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[34210] SAO ~冷厳なる槍使い~
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/08/12 18:48
この作品は川原礫先生の『ソードアート・オンライン』の二次創作作品です。

SAO文庫版、星無き夜のアリア、儚き剣のロンド、黒白のコンチェルト(一部)の設定を使用しております。しかし、大多数の部分はオリジナルの設定を追加しております。



・以下、注意点。

この作品は、一人称視点で書かれています。
作中には視点変更する場面が多々ありますが、作者の個人的な趣味で、「~Side」というものは使用しておりません。
なので、視点変更の際には空行に「◆」を置きます。これがありましたら一人称のキャラクターが変わると思って下さい。
誰に視点が変わったかは、申し訳ありませんが、文章で判断して頂きたく思います。

次に、各話のタイトルについて。
話の中には、「Ex」「As」などの付いたタイトルが出てきます。
「Ex」は本編の裏話、もしくはサブキャラに視点を置いた話となっています。
「As」は「アナザーストーリー」「アナザーサイド」「アナザー主人公」。本編とは違う道筋を辿った話となっています。


更新は遅めです。月一ぐらいにしたいとは思っておりますが、仕事があるので頻繁にとはいきませんのでご容赦お願い致します。


この作品は「にじファン」にも投稿しておりました。

感想、ご指摘、質問、ありましたら宜しくお願い致します。




[34210] 序章  はじまりの街にて   1.運命の日
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/16 00:38
 二〇二二年、十一月六日、日曜日の午後五時半頃。
 その《運命の日》に、俺はその場所に立っていた。
 叫ぶでもなく、泣くでもなく、唖然とするでもなく、ただ冷静にその《声》を聴いていた。

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 俺の遥か上空に、真紅のフード付きローブを纏った、顔の無い巨大な人影らしきものが見える。まるで透明な巨人が──いや、闇で出来た巨人がローブを纏っているような、その様な外見。

 《声》は、上空から響いてくるように聴こえた。ともすれば、その巨人が発しているように聴こえる。

『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 《茅場晶彦》と名乗ったその声。
 その名前には聞き覚えがあった。学校の友人がその人間の素晴らしさを延々と語っていたのは、まだ記憶に新しい。確か、VRMMO――仮想大規模オンラインゲームを現実のものとした《ナーヴギア》の基礎設計者であり、今俺がログインしている《SAO(ソードアート・オンライン)》の開発ディレクター兼ゲームデザイナーにして、物理量子学者でもあるのだと聞いた。
 所謂(いわゆる)、本物の天才というやつなのだそうだ。この《SAO》を作った側という意味なら、先ほどの『私の世界』という発言にも納得できる。
 しかし彼の言う『唯一』という言葉が引っかかる。彼が言っているのは、自分は、自分だけがこの世界の管理できる《この世界の神》であると言っているように聞こえる。
 だが俺には、上空に映し出された顔の無い巨人からは、《神》というよりは《死神》といった印象を受けた。
 そして――その印象はある意味正しかった。

『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかしゲームの不具合では無い。繰り返す。これは不具合ではなく《ソードアート・オンライン》本来の仕様である』

 ログアウトボタンの消失。
 それは三十分ほど前から周りで騒がれていた件だ。それが無ければ、プレイヤーは自分の意思では、この仮想世界から現実の肉体に戻ることは出来ないという。他に戻る手段といえば、現実世界の誰かにナーヴギアを外して貰う、もしくは電源を切って停止させて貰うくらいだと友人は言っていた。
 しかし――

『……また、外部の人間による、ナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合――』

 冷静な、いや事務的な声が、無情にもそれを告げた。

『――ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 ――つまり、死ぬ。
 そう、茅場晶彦は言ったのだ。
 機械に詳しくない俺には、それが本当のことなのか、本当にありえることなのかは解らないが、茅場晶彦の口調が、この周囲を包んでいる雰囲気が、その言葉の信憑性を強めているように感じた。

『より具体的には、十分間の外部電源切断、二時間のネットワーク切断、ナーヴギア本体のロック解除または分解または破壊の試み――以上のいずれかの条件によって脳破壊シークエンスが実行される。この条件は、すでに外部世界では当局およびマスコミを通して告知されている。ちなみに現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視してナーヴギアの強制除装を試みた例が少なからずあり、その結果』

 茅場は続ける。
 だが、その続きは嫌でも想像できた。

『――残念ながら、すでに二百十三名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 実際に、既に死んだ人間がいる。
 その発言には、誰だって無視はできないだろう。この場にいる者なら尚更だ。何故なら、次は自分かもしれないのだから。

『諸君が、向こう側に置いてきた肉体の心配をする必要は無い。現在、あらゆるテレビ、ラジオ、ネットメディアはこの状況を、多数の死者が出ていることも含め、繰り返し報道している。諸君のナーヴギアが強引に除装される危険はすでに低くなっていると言ってよかろう。今後、諸君の現実の体は、ナーヴギアを装着したまま二時間の回線切断猶予時間のうちに病院その他の施設へと搬送され、厳重な介護体制のもとに置かれるはずだ。諸君には、安心して……ゲーム攻略に励んでほしい』

 現実――外部世界と茅場を言っているが――の肉体は介護体制を呼びかけているという。しかし、それを無視して親族が無理矢理ナーヴギアを外してしまう可能性もなくはない。その場合は、ここにいる者は誰も何も出来ずに……ということだろう。

 ――俺の場合は……あいつか。

 同級生にして唯一、友人と言えるだろう男、二木健太(ふたきけんた)
 現実の俺は、二木の部屋からナーヴギアでSAOにログインしている。もし茅場の言うことが真実だとして、二木が茅場の告知を知ってパニックを起こして俺のナーヴギアを外してしまえば、俺は死ぬということになる。

『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとって、《ソードアート・オンライン》は、すでにただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ。……今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に、諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 俺の周囲の所々から息を呑む音が聞こえてきた。茅場は、それを聞き流しているかのように尚も続けて言う。

『諸君がこのゲームから解放される条件は、たった一つ。先に述べたとおり、アインクラッド最上部、第百層まで辿り着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう』

 ――なる、ほど……。
 つまり、俺たちに本当に(・・・)《この世界》で生きろと、そう言っているのか。
 自由の為に、実際の命を懸けて戦う。
 確かにそれは、ゲームという仮想の世界で、本当の意味で生きていると言えるのだろう。

『それでは最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』

 その言葉に従い、俺は右手の人差し指と中指を揃えて軽く振り下ろす。その動作で、鈴のような音と共に透けた紫色のシステムメニューウィンドウが現れた。アイテムストレージのボタンに触れて、所持アイテムを確認する。そして、いつの間にか追加されていたアイテムを見つけ、おもむろにオブジェクト化させた。

 アイテム《手鏡》。

 それを手に出現させた数秒後、俺を――いや俺を含めたこの場にいる全員が、一瞬だけ白い光の柱に包まれた。その光はすぐに収まり、直後、俺はある予想をしながら右手に持った《手鏡》を見た。

 ――やはり、か。

 そこに映っていたのは、二木と一緒に作った仮想体(アバター)の顔ではなかった。
 十五歳の少年の顔、しかし常に無表情なので同学年よりも少しだけ年上に見える。
 現実での俺。――東雲蓮夜(しののめれんや)、そのものだった。





 ことの始まりは数ヶ月前。
 学校での昼休み、いつも通りに自分の席で、自分で作った弁当を広げていると、

「なあ、なあ、東雲、なあ東雲~」

 ウチの中学校の制服である学ランを着崩した、にやけ顔のやや痩せぎすな黒縁眼鏡の男が近づいてきた。
 眼鏡以外、特に特徴も無い顔をしている黒髪の少年。
 彼の名は二木健太。少し前、クラスメイト数人に虐められているところを成り行きで助けたのがきっかけで話すようになった。実際には一方的に話しかけられてきたのだが。
 二木は、俗に言うオタクというものらしい。しかし、俺はあまり俗世に詳しくないので、そういうものなのかという認識しかしていなかった。

「……何だ」
「おいオイおいオイ、東雲さんよ。キミはい~っつも暗いなぁ」

 俺は普通に言ったつもりだったのだが、何故かいつも周りには暗いふうに捉えられる。

「……そうでもないが」
「まあ、それはいいや! なあなあ、俺の話を聴いてくれよ!」

 自分が言ってきたことなのに人の話は聞かない。
 知り合ってから日が経つ度に馴れ馴れしくなっている気がするが、特に怒るほどのことでもないため、黙る。この男はこういう男なのだと思っていれば問題は無い。

「俺さ、今さ、《ソードアート・オンライン》のベータテストやってるってこの前言ったじゃん? いやもう、ホント凄いんだってアレ! あの五感に響くようなリアルな仮想世界と、何より《ソードスキル》だよソードスキル! 自分の振るった剣がライトエフェクトで色鮮やかに輝いて敵に当たるあの爽快感は、マジでハマるって!」

 二木は、《SAO》というゲームでしたことを日々、細かく俺に報告してきた。やれどこどこでのクエストの報酬で何を貰った。やれあそこのダンジョンで出てきたあのモンスターはこうやって倒した。やれボスモンスターに初めて挑戦したけど瞬殺された、等。
 普通なら、自分もしていることならともかく、他人がした話なんか聞いてもつまらないだけだろう。だが二木の話し方は、細部に至るまで丁寧に豊富な語彙で表現し、情景がイメージし易い話し方であったし、その時々の心情を大げさに言うので、まるで物語を聞いているかのように退屈はしなかった。
 その上更に、俺にとってもそのゲームには少し興味深い点があった。

「あ~あ、東雲とも一緒にプレイ出来たら良いのになぁ。そしたら俺が盾剣士の前衛~、東雲が《槍使い》の後衛~で理想的なタッグが組めるのに!」

 二木が、なぜ俺を《槍使い》と言ったのか、それには俺の実家が関係している。
 俺の祖父は、戦国時代から続く古流槍術の道場をしている。無論、俺も物心付くか付かないかの頃より、祖父に厳しく鍛えられた。それも、少しも自由な時間を与えて貰えないほどに。
 だがそのお陰で俺は、同年代からすれば高い身体能力と洞察力を得ることが出来たと自負しているし、更に祖父直伝の槍術も扱えるようになった。
 二木が言うには、《SAO》みたいな《完全(フル)ダイブ》という全身の感覚を《仮想世界》で再現させて動かすようなゲームでは、本来の身体能力が高いほど上手く戦えるらしい。実際には、元々の身体能力が高いと、《仮想体(アバター)》を思い通りに動かす《イメージ》がしやすいのだという。

 そして、《SAO》では仮想ではあるが、実際に剣や槍を使って敵を倒すことが出来る。今まで習ってきた槍術(もの)を、実際に実戦で試せるかもしれないというのには、特に好戦的でも無い俺だが、やはり魅力的に思えた。

 俺は、祖父との稽古故に小さい頃から友達と遊ぶなんてことはしなかったし、遊びに誘われても稽古がある為に断り続けて来た。厳格な祖父と一対一での長年に及ぶ稽古、それに加え一度も他人と遊んだことが無いという過去のせいか、俺はあまり感情を表に出さなくなり、常に無表情でいることが普通となった。そして、今まで祖父と家族くらいしかまともに会話をしていなかったため、自然と必要最低限のことしか話さなくなっていった。

 現在、中学三年生。今年でこの学校も卒業だ。その時点で俺に友達と呼べる者は誰もいなかった。だが、三年になってしばらくしてから二木と知り合った。ゲームが好きだという二木からは、色々なゲームの話を聞いた。その中でも今現在、ベータテストの参加資格を手に入れてからハマっているという《SAO》というVRMMORPG――《仮想大規模オンラインロールプレイングゲーム》。
 今では昼休みは、ほぼ毎日その報告会と化していた。

「あ~あ~、もう少しでベータテスト終わっちまうんだよなぁ。く~、今まで俺が育て上げてきたキャラが削除されちまうよ~」

 昨日のプレイの話が一段落したのか、黙々と弁当を食べている俺の横で盛大に溜息を吐きながら話を変える二木。

「……その、べーたてすと、というのが終わったら……どうなるんだ?」

 うな垂れて、顔を下に向けている二木に向かって問いかける。

「……そうだよ。 そうなんだよ! そうなんどぇすよっ! 終わったら……終わったらっ! SAOの正式サービスが、始まるんですよ!」

 ぐわっと顔を上げて叫ぶ二木。
 俺は横目で教室内を見回した。……こちらを見て、かなりヒいているクラスメイト達が見える。

「消えるのは残念なんだけど~、やっぱり正式サービス始まるのは嬉しいよね~」

 椅子から立ち、腰をクネクネとしながら喜びを表す二木。
 俺と違って面白い奴なのだけど、何故か友達はいないらしい。

「あ、そうだ! 東雲も買いなよ! そんで一緒にやろうよ! ……な~んて、東雲の家はダメなんだったよねぇ」

 突然の、でもない二木の提案。
 二木はことある毎に、俺と《SAO》をしたいと言ってくれていた。
 だが、いつもは俺は断っていた。そう、いつもなら。

「……買ってもいいが、幾らくらいなんだ?」
「え!?」

 俺が肯定的なことを言ったために驚いたのだろう。
 普段の俺は、祖父との稽古がある為、学校や食事、睡眠、勉強以外の全ての時間を稽古に当てていた。しかし、今は違う。もう稽古のみに時間を当てなくてもよくなった。

「ど、どうしたんだ!? いつもならじーさんとの修行があるから駄目って言うのに……あ、いや、やっぱり嫌とか、そんなんじゃなくて、単純に驚いてるって言うか……」
「……もう、俺は師匠――爺さんに稽古をつけて貰う必要は無くなった。……だからまあ、時間はとれる」
「……へ? い、いきなりのことで、さすがの二木さんもビックリだよ。前まであんなに頑なに拒んでたからな。……なあ、なんかあったのか?」

 二木の疑問は最もだと思う。今までの俺は祖父との稽古が全てだったのだから。
 俺は、その疑問に答えるべく口を開いた。

「……祖父に、免許皆伝を授かった」

 俺の言葉を聞いた二木は、あんぐりと口を開けて数秒間硬直した後、目覚ましの如くいきなり叫んだ。

「マジで!? 免許皆伝!? それってアレだよね? 免許が皆伝ってことだよね!? スッゴイじゃん! あの化け物じーさんから、よく貰うことができたな!」

 二木は、まるで自分のことのように喜んでくれた。それは、素直に嬉く思う。
 一度だけ、二木を自宅へ招待して、祖父との稽古を見せたことがある。実際には、無理矢理付いて来たのだが……。そのときに見た、祖父の人間離れした動きを思い出しているのだろう。確かに祖父は、孫の俺からしても化け物じみていたと思う。

「でも良かったじゃん! これで一緒に遊ぶこともできるってことなんだしさ!」
「…………ああ、そう……だな」

 素直に嬉しがっている二木、しかし俺はそこまで喜ぶことはできなかった。そんな俺の雰囲気に気付いたのか、二木が尋ねて来た。

「おい、どうしたんだ? 嬉しくないのかよ?」

 心底、不思議といったような間抜けな顔で訊いてくる。

「……俺と祖父は、先日試合をした。その試合で俺は勝ち、免許皆伝を授かり、祖父と稽古から解放された」
「うん。良いこと……なんじゃねーの?」
「……だがその試合の翌日、祖父は眠るように…………お隠れになられた」

 体の中が冷たいもので埋められていくのを感じる。重力が増加したかのように体が重くなる。
 あのときのことは、少なからず俺の精神に影響を与えているようだ。

「……へ? オカクレになった?」

 その言葉の意味が一瞬思い出せなかったのだろう二木が、首を傾げている。

「…………亡くなった。死んだってことだ。死因は老衰」

 御歳八十七歳。普通に考えればいつお迎えが来ても不思議では無かった。しかし前日にあれだけ暴れたというのにいきなり、なんて、祖父らしいといえば祖父らしい。あの人は、別れの言葉なんて絶対に言わないような人だったから。

「! ご、ごめん。知らないで、はしゃいだりして……」

 二木は目に見えて落ち込み、視線は地面で固定された。
 この少年は、人を怒らせる、悲しませるといったことに凄く敏感に反応する。
 恐らく、過去に人間関係で何かがあったんだとは思うが、深くは知らないし、聞こうとは思わない。

「……いや、知らなかったのだし仕方ない。……それに折角、自由な時間が出来たんだ。祖父だって、いつまでも落ち込んだ俺なんて見たくはないだろう」

 俺がそう言うと、二木は恐る恐るといったふうに顔を上げ、話すうちに次第にいつもの二木に戻っていった。
 それから俺は、今まで遊べなかった分を取り戻すかの如く積極的に、《SAO》をプレイするために二木から色々なことを聞き、来るべき日に向けて準備をすることになった。





 そして、SAOベータテストとやらが終わり、正式サービスが開始される日。
 俺は二木の家に来ていた。ナーヴギアを買ったはいいが、その使い方について不安が残った為、一緒にログインしてみるという話になったのだ。

「よし、これで設定は完了。後はギアを被って『リンク・スタート!』って言うだけだぜ」

 基本的に機械に詳しくない俺の代わりに色々とセッティングをしてくれた二木。

「……すまない。機械は……苦手なんだ」
「へっへへ~のへ~。んなことはお前の古風過ぎる家に行った時にはすでに気付いてたから無問題だぜ!」
「…………そうか」

 家を見ただけで気付くとは、二木も中々やるな。

「俺の方はとっくに準備OKだから~、後は開始時間を待つばかり! つってもあと三分も無いんだけどな~!」

 SAOの公式サービス開始は、今日の午後一時からだ。
 自分のベッドの上で胡坐をかいている二木は、いつもより興奮しているように見えた。
 俺は、二木のベッドの横に予備の布団を借りて敷き、その上に座って準備をしていた。

「あっと二分! いやあっと一分! あっと――」

 二木が大声で秒読みを行っていたとき、いきなり部屋のドアを開けて二木の母親が顔を出した。

「健太! あんた進路調査票まだ出してなかったでしょ!? 担任の吉田先生から電話があったわよ! 今、整理してる最中だから持ってきて欲しいって言われたわ! 今すぐ支度して行ってきなさい!」
「――んなっ!?」

 二木の母親はそう捲し立てたあと、俺に向かって今の剣幕が嘘のように変わった優しげな顔で言った。

「ごめんなさいね、東雲くん。そういうわけだから、うちの子はこれから学校に行かなくちゃいけなくなったのよ……」
「……そう、ですか、仕方ありません。二木、今日は――」

 そういう理由なら仕方ない。別にこれが最後の機会というわけでもなし、俺は二木にどうするか訊こうとした。
 だが――

「ま、待てって東雲! ソッコー行って帰って来るからさ! そ、そうだ、お前は先にログインしてアバターの練習でもしとけよ! な? な!?」

 二木は、焦ったように俺に言った。

「何言ってんのアンタは! 家から学校まで往復で二時間以上かかるでしょ! それまで東雲くんを一人で待たせる気なの!?」

 二木の母親が言っていることは事実だ。二木の家からウチの中学校までは、電車とバスを使って片道一時間少しかかる。
 ちなみに、俺の家は中学校と二木の家の丁度、中間に位置している。
 今から学校に行ったとしたら、未提出の件で先生に説教を貰う時間を引いても軽く二時間。電車の待ち時間など様々な要素を入れたら三時間を越えるかもしれない。
 それは二木も解っているだろう。解っていたとしても、二木は今日一緒にゲームがしたいと言ったのだ。

「……せっかく、せっかく……やっと一緒に出来るんだ。ホントに、ホントに早く帰ってくるから……な? 頼むよ……」

 二木が、泣く寸前のような顔で俺にすがるように言った。
 俺の知る限り、学校に俺以外の友達は、二木にはいない。
 それは俺も同じだが、二木はずっと自分と一緒にゲームが出来る相手を探していたように見えた。
 軽く聞いた限りでは、他のネットゲームでの知り合いも、学校にいる同じ趣味の奴とも、長くは続かなかったらしい。自分の行動が裏目に出て、段々と溝が出来ていって、最後には完全に他人になるのだと言う。だからこそ、今までで一番長く付き合いが続いた俺と、自分の趣味であるゲームをするのが余程楽しみだったのだろう。
 二木の言葉には、一種の悲壮感が籠められていた。だが、その二木の様子に俺は、逆にどこか暖かい気持ちになっていた。友達がいなかったのは俺も同じだ。そして、友に求められるということが、こんなにも暖かい気持ちになれるなんて知らなかった。

「……解った。そもそも今日は泊まる予定だったな。……仮想世界(あちら)で足手纏いにならないように、先に行って練習している」

 泊まる予定、というのは定まっていなかった、と言う意味では本当だ。
 ナーヴギアを使った完全(フル)ダイブ。これには人によって合う合わないがあるらしい。限りなく現実に近しいが、それでも現実ではない情景は、合わない人ならば俗に言う《3D酔い》というものになることもあるそうだ。勿論、慣れることで改善することもあるらしいが。

 《仮想世界》、そして《SAO》というゲーム、これらに合わない場合は、泊まりはしないと決めていた。もし酔ってしまったら、ゆっくり慣れさせていこうという話は二木としていたのだ。
 しかし、二木の言葉を聞いて、つい泊まると言ってしまった。言葉を言った後のことを考えるよりも先に口が動いていた。こんなことは初めてだった。

「……東雲。 あ、ありがとな! すぐ! ソッコーで帰ってくるからよ!」

 だが、二木の元気が戻ったことを考えれば、それはけして悪いことではないと思った。
 俺は時計を見て、自身のナーヴギアをかぶって二木に言った。

「……もう、公式サービスとやらは開始したな。……じゃあ、二木。俺は先に行っている」
「ああ、最初は見ててやるから。リンク、してみろよ。あ、俺はログインしたら中央広場にいるからな。何時になるかちょっと解らないけど……」

 二木の言葉に頷き、俺は布団に横たわり、目を閉じてから……その言葉を、呟いた。


「……《リンク・スタート》」


 こうして俺の意識は、《SAO》――《ソードアート・オンライン》へと呑まれていったのだった。



[34210] 2.変わる世界
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 17:58
 俺は、二木に先んじて《ソードアート・オンライン》へとログインした。
 そして、自分の《アバター》の動きを色々と確かめていた。
 身長は現実の俺と変わらない167センチ、筋肉質だが、太過ぎもしない体躯。髪と顔は、デフォルトからあまり変わっていない。
 二木は、本来の人物からは考えられないような美形のアバターを、PCの専用デザインソフトとやらで作成していた。俺はそこまで容姿には拘らなかった。俺が逆に拘ったのはアバターの身体の方だ。出来るだけ現実の俺に近しい身体にしたかった。
 俺は古流槍術を習っている。自身の身体操作にもかなりの自負がある。これは自分の体のことをよく知らなければ出来ないことだ。しかし、それは逆に言えば自分以外の体ではせっかくの身体操作能力も、上手く使うことは出来ないということでもある。今までの体と違えば、どの筋肉にどのくらい力を入れて、どの骨格をどのぐらい動かせば、こういう結果になるという当たり前の認識も、全く違うものになってしまう。なので俺は、自分の身体データを事前に精密に調べ、アバター作成で午前中いっぱいを使って、出来るだけ自分に近づけた。
 しかし、それを二木に言ったら――

「お前……そういうことは早く俺に言えよっ。あのな、何でさっき《キャリブレーション》ってのしたと思ってんの? あれは簡単に言えば自分の身体データをナーヴギアに記憶させるようなもんなの! ここをこうして、このボタンを押せば……はい、これでお前そのままの体躯の出来上がり~、てなわけなのよ!」

 その事実は、少なからず俺の心を打ちのめした。
 だが、そうして俺は、このSAOという仮想世界で、まさに自分自身を動かすことが出来ているというわけだ。
 無事にログインを果たした俺は、マニュアルに書いてあった通り、右手の人差し指と中指を揃えて、軽く下に振る動作をした。鈴が鳴るような音と共に、透き通った紫色の《システムメニューウィンドウ》が、目の前に現れる。必要動作と、それをしたら現れるということはマニュアルを読んで知ってはいたが、《完全ダイブ》が初めてな俺は、何も無い場所からにゅっと現れる感覚に、不覚にも少し驚いた。

 ――まずは、ステータス画面を確認して、自分を知ることが肝要だ!

 今、学校への道を急いでいるだろう友人の言葉を思い出す。
 自分のステータスを見て、現在の自分の力を確認する。

 キャラクター名:Kiryu Lv1

 俺は、自分のキャラクター名を《Kiryu》――《キリュウ》とした。
 この名は、我が《東雲流古武槍術》の開祖様の名前らしい。生前、祖父がこの開祖様の凄さを語ってくれたことがあった。流石に、槍の一突きで山を割ったと言うのは誇張しすぎだとは思うが。
 この世界では、俺は《キリュウ》となって行動しなければならない。俺としては、ややこしいので本名を使おうと思ったのだが、二木にそれは色々とリスクがあるから止めておけと言われたのでこの名にしたのだ。



 現在、俺がいる場所。
 SAOの舞台となる浮遊城《アインクラッド》の第一層にある主街区《はじまりの街》というらしい。ここから第百層を目指すことが、このゲームの目的だという。
 俺はおもむろに上空を仰ぎ、左手をかざした。

「…………手が、届きそうだな。だがそれでも高い……か」

 第一層から第二層の底面までの距離が100mだという。
 手が届きそうで、でもやはり簡単には届かない距離。
 ここから見えるあの場所を目指すだけでも相当な苦労を強いられることは想像に難くなかった。
 それが、百層まで。
 途方も無いと思えるその道のり。だが俺は、自分が少しだけだが高揚していることに気付いていた。





「――ハッ、ハッ、ハッ……」

《はじまりの街》を、俺は走って見回っていた。
 アバターは、現実の自分と全く同じ体型といっても、その機能には大きく違いがあった。軽く走るだけなら無限に走れるようにみえて、少し全力で走ってみるだけでも簡単に息は上がり休みを必要とするし、握力も腕力も脚力も、自分とは思えないほどに低かった。だからこそ俺は、まずこの体に慣れるために、そしてこの街のことを知るために、走りながら街並みを見ていた。

 街の通りは基本的に石畳が敷き詰められ、家もレンガや木造の西洋風のものが多い。中世西洋風モデルの街なのだと思われる。だが一つだけ、街の中央の広場から見える《黒鉄宮》と呼ばれるその名の通りに黒い金属質の城は、周りの暖かな街並みの中、この場所だけひんやりとした雰囲気を感じられた。
 二木から聞いた話によれば、このはじまりの街は、浮遊城アインクラッドで一番の広さを誇るの街なのだと言う。
 たった三時間くらいでは、四分の一も回ることが出来なかった。しかし、当初の目的であるこの世界での自分の体を知ることは達成できた。武器屋や道具屋、宿屋に軽食屋などもいくつか記憶した。
 後は実際に剣を、いや俺の場合は槍を振って調整するだけだ。
 そう思った俺が次に行ったのは――食事をとることだった。中央広場に出ている屋台から、焼き鳥のようなものを買う。《スウェルトードの串焼き》は、正に焼き鳥のような味と歯応えだった。名前を見れば鶏とは違うことは解るのだが、この際材料には気にしない。美味かったので、もう一本買って食べながら、俺は今いるこの世界のことを考えていた。
 現実の自分の体とは違うが、意識すれば指の一本一本まで別々に動かせること、関節が曲がるのは一方向だけではなく微かに別方向にも曲がる所や、関節を捻転出来る可動領域まで、細部に至るまで再現されている。自分の体をあちこち触ると、筋肉の弾力に骨の感触まで判る。動けば息が上がり、腹も減る。匂いと湿気を感じる風や、石畳の段差や土の微かなデコボコを踏んだときの足の裏の感覚。皆が仮想、仮想と言っていたが、俺にはこれが本当に仮想だとは思えなかった。
 俺には――ここが《現実》に見えてしょうがなかった。

 広場のベンチへ座り、食後に風を感じていた俺は、時間を確認する為に再び《システムメニューウィンドウ》を開いた。

 ――?
 
 開いたシステムメニューに一瞬、違和感を感じた。しかし、未だシステムメニューの全てを確認したわけでもない俺が、その違和感に気付くことは無かった。俺は、一旦違和感を置いておいて、時刻を見る。
 時刻は、午後四時。
 SAO公式サービス開始は午後一時から。そして、俺がログインしたのが約一時十五分くらい。もうすぐ三時間が経つ。予想通りならば、もうそろそろ二木は帰って来る頃合だろう。
 俺はこのまま中央広場にあるベンチに座りながら、二木がログインしてくるまで待とうと思った。周りを見れば、俺と同じ格好をしたプレイヤーと思われる人がどこかへ向かって走っていたり、二人で歩いていたり、もっと大勢で固まって話していたりしていた。
 ふと目を瞑ると、近くから音楽が流れていたことに改めて気付く。目を開けてその音源を捜すと、広場の片隅で楽団らしき人達が色々な楽器を演奏していた。俺はその音楽に耳を傾けながら、もうすぐ来るであろう友を待った。



 そうして、一時間半が経っただろうか。
 もうすでにログインしていてもおかしくはないと思うのだが、一向に二木が来る様子が無い。
 何かあったのだろうかと、俺は一旦ログアウトをして確認しにいこうとした。


 ――だが次の瞬間、この世界の全ては一変することになる。
 いや、逆に先ほど俺が思っていた通りのことになった、と言えるのかもしれない。


「――!?」

 突然、俺の周囲――中央広場のあちこちで青い光が点滅した。そして、青光が現れ消えた場所には人が立っていた。数人ではきかない。広いと思っていたこの中央広場からはみ出すぐらいの大勢の人が、青い光と共に現れた。
 直後、そこかしこで叫び声が上がる。

「おいGM! 今のはなんなんだよ!?」
「ねぇ、ログアウトが出来ないのよ! 早く何とかしてよ!」
「もうちょっとでやっとモンスター倒せたんだぞ!? なんとか言えよGM!」
「ログアウトできないって、どういうことだよコラ!」

 ――ログアウトが、出来ない……?

 俺は《システムメニューウィンドウ》を開き、マニュアルに書いてあったログアウトボタンを探した。

「…………」

 ――無い。
 最初に開いたときにはしっかりと在ったと記憶している。しかし、今は無い。恐らく先ほどの違和感はこれだったのだろうか。
 周囲が引切り無しに叫んでいる《GM》とは《ゲームマスター》、ゲームの管理者のことだという。暫くすれば、そのGMが応答するのだろう。
 しかし、俺は未だ連絡のつかない友人のことを考えていた。ゲーム、というより機械全般の知識が無い俺にはよく解らないが、ログアウトができないということは、ログインもできないのだろうか。あれだけ楽しみにしていた二木がSAOに入れないというのは、なんとも不幸な話だ。
 何も知らなかった俺はこのとき、暢気にもそんなことを考えていた。
 直後、異様な雰囲気とともに上空に映った人影に気付いた者が、それを指差しながら叫んだ。
 そして、俺はソレを見た瞬間、ある言葉が脳裏を過(よ)ぎった。

 ――《セカイ》が変わる。

 そんな、言葉が。





 そして、現在に至る。
 茅場晶彦と名乗ったその声は、俺たちSAOにログインしているプレイヤー全員に、ゲームからのログアウトの不可と、自分のHPがゼロになった瞬間、実際に現実の自分の体も死を迎える、そう言った。

『諸君は今、なぜ、と思っているのだろう。なぜ私は――SAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか? これは大規模なテロなのか? あるいは身代金目的の誘拐事件なのか? と』

 茅場の声は事務的で冷たい印象を受ける。しかし、俺にはその声は、玩具を手に入れた子供を連想させた。

『私の目的は、そのどちらでもない。それどころか、今の私は、すでに一切の目的も、理由も持たない。なぜなら……この状況こそが、私にとっての最終的な目的だからだ。この世界を創り出し、観賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』

 ――この世界を作り出し、観賞するため。
 それが、茅場晶彦の目的だという。そのために、俺を含めた一万人が、この《SAO》に閉じ込められ、HPがゼロになったら実際に死ぬというゲームらしからぬ枷を付けられたというのか。

『…以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の――健闘を祈る』

 その言葉を最後に、ローブの巨人の映像は消え、薄暗くなっていた空は夕暮れの赤さを取り戻し、いつの間にか消えていた楽団がどこからか再び現れ、広場にいる人々の顔とは正反対に明るい曲を演奏し始めた。それで我に返ったのか、茅場の言葉で唖然となっていた者たちが叫びだす。
 いや、それは《叫び》なんて甘いものではなかった。阿鼻叫喚の地獄絵図の如く、はじまりの街の中央広場付近に転移させられた一万にも及ぶ人、人、人の絶叫や怒号。

「嘘だろ……なんだよこれ、嘘だろ!」
「ふざけるなよ! 出せ! ここから出せよ!」
「こんなの困る! このあと約束があるのよ!」
「嫌ああ! 帰して! 帰してよおお!」

 俺の周りでも数多くの人間が、泣き、叫び、怒り、打ちひしがれ、また唖然としている。
 俺は、周りが錯乱しているためか、もしくは事の深刻さを本当の意味で理解していないのかは解らなかったが、比較的落ち着いて周りを見ていた。
 自分の理解を超えた状況に陥ってしまった場合どうすればいいのか。俺は、祖父の教えを思い出していた。

 ――まず、己の目で、耳で、肌で、全てで感じたものを、そのままに心に受け入れるのだ。
 ――そして、それに対して自分に何が出来るのか、それを考える。そう、考えることが大事なのだ。思考を止めてはいかん。

 そうだ。この状況に陥ってしまったことは、もうどうにもならないのだろう。
 茅場晶彦が作り出したこの状況。ただのゲームを、死の可能性のある危険なものにしてしまったこと、それは勿論犯罪だ。しかし、それが犯罪だということは茅場にも解っていた事だろう。なのに実行した、それが重要となる。つまり、茅場はもうあとには引けない。いくら叫んだとしても、茅場はこの状況を何とかしようとは思わないだろう。
 では、叫ぶことが無意味なのだとしたら俺には何が出来る?
 機械に疎い俺には、どういう原理でこの世界が出来ているのかも、この世界に入ることが出来たのかもよく解らない。更に、ここにはゲームのシステムに干渉出来そうなものに心当たりなどは無い。よって、俺がシステムに干渉する手段は取れない。あったとしても、俺に何とかできるわけも無い。
 ……いや、俺が出来ないのならば、他にシステムに干渉出来うる人物になんとかしてもらえばいい。先ほど茅場は言った。今現在は茅場だけがこのゲームをコントロール出来る者だと。ならば、茅場に何とかしてもらう、何とかしてもらえるようにすればいい。しかし、今はこちらから接触出来るとは思えない。出来るのだとしたら、とっくに俺以外も殺到していることだろう。
 他に、俺に出来ることと言えば……やはり一つ、か。
 茅場は言った。第百層の最終ボスを倒せば、SAOから開放されると。恐らく真実……だと思う。
 茅場晶彦という人物には、先ほど声を聞くまでまったく面識は無かった。二木に聞いたのは茅場晶彦という人物が行った功績だけだ。人物像までは解らない。だが、先ほどの声を聞いて、俺はその言葉が真実であろうことだと確信していた。これから俺は――いや、ここにいる一万人ものプレイヤーは、命を賭けて自由のために戦う、戦わないといけないのだろう。しかし俺は、茅場の声からも同じように命を賭けている……そう思わせる響きを感じた。
 とりあえずは、俺は茅場の言葉が全て真実だという前提で行動する。そういう結論に至った。そうと決まれば、まずは自身を強くしなくてはならないだろう。
 ……強くする。つまり自身のレベルを上げればHPの上限が増える、すなわち死ぬ確率も少なくなるということだ。この貧弱な体は早く何とかしたい。RPGでのレベルの重要性は、二木に何度も聞いていた。何度も何度も聞かされて来た。

「……二木」

 今では、お前がこの世界に来なくて良かったと思っている。
 この《死の可能性が在る世界》に。
 だけど、このことを知ったお前は、俺が知ってるお前なら、きっと泣いてしまっているのではないだろうか。このゲームに俺を誘ったのは自分だと、先にログインしててくれと言ったのは自分だと、だから自分のせいなのだと。
 俺は、――違う、お前のせいじゃない。と心の中で自分が想像した二木に応える。ただの想像――なのだが俺には、あのとき俺を引き止めた二木の顔から、その情景が本当の出来事になると思えてならなかった。

「…………二木。心配するな。……俺は、必ず帰る」

 ――届かない。

 そうは思ったが、だけど俺は空に向かって呟いた。



[34210] 3.自分に出来る事
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 18:11
 俺は、未だ混沌たる有様の《はじまりの街》の中央広場を見渡した。
 そして、錯乱したり絶望したりしている者たちの中に、ある種の目的を持った瞳をしている者が、見える範囲では数名、広場を後にしているのが確認できた。
 恐らく、彼らは自分たちに出来る事――しなくてはならない事を見つけたのだろう。

 ならば、俺もいつまでもここで佇んでいるわけにはいかない。
 まずは武器がいる。
 最初にステータスを確認した際、初期装備として片手直剣《スモールソード》というものが、アイテムストレージに入っていた。
 しかし、俺の最も得意とする武器は《槍》だ。
 剣も使えなくはないが、実際に命の懸かっている状況だ。一番慣れ親しんだ武器を使う方がいいだろう。
 そう思い、俺は先ほど街を見て回った際に見つけた一軒の武器屋へと歩みだした。

 しかし、広場を後にしようとした俺に、背後から声がかかった。

「――あ、あの……あのっ……!」

 最初、俺はそれが自分にかけられた声だとは思わなかった。
 この《SAO》という世界で、俺のことを知っている者なんていないのだから。
 だが声の主は俺の右側に回ってきて、はっきりと俺を見て再び声を上げた。

「あの! す、すみませんっ!」
「……?」

 目をきつく瞑りながら訴えるように言ったその人物。
 金髪の少女だった。
 頭の左右で縛った、腰まで届くだろうツインテールの金髪。
 恐らく歳は俺の1つか2つ下。
 恐る恐ると開いた瞳は大きく、顔の部品の並びも整っている。
 大多数から美少女と言われる類の顔だろう。
 俺と同じ初期装備である白い麻シャツ、灰色の厚布ベスト、そして男とは違う簡素なベージュ色の短いスカート。
 それらは、男の装備よりは全体的に可愛いらしい印象を受ける。
 目の前の少女が派手な金髪をしているせいか、やや地味目にみえる初期装備の服装が、少しだけ特別に見えた。
 しかし、何故この少女は俺に話しかけてきたのだろうか。

「…………何か――」

 用があるのか、と言おうとした俺の言葉に割り込む声があった。

「ネリー!」

 そして、金髪の少女の両脇に、今度は銀髪と茶髪の少女が現れた。

「ハァッ、ハァッ……もうっ、いきなり走りだして……」
「ヒー、ヒー……そ、そうッスよ! というかこんな場所で置いて行かないで欲しいッス!」

 前者が銀髪、後者が茶髪の2人の少女。どうやら三人は知り合いらしい。歳も同じくらいに見える。
 金髪の少女が、2人にゴメンと軽い感じに謝罪している。
 だが、こちらとしては早く用件を言って欲しかった。いきなり声をかけてきて、こちらを無視して話をしている3人。
 故に俺はこちらから声をかけることにした。

「…………それで、俺に何か用か?」

 その俺の言葉に驚いたのか、三人は一瞬背をピンッと伸ばし、こちらを向いた。

「あ、す、すみません! こっちから声かけたのに……」

 金髪の少女が謝ってきた。その本当に申し訳ないと思っているような顔を見て、俺はすっかり毒気を抜かれた。

「……いや、それはいい。で、何か用なのか? 正直、声をかけられる覚えはないが……」

 俺は、極めて普通に言ったのだが、銀髪と茶髪の2人は、肩を震わせて怯えたような目でこちらを見ていた。
 だが金髪少女だけは、至って普通に俺の問いに答えてきた。

「あ、はい。えとですね。私たち、そのVRMMOって初めてなんです。……なのに、こんなことになっちゃって。どうしていいか解らなくて……それで、その……色々と教えてくれる人を探してるんです」

 不安さを隠さない拙い声音で、そう言った金髪の少女。

 ――ふむ、なるほど。

 つまり、この三人は自分たちに出来る事が考えても見つからなかった、というわけか。
 だがそれは別に悪くない。そしてその場合、誰かに訊くという行為は正しい。
 解らないことは訊く。その行為は大切なことだ。
 しかし――

「…………すまないが、人選を間違えている。俺もVRMMO――いや、ゲームというもの自体これが、SAOが初めてだ。俺ではお前たちの疑問には答えられない」

 この少女の言っている事は解る。解るが、ゲームのことなんて二木に聞いたことしか知らない俺に、その役が務まるなどとは到底思わない。思えない。もっと相応しい人間が他にいくらでもいるだろう。
 俺のその言葉を聞いた金髪の少女は、少し驚いたような顔をしてから、再び口を開く。

「あ、え……じ、じゃあ、ど、何処に向かおうとしていたんですか?」

 周囲の人間のほとんどは、未だその場を動かない。
 そんな中、俺が何処かに行こうとしたことで、俺が他とは違う、もしかしたらこのゲームに詳しいのかもしれないと、この少女は思ったのだろうか。

「……武器屋だ。さきほど街を回った時に場所を確認していた」
「何で武器屋に? ……もしかして、外に出る気なんですか? し、死んじゃうかもしれないんですよ!?」

 金髪の少女が叫ぶ。

 ――何故、この少女はそんなことを叫んでいるのだろうか? 
 ――たった今話したばかりで面識も無い俺のことで、何故こんなにも必死な顔ができるのか……。

 そんなことが一瞬、脳裏をかすめたが、俺は冷静に返した。

「……茅場晶彦と名乗る者が言ったな。第百層のボスを倒さなければ俺たちは開放されないと。……だから俺は、自分に出来ることをしようと思った。それだけだ」

 暗に、俺は戦うことを選んだとそう言った。
 俺の言葉の意味が分かったのか、金髪の少女だけではなく銀髪、茶髪の少女三人が目を見開いて絶句する。
 次に口を開いたのは茶髪の少女だった。

「……な、なに言ってんスか! 危ないッスよ! ここで、安全な場所で外からの救出を待ったほうが――」
「救出は無いだろう」
「な!?」

 俺は、少女の言葉の途中で冷たく言い放った。

「もし、俺が茅場晶彦の立場だったのなら……1パーセントでも、自分以外の外部の手によってこの状況を打破できる可能性があったら、そもそもこんなことを実行はしないだろう。天才と呼ばれる人物なのだったら、尚のことそこは理解しているはずだ。……ならば、外からの救出は無いと考えていいだろう。俺たちは、茅場の言う通りにするしかないんだ。このゲームをクリアして、茅場本人に開放してもらうしか……この世界から脱出する方法は……無い」

 ありえない、そう凡人が思うことをしてしまうのが天才だ。茅場晶彦がそうだというのなら、救出なんて待っても恐らく無駄だろう。

「…………」

 四人の間に沈黙が降りる。
 かなり厳しいことを言ったということは自覚している。
 しかし、俺がそう思っているんだということはハッキリとしておきたかった。
 いや、もしかしたら俺は、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。

「……俺は街を出てモンスターを倒す。レベルを上げて強くなる。……それが今、俺に出来る最良の事だと思うからだ」

 三人は、それぞれ何か言いたそうにしていたが、それを遮るように俺は続けた。

「……だが、別に無理に戦おうとしなくても……街に留まっていてもいいとは思う。人には向き不向きだってある。戦いたいと思う者、戦う決意をした者だけが戦う。逆に戦いたくはない、戦いが怖い、死ぬのが怖い者は……無理に街を出なくても良いと俺は思う。本当の命が懸かっているのだから怖くて当然だろう。それは誰も責める事は出来ないし、逆に……俺のように外に出て行く者を引き止める事も出来ない。……自分に出来ることを考えて、それを行う。それが今、俺たちがすべきことだろうしな……」

 そう言うだけ言って、俺は別れの言葉も告げず、三人に背を向けようとした。
 だがその前に、今まで黙っていた銀髪の少女が初めて俺に向かって口を開いた。

「あ、あのっ……あなたは、こ、怖くないんですかっ……?」

 俺は銀髪の少女を見た。
 怯えるような瞳に震える肩。多分、かなりの人見知りなのだろう。
 その顔をよく見ると、俺はふとあることに気付く。
 似ているのだ。金髪の少女と銀髪の少女の顔立ちが。恐らく姉妹、それも双子だと思われる。
 快活そうな金髪の少女とは違って、こちらは貞淑な雰囲気を纏っている。
 腰まで伸びたストレートの銀髪も、その清楚さを引き立てている。
 そんな少女の問いに、俺は至って平然と返した。

「……別に、死ぬのが怖くないわけではない。……ただ、俺はこの《SAO》の世界で出てくるどんな怪物よりも怖い存在を知っている。……俺が平然としているように見えるのは、恐らくそのせいだろう。それより怖い物なんて、想像ができないのだからな」

 そう、俺が最も恐れる存在。それは俺にずっと稽古をつけ続けていた祖父だ。
 俺は幼い頃より武術を習ってきた。その中で祖父と相対したとき、本当に死ぬと幾度も思ったものだ。
 幼い俺でも容赦なく骨を砕き、急所を攻撃してくる祖父。
 恐らく俺は、そんな祖父より怖いものを想像出来なかったのだろうと思う。
 だからこそ、自分の命が懸かっているという状況にも平然としていられる。
 しかしそれが、俺が最初の一歩を踏み出せることが出来た要因でもあったのだから、逆に良かったとも言える。

「…………」

 俺の答えを聞いて、銀髪の少女は黙った。
 それもしかたないだろう。俺の答えは、かなり特殊な部類に入る。
 その答えを理解しようにも、それが想像できないのだから無理な話だ。
 俺は今度こそ三人背を向けて、武器屋に向かった。
 背中の方から「あ、う……」という声が聞こえてきたが、俺のような特殊の塊みたいな男とは一緒にいない方があの子たちのためだろう。
 もっと他に、丁寧に教えてくれるような人物がいるだろう。ここには1万人ものプレイヤーがいるのだから……。
 少しだけ浮かんだ罪悪感を振り払いながら、俺は武器屋への道のりをやや早歩きで急いだ。






「――いらっしゃい! 《ドマールの武器屋》へようこそ!」

 カランカラン、というカウベルの音を鳴らしながら木製のドアを開けると、活きのいい声が店内に響いた。
 ニコニコ顔の太った中年の店員の声だ。
 額から頭頂部だけ禿た頭。角ばったアゴにも鼻の下にも髭は無い。
 汚い――といっても洗濯しても消えなかったような黒ずみの付いているエプロンを、でっぱった腹で押し出すように着ている。
 店内は石畳以外は殆ど木造。片手剣や両手剣、槍、矢などが樽に何本も乱雑に刺さっている。多分、安物なのだろう。
 逆に高価な武器は、棚にそれぞれ台に乗せて置かれている。しかし、そちらは今の俺では買えない。
店内には、俺の他に客はの誰もいなかった。
 二木が前に言っていたことだが、《はじまりの街》にはいくつも武器屋があるらしいので、ここだけに人が集まることもない。
 それもそのはず、今現在この街は一万という人数をかかえているのだ。
 その人数を賄う武器屋なんて、それこそデパート並みの店でも賄えるかどうかあやしい。
 それに加え、先ほどあんなことがあったばかりなので、武器屋に行こうとする者がそもそもまだ少ないのだろう。

「……店主。武器を探しているのだが」

 ここ《SAO》での、店での買い方は俺が知っているのは4つだ。
 一つ目は、店に置いてある品物をタンッと触れることで出る、【Buy it ?】というウィンドウに【Yes/No】でYESを選択する方法。ウィンドウには、その品物の説明と値段が現れるので、それを見て選定する。

 二つ目は、カウンターをダブルクリックするように軽く叩くと、その店にある品物のリストが、ウィンドウとして目の前に現れる。それで買いたい商品を選んで買う方法。他の商品との値段や性能は比べやすいが、実物を見れないため、デザインや持った感触はわからない。

 三つ目は、店員のNPCに声をかける方法。簡単なAIで動いているらしいが、しっかりとプレイヤーの要望に応えてくれるらしい。どんなもの、どの程度の値段、それらを言えば、重要な単語を読み取ってその店の商品からピックアップしてくれる。そして、こちらが訊いた品物の説明も口頭でしてくれるという。

 四つ目は、欲しい品物を持って店の外に出ること。それだけで所持金から品物の金額が引かれる。しかしこの方法で気を付けなければならないのは、品物の金額よりも所持金が少ない時に持ったまま店を出てしまうと、自分のカーソルが犯罪者の証しであるオレンジ色に変わる。品物は手に入るが、オレンジカーソルには色々と不利な制限が付くので、所持金には十分に注意しなければならないだろう。

 俺は、まだこの《SAO》について、マニュアルに書いてあったことしか解らない。しかも、そのマニュアルは、システム的なことだけしか書いていなく、ゲーム内のことについては殆ど何も書かれていなかった。
 なので、条件を言えばある程度NPC側で選別してくれるという口頭での買い物方法を選んだ。

「どんなのをお探しだい?」

 NPC――ここが《ドマールの武器屋》ということを考えれば、この店主の名前が《ドマール》ということになるのだろうか――が、訊いてきた。
 俺は、今現在の自分のスペックと、希望の武器を言う。

「レベル1でも持てる両手用の長槍を見せて欲しい」

 俺が祖父から習っていた槍術は、基本的に素槍を扱う。
 素槍は刃は短くシンプルのものが多く、しかも木造の柄の部分がよく撓るのだ。
 この《撓る》という部分が俺にとって、俺の扱う東雲流槍術にとって重要となる。

「レベル1ねぇ。そうすると、ウチにゃあコレとこれしかねぇが……」

 難しい顔をしてあごを捻りながらカウンターにどこからか出した二本の槍を置く店主。
 正直、俺にはこのNPCの仕草は人間以外には見えない。
 俺はカウンターの上に置かれた槍の一本に触る。
 カテゴリ《ロングスピア/トゥーハンド》、固有名《シンプルスピア》、金額400コル
 金属の棒に小さい直刃が付いただけのなんの装飾も無い槍。
 一応、持った感覚も確かめておきたい。

「……店主、持って見ても?」
「おお、かまわねぇよ」

 俺は《シンプルスピア》を両手で構えた。

 ――少し、重いか。

 見れば筋力要求値はギリギリだ。改めて今の自分の非力さを知る。
 俺は《シンプルスピア》を置き、もう一つの槍へと手を伸ばす。
 カテゴリ《ロングスピア/トゥーハンド》、固有名《ウッドハンドルスピア》、金額300コル
 そのウッドハンドルの名の通り、柄の部分が木で出来た槍だ。柄が木製ゆえに、先ほどの槍よりかは軽い。
 構えたまま軽く槍を左右に振ってみる。

 ――ふむ。撓りはまあまあだな。

 俺が探していた特徴の槍と割と近しいものだったので、俺は《ウッドハンドルスピア》の方を買おうとした。
 そのとき――。

「お客さん、それを買うなら注意しろよ。それは柄の部分がやわい木造だからよ。はっきり言って耐久値が他より低いんだ。モンスターの攻撃を受けたらガンガン耐久値が減っていくぞ」

 そう、店主が言った。

 ――む、それは困る。

 確かに現実の実際の武器でも、思いっきり叩いたり受けたりしてれば直ぐに磨耗する。《SAO》では、どこまで、どの程度まで一つの武器で戦うことが出来るのかは俺にはまだ解らない。

「……店主。ではこの槍は、攻撃するにもどんどん耐久値は減るのか?」
「いやまあ、減るっちゃ減るがな。モンスターの攻撃を受ける程には減らねぇよ。そこは他の武器とほとんど変わらねぇ。その《ウッドハンドルスピア》は、あくまでモンスターの攻撃を受けたときに全金属製の武器に比べて耐久値が減る量が多いっていうもんだ。まあ、そんかぁし、普通ならレベル5ぐらいの筋力要求値が必要な全金属製の槍と同じぐらいの攻撃力を持ってるんだぜ。刃の部分だけは《アイロン》だしな」

 なるほど。それはいいことを聞いた。
 正に俺に相応しい槍だ。正確には、俺の扱う槍術に……だが。
 俺は改めて《ウッドハンドルスピア》を買うことに決めた。

「……店主、これを貰う」
「ほいよ。えーと、値段は300コルだ」

 その店主の言葉と共に、俺の目の前に【Buy it ?】とウィンドウが現れた。

 ――300コル……か。

 プレイヤーに初期配布されている通貨は、500コル。
 俺は先ほど《スウェルトードの串焼き》一つ4コルを、二つ買った。
 つまり現在の所持金は492コル。
 槍を買えば192コルになる。だが、モンスターを倒せば金は手に入るだろう。
 俺は迷わず目の前の【Yes】に触れた。

「まいどあり」

 俺はアイテムストレージを開き、今買った槍を確認する。

 ――192コルか。もう、金に殆ど余裕は無いと考えていいだろう。

 この《SAO》の世界には、食欲が存在する。それは先ほど自分で確認済みだ。
 ならば当然、睡眠欲もあると考えた方がいいだろう。つまり、寝床が必要だ。
 野宿も考えたが、マニュアルを読んだときに見た一文を、俺は思い出していた。

 ――宿屋の個室や、プレイヤーハウスのセキュリティには――

 セキュリティ。ゲーム内でそんな言葉が出てくるということは、逆を言えばそれが必要になる場合があるということだ。
 つまり、ゲーム内でも犯罪が出来る。
 この場合――街中のような《犯罪禁止コード圏》内での犯罪というものが、どういうものなのかは俺にはまだ解らないが、どうせ寝るなら安全が最低限約束されている場所で寝たい。
 だとしたら宿屋の鍵付きの個室か。そしてそれには宿屋に泊まるための金が要る。
 宿代が一泊いくらなのかは分からないが、手持ち192コルでは少々この先は心許無い。
 これは早めにモンスターを倒して、金を手に入れる必要があるだろう。

「……店主。世話になった」
「まいどありぃ。また来てくれよ」

 店主の言葉を受けて、俺は店を出た。だがふと、今出てきた店を振り返る。
 NPCと知ってはいても、俺には普通に人間と会話をしているように思えた。
 一つ確認したいことがあったので、俺はもう一度、今出てきたその店に入った。

「いらっしゃい! ドマールの武器屋へようこそ!」
「…………っ」

 最初に入ったときと、少しもずれの無い声音で言う店主。
 その店主の顔も、先ほど見た笑顔とまったく変わりはなかった。一瞬だけ、店主の笑顔が能面のように見えた気がした。
 その様子を見たとき、俺は悟った。
 ――そうか。これがNPCというものなのか……。
 俺は、少しだけ寂しい気持ちになりながらも、店主に質問をした。

「……店主、質問がある。《ウッドハンドルスピア》と同じように、柄の部分が木で出来ている槍というのは他にあるのか?」

 これから俺は、木柄の槍を主武器とするだろう。
 もし、そういう槍の種類が少ないのだとしたら、少しだけ方向性を変えてみる必要もある。
 全金属製の槍、あまり撓らない重い槍に慣れるということも、しなくてはならないかもしれない。

「ああ、もちろん他にもあるぞ。樫やクヌギ、松を柄に使った槍な。だが敵の攻撃をその武器で受けた時に、他の全金属性の槍よりも耐久値の減りが早いっつう共通の特性があるぞ」

 その特性はさっき聞いた。
 一度、店を出ると忘れてしまうのだろうか。

「……そうか」

 知りたいことは解った。今はもうこの場所には用は無くなった。
 そう思って踵を返そうとしたとき、

「そういやぁ、三十五層の《迷いの森》のどっかに木造柄の強い槍を落とすモンスターが出るって聞いた事があったような……」

 ――?

 店主が誰に言うでもなく呟くように言った。
 これは、この情報は信じてもいいのだろうか……?
 だが、このNPCが俺を騙す理由も思い当たらない。
 とすれば、俺の最初の目標はその三十五層の《迷いの森》にあるという《強い槍》を探すということにするか。
 百層攻略は大きな目標として、目先の目標も決めておくに悪いことは無い。

「……情報、感謝する」

 恐らく、NPCには言っても意味は無いのだろうとは思ったが、俺は店主に礼を言い、店を出た。

「また来てくれよ!」

 そう言った店主の声が、俺の背を空(むな)しく叩いた。



 現在の時刻は、午後六時五十三分。
 あの、茅場晶彦のチュートリアルというものから一時間以上が経った。
 辺りはすでに夕暮れの赤は消え、藍色の薄暗さに包まれていた。

 ――さて、武器は手に入れたが、今日はもう暗くなっている。宿を探して休むか、もしくはこのまま街の外に出て戦闘を実際に経験してみるか。

 俺は数分間考えたが、一度だけでも戦闘を経験してみようという結論に達した。
 確かに視界はすでに暗く、よく見えない状態ではあるのだが、どんな状況でも戦えるようにしておくのは悪いことではない。
 それに、ここは《はじまりの街》。つまり周りには弱い敵しか現れないだろう。
 レベル1のプレイヤーばかりのところに、ありえないほど力の離れた敵を出すなどという理不尽は、流石の茅場もしないだろう……多分。
 だったらそれは、初の夜戦の練習にも丁度いい。
 俺は、ここから一番近いはじまりの街の北西ゲートへと歩を進めた。

 今まで遊ぶことすらもせずに鍛錬を続けてきた槍術。それが《この世界》でどこまで通用するのかは解らないが、俺は今、自分がこんな状況下で再び高揚していることに気付いていた。


 ――祖父より鍛えられたこの槍技……試せる時が、来たようだ。



[34210] Ex1.残された者
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 18:14
 ――うがあああ! マジでついてねえええ!

 何でこんなときに限って、滅多にしない呼び出しなんてしやがるんだあのセンコーめ!
 俺は、未だ白紙だった進路希望調査票に、適当に近くの高校の名前を三つ書いて家を飛び出そうとした。

「ちょっと健太! 制服に着替えて行きなさい! 制服に!」

 ――あああ、もおおお、急いでいるんだっつーの!

 だが、言うこと聞かないとナーヴギア取り上げとか普通にするお袋なので、仕方なく俺は制服に着替えて家を出た。
 駅に走りながらケータイで電車の時刻表を確認する。

 ――げ!? 微妙に乗り換えの待ち時間が多い!

 だが電車以外、バスなどで行っては金が余分にかかる。
 中学生の数少ない小遣いで買った《SAO》で、自身の財布はかなり寂しいことになっている。
 仕方なく俺は、自分の最高速度――といっても100メートル22秒――で出来るだけ駅に急いだ。



「――失礼しますっ!」

 想定時間より二十分ほど遅れて、ようやく学校に着いた俺は、担任の吉田先生がいるだろう職員室に入った。
 職員室では、数人の先生が休日出勤をしていた。いや、ホントご苦労様ですね。
 俺はさっそく吉田先生に進路希望調査票を渡して、すぐに帰ろうとした。
 だがしかぁし――

「――まあ、ちょっと待て」

 加齢臭漂う三十路越えの中年男が帰ろうとする俺を止めた。
 あ、ウソです。ウソ! 華麗臭を纏ったダンディなオジ様でございますっ!
 そんなオジ様(吉田先生)に、俺は一時間も拘束された。
 月曜日に使うプリントを一学年分各教室に持って行けと……クソッ、俺は肉体労働系じゃないんだっつの!
 そんなこんなで先生の手伝いが終わり、やっと開放されたころには、すでに午後三時半を回っていた。

 ――早く帰らないと!

 俺は、すでに息切れしている体に鞭打って、家路を急いだ。






 駅前に着いたとき、俺はふと違和感を感じた。

 ――ん、何だ?

 そう思って回りを見渡すと、駅前にいる人たちが足を止めて、ある一点を見つめていることに気付く。
 俺は、皆が見ている方を見た。
 それは駅前デパートの壁面にある大きなディスプレイだった。
 だが、問題はそのディスプレイに流れていた内容だった。
 ディスプレイの中では、数人の男女が話し合っていた。

『――それで、茅場晶彦氏はどうしてこのようなことをしたのでしょう?』
『分かりません。しかし、これは大変なことになりましたよ』
『未だ、VRMMORPG《ソードアート・オンライン》の仮想空間に捕らえられた約一万人の救出の目処は……立っていないそうです』

 ――は? 捕らえられた……?

 何を言っているんだ、この連中は。
 ソードアート・オンラインってのは、あの《ソードアート・オンライン》のことか? 
 今、東雲がログインしてて、俺がこれからログインする……あの《SAO》なのか?

『茅場氏、いやすでに茅場容疑者ですね。彼の言う通り、親族友人の方が《SAO》にログインした者のナーヴギアを外したり、その電源を切って停止させてしまった件がすでに二百名に届こうとしているらしいです』
『……これを聴いている皆さんは、どうかくれぐれもお気を付け下さい。自分達で無理になんとかしようとは思わないで下さい』

 ――なんだ? 何を言っているんだ、こいつらは……。

『本当に気を付けて下さい。これは――』

 その部分だけ、俺にはすごくゆっくりに聞こえた。

『――現在、《SAO》にログインしている方の《いのち》に関わりますので――』

 俺は考えるよりも先に走っていた。

 ――いのち? 命ってなんだ? 命に関わるって……なんなんだよっ!?







「ゼハッ、ゼヒッ、ゼハッ……」

 ガンッという音を響かせながら俺は乱暴に玄関を開けて、そのまま走るように二階にある自分の部屋に向かった。
 そして、勢いよく部屋に飛び込む。

「しのの――」

 突如、俺の目の前が暗闇に覆われた。
 そして、俺は誰かに抱きしめられていることに気付く。

「な、お袋!? 何してんだ! いや、それより東雲がっ!?」

 お袋は俺を押さえつけるように抱きしめ、じっとしている。そして数秒後、お袋がゆっくりと口を開いた。

「落ち着きなさい。……あんた今、彼に何をしようとしたの?」
「な、何って……」

 そんなのは決まっている。東雲を早く《SAO》からログアウトさせて――――あ。

「あんたは今、どこまで彼の状況を知っているの?」

 お袋は俺を抱きしめたまま、優しい口調でそう言った。

 ――俺が、今知ってるのは……。

「か、茅場晶彦が何かをして、《SAO》にログインしてるヤツが、ログアウト出来ないって……。ナーヴギアを外したり、電源を切ったりすると……い、《いのち》に関わるって……」

 そうだ。俺が聞いたのはこれだけだ。しかしこれだけでも凄く嫌な予感がどんどん湧いてくる。
 その予感を肯定するようにお袋は言った。

「……そうね。お母さんもね、さっきTVで見て知ったの。その茅場晶彦って人の声が流れてたわ。今、東雲くんがかぶっているナーヴギアを外したり、電源を切ったりすると、ナーヴギアから発する高出力マイクロウェーブで、脳が焼ききられてしまうって」
「~~~~っ!?]

 その事実に、声にならない叫びを上げる俺。
 そんな俺にお袋は続ける。

「実際にそれをして……その、亡くなった方がいるらしいの。だから、私たちは冷静に、冷静に対処しなくてはいけないの。……東雲くんのためにも。……解るわね?」

 お袋は、俺の体を離して俺の目を見ながら言った。

「今からお母さんは、病院と東雲くんのご実家に連絡をしてくるわ。……いいわね。くれぐれも冷静に、ね」

 俺の両肩を軽く叩いて、お袋は俺の部屋を出て行った。
 俺は軽く放心しながら、東雲が寝ている布団に近寄った。
 流線型のナーヴギアを装着した友人は、普通に寝ているように見える。
 不意に、俺の右手が東雲の頭の方に動く。
 俺の脳裏に、外しても問題ないんじゃないか、という言葉が浮かんだ。

「――ッ」

 だが、俺は右手を押しとどめた。
 出来ない。出来るわけがない。

「……ぅ、うそ……だろ。……なんで、こんな……」





 俺は、嬉しかったんだ。
 自分がゲームが好きで、人付き合いが苦手だということで、オタクと呼ばれ、ずっと虐められてて……。
 あのとき、東雲と初めて視線が合ったとき。東雲は俺をいじめから助けてくれた。
 その後、俺が東雲に近づいたのは、いじめっ子たちの報復を恐れたからだ。
 驚異的な身体能力を持つ東雲のそばにいれば、あいつらが報復する可能性も少ないと、そんな打算があった。
 でも、実際話してみてると、東雲はその斬れる様な雰囲気とは違って、意外と世間知らずで、ちょっとしたことでも感心していて……つまり、俺は東雲と話すのが、楽しかったんだ。
 今までは、良かれと思ってしたこと、言ったことが全部裏目になって、ネトゲ仲間や学校のゲーム仲間ともすぐに疎遠になっていった。
 だけど、東雲だけは違った。
 ちゃんと俺の話を聞いてくれて、俺の愚痴も聴いてくれて、そして俺にも自分の愚痴を言ってくれた。
 正直、ここまでちゃんと話が続く奴は初めてだった。
 でもそんな東雲は、家が武術の道場をしているらしく、遊ぶ暇もないくらい稽古に明け暮れているという。
 俺は東雲にゲームの面白さを知って欲しかった。……いや違うな。俺が、一緒に遊べる相手が欲しかったんだ。
 ゲームは一人でも出来る。でも仲間でする楽しさを知ってしまったら、一人でするゲームは空しいことこの上ない。
 だから、俺はずっと東雲をゲームに誘ってきた。断られると知ってはいても。

 でもあの日、ついに東雲が一緒に遊べると言ってくれた。
 東雲のじーさんが亡くなったっていうのは悲しかったけど、でも俺は不謹慎だとは思ったが東雲とようやく一緒に遊べることの嬉しさのほうが勝っていた。それが申し訳なくもあったけど。
 東雲とSAOのことを話すのは楽しかった。あいつはゲームや機械のことは全然知らなかったから教えることがいっぱいあったけど、それすらも俺は頼られてる感じがして嬉しかった。






「……なのに……なのにっ……!」

 なんでだ。なんで俺はいつもこうなるんだ。俺が仲良くしようとした人は、みんな俺から離れていく。
 終いには、東雲も……。

「……俺が悪いのか! 俺がっ! 東雲を誘ったから! 俺が東雲に近づいたからこうなったっていうのかっ!?」

 つい、カッとなってすぐそばの本棚の淵に拳をぶつけてしまった。

「あ!?」

 本棚から落ちた漫画が、東雲の顔に当たりそうになった。俺は急いで東雲に覆いかぶさるようにして、背中で落ちてきた漫画を受ける。

「……うっ、うぅ、……っ」

 別に漫画が当たったから呻いたわけじゃない。
 惨めだった。泣くしか出来ない自分が、相当に惨めだった。

「っ……ゴメン。東雲……ゴメンよ……」

 零(こぼ)れた雫で東雲の顔のそばに染みを作りながら――俺は、悔しさに震えることしか出来なかった。



[34210] Ex2.異質なその人
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 18:30
 あたし――内石奈緒は面白そうなことが大好きだった。
 特に体を動かすこと、スポーツとかは色々やった。逆に勉強は苦手なんだけどね。
 あと、興味が出たものには何でもかんでもすぐに飛びついてしまう癖がある。
 双子の姉である美緒には、今までそれでかなーり心労をかけて来たと思う。

 《SAO》もその一つだった。

 クラスメイトが話しているのを聞いて、すっっっごく興味を引かれた。
 だって、剣や盾を持って実際にモンスターを倒せるんだよ!?
 女の子としてはちょっとだけ自分が他の子とは違うと解ってはいるけど、あたしだって「必殺~!!!」とか言ってみたい。
 だから、あたしは姉の美緒と、クラスメイトにして親友の筑波佳奈美を誘ってSAOを三人でプレイしてみようと行動を起こした。
 でもすぐに挫折を味わうことになる。

「か、買えないよ~」

 そう。SAOがどこに行っても買えない。在庫が無いらしい。
 せっかくお父さんに無理言って《ナーヴギア》を買って貰ったのに、肝心のソフトが無いとSAOは出来ない。
 そりゃないよ~と思っていたところに佳奈美が来て言った。

「……ふっ、わたしに感謝するッスよ。じゃじゃ~ん! どーッスか!? お探しの《SAO》ッスよ~!」

 地獄に仏とはまさにこのことだった。
 でも、隣の県まで探しても無かったのにどこで手に入れて来たんだろう?
 そのことを訊くと――。

「うっ……うぅ、わたしは……わたしはっ……穢れてしまったッス! もうこれはウルトラジャンポパフェ一週間分くらいじゃきかないくらいの貸しッスからね!?」

 人差し指を突き出しながら「犯人はお前だ」的に言ってきた佳奈美。
 何でも、オタクなイトコに頼み込んで条件付きで譲ってもらったという話だった。

「じ、条件?」

 け、穢れてしまったということは……そ、その……つまり……あぅ。
 少し赤面してしまいつつも、興味に逆らえず訊くと。

「そ、それは……こ、この前の休みにあった《コスプレ撮影会》ってのに無・理・矢・理、出演させられたんスよ~~~~!!!」

 魔法少女なんてもうキライッス!なんであんなパンツ見えそうというか見えちゃうような服着てるんスか~と地団駄を踏んでいる佳奈美。
 あたしはガクっと脱力してしまった。
 確かに佳奈美は、同姓のあたしから見ても可愛いと思う。
 癖っ毛なセミロングの茶髪を無理矢理纏めようと努力しているように見える猫の髪留めが凄く可愛らしくて似合っている。
 そのイトコさんが、そういう服を着せたがったのも解らなくはない。
 まあでも、いつもは口調のせいでお笑いキャラに見られることが多いんだけどね、うん。
 ともかくそういうわけで、あたしたち三人は晴れて《SAO》が出来るようになった。





 公式サービスが始まる日、あたしたちはそれぞれの部屋からSAOにログインした。
 三人ともVRMMOというものが初めてだったから準備に手間取って、ログインしたのは午後二時過ぎ。開始から一時間も遅れてしまった。
 別に開始時間ちょうどにログインしなきゃいけないってことはないんだけど、なーんか悔しいんだよね。
 でも、そんなこともログインしたら全て吹き飛んでしまった。
 あたしも、美緒も佳奈美も《完全ダイブ》っていうのは初めてだったから、SAOの世界を見たときはすっごく感動した。
 物語の中に出てくるそのままのファンタジーな世界に、あたしたちは魅了された。

「うわ―――っ!」
「……すごい」
「こ、これ……マジで《仮想世界》なんスか? ちょっと信じられないくらい色々スゴイんスけど……」

 このときのあたしは、もう興奮で周り――この場合は周囲の視線――が見えなくなっていて、最初に降り立った場所《はじまりの街》の中央広場から見える全てのものに興味を引かれて、それに突撃していった。

「ワ―――イ!!」
「もうっ、……奈緒!」
「あーダメダメ。ここじゃあ、あたしは《ルネリー》だよ? あ、ネリーって言うほうが呼び方としていいかな? ね、どう思う《レイア》♪」
「うっ……ち、ちょっと恥ずかしいよね。自分で付けた名前で呼ばれるのって……」
「2人はいいじゃないスか! わたしなんか《チマ》ッスよ? なんスか《チマ》って! チマチマ~とか語尾に付ければいいんスか!?」
「かな……チマは名前を打ち間違えて気付かなかっただけでしょ? 自業自得なんじゃ……」
「う、うわ~~ん! そんなことは判ってるッスよ~~! でも言わなきゃやってらんねッス!!」

 佳奈美――チマは、最初は《リマ》と付けたかったらしい。RとTが隣同士だったからやねんス!と言い訳を喚いている。
 キーキー騒ぐ佳奈美――《チマ》。
 それを見て笑うあたし――《ルネリー》。
 騒ぐ佳奈美とはしゃぐあたしを宥めようとする美緒――《レイア》。
 これから、三人でスッゴイ大冒険が始まる。……と、あたしたちはそう思っていた。







『…以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の――健闘を祈る』

 その人、茅場晶彦という人が言ったことを、あたしは最初理解できなかった。
 街中を三人で歩いていて、ようやくお互いをSAOでの名前で呼ぶのに慣れてきたそのとき、いきなり青い光に包まれたかと思ったら、さっきまでいた中央広場に移動していて……。
 突然、空に現れた大きい不気味なローブの人影。上空から響く茅場晶彦って人の声。
 あたしたちに、このSAOの仮想世界から出れないと、HPがゼロになったら死んじゃうと言ってた。

「……あ、あ……ぁぅ……」
「な、なに言ってるんスかね、あの人……アハ、アハハ、ハ……」

 あたしの横では、放心しているレイアと、あの言葉を否定したいのか、乾いた笑いをしているチマがいる。
 あたしは周りを見回した。
 多分、無意識に助けを求めていたんだと思う。
 言葉では否定してるけど、あの人が言ったことは真実なんだって、あたしも美緒も佳奈美もきっと心で感じてる。
 だから探した。
 何をって訊かれても解らないけど……何か、この状況であたしたちに必要なもの、それを探していた。
 でも、周りは想像以上に混沌としていた。
 さっきまであんなに美しかった中央広場の風景は、喜怒哀楽の『怒』と『哀』で埋め尽くされていた。
 その情景は、否が応にもあたしの精神を更に打ちのめそうとした。




「…………え?」

 そんな時、あたしは見た。
《その人》は、周囲が負の感情に呑まれている中、まるでそこだけスポットライトが当たってるかのように、一人平然と立っていた。
 まるで、暗い沼地に咲いた一輪の花を思わせるような、こんな状況の中では逆に異質とも言っていいような佇まい。
 あたしには、それがどこか神々しくさえ見えた。




 ふいに、その人がどこかに向かって歩き出した。
 それを見たあたしは――駆け出していた。

「え? ネリー?」
「……ほぇっ!?」

 後ろからレイアとチマの声が聞こえた気がしたが、今はコレがあたしが優先するべきことだと頭の中で誰かが叫んでいた。

「――あ、あの……あのっ……!」

 何を言おうかなんて考えて無かった。だけどあたしは《その人》に声をかけていた。
 でもその人は、あたしの声が聞こえなかったのか、その歩みを止めようとしない。
 あたしはもう必死にその人の横に走っていって、再び声をかけた。

「あの! す、すみませんっ!」
「……?」

 その人が、足を止めてこちらを見た。
 それだけで、あたしは思わず息を飲んだ。
 全てを見透かされそうな深い深い蒼の瞳。鋭く尖った氷を連想させるような表情。なによりその人の雰囲気からは《普通》や《日常性》といった、この状況においては“逆に”非常性を感じさせられるものがあった。
 そんな理由であたしが放心していると、その人の口が開いた。

「…………何か――」
「ネリー!」

 でも、その人の言葉に割り込むようにレイアがあたしを呼びながらチマと一緒に駆けてきた。

「ハァッ、ハァッ……もう、いきなり走りだして……」
「ヒー、ヒー……そ、そうッスよ! というかこんな場所で置いて行かないで欲しいッス!」
「ご、ごめんゴメン」

 正直、二人のことをすっかり忘れていた。目の前のこの人に意識が捕らえられていた。
 こんなことになってしまって――しかもあたしが誘ってSAOに来たのに、二人には申し訳ないことをした。
 そんな気持ちを込めて――でもいきなり走ってしまった自分の奇行にちょっと照れてしまい、少し軽い謝罪になってしまった。

「…………それで、俺に何か用か?」

 思わずビクッとなるあたしたち3人。そうだった、今度は逆にこちらを失念していた。あたしのバカ!
 その人にもすぐに謝罪をした。

「あ、す、すみません! こっちから声かけたのに……」
「……いや、それはいい。で、何か用なのか? 正直、声をかけられる覚えはないが……」

 溜め息ともつかない小さな息を吐くその人。呆れられちゃったのかな……?
 と、それは置いておいて用件、用件。えーと、うーと、あーと……。

「あ、はい。えとですね。私たち、そのVRMMOって初めてなんです。……なのに、こんなことになっちゃって。どうしていいか解らなくて……それで、その……色々と教えてくれる人を探してるんです」

 正直なにも考えていなかったのだけど、自分の口から出た言葉は結構理由としてはちゃんとしているように思う。……ふぅ、あぶないあぶない。
 内心けっこう混乱しているあたし。そんなあたしに向かってその人は答えた。

「…………すまないが、人選を間違えている。俺もVRMMO――いや、ゲームというもの自体これが、《SAO》が初めてだ。俺ではお前たちの疑問には答えられない」

 ――え……?

 今度は一瞬完全にフリーズしてしまった。断られる場合の言葉なんて全然考えてなかったから。
 あたしは必死に言葉を考えた。

「あ、え……じ、じゃあ、ど、何処に向かおうとしていたんですか?」

 そうだ。どこかへ行っちゃうんじゃないかって思って声をかけたんだった。
 あのときは、気付いたらよく解らないままに必死になって追いかけてた。
 あたしの思考には興味なし、という顔をした目の前の人が口を開く。

「……武器屋だ。さっき街を回った時に場所を確認していた」

 その人の言葉に、再び一瞬思考が停止したような感覚を受けた。

「何で武器屋に……? もしかして、外に出る気なんですか? し、死んじゃうかもしれないんですよ!?」

 ありえない、そう思った。だってもしも、もしもモンスターの攻撃を受けて自分の視界に映っているこの青色の横線が消えてしまったら、ホントに死んじゃうかもしれないのだから。
 自分でもよくわからないけど、あたしはその人に向かって叫んでいた。
 もしかしたら、さっきのことで溜め込んでいた負の感情が、今更になって吐き出されたのかもしれない。
 でも目の前のその人は、あたしの叫びにも顔色一つ変えずに言った。

「……茅場晶彦と名乗る者が言ったな。第百層のボスを倒さなければ俺たちは開放されないと。……だから俺は、自分に出来ることをしようと思った。それだけだ」

 ――自分に、出来る……こと……?

 そんなこと考えもしなかった。こんな状況で、こんな場面で、そんなことを考え付くなんていったい何人いるのだろうか。
 あたしがそんなことを思っていると、あたしの背中からチマがその人に向かって言った。

「……な、なに言ってんスか! 危ないッスよ! ここで、安全な場所で外からの救出を待ったほうが――」
「救出は無いだろう」
「――な!?」

 チマの言葉を、チマの考えを真っ二つにするかのように、その人は言った。

「もし、俺が茅場晶彦の立場だったのなら……1パーセントでも、自分以外の外部の手によってこの状況を打破できる可能性があったら、そもそもこんなことを実行はしないだろう。天才と呼ばれる人物なのだったら、尚のことそこは理解しているはずだ。……ならば、外からの救出は無いと考えていいだろう。俺たちは、茅場の言う通りにするしかないんだ。このゲームをクリアして、茅場本人に開放してもらうしか……この世界から脱出する方法は……無い」

 確かに……そうだ。あたしだって、自分が犯罪者になるかもしれないって分かってて、それでもしなければいけないことがあるなら、失敗の確率は出来るだけ無くしておきたい。無くしてからじゃなきゃ、きっと怖くて出来ない。

「…………」

 その人の正論に、反論が出来なくなったチマが黙る。

「……俺は街を出てモンスターを倒す。レベルを上げて強くなる。……それが今、俺に出来る最良の事だと思うからだ」

 無表情にそう淡々と告げるその人。でもふと雰囲気を緩め、さっきとは違う、やや優しさを含んだ声で続けた。

「……だが、別に無理に戦おうとしなくても……街に留まっていてもいいとは思う。人には向き不向きだってあるだろう。戦いたいと思う者、戦う決意をした者だけが戦う。逆に戦いたくはない、戦いが怖い、死ぬのが怖い者は……無理に街を出なくても良いと俺は思う。本当の命が懸かっているのだから怖くて当然だろう。それを誰も責める事は出来ないし、逆に……俺のように外に出て行く者を引き止める事も出来ない。……自分に出来ることを考えて、それを行う。それが、今俺たちがすべきことだろうしな……」

 自分に出来ること。この人は、きっとそれを見つけたから――ううん、それを見つける力を持ってたから、あんなにも輝いて見えたんだと、今更ながら思う。

「あ、あのっ……あなたは、こ、怖くないんですかっ……?」

 あたしの双子の姉の美緒――レイアが、少し人見知りな所があるために震えながら、それでも頑張って言った。
 その人は、数秒間レイアを――レイアの瞳を見てから、やや嘲笑めいた声で言った。

「……別に、死ぬのが怖くないわけではない。……ただ、俺はこの《SAO》の世界で出てくるどんな怪物よりも怖い存在を知っている。……俺が平然としているように見えるのは、恐らくそのせいだろう。それより怖い物なんて……想像できないのだから」

 その人が言ったことは、あたしにもレイアにもチマにも解らないことだ。
 逆にあたしの思う一番怖いものを想像してみた。……ぬ、思いつかない。
 怖い物は確かに有るにはあるけど、そこまでかと言われるとそうでもない。
 自分が死ぬかもしれない状況よりも恐ろしいことなんて、きっと今までのほほんと生きてきた私達には、本当の意味で想像が出来ないんだと思う。

「…………」

 レイアもチマも、その人の言った言葉を自分なりに考えているようだ。

「……あ」

 いきなりその人は、あたしたちに背中を向けて、別れの言葉もなしに歩いて行ってしまった。
 背中を向くときにチラリと見えたその人の横顔。最初の平然とした顔ではなくて、申し訳なさそうな、どこか寂しげな表情に見えた。
 やや早足で歩き去るその人の背中を見つめるあたし。
 その人の背中が人ごみに紛れて見えなくなった時、二人が声をかけてきた。

「…………ネリー」
「……行っちゃったッスね」

 ネリーが呼びとめた理由なんとなく解ったッス、と言ってくれるチマ。
 その言葉に、レイアも小さく頷いた。




「~~~~~っ、さて! これからどうするッスかね!?」

 暗い雰囲気を無理矢理吹き飛ばそうとしているのか、大きな声でチマが言った。

「…………うん。そうだね……」

 レイアも、さっきよりは顔色が良くなったようだ。
 あたしも人の事は言えないかもだけど、レイアもチマも、先ほどの――ゲームがゲームでなくなった時の顔の青さといったらなかった。

「ん~~~~~~~」

 あたしは腕を組んであたりを見回した。
 気が付けば、中央広場からは結構人が減っていた。……それでも残って放心している人が圧倒的に多いけど。
 あたしはさっきからずっと考えていた。あの人の言った《今、自分に出来ること》というものを。

「ねぇ」
「……うん?」
「なんスか?」

 だから、あたしはその提案を未だ眉間に皺を寄せて唸ってる二人に言った。

「街の外に出て、モンスター……倒してみない?」

 予想通りというか、その提案に二人は目をまん丸にして驚いていたから、こんな状況だっていうのにあたしはつい笑ってしまった。

 そう、笑うことが――出来たんだ。



[34210] 4.闇夜の初実戦
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 18:36
 第一層主街区《はじまりの街》北西ゲート。
 その巨大な門を通り抜けた俺は、一度立ち止まった。
 辺りはすっかり暗くなって、はっきり言って死の危険がある街の外に出る時間じゃない。
 街を囲む城壁の上の松明からの明かりで、街の周りは明るいが、すぐ100メートル向こうはすでに暗闇で見えない。

「……」

 しかし俺は、歩き出した。
 歩きながらステータス画面を開けて先ほど買った《ウッドハンドルスピア》を装備する。
 いきなり右手に現れた槍に少し驚いたが、ステータス画面を消して、少し振ってみる。

「…………ふむ」

 良くもないが、悪くもないか。だが十分に扱える自信はある。
 ふと槍を振っていたときに、俺は前に二木が言っていたあることを思い出した。

 ――SAOは全てにおいてスキルが大事なんだけど~、スキルスロットに限りがあるからほんっとにどれ上げるか迷うんだよね~。

 そうか、スキルスロットを忘れていた。
 俺はステータス画面を開いて、自分のスキルスロットを見る。レベル1の俺には二つのスキルスロットが与えられている。勿論、今は両方とも空だ。今まで忘れていて手つかずだったのだから当然だが。
 俺はその一つに迷わず《両手用長槍》を入れた。だが、もう一つは何にしようか凄く迷った。多すぎるのだ。スキルの種類の量が。二木の言っていた意味が今ようやく理解できた。直接戦闘に関わってくるスキル、間接的に戦闘に関わってくるスキル、生産系スキル、趣味系スキル、その他のスキル。それぞれ数十では利かない数がある。
 俺は、はじまりの街から伸びる街道から少し離れた場所で、そのスキルを一つ一つ見ていた。
 そのとき――

「…………!」

 スキル表ウィンドウを見ていた俺の視界の端に、赤いカーソルが見えた。
 赤いカーソル、それは敵の証。こんなに近くまで接近されていて俺が気付かないなんて、正直ありえないと思った。その赤いカーソルの方に意識を向けると――一匹のイノシシがいた。

 モンスター名《フレンジー・ボア》。

 暗くてよく解らないが、恐らくこちらに気付いていない。いや、気付いていても攻撃しようとしていないだけか。
 これは確か《ノンアクティブモンスター》というやつだ。ノンアクティブモンスターは、こちらの攻撃の標準が自分に向けられたりしない限り襲ってこないとマニュアルに書いてあったと記憶している。
 俺は一度深呼吸をして、槍を構えた。

 ――東雲流古武槍術の基本の構え、《弧紋の型》。

 相手に、利き腕とは逆の半身を前に出すようにして横向きに腰を落とし、槍の切先を地面ギリギリまで下げるように構える。この時、利き手は槍の石突から拳二つ分中の柄を、力コブを作るような腕の形のまま手のひらを上に向けたような感じで掴む。利き手と逆の手は、槍の中腹部分からやや切先側をしっかりと指で輪を作って、だが余裕を持ってその中に通すように槍を持つ。

 この構えは、船のオールを動かすように槍を扱う構えだ。構えたまま利き手をただ思い切り振り下ろせば、下から上に半円を描くように槍の中腹を押さえる手を支点にして切先が跳ね上がる。相手の攻撃を捌くのにも、逆にこちらの攻撃にも使える動きが出来る初動の隙を限りなく抑えた構えだ。

 俺が構えても、目の前のイノシシはこちらを意識しない。
 弧紋の型は基本的に受けの型。しかし、上半身の構えはどんなときでも応用は利く。俺はその構えのままイノシシに突進をかけ、イノシシに槍を放った。石突きの方を持って上げてある右手を、勢い良く降り降ろしながら左手にくっつけるように押し出す。そうすることで、槍の切っ先が下から螺旋を描くような突きを放つ。
 俺が攻撃を放った瞬間、イノシシは俺に気付いたようにその顔を上げたが、時すでに遅し。イノシシの側面――前足の付け根と肋骨の隙間、心の臓があると思われる場所に、螺旋が描く円が集束するような軌道で、槍の刃が突き刺さった。
 普通ならそれで終わり。生き物ならそれで絶命するはず。
 しかしイノシシは、瀕死には程遠いような動きで身をよじって槍を抜き、小走りで少し離れてから再びこちらに突進してきた。

「……少し、気味が悪いな」

 イノシシのHPバーは明らかに減っている。だが弱るのではなく、逆に興奮した様子で突進してくる。

 ――このイノシシの一撃を受けたら死ぬのだろうか?
 ――自分の死が近づくのだろうか?

 そんな考えが一瞬浮かんだが、しかし鼻息荒く近づいてくるイノシシには、今まで幾度となく稽古で対峙してきた祖父のような圧力は感じない。
 俺は突進してくるイノシシを、横に回りこむように冷静に避ける。避け続ける。そのまま少しだけイノシシを観察する。イノシシは基本的に突進しかしてこない。たまに目の前で急停止して頭を振って牙を当てようとしてくるが、急停止から頭を振るまでは少しだけタイムラグがあるので楽に避けられる。
 イノシシの攻撃パターンを把握した俺は、先ほどとは逆の前足と肋骨の隙間に何度か槍を突きたて、イノシシを仕留めた。最後に突き刺した瞬間、イノシシは硬直しその後爆散。輝く細かいガラスの破片のようなものが周囲に散らばって透き通るように消えていった。

「……意外に手間取ったな」

 梃子摺った、ではなく手間取った。予定では最初の一撃で仕留めていたはずだ。
 HPを全て削らなければ、敵はその攻撃を止めることはしない。解っていたはずだが、やはり違和感は残る。

「……だが逆を言えば、俺も一撃もらったくらいじゃ動きは鈍らないということか」

 死中に活。怪我の功名。
 ようは相手が倒れるまで攻撃を続ければいいと、それだけだ。
 俺は二匹目の獲物を探して歩き出した。






 歩きながらふと思う。ステータスウィンドウを出してスキル表を見る。この世界での自分の体――《アバター》では、以前のように周囲の気配を察することは出来ないようだ。恐らく、この仮想世界では、現実世界で出来たことを当たり前に思ってはいけないのだ。
 それは、逆にも言えるのことだろう。現実世界で出来なかった事もこの世界なら出来る、と。
 しかしこのままじゃ、この先不意打ちを受ける可能性が高い。
 俺は先ほどスルーした一つのスキルを見た。
 《索敵》スキル。
 アクティブオブジェクトを認識できる範囲を、熟練度に比例して広げてくれるスキルだという。
 残り一つとなったスキルスロットに、それを入れた。

「――!」

 入れた瞬間、またもや視界の隅に赤いカーソルが現れる。
 索敵スキルのお陰ではなく、向こうからこっちに移動してきたようだ。

 フレンジー・ボア。

 先ほどのよりも、一回りだけ大きいイノシシが見えた。
 無論、こちらをまだ敵として認識してはいない。
 俺は開いていたスキルスロットの画面の《両手用長槍》のスキルを見た。

 ――ソードスキル無しにSAOは語れないんだよ! そりゃ硬直時間みたいなデメリットはあるよ? で・も、普通の攻撃とは一撃の威力が段違いなんだ! その差約三、四倍! 急所なら約五、六倍は違うんだよ!? もうソードスキル様さま~って感じだよね!

 グッと親指を突きあげた友の姿と言葉を思い出す。

「……ソードスキル、か」

 俺はイノシシに気付かれないように小さい声で呟く。
 急所ならそのダメージは約五、六倍。雑魚ならほぼ一撃死だろう。かなりの効率のよさだ。
 俺は、現在自分の使えるソードスキル一覧を確認する。
《両手用長槍》スキルをスロットに入れたことで増えたソードスキルの一つ。
 両手用長槍基本技《スラスト》。
 スキル名のすぐ横にある【Sample】のボタンに触れると、もう一つウィンドウが現れた。
 そのウィンドウには、真っ白な部屋で槍を構えている真っ黒な人が映っている。
 そして、画面の端には再生、停止、スロー再生、視点変更などのボタン。
 これはソードスキルの見本を見る事が出来る画面だ。
 これを見て技のイメージを頭に叩き込み、実際に模倣出来るように練習する。 
 一応練習場所として、結構な広さの訓練所が《はじまりの街》の各所にあるらしい。
 俺は再生ボタンを押して、《スラスト》の見本の動きを見る。

 ――ふむ。この程度なら練習は必要なさそうだな。

 見本動画は、技の動きだけではなく、初動の形とシステムアシストの開始を矢印と文字で説明してくれる。
 基本技だけあって、そう難しい技でもなかった。
 俺はソードスキルとやらを試すべく、槍の切先をこちらに背を向けているイノシシへ向けた。
 俺はイノシシに向かって走り出し、技をイメージしながら、槍を持ちながら引き絞った両腕を前に突き出すような初動を始める。
 攻撃を放とうとした俺に気付いたイノシシが、ぷぎっと一鳴きしてこちらを向く。

「――っ!?」

 突如俺の体が勝手に加速して動き、明るい緑色の光を振りまきながら槍の切先が、振り向いたイノシシの首の後ろ辺りへと吸い込まれるように突き出された。
 ビシイィィとガラスを叩いたような音とともに槍が直撃し、イノシシはその反動で吹き飛ばされ、何度か横向きに回転した後、不自然な斜め向きままの状態で硬直し、内側から爆発したかのように、輝く細かい破片をばら撒きながら消えていった。
 ……確かに一撃で倒せた。確かに威力は段違いだった。
 しかし――

「………………使い、難い」

 いきなり加速しだしたように勝手に動く自分の体。普通、筋肉に力を入れた箇所の関節は動かないのに、力を入れているのに動いている――動かされている違和感。
 自分の意思で動く体に重なるように、何者かの意思で力を加えられているような……そんな感覚。
 凄く違和感が付きまとう。かなり違和感が付きまとう。やはり違和感が付きまとう。
 確かに今の《突き》は、速度、威力、そして形、ともに――自分で言うのもなんだが――素晴らしかった。
 だがその突きは、普通ならこの体では出来ないはずのもの。このLv1の身体能力では絶対に出来ないはずのものだと俺は確信している。
 しかし出来てしまった。それがソードスキルなんだと言われればそれまでだが、俺としてはそこがまた物凄く違和感をもたらして……正直言えば使い辛い。使い難い。
 そして、その動きの後にある数コンマの強制技後硬直時間。それが違和感を更に上乗せする。
 技というものは繋いでナンボ、と祖父も言っていた。
 技自体を工夫して技後硬直を無くし、次々に技を繰り出すよう指導を受けてきた俺にとって、その違和感は相当なものだ。
 他のプレイヤーはこの違和感に何とも思わないのだろうか。

 ――《ソードスキル》。

 威力は高い。そして技の速さもある。勝手に相手に合わせて向かっていく感覚もあったので、恐らく命中補正のようなものも付いているのだろう。
 だが、俺には――。

「…………やはり、使い辛い」

 使い続ければ慣れるのだろうか。
 だが、この如何ともしがたい感覚は、あまり何度も感じたくないというのが本音だ。
 結局俺は、今の所は絶対にソードスキルが必要であるということもないと考え、しばらくは通常攻撃のみで戦うことにした。
 そうと決めたら次なる獲物。
 ソードスキルに少し戸惑ったが、これまでの二回の戦闘は、敵に梃子摺るといったことはなかった。
 少しペースを上げて戦ってもいいだろう。
 俺は、街から離れすぎないようにモンスターを探し始めた。





 その後、イノシシやイモムシなどの十六匹ほどのモンスターを倒した俺は、街への帰路についていた。
 ソードスキルを使わなかったせいで、一匹あたり三~五回ほど攻撃をしなければ倒せなかったが、それでも対して危なげなく――HPもまったく減ることもなく戦うことができた。

「……この程度なら、そうそう命の危険に陥ることも無いな」

 だが、これから先は解らない。今さっき倒したモンスターは全てレベル1の雑魚も雑魚。
 攻撃も単調なものばかりで、冷静に観察すればどうということもなかった。
 しかし、油断はできない。俺はこのSAOというものを知らなさすぎる。

「……情報収集もしなければな」

 強くなること、情報をあつめること、そして――死なないこと。
 俺は、自分のするべきことを再確認した。
 そんなときだった。

「…………?」

 俺が今まさに向かっている《はじまりの街》のゲート付近で悲鳴が聞こえた。
 いや、今もなお聞こえている。
 すでにほぼ周りが見えないくらい暗い時間に街の外に出る奴が、俺以外にいようとは。
 俺は、早足で悲鳴のする場所へと向かった。



[34210] 5.葛藤の末に
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 18:42
「こ、このっ! えいっ! あ、あれ? きゃっ!?」
「ギャー! こっち来んなッス!」

 ――何をしてるんだ、あの子たちは……。

 悲鳴が聞こえた場所へ向かった俺は、数十メートル離れた場所で一匹のイノシシと戦っている――ようには見えないが――先ほど話しかけてきた少女たちを見つけた。
 金髪の少女が初期装備である《スモールソード》を振るって頑張ってはいるが、何かに気を取られているようで、敵であるイノシシに集中できていない。
 茶髪の少女はスモールソードを持ってはいるが、腰が引けてて、剣を振るときに目を瞑ってしまっているので空振りが多い。
 ふと、銀髪の少女が見当たらないことに気付く。

 ――まさか……。

 嫌な想像が浮かんだが、金髪の少女の後方にあの銀色の髪を見つけて少し安堵する。
 銀髪の少女は地面に座り込んでいるように見える。恐らく腰を抜かしてしまっているのだろう。
 金髪の少女がイマイチ集中できていないわけが解った。戦えない銀髪の少女を守っているのだ。
 だがこのままではジリ貧だろう。
 攻撃はあまり当たっているようには見えない。だがイノシシの攻撃はほとんど避けれてはいる。
 しかし、動けない銀髪の少女への攻撃は受け止めなくてはならない。

「ネ、ネリー!」
「ぐ……だ、大丈夫だって」
「くっそー! こっち来いッスよー!」

 その様子を遠目で見ながら、俺の思考は混沌に呑まれていた。

 ――何であの子たちはこんな時間にここにいるんだ?
 ――何であんな拙い戦い方をしているんだ?
 ――あの子たち、このままじゃ誰かが死ぬかもしれない。
 ――では、俺が助ければいいのではないか?
 ――俺は一度、あの子たちを見捨てた。そんな俺がどんな顔で助けに入ると言うんだ。
 ――助けるなら、最初から助けていれば良かったのに。
 ――助ける側には、助けた後の責任も覚悟する必要がある。俺にその覚悟があるのか?
 ――俺は……どうするんだ?
 ――俺は…………どう、したいんだ?

 時間にすればたった数秒。しかし、その間に幾つもの自問自答が頭の中で繰り広げられていた。
 そして、その思考の結論として俺がとった行動は――。



  ◆



 ――どうしよう、どうしよう!?

 甘かった。今更後悔しても遅いけど、そう思わずにはいられない。
 いくらHPがゼロになったら死んでしまうかもしれないとはいえ、それでもゲームなのだから攻略できないわけがない。
 それに、こちらは三人。こんなスタート地点に出てくるモンスターなんて、楽勝に勝てると思ってた。
 《あの人》の言葉を聞いて、自分に出来ることを考えたあたしは、自分がこの世界で今出来ることといったら戦うことしか思いつかなかった。
 他にも色々あるんだろうとは思ったけど、このSAOの中であたしが知っていることは少ない。そもそも自分自身が剣でモンスターと戦うためにSAOをやろうと思ったのだから、どうせならそのままやってやろうと思った。
 そして、結論が出たら止まらなくなるあたしは、浮かない顔をしてる二人を強引に説得して、すでに辺りが暗くなっている時間だというのに街の外へと飛び出した。
 これはあたしの悪い癖だ。思いついたら止まらない。あたしはこのとき、モンスターを格好良く倒す自分を想像してやまなかった。
 だけど実際にモンスターに遭遇したら、そんな考えはどこかにいってしまった。
 独特の粘液質に光る目、よだれが滴り荒い呼吸をする口、生理的に受け付けないその泣き声。
 モンスターって言うからそんなに意識はしてなかったけど、日本語で言えば《怪物》だ。
 そう、まさに怪物。勢いよく突進してくるその姿は、単調な動きなのだけど、何故か威圧感で動けなくなる。
 目の前のモンスターはイノシシに似ている。だけど本物のイノシシなんてあたしは見たことはない。きっとレイアもチマもそうだと思う。
 デフォルメされたものしか見たことのないイノシシ。だけど目の前のソレは、辺りの暗さも相まって相当に恐怖を駆り立てる姿に見えた。

 ――いくつものスポーツを経験したあたしが、こんなに動けなくなるなんて……。

 頭の中で《死ぬかもしれない》という言葉がいくつも思い浮かんだ。
 気の弱いレイアは、その重圧に耐えられなくなったのか、足を縺れさせて転んで、地面に座り込んだまま動けなくなってしまったようだ。

 ――この状況を作ってしまったのはあたしだ。だから巻き込んでしまった二人は絶対に助けたい!

 あたしはレイアの前に立って、イノシシに向かって必死に剣を振った。

「こ、このっ! えいっ! あ、あれ? きゃっ!?」

 結果は空振り。逆に剣に重みでバランスを崩してしまう。

「ギャー! こっち来んなッスー!」

 あたしの剣を潜り抜けたイノシシは、その勢いのまま旋回してチマの方に向かった。
 バンザイしながらイノシシに追いかけられるチマの姿は、こんな状況にも関わらずコミカルで、あたしは少し冷静になることが出来た。

「――っ、えーい!」

 チマを追いかけるイノシシを先回りするようにして、あたしは剣を振り下ろした。でもあたしの攻撃はイノシシのお尻をかすめただけだった。
 攻撃を受けたイノシシは、びぎっと鳴いて今度はあたしに向かって突撃してきた。

 ――でもあたしなら、避けられるっ!

 そう思ったが、自分の後ろにレイアがいることを思い出す。
 あたしはとっさに剣の腹を支えるようにして防御体制をとり、イノシシの突進を正面から受け止めた。

「ネ、ネリー!」
「ぐ……だ、大丈夫だって」

 後ろから聞こえるレイアの心配する声に応える。
 よかった、ちゃんと守れた。漫画で見た防御を真似してみたけど結構上手くいったみたいだ。
 痛みというより、痺れたような感覚が体に残ってるけど。

「くっそー! こっち来ーいッスよー!」

 剣をブンブンと振り回してイノシシの気を引こうとしているチマが見える。

「ネ、ネリー……え、HPがっ……」
「……え?」

 目を見開いて指をさすレイアの声に、自分のHPを確認する。

「…………あ」

 見ると、あたしのHPは一割ほど減っていた。
 一割。あと九回攻撃を受けたら、あたしは――死ぬかもしれない。
 あたしは再び体が強張って動けなくなっていくのを感じた。

「ネリー! そっち行ったッスよ!」

 チマの叫ぶ声が聞こえるが、金縛りにあったようにあたしの体は動かない。
 一度、自分の死を意識してしまったら、もう駄目だ。
 多分、レイアは早くにこういう状態になってしまったんだろうな。
 イノシシの姿が段々大きくなって来るのを見ながら、あたしはそんなことを考えていた。

「ネ――奈緒っ!!」

 後ろから美緒の叫び声が聞こえる。

 ――駄目だよ美緒。SAOではあたしはルネリー……でしょ?

 視界いっぱいにイノシシが見える。防御はもう間に合わな――

「キャッ…………え?」

 ドゴッ!という打撃音が目の前から聞こえた。
 でもそれは、イノシシがあたしにぶつかった音ではなかった。
 あたしはとっさに瞑った目を、ゆっくりと開ける。

「……あ」

 あたしの目に映ったのは《背中》だった。その背中を見るのは、これで三度目。
 一度目は、中央広場であたしが追いかけたとき。二度目は、別れの言葉も無くあたしたちから去っていったとき。

「……あっ……あぁ……」

 《その人》は、いつ見ても変わることの無いその横顔で――あたしの前で槍を構えていた。




  ◆




 ――仕方ない。

 そう、思うことにした。
 何故この子たちがこんな時間に街の外へ出ていたのかは解らないが、それでも解ることはある。
 この子たちは今、命の危機に瀕していること。
 そして、俺はそれを助ける力を持っていることだ。
 これで助けないことを選択するのは、まず人間としてありえない。俺はそう思う。
 助けた側の責任。助けた後のことは――助けた後に考える。
 そういう結論に至った。

「――っ」

 槍が得意としている攻撃は、その長いリーチを活かした《刺突》だ。だがそれは、一番強力という意味ではない。
 槍での一番強力な攻撃、それは《薙ぎ払い》や《振り下ろし》だ。
 その長い柄から生まれる遠心力の乗った《薙ぎ払い》、そして重力をも上乗せした《振り下ろし》。
 刃渡りが短いので、剣や刀には殺傷力という点では叶わないが、一撃の威力、威力の乗せ易さは、槍に利点がある。
 俺はイノシシに向かって走りながら、槍の上下を持ち、真横に限界まで振りかぶって、槍の中腹を自身のわき腹で押し込むようにして、イノシシの直前で体ごと回転させる。
 わき腹あたりで押されて撓(しな)って曲がった槍は、槍の上部を持つ手を離すことで、体から離れるとともに元に戻ろうとする。
 テニスのバックハンドスウィングのような槍の横薙ぎ。東雲流《弓風》。

「――ハッ!」

 回転横薙ぎの速度と撓(しな)りの反動の速度が丁度重なり合った一閃が、イノシシの横っ面に直撃した。
 吹き飛ばすこと目的としていたので《斬撃》ではなく、槍の刃の腹を当てるようにして《打撃》として放った。
 目論見は上手くいき、打撃音にしては高い音を響かせて、イノシシは横向きに転がっていった。

「…………」

 金髪の少女の前で残心を取りながらイノシシを睨む。
 イノシシはすぐに動きを止め、輝きを放ちながら粉々に砕け散った。

「…………ふぅ」

 この仮想の世界でも、攻撃速度や命中箇所によってダメージはかなり違ってくるようだ。
 今の攻撃は、速度だけなら現在の俺の身体能力では最高の一撃だった。
 己の力の無さを、撓(しな)るという槍の特性を最大限利用することで補って、放った一撃。
 それでも、あのイノシシの体力が全快ならば一撃では倒せない。
 今、倒すことが出来たのは、恐らくこの子たちが少しづつイノシシのHPを削っていたお陰だろう。
 俺は振り向いて、少女たちを見た。三人とも驚いたような顔をしている。

「…………」

 俺は、この子たちに聞くことがあった。聞かなければならないことが。
 金髪の少女が、俺を見上げて口を開いた。

「……あ、あの……ありが――」
「どうしてだ」
「――え……」

 少女の言葉を遮り、俺はその言葉を言った。

「どうしてこんな時間に街の外に出ているんだと聞いた」
「……あ」

 この子たちよりも前に出ていた俺が言えた義理ではない。だが俺は、自分の持つ技術なら大丈夫だという自信があった。
 ともすれば過信とも思われるかもしれないが、それでも《戦い》ならどうとでも出来ると自負していた。
 俺には何年も鍛えてきたという実績がある。それが今、俺を支えてくれる柱となっている。
 この子たちにそれがあるとは思えない。この子たちの行動は、俺から見たら《無謀》としか思えなかった。
 だから、ここに来ることになった理由があるなら、俺はそれを知りたかった。

「そ、その……」

 金髪の少女が言い難そうに口を開く。

「あ、あのときっ……あなたに、じ、自分に出来ることを考えて……それを行うことが、今のあたしたちがするべき事だろうって言われて……」

 少女の瞳が、俺の目を真っ直ぐに捉える。

「だから、考えたんですっ! あたしに出来ることってなんだろうって……でもあたし、このSAOで出来ることって戦うことしか思いつかなくて……だ、だったら戦いを頑張ろうと思って……その……うぅ」

 舌足らずに言いながら、その瞳に雫を溜めていく少女。

 ――そうか。この少女は《戦うこと》を自分がするべきことと考えついたと、そういうことなのか。

 しかしそれは――どうなのだろうか。
 考えが足りない、自分に出来ることと出来ないことが解っていない、そう断ずるのは簡単だ。
 だが、それでもこの少女は自分で《考えた》のだろう。そこは、ちゃんと評価したいと思う。

 ――それに……どうやら俺の言葉も、この少女が戦うことを決めた要因の一端を担っているらしいしな。

 しかし――。

「……なるほど、それは解った。……だが、こんな時間に街を出た理由にはなっていないな」
「…………あ、ぅ」

 俺がそう言うと、今度こそ金髪の少女は下を向いて黙ってしまった。
 俺の言い方がきつかったというのもあるだろうが、これは――何も考えずに出てきた、というふうに見える。
 それを見た茶髪の少女が、慌てた様子で言ってきた。

「こ、これは~その~、違うッス! あ、いや、違わないッス! ……あ、あれ? で、でも違うんス!」

 多分、責められてる金髪の少女の助け舟を出そうとしたようだが、何を言うか考えていなかったんだろう。本人が混乱していて意味が不明だ。
 そして、ようやく立てるようになった銀髪の少女も、こちらへ――俺から金髪の少女を庇うような位置へ来た。

「す、すみませんっ。……その、私たち……」

 金髪の少女を、二人の少女が庇おうとしている。
 先ほどは、イノシシから金髪の少女が二人を庇おうとしているように見えた。

 ――友達……か。

「…………ふぅ」

 自分が吐いた溜息が、何のことに対しての溜息だったのかは、よく解らない。
 しかし冷静になると、俺には彼女達を責める資格なんて無いのではないかとも思う。
 彼女らは彼女らの考えで行動した。それだけだ。
 問題があるとするなら――それは俺のほうだ。
 俺は初め、彼女らを助けることを拒否した。しかし、結局は助けてしまった。
 助けたこと自体は後悔はしていない。それははっきりしている。
 俺はこれからどうするか。どう、したいのか。

 ――いや、一人で考えることもない……な。

「…………とりあえず」
「は、ひゃいっ!」
「ひっ!?」
「……うっ」

 俺が声をかけると、三人はギュッと目を瞑って体を硬直させた。

 ――俺は、そこまで怖いのだろうか……?

 少しだけ――少しだけ傷付いた。

「……とりあえず、街の中に移動しよう。いつまでもこんな所にいるわけにも……いかないからな」

 俺は三人にそう提案した。

「あ……は、はいっ」
「そ、そうッスね、いつまたあのイノシシが襲ってくるとも限らないッスもんね」
「……そう、ですよね。はい、移動しましょう」

 先に歩き出した俺の後を、三人は並んで付いて来た。

 ――妙なことに、なった……。

 はじまりの街のゲートをくぐりながら、俺は心の中でこれからのことを考えていた。



[34210] 6.矛盾
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 18:53
「――それで」

 俺と三人の少女が、無事に《はじまりの街》――犯罪禁止コード圏内――に入ってすぐ、俺は振り返って三人に尋ねた。

「はい?」
「な、なんですかッス」
「……は、はい」

 俺に対して苦手意識が出来たのか、銀髪と茶髪の二人は緊張した趣きで返事をした。

「……それで、お前たちは宿は決まっているのか?」

 もう時間も遅い。街の中では安全とはいえ、一応男として、女性はちゃんと宿屋に送っていかなければならないだろう。

「……あ」

 三人が声を揃えて口を開いた。

「そ、そういえば……ど、どうしよっか?」
「今から探すしかぁないッスかね~。……あ、レイアは?」
「私も二人とずっと一緒だったでしょう……。確認してる時間はさすがになかったよ」
「そうッスよねー」

 三人とも宿屋のことはそもそも頭に無かったらしい。

「……では、どうする? 一軒だけなら心当たりがあるが」

 自分の泊まろうとした宿屋なら、案内は出来る。出来るが……。

「あ、本当ですか!? あの、教えてもらってもいいですか?」
「流石に野宿は嫌ッスからね~。お願いしますッス!」
「……すみません。出来れば、お願いしたいです」

 三人がそれぞれ俺に頭を下げる。
 少し拍子抜けした。一応男の――俺の案内を簡単に受けるとは……。

「……いいのか?」

 そういう意味を籠めて聞いた。

「え? 何がですか?」
「…………いや、なんでもない」

 純心というか、お人好しというか。その様な顔をされたら何も言えなくなる。

「……こっちだ」

 俺は三人に背を向けて歩き出した。
 そして、三人も慌てた様子で俺の後を付いてきた。





 酒場兼宿屋《煙突亭》は、はじまりの街の北西ゲートから東へ歩いて五分程度の場所にあった。
 ギィィという軋むような音をさせながら木製の両開き扉を開けると、狭くならない程度に置かれたいくつもの丸テーブルや椅子、そして奥に大小のカウンターが見えた。
 俺は、石畳の床を歩いて小さい方のカウンターに向かう。

「いらっしゃい。お一人様?」

 この小さい方のカウンターが宿屋関係のカウンターだろう。【Acceptance of Inn】――宿屋の受付という看板が掛けられている。
 エプロンと三角巾を身に付けた恰幅の良い女性NPCが、元気な声と共に俺を迎えた。

「……鍵付きの、一人部屋と三人部屋を一泊借りたい」

 俺の部屋と、後ろで店内をキョロキョロ見ている三人――は一緒でいいだろう――の部屋を借りようとした。

「はいよっ。えー、一人部屋が10コル。三人部屋だと24コル。合わせて34コルね」

 一人部屋――個室の方が割合的には高いのか。まあいい。それでもかなり安いほうだろう。
 こういう場では、男が金を出すのだと父から聞いたことがある。
 先ほどの戦ったことで、所持金は284コルに増えていた。
 アイテムストレージに入っている、モンスターを倒したことで手に入れたアイテムを売れば、更に増えるだろう。
 俺は目の前に出ているウィンドウの【Yes】に触れた。同時に、チャリンチャリンという音と共に所持金から34コルが引かれる。

「はい、まいど。部屋は二階だからそこの階段から上がっていってね。個室は二〇七号室、三人部屋は二〇一号室よ。間違えないでね」

二〇七、二〇一。頭の中で繰り返し、覚える。
 そして俺は振り返って三人に言った。

「……お前たちの部屋は二〇一号室だそうだ。三人一部屋にしたが、構わなかったか?」
「あ、はい! 全然大丈夫です!」
「大丈夫ッス!」

 金髪の少女と茶髪の少女が元気良くそう言う。
 その横から銀髪の少女がおずおずと口を開いた。

「……あ、あの。お部屋のお代を……」
「あっ! そ、そうですよね。お金お金……」
「あれ? わたしらいくらだったッスか?」

 三人は宿の代金を出そうとした。が、それは止めた。

「……別にいい。モンスターを倒したことで多少なりとも金は手に入ったからな」

 ――槍を買った分にはまだ及ばないが。

 その言葉を飲み込み、俺は続けて三人に訊いた。

「……それより、夕食にしたいんだが……お前たちはもう食べたか?」
「あ、いえ。まだです」
「そーいえば、かな~りお腹減ってるッスね~」
「……うん。そうだね」

 そう言って、同時に自分の腹をさする三人。

「……ここは見ての通り、一階は酒場になっている。疲れたなら二階の部屋に行って休んでもいいし、ここで食事をするのも自由だ」

 三人にそう言い捨てて、俺は一つの丸テーブルの椅子へ腰をかけた。
 店内にはちらほらと人――プレイヤーと思われる者たちがいる。しかし、皆一様に暗い表情をしていた。

 ――それもそうか。まだあれから半日も経ってないのだからな……。

 あの茅場晶彦の言葉の後、中央広場いた者たちがどうなったのか、俺は知らない。
 しかし幾ら絶望していても、ここでは腹も減るし眠気もあらわれる。
 そうして行動することを余儀なくされた者たちはどうするのか。どうなってしまうのだろうか。

 ――いや、他人のことを考えている余裕なんて……俺には無いか。

 俺はその考えを振り切るように、首を軽く横に振った。
 そして、気分を変えようと店のメニューを見ようとした。したのだが……。

「お腹減ったよねー」
「色々あったからね」
「でもここって仮想なんスよね? 何でお腹空くッスかね?」
「んー、分からないけど……。あ、もしかしたら……ここって太らないで食べ放題!?」
「おお! そうかもッス!」
「もう……二人とも、ほどほどにね」
「…………」

 ――何でこの少女たちは、俺と同じテーブルに座っているのだろうか……。

 一応、こちらは気を利かせて一人で夕食を取ろうと思ったのだが。
 他にも空いているテーブルはいくつかあるのだが……しかし、それを尋ねるのは何故か躊躇われた。

「へぇ~、このメニューちゃんと日本語訳も書いてあるよ」
「ほんとッスね~。でもこの《グエタラムガンヌの蒸し焼き》って……何なんスかね」
「……他にも材料不明な料理がたくさんある、ね」
「食べてみないと分からない……ロシアンルーレットみたいだねっ」

 先ほどの街の外での出来事が無かったことのように、三人は興味津々にそのメニューを見ていた。
 俺は溜息を呑み込みながら、メニューが空くのを待った。





 そうして俺を含め、四人ともが注文をNPCの給仕の女性に言って、俺たちは料理を待っていた。
 今、俺たちは酒場の端の丸テーブルに、俺、金髪少女、銀髪少女、茶髪少女の順に時計回りに座っている。
 注文をしてから無言にしていた俺に、銀髪の少女が恐る恐ると口を開いた。

「あ、あの。すみません……」
「……何だ?」
「えと、一応自己紹介をさせてもらってもいいでしょうか?」

 ――ふむ、自己紹介……か。

 あまり他人と言葉を交わすことの無い俺だ。自己紹介なんて思いもつかなかった。

「……ああ、そうだな。そういえば、お互い名前も知らなかったか」
「は、はい」
「あっ……そうだよね。なんで気付かなかったんだろう」
「いやー、さっきはそれどころじゃなかったッスからね~」

 銀髪の少女の提案に頷く俺たち。
 俺の中では髪の色で区別出来ていたので、特に名前は必要ないと思っていたのかもしれない。
 しかし、こうなってしまったからにはキチンと自己紹介はするべきだろう。
 ――ん? 何か違和感が……?
 一瞬疑問符が浮かんだが、気にはしなかった。
 俺は少女たちを見た。三人とも俺よりは幼く見える。
 同い年ということはあっても、年上ということは無いだろう。ならば年上として初めに自己紹介したほうがいいだろうか。
 そう思い、俺は三人に言った。

「……では、俺から言おう。……俺の名は東雲蓮夜、中学三年生だ。このSAOへは友人の誘いで――」
「ちょ、ちょ、ちょ~~~つ、すと――――っぷッス~~~~~~!!!」
「……? 何だ?」

 いきなり茶髪の少女が割り込んできた。

「いや、え? えぇ? この自己紹介って、リアルの名前を言うんスか!?」

 ――む、そういえば……SAOでの名前というものがあったのだったか。

 滅多にしない自己紹介だったので、ついここが《仮想世界》だということを忘れていた。

「……すまない。ゲームというものは初めてで、こういう所のルールというものがよく解っていないんだ……」

 俺は三人に謝罪をした。自分の無知さを改めて痛感した気分だ。

「い、いえ! 全然気にしてないですよっ!」
「そうですよ。あ、そういえば最初に会ったときも言ってましたね。ゲームが初めてだと……」
「……ああ」
「いやー、なんか余りにも堂々としてたッスから、てっきりこのゲームにも慣れてるもんだと思ってたッス」

 ――俺はそこまで堂々としていたのだろうか……?

 自分としては結構、初めてのことに戸惑っていたのだが。
 俺がそう思っていると、俺の右隣りに座っている金髪の少女が言ってきた。

「なら、あたしたちから自己紹介しますよ! えーコホン、あたしは《ルネリー》って言います。あ、モチロン《キャラネーム》ですよ?」

 金髪の少女――ルネリーが元気良く言った。

「あたしたちもVRMMOはこれが初めてなんで、色々よく解ってないです。えへへ、おそろいですね!」

 ――おそろい……? ゲームが初めてがってことだろうか? ふむ、よく解らない娘だ。
 そうして、次に俺の正面に座っている銀髪の少女が口を開いた。

「……えと、改めまして。私はこの世界では《レイア》といいます。顔を見れば分かると思いますが、ネリー……じゃなくて、ルネリーの双子の姉になります」
「はいっ、そうなんです! あ、あたしのことはよければ《ネリー》って呼んで下さいね!」

 銀髪の少女――レイアと、その言葉に付け足すようにルネリーが言う。

 ――ふむ。やはり双子だったか。

 雰囲気が違いすぎるせいで、一見しただけでは解らないが、近くで見比べればすぐに解るくらいには顔がまったく同じだ。

「じゃ、次はわたしッスね。わたしは――……あー、わ、たしぃ、はぁ……あ、えーとぉ」
「……?」

 最初の「わたしは」を言った辺りから顔を歪める茶髪の少女。一体どうしたんだろうか。
 俺が疑問に思っていると金髪――ではなく、ルネリーが話しかけてきた。

「あはは、あのですね。その子は自分の名前を打ち間違えて気付かずに登録しちゃったんです。だから最初に考えてた名前とは違う名前になっちゃってたんですよ」
「……ふむ」

 茶髪の少女の言動や行動を見るに、少しおっちょこちょいな所があるようだ。
 名前を打ち間違える、そういうこともあるのだろう。

「……それで、何という名なんだ?」
「あう~。えーと、その~、ち、《チマ》って言うッス……。最初は《リマ》って付けたかったんスよ。でも……あんのキーボードのコンチキショウめが~~~!!!」

 拳を握り締めて打ち震える少女――チマ。別に変な名でもないと思うが。
 それを見てくすくすと笑うルネリーとレイア。

「ハァァ~……まあ、そんな感じなんス。で、わたしはこの二人とはクラスメイトにして親友という間柄ッス。歳は……もう言っちゃっても良いッスよね。わたしらは全員、中学二年生ッス」

 盛大に溜息を吐きながら、それでも一応ちゃんと自己紹介をするチマ。
 その後に、ルネリーが俺に向かって言った。

「あの、それで東雲さん……じゃなくてっ。その、ここでのお名前って何ですか?」
「……ああ、俺はここでは《キリュウ》という」

 自分の本当の名前ではない名を言い合うのに、自己紹介というのも変な感じだ。

「キリュウさん、ですか……」
「……キリュウ、さん」
「ほうほう、キリュウさんッスね」

 ――何度も呟いているようだが、そんなに俺の名前は覚えにくいだろうか。

 そんな感じで各自の名前を言い終わると、ちょうど料理をお盆に乗せて運んできた中年女性の給仕がやって来た。

「はぁい、お待たせいたしやしたぁ」

 少し舌足らずな調子で言いながら、次々にテーブルに料理を乗せていくウェイトレス。

「おー! 来たッス、来たッス!」
「おいしそ~」
「……名前はアレだったけど、見た目はまともそうだね」

 いい匂いのする料理たちが、テーブルに並んだ。

「以上でよろしぃでしょかぁ?」
「…………ああ」

 酔っ払っているような喋り方だが、ウェイトレスの動きはしっかりとしている。これが地なのだろうか。

「ではぁ、ごゆっくりとぉごくつぉぎ下さぁい」

 最後まで舌足らずな調子で、ウェイトレスは離れていった。

「じゃあ、いただきましょうか!」
「待ってましたッス! いっただっきますッス~!」
「いただきま~す!」
「いただきます」
「…………頂きます」

 俺たちは各々が頼んだ料理を食べ始めた。





 全員がもうすぐ食べ終わるというとき、ルネリーがグラタンのようなものをスプーンで口に運びながら言った。

「あ、ほ~いえは」
「ネリー……お行儀が悪いよ」
「あはは、ゴメンごめん。そーいえばさ、あたしってSAOでお店入るの初めてなんだけど、ここのお勘定ってどうなってるの? 食べ終わったら払うの?」
「……マニュアルは見なかったのか?」
「あは、はは、は……あたしって、説明書見ないでゲーム始めるタイプで……」
「はぁ……最低限は見といてって言ったのに」
「あ、そういえばわたしも見てなかったッス。あはは~」
「……もぅ、二人とも……」

 ――なるほど、レイアは二人の保護者的な役割をしているのか。危ないときはルネリーが守って、雰囲気が暗いときはチマが騒いで……。この三人は良い関係を築いているようだな。
 そんなこと思いながら、俺は口を開く。

「……一応、そこら辺にいるこの酒場のNPCに言えば、代金を払うことは出来る。もしくは、ここから外に出るか、または二階に上がると自動的に所持金から代金が引かれる。この場合は一つのテーブルにいる人数で均等に割り勘されて引かれるな」

 無論、お金が足りないと犯罪として見なされるのは他の店と変わらないが。

「へー、そうだったんですか~」
「……一応、マニュアルに書いてあることは俺にも解る。書いていなかったことは解らないが……」
「いや、それだけでも十分すごいッスよ! わたしらなんて何も知らないッス!」
「ねー」
「ね~」
「自慢気に言うことじゃないよぅ。二人とも……」

 顔を見合わせて頷き合っているルネリーとチマ、それを見て何故か自分が恥ずかしがっているレイアだった。





 料理を食べ終えて一休みをしている途中、俺はずっと考えていたことを言おう思い、三人に話しかけた。

「……三人とも、話しておきたいことがある」
「はい?」
「なんスか?」
「なんでしょう?」

 もうすっかり、最初に会った時のような怯えた雰囲気は三人には見られない。
 それは良いことなのだろうか。それとも……。

「……お前たちは、これからどうする気だ?」
「え……と、それは……」

 ルネリーが口ごもっていると、普段とは違った雰囲気をさせたレイアが口を開いた。

「……それは、これからも戦う意思があるのか、と訊いているのですか?」
「……ああ、そうだ」

 三人とも、先ほどのことで戦いが自分たちには無理だと感じたのではないだろうか。
 特に一人だけ戦っていなかったレイアは、尚の事それを実感したのではないか。
 俺は、意識して厳しい口調で言った。

「……初めて会ったときに俺は言ったな。戦うこと決意した者を止める権利は誰にも無いと。今から言うことはそれに矛盾することだ。だが、言っておかなければならないとも思う」

 一度、深呼吸をしてから、俺は三人を見て言った。

「……お前たちに――戦いは無理だ」
「……っ」

 俺の言葉に、三人が顔を強張らせて息を呑む。

「先ほどのことで解っただろう。お前たちが相手にしていたあのモンスター、《フレンジー・ボア》と言ったか。あれはレベル1のモンスターだった。……三人で戦って一匹すら倒せないのでは、この先のモンスターなんて到底無理な話だ」
「あっ、あれは……私のせいで……っ」

 レイアが声を上げるが、それを遮って俺は言った。

「……確かにレイア、おまえを守っていたせいでルネリーたちがちゃんとに戦えなかったというのはあるだろう」
「そ、それは……っ」

 今度はルネリーとチマが何か――想像はつくが――を言おうとしたが、俺は片手を上げてそれを抑える。

「……お前たちは、三人とも解っているはずだ。ここで何を言っても、実際の戦いになったら自分たちはちゃんとには戦うことは出来ないということが……」

 沈黙する三人。
 こんなことを俺が言い出したのは――俺の、一つの《ケジメ》だ。
 最初に助けを乞われたときには拒否したのに、目の前で危ない目に遭っている所を見たら助けてしまった。
 それが普通。当たり前。他人に対する態度としては当然。
 だが、それでは俺自身が――俺の心が納得しない。
 助けるなら最初から助ける。助けないなら最後まで助けない。
 つまり俺は、《矛盾》が嫌なのだ。

「……お前たちは、これから……どうするんだ? どう、したいんだ?」

 だから――もう一度初めからやり直そうと、そう思った。



[34210] 7.二人の決意
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 18:58
「……お前たちは、これから……どうするんだ? どう、したいんだ?」

 私の正面に座っているキリュウさんが、私たちを睨むように、それでいてどこか優しげな声で言いました。

 ――たぶん……たぶんだけど、この人は私たちを心配して言ってくれている。

 最初にキリュウさんに会ったとき、凄く冷たい瞳をしている人だなと思いました。
 元々人見知りな私だけど、その瞳が《怖い》という印象を強くしてしまったんだと思います。
 それでも、話を聞いているうちに、この人は自分のするべき事だけしか見ていないんだ、っていうのを感じました。
 怖いんじゃない、真っ直ぐなんだって思ったんです。
 何でそんなにも真っ直ぐでいられるのか、こんな状況になっても自分を保っていられるのか。
 《それ》が知りたくて、初めて会った男の人に――しかも第一印象で怖いと思ってしまった人に対して、私らしくもなくつい訊いてしまいました。

 ――怖くないんですか、と。

 でも、キリュウさんの答えは想像していたもののどれでもなくて――私は、少しだけ残念でした。
 《それ》があれば私も、奈緒を守れるくらいに強くなれるんじゃないか。そう、思ってしまっていたから。

 その後、キリュウさんと別れたあとに奈緒――ネリーは、私とチマに言いました。モンスターを倒してみないかって。
 たぶん、キリュウさんの言葉に触発されたんだと思います。
 私は勿論反対しました。本当に死ぬかなんて解りません。でも、死ぬかもしれないという可能性はあるんですから。
 チマも最初は反対していました。
 だけど、街の周りだったら弱いモンスターしか出ない、三人で戦えば怖くない、そう言うネリーに結局は説得されてしまいました。
 私は、流石に今日はもう暗いから止めようと言ったけど、興奮する奈緒を止めることなんて出来ないということは、もう何年も前から解っていたことでした。

 そして、すでに辺りが真っ暗になった街の外に私たちは出ました。
 マニュアルをちゃんと読んでなかったネリーとチマに装備の仕方を教えて、私も自分のアイテムストレージに入っている《スモールソード》を装備しました。
 いきなり右手に現れた剣に、三人ともビックリしつつも、初めて触る剣にネリーとチマは興奮していました。
 でも私は、二人みたいにはしゃぐことは出来ませんでした。
 この、私の持っている剣が誰かを――大切な人を傷つけてしまうヴィジョンを想像してしまったから。
 そして、そのヴィジョンは――私のせいでという意味で――現実になってしまうところでした。

 チマが、視界に赤色のカーソルを見つけたというので、私たちはそれが視認出来る位置に移動しました。
 数メートル移動して、暗闇の中で私が最初に見たのは尻尾。不規則に揺れる尻尾でした。
 近づいてもこちらを向かないそのモンスターに、ネリーとチマは「先手必勝~!」と言って剣を叩き付けようとしました。
 大きく剣を振りかぶった二人は、慣れてないせいか思うようには扱えなかったらしく、結局そのモンスターに攻撃が当たったのはネリーだけ。
 でも、それがいけませんでした。
 街を囲う城壁の上から漏れる松明の明かりに照らされて見えた、こちらに振り返るそのモンスターの顔。
 不気味、でした。
 荒く生々しい息遣いをしながらこちらに向かって走ってくるそのモンスターに、私は悲鳴を上げることも出来ずにその場に佇むだけでした。

 ――頑張って動かなきゃ。せめて足手纏いにはならないようにしなきゃ。
 
 そう思って行動しようとしましたが、恐怖で足が縺れて倒れてしまい、そのまま動けなくなってしまいました。
 そんな私を守ろうと、ネリーやチマがモンスターを引きつけようとしてくれていました。
 その光景は、私の昔からのコンプレックスを刺激しました。
 気の弱い私をずっと守ってくれてきた奈緒。そんな奈緒に対して劣等感を持ってしまった私。
 奈緒に対する感謝の気持ち、奈緒に対する負い目。
 この二つの気持ちを抱えたまま私たちは成長し、その二つは消えるどころか大きくなる一方。
 そして、それが極まったのが奈緒のHP――命を表す横線がモンスターの攻撃で削れたときでした。

 ――なんで私は座ってるんだろう。
 ――なんで私は動かないんだろう。
 ――なんで私は、奈緒に守ってもらってばっかりなんだろう。
 ――なんで私は……奈緒を守れないんだろう。

 その後、運良くキリュウさんに助けてもらった私たちでしたが、助かった安堵に顔を緩めつつも、私の心の中ではその問いが続いていました。






『お前たちは、どうしたいんだ?』

 キリュウさんの問いを聞いた私の頭の中には、今まで想っていたことから一つの言葉が現れていました。

「…………く、なり……いです……」
「え? レイア?」
「へ? 何て言ったッスか?」
「…………」

 いきなり小さい声で呟いた私に驚く二人。でも、キリュウさんはしっかりと私の目を見て私の《答え》を待っているようでした。
 だから私は、キリュウさんの瞳を見ながら、出来るだけ大きな声で、自分の意思を――自分の《決意》を、言いました。

「……強く、なりたい……です。……私はっ、強く……なりたいんですっ!」

 ――強くなりたい。奈緒を守れるくらい。一方的に奈緒に守ってもらわなくてもいいくらいに……。

 それが、私の今《したいこと》。もう、守られるばかりは嫌だったから。
 私の言葉にびっくりしたのか、口をぽかんと開けている二人。
 それはそうだと思う。自分でもこんなことを言うなんて、つい数時間前までは思ってもみなかったから。
 私は、言った後もキリュウさんの瞳から目を離しませんでした。

 ――まだ、言わなくてはいけないことがある。

 そう思ったから。






「……そうか」

 キリュウさんが、何かを考えるように目を瞑って呟きました。
 そして再びその瞳を開いたとき、今度は私だけに向かって言ってきました。

「……それで、どうするんだ?」
「え?」
「強くなりたい、という意思は解った。……それでお前は――どうやって強くなろうと思っているんだ?」
「……っ」

 一応、予想していた問いでした。でも、キリュウさんの真剣な瞳を見ながら聞いたら、つい怖気づいて 逃げ出してしまいそうになりました。
 こんな私が、強くなりたいと思ったこと自体、間違いだったんじゃないかって。間違いだって言われるんじゃないかって……。
 でも、ここで逃げたらいつまでも変わらない。変われないんです!
 なけなしの勇気を振り絞るために、私は膝の上の両手をぎゅっと握り締めました。
 そのとき――。

「――え……?」

 いつの間にか近くに来ていたネリーとチマが、私の手に自分の手を重ねてきました。
 それで驚いた私は、二人の顔を交互に見ました。
 二人は無言で私に笑いかけ、重ねた手に軽く力を入れました。

『頑張って』

 二人の笑顔とその手の暖かさから、その言葉が聞こえてきた気がしました。

 ――結局……助けられてるな。

 そう思いつつも、私の口は笑ってました。
 私は固く握り締めた手をほどき、今度は二人の手を握りしめて――キリュウさんに向けて、言いました。

「お願いします! 私に……私たちにっ、教えてくれませんか? 戦い方を……強くなる方法をっ……教えてくださいっ、お願いします!」

 頭は下げませんでした。
 その代わり、自分の想いが伝わるように、目を逸らさずに言いました。

「お願いしますっ!」
「お願いしますッス!」

 私の両隣で、私の言葉に続くように頭を下げるネリーとチマ。
 私は、震える心を二人の手を握り締めることで耐え、キリュウさんの言葉を待ちました。




  ◆




 ――意外……だったな。

 それが、俺の思った感想だった。
 その言葉を言ってくるかもしれないとは思っていた。
 だが実際に言ったの気の弱そうに見えるこの娘だったとは……。いや、寧ろだからこそ言ったのかもしれないのか。
 先ほどはこの三人のそれぞれの役割は確定しているように思ったが、それを由と思っていない者もいるということか。
 その考えは一旦置いておいて、俺はレイアの言った「強くなる方法を教えてください」という発言について考える。
 俺は最初、俺よりもこの三人の助けになるのに相応しい者がいるだろうと思い、三人を拒絶した。
 しかし、この三人は他の者に助けを求めるどころか、自分たちだけで戦おうとして窮地に陥った。
 それを見つけた俺は、最初に拒絶したにも関わらずに助けた。
 そして、己の行動の矛盾を嫌った俺は、三人に一つの問いをすることで最初からやり直そうとした。

 ――お前たちは、これからどうしたいのか?

 ここで三人が戦うことを諦める、もしくはまた自分たちだけで頑張ると言えば、俺は今夜にでも三人の目の前から消えるつもりだった。
 しかしレイアが、この子たち言ったのは――戦うことは諦めない。だけど自分たちだけでは無理だと解ったから、俺に戦い方を教えて欲しい。ということだった。
 言葉だけを見れば、なんとも都合の良い言い方だろう。
 自分たちの面倒を見てくれと言っているようなものなのだから。
 だが――レイアの、ルネリーの、そしてチマの顔を見ながら聞けば、そんな思いは一切しなかった。
 それに、俺はもう決めていた。
 もし、もしもこの三人がもう一度俺に助けを求めたのだとしたら――今度は受け入れようと。
 俺は人と話すのが苦手なだけで、別に人自体が苦手なわけではない。
 助けを求められれば、頼られているようで素直に嬉しいし、ちゃんと助けたいとも思う。
 最初に断ったのは、あくまで自分よりも相応しい者がいるだろうと思ったからだ。
 だけど、もう迷わない。
 三人には、俺がゲームを初めてとしている事はすでに言った。SAOの知識は全てマニュアルから得ているんだということも。
 それでも、この三人は俺に頼んできた。
 俺は、その期待に応えたいと――強く思った。

「…………解った。俺で良ければ……戦い方を教えよう」

 その言葉を言うとき、俺は何故か三人の顔をまともに見れず、目を瞑りながら言ってしまった。
 しかし、目を瞑っていても、三人の驚いた様子と、その後の嬉しがっている様子は――しっかりと、俺に届いていた。



[34210] 8.特訓開始、その前に
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 19:32
「あ、キリュウさん! おはようございます!」
「おっはよーございますッスー!」
「おはようございます」
「……ああ、おはよう」

 昨日、《はじまりの街》にある宿屋の一つ、《煙突亭》の二階に、俺とルネリー、レイア、チマの四人は泊まった。
 俺が泊まった一人部屋は、六畳ほどの部屋に簡素な机と外套掛け、そして俺一人寝るのがちょうどくらいのベッドがあった。
 厚みのない毛布と埃っぽい臭いに顔をしかめつつも、意外に疲れていたのかすぐに寝てしまった。
 いつもは目覚ましなんてかけなくても朝五時前には自然と起きている俺だが、今日起きて時間を確認したら六時半だったので少し驚いた。
 そのせいか、普段欠かさずにしている走り込みや素振りもする気になれず、一階の酒場に降りて来て、すでにカウンターの向こうで働いているらしい女性NPCに朝食を頼んだ。
 あの三人が一階に降りてきたのは、俺が朝食を食べ終わった頃だった。
 俺と同じメニューを三つ頼み、五分もしないうちに来たそれを三人は食べていた。



「……三人とも、食べながらで良いから聞いてくれ」

 俺は朝食を食べながら考えていたことを三人に話そうと思い、声を掛けた。

「はい?」
「んぐんぐ……ほむ?」
「……は、はい。なんでしょう?」

 三人が、視線を自分の朝食からこちらに向ける。

「……ああ、昨日の件についてだ」

 俺のその言葉で、三人は少しだけ緊張した顔をする。

「……昨日、お前たちは俺に戦い方を教えてくれと言ったな。……そして、俺はそれに了承した」
「は、はい」

 食べながらで良いと言ったのだが、三人とも食事を止めてしまっている。
 そういえば、前に二木に「お前の話し方は硬いんだよ! そんなんじゃこっちはビビッ……じゃなくて、緊張しちまうよ!」と言われたことがあったか。
 しかし、この喋り方以外に俺は知らないのだからしょうがない。

「だから考えた。……お前たちを、どうやって鍛えようかと」
「……っ」

 三人の唾を飲む音が聞こえる。

 ――む、この程度で緊張しているようではこの先が不安だが……。いや、それも俺に懸かっているということか。

 俺がこの先、三人に戦い方の指導をする。つまりは、この三人の師匠になることだと俺は認識している。
 師匠――祖父と同じ立場を経験するということに、俺は少しだけ高揚していた。勿論、全く同じことを教えるのではないというのは解ってはいるのだが。

「……とりあえず、今日の目標としては――お前たちに、一人であのイノシシを倒してもらう」
「…………へ?」
「…………は?」
「え…………」

 俺の言葉を聞いた三人は、普段の整った顔からは想像出来ないくらいな間抜けな顔をした後、同時に叫んだ。

「ええええええええ~~~~!?」






 食事を終えた俺たちは、煙突亭のすぐ右斜め向いにある雑貨屋に向かった。

「…………っしゃぃ」

 店の中に入った俺たちは、此処《雑貨屋ナウザス》の店主だと思われるNPCのやる気の無い挨拶で出迎えられた。
 入口から見て、店の奥の正面のカウンターに片肘つけて本を読みながら座っている偏屈そうなご老人のNPCが、ここの店主なのだろう。
 店内は一言で言えば、狭い。入口からカウンターまでの両脇に大きな棚がいくつも並んでいて、まるで一本の通路みたいだ。更に薄暗く、埃っぽい店内は少し怪しげな雰囲気を醸し出している。

「ほえー、年季を感じる店ッスねー」
「あ、このポーチ可愛いっ」
「ちょっと二人とも、ここに来たのは別の目的でしょ……」

 ルネリーとチマが珍しいものに飛びついて、レイアがそれを諌める。
 まだ会ってから一日しか経ってはいないが、俺にはその光景がすでに日常に思えてきていた。
 そんな三人を放置して、俺はNPCに話しかけた。

「……すまない。《回復ポーション》というものを買いたいのだが」

 俺たちはこれから街の外に出て、この三人にイノシシへ再戦させる。
 流石に最初は無傷で、とはいかないだろう。
 俺も一応は見ているとはいえ、治療手段はあるに越したことは無い。
 今後は自分だけではなく、この三人の命も守らなければならないのだ。こういう準備はちゃんとしておきたい。
 ちなみにこれはチマの提案だ。俺は、そんな物があるなんてことは頭から抜け落ちていた。

 ――普通なら、そんなにすぐに傷が癒えるわけが無い。

 そんな考えもあって、二木には聞いていたのだが俺はその存在を忘れていたようだ。
 まあ、チマ本人も今さっき思い出していたようだが……。
 そんなことを煙突亭の酒場で話していたら、近くを通ったウェイトレスNPCが、「回復ポーションならぁ、すぐそこのぉお店にありますよぉ」と教えてくれたのだ。
 そんな経緯もあって、俺たちはここに来ていた。
 
 店の中は乱雑としていた。様々な色のガラスの小瓶に入った液体。毛皮の小物にアクセサリー、お面に……土偶?
 このような中、四人とも見たこともないものを買うのだから、NPCに訊く方法が手っ取り早いと考えた。

「…………」

 NPCは、本から視線を外さずにカウンターを指でトントンと叩いた。

「……?」

 その行動の意味が解らず、俺はもう一度同じことを訊いた。

「……店主。回復ポーションを買いたいのだが?」

 今度は少し大きめに声を上げてみた。
 するとそのNPCは、横目でチラリと俺を見て、再び本に視線を落としながら、またカウンターを指でトントンと叩いた。

「……」

 ――もしかして……。
 俺はNPCの真似をしてカウンターを叩く。
 そうすると、俺の目の前に店の商品リストのウィンドウが現れる。

「…………」

 つまりコレを見て買えと、そうこのNPCは言っている、もとい示しているのか。

 ――随分ものぐさなNPCもいたものだな。

 顔をしかめてそう思いつつも、俺は商品リストを確認する。
 目当てである回復ポーションはすぐに見つけることはできた。リストの一番上にあるのだから、どれほど需要があるのかも分かるというものだ。
 俺は回復ポーションの説明を見た。

 《回復ポーション》:Fランク HPを毎秒5ポイント回復。効果は六十秒間。金額30コル。

 ――毎秒5ポイントで六十秒、ということは最大で300ポイントの回復か。

 確か今の俺のHPが342ポイント。これ一瓶では全快にはならないのか。いや、そこまで減らさなければいいだけの話だな。
 む、再使用までの《クールタイム》というものもあるのか。このポーションは一回使用すると、三分間のクールタイムを置かないと再使用が出来ない、ということか。
 だが、これは今は気にする必要はないな。何本も連続で使用することが現状であるとも思えない。
 数は一応全員に一つずつとして四つ、120コルか。
 代金はとりあえず俺が出しておこう。……何というか、流石にこういうものは自分で出させたほうがいいのかもしれないが、こちらから切り出すのが難しい。
 こういうとき、あまり他人と話をしていなかったことが悔やまれる。SAOに対話スキルとかあっただろうか。
 いやしかし、今は俺はこの三人の師匠役だ。単なる見栄かもしれんが、言われるまでは黙っておくことにしよう。
 俺は小さく溜め息を吐きながら、購入ボタンを押そうとした。

「……む」

 押そうとした購入ボタンのすぐ横に売却ボタンを見つけた。
 そのことで、昨日倒したモンスターから手に入れたアイテムのことを思い出す。
 モンスターが落とすアイテムは、一部を除いてほとんどは何かの生産に使えるらしい。しかし、レベルが低いうちは扱えるスキルも少ないし、熟練度も高くないのでほとんど必要無いという。
 故に、基本低レベルではモンスターから得たアイテムは売ってお金にするのだと二木は言っていた。
 俺は回復ポーションを買う前に、売却ボタンを押した。
 手元に別ウィンドウが現れ、そこには俺の所持アイテムの一覧が書かれていた。
 昨日の戦利品《フレンジーボアの革》×5、《フレンジーボアの牙》×2、《フレンジーボアの肉》×2、《メドウワームの体液》×3。
 俺はそれら全てを選択し売却した後、回復ポーションを四つ買った。

 ――所持残金は、314コルか。

 もう少し回復ポーションを買っておこうか迷ったが、止めておいた。
 何事も適度に、だ。買った分以上の回復ポーションを使うことになる状況は避けるべきだ。
 命が懸かっている状況なのだ。準備を十二分にすることも大事だが、余計な危険を回避させることを第一と考えよう。

「……三人とも、買うものは買った。……行くぞ」

 俺は未だ珍しい商品に釘付けになっている三人に声をかけて雑貨屋を出た。

「え、あ、はいっ」
「ま、待って下さいッス!」

 三人は慌てて俺を追いかけてきていた。いつの間にかこの構図が定着してきている気がする。





 そうして俺たちは、ここから一番近い外への門、北西ゲートに向かっていた。

「あ、あの~。ほ、ほんとに一人で倒すんスか? むしろ倒せるんスか?」

 俺の顔を覗き込むようにチマが訊いてきた。

「……問題ない。煙突亭でも言ったが、昨日は時間も時間だったから周囲が暗く、そのせいもあって初めて見たモンスターに強く萎縮してしまったのだろう。今日はまだ九時にもなっていないが、すでに辺りは十分に明るい。今度は相手をよく見ることが出来る。……それに、もし危なくなったとしたら俺がすぐに助けに入る」
「キリュウさん……」

 そう。俺が三人に最初に行おうと思ったのは、モンスターと対峙することに慣れさせるということだ。
 昨日の件で、恐らく三人ともモンスターに対して苦手意識が植え付けられているだろう。
 しかし、この先に進むのだとしたら、それは最初に排除しておかなければならないものだ。
 冷静に対処すれば、あの程度のモンスターなら怖いことは無い。まずはそれを知ってもらう。
 死の危険に対する《恐れ》というのは確かに大切な感情でもある。これがあればこそ、人は危険を回避することが出来る。
 しかし、《怯え》はいけない。それは緊張をもたらし、緊張は体を強張らせて動きを妨げる。
この《恐れ》と《怯え》のさじ加減が難しいところだが、しばらくは俺自身が三人を見守ることで調和をとるとしよう。
 五分ほど歩いて見えてきた巨大なゲートを潜り、俺たちは街の外へと出た。



「わぁ――っ!」
「すっっっごいッスね~」
「うん、夜のときとは別の場所みたいだね……」

 三人は、明るい街を外を改めて見て感嘆していた。かく言う俺もちゃんと見るのは初めてなのだが。
 昨日は暗くてよく見えなかったが、日の光に照らされたこの風景は確かに思わず感嘆してしまうほどだった。
 ゲートから太く伸びている一本の土色の街道。その街道は段差のある丘のせいか、数百メートル先からはぐねぐねと曲がっているように見える。
 そして、その街道の両脇には、はじまりの町をぐるっと囲うようにある広大な草原。草原の向こうに見えるは緩い山脈や深い森林。
 更に遠くには一層と二層に挟まれた青空が見えた。
 どこか新鮮さを感じる冷たい風に乗って飛んでいく草の葉や花びらが、頬をかすめる。
 あの森の先には何があるのだろうか、あの山の先には何かがあるのではないか、あの空の先へ行ってみたい。そう思わせるような光景だった。
 そんな光景に魂が抜けかかっている三人に俺は声をかけた。

「……では、特訓を開始するぞ」
「ほえ?」
「あ、は、はいッス!」
「……お、お願いしますっ」

 俺は三人の前に立って、これからすることをもう一度改めて説明した。




「……という訳で、お前たちには一人ずつイノシシと戦ってもらう。……三人とも、自分の武器を持て」

 その言葉で初期装備の《スモールソード》を各々装備する三人。俺も今回は三人と同じようにスモールソードを装備した。
 片手で何回か振って感触を確かめてから、俺は三人に向いて言った。

「……とりあえず、準備運動がてらその場で素振りをしてみてくれ」
「す、素振り……ですか?」

 肩透かしを食らったような顔をする三人。しかし、これを欠かすことは出来ない。

「そうだ。昨日、俺はお前たちの戦いを少し見た。ルネリーはまだマシな方だったが、それでも三人とも武器の扱いが下手過ぎる」
「うっ……」
「耳が痛いッスねぇ……」
「……あぅ」

 三人は昨日の自分を思い出しているのか、各々微妙な顔をしながら素振りを始めた。
 プレイヤーが初期装備として持っている《スモールソード》は、一番最初の武器だけあってレベル1の身体能力でも軽々に振れる。
 しかし、それでも武器ではあるので重さはちゃんとある。心得の無いものが振れば剣の重みと勢いで体が前につんのめってしまうだろう。
 武器を振るときに大事なのは《踏み込み》だ。踏み込みは相手に近づくだけではなく、武器を振ることによって生まれる勢いを止めてくれる支えでもある。
 踏み込みの仕方や重心の位置を変えることによって、次の攻撃へ繋ぐことも、逆に攻撃をしてからすぐに相手から距離をとることも容易となる。
 そのことを三人に説明しつつ、俺は素振りの仕方と踏み込みの種類をいくつか教えた。



 その後、一時間ほどで三人の動きは見違えるほど良くなった。
 ルネリーやチマは元々運動神経が良い方らしく、俺の言ったことは手本を見せればすぐに吸収していった。
 現実では運動が苦手だというレイアは最初は苦労していたようだったが、二人とは逆に論理的な指導をしてやれば、頭の良いレイアはすぐに理解して、動きも良くなっていった。
 つい忘れそうになるが、このSAOの世界では最初は誰もがレベル1で、同じ身体能力を持っているのだ。
 俺も、ルネリーも、チマも、そしてレイアも。
 理論上では、周りの誰かに出来ることは時間を掛ければ誰にでも出来るということになる。……あくまでも理論上では、だが。

「キリュウさん! 次は何をするんですか?」
「なんか、初めは素振りって聞いてエ~とか思ってたんスけど……実際にちゃんと剣を振れるようになるって、結構感動するッスね」
「……うん。私、自分がこんな風に動けるなんて思ってもみなかったよ」

 三人は、自身の上達を確かに感じているようだ。それはそれで良い。それは自信となり、敵と対峙するときの勇気となる。
 自信が過信となる場合もあるにはあるが、今は三人に再びモンスターと対峙させ、ちゃんと自分の力で戦わせることが大事なのだ。
 昨日の恐怖を少しでも振り切れるだけの《勇気》に、その自信がなってくれれば良いと俺は思った。





 そうして基本が出来てきた三人に、今度はイノシシとの実戦の手本を見せることにした。
 先ほどイノシシを発見したときは三人とも顔を強張らせていたが、俺が「……よく見ると滑稽な顔をしているな」と明るい所で改めて見たイノシシの感想を呟いたら、いきなり噴き出して大笑いをしだした。 その後はもう先ほどの強張りはなくなっているように見えた。
 特に狙ったわけでは無いのだが、緊張が少しでも解けたなら由としよう。
 そして俺は、三人に話を切り出した。

「……お前たちが実際に戦う前に、俺が一度あのイノシシとの戦いを見せる。……よく相手の動きを見て、自分が戦うときのイメージを固めておくように」

 神妙な顔で頷いた三人に背を向け、俺はすぐ近くを暢気に歩いているイノシシに背後から斬りかかった。

「ぴぎーっ!」

 イノシシは長めに一鳴きして距離をとり、いつも通りの突進を仕掛けてきた。
 このイノシシは、突進の方向を変えるのに必ずその場で止まってから方向転換をするか、または飛行機のように動きながら大きく旋回することで進行方向を変えるようだ。
 俺は、イノシシの突進を斜め前に跳躍して移動することで避け、イノシシが止まってこちらに方向転換をしている隙に、首筋目掛けて側面から袈裟斬りを食らわせた。
 このとき、先ほど三人に教えた素振りと踏み込みを意識して、三人が自分の戦いを上手くイメージ出来る様に攻撃をする。
 イノシシが止まっているときには背後からの連続攻撃。走っている最中ではヒットアンドアウェイのように一撃離脱。
 そうして十回ほど攻撃しただろうか。最後に正面から鼻っ面に刺突を食らわせることで、イノシシは爆散、光滅した。
 俺は胸の前で剣を水平に構えた残心を解き、三人に振り返った。

「ほ……え~……」
「な、なんか、すごく簡単に倒しちゃったんスけど……」
「……う、うん」

 三人娘は口を開いて呆然としていた。
 だがこれで、自分たちにも簡単にイノシシは倒せるのだと理解してもらえたと思う。俺のHPは全く減ってはいないのだし。
 今回の戦いで俺が使った動きは、先ほど三人に教えて全員がちゃんと使えると確認した動きだけだった。
 俺の言ったことをちゃんと考えて、戦いのイメージを思い描くことが出来ればそうそう難しいことはない。


「……さて、自分たちが戦うイメージは出来たか? 今度は、お前たちの番だ」


 俺は、覚悟を決めろという意味合いも含めて、三人に言った。



[34210] 9.愚者の思考
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 19:37
 ――おおう、ついにこのときが来てしまったーって感じッス……。

 この《SAO(ソードアート・オンライン)》の世界に来てから、なんでこんなことになったんだろう、という考えは不思議としなかった。
 SAOにわたしを誘った奈緒を恨むなんてことはしなかったし、あの茅場って人の言葉も『信じられない』っていう思いが先行して、あの人を憎いって思うことも無かった。
 キリュウさんの言葉をあのとき聞いて、これは夢じゃないんだってことは解ったけど、それでも夢のような出来事が多すぎて、わたしは本当の意味でこの状況を理解してないんだろうなぁと他人事のように思っていた。
 初めてのモンスターとの戦いも、その場ではすっごく怖かったけど、のど元過ぎればって感じだった。

 でも、あの二人は違った。ネリーもレイアも初のモンスター戦で相当に心にダメージを受けたみたいだった。
 酒場での食事では普通に振舞っているようだったけど、キリュウさんの突っ込みにはかなり動揺しているみたいだったし……。





 奈緒と美緒。二人とは小学一年生からの付き合いの幼馴染だ。
 わたしの名前《佳奈美》に二人の名前の一字が入っているというそれだけの理由で仲良くなり、今までずっと遊んできて、お互いを普通に親友と呼べる仲になっていった。
 二人の好きなもの、嫌いなものは把握してるし、逆もしかりだ。
 まあ、誰だって内緒というものはあるだろうから、二人について知らないことあっても、二人が感じてることはいつでも共感出来ると、そう思っていた。
 でも違った。二人が感じていることを、今わたしは共感できていないように思う。
 わたしは自分のキャラというか性格というか、それを理解していると思ってる。自分にシリアスが似合わないことなんて何年も前から知ってた。
 だったら逆に騒いでやろう。シリアスを吹き飛ばしてやろう。そんなことを考えて行動してるうちに、いつの間にかシリアスが長続きしないようになっていった。
 怖いと思うこともある。憎いと思うことだってある。でも、寝るか食うかすれば何でもすぐにどうでもよくなってしまう。
 きっとわたしは楽を求めてしまうんだと思う。シリアスは疲れるから。
 でも、それでもわたしだって譲りたく無いものがある。
 それは奈緒と美緒のことだ。二人は今、何かを決心している。そんな雰囲気を感じる。

 だけどわたしはどうなのだろう。
 この二人みたいに何かを決心するような熱くなれるものは、はっきり言ってこの状況に感じてない。感じることができなかった。
 でも、でもさ。それでも二人に置いてかれるようなのは嫌だったからさ。
 いつもふざけていたわたしだけど、少しだけ真剣(マジ)になってみようと思った。

「はいッス! キリュウさん!」

 わたしはピンと背筋を伸ばして手を挙げた。

「……どうした?」

 普通に知らない人が見たら睨んでるような目つきで訊いて来るキリュウさん。
 でもあれが素なんだと解ってから、もう全然怖くなくなった。むしろ……いや、ナンデモナイデス。

「はい! わたしが一番最初に戦うッス!」
「え!?」
「ち、チマ?」

 ――ふっふっふ、驚くのはまだ早いッスよ、お二人さん。

 これからわたしの本気を見せてあげるんスから!







 と、思っていた時代がわたしにもありましたー。

「ギャ――――ッス!!」

 いや待って。ホント待って。これを一人はマジ怖いって!
 正直、昨日は逃げ回ったり、石をぶつけて挑発したりしただけで、ちゃんとコイツと対峙するってのは初めてなのだった。
 いや最初はね、キリュウさんのやってた通りに軽やかに動いてシュパッって感じで攻撃するイメージをちゃんとしてたんだよ。
 でもさ、でもね、イノシシが走ってくると、ドドドドドっていう段々地鳴りが大きくなっていく感じがさ、こうなんていうかな、恐怖を駆り立てるっていうかさ、そんな感じで何でか知らないけど動けなくなるんだよね。

「――チマッ!!」
「……っ!」

 不意に聞こえた、大気が震えるようなほどの大きな声に、気付けばわたしの体は動いていた。
 突進してきたイノシシの横に滑るように移動した、移動できたわたし。
 さっきまで全然動けなかったのに。

 ――今の声って……キリュウさん、ッスよね?

 初めて聞くキリュウさんの大声。さっきから応援してくれているネリーとレイアよりも大きな声だった。
 イノシシと距離が出来た私は少しだけ、離れた場所にいるキリュウさんたちの方を見る。

「……チマ。冷静に相手を観察すれば怖くはない。……冷静に、冷静にだ」
「チマー! 頑張れー!」
「頑張って!」

 3人の声援を受けるわたし。でも何故かわたしの頭の中には「冷静に、冷静に」というキリュウさんの 言葉だけが深く浸透してきていた。

 ――冷静に、冷静にだ。

 少し視界がクリアになったような、重かった体が軽くなったような、そんな感覚。

「……あ」

 自分の変化に驚いていたわたしは、再びこっちに向かってくるイノシシを確認した。
 何でだろうか、イノシシの動きがさっきよりも遅く感じる。
 いや、違う。わたしがしっかりとイノシシを見てるからゆっくりに感じるんだ。

 ――これならイケルかもしれない。

 わたしはイノシシの突進を左に移動することで避け、横を駆け抜けようとするイノシシの勢いを利用して、イノシシの側面を剣で擦るように切った。
 そして、振り返ってイノシシの頭の上にあるHPバーを見ると、それは確かに減っていることが解った。

「……ふ……ふふ、ふふふふふ」

 向こうの攻撃は当たってない。でもこっちの攻撃は当たった。
 それさえ頭で解ってしまったら後は楽だった。
 避けて切って、避けて切って。
 キリュウさんに教えてもらった踏み込みをいくつか試したりする余裕も出来た。

「うおーりゃ~~ッス!!」

 そして、ついにイノシシを倒すことができた。
 昨日今日とわたしたちを苦しめたあのコンチキショウは、わたし自身の手によって光の粒に変えてやった。
 爆発して光の粒になったとき、なんてあっけない消え方なんだって思った。
 わたしの視界の隅で、イノシシを倒したことで取得した経験値が数秒表示されて薄れるように消えた。

「わ、たし……自分で、倒せたんスよね……? あの、イノシシを……」

 何かが自分の足元から込み上げて来て、そのままバーンて弾けそうな、そんな感じ。

「……ぁ……ゃ……った……」

 声を出したいのに喉で詰まって、もうちょっとで出そうな、そんな感じ。

「……ゃっ…た。……やった……やったっ」

 SAO(ここ)に来て、色んなことがあって、それで溜め込んだ何かを全部吐き出すように、わたしは叫んだ。

「やっ…………た――――――ッス~~~~っ!!!!」

 我を忘れて叫びまくったわたし。後で聞いたら二、三分は叫び通しだったって言われた……ちと恥ずかしいッス。



 その後、我を取り戻したわたしは、戦闘中に調子に乗ってしまったこと――攻撃しながら高笑いとか、イノシシの突進をバレリーナスピン避けとか――をゲンコツ付きでキリュウさんに怒られました。はい、すみませんでしたッス。
 うーむ。すごく強いと思ってた相手が、実は物すんごく弱いと気付いたら、なんかつい調子に乗っちゃうんだよね。
 お前みたいなザコにビビッてたわたしは何だったんスか~オラオラオラ~、みたいなさ。

「……ふぅ」

 今はネリーがイノシシと戦ってる。
 ネリーは昨日も一人だけちゃんと戦えてたように見えたし、今だってキリュウさんの教えてくれ通りに無難に戦ってる。
 ちなみに戦った順番は、わたし、レイア、ネリーだ。レイアはすでに戦いは終わっている。
 何というか、叫んだりとかはしてなかったんだけど、レイアの戦い方はどこか鬼気迫ってるというか、そんな感じがした。
 別に無理矢理攻撃を当てに行ってるってわけでもなく、ちゃんとキリュウさんの言いつけは守ってるんだけど……それでも、自分の魂を削ってるような、そんなちょっと怖い風に見えた。
 キリュウさんもわたしと同じ感想だったみたいで、レイアが戦い終わった後になんか話をしてた。

「…………」

 キリュウさんって不思議な人だと思う。
 触ったら切れてしまうような雰囲気を纏っているように見えて、ゲーム内での自己紹介でうっかりリアルの名前を言っちゃうこともあるし。
 ゲームが初めてだって言いながら、全然戸惑ったところを見ないし。いつも堂々としているように見える。
 多分、キリュウさんがいなかったら、私たちは三人ともちゃんと戦えなかったんじゃないかな、って思う。
 だって、昨日は本当に怖かった。
 食べて寝れば嫌なことはすぐに忘れてしまうわたしだけど、もう一度戦うなんてことになればそのときの恐怖は蘇って来る。
 でも、戦えた。
 わたしだけじゃなくてネリーも、昨日動けなかったレイアさえも。
 なんていうか安心感があるんだと思う。キリュウさんが大丈夫って言えば大丈夫と思っちゃうし、冷静にって言えば冷静になっちゃう。

 ――あ~、やばいなぁ。やばいんスよねー。

 あの茅場って人が、わたし達の顔とか体とかを現実のものにしたみたいなんだけど、髪とか瞳とかの色は変わってなかった。
 わたしはそのままの茶髪だけど、ネリーもレイアも現実での髪は金でも銀でもない。
 きっと、キリュウさんの青い髪と瞳もゲーム内だけのものなんだろうけど……あの顔で、あの青い瞳で見つめられると、なんかヤバイ。すっごくヤバイ。
 声を聞くと安心。でも瞳を見るとドキバク。わけ解らんです、はい。
 まあでもねー、あの双子ちゃんたちもきっとやられてるんだよねー。
 ネリーなんか最初っからやられてるし。
 レイアも、あの子が歳の近い男の人とちゃんと喋ったのなんてかなり珍しい。幼馴染のわたしが言うんだから間違いない。
 でもなー。ネリーは精神的に子供過ぎだし。レイアは遠慮しぃだし。わたしは……だし?
 てか、そんなことを考えてる余裕がある状況でもないのか。
 はぁー、わたしってホントしょうがない奴だよねー。ホント、わたしって《愚か者》だ。

「キリュウさーん! あたし、やりましたー!」

 あ、ネリーがイノシシを倒したみたいだ。
 すっごいはしゃいでる。まあ、わたしもだったんだけどね。
 ってあああ、キリュウさんに抱きついて……うーん、子供はいいッスなぁ無邪気で、うぅ。
 だけど、これでわたしたち三人、あのイノシシにリベンジ出来たんだなぁ。正直、こんなにあっさり行くなんて思わなかったけど。
 きっと、ネリーもレイアも同じことを考えてると思う。

「――チマ~! まだ日も高いから、もっと戦いの経験を積むってよ~!」

 おっと、少し離れた所からネリーが呼んでる。ぼーっとしすぎてしまったみたいだ。

「わかったッスー!」

 わたしは両手を振ってネリーに応えて、小走りでみんなの所に向かった。





 三人だけだと無理だけど、キリュウさんが近くにいてくれればちゃんとわたしたちでも戦えるってことが解った。
 キリュウさんとわたしたちの関係については一旦置いておくとする。これ以上考えるのは危険だと思うし。
 でも、なんか良い方に向かってる気はする。
 現実に戻れなくて絶体絶命、って思ったけど、キリュウさんとの出会いで希望が見えてきたと思う。
 わたしはにやけようとする口を、逆に思いっきり笑顔をすることで誤魔化し、三人の下で立ち止まった。

「もう、チマ。何してたの?」
「ゴメンごめんッス。つい――」


 ――あ。


 プツン……って音が聞こえた。


 ザーザー……だったかもしれない。


 でも、どれでも同じだ。


 だって、わたしの目の前が真っ暗になってしまったことに、変わりは無いのだから。




[34210] 10.本当のGAME START
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 19:44
「……チマが…………消えた?」

 ほんの一瞬の出来事だった。
 俺たちから少し離れた位置にいたチマが、こちらに小走りで走ってきて立ち止まったと思ったら、いきなり時間が止まったかのように会話の最中に動きが凍りつき、一瞬だけブレて薄れるように消えていった。

「……え? ……ち、チマ?」
「え? あ、え?」

 ルネリーとレイアは何が起こったのか解らない、というような顔をしている。
 いや、それは俺もだ。

 ――何だ? 何故チマは消えた? 何が原因でこの場から居なくなった?

「き、キリュウさん……っ」

 ルネリーがすがる様な瞳を俺に向けてくる。
 その様子を見て少しだけ我に返ることが出来た。

 ――そうだ。俺は今、三人の師匠なのだ。ここで俺がうろたえる訳にはいかない。

 そう思い改め、俺はルネリーに声をかける。

「……落ち着け。ルネリー」
「で、でもっ……チマが、か、佳奈美が、消え……っ」

 ルネリーの体と声が震えている。
 恐らく最悪の事態の想像をしているのだろう。

「落ち着けっ……まだそうと決まったわけではない」
「……で、でも……でもっ」

 ルネリーは少し錯乱しているようだ。声は震え、既に瞳に雫が溜っている。
 気持ちは解らないでもない。俺でさえ、かなりキているのだから……。
 ルネリーがこうなのだから、レイアはどうなのだろうか。
 俺はレイアに視線を移動させた。

「ね、ネリー……き、きっと大丈夫だよ」

 だが意外にもレイアは気丈な所を見せていた。……それでも足は震えているようだが。
 恐らくレイアもルネリーを――自分よりも取り乱している者を見ることによって一応の平静を保ってるんだろう。
 俺は再びルネリーに視線を戻した。

 ――その時だった。

「ネ……奈緒。だ、大丈夫だよ。きっと、きっと大丈夫だか――」

 不意にレイアの声が途切れた。
 俺も、そしてルネリーも、嫌な予感に導かれてレイアの方を見る。

「…………あ」

 俺たちが見たものは、ちょうど消えゆこうとしているレイアだった。

「み、美緒―――ッ!!」

 ルネリーが叫びながら手を伸ばす。
 しかし、伸ばした腕の先には、もう誰もいなくなっていた。

「……あぁ……あ、あああっ……ああ、あああああああ!!」

 ルネリーは虚空を抱きしめて叫び声を上げた。
 俺は、今の一連の出来事を唖然と見ているしか出来なかった。

 ――何だ……どうなっている!?

 待て、考えろ。思考を止めることはいけないと祖父にずっと言われてきたではないか。

「……ルネリー、落ち着け。……落ち着いて考えるんだ」

 俺はしゃがみこむルネリーの肩に手を置き、同じようにしゃがみ込んで彼女の瞳を覗き込んだ。

「あ、ああっ……キ、キリュウ……さん? ……美緒が、美緒がぁ!!」

 ルネリーは俺をその瞳に映すと、俺の胸の服を力いっぱい掴んできて、訴えるように声を上げた。
 俺はそんなルネリーの肩に置いた手に少しだけ力を籠め、出来るだけ冷静に声をかける。

「……ルネリー、よく考えろ。この仮想世界でアバターが消える理由は一つだけではない」

 そうだ、この世界で仮想体(アバター)がいきなり消える理由は恐らく四つ。
 一つはHPがゼロになった場合。しかし、これは今消えた二人には当てはまらない。そもそもイノシシとの戦いでは三人ともほとんどHPは減らさずに勝てていた。そして、見ていた限り攻撃された形跡も無かった。故にこれは除外できる。

 二つ目は親族が《ナーヴギア》を外してしまった場合。この可能性も無くはないわけでもないが、昨日から一日経ったこの中途半端な時間にそんなことをする人間がいるとも思えない。故にこれは保留とする。

 三つ目は、これが一番理由としては可能性が高い。昨日、茅場が言っていた二時間の回線切断猶予を使っての病院などへの移設だ。だが、これなのだとすると一つ疑問が出てきてしまう。そして、その疑問を突き詰めていくと、これからまた《あること》が起きるという予想ができる。

「き、キリュウさ――」
「ルネ……ルネリー!!」

 突如、俺の腕の中でルネリーが凍りつき、瞳の光が消える。
 そして、先の二人と同じように薄れるように消えていった。

「ぐ……ぅ」

 ぐつぐつと何かがこみ上げてくるのを感じる。
 呼吸が異常に速くなる。
 待て、落ち着け。落ち着くんだ。まず、俺が落ち着かなくてはいけない。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハッ…………ハァァァ……」

 深呼吸、良し。

 ――落ち着いたか?
 ――少しは……。

 自問自答を行い、少しずつ気持ちを落ち着けさせる。
 一応、この可能性は考えていたはずだ。
 今の一連の出来事が三つ目の理由だとして、レイアが消えたらルネリーも消える。それは予想出来ていたことだ。
 二人は双子だと言っていた。だとしたら家も、ログインした場所もほぼ同じと考えていいだろう。
 その予想が正しければ、二人が一緒に移設されると考えれば、ほぼ同時に消えたことには納得がいく。

 ――ならば、チマはどうなんだ? 三人が友人とは言っていたが、チマが俺みたいに友達のルネリーたちの家でログインしている可能性は?

 解らない。だが、普通に考えれば自分の家からのログインではないのだろうか。
 でもだとしたら三人がほぼ同時に消えたのは何故だ?
 三人が消えた間隔は五分と無かった。こんなことがありえるのか?
 もし、ありえるのだとしたら、四つ目の理由も検討しなければならない。
 四つ目、それは外部からの救助だ。ありえないと思っていた外部からの救助と考えれば別々の場所からログインしたはずの三人がほぼ同時にSAOから居なくなるということにも一番納得がいく。
 しかし、これには証拠が足りない。この場には、《はじまり街》の外には俺たちしかいなかった。そして今は周りを見ても俺しかいない。
 この理由の正当性を確かめるには、一旦街に戻って確かめた方がいいだろうか。
 だが、もしも三人が戻ってくるとしたら、猶予時間である二時間以内には戻ってくるということになる。
 そうした場合を考えると、俺はこの場に――

「――!」

 突如、世界は暗転する。








 ――これ、は……。

 俺を取り巻く世界が、俺だけを残して暗闇に染まったかのような……。
 周りの情景や足場がガラスのように砕け散り、無重力の暗黒にいきなり放り出されたかのような……。

 ――これが……《死》、なのか……。

 解らない。
 死ぬなんてことを経験したことはないのだから解る訳がない。
 しかし、これは先ほど考えた外部からの救助ではないのだとは思う。
 体が闇色に染まり、手や足が動いているのかも解らないこの状態が救いなのだとは到底思えない。

 ――ならばやはり、これは回線切断状態なのか?
 ――今、俺の体は二木の家から移設されている最中ということなのか?
 ――だとしたら、何故このタイミングで?
 ――双子のルネリーとレイアだけならまだしも、別々の場所からログインしている俺やチマまでほぼ同時にこうなった訳は?

 ここでは何も解らない。何も出来ない。
 混乱する俺の頭に、更に師匠のあの言葉が再び響く。

 ――まず、己の目で、耳で、肌で、全てで感じたものを、そのままに心に受け入れるのだ。
 ――そして、それに対して自分に何が出来るのか、それを考える。そう、考えることが大事なのだ。思考を止めてはいかん。

 待ってくれ師匠。ここでは俺は何も出来ない。何もすることは出来ないんだ!
 何も出来ないということを受け入れればいいというのか?
 しかし、それでは思考する意味が無くなる。思考した結論を実行して結果を出すということが、この教えの目的ではないのか?
 解らない。何も解らない。
 これが本当に介護施設までの移送のための回線切断だということも解らない。
 あの三人が本当に今の俺と同じ状態だということも、解らない。

『コノママ、俺ハ死ヌノカモシレナイ』

 俺の思考が、そんな結論を生み出す。
 何故なら俺は何も出来ないから。何故なら俺は何にも抗えないから。何故なら俺は何をも残せないから。
 下向きな考えしか浮かばない。上向きな考えを出せる理由がどこにも無い。
 心が弱くなる。精神が磨り減る。自信が無くなる。
 俺は、今のそんな感情に一つだけ心当たりがあった。
 それは、祖父と対峙していたときにしか感じなかった感情。祖父以外では感じなかった感情。

 《恐怖》。

 俺は今、この状況に恐怖している。
 自分が何も出来ずに死ぬかもしれないという状況に恐怖している。
 あの三人に、祖父が一番怖いからそれ以外は怖くは感じないと言ったくせに、確かに恐怖している。

 ――情け無い。

 そして、悔しい。
 今まで全てを犠牲にして鍛えてきたこの身体は何の為だったのか?
 祖父の容赦の無い攻撃を避ける為に培ったこの洞察力にもう意味は無いのか?
 あの三人にも、まだほとんど教えることも助けることも出来ていないというのに!

「俺は――何の為に生きてきたというんだ!?」

 自分の腕さえも見えない暗黒の中で、俺は叫んだ。
 もしかしたら此処には意識だけしかなくて、口すらなかったのかもしれないが、それでも俺は思い切り叫んだ。

「俺は……生きたい! 生きていたいんだっ――」

 最後に大きく叫んだとき、俺は光に包まれた。









「キリュウさん!」
「――!]

 次に俺の視界に入ってきたものは、先ほどと同じ場所。はじまりの街の外周にある草原だった。
 俺はそこに、意識が消える前と同じく、直立姿勢で立っていた。

「ああ、よかった。みんな戻ってくることが出来て……」

 ――レイアの、声……? みんな?

 俺は視線を少し下げる。

「……あ」

 そこには、ルネリー、レイア、そしてチマ、三人がいた。

「……お前たち、俺も……戻って、来れたのか……」

 無意識にそんな言葉が俺の口から漏れた。
 俺の言葉を聞いた三人は、一瞬きょとんとした顔をして、三人とも涙を溜めた瞳で笑って言った。

「はい! 帰って来れました!」
「もう、すっごくビビったッスよ~。いきなり視界が暗くなって……で、戻ってこれたと思ったら誰もいなかったッスし!」
「うん。……それにキリュウさんは特に時間がかかっていた見たいで、すごく心配しました」

 その三人の笑顔を見たとき、俺は確かに安堵していた。
 そして、その安堵感が先ほどの恐怖をはっきりとさせる。
 確かに俺はあのとき恐怖していた。
 何も出来ない自分に、三人を助けられない自分に、今までの鍛錬が無に帰すかもしれない状況に。

「…………っ」

 故に、俺は認めよう。このゲームを甘く見ていたということに。
 認めよう。この世界を甘く見ていたということに。
 認めよう。俺は強くなんてなかった。誰かの意思で、簡単に無力になってしまうんだということを。
 認めよう。俺は祖父以外にも恐怖する、してしまうんだということを。
 俺は、自分で思っているよりも弱かった。弱いと再確認させられた。
 だが、一つだけ認められないものがある。
 それは――俺がこのまま弱い自分で居続けるということだ。
 それだけは、絶対に認める訳にはいかない。
 俺は強くなる。あの無力感を二度と味わう事がないように。
 だから俺は、改めて決意した。この現実(ゲーム)を、絶対にクリアするということを……。
 そうすれば、あのとき感じた恐怖を克服することが出来ると、そう信じた。信じ込んだんだ。

「…………」

 でも今は、今だけはそれは置いておくことにする。

「……ルネリー、レイア、チマ」
「は、はい」
「なんスか?」
「ど、どうしました」

 俺は三人を抱きしめるように腕を回した。

「ほえぇ!?」
「な、な、な、何事ッスかっ!?」
「~~~~っ!?」

 俺の腕の中で体を強張らせる三人。
 当然だろう。いきなり昨日知り合ったばかりの男にこんなことをされているのだから。
 でも、俺はどうしてもこうしたかった。伝えたいことがあったから。
 恐らく小さすぎて聞こえないかもしれないから、なるべく近くで聞いて欲しかった。

「…………三人、とも……生きていてくれて……ありがとう……っ」

 あの暗闇から帰ってきたとき、俺は確かにこの三人に救われた。三人が生きていてくれたことが嬉しかった。その気持ちを、三人に伝えたかったんだ。
 このとき俺は、かすれた声しか出せなかった。
 だが、三人にはちゃんと届いてくれたようで、俺たちはしばらく四人で無言で寄り添っていた。








 それから五日が経った。
 あの後、俺は三人に今後は本格的にSAO攻略に出たいという旨を話した。
 三人は俺に付いて来たいと言ってくれた。
 俺は、この三人を必要以上の危険に付き合わせることに拒否感があったが、攻略を行いたいという自分の想いと、三人の助けになるという決意を合わせて考えた結果、一緒に行くということになった。
 そうして街を出ることを決めた俺たちは、その日から一週間を準備期間として、はじまりの街を出発するための準備に取り掛かった。
 準備期間中、朝六時から午後三時までを街の周辺での経験値稼ぎに当て、残りを自由時間として各自で旅の準備をしたり、街の情報収集に努めた。
 そのお陰もあって五日経った現在では、ルネリーたち三人は全員レベル4に上がっていた。
 その上更に、三人は俺も驚くほどの成長をしていたのだった。

 それを知ったのは準備期間三日目の正午のことだった。
 いつものように街の外周の草原での経験値稼ぎと戦い方の指導の最中、俺はふと思い出したことを三人に聞いてみた。

「……そういえば、お前たちはスキルスロットはもう埋めたのか?」

 この三日間、俺はこの三人に戦い方をずっと教えて来たが、ゲーム的なことを話したことは無かった。
 今まで忘れていたが、このSAOというゲームを本気で攻略するとすれば、そういう部分にも慣れなければいけないだろう。
 そこは俺の準備期間中の課題とも言える。

「スキルですか? ああ、それならちょっと前に三人で話し合って決めました」
「あれ? ネリー、あなたがキリュウさんに話しておくって言ってなかったっけ?」
「え? …………ああっ」
「…………」

 話を聞くと、以前俺のスキルスロットの話をした後、寝る前に部屋で三人話し合ったらしい。
 これから俺たちは四人で街の外に出る。……三人は《冒険》と言っていたが。
 三人が話し合ったのは、その冒険で必要そうなスキルを、四人で分担しようというものだった。
 俺は《両手用長槍》と《索敵》をスロットに入れてあるとの話はした。
 だから三人は、自分のスロットの一つを、今までの戦いで慣れた《片手用直剣》で埋めて、残りを何にするかで悩んだらしい。
 そうして決まったのが――
 ルネリーは《識別》スキル。視認したモンスターの情報を知ることが出来るスキル。
 レイアは《測量》スキル。自分の移動した場所をマッピング出来るスキル。
 チマは《鑑定》スキル。モンスターがドロップした正体不明のアイテムを鑑定できるスキル。
ということになったらしい。
 何をなすにもスキルが重要なのがこのSAOの仮想世界だ。使えるスキルが多いに越したことはない。
 しかし、俺が感心したのはこれだけでは無かった。

「あ、そうだ! キリュウさん、キリュウさんっ。ちょっと見てて下さいね!」
「……?」

 ルネリーは説明も無く俺にそう言うと、そのまま剣を構えたまま近くを歩いているイノシシに斬りかかった。

「やあああ!」

 気合の籠った声とともに降り下ろされる剣。それはいつもと同じ……ではなかった。

「……!」

 ルネリーの剣は淡い水色の光を放ちながら、普段よりも一層鋭い袈裟切りがイノシシに直撃した。
 そう、それは《ソードスキル》特有の輝き。
 ルネリーはイノシシにソードスキルを放ったのだ。
 レベルが上がり、筋力や敏捷力が僅かばかり上がったとしても、彼女らでは一撃で倒すことは出来なかったイノシシは、その一撃で光へ還った。

「えへへっ、どうでした? どうでした?」

 褒めて欲しいと言わんばかりに笑顔でこちらに駆けてくるルネリー。
 聞けばレイアやチマも、片手剣の基本剣技(ソードスキル)は出来るように、自由時間を使って練習したらしい。
 俺は三人に、以前自分が使ったときに感じた違和感について聞いてみた。

「へ? あー、確かに勝手に動きますし、技の後ちょっと固まりますよね」
「ん~、わたしはそんな気にならないッスけど?」
「……そう、ですね。私も、そういうものなんだなと思ったらそうでもなかったです」

 どうやら俺のほうが少数派らしかった。試しにもう一度使ってみたが、やはり違和感が凄くて使いにくかった。
 結論、俺にソードスキルは合わないらしい。
 しかし、そうして俺たち四人は、この世界で順調に力をつけていった。




 次に、経験値を稼ぐこと以外に俺たちがしたのは、情報の収集だった。
 俺たちにはSAOの知識が圧倒的に不足している。
 どこに何があって、どんなモンスターがいて、どうすればこうなる、など。
 俺たちは自由時間を使い、はじまりの街を手分けして走り回り、情報を得ていった。
 自慢にもならないが俺は会話が苦手だ。
 故に、誰か他のプレイヤーに解らないことを訊くということが出来なかった。
 なので、基本的に俺は街の施設やNPCについて調べた。
 道具屋、雑貨屋のNPC店主に訊けば、旅に必要な道具についての話が聞けた。
 武器屋、防具屋では、装備の耐久度を直して貰えるらしい。
 黒鉄宮の近くにあるギルド会館という場所では、数人からギルドを組んで登録出来るらしい。
 ギルドを登録し、そのメンバーでPT(パーティー)を組むと戦闘時に攻撃力に僅かにボーナスがあるらしい。
 そして図書館のような建物も見つけた。そこに貯蔵してある本には、この近くの村や、モンスターについての情報などが記されていた。
 その他にも貸金庫屋、鍛錬所、鍛冶屋、占い屋、軽食店なども廻った。
 更に宿泊施設にも種類があり、馬小屋などでも泊まれるらしい。……寝心地は保証しないと言われたが。
 そうして何人ものNPCの話を聞いている内に、暫く話すと頭に金色のクエスチョンマークが現れるNPCがいる事が分かった。
 そのクエスチョンマークは、依頼――クエスト発生の証なのだそうだ。
 それが出ているNPCに話を聞き、クエストを受けてその達成条件を満たすことで、様々な報酬が貰えるという。
 俺が受けたのは、買い物のお使いや、街の周辺に出るモンスターが落とすアイテムの収集、荷物運びや薪割りなんてのもあった。
 その中で一番つらかったは買い物のお使いだ。何と言ってもこのはじまりの街は広い。要求してくる物が凄く遠い場所にあることはざらだった。
 しかし、そのお陰でだいぶ冒険の準備は捗った。
 とあるクエストでは、報酬として主人のお古だと言って軽装の胸鎧を貰った。店の品と比べても高い防御力を持っているし、かなり軽いので俺たちでも十分に装備出来た。
 俺はそれをルネリーに渡した。ルネリーはSAOでの数ある武器使いの中では盾剣士志望らしい。前線で仲間を守るポジションにいたいのだと言っていた。俺はその想いを尊重した。ならば、現在一番防御力の有る装備を着けさせて、今からそういった戦い方に慣れさせた方がいいだろうと考えて、ルネリーに渡したのだ。
 ちなみにチマは両手剣志望らしい。色々な鬱憤を剣に乗せて豪快に敵をなぎ倒したいと叫んでいた。
しかし、《両手用直剣》スキルは《片手用直剣》スキルの派生らしく、つまりはもう少し片手剣を使う事となるみたいだ。
 レイアは特に希望の武器はないらしい。だがそれも仕方ないとも言える。
 この世界がただのゲームであったなら、ゆっくり探すということも出来たかもしれないのだが……。
 暫くは今まで通り、三人とも使いなれた初期装備の《スモールソード》を使うという事に落ち着いた。
 そして、俺以外の三人もクエストはいくつかこなしていたみたいで、訓練で手に入れた素材アイテムの売却も含め結構な所持金を手に入れた。その金も使って、旅において必要な装備や道具を揃えたのだった。







 そうして俺たちが準備を進めていく中、はじまりの街も変わっていった。
 いや正確には、はじまりの街に滞在していたプレイヤーたちが変わっていったのだった。
 最初に変化に気付いたのは準備期間二日目の戦闘訓練のとき。
 俺たちの他に街の外でイノシシや巨大イモムシと戦っているPTが数集団いた。
 そして、その集団は日を増す毎に増えていった。

「……しかし、これでは満足に戦えもしないな」

 準備期間五日目の今日、俺たちはいつものように戦闘訓練をしていたのだが、正午を過ぎた辺りから石を投げれば当たるほどにその集団は増えていた。
 草原のあちらこちらでモンスターと戦うPTの姿が見える。

「何か、聞いた話によりますと、なんとかーって人がみんなで立ち向かえばモンスターも怖くないんだーって言って、集団で安全にモンスターを狩って、それで得たお金で戦えない人たちも含めて平等に食糧とか寝る所とかを援助? する活動を始めたらしいです」
「援助だけじゃなくて、このSAOの攻略も視野に入れていると聞きました。多分、私たちみたいに有る程度レベルを上げてから数で押していくのではないかと……」

 ルネリーの情報にレイアが追記した。
 しかしなるほど。多人数を使った人海戦術は全ての戦いに等しく効果的だ。
 確かにそのグループに入れば危険は減るかもしれない。
 そう俺が言うと、

「えー、わたしは何かいやッス。あの人たち」
「あたしもかなぁ」
「……どうしてだ?」
「なんて言うか、感じが悪かったッス。確かに必死なのは解るッスけど、こっちが先に目を付けてた獲物まで奪うように群がっていって……ブツブツ」
「あはは……。でも、キリュウさん。チマの言う通り、あの人たち弱いモンスターを倒すことに必死で自分たち以外見えていないって感じでした。確かにあたしもちょっと……ですね」
「ちゃんと親切な人もいるにはいると思いますが……やっぱり人が集まりすぎると……」

 ――ふむ、そうだな。三人の言い分は一理ある。

 人が集まればその分トラブルも増えるだろう。
 更にこの先、団体で攻略に乗り出すとすれば、命令系統も作らざるを得ない。つまり、自由には動けなくなる。それは……困るな。
 思考の末の結論を行動をするのが俺のやり方だ。その行動を制限されるのはやはり困る。
 結局俺たちはその集団には入らず、放置することにした。
 だが、街周辺のモンスターを手当たり次第狩られるのには参った。
 数少ないモンスターの取り合いをするというのも効率が悪い。
 俺たちは仕方なく、一週間と定めた準備期間を一日早め、明日の早朝にはじまりの街を出発することにした。







 そして、翌日。
 俺たちが街を出発するときが来た。

「……全員、準備は出来たか?」

 ここは、はじまりの街の《北東ゲート》。俺たちは今そこにいた。
 街のNPCに話を聞いたところ、北東ゲートから伸びる街道沿いをずっと行けば、とある小さな村に辿り着くらしい。なので、俺たちの最初の目的地はそこにした。

「はい! ばっちりです!」

 街への出入り口となっている巨大な門の前で、俺たちは最後の確認をしていた。

「……武器、防具」
「大丈夫ッス! 昨日直してもらったばかりッスから、耐久値MAXッスよ!」

 心なしか、三人も興奮しているように見える。

「……道具は?」
「はい。テントから食べ物まで、回復ポーションも解毒ポーションもたっぷりです」

 今日まで俺たちは様々な準備をしてきた。
 三人はだいぶ戦闘に慣れたし、ソードスキルを使った連携も出来るようになった。
 そして俺自身も、このSAOのシステム的なものにかなり慣れた、と思う。
 まあ、未だにソードスキルは苦手なのだが……。

「……よし」

 それでも、十分に準備はした。あとは、実際に冒険をして経験を積んでいくしかない。
 今の俺は弱い。それは認識した。
 強くなるにはどうすればいいのか、それはあの日からずっと考えてきたことだ。
 レベルが上がれば強いと言えるのか? ゲームを攻略すれば克服したと言えるのか?
 解らない。このゲームをクリアすれば、少しは克服出来るとも考えたが、それだけではダメな気もした。
 だから、この三人を守り抜き、なお且つ元の世界に戻れたのなら、少しは強くなれているのではないかと、今はそう思う。

「…………ん」

 気合は十分。俺ははじまりの街に背を向け、三人に号令をかけた。

「……では、出発する」
「お――!」
「お――ッス!」
「はいっ!」

 三人の元気のいい声とともに、俺たちはゲートから伸びる街道を歩き出した。

 ここからが、俺たちの冒険の始まりとなる。

 本当の――ゲーム・スタートだ。



[34210] Ex3.心配以上に信頼を
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 19:46
 東雲が《ソードアート・オンライン》の仮想世界に囚われてから六日が経った。
 あの日、俺が家に帰ってきた後、お袋が東雲の両親と病院、警察に連絡を入れた。
 そして一時間と経たずに東雲の両親がウチに来た。
 俺は怖かった。怖くて震えていた。
 だって東雲は俺のせいで、俺がSAOに誘ったせいでこうなってしまったんだから。
 きっと怒られる。お前のせいだって言われる。それがすごく怖かった。
 でもしょうがないんだとも思う。だって、俺のせいってことに変わりは無いんだし、実際に俺は俺を許せそうに無い。
 俺は、罰を受けなきゃいけないんだ。
 そう思って、俺は震える足で東雲の両親の前に出た。

 でも東雲の両親は、俺を怒りはしなかった。
 逆に、東雲と友達になってくれてありがとう、とさえ言われた。
 東雲の両親は共働きで、帰ってくるのも夜遅く。
 だから、東雲とも慌ただしい朝ぐらいしか話す機会が無かったらしい。
 東雲のじーさんは、そんな東雲を寂しがらせないようにって、寂しがる暇も無いほどに小さい頃から東雲を鍛えていたんだという。
 でも、逆にそのせいで東雲は祖父との稽古一筋となり、友達も満足に出来ない状態になった。
 孫を想った不器用な祖父。祖父に応えようとした孫。
 誰が悪いというわけではないが、それでもどこか歪んでしまったのだという。

 しかし、最近になってそんな東雲に変化が現れたらしい。
 唯一家族が揃う東雲家の朝食時。普段、その日の予定ぐらいしか話さない東雲が学校のことを話したという。そう、俺のことを……。

 俺は泣いた。打算で東雲に近づいた自分の卑しさが惨めだった。東雲がSAOに囚われたと聞いたときも、東雲の心配と同時にまた一緒に遊べなかったという自分本位な考えも浮かんでしまった自分に、堪らなく嫌悪した。
 だけど東雲の両親は、そんな俺を慰めてくれさえもした。俺のせいで、自分たちの息子の命が危険に晒されているというのに……。
 俺は訊いた。何でそこまで優しく、いや平静でいられるんですか、と。
 俺は怒って欲しかったんだ。俺が悪いんだと、俺のせいで東雲はあんな目に遭ってしまったんだと。
 でも今思えばそれはただ、怒られることで自分の罪悪感を少しでも軽くさせたかったからなんだと思う。俺はもう怒られたんだという事実が欲しかったんだと思う。
 だから俺はあのとき、少しやけ気味に東雲の両親に訊いたんだ。
 そうしたら――。

「……確かに。あの子は今、いつ死んでも可笑しくない世界にいると聞いている。そして、私たちはそれを心配していないわけではない」
「そうですよ。私たちは、あの子を心配している以上に、信じているんです。お父さん――あの子のおじいちゃんから授かった免許皆伝は、伊達では無いのですよ?」

 その言葉に、俺はまた衝撃を受けた。

 ――心配はする。しかし、それ以上に信頼している。 

 強いな、と思った。俺はまだ、そこまでの関係を東雲と築けてはいない。
 普段忙しくて家にいないとは言っても、それでもこの人たちは東雲の《親》なんだ。
 絆の強さには敵うわけないとは解ってるけど、それでも悔しいと思ってしまった。






 東雲の両親が来てから一時間ほどしてから、病院から簡易点滴セットが送られてきた。
 なんでも、SAOに囚われた人は東雲だけではなく、この付近でも結構人数がいるらしい。
 その全員を看護施設へ移送させるための準備の間の緊急策として、各被害者の家に救急隊員が配って回っているらしい。
 救急隊員だという人は、東雲に点滴を取り付けて、点滴の簡単な説明を俺たちにしてから出て行った。
 これは後で知った話なのだが、ウチの県には五百人近くもSAOに囚われた人がいたらしい。いきなりそれだけの人数を、更に全員が意識不明の上、長期間の介護体制を可能としている施設に出来るだけ早く移送させるというのは、かなり厳しいことだろう。
 しかし、そこで救世主が現れた。
 三十代前半という若さで県議会議員になったとある人物が中心となり、県内のSAO虜囚者の移設に積極的に取り掛かった。
 準備に人手が足りないことをボランティアや地域団体に呼び掛けることで解決し、移設先の準備をたった一日足らずで完了させたという。
 このとき、その人物はある方針を立てた。
 それは、SAO虜囚者の移設を全員同時に行うというものだ。
 これには流石に反対した者もいたらしい。事は一刻を争うのだから、準備が出来た所に順番に移設すれば良い、そちらの方がスムーズにことは運ぶことが出来る、と。
 それに対してのその人物の言い分に結局は反対派は押し切られたという。曰く。

 ――SAO虜囚者は基本的に若者が多い。つまり移設を願うのは被害者のご両親だ。早くしっかりと介護できる施設へ連れて行きたいと思うのは誰もが一緒だ。そこへ順番にと言われたら最後の者はどう思う?

 誰だってこの状況に混乱している。
 だったら少しでもその状況に救いを、安心感を求めるのは人間として当たり前だろう。
 この場合だったら、出来るだけ早く病院なり介護施設なりに移設出来れば、少しは安心ができる。心が保てる。
 しかし、それに順番があったら?
 最初の人はいい。だけど最後の方の人は?
 訳の解らない状況で、いつ死んでしまうかもしれない我が子を見ながら自分の番を待つ。それはどれ程に苦しいことだろうか。
 そんなことを言われた同時移設反対派は、何より自分たちが県民に非難されることを懼れた。







 こういう経緯もあり、翌日の午後一時、皮肉にもSAOの公式サービス開始時間のちょうど二十四時間後に、県内のSAO虜囚者の一斉移設が始まった。
 東雲には近くの総合病院の一室を充てられた。
 俺も、俺の両親も、そして東雲の両親も見守る中、東雲は移設された。
 一時的にとはいえ移設のために回線を切断しようとしたときは、言いようも無い恐怖感に襲われたが、特に問題も無く東雲は病院へ移ることが出来た。
 ニュースでは、移設への途中で予想外のトラブルが起こり、そのまま猶予時間内に回線を繋ぎ直すことが出来ずに……という人もいたらしい。
 もし、東雲がそうなってしまったら……そのニュースを見た時は思わずぞっとした。

 余談だが、茅場晶彦の犯行声明から一日と経たずに一斉移設を行うという偉業を成した若い県議会委員は、その行動力と組織力、そして被害者の家族を想っての配慮を認められ、数日後には全国的な評価を得ることになった。次は国会選に出馬するのではないかという噂が広まるのもそうそう遠くない未来だろう。









「……健太。お母さん今日はもう帰るけど、あんたも長居はしちゃ駄目よ?」
「わかってるって。もう少ししたら帰るよ」

 あれから毎日、俺は東雲の見舞いに病院へ来ていた。
 東雲が寝ているベッドの横の椅子に座り、じっと黙って東雲を見つめる。
 あの日、東雲の両親が言った、心配もするが、それ以上に信じている、という言葉が俺の頭から離れない。

「……俺にも、出来るかな? お前を信じて、お前が帰ってくるまで待つことが……出来るかな?」

 俺の問いに応える者は、応える事が出来る者は此処には誰もいない。
 要は、俺自身がどれだけ東雲を信じられるか。信じて、東雲が帰ってくるまでに何が出来るのか、なのだと思う。
 東雲の友達を続けたいなら、俺はこのままでは駄目な気がする。
 何かを、今はまだ解らないけど何かをしなければいけない。そんな気がするんだ。

「……東雲。……俺、変わるから。お前が帰って来たときに、今度はちゃんと胸を張って友達――いや、《親友》だって……言えるようになるから。……だから、さ。早く……帰ってこいよな……っ」

 俺はそう言って、病室を後にした。


 ――東雲。お前がSAOで戦っているのを同じように、俺も戦うよ。俺も……強くなるからな。



[34210] 第一章  冒険者生活   1.林檎と少女
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 20:04
「ふんふ~ん、ふっふふ~ん、ふふふふ~ん♪」

 早朝特有の少し冷たい、だけど清々しい空気の中、あたしたちは街道をゆっくりと歩いていた。
 ただ土を均(なら)して整備しただけの三車線くらいもある大きな街道。
 街道の両脇には、この世界に来るまで見たこともなかったほどの緑一色の草原がある。
 よくよく目を凝らして見ると、なんと小さな虫たちまでいた。あたしは何とも無いんだけど、レイアとチマは「何も仮想世界にまで虫を作らなくても……」とガックリしていた。
 まあそれは置いておいても、風で靡いて変わる草原の模様なんかも、かなり良い感じだった。
 まだ時間も早いせいか、それとも《はじまりの街》から離れる人があまり居ないせいか、わたしたち以外に街道を歩いている人は居ない。

「機嫌良いッスね~、ネリー」

 わたしの隣を歩くチマが苦笑しながら話しかけて来た。
 初期装備である白いシャツと灰色のベスト、ベージュ色のスカートは今も変わらない。でもその上に、革製の胸鎧(レザーブレスト)と、同じく革製ブーツ(レザーブーツ)、腰には大きめのポーチとスモールソードの剣帯を付けた、如何にも冒険者って感じの出で立ちになっている。

「うんっ。だってさ、何かこう……これから、あたしたちの冒険が始まるんだー! って感じしない?」
「もうっ……街を出てからずっとそうなんだから。途中で疲れても知らないよ?」

 あたしの言葉に、毎度お馴染みとなったレイアのツッコミが入いる。
 少し後ろを歩くレイアをあたしは見た。レイアの装備もあたしやチマと殆ど一緒だ。違いと言ったら、あたしの胸鎧(ブレスト)だけは何かの金属製だってことと、あたしの背中には木と革で出来た円型盾(バックラー)があるってことくらいだ。

「えへへへ~。だいじょぶダイジョブ!」

 レイアの後ろには、既に親指くらいの大きさになったはじまりの街が見えた。
 それを見ると、ああ冒険に出たんだ~って思いがまた湧き上がってきて、こう、なんか動き回りたくなる。


「……敵影確認。二時方向。数一(かずいち)

 不意に、先頭を歩くキリュウさんが声を上げた。
 キリュウさんの格好は、初期装備の上に青いレザージャケットを着て、背中で槍を専用のベルトみたいなもので若干斜めに固定している。槍を横向きに固定すると小回りが利かないし、縦向きだと走るときに足に当たるから、走るときに邪魔にならない程度の斜め上向きに固定するのに苦労していたのを覚えている。
 おとと、そんなことを考えてる場合じゃないね。モンスターが現れたー、です。
 うーん、あたし達が話してる間でも気を配ってくれてるってスゴイよね。

「はい! あたしが行っきまーす!」

 とにかく動きたかったあたしは、背中から円型盾(バックラー)を、腰からスモールソードを抜いてキリュウさんの指し示した方向に走り出した。

「……レイア。一応付いて行ってくれ」
「あ、はいっ」

 後ろから、キリュウさんがレイアにあたしの援護をしろとの指示をしているのが聞こえる。
 この辺りのモンスターならあたし一人で余裕だとは思うけど、油断大敵といつもキリュウさんに言われているから別にそれに文句は無い。
 でも、レイアが来る前に倒しちゃっても大丈夫……だよね。





 ――あ、モンスター視認っ!

 キリュウさんから20メートル程の場所。背が高めの草むらを抜けた先に、一匹の大きな犬が居た。
 ズングリした茶色の毛、大きな爪、光の無い眼、むき出しの黄色い犬歯に垂れ流しの涎。
 ……結構な犬好きだと自負しているあたしだけど、あれはイヤだなぁ。

「はぁぁ……《識別》スキル、発動っ」

 初めて見るモンスターだったので、あたしはその犬から少し離れた草むらの影から、モンスターの情報を得る為に識別スキルを発動させる。別に声を出さなくてもいいのだけど、そこは気分の問題だ。
 頭の中で「シュピーン!」と効果音を出しながら、あたしはその犬を凝視した。
 『モンスター名《ストレイ・ハウンド》:レベル2 HP308 攻撃的(アクティブ)モンスター』
 大型犬そのまんまなモンスターの頭上のカーソルがある場所に、簡単な情報が付け足される。
 まだまだあたしは《識別》スキルの熟練度が低いため、この程度しか情報が出ない。

「ストレイ・ハウンド……か」
「――直訳すると《はぐれた猟犬》。……この場合はそのまま《野犬》って感じかな?」

 あたしがモンスターを観察していると、レイアが来てしまった。……いやまあ、来て欲しくなかった訳じゃないんだけどね。

「レベルも低いし、楽勝だよねっ」
「……でも、爪や牙には気を付けないと。変な特殊効果がある場合もあるってキリュウさんも言ってたでしょ?」

 おとと、そうだった。
 キリュウさんは、準備期間中に街の図書館で調べたモンスターのことなんかを、あたしたちに丁寧に教えてくれた。その中で、この世界(ゲーム)で出てくるモンスターは低レベルの奴でも毒や麻痺、金属腐食などの特殊能力を持っている奴もいるので、色々と注意が必要だということを聞いたことがあった。そして、そういう特殊能力を持っているモンスターは、大抵がその外見から予測できるとも言っていた。例えば、蛇型モンスターは牙に毒を持っている場合が多いし、口の様な器官の有る植物型モンスターは腐食液や溶解液をそこから吐き出す場合も有るらしい。
 ようするに、らしいモンスターにはらしい特殊効果があるんだと、あたしは認識した。
 そうすると、目の前の《ストレイ・ハウンド》にそれを当てはめて見れば、レイアの言うとおり、あの汚い爪と黄ばんだ牙に何か有りそうだなと予測できる。もし他に特殊な攻撃があるんだとしても、あの外見を見る限り口から何かを吐く? ぐらいしか思いつかない。

「……んー、よし。考察完了! あたしから行くね!」

 身を隠してくれていた草むらから飛び出たあたしは、円型盾を前に掲げながら駆け出した。
 後ろから「まだ返事してないよぅっ」という声が聞こえる。
 心の中で苦笑しながらゴメンと言って、あたしは走りながらその犬の動作を見る。
 攻撃的(アクティブ)モンスターだけあって、草むらからあたしが飛び出した瞬間にはこちらに気付いていたようだ。
 犬が、荒い息と共に涎を撒き散らしながら走ってくる。
 一週間前のあたしだったらこんな光景にはすぐにビビッていただろうけど、六日間のキリュウさんとの訓練を積んだあたしには――あの近づくだけでもおぞましい巨大イモムシを一人で倒すことが出来たあたしには、寧ろ単調な動き過ぎて笑いがこみ上げてくる。

「……むむむ、これもあたしの悪い癖の一つだ、なっと!」

 すぐに調子に乗ってしまう自分の悪癖に自分でツッコミながら、飛び掛ってきた犬の顔側面を盾で裏拳をするように当てて受け流す。そしてすぐさま振り返って、着地の衝撃で一瞬硬直している犬へ背後から斬りかかった。

「せーいっ!」

 片手用直剣基本技《スラント》。
 淡い水色のライトエフェクトを纏った剣が、犬の背中に袈裟斬りを食らわせる。
 あたしが今一番得意としているソードスキルがこれだ。同じ片手用直剣基本技の横斬り《ホリゾンタル》や、縦斬り《バーチカル》よりも、姿見で見たときのかっこ良さがあたし的にツボってしまい、一番たくさん練習してしまったのだ。
 あたしの技をモロに受けた犬はそのまま横に弾き飛ばされた。
 ぐるるる、とあたしを睨みながら立ち上がろうとする犬。
 でもそんな犬に追撃してくる人影がいた。

「……やあっ!」

 タイミングを見計らっていたらしいレイアだ。
 レイアは、まだ立ち上がりきっていない犬に向かって、彼女の最も得意とする剣技(ソードスキル))《ホリゾンタル》を放った。
 体勢の整っていなかった所に追撃を受け、犬はきゃうんとその姿には似合わない声を上げて、光に消えた。

「ナイス、コンビプレイ! レイア♪」

 あたしは剣を腰の鞘に収めて、レイアの所に歩きながら右手を上げる。

「ナイス……じゃないよぅ。ちゃんと打ち合わせしてから行ってよ。……ビックリしたんだからね」

 レイアはぶつぶつと文句を言いながらも右手を上げて、パンッとハイタッチをしてくれた。

「あはは。結果オーライ、結果おーらいっ」
「もう……」

 レイア――美緒とのこういうやり取りは《SAO(ここ)》に来る前から全然変わってない。
 でも、やっぱりSAOでの生活であたしも、そしてレイアも変わった。ううん、変わらなきゃいけなかった。
 この世界を生き抜くには、戦闘でどんなモンスターにも怖がらずに向かっていくようにならなきゃいけなかった。冷静に相手を分析して、キリュウさんに教わった通りの戦い方をする。
 普通ならこんな短時間で戦いに慣れるなんて無理だろうけど、ここが仮想現実だということが皮肉にも助けになった。敵を斬っても血は出ない。敵のHPをゼロにしても死体にならず光になって消えるだけ。そんな現実では有り得ない光景が、あたしたちがあまり抵抗無く戦いを受け入れることが出来た要因だと思う。

 だけど、レイアのことはちょっと心配に思っている。
 一見普通に戦っているように見えても、実は戦う恐怖を押し込めているだけなんだってことはあたしには解る。無理矢理頑張ってるんだということを、ちゃんとあたしは理解している。
 でも、レイアもあたしと同じで、一度こうだと決めたら引かないし、譲らない。
 あたしが、ちゃーんと見守るしかないんだ。
 ……まあキリュウさんも解ってるようだし、チマだって違和感は感じてるみたいだけどね。

「……よぉしっ」

 あたしは、レイアとチマをしっかりと守ることを――守れるくらいに強くなることを改めて決意した。

「? ……どうしたの?」
「あははは~。ううん、なんでもないよっ」
「おーい。二人ともー」

 つい零れた意気込みの声を笑って誤魔化していると、チマの声が聞こえた。
 そして、あたしたちが来た方向からチマとキリュウさんが現れた。

「……二人とも、無事だな」

 キリュウさんがあたしとレイアに訊いてくる。
 あたしたちは今PTを組んでいるから、メンバーのHPや状態(ステータス)は少しなら離れていても解るんだけど、それでもちゃんと訊いてくれるキリュウさんは解ってるなーって思う。
 あたしはレイアの腕を組んで、元気ですとアピールしながらキリュウさんに言った。

「はいっ! 二人とも無事です!」
「あっ、ちょっとネリー! もう……。はい、特に問題はありませんでした」
「……そうか」

 戦いが終わって、初めて見るモンスターのことをキリュウさんたちに報告して、あたしたちは再び街道に戻った。
 キリュウさんに言われ、一応装備の耐久値を確認。……よし、特に減ってないね。
 こんな感じで街を出てからもう六回ぐらい代わり番こに戦っていた。
 今日までの特訓の成果はちゃんと出ていると思う。
 なんというか、最初にこの世界に来たときに思っていたことが、現実になったみたいだ。

 ――これから……あたしたちのスッゴイ大冒険が始まる、ってね。

 あたしたちは《冒険者》になったんだ。








 その後、しばらく街道を歩いていたあたしたちの前に、分かれ道が現れた。
 右の道の先には山が見え、左の道の先には深い森が見える。

「あれ? 分かれ道ですよ?」
「……おかしいな。あのNPCは街道沿いに行けば村に着くと言っていたんだが」
「あ、キリュウさん! ここに《立て札》が倒れてるッスよ!」

 声を上げたチマの指差す方を見ると、草むらの中に隠れるようにして立て札が横たわっていた。

「ホントだ。えーと、右が《小鬼の山》で、左が……うん? 擦れてて解らないよ?」

 あたしが倒れてる立て札を屈んで読んでいると、キリュウさんが立て札を持ち上げようとした。

「っ…………動かないか」
「……ということは、これは《座標固定オブジェクト》ってことですね」

 たぶん、キリュウさんは後から来るだろう人のために立て札をちゃんと立てようとしたんだろうけど、それは出来なかったみたいだ。
 レイアが言った《座標固定オブジェクト》というのは、動かす事が出来ない物をそう呼ぶのだそうだ。ちなみに、その殆どが《破壊不能オブジェクト》でもあるらしい。その名の通り、壊せない物だね。主に街や村の中にあるものがそうらしい。家とか、公共物とかが多いって聞いた。
 この立て札も、その《座標固定オブジェクト》だということは、こうして倒れていることがデフォルトなのかな? 
 でもこれ、気付かない人は絶対気付かないような位置だよね。

「……茅場晶彦も、趣味が悪いな」
「ですよねー。でも、この立て札通りなら、右の道に先に見えるあの山が《子鬼の山》ってことになりそうですね」
「じゃあ、左に見える森へ続く道が、あのNPCの言ってた村に続く道ってことかな?」

 レイアが道の先にある森を指差す。その森は結構深いらしく、ここからでは本当に村があるのかも解ない。
 あ、今なんか鳥みたいのが飛んだ。

「う~ん。この《子鬼の山》って明らかに危ない臭いぷんぷんッスよね? あーでも、そうと見せかけて逆に森の方が危ない~とか?」

 チマが立て札を睨みながら唸っている。
 立て札みたいな(こういう)細かい嫌がらせをしてくるような人だったら、チマの言う通り、逆に森の方が危ないんじゃないかなと、あたしも思う。

「……キリュウさん、どう思いますか?」

 レイアが、森と山を交互に見ていたキリュウさんに訊いた。

「……確かに、チマの言うことも解るが、そもそも両方同じく危険だと考えた方がいいだろう」
「あー、確かに」
「実はどっち選んでも変わらない、ってのはありそうですね。でも、そうするとどうしますか?」
「……ここは左へ行こう。どちらに村がありそうかを考えれば、やはり森のほうが可能性は高そうだ」
「そうッスよねー。わざわざ《子鬼の山》なんて所に村を造る人なんて…………居ないッスよね!」
「…………」

 チマの台詞に一抹の不安を抱きながら、あたしたちは左の道を進んだ。







 そうして五分程歩いて、あたしたちは森の入口に着いた。

「うわぁ……」

 森の中に入ったとき、あたし、レイア、チマは口を揃えて全く同じ呟きをしてしまった。
 なんていうか、森の中は悪い意味で神秘的だった。
 チチチ、と小鳥のさえずる鳴き声が聞こえるのは良いんだけど、森の奥に進むにつれて段々と薄暗くなるのは、御伽噺のそれのようだった。

「如何にも何か出る、って感じッスねぇ……」

 普段よりも少しテンションが低いチマがボソッと言う。
 何が、とは訊かなくても想像できるけど、確かにチマの感想には同意だった。

「……心配するな。出て来てもモンスターだけだ」

 キリュウさんが、何でもないように言いながら先頭を歩き出した。

「クス……確かにそうですね」
「あうー、それを言っちゃあお終いッスよー」
「あはは」

 全く動じないキリュウさんを見ると、何故かこっちも怖くなくなってくる。
 あたしたち三人は顔を見せ合って笑いながら、キリュウさんの後を付いていった。







 森の中に続いている道を歩くあたしたち。
 イメージ的には、見渡しの良い街道なんかよりもモンスターとエンカウントする確率が高そうなんだけど、森に入ってから十分程経った現在も、未だモンスターは現れなかった。

「モンスター……来ないですね」
「……ああ」

 キリュウさんは、絶えず《索敵》スキルで周囲を警戒してくれているらしい。
 キリュウさんは現実の世界でも気配を察することが出来るんだと言っていた。普通なら嘘だーと思っただろうけど、キリュウさんが言うと不思議と本当なんだって思えてしまう。
 でも、こちらの世界では使えなくなったと言ってたので、準備期間の間は、冒険の安全の為にもって言って、キリュウさんは《索敵》スキルの熟練度とその扱い方を積極的に上げていた。
 そんなキリュウさんの索敵にも、今のところ何も引っかかりもしないらしい。
 嵐の前の静けさ的な予感を、あたしたち全員が感じていた。

 そんな感じでもう十分程歩くと、ちょっと困ったことになった。

「……道が……無くなってるッスね……」

 そう。深い深いこの森で、あたしたちが唯一頼りにしていた土肌の道が、今あたしたちが居る場所で途切れてしまっていた。
 周りは深遠に続いているかのような鬱蒼とした暗い森しかない。

「どうしよう。……引き返しましょうか?」

 レイアがあたしたちに提案する。
 あたしもそうした方がいいかな、と思ったんだけど、キリュウさんがある一点を見つめていることに気付いた。

「? キリュウさん、どうかしたんですか?」
「……ああ。索敵に反応があった」
「っ!?」

 あたしたち三人は、一瞬驚き、でもすぐに背中合わせになって周囲を見渡した。

「……此処に来て襲撃ッスか」
「確かに、此処は襲い掛かってくるにもいい場所かもね」

 軽口を叩くあたしとチマ。でも、あたしたちの双眸は、油断無く周囲を警戒していた。

「……いや、すまない」
「へ?」

 いきなりキリュウさんが謝ってきた。
 そのせいか思わず気の抜けた声を出してしまった。

「……索敵に反応はあったが、これは敵ではないようだ。……恐らく、NPCだと思う」
「え、NPCですか……」
「モンスターの気配は無いんですね?」
「……ああ。それは間違いないと思う」

 キリュウさんの言葉に、あたしたちは張っていた緊張を解いた。
 だけど、こんな森の中にNPCが居るなんて……。街の中だけにしか居ないと思ってた。

「……気にはなるが、どうする?」

 キリュウさんがあたしたちに訊いてくる。
 でも、あたしの答えは決まっていた。

「もちろんっ、そのNPCの所に行きましょう!」

 なんとなく予感がしてた。危ない~とかの予感じゃなくて《冒険》の予感が。
 意外と特に反対も無くて、もし敵に囲まれたときのための戦闘布陣(フォーメーション)の打ち合わせをしながら、キリュウさんの案内であたしたちはそのNPCのいる場所へ向かった。




「…………!」

 ほんの十数メートル歩いた所で、先頭を歩くキリュウさんが立ち止まって、あたしたちも止まるようにと片手を上げるジェスチャーをした。そして、樹齢幾年という巨木の陰からキリュウさんの指差す方向を見るあたしたち。

「……あ」

 あたしたちの視線の先には、十歳にも満たないような女の子が一人、一本の木の上の方を見上げていた。
 ライトブラウンの短い髪の毛を頭の両端で結んだような髪型で、黄緑色のワンピースを着ている。
 その女の子は時折、木の周りを回ったり、ぴょんぴょん飛び跳ねたりしている。
 あたしは一応、声を潜めてキリュウさんに訊いた。

「キリュウさん。あの子がNPCなんですか?」
「……よく見てみろ。HPバーの下に【NPC】とある」

 キリュウさんの言うとおり、あの女の子をじっと見ると頭上にカーソルが現れ、そこにあるHPバーの下に確かに【NPC】と書いてあった。
 あたしたちは、周囲にモンスターがいないことを確かめた後、その女の子に近づいた。

「うーん」

 女の子は、近づくあたしたちには気付かずに木を見て唸っている。
 そんな女の子に、あたしは声をかけた。

「ねぇ、どうかしたの?」

 女の子は、やっと気付いたかのように一瞬びっくりした顔をしてから、話しかけてきた。

「……えと、風邪を引いてる弟に林檎を食べさせてあげようと思ったんだけど、わたしじゃあそこの実まで届かないの……」

 その言葉を言った瞬間、女の子の頭の上にハテナマークが出てきた。
 ――あ~、やっぱりクエだったのかぁ。
 あたしは視線だけで後ろのキリュウさんたちに、クエストを受けるかどうか問いかけた。
 そして全員の頷きを肯定と見なして、あたしは女の子に言う。

「じゃあ、あたしが取ってあげるよっ」

 そう言って木を見上げるあたし。視界の左端には【クエスト:林檎と少女】というクエストタグの更新が記されていた。
 あたしが了解の意を告げると、少女の頭のハテナが、クエスト受領中を表すビックリマークに変わった。

「おー、けっこう高い所にあるなぁ」

 少女が見上げていた木は、やはり《林檎の木》だった。
 だけど、《林檎の実》はかなり高い場所にあるみたいだ。地上4、5メートルくらいかな。確かにこの女の子じゃ届かないなぁと思いながら、あたしは木に登ろうと最初の太い枝に手をかけようとした。


「……待て。俺が行く」


 と、登ろうとしたらキリュウさんが止めてきた。

「えへへ。大丈夫ですよ、あれくらいだったらっ」

 きっと心配してくれたんだろうなぁ、と思うとちょっと嬉しくなった。
 あたしは気分良く、再度木登りを開始した。……したんだけど。

「……ネリー! あなた今スカートでしょっ」
「ちょっとは慎みを持つッスよ~。ネリー」
「にゃっ!?」

 丁度足を上げようとしたところで二人の指摘が入って、思わずスカートを抑えてしまった。
 まだ1メートルも登ってなかったけど、その拍子に滑り落ちてしまう。
 チラっと後ろを見ると、キリュウさんは……顔を背けてた。

 ――うぅ……恥ずかしいよぉ……。

 あたしはスカートを抑えたまま、そそくさと後退した。

「……す、すみませぇん。お願いしますぅ」
「…………」

 そう言ったあたしの言葉に、キリュウさんは無言で林檎の木に近寄った。
 そして勢いを付けて跳躍。ほとんど手を使わずに足だけで枝を踏みしめて登っていく。

「ほえ~」
「凄い……」

 その様子を見て、チマとレイアが感嘆の声を上げる。

 ――うん。やっぱりキリュウさんはスゴイ。……そしてあたし、カッコ悪い。

 あたしはキリュウさんを見ながら、心の中でよよよ、と泣いていた。
 キリュウさんは、特に危なげも無く林檎を手に入れて軽々と降りて来た。

「あ、ありがとうっ」

 無言で林檎を差し出すキリュウさんに、女の子が極上の笑顔でお礼を言う。
 視界にクエスト達成のメッセージと加算経験値が現れる。簡単なクエストだったから、かなーり経験値は少なめだ。

「あ、そーッス。……ねえねえ、そこなお嬢ちゃん。わたしらこの近くに村があるって聞いて来たんスけど、場所どこか知ってるッスか?」

 チマが、なんだかよく分からないキャラで女の子に質問した。

「えーと、わたしの村だと思うよ? ここからすぐの村だから」

 あたしが十歳の頃ってこんなにちゃんと答えられたっけ、と思うほどしっかりと答える女の子。

「……よかったら、案内して貰えないかな?」

 屈んだレイアが、女の子に視線を合わせながら訊いた。
 女の子は少し考えるような顔をしてそれに答えた。

「うんっ、いいよ。……でも、この辺りはモンスターがたくさん出るから危ないよ?」

 その言葉に、あたしたちは首を傾げた。
 ここまで結構な距離を歩いてきたけど、この森にはモンスターの気配さえ無かったのだ。
 あたしたちが不思議に思っていると、女の子の頭の上に、再びハテナマークが現れた。
 視界にも再びクエストタグのタスクが更新される。

【クエスト:少女の護衛】

「えーと、『案内をしてくれる少女を無事に村まで送り届ける。モンスターの攻撃を受けて、少女のHPがゼロになるとクエスト失敗。』だって」
「こ、これは……護衛クエ!? うーん。だとしたら、このクエを受けた瞬間モンスターに襲われるかもしれないッスね」
「……なるほどな。今まで敵が現れなかったのはこの為か」
「え? どういうことですか?」
「このクエストを受けるまで、この森にどんなモンスターが出てくるか解らないから、対策が出来ないようになっている……とかですか?」
「……ああ。もしそうなのだとしたら、このクエストを受けても受けなくても今後は敵が現れるだろうな」

 クエストを受けても受けなくても、もう出てこない意味はないのだから、絶対にモンスターは出てくる。

 ――だったらっ。

「キリュウさん、受けませんか? どうせ村に行くなら案内してもらった方がいいと思いますし」

 あたしは両手をグッと握り締めて提案した。キリュウさんは少しだけ考える素振(そぶ)りをした後、あたしに頷く。
 それを見て、あたしは女の子に向かって言った。

「――それじゃあ、村までの案内をお願いしてもいいかな?」

 女の子はうんっ、と笑顔で頷いてトコトコと歩き出した。
 視界の端に、クエスト受注の表示が現れる。

 ――いよーし。いっちょやってやりますかっ!

 そうして、あたしたち四人は、村まで案内してくれる女の子の護衛をすることになったのだった。



[34210] 2.怒涛
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 20:18
 村への案内をしてくれるNPCの少女の護衛を受けた俺たちは、ゆっくりと一定のペースで歩く少女の周りを囲うように歩いていた。
 俺は少女の右斜め前に位置し、三人は一定の間隔を空けて少女の後ろを半包囲すような位置に。護衛対象をあまり視界から離すのはいけないと思うゆえの配置となる。いつ襲われるか解らないので、既に四人とも各々武器を抜いて戦闘態勢になっていた。

 現在の俺の《索敵》スキルの熟練度はまだ二十六だ。視界の中限定で、約25メートル以内にいるモンスターをカーソル表示する。ただ方向が解るだけで正確な距離までは解らないし、視界範囲だけなので、周囲を警戒するには常に周りを見渡しながら《索敵》を発動させなければいけない。極めて不便なスキルだが、それでも奇襲を防ぐには必要な物だ。

「むー、どんなモンスターが出てくるッスかねぇ」

 NPC少女のやや右斜め後ろを歩くチマが、周囲を忙しなく見ながら、だがやや緊張感の欠けた声で呟いた。

「……今までは、動物とか虫っぽいモンスターが多かったよね」

 チマの反対側、NPCの少女のやや左斜め後ろを歩くレイアが首を傾げながらチマに続く。

「どんな敵が来てもっ、よーく見て倒すだけだよ!」

 少女の真後ろを歩くルネリーがやる気が溢れてるといった感じで言った。
 ルネリーは熱血ッスねぇ、というチマとレイアの苦笑を聞きながら、俺は再び周囲を――

「! ……右方一匹、来るぞっ」
「っ……は、はい!」

 前方、右方と《索敵》していた俺の視界に赤いカーソルが一つ現れる。暗闇で姿は見えないが、名前が表示されていないということはまだ見たことのないモンスターだろう。
 俺はすぐさま声を上げて状況を伝える。そして三人が反応したことを確認し、急ぎ他の方向を《索敵》にかけた。
 ――後方、良し。左方……む!

「左からも一匹! お前たちは右を……!」
「うい、了解ッス!]
「わかりましたっ」

 言いながら俺たちはNPCの少女の左右に移動する。

「同時に二匹なんて初めてですね……」

 右方の暗闇を窺いながらレイアが強張った声を出す。

「……今後は恐らく集団で襲って来ることは増えてくるだろう。寧ろ此処で慣れておく、ぐらいに考えておけ」
「は、はいっ」

 ……レイアにはそう言ったが、二匹同時に襲ってくることなんて確かに俺たちにとって初めての経験だ。
 今までは一匹相手に誰かが戦って、他は危なくなったらすぐに助けに入れるように見守る、というのが常だった。だが、今までの経験からすれば二匹程度なら恐らく問題は無いだろう。三人には考えて戦う方法を教えてきた。初めて見る敵だとしても、同数以下なら誰もが梃子摺る事無く戦えると思う。

「――来るぞ!」

 少女の左方、俺の目の前に現れたのは、俺よりも体の大きい紫色の巨大なトカゲだった。
 俺の後ろ、少女の右方からは「ねねね、ネズミッス!」「は、はやっ!?」という声が聞こえる。
 俺はトカゲの頭に突きを放ちながら声を上げた。

「動きが速い敵を相手にするときは、その動きを制限させるような位置をとれ!」

 あの三人は意外と物分かりが良い。これだけ言えば、後は自分たちで考える事が出来るだろう。

「……ハッ!」

 しかし、心配は心配だ。出来るだけ早くこちらを終わらせるとしよう。
 目の前のトカゲは動きもそんなに早くは無い。その姿勢ゆえにトカゲは頭から向かって来ることしか出来ないみたいだ。注意しなければならなさそうな場所は鋭い歯の並んだ口ぐらいか。だが射程の長い槍使いの俺は、余裕を持って目や首などの弱点と思わしき場所に攻撃が出来る。
 攻撃力が無い分は数を当てることでカバーし、七度目の攻撃が当たってようやくトカゲは光に消えた。

「レイア、そっち!」
「うんっ」

 後ろを見るとちょうど三人がモンスターを倒すところだった。ルネリーとチマに追い込まれた敵は、レイアの一撃により倒れた。

「ふいー。何とかなったッスね」
「ちょこまかと動きが速いのは初めてだったから、ちょっとビックリしたよー」
「……うん。ちょっと焦ったよね」

 三人は疲れてはいないようだったが初めての敵に困惑した、と言ったところか。
 だが今の敵がこの森で出てくるモンスターの全てだとは思えない。俺は三人に注意を促し、再び周囲を警戒しながら歩き出した。  








 それから二時間程経った現在、あれから俺たちはモンスターの引切り無しの襲撃に遭っていた。

「――後方二匹、来るぞ! 前方二匹は俺がやる……!」

 何度も連続で襲われる状況が続いたため、結構時間は経っているが、歩みは全然進んでいないような気がする。

 今まで俺たちの前に現れたモンスターは三種類。
 額に10センチ程の角を生やした、体長70センチ強の焦げ茶色の巨大ネズミ型モンスター、《ホーン・ラットル》レベル3。
 体長2メートル強の紫色のトカゲ型モンスター、《フォレスト・リザード》レベル3。
 体長1.5メートル程、幅2メートル程の球根に大きな口と花が付いたモンスター、《プレデット・バルブ》レベル4。

 これらのモンスターは、一匹一匹はそれほど強いという訳ではない。
《ホーン・ラットル》は動きが早く攻撃が当たり難いが、攻撃力の高い角攻撃にさえ気を付けていればソードスキルを使えば一撃で倒せるほどにHPも防御力も低い。

《フォレスト・リザード》は背後からの攻撃に弱いようだ。小回りが利かないようなので、一人が正面に立ち、もう一人が背後から攻撃すれば楽に倒せる。しかし、あまり近づき過ぎると毒のある牙で足を噛まれる。一度ルネリーが噛まれて、俺たちの中では初めてとなる毒状態というものになった。そのときはすぐに後退させて解毒ポーションを飲ませたので大事にはならなかったが、ルネリー曰く。

「すっっっごく気持ち悪かったです! なんかこう、お腹の中をぐるぐると回ってるような、頭をガンガン叩かれてるような……もう毒はいや――って感じでしたぁ……」

 ということを、身振り手振りと涙目付きで力説していたので、それを聞いた俺たちは一層注意をするようになった。

《プレデット・バルブ》は動きが遅い。球根から生えている幾本もの細い根全てを使って自身を支えながら動いてるので、人が歩く程の速度しか出せない。しかし、球根の頭頂部に付いている赤い花からはキラキラと輝く花粉を噴出し、球根の根元付近にある大きな口からはシュウシュウと嫌な音を立てる液体を吐きだす。花粉は輝いていて視認でき、漂う速度も遅いために避ける事は可能。口から吐き出す液体も、通常開きっぱなしの口を閉じて、唾を溜めるようにもごもごした事前モーションがあるため楽に避けられる。頭頂部の花は斬り落とすことが可能らしく、斬り落とした後は液体噴射にさえ気を付ければ特に問題無く倒せた。

 だが問題なのはその数だった。一匹では弱いとはいえ、それが三匹、四匹と現れれば対応も変化させざるを得ない。
 現在はルネリーたち三人でモンスター二匹を相手にさせ、残りは俺が相手をするという戦法をとっている。戦運びに関して、まだまだルネリーたちでは二匹までがせいぜいだろう。対する俺はというと、この程度なら何匹でも変わらないが、如何せんやはり攻撃力不足が否めない。
 NPCの少女を守りつつ、三人の様子を見ながら自分の担当であるモンスターを相手にするとなると、せいぜい三匹が限界だ。担当が四匹以上になると、敵の攻撃を防ぐことに手一杯となり、時間を稼ぐことくらいしか出来なくなる。
 しかし、今はルネリーたちがいる。ソードスキルを使った連携を覚えたこの三人は今や攻撃力では俺の一歩前を行っていると言わざるを得ない。二匹以下なら三分もかからず倒すことが出来るので、俺は三人が援護に来るまでの時間を敵の攻撃を弾いて耐えていればいい。
 ルネリー、レイア、チマ。この三人は俺の想像よりもずっと早く成長してくれた。既に俺が、三人に援護を頼めるくらいに。師匠としては、そんな自分が情けなくも思うし、手のかからない弟子たちに少し寂しくも思う。
 だが、SAOというゲームでの戦う仲間だと思えば、寧ろその成長は喜ばしいし、頼もしいことだ。
 戦術面では俺が補い、攻撃力では三人が補ってくれる。
 これは俺だけが思っていることかもしれないが、俺は三人を――《戦友》だと思い始めていた。







「レイア! チマ!」

 ルネリーの声で二人が、現在戦っている《プレデット・バルブ》の背後へ、左右から回りこむ。
 そして、レイアが剣技(ソードスキル)《ホリゾンタル》で頭頂部の花を切り落とし、同時にチマが彼女の最も得意とする縦軌道の斬撃技《バーチカル》で敵の背中を斬り払った。

「…………」

 三人が特に苦戦をしていないことを横目で見ながら、俺は目の前のトカゲに体重を乗せた下段突きを放つ。
 俺が相手にしているのは、角ネズミと紫大トカゲだ。……はっきり言って、弱い。
 基本的に頭は良くないのか、軽く速めのフェイントをかければ、狙い通りの動きをしてくれる。
 HPの少ないネズミを最初に倒せば後は簡単だ。リーチのある槍での攻撃には、リーチの無いトカゲでは歯が立たない。一定の距離を保ちつつ弱点である頭に幾度も切っ先を突き立てれば、ソードスキルを使わずとも倒すことが出来た。

「ふぅ……終わったか」

 襲いかかって来た四匹のモンスターを倒し終え、再度《索敵》をかけながら周囲を見渡す。
 敵の反応が無いことを確認してから、ようやく槍を構えたままの残心を解いた。

「ハァァァ~……。もうこれで二十七回目の襲撃ッスよ? さすがにそろそろしんどくなってきたッスよぉ~」

 チマの言う通り、俺たちは一息吐く暇も無いくらいのペースで、此処に来るまでに既に二十七回もの襲撃を受けていた。更に一回一回が二匹以上の混在モンスターのPTでもあった。一匹一匹の対応が違うものを同時に対処するというのは、確かに精神をかなり擦り減らす。

「……そうだね。武器の耐久値も半分を切ってるし、そろそろ村に着きたいね」
「ねぇねぇ、あとどのくらいで着くの?」

 精神的疲労ゆえの溜め息を吐いているレイアの横で、特に疲れた様子を見せないルネリーが中腰になってNPCの少女に訊いた。

「うーんとね、あと五分も歩けば着くと思うよ?」
「そっか、じゃあ後少しだねっ」

 笑顔で答える少女に、同じく笑顔で頷くルネリー。

「…………」

 ――しかし、改めて考えてみるとかなり不可思議だな……。

 こんな年端もいかない少女が、化け物の犇めく森の中に居たということもだが、案内をしてくれている最中の挙動も可笑しい。
 こちらとしては出来るだけ武器を振り回せる広い空間を移動して貰いたいのだが、この少女は近道だからと木々の茂る狭い場所ばかりを通る。モンスターが現れればその場に頭を抱えてしゃがんで震えているのに、居なくなればさっきまで怯えていたのが嘘のように笑顔で歩き出す。更に、こんな道しるべも無いような場所で迷いも無く村に向かえることも可笑しければ、先ほどのルネリーの質問に答えたように、正確にあと何分と答えられるというのも可笑しい。
 それら全てをNPCだから、と片付けてしまうのが一番手っ取り早いのだろうが、個人的にはそれでは納得が出来ない。
 まあだが、見る限りルネリーたちは気にしてはいないようだ。俺一人、答えの無いことを考えていても仕方ないか……。
 俺は思考を切り替え、再度周囲に《索敵》をかけた。

「…………!」

 ――居る。

 姿は木々で隠れて見えないが、赤いカーソルだけは視界に映っている。正確な距離は解らないが、そう遠くは無いだろう。
 俺は横を歩く少女の前に移動しながら、後方にいる三人に声をかける。

「……敵だ。前方に一匹。お前たちは少女を守れ」
「! ……は、はいっ」

 三人に指示を出し、俺は周りに他のモンスターが居ないことを確かめてから、前方の敵のもとへと走った。
 このNPCの少女は、俺が敵を見つけたと言っても歩みを止めはしない。自分で視認してからでないと絶対に止まらないのだ。そのため、不意打ちを防ぐ為にはある程度こちらから先攻を取らなければ不要な危険を招きかねない。俺は隠れている敵に向かって囮となるべく先行した。

「…………っ」

 少女から25メートル程先行した場所。藪を抜けると、そこには――。

「ギギ、ギーッ!!」

 初めて見る《人型の異形》が居た。
 名前は――《ロウアー・ゴブリン》。
 身長1.5メートル程で深緑色の荒れた肌。大きい口にギザギザの歯、ボロボロの腰布以外は何も身に着けていなく、棘の付いた短い棍棒を右手に持って振り回している。

「…………」

 人型のモンスターと戦うのはこれが初めてとなる。今までは動物か植物を模したモンスターだけだった。《はじまりの街》の図書館で読んだ資料によれば、人型のモンスターはソードスキルさえも扱うらしい。
 普段、自分たちが頼りにしている攻撃力が、そのまま自分に返ってくるのだ。これほど恐ろしいものはないだろう。

 ――だが……何故だ? 何故、俺はこんなにも落ち着いているんだ?

 目の前で奇声を放っているモンスターに、俺は脅威を全くと言っていいほど感じて無い。

「ギーッ!」

 ゴブリンが大口を開けて棍棒を振りかぶりながら飛びかかって来た。

「…………」

 右手を斜め上に棍棒を振り上げているゴブリン。この形から予測出来る攻撃パターンは《斜め軌道の叩きつけ》。攻撃のリーチは、腕と棍棒の長さを合わせても1.2メートル程か。
 俺は左半身を下げることでゴブリンの攻撃を避ける。棍棒を下に振り切ると同時に、後退跳躍しながらゴブリンの喉仏に刺突を放つ。

 ――何だ……?

 頭の中が冴え渡っていくような感覚。
 敵の動きがよく見えて筋肉の緊張と間接の動きから、相手の次の行動が解るこの感覚。

 ――この感覚は……どこかで……。

「……ギッ、……ガッ、……グエッ!?」

 ゴブリンの行動に先回りしておくように槍の切っ先を放つ。前に踏み出そうとする足へ、棍棒を振りかぶろうとする腕へ、攻撃を避けて後ろへ回りこんだ俺を視認するために振り返ったその大きな頭へ。
 相手の行動を読み、相手から当たってくれるように攻撃を仕掛ける。

 ――これは、この感覚は……そうだ。師匠との稽古だ。

 相手の動きから次の攻撃の気配を読み取り、それを逆手にとって自身の攻撃を当てる。
 動きがよく見えると思ったのは相手が人型だからだ。強敵だと思っていた人型こそ、俺が長年続けていた師匠との稽古を思い出し、逆に行動を読むことが容易となる。
 二本の足が大地を掴む様子で重心の位置を感じ取り、腕の振りと武器の位置から攻撃の軌道を読み取り、視線から相手の狙いを予測する。
 敵の動きが解る。狙いが解る。

 ――そうか。これが……俺がこの十五年間で、師匠との稽古で得た物なのか。

 それはどこか虚しくもあり、この状況においては嬉しくもあり、何とも複雑な気持ちだった。

「ギ……ギィ――ッ!」
「!?」

 既にHPバーは二割を切っているゴブリンの動きが一瞬止まったかと思った矢先、突如その動きが加速して橙色の光に包まれた棍棒が俺に迫ってきた。

 ――迂闊っ、ソードスキルか!

 このSAOの世界特有の技である《ソードスキル》。師匠との稽古では――現実世界では有り得なかった技を失念していた。如何にその動きが遅く見えても、ソードスキルは動きを加速させて実力以上を攻撃を放つことが出来る。

 ――この攻撃は避けることは出来無い……っ。

「……ぐっ、う」

 そう思った俺は、あえて左腕で相手の技を受けた。この木柄の槍では攻撃を受けると耐久値の減少が大きい。HPはポーションで回復出来るが、武器は街か村の武器屋、鍛冶屋でしか直すことは出来ない。この場面では俺は先のことを考え、自分のHPよりも武器の耐久値をとった。

「…………っ」

 相手の攻撃を受けた左腕に痺れた感覚が残る。喰らったソードスキルの効果か、この戦闘中は使うことが出来なさそうだ。
 これは俺の不注意だ。相手がソードスキルを扱うことも、ソードスキルが能力以上の攻撃を放てることも知っていた。
 しかし、自分の十五年を懸けた稽古の成果を感じることが出来たのが嬉しくて浮かれていた。

「……未熟」

 だが、もう覚えた。次からは同じ失敗はしない。
 ソードスキルの技後硬直から解き放たれたゴブリンがこちらを向いた。
 俺は未だ痺れる左手の変わりに、左の肩に槍を中腹を置き、相手にやや背中を向ける形で半身で構える。

「ギーッ!」
「……」

 ゴブリンは再びソードスキルを放ってきた。恐らく俺に一撃入れて気を良くしたのだろう。
 しかし、今度は問題無く避けれる。ただで攻撃を受けるほど俺も甘いつもりは無い。
 今までの経験から、ソードスキルには三つの弱点があると考察できる。
 一つは初動の形に構えたとき。システムアシストが起ち上がるための硬直が一瞬だけ生じる。これでソードスキルが出ることを予測できる。
 二つ目は初動の構え。その構えの形は技によって一つ一つ違うらしく、一度見ればその構えから技を割り出すことができる。
 三つ目は技後硬直。技さえ避けてしまえば、その後は数コンマ無防備になっている所を攻撃できる。
 ゴブリンの初動でソードスキルによる攻撃とその技を察知し、攻撃範囲外に移動することで避ける。
後は技後硬直で固まっているゴブリンの頭目掛けて攻撃するだけだ。
 左肩を発射台のように滑らせて勢いがついた所を体を回転させて更に押し込むように刺突を放つ。

「グ、ギーッ」

 正確に眉間を貫かれたゴブリンは、パリーンという破砕音と共に粉々に砕け散った。

「……ふぅ。…………んく、んく」

 俺は槍を地面に突き刺し、腰のポーチから回復ポーションを取り出して飲んだ。渋味と酸味の混じったような味が口に中に広がるのを感じながら、俺は自分のHPを見る。

 ――六分の一、といったくらいか。

 武器で受けなかったにしては思ったよりダメージが少ない。当たる瞬間に僅かに後方に下がったことが功を奏したか……。
 少しずつだが回復していくHPを確認した俺は、周囲に《索敵》をかけた。








「キリュウさーん、大丈夫ですかー!?」

 間も無く俺が来た方向から三人と少女が現れた。
 三人は俺を心配そうに見ていた。恐らく俺のHPが減ったことを見て不安になったのだろう。

「……ああ。少し油断したが、大丈夫だ」

 俺の言葉を聞いて安堵の溜息を吐く三人。その様子を見て、俺はこの三人の師匠として、これ以上心配をかけるわけにはいかないと思った。
 ――もう、決して油断はしない。
 そう俺は固く心に決めた。

 その後暫くすると、俺たちは大きく開けた場所に出た。
 そこは森に隠れるように存在する村だった。周りを簡素な木の塀で囲んでいる二百人も住めなさそうな小さな村だ。
 村の入口であろう小さな門に着くと、NPCの少女が俺たちの前で振り返って両手を広げた。

「此処がわたしの村、《エウリア村》だよっ」

 疲労困憊な俺たちとは正反対に明るい声で少女が言う。
 ようやく着いた。言葉は出さずとも皆同じ思いだったに違いない。
《ロウアー・ゴブリン》を倒した後は、二匹以上のモンスターが同時に現れるといったことは無く、それは非常に助かった。武器の耐久値も既に三分の一を切っていた事もあるが、何より休み無しの連続戦闘にこの三人がかなり精神的に参っているのを感じていたからである。

「……だが、まずは武器を修理しなければな」

 誰に言うでもなく小さく呟く。
【少女の護衛】というクエストは、彼女の家に辿り着かないと終わらないらしい。
 三人を早く休ませてやりたいという気持ちも勿論あるが、それよりも武器の耐久値が全快ではないという状況に不安を感じる。
 何故なら、この村の敷地内に入ったときに視界に出た【エウリア村】という表示の上に、《はじまりの街》では見慣れたあの文字列が出なかったからだ。
 そう、この村は――《犯罪禁止(アンチクリミナル)コード圏内》ではないのだ。








「ここが、わたしのお家よ」

 少女の案内の最終地点は二階建ての小さな家だった。小さな家、と言っても周りにある家と比べてという意味で、現実世界で見れば結構な敷地があるのではないだろうか。
 少女に続いて家の中に入った俺たちは、少女の母親にお礼を言われてクエストを達成した。
 クエストの報酬はこの家での一宿一飯と、かなりの量の経験値だった。正直苦労した割には大した報酬ではないが、こんな小さな村の更に小さな家の一家庭にそれを求めるのもどうなのだろう、とは思う。
 しかし今回の報酬の経験値で、あの三人はレベル5に上がることができた。また一つ、三人が死の危険から遠ざかったことに安堵しつつ、逆に更に自分たちは取り返しのつかない場所へと向かってしまっているのではないか、という思いも俺は感じていた。
 レベルが上がったことを喜んでいた俺たちに、少女の母親が午後六時ちょうどに夕食を用意するので、それまで村を見て回ってきてはと提案してきた。
 現在は午後一時半。夕食までの暇潰しとして、俺たちはまず武器の修理を行うことにした。
 少女の母親に教わった場所に行くと、商店街とも言えないようなまばらに店が並んだ場所に、鍛冶屋の印である金鎚のマークの付いた看板を見つけた。

「……いらっしゃい。珍しいな。こんな辺鄙な村によ」

 店に入った俺たちを迎えたのは、物語に出てくるドワーフもかくやと言った大層な髭を蓄えた背の低い初老のNPCだった。
 はじまりの街では鍛冶屋と武器屋は別々だったのだが、この村では全てを鍛冶屋が担っているらしい。内装は殆ど武器屋と変わらないが、武器に混じって包丁やら鍬やらが棚に並べられている。そして、カウンターの向こうには鍛冶工房も見えた。

「……店主。武器の修理を頼みたい」
「あいよ。んじゃ、武器を出してくんな」

 俺たちはカウンターの上に自分たちの武器を置いた。武器が《非オブジェクト状態》の場合はウィンドウ上でのやり取りの方が楽だが、《オブジェクト状態》ならばそのまま渡すことも出来る。

「んーと、全部で二十分ほどかかるな。ここで待ってるか? それとも後で取りに来るか?」

 ――余り武器の無い状態で動き回りたくは無いな……。

 NPCの問いに待っていると答えた俺たちは、暫く店内を見ていることにした。



「おお!? この包丁、武器にもなるッスよ! カテゴリ《ナイフ/ワンハンド》、固有名《キッチンナイフ》。ぷくく、そのまま過ぎッスよ!!」
「……フライパンとかフォークとかも武器として装備できるみたいだね」
「ねーねー、やっぱりあったよー! 見て見てっ、お鍋ヘルメットとお鍋の蓋の盾~!」
「…………」

 さっきまで青い顔をしていたというのに、今はもう三人は元気に店内を物色している。
 それが悪いとは言わないが、何故だろうか。あの三人の子供のような光景を見ていると、逆にこちらは老けてきたのではないか、という思いに駆られる。
 そんなことを考えながら俺は、武器の修理が終わるまでの二十分の間、壁に寄りかかって三人のはしゃぐ様子を見ていた。









 その後、修理が終わり代金を払って店を出た俺たちは街の中を散策した。
 軽食屋で遅めの昼食を取り、雑貨屋でドロップアイテムを売ってポーションを補充した後は、各自自由行動とした。
 三人は村にある店を梯子するらしい。俺は村のNPCたちに話しかけて情報収集をしていた。
 NPCの持つ情報というのは結構重要だ。噂の様な荒唐無稽の話が、本当にあったりすることもある。しかし、それらが全てプレイヤーたちにとってプラスとなるかは、また解らないが。

「旅人さんや、色んな話が聞きたいのなら村長に訊くのが良いぞぃ」

 俺が今、話しかけていた老婆のNPCがそんなことを言った。

「……その村長は何処にいる?」
「ほら、あの家だよ。この村の中央にある赤い屋根の大きい家がそうさね。……ああ、そう言えば今日は出かけると言っていたね。確か戻ってくるのは明日の昼頃という話だから、明日時間があれば訪ねてみるとええ」

 ――NPCが出かける? いや、それとも昼間にしか会えないということなのだろうか……?

 何か妙な感じはするが、NPCに話を聞きに行くだけなら心配はないだろう。
 とりあえず、俺は明日村長の家を訪ねることにした。








 そしてNPCの少女の家に泊まった翌日。
 俺たちは朝から森で一狩した後、武器の修理と持ち物の整理をしてから、丁度お昼頃に村長の家に向かった。

「なんか面白いお話聞けるといいねー」
「……これまでの傾向からすると、お話を聞くとクエストが受けられるって感じかな」
「それならそれで、簡単なクエにして欲しいッスね~」

 俺の後ろを歩く三人はいつも通りの会話をしている。
 昨日の経験から学んだのか、今日の狩りでは一段とキレの良い連携を三人は見せていた。
 モンスターと言えども行動パターンと弱点が解れば怖くはない。俺たちは着実に強くなっていると感じた。
 だが、一つ気になることもあった。結局、《ロウアー・ゴブリン》はあの一度きりしか出てこなかった。護衛クエスト限定のモンスターだったのか。それともただ個体数が少ないだけなのか。

 そんなことを考えていると、目の前に大きな家が見えた。このエウリア村の村長の家だ。
 赤い屋根付きの立派な玄関の扉を、俺はノックした。

「はーい」

 家の中からは初老のご婦人と言った感じのNPCが現れる。
 村長の話が聞きたいという旨を話すと、そのNPCは俺たちをリビングと思われる広い場所に案内した。

「へ~、良い感じの調度品みたいなのも…………え?」

 家の中を見回していたルネリーがリビングを見て固まった。
 そこには――


()だぁ? やけに此処にプレイヤーが集まるなぁ、オイ」
「……偶然にしちゃ、出来過ぎてますね」
「お、可愛い子いるじゃんっ」


 そこには、十人以上もの武器を携帯した者たち――プレイヤーが集まっていた。
 何故此処に? そんなことを考えている俺たちに、更に追い討ちをかけることが起こる。


「――村長! 大変です! 魔物の群れです!」
「!?」


 俺たちの後ろから、突然リビングに入って来て叫んだ男。
 

 その男の言葉に、俺たちだけではなく、その場に居た全員が息を呑んだ。




[34210] 3.後ろではなく
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 20:32
 どもども、お久しぶりッス!
 わたし、チマこと筑波(つくば) 佳奈美(かなみ)でございますッス。
 さて、何か変なことになってきましたッスね。
 村長さんの話を聞こうとして、村長宅に来たのはいいんだけど、何故かそこに居たのは十人以上ものプレイヤーたち。
 そして、それに驚くわたしらの後ろから現れた「魔物の群れです!」と叫んだ中年のおっちゃん。
 何と言うか、ネリーの言ったとおり、冒険(やっかい)な臭いがぷんぷんしてきたッスねぇ……。









「……魔物の群れ、じゃと? どういうことじゃ、ドルマン」

 リビングに犇くプレイヤーの人たちの後ろから、髪やら髭がフォッサフォッサのお爺ちゃんが現れた。多分このお爺ちゃんが村長なんだと思う。頭のカーソルの下に【NPC】ってあるし。

「は、はい。先ほど、狩りをしていたウルジが魔物の群れがこちらに向かっているのを確認したそうです。報告によるとあと二時間ほどでこの村に到着すると……」
「な、何ということじゃ……っ」

 中年のおっちゃんとフォサフォサのお爺ちゃんが何か深刻そうに話している。すっごく真剣そうなんだけど、第三者的な位置から見てるとお芝居っぽく見えていまいちシリアスになり切れないよね。
 そんなことを考えていたら、お爺ちゃ……村長さんが室内のプレイヤーを見渡して言った。

「……申し訳ありませぬ、冒険者の方々。此処に集まって下さったのも何かの縁。どうか魔物の群れからこの村を守っては頂けませぬか?」

 言い終わると同時にお爺ちゃんの頭の上にピコリンと金色のハテナマークが現れる。

【クエスト:エウリア村防衛】

 えー、まっさか~……。

「…………レイド……クエスト……なのか?」
「?」

 今まで驚いて黙っていたプレイヤーの一人、灰色髪オールバックの盾剣士のお兄さんがボソッと呟いた。

「レイドクエストだぁ?」

 オールバックさんの横に居る赤髪ロンゲ槍使いの柄悪いお兄さんがリピートアフタヒー。
 その言葉にオールバック盾剣士がお爺ちゃんから目を離さずに頷く。

「《大規模戦闘(レイド)クエスト》。複数のPTで挑むこと前提の大規模クエストだ。大規模というわりには人数が少ないが……。恐らく今の状況から考えて、正午ちょうどに村長の家に約二十名のプレイヤー、もしくは4パーティー以上が集まることでこのフラグが立つ……ということかな」
「ちょっと待てよっ。SAOにレイドはボス戦以外に無かったんじゃないのか? 少なくともベータじゃ無かったって聞いたぞ?」

 オールバックさんの影に隠れて見えない人が言った。

「いや……だが、もうSAOは変わった。今ならベータじゃ無かったことがあっても不思議じゃないだろう? それに、ただベータ期間中にフラグが見つかってなかっただけ、とも考えられる……」

 ――大規模戦闘(レイド)クエスト……。ん~、名前からして嫌な予感しかしないッスねぇ。

「ちっ……おい、おっさんっ。魔物の群れとやらの数はどれくらいなんだ?」

 赤髪ロンゲさんが舌打ちしてからNPCのおっちゃんに訊いた。

「え、ええと、報告によれば二百匹ほどだと……」
「!?」

 おっちゃんが言ったその数に、一部を除いたプレイヤーたちが驚愕に絶句する。
 正直、わたしも驚いた一人だ。
 ――うぇ~無理ッスよ無理ィ! ようやく五匹同時襲撃に慣れてきたと思ったのに、二百匹同時なんて勝てるわけ無いッスよー!? いくらなんでも増えすぎッス!
 と、そんなわたしの肩に手を乗せる人物がいた。我らがキリュウさんである。

「……問題無い。此処には二十人のプレイヤーが居る。一人十匹倒せばいいだけだ」
「あ……た、確かに……」

 思わずわたし以外のプレイヤーもキリュウさんの言葉に納得してしまったようだ。此処ら辺のモンスター十匹程度ならまあギリギリ何とかなるんじゃないかなぁと思ってしまった。

「……そう簡単にいくか?」

 そうキリュウさんに向けて言ったのは、金髪サラサラヘアーの――――オタクっぽい太った男の人だった。

「俺はベータテスターじゃねぇが、テスターのSAOスレは暗記するほど読みまくったぜ。はっきり言ってSAO(ここ)のサドさは誰もが愚痴るレベルだ。通常フィールドでさえ一箇所に百匹を超える湧出(POP)が出ることもあるらしいしな。まあ、その大抵が何らかの罠だったみたいだが……。それからすれば、襲ってくるのが二百匹しかいないなんてレイドクエだっつぅわりには敵が少な過ぎる。……何かあると思ったほうが良いと思うぜ?」

 ――眼つきわっるぅ……。

 なんであんなに世の中舐めきってますー、みたいな荒んだ目をしてるんだろう。
 というか、通常フィールドでも百匹以上とか……罠には気を付けよう、うん。
 でも、あの金髪デ……ポッチャリさんが言うことも一理ありそう。あの人は多分わたしのイトコの同類だ。二次元に全てを懸けちゃってるような人だ。きっとSAOを始める前に色んな情報を集めてたんだろうと思う。わたしのイトコも、そういうのに無駄に時間を注ぎ込んでたのを覚えている。
 うわぁ、奴のことを思い出したら目の前の金髪デ……ポッチャリさんのこと、なーんかムカついてきたぁ……。

「……つぅことは何だぁ? 強ぇモンスターがうじゃうじゃってことか?」

 話を聞いていた赤髪ロンゲさんがデ……ポッチャリさんに訊いた。

「っ……そ、それは解らない。だけど、SAOの難度決めた奴がドSってのはベータやってた奴らの殆どが言ってたみたいだからな。その可能性は高いと思うぜ」

 柄の悪い赤髪ロンゲさんにちょっとビビったのか、ポッチャリさんが最初ドモッた。ぷぷ。

「じょ、冗談じゃない! ここまで来るのだってかなり苦労したんだ! お、俺はやらないぞ! ……そうだ。あと二時間もあるんならこの村から逃げることも出来るじゃないか!?」

 また別の人だ。短いツンツン黒髪の神経質そうな男の人が叫んだ。そして、その人は仲間の人たちを促して部屋を出て行こうとしている。

「お待ち下され。今、村の外に出るのは危険ですぞ」
「……はぁ!?」

 村長さんの言葉でツンツンさんがドアの前で振り返った。

「あと二時間で攻めて来るということは、ここら一帯の魔物が集結しているはずです。つまり周囲の魔物の数も増えているでしょう。普段以上の数の魔物に襲われる可能性があります」

 ――えーと? ということは、今外に出るとめっちゃモンスターとエンカウントするってことッスかね?

「なっ…………クソッ!」

 ツンツンさんがヒステリックに近くの壁を殴る。バンッという音と一緒に出た【Immortal Object】という破壊不能の表示が少し間抜けだ。

「……状況的に考えて、村から逃げたほうが危険だと思ったほうがいいかもしれないな。街道では敵に包囲される恐れもある」

 シーンとなった室内にキリュウさんが呟きが響く。……何ていうか、状況が逼迫しすぎてわたしらワキ役は発言出来ないッスよっ!?

「んじゃあ全員に確認するが……このクエストはかなり危険なクエストらしい。逃げるのも無理そうだしな。ここは協力するのが一番だと思うが、異論のある奴ぁいるか?」

 赤髪ロンゲさんが此処に居るみんなを見渡して言った。

 ――っていうか、何であんたが仕切ってるんスかー!? なーんかムッと来るッスねぇ……っ。

 ロンゲさんの言葉に一部渋々ながらも全員が頷いた。
 それが合図だったのか、村長さんの頭の上のハテナがビックリマークに変わった。更に視界の隅に時限爆弾なノリのデジタルなカウントダウンが現れた。
 モンスター襲撃までの残り時間【1:59】

「よしっ。んじゃまずはお互いの自己紹介と戦力の確認からするか。時間無ぇから簡潔にな。……俺の名はリック、この五人のパーティーリーダーをしている」

 何故か仕切りだした赤髪ロンゲ――リックさんが自分の後ろの五人を指差しながら簡単に自己紹介をした。長槍一人、盾剣三人、短剣二人の六人PTで、この村へは《はじまりの街》からあの村長さんを護衛するクエストで来たらしい。

 ――なるほど。だから昨日は村長さん居なかったんスね。でも、この村にはどうやって来たんだろ?

 わたしたちと同じ道……なわけは無さそうだけど。別の道があったのかな。
 次にリックさんの隣のオールバックさんが口を開いた。

「僕はクラウドだ。五人PTのリーダーをしている。全員盾剣士だ。この村へはNPCに聞いて来た」

 ――むむむ。同じ盾剣士でも装備がちょっと違うみたいッスね。色違いもあるようッスし……。

 わたしらもちょっとは差別化というか、全く同じ装備ってのはやっぱりねぇ……うーん。
 オールバック――クラウドさんのPTにはあの金髪ポッチャリさんも入ってるようだ。
 ていうかNPCに聞いて来た? わたしらの来た道かな? それとも、NPCによって教えてくれる道が違うのかな。  
 と、さて次は……おお、ついに我らがリーダー。キリュウさんです。

「……キリュウと言う。一応、この四人PTのまとめ役をしている。PT構成は長槍一、盾剣士一、片手剣二。同じくNPCにこの村のことを聞いて来た」

 ――なんかキリュウさんが喋ると、こう、背筋がピーンとなる感じがするんスよねー。他の人とは何処か違う雰囲気を持ってるって言うか……。

 わたしが腕を組んで、うんうんと頷きながらそんなことを考えていると、最後の一人であるさっきのヒステリックなツンツンさんが吐き捨てるように言った。

「……ジョーストだ。五人PTのリーダーをしている」

 ――え……それだけッスか? てか、どーやってこの村に来たんスかー!?

 わたしはあくまでもペコ○ゃんみたいなすまし顔でジョーストって人に脳内抗議をしていた。

「……と、一応の自己紹介は終わったな。まだ時間はあるが、何か言っておきたい奴いるか?」

 リックって人がまたもや仕切る。でもこの人、仕切るわりには他人任せな言い方だよね……。
 自己紹介にもなってない自己紹介だったけど、それでも全員の顔合わせ的なものは出来たみたいだった。
 でもあれだね。正直、女子ってわたしらしか居ないっていうか……すっごく視線を感じます。いや自意識過剰とかじゃなくてっ。
 みなさん、きっとわたしらよりも年上だ。高校生……にぎりぎり見えるか見えないかぐらいの人たちばっかり。ほとんど大学生とかかな。

「……ドルマン、と言ったか。……質問がある」
「は、はい。なんでしょう?」

 キリュウさんだ。うーん。ほとんど年上しか居ない状況で発言できるって、考えてみると凄いよね。っていうか、キリュウさんあの乱入おっちゃんNPCの名前覚えてたんだ……。村長さんが確か言ってたような気はしけど、特に覚えてなかったよわたし……。

「……魔物の群れとやらは何処から来る? 俺たちは村の何処を守ればいい?」

 ――おお……! 確かにそれは大事だ。っていうか、そんな当たり前のことに気付かなかったなんて……。

 周りを見るとわたし以外も「おおぉ……」てな顔してる人が何人もいる。きっと魔物の数を聞いて、二百匹との戦いっていうのが強烈でそんな当たり前のことにも気付けなくなってしまったんだと思う。

「あ、は、はい。えーと……」








 そうして始まった作戦会議。
 まず、村長さんが大きな地図を持って来て、リビングにあるテーブルに広げた。
 それはこの《エウリア村》を中心とした周辺地図だった。その地図によると、この村は円形をしていて、村の六割を森に面し、四割が川に面している。森と川に挟まれた位置にあるようだ。そして木の塀に覆われた外周には森側に一つ、川側に二つの門がある。
 わたしらが入ってきた森側の門。地図を見る限り、こちらは森ばっかりで道らしい道はない。はっきり言ってわたしらが来た方向って通常ルートじゃないっぽいね……。

 あとの二つは、森側の門を頂点とした二等辺三角形の底辺の二点のような位置にある。そして、3つの門からまっすぐ伸びる通りがぶつかるように繋がっている。
 大雑把に言えば、○な村の中にYな道がある。エウリア村はそんな形だ。
 ちなみに、Yの下に伸びている道の先端にある門がわたしらの入ってきた門で、Yの左上側の門が他のみなさんが来た門。右がはじまりの街から遠ざかる、つまり先へ進む門らしい。

 ドルマンっていうおっちゃんNPCが聞いた報告によれば、魔物の群れを見たのは村の川側二つの門から伸びる街道に挟まれた山だという。
 恐らく二つの門の内のどちらか、もしくは両方から攻めてくるのではないかとの村長さんたちの見解だ。
 それを聞いたプレイヤーの一人が、門以外からの、つまり塀を乗り越えて襲撃して来る可能性をNPCの二人に質問したが、それは考えなくてもいいそうだ。何故なら村の外周に面する川はかなり堀が深く、村の中へ入るには門のある場所に作られた石橋を渡るしかないという。

 此処にいるプレイヤーは4PTで二十人。守る場所は二つの門。なので、一つの門に対し2PTの十人で対応するということになった。
 そうなると、四人PTのわたしらは必然的に六人のリックさんPTと組むことになった。
 正直、男の人のロンゲは好きくないのだけど、まあ仕方ないか。
 そして各PTLたちがお互いにフレンド登録をした。どちらの門にモンスターが襲ってくるか解らないので、離れた場所でも連絡が取り合えるようにしておくためだ。

 ふとチラリとカウントダウンを見る。モンスター襲撃までの残り時間【1:32】だった。
 みんな時間は気にしていたようで、早口の応酬みたいになっていたから思ったよりは時間は経ってない。だけど、それでも段々と時間は近づいている。二百匹ものモンスターたちが、この村へ押し寄せて来るその瞬間(とき)が……。








 防衛メンバーが決まって、さて次はどうするという場面に来てクラウドさんが言いだした。

「……そうだ。皆がこの周辺で戦ったモンスターを教えてくれないか? 襲ってくるモンスターの対処法が分かっているかどうかで危険度も随分違ってくると思うんだ」

 クラウドさんの言葉に全員が頷き、各PTの代表がモンスターを言い合った。
 まあ結論から言えば、わたしたちが今まで倒してきたモンスターだけだった。対処法もおおよそ解っているし、味方と離れずぎて孤立とかしなければ十分に戦えると思う。
 これならば、と全員が少しばかりの安堵をしたとき、キリュウさんが発言した。

「……待て。まだ言っていないモンスターがいる」
「?」

 ネリー、レイア、わたし含め、その場にいたキリュウさん以外のプレイヤーが顔に疑問を浮かべた。
 ――はて? まだ出てないモンスターなんていたッスかね?
 キリュウさんPTの一員であるわたしも知らないモンスター?
 横を見るとネリー、レイアも同様に首を傾げている。

「……この村に来る途中で、俺は《ロウアー・ゴブリン》というソードスキルを使う亜人型のモンスターと戦った」

 キリュウさんが全員を見渡しながら言った。

 ――ってあああ! そういや言ってたッスね! キリュウさんしか戦ってないし、わたしらは姿も見てないから忘れてたッス。

 ネリーたちも思い出したようで、そういえば、というような顔をしている。

「!?」

 でも、私たち以外のプレイヤーの顔は、どう見てもかなーり驚愕していた。

「なっ……嘘だ! はじまりの街から此処ら周辺一帯には、まだソードスキルを扱うMOBは出てこない筈だ!」

 リックさんの影に居たひょろひょろなモヤシっ子という印象の男の人が、ジョーストさんの如くいきなりヒステリックに叫んだ。
 怒声というよりは悲鳴に近い声で叫んで、両目を見開いてぷるぷる震えながらキリュウさんを凝視するその人。ほとんど肉の無さそうな体に装備している防具が、かなり不釣合いに見える。

「ああ、(わり)ぃ。こいつはな、《ベータテスター》なんだよ」
「なっ!?」

 リックさんがそのモヤシさんの肩に手を置きながら言った。何故か数人ほど驚いている人が居る。
 《ベータテスター》。
 わたしのイトコも一応そうだったと聞いた。もっとも、仮想(VR)酔いが酷かったらしく、本人は三日で諦めたらしいけど……。
 ベータテスターだったイトコの協力もあり、わたしら三人はSAOを手に入れることができたんだ。
 まあ、そのせいで今大変な目に遭ってるんだけどね……。

「でもコイツよ、テスターのくせに戦闘はからっきしでなぁ。まあ、SAOの知識は人一倍だから? 俺らのPTに入れてやってるわけだけどよ」

 バンバンとモヤシさんの背を叩きながらドヤ顔で言うリックさん。
 っていうか、此処って確か《犯罪禁止(アンチクリミナル)コード圏内》じゃないらしいから、あれでもHP減るんじゃ……?
 わたしがそんなことを考えていると、その人に向かってキリュウさんが言った。

「……嘘ではない。確かに俺は、ソードスキルを使うロウアー・ゴブリンと戦った」
「で、でもっ」

 モヤシさんが何かを言おうとしたのを、クラウドさんが片手を上げて遮った。

「ちょっと待ってくれ。もしかしたら、今の情報は凄く重要かもしれない」

 クラウドさんが指摘したのは、さっきの金髪ポッチャリさん――ボルグという名前らしい――の言ったことだ。 
 先ほどボルグさんが言った、大げさなクエストのわりには敵が少な過ぎる。何かあると思ったほうが良い、という発言。
 はじまりの街からこのエウリア村の周辺まで、普通ならばソードスキルを扱うMOBは居ないらしい。
 少なくてもベータ時代はそうだったと、モヤシさんが鼻息荒く言ってた。
 もしも通常ではこの周辺には現れない亜人型MOBが大量に襲ってくるのだとしたら……。
 それは、未だソードスキルを扱うMOBとの戦闘に慣れていないプレイヤーには、かなり不利な戦いになるんじゃないかと思う。
 そうして話し合った結果、その可能性が高いという結論になり、全員がキリュウさんから《ロウアー・ゴブリン》の特徴と戦い方をレクチャーしてもらった。
 みんながキリュウさんの言葉に頷きながら聞いている様子を見てると、別にわたしが何かしたわけでもないんだけど、なんか得意気な気分になるね。
 ……ちなみに、ベータテスターだというモヤシさん――ネルソンさんは、その後は黙ったままだった。
幼馴染だというリックさん(超ビックリ!)が言うには、先ほどはつい叫んでしまったようだが、普段はヒッキーも逃げ出すほどのすっっっごい人見知りなんだという。ポッチャリさんは「……けっ。テスターだってぇのに、宝の持ち腐れだな」とネルソンさんをずっと睨んでいた。何かベータテスターに特別な感情があるのかもしれない。知らないけど。








 モンスター襲撃までの残り時間【0:58】
 残り、一時間を切った。

「……そろそろ、移動した方が良いな」

 クラウドさんがポツリと言う。
 いつの間にか仕切り役がリックさんからクラウドさんに代わってるけど、それに突っ込む人は居ない。……まあ、正確にはわたしが心の中で突っ込んでるんだけどねっ。
 そうして村長宅のリビングに居たプレイヤーが、ぞろぞろと外に移動する。

 ――あれ? そういえば、キリュウさんて説明会以降発言してないッスね。

 キリュウさんを見ると、なにやら地図を見ながら難しい顔をして考え事をしてるみたいだった。

「……えーと、キリュウさん? あたしたちも行きませんか?」

 ネリーがそんなキリュウさんに声をかける。

「…………ん? ……ああ、そうだな」
「……どうかしたんですか?」

 少し上の空なキリュウさんに、レイアが心配そうに訊いた。
 今、リビングに残っているのはわたしらだけだ。

「……いや、先ほどの話の中で何か違和感を感じたのだが……それが何かが解らないんだ」
「違和感……ですか?」
 
 わたしたち三人が同時に首を傾げた。

 ――ふーむ、違和感ッスかぁ……。正直、話についていけなかったわたしに解るわけもなく……。

 結局、キリュウさんの言った違和感が何かは解らずに、わたしたちは村長宅を出た。









 モンスター襲撃までの残り時間【0:41】
 わたしらはキリュウさんの要望で鍛冶屋にいた。

「あれ? 買いたい物って《それ》だったんスか?」
「……ああ、敵が多いらしいからな。もしもの時のためだ」

 そう言って購入ボタンを押すキリュウさん。
 確かにキリュウさんはわたしらよりも、もしものことが起こる可能性は高い。それを考えたらやっぱり必要かなと思う。
 でもわたしら三人にはキリュウさんのように繊細な動きはまだ出来ない。だから動きを妨げるような余計な重さは極力なくした方がいいとのことなので、わたしたちは何も買わなかった。








 モンスター襲撃までの残り時間【0:19】
 防衛担当であるエウリア村の川側の左の門に着いたわたしたち。
 教えてもらった通り、村の外周のこちら側の塀は深い川に面していて、門へは幅約6メートル、長さ約10メートルほどの石橋を渡る他は辿り着けそうにない。守るには良い場所だと、素人意見だけどそう思う。

「お、ようやくご到着か。逃げたかと思ったぜ」

 先に来ていたリックさんがニヤニヤしながら話しかけてきた。……てか、わたしらをジロジロ見るのはやめて欲しいッス。
 ここでこの門の防衛担当メンバーを改めて言うと、

 キリュウPT:キリュウ(長槍使い)、ルネリー(盾剣士)、レイア(片手剣士)、チマ(片手剣士)

 リックPT:リック(長槍使い)、ネルソン(短剣使い)、その他の人(盾剣士×3、短剣使い×1)

 こんな感じ。
 右側の門はクラウドPTとジョーストPTの担当だ。正直さっきヒステリってたジョーストさんが逃げ出さないかすっごく不安……。
 2PTで協力するといっても、いきなりの連携なんて逆にお互いの足を引っ張り合う結果になりかねない。なので、基本的には各PT自身で何とかする。でも、助けを呼んだらお互いに出来る限り助ける。話し合った結果そういう事になった。








 モンスター襲撃までの残り時間【0:12】
 もう、何処に行くということも出来ない。
 この場に居る誰もが、黙って門の外、石橋の向こうをじっと見ていた。

「…………来た……」

 誰かが呟いた。

「……あ」

 全員が目を凝らす。

「…………ひっ」

 わたしの近くいる人が息を呑んだ。

「…………クソがっ」

 リックさんが悪態を吐く。

「う、うわああああああ!!?」

 ネルソンさんが叫んだ。

「キ、キリュウさん……っ」

 ルネリーとレイアがキリュウさんの服を掴む。

「…………っ」

 わたしは――いや全員が、《それ》から目が離せなかった。









 《それ》は最初、門から続く街道の先に揺らめく陽炎(かげろう)だった。
 陽炎は段々と横に広がり、次第に輪郭を確かにしていった。
 透明な揺らめきに色が付き始め、まるで何処か異界から次々と実体化しているような、そんな光景。
 ド……ドドド……ドドドドド……と《それ》がこちらに近づくにつれて大きくなる重低音の地鳴り。
 ギーギー、ギャッギャッと其処彼処(そこかしこ)から聞こえて来る、何故か言いようも無い不安に駆られる耳障りな奇声。
 その地鳴りのような音と、奇声に感じる不安が合わさって、実際に足元が揺れているような錯覚を起こす。
 きっと俗に言う《足が震える》という状態になっていたんだと思う。経験したのは初めてだ。
 そして、ようやく《それ》がしっかりと視認出来る位置まで来た。

「…………魔物の……群れ……」

 ――そう。まさに《魔物の群れ》。それ以外に言いようがない。漫画で見た百鬼夜行の妖怪たちのような数十匹からなる異形の大群。
 確かにそのほとんどは、これまでわたしらが倒してきた種類のモンスターたちのようだ。
 ……だけど、これだけの大群を見ると、それらは何故か《別の何か》に見えてくる。
 別の何か。未知の何か。知らない何か。
 知らない解らないは、人間に《恐怖》という感情を呼び起こす。
 その恐怖は、はじまりの街の外で初めて戦ったイノシシの比なんかじゃなかった。
 さっきまで「なんとかなる」と思っていたわたしの頭に、「あれは無理だ」という思いが生まれる。

 ――やだやだやだっ、逃げたい……っ。此処に居たくないッスよぉ……っ!!

 モンスターの群れのシルエットが段々に大きく鮮明となっていくのと同時に、わたしの両目もじわじわと熱くなっていくのを感じた。
 たぶん、《あれ》を見ている誰もがわたしと同じことを考えていると思う。

 ――あんなの勝てるわけがない。

 理屈では、勝つのは不可能では無いのかもしれない。これはクエストなんだ。つまり、普通なら達成できること前提のモノのはずだ。
 でも……《あれ》は理屈じゃない。
 巻き込まれたら確実な《死》が訪れるという予知にも似た予感。
 大昔の人と人が大勢で斬り合う戦の雰囲気というのはこういうものなのかなと、現実逃避しそうになるわたしがいる。

「……無理…だ。……あんなの、無理に決まってる……っ」

 誰かが震える声で力無く叫ぶ。
 前に茅場晶彦っていう人が言った言葉が、わたしの頭の中でこの状況にピタリとハマった。

『諸君にとって、《ソードアート・オンライン》は、すでにただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ』

 そう、この恐怖は現実のもの。
 こんな無情な現実(ゲーム)に、救いの無い仮想(リアル)に、わたしたちは絶望し、誰もが戦う気力を奪われた。
 奪われたと思った。――なのに。

「……………なん、で……スか……?」

 なんで……なんでなんスか?
 どうしてっ、あんたはそんなにも堂々とっ、まるで日課の散歩にでも行くような自然さでっ、そこまで平然と前に出ているんスかっ!?

 ――キリュウさんっ!!!!








「………………」

 キリュウさんは、目の前の光景に魅入られたかのように身動きの取れないわたしら防衛メンバーの数メートル前、石橋に差し掛かる所までトコトコといつもの無表情で歩いていった。
 そして、ウィンドウを開いて何かを打ち込むような操作をした後、左手に持っていた槍を両手で持ち直し、切先をモンスターの群れに向け――

「っ!?」

 ダンッッッ!! と、いきなり大きな音を立てながら石橋を叩き踏むように腰を落とした。
 当然わたしら全員はその音に驚き、モンスターの群れではなくキリュウさんに視線を向ける。
 わたしらの前で、ただ一人モンスターの群れに立ち向かうかのように構えるキリュウさん。
 この位置じゃ顔を見ることは出来ないけど、その背中は何故か凄く大きく見え、なんでか自分の心を支配していた恐怖もスーっと薄らいでいく感じがする。たぶんそう感じているのはわたしだけじゃないはずだ。
 それはきっと《安心感》によるものなんだと思う。
 想像してみて欲しい。誰もが死の脅威にビビッて絶望している状況で、たった一人だけ平然とその脅威に立ち向かおうとしている人の姿を。
 きっとそんな人がいるだけで、絶望の中に希望が見えてくる。
 一緒に立ち向かおうという想いが沸いてくる。

 ――もうあんた、ほんとスゴイッスよ。キリュウさん……っ。

 数瞬前のブルってた自分のことも忘れて、わたしはキリュウさんを見ながら口が緩むのを感じた。




「…………予想よりも、敵の数が少ないな……」

「は? ……はあああ!?」




 そんなキリュウさんがしれっと呟いた言葉に、今までの雰囲気をぶち壊すくらい全員が呆れたように驚愕した。

 ――って、うお――いっ! あれが少ないってどういうことッスかー!?

 確かに一面を埋め尽くすって程じゃないかもッスけど、何十匹というモンスターが集まってこちらに向かって来てるっていうッスのにっ!
 …………ってあれ? 何十匹(・・・)

「……よく見てみろ。モンスターの数は五十よりは多いかもしれないが、明らかに百も居ない。左右の門のどちらに来るかは解らなかったが、分散している可能性が高いな」
 
 キリュウさんの言葉を聞いて、あたしたちは改めてモンスターの大群を見る。
 ……本当だ。確かに多いは多いけど、最初に聞いていた二百匹という数にはどう見ても見えない。
 ということは、左右の門にそれぞれ分かれて襲撃してきたってこと?
 じゃあ今ごろ反対の門は、二百匹からわたしらの目の前のモンスターの数を引いた数が向かっているってことなの?

「……ん、じゃあ、クラウドたちが守ってる門の方に残りが行ったっつぅのか?」

 リックさんが、声を搾り出す、といったようにわたしが思ったことをそのままキリュウさんに訊いた。

「……それ含めて先ほどメッセージを送ったが……今、返信が来た。……む、向こうにもどうやらモンスターが現れたようだが、どうもその数も百匹は居ないらしいな」

 既に向こうと連絡を取っていたというキリュウさん。……あ、さっきウィンドウ操作してたのはそれか!

 ――ってあれ? 向こうも百匹居ない? どういうことだろう?

 最初の情報では、モンスターは二百匹ということだった。NPCが言ったことだから間違いは無いと思ってたんだけど、そうでもないのかな。
 でも、はじまりの街でNPCに聞いたこの村への道の情報も微妙におかしかったし……。
 NPCの言う事も絶対じゃないのかな。と、そんなことを考えてしまうわたし。
 だから、次の瞬間はホントに心臓止まりそうになるぐらいビックリした。

「――ルネリー! レイア! チマ! 来るぞっ……交戦準備!」
「!? ……ひゃ、ふぁいっ!」

 前を見れば、キリュウさん越しの100メートル向こうには既にモンスターの群れが来ていた。あと一分もしない内に戦闘が始まりそうだ。
 わたしは再びキリュウさんの背中を見る。また心が落ち着いてくるような感じがした。
 思えば、出会ってから今までずっとこの背中を見てきた気がする。
 そして、その背中に何処か安心感を抱いていた。その安心感を何故感じたのか。今なら解る気がする。
 わたしがキリュウさんの背中を見ているということは、当たり前のことだけどキリュウさんはわたしの前に居るということなんだ。つまり……。

 ――ず~っと守ってもらって来たんスよね……。今までずっと、わたしらの前で……。

 今、改めてちゃんと理解した。キリュウさんは、物理的だけじゃなく精神的にもわたしらを守っていてくれてたんだということに。
 それは知ってたつもりだった。あのとき気付いたはずだった。だけど、それが当たり前になり過ぎてて、ちゃんと意識するということをしなかった。

 ――でも、あれッスよね。ずーっと後ろにいるポジションってのは、やっぱり嫌ッスよねぇ……。

 モンスターの群れは、もう50メートルほどの先まで来ている。

「……うしっ」

 わたしはパンッと自分の両頬を叩き、気合を入れた。
 今はまだ、わたしにキリュウさんの隣に並ぶだけの力は無い。
 だけど、いつか……いつか必ず隣(あそこ)にっ。

 ――んで、そのためにはまず、目の前の《アレ》ッスよね。

 もうわたしは、モンスターの群れを見てもそれほど怖いとは感じなかった。
 乗り越えなきゃいけない壁。思ったのはただそれだけだった。

 ――ふっふっふ、覚悟を決めたオンナの強さ……見せてやるッスよ!

 わたしは、迫り来るモンスターたちを睨みながら剣を構えた。




[34210] 4.違和感の正体
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 20:51
 
「………………」

 俺は、(ようや)遠目にだが視認出来るようになった《魔物の群れ》を見渡した。
 此処から見える限りでは、トカゲ、歩く植物、ネズミ、犬などの動植物型モンスター、そしてやはりと言うべきか剣技(ソードスキル)を扱う亜人型モンスターの《ロウアー・ゴブリン》も確認できた。割合は動植物型と亜人型で半々といった感じか。やはり亜人型が多いようだ。
 部隊構成も隊列も何も無く、ただ色々なモンスターが混じり、一塊となって近づいて来る。

 ――ここまでは予想通り、か。しかし……。

 目算だが、敵の数はNPCから聞いていた二百という数よりも少なく見える。百匹も居ない。七、八十匹といった所か。
 左側(こちら)の門にこれだけしか居ないというならば、逆の右側の門にモンスターが集中しているのだろうか。

「う、うわああああああ!!?」

 俺がそう思考していると、近くで叫び声が上がった。……この声は、確かネルソンと言ったか。
 視線だけを動かして周囲を見ると、この場に居る殆んどの者がその顔に恐怖を浮かべていた。

「キ、キリュウさん……っ」

 ルネリーとレイアが、心細さからか俺のコートの裾を両脇から掴む。

 ――(まず)いな……。

 普段ならば、その反応を仕方ないと思うだけだっただろう。何十という敵意、殺意が自分たちに向けられる事なんて、学校での虐めなんかの比ではない。常日頃から殺気や闘気に()てられている訳でもない者たちには、この反応は至極当然とも言っていい。
 しかし、それでは困る。流石にあれだけの数は俺一人では対処しきれない。この場に居る全員の協力が必要だ。

「…………」

 俺は一列に並んだプレイヤーたちの前方数メートルの、石橋に差し掛かる所まで歩いた。
 掴まったままだったルネリーとレイアは急に動いた俺に「……あっ」と驚いて手を離してしまったようだ。心の中で二人に謝罪をする。
 そして俺はフレンドリストを呼び出し、向こうのPTLであるクラウド、ジョーストの両名に同じ内容のメッセージを送った。

『敵視認。此方、亜人型、動植物型、比率一対一混成部隊。敵数百未満。其方ハ如何カ』

 出来るだけ完結にしたつもりだが、少し読みにくさを感じるか? いやしかし、打ち直している暇も無い。
 俺は左手に持っていた槍を両手で持ち直す。

 ――さて、まずは固まってしまっている者たちの意識を戻すか……。

 直立姿勢のまま、俺は重力に身を任せて前に倒れる。そして左足を前に出し、石橋を踏み砕く勢いでワザと大きな音を出しながら四股を踏んで腰を落とす。

「っ!?」

 その音に驚いたのか、プレイヤーたちの視線が自分に集まるのを感じた。

 ――さあ、場の雰囲気に呑まれていた者たちの意識を此方に向けることは出来た。後は、《あれ》に立ち向かえるだけの理由だ。

 無理不可能と思わせるな。可能と思わせろ。
 俺は仲間の士気を上げるため、口を開いた。


「…………予想よりも、敵の数が少ないな……」


 しかし、俺の口から出てきたのはそれだけだった。考えるのは簡単だが、俺のような口下手にとっては言葉にする方が難しいようだ。……むぅ。

「は? ……はあああ!?」

 俺の後ろから、呆れたような叫び声が聞こえる。……確かに。自分でも呆れるような台詞ではあったと思う。

「……よく見てみろ。モンスターの数は五十よりは多いかもしれないが、明らかに百も居ない。左右の門のどちらに来るかは解らなかったが、分散している可能性が高いな」

 だが後悔している時間も無い。モンスターたちは今も尚近づいて来ているのだ。

「……ん、じゃあ、クラウドたちが守ってる門の方に残りが行ったっつぅのか?」

 赤い長髪の男、リックさんが訊いてくる。俺は振り向かずに答えた。

「……それ含めて先ほどメッセージを送ったが……今、返信が来た」

 電子音が鳴り、メッセージが届いたことを知らせた。俺はすぐに開いて読む。

『こちらも同じだ。数も百匹はいないみたいだ』

 先ほどメッセージを送った一人、クラウドさんからの返信だった。ジョーストさんからの返信は未だ無い。

「……む、向こうにもどうやらモンスターが現れたようだが、どうもその数も百匹は居ないらしいな」

 言いながら『了解。健闘ヲ祈ル』と返信をした。

 ――しかし、どういうことだ? NPCから得られる情報の信用性は思ったほど高くは無いというのが最近の認識だが。……何処か違和感が残るな。

 モンスターたちとの距離を計算しながら、俺は答えが出そうで出ないような歯がゆい感覚を味わっていた。

「…………いや、今は目の前の事が優先だ」

 軽く首を振り、誰にも聞こえないほどの小さい声で呟いた後でモンスターを睨む。

「ルネリー! レイア! チマ! 来るぞっ……交戦準備!」
「!? ……ひゃ、ふぁいっ!」

 いきなり呼び掛けた俺の声に、舌を噛んだ様な返事が聞こえた。
 ――落ち着け。いつも通りやれば問題は無い。
 心の中で三人と自分に言う。俺は言葉は苦手だ。故に……行動で示そう。

「……お前たち、《作戦D》で行く」
「え? あ、了解ッス!」
「は、はいっ」
「わかりましたっ!」

 何とか返事をした、という様子の三人の声を確認して、俺はもうすぐ石橋に差しかかろうとしているモンスターの群れに向かって槍を脇に抱えるように持ちながら地を蹴った。

 ギー!   グオー!   ギャー!   ギャッ!  グルウ! 
    ギエー!   ガー!    キー!   グルワァ!

 以前森林の中で聞いた蝉の鳴き声の合唱よりも、数段耳障りな奇声が散弾のように俺の数メートル前から浴びせかかってくる。
 統一性の欠片も無く集団で此方に向かってくる魔物の群れは、まるで暗い濃混色の津波。少しでも気を抜けば、意識もろとも命まで呑みつくされてしまうだろう。

 ――集中しろ……! 師匠との稽古を思い出せっ!

 俺は敵に向かって走りながら、全意識を敵の動きのみに集中させる。
 多勢を相手にする場合、一匹一匹を一撃で確実に倒すことが重要となる。しかし、この《SAO》の世界ではそれは叶わない。いくら急所に当てようとHPが無くならない限り、敵は攻撃の手を止めないのだ。
 故に、まず狙うは敵の足だ。敵は隊列も何も無く固まって向かって来ている。通常の戦ならば、前列にいる者たちの足を止めれば、後続の者たちによる勢いで押され踏み潰され、前列を圧殺することが出来る。このSAOでどうなるかは解らないが、今はそれをやるしかない。
 俺は押し合うようにして石橋を入ろうとするモンスターたちの先頭にいる一匹のゴブリンに、槍の射程目一杯の刺突を放った。

「ハァ――ッ!!」「グェアッ」

 此方に向かってくる敵の勢い、そして敵に向かって走る俺の勢いで、相対速度により威力の増した槍の刺突がゴブリンの腹部に突き刺さる。更にそれがつっかえ棒の役割をなして先頭のゴブリンの勢いを相殺し、その場で急停止。なお向かってくるモンスターの前列にそこだけ凹みが出来た。だが後続のモンスターたちにより、そのゴブリンごと槍も押されてくる。
 俺は槍を引くと同時に一歩踏み込みながら体を捻り、槍の中腹にわき腹を当てて、そのまま速度を上げ槍諸共一回転。周りのモンスターたちの下段に向けて思い切り横に槍を薙ぐ。
 東雲流《弓風(ゆみかぜ)》。
 半径2メートル程の円を描いて、周囲のモンスターを巻き込みながら薙ぎ払った。
 足に攻撃を受けて前列にいた亜人型モンスターたちが転倒し、前列の勢いが一瞬だけ膠着する。

 ――どうなる……?

 普通ならば、後続に踏み潰されて転倒した前列の者は息絶える。……現実の戦(・・・・)ならば。
 しかし、やはりと言うべきか、そうはならなかった。
 転倒したモンスターたちは、《重い障害物》というように後続のモンスターたちに地面をズルように押されている。

 ――モンスターの同士討ちは無理……か。

 前列の膠着により全体の動きが緩やかになったが、それも数秒のことだろう。しかも、レベルが上がり威力も上がった俺の攻撃でも、薙ぎ払った敵には二割ほどしかダメージを与えられていない。
 だが一応《最初の目的》は達した。直ぐに俺は眼前で転倒状態になっている一匹のゴブリンの頭を踏みつけて――

「――はっ」

 モンスター蠢く集団の只中へと文字通り飛び出した。







 俺の能力(ビルド)構成は筋力値と敏捷力値では割合で言うと二対三の敏捷力優先に上げている。
 理由は、敏捷力値は反応速度にかなり影響して来るからだ。今のレベルではまだ、まるで水の中で動いているかのような抵抗感を感じる。この体が元々の俺の反応速度に適応していないからだ。攻撃が来ると解っていても、現実と同じ反応速度では体が付いて来れず、思ったように避けることも受けることも出来ない。
 レベルを上げれば敏捷力値も上がり、より速い反応も出来ると思うが、それは一朝一夕には出来ないことだ。一朝一夕で事を成すならば、必然的に初動を速く行うことで速度を補う方法が効果的である。 しかし、それには敵の動きを正確に予測しなければ、逆に窮地に陥りかねない。
 だが此処で、俺の十五年間の鍛錬の成果がその効力を発揮する。
 初見ならまだしも、既に幾度か見た敵の動きを読むことなど、俺には容易い。それが格下ならば尚の事。幾匹居ようが避け続けるだけなら何ら問題は無い。








 俺はモンスターたちの頭を踏みつけながら群れの上を飛び、移動し続けた。
 敵の真っ只中にいる形ではあるが、今の身体能力で出せる全力の速度を持ってして跳躍移動をし続けることで背後からの攻撃は無視、視界範囲の敵にだけ注意を向けられる状態にする。手首で回転させた槍を振り回し、視界に映るモンスターの武器や頭を弾いていく。
 それは、たった一つ判断を誤れば即死が待っている状況。モンスターの頭間を跳躍したときに足を踏み外しでもすれば、群れの只中に滑り落ち、回避不可能な四方八方からの攻撃を死ぬまで受けるだろう。
 しかし、この状況――誰よりも速く先手を取り、多くのモンスターに攻撃を入れ、モンスターたちが《俺だけ》を意識するような状況が、この大規模戦闘を攻略する鍵となる。







 この世界では、モンスターたちの敵愾心を数値化して計算できるという。
 つまり、此方の行動次第で任意にモンスターの標的を変えることも出来るということだ。
 モンスターの敵愾心(ヘイト)を特定のプレイヤーに対して増加させる方法は色々ある。最初に認識したプレイヤー、一番近くにいるプレイヤー、一番多くダメージを与えたプレイヤー、継続的にダメージを与えているプレイヤー、大声を出したプレイヤー、等々。
 俺がモンスターのヘイトを自分自身に対して増加させる為に取った行動は、一番最初に攻撃を入れるというものだ。
 固まっているため満足に動けないモンスターたちの頭上を、適度に攻撃しながら移動し続けることで、モンスターの意識を俺自身(こちら)に一定期間引きつける。
 そうすることにより、《あの三人》の攻撃力が活きてくるのだ。

 先ほど三人に言い放った《作戦D》というもの。
 これは、四人で定めた幾つかの戦法の内、対集団戦の為の作戦だ。
 言葉にすれば至極単純。俺が囮になり、敵の意識が俺に向いている内に三人が一匹ずつ確実に仕留める。
 俺はソードスキルを苦手としているので攻撃力に難がある。しかし、敵の動きを読むことに優れ、回避や受け流しを得意としている。
 逆にルネリー、レイア、チマの三人はまだ正確に敵の動きを読むことは出来ないが、ソードスキルを使った連携により、三人一緒ならば、かなりの攻撃力、殲滅力を持っている。

「ヤ―――ッ!」

 複数のスポーツを経験したというルネリーは、敵の急所を突くことに長けている。論理的ではなく感覚で相手の急所を感じ、絶妙なタイミングでソードスキルを当てるというのは、もはや才能と言ってもいい。
 得意だという片手剣基本技《スラント》の袈裟懸けの軌跡が、俺に意識を向けているモンスターの急所に吸い込まれる。

「……ハッ!」

 レイアは、双子であるルネリーの動きを完璧に把握している。ルネリーがソードスキルを放ったことによる技後硬直に陥るその瞬間を察知し、ルネリーの右側から回り出て、ソードスキルによる一撃を受けて硬直している敵に向かって片手剣基本技《ホリゾンタル》の真横に振り抜く一閃を放つ。普段からルネリーを気に掛けて、その行動をよく見ているレイアだからこそ、本能で動くルネリーの攻撃にタイミング良く追撃していける。

「てぇりゃ――ッ!」

 チマは、ルネリーとは違う意味で勘が良い。自称ビビリだというチマは、攻撃するべき時とそうでないタイミングが感覚で解っている。レイアの攻撃の後に自分が攻撃しても大丈夫かどうかを無意識に判断して追撃している。
 命の掛かっている戦闘において、引き際というのは最も大事なことだ。通常、素人はそこで見誤る場合が多いが、チマは天性の勘で攻撃の成否を読み取り、ルネリーの左側から飛び出て、得意の剣技《バーチカル》を放つ。更に、引くときも攻めるときも、そうと決めたら思い切りが良いというのもチマの長所だろう。

 剣技(ソードスキル)には強制技後硬直時間というものがある。敵がソードスキルを使ったときに俺がそこを突いたように、この硬直時間は自分たちにとっても大きい弱点になりえる。故にその硬直時間を埋める為に、ルネリー、レイア、チマの三人でのソードスキルの同時攻撃ではなく、連続攻撃を行うことで、互いの弱点を補い合う方法をとった。これは、かの歴史的偉人である織田信長公の鉄砲部隊が使った戦法《三段撃ち》から考えを得たものだ。

 意識が俺に向いている格下の敵。硬直時間という隙間を埋めた三人のソードスキルの連撃。それは正に三閃必殺と言えた。

 敵の反撃を受けることもなく、三人交互にソードスキルを放つことで、隙間無く、且つ何連続もソードスキルを放つ三人。
 ルネリーの《スラント》、レイアの《ホリゾンタル》、チマの《バーチカル》、またルネリー、レイア、チマ……。
 幼馴染だという三人故の息の合った連携。
 確実に一匹一匹を秒殺する三人。このままなら、恐らく一時間も掛からずに倒しきることは可能だろう。
 問題は、それまで俺がたった一人で、数十匹にもなるモンスターたちの攻撃を避け、受け流し、その上で最後までモンスターの注意を引くことが出来るかということだ。

 ――いや、出来るか……ではない。やらなければならない。

 敵の頭を踏みつけて飛び、敵の隙間を走りぬけ、すれ違い様に擦るような攻撃を放ち敵愾心(ヘイト)を稼ぐ。離れすぎてはいけない。万遍なく、出来る限り全ての敵に注意を奪う一撃を。敵の攻撃を避けながらもギリギリ攻撃が届くか届かないかの所を動き回る。
 綱渡りの様な攻防。時折敵の攻撃が体を掠り、僅かにHPが減る。

「…………」

 死と隣り合わせなこの状況。しかし、何故か俺の口端は微かに吊り上がっていた。








 それからどの位経ったのか。現在では、モンスターの数は既に二十匹程度にまで減っていた。
息苦しさは感じないが、集中力の酷使し過ぎで時折眩暈の様なものも感じる。体感では数時間も戦っているような気もした。

 ――俺のHPの残量は約四割か。……このまま気を抜かなければ問題無く終わらせることが出来るな。

 油断はしない。そうは思ったが、しかし余裕が出来たことも事実だ。
 見る限りメンバー全員にも余裕が現れて来ている。リックさんのPTも誰一人欠けることなく、今は数匹のモンスターと対峙していた。

「…………!」

 余所見をしている間に四匹のモンスターに囲まれ、同時に攻撃を放たれた。しかし俺は冷静にその内の一匹に突進突きを放って包囲から脱出する。
 敵の数が減ったことで、モンスターの頭を踏みつけての頭上跳躍移動は出来なくなったが、同時に隙間も多く出来たので回避はしやすくなった。

「……」

敵の対処に余裕が出来たからか、ふと頭の中にあることが甦って来た。それは、作戦会議中に感じた違和感だった。

 ――少し、整理するか……。

 こちらに向かってくる三匹の亜人の足を薙ぎながら、俺は違和感の正体を探るべく、今回の出来事について最初から思い浮かべた。






 昨日、俺たちは森でNPCの少女と遇い、その少女の案内で村まで向かった。その途中で亜人型モンスター《ロウアー・ゴブリン》と戦闘し、その後森側の門から村に入った。更に俺たちが村に来た翌日、リックPT、クラウドPT、ジョーストPTが、森側の門の正反対の位置にある川側の門から時間差で入ってきた。
 そして、それぞれの理由――クエストを受けたり、情報を聞いたり――で村長宅へ訪問。しかし、それは《大規模戦闘(レイド)クエスト》開始のフラグだった。
 クエスト内容は、二百匹ものモンスターの群れから村を守ること。しかし、難易度が高いと言われる《大規模戦闘(レイド)クエスト》の割には、襲ってくるモンスターの数が少な過ぎるという指摘が入った。皆で話し合う内に、俺が森で戦った本来この周辺には居ない筈の《ロウアー・ゴブリン》が怪しいということになり、その対処方法を話した。
 襲ってくる魔物の群れは、二つある川側の門のどちらか、または両方を襲撃するだろうとの村長たちの言葉通り、その両方にモンスターの群れは現れた。そして予想通りに、魔物の群れの半数がソードスキルを使う亜人型のモンスターだった。

 ――む、何だ……?

 俺へのヘイトが弱まり、標的をルネリーたちに変更したモンスターに再び攻撃をして、俺を意識させる。

 ――何故、俺はこんなにも違和感を感じている……っ。

「ギギー!」

 目の前にロウアーゴブリンが迫ってきた。

「……っ!」

 そのゴブリンが俺に向かってソードスキルを放とうとする姿が、昨日森で戦ったゴブリンと重なったとき――――俺の頭に一つの疑問が思い浮かんだ。

 ――そう、だ。何故……何故あのロウアー・ゴブリンは《あの場所》に居たんだ……?

 今までの戦闘で既に体に染み付いた、ロウアー・ゴブリンが放つソードスキルの対処方法を無意識に実戦し、すぐさま足に向かって突きを放つ。

「グギッ!?」

 初動の形を崩してソードスキルの発動を止める。突き出した槍を引きながら、逆に石突を前に出すように横に振るってゴブリンの頬を横から打ち抜く。

 ――難易度の高いレイドという話だ。故に普段はこの周辺に居ない亜人型が出てくるというのは解るし、その亜人型が出てくるというヒントとして一匹だけ通常フィールドに居たというのも解る。

 だがそれなら、何故――――《森側》に居たのか?
 最初に俺がロウアーゴブリンと戦ったのは、森→村→川→山と並んでいる地理上の《森》だ。しかし、モンスターの群れを最初に発見した場所は、村と川を挟んだ向こう側の《山》だという。普通に考えて、モンスターの群れの出発地点が《山》だとしたら、クエスト前のヒントとして一匹だけ居るのだとしたら、山側に出すのではないのだろうか?
 だが実際には、正反対の位置の《森》に居た。……それは、何故なんだ?

 そして更に疑問なのがモンスターの数だ。NPCの報告では二百匹だったのが、川側の左右の門に襲ってきたモンスターの数はどちらも百匹も居ないという。残りは一体何処に行ってしまったのか……

「…………っ!?」

 突如、悪寒とも言える《ある予感》が俺を襲った。
 襲ってくる方向とは真逆に居た、普段は居ない筈のモンスター。
 そして、最初に聞いた二百匹という数に満たないモンスターの数。
 そこから導かれる答えは――

「…………まさか、斥候……か?」

 最初に遭遇した亜人。あれがモンスターたちの《斥候》の役割を担っていたんだとすれば……。川側ではなく、《森側からの襲撃》の為の斥候だったとすれば、あの場所に居た説明もつく。

 ――いや、しかしっ。

 森に居た亜人は俺自身が排除した。斥候なのだったとしたら、報告に戻らない斥候が行った場所からなど襲撃はしないだろう。
 それに、NPCも川側からの襲撃のことしか言っていなかった。群れを目撃された場所から森側の門までは、川を越えて回り込む必要がある。普通ならば……そう、現実(ふつう)ならば《それ》は有り得ない。

「…………くっ」

 しかし、有り得ないと思ってはいても嫌な予感は消えない。寧ろ次第に大きくなっていく。
 俺は周囲を確認した。既にモンスターは十数匹まで減っていた。

 ――これならば、もう俺が居なくても大丈夫だろう……っ。

 俺はソードスキルを放っている三人に聞こえるように大声で言った。

「ルネリー! レイア! チマ! 此処は任せる! 俺は森側の門に行く!」

 言いながら三人の横を走り抜ける。

「へ? ……ええっ!?」
「え……っ、どういうことですか?」
「ちょっ!? な、何なんスかーっ!?」

 ドップラー効果のように三人の疑問の叫び声が小さくなる。

 ――済まない。説明している暇は無い。この予感が間違いであってくれれば後でいくらでも謝る!

 胸中で三人に謝りながら、俺は今現在出せる最高の速度を持ってモンスターたちを振り切り、大通りを走って森側の門へと向かった。




  ◆




 ――ど、どうして……?

 モンスターの数が十五匹を切り、あと少しで全部倒しきるといった所で、いきなりキリュウさんが「森側の門に行く」と言って、言葉通りの方向へ走って行ってしまいました。
 私は視線を、視界の左端へ動かしてPTメンバーのHPを見ました。
 ルネリーを初めとした私たち三人のHPは、キリュウさんがずっとタゲを取ってくれていたので、八割方残っていました。でもキリュウさんのHPは既に四割を切って三割近くまで減っています。

 ――もしかして、HPを回復させる為に戦線を引いたの……?

 ですが、ずっとPTメンバーのHPの残量は確認していましたけど、キリュウさんのHPは敵が減るにつれてHPが減る量も減っていました。敵が二十匹を切った辺りからは殆んどHPも減っていなかったし、なによりキリュウさんのHPが五割を切ったときに「一旦後退してHPを回復して下さい」と言ったけど、「この戦いが終わるまでは大丈夫だ」と言って臆しもせずに戦闘を続けていました。
 そんなキリュウさんが、もうすぐ倒し切るというタイミングで戦場を離れるでしょうか?
 これまで一緒に居た私には――いえ、私たちには考えられないことでした。

「おいっ、アイツはどうした!? 何処行ったっつぅんだっ!?」

 リックさんの少し困惑したような怒鳴り声が聞こえました。
 キリュウさんが居なくなったことで、モンスター七匹を同時に相手をするようになったリックさんのPT。いきなり対処する敵が増えたことに戸惑っているようですが、元々格下のモンスターたちなので今のところは大丈夫そうでした。

「も、もしかして、逃げたんじゃ……」

 リックさんのPTの一人がぽつりと呟いたのが耳に入りました。
 その言葉に、私は何時に無くカッとしてしまい、つい叫んでしまいました。

「――っ、キリュウさんは逃げたりなんてこと絶対にしませんっ!!」
「う……」

 その人を睨む私、そんな私を戸惑うように見てくるその人。辺りに一瞬だけ気まずいような雰囲気が漂いました。
 こんなに大きな声を出したのは――しかも、奈緒や佳奈美以外の人のことで――初めてで、私自身内心はビックリしていました。

「レイア! 敵っ!」
「……え?」

 突然のネリーの声に我に帰ったた私の目の前で、キリュウさんからタゲを外した亜人型モンスターの一匹がソードスキルのモーションに入っていました。

 ――しまっ……!?

 今からではソードスキルを妨げることも避けることも出来ない。私は剣をソードスキルの予測軌道に置いて、被害を減らすことを優先しました。

「やあああ!!」
「えりゃ――ッ!!」

 身構えた私に敵の攻撃が当たる寸前、モンスターの左右からネリーとチマのソードスキルが炸裂し、敵はバリィィンと音を立てて砕け散りました。

「あ……二人とも、ありが――」
「レイア! ぼーっとするのは後! 今は敵を倒すことだけ考えるよっ」
「そうッスよ! キリュウさんは《此処は任せる》って言ったんスよ!?」
「……あ」

 二人は、私が言おうとした言葉を遮って、怒鳴ってきました。

 ――そう……。確かにそうだった。

 キリュウさんは、私たちに《此処は任せる》と言いました。つまり、あとは《私たちだけで対処出来る》と、そう思ったのではないのでしょうか。

「……だとしたら」

 だとしたら、それに応えるのが今まで鍛えてきて貰ったことに対する礼儀なのではないか……と、そう思いました。
 そうして結論を得た私は再び剣を構えて、今の自分に出来る事であるルネリーたちのフォローに走りました。




  ◆




「んく、んく、んく……はぁ」

 俺は森側の門へと続く大通りを走りながら、腰のポーチから取り出した《回復ポーション》を一気に飲み干した。俺たちが戦っていた川側の門から森側の門へは、距離にして二百メートルほどだ。時間にすれば直に着く。しかし逆を言えばHPを回復させる時間が無いということでもある。
 空になったポーションの瓶を投げ捨て、Y字路の通りを下に曲がりながら俺は己のHP残量を見た。

 ――三割と少し……という所か。

 もし予感が当たったときにの為に、せめて五割は回復しておいて欲しいが……この様子では望み薄そうだ。
 亀の歩みの如くゆっくりと回復していくHPにもどかしさを感じながら、今度は武器の耐久値を見る。

 ――此方も三割程度か……。

 心許ない数値ではあるが胸騒ぎは尚も続行中だ。寄り道する時間など無いという思いに駆られる。

「……ただの俺の思い違いであってくれれば……――――っ、やはりそうも行かないか」

 視界の正面、約四十メートル先に構える木製のアーチ型(ゲート)。その門の更に先の森、木々が鬱蒼と生い茂り、その奥が深遠になっているかのような暗闇から――――《亜人型のモンスター》たちが次々と飛び出して来ていた。
 予想が当たって、こんなにも嬉しくないのも初めてかもしれない。

 ――ギリギリだが、間に合った……かっ。

「ハアッ!!」

 俺は走る勢いそのままに、門の内側に入ろうとする五匹のゴブリンたちを、低い軌道の《弓風》で足を薙いで転倒させ、門の前に陣取った。そして《弓風》の範囲外にいた三匹のゴブリンに一度ずつ突きを放つことで敵愾心を煽り、全てのゴブリンに俺を標的と認識させた。

 ――亜人型八匹か……。これなら余裕だ。川側の門(あちら)も、もう大丈夫だろう。十数匹程度、今の三人(あいつら)の敵ではない。問題はクラウドさんたちが守っている門がどうなっているかだな……。

 だがルネリーたちの所の戦闘が終われば、クラウドさんの所にも応援を向かわせることが出来る。

「……あとは、此処を何とかすれば…………っ!?」

 僅かに見えた光明につい安堵交じりの声を出すが、それを否定するかのように森の奥の暗闇から次々とゴブリンたちが湧いてきた。……その数、目算で約四十匹。

「…………っ。此処が、正念場か……!」

 俺は覚悟を決めると、槍を構え直した。

 ――俺一人で四十匹……か。

 此処にはルネリーたちも居ないし、援軍も何時になるか正確には解らない。
 唯一の救いは、敵が全て亜人型モンスターしか居ないということだろうか。動物や植物型よりは動きが読みやすいし、単一種類しか居ないので、対処をモンスター毎に変えるということをしなくて済む。

 ……だが、怖くない、と言えば嘘になるだろう。四十匹も居る敵の全てが、ソードスキルを使う強力な攻撃力を持つ亜人型ばかりなのだ。武器の耐久値も心許ないし、なにより俺のHPは現在四割と少しまでは回復したが、逆に言ってしまえばそれだけしか回復していない。つまり、二回、もしくは三回もまともにソードスキルを食らえば……。

「…………いや、どうと言う事は無い」

 しかし俺は首を振って、最悪の事態を否定する。

 ――そうだ。どうと言う事の程は無い。

 あのときの――あの《何もすることの出来ない恐怖》に比べれば、今の状況は最悪には到底程遠い。手も動くし、足も動く。思考末の結論を行動することが出来る。俺は……戦えるっ。
 敵を見ろ。視界に映る全ての情報を整理、有効活用しろ。
 動きを読め。敵集団全体の流れを感じ取れ。
 体を動かせ。一つ所に(とど)まるな。
 祖父との稽古に明け暮れた己の十五年を、信じろっ!!

「さあ…………思考しろっ!!」

 ――生き残る為に。

 俺は己を叱咤し、亜人の群れに向かっていった。




  ◆




「……くっ、はぁぁっ。よぅやっと終わったか……」

 キリュウさんが居なくなった数分後、ネリーが最後の一体にトドメを刺し、モンスターが全て倒されたのを確認した後、リックさんが溜息と共に言いました。数十匹と居たモンスターの大群が光に消えた石橋の上は、まるで最初から何も無かったかのように戦闘の痕跡が見当たりませんでした。しかしそんな石橋の上では、私たち全員が疲労困憊といった様子で、膝に両手を付いたり、武器を支えにして立っていたり、地面に座りこむ人も居ました。

 ふとネリー、チマの二人と目が合い、お疲れ様と言おうとしたとき、三人同時に目を見開いて声を張り上げました。

「キリュウさんっ!」

 突然居なくなったキリュウさん。確か森側の門に行くとか言っていましたけど……。
 私は《エウリア村》のマップウインドウを呼び出し、キリュウさんの位置を確認しようとしました。

「あっ! キリュウさん戦ってるみたいっ、HPがちょっとずつだけど減ってるよ!?」

 視界左端に表示されているPTメンバーのHPを見たのか、ネリーが声を上げました。
 そして、マップを見ると確かにキリュウさんは森側の門に居ました。

「と、取り合えず、キリュウさんと合流しましょうっ」
「う、うんっ」
「そうッスねっ!」

 一体何がどうなっているのか。疑問は尽きませんが、キリュウさんが戦っているのなら、私たちも此処で休んでいるわけにはいきません。私たちは駆け出しました。

「お、おいっ! お前ら何処行くんだよっ!?」

 走り出してすぐ、後ろからリックさんの声が聞こえました。じれったい気持ちを押し込めて、足を止めてリックさんに言いました。

「あ、えと……ま、まだ戦いは終わってないみたいですっ。私たちは森側の門で戦ってるらしいキリュウさんの所へ行きます。リックさんたちは……出来ればクラウドさんたちの所へ応援に向かって下さい。お願いします!」
「お願いしますっ」
「しますッス!」
「え、あっ、おい!?」

 私たちは頭を下げながら早口でそう告げると、(きびす)を返して再び駆け出しました。リックさんの声を無視するような形になってしまったことに心の中ですみませんと唱え、疲れた体に鞭打って足を動かしました。
 横目でキリュウさんのHPを見ると、今は二割と少し……随分減っていました。二人も同じように確認しているのか、厳しい顔つきのまま黙ったまま走っています。

「二人ともっ、今のうちにポーションを……!」

 皮肉なことですが、二人の切迫した顔を見ていると、反対に私は落ち着くことが出来ました。
 今の私達のHPは約七割。キリュウさんが何匹の敵と戦っているのかは解りませんが、キリュウさんのHPを回復させる時間を、私達で稼がなくてはいけません。

 ――焦らずに、自分に出来ることをひとつひとつ確実に……っ。

 私の言葉を聞いて、ネリーたちは思い出したように回復ポーションをポーチから出し、三人で走りながら呷ります。美味しくはありませんが、自分の命の為に一気に飲み干しました。
 Y字路の大通りを森側の道に曲がると、正面に小さく門が見えてきます。

「はあっ、はあっ、もうっ、ちょっ、と……っ」

 ネリーが走りながら呟きました。……きっと無意識に。
 三人がずっと見ているキリュウさんのHP。もうすぐ二割を切ります。

 ――待って、待ってっ、待って……!!

 次第に減っていくキリュウさんのHPバーに、届くわけもない願いを心の中で叫びます。

「あっ、いたっ!」 

 ネリーの声に前を見ると、確かにキリュウさんは居ました。先ほどは私たちも戦っていたのであまり意識できませんでしたが、数十匹ものモンスターたちに、単身で渡り合っているよう見えるその姿は、思わず息を呑むほどの光景でした。
 最初の情報とは違うこの場所で、何故キリュウさんが戦っているのかは今は置いておいて、剣を抜いてキリュウさんのもとへ三人とも急ぎました。

「キリュウさんっ!!」

 キリュウさんとの距離が20メートルほどにまで来たとき、私はつい大きな声でキリュウさんに呼びかけていました。

「……っ」

 私の声に反応して視線を此方に向けるキリュウさん。一瞬だけ私と目が合った次の瞬間、弾かれたようにキリュウさんは敵の方に向き直り、槍を盾にするように体の前に掲げました。
 そして――――

「え……」

 勢いよく《何か》が槍に当たり、バキバキと軋む音がしたかと思うと、槍の真ん中が砕け散り――真っ二つに、折れてしまいました。

 ――キリュウさんの、武器が……壊れ、た?

 武器の無い状態。周りにはまだ数十匹のモンスター。そこから待っているのは、確実な……《死》。

「……だ、め」

 槍が壊れた瞬間、私の中の《何か》も弾け飛びました。

「だめェ――――ッ!!」

 私は正に形振り構わず、キリュウさんに向けて攻撃モーションを取っているモンスターに飛び掛りました。



[34210] 5.戦友には無粋なこと
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 21:04
「――リックさんたちは……出来ればクラウドさんたちの所へ応援に向かって下さい。お願いします!」
「お願いしますっ」
「しますッス!」
「え、あっ、おい!?」

 言うだけ言って駆けて行く三人の女の子らに、オレは無意識に手を伸ばしていた。
 金、銀、茶色という目を引く三色の髪を靡かせながら段々と小さくなる三つの背中。こっちは死にそうな目に遭ってくたくただってぇのに、同じ思いをしただろうあの子らは何であんなにも元気なのか。

 ――いや、疲れていても走らなきゃいけねぇ。そんな顔をしてやがったな……。

「……ちっ」

 年下の女の子らが頑張ってるっつぅのに、オレはへばってる? ……何か、ムシャクシャしやがる。
 槍にもたれ掛かる様に立っていたオレは、愛用の《ブロンズスピア》を持つ手にぐっと力を入れて石突で地面を押し、背筋を伸ばして自分自身の足でしっかりと立った。
 そして、今の会話を聞いていただろうPTの野郎共に、今の言いようも無い憤りをぶつけるように怒鳴りつけた。

「おい、お前らっ! 聞いてただろっ!? POT飲んで……いや、飲みながらクラウドんとこ向かうぞ!」

 戦いに疲れてダレていたPTメンバーが、オレの言葉にノロノロと立ち上がる。「シャキッとしろや!」と言いたいが、疲れているのはオレも同じ、出来ることならまたあんな戦場には行きたくないってのも解る。

「ええっ? もう少しだけでも休ませてよ、リック……」

 外聞無く地面に座り込んでいるモヤシ野郎――ネルソンが、似合いもしない革鎧を着た体を脱力させながら言ってきた。ヘタレでどうしようもない奴だが、言われたことはちゃんとやる奴だということは長年の付き合いで解っている。事実、さっきの戦闘中じゃ、顔が引きつるほどビビリながらもオレの指示通りには動いていた。
 ――まあ、言われなくちゃやらねぇってのがアレなんだがなぁ……。
 一応こいつら全員、現実(リアル)での友人(ダチ)だ。小せえ頃からの腐れ縁で、気が弱く主体性の無い奴らばかりだったからか、柄でもねぇのにオレが仕切り役をすることが多かった。
 そんな友人達(こいつら)が珍しくオレを誘ってきたのが、この《ソードアート・オンライン》だ。今まで見たこともないような興奮したノリでSAOの良さを力説するこいつらに、呆気に取られたままのオレはSAOにログインした。
 んで、すぐさま茅場晶彦によるデスゲーム宣言。
 おいおい、コレどうすんだ? と相談しようとしたオレが見たのは――――めっちゃビビッてるダチたちだった。
 しょうがねぇから現実(リアル)と同じノリでオレが仕切って、なんとかここまで来たんだが……。

 ――ンとに、言われなきゃやらねぇ奴らだな……っ。

「え? ……いたたたっ、痛いよリック! HP減っちゃうよ!?」

 久々にカチーンと来たオレは、ネルソンの耳たぶを引っ張って大声で言った。

「……ンの、馬鹿ヤロォがっ!! あの嬢ちゃんたち見て何とも思わねぇのかっ!?」
「!?」

 耳元で大声を出されたネルソンは目をギュッと瞑り顔をしかめる。
 オレはネルソンの耳たぶを掴みながらメンバーを見渡してもう一度言った。

「……さっきの戦い。正直、年下でオレらより人数の少ないキリュウPT(あいつら)に、オレらおんぶにだっこだったろ? しかも、あいつらはまだ戦ってるらしいじゃねぇか。……年上としてよぉ、何とも思わねぇのかよ?」

 さっきとは違い、ゆっくりと、言い聞かせるようにメンバーに言う。オレだって、こいつらと今まで付き合って来て、この煮え切らない態度とかに嫌な思いをしたことは何度もある。んだが、それでも付き合いを続けてきたのは……

「……っ」

 今まで座り込んでいた奴らが無言で立ち上がり、POT(ポーション)を出して呷った。……その目には、少しだけ火が灯っていた。

 ――遅ぇよ。まったく……。

 ニヤけそうになる口を引き締めて、オレはメンバーに背を向けて言い放った。

「行くぞっ!!」

 走り出したオレの後を追うような足音と共に、「オー!!」というノリの良い雄叫びが辺りに響いた。




  ◆




「ギャ、ウッ!?」

 近付いて来た一体の《ロウアー・ゴブリン》の太腿に槍の切先を突き刺し、動きが一瞬止まったところに直ぐ、喉仏に再び刺突を放つ。更にそれを抜いた勢いそのままに一回転、周囲のゴブリンの足を払う。

 ――それにしても、厄介な状況だ……っ。

 現在、俺が戦っている場所は《エウリア村》の入口である門と、俺たちが通ってきた森の間にある草むらだ。広さは、先ほどの石橋よりは少し広いくらいか。そこに約四十匹ほどのゴブリンたちが犇いている。
 このような多勢を相手にする場合は、常に敵全体を視界に納めるように位置取りをし、背後からの攻撃をさせないように戦う方法が望ましい。だがこのゴブリンたちは、俺が一定以上の距離を取ると、途端に《村に向かって》進路を変えようとする。故に――

「セェイッ!!」

 俺は殆んど敵集団の中央で奮戦していた。槍の長い射程を活かし、敵の攻撃の間合いまで出来るだけ近づけさせないように休み無く攻撃を放つ。
 モンスターが《人型》の場合、足を攻撃したり、体勢を崩すよう攻撃を行うことで、《転倒(タンブル)》状態というバットステータスにすることが出来る。俺はそれを利用し、周囲の出足を槍先で挫くような戦法を取り続けた。

 ここで意外にも役に立ったのが《索敵》スキルだ。通常、意識した対象一体の頭上にターゲットしているという証として《▼印のカーソル》とHPバーが現れるが、《索敵》を使うと視界のモンスター全ての頭上に《カーソル》が現れる。死角からの攻撃が一番恐い集団戦では、相手が何処にいるのかが視界端にでも解るというのは大変重要だ。カーソル群の動きで全体の動きが解れば、今後自分が移動すべき場所も特定しやすくなるし、カーソルだけ見えていれば目の前の敵の背後に居る姿の見えない敵も察知出来る。

「ッ!!」

 切先と石突を交互に連続して突き出し、ズガガガッと本来なら有り得ないような効果音を響かせながら間合いに入ってきた一体のゴブリンを光に変えた。そして直ぐさま槍を振り回して強引に道を開き、場所の移動を行う。今までの感覚から、もう直ぐ端の方のゴブリンが俺に対するヘイトが薄れる。そうすれば村へ入られてしまう。

 ――まだ、六体……かっ。

 恐らくまだ数分しか経ってはいないだろうが、一人で多勢を相手にするという状況に、俺は既に焦燥感を覚えていた。そして、戦いの最中に別のことを考えるのは自殺行為だとは解っていても、援軍の――あの三人のことを考えることを止められなかった。
そんなときだった。

「――キリュウさんっ!!」
「……っ!?」

 ――レイアの……声!?

 最初、幻聴かとも思った。だが、求めていたものが声の聞こえた先にある、という誘惑に耐え切れず、俺はレイアの声がした方向を見た。
 二十メートルほど離れた先。そこには――――ボロボロになった初期装備の白い麻シャツや灰色ベスト、その上に所々千切れている革胸鎧(レザーブレスト)を纏いながら息を切らしながら此方へ走ってきている、ルネリーたち三人が居た。

「…………ぁ」

 一瞬。ほんの一瞬だけ安堵して、俺は気を緩めてしまった。

 だから、《それ》に気付けたのは、ただの幸運だった

「……っ!」

 悪寒が走り、ルネリーたちの反対側に視線を移すと――ゴブリンたちの隙間から此方をジッと見つめている《そいつ》が居た。
 背丈は周りのゴブリンと変わらない。しかし、手足が細長く、頭と腹が大きいロウアーゴブリンと違い、《そいつ》の体はかなり引き締められており、更に革製の鎧を着込み、インディアンの様に極彩色の羽を数枚頭に付けていた。

 モンスター名《ヴァルガゴブリン・コマンダー》

 俺は、こいつがこの襲撃の指揮官だと悟った。

「…………」

 ゴブリンコマンダーは無言で右腕を大きく振りかぶった。攻撃? いやしかし、俺と奴とは約4メートルほども離れている。

 ――何を……? 飛び道具か?

 疑問と推測が浮かぶ。俺は自分の勘に従い、急ぎ槍を自身の前に掲げた。直後――。

「ぐっ……がああッ!?」

 ゴブリンコマンダーが腕を振り下ろした途端、藤色に輝く《何か》がゴブリンたちの間を勢いよく駆けて俺に迫り、槍の中腹に当たった。バチンッ!! という爆ぜる音と共に、体が仰け反るくらい強烈な衝撃を受け、バキバキと不吉な音を鳴らす槍。そして――

「……な」

攻撃を受けた中心が砕け散り、槍が真っ二つに折れてしまった。度重なる戦闘の連続に、攻撃を受ける時の耐久値減少量が他の武器に比べて多いという特性を持つ木柄の《ウッドハンドルスピア》が、ついに耐え切れなくなったのだ。

 ――此処で……かっ。

 突然の攻撃に軽く仰け反りながら心の中で悪態を吐く。しかし、そんな暇すら与えないとばかりに周囲にいた三匹のゴブリンが俺目掛けて武器を振るおうとしてきた。
 俺はその内の二匹の顔に、二つに折れた槍のそれぞれを投げつけ、残る一体の攻撃を体を無理矢理捻ることで避ける。
 ――くっ、せめて十秒だけ(・・・・)でも時間を稼げれば……っ。
 間合いのある武器を失ったことで敵がどんどん近寄って来る。投げつけた槍は、一瞬だけゴブリンたちの足どめに成功したが、次の瞬間には粉々に砕け散っていた。
 焦る俺に、今度は五匹のゴブリンが迫る。

「だめェ――――ッ!!」
「!? レイア!」

 突如、叫び声を上げながら俺とゴブリンの間に滑りこんできた人影。普段の淑やかな印象とはかけ離れた声を放ちながらゴブリンにソードスキルを打ち込む――レイアだった。
 そこから更にルネリーとチマの二人が飛び出して来て、三人が俺の前で扇状に陣取った。

「ヤ――ッ!!」

 そして、横に並んだ三人が同時に剣技(ソードスキル)《ホリゾンタル》を放った。息の合った三人の同時の横薙ぎは、ソードスキルの攻撃力も相まって、強力な範囲攻撃となり、さっきまでチクチクと俺がHPを削っていたゴブリンたち五匹を一気に光へと還した。

「キリュウさん! 今のうちに回復を!」

 俺の正面で背中を向けてその銀色の長髪を波立たせているレイアが、敵を見ながら叫ぶ。そして息つく暇なく、周囲のゴブリンたちに立ち向かっていく三人。

 ――ふっ、いつの間にか立場が入れ替わってしまったな……。

 俺を守るような位置取りで戦う三人の意図を察知し、すぐさま左手で腰のポーチから《回復ポーション》を取り出して飲み、同時に右手でシステムメニューウィンドウを呼び出す。膝をついてしゃがみ込み、出来るだけ小さくなってルネリーたちが守りやすいように努め、しかし周囲に気を配りつつウィンドウを操作する。

 ――だが本当に危なかった。せっかく《この時の為に買った》というのに、使う暇も与えられずに殺れるところだった…………ルネリーたちには頭が上がらんな。

 襲撃開始の直前、俺は激戦を予想し、武器が壊れる可能性を考えて《これ》を買った。
 素早く装備フィギュアの武器スロットに《それ》を入れ――直後、右手に《それ》がオブジェクト化して現れる。

 カテゴリ《ロングスピア/ツーハンド》、固有名《トルーパス・スピア》

 エウリア村の鍛冶屋で売っている唯一の木柄の長槍だ。全長九尺(約272.7センチメートル)の、先端の両刃の片方が銛のように鋭い返しになっている槍だ。

「……よしっ」

 本当ならある程度HPが回復するまでじっとしていたいが……。あの《ヴァルガゴブリン・コマンダー》はこのまま放置出来ない。4メートルもの距離が開いていたにも関わらずに攻撃してきたゴブリンコマンダー。奴が加勢してきたらルネリーたちには荷が重いだろう。奴は、俺が倒さなければ。

「はっ!!」
「え? キリュウさん!」
「ちょっ、まだ全然回復してないッスよ!?」
「あわわっ」

 俺の前に居たルネリーとレイアの間を飛び出す。HPが殆ど回復していないのにも関わらずに行動を再開した俺に驚く三人を尻目に、少し強引にゴブリンたちを掻き分けて、群れの開けたところに出た。

「…………」

 そして再び相まみえたゴブリンコマンダー。吊りあがった目で俺を睨みながら右手を軽く振る。その手に持っているモノは……。

 ――《鞭》か……。

 ピシャンッ! と地面を弾くように鞭で叩くゴブリンコマンダー。鞭にも色々と種類はあるが、どうやら奴が使っているのは《牛追い鞭》と呼ばれる長く柔軟な鞭だ。長さは約5メートル程だろうか。先ほどはゴブリンたちの隙間からだったし、いきなりのことでよく見えなかったが、俺の槍を壊したのはどうやら《鞭のソードスキル》だったようだ。

「キリュウさん!」
「こ、こいつは!?」

 俺の後を追って三人が現れ、見慣れない風貌のゴブリンコマンダーを見て軽く驚く。

「……恐らく奴が、この襲撃の指揮官クラスのモンスターだ」
「……っ」
「お前たちには、まだ鞭相手は無理だ。奴は俺が戦う。……お前たちは、周りのを頼む」
「っ、はい!」
「わかりました!」

 俺の指示に、質問すること無く頷いて行動する三人。
 色々と俺に訊きたいことはあっただろう。どうしていきなり走って行ったのか、どうして此処で戦っていたのか、どうしてHPの回復を待たずに飛び出したのか。
 しかし、そんな暇も余裕も無い、そんな状況じゃないということを三人は理解していた。感情的な疑問よりも、理性的な行動を取ったのだ。
 俺はそれに、応えたいと思った。

「グ……グルアア!!」

 雄叫びと共にゴブリンコマンダーが動いた。地面に垂らしていた鞭を思い切り上段に振り被る。

「ガァッ!!」

 そして野球のピッチングのように、勢い良くそれを振り下ろした。
 ソードスキルではない。ただの鞭による攻撃だが、流動するその動きは、剣での攻撃などより一見、見切り難く感じる。

「…………」

 しかし俺は、体を横に少しズラすだけでそれを避けることが出来る。風切り音をさせて顔のすぐ横を通ったそれは、地面に当たって電気が弾けるような音をさせた。






 鞭とは――《波》だ。
 うねうねと予測し辛い軌道のように見えるが、実際には腕の動きを、つまりは《力の流れ》をそのまま先端へと伝えるように動くのが、《鞭》という武器の特徴だ。
 上から下に振り下ろす様な動きをすれば、その高さの波が鞭を伝う。基本的に腕の振り下ろした直線軌道そのままに動くので、鞭の先端に気を取られなければ問題無く避ける事は出来る。

 ――まあだが、実際に鞭を武器に扱っているような武術家の攻撃は正に縦横無尽の変幻自在。流れに流れを重ねることで予測不可能な攻撃をしてくる。……しかし、それにも攻略法は無いこともないのだが。

 ゴブリンコマンダーはそこまで鞭の扱いに長けている訳ではない。だがそれでも、ルネリーたちのような武術未経験者では鞭の先端の動きに気を取られて、全体を見る事は出来ないだろう。
 一応、俺は祖父から様々な武器の相手をさせられたことがある。その中には鞭もあった。

「ガァッ、グラァ!!」

 再び鞭による攻撃。――が、俺はそれを避けながら敵に向かって進む。
 東雲流歩法の一つ、《円歩》。
 片方の足を斜め前に出し、地面に着くと同時に後ろの足で地を蹴る。先に前に出した足の指の付け根や踵を支点にして、弧を描くように素早く移動する初歩の技術。特に難しい技術ではないが、動きを型として反復練習することにより、咄嗟の状況では頭で考える時間を省いて動くことが出来る。

「…………ギギ」

 ゴブリンコマンダーとの距離、約三歩。此方の射程に捕らえた。
 周りではルネリーたちの声が聞こえる。教えた通り、お互いに呼び掛け合って協力し、多数の敵相手に善戦しているようだ。
 しかし俺は、目の前に居るゴブリンコマンダーから視線を外すことが出来なかった。今の俺では、少しの油断も命取りになり兼ねない。

「……」

 刹那に時が止まる。
 最初に動いたのは相手だった。

「ギィグルァ!!」
「!」

 ゴブリンコマンダーの動きに既視感。あの形は……

 ――ソードスキル!!

 直ぐに結論を出した俺は、自分の頭の中に焼き付いたあの藤色の攻撃の軌道から外れるように体の位置をズラす。
 ごおおっ!! という風の唸り声とすれ違うように前に進み、ゴブリンコマンダーの顔に、両腕を突き出すような槍の刺突を放った。

「はっ!!」
「グガッ!?」

 突き出した槍を引くと同時に槍を立て、体を回しながら石突でゴブリンコマンダーの足を払う。

「ふっ……はあっ!!」

 重心を預けていた片足を払われたことで体勢を崩した彼奴に、更にもう一回転して槍の横薙ぎを当てる。

 ――相手に反撃をさせる暇を与えない。今も尚、俺を守るように戦ってくれている三人の為にも、直ぐにでもこいつを……倒す!

 攻撃後、俺は二歩程下がり、両手に持った槍を上段に振り被る。
 そして、踏み込むと同時に、ゴブリンコマンダー目掛けて振り下ろした。

「……ギャッ!?」

 攻撃を受けた彼奴が弾かれたように顔を後ろに仰け反らす。

 東雲流《朧月(おぼろづき)》。

 《斬》の動きに《突》を入れる攻撃。急激な間合いの変化により相手の反応を遅らせるフェイント技。しかし、この技の真価はそれだけではない。この技の本当の意義は、《刺突の利点》と《斬撃の利点》両方を得ることが出来る、という所にある。
 斬撃の速度を乗せた刺突は、その間合いの変化も相まって相手を仰け反らせる程の威力を持つ。更に引き戻しながら振り切った先端は、円を描くように勢いに流れを与えることで、速度を落とさずに斬り返しをすることが出来る。普通の刺突では、突いた後に槍を引くので一旦スピードがゼロになる瞬間が生まれるが、この《朧月》と言う技は、攻撃を次へと繋いでいくことも出来る使い勝手の良い技でもある。

「はっ! やっ! せあっ!!」

 槍の間合いを維持し、連撃を放つ。

 ――こんな……所で……っ。

 SAOの舞台となる《浮遊城アインクラッド》は、第百層まである。
 だが、俺たちが居るのははまだ、第一層。全体の1パーセントすら攻略していない。

 ――だからこそ、こんな所で梃子摺っている場合では……無い!!

 俺は、この貧弱な体に出来る、最高の動きを持って――

「ぉ……おおおっ!!」

 ゴブリンコマンダーの喉元に渾身の突きを喰らわせた。

「ギ……」

 槍の刃が喉に突き刺さったままのゴブリンコマンダーの目から光が無くなり……次の瞬間、無数のヒビが体表に出来たかと思うと、盛大に細かいガラス片をばら撒いて四散した。

「……キリュウさん!」

 俺の戦いの決着を確認したのか、三人が笑顔を向けてくる。

「油断するな! まだ戦いは終わっていない……っ!」

 しかし俺は、そんな三人を叱咤し、未だ残っている十数匹の亜人たちに槍の切先を突き出した。







 その後の戦いは、予想したほど苦戦はしなかった。
 指揮官と思われる《ヴァルガゴブリン・コマンダー》が倒されたせいか、残りの亜人たちの勢いは目に見えて弱くなり、疲弊した俺たち四人でも数分後には全て倒しきることが出来た。

「……お、終わったんスかね……?」

 疲労か、未だ戦闘の興奮が収まらぬのか、荒い息を吐きながらチマがぽつりと声を出す。

「どう、だろ……? あとはクラウドさんたちが担当している門がどうなっているかだけど……」

 剣に体を預けながら立っているレイアが、下を向きながら応えた。上を向くのも億劫なほど疲れたのだろう。垂れた銀髪でその顔は見えない。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 ルネリーは草の生えた地面に腰を下ろし、体を仰け反らせるように顔を上に向けて、両手をそれを支えるように空を仰いでいた。疲れて話す気力も無いようだ。
 三人の革鎧も、俺のコートも、所々擦り切れていて、もう既に耐久値の限界に近く見える。

「…………ルネリー、レイア、チマ」

 そんな疲労困憊といった三人に俺は声をかけた。

「……?」
「は、はい?」
「どーかしたッスか?」

 三人が、俺に向けて顔を上げてくる。
 金髪の双房を犬の耳のように垂れ下げ、戦闘後の安堵のせいか、やや気の抜けた顔をしているルネリー。
 癖の無い銀色の長髪を両手で後ろに流し、先ほどの気迫が嘘のように穏やかな顔を向けるレイア。
 肩にかかる程度の癖っ毛の茶髪の先をクルクルと指でいじりながら、顔を傾げているチマ。
 俺は、三人に向けてその言葉を言った。

「…………三人とも……お疲れ様……」
「……っ!!」

 恐らく、この三人が来てくれなければ、敵中で槍が壊れた時点で俺は終わっていた。
 あのとき俺の前に立った三人の背中に、俺は心強さを感じた。
 だから本当なら、戦いが終わった今、俺は三人に礼を言うべきなのだろう。
 だが、俺は敢えて言わなかった。何故なら――

「あ……は、はい! キリュウさんもお疲れさまでした!」
「……お疲れ様でした」
「お疲れさまッス~」

 そんな他人行儀なことは、《戦友たち》には無粋だと思ったからだ。



[34210] 6.終戦の夜に想う
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 21:16
「………………ふぅ」

 短く吐いた私の溜息が、一瞬だけ窓のガラスを曇らせました。
 それは当然の現象のようだけど、今自分がいる場所、仮想世界での出来事だと思えば、その再現度に驚くことは当たり前でしたでしょう。
 でも今の私には、そんなことを考えつくような気力もありませんでした。
 すっかり暗くなったエウリア村の街並みを、宿屋の二階の部屋の窓から、私は今日起こった出来事を思い出しながら、意味も無くぼんやりと眺めていました。

「……レイア」

 そんなとき、ふと後ろから名前を呼ばれました。
 振り返ると、頭のツインテールを解いて、半袖のTシャツに短パンのみを着た、いつもの寝間着姿のネリーが立っています。

「寝ないの?」

 まるで鏡を見ているような、けれども全く雰囲気の違う私と同じ顔で、ネリーが首を傾げて言ってきました。
 時刻はもうすぐ深夜の0時になろうかというところ。
 この世界に、TVやゲームみたいな娯楽は私が知る限りありません。既にその娯楽(ゲーム)の中なのですから当たり前のことかもですが。
 ですので私たちは、大抵外が真っ暗になる二十一時を過ぎるとベッドに入ります。灯りを消してベッドの中に潜りこみ、眠くなるまでその日にあったことを三人でお話しています。普段通りならば、ネリーは二十二時を超えるとスイッチが切れたように寝てしまうので、それが合図となりチマも私も眠りにつきます。
 でも、今日は……いつも通りに眠ることはできませんでした。

「……うん。ちょっとね……」
「……今日は、すごかったもんね」

 ネリーは私の隣に来て、窓の外を見ながらそう言いました。窓の外に視線を向けていますが、きっと私と同じように、数時間前の戦いの様子を思い浮かべていることでしょう。
 エウリア村をモンスターの群れから守る《大規模戦闘(レイド)クエスト》。
 現実の世界では有り得なかった、自分たちの命を賭けた本当の戦い。私たちは確かにあのとき《死》を、そして《生》を、かつてないほどに感じていました。
 この……仮想の世界で。

「……あ~、ホントきつかった~」
「…………うん」

 チマはもうベッドの中。それを考慮してか、ネリーは小声で言いました。それは疲労ゆえについ出た弱音ではなく、ああ終わったんだね、という達成感を感じているような呟きでした。

「でもさ、意外とあっさり終わったよね。もっと、なんていうか……祝勝会? みたいのがあるかと思ったけど」
「……みなさん、凄く疲れていたようだったし、私もだけど、あれ以上騒ぐ元気が無かったんだよ」
「そーなんだろーけど~。村長さんとかも、せめてご馳走くらい用意してくれてもー……とか思わない?」
「……クス。そうだね」

 ゲームの中のキャラクターに何を期待しているのか、とも思いますが、きっとこれもネリーの良いところ。どんな状況でもネリーは楽しもうとする。それは素直に羨ましいと思います。……ちょっと現実と仮想を混同視し過ぎてる気もしますけど。

「…………」

 ふと二人の間に訪れる沈黙。私たちの呼吸音しか聞こえない、けれど決して居心地は悪くない空間。
 私はネリーと一緒に窓の外を眺めながら、あの戦いの後のことについて想いを馳せました。








 あの森側の門での攻防の少し後、クラウドさんからキリュウさんへメッセージが届きました。

『キリュウくん、こちらは終わったよ。なんとか死人も出さずに済んだ。リックさんが救援に駆けつけてくれなかったら危なかったけどね。それで、そっちはどうなったんだい?』

 それから何度かクラウドさんとメッセージのやり取りをして、一度全員、村長宅に集まろうということになりました。
 私たち四人は、度重なる激戦の疲労で重たく感じる体を、引き摺るようにゆっくりと村長宅へ向かいました。ですが四人が四人とも、その疲労とは正反対に穏やかな雰囲気を纏っていました。今度こそ戦いは終わったんだ、という確信に、張りつめていた空気が緩んだんだと思います。

「…………来やがったな。さっそくだが説明しちゃくれねぇか?」

 私たちが村長宅の前に着くと、既に他の人たちは集まっていたようでした。そして、イの一番にキリュウさんに向かって質問を投げつけるリックさん。リックさんは、どうして戦いの途中で抜け出したのか、どうして森側の門で戦ってたのか、などを矢継ぎ早に訊いてきました。
 激しい戦いの忙しさで、私もネリーもチマもそのことをすっかり忘れていましたが、確かに気になることではありました。
 他のみなさんも話は聞いていたのか、キリュウさんが話し出すのを静かに待っていました。

「…………あの時は……」

 そうして話し始めたキリュウさん。
 初めて違和感を感じたのは、村長さんに会いに行く前。エウリア村に着く前に戦った《ロウア―ゴブリン》が、最初の一匹以降出てこなかったことに。次に対策会議でいろんな人の話を聞いて再び違和感を感じたこと。ずっと感じていたそれが戦いの最中にとある推測に変わったこと。今までの戦いを見て、敵が二十匹を切ったあの状況なら、私たちとリックさんPTだけでも大丈夫だと判断して確認に向かったこと。そして、その推測が当たってしまったこと。

 キリュウさんの話に対する反応は人それぞれでした。
 まず、疑う人。持ち場を離れてからのキリュウさんの戦いを知っているのは、私、ネリー、チマのキリュウさんと最初からいた三人しかいません。本当に戦っていたのか、逃げたのではないか、と疑問をぶつけてくる人も当然いました。
 ですが、一緒の持ち場で戦っていたリックさんたちは私たちに味方してくれました。
 最前線……いえ、敵の只中で戦うキリュウさんを目の当たりにしていたリックさんとそのPTのみなさん。戦いの最中に「逃げたんじゃないか?」と言っていた人も、どういう心変わりをしてくれたのか、キリュウさんの弁護をしてくれていました。
 クラウドさんたちは、リックさんたちに加勢してもらったという恩があったためか、それ以上の追及はしてきませんでした。
 それでキリュウさんについての話は一旦落ち着きを見せ、話の流れでクラウドさんたちの担当した、私たちが見ていない、反対側の門での戦いの話になりました。








「――でもさ、まさか《あの人》が活躍してたってのは意外だったよねー」
「え? あ、ああ、うん。そうだね……」

 窓の外を見ていたネリーが、いきなり話しかけてきました。
 話しかけてきたことに驚いたわけではありませんが、私が今まさに回想しようとしていたことを言われたことに、少し驚きました。こういう何でもない場面で同じことを考える。そんなときに、この子と私はやっぱり双子なのかな、ということを考えてしまいます。

「……確かに。あのときのことを考えると、まさかあの《ジョースト》さんが活躍してたのにはびっくりしたよね」

 そう。私たちが戦っていた場所とは違う場所でも、激戦は繰り広げられていたんです。
 クラウドさんのPTとジョーストさんのPTが担当した門での戦い。この二つのPTメンバーのほとんどが盾剣士だということを有効に使って、防御を固めた陣形により、時間はかかるけど確実に敵を削る戦法をとっていたようです。
 そこで最も奮戦していたのが、あのジョーストさんだと、共に戦ったという方々は言っていました。ジョーストさんはまさに鬼気迫る勢いで、常に前線を支えていたそうです。一緒に戦ったクラウドさん曰く。

「……彼はきっと、人一倍仲間の安全のことを考えているんだと思うよ。戦いの最中じゃ、ずっと周りに声をかけ続けて、みんなに気を配っていたんだ。……あれを、あの必死さを見ちゃうとね、村長宅で彼が叫んだのは、実は仲間に危険が及ぶことを必死に避けようとしていた……という風にも思えてきちゃうんだよね」

 私はこのとき、ちらりとジョーストさんの方を見ました。
 みなさんが戦いについて各々話し合っている中、ジョーストさんは村長宅の壁に、黙して寄りかかっていました。……ですが、人を寄せ付けない、という雰囲気とは裏腹に、彼の周りには、彼の仲間たちの姿がありました。








「……あ。レイア、それ」

 話の途中で、ネリーが私を見て小さく声を上げました。その視線は、私の顔、ではなくその少し下に向けられていました。

「……これ?」
「うん。まだ着けてたんだ。……気に入ったの?」
「……うん。なんとなくね」

 私もいつも、ネリーとほぼ一緒の寝巻姿です。装備を全部解除しただけの格好。ですが今日だけは、私の首元には、如何にも手作り感の漂うネックレスが着けられていました。

「まあ、気持ちはわかるよ。だって……」
「……私たちが、今日頑張ったっていう《証》……だからね」

 私は、このネックレスを貰ったときのことを思い返しました。










「――なんとお礼を申し上げればよいのか……。冒険者の方々、本当に有難うございました。お陰様でこの村は救われました」

 NPCである村長さんのその言葉の直後、視界にクエスト達成の文字が浮かび上がりました。
 そして――

「おお!?」
「キタキター!」
「苦労した甲斐あったぜぇ!」
「おめ!」
「おめめ!」
「うおっしゃらー!!」

 私たちの居る村長宅の広いリビングが、目も眩むほどの金色の光に包まれ、何処からともなく耳が痛くなるほどの盛大なファンファーレが聞こえてきました。

「やたー! レベルアップだよっ!」
「あたしも上がったッス!」
「うんっ。私も」

 ネリーやチマがの弾んだ声が聞こえます。……いえ、それは私の声もでした。
 クエストを達成したことで、参加者の私たち全員にボーナス経験値が加算されました。それはモンスターを倒した時に発生する経験値や、普段しているクエストのボーナス経験値とは量がケタ違いで、私たちを含めたこの場に居るほとんどのプレイヤーがレベルアップしたみたいでした。そのため、効果音であるファンファーレと共に多くのプレイヤーの体が金色に光り、部屋中が眩く輝きました。

「ささやかながら、お礼をご用意致しました。どうかお受け取り下され」

 光が収まった後に村長さんがそう言うと、視界の端にアイテムストレージの更新情報が数秒浮かび上がりました。

 アイテム《ヌート・アミュレット》。

 私はシステムウィンドウを表示させ、自身のアイテムストレージに追加されたアイテムにカーソルを合わせました。すると別ウィンドウが立ち上がり、そのアイテムのステータスが表示されます。
 形は木の実や葉っぱを加工して作ったネックレス。効果は、レベル1の毒や麻痺に対して完全耐性を持つ、というものでした。
 これを手に入れたボルグさんやネルソンさんは興奮したように、「おいおい、毒だけじゃなくて麻痺もかよ!」「す、すごい! これならこの先、数層は使えるよ!」と騒いでいました。《レベル1の毒と麻痺》というものに、私たちはピンとは来なかったのですが、SAOに詳しそうなお二人のその様子を見る限り、このアイテムはそれほど凄いものなんだなと思いました。
 恐らく全員が同時にアミュレットを装備し、自分の首元に現れたネックレスを触っていました。








「この、手作り感満載なところが、なんていうか、いいよね~」

 ヌート・アミュレットを貰ったときのことを私が思い出していると、ネリーが手を伸ばして私の首元にあるそれに軽く触りながら言ってきました。

「うん。こういう素朴な感じなの、私は好きかな」

 私がそう言うとネリーは、たははと苦笑し始めました。

「……?」
「ううん、これを貰ったあとのこと思いだしちゃって」
「……え、ああ。アレ……ね」

 このアミュレットを貰い、村長さんの話が終わると、いきなり何も無かったかのように村長さんは、ただの《NPC》に戻ってしまいました。先ほどネリーが言っていましたが、そのときは私もあまりの何も無さに拍子抜けしてしまいました。――え……これで、終わり……? と。

「普通のゲームじゃ当たり前なんだが……ここまでリアリティあると、逆に違和感バリバリだよなぁ……」

 そのとき呟いたリックさんの言葉に、チマ含めた何人かが頷いていたのが、凄く印象に残りました。
 それから村長宅を出た二十名ものプレイヤー。
 何人かは打ち上げをしたいと言っていましたが、流石にそれに同意する声は多くありませんでした。
 普段なら騒がしいのが好きなネリーやチマも、今日に限っては早く休みたいという感情がにじみ出ているようでした。

「しつこかったよねー」

 隣のネリーが、うんざりといった様子で呟きました。
 村長宅から出た後は、多数決により今日は解散ということになり、みんなで宿屋に行くことになったのですが……。

「やっぱり明日は朝一で……かなぁ」
「……私もそれが良いかな。明日までアレは……ね」

 宿屋への道、いえ宿屋に着いてからも、私とネリー、チマは、レイド参加者のプレイヤーのみなさんからPTの誘いやらフレンド登録やら、今後作るギルドへの誘いなどを受けました。あまり男の人と話すのに慣れていない私には、それは少しつらい状態ではありました。
 でもそのときは、キリュウさんが庇うように前に出て下さり、キリュウさんに睨まれた人たちは渋々と強引な勧誘は止めて下さいました。
 私たち三人とキリュウさんがそれぞれの部屋に別れた後、キリュウさんからメッセージが届き、今後について内密に話合いをしました。
 仲間が多い方が命の危険は下がる、それは解っていましたが、それを踏まえて、キリュウさんは私たちの意見を尊重すると言ってくれました。
 結論から言うと、私たちは今のままが――私、ネリー、チマ、そしてキリュウさんがいる、四人だけの今が良いということになりました。

 では次に、それをどうやってみなさんに言うか、というのが問題に上がりました。
 私は男の人の前に出て話すのは自信がありませんし、それはネリーやチマにも言えます。年上の男の人ばかりな上に、その人たちの誘いを断るのですから、いくらあの二人でも尻込みしてしまうでしょう。
 そして、キリュウさんも人と話すのはあまり得意じゃないそうです。一番最初に会ったときも感じましたが、あまり他の人から愛想がよく見えるお方ではないですから。でも、本当は表情に出ないだけ、というのが最近解って来た気もします。

 と、話は変わりましたが、どうしようかみんなで悩んでいるとき、チマが「なら黙って居なくなれば良いんじゃないッスか?」と発言しました。それはどうなんだろうとは思いましたが、他に良い考えも浮かばず、結局は明日の早朝、誰も起きてこないうちにこの村を出て行こうということになりました。
 でも流石にそれでは(のち)にしこりを残すだろうと、各PTのリーダーだけに、キリュウさんの方から話をしておくということになりました。

「キリュウさん、ちゃんと伝えてくれたかな?」
「……大丈夫だと、思うよ? それにクラウドさん、リックさん、ジョーストさんは、強引な勧誘を止めようとしてくれてた側だったし」

 そう。それもあって、この三人だけには事情を説明しておこうということになったんです。
 私たちが居なくなったあと、みなさんに説明する役を押し付けるのは忍びないとは思いましたが……。

「…………この村」
「え?」
「いろいろあったねー」

 疲れている。けれども充実してもいる。そんな横顔で、ネリーは言いました。

「うん。あったね……」
「あったッスね~」
「えっ……?」
「チマ! 寝てたんじゃないの!?」
「横になってただけッスよ~。さっきまで言葉を喋るのもダルかったッスから」

 いきなり横に現れたチマ。言葉通り、動くのも億劫そうな顔です。

「――でも、この村で起こった中で一番の出来事と言えば、ズバリ……」
「一番?」
「なんのこと?」

 チマは得意そうな顔で、私たちに向けて言いました。

「ズバリ! キリュウさんが…………《笑ったこと》ッス!!」
「ッ!!」

 チマの言ったことは、確かにそれはこのエウリア村での出来事の中で、一番かもしれない。そう私は思ってしまいました。

『…………三人とも……お疲れ様……』

 あのときの、キリュウさんの台詞、キリュウさんの表情は、忘れたくても忘れられないものだと思います。何に驚いたかって、恐らく初めて――私たちがキリュウさんと出会ってから今日までの約一週間で、初めて見た《キリュウさんの笑顔》に、でした。
 それは、満面の笑顔というものではなかったですが、微かに、ですが確かに、キリュウさんは笑っていました。少なくとも、私たち三人には笑っているように見えたんです。

「また、見たいね」
「……うん」
「そうッスねぇ」

 きっと、これからも四人で冒険を続けて行けば、その機会は何度もあるでしょう。
 そうあることを祈って、私たちは窓の外の風景をしばらく見ていました。








 その翌日。正確には寝たのは日を跨いだあとなので、数時間後ということになりますが。
 私たちは、宿屋の前にいました。

「……しっかし残念だなぁ、オイ」

 身長の高いリックさんが、私たち四人を見下ろしながら呟きました。
 それに同意するようにクラウドさんが苦笑しながらそれに頷きます。

「確かにね。キミたちが仲間になってくれれば、このほど心強いものは無いんだけど」
「…………申し訳ありません」
「あぁ、いや。都合の良いことを言ってるのは解ってるからね。駄目なら駄目で仕方ないさ」

 キリュウさんが謝罪すると、クラウドさんは慌てた様子で言葉を続けました。

「ま、昨日の様子を見た限りじゃこれが無難だったかもな。あいつらのことは任せとけよ」

 リックさんが軽く自分の胸を叩きました。あいつら、というのは私たちを勧誘しようとしていた人たちのことでしょう。
 時刻は、まだ朝の六時。
 この場には、私たち四人とクラウドさん、リックさん、そしてジョーストさんしかいませんでした。三人は、私たちの見送りをしてくれると言って下さりました。
 その他の人たちは、まだベッドの中だそうです。昨日、私たちの話合いが終わったあと、キリュウさんはメッセージで三人を呼び出し、早朝に村を出ることを話したそうです。リックさんとクラウドさんは「残念だ」と言いながらも、ジョーストさんは特に何も言わず、私たちの案に賛成してくれました。まだ六時なら誰も起きて来ない、そう教えてくれたのもこの三人です。

「……では、そろそろ俺たちは出発します」

 システムウィンドウを開いて時刻を見たのか、キリュウさんが切り出しました。

「……有難う御座いました」
「ありがとうございます!」
「……ありがとうございました」
「ありがとうございましたッス!」

 キリュウさんに続き、色々と骨を折って下さったことに、私たちはお礼を言いました。

「いいって礼は。まあ、また会ったときは、よろしくな」
「そうだね。また会ったらよろしく」
「…………また」

 照れくさそうに言うリックさん。人の良い顔のクラウドさん。そっけなさそうに言うジョーストさん。
 このSAOの世界には、一万人近いプレイヤーがいると聞きました。中には、色々な性格の人がいるのでしょうが、この村で出会ったこの三人は、確かに良い人だとはっきり言えると思います。
 そんなことに幸先の良さを感じながら、私たちはリックさんたちと別れました。
 向かうは、私たちが防衛を担当した門から続く道。次の村へと続く道です。

「……そうだ。チマ」

 歩いている途中、キリュウさんはチマを呼びとめながらシステムウィンドウを呼び出しました。

「ほえ?」
「……これを、鑑定して欲しい」
「何なに? なんですかー?」

 キリュウさんがチマにトレード申請を送るのをネリーが興味津津といったふうに覗きこんでいます。

「ほほう。これは……」

 キリュウさんからチマにアイテムが渡されたようです。ウィンドウ上でのやり取りなので、何を渡したのかは私には解りません。

「……昨日、言うのを忘れたが、恐らくあの一匹だけ違うゴブリンから手に入れたものだと思う」

 チマは《鑑定》スキルを持っています。手に入れただけでは正体が解らないアイテムというものもあるので、チマのスキルは私たちも重宝しています。

「鑑定結果、出たッスよ」

 チマはそのアイテムをオブジェクト化させ、さらにアイテムのステータスウィンドウを私たちに見せてきました。
 それは、赤く艶やかな《鞭》……でした。

 カテゴリ《ウィップ/ワンハンド》、固有名《リブリサージ》。

 キリュウさんの倒した、あの一匹だけ異色を放っていたゴブリンが持っていた鞭です。

「しっかし、この鞭も武器なんスねー。『オ~ホッホッホ、女王様とお呼びィ』ッスねっ」
「あはは、は……」
「……?」

 チマはたまに真面目な顔をして変なことを言います。そんなチマにネリーは乾いた笑いを浮かべ、キリュウさんはチマの言ったことを理解出来て無かったのか、首を傾げてました。

「コレ……どうする?」

 ネリーがチマの持った鞭を指差して言ってきました。

「…………レイア」
「は、はい?」

 不意に、キリュウさんが私の名前を呼びました。

「……これを、使ってみないか?」
「え……この鞭を、ですか?」

 少し、混乱しました。いきなりということもありましたが、何故私なのか、何故鞭なのか、と。

「……ああ。確かお前は、特に使ってみたい武器はないと言っていたな?」
「は、はい。そうですけど……」

 未だ躊躇っている私に、キリュウさんは私だけに聞こえるような小さい声で呟いてきました。

「…………ルネリーもチマも、良くも悪くも前しか見ていない。だから、お前には支えて欲しい。二人の、背中を……」

 キリュウさんはもともと口数が少なく、あまり多くは語りませんが、それでも言いたいことは解りました。この鞭を使って、性格的にも前衛タイプな二人を後方からサポートをして欲しい。そう言う事なんだと思います。
 使い方は、一からキリュウさんが教えてくれると言って下さいましたし、それに私の性格からしても、前で戦うよりは後ろで全体を見渡せるほうが良いかもしれません。私はキリュウさんの提案に了解し、鞭を使ってみる事にしました。
 とりあえずは、すぐに実戦ではなく、次の村で練習をすることにして、私たちは止めていた歩みを再開しました。

「…………」

 驚きと命の危機。達成感と安堵。出会いと別れ。初めての挑戦。
 冒険、冒険とはしゃぐネリーの気持ちが、ちょっとだけ解ったような気がした、そんな二日間の出来事でした。



*****************************************************************

大規模戦闘(レイド)クエスト:エウリア村防衛戦

戦績発表!

討伐総数:二百匹

・個人の部
一位  レイア :討伐数 三十五匹
二位  ルネリー:討伐数 三十二匹
三位  チマ  :討伐数  三十匹



十二位 キリュウ:討伐数   八匹(内、指揮官討伐ボーナス有り)



最下位 ネルソン:討伐数   一匹


・PTの部
一位 キリュウPT :討伐数 一〇五匹
二位 ジョーストPT:討伐数 三十七匹
三位 クラウドPT :討伐数  三十匹
四位 リックPT  :討伐数 二十八匹

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[34210] 7.突然な出会い
Name: ネ申原◆f483f651 ID:2f056b28
Date: 2012/07/15 21:35
「セッ、ヤアッ!」

 あたしの放った剣技(ソードスキル)が、獣頭の亜人型モンスター《ルインコボルト・トルーパー》の体に、淡い水色に光輝く×字の軌跡を刻み付ける。
 片手用直剣二連撃技《エクス・スラント》。
《スモール・ソード》から《アイアン・ソード》へと武器をクラスチェンジして攻撃力の増したあたしのソードスキルにより、コボルトのHPは一気にその九割が無くなる。攻撃を受けて体を仰け反らせるコボルトと同時に、あたしの体もスキルの強制技後硬直により一瞬だけ動けなくなった。

「……レイア」
「はいっ」

 後ろで指示を出すキリュウさんの声にレイアが応える。
 直後、背後からあたしを回り込むようにして閃光が走り、仰け反っているコボルトの横っ面にバシィィン!! という効果音と共にそれが当たった。
 鞭スキル基本単発技《アンジレイト》。
《鞭スキル》は、攻撃力は他の武器のソードスキルに劣るけど、その分、攻撃を与えた時に敵を一時行動不能化(スタン)状態にし易いという特殊効果を持っている……らしい。
 既に一割しかなかったコボルトのHPバーが全て無くなり、攻撃を受けた仰け反りポーズのまま硬直後、パリィィンと爆発。キラキラと光るポリゴンを撒き散らしながら次第に薄れて消えていった。

「――うんっ。今のけっこう、イイ感じじゃなかった?」

 硬直が解けたあたしは、剣を鞘に収めながら後ろのレイアに振り返って言った。
 この前のレイドクエストで手に入れた鞭の扱いに、レイアがようやく少し慣れてきたのだ。だから今日は、未だ慣れない鞭との連携の練度を上げるために、あたしがメイン(タンク)、レイアが支援(サポート)で、キリュウさんとチマがあたしたちを見守りつつ、危なくなったら加勢するという布陣で戦闘を行っていた。

「そうかな? ……うん。ちょっとだけ、自信は付いたと思う」

 レイアが、その流れるような銀色の長髪を左手の指で耳にかけながら首を傾げて言った。四日前に寄った村で装備を変えて、今はその細身の体にクリーム色のレザーチュニックとレザーパンツを纏い、膝近くまであるレザーブーツを履いて薄地のレザーブレストを上から着込んでいる。そして、薄手のレザーグローブを装備した右手には《赤い鞭》――先日のレイドでのドロップ装備、《リブリサージ》を持っていた。

「……そうだな。二人での連携はもういいだろう。……今度はチマも戦線に加わってくれ。三人での連携を試す」
「りょーかいッス~」
「はい」
「わっかりましたっ」

 キリュウさんの言葉に応えるあたしたち三人の声が、此処、《第一層迷宮区》の薄暗い通路に響いた。








《エウリア村》での、あの《大規模戦闘(レイド)クエスト》から六日が経った。あたしたちが《大規模戦闘(レイド)》の仮想世界に囚われてから十三日が過ぎたことになる。
 今から四日前、あたしたちはやっとのことで浮遊城《アインクラッド》の第一層迷宮区に到着した。
 そして、その翌日から今日までの三日間、迷宮区最寄の町である《トールバーナ》を拠点として、朝から夕方まで迷宮区の探索をしていた。
 四日前に初めて見た迷宮区。ゴツゴツとした大きな岩が積み重なって出来た、遥か上空の二層の底面にまで伸びている黒々とした巨塔。獣の巣穴のような大きな入口を進むと、最低限整った石敷きの通路やレンガの壁、松明など、次第に人の手が入ったような造りになってくる。どっちかというと、元々人が使ってたけど、モンスターが住むようになって廃れた……という感じだ。所々にある骨や崩れた石壁が、いかにもモンスターが住み着いちゃってますよーと言わんばかりだ。
 この迷宮区には、コボルトやゴブリンといった亜人型(デミヒューマン)や、狼や大きな鼠といった獣型のモンスターが出現する。逆に植物型のモンスターは見かけない。流石にこんな日光の届かない場所には植物型は居ないのかもしれない。

「……少し早いが、今日はこのぐらいにしておくか」

 システムウィンドウを呼び出して見ていたキリュウさんがそう言った。あたしとチマが交代で敵のタゲを取り、あたしたち二人の背後にいるレイアの鞭による中距離支援を受けるという連携に、かなり慣れた頃だった。

「え、もうですか?」

 あたしはキリュウさんに聞き返しながら、自分もシステムウィンドウを開いて時刻表示を見た。今の時刻は十四時二十二分と、いつもの撤収時間より一時間以上早い。昨日、一昨日は確か十六時過ぎまで潜っていたと思う。

「いつもよりも早いですね」

 あたしと同じことを思ったのか、レイアも口に出した。
 あの過酷なレイドクエストを経験したあたしたちは、今やちょっとやそっとの事では疲れなくなってきていた。
 此処SAOでは、体力的な疲労というものは無い。つまりは、やろうと思えば何日でも寝ずに動き続けることが出来るし、戦い続けることが出来る。
 仮想世界の、実体の無い体なのだから当然かもしれないが、それでもそれを実際にするのは並大抵のことじゃない。実際に日を跨ぐほど動き続けるには、襲い掛かる睡眠欲求や食欲を抑えこむ強靭な精神力が必要となる。
 流石にあたしたちもそこまでではないけど、朝の七時から夕方十七時頃まで迷宮区に篭っている程度では、全然問題は無いようになっていた。

「……そろそろアイテムストレージの空きが無くなる。お前達はどうだ?」
「え? えーと……」

 キリュウさんに言われて、あたしたち三人は自身のアイテムストレージウィンドウを開いて見た。

 ――わ……もういっぱいいっぱいだった。

 ストレージの中は、その三分の一を食べ物やポーション、野営用の生活必需品で、残りの三分の二を迷宮区のモンスタードロップで埋め尽くされていた。もう少しで許容重量を超えてしまう。そうしたら動きが鈍くなるし、こんなモンスターの巣窟ではすっごく危険になるかもしれない。まあ、かと言って、せっかくのアイテムを捨てるというのもなんかアレだし……。
 あたしたちはキリュウさんの言葉の意味を理解し、帰還することに同意した。

「……では、いつも通り俺が先頭を歩く。今日はルネリー、殿(しんがり)を頼む」
「あ、はーい! わかりましたっ」

 キリュウさんの言葉に挙手して応える。
 PTの殿(しんがり)を勤めると言っても、別に先頭のキリュウさんと何十メートルも離れるわけでもないし、キリュウさんの索敵の熟練度も上がり、死角の減った今となっては、特に危険ということもないので、気負わずに勤めることが出来る。
 そもそも、キリュウさんは事ある毎に後ろを見たりして、あたしたちのことを気に掛けてくれるので、滅多なことが起こったことはぜーんぜん無い。
 あたしたちは、四人がギリギリ横に並べるくらいの幅の迷宮区の通路を、キリュウさん、チマ、レイア、あたしの順に列になって歩き出した。







「――でも、三日目にしてようやく十六階かぁ~。あと何階で最上階だろ?」

 モンスターを蹴散らしつつ八階にまで降りてきたあたしたち。ふと思いついたことを、あたしは独り言のように呟いた。

「外から見た限りでは結構高い塔だったよね。二層の底まで届いてたし……」
「……確か、各層間の距離は百メートルという話だったな」
「えっ……てことは、十六階ってまだまだ全然ってことッスか!?」

 各層から次層の底面までが百メートル。第一層迷宮区は、第二層の底にまで届く巨大な塔。つまりはえーと…………うわーんっ、最上階まで何階あるの!?
 あたしとチマの肩が同時にガクッと下がる。それはあたしたちのモチベーションを示していた。

「……それについても、情報を集めた方が良いな。流石に三十階以上もあったら、ポーションもそうだが、武器の耐久値も持たないかもしれない」

 先頭を歩くキリュウさんが、周囲を警戒しながらそう呟く。あたしたち三人は、それに「はいっ」と同時に応えた。








 それから数十分後、迷宮区を無事に抜けたあたしたちは、もう四十五分ほど、両脇を木々で覆われた幅広の道を歩いて、現在あたしたちが拠点としている迷宮区最寄の町、《トールバーナ》に到着した。
 トールバーナは、巨大な風車台が立ち並ぶのどかな谷あいの町で、これまで寄って来たエウリア村やメダイの村よりは格段に広い。北門を通って大通りを進むと、大きな噴水のある中央広場に着く。あたしたちは、この中央広場に面する宿屋に泊まっていた。

「――あ、そだそだ。誰か、ドロ装備出た人いるッスか? あっしが鑑定しちゃうッスよー」

 時刻は十六時二分。まだ外も暗くないので、宿屋ではなく、中央広場にある軽食屋のカフェテラスのようなテーブル席に座って、本日の戦利品について確認しているとき、チマが手を挙げながら言ってきた。

「私は…………今日は素材だけみたい」
「う~~ん……あっ、あたし一つある。お願い~」
「ほいほい~ッス。どれどれ……」

 あたしはアイテムストレージに入っていた正体不明の防具をチマに渡した。
 チマの持つスキル、《鑑定》は冒険には結構重要だった。モンスターの落とす素材以外のアイテムは全て、鑑定をしなきゃ使えないし装備も出来ない。更にフィールド上でも色々な食材アイテムなどを拾ったりも出来るけど、鑑定をすると実は毒だった、ということもあった。鍛冶屋や道具屋で鑑定をしてくれるNPCも居るらしいけど、プレイヤーに比べ成功率が低く、また有料だという。身内に鑑定スキルを持つ人が居るのは本当に便利だ。チマもチマで、鑑定するのが面白いらしく、色々なものに鑑定をかけているので、ぐんぐん熟練度は上がっているみたいだった。

「……ふむ。こんなん出ました~ッス」

 カテゴリ《軽装備/革》、固有名《ハードレザーブレスト》。
 あたしたちに向けて、そのアイテムのステータスウィンドウを見せてくるチマ。

「え~と……あ、今あたしが装備してるのの方が性能良いっぽいよー。チマは?」
「今わたしが装備してるのと同じやつッスね、コレ。レイアとキリュウさんは装備の系統が違うッスし……コレは売りッスね」

 レイアはもっと軽めの装備が個人的に良いらしく、キリュウさんも鎧系は動き辛そうだから嫌らしい。 逆にあたしとチマは、軽装の鎧系防具を主としている。まあ流石に重装備みたいなゴツゴツしたのは嫌なんだけどね。

「キリュウさんはありますか?」
「……ああ、剣が一つ」

 そう言ってチマにそれを渡すキリュウさん。
 見た目は片手用の直剣。柄は毛皮を巻いてあるのかもふもふしていて、刀身は鉄ではなく、骨を削ったような感じだった。
 目の悪い人みたいにチマが眉を寄せ、目を細めてそれを睨む。

「むむむ~む。……こ、これは!?」

 芝居がかった様子で驚くチマ。直後、その片手剣を掲げながら言い放った。

「てれれてってれ~、カテゴリ《ロングソード/ワンハンド》、固有名《タスクブレード》~♪」
「おお~」
「店売りの剣より少しだけ耐久値が低いッスけど、全体的な性能はこっちの方が高いみたいッスね」

 チマが言い終わった瞬間、あたしとチマの視線が交差し、キランと光る。現在、片手剣を装備しているのは、この四人の中じゃあたしとチマだけだ。つまり――

「じゃーん、けーん……っ」

 あたしたちPTで定めた約束事の一つ。ドロップで欲しい装備があったら、恨みっこなしの強制(・・)じゃんけん勝負。昨日はモンスタードロップで出たイイ感じのショートブーツをレイアも入れた三人で勝負して、チマに負けてしまった。今回はぜぇ~ったいに勝ちたいっ。

「……ぽいぃぃッス!!」

 気合を入れたチマの掛け声と同時に出したあたしたちの手。その勝敗は……。

「やったー! 勝った~!! ぶいっ!」
「がーん……ッス……」

 パー対チョキで、見事、あたしの勝利ィ!! キリュウさんとレイアの生暖かい視線を感じるけど気にしない! ガックリと地面に手と膝を付いて頭をたれているチマの姿が、またまたあたしの気分を良くさせたのだった。







 そんなこんなで、アイテム論評会(?)が終わった。装備に関してはこんな感じだけど、基本的に身内なので、どのアイテムは誰の、というのはあたしたちには無い。お金も、個人個人で一応持ってはいるけど、お店とかで誰かが欲しいのがあって、手持ちの金額が足らなかったらみんなで出し合ったりするし、ほとんど共通財産みたいになっていた。

「……よっし。じゃあ、アイテム売りに行こっか?」

 システムウインドウを閉じたあたしは、テーブルに手をつきながら立ち上がってみんなに言った。
 そのとき――

「ほーウ。もう、こんなところまで来ているプレイヤーが居たとはネ~」

 あたしの背後から、語尾に変なイントネーションを乗せた女性らしき声が聞こえた。未だ座っていたあたし以外の三人がその声を方を見る。あたしもそれに続いて後ろを見た。

「…………へ?」

 そこに立っていたのは、藍色の布服上下に革製の胸鎧とショートブーツを纏い、腰に金属製の爪っぽい武器と投げ針という装備、短めの金褐色の巻き毛という髪型の――――両のほっぺに三本ずつの《おヒゲ》を書いた、小さい女の子だった。








「…………ね、ネズミ……さん?」

 目の前の女の子を見た第一印象を思わずあたしが呟くと、その女の子はニタァという笑みを浮かべて人差し指を立てた。

「せぇ~か~いっ……ダヨ。お嬢ちゃン」
「う……」

 小悪魔、という言葉が似合いそうな笑顔に、あたしは少し固まった。

「――はじめましテ。オイラの名はアルゴ。巷(ちまた)じゃ《鼠のアルゴ》って呼ばれてル。……このSAOでは《情報屋》をしてるんダ。よろしくナ~」

 アルゴと名乗った女の子。あどけない顔で、あたしたちより身長は小さいんだけど、何処か年上を思わせる雰囲気を纏っている。可愛いんだけど、抱きしめるのを躊躇ってしまうような空気……そんな感じかな。

「……情報屋、さん……ですか?」

 首を傾げながらレイアが、その女の子に訊いた。

「そウ! お金さえ貰えればどんな情報でも売るシ、調べル! まだ見ぬフィールドの特徴、そこに湧出(POP)するモンスターの攻撃パターンやら弱点やらの詳細な情報! 欲しいアイテムをドロップするモンスターが居る場所やそいつが落とす確率! その他諸々! これらの情報を他に先駆けて調べ、《商品》としてプレイヤーたちに売るのが……このオイラような、《情報屋》という訳なんダ」

 女の子は、その小さい体を目一杯反らしながら言ってきた。

「ほへー」
「……は、はぁ」
「な、なるほどッス」

 呆気に取られたような相槌を打つあたしたち三人。
 でも、なるほど。常にキリュウさんも言ってるけど、情報というものはかなり重要だ。まったく知らないモンスターと、攻撃方法や弱点が解っているモンスターとでは、戦うときの危険度はまるで違う。お金を払ってでも買う価値はあるのかもしれない。
 でもそんなことより、あたしには気になって気になって仕方のないことがあった。

「あ、あのっ。その《おヒゲ》っていったい……?」

 アルゴさんに両のほっぺに三本ずつあるおヒゲのペイント。さっき自分で《鼠のアルゴ》って名乗ってたけど、もしかしてキャラ作り?

「ああ、コレ? にゃはハ、悪いけどこの理由は話せないナ~。どうしてもというなら考えないでもないけド……」

 そう言ってアルゴさんは親指と人差し指で作ったわっかを見せてくる。
 あたしはそれに、あははは……、と乾いた笑いしか返せなかった。

「……で、その情報屋が、俺たちに何か用か?」

 キリュウさんが不意に口を開いた。そうするとアルゴさんは、にひひと笑いながら隣の丸テーブルの席へと座って此方を向いた。そして、一人だけ立っているような状態になっていたことに気づいたあたしは、そそくさと再び席に座った。

「キミたちは知ってるカ? この町に一番最初に来たプレイヤーが……実はキミたち(・・・・)だった、ってことニ」

 いきなり、アルゴさんがそんなことを言った。
 確かにこの町や、迷宮区ではまだ他のプレイヤーは見たことはなかったけど、あたしたちが一番乗りだってことは知らなかった。

「……その様子じゃ知らないみたいだネ。こっちも驚いたヨ。予想じゃ、ここにプレイヤーたちが来るのは、まだ一週間以上先だと思ってたからネー」
「え……何でそんなに遅いんスか? つか、ホントにわたしらが一番乗りなんスか? というか、えーと、アルゴさん? は実際に今、此処に来てるじゃないッスか?」

 矢継ぎ早に聞き返すチマ。でも言いたいことはあたしも同じだ。
 だけどアルゴさんは、余裕な笑みを浮かべながらチマに手の平を向けて制する。

「まぁまぁ。興奮しなさんナ。……出来ればまずは、コチラの質問に答えてもらえるかナ?」
「……交換条件、ということか」

 腕を組みながらキリュウさんが言う。

「そーゆーコト! こちとら情報屋だからナ。タダでぺらぺらと話すわけにもいかないんだヨ。……とはいえ、キミら情報屋は初めてみたいだし、初回ということで、こっちの質問に答えてくれれば、さっきの疑問にも答えてあげるヨ。……どうだイ?」

 あたしとレイア、チマは顔を見合わせると、同時にキリュウさんの方を見た。此処はリーダーさんの意見に従おう。

「…………解った。そちらの質問を聞こう」

 数秒間、考えるようなそぶりの後、キリュウさんはそう言った。
 それを聞いたアルゴさんは、さっきみたいなニタァというような笑いじゃなく、パアァと花が咲くような可愛い笑顔を見せた。

 ――くうっ、あっぶなぁ。無意識にハグしようとしちゃったよ……。

 鋼鉄の意志で己を自制したのは、見る限りきっとあたしだけじゃない。

「ではでハ、さっそく質問ダ……」

 アルゴさんが訊いてきたのは、あたしたちの名前から始まって、《はじまりの街》から此処まであたしたちが旅してきた道順。現在のあたしたちのレベルと装備。第一層迷宮区の攻略階層と、そのマップデータ。そして、これまで出会ったプレイヤーのことなんかを質問された。

「……ふーむ、なるほどなるほドー。にゃハハ、まさかそう来るとはネー」

 あたしたちの話をずっとにやけながら聞いているアルゴさん。特にエウリア村でのレイドクエストや、そこで手に入れたレイアの鞭に興味深々みたいだった。
 あたしたちの話が終わると、アルゴさんは目を瞑ってぶつぶつと数秒間、何かを呟いていたかと思うと、いきなり目を開けて、こちらに笑いかけてきた。

「…………解ったヨ、ありがとウ。んじゃ、今度はこっちの番だナ」

 あたしたちにお礼を言ったアルゴさんは、先ほどチマの言ったことについて話し始めた。

「えーとネ……今、このSAOでのトッププレイヤーと呼ばれる者たちは、自己のパワーアップを重点的に行っていル。来(きた)るべき《ボス戦》に備えて……ネ。それはレベル上げだけではなく、自身の装備の充実なども含まれル。強い武器を落とすMOBや、貰えるクエで装備を整える。そしてそれらを強化するための素材アイテムの収集。そんなことをしているんダ。…………だけど、正直そういう奴らは一万といるプレイヤーの中でも、ホンの一握りサ。ほとんどのプレイヤーは、未だ《現実世界(そと)からの救出》という望みを捨てられず、はじまりの街に篭っているみたいだネ。まあでも、遠くないうちに引き篭もっている奴らも気付くと思うヨ。……戦うしか、自分たちに道は無いってことに、サ。まあ、最近は結構はじまりの街から出るプレイヤーも出てきたみたいだけどね。あくまで出て戦うだけで、他の村には行ってないみたいだけど。だからそれらを考えた結果、ボス戦に望めるだろう戦力が此処、迷宮区最寄の町に揃うのは、オイラの予想ではまだあと一週間以上先だった、ってことなのサ」

 アルゴさんが言うには、レベル上げには、それに適した場所が第一層の各地にあるらしく、あたしたちみたいに戦うことを決めたプレイヤーは、各々の場所で経験地稼ぎをしているらしい。だけど、その殆どは安全に、かつ十分な経験地を稼げる場所、つまりは《ソロプレイヤー》というたった一人で戦う人たちとっての狩場らしく、PTでの狩場とはまた違うらしい。
 つまり、今現在トッププレイヤーと言われる人たちの大半がソロプレイヤーらしく、しかもその数は少ない。
 迷宮区の最上階にいるというボスは、相当強いらしく、1PTだけじゃまともに戦うことも出来ないという。犠牲無しに戦おうとするならば、1PT六人を八つ束ねた計四十八人からなる最大連結(レイド)PTが、更に二つ出来るくらいの戦力を揃える必要があるという。
 だけど、今は戦う気になっているプレイヤー自体少ない。つまりは、ボス戦が出来るくらいの戦力が集まるのはまだまだ先。そして、それはソロプレイヤーたちも解っているらしい。
 だからこそ、今は少しでも自分が死ぬ可能性を減らすため、攻略よりも、レベル上げや装備の充実に専念しているそうなのだ。

「…………ボスとは、そこまで強いのか?」

 アルゴさんの話を黙って聞いていたキリュウさんが口を開いた。

「これ以上の情報はお金をとるヨー…………と、言いたいとこだけド、この程度はミンナ知ってることだしナ。いいヨ、教えてやろウ。……というか、キミらホントーに初心者(ビギナー)だったんだナ。そうかなとは思ってたけド……正直、一番最初に此処に辿り着けたというのは信じられないヨ」

 苦笑しながら肩をすくめるアルゴさん。うーん。あたしたちだって、未だに一番乗りっていうのは信じられない。

「そう……なんですか? 私たちは至って普通に此処まで来たんですが……」
「まあ、来る途中で起こったことは普通とは言えなかったッスけどね」
「エウリア村での《大規模戦闘(レイド)クエスト》……カ。確かにこのSAOでもレイドクエはあるにはアル。だけど、第一層時点で既にあるなんてこと、オイラでも知らなかったヨ。キミら、ホントーに運が良いヨ? レイドって、その殆どが無理クエで、犠牲無しには普通は達成出来ないんだからネ」

 おちゃらけたような言い方、でもアルゴさんの目は笑っていなかった。

「まあ、貴重な情報も貰ったシ? 何よりビギナーさんには優しく、がモットーのアルゴさんだからネ。色々アドバイスするのはやぶさかではないヨー」
「……」

 キリュウさんが、アルゴさんを無表情で見つめる。しかし、当のアルゴさんは何処行く風で話を続けた。

「さっきの質問だけどネ。基本的にミンナが知っているSAOの情報ってのは、《ベータテスト時代のもの》なのサ。それが正式サービスになって何処まで変わっているかは解らないガ……ベータテストでは、ボスにはレイドPT二つで当たるのが相場だと聞いタ(・・・)。犠牲無しにしたいのならネ」

 ――あれ? 今なんか変なイントネーションが入ったような……?

 まあ、アルゴさんの話し方は元々、語尾に変なイントネーションは入ってるけど。

「…………なるほど。では、戦力が集まるまで此処で足止め、ということか?」
「そういうことに、なるんだろうナー。…………にひ。そ・こ・デ! オイラからキミたちに提案だ」
「?」

 突然、立ち上がってあたしたちを見下ろすアルゴさん。……でも、元々が小さいから目線は殆ど変わらないけど。

「さっきも言ったとおり、戦力が集まるのはまだまだ先ダ。だからキミたちも、それまでにボス戦に向けてレベル上げや装備を整えるべきじゃないカ?」

 両手を広げて訴えるように言うアルゴさん。確かに、時間があるならそうした方が良いのかもしれない。

「……で?」
「うン?」

 キリュウさんが、鋭く睨みながらアルゴさんに問いかける。

「……提案、と言うからにはそれだけではないのだろう?」

 そう言ったキリュウさんの言葉に、あたしたちは息を呑み、アルゴさんはニヤリと笑った。

「にっひっヒ、話が早いネ。そうでなくチャ……それで、提案というのはネ…………」







 その翌日の早朝、あたしたちはトールバーナの町を(あと)にしていた。だけど、迷宮区に行くわけではない。

「――いまさら……なんスけど、あのアルゴって人の話、ホントに信じてもいいんスかね?」

 トールバーナから東へ向かう街道を歩いているとき、あたしの左隣りにいるチマが話しかけてきた。

「確かにあやしい感じの人だったけど……ウソは言ってなかったと思うよ? まあ、ただの勘なんだけど……」
「……そう、だね。私もネリーと同じ意見かな」

 あたしの答えに、右隣を歩いているレイアも同意してくれる。

「……アルゴの言っていたことは、だいたい筋が通っている。あの町にまだ誰も来なかった理由も、あの《提案》も。……尤も、チマが不安に思うのも仕方のないことだろう。まあ、俺とて一から十まで、彼女の言い分全てを信じた訳ではない」

 いつも通りあたしたちの前を歩くキリュウさんが、前を向いたままそう言った。
 あのとき、アルゴさんがあたしたちに提案した内容は、タダで情報を教える代わりに、その情報が正しいかどうかを調べて欲しい、というものだった。

『――――……オイラの持っているSAOの情報の多くも、ベータテスト時のものがほとんどなんダ。だけど、もしかしたら《それら》は、ベータテスト時と正式サービス時では、変更点や差異があるかもしれナイ。これでも誇りある情報屋としては、そんな不確定な情報を《商品》として扱うことはなるたけしたくナイ。……そこで、キミたちに協力して欲しいことがあル。他の者に先行してキミたちに様々な情報をタダで教える代わりに、その情報が正しいか、もしくは何処がどう違うのかなどを調べて貰いたいのサ!』

 昨日の、アルゴさんの言葉を思い出す。芝居がかったような口調で、胡散臭さは爆発してたけど、何故かあたしはその言葉を疑う気はしなかった。

「それに、もう貰うものは貰っちゃってるしね。後には引けぬ、ってやつだよ」

 そう言ったあたしの手には、一冊の冊子があった。 
《エリア別攻略本》。詳細な地形から出現モンスター、ドロップアイテム、クエスト解説まで網羅されているアルゴさんお手製の本らしい。ご丁寧に表紙下部にでかでかと【大丈夫。アルゴの攻略本だよ。】と書いてある。これはそのエリア毎の村の道具屋に委託販売する予定のものらしい。既に95%ほど完成しているらしいけど、残りの5%の情報の調査を、あたしたちに依頼してきたのだ。

「と言っても、今までほとんどと言っていいほど差異は無かったって言ってたッスよね? わたしら、ホントに必要なんスかね?」
「……チマの言う事も解るが、この先、情報に敏い者に知り合いが居るというのは心強い。寧ろ今はあのアルゴという者が本当に信用できるのか、それを見定める期間だと思えば良い」

 キリュウさんの言葉に、チマもようやくぶつくさと言うのは止め、次に行く場所のことで道中盛り上がった。







 それから約二週間、あたしたちは第一層の色んな場所を回った。
 まだ行ったことのない村はもちろん、遺跡、洞窟など、モンスターの巣窟にも行った。
 アルゴさんがくれた攻略本は良く出来ていて、たまにドロップ品やらフィールドに落ちているアイテムやらの差異はあれど、特に気になるような差でもなかった。私たちが調べ終わったエリアの攻略本は、なんとそのエリアの村の道具屋で委託販売されるらしい。
 あたしたちも手伝ったものが、他の人の役に立てるのなら、それは当然気持ちが良い。
 最初は文句を言っていたチマも、アルゴさんを見極めると言っていたキリュウさんも、その本の正確さや解りやすさ、そしてその本の目的を知っていくうちに、アルゴさんに対して少しは壁が無くなったような気がする。
 そんなアルゴさんには、定期的に連絡をしていた。情報の確認の結果報告、更なる情報の報告。
 なんていうか、ゲームとかでよくある、冒険者が依頼を受ける、っていうのを素でしているみたいだ。……まあ、ここもゲームの中なんだけどね。

 そんなこんなで、あたしたちはまさしく日々を《冒険》しながら過ごしていた。
 あたしたちが今居るのは《ホルンカ》という小さな村のそばの森の中。
 ここ三日間、あたしたちは《森の秘薬》というクエストをしていた。内容は《リトルネペント》という歩行植物型モンスターを倒しまくって、すっごい低い確率で出る《リトルネペントの胚珠》をゲットすること。なんでも強い片手剣が報酬として貰えるらしい。片手剣を使うあたしとチマは「これは手に入れなければ」と二人でそのクエを受けた。
 でも既にこのクエの情報は出回っているらしく、数PTが同じようにそのクエを受けて、モンスターを倒しまくっていた。
 二日間、モンスターの取り合いで窮屈な思いをしていたんだけど、三日目以降になって目に見えてプレイヤーが減っていた。
 疑問に思ったけど、それより人が減った嬉しさの方が強かった。しかも運の良いことに、その日のうちにあたしもチマもクエストを達成することが出来た。……でも、喜ぶあたしたちに残った、突然プレイヤーが減った疑問。その疑問は、翌日にきたアルゴさんからのメッセージで解決した。

『おーイ、今どこにいル? もうボス戦、終わっちゃったヨ~』

 ――は?

『いヤ~、すっかりキミらが居ないの忘れてたヨー。あっはっハ』

 ――え……え、えええええ!?

 その知らせを受けたあたしたちは、急いでトールバーナに向かったけど、そこにはアルゴさんの姿は無く、ボス戦を終えて一層迷宮区から出てきたプレイヤーばかりだった。

 ――せっかくボス戦のために鍛えてきたのにぃ……。

 うーん。なんか不完全燃焼だ。
 こうして、ボス戦に参加しないまま、あたしたちの第一層の冒険は終了したのだった。

 ちゃんちゃん。



[34210] Ex1.鼠の思惑
Name: ネ申原◆f483f651 ID:4687e9c9
Date: 2012/07/15 21:46
 第一層迷宮区最寄の町、つまり第一層での最後の町である《トールバーナ》。
 移動に次ぐ移動で、そろそろやばくなった装備を修理するため、()はこの町に立ち寄った。

 正式サービス開始当日――茅場明彦による《ソードアート・オンライン》デスゲーム化宣言からもう十三日が経つ。
 私を含め、利己的で自己中心的な生粋のゲーマーは、誰よりも先んじてリソースの専有化に走った。今ではかなりレベルも上がり、装備も充実していることだろう。

 ――だけど、足りないな。

 第一層のボスは、ベータテスト時代のとおりならば、斧と円型盾(バックラー)を持ち、腰には人の身長ほどもある湾刀(タルワール)を携えた巨大な亜人型(デミヒューマン)、《コボルトの王(イルファング・ザ・コボルトロード)》。更にその周りには強力な護衛たちもいる。
 奴を倒すには、誰よりも先んじて行動した現在のトッププレイヤーたちだけでは圧倒的に戦力が足りない。そして、それは彼らにも十分に解っていることだろう。
 VRゲーム初心者らしい《はじまりの街》に籠っていた者たちも、段々と行動を開始し始めているようだけど、そいつらがボス戦に臨めるようになるのは最低でも、まだ一週間以上先のことだと思う。私なりに、初心者(かれら)には一応の援助(・・・・・)をしてはいるけども、それでも時間はそれなりに掛かると踏んでいた。
 そんな考えもあり、迷宮区最寄の街であるこのトールバーナには、まだ誰も来ていないだろうという予想をしていた。

 ――して、いたんだけどネー……。







「あたし、ルネリーっていいますっ。こっちがレイアで、そっちがチマです。そして、この人があたしたちのリーダー、キリュウさんです」
「……よろしくお願いします」
「よろしくッス!」
「…………宜しく」
「あア、よろしくナー」

 私がトールバーナの中央広場に足を踏み入れたとき、人の声がして思わず驚いた。
 この町にプレイヤーが来ていたことに対してではない。もちろんそれも多少はあるが、何よりその聞こえてきた声が、《楽しそう》だったからだ。
 デスゲームとなったSAO。いつかはそんな状況にも慣れて笑える日も来るだろうとは思っていたけど、まさかこんな最前線で笑い声が聞こえるとは思いもよらなかった。
 私は興味を引かれ、声の主を探した。
 それはすぐに見つかり、そして更に驚いた。何故なら四人いた彼らの中の三人は女の子だったからだ。
 しかも若い。私も年の割に若く見られがちだけど、彼女らは本当に若い。恐らく中学生ぐらい。茅場晶彦により、プレイヤーの多くは現実の姿にされた。そして、SAOみたいなネトゲにいる女性プレイヤーの多くは、その大半がネカマ、つまりは男が性別を偽っている。
 ロールプレイングゲームなのだからその行い自体に問題は無いが、姿が戻ってしまったことにより、女性プレイヤーが激減してしまったのも事実。割合としたら男女で9:1ぐらいか。
 しかし彼らはどうだ。PTの内の大半が女の子。しかも若い。
 黒一点である少年もこれまた若い。大学生には見えないけど、高校生ぐらいか。でも全体的に若いのは間違いない。
 どうやら中央広場に面するカフェテラスで談笑しているらしい。

「…………っ」

 その明るい雰囲気に、私は惹かれた。
 いきなりゲームから出られないって言われ、周りは打ちひしがれるか自己保身に走るか。
 私自身、保身に走った身だけど、やっぱりときどき、無性に人恋しくもある。自己利益だけを求めるのに疲れることもある。
 だから私は、その子たちに声を掛けようとした。
 その雰囲気の中に、私も入りたくて。
 でも、人と共にいたいという思いと一緒に、軽々と人を信じるな、という考えも持っていた。
 人ってのは何でもアリだ。情報屋というものをやってるとよくわかる。
 相反する二つの思いに、結局私は――オイラ(・・・)は、いつもどおりにしようと思った。

「ほーウ。もう、こんなところまで来ているプレイヤーが居たとはネ~」

 いつもどおり、《アルゴという名の仮面》をかぶって、話しかけたんだ。







 彼らの話を聞くと、どうやらこの四人は初心者(ビギナー)の集まりだったみたいだ。
 でもそれも納得のいく話ではある。名前、レベル、装備、それだけではなく訊いた質問にどんどん答えて行ってくれる。
 SAO(ここ)ってのは、たかがプレイヤーの名前ひとつ教えるだけでお金を貰えるような世界だ。
 そしてそれは、コアゲーマーなら誰もが知っている。
 ここまで明け透けに教えてくれるというのも、他の者から見ればバカ丸出しの行為だ。
 でも私は、こう思った。

 ――きっと、この子らは信じられないほどお人好しで、バカで……そして、純真で無垢だ。

 初めて会ったプレイヤーに自分の情報をさらけ出す。それがどんなに危ないことか、解っていない。
 まるで子供……って、子供だったね、そういえば。
 如何に自分がすれているかを自覚させる鏡のような子たちだ。

 ――でも……。

 そんな初心者のこの子たちが、こんな最前線まで来ているという事実。
 しかしそんな疑問も、話を聞くうちにだんだんと解って来た。

 ――要するに、プレイヤースキルが物凄く高いってことか。

 特に、この無表情の少年。現実(リアル)の実家は武術の道場をしているとか。
 VRゲームは、知識や経験がなくとも、身体操作の能力がずば抜けているとそれだけでスタートラインはだいぶ違う。引きこもりのメタボなんかとは目じゃないくらいには。
 この子らもきっとその類だ。
 利己的なゲーマーと違い、まだゲームをゲームとして楽むことの出来る純粋さ。そして何も知らないでここまでこれるほどの高いプレイヤースキル。
 私はそれを、――《面白い》と思った。








 私は初心者援助として、第一層各地の情報を《攻略本》という形で提供しようとしている。実際には道具屋で委託販売を考えているけど。
 色々と思うところがあって、一部の者以外には《0コル》で提供する予定だ。まあ、建前は初心者援助だし。
 でもその為には、ただベータテスト時代の情報を流出するだけではダメだ。SAOに限らず、今までプレイしてきたネットゲームの幾つかも、ベータと正式サービスでは細部が微妙に変わっているものもあった。つまりは、現在私が持っているベータテスト時のSAOの情報が正しいかどうかを調べなくてはならない。
 今日までは何とかなった。先行したプレイヤーたちに上手く聞き出したり、手持ちの情報で交渉したり、知人から買ったりと、想像していたよりもスムーズに情報の収集や、ベータ時代との差異の補完が出来た。

 だけど、これ以降は難しいだろうと思う。
 理由は多々あるが、一番の理由は……。

 最初に街を飛び出したプレイヤー――恐らくその殆どが《元ベータテスター》であろう者たち。彼らはその知識と経験を生かしたスタートダッシュで、多くの利を得た。しかし、それは両刃の剣であることに彼らの多くは気付かなかったのだ。








 二週間ほど経った現在、解っているだけでも既に五百人以上が死んだ。
 初心者たちの何人かはこう言う。

『経験者であるベータテスターが自分のことしか考えてないから、こんなに多くのプレイヤーが死んでしまったんだ! 悪いのはベータテスターだ!』

 つまり、経験者が初心者の面倒を見なかったから、五百人以上も死んだ……と。

「巫山戯るな……っ!!」

 と、そいつらに言ってやりたい。

 私の調べによれば、死者の半分は、その元ベータテスターだ。
 彼らには知識と経験があった。だが、同時にあるものが無かった。
 それは、SAOの現状を現実として受け入れる心、といったところか。
 こんな状況で先走れる奴らだ。しかも経験者。
 そんな奴らが、「このゲームで死んだら本当に死にます」と言われて、それを現実的に考えることなんて出来るのか? ベータテスター全員が、一度以上このゲームで死んで、《生き返って》いる。
 死ねばまた生き返れる。無意識に死ぬことに関して緩くなってしまうのも無理は無い。
 私も、少し前まではそうだった。実際に人が目の前で死に、そして生き返ってこないのを確認するまでは……。

 話は反れたが、つまりは情報源となるトッププレイヤー自体が減っているのだ。
 あと少しで完成というこの攻略本も、初心者たちが活動範囲を広める前に配布出来るようにしなければ意味は無い。
 だから、私はこの子たちに提案した。
 手持ちの情報の調査を。
 ここまで来れたという事は、かなり腕が立つことは解る。
 更にこのお人好しさ。正直、あまりおおっぴらに顔を出せない私にとって、それは都合が良い。
 私は、《ベータテスト経験者》だ。
 ベータテスターに不満を持つビギナーが多い中、それを気にしなさそうな人というのは非常にありがたい。
 この四人、特に少年と茶髪の女の子――キリュウとチマと言ったか――は、かなり私の話を疑っているようだった。
 それでも、あれだけ情報をさらけ出しといてだと、こちらとしては今更感ばりばりで、正直笑いが込み上げてくる。
 まあ、あれだ。結局のところ、私はこの子らが気に入ったんだ。

 ――手助けをしたい。

 と思ってしまうくらいに。








 そうして色々と説得して、協力という形に落ち着ける事が出来た。
 まだまだ信頼、とまではいかない関係だけど、まあそこは商人としての腕の見せ所。これから信用を重ねて行けば良いことだ。

「……フフ、また面白い知り合いが出来たナー」

 顧客、でもないな。協力者、と言った方が正しいかな。
 変な関係になってしまったが、不思議と後悔はなかった。

「……さて、そういえばもう一人の変な知り合いはどうしたかナ?」

 私はベータテスト時代からの知り合いの事を思った。
 名前を見てもしやと思ったが、会ってみてお互いにはっきりとした。今頃は他のトッププレイヤーと同じく、自己強化に励んでいることだろう。

「…………よしっ」

 彼らは、思惑は違えど、自分に出来る事をしている。
 だったら私も、自分に出来る事をしよう。

「今日も今日とテ、情報あっつメ~♪」

 私は再び、はじまりの街へと続く道を走りだした。







 それから二週間と少し経った。
 私たちがSAOにログインしてから一ヶ月、といったところか。
 今日は第一層迷宮区、その最上階にいるボスに挑戦する日だ。
 ……いや、戦いは既に終わった。
 ボス戦に参加していた知り合い何人かに今まさに報告を聞いていた。
 どうやらベータテスト時の知り合い――あの《キリト》が大活躍をしたらしい。色々な意味で。
 私はキリトに祝勝のメッセージを送ろうとフレンドリストを開いた。

「…………あ」

 そして、キリトの名前のすぐ下にある名前を見て、彼らのことを忘れていたことに気付いた。

・Kirito
・Kiryu ←

 そういえば、五日前に最後に連絡をとったとき、ボス戦が近くなったら教えると言っていたような……。

「…………にゃははハ!」

 とりあえず、笑っておくことにした。
 まあ、今回のボス戦は色々あったようだし、あの子らを巻き込まなかったと思えば、結果オーライというやつだろう。
 私は軽く謝罪のメッセージを、彼らに送った。

「さて、そろそろ転移門も開通したかナ?」

 私は、はじまりの街の大通りを歩いて、中央広場にある転移門へと向かった。

 ――さあ、いざ第二層へ!

 歩く私。その私を後ろから見ている者がいることに気付くのは、それから間もなくのことだった。



[34210] 8.裁縫職からの依頼
Name: ネ申原◆f483f651 ID:4687e9c9
Date: 2012/07/15 22:03
 部屋の明かりが消えた。
 この《ソードアート・オンライン》の世界は、だいたいが中世西洋的な造りになっているようだ。
 だからなのかは知らないが、殆どの部屋の明かりはオイルランプが主だ。
 操作は見た目に反してかなり簡単。ランプを軽くタップして、ウィンドウを立ち上がらせる。そこに表示される【ON/OFF】に触れるだけ。
 ただ、中途半端にランプの体をなしているのか、約五時間が経過すると自然に明かりが消える。
 普通に、周囲が暗くなったら明かりを点け、寝る時間になったら消すというのなら、至って問題の無い効果時間だ。
 だが私にとっては、スイッチを切るまで明かりを灯し続けてくれる蛍光灯が懐かしい。
 スイッチを入れ直す時間があるのなら、この《作業》を続けていたいからだ。

「…………」

 しかし幸いなことに、窓から漏れる星明かりのおかげで、私は作業を止めるということをしなくて済んだ。外周に近い主街区ゆえに、窓の外には第三層と第四層のプレートに挟まれた星空が見えるのだ。
 一心不乱に手を動かす私。SAOにログインして一番良かったことは、眠いのを我慢すれば、どれだけ手を動かしてもだるくならない上に、腱鞘炎にもならない、ということだろうか。

「…………ふー……」

 そうこうしている内に《それ》は完成した。
 私はすぐに《それ》の出来を確かめる。

「…………っ。……また、違ったわ……」

 苦虫を噛み潰したような気持ちになりながら、私は手に持った失敗作(それ)を投げ捨てた。
 それは床に落ちると、システムが《廃棄》とみなし、急速に耐久値が減少して、あと数分もすれば消えてなくなる。
 既に何十と放り捨てているが、この部屋の足の踏み場が無くならないのだけは助かるかもしれない。

「……駄目、だったかい?」

 作業机に座る私の後ろから聞こえてくるのは、押しの弱そうな男の声。
 不意に部屋の明かりが点けられる。
 座ったまま上半身だけ捻り、後ろを見る。そこには、短めに切られた黒髪、八の字に固定された眉、見えてるのかと突っ込みたくなるほど細められた目、がっしりとした体に汚れた水色のツナギのようなものを着た、体は大きいが肝は小さい、の典型な男がいた。
 今、明かりを点けたのは彼なのだろう。
 かれこれ二年近くの付き合いだが、これで中々に気が利くところもあることも解っている。
 いつも申し訳なさそうな顔をしているが、今は更に、疲れた、という形容詞も追加されていた。

「やっぱり、もっと上級の素材じゃないと……」

 私はそんな彼を訴えるように、頭を抱えながら、此処には無い、渇望の品を求めた。

「でも僕のレベルじゃ、これ以上は無理だよ……」

 すぐ傍らで弱弱しくそう告げる男。
 私よりもレベルの高い彼で駄目ならもう……。

「…………いえ。だったら、出来る人に頼むだけよ……」

 自分で聞いてて驚くくらいに低く出た私の呟きが、六畳ほどの小さな部屋に薄れていった。




  ◆




「はあぁぁ~~…………っ」

 朝の日差しを浴びながら、わたしは重い気分を吐き出すように溜め息を吐いた。
 自分の顔がこれでもか、という感じに疲れて眉間に皺が寄っているのが解る。

 ――確かに……確かに手伝うとは言ったッスよ? でもだからって、アレはないッスよねぇ……。

 現在わたしたち――キリュウPTの面々が居るのは《浮遊城アインクラッド》第三層の主街区《ヘイシャム》。ざっと見た限りだと、第二層主街区と街並みは殆ど変わらないけど、こちらのほうが石畳より土肌の地面が多いみたいだ。

 二日前に第二層のボスが倒されて、この第三層へ続く転移門が開通した。それ自体は喜ぶべきことだとわたしも思う。……思うんだけど、まぁ~たわたしたちはボス戦には関われなかった。
 その理由は、とあるクエストを達成するのに相当に時間がかかってしまったからだ。
 九日前、第二層へと上がったわたしたちは、第二層の探索をしながら迷宮区に向かう途中、いつもの如くアルゴさんから依頼を受けた。それは、《エクストラスキル獲得クエスト》の検証だった。

《エクストラスキル》。それは通常の、一覧から自由に選んでスロットに入れることが出来るノーマルスキルとは違い、様々な条件(フラグ)を満たすことで手に入れられる特殊なスキルのことらしい。
 その最大の特徴は何と言っても、手に入れることが出来れば、スキルスロットを《消費せずに》スキルを使う事が出来る、というところだろう。
 とは言っても、スロットに入れない訳じゃない。エキストラスキルは、それを手に入れれば、エキストラ専用のスロットが増設される。それはレベルが上がることで増えるスロットとはまた違った分類となるらしい。だから別段スロットを整理しなくてもエクストラスキルは使用出来る、ということになるのだ。
 わたしたちが検証を頼まれたのは、二層の南端にある岩山の頂上近くにある小屋、そこにいる筋肉モリモリの大柄なお爺さんから受けられる、エクストラスキル《体術》の獲得クエスト。
 初めは、いつものようにベータテストの時との差異を調べるのかと思ったんだけど、どうやら既にこのクエストはアルゴさんの知り合いによってクリアされていたらしい。

『なら何でわたしらが検証する必要があるんスか?』

 そう質問したら、達成に時間がかかるというこのクエストの性質上、何人かのクリアまでの時間のサンプルが欲しいんだと言われた。
 アルゴさんの情報にはいつもお世話になってるし、頼まれればわたしたちに断る理由はなかった。
 それに、第一層ではクエストのクリアに気を取られてボス戦に参加出来なかったけど、今回はまだ二層が解放されてから三日目。クリアまでに時間がかかると言われても、一層ではボス戦までに一ヶ月もかかったし、二層のボス戦までには問題無く終われる、とわたしたちの誰もがそう思っていた。

「…………あ、甘かったッス……」

 しかし、その予想は思いっきり裏切られた。
 わたしたちにもたらされたのは《三つの悲劇》。
 一つは、クエストを受けた瞬間。マッチョじいさんに顔にヘンテコな落書きされたこと。水場での洗顔コマンドでも落ちないそのペイントは、クエストを達成しなければ絶対に消えないらしかった。
 わたしはクマドリを刻まれ、ネリーはくるくるほっぺ。レイアは黒ひげ危機一髪。そしてキリュウさんは……「どこの貴族様ですか?」と訊いてしまいそうな先っちょのハネているおヒゲだった。
 わたし、ネリー、レイアはお互いの顔を見ながら三人で爆笑し、その後同時に溜め息を吐いた。
 でも、いつも無表情でいるキリュウさんが、そのヒゲのせいで逆に更に威厳を出しているように感じてしまったのは少し、いやかなり可笑しかった。

 二つ目は、クエストの内容。クリアまでに時間がかかるという話から、わたしたちは一層で受けた《雌牛の逆襲》というクエストを想像した。あのクエも村のあちこちを移動したりで時間がかかったけど、比較的楽なクエだった。だから今回も、ただ時間がかかるだけの簡単なクエストだと思っていた。

 ――実際には、時間がかかる上に、すっっっごぉく地味でツライ単純作業みたいなクエだったッスけどね……。

 エクストラスキル《体術》獲得クエストの内容は、武器を使わずに素手だけ(・・・・)で大きな岩を割る、というものだった。ひたすら殴って蹴って大岩の耐久値をゼロにする。一見かなり単純で簡単な内容だけど、大岩の耐久値は相当なものだったらしく、一時間続けて岩に変化が無いことで、わたしらも「あれ?」と思った。
 壊れる物=耐久値がある物は、どんなものであれ、耐久値に合った状態になる。つまり、耐久値が満タンだったら新品同様な見た目だし、逆に耐久値が低ければその見た目はボロボロになる。なのにわたしらはともかく、あのキリュウさんですら、数時間攻撃をし続けても岩はうんともすんとも言わなかった。

 結局、日が沈むまでに誰も岩を割ることは出来ず、その日は野宿となった。
 そして次の日。わたしたちは大岩に再挑戦した。
 そしてその次の日。わたしたちは大岩に再々挑戦した。
 そしてその次の次の日……って、うがああああ!!
 そんな感じで、わたしたち全員がクエストをクリア出来たのは、クエストを受けてから約七日後のことだった。このクエで何がツラかったかって、何度も何度も何度も何度も同じことを繰り返さなければいけないということだ。わたしらが幾度攻撃しても悠然と佇む大岩。それに心折れそうになったのは数回じゃきかない。
 まあでも、そうしてみんなクリア出来て、顔のペイントも消え、しかも《体術スキル》まで手に入れた。
 しかし、妙な達成感を感じながら、ちょっと良い気分で山を降りたわたしらに待っていたのは…………そんな気分をふっ飛ばすほどの衝撃的事実。
 最後の三つ目、《既に第二層のボス戦終わってた》だった。








「まさか、たった十日でボス戦が終わってしまうとは…………ハァ」

 SAOが着実と攻略されていっている。つまりはわたしらの解放が近づいていることを意味しているんだからそれは別にいい。
 だけど攻略する攻略すると意気込んでいたのに、実際はボス戦にすら参加出来ていないというのは、なんだかな~って感じだ。

「まだ言ってるの?」

 わたしの少し前方、キリュウさんの右側を歩くネリーが振り返って言って来た。

「だってさぁ~」
「この三層のボス戦は絶対にアルゴさんが教えてくれるって言ってたんだし、いつまでもぶーぶー言ってたってしょうがないよ」

 口を尖らせているわたしを苦笑しながら諌めるネリー。
 ネリーの言ってることは解る。けど、ついつい口から漏れてしまうのは人間のサガだと思う。

「……クス。まずは、この層の情報収集ですよね」
「……ああ」

 話の流れを変えるかのように言ったわたしの隣を歩くレイアの確認に、前方のキリュウさんが応えた。

「じゃあ、最初に道具屋で主街区(このまち)のマップを手に入れましょうかっ」

 わたしたちはネリーの言葉に頷いて歩き出した。








 アインクラッド第三層の転移門が開放されてから三日目。
 わたしたちはようやく二層から上がってくることが出来た。
 朝七時という早い時間にわたしたちは転移門を潜り、この第三層の主街区《ヘイシャム》の中央広場に降り立った。
 この世界には決まった起床時間は無い。だから、したければしたいだけ寝坊は出来るのだけど、周りを見る限りじゃ結構な人が既に起きているみたいだった。
 わたしたちの場合はキリュウさんの起床時間が早いので、それに引きずられるうちに早く起きるのに慣れてしまった。
 今起きている人たちは、早朝から狩りに出る人や、大通りで絨毯みたいなのを地面に敷いて何かを生産している人、すでに露天販売を開始している人などだ。二層ではほとんど生産する人をみなかったけど、少しずつ増えているようだった。
 一生懸命に金槌を振ったり、元気よく呼び込みをしている姿を見ると、「生産もちょっとしてみたいな」という気持ちになってきそうになる。
 道具屋で街のマップを手に入れたわたしたちは、そんな街の様子を横目に、この街で一番大きい酒場へと、情報を求めてやってきた。

「たぁーのもぉーっ」
「道場破りじゃないんだから……」

 西部劇に出てくるような両開きのスイングドアを両手で押し開くネリー。レイアに突っ込まれてはいるが、このドア開くときにそれを言ってしまうのはわたしとしても仕方ないと思う。てか、わたしも言いたかった。

「さてさて……ど・ん・な・()(ノモ)・が、あ・る・か・なー?」

 言いながら小走りで一人飛び出したネリーの向かう先には、いくつもの紙をピンで留めてある大きなコルクボード、《掲示板》があった。
 この掲示版を、わたしたちは見に来たのだ。

 普通のゲームと違って、このSAOはプレイ中にインターネットを使うことが出来ない。つまり、解らないことをその場で調べたり、逆に手に入れた情報を直ぐに共有することが難しいということだ。
 しかしそこで、この酒場にあるような《掲示板》の出番という訳だ。
 この掲示版をタップすると、クリアグリーンのウィンドウが現れ、攻略情報や生産情報、依頼など、細かい分類に分けて自由に書き込むことが出来るし、欲しい情報についての書き込みを検索することも出来る。
 わたしたちは新しい階層に着いたら、まず掲示板を確認することから始めていた。
 掲示板を確認し、アルゴさんお勧めの手帳(はじまりの街南端の路地裏雑貨屋にて発売中)に初見の情報を確認して追加しておく。
 基本的にキリュウさんとレイアが攻略系の情報、フィールドやモンスター、ドロップ情報の確認を行い、わたしとネリーが生産系、誰々がどんな性能の武器防具を作って売ってるーとか、お店始めましたーとかを確認する。
 ネットの掲示板みたいに、コメントを書き残せる機能もあり、「その情報はウソだー」みたいなコメントの書いてある情報もあるけど、そういうのも一応記録しておく。わたしらは掲示板に書いてある情報をそのまま信じるわけではなく、自分たちでそれをしっかりと確かめて、確実な情報にしてからアルゴさんに報告するのだ。
 この掲示板は、別に酒場だけにあるものではなく、ある所には道具屋や宿屋にもある。そして、これらの掲示板は大抵が共有化されていて、一部の書き込みを除いて色んな場所で確認することが出来る。
第一層のときはまだ掲示板という存在を知らなかったけど、あのときはどうやらこれでボス戦の告知をしていたらしい。

「……あ、素材収集の依頼がありますよ」

 依頼専用掲示板を見ていたらしいレイアが声をかけてきた。

「へー、珍しいッスね」

 掲示板での依頼というと、NPCではなくプレイヤーが依頼人ということになる。でも、今までは生産専門のプレイヤーが少なかったためか、一応掲示板に欄はあるけど、まったくと言っていいほど依頼はなかった。鍛冶スキルを習得しているプレイヤーは基本、武器の修理や強化を中心に行っているので、鍛冶プレイヤー自身が素材を依頼してまで欲するということはそうそうないのだ。
 その代わり、なんていう武器防具を売って欲しいとか、一時PT募集などの書き込みはかなり多かった。

「んー、なになに? 『第三層西部の森に生息する《フラッフ・オウル》からドロップする《コットン・フェザー》を最低百個、出来ればそれ以上集めて下さい。報酬は要相談。お請け下さる方は三層主街区西南にある《水梨亭》二階三号室にて詳細をお話致します。』だって。…………って、最低百個!? うーん、ドロップの確率次第じゃかなり時間かかるかもねー」

 依頼内容を読みながらネリーが眉を寄せた。確かに百個は一見キツそうだ。
 でも、逆にわたしはその依頼に興味が出てきた。
 素材の名前からいって、これは武器関係の素材じゃないっぽい。防具、しかも布系のものかもしれない。
 わたしたちはあまりゴテゴテした金属製の防具を好まない。見た目的にも重さ的にも。
 だから、店売りの布革製の防具を一通り揃えたけど、ハッキリ言って…………こっちも地味でダサい!!
 いくら女子が圧倒的に少ないとはいえ、これはあんまりだ。

 ――生死が懸かってる? そんなこと言ってる場合じゃない? 言われなくてもわかってるッスよ。でも……そんなの関係ぇねえ――ッ!!

《かわいい》は全てに優先する。とわたしのおばあちゃんも言っていた。イヤ、マヂデ。
 せめてスカート。出来ればミニスカ求む。野暮ったいレザーパンツはもうこりごりッスよ……。
 そんなことを考え出し始めたら、いつのまにか、わたしは三人を説得していた。

 ――もしかしたら依頼人は裁縫スキル持ちかもしれない。
 ――防御力高くて、かわいい防具を作ってくれるかもしれないっ。
 ――今の内に生産職の知り合いを作っておくほうがあとあと便利ジャマイカ!?

 ということを次々とぶつけるように三人に言うわたし。
 多少強引だった気がしないでもないけど、ちゃんとみんなの合意を得て、この依頼を出した人に会いに行くことになった。







「はじめまして。ぼくは《バート》。……えーと、キミたちが依頼を受けてくれる、ということでいいのかな?」

 五分ほど歩いて到着した宿屋《水梨亭》。二階に上がり三号室と書かれたプレートの部屋をノックすると、キリュウさんより頭二つは背の高い大きな体に青いツナギを着た、だけど気の弱そうな印象の糸目のお兄さんが現れた。
 中に入れてもらうと、六畳ほどの部屋に丸テーブルと、椅子が四つ置かれていて、更に奥にドアが見える。
 バートと名乗るお兄さんは、わたしたちを椅子に座らせて、一人だけ立ちながらわたしたちに名乗ってきた。

「はい。酒場の掲示板を見て来ましたっ」

 バートさんの問いにネリーが答える。
 そして軽く自己紹介と、依頼をこなせるレベルかを確認してもらってから本題に入ってもらった。

「もう察しが付いているかもしれないけど、ぼく……と、もう一人奥の部屋に居るんだけど、ぼくたちは裁縫スキルを専攻しているんだ。今まではぼくが素材の調達も兼ねていたんだけど、特に仲間が居るわけでもないから、やっぱり一人じゃ限界がきてね。最新の素材を、というとキツくなって来たんだ。そこで、代わりに調達をしてくれる高レベルプレイヤーを探していたんだ」

 言いながら少しだけ開いた瞳には、何処か真剣さが滲んでいるような気がした。

「……確か、《フラッフ・オウル》の落とす《コットン・フェザー》を最低百個、ということでしたけど――」

 レイアが依頼の内容をバートさんに確認する。

「うん。フラッフ・オウルはレベル8の飛行型モンスターで、レベルとHPはあんまり高くないけど、戦闘が始まると周囲の同種とリンクして攻撃してくるし、なにより普段は手の届かない空を飛んでる。攻撃の瞬間だけしか下りてこないから、投剣スキル以外でこちらの攻撃を当てれるのもその時じゃないとダメだし……まあ、投剣スキルもかなり熟練度が高くないと当てられないかもしれないけど」

 目的のモンスターであるフラッフ・オウルの特徴を教えてくれるバートさん。
 その最後にボソッと呟いた事について、わたしは訊いた。

「わたしらは全員、投剣スキルって持ってないッスけど、そんなに当たりにくいんスか?」
「当たりにくいのは投剣だけじゃないけどね。何せフラッフ・オウルは…………《夜にしか湧出(POP)しない》んだ」







 ザッザッ、と背の高い草を踏みしめる音が響く。
 既に周りの木々は闇色に染まり、手に持ったランタンの意外と強い光を頼りに前へと進む。
 コットン・フェザー収集依頼を正式に受けることに決めたわたしたちは、日が沈む時間を待って赤焼けの街から外に出た。
 ぐねぐねした獣道を進んで、現れるモンスターを蹴散らしながら、目的地である三層西部の森へと向かう。

「でも、バートさんも一緒に来るんですね。てっきりあたしたちだけで行くのかと思ってました」

 ふとネリーが一番後ろを歩くバートさんへ振り返って言った。

「うん。最初は任せるつもりだったんだけどね。やっぱり危険の伴うクエストだし、いくらぼくよりレベルが上だからって、年下の君たちだけに行かせるのは、年長者として……ちょっとね」

 苦笑しながら頭を掻くバートさん。
 バートさんは今、わたしらのPTに入っている。始めはわたしらだけで行く予定だったけど、話をしているうちに一緒に来ることになった。何でもわたしらと同じぐらいの弟妹がいるらしく、放っておけないとかなんとか。
 そんなバートさんは、今は青いツナギの上に、ごっつい全身鎧を着て(ヘルメットは流石に外しているが)、これまたごっつい両手斧を肩に担いでいた。

「重たくないんですか?」

 わたしも言おうかなと思ったこと――ガチャガチャと金属の擦れる音のする如何にも重そうな様子に、ネリーが訊いた。

「確かに重いけどね。ぼくみたいなプレイヤーは、一人だとこの方が効率が良いんだ」
「そう、なんですか?」
「うん。ここまでの戦いを見てきたけど、キミたちの動きは凄いね。とてもじゃないけど、ぼくにはマネ出来そうにないよ。ぼくは自分のプレイヤースキルに自信が無いからね。だから、重い装備で防御を固めて、同じく重い武器の威力に任せた範囲攻撃で一片に敵を倒す、という方法をとってるんだよ」

 そう言って、両手斧を振るような仕草をするバートさん。
 あまりにも大振りな攻撃以外は、基本避けるという考えはないそうだ。
 今の需要は、堅く防御力のある金属装備が、布や革装備よりも主流らしい。でもそれも頷ける話だ。HPがゼロになれば死んでしまう(かもしれない)のだし、しかもプレイヤーの大半が初心者。
 軽いゆえに相手の攻撃を避けやすいがその分ハイリスクの伴う布革装備。
 重く動きは遅くなるが確実に防御力が上がる金属装備。
 どちらがより初心者向きか、言うまでも無いと思う。なにより、金属の堅いというイメージが安心感も持たせる。
 というわけで、布や革装備オンリーのプレイヤーは一部だけらしい。
 攻略するでもなく、武器素材を集めるでもなく、布革製防具の素材のみを集めていたというバートさんには、一緒に狩りをするような仲間を見つけることも出来ず、今まで一人(・・)で頑張るしかなかったらしい。

「あれ? そういえば、もう一人居るって言ってましたッスけど……その人はどうしたんスか?」

 ふと疑問が上がる。まだ姿は見ていないけど、確かにさっき《もう一人居る》と言っていた。
 その人に協力してもらえば、一人よりは格段にマシなんではないのか。
 そんなわたしの質問に、バートさんは困った顔をした。

「あー……彼女はちょっと……」
「あ、女の人なんですかっ?」
「もしかして、バートさんのイ・イ・ヒ・ト♪ なんスかっ?」

 ずずっとわたしとネリーがバートさんに詰め寄る。
 なんか、こういう話に反応してしまうのは女の子としてはしょうがない、うん。
 バートさんはそんなわたしたちに一歩下がりながら慌てて言ってきた。

「違う違うって、彼女とはそんなんじゃないんだ……っ」
「じゃあじゃあ、どういう関係なんですか?」

 現在では珍しい《裁縫職人》でありながら、更に《男女のペア》。でも女の人の方は狩りには行かず、バートさんだけ危険に身を晒しているなんて……っ。

「と、特に面白いことはないんだけどなぁ……」

 と言いつつ話し始めるバートさん。
 その女の人とは、同じ高校の同級生だったらしい。高校時代はお互い面識はなかったけど、同じ服飾デザイナーの専門学校に入学したことで縁が出来たという。
 このSAOにはバートさんの誘いで一緒にプレイしようと思ったらしい。
 バートさんは、最近デザインでスランプに陥ってしまったその女の人の気分転換のため、現実(リアル)じゃ着れないような服装を実際に着れるVRゲームに目を付けた。その中でも話題沸騰の天才プログラマー茅場明彦が一から作り上げたと言うVRMMO《ソードアート・オンライン》。どうせなら一番新しいゲームのほうが、グラフィックとかも他より良いかなと安直に考えたんだそうな。

「でもねー……こんなことになっちゃったし、彼女はああ(・・)だし……」
「ああ(・・)?」

 今のバートさんの言葉には、「SAOがデスゲームになった」とは別の理由の何かが含まれているようにわたしは感じた。
 そして、その理由を訊こうとしたとき、

「……三人とも、戦い方は覚えてるな?」

 ちらりと一瞬、後ろを歩くあたしらを見て、キリュウさんは確認するように言ってきた。

「あ、はいっ、大丈夫です! あたしが《威嚇(ハウル)》で敵を引き付けて――」
「私が《インテンスビート》で敵の動きを止めます」
「そして、わたしが止めの一撃ッスね!」

 今回の目的である《コットン・フェザー》。それをドロップする《フラッフ・オウル》は相当厄介なモンスターらしい。
 プレイヤーの手の届かない高いところを飛びながら旋回して、攻撃の瞬間だけ急降下してくる。その攻撃を避ける、もしくは受け止めることが出来れば、三秒ほど低い場所をホバリングするという。つまり隙(チャンス)が出来るのだ。
 しかし、それだけならばわたしたちでも全然問題は無いけど、更に厄介なのが、《リンクモンスター》だというところだ。これから行くフィールドは、フラッフ・オウルがうじゃうじゃと居る場所らしく、戦う時間が長ければ長いほど、どんどんモンスターが参戦してくる。その方が早く目的を達成出来るかもしれないけど、同時に危険度もグッと上がる。一匹一匹を素早く確実に倒すことが重要となるのだ。その上最大の障害となるのは、バートさんも言っていたように、オウルが出るのは夜八時から朝四時までと、日の光が無い時間帯だ。巨大なプレートが空を覆っていて月明かりや星明かりが無いわりにはそこそこ夜目は利く場所だけど、やはり昼に比べれば見えづらく、格段に攻撃を当てにくい。
 とまあ、以上の理由から、わたしたちはそれらに備えて事前に色々と打ち合わせをした。
 その中で基本となるのが、今言ったわたしら三人のフォーメーションアタックなのだ。
 ネリーの言った《威嚇(ハウル)》とは、自分に対する敵の憎悪値(ヘイト)を増幅させ、注意を引き付けるスキルだ。これが結構便利なスキルなのだけど、その分扱いも難しく、アルゴさんに教えてもらってからたくさん練習していた。
 レイアの言った《インテンスビート》とは、一時戦闘不能(スタン)効果の高い鞭スキルの中でも、それに特化したソードスキルらしい。まあ、その分威力はスズメの涙みたいなんだけどね。
 で、二人がお膳立てをしてくれる分、わたしは威力重視のソードスキルを思いっきり敵にぶち込めるというわけなのだ。

「…………そろそろだ。三人とも、バートさん、武器を」

 自分の武器である両手槍を背中のベルトから外しながら言ってくるキリュウさん。
 周りは先ほどから太い木々で覆われ、細かい枝葉を退けながら進んで来たが、事前に渡されたマップ情報によれば、目的地はもう目と鼻の先。わたしらは小声で「はい」と返事をして、各々の武器をとった。

「……居るな。この先の開けた場所にかなりの数の反応がある。気を引き締めていけ」

 キリュウさんの声に緊張するわたしたち。

「三人は作戦通りに。バートさんは俺とペアで行きます」

 小声で言うキリュウさんに、みんな無言で頷いた。
 わたしは剣を持つ手にギュッと力を入れ直して、合図と共に反対の手でランタンを掲げながら闇の先へ歩を進めた。








「…………あ、あれ?」

 木々の間を抜けると、かなり大きく開けた場所に出た。
 ここが目的地だろうと思うのだけど、正面を扇状に照らすランタンの光に肝心のフラッフ・オウルは一匹も照らされていない。

 ――あれー居ないよ? どういうこと?

 意気込んで来ただけに少し肩透かしを感じてしま――

「チマッ、上だよっ!!」
「っ!?」

 ネリーの声に、反射的にランタンを頭上に掲げた。

 ――うわキモッ!!

 自分の約四、五メートル上空の複数の木の枝に、白い影がズラリと並んでいた。
 全長一メートル以上はある白いもこもこしたフクロウだ。頭が大きく、ほぼ二頭身。ここまでは良いんだけど、メガネザルのような大きい丸々としたギョロ目が、生理的に「にょわっ」ときてしまう。


「ホルォルォルォォォォ――!!」


 光に照らされて怒ったのか、絶妙な巻き舌を披露するように鳴きながら何匹かのオウルが前に倒れ、そのまま重力に従うように急降下してきた。

 ――やっば!?

 呆気に取られたわたしは一瞬固まってしまった。
 来ることは解ってるのに、体が動いてくれない。

「――《威嚇(ハウル)》ゥゥ!!」

 突如、やたらとエコーのかかった叫び声が聞こえると、わたしに向かって落ちてきていたオウルが急激に方向転換した。
 その向かう先は――――ネリー!

「はあっ!」

 気合の入った声と同時に、橙色の閃光がネリーを回りこんで飛行中のオウル三匹に連続して当たる。
 レイアの鞭スキルだ。
 一時戦闘不能(スタン)効果に優れたスキル攻撃を受けたことにより、推進力を失ったオウルは地面に墜落する。

「チマ! 行っくよー!」
「お、おっけーッス!」

 ようやく動き出した不甲斐無い我が体に喝を入れ、オウルに止めを刺すべくネリーに合わせる。
 ランタンは放り出すように地面に置き、敵を見据える。狙いは胴体。頭の方がダメージは大きいが、万が一止めを刺せなかった場合に備えて、空に逃げられないように確実に翼を削るためだ。

「りゃぁーっ!!」

 片手用直剣二連撃技《バーチカルアーク》。
 青いライトエフェクトがV字の軌跡を描き、確実にオウルの翼と体を刻む。

「ホボ……ッ」

 その二撃でオウルは、幾百もの無数のポリゴンへと霧散した。

「よしっ」

 倒したことを確認して左手でガッツポーズをとるわたし。
 オウルの胴体は頭よりダメージを与えにくいって言うけど、正直今のわたしらには関係無い。
 そもそもレベルが倍近く違うんだし。何処に攻撃を当てようが、二連撃をまともに喰らわせれば確実に倒せる。

「ちょ、チマ! まだまだ居るって!」
「あ、わ、わかってるッス!」

 そうだ。一匹倒して浮かれてる場合じゃない。わたしたちの目標は《コットン・フェザー》百個、最低でも百匹を倒さなきゃいけない。

「もいっちょ、《威嚇(ハウル)》ゥ!!」
「……はいっ!」

 ネリーに引き付けられ、レイアに落とされるオウルたち。
 わたしは地面に落ちた敵に向かって、思いっきり剣を振り下ろした。



[34210] 9.こだわりを求めて
Name: ネ申原◆f483f651 ID:4687e9c9
Date: 2012/07/15 22:14
 ――来る途中も思ったけど……やっぱりこの子たち、強いっ!

 ぼくの目の前で蒼髪を靡かせながら俊敏に動く少年、キリュウくん。その鋭い双眸に見つめられると自分より年下と解ってはいても、つい敬語を使ってしまいそうになる。

「……バートさん、六秒後に範囲攻撃を」

 ちらりと一瞬、横目でぼくを見て言うキリュウくん。
 一見冷たい印象だけど、戦闘の中でぼくや女の子三人に飛ばす指示は的確だ。
 頭上から襲い来るフラッフ・オウル四匹の強襲を軽々と避け、すれ違い様に槍の刺突攻撃を加えていくキリュウくん。攻撃を受けたことで憎悪値(ヘイト)
が高まり、ターゲットを確定したオウルたちが、こちらに走ってくるキリュウくんを追いかける。
 …………三、二、一、いまっ!

「う……おおおお!!」

 両手用戦斧全方位攻撃技《ワールウインド》。
 緑色のライトエフェクトを振りまきながら戦斧をジャイアントスイング。その名のとおり、自分の周囲に強烈な旋風を巻き起こす。
 技の発動の直前にスライディングで頭を低くしたキリュウくんをスルーして、翠の旋風はキリュウくんを追ってきた四匹のオウルの体をズバババッ、というエフェクトサウンドを響かせながら駆け抜けた。

「んっぐぅ……」

 その威力にそぐわない技の反動を両足で踏ん張って止める。
 オウルたちは空中で仰け反りながら、四匹同時に爆砕した。

「……ルネリー、あまり多くを釣ろうとするな。それよりも一匹倒す回転を速くするようにしろ」
「あ、は、はい!」

 敵を多く釣り過ぎたんだろうルネリーちゃんに注意を出すキリュウくん。

 ――こっちで戦ってぼくに指示を出しながら、あっちの三人にも気を配ってるなんて……。

 凄過ぎる。としか言いようがない。
 オウルたちの間を暇なく駆け回っているのに、その顔は何処か涼しげで、余裕さえ窺える。
 くるくると槍を回転させ敵を叩き、打ち付けた反動でそのまま逆回転させ背後の敵を叩く。
 かなりの速度で動く槍とは裏腹に、キリュウくん自体はゆっくり動いているようにも見える。
 ぼくが解るのはそこまでだ。とてつもない戦闘技術(プレイヤースキル)の持ち主だってことは解るけど、どこまで凄いのかなんてぼくレベルでは想像もつかない。

 だけど、ぼく一人で戦っていたときとは比べ物にならないぐらいの効率の良さだ。
 ソードスキルが苦手だって聞いて少し不安に思っていたけど、そんな欠点を忘れてしまうぐらいに洗練された戦いをしているように思える。
 むしろ、その戦いぶりに目が奪われそうにさえなる。

「…………バートさん。次……来ます」
「え……あ、ああ、わかった」

 ――いけない。今は集中しないと……っ。

 自分よりも、年下のこの少年の方が強いことは解っている。でもだからこそ、不甲斐無いところは見せたくない。

「おおおおお!!」

 キリュウくんに誘き寄せられ、ぼくから見たら隙だらけのオウルに強力なソードスキルの一撃を見舞う。今のぼくの仕事は、確実にオウル一匹一匹を潰すこと。それだけに集中する。

「はぁあああ!!」

 それにしても不思議な感覚だ。一向にHPが減る気配が無い。
 PTメンバーのHPバーを見ても、敵の注意を引いているルネリーちゃんが少し減っているだけで、他はまったくと言っていいほど減っていない。
 こんなことはSAOに来て初めてだった。
 戦いの最中でありながら、こんなにも安心感がある、余裕がある、というのは……。
 えも言われぬ感覚に包まれながら、ぼくは力の限り戦斧を振るった。








「…………」
「フゥー……フゥー……? どうしたんだい? キリュウくん」

 しばらくの後、急にキリュウくんが立ち止まった。今まで忙しなく動いていただけに、余計不思議に思える。

「……ここら一帯のフラッフ・オウルは倒しきったようです。あとは、あの三人が戦っている三匹を倒したら再湧出(リポップ)まで安全地帯に一度下がりましょう」

 言われて気付く。地面に置いてあったランタンを掲げて頭上を見渡しても、確かにオウルは居なくなっている。
 いつの間にか、かなり多くのオウルを倒したようだ。

「――ヤッ!」

 普段滅多に聞かないような音程の女の子の声に、ぼくの意識は引かれた。
 年端もいかない女の子三人が真剣な顔でモンスターと対峙している。
 弾ける金髪のツインテール。流れるような銀髪のストレート。飛び交うように動く茶髪のセミロング。三人が代わる代わる立ち位置を換え、それぞれの役割を淀みなくこなす姿は、まるで何かの舞を見ているかのようだった。

「ふぅー……。あ、キリュウさん! こっちも終わりました!」

 戦いが終わり、笑顔でキリュウくんのところに駆けていく三人。
 それを見たぼくは柄にもなく、「いいな」と思ってしまった。








 それから何度か、戦って、再湧出を待って、戦って、と続けていると、フラッフ・オウル出現時間のタイムリミットである午前四時が訪れた。
 戦場から離脱したぼくたちは、安全地帯で最終的な目的のアイテム《コットン・フェザー》の数を確認していた。

「えーと……わたしは、六十八個ッス」
「あたしは、三十三個!」
「私は……五個です」
「……二十一個です」
「えーと、それでぼくが八十一個だから…………合計で、二百八個! みんなありがとう! 予定よりかなり集まったよ!」

 思わずぼくは、感謝の言葉を四人に告げていた。予定していた百個の二倍以上の戦果だ。

 ――本当に良かった。これできっと彼女も……。

 結果は思った以上だった。それもこれもこの子たちのお陰だ。

「――それじゃあ、帰ろうか」

 ぼくは四人に向って言った。
 さあ早く街に帰ろう。彼女の反応が楽しみだ。




  ◆




 第三層西部の森から歩いて二時間。
 わたしらは主街区《ヘイシャム》へ到着した。

「うー」

 ――ね、ねむいッス……。

 予想と覚悟はしてたけど、やっぱり徹夜はつらい。
 前は遊んでてつい徹夜してしまうこともあったけど、あのときとは全然テンションが違うし、あのギョロ目もこもこフクロウとの激しい戦闘と今現在のゆったりのんびり帰還ツアーとじゃ緊張感の落差もあって余計に眠さが際立つ。
 キリュウさんの表情はいつもと変わらないからよく解らないけど、わたしら女子組はもちろん、バートさんも疲れているのが目に見えて現われていた。

「……バートさん」

《ヘイシャム》の門を潜ったところで、キリュウさんが立ち止まって振り返った。

「うん? どうかしたかい?」
「……一旦、解散しませんか? 睡眠を取ってから再度集まるというのは如何でしょう」

 ――そ、それは助かるッス~~っ!!

 キリュウさんの後ろでブンブン顔を縦に振るわたし。

「あー、そ、そうだよね。みんな眠いよね。……うん。じゃあそうだな、今日の午後六時……でいいかな。昨日と同じ《水梨亭》の二階三号室に来てくれるかい? 報酬の件もそのときに話そう」

 わたしのプッシュが効いたのか、少し苦笑い気味に同意してくれたバートさん。
 今日の夕方六時に再び会う約束をして、バートさんとはその場で別れた。

「きりゅーさーん。やどぅやーにいきましょうよー。ねむねむねーですよー……」

 なんだそりゃ、と突っ込みたくなるが、普段二十二時でぐっすりなネリーだ。ここまでよく持ったと今更ながら思う。既に思考回路はスライム状態なのだろう。

「……ああ、そうだな。アルゴに聞いた寝床は後日にして、今日は近くの宿屋に泊ろう」
「あいー」

 アルゴさんから聞いた民家を借りる寝床はいくつかクエストをこなさなきゃいけないらしいし、バートさんが泊まっている水梨亭はここからはちょっと遠い。
 キリュウさんの言葉に快く頷き、わたしたちはすぐそこに見えた名も知らぬ宿屋に入って行った。






 コンコーン。
 軽くドアをノックする。が、その音はシステムによってどんな小さな音でも部屋の住人の耳に届く。 相手が耳栓アイテムを使ってればその限りじゃないけど。

「はいはい」

 すぐにドアが開き、中から見慣れた巨漢が現れる。どうやら耳栓はしていなかったようだ。

 ――いや、そりゃそうッスから。

 自己胸中ノリツッコミに軽く溜め息。
 そんなわたしの様子には誰も気付かず、バートさんに促されてわたしたちは部屋の中に入った。

 ついさっきまで爆睡していたわたしたちは、午後六時ちょうどに約束の場所である《水梨亭》に到着した。この仮想世界では起床システムによる目覚ましと、レイアによるモーニングコールがあるので、わたしが寝坊することは絶対に無いのだ。

「……ええと、まずはありがとう。キミたちのおかげで、とりあえず目的を達成することが出来たよ」

 見上げるような背丈の男の人が自分に向かって頭を下げているのは、ちょっと「おおぅ」と来る。上げた顔を見るに、別れ際と変わりがない。いやむしろ、もっと顔色が悪くなっているように見えた。

「あのー、もしかして……寝てないんスか?」

 ちょこんと手を上げながら聞いてみる。
 縦線が入った顔、というのはこういうものかと思いながら。

「はは……。いや、彼女が寝かしてくれなくてね……」
「……え"ぇっ!?」

 予想外なバートさんの言葉に思わず女の子に有るまじき声が出てしまった。

「って、違うっ。違うからねっ!? そういう意味じゃなくてっ!」 

 真っ赤になりながら手を振って否定するバートさん。
 糸目の人は焦っても糸目なんだなと、しみじみ思ってしまった。

「だから、えーと……っ」
「――うーるさいわよー、バートくぅん。声が隣の部屋まで届いてきてたわよーぅ……」

 突然、ガチャッと奥のドアが開き、半眼の眠たそうな顔をしたお姉さんが頭を掻きながら出てきた。
 深緑のウェーブのかかった長髪を垂れ流し、スレンダーというよりは細長いというふうな肢体に裾の長いチョコレート色のネグリジェ(スケてはいないよ?)を纏っている。

 ――もしかして、この人がバートさんの言っていた女の人ッスか……?

 寝惚けたようにふらふらと、その人はバートさんの元に近づいていく。

「うーあー……ねむぅ」
「ちょ、ちょっと! お客さんが来てるんだよっ。さっき言ったでしょ? あまりだらしないところ見せないでよ……」
「お……おぉちゃく、さん?」
「お客さんだよっ」
「おきゃ、おきゃく、さん……お客さん………………って、え!?」

 数秒の思考の後、ネグリジェのお姉さんは眼を見開いてこちらを見てきた。

 ――てか、このお姉さん裸足なんスけど……。

 お姉さんのダルーっとした雰囲気のせいか、刺激的な格好のはずなのに色気はまったく感じない。

「ん、んんっ。あーっと、君たちが素材集めを手伝ってくれたって子たち?」

 咳払いをして切り替えたのか、はっきりとした口調で訊いてくるお姉さん。
 女性にしては少し低く、先ほどの醜態がなければカッコイイと思ってしまうような声だった。

「……はい。そうです」

 今まで黙っていたキリュウさんが静かに答える。ネグリジェ姿の女性を前にして冷静に見えるこの人は、はたして平静を装っているのか異性に興味がないのか。

 ――どっちにしても、なんかいやッスねぇ。

 わたしが自分勝手なことを考えてる間にも話は進む。

本当(ほんっとー)
にありがとう! 君たちのお陰で目的のモノ……少なくとも及第点のものを作ることはできたわ。まだまだ満足はしていないけれど。ええ、勿論この程度で満足するものですか! 今回は最低限の肌触りが達成できただけに過ぎないわ。目指すは、更なる高みよ……!」

 どうしよう。目が覚めたと思ったら、お姉さんは今度はいきなりトリップした。
 目を輝かせながらあらぬ方向を見て、こぶしを握りしめながら力強く語っている。
 わたし含め、キリュウさんですら唖然としていた。

「おーい。帰ってきてよー。みんな呆れてるよー」
「……はっ」

 バートさんの呼びかけにより、お姉さんは正気へと返り咲いた(?)ようだ。
 お姉さんは再びコホンと一息。そして今までのことが無かったかのように話しかけてきた。

「そうそう。まだ報酬の話をしていなかったわよね?」
「あ、はい。そうッス……ね」

 ――待~ってましたッスー!

 どんどんぱふぱふーと脳内効果音を鳴らせて喜ぶわたし。もちろん外面はポーカーフェイスですよ。
 相手が年上ということもあって、こちらから「依頼の報酬ちょーだい?」とは言いづらい。
 向こうから言い出してくれるのを今か今かと待っていたのだ。

「えーっと……」

 ――見た目かわいく! かつ機能的で動きやすく! でも絶対領域は永遠不滅よ? ってな一品をゼヒィィッ!!

 わたしは思いの丈を、無言の念波に乗せて相手に向けて放った。

「そうね……うん、ちょうどいいわ。じゃあ、あなたたちが取ってきてくれた《コットン・フェザー》を使って午前中に作ったものを渡しましょう。女の子なら絶対気に入ると思うわよ。私が保障する!」

 お姉さんは両手を腰に当てて胸を突き出すようにして言った。なにやら自身満々のようだ。

 ――も、もしかして……祈り、通じたッスか……?

 お姉さんは「フフッ」と意味深な笑みを浮かべて奥の部屋に入って行った。持ってくるらしい。
 わたしとネリー、そしてこのときばかりはレイアも、顔にわくわくと書いてあるように期待した様子でお姉さんが戻るのを待っていた。
 …………でも、わたしはこのとき気付かなかったのだ。
 部屋の隅っこに佇んでいたバートさんが酷く申し訳なさそうな顔をしていた、ということに……。







「待たせたわね。ではさっそく…………《これ》よ!」
「おおぉっ! …………おお?」

 奥の部屋から戻ってきたお姉さん。戻るなり両手を突き出しあるものをわたしたちに見せてくる。
 それは――――



「…………ぱ、パン……ツ……?」



 そう。お姉さんが両手で広げてわたしたちの目の前に掲げているものは、女物の下着、ショーツ、パンティー……つまり、世間一般で《パンツ》と呼ばれるものだった。

「そうよ! あなたたちも女の子なら下着には気を遣うでしょう? で・も! 第一層、第二層と色んな服屋、装備屋を回って探したけど、どこのどれもいま一つ……いえ、いま三つはあるわね。まずデザイン。シンプルと言えば聞こえは良いけど、遊びも何もない、ただの間に合わせ感は否めないわ。更に肌触り。嘗めてんの!? と茅場明彦に訴えたくなるほど嘗めてんの!? って感じよ。正直、こんな下着じゃ私は動き回りたくもないわよ。このSAOの仮想世界には耐久値による摩耗はあるけど、汚れるという概念は無いみたいね。けど、だからって下着を着けっ放しというのはオンナとして、そしてなにより一服飾デザイナー(見習いだけど)として我慢できないわ! つまり質はもちろんのこと数も欲しいの。情報屋を名乗るプレイヤーの話によれば、店売りのものは最低限の性能を持っているだけらしいし、より良いもの――デザインや肌触りに満足のいくものを求めるのなら作り出すしかない。それを聞いた私は、私たちはさっそく作成に取り掛かったわ。このSAO(せかい)現実(むこう)じゃ製作方法というか製作手順が全くと言っていいほど違ったから最初は戸惑ったけど、慣れればこちらの方が疲れないから楽ね。細かな遊びが出来ないのはちょっとイタイけど……まあそれも《裁縫》スキルの熟練度が上がれば色々出来るようになるっていうし、今気にすることじゃないわ。でも素材に関してはお手上げ状態だったの。私は(パンツのせいで)動きたくなかったし、バートくんも頑張ってくれたけど革製装備はまだしも布製装備の素材を一から集めようという奇特なプレイヤーは少なく、手伝ってくれるプレイヤーも見つからず、一人じゃ限界もあった……」

 早回しでもしているかのようなお姉さんの口から放たれるマシンガントーク。
 色々とツッコミどころ、特に『店売りのパンツじゃ穿いて動き回りたくない』というところに「おいおい」と言ってやりたかったが、わたしらが口を挟む余地は少しもありはしなかった。
 それに、わたしはこのお姉さんの気持ちも解らなくはないかなぁと、ちょっとだけ思ってもいた。

「……だけど、あなたたちのお陰で素材も手に入った。少なくとも穿き心地に関しては……フフッ、驚くと思うわよ? ……あなたたちも苦労したでしょう? 現実では毎日換えて洗っていた下着も、この世界じゃ汚れることが無いから着替える必要も無い。だから洗う必要もない。でもずっと穿いているのは抵抗がある。洗えるのが一番精神衛生上的にもいいんだけど、そんな場所は無い。私が知らないだけかもしれないけど、もしあったとしてもそんな場所は限られてくるだろうし、更に干す場所なんてもっと限られてくる。そうして色々なことを諦めた結果、妥協として店売りの下着をその日その日で使い捨てにする。店売り下着は決して安くもないわ。積極的に戦ってもいないのに買い続ければ破産してしまう! でも穿き続けるのも嫌っ! 安物を穿くのも嫌ぁっ!」

 目を見開いて口を大きくあけ、オオカミ男が遠吠えでもするように体を反りながら叫ぶお姉さん。正直こわい。
 だけど次の瞬間。何かに気づいたようにビクンッと体がはねた。

「って、ああっ!? よくよく考えればこれも一時を凌ぐだけだったわ……ね。ふ、ふふ……今回仕上がった《ソフトハーテッド・ショーツ》も十五枚しかないし、あなたたちに渡しても焼け石に水、よね…………ごめん、なさい……」

 このお姉さん、寝起きのせいか言語が支離滅裂でしかもテンションの上下が激しいよ。
 今はこの世の終わりの顔をしてガクッと膝をついて頭をたれている。
 かなりシュールな光景だ。垂れた長い髪で顔の見えなくなっているお姉さんが「パンツー……パンツー……るーるるるるー……」と呪詛を撒き散らしている。

 まあでも、お姉さんの言ってることはわたしには、というか多分わたしたちには理解できたと思う。
 要は『毎日パンツ換えたい→洗うことが出来ないから買う→質も満足出来ないしお金もかかる→満足いくものを自分で作ったけど数も少ないしもっと作るにも素材がない→うわーんっ』ということだ。
 その気持ちはよーく解る。
 なんてったってわたしたちも通った道だ。
『通った』過去形だ。わたしたちは――質とかはともかく――お姉さんのその悩みを解消しうる情報を持っている。むしろお姉さんさえいれば質の問題も解消できるんじゃないだろうか。

「……」

 ネリー、レイアと無言のアイコンタクト。
 キリュウさんは部屋の端で眉間に少し皺を寄せながら目を瞑って、我関せずモードだ。まあそれもしょうがない。話題が《パンツ》なんだって意識したらわたしまで恥ずかしくなってくるし。
 お姉さんよ、年頃の男の人がいるんだから少しは自重しようよ。

「あのー、ちょっといいッスか?」
「……?」

 わたしの呼びかけに、お姉さんは少しだけ頭を上げてわたしを見てきた。長い前髪の隙間から覗く蔭(かげ)った上目遣いの瞳が、サ○コみたいでちょっとホラー。

「えーっとッスね、わたしらは別に毎日毎日、そのー……使い捨ててるわけじゃないッスよ?」

 男の人がすぐ近くに居るのに、とてもじゃないけど乙女の口から《下着》やら《パンツ》なんて言えない。
 これで結構わたしって恥ずかしがり屋なのです。

「…………え?」
「あ、勘違いしないでほしいんスけど、着替えないまま過ごしているってことじゃなくて、《ちゃんと毎日洗ってる》ってことッス」

 そう。わたしたちは下着を――下着だけじゃなくて部屋着とか洗えるものは毎日洗っている。毎日しっかりと清潔にしているのだ。

 あれは、わたしたちがまだ第一層主街区《はじまりの町》で出発の準備をしていた頃。
 その頃のわたしたちも、まさに着替えについて悩んでいた。もちろんキリュウさんには内緒で。
 汚くならないということは解っていても、やっぱり着たまんまというのは不潔というイメージがある。だけどこれといった解決策も思い浮かばず、わたしたちは日々の狩りで稼いだお金で着替えを買うことにした。
 だがそんなとき、幸運にもとあるクエストの報酬でわたしたちの悩みは解決した。

《手回し式洗濯機》。

 縦長の木桶(きおけ)に自転車のペダルのようなものがついていて、木桶の中にオブジェクト化した衣服と水を入れ、ペダルのようなものを回して中をかき混ぜる。一回に一日の一人分を入れることが出来るが、五分間ずっと回し続けなければならない。
 ちょっとめんどくさいと思うかもしれないけど、しっかりとした手順を踏んで、乾かすところまでいくと、なんとその衣服に《二十四時間敏捷値+0.5》というバフ効果が付随される。
 金属装備や革装備は洗えないけど、インナー上下に布装備上下の四点でも敏捷値+2だ。これは大きい。洗濯なんて仮想世界じゃ意味が無いような印象だったけど、わたしらにとっては一応の清潔(?)が保てる上に能力(パラメータ)まで上がるという美味し過ぎる特典がある。
 わたしたちは、キリュウさんも含め全員が一人一台、これを持っていた。

「……というわけで、これならお姉さんの悩みも解消出来ると思うんスけど?」
「…………」

 お姉さん絶句、といったところだろうか。
 まあでも、あのクエストは見つけるのに色んなNPCに話を聴きまくったし、そもそもSAOでは洗濯は出来ないと考えているプレイヤーも多いだろうし、お姉さんたちが知らないのも無理は無い。

「そ、そのクエストって何処で受けられるの……?」

 震える声で訊いてくるお姉さん。だから前髪の隙間から覗くように見ないでって。怖いんだって!

「あー、よければひとつあげるッスよ。うちら人数分持ってるッスし」
「え……いい、の?」

 はい、いいですよー。どうぞどうぞ。……ククク、その代わり見返りは期待させて貰いますけどね!
 先ほどのアイコンタクトでネリー、レイアの許諾は貰ってる。たったひとつ渡すこと自体に問題は無い。てか、アルゴさんにあまり情報を流布をしないで欲しいと言われているし(情報が欲しい場合はアルゴさんを紹介することになっている。ただし信用できそうな人限定)、ただアイテムを渡すだけならクエストの情報までは教えてないしセーフだろう。……セーフということにしておこう。

「あー……その代わりと言っちゃなんなんスけど、その、わたしらに服をッスね、作ってくださると嬉しいなーなんて……」

 典型的な押しの弱い日本人であるわたしは、図々しく要求しまくるなんてことは出来ません。これがわたしの精一杯です。

「…………ぷっ」

 そんなわたしを見て噴き出すお姉さん。
 堪えきれなくなったように笑い出し、その笑いはだんだん大きくなって、バートさんやネリーたち、ついにはわたし自身まで笑ってしまっていた。

「あはははは、うん。了解りょーかい。うんとカワイイの作ってあげるわ!」

 目尻を拭いながら今だ体を震わせているお姉さんが言ってくる。

「んじゃまあ、さっそくトレードするッスかね…………って、そういえばお姉さんの名前訊いてなかったッスよ」

 アイテムの譲渡は、基本的にトレードウインドウで行う。相手の名前を入力してから渡すアイテムや金額を選択するため、名前を知らないと渡すことが出来ない。普通はフレンドリストから名前を選んでからトレードウインドウを開く。

「ああ、そういえばまだ言ってなかったっけ」

 あっけらかんと言ってから、お姉さんは佇まいを直した。
 そして、そのアルト声に合った演劇口調でわたしたちに向かって言った。

「私の名前は……《アシュレイ》。いつの日か現実で、カリスマと言われるデザイナーになる女よ!」







「いやー、強烈な人だったッスねぇ」
「あはは、うん」

《水梨亭》を出たわたしたちは、既に暗くなった表通りを歩いていた。
 時刻は夜十時近く。今日は朝から夕方まで寝っぱなしだったし、今夜は寝られるかどうか不安だ。

「……でも、良かったね。素材さえ持って行けば希望に合う服を作ってくれるって言ってくれたし」

 いつもよりも弾んでいるように聞こえるレイアの声に、わたしもネリーも頷いた。
 あのあと、改めて自己紹介をしたわたしたちは服の話題で盛り上がった。とくにわたしはアシュレイさんと意気投合し、お互いの意見を出し合い、至高の衣装を模索した。まあ、途中からは再びSAO内での衣服やパンツについての愚痴になっていて、気付けば三時間以上も喋りっぱなしだった。
 キリュウさんとバートさんは、いつのまにか飲み物を持って部屋の端っこでちびちびとやっていたようだった。

「……じゃあ、今後は衣服関係の素材を中心に集める、ということで良いのか?」

 久しぶりと感じてしまうほど今まで無言だったキリュウさんが口を開いた。
 いつもの無表情なのだけど、今はそこはかとなく疲れている印象を受ける。まあ、わたしらのせいかもだけど。

「はいっ! あ、でも、攻略も忘れて無い……ですよ?」

 元気良く声を上げたネリーが、本来の目的を思い出したのか語尾がもにゅもにゅと濁っていく。
 そんなネリーの目を泳がせてるような様子に、わたしはぷっと吹き出し、レイアもクスクスと笑い出した。

 静かな、他の誰もいない静かな夜の街に、わたしたちの笑い声だけが響いていった。






 ――あ、ちなみにあのパンツはちゃんと貰いました。



[34210] 10.不穏な会話
Name: ネ申原◆f483f651 ID:4687e9c9
Date: 2012/07/15 22:29
 アインクラッド第三層が開放されてから九日目。
 三層主街区から次なる村へと南に歩を進める途中、木漏れ陽が照らす巨大な樹林の合間で俺たちは戦っていた。

「――くたばれァ!!」

 俺たちの目の前には、如何にも山賊といった風体の中年男が三人、少し刃こぼれした短剣を逆手に構えている。ダボダボに膨らんだ茶色のズボンに黄土色の半袖シャツ、頭に巻いた赤いバンダナ、どこもかしこもボロボロだ。筋肉質な痩躯に、こちらを睨んでくるギラついた眼。荒い呼吸により肩が上下し、HPの残量が減るにつれ少しづつ変わる表情。

 ――どこからどう見ても人間のようだ。

 だが、この三人はプレイヤーじゃない。
 街にいるNPCに似て非なるもの、《人間型(ヒューマノイド)モンスター》というらしい。ゴブリンやコボルトのような亜人型(デミヒューマン)とも違うこいつらは、見た目は完全にプレイヤーと見紛う。先ほどの罵声のように喋ることも出来るし、赤いカーソルが無ければ本当にプレイヤーと戦っているみたいだ。

「うらっ!」

 チマに向けて敵――《ニンブルバンデット・スカウト》の一人が、掛け声とともに青色の光を帯びた短剣を右フックのようなカーブを描きながら振り切る。しかし一度喰らったことのある技なので、チマは初動を見た瞬間に一歩下がって回避していた。

「あめぇよ!」

 バンデットが左に振り切った短剣が今度は逆方向に動き、チマを追撃する。短剣の水平二連撃ソードスキルだ。
 だがこれも彼女は予測済み。チマ女は一撃目の回避動作と同時に、自らのソードスキルの動作も行っていたのだ。

「甘いのは……そっちッスよおおお!!」

 頭上から振り下ろした強力な一撃は、相手の放った短剣ソードスキルを弾き飛ばし、敵の体を深く切り裂いてからようやく止まった。

「ふげぁっ!?」

 直撃を受け、まぬけな声と仰け反りポーズを見せたバンデットは、まるで特撮モノのやられた怪人のように爆発して消えていった。

「っし!」

 小さく拳を握りしめてから、チマは愛剣を両手で(・・・)肩に担いだ。
 チマが今使っている武器は、予てから彼女が使ってみたいと言っていた《両手剣》だ。なかなか踏ん切りがつかず、今まで片手剣をずっと使ってきたが、先ほどのニンブルバンデット・スカウトとは違う人型モンスターを倒して手に入れた両手剣《プレート・クレイモア》を持ったとき、チマは運命を感じたとかで、今後はそれを使う事になった。

「うおお!!」

 残る二人のバンデットのうち、一人が俺に向って駆けてくる。
 刃渡りの小さい短剣を、大きく振りかぶりながら向かってくるその姿は素人そのもの。

「疾……!!」
「ぬおっ!?」

 相手が此方の間合いに入った瞬間、素早く出足を石突で払い態勢を崩す。
 重心移動中の浮いた右足を払われ、左のめりに倒れながら大げさに驚いた顔をしている敵を横目に、背後に回り込みながら後ろ足を蹴り払う。
 そうしてほんの僅かな時間だが、相手の両足は地面を離れた。
 上半身を傾けながら地に吸い寄せられる敵。
 本来ならば相手に受け身を取らせないために、あと数手ほど工程があるが、この敵には必要無い。
 数刹那の後、強かに右肩から地面に衝突するバンデッド。
 その衝突と同時に俺は、足元の標的――地に落ちた敵の頭へと槍を突き出した。
 己も前のめりに倒れながら真下へと放つことで、全体重を乗せることを容易くした刺突。
 体崩しから続く一連の動作からなる技。

 東雲流、《骸割(むくろわり)》。

 側頭部こめかみ辺りを深く穿たれたバンデットはHPの残量を大きく減らし、数秒間もがいた後、貫通継続ダメージによりHPバーは消え去った。

「…………や、やあっ!」

 足元のバンデッドが光へと砕け散るのを視界端で確認しながら、やや戸惑いを含めた声に意識を向ける。

 ――やはり……厳しいものがあるか。

 その声の主はルネリー。
 今現在、彼女とその双子の姉であるレイアは、普段の戦闘での動きとは精彩を欠いていた。

「……くっ」

 特に敵が強いわけでも、窮地に立たされているわけでもないが、二人は今にも玉の汗が浮かびそうなくらい苦々しい顔をしていた。
 だが、それもしかたない。今までの敵は化け物然としていたモンスターばかりだった。人外を殺すことと、自分と同じ人間――少なくとも姿形は――を殺すということ。常識的に考えれば後者のほうが物凄く抵抗があるだろう。

 ――寧ろ、俺のように何の躊躇いもなく相手を攻撃出来る……というほうがおかしいのだろうな。

 チマも気にしていないような素振りだが、あれはゲーム内の敵だと割り切っているらしい。そう思い込まなければやっていけないのだろう。それは現実逃避とも言い換えることが出来るが、彼女がそれで心の平穏を保っているのだとしたら、俺には何も言えない。

「うごえっ!?」

 残りのバンデットの情けない声が聞こえた。どうやら問題なく倒せたようだ。
 戦闘終了を確認すると、チマは地面に剣を突き立て、それに寄りかかって息をついた。

「あ~~倒し終わったッス~~」
「ふぅ、まだ人型って慣れないよねー」
「うん。それに……」

 ――このまま、人を殺すことに慣れてしまいそうで……。

 言葉にはしていないが、その顔色からレイアの思ったことが聞こえたような気がした。

「……チマ、それの扱いには慣れたか?」

 俺はそんなレイアたちに言ってやれる言葉が思いつかず、仕方なしに話題を変えようとした。

「そ~ッスね、なっかなか良い感じッスよ。この両手剣ってのも」

 そう言ってプレート・クレイモアを正眼に構えるチマ。まるで新しいオモチャを手に入れた子供のように目を輝かせて嬉しそうな顔をしている。
 そんなチマの様子にようやくルネリーとレイアも表情を明るくして、普段通りとなった。
 俺たちは止まっていた歩みを再開し、次の村へと向かって進みだした。

 昨日の夕方、狩りを終えて主街区ヘイシャムの宿屋への帰宅途中に、情報屋《鼠のアルゴ》からメッセージが届いた。

『やあやア、元気してるかナ? この前はありがとうナ、お陰ですごく儲か――いや助かったヨ。……とまあ挨拶はこれくらいにして本題だガ。今日の昼過ぎに、迷宮区エリアに続く最後のフィールドボスが倒されタ。前回、前々回から見て今のペースで行くと、迷宮区が攻略されるのには恐らく五日もかからないだろウ。そろそろキミらも最前線の《ペクタ》に来たほうがイイヨー。…………と、いうわけで、今回は(・・・)ちゃんと言ったからナー。ボス戦に間に合わなくてもオイラのせいにしないでくれヨー?』

 そういうわけで、俺たちは第三層迷宮区最寄りの村《ペクタ》に向かっていた。







 アインクラッド第三層は、その表面のほとんどを巨大な樹木で覆われている。真上から見れば辺り一面が《様々な緑》に染まっていることだろう。見渡す限り目に映る幾本という木々は、その全てが数十メートルはあろうかという高さを持つ。
 遥か頭上には昼間に光る星々。だがそれは星ではなく、それこそ星の数ほどの枝葉が重なり合って出来た巨大な屋根から差す木漏れ陽だ。その光景は、思わず息を呑んでしまうほどだった。

 しかし、その幻想的な光景とは裏腹に、森は危険で溢れている。
 そのひとつ、緑一色のフィールドの多分に洩れず、この階層には植物型のモンスターが多い。枯れ木に扮してじっとしている間は索敵にかからないモンスター。体に無数にある花や棘に毒や麻痺効果を持っているモンスター。更には、自身は身動きできないが、一度捕まると簡単には抜けられず、強力な毒でじわじわとなぶるように殺しにかかる(トラップ)型のモンスターも居れば、その罠にさり気無く誘導してくるモンスターも居る。
 そして、この三層から本格的に人間そっくりな敵も出てくる。先ほど戦った《ニンブルバンデッド・スカウト》は、まだ悪人という面構えをしており、それほど攻撃することに躊躇は無かった。だが聞いた話によれば、あどけない人間の子供のようなモンスターもこの先出てくるという。もし、そんな敵が目の前に現れたら、あの三人はちゃんとに戦えるのだろうか。そして、俺は…………。

「レイア! がーんばれっ!」
「……別に疲れるようなことはしてないんだけどね」

 俺たちは今、《迷い霧の森(フォレスト・オブ・ウェイバリング・ミスト)》という場所を歩いていた。通常、フィールドを進めばシステムウインドウ中のマップタブに歩いた所がマッピングされる。灰色に染まったマップウインドウを色彩付けるには、踏破するかマップデータを貰うかだが、この森フィールドでは少し異なる。実際に歩いた場所にしても、マップ上に霧がかかったようによく見えなくなる。自分の現在位置、今までの道順が明確に解らなくなるのだ。
 しかし、ここでレイアの持つスキルが役に立つ。

《測量スキル》。

 ただ街や道、川森山の大まかな位置だけで事足りるのならば、別にスキルを使わなくてもマッピングは出来る。それだけで終わらないのが測量スキルというものだ。
 このスキルを使えば何処にいたとしても迷わない、と言っても過言ではない。この森の特殊効果も彼女のスキルの前には意味を成さない。彼女のマップだけは霧は晴れ、更には採取出来る植物や木々、鉱石の採掘場なども記録され、熟練度を上げれば近くを歩くだけで隠れたダンジョンさえ見つけてマッピングすることも出来るという。彼女のお陰で、俺たちは初めての場所でも帰り道の心配をすることはなかった。
 普通なら抜けるのに時間がかかるというその森を、俺たちは普通に進み、普通に抜けた。







 俺たちが三層迷宮区最寄りの村《ペクタ》に着いたのは、アルゴの知らせから二日後の昼だった。

「着いた~!」
「着ーいたッス~!」
「……だね」

 このペクタという村も、この三層にある町村の例に洩れず周囲を背の高い垣根で覆われている。まるで豪邸にある庭園の入り口みたいだと、村に入るときにルネリーたちは言っていた。無数の枝葉に蔦(つた)が幾重にも絡まりあう垣根がアーチ状になっている入口を抜けると、そこにも緑の多く見える町並みがあった。道の至る所に落ち葉や根があり、視界に見える家々も壁や屋根から葉付きの枝が飛び出している。入口から伸びる通りを進むと、これまた例に洩れず村の中心に広場があった。大抵ボス戦の打ち合わせは、迷宮区最寄の村のこの広場のような大人数が集まれる場所でやるらしい。まずは、その日取りを確認せねばならないだろう。
 とりあえず、俺たちは近くを歩いていたひとりのプレイヤーに訪ねてみることにした。

「すみませーん。ちょっといいですか?」
「え?」

 逆立てた水色の髪に少したれ気味の目、中肉中背の体に布装備の上下と肩あて付きの胸鎧、ローラースケートのサポーターのような鋼色の腕甲と脚甲を纏い、大ぶりな剣を背負っている二十代前半くらいの男性プレイヤー。俺たちの中では一番人当たりが良いルネリーに話しかけられた彼は、少し顔を赤くしながら目を泳がせ、どもりながらも聞き返してきた。

「え、と…………お、俺に、何か?」
「あの、あたしたち、ボス戦に参加しようと思ってるんですけど……もう打ち合わせというか、会議みたいなのって終わっちゃいましたか?」
「えっ? ……あ、ああ。フロアボスのやつね。それはまだだよ。でも聞いた話によれば、今日の夕方には迷宮区の最上階に到達するらしいし、早ければ明日、明後日には開かれると思う」
「よかったぁ。今回は間に合ったっぽいねっ」

 彼の話を聞いたルネリーが後ろの俺たちを振り返って笑顔を向けてくる。そしてすぐに前を向き直し、男性に向けてお礼を言った。

「あの、ありがとうございましたっ」
「あ、うん。どういたしまして……」

 上半身を九十度曲げてお辞宜をするルネリー。それを見てビクッとする男性。

 ――あまり人と接するのに慣れていないのだろうか……?

 男性の挙動不審さから、そんなことを思う。自分も人と接するのは苦手なので、勝手だが少し親近感を感じた。

「……そういえば、あなたもボス戦に参加するんですか?」
「ああ、うん。これでも二層のボス戦に参加した経験があるし」
「そうなんですか! じゃあ、ボス戦で会ったときはよろしくお願いしますっ」

 その言葉を皮切りに、俺たちは男性とは別れた。
 しかし、終始ルネリーと話していた男性は優しそうな顔をしていたのに、去り際に俺と目が合ったときは睨まれたような気がしたのだが……何故だろうか。

「明日か明後日ッスかぁ……んじゃ、今日はこのあとどうするッスか?」
「……もうお昼過ぎだし、今から迷宮区は時間的にきついよね」
「じゃあじゃあっ、お昼食べてからこの村の周りで狩りろうよ!」
「狩りろうって……」

 俺が首を傾げている間にも、三人は慣れた様子で今後の予定を決めていく。
 そうして俺たちは、近くの宿屋でパンとスープの軽い食事をとったあと、夕方まで村の周囲でモンスターを狩った。







 午後八時過ぎ。ペクタに帰った俺たちは、村の入り口を抜けた所で別行動をとった。ルネリー、レイア、チマの三人は、風呂のある民家に向ったのだ。
 このゲーム内に風呂のある施設は少ない。別段汚れることもないので入る必要はないのだが、女性にとってはそれでも入らないことに忌避感はあるのだろう。一応、どんなに小さな村にも一軒は風呂を備えた家がある。しかし、今の俺たちは決まった拠点を持たない。色んなところを移動していて毎回入れるわけではないので、三人にはつらい思いをさせているのかもしれない。

「…………ふぅ」

 手持無沙汰になった俺は通りの酒場に入り、端の方の丸テーブルについて果実水を頼んだ。出来る事なら緑茶を頼みたいのだが、残念ながらこのSAOには存在するかどうかもあやしいらしい。紅茶ならば喫茶店などで飲めるが、ここのような酒場では酒か果実を絞って水で薄めたものしかない。俺は酒が苦手……いや偏見だとは解っているのだが少し嫌悪感がある。例えSAOでは酔うことはないといっても、試してみる気さえ起きない。

「――おらっ、賭けに負けたんだから今日はお前のおごりだかんな!」
「ごちになりまーす!」
「なりまーす!」
「ぐっはぁ……ついてねえ……」

 頼んでから十秒とかからずに店員が持ってきた果実水を飲もうとグラスを持ち上げたとき、五人の男性プレイヤーたちが店内に入ってきた。彼らはカウンター近くの丸テーブル二つを陣取り、まだ頼んでもいないうちから騒ぎ出した。まるで、ここに来る前から飲んでいたかのようなテンションだが、先も言ったとおりSAOでは酒に酔わない。たぶん、元々賑やかな人たちなのだろう。

「あ、オレもう…………五杯っ!!」
「俺も~」
「飲みすぎ! つか、頼みすぎだろ!」

「…………」

 まだ店内の席はたくさん空いているというのに、一気に騒がしくなってしまった。ルネリーたちが騒がしくしているときは何とも思わないのだが、今俺が感じている嫌悪感は何なのだろうか。
 俺は早々に此処を出ようと、手に持った果実水を飲み干そうとした。

「……なあ、お前らは見たかよ?」

 が、いきなりトーンの下がった声に無意識に耳を傾けてしまう。

「何を?」
「アイツだよ、アイツ。《ビーター》だよ」

 ――ビー……ター……?

 その単語は度々(たびたび)耳にしたことがある。だが意味するところはよく解らなかった。
 誰かの蔑称だということは雰囲気で解るが……。

「あー、見た見た! 真っ黒い奴だろ?」
「あの黒コート。一層のボスドロらしいぜ? LAとって手に入れたんだと」
「なーんか、レイドのリダ見殺しにした~とか聞いたけど?」
「ん? 俺は逆。リーダーが先走ってヤられて、戦線が崩れそうになったのを一人で立て直したって聞いた」
「んじゃ、イイ奴なん?」
「でもそのあと、『俺はビーターだ!』宣言でイッキに悪役(ヒール)」
「なんだそりゃ」

 果実水を飲み干す間、男たちの話が勝手に耳に入る。盗み聞きなど趣味が悪いと思いつつも、特に聞いてはいけないことでもなし、相手も大声で話しているので問題はないだろう。

「……」

 とは言いつつ、やはり多少の罪悪感はある。
 俺は空になったグラスをテーブルに置いたまま席を立ち、出口へと向かった。

「――あ、そうだ。ビーターといえばさぁ……《バリ》の野郎が、ついにやるらしいぜ?」

 歩く俺のことは気にも留めず、五人は話し続ける。

「んあ?」
「バリ? アイツが何を?」
「おいおい、いっつも言ってたじゃねぇか。…………アイツ、今度こそ《ボス戦の騒動に乗じて、あのビーターをヤる》んだと――――」

 パタン、とスイングドアが閉じた。

「…………」

 俺は今しがた出てきたドアを――今はもう見えない店内のあの五人を振りかえった。

 ――ビーターを…………《やる》? それはどういう意味で、なのだろうか。

 男たちが話していた不穏な内容。もしも、それが人の倫理に反するものなのだとしたら……。

「……いや、そう考えるのは早計か」

 だが俺は、不安を感じながらもこのときはそれを頭の片隅に追いやった。恐らく心の何処かで信じていたのだ。そんなことをする人間は居ない……と。
 後ろ髪を引かれる感覚を残し、俺はまばらに行き交うプレイヤーたちに交じって、夜の通りへと歩き出した。



[34210] 11.第三層フロアボス攻略会議
Name: ネ申原◆f483f651 ID:4687e9c9
Date: 2012/07/15 22:50
 俺たち四人が迷宮区最寄りの村《ペクタ》に到着してから二日後。
 今日はついに、《第三層迷宮区最上階のフロアボス攻略会議》が行われる。会議は午後三時ちょうどかららしく、あと三十分に控えた今現在、ペクタ村の中央広場には数十名のプレイヤーたちが集まっていた。この広場には中央にぽつんと小さな井戸があるだけで、長椅子(ベンチ)すらない。プレイヤーたちは各々広場の外周に面する場所にたむろっていた。何故か誰も中央近くに寄ろうとはしない。まるでその場所に来る者は既に決まっているかのように。
 俺たちも周りのプレイヤーと同じように、広場の外周近くにある木のひとつに寄り添い、会議の時間が来るのを待っていた。

「ど、ドキドキしますね」

 ルネリーが期待と不安と興奮が入り混じったといった様子で俺たちに言ってくる。

「こんなにいっぱいのプレイヤーが一ヶ所に集まるのを見るのは初日以来初めてッスからね」

 チマもそわそわと視線を彷徨わせている。

「……この場にいる全員が、ボス戦に参加するんですよね……」

 レイアは堅い顔をしている。恐らくこの大人数での戦闘を想像したのだろう。一ヶ月前に体験した大規模戦闘(レイド)の三倍以上の人数が一つ所で戦う。以前よりも、より凄惨になるだろうことは想像に(かた)くない。

「……レイア」
「え、はい……?」
「逆に考えろ。これほどの大人数で戦うんだ。早々危険に陥ることもないだろう」
「あ……そう、ですね。…………ありがとうございます」

 上手く元気づけることが出来たのかは解らないが、此方に向けて小さく微笑むレイアに、少し安心する。だが言葉にはしないが、今言ったことはまた逆の意味にもなるだろうことは、きっと俺たちの誰もが思っていた。

 ――これだけの大人数で戦わなければ、ボス戦は勝てないのか……と。







「あと十分ッスかぁ……。どんな感じなんスかねっ、ボス戦ってのは!」

 チマがシステムウインドウの時刻表示を見ながら声を弾ませる。緊張し過ぎるのも問題だが、俺としては彼女にはもう少し緊張感を持って貰いたいものだ。

「――失礼だが」

 と、何となしの雑談をしていた俺たちに声をかけてきた者が居た。

「もしかして、君たちは《こういうところ》は初めてなのかね?」
「……ほへ?」

 俺たち四人が同時に顔を向けた先には、一人の男性が立っていた。

「……っ」

 思わず俺は息を呑む。
 別に目の前の男性が異様な格好をしている訳ではないが、彼の真鍮の瞳に僅かに気圧された。まるで悟りを開いた者のような全てを包みうる雰囲気を放つ双眸。人が人なら安心感を覚えそうなその雰囲気だが……俺は逆に、畏敬に似た何かを感じたような気がした。

「は、はい。まあ、そうッスけど……?」

 知らない人に話しかけられ疑問を顔に浮かべたままのチマは、しかし反射的に相手に答えた。

「ふむ。女性ばかりのPTというのも珍しいな。……よければ少し、講釈をしようか」

 灰色の長髪を前髪から後ろに流してうなじの辺りで縛っているその男性は、長身の痩躯に煤けた白いローブのようなものを纏っている。武装は解除しているのか、武器らしいものは見当たらない。

「えと……はい。じゃあ、お願いしてもいいですか?」

 ちらりと一瞬俺を見たルネリーは、直ぐに男性に返事をした。別段断ることでも無し、寧ろボス戦初心者の俺たちにとってはありがたいことだ。俺たちにとって、こういう風にいきなり話しかけられることは実は珍しいことではない。この三人の少女たちはただ話しながら街を歩くだけでも華やかで目立つ。そして、そんな彼女たちに話しかけてくる者はやはり多い。ただ、何故かその多くは二言三言話すだけで立ち去り、PTの誘いまでしてくる者は意外と少ない。ルネリーは今話しかけてきた男性も、恐らくその類だと思ったんだろう。

「解った。……では」

 二十代後半とも四十代前半とも思える蒼然たる面相をしているその男性は、不意に人差し指を広場の中央に向けた。俺たちがそちらを見ると、いつのまにか五、六人のPTが数組、広場中央の井戸の近くに集まっていた。

「彼らが今のところ、最前線で戦うプレイヤーたちのトップに立つ者……いや、それは正確ではないな。正しくは、《トップに立とうとしている(・・・・・・・・)》だ」








 その後、ボス戦会議の開始時刻となり、広場の中央に陣取っていた者たちが先導して会議を進める中、灰髪ローブ姿の男性の説明も続いた。だが会議といっても、実際は広場中央に居る者たちだけで話し合う、いや雰囲気からすれば、自分たちの主張を言い合っている、という印象だった。広場の外周近くに居た者も、数人ほど中央での話合いに入っていったが、俺たちを含むその他大勢の者たちはただ彼らの話合いを見ているだけだった。

「あの、装備に《青》を基調としている者たちが、《リンド》という青髪のシミター使いの率いるPT。そして彼らと対峙している《緑》を基調としいる者たちが、《キバオウ》というスケイルメイルを纏った片手剣使いの率いるPTだ。この2PTが、広場中央に集まっているプレイヤーの中でも特にリーダー志向が強い。……それが《この世界からの早期解放》を目的としているのか、もしくはただの《権力志向》なのかは解らないがね」

 澄まし顔で淡々と説明をする男性。だが、最後の一言を言うとき、彼の口端が微かに歪んだ気がした。

「んー、想像してたのと全然違うッスねぇ。このあとどうなるんスか?」
「恐らくもう直ぐ、この広場に集まった者たちで各々PTを組むことになる。その後PTの特性に合った部隊に分けられ、壁役(タンク)攻撃役(アタッカー)支援役(サポート)のどれかに属することになるだろう」
「……それって、あたしたちバラバラになっちゃうってことですか? 特性ごとにってことは……」
「いや、PTは自由だ。即席のPTで戦えるほど、フロアボスは甘くは無い。そしてそれは、彼らにも解っていることだろう」

 男性の言葉に三人は安堵の溜め息を吐く。いきなり別の者とPTを組むというのは、俺も勘弁して貰いたい。

「君たちは……近距離が二、そして中距離が二か。なら支援(サポート)部隊になる確率が高いな。最前線、という訳ではないが、今回のフロアボスは《飛び道具》も使う。何処に居ても安心は出来ないだろう」

 確か、フロアボスについて書かれたアルゴの攻略本が今日明日中には村の至る場所に置かれるはず。今頃彼女は見えない所で色々と動いていることだろう。

「……ふむ」

 と、いきなり男性の目が細められた。何か? と訊ねるまでもなく男性は口を開く。

「さて、そろそろのようだ。私はここで失礼する」
「へ? あ、ああ、そうですか……? えと、ありがとうございましたっ」

 話かけてきたときとは大違いの淡泊さで、身を翻そうとする男性。何が目的で俺たちに話しかけてきたのかは全く解らない。が、それでも説明は丁寧で解り易かった。
 だからだろうか、去ろうとする男性に向かって、俺はとある質問を投げかけた。

「……すみません。あと二つほど、よろしいですか……?」
「? ……ああ、構わないよ」

 俺の呼びかけで男性は立ち止まり、再び此方を向いた。

「……《ビーター》、と呼ばれるプレイヤーを知っていますか?」
「…………」

 男性は俺の質問を聞いた後、静かに俺を見つめてきた。まるで何かを探るかのように。
 だがそれも一瞬のこと、何事も無かったかのように目の前の彼は口を開く。

「…………君が言っているのは、恐らく《彼》だろう。漆黒のコートに身を包む小柄な少年と耳にしたことがある」

 男性の指差す方向、広場の中心に集まる者たちのやや後方に、それらしきプレイヤーが見える。

 ――あの者が……《ビーター》。

 第一印象は、幼い。多分俺よりも年下なのではないか。色々な場所で聞いた噂のと同一人物だとは、到底思えなかった。

「――で、もうひとつの質問は何かな?」

 男性が訊いてくる。予想外の人物像に、少し思考に陥ってしまったようだ。

「もうひとつは……あなたの名前を、伺ってもよろしいですか?」

 世話になった人の名前を訊くことはおかしいことではないだろう。それに、俺には彼が凄く気に掛かった。プレイヤーであって、プレイヤーではない……そう、まるでNPCとでも話しているかのような感覚。そんな感覚を、俺は彼から受けた。

「……フッ、今はまだ、名乗ることは止めておこう。だが、いずれ再び出会ったそのときは――――」

 そう言い残し、男性は踵を返して人ゴミの中へ去っていった。後ろで縛っている灰色の髪を揺らしながら歩くその後ろ姿は、とても印象的だった。







「おーい! これから隊分けをする! 各PTはリーダーを先頭に一列になって並んでくれ! そうそう、一列が横にズラーっと並ぶ感じで! で、そのあと指示するのでPTの構成に応じた部隊へと移動して貰う! 攻撃部隊(アタッカー)と言われたPTは広場中央に集合! 壁部隊(タンク)は広場右端のあの木! 支援部隊(サポート)は広場左端の民家の前! いいな!? じゃあ並んでくれ!」

 多くの謎を残したローブの男性が去ってから間もなく、広場中央で話し合っていたプレイヤーの一人が、話し合いに参加していなかった者たちに呼びかけてきた。
 大半の者たちは慣れた様子で、そして俺たちを含む一部の者たちはぎこちない動きでその呼びかけに従い移動して行く。

「この構成だと……そうだな、《支援(サポート)》に入ってくれ」

 ルネリーたちの先頭に立つ俺にそう告げたのは、確かリンドという者のPTメンバーの一人だ。そして、あの男性の言葉通り支援部隊に配置された俺たちは、広場に面する場所にある民家の前に移動した。木造洋風二階建ての民家を囲う背の低い垣根の前に、約三十人ほどのプレイヤーたちが集まる。やはりと言うべきか皆、長柄の武器を手にしている者が多い。

「ちぇー、やっぱ支援(サポート)かよ。裏方じゃん」
「んで、リンドPTやキバオウPTとかはちゃっかり花形の攻撃部隊(アタッカー)、っと」
「しかも、アタッカーの集合場所は広場中央にして、自分たちは動かないし……」
「仕方ねぇだろ? 実際、仕切ってんのアイツラだし」
「メンドイことも引き受けてくれるってんだし、別にい~じゃん」
「ぶーぶー」
「鳴くなよ」

 しかし、ここに集まった連中の士気の低さが目立つ。ひとりが愚痴を零すと周りがそれに同調し、愚痴が盛り上がるのと反比例して士気が下がっていく。何とも嫌な雰囲気だが、それを指摘出来るほどの対人能力は持ち合わせていない。

「…………」

 ルネリーたち三人も居心地の悪さを感じているようだ。出来る事ならどうにかしたいが……。そもそもボス戦を知らない俺が前に立ってまとめられるのかという問題もあれば、此処にいるほとんどは恐らく年上、年功序列を考えれば年下の俺が出しゃばることは出来ない。一縷の望みを持って、先ほど広場中央で話し合っていた者たちの誰かがまとめに来てくれるのを待つが、見れば攻撃部隊、壁部隊ともに打ち合わせの真っ最中。とてもじゃないが、しばらく期待は出来そうにない。
この場に居る誰もが、このあとはどうするんだという疑問を浮かべ、だが誰も行動を起こそうとせずに愚痴の囁きばかり多くなっていく。

「俺ら放置?」
「うわー、貧乏くじぃ……」
「誰かー、ボス戦に詳しい奴いねぇのー?」

 無責任な声が大きくなる中、しかしそれに応えるようにおずおずと手を挙げる人物が居た。

「あー……俺は一応、第一層のボス戦から参加してるけど……」

 その人物は《セイナード》と名乗った。
 全体的に丸みを帯びた体に金属製の胸当て、腕甲、斧槍を装備し、そして何が入っているのかは解らないが登山用のような大きなリュックサックを背負っている。見た目では歳は解りにくい。十代後半でも二十代でも納得できる容姿だ。
 橙色の額当てを付けた丸い頭を掻きながら、セイナードは気だるげに口を開いた。

「…………で、どうするの?」

「だあっ」

 セイナードの言葉に何人か――ルネリー、チマを含む――が前のめりに滑る。
 ようやく先頭に立って指示してくれる人物が現れたと思った矢先、その人物自身が何を言うべきか解っていなかったからだろう。多分、先ほどの「ボス戦に詳しい奴はいるか?」という何でもない呟きに律儀に答えてくれただけなのかもしれない。

「あー……じゃー、まずは攻撃部隊(アタッカー)部隊ってどうやって動くか教えてくれー」

 こうして、特に誰が先導するということもなく、知っている者に各々が質問して情報を共有し、するべきことが解ってからはとんとん拍子に事は運んだ。……と言っても、どういう風に並んでどう動くのかが解っただけで、実際にどういう順番で並ぶかは当日に適当に、ということらしい。幸いだったのは攻撃部隊と壁部隊との連携を担当する者が決まったということだろうか。どのタイミングで攻撃を開始するのか、他の者と交代するのかを指示してくれる者を誰にするかで随分時間を割いたが、結局は怨みっこ無しのじゃんけんに落ち着き、《ポスキム》という若い男子プレイヤーがその役割を担うことになった。





「明日の朝九時にまたこの広場に集合! 隊列を整え九時半にはここを出発、正午にはボスを倒して四層に向かうようにする! と、それじゃあ明日はよろしくたのむ! ――では解散っ!」

 支援部隊でのことが一通り決まった後、再び中央のプレイヤーからお呼びが掛かり、三ヶ所に分かれていたプレイヤーたちは広場中央に集まった。そして、リンド、キバオウと数人のプレイヤーからボス戦での注意事項や決まりを聞くことになった。声を出し合って自分の状態は常に周りの人に知らせること。POTローテ(ポーション交代)のタイミングと合図や、最悪の事態になる前の撤退タイミングとその方法。最後にボスを倒した後のドロップ分配についての説明を受けて、この場は解散となった。

「なーんか……なーんか想像してたのと違ったッスねー。もっとこう……『ボス戦だ! ウォー! やぁーってやるッス! イエァー!』とか、『敵は強大……僕たち全員の一致団結した連携が必要だ。相手が×××(ドゥドゥドゥ~)してきたら君たちの隊は○○○(オベラッチョ)
をし、そして僕たちの隊が△△△(ズキューンッ)をして対処する』――とかぁ!?」

「や、『とかぁ!?』とか言われても……」

 会議も終わり、俺たちは広場からプレイヤーが少しずつ去って行く様子を広場の隅から眺めていた。俺も含めて四人とも、慣れないことの連続に少々くたびれた。人外との戦闘にはだいぶ慣れたが、こういう多くの《人》と関わることは、二木以外に友達も居なかった俺には辛いものがある。
 ルネリーら三人も、かなり消耗しているように見えた。だがそれは、俺みたいな対人関係の理由ではないだろう。俺も少し感じた、『何とかしたいと思っていても言いだすことが出来ない』という懊悩感。改善させることは出来ると解っていても、それを実行に移すことを躊躇ってしまう。支援部隊で集まった時、もし自分たちが仕切っていたらもっと、と思う気持ちと、やはりそれじゃ駄目だったろうという考え……。
 チマの愚痴に多少共感を覚えつつ、俺たちは気持ちを切り替えるために休憩を取っていた。

「……?」

 もう広場にはまばらにしかプレイヤーが居なくなった時、端にある並木の一本に寄りかかっていた俺たちに近づいてくる人影を確認した。

「あ」
「や、やあ」

 逆立った水色の髪、たれ気味の目にぎこちない笑みを浮かべた両手剣を背負う男性。俺たちがこのペクタに来て、最初に声をかけたプレイヤーだった。

「やっぱり君たちも参加してたんだな。まあ参加するって言ってたから当然ちゃ当然なんだけど……。ちょうど見かけたんで挨拶でもと思ってね」

 俺たち四人に話かけてるような言い方だが、彼の視線はルネリー一人に向けられていた。彼の挙動に俺やレイア、チマが首を傾げる中、ルネリーはそれに気付いてか気付かないでか、男性に言葉に応える。

「そうだったんで――」
「あ、そういやまだ名前を言ってなかったよなっ。前のときはちょっと急いでて言い忘れたけど」
「そ、そうですね」

 何を急いでいるのか、男性は矢継ぎ早に話を続ける。自分の言葉を遮られた形となったルネリーが少しどもった。

「じゃ、改めて。俺の名前は《バリーモッド》、よろしく」
「あ、はい。……えと、あたしはルネリーっていいます。こっちの銀髪の子がレイアで、こっちの茶髪の子がチマ。そしてこちらが、あたしたちのリーダーのキリュウさんですっ」

 気を取り直してルネリーは俺たち全員の名前をバリーモッドと名乗った男に教える。あまり人と話すのが得意ではない俺とレイアに気を使って全員分を紹介してくれたのかもしれない。

「そ、そっか……ルネリーちゃんっていうのか。あっと、じゃあフレン――」
「おーい! バリ~~行くぞ~~!」
「ぐえ、もうかよ……」

 男性が、恐らくフレンド登録を申し込もうとしたそのとき、広場の反対側から大声が上がった。男性の反応からして、仲間が彼を迎えにきたみたいだ。男性はうーんと数秒悩んだ後、「ま、また明日ね」と言い残して去って行った。

「な、なんだったんスかねー……」
「明らかに私たちは視界の外でしたね……」
「…………」
「え、みんな何? なんでそんな目であたしを見るのっ!?」

 俺たち三人の視線を受けて、ルネリーが慌てる。
 そういうことに疎い俺でも解った。あの男性が、ルネリーに気があるのだろうということは。まあ、あそこまで彼女しか眼中に無い様子を見せつけられれば、誰にでも解るとは思うが。

「で、で? ネリー的にあの人……ば、バリモットさん? はどうなんスか?」
「うえっ? ど、どうって言われても……」

 にやけ顔のチマに肘でつつかれ、困った顔をするルネリー。答えあぐねる様にしながら此方をチラチラと見てきているが、何か言いたいことでもあるのだろうか?

「……でも、私も気になるかな。正直なところ……どうなの、ネリー?」
「しょ、正直なところ…………ない、かなぁ」
「えぇ~~? って、まあ思った通りッスけどねー」
「クス。……だね」

 三人の笑い声が聞こえる。
 色恋の話に花を咲かせる様は、年相応の女子たちだ。不意にそういう話題で盛り上がることがあるが、こういう時はひとり男の俺は話に入りづらく身狭い思いをする。
 しかし、今この時だけは別のことが俺の頭を埋め尽くしていた。

『――あ、そうだ。ビーターといえばさぁ……バリの野郎が、ついにやるらしいぜ?』
『じゃ、改めて。俺の名前はバリーモッド、よろしく』
『おーい! バリ~~行くぞ~~!』

 ――《バリ(・・)》……。

 昨日の夜、酒場に居たプレイヤーの話していた《バリ》という人物。
 俺たちが最初に声をかけ、つい先ほど自己紹介をした男性、《バリーモッド》。
 二人が同じ人物だという確証は無い。しかし、《バリ》と付く名前は珍しく、西洋的な名前の多いこの世界においてもバリーモッドと名乗った男性以外に俺は聞いたことは無かった。もし同一人物なのだとしたら……。

「…………」

 ――だったら、何だというのか。

 名も人柄も知らぬ《ビーター》という輩(やから)が、《バリ》なる人物に命を狙われているかもしれない。だが、それが俺に何の関係があるというのか。
 HPがゼロになれば死んでしまうというこの世界。俺も幾度か、HPを危険域(レッドゾーン)まで削られ、窮地に陥ったことがある。戦いに多少なりとも自信を持っていた俺ですらこれだ。それに、今は守りたいと思う者たちも居る。プレイヤー同士のいざこざなどに関わっている余裕など…………

「でもあの様子じゃあ、明日もきっとネリー目的で近づいてくるかもッスねー、バリモッさん♪」
「……うん。確かに」
「や、やめてよー」
「…………!」

 ――忘れていた。

 現状、俺の知っている中で最も(くだん)の人物である可能性が高いバリモッドは、ルネリーに執心らしい。他人の色恋にとやかく言うつもりは無いが、もし彼が、人の死を望み殺人を、それに類する行為を実行してしまうような人物であるならば、このままこの三人に近付くというのも放置は出来ない。
 ……どうやら、否が応にも関わり合いになりそうだ。








「――デ? 珍しく呼び出したりなんかシテ、どうしたんダ? しかもあの三人娘は抜きで、なんテ……」

 俺の目の前に座っている年齢不詳の女性が訊いてくる。容姿は完全に俺よりも年下だが、その落ち着いた態度や不敵な物言い、何より全てを見透かしたような上から目線の微笑みが、見た目での年齢判別を困難にさせている。
 まるで責めるかのような口調だが、その瞳にはからかいの色が窺えた。

「……いきなり済まない。お前に調べて欲しい事があって呼んだんだ…………アルゴ」
「にはハッ。まあ、そりゃそうだろうナ」

 目の前の人物、情報屋を自称する女性《鼠のアルゴ》。俺とアルゴは、昨日の夜あの話を聞いた酒場に居た。ペクタには四つほど酒場があるが、この酒場は人気が少なく、今も俺とアルゴしか居ない。カウンター席に椅子ひとつ間を開けて、俺とアルゴは並んで座っていた。

「ヒトツ、言っておくけどネ……個人的な調査とくれば、いつもとは勝手が違うヨ? ちゃんとお代は貰うシ、色々と細かい決まりもあるんダ。そこんトコ、解ってるよナ?」
「……ああ、勿論だ」

 右手の人差し指と親指で作った輪っかをぶらぶらと揺らしながら、にやけた顔を向けてくるアルゴに首肯する。今回は、いつものような《協力者》としての情報提供ではない。《顧客》としてアルゴから情報を買うのだ。情報に限らず、売り買いに規約は付き物。普段の付き合いとはまた別物であるということは、世事に疎い俺とて解っている。

「くっくっク、まあそんなカタくなんなヨ。まずは依頼を聞こうじゃないカ。キミからの頼みは初めてだケド…………あの三人には聞かせたくない話なんだろうウ?」
「……ああ」

 この場所にルネリー、レイア、チマの三人は居ない。昨日と同様、今は風呂施設のある民家に行っている。勝手な判断だが、あの子らにこの話は聞かせたくはないと思った。

「……調べて貰いたい事は二つ。一つは、《ビーター》と呼ばれるプレイヤーについて知りたい。特に、人柄などを」
「――ッ。はて、なんでマタ?」

 アルゴが一瞬だけ息を呑んだのが解った。何故かは解らないし、問い質す気もないが。
 ビーターと呼ばれる者が、本当に噂で聞くような非道なプレイヤーなのか、ただの誇張された噂でしかないのか。それを知ってどうするのか、どうしたいのかは自分でも解らない。だが…………

「……その理由は調べて貰いたい事の二つ目にある。昨日、この酒場でとある話を耳にした。《バリと呼ばれる者が、ボス戦の騒動に乗じてビーターに何かをする》という話だ」
「……」
「この話が真実かどうかを、調べて欲しい」

 俺の話を聞いているのかいないのか、アルゴは無言で琥珀色の液体の入ったグラスを口につけた。ゆっくり味を噛み締めるかのようにして飲み込んだ数秒後、ようやくこちらを向いて口を開いた。

「ン~、なるほどネ。人を陥れるような話を聞いてそれを何とかして防ぎたいと思っタ。でもビーターなる人物が噂通りの俗物なら関わらずに放っておこうと…………こういうコト?」

 アルゴの言葉は、尖った刃のように俺の胸に突き刺さった。
 我ながら何とも嫌な人間だと思う。これがルネリーだったら、きっと誰と言わずに助けようとするのかもしれない。

「にゅははハ~。ちょっとしたジョーダンだから、そんなに傷付いた顔しないでくれヨー」

 アルゴが俺の顔を覗き込むようにして笑う。かと思ったら今度はいきなり真面目な顔をしてくる。

「だが、いいのカ? もし、仮に噂はデタラメでビーターが実は良い奴だったとシヨウ。そして、その答えを聞いたキミは彼を助けようとするのだろうナ。……で、そのあとハ? 聞いた限りじゃ、まあ穏やかな話でもなさそうだシ、それに出る杭は打たれルっていうしナ。この件は決着の着け方が問題ダ。しかも今後、きっとそういうバカはたくさん出てくるゾ? キミはそのとき、どうする気なんダ?」

 無意識に考えないようにしてきたことをアルゴに指摘される。
 自分でも解っている。いや、解っていないのかもしれないな。自分がこれから行おうとしていること、それは他者から見れば偽善、そして自己満足なのだろう。誰とも知れない者を助けようとしている、しかもその者には良くない噂がある。あの三人のときとは状況が全然違う。あの三人のときは、助けたあとの責任を《傍で見守る》という形でとろうとした。別の言い方をするなら、《あの三人のことだけを考えれば》それで良かった。だが今回はそう簡単じゃない。ビーターに味方すれば、現在ビーターに悪意を抱いている者たちはこちらにもその悪意を向ける可能性がある。俺だけならばまだいいが、問題はルネリーたちにもそれが向けられてしまうかもしれない、ということだ。その上、ビーターが噂通りの人物だったとしたら目も当てられない。限られた空間で、更にそれがまだまだ続くというのに、こんな序盤からして日陰者の烙印を押されてしまうのは如何なものか。

「……解らない、どうしたらいいかなど。……だが、だからといって放置するわけにもいかない」
「ほーウ、それはまたどうしテ?」
「……昨日この村へ来たときに、一人の男性プレイヤーにフロアボス会議の日取りを質問した。そして今日、中央広場で行われた会議のあと、再び会ったそのプレイヤーは《バリーモッド》と名乗った。彼は仲間に《バリ》、もしくは《バリー》と呼ばれているらしい」
「ほむほム、なーるなル。ビーターに何かをしようとしている人物らしい《バリ》って奴が、その《バリーモッド》とかいう奴かもしれないト」
「…………それだけでもないのだが……」
「?」
「そのバリーモッドというプレイヤー……どうやら、ルネリーに気があるらしい」
「…………ハア?」

 つい数時間前のことをアルゴに話した。男の態度、言動に俺でも解るほどのあからさまな彼女への好意を感じたということ。そしてバリモッドは、恐らく今後も接触してくるだろうということ。

「――つまり、キミは自分のオンナを盗られたくナイ、ということダナ。くっくっク」

 何を勘違いしたのか、アルゴは嫌な笑みを浮かべて肩を軽く叩いてくる。

「そういう関係ではない。……が、守りたいと思う仲間だ。企み事をするかもしれないような人間を、彼女たちに近付けさせたくはない」
「まーまー、そういうコトにしておこうカ。……くひ」
「……」

 本当にこのにやけ顔の女に依頼して大丈夫なのだろうかと少し不安になった。
 しかし当のアルゴは、俺の感情に反してやる気を見せ、姿勢を正して胸に手を当てて言ってきた。

「オーケー、いいダロウ……その依頼、この鼠が引き受けタ!」

 そう言った彼女の顔には、何かの決意が透けているような気がした。








 翌日、フロアボス戦の当日。
 俺たちは身支度をしたあと、余裕を持って集合場所である中央広場に向かった。

「やっばいッスぅ。心臓ばっくばく」
「つよいんだよね、ボスって。うーん、どんなんだろっ」
「……気をつけようね? 無理してまで戦うこともないんだから」

 アルゴからの連絡はまだ来ていない。

『――流石に時間も時間ダ。ギリギリになってしまうガ、迷宮区に出発する前にはメッセージで知らせル。…………そのあとの行動は、キミに任せるヨ。助けるも助けないも、キミの自由ダ――――』

 あのあと、アルゴはこの言葉を残して直ぐに店を発った。
 つい今し方、広場に向かうがてら近くの店を覗いてみたら既に《アルゴの攻略本・第三層ボス編》が置いてあった。周りに見えるプレイヤーたちのほぼ全員がそれを目に通している。もしかしたら昨日のあの時点でこちらの準備は終えていたのかもしれない。常に他に先んじなければいけない情報屋というのも、忙しないものだなと思った。







「みんなー! 攻略本は呼んだか!? ボス部屋の前でももう一度説明はするが、各自しっかりと頭に叩き込んでおけよ!」

 九十七人。この場に集まったプレイヤーの総数だ。聞けば、一層のボス戦のときとは倍の人数らしい。そのせいか、大多数に気の緩みが見える。先導しているプレイヤーたちとは意気込みが雲泥の差だ。

「キリュウさん。がんばりましょうね!」
「……ああ、そうだな」

 このような中でもルネリーは元気を振りまいていた。その笑顔に力を貰った気持ちになった俺は、ルネリーに応えてから周りを見渡す。

 ――居た……。

 プレイヤーの密集する広場、隊列を考え、組み直しながら整列している。俺たちの居る列の前方には、件のプレイヤー《バリーモッド》。そしてその更に前方に《ビーター》なる人物。昨日の夜にアルゴに問われたことの答えは見つからない。だが、やはり放っておくことは出来そうにない。ビーターの件は勿論、それに加えルネリーたちのことも気に掛けなければならないだろう。今日は忙しくなりそうだ、と自分に喝を入れる。

 ピピピピピ――。

 そのとき、俺にしか聞こえないように設定したアラームが鳴り、メッセージの着信を告げる。そして時を同じくして、先頭のプレイヤーが声を張り上げた。

「準備は出来てるな!? ――では出発する!!」

 号令の後に動き出すプレイヤーたち。一団となって迷宮区へと向かう姿は、正に壮観だ。こちらを見てくる三人に無言で頷き、俺たちも歩き出した。


 ――様々な思いを胸に、初のボス戦が……始まる。



[34210] 12.ビーター暗殺
Name: ネ申原◆f483f651 ID:4687e9c9
Date: 2012/07/15 23:25
 相手(ボス)の主な攻撃方法は三つ。
 片手用直剣スキル《ホリゾンタル》、《バーチカル》、そして《投剣スキル》。
 だが、ボス自身は全長六メートルを超える巨体だ。故にただのホリゾンタルと言えど半径四メートル近い扇状重範囲攻撃となり、バーチカルは例え避けたとしても地面に叩き付けられた衝撃は半径六メートル以内に居る者を約十秒間もの一時行動不能(スタン)状態とする。

 上記二つのソードスキルを数回繰り返した後、ボスは左腕を首に巻きつけるようにして振り上げる。――そう、かの《アイ●ンのポーズ》のように。しかして、それは《投剣スキル》の合図である。此方もただの投剣と侮る無かれ、その腕を振り払った瞬間に放たれる小刀ほどのそれは正に無数。数えることすら憚られるほどの量だ。イメージとしては、昔の攻城戦などで城壁の上から放たれる矢の雨。ボスから見て扇状四十度前方は何処に居てもその範囲に入っていると思っていいだろう。

 これだけを見るとかなりの強敵のように思える。
 実際、強敵なのだが付け入る隙が無いわけでも無い。

 前述した通り、ボスは相当の巨体、それぞれの動きは鈍重だ。システムアシストがかかるソードスキルを発動するまでの動作がゆっくりな為、次にくる攻撃パターンは解り易い。各技の攻撃力も重装甲+盾装備ならば難なく耐えられるだろう。しかしバーチカル――上空からの振り下ろし攻撃だけはまともに受けるのは推奨しない。他の技に比べてもプレモーションが遅いので、範囲内から離れるのが最善だろう。

 以上三つの攻撃パターンに関する細かな点、発動までの時間などは別項目《ボスの行動一覧》を参照。

 ボスのHPバーは全部で五本。三本目までは、ボスの攻撃を壁部隊(タンク)が耐えて、支援部隊(サポート)が隙を広げ、攻撃部隊(アタッカー)がHPを削るというテンプレート戦法で対応可能。しかし、そのHPバーが残り二本となる瞬間、ボスはその動きを止める。硬化して防御力は増しているが、二分間の無防備状態は総攻撃の好機。だがここで功を焦って深入りをし過ぎると、もれなく《確実な死(ゲームオーバー)》が待っている。時間が経つにつれ膨張するボスの体は二分後、体の至る所からガスを噴出する。勿論、毒ガスである。視界が利かなくなるほどの高濃度の毒ガスを広範囲に撒き散らし、毒ガス内はレベル1の継続ダメージ毒効果を及ぼす。ただしガス内に居ると解毒ポーションを飲んでも無意味なので注意。更にガス内ではボスが無差別攻撃を絶え間無く行っている。つまり、一度ガス内に取り残されると脱出は困難。高確率で死に至ると思っていい。しかし引き時を間違えなければ、そうそう危険に陥ることも無いボスでもある。

 毒ガス広範囲散布についての詳細、消えるまでの時間などは別項目《ボスの行動一覧》を参照。

 ――以上、【大丈夫。アルゴの攻略本だよ。】の表紙が目印、《アルゴの攻略本・第三層ボス編》から抽出。尚、情報はSAOベータテスト時のものです。現行版では変更されている可能性がありますので注意されるべし。







「――という展開になると予想される! いいな、各自号令係の合図はしっかりと守るように!」

 ペクタを出発し第三層迷宮区に到着した俺たちは、その後も特に問題無く最上階のボス部屋の扉の前まで辿り着いた。
 第三層の迷宮区は、巨大な樹木が立ち並ぶ三層の中でも一際巨大な……いや、巨大という形容詞すら生温いほど壮大ともいうべき大木の形状をしている。一層二層のような迷宮区をなしている巨塔が、そのまま木の形になったような出で立ちだ。家が数軒すっぽりと入るほどの幅を持つ太い太い幹が四層のプレート底辺まで伸び、見上げれば山頂を覆う雲のように緑色の広大な傘が掛かっている。
 それを見て、誰かが言った。

「まるで世界樹だ」と。

 その言葉の元が何かは解らなかったが、何故か違和感無くすんなりとはまった気がした。
 大樹の根元の入口から中に入ると、迷宮内は複雑に入り組んだ空洞となっていた。一層二層の通路のような床と壁、天井がはっきりとした四角形の筒状になっている構造ではなく、円筒状の通路となっている。円筒状故、中央が凹み端は傾斜になっている床の構造なので、大勢が列になって進むと、端の方の者は歩きにくい。
 だが流石と言うべきか、例え迷宮区の、他より強力なモンスターが現れたとしても、九十七というプレイヤーたちの物量攻撃によりすぐさま殲滅される。HPが削られても即交替出来る。同じ目的を持ち行動する大勢のプレイヤーに、改めて《数》の凄さを感じさせられた。
 隊列の中心よりも少し後ろに位置する俺たち四人は、一度も戦う事無く、ただ人の流れに身を任せて歩くだけだった。

「――文末に書かれている通り、このボスの情報は絶対ではない! 常に全員、即座に撤退出来るよう心構えだけはしておくように! 攻略も大事だが、一人として犠牲を出させない、それが一番重要だと心に刻んでくれ!」

 鎧を纏ったプレイヤーたちがつくる壁で、先頭で叫ぶ人物の顔は見えないが、その声はここまでよく届いていた。
 現在は、ボスの部屋と思わしき大きな両開きの扉の前、九十人以上がやっと入るくらいの拓けた場所で、休憩を兼ねた最後の作戦会議を行っていた。作戦は、アルゴの攻略本・第三層ボス編の内容が中心だった。この場所まで来る途中で、戦った者もそうでない者も、全員がそれに目を通している。故に、全員が成すべきことは解っていた。
 それほどまでにアルゴの攻略本は微に入り細にわたった。
 ボスの大まかな行動の種類、各行動の初動とそれに対する此方の行動、更には何処にベータ版と正式版の差異が起こりうるかの考察も書かれていた。いつ何時それが来るかもしれい、ということを頭に入れておけば、咄嗟の状況に対して少しでも早く動きだすことが出来るというものだ。

「――各部隊、二~三パーティずつのローテーションでボスに攻撃を与える! 壁部隊だけは、攻撃部隊と支援部隊の二つを対応して貰うので、少し忙しくなるかもしれないが、よろしく頼む!」

 腕の太さほどの長い長い幾千幾万もの枝々が重なり合って出来ているような床と壁、そして扉。二木の部屋にあった大きなパソコンの後ろから伸びているいくつものケーブルが纏まっているのを思い出す。大きさも量も比較にならないが、太く織り重なったケーブルの上を歩いてるような感覚だ。
 全てが木製、というより木そのものだからか、一層や二層の迷宮区のような燃え盛る松明は無い。その代わり、其処彼処に微かに輝く苔のようなものがあった。決して明るいとは言えないが、それでも不自由しない程度の明るさはあった。

「ボスの攻撃を壁部隊が凌いだら直ぐに攻撃部隊、支援部隊とスイッチ! 次の動作が始まるまでの硬直(ラグ)に、スイッチを重ねて思いっきり攻撃を叩きこめ! 支援部隊は少しでも長く攻撃時間を稼ぐために、行動遅延(ディレイ)系や系の援護攻撃をしてくれ! だが、号令には従えよ!? 長く攻撃をし過ぎてもボスの憎悪値(ヘイト)を取ってしまうことになるからな! 壁部隊はスイッチと同時にヘイトスキルを使用、ボスのタゲを他へ漏らすな!」

 先頭にいる数人が、ボス戦での注意事項を叫んでいる。
 流石にこの場面で私語を話す輩は居ないようだ。
 ルネリーたち三人も、真剣な顔でそれを聞いていた。

 しかし、俺はと言うと――

『……と、結論から言えばバリーモッド、彼は《黒》ダ。確かにビーター……今回の場合ならば《黒コートの少年プレイヤー》に対しテ、何らかの行動を起こすことを友人との酒の席で何度も言っていたらシイ。そして、彼……バリーモッドに関して言えば、行動を起こすちゃんとした動機もあるにはアル。だがそれは八つ当たり、もっと言えば被害妄想に近い理由によるものダ。《ビーター》というのはネ、ひとりを指す言葉ではなく、本当はベータテスト経験者であり、更にMMO系ネットゲームというものに深くハマっている者、つまりは《ベータ時の情報を効率良く扱う知識を持ったプレイヤー》のことダ。当然、ただ単にベータ経験者だったのとかSAO初心者よりも利を得ることに優れてイル。そして、それゆえに一般プレイヤーたちから嫉妬その他を受け易イ。…………今現在、顔が割れているビーターは少ナイ。だから、確実にビーターだと判明しているプレイヤーにその全てが向けられるんダ。……そう、あの黒コートの少年に、ネ』

 ルネリーたちの後ろで、ボス戦の注意事項に耳を傾けつつ、アルゴから送られてきたメッセージを確認する。どうやら、予想は嫌な方が当たったらしい。これで俺は決断を迫られることになった。ビーターを助けるために行動するのか、それとも自分には関係ないと放置するのかを。

 ――しかし、何処かアルゴの書き方は、ビーター寄りな意見に感じるな……。

 少なくとも、中立には見えない。
 ビーターという利己的な人物、そのビーターに危害を加えようとする人物、他人に迷惑をかけるという意味なら、確かに後者なのだろうが。
 優柔不断と知りつつ迷う俺。

「…………」

 だが、メッセージの後半を読み進むことで、俺の心は決まった。

「――では、ボス部屋に入る! 壁部隊から順に入ってくれ! 入ってすぐにボスの攻撃を受ける訳じゃないから、みんな焦らずに進んでくれ!」

 一層強い声が、その場に響いた。
 今からは俺にとって、二つの意味で厳しい戦いとなるだろう。

「キリュウさん、行きましょうっ」
「やってやるッスよー!」
「全力で、みんなを援護します」

 俺を振り向いて声をかけてくる三人。

 ――守りたい。

 否。

 ――絶対に、守る……!

 三人に応え、俺は右手に持った槍を強く握りしめた。

「…………行くぞ」




   ◆




 ――ズンッ……ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。

 いくつもの鉄製ヘルメット越しに、あたしはボスの部屋に通じる大きな扉が開くのを見た。
 開いた扉の向こうは暗くて見えない。ごくり、と唾を飲み込む音が近くから聞こえた気がした。

「ゴーゴー! 進め進め!」
「行くぞーお前らぁ!」
「ぱらりらぱらりら~!!」

 プレイヤーたちが前から順に扉の向こうになだれ込む。
 あたしたちも、人の流れに飲まれないように、しっかりと地に足を付けて進み出した。
 扉を(くぐ)ると、突如、真っ暗だった中に光の線がいくつも生まれた。
 その光が照らし出したのは、先ほどまで会議をしていた場所の数倍は広いドーム状の空間。
 蔦が絡まり合ったような壁には、いつの間に出来たのか、等間隔に幾つもの穴が開いていた。まるで、蔦を避けて出来た窓のように外から光が入りこんでいるみたいだった。
 光は、ドームの側面にある無数の窓から中心に向けて集束していた。
 だんだんとドーム内部の暗闇も晴れてくる。

「みんな、まだ近づくなよ。索敵にはかからないが……見えるだろう? 《アレ》がボスだ……!」

 光と、プレイヤーたちの視線の集まる先、そこには、一本の木があった。
 その木は、落雷に当たってしまったかのように、太い幹の上半分が無かった。刃物を使ったわけでもなく、鈍器を使ったわけでもなく、ただ有り得ないほどの膂力を以って引き千切られた、という印象。

「…………」

 あの木が、この第三層のフロアボスだという。
 森で遭遇した《トレント・サプリング》というモンスターと同じように、ただの木に扮している間は索敵スキルにかからないそうだ。


 バキ……バキバキ――。


「!?」

 全部隊がボスの部屋に入った瞬間、目の前の木が軋みだした。


 バキバキ、バキバキバキバキ……ッ


 木板を連続して割るような音がドーム内に響き渡り――――そして、それは現れる。

「ボスが動き出すぞー! 壁部隊は前に、前に出ろ――ッ!!」

 地面が盛り上がり、と地中からボコッと腕が出てくる。

 ――腕……じゃない!? 根っこ? 手の形をした根っこ、なの……!?

 腕だけじゃない。地面からぼこりぼこりと出てきた体、足、その全てが大小の根が何重編みにもなって作られていた。まるで理科室で見た人体模型の筋肉繊維まる見えの体だ。
 そして、最初から見えていた幹の部分が顔の位置にあった。
 言うなれば、顔だけ残して地面に埋まっていた人が、ごそごそと這い出て来る。そんな感じ。


 バキ……バキビキビキバキャアアッ――――!!


 最後に、ボスの顔と思われる幹の部分、その表面が、上下に裂けた。
 それは、ハロウィンのカボチャのような、ギザギザの(くち)に見えた。


「ゥゥゥ…………ボォオオオオオオオ!!」


 空(から)のペットボトルの飲み口を横から吹くと鳴るような、しかしそれとは桁違いのお腹に響く重低音を、その裂けて出来た空洞(くち)から噴き出すボス。

「……あ」

 目の前の光景に見入っていたあたしは、いつの間にかボスの頭上に生まれたカーソルに気付いた。
 既にアルゴさんの攻略本で確認していたのに、いざ名前を見た時、あたしは思わず息を呑んでしまった。

 荒れ狂う古樹の精《Riot The Ancient Treant》。

 焦げたツンツン頭が特徴的な、根っこで出来た身体を持つ巨人が、そこに居た。

「おっ、きぃー……」

 意図せずに出るその言葉。誰もがきっと、目の前の木の巨人を見て、同じ事を考えたと思う。
 アルゴさんの情報通りならば、ボスの身長は六メートル以上だという。
 一般的に背が高いと言われる人間の、更に三倍以上の高さ。
 身長が三倍だと、縦も横も三倍になるから、三×三×三で、二十七倍の体積となるって聞いたことがある。

 つまりは――――

「壁っ、壁ェ!! 早く前出てくれ! 他の奴は下がれぇ――っ!」
「来る、来るって! ちょ、早く早くぅ!」
「うわああああ!!」

 圧倒的とも言える質量を持つ攻撃が、あたしたちを襲った。







 最初、古樹の巨人は右腕を前に出した。
 地面に水平に伸ばした右腕の先端、太い根がてのひらを模している所に、変化が現れる。
 腕の先端の何本もの根が、今度は地面と垂直に伸びていく。
 伸びて、伸びて、重なって、先端が纏まって、尖る。

 ――剣……?

 鋭い刃は無い。どちらかと言えば棍棒に近いと思う。
 だけど巨人のそのシルエットは、《剣を握った人》に見えた。
 そして、みしみし、と根の身体を軋ませ、巨人はゆっくりと剣を振りかぶる。

 ――あ、見たことある。

 ううん。見たどころか、つい最近、自分も使った。
 右足と右肩を前に出して剣を左後ろへ振りかぶるあの初動作(プレモーション)は――

「――重範囲攻撃(ホリゾンタル)、来るぞー!! おいそこの盾無し! もっと下がれよっ!!」
「ボスの後ろ側に回れー! まだ間に合うから!」

 叫びと共に、プレイヤーたちの流れに押される。

「キャッ!?」
「うおーッス!?」
「レイア! チマ!」
「……ボスの動きよりも、俺たちは味方側の動きを意識していた方が良いようだな」
「あ……キリュウさん!」

 まるで満員電車で急ブレーキがかかったときのような人波に、レイアとチマが流されそうになったけど、すかさずキリュウさんが防波堤になってくれた。
 キリュウさんの言うとおり、確かにこんなプレイヤーの人たちに囲まれた状況だったら、ボスの一挙手一投足よりも身近のプレイヤーたちの動きを見ていた方が良いかもしれない。急に押されるのは危ないしね。

「支援部隊はボスの側面に移動します! 最初の攻撃を凌いだら最前列のPTから攻撃を開始して下さい! 威力よりも硬直の少ない単発系でスイッチを重ねます! 僕が合図しますんで攻撃後は左右に下がって後続とスイッチして下さい!」

 号令役の《ポスキム》さんが、支援部隊全員に向けて叫んだ。
 壁部隊の後ろを移動しつつ、ボスのホリゾンタルの範囲外まで逃げる。あたしは普段から歩くのが速いほうだから、団体移動特有の遅々とした歩みに内心じれったい思いをした。
 そして、ちょうどあたしたちが目的の場所に移動した瞬間、ボスは動いた。

「ボッ、ボッ……ボォオオオオオオオ!!」

 水色に発光した人の胴よりも太い丸太のような剣。キラキラとその光を軌跡に残し、巨人はそれを思い切り水平に薙ぐ。
 直後、大気をうねらして、一列に並べられたヒーターシールドの壁にそれはぶつかった。

「うごっ、お、押されるー!」「効っくぅ~~っ」「叫ぶな! 号令が聞こえねえっつの!」

 ガンガンガン、と盾を弾く音が連続で響き渡り、当たった場所に火花を散らしたようなライトエフェクトをばら撒きながら巨人は剣を振り切った。

「――今だあああ!! 壁役(タンク)攻撃役(アタッカー)支援役(サポート)とスイッチ! どんどん攻撃しろー!!」

 相手(ボス)がソードスキルを放ち終わり、技後硬直に陥った瞬間、先頭に立つプレイヤーの一人が怒号した。

攻撃(アタ――ック)! 攻撃(アタック)! 攻撃(アタック)!!」
「出来るだけタイミングは揃えろよ! ブレイク狙ってけ!!」
壁部隊(タンク)! 《ヘイトスキル》頼む!」
「スイッチ! 次の列、準備ィ! ……行くぞ、スイッチ!」

 そして爆発するプレイヤー。
 連続で放たれるソードスキルの、そしてそれがヒットしたときの幾つものライトエフェクトで視界が埋まりそうになる。

「《ウオオオオ!!》」
「《コッチだあああ!!》」
「《実は壁イヤだったんだあああ!!》」

 壁部隊の方から独特なエコーのかかった叫び声が上がった。
 あれは、あたしも持っている《威嚇スキル》により、相手のヘイトを上昇させ、攻撃部隊や支援部隊にボスがターゲットしないようにしているのだ。
 あたしも最近覚えたんだけど、盾職にも色々あって、全身重装甲でモンスターの攻撃を受け切るタイプと、あたしみたいに比較的軽装備で、フットワークを活かしてモンスターの攻撃を逸らす、受け流すというタイプなどがいる。1パーティーだったらどちらのタイプでも壁の役割をすることが出来るけど、大規模戦闘(レイド)みたいな大多数を守る戦いの場合は、やはり前者――攻撃を受け切るタイプの盾役の方が後ろのいるプレイヤーたちからすれば頼もしい。

 ――でも、今、最前線でボスの攻撃を受けている壁役の人達はどう思ってるんだろう?

 あの人たちは、初めから自分が一番危険な場所に飛び込もうと考えて盾を持ったのだろうか?
 たぶんだけど、望んで壁役になった人は少ないんじゃないかなと思う。
 第一層が攻略された時点で、約二千人のプレイヤーがSAOの仮想世界から消えた。
 更にもうすぐ二ヶ月が経つというのに外からの連絡は全く無い。
 つまりは茅場明彦って人が言っていたこと――《デスゲームは本当だということ》を、あたしたち全員がようやく認識してきた頃だと思う。
 誰だって死にたくない。この世界で死ねば本当に死ぬかどうかは、正直まだほとんどの人が実感が湧いていないと思うけど、それを試そうとすると思う人もいないと思う。
 だったら、この危険極まりない世界で少しでも安全を得ようと考えて、重く堅い鎧を身に着け、盾を持った人は多いんじゃないだろうか。先日会ったバートさんもそうだったけど、初心者やプレイヤースキルに自信のない人は特に。

 ……だけど、レベルが上がれば上がるほど、先に進めば進むほど、彼らはその防御力を見込まれて壁役という最もモンスターの攻撃に晒されるポジションを任されることも増えると思う。
 最も命が脅かされる危険地帯に立たなきゃいけない状況が増える。――これから先、きっと。

 誰よりも堅い鎧に身を包み、誰よりもHPが減り難いからこそ、誰よりも危険な場所にいなきゃならない。己の命を懸けて仲間を守らなくちゃいけない。

 ――それが、壁役。……あたしの目指す役割。

 早く、どんな状況でもみんなを守れるような壁役になりたい。あの立ち位置は、敵の真正面だからすごく怖そうだけど、でもそれを乗り越えられたならきっと……。

「スイッチ! はい、次のパーティーは準備して下さい!」
「――っ!」

 すぐ近くで聞こえたポスキムさんの号令。いけない、別の場所を眺めてる場合じゃなかった。

「スイッチ! はい、次!」

 声と、ボスのシルエットがだんだんと近づいて来る。
 あたしたちは今、二パーティーずつ横に並んで、ボスに向かって列を作っていた。まるで体育祭のレースで自分がスタートするのを待ってるような状況。でも、緊張感はその数倍じゃきかない。スイッチという掛け声が上がるたびに、自分があの強大なボスに攻撃する順番が迫ってくるのだ。

行動遅延(ディレイ)っていうと、わたしの場合は《スタッブ・チャージ》とかッスかね」
「鞭系は結構その手のソードスキルは多いけど……」
「……済まないが、俺は通常攻撃のみにさせて貰う。その代わり、ボスの動きは見ておく。お前たちは攻撃を当てることだけに集中していろ」
「はいっ、了解です!」

 支援部隊のあたしたちは、ボスの左脇から行動阻害系スキルで、攻撃部隊の為の隙を広げる。
 あたしは片手用直剣スキルを使ってるから……うん、アレにしよう。

「スイッチ!」

 その声と同時に、前にいたプレイヤーの人たちが居なくなった。
 次が、あたしたちの番だ。
 ほんの数メートル先では、ボスの巨体を取り囲んだプレイヤーたちが色とりどりのソードスキルを放っていた。
 横に立つポスキムさんが、ボスと、現在攻撃をしているパーティーを睨んで交代のタイミングを見計らっている。
 そして、ポスキムさんが片手を上げた。

「次、行きます! ……今っ、スイッ――」
「待て! ソードスキル……《バーチカル》来るぞー! 正面の奴は退避しろー!」

 別の声が割って入り、攻撃は一時中断。ボスの垂直振下技(バーチカル)は強力で、重装甲の壁部隊でも防御はキツイ。しかも攻撃着弾地点から半径六メートルは、地面叩きつけの衝撃で約十秒間の行動不能状態となる。ジャンピング回避とかは出来るみたいだけど、流石にそんなことをしようとする猛者は居ない、と思う。

「下がれ下がれー!!」

 ボスがゆっくりと丸太のような剣を頭上に掲げ、ギシギシとその身を唸らせた後、光を帯びたそれを、思いっきり振り下ろした。


「――――ッ!!!?」


 同時、範囲外にいるあたしたちですら身を竦めてしまうほどの衝撃が走った。
 プレイヤーには当たらなかったみたいだけど、六メートルの巨体が繰り出す強烈な振り下ろし攻撃に、特殊効果とは関係なく体が硬直してしまいそうになる。
 特に、今のあたしたちは部隊の誰よりも前にいる、ボスの巨体の近くにいるのだ。

 想像してみてほしい。目の前で、自分の体よりも数倍大きい生き物が動いているというそれだけで足がすくみそうになるのに、更にその生き物に攻撃を加えるという。
 この《ソードアート・オンラインの仮想世界》に来てからというもの、現実とかけ離れた出来事ばかりだったけど、古樹の巨人(アレ)はまさに規格外だ。現実の常識で考えれば、あたしたちが勝てる可能性なんてほとんどない。

 ――でも、ここは現実じゃない。

 まるで魔法の言葉だ。それだけで、自分はいつもとは違う力を出せる。
 それはモンスターに立ち向かう勇気だったり、未知の恐怖を克服する意思だったり。なんていうか、強気になれるって言えばいいのかな。
 だから……。

「今度こそ行きます! ――スイッチ!!」

 その掛け声を合図に、あたしたち四人は一斉にボスへ駆けだした。

「せああああ!!」
「……はいっ!!」

 チマは、ショルダータックルみたいな格好で剣を地面と水平に構えて突き刺すような突進をボスの腰に向けて繰り出した。
 その後ろにいるレイアは赤い鞭を真横に振り、払うような一閃をボスの右肩目掛けて放つ。

「やああああ!!」

 チマの横を駆けるあたしは、体の前に構えた剣を、腕を返して穂先を下に向け、内側にねじった腕を上げながら後ろに引く。そのまま左足を軸に一回転し、斜め下からバックハンドで振り上げる剣撃、片手用直剣行動阻害系重単発技《ムーブ・ワイプ》で相手の硬直時間を延ばす。

「……っ!!」

 そして、キリュウさんがあたしたちの攻撃の隙間を埋める様に、細かい突きを連続して出していた。
 この時あたしが考えていたのは、ただただ、攻撃しなきゃ、ということのみ。待っている間は色々なことを考えていたけど、いざ攻撃をするときになると、それだけだった。

「……硬直が解けたら左側に後退だ。合図を聞き洩らすな」

 キリュウさんがあたしたちに注意を促してくる。
 攻撃を当てて後方に戻るまでは気を抜くのは危険。解ってはいたけど、ちゃんと攻撃を当てることが出来てほっとしそうになるのをなんとか踏み止まる。

「次、行きますよー! スイッチ!!」

 ポスキムさんの合図が聞こえた。ちょうどソードスキルの技後硬直が解けたときだった。

「下がるぞ……!」

 キリュウさんの言葉に押されてあたしたちは左に、そして隣に居た別のパーティーは右に別れて後退する。後退と共にあたしたちの代わりに後ろに居たプレイヤーたちが前に詰めた。
 こうして、あたしたちのフロアボスへの《最初の一撃(ファースト・アタック)》は、無事に終わった。
 ボスのHPバーの残りは、四本と半分ちょっと。
 まだまだ、戦いは始まったばかりだった。




   ◆




『ビー、ター……? 聞かない用語だな、どんな意味なんだそりゃ?』

 俺がその単語を聞いたのは、第一層攻略から一日後の事だった。
 はじまりの街で仲間を見つけ、ゆっくりと安全にレベル上げをしていた俺は、ステータスが心許なくて行かなかったフロアボス戦に参加した知り合いから話を聞いていた。

『ああ、なんでも、ベータテスターにしてMMOのコアゲーマーのこと、らしいぜ?』
『……は、ぁ?』

 ドキッとした。何の冗談だ、と現実逃避しそうになる。

『とは言っても、今、顔が解ってるビーターは中学生くらいの少年プレイヤーだけらしいけどな』
『……なんで、そいつはビーターなんて呼ばれ始めたんだ……?』
『あー、それはなー……』

 知り合いの話によると、ボス戦終盤にボスが、事前情報には無かったスキル――《カタナのソードスキル》を使い始め、その混乱でレイドのリーダーが死亡した。そのとき、一人だけ未知数のソードスキルの軌道を正確に読み、崩れた戦線を立て直したというのが件のプレイヤーらしい。戦いのあと、何でレイドのリーダーを見殺しにしたのか、なんで誰も知らなかったソードスキルを知っていたのかとレイドメンバーに追及され、そのプレイヤーがベータテスト経験者と判明した。
 だが、ベータ時のボスの情報が書いてあったはずのアルゴの攻略本にも無かったスキルなのに、いくらベータテスターだからって持っている情報は同じのはずだ、なんで彼はそのスキルを知っていたのか、と混乱するレイドメンバーに対して、そのプレイヤーは言ったという。

『俺はベータテスト中に、他の誰も到達できなかった層まで登った。ボスのカタナスキルを知ってたのは、ずっと上の層でカタナを使うMobと散々戦ったからだ。他にも色々知ってるぜ、アルゴなんか問題にならないくらいな』

 そして、告げた。

『俺はビーターだ』と。








『あの一層ボス戦参加者は、だいたいみんな思ったんじゃね? ――マジかよ、ズリぃな。って』

 初心者の知らないクローズドベータテストの情報を知り、その恩恵を他者を押し退けて受ける者。
 それが《ビーター》。

『……そ、そういう奴って、ムカつく、よな……』

 知り合いに悟られないように軽い口調でそう言ったが、俺は今すぐそいつをなんとかしてやりたいという思いを抱いていた。

『ん? まー、ムカつくって言えばムカつくよな。アルゴって奴の攻略本とか、めっちゃ助かってるけどさ、でも情報の全てが書いてあるってわけじゃないだろうし。俺らの知らない情報とか、ひとり占めしてる可能性もなくはない。自己中なベータテスターなら尚更だろうな。MMOはリソースの奪い合いってのは解ってるけどさ、こんな状況なんだから、みんなで持ってる情報を共有させればいいのにな』

 懼れていたことが現実になりそうになっている。

 ――マズイ、マズイ、マズイマズイマズイ……!

 このままじゃ、俺は居場所を失う。そいつのせいで、今まで必死にやってきたことが崩れ去る。
 それは、イヤだ。
 どうする、どうすればいい?

 ――《そいつ》さえ、居なくなれば……!

『そのビーターってさ、どんな奴なんだ?』

 俺はそいつの情報を集めた。知り合いに訊いたり、ボス戦に参加した他のプレイヤーに訊いた。そして、第二層のフロアボス戦で初めてそいつを見た。
 そいつは、まだ幼さすら残る少年だった。

 ――こんなガキが、そうだってのか……!?

 俺の今までの苦労が、こんなガキひとりのために無に帰す。それだけでもブチ切れそうだったが、もうひとつの要素が、そいつを殺したいという俺の思いに拍車をかけた。


『お、女連れ……だとぉ!?』


 しかも、フードからちらりと見えたその顔は、超が付くほどの美少女だった。

 ――おい、待て。

 俺ですら、今年二十一になる俺ですらカノジョなんて持ったことすらねぇってのに。

 ――待て、待てって。

 お前も同じなんだろ? 俺と同じで暇があったらネトゲしてる廃人だろ? ビーターって言われるぐらいなんだからよ!?
 これでも仲間内では一番まともな容姿だと思うし! 筋肉質ってわけじゃないけど太ってないし! ヒゲ剃ってるし!

 ――なんでお前の傍にそんな可愛い娘が居るんだよ!? おかしいだろ! 

《ビーター》は、嫌われる存在。そうでなくてはならない。
 だから俺は行動した。ビーターを、《そいつ個人の呼称》とするために。
 ビーターという名称と、そいつの容姿を同時に噂にして流す。更にビーターの悪い噂も流す。
《ビーターといえばそいつ》と誰もが思い、《ビーターは忌むべき者》という認識をプレイヤーたちに広めるようにするのだ。

 その上で、もうひとつ。俺はノリの軽いプレイヤーたちを探した。
 俺と同じ思いを抱き、真剣にビーターを殺そうとするプレイヤーは稀だろう。
 だが、まだ多いはずだ。この仮想世界を、まだ遊び(ゲーム)と同じノリでプレイしている者たちは……。
 そいつらに面白可笑しく話し、ひとつの《イベント》と思わせる。皆の悪であるビーターを倒すというイベント、とな。

 そして準備は整った。今回のボスは、どさくさに紛れて行動を起こすにはちょうど良い。
 協力者も揃った。実際にビーターに何かをするのは俺だと言えば、軽い奴はたいてい協力してくれる。自分ではなく、他人(おれ)が行動することで責任の意識は薄れ、反してイベントへの興味が強くなるからだと思う。

 ――それに、最近の俺はツイている!

 ちょっと年下だけど、すっごく可愛い女の子たちに声かけられたし。
 驚いてその場は別れちまったけど、次の日にまた会えたしっ。
 フレンド登録は出来なかったけど自己紹介したし!

 ――なんか変なのも付いてやがったけど……。

 金髪ツインテールの元気っ娘。銀髪ストレートロングヘアの清楚っ娘。茶髪セミロングの「~ッス」っ娘。
 いいね。いいよね。でも俺としては特に金髪ツインテの娘がツボだよね!
 アニメじゃない現実顔(リアルフェイス)であそこまで金髪ツインテが似合う娘も珍しい。
 金髪ツインテ=ツンデレは王道だけど…………元気っ娘も、良いよね!

 ――俺、第三層ボス戦が無事に終わったら、もう一度あの娘に……ルネリーちゃんに会いに行くんだ……!

 そしてそのためにも、目的をは達成しなければ。邪魔者を排除しなければいけない。

「みんなー、もうそろそろだ! もうすぐ、《アレ》が来るぞォ――!!」

 俺は攻撃部隊に配属されている。勿論そうなるように仕組んだ。
 そして、あのビーターも今回は攻撃部隊に配属されているようだ。プレイヤーたちの除け者であるビーターの癖にどうして花形の攻撃部隊に、とは思うが今回は別に良い。
 確認出来る位置に居てくれさえいれば、それで良い。

「ボスのHPバーが二本を切る……! 硬直入るぞー! 全員、一斉攻撃(フルアタック)の準備ィ――!!」

 もうすぐ、ボス――エンシェント・トレントの五本あったHPバーが二本を切る。そうするとボスは全 身を硬化させて動きを止める、全方向広範囲毒ガス散布の準備に入るのだ。

「ボオオオオオォォ…………ォォォ」

 片膝を着いて頭を抱えるような格好をする古樹の巨人。
 それが、合図だった。


「いまだぁ――――ッ!! 一斉攻撃(フルアタ――ック)!!!!」


「攻撃部隊、ボスを囲めぇ――!!」
「うおおおお!!」
「やったれー!!」
「ガンホー! ガンホー! ガンフォ――ウッ!!」
「スイッチ! スイッチ! スイッチぃ!! 止まるな止まるなぁ!!」

 先ほどまでとは違い、ボスの動きを気にせずに全方位から攻撃が出来るので、攻撃部隊が中心となって全員でボスを囲い、各々、使用可能な全ソードスキルが冷却(クーリング)タイムに入るまで攻撃を叩きこむ。与えたダメージ量によって戦闘終了後の獲得経験値も変わってくるので、攻撃部隊はもとより支援部隊や壁部隊まで狂うように攻撃に参加していた。
 ……しかし、俺はというと、人ごみに紛れながらも攻撃には参加せず、じっとタイミングを窺っていた。

 ――この時こそ、俺が求めていた好機……!

 目当てのアイツは案の定、ボスの近くに陣取ってソードスキルを放っている。
 今、この時だけは、この場に居る全てのプレイヤーはボスに気を取られていた。
 それもそのはず、第四層への門を守護するこのボスを倒すのが今回のレイドの目的だ。
 誰も、それ以外の目的があってこの戦いに参加したなんて思わないだろう。

 …………俺(と協力者)、以外はな!

「ボスの体が膨らみ始めた……! 毒ガスまでもう少しだ! 全員、ドームの壁際まで退く準備をしておけ!!」

 少し後、そんな大声が聞こえた。
 プレイヤーたちは少しでも多く攻撃を当てようと躍起になっている。
 これだ。この混沌を待っていた。
 俺は大剣を両手で握りしめ、ボスに――――アイツに近づく。

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 人ゴミを掻き分け、前に、前に。
 すぐに黒コートを纏った少年プレイヤーの後ろ姿が、俺の間合いに入った。
 憎たらしいことに、隣には栗色の髪の美少女も居る。

 ――だが、これでお前も終わりだよ……!

 あとは簡単だ。毒ガスの範囲から逃げる直前に、背後から奴の片足にソードスキルで切りつけ、部位欠損を起こす。俺の両手剣なら、ボスドロだという黒コートに守られていない足なんて問題なく斬り落とせるだろうし、背後からの奇襲という優位もある。そして拙速な退避が求められる場面で、片足が部位欠損状態ならば確実に逃げそびれるだろう。つまりは毒ガス内に取り残される。視界の効かない広範囲のガス、しかもガス内ではボスの無差別な攻撃があるという。

 ――待っているのは確実な…………《死》だ。

 こんなプレイヤーの多い場所でPK(プレイヤーキル)を試みるなんて、普通は誰も思わないだろう。それもそのはず、圏外でプレイヤーに攻撃を仕掛ければ頭上のカーソルは犯罪者(オレンジ)カラーになる。緑色カーソルの中に、ひとりオレンジカーソルは目立つだろう。そうなったら言い訳は出来ない。

 ――だけど、例外もあるにはある。

 作成者である茅場晶彦にどんな思惑があるのかは知らないが、この《ソードアート・オンライン》のゲームシステムには幾つかの抜け道、《穴》がある。
 まるでPKや犯罪を助長しているかのように。
 その《穴》のひとつを、俺はある人(・・・)に教えてもらった。

 通常、混戦で味方に武器が当たってしまったとしても、それは《偶発ヒット》として障害物接触と同様の扱いになる。ダメージは受けないし、攻撃してしまったプレイヤーも犯罪者(オレンジ)にはならない。
 しかし、これには条件がある。まず、双方はパーティーまたはレイドパーティーを組まなくてはいけないし、且つ攻撃者のターゲットカーソルが別の対象に向けられている必要がある。

 普通にビーターをターゲッティングして攻撃すればダメージは与えられるが、いくらレイドパーティーを組んでいても故意と認識される。故にこれは駄目だ。

 ターゲットカーソルをボスに向け、なんとかビーターをソードスキルの軌道上に捉えても、レイドパーティーを組んでいるから偶発ヒットと認識されてダメージは与えられず、攻撃をした者も受けた者も全行動がキャンセルされて動きが急停止してしまう。部位欠損もさせられないから毒ガス内に取り残せるかも微妙だ。というか俺も危険に晒される可能性があるから、これも却下だ。

 普通に考えれば無理。
 だが、普通にプレイしているだけじゃ気付かない方法ってのがある。

 一匹のモンスターに対して複数人で戦う際、パーティーを組んでないという場合はまず無い。パーティーも組まずにソロプレイヤー同士で《同じ一匹のモブ》に攻撃を加えるなんてことは、他のMMOならともかく、SAOではほぼありえない。
 パーティーの場合も同じだ。複数のパーティーでたった一匹を狩る、例えばフィールドボスなんかだろうか。この場合もよほどのことがない限り、各パーティーで勝手に戦うということはない。レイドを組んで当たるのが普通だろう。
 殲滅(スローター)
系クエのモブの取り合いにしても、最初のタゲをとった早い者順といった感じで、まったく同じモンスターに他人が割り込んで攻撃を仕掛けてくるなんてことは無い。
 要はマナーの問題だ。顔の出るSAOでそんな非マナー行為をする奴は非常に稀と言っていい。

 ――だから、気付かない。

 ここに、《システムの穴》があるということに。

 プレイヤーにダメージを与え、且つ自分は犯罪者(オレンジ)にならない方法。
 それは、《別の対象をターゲットしているのに、パーティーも組んでいない関係無いプレイヤーに攻撃を当ててしまった場合》だ。

 このSAOのゲームシステムというのは、中途半端に現実に似せて造られている。
 例えば、圏外で転んでしまっただけでも少量だがダメージを食らう。受け身を取ることでダメージはゼロになるが。
 上記の方法は、恐らくそういった《不慮の事故》と同じようにシステムに認識されるのだろう。ダメージは受ける、しかしターゲットにはなっていなかったので故意ではない、と。
 ベータ時でも結構な数のPK方法が考えられてきたらしいけど、これもそのひとつなのかもしれない。

「やばいな……。これ以上は危険だ! 後列からドーム壁際まで順に下がれ!」

 この時にはもう、ボスは最初の三倍近くにまで膨張していた。根で作られている体が膨らみ、内側から押されるように全体に細かい亀裂が出来あがっている。

「……スナ、もうすぐ俺たちも後退しよう!」
「ええ、わかったわ!」

 ビーターが最後に一撃入れようとソードスキルのモーションに入った。

 ――今だ……っ!!

 あらかじめ協力者であるパーティーメンバーに言って、俺はレイドからもパーティーからも抜けている。この場で唯一人の何にも属していないプレイヤーになったのだ。
 この状態で、ターゲットカーソルを不細工に膨れたボスの巨体へと固定する。
 あとは、ビーターの足が巧く攻撃軌道上に来るように、ボス目掛けてソードスキルを放つだけだ。

 ――さあ、だぁれも悪くない不慮の事故(・・・・・)を起こそうか……!!


「うおおおおお!!」
「おらああああ!!」


 俺とビーターとの声が被り、同時にソードスキルを放つ。
 しかし俺の攻撃は、ボスを目指しながらも確実にビーターに近付いていく。

 ――喰らえぇ!!

 攻撃の間合いが一.五倍になる効果を持つ野球のスイングのような軌道をとるソードスキル。
 両手用直剣重単発技《フロウ・スプリット》。
 ライトグリーンの斬光が、ビーターの足に直撃した。










 直撃した、ように見えた。

「な…………ななな、なにぃっ!!?」

 ギャリーン!! と肉を斬った音にはありえない金属同士の衝突音が聞こえたのと同時に、システムアシストが中断されて俺の動きが止まった。
 否、止められた。
 無論、ビーターは未だ無傷だ。
 ゆるいU字を描いて今まさに斬りかかろうとしていた俺の大剣は、ビーターの片足があった場所の直前で《一本の槍》にその行く手を遮られていた。
 反射的に俺は、その長い槍をたどって持ち主を見る。

 そこには――。

「て、テメェは……」

「…………」

 どこかで見た、深い青色の髪と眼をした無愛想野郎が居た。



[34210] 13.戦場霧中
Name: ネ申原◆f483f651 ID:4687e9c9
Date: 2012/07/15 23:38
 古樹の巨人《ライオット・ジ・エンシェントトレント》との戦いは、あたしが想像していたのとはちょっと違ったけど、その忙しなさは想像以上だった。
 あたしたちの部隊は、スイッチを重ねた行動阻害系ソードスキルの連発によってスキル効果の重複を狙い、ボスの足止め的な役割をする。支援目的のため攻撃力は弱いけど、そのかわりボスの憎悪値(ヘイト)を必要以上に上げることも無い。
 決して安全ってわけじゃないけど、ボス戦部隊の中では一番ローリスク、ローリターンな部隊なんじゃないかと思う。

「ボッ、ボォォオオオオオ!!」

 それでも暇ってわけじゃない。
 あたしたちはずっと動き回っていた。

「ボスが移動するぞー! 攻撃部隊、下がれぇー!!」
「壁部隊は前に出てくれ! ボスの移動線上は開けて……馬鹿そこ違う! 動きが止まってから囲むんだよ!!」
「一旦攻撃中止! 支援部隊は下がりつつボスの真横に移動します! 今の隊列のまま横に動いて下さい!」

 四メートル近い巨体を持つボスの動きは遅い。だから比較的、攻撃場所の移動に難は少ない。
 ……なんだけど、やっぱりその重量から繰り出される攻撃はかなりの威力らしく、たった二回攻撃を受けただけで、壁部隊前線のプレイヤーは回復ポーションを飲むために後続と交替していた。壁役プレイヤーたちの頭上のHPバーも、ボスの攻撃を受けたときにガクッと大きく削れるのが遠目にも見て解った。
 重装甲を纏った壁部隊のプレイヤーたちでさえそれだ。あたしたちみたいな革布主体の軽装備、しかも支援部隊は両手用の長物武器が多くて盾を持つプレイヤーは少ないのに、もし、ボスの攻撃が当たってしまったらどうなってしまうのか。

「そこっ、止まるなよ! 動け動けぇー!!」
「早く! 早く行ってくれって、リアルで!!」
「うおおおおお!! マジ、こぅえええええ!!」

 そういった恐怖があるせいか、ボスに動きがあればプレイヤーたちは過敏に反応する。ボスの動きが遅いとは解っていても、早く攻撃範囲外に移動したいという気持ちは止められない。あたしたち含め、プレイヤーのみんなは逃げることに必死だった。

「やばいッス……あれ、やばすぎッスよ!」
「チマ、急ぎたいのは解るけど、はぐれないように気を付けて……!」
「……こうも周りに人が多いと、自由に動きようも無いな」
「そうですけどっ、でも逃げなきゃあぶないですよ!」

 落ち着いているように見えるキリュウさんも、その視線は周囲を見渡すように忙しなく動いていた。 いつも的確なアドバイスをくれるキリュウさんだけど、今回ばかりはどうしようもなさそうだ。
 はっきり言って、今までモンスターと戦ってきた経験はボス戦じゃ意味を成さなかった。
 そもそもあたしたちは、少人数での効果的な戦い方をキリュウさんから教わってきた。こんな大人数での戦いは想定外だ。

 ソードスキルなんて現実ではありえないものがあるけど、この戦いは大昔のまだ銃火器が無かった頃の戦(いくさ)と似ていると思う。大人数でぶつかり合う兵士(せんりょく)の削り合いをするような戦いだ。
 でも、このボス戦ではそんな犠牲は許されない。出来れば全員で生きて帰りたい。
 だからそのためには、プレイヤー全員の一糸乱れぬ機械のように正確な団体行動が求められると思う。まさに本当の軍隊のような動きが。
 今みたいに、最低限はやることが解っていても、足並みはバラバラ、各部隊同士の意志疎通も満足に出来ていない状態じゃ、もしかしたら最悪の事態も考えられる。

 ――なんとかしたい。

 だけど、出来ない。それがもどかしかった。

「――《雨》が来るぞー! 範囲外から退避しろー! 退避出来ない奴は盾の後ろに移動しろよォ――!!」

 巨人が、剣を持っていない左腕を首に巻きつるようにして体を捻る。
 アルゴさんの攻略本の情報曰く、《ア●ーンのポーズ》らしい。……意味は解らないけど。

「みんな! あたしの後ろに!」

 あのポーズは《広範囲投剣スキル》の前兆だ。
 範囲外まで逃げられないと感じたあたしは、左手に装備しているラウンドシールドを掲げて、ボスとレイアたち三人の間に入った。

「……俺はいい。流石に三人を庇うのは無理だ」

 そう言ってあたしの隣に来るキリュウさん。
 ボスに向けて、二メートル以上ある長槍を体の前に掲げている。

 ――も、もしかして……槍をくるくる回して飛んで来る投剣たちをキンキンキンッて弾くやつをするのっ!?

 漫画で見たあの動きが実際に見れるかもしれない、と状況も忘れてそんなことを考えてしまうあたし。
 色んな意味でドキドキだった。

「来るぞ!!」
「うおおおお!!」
「誰か盾! 盾ェ!!」

 ボスの根で出来た左腕が紫色の光を帯び、腕全体がささくれ立ってトゲトゲになる。
 ハリネズミのようになったその左腕を、ボスは裏拳を放つように振り払った。

「バッ、ボオオオオオオオ!!!」

 振り払われた勢いで無数の棘が腕から飛び放たれ、まるで雨のようにプレイヤーたちに降り掛った。
 ボスにとっては小さい棘。だけどあたしたちプレイヤーにとっては短刀ほどもある杭の雨だ。

「く、うっ……」

 ガンガンガンガン! とあたしの盾を打つ棘の雨。
 濃い紫色のライトエフェクトを纏っているのも相まって、それは黒い雨に見えた。
 痛みはないけど、その分衝撃が凄い。棘に打たれるごとにじりじりと押され、視界端にあるあたしのHPバーが、ほんの微かに削れる。

 ――盾を持ってるあたしですらこれなのに、キリュウさんは……?

 あたしはしかめた顔のまま、横にいるだろうキリュウさんに視線を向けた。

「う、わ……」

 そして思わず声が出た。
 それほどまでに、キリュウさんは凄かったから。

「……! っ! ……ふっ!!」

 キリュウさんは、あたしが想像していたのとは違う動きをしていた。
 最小限の動きで自分に当たりそうになった棘だけを、《槍の刃先》で弾く。
 木製の柄の部分で攻撃を受けると耐久値の減少が著しいけど、金属で出来ている刃の部分で受ければ、その限りではないことが以前に解った。でもそれが解っていても、雨の様に飛来する無数の棘を、正確に刃の部分にだけ当てて弾くなんて、常人の芸当じゃないと思う。
 盾の傘で、棘の雨を凌ぎながらも、あたしはキリュウさんから目が離せなかった。

「――攻撃再開ィ! (ボスが)次の行動に移るまでにどんどん削れぇー!!」

 あたしのHPが五分の一ほど削れたころ、ようやく雨が止んだ。
 結構長く感じたけど、時間にすればほんの数秒のことだったみたいだ。

支援(サポート)部隊も攻撃を再開します! 全員、号令を聞き洩らさないようにお願いします!!」

 ポスキムさんの必死そうな掛け声。
 ボスの雄叫びやプレイヤーの喧騒に負けないくらいの大声で叫び続けるのもツライと思う。

「次、行きます! ――スイッチ!」

 あと三回のスイッチであたしたちの番だ。
 あたしは気合いを入れ直してボスを睨んだ。







「攻撃だあああ!! 攻撃攻撃攻撃ィィィ――!!」

 五本あったHPバーが二本を切ってボスの動きが止まってから、プレイヤーたちは狂ったように我先にとボスの巨体に攻撃を繰り出していた。
 さっきまでのようにボスの動きに逐一怯えなくていいから、その分、抑圧されたものを解き放つみたいに、ボスに突撃していっている。

「……俺たちは早めにドームの壁際まで避難しよう。ボスの硬直時間が情報通りとも限らない。いきなり毒ガスを撒かれても困る」

 キリュウさんが、攻撃には参加せずにあらかじめ毒ガスの範囲から避難しようと提案してきた。

「はい。そうですね、それが一番安全だと思います」
「う~ん、きっとわたしら報酬低いッスよねぇ」
「命には代えられないよ、チマ!」
「ま、そりゃそうッスね」

 あたしたちはボスへ近付こうとするプレイヤーたちの波に逆らって、壁際を目指して進んだ。







「……ふぅ~、ここまで来れば大丈夫だよね?」

 あたし、レイア、チマが壁に手を付いて安堵のため息を同時に吐く。

「そう……だとは思うけど、まだ油断は出来ないよ」
「……ああ、その通りだ。まだ《ベータ時の情報との差異》は確認出来ていない。第一層、第二層と続けて差異はあったらしいから、この三層にも当然あると考えていい」
「アルゴさんの攻略本にも、ボスのHPが少なくなってきたときとか、これから起こる毒ガスとかが怪しい、って書いてあったッスしね」
「……ここも、完全に安心は出来ない。ボスの動きには常に注意していた方がいい。それでなくても、プレイヤーたちの波に呑まれて思うように動けなくなる可能性があることだしな……」
「はいっ、わかりました!」

 返事をして、あたしたちはボスの方を見た。
 未だプレイヤーたちの攻撃は続いている。
 だけどボスの方には、目に見えて解る変化が現われていた。
 ミシィ……ミシィ……とゆっくりと、けれど確かにボスの巨体は膨らんでいる。
 まるで古くなったタイヤみたいに全身に細かな亀裂を生みながら膨張を続ける巨人。
 それを見たプレイヤーたちが次第に攻撃の手を止め、壁際に下がって行く。
 だけれど、まだ攻撃を続けている人たちのほうが圧倒的に多い。
 SAOでは与えたダメージ量によって、戦闘後の取得経験知も変わってくる。それは解ってるけど、でも命が懸かった状況でギリギリまで粘ろうとする気持ちは、あたしには解らなかった。

「…………」

 ボスの毒ガスが放たれるまでの二分が、いやに長く感じた。






「――これ以上は危険だ! 後列からドーム壁際まで順に下がれ!」

 ボスの体が丸みを帯びるまでに膨らみ、誰かが避難を叫ぶことで光景は一変した。
 ほとんど全員が攻撃を止めて壁際まで走ってくる。

「ちょっ、こっちに来るッスよ!?」
「わ、わあー!?」

 今まで攻撃を続けていたプレイヤーたちの波が、あたしたちに押し寄せてきた。

「レイア! チマ! はぐれないように固まって!」

 あたしは流されないように必死に二人を掴む。

「ネリー……チマっ、キリュウさん……!」
「むおおぉぉ……!!」

 あたしたちはお互いをしっかりと掴み合い、満員電車状態が落ち着くまで待とうとした。

 ――ブシュアアアアアア!!!

 動きが止まったのはそんな音が聞こえたのとほぼ同時だった。

「……?」

 瞑っていた目を開けると、ボスの居た辺りがバイオレットカラーのスモッグがもくもくと広がっていた。プレイヤーたちはそれに魅入ったように固まっている。

「なんとか、無事っぽい……?」
「う、うん。私は大丈夫」
「わたしもー。かなりビックリしたッスけど」

 お互いに顔を見合せて苦笑するあたしたち。
 毒ガスの散布が始まったってことは、ガスが消えるまではボスに手出しは出来ない。
 一応の休憩タイムだ。
 どんどん広がる紫色の濃霧を見ながら、あたしはキリュウさんに話しかけた。

「でも、毒霧(これ)が終わればもうちょっとですよねっ。さっきの総攻撃でボスのHPもあと一本近くまで減ってます……し…………あれ?」

 だけどあたしの言葉は空を切った。
 ついさっきまでそこに居たキリュウさんの姿が、いつのまにか消えていたから。









『――実はネ、オイラも《ベータテスト経験者(・・・・・・・・・)》なのサ。定義からすれば、ビーターとも言えるかもしれナイ。……でも、出来れば信じて欲しイ。確かにベータテスターの中には、利己的で自己中心的なプレイヤーは多いダロウ。だが、ベータテスターの全てがそうではないということだけは心に留めて欲しイ。自己中なベータテスターのせいで、それ以外のベータテスターも風評被害を受けているんダ。ベータテスターというだけで嫌な顔をされる、そんなのは誰だってイヤだろウ? 《ビーター》という蔑称も、本当ならばそれ――自己中心的プレイヤーとそうでないプレイヤーを明確に区別させるために、とあるプレイヤーが苦肉の策で出した《必要悪》だっタ。今ではごっちゃになっている感は否めないけどネ。そして、件のバリーモッド――――彼もまた、《ベータテスト経験者》ダ』

 アルゴもまた、ベータテスターだった。
 だが、それは薄々感じていたことではあった。あの多種多様な情報量も、ベータ時代から調べていたのだとしたら納得のいく話ではある。
 それよりも、アルゴのメッセージを見て疑問が浮かぶ。
 何故、同じベータテスター同士なのにバリーモッドは事を起こそうとするのか。
 その答えも、次の文章に書いてあった。

『バリーモッドは、ベータテスターだということを仲間に隠していタ。だが常日頃から、長くは隠せないとは考えていたんだろウ。そして、いつか打ち明けようと苦悩していたんだと思ウ。……しかし、そこに来て《ビーター》の登場ダ。恐らく彼はこう思っタ。ビーターという蔑称まで出来てしまい、今後は一層に一般プレイヤーとベータテスターの溝(みぞ)は深まル。もしバレたら、自分も今まで隠してきたことを周りから追及されるかもしれなイ、とネ。これはその後の彼の行動からも読み取れる思考ダ。彼は、ビーターの容姿と悪い噂を流していた。まるで、ビーターを《個人の呼称》として皆に認識させようとしているかのようニ。そして今回の件だ。…………彼、バリーモッドは、現在ビーターだと特定されているひとりのプレイヤーに全責任を押し付けた上で――――消す気、なんダ』

 にわかには信じられない話だった。
 しかし、否定する材料も無い。
 納得のできる話ではないが、一応は理解できる話ではある。

「…………」

 それでも、アルゴの情報を踏まえてもう一度考えてみても、どうしたらいいのか、その答えは出なかった。アルゴの話には理解は出来る。けれども、バリーモッドがベータテスターだったことが真実だとしても、はっきり言えば状況証拠による推測がほとんどだ。バリーモッドが本当に何を考えて行動しているかは、バリーモッド自身にしか解らない。
 だから俺は、これ以上結論の出ない思考をするのを止めて、自分の直感を信じることにした。

 ――考えても本当に正しい事が解らない場合は、自分の直感を信じろ。

 これも祖父の言葉だ。
 善悪正誤が解らなくても、自分自身で選んだのならば後悔も少なく済む。そういう教え。
 アルゴのメッセージには、他にもつらつらと色々なことが書いてあったが、俺はその中の一文に、アルゴの本心を見たような気がした。

『――バリーモッドのターゲット、ビーターと呼ばれているプレイヤーは、()の知人なんダ。情報の報酬は要らない。後のことは責任を持とウ。……頼む、助けてやってくれ――――』

 俺の意志は、決まった。




 古樹の巨人の真横に居る俺の視界斜め前方、ボスの正面に位置するプレイヤー集団の中に、ボスに攻撃を行っている《黒コートのビーター》。そしてその数メートル後ろには水色に逆立った髪の男性バリーモッドの姿。
 もうすぐ硬直を解いて毒ガスを撒くというボスから離れようとする周りに反して、バリーモッドは前へ前へとゆっくりと進んでいく。

 ――本当に、する気なのか……。

 俺やルネリーたちは既にドームの壁際、ボスが噴き出すという毒ガスの範囲外に退避している。
 この後にボスは広範囲に毒ガスを散布し、それが晴れるまではプレイヤーたちは動くことが出来ない。
 つまり、それまで此処は一応の安全地帯ということになる。

「……ならば」

 三人には此処に居て貰い、俺はバリーモッドを追おう。
 胸の内で三人に詫び、此方に向かって退避して来るプレイヤーの波に紛れてボスの方へ進む。

「――これ以上は危険だ! 後列からドーム壁際まで順に下がれ!」

 この声と同時、退避してくるプレイヤーが増える。
 進み難くなるが、もう時間が無い。
 視線の先のバリーモッドがソードスキルの体勢に入った!
 距離を考えれば間に合うかは際(きわ)どい。
 小走りだったのを全力に切り替え、槍を構える。

「うおおおおお!!」
「おらああああ!!」

 ビーターがボスに、バリーモッドがビーターに向けてソードスキルを撃つ。

「ッ…………はあっ!!」

 槍の長さを最大まで使うようにして片手で押し出す突きを、俺は彼らの間に放った。








「な…………ななな、なにぃっ!!?」

 硬質な接触音が響く。
 俺の槍は、ビーターの右足の手前でバリーモッドの剣を防いでいた。

 ――間に合った、か……。

 守れたことに安堵する。この選択をして、僅かばかり良かったと思った。
 やはり誰であろうと、傷付け、傷付けられるというのは見たくない。

「て、テメェは……」
「…………」

 行動を妨害されたバリーモッドが、驚きと怒りの混じった顔で此方を睨んで来る。

 ――さて、どうするか。

 正直、この後のことは考えていない。
 否、考えても答えが出なかった。
 実行に移している時点でバリーモッドは覚悟を決めているはずだ。ならば説得は期待できない。ビーターに攻撃をしたということが、後戻り出来ないという一種の脅迫概念となっているだろう。何を言えば彼の考えを変えられるのかなんて、俺には想像がつかない。
 かと言って、戦うという選択肢も出来ない。現実とは違い、このソードアート・オンラインという世界では、ゲームシステム上、故意に気絶にさせることが出来ない。脳を酷使し過ぎた場合になる可能性があるかも、とは二木は言っていたが、基本的にそれらしい状態異常(バッドステータス)は《睡眠》か《麻痺》だろうか。《転倒》や《盲目》などは効果時間が短すぎるし、この場をなんとか出来るとは思えない。なにより《睡眠》も《麻痺》も特殊なアイテムを用いなければならない。
 仮にそういう状態に出来たとしても、身動きの出来ない彼をどうすれば良いのか。
 考えて出てくる方法はどれも問題が山積みだ。
 しかし、取り合えず目の前の目的ははっきりしている。ボス戦が無事に終わるまでどうにか時間を稼ぐことだ。ボス戦のどさくさに紛れて行動を起こしたということは、公にはしたくないと彼も思ってはいるのだろう。つまりボス戦が終われば問題は取り合えず先延ばしにすることは出来る。後のことはアルゴとでも話し合おう。

 ――バリーモッドを牽制しつつ、ボスの動きを気に留めつつ、この戦いが終わるまでもたせる。

 厳しいと思う。残してきたルネリーたちも心配だ。
 だが、決めたのならやらなくてはいけない。

「……テメ、どういうつも――」
「引けぇー! 下がれぇー! もう限界だああああ!!」
「毒ガスが来るぞおおおお!!」
「逃げろっ、逃げろ逃げろおおおお!!」

 業を煮やしたバリーモッドが言葉を発した直後、それをかき消すかのように怒号が飛び交った。
 最後まで攻撃をしていたプレイヤーたちが、ひとり残らず急いで逃げようとしている。

「アスナっ、俺たちも……!」
「ええ!」

 ビーターの少年も漆黒のコートを翻してボスから離れていく。

「……?」

 自分の真後ろに居た俺とバリーモッドを一瞬だけ疑問の顔で見てきたが、ビーターはそのまま壁際まで駆けて行った。

「ちっ」

 バリーモッドが舌打ちしながらビーターを追うように避難していく。
 恐らく、これで一番の難所は越えたと思う。想定外のことが無い限り、彼がビーターに何かをする機会はほとんど無いだろう。

 ミシ……ミシミシ、ミシミシミシミシッ……!!

 膨張したボスの体から聞こえてくる軋みが、速くなっている。
 俺もバリーモッドのあとに続き、急ぎボスの傍から離れた。

 ――ブシュアアアアアア!!!

 ボスとドーム壁際のちょうど中間地点を駆け抜ける中、後ろからそんな音が聞こえてくる。
 確認するまでもなく、毒ガスの噴出音だろう。
 走りながらちらりと背後を確認すると、まるで津波か鉄砲水のように此方に迫る紫煙。
 広がり具合を見るに、俺の走る速度よりも速い。
 だが、最悪飲み込まれても、この方向に走り続ければ毒ガスからも抜けられる。問題はガス内で方向が解らなくなることだ。

「飲まれる! 飲まれるぅぅぅぅっ!!」
「おーい! 早く来い! 早く早く!!」
「風を感じる……っ!!」
「うおおおおお!! 間に合えええ!!」

 其処彼処から必死の絶叫が聞こえる。
 この距離なら十分間に合う。問題は無い。……無い、はずだ。

「……っ」

 しかし俺の心に余裕は無かった。
 大丈夫だとは理解していても、有害が勢いよく迫って来るという状況に、現実では経験したことが無い危機的状況に、内心では随分焦っていた。
 そのせいか、周り同様、俺も必死になって毒ガスから逃げていた。







「はぁ、はぁ、はぁ……」

 脳にピリピリとくる疲労を感じながら息を整える。
 近くには避難したプレイヤーたち、ビーターとバリーモッドも同様に一息吐いていた。
ほんの三メートル先には紫煙の壁。やはりというべきか、予想よりも広範囲に毒ガスは広まった。
それでも、毒ガス内に取り残されたプレイヤーはいないようだ。安堵の溜め息が至る場所で聞こえてくる。

「……っ」

 そんな中、ようやく落ち着いた様子のバリーモッドと目が合った。
 彼は憎々しげに俺を一瞥して、俺とビーターから離れる様に背を向け――

「…………は?」

 その間の抜けた声を出したのはバリーモッドだった。
 だが俺含め、その場にに居た全員がそれに絶句したのは間違い無い。

「な、なんだよ……なんなんだよ、コレ!?」

 一本の太い茶色の触手が毒ガスの中から飛び出て、バリーモッドの胴に一瞬の内に巻き付いていた。
 事前情報には無かった事態。しかし、驚くのはまだこれからだった。

「ちょっ……やめっ、うそだろ、あ、うぁあああああああ!?」
「!?」

 ――バリーモッドが毒ガスの中に引きずり込まれる……!?

 疑問、混乱、焦燥、逡巡。
 それぞれが一瞬にして浮かび――――しかし俺の体は直情的なまでに動き出していた。

「――っ!」

 ボフンッ、ボフンッ、と音を立ててバリーモッドの後を追い毒ガスの作る壁に突入。
 左腕で口元を覆いながら駆け、すぐ前方に幽(かす)かに影として見えるバリーモッドに手を伸ばす。

 ――届かない……!

 咄嗟に彼の腹に巻き付いている触手に狙いを定める。
 明確には見えないが、バリーモッドの全体の輪郭からだいたいの見当をつけ、

「くっ…………はああああ!!」

 走る勢いと踏み込みをバネに、触手があると思われる場所に渾身の刺突を放った。

「――おぅあっ!?」

 鈍い感触が伝わって来る。
 若干、宙に浮いていたバリーモッドの体が投げ出され、転がり、すぐ近くで止まる。どうやら上手く巻き付いていた触手は離れたようだ。
 だが……。

「かっ……くっ……っとに、なんだよ!? なんだってんだよっ!? ガスの中に入っちまったのか!? 見えねえ! どっちだよ、くそおおおっ!!」

 蹲(うずくま)りながら頭を抱えて叫ぶバリーモッド。
 混乱しているようだが、動き回らないのだけは助かる。

 ――さて、どうしたものか……。

 バリーモッドの言う通り、視界は最悪。伸ばした自分の腕さえも輪郭がぼやけて見える。
 更には、バリーモッドを助けるという目的に必死だったため――――つまりは方向が解らなくなってしまった。
 一応、進み続ければどの方向に行っても出れるとは思う。しかし、進んだ先がボスの正面だったら目も当てられない。

「……バリーモッド、さん。回復ポーションを飲んだ方が良い」
「う、うるせえ! 解ってる!」

 もたつきながらもゴクリゴクリと飲みほす音が聞こえる。
 足元のバリーモッドの顔は、見えない。微かに黒い影が見えるだけだ。
 毒ガス内では解毒ポーションは意味を成さない。解毒しても直ぐにまた毒状態になってしまう。回復ポーションとで少しだけ抑えられるが、それでも序々にHPは減って行く。
 しかし俺の場合、その点に関しては問題無かった。以前に手に入れたネックレス型の装備《ヌート・アミュレット》の効果でレベル1の毒には完全耐性が出来ている。
 俺は試しにシステムウインドウを開いてみた。

 ――これも情報通り、か……。

 毒ガス内に取り残されれば命は絶望的とされる理由の一つ。
 それはシステムウインドウの無効化だった。
 辺りに充満する高密度の毒ガスのせいで、ウインドウ上の文字も現在位置すらも確認出来ない。それは単に視界が悪いというだけではなく、毒ガスの特殊効果らしい。いくら顔を近づけても見えるのは四角い輪郭だけ。記憶を頼りにボタンを押そうとしても、伸ばした指は虚しく空を切るだけだ。

「…………っ!」
「うおっ!?」

 ビュン! ビュン! ヒュオン! という音が周りから幾重にも聞こえてきた。
 大きなものを振り回しているかのような風切音。
 恐らくこれが、毒ガス内に取り残されれば命は絶望的とされる理由のもう一つ。そして、俺が先ほどからこの場を動かずに様子を見ていた理由でもある。

「……っ! 伏せろ!!」
「おあああ!?」

 目の前に突如生まれた黒い影に反射的に身を屈める。
 直後その影は、ビュオオオオ!! と轟音を撒き散らして俺とバリーモッドの頭上をかすめていった。

 ――これが《無差別攻撃》というやつか。

 ガス内では、ボスは無差別に攻撃を行っているという事前情報があった。
 今までのボスとの戦いからして、一撃でもまともに受けたら惨事になることは間違いない。辺りが見えない中を無我夢中で進み、万一、死角から強襲されたりでもすれば、最悪、死もありえる。だからこそ、早く脱出しなければならない状況でも下手に動くことは出来なかった。

「…………」

 周囲からは絶えず風切音が聞こえてくる。先ほどの攻撃、恐らくはバリーモッドを引き摺り込んだ触手だろう。……いや、よくよく考えればボスは古樹の根で構成されている躰を持つ巨人だ。今の触手は太い根を鞭のように振るっているのかもしれない。

「……すぅー……ふぅー……っ」

 丹田に力を込めながら息を吐き、軽く腰を落として半身になる。
 槍を、やや石突側に両手で持ち、穂先を出来るだけ躰から離すように双の腕を伸ばす。

 ――東雲流、水分(みくま)りの型・浮葉(ふよう)

 毒の効果は問題無いが脱出は困難。
 ボスの攻撃は轟音を纏っている。その音と一瞬見える影で回避出来ることは証明済みだ。
 ならばここは、ボスの攻撃を耐えつつ毒ガスが消えるのを待つのが得策。

「……提案がある」

 しかし、無事にこの場を凌ぐには、この男の協力が必要だ。

「ああ!? ンだよ、もう俺らは終わりだよ……ここから出られるわけねえんだ! 俺はベータ時代に身を持って知ったんだからな!!」
「……生きたくは、ないのか?」
「…………っ」
「生きたいのなら協力して欲しい。二人でなら……絶対に助かる」

 足元に蹲る彼の顔はやはり見えない。
 しかし、微かに震えている様子は確認出来た。


「…………ひとつ……訊かせろ」

「?」

「なんで…………俺を助けた?」


 言われ、言葉に詰まる。
 助ける理由など考えている余裕も無かったからだ。

 だが、敢えて理由を付けるとするならば。


「……ルネリーたちなら、そうしただろうからだ」

「!」


 これに、尽きると思う。
 結局の所、俺は彼女たちに嫌われたくないのだ。嫌われるような行動を取りたくは無い。
 それほどまでに、俺の中であの娘たちの存在が大きくなっていた。

「……わかった」

 俺の答えに何を思ったのかは知らないが、彼は諦めたように頷いた。







水分(みくま)りの型》は、完全受け流しの型である。
 本来、突きが主体の槍において、構えとしては両腕を最初から引いておくか自然体で垂らしておく、つまりは《槍を突き出し易い構え》をとるのが普通だ。
 しかし水分(みくま)りの型はその逆、槍を持った両腕は最初から前へ掲げる様に伸ばしておく。

「――右から来るぞ!」

 背後にいるバリーモッドの声に、直ぐに穂先を右に向ける。
 直後、ビュオオオ!! という風のうなりと共に黒い影が迫って来た。

「……!」

 襲い来る影が突き出した槍の穂先を越えた瞬間、伸ばしていた腕を引く。
 此方に迫る影と、引き戻す槍の速度を合わせ、相対速度がゼロになる刹那に、穂先の刃の腹を影の側面に添える。
 そのまま槍を引きながら体を捻り回転、影を外へ外へと押し出しながら、自らは逆へ動く。
 己の躰全体と槍を滑車のようにして、避けることが困難な強烈な攻撃を受け流す。

 ――流るる川面に浮かぶ木の葉と成りて……!

 口伝を心の中で唱えることでイメージを明確にし、己の動きとそれを同一化する。一種の自己暗示のようなものだ。

「……はぁっ!!」

 影――太い根の触手の一撃を、その側面を滑るようにして受け流した。

「くっ、おおお!!」

 俺の背を両手で掴み、俺の動きに必死に付いて来るバリーモッド。
 アルゴのメッセージには、彼のステータスについても詳しく書かれていた。
 その内、使用スキルの中に《聞き耳スキル》があったことを思い出した。濃度の高いガスで視界は利かず、頼りになるのは周囲の風切音を聞きとる耳だけの状況。正確にボスの攻撃を受け流すには、彼のスキルが必要だった。

「う、後ろぉ!!」

 バリーモッドの声と共に槍の穂先をその方向に向ける。
 来る方向が解っていれば、見えるのが一瞬だとしても十分に対処出来る。
 あとは俺(こちら)の仕事だ。迫りくる閃影を見極め、攻撃を逸らす方向を決める。
 そして…………受け流す!

「ふっ!」

 正面から横薙ぎに襲いかかる触手に槍を合わせて下から押し上げ、自身は上体を逸らしながら回転、触手の下を潜るように回避する。

「ぬあっ、たっ!? おっ、こ、コラ! 後ろにいるヤツのことも考えて動けよ!?」
「…………済まない」

 確かに今の動きは、背中にしがみついているバリーモッドがついて来るにはつらかったかもしれない。

「す、すまねぇじゃ……、――なっ、()ぇっ!?」
「っ!」

 反射的に上を向く。
 縦一本の影が、次第にその幅を広げていた。

 ――真上からの攻撃……!

 咄嗟に俺は右方へ横滑りに回避運動を行いながら、左腕で直ぐ背後に立つバリーモッドの躰を同方向に押し出す。
 だが、霧中に映る影の膨張から推測できる攻撃速度を考えると間に合わない。
 回避行動と同時に、俺は右手に持つ槍を頭上に突き出した。

「くっ」

 影――振り下ろされる太い触手に、槍の穂先が直角に当たり、その重圧によって槍の柄が強かにしなる。
 今にも折れそうなくらいに弧を描いてしなった長槍。

「バリーモッド! 跳べ……ッ!!」
「はあっ!!?」

 疑問の叫びを上げながらも彼は同時に右方向へと跳躍する。
 瞬時に石突を己の腹に当てる。
 真上から圧迫され、支える俺とで挟まれて限界までしなり切った槍の柄は、俺が空中へ跳び出したことにより、圧力の逃げ場所を得る。
 更に此方に迫る巨根の鞭に押されながら、槍は弧から直線へと戻ろうとする。

「……ムッ!!」

 その反発に押し出される形となって、空中の俺たちは攻撃範囲から逃(のが)れることが出来た。

「――ぐはっ!?」

 つい今し方まで立っていた位置、正面からバシャーンッ!! という叩き付ける衝撃音が聞こえるのと同時に着地する。背後では叫喚が。どうやらバリーモッドが着地に失敗したようだ。

「……大丈夫か?」
「う、うるせえ! テメ、指示がいきなりすぎんだよ!」
「……大丈夫のようだな。なら、立ってくれ。またすぐに次が来るかもしれない」
「コ、コノヤロウ……」

 元々、敵同士と言ってもいい男と共闘している。不可思議な状況だが、その理を追求する余裕は無かった。
 必要最低限は話さず、俺とバリーモッドは次々に襲いかかる触手に神経を集中した。







「……晴れた……毒ガスが晴れたぞぉー! ボスのHPもあと少しだ! 全員、再攻撃の準備ィィィ!!」

 幾度目かも解らない攻撃を弾いて数秒後、やや離れた場所から掛け声が上がった。
 どどどどど、と地鳴りと共にプレイヤーたちがボスへ駆けていく。

「……た、耐えられた……のか?」

 紫色の靄が消え、周囲が見渡せるようになってきた。
 巨人へ群がりゆくプレイヤーたちを茫然と見ながらバリーモッドが呟く。

「……っ! ……くっ」

 しかし俺の顔を見た瞬間、彼は気まずげな表情を見せ、その後ボスとは反対の方向に走って行った。

「…………」

 もう、彼がビーターを狙うことは無いと思う。少なくとも今回は。
 明言していた訳ではないが、何故かそう思えた。

「……ふむ」

 アルゴの頼みには一応の義理は果たしたと結論を出す。
 確かな疲労を感じている躰に喝を入れ、俺は本来守るべき者たちのもとへ向かった。








「キリュウさん!!」

 毒ガスが晴れて、途端に見えるようになったシステムメニューウインドウで確認し、三人の居場所へ歩き出してすぐ、ルネリーたちの方から此方に向かって走って来た。
 そして俺を見つけた三人は、ぶつかってくるように俺の胸へ飛び込んできた。

「もうっ、もう! どこにいたんですか! 心配したんですよっ!?」
「そうッスよ! なんか、ウネウネ~ってのが毒ガスの中から飛び出してきたり、それから逃げようとしてみんながワー! ってなったりで、大変だったんッスからね!」
「……ウインドウ上のマップでもいきなり居場所が確認出来なくなったので、本当に……心配、しました……っ」

 俺を見上げながら責める三人は、同様に目尻に光るものを浮かべていた。

 ――心配、させてしまったな……。

 事情が事情ゆえに三人を放置する形となってしまったが、やはり自責の念を感じる。
 しかし詳細を説明することは出来ないので、上手く誤魔化すしかない。

「……済まなかった。色々あったが、兎に角こうして無事に戻って来れた」
「はいっ、はい……っ」

 肩を震わせて頷く三人。
 だが、ずっとこのままというわけにもいかない。
 まだボス戦は終わっていない。すぐ向こうではまだ攻撃が行われているのだ。

 その後、俺は三人を促し、戦線に復帰した。
 ボスのHPバーは既に一本を切っている。
 終わりが見えたと誰もが思ったが、瀕死のボスの抵抗は凄まじく、又情報に無かった《鞭スキル》をも使用してきた。後で考えてみれば、毒ガス内ですでに使用していたのかもしれないが。
 剣のように扱っていた根はしなりを帯び、その軌道は複雑。
 苦戦を強いられることになったが、壁部隊との連携で乗り切ることが出来た。
 そして幾度と攻撃を繰り返した後、ボスの身体は光に包まれ、最後に大きく吠えながら、ボスはその身を光の粒へと変えていった。

「やっと……終わり、ましたね……」

 三人がいつかのような笑顔を向けてくる。
 戦いは終わった。今回、俺のやるべきことは全てやったと思う。
 流石に疲れた。早く安全な場所で横になって休みたい。
 聞けば、少し休憩したら第四層へ上って主街区を開放(アクティベート)するらしい。
 俺たちはそれについて行くことにした。

「…………ふぅ」

 これからも何度となくボス戦を行うとは思うが、今回のようなややこしい状況は二度と勘弁願いたい。

 ――そうだ。バリーモッドのことをアルゴに報告しないとな……。

 疲労でボーっとする頭でそんなことを考える。
 そして、花の咲いたような笑顔を浮かべる三人に腕を引かれながら、俺は四層への階段を上って行った。

 俺たちの初のフロアボス戦は、こうして終わったのだった。



[34210] Ex2.裏方の仕事人
Name: ネ申原◆f483f651 ID:4687e9c9
Date: 2012/07/15 23:54
『――会って、話がしたい』

 思わずドキッとくるような簡潔なメッセージに、私はいやいやと首を振った。
 短い付き合いだが、あの無愛想な少年がそんな色気のある話を振ってきたことなんてあった試しは無い。となると、メッセージでは伝えきれないような複雑な話か、もしくは文章に出来ないほど曖昧な話か。どっちにしろ実際に会ってみなきゃ解らないか。
 私は了解の返事と、落ち合う時間や場所の確認をメッセージで送った。

「……さテ、今日はあとやらなきゃいけないことハ、と」

 約束の時間までのスケジュールを頭の中で組み立て直す。人に会うのが二件、メッセージを送る用事が三件。ギリギリになってしまいそうだが、どうにか間に合うだろう。

「――にしても、初めてだネ。あの子の方から話がアルなんテ」

 ただの話とは思えない。わざわざ直に会って、だなんて。もしかしたら私の情報屋としての力を必要としているのかも。
 私は厄介事の雰囲気を感じながら、人気の無い道を走り出した。

 予想より少しだけ早く予定していた要件が終わり、私は余裕を持って約束の場所へと向かった。
 中央広場の近くにある大きな酒場とは違い、何と言うか侘しい酒場だ。光源が少ないのか全体的に薄暗く、何より人が全く居ないということが侘しい雰囲気を上乗せしていた。
 自分以外、誰も居ない店の中を歩き、カウンターへ腰掛ける。時刻表示を確認すると指定した時間まであと三分。今はエールという気分ではないので、ウイスキーをロックで注文した。
 SAOのシステム的には酔えないが、場の雰囲気というものに酔いながら、ちびちびとそれを飲みつつ奴を待つ。
 デジタルな時刻表示を見つめながら待っていると、ちょうど下二桁にゼロが並んだ所で、後ろのスイングドアが開き、カランカランとカウベルの音が店内に響いた。

「――デ? 珍しく呼び出したりなんかシテ、どうしたんダ? しかもあの三人娘は抜きで、なんテ……」

 いつも会うときと全く変わらない無表情面の少年に、さっそく問いを投げる。
 切れ長の蒼い瞳に真一文字に閉じた口、瞳と同色の少し長めなストレートヘア、百七十近くはあろう背丈にGジャンとGパンのようなデニムに良く似てる革製の上下を着込んでいる少年――キリュウ。中学生とは思えない鋭い眼差しの圧力(プレッシャー)に押されているのに気付かれないように、私は意識して不敵な笑みを浮かべた。

「……いきなり済まない。お前に調べて欲しい事があって呼んだんだ…………アルゴ」
「にはハッ。まあ、そりゃそうだろうナ」

 目を伏せて謝るキリュウの顔に、予感が当たりそうだなと苦笑する。
 だが依頼だというならはっきりさせておくことがある。私はキリュウに向けて口を開いた。

「ヒトツ、言っておくけどネ……個人的な調査とくれば、いつもとは勝手が違うヨ? ちゃんとお代は貰うシ、色々と細かい決まりもあるんダ。そこんトコ、解ってるよナ?」
「……ああ、勿論だ」

 私のモットーは《金になるなら自分のステータスすら売る》だ。
 自分で言いだした訳ではないが、ベータ時代にそういう噂が流れ、以来それを貫いている。まあこれもキャラ作りの一環だ。
 誰かが情報を欲しがり、私にそれを依頼する。と、ここで《誰かが何と言う情報を欲しがった》という情報が出来る。依頼者はその情報を私が商品として扱う、という事も考慮に入れて私に依頼しなければならない。その情報に対する口止め料を払うも払わないも自由。私は買い手売り手の情報を《お金》でやり取りすることを公表している。
 人に依っては私には依頼をしたくないと思うかもしれないが、それに対する私の武器は《正確性》、《信頼性》、そして《早さ》だ。
《お金》はこの世界で生きる者にとって共通の必需品。私はお金に嘘は吐かないし、逆もまたしかり。お金だけが、この世界で――いや、現実でも仮想でも、唯一《信頼が目で見ることが出来る》モノなのだ。信頼の形としてはこれ以上のものは無い。
 私の言葉にキリュウは、更に険しくなった顔で頷く。

「くっくっク、まあそんなカタくなんなヨ。まずは依頼を聞こうじゃないカ。キミからの頼みは初めてだケド…………あの三人には聞かせたくない話なんだろうウ?」
「……ああ」

 いつもカルガモの子供みたいに後ろをくっついている三人娘の姿は見えない。重っ苦しい雰囲気を纏った少年の様子を見るに、結構ヤバゲな話かなーと想像する。
 キリュウは飲み物すら頼まずに、本題から始めた。

「……調べて貰いたい事は二つ。一つは、《ビーター》と呼ばれるプレイヤーについて知りたい。特に、人柄などを」
「――ッ」

 思わず、飛び上がりそうになった。流石にこれは予想外だ。
 この少年がビーターなんぞに何故(なにゆえ)興味を持ったのか。
 ビーターとは、ベータテスターにして重度のMMOゲーマーのことを指し、ベータテスト時の情報を以って他プレイヤーよりも利を得ようとする者の蔑称だが、一般プレイヤーの間では、ベータテスター=ビーターという認識になっているプレイヤーも多い。この少年は何を思ってビーターを調べようとしているのか。有り得ないとは思うが、悪意を持って調べているとは思いたくない。
 そう思ってしまった私は、情報屋としては失格モノの質問を返した。

「はて、なんでマタ?」

 これは必要の無い質問、ただの興味本位だ。つい言ってしまった事とはいえ、人に依っては情報の引き出しとも捕らえられかねない。

「……その理由は、調べて貰いたい事の二つ目にある」

 だがキリュウは、気にした風もなく話を続けた。……否、気にする余裕もないのかな。

「昨日、この酒場でとある話を耳にした。《バリと呼ばれる者が、ボス戦の騒動に乗じてビーターに何かをする》という話だ」
「……」

 キリュウの言葉を聞いたとき、最初に思ったのは《ついに来たか》だった。
 いつか来るとは思っていたが、やはり予想よりだいぶ早い。良い意味にも悪い意味にも、この世界にプレイヤーたちがすっかり慣れたときには、来るかもしれないと思っていたが。
 ネトゲをする大多数は、優越感を感じることを目的とする。誰よりも多い時間を費やせば必ずトップに立てる世界、それがゲームであり《ネトゲ》だ。しかし逆を言えば自分よりも多くの時間を費やす者が居ればトップには立てない。そこで嫉妬が生まれ、積り積れば憎悪となる。結果、妨害をする輩が出てくることになる。無論それは非マナー行為であり、蔑まれる事でもあるが、その手の嫌がらせは消えることは無い。顔の見えないネット上ということも、そういう行為をすることの罪悪感を薄めているのかもしれない。
 そしてこの《ソードアート・オンライン》。ネットゲーマーたちだけのコミュニティーと化したこの仮想世界で、プレイヤーたちの悪意の矛先として《ビーター》が選ばれるのは遅かれ早かれ解っていたことだ。

 ビーターという呼称が生み出された経緯には、実は私も関係している。
 第一層のボス戦の前日、ボスについての情報を放出した(一応、ベータテスト時のものと注釈は入れた)が、戦いの中でボスは予想外にも上層のモンスターが扱う《カタナスキル》を扱った。
 これはベータテスト時とは異なる点だ。これにより部隊は混乱、しかもレイドのリーダーが真っ先に死亡するという事態にさえなった。撤退するしか無いという時に、キリトが戦線を一人(正確には女フェンサーと二人)で立て直し、その後LA(ラストアタック)まで取ってボスを倒すことと相成った。

 しかし一般レイドメンバーは、キリトがカタナスキルに詳しかったことを、《ベータテスターだからビギナーの知らないボスの力を知っていた》と捉えた。これではテスターとビギナーの溝が更に深まると考えたキリトは、『自分は他のテスターとは違う。テスターであり重度のMMOゲーマー……ビーターだ』と宣言し、テスターに向かうだろう敵意を自分一人に集めようとした。
 彼は第一層にして一般プレイヤー全員を敵にまわすような発言をしたのだ。他のベータテスターに恨みの矛先が向かぬように。

 私は、ボスの情報はベータ時のものと明言していたものの多少の責任を感じ、ビーターに関する真偽含めた様々な噂を流すことで、一般プレイヤーたちの《ビーター像》をあやふやにしようとした。
 なのに、今回の件だ。正直、溜め息が出そうだよ。

「この話が真実かどうかを、調べて欲しい」

 その声に、若干の迷いが帯びているのを感じた。

 ――何を迷う?

 いや、考えれば解ることだろう。

「ン~、なるほどネ。人を陥れるような話を聞いてそれを何とかして防ぎたいと思っタ。でもビーターなる人物が噂通りの俗物なら関わらずに放っておこうと…………こういうコト?」

 この少年が見た目とは違い、かなり人が良いということは解っている。が、事は考えれば考えるほど簡単じゃない。それを知りつつ意地悪な言い方をしてしまう自分に少し反省。

「にゅははハ~。ちょっとしたジョーダンだから、そんなに傷付いた顔しないでくれヨー」

 顔に影が落ちるのを見てすかさずフォロー。忘れがちだけど、まだ中学生なんだよね、この少年。
 でも、この件に関わるならまだまだ意思確認をしなければならないことが多くある。

 ――少年……キミは、私たち(テスター)にとって敵となるのか? それとも……。

 私は続けて、またもや意地悪な質問を投げつける。

「だが、いいのカ? もし、仮に噂はデタラメでビーターが実は良い奴だったとシヨウ。そして、その答えを聞いたキミは彼を助けようとするのだろうナ。……で、そのあとハ? 聞いた限りじゃ、まあ穏やかな話でもなさそうだシ、それに出る杭は打たれルっていうしナ。この件は決着の着け方が問題ダ。しかも今後、きっとそういうバカはたくさん出てくるゾ? キミはそのとき、どうする気なんダ?」

 キリュウは沈黙した。彼が何を考えているのかは解らないが、少なくともテスター(わたしたち)の敵にはならないだろうという漠然な予感はしていた。

 きっとこの少年は、思ったより頭は良くない。
 それは勉強が出来ないとか、とっさの判断が出来ないとか、そういう頭の良さではなく、人と人との付き合い方などの人間関係において、なんというか要らない事まで考えているというか、人が良すぎるというか、そこまで考えなくてもいいんだぞとは思う。

 ――まあ、だからこそ信頼の置ける人物足り得るのではあるんだガネ。

 キリュウは約一分の後、未だ迷いの晴れない顔で言ってきた。

「……解らない、どうしたらいいかなど。……だが、だからといって放置するわけにもいかない」

 はて、と思う。今の響きには迷っていた先ほどとは逆に、確かな意思を感じた。
 直ぐに私は訊き返す。相手が相手なのでシリアスになり過ぎないように注意しなければならないのが辛いところだ。

「ほーウ、それはまたどうしテ?」

 元々説明するつもりだったのだろう。キリュウは間も開けずに話しだした。

「……昨日この村へ来たときに、一人の男性プレイヤーにフロアボス会議の日取りを質問した。そして今日、中央広場で行われた会議のあと、再び会ったそのプレイヤーは《バリーモッド》と名乗った。彼は仲間に《バリ》、もしくは《バリー》と呼ばれているらしい」
「ほむほム、なーるなル。ビーターに何かをしようとしている人物らしい《バリ》って奴が、その《バリーモッド》とかいう奴かもしれないト」

 もう既に、件の人物と接触していたということか。そしてその人物を見て、実際に事を起こしそうな奴と思ったってことだろうか。

「…………それだけでもないのだが……」
「?」

 ――まだ何か理由があるのか。

 小首を傾げた私にキリュウは言う。

「そのバリーモッドというプレイヤー……どうやら、ルネリーに気があるらしい」
「…………ハア?」

 想像を遥かに超えた答えに、思わずキャラが崩れそうになってしまった。

 ――なんでいきなりそんな展開に? 

 と、彼の話を聞きながら情報を整理する。
 なるほど、女性が極端に減ったSAOじゃ、美少女というだけで目立つ。しかもここはゲームの中、現実では有り得ない《強さ》をアピールすることが出来る場所だ。容姿が特に酷いという者ではなければ、可愛い女の子も高値の花ではないと考える輩も出てくるというものだろう。

「――つまり、自分のオンナを盗られたくナイ、ということダナ。ククク」

 ここで茶化すのを忘れない私は、キャラになりきっているなと思う。

「そういう関係ではない。……が、守りたいと思う仲間だ。企み事をするかもしれないような人間を、彼女たちに近付けさせたくはない」
「まーまー、そういうコトにしておこうカ。……くひ」
「……」

 おっと、不機嫌にさせてしまったかな。
 だが、こういう所は年相応な態度だなと自然に笑みが浮かぶ。
 今回の件は私にも関係がありそうだし、今後のことを考えてもやはり調べておいた方が良さそうだ。

「オーケー、いいダロウ……その依頼、この鼠が引き受けタ!」

 今夜は、長い夜になりそうだと思いながら、私は力強く言った。








 その後、ちょいと意味深ぽい言葉を残して、私は酒場を出た。

 ――さぁ~テ、まずはっト……。

 歩きながらフレンドリストを開く。
 目当ての人物を見つけ、簡単にメッセージを飛ばす。
 返事はすぐに帰って来た。そしてそれを何人かで繰り返す。
 今メッセージを送ったのは、キリュウたちとは別の協力者たちだ。SAO内の情報を再確認してもらっているキリュウたち四人とは毛色が違い、主にプレイヤー関係の情報を集めるのに役に立ってくれている。このほとんどが元ベータテスターで、その時代からの付き合いでもある。彼らは利己的な分、自身に有益であれば、こちらにとっても有益となる信用に値する者たちだ。しかし、彼らの多くはソロではなくパーティーを組んでいる。つまりは、ベータテスターということを周りに隠して生活している。色々とリスクは高いが、それゆえにビギナーたちの情報は多く持っている。真偽問わず様々な噂を集めてくる協力者、逆に数は少ないが確かな情報を持って来る協力者、彼らから情報を貰って取捨選択し、自分で精査するのだ。

 私には協力者が大勢居る。
 そのほとんどがギブアンドテイクの、雑多に情報を集めることを目的とした連中だが、中にはSAO以前より付き合いのある――信頼の置ける者たちも居る。
 信頼の置ける者の数は少ないが、そのほとんどが何かに特化している者たちだ。
 何か、と言っても主に知識面に関してだけど、その知識は収集した情報の補完やら推測への裏付けなどに役立たせてもらっている。
 最近はキリュウなど、実戦面でも信頼出来る協力者も出来たお陰で、より充実した情報を手に入れることが出来るようになった。
 情報が多ければ多いほど、それらは取引などにも使えて、更なる情報を呼ぶ。
 幾多のプレイヤーの声を聞き、それらをまとめ、一つの結果、結論を導く。その結論のもとに調査し、確信を得る。
 それが、私のやり方だった。

「……まさか、同じベータテスターでもある奴が、ビーターの暗殺を企んでいたとはネ……」

 情報を集めていく中、その答えに行きついたのは早かった。
 バリーモッドという珍しい名前は、ベータ時では目立ったプレイヤーじゃなかったようだが確かに覚えている者は多く居た。
 彼もキリトと同じように、ベータテスト時と同じ名前でプレイしていたのが幸いだ。それさえ解れば調べる情報の絞り込みもし易いというものだ。
 彼の周りの状況を調査しながら、バリーモッドの真意を推測する。
 バリーモッドは元ベータテスター。
 彼は周囲にそれを隠して今まで過ごしてきた。
 彼はビーターについて悪意ある噂を流している。
 彼はビーターの容姿について特定した噂を流している。
 更に、彼は普段の仲間とは別にプレイヤーを集めている。
 そして彼は、ボス戦にてビーターを殺すと言っている。
 ここまでくれば、なんとなくバリーモッドの心中を想像できる。

 ――奴のこれまでの態度を考えると、キリトに危害を加えようとしているのは明らか……カナ。

 今度のボス戦で、ということを考えると、キリトに接触する機会も限られてくる。
 バリーモッドの取る方法も簡単に思いつくというものだ。

「……だけド」

 問題はそれをどうやって防ぐか、だ。
 知り合いも何人かボス戦に参加する予定だ。報酬を払ってキリトの警護をしてもらうか?
 しかし、参加するプレイヤーたちは心から信頼できる者たちではない。
 こんなシリアスめいた状況では、ここぞいう場面で手のひらを返されかねない。
 だが、信頼できるプレイヤーに頼むとしても、命の危険が高いボス戦で、ボス以外にも注意を向けろというのも、信頼できるプレイヤーだからこそ頼みにくい。なんとも難しい話だ。

 ――キリトには、なるべくこの件は伏せておきたいしネ……。

 彼は、第一層のボス戦でビーターとなった。
 それが、あと九十九層あるアインクラッド攻略完了まで嫌われ者になり続ける覚悟をしたうえで宣言したのか、それともその場のノリだったのかは、彼の人柄からは微妙に判断が付きにくい。
 が、それでもその行動はプレイヤー全体のためであったし、その行動によって救われた者も少なからず居る。
 その反面、キリトも苦悩していることだろう。なぜなら、いつ誰かに非難されてもおかしくない状況を自分自身で作ってしまったのだから。
 だからこそ、これ以上の面倒事をアイツに背負わせることはしたくは無い。
 特に深い仲、というわけじゃないけど、まあまあ長い付き合いでもあることだしな。

「…………ふむゥ」

 長く考えている時間も無い。
 と、いうわけで、もういっそのことキリュウに賭けてみるというのはどうだ?
 バリーモッドは元ベータテスターといっても、攻略組というわけじゃない。
 レベルもプレイヤーとしての技術もそこそこ、といった塩梅だ。
 スキル構成も《聞き耳》みたいな両手剣士には不釣り合いなものがある以外は普通。
 これならキリュウくらいの実力者なら問題は無いと判断できる。

 ――問題は彼が協力してくれるかどうかダネ。

 キリュウ自身、この件を問題視してはいるようだが、関係の無いプレイヤーのために命をはってくれるのか。
 話を聞く限り、迷っている印象を受けた。
 あの年頃特有の無垢な正義感と、現実的な損得勘定で板挟みになっているんだろうと推測。
 あの堅物少年を説得するには――

「…………クフ。くふハッ……にゅっふっふハハハ!」

 自然と笑いがこみ上げてくる。
 この私が、ここまで人間関係で悩むとはね。
 今までは――ベータ時代やそれ以前のMMOのときには、そんなことは考えなかった。
 騙された方が悪い。やられる前にやれ。
 やられたくなければ、相応の対策を事前に考えてしかるべきだ。

 ――でも……。

 このデスゲームが始まってから、私の考えは明らかに以前と変わった。
 出来ることならプレイヤー全員で協力してアインクラッド攻略に臨みたいし、プレイヤー間の諍いはなるべく起こしたくない。
 そんな考えもあったからこそ、無償のエリア別攻略本なんてものを放出したし、ベータテスターと思われるのも覚悟の上でボスについての情報を公開した。
 ……いやまあ、もちろん色々とメリット、デメリットは計算したけどね。それでも根幹にあるのは純粋な人助けだと私は思っている。

「…………っ、ハァァァ~……」

 なんとも面倒くさい話じゃないか。
 私がこんなにも色々と考えているというのに、誰もがそれをあざ笑うかの如く自分勝手だ。
 デスゲームなんてフザケタ状況でも、全員が全員協力しあえる訳じゃないし、まして他人を貶める輩まで出る始末。

「…………くくク」

 いいだろう。いいだろうともさ。
 お前たちがその気ばらば、私にも考えというものがある。

 ――あの計画(・・・・)、早めるとしようカネ……。

 私はキリュウにメッセージを打つ。
 バリーモッドについて調査した内容を簡単にまとめ、まずは結論。バリーモッドが事を起こす旨を伝え、次いでビーターについて書く。このとき、やや同情を引き易い文章にするのも忘れない。
 わざとらしいくらいでいい。
 騙されてくれればめっけモノ。そうじゃなくても確実に布石にはなってくれる。
 そして焦らすようにしてから、次に私の秘密――というほどでもないが――ベータテスターだということを明かす。
 人間ってのは、他人から秘密を打ち明けられれば少なからず気持ちが浮き立つ。自分以外は知らないのだという優越感を感じるせいだ。
 ここで意見を誘導してやれば、考えが肯定的になる可能性が高い。
 追い打ちをかけるようにバリーモッドの動機について説明する。被害妄想が過ぎるとはいえ、彼もデスゲームで歯車が狂ってしまった被害者なのだと。暗に、バリーモッドを犯罪者にさせるなという意味を込める。
 最後にとどめとして、情報の報酬は要らないということ、そしてボス戦が終わった後のことはこちらで責任を持つということを示し、少しでも頼まれる側の重圧を軽くしてやる。

 ――ふむ。ここまでしてやれば十分だろウ。

 これは頼みであると同時にテストでもある。
 キリュウが、私にとって本当に信頼できる人物となりえるかというテストだ。
 彼がこの状況でキリトを助けようとするお人好し(バカ)なのだったら、私は最大限キリュウのこれからをバックアップしよう。
 他人のために命を張ってくれる人間は貴重だ。他の誰がそういう人間をバカと笑おうが、最後の最後で頼れるのは結局そういう奴だけだ。
 逆に、もしキリュウがキリトを見捨てるような人間だったとしたら――――それはそれでいい。
《デスゲーム》なのだから、自分の安全を優先するのは当たり前だ。
 しかし、そういう輩はこれからも大事な場面で自分を取る。無論、信頼は一切できない。
 いきなり関係を切ることは無いが、次第にフェードアウトしていくのは確実だろう。

 私は自分を臆病者と認識している。
 本来ならば、自分の方から他者を信じるということを始めて、徐々に信頼を築いていくものなのだろう。
 だが私は、まず相手ありきだ。
 信頼できる相手と、しっかりと判断ができて初めて一歩だけ踏み込む。
 相手がその一歩を受け入れれば次の一歩を踏み出すが、そうでなければそこで終わり。
 此方だけが信頼して飛び込んでも、相手が受け止めてくれなければ痛い思いをするのだから、慎重に慎重を重ねる。痛い思いはしたくないから。

 でも今回は時間が無い。
 私の信頼全部を委ねていい人物か、ゆっくりと石橋を叩いている時間は無い。
 一足飛びに「他人の為に命を懸けてくれ」と頼むしかない。
 普段のキリュウならば受け入れてくれる可能性は高い。それは今までの付き合いからでも解る。問題は、命の懸かった極限状態ではどういう選択をするのかだ。
 正直な話、そこまでの信頼関係はまだ築けていないと思う。

 ――抜き打ちテストだ、キリュウ。見事、私にとっての正解を導き出してくれ……。

 私はメッセージの送信ボタンを押した。




  ◆




「――ハッ、ハッ、ハッ……!」

 暗闇に染まったフィールドを、俺は闇雲に走っていた。
 思考もなく、目的地も決めず、ただ離れなければいけないという意識のみで身体は動いていた。

「ゼッ、ハー、ゼッ、ハー……っ」

 どのくらい時間が経ったのか、走っていた先に偶然あった村の《圏内》に入ったとき、俺はようやく足を止めた。
 両のひざに手をついて、息を整える。

「すぅー……はぁー……」

 呼吸が落ち着くのと同時に、頭の方も落ち着いてきた。
 落ち着いたことで、思い出したくないこともどんどん脳裏に甦って来る。

 ――クソッ……クソッ……クソォォ……!

 失敗した。
 あれだけ大言壮語を吐いたってのに、ビーターを殺せなかった。
 協力してくれた奴らにゃ報酬を払わなきゃならないし、殺せなかったことで色々と言われるだろう。
 ノリの軽い即席の仲間(やつら)のことだ。最悪、『ビーターを殺すと息巻いて、結局は殺せなかった男』というのを尾ひれ付まくって周りに言い触らしかねない。

「……ぅ」

 いや、絶対にするだろう。
 これじゃ本当の仲間(あいつら)のもとへさえ帰れねぇ……。
 結局、俺がしたことは、俺の全てを失くしただけだった。

 あの野郎――俺の目論みを邪魔しやがった蒼い髪と眼のガキ。
 ルネリーちゃんといた野郎だ。名前は忘れた。
 俺のルネリーちゃんとパーティーを組んでいるどころか、更に二人も女の子を囲んでいるイケスカない奴。
 最初の印象はそれだけだった。
 ルネリーちゃん絡みでまた会うかもな、とは思っていたが、まさかあの場面で出しゃばってくるとは全くの想定外だ。

 ――アイツ……今回のこと、ルネリーちゃんに言うかな……?

 言うよな。俺がアイツだったら言うもん、ゼッタイ。
 ああ、仲間も尊厳もを失い、最後にはフラグさえも失うといふのか。

「はぁぁぁ~~……」

 溜め息を深く吐いて、体も気分も重くなった気がした。
 あの野郎が居なければ、きっと、何もかも巧くいってたんだ。
 俺はビーターの足を切断して、ビーターは毒ガスの中に取り残されて死ぬ。
 ビーターさえ居なくなれば、だんだんとその存在は忘れられていって、そして仲間と戦い続けて行ってベータテスターだのビギナーだの差が無くなったそのときは、俺はあいつらに打ち明けるつもりだった。そのときなら、受け入れてもらえると信じて。

 ――それをあの野郎が、台無しにしやがったんだ!

「…………っ」

 だけど、と思う。
 あの野郎が居なければ、俺は――死んでいたかもしれない。
 俺が毒ガスに引きずり込まれたとき、アイツは他の奴らが唖然としている中、ひとり躊躇なく毒ガスに俺を追って飛び込んできやがった。
 なんなんだよアイツは、意味がわからねぇ。
 何処で聞いたのかは知らねぇが、俺がビーターを殺そうとしてることを知って止めに来たんじゃないのか?
 アイツからしてみりゃ、俺は犯罪者だろ?
 なのに、なんでアイツは俺を助けたんだろうか。

『……ルネリーたちなら、そうしただろうからだ』

 いや、理由は一応言ってはいたけど、今考えてみるとそれだけってありえるのか?
 そんなんで他人のために命を懸けるのか? ないだろ。
 アイツに助けれらて、わけもわからないうちに協力させられ、気が付いたら毒ガスは消えていた。
 絶対に助かるわけがないと思っていた俺は、最初助かったことを自覚できなかった。
 でも、アイツと目が合ったとき――こいつに助けられたんだと、自分の邪魔をした奴に助けられたんだという羞恥が、俺の心を満たした。
 そして俺は、ボス戦の真っ最中だというにも関わらず、たまらずひとり抜け出した。
 言いようのないモヤモヤを抱えて、ここまで走って来たというわけだ。

「……はは」

 笑っちまう。我ながら滑稽すぎて自分で笑えて来る。
 もう俺は、これから先どうしたらいいのか……。



「ねえ、そこのお兄さん」



「……あ?」



 俺が自棄になりかけたそのとき、誰かが声をかけてきた。
 うつむいてた頭を上げると――そこには、胸元の大きく開いた赤いドレスを着た女性が立っていた。
 ウェーブのかかった赤みがかった茶髪のセミロングに、少しきつめの化粧。年齢は二十代前半くらいか?
 化粧は濃いが、美人ではある。エロマンガとかで見た娼婦っぽい感じのお姉さんだ。

「フフ……ねえ、何してるの?」
「え、と……べ、別になにも……」

 すーっと寄り添うみたいに近付かれ、女耐性の低い俺はどもってしまう。

「そうなの? なにか深刻そうな顔をしてたけど」
「……ちょっと、嫌なことがあっただけだよ」
「ふーん」

 もう少しで触れそうなほど近付いてくるわりに、その女性の声はどうでもよさそうだ。

「あ、あんた……なんなんだ?」

 田舎村の、他に誰も居ない夜の通りで、全く知らない女性と二人っきり(しかも距離が限りなく近い!)という、この雰囲気に耐えきれず、俺はその女性に訊いた。

「アタシ? アタシはね……あそこ、見える? あのお店で働いてるのよ」

 女性が指差す方向には、一軒の酒場が。
 プレイヤーが露店ではない個人の店を持つにはまだ時期が早いんじゃないかとも思ったが、聞けばどうやらアルバイトのような毎日クエ(一日一回までだが毎日受けられるクエスト)で日銭を稼いでるらしい。

「ヤなこと、あったんでしょ? だったら飲んでかない? もう時間も遅いし、泊まれる部屋もあるわよ?」

 奢らないけど酌ぐらいはするわよと、まだ名前も訊いていないこの女性に勧められ、俺は拒否する暇もなく押し切られた。

 ――ま、いいか。今日は色々ありすぎた。酔えないけど、それでも飲みたいときだってあるよな……。

 それに、こんな美人が酌をしてくれるっていうし。
 今夜だけはイヤなこと全部忘れてしまおうと、俺はその女性についていき、その酒場へ入って行った。




  ◆




『~~~~~~~~~~っっっ!!!??』

 私が寄りかかっている壁の向こう、隣の部屋から絶叫が聞こえてくる。
 そして直ぐにピタッと止んだ。
 本来、この仮想世界のあらゆるドアは、条件つきながら完璧な遮音性能を持っている。
 閉じられたドアを透過する音は、叫声(シャウト)、ノック、戦闘の効果音、の三つだけだ。平常の話し声などはたとえドアに耳を押し当てても聞こえない。
 ましてや壁なんて論外、何をしてもどうやっても隣の部屋の音は聞こえるはずがない。それが叫び声だったとしても。
 しかし、ここの宿は例外中の例外だ。俗にいうボッタクリ宿。
 一般の宿屋と同程度の値段のくせに、鍵はないわ、部屋はせまいわ。更には部屋を囲う壁は普通のドアと同じ特性を持っている。そう、叫び声などは通る、ということだ。ありえないったらない。

「ふー……。一仕事終えた後のバレンシアは美味しいわね」

 ノックもなしに私の居る部屋へと入ってくる赤いドレスを着た女。
 彼女は片手にグラスを持ちながら、優雅な足取りで私に近付いてきた。

「酔えないカクテルなんて、ソフトドリンクと同じだろウ?」

 私は特に気にせずにその女に話しかける。

「無粋ねぇ、それを言ったらSAO(ここ)にある全てのお酒がソフトドリンクということになっちゃうわ。ノンアルコールカクテルと言ってちょうだい。――アルゴ」

 挨拶的な軽口に、私はクスッと苦笑する。

「まあ、それは置いておいテ……ありがとウ、キミに頼んでよかったヨ。――《メリーシア》」

 ドレスの女性、メリーシアは蠱惑的に微笑んだ。

「あなたの頼み、しかもこんなに楽しい《お仕事》を断るワケないでしょう。ふふっ……これでも、あなたには感謝しているんだから、アタシ」

 立ち話もなんなので、私たちは部屋に置かれたテーブルにつく。
 小さな丸テーブルに一対のイス、そして簡素なベッドだけがこの部屋の備品の全てだ。
 ストレージから新たな飲み物を出しているメリーシアに倣って、私も常備してあるウルバス産のブランデーを開けた。

「……それにしても楽勝だったわ。明らかに童貞まるだしで。えーと、名前なんだったっけ? 聞いたけど忘れちゃった」
「バリーモッド。っておいおイ、依頼の説明したときも名前教えたはずダロ」
「いいじゃない。どうせもう――二度と(・・・)会うことなんてないんだし」

 そう、バリーモッドはもうここには居ない。
 想定外のことが起こらない限り、二度と彼がキリトやキリュウの前に姿を見せることはないだろう。

「今回はぜんぜん難しくなかったし、報酬はいいわ。そのかわり、またお願いね♪」
「ハァ、まったく、キミは本当に()とは別人だよネ。二重人格と言ってもいいんじゃないカ?」
「あら。アタシをこんなふう(・・・・・)にしたのはあなたよ、アルゴ。……あなたのおかげで、アタシは変われたのだから」

 彼女――メリーシアという女性プレイヤーとは、このソードアート・オンラインのベータテストで偶然知り合った。
 実は、ベータ時代のメリーシアはかなーり地味めな女だった。
 三つ編み、ハの字眉毛、俯き顔、重度の対人恐怖症。
 なんでそんなアバターでオンラインゲームなんてやってるんだと、思わずツッコミを入れたくなるほど意味不明な引っ込み思案な娘。
 そんな彼女に私はとあるアイテムを渡した。
 アバターの容姿に直接作用するタイプの《メーキャップアイテム》。
 簡単に言えば化粧品。
 私の両頬の三本ヒゲもその類のアイテムを使って描かれたものだ。
 彼女に渡したのは、フォトショップのように自分の顔や髪を色々といじくれるもの。最初は戸惑っていたようだが、すぐに使い方を覚えた彼女は、己の美の追求に溺れていった。
 そして次に私が彼女に会ったとき、彼女は変わり果てた姿となって現れた。元が良かったのか、メリーシアは誰もが美人と賞賛するほどの容姿となっていたのだ。
 化粧は女を化けさせる、というが、彼女の場合、容姿だけではなく性格すらも化けてしまった。
 化粧を覚え、人が変わったことにより、彼女はとある《病気》を持つようになったのだ。

「ああ……、はやく次の男を騙したい……♪」

 メリーシアは、《ハラスメント行為誘起詐欺師》なのだ。







 昼間の彼女は地味で真面目な女性プレイヤー。
 男性の割合が多いパーティーの中でも、信頼はされるが恋愛感情なんて抱かせないという意味不明の特技を持つ。
 会話も最低限しかなく、意見もせず、ただ黙々と与えられた役割をこなす彼女には、その姿にある種の諦観すら見て取れる。彼女を初めて見た者は、きっとデスゲームのせいで感情を閉ざしてしまったんだなと思うことだろう。

「デスゲームとなって初めてのお仕事……♪ 簡単ではあったけど、やっぱりイイわぁ……はふん」
「にはハ。この変態メ」 

 しかし、ひとたび陽の落ち切った闇夜となれば、彼女は胸元を大きく開いたドレスを纏う娼婦のような蠱惑的な女性プレイヤーに変貌する。
 特定の酒場にカモになりそうな男性プレイヤーを誘いこみ、色々と思わせぶりな言動でハラスメント行為を相手に起こさせる。
 メリーシア曰く、騙されたと解って、でもシステムによって動きを拘束された男性プレイヤーのあの驚愕と絶望と憤怒の入りまじった顔が堪らなく快感なのだという。

 ――ゼッタイ地獄へ落ちるナ、このオンナ……。

 それは私もか、と思ってから自嘲する。
 私はメリーシアに依頼して、バリーモッド相手に《仕事》をしてもらった。
 先ほどの叫び声の主は、バリーモッドだ。
 キリュウからキリトを守ったとの連絡が来る前に、あらかじめ監視役を頼んでおいたプレイヤーに報告を貰った。そしてバリーモッドの進む方向に先回りをして、場を整えた。
 今、この小さな村には私たちしか居ない。そうするように私が仕向けたのだ。
 恐らく、メリーシアに誘われたバリーモッドは、促されるまま彼女に触れ、そこで彼女はいつも通り「ごめんなさいねぇ~♪」というセリフと共に《ハラスメントコール》をしたのだろう。
 申告(コール)により、加害者はシステムによって一時的にその場で動きを拘束される。手足が動かないだけなので、加害者はこのとき様々な感情をその表情に映す。ある者は怒り、ある者は助けを乞い、またある者は絶望に茫然とするか絶叫する。
 そして然る後、強制転送されるのだ。
 全てを失ったバリーモッドは、最後の最後でも騙され、叫びながら何を思ったのだろうか。

 ――ま、もう関係ないけどネー。

 何故ならバリーモッドは――

「ねえ、アルゴ?」
「ん?」
「それで、《あの件》はどうなったの?」
「…………あア、あの件ネ」

 メリーシアに問われ、回答しようとしたそのとき、メッセージの着信音が鳴った。
 私は慣れた手つきでメッセージウインドウを開く。

「誰?」
「…………」

 噂をすれば、というやつかな。

「ねぇー、教えてよぉ」
「……《あの件》についてだったヨ。ほラ」

 私はメリーシアにメッセージを見せた。

「ふむふむ……んふふっ、なるほど。計画通りみたいね。……でもよく《アレ》を見つけたわよね? いえ、むしろよく考え付いたって言った方がいいのかしら」
「にっひっヒ。まぁネ」

 送られてきたメッセージにはこう書かれてあった。






『アルゴさん。あなたの情報通りの手順で、黒鉄宮の《牢獄エリア管理システム》を掌握することが出来ました。予想通り、投獄日数の変更も可能みたいです。アルゴさんの仰る通りでした。このシステムを悪用されでもしたら大変なことになります。これより、私が責任を持ってこの黒鉄宮を管理致します。お任せ下さい。
 そして次に、連絡にあった通り、先ほど牢屋(ジェイル)に強制転送されてきた男性プレイヤーを一名確認しました。転移してきた当初は盛大に喚いておりましたが、今は大人しくしています。彼がPK未遂を起こしたというのは、アルゴさんの情報なので信じますが、本当に《無期投獄》の設定にしてよろしいのでしょうか?』

 このソードアート・オンラインの世界には《犯罪防止コード》というものがある。主街区などの一部の町村に敷かれた、システムによる絶対ルールのことだ。
 このルールに反する行為を行った場合、プレイヤーは重いペナルティを受ける。
 簡単な例を挙げるとするなら、やはりセクシャル・ハラスメントだろう。
《犯罪防止コード圏内》で男性プレイヤーが故意に女性プレイヤーの身体へ接触を試みた場合、女性プレイヤーはハラスメント行為をシステムに申告(コール)できる。
 申告された男性プレイヤーは身体(アバター)を拘束されてカーソルが犯罪者を示すオレンジカラーとなり、黒鉄宮内にある監獄エリアの牢屋(ジェイル)へ強制転送させられる。

 ベータテスト時代であったならば、リアルで三日間は牢屋にアバターが更迭されられ、ログアウトしてもアバターはそのまま牢獄の中に居続ける。
 期間限定のベータで三日間の拘束はかなりきつい。
 更に、このコード違反にも重さがある。
 普通の刑務所と同じだ。罪の重さで服役期間が変わるのは当たり前ってね。

 ベータでは、基本的に違反の罰は三日間の投獄が普通だった。
 では、今はどうだ?
 デスゲームという状況下で、逆に言えばたった三日間の投獄で犯罪も許される。
 もし、犯罪上等というバカが現れたりでもすれば、この世界はどうなってしまう?

 ――決まっている。混沌だ。

 アインクラッド百層の攻略をしている場合じゃなくなるだろう。
 そう考えた私は、何よりも真っ先に黒鉄宮を調べた。
 黒鉄宮には監獄エリアがある。
 ベータ時代、監獄エリアを始めとした黒鉄宮の管理はNPCが行っていた。
 しかし、現在の黒鉄宮内にはNPCは居ない。関係者以外立入禁止(キープアウト)だった場所も出入り自由となっていた。
 私は宮殿内をくまなく探し、そして《監獄エリアの管理システムにアクセスする端末》を見つけ出した。
 だが見つけたはいいが、それの管理を私がする訳にはいかない。

 私は金に薄汚い情報屋――《鼠のアルゴ》なのだから。

 そんな私が監獄エリアの管理システムなんてものを掌握していることがバレたら、暴動は確実だろう。
 ならば、そんな大層なものを管理してても誰からも文句を言われず、なおかつそれを絶対に悪用しないと信用できる人物を管理者とすればいい。
 幸い私は、そんな人物に心当たりがあった。
 私は今し方メッセージを送って来たそいつに返信する。

『構わなイ。設定を《無期投獄》で固定してクレ。キミも解っているダロウ? いつ開放されるかも解らないこの状況。限られたコミュニティの中に、犯罪を起こそうとする人物がいル。その人物は事の大きさを理解できていないんダ。そんな奴を野放しにしておく愚は犯してはならナイ。しかも、一度投獄されれば、そのことを逆恨みして更なる犯罪に繋がりかねなイ。だからこそ、投獄された者はSAOをクリアするまで投獄し続けたほうがイイ。キミには嫌な役目を押し付けてしまった形となるが……くれぐれも頼ム。――――《シンカー》』

 シンカーは《MMOトゥデイ》というSAO開始時の、日本最大のネットゲーム総合情報サイトの管理人だ。いや――だった、というほうが正しいか。私はかねてから数々の情報をそのサイトに提供していたこともあって、彼とは旧知とも呼ぶべき間柄だった。

 彼は現在、はじまりの街に籠っている全プレイヤーたちのため、集団で安全に狩りを行い、全員でアイテムやコルを分配するという活動をしている。
 無論、そんな彼の人望は厚い。
 彼ならば、《監獄エリアの管理システム》を管理していても誰も文句は言えないだろう。







 この理不尽な世界で、理想を保つことは大変だ。
 信頼できる者ができても、少しの希望が見えてきても。
 必ずといっていいほど《邪魔》が入る。
 こっちが気を使って色々してるってのに、その全てを台無しにしてしまう奴が現れる。
 もう疲れた。理想を全て叶えることは無理だということが解った。解ってしまった。
 だから限定する。
 守るモノと、切り捨てるモノを区別するのだ。

 ――キリュウ。

 君は合格だ。よく正解を出してくれた。
 私の中で君は《守るモノ》に分類されたよ。
 今後、私は君を助け続けよう。きっと、君も私を助けてくれるから。

 ――バリーモッド。

 君は不合格だ。君の境遇には同情するが、よくも私の苦労を台無しにしてくれた。
 私の中で君は《切り捨てるモノ》に分類されたよ。
 今後、君はSAOがクリアされるまで牢屋の中に居るといい。安心してくれ、寂しいのは少しの間だけだ。きっと、すぐに仲間が増えるから。








 第三層フロアボス攻略の翌日。
 私は今回のボス戦についての噂をあらっていた。
 バリーモッドは結構ビーターについて言い触らしていたようだし、彼が失敗したあとの経過が気になったのだ。
 しかし意外なことに、それほど噂は広まっていなかった。
 そもそもデスゲーム状態で犯罪を起こすことを本気で信じるプレイヤーも少なかったのだろうと思う。
 更にその上、噂好きのプレイヤーたちは別件に夢中だったようだ。

「…………ぷ……くっ、にゃはははははハ!」

 その別件というのが――



『――プレイヤーたちの運命を握る大事なボス戦に、あろうことか三人もの美少女を侍らせたハーレム野郎現る!!――』



 もろに知り合いのことだった。

 ――ま、このくらいは幸運税ということで少年には我慢してもらおう。

 今のところ計画は順調のようだ。
 でも、それも最後まで続くかは解らない。
 だから私は、今日もアインクラッド中の陰を駆け廻る。
 誰よりも多く情報を集め、誰よりも多く情報を扱い、全てを利用して《邪魔》に備えるのだ。

 他の誰が知らなくても良い。

 自分自身だけの――――自己満足(りそう)のために。



[34210] 第二章  曇天の霹靂  As1.望んだ世界
Name: ネ申原◆f483f651 ID:52def2aa
Date: 2012/08/12 18:25
「何でっ、あんたっ、みたいなっ、クソガキがっ、生まれちゃったのよっ!!」
「……っ、ぐっ、がっ、かはっ、ぐあっ……!」

 泣きそうな顔をしながら俺を叩く母親。
 何度も。何度も。何度も。何度も。
 時には手の平で俺の頬を。
 時には拳で俺の胸を。
 時には足で俺の背中を。
 時には近くにあったモノで、俺の体中を叩く。

「…………っ」

 俺は、無力だった。
 父親は俺が物心付く頃には既に居なかった。女手一つで俺を養っていた母親は、ストレスが一定を超えると俺をサンドバックのように扱った。
 嫌だと思ったことは何度もある。だけど、俺にとっては《虐待(それ)》が当たり前だった。……それが、日常だった。

 中学生になった俺は、給食だけを頼りに日々を生きていた。既に母親は俺を放任していたからだ。
 制服はよれよれ。髪はボサボサ。服装についても何度も注意を受けたが……仕方ないだろう。ウチでは、風呂さえ満足に使わせてもらえないのだから。
 そんな俺がイジメの対象になるなんてことは、しょうがないことだったのかもしれない。汚い制服、臭くガリガリの体、親譲りの鋭い目付き、栄養失調と睡眠不足による濃くて大きいクマ、話しかけられても常に無言、無愛想。これらのせいで俺の風体は、周りからは根暗な奴がガンを付けて来る、というように見えるらしい。
家では母親に虐待され、学校ではクラスメイトにイジメられ……。俺はもう、心身共にボロボロだった。






「――とまあ、こんなことがあったわけで、この日本刀《村正(ムラマサ)》は、徳川家にとってまさに妖刀――呪われた刀だったわけだな。まあ、実際に呪われていたかどうかは定かじゃないが、その後に芝居やら物語なんかで妖刀って扱いをされてな。今じゃ《村正=妖刀》という認識は根強い。みんなもゲームとか漫画で聞いたことあるんじゃないか? 自身の持ち主だけじゃなく、持ち主の家族や友達、周りの者まで呪い殺してしまう。つまり自他共に不幸にしてしまう刀、それが妖刀…………なーんてな」


 ――妖刀、《村正》……。


 俺がそれを知ったのは、社会科の教師が授業に関係無い薀蓄を喋っているときだった。
 学費の問題で高校に行けない事が決定している俺は、いつも授業を聞き流していた。が、《自分の周りが不幸になる》という言葉で、その話に興味が出てきた。
 何故なら……俺は、全てにムカついていたから。
 今まで散々虐待してくれた母親に。何処へ行ったのかも解らない父親に。アホみたいな顔で笑いながら幼稚なイジメをしてくる奴らに。イジメや家での虐待を知っていながら放置している教師たちに。救いの無い世界に。そして何より、現状を覆すことも出来ない己の無力さに……。
 自分も最後には死ぬが、自分の周りの者も殺しまくるという妖刀《村正》。

 ――欲しい。

 そう、思った。
 自分のことなんかどうでもいい。俺の周りに居る奴らを殺せる力を手に入れられるなら、俺はどうなったっていい。
 ……だが、そうは思っても実際にそんな妖刀なんて存在はしない。俺は、それを渇望しつつも、ムカつく日常に埋もれていった。

 その後、中学を卒業した俺は家を出た。無論、母親には無言でだ。餞別として三十万ほど黙って貰ったが、今までのことを考えたら慰謝料としても安すぎるだろう。
 俺は歩きで県を三つほど跨ぎ、格安の訳あり物件(家賃月1万、四畳一間、共同トイレ、風呂無し)を借りた。そして個人経営の居酒屋に頼み込んでアルバイトをさせてもらうこととなった。チェーン店じゃないのは、家出した未成年者である俺は雇って貰えないだろうと思ったからだ。

 居酒屋の店主であるおっさんは、昭和の頑固親父みたいなその容貌通り厳しい人だった。愛想の無い俺を拳で教育したり、一回ミスるだけで店中に響くほどの音量で怒鳴られた。
 ……だけど、いくら失敗をしても俺をクビにするなんてことはしなかったし、十五という年齢で学校にも行かずに一人暮らしをしている理由も聞いてこなかった。
ある日、俺はそのことを聞いてみたことがあった。

「……おっさん。今更だけどさ、訊かないのかよ? 俺がここに居る理由。こっちとしちゃありがてぇけど、そっちからしたら不安なんじゃねぇのか……?」
「…………ふん。お前みたいなガキが今こうしてるのを考えりゃ、訳ありなのは当然思いつく。――そうしなけりゃいけなかった訳があることもな。嫌なら最初から雇いやしねぇよ。いいから無駄口叩いてねぇで仕事しろ」
「…………」

 俺は初めて、ちゃんとに《俺自身》を見てくれる人を見つけた気がした。






 基本的に居酒屋は夕方から深夜までなので、俺はそれまで暇だった。別のアルバイトをしようかとも考えたが、居酒屋の仕事は結構体力を使うので、二つ同時は無理だった。なので俺は、暇つぶしのために初給料で中古の安いテレビとゲームを買った。主人公の侍を動かし、何人もの敵を切り捨てるアクションゲームだ。
 俺はすぐにそれにハマった。俺に斬り殺される敵の顔が、今まで俺に辛酸を舐めさせてきた奴らに見えたからだ。

 それから俺は、アルバイト以外の時間をゲームに注ぎ込んだ。そのほとんどが剣で人を殺すようなものばっかりだったが、此処には親は居ない。俺を注意する者なんて誰も居ない。……俺は、自由を手に入れたと思った。

 十八歳になり、未だアルバイト生活だが、一応金もそれなりに貯まった。
そんな頃だった。
 俺はバイトまでの暇潰しにコンビニで雑誌を立ち読みして新作ゲームのことを調べていた。そこで目に入ったのは、大手ゲーム会社アーガスの新作VRMMO《ソードアート・オンライン》のベータテスト参加者の募集要項だった。
 最先端技術で造られた美麗な仮想世界で、実際に自分の手で、自分の意思で剣を振るって敵を倒すことが出来る《剣がプレイヤーを象徴する世界》。
 俺はその謳い文句に惹かれ、ダメ元で応募した。

 それから一ヵ月後、もうほとんど忘れかけていた頃に、それは届いた。
《ソードアート・オンラインのベータテスト参加チケット》。
一瞬何のことか思い出せなかったが、その意味を理解した瞬間、不覚にも「うぉっ」と情けない声を上げてしまった。
俺は貯金のほとんどを使って急ぎナーヴギアを購入し、SAOのベータテストに参加。そこで初めて《完全(フル)ダイブ》というものを体験した。

 ――最高、だった。

 普通のゲームでは味わえない、自分自身の手で敵を殺せるという所に、俺は心頭した。
 特に最も俺を熱くさせたのがPK(プレイヤーキル)だ。人間の操作するプレイヤーのHPがゼロとなり、アバターが光となって消える間際のあの悔しそうな顔。あの情けない顔……。
 堪らない快感だった。
 もっと。もっと。もっと、もっともっと……っ。
 もっと殺したい。もっともっと殺したい。
 俺の頭の片隅で、そんな想いが次第に大きくなってくるのを感じていた。









「――バカヤロウッ!」

 仕事の最中、おっさんに怒られた。
 SAOのベータテストが終わってしまい、あの快感が得られなくなった俺は、他のどのゲームをしても渇望する欲求を満たせず、日々を悶々と過ごすしかなかった。
 しかし、ようやく明日、待ち望んだSAOの正式サービスが開始される。
 あの世界をもう一度駆けまわれるのだ。
 ベータテストのときのことを思い出し、正式サービスに思いを馳せていた俺は、つい仕事中にボーっとしてしまった。

「…………すんません」

 失敗をしてしまったときの、いつも通りの対応をする。
 このおっさんは一時(いっとき)は怒るが、すぐに切り替えてくれる。サバサバした性格なので、後に引きずらない。不器用でたびたび失敗してしまう俺にとって、この性格には助けられてきた。

 ……だが、今日は違った。

「ふざけるのも大概にしろよ、ガキっ! ……不器用なのは別にいい、慣れるまでやらせるだけだからな。無愛想なのも別にいい、やるべきことをやってれば文句は言わねぇ。――だがな、仕事中に他の事を考えて呆けてる奴は邪魔でしかねぇ。やる気がねぇなら帰ぇれ!」

 結局、俺はその日、働かせて貰えなかった。
 その後アパートに帰った俺は、恩を仇で返すようなことをしてしまったことに後悔しながらも、やはりSAOのことが頭から離れず、複雑な心情のまま翌日を迎えた。

 二〇二二年、十一月六日、日曜日。

 今日の午後一時から、SAOの正式サービスが開始する。
 体調は万全。ベータ時代のデータもしっかりと頭の中に入っている。
 仕事が夕方の五時からなので三時間しか今日はプレイできない。ベータの情報を以って、他のプレイヤーに先んじてスタートダッシュをするのは無理そうだが、だからといって仕事は休めない。

 ――これ以上、おっさんの信頼を裏切るような真似はしたくねぇ……。

 ようやく安心できる居場所が出来たんだ。その居場所を作ってくれた恩人には報いなければ。
 しかし、そう思いつつも、それとは真逆の考えも俺の頭の片隅にはあった。

 ――人間関係ってなぁ、やっぱ面倒だ。いっそ、SAOの世界が本物になってくれれば……剣さえあれば全てが手に入る、そんな世界に、変わってくれれば……。

「……そんなもん、叶わねぇ夢と解ってる。解ってるんだ……」

 誰に言うでもなく、俺は自室でひとり愚痴る。
 この世界は残酷で、救いは限りなく無い。ゲームのように頑張ればなんでも出来るというものでもない。金持ちの子供が金持ちのように、貧乏人の子供が貧乏なように。生まれ育った環境というのは、人間の様々な能力を伸ばす上で大事なファクターであると同時に、覆すことが出来ない不平等なものでもある。
 他人が当たり前のように持っているものを、俺は持っていない。
 そして、今の世界って奴は、持たざる者に対して優しくない。

 ――(チカラ)が欲しい。望んだもの全てを手に入れることの出来る力が……。

 俺は、そんなことを思いつつ、ナーヴギアをかぶった。

「……《リンク・スタート》」








 午後四時二十七分。

 ログインしてすぐ、SAOの舞台である浮遊城アインクラッドで一番最初のプレイヤーの出発地点《はじまりの街》を見周り、これから幾度となく使う重要な施設をいくつか回ってベータ版との差異を確かめ終わった俺は、さっそくフィールドに出てモンスターを狩っていた。
 ベータと正式版じゃ変更箇所もあるかもしれない。武器や各種アイテムの値段、宿屋などの各施設の料金、NPCに話しかければタダで貰えるアイテムなど、はじめに確認しておいて損は無い。それらを知っておけば、狩りに出た際の引き時というものをある程度計算できるからだ。効率良く狩りをするのならばこれらの情報は大変重要だ。
 現在の俺のレベルは3。つい今し方ようやくレベルアップした所だ。
 やはりこの世界は良い。どうしてか、俺にはこの世界のほうが《生きてる》という実感が得られる。この調子でもっとプレイしていたいのだが。
 しかし、この辺でログアウトしなければ仕事に間に合わない。けっこう時間もギリギリだ。
 激しい抵抗感を感じながら、俺はシステムメニューウインドウを開いた。

「…………あぁ?」

 ログアウトボタンに触れようとして指が止まる。
 ベータ時代に散々押してきたボタンがそこには無かったからだ。
 仕様でも変わったのかと思いウインドウ内を探す。

「……無ぇ」

 しかし、幾度探そうと目当てのものは無かった。

 ――バグか? 

 ベータ版じゃ、バグらしいバグなんてものは無かったっつぅのに。
 こりゃ今夜は荒れるな、と考えて、ハッとなる。

 ――やべぇっ、仕事……!

 急ぎ俺はウインドウ内にあるGMコールを発した。
 だが、五分経ってもなんの応答も無い。他のプレイヤーも大勢GMコールをしていて対応が遅れているのかとも考えたが、それならば全員を強制ログアウトさせればいいだけじゃないのか?
 焦りつつも時間は無情にも刻々と過ぎていく。
 学生時代のイジメにより、他人との交流を極力減らしていた俺には、知り合いなんて居ないから相談出来る者も当然居ない。現状を打破する策は……無い。
 システムウインドウ内の時刻表示が午後五時を示した時、俺は天を仰ぎ「おわった……」と呟いた。

 そしてその三十分後、俺の言葉通り確かにそれは終わった。

「っ! な、なんだ!? 強制、転送っ……!?」

 ――そう、遊び(ゲーム)が、終わったのだ……。










「ハ……ハハッ、ハ……アッハハハハハ! クハハッ、クハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」

 俺は、はじまりの街を飛び出し、フィールド駆けていた。
 心が弾む。足が軽い。今ならなんでも出来そうだ。
 俺の胸を満たすのは《歓喜》。何故なら、叶わぬと思っていた俺の願いが現実となったからだ。

 ――感謝する、茅場晶彦……!

 フィールドで強制転送された俺は、はじまりの街の中央広場に出た。
 そこで聞いたのは、SAOとナーヴギア開発の第一人者である茅場晶彦の声明。
 アインクラッド完全攻略までログアウトは不可。
 HPゼロは、現実での死。
 広場に居た一万近くのプレイヤーたちは、その話を聞いて負の感情を撒き散らしていた。

 ――だがしかし、俺はその真逆だった。

 こんなに嬉しいことはない。何故、他のプレイヤーたちが嫌がっているのかが解らない。
 要は、生きる世界が変わっただけだ。現実か、SAOかという違いだけだ。
 HPがゼロになったら死ぬ? そんなの現実でも同じだろうよ。運悪く車にモロに撥ねられでもすら一発じぇねぇか。運悪くHPがゼロになったら死ぬんだからよ。
 だけど、|SAO(ここ)は現実じゃ出来ないことが出来る。
 人は超人の如き力を得られるし、素人がプロ並みの料理や道具を作れる。
 努力すれば、必ず望むものを手に入れられる世界。
 まさに、俺の渇望した世界だ。

「――オラァ!」

 街道をひたすら駆けながら、目の前に出てきたモンスターを倒す。
 目指すは迷宮区のあるエリアの隣のエリア。
 第一層のフィールドモブの中では一、二を争うほど倒した時の経験値が高いモブが出る場所だ。小さいが、鍛冶屋も宿屋もある村も近くにあるので、そこを拠点とする。
 しかし、当然ながらそのモブはかなり強い。HPはやや少なめだが、一撃の攻撃力がヤバい。
 今のレベル3の俺では、数回のヒットでHPはゼロになるだろう。
 茅場晶彦の言葉通りならば、それは…………《死》を意味する。

 ――だが、それがどうした。

 俺が居なくなっても、心配してくれる人間なんて居ない。
 俺が死んでも、涙を流してくれる人間なんて居ない。
 居酒屋のおっさんのことも、もういい。人間関係ってやつに疲れていたところだ。
 俺は此処を死に場所としたい。
 俺の人生、生まれた時には既にロクでもないってことは解ってたんだ。
 だったら、最後くらい思い切り楽しみたい。生きているということを実感したい。

「クハッ、クハハ! アーッハッハッハッハハハハハハハ!!」

 ――このSAO(せかい)で、俺は精一杯生きて……そして、死んでやる……!



[34210] As2.村正
Name: ネ申原◆f483f651 ID:52def2aa
Date: 2012/08/12 18:44
 二〇二三年 一月二十一日 土曜日。

 数時間前、ついにアインクラッド第六層が攻略された。
 第一層の攻略に一ヶ月もかかったというのに、それ以降は順調に攻略は進んでいるようだ。
 現在の俺のレベルは24。恐らく攻略組の中でもトップクラスのレベルだと自負している。
 が、俺は攻略組ではない。何故なら、俺は一度としてボス戦に参加していないからだ。ボス戦に参加すれば、必ずパーティーを組まなければならない。人付き合いを極力避けている俺にとって、一時であろうと他人との協力は出来なかった。

 他人との人付き合いなんて面倒くさい。
 SAOでは、極論として、他のプレイヤーと関わりを持ちたくないと思えば、まったく人付き合いをしないでも生活できる。狩りや攻略で、危険度の増すソロプレイを続ける覚悟があれば、最低限NPCとだけ会話できれば問題はない。

 ――だけど……。

 そう、思っていたのに、俺は最近おっさんのことをよく思い出すようになっていた。SAOに囚われてはや二ヶ月あまり。その間、俺はNPC以外のプレイヤーと会話をするということはなかった。人嫌いを自称する俺なのだが、正直こんなにも人と接しない時間が多かったのは初めてのことだ。
 現実世界では、望もうと望まざるとも、好こうが嫌おうが、人との関わり合いは避けられない。自給自足が出来なければ、自らが働いて生活費を得るしかない。それは必然的に他人と接することに繋がるからだ。
 だが、SAOではその必要がない。
 金を稼ぐにはモンスターが居ればいい。宿や食事もNPCが居ればいい。

 俺が望んだ世界。自分以外、誰も要らない世界。そのはずなのに。

 ――まさか俺は……《寂しい》と、そう感じているのか……?

 いざ誰とも話す必要がない世界に来てみると、何故か無性にあの無骨な店主のいる居酒屋が懐かしくなる。
 自分がいくら強くなっても、それを比較できる相手が居ない。自慢できる相手も居ない。ボス戦に参加もしないということは、自分の強さを誰かに見せつけることもできない。

 だから、最近思う。

 ――なんのために、俺は強くなるのだろう……。

 と。








 浮遊城アインクラッド第六層。

 見渡す限り岩肌の丘陵地が連なっているフィールドが特徴の階層で、ベータテスト時ではこの層までしか到達できなくて、六層迷宮区のフロアボスを倒す前にテスト期間が終わってしまった。俺を含む元ベータテスターたちが独自で情報を持っているのはこの第六層までだ。これより先の第七層以上は、文字通り手探りで攻略を行わなければいけない。
 昨日、第七層の主街区が解放されたので、今頃プレイヤーたちは主街区でお祭り騒ぎを続けているか、もしくはおっかなびっくりに未知のフィールドに繰り出しているかのどちらかだろう。
 しかし、俺は現在、まだ六層に居た。
 一人僻地で狩りを行っていたため、攻略が終わったという情報が届かなかったのだ。人との交流を極限まで減らした弊害だった。

「……」

 早朝七時。俺は迷宮区最寄の村《アルスタ》を目指し、緩く続く岩肌の山腹を歩いていた。
 この時間から既に起きだしているプレイヤーは珍しくないが、攻略直後の層の迷宮区以外のエリアを歩いているプレイヤーは俺ぐらいのものだろう。
 俺はこれから六層迷宮区に繰り出し、単身で攻略して七層に向かう。主街区から転移門で、でもいいのだが、やはり迷宮区をとばして次の階層に行くというのはゲーマーとしてズルをしているようで腑に落ちない。アルスタで装備を修理して迷宮区へ赴き、今日中に七層に辿り着くとしよう。

 ――まあ、ボスが居ないのがあれなのだが……。

 そう思って山道を行く足に力を入れた時だった。

「……っ」

 既に癖となった定期的な索敵に反応。思わず腰の武器に手を伸ばしたが、すぐに張りつめた気を緩める。

 ――プレイヤーか。

 前方に表示されたのは青色カーソルがひとつ。山道にごろごろしている大岩に遮られ、まだ姿は見せていないが此方に向かって近付いてくるようだ。

 ――めんどくせぇ……スルーだな。

 恐らくは、俺がさっきまで居た狩場に向かうのだろう。

「…………」

 だが、少し気になるな。あの狩場は経験値は高いしドロップもそこそこだが、かなり強力なモブがうじゃうじゃリンクしてくる非常に危険な狩場だ。パーティーを組んでる奴らでさえ倦厭してるってのに、たった一人で行こうとする馬鹿な奴が俺以外に居たとは……。

 いったいどんな奴だと気配のあった方向を見る。
 数十メートル前方、麓からの登り道の向こう側、ひとつの大岩の影からそいつは現れた。


「なっ………………ガキ……だと?」


 意図せず口に出てしまうほど、その人物は俺の想像とはかけ離れていた。
 身長は百五十あるかないかというところだろう。
 顔は幼く中性的、たぶん男。中学一、二年くらいか。
 明るめのブロンドを短く揃えている。
 装備は革鎧系のようだ。どこかで見たことのあるダガーを右手に持っていた。

 ――おい。このガキの装備……ほとんど《第一層》で揃えられるものだぞ……っ!?

 俺は軽く戦慄した。
 こんな下級も下級の装備で、しかもたった一人であの狩場に行くのは無謀だと思ったからだ。

「はぁ、はぁ、はぁ……あっ!」

 そのガキは、何故か疲れた表情をしていて、俺を見た瞬間、声を上げた。

「……」

 何故このガキが声を上げたのかは知らないが、俺には関係ない。
 このガキが無謀なことをしようが、もちろん俺には関係がない。
 俺は歩き出す。何事もなかったかのようにそのガキの横を通り抜けようとした。

「あ、あの! あのっ!」

 しかし、それは阻まれた。

「あのっ! す、すみません!」

 無視して歩き去ろうとする俺を回り込むようにして声をかけてくるガキ。
 何故俺に話しかけてくるのかは解らないが、30メートル以上も付きまとってくるそのしつこさに結局俺は折れた。

「……何だ」

 立ち止まってそのガキに向かい合う。
 ガキは嬉しそうな顔をすると、たどたどしい口調で言ってきた。

「あ、はい! あのですね、そのー……あ、ぼくは《ファム》っていいます!」

 ガキ――ファムが言うには、最近まで一層二層の雑魚モブでちまちまレベル上げをしていたのだが、つい先日、ようやく16レベルになり《階層+10レベル》の最低安全マージンを確保した。それにより意を決して現在の最上層である第六層に来たのだが、迷宮区に到達する前にフロアボスが倒されてしまったという話を途中にあった村で聞いた。折角ここまで来たので、迷宮区を一目見てみようと迷宮区最寄の村を探していたのだが、迷子になってしまった……らしい。宛てなくひとりで歩いているところに運よくプレイヤー(俺)を見付け、村の場所を訊こうと話しかけてきたという。

 ――つか、ほとんど一本道でどうやって迷うんだよ……。

「あのー、それでー……案内をお願いできないでしょうか?」

 上目遣いで訪ねてくるファム。その姿は、どこか保護欲を駆られる小動物めいていて、突き放すことに躊躇いを覚える。

「…………アルスタに向かう途中だった。付いてくるなら勝手にしろ」

 気付いたら、俺はそう言っていた。
 普段の俺ならば、案内どころか話を聞く耳すら持ち合わせていなかったってのに。

「あ……ありがとうございますっ!」

 自分の不可解な言動に胸の中がもやもやしていた俺だったが、がばっと頭を下げて、本当に嬉しそうに礼を言ってくるファムを見ると、そのもやもやが少しだけ晴れたような気がした。

 それから俺たちはアルスタに向かった。しかし、パーティーは組んでいない。
あくまでも俺はただ歩いているだけ。このガキが勝手に付いてくるだけというスタンスだ。

「ホントーに助かりました! あのまま誰にも会えなかったらどーしよーかと思ってました!」
道中、ファムはどうでもいいことを引っ切り無しに話しかけてきた。
俺は適当な返事と相槌をするだけだったが、ファムは何故か嬉しそうにアルスタまで話し続けていた。

 そして俺も――どうしてか、表情(かお)に出しているよりは、それを鬱陶しいとは感じていなかった。

 午前十時。無事アルスタへ着いた俺たちは、簡単に別れの言葉をかけてその場を離れた。

 と、思ったのだが。

「あ、ここって武器屋ですね。うわー、六層なだけあって一層や二層の武器とはスペックが全然ちがいますね!」

 何故か俺の後ろを付いて来るファム。
 修理のために寄った武器屋の中で興奮して騒ぎ出した。

「あ、あれ! あれは何ですか?」
「……」

「うわっ、高い! ぼくの全所持金の二倍でした……」
「…………おい」

「わあ。このナイフ、かっこいいですねー」
「おい」

「アハハ。やっぱりここにもあるんですね、ネタ装備」
「…………」
「あ、はい、な、なんでしょう……っ?」

 無視するならそれでもいいと、踵を返そうと思ったのだが、ファムはすぐさま手のひらを返してきた。

「…………何故、付いて来る?」
「え、あ……う……そ、その……」

 急に言いよどむファム。
 しかし俺は、次にこいつが言うだろうことに予想がついていた。
 大方、自分とペアを組んでくれと言ってくるのだろう。
 アルスタに来る途中、俺はこいつの目の前で幾度かモブと戦った。
 六層程度の通常モブならば既に雑魚と化している俺だ。そんな俺と組めば楽を出来るとでも思ったか。

 ――そんなことを言って来たら、即座に断ってやる。

 そう心構えをした俺に、ファムは――

「……う」
「?」

「う、うぅ……うあっ……うぅ、うくっ……!」
「っ!?」

 ――な、泣き……っ!?

 いきなり泣き出した! な、なんだ、どうなってる……!?
 こんな展開は初めてだ。今まで、悔し涙を流させられたことはあっても、誰かを泣かせたことはなかった。
 あまりの予想外な出来事にパニックを起こした俺は、ファムを連れだって急いで武器屋を出た。
 そして人目につかない場所を思い浮かべ、近くの宿屋になだれ込むようにして入っていった。

「…………」
「うっ、ううっ……」

 宿屋の部屋に入り、既に十分が経過した。
 むせび泣くファムを椅子に座らせ、俺は丸テーブルを挟んで向かい合うように座りながら、内心頭を抱えていた。

 ――何故、こうなった……。

 いや、理由は解っている。俺自身がこいつを此処に連れてきたのだから。
 でも、そう思わずにはいられない。この何とも言えない沈黙が苦し過ぎる。

「……あの」

 俺が精神的に限界に達しようとしたとき、泣いていたファムが突然話しだした。

「聞いて、くれませんか……?」
「…………」

 こんな場面で断る方法を、俺は今までの人生で習っていなかった。

「…………ぼく、友達が居たんです」

 ――居た、か。過去系ということは……。

「ぼくとそいつは、あの日――正式サービス開始当日、SAOに一緒にログインしていました」

 ファムはゆっくりと話し出した。

 あの運命の日、ファムとその友人は茅場晶彦の《SAOデスゲーム化宣言》を聞いた。
 ファムは怖くなり、外部――現実世界からの救助を、はじまりの街に籠って待とうとした。
 しかし、ファムの友人はそれに反対。逆に街から出て、レベルを上げた方が良いと主張したらしい。

 ――その気持ちはよく解る。俺もそうだったからな。……が、数ヶ月経って気持ち的に落ち着いた今は、はじまりの街で救助を待つ者の気持ちも解らないではない。
いやむしろ、救助を待つ方が人として理性的な行動だ。

 茅場晶彦の言葉が真実かどうかも不明な状況下、「HPがゼロになったら死ぬ? だったらレベルを上げて強くなり、安全を確保だ」なんて考えるほうがどうかしている。正確な情報が得られるまで様子を見て、情報を集めて、危険な行動をしないというのがベストだったんだろう。
 まあ結果として、茅場晶彦の言葉は真実――数ヶ月経って改善の兆しも見えないことから――であり、早期に自己強化を行った者たちの方が、ある意味、正しかったとも言えるが。

「……ぼくたちは、ケンカ別れのようになってしまいました。そして、そいつは街を出て行き、ぼくは安い宿の部屋でずっと泣いていました」

 それから一週間、ファムは寝て、起きて、食べて、泣いて、また寝る、という繰り返しだった。コルが尽きかけて食糧や寝場所が満足に得られなくなってきても、どこか他人事のように感じていた。街中に自分と同じような無気力なプレイヤーが溢れていた。そして、その光景を見て更に気分が落ちる。

「――そんな状況が終わったのは、思ったよりも早かったでした」

 ある日の正午、シンカーという名の男が突然、中央広場で演説を行った。
 曰く、この状態が続くのはよく無い。早急に脱しなければいけない。
 まずは腹が減っては気分も良くはならない。食事を用意したので、これで食欲を満たしてくれ。
 皆が不安となっているのは、理由は多々あるだろうが、一番の要因は《孤独》だ。
 家族が居ない、親友が居ない、恋人が――此処には居ない。
 普段、身近に居るのが普通の者たちが居ないというのは、それだけで人を不安にさせる。
 要するに、安心できる場所が無いのだ。心休まる時が無い。
 孤独を好む者とて、それは周囲に人が居て初めて成り立つ孤独であり、本当の意味での孤独が好きなのではないだろう。

 ――耳が、痛い……。

「ならば、みんなで助け合おう。一人では危険なモンスターだって、十人で戦えば危険度はぐっと減る。二十人、三十人で戦えば更に減る。もう《ひとり》はやめよう。《みんな》で、このゲームをクリアし、現実世界へ帰ろう。……そう、言っていました」

 ファムはその言葉に救われたという。
 もう一度、剣を手にとってみようとさえ思ったらしい。
 そして、一週間も連絡をとってなかった友人に、自分の決意を話そうと、メッセージを送るためにフレンドリストを開いた。

「……でも、ぼくは結局あいつと二度と連絡を取ることは出来ませんでした」

 何故なら、リストに表示された彼の名は、既にグレーアウトしていたから。

「後悔……しました。何故あのとき。ぼくはあいつと一緒に行かなかったのかと」
けれど、泣き伏せるということはしなかった。そんなことをすれば、友人の死を本当に無駄死ににしてしまうから。

 だから、ファムは街を出た。色々な感情がせめぎ合って、誰かを頼ることも出来ず、結局は一人で戦うしかなかった。

「それから約二ヶ月を一人で過ごしました。ようやくギリギリだけど最前線へ出れるくらいのレベルにもなって…………でも、もう限界でした」

 寂しくて、人の温もりが恋しくて、だけど今さら頼れる人も居なくて。

「そこで出会ったのが、あなたでした」

 だから、あんなにも不自然にはしゃいでいたのか。

 ――それが俺みたいな無愛想な奴でも、か。

「ぼくは久しぶりに自分以外の人と一緒に居る楽しさ、そして心強さを感じました。誰かが傍に居るって、すごく安心できるんだなって」
「…………」

 それは、俺も少しだけ思った。
 初めてとも言っていい誰かと共に歩く行為。普段、周りの奴らに感じているウザい気持ちは抱かなかった。逆に……そう、心地よささえ感じた。

「あの、その、それで……こんなことを言うのは、都合が良いってことは解っています。だけど、言わせて下さい。――――ぼくを、仲間に入れては貰えませんか……っ?」

 ぐっと頭を下げて乞うファム。
 その両手は痙攣するほど硬く握り締められ、彼の不安を如実に表している。
 こいつの想いは解った。一人の寂しさは、認めたくは無いが俺も感じていたことだ。
 結局人間は一人では駄目なんだ。一人が好きでも、それでも誰かが周りに居る。例え自分とは関係の無い人だとしても、眼に映る範囲で、すぐ声をかけられる範囲で、《誰かしら》が居るからこそ、思う存分《孤独》に浸ることができる。《安心》して、一人になることが出来る。

 しかし、SAOでのソロプレイは、それとは全く別のものだ。
今のSAOはゲームじゃない。ある意味で現実。SAOでの孤独は、現実での孤独と同義だ。
 だからこそ、一人は辛い。一人は苦しい。
 俺自身、感じていた。いや、ファムと出会ったことで、それが確信に変わった。

 ――孤独による心細さ。

 俺が自ら望んで、そして現在、俺を苦しめている原因。
 ファムの提案を受け入れれば、この苦しみから解放されるかもしれない。

「…………」

 ――俺が望んだものを、俺が拒むのか?

 俺は何故、孤独を選んだ? 俺は何故、SAOを選んだ?
 俺は何故、茅場晶彦の言葉に歓喜した……?
 考えた。それこそ、人生で初と言っていいほど。
 そして結論を出した。それが最善ではないと知りつつ。
 俺は、長い沈黙の間、目の前で震えていたファムに返答した。

「…………………………悪い」

 断りの、言葉を。












 二〇二三年 二月十九日 日曜日

 アインクラッド第十層。広大な砂漠と、オアシスを中心とした樹林や村があるエジプト風な階層。
 この階層にある村や町は、建物が少なく通りが広い、また地面も平坦な場所が多い。それゆえ、ベンダーズ・カーペットを敷き、露天をする生産プレイヤーも少なくない。あと数週間もすれば、第十層は大規模な露店街になるかもしれない。

 ――ま、俺には関係ないが。

 プレイヤー露天すら利用しない筋金入りのボッチ……もとい生粋のソロプレイヤーである俺だ。装備、アイテムに至るまで全てを、プレイヤーメイドではなく、モンスターからのレアドロップで揃えている。

 ――フロアボスのドロップはなくとも、エリアボスのドロップはたんまりある。

 迷宮区最上階のボスはソロじゃ無理だ。少なくとも、この状況で単身撃破を試みる博打は出来ない。
 その点、エリアボスは確かに強いが、ソロでもやってやれない事も無い。本当に危なくなったら簡単に逃げだすことも出来る。最悪、転移結晶を使えば問題は無い。唯一の問題は、誰よりも先にエリアボスに見つけ、誰かが来る前に倒さねばならないというところか。早い者勝ちは他と変わらない。
 しかしそれも、他のプレイヤーがフロアボス攻略と新階層解放でお祭り騒ぎしている間に先に進めば、ある程度は先んじてエリアボスを何体か倒すことも出来る。

 ――あくまでも今は、だが。

 これから先、俺と同じ考えを持つ者も出てくるだろう。
 そうしたら、また別の方法を考えなければな。
 此処で、先駆者でいられる方法を。

「…………?」

 十層迷宮区からのいつも通りの朝帰り、ふと索敵範囲内に反応があった。
 俺は特定の宿を持たないが、かといって迷宮区最寄りの町みたいな人の集まる所を拠点にするのも躊躇われた。その為、少し遠くにはなるが隣のエリアの村を拠点にしている。
 迷宮区エリアへのエリアボスが倒されたことにより、プレイヤーは皆、迷宮区最寄りの町を拠点としているので、此方は割と閑散としている。

 そのはず、なのに。

 ――反応は七つ。プレイヤーのようだが……何かおかしい。

 パーティーだとしても人数が半端過ぎる。三人と四人のパーティーに分かれている可能性もあるが。
 しかし、それにしても、このプレイヤーを示す光点の配置……まるで一人を六人が囲うような……。

「…………」

 俺は言いようも無い予感に従い、《隠蔽(ハインディング)》を発動させる。
 視界下部のハイド・レート表示は100パーセント。誰の視界にも入ってはおらず、かつ索敵もされていない状態だ。
 オアシスが近いのか、辺りには身を隠せられそうな大きな草木がある。
 俺は木々の陰を移動しながら体を隠しつつ、反応があった場所に近付いた。








「――だろ?」

 男の声がした。人をどこか不快にさせる粘りつくような声だ。

「いいじゃんさ。別に全部くれって言ってるわけじゃないんだしさー」
「そうそう。こんなご時世なんだしさ、助け合いっつーの? おれらを助けて欲しいわけよ」
「最前線でソロやってんだし、じゅうぶん儲けてんだろ?」
「とりあえず、ここにいる七人で分けるとして……所持金の七分の六でいいや」
「だよな、分配は大事だ、うん。しっかり計算しないとな! あはは!」
「あ、アイテムもね~」

 一人を、まるで逃げ場をなくさせるように囲んでいる六人の男たち。

 ――胸糞悪ぃとこに遭遇したな……。

 PKではないようだが、それにしてもカツアゲとはな。
 こういうプレイヤーが出てくるだろうことは想定していた。
 どうしようもないクズってのは、どこにでもゴキブリのように現れる。
 まして、このSAO――此処の中じゃ、どんなに現実で弱かろうが、レベルを上げれば確実に強くなれる。誰よりも、誰よりも。しかし、その《強さ》で、自分は強い、何でも出来る、何をしても許される、と勘違いしてしまう馬鹿も出てくる。
 此処には警察なんて居ない。強い者、レベルの高い者が傲慢に振る舞えば、レベルの低い者たちは誰も逆らえない。正に治外法権、無法地帯だ。

 ――最近じゃ、それをなんとかしようと頑張ってる連中も出てきたらしいが。

 それも、そいつらよりもレベルの高い者たちが従わなければ意味は無いけどな。

「――ほらほら。おれらもさ、出来るなら手荒なことはしたくねーわけだし、要するに……早くだせや」

 とはいえ、どちらにしろ俺には関係無い。
 弱者が、強者――財力、人数が多い奴、権力や単純な腕力が強い奴に虐げられるなんていうことは、俺自身が身を持って知ってる。……ガキの頃から否応も無く、知らされた。
 それが嫌なら、強くなるしかないんだ。

 ――だから俺は、せめてSAOでは強者であり続ける。あり続けたい……!

 二度と、あの悔しさを繰り返すのは嫌だったから。

「……」

 俺は誰にも気付かれていないうちに、その場から離れようとした。
 少し歩くが、別の村に行っても何も問題は無い。
 そう思い、踵を返そうとした。



「……そ、そんなことを言われても……」
「――っ!」



 耳に入った気弱そうな声に、俺は反射的に振り返った。

 ――この、声は……!

 約一ヶ月ぶりとなるが、ある意味、俺にとっては忘れられない声だ。
 あのとき、俺が拒絶したときのことは、今でも鮮明の覚えている。
 いや、忘れられるはずがない。

『……そう、ですか…………そう、ですよね。ぼくみたいな、足手まといなんて……』
『あの、ごめんなさい。なんとなく、断られるんじゃないかなって、そう……思って……っ』

 ――ファム……!







「は・や・くぅ~! は・や・くぅ~!」
「あっはっは」
「にしても、早くしてくんねえと、マジで手荒なことになっちゃうよん?」
「そうそう、SAOから強制ログアウトだよー」
「ははっ、それって逆に良いことじゃん」
「まあ、茅場晶彦が言うには、現実世界からもログアウトらしいんだけどね~」
「人によってはそのほうが良いって言うかもな」

「……うぅ」

 六人の男たちに囲まれ、小さくなっているファム。
 この一ヶ月で、あいつがどれだけレベルを上げたかは解らないが、あの様子を見る限り、この状況を打開できるとは思えない。完全にあの男たちに呑まれている。

「……でも、そんなにお金持ってないですし……」

 消極的否定。今のファムにとって、これが精一杯なんだろう。
 しかし、クズたちにとって、そんなことは関係ない。
 あいつらは、既にファムを獲物と断定した。自分たちよりも弱いと認識してしまった。
 強気にでても、問題はないと解ってしまったのだ。

「ったくよー。おれらもヒマじゃないだよ。早くしろって!」
「あうっ」

 男の一人がファムの肩を小突く。
 たいして力は籠められていなかったようだが、その行為にファムがただ震えるだけというリアクションをしてしまったため、男たちは段々とエスカレートしていく。

「んだコイツ? ビビっちまったかァ?」
「そんなんでよくソロやってんなー。逆に勇気あるよ。はは」
「こりゃマジで金持ってるかアヤシくなっちゃったな~。ま、とりまシステムウインドウ立ち上げろや。おれらが確認してやんよ」

 一人、二人、三人と、ファムの肩、背中、頭を小突いていく男たち。
 その光景に、俺はフラッシュバックを覚えた。


『――くっせぇ! おまえ風呂入ってんのかよ!?』

『汚ぇな。こっちくんなよ』

『うぇ~い! バイキンだ! ほらターッチ!』

『いやぁああ! 男子! このバカ汚いでしょ! やめてよ!』

『せんせー。教室が臭くて授業に集中できませーん』

『根暗なやつ。なあ、なんでオマエ、生きてんの?』

『さっさと死なねぇかな~』

『死ねよ。あ、でもここで死ぬのはやめてな? 自分の家で死んでくれ』

『アッハッハ』

『あっはっはっは』


 目の前が真っ白になる。
 あいつらの事を、俺を虐げてきた奴らのことが、思い出したくもないのに次々と浮かび上がる。

「――リーダー。もうよくね?」

 腰から剣を抜きながらそう言った男の顔が、学校時代のむかつくあいつらの顔と被った。
 そしてファムの姿が、学園時代の俺と被る。

「…………くっ」

 その下卑たニヤケ顔が、無償にむかついた。――――殺してやりたいほど。








「なんだ、おまえは?」
「あん?」

 気付いたら、俺は男たちの背後五メートルほどの所に立っていた。
 いや、《気付いたら》という表現はおかしい。確かに自分の意思で此処に立った。
 が、このときの俺は正常じゃなかった。と後になって思う。

「…………五月蠅ぇよ……」

 酷く、五月蠅かった。
 目の前のこいつらが喋ると、過去のあいつらの声まで頭の中に響いてきやがる。
 人を馬鹿にして、見下すような声音。
 むかつく。屈辱的だ。殺意を覚える。

「……あ」

 男たちの野太い声とは違う、幼さの残る声。
 俯いていたファムが、俺に気付いたようだ。

「あ……に、逃げて下さい! 早く、逃げて下さい!」

 必死に、とても必死に、既に涙を浮かべながら俺に逃げろと言うファム。

「あ? なんだ知り合いか?」
「へっへ、ちょうどいいじゃん。カモが増えたってことね」

 下種が、下種らしい戯言を吐く。
 俺もこいつらの標的になったようだ。

「駄目です! 逃げて下さい……――――ムラマサさん……っっ!!」




 ――そう、だ。俺のSAOでの名は《ムラマサ》。




 以前、授業で教師が言っていた妖刀村正からとった名だ。

『――自身の持ち主だけじゃなく、持ち主の家族や友達、周りの者まで呪い殺してしまう。つまり自他共に不幸にしてしまう刀――』

 俺はそれを欲した。自分がどうなっても構わない。俺を虐げ、絶望させる俺の周りの連中を片っ端から殺してやることができるのならば……!
 しかし、現実にはそんなものは無い。
 だから、思ったんだ。

 ――俺自身が……妖刀になれば良いんだ。

 このSAOでは、それが出来る。この無慈悲な世界では出来てしまう。
 強くさえあれば、強者が絶対のこの世界ならば、気に入らない全てを消すことが出来る。

「そうだ……」

 俺が――――《妖刀村正》だ……!










 執事のお辞儀のように、右腕を腰の後ろに、左手を腹に添えるように前に出し、頭を下げる。

「?」

 が、これはお辞儀ではない。
 フェイント。いきなり下げた頭に注意を向かせ、後ろに下げた右手を相手の意識から外す。
 そして再び頭を上げると同時、右手で腰の武器の柄を掴み、両腕を前後に回したことで捻じれた胴体を解放する。

「――っ!」

 右斜め下からの抜刀切り上げ。
 逆手に持った愛剣――大振りの湾刀(タルワール)が、手前に居た短剣使いの胸を斬り付ける。

「うわぁあ!? て、テメェ……!」
「やりやがった! 人数差わかってんのか!」

 ――五月蠅い。雑音が酷い。早く、静かにさせなくては……。

「は、はやく回復POTを!」
「あ、ああっ」

 両手用の湾刀を片手だけで扱ったからか、あまり深手は与えられなかったようだ。
 しかし、多勢を相手にする時は、相手側に休む時間を与えてはならない。一人ずつ確実に無力化する。

「お、お前ら囲め! 同時に斬りかかるん――」

 リーダー格らしき両手槍使いが言いきる前に、回復のために下がった奴を追撃する。

 両手用曲刀突進系ソードスキル《ビセクトラッシュ》。
 射程六メートルを〇・八秒で詰めながら突き上げ攻撃を行う技だ。
湾刀の形状上、突き上げといっても、刺突ではなく斬撃ダメージとされる。曲線を描く刀身が相手の体を滑るからだ。
 俺は相手の右二の腕に狙いを付けた。

「ぎゃあ!」

 俺がこの両手用湾刀を使っている理由は、数ある武器の中で、この武器が《ある特性》において、他の武器よりもやや有利だったためだ。

「お、おれの…………腕があっ!」

 俺に右腕を斬られた男が無様に喚く。

 ――《身体部位欠損》。

 指、腕、足、胴体、そして首。特定の箇所に、その部位の防御力を加味した一定量以上の《斬撃》系ダメージを受けると起こる状態異常。切り離されたとしても、HPが回復すれば元に戻る。だが、戦闘中ではまず無理だ。回復結晶を使えばその限りではないが、ただのポーションでは時間がかかり過ぎる。忙しない戦闘中な上、モンスターの簡易AIも戦闘能力が低い者にヘイトを集め易い。
 ベータテスト時代、俺はこれを利用したPKを得意としていた。
 どの武器が一番部位欠損を起こし易いか、一つ一つ念入りに試し、結果、この《両手用湾刀》に至った。
 やはり直刃よりも曲刃、片手用よりも両手用の方が切断判定は高い。本当は《両手用戦斧》の方が一番だったのだが、これは重過ぎて当たりにくい。当たれば必殺だが、ソロでの鈍重は死を意味する。

「てめぇええ!!」

 近くに居た山刀(マチェット)使いがソードスキルのプレモーションに入った。

 ――だが、その技は知っている。

 ソードスキルの弱点は、一つの例外もなく、定められた軌道を動くことだ。
ゆえに、どれだけ速かろうが、どれだけ強力だろうが、システムアシストが立ち上がる直前に、その軌道から外れてしまえば意味は無い。

「んな!?」

 両手用曲刀スキル超近距離下段攻撃技《ムーンファング》。
 上弦の三日月を思わせる黄光の斬軌が、ソードスキルで素振りをしながら俺の横を通過した山刀使いの両足を薙ぎ、両断する。

 ――理解した。こいつらは俺より弱い。少なくともレベルに十は差がある。

 ソードスキルはプレモーションが命。それは同時に《脚が命》ということでもある。片足を切断されたら、バランスなんてあったもんじゃない。バランスが悪ければ、プレモーションも満足にはとれない。激しく動き続ける戦闘中なら尚更だ。
 だからか、足は意外と切断しにくくなっている。あくまでも他の部位と比べて微妙な差だが。
 それなのに、こいつの足は両方とも一撃でザックリ。こいつと俺の力量差は歴然だ。膝から下が消えた状態では、もうこいつは満足に戦闘に参加することは出来ないだろう。

「な……!?」

 間抜け顔で絶句している残りの四人。
 どうやら間抜けなのは顔だけじゃないらしい。
《数の優位》を有効活用しない上、更に俺にとって有利になるような隙さえ作ってくれるとは。

 ――本当に、あいつらソックリだ……!

 自分より弱い相手にしか強気になれない。自分よりも強い相手には間抜け顔で何も出来ない。
 屑。くず。クズ。
 どうしようもないゴミ過ぎる。

「…………疼く」

 潰したいと、酷く疼く。
 消したいと、心が騒いでいる。

「な、何なんだよお前……おれらが、お前に何したってんだよ……っ!?」

 地に這い蹲る足無き男が叫ぶ。
 その顔には恐怖が浮かんでいた。

 ――そうだ、その顔だ。

 馬鹿面で笑っていたクズが、その顔を恐怖に歪ませる。
 この表情を、俺は見たかった。それを見ると胸がすくわれるようだ。
 そして直後に来る、このゾクゾクとした快感。

「………………っとだ」
「は?」

 もっと、もっとだ。
 もっと……その絶望した顔が見たい。

「もっと…………――――絶望、しろ」

 ヒュン、という風切音。

「……え」という男の口から洩れた声。

 俺の振るった剣の軌跡が、這い蹲った脚無し男の後ろ首に閃を描く。

 男のHPバーが、緑から……黄……赤へ……そして、消えた。



「あ……あ、あぁ、ア、アあぁあアァあああァああア――――――」



《最高の顔》をしながら、男は光に爆ぜた。

「はっは」

 なんて顔で消えていくんだ。最高すぎる。
 欲を言えば、血の滴る姿も見てみたいが、SAOは一応全年齢版。スプラッタは流石に無い。

「こ、殺し……やがった……」
「あ、あぁあ……」
「笑って、やがる……く、狂ってる!」

 ――だから物足りない分は、残りのクズの間抜け顔で我慢するか。









「て、転移! 《エルージ――ぐあっ!」
「………………」

 最後の間抜け顔を噛みしめつつ、快感に身を震わせる。
 SAOベータテスト時でのPKを思い出した。やはり、リアルな仮想世界でのPKは堪らない。まるで本当に人を殺しているかのような……。

「あ……あぁ……」

 人の声が聞こえた。怯えた幼子のような震えた声。
 無意識にその声の方を向く。

「ファ、ム」

 一ヶ月ぶりに間近で見たその顔は、俺を見て……怯えていた。

「む、ムラマサ……さん」

 その顔で気付く。俺が今、したことを。

『――諸君にとって、《ソードアート・オンライン》は、すでにただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ。……今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に、諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される――』

 思い出す。茅場晶彦の言葉を。
 俺は、自分のカーソルがオレンジ色になっているのを確認した。

 ――確定だ。

「あ、ぅ」

 俺はファムを見た。
 怯えている。俺に怯えている。人殺しに、怯えている。
 そして、それを見て俺は確信した。

 ――あのとき、断っていてやはり正解だった。

 調子に乗っていたにやけ顔が絶望に変わるのを、悦に浸って見ている俺。
 それが俺だ。俺の本質。クズを見ると、堪らなく殺してやりたくなる。
 一時、感傷になるときもあるが、俺の本質は変わらない。
 きっと正気ではないのだろう。だが、改めるつもりもない。
 普通の感性を持つ者とは根本的に違うんだと思う。
 俺は、こいつ――ファムとは、一緒には居られない。

「消えろ」
「……え」

 俺の最後の良心……いや、単なる自己満足か。
 だが、こいつだけは俺の傍に居て欲しく無かった。こんな俺を、見て欲しく無かった。

「此処から、消えろォォォ!!」
「ひっ! あ……う、うあああ!!」

 涙を浮かべつつ走り去る小さな背中。

 何故かその姿を映す俺の視界は、滲むようにボヤけていた。



 ――この日、俺は本当の《人殺し》になった。


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