったガロードは、自らの顔を恐怖で引き攣らせた。

「おいおいおい、ちょっと待て! まさかお前っ!」

『ゥオオオオオォォォー!』

「ガロード!」

 地面を掴んだライオンの四肢の筋肉が縮み、込められた力の大きさが目に見えずともはっきりとわかる。
 導き出される答えは1つきりだった。

「待て! 待ってくれ! 冗談ならやめてくれって! なあ、おい!」

 一縷の望みを託してガロードは叫ぶ。
 しかしその制止の声はライオンには届いていなかった。
 ライオンは口を閉ざし、奥歯を噛み締める。
 最後の足掻きにとライオンの歯茎を力いっぱい叩いてもそれは無駄と終わる。
 ライオンは……、ついに駆け出したのだった。

「ぐわあっ!」

「う……っ!」

 咥内に寝そべったまま後ろへぎゅんと身体ごと引っ張られる感覚。
 常にどれかの足が地面に接している並足とは比較にならない、脚の関節の力を、爪の1本1本が伝える力を、胴体を曲げて生み出される反発力をも全て統合して躍動させ、ライオンは一気に加速した。
 向かう先にはもう、もう何もない。
 落下防止用の柵も当然無ければ、そもそも踏み締めるべき大地そのものがないである。
 見る見るうちに接近してくる大地の終焉。ライオンは微塵の躊躇いも見せず、さらに速度を上げ、大地を叩き、そして、

「────あっ」

「────きっ」 

 ライオンは踏み切り、その身を宙にへと躍らせていくのであった。

『グオオオオオオオオオオオオーッ!!』

 一瞬の振動の後、視界がぐるんと上に動き、青い空が正面に来る。
 髪の毛が浮き上がり、身にのしかかる重みから開放された。
 ゆるやかに放物線を描いて飛び上がったライオンが重力に引かれて落下し始めると、その顔が下を向き、これから落ちていく渓谷の岩肌がふたりの目に飛び込んでくる。
 迫り来る地面を前に、ガロードとティファは無我夢中で悲鳴を上げた。

「──うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「──きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 崖までの距離はあとわずか。凄まじい速度で流れていく。
 まるで超低空を滑空しているような景色だったが、飛ぶ降りているがゆえに向いている角度は全く違うのに加え、着実にその距離は狭まってきており、流れているのはゴツゴツとした岩肌である。
 ガツンと音を立ててライオンの爪が地面を捉えた。
 そのまま落下の勢いを殺すことなく、さらに四肢の膂力を発揮して速度を上げていく。
 着地した地点から坂道を下り、それが終わった谷底に辿り着いても、速度を緩めることもなくライオンは疾走をし続ける。
 目の前に障害物となる岩が立ち塞がれば、跳躍し、ひと息で飛び越える。
 丘を駆け上がれば、そこから次の頂へ。谷間の川のそばを走り抜け、野花が群生する地帯をも突っ切り、大地に刻まれた巨大な亀裂に差し掛かると、その左右を順々に踏み切って飛び越え、想像を絶する悪路をもろともせず乗り越えていく。
 まるで一陣の風のように。身に出でる本能を燃やして。
 それはさも、これまで動けなかった日々の鬱憤を晴らすかのよう。颯爽と駆け抜けるライオン自身にとっては望みに望んで実行に移し、それを達成したことでとても気持ちの良い姿をしているふうに思えたけれども、その口の中にいるガロードとティファにとってはたまったものではなかった。
 前後に激しく揺れる中、互いの身体を掴み合い、辛うじてしがみ付ける物にしがみ付いているのが精一杯な状況だった。
 奥歯をかみ締め、伸ばした手で掴んだティファの身体を抱きしめて、ぎゅっとその腕に力を込める。牙の隙間をすり抜けて襲い掛かってくる風圧に晒されながら閉じていた瞼をどうにか開くと、ティファもティファで声にならない悲鳴を上げてガロードの身体を離さないでいた。
 外の景色に目を向けると、見える全てのものが凄まじい速さで流れている。
 土も、砂も、石も、岩も、草も、樹木も、全てが分け隔てなく。
 速度は衰えない。揺れも一向に収まる気配を見せない。
 一体ライオンはどこに行こうとしているのか。
 ガロードにとってそんなことはもはや関係なかった。
 ガロードはただ思う。
 もう止まって欲しいと。この状況から自分とティファを開放して欲しいと。
 気力を振り絞り、あらん限りの力をもって、ガロードはライオンに向けて叫んだ。

「止まれ! 止まってくれ! うわっ! もう止まってくれぇぇぇーっ!」

『グォオオオオオオオオオオオオオオオオー!』

 それはまるで、遊びに夢中になっていた子犬が飼い主に呼びかけられて、嬉しそうに駆け寄ってくるかのような響き。
 ガロードの叫びに反応したライオン声が轟いてくると共に、その俊足は更なる加速を叩き出す。
 ふたりを乗せたライオンは走り、走り続けて、この大地を駆け抜けていく。
 いくつもの谷を越えて渓谷を越えて。ガロードの願いがライオンに届き、ふたりの身柄が開放されるには、それからさらに、数十分ほどの時を要することとなる。





     * * *





 ライオンの口に乗せられて辿り着いたのは、初めにいた河からかなり離れた場所で水が流れ落ちている滝のすぐ近くだった。
 下顎を地面につけて開かれたライオンの口からよろよろと這い出たガロードとティファは、流れ落ちる滝の音を聞き、その場でぺたんと腰を下ろす。立ち上がろうにも力が上手く入らない。朦朧とする意識の中で、数時間振りに触れた地面の存在を2つの手でしっかりと確認してガロードは、

「俺たち、生きているんだよな……?」

「…………」

 自分たちが無傷で生きているのが信じられず、ついつい発してしまった確認の言葉。あの状況下で、今の今までふたりとも気を失わずに済んだことはおろか、この生命が保たれていることでさえ、本当に奇跡的なことだったと切に思う。
 ガロードの呼び掛けにティファからは、声に出しての答えは返ってこなかったものの、首をこくりこくりと動かして頷いてくれていた。
 いまだに頭がふらふらし、気を抜くと世界そのものが揺れているような錯覚がする。
 ふたりが先ほどの大爆走の衝撃から脱却し切れていない最中、その背後からはふたりのことを見下ろしたライオンの声が聞こえてくる。

「ォォォォォォォォォォ……」

「…………、お前は……」

 腰を落ち着かせたまま振り向いてライオンの顔を見上げたガロードは、ぽつりと呟き声を洩らす。
 確か自分はライオンが元気に走り回る姿をこの目で見たいと思っていた。だがそれを身をもって体験することになろうなどとは頭の片隅にさえ思ってもいなかった。
 本来であればふたりを乗せたまま無茶な走行を行なったことを糾弾すべきなのかもしれないが、こちらを見詰めてくるライオンの瞳を見ているとどうにもそのような気分にはなれない。もとをただせばライオンについて行くことを選んだガロードとティファにも責任があることだし、ライオンの口に入れられたあたりでそのことに気付けなかったのだから迂闊とも言えよう。ライオンもライオンなりに気を使って、出来るだけ早く目的地に着きたかったのかもしれない。しかし他にやり様はあったのではないだろうか。ライオンの取った手段に全部が全部納得がいったわけではなかったが、今更そのことでライオンを咎める気力が湧いてこないというのが正直な気持ちであった。
 ガロードは「ふう……」と溜め息をこぼすと、ライオンに掛けるべき言葉を質問の内容に変える。

「で、俺たちをこんな所にまで連れてきて、一体どうするつもりなんだ? もう走り回るのは勘弁だぜ」

 ガロードたちが今いる場所にはかなりの数の草木が生い茂っているものの、周囲に見える特徴的なものといえば滝くらいなものであり、ライオンがどういう意図をもってガロードとティファをここに連れて来たのかがわからない。何か特別に目立つものがあれば話は別ではあるが、どうやらそれらしきものは見える範囲に存在していないようだ。

「オオオゥゥゥ……」

 ガロードに問い掛けられてライオンは低く喉を鳴らすと、頭を持ち上げ、ふたりがいる場所の脇をすり抜ける形で再び歩き始めた。向かう先は滝の水が流れ落ちる方。ゆっくりとした足取りで歩を進めるライオンの後ろ姿を見るに、滝つぼの方に何かがあるのであろうか。

「──ティファ、立てるか?」

「うん、大丈夫」

 それを見て取ったガロードとティファは互いにそれぞれ肩を貸し合って立ち上がり、ふたりの身体を結んだロープを解いてそれをもとあったカバンのポケットに仕舞い込むと、ライオンのあとを追った。
 ライオンが目指している滝は、その落差はおよそ200mくらいであり、横幅は30mくらいに達していようかという程のもの。ほとんど垂直に切り立った崖の上から落ちてくる姿は壮観そのものであり、水が白い飛沫となって太陽の光を反射していた。
 膨大な水の量が流れ落ちることによって生み出される濁音。轟き。その轟音にかき消させないようにして、ズンッ、ズンッ、と自らの足音をそこに加えつつ、滝つぼを正面に見て右手の方に伸びる坂道からライオンは近付いていく。鼻頭に水が掛かる地点までやってきたライオンは、しばし止まって何かを確かめるようなそぶりを見せる。そこで何をしているのかと思いきや、身体をねじ込ませ、落ちてくる滝の流れを浴びつつ掻き分けて、そのままその中へと入っていく。
 舞い散る水の飛沫。尻尾の先端が滝の向こう側に消えたのを確認し、ガロードとティファは揃って目を丸くした。

「ガロード、あれ……」

「あ、ああ……」

 ライオンの白い身体が消えた先、ここからでは見えない滝の裏側にはまだまだ空間が広がっているようだった。流れ落ちてくる水に巻き込まれないように注意しながらところどころにコケの生えた岩場を進んでいき、ガロードとティファが降りかかってくる飛沫に手をかざして滝の裏側に立ち入ってみると、ぽっかりと開けられた広い横穴がそこに待ち構えていた。

「こいつは……」

 滝の裏側に入ってまず目に付いたのは、差し込んでくる光にうっすら輪郭を顕にしている岩肌の形と、暗闇の中央に浮かんだライオンの紅く輝く双眸に他ならなかった。
 その場で歩むを止めて周囲に意識を集中してみると、ライオンのいる奥の方から湿った風が吹き込んできているのがわかる。
 何処に通じているのかはわからない。予想していたよりも遥かに奥まった規模の洞窟を目にして、ガロードは息を飲み込んだ。

「こんな所に、なんで洞窟なんかが……」

「グオオオォォォ……」

 目の前の視界の大部分を彩る、深遠の闇。
 呆然と佇むガロードとティファを知ってか知らずか、ライオンの唸り声が洞窟の内部に反響して響き渡る。
 またしも、付いて来い、と言わんばかりの様子だった。
 奥にいるライオンを見、隣といるティファと視線を通わせる。
 ガロードは、その表情を引き締める。

「こうなりゃ最後までだ。行ってみようぜ、ティファ」

「うんっ」

 ガロードはティファと頷き合い、ウエストポーチの中からライトと取り出して光を灯すと、ライオンが待ち構える洞窟の奥に向けて、その第1歩を踏み出すのであった。





   第6話「俺たち、生きているんだよな…?(ガロード・ラン)」了


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 第6話をお読み頂きありがとうございます。
 今回のお話はある意味、ガロードとティファによる初のゾイド搭乗話……となるでしょうか?
 本作で野性ゾイドを登場させようと決めた時、真っ先に思い浮かんできたのが今回のお話でした。
 昨日の今日でまだまだ慌ただしい状況が続いておりますが、私は私で投稿を続けたいと思います。
 第1章もいよいよ佳境へと入りますので、もうしばらくのお付き合いを頂ければ幸いです。
 それでは、次の機会に。



[33614] 第7話「昨日までとは違うんだ」
Name: 組合長◆6f875cea ID:3a5d5162
Date: 2012/11/03 15:57





   ──ZOIDS GT──





 流れ落ちる滝の裏をくぐり抜けると、そこは外の世界とは打って変わって暗い闇が支配する洞窟の中だった。
 ライトを灯すガロードの手を取り、緊張や不安といった感情を胸の中で押し込んだティファは足を進める。1歩、2歩、3歩、と。ごつごつとした岩肌を顕にしている地面の上を着実に前へ踏み出していく。
 滝の水飛沫の奏でる音が次第に遠ざかるにつれて、周囲を取り巻く闇も一層その深さを増してくる。頼りになるものと言えば、ガロードが持つライトの光と前を行くライオンの足音くらいなもの。暗すぎてわずかな光源だけでは洞窟の広さを正確に把握することは難しかった。だが、ほんの十数m先を進むライオンが楽々と通れるあたり、結構な道幅と高さを有しているようだ。それが延々と続き、もはや後ろを振り返っても入ってきた入口は見えない。ガロードとティファ、そしてライオン。ふたりの吐息と小さな足音。そこに時折水の滴が落ちてその音が反響するなか、ライオンの鳴らす喉の唸りと巨大な足音はひときわ心に響く存在感を放っていた。
 どれほどの時間が経過して、どれほどの距離を歩いてきただろうか。洞窟の内部に立ち入って以来、どちらも何ひとつ言葉を発せずに黙々歩き続けるガロードとティファ。いくらか歩いているうちに、その沈黙を破ったのは、ガロードだった。

「あいつ、本当にどこまで行くつもりなんだろうな……」

 繋いだ手を介して伝わってくるのは、いまだ目的地が見えないことによる不安でもなければ、好奇心を躍らせたことによる歓喜でもない。まるでもう手が届かなくなったものを遥か遠くに眺めるようにして、ガロードは言う。

「よく絵本とかに出てくる物語だと、こういった洞窟の奥には財宝を守るドラゴンがいたりとか、地下世界に繋がっていたりするもんだよな。そう考えるとあいつ自身もそれと似たような奴なのかもしれねぇけどさ」

「……物、語?」

 何かを懐かしむみたいな語り口にティファがそう返すと、ガロードはちょっと恥ずかしそうに表情を崩して、

「ガキの頃……というか、もっともっと小さかった時にな。大人たちが聞かせてくれる話を、みんなで結構せがんだりしてたっけ……」

「そう……」

 珍しくガロードの口から語られる古い昔の話。みんな、という言葉が出てくるのだからそれはおそらく10年ほど前のことなのでだろうか。まだまだ戦争が終わったばかりで、混沌を極めていた時代。誰もがみな生きるために必死であったとしても、そこには少なからず安らぎをもたらしていた部分もあったとしてもおかしくはないのである。
 友人たちと一緒に無邪気に遊ぶガロード。そんな在りし日の幼い彼の姿を頭の中で思い描いていると、自然とティファも唇を動かしていた。

「私も昔、そういったお話をいくつか……誰かに聞きかせてもらったことがあるの」

 ティファの発した口調にガロードも何かを察したのか、視線をこちらに向けてくる。

「ん……、たとえばどんなだ?」

「────山の中でおじいさんと一緒に暮らしている女の子の話とか、幼い兄妹がしあわせの鳥を探しに行く話だとか、アヒルの中で育った1匹だけ違う雛の話とか……。他にもたくさん、あったと思う」

「あっ、最後のヤツだったら俺も知ってるぜ。確かその1匹の雛が最後は綺麗な白鳥になるって話だったよな?」

「確か…………うん。確か、ガロードが言った通りの内容だったはず。細かい部分は忘れてしまったけど、誰かが聞かせてくれたことだけは、私も……ちゃんと憶えているの」

 それはもういつのことであるのか正確には思い出せない、やっと物心付いて己に宿っていたチカラの意味を知りもしなかった頃の色あせた思い出だった。白と黒のかなた。それらのおとぎ話を一体誰が聞かせてくれたのか。その時自分は何を思い、どういう暮らしをしていたのか。ほとんどがぼやけた記憶となってしまっていて、はっきりしている部分は全くと言っていいほど残されてはいなかった。だが、どんなに色あせていたとしても、どんなにわからなくなってしまっていたとしても、あの頃の自分に純粋な愛情をもって笑顔を向けてくれていた人たちがいたことだけは、おぼろげながらも心の中に深く根付いている。
 その人たちがいたからこそ自分はガロードと出逢うまでの15年間を心を潰さずに生き続けることができた。だからこそ今の自分があるのだ。
 悲しい時代、思い出さえも悲しい。かつて自分はガロードにそう語ったけれども、悲しさを知っているということは、同時に嬉しさや楽しさを知っているということを指し示している。ともすれば、切なさに身も心も焦がしてしまいそうになる、不安定ではあるがいとしさをも感じるこの気持ち。そんなティファを、おそらく同じ気持ちで見詰めていたガロードが、「そっか……」と呟いて目を細めた。

「ならあとで時間ができた時にでも、ゆっくりお互いに知っている話を聞かせ合ってみないか? 俺も聞いてみたいな。ティファが昔……、うんとちっちゃい時にどんな話が好きだったのかってのを」

「うん……。私も聞いて、話してみたい。私も知りたいから。私自身のことも……」

 話せばその時の情景を思い起こされることがあるかもしれない。届かない懐かしさに打ち震えて、悲しみに苛まれてしまうこともあるかもしれない。ならばこそ、なおのこと自分自身の過去と、きちんと向き合わなければならない時がくるのではないだろうか。自分たちは今“こちら”にいるのだからこそ。
 そのことは隣を歩くガロードも承知しているのか、ティファを気遣うぬくもりと共に、揺ぎ無い心の強さがしかと伝えられてくる。
 ふたりがそうして1つの話に区切りをつけて感慨に耽るなか、暗い洞窟の中をひた歩くライオンの歩みはまだまだ続いていた。
 時にゆるやかな坂道を登り、時に枝分かれする道の1つを選んで。要所要所で石を積み上げたりして目印を作るのは忘れずに。
 幸い道の広さはほぼ一定に保たれており、途中足元がおぼつかなくなる箇所もほぼ見られなかった。時々ガロードのライトの光が周囲に向けられると、そこにはいくつもの石柱やつらら状の鍾乳石と呼ばれる岩石が見られ、所々に崩れている場所もある。
 そうして何度か分かれた道に入った時、特別何か異変が起きたわけでもないにもかかわらず、突如としてガロードが不意を突かれたように「んん?」と声を発した。暗闇の中に浮かぶ、薄明かりに照らされた横顔を窺ってみると、ガロードは何やら不思議そうに目を丸くしている。

「……どうしたの?」

 ティファが問い掛けると、ガロードは、

「いや、なんかさ。気のせいかもしれねぇけど……あいつの足音が今、なんだか感じが変わったな、って気がしたんだ」

「足音?」

「ああ。と、たぶんちょうどあの辺りからだよな」

 おおよその距離感で推定したのか、ガロードは立ち止まるとライオンの足音が変わったという地点に向けてライトの光を落とす。ライトが地面を照らすと確かに……地面の様子がまっすぐに引かれた横線を境にして、そこから一変しているのが見て取れた。岩肌そのものであった地面から、起伏も凹凸も見られない舗装された平面へと。洞窟の様相はそこでがらりと変わっていたのだ。

「ガロード、これ……」

「ひょっとして、また遺跡なのか……?」

 考えうる可能性としてはそれくらいしか思い浮かんでこない。
 それは明らかに自然の中で形成されたものではなく、誰かの手によって舗装されたものだった。今から1週間ほど前にあとにした遺跡とは別の遺跡であるとすれば、ライオンはガロードとティファをそこに案内しようとしている。そう考えて間違いはないだろうと思った。
 しかし、その予想はすぐに破り捨てられることとなる。
 ……他ならぬ、ガロードの声を切っ掛けにして。

「──ちょっと待てよ。これって……」

 ライトを右に左に向け、天井を含む地面の変わり目を調べていたガロードが驚愕に声を上げたのだ。
 ガロードはその場でかがみ込むと、地面をぺたぺたと触り始めて「うそだろ……」と呟き困惑をさらに深めている。

「ガロード?」

「────ッ! ティファ。ティファもちょっと来て、良く見てくれねぇか!」

「え……?」

 一体ガロードは何を見付けたというのだろうか。
 言われるがままにガロードが指し示す場所に触れてみても、一見何の変哲もない通路の床面があるばかり。おそらくライオンをはじめとする生き物たちが残したと思しき爪の引っ掻いた跡や年月を経たことによる劣化こそ見られたものの、他に特別目に付くものは全く見られず、それこそ何処にでもあるようなごくごく普通で一般的な……。
 そこまで思いを巡らせてティファは「────あっ!」と気が付いた。

「ガロード……っ!」

 襲い掛かってきた動揺に声を震わせると、ガロードが「ああ」と頷いた。

「間違いねぇ。こいつは──」

 ティファも見覚えのある通路の素材。それはただの石でもなく、土を焼いたレンガでもない。土砂に石灰や水などを混ぜて固められている、この独特の質感を持つ建材の名。それは────。

「──コンクリートだ。それに……」

 と言葉を続けて灯す光を持ち上げたガロードの視線の先を辿っていくと、壁の張り巡らされた配管や天井の両脇に埋め込まれた電灯の跡までもが視認できる。
 思わず息を飲み込み、互いに動揺を隠すことなく顔を見合ったガロードとティファは、目と目を合わせてこの事実を確かめ合った。





   第7話「昨日までとは違うんだ」





 ライオンの導きによって辿り着いた場所は果たして、ライオンの仲間が住まう巣穴でもなければ、隠された財宝が眠る宝物庫や古代遺跡でもない、ましてや地下世界に通ずる秘密のトンネルでもなかった。
 目の前に、薄く光に照らされた空間が現れる。洞窟から続いた1本道を過ぎるとそこには、しんと静まり返った、ある種ひりひりと緊張感で心を刺激されるような光景が広がっていた。天井の一部が崩れてその向こうに青い空が覗き見えており、四方を壁に囲まれたかなりの面積がある屋内。壁の方に目を向ければ自分たちが通ってきた他にも大小2つの通路があり、床には白い矢印や線が何本も引かれていて、瓦礫や遺留物らしきものがそこかしこに散乱している。ここがかつてどういった目的で作られたのかがつぶさに窺い知ることができる。
 そう、ティファは『知っている』のだ。もちろんガロードも。
 洞窟から通路に足を踏み入れた時から薄々感づいていた。この特徴的な雰囲気を持つ場所には心当たりがあるし、ガロードと一緒に地球を旅していたこれまでにも幾度と無く立ち入ったことがあるゆえに。
 見慣れた光景。紛れも無い事実。
 それらを裏付けるように、床に屈んだガロードが足元の近くに落ちていたあるものを拾い上げる。見た目からおそらく錆びに錆びた金属製だと思われる、ガロードの手のひらで握れるほどの大きさを持つ円筒形状の物体だった。
 ガロードが己の手に納まったものを見詰めて、声を硬くした。

「──間違いねぇ。弾丸の薬莢だ。それも、かなりの大口径の」

「………………」

「こんなものがあるってことはやっぱり……」

 ふたりは視線を持ち上げて、正面に目を移す。
 ライオンがいることを除けば、地球でもごく当たり前に見られる光景。あの白き獅子がいることで、この静謐さに満たされた空気に一石が投じられ、心の中に波紋もたらされるような感覚が湧き上がってくる。
 ここは地球ではない。けれども、ここは……。
 確信を深めたティファの心をも代弁するように、隣に佇むガロードが「やっぱり……」と、この事実を噛み締めるように言葉を紡ぎだした。

「やっぱりここは……、軍隊の基地だったんだな……」

 ガロードの口からその言葉を聞いたとしてもいまだに信じられない。
 だが今ティファの目に映る全ての事柄はガロードの言葉を肯定している。床に散らばっている遺留物は、ガロードが拾い上げた薬莢の他にも、朽ちてボロボロになった銃器や車両のタイヤ、何らかの機械のパーツ、それらを入れていたと思われる木製の容器の破片などなど、古代遺跡では決して見られなかった様々なものが存在していたのだ。
 ここで、この大地で暮らしていた人たちは一体どのような人たちだったのであろうか。
 心のどこかでティファはこの可能性から目を逸らして、勝手な思い込みに浸っていたのかもしれない。あの遺跡で描かれた動物たち見た時から、この地に住まう人々は数多くの動物を愛して理想郷を築き、争いごとがあったとしても大規模な戦争までには至らなかったのではないか、と。今にして思えば夢想にさえなりえない何たる戯言だろうか。
 衝撃に打ち震えながらも周囲に向けて真剣な眼差しを送っているガロードの様子を見る限り、彼もまた今の今まできっと同じ気持ちであったに違いない。言葉を失ったまま呆然と立ち尽くすしかなかったティファを連れて歩みを再開したガロードは、すでに足を止めて床にうつ伏せで横たわったライオンの元に向かうと、その巨大な顔を見上げた。ティファもそれに倣う。

「なあ、お前は……」

 ガロードとティファが見上げた視線の先。ふたりをこの場所まで誘ったライオンは、さも、自分の役目は終わったと言わんばかりに、伸びをして、ひざを屈し、ぐてーと投げ出した前脚を枕にくつろいでいる格好であった。

「お前は、知ってるのか? ここにいた、ここで戦っていた連中のことを……」

「ゥゥ、ゥォォォォォ……」

 ライオンを見上げて発せられる、ガロードの声。
 その呼び掛けに応え、ライオンはわずかに頭を持ち上げて閉じていた瞼を開き、奥より現れた紅い瞳をふたりに向けた。
 ライオンの示してくれた反応に、ガロードが語気を強める。

「知ってるなら、答えてくれよ。なあ、頼む……!」

 言葉の端々に必死さをにじませたガロードの問い掛けには、もはや懇願とも呼ぶべき感情が含まれていた。あの遺跡でかつてこの地に生きていた人の存在を知り、ここに来てそれよりもずっとあとの時代……ティファが見積もってみても長くとも数十年程度しか経過していないと思われる人の痕跡を前にすれば、ガロードでなくともそう思うはずである。
 一縷の望みを眼差しに込めてふたりは、じっとライオンと向き合っていた。
 しかしライオンは答えず、沈黙を以って見詰め返してくるばかり。
 やがてこの状況に飽きてしまったのか、ライオンはまるで興味を失ったかというようにガロードとティファから視線を逸らし、口を大きく開いて喉を鳴らした。それは明らかにこれまでのような感情の篭った咆哮や唸り声ではなく、人間で言うところの欠伸としか見えない、気の抜けた時にする仕草に他ならなかった。口をもごもごと動かし、瞼を閉じて再び元の体勢に戻ると、ライオンは規則正しいリズムを刻んだ寝息を立て始めた。どうやらこのまま自分たちを放置して眠るつもりのようである。

「ちぇっ、いい気なもんだぜ。まったく」

 ガロードはそう言って悪態をついたものの、別段機嫌を損ねた様子もなかったし、いくらか気が紛れたのか、それによって落ち込みかけていた空気が払拭されたかのようにティファは思えた。ライオンにこれ以上この場から動く気配が見えないのだから、この先はふたり自身の判断で行動しなければならない。決意を新たにしたガロードを見定めたティファは、視線でもって「これからどうするの?」と問い掛けてみたところ、ガロードはやや苦笑気味に肩を竦めて答えてくれる。

「ここからは好きにしろ、ってことなんだろうな。ここを調べて、何か手掛かりになるようなものを探して……。そこから先のことはおいおい考えていこうぜ。な、ティファ?」

「────うん」

 せっかくこの場所に辿り着いたのだから、このまま立ち止まってなどいられない。
 痕跡だけとはいえ、これから向かうべき道筋の手掛かりとなるものがここには散在しているのだ。軍事基地の跡地であることを差し引いても、調べてみる価値があるのは言うまでもないことなのである。

「とはいえ、この辺に転がっているのはちょっと期待できそうにないけどな……」

 そう言いつつ早速とばかりにあたりを物色し始めたガロードは、近くに落ちていた銃器を拾って嘆息していた。ガロードが手にしている銃器はこれでもかというくらいにボロボロになっていて、ところどころに赤錆が浮かんでいるのはおろか、外部から途轍もない力を受けて銃身があらぬ方向にひん曲がっていたのである。おそらくずっと以前にここを訪れたライオンによって踏み潰されてこうなったのではないかと、ティファは推察した。
 と、一応という名の名目でその壊れた銃を調べていたガロードが、ひと通り各部分を見終えたあと、ぽつりと呟くように口を開く。

「それにしても……この銃といい薬莢といい、型こそ見たことがねぇタイプだけど構造とかは地球にあるヤツとまるっきりって言って良いくらいにそっくりなんだな。ちょっと驚いたというか、正直意外だったぜ」

「……そうなの?」

「ああ。ま、銃は銃だし、構造自体そんなに複雑ってわけじゃねぇから、使っているうちにたまたま同じ形に行き着いたってだけのことなのかもしれねぇけど」

 銃器に関して詳しい知識を持ち合わせていないティファにはいまいちピンとこない話ではあったが、ガロードが言うのだからきっとそういうことなのだろう。
 床に銃をそっと戻したガロードが右を見、左を見る。そして最後に最も細い通路の方にその矛先を定めた。ふたりは目と目を合わせ、こくりと頷き合う。荷物は最低限度に。カバンを目立たない場所にひとまとめにしておいてから、両手に手袋をはめて本格的な探索を開始することとなる。
 ライオンが眠る格納庫らしき場所をあとにし、道幅がおよそ3mほどの細い通路を行くガロードとティファ。通路の中は暗く、それなりに年数が経過しているためなのか、少々埃っぽいにおいがあたりに充満していた。ガロードの持つライトが通路を照らすと、汚れの積み重なった内部の様子が暗闇から浮かび上がる。通路は途中で曲がっていたため奥の方は確認できなかったものの、両側の壁にはいくつかの扉が存在しているのがわかった。

「………………」

「………………」

 何かが動きそうな気配はない。だが警戒は怠れない。
 さしあたりふたりは最も手前にある扉を選び、その中に立ち入ってみることにした。
 ガロードが扉の取っ手を掴み、ゆっくり回して慎重に引いてみると、錆びて軋んだ音を奏でながらではあるけれども開くことができた。扉の奥から現れた闇に光を差し込む。窓は1つもない。どうやらそこは格納庫のすぐ近くに備えられた詰め所か控え室のような場所らしく、室内の中央には大き目の机が置かれており、床には折りたたみ式の椅子や砕けたカップ、向かい側の壁には簡易式のキッチンがあった。
 扉のそばに電灯のスイッチを見つけたガロードが試しに入り切りを繰り返していたが、天井に明かりが灯ることはついぞ訪れなかった。

「流石に、電源は生きてちゃいねぇか……」

 と、ガロードの口からはそのような呟きがこぼれ落ちる。
 たった1つしかない明かりでは少々心許なかったが、ガロードとティファはふたりでできる限り手分けして調べていく。さりとてそう易々と手掛かりになるようなものや何かの役に立ちそうなものが見つかるわけもなく、使えるものはあらかた持ち出されたのか、残されているものは使用に耐えられないガラクタばかりだった。
 ふと目に付いた蛇口を捻ってみたところ、茶色く濁った錆水が飛び出てきて、数秒間だけ流れ落ちるとそれはすぐに止まる。
 どちらからともなく、溜め息を洩らすガロードとティファ。
 ぴたっ、ぴたっ、と長い間隔を置いてしたたり落ちる水の音を耳にしながら、部屋のだいたいの箇所を調べ終えたふたりは通路へと戻る。
 ライトを持つガロードが、次を求めてその場所から斜め前──通路の反対側にある別の扉に目を向けて、

「……ん?」

 と眉をひそめた。

「あれは……」

 そう告げたガロードの視線の先には、その扉のすぐ近くの壁に掲げられた1枚のプレートのようなものがあった。
 大きさはさほど大きいものではない。鈍い光沢のある表面には、黒い塗料か何かで文字と思しき2つの記号が描かれていた。1本の線が折れ曲がって2つの谷を形成しているものと丸い輪の右側の一部を切り取った形をしたもの。ちょうどアルファベットの『W』と『C』に良く似た文字が、そこにある。
 プレートに描かれている文字の形がアルファベットとほぼ同一であるのにはガロードも気付いてか、彼は不思議そうに眉をひそめたまま首を傾げていた。

「『WC』? ──って、まさかトイレってわけじゃねぇよな」

 半ば呆れたように発せられた彼の言葉にどう応えたらよいものかティファは思い浮かばず、困って曖昧な表情を浮かべていると、件の扉の前に立ったガロードがノブに手を伸ばす。カチャリ、と音を立てて開く扉。先程のものと比べて状態が良いらしく、引っ掛かりもなくなめらかに開いていく。やや湿り気を含んだ空気の流れを感じ、念のため口元を押さえたガロードとティファは、開かれた部屋の中に驚くべきものを目の当たりにした。
 え……と見開かれるふたりの瞼。
 固まる両者の正面の鎮座しているもの。それは……。

「……………………」

「……………………」

 痛んで黒く薄汚れていた、白磁製の便座に違いなかった。

「…………、…………あれ?」

 あまりに予想外な現実に、ガロードもティファもぽかんとそれを眺め続ける。
 ふたりが2番目に開いた部屋は、紛れもなくトイレなのである。床や壁は淡い水色のタイルによって覆われており、狭い個室の中に特徴的な形状を持つ水洗式の便器が、ぽつんと1つ置かれて唯一無二の存在感を放っていた。横に目をやれば、便器から少し離れた脇には備え付けの洗面台に割れた鏡までもがあって、立ち込めてくるかすかな異臭が、目の前の光景が夢でも幻でもなく真なる現実であると教えてくれている。
 止まりかけた意識の中で辛うじてそのことを認めたふたりは、しばしの間呆然と立ち尽くしたあとに再度通路の壁に掲げられたプレートを見上げ、そこに書かれた『WC』の文字を見た。そして視線をもう1度室内に移し、変わらぬ便座の様子を再確認する。驚愕に緊張を重ねて走らせたティファの脳裏にまさかという思いが去来してきたのは確かめるまでもないことであった。

「なあ、ティファ……」

 隣で立ち尽くすガロードも同じ気持ちなのか、震えてかすれた少年の声がティファの耳に響いてくる。

「トイレ、だよな……?」

 発せられた言葉の内容は、現状に対する確認をするためのもの。
 ガロードの問い掛けに、ティファはこくんと頷いた。

「『WC』って、トイレのことだよな……?」

「たぶん……。私の、知る限りでは……」

 もしかしたら他の意味を持つ略称や専門用語が存在するかもしれないが、ティファの持ちうる知識の中では『WC』の示す事柄は1つきりだった。得体の知れない予感が、胸中へと入り込んでくる。思わずきゅっと胸の前で手を握った。それはガロードも同様のようであり、考えに考えを重ねるようにしてその眼差しを徐々に険しいものに変えていく。

「他に何かねぇのかな。たった2文字だけじゃ、単なる偶然ってことだって……」

 顔を上げて何かを求めるみたいに視線を泳がせたガロードの表情には明らかな焦燥が垣間見えた。心成しか足早に通路を進むガロードとティファ。確証を得んがために走らされるふたりの視線が、壁に埋め込まれる形で設置されたある装置に行き着いたのは、それからまもなくのことだった。
 赤く丸い形をした本体に、その上にある光の灯っていない同色のランプ。装置の下には開き戸式の収納スペースがあり、真っ赤に塗装された本体には白い色をした文字が書かれてある。
 その文字を見て先に目を見開いたのははたしてどちらであったか。
 装置の前に立ったガロードとティファは、そこに描かれてある白い文字を続けざまに“読み上げた”。

「火災……」

「報知器……?」

 経年劣化にも負けずにくっきり残るその文字は確かにそう書かれており、下の収納スペースの開き戸には『消火栓』の形に切り取られた金属片が取り付けられ、緊急時における使い方が丁寧にイラスト付きで添えられている。
 発見した火災報知機を凝視して、ティファの心に取り乱さないまでにも静かな動揺が駆け巡った。

「読める……よな、全部……」

「うん……」

「これって……どっからどう見ても俺たちが使ってるのと全くおんなじだよな、間違いなく……」

「うん……。どうして、なのかしら……?」

 念を押して訊ねてくるガロードに対し、ティファは頷くだけではなく自らの心に湧き上がった疑問も付け加えて返す。
 建物の構造や設備が地球のそれと似ているという可能性は、必然とまではいかないまでも、何かしらの数奇な偶然が重なればありえるかもしれないとは思う。だが、外見が似ているだけならばまだしも、そこに書かれている文字までもが自分たちが知って使っているものと同一であるのは、どう考えても単なる偶然であると打ち捨てることは決してできなかった。地球でさえかつては住む地域や時代によって使われている言葉が全く異なっていたのだから、どことも知れぬこの地で同じ言語が存在するのは明らかな異常と言えよう。
 その気持ちはティファだけのものではなくガロードにも当てはまることであり、ティファに疑問を投げかけられて「どうして、か……」と思い悩む彼の心からは、少なくない混乱が余すところ無く伝わってきていた。
 やがて考えが至ったのか、ガロードは火災報知機を見詰めながら言葉として紡ぎ出していく。

「────考えられるとしたら、俺たちの他にもずっと前に地球からこっちにやってきた連中がいたってことだよな……」

 彼の告げたその言葉を、ティファは頭の中で繰り返した。

「私たちの、他にも……?」

「ああ。まあ、俺たちとまるっきり同じ状況だったのかどうかなんてのはわからねぇけどさ。そうでもなきゃ使ってる文字まで同じなんてことはありえねぇはずだぜ。そいつらが国を作って、軍隊を作って、それで戦争をしていた。そう考えりゃ、ここにこうして基地があったり、文字が読めたりするのもあながちありえねぇ話じゃないと思う。少なくともここが実は地球なんだって話よりかはずっとな」

「じゃあ、あの遺跡も……」

「それは……、どうなんだろう。もっともっと前に別口でこっちに来た連中のものかもしれねぇし、もともとこっちに初めからいた連中のものだとしてもおかしくないと思う。偶然が重なってるってのもそうだし、実際に俺たちがこっちに来ちまったのも、なぁ……。正直、どっちが合ってるかは俺にも見当がつかねぇや」

「…………」

 話を締めくくって肩をすくめたガロードを見てティファは、告げられた内容を整理し、自分なりに考えを巡らせてみる。
 今現在自分たちが踏み締めているこの大地が生まれ育った地球であろうはずがないのは今更確認するまでも無いことだ。空に浮かんだ2つの月もそうであるし、瞬く星の配置が地球の夜空と違うのも加え、あのライオンのような生き物の存在が全てを裏付けているのである。そのどれもがこの1ヶ月近くの間に自分たちの目で見、耳にし、肌で感じた事柄であり、つい先程のライオンの激走で受けた衝撃も記憶に新しい。
 ここは地球ではない。何度反芻してもその事実は変わらない。
 だが、にもかかわらずこの場所で地球の文字が見られるということは、この大地と地球との間に何らかの関連性が横たわっていることを指し示しているのではないだろうか。偶然も積み重なれば、それはもはや必然と同じである。この地の環境がぱっと見た目では地球とあまりに似ていること。そこに自分たちと同じ地球出身の人類が暮らしていたこと。もしかしたら自分たちがこの大地に降り立ったことも、何らかの必然が関与しているのかもしれないである。
 そう考えると得体の知れない予感めいたものが疼き、ティファを困惑の極致へと至らしめていた。誰かの意図としてここにいるみたいで、これではまるで……。
 思考の渦に陥りかけていたのを振り払い、ティファは俯けていた顔を上げると、壁の向こう側にある格納庫の方を向く。

「あの子は、このことを知っていたのかしら?」

「さあなぁ。知っててここに来たのか、それとも知らずにここに来たのか。どちらにしても、さっきの様子じゃ答えてくれそうにはねぇけどな」

 先程のライオンを思い出したのか、ティファと共に格納庫の方を見たガロードがふぅと溜め息をこぼす。

「でもま、文字が読めるってだけでも結構な収穫だと思うぜ。この分なら言葉で困るってことはなさそうだし……。ティファもそう思うだろ?」

 と同意を求めてくるガロードの顔にはどこか吹っ切れたものがあった。
 彼の心の意図とするところを感じ取り、ティファは頷いて表情を和らげる。

「私も、そう思う。もし知らない誰かに会った時、今の私に何ができるかずっと不安だったから……」

「だよな。そん時はそん時でやり様はあるだろうけど、言葉が通じるならだいぶ気は楽だぜ」

「うん」

 言葉が通じるか否か。
 たとえそこにどんな事情があるにしても、この地に住まう人たちとの交流を図る場合において、きちんとやり取りできる手段があるとわかっただけでも、本当に有り難いと言うほかないのだ。
 もし何も知らぬまま言葉が通じない相手と出会っていたとしたら、どうなっていたであろうか。
 もし運良く出会えたとしても、いざ交流の場を持つ時、今の自分に何ができたであろうか。
 かつて地球にいた頃のように、ガロード以外の他者の心を感じることができない今のティファにとって、拭い切れなかった不安だった。だがこうして同じ言語を持つ人たちと出会える可能性がぐっと高まり、その懸念が解消され始めているというのは素直に安堵できる事柄であった。
 文字を読めることを知り、自分たちの行くべき道筋をわずかながら見出せたガロードとティファは、更なる手掛かりを求めて火災報知機にある場所から通路の奥へと突き進んでいく。

「できることなら、地図とかもあれば大助かりなんだけどな。流石にそういったのは真っ先に持ち出されてるか……」

 通路沿いに並んでいる部屋に1つ1つ立ち入り、とある1室で発見した比較的豪奢な机の中身を調べていたガロードがそう言って言葉を濁した。
 格納庫からトイレに始まり、いくつかの部屋を見て回ったものの、あれ以降特にこれといって有用な手掛かりを見付けられていないガロードとティファ。途中食堂と思われる広めの部屋に隣接していた調理場をくまなく探ってみた時、調理器具や食品を収めていた袋や容器など、かろうじて使えそうなものを数点得られただけにとどまっていた。
 軍事基地という特性を考えればこの状況もある程度は致し方ないと、ガロードは言う。可能であるならば今後の方針を立てる上での道標となる情報──特に周辺の地形を詳細に記した地図が欲しいところではあるけれども、そういった軍事機密に直結しやすいものはまず残されていないだろうとのことだ。現に残されているものと言えば、机や椅子といった運び出すにはやや手間の掛かる家具の類や床に散乱している雑貨類といったものがほとんどであり、中には意図的に壊されたり、重要な部品が引き抜かれたりして、使えなくなった機材までもが随所に見られた。
 いくら目を凝らして探してみても、手掛かりとなるものはそう簡単には見付からない。
 しかし、だからと言ってこのまま諦めたいとも思わない。
 次こそは、と何度目かになる期待を込めてある部屋のドアに手を掛けると、そこは2段式のベッドが立ち並ぶ、これまでと比べても手狭に感じるこじんまりとした部屋だった。

「ここは……」

 部屋の中心線を境にして、左右にそれぞれ3つずつ置かれた2段式ベッドを見詰めてガロードが、

「今度は宿舎、というか兵舎みたいだな」

 窓が1つもないという点は他の部屋と変わりはなかったものの、整然と並んだベッドの列と年季の入った繊維が持つ特有のすえたにおいによって、ひと味違った雰囲気を醸し出している。金属製の簡素なベッドの骨組みには塗装の剥げた箇所で錆が浮かび、ベッドのそばには小さめの引き出し棚が人数に合わせた数で添えてあった。ガロードが適当なマットレスの表面を撫でると、彼の手袋には大量の埃がこびり付く。布地そのものはボロボロだった。

「ここまでボロボロだと洗っても使えそうにない、か……。どうにか火種くらいにはなるかもな。────おっ、こっちの毛布は使えそうだぜ」

 使用できるものは使用できるもの、使用できないものは使用できないものとして瞬時に見定めて分別し、てきぱきと必要となる可能性のあるものを選び取っていく。地球にいた頃もこういった行為を何度かしてきただけに、ガロードも自分も手慣れたものだ。手当たり次第に集めてばかりではすぐに手荷物がいっぱいになるので、丸めてもかさ張りそうなものは通路の目立つ場所に纏めておき、あとで引き返すときにでも取りに来れば良いのである。
 ベッドに残されていたものをだいたい確かめたふたりは、それを終えると次は引き出し棚を調べるのに取り掛かった。引き出しの中身は何もない空っぽであったりすることもあれば、古びた白紙が数枚入っていたりネジや金具があったりと意外に物が今も残っていることもある。調べを進めていく途中でふたりの目がぴたりと留まったのも、そうした物の内の1つであった。
 カコン、と音を立てて開いた引き出しの中にあったのは、一見すれば薄く黄ばんだ1枚の紙切れ。だがそれはただの紙切れではなく、切手が貼られ『消印』と『検閲済』の判が押された1つの封筒だった。

「『陸軍特殊工作師団 独立第8高速戦闘大隊所属 ジェイムズ・ウォートルス様』か……。名前だけ見ると、本当に俺たちと同じ人間なんだな」

 封筒に書かれた宛先を読んだガロードは、感慨深そうな表情を浮かべてその封筒を手に取ってみようとする。
 ずっと引き出しに仕舞われたままだったためか、埃のほとんど積もっていない紙面が持ち上がり、少し大きめな封筒が取り払われると、その下には、

「うん?」

「あ……」

 封筒の中には何も入っていなかったようではあるが、引き出しの中身は違っていた。
 開かれた木材の空間の中にぽつんと置かれた1冊の手帳。皮製の表紙はぐるりと周りを紐で縛られて閉じられている。見るからによほど使い込まれて年季の入っているものらしく、手垢が染み付いてずっしりとした質感が、ティファが手に触れなくとも伝ってくるかのような錯覚さえしてきた。

「ガロード」

「おう」

 ティファはガロードからライトを受け取り、手帳を拾い上げた彼の手元を照らしながら緊張とした面持ちで見守り続ける。
 両手が自由となったガロードはまず封を解き、目を閉じて礼を捧げるとその手帳の表紙を開く。
 一時にもならない、数秒の間。
 流暢な筆跡による文字でびっしりと埋め尽くされた紙面の上をガロードの視線が走る。

「……『軍籍に身を置いて早くも2年が過ぎた。栄えある我が祖国ヘリック共和国の花形というべき独立第8高速戦闘大隊の一員として選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきを痛感している思いである』」

 記された内容を辿るガロードの声はそこで一旦止まった。
 ガロードは手帳を見詰めたまま、出てきたその名を繰り返す。

「ヘリック、共和国……」

「この国の、名前……」

 ふたりの眼差しを釘付けにしている手帳に書かれていたのは、ある1人の兵士からの視点で綴られた日々の記録であった。一番初めの日付はいつとも知れぬ年の、5月25日となっている。日付の隣には小さく、晴れ、という文字がある。
 おのずと意識が鋭敏になってくる感覚が、高まってきた。

「続き、読むぜ」

「うん」

 手帳そのものはさほど大きいものではないが、そこそこ分厚い。1枚1枚のページに書かれた日記をガロードが声に出して読み上げていくにつれて、途中途中で耳慣れない単語に遭遇することはあったけれども、徐々にその大まかな中身を掴み取れてくる。
 自分が配属された部隊について思うこと。共に同じ部隊で過ごす同僚たちのこと。故郷に残してきた家族や友人のこと。上司への愚痴。くだらない雑談。届いた手紙についてや家族から知らされた作物の育成具合や収穫の季節に行なわれる祭のこと。生きとし生きる人々の様子が、些細なことを含めて多種多様な形で書き綴られてあった。
 そしてそこには、この世界に関する情勢についても。

「……ヘリック共和国に、ガイロス帝国、か。この2つの国がずっと戦争をやってたっていうのは、まずそう考えて間違いはないみてぇだな」

 この他にも地名や集落の名前らしき単語は見られたが、ことさら強く何度も強調されている2つの国の名前。
 ヘリック共和国とガイロス帝国。
 冒頭の1節からこの日記を書いた人物がこの『共和国』側に所属する軍人であるというのは前もって知ってはいたものの、数年前から始まった戦争、膠着した戦況、繰り返された歴史、との文面から、その2つの大国がこの世界を舞台に争いを続けていたことは確実と言えよう。2つの勢力が幾度となく戦争を行なっていた構図は、自然と自分たちが生まれ育った地球の状況を思い起こさせるものであり、日記に書かれている内容を読み進めていくうちに奇妙な既視感に捕らわれてしまうのは、あの戦後世界の住人として致し方のないことなのであろうか。長らく続いた戦乱の世に憤りを覚え、命を落とした戦友と祖国の繁栄に思いを馳せる悲哀が、紙面に走る黒いインクで描かれた文字に込められていた。
 何も特別な印象を感じる言葉は、その2つの国名だけではない。
 時折ガロードにもティファにも意味のわからぬ言葉が点在するなか、特に頻繁に登場してくる単語が1つあった。ふたりがそのことに気付いたのは読み始めてしばらく経ったあと、ほとんど同じタイミングのことであったと思う。十数度目となるある単語の出現に、ガロードとティファは揃って疑問を顕にした。
 ティファは試しに、ガロードの口から何度か飛び出してきたその響きを、改めて自分の口で声に出してみる。

「『ゾイド』……?」

「ああ。また出てきたよな、この言葉。これって一体何のことなんだ? さっきから『我が軍のゾイド』だとか『ゾイドのパーツ』だとか、こっちには『ゾイド乗り』なんて使われ方もしてるし……。少なくともメカっぽくて、普通に車とか船はあるみたいだから、モビルスーツみたいなモンなのか、ひょっとして?」

 書かれた日記のそこかしこに現れる『ゾイド』という言葉。
 ゾイド。ゾイド。ゾイド。
 それはどう見ても地名や人名といった固有名詞の類ではなく、よほどこの世界に浸透しているものなのか、軍隊にまつわるもののみならず、一般の人々の生活を取り扱ったエピソードにもたびたび登場してくるのであった。当たり前に存在するがゆえか、具体的にどのようなものであるかは描写されていなかったため、少ない情報から自分たちなりの解釈を並べ立てることはできても、いまいち確証が得られず、なかなか全体像が結び付かない。これまで全く聞き覚えのない言葉であるのに加え、なぜだか不思議と湧き上がってくる異質感も手伝ってか、いささか腑に落ちないというのが現状だった。
 いくら考えてみたところで埒が明かず、わからないものはわからないままで読み進めていくガロードとティファ。そうして全体のおよそ3分の2あたりに差し掛かり、もはや数えるのも忘れたページをぱらりとめくると、右半分のページが空白になっている箇所に辿り着いた。

「と、ここでお仕舞いか……」

 ガロードがさらにページをめくると、そこから先は完全に白紙であった。
 元のページに戻り、ガロードは最後の日付を確認すると、本文に目を通し始める。
 一拍を置いて、彼は、

「────ん?」

 何か気になる言葉を見付けたのか、眉根を寄せたガロードの目は数瞬あとに「──えっ!」と見開かれ、その口元からは固唾を呑んだ音が聞こえてきた。

「惑星……Zi……」

「え?」

 ティファはその時、ガロードが一体何を言ったのかをすぐに理解できなくてまばたき返すと、彼はその声音にやや興奮を滲ませながら、見開かれたページを指し示す。

「ここ。ここだ、ここ。ここに『惑星Zi』って書いてあるぜ」

 少年の指先が示した所に目を凝らし、半ば急かされるような形になって、その前後を含む段落を今度はティファが読み上げた。

「『本部から転属された者の話によれば、近々共和国と帝国との間に休戦協定が結ばれるらしい。これは終戦ではなく休戦にしか過ぎない。また戦火をまみえることがあるかもしれない。だが、例えまた始まったとしてもこの惑星Ziにおける戦争もいつか終わる。いつか平和の時は来るのだ。その日が1日も早く訪れることを願い、我々は戦い続けなければならない。それが兵士の役目だ。それが共和国の、ひいては帝国の民をも含めた、この惑星Ziに住まう全て人々の生活の安寧に繋がるのだから』……」

 日記はその後、戦争が終わって故郷に帰ったら何をしたいか、仲間内で語り合ったという内容を最後に締め括られていた。
 ガロードとティファのいる暗い室内に、沈黙が訪れる。
 ふたりは両者共に食い入るようにして、手帳に書かれたその言葉を見詰め続けた。

「……惑星Zi」

「これ、が……」

「ああ……」

 それは、この1ヶ月近くの間に心のどこかでずっと求めていたもの。
 夜空に掲げられたあの2つの月を初めて目にした時以来、自分の中であらゆるものが確かさを失って脆くも崩れ去っていき、今の今まで砕けてバラバラのままとなっていたものたちが、また再び1つとなって少し異なる形へと構築し直されていくような感覚を、ティファは覚えた。
 目の前にある『惑星Zi』という言の葉の意味するところ。
 そう。これが、これこそが……。
 ティファのささやきに応じたガロードの声が、心の奥底にまで届いてくる。

「これが」

 と。

「これがこの世界の……いや、この“惑星”の名前なんだ」





     * * *





 隙間から光が漏れる、金具が錆び付いていて開き難くなっていた扉をガロードが押し開くと、急激に増した明るさが網膜を刺激し、ぶわっと吹き込んでくる乾いた熱風がふたりを出迎えた。
 屋内から扉をくぐり、外に出る。
 するとそこは、それなりの広さを持つ、三方を険しい岩場に囲まれ、残った一方を切り取られて崖になっている平坦な場所であった。陽はまだ高い。数時間振りに外の空気に触れたガロードとティファの正面に広がる風景は、どこまでも果てしなく続いている一面の砂漠地帯。おのずと導かれるようにして歩いていき、崖の縁の上に立って下を覗き込んでみると、ほぼ垂直に落ちている岩肌の高さは、地面まで建物にしておよそ3階建てくらいはありそうだった。後ろを振り返ると、天然の岩の形をそのままに利用した見張り台らしきものや刳り抜かれた窓のようなものがいくつか見て取れる。この場所に通ずる通路も1つきりではなく、ふたりのくぐった扉の他にも、似たような出入り口がもう1つあった。
 ティファは視線を戻し、正面に据えられた砂漠の方を見詰め直す。
 淡い黄土の色をした砂の大地は、かつてこの地に降り立ってから1週間ほど掛けて彷徨い歩いた砂漠とほとんど同じような、砂と岩とが織り成す波打った独特の景色が見渡す限りにどこまでも広がっていた。まるでそれは一見して、世界そのものが変わることのない不毛な時の中に閉ざされているのだと主張しているかのようにも見える。だがしかし、そのようなことは決して無いのだと、ティファはおぼろげながらに感じていた。
 地球にいた頃とも違う、絶望に打ちひしがれてあの砂漠を当ても無く歩くしかなかった時とも違う。こちらにも鳥や虫がいて、樹木が生い茂り、あのライオンのような存在までもがいる。そして自分たちと同じ人間も。この世界を眺めて、今ティファの心の内に生まれてくるこの気持ちは、一体どう表したら良いものなのだろうか。
 なんとも不思議で、奇妙な心地だった。
 絶え間なく吹く風になびく髪の毛を押さえていると、傍らに立つガロードもティファの似たような感慨を懐いたのか、砂漠に目を向けつつ彼は声を発した。

「なんかさ、不思議な気分だよな、こうして見ていると」

 そう告げたガロードの眼差しは、どこか穏やかさに満ちていた。

「こう、なんて言えばいいのかな。上手く言葉にはできねぇけど、すっきりしたっていうかさ。世界が変わって見えて、なぜだか心がすとんと納まる所に納まったって気がするんだ」

 世界が変わって見える。
 その言葉にざわめきを覚えたティファは、ガロードを見詰め返す。

「……世界が、変わって?」

「ああ。切っ掛けはたぶん、間違いなくさっき見付けたこの日記のお陰だと思う。こっちにも人間がいるってのは前からわかってたけど、具体的なことはほとんど何もわかっていなかった。それが今日になって、いろんなことがわかるようになった」

 淡々と1つ1つ語る彼の横顔に、愁いのようなものは一切見られない。
 息を吸い込み、視線をティファへと向けたガロードは言葉を続けた。

「いくら強がってても不安とかそういうのが無かったわけじゃねぇからな。どこか浮ついてたというか、いまいち俺の中ではっきりしていなかった部分があったんだと思う。そこに、ここは全くわけのわからねぇ場所じゃなくって、ちゃんと『惑星Zi』って名前がある1つの世界なんだってことが舞い込んできた。だから、昨日までとは違うんだ」

「…………」

 世界そのものが変化したわけではない。
 変わったのは自分たちの方。それを捉える自分たちの意識こそが変わったのだ。
 これまで名前すらわからなかったこの大地が、得体の知れない不可思議な世界ではなくて、『惑星Zi』という名を持つ1つの世界であることが、ティファたちの心の中で具体的な実像を得た。ただ名前が付いただけだというのに、すっぽりと収まったような感覚がする。ガロードの言葉を借りれば、そのために世界が変わって見えるのだと言えるのかもしれない。
 世界に対する自分の認識に変化が訪れたことを自覚し始めると、特にこれといって理由が明確でないにもかかわらず笑いがこみ上げてくる。嬉しさを抑えきれず、ティファは笑顔を浮かべた。

「くすっ、ふふふっ」

「あはっ、なんかおかしなとこでもあったか、ティファ?」

 ティファに連れられる形で表情を崩したガロードの問い掛け。
 昼間の荒野に降って咲いた雰囲気に、ティファは微笑んだ。

「私もガロードと同じ気持ちだったの。でも、自分ではそれがわからなくて、それがわかって。それで嬉しくなったんだと思う」

「そっか。そりゃ良かったぜ」

「うん」

 ティファは頷き、ふたりは微笑みを交し合った。

「ま、これもそれもあいつのお陰なんだよな。ここに来れたのも、この日記を見つけられたのも。方法はアレだったけどさ、戻ったら礼を言わないとな、あいつにもちゃんと」

「ふふっ。ええ。そうしましょう、ガロード」

 あのライオンが全てを知っていて、それゆえにふたりをここに連れてきたとは限らないし、感謝の念を述べたところでただの自己満足に過ぎないのかもしれない。だけれども、ライオンがガロードとティファをこの基地跡に誘ってくれたからこそ知り得ることができたのは紛れもない事実なのである。たとえ何も得られなかったままであっても関係ない。この惑星Ziに来て初めて出逢ってくれた者にせめてもの感謝を。見方を変えれば、自分たちはあのライオンの存在によって“救われた”立場なのだから。

「よしと。じゃあそろそろ取る物取ってあいつの所に戻るか。どのみち今日はここで寝泊りすることになりそうだしよ」

「ええ」

 この基地で得られたものは何もガロードが手にしている日記だけではない。今日この日だけでも様々なものが得られた。それらを選り分けて整理し、明日へと繋げなければならないのだ。
 ガロードとティファはうん、と頷き合うと、これまでの道すがらで得られた雑貨類を取りに行くために引き返そうとした。
 だが、その時……、

「ん……?」

「え……?」

 遠くから何かがぶつかり合うような音が聞こえてきて、ふたりをその場に足止める。

「今、何か……」

「ああ、何か……聞こえてきたよな」

 音が聞こえてきたのは砂漠の方ではなく、基地が隠された岩場の向こうの方だった。
 上を振り仰いで見ても特に何もない。音も遠くて反響しているためなのか、どこから聞こえてきたものなのかはっきりと断定はできない。何かが衝突し合う音。岩が崩れる音。それらの音は断続的に響き合い、位置を変えながら着実にこちらへと接近してきていることだけはどうにかわかる。

「何かが、近付いて来てる……」

「まさかあいつ……ってことはないよな?」

 ふたりの脳裏にまず過ぎったのは、あのライオンのこと。あの白き獅子がまたしても気まぐれで歩き回っているのだとしたら考えられないこともなかったが、この音を聞く限りでは、ライオンの足音とも今朝方見た蜘蛛とも様子が違っていた。
 ライオンでないのならば、これは果たして一体……。
 ガロードとティファが警戒を強めていくなか、音はさらに大きくなった。

「…………」

「…………」

 そして訪れる一抹の静けさ。間を置いて立ち込めてきた静寂は、突如として乱入してきた途轍もない轟音によって掻き消され、岩場の一部に亀裂が走り、まるで支えを失ったかのように崩落してきた。砕けた岩が弾け飛び、その中心に黒い大きな影が現れたかと思うと、そこから“何か”が落下してくる。

「っ!?」

「何だあ!?」

 一瞬にして塞がる視界。幸いにも落ちてきた岩の直撃を受けずガロードもティファも怪我こそ負わなかったものの、すぐ近くの目の前に巨大な“何か”が現れたことで、状況を把握するのが遅れてしまった。
 一刻も早く何が起きたのかを知るべく顔を向ける。ふたりは顔を引き攣らせた。

「────っ! ガロード!」

「あれは!?」

 距離にしてほんの数十m。
 突然出現した“何か”を見定めて、ガロードが驚愕に声を震わせる。

「き、機械の──っ! サソリ!?」

 それは機械だった。サソリだった。
 胴体から生えた8本の細い脚や1対の大きなハサミ、節くれになっている長く反り返った尻尾などの外見上の特徴を照らし合わせれば、その姿形は地球にも住まう毒虫の1種に良く似ていたが、あのライオンや蜘蛛とは明らかに様相が異なっていた。身体が金属で構成させているのならまだしも、そのサソリを形作っているのはどう目をしばたたかせて見てみても、人の手によって加工された機械だった。機体色はくすんだ黄土色に塗装され、節を持って折れ曲がる脚の1本1本は基部となる骨組みが剥き出しであり、動力を伝達するチューブや付け根の部分に円筒形状の部品が備えつけてある。唯一オレンジ色の透明なパーツで覆われている頭部には表情を示す“眼”に当たる部分が一切見られない。頭も脚もハサミも胴体も、それら全てが機械でできているサソリであった。

「なん……なんなんだ、こいつは!」

 サソリは仰向けにひっくり返った状態で脚やハサミをじたばたと動かすのみ。
 直ちに襲い掛かってくる様子は見られなかったが、あまりにも突然に起きた出来事に驚愕して身を硬直させるしかないガロードとティファ。
 だが、状況はそれだけでは終わらなかった。
 地面に落着して身悶えるサソリの上にまた新たな影が現れる。
 太陽の光を遮り、岩場の向こうから飛び出てきた“ソレ”は重力の赴くに従ってガロードとティファの前に舞い降りてきた。

「────!?」

 まず目に入ったのは、太い2本の脚。硬い金属と金属が落下してきた高さをそのままに伝えたことで、そこに生じた勢いは凄まじく大きな音に変換され、ふたりの立つ大地に衝撃を与えた。着地すると同時にサソリの身体を踏み付けて取り押さえた2本の脚は、人間で言うところの親指がひどく発達しており、肥大化した鋭い爪の先端がサソリの胴体の真心を貫いていた。
 響き渡る断末魔の悲鳴と飛び散る火花、力を失って弛緩する8本の脚。
 だらんと垂れ下がって動かなくなったハサミを見て、サソリの機能が停止したというのはすぐさまわかった。
 ここで問題となるのはそれを行なった張本人の方。直立した2本の脚の上には前屈みになった胴体があり、後ろにはぴんと伸ばされた尻尾が生え、前方にはゆるやかにS字の輪郭を描く首が繋がり、肩口にはこれまた鋭い爪を備えた2本の腕があって、その先はやや丸みを帯びた細長い頭部にへと続いていた。頭の位置は見上げなければならないほどに大きい。ライオンに比べたらだいぶ小さく華奢な体躯であったが、それでも身長は5mを確実に超えているであろう。外見上、最大の特徴と言えるのは、背中に取り付けれた2振りある鎌状の装備。大きく弧を描いて湾曲している刃が陽の光を反射してきらめき、その輝きが決してなまくらではないと指し示していた。後脚から尻尾の先に至るまでの色は黒、胴体に連なる腕や首、頭部の下半分は紫に近い暗い赤色で、額を覆う装甲板の下には緑色の光を放つ1対のカメラアイがある。身体を構築している部位はサソリと同様に明らかな人工物。ふたりの前に躍り出てきた存在の姿を直視したガロードが掠れた声を出した。

「……恐、竜……っ!?」

 その身体は確かに機械でできていたが、機械とは思えないなめらかさだった。爬虫類を思わせる横顔や細かく鋭利な歯が立ち並ぶ口元の動きには息遣いさえも感じられ、爪の1つ1つ、四肢の挙動はまるで生命を宿しているかのよう。ティファがこれまで見てきたものとは一線を画す、生物的な姿をしている機械仕掛けの恐竜であった。

「な……な……」

「…………!」

 サソリにとどめの一撃を刺した恐竜は見下ろしていた視線を持ち上げると、ゆっくりあたりを伺うように首を動かす。必然的にその矛先は立ち尽くすガロードとティファのいる方角にも向けれて、そこで止まった。
 ふたりのことを正面に捉えた恐竜の眼光が鋭くなっていく。
 背筋に、ゾクリ、と寒気が走った。
 あれはいけない。あれは危険だと。
 単純な感情でもチカラによるものでもない。もっともっとさらに心の奥深い部分の、生きとし生きる本能と呼べる場所からの警鐘が鳴り響いた。
 ティファが恐怖に身を竦ませて喉を震わせるよりも、ガロードが愕然と声を張り上げるより先に、ふたりを睨み付けていた恐竜が天に向かって奇声を轟かせる。
 まるで目に見えない敵意を具現化させるような、竦んだ身体の芯を貫く甲高い咆哮。
 ティファにはそれが、世界を揺るがさんとする悪魔の叫びにしか聞こえなかった。





   第7話「昨日までとは違うんだ(ガロード・ラン)」了


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 第7話をお読み頂きましてありがとうございます。
 今回のお話でついに作中で示された「惑星Zi」と「ゾイド」の名、そして2体の戦闘機獣。
 登場した2体のゾイドはガイサックとレブラプターです。
 世界に繋がる手掛かりを見付けた矢先、レブラプターと対峙することとなってしまったガロードとティファ。
 ふたりの命運はいかに。そして……。
 次回は私にとって初めての戦闘シーンを投稿することになるので、ご評価を頂ければ幸いです。
 それでは、またの機会に。



[33614] 第8話「俺の声は聞こえているよな?」
Name: 組合長◆6f875cea ID:3a5d5162
Date: 2013/02/19 10:24





   ──ZOIDS GT──





 ガロードは愕然としていた。
 目の前の状況を、突如として出現した機械の恐竜を見詰めて。
 最初に現れたサソリを踏み潰し、その胴体の裏側から特に大きく発達している脚の親指の爪を突き刺して息の根の止めた恐竜の姿は、言うなれば古の生物を模した超小型モビルスーツと呼んで差し支えないものだった。全高がおよそ7mほどの体躯の1つ1つの要素は、人の手によって作り出された機械の部品で構成されており、その点で言えば恐竜の下で機能を停止しているサソリに関しても同様である。
 だが、この恐竜から発せられる威圧感は一体どう説明すれば良いものなのだろう。
 それは恐竜そのものからなのか。それとも恐竜に搭乗している何者かによるものからなのか。機体の大きさはせいぜいモビルスーツの半分程度しかないのにもかかわらず、これまで16年間生きてきて初めて経験する種類の重圧をガロードは感じていた。
 モビルスーツと身1つで相対するとも違う。あのライオンと初めて遭遇を果たした時ととも違う。どことなく両者に近いと言えば近しい雰囲気であるかもしれないものの、何かが決定的に異なっていると止まりかけた思考の中で思っていた。
 さまよう恐竜の視線が自分たちの方へと向けられる。
 恐竜の、感情の灯らないはずの“眼”が、緑色にギラリと光った。
 そのことにあの戦後世界を生き抜いて培われた感覚が鋭敏に反応を告げる。

(まずいっ!)

 睨まれている。
 それも刃物のように鋭利な、明らかな敵意でもって。
 理屈や考えての結果ではなく、もっと意識の深い部分。あまりの寒気とおぞましさに、身の毛が総毛立つのを抑えることなど到底できようはずがなかったのである。
 やがて恐竜が首を持ち上げて咆哮の体勢に入ったのと、ガロードが大きく声を出すべく息を吸い込んだのは、ほとんど同時に行なわれた出来事であった。
 恐竜が吼える。耳をつんざく、ありったけの狂気を伴なった声で。
 ガロードはいまだ硬直しているティファに向けて全力での叫びを上げた。

「走れええええええぇぇぇっ!!」

「っ!?」

 恐竜の出現に身を竦ませていたティファの手をガロードは掴むと、一瞬でも早くこの場から立ち去らんと駆け出していく。
 向かう先はここへ立ち入った時に使ったものとは別のもう1つの出入り口。
 もと来た道は恐竜によって立ち塞がれ、さらにその足元にはサソリや砕けた岩が鎮座しているため通り抜けることができない。わずかの望みを賭けて弾かれるようにティファを連れて走り出したガロードに対し、恐竜が動き出したのもまさにこの時だった。
 逃げ出したふたりの行動を見て取ったのか、恐竜は短く吼えると上体を屈し、その反動を利用して躍り掛かってくる。
 距離にしてふたりと恐竜の間にあるのは20m強。
 だがその程度の距離など、恐竜にとってはほんの数歩で走破できるものに過ぎない。
 押さえ付けていたサソリを足場にして踏み切り、恐るべき俊敏性を見せた恐竜はそれこそまたたく間に逃げるガロードとティファとの距離を詰めると、身体を捻り、己の持つ鋭い爪を携えた腕を振りかぶってきた。
 人の命をいとも容易く葬ることの可能な凶刃が、空気を切り裂きながら襲い掛かってくる。

「────くっ!」

 咄嗟に遅れて走るティファを庇い、ガロードは彼女の身を半ば強引に引き付けた。
 どうにか振り下ろされた爪の直撃こそ免れたものの、爪はティファを庇ったガロードの脇を通過して地面に激突し、それによって飛び散った砂礫が服の上から身体を打ち据えてくる。
 すぐ間際を通り抜けた風圧と、地に着けた足先を揺るがすほどの凄まじい衝撃。
 そのあまりの威力を目の当たりにして全てをかなぐり捨てて取り乱しそうになるも、腕に抱えたティファの感触と正面に見えた出入り口の存在により気を持ち直し、考えをまとめるよりも先にガロードはとにかく足を動かした。
 今置かれている状況から生き延びるために。自分たちの命を潰えてしまわないために。
 残りはあと数m。本来になれば一気に走り抜けられる道のりが嫌に遠く長く感じる。手の動きも、足の動きも、止めていたはずの息遣いさえも全てが遅い。少しでも気を抜けば即座にめまいを起こして倒れそうになるなか、ガロードとティファは文字通り命懸けで恐竜からの逃走を図る。
 恐竜が振り下ろした爪を引き戻して体勢を立て直す前に目的の場所に辿り着くことができたガロードは、半ばティファ諸共自分を押し込むような形で己がふたりの身を屋内へと滑り込ませた。
 明るい外の世界から暗い通路の中へ。
 硬くひんやりとした床面の上にどうにか転がり込むことに成功したガロードとティファではあったが、恐竜の追撃はまだまだ終わらなかった。身体の大きさからくぐり抜けることが不可能なのにもかかわらず、頭と片腕を無理矢理に通路の中に捻じ込んで爪や牙を伸ばしてくる。壁や床に亀裂が走り、めきめきと音を立てて脆くなった建材が崩れ落ちてくる。通れないならばと進路を遮る建物を破壊してでも押し入ろうとしてくる恐竜の姿に、ガロードは戦慄を覚えた。

「う、あ……」

 迫り来る爪や牙から逃れるかのように後退りをし、その場で固まったままとなっているティファにも避難を促す。

「もっと! もっと奥に行くんだ! ティファ! 早く!」

「────っ!? う、うんっ!」

 恐怖で足元が覚束なくなりかけていたけれども、ふたりは持ち前の気力を振り絞って立ち上がると、鋭い爪を振り回してくる恐竜から逃れるべく、薄暗い通路の中を奥へ奥へとひた走っていくのであった。





   第8話「俺の声は聞こえているよな?」





 通路を駆け、階段を登り、ひとまず安全と思える場所までやってきたガロードとティファは、背後からあの恐竜の声が聞こえなくなったことを確かめてようやく安堵の息をこぼした。そして立ち止まり、壁を背もたれにぺたんと腰を落ち着かせると、乱れに乱れて絶え絶えになった呼吸を整えていく。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ」

 わずか数分間走っただけだというのに、おびただしい量の汗が身体中から噴き出ていた。汗を吸い込んだシャツの感触は冷たい。背筋に走った悪寒はいまだに治まらず、全身にかいた冷や汗によって体温が急速に奪われていくかのよう。すぐそばで顔を俯かせたティファもまた額にびっしりと水滴を浮かび上がらせ、動揺に動揺を重ねて混乱し切っているというのはいちいち問い質さなくともわかることであった。
 時間が経過するに連れて徐々に冷静さを取り戻していき、ガロードは先ほど起きた出来事を思い返す。たった1つの事柄が、頭の中の大部分を占めていた。

「一体なんだったんだよ、ありゃあ……」

 それはもはや悪態と呼んでも過言ではなかった。

「何の警告も無しに襲い掛かってきやがった。動き自体もデタラメにもほどがあるぜ。あれじゃあ、まるで……」

 まるで。
 そこから先の言葉を呑み込み、ガロードは、ぐっ、と息を漏らす。

「あれがまさか、『ゾイド』ってヤツなのか……?」

 思い浮かんできたのはあの日記に記されていた不可思議な単語。日記を読んだ時点では何を指し示しているのか全くわからなかったが、あの恐竜やサソリを目にした後では、あれがきっとそうなのだと確信を持てた。
 しかし同時に、ガロードが思い描いていた想像の範疇を超えているとさえ思った。

「……どうなってるんだよ、あの動きは。あんな動きができるモビルスーツなんざ見たことがねぇぜ」

 まず最初に特筆すべきなのは、恐竜の動作そのものである。短い時間で確認できただけでも、手足に取り付けられた爪の1つ1つの仕草や足先から尻尾の先までひと繋がりになっているしなやかさ、首をもたげて咆哮を上げる動作など、詳細を挙げれば切りがない。恐竜の身体はどう見ても機械のパーツによって形作られているのに、それを駆動させて行なわれる恐竜の動きは機械とは思えないものであった。ガロードが知る限り、あのようになめらかに動くことのできる機械などというものは地球には存在しない。唯一例外を挙げるとすれば、かつてノーザンベルという小国の市街地で戦った、手足が異様に細長い白一色のモビルスーツくらいだろうか。しかし記憶にあるあの白い機体にしても、他の通常のモビルスーツと同様に、その動きにはどこか機械機械しい特有の“固さ”が残っていて、人間が操縦する以上、どうしても動作の反応に遅れが生じてしまうものなのだ。
 対してあの恐竜の場合はどうか。見てくれは確かに大きさを半分以下に切り詰めた恐竜型のモビルスーツと言えるのかもしれない。けれども恐竜の動きや反応にそういった類の遅れは一切見受けられず、まるで生き物が機体そのものに乗り移ったかのような挙動を見せていたのである。ティファと出逢う前は生身でモビルスーツを狩ることを生業としていただけに、身1つでモビルスーツに追い掛け回される経験も1度や2度ではなかったが、あの恐竜の時ほどの恐怖心を胸に懐いたのは1度も無かった。
 そう。ガロードは怖かったのだ。
 恐竜の鋭い眼光に睨まれて。想像を絶する挙動で襲い掛かられて。
 あの咆哮。あの威圧感。あの時感じた底冷える感覚。
 これまで戦いに身を投じて経験してきた種類のものとは全くの異質な、さも心臓を抉り取られるかのような恐怖を、ガロードは生まれて初めて味わったのである。

「これから、どうする……?」

 あの恐竜にどう対処すべきかを自問自答しかけてガロードは、何を馬鹿な、とその考えを打ち消した。
 モビルスーツとの1対1ならばいざ知らず、手持ちの道具のみでは恐竜の俊敏さに対抗しようにも正直自信が持てない。拳銃程度では装甲に弾かれるだけであり、爆薬や閃光弾を用いても有効な決め手にはなりえない。ただでさえ恐竜の目的も正体も、どこをどう叩けば動きを封じれるかもわからない。何もかもがないない尽くしの現状なのだ。
 できることなど、おのずと限られている。
 遠くから、何かと何かが衝突し合う、重々しい音が響いてきた。

「とにかく早いとこあいつのいる所に戻って、どっかに身を隠さねぇと……。ティファ、そろそろ立てるか?」

「はぁ……はぁ……、うん、大丈夫……」

 ガロードの呼び掛けに応えて、ティファは先ほどよりもいくらか血色の良くなった顔を向けてくる。

「よし、行くぜ」

 互いの瞳の奥底にあるものを確認し、ふたりは頷き合うと、立ち上がってもといた格納庫に戻るべく行動を開始した。
 あそこには荷物のほとんどが置きっ放しであるし、何よりあのライオンがいる。
 一刻も早く格納庫に戻って荷物を回収して、ライオンにも恐竜の存在を伝えなければならない。
 無我夢中で走ってきたがゆえに、自分たちが今、基地廃墟のどのあたりにいるのかはわからなかったが、何としても辿り着かねばならなかった。
 心の中に焦りの気持ちがないと言えば嘘になる。だが、こういう時にこそ心を落ち着かせて、慎重に、そして確実に。冷めやまぬ胸の鼓動をどうにか抑えつつ、ガロードはティファと共に暗い通路の中を心成しか足早に進んでいった。

「…………」

「…………」

 ふたりが揃って口を閉ざしていると、僅かな光源を頼りに突き進むこの道は、数分前の襲撃を受けたときとは打って変わり、静けさに満たされているものである。静か過ぎて、かえって不気味なくらいだ。聞こえてくる音といえば、ガロードとティファが奏でる足音と、吸って吐くのを繰り返す呼吸の音ばかりが際立つ。だんだんと大きくなってくるように思えてくるそれらの音は、まるで逸るガロードの心情を象徴するかのようであった。
 そのままふたりが歩き進んでいくと、通路の左右が開けて広い場所に出る。目指している格納庫ではない。すぐ正面には金属製の手すりがあって、一段落ちたその先の空間には幅の広めな通路が左右に伸びていた。手すりの上から下を覗き込んでみると、その高さは4mから5mくらい──ちょうど建物の1階に相当する落差がある。下の通路の道幅およそ15mといったところ。天井も高い。おそらく車両か、あの恐竜やサソリが類する機動兵器が通用するために作られたものらしく、ふたりが今いるのはその通路の脇に沿って走る足場なのだということがわかった。
 ガロードは右を見、左を見る。
 どちらも外からは光が差し込んでおらず、暗くて何も見えない。
 時折吹いてくる風の音が、小さく響いてくる程度であった。

「どっち、かしら……?」

 繋いだガロードの手を握り締めて、ティファが不安そうに声を紡ぎ出す。
 あちこち巡ってきたがゆえに、どちらに行けば目的の格納庫に到達できるのかが、大雑把な方向さえもしばし判断が付かない。
 ガロードは通路に鳴り響いてくる風のささやきに耳を傾け、少しだけ迷うように逡巡をしてから、自分の中に残る記憶と直感を頼りに「こっちだ」とその風上へと向かう方の道を選び取った。
 ふたりが歩く足場は、かなりの長さで続いているようだ。幅は2人が並んで通れるといったところ。こん、こん、と。薄い金属板を叩く足音が響くなか、照らしたライトによって、暗闇の中にガロードとティファだけが孤立しているかのような錯覚がしてくる。目で見てからではまともに周囲の様子を察知しづらいため、聞こえてくる音が頼りだった。ささいな変化も聞き漏らすまいと、ガロードは警戒に身を固めて、気を張り詰めさせていく……。
 やがて、暗闇の中に通路の終わりが見えてきた。
 正面にかすかな薄明かりが見え始めて、ガロードとティファは互いの顔を見合うと、こくんと首肯し合った。
 引き締めた心持ちのまま歩を進め、行く先に辿り着いた場所を見定めてガロードは、

「ここは……」

 暗い通路を抜けると、そこには思っていた以上にスペースのある空間が広がっていた。
 最初に訪れた格納庫よりもずっと大きい。ぱっと見た目に正確な広さはつかめなかったが、天井はゆるやかな曲線を描いており、開けられた天窓からは外の光が差し込んできている。淡い太陽の光に照らされることで明るさが保たれているその空間の中には、荷物を収納するためのコンテナがいくつも並んでおり、ふたりがいる反対側の奥には、分厚い鋼鉄製でできていると思える巨大な扉が固く閉ざされた形で重厚な存在感を放っていた。

「倉庫かな? だいぶガランとしているみたいだけど……」

 手に持ったライトを消し、備え付けられた階段を下りて床面にへと降り立ったガロードは、周囲の様子を観察してそう呟く。
 ふたりが通ってきた通路と正面の鉄扉とその脇の勝手口以外に通用口の類は見えず、倉庫内から外の様子を窺い知ることはできない。開かれたコンテナを調べてみるとその中身は空。あちこちに錆が浮き出ていて、本来ならば同様のコンテナが所狭しと置かれていたであろうが、やはりこの基地跡は完全に引き払ったあとなのか、今となっては不要になったものが数点放置されている程度だった。
 かつての面影を辛うじて残していたものの、すっかり寂れてしまった倉庫を目にし、特に現状を打破できる要素はないだろうと判断してガロードは嘆息する。

「どうっすかなぁ。危険を承知でいっぺん外に出てみるか? この分だと相当な規模がありそうだぜ、この基地は」

「…………」

 単純に来た道を引き返すというのも取りうる1つの手段と言えなくもないが、基地の配置を外からきちんと見て把握しておきたいという気持ちもある。引き返したからと言って目的地にまっすぐ着ける確証はないし、道が枝分かれしている可能性も有るため、時間的に考えてもあまり猶予はない。それにずっと真っ暗な道筋を行くというのは、体力的にも精神的にも思った以上に消耗が激しいのだ。だが当然、外に出るという選択肢を取れば、再び恐竜と遭遇してしまう危険を孕んでいる。
 リスクを引き換えに確実性を取るか。それとも闇雲に進んでいくか。
 ガロードは迷い、その視線をティファの方に向けてみると、彼女もまた不安そうな様子で表情を揺らしていた。
 立ち尽くすふたり。しんと静寂さに満たされる空気。
 迷えば迷うほど無駄に時間だけが経過していくけれども、状況はガロードとティファの都合など待ってはくれなかった。
 後ろの通路の方から、重たい何かが倒れこんだ時のような音が、けたたましく鼓膜を叩いてくる。響き、響いて、何度も繰り返し繰り返しこだまのごとく反響してくる空気の震えに、ふたりは緊張に身を強張らせた。

「!?」

「────っ!」

 その場で振り返り、通路の方に目を向ける。
 音が聞こえたのは1度きり。この倉庫に唯一繋がっている通路は、深い闇を従えてぽっかりと口を開いている。いつまた何かが飛び出してくるかわからない。再び静けさを取り戻した倉庫に、言いようのない雰囲気がじわじわと這い寄ってきているなか、居ても立ってもいられなくなったガロードが決断を下そうとした、その矢先のことだった。
 ガンッ、と衝撃と共に金属の軋む音がする。その一瞬後、天井を構成していた梁や支柱が弾けて歪み、バラバラに砕けた屋根の一部が落下してくる。来るとすれば通路側からだと思っていただけに、通路とは違う、予想に反した方角からの襲撃にガロードとティファのふたりは完全に不意を突かれた形となってしまった。

(──後ろ!?)

 崩れた天井には大穴が出来、そこから外のまばゆい光が斜めに差し込んできて、薄暗かった倉庫の床をまるでスポットライトのようにして丸く照らし出す。その光を浴びるなか、天井を突き破って着地した恐竜がむくりと身体を起こしていく。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと。赤と黒に塗装された体躯はくっきりと輪郭が浮き上がり、手足の爪や背中の鎌がきらめきを放つ。頭の中ではこの時の恐竜の動作が非常に緩慢なものに感じていたものの、身体の方が全く言うことを聞かず硬直したまま動くことなどできなくなってしまっていた。

「あ……、あぁ……」

 ティファの唇からこぼれる、まともな声にもなっていない掠れた吐息。
 恐竜が奇声を上げ、威嚇と共に緑色の照準をふたりへと定めてくる。
 初回とほぼ同じ焼き回しとなる状況下、ガロードは絶望に声を震わせた。

「追って、きやがった……」

 ふたりを見付けた時の恐竜の視線はさも歓喜に奮えるかのよう。
 恐竜は求めていた獲物に目を向けてニタリと笑った。
 それは恐竜そのものによるものなのか。それとも搭乗者によるものなのか。
 硬い装甲に覆われた機体の内部からは、凶悪なまでに純度の高い感情が紛れもなく発せられていた。少なくとも友好的には決して見えないその意思が。

「ガ、ロード……」

 そんな恐竜の眼差しに射抜かれて、顔を恐怖に歪ませたティファが、ガロードの腕にすがり付いた。
 恐竜は、歩いてくる。1歩ずつ、威圧を込めて。
 間接の各部に備え付けられて円筒形状のパーツが唸りを上げて回転し、その動力を四肢に伝達、機械とは思えぬなめらかな動きでもって、じりじりとにじり寄ってくる。
 今度は逃がさん。一足飛びで襲い掛かってくるならばむしろ付け入る隙も生じていたろうが、こう、じわりじわりと近寄って来られては、かえって迂闊には逃げられない。かと言って何もせずにただぼうっと立ち竦んだままでいるわけもなく、恐竜の歩調に合わせて後退するしかなかった。
 だがその距離はみるみるうちに縮まっていき、そして背中に、とん、と何かが触れる。
 コンテナだった。
 それが合図となった。

「くっ! ティファ!!」

「!」

 ガロードは叫ぶと同時に身を翻すと、ティファを連れて大急ぎでコンテナの陰に回り込み、そこに己が身体を投げ込んだ。
 背後から、恐竜の咆哮が聞こえる。振り上げられた腕の駆動音と空気を引き裂く音がそこに混ざり、その直後、ふたりが楯としたコンテナの鉄板が、まるで紙くずで出来ているかのように拉げられ、切り裂かれた。破壊されたコンテナが奏でる凄まじい轟音に耳を打たれ、冷たく薙いだ風が頬に当たり、目の前に大量の火花が散る。その向こうで恐竜が双眸を覗かせているの見て、ガロードは思わず顔を引きつかせた。
 もはや考えている暇など無い。あんな一撃を食らってしまえば、ひ弱な自分たちの身体なんぞ、それこそ瞬く間に細切れとなるであろう。迫り来る死の恐怖で心が凍りつきそうになる。
 ガロードは続け様に振り下ろされる爪から逃れるためにティファと共に全力で走った。
 たとえどんな恐怖を味わったとしても。たとえどんな絶望に苛まれたとしても。
 コンテナとコンテナの間を駆け抜け、ガロードは外に向かう道筋を必死に辿った。
 通路の方には戻れない。あちらにはふたりが隠れられる場所が存在しないのだから。せめてもの可能性を賭けてガロードは外を目指す。外に出ればまだ助かる道は残されているかもしれない。身を隠す場所くらいならばあるかもしれない。そのために必要な隙も作れないことはないのである。
 走りながら背中越しに後ろをちらりと見ると、爪をコンテナの残骸から引き抜くのに手間取った恐竜がようやく体勢を立て直しかけたところだった。


 ──この分なら、あるいは……。


 そう思って速力を増した時である。

「────っ!?」

 恐竜がいるはずの位置から、それまでに聞いたことの無かった破裂音が轟き、頭上から降り注いでくる日光を遮って何かが物凄い速度で飛来してくるのに、ガロードは気が付いた。
 咄嗟に隣を走るティファの頭を押さえ自身も含めて屈ませると、直前までふたりの頭のがあった空間を黒い物体が尋常でない速さで通過していく。生み出された風の乱流で髪の毛が舞い上がり、床と金属の塊とがぶつかり合う地響きが胴を揺さ振った。
 走っていた姿勢を無理矢理崩したことと目と鼻の先に突然障害が出現して驚愕してしまたこととが災いし、躓いて細かい瓦礫と埃まみれとなった床に転倒するガロードとティファ。腕や頭をしたたかに打ちつけた。混濁しそうになる意識をどうにか振り払いつつ、慌てて視線を持ち上げると、そこにあったのは砕かれたコンテナの残骸に他ならなかった。
 あまりと出来事に、ガロードは一瞬思考を停止させる。ふと我に返ってみると、右も左も瓦礫に取り囲まれて退路をすっかり断たれた状況に陥っていた。

「な……、な……」

 口の中で言葉が継げず、呆然と乾いた吐息を漏らすしかないガロード。
 ズシン、ズシン、と。金属質の足音が近付いてくる。
 ほとんど意識を働かせずに音のした方向を振り仰ぐと、そこにはいよいよをもって求める獲物を追い詰めた喜びに爪を鳴らす恐竜の姿があった。

「そん、な……」

 あの恐竜が吹き飛ばしたコンテナの残骸によって進路を塞がれた。恐竜がそれを狙って行なったのか。それともたまたま偶然が重なったことによる産物なのか。どちらであってもガロードにはわからない。そのどちらであってもガロードには関係がなかった。
 ただここにあるのは、逃げ道を塞がれ床に倒れ伏してしまったという事実のみ。
 身体を打ちつけた際の痛み、徐々に歩み寄ってくる恐竜の影に、今度こそもうだめだ、という思いが頭の中にちらついてくる。

(ここまで、なのか……)

 遠く地球を離れ、やっとの思いでその名を知り得たこの大地で、手掛かりを掴み掛けたまま自分とティファは恐竜型の機械に切り裂かれ、物言わぬ肉塊に変じてしまうのだろうか。
 これまで培ってきた、積み重ねてきたものが全て水泡と帰す。
 そんな思いに囚われて心が折れてしまいそうになるも、腕の中にいるティファのぬくもりを確かに感じ、どうにか折れる寸前で持ち直すことが出来た。
 嫌に周囲の様子が遅く感じるなか、自分はまだだ、と思う。
 まだ自分は全てを出し切っていない、足掻き切っていないのだ。
 まだできることは残されている。瞬時脳裏を過ぎるのは、かつて一緒に戦った仲間たちの顔と、遥かな旅路の中で出会った者たちから託された様々な思いだった。次から次へと去来してくる数々の記憶の中にいる彼らは、それぞれの生き様をガロードに見せ付けていた。
 自分はこんな所で諦めたくはない。死にたくない。死なせたくない。ティファとずっと同じ時間を過ごして生きたいと思う。それが自分の最大の望みであり、在り方なのだから。
 ガロードは接近してくる恐竜の顔を一心に睨んだ。
 来るなら来い。自分はまだまだ足掻き続けるぞ。
 その右手は運命を手繰り寄せるために腰へと伸ばされる。
 眼光を強めたガロードに対し、恐竜も何かを察したのか、いったん足を止めるとこちらを窺い見るかのように吼え声を上げてくる。距離はほんの5、6m。倉庫内の空気は、その後の出来事を予兆するかの如く静まり返った。
 湧き上がる感情。ぴんと張り詰めていく雰囲気。
 来るべき瞬間を予感して三者三様に身構えた、その時だった。

「グゥオオオオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーッ!!」

「──ッ!?」

「!?」

 唐突に、何の前触れもなく室内に響き渡る咆哮。
 恐竜ではない。ましてやガロードやティファでもあろうはずがない。
 視界の隅に、白い影がちらっと映る。暗闇に包まれた通路から、猛烈な勢いで倉庫内に侵入してきた“ソレ”は、そのスピードを殺すことなくさらに加速して突進し、対応に遅れて直立したままの恐竜に目掛けて横からの体当たりを敢行した。
 推定数十tにもおよぶ巨体がぶち当たり、そこに含まれていた運動エネルギーは全て衝撃と音震に変換され、華奢な恐竜の体躯は踏み止まるそぶりさえも許されず、いとも簡単に吹き飛ばされていく。
 宙を舞った恐竜の身体が鋼鉄製の大扉に激突すると、その鉄板面は大きくひしゃげた。歪められた扉の隙間から外の光が見え、衝撃の度合いを物語る。
 と、再び倉庫内に、この数日間ですっかり聞き慣れた音の咆哮が轟き渡った。

「ゴォオオオオオオオオオオオオオオォォオオオオオオオオォォォォーッ!」

「お前……」

「どうして……」

 つい先ほどまで恐竜がいた場所にいるその者の姿を確かめたガロードとティファは、ぽかんと目を見開いて呟き声を漏らす。
 危機的状況に陥ったのが予想外ならば、救いの手を差し伸べてくれたのもまた思いもよらぬ形であった。
 ガロードは湧き上がった疑問を言葉に乗せて訊ねずにはいられなかった。

「なんで、お前がここに……?」

 ライオン、なのである。
 ふたりに迫っていた恐竜に突撃し、その窮地を救ってくれたのは、あの白きライオンが行なったものだったのだ。
 ライオンは倉庫の床に倒れたガロードとティファに一瞥を送ると、すぐさまその視線を己が吹き飛ばした恐竜へと移す。咆哮が、激情をもって発せられる。ライオンの紅く輝く瞳に映し出された感情は、とんでもなく純度の高い純粋な『怒り』であった。
 なんで、どうして。
 自分の縄張りを侵されたことに対してなのか。それともガロードとティファのふたりがここにいるためなのか。
 初めて見るライオンの形相に、ガロードは驚きと一抹の畏れを懐くしか、心が動かなかった。
 ライオンが吼える。明らかな怒気を込めた叫びを、眼前にいる“敵”に向けて。
 恐竜も恐竜で、それに呼応するかのように、甲高い声を上げて起き上がった。
 互いに向き合い、相対するライオンと恐竜。
 人間よりも遥かに大きい巨獣同士が威嚇に奮える。
 先に動き始めたのは、ライオンの方だった。

「!」

 恐竜の身体は硬い装甲で覆われていたものの、先ほどの突撃によって全くダメージを負っていないというわけではなかった。心成しか、その動作が若干たどたどしくなっているような気がする。関節から軋んだ不協和音を奏でる恐竜が体勢を立て直しきる前に勝負を決しようとしているのか、ライオンは四肢を踏み出すと、恐竜に向かって飛び掛っていった。
 それと同時に恐竜も動く。いくらか衰えたとはいえ、いまだにその精鋭さを感じさせる俊敏性を発揮してライオンを迎え撃った。
 交錯する白と赤。
 互いに身体をぶつけ合わせる形で擦れ違った2頭の間に、接触した箇所から噴出してくる極彩色の火花が咲き乱れる。
 擦れ違った勢いをそのままに駆け抜けたライオンと恐竜は、それぞれ着地すると同時に身体を捻り、敵を正面に見据えて距離を取った。ライオンは扉側へ。恐竜は通路側へ。位置関係を入れ替えた両者が睨み合うと、そのすぐ後にライオンの口元から痛々しい苦悶の声が零れ落ち、地面に踏ん張りを効かせていた前脚が突然ガクンと肘を屈する。
 目に見えて明らかな異変に、ガロードは我知らずに声を上げた。

「どうしたっ!?」

 なんだ、何が起こった。
 訳がわからず慌てふためいたガロードが、ライオンに目を向けて観察すると、すぐにその理由を知ることとなる。

「────っ!? あれは!?」

 ふたりがいる位置からも見える、ライオンの前脚の付け根付近。
 人間で言えば右肩に当たる部分の甲殻に、くっきりと切り傷が刻まれており、少量ではあるものの褐色の体液が流れ出ている。
 恐竜の方を見ると、背中に装備している鎌を左右に広げて展開していた。

「まさか……」

 それを見た瞬間、ガロードはわかった。わかってしまった。
 ライオンがなぜ、恐竜に対して怒りを顕にしているのか、その理由の1つが。
 傷そのものはそう深いものではない。現にその傷が原因でライオンの動きに支障をきたす程度ではなく、息つく間もなく姿勢を立て直して恐竜に挑みかかろうとしている。
 問題はその傷口の様相だ。ガロードとティファにとって見覚えのあるものだった。

「まさか……。お前、ソイツに……」

 思い出すのは地に埋もれていたライオンの身体を開放した時。今ではすっかり治癒している後脚の傷と今し方できたばかりの傷とを比較すると、その切り口は非常に良く似ていた。おそらくは、同じ刃物によるもの。あの状況を作り出した元凶が果たして同個体であるか、あるいは同種の別個体であるかは不明であったが、少なくともガロードはそう思ったし、ライオンもだからこそあそこまで怒りに奮えて戦っているのだろう。
 そう、なのである。ライオンは、戦っていた。
 四肢の爪を大きく振るい、噛み付かんと何度も飛び掛って。
 だが。だが。だが。だが。

「──このままじゃ、まずい……っ!」

 目の前で繰り広げられている戦いが、徐々にライオンの劣勢に傾き始めているのを悟ってガロードは奥歯を噛み締めた。
 確かにライオンの体格は恐竜の倍以上あるし、そこから繰り出される膂力も恐竜を遥かに圧倒している。ライオンの挙動も俊敏性では恐竜に1歩を譲るものの、単純な力比べを行なえば、ライオンが恐竜に勝利するのはほぼ確実と言えた。
 けれども、現実はそうはならない。両者の間にある“武器”の差というものは、いかんともしがたいものなのだ。ライオンが持つ爪や牙は決して脆弱なものではない。むしろ非常に強力な部類である。状況次第にもよるが、あの爪や牙にかかればモビルスーツを破壊することもあながち不可能ではない。だとしたらどうして、ここまでの差が生じてしまうのか。
 理由は簡単だ。この倉庫が、ライオンが動き回るためにしては狭すぎるのである。
 狭すぎるがゆえに、膂力を十全に生かすだけの広さを確保できず、恐竜よりも優れた体格が、かえって逆に仇となっていた。最初の突撃が成功したのは、それが十分にスピードが乗った状態でできたことと完全に不意打ちとなっていたからに過ぎない。この閉鎖された倉庫内では、立ち並ぶコンテナにも阻害されて、ライオンは走ることさえも覚束なく、いくら爪を振るったとしても何もない空間を薙ぐか、瓦礫を新たに作り出すか、届いても勢いが足りず硬い装甲に弾かれるばかり。恐竜に有効なダメージを与えるまでには至らなかった。
 倉庫の狭さが、小柄な恐竜にとっては有利に働いている。恐竜はあくせくとするライオンを嘲笑うかのように障害物をもろともせずに跳ね回り、手足の爪で攻撃を加え続けている。背中の鎌ほどの切れ味はないのだけれども、手足の爪も侮りがたい威力だ。白色の甲殻に1つ、また1つと細かな傷を刻んでいき、着実にライオンの体力をも奪っていく。白いライオンの甲殻は汚れ、傷口からは体液も零れ落ちてきている。
 物陰からその様子を見て、激しい憤りをガロードは胸の中に覚えた。

「どうにか、できねぇのか……?」

 このままではいけない。このままではやられてしまう。
 ただでさえライオンは今朝方起き上がったばかりの、病み上がりにも等しい状態なのである。走ることや弱い獲物を捕らえることはできても、自分と同等レベルの相手と不利な状況で戦闘をし続けられるとは思えない。恐竜からの執拗な攻撃を受けるたびに、始めにあった精悍さはだんだんと失われいき、見る影もなく弱まっていく様が手に取るようにわかってしまった。

「く、ちくしょう……」

 口では何と言っても状況は変わらない。変わるはずがない。
 何か手立ては。目の前で苦戦を強いられているライオンを救う手段はないものか。
 本来ならば逃げの一手を打つべき場面なのだ、とは思う。恐竜に襲われ、今は物陰に身を潜めているガロードとティファにとってはまさに好機といえる状況なのである。今なら恐竜の注意は完全にライオンに向けられているため、ここでふたりがこの場から立ち去ってもおそらく感づかれることは無いだろう。そのまま荷物を取りに戻り、基地跡から脱出すれば自分たちは助かるのだ。
 そのことは誰からも告げられなくともガロードは理解していたし、ティファもきっと同じであろう。
 だがしかし、ふたりはその場から1歩たりとも動けなかった。

「どう、して……」

「なんでだ、なんでそこまでやられて逃げようとしないんだ……」

 恨みつらみからなのか。もしくは己の誇りが許さないからなのか。
 いくら傷つけられたとしても、いくら振るった爪が宙を切り、装甲に阻まれたとしてもライオンは戦い続けていた。
 まるで何かを守るように。1歩も引かず、途轍もない意志を以って。
 そんなライオンの戦う姿を前にして、この場から見捨てて逃げようなどという発想が起きるはずもなかった。

「俺たちの、ためなのか……」

 ガロードは、呟いた。
 ぐっっと息を飲み込み、戦うライオンに向けて。

「俺たちの、所為なのか……」

 もしかしたら、と思った。まさか、とも思った。
 自惚れでなければ、自分たちはあのライオンとそれなりの関係を築けてきた。手段は手段だったが、この基地跡に誘ってくれたのはライオンだったし、様々な情報を得た要因も元を辿ればライオンにある。こちらが声をかければ応えるときは大抵応えてくれた。言葉は交わせずとも、目に見えない何かで結ばれているかのような感覚を、ガロードは何度も感じていたのだ。
 だからなのかもしれない。ライオンがこの場に留まって戦い続けている理由の1つに自分たちの存在も含まれているのではないか、と考えたのは。そして自分たちのために危険に身を投じてくれている者に何かできることはないか、と考えたのは。

「…………、────くっ」

 無力、だった。
 自分たちと、ぶつかり合う2頭では力の大きさが違いすぎる。
 できることと言えばわずかな時間の間に気を逸らせられば良い方か。それだけでは何の決定打にはなりえないし、最悪ライオンにまで悪影響を及ぼしてしまう。何の策もなく突っ込んでは、かえってライオンの足手まといになってしまうというのは明白なことであった。
 と、そうこう思い悩んでいるうちにライオンの劣勢はさらに傾いていく。
 恐竜の総重量が乗った蹴りが、ライオンの顔面の脇を捉え、凄まじい衝撃をもってその頭部を揺さぶった。
 ライオンは膝と肘を屈し、倉庫の床面に崩れ落ちる。即座に体勢を立て直そうと床を踏みしめようとしたライオンだったが、もはや身体に思うように力が入らないのか、口元から苦悶の声を漏らしていた。
 そこを見過ごす恐竜ではない。倒れ伏したライオンの身体を強靭な脚で何度も何度も踏み付けて、起き上がるのを阻止し、同時に痛めつける。鋼鉄製の足がハンマーのように繰り返し白い甲殻に打ちつけられ、金属同士が衝突し合う音が倉庫内に響き渡る。恐竜に打ち据えられて、口から呻く声を出して耐えるライオンの姿を目にし、成す術もなく立ち尽くしていたガロードは「あっ」と息を吐いて半ば呆然とその口を半開きにした。

(…………あっ、た)

 あった。あった。あった。
 1つだけ。たった1つだけ、思い浮かんだ手段が。
 恐竜の意識が完全にライオンに向けられている今ならば。ガロードとティファの存在が全く眼中に入っていない今ならば。倒れたライオンと身を隠している自分たちの間に恐竜が立っているという、この位置関係ならば。あるいは恐竜の行動を止めて、その機能を停止させることもできるかもしれない。
 ようやく見つけ出した道筋。たった1つの希望。
 思い付いたならばすぐさま準備を整えて1秒でも早く実行に移さねばならない。無駄に時間を経過させてライオンの体力をこれ以上消耗させてしまえば全てがご破算となる。目の前に希望が見えてきて、むざむざそれを捨て去ろうとする行為は、何にも増して許しがたい愚の骨頂に他ならない。
 だが、それを理解しているにもかかわらず、ガロードは躊躇ってしまった。
 成功に必要な自信がないというわけではない。きっと上手くいく。
 足りない道具があるというわけでもない。十分だ。
 しかしたった1つだけ、重大な懸念がガロードの前に横たわっていたのである。
 なぜなら、その作戦を実行に移す、そのためには……。

「ガロード……」

 と、そこに声がかかった。ティファである。
 ハッ、と目を見開いて彼女を窺うと、彼女の持つ瑠璃色の視線が真っ直ぐガロードに向けられていた。
 先ほどまで恐怖や不安に引き攣っていた瞳にはその色は見られず、いつしか力強い輝きを取り戻してきている。
 ティファの瞳の奥にあったもの、それは決意。
 ガロードは、全てを悟った。

「ガロード、私──」

「────っ!? 駄目だ!!」

 言い掛けたティファを遮り、ガロードは声を張り上げる。
 だがティファは折れず、負けじと言葉を続けてきた。

「でも、このままだとっ!」

「駄目だ! 少しでもしくじれば、どうなるかなんてのはわかってるんだろ!?」

 もしガロードが思い付いた作戦をそのままに実行すれば、ティファにも間違いなく危険が降り掛かる。
 全てが上手くいったときはそれで良い。だがそうでないときは。
 考えたくもなかった。

「ガロード……」

 否定を口にしたガロードに対して、ティファはガロードの名を呼び掛けてくる。
 状況が状況なのにもかかわらず、その声は真摯さを伴ってガロードの耳に届いてきた。

「私は、ガロードを信じている。あの子も、まだ諦めてなんていない」

 ティファの言葉にガロードはライオンの方を見た。
 一方的に恐竜に蹴りを受け、その足先に付いた爪で身体を切り刻まれたとしても、ライオンの持つ赤い瞳の輝きはいまだ衰えてなどいない。少しでも恐竜の攻撃が緩めば、再び飛び掛って噛み付かんと、虎視眈々と狙いを定めていた。ライオンの前脚にも後脚にも力が宿ってきている。ティファの言う通りだ。ライオンはまだ、勝負を諦めていなかった。
 ティファは、言う。自分たちにできることがあるならばそれを成し遂げたいと。

「だからガロードにも、私のことを信じて欲しいの。お願い。やらせて、ガロード!」

「……あいつのことも、信じられるのか?」

 ガロードはティファを正面に見詰め、改めて問い掛け直した。
 思い付いた作戦は、ガロードだけでも駄目、ティファの協力があっても足りない、最後の1手をライオンに委ねるしかない、そういうものなのだ。ティファが自分のことを信頼してくれているのはわかる。自分だってそれは同じこと。そこにあのライオンを加えることはできるのか。言葉を交わすことすらできないあのライオンと。

「────うん」

 ティファは、頷いた。
 微塵の躊躇いも、逡巡も、迷いも見せずに、ガロードとライオンに寄せる全幅の信頼を自らの瞳に乗せて。
 それを見て、ガロードも覚悟を決めた。

「──わかった」

 やるべきことはだた1つ。
 もはや1分1秒を争うものとなる。

「だったら」

 ガロードはティファを見据え、作戦の概要を説明し始めた。

「1つだけ……頼みたいことがあるっ!」





     * * *





 ──なぜだ。なぜ“奴”がここにいる。


 それが狭き道を全力で駆け抜けて、その姿を目にした時、まず始めに胸に懐いた感想だった。


 ──間違いない、“奴”だ。


 見紛うことがあるはずもない。いかに外見が同じである存在がいるのを知っていたとしても、“奴”の“核”から発せられる特有の“におい”をおいそれと忘れられるものでは到底なかった。
 今ではすっかり癒えた傷が疼く。
 おのずと怒りが湧き上がってきた。
 彼らが“奴”に襲われている。そのことをはっきりと認識して、気付けば容赦の無い一撃を“奴”に叩き込んでいた。
 吹き飛ばされる“奴”の姿を見、彼らの無事にほのかに温かさを感じる。
 だがそれは、ほんの束の間の出来事。状況はすぐに瀬戸際に立たされることとなる。
 怒るままに爪を振るった。届かなかった。
 いつもならば狙った獲物を確実に捕らえている爪が避けられ、何も無い空間を虚しく通り過ぎ、たとえ当たったとしても全く手応えを感じられなかった。このままでは『前回』と同じ焼き回しである。
 そしてその予想は的中していた。
 こちら側の攻撃はほとんど通用せず、狭くて障害物の多いこの場所を軽快に駆け回ることにできる“奴”の爪に身体を傷つけられて、そのたびに痛みが走り、為すがままとなってしまっている。
 1つ1つはさほど大したものではない。しかし着実にその数を増やしていき、徐々に身体の動きを滞らせてくる。
 対して自分は、何もできなかった。場所の狭さと障害物の多さに邪魔されて、自慢の脚力は振るわず、蹂躙を許しているだけなのだ。
 歯痒かった。満足に戦えず、状況を打破できない自分自身が。
 憎たらしくて仕方がなかった。愉悦に浸って執拗に攻め立ててくる“奴”の存在が。
 申し訳ないと思った。自分を救ってくれて、今自分が助けようとしていた彼らに。
 と、頭に衝撃を感じた。その刹那に見えたのは横から迫る“奴”の足。顔面を揺さ振った振動は身体を突き抜けて“核”まで達し、自分は地に倒れ伏してしまう。四肢で踏ん張ろうにも痺れて思うように力が篭もらない。ここぞとばかりにしつこく蹴りを繰り出してくる“奴”の感情がより一層膨れ上がった気配がした。


 ──そんなに、愉快か……。


 それは“奴”にとって元来からのものなのか。または“変えられた”が所以のものなのか。
 そのどちらであるかは自分にはわからなかったし、興味も無かった。
 打たれるごとに浴びせられる激痛のなか、辛うじて働かせることのできる意識を総動員させて“奴”を睨む。唸り声を上げる。たとえ四肢がもげようとも、たとえ首と“核”だけになっても、この牙がある限り必ず喉元に喰らい付いてやる。そう、意志を固めて。
 するとどういうことか、それから長くない時間が経過した時、突然何者かの声が上がった。
 その声を聞いて、心が別の意味で跳ね上がる。


 ────なぜっ!?


 地に散らばった瓦礫の陰から現れた姿を目にし、自分は驚いた。
 少年、だったのだ。
 2人いる彼らの内の片割れ。頭髪が短い方。とっくにこの場から立ち去っていたと思っていた者の出現に“核”を鷲掴みにされたかのような感覚がする。なぜ、ここに残っているのかと。
 身を隠していた物陰から飛び出てきた少年は、“奴”に向けて両手を掲げると、そこからパンッ、パンッと乾いた音を何度か炸裂させた。
 と同時に、“奴”の後頭部に小さな光が灯り消える。何度も頭を小突かれ、当初はそれを無視していた“奴”はやがてうざったそうに振り返ると、その緑色の“眼”を少年に向けた。
 少年は臆していない。種族の異なる自分から見ても、途方も無く強い決意で以ってそこに立っている。
 あのひ弱な身体で何をしようとしているか。少年1人で“奴”に対抗できるとは思えない。少年の行動に理解を示せないでいると、攻撃の手を止めて佇む“奴”の脇を抜け、こちらに駆けて来る人影が視界に映る。それは少女だった。


 ──…………っ!?


 淡い色の衣服をはためかせ、長い頭髪が尾を引きながら、身の危険を恐れることもなく少女は近付いてくる。間違いなく、自分の方へ。その手には何も持っていない。人間とはモノを扱う生き物であるにもかかわらず、少女は身1つで自分との接近を試みているのである。
 もちろんそれに気付いたのは自分だけではない。“奴”も気付いた。先に仕留めるべき対象を少女と見定めたのか、咄嗟に“奴”が少年から視線を外して振り向くと、今度はその足元で原因不明の爆発が起こる。爆発そのものはそれほど大きいものではなかったが、“奴”の注意を差し向けるのには十分な大きさだった。
 その間にも、少女は進む。倒れて動けないでいる自分に目指して。
 自分と少女の間にある距離はみるみるうちに縮まっていき、左の眼のすぐそばにその姿を捉えると、少女は荒れた息を整えることもなく飛び掛ってきた。ほとんど抱き付かれるような形で左眼が少女の身体によって覆われ、半分の視界が真っ黒に染まる。反射的に振り払おうにもそうはいかなかった。


 ──一体、何を……!?


 これでは“奴”の姿が見えない。身体を動かそうにも痺れが抜け切っていない今の状況では何が起きてもすぐに対処することができない。
 一体、彼らは何のためにこんな無謀な行動に走ったのかが理解できず、訳のわからぬままに混乱をきたしてしまう。心の中にどうしようもないほどの焦りが生まれた。
 何か、と。
 戸惑いに打ち震える自分を知って知らずか、時の流れは止まらず事態が動く。
 遠くから意味のわからぬ叫びを発した少年の声に反応して、抱き付いてくる少女の腕に力が篭もると、塞がれていない右眼に変化が訪れた。
 それは唐突に、わずかな時間の間で。
 半開きになっていた右の瞼の隙間からは、まるで太陽の光が直接差し込んできた時の如き凄まじく強烈な輝きが入り込んできて、眼の奥を焼き尽くすかのような痛みをもたらした。
 左視界が白に染め上げられ、左の黒さをさらに強調とする。
 少女が塞ぐ黒い影の向こうで、苦痛に歪む“奴”の声が聞こえた。


 ──まさか。


 と。
 この時になって自分はようやく、彼らの狙いが何であるかがわかった。


 ──ならば、この次は。


 自分の為すべきこと、やるべきことを理解し、身体に力を込める。
 彼らがくれたこの好機を決して逃すまいと、命をとして。
 彼らの信頼に、今度こそ応えるために。
 そのための瞬間は、すぐそこに差し迫ってきていたのである。





     * * *





 できることは全てやった。
 可能な限り布石を打つことができた。
 いまだ立ち昇る硝煙の香りを匂わせている拳銃から放たれた弾丸とこけおどしに使う手投げ弾が功を奏し、恐竜の意識を誘導することに成功した。最後に投擲した閃光弾も対モビルスーツ用にあつらえた強力なものだ。かつて共に旅をしていた仲間のジャンク屋にも協力を仰いで仕上げたそれは、遮光用に掛けたサングラス越しであっても、あたかも恒星が目の前で誕生したかと錯覚するような閃光を撒き散らす。強烈な光を浴び、恐竜が仰け反り身悶える。これで一時的ではあっても、恐竜の視覚センサーは完全に潰せた。自分たちにできるのはここまで。あとは託すのみである。

「──ティファ! 今だ!」

 ガロードが合図を送ると『目隠し役』だったティファがライオンから離れた。
 少女の身体が取り払われ、その向こうからライオンの紅く輝く瞳が現れる。確固たる意志の篭もった、力強い眼差しだった。

「頼むぜ……」

 ガロードは念ずる。
 自分たちの命運はライオンに預けた。
 あとのことは考えない。
 今はただライオンを信じて、声を張り上げる。

「今だぁ!!」

 もっと強く、全身全霊を懸け。

「“噛み砕け”えええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇーっ!!」

 そのガロードの思いが通じたのか、ライオンが持つ類稀なる闘争本能によって突き動かされたのかはわからない。閃光に目を眩ませて動きを止めた恐竜に対し、左の眼を保護されていたライオンはそれまでの鬱憤を晴らすかのごとく、力を込めていた四肢を伸ばして踏み切った。前脚と後ろ脚を順々に床に叩きつけ、恐竜へと跳躍する。狙う先はおそらくその喉元。いかに身体全体が装甲で覆われていたとしても、可動を保つために隙間が必ず生じているため強度は低い。ライオンはそこを目掛け、自らが備えた鋭い牙を力いっぱいに食い込ませたのだ。
 絶叫が、ほとばしった。
 ライオンに喉元を食い付かれて、恐竜が悲鳴を上げる。
 濃赤色に塗装された装甲にライオンの牙が刺さり、メキメキと音を立てて亀裂を生じさせていく。ライオンに噛み付かれて砕かれていく様は、さも圧搾機に掛けられてひしゃげていく鉄くずのよう。ほんの数時間前まで自分とティファがあの中にいたと思うとぞっとすることもなくはないが、絶対に放すまいとゆるぎない意志をもって恐竜の喉笛に喰らい付くライオンに、最後の希望を託す。

「もう少し! もう少しだ! そのまま噛み砕いちまえっ!!」

 喉に噛み付かれながらも、ライオンを振り解こうと暴れる恐竜の爪が白い甲殻をえぐり続けていた。堪らず退きそうになるところを、ライオンは屈せず牙をさらにさらに食い込ませていくことで応戦する。
 飛び散る火花と金属が軋み削られる嫌な音が応酬され合わされるなか、ライオンは最後の止めとばかりに恐竜の身体を噛み付いたまま振り回し、すぐ近くの壁面に自分の頭ごと叩き付けた。

「────っ!?」

 断末魔の衝撃が倉庫内を駆け巡った。
 ライオンが恐竜を叩き付けた壁はちょうどたまたま脆くなっていた箇所であったのか、2頭の身体が接触すると同時にひび割れて、そのままほとんど抵抗を見せずに破片が弾け飛んでいく。崩れた壁の向こうには青い空があった。ライオンと恐竜の2頭はその身に付いた勢いを殺す暇もなく、壁に開いた穴の外に消えていった。
 全ての出来事は閃光に始まり、時間にして1分にも満たぬこと。2頭の姿が消えてから数秒が経過した時、外の世界から聞こえてきた、下から突き上げてくる衝撃音に、ガロードとティファは揃って我に戻った。
 身に宿る焦燥の赴くままにひた走り、崩れた破片が散乱する穴のそばに赴くと、ふたりはそこから外の様子を見て「──あっ!」と息を飲み込む。
 倉庫の外部は周囲から見ても完全に景観に溶け込むように偽装が施されているらしく、壁は内装と外装の2層構造であり、空けられた穴の外には、上も下も右も左も何の変哲もない岩壁が続いていた。目に映る景色は、そのほとんどが青い空と砂漠によって形成されている。ライオンと恐竜の姿を見つけられたのは、ふたりがいる穴のほぼ真下。砂地の上にそれぞれ倒れて転がっている様相を晒してぴくりとも動かないでいた。
 恐竜の方は首があらぬ方向にひん曲がっているのがここからで確認できたが、ライオンの方はよくわからない。生きているのか、死んでいるのか、それさえも。ぐったりと力無く倒れているライオンに、ガロードとティファは焦りを顕にし、

「ガロード!」

「ああ! こっちだ!」

 すぐさまライオンの元に駆けつけようと足を動かし始めた。
 ひとまず向かう先は鋼鉄製の扉の脇にある勝手口へ。外に出るために施錠されていた鍵をそこいら転がっていた資材を使って強引にこじ開けた。扉を壊し、外に出る。熱波を伴った風と強い日差しを身体に受けつつも、下へと続く道を探してあちらこちらを見て回った。
 見付けた。砂漠へと続く斜面を降り、熱せられた砂に足先を記しながらライオンが倒れている場所へと急ぐ。そしてその顔の正面に立つと、切羽詰った勢いで声を投げ掛ける。

「おいっ! 大丈夫か!? なあ! おい!?」

「…………」

 呼び掛けてみても反応は返ってこない。
 頭の中に不吉な予感が過ぎるのをどうにか振り払い、諦めずに何度も声を発す。

「なあ! 聞こえているのか! 聞こえているなら応えてくれよ! なあ、頼む!」

「…………、ォォォォ……」

 ライオンの口元がわずかに動き、そこから小さく洩れる唸りが聞こえてくる。
 閉じられていた瞼がうっすらと開き、紅く光の灯った瞳がガロードとティファのことを見詰め返してきた。
 ライオンは、生きている。
 その生命の安否に気が気でなかったふたりは大きく安堵の息を吐き出した。

「はぁぁぁ、おどかすなよ……」

「良かった……」

 ともすればその場でへたり込みそうになるのを踏み止まり、安心しきった表情を顔に浮かべてライオンを見上げるガロードとティファ。
 過ぎ去った危機を噛み締めて、誰1人欠くことなく乗り越えられたという事実を改めて認識して喜びを感じた。

「大丈夫か? だいぶ傷付いちまってるみたいだけど……」

「グゥ、ルゥオオォォ……」

 白い体表に刻まれた切り傷の1つ1つを見たガロードはライオンに問う。白く綺麗だった甲殻のところどころには細やかな傷が無数にできており、恐竜との激しい戦いをつぶさに物語っていた。特に傷は顔や前脚やタテガミの部分に多く、右肩のものは1番に深い。傷の無い箇所であっても、埃や砂にまみれて身体中が汚れていた。
 ガロードとティファが心配そうにライオンを見詰めていると、白きライオンは喉を鳴らし、足先から肩を、首を、さらに胴体全体を揺り動かして、深刻な容態に陥っていないことを存分に主張したがっているように見えた。今は単に戦いに疲れて休もうとしている。
 ライオンの瞳からそのことを察し、ガロードは顔に微笑みを描いた。

「ありがとな。お前のおかげで俺たちは助かった。こんなに傷付いて、済まねぇって気持ちもあるけど……。それでもありがとな、本当に」

「ええ。助けてくれて、ありがとう」

 ふたりが続け様に感謝の言葉を告げると、ライオンは目を細め、口からは通常よりも柔らかい鳴き声を響かせてきてくれていた。ガロードとティファの思いは確かに伝わっている。そう感じさせることのできる一幕であった。
 さて、である。
 ライオンの様子を確認し、言うべきことを言い終えたガロードは、後ろを振り返り、表情を引き締めた。いまだ憂慮しなくてはならない事柄が1つだけ残されているのである。

「…………」

「…………」

 後ろを振り向いたガロードと、そしてティファの視線の矛先には、ライオンに喉元を食い破られて、首だけでなく落下の衝撃で片足までもがあさっての向きにひん曲がっている恐竜が、動かなくなった骸の姿を晒していた。首周りの装甲にはライオンの歯跡がくっきりと残っており、衝撃の大きさとライオンの顎の力の強さを全面に指し示している。付近の砂地を窺ってみても、誰かが脱出したという痕跡は見受けられない。だとすれば操縦者はいまだコックピットの中に──。
 ガロードはティファと頷き合うと、恐竜への接近を試みた。
 動き出す気配はない。完全に機能は停止しているようだ。
 胴体の部分にハッチらしきものが見られないことから、コックピットはおそらく頭部に配置されているのであろう。額の装甲がそのままハッチとしての機能を兼ねているのであれば構造的にも納得ができる。すると予想通りに、光を失った目の近くにあったカバーを開くと、外部からの強制開放を行なうための回転式のレバーを発見した。
 弾倉の交換はすでに完了している。安全装置も解除した。
 たとえどのような“出会い”であっても、覚悟しなければならない。
 厳重に警戒を重ねてガロードは、ハッチを開放するためのレバーをひねった。
 圧縮されていたガスが抜ける音がし、額の装甲がパカッと開かれる。
 いよいよ対面か。最悪の場合も考慮に入れ、その全貌が明らかとなるコックピットの中に銃を向けて、ガロードは、

「…………え?」

 そのあまりに予想外な光景に絶句し、我が目を疑ってしまった。

「え……、ええっ!?」

 何度まばたきをしても、何度目を凝らしてみても、状況に変わりはない。
 ひと目見たところ、恐竜のコックピットの内部は地球のモビルスーツとそう変わらないものだと思った。真ん中に座席があって、手元の左右に操縦桿があって、各種計器やフットペダルもある。単純に内装を見比べてみても、人が扱うものとして違和感を覚えるものでは決してなかった。
 だが、ただ“それだけ”なのである。

「む、無人機……?」

 そう。誰もいなかったのだ。
 コックピットの中には座席があるだけで、いるべきはず操縦者の姿はどこにも見られなかったのである。一応、開いたハッチの裏側を見ても、電源の落ちたモニターがあるばかり。計器の光さえ灯らないコックピットの内部はあまりに静か過ぎて、初めから誰も乗っていなかったのだと囁いてきているというふうに感じられた。

「どういうことなんだよ、こりゃあ……」

 ガロードは驚いた。ティファもカッと目を見開いて唖然としている。
 この恐竜が無人で動いていたのだとすれば、それは一体何を意味するのか。
 自分は確かに、恐竜からの威圧を感じでいた。あれが人為的に生み出されたプログラムによるものだとは思えなかったし、外部からの遠隔操作が行なわれていたとも考えにくかった。あの威圧感は紛れも無く生きとし生きる者から発せられたもの。操縦者がいなかったのだとしたら、あれは誰によるものなのだろうか。
 得体の知れない冷たさがじわじわと湧き上がり、自分は何か決定的な勘違いをしているのだと、突きつけられるような思いだ。
 恐竜は誰の手も借りずに動いていたのだとすれば、それはすなわち……。
 何か答えを掴み掛かったところであったが、突然に響き渡ったライオンの声に、その思考は中断させられることになる。

「ゴォッ!? グゥオオオーッ、グゥオオオオオオオォォォーッ!!」

「────っ! どうした!?」

 ライオンの声はどこか、何かに対する警告のようにも聞こえた。
 実際にライオンはこちら側だけではなくあらゆる方向に視線を走らせており、傷付いた身体を押して立ち上がろうとしている。何があったのかはわからない。しかし慌てて駆け寄ったふたりが寄り添うと、ライオンは何もない砂の大地に向けて低い唸り声を上げたのである。

「ウゥゥゥゥゥゥ……」

「何か、いるのか?」

「…………」

 がらりと変貌を遂げたライオンの雰囲気に、ただらならぬものを感じたガロードは、周囲に向ける意識を最大限に高めた。
 波打つように砂の平原に、静けさが到来してくる。

「…………」

 だが、それもおよその時間にして数十秒ほどのこと。
 変化の見えない状況に痺れを切らしたのか、じっと伏して姿勢を低くしていたライオンが、右の前脚をゆっくり振り上げると、ドン、と力を込めて地面を叩いた。何も起きないのであればそれはそれで構わない。本当にこの砂地に何かがいるのだとすれば……。
 ガロードが注意を地平線の辺りに向けたその矢先、答えは示される。

「!」

 最初はそれを風の仕業かと思った。
 ライオンの視線の先、ガロードたちが立っている場所から50mくらい離れた地点で、砂の起伏がこちらへと動き、盛り上がっている箇所がこちらへと近付いてきていると。
 しかし風は全く吹いていなかったし、そもそも風だけで砂はあのようには動かない。
 そのことをはっきりと認識した時、まるで下からの爆発が発生したかのように砂柱が上がり、地中から何かが這い出てきた。それは見覚えのあるものだった。

「……っ、あれは!」

 砂地の中から現れた姿形を見定めて、ガロードは叫ぶ。
 まず始めに目に入ったのは1対のハサミであった。ライオンよりも、そして恐竜よりも遥かに華奢な身体。8本の脚に、大きく反り返った長い尾。地中から這い出てくると共に、そのハサミを振りかざして、カチカチと威嚇するかのように爪を鳴らす。恐竜が出現した際に、親指の爪によって止めを刺されたサソリと全く同型同色の機体である。

「今度は、サソリ……」

 しかもそれは1体だけではない。砂の中から次々と同じサソリが現れ、佇むガロードたちを取り囲み、距離を置いて群がってきた。
 その数は計5体。後ろは崖が切り立っていて逃げ場はない。ライオンの存在に警戒をしているのか、サソリたちはすぐに襲い掛かってくることはせずに、こちらの様子を窺ってきているようだった。

「囲まれたか……」

 先ほどは恐竜に気を取られてサソリの方は良く見ていなかったが、サソリもまたコックピットはその頭部に設けられているらしく、オレンジ色のキャノピーからは中の様子がうっすらと透かして見えた。パイロットの姿はなく、座席があるのみ。あのサソリも無人機なのだ。
 油断していた。迂闊だった。
 恐竜を撃破したこととライオンの安否にばかり意識を向けていたがゆえの結果である。いくら生き残ることに無我夢中であったとはいえ、恐竜以外にも自分たちに襲い掛かってくるかもしれない可能性は、懸念すべき要素だった。
 今となってはもう遅い。ライオンは手負いで、ガロードとティファは戦力として数えられないのだから。あるとすれば拳銃に装填し直したいくばくかの弾丸くらいであり、爆薬も閃光弾も手持ちの分はさっき使ってしまった。もはやまともに対抗する術は残されていなかった。

「こんなのはねぇぜ。一難去ってまた一難かよ……」

 危機的状況に続けて陥る自らの運の無さを呪いつつ、ガロードは吐き出した息を吸い込んだ。

「なあ、ティファ……走れるか?」

「え……」

 ティファだけでなくライオンにも問い掛ける。

「お前も、走れるよな?」

「ォォォ……」

 戦えないのであれば逃げるしかない。
 逃げた先でどのようなことが待ち受けているにしても、生き延びていればなんとかなるものだ。
 不思議と不安や恐怖は、感じられなかった。
 そんなガロードの心境の変化を敏感に把握したのか、ガロードに腕を絡めてしがみ付いていたティファは、しばし呆気に取られたような表情を浮かべてから、微笑んで「ええ」と頷き返してくる。

「貴方となら、どこまでも」

 ライオンは言葉の代わりに短く吼えると、その動きにぎこちなさこそあったけれども、足元を掻いて身体をほぐすような仕草を取り始める。

「ありがとう、ティファ。それにお前も」

 肝は据わった。あとは頃合を見計うだけだ。
 少しずつ距離を詰めてくるサソリたちの尻尾の先端には、サソリ特有の針ではなく1つの銃口が装備されており、こちらへちっとも撃ってこない様子を見ると、何らかの事情で撃てないのだろうか。だとすれば、勝機はある。一気に包囲網を突破してしまえばこちらのものである。

「まだだ、まだ……」

 引き付けて、引き付けて、引き付けて。
 絶好の時機を見逃すまいと、表情を硬くするガロードとティファに、ライオン。
 陽の光によって熱せられた大地に、頬を伝った汗が流れて落ちる。生きるか死ぬかの緊張が高まるなか、それはその緊迫感が最高潮に達する、直前の出来事であった。

「────ん?」

 遠くから聞こえてきて、次第に大きくなってくる、キィィィィィンと頭に鳴り響いてくる高音に、ガロードは何事かとまばたきをした。耳鳴りではない、ライオンやサソリの鳴き声というわけでもない、もちろん自分たちのものでも。
 音がしてくる方向に視線を送ってみると、粉塵を巻き上げながら急速に接近してくるな何かが、砂の丘を掠めるように通過して現れた。地上を走っているのではない、航空機にしても低すぎる、まして砲弾の類でもなかった。一見して青白い光を放つ矢じりとも思える“ソレ”がサソリの1体に突き刺さり、勢いをそのままにサソリの身体を押し飛ばす過程をどうにか視認できただけだった。
 突然乱入してきた闖入者の登場にこの場にいる誰もが驚きを示していると、吹き飛ばされてひっくり返ったサソリのそばから青白い光が飛び上がり、上空で鋭い弧の軌跡を描きながら引き返してきて、ガロードとティファとライオンのいる目の前に降り立ってくる。
 吹き荒れるつむじ風。舞い上げられた砂が渦を巻くことでその姿をひた隠す。
 飛び散る砂に思わず顔を手で覆っていると、吹き止んだ風の呪縛から解き放たれた砂の渦が消え去り、その中心にいた者の姿をガロードの目に焼き付ける。
 退路を断たれて突き進むしかなかったガロードたちの窮地を救い、サソリの1体を行動不能にせしめた存在はなんと、サソリよりもずっと小さい、人間とほぼ変わらぬ大きさを持つ『銀色の恐竜』だった。

「ギュオオオオオオオオオオオオオォオオオオオオオーッ!!」

「な、なんだぁ!?」

 同じ恐竜とは言っても、今はもうスクラップと化している赤い恐竜とはだいぶ印象が異なり、身体つきや色も然ることながら、その身を構築する形状は機械的な部品というよりも有機的でライオンの方に近い。地面を掴んで踏ん張る後ろ足に太く長い尾。背中側の肩にはブースターらしきものが備えられてあった。周囲を取り囲む残りの4体のサソリを睨む赤い眼は、どこからんらんとしていて愛嬌ささえ感じられる。
 思いもよらぬ闖入者の姿に、ガロードはおののいた。

「な、な、何なんだ、お前っ!?」

 その問い掛けに銀色の恐竜は答えず、頭を振り上げて天に吠える。
 まるで号令を上げるかのように、その声はこの大地の隅々まで響き渡っていく。

「ギュアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァン!!」

 本当にその銀色の恐竜の声を合図としたかどうかはわからない。
 だが、それが切っ掛けであったのは確かなことだった。
 ガロードもティファもライオンもサソリたちも、皆が皆銀色の恐竜に意識を注力とさせるさなか、太陽が照り付く昼間の砂漠に蒼き疾風が巻き起こる。
 眼を凝らしていたガロードの動体視力であっても満足に捉えきれず、もやが立ち上る砂の大地の上を物凄い速度で“蒼い何か”が通り過ぎたかと思うと、一瞬にしてバラバラに解体されたサソリの1体が空中を舞ったのを、辛うじて認識したに過ぎなかった。

「なっ!?」

「────っ!?」

 遅れてやってくる凄まじい突風。正面から当たってくる空気の流れの強さに身体があおられそうになるも、ふたりは身を寄せ合ってライオンの脚にしがみ付き、迫り来る風圧をどうにか堪える。
 風が消え、止まりかけた思考の中に沈黙が押し寄せてくると、その静寂さは裂帛の気合を伴って轟く声によって打ち砕かれる。
 魂をも揺さぶられる空気の震えに、はっと顔を上げたガロードとティファの視線の先には、蒼い装甲を身に纏う『機械の獅子』がいた。

「あれは!?」

 その体躯は傍らにいる白いライオンよりもひと回りもふた回りも大きく見える。黒ずんだフレームの要所要所に配置された装甲の蒼の深さは、まるで澄み切った夏の空のよう。鼻先とコックピットと思われるクリアオレンジのキャノピーから後頭部に生えたタテガミにかけてのラインが見事な流線型を描き、四肢に生えた鋭く大きな黄色い爪が大地を掴んでいる。胸部には砲門が2つ、左右の肩や太股には冷却用の大型ファンが1セットずつあり、足首には強度を上げるための白いフットカバーが存在し、背中に装備された2本の片刃の剣がそれぞれ太陽の光を受けて美しく光沢を放つ。
 威風堂々と、荘厳な姿から醸し出される風格に、ガロードとティファは心より圧倒させられた。あの白いライオンさえもたじろがせるほどの迫力があった。

「あ、蒼い……」

「ライオン……」

 銀色の恐竜に引き続いて現れた背に1対の剣を携える蒼き獅子は、残るサソリに向けて威嚇に吼えると、その俊足を遺憾なく発揮してふたりの視界の中を無尽に駆け巡った。あるものには強烈な掌打を浴びせて粉砕し、あるものには鋭く長い牙を用いてハサミや尻尾を噛み千切り、またあるものには胸部の砲身から不可視の砲弾らしきものを放ち狙撃することによって仕留める。背中の刃を使用するまでもない。残像すらも見失うような、驚くべき機動力で3体のサソリを全て蹴散らして、蒼き獅子は勝利の雄叫びを上げる。
 あっという間の出来事で、比較になりえない程の力の差であった。
 猛々しい猛獣の外見とは裏腹な、熟練の戦士を髣髴とさせる戦い振りに、ガロードとティファは舌を巻いて呟いた。

「つ、強ええ」

「凄い……」

 その後でふたりは蒼い獅子の勝利を我がことのように喜んでいる銀色の恐竜の方を見る。

「お前の……仲間なのか、アイツは?」

「ギュイ?」

 ガロードの質問に反応して銀色の恐竜が身体ごと振り返ってくると、それに動きを合わせるふうにして、戦いを終えた蒼き獅子もこちらへと顔を向けてきた。

『おーい! そこの2人! 大丈夫か!?』

「へ……」

「え……」

 そこから発せられた“声”に、ふたりは目を見開いたまま呆けてしまう。

「い、今の……」

「人の、声……」

 記憶を遡っても、1ヵ月以上振りにはっきり自らの耳に聞こえた自分たち以外の人間の声に、ガロードとティファはそれぞれ驚きを顕にする。
 蒼い獅子側はそんなふたりの反応をどう受け取ったのか、のそりのそりと近寄ってくると、立ち止まってオレンジ色のキャノピーを開いた。するとその中からは、1人の青年が顔を出す。

「大丈夫か? どこか怪我とかはしていないよな?」

 拡声器を使わずとも、きちんと聞こえてくる青年の声。年の頃はだいたい20歳前後であり、瞳や髪の色は黒。左の頬には赤い刺青かペイントかのマークが入れられているのが特徴的である。頭の髪は逆立ち、後ろの髪は首筋の生え際のところでひと纏めにしてあった。

「……人間……だよな?」

「え、ええ……」

「?」

 ぱかんと呆けたままろくに返答を返せないでいるガロードとティファに対し、青年は怪訝そうな表情を浮かべ、コックピットから6、7mほどの高さを何の気なしに飛び降りてきて、その2本の足を地面に付ける。そしてふたりの前に立って再び問い掛けてきた。

「2人とも大丈夫か? 俺の声は聞こえているよな?」

「あ、ああ……」

「は、はい……」

 青年の声はしっかりとふたりの耳に聞こえた。その言葉も理解できる。
 目も鼻も口も耳も、頭から足先に至るまで確かめても、どこをどう見ても自分たちと根本的な差異は見られない。自分たちと同じ人間であるように見えた。

「あの、あなたは……?」

「あんた……、人間なのか?」

 ふたりの問いを聞いて青年は目を丸くすると、フッと吹き出すようにして笑って表情を崩した。

「当たり前だろう。人間以外の何に見えるんだ、お前たちには」

「ギュォ、ギュォ」

 そう告げる彼の隣で、銀色の恐竜がうんうんと頷いていた。
 こちら側の言葉も通じる。青年の笑顔に違和感は覚えない。
 ガロードはティファを眺め、ティファはガロードを眺めた。
 視線を合わせたふたりが後ろを仰ぐと、地面に伏した白いライオンがふたりのことをその紅い瞳で静かに見下ろしてきている。

「…………」

「…………」

「ォォォ……」

 ライオンと、目が合った。その喉から、短く唸る声が聞こえてくる。
 ふたりはまた顔を見せ合うと、

「やったああああああああああああああああああぁぁぁーっ!!」

「ガロード!」

 思いっ切り両手を広げ合い、歓喜に奮える心のままに互いを抱き締め合った。

「はぁ?」

「ギュ?」

 心の奥底から湧き上がってくる衝動を全て吐き出すように、ガロードは想いを力に乗せてティファを抱き締める。抱き返してくるティファも、ガロードでさえ初めて聞くほどの声を上げて無邪気に大きく笑っていた。
 ふたりは笑いに笑いを重ねて唱和させ、ぐるぐると独楽のように回り始める。

「お、おい……」

「ティファ! やった! やったな、ティファ!」

「うんっ! うんっ! うんっ!」

 ガロードはティファの身体を抱えて振り回し、ティファはガロードの頭を抱き付いたまま離れない。
 ふたりは笑う。笑って回り続ける。目には涙も浮かべて。
 回り続けた拍子に、足がもつれて地面に倒れてしまってもそれは変わらなかった。

「うふ、ふふふっ」

「くく、ははっ」

「えーと……」

 目と目が合わさるとまた嬉しさがせり上がり、ガロードとティファは胸いっぱい息を吸い込み肩を震わせて笑いを再開させた。
 ここに自分がいて、腕の中ににティファがいる。共に嬉しさを分かち合っている。
 それだけで笑い続ける理由は十分であった。
 倒れたまま仰向けになって空を見上げると、こちらを見守るかのように視線を落としてくるライオンの紅い双眸が視界の中で逆さまに映る。その向こうで、ふたりの笑う声が響く青い空には白い雲が流れていた。
 望んでいた出会いは、ついに成し遂げられたのである。

「こいつら……本当にどうしたんだ?」





   第8話「俺の声は聞こえているよな?(バン・フライハイト)」了




     機獣新世紀 ZOIDS GT 第1章「青き星から」完


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 第8話を、そしてここまで第1章の全てをお読み頂きありがとうございました。
 これにて本作「機獣新世紀 ZOIDS GT」の第1章は完となります。
 第8話の最後にてやっとゾイド側の人物であるバンとジークに出会ったガロードとティファ。そんな彼らの物語はようやくスタートラインに立っただけであり、これからはさらに広がりを見せる展開を描いていくつもりです。
 続きとなる第2章では本格的なバンたちとの初対話が始まりますし、当然フィーネの登場もあります。トーマやドクター・ディといった他のメンバーたちの登場もあります。
 第1章のテーマを「出会うこと」とするならば、第2章は「知ること」を重点に置いて人とゾイドが暮らす惑星Ziの姿を描いていきたいです。
 出会い、知り、そしてその次は。
 その前に2つ、3つ消化しておかなければならない事柄があるのに加え、以前も申しましたように私自身の都合から第1章が終わった後には、長い空白期間を設けざるをえません。次回の更新は第2章がある程度の形になった時かと。大変心苦しいですが、おそらく今年中の更新は不可能だと思います。
 本作は私にとって初めての連載物となりますので、その執筆や投稿に対する不安や心配がたくさんありました。読者の皆様から寄せられる感想・批判・批評を真摯に受け止めて次に繋げたいと思っていますので、第1章を通じで私自身の文章力・物語の構成に何か思うことがありましたら是非感想の欄にお寄せ下さい。
 あと、雑談板の方には時々顔を出すつもりなので、もし見かけましたらそのときはどうかよろしくお願いします。

 重ね重ね本作の第1章をお読み頂きましてまことにありがとうございました。



[33614] 第9話「俺たちは人間だから…」
Name: 組合長◆6f875cea ID:3a5d5162
Date: 2013/06/09 11:02





   ──ZOIDS GT──





「一体……、何がどうしたって言うんだ?」

「ギュゥゥウ?」

 太陽からの日差しが照りつく昼下がり。その荒野に降り立った青年が、目の前で繰り広げられている光景を見詰めて感想を漏らしていると、傍らに佇む相棒もまた不思議そうに首を傾げて喉を鳴らした。
 思いがけずふとした出来事を切っ掛けに遭遇し、窮地に陥っていた少年と少女を救ったまでは良かったのではあるが、その初対面のふたりから開口一番に問われたのは、よりもよって「人間なのか?」という不可思議な言葉だったのである。
 それは決して助けたことに対する感謝の言葉でもなければ、あなたは誰だ、という類の質問でもない。少年と少女は何よりもまず先に青年が人間であることを確かめようとしていた。どうしてわざわざ彼らはそんなことを訊ねたのだろうか。青年自身、そのことに半ば呆れつつも受け答えると、それがよほど重要なことだったのか、青年の言葉を聞いた彼らはそのまま呆然と互いの顔を見せ合せたあと、突如として声を上げて笑いながら抱き締め合ったのは全くの予想外と呼んでも過言ではなかった。戸惑うしかないこちらを完全にそっちのけで、少年と少女が抱き合ってくるくると回り始める光景を見せ付けられては、次第にわけがわからなくなってくる。


 ──彼らは一体、何者なのだろう。


 これといって根拠は無かったものの、思えば思うほどに今はもう笑い疲れて地面に仰向けで倒れたまま、空を見上げて放心している少年と少女は奇妙なふたりだった。年のころはおそらくどちらも10代半ば。この目で見た窮地だけでなく、よほどの災難に巻き込まれ続けていたのか、ふたりとも身体中が埃まみれで、露出している肌には擦り傷を作っていたり、衣服にも破れてボロボロになっている箇所がある。旅人か遭難者であるのは間違いないのだけれども、先程のはしゃぎようはやはり、ただならぬ事情を抱えてこの場にいるのだろうと察せざるを得なかった。
 そしてそれに付け加えて……自分らや少年と少女の他に、今置かれている状況の異様さを引き立ている存在がいることも忘れてはならない。
 その存在がいるのは地面に倒れた少年と少女のほんの近く。まるで彼らの傍にそっと寄り添うように地面に伏している。この距離では巨大過ぎて見上げなければ輪郭すらも把握できない頭部に目を向けてみると、そこにはこちらを見下ろし返してくる、力強い生命感を宿した黄昏時の夕日のごとき双眸が、紅い輝きを放っていた。
 合わさる視線を受け止めて、青年は視線を持ち上げたままポツリと呟く。

「……こいつは」

「ォォ、ォオォン……」

 さも青年が漏らした声に呼応するかのように奏でられる、低く重い唸り声。
 こちら側への警戒……とまではいかないが、自分らを注意深く観察してくる様子に、視線に込められた意志の強さがつぶさに窺い知れた。

「やっぱり、野生ゾイドか……」

 本来ならば決して人と交わることのない、完全なる野生体である。
 それもかなりの大物。己の愛機と同じ系統に属するライガータイプだった。
 人間と大型の野生ゾイドがこうした至近距離で相対するのは非常に稀なことである。どのような事情があって野生体たるライガーが、人間である少年と少女らと行動を共にしているのかはわからない。最初この場に乱入した瞬間こそたまたま居合わせただけかとも思ったけれども、どうもそういう様子ではないらしい。互いを庇い合うように立ち竦んでいた彼らの姿はとても印象深く、今もこちらへ向けられる意識とは異なり、地面に倒れた少年と少女を見守る野生ライガーの紅い眼差しは、どことなく温かであった。
 と、そうやって時間が流れるのも忘れてしばらく眺めていると、傍らに控えていた相棒が怪訝そうに青年の顔を覗き込んできているのに気が付いた。

「──ジーク?」

「ギュゥゥ……」

 ともすれば不安そうな、訴えかけてくるような相棒の瞳。
 そこに込められた思惟を察して青年は、大丈夫さ、と肩を竦めて微笑する。
 何がどうあれこのまま黙って見過ごせることではないし、場合によっては詳しい事情を少年らに問い質す必要もあるだろう。唯一懸念しなければならない存在として野生ライガーがいるものの、かの白き獅子は警戒に近い色こそにじませつつこれといって敵意を見せていないのだから、ただぼんやりとしていても埒が明かないというのは確認するまでのないことだった。
 とにかく話を聞いてみよう。まずはそれからだ。
 そう思い青年は──バン・フライハイトは件の少年と少女の顔を上から覗き込み、彼らにもう1度声を掛けてみることにした。

「なあ、おーい。そろそろ良いか、ふたりともー」

「あっ、悪い。嬉しくって、つい」

「……すいません」

 バンの呼び掛けにようやく我に返ったのか、少年と少女はやや焦ったふうにして立ち上がった。
 冷めやまぬ興奮と喜びをさらけ出すようにして、彼らは告げてくる。

「助かった。本当に助かった! あんたたちが来てくれなかったら本当にどうなることかと思ったぜ」

「助けて頂いて、ありがとうございました」

 それぞれに感謝の言葉を口にする少年と少女。
 先程の喜びようもそうではあるが、純粋で素直そうな彼らの醸し出す雰囲気に、バンはおのずと好感を覚える。

「礼ならジークに言ってくれ。ガイサックに襲われていたお前たちを見つけたのも、真っ先に飛び込んでいったのも、ここにいるジークなんだぜ。特に大きな怪我とかをしてなくて良かったよ」

「グァウ!」

 バンがそう言って示すと、相棒のジークは頷いて得意げに鳴いた。
 そんなジークの様子に少年と少女は揃って目を丸くする。

「えーと……『ジーク』って名前なのか、お前……?」

「ジーク……。あの、ありがとう……」

「ォォォォォ……」

 戸惑う少年と少女に音を重ねるようにして、彼らの頭上から野生ライガーの唸る声が響く。違和感なく、ごく自然に。当たり前のように野生ライガーと共にいる状況を受け入れている2人の姿に不思議とおもしろさや微笑ましさを感じる。やはり彼らと野生ライガーの間には、浅からぬ関係と特別な出来事があったとしか思えない。
 湧き上がる感慨や疑問はひとまず脇に置いておいて、バンはふっと表情を和らげると、ジークの尻尾や手足の動きに合わせて視線を彷徨わせている彼らへ向けて、自らを指し示した。

「で、俺の名前はバン。バン・フライハイトだ。後ろにいるのはブレードライガー。お前たちはなんて言うんだ?」

「ん……っ。ああそうか、まだ名前を言ってなかったんだっけ。俺、ガロード・ラン。バン、で良いんだよな? よろしく」

「私はティファ……。ティファ・アディールです」

「ガロードに、ティファだな。ああ、こっちこそよろしく頼むよ」

「ギュイギュイ!」

 それぞれに自己紹介を終えて、いよいよ本題へと移る。

「それにしても驚いたぜ。助けた相手に『人間なのか?』って訊かれたかと思ってたら、目の前でいきなり笑い始めて回り出すんだもんな。流石にあんなのは初めてだったよ。嬉しそうにくーるくるって」

 バンがそう告げると、ガロードと名乗った少年は気まずそうに頬をかき、

「あーあれはだな、そのぉ……。なあ?」

「え、ええ……」

 少年の救いを求めるような眼差しに頷く少女ティファ。
 心成しか両者の顔はほのかに赤い。先程のやり取りが感情に任せて思わず迸った結果であるのは明白であった。
 やれやれ、とバンは吸った息を吐き出す。

「ま、大方遭難してたからとか、そんなところなんだろ? こんな人里離れた場所にたった2人だけでいて、しかも野生ゾイドと一緒だなんて、よっぽどの事情がない限り考えられないよ」

「遭難てか、まあ、だいたいそんなところ、だよな。──というか、野生ゾイド?」

「野生……ゾイド?」

 野生ゾイドという言葉に引っかかりでも覚えたのか、ガロードとティファは頷きかけたのをなぜか引っ込め、訝しげに表情を揺らした。
 この反応にバンは初めて「おや?」と思う。

「どうか、したのか?」

「いや、野生ゾイドって……」

「ん? この野生ライガー、ずいぶんお前たちに懐いているみたいだけど、違うのか?」

 彼らの後ろにいる野生ライガーを見上げながらバンが告げると、ふたりは「え……」と目をしばたたかせた。

「ライ、ガー……? まさかゾイドって、こいつのことだったのか!?」

「ギュイ?」

「は?」

 予想外の返答に、バンだけでなくジークまでもが唖然としてしまった。
 そんなバンとジークの反応を見てガロードはしまった、というふうな表情を浮かべる。
 普通では思いもよらないほどの動揺振りであった。
 首をもたげ始めていた疑問をさらに募らせて、バンは言葉を続ける。

「まさかも何もどっからどう見ても野生ゾイドじゃないか。もしかしてお前たち、このライガーが野生ゾイドだって知らずに一緒にいたって言うのか?」

「ええっと、それはだな……」

 と、ガロードは困ったようにティファと視線を合わせる。
 少年と少女の顔にある、微かだけれども確かな迷い。それが何よりもの答えだった。

「うーん。まあ、このところここまでデカイ野生ゾイドはめっきり見掛けなくなったもんなぁ。中には野生ゾイドのことがわからないって人間がいたとしても不思議じゃない……のかあ?」

 自分で言っていてあまり腑に落ちなかったが、可能性としてはそれが1番あり得るだろうか。地方によっては生まれ育った村から1歩も外へ出ずにその生涯を終える者もいるのだから、同様のケースと考えればあながちおかしくはないのかもしれない。
 しかし、彼らの場合はこうした僻地へも足を踏み入れている旅人なのである。物静かでおしとやかそうな感じであるティファの方はともかくとして、あたりにそれとなく意識を配っているガロードの方は見るからに旅慣れた人のそれであった。
 そのことに少なくない違和感を覚えたものの、さりとて適切な結論はすぐさまには思い浮かんでこない。
 バンがそうして頭を悩ませていると、何かに気付いたジークが「ギュオ!」と首を捻って持ち上げた。
 すると遠くから、カタカタと車輪が大地を蹴る特徴的な駆動音が聞こえてくる。
 耳を頼りにそちらを振り向くと、ちょうど丘になっている砂地を灰色の機体がこちらへと向かって乗り越えてきているところだった。お椀を伏せたような外観と持ち前の牽引力でもって荷台を引っ張る姿に、バンは思考を一旦止めて口を開く。

「おっ、来た来た」

「──えっ?」

「おーい、フィーネ! こっちだこっち!」

 近付いてくる機体に手を振って呼び掛けると、一般的にオカダンゴムシ型と分類されるそのゾイドは、砂埃を巻き上げながら待ち受けるバンらのそばまでやってきた。ぽかんと目を大きく見開いて呆けているガロードとティファを余所にして、長い触角を供えた頭部コックピットのキャノピーが開かれると、怒り心頭といったふうに張り上げられた女性の声が飛び出してくる。

「もう! 酷いわよバン! ジークも! 先に行くなら行くで、通信くらいはちゃんとしてっていつも言ってるでしょ! さっきからちっとも応えてくれないから心配…………──って、野生ゾイドっ!?」

 豊かな広がりを見せる黄金色の髪ときめの細かい白い肌と澄み切った宝玉のごとき真紅の色をした瞳。出逢ったころからも変わらない、そして女性としてより成熟さを兼ね備えた雰囲気。座席に座ったまま視線をこちらへと送ってくるフィーネは、眉根を吊り上げて苦言を呈していたものの、こちらの背後にいる白いライガーが野生体であるのにようやく気付いたのか、一転して素っ頓狂な声を上げる。
 そんな彼女の姿を見、バンは笑みを返した。

「はははっ、悪い悪い。ジークを追い駆けてここまで来たら、ガイサックに襲われていたこの2人と野生ゾイドに出くわしてさ。それで詳しい事情を訊いてたところだったんだ」

「この2人って……」

 バンの言葉にきょとんとしているフィーネの位置からでは少年と少女の姿が満足に見えていなかったらしく、首を少し傾けて彼らの存在を認めた彼女は、慌ててコックピットから飛び降りると束ねた長い金髪を揺らしつつ駆け寄ってくる。
 フィーネは呆気に取られるガロードとティファの顔をぐいっと覗き込み、矢継ぎ早に言葉を捲くし立てた。

「ちょっと! 服とかあちこち汚れてボロボロじゃない! あなたたち大丈夫なの!?」

 押しの強い彼女に詰め寄られてか、ガロードとティファは思わずといった形で後じさりをした。それでも遠慮がちに返事をすることはできたようだ。

「あ、ああ、大丈夫だぜ。それほど大した怪我もしてねぇし。なあ、ティファ?」

「はい。私も、ガロードも、大丈夫です……」

「本当? あ~あもう、顔に傷まで作っちゃって」

 目敏くティファの頬にできたかすり傷を見つけたフィーネがその場所に手を添える。
 間近に迫った2つの顔と、合わさる2人の視線。心配の眼差しを向けられたティファは恥ずかしそうに顔を俯き気味にしながらも、その目はしっかりと正面にいるフィーネを見詰め返していた。

「あの……、あなたは……?」

「ん? 私? 私はフィーネ。フィーネ・エリシーヌ・リネよ。あなたはティファ、っていうの?」

「はい……、ティファ・アディールと言います」

「そう。素敵な名前ね。よろしく」

 目を細めて微笑んだフィーネの言葉に、ティファはこくりと頷いていた。

「それで、ガイサックに襲われていたってバンが言ってたけど、一体何があったの? 野生ゾイドと一緒にいるし、あっちにはレブラプターも……。そもそもあなたたち、どうしてこんな場所まで足を運んできたのかしら?」

「さっきは訊きそびれてたけど、俺もちょうど気になってたところだ。遭難していたにしても、どこかに向かおうとしてたんだろう?」

「それは……」

「あーそいつは、だな……」

 地図によれば古い基地跡こそあるものの、町や村からも街道からも遠く離れた辺境地帯にいるのにはそれなりの理由や目的があって然るべきのはずである。
 バンとフィーネの問い掛けに対し、ガロードとティファはまたも躊躇うように顔を見合わせた。短い間を置いて、ガロードが口を開く。

「俺たちがここに来たのはたまたまっていうか、なぁ……。ちょっと信じられないかもしれねぇけど、こいつに連れて来られたんだ」

 後ろを振り仰ぎつつそう告げた彼の視線の先にいたのは、紛れもなく野生ライガーだった。
 込められた言葉と視線の意味に、バンとフィーネは「え……」と声を漏らす。

「『連れて来られた』……?」

「連れて来られたって、あなたたち……この野生ゾイドに?」

「ああ。最初は単純に人が暮らしている場所を探してたんだけどな。その途中で、怪我して動けなくなってたこいつを見つけてそれを助けて。ようやく歩けるようになったと思ったら、ついて来い、ってふうに首で合図を送ってきたんだ」

「お前たちは、それに付いていったって言うのか?」

「まあな。それで辿り着いたのがここだった」

 ガロードは肩を竦めて頷いた。
 それを見てフィーネが目を瞬かさせる。

「ひょっとしてずっと歩きで? ここからどれくらい離れた場所だったの?」

 彼女の質問を受け、ガロードはやや言いづらそうに。

「……確かに始めは歩きだったんだけどな。たぶん、だいぶ離れた場所だと思うぜ。ほとんど全力疾走だったし」

「全力、疾走……?」

「なあ、それってどういうことなんだ……?」

 一瞬ガロードとティファの2人が野生ライガーに急かされてひた走る姿を頭に思い浮かべたが、彼らの話の流れから想像するにどうもそういう状況だったとは考えにくい。
 はたして全力疾走とはいかなる意味なのか。彼らの口から聞かされたのは予想を斜め上を行く驚くべき内容であった。
 背後にいる野生ライガーを示しながらガロードが語る。

「こいつがさ、俺たちを口の中に乗っけたままいきなり走り始めたんだよ。いくら言っても止まっちゃくれなかった。流石にあの時は死ぬかと思ったぜ」

「はああっ!?」

 あまりのことにバンは思わず声を張り上げた。
 隣にいるフィーネも、これでもかと言わんばかりに驚きを顕にしている。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさい! あなたたち今なんて言ったの!? この野生ライガーのどこに乗っていたですって!?」

「その、口の中です……」

 動揺のあまり声を荒らげたフィーネに対し、おずおずといった形で答えたのはガロードではなくティファだった。小さいけれども鈴のように耳へ届く少女の声が、少年の言葉に追随する。
 彼らの目に嘘や冗談といった気配は見られない。真剣な面持ちでこちらを見詰め返してくるガロードとティファの眼差しに、バンとフィーネはただただ度肝を抜かれて言葉を失ってしまった。
 例えようにない沈黙が降りるなか、カッと見開いたままの目を持ち上げたフィーネが、その矛先を野生ライガーへと向ける。

「あなたが……」

「ォウウウゥゥ……」

 野生ライガーとフィーネ。交錯する2つの紅い双眸。
 静かに見下ろしてくるライガーの瞳を前に受け止めて、フィーネの視線がそれをまっすぐに射抜いていた。
 しばらくして凛然とした声音が、彼女の唇から放たれる。

「1つだけ教えて。ここにこの2人を連れて来たの、あなたなの?」

「………………」

 フィーネの呼び掛けに野生ライガーはしばし無言の眼差しだけを返していたものの、数秒間の時間を挟んだのち、口を開き、その喉奥から巨体に似合った大きさの咆哮を震わせた。

「グゥオオオオオオオオオオオオオォォォォォーッ!!」

 空気が、揺れる。遠く遠く鳴り響く野生ライガーの叫びを聞き、その様子を見上げていたフィーネが、少しばかり引き攣った表情でバンを見る。

「バン……」

 と。
 そして彼女は呟いた。

「本当みたいよ、この子たちが言ってること」

「……マジかよ」

 確信を込めて告げてくるフィーネの言葉にもはや疑いようはなかった。
 彼らの述べた話が真実であるとするならば、ふたりは一体どのような道筋でもってここに辿り着いたのか。
 もたらされた事実にバンが戦慄めいた思いに浸っていると、ガロードとティファの方も何かに驚いたのか、野生ライガーとの『会話』を成立させたフィーネに慌てて詰め寄ってくる。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! まさかあんた、こいつがなんて言ってるのかがわかるのか!?」

 ガロードの発した確認の声を、フィーネは悪戯っぽく笑って肯定した。

「まあね。ずいぶん気難しい性格で私たちにはちっとも心を開いてくれないけど、あなたたちのこと、とっても大切に思っているみたい」

「この子の心が、わかるんですか?」

「ええ、そうよ。まあ、いきなりこんなこと言われても信じられないでしょうけどね」

 微笑むと共にあっさりと事実を認めたフィーネに対し、ガロードとティファはぽかーんと驚愕に満ちた表情を顔面に浮かべている。
 こうしたやり取りは久し振りだ。それもそうか、と彼らが示した反応に納得したバンはふたりの復活を待ち、頃合を見計らってとりあえず話を先へ進めてみることにした。

「なんだか相当な目に遭っていたみたいだな。その上今度は野良ゾイドに襲われていたなんて……。ま、災難だったって言えばいいのかな」

 それを聞いたガロードがなぜか「ん?」と首を傾げる。

「別に俺たちはこいつに襲われてなんざいないぜ。まあ確かに口に咥え込まれた時は強引ちゃ強引だとは思ったけどさ。なあ、ティファ?」

「ええ」

「は?」

「え?」

 ガロードの確認にティファが頷く。
 何気なく交わされた2人のやり取りに、今度はバンとフィーネが瞠目する番となった。

「お前たち、何を言って……」

 バンが呆然と声を掛けると、ガロードはまばたきをした。

「えっ? だって今、ゾイドって……」

「俺が言ったのはこの野生ライガーのことじゃなくて、ガイサックやレブラプターのことだ。レブラプターの方はどうだか知らないけど、ガイサックに襲われていたのは事実だろう?」

「なっ……」

「えっ……」

 バンとしてはごくごく当たり前なことを確かめたに過ぎなかったけれども、その発言にガロードだけなくティファまでもがぴしりと固まる。明らかに絶句している彼らに、かえってこちらが困惑してしまうくらいであった。

「ど、どうしたの?」

「あぁ、いや、その……」

 フィーネが呼び掛けると、ガロードはしどろもどろになってうろたえ始める。
 そんな彼の姿を見、ほんの数分前に交わしたやり取りが、バンの脳裏に去来してくる。
 導き出される1つの可能性。よもやとも思ったが、確認せずにはいられなかった。

「なあ……、ガロード」

 言葉を神妙に、混乱しかける思考を宥めてバンは問う。

「お前たちまさか、野生ゾイドのことを知らないどころか、野良ゾイドのことも……。いいや、ゾイド自体のことを知らないのか?」

「…………っ!?」

 バンの知る限り、普通であれば誰もが容易く答えを返すはずである質問に対して、身震いを起こすガロードとティファ。
 1人事情を知らずに不思議がっているフィーネに先程の野生ゾイドにまつわる彼らの反応を説明すると、彼女もまたまるでありえないものを目の当たりにしたかのような表情で息を飲み込んだ。
 振り返ってみれば出会ったときから、彼らの行動や言動にはそれとなく違和感はあったし、いくつか疑問を懐く点はあったと思う。
 彼らはなぜこのような場所をたった2人だけで彷徨っていたのか。
 なぜ自分と出会ったことであそこまでの喜びをさらけ出したのか。
 それらのことが絡まり合い、おぼろげながらも1つの道筋を形作ってゆく。不審の気持ちが全くないというわけではない。バン自身にしてみたら具体的な要素など何もわからぬ事柄ではあったものの、彼らはきっとそうなのだろうと、まだ見ぬ世界を切り開いていくような、胸の奥底をざわめかせる心の息吹きを予感させられた。
 だからこそバンはそこから先へと突き進む。
 自分自身の心のままに。そして困り果てた目でいる彼らのためにも。

「──2人共、落ち着いて聞いてくれ」

 この場にいる全員の視線が集まるなか、バンは言葉を続けた。

「俺がこれからする質問には、別に答えたくなかったら答えてくれなくてもかまわない。答えてくれてもくれなくても困っている奴を放っておくなんてできないし、やることは変らない。例えどんな事情があっても、俺はお前たちのことを助けたいって思っているよ」

「バン……」

「ギュゥゥゥ」

 心配そうに瞳を揺らすフィーネとジーク。
 バンを見詰めてそっと身構えるガロードとティファ。
 そのふたりのことを後ろから見守る野生ライガー。
 目の前に佇む少年と少女に向けて、バンは彼らの核心に迫る質問を行なった。

「お前たちは一体、どこから来たんだ?」

「…………」

「…………」

 まっすぐと彼らを見据えて告げたバンの言葉に、ガロードもティファもすぐに口を開こうとはしなかった。
 返答するか否かを悩んでいるふうではない。さりとてそう気安く話せる内容でもないといったところだろうか。
 バンは何も言わずに待ち構え、フィーネとジークも何1つ口を挟まないでくれている。
 こちらへと視線を合わせていた目を伏せてガロードが長い長い溜め息を溢した。

「……ティファ」

「うん」

 ガロードの呼び掛けにティファが首を小さく縦に振って応じる。

「話すしか、ないと思う」

「だよなぁ。もともと隠さなきゃいけないってことでもなかったし」

「ええ。それにこの人たちなら、きっと……信じてくれるって思えるから」

「あはっ、確かにそうかもな」

 そう言葉を交わす少年も少女も、どちらも吹っ切れたような顔付きだった。
 ガロードとティファはにこやかに笑い合うと、その視線の先をバンたちへと戻す。
 彼らの眼差しは、強い。一見穏やかなれども並々ならぬ覚悟を秘めた様子に、こういう目をすることができる人物であるのだと改めて思い知らされる気分となった。

「バン、それにフィーネさん」

 少年の口から、彼が持つ誠実さを伴った言葉が紡ぎ出される。

「俺たちがこれから話すこと、きっとあんたたちにとってそう簡単に信じてもらえねぇことだと思う。トンデモなくて、突拍子もなくて。それでも、聞いてくれるか?」

「ああ、もちろんだ」

 バンが頷くと、ガロードは「だったら──」と前置きを設けた。
 視線を逸らさずに、こちらを見据えて彼は言う。

「だったら、1つだけ確認させてくれ。ここは『惑星Zi』って場所で間違いはないんだよな?」

「それは……」

 ガロードに問われ、バンはその言葉の裏の意味を察した。
 ここは惑星Ziである。わざわざこの大地の名を確認したこと。やはりそれは……。

「じゃあ、やっぱりお前たちは……」

「はい。私たちは、違うんです」

 1つの結論に至ったバンを、まず先に首肯したのはティファだった。
 彼女に続き、ガロードも言葉を重ねていく。

「俺たちは、その惑星Ziって所の人間じゃないんだ。地球っていう、全く違う世界からやってきた」

 それが決定打だった。
 彼らは告げる。自分たちはこの世界の住人ではないのだと。
 これが新たなる冒険の、幕開けとなった。





   第9話「俺たちは人間だから…」





 ──この人は、まるで風のような人だ。


 ガロードとティファがこの『惑星Zi』と呼ばれる大地に迷い込んで以来、長い道のりの果てにようやく出会えた最初の人物、バン・フライハイトと名乗った青年に対して、ティファはそのような印象を胸に懐いていた。
 どことなく掴みどころがなくて、それでいて力強く、何処へでも颯爽と駆け抜けていきそうな雰囲気。
 相変わらずガロード以外の者の心を直接感じることはできなかったけれども、じっと腰を落ち着かせて自分たちの話を聞いてくれる彼の表情や仕草を目にしていると、心の中にまでその風が吹き込んできて全てを洗い流されるような、そんな感覚がする。もともと人を見た目で判断する方ではなかったが、チカラを用いずに自らの目で見て耳で聞いて、話す相手の人となりを見詰めていく。そのことにどこか新鮮な気持ちとなるティファであった。
 ふたりがこれまでの道程について話し始めていかほどの時間が経ったか。徐々に日が傾いてきており、ここはグスタフと呼ばれる灰色の装甲に覆われたダンゴムシ型の機体の影の中である。めいめいが適当な大きさの岩の上に座り、顔や手に絆創膏を貼り付けたガロードとティファの話をいくつか質問を交えながら聞いてくれていたバンが、腕を組み「うーん」と難しそうに声を漏らす。
 ガロードもティファも慎重に言葉を選んで伝えたつもりであったものの、やはり語った内容はそう簡単に受け入れられないものだったのだろう。彼の隣に腰を下ろしたフィーネという名の女性も、物憂いげに視線を揺らめかせている。
 沈黙を保ったままちっとも言葉を発しようとしない彼らの様子に、ガロードが心底困り果てた顔で口を動かした。

「やっぱり……信じられねぇよな、こんなこと……」

「…………」

 実際に自分たちの口に出して話してみて、それがどれだけ常識外れで突飛なものであるかということを改めて認識する。
 自分たちはこの世界の生まれではない。全く別の異なる世界からやってきた。どうしてこちらに来たのかわからない。もしも立場が逆で見知らぬ誰かにそのようなことを告げられたとしたら、果たして自分やガロードはどう対応していたであろうか。通常ならば全てを冗談と決め付けて、最悪拒絶の意思を顕にするかもしれない。だからこそ、ティファは不安だった。

「──月が1つしかなくて、ゾイドがいない世界、か……。まさか、そんな世界が本当にあるなんてなあ」

 いつまでも続くかに見えた沈黙を打ち破るように、そう言葉を漏らして呟いたのはバンであった。
 すると今度はフィーネも真剣な面持ちで、

「ええ。でも、だとしたら一体どうしてこの惑星Ziに来てしまったのかしら? きっと何らかの原因があると思うんだけど……」

「ギュゥウ、ウゥ?」

 まるで黄金に輝く麦の穂を思い起こさせるような髪の毛と夜空に浮かんだ月のように透明感のある白い肌。額には緑色の三角形の文様が2つある。明るい桃色を基調とした衣服に身を包み、健康的でめりはりのある体付きをした、同性であっても思わず見惚れてしまいそうになる美貌の持ち主であった。
 地球から惑星Ziへ。その根本と言える原因に考えを巡らせているフィーネ。
 彼女を眺めたジークが、1人だけ訳がわからないといったふうに喉を鳴らす。
 ガロードとティファにとって、そんな彼らの反応は意外と言うほかなかった。

「えーと……これって、なあ?」

「あの……、信じて、くださるんですか? 私たちの、話を……」

 ふたりがそれぞれに困惑を表わすと、バンとフィーネは揃って目を丸くしたあと、次の瞬間には苦笑を浮かべていた。

「ああ。俺は信じるぜ、お前たちが言ってること」

「私も信じるわ。最初はちょっと疑ったりもしたけど、今はもうあなたたちの言ってることは本当なんだってわかるから。だから安心して。ね?」

「ギュァウ!」

 よもやここまで簡単に受け入れてもらえるとは思ってもみず、にわかに状況が信じがたく戸惑いも大きい。このやり場のない感情の行き先をティファが模索していると、自分と同じ思いを胸中に宿しているガロードが、彼らに向けて口を開く。

「なあ、本当にあんたたち……俺たちの言ってることを信じてくれたのか? 自分で言ってて、かなり信用できねぇことだと思うんだけどよ……」

 ガロードの問い掛けに、バンは肩を竦めて答える。

「だから言ったろ、信じるって。それとも何か? 今の今まで話したことは全部でまかせだったとでも言うのか?」

「いや、別にそういうわけじゃねぇけど……」

 いまいち納得し切れていない様子のガロードと比較して、バンは至ってあっけらかんとした言い様だった。

「だったら良いじゃないか。お前たちだって、俺たちのことをある程度信用してくれたからこうして話してくれたんだろ? 俺はそいつに応えようと思った。だから信じる。それ以上の理由はないし、必要もないよ。なあ、フィーネ?」

「ええ、そうねバン。それに全く根拠のない話じゃないしね。だってあなたたち、ゾイドのことを全く何も知らなかったんですもの。この惑星Ziに住んでいる人間で、ゾイドのことを知らないって人の方が不思議だわ」

「だな。今までゾイドが好きな奴、嫌いな奴、いろいろな人間に会ってきたけど、『ゾイドを知らない』っていう奴に会ったのは初めてだった。この惑星Ziの人間でゾイドのことがわからない奴がいるとしたら、それこそ赤ん坊くらいなもんさ」

「そういうもんなのか、こっちだと……」

 ぽつりと零したガロードの言葉に、バンが「まあな」と頷く。

「これでもちゃんと驚いてはいるんだぜ。初めて出会った奴に、自分はこの惑星Ziの人間じゃないだなんて言われて。確かにトンデモなくて、突拍子もない内容だとは思う。でも、だからといって信じられないってほどのことじゃなかったよ。俺たちにとってはそれ以上に、なぁ……」

「……?」

 バンはそこで1度言葉を切り、やや困ったふうに視線を外していてから、ガロードとティファに向き合った。
 言い難いことを確かめつつ、それを再び咀嚼して苦々と噛み潰したみたいな笑顔を彼は浮かべる。

「お前たちが惑星Ziにやってきたのがもう1ヶ月近く前の話で、ずっと孤立無援状態だったとか、そのうち1週間掛けて砂漠を2人で歩いたとか、この野生ライガーの口に咥えられて全力疾走で運ばれたとか、あのレブラプターを協力して撃破したとか、そっちの方が驚きだぜ。お前たち、良く生きてたな」

 ほとんど呆れるように言われたバンの言葉に、張り詰めていたこの場の空気の糸がいくらか解きほぐれていく気がした。
 それを肌で感じ取ったのか、ぽかんと呆気に取られているガロードとティファを見詰めてフィーネまでもが「確かにそうかも」と笑い始める。

「まさに驚天動地ね。地球の人って、みんなそんなに頑丈なの?」

「い、いや、別にそんなことはねぇとは思うけどな。あんたたちとたぶんそれほど変わらないというか、俺たちもかなりギリギリだったし……」

 と言ってガロードは、何とも複雑そうな表情のままティファと顔を見合わせた。

「なあ、ティファ……。こういう場合、俺たちは素直に喜べばいいのかな?」

「……ちょっと、わからない……かも」

 ティファ自身このような事態になるとは予想できていなかったため、いまだ心の中の整理ができておらず、曖昧にしか答えられなかった。
 自分たちの語ったことを信じてくれた彼らにどう対応したら良いものなのだろうか。そのことに思い悩むガロードとティファを見て、バンが朗らかに笑った。

「素直に喜んで良いと思うぜ。少なくとも俺はお前たちと出会えて良かった。とにかく、ガロード、ティファ、これだけは言わせてくれよ」

「…………? 何をだ?」

 ガロードが先を促すと、バンは居住まいを正してこう述べた。

「ようこそ惑星Ziへ。こうして出会えたこと、俺は心から嬉しく思う。ふたりとも、歓迎するぜ」

「くすっ、そうね。私も同じ気持ちだわ。私からも、ようこそ惑星Ziへ!」

「ギュイ? ギャウッ!」

「…………」

「…………」

 まごころをこめて、真正面から。
 バンも、フィーネも、そしてジークも。
 戸惑うガロードとティファを前に、それでも彼らは言うのだ。
 ようこそ、と。歓迎する、と。ここにいて良いのだと。
 彼らの心に触れることができないにも拘らず、あたかもそれらが目に見えないオーラとなって具現化してくるような錯覚さえしてくる。
 自然と胸の奥底から湧き上がってくる想いにティファが浸っていると、隣に座るガロードの口元から、大きく息を吸い込む音が聞こえてきた。
 そして吐き出される、とても長いとても長い、ゆっくりとした安堵の溜め息。
 ガロードは口を開いた。

「あんたたち、人が良すぎだぜ。ひょっとして、そうやって面倒事を背負い込むことも多いんじゃねぇか?」

「かもな。そういう役回りには慣れてるよ。まあ、それがきっと性分なんだろうぜ」

「……そっか」

 呟いてガロードは、自分たちのことを告白し出してから初めて、その表情を和らげる。

「でも、おかげでだいぶ気が楽になった。ありがとな、バン」

「これくらいどうってことはないさ。改めてよろしくな、ガロード」

「おう」

 そう互いを認め合ったガロードとバンは、それぞれに右手を差し出し、こつんと拳と拳を軽く打ち合わせた。
 自分とガロードでは決して成しえない、絶妙な距離感。同性だからこそ行なえるやり取りである。これまで何度となく似たようなものを目にしてきた行為であったが、ひとたび認め合えばあっという間に打ち解けあうことができるのは、ガロードが持つ特性の1つなのであろうか、とティファは思った。今のこの場合は、なんとなくバンの方にもそういった要素があるのかもしれないとも。男性同士の間で交わされる絆の形を眺めていると、不意にフィーネと目が合わさり、彼女もティファと同じ思いを懐いていたのか、くすりと微笑み合った。

「それにしても、世界を見て回るために2人で冒険か……。やっぱり良いよな、そういうの。俺もまた、フィーネたちと一緒に冒険の旅に繰り出したいぜ」

 と、羨ましそうに語るバンを見、ガロードは己の頬を掻く。

「冒険って言われてもなぁ。確かにそういう言い方もできるっちゃできるのか? こっちに来ちまってからはずっとそんなモンだったし」

「だろう? こう言ったらお前たちは怒るかもしれないけど、正直羨ましいよ。ガーディアン・フォースってのは確かに責任重大でやりがいもある。でも、時々自由気ままっていうのも恋しくなるもんさ」

「あー、そういやあんた、一応軍人なんだっけか。あんまりそうは見えねぇけど……」

 バンの口から出てきたガーディアン・フォースという名を聞き、ガロードはそう思い出すようにして言葉を紡いだ。
 へリック共和国とガイロス帝国。
 ガロードとティファが基地跡内部を探索した際に見付けた日記帳にも記載されていた、この惑星Ziに存在する2つの国の名前だ。
 彼らの話によると、バンもフィーネもその両国間で動き回るかなり特殊な立場らしい。国籍こそ共和国軍側に属するそうだが、帝国側にも権限を持ち、独自の判断で任務に当たることができるのだという。細かい部分の説明はほとんど理解できなかったけれども、共和国を新連邦に、帝国を宇宙革命軍にと、自分の知る地球の場合に当て嵌めてみて、その立場のあり様や権限と責務の大きさに驚きを覚えざる得なかった。
 だがしかし、目の前にいるバン個人、フィーネ個人を見ている限りではどうもそういったイメージとは結びつかない。それを思うのはティファだけでなくガロードも同じようであり、自分たちの中にある軍人像とは非常にかけ離れたものなのだ。
 現にガロードから「軍人らしくない」と言われても、当のバンやフィーネにそれを気に留めている様子は全くといって良いほど見られなかった。

「あはっ、よく言われる。俺自身、堅っ苦しいのは苦手だしな」

「バンにとってはゾイドに乗ってる時が1番ですものね。今は軍に身を置いているけど、たとえそれを辞めることになっても、ゾイドに乗ることはずっとやめないはずだわ、バンの場合」

「ああ、俺は死ぬまでゾイド乗りだ。それ以外の自分は想像もできないよ」

 そう語るバンの顔は本当に晴れやかで、ゾイドという存在に対する情熱や誇りが余すところなく伝えられてくるかのようであった。

「ゾイド、か……。そこらへんの感覚はまだわからねぇや。だいいち、俺たちが今まで一緒にいたこいつとバンのブレードライガーが種族としては同じ存在だなんて、その話を聞いた後でもいまいちピンとこねぇくらいだし」

 バンの語る口の端々に何かを感じたのか。ガロードは後ろを振り向き、これまで話している間もじっとそこでこちらを見守るように控えてくれていたあの白いライオン──こちらではライガーと呼ぶ方が一般的らしい──の顔を仰いだ。
 ガロードが視線を向けると、ライオンは小さく唸り声を奏でる。その身体を覆う銀白色の有機的な甲殻の表面には、先程の戦闘によって刻まれた傷が無数に存在していたが、フィーネの手助けもあり、すでにガロードやティファと同様に応急手当ては終えてある。右肩に付けられた切り傷こそ目立つものの、見た目ほど深くはなく、この程度ならば数日で完治するだろうと告げられて、ガロードもティファも思わずほっと胸を撫で下ろしたものだった。

「うーん。ゾイドを全く知らない人間から見ると、野生ゾイドや人が乗るゾイドはそういうふうに映るんだな。俺たちにとってはどっちもゾイドで当たり前だから意外というか、なんだが新鮮な気分になるよ」

 地球と惑星Zi、2つの世界を間にある明確な差異。
 空に浮かんだ月の数や星の配置などを除けば、その筆頭に上がるのはやはりゾイドの存在の有無に他ならないであろう。
 これまでガロードとティファが行動を共にしていたライオンも、ライオンが今朝方捕食していた蜘蛛も、襲い掛かってきた機械の恐竜もサソリも、そしてその危機を救ってくれたジークもバンのブレードライガーもフィーネが乗っていたグスタフも。
 ゾイドとはすなわち、この惑星Zi上に生息する金属生命体の総称なのだそうだ。
 金属生命体。そう、『生命体』なのだ。全て、生きている。生物として違和感のない形状をしている白いライオンやジークならば「そういう生き物なのだ」というのはすぐに納得できるが、明らかに機械的な外見を持つブレードライガーやグスタフまでもがその範疇に入ると聞かされて、その事実はもはや想像の枠外であった。
 地球を旅していた時には絶対に知り得ない、この惑星Ziに住まう者たちにまつわる話が頭の中に過ぎってきたのか、バンに視線を戻したガロードがやや思い詰めた表情で肯定の意を示した。

「まあ、な。向こうじゃ金属生命体なんてのにはまずお目に掛かれねぇし、俺たちの場合はなまじ地球にモビルスーツってのがあるから、どうもそっちの方のイメージが強くなっちまうんだよな……」

「……? モビルスーツ? なんだそりゃ?」

 首を傾げたバンへガロードが説明する番となった。

「なんて言えばいいかな……。モビルスーツってのは基本的に人間の形をしていて、大きさも人間の10倍くらいが普通だな。こう、身体中が装甲で包まれていて、頭のてっぺんまでの高さが17mか18mくらい……。コックピットはたいてい胸の中にあって、そこに人間が乗って操縦する。ゾイドと違って完全な機械なんだ」

「完全な、機械……?」

「ああ。だから人間が乗らずに勝手に動き回るなんてことは絶対にないな。無人機もあるっちゃあるけど、そいつにしたって結局は自動操縦か遠隔操作をしてるってだけだし。乗り捨てられたヤツが野良化するなんてのは、それこそ天地がひっくり返ったって起こらないはずだぜ」

 ゾイドは生きているがゆえに、自らの意思を持ち、時として優れた闘争本能によって戦うことができる。そこがモビルスーツとの最大の違いだ。
 ただの機械では為しえないしなやかな挙動と類稀なる反応速度、あのレブラプターと呼ばれる赤い恐竜に襲われたときにも感じた威圧も、ゾイドが生きているならばだからこそのものなのである。
 通常はゾイドも人間の操縦を受けて動くのだけれども、パイロットを失うなどして一定の条件が揃うと、生命体としての本能が呼び覚まされて徘徊し始めるとのこと。そうやって人の手を離れたゾイドをこちらでは野良ゾイドと呼称し、今回のケースのように凶暴化して人に襲い掛かってくる際には、その対処に追われることがしばしばあるのだとバンとフィーネは語っていた。
 ガロードの口からゾイドとは異なるものの話を聞かされていたバンが、わずかに身を乗り出しつつ「へぇー」と感心そうに声を上げる。

「地球ってところにはそんなのがあるんだな。こっちにも人間に近いって言えばコングタイプ──ゴリラ型のゾイドはいるけど、人型っていうのは聞いたことがないよ」

「そうなのか? ありそうっちゃありそうなモンだけど……」

「ゾイドの外見は、ゾイドコアによって決められるからね。野生体に人型が存在しない以上、ヒューマノイドタイプのゾイドは存在し得ないのよ」

 ガロードの漏らした疑念に答えたのはバンではなくフィーネだった。
 彼女の口から零れ落ちた耳慣れない言葉に反応し、ティファもガロードと一緒になって問い掛ける。

「……ゾイド、コア?」

「……コア、ですか?」

 フィーネは頷いた。

「そう。ゾイドコアはゾイドの中枢であり、ゾイド生命体の本体と呼べる部位なの。ゾイドコアさえ無事ならゾイドはいつまでも生き続けることができるし、ある程度の傷なら自力で勝手に治っちゃうってわけ」

「じ、自力で!? ってそれってまさか、バンのブレードライガーやグスタフにも当て嵌まることなのか?」

「もちろん。見た目は違うけど、生き物であることには変わりがないからね。個体差による強弱の差こそあれ、全てのゾイドは治癒能力を有しているわ。とは言っても、ちゃんとした整備を行なったり、重傷を負った時は人の手がどうしても必要になるから、完全なメンテナスフリーとまでとはいかないんだけど」

「…………」

 もはや驚きを通り越して唖然とする事実であった。
 ゾイドは生き物である。ガロードもティファもそのことはすでに聞かされていたし、頭の中では理解できていたものと思っていた。しかしけれども、心のどこかでそれを真に理解しようとしていなかったのかもしれない。身体が機械で構成されているにも拘らず、生物としての要素を失わないゾイドの有り様にまで考えが巡っていなかったのである。

「なんつーか、なぁ……」

 フィーネによる説明を聞き終えたガロードが、そう声をにじませた。

「ゾイドって、聞いてるだけでもトンデモねぇ存在なんだな。最初はてっきり動物型のモビルスーツみたいなもんかと思ってたけど、そこまで違うとは思ってもみなかったぜ。よくよく考えりゃ、あの、ガイサックとレブラプターだっけか? あいつらが野良になって人の手から離れてても普通に動き回れるのには、そういう理屈があるからなのか……」

「まあな。でも、そこまで深く考える必要はないと思うぜ。ゾイドは生きている。生きて俺たちと一緒にこの惑星Ziで暮らしている。人によっては家畜だったり、生活の道具だったり、ただの兵器に過ぎないって言う奴もいるけど、俺にとってはジークもブレードライガーも最も頼りになる相棒で、大切な仲間だ。俺はいつもそう思って、こいつらと一緒に走っているよ」

 大切な、仲間。
 バンのその言葉には、ティファにも共感できる部分があった。
 それはどうもガロードも同じようであり、心の琴線を刺激されたのか、はるか遠く離れた故郷を懐かしむみたいにして、彼は声を発する。

「大切な仲間、か……。結局のところ、俺たち自身の目で見て、確かめていくしかねぇんだよな。ゾイドのことも、この惑星Ziのことも。まだまだ知りもしねぇことばかりだから、俺たち自身がどう思うかなんてのは誰にもわからねぇわけだし」

「そうね。私も似たような経験があるから、その気持ち、なんとなくわかるわ。ゆっくりで少しずつで良い、あなたたちの目で見て実際に確かめて。ゾイドの他にも、あなたたちに見て欲しいものはたくさんあるし」

「ああ。せっかくこうして出会えて、惑星Ziにいるんだ。俺もそれにできる限り協力させてもらうよ」

 それを聞いたガロードがふっと微笑んだ。

「こっちに来て、初めて会った人間があんたたちで良かったよ。地球からこっちに来て、ただでさえ出会えたことや言葉が通じるってだけでも相当な幸運なのにさ」

「そうか? 俺たちは単に当たり前なことしているだけだぜ」

「……そう言える人間は、向こうにはなかなかにいなかったからな」

 ガロードがバンに対して自嘲気味に肩を上下させる。
 と、フィーネが何かに気付いて思い至ったのか、自らの口元の下に手を寄せた。

「幸運といえば確かに不思議よね。さっきあなたたちも驚いたって言ってたけど、全く違う世界で使われている言葉や文字がほとんど同じだなんて。ひょっとしたら案外、バンたちの先祖はその地球ってところから来たのかしら?」

 彼女の発言に、ガロードとティファはまばたきを1つした。

「え……?」

「バンたちの、先祖……?」

 それは一体どういう意味なのか。
 するとバンが、記憶の中をまさぐっていくみたいな仕草を取る。

「あーそういやどっかでかそんな話を聞いたことがあったなぁ。青い星がどうとか……。ひょっとしてそれが、ガロードたちのいた地球ってことなのか? こんなことだったら神父さまの授業、ちゃんと聞いておくんだったよ」

「ふふっ。バンってば、大方居眠りしてたか、ウインドコロニーの外に出て遊びほうけてたんでしょ?」

「あはっ、ばれたか。あの頃は姉ちゃんにも散々どやされたもんさ」

 そのまま思い出話に花を咲かせそうなバンとフィーネだったが、ガロードとティファにとってはそれどころではなかった。
 いまだに衰えを見せない驚きと動揺を宿し、ガロードが問い掛ける。

「そ、それって本当のことなのか!? それにフィーネさんが言った『バンたちの先祖』ってどういうことなんだよ……」

 単純にこの惑星に住む全ての人を指し示すならば『私たちの先祖』と言うはずである。
 だが、彼女はそうは言わなかった。さも、自分とバンは異なる源流を持つと述べるふうに。
 そんなガロードとティファの気持ちを察したのか、バンがこの場の雰囲気の流れを代表するかのような形となった。

「俺もうろ覚えで確証は全く無いけどな。知り合いに何人かそういったことに詳しい連中がいるから、そこらへんはそいつらに訊いてみるよ。フィーネの場合は、まあ……」

 バンはそこで一旦言葉を切ると、フィーネと視線を交し合い、にこやか微笑み合ったのだった。
 そして彼の口から、再び新たな事実がふたりにもたらされる。

「フィーネは、古代ゾイド人なんだ」

「古代……ゾイド人……?」

「あの、それは……?」

 またしてもそれは聞き覚えの無い言葉であった。
 と、そこにフィーネの説明が入る。

「簡単に言えば、大昔の惑星Ziに暮らしていた先住民族ってところかしら。私はその生き残りなの。きっとあなたたちがしばらくの間滞在していた遺跡は、古代ゾイド人の手によるものだと思うわ」

「あの遺跡を作った連中の、生き残り……。じゃあ、バンは違うのか?」

「ええ。実は、古代ゾイド人の文明はとっくに滅びてしまっているの。一部の古代ゾイド人を除いて文明が消え去ったあと、この惑星Ziにどこからか入植してきたのが、バンたちの先祖ってわけ。私の場合はジークと一緒に永い眠りについて、それをバンに目覚めさせてもらった。だから今、ここにいるの」

「今でもよく覚えているよ、ジークとフィーネに初めて出逢った日のこと。あの時はまだシールドライガーだったブレードライガーも一緒だったなぁ。カプセルの中で眠っていたジークとフィーネを目覚めさせた俺は、ライガーに乗って旅に出た。最初の頃はいろいろと大変だったよ。なんせあの時のフィーネは言葉は通じてても会話がなかなか成立しなかったからな」

「あの頃の私には何もなかったものね。目覚めたばかりの私は記憶を失っていて、自分が誰かもわからず、そのことに疑問も持たなかった。今の私がいるのは、間違いなくあの頃出会った人たちと、ここにいるバンのおかげだわ」

「そう考えると、俺にとってこういう状況は2度目なのかもな。今の俺がいるのも、間違いなくジークとフィーネのおかげだ」

「ギュァオン!」

 自分もだよ、と宣言するかのようにジークが吼える。
 何も喋らずに黙って彼らの話に耳を傾けていたティファは、我知らず圧倒とされる思いとなっていた。
 隣にいるガロードも息を吐いて、感慨深そうに表情を緩める。

「なんだかもう、今日だけでずっと驚きっぱなしだな。こいつにも、あんたたちにも。もう驚き過ぎて、なんて言ったら良いのかがだんだんわからなくなってくるぜ。ゾイドだけがこの惑星Ziじゃねぇってのはよーくわかったよ」

「あはっ、そうかそうか。じゃあそろそろ良い時間だから、このあたりで一旦話を切り上げるとしようぜ。他に何か、今のうちに訊いておきたいこととかあるか?」

 気が付けば空の色が薄まってきており、もうすぐで夕暮れ時となる時刻に差し掛かってきていた。風が次第に夜の風に近付いてきている。あと1時間か2時間もすれば周囲は暗くなって星が瞬き始めることだろう。バンの言う通り、話を切り上げるには良い具合の頃合だった。

「んー、俺からは特にないかな。大概話したいことは話したし。ティファはどうだ?」

「私、は……」

 ガロードに問われて、ティファはしばし頭の中を巡らせた。
 自分たちのこれまでの道筋についてはだいたい話したし、差し迫って気になっていた事柄についてはだいぶ教えてもらった。取り急ぎ確認せねばならないことはないように思われる。あったとしても細かい部分が残されているくらいだろうか。
 特別今すぐすべき質問はない。そのことを自分の中で確かめたティファがそう答えようとしてみたところ、ふと背後から聞こえてくる唸り声が意識に入り込んできた。そちらを振り向いてみると、淡くなり始めた太陽の光を身に受けている白いライオンと視線が合わさる。野生に生きるライオンのゾイド。ティファはその姿を見詰めて「あっ」と思った。
 そうだ。1つだけ、ある。
 この惑星Ziに降り立って以来、『あの時』からずっとティファの心に焼き付いていたことだ。ガロードとティファだけでは憶測を並べ立てることしかできず、いまでその正体ははっきりとしていなかった。しかしバンとフィーネならば、手掛かりに繋がる何かを知っているかもしれない。ティファはそう期待を寄せて、直前まで言おうとしていた言葉を飲み込み、それとは違う内容を口にした。

「あの……1つだけ訊きたいことがあります。私が、あの時見た夢は一体何だったのか、どうしても知りたくて」

「…………『夢』?」

 彼らもよもや夢という単語が飛び出てくるとは予想していなかったのであろう。
 当然、ティファが言ったことを理解できたのはガロードだけであった。

「夢って、あの時の夢のことか?」

「うん……」

 今も心に意識を集中させれば蘇ってる、あの時の躍動と温かさ。
 あの日、あの場所で感じたことは、しっかりとティファの中に根付いている。
 そんなティファを見て不思議そうに瞳を揺らしたバンとフィーネが、揃って互いの顔を見合った。

「どういうこと?」

 これからティファが語ることを彼らはどう思うだろうか。
 そのことに対する躊躇いもなくはない。だがけれども、ティファは自分たちへの信頼を示してくれたバンとフィーネに、自分を偽りたくなかった。
 必要ならばあの夢のことも、自らのチカラのことを話すことさえも吝かではない。
 ティファの思いをいち早く悟ったのか、ガロードが不安そうに視線を送ってきている。

「ティファ……」

「大丈夫」

 彼の心から伝わってくる想い受け止め微笑んで制すと、ティファはあの時見た夢の内容を語り始めた。
 話すべきことはさほど多いものではない。自分たちがまだ惑星Ziに来たばかりで、砂漠を歩き身体を休めている最中にティファがある夢を見たこと。自分がまるで風のようになって大地をひた走っていたこと。その時感じた、温かくも気高い“何か”の心と、固い絆で結ばれた男性の声。すぐに目覚めて周囲を窺ってみても、そこには誰もいなかったこと。
 当初はバンもフィーネも興味深そうにティファの話を聞いていたが、終わりに行くにしたがってその表情を少しずつ真剣なものに変じていった。
 話を最後まで聞き終えた彼らは、ぽつりと呟くようにして唇を動かす。

「それって……」

「ああ」

 思慮に耽る2人の様子からはやはり、あの夢に対する心当たりがあるように見える。

「バンたちの話を聞いた後だと、ティファの夢に出てきた奴ってどう考えてもゾイドっぽいよなぁ。やっぱりあの時、俺たちの傍にゾイドがいたってことなのか……」

「私も、そうだと思います。私はあの時、確かに誰かの心を感じたんです。でも、いくら探しても、それらしい姿は見付けられなくて……。ずっと、不思議でした。私は一体、誰の夢を見たんだろうって」

 ガロードは信じてくれたけれど、ただの夢と断じてしまわれればそれまでの話だ。
 たとえ夢の正体がゾイドだったとしても、自分たちはなぜその姿を目にすることができなかったのか不思議でならなかった。
 夕焼け近い大地に風の音を残して静寂が満ちるなか、フィーネがティファに質問をしてくる。

「ティファ。1つ確認させてもらうけど、あなたは地球にいた頃から、そういった夢を見ることがあったの?」

 それは予期していた質問であったので、ティファは躊躇なく頷いた。

「はい。でも、こちらに来てからは、ガロードの心以外は何も感じられなくなってしまって……。あの時だけだったんです。ガロード以外の、誰かの心を感じられたのは」

「ふーん。なんかフィーネみたいだな、そういうのって」

 さらりと告げられたバンの言葉に、ガロードとティファは「──えっ」と瞼をしばたたかせたあと、ふたりは思わず彼らの顔を交互に見比べた。

「えーと……ひょっとしてフィーネさんにも、そういうチカラがあったりするのか?」

 ガロードがそう問い掛けると、バンの口からは「ああ」という答えが返ってくる。

「厳密に言えば古代ゾイド人がな。古代ゾイド人は今よりもずっと高度な文明を築いていて、ゾイドとも深い繋がりを持っていたそうだ。さっきフィーネがあの野生ライガーと会話できたのだって、そういうチカラがあったからなんだぜ」

「ほぇー。なんか凄ぇな、古代ゾイド人ってのは。じゃあフィーネさんも、誰か他の人間の心を感じ取ったりすることができるのか? 例えばバンのとか」

「ええ。その気になればできるわよ。ゾイドは人の心を感じることができるから、私の場合はゾイドを通じて間接的に、になるけど」

「って、ゾイド自体がそうなのかよ。そりゃあますます凄ぇや」

 感心そうに軽く笑ったガロードの心には、少なくない安堵が垣間見えた。
 ややあって、ひょっとするとフィーネもそれを見越していたのか、彼女は視線をやさしげに緩めてティファへと向ける。

「だからってわけじゃないけど、あなたが自分のチカラについて話すのを少し躊躇った理由もよくわかるわ。私も、それなりに悩んだりしたしね。ある人から諭されたこともあったわ。いつの日かそのことを笑って話し合える日が来るだろうって。私もバンも、そのことをとやかく言うつもりはないし、誰にもさせない。だからあなたもあまり気にしたりしないで、ティファ」

「…………」

 そう語る彼女の雰囲気は華やかで、色鮮やかで、自分とは対照的であった。
 フィーネとて己が古代ゾイド人であること、周囲の人とは違うこと、それらがあるがゆえに思い悩み様々な経験をしてきたのであろうか。もしかしたら、いや、おそらく辛いことや悲しいことも過去にあったのかもしれない。ティファがガロードとの出逢いを切っ掛けにしたように、彼女もまたバンたちと共にそれを乗り越えて『今』を生きているのだ。わざわざ確認しようとは思わなかったが、自分の推測はそれほど外れてはいないだろうと予感めいた思いがあった。
 目と目を合わせあうティファとフィーネを見て微笑んだバンが、肩を竦めて「ま、とにかくだ」と場を仕切り直す。

「君にもフィーネとよく似たチカラがあるっていうなら、その夢に出てきたのは間違いなくゾイドだろうな。パイロットもいたみたいだし……。なあ、ガロード。ティファがその夢を見ている間、本当にお前たちのまわりには何もいなかったのか?」

「うーん、どうだろうな。正直絶対ってほどの自信は持てないぜ。あの時は俺も寝ちまっていたからさ。でも、ゾイドほどの大きさのヤツが通り掛ったんなら、俺たちのどっちかが気付いたっておかしくないとも思うんだよなぁ。隠れる場所なんざなかったし。どんなに探しても、あそこのまわりには砂と岩くらいしか見当たらなかったぜ」

 頭に手を添えて、悩ましげにどうにか答えるガロード。
 そのガロードの言葉に、バンとフィーネは「────えっ」と面を食らわせていた。 

「……『岩』?」

「う、ん? ああ。岩って言っても、本当にただの岩だぜ。まわりは砂だらけの中にぽつんとあって、俺たちはそこを日除け代わりに身体を休めてたんだ」

 ガロードは普通に述べていたけれども、対するバンとフィーネの2人は表情に深刻さを付け加える。
 明らかに何かに気付いた。そういう様子だった。

「バン……」

「まさか……」

 俯き気味となって思考に沈み込むバンとフィーネ。
 事情のわからぬガロードとティファが戸惑いを浮かべていると、視線を地面に落としていたフィーネが顔を持ち上げた。

「ねえ、その岩って、どれくらいの大きさがあった?」

「は?」

「?」

 その問いにガロードとティファは一瞬呆けてしまった。

「大きさが、どうかしたのか?」

「いいから」

 有無を言わさぬ彼女への若干の不審を表に出しつつも、1度だけティファと顔を見合わせたガロードがフィーネに答える。

「大きさって言っても、それほどちっこいってわけでも、特別でっかいってわけでもなかったぜ。たぶん、20mもなかったんじゃねぇか? 横に細長くって、割とでこぼことした感じだった」

「そう……」

 ガロードが言い終わると、フィーネは両の眼に悲哀を湛え始めた。
 彼女はそのままの視線をティファへと移す。
 そして、慎重に足踏みをするかのように言の葉を綴った。

「ティファ。あなたは……あなたはその夢を見て、どう思った?」

「え……」

 なぜ、彼女はそんな瞳をして、そんなことを訊くのだろうか。
 理由はわからず、質問の真意も見えてこない。
 だが、彼女の問いには答えなくてはならない。でなければ先へは進めない。心の内に湧き上がってくる、強迫観念にも似た思いに突き動かされて、ティファは胸の前できゅっと手を握り締めた。

「……私は、羨ましかったのかもしれません。あの時感じた心はとても温かで、純粋で、まるでガロードの心に触れている時みたいで……。あの人たちは互いを思いやって、2人で走っていました。私もいつか、あんなふうになりたい。あの人たちみたいにガロードと一緒に走りたい。そう思ったんです」

「……そっか」

 心のままに吐露した願い。言葉はいくつあっても足りない。
 フィーネのやさしさは、変わらなかった。

「ねえ。もしそのゾイドが今どこにいるのかわかるとしたら、あなたたちは『会いたい』って思う?」

 彼女の言葉にガロードとティファは色めき立った。

「────えっ」

「それって、わかるのか?」

「ああ、たぶんな」

 と、首を縦に振ったのはバンである。

「俺たちも行ってみなきゃわからないけど、俺たちの考えている通りならきっと会えるはずだ。十中八九、間違いないと思う。ガロード。その夢を見たって場所、だいだいでもわかるか?」

「へ? まあ、遺跡と山の位置さえわかればだいぶ絞り込めると思うぜ。最後は自分の目で探すっきゃないだろうけど」

「でも、本当に良いの? きっとあなたたちが望む答えは得られないと思うわ」

 念を押すかのように紡がれるフィーネの声。
 自分もガロードも迷わなかった。

「はい、お願いします。私たちを、連れて行って下さい」

「俺からも頼む。ずっと気になってたんだ」

「──わかった。じゃあ決まりだな」

 そう言ってバンは腰を上げた。

「行ってみようぜ、そこに。なあ、フィーネ?」

「バン……」

 バンより発せられる提案を受けて、フィーネが儚げに微笑んだ。

「そうね。行きましょう、そこに。あなたたちにとって、知っておいた方が良いことなのかもしれないから……」

 あの場所に行けば夢の正体が掴める可能性が高い、と彼らは言う。
 おそらく彼らも絶対の確証を得られないためなのか、そこにどんな思惑や事情があるのかは語ってくれなかった。
 しかし今はそれで良いのだ。話すべきタイミングとなれば、話してもらえる。全てはあの場所に戻ってからであるとわかっていた。

「良し。だったら日が暮れる前に出発しようぜ。ガロード。ティファ。お前たちもそれでいいよな?」

「ああ、いいぜ。あっ、でも上のずっと向こうに荷物を置きっぱなしのままにしてたんだよな……。ちょっと行って、取って来てもいいか?」

「もちろんだ。こっちも準備があるから、それほど急がなくても大丈夫だよ」

「りょーかい、っと」

 確認を取ると同時に立ち上がるガロード。
 それを合図にしたかのような形でティファとフィーネも続く。

「ティファはこいつの傍にいてやってくれねぇか? すぐに戻ってくるからよ」

 と言ってガロードが示したのは白きライオンであった。
 彼の心と瞳にある気遣いを見、地面に伏すライオンの顔を見上げ、ティファは頷いた。

「ええ、行ってらっしゃい。気をつけて」

「おう。じゃあ、行って来るな」

「うん」

 ガロードとそのようなやり取りを交わしていると、フィーネの口元からくすりと小さく笑う声が届けられてくる。

「ジークも一緒に行って、手伝ってあげなさい。たいした量の荷物じゃないと思うけど」

「ギャウ!」

 任せろ、と言わんばかりにジークは元気良く鳴いた。
 自慢げに胸を張って、尻尾をふりふりと。
 その仕草には、自然と愛嬌に思う気持ちを誘われる。

「あはっ。よろしくな、ジーク」

 ガロードはそうジークに呼び掛けると、上へと続く斜面に向かって駆け出していった。
 ジークもその後ろを、カシャ、カシャ、と軽い金属質の足音を立てて追随していく。
 赤いジャケットを着た少年と身体全体が銀色をした恐竜の、走る2つの後ろ姿を見送っていると、ティファのすぐ隣にフィーネが歩み寄ってきた。

「凄いわね、彼。自分だって不安で仕方なかったのに、それでもあなたのためにずっと頑張り続けていたんでしょう? あなたと2人だけで……。それで1ヶ月近くも持ち堪えていたんだから、本当に凄いわ」

「ああ。俺も流石に、同じ状況に立たされて、そのまま無事に生きて帰れるかって訊かれたら自信ないな。君も、良く頑張ったよ」

 本人のいないところでガロードへ惜しみない賞賛を送ってくるフィーネとバンに、ティファは我がことのようにくすぐったい気分となった。

「……ガロードはそう言われても、きっと『自分は何も特別なことなんかしていない』と答えると思います。でも、ガロードは1度も諦めてなんていなかった。私が歩けなくて、何もできなかった時も……。ガロードはいつもそうなんです。たとえ落ち込むことはあっても、最後は諦めない。私は今までガロードからたくさん、たくさんの大切なことを教えてもらいました」

「そういうところ、バンとそっくりね。諦めが悪いところとか。彼も結構やんちゃなんでしょ? 気付くとどんどん先に行って置いてかれちゃう、みたいな」

 最後の部分をおどけるように告げたフィーネが少しおかしくて、ティファは小さく「ふふっ」と笑みをこぼす。

「はい。そういうことも、ありました」

「でしょう? バンってばしょっちゅうなのよ。さっきだって、ねえ?」

「ハハハ……」

 フィーネから発せられる非難がましい視線を受け、乾いた声で笑うのは無論バン。
 彼はこほん、と誤魔化すふうに咳払いをした。

「さてと。じゃあ、ぼちぼち準備を始めようか」

「はいはい。ティファは待ってて。すぐに終わるから」

「はい」

 ティファがこくりと頷くと、バンは待機中のブレードライガーへ、フィーネはグスタフのコックピットへ。それぞれ出発の準備を開始するために離れていく。
 1人の残されて手持ち無沙汰となったティファは、さきほどガロードに言われた通り、自らの足を白きライオンへと向けるのだった。

「ォォオォォォ……」

 ティファが近付くと、それに気付いたライオンがぴくりと頭を動かした。
 ゆっくりと持ち上げられる首。瞼を細めて向けられてくる紅い色の眼差し。その喉元から響いてくる、まるでささやき掛けてくるような唸り声。
 見ようによっては甘えてくるみたいな、それでいて抑えようのない寂しさを滲ませていると感じられるふうな響きであった。
 静かに歩を進めてやって来て、ティファは地面に伏したままのライオンの爪に触れる。こうして近くで見ると、本当に大きい。足首ごとに4つ生えた爪のうちの1つだけでも、ティファの身の丈よりもはるかにボリュームがあるのだ。四肢や胴体を覆う甲殻の白さよりもやや黒光りしている質感の表面のあちこちには、レブラプターとの戦闘を物語る細かい無数の傷ができていたものの、ライオンの爪が本来持つ強靭さはちっとも損なわれてなどいなかった。
 自分とガロードは、このライオンの爪と牙と心の意思に救われた。
 金属生命体、ゾイド。
 ライオンと出逢ったのがほんの数日前のことであるにも拘わらず、すでに何ヶ月も一緒に過ごしてきたかのような感覚は一体何と呼べば良いのだろうか。我知らずにそんなふうに思ってしまうくらいに、自分とガロードと、ライオンとが共有した日々の出来事は濃密と言っても過言ではなかった。
 時間にしてみればそう長くない、ライオンとの記憶。今日だけでもさまざまなことが繰り広げられ、驚かされもした。
 だが、もうそれも終わりを迎えようとしているのである。
 触れた指先で金属特有の冷たさと、生物特有の鼓動を感じつつ、胸の中に去来してくる思いにティファが浸っていると、いつしか時刻は夕暮れ時に差し掛かり、空の色は完全に燃えるようなオレンジ色へと染め上げられていた。
 格納庫に置いてきていた荷物をガロードとジークが担いで戻ってきて、グスタフの荷台の上にガイサックやレブラプターの残骸を集めて乗せていたバンとフィーネの準備も完了した。
 いよいよをもって、この地より出発する時となったのである。
 そして、それはすなわち同時に…………この野生に生きるライオンとの、別れの時を意味していた──。

「…………」

「…………」

「…………」

 夕日を浴びて大地が赤く色付くなか、ティファはガロードと並び立ち、少し離れた場所で身体を地面から起こして佇むライオンと、正面から顔を向かわせ合う。
 ガロードとティファはライオンを見上げ、ライオンはふたりへと視線を落とす。
 言葉はない。沈黙がこの場を支配し、後ろに控えたバンたちが何1つ言葉を発しないで見守ってくれている。ライオンへ向けていた視線を外したガロードが、肩越しにフィーネを振り返った。
 
「なあ、フィーネさん。俺たちの言葉、ちゃんとこいつにも伝わるかな?」

 ガロードの確認の声に、すぐさま答えはもたらされる。

「ええ。ゾイドは人の心を感じることができるから、あなた自身が伝えたいことを強く心の中に描いて言えばちゃんと伝わるわ。駄目元で私からも呼び掛けてみるから頑張って」

「わかった」

 ガロードは首肯すると、1度目を閉じて大きく深呼吸をした。
 吸って吐き出されるガロードの息吹き。目を開き、そこから現れた翠玉色の瞳でライオンを見詰める彼の心の中心に、さまざまな形の想いが結晶となって集約していくのをティファは感じ取った。

「──なあ、俺の声、聞こえているか?」

「…………ォォォ」

 ガロードの呼び掛けに反応し、ライオンの口元が微かだが、揺らぎ動いた。
 それを見て、ガロードは笑顔を浮かべた。

「お前と出逢ってから、本当にいろんなことがあったよな。今日だけでも朝からさんざん驚かされた。でもわくわくもした。俺たちがこの惑星を知ることができたのも、バンたちと出会えたのも、お前のおかげなんだ。ありがとう。この惑星にやって来て、1番最初に出逢えたのがお前で良かった。心の奥底から、俺はそう思ってるぜ」

「…………」

 ガロードとライオンは互いに目を逸らさない。
 だけど──と。ガロードの声は心細そうなものへと変化していく。
 だけど、と。

「だけどな。もうここでお別れだ。俺たちは人間だから……。お前とは一緒に生きられない。お前はお前で、これからもしっかり生きてくれよ」

「グゥオォォォ……」

 ガロードとティファが野生の中でいつまでも暮らし続けることができないように、ライオンもまた人の営みの中で生きてゆくことはできない。
 人間と野生ゾイド。住む世界が違いすぎる。
 別れを告げるガロードに対し、ライオンはそれを惜しむがごとく喉を鳴らす。
 このまま別れたくはない。そう言葉に出して告げてくるかのよう。
 ガロードとティファもその気持ちが心の中にないと言えば嘘となる。叶えられるのであるなら、このままライオンと一緒にいたかったし、同じ時を共有し、同じ大地を歩みたいという思いもなくはなかった。
 だが、それは許されないことなのである。
 ガロードのためにも。ティファのためにも。何よりライオンのためにも。
 わかっていて未練がましく願いにすがるのは、単なる身勝手な我侭でしかない。
 自分たちは、ここで別れを告げなければならないのだ。
 ライオンから寂寥をもって発せられる視線がいっこうに移り変わらないのを見かねたガロードが、精一杯思いやる心を胸中に込めて、握った拳を自らの頭の前に振りかざした。

「あんまり駄々こねてっと、そのドデカイ頭をぶん殴るぞ。……元気でな」

「元気で。……ありがとう」

「…………」

 ガロードはかざした拳を収め、そのあとで慈しみに満ちた声で語り掛ける。
 祈りと感謝をもって自分とガロードは、己が心のままにライオンへと告げたのだ。
 紅い瞳に浮かぶ、ささいな変化。しばらくの間ガロードとティファのことをじっと見下ろしていたライオンは、前脚を屈して顔を寄せてくると、今朝もそうしたように、その鼻頭をふたりに擦り付けてきた。

「うわっと!」

「きゃっ!?」

 1回、2回。ガロードとティファの身体を両方ともまとめて確かめるようにして触れ合い、それを済ませたライオンは、スッと顔を引くと共にすぐさま身を翻す。もはやこちらには目もくれなかった。ライオンは1度だけブレードライガーの方に一瞥を送ると、ズンッ、ズンッ、ズンッと、重い重い足音を砂地に響かせながらこの場を立ち去っていく。立ち止まるそぶりも、振り向いてくるそぶりも、決して見せなかった。
 これで良い。これで良いのだ。徐々に小さくなり、適当な足場から岩肌を登っていく白い影を眺めていると、フィーネに後ろから声を掛けられる。

「大丈夫よ。あなたたちが言ったこと、ちゃんとあのライガーにも伝っているわ」

「ああ。言いたいことは言えた。あいつも、俺たちも、もう大丈夫さ」

 ガロードはそう答えるとひと呼吸を置いて、バンたちと向き直った。

「早いとこ出発しようぜ。ここでこのままこうしてたら、そのうち辛気臭くなっちまいそうだ」

「そうだな。行こうか、フィーネ、ジーク」

「ええ」

「ギュアン!」

 バンの号令を合図にして、ガロードとティファを含む全員はグスタフのコックピットへと歩いていく。
 その途中、ふと後ろが気になったティファが、足を止めて基地跡のある崖の上の方を振り仰ぐと、そのさらに上にある岩山に見えたあのライオンの姿に「あ」と声を漏らした。

「ティファ?」

「あそこ……」

 ティファが指し示すと、ガロードもそちらへ目を向ける。
 ふたりの視界の中央。ライオンは夕日の光を浴びて彩られた岩山の上に佇み、遠くからこっちを見下ろしてきている。
 それはさも、最後の別れで自分たちを送り出すかのように。
 首を持ち上げ、上体を反らし、口を大きく開いたライオンが別れの咆哮を轟かせる。
 この距離でも十分に届く、大地の隅々まで響き渡る力強い遠吠えだった。

「凄いな」

「ああ」

 ライオンが奏でる叫びは、先を行くバンたちにも聞こえていたらしく、バンが思わずといった形で出した言葉にガロードが頷いていた。
 頷いたそのあとで、ガロードはティファだけ聞こえる大きさの声でそっと呟いた。

「さようなら、ライガー……」

 ガロードの呟きは風に乗り、夕焼けの空の中に消えていく。
 数日間同じ時を過ごしたあのライオンとの──あの白きライガーとの旅路は、こうして終わりを告げたのであった。










 グスタフと呼ばれるゾイドのコックピットは4人乗りで、とてもゆったりとした広さが確保されている。前方の右側の席には操縦桿を握るフィーネが、左側の助手席にはバンが座り、彼らに連れられたガロードとティファは後部座席にその身を落ち着かせ、唯一身体が納まりきらないジークだけはキャノピー越しにコックピットの上で丸くなっていた。
 道すがら聞いた話によると、グスタフは主に輸送用として用いられる代表的なゾイドの1つなのだそうだ。途轍もなく強固な外殻と同クラスのゾイドの中では他の追随を許さない牽引力が特徴であり、戦闘能力こそ皆無であるが、おとなしい性格と汎用性の高さとが相俟って、軍関係民間を問わず幅広く普及しているらしい。機体後部に接続された荷台の上にブレードライガーやほとんどスクラップ状態であるガイサックとレブラプターを積み込んでいても、その重量を感じさせないくらいに軽々と引っ張っていく走力は、まさしく驚嘆に値すると言えるものだった。
 夕日が沈み、夜の帳が降りた砂漠を進む自分たちの行く手を阻むものは何もない。バンたちが所持していた地図から、あの時目印にしていた山の頂と遺跡の位置を特定し、ふたりの歩いた方角と距離を概算する。そこまですれば、ティファが夢を見た時にふたりがいた場所を絞り込むことなど、さほど手間のかかる作業ではなかった。道中に1度だけ雑談を交えつつの食事休憩を挟み、最後のあたりはバンの乗るブレードライガーとジークが二手に分かれて先行することによって、目的地を探し当てたのであった。
 出発してからほんの5時間か6時間。時刻としては、真夜中と呼ぶにはまだまだ早いといった時間帯である。グスタフのコックピットから降り立った地面は昼間の熱を失っており、空気も少し肌寒い。視界一面に広がった夜空にあまり星は瞬いておらず、見上げた先の高いところに、ひと際目立つ存在感を放つ淡い光でもってかがやく、2つの月が浮かんでいた。

「俺たちがここにいたのは、もう3週間くらい前のことか……」

 その輪郭はそれぞれ真円を成していない、あと数日でこれから満月になろうとしている月の形である。この地に来訪したばかりのふたりに異なる世界の存在を知らしめ、空を巡ってそこにあり続けてくれていた2つの月。ガロードとティファにとっての、惑星Ziと呼ばれる世界そのものの象徴に他ならなかった。
 2つの月からの光に照らされて、夜の闇の中に埋もれていたあの岩場の形状や周囲の様子が、目の前にくっきりと浮かび上がる。グスタフから降りて歩み寄ったふたりは、しばし岩場全体を形作る凹凸の1つ1つを観察し、風によって描かれた砂の大地の文様にも目を向けてみる。周りを砂に囲まれて、孤立してぽつんと存在する岩の塊。日々刻々と移り変わっていく砂の上には、かつてここで過ごしたふたりの痕跡は一切見られなかったものの、岩場の大きさや形やそこに刻まれた風化の爪痕は、ティファの記憶の中にあるものと寸分違わず一致していた。
 ここ、なのである。あの夢を見たのは、間違いなく。
 今からおよそ3週間ほど前に、自分たちはここにいた。
 目に映る範囲の全てに視線を走らせ、最後にちょうどあの時ふたりが身体を休めていた窪みの付近を見詰めて、ガロードとティファはふうと小さく息を吐いた。

「やっぱり何もないよな、ここには……」

「うん……」

 あの時との違いと言えば、昼と夜との差しかない。それ以外全く変わりがなかった。
 周りをいくら見回してもこれといって何かが存在するというわけもなく、誰もいない。ましてや、ゾイドのようなものの姿などどこにも確認することはできなかったのである。
 果たして本当に、ここまで来ればあの夢の正体が掴めるのだろうか。
 念のため試しにチカラを外へ開放してみても……周囲を満たすのはざわつく雑音にも似た感覚ばかり。ガロードの他に何も感じられないという変わらぬ結果に、ティファは心の中で静かに落胆していた。

「なあ、バン……。本当にここまでくれば何かわかるのか? 見たところ特に手掛かりになりそうなモンなんてなさそうだけどよ……。ここから先はどうするつもり……だった、んだ……」

 どんなに考えあぐねていても、この惑星Ziについて万全な知識を持ち合わせていないガロードとティファにとって、解決の糸口など全く見出せない状況におのずと憤りを覚えてしまう。そのことに痺れを切らしたガロードが後ろにいるバンたちに言葉を投げ掛け出したのであるが、その声が次第に尻すぼみになっていくのをティファは聞いた。

「バン……?」

 ガロードの口から戸惑いの色を含んだ声が発せられる。
 どうしたのだろう。ガロードが心の中に湧き上がらせた困惑の理由がわからなくて、ティファは彼に倣って少し離れた場所に佇むバンたちに視線の先を移してみると、彼らはそれぞれに悲しそうに半ば呆然と、夜の砂漠に鎮座している岩場の方を見上げていた。それはまるで、大切な何かを目の前で失ってしまったかのような、そんな表情だった。

「バン、フィーネさん、どうしたんだ?」

 彼らの様子がただごとではないといち早く察したガロードが問い掛けると、悲しげな表情のままのバンが質問を返す。

「ガロード……。ここで、間違いないのか……?」

「あ、ああ。ここでたぶん、間違いはねぇと思うぜ」

「……そうか。やっぱり、そういうことだったのか」

 重々しく、絞り出されてくるかのごとき言葉の羅列。バンは納得するかのように目を細めていたけれども、事情を知りえぬこちら側にしてみればわけがわからない。
 一瞬にして困り果てたガロードとティファが顔を見合わせていると、神妙な面持ちとなったフィーネが、ゆっくりと語り掛けてくる。

「あなたたちが気付かなかったのも無理はないと思うわ。だって、あなたたちは知らなかったから……。ううん、たとえ知っていたとしても、ここまで風化が進んでしまっていれば、気付かなかったのも不思議じゃないと思う。惑星Ziに暮らしている人の中でも、ほとんどの人たちが気にも留めないことでしょうから……」

「は……」

「え……」

 彼女は一体、何を言っているのだろう。何を告げようとしているのであろう。
 フィーネの顔と瞳より伝わってくる悲しみの静けさ。
 ガロードとティファがそれについてを問い質すよりも先に、彼女の言葉は続いていく。

「ゾイドには、ゾイドコアと呼ばれる部位があることは、さっき説明したわよね?」

「確か、ゾイド自身の本体っていうヤツだったよな。それとティファが見た夢と、どう関係があるって言うんだ?」

「……大ありなのよ」

 フィーネはそう言うと、岩場へと向かう砂地の上を歩き始めた。

「──ゾイドコアはゾイドの中枢にして本体。ゾイドの頭脳であり、同時に心臓部でもある。ゾイドの意思も、ゾイド自身の力も、基本的に全て、ゾイドコアによって司られ、そこから発せられているの。ゾイドコアが健在な限り、ゾイドはゾイドとして生き続けることができる。たとえそれはどんなゾイドであっても変わないことだわ。でも、でもね……」

 ガロードとティファの立つ位置をも通り過ぎ、岩場のすぐ近くまでやって来たフィーネはその場で立ち止まる。彼女が手を伸ばせば簡単に届く、その程度の距離であった。
 ゾイドコアについてをおさらいするフィーネは、視線を眼前の岩場に固定したまま動かさない。月夜の光にて照らされてきらめき、そよ風に揺れる金髪の女性の後ろ姿には、ある種の神秘ささえも感じられる。かかげた指先で岩肌に触れた彼女は、感情の灯らない声で「でも……」と淡々と言葉を重ねた。

「ゾイドコアを破壊されたゾイドは2度と再生しない。身体が朽ちて、だんだんと石に変わっていって、そして最期に死を迎える。私たちはこれを『石化現象』と呼んでいるわ。そう、ちょうどこの……」

 フィーネは岩場そのものを見詰めて、ただ述べる。

「この、コマンドウルフのように……」

 彼女からそのことを告げられたとき、ティファの胸の内に去来してきたものは果たして何であったか。
 ガロードもティファも、ふたりは何1つ言葉を発せられず、黙してフィーネの横顔を眺めることしかできなかった。
 理解が意識の中に浸透してくる時となって、ようやく心が動き始める。
 フィーネが言ったこと。目の前にあるこの状況。それら全てを統合した結果、そこから導き出された答えに震えた感情の中身は、途方もない凄まじさの、愕然のひと言だった。

「ん、な、あ……っ」

「──────ッ!」

 ガロードは驚きのあまりに掠れた声で喉を引きつらせ、ティファもカッと目を見開いて口を両手で覆う。
 あまりの事実に、身体中の血流が、自分の手足の先から血の気が音を立てて引いていくのを、ティファは心の中でこの時感じたのだ。

「コマンド、ウルフ……。それに、石化現象って……」

「ええ。風化の具合から見て、相当長い年月が経過しているわ。ティファが見た夢はたぶん、きっと……このコマンドウルフのものだったのよ」

「これが、ゾイド……っ!」

 ただの岩にしか見えないものが、かつては生きとし生きていたゾイドの亡骸であると、フィーネは言う。確かに言われて見てみれば、その岩の形や大きさは体長が15mほどあるイヌかオオカミのようにも見えなくもないかもしれない。無論、にわかに信じがたいことを耳にして「まさか」という疑念が頭をもたげなくもなかったが、今更フィーネが虚実で物事を語るはずもないし、理由もない。それに付け加えて、死したゾイドを見詰めて離さないフィーネの赤い眼差しには、迂闊な反論を許さぬほどの、奇妙とも言える迫力が存在していた。
 ふと、何かに思い至ったガロードが、驚愕をそのままに声を荒らげる。

「じゃ、じゃあ、ちょっと待ってくれよ! 死んだゾイドが石みたいになっちまうんだったら、この砂漠にあった他の動物っぽい形をした岩も全部そうだって言うのか!?」

 今ここのある岩がゾイドだというのならば、2つの月を最初に見上げた巨人岩や他の日除けに使った岩々も、あれら全てがゾイドだったということになる。
 ガロードの懸念に対する答えは、フィーネの肯定という形で開示された。

「このあたりは昔、何十年か前に激しい戦闘が行なわれた地域だったそうだから、その時命を落としたゾイドたちが石化した状態で取り残されていたとしてもおかしくはないわ。このコマンドウルフも、そうしたゾイドの1体だと思う」

「だったら、なんで……。こいつが本当にゾイドだったとしても、そいつが死んじまったのはとっくに昔のことなんだろう? そんなことってあり得るのか!?」

「────どうしてそんなことが起きたかはわからないけど、俺も昔、似たようなことを経験したことがある。ノーデンスという村で俺が出会った、チロルという名のヘルキャットのことだ」

「バン……」

 いつしかバンもフィーネの隣にその身を立たせていた。ジークもいる。
 ヘルキャットという名前から、ネコ型のゾイドの話なのだろうか。
 信じられない、けれど信じたい。今のガロードとティファと同じような、2つの相反する思いを混ぜこぜにした表情を浮かべて、彼は言った。

「今から3年くらい前、ある奴と戦って傷付いた俺は、ジークたちともはぐれて1人で彷徨っていた。そんな俺を助けてくれたのはニコルっていう男の子だった。ニコルのそばにはチロルがいて、彼らは友達だった。俺は二コルと一緒にチロルに乗り込んで、あたりを走り回った。それこそ風のように、めいっぱい思いっきり。俺は確かにあの時、ニコルやチロルと一緒に走ったんだ。あの時の感覚は今でも忘れられない」

 忘れられない。その時の情景を思い出したためか、言葉を噛み締めていくふうにして告げたバンは、そこで話を区切って息を吸い込んだ。

「でも、あとになって同じ場所に行ってみると、そこには1体の石化したヘルキャットしかいなかったんだ。それはチロルだった。しかも話はそれだけじゃ終わらなくて、ニコル自身も、10年も前に亡くなっていると村の人から聞かされた。俺は今でも不思議に思うことがあるよ。俺があの時会って、一緒に走ったニコルとチロルは一体何だったんだろうってさ」

「…………」

 バンが話した内容は、あまりにティファの夢と符合していて、単なる偶然とは思えないものであった。彼もまたゾイドにまつわる不可思議なことを経験したのである。それも夢というあやふやな形ではなく、ティファとは比べ物にならないほどの現実感を伴って。
 のちに事実を知った時、石化したゾイドを前にして彼はどう思ったのだろうか。その顔から過去の遡ることなど、今のティファには到底成し遂げられぬことだった。

「じゃあ、ティファにも同じことが?」

「たぶんね。ゾイドは人の心を感じることができる。だから逆に、人がゾイドの意思に影響を受けることも珍しい話じゃないの。バンの時も、ティファの時も、詳しい原因はわかっていないけど、ひょっとしたら石化した身体の中にゾイドの思念のようなものが残されていたのかもしれないわ」

「思念、か……」

 ゾイドは人を感じ、人もまたゾイドを感じる。
 決して一方通行ではない関係性。互いを尊重し合い、どちらかが無理やり服従させるわけでも、そのことに絶望を懐くわけでもない。あの夢で見たゾイドとパイロットはまさにそういう関係性であった。
 だが、もうあの夢で見た光景を直接目に焼き付けることはできない。そのゾイドはもはや息絶えて、走ることはすらもできないのだから。
 そう思うと、ティファの胸の中に心を引き裂いてしまいたくなるような想いが生じてくる。

「この子はもう、走れないんですか?」

 それは未練で、藁にも縋りたい気持ちだったのかもしれない。
 夢の記憶と心のままに噴出してくる感情を抑えきれず、自分でも無茶苦茶だとわかるティファの問いに、フィーネは首を振って応えてくれた。
 首の向きは縦ではなく、横に。ジークも悲しそうに喉を鳴らす。フィーネはざらざらとした岩の表面をそっと撫でた。

「コアが休眠状態に陥っているのならともかく、完全に機能が停止して死んでしまっているコアを蘇らせる手段はないわ。石化してしまったゾイドは、このあとも風化して、朽ちていって、大地に還っていく。それがこの世界の──惑星Ziにおけるゾイドの摂理なのよ」

「そう、ですか……」

 わかっていた。わかっていたのだ。
 死した命は蘇らない。ゾイドであっても、他の生き物であってもそれは変わらない。
 話したいことはたくさんあった。もし夢に出てきた者たちと実際に会って、話すことができたとしたら、投げ掛けたい言葉はたくさんあった。
 夢の真実を知ったあととなっては叶わぬ望み。今この場で掛けるべき言葉さえも選び取ることはできない。
 孤立無援で彷徨い歩いていたガロードとティファにわずかばかりの希望を与えてくれたことへの感謝を述べれば良いのか、それとも存在を気付けずに通り過ぎてしまったことへの謝罪を述べれば良いのか。
 そのどちらもが正しいと思えたし、そのどちらもが間違っているとも思えた。
 言葉に出せない。口は動かない。心には痛みが走った。ひたすらに立ち尽くして、その骸の姿形を眺めていると、心配に揺れるガロードの心が優しくティファの心を包み込もうとしているのを、意識を向けずともはっきり知覚することができる。

「ティファ……」

「大丈夫、ガロード。大丈夫、だから……」

 涙は流れなかった。流してはいけないと思った。
 その想いは言葉に成さずとも通じたのか、ガロードはティファの手を取って握り締めると、ふたりは並んで空に浮かんだ2つの月と、かつて生きて走り回っていたゾイドを、1つの視界に収めた。

「俺たちはずっとゾイドといたんだな。ずっと、初めから……」

「ええ……」

 今この胸の中に懐く想いは悲しさではない、嬉しさでもない。
 あるいは決意にも似た感情かもしれないとティファは思う。
 今日という日だけでも自分たちは、かなりのことを知った。ゾイドのことも、それ以外のことも。
 しかし全てではない。まだまだ足りない。この世界に身を置くためにも、遥かな故郷を望むためにも、これから知らなければならないことが数多くあるのだ。
 ひんやりとした空気の中でガロードの手のひらの温もりを感じつつ、ティファはそのことを改めて心にへと刻み付けるのであった。





   第9話「俺たちは人間だから…(ガロード・ラン)」了



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 皆様お久しぶりです。
 第9話ををお読み頂きありがとうございました。
 本来であれば今年中の更新は行なわない予定でしたが、来月と再来月、今年の12月と来年の1月が非常に忙しくなるのが判明しましたので、今回は執筆を早めて今後の展開の流れにあまり影響のない第9話を投稿しよう思い立ちました。
 今回のお話を作るにあたり、だいたい書く内容は前もって決まっていましたけれども、前回バンとジーク、そして今回初登場となるフィーネの存在により、会話文が増えて分量が膨れ上がりました。こうして考えるとガロードとティファの2人だけでは、本当に会話の量が少ないんですよね。第9話を書き始めた頃はバンとフィーネのキャラがなかなか掴めなくて難航しましたが、どうにか1つの形にすることができたと思います。
 今回書きたかったシーンのうち、地球出身を告白する場面では相手がバンとフィーネであることに重点を置き、野生ライガーとの別れはここでこうするしかないという思いを込めて、第2話におけるティファが見た夢の事実を語る場面ではこれ以上先延ばししてはならないという判断によるものです。
 第10話における書くべき内容はすでに決まっていますが、その更新までにはまたしばらく時間が掛かると思います。これからも空いた時間を見つけて執筆を重ねていきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。
 それでは、またの機会に。



[33614] 第10話「大切なのは、これからのことだ」
Name: 組合長◆6f875cea ID:967f395d
Date: 2013/07/30 19:53





   ──ZOIDS GT──





「──着いたわよ」

 そう、囁きかけてくるかのように告げられたフィーネの言葉に、半ば眠りかけていた意識を揺り起こすと、走行するグスタフの後部座席に座ったガロードの目に、暮れなずむ光の中に浮かんだ、荒野に佇む軍事基地らしき施設の姿が映った。
 周囲を有刺鉄線付きのフェンスで囲まれ、遠くからざっと見ただけでもかなりの規模があるようである。正面中央の司令部らしきコンクリート製の建物が1番大きく、その脇には丸い屋根を持つ格納庫がいくつも点在していて、滑走路としても用いられそうな広場が確保されていた。
 これで昨日の夕方、あの白い野生ライガーと別れて出発してから丸1日が経過したということとなる。地球から惑星Ziと呼ばれる全く異なる世界に飛ばされてしまったガロードとティファは、1ヶ月近くにも及ぶ漂流の果てにバンやフィーネたちと出会い、こうして彼らに連れられてここまでやって来た。
 コックピットに4人を乗せ、そのキャノピーの上にはジークが身を丸ませて、機体後方に接続された荷台にバンのブレードライガーやスクラップ状態のガイサックやレブラプターを積載したグスタフが、基地のメインゲートに差し掛かって一旦停止すると、詰め所と思しき場所から守衛を務める1人の兵士が顔を出してきた。その身に纏う制服は全体的に灰色を基調とし、襟元から覗くインナーは赤い色をしていて、顔には顎下の所に緑色のマーク、頭には防砂用の布の付いた制帽を被っている。右肩には標準的な小銃を背負ったいかにも兵士らしい出で立ちであった。
 向かって右手から歩み寄ってくる彼を迎える形でグスタフのキャノピーが開かれると、操縦桿を握ったままのフィーネが対応をし始める。一瞬、後部座席にいるガロードとティファを見やった兵士が驚いて目を見張る場面もあったけれども、すかさずバンとフィーネが二言三言簡単な説明をし、それを聞いて彼は納得がいったふうに頷いていた。
 通行の許可が下り、門は開かれ、グスタフは基地内に入っていく。グスタフはそのまま道なりにゆっくりとした速度で進んでいき、並び立つ格納庫の中から1つを選んでそちらへと向かっていった。
 格納庫は1つだけでもかなり大きい。頑丈に作られた鋼鉄製の扉をくぐり抜けて内部に立ち入ると、そこは荷台を引くグスタフを収容しても十分にスペースの余裕が余りある広さがある。
 窓や扉の隙間からうっすら夕日が差し込む格納庫内でグスタフが完全に止まると、助手席に座ったバンが軽く伸びをして口を開いた。

「そら、着いたぞ」

「おう」

「はい……」

 バンの言葉を聞き、ガロードとティファはそれぞれに荷物を持ち、揃ってクスタフから降りていった。つい先程までガロードの肩に頭を預けて眠っていたティファであったが、今ではすっかり目覚めて意識を覚醒させているようである。外の空気を比較して、冷たくひんやりとした床に両足を落ち着けると、ガロードは「ふう」と息を吐き出した。

「はい、お疲れ様。しばらくは窮屈に思うこともあるでしょうけど、できるだけ便宜は図るようにするから、ちょっとの間我慢してて頂戴ね」

「んっ、ああ。それくらいは覚悟の上さ。こんな俺たちにちゃんと寝床や食いモンを用意くれるっていうんだ、文句なんか言えねぇよ。こっちこそ、よろしく頼む」

「しばらく、お世話になります」

 ここが軍事基地であるという特性を考えれば施設内における自分らの行動に制限が設けられるのは当然といえば当然の話だ。頼れるものがバンやフィーネしかいない状況下で迂闊に動き回ることはできないし、下手に騒動を起こして彼らの手を煩わせるつもりもさらさらない。予め寝る場所や食事等、当面の生活に関して面倒を見てもらえると確約を貰っているので、考えうる限りでこの上ない待遇なのである。
 だがそれもいつまで続けられるのか。バンとフィーネを信頼していないわけではなかったものの、過去これまで現役かつ有人の軍事基地を訪れてあまり良い思い出が無かったのも確かなことだ。希望的観測をもってしても、これから自分たちはどうなり、どうすべきなのか。先行きの見えないことへの不安や、その中で自分たちの身の振りを手探りで見定めていかなければならないことへの重圧などといった感情が、胸の内に微量ながらも存在しているのである。
 同時に、だからと言って悩んでばかりもいられない。
 とにかく出来ることから始めてみよう。そう思ってガロードはそれとなく周囲を窺ってみたところ、薄暗い倉庫内にブレードライガーやグスタフとは別に、もう1つ巨大な機影らしきものが、すぐそばにあることに気が付いた。

「────んんっ?」

 暗がりでもともと黒っぽい色をしている所為なのか、その全体像はここからではあまりよく見えない。おぼろげながらに掴める範囲では、少なくともブレードライガーよりもひと回りほど大きいだろうか。
 何だろう。おのずと興味を引かれてガロードが意識を集中させていると、先に降りていたバンがスイッチを入れたのか、天井に備え付けられた照明がぱっと一斉に光を灯した。
 明るくなる屋内。最初こそその明るさに目が眩みそうになったけれども、それもすぐに慣れる。暗さの中に覆い隠されていた機影の正体がわかるようになり、改めてその姿を己の視界に収めたガロードは、驚くよりも先に感嘆の吐息を口から漏らした。

「ほぇぇぇぇ」

 はたして明かされた正体は、もちろんのことながらブレードライガーでもなければグスタフでもない。しかし、同じ動物の姿を連想させられる金属生命体、ゾイドであった。
 まずもって目に付いたのは頭部に生えた角の形。頭頂部の左右対称に突き出た角は太くいかにも頑丈そうな造りであり、大きくねじれて鋭く尖った先端が正面を向いている。その中央に配置された頭部は、ブレードライガーとは違い透明なオレンジ色のキャノピーではなく、機体色と同じ黒い装甲で覆われた構造になっていて、1対のちゃんとした“眼”が形成されていた。視線の矛先を後ろへ移すと、そこにはブレードライガー以上に無骨で堅牢な体躯が存在しており、四肢にはハンマーのように重厚そうな蹄がそれぞれに鈍い金属光沢を放っている。そしてさらに外見上における最大の特徴は、大きく盛り上がった背中に取り付けられた砲門の多さ。向かって正面から見て中央には3段3列に9つ、その左右には縦1列に4つずつ、合計17門にも及ぶ大口径砲が装備されているのだ。尻尾と腰に取り付けられた対空砲や胸の3連装砲や頬の部分に接続されたミサイルポッドと思しき装備も含め、全体の見た目が地球で言うところの野牛にそっくりなものであるとは思えぬほどの、砲撃戦を主体とした重武装かつ重装甲なウシ型のゾイドなのであった。

「これってバッファローか? なんつー武装の数だよ。下手すりゃレオパルドが霞むくらいじゃねぇか」

 かつての仲間の1人が搭乗していた砲戦型のモビルスーツと比較してもちっとも遜色がない、いや、むしろ力強さという面ではこちらの方が圧倒している印象さえ受ける。
 ガロードが注意深くその機体を眺めていると、バンからの説明がかかった。

「コイツはディバイソンだ。共和国が旧大戦時に開発した重武装ゾイドで、見ての通りバッファロー型さ。性格はおとなしい割に勇猛果敢。砲撃による後方支援だけじゃなくて、あの角や蹄を使って格闘戦もこなせる。ディバイソンが横1列に並んで突撃を仕掛けた日には、それだけで並大抵のゾイドは震え上がっちまうくらいだからな」

 これまで聞いた話を総合すると、武装を容易に持ち替えて汎用性を獲得したモビルスーツに対して、兵器としてのゾイドはおのおの得意分野に特化した性能を発揮できるようになっているらしい。例えば格闘戦を主軸とした高速機動を得意とするブレードライガーや物資輸送に秀でたグスタフといった具合だ。
 ガロードは頭の中で目の前にあるディバイソンと呼ばれるゾイドが横1列に並んで突撃をし、背中の砲門で敵を一気に殲滅する光景を想像して、あまりの苛烈さに顔が引き攣るのを禁じえなかった。

「うげっ。こんなのが部隊組んでいっぺんに突進してくるのかよ。やっぱりトンデモねぇなぁ、ゾイドって。正直、コイツに正面には絶対に立ちたかないぜ……」

「ははっ、わかるわかる。確かにライガーとかに比べたら俊敏性に欠けて横手からの攻撃に対処しづらいって弱点はあるけど、正面への攻撃力は折り紙付きだ。俺もうっかり現場でこのディバイソンにロックオン掛けられた時は冗談抜きで冷や汗ものだったよ」

「う、うっかりって……。どういう状況だったんだよ、それ……」

 冗談にならないことをあっさり言ってのけるバンを見て、ガロードはほとんど呆れに近い感情を言葉に乗せて滲ませる。
 と、ガロードが見ている前で朗らかに笑っていたバンは、何かを求めるように視線をあちらこちらへと彷徨わせる。
 今度は一体何なのだ。ティファと顔を見合わせたガロードは、その意図を問い質してみることにした。

「バン、どうしたんだ?」

「いや、ここにディバイソンがいるってことは、そろそろここに顔を出してきても良いんじゃないかなって思ったんだけどさ。俺たちが着いたのはとっくに知らせが行ってるだろうし」

「…………? 誰がだ?」

 どうやら待ち人がいるらしい。話の流れから察するに、このディバイソンのパイロットか何かなのだろうと当たりをつける。
 すると噂をすればなんとやらなのか。自分らがいる格納庫内に新たな人物の声が響き渡ったのはまさにこの時だった。
 それは隠すことのない苛立ちに打ち震えた、1人の男の声であった。

「くぉらバン!! 貴様! 昨夜遅くに人を呼びつけておいて、今頃のこのこやって来るとは一体どういう了見だ!? おかげで待ちくたびれてしまったぞ」

「おっ、トーマ」

「シュバルツ大尉」

 現れた男を出迎えて、バンとフィーネが揃って振り返る。
 バンからトーマと呼ばれたその男は、年の頃はバンたちよりもやや年上で20代の前半から半ばといったところ。身長は高めでぱっと見細身な雰囲気ではあるが、よくよく観察すれば手足は鍛え抜かれ、軍人らしくメリハリのある身体つきをしている。眼の形はやや切れ長で瞳の色は明るめな翠玉色。左眼の下には小さく撥ねた格好の赤いマークが描かれており、その端正な顔立ちは今なお噴出してくるような勢いでバンへの怒りに染め上げられていたのだった。
 ずんずんと詰め寄ってくる彼に対し、バンはバンで至って悪びれる様子もなく平然としていた。

「いやぁ、悪いなトーマ。こっちも色々あってさ」

「ごめんなさい、シュバルツ大尉。本当ならもっと早く帰ってくる予定だったんだけど、思った以上に時間が掛かってしまって」

「いえ、いえいえ。そんなことを言わないで下さい、フィーネさん。このトーマ・リヒャルト・シュバルツ、きちんとわかっております。大方バンがまた、フィーネさんの手を煩わせるようなことを仕出かしたのでしょう?」

「うーん。実際当たらずも遠からずって所かしら? まあ結果的には良かったんだけど」

「おいおい、ひどい言い掛かりだぜ、2人供」

 どうやらそのトーマという人物の眼中にはいまだガロードとティファの存在が入っておらず、苦笑するバンに対しては手厳しく、フィーネに対しては丁寧で柔和に接する態度を見、彼がどのような人物で、バンたちとどのような人間関係を築いているのかをなんとなく悟る。

「なんつーか……。結構わかりやすい人みたいだな、あの人……」

「うん。そうみたい……」

 すっかり置いてけぼりを食らってしまったガロードとティファが率直な感想を囁き合っていると、件の彼はようやく2人の存在を認めたのか、驚くと供に不審そうな表情を浮かべて眉根を寄せた。

「むっ。なんだ、このお子様2人は? お前が連れてきたのか、バン?」

「ん。ああ、そうなんだ。そもそもお前をここに呼んだのも、この2人に会わせたかったからなんだよ」

「……どういうことだ?」

 バンの言葉に浅からぬ事情を感じたのか、首を少し傾げて疑問を呈するトーマ氏。
 微笑みを浮かべたフィーネが、改めてガロードやティファと向き直った。

「紹介するわね、ガロード、ティファ。この人はトーマ・リヒャルト・シュバルツ大尉。帝国の軍人で、私たちと同じガーディアン・フォースのメンバーの1人よ。シュバルツ大尉。この2人は男の子の方がガロード・ラン、女の子の方がティファ・アディールと言うそうです」

「は、はあ……」

 フィーネからの紹介を受けて、戸惑いつつもトーマがガロードとティファの正面に立った。
 あまりじろじろと眺められては、正直落ち着かない気分にもなったがこれくらいは致し方ない。
 短い沈黙を挟んで、彼は言葉を発した。

「トーマ・リヒャルト・シュバルツだ。どういった事情なのかは知らんが、ここにいる以上、こちらの指示には従ってもらう。そこをゆめゆめ忘れようにな」

「あ、ああ。どうも……」

「あの……、よろしく、お願いします」

 ややそっけなく高圧的ではありながらも、言葉の端々に困惑を孕んだ声音を聞き、ここは素直に頭を下げるガロードとティファ。
 するとそのやり取りを横から見ていたバンが、次の瞬間には「ぷっ」と吹き出した。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だぜ、特にこいつは。今はお高く留まっているけど、基本的に良い奴っていうか……まああれだ。トンマだ」

「誰がトンマだ、誰が! お前だけには言われたくはないぞ。──まったく。お前はいい加減ガーディアン・フォースとしての自覚と模範をだな……」

「でもガーディアン・フォースとして優秀なのは確かなのよ。ゾイド乗りとして一流なのは然ることながら、情報の精査や分析に関しては私とバンじゃ彼の足元にも及ばないわ。それでいて時々とても愉快だし、色々と面白い人だしね」

「あはっ、そうだな。言えてる。そいつは否定できないな」

「ギャウギャウ!」

「フィ、フィーネさぁ~ん!」

「ははは……」

 褒めているのだか貶しているのだかよくわからないフィーネの言葉に、堅苦しい表情は一転、もはやぐだぐだで形無しの様相である。
 少なくとも根は真面目で善人なのだろう。
 そのことはしっかり理解できたものの、これといってどういう反応をすれば良いのかがわからなくて、ティファと一緒に曖昧に笑って見ているしかないガロードであった。

「ちなみにトーマはあのディバイソンのパイロットも務めている。どうして共和国製のゾイドに帝国の軍人が乗ってるかで疑問に思うかもしれないけど、そこは共和国と帝国とで共同に設立されたガーディアン・フォースならではのものだと思ってくれ」

「へぇー、あのディバイソンってやつの。そういやそうだな。わかったよ、バン」

 ということはすなわち、バンの待ち人はこのトーマだと言うことになる。
 一連のやり取りですっかり気勢を削がれたトーマが、その心の気疲れを示すように大きく溜め息を溢す。

「はぁぁぁ。それで、この2人が一体何だと言うのだ? 見たところだたの少年少女にしか見えんが……」

「だろうな。俺も、確信が持てるまでに少し時間が掛かった」

「……とにかく、最初から詳しく話せ。まずはそこからだ」

「ああ、わかったよ。とりあえず俺たちが任務の途中だったっていうのはお前も知っているよな? そこでジークが……」

 身振り手振りを交え、バンがふたりを発見した時の事情をトーマに説明し始める。それはすでにガロードも聞かされていた内容であり、意識半分に聞き流していると、隣に立つティファが若干表情を硬くしているのに気が付いた。

「いよいよだな。ここからが一番大変そうだ」

「ええ……」

 それとなく互いの手を握り締め合って、静かに覚悟を決めたガロードの言葉にティファはこくりと頷いてくれた。
 それと時を同じくして、バンの説明も佳境に突入したらしく、全てを聞き終えたトーマの目は見開かれ、口はこれでもかと言わんばかりにあんぐりとしていた。
 そこから10秒を待って、20秒を待った。30秒が経過した頃合となってようやく再び彼の時間は動き始める。絶句し、混乱の極地に立たされた瞳のままに、トーマ・リヒャルト・シュバルツは掠れた声を紡ぎ出した。

「バン……、お前……」

 驚愕に驚愕を何重にも重ねて、彼は言う。

「お前……、ついに頭がイカれたのか?」

 それが何よりも、異なる世界から迷い込んだという異常事態への、一般的な感性を持つ人間がどう応えるのかを指し示す最も適切な言葉であった。





   第10話「大切なのは、これからのことだ」





 しゅ、と接触面がわずかに擦れ合う音がすると共に目の前の扉が閉じられると、フィーネを先頭にこの場から退室する少年と少女の姿は、通路へと消えていった。
 四方を白く塗り固められた壁に囲まれ、窓ひとつない無機質な部屋の内部。普段は打ち合わせや会議といったことで使用される室内には、どこか寒々しい、重苦しいとさえも感じてしまう静けさが訪れる。
 壁に掛けられた時計の針は、気付けば午後の3時を回っていた。今朝早くから始まった事情聴取がようやく終わり、ある程度の段階まで区切りをつけることができたと思う。
 しかし、にも拘らず、やるべきことをやり終えたはずのバンの胸中にはわずかばかりの達成感すらなく、衝撃に打ち震え、時間が経過しても一向に晴れ渡る気配を見せない複雑な感情が入り乱れていた。
 それまで断片的にしか語られなかった事柄。未知なる世界。そこで暮らしている人たちの生き様。
 やはりと言うべきか。改めてあの2人の口からもたらされた内容は、自らが持つ常識からもかけ離れた想像を絶するものだったのだ。
 そしてそれは同じ部屋に残ったもう1人の人物にとっても当てはまることらしく、閉じた扉を見詰めたままのバンに対し、決して少なくない疲れと一種の諦めを孕んだ声が横手より掛かる。
 ちなみにジークは、朝から散歩に行くと言ってどこかへ行ってしまったためここにはいなかった。

「これで、ようやくひと段落、だな……」

 戸惑いや驚き、哀愁や憐憫。
 それらすべてを併せ持つ響きを聞きバンが振り向くと、その声の持ち主はこちらへと視線を合わせてから1度瞑目をし、わざとらしく息を吐き出した。

「まったく。言葉を失いたくなるのはお前だけではないぞ、バン。お前との付き合いで常識外れな出来事には慣れたつもりだったが、昨日の今日であそこまでの話を聞かされることになるとは予想だにもしていなかったぞ」

「……トーマ」

 彼の名はトーマ・リヒャルト・シュバルツ。
 名門シュバルツ家出身のガイロス帝国軍の軍人にして、バンと同じ共和国・帝国が共同で設立した特殊部隊ガーディアン・フォースに所属するメンバーの1人でもある。彼とはガーディアン・フォース設立当初からの付き合いであり、幾度となく任務を共にし、幾度となく死線を掻い潜ってきた。ゾイド乗りとしての腕前が一流であることはもちろんのこと、彼の能力は機械工学の分野で遺憾なく発揮され、自ら開発したAIプログラム『ビーク』のサポートを駆使し、状況の解析や情報の分析など、任務における重要な役割を担っている。
 根は真面目で実直。それでいてどこか抜けている面もあるのだけれども、表裏のない正直者でなおかつ熱血漢である彼の性格を考えれば、それはある種の美徳とさえ言える点であるとバンは思っていた。
 だからこそなのか、今この場で思慮に耽る彼の表情は途轍もなく硬い。
 平静を装いつつも、その胸中には決して少なくない動揺が駆け巡っているというのは火を見るよりも明らかなことであった。
 自分も人のことは言えない。バンは身に巣食う遣る瀬無さを一心に抑えつつ、扉へと視線を戻す。

「まあ、な。俺も、あいつらの口からあんな話を聞かされるとは思ってもみなかったよ。だってあいつら……、この惑星Ziにやって来てからのことや向こうでどんな旅をしていたのかは話してくれていたけど、自分たち自身の過去についてはあまり……、率先して話そうとはしていなかったからさ」

「仕方あるまい。今となってはその気持ちも、わからんでもないからな」

「……ああ、そうだよな。俺でも、きっとそうしたと思う」

 頭の中に浮かんでくるのは当然、先程までの事情聴取を受けていた少年と少女の姿に他ならない。
 少年の方はガロード・ラン、少女の方はティファ・アディール。
 それが彼らの名前だった。
 地球と呼ばれる、惑星Ziとは全く異なる世界から迷い込んできた2人をバンたちが保護したは一昨日の昼下がりのことだ。丸1日掛けて現在滞在している共和国軍の基地にまで連れて来て辿り着いたのは昨日の夕刻であり、長期間の漂流生活で衰弱が見られた彼らの体調を気遣って、昨夜は医師による検診を受けさせてからゆっくり休ませた。そして夜が明けた今日、トーマも交えた事情聴取を行なったのある。
 特にこちら側にとって最大の関心事は、彼らが生きていた地球と呼ばれる世界のこと。
 そこに1番の衝撃が潜んでいたのだった。

「宇宙へと棲み処を広げた人類。地上に残った人々との対立。そしてその挙句は、戦争によって大地は荒れ果て、人は死に、秩序は崩壊してしまった世界……か。冗談だとしても笑えるシロモノではないな、これは……」

「ああ。こっちも、一歩間違えばそうなっていた可能性は十分にあったんだ。他人事とは思えないよ」

 破壊と殺戮の果て。彼らが生きてきた世界はそういう世界だったのだ。

「…………」

 かつて、彼らの世界では戦争があった。
 世界を二分し、止め処なく戦乱は混迷を極めて、最後は最悪の形で終結した悪夢のような戦争が。
 彼ら自身、その戦争が起きたのはちょうど彼らが生まれた年らしく、当時の詳しい状況は人伝によるものだったけれども、それでもこちらが求めるままに語れる限りのことは語ってくれた。
 彼らが生まれる以前、地球にいた人類はその版図を空の上の宇宙にまで広げ、繁栄を築いていた。しかし、人はどんなに文明を発達させても争いごとを忘れられぬもので、歴史が進むにつれて宇宙に上がった人々と地球に残った人々との間で諍いが始まり、幾度となく戦争が起きてしまった。そしてそれは、ガロードとティファが生まれた年、今から16年前、7度目の戦争が起きた際に取り返しのつかない事態を招いてしまったのである。
 詳細な経緯はわからない。だが、その時の宇宙に上がった人類は己らの主張を押し通そうと地上側を脅し、それに対し地上側が反抗したことを切っ掛けにして、自分たちが造り上げた人工の棲み処を質量兵器として地球に叩き落したのだ。
 しかもそれは1つや2つではない、何十個も。高高度より落とされた大質量は大地との衝突で途轍もない破壊エネルギーをもたらし、地面は大きく抉れ、吹き飛ばされた粉塵が太陽の光をも遮り気候にさえ影響を与えた。勝者は無く、敗者も無く、秩序は根こそぎ失われ、疫病の蔓延により死者は増大。運よく生き延びた人たちも生きる糧を求めて争い、死んでいった。その災厄によって戦前には100億を誇っていた人口は一気に減少して、現在辛くも生き残っている人々を数えても、地球と宇宙とを合わせて1億を少し上回っている程度なのだという。実に、99%の命が失われた計算になるのである。
 なんという世界。なんという環境。
 2人の話を聞いてその場にいた全員が絶句するさなか、バンは思わず問い掛けた。


 ──お前たちはそんな世界で、どうやって生きてきたんだ……?


 と。
 彼らはこう答えた。


 ──生きる為には何でもやった、それだけさ。


 ──私は、ずっと独りでした。


 それだけ。たったそれだけ。
 ガロードとティファはバンの問いにそう答えると、それ以上の追求は御免だとばかりに話を進めた。
 戦争が終わって15年が経ち、争いや奪い合いは頻繁に発生しつつも、世界がある程度落ち着きを取り戻し始めて、ガロードとティファが出逢ったのはその頃だったと彼らは言う。一時は再び大戦の危機が訪れたものの、去年起きた月軌道上での闘争を最後にして、地球と宇宙の間で正式に和平が結ばれる運びとなったとも。
 ガロードはそこまで話して、呆然とするバンを見、だからもう大丈夫なんだ、と言って笑い掛けた。言外にバンたちが気に病む必要なんてないと、地球は着実に良い方向へ進んでいるのだと、瞳に乗せて。彼は最後に、だから自分たちは気ままに旅ができるようになったんだと告げて話を締め括った。
 その時のガロードとティファが浮かべた、儚くも力強い笑顔。それを思い返し、バンは2人が退出してから初めて、自らの顔に笑みを作り出した。

「ったく。あいつら、本当に凄ぇぜ。ひと言『辛かった』って言えばどんなに楽かってのはわかってるはずなのに、そんな素振りちっとも見せないんだもんな」

「いらぬ同情は必要ない。そういうことなのだろう。何も彼らだけが特別というわけではないのだからな。彼らにとってそれが当たり前だったというだけのことだ」

「ああ。そうだよな。改めて思うよ。あいつらが、全く別の世界から来たんだってことをさ。大切なのは、これからのことだ」

 あくまで彼らの過去は彼らの問題であり、縁も所縁も無いバンがここで憂慮すべき事柄ではない。今の自分にできること、今の自分に成すべきことは、そんな過去を持つガロードとティファがこの惑星Ziにおいてどう生きるのか、その未来を己の信ずるままに全力で手助けしていくことである。生半可な同情は2人を困らせるばかりか、最悪侮辱することに繋がるかもしれないのだから。
 そして、そのための第1関門はすでに突破された。
 バンは自分と共に彼らのことを慮るトーマの姿を見詰め、そこに至るまでの流れを思い出して、朗らかに表情を崩す。

「けどま。最終的にお前もあいつらの言ってることを信じてくれて良かったよ。最初はあんなに不信感ばりばりで、一時はどうなることかと思ったぜ」

 バンがそう言うと、トーマは溜め息を溢した。

「今でも信じたくないという気持ちならばあるぞ、バン。肉体的にみれば、彼らは紛れも無く我々と同じ人間なのだからな。普通なら絵空事と断じてしまうところだろうが、ここまで物的証拠を並べられれば信用するほかあるまい。地図だけならばともかく、過去を含めた惑星Ziに存在記録のないメーカーの銃器や道具ばかり所持しているのは明らかに異常だ。詐欺師だとしても大袈裟過ぎる。彼らが身につけていた衣服の繊維組織も現在鑑定中だが……。結果は、おのずと知れるだろう」

「まあな。俺もこれがなかったら、お前をどう説得すれば良かったのかなんてのはちょっと思い付かなかったよ」

 そう言って振り返り、視線を落とした2人の前には、机の上に並べられた多種多様な品物があった。
 これらは全てガロードとティファが地球より持ち込んできたものである。この惑星Ziに存在し得ない地名や大陸の存在を記した地図をはじめとして、ガロードが愛用し腰のホルスターに携帯している拳銃や特殊ワイヤーガンや未使用の手投げ式閃光弾や様々な小道具を収めたウエストポーチとその中身、ふたりがそれぞれ背中に背負っていたカバンに入れられていた雑貨類などなど、その中には明らかに手製で改造が加えられたと思われるものもあったが、彼らが惑星Ziの出身者ではないということへの十分たる証拠となるものもいくつか見られた。彼らの了解を得てそれらを調べた結果、客観的な事実を元にバンやフィーネだけでなくトーマにも、彼らの話が信用に足ると納得せしめることに成功したのである。
 そしてさらに付け加えて、忘れてはならない要素がもう1つ存在していた。それなりに大きい机の上に所狭しと置かれているのは、何もそれらの品物ばかりではない。バンは彼らの所持品から目を移し、机の大半を占めるように並べられた何十枚もある紙面に意識を落とした。
 1枚を手に取り、そこにある内容を今一度見詰め直していく。
 それはモビルスーツと呼ばれる、ゾイドとは全く別の、人型の機動兵器を描いた絵のうちの1つであった。全身に鎧を纏った巨人。バンが思っていたよりも大分スリムな外観をしていて、4本角の生えた兜や人間らしい2つのカメラアイや顎下に突起のあるマスクを備えた頭部から、背中に背負ったL字型のプレートや身の丈ほどの長さのある大砲まで、その細部がつぶさに描写されている。
 バンはその絵を見て、本日何度目かになる感心の吐息を漏らした。

「しっかし……本当に上手いよな、このティファの絵。はじめガロードが『ティファは絵が得意なんだ』って自慢した時は単なる惚気かと思ったけど、こりゃあ本当に大したモンだ」

「確かにな。これで即興かつ独学だというのだから驚きだ。俺も、これほどの腕前の者はそうそう見たことがない」

 事情聴取の際に主だった説明を行なったのは弁の立つガロードであり、ティファの方は要所要所でしか口を開かなかった。が、だからと言って彼女が終始何もしていなかったというわけではなく、聴取が始まる時に予め紙とペンを求めていたのだ。何をするつもりなのかと問い掛けてみると、その場で自分の目で見てきた地球の姿を絵で描いてみるとのこと。ガロードが話を進める傍ら、ティファは黙々とペンを紙面に走らせ、驚くべきスピードと集中力でもって、地球まつわる絵を多数仕上げたのである。
 彼女の腕前は、まさに絶品のひと言。ティファの手には資料の類は一切存在しないにも拘らず、あたかも実物を目の前にスケッチを取ったかのような、即興とは思えぬほどの緻密さがあり、題材が持つ雰囲気までもが見事に表現されていた。
 彼女の絵をおかげでガロードの説明が非常にわかりやすいものになったのは今更言うまでもない。言葉だけではどうにも掴みにくかった事柄も、絵という形でイメージが補強され、初めて理解ができるようになったのも1度や2度のことではなかった。しかもそれでいて、ガロードの説明に合わせてタイミング良く適切な絵を描き上げてくるのだから、彼女の絵に関する能力は実に驚異的と言えよう。正直、ティファの意外な特技にはかなり驚かされたものだ。
 バンがそうやってティファの絵を通じて感じることへの思いを馳せていると、横のいるトーマもバンの手元の絵に視線を送り、言葉を投げ掛けてくる。

「それで、それが彼らの世界にあったとされる『モビルスーツ』とやら、か……」

「ああ、『ガンダム』っていうらしいぜ。こっちのが『ジーエックス』、あっちが『ダブルエックス』。実際にガロードは、この2つの機体に乗っていたんだってさ。で、これがその起動キーも兼ねた操縦桿だって言ってたっけ?」

 と言ってバンが手に取ったのは、2人の所持品の中にあった1つの装置である。
 全体的の濃紺を基調とした色のそれは上部が肥大化した取っ手のような形をしており、トリガーやセーフティロックと思しき部品が見られることからも操縦桿としての機能は十分に有しているようだ。正式な名称はGコントロール・ユニット、略してGコン。ガロードの談によると、この取り外し式操縦桿をコックピットにある専用のソケットに差し込むことでガンダムと呼ばれるモビルスーツは起動し、操作を可能とするのだという。
 不思議とその存在はバンの心に深く印象に残り、身持ち少ないガロードたちの荷物の中で、唯一これだけが「用途が無い」と言えるものだった。錠前のない鍵に価値はない。バンらがそのことを指摘すると、ガロードは少し困ったふうに「戒め、ってか思い出の品だから。これだけは捨てられなかった」と答え、ティファが持っていた仲間の結婚式の写真と並んで調べるのは構わないが壊さないでくれと懇願してきたあたり、よほど大切なものなのだろうと想像に難くなかった。
 そのGコンを掲げて告げたバンの声に、トーマが頷く。

「俺がさっきビークに解析を行なわせてみたところ、ユニット内部はブラックボックス化していたが、辛うじて何らかの起動プログラムらしきものが確認された。ガロード・ランの言う通り、それが一種の『鍵』であるのは間違いないだろう。操縦桿をそのまま鍵とするのは一見間抜けなようで、セキュリティとしていささか過剰すぎるのではないか、という気もしなくはないがな」

「ふーん。まあ、そこらへんは考えても仕方ないな。ガロード自身、これはもう使いようのないガラクタだ、って言ってたくらいだし。これ以上考えたって俺の頭じゃちんぷんあんぷんになるのが関の山だ」

 と言って、バンはGコンを机の上に戻した。
 そのあとでしばし考え込む。

「でも、ここまで考えると、あいつらは本当にどうして地球ってところからこの惑星Ziにやって来てしまったんだろうな……。砂嵐に巻き込まれたって言っていたけど、原因は全くわからない。なあトーマ。トーマはこのことについてどう思う? お前なりの意見を聞かせてくれないか」

 全ての事柄を繋げる、そもそもの根源。
 彼らはなぜ、どのような原因でもって遥か遠く離れた地球から惑星Ziへと迷い込んで来てしまったのか。
 バンだけでなく、ガロードやティファ自身も幾度となく提起してきた問題を再び取り上げてみると、トーマは口元に手をやって次のように述べた。

「む、そうだな……。はっきり言って、彼らの話を聞いた限りでは『なぜ』それが起きたのかは皆目見当が付かん。だが、これだけは言えるな。地球から惑星Ziへ転移してきたこと自体に関しては、あながちありえない事象ではないのだと、俺は考えている」

「え……っ、どうしてだ?」

 思いがけぬトーマの返答にバンはまばたきをした。
 そんなバンの反応を一瞥し、トーマは「はあ」と息を吐いて言葉を続ける。

「他でもない、俺たちの目の前で同様の事象が起きているからだ。2年前の戦いを思い出せ、バン。その最中、俺たちの目の前でフィーネさんが忽然と消え失せたことがあっただろう? それと同じことだ」

 そう告げられてバンははたと気が付いた。

「あっ、そうか。あの時のフィーネか。あの時はフィーネの身に何があったんだって心配で堪らなくて、ちっとも結びつかなかったぜ。確かに言われてみれば、あの時のフィーネに起きたことがあいつらにも起きたとしても不思議じゃないってことになるんだよな」

 思い出すのは今から2年ほど前。この惑星Ziが未曾有の危機に瀕したときに、その最終決戦に参加していたフィーネの身柄が、突如としてバンたちの前から消失する出来事があった。のちに判明した事実をつき合わせると、彼女は単に消えたのではなく、そこから数百km以上離れた地点まで一瞬にして移動していたのである。
 それを前提に踏まえれば、その移動距離や状況の差こそあれ、人が瞬時にして長距離を飛び越えて移動した、という点で共通しているということになるのだった。

「無論、全てが同じ原理だとは限らんがな。あくまで似たような事例として取り上げただけだ。現実に空間を越えて転移することが可能である以上、彼らに起きた出来事を安易に否定することはできん。さらに言うと、その転移元も我々の祖先がいたとされる地球なのだとすれば、ただの偶然と判断することがさらに困難となるからな。そこに何らかの要因が隠されていると考えた方がはるかに自然だ」

「なるほどな。俺たちの先祖は、この空の上に広がる星の海の彼方にある青い星からやってきた。結局、俺たちの先祖もあいつらと同じ地球ってところから来たんだよな……。それがこの惑星Ziにやってきて、あいつらと同じようにゾイドと触れ合った。そう考えると、なんだか凄いよ」

「俺も、その部分は同意する。地球についてことは古い文献を通じて名前くらいしか知らなかったが、よもやこんな形で関わることになるとはな。1人の技術者として興味深くはある」

「ああ。だな。俺も少しわくわくしてくる気分だぜ」

 地球と惑星Zi。
 星の海を隔てた2つの惑星には、確固たる因縁が存在していた。
 ガロードたちと同様のケースかどうかは定かではないものの、バンたち現惑星Zi人の祖先もはるかな長い道のりを超えて、青き星たる地球からこの大地にへと入植してきたのである。長きに渡る時の流れや戦乱の中で忘れ去られ、その事実を知る者はほんのひと握りに減少してしまったけれども、自分たちの身体に流れる血潮の源流を辿れば、ガロードたちのいた地球に行き着く。彼らがこうして惑星Ziに迷い込んだことやそれをバンたちが見つけて出会ったのも偶然ではない。何らかの必然が絡んでいるのではないかと、思いを巡らすたびに不可思議な気分が増してくるのを、バンは己の心の中に感じ取った。
 ともすれば走り出してしまいそうになる。バンはそんな我知らずに膨れ上がってくる感慨をどうにか抑えつつ、心を落ち着かせように深呼吸を1つする。

「まあそのあたりは良いとしてだ。となると俺たちはこれからあいつらとどう接していくべきなんだろうな? あんまり深く考え過ぎてもどうしようもない部分もあるかもしれないけど」

「今は、保護した民間人、それでよかろう。唯一懸念すべき事柄として、彼らの体内に保持されていた地球由来の細菌やウイルスが我々にどう影響するのかがあるが……。それについては彼らがこの惑星Ziに来てすでに1ヶ月、もはや彼らの身柄を無菌室なりに放り込んでおけば良いという段階は超えている。今後は得られたサンプルを元に検証を重ねていくか、彼ら自身にいくつかワクチンを投与するくらいしか、我々に打つ手はないな。お前も彼らと積極的に関わっていくのならば、しばらくの間は体調の管理には細心の注意を払えよ。何もないという可能性も否定はできんが、逆もまた然り、なのだからな」

「了解だ。あいつらを病原菌みたいに扱うのはちょっと気は引けるけど、お互い変な病気に罹りたくはないからな。フィーネにも、そう伝えておくよ」

 バンが納得の意を示すと、トーマは「わかればそれで良い」と首肯した。

「あとは、彼らの身元をこれからどう取り扱っていくかで、問題が集約していくことだろう。いつまでもガーディアン・フォースで保護するというわけにもいくまいし、下手に放置しておくのも危険だ。ここは誰か信頼できる保護責任者を見つけて、そこに預けるの妥当か……」

「保護責任者、ねぇ……。誰かいるかな? そういうのを快く引き受けてくれそうなのって。そんじょそこら人間に任すなんて到底できないだろうし」

「お互い、伝手を辿って探していくしかないだろうな。だが幸い、最もそれに適していると言える人物ならば心当たりがある。お前もよく知っている人物のことだ」

「…………? 誰なんだ、それって?」

 トーマの言いたいことがわからずバンは首を捻る。

「ああ、それはだな……」

 と、トーマがその人物の名を告げようとした矢先、閉じられた部屋の扉にノックが掛けられたのはまさにこの時であった。
 コンコンと鳴り響いた硬質な音を聞き、バンとトーマは話を中断して振り返る。
 誰か来たのだろうか。そう思い入室を許可すると、1人の若い兵士が顔を出した。
 簡単に敬礼を交わすと彼は言った。

「フライハイト少尉。ドクター・ディをお連れしました」

 そう報告して退く彼と入れ替わるようにして、1人の老人が姿を現す。
 老人の名はドクター・ディ。バンが少年だった頃から良く知る、昔馴染みの1人であった。

「呼ばれたから来てやったぞ。久し振りじゃな、バン、シュバルツ。嬢ちゃんの話では、わしを誰かに会わせたかったようじゃが……」

 と開口一番に告げて、ディは部屋の内部を見回す。

「どうやら、ここにはおらんようじゃな?」

「爺さん!」

「ドクター・ディ!」

 フィーネから連絡が行っていたのは知っていたが、予想よりも早い登場に驚きを露にするバンとトーマ。
 そんな2人の反応を余所にして、ディは持ち前の好奇心を発揮し、目ざとく机上に置かれた品々に視線を向けた。

「うん? なんじゃ、それは。ずいぶんとまた、いろんなものを広げておるのう……」

「あーこれはですね。ドクター・ディにご足労をお願いした理由にも関わってくると言いますか……」

「ほぉー。まあ良い、とにかく見せてもらうぞ」

 しどろもどろになって事情を説明しようとするトーマをさて置いて、こちらの返事を待たずにガロードたちの荷物を吟味しだしたディを、バンはやれやれという気持ちになって見守る。ディは帝国にも名が知られた元共和国軍所属の科学者であり、ゾイド工学だけではなく物理学や生物学や考古学といった分野にも精通していて、バンの知る限りこの惑星Ziにおいて最も物知りな人物であるのに違いはない。ひょっとしたらあるいは。バンがそうして期待を寄せていると、せわしく視線を走らせるディの目は当然ティファの描いた絵にも向けられ、彼は「ん」と声を漏らしてその中の1枚を選び取った。

「これはまた、とてつもなく古めかしいものを描いた絵じゃのぉ。この絵に描かれているのは、この惑星Ziに現在の人類が辿り着く以前、宇宙開発の初期時代に建造されたとされるシリンダー型のスペースコロニーとやらではないか。誰だ、こんな古典的なものを描いたのは?」

「は?」

「え?」

 あまりにあっさりと告げられた言葉に、バンとトーマは揃って呆気にとられる。
 ディが手にしている絵に描かれていたのは、細長い円筒形状の物体に3枚の板が放射状に取り付けられたものであり、バンたちが初見のときにそれが何なのか全く誰も理解できなかったものだった。ガロードの解説によるとその絵に記されているのは、空の上の宇宙に作られたスペースコロニーと呼称されるものであり、筒の直径だけでも5、6kmに達していて内部に人が何十万人も暮らすことができる居住空間として機能しているらしく、惑星Ziにおいてコロニーと言えば一般的に地上の入植地や開拓地を指すのに対し、地球ではこの宇宙に存在するスペースコロニーを単にコロニーと呼ぶのだという。16年前の戦争でこのスペースコロニーを用いて行われた「コロニー落とし」が地球に多大なダメージを与えたのだと聞かされもし、新天地として作り上げられた人工の大地が世界を破滅に導いたことに、なんとも皮肉な話であると思ったのも記憶に新しかった。
 自分たちでは梃子摺ったことを何も聞かず瞬時に見破った老人を見、バンは驚くと同時に畏敬の念を漏らす。

「じ、爺さん! それが何なのか、わかるのか!?」

「まあの。わしらの年代の中には、こういったものへの研究に精を出していた者がおったのでな。じゃが、戦争の時代が進むにつれてそれも次第に廃れていった……。お主らの世代の人間が知らんとしても無理はないじゃろうよ」

「へー」

 それは別の意味で驚きである。
 自分たちのいる惑星Ziとガロードたちがいた地球は、確かに繋がっている。
 そのことを感じさせられるディの発言に、バンは自分でもなぜだかわからないほどの嬉しい気持ちとなった。

「じゃあ、爺さん。こっちの絵も見てくれないか? きっとこっちはこっちで面白いと思うぜ」

「ふむ、どれ見せてみろ」

 バンが自分の手に持っていた『ジーエックス』の絵を差し出すと、ディは受け取り、目を通し始める。
 すると……。

「……………………」

 どうしたのであろうか。ディは絵を受け取ったままの姿勢でぴたりと固まり、年齢を重ねて皺だらけの顔にある両の目をカッと見開いていた。まるであり得ないものを目の当たりにして、予想を超える展開に対して絶句するかのように。
 その光景を目にしてバンとトーマが不思議に思って顔を見合わせていると、ディの口からはそれまでとは打って変わって硬い印象の声が発せられる。

「のう。バン、シュバルツ」

 その声音は静かであったが、迂闊な反論を許さない、並々ならぬ迫力があった。
 凛然たる口調で、老人は言葉を続ける。

「早速で悪いが、この絵を描いた人物に会わせてくれんか? 大至急じゃ」

「は……?」

 珍しく真剣さを研ぎ澄ましたディの眼差しに、バンはただただ唖然と、間の抜けた声を返すしか、自らが持ちうる術がなかったのだった。





   * * *





 これまでの経験からガロードは、軍事基地というものに対してどこか堅苦しくて閉鎖的なイメージを胸に懐いていたのだけれども、ここに来てどうもその認識を改めなければならないと思うようになっていた。
 バンとフィーネに連れられて現在滞在している基地に来て一夜明けての今日。久方振りに柔らかいベッドの上で心地良く睡眠をとったガロードとティファは、朝早くより始まった事情聴取もようやく終わり、フィーネと共に遅めの昼食をとるべく基地内にある食堂までやってきていた。
 食堂の敷地は広く、ざっと見回した限りでも、この1つだけで500人ほどの人数を余裕で収容できそうな程度の規模があり、その外壁のほとんどが一面ガラス張りとなっているのだから驚きである。床だけでなく椅子やテーブルといった調度品も清潔に保たれており、外の光をふんだんに取り込んで非常に開放的な雰囲気となっていた。軍事基地の食堂というよりもむしろ街中にあるカフェテラスを桁違いに大型化したものと考えた方がしっくりとするくらいだ。
 時刻は午後の3時を過ぎているからか人の姿はとても少ない。せいぜい厨房らしき場所で専門の職員がせわしく仕込み作業に従事しているのが見えるばかり。そのためほとんど貸し切り状態と言える食堂の一角を陣取って、3人は1つのテーブルを取り囲んでいた。
 フィーネは昨日に引き続いて桃色の衣服を身に纏っていたが、ガロードとティファの服装は変化していて、それぞれ軍の支給品だと言う赤いTシャツと簡素なズボンスタイルに着替えている。地球から着ていた服の傷みが激しかったことと、あちら側がその繊維組織を調べたいという意図が重なったがゆえの処置だった。
 だからこうしてガロードとティファはほとんど同じ格好となっており、そういえばお揃いなのは初めてかもな、とガロードが考えていると、一度席を外したフィーネがその手に昼食を乗せたトレーを持って戻ってくる。

「ごめんなさいね、こんなものしか用意できなくて。やっぱりこの時間帯だと、あまり手の込んだものは作れないみたい」

「いや、気にしないでくれというか、十分過ぎるくらいだぜ。旅しているとなかなかこういったのにありつけることも少なかったし。なあ、ティファ?」

「はい。とても美味しそうで、嬉しいです」

「……そっか、ありがと。そう言ってもらえると私も嬉しいわ」

 と言ってフィーネが運んできたトレーからテーブルの上に置いたのは、湯気が立つ淹れたてのコーヒーが注がれたカップと簡単に野菜やハムを挟んだサンドウィッチであった。コーヒーは以前ガロードが野草の根から焙煎して作ったモドキなどではなくれっきとした本物であり、独特の香ばしい香りがふんわりと漂ってきている。サンドウィッチの野菜もトマトやレタスによく似たもので、見るからに新鮮そうだった。昨日の夕食や今朝の朝食を食べた時も思ったことだが、地球での旅、そして惑星Ziでの漂流生活で、簡素な携帯食料や自然より採取したものばかり口にしていたガロードとティファにとって、何の変哲も無い食パンでさえ、文明を感じさせる懐かしい食物であると言えた。
 食事の合図をそこそこに、ガロードはサンドウィッチの1切れを手に取ってじっくり味わうように頬張っていく。噛めば噛むほどに穀物の甘さや弾ける野菜のみずみずしさや肉の旨み、マーガリンの絶妙な塩加減が口の中に広がってくる。時間が外れて空腹も手伝ってか、ガロードとティファが目の前に出された昼食に舌鼓を打っていると、不意にコーヒーカップにもサンドウィッチにも全く手を付けずじっとこちらを見詰めてくるフィーネの視線に気が付いた。彼女はその紅い瞳の中にふたりの姿を映し、口元を小さく動かして「あなたたちは……」と呟いていた。何かを、告げようとしている。

「ん……、フィーネさん?」

 フィーネの顔を見、瞳を見、彼女の胸中にあるものを漠然と察したガロードは、あえて何もわかっていないふうにしてその名を呼んでみる。
 するとフィーネは表情をふっと和らげて、首の左右に振るった。

「ううん。何でもないの。──さて、私も食べましょうか」

 そう答えると彼女は、手に取った小瓶の蓋を開け、その中身を匙ですくってコーヒーの中に投入し始めた。白くさらさらとした粉を1杯、2杯、3杯、4杯と。よほどの甘い物好きなのか、これでもかと言わんばかりの様子にガロードは声を出さずに笑ってしまう。入れ終えたら適度にかき混ぜてから口を付ける。コーヒーを好みの味に整えたフィーネがそれを飲んで「うん、美味しい」と満足そうにしていた。
 その顔を見ていると本当に美味しそうであり、つられて自分も甘いものが欲しくなってきて、ガロードはフィーネに倣って彼女が持っていた小瓶に手を伸ばす。小瓶を手元に引き寄せて蓋を取り、金属製の匙の柄を持って中身を取り出そうとしてみたところ、横でその行為を見守っていたティファが、突然彼女らしからぬぎょっとした声を上げてガロードは呼び止めた。

「────っ!? ガロード!!」

「ん? どうしたんだ、ティファ?」

 それはあまりに切羽詰っていて、明らかにただごとではない雰囲気を含んでいたため、ガロードは一瞬自分が何かおかしなことでもしたのかと思い、一旦手を止めて己を省みたものの、やはりこれといって特異な部分は思い当たらない。
 一体何があったと言うのだろうか。わけがわからず、ガロードが不可解に思って見詰め返すと、ティファはまるで何かを確かめるように息を飲み込み、小刻みに震える指先でガロードの手に握られた小瓶を指差した。

「そ、それ……っ」

「これぇ?」

 はたしてこの小瓶がどうしたのか。
 見たところ特に変わった箇所は無く、地球でも露店あたりを探せばすぐにでも見つけ出せそうなくらいにありふれた白い陶磁製の小瓶である。取っ手は存在せず、匙が差し込めるように一部が欠けた形の蓋があり、大きさは握りこぶし程度でやや丸みを帯びた形状をしている。あとはせいぜい、中身を示す1枚のラベルが無造作に貼られている程度に過ぎないのではあるのだが……。
 そこに至ってガロードは、ティファがなぜいきなり声を上げたのかの、その直接的な理由をようやく悟った。


 ──『SALT』


「………………………………、…………………………ほへ?」

 いや。
 いや待て。
 いやいやいやいやいや待て待て待て待て待て。
 ガロードは今自分の目の前にある小瓶のラベルに書かれた文字の配列があまりにありえなくて、何かの見間違いではないかとぽかんと呆けてまばたきをした。下あごに掛かる力が無くなって口が半開きとなり、気が抜けて手に握った小瓶を取り落としそうになるのを寸でのところで持ち直す。ぎこちなく振り向けばこちらに視線を送ってくるティファが、驚愕に満ちた顔でコクコクと頷いていた。
 アルファベットの『S』と『A』と『L』と『T』。『SALT』。『塩』。
 何度確認してみても、それは見間違いや読み間違いなどの類では決してなかったのである。

「……………………」

「……………………」

 もしかしたらその衝撃は、初めて惑星Ziの2つの月に見た時やゾイドと出逢った時に匹敵するかもしれないと、ガロードは止まりかけた思考の中で思った。
 いや、まだ決め付けるのは早計である。ここは地球ではなく惑星Ziなのだ。いくらほとんどの人類と起源を同一とし、言葉や文字が同じであるとはいえ、どこかで意味を取り違えている可能性も否定はできない。惑星Ziでは砂糖のことを『塩』と呼ぶのだとしても、なんら不思議ではないのである。
 そうと決まればあとは試すのみ。ガロードは小瓶の中身を右の人差し指の先端に付けると、自らの舌でぺろりと舐めてみることにした。
 だが残念ながらそれはしょっぱく、ともすれば辛い。これは紛れもなく塩でしかない。
 最後の希望が砕かれた瞬間、ガロードは自らの頭の中で自分にとって大切な何かにぴきりと巨大な亀裂が生じていくのを、幻聴ではなくこの時確かに耳で聞いたのだった。

「……ん? どうしたの?」

 しかし、当のフィーネは至って平然としているのだから、それは不思議を通り越して異常事態である。
 彼女はさっきこの塩をコーヒーに匙で何杯も入れていた。でも今は普通に飲んでいる。
 あんなに入れて本当に身体は平気なのかと、心の奥底から恐怖すらも懐くガロードであった。

「な、なあ、フィーネ、さん? だ、大丈夫、なのか?」

「? 何が?」

「いや、それ……、塩ぉ……」

 顔を引き攣らせたガロードが恐る恐る指摘すると、フィーネは合点がいったのか、頷いて髪の毛を揺らし、少し考え込むような仕草をとった。

「んー、もう少し塩加減が欲しかったかしら? でもこれ以上入れると味が淀んで嫌なのよねぇ。やっぱり相性があるからね、こういうのには」

「は、はぁ……」

「そ、そうなのか……」

 もはや何だか次元が違う。乾いた笑みしか零れてこない。自分たちとフィーネとで、塩に対する認識に計り知れない隔たりを感じたガロードは、周囲の世界から取り残されたような錯覚をし、ここが生まれ育った地球ではないのだと今更ながらに心の中で痛感することとなってしまった。
 これ以上どんな反応をしたら良いのかわからない。ガロードとティファが一緒になって落ち込んでいると、そこに救いの手が差し伸べられる。

「おっ、いたいた。おーい。待たせたな、3人共」

「あ、バン。遅かったじゃない」

 現れたのは先に昼食をとっていてくれと部屋に残っていたバンであった。その横には彼の同僚であるトーマの姿も見えたが、今はあまり意識に入らなかった。ガロードとティファが絶望の淵に佇むままに振り返ると、ふたりを見て目を丸くしたバンが問うてくる。

「どうしたんだ、お前たち?」

「バ、バン……」

 何をどこから説明すべきなのかとガロードがうろたえて答えられずにいると、ガロードの手元を認めたバンは「あーそういうことか」と破顔した。
 ぽん、と肩に手を置かれた。

「気にするな。大丈夫だから、安心しろって」

「いや、気にするなって言われても……」

 にわかに信じられないガロードがそう告げると、バンは変わらず冷静なふうに、

「だから言ったろ、大丈夫だって。昨日や今朝だって味に問題はなかったじゃないか。俺の知り合いでコーヒーに塩を入れるのなんてフィーネと爺さんくらいなもんだ。他はみんな、入れるとした砂糖かミルクだよ。俺だってそうさ」

「……その砂糖ってちゃんと甘いんだよな? ミルクもミルクなんだよな?」

「もちろんだ。なんならあとで確かめてみるか?」

 バンにそこまで言われ、ガロードはやっと自分たちの早とちりに気付き緊張を脱した。

「よ、良かった。俺、この世界で生きていけるかでちょぴりというか、かなり不安になってた」

「私も、です……」

 ガロードとティファが口々にそう告げると、バンは呆れるような、それでいて一定の理解を示す表情を浮かべる。

「んな大袈裟な。けどまあ、確かにお前たちにとってはこういうのの方が死活問題になるんだよな」

「ああ、本当に、本当に良かったぜ……」

 どっと押し寄せてきた疲れを感じ、はあ、と息を吐き出すガロード。
 と、そうしていると、バンの背後から初めて耳にする聞き覚えのない声が響いてきた。

「──バン。この2人が、そうなのじゃな?」

「あっ。ドクター・ディももういらしていたんですね。お元気そうでなによりです」

「おお、嬢ちゃんも元気そうでなによりじゃ。こうして顔を合わせるのも久し振りじゃわい」

 初めて聞く声にガロードとティファが頭を持ち上げると、バンやトーマの後ろにもう1人、かなり年のいった白髪の老人が立っていることを視野に捉える。
 年齢はおそらく70歳は確実に超えているであろうか。白髪、とは言っても頭頂部は綺麗に禿げ上がっており、他は背中のあたりまで伸ばされていた。皺のある顔に存在する眼は大きくきょろりとしていて、どことなくとぼけた印象を受けるが、腰は曲がっておらず手足も矍鑠としている。
 フィーネと言葉を交わす新たな人物の登場に、ガロードははてと思い、バンを見た。

「なあバン、あの爺さんは?」

「ん、ああ、紹介するよ。この爺さんは……」

「まあ待て、バン。勝手に話を進めるな。自分の紹介くらい、自分でするぞい」

 バンが話すより前に、老人がそれを遮ってこちらへと進み出てくる。

「まずは初めましてかのう。わしの名はディ。ドクター・ディとも呼ばれておる。そこにいるバンとは、こいつがハナタレ小僧だった頃からの付き合いじゃ」

「へーそうなのか。おっと、じゃあ俺からも」

 そう言ってガロードは立ち上がり、ティファも続く。
 ふたりはディと名乗った老人の顔を見据え、順々に自分らの名前を述べていく。

「俺はガロード・ランだ。こっちも初めまして」

「私はティファ。ティファ・アディールと言います」

「うむ。こうして出会えたこと、わしは嬉しく思うぞ」

「ああ俺もだぜ、爺さん」

 老人は頷くとそっと右手を差し出し、ガロードとティファのふたりと握手を交わした。

「そうか。しかし、お主たちがそうなのか……」

 それを終えると彼は、しばしの間口を閉ざしてこちらを眺めてくる。
 ディの不可解な様子にガロードとティファは互いの顔を見合った。

「爺さん? どうか、したのか?」

「いや、すまんな。少し驚いていたのじゃよ。思っていた以上にお主たちが若かったのでな」

 と、ディが眼を細めて感慨深そうに声を漏らしていると、その横にいたバンがやや困った感じとなって、

「あーそれでさ、爺さん。ちょっと簡単には説明しづらいんだけど、実はこの2人……」

「ああ。言わんでもわかっておるぞ、バン。わしの今目の前におる2人はこの惑星Ziの住人ではなく、地球と呼ばれる全く別の惑星からやって来た。そう言いたいのじゃろう、お主たちは?」

「な……」

「え……」

 ディの言葉にバンとトーマが一時騒然となった。

「ええっ、えええぇぇーっ!? 爺さん、なんでわかったんだ!?」

「ド、ドクター・ディ! なぜそれを!?」

「えっ? え? ひょっとしてバン……、この子たちのこと、まだ話してなかったの?」

「あ、ああ。来るなりとにかく会わせろって、せっつかれてさ。話す暇なんかなかった」

「なぜ、どうして……」

「……爺さん。あんた、何か知ってるのか?」

 慌てふためくバンたちを見たことでかえって心の内が静まり返った。
 ガロードが視線を鋭くして問い掛けると、ディは首を縦に振って頷く。

「まあの。いくつかお主たちの疑問には答えられると思うぞ。だが、その前にまず、お主たちに見てもらいたいものがある。わしに付いて来てくれ」

 ディはそう言うと、にこやかに笑い掛けてくるのであった。





   第10話「大切なのは、これからのことだ(バン・フライハイト)」了



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 第10話をお読み頂きありがとうございます。そしてお待たせしました。
 去年末からの長い空白期間を設けてしまいましたが、どうにか最新話を更新することができて私自身正直安堵しております。このところ諸事情により遠出をすることが多く、新生活も始まったり、一時的に下がったモチベーションを回復させようとゴドスやディバイソンのプラモを組み立てているうちについつい改造に手を出して夢中になってしまったりと、様々なことがありました。
 第10話目において物語も1つの段階を向かえ、登場人物の増加によりボリュームも予想を超えて膨らんでしまいました。本来であれば第10話と第11話の内容は1つにまとめるつもりでしたが、あまりの分量に分割を決意。
 次のお話である第11話もすでに8割方か9割方完成していますので、今週中か遅くとも来週中には更新して次に繋げたいな、と思っています(とは言ってもその次の更新時期に関しては見通しが全く立てられない状況ですが)。
 それではまた後日。もし気になる点や意見がございましたらぜひお寄せ下さい。
 今後ともよろしくお願い致します。



[33614] 第11話「考えられる可能性は1つある」
Name: 組合長◆6f875cea ID:967f395d
Date: 2013/06/30 23:53





   ──ZOIDS GT──





 ──見せたいものがある。


 そう言われてガロードとティファを含む面々が案内されたのは、ほんの1時間くらい前まで自分たちへの事情聴取が行われていた会議室であった。室内の様子は退出した時のままであり、机の上には自分たちの荷物やティファ自身の手で描いた絵が変わらず並べられている。
 ここで一体自分たちに何を見せようと言うのだろうか。そのことを提案した当の本人である老人ディは部屋に着くなり、「準備がある。しばらく待っていてくれ」と告げてどこかへ行ってしまった。今はただ、ディの指示を受け、いくつかの機材を運び込んでそれを設置しているバンたちを少し離れた所から見守っているだけでに過ぎなかった。

「なあ、バン。あの爺さん、俺たちに一体何を見せようとしているんだ?」

 ガロードが問うと、バンは手を止めて答える。

「さあなぁ。俺も訊きたいくらいだ。この部屋に来るなり、お前たちの荷物やティファの絵を見た途端『会わせろ』だったからな。そしたらさっきのアレだ。ドクター・ディのおかしな発言に引っ掻き回されるのはいつものことだけど、流石にびっくりしたぜ」

「へぇー。ドクターって言うくらいだから、あのじいさんって医者……いや、科学者なのか?」

「ああ。惑星Ziじゃ結構有名な科学者さ。ゾイド工学に携わる者なら、その名前を知らない奴がいないってくらいの。ま、普段はすっちゃかめっちゃかな爺さんだけどな」

 何かを思い出したのか、過去を振り返るようにしてバンは笑う。
 彼の言葉にガロードは納得がいったふうに頷いた。

「なるほどな。それだけ有名な科学者なら、地球のことに詳しくてもおかしくないってことなのか。俺たち以上に何か知ってそうな感じだったし」

「…………」

 先程のやり取りから類推するに、自分たちの生まれ育った地球についてディが何か知っていると考えて間違いはないだろう。彼はバンたちの説明も無く、ガロードとティファが地球より持ち込んだ品々や絵を、自らの目で見ただけでその素性を看破したのだという。ディはどこまで知っているのか。それはこの場にいる全員に共通している認識であり、ガロードのとっても、そしてティファ自身にとっても、自分らの状況について知る上で絶対に無視できない事柄だった。
 と、ティファがそうこう考えている内に機材の設置もいつの間にか終わっており、いまだ現れぬディの登場にそれぞれが備えていると、やがて扉は開かれて、そこから件の老人が顔を出す。

「おお、待たせたの。少しばかりデータの受信に時間を食ってな。では早速、始めるとしようか」

「あっ、はい。少々お待ちを」

 ディの登場にトーマが応じ、予め打ち合わせてでもいたのか、部屋の照明を落とし、用意した機材の電源を入れる。すると壁に掲げられたスクリーンに青く光が灯り、その前に立つディとトーマの姿が黒い影として浮かび上がった。どうやらあれは映画などを上映するための映写機の一種であるらしい。ディはその機材にポケットから取り出したアクセサリーのようなものを取り付けると、こちらに向き直った。

「さて、何から話すべきか……。まず再度確認させてもらうが、お主たちはこの惑星Ziの出身ではなく、地球と呼ばれる別惑星よりやって来た。そのことに相違は無いな?」

「ああ、そいつに間違いは無いぜ」

「その根拠としたのは何じゃ?」

「根拠? 根拠ってか、空を見上げたら月が2つあったんだ。地球には1つしかなかったから、それで『ここは地球じゃないんだー』って思った。ゾイドなんてのも地球にはいなかったし」

「なるほどのう。ちなみに地球に存在する大陸の数はいくつじゃ? できれば名前も言えるかの?」

「ええと大陸か……。確か5つ……いや、6つだったかな? 俺たちがいた北米大陸と、その南にある南米大陸。それで西の海洋を越えたところにオーストラリアやユーラシアがあって、ついでにアフリカ。最後に一番南にあるのが南極だったはずだぜ」

「……北極大陸の存在を忘れてはおらんか? ソリに乗って横断できたはずじゃが」

「いや、あそこは海だ。一面氷で閉ざされててその上は歩けるって聞いてるけど、大陸なんてモンは初めから存在してねぇよ」

 ガロードとの一連の問答を終え、ディは嬉しそうに微笑んだ。

「そうかそうか。全部記録にある通りじゃ。よもやこのような形で地球の民と接触する機会を持てるとはな」

 ティファはガロードを通じてディの意図をなんとなく察していたが、どうも他の面々にとってはそうではなかったらしい。彼らを代表してバンが、困惑した表情を浮かべて口を開いた。

「なあ爺さん。今のってこれから見せたいってやつに何か関係でもあるのか? いきなり地球の大陸の話なんかされてもこっちはさっぱりだぜ」

「いや、今のに特に意味はないぞ。一応の確認と、単なる話の潤滑剤じゃ」

 ディがそう言うとバンはがくりと項垂れる。

「潤滑剤って……。だったらとっととその見せたいやつってのを俺たちにも見せてくれないか? 話をそこから始めたって良いはずだろ」

「ふむ、まあそれもそうじゃな。よし、よかろう。お主たちに見せたかったのは────これじゃよ」

 手元の装置を操作し、スクリーンに表示された青一色の画面を切り替えるディ。
 一瞬わずかなノイズを生じさせて暗転したそこに映し出されたのは、1枚の……写真であった。
 その写真を目の当たりにしてガロードとティファは思わず、

「なっ」

「えっ」

 短く声を発し、息を呑んで少なくない驚きを露にした。
 ふたりの反応にディは表情を崩さぬまま、

「やはり、知っておるのじゃな、これのことを」

「あ、ああ。どうして、コイツが……」

 確認を取るディにどうにか言葉を返したガロードに続き、遅れて写真の中にあるものの正体に気付いたバンたちが、口々に声を荒らげる。

「えっ、これって、ええーっ!?」

「おいっ、ガロード! これってまさか!?」

「よもや……こんなものまでっ」

「ガロード」

 ティファがガロードを振り向くと、彼は視線をスクリーンに釘付けとしたまま首を縦に上下させて肯定を示した。

「ああ。コイツは……」

 そして、ガロードはその名を告げる。
 かつて自分たちの生まれ育った地球に存在し、自分たちにとって最も身近だったものの1つの名を。本来であればこの惑星Ziに存在しておらず、時には敵であり、時には味方であり、さらには資金を得るための“商品”だったこともある機体の名を。
 ガロードは、紡ぎ出した。

「──コイツは……、ドートレスだ」





   第11話「考えられる可能性は1つある」





 愕然と発せられた響きは、ティファの心だけでなく、その映されたものの存在を詳しく知らぬバンたちにも確かな波紋をもたらす。

「ドー、トレス……?」

「それが、この機体の名前なのか?」

 ガロードは頷いた。

「ああ、間違いねぇ。ドートレスだ。ドートレスは旧連邦が開発した量産型モビルスーツで、かなりの数がある。俺も、良く知っている機体だ」

「これが……モビルスーツ」

「…………」

 ディが自分たちに見せてくれた写真。そこにはなんと、ゾイドではなく、ガロードとティファがいた地球にしか存在しないはずの人型機動兵器──モビルスーツの姿が映し出されていたのである。
 照明が落とされて薄暗いなか、スクリーンに表示された写真をこの目で見た限りでは、それはどうやらどこかの倉庫か格納庫のような場所で撮影されたものらしく、無機質な床に横たえられた鋼鉄の巨人を上から見下ろすようなアングルとなっている。そのモビルスーツは戦闘でも行ったあとなのか、かなりの損傷を受けており、右足の足首から先が消失していて、左腕も肘の所で千切れその前腕部が近くに転がっていた。全体的に無骨と言える角張ったシルエットを構成し、青みがかったグレーとオレンジのツートーンカラーで塗装された装甲の表面にも無数の傷や汚れが刻まれていて、大きく拉げて潰れている部分もある。外見上最大の特徴である3つのカメラアイを備えた頭部をはじめ、いくつかの箇所が原型を留めているに過ぎない状態だった。
 思わぬ写真の開示にディを除く全員が唖然としていると、いち早く混乱から抜け出したガロードが焦ったふうに問い掛ける。

「爺さん! これを一体どこで手に入れたんだ!? 今もこの惑星Ziにちゃんと存在しているものなのか!?」

 そのガロードの問いに、ディは深く首を縦に振った。

「ちゃんと存在しておるぞ、小僧。今もわしの研究所で厳重に保管しておるわい。そしてどこでこれを見付けたかじゃが、最初はそこから話すとしようかの」

 と告げると、ディは画像を切り替えた。
 切り替えられスクリーンにはまた再び別の写真が表示されており、同じモビルスーツを写している点で共通しているが、こちらは発見当初の写真のようである。
 まず場所が違っていた。先程の写真が屋内だったのに対し、今度の写真は外の様子と撮ったものである。そこは畑か何かなのか、耕された土の上には作物らしき植物が植えられていた。画像の中心には畑を抉るみたいな形で土砂に埋まりかけたモビルスーツが倒れており、その周りには作業に従事する人たちの姿や、レブラプターと大きさはほとんど等しいが大分印象の異なる、レブラプターよりもやや直立気味で背中に背びれを生やした恐竜型のゾイドの姿も見える。
 写真を見据えながら、ディは語った。

「今から3ヶ月ほど前のことじゃ。共和国領の農村地帯である日突然、轟音が鳴り響く共にこの鋼鉄の巨人が空から降ってきたらしい。この土地を所有する第1発見者の通報を受け、現地近くの共和国軍の兵士が調査に乗り出したそうじゃが、コックピットはもぬけの殻で、結局その正体はわからなかった。そこで『奇妙なゾイドが発見された』と、わしの所にその解析の依頼が舞い込んできたというわけじゃよ」

 ディの言葉に、バンが呆然と呟くように言う。

「空からって……。なあガロード、これって空を飛べるのか?」

「いや、基本的には無理なはずだぜ。背中に専用の追加装備をくっ付けたやつなら空を飛んでたけど、こいつにはそれが無ぇ。この状態だとバーニアを全力で吹かしても数百mジャンプするのが精一杯だった」

 ガロードがそう答えると次にフィーネが、

「じゃあ、どうしてそんなものが空から……」

「うーむ……」

 フィーネは口元に手を当てて考え込み、トーマがそれに答えようと腕を組んで知恵を絞る仕草を取っていたが結論には至らなかったようだ。

「まあ、そのあたりのことはあとでおいおい考察するとしようか。話を進めるが、この機械人形の調査に乗り出したわしらは、それがすぐさまゾイドとは異なる存在であることがわかった。なんせ、この機械人形の一部にはわしらの知らん技術や規格が使われていたうえ、ゾイドの中核であるゾイドコアがはじめから存在しなかったのでな。そして、極め付けがこれじゃ」

 そう言ってディが示した画像は、どうやらそのモビルスーツの装甲の一部のようであった。人間に当て嵌めると肩の部分に相当する箇所が拡大されており、綺麗に落とされた汚れの下からは、おそらくその所属を記載したと思しきマークが現れている。
 そこには、こう書かれていた。


 ──『Earth Federation Force』


 ガロードが、声に出して読み上げる。

「地球……連邦軍」

 ディが、頷く。

「左様。これを見た時、わしは年甲斐も無く興奮して夜も眠れなんだ。若い頃に目を通した記録の中だけでしかその存在を示唆されていなかった地球が、こんな形でわしの目の前に現れたのじゃからのう。じゃが、一緒にいた若い連中にはこれを理解できる者が1人もおらんかったのでな。発見した際に『アース連邦とは一体どこの国か?』と訊かれた時は実に滑稽だったわい」

「じゃ、じゃあ、さっき爺さんがティファの絵を見て驚いていたのも……」

「まあの。半分くらいはそういう理由じゃよ。この機械人形の存在を知る者がいるとすれば、それはすなわち、その人物は実際の地球を自分の目で知っているということになる。これを驚かずにいられようか」

「そういうことだったのですね、ドクター・ディ。でしたら、ここのところなかなか連絡が取れなかったのも……」

「ああ、嬢ちゃんが思っている通りじゃ。ずっとこの機械人形の解析に掛かり切りでな。もう少しはっきりしたことがわかったらお前さんたちにも知らせるつもりじゃったが…………。いやはや、世の中なかなか予定通りにはいかぬという好例じゃろうよ」

 肩を竦めて話を締め括ったディに対し、バンやフィーネやトーマは一定の理解を示しているようだけれども、ティファは不思議と老人の発言の一部に簡単には捨て難い妙な引っ掛かりを覚えた。
 決して嘘は言っていないが、全てを話してはいない。話すべきか否かについて迷いが生じているふうな、そういう感じだ。
 そのことに違和感を持ったのはティファだけでなくガロードも一緒であった。隣に佇む彼の心に意識を向けてみれば、ティファと同じ疑問を胸に懐いて、首をもたげ始めた不安に顔を強張らせている様子が垣間見える。
 わずかに声を押し殺すようにして、ガロードがディに問い掛けた。

「なあ爺さん……半分くらいって、どういうことなんだ?」

「…………」

 その時、ガロードのした質問を受けてディは初めてその口を噤んだ。
 時として沈黙は何よりも雄弁なものである。
 ややあってディは、すぅぅぅーっと息を吸い込み、溜め息を溢した。 

「流石に、わかるか。確かに、話がこれで終われば良かったのじゃがな……」

「え……?」

「ドクター・ディ?」

 雰囲気は一変し、しわがれた老人の声は年齢をさらに感じさせる。
 そのことでガロードとティファは、ディが『何を見てしまった』のかがおぼろげながらにわかってしまった。

「……データが、残ってたのか? それも映像の」

 一応の念を込めたガロードの問いに、ディは少しの間を置いて「そうじゃ」と答えて言葉を続ける。

「お主は知っておるのじゃろう? この機体が、どういう機体なのかを」

「…………」

 そう告げてディが掲げたのは、スクリーンに表示された写真の方ではなく、ティファ自身の手で描いた絵の1枚だった。
 絵自体には色は付けなかったが、記憶の中にある白い機体の姿。かつてガロードと仲間の1人が搭乗して戦いに挑んだ、ティファにとっても思い出深い機体である。
 絵を掲げたディの顔を見、その手元に示された絵の内容を見、今度はガロードが長く溜め息を行う。

「そういうことか。よりにもよって、と言うか、なぁ……。爺さん。その映像に映っていたのは地上でだったのか? それとも宇宙でだったのか? どっちだったんだ?」

「宇宙で、じゃよ。解析に成功して初めて見た時、いろんな意味で度肝を抜かされたものじゃったわい」

「だったら、それに映っているのは俺たちが生まれた年の出来事のはずだ。今から16年前、戦争があった時の、な……」

 ガロードがそう言うと、話の蚊帳の外に置かれ掛けていたバンたちにも理解が行き着いてきたようだ。えっ、と彼らの息を呑む声が聞こえてくる。

「16年前って……まさか!」

「まさか、そんな……」

「コロニー、落とし……」

 愕然としたバンたちの言葉。
 ディは後ろ手に、視線を落とした。

「なるほど。『コロニー落とし』か。そこまでのことはあやつらにも話してあったんじゃな?」

「ああ。いちいち細かいことまで話してられなかったから、大まかなところだけな。わざわざ好き好んでする話でもねぇし、あんたたちにとっては全く関係ねぇことだしさ。話さなくて済むなら、このままずっと話さないでおくつもりだった」

「じゃろうな。わしもお主の立場なら話さずにいたやもしれん。現に得られた映像データを所員に緘口令を敷いて廃棄処分することさえも検討していたくらいじゃ。むしろ、そのことをベラベラと喋るような輩ではないと知ってほっとしておるよ」

「そう言ってくれると、こっちも助かる。苦労を掛けさせちまったな、爺さん」

「いや、別にどうってことはないわい。実際にあの結末の先にある世界で生きて暮らしていたお主たちに比べればな。わしは見て、知っただけのことだ」

「……そっか」

 互いに目を伏せ合い、互いの胸中への理解を示し合うガロードとディ。
 そこにバンたち3人を代表してフィーネが、神妙な面持ちで前に出てくる。

「一体……何が映っていたんですか、その、映像には……?」

「…………」

 フィーネの質問に、ディは一瞬躊躇うようなそぶりを見せるとやがて口を開いた。

「話してもかまわんが、実物の映像を見た方が早いじゃろう。──良いかの?」

 確認を取るディに応じて、ガロードは嘆息する。

「良いも悪いも、ハナっからそうするつもりだったんだろ? どうせ爺さんの所の連中はその映像を見ているんだから、バンたちにも遅かれ早かれだ。俺たちも人伝に話を聞いているだけで映像なんて見たことがないから、興味がないって言えば嘘になっちまうし。なあ、ティファ?」

 ティファは頷くと、心のままに言の葉を綴り出す。

「はい。私も、見てみたいです。自分の、この目で。見るべきだと思います」

「そうか、すまんな。では、皆にも見せるとしようかの。嬢ちゃんたちもそれで構うまいな?」

「あ、ああ……」

「しかし、何が……」

 困惑の表情を浮かべるバンたちを尻目に、ディは機材を操作して映像が納められたデータを呼び出す。そうして数秒間の読み込み画面が表示されたのち、今から16年前の地球で起きた出来事を記録した動画が流れ始めた。
 その動画はこれまでの画像と比較して横に細長く、均等に3つに分割されていて、それぞれ、左前方、正面、右前方に対応しているようである。

「これは……」

 まず1番最初に映し出されたのは、漆黒に染め上げられた宇宙と、画面下部に入りきらない緩やかな曲線を描いて淡く青い光を宿す海と白く輝く雲を内包した大地──おそらく地球だった。多少画像は荒かったが、よくよく見れば周囲には同型のモビルスーツや丸い胴体に腕と大砲をくっ付けただけの機体や宇宙戦艦らしきものの姿も多数見られる。やがて、その中にひときわ異彩を放つ機影の一団が出現したのは、時間にして開始から7、8分が経過した頃のことだった。
 細部の形や色彩は異なるが、背中にL字型のパネルと身の丈もある大砲を装備しているという点で共通している12機を従えた1機の白いモビルスーツ。円を描くように配置された一団の中心に、その機体はいた。
 額に黄金の4本のアンテナを備え、顔には人間くさいとも言える2つの“眼”。
 ガロードが、そのモビルスーツの名を呟く。

「GX-9900……」

 形式番号GX-9900。通称GX、またはガンダムX。
 ティファ自身はいまだにモビルスーツの正確な機種名についてはあまり明るくはなかったけれども、この機体を含む数機の例外については話は別であった。

「あれが『ジーエックス』……」

「ティファが描いた絵と、同じだわ」

 呆然と呟くバンとフィーネの視線の先で、映像はなおも続く。
 中央に佇むGXを主軸にして艦隊やモビルスーツ隊が展開されていくなか、画面のずっと奥の方で、おびただしい数の光が煌き、その数を徐々に、徐々に増やしてきている。星のまたたきではない。暗闇の中を直線に走る一条の光や咲いてはまた消える小さな光は、それらが光るたびに名の知らぬ兵士たちの命が失われていることを意味する、計り知れない規模の戦火の輝きだった。

「これが、第7次宇宙戦争……」

 戦闘は止め処なく続き、事態はやがて次の段階へと移る。
 遠くから戦場を静観していたGXに、動きが見られたのである。

「む、何をしようとしているのだ?」

 背中に装着されていた大砲が回転し、その動きに同調してL字型のパネルも展開され始める。中央にいるGXだけではない、周囲を取り囲む他の12機もだ。全機の砲身は前方へと向けられ、パネルは斜めに傾いた十字型、すなわちX字型へと形を変えていった。

「…………」

 その光景を目にしたガロードとティファの間に緊張が走った。
 思わず手を握り締めて、こめかみに汗を滲ませる。
 知っている。
 ガロードとティファは知っている。
 このあとどんなことが起こるのか。GXのパイロットが誰であるのか。これから何をしようとしているのか。その全てを。
 その時、画面の中に映る何かに気付いたバンが声を上げた。

「なあ、あれってスペースコロニーってやつじゃないか? 画面の奥のずっと向こう側に映ってるやつ」

「ええ、そうみたい。あれを、これから地球に……」

「おそらく。しかし……あの大砲を撃つにしても、一体何を狙っていると言うのだ、あのジーエックスとやらは?」

 バンたちがそれぞれに疑問を呈していたけれども、ガロードにもティファにもそれに答える余裕はない。ディも口を閉ざしたままだ。
 展開されるGX、迫り来る軍団とスペースコロニー。ふたりの視線が釘付けとなってその様子を見守っていると、ついに決定的な瞬間は訪れた。
 戦場に佇むGXの胸部に、突如としていずこから闇を突き抜けて極細に収束した光線が到達する。
 通信用のガイドレーザー。その発信源。そこに、たった1つだけの月が見えた。

「1つの、月?」

「……何だ?」

 そう漏らした誰かの声を合図としたかのようにして、力は解き放たれる。
 遥か遠くの月よりもたらされた不可視のエネルギー波を受け、GXの背中で広げられた4枚のパネルはまばゆいばかりの輝きを放ち始めた。GXと横一列に隊列を組んだ他の12機も順々に。手足に装着された紺色のパーツが次第に光を帯びて、余剰となったエネルギーを熱として放出していく。
 そして、ガロードとティファが見守る前で……その銃爪は引き絞られたのだった。

「────は?」

 やや間の抜けたバンの声が耳に届いていたものの、それはどこか遠くに聞こえる。
 ガロードは何も言わない。ティファも何も言えない。
 GX1機と他12機からまるで堰を切ったかのように解き放たれたエネルギーは凄まじい規模を誇る光の奔流となり、迸る閃光は全てを飲み込んでいく。
 目の前に展開されていた敵の艦隊も、その中心に浮遊する人工の大地も、そこにいるはず人々の命も全て。
 合計13もの太い光の筋のうちの1つに貫かれて、その1基のスペースコロニーは文字通り完全に粉砕された。敵艦隊も残る12の砲撃によって甚大なダメージを被り、わずかに残った生存者も散り散りとなって分散していく。
 実際にその威力を予め知っていたとはいえ……いや、知っていたからこその衝撃が、途轍もない勢いとなってガロードとティファの身体の中を駆け巡った。

「お、おい……」

「嘘だろ……」

 予備知識のある自分たちでさえこうなのだから、何も知らなかったバンたちが懐いたの感情はいかほどのものであったか。
 ちらりと視線を向けてみれば、バンとトーマは愕然とした表情で目を見開いており、フィーネも口元を手で覆って驚きを顕にしている。
 たった1度の砲撃。それが、この結果を生み出したのだ。

「まさか、そんな……」

 フィーネがまるでこの世の終わりを目の当たりにしたかのような顔になっていたけれども、これはあくまで全ての災厄の始まりにしか過ぎなかった。
 GXが行った砲撃に恐れを為した敵勢力は更なるコロニー落としを敢行し、また再び画面に映る中で多数のスペースコロニーが加速を開始した。もはや交渉も躊躇いもない。味方の艦隊やモビルスーツ群をも押し潰しながらコロニーは突き進み、地球へと殺到していく。とてもGXだけで対処しきれる数でないのは明らかだった。
 GXの姿が収められていたのはここまで。この映像の視点となっている場所も敵と味方が入り乱れる戦場となったのである。迫り来る敵モビルスーツ。飛び交う火線。大気に触れて赤熱化していくスペースコロニーの姿が、映像の隅に映る。地表に落下した衝撃で凄まじい大きさの火の玉が生まれ、空に漂っていた雲が円形に消し飛ばされていくのも見えた。見えてしまった。
 いくつも。いくつも。いくつもである。
 宇宙における戦場は完膚なきまでに混乱を極め、それをまとめ上げる者などどこにも存在しない。
 戦い、撃たれ、爆発し、消えていく。
 ただそれだけであった。
 延々と続くかに見えたこの状況。それもやがて、戦闘中に被弾して大きくバランスを崩したのを皮切りに終焉へと向かっていった。画像が乱れ、眼前には敵のモビルスーツの機影が急速に近付いてきている。振り被られた光の刃が迫るのを最後にして、画面全体が白光に包まれ、その映像は唐突に終わりを告げたのだった。
 あとには無信号を示す表示がなされた青いスクリーンと、絶句して何も言えずにいるこの場のメンバーが残るのみ。
 唯一平静を保ったディが、頃合を見計らって言葉を発す。

「とりあえずこの映像はここまでじゃ。誰か、照明をつけてくれるかの?」

「あ、あぁ……は、はい。今、つけます……」

 そう言ってトーマがぎこちなくよろよろと動き、室内に光が戻った。
 壁に掛けられた時計の針は、すっかり夜の時刻を指している。
 照明が灯ったのを確認したディは、映写機の電源を落とした。

「今のは一体、何だったんだ……」

 と、小さく声を漏らしたのはバンだった。
 彼の隣には、青ざめた表情のフィーネが立っている。
 ディはバンの呟きには応じず、ガロードの方を向いた。

「今のが、お主たちのいた地球で起きた出来事であるのに、間違いはないのじゃな?」

 あたかも囁き掛けてくるかのようなディの問いに対し、ガロードは息を吸い込んでまぶたを閉じたあと、しっかりと頷き返す。

「ああ。間違いねぇ。話には聞いてちゃいたけど、俺もここまでのモンだとは思ってもみなかった……」

「わしは、ここまでのことしか映像では知らん。だが大体の想像は付く。結果的に何人の命が失われたのかを、お主は知っておるのか?」

「ああ。さっきバンたちにも話した。昔は、戦争が起きる前は、100億人近い人間が暮らしていたって聞いてる。それが今だと……地球とコロニーを合わせても1億と少し……だってよ。こいつは今政府に勤めている仲間から聞いた話だから、それほど間違ってはいないはずだぜ」

「そうか……。ある程度予想はしていたが、それほどとはな。よくぞ生き延びてくれた、と言えるのかもしれん。だが、しかし……」

 そこまでが限界だったのか、何かを言おうとしてディは途中で口を噤んだ。
 するとバンが顔に深刻な表情を浮かべたまま、そっと歩み寄ってくる。

「なぁ、ガロード……」

 バンは言い難そうに、言葉を慎重に選ぶようにして告げてくる。

「お前は、知っていたんだよな……あのジーエックスって機体のことを。乗ってもいたって……」

「…………」

 短い沈黙を置いてガロードはその質問に答えた。

「ああ。俺も乗ってた。映像のやつとは違う別のGXに。当然、あの大砲──サテライトキャノンも、撃ったことがある」

「…………っ!? ど、どうして!?」

 なぜ。どうして。
 あの映像、あの威力を目の当たりにしたあとでは至極当然な疑問である。
 バンを見詰め返したガロードが、淡々とした口調で語り始めた。

「最初は、生き残るためだった。あの頃はちょうどティファとも出逢ったばっかりの時でさ。ある連中に追われていた俺たちは、逃げ込んだ先の廃工場でGXを見つけて戦って、どうにか切り抜けることができた。だけど、問題はそこからだった」

 ティファも思い出す。ガロードと、初めて出逢った日のことを。
 今でも忘れられない、決して色褪せぬ記憶に他ならなかった。

「ガンダムってさ、俺たちの世界でだとパーツだけでも言い値で取引できるくらいに貴重なものだったんだ。要するにお宝ってわけさ。だからGXを手に入れた俺たちの所に、今度はそれを狙った連中が押し寄せてきた。連中はお構いなしだった。GXを手に入れるためならコックピットを潰しても構わないってくらいにな。俺は戦った。でも、相手の数は多過ぎた」

 ガロードの心の中に燻る後悔の念。
 それを感じ取ってティファはきゅっと自分の手を握り締めた。
 呆然としたバンの声が聞こえてくる。

「だから、なのか……。だからあの大砲を、使ったと……」

「ああ。結果は……ここに俺たちが立っているのが答えだ」

「そんなのって……」

「────くっ! 貴様っ!」

 募らせた苛立ちがとうとう弾けてしまったのか。声を大にして叫びを上げたのは、バンの脇に控えていたトーマだった。
 彼はずかずかとガロードに詰め寄ると、その襟元を掴み言葉を捲くし立てる。

「貴様は自分で何を言っているのかがわかっているのか!? あの大砲を撃っただと! 考えずともあの威力だ! それがどのような結果に繋がるのか、全く理解できんわけはあるまい!!」

 体格差から胸元で身体を吊り上げられる形となって、ガロードは若干息苦しそうに顔をしかめたがそれだけであった。

「言い訳は、しねぇさ。俺はあの時、無我夢中で銃爪を引いた。他でもねぇ、自分の意思でだ」

「くっ……貴様は!」

「待って、下さい」

 これ以上は、耐えられなかった。
 あの時の状況を、あの時のガロードが宿した激情をティファは思い出す。
 ガロードばかりの責任にはできない。他ならぬ自分が、彼に力を託したのだから。
 ティファはガロードが着た赤いシャツを掴むトーマの手に触れると、怒りに奮えて紅潮したその顔をまっすぐに見上げた。

「あの力の封印を解いたのは、私です。ガロードはあの時、何も知らなかった。その責任は私にもあります。ガロードばかりを責めないであげて下さい。どうか……どうか、お願いします」

「ティファ……」

 ティファが告げると、フィーネが悲しげな表情でティファの名を口にした。
 そのあとでディが、横から割って入ってくる。

「そこまでにしておいてくれんか、シュバルツ。お前とてこやつがヒルツらとは違うのだというのはもうわかっておるのじゃろう? わしらとて人のことは言えんのじゃ。結局はどんな力も、扱う者の心次第でどうとでもなるのじゃよ」

「しかし……。ぐっ。はい、わかりました……」

 ディの言葉を受けて、トーマは苦々しく頷く同時にガロードから手を離した。
 襟元を正したガロードが、ディの方を向く。

「なあ爺さん……。こっちでも、何かあったのか?」

 その問いにディは首肯を示す。

「まあの。あとで詳しく教えるが、あと1歩のところで最悪の事態となるのを食い止めることはできた。じゃがそれでも、何万人もの命が失われてしもうた……。今からわずか、2年ほど前の話じゃよ」

「そっか、だからか。あんたたちにとっても、俺たちの世界の話は完全に他人事だって言えないんだな」

「その上で、問う。1つ訊いても良いかの?」

「ん、何をだ?」

「……のう、ガロード」

 ガロードが先を促すと、ディは初めてその名を呼んだ。

「お主は『最初は』と言うておったな。最初は生き残るためじゃったと。それはのちにその心境に変化があった、そういうことなのかね?」

「…………」

 ガロードは目を閉ざし、思いを反芻するかのように息を吸い込むと、再びディと視線を合わせた。

「『過ちは繰り返させない』。それが俺の答えだよ、爺さん。これはあの力を俺に託して逝った奴の最期の言葉でもある。あの映像のGXに乗っていたパイロットにもな。俺はそれを、裏切りたくなかった。俺自身、もうあんなのは2度と御免だぜ」

「そうか、そうか。お主たちもなかなかに、相当な人生を歩んでいるようじゃな。こんな年寄りの我が侭に付き合ってくれたこと、心より感謝するぞ。ありがとの」

「いや、俺は別に特別なことなんてしちゃいないさ。こっちこそありがとな、爺さん。爺さんのお陰で今まで見えなかったことが、ちょっとだけわかるようになった。そんな気がしてくるぜ」

「左様か。それならばこの映像を見せたのはお主たちにとっても無駄ではなかった。それがわかっただけで十分じゃわい」

 そう告げるとディと共に、ガロードは微笑みを浮かべた。

「そいつは何よりだ。じゃあ爺さん。そろそろこっちからの質問……してもいいかな?」

「うむ、構わんぞ。まだ映像が残っておるといえば残っておるが、まあそれはお主らの質問に答える形で開示しても何ら問題はないじゃろ。嬢ちゃんたちも、それで構わんか?」

 ガロードの提案を聞き入れたディが、後ろを振り返りながらそのような形で確認の声を発したものの、それを送られたバンたちからの返事はすぐには返ってこない。
 いまだ隠し切れない動揺が、彼らの胸中に渦巻いているようだった。
 ややあってバンが、ふう、と溜め息を溢した。

「わかったよ、爺さん。そうしてくれ。正直まだ混乱していて、ゆっくり考える時間が欲しいところだけど、このまま明日に長引かせるってわけにはいかないし、途中で放り出すわけにもいかないからな。今は俺たちよりも、ガロードたちの方が大事だ。俺たちのことは気にしないで、先を進めてくれよ」

「バン……」

 バンの言葉に、フィーネは硬くしていた表情を少しやわらげた。

「そうよね、バンの言う通りだわ。ドクター・ディ、私もバンと同じです。どうか先を進めて下さい。私たちはちゃんと、ここにいますから……」

「トーマも、それでいいよな?」

 トーマは瞑目すると大きく息を吐き出す。

「ああ、構わん。2つ3つ言いたいことはあったが、もはや今ここで語ったところでどうということにもなるまい。お前とフィーネさんがここにいる以上、俺が残るのも道理だ。俺もまた、ガーディアン・フォースの一員なのだからな」

「だそうじゃ。知りたいことがあるなら遠慮なく問うて構わんぞ。この老いぼれの知識で答えられるものなら何でも答えよう。さあ、言うてみてくれ」

「ありがとな、爺さん。それに、バンたちも。まず最初に訊きたいんだけどさ、俺たちだけじゃなくてドートレスまでもがこっちにやって来ちまってるってことは、俺たちがこの惑星Ziに来たのもやっぱり偶然じゃないってことになるのかな? あと3ヶ月前だっけか? 16年前の戦争の時のドートレスがそのタイミングで空から降ってきたってのも、ちょっと気になるし……」

「ふむ、やはりそこからか……。それを答える前に、この惑星Ziと地球の位置関係を確認しておこうかの。のう嬢ちゃん、そこにある紙とペンを取ってくれるか?」

「え? あっ、はい、どうぞ」

 ディに求められるがままに、事情聴取時にティファが絵を描いた際に残った紙とペンを差し出すフィーネ。
 受け取ったディはテーブルの上に置かれた紙にペンを走らせ、何やら簡単な概略図のようなものを描き始めた。
 その行為を認めたガロードが、不思議そうに言葉を発す。

「位置関係って、そんなことわかるのか?」

 ディはペンの動きを止めずに答えた。

「まあの。あくまで記録上の大雑把な位置じゃがな。お主は地球やこのZiをはじめとする惑星が、太陽などの恒星の周囲を公転していることは知っておるな? そしてその星々が何億何兆個も集まり、1つの集団を構成していることも……」

「ん、ああ。確か『銀河』って言ったよな、それって。地上から見ると天の川に見えるってやつだっけか?」

「その通りじゃ。そこまで知っておるのなら話は早い。これはその銀河を、回転軸上の離れた点から眺めた図だ。ここまでは大丈夫かの?」

 そう言われて示された紙面には、中央に丸い円があり、そのまわりを円から生えた2本の腕のようなものが渦巻状に回っている図が描かれている。
 ティファも知識として『銀河』という言葉には耳覚えがあった。
 ふたりは互いの顔を見て頷き合う。

「ああ、大丈夫だぜ」

「よろしい。では今わしらが立っておる惑星Ziがある星系の位置をこのあたりとしようか」

 と告げるとディは、描き上げた図の中に新たに1つの点を書き込んでいく。点の横には『Zi』の文字。渦を形作る腕の1本の、中ほどからやや渦の外側に寄った位置だった。

「……結構、中途半端な位置にあるんだな」

「かなり大雑把じゃが、今はこれで十分じゃろう。そして、わしらの先祖がいたという地球を含んだ太陽系は、このあたりに存在するとされておる」

 続けてディは地球の位置を示していく。Ziと記された点の位置から、渦の中心の円を挟んだ反対側、そのもう1つの点を打つと、その横に『Earth』と書き込んだ。
 それを見たガロードが「え?」と目を丸くする。意外と言えば意外な位置であった。

「銀河の、反対側……?」

「左様。地球に対して惑星Ziは銀河の反対側に位置しておる。直線距離にしておよそ6万光年。同じ銀河に存在する、遥か彼方と呼べるじゃろうな」

 ディがそう言うと、後ろに控えていたバンが首を捻っていた。

「こ、光年……? な、なあ爺さん、6万光年ってどのくらい離れているんだ? そもそも光年って……」

「光年とは『光が1年の時間をかけて進む距離』じゃよ、バン。1光年がメートル換算で約9.46×10の15乗mじゃから、ざっと計算してその6万倍は5.7×10の20乗m……。まあ、お前さんのブレードライガーを全力で走り続けさせたところで何百億年と掛かるような、そんな距離じゃな」

「な、何百億年っ!? って、そんなに離れているのかよ、地球って所は!」

「離れておるとは言っても、宇宙全体から見ればかなりの近場じゃ。かつてわしらの先祖はその銀河の海を船団に乗って越えてきた。度重なる戦争と天変地異で星の海を渡る技術は完全に失われ、多くの人々はその存在を忘れてしもうたが、紛れもなくわしらの源流はそこにある」

 何百億年と聞くと途方もない距離であるようにも感じるが、ディの言によるとそうでもないらしい。宇宙とはそれほどまでに巨大で果てしないものであるのだと、暗に告げているふうにも思えた。
 と、ここでガロードが、

「でもよ、近いって言ってもちょっとやそっとで行き来できるような距離じゃねぇってのは確かなんだよな。俺たちにしろドートレスにしろ、どうやってそれを越えることができたんだ?」

 その問いにディは答える。

「人為的にそれを行うには果てしなく膨大なエネルギーを必要とするが、理論的には可能じゃよ。要するにお主たちは時空間の歪みに巻き込まれた……そう考えるのが妥当なところじゃろう」

「時空間の、歪み?」

「あの、それは一体……?」

 歪みとは一体どういうことなのだろうか。
 完全に理解を超えた発言にガロードとティファが顔を見合わせていると、新しく白紙を手に取ったディは言った。

「理論的に解説しても良いが、ここは一番簡単な例を挙げるとしようか。わしはこれからこの紙の上にA地点とB地点と書く。お主たちはそのA地点からB地点へ移動する時、最も短い道のりで移動するにはどうすれば良いのかを考えてみてくれ」

 と、ディは言葉の通りに紙の両側に小さく丸で囲った『A』と『B』をひと文字ずつ書き置いた。
 これを見たガロードがまばたきを1つする。

「最も短いって、単純にこうやって真っ直ぐに進んだら良いんじゃねぇのか?」

 ガロードは紙面上のAとBを結ぶ見えない直線を指でなぞった。
 すると、ディはにやりと笑う。

「本当にそうかね? のうバン、お前ならどう考える?」

 突然言葉を投げ掛けられて、バンは大きく「えっ!」と呻いた。

「い、いや。ほとんど考えてなかったと言うか、ガロードので良いんじゃないのか?」

 それを聞いたトーマが呆れるように溜め息を溢す。

「まったく……。少しは頭を働かせろ、バン。ドクター・ディが仰りたいのは、すなわちこういうことだ」

 言って彼はAとBの2つの文字が描かれた紙を緩やかに曲げて、ちょうどAとBが触れ合うように重ね合わせた。
 フィーネが「あっ」と声を漏らす。

「確かにそうすればAとBの距離はほとんどゼロになるわ。ひょっとしてこういうことなのですか、ドクター・ディ?」

「正解じゃ。これあくまで2次元における場合を紙で表現したに過ぎんが、わしらが認識しておる3次元や4次元、果ては時間軸を異とする並立世界の場合に拡張しても同様のことが言える。お主たちとあの機械人形に到達時期にタイムラグが生じているのも、おそらくそのあたりが原因じゃろうな。簡単に言えば、時空間が歪んだことで本来交わることの無い2つの時空間が接触し近道が生じた。こちらとあちらで時空間の流れが同じとも限らん。互いに同空間同時刻の存在であると言えるのか、あるいは直接の未来と過去の関係なのか、それとも時間軸のどこかで分岐した並立世界なのか。他にも原理的に考えられるものもあるといえばあるが、概ねこのような事象であると認識してもらって構わんよ」

「え、えーとぉ……」

「…………」

 矢継ぎ早に解説するディの口からは様々な言葉が飛び出してきたものの、そのほとんどに理解が行き届かず、話の流れについていけなかった。
 そう思ったのはティファだけでなく当然ガロードにも言えること。この世に生を受けてからの16年。このような類の話題に全くと言っていいほど触れた機会が無かったため、ガロードもティファもはたしてどのように応じたらよいのかで困り果てるしかないのが現状だった。ふと見れば、バンもバンでふたりと似たような反応であるのはすぐに見て取れる。

「と、とりあえず地球と惑星Ziの間に近道ができちまったってことで良いんだよな? なんか、インチキ臭い気もするけどよ……」

 率直な感想を述べるガロードを、ディは否定しなかった。

「まあの。逆に言えばそのようなインチキでも起こらん限り、お主たちがこの惑星Ziの大地を踏み締めることはありえん、ということじゃ」

「だったら、どうしてそんなインチキが起こっちまったんだ? 俺とティファが地球から惑星Ziに来ちまったのがインチキだとしたら、そこに必ず原因があるはずだろ。そんなのってどこにあるんだ?」

 ガロードが疑問を顕にすると、バンとフィーネとトーマの3人は困ったように互いを見合った。

「原因って言われても、なぁ……」

「ドクター・ディは膨大なエネルギーが必要になるって言っていたけど、そもそもどれほどの量が必要になるのかしら……?」

「正直言って、皆目見当が付かんな」

 彼らは口々に意見を述べていたが、結論には至らなかったようだ。
 と、するとそこに……。

「いや……、そうでもないぞ。考えられる可能性は1つある」

 重々しく告げられたディの声がのしかかってきた。

「────えっ?」

「ドクター……?」

「可能性とは、一体……」

 この場にいる全員の視線が集まるなか、ディの見解はもたらされた。

「他でもないわしらの行いに原因があるのじゃよ。時空間の歪みは重力の変動として観測される。ゆえに重力の急激な変異が時空間の揺らぎに影響を与えたとしても何ら不思議ではない。この惑星Ziを守るためとはいえ、わしらはそれだけのことを仕出かした。それだけのことを、な……」

 その発言は後悔のようにも、あるいは懺悔のようにも聞こえたと思う。
 何が彼をそうさせるのであろうか。深刻そうに顔を俯かせるディの横顔をティファは見詰めた。

「俺たちの、行いの所為……」

「この惑星を守るためって、どういうことなんだよ、それ……」

 バンとガロードがそう言うと、ディは初めて苛立ちを噴出させた。

「まだ気付かぬか! バン! 時空間の歪み、すなわち重力の歪み。重力。グラビティ。ここまで言えば、いい加減お前でもわかるじゃろう……」

「──────っ!? まさかっ!?」

 何かに思い至ったのか、バンは驚くと同時に目を大きく見開いた。
 それはバンだけではなくフィーネやトーマまでも。
 驚愕に苛まれる3人の顔を見据えて、厳しさを滲ませながらディは告げる。

「そう……。グラビティカノンじゃよ。その影響の余波でこの2人は銀河の彼方にある地球からこの惑星Ziへと迷い込んできた。わしが考えうる限り、その可能性が一番高い。決して無関係だとは言えんのじゃ」

「冗談、だろう……」

「そんな……」

「グラビティカノンの、影響で……」

 バンとフィーネとトーマは恐れおののいていたけれども、事情を知らぬガロードとティファから見ればその衝撃の度合いを計ることはできない。
 それ以前にグラビティカノンとは一体何なのか。まずはそこから解消しなければならなかった。
 言葉を鎮めたガロードが、ディに質問をする。

「なあ爺さん……。グラビティカノンって一体何なんだ?」

「…………」

 ディの返答は、沈黙だった。
 しばらくそうして静寂が流れたあと、年老いた科学者の口は動き始めた。

「……今から2年前のことじゃ。2年前、この惑星Ziに未曾有の危機が訪れた。ある2体のゾイドが、その猛威を振るったのじゃよ」

「2体の……ゾイド?」

 ディはゆっくりと頷いた。

「そのゾイドの名はデススティンガーとデスザウラー。グラビティカノンとは、それら2体に対抗するためにわしが中心となって開発し、ウルトラザウルスへと搭載した超重力兵器の名称じゃ」

 その説明にガロードは眉をひそめる。

「超、重力兵器……? それって一体どういうものなんだ? それにデススティンガーとデスザウラーって、やたらと物騒な名前じゃねぇか」

 両者共に『デス』という名を冠しているのだ。ガロードがそう捉えるのも致し方ないとティファは思う。
 デス。死。破壊。
 嫌が応がなく不吉な予感にさせられる名前であった。
 そこにバンの声が、立ち入ってくる。

「物騒なんて、生易しいものじゃないぜ、その2体は」

「バン……」

 表情は硬く、まるで押し潰したような重い声。
 ディはバンのあとを引き継いだ。

「その2体も含め、口で説明するよりも実際に映像で見てもらった方が早いじゃろう。すまんが、また照明を消してくれるかの?」

 その要望に従い、照明は落とされて室内は再び暗くなる。
 点灯したスクリーンに新しく映像が映し出されたのは、まもなくのことであった。

「まずはこの映像が……グラビティカノンと、ウルトラザウルスじゃ。これは、その試射の模様じゃよ」

「んんっ?」

「…………?」

 今度はどんな映像なのだろうとガロードとティファが目を凝らしていると、ぱっと目にしたそこにはゾイドらしき姿は無く、どこかの海を航空機か何かで上空から撮影した動画が流れ始めた。白く波立つ海面には大小様々な形の島が点在しており、雲が浮かぶ空も透き通るような青さを湛えている。とてもではないが、一見して強力な兵器といったものに直接結び付きそうに無い光景だった。
 しかしそう思ったのも束の間。撮影を行っている機体がゆるやかに旋回すると、小さな島と島の間の海を徐々に移動している巨大な影の存在に気が付く。その全貌が把握できるようになるにつれ、画面の中央に映るものに非常に長い首や尻尾が生やしていることを認めたガロードとティファは、それが1体のゾイドであることがようやく理解できた。島に自生している木々と比較して、そのあまりの巨大さにぽかんと開いた口が塞がらなくなってしまう。

「こいつが……この馬鹿デカイのが、ウルトラザウルス?」

「ああそうじゃ。そしてこのウルトラザウルスの左舷に装着されている大砲、これがグラビティカノンの発射ユニット、ということになる」

「…………」

 その全長は目測でも最低で数百m、いや、首と尻尾を伸ばせば500m台をも優に超えていたとしてもおかしくはないくらいに巨大である。全体的な意匠は機械機械しく無骨な印象。ずんぐりとした胴体に対して首は細長く、節々で可動して大きく弧を描くその先端には、丸みを帯びた曲面で構成されたオレンジ色のキャノピーを持つ頭部があり、口には幾何学的な形状の牙がびっしりと並んでいるのがここからでも見て取れる。四肢は海中に没していたため良くは見えなかったものの、背中にちょこんと乗せられた甲板のサイズからその規模は推して知るべし。かつてガロードとティファがその身を置いていたバルチャー艦、フリーデンと比べても比較にならない。あまりに大き過ぎて明らかに常軌を逸したサイズの、カミナリ竜と呼ばれる恐竜の一種であった。
 だがしかし、これはあくまで本体と呼べる部分を語っているに過ぎない。真に驚くべきはそのカミナリ竜の胴体の両脇に接続された追加ユニットである。こちらもひと言で表現するならば、巨大。巨大過ぎる。左舷に取り付けられた特大砲は砲身の長さだけでもウルトラザウルスの胴体を遥かに超えており、口径はおそらくその中に並のゾイドやモビルスーツが簡単に入り込めるほどに大きい。右舷に取り付けられた構造体もそちら側で左舷に見劣りしないほどの存在感を放っていた。
 沈み込もうとしていた雰囲気は一転。映像に映し出された超巨大ゾイドの雄姿を目の当たりにしたガロードが、呆然と呟いた。

「いくらなんでもこいつは、ウルトラ過ぎるだろ……」

 自分たちの感覚からすれば画面を見たままの適切過ぎる表現で、洒落なのに洒落に聞こえないガロードの言葉。
 そこに語り掛けられる、ディの声。彼は映像の中に鎮座する巨竜の姿を眺めながら、若干ではあるものの、少し誇らしげな様子で解説を行う。

「ウルトラザウルスの詳しい開発時期は不明じゃが、十数年前に発見された個体を共和国軍が改修し、来たるべき決戦に備えて擬装湖であるウィンディーヌレイクに隠蔽されていた。そして2年前、へリック共和国首都崩壊と最終決戦プログラム発動を受けて再起動。まさに最高の砲撃能力と母艦機能を兼ね備えた、超巨大移動要塞型ゾイドと呼ぶべきものだ」

「ひょえええ……」

 と、ガロードが驚きの声を漏らしていると、映像の中ではその大砲の試射がいよいよ始まるらしく、高く持ち上げられていた首が前方へまっすぐに伸ばされていく。頭部が海面に触れるか触れないかという位置までやって来た。開かれた砲門に目を向ければ、その内部には相当の電圧が掛かっているのか放電現象が起こっており、凄まじいエネルギーが蓄積していっているのが映像越しに垣間見える。
 砲身が重々しくゆっくりとしたスピードで上に動き、照準は行われ、ついのその大砲は解き放たれた。
 見た目の印象に違わぬ凄まじい衝撃が巻き起こる。大砲から飛び出た砲弾はほぼ一直線に空中を突き進んでいき、発生した衝撃波によって海を割り、周囲の雲を跡形も無く吹き飛ばす。画面全体がガタガタと音が聞こえそうなくらいに振動して、その衝撃の度合いを物語っていた。それでもなおウルトラザウルスの巨体は微動だにしないのだから、これはまさに驚嘆と言えよう。砲弾はすぐさま光の点となって水平線の向こうへ飛んで行き、ある程度離れた地点の上空で炸裂。これまた凄まじい閃光を撒き散らした。

「…………」

 ただの爆発……ではない。
 着弾地点に接近した映像に映し出されていたのは、爆発による火炎でもなければ噴煙でもない。うっすらと虹色に輝く光の膜が、着弾点を中心に半径数kmほどのドーム状に展開されており、円形に抉られた海面が割れてその下の海底面までもが露出していた。次々と亀裂を走らせて沈み込んでいく様子に、ガロードとティファは我知らずに絶句を示す。

「か、海底が……抉れていってやがる」

 どうにか辛うじてそれだけを口にしたガロードを、ディが補足した。

「正確には増大した重量に耐え切れず潰れていっているのじゃよ。液体である海水は周囲に押し退けられておるが、固体である地殻にはそれができん。グラビティカノンの砲弾に用いられとるプラネタルサイトはやたらめったらと重たい物質での。それに更なる圧力をかけることで内部が重力崩壊を起こし、こうして一定のフィールド内に通常の数千倍から数万倍もの超重力を発生させる。これで目標を圧壊せしめるのがグラビティカノンじゃ」

「……なんかよくわからねぇけど、とにかく凄ぇっていうのはわかった。俺たちは、このグラビティカノンってやつの影響でこっちに来ちまったのか」

「おそらくな。現時点ではその可能性が最も高いじゃろう。わしもよもや、そのような事態になろうとは全く想定していなかった。お主たちにとってはいい迷惑じゃろうよ……。結局のところ、このグラビティカノンを用いてもデススティンガーやデスザウラーを倒し切れなかったのじゃ。科学者としてのわしは、肝心なところでとんだ役立たずじゃったわい」

 そう自嘲気味に笑ったディに対し、ガロードが「えっ?」と顔を振り向かせる。

「『倒し、切れなかった』……? こんな凄ぇ大砲を使ってもか?」

 ディは頷いた。

「そうじゃ。デススティンガーを一時的に行動不能にせしめて瀕死の重傷を負わせることには成功したが、それだけだ。結局は再生を許し、デスザウラーの復活を未然に防ぐことはできず、そのデスザウラーにはグラビティカノンの超重力は通用せなんだ……。バンたちがおらなんだら今頃、この惑星Ziは最悪の結果を免れられなかったじゃろうな」

「一体……どれだけの化け物なんだよ。その、デススティンガーとデスザウラーってやつは……。話に聞いている限りじゃ、サテライトキャノンでも……」

 あの、地球を崩壊させるきっかけとなったサテライトキャノンであっても、有効な手立てとなりえないのではないか。
 尻すぼみになって不安がるガロードを見詰めて、ディは沈痛な表情で息を吐いた。

「わしに言わせれば、あの機体サイズであの破壊力を実現させているサテライトキャノンとやらも十分驚異的じゃがな。検証のしようは無いが、確かにあの威力を以ってしてもデスザウラーに有効なダメージを与えられるかどうかは怪しいところじゃろう。なんせ相手は、古代ゾイド文明を完膚無きまでに滅ぼしたゾイドだ。わしらの常識が通用しない部分が多々あったとしてもおかしくはない」

「古代ゾイド文明を、滅ぼした……? それって確かフィーネさんの……」

 古代ゾイド文明。滅亡。デスザウラー。
 思わぬところでもたらされた繋がりに、ふたりは揃ってフィーネを見る。
 その視線を受けて、フィーネは悲しそうに自身の紅い瞳を揺らめかせた。

「ええ、そうよ。デスザウラーは、かつてこの惑星Ziに繁栄していた古代ゾイド人が生み出したゾイド。度重なる闘争を終結させるために生み出されたゾイドが、文明そのものに牙を剥いて、ついには滅ぼしてしまった……。デスザウラーは私たち古代ゾイド人にとって、まさに禁忌と呼べる存在なの」

 彼女の感情を湛えた瞳の中には、計り知れない悲哀が満ち溢れている。ティファにはその心の思惟を直接手に取って感じることはできなかったけれども、あるいは自責や後悔といった気持ちに近いものなのではないかと、漠然とした思考の中で捉えていた。
 隣から伝わってくる、デスザウラーと呼ばれる存在への戦慄めいた思い。
 ガロードは声を滲ませてバンたちに問う。

「2年前に、一体何があったんだ? デスザウラーって……」

 真摯に言葉を投げ掛けるガロードを前に、ディは嘆息する。
 しかし、彼の眼は真剣なままだった。

「簡単に説明はできんな。だが映像を見せることはできる。あまり気分のいい映像ではないが、それでも見るかね?」

 念を押すように告げられるディの言葉。
 それを聞いてガロードもティファも躊躇わなかった。

「ここまできたら今更だぜ、爺さん。バンたちには俺たちの世界で起きた戦争を見てもらったんだ。ここでビビッて俺たちだけが逃げ出すわけにはいかねぇよ」

「私からも、お願いします。私たちは今ここにいるから……、生きていく上できっと、必要になることだと思います」

 自分たちは生まれ育った地球に帰還するその日まで、この世界で生きていく。
 揺ぎ無い信念で以って答えたふたりを見、ディはほろ苦く笑ってその思いを受け止めてくれた。老人の表情はどことなく儚げであったけれども、ガロードとティファが示した意思がよほど嬉しかったのか、わずかに眼を細めてまぶしそうにしている。

「そうか、そうじゃな……。お主らなら、そう答えるじゃろうと思っておったよ」

 と言いながらディの手により洋上のウルトラザウルスを映していた映像は切り替わり、今度は様々な住宅や宮殿らしき建物が立ち並ぶどこかの都市らしき光景が表示された。ちょっとやそっとと言えるようなものではない。かつて地球にいた頃に訪れた小国とは比較になりえないほどの広さと荘厳さを兼ね備えた街並みがスクリーンの中いっぱいに広がっていた。
 見たことのない街。そこに暮らしていると思われる人々の営み。雲が浮かぶ空が澄み切っていれば見事な景色となっていただろうがしかし、映像に映されている上空にはどす黒い煙が立ち昇っており、町の至る所からは燃え盛る炎が噴き出していた。小火などという騒ぎではない、尋常ならざる規模の火災が発生しているのだ。
 その赤く燃え盛る中心部では、ゆらりと蠢く黒い影が見えた気がした。
 なんだろう、あれは。ティファがそう思い目を凝らしていると、ディの声が耳に届けられてくる。

「ことの起こりを説明するには、今から5年前……いや、もう6年近くなる時を遡らねばなるまいな。この映像は今から6年前、ガイロス帝国の首都ガイガロスで起きた事件の様子を撮影したものだ。ある男がこの惑星Ziの統一を目論み、遺跡で発掘されたコアを元に再生させたデスザウラーを用いてそれを実行しようとした。その男の名はギュンター・プロイツェン。かつてガイロス帝国の摂政……簡単に言えば国家元首である皇帝の補佐官を務めていた男だ」

「ギュンター……、プロイツェン?」

「そう。そして、この画面の中央奥に映るもの、あれがデスザウラーじゃ」

「画面の、奥……?」

 告げられるがままに目を向けてみたものの、立ち昇る黒煙と炎は勢いをさらに増していて、それらしきものの姿を覆い隠していていたため、その姿をはっきり視認することはできない。
 一体そこに何がいるのか。興味と恐れ。その両方の思いを胸の中に宿して待ち構えていると、突如として黒煙を突き破り建物を飲み込んで薙ぎ払われる閃光が迸った。それは光線だった。周囲の建物は瞬く間に炎上し、爆発が起こる。凄まじい熱量と威力によって災禍の魔の手がさらに遠くへと伸ばされていくなか、光線に吹き飛ばされ、一時的に晴れ渡った噴煙の中から1頭の巨大なゾイドらしきものの姿が現れたのは、この時であった。

「……え」

 まず最初に認識できたのは、赤い炎の中に浮かび上がる山のようにそびえる1つの影。
 それは、1体の黒い巨竜だった。その身体のほとんどは黒い強固な装甲によって覆われており、ある種の洗練さでもって機械的な要素からなめらかな全体像を形作っている。自重を支える2本の脚は太くがっしりとしていて、その後ろに尻尾もまた長く太い。胴体はやや前傾になってはいたが、きちんと背筋を伸ばして直立しており、鋭く大きな爪を備えた2本の腕や首へと続いている。禍々しい輝きを放つ紅い眼やいかにも凶悪そうな牙が立ち並んだ口元とは裏腹に、頭部の外観は思いのほか小さくすっきりとしており、あごを開いた喉奥に開けられた砲門が唯一無二の存在感を醸し出していた。
 周りに映った建造物から推測するに全高は100m前後といったところ。ウルトラザウルスほどではないが、これもまた相当に巨大なゾイドである。
 喉奥の砲門に光が宿り、吐き出された閃光によってまたスクリーンは破壊と殺戮の災禍で埋め尽くされる。幾多のゾイドがその黒き巨竜に立ち向かい、砲撃を装甲に阻まれ、接近を試み逆に掴み取られては爪に引き裂かれ、閃光の中へ消えていく。戦うゾイドたちの中には、バンのブレードライガーらしき姿もあった。かつてガロードとティファが経験した雪と氷に閉ざされていた町を一夜にして壊滅寸前に追い込んだ戦いを彷彿とさせるような、壮絶さを身に浸み込ませるには十分な映像だった。

「これが、デスザウラー……」

「正確には、そのクローン体と呼べるものだ。オリジナルよりも数段劣るが、その戦闘能力は見ての通りじゃよ」

 ディの言葉に呆然としていたガロードがはっと目を見開く。

「クローン体……。──って、これでも完全じゃないってことなのか!」

「そうじゃ、この時点での復活は不完全じゃった。共和国と帝国の両軍の攻撃により、どうにかこの不完全なデスザウラーを打ち倒すことに成功はしたが、プロイツェンもデスザウラーのコアも死んではいなかった……。そして2年前、ダークカイザーと名乗りおったプロイツェンを首領とした一派がわしらに襲い掛かってきた。デススティンガーとは、そのメンバーの1人であるヒルツという名の古代ゾイド人が用いた、デスザウラーに負けず劣らずに凶悪なサソリ型ゾイドのことだ」

「凶悪な、サソリ型ゾイド……」

「それもまた、見てもらった方が早いじゃろ」

 と言うや否や、ディは街中で暴れ回るデスザウラーの映像を引き下げると、また別の画像をスクリーン上に表示させる。
 切り替えられた映像はどこかの峡谷だろうか。剥き出しとなった岩肌が映っている風景の中に、ディの言葉通り1体のサソリ型ゾイドがいた。ガイサックではない。それよりも遥かに体格が逞しく、ウルトラザウルスやデスザウラーに準ずるほどの機体サイズがあった。扁平と見える胴体には多角的な装甲で覆われた頭部が接続されており、背中には大口径の砲身が2つがあって、両脇から生えている8本の脚が全体重を支えている。大きく反り返った尻尾の先端にはサソリの象徴である毒針の代わりビーム砲と思しきものが装備され、胴体の前方に突き出た2つの巨大なハサミと、普通のサソリには見られない左右後方にある2つの小振りなハサミとが合わさり、青と赤を基調に彩られた機体色とが相俟ってある種の異様とも呼べる威圧感を解き放っていた。

「……?」

 と、ここで、そのデススティンガーなるサソリ型ゾイドの姿形を注意深く観察していたティファの胸中に、奇妙とも言える不可思議な感覚が忍び込んでくる。少なくともそれは驚きや恐怖といった感情でない。ふと隣にいるガロードに意識を向けてみると、彼もまた「……あれ?」と首を傾げていた。確かに直前まで見ていたデスザウラーの映像との関連性を考えれば驚いたり怖がったりするのは何らおかしくはないのだけれども、ガロードとティファが懐くこの感覚は、それらとは明らかに趣が異なる別種の違和感である。
 そのことを認めたガロードが、すぐさまディに願い出た。

「なあ、爺さん。ちょっと悪いんだけど、この映像、止めてくれねぇか?」

「んん? どうしたんじゃ、急に」

 突然の申し入れにディはわずかに訝しがっていたが、それでもガロードに言われた通りに動画を止めて静止表示にしてくれた。
 改めて眼に映る、1体のサソリ型ゾイドの姿。
 自分らの胸中に入り込んでくる違和感。異質感。いや、これはどちらかといえば既視感に近いものではないか、とティファは思う。自分たちはこのデススティンガーという名のゾイドを生まれて初めて目にしたのにも拘らず、その存在を知っている、そんな気がするのだ。自分のみならずガロードにも共通することなのだから、夢や幻といった類ではないだろう。では何だったか。
 しばらくの間そうして喉元に異物がつっかえたような気分を堪えつつ、どうにか記憶の海に沈んだ事柄を思い出そうとして画像のあちらこちらに視線を彷徨わせ、最後に振りかざされた左右の大きなハサミに注目した途端、その特徴的な形状を脳裏に描き直してティファは「あっ」を声を上げた。
 慌てて振り向けばガロードもほぼ同じタイミングで同じことに気付いたようだ。視線が合わさると同時に頷くと、ティファはガロードの顔を見て言葉を捲くし立てた。

「ガロード、これ……」

「ああ。間違いねぇ、あの時の『ハサミ』だ。なんだってあんなところに……」

「……どういうことじゃ?」

 言葉を鋭くして問い掛けてくるディに果たしてどう話したらよいものかと、ティファが見守る前でガロードが逡巡を示したあと、彼の口は語り始めた。

「これはバンたちにも言ってなくて俺も今思い出したんだけどよ。こっちに来た時の砂嵐に遭う直前、俺たちは地図にも無かった1つのクレーターを見つけたんだ。かなりでっかくて、なのになんでそこにあるのかはわからなくて。その中に、ハサミだけになっていたこいつが転がってた」

「なんと……」

「それってもしかして、地球でってこと……?」

「このデススティンガーのハサミを、惑星Ziに来てからじゃなくて地球で見たって言うのか?」

「馬鹿な。地球にはデススティンガーはおろか、ゾイド自体が存在しないはずだぞ」

 色めき立つバンたちにガロードは首を縦に振った。

「ああ。でも見間違いじゃねぇはずだ。結構痛みが激しくてボロボロになってたけど、形や色はちょうどこんな感じだったし、大きさもほとんど変わらなかったぜ」

「私も同じものを見ました。決して見間違いではなかったと思います」

 思い出したのは今から1ヶ月前、この惑星Ziに迷い込む直前のことだ。振り返ってみると全ての始まりはあそこであると言えるのかもしれない。少なくともあの時点では自分たちの足は地球の大地を踏みしめていたはずであり、旅の途中で目の前に立ち塞がってきたクレーターの中に存在していた『ハサミ』の印象はその後の砂嵐や2つの月を見た時の衝撃によって大分薄らいでいたものの、ひとたび思い起こせばそれそのもの自体がどれほど異常だったのかを再び認識し出してくる。今思えばあの『ハサミ』はなぜあそこにあったのか。何を意味するのか。
 本来なら地球にはありえないゾイドの肉体の一部が存在したこと。その事実にガロードとティファが戸惑いを浮かべていると、顎の下を包み込むように手を添えたディが納得のいったふうに頷いていた。

「なるほど。お主たちやあの機械人形がこちら側に来たということは、逆にこちらから向こうへ行くこともまた可能ということか。状況的に見て、よりグラビティカノンの関与の可能性が確定的となったと言えるのかもしれん。コア本体が向こうに飛ばされなかったのは、地球側にとってはせめてもの救いじゃろうな……」

 もしそうなっていたら地球にとっては最悪の事態となっていたかもしれない。
 地球から惑星Ziへ。惑星Ziから地球へ。
 ほっと胸を撫で下ろしたディの様子を見ていたガロードとティファは、ずっと心の奥底に封じ込めてきたある1つの懸念事項を吐露することに決めた。

「なあ爺さん……。このデススティンガーってやつのハサミが地球にあるってことはさ、俺たちは地球に帰れるってことなのかな?」

「…………」

 それは目下ふたりにとって最も重要な関心事であり、今後の行く末を左右する上でなくてはならない事柄であった。
 地球から惑星Ziにだけでなく、惑星Ziからも地球へ物や人を送り込むことが可能であるのなら、あるいは自分たちも帰れるのかもしれない。
 そのことを指摘してみると、ディは思い悩むように目を閉じて思考に耽ったあと、まぶたを開いてガロードとティファがいる方を見据えた。

「そうじゃな……。可能といえば可能じゃろうが、現時点では果てしなく難しいとしか答えられん。絶対に無理だと否定することもできなければ、必ず送り届けると確約することもできんからな。よしんば地球と惑星Ziを繋げられたとしても、そこがお主たちがいた地球と時代や時間軸が同一であるという保証も無ければ、相手先の状況しだいでは実行不可能となる可能性もある。正直言って、実験や観測を重ねた上でもう少し具体的なデータが欲しいところじゃわい」

「……そっか。ま、仕方ねぇよな。爺さんたちだって、俺たちを呼び寄せようとしてあのグラビティカノンを使ったわけじゃねぇんだし」

「すまんな。これが今のわしに答えられる限界じゃ。データを得るにしても、手っ取り早く再びグラビティカノンを使用したいところじゃが、そのためには問題が山済みで、そっち方面からのアプローチは事実上不可能としか言えん状況というのもある」

「やっぱりあの威力だと、そうそうほいほい使えないのか?」

「まあの。ウルトラザウルスを動かすには帝国・共和国の双方の合意を取り付ける必要があるうえ、砲弾の原材料である肝心のプラネタルサイトが在庫切れ状態でのう。2年経った今もそれは解消の目処すら立っておらん。今後はグラビティカノンやプラネタルサイトを用いずとも、小規模に同様の現象を発生させられるかどうかを検証してみる必要があるじゃろうな……」

 その言葉を聞いてガロードはふうと息を吐いた。

「どのみち、すぐには無理ってことか……。ごめんな、爺さん。なんだか手を煩わせるようなことになっちまって」

「いや、この程度ならばお主たちに対する侘びにもならんわい。結果的にとはいえ、わし自身の手で作り上げたものが、その目的に反してお主たちをこの惑星Ziに迷い込ませてしまったのは事実だ。この場を借りて謝罪しよう。すまんかったの、ふたりとも」

 ディはそう言って深々と頭を下げる。
 薄闇の中で彼の浮かべた沈痛な表情に、それを見たティファは思う。この老人は自分たちの存在を知った瞬間からずっと、こうして自責や後悔の念に囚われていたのではないだろうか。表面上は平静を装ってとぼけつつも、心の中ではずっとこうして……。
 ならばちゃんと、自分たちもそれに向き合わなければならない。

「もう、大丈夫です。あなたの思いはちゃんと、私たちに届いていますから」

「ああ、ティファの言う通りだな。謝罪は受け取っておくぜ、爺さん。俺たちだってあんたを責めようなんて気はさらさら無いんだ。気にするなっていうのは無理だろうけど、そこまで深刻に考えないでくれよ。それに俺は、俺たちは……あの16年前のGXに乗っていたパイロットのことをよく知ってる。そいつがどんな思いで銃爪を引いたのか、そのあとどう苦しんで生きてきたのかも、全部な。それだけが理由じゃねぇけど、あんたの気持ちはよくわかるぜ」

 ガロードとティファが心のままにそう告げると、ディは頭を上げてしばしふたりの顔を見詰めたあと、安堵するかのように微笑んだ。

「左様か。そう言ってもらえれば、少し肩の荷が降りたわい。これで心置きなく、けじめをつける決心ができるというものじゃ」

 これを聞いてガロードはふっと笑った。

「あんまり張り切り過ぎて無理なんかしないでくれよ。身体壊したら、それこそ元も子もねぇんだから。──でも、少しでも希望が見えてきて正直ほっとしてる。頼んだぜ、爺さん」

「うむ、任せておけ。すぐにとはいかんが、できるだけ早くお主らに吉報をもたらせるよう、最大限に努力してみるつもりじゃ。まぁそれでも無理な時は、素直に諦めてもらうしかないがのう。もっとも、もしそうなっていたとしたら、わしの方が先にくたばっておる可能性は高いがな。その時は恨まんでおいてくれると助かる」

「ははっ。おいおい、始める前から縁起でもねぇこと言わないでくれって。本当にそうなりそうでおっかなくなってくるぜ」

「無論、冗談じゃよ。わしとてそう易々とくたばる気は微塵もないわい」

 最後の方をおどけるみたいにして告げてくるディに、ガロードも同調しておかしそうに表情を崩す。いくらか場の雰囲気がやわらいでくるなか、こちらを眺めるディの瞳に力が漲ってくるのをティファは見た。普段は己があたかも道化であるかのように装いつつも、その裏では自らの仕事に誇りをもち、なおかつ責任感も人一倍強い。きっと彼はそういう人物なのであろう。これといって確証は無かったが、ティファは彼の瞳を目にしてなんとなく、そのような思いを胸に懐いたのだった。
 すると話がひと区切り付いたのを見計らったのだろうか。ディは咳払いを1つすると、話題の流れを本筋へと戻す。 

「さて……話が逸れて前倒しとなってしまったが、映像の続きは見るかね? このまままとめに入っても問題はないが」

「あっ、そうだった。悪い。このデススティンガーってやつについてだったよな。グラビティカノンでも倒し切れなかったって言ってたけど、こいつって本当にどれだけの怪物だったんだ?」

「……まさに怪物、と呼ぶに相応しい性能じゃろうな。瀕死ながらとはいえグラビティカノンの直撃を食らってもなお生き延びた生命力も然ることながら、あの尻尾の先端に装備されておる荷電粒子砲は、お主たち基準に言えばサテライトキャノンに匹敵するほどの破壊力を秘めておる」

 その言葉にガロードが表情を引き締める。

「サテライトキャノンに、匹敵……。それほどなのか?」

 ディは頷いた。

「……映像を、再生するぞ。あとは、自分の目で確かめてみてくれ」

「…………」

 それは、ガロードとティファにとっても打ち捨てられない事柄であった。
 停止していた映像は再び動き始め、赤と青の2色に彩られたサソリ型ゾイドは、ついにディたちが述べた通りに値する猛威を振るい始める。
 そこには想像を絶する殺戮が、展開されていた。

「────っ!?」

 サソリの尻尾の先端。そこに備えられた砲門を中心に構成されたパーツが四方に広げられ、同時に光が灯る。おびただしい量のエネルギーが充填されていき、それがひと度解き放たれれば、途轍もない破壊力を秘めた砲火となりえるのだということを理解するのに、時間はさほど掛からなかった。
 ある1撃は地上に展開されていた部隊を巻き込みながら1つの軍事基地を丸ごと破壊し尽くし、ある1撃は超大型の魚類型ゾイドに搭載された状態で上空から狙撃を敢行、都市を瞬く間に消滅させ、山をも穿ち、地形すらも思いのままに変えていく。それも外部からのエネルギー供給には一切頼らず、自らが生み出す力のみで。もはや手当たりしだいな様子だった。
 真に驚くべきは何もその砲撃能力だけではない、機体の頑強さもまた想像を絶するものに他ならなかった。それこそはまさにガロードとティファが持つ常識を完璧に凌駕しており、高高度からの落下の衝撃にも耐え、高熱を宿す溶岩の中をも進行し、迎撃に出撃したゾイドたちの攻撃を全く受け付けないのである。
 幾多のゾイドが暴れ狂うデススティンガーに無謀な戦いを挑み、いくつもの町が炎に包まれてその砲門の前から姿を消してゆく。
 まさに怪物。まさに正真正銘の化け物。これほどの破壊活動を、たった1体のゾイドが成し遂げられるものなのか。
 凄惨な光景の数々に思わず視線を外してしまいたくなるのをぐっと堪える。
 決して目を逸らさず、しっかりと見据えて。
 眼前で繰り広げられる映像を一心に睨んでいたガロードが、呻くように声を発する。

「匹敵どころの話じゃねぇ……。完全に、サテライトキャノンを超えちまってるじゃねぇか……」

 それを聞いたディが、言葉を挟んできた。

「途方に暮れるのはまだ早いぞ。次に映すのは、復活した真のデスザウラーと呼べる存在じゃ」

 こちらの返答を待たずに切り替えられたスクリーンには、デススティンガーの代わりに再度黒き巨竜たるデスザウラーの姿が映し出される。
 だがその機体サイズは1度目と比べてもさらに大きく、より威圧に満ちた禍々しい雰囲気へと変貌を遂げていた。強化されているのは何も機体サイズだけではない。機体強度はグラビティカノン直撃による超重力に晒されてもなお立ち上がるという荒業を見せ、咥内に装備された荷電粒子砲と呼ばれた大砲の威力はデススティンガーのものをも大幅に上回り、頭上に展開された不可思議なリングによって十数に分割されたうちの1本の光が、1つの都市を容易く消滅させ、大部隊を躊躇無く薙ぎ払う。
 ガロードも、そしてティファも、もはや適切な言葉がすぐに思い浮かばず、唖然として沈黙したまま、ただひたすらにその惨状を記憶の中に焼き付けていくしか、持ちうる術が無かった。
 しばらくそうして眺めたのち、ほぼ単機に近しい状況下でデスザウラーに果敢に挑んでゆく蒼い獅子と紅い恐竜の姿を認めたガロードが、何かに気付いた様子で「えっ」と声を漏らす。紅い恐竜の方は初めて見るゾイドだったが、蒼い獅子の方は紛れも無くバンのブレードライガーである。
 沈みかけていた意識を浮上させると同時にガロードが、バンたちを振り返った。

「なあ、バン。ここにブレードライガーが映ってるってことは、やっぱりバンたちもこのデスザウラーやデススティンガーと戦ったんだよな? 一体どうやって倒したんだよ、こんな怪物……」

 ガロードの言う通り、これまで見た全ての映像の内容はもうとっくに過ぎ去った過去の出来事なのだ。デススティンガーもデスザウラーも今はいない。これまで惑星Ziで1ヶ月過ごした限りでも、これほどまでに強大な力を持つゾイドが暴れ回っているなどといった気配は皆無であった。ディの口からは、多大な犠牲を払いつつも最悪の事態は回避された、とも。
 果たして彼らは、どのような方法で以ってこの災厄に打ち勝つことに成功したのであろうか。
 不思議といえば不思議、疑問といえば疑問に尽きない事柄。
 たとえどんな答えが返ってこようとも、それをきちんと受け止めるべくガロードとティファが固唾を呑んで待ち構えていると、彼らを代表してバンが最初口を開いた。

「たとえどんなゾイドであってもコアを中枢にして生きているのに変わりはないからな。さっき爺さんは自分のことを役立たずだって言っていたけど、結局最後の決め手になったのはグラビティカノンだったんだぜ」

「グラビティカノンが? でもよ、さっきの映像でもグラビティカノンはデスザウラーってやつに全然効果が無かったじゃねぇか。それってどういうことなんだ?」

「どうもこうも、至極単純な話だ。確かにプラネタルサイト砲弾による攻撃は通じなかったが、どこぞの馬鹿が自ら砲弾となってデスザウラーに突撃した。その1撃は見事デスザウラーのコアを貫き、戦いを勝利へと導いた。それだけのことだ」

 と答えたのはトーマ。
 するとすぐさまバンが、苦言を呈した。

「おいおい。どこぞの馬鹿ってのはちょっと酷くないか? そう言うお前だってあの時のグラビティカノンのオペレートを必死にこなしてたじゃないか。俺は今でも、アレ以外に方法は無かったって信じてるぜ」

「それについて否定はしないが、お前が馬鹿であるのに変わりはあるまい。まともな神経の持ち主ならば、あのような作戦はそもそも思い付きもしなかっただろうからな」

 口々に言い合うバンとトーマであったが、ガロードとティファにとってはそれどころでなかった。
 自分たちの耳に異状がなければ、なにやら途轍もない撃破方法を聞いたような……。
 救いを求めるようにふたりがディの方を伺うと、彼は肩を竦めてこう答えた。

「聞いたままの意味じゃよ。通常の攻撃ではデスザウラーに通じんと見て取ったバンは、自らが乗るブレードライガーをグラビティカノンの射出機能を用いて撃ち出すように提案してきおった。機体がバラバラに分解する危険性もあったが、あやつはそれを見事にやり遂げた。その結果は、お主らの目の前にある通りじゃな」

「…………」

 予想の斜め上を行く事実にティファが言葉を失っていると、ガロードがきごちなく首を動かし、恐る恐るといった感じでバンに目を向ける。

「なあ、バン……。あんた、本当に人間なのか?」

 と。
 これに対しバンは脱力してがくっと両方の肩を落とした。

「お前まで何言っているんだよ、ガロード。当たり前だろ、こちとら生まれてこの方ずっと人間だって。というか、その台詞は初めて会った時も同じことを言ってなかったか?」

「い、いやぁだってさ。あのグラビティカノンで撃ち出されたってことは相当な加速が掛かってたはずだろ? それで生きてるって普通じゃ考えられねぇぜ」

 畏れおののくガロードにバンは考え込むふうに身体の前で腕を組んでこう答えた。

「うーん。そこらへんはライガーのお陰で何とかなったって言うか、どうにか持ち堪えられたからなぁ。俺自身は単にライガーに乗って突っ込んでいっただけだよ。決して俺だけの力じゃないさ。ディ爺さんやトーマだけじゃない、サポートをしてくれる仲間がたくさんいたからこそ、俺たちはデスザウラーに打ち勝ったんだ。そして俺には何よりブレードライガーがいた。見守ってくれていたフィーネとジークもいた。だから絶対に成功するって信じられたんだよ」

 己の愛機と、自身の仲間に対する全幅の信頼。惜しみない気持ちを隠さずに吐露してくるバンの顔を見、彼の人となりを知る。バンのブレードライガーが光の障壁を纏いながら空を駆け抜け、自分目掛けて放たれた粒子砲を撥ね退けて突撃し、見事デスザウラーのコアを貫く瞬間の映像も見せてもらえた。
 バンが持つ心の強さ。人と人、人とゾイドとの間に育まれた絆。その強固なまでの意思の繋がりが織り成した奇跡の片鱗にガロードとティファがそれぞれに圧倒されていると、それを見ていたディが映像を終了させて、話の締め括りに取り掛かった。

「わしが用意した映像は以上じゃ。他に何か、今のうちに確認しておきたいことはあるかの?」

 明るくなった室内でディがそう告げると、ティファよりも先に復帰したガロードがそれに応じる。

「ん……。あ、ああ、一応最後に1個だけ訊いても良いか? さっきの映像で見たデススティンガー……。もしあいつのハサミが地球に転がっているままだとして、そこから丸ごと復活したりだとか増えたりするってことは無いんだよな?」

 万が一の事態を憂慮して示し出されるガロードの懸念。
 それを聞いたディは、しばし思いを巡らせるそぶりを見せたあと、穏やかに言葉を返した。

「ふむ、まあそのあたりは心配ないじゃろう。デススティンガーのコアはデスザウラーに取り込まれて運命を共にしておる。肝心のコアが存在しない以上、完全に切り離された身体の一部は、地球という環境下で朽ちていくだけだ。人為的にゾイド因子──ゾイドにおける遺伝子のようなものじゃな──それを培養せん限りはデススティンガーの復活はありえん。少なくともお主たちがおった地球には、そういった類の技術は存在せんじゃろうしな」

 少なくとも地球での復活の可能性は限りなくゼロに近い。
 そのことを確認したガロードがふうと息を零した。

「そっか。そいつを聞いて安心した。流石にデススティンガーみたいなのが地球に現れていたらそれこそ洒落にならなかったろうし、ここからじゃ手も足も出せねぇことになってただろうからさ……」

「まあの。どうしても気になるのならば、見事地球への帰還を果たした暁にでも自分の手で確認してみておくれ。無責任なようじゃが、わしたちには決して手の届かぬことじゃからな」

「りょーかい、っと。ま、今後のことも含めてゆっくり考えるさ。時間だけは……しばらくは余裕があるみたいだしよ」

「…………」

 ガロードのその言葉を聞き、ティファは改めてこれから先のことへと思いを募らせていく。自分たちは今、地球ではなく惑星Ziにいるのだ。おぼろげながらではあるが自分たちがこの大地に降り立った経緯を把握し出してきて、自らが置かれている状況も理解が行き着くようになる。今はまだバンたちの厚意に甘えているに過ぎないのだけれども、いづれこの惑星Ziにおける自己を確立していき、未来への展望を築き上げていかなければならないのである。
 これから先の未来もガロードと共にこの惑星を歩み、いつの日にか生まれ育った地球へと帰還し、かつての仲間たちと再会する、そのためにこそ。
 胸中に湧き上がる確かな決意。ティファが少し俯き気味になってその思いを抱きしめていると、ふたりを見据えて頷いたディが言葉を語り掛けてくる。

「そうじゃな。今後のこと、これからのこと、それはお主たち自身の手で掴み取らねばならぬことだ。わしにできるのはその手助けくらいなものじゃろう。そこでものは相談なのじゃがな。もし行く当てが決まらんのなら、わしの所に来んか? とりあえず食うに困らん程度のことはできるぞ」

「え……?」

「爺さん?」

 突然の申し出にハッと顔を持ち上げてみると、こちらを見詰めてくるディの瞳に偽りや冗談といった色は存在せず、ただただ真摯にガロードとティファの返答を待ち構えているのみであった。
 ぽかんと呆けているのは何もガロードとティファだけでははい。その光景を見守っていたバンたちの間にも同じように動揺が駆け巡っていた。

「ドクター・ディ、今なんて……」

「もしかしてこの2人を、引き取ろうって言うつもりなのか?」

 確認を取るバンの声にディは肯定を示した。

「うむ、その通りじゃよ。何か、問題でもあるかの?」

 逆に問い返すディに答えたのはトーマだった。
 彼は少し戸惑ったふうに、

「い、いえ。折を見てこちらからお願いしようかと思っていましたが……。しかし、本当によろしいので?」

「ああ、構わんよ。グラビティカノンの件は抜きにしても、ちょうどちょっとした雑務を行ってくれる助手が欲しかったところでの。それに、あのドートレスとかいう名の機械人形……。あれと同様のものを実際に取り扱っていたことのある人間の意見というのはやはり貴重じゃ。のう、ガロード。もしあのドートレスをわしらの手で修復できたとしたら、お主にあれを動かすことはできるのじゃろう?」

 向けられた言葉に、ガロードは「へ?」と意外そうに目を丸くする。
 そしてガロードは自らの頭に手をやりながら、

「うーん。まあ、そりゃあちゃんと修理してあるんだったら動かせないことはないと思うぜ。ドートレスくらいならこれまでも何度か弄ったことがあるくらいだし。というか、あのドートレスを直すつもりなのか?」

「まあの。一応『もし可能ならば』という前提でそういう依頼も受けてはおる。じゃが、実際のところ半分以上はわしの興味本位じゃな。あの映像に映っていたジーエックスとやらならば躊躇したじゃろうが、あのドートレスならば特に問題はあるまい。無論、これはあくまで選択肢の1つとしてじゃ。断ってくれても一向に構わんし、他に希望があるならわしの伝手を使ってもええぞ。バンの姉さんのところを頼るというのも、手としてはあるくらいじゃしのう」

「い、いやぁ。いきなりそういうふうに言われても、なぁ……」

 よもや今この場でそのような提案が為されるとは思ってもみず、ガロードとティファはすぐさま結論を導き出せなくて、両者共に困った感情を胸に宿して顔を見合わせた。今日出会ったばかりの人物をそこまで頼って良いものか。半ば心に生じた迷いに突き動かされたかのような形でちらりとバンたちの方に目を向けてみると、微かに微笑んだフィーネがそっと進み出てくる。

「ドクター・ディの所なら、私としても安心だわ。私も昔、お世話になったことがあるしね。もし迷っているのならその提案、受け入れてみても良いと思うわよ」

 このフィーネの意見にバンもまた同調する。

「ああ、確かにそうだな。この惑星Ziのことやゾイドのことを知りたいなら、ディ爺さんの所はまさにうってつけだ。まあ、普段から爺さんのそばにいるってことは、その無茶っぷりに付き合わされることになるだろうけど……。それくらいはご愛嬌だな」

「ふん、好きに言っておれ。わしも相手を選んで節度くらいは心得ておるわ。──それでどうじゃな? それ相応に労働力を提供してもらうことにはなるじゃろうが、かわりにこの惑星Ziにまつわる基礎知識ならば教授することもできる。そこから先のことはそのあとで考えても遅くはないじゃろうしな」

「…………」

 ある意味、降って湧いてもたらされた1つの選択肢。これまでの経験から、ついついその言葉の裏に別の意図が隠されているのでないかと勘繰ってしまいそうにもなったのだけれども、同時に彼らならばきっと大丈夫だろうという安心感もあった。
 ティファはガロードを見、ガロードもまたティファを見る。
 交わる視線。彼の顔を眺め、彼の胸中にある思いも感じる。心を通じ合わせる。
 たったそれだけで、ふたりの心は1つに定まった。

「まあ、そう結論を急ぐこともあるまい。もう時間が時間じゃから、今晩はゆっくり休んで明日にでも返事をしてくれればよいのじゃからな」

 視線を合わせたことを迷いと受け取ったのか。時計を見ながら告げてくるディにガロードはかぶり振った。

「いいや、その必要はないぜ。俺たちは決めたよ、爺さん」

「はい。私も、ガロードも、もう決めました」

 全ては自らの未来を切り開くために、1つ1つを積み重ねていく。
 これもまた1つの決断なのだ。

「ほう、では聞こうかの」

「ああ、俺たちは──」

 もしも、を今は考えない。意味がない。
 限りある状況下。自らの意思で考え、未来を掴み、得られる可能性を信じて選び取る。
 ガロードとティファは、そのための決断を1つ、ここに下したのであった。





   第11話「考えられる可能性は1つある(ドクター・ディ)」了



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 第11話をお読み頂きありがとうございます。
 予告通り、どうにか今週中に仕上げることができました。
 ディが見せたかったもの。それはすでに予測された方もいらっしゃるかと思いますが、ガンダムXにおける代表的な量産機、名前の由来がアニメの製作用語の1つであるドートレスです。本作においてMSを登場させるか否かについては最後まで悩みましたが、いろいろとプロットを検証してみた結果、ガロードにはゾイドに乗る前に今一度再びMSに乗ってもらおうという結論に達しました。候補は他にも同じAW量産機であるジェニスや、UCからジムやザクやジェガンやギラ・ドーガを引っ張ってくることも検討しましたが最終的にはドートレスで落ち着きました。そして気付けばサテライトキャノンをはじめとする大量破壊兵器のオンパレードに……。
 第1話の段階ですでに示唆していましたが、ガロードとティファが惑星Ziに転移した根本的な原因はグラビティカノンによる影響としました。今回のお話はそれにまつわるディの心の機微が主軸の1つとなっております。
(作中で示したワープ理論はSF上最もポピュラーなものを提示したに過ぎません。実際それをやろうとすると宇宙全体の何倍ものエネルギーが必要となる計算結果も出ているようです。超光速航法には他にも様々な原理のものがありますので興味のある方は調べてみると面白いですよ)
 ディの手によって思わぬ形で情報がもたらされ、ここに1つの決断を下したガロードとティファ。
 今後は惑星Ziおける彼らの生活を本格的に描いていくつもりなので、これからもよろしくお願いします。残念ながら7月9月11月と遠方に行かなければならない予定が詰まっていて不定期更新とならざるを得ませんが、どうにか時間を見つけて書き続けたいなと思っています。
 このところゾイドの流れが活性化しているので、私もその流れに乗りたい。
 それでは、また機会に。


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