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[34288] ガイストの弾痕 (SAO:ソードアート・オンライン 二次創作 GGOメイン)※タイトルを変更しました
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2013/08/22 23:21
前書き


 電撃文庫の小説、SAO《ソードアート・オンライン》の二次創作です。

 オリジナル主人公物で、主な舞台はGGO。 つまり『ファントム・バレット編』がスタートになります。

 4巻までしか読んでいない人、アニメしか見ていない人は戸惑うことになるかもしれませんが、この作品はガンアクションがメインです。
 物語の舞台としてALOが出る可能性はありますが、SAOは出てきませんので御注意をお願いします。


 原作未読でも楽しめるよう努力するつもりではありますが、いちおう原作の5~6巻までは読んだ上でこの作品を読むことをオススメします。
 少なくともまだ読んでいない、かつ原作5・6巻のネタバレが嫌な人は読まない方が良いと思います。


 独自解釈や独自設定などが見られることがあるかもしれません。 また、途中からゲーム内での話よりも現実世界でのストーリーがメインになるかもしれません。
 あと、アクション映画ネタがちょくちょく出てくると思います。



 ※この作品はハーメルンにも投稿されています。


 ※2013/01/02 タイトルを『THE REAPERS』から現在のものへ変更しました。




[34288] 1.硝煙の香る荒野で
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/11/06 06:59



 常軌を逸したその強さ。
 自身が初めて最強だと感じた人物。
 シノンがその男と初めて出会ったのは、荒野の一角でとあるスコードロンの一団を待ち伏せしていた時だった。















 時刻は薄暮、傾いた太陽が地表を赤く染める頃合い。
 シノンは数名の仲間と共に荒野の一角で潜伏していた。
 周囲は岩肌と砂に囲まれ、旧時代の遺物である高層建築の廃墟が立ち並ぶ。
 シノン達がいるのはその建物群の一つ、やや高台になった場所に立つ、前文明の遺構の中だ。
 ボロボロのコンクリート壁や鉄骨が掩蔽物となり、前方に広がる荒野を監視しやすい位置である。
 そこでシノンを含む六人のプレイヤーは標的の一団が現れるのを待っていた。
 しかし待ち伏せを始めてからすでに数時間が経過しており、仲間たちも徐々に意気が下がっている。
 と、その中の一人、腰に短機関銃を吊るしたマーカスという男がうんざりしたようにぼやいた。

「いい加減に遅ぇなぁ。 本当に来るのかよ?」

 疑わしげな声を上げる男に、

「ああ、間違いねぇよ。 連中がMob狩りの帰りにここを通るっていう確かな情報を仕入れたんだからな」

 この一行――今回の“狩り”に際して、シノンが一時的に所属することになったスコードロン――のリーダーであるディランがその厳つい顔を引き締めながら答える。 もっとも、この世界の住人は大半がアクション映画の登場人物ばりに筋骨隆々の体躯と厳つい武骨な顔立ちをしているのだが。
 そんな中、とりわけ異彩を放つ外見のシノンは首に巻いたマフラーに口元をうずめたまま、自分の愛銃である狙撃ライフルを腕の中に抱いて耳だけを会話に傾ける。
 自ら会話に参加するのはシノンの好むところではない。 十中八九、面倒で厄介なことになるからだ。

「けどよ、さすがに遅すぎねぇか?」

「たまたま獲物の湧きが良いんだろ。 その分、こっちの取り分も増えるんだから良いじゃねぇか」

「そうだぜ、文句言うなよ。 だいたい見張りやってる俺と比べりゃどうってことねぇだろうが」

 標的が来るであろう方向を双眼鏡で確かめながら、見張りについていたレーゲンが口を挟む。 とはいえ、こちらも流石にうんざりしてきたようだ。 目だけは荒野に向けられたまま、耳と口でわざわざこちらの会話に参加してくる。

「暇なら武器の点検なり作戦の確認なりしてろよ」

「つっても武器の点検はもう何度もやったし、作戦だってそんな複雑じゃないだろ。 敵の中でも一番厄介そうな奴を選んでシノンが狙撃。 あとは混乱を突いて俺らでアタックしかけるってだけだし」

「……わかってんなら黙って待ってろ。 心配しなくても直に来る」

 微かに苛立ったような声でディランが言うと、マーカスもそれ以上は口を噤んだ。
 と、ここで重くなりそうな空気を嫌ったのか、話を変えるようにメンバーの一人、スワットが口を開いた。

「そういやさ、シノンの狙撃って実際に見たことは無いんだけど、何メートルくらいまで狙えんの?」

「………武器の射程だけでいえば2,3キロは。 もちろん近いに越したことはないけど、少なくとも1000メートル以内なら外さないと思う」

 話を振られるのはシノンにとってあまり嬉しい事ではなかったが、一時的とはいえ一応今は仲間であるため、シノンも渋々言葉を返す。
 対するスワットは、彼女の言葉に大仰に驚いて見せた。

「そりゃすげーや。 ライフルってそんな遠くまで狙えんのな。 しかも一発で仕留められるし」

「……もともと、これは人を撃つための武器じゃありませんから」

 できるだけ低く、小さな声で言う。
 しかしそれくらいでは、シノンのやたらと可愛らしい声は隠せない。
 現実世界の自分とは似ても似つかない高く済んだ可愛らしい声に、答えを聞いたスワットは嬉しそうに相好を崩す。
 これだから喋るのは好きでないのだ。一部の男性プレイヤーは、シノンの声を聞くことである種の喜びを得るらしい。正直、背筋に嫌なものを感じる話だ。
 おまけにシノンのアバターは、小柄で華奢なお人形めいた少女の姿をしている。そのせいで、これまでにも男性プレイヤーから厄介な誘いを受けることが何度かあった。
 このゲームにシノンを誘った友人が言うには、そもそもオンラインゲーム・ネットゲームなどのプレイヤーは女性の比率がかなり低く、こういったガンシューティングゲームなどは特にそれが顕著であるらしい。
 ましてや外見の可愛らしいアバターなど、それこそ希少な存在であり、中にはそのアバターをアカウントごと取引している輩もいるそうだ。

 正直、戦うことだけがプレイ目的だったシノンとしては外見などどうでもよかった。むしろ、他のプレイヤーに絡まれる面倒を考えれば、もっと武骨で筋肉質な兵士然とした女性アバターが望ましい。
 実際、最初にログインした時には、自分の姿を見て即座にアカウントごと破棄しようとしたものだ。
 しかし先程の友人が『勿体ない』と強硬に主張したため、なし崩し的にそのままプレイし、すでに引き返せないところまでレベルを上げてしまっていた。
 今でも、その時のことを少々後悔することがある。
 特に、

「やっぱすげぇなぁ。 それにスナイパーってなんかカッコいいし。 なぁシノン。 これが終わった後時間ある? 実は俺も今狙撃スキル上げたいと思っててさ。 ちょっとコツとか教えてほしいんだけど」

 こうして事あるごとに口説こうとする輩が現れた時などは。

「………ごめんなさい。 この後は、リアルでちょっと用事あるから」

 実際には用事など何も無かったが、それでも決まり文句のようになった断りの言葉を口にする。

「ああ、そういやシノンは学生だったっけ。 大学生? レポートかなんか?」

「………ええ、まぁ」

 おまけに一度、落ちる時に『学校が……』と口を滑らせてしまってからは、誘いが執拗になってしまって来た気がする。 本当は高校生などとは、口が裂けても言えない。
 先程からスワットはシノンの声を聞くたびに嬉しそうに頬を緩める。その様子を見ているだけでシノンは不快になってきた。
 と、そこで先程愚痴を漏らしてディランに叱られていたマーカスや、それまで黙っていたザンダーまでもが会話に参加しようとにじり寄ってくる。
 いよいよもって「構うな」と叫びたくなってきた、その時――

「来たぜ。 奴らだ」

 タイミング良く、見張りをしていたレーゲンが突然こちらに向かって小さく叫んだ。
 他の面々は顔を見合わせ、それから各々武器を手にして立ち上がる。 それから五人は近付いてくる標的が見える位置へと移動した。
 メンバーたちが双眼鏡で、シノンはライフルについたスコープで件のスコードロンを確認する。
 人数は七人。 武装はなかなかに揃っているが、六人がかりで不意を打てば無傷で殲滅可能な数だ。
 厄介なのは、先頭を歩くリーダーらしき男だろうか。 その顔には見覚えがあった。
 名前は確か 《メイトリックス》。 190センチ近くの長身に加え、筋骨隆々の堂々たる体躯。 厳つい顔つきなども相まって、とある往年のアクションスターを連想させる。 そもそも名前からして、その人物を意識しているのは確かだろうが。
 その太い両腕には、弾薬合わせて総重量十キロを超える 《M60》 軽機関銃を携えている。 同じ分隊支援火器でも 《FN・Minimi》 などと比べると、旧式で性能が高いとはいえない銃ではあるが、その連射機能と七.六二ミリ口径NATO弾の威力はかなりの脅威だ。

「後ろに《M79グレネードランチャー》を持ってる奴もいるが、ありゃ単発式だ。 危険度はそれほどでもねぇ。 真っ先に潰すのは、やっぱり先頭のM60だな。 シノンには奴をやってもらう。 最初の狙撃で向こうが浮足立っているうちに、俺たちでM79を集中砲火だ」

「了解」

「ま、それが妥当か」

「なんだありゃ?」

 ふと、一人が双眼鏡を覗きながら首をひねる。

「どうした?」

「なんか変わった格好のヤツが一人いるぜ」

 その言葉に、周囲の面々もそれぞれ双眼鏡を覗いてみる。
 シノンもスコープ越しに標的のスコードロンの中の一人を確認した。

(あれか……)

 確かに、二列で行進する集団の最後尾に少々珍しい装備の男がいた。
 アバターの外見はそれほど特徴的でもない。 背丈は普通で、体型は痩せ気味だ。(筋肉ムキムキの大男が標準であるこの世界では、むしろ珍しいのかもしれないが)
 Tシャツの上に簡素なボディアーマーを身に付け、その上から細身の黒いミリタリージャケットを羽織っている。
 全体的に軽量な装備に身を包んでおり、それだけならばただのAGI型構成ビルドのプレイヤーに見えるのだが、身に付けた武器類があまりにも貧弱すぎた。

 男は両の大腿に取り付けたホルスターにそれぞれハンドガンを収め、後腰には二本のナイフが交差するようベルトに差している。そして傍目に見る限り、それ以外の装備は全くと言って良いほど見当たらなかった。
 もちろん、拳銃もコンバットナイフもこのゲームでは珍しい物ではない。 そこらの売店に行けば、いくらでも吊るし売りされている。
 だが、これらの武器は基本的に予備や補助といった意味合いが強く、メイン武器として使っている者は圧倒的に少ないのだ。
 すでにゲームが開始して数カ月経ち、マップも攻略されて様々な武器が登場した今では、たとえAGI型プレイヤーでも軽量サブマシンガンやアサルトライフルを使う方が主流である。
 にもかかわらず、あの男にはそれ以外の武器を装備している様子は無い。
 それとも拳銃くらいしか装備できないほどにSTR値が低いのだろうか……

「まだゲーム始めたばっかの新人ニュービーじゃねぇのか? どう見てもろくな装備してねぇだろ」

 確かに、見る限り脅威となりそうな強力な武器を持っている様子はない。 服の下に何か武器を隠そうにも、隠せるほど着込んでいるわけでもなかった。
 もしかしてアイテム欄にでも保管しているのかとも思ったが、そんなことをしても意味は無いだろう。 行軍中にいきなり戦闘が始まった場合、悠長にストレージを開いている暇などあるわけが無い。 現に、他のメンバーはそれぞれ手にメインとなる様な武器を構えている。
 シノンも少々気になったものの、結局はゲームを始めたばかりの初心者か、あるいはカッコつけたがりの物好きだろうと結論付けた。

「んじゃ、そろそろ作戦に移るぞ」

 短いディランの声に、メンバーがそれぞれ応える。
 それから五人は静かに高台を滑り降りていった。
 後に残されたシノンは、無言で通信用のヘッドセットを身に付け、静かに時が来るのを待つ。
 狙撃手にとって、ここから先は一人きりの孤独な戦いだ。
 周囲は人の気配が絶え、世界に自分一人しかいないのではないだろうかという思いが胸に浮かぶ。 それが錯覚にすぎないと分かっていても、感じる心を止めることはできない。
 荒野にそびえる廃墟の中で佇みながら、シノンは腕の中にある長大なライフルのバレルを撫でる。 この世界における、シノンにとっての唯一にして無二の相棒。
 その武骨で冷たい感触に、戦闘を前にして若干昂ったシノンの心が冷えていく。 それどころか、同時に一種の安らぎをも感じていた。
 ≪PGM・ウルティマラティオ・ヘカートⅡ≫  それがシノンの相棒の名だ。
 全長約138センチ、重量13.8キロという図体を持ち、巨大な50口径の弾丸を使用する。 対物狙撃銃(アンチマテリアル・ライフル)というカテゴリに属する、この世界でも特にレアな武器の一つだ。 それゆえに、市場に出せばかなりの高額で取引されることが予想されている。
 しかし、シノンは偶然手に入れたこの武器を、金に換えようとは思わなかった。
 この銃を見た時、これはきっと己の目的を果たすための力になると思ったから。 そして手に取った時、単なるアイテムであるはずの銃に、初めて≪心≫を感じたからだ。
 それから二カ月、シノンは数多くの対人戦闘において、このライフルで幾人ものプレイヤーを屠ってきた。
 そうして、彼女はGGO内において、冷徹なスナイパーとして名を馳せるようになったのだ。
 シノンがこの世界でも珍しい狙撃手スナイパーとして高位プレイヤーたりえているのは、彼女の並外れたスキルと、この強力な実弾銃があればこそと言える。

――いずれ、自分より強い全てのプレイヤーを倒し、この世界で最強になる。 そうすることで、己の弱さを克服する。

 この暴虐と殺戮の大地で、シノンが戦い続ける理由。
 それだけを胸に、彼女は今日も銃爪を引く。



















 VRゲームというフルダイブ型のゲームが開発されたのは数年前のことだ。
 フルダイブ型ゲームとはその名の通り、自らの精神全てをゲームの中に――デジタルデータで構成された仮想の世界にダイブしてプレイする、従来のTVゲームや携帯ゲームとは一線を画す新世代型のゲームである。
 プレイヤーはゲームの中の住人として実際の手足を動かすのと同じ感覚でアバターの体を動かし、本人になったつもりで仮想世界を生きるのだ。
 その世界初のVRゲームハードとして、日本ではナーヴギアが生まれた。
 そしてさらにソフトをネットワーク対応型のVRMMO《仮想空間多人数参加型オンラインゲーム》へと発展させ、発表されたのが3年前のことだ。
 世界初となったVRMMORPGの登場は、世界中で話題になったものである。 まさしくゲームの世界に入り込んでプレイする、究極にして完全なRPGロール・プレイング・ゲーム。
 もっとも、その栄えある第一号となった《ソードアート・オンライン》なるゲームは、開発者の起こした不祥事によって一万人以上もの人間を巻き込み、数千人もの死者を出した大事件へと発展したのだが。
 その事件により、一時はVRゲームそのものの存続も危ぶまれたものの、企業や開発者の、そして何よりプレイヤー達のVR世界への憧れと情熱は、その程度では揺らがなかった。
 やがて、よりセキュリティを強化したナーヴギアの次世代機・アミュスフィアが開発され、その後 《ザ・シード》と呼ばれるVRMMO開発支援パッケージが世界中にばらまかれるという出来事もあり、今や無数のソフト、無数のVR世界がこの世に存在している。
 そして数あるVRゲームの中でも異彩を放つ、SF世界とガンアクションを題材にしたFPSゲーム、《ガン・ゲイル・オンライン》。
 そこでは多くのプレイヤーたちが銃と弾丸を頼りに荒野を渡り歩き、奪い合い、殺し合い………そして、戦っていた――。
 
















 シノンの見やる先では、標的の一団が徐々に近付いてきていた。
 すでに近くに仲間はいない。皆それぞれ待ち伏せ位置に着いている。
 シノンは一人、先程からいる遺構の中でじっと敵が襲撃ポイントに辿り着くのを待っていた。
 コンクリート壁の名残のような瓦礫の隙間から銃口を伸ばして、銃の上部に取り付けられたスコープ越しに状況を視認する。今は遥か先で標的のスコードロンが廃墟の並ぶ通りに足を踏み入れたところだった。
 彼らの進む先では、シノンの仲間が掩蔽物に隠れながら、近付いてきた相手を取り囲むような位置に着いている。 ある程度誘い込んだところで、左右と前方から一斉掃射するつもりなのだ。

『位置に着いた。 いつでも良いぜ』

「了解。 これから狙撃に入る」

 短く答え、シノンは改めてスコープから眼下の風景を覗き込んだ。
 口元を引き結びながら、右手の人差し指をそっと大きなトリガーガードに添える。
 スコープを通して、彼女の視界に標的の男が現れた。 急に激しくなる鼓動を抑えながら、その歴戦の戦士然とした厳つい顔にライフルの照準線レティクルの十字を合わせる。 それから距離と風向き、相手の移動速度などを考慮して、僅かに十字の位置をずらす。
 そこまでしたところで、シノンはトリガーに指を掛けた。それと同時に、彼女の視野にライトグリーンに光る半透明の円が表示される。
 ゆら、ゆらと周期的にその直径を変化させるその円は、シノンの視界にだけ表示される攻撃的システム・アシスト《着弾予測円(バレットサークル)》だ。
 銃口から発射される弾丸は、この円の内側のどこかにランダムに命中する。
 また、この着弾予測円の大きさは標的との距離、銃の性能、天候、光量、スキル・ステータス値といった要素によって変動するが、その中で最も重要なパラメータが射手の心臓の鼓動だ。

 心臓がドクンと脈打った瞬間、サークルは最大にまで広がる。 そして徐々に縮小し、次の脈でまた広がる。 故に狙撃の命中率を上げるには、鼓動と鼓動の谷間で行わなければならない。
 しかし狙撃という普段とは違う状況下において、緊張状態にある心臓はリラックス時の二倍以上にまで心拍が上昇する。 その分、サークルも激しく拡縮を繰り返すのだ。 ゆえに拍動の谷間を狙うなど、本来ならば至難の技と言える。
 GGOにおいて、FPSゲームの花形であり、遠距離から一方的に攻撃できるはずのスナイパーが少ないのは、これが最大の理由だ。
 狙撃中に心拍が高まるのを止めることはできない。 たとえ心拍が上昇しても距離が近ければ当たるだろうが、千メートルを超えるロングレンジの狙撃では、それこそ奇跡でもなければ当たらない。
 ステータスだけでは越えられない壁。 最も重要になるのがプレイヤー自身のスキルと精神力。
 だが、だからこそ、シノンにとってこの職クラスは最適とも言えた。 プレイヤーとしてだけでなく、一人の人間として強さを求めるシノンには――……

 すっ、と頭の芯が冷えていく。
 心臓の動悸が嘘のように収まり、サークルのサイズ変動が一気にスローダウンした。
 同時に時間感覚も引き延ばされ、円が最小サイズになる瞬間がはっきりと認識できる。
 まるで、腕の中の鋼鉄と己の体が一体化した様な感覚。
 ライトグリーンのサークルが大男の顔を捉え、極限まで縮小した瞬間……シノンはトリガーを引いた。

――っ!

 雷鳴にも似た砲声が響き渡り、銃口から吐き出された巨大な弾丸は銃声すらも置き去りにして標的へと直進した。
 シノンは凄まじい反動(リコイルショック)でライフルごと後退しそうになるが、しっかりと踏ん張ることでその衝撃を堪える。
 直後、遠方での発射炎(マズル・フラッシュ)に気付いたのか、ふと顔を上げた男の頭を50口径弾が直撃した。
 その衝撃により、頭部どころか肩や胸までもが極小のオブジェクト片となって粉砕する。 遅れて、残された体もガラスの像でも叩き壊すように脆く砕け散った。

 狙撃というものは非常に高難度かつリスキーな技ではあるが、その分単純に遠距離から攻撃できるということ以外にも、他の攻撃手段には無い優位点がある。 それは初弾においてのみ適用される、《弾道予測線(バレット・ライン)》の不可視性だ。
 GGOでは、登場する実弾銃の全てが現実世界に実在するというリアルな世界観が持ち味であると同時に、ゲームならではのハッタリ的面白さを盛り込むために、自分を襲うであろう銃撃の弾道が薄赤い半透明の光の筋となって見える、守備的システム・アシストが採用されている。
 この弾道予測線は敵が銃を構えて引鉄を引くその瞬間に、狙われた側の目に可視化される。 無論、ラインが見えてから実際に弾丸が飛来するまでには本当に僅かな間隔しかなく、たとえ見えていたとしても躱すのは至難の業であるのだが、反射神経に優れ、高いAGI敏捷力値を持ち、度胸の据わったプレイヤーであれば、50メートルの距離から撃ち込まれる突撃銃の連射でさえ五割以上を回避してのける。

 スナイパーというクラスの持つ最大の利点は、最初の一弾に限りこの予測線を相手に与えないことだ。
 相手に存在と位置を認識されていない状況下に限り、スナイパーは一方的に回避を許さぬ攻撃ができる。 逆に一度潜伏位置を知られてしまうと、次からの狙撃は当てるのが難しい。 距離が離れている以上、予測線と銃弾の間には致命的なまでに時間差が生まれてしまうためだ。
 もう一度予測線なしの狙撃を行うには、狙撃を目撃した相手の視界から一旦隠れて、認識情報がリセットされる60秒が経過するのを待つしかない。
 もっとも、相手の予期せぬ不意打ちに関しては話が別だ。 突然目の前で仲間の体が粉砕されれば、大抵のプレイヤーは驚愕・硬直し、恐慌状態に陥ってしまう。 その混乱の隙を突きさえすれば、たとえ予測線が見えていたとしても、第二射が成功する確率は決して低くはない。
 シノンはすかさず視線を外すと、隙あらばもう一人撃とうと銃口を巡らせる。 予想通り、眼下ではターゲット達が混乱に陥り慌てふためいている。 あと一人くらいならば撃てそうだ。

 その時、ふと先程の新人らしき男とスコープ越しに目が合った。 シノンの心臓が一瞬だけ飛び上がる。
 こちらの位置に気付いたらしい。 無論、マズルフラッシュが光ったのだからすぐに気付けてもおかしくは無いのだが、未だ仲間たちが混乱している中、男は真っ先に冷静さを取り戻して狙撃手の位置を確認したのだ。
 その男はこちらを見て――――ふ、と笑った。
 瞬間、シノンの視界から男が消える。スコープの範囲内から移動したのだ。
 咄嗟に銃口を動かして男の行方を捜すが、まるで見つからない。 現場はいつの間にか銃撃戦が始まっており、至る所で銃火が飛び交う。視界内では男たちが激しく動き回っているため誰が誰だかわからない。
 そうこうしているうちに、戦場では奇襲に対応しきれなかった敵プレイヤーが次々と撃破され、既に趨勢は決していた。 実際に戦闘が始まれば、勝負はあっという間だ。
 ほんの一分かそこらで敵の姿は全て消えた。 無傷ではないものの、味方に死者はいない。 完全な勝利に仲間たちが沸く。
 だがまだだ。 シノンの胸のうちで警報が鳴る。 先程消えた、あの男は――?
 シノンはやむなく倍率を調整して視野を広げた。 そうして戦場を俯瞰で捉えた時、

「なっ!?」

 いきなり味方の一人……敵から見て一番奥にいたリーダーのディランが派手なエフェクトフラッシュと共に倒れ、ポリゴン片となって爆散した。
 その背後に一人の男が立っている。 先程見失った、拳銃とナイフのみを装備した男だ。 いつの間にこちらの包囲を潜り抜けて背後に回ったのか!
 ふと周囲の地形を見てシノンは気付く。 おそらく、あの男は最初の狙撃でシノンの潜伏位置からこちらの襲撃手順までを見抜いたのだ。
 さらに、本格的な攻撃が始まる前に通りの両横に並ぶ建物の外壁を登り、その上を通ってこちらの仲間の背後まで移動した。

(装備を軽量にして《軽業(アクロバット)》スキルを上げているのか?)

 自分たちが勝ったと思っていたところで突然リーダーが倒され、後ろを振り向いた味方の間で動揺が走った。
 すでに刃渡り20センチほどのコンバットナイフを抜いていたその男は、薄く笑いながら僅かに腰を落とす。
 瞬間、男は素早く地を蹴り、まるで獰猛な肉食獣のような動きでこちらの仲間の一人に肉薄した。

「う、おっ!」
 
 真っ先に標的にされたザンダーが咄嗟にアサルトライフルをフルオートでぶっ放す。
 しかし精神を動揺と焦りに支配された状態では満足に狙うこともできず、吐き出された弾丸は弧を描くように疾走してきた男にかすりもしなかった。
 敵との距離は一瞬でゼロとなり、両者の間で白刃が閃く。
 結果、驚愕に目を見開くことしかできなかったザンダーは、為すすべもなく男に殺された。
 刹那のうちに走った刃の軌跡は四つ。 それこそ瞬きする間に繰り出された四連の斬閃は、ザンダーのボディアーマーによる防護の隙間を適確に切り裂いた。
 再び爆散するこちらの味方のエフェクトを煙幕代わりに、再度男は走り出す。 そのままもっとも近くにいたマーカスに襲いかかった。

「くっ……そがっ!」

 一瞬で目前まで接近され、マーカスは咄嗟に右手に持った短機関銃サブマシンガンを持ち上げて撃とうとする。
 しかし男は己の眉間に銃口が触れるよりも早く左腕を伸ばし、銃を保持したマーカスの右腕を絡め取った。
 そのまま脇と肘で挟むように腕を巻きつけ、マーカスの肘と肩関節を極める。 仰け反るような体勢で攻撃と動きを同時に封じられたマーカスが何かを言うより早く、男はもう一方の手で逆手に握っていたナイフを相手の眉間に突き立てた。
 まるで奇怪なオブジェのように顔面からナイフを生やしたマーカスのHPが一気に削り取られる。 さらに男はその状態の頭部を両手で押さえると、捻る様に頭を回して首をへし折った。
 無論、ゲームの中である以上痛みは無いが、マーカスの首には不快な感触が電気信号となって走る。 同時に、彼のHPが完全に消し飛んだ。
 残るは、二人。

 ガラスのようなオブジェクト片となって消滅するアバターには見向きもせずに、男はさらに走り出す。 しかしさすがにここまでやられては、こちらの味方も傍観してはいない。
 まだ距離があるうちに、接近してくる敵めがけてレーゲンがサブマシンガンをフルオートで撃った。
 しかし男には当たらない。凄まじい速度で移動しつつ、不規則かつ柔軟な動きで瓦礫やコンクリート壁の残骸などを遮蔽物に利用しながら、素早く距離を詰めてレーゲンに肉薄する。
 互いの距離があと10メートルというところで、サブマシンガンの弾が切れた。 先程まで他の標的を相手に戦っていたのだから当然だ。 弾切れに気付いた相手は隠れるのを止めて一直線に向かってくる。

 レーゲンは咄嗟にメイン武器を捨てると腰からサブであるグロック拳銃を抜いた。 そのまま流れるような動作でスライドを引き、近付いてくる敵へと照準する。
 しかし遅い。 その銃口が相手の体幹を捉えるより早く、跳ね上げられた男の蹴り足がその手から拳銃を弾き飛ばした。
 さらに片足立ちの状態で下段と上段に一撃ずつ蹴りを叩き込み、たたらを踏んで後退したレーゲンの腹にナイフを突き刺す。
 少し離れた場所に立ちすくむスワットは、敵と仲間の距離があまりにも近いため自分の銃を撃つことができない。 その隙に男はレーゲンとの距離を詰め、コンパクトな動きで拳や蹴りを立て続けに繰り出し滅多打ちにした。
 いくら銃メインのゲームといえど、この世界では徒手空拳にも殺傷力はある。 銃器と比べれば遥かに低いとはいえ、男の打撃は確実にレーゲンのHPを削っていた。
 そうして相手のHPがレッドゾーンに入ったところで、男は武器を失い対抗手段を失くしたレーゲンの頭を抱え、その顔面にとどめの膝蹴りを叩き込む。
 爆散するアバターを見やることもなく、レーゲンの腹からナイフを引き抜きながら、男は最後に残ったスワットへと向き直った。

「ひっ!」

 あっという間に味方を皆殺しにした敵を前に、スワットは恐慌状態でアサルトライフルを撃とうとする。
 しかしそれより早く男の右手が閃き、一筋の銀光が空を裂いた。

「ぐぁっ!」

 突如感じた衝撃に目を向けると、スワットの腕に男が投擲したナイフが突き刺さっている。 現実世界のような鋭い痛みこそ無いが、鈍い痺れを感じて思ったように腕が動かない。
 その隙に距離を詰めた男は、慌ててライフルを構えなおそうとするスワットの両腕に取り付き、左手でスワットの右手首を押さえながら、右腕で左肘の関節を極める。 そしてそのまま、相手の左腕を一息にへし折った。
 あまり知られていないが、リアリティを追求したVRゲームでは関節技なども有効だ。 生身とは違うアバターといえど、関節の構造に逆らった動きはできないし、折れた腕は肉体部位欠損と同様の状態になり、しばらくは痺れてまともに動かせなくなる。

 ナイフが刺さった右腕よりもさらに強い痺れがスワットを襲う中、男はいつの間にかその手に新たなナイフを握っていた。 先程のコンバットナイフと比べると、随分小ぶりで変わった形状のナイフだ。
 グリップは拳一握り分しかなく、鎌のように内向きに反った、猛禽類の爪を思わせる形状の短い刃が付いている。
 シノンはそのナイフに見覚えがあった。 あまり使う者はいないが(そもそもGGOで接近戦武器を使うプレイヤー自体が稀だ)、コレクター気質のプレイヤーが趣味で集めているのを見たことがある。 確か《カランビット》と言っていただろうか。
 男はそのカランビット・ナイフを逆手に持ち、拳打を繰り出すような動作でスワットを素早く三回斬り付けた。 未だ銃を保持した右腕の手首、それから首筋、脇下と、ボディアーマーで覆われていない部分を正確に狙って攻撃する。
 急所を的確に突いた攻撃に、スワットのHPががくんがくんと大きく減った。
 とどめに、男はその鎌のような刃をスワットの眉間に突き立てる。 そしてそのまま真っ直ぐ上向きに切り上げ、相手の額を縦に割った。
 スワットの頭部から鮮血のように赤いエフェクトフラッシュが迸り、直後にアバターを爆散させる。
 廃墟が並ぶ通りに立っているのは、最早ナイフ男一人。

 シノンはその一部始終を、息を呑んで見つめていた。
 まだ最初にリーダーが倒されてから二分も経っていない。
 その短い時間の間で、あの男はさらに四人のプレイヤーを一方的に虐殺したのだ。 それも、サブマシンガンやアサルトライフルを携えた相手に、ナイフだけで……。
 そして――その間、狙撃手であるシノンにすら一瞬の隙も見せなかった。
 動きを止めず、常に移動を繰り返してこちらが照準できなくする。 さらに立ち止まる時は何らかの掩蔽物をシノンとの間に置いていた。
 こちらの仲間を皆殺しにしたナイフ男は、間をおかず、シノンの潜伏位置からは死角になる場所に移動する。 こちらの位置には先程の狙撃で気付いているはずだ。 今はコンクリートの壁を盾に、シノンの動きを窺っているのだろう。

(どうする? 仲間は全滅。撤退すべきか? いや……)

 向こうはシノンが何処にいるのか知っている。 そして先程の洞察力と動き。 下手に背中を見せて逃げれば、いつの間にか追い付かれ、背後に忍び寄られてしまうかもしれない。

(ここで仕留めるのがもっとも安全)

 そう判断し、シノンは敵を葬るための策を練り始めた。

(とはいえ、潜伏場所が知られているんじゃ狙撃は無理か。 ただでさえとんでもない反応速度なのに、弾道予測線が見えている状態じゃとても……)

 すでに最初の狙撃から一分以上たってはいるが、スナイパーが相手に弾道予測線を読ませないのは、あくまで向こうがこちらの位置に気付いていない時だけだ。 場所が割れている以上、次からは相手にも予測線が見えるだろう。
 思考は一瞬。

(移動するしかない)

 幸い、狙撃に適したポイントは他にもいくつかあった。 待ち伏せ(アンブッシュ)を仕掛ける時点で、その辺りは予め調査してある。
 向こうに気取らせず、そのうちのどれかに移動できれば……

「考えてる暇は無いか」

 小さく独りごち、シノンは静かに移動を開始した。
 スコープから視線を外し、手早くヘカートの二脚バイポッドを畳むと、その長大なライフルを抱え上げる。 そのまま次の狙撃ポイントを目指して、できる限りの速さで荒野を走った。
 付近には掩蔽物が無いため、移動を始めた瞬間は見られたかもしれないが、すぐに向こうからは見えなくなる。 このままこっちが撤退したと油断して、陰から出てきてくれれば僥倖だ。
 移動にかかった時間は一分と少し。 シノンはそのまま相手から死角になる様に移動し、狙撃ポイントへと到着した。
 敵に動きは無い。 未だに先程の位置で留まっているのか。
 ここから先は時間の勝負だ、と自身に言い聞かせる。
 先程移動する所を見られていたのなら、向こうはこちらが撤退したと思いこむだろう。 仲間五人を殺されて、なおも戦場に残り続けるとは相手も思わないはずだ。
 見られていなかったとしても、このまま何も起きずに時間がたてばシノンはすでに退いたと判断するだろう。

(私が撤退したと思い込んで陰から出てきたところを狙う!)

 そう思い、シノンは敵の隠れている壁に向けてヘカートを構える。 ここからはお互い忍耐力の勝負だ。
 しかし、敵は存外用心深いのか、なかなか陰から出てこない。 シノンはじっと隠れながら、相手が顔を出すのを静かに待ち続ける。
 そのまま一分が過ぎ、五分が過ぎ、十分が過ぎた。
 それでもなお、相手に動きは無い。 基本的に“待ち”専門の狙撃手とはいえ、すぐに動くと思っていた相手が動かず、さすがに焦れてきた、その時――

「――っ!」

 ぞくりと背筋に走った嫌な予感に、とっさにスコープから目を離して後ろを振り向く。
 背後に、荒野を真っ直ぐに走ってくる一人の影が見えた。
 すでに距離は二十メートルを切っている。 いつの間にここまで接近を……いや、そもそもいつの間に移動していた!?
 胸の中で疑問が渦巻きながらも、シノンは近付いて来る敵に反応する。未だ前方に銃口を向けているヘカートと、腰に下げた副武装である軽量短機関銃《H&K・MP7》を見やり、僅かに思考。
 逡巡は一瞬で、シノンは腰に下げたMP7を選択した。
 伏射姿勢から振り返りざまにコンパクトなサブマシンガンを片手で素早く抜き出し、相手に向けて構えようとする。
 そこで初めて男が銃を抜いた。 シノンよりも遥かに素早く腰に差したハンドガンを抜き、流れるような動きで照準する。 そしてそのまま一切の遅滞も無く引鉄を引いた。

 シノンの右手に衝撃と痺れが走り、弾丸を受けたMP7が遠方に弾き飛ばされる。 疾走しながらの射撃でありながら、正確に銃だけを狙って撃つ、恐ろしいまでの技量。
 その寒気がするほどの腕前にシノンは驚愕。 一瞬だけ動きが止まる。
 僅かな硬直の後、咄嗟にヘカートの銃口を旋回させて相手に向けようとするが、その時にはすでに男が目前まで接近していた。 
 ライフルの銃口が相手を捕えるよりも早く、繰り出された下段蹴りがシノンの腕からへカートをもぎ取る。
 そのまま男は、武器を失い歯噛みするシノンの前に立ち、手に持った拳銃――大型自動拳銃 《H&K・Mk23》通称《SOCOM(ソーコム)》を彼女の眉間に向けた。
 そして射抜くような視線でシノンを見据える。

 近くに来ると、先程よりもその特徴がはっきりとわかった。
 背は特別高いわけではないが――先程までの圧倒的な戦闘力から来る威圧感のせいだろうか――実際よりも大きく見える。
 一連の動きの凄まじさや体捌きを裏付けるかのように、細身の体は引き締まっていて強靭さと敏捷さを感じさせた。
 無造作な鉄灰色の髪は全体的に長めのウルフヘア。 アバターの外見など当てにはならないが、見た目は自分とそう変わらない少年に見える。 鋭い眼光を放つ両の瞳は、獣の様な金色をしていた。
 ほんの数秒、二人は至近で睨み合う。
 いや、男の方は睨みつけてはいない。 ただ地面に倒れた状態で上体だけを起こした姿勢のシノンを静かに見下ろしているだけだ。

「どうやって……?」

「ん?」

 思わず疑問が口を突いて出ていた。

「どうやって私の後ろに回ったの? あなたが隠れていた位置からは見えない場所だし、あなたが動けば私も気付いたはず」

「簡単さ。 おたくの移動中に、その移動ルート上からは死角になるルートを選んで俺も移動しただけだ」

「嘘……あなたからも見えなかったはず……。 それに、私がどこに移動するかなんてわかるはずが……」

「あの位置にいた俺を狙撃するのに最も適したポイントは全部で五つ。 少なくとも俺がスナイパーならそのうちのどこかで狙撃を行うだろう。 おたくは腕の良いスナイパーみたいだったからな。 当然、もっとも理にかなった場所を選ぶのは予想が付いた。 あとはおたくの動き始めさえ見えれば問題無い。 最初にどの方向に向かって動き出したかさえ分かれば、大まかな移動先は特定できる。 迂回して一旦後ろに回れば、多少の誤差は修正可能だ」

――見抜かれていた!

 内心で唇を噛みしめる。
 最初に移動を開始した時点で、撤退ではなくポイントを変えて再度狙撃するつもりであることを見抜かれていたのだ。
 だからこそ、お互いが死角に入った時点で向こうも移動を開始し、こちらの狙撃に先んじて仕掛けた。
 ほんの僅かな初動から敵の動向を見抜く洞察力と、素早い判断力。
 超人的な接近戦技術よりも、そちらの方がよほど厄介だ。

「といっても、絶対に狙撃してくると判断したわけじゃねぇけどな。 むしろ撤退と半々くらいに思ってたし。 だから、まぁ……俺が狙撃に備えて動いたのは、あくまで念のためだ」

「くっ……」

 下手に攻撃しようとせず、撤退すべきだった。
 相手は拳銃しか装備していないのだから、一心不乱に逃げようと思えば逃げられたのだ。 今更ながらにそう悔やむが、もはや遅い。
 シノンは観念すると、眉間に撃ちこまれる弾丸を想像して目を閉じた。
 そのまま、さらに数秒が流れ……

「………?」

 シノンがうっすらと目を開くと、そこには先程までと同じ体勢で、男が何かしらの思案をしているところだった。

「………殺さないの?」

「迷ってるとこ」

 嘆息しながら男が言う。
 もっとも、気の抜けたような声とは裏腹に、その銃口はシノンの眉間に向けられたまま小揺るぎもしない。
 改めて、緊張に身体を強張らせるシノンに対し、男は尚も続ける。

「何て言うかさ……いくらゲームとはいえ、女の子を銃で撃つのって俺的にすごく抵抗あるんだよね。 おまけに武器も失った相手を一方的に射殺するなんて絵面的にも悪いし。
 かといって、ここで見逃して後々背中を撃たれるのも間抜けだしなぁ……」

 気軽な口調で迷いを口にする男に、シノンは困惑を隠せなかった。
 しかし油断はしない。 男はどうでもいいことを迷っているように気軽な仕草でこちらを見やっているが、その銃口は冷徹にシノンを捉えている。 下手に動けば、それこそ微塵の容赦もなく頭を撃ち抜かれるだろう。

「そうだな……ここは、こうしようか」

 言うと、男はシノンから銃口を外し、それから傍に落ちていたヘカートを拾い上げた。

「あっ……!」

 シノンは咄嗟に声を上げるが、男はそれに構わず対物ライフルを肩に担ぐようにして持ち上げる。
 そして相棒を奪われ目を剥くシノンには目もくれずに、背中を向けて歩き出した。

「じゃ、そういうことで。またな」

「待っ……!」

 思わず声をかけようとし、慌てて自制する。 それから少し離れた所に弾き飛ばされていたMP7を拾い上げ、歩き去っていく男の背中に照準した。
 だが、トリガーを引こうとする指が、途中で止まる。
 背後から、しかもこの距離なら、メインではない短機関銃でも十分に命中するだろう。
 だが、それでどうするというのか。 勝てるのか? 相手は接近戦のスペシャリスト。この距離で戦闘になれば、どう考えても勝ち目は無い。
 あの男はナイフだけで近・中距離戦を得意とするプレイヤー五人を一方的に葬ったのだ。 たとえシノンが先手を打ったところで、問題無く彼女の攻撃に対応するだろう。
 不意打ちで撃った最初の数発こそ当たるかもしれないが、軽装備とはいえそれだけで倒せるとは思えない。 そして一旦接近されれば、為すすべもなく殺されることは目に見えている。
 おまけに相手はヘカートを肩に担いでおり、後頭部がその銃身で隠れていた。 急所を狙えない以上、手元のMP7で男を倒すのは不可能だ。

(どうする? どうすれば……)

 シノンは心のうちで迷うが、目の前の男はそれを待ってはくれない。 迷う間に、時間だけが過ぎていった。
 男の背中が彼女から徐々に遠ざかり……射程距離外まで離れていく。
 それを見送ることしかできず、シノンはただ荒野に立ち尽くすしかなかった。 そしてしばらくして銃を下ろすと、敗北感で項垂れる様に下を向いた。














[34288] 2.転校生
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/07/19 07:12



 11月も終りに近付き、寒さが厳しくなってきたある日の朝。
 朝田詩乃は重い足を引きずるように歩きながら学校までの通学路を歩いていた。
 学校に行く時はいつも気が重い。 あの収容所めいた空間に向かうことを考えただけで憂鬱な気分になる。
 毎日毎日、無気力な教師たちの講義を聞かされ、幼児期から何一つ成長していないのではないかと疑いたくなるほど幼稚な連中と並んで体操だの何だのすることにどれほどの意味があるのか。
 ごく例外的に、有意義と思える授業をする教師もいるし、尊敬すべきところのある生徒もいるが、彼らの存在が詩乃にとって必要不可欠というわけでもない。
 入学してまだ1年目であるにもかかわらず、今の自分が半ば強制的に所属させられている『高校生』という集団から解放される日を、詩乃はただひたすら待ち望んでいた。
 そもそも、もとより自分は高校に進学するつもりはなかったのだ。 中学を卒業したらすぐに働くか、専門学校で就職のための訓練をしたいと望んでいた。
 しかし、現在の実質的保護者である祖父母が強く反対し、止むなく詩乃は必死の猛勉強の末、東京のそこそこ名の通った都立高に進学したのだ。
 そして結局、詩乃は中学時代と同じように、残る学生生活の日々を儀式のごとく数えながら過ごしている。

 ふと、冷たい風が通学路を吹き抜けた。 セルフレームの眼鏡の内側で、彼女が僅かに眉を顰める。。
 詩乃は深い溜息を吐きながら、冷えてきた外気から顔を守るように、白いマフラーを口元までしっかりと巻いた。
 やがて学校に到着し、玄関で靴を換えてから、1年生の教室に向かって廊下を歩く。 そろそろ外気も冷えてきたためか、廊下の人影はまばらだ。
 そんな中で、詩乃の姿を目に止めた者は、一人の例外も無く目を逸らしていく。
 まるでそこに誰も存在しないかのように振る舞う生徒たちに、詩乃もあえて話しかける様な真似はしない。
 今年の一学期……つまりは詩乃が入学してまだそれほど時間も経っていない頃に、全校生徒に向けて暴露された詩乃の過去。 それが表沙汰になって以来、この学校内で詩乃に話しかける生徒はほとんどいなくなった。
 しかし勿論、良い意味でも悪い意味でも、例外はいる。

「あ、朝田さん。おはよう」

 教室に入ったところで一人のクラスメイトに挨拶された。
 黒縁の眼鏡を掛けた髪の長い女子生徒だ。
 このクラスの委員長でもあり、見ため通り真面目な性格をしている。
 その隣には、彼女と仲の良い栗色の髪を二つに束ねた女子生徒が座っていた。
 二人とも友達と呼べるほど親しいわけではないが、クラス内で孤立し避けられている自分にも、挨拶程度とはいえ普通に話しかけてくれる数少ない生徒だ。
 逆に言えば、それ以外の生徒は決して詩乃に話しかけようとはしない。 教師ですら、彼女を直視することを避けていた。

「おはよう。今日は寒いね」

 詩乃も形式的な挨拶を返し、自分の席へと向かう。
 隣や前の席と少し不自然に距離の開いた机に鞄を置いてから、巻いていたマフラーを外した。
 それから椅子に座って鞄の中身を机に移し替えると、教師が来るまでの時間を自習に充てることにする。
 しかし、いつもよりも若干騒がしい朝の喧騒に集中が乱されてしまう。 どうやらその日の朝の教室は少しばかり浮ついた雰囲気が流れているようだった。

「転校生ってどんな子かな?」

「外国からの編入だって聞いたよ」

「じゃあ留学生?」

「いや帰国子女かも」

 クラスメイト達の間ではそんな言葉が交わされている。
 彼らの言う通り、今日このクラスには転校生、いや編入生が来ることになっているのだ。
 教壇の隣には一組の机と椅子が準備されており、生徒たちは時折そちらを見ながら会話に興じている。
 詩乃はそんな同級生たちの様子を、冷めた表情で横目に見ていた。
 新しいクラスの仲間が来たところで自分には関係が無い。
 彼女のような生徒と接点ができるとは思えないし、仮にできても、詩乃の過去を知ればすぐに離れていくだろう。
 どうせ離れていくなら、最初から関わらなければいい。
 件の転校生とて関わりたくはないだろう。 血で汚れた人殺し、殺人者の女子高生などとは……。
 詩乃はそんな気持ちで手元に目を戻すと、自習の続きに取り掛かった。
 やがてHR開始のチャイムが鳴り、雑談に興じていた生徒たちも各々の席に戻り始める。 同時に、クラスの担任教師が教室に入ってきた。
 若い男の担任は教壇に立つと、教室内を見渡してから徐に口を開く。

「昨日言った通り、今日からこのクラスに入った編入生を紹介する。 夜代(やしろ)、入りなさい」

 担任教師にそう呼びかけられて教室に入ってきたのは、詩乃たちと同じブレザーの制服を着た一人の男子生徒だった。
 教壇に立つ教師の隣で立ち止まったその生徒を、詩乃は何とはなしに眺めてみる。
 ぱっと見、さほど目を引く様な、派手な容姿ではない。
 髪は染めた形跡が全く無い純日本風の黒髪。 東洋系の顔立ちだが、肌の色はそうと見えないほど白い。 長めの前髪の隙間から見え隠れしている目つきは真面目で大人しい人柄を感じさせる。
 決して背が低いわけではないが、線の細い顔立ちはやや童顔気味で、そこに残るあどけなさが細身で華奢な体格と相まって、実際よりも少し小柄に見せていた。
 少なくとも見た目だけで言えば、全体的に優しそうな、あるいは人畜無害な印象を与える外見をしている。

「見た目は結構悪くないね」

「そうだね。 ちょっとカワイイ感じかな」

 近くの席でそんな言葉が交わされる。
 確かに、取り立てて目を引く美形というわけではないが、全体的な目鼻立ちは小作りに整っており、幼げながらも好感の持てる顔立ちと言えた。 若干頼りなさそうではあるが、決して嫌な感じはしない。
 そんなことを考えていると、先生に促された件の少年が口を開いた。

「初めまして。 夜代 詠士(やしろ えいじ)と言います。 日本に来るまでは色んなところを行ったり来たりしていました。 言葉は問題ありませんが、文化的には少しずれてるところがあるかもしれません。 何か問題あることを言ってしまった時は大目に見てもらえると助かります。 趣味は……映画鑑賞ですかね。 これからよろしくお願いします」

 流暢な日本語だ。 本人の言う通り、言語で不自由することはなさそうである。
 簡単に紹介を済ませ、ついで担任は転校生の席について話し出した。

「じゃあその机持って……どこにするかな。 夜代、視力は大丈夫か?」

「ええ。 一番後ろでも見えると思います」

「なら窓際の最後尾が空いているから……」

 そこまで言って、担任教師は「しまった」という風に顔をしかめた。 クラスメイト達の間にも緊張が走る。
 このクラスの席順は縦横それぞれ六列になっており、両端の列だけは前から五番目までで、左右の最後尾が無人になる形になっている(人数は34人。ちなみに不登校が一人)。
 そして最後尾の一番窓側に座っているのが詩乃だった。 そのすぐ隣、窓際には一席分の空白がある。
 いつの間にか教室内には嫌な雰囲気が漂っていた。
 生徒たちがチラチラと詩乃の方を窺い、教師が何かしら言おうとして、結局は言い淀んでいる。
 しかしそんな周囲の様子には構わず、夜代は教壇の横にあった机を抱えると、教室が沈黙に満たされる中、詩乃の傍へと移動してきた。
 彼女の隣で机から椅子を下ろし、皆が呆気にとられているうちにさっさと鞄の中身を机に移し替えてしまう。 それから自然な調子で隣の詩乃へと笑いかけた。

「これからよろしく」

 久しく見たことのない、相手に好感を抱かせる優しげで自然な笑顔。
 詩乃はどう返答すべきかわからず、咄嗟に「あ、うん」と意味の無い言葉を返す。
 なんとも形容しがたい、居心地の悪い空気が教室に漂う中、

「では夜代、分からないことがあったらクラス委員の鹿島に聞きなさい。 鹿島、後は頼んだぞ」

 担任教師はやや早口にそれだけ言うと、クラス委員の返事も聞かず、そそくさと教室から出ていった。
 誰も口を開く者はいない。 転校生も、空気を読んでいるのか、それとも単に気にしていないだけか、何も言わず時間割と机の中の教科書を見比べている。
 結局その教室内の雰囲気は、始業のチャイムが鳴り一時間目の教師が来るまで解消されることはなかった。















 一時限目の授業が終わり休み時間になっても、教室内には微妙な空気が漂っていた。
 最初のような居心地悪さは無いが、それでもどこか落ち着かない。 そんな表情をしている者が教室のそこかしこにいる。
 外国から来たという話題性抜群の転校生を、生徒たちが質問攻めにするということもない。 もっとも、そんなお約束は小説や漫画の中だけの話で、都会の高校生というものは、お互いに適度な距離感を求めるのが一般的なのかもしれないが。
 とはいえ、それでも大抵はクラスのお調子者や気さくで社交的な生徒などが転校生に色々と話しかけたりするものなのだが、今回に限ってはそれもない。
 理由は簡単。 隣に詩乃がいるからだ。
 クラスでも避けられ孤立している彼女が隣に座っていることで、教室内にはなんとなく彼に話しかけづらい雰囲気ができてしまっている。
 そんな周囲の様子にも頓着せず、件の転校生はといえば、登校初日の最初の休み時間でありながら、早速鞄から本を取り出して読書を始めていた。 表紙を見てみても、そこには日本語でも英語でもない言語が書かれており、何を読んでいるのか見当もつかない。
 彼自身には決して人を拒絶する雰囲気は無いのだが、帰国子女という特異性が逆に周囲の人間の関わろうとする意志を削いでいるようだった。
 詩乃は詩乃で、気を利かせて席を外そうかとも思ったのだが、それはそれで何か屈してしまったような感じがして良い気分はしない。 結局、彼女もその隣で文庫本を取り出して読書に興じることとなった。
 そうして微妙な雰囲気のまま休み時間は終わり、次の授業の教師が入ってきてしまう。

(なんで私がこんなことで気を揉まなきゃならないんだか)

 内心でそう独りごちながら、詩乃は本を片づけると机から教科書を出した。
 そして午前中の授業も終わり、昼休みとなった頃、

「夜代君はお弁当派なんだ。 美味しそうだね」

 このままではダメだとようやく決心したのか、クラス委員長の鹿島さゆりが、詩乃の隣の席までやってきて転校生へと話しかけていた。 その後ろには、栗色の髪を二つに束ねた新田香苗もいる。
 対する転校生は、二人を見上げながら自分の机の上にシンプルな弁当箱を広げていた。 細身な外見の割に大食いなのか、そのサイズは結構大きい。

「一緒して良いかな?」

「ああ、良いよ。 どうぞ」

 朝からこっち、自分からは誰とも口を聞かなかった夜代ではあるが、人付き合いが苦手というわけではないらしく、二人の要請に対し軽く笑顔を浮かべながら快く頷いた。
 それぞれ弁当を手にやってきた二人は、夜代と詩乃の前の椅子を引き寄せ、彼の机を挟むようにして向かい合う。 その際、彼女たちは詩乃の方にも軽く会釈をしてきた。
 詩乃も会釈を返しながら、横目で三人の様子を窺う。 いつもは教室を出てどこか一人になれるところで食べるのだが、何となく今日は席を外すのが躊躇われた。
 周囲では、教室に残った生徒たちが遠巻きにこちらを見つめている。

「それで、夜代君はどこから来たんだっけ? 外国育ちなんだよね?」

「んー……最後にいたのは東欧だったかな。 といってもこっちに来たのは半年くらい前だけどね。 少し前までは編入試験のために中学レベルの勉強していたもんだから」

「そうだったんだ。 引っ越してきたのはどうして? 親の転勤とか?」

「厳密には違うけど、似たようなものかな。 今は学校近くのマンションで暮らしてる」

「へぇ、そうなんだ。 それでさ、外国ってどんなとこ行ってたの? いろんな所見て回ったんでしょ?」

「いや、別に観光地巡りしてたわけじゃないから。 取り立てて特別な所には行ってないよ。 まぁ、国によっては日本と色々違うところもあったけどね」

 詩乃の隣では、朝の空気が嘘のように和やかな会話が交わされる。
 転校生の少年は決して非社交的な人物ではなく、話しかけてみると中々気さくだった。
 柔らかい笑みを浮かべながら、穏やかに会話に興じる。

「あ、そういえば紹介まだだったね。 うっかりしてた」

 ふと、さゆりはたった今思い出したというような顔をすると、自分の方を指差して言った。

「私は鹿島(かしま)さゆり。 一応、このクラスの委員長やってるから、分からないこととかあったら気軽に訊いて」

「それで私が新田 香苗(にった かなえ)。 さゆりの友達。 よろしくね」

 対する転校生は、やはり柔和な笑みを浮かべたまま、改めて二人に名乗った。

「ん、夜代詠士。 こちらこそよろしく」

 それから先は、夜代が二人から質問を受け、それに答えるという形で会話が進み、三人は他愛もない話を続ける。
 そして昼休みが終わった時、教室内に漂っていた微妙な空気が若干薄れたように感じられた。






「では、資料集を出して下さい」

「あ……」

 その日最後の授業である世界史の授業の時、詩乃の隣の席で小さく漏れた声が聞こえた。
 詩乃がそちらを見やると、夜代が困ったような顔をして机の中を覗き込んでいる。
 それからこちらを見ると、申し訳なさそうに手を合わせた。

「ごめん。 資料集見せてもらえないかな? 教科書は全部用意したんだけど、それ以外の教材はまだ手元に無くて……」

 詩乃は微かに躊躇ったものの、それでも言う通り資料集を見せることにする。 取り立てて断る理由も無いし、夜代が窓際に座っている以上、隣の席には詩乃しかいない。
 もっとも、詩乃が皆から避けられている理由を知って、尚もまだこんなふうに頼んでくることがあるかはわからないが。
 彼女が小さく首肯すると、夜代は小声で「ありがと」と言い、机を寄せてきた。
 机を合わせた状態で、一冊の教材を二人して覗き込む。
 学校という空間においてはさして珍しい光景でもないが、それを普通と取れない者もいた。
 教室の反対側、廊下側の列の前の方から、二人を忌々しそうに見ている者がいる。 詩乃がそちらを見やると、視線が合ったその女子生徒は一瞬だけ歪んだ笑みを浮かべ、そっぽを向くように黒板へと向き直った。

 ――どうやら面倒なことになりそうだ。

 詩乃は内心で嘆息しながら、先行きの不安をあえて頭から追い出して教科書に目を戻す。
 それからほんの少しだけ隣に視線を移すと、夜代は詩乃の様子にも気付かず、ただ真面目にノートを取っていた。
 やがて終業のチャイムが鳴り、教師が出ていくと同時に教室のそこかしこで会話が起こる。
 これから遊びに繰り出す者、友人の家に伺う者、家に真っ直ぐ帰る者と、それぞれの目的に応じてこの後の計画を話し合い、あるいは無言のまま手早く荷物を纏めて教室を出ていく。
 夜代もまた、机を離しながら詩乃の方へと振り向き軽く頭を下げた。

「助かったよ。 えっと……名前訊いていい?」

「……朝田」

「ありがとう、朝田さん。 じゃ、また明日ね」

 屈託のない笑顔で礼を言うと、夜代はノートや教科書を鞄に仕舞い立ち上がる。
 その時、帰ろうとする夜代の元に三人の女子生徒が近付いて来た。 先程こちらを見ていた生徒、遠藤とその取り巻きだ。
 彼女達はこの学校で詩乃に話しかけてくる例外的な生徒だった。
 もっとも、さゆりや香苗と違い“悪い意味”での例外だが。
 遠藤は夜代の傍まで来たところでニヤリと口角を吊り上げ、それから詩乃に目を向けると、わざとらしく大げさに驚いたような声を上げた。

「あら朝田さん。 早速転校生と仲良くなったの? 何も知らないのを良いことに、早くも唾付けたんだ。 真面目しそうな顔して、随分と手が早いのね」

 それから離れた席にいるさゆりの方を振り仰ぎながら、教室中に聞こえよがしな声で話しかける。

「ちょっと委員長、ちゃんと教えたの? 朝田さんのこと。 犯罪者の癖に、いたいけな少年に色目使ってるわよ」

 その言葉を聞いて、遠藤の取り巻き二人がクスクスと笑い声を洩らした。
 さゆりが決まり悪そうな顔で詩乃から目を逸らす。 彼女は詩乃に対して色眼鏡を使わない数少ない人物ではあるが、かといって周囲から孤立するリスクを負ってまで自分の味方をしてくれるほど、親しいわけでも正義感が強いわけでもない。

「転校生君……夜代って言ったっけ? この子には気をつけた方が良いよ。 大人しそうに見えて、実は人殺しだから」

 隣で交わされる言葉に、詩乃は唇を噛み締めながらも反論はしない。
 対する夜代は、困惑したような顔で目の前に立つ遠藤と席に着いたままの詩乃を交互に見ていた。
 それはそうだろう。 突然、目の前の女子高校生を指して“人殺しだ”などと言われても、信じる信じない以前に意味が分からない。
 そして、それがわかっているからこそ、遠藤はさらなる告げ口を続ける。

「海外にいたんじゃ知らないだろうな……いいよ、教えてあげる。 実は五年くらい前に東北の田舎の方でちょっと強盗事件があったんだけどさ、その事件で犯人だった男が死んでるんだよね。 それでさ、新聞じゃ拳銃の暴発による被疑者死亡ってことになってるけど、ホントはこの女が強盗の銃を奪い取って撃ち殺したらしいんだ。 地方の小さな町で起こったことだしね。 現地じゃ皆知ってるよ。
 恐いよねぇ。 小学生の頃から人殺しなんて、将来どんな奴になるかわかったもんじゃないよ。 なんでこんな危険な奴が野放しにされてるんだかねぇ」

 そう言って、遠藤は詩乃の方を横目で見やりながら唇を吊り上げて笑みを作った。
 『お前に友達なんかできねぇよ』
 その顔は、そう言っているように詩乃には思えた。
 詩乃はただ黙って下を向く。
 どうでもいい。 周りの人間に避けられたって、嫌われたって、どうでもいい。
 別に友達なんか必要ない。 仲間なんかいなくて良い。 遠藤が自分のことを何と言おうと、そんなことは気にしない。
 彼女の話を聞いて夜代が自分を避けるようになったって、そんなこと、私にはどうでも……
 心を凍て付かせ、感情を殺し、ただ静かな機械人形になろうと努める。 機械は、他者の温もりなど求めない。 機械は、人恋しさなど感じない。
 しかし、そんな詩乃の様子には気付かず、夜代は分かったのか分かってないのか微妙な顔で「ふーん」と呟いただけだった。
 それを見た遠藤の顔が、不満げに歪められる。

「もしかして、信じてないの? ほんとだよ? 学校中でも噂になってるくらいだし」

 そもそもその噂を流したのが自分自身であるということをおくびにも出さずに遠藤は言うが、

「別に信じてないわけじゃないよ。 そんなことがあったんだな、って思っただけ」

 やはり何でもなさそうな顔で夜代は言った。
 その顔には、詩乃に対する忌避も嫌悪も浮かんではいない。
 ただ今の話を言葉として聞いたという以上の意味を持たない、そんな顔だった。

「人殺しだよ? 気持ち悪いでしょ」

「いや別に? 死んだのが強盗ってことは正当防衛だったんでしょ? 悪いのは一方的に相手の方じゃん。 朝田さんを恐がる理由……ましてや責める理由なんて、まったく無い気がするけど?」

 不思議そうな顔の夜代に、遠藤が目元を歪めて苛立ちを見せる。

「普通小学校のガキが強盗から拳銃奪って人殺す? どう考えても頭イカれてんでしょ。 きっと生まれつきの人殺し、危険人物なんだよ。 そんな奴は隔離してもらわないと、いつまた同じこと繰り返すかわかったもんじゃないわ」

 そう思わない!? と言いたげな遠藤に対し、夜代はやはり柔和な笑顔のまま、どうでもいい事を語るように淡々と嘯く。

「まぁ普通じゃないのは確かだね。 流石に誰にでもできることじゃないし……。 けどそれだけでしょ? 普通じゃないことがイコール悪だなんて、少なくとも俺は思わないな。 銃だろうとナイフだろうと、正当防衛である以上それが犯罪になることはないはずだよ」

 言って、夜代は軽く肩をすくめてみせる。

「それに人を殺すのに小学生も大人も関係無いよ。 大人でも子供でも、状況次第じゃ人を殺し得る。 同じように追い詰められた状況でも、人を殺すかどうかはあくまで個人差だし、誰がどうかなんて傍目からじゃ分からないよ。 実際同じ状況になったら朝田さんじゃなくても殺してたかもしれないしね。 それなのに、現実にそういう目に遭ったってだけで、その人一人を危険視する方が馬鹿らしいと思うな。 実際、悪いことをしたわけでもないしね。
 少なくとも俺は、相手が自分を殺そうとでもしてこない限りは、過去に何人殺していようが、その人を特に忌避するつもりはないよ。 猟奇殺人を繰り返すような快楽殺人者ならともかく、こちらに殺意や害意を向けてこないうちは、殺人犯だろうが窃盗犯だろうが気にしないね」

 そう言って夜代は言葉を締めくくった。
 言葉を紡いだその顔には何一つ含むところが見受けられない。 強がっているわけでも、詩乃を擁護しようとしているわけでもない。 ただ思ったことを思った通りにいっただけ、そんな面持ちだった。

「じゃ、また明日ね。 朝田さん」

 最後にそれだけ言うと、夜代は今度こそ鞄を持って教室を出た。 その後ろ姿を、遠藤が呆気にとられた顔で見送っている。
 しかし何より驚いた顔をしていたのは、当の本人の詩乃だった。























 放課後、まだクラスメイト達が呆気に取られている中教室を出た詩乃は、学校からほど近い区立図書館へと赴いていた。
 そこで一人の友人と落ち合い、図書館内の喫茶スペースへと移動する。 そして先日の“戦い”とその結果について報告していた。

「え? それじゃあ《ヘカート》は奪われちゃったの?」

「うん……」

 その時のことを思い出したのか、詩乃は傍目にも分かるほど落ち込んだ声で答える。 対面に座った少年が、それを見て気遣わしげな顔をした。
 彼の名は新川 恭二(しんかわ きょうじ)。 詩乃と同年代の、しかしぱっと見は中学生くらいに見える小柄で童顔な少年だ。

「それで、どうするの? とりあえずは何かで間に合わせて、他に狙撃ライフル探す?」

 恭二がこちらを案じる様に身を乗り出して訊ねてくる。
 今年の六月に知り合ったこの少年は、詩乃にとってこの街で唯一心を許せる――少なくとも敵ではない――存在だった。
 それどころか、ここではないもう一つの世界……GGOでは、戦友と言ってもいい間柄だ。
 だからこそ、正直に悩みというか困り事を話したわけでもあるし、ゆえにこそ、言い辛い部分もあるにはある。
 けれど結局、詩乃は正直に言うことにした。

「うーん……正直言うと、あの銃は私にとって最初で最後の相棒にするつもりだったんだよね……」

 《PGM・ウルティマラティオ・ヘカートⅡ》
 冥界の女神の名を冠する、あらゆる敵に死をもたらす銃。
 そこに感じた、冷酷なる魂。 武骨な銃身に込められた、確かな力と強靭な意思。
 何ものにも屈せず、揺るがず、流す涙など一滴も持たない。 自身がそうありたいと願う様を具現化したようなその姿に、彼女は憧れと同時に強い愛着をも感じていた。
 だからこそ、それを失ったことに対する喪失感は大きい。

「え……? じゃあ朝田さん、GGO止めちゃうの?」

 恭二の眉が傍から見てわかるくらい悲しげに下がった。 それを見て、彼女も少しばかり申し訳ない気持ちになる。
 だからというわけでもないが、弱々しくも努めて笑顔を浮かべながら、詩乃は首を横に振った。

「ううん。 とりあえず、なんとかして取り返せないか試してみるつもり。 向こうは別にスナイパーってわけじゃないみたいだったし、自分で装備することはなさそうだったから……。 まずはオークションや売りに出されてるかを確かめて、なければ本人を探して交渉してみる。 うまくすれば買い戻せるかもしれないし」

 さすがに何一つ足掻くことなく引き下がる気にはなれない。 落ち込んでこそいたが、もとより詩乃は相棒を取り戻すためにできる限りの手は尽くすつもりだった。

「そっか……よかった。 数少ない向こうとリアル両方の友達がいなくなるのは寂しいからね」

「私も、まだ目的を果たしたわけじゃないし……そう簡単に諦めるつもりは無いよ。 とにかくできる限りのことはやってみる」

 そう言って、詩乃は少しだけ微笑んで見せた。
 そこで目の前のカップに口をつけ、一旦会話を区切る。 それから話題はGGOを離れ、他愛も無い雑談へと流れていった。

「そういえば、クラスに転校生が来たんだって?」

「よく知ってるね。 誰から聞いたの?」

 恭二は詩乃のクラスメイトではあるが、二学期からこっち、ずっと不登校を続けている。
 噂で聞いただけではあるが、所属していたサッカー部内で酷いいじめに遭っていたらしい。 体格が小さく、また家が大きい医院を経営しているということで、格好の標的と見られたのだろう。
 とにかく、すでに何カ月も学校に来ていない彼が転校生のことを知っているのが、詩乃にとっては意外だった。

「ウチの生徒にもオンラインゲームやってる人いるから。 リアルで知ってるわけじゃないけど、ゲーム以外でもネット上では会話したりするよ」

「成程ね」

 極度のネットゲーマーである、恭二らしい理由だ。

「それで、どんな人なの?」

「何? 興味あるの?」

「そりゃまぁ……不登校とはいえ、一応クラスメイトなわけだし」

「そっか……。 別に、それほど変わった人じゃないよ。 外国から来たってこと以外は普通の、何処にでもいるような人だし」

 夜代と名乗った少年の、大人しそうな顔立ちを思い出しながら詩乃は言う。

「ふーん」

「あ、でも……私の過去を知ってもまるで反応なしだったのは珍しいと言えば珍しいかな? 遠藤たちがわざわざ私のことをご丁寧に暴露してたけど、全く気にしてないみたいだった」

「ほんとに? そんな人、珍しいね」

 恭二が少しだけ驚いた様な顔をした。
 確かに、かなり珍しい。 もともと詩乃はあまり社交的な方ではなく、秘密が暴露される前から学校内に親しい友人などいなかったが、忌まわしい事件にまつわる過去を知られてからは皆あからさまに彼女を避けるようになった。
 人殺しという名の烙印は、社会や集団において、それだけ忌避されるものなのだ。 詩乃の過去を知っても尚親しく口を利くのは、今のところ、彼女と同じく学校での居場所を失くした恭二くらいである。

「まぁ、表面上気にしてない風を装ってるだけかもしれないけどね。 それを抜きにしても優しそうな人ではあったよ。 むしろ大人しい方かな」

「ふーん。 それは……大丈夫かな?」

「何が?」

「いや、あんまり大人しい人だと、色々と……」

 恭二の顔に、嫌なことを思い出したというような陰が浮かぶ。
 その表情から、詩乃は恭二が何を言いたいのかが分かった。 あまり大人しいと自分や詩乃のように、いじめの対象にされるのではないか、と危惧しているのだ。
 それなりに名の通った進学校といえど、やはりいじめや差別というものは存在する。 いや、むしろなまじ頭が良かったり外聞を気にしたりする分、裏ではより狡猾で陰湿ないじめが行われている。
 今日入ってきた転校生は見るからに大人しそうで、体つきも細くて華奢だ。 線の細い童顔気味の顔立ちといい、悪い生徒に目をつけられれば、格好の的になってしまうかもしれない。
 それに教室で詩乃を庇った(本人にそのつもりはないだろうが)ことで、遠藤達からも目をつけられただろう。
 彼女たちが、詩乃の時と同じく彼を攻撃対象にしてしまったら……

「……まぁ、心配したところで僕たちにはどうしようもないんだけどさ。 いじめって、結局は当人の問題なわけだから」

 恭二がやや自嘲気味に言う。

「ん……そうだね。いちおう、明日学校で気をつけるように注意しとくよ。 私のせいで面倒なことになるかもしれないし」

 とはいえ詩乃の方から話しかけるのも、それはそれで迷惑になるかもしれない。 内心で、少しばかり不安を覚える。
 しかし何か有効な対応策があるわけでもなく、結局その辺の答えは保留にしたまま二人は話題を変えた。
 それからしばらく取り留めもないことを話し、閉館時間が近付いたところで、詩乃と恭二は図書館を後にする。
 外に出た瞬間、詩乃は冬に近付きつつある外気の冷たさに首をすくめ、マフラーをしっかりと巻き直してから歩き出した。

「私は商店街のスーパーに寄ってから帰るけど、新川君はどうする?」

「それほど遠回りでもないし、途中まで送ってくよ」

 そう答え、恭二は詩乃の隣に立って歩き始める。
 アーケード街を連れ立って歩きながら、先程の話の続きをしていた時、

「あ、おい朝田ぁー」

 突然、通りに並ぶ二つの建物の隙間からつい数時間前に聞いた覚えのある、そして非常に聞きたくない声が聞こえた。
 反射的に体をすくませてから、ゆっくりと九十度右に向き直り、細い路地の奥を見やる。
 そこには、今日の授業の終わり際に詩乃と転校生に絡んできた女子生徒、遠藤とその取り巻き計三人の姿があった。
 中心に立つ遠藤は、手の中で携帯端末をいじくっている。 その両横に立つ二人が、両手をポケットに突っ込んだ姿勢でニヤニヤ笑いながらこちらを眺めていた。
 よりにもよってこんなところで……と、詩乃は微かに眉を顰める。
 無言のままでいると、三人のうち一人が横柄な態度で顔を一振りした。

「こっち来いよ」

 だが詩乃は動かず、小さい声で訊く。

「……なに?」

 途端、もう一人がつかつかと歩み寄ってきて詩乃の右手首を掴んだ。

「いいから来いよ」

 そのまま有無を言わせず路地の奥へと引っ張っていく。 それまで不安そうな顔で詩乃と遠藤たちを交互に見ていた恭二が、慌ててその後を追った。
 商店街からは見通せない位置まで連れてこられた所で、正面に立った遠藤が詩乃とその後ろの恭二を、黒々とアイラインの入った吊り目で見下ろした。
 同時にあとの二人が、退路を断つように詩乃たちの背後に立つ。
 遠藤はまず恭二の方をじろじろと眺め回した後、大粒のラメが光る唇を歪めるように嫌な笑みを浮かべた。

「へぇ……教室で転校生に色目使ってたかと思ったら、今度は学校出てすぐ後に別の男とデートしてたわけだ。 真面目そうなツラして随分と遊んでんだな朝田ぁ」

 教室にいた時とはまるで違う、粗雑で暴力的な口調。 その目には、獲物をいたぶる捕食生物のような濁った色があった。

「つうかよく見たら元ウチのクラスのヒキコモリじゃん。 なに? あんたらデキてんの? はみ出し者同士お似合いだわ」

「それで、こいつにはもう飽きたから転校生に乗り換えようとしてたわけか? とんだ尻軽だなぁ」

 次々と浴びせかけられる侮蔑や嘲笑に、詩乃はただ唇を噛んで耐える。 すぐ後ろに立つ恭二は完全に委縮してしまっているようで、声も出せない様子だった。

「ま、そんなことはどうでもいいや。 それよりさ、あたしら色々あって今ちょっと入用なんだよねぇ。 悪いんだけどこれだけ貸してくんない?」

 そう言って指を一本立てて見せる。 百円や千円ではなく、一万円という意味だ。
 詩乃は一瞬だけその指を見て、すぐさま視線を遠藤に戻して言う。

「そんなに持ってるわけない」

 すると遠藤は一瞬だけ笑みを消し、瞳に剣呑な光をよぎらせた後、再び醜く微笑んだ。

「じゃ、下ろしてきて。 ……ああ、彼氏君は置いていってね。 それと鞄に、財布も。 カードだけあればOKっしょ?」

 その言葉に、恭二がびくりと体を震わせる。 彼は重度のネットゲーマーであり、普段の生活はほとんど引きこもりも同然だ。 当然ながら体力は平均以下だし、体格も華奢で小柄である。 身長は、同年代の少女と比べても小柄な詩乃と、ほとんど目線の高さが変わらないくらい。
 僅かとはいえ遠藤達の方が上背もあるし、そもそも恭二は他人と喧嘩できるような性質ではない。 相手が女とはいえ、取っ組み合いになったら敵わないだろう。
 それが分かっているのか、遠藤は明らかにこちらを見下し、口元には嗜虐的な笑みを浮かべている。
 詩乃はかつての自分の愚かしさを強く悔やんだ。 彼女たちを、一時は友達だと信じていたのだ。
 そして、当時の詩乃の愚かさが、今のこの状況を生み出している。

「あ、あの、お金なら僕が……」

 しどろもどろに言いながら恭二が財布を取り出そうとする。 しかし、それを詩乃が手で制した。
 そして真っ直ぐに遠藤の目を見据え、そのまま視線を逸らすことなくきっぱりと告げる。

「あなたたちにお金を貸す気は無い」

「は?」

 一瞬何を言われたのか分からないというような顔をした後、遠藤の顔に今まで以上の敵意と憎しみが浮かんだ。
 細められた両目に浮かぶ剣呑な光に竦みそうになるのを、詩乃はぐっと息を吸い込み腹に力を入れて堪える。

「テメェ……舐めてんじゃねぇぞ……」

 低い、どすの利いた声で威嚇する遠藤に、詩乃は敢えて挑戦的な瞳で睨み返した。
 そうすれば、さらに相手の敵意を煽ることになるのはわかりきっていた。
 しかしそれでも、負けたくない。 引き下がりたくない。 逃げたくない。 屈したくない。
 遠藤らに……ではなく、自分自身に《弱い自分》を見せたくなかった。
 強くなりたい。 この冷たく非情な世界の中で、たった一人でも生きていけるくらいに……それだけを考えて、詩乃はこの五年間を過ごしてきたのだ。

「お前さぁ、新しくオトモダチができたからって調子に乗ってんじゃねぇのか?」

「あなたたちには関係ない。 もう行くから、そこをどいて」

 低い声で詩乃が言う。
 しばらくの間、遠藤は詩乃の顔を憎々しげに睨みつけていたが、突然、その派手な色に光る唇が再び醜い笑みに歪んだ。
 嘲るような笑みを浮かべながら、遠藤がゆっくりとした動作で右拳を持ち上げる。 一瞬身を竦ませた詩乃を見て、その目がいっそう加虐的に醜く歪んだ。
 遠藤は拳から人差し指と親指を伸ばした態で、彼女は人差し指の先端を詩乃の眼鏡のブリッジへと向ける。 それを見た恭二が「あっ」と声を上げた。
 人差し指を突き付けられた詩乃の顔色が目に見えて蒼白になる。 その全身をすうっと冷気が包んだ。
 目の前にあるのは、ただ手のひらで拳銃を模しただけの、幼稚なカリカチュアだ。
 だが詩乃にとっては、ただの子供の指遊びではない。 その手の形を見ただけで……そこから、本物の銃を連想しただけで、詩乃の心に刻まれた深い傷跡が開いていく。

「か……は……ぁ……」

 両脚から徐々に力が抜けていき、平衡感覚が遠ざかっていく。
 路地裏の光景が色彩を失い、頭の中で高周波のような耳鳴りがどんどん高まる。
 眼前に突き付けられた指先から目が離せない。 呼吸と心拍が急激に加速する中、目の前の指先が黒い銃口へと姿を変える。

「ばぁん!」

 いきなり遠藤が叫んだ。 途端、詩乃の喉から細く高い声が漏れる。
 眼球の裏で鮮血のような赤色が弾け、過去の映像が頭の中でフラッシュバックした。 体の奥から震えが込み上げてきて、止めることができない。

「クッフ……なぁ朝田ぁ、実はあたしの兄貴がモデルガン何個か持ってるんだけどさ、今度学校で見せてやろうか。 お前好きだろ、ピストル。 なんせ小学生の頃から人を銃で撃ち殺すくらいだもんなぁ……」

「……ぁ…………ゃ…………」

 舌が動かない。まるでいやいやをするように、詩乃は小刻みに首を振る。
 学校でいきなりモデルガンなんて見せられたら、その場で卒倒してもおかしくない。 想像しただけで胃が収縮してしまう。
 さらに「人を撃ち殺した」という言葉で再び過去の情景が鮮明に甦り、詩乃はたまらず体を折った。
 記憶の奥底に刻まれた情景。 黒光りする銃身。 両手にかかるずっしりとした重み。
 鼻を突く、つんとした火薬の臭い。 そして………赤黒い血に塗れた、人の命を奪った、己の手のひら………

「ぃ……ゃ………ぁ………」

 頭の上で醜い嘲るような笑い声が響く。 背中で恭二が何度も詩乃の名を呼ぶ。
 その全てが頭に入ってこない。 まるで脳内に分厚いフィルターがかかっているかのように、外界の情報がまともに意識へ届かない。
 ぼやけた視界の中で、右手に提げた鞄に誰かの手が伸ばされる。 朦朧とした意識の中、詩乃はそれを防ごうと闇雲にふらふらと手を振るが、まるで力の入らないそれは相手を止めるには至らない。
 詩乃の横で膝をついていた恭二が遠藤たちを止めようとしたため、三人のうちの一人が恭二の脇腹を蹴飛ばした。 地面に転がったところで、さらに上から踏みつけられる。 痛みに呻く恭二の姿を見て、ようやく詩乃の意識が少しだけ正常に戻ってきた。

――なんとか、逃げなければ……いや、せめて巻き込まれただけの新川くんだけでも助けないと……

 心の中でそう念じ、必死に脚へ力を入れて立ち上がろうとした、その時―― 

「よーう、マキ。 待たせたな」

 路地裏に聞き覚えのない野太い声が響いた。
 体を折って蹲ったまま、首だけを回して路地の入口の方を見やると、そこにはいかにも柄の悪そうな風体をした五人の男の姿が見えた。
 見る限り、どの男も詩乃たちより年上だ。 皆が皆、個性の無い似たような髪型と服装をしている。 脱色した髪や体の各所にはめたピアス、身に付けた安物のアクセサリー類が、見ための下品さと柄の悪さを助長していた。
 男たちは遠藤たちの方へ歩いてくると、地面に蹲る詩乃と転がった恭二を見下ろして首を傾げた。

「ん? 誰こいつら?」

「ホラ、あいつだよ。 前に、あたしたちのこと警察に突き出しやがった」

「ああ、あの時の……」

 男は得心が言ったというように手を叩くと同時に、嫌なことを思い出したように眉を顰める。 詩乃はそれを見て、内心で唇を噛んだ。
 最悪だ……こんな時に、よりにもよって遠藤たちの仲間が現れるなんて……。
 それも相手は全員が男。 詩乃や恭二よりも年上で、遥かに体格の良い連中が五人も。
 男たちは、未だ体を折って浅い呼吸を繰り返す詩乃をじろじろと眺め回し、口元にいやらしい笑みを浮かべた。

「へぇ……この子が例の『人殺し』って奴か……。 どんな悪そうなツラしてるかと思ったが、思ってたより可愛いじゃん」

 人殺しという言葉に、再び詩乃の体を震えが襲う。

「何? アンタこんなガリガリのチビ女が好みなわけ?」

「たまにはこういう子もいいだろ。 確かにチョイ貧相だけど、その分いじめ甲斐がありそうでさ」

 男がそう言ってニヤニヤと笑う。 遠藤たちよりもさらに数段醜い、人を傷つけることに喜びを見出す加虐者の笑みだ。

「ふーん。 ま、いいや。 それよりせっかくだから前回のお礼をしてあげた方が良いんじゃない? この女のお陰で警察にしょっ引かれるはめになったんだし」

「あー、それもいいな。 丁度向こうに車止めてあるし。 おいヤス!」

 最初に声を掛けてきた男がリーダー格なのか、慣れた様子で他の面子に指示を下す。

「そっちのガキは通報できねぇように適当にボコっとけ」

「りょーかーい」

 言うや、ヤスと呼ばれた男は地面から上体を起こしていた恭二の頬をいきなり殴り飛ばした。
 恭二の小柄な体が再び地面に転がったところで、さらに腹へと蹴りをぶち込む。 ヤスは体を丸めて呻く恭二を、そのままサッカーボールでも蹴るみたいに無造作に蹴飛ばした。
 踏みつけ、踏みにじり、胸倉を掴んで引っ張り起こしては殴りつける。
 詩乃は相変わらず背筋を這い回る悪寒に体を震わせながら、その様子を見ているしかなかった。 やめて、と大声で叫びたいのに、舌と喉が硬直してしまったように声が出ない。
 目の前で恭二が鼻血を出し、傷と痣だらけになっていく。 だが詩乃も人の心配ばかりしている場合ではなかった。

「とりあえず、こいつは車のとこまで連れてこうぜ」

 そう言って、男の一人が詩乃の肩に手を掛ける。 その感触に、詩乃の背筋をぞろりと不快感が這い上がってきた。
 同時に自分よりも遥かに分厚く大きな掌から感じる重みと強い力に、恐怖と絶望が心を塗りつぶそうとする。

 ――いやだ……いやだ……

 どんなに胸の内で叫んでも、それが声となって出てこない。
 そのまま別の場所へと連れて行かれそうになった、その時……


「何してるんですか?」


 路地に、今度は年若い少年の声が響いた。
 その場の全員が思わず路地の入口へと目を向ける。
 通りの入り口に立っていたのは、今日詩乃のクラスに転校してきたばかりの少年、夜代詠士だった。
 男たちは驚きに一瞬硬直し、次いで一様に苛立ちを滲ませた物騒な雰囲気を漂わせる。

「うるせぇな。 取り込み中だ。 とっとと失せろ!」

 シッシッ、と手を振りながら男の一人が言う。
 しかし詠士は困ったような顔をすると、躊躇いがちな口調で言葉を返した。

「そう言われましても……そこにいるのは一応知り合いですし、ましてや女の子……流石にこの状況で見ない振りを決め込むわけにもいかないんですけど……」

 すると男の内の一人が彼に向き直り、つかつかとそちらへ歩いていった。
 そして見下ろすように詠士を睨みつけるや、苛立った声で怒鳴りつける。

「ごちゃごちゃうるせぇんだよ。 消えろ!」

 怒声と共に、男は詠士の横面を殴りつけた。
 狭い路地に鈍い音が響き、詠士の顔が横を向く。
 しかし倒れることもなければよろめくこともなく、詠士はすぐさま男に向き直った。

「…………先に手を出したのはあなたですよ?」

「だったらなんだ。 もう一発いくかコラ!」

 そう言って男は詠士の上着の襟元を掴み上げる。
 詠士はやれやれという風に嘆息し、

「ふっ!」

 胸元にある右腕の肘と手首を両手でそれぞれ掴むと、左右から同時に押し込んだ。

「ぐぁっ!」

 相手の肘から先が外側に傾き、腕の関節を極められた男の上体も連動して同じ向きに大きく傾く。
 詠士はすかさず掌を返して逆方向に力を込める。 すると今度は背中を折るようにして男が下を向いた。 そのまま相手の腕を内側に倒しながら重心を崩し、同時に地面を削るような蹴りで両足を払う。
 関節を極められた右腕にかかる力に逆らえず、男は両足を浮かせてくるりと空中で一回転した。
 背中から地面に投げ落されて呻いている男の顔面を、詠士は躊躇なく踵で踏みつける。 鼻骨の折れる音と共に、男は一瞬で意識を失った。

「ヤロォ!」

 あっという間に倒された仲間を見て驚いていた男達の一人が、正気に戻ると同時に詠士に向かって走り出す。
 しかし詠士は焦らない。 走る勢いのままに繰り出されたパンチを逸らすように片手で打ち払い、同時にもう一方の腕で殴りつけるような肘打ちを相手の顔面に叩き込む。
 鼻血を吹いてよろめく男の鳩尾にすかさず前蹴り。 頭を差し出すように体を折ったところで顎をかすめるような右フック。
 脳を揺らされた相手は、そのまま意識を手放し昏倒した。
 残る三人の男が、仲間を立て続けに二人倒されたことで驚愕に動きを止める。
 詠士はそれを見て、今度は自分から近付いた。 感情の読めない乾いた目で相手を見据えながら、ゆっくりと歩み寄って距離を詰める。
 すると予想外の事態に慌てた一人が咄嗟に近付いてきた詠士へと殴りかかった。

「く、っそが!」

 しかし相手が拳を繰り出すより早く、詠士は敵の前に出た方の膝を踏み抜くように蹴りつけ勢いを殺した。 男が出足をくじかれ体勢を崩したところで、今度は自ら踏み込み左右のボディブローを交互に打ち込む。
 詠士は続けて、体を丸めて呻き声を上げる男の胸倉を掴み、大きく振り回すように相手の体を側面の壁へと叩きつけた。 見た目に似合わぬ凄まじいまでの金剛力に、男の両足が地面を離れ、体が一瞬宙に浮く。
 背中を強打して呼吸が止まったところで、詠士はさらなる攻撃を加えた。 相手の髪の毛を掴んで、男の頭をさらにコンクリート壁へと打ち付ける。
 それを数回繰り返したところで、男は白目を剥いて完全に気を失った。

 そこでようやく男から手を放した詠士は、ふぅ……と小さく息を吐く。
 直後、詠士は振り返りざまに裏拳を放ち、不意打ちするため密かに自分の背後へと近付いていた一人の頬を打ち抜いた。
 たたらを踏んで後退する男に対し、詠士は追撃の平手打ちを繰り出す。 狙いは耳だ。
 衝撃が鼓膜と三半規管を揺らし、聴覚と平衡感覚が一時的に麻痺したところで、今度は男の顔面に水平な手刀を打ち込む。 その狙いは目。
 目潰しを食らった男が両手で顔を覆ったところで、相手を逃がさないよう両腕で首をホールドする。 そのまま頭を抱え込むようにして、詠士は密着状態からの強烈な膝蹴りをぶち込んだ。
 鳩尾を抉る一撃に、相手は吐瀉物を撒き散らしながら地面を転がり悶絶する。

「う、う……うわぁぁぁぁ!」

 最後に残った一人は、一か八かで詠士に低いタックルを仕掛けた。
 いや、それは総合格闘技やレスリングにおける技のようなタックルではない。 ただ恐怖に駆られてやぶれかぶれに腰に組み付いてきただけだ。
 詠士は冷静を保ったまま相手の胴体を上から両手で抱え、僅かに持ち上げてから手を放し、同時に先程と同じように突き上げるような膝蹴りを打ちこむ。 

「ぐふっ」

 とどめに、詠士は自分の腰に組みついたまま呻いている相手の後頭部へ肘打ちを叩き込んで完全に意識を刈り取った。
 最後の男が崩れ落ち、路地裏に静寂が満ちる。 詩乃を取り囲んでいた遠藤たちは、男たちが全員やられたと見るや一目散に逃げ去っていた。
 詠士は地に沈む男たちを一瞥してから地面に倒れている恭二と蹲っている詩乃に歩み寄る。

「大丈夫か?」

 声をかけつつ自分の傍でしゃがみ込む詠士に、詩乃はできるだけ心配させないよう苦労して笑顔を浮かべて見せた。
 それから必死に両脚へ力を込め、僅かによろめきつつも立ち上がる。 詠士は手を貸そうとしたが、詩乃がそれを制した。 助けてもらった上に、そこまでしてもらうわけにはいかない。
 
「……なんとか、大丈夫。 ……ありがとう、助けてくれて」

 詩乃はふらつきつつも、しっかりと両足で地面に立つ。 それから正面に立つ詠士へと向き直った。
 詠士は一旦家に帰ってから再び外出したのか、私服姿だった。 黒のジーンズに、同じく黒革のショートブーツ。 黒いTシャツの上に重ねた、コットンサテン生地素材の細身なミリタリージャケットもやはり黒と、全身黒尽くめだ。
 ……正直、あまり似合っていない。 長めの黒い前髪に目元が覆われた大人しそうな風貌や、幼さの残る童顔気味の顔立ちが、威圧的ですらある黒装束と相まって、どこかちぐはぐな印象を与えている。 真面目で大人しい人物が無理して悪そうな格好をしているような、そんな雰囲気。
 流石にそんなことを考えているなどと口にできるはずもなく、詩乃はようやく視界内の靄が晴れた目で、詠士の顔を真正面から見た。
 それにしても、こうして間近で向かい合ってみると、詩乃は詠士の背が予想以上に高いことがわかった。 小柄な詩乃よりも、20センチは上背がある。

「……ホントに、ありがと。 助かったわ」

 気遣わしげな目でこちらを見やる詠士に改めて礼を述べ、それから地面に倒れる恭二に近寄ると、傍にしゃがんで申し訳なさそうに声をかけた。

「大丈夫? 新川君」

「うん……いちおう……」

 弱々しく応えながら、恭二はふらふらと立ち上がる。 頬にははっきりと殴られた痕が残り、顔は鼻血で悲惨なことになっている。手のひらにもいくつか擦り傷が見えた。
 しかし咄嗟に頭を庇っていたせいか、いつまでも残る様な深い傷は見当たらなかった。

「ごめんね。 私の問題に巻き込んじゃって」

「ううん。 僕こそごめん。 男なのに、助けてあげられなくて……」

 恭二はそう言って詩乃に申し訳なさげな笑みを向け、それから詠士に向き直った。

「危ないところを助けてくれてありがとう。 えっと……?」

「ん? ……ああ。 俺は夜代詠士。 今日、朝田さんのクラスに転校してきた」

「成程、君がか……。 僕は新川恭二。 もともとは僕も朝田さんと同じクラスに通ってたんだけど……」

 そこで僅かに言い難そうに目線を下に逸らす。
 詠士はそれを見てしばし黙考し、それから思い出したように言った。

「ん? そういえばイジメで不登校になった生徒が一人いるとか言ってたっけ」

 恭二はその言葉に若干顔を曇らせるが、詠士の顔や声の響きに嫌な感じの色が無い事を見て取ると、すぐにもとの笑みを作り言葉を返した。

「そう。 その不登校の生徒」

 簡単に紹介を済ませたところで、詠士が路地の出口を親指で示した。

「とりあえず表通りに戻らない? 警察とか来て事情を説明するのも面倒だし、いつまでもむさ苦しい男どもが倒れてる路地裏になんていたくないからね。 ……臭いもキツイし」

 吐瀉物に塗れて地面に横たわる男を見やり、詠士が不快そうに眉を顰める。

「ん、そうだね。 とりあえずここ離れようか」

「……救急車とか、呼ばなくていいのかな?」

 詩乃が、地面に倒れた男たちを見下ろしながら、少々心配そうな声で言う。
 しかし詠士は、切り捨てるような口調できっぱりと告げた。

「いらないよ。いちおう少しは手加減したし、こいつらの怪我は自業自得だ。 死んだわけじゃあるまいし、必要なら自分たちで呼ぶでしょ」

 顔に似合わぬ冷たい声でそう言うと、詠士は詩乃と恭二を手で促しながらさっさと男たちに背を向けてしまう。
 一瞬だけ躊躇ったものの、結局は詩乃も促されるままに路地裏を後にした。 いちおう呼吸はしているようだったし、おそらく死ぬことはないだろう。
 それに、逃げた遠藤達が救急車を呼んでいるかもしれない。 自分たちも誘拐未遂をした以上、さすがに警察は呼ばないだろうが、それでも面倒なことになる前に現場を離れた方が賢明だ。
 三人は細い路地を出て商店街に戻り、しばらく歩いたところでようやく一息ついた。 場所はアーケード街から少し離れたところにある、小さな公園だ。
 恭二は公園の隅に設置された水場へと向かい、詩乃が渡したハンカチを水道で濡らして傷口を拭う。
 それを見守っていたところで、ふと詩乃は気になったことを詠士に訊ねた。

「ところでだけど……夜代くんって何か格闘技でもやってるの? 自分より年上の男を、しかも五人も倒しちゃうなんて、さすがに思わなかったわ」

 隣を見上げながら問いかける詩乃に、詠士は苦笑気味に答える。

「そんな大したものじゃないよ。 ちょっとした護身術みたいなものかな」

「身を守る……にしては、少し攻撃力高すぎな気もしたけど……」

「海外は日本と比べてはるかに物騒だからね。 身を守るためには防衛手段だけじゃなく攻撃手段も必要なんだ。
 それよりこっちも訊きたいんだけど……さっきあいつらと一緒にいた女の子達って、確かうちのクラスの人だよね? もしかして、こういうことってよくあるの? 教室でも朝田さんにやたらと絡んできてたし」

 不意の質問に、詩乃は一瞬体をびくりと振るわせる。
 そして若干体を強張らせながら、何でもない風を装って答えた。

「別に……大したことじゃないよ」

「そう? なんていうか、朝田さんのこと目の敵にしてるような感じだったけど」

 図星を突かれて、微かに詩乃が身じろぎする。

「教室の時も、俺に朝田さんの悪い印象を植え付けようと躍起になってるみたいだったしさ。 それに、他の人はみんな朝田さんのこと避けてるのに、あの子たちは敢えて朝田さんに絡んでいっているような感じだった。 何かあったんじゃないの?」

 言いたくないなら無理には訊かないけど、と続ける。
 詩乃は少し考えてから、結局は詠士に事情を話すことにした。 取り立てて隠すようなことでもないし、知られて困るようなことでもない。 昔の自分の失敗を知られるようで少しばかり恥ずかしいが、それだけだ。
 それに、教室で彼が庇ってくれたことに対して、少なからず救われた気分だったということもある。

「ほんとに、大したことじゃないんだ。 ただ、以前の私が救いようが無いくらい馬鹿で間抜けだったってだけ」

 当時を思い出し、苦い顔をしながら自嘲気味に詩乃は言う。
 ハンカチで頬を押えていた恭二が心配げな顔で詩乃を見やり、詠士は静かな面持ちで詩乃の言葉の続きを待った。

「あの三人はさ、この街に来て一番最初に親しくなったクラスメイトだったんだ。 地方から出てきたばかりで当然知り合いもいない、共通の話題も無くて毎日黙って座っているだけだった時、教室で『お昼一緒に食べないか』って声を掛けてくれて……それから学校帰りに四人で遊んだりお店寄ったりするようになったの。 その時は連中の本当の狙いに気付かなくてさ。 五年前の事件以来初めて友達ができて、馬鹿みたいに浮かれてたから……」

 彼女たちは、明らかに詩乃と気が合いそうなタイプではなく、当時はどうして詩乃のような非社交的な生徒に声を掛けようと思ったのかまるで分からなかったのだが、それでも、学校で友達ができたことは単純に嬉しかった。
 詩乃にとって、遠藤たちはこの街に来て初めてできた「あの事件」を知らない友達だったのだ。
 いや……友達だと思っていた。

「しばらくして、連中は頻繁に私の家へ遊びに来るようになったの。 それで何度も訪ねてくるうちに、だんだんとあいつらの私物とか服が私の部屋に溜まり出して……いつの間にか、遠藤たちは私の家で私服に着替えて遊びに行くようになったわ。 時にはあいつらが酔って帰ってきて、そのまま泊まってくこともあった。 おまけに合い鍵まで要求されて……」

 流石に合い鍵まで渡すのは躊躇われたが、一言「友達でしょ」と言われると、それ以上は何も抵抗できなかった。 それだけ友達というものに……誰かが傍にいてくれることに飢えていたのだ。
 そして、そんな弱さが最悪の事態を招いた。

「本当のことを知ったのは五月の末だったかな。 私が図書館から帰ると部屋の中から笑い声がしてね。 しかも遠藤たちだけじゃなかったわ。 知らない声……それも明らかに複数の男の声が聞こえた。 自分の部屋に知らない男がいると思うと無性に恐くなって……そこでようやく気付いたの。 遠藤たちが近付いてきたのは、最初から私の家が目当てだったんだって。 多分クラス名簿を見て、私が学校近くのアパートに一人暮らししてるって当たりをつけたんだと思う。 私の家は駅と学校の中間にあるから何かと便利だしね」

 自分の部屋のドアに耳を当てて気配を窺った時の、悲しくなるほどのやるせなさを思い出す。
 詩乃はただ利用されただけだった。 心の弱い部分に付け込まれ、弄ばれたのだ。

「それがわかると、今度は無性に頭にきてね。 すぐに警察を呼んだの。 向こうは色々と言ってたけど、とにかく知らない人たちだって繰り返して……それで、ようやく追い出すことができたんだけど……」

 詠士にはなんとなく、その先が想像できた。
 そして予想通りだった。

「あいつらは報復として、私の過去を全校中に触れ回ったんだ。 ほんと、ご苦労なことだわ。 わざわざ五年も前の、それも遠く離れた田舎で起きた事件のことまで調べ上げてくるなんてね」

 そう言って詩乃は呆れたように肩をすくめてみせる。 しかしそこには、多分に強がるような気配があった。

「で、それ以来私はクラスの皆から……ううん、全校中の生徒から避けられてるってわけ。 今じゃ教師ですら滅多に私の方を見ようとしないわ」

「ああ、そういえば……」

 詠士は今朝の担任教師の態度を思い出す。 それに、教室の生徒たちの異様な雰囲気と態度も。
 彼自身にはあまり理解できない感覚だが、詩乃の“人を殺した”という過去は、それだけ普通の人間にとっては忌避されるものなのだろう。

「まぁ、そういうことだから……だからさ、教室ではあんまり私にかかわらない方が良いと思うよ」

「ん?」

「今日の世界史の時みたいに、私と一緒にいると夜代くんまで皆から無視されるようになるかもしれないし、遠藤たちの標的にされるかもしれない。 まぁそっちは……大丈夫かもしれないけどね」

 先程の立ち回りを思い出して、詩乃は僅かに苦笑する。

「それでも、やっぱり私の問題に巻き込みたくはないからさ。 助けてもらったのは感謝してるけど、これ以上は……」

 言いながら、詩乃は小さく俯く。
 恭二を除けば、自分の過去を知っても態度を変えない数少ないクラスメイトだ。 正直にいえば、そこに縋りたいと感じている自分も確かにいる。
 一度他者を信じて裏切られながら、それでも尚自分の中に残る寂しさと人恋しさが、学校や教室でも傍にいてくれる相手を求めている。
 しかし、すでに学校とは半ば縁の切れている恭二はともかく、転校してきたばかりのこの少年にまで、自分の都合で孤独な思いをさせたくはない。 こんな自分にも自然体で接してくれる優しい彼が、詩乃と行動を共にしたがために孤立し、嫌な思いをする事態になれば、悔やんでも悔やみきれないだろう。
 それに……もしも仮に彼を信じて、そして万が一また裏切られたら……それこそ二度と立ち直れなくなるかもしれない。
 ゆえに詩乃は、彼に頼るようなことはしたくなかった。 そしてそうならないためにも、詩乃は自分の弱さを克服したかった。
 誰かに頼らない、他者に求めない。 そんな強さを手に入れたいと、そう思う。
 だから、詩乃はあえて自分の現状を話した上で、彼が自分から離れていくよう促したのだ。

「ああ、それなら別に気にしなくていいよ。 そういうの、どうでもいいから」

 しかし、当の詠士はあっさりとそう言ってのけた。
 詠士の科白を聞いて、詩乃は僅かに困惑する。

「どうでもいい、って……」

 戸惑うような声で言う詩乃に対し、詠士は僅かに肩を竦めると、なんでもないことのように軽い調子で言葉を続けた。

「俺は別に取り立てて友達が欲しいとも思ってないからね。 人嫌いってわけじゃないけど、特別寂しがりでもないし……。 確かに友達は大勢いた方が楽しく過ごせるかもしれないよ? だけど、必ずしもいなくてはならない、ってわけでもないでしょ。 そもそも、そんなくだらない理由で離れていくような連中なんかと、わざわざ迎合してまでお友達になりたいとは思わないしね」

 そこまで言って、詠士はまるで子供にでもするように、詩乃の頭の上に手のひらをポンと置いた。
 自分よりもずっと高い目線と、華奢に見えて存外大きく優しい手のひらに、詩乃は顔も見たことの無い父親を連想する。

「とにかく、別に朝田さんが俺に対して気を遣う必要はないよ。 どの道、これからはお隣さんだしね。 俺は今後も特に態度を変えるつもりはないし、何かあったら相談してくれても構わない。 俺にできることなら力になるよ。 ……まぁ、もしも朝田さんが俺のこと嫌いで、俺と関わりたくないから距離を置いてほしいっていうんなら話は別だけどさ……そうじゃないなら、俺に迷惑かけるかもしれないなんてこと、朝田さんが考える必要はないよ。
 心配しなくても、自分の身に降りかかる火の粉くらいなら自力でどうにかできる。 俺はこう見えても、そこそこ強いからね」

 最後の方だけ、少し冗談めかして詠士は言う。 詩乃は口を噤み、無言で詠士の瞳を真っ向から見つめた。
 強がり……ではないだろう。 そもそも強がる理由もない。
 友達なんていてもいなくてもどうでもいい。 クラスでハブられている生徒と親しくしたくらいで縁を切るような相手とは、端から仲良くしようとも思わない。 彼は、本心からそう思っているのだ。
 詠士は、友達や他者との繋がりというものを必要としていない。 拒否や否定こそしないが、必要不可欠とも考えていないことがはっきりと分かる。
 誰にも依存せず、誰をも求めない。 近付いて来る者を拒むような冷たさはないが、自ら他者を求めるような熱意も持ち合わせていない。
 それは彼が確固とした「自分」というものを持っているからだろうか。 だからこそ、これほどまでに強くあれるのだろうか。 それは詩乃には分からない。
 ただ、彼の持つその強さに、詩乃は眩しい物を見るような思いがしたのは確かだった。

「ま、この話はここまでにしとこうか……」

 詠士は苦笑気味に言うと、詩乃の頭から手を引いた。
 それから恭二の方をちらりと見やり、大した怪我でないことを見て取ってから、出口に向かって踵を返す。

「俺はそろそろ行くよ。 さっきの連中は追ってこないだろうけど、そろそろ暗くなるから帰り道は気をつけてね」

 それだけ言うと、詠士は「じゃあ、また明日」と出口に向かって歩き出す。
 詩乃は頭の中で答えの出ないことをぐるぐると考えながら、黙ってその背中を見送った。
 そしてその背が見えなくなった所で、水道の傍にいる恭二の方へと顔を向ける。 対する恭二は、詠士が去っていった方をやや険しい顔で見つめていた。

「……新川くん?」

「え……? あ、あぁ……なに?」

「いや……なんか、夜代くんのこと睨みつけてたからさ」

 詩乃の言葉を聞いて、恭二がやや慌てたように目を逸らした。

「ああ、うん。 ちょっと気になってね。 信用できるのかな、とか」

「うーん、悪い人じゃなさそうだけど……謎が多いのは確かだよね。 大人しそうに見えるのに、やたらと喧嘩は強いし」

 そう言って、もう一度詠士が出ていった出口の方を見る。 当然ながら、すでにその姿は見えない。

「……何者なんだろうね?」

「普通の格闘家って感じじゃなかったけど……」

「そうなの? かなり強かったよ」

「うーん……僕自身は素人だから完全には分からないし聞きかじりの意見になるんだけど……空手とかボクシングみたいな、普通に皆がやってるような格闘技じゃなさそうだったかな。 少なくとも武道じゃないと思う。 すごく………容赦なかったし」

 恭二の意見に詩乃も頷く。
 確かに、先程のチンピラたちを相手にした詠士は、その幼げな顔に似合わないくらい容赦のない戦いっぷりだった。
 それこそ、勢い余って殺してしまうのではないかとすら思えるほどの……。
 恭二はその姿を思い出して、彼に対し警戒感を覚えているのかもしれない。 確かに助けてはもらったが、いじめを受けていた恭二にとって暴力に強い人間などというものは、むしろいつ敵になるか分からないくらいに警戒すべき……というより、警戒せずにはいられない相手なのだろう。

 しかし、詩乃にとっては違った。
 助けてもらったこと以上に、彼という人間に対し強く羨望の念を抱いていた。
 誰にも頼らない。 誰をも必要としない。
 他者に依存することなく、しかし周囲を拒絶するでもなく、ただ自身がありたいと望むがままの姿で生きる。 それが、詩乃が感じた、詠士に対しての印象だった。
 詩乃がかつて望んだ、そして今尚求める姿……過去を乗り越え、心の弱さを克服した、その先の自分……。 その先にありたいと願う自分自身の姿であるように、詩乃には思えたのだ。

「夜代くん、か……」

 再び出口の方を見やり、思わずこぼしたように小さく呟く。
 それを聞いた恭二が気掛かりそうな、あるいは不安そうな面持ちで詩乃の横顔を見つめていた。































あとがき

はい、というわけで今月アニメにもなったソードアート・オンラインの二次創作でした。 流石にアニメではファントム・バレット編までは行かないと思いますけどね。 少なくとも一期じゃ無理かな。

読んでわかる通り、この作品のヒロインはシノン/詩乃になります。現実(リアル)と仮想(バーチャル)、二つの世界での出会いが彼女に与える変化とは……。
そんな感じで進めていきたいと思います。






[34288] 3.ハジメマシテのコンニチワ
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/08/02 02:08


 スーパーの前で新川恭二と別れた詩乃は、夕飯の買い物を終えると帰路に着いた。
 その手にビニール袋をぶら下げながら数分ほど歩いたところで、古びた小さな二階建てアパートに辿り着く。 外階段を上り、通路を渡って二つ目のドアが彼女の部屋だ。
 詩乃は旧式の電子錠でドアを開け、ひんやりとした薄暗い玄関へと入る。 そして後ろ手にドアと鍵を閉めたところで、大きく息を吐いた。
 靴を脱ぎながら口の中だけで小さく「ただいま」と呟く。 無論、応える者などいない。
 見慣れたはずの自分の部屋がいつもより空寂しく感じられるのは、今日は普段よりも人と言葉を交わす場面が多かったせいだろうか。

 頭を振ってそんな思考を振り払いながら、詩乃は入ってすぐ左にあるキッチンへと向かう。 人一人が動けるくらいのスペースしか無い、いかにも独り暮らし用といった感じの小さなキッチンだ。
 この狭いキッチンと、入って反対側のユニットバス、そして寝室でもある奥の一部屋が彼女の生活空間の全てだった。
 詩乃はスーパーで買ってきた食材を冷蔵庫に収めてから、制服の上に着ていたコートを脱ぎつつ自室へと向かう。
 六畳間1Kの狭い部屋ではあるが、物が少ないのでそれほど閉塞感は感じない。 目につくのは壁際に置かれた黒のパイプベッドと、その奥に並ぶ同じくマットブラックのライティングデスク、反対側の壁際に据えられた小ぶりのチェストと書棚、それと縦長の姿見だけだ。
 年頃の女の子の部屋にしては随分と飾り気がなく殺風景ではあるが、実際に住んでいる詩乃にとっては特に問題は無い。 寝食と、そして勉強ができるだけのスペースさえあれば十分だ。

 詩乃は通学かばんを床に置き、脱いだダークブルーのPコートをマフラーと一緒に狭いクローゼットへと仕舞う。 ついで制服のボタンに手を掛け、黒に近いダークグレーのブレザーを脱ぐと、同色のスカートと共にハンガーに掛けた。
 自身が高校生という枠組みに縛り付けられている証を脱ぎ捨てることで、詩乃はささやかな解放感に身を浸ひたす。
 脱いだ制服もコートと同じく皺にならないよう気をつけてクローゼットへ。 下に着ていたブラウスは、後でコインランドリーへ持って行くため畳んで隅の籠に入れておく。
 下着姿になると、十二月間近の肌寒い空気が身に沁みた。 痩せ気味で小柄な体を震わせながら、詩乃は手早く室内着を身に付けていく。
 ようやく一息ついた詩乃は、疲れ切ったようにベッドの上に座りこんだ。 そろそろ夕飯の準備を始めなくてはいけない頃合いだが、どうしても少し休みたかった。
 詩乃はそのまま倒れ込んで眠ってしまいたい欲求に逆らいながら、ベッドの上でこの僅か一日の間に起きた出来事を回想する。

 今日はクラスに転校生(正確には編入生)が来たり、その転校生と隣の席になったり、そのせいで色々と気を揉む場面が出てきたり、さらには遠藤たちに絡まれたりと、学校では何かと気苦労が絶えない一日だった。 そのほとんどが転校生絡みではあるものの、別に彼個人に取り立てて落ち度や問題があるわけではないため、文句や恨み言すら言えやしない。
 挙句は放課後にまで遠藤たちに捕まり、あまつさえもう少しで誘拐されそうな目にまで遭う始末だ。 もっとも、危ないところを助けてくれたのがまたその転校生だというのだから、もはや運命の皮肉すら感じてしまう。 よほど自分とあの少年は奇縁があるらしい。
 とにかく、たった一日の間にあまりにも面倒事が重なり、詩乃は心身ともに疲弊しきっていた。

(まぁ、彼の存在自体には感謝してるんだけどさ)

確かに色々と気疲れする場面も多かったが、転校生である夜代詠士自身に対してはあまり悪い印象を受けなかった。 むしろ彼の態度や言葉に、どこか救われたと言ってもいい。
 今まで多くの者から“人殺し”や“殺人者”と罵倒され、蔑まれてきた……あるいは異物として存在を否定され、無視されてきた詩乃に対し、詠士は良い意味でも悪い意味でも、なんら特別な感情を見せなかった。
 自分の過去を聞いてもまるで態度を変えず、それがどうしたのかと心底不思議そうな顔をする。 それどころか、危ない目に遭っていたところを助けてすらくれた。
 多分、彼が詩乃を助けたことに大した理由は無い。 知り合いだから、お隣だから、クラスメイトだから、教科書見せてくれたから…………理由を訊けば、彼はおそらく何の感慨も見せずにそう答えるのではないだろうか。
 あるいは暴漢に女の子が襲われてたから助けただけ、それくらい人として当然だとでも答えるのかもしれない。
 どちらにせよ、彼は詩乃のことを何ら特別視せず、それこそどこにでもいる普通の女の子として扱ってくれていた。
 それが、少しだけ嬉しい。

(けれど、甘え過ぎるわけにもいかない)

 たとえ理解者が現れたからといって、そのことに安堵し、依存するようになってはかつての二の舞だ。
 以前の詩乃は、孤独に耐えきれない弱さゆえに目を曇らせ、最悪の相手を友人だと思ってしまった。
 この学校でなら普通の友達ができると、普通の生徒になれるなどと馬鹿なことを考えてしまった。 過去に人を殺し、銃器を見るだけで発作を起こすような女子高生が、普通などであるはずもないというのに。
 少しばかり親しくされたくらいで他人を信じてしまったその無防備さが、さらなる悪意と絶望を呼び寄せたのだ。
 小中学でも散々他人に拒絶されながら、この街に来たばかりの自分はまるで学習していなかった。 人を殺した犯罪者である自分は、本来誰からも拒絶され、嫌悪されるべき存在なのだ。
 誰も詩乃を助けてくれたりなどしない。 己を本当の意味で救えるのは自分だけだ。

 だからこそ、詩乃は自らの力だけで過去を克服しなくてはならない。
 視線をベッド脇の小テーブルに置かれた華奢なつくりの機械に向ける。
 恭二と出会うことで手に入れた、己が強くなるための手段。
 どんなカウンセラーにも治せなかった心の傷、それを打ち消すことができるかもしれないと初めて思えた唯一の方法。
 VRゲームのハード機器、《アミュスフィア》。
 そして数あるVRタイトルの一つ、VRMMORPG ――《ガンゲイル・オンライン》。
 それが、東京に来てから詩乃が見つけた、忌まわしき過去の記憶を乗り越えるための武器だった。



 夕食を済ませ、翌日の学校課題を片づけたところで、詩乃はゆっくりとベッドに横たわる。 そしてベッド脇の小テーブルの上から二つのリングが二重に並んだ円冠状の機械を取り上げた。
 淡い水色の眼鏡を外してから、その銀色の輪を頭に装着する。 手探りで電源を入れ、スタンバイ完了の電子音が鳴ったところで詩乃は一旦大きく深呼吸。 それから小さく口を開く。

「リンク・スタート」

 次の瞬間、詩乃の意識は肉体から急速に離れ、ここではない別の世界へと沈んでいった。



























 GGO世界の中央都市、《SBCグロッケン》に降り立った詩乃――――シノンは、メタリックな質感を持つ高層建築の立ち並ぶ通りをぼんやりと歩き出した。
 頭上ではネオンカラーのホログラム広告が賑やかに流れている。 同時に現実世界の繁華街のような雑多な音が周囲に鳴り響いており、まるで音と色の洪水状態だった。
 周囲に流れる情報の中にはGGO内での最強者決定バトルロワイヤル、通称 《バレット・オブ・バレッツ》の第三回がもうすぐ開催されるという内容のものも含まれていたが、今のシノンの意識には届かない。
 現在、彼女の胸の内を占めているものはただ一つ。 昨日謎のプレイヤーに奪われた愛銃 《ヘカート》を、あの恐ろしいほどに強い相手からどうやって取り戻すかということだけだった。
 とはいえ、具体的なプランがるわけではない。 この広い世界で名も知れぬたった一人の男を探し出すのは至難の業だ。 恭二に対しては強がってみせたが、有効な手段など何も思いつかず、実際は途方に暮れていた。
 現実的に見れば、せいぜい運が良ければ戻ってくるかもしれない、という程度だろう。 いや、普通に考えて取り戻せる確率は限りなく低い。
 シノンはこれまでさほど収入を気にせずプレイしてきたことを少しばかり後悔した。 売りに出ている所を買い戻そうにも、あれほどのレア銃を買うには手持ちの金で足りるかどうか。 それを思うと、早くも落ち込んだ気分になってくる。
 そもそもあの男が個人で取引していれば、もはや手も足も出せない。

(まぁ……だからって何もせずに諦める気にはなれないんだけどさ)

 儚い希望を捨てきれない自分に嘆息しながら、それでもシノンは歩みを進める。
 しばらく歩きながら思案していたシノンは、ひとまずの方策としてアイテムなどのオークションを取り扱っている施設へ向かうことにした。
 オークションといっても、多数の観客がステージ上の品物を観賞しながら競りを行うような形式ではなく、決められた場所に設置されているオークション用の機械を操作し、出品登録されたアイテムに対して期日までに客がより高い値をつけていくという、ネットオークションに近い形式をとっている。
 その機械を通せば出品されている武器のゲーム内における数値的ステータスを調べることもできるため、わざわざ現品を見る必要がないというわけだ。 システムが管理している以上、粗悪品や詐欺などがまかり通ることもない。
 大抵のプレイヤーは、ドロップしたが装備するつもりのないレア武器をそのオークションを利用して捌いている。
 あれほどのレア銃だ。 昨日の男も、その辺のショップにホイホイ売るとは思えない。 個人的に取引している場合は見つけようもないが、オークションを利用しているのならばまだ可能性はある。
 シノンはとりあえず現時点で出品されている銃器のリストを確かめようと、機械が設置されている施設に向かって足を向けたところで、

「あ……」

 昨日戦った件のプレイヤーと、ばったり鉢合わせた。

「ああああああ!」

「ん? おたくは昨日の……」

 思わず周りの目も忘れて大声で叫んでしまう。
 忘れようにも忘れられない。 無造作に伸びた鉄灰色のウルフヘアに、やや吊目がちの金色の瞳。 相も変わらず両の大腿に装着されたレッグホルスターには二丁のハンドガンが収められている。
 間違いない。昨日、シノンの所属していたスコードロンをたった一人で全滅させた、正体不明のナイフ男だ。
 一瞬の驚愕の後、昨日の屈辱を思い出して思わず鋭く睨みつけてしまう。
 しかしそんな場合ではない。 なんとかしてこの男からへカートを取り戻さなくては……

「ああ、そうだ。 ………はい、これ」

 と、そこで男は思い出したようにアイテム欄を操作し始めると、ストレージに入っていた武器をオブジェクト化し、身構えるシノンの前にひょいと差し出してきた。
 昨日彼女から奪い取った、へカートを……

「なっ!」

「ん? どうかしたか? 傷つけたりはしてないはずだが……」

 首を傾げて訝る男に、シノンは言葉を詰まらせる。
 それはそうだろう。 この対物ライフルはGGO内に現存する銃器の中でも最高ランクに位置するレア武器の一つなのだ。
 そんなお宝を、これほど容易く返還してくるとは全く想像もしなかった。
 しばし言葉を失くしてシノンは視線を男とヘカートの間で行き来させる。 そして目の前で不思議そうな顔をしている男に向かって、なんとか言葉を絞り出した。

「……どうして………返すの……?」

「ん? いらなかったのか?」

「そうじゃなくて! こんなレアな武器を手に入れたのに、そんなあっさり戦利品を手放すなんておかしいでしょ。 目の前に差し出されたからって、『ハイどうも』なんて受け取れないわよ」

 予想外の事態に、シノンはいつになく感情的な声で叫んでしまった。
 男は納得したように何度か頷き、しかし困ったように首を傾げる。

「んー……つっても、別に俺は最初からレア武器が欲しかったわけじゃないからな。 昨日おたくからライフル奪ったのは、単に帰り道で後ろから撃たれないようにするためだったし……。 端から次会った時には返すつもりだったぜ」

 会えなかったらそれまでだったけど、と男はあけすけな調子で言う。
 とはいえ、探そうと思えばシノンを見つけること自体はさほど難しいことではないだろう。 数少ない女性プレイヤー、しかも彼女のアバターはその中でも(不本意ながら)際立って目立つ外見をしている。
 加えて前回のBoBで上位入賞したこともあり、シノンはそれなりに顔と名前が知れ渡っていた。
 彼女を見つけて返すことができるかどうかは問題ではない。 分からないのは、なぜそう簡単にレア武器を手放せるのかだ。
 シノンは顔に困惑を浮かべながら、しかしけじめのような気持ちで首を振った。

「たとえそうだったとしても、いくらなんでもタダで受け取るわけにはいかないわ。 あの時先に攻撃を仕掛けたのは私たちの方だし、その上であなたに負けたんだから……。 ていうか、あなたは何も思わないわけ? 私たちはあなたの仲間を全員殺したのよ」

 そもそも仲間を全滅させられた状況でありながら、昨日シノンを見逃した時点でおかしい。 この男には、恨みや報復といった概念が無いのだろうか。
 いくらゲーム内での出来事だからといって、普通、仲間をやられて何も感じないというのはありえない。 いや、ゲームだからこそ、受けた屈辱に対して容易く仕返しや報復といった行動に移るものだ。
 そんな内心が聞こえたわけでもないだろうが、男はひょいと肩を竦めると軽薄に笑って見せた。

「仲間っつっても、所詮は効率的にMobを狩るためにメンバー募集して、一時的に組んだだけの即席スコードロンだったからなぁ。 あくまでただの利害関係だ。 特に仲間意識もないし、義理立てする理由も必要も感じねぇよ。 そのチームにしたところで、もともと昨日で解散の予定だったしな。 最後の狩りで全滅させられるってのも不運な話だが……この世界じゃ殺される方が悪い」

 その口調は淡々と、あるいは飄々としており、どこも含む所を感じさせない。 おそらく本心から嘯いているのだろう。
 それから男は僅かに思案し、やがて人を食ったような笑みを浮かべながらシノンに提案した。

「そうだな……ただ返されるのが納得いかないってんなら、どっかその辺で飯でも奢ってくれよ。 丁度小腹も減ってたし。 それでチャラにしようぜ」

 今度はシノンの方が思案する。
 状況としてはある意味でナンパの類のようなものだが、この男には他の一般的な男性プレイヤー同様の、煩悩塗れな下心は感じない。 底が見えず、何を考えているのか察しにくい相手ではあるが、なんとなくシノンはそう思った。
 明らかに腹に一物抱えていそうな人物でありながら、不思議といつも彼女が他人に対して感じてしまう警戒心や拒絶感などが起こらない。
 だからだろうか。 シノンはこの男の誘いに乗ってみたいと思った。 そうして彼の話を聞けば、昨日見せた人並外れた実力の一端を知ることもできるかもしれない。
 そう考えたシノンは、しばしの黙考の末、内心を悟らせないよう努めて無表情を保ちながら頷いた。

「わかったわ。 あなたの好きなところで、好きな物奢る」

 正直、それでチャラにするという話に関して納得できたわけではなかったが、この場は好奇心が勝った。
 それに男の提案はさほど悪い話とも思えない。 ヘカートの借りはまた別の形で返すとして、目の前の男についてもう少し知りたいと感じたのは事実だ。
 故にシノンは、とりあえずは相手の誘いに乗ることに決めた。

「ん、それじゃ行こうか。 と、その前に……」

 男は踵を返して歩き出そうとし、しかしすぐに足を止めて振り返る。 それからメニュー・ウィンドウを操作してネームカードを取り出すと、シノンに向けて差し出した。
 受け取ったカードを覗き込むシノンに対し、男は唇の片端を吊り上げるようにしてニヤリと笑う。
 どこか皮肉げで、同時に好戦的な意思を感じさせる不敵な笑みで……

「俺は 《ハイネ》 だ。 ハジメマシテのコンニチワ」

















 シノン達が入ったのはグロッケンにおける繁華街のとある通りにある酒場の一つだった。
 店内の広さはそこそこだが、メニューがなかなかに豊富で、各種カクテルやドリンクの他に様々な酒肴も注文できる。
 二人はカウンターの向こうにいるNPCのバーテンに向かって適当に注文を告げ、酒の入ったグラスやつまみの皿が乗ったトレイを受け取ってから、隅のテーブル席へと移動して差し向かいに座った。 追加注文がしたい時はNPCの店員に呼びかけてもいいし、声を上げなくても各席に備え付けられたメニューをクリックすれば注文が可能だ。
 席に着くや、シノンは開口一番に目の前の男へと声をかける。

「じゃあとりあえず、ここは持つから好きに注文して。 ヘカートのお礼……って言うのも変だけどさ」

 確かに「お礼」ではまるで皮肉のようだ。 どちらかというと「借り」の方が正しいだろう。

「んじゃ、お言葉に甘えて……」

 応えながら、ハイネは褐色の液体で満たされたグラスを取り上げた。
 相手がグラスを傾ける様子を見やりながら、シノンも自分が注文したブルーハワイに似た色合いの 《ディープブルー・オーシャン》というカクテルを口に運ぶ。 炭酸飲料特有の弾けるような刺激と爽快感が広がり、同時に現実世界では経験したことのない味わいが口中を満たした。
 VR世界ではどんなに酒を飲んでも酔うことは無いが、その分、潰れることなく好きなだけ飲むことができる。 また、その味や種類も無数に存在し、現実世界には存在しないような飲食物も存在する。
 ちなみにどういう理屈かは知らないが、仮想世界で食べ物を口にすると現実世界の肉体にも仮想の満腹感が生まれ、空腹感を解消することができる。 VRゲーマーの中にはその効果をダイエットや食費の削減に利用する者もおり、独り暮らしのプレイヤーが現実世界での食事を忘れて長時間ダイブし続け、いつの間にか餓死していたという事件も今やさほど珍しくない。
 シノンも、流石に体を壊す様な不摂生をするつもりはないが、それでも時々この仕組みを利用していたりする。 現実世界では太る原因であり、不健康の元でもある間食や夜食をゲーム内で取ることで、むしろ健康を維持すると同時に費用も浮かせているのだ。 この世界でどれだけ仮想のジュースやケーキを摂取しようと、現実の体には1グラムの脂肪も付きはしない。
 ゆえに、こうして夜中にダイブして酒場や甘味処に入るのも、別段珍しいことではなかったりする。 とはいえ、現実世界での友人でもある新川恭二――この世界では 《シュピーゲル》――を除けば、流石に男連れで来たのは初めてだが。
 グラスの中身を半分ほど空け、酒肴のあぶり肉らしきものを一口つまんだところで、シノンはハイネと目線を合わせると改めて口を開いた。

「それにしても……あなた、一体何者なの?」

 口を衝いて出たのは先程から……いや、昨日の戦いからずっと抱いていた疑問だった。
 もっとも、流石に質問の意図が漠然とし過ぎていたかもしれない。 ハイネは片眉を上げて怪訝そうに訊き返す。

「何者って?」

「昨日の戦いよ。 ナイフと格闘戦だけで実弾銃装備した男五人、それも対人戦専門スコードロンの連中を一方的に倒すなんて、並のプレイヤーにできることじゃないわ。 この前のBoB(バレット・オブ・バレッツ)でトップテンに入った連中にだって無理だと思う。 一体どうやったらあんな戦い方ができるの?」

 湧き上がってくる疑問と興味、好奇心に突き動かされ、いつになく熱のこもった声でシノンがまくし立てる。 その普段と違う口数の多さが、彼女が昨日の戦いで受けた衝撃の大きさを物語っていた。
 とはいえ、ハイネに普段との違いなど分からない。 ただ「ふむ」と小さく息を吐くと、どう説明するべきか迷うように首を傾げる。

「どうやったら、って言われてもな……。 俺は別にそれほど特別なことしてるつもりはないし、答えようもねーんだが」

 その答えに、今度はシノンが眉をひそめた。 意味が分からない、といった顔だ。

「特別じゃないって……ほとんど異常と言ってもいいくらいの動きだったわよ? 五人がかりのフルオート射撃を相手に、弾丸の雨を潜り抜けて敵の懐に入り込むなんて……第一回BoBで優勝した《サトライザー》にだって、あんな立ち回りできるかどうか……」

 ハイネは「ああ、」とようやく納得したように呟き、肩をすくめつつ苦笑気味に答える。

「まぁ、誰にでもできるやり方じゃないってのは確かだけどな。 つっても取り立てて複雑な技は使ってないよ。 練習すれば他の奴にもできるんじゃねぇのか? 俺だって別に練習したわけじゃないけど、気が付いたらいつの間にかできてたし」

「あの至近距離で? どうやったらあんなふうに銃弾を躱せるっていうのよ。 いくら弾道予測線があるからって、あんな距離じゃそんなもの役に立たないわ」

 シノンは急き込むように問いかける。 知らず知らずのうちに、声に切実な響きが混じっていた。
 この世界で誰よりも強くなることで、現実世界の自分の弱さを打ち砕く。 そして仮想の銃弾であらゆる敵を倒すことで、現実世界で詩乃を苛み続ける銃器への恐怖心を乗り越える。 それが、シノンのGGOをプレイする目的であり理由だった。
 だからこそ知りたい。 この男の、常軌を逸した強さの秘密を……。
 この男、ハイネにはシステムという数字だけの強さではない、アバターを動かすプレイヤー……つまり生きた人間としての強さがあるはずだ。 だからこそ、充実した装備に頼ることなくあれだけの戦いを繰り広げることができたのだろう。
 彼の持つ並外れた力の源を知りたい。 シノンは強くそう願う。
 自分も、同じく強くなるために……。

 そう思う一方で、頭の冷静な部分がそんな簡単に秘密を教える奴なんかいるわけないと言っていた。
 当然だ。 MMOにおいて、スキルや技の知識は独占してこそ意味がある。 それがシステム上には存在しないプレイヤースキルであってもだ。 強くなるための手段は、秘匿することで初めて価値を持つ。
 そう思って、問いかけつつも半ば答えを諦めていたのだが、ハイネは隠すつもりもないのか意外なほどにあっさりと自身の実力の秘密について明かした。

「簡単なことさ。 相手の銃口と目線を見て弾道を予測、さらに指先の動きを見て撃発のタイミングを読むだけだ」

 もっとも、やはり聞いたところでそう簡単に実践できる類のものでもなかったが。

「いや読むだけだ、って……そんなのどこが簡単なのよ?」

 人間的な強さを求めるシノンにとっては、技の仕組みそのものよりも、どうやってそんな力や技術を身に付けたのかが一番知りたいところだが、さすがに弾道を読んで躱すなどという感覚は、身に付ける云々以前に想像もできない。 単純に予測線と反射神経で躱したと言われた方がまだ理解できただろう。
 そんなシノンの混乱に気付くこともなく、ハイネはさも当たり前のことを語るような口ぶりで、しかし微かに皮肉げな笑みを浮かべながら言葉を続ける。

「理屈だけなら単純だろ? できるかどうかはともかくとしてな。 弾丸が“どこ”に“いつ”来るかさえわかっていれば、躱すのはそう難しいことじゃあない。 確かにゲーム内とはいえ人は銃弾より速く動くことはできないが、相手の指先とほぼ同じ速度で動くことなら可能だろ。 銃弾なんてでかくても精々2センチ弱しかないし、弾道なんてそれこそただの直線だ。 ちょっと射線から位置をずらしただけで当たらなくなっちまう。 必要なのは相手の動きを俯瞰的に捉える視野の広さ、そして視界内の動き全体を把握する洞察力だ。 あとはまぁ普通に反射神経と……銃口から目を逸らさない度胸かねぇ?」

 簡単に言ってはいるが、それこそ誰にでもできることではない。
 相手の目を見ながら銃口にも注意を向け、トリガーを引く指にも意識を傾ける。 射手の体全体を視界に収めながら、指先から腕の角度、首や胴体、そして足……それらの動き全てを同時に把握しなくては、完璧に弾道を予測しきることは不可能だろう。
 その感覚を想像してみるが、まるで頭をいくつにも分割しているような気分だ。 とても実践できる気がしない。 この男は、そんな感覚を当たり前のように普段から実感しているのだろうか。 それこそ、わざわざ秘密にする必要もないと感じるほどに。
 確かに理屈だけなら簡単だ。 実際、映画や漫画といったフィクションでも似たような原理で銃弾を回避する場面はごまんとある。 彼女はそういった作品を目にしたことはないが、世間話程度にならGGO内で聞いたことがあった。 逆にいえば、それは本来フィクションの中だけでの話であるはずだ。
 特別なことをしているわけではない。 しかし、それを実現できることそれ自体が特異なのだ。
 彼自身もそのことを分かっているのだろう。 どこか皮肉ったような口調は、その辺りの感情を表しているのかもしれない。

「……どうやったらそんなことができるようになるのよ。 私がGGO始めて半年くらい経つけど、未だにあそこまで弾丸を回避して敵に接近するプレイヤーは見たこと無いわ。 AGI一極型にだってそんな人いないと思う。 あんな技、一体どんな練習をして身に付けたわけ?」

「いや、特に何も? 普通に慣れと経験だ」

 やはり簡単そうに答えるハイネ。 適当そうな物言いに、僅かにシノンの眉が顰められる。
 とはいえ、特にこちらを煙に巻こうとしている風ではない。 本当に、特別な特訓や練習はしていないのだろう。
 しかし、一体どんな経験を積んだらあんな化物染みたことができるようになるのだろうか。 というか何に慣れればいいのか見当もつかない。
 ただひたすら無茶な戦い方を繰り返すうちに、自ずと身に付いた技術ということか。 もしかすると、彼はシノンが想像もできないような修羅場をいくつも経験してきているのかもしれない。

「つっても、俺だって全ての弾丸を完璧に予測できるわけじゃねぇ。 形としては予測線そのものを予測しているようなものなんだが、仮にこれを予測線予測線……じゃあ分かりづらいか。 言うなれば、俺の目には漠然とした暫定予測線が見えているってわけだ。 もっとも、これは相手が銃口を動かすたびにあちこち動き回るし、実際には線というより柱みたいに太く見えてるんだがな。 その柱の内側のどこかを銃弾が通るってことだ」

 彼の目には、敵の銃口の向きから想定される弾道が、レーザー照準器から伸びる可視化された光線のように見えているのかもしれない。
 もっとも本人の言を信じるならば、そのラインは敵の弾道を僅かのずれもなく正確になぞるような高性能なものではなく、むしろいくつもの光線が束になっている状態に近いものであるようだが。
 確かに、弾道などというものは撃つ前から完全に固定されているわけではない。 僅かな手の震えや発射反動(リコイルショック)による跳ね上がり、射手の心理的な動揺など、その他様々な要因によって簡単に変化するものだ。
 当然、その可能性の範囲だけ彼の目に映る暫定予測線は太く曖昧なものになっていくのだろう。 柱というよりは、むしろ銃口から広がっていく円錐に近い形状をしているのかもしれない。

「当たり前だが、その分躱すためにはより大きく動く必要があるし、映画みたいに射線ギリギリを最小限の動きで躱す、なんて神業は不可能だ。 別に弾自体が見えてるわけじゃねぇしな。 そう考えると、むしろ近距離の方が回避するのは簡単と言えるだろうよ。 距離が大きいとそれだけ不確定要素や弾道の変動幅が増えるし。 ま、そういうふうに弾道を予測しきれないときは、近くの壁や瓦礫を遮蔽物として利用しているが」

 言われて、昨日の立ち回りを思い出す。
 確かに、ハイネは全ての弾丸を身のこなしのみで躱していたわけではない。 周囲の瓦礫を利用したり、あえて敵の傍に寄ることで相手の仲間が撃ちにくいよう仕向けていたりした。
 つまり彼ほどの男でも、全ての弾道を完璧に読み切ることはできないのだ。

「なんでわざわざそんな大変な思いしてまでナイフで戦うことに拘るのよ? あなたくらいの回避力があれば、普通に銃を使っても十分戦えるでしょ」

 しかし逆にいえば、この男は絶対に躱し切れるという保証が無いにもかかわらず、あんな無謀な戦い方をしていたということでもある。
 攻撃を完全に読み切ることはできなくとも、決して撃たれないという自信があったのか。 あるいは……

「それとも……その戦い方に何か強い意味とか、あるいは特別な理由でもあるの?」

 たとえ被弾する危険を負ってでも、あんなリスキーな戦法をとらねばならない、決して譲れない理由があったのか。
 銃に対する過剰なまでの恐怖を捨てきれない詩乃が、あえて銃と戦いが支配するこの世界に飛び込んだように――――

「いや別に? ただの遊び心だよ」

 あまりにもどうでもよさそうに言ってのけるハイネに、シノンは思わずテーブルに突っ伏しそうになった。
 なんというか、色々と深い事情やら理由などを想像していた自分が馬鹿みたいだ。

「ま、つってもナイフだけじゃなくて銃も使う時は使うがな。 その辺は時と場合によりけりだ」

 しかも大して強いこだわりでもないらしい。 よくよく考えれば、今も拳銃だけとはいえナイフ以外の武器も普通に装備しているし、昨日もシノンの銃をそれで撃ち落としたりしていたのだった。

「遊び心って……だからってわざわざ不利な状況で戦う意味があるの? あなたの実力ならいくらでもレア武器手に入るでしょうに……。
 実際問題その方が強いし、戦いでも確実に勝てるじゃない。 何よりゲーマーにとってはそういうレアなアイテムを装備すること自体がある種のステータスになるものだと思うけど……」

 眉間を押えながら、やや苦い声でシノンは言う。

「んー、あんまり周りからの評価や評判とかはどうでもいいからなぁ………趣味に合わなくて実用性の無いレア武器なんかにも興味無いし」

「そう? 場合にもよるけど、レアな武器は大体性能高いわよ?」

「システム上の数字的な性能と実用性はまた別の話だ。 実用性の有無ってのは、何も連射能力が高いとか照準が容易だとかいうだけの話じゃない。 個人の技量や体型・体質・性格からくる相性も関わってくるもんだ。 おたくがあの馬鹿でかいライフル扱えるのも、数字的ステータスが高いからってだけじゃねーだろ? 武器や 《クラス》を決める上では、それがプレイヤースキルや個性に合ってるかどうかってのも重要だ。 もちろん趣味や好みもあるが」

 言われて、シノンは納得する。 自惚れるつもりはないが、シノンがスナイパーとして高い実力を持っているのは、ステータスタイプやレア武器以前に、一人の兵士としての冷徹さや非情さ、そしてスナイパーとしての高いプレイヤースキルによるものだという自負がある。 そうでなければ狙撃などというピーキーなスキルは扱えないし、そもそもヘカートを入手することもできなかっただろう。

「確かに……そうかもね。 能力構成(ビルド)だって自分の好みとか性格を基準にして決めるものだし……。 まぁ最初に選んだ武器や能力構成、クラスに合わせてプレイヤースキルが上昇するってこともあるかもしれないけど」

「そういうこった。 ま、俺の場合は個人的な趣味全開だけどな。 合理性や実用性、スキルよりも性格やプレイ目的から来ている部分が大きい。 それでもあえてナイフやハンドガンだけで戦う理由を挙げるとするなら……」

 そこでハイネは再び唇の端を吊り上げるようにして笑みを浮かべる。
 不敵な……そしてどこか獰猛さを感じさせる、そんな笑顔。

「その方がスリルがあって楽しいだろ?」

 彼のGGOにおけるプレイスタイルが、この一言に集約されているようにシノンは感じた。
 あえて不利な状況、リスクの高い選択を選び、戦いの中でひたすらスリルと緊張感を求める。 そんな人物。
 そして、そんなスタンスこそが、彼の常軌を逸した強さの根源なのかもしれない。
 シノン自身、確実に勝てるような状況・相手との戦いだけでは、VRゲームで最も重要な要素であるプレイヤースキルは磨けない、と常々考えている。 それではいくら数値的ステータスが上がっても、本当の意味での成長は無い。 高いリスクを伴う本物の戦場でこそ、一人の戦士としての魂は鍛えられ、彼女の望む強い心を手に入れることができるはずだ。
 そして彼は、そんな極限の戦いをすら楽しむことができる。 それはただ単に彼の性格ゆえか、それとも彼の持つ強さからくるものなのか……。

「あとはまぁ……ただのカッコつけかな」

「…………」

 何故この男は一々こちらの力が抜けるような言い回しをするのだろうか。 シノンは再び眉間を押えて俯いた。
 カッコつけ……いわゆるロールプレイングの一環なのだろうが、わざわざ明言しなくてもいいのではと思う。

「これはゲームだぜ? 楽しまなきゃ損だろ」

 とはいえ、この考え方もまた正論なのだろう。
 日本で唯一“プロ”が存在するこのGGOを、奪い合いが根幹にある他者との争いとしてではなく、ただ純粋にゲームとして楽しめることこそが、彼の実力を形作る要因の一つなのかもしれない。
 シノンは今まで、あまりGGOを楽しむという気持ちを抱いたことがなかっただけに、その目にはハイネの姿がどこか眩しく映った。

「……確かに、あなたの言う通りかもしれないわね」

「賛同してくれて何より。 ま、要は遊び半分でああいうスタイルをとってるだけだがな。 ちなみに俺は昨日の戦い方を 《SS戦法》と呼んでいる」

「SS? 速さと斬撃を活かした 《スピード・スラッシュ》戦法ってこと? それとも拳銃とナイフを組み合わせた 《スラッシュ&シューティング》戦法?」

「いや超近接格闘戦闘術、 《スティーブン・セガール》戦法だ」

「……あっそ」

 なんとなくシノンは真面目に会話しているのが馬鹿馬鹿しくなった。(結構前からそう感じていたが)
 正直、この男の言葉はどこからどこまでが冗談なのかわからない。 口元には常に軽薄な笑みが浮かんでいるだけに、余計に分かりづらかった。
 シノンは気持ちを切り替えるように首を振ると、会話が一息ついたところで再びグラスに口をつける。 ハイネも自分のグラスを持ち上げ、半分ほど残っていた中身を飲み干した。
 メニューを操作して追加注文を行う様子を、シノンはそれとなく観察する。
 いずれ敵として立ちはだかるかもしれない男だ。 できるならば今の内に可能な限り情報を集めておきたい。 こうして話す機会を設けた最大の理由は、そもそもこの男に関する情報を集めることだったのだから。
 そんな内心の目的を胸に、シノンは言葉を交わしている間も、ハイネの外見、立ち居振る舞い、身のこなしを含めて、探る様に注視していた。

(けどやっぱり……こうして見ると、どこか印象が定まらない感じがするわね……)

 昨日も思ったが、ぱっと見では実力を察しにくい男だった。
 アバターの姿とステータスは別とはいえ、特別背が高いわけでもなければ、筋骨隆々というわけでもない。
 その容姿も、眼光がやや鋭いところ以外にはこれといった特徴の無い、端整ではあるがどこか個性の薄い顔立ちだ。
 武骨な外見のプレイヤーが多いこの世界では、むしろ浮いて見えるほどに淡白と言える。 どこか好戦的で獰猛な光を宿した両目を閉じれば、穏やかで温和な人柄の好青年にも見えただろう
 尤もだからこそ、獲物を狙う猛獣のごとき金色の両瞳が、むしろ砥がれた刃の様に鋭利で苛烈な印象を強めているのだが。

 そして……こうして近くに寄ることで初めて気付くことができる、その身に纏った空気は決して平凡なプレイヤーのそれではない。
 目元や口元には常に皮肉げな笑みが浮かんでおり、その雰囲気はどことなく人を食ったような印象を与えている。
 しかし軽妙な態度の中で時折見せる僅かな仕草から、内に秘めた狂的なまでの暴力性が微かに、だが確かに垣間見えていた。
 向き合っているだけで大きな力やプレッシャーを感じるような威圧感は無い。 むしろ言葉や態度はどこか軽薄で、斜に構えたように飄々としていた。 そのくせ気負いの一切感じられない佇まいは、もはや静謐ですらある。
 しかしじっと目を凝らして見ると、その平凡な外見のアバターの内側には、確かに攻撃的な意思と気配が潜んでいるように感じられた。
 スコープ越しには気付けなかったが、間近で見ると明らかに、どこか普通のプレイヤーとは乖離したものを感じる。 理由は分からないが、何故かそんな印象を受けていた。
 獲物を狩る捕食者の気配……。 殺気を内に隠した猛獣を目の前にしたら、こんな空気を醸し出しているのではないだろうか。 再びグラスを口に運びながら、なんとなくシノンはそう思った。
 
 そんな彼女の視線には気付かず、――あるいは気付いたうえで知らない振りしているのかもしれないが――ハイネはお代わりしたドリンクに再び口をつけている。 彼が注文したのは 《レオニダス・バルバドス》という名のカクテルだ。 大仰な名前だが、ハイネ曰く味的にはラム酒を加えたチョコミルクのようなものらしい。
 それを、彼はさも美味そうに味わって飲んでいた。 心なしか頬が若干綻んで見える。 鋭い眼光や落ち着いた佇まいに似合わず、どうやら甘い物が好きらしい。
 チョコレート入りのカクテルを嬉しそうに味わう。 そんなまるで子供のような姿に、シノンはなんとなく警戒や対抗心を込めて観察しているのが馬鹿らしくなった。
 それと同時に、思わず口元に苦笑が浮かぶ。 やはり“印象が定まらない”という印象だけは確かなようだ。

(下手に探りを入れるより、もっと手っ取り早い方法があるか)

 そう思ったシノンは、ハイネがグラスをテーブルに置いたタイミングで再び口を開いた。

「ところで思ったんだけど……やっぱりこれだけじゃ納得いかないわ」

「――? 何が?」

 何が言いたいのか本気でわからないという風なハイネに対し、シノンもさらに言葉を続ける。

「これだけで借りを返したとは思えないってこと。 私はあなたに一方的に負けてヘカートを奪われたのに、何の代償もなしに戻ってくるなんて、なんとなく気が収まらないわ。 これでもあの銃にはかなり愛着があったし、手に入れる時にもかなり苦労したのよ。 あなたは平気でも、私の方は一杯奢る程度で済ませられることだとは思えない……というより、思いたくないわ」

「ふぅん……ならどうする? 代わりに何かレアアイテムでもくれるのか?」

 ハイネが興味薄げな声で訊く。 彼自身としては、実際どうでもいいのだろう。
 それでもシノンに引き下がる気はなかった。

「生憎、現時点でヘカートほどのレア武器は持ってないし、入手するアテもないわ。 だから……労働で返すってのはどう?」

「労働?」

 怪訝そうな声に、シノンは軽く笑みを浮かべて見せながら答えた。

「あなたの次の狩りに私が同行して支援・協力するってこと。 もちろん戦利品分配の優先権はあなたに譲るわ。 レアアイテムが出た時なんかは特に。 それで借りを返すっていうのはどう?」

「ふむ……」

 ハイネは口元に手を当てて思案する。
 正直、悪くない提案ではある。 シノンはハイネに満足のいく形で借りを返すことができるし、ハイネはレア武器が手に入る。
 レアで豪華な装備そのものにはさして興味無いが、希少なアイテムを売れば金になるのは確かだ。
 特に、このGGOというゲームには 《ゲームコイン現実還元システム》 が採用されており、ゲーム内で稼いだ金を現実の金としてペイバックすることが可能であるため、ゲーム内での金銭的利益はそのまま現実世界での利益となる。
 そういう意味で、彼女の提案した内容は、効率良くかつ確実に借りを返す上で都合の良い方法と言えた。

「昨日の戦いを見る限り、あなた戦い方は近接格闘か、少なくとも近距離型でしょ? 私は狙撃手(スナイパー)だから相性も良いし、対人でも対Mobでも役に立つと思うわよ」

「………そうだな。 丁度昨日まで組んでた連中とは解散したところだったし、せっかくだから手伝ってもらうか。 中途半端な連中と大人数組むより、少数精鋭の方が効率もよさそうだしな。
 けどいいのか? 借りを返すためとはいえ、おたくの利益が少な過ぎる気もするが……」

「心配無いわ。 こっちもこっちでメリットはあるし、あなただって流石にドロップアイテム全てを独占するつもりまでは無いでしょ?」

 そう言って、少しだけ悪戯っぽく口端を吊り上げる。
 ハイネは苦笑しつつ「まあそうだな」と答えた。
 いくら優先権があるとはいえ、一方的に手伝わせるのは抵抗があるのだろう。 昨日シノンを見逃したことといい、どこか女性に甘い面があるようだった。
 とはいえ、彼女にもメリットがあるというのは本当だ。 尤も確実にというわけではないし、直に視認できるような類のものでもないが。 それでも彼を手伝うだけの価値はある。

(流石に一緒に行動してれば、何かしら見えてくるはず。 戦闘時なら特に)

 彼女が狩りの手伝いを申し出た目的は、自身でも納得できていないヘカートの借りを返すと同時に、次のBoBで強力なライバルとなるであろうハイネの実力をその目で確かめることだ。
 昨日の戦いでは、碌にその手札を見ることもできなかった。 しかし行動を共にし、近くで戦っていれば、もっと多くの技や戦法を目にすることができるかもしれない。
 無論、自分の手の内も見せることになるが、お互い相手の技量が分かれば、後はどちらがどのように対策を練るかが勝負の鍵となる。 ある意味では公平だ。
 とはいえ昨日の戦いを見る限り、今のところ隠している手札はハイネの方が多いだろうし、その分シノンの方が情報という意味ではメリットが大きいかもしれないが。
 もっとも彼女が本当に知りたいのは、能力構成や射撃の腕などといった上辺だけの強さではない。 そんな彼の強さを支える根幹にあるものをこそ、シノンは切に求めていた。

――だからこそ、この狩りの中でそれを見極める。

 胸の内で呟きながら、シノンは握手を求めるように手を差し出した。

「じゃ、決まりってことで。 これからしばらくよろしく」

「ああ、こちらこそ。 それじゃあ早速今日から頼もうかな。 それともこの後予定ある?」

「ううん。 ついさっきログインしたとこだし、もともと今日はヘカートを取り戻すために行動するつもりだったからね。 私にとっても好都合だわ」

「そりゃ何より」

 手を握り返してきたハイネを見ながらふと、こうやって自分から握手を求めるなんて、この世界に来てから一度もなかったことを思い出す。
 GGO内では現実世界以上に他者を寄せ付けない態度をとってきた自分が、会ってまだ大した時間も経っていない相手と――それも男と――ここまで長く話したのも初めてだ。
 一体自分はどうしたのか。そんな心境の変化に戸惑いつつも、あえて判然としないその感情を心の隅に追いやる。

――今は、良い。 今はただ、強くなることだけを考えていれば……

 自身にそう言い聞かせ、シノンは努めて冷静な態度を保ったまま、ウィンドウを操作してネームカードを取り出した。

「そういえばまだ名乗ってなかったわね……私は《シノン》よ。 “おたく”じゃないわ」

 そう言って、これから共に戦う仲間に向けて、微かに笑みを浮かべて見せた。


























あとがき

早くも感想いただきありがとうございます。GGO編はそもそもの情報量が限られているので、色々と独自の解釈や設定で補完することになると思います。
また、ストーリー展開の形としては原作の再構成という形になりますかね。 とはいえ、できるだけオリジナル要素は入れていきたいと思いますが。
御懸念されているように、主人公が没個性になった挙句、キリトの劣化版などになったりしないよう気をつけます。





[34288] 4.ハンティング
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/08/06 16:21




 ハイネとしばらくチームを組むことになったシノンは、促されるままにフィールドの手前、中央都市グロッケンの外周部に辿り着いた。
 この荒涼たる大地、GGOの舞台は最終戦争後の地球という設定になっている。
 遥か過去の大戦で文明の滅びた地球に、移民宇宙船団に乗って帰ってきた人々が暮らしている世界だ。 ゲームプレイヤーたちは、文明時代の名残である遺跡や荒野のダンジョンから有用な物資を回収し情報を集めるための調査隊、あるいは開拓者という位置付けになる。
 この中央都市グロッケンも、かつて地球に降り立った巨大宇宙船の一つだったらしい。 そのせいか、都市内のメタリックに舗装された街路や街並みは唐突に途絶えており、そこから先は広大な荒野が広がっている。 広い砂漠のど真ん中に高層ビル群がぽつんと存在しているエジプトなどに近いイメージか。

「んじゃ、この辺で支度すませとくか」

 ハイネの言葉を合図に、二人は街道脇にあるやや開けた場所でアイテムストレージ欄を操作し始める。
 シノンはまず移動中に携行する武器として、突撃銃(アサルトライフル)をオブジェクト化し肩から提げた。
 本来の主武装である 《ヘカート》 はまだ装備しない。 移動中に突然敵が現れ戦闘が始まった場合、ボルトアクション式の大柄な対物ライフルでは対応しきれない恐れがあるからだ。
 大人数で周りを固めている時ならともかく、チームが二人だけの状況で機動力や防衛・迎撃力を失うのはリスクが大きい。
 ゆえに今回の狩りでは、移動中の遭遇戦および近距離戦が避けられない事態に限りアサルトライフルで戦闘行い、狙撃が必要な場面でのみヘカートに持ち換え、後方からの火力支援をすることにしていた。

「へぇ……対物ライフル以外にもなかなか良い武器を持ってるな。 ロシアの“アバカン”ライフルか」

 自身の武装を整えながら、ハイネはシノンの方を横目で見て呟いた。

「まぁね。 ちょっとクセがあるけど、使い慣れれば他のアサルトライフルになんか乗り換えられないくらいしっくりくるわ」

 彼女が肩から提げているのは、GGOではレア武器とされている 《イジェマッシ・AN94》 通称“アバカン”ライフルだ。
 5.45ミリ弾を使うロシア製の高性能アサルトライフルで、歩兵用主力ライフルとしてはかなり特異な機構と特徴をもっている。 その突撃銃としての命中精度は、同じロシア製であるAK小銃などとは比べものにならないほど高い。
 しかし同時に内部の構造や機能がかなり複雑になっているため、メンテナンス面などを含めて総合的に見ると、実際の現場ではやや扱い難いところもあった。 ゆえに、現実世界では普通の軍隊や一般兵士ではなく、特殊部隊などといった一部のプロが好んで使う、玄人向けの突撃銃とされている。

 ライフルの弾倉(マガジン)や各種レバーなどを軽く点検してから、シノンは次に副武装であるH&K(ヘッケラー・コッホ)社製の 《HK・MP7》 をオブジェクト化し、ベルトの左腰に取り付けた専用ホルスターへと収めた。
 アバカン同様、GGOではそれなりにレアな武器である超小型短機関銃(サブマシンガン)だ。 4.6ミリ×30の小口径高速弾を使用し、非常にコンパクトかつ軽量でもあるため取り回し易さの面でも優れている。 分類上はSMG(サブマシンガン)でありながら、その重量はマガジン込みで2キロ以下と大型拳銃並。 加えて小口径弾は反動も小さく、シノンのSTR値であれば片手でのフルオート射撃でもかなりの命中精度を維持できる。
 これを手に入れて以来、シノンはスナイパーという遠距離型のクラスでありながら、近距離型のプレイヤー相手にもかなりのレベルで対応できるようになっていた。

 そして最後に、シノンは右腰のホルスターにスリムなデザインの9ミリ口径自動拳銃 《CZ75B》を差しておく。 その高い性能で有名な拳銃 《CZ75》シリーズで現行の基本モデルだ。
 こちらもハンドガンとしては優れた命中精度を誇り、世界有数の名銃と称されている。 基本的にはオーソドックスな機能の自動拳銃であるものの、製造過程での工作精度が非常に高く堅実なつくりをしている。 さらにダブルカラムによる十六発装弾と多弾倉でありながらも、設計に人間工学を駆使したグリップのデザインは、あたかも手に吸い付くかのように握りやすい。
 特にヨーロッパの方では高く評価されており、様々なバリエーションモデルや他社製のコピー品が各国の軍隊や警察機関で正式配備されている。
 もっともシノンにとっては、ヘカートを装備していない分装備重量に余裕があるため、あくまで予備として身に付けているにすぎないが。

「こうして見ると、全体的に趣味の良い銃器を揃えてるな。 どれもこれも実戦向きの優秀な武器ばかりだ」

「私にはあなたみたいに“遊び心”を加える余裕は無いから。 じゃじゃ馬はヘカートだけで手一杯よ。
 それに比べてあなたの方は………相変わらずの軽装備ね」

 シノンは微かな呆れを浮かべて目の前の男の装備を見やる。
 現在、ハイネは気休め程度の簡素なボディアーマーの上から黒のミリタリージャケットを着用し、同じく黒のミリタリーパンツを穿いていた。 とても動きやすそうではあるが、反面、敵の攻撃に対する耐久力はあまり期待できそうにない。

「防弾装備は最低限でいい。あんまり重いと敵の攻撃を躱しにくくなるからな」

 スナイパーであるシノンも耐弾性・防御力という点では似たようなものだが、ハイネの場合は敢えて敵の目の前に飛び出すという戦法を取るくせに、身に付けたアーマーは気休めにもならなそうな薄っぺらな物。
 確かに敵の攻撃を躱すには身軽な方が良いのだろうが、それにしても無防備だ。 自分は絶対に攻撃を喰らわないとでも思っているのだろうか。
 それに軽装備なのは服装だけに限った話ではない。

「武器の方もかなり軽装だけどね……。 ま、あなたにはそれで十分なんでしょうけど」

 肝心な武装については、まず両脚のレッグホルスターに二丁の自動拳銃。 種類はどちらもH&K社製の高性能ピストル 《HK・USP》 だ。
 さらにベルトの後腰に装着したヒップホルスターには大型のリボルバー拳銃 《タウルス・レイジングブル》 を差し込んでいる。 見る限りこちらの方が一撃の威力は高そうだが、ハイネにとってはあくまで保険や予備、最後のトドメ用といった意味合いの方が強いらしい。
 そしてタウルスよりもやや高い位置には、ボディアーマーの背中側にナイフを収める鞘(シース)が二つ、交差するように取り付けられており、それぞれに刃渡り20センチほどのコンバットナイフが収められていた。
 右腰にはさらに他二本よりもやや大ぶりのナイフを身に付け、それに加えてカランビット・ナイフも二本、それぞれミリタリージャケットの両袖の内側に隠している。
 ハイネの武器はこれで全てだ。 あとはせいぜい自動拳銃の予備弾倉(マガジン)をジャケットの内側やベルトなどに取り付けたケースに収めているくらいか。

 武器類をあらかた身に付けたところで、ハイネは右脚の拳銃を抜いてからスライドを引いた。 これにより、弾倉内に込められていた十二発の弾薬のうち一番上の一発が拳銃の薬室内に送り込まれ、同時にコッキング――弾薬後部の雷管を叩く金具である撃鉄(ハンマー)を起こす動作――も行われる。 大抵の自動拳銃なら、これでいつでも撃てる状態だ。
 ハイネはその状態のまま手の中の拳銃から弾倉を引き抜き、新たにオブジェクト化した実包を一発マガジンの上から押し込める。 そして再び十二発フル装弾となった弾倉を拳銃の銃把(グリップ)下部に差し込み直した。
 本来この拳銃のマガジンに込められる弾数の上限は十二発なのだが、こうすることで、戦闘では実質十三発まで連射することが可能になる。
 ハイネはさらにもう一丁の拳銃にも同じ操作をし、それからセイフティを操作して安全装置を掛けておいた。 ハンマーが起きたままでは、暴発の危険性があるためだ。
 このように、デコッキング(コッキング解除)をせずにコッキング状態のまま安全装置を掛けることを「コック&ロック」と言い、主に特殊部隊員などが戦闘の予測される現場で拳銃を携帯する時に好んで行う。
 と、その様子を横目に見ていたシノンが、ハイネの手に持った武器を眺めながら感心したように呟いた。

「確かに拳銃だけってのは少し珍しいけど、それでも結構良い銃(やつ)を選んでるわね。
 《MP7》と同じ、H&K社製の 《HK・USP》 か……しかも四十五口径仕様の“MATCH(マッチ)”モデル」

 それを聞いて、ハイネもまた感心を込めてニヤリと口元を吊り上げた。

「当たりだ。 しかし口径までよくわかったな」

「普通のUSPより少し大柄だもの。 それにさっき実包(弾薬)をむき出しで扱ってたでしょ?」

「ああ、成程」

 先程、弾倉に1発ずつ弾を込めた時のことを言っているのだろう。
 ハイネが標準的に使用する弾薬 .45ACP弾は、もっともポピュラーな実包である9ミリパラベラム弾と比べると、口径が大きい分その外見はやや太くずんぐりとしており、それなりのベテランプレイヤーならば見るだけで判別がつく。

「四十五口径は九ミリよりも反動が大きいから、それを抑えるためにスタビライザーを先端に装着したMATCHモデルを選んだわけね。 いい加減に見えて、なかなか理に適ってるわ」

「いや、近未来チックなフォルムがカッコよくて選んだだけだよ」

 シノンの言葉に、本気とも冗談ともつかない口調でハイネが嘯く。
 それから口元に軽薄な笑みを浮かべると、手の中でくるりと拳銃を回転させてホルスターに仕舞った。

「さて、これで二人とも準備できたな」

 あらかた武装を整えたハイネとシノンは、互いに顔を見合わせると「行くか」というふうに軽く笑みを交わした。 そうして改めて街の出口へと向き直る。
 と、そこでふと思い出したようにシノンがハイネの方を振り向いて訊ねた。

「そういえばあなた、メインの標的はプレイヤーかMob どっちなの? 何も考えずに実弾銃装備しちゃったけど」

 GGO内の銃器は大別して二つの種類がある。 実弾銃と光学銃だ。
 この二つは、後者の銃がすべて架空の名称と姿を持っているのに対し、前者は現実世界に本当に存在する銃器がそのままの形で登場している。
 そして戦闘では基本的に、対人戦には実弾銃、対Mob戦には光学銃を使うのがセオリーとされていた。 何故なら、この世界には 《対光弾防護フィールド》 という不可視の力場を発生させる装置が存在しているからだ。
 この《防護フィールド》には光学系の銃器によるレーザーの威力を大きく減衰させる効果があり、フィールド上では大抵のプレイヤーが光学銃対策のため常に装備している。 それゆえ対プレイヤー戦では、よほど近くにまで寄らなければ光学銃でダメージを与えるのは難しい。
 そのため対人戦を主目的とするプレイヤーは、一発あたりの威力が大きくかつ防護フィールドを貫通することができる実弾銃を好んで装備している。
 とはいえ、光学銃にもそれなりのメリットはある。
 まず銃自体が軽量であり、弾倉にあたるエネルギーパックも非常にコンパクトだということだ。 実弾銃と違って、重くかさばる弾倉をいくつも携行する必要もない。 同時に、弾道が風や湿度の影響を受けにくいため、射程が長くて命中精度も高いのもメリットの一つだ。
 そのため、普段は好んで実弾銃を使っているプレイヤーでも、Mob狩りの時には光学銃に持ち換えたりするのだが……

「んー、特に決めてないな。 フィールドとかダンジョンを適当に回って、Mobがいれば狩るし、プレイヤー見つけたら片っ端から攻撃仕掛けるだけだ」

「……随分と行き当たりばったりね?」

「ん? 俺ソロの時はいつも大体そんな感じだぜ?」

「……………」

 よくもまあそれで今まで通用してきたものだ。
 もっとも、それは彼の持つ人並外れた戦闘能力があってこそだろうが。

「まさか、一人で大人数のスコードロンに喧嘩売ったりとかは……」

「ああ、まぁな。 毎日ってわけじゃねぇが、多い時は一日に二・三部隊は潰してる。 人数はスコードロン一つにつき……大体四人から十人くらいだな」

 あっさりと言ってのけるハイネに、シノンはこの日何度目かの呆れた顔をした。
 この男のゲーム内における能力や思考の非常識っぷりはさんざん見せつけられたと思っていたのだが、まだ認識が甘かったらしい。 一人軍隊(ワンマンアーミー)を地でいくとは。
 あるいはこの、常に困難な戦いを求める姿勢もまたハイネの強さの秘密なのか……
 いずれにせよ、シノンとしても彼の方針に異を唱えるつもりはない。 ややスパルタ式だが、ハイネと行動を共にするのは自身を鍛える上で非常に効果的に思えるのも確かだ。 敢えてリスクの高い道を選ぶのは、彼女にとっても望むところである。

「まぁそれはともかく……Mobと戦う時に武器を換えたりとかはしないの? ほとんどの人は光学銃に持ち換えるけど」

「俺は基本的に実弾銃しか使わないな。 一発の威力はこっちの方が大きいし。 予備弾薬がかさばるっつっても、無駄弾撃たなきゃ携行可能な分だけで十分事足りるさ。 ……ま、シノンがどうするかはそっちの判断に任せるが」

「…………わかったわ。 じゃあ、それでいきましょ」

 とりあえず、差し当たりの方針は決まった。
 血をまぶしたような黒雲に覆われた空の下で、二人並んで目の前に広がる荒野へと踏み出していく。

「そういえば……あなた昨日の 《ソーコムピストル》 とは別の銃を使うのね。 確かにどっちも同じ会社の製品だけど、わざわざ換えた理由とかあるの?」

 歩きながら、シノンは雑談程度に少々気になっていた質問を切り出した。 普段はあまり行軍中などに口を開く方ではないが、さすがに二人きりだと勝手が違う。 他に誰もいない荒野でお互い沈黙を保っていると、なんというか微妙に間が持たない。
 対するハイネは、問いに対して特に感慨もなさそうに軽い声で答えた。

「いや、特に? 大体いつもその日の気分で武器を決めてるよ」

 シノンの言う 《SOCOM(ソーコム)ピストル》 とは、ハイネが先日使っていた 《HK・Mk23》 の別名だ。 むしろ日本ではこちらの呼び名の方が有名だろう。
 元は特殊部隊用に設計された高性能かつ大口径の大型拳銃でありながら、そのサイズと重量による扱い難さゆえに、実際の現場ではあまり評判はよくない。 大抵の軍隊ではハンドガンをあくまで副武装(サブウェポン)とみなしていたこともあり、一発の威力や装弾数といった、いわゆる火力の高さがそこまで重視されなかったのだ。
 しかしその一方で、競技用の自動拳銃としては非常に優れた性能を発揮したため、民間では今でも尚この銃を愛用している者も多いという。
 ちなみにソーコムは設計のベースをUSPと同じくするため、外観やつくりには所々に似ている部分や共通点が見られた。

「ふぅん……例えば他にはどんなの使うの?」

 他愛の無い好奇心から出た質問に、ハイネはやはり軽い調子で答える。

「そうだな。 他にはFN社製の 《FNP・45》 とか 《XD・45》、あとは 《グロック21》 に…… 《スター・M50》、 《ジェリコ945》 とかかな?」

 並べられた名前に、シノンの眉が僅かに持ち上がった。

「………あなた、アメリカ人?」

「いや、日本人だよ。 少なくとも生まれはな」

 どこか呆れたような声で言うシノンに対し、ハイネは肩を竦めつつ答えた。
 ちなみに彼女が思わずアメリカ人かと訊ねたのは、ハイネの挙げた拳銃がどれも四十五口径モデルだったからだ。
 銃社会であるアメリカには、昔から四十五口径信仰・四十五口径神話と呼ばれる考え方があり、世界でもっともポピュラーな拳銃弾の口径である9ミリよりも高威力の弾薬を使う銃として、軍や警察、民間を問わず大口径のハンドガンが求められる傾向がある。
 その神話に影響されているかどうかは知らないが、ハイネもまた四十五口径の拳銃を好んで使用しているようだった。

「まあ確かにアメリカにいたこともあるけどな。 つっても、ステイツより中南米の方が馴染み深いが」

「そうなんだ。 もしかして外国育ちなの?」

「一応そうなる」

 ハイネの言葉を聞いて、そういえばと学校での事を思い出す。 シノンがリアルで通う学校でも、丁度今日の朝に外国からの転校生が来たところだ。
 奇遇……というほどでもないが、外国育ちの人間と一日に二人も――それも、リアルとバーチャルそれぞれで――出会うことになるとは思いもしなかった。
 もっとも、単にこれまでは周りに対して無関心だったせいで気付かなかっただけかもしれないが。

「へーえ……。 それにしても、あなたそんなに四十五口径が好きなのに、ガバメント系は使わないの? さっき名前を挙げた中には無かったけど」

 四十五口径の自動拳銃として、大抵の者が真っ先に思い浮かべるのは 《コルト・ガバメント》 と呼ばれるシリーズだろう。
 先駆けとなる 《M1911》に端を発し、様々なバリエーションモデルや他社コピーの原型にもなったこの軍用拳銃は、昔からメディアにも多数登場しており、銃社会・大口径主義のアメリカにおいては、もっともポピュラーなオートマチック拳銃と言われている。
 また、現在世界中で製造されている数多くの自動拳銃、その設計思想における原型にもなっており、その完成度は非常に高い。 そのため銃器メーカーの間では、ガバメントこそがハンドガンのお手本だとも言われていた。
 ゆえに、四十五口径の拳銃を求めるのならガバメント系のものを選ぶのが一般的なのだが、彼女が見る限り、彼は敢えて他社の拳銃の四十五口径モデル、しかも設計元に 《M1911》 の流れを持つコピー品以外の武器を選んでいるように見える。
 まだ特定の会社やネームシリーズに強い執心があるのならば話は別だが、聞いた限り彼の挙げた銃の名前はメーカーも製造国もバラバラだった。

「んー……四十五口径弾は好きだけど、ガバメント系の銃はあんまり好きじゃなくてね。 性能とかじゃなくて、あくまで個人的な好みと感性の問題なんだが」

「ふぅん? 見た目が趣味に合わないとか?」

「ちょっと違うかな。 確かに、アメリカ製よりヨーロッパ製の銃の方がデザイン的には趣味に合ってるんだけど……それとは別に、なんとなくガバメントは肌に合わないっていうかね。 あくまで感覚的なものだし、説明するのは難しいんだが……。
 ただ、ヨーロッパ製でかつ四十五口径モデルも製造しているシリーズとなると、結構種類は限られてくるからな。 性能面も考慮すると、色々と大変ではある」

「成程。 単純に拳銃だけっていっても、結構こだわりがあるわけだ」

 まあ、趣味というだけでわざわざナイフを使って戦うようなプレイヤーなのだから、性能よりも好みを優先するのも納得できる。
 本人もカッコつけでやってるだけだと言っていたわけでもあるし。 シノンはそう内心で結論付ける。
 話しながら、ハイネは時折双眼鏡を覗いては遠方の確認をしていた。 とはいえ、その目に特別警戒の色はない。 むしろ表情からはやや気が抜けているようにも見受けられた。
 しかし、それで隙だらけなのかというと、そういうわけでもない。 飄々としているように見えて、時折鋭い視線を周囲に配っている。
 聞いた話によれば、彼は《索敵》スキルもかなり上げているそうなので、不意打ちの心配はまずいらないだろう。
 シノンは獲物に遭遇するまでの退屈しのぎに、さらに他愛の無い質問を続けた。 いつもは口数が少なく会話を拒絶することの多い彼女だが、他の男プレイヤーと違い、ハイネとの会話は不思議と嫌な気分にはならない。 それに加えて目の前の男に対する興味と関心から、シノンは自ずと口を動かしていた。

「そういえば……アメリカにいたってことは、もしかして実際に銃を撃ったこともあるの?」

「まあ一応な。 向こうじゃ州によっては子供でも射撃場を利用できるし、銃の扱いは慣れたもんだ」

「へえ……それもあなたの並外れたプレイヤースキルの秘密なのかな? それじゃあ、GGO歴はどれくらいなの?」

 オンラインゲーム内でリアル情報に繋がる質問するのはあまり褒められたことではない。 というより完全なマナー違反だ。 シノンは踏み込み過ぎないよう気をつけながらも、好奇心を抑えきれずに当たり障りなさそうな質問を重ねる。
 ハイネはやや視線を上に向けてしばし考え、それからシノンの方へと向き直ると素直に答えた。

「ん……大体、半年くらいかな? 1月くらい前までは北大陸の方を拠点に活動してたけど」

「ほんとに?」

 正直意外だった。 あれだけの腕を持ちながら、プレイ時間は自分とそう変わらないとは。
 自分との差は経験量ではなく、やはり経験の質の差なのかもしれない。

「あんなに強いんだし、てっきり正式サービス開始からずっとやってたのかと思ってたけど、そうでもないのね……。
 じゃあ、VRゲーム歴は長いの?」

「いや。 そっちも同じくらい」

 こちらにはすぐにうんと頷くと思っていただけに、否定の言葉が返ってきた時は少なからず驚いた。

「そもそも生まれて初めてプレイしたVRゲームがGGOだったからな。 日本に来たのは半年ほど前だけど、それまでゲームなんかしたこともなかったぜ。 VRなんて最先端ゲームなら尚更だ。 日本に来てから色んなゲームをやるようになって、そのうちVRゲームにもハマったって感じか。 GGOをプレイし始めたのはそれくらいの頃だな」

「ふーん……たった半年でよくもまあナイフと拳銃オンリーなんて色モノ装備で戦えるようになるわね」

「もともと格闘やシューティングは得意だからな。 ま、ほんとは普通にライフル使った方が戦(や)りやすいんだが」

「あ、やっぱりその方が強いんだ」

 もしかするとナイフや拳銃でなければ本当の実力を発揮できない、という可能性も考えたりはしていたのだが、別にそんな事情は一切なかったらしい。
 今の戦闘スタイルが取り立てて得意な戦法だとか、そういうわけでもないようだ。

「あくまで趣味でやってるだけだしな。 武器や能力構成(ビルド)もそうだが、俺にとっちゃそもそもゲーム自体がただの遊びだ」

「……日本で唯一 《プロゲーマー》のいるこのGGOで、そこまではっきり断言できるっていうのも凄いわね。 弱小プレイヤーが言ってたら負け惜しみにしか聞こえないけど、あなたはそうじゃないし。 ある意味尊敬するわ」

 シノンは呆れ半分、感心半分で嘆息するように呟いた。

「ちなみに、もしもライフルだったら何を使うの? アサルトライフル? それとも、狙撃銃とか?」

「一番好きなのは…… 《HK・G3》かな。 他には 《SIG・SG510》 に、 《SG542》 も結構使い慣れてる」

 ハイネが挙げた銃の名前は、どれも高威力かつ大型の軍用ライフルだった。

「へえ……拳銃と違って、さすがにこっちはどれもレアな武器ね。
 それにしても、あなたってライフルまで大口径が好きなの?」

「普通の突撃銃(アサルトライフル)よりバトルライフルの方が趣味に合ってるのは確かだな。 威力も射程も5.56ミリ弾より7.62ミリ弾の方が上だ」

 バトルライフルというのは、フルサイズ弾薬と呼ばれる口径7ミリ以上の大型実包を使用する軍用ライフルの総称だ。
 といっても、バトルライフルという名称自体は正式な銃器の分類ではない。 あまり一般的な呼び名とも言えず、実際、広義ではアサルトライフルの一群に含まれるものが大半を占め、GGO内でもほとんどのバトルライフルがシステム上は突撃銃カテゴリに分類されている。

「けどフルオート射撃のときとか結構大変じゃない? 反動大きいし、よほどSTR値が高くないと……」

「いや、フルオートは使わない。 絶対ってわけじゃないが、基本的に俺がライフルを使う時はセミオートオンリーだ。 個人的に、弾をばら撒くっていうのはあまり好きじゃなくてな」

「なるほど。 あなたの腕ならそれも可能かもしれないわね。 むしろハンドガンより強力で精密な射撃ができそう」

「弾幕張るよりは一撃必殺の方が好みだ、っていうのもあるがな」

 その後も、シノンとハイネは取り留めもないことを話しながら、ひたすら荒野を真っ直ぐ進む。 目指す先はグロッケンとは別の都市、 《クレマトリア》だ。
 GGO世界では、かつて地球へと降り立った宇宙船を中心に建設された都市が、グロッケンの他にもこの広大な荒野に数多く点在している。
 ひとまずはそのクレマトリアという都市を目的地に定め、そこに辿り着くまでの道程で目に付いたプレイヤーおよびモンスターを片っ端から狩って回る、というのがハイネの告げたこの日の行動計画だった。 ……計画と言えるかどうか疑わしくなるくらいに適当で大雑把な方針だが。
 そうして二人が歩きながら他愛もない話を続けていると、やがて双眼鏡を覗いていたハイネが突然立ち止まった。 つられるように、シノンもその横で足を止める。

「どうしたの?」

「前方にプレイヤーを数人発見。 多分、狩りから帰ってきたスコードロンだな」

 二人が現在立っている場所は前方と比べていくらか高い位置になっており、眼下には突き出た岩などで凹凸のひどい急な斜面の先に、荒廃した廃墟が立ち並ぶ旧時代の遺跡が広がっていた。
 件のプレイヤー集団は、その建物群よりもさらに向こう――開けて平地となった荒野を、こちらの方角に向かって歩いている。 そのまま真っ直ぐ進めば、シノンたちの目の前の遺跡を通過することになるだろう。

「どうする? 戦うの?」

「もち。 見逃す理由もないしな。 俺たちとの距離は……大体三キロくらいか。 こっちからも近付いて、遺跡で待ち伏せかけるのが一番良いかな。 開けた場所よりも市街戦の方がやりやすいし」

 双眼鏡を下ろして肉眼で目の前の地形を確認しながらハイネが言う。

「襲撃の段取りは?」

「役割分担は簡単に行こう。 シノンはどこか高い建物に潜伏して、まずは狙撃で一人に一発ぶち込む。 それを合図に、俺が混乱を突いて突貫&大暴れ。 敵を殲滅する。 もし可能なら、さらにもう一人二人適当に狙撃してくれ」

 言葉通り非常にシンプルかつ大雑把な指示に、シノンはあえて突っ込むような真似をせず「わかった」というふうに頷いた。
 それから首を傾げてしばし懸念するように思案し、必要事項を確認する。

「潜伏場所は?」

「スナイパー本人じゃなきゃわからないこともあるだろうし、シノンの方で好きな場所を選んでいい。 ただ、狙撃ポイントに着いたらどの辺か位置を教えてくれ」

「了解。 最初のターゲットは?」

「そっちもシノンで決めてくれていい。 判断は任せる。 おたくに合わせて俺も動くから」

「わかった。 それで……あなたが敗北して死んだ場合は?」

「三十六計逃げるに如かず」

「自分のことは気にせず離脱しろ、と解釈しても?」

「イエス」

 口端を吊り上げ、おどけたような笑みを浮かべるハイネにシノンも苦笑を返す。
 それから笑みを消すと、シノンはアイテム欄を操作してアバカンと 《CZ75B》を仕舞い、代わりに対物ライフルの《ヘカート》をオブジェクト化する。
 それを横目で見やりながら、ハイネは獲物を前にした獣のような表情で獰猛な笑みを浮かべた。

「んじゃ、狩りを始めるとしますか」






























 ハイネと分かれて数分後。
 シノンは廃都市に立ち並ぶ無数の建物の中で、もっとも高いビルに潜伏していた。
 とはいえ、最上階までは登らない。 万が一居場所がばれて敵が接近してきた場合に素早く離脱するためだ。
 シノンが潜伏しているのはビルの十七階。 人のいない、がらんと開けた広い部屋。
 そこで彼女はガラスの無くなった窓の傍で伏射姿勢を取りながら、二キロほど先の地上にいる標的スコードロンの動きを追っていた。
 窓際の壁はもともと一面ガラス張りだったようだが、いまやそのガラス窓は一つも残っていない。 遮るものは何一つなく、床の上で伏射姿勢をとっても地上のターゲットを十分に狙える位置だ。
 すでに廃都市内に入り込んでいた標的側は、現在アスファルトで舗装された道路をこちらに向かって歩いていた。
 スコードロン側の人数は九人。 そのまま真っ直ぐ廃都市を突っ切るつもりなのだろう。 彼らのいる通りの両側には、やはりいくつもの崩れかけた廃墟が立ち並んでいる。
 敵の姿をスコープ内に収めながら、シノンは通信機越しにハイネに話しかけた。

「こっちは位置に着いたわ。 場所は連中の進行方向側にある中で一番高いビル、十七階よ。 そっちは?」

『了解。 俺ももうすぐ位置に着くとこだ』

 それを聞いたシノンがスコープから顔を上げて直接通りを見ると、標的集団が進む先の曲がり角にビルを背にして立っているハイネの姿が見えた。 丁度、相手からは死角になる位置だ。
 こちらの視線に気付いたのか、ひらりとシノンに向けて手を振ってみせる。 狙撃手である彼女と同じく、彼も 《遠視》 スキルを持っているのかもしれない。
 それからハイネは背にしていたビル壁に向き直ると、いきなり壁面をするすると登り始めた。 速い。 どうやら窓などの凹凸やひび割れを利用して登っているようだが、それにしても鮮やかな身のこなしだ。 その動きは木の幹を駆け登るリスやニホンザルを思わせる。 シノンが軽い驚きの目で見ていると、あっという間に十階建てビルの屋上まで到達してしまった。
 さらにハイネは、軽く助走をつけ隣のビルへと飛び移る。 屋上に降り立つと再び走り出し、またもや跳躍。 さらに隣のビルへと飛び移る。
 それを繰り返しながらハイネは通りを歩く敵との距離を詰めていった。

 ビルの上を移動するというのは、地上を歩く相手に見つからないよう接近する上で都合が良いのは確かだが、それにしても冗談みたいな身軽さだ。
 標的が現在歩いている通りは、丁度側面に十階建てのビルが連続して立ち並んでいるため、十分な数値的ステータスと 《軽業(アクロバット)》 スキルさえあれば彼のような移動も可能なのだろうが、実際に実行するようなプレイヤーが他にいるだろうか。 ビルとビルの間は、近くとも五メートル以上の距離がある。 しかもあんな高所では、実際の数字以上に離れているように見えるはずだ。
 にもかかわらず、ハイネは落下に対する恐怖など微塵も感じさせない身のこなしでビルからビルへと次々に飛び移り、着実に標的との距離を縮めていく。 その動きには僅かの遅滞も無い。
 そうこうするうちに、やがてとある廃墟の上で立ち止まった。 打ち捨てられたようなビルの屋上で、ハイネは姿勢を低くしながら地上の標的を観察する。

『待ち伏せ位置に着いた。 もう少し引き寄せたところで狙撃してくれ』

 それを聞いてシノンは思わず疑問符を浮かべた。
 先程までは驚きゆえに考えが及ばなかったが、何故わざわざ屋上で待ち伏せするのだろうか。 あの高さでは、襲撃の際に降りるのにも時間がかかるだろう。 もっと引きつけて、曲がり角で襲えば楽だったのではないか。
 しかし結局、シノンは彼の言葉に従い狙撃行動に入った。
 セオリーに捕われない彼のことだ。 何か考えがあるのだろう。 シノンはスコープを覗き込みながらヘカートを構え、相手スコードロンの中から最初のターゲットを選出する。

「誰を撃つかは私が判断していいのね?」

『ああ』

 シノンはしばし標的を観察し、敵の中でもっとも脅威となりそうなプレイヤーを選び出した。

「じゃあ先頭にいる男にするわ」

 言われたハイネもまた、屋上で腹這いになりながら標的スコードロンを確認する。

『……あの 《SIG・SG550》 を持ってる奴か?』

「ええ。 《ダイン》っていう、前のBoBで十八位だった奴よ」

『強いのか?』

「自尊心が強い割に臆病で小心者だけど……順位が示す通り腕は確かよ。 何よりあのレア銃はかなりの脅威だわ」

 BoB本戦は基本的にソロの遭遇戦であるため、一位を別とすれば、順位の数字が必ずしも強さの序列とは言い切れない。
 だが、出場選手中でも予選を勝ち抜いて本戦に進めるのは上位30人だけであることを考えれば、少なくとも本戦に勝ち進んだという時点で十分警戒に値する相手と言えるだろう。

『成程。 じゃ、そいつで』

 軽い調子で言うと、ハイネは再び標的の観察に入る。 シノンはスコープ内にダインの姿を捕えたまま、相手がもう少し接近してくるのを静かに待った。
 細く長く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。 そんな呼吸を繰り返しながら、シノンはスコープを覗く右目視界内に表れた 《着弾予測線(バレット・サークル)》 の、自身の拍動に合わせた挙動を注視する。 それと同時に、左目はハイネを含めた地上全体の動向を俯瞰で捉えていた。
 拡大と収縮を繰り返す円の内部にダインの姿を常に収めながら、相手がハイネの潜伏位置に近付いてくるのを今か今かと待ち構える。
 やがて集団の姿が、彼のいる建物の真下に到達した。 絶好の襲撃ポイント!

『いいぜ。 いつでも撃て』

 ハイネの声を合図に、シノンはサークルがもっとも小さくなった瞬間を見計らってヘカートのトリガーを引いた。
 冥界の女神が殺意の咆哮を上げ、絶対致死の弾丸を射出する。 シノンの放った巨大な五十口径ライフル弾は一瞬で敵との距離をゼロに変え、ダインの歴戦の兵士然とした屈強そうなアバターを一撃で粉砕した。
 突然目の前でリーダーが倒され、メンバーたちの間に動揺が広がる。 その隙を突いて、すかさずハイネが動いた。
 彼は徐に立ち上がるや、微塵の躊躇いもなく十階建てビルの屋上から飛び降りる。 てっきり登る時と同じように降りる時も壁伝いに行くと思い込んでいたシノンが驚愕に目を見開いた。
 それも当然だろう。 GGO内では高所からの落下もHP減少に繋がる。 もちろん相応のステータスさえあればそれなりの高さまでは――それこそ現実世界なら大怪我に繋がるほどの高さでも耐え切ることが可能だが、十階建てビルのさらに上の屋上から飛び降りるなど、よほど高レベルのプレイヤーでも無傷で済むとは思えない。 むしろ即死する可能性の方が大きいだろう。一体何を考えているのか――!

 しかしそれは杞憂に終わった。飛び降りたハイネは硬いブーツの裏と踵でビルの壁を擦りながら降下し、僅かとはいえ落下の勢いを殺して壁を滑り降りるように下へ降りたのだ。
 ある程度まで降下したところで、今度はビルの壁面を蹴るようにして跳躍。 身体を宙に躍らせる。 そして落下先の足下にある街灯(の名残)を蹴りつけてさらに勢いを殺し、まるで猫のような軽やかさで着地してみせた。
 標的のプレイヤー達は、あたかも己の時間が停止したかのように、突然目の前に飛び降りてきたハイネを呆然と見つめている。 明らかに敵として現れたにもかかわらず、その鮮やかな身のこなしと非現実的な光景に半ば意識を奪われ、反応に数拍の遅れが生じたのだ。

 棒立ちになったまま戸惑う相手の心情を斟酌することもなくハイネは次の動作に移る。 地を這うような前傾姿勢から、獲物を狙う肉食獣さながらの動きで猛然と疾駆し、躊躇うことなく敵集団のど真ん中へと飛び込んだ。
 同時に両手で二丁の 《USP・45》 を抜き、すかさず発砲。 放たれた二発の .45ACP弾が、あやまたず奥にいた敵プレイヤー二人の眉間に突き刺さった。
 現実とは微妙に違うやや硬質な着弾音と共に、彼らの顔面でエフェクトフラッシュが弾ける。 そこでようやく、男たちはハイネを敵と認識した。 スコードロン側は各自もっとも得意とする武器を構え、一斉に応戦体勢を取り始める。
 そして地上は銃火に包まれた。
 いくつもの銃口が火を吹き、九人の兵士の間で無数の弾丸が交わされる。

 それらの動き全てを俯瞰で見ていたシノンは、ハイネの並外れた技量に内心で驚嘆していた。
 銃を抜いてから安全装置を解除し照準する。 一連の動作がとてつもなく速い。 離れて見ていたシノンの目にすら、ハイネが無手の状態から二丁の拳銃を前方に向けて構えるまでの動きが、あたかもコマ落ちしたかのように見えたほどだ。
 そして常軌を逸したその射撃技術。 一度その銃口が敵を見つめれば、吐き出された弾丸は決してその的を外さない。 頭数、銃の数、弾の数で負けていながら、精密射撃によるその攻撃力はむしろ相手を凌駕している。
 視線の先では、今や激しい銃撃戦が繰り広げられていた。
 八人の敵プレイヤーがたった一人を取り囲むようにして十字砲火を行っているのだが、当のハイネはそれらの攻撃全てを素早い足捌きとしなやかな身のこなしで容易く回避していく。 どころか、逆に次々と反撃の弾丸を叩き込んでいた。
 その動きは舞うように流麗かつ軽やかでありながら一切の無駄が無い。 最小限の動作で回避と攻撃を同時に行い、敵の攻撃をまるで寄せ付けず、一方的に弾丸を食らわせる。
 シノンが敵としてそこにいたなら、自分は超能力者と戦っているのではないかと思ってしまったことだろう。

 二つの銃口がハイネの周囲を縦横無尽に動き回り、あたかも別の生き物のごとく躍動する。
 そして彼がその引鉄を引くたびに、両手のUSPから放たれた四十五口径弾は寸分の狂いもなく敵の急所を撃ち抜いていく。 大口径の弾丸が敵プレイヤーのアバターを殴りつけ、相手のHPゲージががくんがくんと減っていた。
 ここがHP(ヒットポイント)制のゲームである以上、拳銃弾程度ではたとえ急所に当たっても一発二発で敵を殺すことなどできないが、それでも普通に弾をくらうよりは遥かに大ダメージとなる。
 加えて、GGOの運営体である 《ザスカー》 なる企業が四十五口径信仰発祥の地アメリカの企業であるためか、ハイネの使う .45ACP弾は一般的な9ミリパラベラム弾よりも数段高いダメージ設定になっているのだ。 その分、装弾数が少なくなったりサイズや重量が増したりとデメリットもあるが、彼ほどの射撃の腕があればその程度の不利は軽く覆せるだろう。
 ハイネは敵の弾丸を躱しながら、自身は両腕を踊るように大きく振り回し前後左右の別なく撃ちまくる。 それでいて、放たれた弾丸は狙いすましたかのごとく敵アバターを逃がさない。

「なるほど。 二丁拳銃、ね。 伊達や酔狂と断言できないところが恐ろしいところだけど」

 巷では「無意味な技術」「実戦的ではない」などと陰口を叩かれる二丁拳銃スタイルだが、決して外連味(けれんみ)だけで有効性がないというわけではない。
 確かに、完璧な習得が至難であるというのは紛れもない事実だ。利き手とは逆の手で銃を扱うというのは、素人が考えているよりも遥かに難しい。 ましてや左右の手で同時に二丁の銃を扱おうとすれば、これに輪を掛けて困難となる。 いくらこの世界がシステムによって支援されたゲームであるとはいえ、慣れというものはそう簡単に覆せるものではないのだ。
 しかし必要な知識と技術、それに加えて優れた判断能力と高い身体能力さえあれば、決してモノにするのは不可能ではない。 そして一度マスターすれば、この上なく強力な「実戦的近距離戦闘技術」にすらなりうる。
 単純に一丁の場合よりも装弾数や火力が増すというだけではない。
 同時に二方向の敵を狙える。 同じ装弾数でも、サブマシンガンのフルオート射撃のように無駄に「バラまく」ことがない。
 コンパクトかつ軽量であるがゆえに携行が容易く、敵の意表を突いた攻撃ができる。
 無論それらのメリットは高い技量と射撃能力が伴って初めて実現できるものだ。 しかし逆に言えば、習熟した二丁拳銃使いは並のガンナーよりも遥かに恐るべき相手となる。

「それにしても――、」

 眼下で暴れまわるハイネを眺めながら、

「『スティーブン・セガール』の次は 『ガン=カタ』って……どこまでアクション映画が好きなのよ」

 シノンが感心の中にやや呆れを含んだ声でぽつりと呟いた。
 ちなみに彼女自身は、映像越しとはいえ現実世界で銃を見ると発作を起こす危険があるため、普段はアクション映画など見ることはない。
 しかし一方で、このGGOをプレイする人間はいわゆるガンオタ、ガンマニアという人種が大半であり、戦争映画やアクション映画を好んで見る者も多い。 ゆえに、彼女も(ゲーム内での)世間話に出てくる程度ならば、アクション映画に関する知識を持っていたりする。

「まあ、それはともかく……もう一、二発撃ち込んでおいたほうが良いかな」

 独りごちながら、シノンは再びヘカートの照準に一人の敵を捉えた。


























 シノンの狙撃が成功し、残りの敵は八人。
 大型のバトルライフルを持った男が一人。 散弾銃(ショットガン)が一人。 突撃銃(アサルトライフル)あるいは騎兵銃(カービン)を持った奴が四人。 残る二人は短機関銃(サブマシンガン)を携えている。
 ハイネは間隔を空けて立っている敵集団の中心へと疾駆しながら、出会い頭に奥の二人へ向けて引鉄を引いた。 二発の弾丸が空を切り裂き、相手の眉間を凄まじい力で殴りつける。
 二人の顔面でフラッシュが弾けた瞬間、ハイネにはスコードロン側の殺気が不可視の死線(ライン)となって一斉に己の体を貫いたように感じられた。
 先程までどこか呆けたような顔をしていた男たちは、今の先制攻撃でようやくこちらを明確な敵と認識したらしい。
 内心の敵意に後押しされたのか、実際に八つの銃口が持ち上がり襲撃者であるハイネへと向けられる。 コンマ数秒後には、無数の 《弾道予測線》 が彼のアバターに突き刺さるだろう。
 ハイネは即座にアスファルトで舗装された地面を強く蹴りつけ、猛獣のごとく俊敏な動作でその場から飛び退いた。
 次の瞬間、先程まで彼がいた場所を左右から撃ち込まれた二種類のライフル弾が通り抜ける。 しかし完璧に回避したハイネのHPゲージは欠片も減ってはいない。
 人間離れした反応と動きに男たちの顔が驚愕に歪んだ。

 着地するやいなや、ハイネは素早く視線を走らせる。
 たった今彼に風穴を開けようとした射手は左右に立つ二人。 右の一人はロシアの旧式突撃銃 《AK47》 通称“カラシニコフ”を、左のもう一人はコンパクトなイスラエル製突撃銃 《IMI・ガリルMAR》 をこちらへ向けている。
 ハイネは両腕を左右へ伸ばすように突き出すと、お返しとばかりに二丁の 《USP》 をぶっ放した。 別々の敵を同時に狙いながら、その射撃は驚くほどに正確だ。
 USPをはじめとして、H&K社の製品は基本的に耐久性、信頼性、そして何より命中精度が高い。
 さらには“MATCH”モデルならではの銃身先端部に取り付けられたバレルウェイトがスタビライザーとしての役割を果たし、ハイネ自身の高いステータスも相まって銃口の跳ね上がりを完全に抑え込んでいた。

 両手のUSPから吐き出された二発の .45ACP弾が寸分の狂いもなく二人のプレイヤーに炸裂したところで、すかさずハイネは両腕を振り回すように銃口を巡らせ、今まさに別方向から彼を撃とうとしていた短機関銃使い二人に先制攻撃する。
 銃口から激しく発射炎(マズル・フラッシュ)が噴射し、それぞれ 《H&K・UMP》 と 《IMI・ウージー》 を構えていた二人が、鼻先で弾けたエフェクトフラッシュに目を眩ませた。
 次いでハイネは相手集団の立ち位置から最も狙いにくい地点を素早く脳内で算出すると、円を描くような足捌きで地面を滑るように移動し、他の敵による死角からの銃撃を回避する。
 結果として相手側はお互いの火線が仲間に重なり、同士討ちを恐れて僅かに攻撃を躊躇した。
 ハイネはその隙を突いてさらに攻撃。 立て続けに撃ち出された四十五口径弾は、彼を取り囲んでいた敵プレイヤー達にあやまたず命中した。
 カッとなった相手側は、つい味方の位置を失念して思わず引鉄を引いてしまう。

「ぐぁっ!」

「がっ!」

 予想通り幾人かの間で同士討ちが起こり、敵は咄嗟にトリガーから指を離す。
 標的側の混乱に構わず、ハイネは尚も銃を撃ちまくった。
 彼自身は敵が撃ってくると感じた時点ですでに立ち位置を変えており、その身には銃弾一つ食らっていない。

「くっ、そが!」

 頭に血が上った敵集団は躍起になってハイネを撃ち殺そうとする。 多少のリスクはやむを得ないと判断したのか、その銃撃からは躊躇いや容赦が消えていた。
 彼らが引鉄を引く指に力を込めると同時に、無数の弾道予測線が彼めがけて殺到する。 しかしハイネは踊るように旋回しながら、足裏で地面を舐めるような独特のフットワークで立ち回り、予測線から刹那の間をおいて次々と襲い掛かる弾丸を悉く躱していった。
 同時に、回避する動作の中でも無駄なく両腕を前後左右・縦横無尽に振り回し、絶え間なく反撃の銃弾をお見舞いする。

「――っ、とぉ!?」

 しかし流石に捌き切れなくなったのか、斜め後ろから撃ち込まれた 《ステアー・AUG》 の弾丸を躱す際に大きく体勢を崩してしまった。
 横に傾いだハイネの上体へと、今度は反対側から 《コルト・M4》 が撃ち込まれる。 さすがに弾道を読む暇がない。
 本能が鳴らす警鐘に従い、ハイネは咄嗟に体を前方へと投げ出した。 飛び込み前転の要領で地面を転がりながら全身に降り注ぐ射線を回避する。 彼の背後で5.56ミリ弾が何発も地面に突き刺さった。
 前転から跳ね起きるように立ち上がったところで、さらに前後から銃弾が襲い掛かる。 敵は先程の攻防で学習したのか、射線が仲間に重ならないよう絶妙な位置取りでハイネを取り囲んでいた。
 こちらの動きに合わせて逃げ場を塞ぐように向こうも動く。 リーダーがやられたというのに、予想以上に連携の練度が高い。
 やがてフルオートで撃ち込まれた無数の弾丸のうち、二発のライフル弾がハイネの体をかすめていった。

「――っ!? ヒュウッ!」

 際どい弾道に、思わず口笛を吹く。
 ライフル弾がかすめたのは右のこめかみと左肩だ。 銃弾の触れた確かな感触と共に、ひりつくような熱を感じる。
 これが現実世界ならば、火傷とかすり傷くらいはできていただろう。
 危なかった……。 だが、だからこそ心が躍る。
 ハイネの口元には、いつの間にか隠しようもないほどに深く笑みが浮かんでいた。
 一歩間違えれば脳幹をぶち抜かれていたのだ。 それを思うだけで背筋に冷たい物が走るのを感じる。
 それと同時に、ハイネはゾクリとくる緊張感が胸に心地よく響くのを感じていた。

「 ク ハッ!」

 思わず口から笑いが漏れる。
 楽しい。 楽しくてたまらない。
 勝つか負けるか。 殺(や)るか殺られるか。 そのせめぎ合いが愉しくて仕方がない。
 ハイネがGGOをプレイする動機は簡単だ。 VRゲーム特有の、実際にその場に立っているかのような臨場感。
 このリアルな仮想の世界で戦い、殺し合う。 実際に命を奪うことなく、ただ戦場のスリルと高揚感のみを体感できること。
 それこそが、FPS型VRゲームに彼がとことんまで魅せられた一番の要因だった。
 魂が燃えるように激しく奮い立ち、心臓の鼓動が暴力的な衝動と共に荒れ狂う。
 ひりつくような熱を感じていたのは、弾丸のかすめたこめかみか。 それともこの頭蓋の内側か。
 戦い、奪い合い、殺し合う。 人間の原始的かつ暴力的で醜い部分を全面に押し出したかのようなこのゲーム。
 そんな狂気の世界において、あえて自らを狂気に染める。
 彼にとっては戦いこそが最高の愉悦であり、戦うことそれ自体がこの世界に来た目的だった。


「ふっ!」

 短機関銃による側面からのフルオート射撃を回避したところで、再び頭の傍を数発の7.62ミリ弾がかすめるように通り過ぎる。 対するハイネは身を翻しながら右のUSPを敵に向けると三回続けて引鉄を引いた。
 先程から幾度となく弾丸を食らっていたAK小銃使いが .45ACP弾の三連射を全弾急所に受けて、とうとうその武骨なアバターを爆散させる。
 その結果を見やることなくハイネは次の敵へと向き直った。

「おっと」

 しかしふと手元を見ると、今の三発を最後に右手に握ったUSPのスライドが後退したままで停止していた。 弾切れを意味する「ホールドオープン」という状態だ。
 ハイネは慌てることなく「マガジンキャッチ」を操作して弾倉を下に落とすと、左で射撃を続けながら右のUSPを顔まで持ってきて銃身上部のスライド部分を口でくわえた。 それから右手でジャケットの内ポケットから予備弾倉を素早く抜き出すと、その弾倉を銃把(グリップ)の底から差し込んで「スライドストップ」を操作。 後退していたスライドを元に戻す。
 同時に初弾も装填完了。 一連の動作を1秒以下で行い、流れるような動きで再び射撃を開始する。
 ハイネはフル装弾となった右手のUSPを立て続けに四発撃ち、先程に続いて 《ステアー》 を持った男も葬り去った。
 すかさず次の敵に向かおうと背後を振り仰いだところで、

「――っ!?」

 ハイネは咄嗟に後方へと身体を投げ出し、ひっくり返るように思い切り倒れ込んだ。
 次の瞬間、ショットガンを構えた一人の敵が、先程までハイネの立っていた場所に向けて大きな黒塗りの銃をぶっ放す。
 破裂したかのような轟音と共に12ゲージの散弾(ショットシェル)が撃ち出され、仰向けになったハイネの眼前を無数のペレット弾が放射状に広がりながら通過していった。

「――ッ危(ブ)ね!」

 地面に背中をつけた姿勢のまま、ハイネは安堵の息を漏らす。
 敵が撃ったのは映画などでもよく目にする有名なショットガン《モスバーグ・M500》だ。
 男は「ガシャコッ!」とポンプアクション独特の小気味いい音を響かせながら、地面に転がるハイネへと歩み寄ってきた。
 ショットガンは距離が近ければ近いほど威力が跳ね上がる。 今度こそ至近距離で確実に仕留めるつもりだろう。

――その前にこちらから仕掛ける!

 ハイネは仰向けの状態からブレイクダンスの要領で両足を振り回し、その反動を利用して野生の獣さながらの敏捷さで跳ね起きた。 カンフーアクションスター顔負けのアクロバティックな動きだ。
 そして相手が二発目を撃つよりも先に、ハイネは起きあがりざまUSPを連射する。 二丁拳銃が立て続けに火を吹き、何発もの四十五口径弾がショットガン男へと叩き込まれた。

「くっはははははははははは!」

 己の手の中で連続する銃声とリアルに再現された火薬の臭いに彼のテンションはさらに高潮する。 ハイネは吠えるように笑いながら両手のUSPを何度もぶっ放した。
 派手なアクションに一瞬目を奪われた男はろくな反撃もできず、咄嗟に首より上を右腕で庇う。 その体勢ではショットガンを撃つことはできないが、相手は防弾装備で固めているため、こちらも敵の急所を狙うことはできない。
 それに構わず、ハイネは敵に向かって突進しながら二丁拳銃による連射で相手の動きを制限し、あっという間にショットガン男へと肉薄する。
 そしてすれ違いざまに自身の右腕を男の首に巻きつけながら相手の背後へと回った。

「がっ!」

 丁度、後ろから男の首に腕を回して他の敵に対する盾にする形だ。
 ショットガンでは背中に張り付いた敵を撃つことはできず、男はなんとかハイネの腕から逃れようと苦しげにもがくが、ゲームとはいえきれいに決まった拘束はそう簡単に振りほどけない。
 腕の中で暴れる男の様子には頓着せず、ハイネは敵集団が撃つのを躊躇っている隙に、左手のUSPも片手と口だけで弾倉を交換する。
 その時、拘束された男が仲間に向かって手を伸ばした。

「待て! 待ってくれ!」

 撃つか否か迷うそぶりを見せるチームメンバーに対し、ショットガン男が命乞いのように懇願する。
 対するハイネは男の後ろで獰猛な笑みを浮かべると、間髪入れず男の肩越しに左腕を伸ばし、敵を盾にしたまま相手の仲間に向けて立て続けに六回引鉄を引いた。
 それぞれ三発の .45ACP弾に撃ち抜かれ、二人のAGI型アタッカーである短機関銃使いが同時にそのアバターを爆散させる。
 さらにハイネは盾にしていた男の延髄に右のUSPの銃口を押し当てると、拘束を解かれた相手が振り返る前に弾丸を連続で三発叩き込んだ。 六割ほど残っていた男のHPゲージが一瞬で吹き飛ぶ。
 ショットガン男も倒れ、残る敵はあと三人。
 いや、SMG持ち二人がやられた時点で、すでに 《M4》を持った男は戦場から逃げ出していた。 残る敵はあと二人。

「テメェらの相手もそろそろ飽きたし、お開きにするぜ」

「ちくしょうが!」

 相手が二人しかいない分、先程までと比べると弾道を読むのも容易い。
 ハイネは再び襲い来る敵の銃弾を流れるような足捌きで躱しながら、後に残った敵の片方――《ガリルMAR》を持った敵へと両手のUSPを乱射してありったけの銃弾を叩き込んだ。
 二度目のホールドオープンと同時に、突撃銃を持った男もその身を無数のオブジェクト片に変える。
 弾切れとなった銃を両手に振り返ると、最後に残ったバトルライフルを持つ男が怒りに顔を歪めながらこちらへ銃口を向けていた。
 その手にあるのは高威力の7.62ミリ口径フルサイズ弾薬を使用する強力なバトルライフル 《FN・FAL》 だ。 この至近距離でフルオート射撃でも食らえば、あっという間にHPを吹き飛ばされるだろう。

「さんざんやってくれやがって! だが……これで終わりだ!」

 声色は悔しげながらも、どこか勝ち誇ったように叫ぶ相手に対して、ハイネは皮肉げに笑いながら軽く肩を竦めると両手の銃をホルスターに仕舞う。

「諦めたのか? それとも余裕のつもりか? 馬鹿にしや――――!」

 男は最後まで言えなかった。
 次の瞬間、彼は遥か遠方のビルから飛来した五十口径ライフル弾によって頭部を完全に粉砕されたからだ。
 その男のアバターが無数のオブジェクト片となって消えた後に残ったのものは……彼がドロップしたレアなライフル 《FN・FAL》 だけだった。

























 眼下では最後の敵がその体を無数のオブジェクト片に変えていた。
 通信機越しに『ありがとさん』という言葉を聞きながら、シノンは覗きこんでいたスコープから顔を上げる。

「命中確認……戦闘は終了ね」

 呟きながら、ふと、敵の一人が逃げ出した方向を見やる。
 逃げた男はすでにハイネとの距離を三百メートルほど離していた。 丁度シノンの位置からは視認しづらい街路を走っているため、この場から狙撃するのは難しい。 せいぜい時折建物の隙間からチラリと見える程度だ。

「あれは……仕方ないかな」

 シノンは諦め気味にぼやきながら視線をハイネへと戻す。
 すると彼女の見つめる先で、ハイネは徐に死んだ敵が落としたライフルを拾い上げていた。
 軽く作動確認してから肩付けに構え、間髪入れず引鉄を引く。
 発射炎(マズルフラッシュ)と共に銃口から吐き出された7.62ミリNATO弾は、逃げる 《M4》 男の頭部を過たず撃ち抜いた。
 派手なエフェクトフラッシュと共に、最後に残った敵もアバターを消滅させる。

「へぇ………」

 それを見たシノンは思わず感嘆の息を漏らしていた。
 彼女が得意とするような超長距離(ロングレンジ)狙撃というほどではないが、スコープもなしで、しかも狙撃用のライフルでもない普通のバトルライフルを使い、数百メートル先の標的を一発で仕留めるとは大した腕だ。

「あなたって狙撃もできるのね」

『やろうと思えば何でもできるさ。 遠距離狙撃だろうが近接格闘だろうがな。 ま、今回はライフルの性能に助けられた面が大きいかもしれねぇけど」

 通信機越しに苦笑の気配が伝わる。
 とにかく作戦は終了だ。
 シノンはヘカートの二脚(バイポッド)を折り畳むと、巨大なライフルを肩に担いでその場を離れた。
 足早に一階まで降りると、小走りで戦闘現場へと向かう。
 シノンが到着した時、ハイネは標的がドロップしたアイテム群の検分をしていたところだった。

「お疲れ」

「おう、そっちも」

 軽く労いの挨拶を交わし、シノンはハイネの手元を覗きこむ。

「何か良いやつあった?」

「良さそうなのは 《FN・FAL》 くらいかねぇ」

 そう言ってベルギーのFN社製バトルライフルを指し示す。
 FALは「バトルライフル」という定義が生まれる前まで、西側諸国で「第一世代の突撃銃」と言われていた主力歩兵銃だ。 現代のアサルトライフルの主流である5.56ミリ弾などとは区別してフルサイズ弾薬に分類される、高威力の7.62×51ミリNATO弾を使用する。
 弾の威力ゆえにフルオート射撃では制御に難があるものの、セミオート射撃では世界でも有数の優れた性能を発揮する、GGOでもレア武器に分類される大口径ライフルだ。

「さっきも狙撃が上手くいったのは半分こいつのお陰だしな。 あとレアってわけじゃないが、 《ステアー・AUG》 と 《ガリルMAR》 はそこそこ高値で売れるんじゃねぇか?」

「……《SG550》 は奪えなかったか」

 敵が実際に装備していた武器の中でドロップしていたのは、FALとステアー、ガリルを除けば 《H&K・UMP》 と 《AK47》 だけだった。
 他の敵は幸運にも主武装をドロップせずに済んだらしい。 それでもアイテムや武器の一部はランダム・ドロップの対象になっていたが。
 シノンとしては、ダインの持つスイス製の高性能アサルトライフルを奪えなかったことだけが残念だった。

「ところでだが………… 《FAL》 と 《ガリル》は俺が貰っていいか?」

 ハイネは先程のFALに加え、イスラエルのIMI社製突撃銃を指して言う。
 イスラエル製の武器は、その使用環境を考慮したゆえか、作りが頑丈で耐久性が高く砂塵などにも強い。 大本を辿れば 《AK47》 が製造のベースになっていることもそのタフさの理由だろう。
 ハイネの要請に対し、シノンは軽く肩をすくめながらあっさりと首肯した。

「もちろん。 最初からそういう約束だしね」

「ありがとさん。 んじゃ遠慮なくもらうよ。 他はどうする? 何か欲しい物あるか?」

「特に無いかな……あなたこそ、 《ステアー》 はいらないの? この中では比較的高性能だと思うけど」

 《ステアー・AUG》はオーストリア製のブルパップ式(マガジンを差し込む機関部がグリップの後ろの銃床(ストック)部分にある)突撃銃だ。
 非常にユニークで特徴的な外観を持ち、そのSFチックなデザインゆえに映画や漫画などでも度々登場している。 また、性能面でもかなり優れ、ブルパップ式突撃銃としては一番の成功作とも言われてた。
 そんな人気銃ではあるものの、しかしハイネはピンと来ないのか、僅かに首を傾げて思案した後その首を横に振った。

「ヴィジュアル的に好みじゃないんでね」

「ふぅん……まぁデザインの良し悪しはともかく、理由としてはあなたらしいかな」

 なんとなくだが、ブルパップ式特有の重心が後ろに偏った形状がハイネの趣味に合わなかった。
 おそらく人間工学的に撃ちやすい形状を追及しているのだろうが、ハイネは単純な撃ちやすさや取り回し易さ以上に、重さやデザイン含め「構えた状態でしっくりくるか否か」という感覚的な部分も重要視する。
 また、これはハイネの気のせいかもしれないが、見た目が自分の趣味に合った銃は、それだけで幾分か撃ちやすいように感じられたりするのだ。

「んじゃ、残りは全部 《クレマトリア》に着いたらNPCショップで換金するか。 売り上げは全部そっちに譲るよ」

「いいの? いちおう今回の狩りは私が借りを返す側だけど」

「最初に独り占めする気はないって言ったろ。 タダ働きさせるのも気が引ける。 欲しい銃はもらえたし、これで十分だ」

 ランダム・ドロップの中には、敵が戦闘時に装備していた銃の他にも、おそらくはアイテム欄に仕舞ってあったものだろう数種類の銃器があった。
 中には主武装にも引けを取らないくらい高価な銃も含まれていたので、換金すればそれなりの金額になるだろう。 敵九人に対しこちらは二人という人数比のお陰だろうが、一度の狩りで得たことを考えればかなりの稼ぎだ。
 ハイネはふと視線を巡らせると、敵がドロップしたアイテムのうち、弾薬箱に手を伸ばした。 腰にガバメント系の拳銃を差していた敵のドロップ品であるため、もしかしたらと思っていたが、幸運にも中身は .45ACP弾だ。 シノンには必要ないだろうし、ハイネは遠慮なくいただくことにした。
 一旦箱を指先でタップしてから、表示されたポップアップ・メニューから 《使用》 を選び、同じ指で空になった弾倉(マガジン)もタップする。 それだけで、軽快な効果音と共に先程撃ち尽くしたマガジンはフル装弾された。 代わりに、弾薬箱の中身は十二発分消費されているはずである。
 ゲームならではの手軽さだ。 無論、手作業で一発ずつ込めることもできるが、そんな手間を掛ける物好きはほとんどいない。
 ハイネは残りの弾薬が入った箱をアイテム欄に仕舞うと徐に立ち上がる。 そして、ぐるりと周囲を見渡してから改めてシノンに声をかけた。

「さて、第一戦は終わりだ。 引き続き 《クレマトリア》 を目指して先に進もうぜ。 運が良ければ到着までにもう一回くらい獲物に巡り会えるかもしれねぇしな」

 ニヤリと好戦的な笑みを浮かべるハイネに対し、

「了解、ボス」

 シノンもまた唇の端を吊り上げるような笑みで答えた。





























あとがき

一話に続き、ゲーム内での戦闘の回ですね。
長いことうまく繋がりませんでしたが、Arcadia復活してよかったです。 舞さん、ありがとうございました。 それとお疲れ様です。
停止していた間ちまちまと書き溜めていた分を仕上げたので、連続になりますが投稿しました。 原作の内容まではまだ結構時間がかかりそうですね。
今後もよろしくお願いします。




それと蘊蓄的な話ですが、USPのマッチモデルについて。
銃口周りにバレルウェイトが付いているモデルですが、コンペンセイター(銃口制退器)だという説もあるんですよね。ネットではサイトによって違ったりしますし。(Wikiではコンペンセイターになってましたけど)
どちらが正解かはわからないので、ひとまずうちではスタビライザーとしての重り(ウェイト)ということにしています。多分、銃口の跳ね上がりを抑えるための重りだったはずが、その機能を知った人が制退器と混同したのではないかと思うので。



[34288] 5.学校風景
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/08/06 16:24





 二〇二五年 十二月四日、とある木曜日の午後。
 外では絶え間なく雨が降りしきる中、詩乃の所属する1年1組は隣の2組と共に体操服姿で体育館に集まっていた。
 両クラスの生徒たちは体育教師の指示に従い、現在はそれぞれ適当なクラスメイトとペアになって、雑談に興じながらも準備運動を行っている。 片方のストレッチをもう片方の生徒が補助する形だ。
 彼らは基本的に男子は男子、女子は女子と組んでいる。 比較的おとなしめの生徒が多いごく普通の進学校だからかもしれないが、生憎とこの二クラスに公衆の面前でイチャつけるほど豪胆で仲睦まじいカップルは存在しないため、自ら進んで男女のペアを組むような輩はいない。
 そうした中、詠士と詩乃はクラスで唯一の男女ペアとなって二人一組のストレッチを行っていた。
 とはいえ、二人の間には別に色っぽい空気など流れてはいない。 淡々と、それこそノルマをこなすように準備運動を進めていく。 その様子をわざわざからかおうとする下世話な輩も皆無だった。
 クラスメイト達は皆一様に彼らと距離を取り、二人の存在に気付いていないかのように振る舞っている。
 ちなみに、なぜ詠士と詩乃だけが例外となっているのかというと、二人とも体育の授業におけるお約束、いわゆる「適当に二人組になれ」というやつに、男子と女子それぞれであぶれてしまったのだ。

「……普通、こういう時は先生と組んだり三人ペアになったりするもんじゃないの? いや俺は日本の学校の常識は知らないけどさ」

 特に嫌な顔もせず、ただ単に疑問を口にしているだけといった風の詠士に、詩乃も淡々とした声で返す。

「女子担当の和泉先生は休みだって。 もう冬だし、風邪でも引いたんじゃない?」

 本来なら男子担当の体育教師が男女両方の授業を見ているのもそれが理由だ。 もっとも、雨が降っていて外と中で分かれることができないというのもあるだろうが。

「それに君はともかく、私と組もうとする人なんていないでしょ」

 詩乃が肩を竦めるような仕草で言う。 見る限り、そのことを特に悲観している様子は無い。 
 ちなみに詩乃たちのクラスである1組は男女がそれぞれ十七人(新川恭二を除く)。 それに対し2組は男子が十六人に女子が十八人いる。 男子は男子と、女子は女子と組んだ場合、丁度1組で男女が一人ずつ余ってしまう計算だ。
 詩乃は言わずもがなクラスで孤立しているし、詠士は別に避けられているわけではないのだが、さすがに二学期の十二月ともなればクラス内で共に行動する仲間はほぼ固まってしまっている。 そのため詩乃と詠士は組む相手を見つけられず、二人揃ってペアからあぶれてしまった。 それで仕方なく余り者同士組むことにしたのだ。
 詩乃としては男子と組むことに多少の抵抗はあったものの、男女問わず彼女を嫌な目で見てくる他の誰かよりは遥かにマシだろうと思い、大人しく詠士とペアを組んでいた。 もっとも他の男子では、たとえどんなに煩悩や下心のありそうな生徒でも、彼女と組もうとはしないだろうが。

「鹿島さんとか新田さんなら、頼めば三人で組んでくれそうだけどね」

「それは……」

 割と友好的な二人の名前を出されて、詩乃は言葉に迷い口ごもる。 人に頼みこんでまで仲間に入れてもらうという行為に抵抗があるとは、なんとなく言い難い。
 幸い詠士はそれ以上追及しようとはしなかった。

「それにしても……朝田さん、体硬いね」

「……いいでしょ、別に。 運動部ってわけでもないんだから」

 後ろから背中を押す詠士の言葉に、開脚した状態で上半身を倒しながら、やや苦しげな声で詩乃が返す。
 彼女は同年代の女子高生と比べて、とりわけ運動神経が鈍いというわけではないが、中学の時から部活とは無縁の生活をしていたため、お世辞にもスポーツが得意とは言えない。
 加えて体格も小柄で腕力体力も相応であるため、男子から見ると特に弱々しく見えるのかもしれなかった。

(中学の時いじめられたのも、それが理由かな……。 あの頃は無視されるだけじゃなくて、わざわざ手を出してくる輩も多かったし……)

 高校内には、彼女のことを無視する者はいても、遠藤たちを除けば実際に手や口を出してくる生徒は少ない。 ほとんどの生徒は徹底して彼女を無視し、関わり合いにならないよう、視界に入らないようにしている。
 しかし小学校や中学の頃は、それこそ毎日のように陰湿ないじめを受けたものだ。 同級生たちは何かというと「人殺し」「犯罪者」という単語を持ち出し、ことあるごとに詩乃を罵り、嘲った。
 教室でうっかり他の生徒やその持ち物に触れてしまおうものなら、たちまち「触んなよヒトゴロシが!」「血が付くだろ!」などと罵倒され、足を蹴られ、背中を突き飛ばされる。 昔はそれが日常茶飯事だった。
 とはいえ高校に入ってからも、周りの生徒にそういった気配が全くないわけではない。 さすがに暴力を振るう者や直接的に罵倒してくる者はいないものの、クラスメイト達はあからさまに詩乃やその持ち物に触れるのを拒否している。

 ゆえに過去の事件以来、詩乃は他の誰かに自ら触れたことなど、ただの一度もない。 自分から誰かに近付こうとしたことも皆無だ。
 これまで体育の授業では、一人あぶれた詩乃は誰とも組まず、教師ですら我関せずという態度であることをいいことに、他の生徒たちが終わるまでの間、いつも隅っこの方でぼんやりしていた。
 そんな自分が、学校の授業とはいえ会ってまだ十日ほどの人間、それも男子生徒と、お互いの体に触れ合いながら準備運動などを行っている。
 詠士の方もそうだが、詩乃自身、普段から他人に対して抱いてしまう警戒心や他者に触れることへの恐怖心が、彼に対しては沸き起こらない。 それが、少しだけ不思議だった。

――あるいは自分でも気付かないうちに、心境の変化でもあったのか。

 そんなことを考えながら、詩乃はストレッチを続ける。
 ぐ、ぐ、と少し力を入れて背中を押してもらい、何度か両手の指先が爪先に触れたところで役割交代。 寒さを感じていないのか、半袖ハーフパンツ姿で平然と体育館の床に腰を下ろす詠士の後ろに回る。 それから両脚を揃えて座り込んだ彼の背中を、詩乃は前屈を促すように両手で押した。

(……ってうわ、全く抵抗もなしに胸が膝についちゃった)

 詠士は腹から頭まで上体全てが、真っ直ぐ伸ばされた脚にぴったりくっつくくらい体を倒している。 なんという柔らかさだろうか。

「すごい。 まるで折り紙みたい」

「いや、その喩えはどうなの? よりにもよって紙って」

「じゃあ一昔前の折り畳み式携帯電話みたい」

「一昔前は余計だよ。 言っとくけど、海外じゃ今でも折り畳み式が主流な国だってあるんだからね。 ケータイにやたらと色んな機能やらデザインを付けたがるのは日本人くらいだよ」

 あまり押す意味は無いので、とりあえず詠士の背中に両手を当てた状態で言葉を交わす。 前屈姿勢を取っているというのに、詠士の声には苦しそうな響きが少しも無い。 それが、なんとなく詩乃には悔しい。
 しばらくその状態を続けてから、両脚を開いて再び体を倒す。 右に、左に、それから前に。 それぞれ詠士が爪先に手を伸ばすたびに、詩乃はその背中を押す(振りをする)。

(というか私は必要なんだろうか? そもそもストレッチする意味あるのかな?)

 内心で首を傾げながら、詩乃は詠士のストレッチ補助を終える。

「それにしても夜代くん、随分と体柔らかいね」

 手足をぷらぷらと振りながら立ち上がる詠士に向かって詩乃が軽い驚きを込めた声を漏らした。
 ちなみに体操服は、上が男女共通で肩に青ラインの入った白Tシャツに、下は男子が青のハーフパンツ、女子はブルマ………などという色モノではなく普通に男子と同じ色のショートパンツだった。 男子が膝丈なのに対し女子が太もも剥き出しなのは……まぁ、そういうデザインなのだろう。
 室内とはいえ十二月ともなると空気が冷えるので、詩乃を含む何人かの生徒はシャツの上から長袖のジャージを着込んでいる。
 ついでに詩乃は普段かけている眼鏡も外していたが、あれはもともと視力矯正用ではないため、外したからといって目が見えなくなるわけではない。

「格闘技とかやってると、なんだかんだで柔軟性が大切になってくるからね。 特にスパーリングとかの前には念入りに体をほぐしてたよ。 ジャーマン・スープレックスやブレーンバスター食らった時とか、首が硬いと命取りになるから」

 そう言って、詠士は両手でそれぞれ自身の頭と顎を押さえ、首を捻るようにして横に傾ける。

(うわ、頭が完全に横に倒れちゃった。 昔図鑑で見たフクロウみたい)

 詩乃は内心で、呆れ半分感心半分に呟いた。

「ていうか、夜代くんがやってる格闘技ってプロレス?」

「いんや。 確かにレスリング系統の技も学んではいるけど、純粋にレスリングとしてやってたことはないかな」

「へえ……じゃあどんな格闘技をやってるの? 確か護身術がどうとか言ってたっけ」

 特に深い意図の無い好奇心からの問いに、詠士は特に逡巡する様子も無く答えた。

「んー……まあ色々やってはいるけど、クラヴマガをベースにしたパンクラチオンっていうのが俺の基本的な格闘スタイルかな」

「クラブ……何それ? 外国の格闘技? 始めて聞くけど」

 聞き慣れない名前に、詩乃が首を傾げる。

「イスラエル発祥の護身術だよ。 日本じゃあまり有名とはいえないけど、内容はかなり実戦的。 現地じゃ警察の逮捕術とか軍隊格闘技にも採用されてるくらいだしね。 アクション映画とかでもその技の一端がちょくちょく登場してたりするよ。 『リアルで実戦的な格闘シーン』ってふれこみで」

 実際、同じ格闘アクションでも空手やテコンドーのような派手さは無いが、そのスピーディな動きとプロフェッショナルさを感じさせる無駄のない技で、映画好きの間で一時期注目を集めたこともある。 かつて大ヒットしたテレビドラマシリーズ『24』や、ハリウッド映画の『ボーン・アイデンティティー』などがその一例だ。
 短期間の訓練で高いレベルのスキルを身に付けられるという利点もあり、事実アメリカではFBIやCIA、警察関係者の間でトレーニングが行われているという。

「ふぅん……じゃあパンクラチオンっていうのは?」

「二十五、六年前に近代格闘技として復活した、古代ギリシャの総合格闘技だよ。 今でこそ様々なルールで攻撃が制限されてはいるけど、昔のパンクラチオンは打撃、投げ技、締め技、関節技……目潰しと噛みつき以外なら何でもありっていうかなり荒っぽい競技だったらしい。 そもそも “パンクラチオン” っていうのはギリシャ語で “全ての力” って意味だ。 文字通り自身の肉体全てを武器として生身の人間の純粋な強さを競う。 そんな格闘技だよ」

 話を聞きながら、詩乃は前に詠士が喧嘩で五人沈めた時のことを思い出す。 素人目に見ても素早く、そして無駄のない動き。
 加えて容赦なく敵の急所を打つ攻撃といい、確かにかなり実戦的な格闘技のようだった。

「随分と危険そうな格闘技ね」

「まあね。 実際、昔は試合で普通に死人が出てたらしいし。 そのせいか公式の競技自体は長いこと行われていなかったけど、戦い方や技術に関しては古代のものが今も尚受け継がれているんだ。 いや、むしろ長い年月の中でより洗練された形へと昇華してきた。 特に、俺が学んだのは表で公式スポーツ化した現代パンクラチオンよりもむしろ、その裏でひたすら戦闘技術として洗練されてきた古代パンクラチオンの流れを汲む一派だよ」

「……へぇ」

「ま、他にもいろいろとやってるけどね。 ムエタイとかサバットとかテコンドーとか……あとカポエイラもかな?」

 その辺は技の一部を軽くかじった程度だけど。 そう言って、詠士は軽く肩を竦めた。

「よくもまあ、それだけたくさん……。 護身術っていうか普通に近接戦闘術だね」

 呆れたような、あるいは感心するような詩乃に対し、「まぁね」と詠士は軽く頷いて見せる。

「育った場所が物騒な地域だったから。 俺にとっての護身の技っていうのは、つきつめて言えば敵を迅速に戦闘不能にするための技術だったし」

 詠士の使う格闘技は、クラヴマガという軍隊格闘技の術理を元に、総合格闘技(パンクラチオン)としての戦い方を取り入れたものだ。
 そこへさらに複数の格闘技の技法を複合させることで、より実戦向きの格闘技術へと昇華させている。
 テコンドーやサバットのような離れた間合いでの蹴り技や、密着状態におけるムエタイ式の肘打ちや膝蹴り、カポエイラによって鍛えられた体幹バランス。
 それらを一つの格闘技体系としてではなく技単位で駆使し、攻守ともにその場その場で最も効果的な技を選択することで、いかなる状況にも対応できるようにしているのだ。

「そっか……でも、結構便利そうだよね。 その護身術、私も少し教えてもらっていい?」

「いいよ。 機会があったら教えてあげる」

 詩乃の冗談混じりの言葉に詠士は屈託なく笑った。
 やがて柔軟体操の時間が終わり、ようやく二面あるコートに男女別で分かれて体育を始める。
 教師が一人ということもあってか、種目は男女ともにバスケットボールだ。 審判はバスケ部に入っている生徒が交代で務めるらしい。

「じゃ、またあとで」

「うん。 そっちこそ頑張って」

 軽く言葉を交わし、詩乃と詠士はそれぞれ男女の集まりに分かれていった。


















 詠士が詩乃のクラスに転校してきてから十日ほどが経った。 教室では、特に変わったことは起きていない。
 彼女が危惧していたように詠士がクラスメイトから避けられるということもなく、取り立てて孤立しているふうでもない。
 あまり親しい友人ができた様子もないが、彼が転校したのは二学期の半ばであることを考えれば、さほど不自然でもないかもしれない。 彼が来た時点で、既に教室内では普段つるむ仲間が定まっていたのだから。 既に出来上がっている人間関係の中に今更踏み込んでいくのは色々と気まずいだろう。
 もっとも詠士自身は、自分の友人が少ないことに対して特に感じる所はないようだった。 クラスでも基本的に自分から誰かに話しかけることはなく、休み時間は大体教室で何かしら本を読んでいる。
 誰かが話しかけてくれば拒絶はしないし、むしろ柔らかい態度でにこやかに対応するのだが、自ら進んで口を開くこともない。 そんな感じだ。
 そして、それは詩乃に対しても例外ではなかった。
 基本的に挨拶以外では用もなしに話しかけてくることはなく、かといって他の生徒のように詩乃を避けたりもしない。 先程のストレッチのように、一緒に行動している時には世間話くらいはするものの、たとえば詩乃が一人で何かをしている所にわざわざ近付いてきて行動を共にしようとする、というようなことはしなかった。 あくまで彼女を一人のクラスメイトとして――それ以上でもそれ以下でもなく――扱っているといった感じだ。
 無口なわけでも、人見知りをするわけでもないが、必要がなければ自分から他人に関わることはしない。 詠士は一貫してそんな姿勢を貫いていた。

(私よりは社交的で人付き合いが良いのかもしれないけど)

 クラスメイト達は、当初こそ彼にどう接するべきか(主に隣の席の詩乃が原因で)迷いを見せていたものの、今では教室でも普通に話しかけたりしている。
 詠士自身、他者に対する積極性は無いながらも、相対した時の人懐こい表情や穏やかで大人しい人柄ゆえに、周りの者たちから警戒されたり拒絶されたりといった事態には陥っていなかった。
 おまけに転校初日からこっち、昼休憩の時間には毎回鹿島さゆりと新田香苗が彼の席まで来て、一緒に昼食を食べることが習慣になってしまっている。 何度かその食事風景を見た限りでは、普通に仲良くしているようだった。
 来る者拒まず去る者追わず。
 友達という存在に依存することはなく、躍起になって上手く人付き合いをしようとはしない。
 しかし好意を持って接してくる相手には同じく好意を以って返す。
 自分から誰かに近付くことは無いが、近付いて来る者を殊更拒否はしない。
 それが、対人関係における彼の基本的なスタンスのようだった。 そして、その姿勢は詩乃のように他者から避けられている人物が相手でも同様だ。

(悪い人じゃない。 悪い人じゃないんだけど……どこか変わってるのは確かだよね)

 そう思いながら、同時に他人のことを言えた義理じゃないか、と詩乃は内心で苦笑する。
 そんな詠士は今、隣のコートでバスケットボールを追いかけていた。
 高校の男女合同体育において、男子が女子の、女子が男子の試合を観戦する、というのはよくある光景だと思う。 あるいは純粋にスポーツを見て楽しむのではなく、邪な視線で品定めしている場合もあるかもしれないが。
 今も、両クラスの女子がライン際に並んで座りながら、バスケットコート内で動き回る1組と2組の男子たちを目で追いかけていた。 中には友人同士小声で囁き合い、時折黄色い声を上げている者もいる。
 詩乃もまた珍しく、その集団に混じって男子の試合を観戦していた。 もっとも彼女の場合は、今現在女子の方で試合をしているのが遠藤たちのチームだから、という理由もあるだろうが。
 そんな女の子たちの目の前で、一人の少年が素早い動きで敵ディフェンスを躱し、シュートを決めた。 ガッツポーズこそしないが、やや得意げな笑みを口元に浮かべるその男子生徒は詠士だ。

「夜代くんって運動できたんだ。 意外……」

「細いし色白だし。 大人しい文化部系かと思ってたのにね」

「よくよく見ると腕とか足とかすごいけど」

 周囲でそんな会話が交わされる。 確かに、彼の格闘技の腕やその身体能力の一端を知っている詩乃の目から見ても、それは驚くような運動神経だった。
 詠士の動きがバスケ部員のように日常的にバスケットボールというスポーツの練習を行っている人間の動きではないことは、一目見ればすぐにわかる。
 ドリブルの手つきはお世辞にも巧みで手慣れているとは言い難いし、ディフェンス時の構えやフットワークも本職のバスケ部員とは見るからに違う。
 しかし、詠士は強かった。 ややぎこちない動きながらも、敵の呼吸を呼んでいるかのようなフェイントで巧みにディフェンスを抜き去ってしまう。 あるいはドリブル中の敵の手から、相手が詠士を躱そうとするタイミングで交錯の瞬間に易々とボールを奪い取る。
 そのあらゆる速さと変則的な動きには、本職であるバスケ部員ですら敵わない。 敵の動きを読む洞察力と動体視力、そして肉体の持つ運動能力が極めて優れているのだろう。
 詩乃はなんとなく、GGO内で時折ベテランプレイヤー達が見せる、無駄のない体捌きや身のこなしを思い出していた。 球技における技術的な部分ではなく、勝負事における駆け引きや一瞬の判断力、そして何より物理的な身体能力という点において、詠士は他の生徒よりも並外れて優れているのだ。
 丁度今も、女子生徒たちの視線の先では、詠士が攻めると見せかけてフェイントをかけ、見事に敵ディフェンスを躱している。 やや慣れない手つきのドリブルでありながら、誤ってボールをこぼすような真似はしない。

「あ、また抜いた。 動きがすごく速いね」

「なんていうかこう……相手の動きを完全に見切ってる、って感じ」

 すでに敵チームはメンバー揃って肩で息をしていた。 試合時間はそれほどでもないが、躍起になって詠士を止めようとするうちにひどく消耗してしまったらしい。
 それに比べて、相対している詠士はまったく息が乱れていなかった。 スピードや戦術だけでなく、体力まで桁違いだ。
 仲間からのパスを詠士が受け取り、そのまま地を滑るようなドリブルで敵陣へと攻め込む。
 彼女たちが見守る中、詠士がさらに一本決めたところで試合が終わった。 圧倒的な大差で1組の勝利だ。 敵チームだった2組の生徒のうち、バスケ部に所属している一人が悔しそうに顔を歪めている。
 そんな2組の様子に気付かず、チームメイトと軽く健闘を讃え合いながらコートを出た詠士は、壁によりかかって体育座りしている詩乃の視線に気付くと、軽い笑みと共に彼女の方へ近寄ってきた。

「お疲れ。 すごい活躍だったね」

「ありがと。 そっちはまだ試合じゃないの?」

 社交辞令的に労いの言葉をかける詩乃に、詠士も軽く挨拶程度に問いかける。
 その問いに、彼女は少しだけ気が重そうに嘆息した。

「今やってる試合が終わったら次が私のチーム」

 いかにも気が進まなそうに詩乃が言う。 実際、体育はあまり好きではないのだろう。
 それから気を取り直したように頭を振ると、詩乃は先程の試合を見て少し気になっていたことを訊いた。

「ところでさ、夜代くんって格闘技の他にも何かスポーツやってるの? なんか走ったり跳んだりもすごかったけど。 それとも格闘技だけであそこまで動けるものなのかな?」

「んー、そうだな……。 朝田さん、パルクールって分かる? フランス発祥のスポーツなんだけど」

「………また聞き慣れないマイナーな競技を……」

 詩乃は眉間に皺を寄せて微かに拗ねたような顔をする。 詠士にそんなつもりはないだろうが、先程から知らない名前ばかり出てくるものだから、まるで自分が何も知らない子供だと言われているように感じてしまったのだ。

「はは。 まあ現地じゃ皆普通に知ってるんだけどね。 日本じゃまだマイナーかな。 それと競技系スポーツじゃないよ。 どっちかっていうとストリートスポーツに近いし。 ただ、一旦習得すれば他のあらゆるスポーツにも応用できるのは確かだね。 ある意味では格闘技にも通じるところがあるけど」

「ふぅん……」

 ストリートスポーツ……ストリートダンスとかインラインスケート、スケボーみたいな物だろうか?
 もう少し詳しく訊いてみようかとも思ったが、あいにくと話しているうちに詩乃の試合の番が回ってきた。
 あまり気は進まないが、一応は授業であるため仕方なくコートに入る。 幸いチームの内一人は委員長の鹿島さゆりだった。

「じゃあ頑張ってね」

「ん、まあ適当にやるわ」

 軽く肩の上で手を振りながら詩乃はコートに入っていった。




























 放課後、詩乃は区立図書館の自習室で一人勉強をしていた。
 来週にはGGO内でも大々的なイベント、バレット・オブ・バレッツがある。正直なところ、今は少しでもプレイ時間を稼ぎたいところなのだが、十二月中旬の後半には学期末試験もあるのだ。 これ以上ゲームに時間を取られ過ぎれば、成績のキープすら怪しくなる。 父を亡くして母娘ともども実家の世話になっている身としては、ゲームにかまけて学業を疎かにするわけにはいかない。
 ゆえに、心おきなくBoBに参加するためにも、空いた時間を使ってできるだけ早めに試験勉強を進めておく必要があった。 そうでなければ、東京の学校に行きたいと願う詩乃のために、わざわざ学費だけでなく生活費まで仕送りしてくれた祖父に対して申し訳ない。
 幸い、GGOでの待ち合わせは今日も夜の九時だ。 向こうも生活サイクルはこちらとほぼ同じなのか、最近詩乃――シノンが組み始めた《ハイネ》と名乗るプレイヤーと向こうで会う時は、大抵いつも夜に待ち合わせをしている。
 ひとまず5時半までは勉強しよう。 そう心に決めて教科書と向き合っていると、

「あ、朝田さん。 久しぶり」

 突然背中からかけられた声に、詩乃は飛び上がりそうになった。
 思わずバッと音がしそうな勢いで背後を振り返る。 すると、そこには詩乃の反応にたじろいた様子の恭二がいた。

「…………なんだ、新川くんか。 いきなり声かけるからびっくりしたよ」

「ご、ごめん」

 申し訳なさそうに縮こまる恭二を見て、逆に詩乃は落ち着きを取り戻す。

「それに久しぶりってほどでもないと思うけど」

「あ、いや、ここ最近は向こうでも会ってなかったし……」

「ああ、そういえばそうだっけ」

 軽く苦笑を浮かべると、恭二も少しは気を取り直したのか、つっかえながらも言葉を紡いだ。

「えっと……朝田さん。 ちょっと気になってたんだけどさ」

「ん、何?」

「最近、グロッケンには立ち寄ってないみたいだけど、どうしたの? ここ十日くらい向こうで見ないからちょっと心配になって……」

 詩乃は少しだけ迷ったものの、結局は正直に話すことにした。

「うーん……今ちょっと、前のスコードロンとは別の人とコンビ組んでてね。 その人の方針に従って行動してるんだ。 ここしばらくは色んな都市とかダンジョンを回ってたから、しばらくグロッケンには近付いてないな」

 そういえば、確かに恭二とは向こうでもリアルでもしばらく顔を合わせていない。 十日前、遠藤に絡まれた時以来だ。
 それもそのはず。 その日の夜からシノンはハイネとチームを組み始め、グロッケンを離れたのだから。
 この十日間というもの、ゲーム内での活動は今までにないほど充実していたし、詠士が転校してきて以来、学校でも嫌な目に合うことが(主に遠藤関連で)ほとんどなくなっていたため、どうやらこれまでよりも早く時間が過ぎているように感じてしまっていたらしい。
 特にGGOでは、ハイネのお陰でこれまでとは比べ物にならないほど濃密な経験を積むことができていた。

「他の……人? コンビ……ってことは二人きりで?」

「そう。 かなり強い人でね。 一緒にいれば、私も今よりもっと強くなれるんじゃないかなって思って」

 ある種の達成感から来る気恥ずかしさに、詩乃は微かにはにかんだような顔をする。
 実際、ここしばらくはハイネと二人で様々なダンジョンを巡り、数多くの狩りをこなしてきた。
 GGOにおけるハイネのプレイ方針は基本的に「ハイリスク・ハイリターン」で、普通なら五人以上の――場合によっては十人くらいのパーティで取り組むような相手にも平然と向かっていく。 しかしもっと信じがたいのは、そんなリスキーな狩りを普段は一人で行っているらしいということだ。
 ここ十日間、そうした彼の無茶な狩りに付き合っているうちに、詩乃は戦いの中で己の技と精神が強く鍛えられていくのを確かに感じていた。
 実際、GGOプレイヤーとしての彼女の腕は、ここ数日の間だけでかなり上達したと自負している。 NPCモンスターや敵プレイヤーの動きが以前よりも遥かにはっきりと目に見えるし、攻撃に対する反応速度も咄嗟の場での判断力も、最近の戦いでかなり鍛えられていた。
 そんな経験が少なからぬ自信を芽生えさせたのか、いつもより少しばかり明るい笑みを浮かべる詩乃に対し、恭二は一瞬だけどこか不安げな、何かしら憂慮するような顔をする。 しかし詩乃がそれを訝しむ前に、恭二はその表情を元に戻した。

「へぇ、そんなに強いんだ。 それで、狩りの方は上手くいってるの?」

「まぁね。 正直今までとは比べ物にならないくらいの収益だったよ。 この十日だけで、コストを差し引いても1メガ(100万)クレジットは稼いだかな」

「1メガ!?」

 予想以上の金額に、恭二が驚きの声を上げた。
 通貨還元システムを採用しているGGOでは、ゲーム内で稼いだ金銭を電子マネーとしてペイバックでき、現実世界でも通貨として使うことができる。 今の時代、現金がなくとも電子マネーで買えないものなどほとんどない。
 ちなみにGGOでの還元率は100分の1。 つまり、100万クレジットとは現実世界で1万円の稼ぎに相当するというわけだ。
 この機能を利用して、いわゆる“プロプレイヤー”と呼ばれる者たちは毎月コンスタントに20万から30万円ほど稼いでいるのだが、そんなのは一握りのトッププレイヤーだけだ。 平均的なプレイヤーは月の接続料3千円――オンラインゲームの接続料としてはかなり割高――の十分の一程度がせいぜいで、実力的にはかなり上位に位置する詩乃でさえ、最近になってようやく接続料金を月の稼ぎでカバーできるようになったくらいなのだ。
 それくらい、現実世界で働かなくても済むような大金をGGO内で稼ぐのは難しい。 ステータス以上に重要なのは、効率的な狩りのしかたとレア運なのである。
 それが、ハイネと組み始めて僅か十日で1万円。 これだけ見ても、ハイネの狩りがどれだけ高効率かつハイペースなのかが窺えた。 今のところはレア運に恵まれていないだけで、ずっと続けていればそれこそプロプレイヤー並に稼ぐこともできるかもしれない。

「そんなに良い狩り場なの? もしよければ、今日は僕も参加して良いかな?」

「え?」

 詩乃の話を聞いた恭二は、彼女にとって予想外の言葉を吐いた。

「僕の 《シュピーゲル》 も、最近はレベル上げに行き詰っててさ。 AGI一極型じゃ、ソロでの狩りもはかどらないし……。
 それで、よければ次の狩りには同行させてもらえないかな、と思ったんだけど……」

 恭二の分身であるアバター 《シュピーゲル》 は、GGO初期に流行ったAGI――敏捷力パラメータをひたすらに上げたタイプだ。
 この型は、サービス開始から半年くらいまではその圧倒的な回避力と速射力で他タイプのキャラクターを圧倒したのだが、マップが攻略されるにつれて登場した強力な実弾銃を装備するためのSTR値に事欠き、また銃自体の命中精度が向上することによって回避も思うようにいかなくなったため、現在ではとても主流とは言えなくなっている。
 事実、前回のBoBで優勝したのはバランス重視なSTR-VIT型の 《ゼクシード》 というプレイヤーだった。
 ゆえに、そんな彼が詩乃たちの狩りに随伴したいと考えるのも無理は無いのだが……

「うーん……どうだろう? 私の一存で決められることじゃないし……」

 面食らった詩乃は渋い顔で言い淀む。
 それを見ていた恭二は途端に顔を曇らせた。

「……ごめん、無理言ったね。 すでに組んでいるチームにいきなり割り込むのはあまり褒められたことじゃないか」

 己の不躾な態度を恥じるように、恭二は顔を俯ける。

「それに、僕なんかがいても足手纏いだよね」

 しゅんとした声で落ち込んだように言う恭二に、詩乃は慌てて両手を振った。

「そ、そんなことないよ。 ただ、そろそろチームも解消するところだったからさ。 来週にはBoBもあるし。 もともと今夜の狩りが終わったらグロッケンに帰るつもりだったんだ」

 嘘ではない。 昨日の狩りが終わった時、別れ際に「次あたりで最後にしよう」とハイネからは言われていた。
 詩乃としては少し残念ではあったものの、1週間後に控えたBoBのために何かと微調整が必要なのは確かなのだ。 入手した比較的高価なアイテム類の売却もしておきたいし、一旦BoBの会場でもある大都市に戻って装備品やら情報などを整理する必要もある。
 そのためハイネと詩乃(シノン)の二人は、大会の一週間前とやや早めにグロッケンに拠点を戻すつもりだった。
 もっとも、昨晩ハイネから「BoBが終わったらまた改めて組んでもいいさ」と言われていたのも、詩乃が潔く早めの帰還を受け入れた理由の一つではある。 が、それは恭二には言わない方がよさそうだった。

「そっか」

 詩乃の言葉を聞いて、恭二の顔が若干明るくなる。

「変なこと聞いてごめんね」

「ううん、気にしないで。 まあ、色々と効率の良い狩り場とかも教えてもらったし、BoBが終わって……学校の定期試験が終わったら、また改めて一緒にプレイしよう」

「うん、わかった。 ありがと」

 恭二が落ち着いたのを見て、詩乃は内心で安堵の息を吐く。 それから時計の方を見やり「そろそろ帰らなきゃ」と言うと、机の上に広げられた参考書や教科書などを仕舞い始めた。
 送ろうかと申し出る恭二にやんわりと断りを入れ、随分と日が沈むのが早くなった暗い空の下を歩きだす。
 家に着いた詩乃は手早く夕食とシャワーを済ませると、リラックスできる寝間着に着替えてアミュスフィアを手にベッドで横になった。
 壁にかかった時計を見ると、時刻はまだ八時を僅かに過ぎた頃だ。

(……少し早めに行って装備の点検でもしてよう)

 そう思った詩乃は、アミュスフィアを頭に嵌めて小さく口を開いた。

「リンク・スタート」






























 時刻は夜の八時半を過ぎようかという頃。
 日は既に沈みきっており、荒涼たる大地は薄暗闇に包まれている。
 上を見上げればかつての最終戦争の影響か、空一面が分厚い覆い尽くされていた。 これは昼間も同様で、GGO内では常に黒雲が空を覆い、日中ですら時刻を問わずどこもかしこも憂鬱な黄昏色に染まっている。
 今も、所々に見える雲の切れ目には血のように濁った赤色が流し込まれていた。 まるで世界の終焉を感じさせるような光景だ。
 いや……この世界は既に、一度終わっているのだろう。
 そんな荒廃した世界に降り立ったシノンは、大きく息をついて不吉な色合いを見せる夜空を見上げた。
 彼女がいるのはGGOの荒野に点在する小都市の一つ、《アステル》の中央広場だ。
 グロッケンと比べれば小規模ながらも、都市中に灯ったSFチックな街の明かりが大地を包む闇を押しのけ、荒れ果てた世界に人の存在を主張している。
 現在彼女は広場のベンチに座りながら、GGO内でのみ買えるBoB関連の情報誌を広げていた。
 MMOゲームにおける戦いでは情報量の差が勝敗を左右する。 雑誌に書かれているのは「次のBoB勝者予想」だの「効率の良い稼ぎ方」だの、どこまで信用できるか分からない内容ではあるが、中には実際に有用な情報が載っていることもあるため、決して軽視することはできない。
 そうしてシノンが有益な情報が無いかと無言で雑誌をめくっていると、

「早いな。 もう来てたのか」

 頭上から、ここ数日で聞き慣れた声が聞こえた。

「そっちこそ。 まだ約束の時間の三十分前よ」

 顔を上げると案の定、見知った顔が視界に入る。
 ここしばらくチームを組んでいたプレイヤー、ハイネがこちらを見下ろしていた。

「レディーを待たせるのは悪いと思ったんだが……おたくがこれほど早かったんじゃ、カッコつかねーか」

 苦笑しつつも軽くおどけたように肩を竦めるハイネに、シノンも軽く笑みを返す。 この十日の付き合いで、どちらかというと人見知りする性質であるシノンも、彼に対してはそれなりに打ち解けていた。

「それで、準備はもう終わったのか?」

「もちろん。 あなたは?」

「武装のチェックはホテルの中で済ませた。 武器のメンテは必要ない。 予備弾薬も補給済みだ」

 再び肩を竦めてから、両大腿に取り付けた二丁のハンドガンを軽く叩いて見せる。

「そう……」

 それを見てシノンもベンチから立ち上がった。
 メニュー・ウィンドウを操作して武装をオブジェクト化し、行軍中の携行武器であるアサルトライフルを肩から提げると、改めてハイネと視線を合わせる。

「じゃ、早速だけど出発する?」

「ああ。 今日も元気に――」

 ニィ、と口元が好戦的な笑みに歪む。
 ここ数日で、既に見慣れた表情だった。

「殺し合いといきますか」

































あとがき

今回は現実世界を舞台としたインタールード的な話。 まぁ日常生活編ですね。 前話から少し日数が経ってます。
シノンとハイネは多少は打ち解けた模様。 今のところは頼りになる相棒って感じでしょうか。
次はまたGGO内での戦闘回になると思います。


それと感想版を見て、にじファンに掲載していた時よりもスティーブン・セガールに食いついた人が多かったのが、個人的に嬉しかったです。 さすがは世界的な格闘アクションスターの一人ですね。 『エクスペンダブルズ』にも出てほしかった。
ちなみに私はジャン=クロード・ヴァン・ダムも大好きです。 『エクスペンダブルズ2』が待ち遠しい。





[34288] 6.ドッグハウス
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/08/15 04:53


 この十日というもの、シノンはハイネと共に都市から都市へと移動しながら、フィールド上でエンカウントしたプレイヤーおよびモンスター達に片っ端から戦闘を仕掛け、そのことごとくを撃破してきた。
 また、その旅の中で幾度も拠点を変え、滞在した都市から出征を繰り返しては、いくつかのダンジョンも攻略している。 特に高難度のダンジョン内では、その場にPOPするモンスターに限らず、時折ハイレベルなプレイヤーと衝突することもあり、ここしばらくは質の高い実戦経験を積む機会に事欠かなかった。
 おかげでGGOにおけるシノンのプレイヤーとしての技術もかなり向上している。

「ゲーム内で死にそうな目に遭った回数もここ数日がダントツだったけど……」

「ん? なんか言った?」

「ううん。 なんでもない」

 数歩先を歩いていたハイネが首だけで振り返る。
 それに否定を返しながらシノンは手元のロシア製突撃銃 “アバカン” ライフルに目を落とした。
 ここしばらくの戦闘では得意の長距離狙撃に限らず、状況次第でアサルトライフルやサブマシンガン、拳銃など様々な武器を使った戦いも幾度か経験している。 それ自体は己の腕を磨く上で良い経験だったのだが、当然ながら相手との距離が近い分、敵の銃撃に晒される機会もスナイパーの時より急増していた。
 時にはこちらより数に勝る敵スコードロンと僅か20メートルの距離で撃ち合ったこともある。 いくらゲームの中とはいえ、自身めがけて飛んでくる銃弾には本能的な恐怖を感じるし、アバターが死んだ場合に課せられるアイテムドロップなどのデスペナルティにも、プレイヤーとしてはかなりの緊張感を強いられた。
 そんな中での戦闘は非常に過酷で、とてつもなく神経をすり減らす。 さすがにハイネのように、その緊張感を逆に楽しめるほどの域にはまだ達していない。

 プレイ中、現実の体はピクリとも動いていないはずなのに、ログアウトした後しばらくは、まるでマラソンでもした後のように全身に重苦しい倦怠感を感じていたことも何度かあった。 仮想空間での戦いに酷使した脳が、擬似的な疲労を肉体にフィードバックさせていたのかもしれない。
 夜遅くどころか明け方近くまでプレイすることも珍しくなく、そのせいでここ最近は学校でも度々疲れた顔をしたり、授業中眠気にかられてうとうとすることが多くなっている。 しかし同時に、シノンはハイネと組んでプレイしてきたこの十日間で、ある種の達成感と充足感をも感じていた。


――私は確かに強くなっている。 彼と共に行動すれば、さらに強くなれるはず。 そして……いずれは現実の私も――――


 そんな思いを胸に、今日もまたシノンはハイネと共にダンジョンへと繰り出している。
 彼女たちが赴いたのは 《アステル》 から東へ三キロほど進んだ所にある旧時代の遺跡。
 そこに並ぶ建物群の下に造設された、とある地下施設が今回の狩り場だった。
 旧時代の遺跡と言っても、別に古めかしい石造りの建造物が並んでいるわけではない。 この世界が未来の地球であることからも分かる通り、GGO内で遺跡と言えば、大抵は現実世界にも存在するような――少なくともプレイヤー側から見れば――ごく普通の現代的な建物や街並みだ(無論、現実世界よりもさらに古い時代の遺跡も存在するにはする)。
 とはいえ打ち捨てられたまま長い年月を経て荒廃しているため、無人の廃墟となっているのは確かだが。

 二人が今回訪れた施設も特別古い時代のものではない。 遺跡ダンジョンとなる建物の所在地こそ山地だったが、辿り着くまでに通った道が舗装路であったことからも、文明時代は普通に人が行き来するような施設だったことが窺える。
 建物内に入ると、二人はその内部構造も見るからに高文明時代の人工物と分かる作りをしていることに気付かされた。
 部屋や廊下を取り囲む壁の質感も、アルミのような金属質なものからタイル張り、コンクリートなど、彼らにとっても馴染み深い材質が仮想(VR)的に再現されている。

「ここは……何らかの研究所跡地かしら?」

「そんな感じだな。 人里離れた山奥に建設された地下研究所ってところか」

 地下への階段を下りた二人は、周囲を見渡しながら感想を述べる。
 高分子材製と思しき壁に囲まれたそこは、一見して科学研究所といった風情の内装をしていた。
 床には既に壊れて何百年――あるいは何千年――も経ったようなコンピュータの残骸やら、割れたフラスコ瓶などがそこかしこに転がっており、壁際では古びた本や資料が詰め込まれた大きな本棚が沈黙している。
 部屋の中に人の気配はまるでなく、空虚で寂莫とした光景が広がっていた。 とはいえ、さほど荒廃しているという印象は受けない。 中にはかつての姿そのままの形で残っている備品や設備もある。
 地下ゆえに、時の流れや最終戦争など地上からの影響を受けなかったのだろうか。 あるいは…………

(単に埃やら道具の傷み具合までゲーム内で再現できなかっただけかもしれないがな。 リアルに再現し過ぎると何も残らなくなって、ゲームとしてのアドベンチャー要素までなくなっちまうかもしれないし)

「とりあえずこの部屋には何もなさそうね。 先に行く?」

 内心で身も蓋もないことを呟いていると、シノンが辺りをひっくり返しながら声をかけてきた。
 ハイネは軽く周囲を見渡して、めぼしい物が見当たらないことを確認してから彼女に向き直り首肯する。

「そうだな。 役に立ちそうなアイテム類も落ちてねぇし、ここはモンスターも出ないみたいだ。 長居しても無駄か」

 軽く頷き合いながら、シノンとハイネは研究室らしき部屋を後にする。 二人は部屋に面した長い廊下に出ると、次の部屋を目指して歩き始めた。
 しばらく歩いて感じたのは、随分と広い施設だということだ。
 まるで迷路のように廊下は入り組み、歩いていると繰り返し似たような部屋に行き当たる。 ところどころに設置されている案内標識が無ければ、自分が今どこにいるかも分からなくなりそうだった。
 いくつかの階段を登り降りし、時に先程のような研究室や事務室らしき場所を経由しながら、二人は長い廊下を先へと進む。 移動中、何度かモンスターが現れ散発的に戦闘が起きたりもしたが、さして苦戦することもなく撃破できた。
 出現するモンスターは、基本的にバイオ科学によって生み出されたらしきクリーチャーだ。 複数の動物の外見的特徴を持った奇妙なキメラや、現実世界で見る種よりもやたらとサイズのデカイ犬猫や鳥。 制作者の腕が良いのか、見た目にはかなりリアルな質感を持ちながら、普通の種よりも随分と凶悪な外見をした獣も多い。

 それらの敵を、ハイネとシノンはエンカウントする先から次々と葬っていった。
 敵はさして高レベルでもなく、大抵が一体で現れる。 たとえ複数でも、一度に現れる数はせいぜい五体までだ。
 画面映像に向かって拳銃型端末を構えて撃つ昔ながらのシューティングゲームのように、二人は銃を前方に構えながら前進し、正面からPOPしてきた敵が距離を詰める前にその仮想の肉体を撃ち砕いていく。
 そうして移動を繰り返しながら、二人は時折、足を止めてはメニュー・ウィンドウを操作して、武装を整えたりドロップしたアイテムを確認したりしていた。

 GGOでは敵プレイヤーを倒した場合、ドロップするアイテムは相手の所有している中からランダムに選ばれ、ドロップ対象となったアイテムはその場でオブジェクト化される。 対してMobを倒した場合には、敵のドロップしたアイテムが自動的にプレイヤーのストレージ欄に格納されるため、戦利品は戦闘後に確かめるしかないのだ。
 また途中で立ち寄った部屋などにもアイテムが落ちていることがあり、さして時間もかけずに二人はそこそこの稼ぎを得ることができた。 引き返しても良かったが、まだアイテムストレージにも時間にも余裕がある。 軽く方針について話し合い、結局は先へ進むことになった。 
 途中で見つけた安全地帯――モンスター非発生区域――の部屋で一旦休憩し、装備を整え直してから再び探索を開始する。 そうして長い廊下を歩いていくと、不意に鉄製の分厚い扉に行き当たった。

「……いかにも何かありそうな場所ね」

「同感だ」

 呟きながら、ハイネはその扉を横にスライドさせる。
 周囲に錆びた鉄特有の耳障りな音が響くが、扉自体にはさほど力もいらなかった。 あっさりと人が通れるだけの隙間が開く。
 二人が開いた入口から中に入ると、そこは随分と開けた場所だった。 大きめの体育館のような広さだが、内部の様子はどちらかというと倉庫に近い。
 内部にはそこかしこに1メートル四方ほどの鉄製の箱や、ハイネの身長よりも高さのある大型の輸送用コンテナなどが積み重ねられており、ところどころには動物でも閉じ込めていたと思われる頑丈そうな箱型の檻まであった。
 中に踏み込んだ二人は障害物のせいで迷路のように入り組んだ倉庫内を歩き回りながら出口を目指す。 やがていくらか開けた場所まで来たところで、唐突にハイネが立ち止まった。

「貨物コンテナに猛獣用の檻ね……バイオ科学で創り出した生物を兵器や見世物として売り捌いていた、って設定かな」

「は? どういうこと?」

「敵のお出ましだってことだよ」

 その言葉を合図にしたかのように、床に散在した鉄箱や積み重ねられたコンテナなどの物陰から、犬のような姿をしたモンスターが次々と現れ始めた。
 敵の一体に視線を合わせると、Mobであることを示すカーソルと共にHPゲージと種族名が浮かび上がる。 名前は……《ネイキッド・ドーベルマン》。
 すでに 《索敵》 スキルでそれを察知していたのか、驚いた様子もなくハイネは両腿のホルスターから銃を抜く。
 今日の武装はベルギーの銃器メーカーFN社製自動拳銃 《FNP-45》 だ。 材質にポリマーフレームを使用しているため、装弾数14発の大容量拳銃でありながら重量は1キロ以下とUSP並。 ちなみに名称の45は口径を表している。
 組んでいて分かったことだが、毎回狩りの度に違うメーカーブランドの銃を使うハイネにも、それなりに武装のこだわりや選択基準があるらしい。 どうやら四十五口径モデルであり、尚且つ装弾数が十発以上である拳銃を好んで使用しているようだ。

 掌の中でくるりとハンドガンを回して見せるハイネを横目にしながら、シノンは普段から近・中距離戦用に携行している突撃銃 《AN94》 通称 “アバカン” を腰だめに構えた。
 ロシア製の高性能アサルトライフル。 先程休憩した時に弾倉を交換したため、マガジン内の弾数は30発とフル装弾だ。
 ハイネとシノンはここ十日で慣れた通りに、背中合わせで敵モンスターと対峙する。 一旦戦いが始まればあとは乱戦だが、火蓋が落とされるその時までは互いの死角をカバーするのだ。
 二人の鋭い視線がドーベルマン達の殺意と交錯し、場に緊張が満ちる。
 そして数秒の沈黙の後――、

「ウォゥッ!」

 二人の周囲を取り囲んでいた犬型モンスターたちが一斉に襲い掛かってきた。
 それを合図に、ハイネとシノンもそれぞれ己の正面に向かって走り出す。
 あちこちに障害物の転がる倉庫内を疾駆しながら、ハイネは両手の拳銃を左右に突き出し素早く発砲。 両側面から飛びかかってきた二頭の獣を撃ち落とした。
 それを横目に確認しつつ、さらにハイネは複雑な軌道で鉄箱や檻の間を走り回り、モンスター群を撹乱しながら次々と銃弾を撃ち込んでいく。
 正確な敵の数はわからない。 目に見えるだけでもかなりの数なのに、先程から続々とPOP数が増え続けている。 数えるだけ時間の無駄だ。
 とにかく目の前にいる敵を全て殺せばいい。
 胸の内でそう断じながら、ハイネは踊るように両腕を振り回し、前後左右から襲いかかってくる獣型Mobたちを次々と撃退した。

(敵が一種類なのは救いだな。 相手によって戦法を変える必要がない)

 その場にPOPしたMob達は、サイズや色にこそ微妙な違いはあれど、基本的には皆同じ種類のモンスターだった。
 お陰で常に同じ方法で対処できる。 攻撃パターンや動きもほぼ同じだ。

「しかし名前がネイキッドって……シャレのつもりか? 笑えねえぜ。 くそったれ!」

 ハイネが銃を乱射しながら吐き捨てるように叫ぶ。
 ちなみに何が裸(ネイキッド)なのかというと……目の前の犬たちは、皆体毛が存在しなかった。
 いや、体毛だけではない。 その下の体皮もだ。 まるで全身の毛皮を剥がれたかのように、どの犬も赤黒い筋肉組織がむき出しになっている。
 はっきり言って非常にグロテスクな外見だった。 これで裸(ネイキッド)とは、とんだブラックジョークだ。

「それにしても、おたくはよく平気でいられるな。 女の子の割に大した胆力だ!」

 銃声に負けないようやや大声で、少し離れた所にいるシノンへと声をかける。

「前に、似たようなのと、戦ったことあるのよ!」

 途切れ途切れに叫びながら、シノンは両手で肩付けにして構えたアバカンライフルを連射する。
 ダダッ、ダダッ、ダダッ、ダダッ、と二連のリズムで5.45ミリ弾がドーベルマンたちに撃ち込まれ、瞬く間に数体の敵がポリゴンを爆散させた。 アバカン特有の機能、二点連射(バースト)だ。
 シノンの使うこのライフルは、他の突撃銃には無い特殊な機構を持ち、この二点バーストに限り連射間隔が非常に短い。 その高速連射機能によって、初弾による反動で銃口が跳ねあがる前に次弾を撃ち出すため、限りなく集弾性が高くなるのだ。

 シノンが一回引鉄を引くたびに二発の弾丸が撃ち出される。 ライフル自体の命中精度に彼女の射撃技術も相まって、撃ち出された弾丸は決して的を外さない。 二連の銃弾は過たず同じ個体に命中していた。
 あっという間に数体の犬型モンスターが消滅する。 自身の成果にシノンは「ヒュウ」と軽く口笛を吹いた。
 二キロ先の標的ですら正確に射抜く彼女の射撃能力の前では、この三十メートル以下での短距離(ショートレンジ)射撃などはほとんど接射に等しい。
 シノンは常に足を動かし移動を繰り返しながら、相手が牙の間合いに入る前に次々と死の銃弾を撃ち込んでいく。
 ドーベルマン達は敏捷性や牙の攻撃力に比べて耐久力や生命力は低いのか、多少急所を外しても一匹に対し二発で確実に仕留めることができた。

 ふと視界の端に低い姿勢で側面から飛びかかってくる一体の影を認めたシノンは、咄嗟に背中を反らせるようにして跳躍し、背面跳びの要領で牙による攻撃を躱す。
 そのまま空中で身を翻しながら勢いよく上体を捻ると、体の下を通過しようとしていたドーベルマンの頭をアバカンの銃床(ストック)部分で思い切り殴りつけた。 滞空中にスナイパー特有の高STR値補正を全開にした強打を受け、その一体は墜落するように着地に失敗して地に這い蹲る。
 ハイネと行動を共にするうちに自分も随分と武闘派になってしまったものだ。 シノンは内心で嘆息しながら、空になった弾倉を交換して銃撃を再開。 一体ずつ確実に仕留め、再び撃破ポイントを蓄積していく。

(確かにグロいけど、前に戦った奴と比べたら大したことない)

 凶悪な外見のドーベルマンたちを眉一筋動かさずに葬りながら、シノンは内心で独りごちる。
 血で濡れたような赤黒い筋肉が剥き出しになった、凄まじくグロテスクなその姿は、普通の人間ならば生理的嫌悪と本能的な恐怖に呑み込まれそうなものだが、戦っているシノンに取り乱す様子はまるでなかった。
 無論、彼女とて敵の外観に良い気分はしていない。 だがその凄惨な外見も、以前戦った別の 《ネイキッド・ドッグ》 シリーズの一つ、 《ネイキッド・チワワ》 に比べれば、てんで大したことはない。
 あの時の生理的悪寒は今でも覚えている。 制作者的にはシャレとか遊び心のつもりだったのかもしれないが、彼女にとって生皮剥がれたチワワの姿は未だにトラウマ物だった。

 シノンは嫌な記憶を思い出しながらも変わらずライフルを連射する。
 その時、ふと背中に気配を感じたシノンは、咄嗟に左手で《MP7》を抜き、背後に向けて短連射した。
 数発の4.6ミリ弾を喰らい、後ろから忍び寄ろうとしていた一体が足を止める。 牽制程度にしかならないが、この手のモンスターには非常に有効だ。
 後ろの敵が立ち竦んでいる間にシノンは前方に向けて射撃を再開する。 一体一体は決して強くないが、その素早さと敵の数だけはかなりの脅威だった。 そもそも、本来このダンジョンは二人などという少人数で取り組むような場所ではない。
 しかしだからこそ、この高難度な狩り場はシノンの戦闘能力を鍛える上で非常に効果的だとも言えた。
 数に守られ、リスクを減らし、ひたすら安全な狩り場でぬるま湯につかっているようでは、本当の意味での実力向上など望めない。 たとえどんなに効率的にレベルを上げることができても、そんな戦場では最も重要なプレイヤースキルを磨くことはできないのだ。

 再度弾倉を交換しながら、シノンはふと横目で隣の戦闘を見やる。
 その先では、彼女から十数メートルほど離れた場所で、自身のこれまで会ったプレイヤーの中でも最強と認めた男が、無数のネイキッド・ドーベルマンたちを相手に大立ち回りを演じている所だった。
 ハイネは障害物の間を走り抜けながら常に移動を繰り返し、近付いて来る端からドーベルマンたちを .45ACP弾でぶち抜いていく。
 対人戦の時と同様、ハイネは敵の初動(モーション)や直前の姿勢から動きを予測し、先を読んで攻撃と回避を繰り返す。 プレイヤーの操作するアバターと違い、一定のアルゴリズムに従って動くモンスターは、ハイネにとってはむしろ与し易い相手と言えた。

 開発者のこだわりなのか、VRゲームに登場するモンスターは全て、攻撃照準箇所に寸分の狂いも無く視線を向けるという特性を与えられているらしい。
 実際目の前のドーベルマン達も、飛びかかってくる寸前には必ずこちらを強く睨みつけながら両脚のバネに力を込めるように姿勢を低くする。 その際、鼻先の向きを見れば相手がどこを狙っているのか、それこそ跳躍の高さまで容易く読むことができた。
 この技法はシノンにも教えている。 対Mob戦に限れば、彼女もここ数日で近距離戦闘に随分と習熟したものだ。
 ハイネは敵の攻撃パターンに合わせて回避行動を取り、すかさず反撃を叩き込む。
 眉間やこめかみ、喉元。 二丁のFNPが撃ち出す銃弾は常に首より上に着弾していた。
 彼の武器は拳銃だが、その射撃は敵の急所を正確無比に貫く。 攻撃は一切の無駄なく正確に。 ハイネは一体につき最小限の弾数で次々と敵の数を減らしていった。

「ふっ!」

 眼前の敵を片づけたところで、背後から襲いかかってきた一体へと振り返りざまに銃弾を叩き込む。 照準から発砲まで刹那のタイムラグも無い。 だというのに、その射撃は寒気がするほどに精密だ。
 仲間の肉体が完全に消滅するのも待たず、さらに数体のドーベルマンがハイネめがけて殺到する。
 急激な挙動で崩れた姿勢。 しかしハイネは咄嗟に地を蹴り両手に銃を保持したまま側転宙返り。 軽業師のようなアクロバットで、矢継ぎ早に襲い掛かる敵の攻撃を回避した。
 着地と同時にFNPを握った両腕が翻り、空を噛んでいたドーベルマンたちへと反撃の銃弾を叩き込む。 既に数えるのは止めていたが、これでまたいっそう敵の数が減ったことだろう。

 ハイネはさらに近くにあった鉄箱を踏み台にして高々と跳躍し、空中で身を捻りつつ大きく旋回。 振り子のように両腕を振り回しながら二丁の拳銃を連射する。 そうして前後左右から迫りくる敵へと矢継ぎ早に銃弾をぶち込んだ。
 そのまま着地の勢いに任せて地面を転がり敵の追撃を回避。 次いで流れるような動作で素早く跳ね起きる。 間髪入れず構えた銃で前方から向かってくる二体を纏めて撃ち抜いた。
 それで残弾を撃ち尽くしたのか、独特の金属音と共に両手の銃が共にホールドオープンする。
 やむなく二丁同時に弾倉交換(マグチェンジ)。 左手で二丁のFNPをまとめて掴むと、右手で弾倉を取り出してグリップ下から二本同時に挿し入れようとする。 周囲に視線を配りながらも両手の動きに淀みはない。
 装弾完了までの時間は一秒と少し。 だが、その僅かな間隙を突いてさらに二体のドーベルマンが肉薄してきた。

「シッ!」

 両手が塞がれたまま、ハイネは迫りくるドーベルマンめがけて鋭い横突き蹴り(サイドキック)を繰り出した。 彼を押し倒そうと突進してきた一体が、その突撃槍の一撃にも似た突き蹴りで派手に吹き飛ばされる。
 さらにハイネはその場で旋回し、颶風のごとき勢いで強烈な後ろ回し蹴りを放った。 遅れて飛びかかってきた二体目も同じく地面にたたき落とされる。
 さすがにそれで倒すとまではいかないが、ハイネに蹴られた二体はしばし警戒するように動きを止めていた。
 その隙に弾倉を挿し込むと、フル装弾となった二丁の内一丁を右手で握り直し、ハイネは再び銃撃を再開する。 瞬く間に数体の敵が倒れ、その身を爆散させた。

 それを見るとも見ずにハイネは再び走り出す。
 獣のような敏捷さで地上を疾駆ながら鉄箱の一つに接近。 ふわりとその場で跳び上がり、軽やかな身のこなしで箱の上に降り立った。
 ハイネはさらに跳躍を繰り返し、歪な階段状に積み重ねられた鉄箱の山を駆け登る。
 そのまま上下に二つ積み重ねられたコンテナの上に飛び乗ると再び移動を開始。 ハイネは通路のように真っ直ぐ並べられたコンテナの上を疾走し、時には山猿のごとくコンテナからコンテナへと飛び移る。 と同時に、両手に持ったFNPの銃口をぐるりと巡らせ、地上を走る個体や追い縋ってきたドーベルマンたちを悉く撃ち抜いていった。

 その立ち回りを見れば誰もが舌を巻くだろう。
 ハイネは自らの身体能力だけでなくその場の地形をも最大限に活用し、変則的かつアクロバティックな三次元機動でドーベルマンたちの牙を寄せ付けない。 自身は一切ダメージを受けず、敵に向かってただ一方的に攻撃を加えていく。
 不規則に並べられたコンテナの上をぐるりと迂回するように移動していたハイネは、倉庫の中央辺りに来たところで、やや高くなった位置から体操選手のように身を翻して地上へと飛び降りた。
 そして尚も追いかけてくるドーベルマン達に銃撃を加えながら、ハイネは壁のように並べられたコンテナに挟まれ通路状になっている場所へと入り込む。

 すると丁度反対側からシノンがアバカンを連射しつつ通路内へと走って来た。 その背後には、やはりハイネと同じく数体のドーベルマンを引き連れている。
 前方にハイネの姿を認めたシノンは欠片も躊躇うことなく身を翻し、その場でくるりと背後に向き直った。 ハイネもまたシノンの傍へと走り寄り、すぐ近くまで来たところで転身、後の敵に銃口を向けつつその場で振り返る。
 まるで示し合わせたかのように背中合わせになった二人を見て、それぞれ通路の反対方向から挟み打つように追いかけてきていたドーベルマンたちも、警戒したように一旦その場で足を止めた。
 そして獰猛な光を湛えた両目で窺うようにこちらを睨みつける。 束の間の膠着状態。
 そんな敵の様子を油断なく見据えながら、ハイネは軽くおどけたように口を開いた。

「よう、久しぶり。 景気はどうだ?」

「上々ね」

「へぇ。 何体倒した?」

「あなたより五体は多くよ」

 背中越しに投げかけられた問いに、シノンも背を向けたまま軽口で返す。 その口元は、あたかもハイネの癖がうつったかのように口端が皮肉げに吊り上げられていた。
 言葉を交わしながらも二人は戦いに備えて動きを止めない。
 ハイネは再び弾切れになった二丁の銃をホルスターに仕舞い、代わりに後腰のリボルバー拳銃 《タウルス・レイジングブル》 を抜く。
 対するシノンはこの戦いで三度目の弾倉交換を行い、フル装弾となったアバカンの銃口を正面の敵に向けて構えた。
 それを合図としたかのように、再びドーベルマンたちが二人を挟み打つように走り出す。

 シノンは素早くセレクターレバーを二点バーストからフルオートにセット。 すかさず引鉄を引き、左から右へと薙ぐように銃口を動かした。
 そのままマガジン一本分を纏めて撃ち尽くす。 水平にばら撒かれた銃弾が次々と敵の身体に突き刺さり、横並びでこちらに突進して来た五体が順番にその身を爆散させた。
 激しい銃声と敵の断末魔を背中で感じながら、ハイネもまた自身の正面に向けてリボルバーを構える。 当然ながら、ドーベルマンたちは銃口を目にしても止まることはない。
 ハイネは射抜くように鋭い視線でドーベルマン達を見据えている。 そして互いの距離が十メートルを切った瞬間、彼はすかさず先頭の一体に向けて引鉄を引いた。

 直後、強装(マグナム)弾特有の腹に響くような轟音と共にタウルスから撃ち出された454カスール弾が、先頭のドーベルマンの眉間に着弾。 頭部を一撃で粉砕する。
 さらにハイネは右手で引鉄を引きっぱなしにしたまま、左手で扇ぐように撃鉄(ハンマー)を四回叩いた。 扇撃ち(ファニング)と呼ばれる技法だ。
 立て続けに撃ち出された四発の大口径弾がさらに四体のドーベルマンを屠る。 銃弾が放たれるたびに凄まじい銃声が響くが、グリップを握るその手のひらは小揺るぎもしない。 九ミリとは比較にならぬ凄まじい反動(リコイルショック)を、ハイネは真っ直ぐ伸ばした右腕一本で完全に抑え込んでいた。

「やっと終わりが見えたわね」

 肩から吊り紐(スリング)で提げていたアバカンを背中に回しながら、シノンが小さく声をかける。

「ああ。 《索敵》 の反応から考えても、今目の前にいるので最後だ」

 答えながら、ハイネは弾切れになったタウルスを仕舞うと、代わりに腰から大振りのナイフを抜いた。
 普段使っているコンバットナイフではない。 その刀身は遥かに長く、肉厚で幅広だ。
 くの字型に湾曲した禍々しい刃が、照明の光を火部く跳ね返している。

「ククリナイフ? そんなのGGOにあったっけ?」

「いちおうこれもコンバットナイフに含まれるみたいだからな。 実際、現実でもネパール出身のグルカ兵とかがよく装備してるし」

 チラリと視線を投げかけてきたシノンがやや呆れ交じりに呟き、ハイネがいつも通りに肩を竦めてみせる。

「ま、つっても市販はされてないけどな。 とあるダンジョンで特定のモンスターを狩れば手に入る、ドロップ限定武器だ――――よっ!」

 言葉と同時にハイネが正面に向かって走り出す。
 それに応えるように、眼前のドーベルマンたちも彼めがけて殺到した。
 ククリナイフを握るハイネと三体の狂犬モンスターが交錯する。 僅か数瞬の戦いの中、ハイネは自らも獣と化したかのごとく獰猛に己の牙を振るった。
 最初の一振りで先頭の一体の頭をかち割り、すかさず振るった横薙ぎの一閃が二体目のこめかみを横一文字に通り抜ける。 そしてさらに大きく踏み込みながら、ハイネはすれ違いざまに三体目の首を断ち切った。
 僅かな空白の後、ガラスが割れるような音と共に三体のドーベルマンがオブジェクト片となって消滅する。
 瞬く間に敵を蹴散らしたハイネはさらに前進しながら大きく上体を捻ると、

「ラァッ!」

 全身の力を込めて手に持ったククリナイフを投擲した。
 投げたナイフは回転しながら宙を走り、先程の三体から遅れて向かってきた最後の一体、その頭部に深々と突き刺さる。

「こっちは終わりだぜ!」

 ハイネは消滅する敵を横目にしながら背後を振り返る。
 背中越しに投げかけられた声に対し、しかしシノンは応えない。 ただ己の正面から向かってくる敵のみに集中する。
 弾切れとなったアバカンの代わりに抜いたのは右腰に差していた 《CZ75B》。 世界的な評価も高い優れた自動拳銃だ。
 シノンは両腕を真っ直ぐに伸ばして銃口を前方へと突き出すように構える。 基本に忠実なアイソセレス・スタンス。
 背筋を伸ばして直立つつ、しかし無闇に力んだところはない。 シノンの構えは、そのまま射撃の教本に載せてもいいくらいに美しい姿勢だった。
 ダンッ、ダンッ、ダンッ………自身めがけて一直線に向かってくる敵集団を冷静に見据え、シノンは立て続けに引鉄を引く。 その姿は彼女の日本人離れした美形の面立ちと、鋭角的かつスタイリッシュな戦闘服も相まって、まるでハリウッド映画のヒロインのごとく絵になった。
 撃ち出された九ミリパラベラム弾が次々とドーベルマン達に突き刺さる。 そのまま一弾倉十六発分の銃弾が容赦なく四体のHPバーを完全に吹き飛ばした。

「ふぅ……」

 全ての敵を倒したところで、シノンは大きく息を吐く。
 それから後ろへと振り返り、歩み寄ってきたハイネと軽く拳を撃ち合わせた。

「お疲れさん」

「ん、そっちも」

「射撃に関しちゃ流石の腕だな。 アンジェリーナ・ジョリーみたいに決まってたぜ」

「ありがと。 あなたもクリスチャン・ベイルみたいにカッコよかったよ。 映画見たことないけど」

「なんだそりゃ」

 軽く笑いつつ、二人とも自分のメニュー・ウィンドウを操作し、アイテムストレージ欄に目を通す。 今回の戦闘でドロップしたアイテム類を確認しているのだ。

「良いのあった?」

「ボチボチ。 まぁ換金すればそれなりの稼ぎになるんじゃねーか? 少なくとも数は多いしな」

 これがVRゲームでの狩りにおける少人数のメリットだ。 戦闘時のリスクは高いが、大人数の場合よりも一回の狩りにおける一人あたりの稼ぎが圧倒的に多くなる。
 一通り戦利品を確認し、次いで二人は武装を整え直した。 弾切れになった銃に弾薬を込め、アイテム欄から取り出した予備弾倉も体の各所に身に付ける。 お互いダメージは負っていないため、回復アイテムの使用は必要ない。
 リボルバー拳銃にも新たにオブジェクト化した大口径マグナム弾を込め直し、改めてハイネはシノンと向き合った。

「さて……んじゃ、先へ進むか」

「了解」

 短く答え、入口とは反対側の扉に向かうハイネの後を追ってシノンも歩き出す。
 倉庫から出ると、そこには再び長い通路が伸びていた。 軽く顔を見合わせてから、二人は再び歩き出す。 廊下は道が何度か折れ曲がっていたが、先を歩くハイネはあくまで自然体だ。 それだけ自分の 《索敵》 スキルを信用しているのだろう。
 ただし右手だけは常に拳銃のグリップに添えられており、いつでも抜き撃ちできる姿勢を保ってはいるが。
 そのままどれくらい歩いただろうか。

「ん?」

 何度目かの廊下の角を曲がったところで、通路の先に不審な物を見つけ、ハイネが立ち止まった。

「どうしたの?」

「……セキュリティロボットだ」

 彼に倣って足を止めたシノンに、ハイネが短く告げる。
 ハイネの肩越しに前を見やったシノンは、そこにいた昆虫を模した様な六本脚の虫型機械に目を留めた。
 僅かに体を強張らせるが、しかしロボットに動く気配はない。 ただ静かに佇んでいるだけだ。
 二人は思わず顔を見合わせ、それから慎重にロボットへと近付いた。 どの道通路は一本道であり、先に進むのであればここを通るしかない。
 壊れているのか? そう考えたハイネとシノンがゆっくりとそのロボットの傍を通り過ぎようとした時、

「ビーッ!」

「――ッ!?」

 突然鋭いアラームが鳴り響き、ロボットの体についたランプが点灯した。

「走れ!」

 ハイネが叫ぶと同時に地を蹴る。シノンも咄嗟にその後に続いた。
 1センチでもロボットから距離を取ろうと二人は通路の先へと急ぐ。
 しかし二人がその場を離れるよりも早く、背後でセキュリティロボットが爆発した。

「ぐぁっ!」

「キャッ!」

 爆風に吹き飛ばされ、ハイネとシノンは床に倒れ伏す。
 ダメージまでは受けなかったものの、立ったままでは耐えられないほどの衝撃だった。
 咄嗟に受け身を取ったハイネが素早く跳ね起き、シノンの手を取って立ち上がらせる。
 そのままさらに先へ走ろうとしたところで、今度は突然床に大きな亀裂が入った。

「ヤベッ――!」

 彼らがその場から逃げるよりも早く爆発で砕けた床が崩落する。
 咄嗟に頭上へと伸ばされたハイネの手が空を掴み、二人は瓦礫と共に階下へと落ちていった。





























あとがき

いつも感想ありがとうございます。 今回は対Mobでの戦闘回ですね。 シノンにもアサルトライフルを使った近距離戦をさせてみたかったのでこの話を書きました。
ちなみに敵モンスターのヴィジュアル・イメージは映画『バイオハザード』のあれですね。


いちおう、オリキャラのプレイヤースキルや強さについては裏付け設定があるにはあります。 ただ、それで納得できたり説得力があると感じるかどうかは読む人次第かもしれません。

戦闘時以外の主人公視点は、もう少しお待ちください。 今はまだシノンの心情描写がメインなので。 もう何話か進めば主人公主体の場面も出てくると思います。




[34288] 7.コロッセオ
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/11/06 07:01


 からん……と落ちてきた破片が乾いた音を立てる。
 上階が崩落し大穴の開いた天井を見上げて、シノンは脱力したように安堵の息をついた。

「………助かった」

 それから視線を下ろして周囲を見渡し、自分たちの陥った状況を改めて確認する。
 二人が落ちた先は大きく開けた空間だった。 部屋の中ほどが深いすり鉢状に窪んでおり、その底部は周囲を高い壁に囲まれた円い広場のようになっている。 広場をぐるりと囲む斜面には無数の観客席が階段状に設けられ、さながら古代の円形闘技場のような趣きだ。
 天井の高さから見るに、あの広場のど真ん中などに落ちたりしていたら二人とも命は無かっただろう。 彼らが落ちたところはこの空間で最も高い床、つまりは観客席の外側にあたる通路だったため、幸い落下によるダメージは受けていない。

「運が良かった……というよりは、もともとそういう仕組みのトラップだった可能性が高いな」

「つまりこれは何らかのイベントってわけね。 出口は……」

 言葉を交わしながらシノンが天井に開いた穴を確認するが、そこは既に塞がれていた。 どうやら上の通路で爆発が起こった時に床だけでなく上階の天井も崩落したらしく、落下してきた瓦礫が重なり合って結果的に床の穴を塞いでしまったらしい。 二人が落ちてきた穴を通って上に戻るのは無理そうだ。

「………ダメか。 別の道を探した方がいいわね」

「ま、とりあえず下に降りてみようぜ。 イベントなら何かしらクリア条件みたいのがあるかも知れねーし」

 言うや、ハイネは階段状になった観客席を降り始める。 その背を追って、シノンも中央の広場へと向かった。
 上の通路には出口が見当たらなかったので、脱出路の探索も兼ねて、観客席をぐるりと螺旋状に回りながら下へと降りていく。 途中、この闘技場本来の出入り口であろう観客席横に設けられた扉なども確かめてみたが、鍵がかかっているのか、元々システム的に開けられない設定なのか、今はどれも通り抜けることができなかった。
 二人はそのまま一番低い席まで降りて、手すり越しに下を覗き込む。 広場を囲む壁の高さは大体4メートルほどだろうか。

「やっぱりここって闘技場みたいなものなのかな?」

「闘技場っつーか闘犬場の方が近いかもな。 おそらくだが、俺たちがさっきまで戦ってたようなクリーチャーどもを戦わせて見物するための施設だったんじゃないか? わざわざバイオ科学系の研究所に併設されてるくらいだしな。 ま、もしかしたら獣と人を戦わせたりとか、権力者に逆らった人間を獣に喰い殺させて公開処刑、なんてこともあったかもしれないけど」

 ハイネに台詞に、シノンが微かに眉をひそめる。

「あなたの発想って……時々すごく猟奇的でえげつないわよね。 まるでそういう場面を実際に見てきたみたいに言うし」

「さすがに見たことはねぇよ」

 ハイネは肩を竦めながら軽く笑ってみせる。

「ただ、現実でもそういうことが実際に行われていた国や時代もあるって話だ。 たとえば古代ローマのコロッセオとかもその一つだし、闘犬自体は過去の日本でも行われてたらしいぜ。 それもほんの百年と少し前の話だ」

 闘犬や闘鶏などのような、いわゆるブラッド・スポーツが行われている国や地域は、世界中で動物愛護の考え方が浸透してきた現代でも確かに存在している。 スペインの闘牛などもそのブラッド・スポーツの一例だ。
 古来より、命懸けの闘争・殺し合いというものは、それを観戦する側にとって最大の娯楽だった。 人と人、獣と獣、そして人と獣。 血と暴力に飢えた多くの人々は、目の前で行われる戦いに心を踊らせ、勝者を讃え、そして金を賭ける。
 現代の格闘技の試合や格闘興業などもその延長線上にあるものだし、ゲームセンターや従来の家庭用ゲーム機での格闘ゲーム・戦闘ゲームも同様。 それがリアルからバーチャルになったところで根本は変わらない。 
 未来の地球を舞台とするGGOでも、現実世界のそういった面をシミュレートしているのだろう。 莫大な金を掛けて生体兵器を生み出した人間たちが、その怪物たちをどうするか。 少し考えればすぐに想像できる。
 軍事への利用。 そして、金持ちたちの歪んだ娯楽だ。

「優秀な個体、使い勝手の良い個体は軍事利用し、それ以外は娯楽品として供出する。 観賞用に、コレクター用に、あるいは観戦用に。 共通してんのは全て見世物だってことくらいか」

「………あくまでゲーム内での設定とはいえ、胸糞悪くなりそうな話ね」

「ゲーム内に限ったこととは言えないさ。 昔はわざわざ闘犬用に犬を調教したり、品種改良したりもしてたみたいだしな。 今の競走馬みてぇに。 それが遺伝子の入れ換えや書き変え、種としての改造にまで及んだだけだ。 キメラや突然変異生物(ミュータント) を戦わせるような見世物も、実際に生物科学の技術が進んだなら起こりうることだと俺は思うね。 正味な話、この世界はよくできてると思うぜ」

 ま、あくまで想像の域を出ないが。
 そう言いながら、ハイネは柵を乗り越え広場に飛び降りる。

「さすが、アメリカのゲームは変なところでリアルよね」

 言葉を返しながら、シノンも彼に倣って下に降りた。 下から見上げると、思ったよりも広場を囲む壁が高く見える。 飛び降りて落下ダメージを負うほどの高さではなかったが、登って観客席に戻るのは少々骨が折れそうだった。

「ここからは……出られないか」

 二人が降りた場所のすぐそばの壁にある鉄格子――正確には上下開閉式の格子扉――を確かめながらハイネが呟く。
 やはり鍵がかかっているのか、完全に降りた格子扉はびくともしない。 持ち上げようとしても無理だ。

「反対側にもあるわね……。 一応確かめとく?」

 シノンが丁度目の前の扉と向かい合うように設置されたもう一つの格子扉の方を示して言う。 どうやらこの二つの扉はクリーチャーたちの入場ゲートであるらしい。 向かい合うように設置されているのは、おそらく対戦する怪物を両側から同時に登場させるためだろう。

「……ま、物は試しか」

 嘆息しつつも合意を示し、ハイネはシノンと共に反対側の鉄格子に向かって歩き出した。
 そのまま闘技場の中央まで歩を進めたところで、


 グルルルル………


「!?」

 突然、前方の格子扉から雷のような猛獣の唸り声が鳴り響いてきた。
 咄嗟に足を止めて武器を構える二人の目の前で、下に降りていた格子扉が軋んだ音を立ててゆっくりと持ち上がっていく。 やがて完全に開放されたゲートの向こうから一頭の大型獣が進み出てきた。
 人間よりも数段大きな巨躯に四足歩行。 全身が黒々とした毛皮に覆われている。 そして闇と同化したかのようなシルエットの中、星のように浮かび上がる二つの蒼眼。
 完全にその身を晒したモンスターを見て、シノンは相手の頭上に表示されたカーソルと四本のHPゲージ、そしてモンスター名を確認した。

《ザ・ブラックエッジ・タイガー》

 特徴的な縞模様こそ無いものの、名前通り虎のような外観をした猛獣型のモンスターだ。
 現実世界の虎よりも一回り大柄な体躯に太く強靭な四肢。 全身を覆う漆黒の体毛は見るからに硬そうで、あたかも寄り合わせた針金のよう。 サーベルのように伸びた二本の犬歯と前肢に覗く鋭い爪も体と同じく全てが黒色。 しかしこちらはより光沢のあるメタリックな質感をしている。
 その凶悪で威圧的な姿、そして固有名称。 間違いない。 明らかにボスクラスのモンスターだ。
 敵の姿を認めたシノンとハイネは素早く臨戦態勢に入った。 そんな二人を、蒼い光を放つ猛虎の両眼が鋭く見据える。
 その視線を受けて、ハイネの口元に隠しようも無い笑みが浮かんだ。

「こんなところでボスモンスターと遭遇とは……今日は運が良いな」

 対するシノンは小さく嘆息すると、どこか諦観のこもった目でハイネを見やる。

「相変わらず前向きというか能天気よね、このバトルマニア。 私はちょっと泣き言言いたい気分よ」

 軽口をたたきつつも二人は油断なく敵に銃口を向ける。 シノンは突撃銃の 《AN94》 アバカンライフルを肩付けにし、ハイネも両手のハンドガン 《FNP‐45》 を二丁拳銃スタイルで構えた。

「どの道あれを倒すのが脱出条件だろ。 いや、もしかしたら他に脱出方法があるのかもしれねぇが……調べてる余裕はなさそうだしな」

 その言葉の通り、ボスモンスターである黒い虎はゆっくりとだが、しかし確かにこちらへ向かってのっしのっしと歩いて来ている。 シノンたちを睨みつけるその視線は、当然ながら友好的とは言い難い。

「………逃げるのは難しいかもしれないわね。 周囲は壁に囲まれてるし」

「だろうな。 ま、俺は逃げるつもりねーけど」

「仕方ないわね。 まったく……言い出したのは私だから文句を言うつもりは無いけど、あなたと組んでから随分と綱渡りが激しくなった気がするわ」

「そうかもしらんが……おたくだって最初から逃げる気なかっただろ?」

「………ま、確かにね」

 ハイネが皮肉げな笑みを浮かべてみせると、シノンも軽く口端を吊り上げて微笑み返した。 焦りや動揺を感じさせないその表情はいつもの通り冷静そのもの。 むしろ強敵との遭遇を内心喜んでいるようにすら見えた。
 彼女もハイネに劣らぬ胆力を備えたプレイヤーだ。 いざ敵を前にすればたちまち肝が据わるし、即座に覚悟を決めるだけの精神力もある。
 何より、この世界のおいて強敵をこそ望む彼女にとっては、ボスとの遭遇はまさに絶好の機会と言えるだろう。

「それにボスのレアアイテムを入手するせっかくのチャンスだぜ。 ふいにするのは………勿体ない!」

 言うや、ハイネは少しずつ距離を詰めてきていた敵モンスターに向けて、両手の引鉄を同時に引き絞った。
 連続した銃声が鳴り響き四発の .45ACP弾がブラックエッジ・タイガーの顔面に叩き込まれる。 先制攻撃を受けた相手は、怒りの咆哮を上げると共にその歩みを疾走に変えた。
 巨大な四足獣が牙を剥きながら二人めがけて真っ直ぐに突進してくる。 やがて互いの相対距離が僅か五メートルにまで近付いたかと思うと、突然その巨体がハイネ達に向かって大きく跳躍した。
 その動きはまさしく獲物に飛びかかる虎。 湧き上がりそうになる本能的な恐怖を強引にねじ伏せながら、ハイネとシノンは同時にその場から左右へ飛び退いて攻撃を回避する。
 そしてちょうど彼らの中間地点を相手が通り過ぎようとした瞬間、二人はブラックエッジ・タイガーの両側面から挟み打つように互いの銃を乱射した。
 二人と一頭の間で連続的にマズルフラッシュが弾け、何発もの .45ACP弾とロシア製5.45ミリ弾が次々とタイガーの胴体に突き刺さる。
 全身を叩く銃弾の雨を振り払うように体を震わせたタイガーは、首を巡らせその矛先をハイネ一人に絞ると、こちらへ向かって真っ直ぐに襲い掛かってきた。

「鬼、さん、こち、らァッ!」

 ハイネは素早いバックステップで後退しながら、両手の拳銃を突き出すように構えて連続で引鉄を引く。 移動しながらでもその射撃精度にブレは無い。 目には攻撃的かつ獰猛な光が宿り、口元にはいつも通りの好戦的な笑みが浮かぶ。
 着弾するたびに敵の体表でエフェクトフラッシュが弾け、僅か数秒の間に十発以上もの銃弾が目の前の獣へと叩き込まれた。
 しかしタイガーは立て続けに撃ち込まれる弾丸をものともせずにハイネめがけて突き進む。 確かに減少してはいるが、攻撃回数に比して敵のHPの減りがあまりにも遅い。 凄まじいまでの耐久力だ。
 敵の後ろからシノンもライフルの銃撃を加えるが、タイガーの足が止まることはない。 やがて目前にまで迫ったところで、タイガーは勢いよくハイネに向かって飛びかかった。

「チィッ!」

 舌打ちしつつも咄嗟に体を旋回させ、舞うような動きで敵の体当たりを回避する。
 攻撃を外したタイガーは着地と同時に方向転換。 しかし相手が再度攻撃に入る前に、ハイネはその僅かな隙をついてタイガーとの距離を空けていた。
 膠着する間もなくハイネは先程同様バックステップで距離を取ろうとする。 前の部屋のドーベルマン程度ならともかく、大型の猛獣相手に接近戦は分が悪い。
 再び自身めがけて突進してくるタイガーに向けて、ハイネは後退しながら銃撃を叩き込む。 頭や肩、前肢に弾丸を食らいながらもその勢いは微塵も衰えない。 大口径とはいえ拳銃弾程度では、たとえ頭部に当たってもろくにダメージを与えられないようだ。
 それを裏付けるかのように、敵の全身は黒塗りの剣山を思わせる頑丈で分厚い毛皮に覆われている。 しかし、たとえ大した威力はなくとも、とにかく銃撃を続けて少しずつでも確実に削っていくしかない。 倒す前に距離を詰められたりなどすれば、あっという間に引き裂かれてしまうだろう。
 ゆるやかに蛇行しながら、タイガーはハイネを食い殺さんと走り続ける。 視界内に映る敵の姿がぐんぐんと大きくなり、ハイネはひたすら両手の引鉄を引き続けた。
 しかし互いの距離が10メートルを切った時、ハイネの手の中で二丁のFNPが同時にホールドオープンした。 弾切れだ。

 再び舌打ちしながらハイネはくるりと相手に背を向け、闘技場を囲む壁に向かって一直線に走りだす。 その背中をタイガーが牙を剥きながら追いかけた。
 こちらが背を向けて逃げに入ったためか、相手は完全に勢いづいている。 チラリと背後を見やると、敵の姿が僅かに近付いてきていた。 やはり速い。 僅かとはいえ直線スピードはハイネよりも上。 先程とは違い、普通に真っ直ぐ走っているにもかかわらず、タイガーは徐々に、だが確実にこちらとの距離を詰めてきている。
 ハイネが壁際に辿り着いた時、タイガーとの距離はすでにほんの5メートル弱しかなかった。
 それを一瞬だけ横目で確認しながら、ハイネは目の前の壁を二回蹴り、三角飛びの要領で高々とジャンプする。 そのまま壁を蹴った勢いをも利用して空中で旋回。 背後から躍りかかるように跳躍してきた猛獣めがけて、振り返りざまの飛び回し蹴りを繰り出した。
 強かな感触と共に、鋭く振り抜かれた右の蹴り足がブラックエッジ・タイガーの横面を捕える。 同時に、横殴りに振るわれた前肢の一撃をハイネは左腕でガードした。
 お互い生身による空中での衝突。 筋力ゆえか、体重差ゆえか、押し負けたのはハイネの方だった。

「がっ!」

 前足で殴り飛ばされたハイネは空中で体勢を崩し、背中から地面に落ちて呻き声を上げる。
 対するタイガーは微かによろけながらも危なげなく四足で着地していた。 僅かなダメージを振り払うように頭を振り、怒りの籠った視線をこちらに投げる。
 やはりボスクラスだけあって、前の部屋で戦ったドーベルマンとは比べ物にならないタフネスだ。 ハイネは内心で歯噛みしながら転がるようにして起き上がる。
 それから慣れた手つきで素早く弾倉を交換しつつ、ふと視界の斜め上を見やると、ハイネのHPゲージが一割ほど減少しているのが見て取れた。 咄嗟だったとはいえ、鋭い爪には触れないように気をつけて防御したにもかかわらずだ。 実際に牙や爪による攻撃を受けていたら、どれ程のダメージを食らっていたこととか。

「…………フルオートのショットガンでも欲しくなってくるぜ」

 思わず漏れたぼやきに苦笑する。
 強敵との戦いに対する高揚感と同時に、ハイネは相手の厄介さと攻撃の凄まじさに対して戦慄をも感じていた。
 ハイネの視線の先でタイガーが後ろ足をたわめて姿勢を低くし、再び飛びかかろうとしていた、その時――

「ギャゥッ!」

 タタタッ―― という射撃音と共に、フルオートの短連射で撃ち出された数発の銃弾がタイガーの横面を殴りつけた。 シノンのアバカンライフルだ。
 さすがにライフル弾を顔面に食らっては無視することもできないのか、相手は銃撃を煩わしがるように体を震わせると、逃げるようにその場から飛び退く。
 後退したタイガーに対し、ハイネは両手のFNPを構えて追撃の銃弾を叩き込んだ。
 二方向からの銃撃に晒され、相手のHPが徐々にだが減少する。 しかしやはり遅い。 流石に全弾とまではいかないが、急所にもかなりの銃弾を食らわせているにもかかわらず、二人がかりでようやくHPゲージが一本と少し減った程度だ。

(特別な力や攻撃手段を持っているわけじゃないが……ただ純粋に、強い)

 前の部屋で戦ったドーベルマンやAGI型プレイヤーにも劣らぬ敏捷性に、虎の巨体に見合った凄まじい膂力。 そして鎧のように頑丈な外皮と、それによる鋼のごとき耐久性。
 四十五口径の拳銃弾を二弾倉分三十発に、同じくライフル弾を一弾倉三十発。 これだけ撃ち込まれて尚三本も残ったHPゲージが相手の厄介さを如実に表していた。

(眉間や喉にもかなりの数喰らわせたはずなんだが…………やはり一発の威力が足りねぇか)

 二人の射撃技術が高いからこそ、それなりにダメージは与えられているし戦えてもいるが、一般モンスターを遥かに上回るタフネスとパワーを誇るボスモンスターに対して、自動拳銃や普通のアサルトライフルではやはり火力不足だ。 戦いが長引けば携行しているマガジンだけでは弾薬が足りなくなる恐れがある。 かといって、弾が切れるたびにアイテム欄を操作して悠長に予備弾倉を取り出していては、素早い敵に隙を突かれかねない。
 どの道この調子では弾切れの方が早いので、どこかしらで一度ストレージを開き、弾薬の補充なり武装の変更をする必要があるのだが。

「さて、どうするか……」

 両手で射撃を続けながらハイネは胸のうちで思案する。
 二人が所有している武器の中で最も一撃の攻撃力が高いのは、シノンの対物狙撃ライフル 《ウルティマラティオ・ヘカートⅡ》 だろう。 その五十口径ライフル弾が内包する威力たるや、まさしく桁外れだ。
 しかしその一方で、対物ライフルにはサイズと重量というネックがある。 その長大さゆえに取り回しが悪く、重武器であるがゆえに装備した者の機動力を著しく損なってしまうのだ。 おまけにボルトアクション式は信頼性が高い分連射性能に難があるため、今回のように敏捷性が高く立体的に動き回る敵が相手では、その力を最大限に発揮できない。
 そもそもが狙撃用の武器なのだ。 敵には見えない位置から反撃を許さず一方的に攻撃するのが狙撃であり、そこそこ広いとはいえ、この限られた空間内で縦横無尽に動き回る肉弾戦型のモンスターを倒すには、とてもではないが有効とはいえないだろう。
 仮に初撃を当てることができたとしても、次弾を装填して再照準する前に距離を詰められてしまえば手も足も出せなくなる。 確実に一撃で葬れるという確信が無い以上、安易にヘカートに頼るべきではない。
 ならばどうすべきか。 ハイネがそんなことを考えていた、その時。 二点バーストに切り替えて銃撃を行っていたシノンのライフルがとうとう弾切れに陥った。
 そうと気付くや、タイガーは即座にハイネに背を向けると身を翻して彼女に向かう。 与しやすい方から仕留めようと考えたのか、今度はシノンを標的に見定めたのだ。 瞬く間に彼女とタイガーの間で距離が縮む。

(まずい)

 敵はシノンに弾倉交換の時間を与えないつもりだ。 ハイネは咄嗟に相手の斜め後方から .45ACP弾を撃ち込むが、タイガーは完全にシノンを獲物と定めたのか、いくら背後から攻撃してもこちらを一顧だにせず、どうしてもタゲを取ることができない。
 その様子を見たシノンは、覚悟を決めたように両手で持っていたライフルを背中に回した。 それから右手でレッグホルスターに収められていた自動拳銃 《CZ75B》 を、左手で腰元の超小型短機関銃 《MP7》 をそれぞれ抜くと、前方のタイガーに銃口を向けて迎え撃つように二丁拳銃スタイルで構える。
 そして距離を詰めてきた敵モンスターに素早く照準し、シノンは両手の引鉄を同時に引き絞った。
 先程のハイネの動きを真似るように、シノンは後ろへ下がりながら追いかけてくるタイガーめがけて次々と銃弾を叩き込む。 ハンドガンから撃ち出された9ミリパラベラム弾とフルオートで放たれた4.6ミリ弾が何発も敵の顔面に撃ち込まれた。

 しかし相手は止まらない。 その足を止めようとハイネも後ろから銃撃を加えて支援してくれているが、タイガーの走行が緩むことはなく、あっという間に彼女の目前まで迫ってくる。
 おまけに応戦していた銃の弾薬も尽きてしまった。 先にフルオートで撃っていたMP7が、次いでCZ75Bが弾切れになる。
 万事休す。 ステータスを筋力や狙撃用の能力に割り振った分、VIT(生命力)値を全切りしているシノンでは、ボスクラスの敵の攻撃に五秒と耐えられないだろう。 ここ最近では近接戦の腕も多少は上達しているとはいえ、完全に肉弾戦闘に特化したモンスター相手では敵うはずもない。
 眼前に迫る牙に、シノンは思わず目を瞑る。

 その時、円形の空間にひときわ腹に響くような轟音が鳴り響いた。 目を開いたシノンの前で、タイガーが凄まじい力で殴りつけられたようによろめく。 さらにその背後では、大型のリボルバー拳銃 《タウルス・レイジングブル》 を構えたハイネがこちらに向かって走り寄って来るところだった。
 足を止めて振り返ったタイガーに、ハイネはさらなる銃撃を叩き込む。 タウルスの銃口から撃ち出された454カスール弾が再びタイガーの大きな体を殴りつけ、その大きな体を揺らした。
 拳銃弾とはいえ大口径マグナムの一発におけるストッピングパワーはシノンのアサルトライフルよりも上だ。 全体値から考えれば微々たる数字だろうが、それでも敵のHPは今の攻撃により目に見えて減少している。

「今のうちに体勢を立て直せ!」

 ハイネの声を聞いたシノンは、一旦大きく飛び退いてタイガーから距離を取った。 次いで、片膝を突くようにその場でしゃがみ込むと三丁の銃の弾倉交換を行う。
 一時的に無防備となった彼女に矛先が向かないよう、ハイネはさらに連続して引鉄を引き、三発のマグナム弾を立て続けに敵の胴体へとぶち込んだ。
 タイガーは怒りと憎しみの咆哮を上げてこちらに向き直る。 ヘイト値が高まったのか、再びハイネに狙いを定めたようだ。

「…………オートマチックよりはダメージも大きいみたいだが……このくらいでは押し切れないか」

 ハイネは弾切れとなったリボルバーを後腰のホルスターに仕舞うと、腰から二本のナイフを抜いた。 右手には湾曲した刀身を持つ大振りのククリナイフを、左手には刃渡り20センチほどのコンバットナイフを、それぞれ両手に構えて僅かに腰を落とす。
 この世界におけるナイフという武器は、純粋な打撃力や破壊力では銃火器に及ぶべくもない。 しかし対人戦、対クリーチャー戦における殺傷力という点では、時にナイフが銃器を上回ることもある。 斬撃の角度や攻撃部位、与えた傷の大きさ、タイミング次第でダメージ計算に補正が付くのだ。
 現実世界でも、腹を撃たれて貫通した銃創より、ナイフで腹部を大きくかっ捌いた傷の方が大量に出血するし、致命傷にもなりやすい。 このゲームでもその辺りを再現しているのだろう。

(ま、ロボット系のMob相手にはむしろ不利になることも多いけどな)

 しかし幸いなことに今回の相手は猛獣型のモンスターだ。 頑丈な毛皮で覆われているとはいえ、ククリナイフならば相応のダメージを与えることも可能だろう。
 もっとも、あの敏捷で屈強な大型獣を相手に自ら近付き接近戦を仕掛けるというのも、なかなかにハイリスクで度胸のいる行為だが…………いや、いっそ無謀か。
 もともとハイネは敏捷性を確保するために、防御力を犠牲にして防弾アーマーなどの装備重量を抑えている。 加えて、AGI値とSTR値を集中的に鍛えている分、スナイパーのシノンほどではないとはいえ、VIT値が他の数値よりも非常に低い。 ゆえにハイネは敵の攻撃ほぼ全てを躱した上で、正確に自身の攻撃を当て続けなければならないのだ。 それも、間合いの短いナイフによる攻撃で。
 一歩違えれば、あっという間に牙と爪でズタズタにされかねない。 あの体重に、あの膂力。 押し倒されて上から押さえつけられたら、抗うことすらできずに食い殺されてしまうだろう。
 大抵のプレイヤーであれば、尻込みするどころか端から考えもしないであろう戦い方。 だが、だからこそ心が躍る。 それがハイネというプレイヤーだ。

「来いよ! ボスネコ!」

 ハイネは敵の姿を見据えながら鋭く口端を吊り上げると、目の前の獣にも似た笑みを浮かべて叫んだ。
 そして応えるように突進してきたタイガーを歪な二刀流で迎え撃つ。 やがて相手との距離が近付いてゆき、敵がこちらに向かって飛びかかるように跳躍した瞬間、ハイネは力強く踏み込みながら、逆に体を深く沈み込ませた。
 そのまま潜り抜けるようにタイガーの下を走り抜ける。 顎が地面につくのではないかというほどに低い、大地に伏せるような姿勢での疾走。 その姿はまるで地を這う蛇だ。
 さらに相手の体の下を潜り抜ける際、ハイネは全身を捻るように旋回させ、頭上を越えるタイガーの腹部を思い切り斬り上げた。
 バネのような勢いで下から上へと跳ね上がった狂暴な斬撃が猛獣の腹部へと食らいつき、比較的やわらかい部位を荒々しく切り裂き食い破る。

 空中のタイガーとすれ違ったところで、ハイネは地面を削りながら急制動をかけた。 背後で敵が着地に失敗して転倒する気配を感じつつ、素早く地を蹴り方向転換。 身を起こしながらも未だこちらに尻尾を向けたままのタイガーへと肉薄する。
 そしてタイガーが彼の方を振り返ると同時、ハイネはその首筋にククリナイフを振り下ろした。 HPががくりと減少。 苦鳴を上げて身を引く相手に対し、ハイネはさらに踏み込み左手のナイフで追撃をかけようとする。
 その時、突然目の前でタイガーが伸び上がるように後足で立ち上がった。 ハイネの頭よりも高い位置から、殴り落とすように右前足を振り下ろす。 躱し切れない。 そう判断したハイネは咄嗟に突き出そうとしていた左手を振り上げた。
 鋭い金属音を響かせ、跳ね上がったナイフの刃がタイガーの爪と衝突。 左腕全体に凄まじい衝撃が走り、ハイネの体が大きくぐらつく。
 僅かでも防御がずれていれば、たとえ爪は躱せても先程同様に殴り飛ばされていただろう。 狙ったわけではなかったが、なんとか爪の一撃をギリギリでパリィすることに成功したようだ。
 一方、相手は攻撃を受け流されたことでハイネに対して無防備に体を晒す。 無論、そんなチャンスを逃す彼ではない。

「ふっ!」

 先程の防御で大きくバランスを失いつつも、相手が地面に前足を突いた瞬間を狙い、ハイネは身を翻すようにしてさらなる一撃を叩き込む。 右手で大きくククリナイフを振るい、同時にその反動を利用して崩れていた体勢をも立て直した。
 横薙ぎの一閃がタイガーの脇腹を裂き、勢いのまま半回転してさらに左のナイフで切りつける。 怯んだように後退しようとするタイガーに対し、ハイネは吸い付くように追尾して距離を離させない。 左右の刃が次々と翻り、あたかも別の生き物のごとく縦横無尽に乱舞する。
 やがて僅か数秒の間に走った無数の斬線がことごとくタイガーの体に刻み込まれた。

「ガァッ!」

「―― っ、とぉ!」

 次の瞬間、防戦一方だったタイガーが猛り狂ったように一際激しく暴れ出した。 四肢を激しく振り回し、もがく様に全身を震わせのたうち回る相手に、反撃を警戒したハイネは素早く飛び退って距離を取る。
 その隙に体勢を立て直し再び攻撃姿勢に入ったタイガーは、間髪入れずにハイネめがけて飛びかかった。
 その突進は先程までよりも低い。 腰に組みつき押し倒そうとするような低空タックル。 矢のような勢いで突っ込んでくる敵に対し、ハイネは咄嗟に右手のククリナイフを放り捨てると、タイガーの頭上を飛び超えるように跳躍した。 それと同時に伸ばした右手を相手の頭頂部に突き、柔道の受け身にも似た動きで体の上を転がる。
 さらに行き違いざま、ハイネは左手でくるりと逆手に持ち換えたナイフを相手の背中に深々と突き立てた。
 苦痛の唸りを上げて地に墜ちるタイガーに対し、ハイネは空中で身を捻り相手の方へと向き直りながら、獣のように四つん這いの姿勢で着地する。
 さらに後ろへ飛び退いて敵との距離を取ったところで、タイガーはおもむろに体を起こし、後方のハイネへと振り返った。 獰猛に牙を剥いた口元と睨みつけるような鋭い眼光が、敵がこちらへ向ける怒りの凄まじさを物語っている。

(さて、と……)

 身体を起こしたハイネはタイガーの挙動に気を配りながら、どんな動きにも対応できるよう僅かに腰を落として身構える。
 銃は弾切れ。 放り捨てたククリナイフは位置的にタイガーの方に近い。 そしてもう片方のコンバットナイフはタイガーの背中に刺さったままだ。
 相手は怒りに牙を剥きながらも冷静にこちらを観察し、ゆっくりと歩み寄ってくる。 こちらを警戒し窺うような視線といい、弾倉を交換する時間は……さすがに与えてくれそうにない。
 タイガーは途中で身体を震わせて背中に刺さったナイフを振り落とすが、それを拾うような隙もないだろう。 丸腰よりはマシかと、やむなくハイネは袖口に仕込んだカランビットを抜く。 が、敵の分厚い毛皮の前ではいかにも心許ない。
 近付いてきたタイガーは、あと数メートルというところで後ろ足をたわめ、身を低くして跳躍の姿勢を見せる。 再度の敵のタックルに備えてハイネが身構えた、その時――

「グォッ!」

 横合いから撃ち込まれた二点バースト射撃がタイガーの後ろ足を正確に撃ち抜いた。
 ちょうど力を込めて跳び上がろうとしていたところで初動を崩され、タイガーはバランスを失い転倒する。

「ごめん、遅くなった」

 ハイネとタイガーの間に割り込むように入ってきたのはシノンだ。 ハイネが時間を稼いでいる間にストレージを操作して武装を整え直したのだろう。
 シノンはハイネを庇うような位置に立ちながら、構えていたアバカンライフルを後ろに回すと、新たにオブジェクト化したもう一丁の突撃銃を両手に構えた。
 彼女が追加装備として用意したのは有名なAK小銃シリーズの1つ 《AKM》、その中でも小型で軽量のカービンモデルにあたる 《AKM・SU》 だ。
 アバカンと同じくロシア製 (製造された年で言うなら正確にはソビエト製) のアサルトライフルで、”カラシニコフ” の名で知られる 《AK47》 の後継として配備された突撃銃。 世代的にはアバカンよりも二世代前の旧式で、ゲーム内でのレア度も低く命中精度や集弾性はお世辞にも高いとは言えないが、7.62ミリ口径の弾薬を使うため一発あたりの威力では 《AN94》 の5.45ミリ弾を上回る。
 シノンは先程までの装備に加え、威力不足を補うためにこの 《AKM》 を持ち出したのだ。 さすがに拳銃のような片手撃ちは無理だろうが、小型とはいえライフルを同時に二丁も装備できるのは、スナイパーである彼女の高STR値あってのものだろう。

「今度は私が引きつけるわ! 今のうちに!」

「助かる! 少し時間を稼いでくれ!」

 頷く代わりにシノンは手に持つ 《AKM》 をフルオートでぶっ放しながらタイガーの方へと向かっていく。
 その隙にハイネは一旦後ろに下がり、アイテムストレージ欄を操作してヒップホルスターごとタウルスを仕舞うと、代わりに別の武装を呼び出した。
 直後、ハイネの後腰に先程までよりも遥かに大きな質量が現れる。 間髪入れず、ハイネは新たにオブジェクト化した武器をホルスターから抜き放った。
 彼の手に余るほど大きなグリップと長大な銃身。 ずしりと腕にのしかかる並外れた重量感。 アンバランスなまでに肥大化した五連装の回転式弾倉。 猛獣の顎を思わせる巨大な銃口。
 黒塗りの銃身が鈍く光を跳ね返す。 その手に握るのは、この世界で最高のレア度を誇る回転式拳銃。


《パイファー・ツェリスカ》


 それがこの巨大なリボルバー拳銃の名だ。
 全長五十五センチ。 重さは本体のみで六キロ超。
 ハンドガンとしては他に類を見ない長大なバレルと狙撃ライフル並の重量を持ち、並外れた威力を誇る大口径マグナムライフル弾薬 600ニトロ エクスプレス弾を使用する。
 たびたび出される「世界最強のハンドガンとは?」という問いに対して、必ずと言っていいほど候補に挙がる、まさに規格外ともいうべき拳銃だ。

(射撃練習くらいはしたことあったが………実戦で、それもこんな土壇場で使うのなんざ、さすがに初めてだな)

 ハイネはその場に腰を下ろすと片膝を立て、左の肘と膝が重なるように腕を脚の上に乗せる。 さらに右手でツェリスカのグリップを握り、体の前で曲げた左腕にその銃身を乗せた。 ちょうど、立てた左脚の膝とその上に重ねた左腕を二脚(バイポッド)代わりにして照準を安定させる変則的な座射姿勢。
 本来ならばそのサイズと重量ゆえに安定させるのが難しく、このような撃ち方などは特に至難の業だが、GGO内では十分なステータスさえあれば決して不可能な射撃方法ではない。 ハイネは呼吸を整えながら慎重に狙いをつけ、ツェリスカの撃鉄を起こす。
 銃口の先では、シノンがタイガー相手に見事に立ち回っていた。 踏み込み過ぎず、しかし逃げ腰になり過ぎることもない。 比較的高威力のAK小銃と射撃精度の高いアバカンライフル、時にはMP7をも使い分けて、うまく相手の動きを制御し、敵の位置を限られた範囲内に抑え込んでいる。
 ハイネがほう、と称賛の声を漏らしつていると、唐突にタイガーが動きを止めた。 ちょうどシノンに飛びかかろうとしたところで脚に7.62ミリ弾の連射を食らい、その衝撃で崩れたバランスを立て直そうと踏み止まったのだ。 それを見て、すかさずハイネが大きな声で呼びかける。

「シノン、退がれ!」

 その言葉が耳朶を打つや、シノンは相手が足を止めている隙にバックステップで素早く後退して距離を空けた。 さらに、タイガーが再び動き出そうとするのをAKMのフルオート射撃で牽制する。
 弾倉内に残るありったけの弾丸を食らったタイガーは立ち竦むように動きを止めた。 その僅か一瞬の隙を狙い、ハイネは巨大な拳銃の引鉄を引く。


 直後、砲声のごとき凄まじい撃発音が円形の空間に響き渡った。


 銃声の大きさに反して、構えた右腕に跳ね返るリコイルショックはさほどでもない。 拳銃としてはあり得ないほどのその重量が撃発時の衝撃を抑え込んでいるのだ。
 しかし、その銃弾の生み出す破壊力は凄まじい。
 轟音と共に放たれた600NE弾は凶暴なまでの速度で空間を貫き、激しいエフェクトフラッシュを弾けさせながらタイガーの前片脚に着弾。 その体組織の一部をごっそりとえぐり取り、一気にがくんとHPを削る。
 それだけに止まらず、巨大な弾丸に内包された膨大な運動エネルギーによって、直撃を受けたタイガーの脚は振り回されるように跳ねあがり、タイガーは背中を地面に叩きつけられながら派手にひっくり返った。
 倒れて無防備を晒したタイガーは一瞬動きを止めた後、焦ったように四肢をじたばたさせてもがきつつ起き上がろうとする。
 しかしその隙をシノンは逃さない。 弾切れとなったAK小銃を背中に回してアバカンライフルを構え直すと、横倒しになったタイガーめがけてチャンスとばかりにフルオートで連射した。 5.45ミリ弾が次々と着弾し、タイガーのHPがゆっくりと、だが確実に削り取られる。

 それでもなんとか四肢に力を込めて巨獣が身体を起こした時、その空間に二発目の轟音が鳴り響いた。
 撃ち出された巨大な弾丸が今度はその胴体に突き刺さる。 タイガーは強烈な力で殴りつけられたようによろめくが、しかし今度は倒れたりなどしなかった。 四肢を踏ん張るようにして衝撃に耐え、すかさず攻撃態勢に入る。
 敵意の視線が向かう先はハイネだ。 獰猛に牙を剥きながら、刺すようにこちらを睨み据える。 彼よりもシノンとの距離の方が近いにもかかわらず、そちらに対しては一顧だにしない。 あまりにも強力な攻撃を受けたために、彼女のことが意識の外へと吹き飛んでしまったようだ。
 凄まじい勢いで地を蹴り己に向かって真っ直ぐに突進してくるタイガーを視界に収めながら、ハイネはゆっくりと息を吐く。
 自分から近付いてくれるのは好都合だ。 さすがにこの怪物拳銃では動き回る相手を正確に射抜くほどの精度は期待できないし、弾数も装填されている五発だけで予備は無い。

(確実に、これで仕留める)

 胸の内で断じるとともに、ハイネはツェリスカの引鉄を引く。
 三度、咆哮が響き渡り、先程の一撃で千切れかかっていたタイガーの左前肢を巨獣の顎(あぎと)が凄まじい力でもぎ取った。
 しかしタイガーは止まらない。 片脚を失いつつも強靭な後肢で跳び上がり、すでに僅か五メートルまで縮んでいたハイネとの距離を一瞬にしてゼロに変えた。
 タイガーはそのまま上から覆いかぶさるようにしてハイネを押し倒そうとする。 対するハイネは相手の動きに逆らわず、むしろ自ら後方へと倒れ込むように身を投げ出した。
 地面の上で仰向けに転がるハイネめがけて、タイガーは獰猛に唸りながら飛びかかる。 両手でツェリスカ拳銃を保持したまま、ハイネは咄嗟に両脚を跳ね上げて敵の攻撃を防御した。 横殴りに振るわれた残る前肢の一撃を左の膝で受け止め、間髪入れず伸ばした右足で相手の喉元も押さえつける。
 上にのしかかってきたタイガーがこちらを見下ろしながらも噛みつこうとするが、ハイネはしっかりと足を踏ん張り、ナイフのように鋭いその牙を己の身体へ届かせない。
 それでもなおハイネを喰い殺そうとタイガーは牙を振るう。 目の前でタイガーの口が大きく開き、顔を近付けてきた、その時――――、

(ここだ!)

 ハイネは素早く両手で構えたツェリスカを目の前に向かって突き出すと、銃口を相手の口内へと突き入れた。
 そして口の中に異物を突っ込まれて目を白黒させるタイガーの前で獰猛に笑って見せる。 勝利を確信したかのような、戦いの余韻を楽しむような、不敵な笑み。

「あばよボスネコ」

 言葉と共に引鉄を引く。 異物を吐き出す間もなく、タイガーの頭部に内側から狂暴なエネルギーが襲い掛かった。
 次いで、即座に二発目を。 立て続けに二度響き渡る雷鳴のごとき轟音。
 その二射を受けて、ブラックエッジ・タイガーの頭部は真っ赤なエフェクトフラッシュと共に粉々に弾け飛んだ。










 

















あとがき

二話続けてゲーム内での対モンスター戦闘になります。 正直、対人戦より難しい。
とりあえず今回書きたかったのは、三角飛び蹴りと敵の上を転がって躱すアクション、それからツェリスカ拳銃の使用といったところでしょうか。 アクションシーンはジャッキー・チェンをリスペクトで。
あと数話ほど進めたら、そろそろ原作の流れに入っていきたいと思います。


※ちなみにツェリスカ拳銃のサイズ(55センチ、6キロ)ですが、参考までに

デザートイーグルが全長27センチちょっと、映画『ダーティーハリー』に出てくる44マグナムことS&W・M29が大きいもので35センチほど、ハイネが後ろ腰に差しているタウルスが36センチくらい、M500で約46センチって感じです。重さは前の3つが1キロから2キロちょい。1番重いM500でも2.3キロってところでしょうか。
こうして考えると、どれくらいでかいのか多少は想像できると思います。




[34288] 8.デジャブ
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/10/13 17:21
 先程までの戦いが嘘のように静まり返った戦場跡。
 シノンは大きく息をつくと、いまだ闘犬場の地面に横たわったままのハイネに歩み寄る。 倒れたハイネは脱力したように手足を投げ出し、大の字になって呼吸を整えていた。
 見ると、HPゲージが四割ほど減っている。 それを示すように、ハイネの左大腿にはブラックエッジ・タイガーの爪痕が赤いエフェクト光となって残っていた。

「お疲れ」

 シノンは労いの言葉をかけながらストレージから取り出した治療用アイテムをぽいっと投げて寄こす。

「そっちも」

 ハイネは地面に座り込んだまま上半身を起こすと、すでに恒例となった挨拶を返しながら、彼女の投げたアイテムを器用に片手でキャッチした。
 そのまま受け取った治療キットで手早くHPを回復させる。 やや未来的なデザインの注射器のようなアイテムの先端を首筋に押し当てると、反対側のボタンを親指で押し込んだ。 ぷしゅっという空気の抜けるような音と共に、彼のアバターが一瞬だけ赤色の回復エフェクトに包まれる。
 GGOの治療アイテムは回復速度が非常に遅い。 じわじわと回復していくHPゲージをなんとはなしに眺めていると、いつのまにか傍らに立っていたシノンがハイネの右手に握られたままのツェリスカ拳銃に物珍しそうな視線を向けていた。

「どうした?」

「ううん、随分と珍しい武器を持ってるなと思っただけ。 それに凄い威力。 一発であの巨体がひっくり返るなんて……。 六十口径だっけ? 世界最強の拳銃 《ツェリスカ》 ………現物を見たのは初めてだわ」

 感嘆したように息を漏らすシノンに対し、ハイネはやや苦笑気味に口を開いた。

「ま、確かに珍しいだろうな。 俺も自分以外で使ってる奴なんざ見たことねぇし」

「GGO内に登録された銃器の中でも、拳銃としては最高クラスのレア度でしょ? 一体どこで手に入れたの?」

「あー……っと」

 その視線を巨大な拳銃に注いだまま、シノンが興味津々といった様子で訊ねる。
 ハイネは僅かの間天井を見上げて記憶を掘り返すような仕草を見せた後、思い出したように一つ頷くと徐に答えた。

「以前、北大陸のとあるダンジョンで 《ベールウィ・スローン》 とかいうボスと戦った時に手に入れたんだよ。 確か 《フランツィスク》 って名前の都市が一番近かったかな?」

「へぇ。 ボスドロップかぁ………レア度から考えても、かなり手強かったんじゃない?」

「まあな。 あの時は俺を含めてスコードロンのメンバーが八人はいたけど、他の連中は全員ボス戦で死んじまったくらいだ」

 以前戦った巨大なゾウのような外観のボスモンスターを思い出し、ハイネは僅かに苦い顔をする。

「最強クラスの拳銃ともなると、そりゃ入手するのも簡単にはいかないか」

「まあな。 おまけに使用条件厳しくて使い勝手も悪いし。 仮に入手したとしても、わざわざ使いたがる輩なんて他にいないんじゃねーか? 主武装(メイン)にしても副武装(サブ)にしても、帯に短し たすきに長し って感じだし」

「そんなに使い難いの? かなり強力だったけど」

 どこか自虐気味に笑うハイネに、シノンが怪訝そうな目で訊ねる。

「現実世界の代物からして、そもそも人間が撃つことを想定して作られた武器じゃねぇからな。 『とにかく “最強の拳銃” を作りたい』っつぅ製作者の願望を具現化したような拳銃だ。 そんな子供じみた理念で生み出された武器なもんだから、威力は確かに規格外のレベルだが……普通のリボルバー拳銃として使うには色々と欠点が多過ぎる。 サイズがデカすぎて取り回しは悪いし、重すぎてまともに構えることもできやしねぇ。 片手撃ちどころか立ったまま撃つのも難しいってのは、拳銃としちゃ相当だぜ」

 ある意味、ハンドガンとしては欠陥品であるとすら言えるかもしれない。
 実際、現実世界でもツェリスカを使いこなせた人間はいないと言われているし、ハイネ自身、ゲーム特有のシステムによる後押しがありながら、なおも使用可能な場面でのみ限定的に使っているだけで、まともに扱えているとは言い難い。 奥の手や切り札というよりは、むしろギャンブルに近い武器。 色んな意味で、拳銃としては規格外なのだ。

「確かに、あれだけ大きいとまともに構えるのも難しそうね。 そのうえ狙撃銃並の重量もあるんでしょ? そりゃ片手じゃ撃てないわ。 ……ああ、なるほど。 だからあなた、さっき変わった座射姿勢をとってたわけね」

「まぁな。 とはいえ、リアルじゃあの撃ち方も相当難しいけどな。 せめて背中を壁とかに預けて安定させないと。 さっきは比較的距離が近かったから当てられたが、あれ以上離れてたら命中率はかなり下がってたと思うぜ。 そもそも最初の一発だって、ほんとは頭を吹き飛ばすつもりだったし」

 戦闘中であるという緊張感も作用したのか、先程放った第一射は大きくずれてタイガーの前脚に着弾していた。
 これが他のプレイヤーならば、多少狙いが逸れたとしてもさほど不思議ではない。 着弾部位はずれていたが、標的自体には命中していた。 あの程度ならば誤差の範囲内だ。
 だがしかし、ハイネの射撃能力は普通ではない。 今までに彼が見せた芸術的なまでの技量からすれば、動きを止めていたタイガー相手にあの距離で狙いが外れたのは、むしろ不自然と言えた。
 逆にいえば、それだけ難しいということでもあるだろう。 あの怪物拳銃を用いて、狙った通りに当てるということは。

「成程。 まあいくらレア武器とはいえ、拳銃で大型ライフル並の威力出そうと思ったら、そりゃ命中精度まで維持するのは難しいわよね。 私のヘカートだって、威力や射程はすごいけど、当てられるようになるにはかなりのステータスが必要になるし、取り回しの悪さは他の武器の比じゃないもの」

「そういうこった。 おまけに弾薬も特別製だから普通のNPCショップには売ってねぇ。 ボスと同じダンジョンにポップする特定のモンスターを狩りまくってドロップするか、ドロップ品を扱ってる店で買う必要がある。 当然、普通の弾薬よりもはるかに値は張るし、二丁拳銃の時みたいに銃撃戦でバカスカ撃ちまくるわけにもいかない。 使いどころの難しさはあらゆる銃器の中でもトップクラスかもな」

 一発撃つだけでもクリアすべき条件がいくつもあるため、並大抵のプレイヤーでは使いこなすことはできないだろうし、メイン武器として運用することなど、よほど偏ったステータスでもない限り不可能だ。 ハイネ自身、まずめったに実戦で持ち出すことはしないし、使用するにしても限られた局面でしか使わない。
 攻撃力が高い割には、GGOでもコレクション目的以外で欲しがる輩が少なく、当然ながらプレイヤー間でも完全に物好き用の色モノ武器として認識されている。 確かに一撃の威力は凄まじいが、それ以上に、使用にあたってのコストやリスクが高過ぎて、拳銃の性能的に採算が取れないのだ。
 軽く笑いながらも愚痴るようにこぼすハイネに、シノンは関心と呆れが半分半分の顔で嘆息した。

「ていうか、そもそもなんでわざわざそんな難物を持ち出したわけ? どういうこだわりがあるのか知らないけど、普通にライフル使った方が簡単だし、何より低コストで勝率も高いでしょ。 あなたどれだけハンドガン縛りが好きなのよ?」

「んー……深い理由はないなぁ。 結局はいつも通り遊び心としか言いようがないし。 ただ、最初にゲームを始めた時に、どうせプレイするなら何かしら縛りがあった方が面白いと思ったんだよな。 他の人だってやるだろ? 服装や武装に色やパターンで何かしら統一性を持たせたり、キャラネームで遊んだり、映画や漫画のキャラクターを再現したり……俺もそんな感じだよ。 普段二丁拳銃をメインにして戦うのも、ナイフや格闘術を駆使した近接戦を仕掛けるも、よほどのことがない限りライフルやSMGを装備しないのも、結局は全てキャラ作りみたいなもんだ。 ようはロールプレイングの一環だな」

「……あなたの場合は合理性を無視し過ぎだと思うけどね」

「否定はしない」

 呆れ交じりのシノンの言葉に、ハイネは苦笑しながら肩を竦める。

「ま、ツェリスカだって、別にまったく使えないってわけじゃねぇけどな。 今回だって役に立ったろ? ピーキーなのは確かだが、状況次第じゃかなりの戦力にもなる。 ただ、局面をミスると自分の首を絞める結果になりかねないけどな。 個人的には、むしろそういうリスキーさが面白くて使ってるんだが」

「………ま、あなたらしいか」

 と、言葉を交わしているうちにハイネのHPもほぼ回復していた。
 それを確認したハイネは「よっ」と勢いをつけて立ち上がる。 それから軽く伸びをし、先程の戦闘で筋や骨を痛めたわけでもないだろうが、首を曲げてはぽきぽきと音を鳴らした。
 さらに軽く手足を振って異常が無いことを確かめたところで、ハイネは改めてシノンの方へと向き直りながらメニュー・ウィンドウを呼び出す。

「さて、せっかくボスを倒したんだ。 どんなアイテムをドロップしたか確かめてみようぜ」

「ん、それもそうね」

 シノンもハイネの提案に同意し、自身のメニュー・ウィンドウを開く。
 アイテム欄の先頭の方に来ているのが今回の戦いでドロップしたアイテムだろう。 一つ一つの名前や効果を確かめながら、二人は画面をスクロールしていく。

「何か良いのあった?」

「んー……ちょっと待ってくれ」

 自身のウィンドウを覗き込みながら訊ねるシノンに、ハイネもアイテム欄に目を通しながら言葉を返す。 ボスだけあって、一度にドロップするアイテムの量も他より多い。

「………お?」

 ふと、確認作業をしていたハイネがアイテム欄の一点で目を止める。 それから軽く感心したように口笛を吹いた。

「流石はボスだな。 かなりのレアものがあるぜ」

「ホント?」

 ウィンドウを覗き込もうとしたシノンを手で制し、ハイネはメニューを操作すると件の銃をオブジェクト化して見せた。
 その手の中に現れた銃を見て、シノンが目を見張る。

「これは…………」

 今回の戦いでハイネがドロップしたのは、全体的にややコンパクトでスリムな形をした軽機関銃だった。

「カタログで見た覚えがあるわね。 確か……」

「シンガポール製ライトマシンガン、 《CIS・ウルティマックス100》 だな。 5.56ミリ弾100発入りのドラムマガジン付き。 機関銃の中では比較的扱いやすく、様々な局面での運用が可能。 集団戦・個人戦を問わず、非常に使い勝手の良いLMGだ。 とりわけ近・中距離での銃撃戦じゃあかなりの活躍をするだろうよ」

 ドラムマガジンとは円筒型の他弾数マガジンの総称だ。 一般的な箱型弾倉(ボックスマガジン)よりも多くの弾薬を収納でき、内包した弾薬をゼンマイ動力で送り出す機構を持っている(ベルトリンクで丸めるように束ねた弾薬を円筒型ケースに収めただけのものもある)。 一般的な銃器に使われることは少なく、主に軽機関銃などフルオートタイプの銃に取り付けられることが多い。
 動力内蔵型のドラムマガジンは構造が複雑で故障や給弾不良がおこりやすく、大量生産にも向かないため、第二次大戦以降はあまり使われず少数派となっているが、比較的近年に生まれたこのウルティマックスは時代の潮流に逆らいながらも、改良したドラムマガジンを採用することで逆に扱いやすくしているのが特徴だ。
 口で説明しながら、ハイネはグリップの握りやレバーの位置、トリガープル(引鉄の重さ)、銃身に取り付けられたバイポッドなどを手早く確認していく。

「何より一番の特徴にして最大の長所はその軽量さだ。 本体だけで約5キロ。 マガジン込みでも総重量は6.5キロと、軽機関銃の中でも最軽量クラス。 さすがにSTR値全切りの一極型じゃ難しいかもしれないが、他の構成(ビルド)よりもやや筋力値に劣るAGI優先型プレイヤーでも十分に装備可能な重量だ。 基本的に機関銃ってのはフルオート時の反動を抑え込むために本体が重たくなりやすいもんだが、こいつに限っては射撃の反動もサブマシンガン並に軽い。 実際のドラムマガジンは弾詰まりしやすいもんだが……ゲームの中ではあまり関係ないしな。 オークションにかければ一千万はくだらない、かなりのレア銃だぜ」

 ハイネは手の中のLMGを軽く構えてみせながら、最後の狩りでこれほどのレア武器が手に入るとは随分と運が良い、と満足げな笑みを浮かべた。

「他にもいくつかこまごまとしたアイテム類はあるが、今のところはこれが一番の収穫だな」

 銃を再びアイテム欄に仕舞い、改めてハイネはシノンと目を合わせる。

「今日は助かったぜ。 一緒に組んでからこの十日間、いろいろと協力はしてきたが、今回の敵は誇張なしに俺だけじゃ危なかった。 これだけのレア武器を手に入れることができたのはシノンのお陰だ。 改めて礼を言うよ」

 珍しく、その声にはいつもの皮肉げな響きや冗談めかした態度がまったく感じられなかった。 普段は軽薄な印象が強いハイネの、その素直な感謝の言葉に照れたのか、シノンが微かに頬を赤らめる。 それをごまかすように軽く咳払いすると、彼女はすぐさま真顔に戻り努めて真面目くさった声で答えた。

「気にしないで。 こっちは自分の都合で手伝っただけだし、強い敵との戦いは私にとっても良い経験よ。 あなたほどじゃなくてもアイテムだって手に入れたし。 それに、最後の遠征でちゃんとヘカートの借りを返せてよかったわ」

「ん……そうか」

「そうよ。 それと、まだ私たちがいるのはダンジョンの中なんだから、気を抜き過ぎない方が良いわ。 挨拶は無事帰還できてからすませましょ」

「それもそうだな」

 軽く苦笑しつつ、ハイネは後に振り返るとタイガーの出てきたゲートの方を見やる。 ボスモンスターであるブラックエッジ・タイガーの出てきたゲートは、格子扉が持ち上がってからこっち、ずっと開きっぱなしになっていた。

「あそこから外に出られるんじゃねーか? 普通、ボス部屋っつったら外への直通ルートとかがあるもんだと思うし」

 最後に「ゲーム詳しくねーから断言はできねーけど」と付け加える。

「私だってゲームにそこまで詳しくないわよ。 GGO以外はやったことないし。 ま、物は試しじゃない? 少なくともさっき調べた限りじゃ他の扉は全部閉まってたわけだし、可能性はゼロじゃないでしょ。 もし違ってたら……出口が見つかるまで冒険を続ければいいだけだしね」

「…………それもそうか」

 言いながら肩を竦めてみせるシノンに対して、ハイネも苦笑交じりに首肯を返した。 それから二人は同時に出口に向き直ると横に並んで歩き出す。
 タイガーが出てきたゲートを通り抜けると、そこは猛獣用と思しき無数の檻が並ぶ異様な空間だった。 どうやら対戦する獣たちの控室のような部屋らしい。 部屋の中を横切り反対側まで歩くと、壁際に通用口らしきものがあった。 特にロックもされた様子もなく、二人はあっさり扉を開けて通路に出る。 そしてそのまま一本道の通路を道なりに進んだ。 幸いというか予想通りというか、どうやらこの通路はボス部屋からダンジョン外への直通路だったらしい。 時折階段を経由しながらしばらく歩くと、ひしゃげて開きっぱなしになった鉄製扉に行き当たった。
 そこを通り抜けたところで、ようやくハイネ達は外に出られた。 狭い空間特有の圧迫感から解放されると同時、二人の視界に赤黒い夜空が入り込んでくる。 分厚い黒雲に血のように赤い筋の差した不吉な色合いの空だが、ダンジョンに何時間もこもっていたせいか、どことなく懐かしいように感じられた。

「場所的にはさっきの研究所とそんなに離れてないみたいだな。 というか、最初に入った建物と併設されてるビル群の一つか」

 それから周囲を見渡すと、建物の脇に停められていた(というより放置されていた)三輪バギーが目に留まった。 もともとは駐輪・駐車スペースだったのか、他にもいくつかのバイクやバギーが打ち捨てられたように放置されている。
 それを見てニヤリと笑みを浮かべたハイネは、徐に一台のバギーへと近付くと、挿しっぱなしになっていたキーを回してエンジンがかかるかどうかを確かめた。
 目の前のバギーに限らず、GGO内では小型のスクーターから軍用の装甲車まで、様々な車両系アイテムが存在する。 これらはプレイヤー個人が所有できる類のアイテムではないが、大抵の都市にはこういったバギーなどを取り扱ったレンタルの乗り物屋が設置されているし、遺跡ダンジョンの傍や廃墟などにも時折車両系アイテムが放置されていることもある。
 フィールドに打ち捨てられたものは壊れていて動かせないことも多いが、中にはダンジョンから都市への移動用にいくつか無事な車両が残っていることも多い。

「お、ラッキー。 一発目でアタリだ」

 内燃機関に火が入りバギーが白煙を上げ始めたのを見てハイネは笑みを深める。
 それから徐に車体へ跨ると、シートの後のリアステップを叩いてシノンへと声をかけた。

「さ、乗れよ」  

「乗れって……運転できるの? これ結構難しかったはずだけど……」

 様子を見ていたシノンが怪訝そうに首を傾げる。
 こういった車両系アイテムはどれも完全なマニュアル操作であるため、運転するにはシステムアシストに頼らないプレイヤースキルが必要になる。
 とはいえ、電動スクーターが主流となりガソリンバイクがほとんど姿を消した日本の現代社会では、こういったマニュアルバイクの運転ができる者は少なく、従ってバギーを乗りこなせるプレイヤーも少ない。 シノン自身、以前街中の練習場で運転の練習をしてみたことがあるのだが、まともに走らせることもできず、シートから放り出されて友人のシュピーゲルから盛大に笑われたことがある。 シノンはそれ以来、車両系アイテムには触ったこともない。

「心配すんな。 こういった乗り物の運転には慣れてる。 基本はバイクと同じだろ」

 僅かに不安そうな声を上げるシノンに、ハイネは軽い調子で返す。
 彼女はそれでもなお半信半疑という顔だった。 が、今まで幾度となく自分の予想の上をいった相手の言葉だ。 疑っても無意味だろうと判断し、若干不安げながらもシノンは大人しくハイネの後に跨った。

「よーし。 んじゃ、しっかり掴まってろよ」

 彼女が座ったことを確認すると同時、ハイネはバギーのスロットルを入れる。 ゴツい作りをした幅広で大きなタイヤが地面を削るように回転して砂埃を舞い上げ、けたたましいエンジン音と共に大型バギーが走り出した。
 予想外の急発進に、シノンは「きゃっ」と小さく声を上げ、思わずハイネの腰に両腕を回してしがみつく。 バギーはそのまま一気に加速すると、あっという間に遺跡を抜けて、一面に荒野の広がるフィールドへと躍り出た。

「ちゃんと掴まってないと振り落とされんぞ」

 からかうようなハイネの言葉に、シノンが柳眉を逆立てる。

「わかってるわよ! ていうかあなたの運転が乱暴過ぎるのよ!」

「お上品な運転は苦手でね」

 皮肉げな声で返すと、ハイネはさらにスロットルを入れてスピードを上げる。
 若干拗ねたような顔をしながらも、シノンは素直にハイネの腰に回した腕に力を込めた。
 そんな二人を乗せたまま、バギーがぐんぐんとスピードを上げる。 全身を包む疾走感と胸の奥から込み上げてくる高揚感に、膨れっ面だったシノンの口元が笑みの形へと緩んだ。 数秒前に抱いた僅かな不満がまとめて吹き飛ぶ。
 見渡す限りの広大な荒野。 前方から仮想の空気が突風となって二人に吹き付け、ジャケットや髪の毛を激しくはためかせた。

「あはは。 結構気持ち良いね。 もっとスピード上げられる?」

「もちろん」

 短い答えと共に、ハイネはさらにバギーを加速させる。 二人の体にぐん、と慣性の力が働き、エンジンが猛々しいほどの咆哮を上げた。 まるでジェットコースターなどの絶叫マシンに乗っているかのよう。 その激しいスリルとスピード感に、シノンの心が自然と弾む。
 その時、バギーが先程までよりも一段と大きく揺れた。

「わっ、と」

「少し気をつけた方が良いぜ。 多少は揺れに身体の重心を合わせないと、衝撃で舌噛んじまう」

 先刻から、走行中は幾度となく上下左右に揺れたりしていたのだが、スピードが上がったことで身体に感じる揺れや衝撃がさらに大きくなった。 時折地面の凹凸にぶつかっては車体がジャンプするように浮き上がり、あるいは滑り落ちるように沈み込む。 そしてそのたびに二人の身体を独特の浮遊感が包み込み、バギーの車体が激しく震えた。

「かなり揺れてるけど大丈夫なの? この車、壊れないわよね?」

「地形が悪いからな。 ま、もともと頑丈にできてるオフロード用のバギーだし、大丈夫だろ。 それより振動とか気持ち悪かったりしねーか?」

「平気。 さっきはちょっと不意を突かれただけ。 今はむしろ風と揺れが心地良いくらい」

「相変わらず、見た目と比べて随分と豪胆だよな」

 苦笑を洩らしながら、ハイネは前方数メートルにある地面の出っ張りを避けるためにハンドルを切った。
 二人を乗せたバギーは車体全体を大きく揺らしながらも、不思議と安定感を感じさせる走りで1つの方向に向かい進んでいく。
 眼前には一面の荒野が広がっており、荒れ果てた地上には障害物も多い。 ところどころ大きな岩が下から突き出ていたり、逆にクレーターのように深く沈みこんでいたりしている。
 そんな地形の悪条件をものともせず、ハイネは見事なハンドル捌きでバギーを乗りこなしていた。
 バギーの走行が時折蛇行しているのは、岩やクレーターといった障害物を躱し、できうる限り起伏の少ない道を選んで走っているからだろう。 それでも僅かな凹凸や傾斜の有無によってバギーは激しく上下に揺れるが、ハイネが巧みにバランスを取り続けているため決して転倒することはない。
 そんなハイネの運転テクニックに、彼の後ろに座ったシノンが改めて感嘆の声を漏らした。

「それにしてもよくこんなの運転できるわね。 この世界のバギーはかなり扱い難くて運転が難しいはずなのに」

 対するハイネは、シノンに向かってどこか悪戯っぽい笑顔を浮かべながら言葉を紡ぐ。

「こんなもんは慣れだよ。 向こうでもよくマニュアルシフトのバイクに乗ってるからな。 つか、その気になればジープや大型トラックだって運転できるぜ。 免許ねーけど」

「あなた何者よ………」

 呆れたように嘆息するシノンに、ハイネは軽やかな笑い声で応えた。

「それと他のヤツがこれを運転できないのも無理はねーよ。 米サーバーならともかく、電動スクーターが主流の日本じゃガソリンバイクを運転する機会なんざそうそうねーだろうし」

「まあ……数年後にはガソリンエンジン車そのものが全面禁止されるんじゃないかって噂もあるくらいだしね」

「そもそも、慣れ云々を抜きにしても三輪バギーは運転がムズいんだよ。 アメリカじゃあ転倒事故が続出したもんで訴訟問題にまで発展したとか。 そのせいで、向こうじゃ三輪は生産停止になったりもしたらしいな」

「………事故らないでよ」

「はっはっは」

 現在二人がいるのはフィールドだ。 このスピードでクラッシュなどしようものなら、大ダメージを被りかねない。
 不吉な情報を聞いて僅かに不安そうな声を漏らすシノンに対し、ハイネは再び笑って誤魔化した。

「さて、と……一旦 《アステル》 に寄るのも面倒だし、このまま一気に 《グロッケン》 まで戻るけどいいか?」

 今更言うのもなんだけど、とハイネはハンドルを操作しながら言葉を続ける。 すでにバギーは結構な距離を走っていた。 おそらく、最初からハイネは昨日から今日にかけて拠点にしていたアステルを無視してグロッケンの方向に向かっていたのだろう。

「ん、別にいいよ。 もともと、今日はBoBに出場する準備のためにグロッケンへ戻るつもりだったし。 わざわざアステルに寄る用事もないしね」

「了解。 んじゃ、事後承諾になっちまったけど、最短距離でグロッケンに帰りますか」

 小さく呟き、ハイネがさらにギアを入れる。

「わっ」

 再び身体にかかる加速感にシノンが軽く声を上げた。 前を向いたままのハイネが口元だけで悪戯っぽく笑う。
 それから帰りの数十分間、あたかも空を飛んでいる錯覚さえしてしまいそうなほどの疾走感を覚えながら、シノンはバギーでの高速ライディングを楽しんだ。






















 GGOの中央都市 《SBCグロッケン》 に到着したハイネとシノンは、都市の入り口で荒野にバギーを乗り捨てると、街の北区を目指して歩き出した。 市街地に入り、総督府へと通じるやや道幅の広い街路の歩道を数分も行くと、やがて二人の周囲にだんだんと人波や車通りが増え始める。 
 この辺りにはグロッケンでも主要な施設が集中しており、近々開催されるBoB関連のものに限らず、様々な噂や情報が集まりやすい。 ハイネ達の目的は、中央都市を離れていた間に出回った情報や自身のアイテム類などを、この辺りで整理することだった。
 やがて二人の目の前で巨大な金属タワーの偉容が徐々に露わになっていく。 総督府のすぐ近くまで来たのだ。 その時、大通りを行き交う人々の間をすり抜けながら、不意にシノンが首だけをハイネに向けて言葉を紡いだ。

「ねえ。 お互い帰ったばかりなんだし、一旦どこかで一息つかない? あなたも運転で疲れたでしょ。 ゲーム内とはいえ、あんな猛スピードでずっとバギー走らせてたんだから」

「そうだな……別に急ぐ必要もねぇか。 せっかく時間に余裕持って帰ってきたわけだし」

 互いに頷き合うと、二人は人通りの多い繁華街のような場所で適当に目に付いた酒場に入った。
 店内は薄暗く、そこかしこで会話の声が聞こえている。 奥の席が空いていたので、ハイネとシノンは足早にそちらへと歩を進めた。 そのまま向かい合うように腰を下ろし、二人はテーブルに設えられたメニュー表を操作する。
 オーダー受諾を示すサウンドと共に、目の前のテーブルの中央に穴が開き、中から液体で満たされたグラスが現れた。 シノンとハイネはそれぞれ自分の注文した飲み物を手に取り、どちらからともなく目の前にグラスを掲げてみせる。

「それじゃあとりあえず……乾杯でもするか」

「えっと、何に?」

「ボス戦勝利おめでとう。 それと十日間の遠征お疲れさまでしたってことで」

「じゃあそれで」

 小さく笑みを交わしながら、軽くグラスを打ち合わせる。
 そのまま景気付けにぐいっと一口呷ったところで、シノンは今日一日の疲れを吐き出すように大きく息をついた。 それから徐にグラスを置くと、やや表情を引き締めつつ居住まいを正してハイネに向き直る。

「さて、と…………それじゃあ今回の狩りについて、改めてお礼を言わせてもらうわ。 この十日間、チームを組んでくれて本当にありがとう。 あなたのお陰で今までとは比べ物にならないくらいの収穫が得られたし、何よりとっても貴重な経験ができた。 経緯はどうあれ、あなたと一緒にパーティ・プレイができたのはホントに幸運だったと思う。 それに……結構楽しかったわ」

 普段はもっとクールなイメージが強いシノンが、いつもよりもやや険の取れた穏やかな声で言う。
 彼女に倣ってグラスを置いたハイネは、一瞬驚いたように目を見開いたあと、こちらもまたいつになく優しい笑みを浮かべると、普段よりも幾分柔らかい口調で言葉を紡いだ。

「俺の方こそ、手伝ってくれて助かったよ。 今回の遠征、シノンのお陰でかなり狩りが捗った。 特に最後のボスは、一人じゃよほど運に恵まれない限り倒せなかったと思う。 こちらも改めて礼を言わせてもらうよ。 今回の遠征に付き合ってくれてありがとう。 心から感謝してる。 ………ま、とはいえ」

 そこで一旦言葉を切り、ハイネは口元を「ニッ」といつもの皮肉っぽい笑みに変える。

「BoBでは一切手加減しないけどな」

 不敵な顔で言い放つハイネに、シノンも挑戦的な微笑をこぼす。

「こっちこそ。 あなたの戦いぶりはこの十日間でしっかりと見せてもらったからね。 一週間後の大会では、前回のようにはいかないわよ」

「上等」

 言葉を交わしながら、シノンとハイネは再び互いのグラスを打ち合わせる。 今度は少し強めに。 
 それから二人は同時にグラスを口へと運び、残りを一気に飲み干した。 「ぷはっ」と息を吐きながらグラスを置き、再度メニューを操作してお代わりを注文する。
 そこでようやく挨拶は終わりとばかりに、シノンが世間話のような調子で言葉を投げかけた。

「それにしても、ここしばらくでつくづくあなたの非常識っぷりに驚かされたわ。 毎度毎度、狩りの度にあんな無茶やって腕を磨いていたわけね。 道理で強いはずよ」

「磨いたっつーか、勘と運に任せて行き当たりばったりにプレイしてたら、いつの間にか上達してたって感じだけどな」

 改めて感嘆の息を漏らすシノンに、ハイネが苦笑を浮かべて答える。 それに成程と頷きながら、シノンはさらに言葉を続けた。

「特にあの 《軽業(アクロバット)》 スキルを初めて見た時には驚いたわ。 戦闘中にそこらじゅう跳ねて回ったり、垂直の壁をあっという間によじ登ったり、ビルからビルに飛び移ったり……。 私も上げてみようかな? スナイパーには全く必要ないスキルだけど……VRゲームでああいうことできたら、ちょっと楽しそうだよね」

「ん?」

 ふと、シノンの台詞を聞いて、ハイネが怪訝そうに眉を上げる。

「俺、《軽業》スキルなんて取ってないけど?」

「え?」

 予想外の言葉に、シノンも思わず呆けたような声を上げる。

「スキル取ってなかったって……じゃあ、一体どうやってあれだけの動きをしてたの?」

「どうって……普通に跳んだり走ったり登ったりしてただけだが」

「普通に……まさか、システムアシストによるブーストなしであれだけの動きをしてたって言うの?」

「ああ。 まあ、そうなるのかな? ゲーム始めて間もない頃からああいう戦闘スタイルだったから、あまり考えたこともなかったけど」

 それを聞いて、今度はどこか呆れたような目でハイネを見やる。

「プレイヤースキルオンリーであれだけの動きをするって、どこまで非常識なのよ………まあ、今更な気もするけどさ」

 これまでに彼が見せた技や力の数々を思い出しながら、シノンは嘆息するように肩を竦めた。

「んー……手前味噌っつーか知ったかぶりっつーか………ちょっと偉そうな物言いになるけどよ。 VRゲームの一番の特徴で、なおかつ従来のゲームとはもっとも違う利点って何か知っているか? まあ、人によっては利点よりもハンデになるかもしれんが」

「…………?」

「自分の体を動かすのとほぼ同じ感覚でアバターを操作できることだ」

 そこまで言って、あくまで俺の個人的な意見だがな、と付け加える。

「半年間のプレイ経験から思うに、こと肉体的な性能や身体能力といった面において、現実世界でできて仮想世界でできないなんてことはない。 ま、タイトルによってはステータスにも左右されるし、アバターの体型があまりにも違うと流石に生身と全く同じようには動かせないだろうけどな。 けど逆にいえば、相応のステータスさえあれば、自分自身の肉体と同じかそれ以上の動きができても至極当然と言えるだろ」

「つまり、あれだけの動きを現実世界でも実践できるってこと?」

 ハイネの話を興味深げに聞いていたシノンが、驚いたように訊ねる。
 それに対し「まあ、そういうことだな」と肯定で返すと、シノンは得心と感嘆、それに呆れを含んだ表情で頷いた。

「成程……つくづく常識外れね。 一体何をやったらそんなことできるの?」

「別に俺が殊更人並外れてるってわけでもないと思うけどな。 身体能力面だけで見れば、リアルでもあれくらいの動きを出来る奴がいないわけじゃないし。 実際にやろうと思うかはともかく。 ……ま、事故って大怪我する心配が無いってことを考えれば、仮想世界だからこそ躊躇なくできるのかもしれないがな。
 ちなみに俺がやってるのは、“パルクール”っていう名前のフランス発祥のストリートスポーツだよ」

 知ってるか? と問いかけるハイネに、シノンは一瞬ひどく驚いた様な顔をした後、ややぎこちない声で「名前だけは」と答えた。
 パルクール……その呼び名自体には聞き覚えがある。 どころか、それはつい最近――――それもほんの半日前、現実世界の学校で聞いたばかりの単語だった。
 一瞬、彼女の心にある種の予感が浮かぶ。 ピリッ、と頭の中の記憶が刺激される感覚。 しかしそのことについて深く考えるよりも早く、シノンはただの偶然だろうと断じて自ら自分の考えを打ち消した。

「それでどんなスポーツなの? その……パルクールって」

「明確にスポーツとして確立してるわけじゃないがな。 パルクールってのは、一言でいえばあらゆる地形に対応するための移動技術体系だ。 ある地点からある地点まで、己の肉体のみを駆使して最短距離を最小限の動きで走破する。 ビルの谷間があれば飛び越え、道を塞ぐ塀や壁を乗り越える。 街中だろうが自然の中だろうが縦横無尽に走り抜け、いかなる環境でも自身の肉体の力を最大限に発揮する運動システム。 それがパルクールだ。
 2000年を過ぎたあたりからはメディアでも時々取り上げられるようになって少しずつ知名度も上がってる。 ここ何年かは映画とかでもちょくちょくパルクールの技が見られるようになったしな。 シノンもビルからビルへ飛び移ったり、色んな障害物を乗り越えて街中を駆け抜けるアクション映画のワンシーンとか、見たことないか?」

「…………映画は……見ないから」

 嫌なことを思い出したのか、シノンが僅かに辛そうな顔をして答える。
 一瞬ハイネは怪訝そうな顔をしたものの、それには特に触れずに、パルクールについての説明を続けた。

「そしてある程度技術が確立されて体系化されると、パルクールの形は移動技法としての側面だけじゃなくなってきた。 その発展・応用として、動きの効率よりも自由さや見栄えを重視したパフォーマンスとしての意味も生まれたんだ。 パルクールの技術や、それを習得する上で身に付けた身体能力。 これらを活かしたダイナミックでアクロバティックなアクション動作。 映画とかメディアじゃ、むしろそっちの方が有名かもしれねーな。 スポーツとしてはマイナーだが、ネットの動画サイトとかでも見られるし、アクション映画ファンの間ではそれなりに知られてると思うぜ」

 競技系スポーツの中では、器械体操などが近いのかもしれない。 確かに、ハイネの見せた動きの中には体操選手を連想させるようなものも多かった。 どちらかというと、中国雑技団とかサーカスの方が近い気もするが。

「発祥地のフランスじゃ、このパルクールの技術や鍛錬方法の一部が軍隊や消防士の訓練でも採用されてるって話だ。 障害物コーストレーニングとかな。
 とにかく、身体を使ったいろんな場面で役に立つのは確かだぜ。 スポーツでも遊びでも、それこそ喧嘩でも。 そして本格的に練習すれば、俺がやってたような動きもリアルで再現可能ってわけだ」

「へぇ……それはすごいね」

 シノンの口から思わず感心の声が漏れる。 それと同時に、ふと彼女の胸に新たな疑問が浮かんだ。

「そういえば……あなた時々敵と戦う際に素手の格闘とかも使ってたけど、 《軍隊格闘 (アーミー・コンバティブ)》 スキルも取ってないの?」

「いや、それは一応取ってる。 《軍隊格闘》スキルがあると素手での攻撃時にダメージ補正が付くからな。 システム・アシストの方は使ったことないが」

 ちなみに 《軍隊格闘》 スキルのシステム・アシストを使うと、VRMMOの先駆けでもあるかの 《ソードアート・オンライン》 に存在していたソードスキルのように、ある程度まで動きや体勢を持って行けば、あとは自動で寝技や投げ技などを発動することができる。 そして一度技をかけられると、よほどパラメータに差が無い限りは、自力で外すことができない。

「システム・アシストなし……てことはやっぱり、リアルでも格闘技とかやってたりするのかな?」

 MMOにおいて、あまりリアルについての踏み込んだ質問をするのはマナー違反だ。 しかし当のハイネが特に隠そうとしていないこともあって、シノンはつい質問を重ねてしてしまう。
 十日もの間コンビを組んでプレイしていたということで、心情的にも打ち解け、それなりに心の壁が薄くなっていたということもあるだろう。 加えて、長い時間行動を共にしながら未だ謎めいたところが多いということも、彼女のハイネに対する好奇心を後押ししていた。 
 対するハイネは、やはり嫌な顔一つすることなく、至極あっさりと彼女の問いに答える。 彼自身は、実名と現実世界での所属さえ伏せれば問題無いと思っていた。 GGO世界は広大なネットワークの海の中。 たとえサーバーが日本国内限定とはいえ、列島の端と端ではすでに外国・別世界にも等しい。
 目の前にいるアバターも、本当の肉体はどこにいるのかもわからない他人。 限定的な個人情報を得たからといって、それを基に現実世界での立場まで特定するのは容易ではなく、たかがゲームごときでそこまでしようとする人間などいはしない。 少なくとも、ハイネはそう思っていた。

「んー……まあそうだな。 そもそも俺がVRゲームを始めた理由のいくらかには、自分の技が仮想空間でどれだけ通用するのか試してみたいっていうのもあったから。 銃があるのにあえて格闘技を使ったりするのも、その辺から来てる感じだしな」

 だからだろうか。 ハイネは特に警戒することもなく、自身の心情やその経緯について語る。
 あるいは顔も見えない相手に自分の身の上や趣味・特技について話しても、特に弊害はないだろうと高をくくっていたのかもしれない。

「へえ……空手でもやってたの?」

「いや、空手はやってない。 似たようなのは色々とやってるが、どれも日本じゃマイナーな格闘技だしな。 クラヴマガとかムエタイとか。 あとはテコンドーにサバットなんかもやってる」

「……え?」

 いくつかの単語を聞いた瞬間、シノンの脳裏に先程の予感がさらに強く弾けた。

「特にクラヴマガはこの世界でもかなり有効だぜ。 そもそもが不利な状況を想定した実戦的な格闘術でもあるしな。 技の中には武器を持った相手への対処法、ナイフや銃火器持った相手を素手で制圧することを目的としたものも含まれてるし。 特にこの辺りの技はGGO内での近接戦でもかなり使えるよ――」

 ハイネが言葉を続けるが、シノンの耳はそれを聞き流していた。
 頭の中では、これまでの会話で聞いた単語の数々が次々と甦り、繰り返し響いている。

――日本生まれの外国育ち。 この国へ戻って来たのは半年前。

――パルクールにクラヴマガ。 どちらも日本では知名度の高くない……すなわち実践者の少ないスポーツと格闘技。

――彼が口にした他の格闘技の名前も、今日学校で聞いた覚えのあるものばかり。

 そして以前から感じていたこと。 目の前の相手が、おそらくは自分と同じく十代の中高生だろうということ。
 これまでも、ハイネとシノンは普段の生活サイクルに重なる部分が多かった。 毎回、待ち合わせや互いのスケジュールの調整が簡単だったのも、そのあたりが関係している。 それに、アバターの見ためや自分の人物眼など参考にはならないが、少なくとも話した感じでは同年代であろうという予感は前からしていた。
 かねてより抱いていた予感がこれまでの記憶と混ざり合い、さらにたった今聞いた言葉も合わさって、自分の考えにより一層の現実味を与えていく。
 そして脳内に映像となって再生される、普段の何気ない仕草や、一連の体捌きの中で見せるちょっとした癖。
 当然、全く同じというわけではない。 そもそもシチュエーションが違い過ぎる。 しかし動きの端々に見られる、ほんの僅かな共通点が確かにある。
 やがてシノンの記憶の中で、モンスターやプレイヤー相手に素早く立ち回るハイネの姿が、今日学校の体育の授業で見たクラスメイトの動きと重なった。


「夜代くん?」


 次の瞬間、シノンは深く考えることもなく、頭に浮かんだ名前を自然と口にしていた。


「え?」


 それを聞いたハイネが言葉を止めてシノンの顔を見る。
 彼にしては珍しい、戸惑うような……どこかキョトンとした表情を浮かべていた。 その顔には、これまで彼が見せていた皮肉げな色や不敵な態度、軽薄で飄々とした雰囲気などは見る影もない。 むしろ狼狽したように揺れる瞳は、年相応のあどけなさを感じさせた。
 それからハイネは訝しむように、目を見開いたまま動きを止めていたシノンの顔を凝視する。 その金色の瞳に先程までの戸惑いはなく、どこか観察するような……目の前の相手を探り、見定めるような光を帯びていた。
 ハイネはそのまま無言で思考を巡らせながら、どことなく猫科の雰囲気が漂うつり目がちの大きな藍色の瞳を見つめ、それから淡いブルーのショートヘア――その、現実世界の彼女の外見と唯一共通する顔の両脇で細い房に結わえた髪型を見やり――、

「もしかして…………朝田さん?」

 やがて呆然とした表情を浮かべると、彼の口から初めて聞くような……どこか幼げな声で、小さくそう漏らした。










[34288] 9.黒星【ヘイシン】
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/11/06 07:41
 金曜日の放課後。
 詠士と詩乃は学校からさほど離れていないファミレスで、ドリンクバー片手にテーブルを挟んで向かい合っていた。
 別に示し合わせたわけではない。 お互い学校では昨日の出来事などおくびにも出さず普段通りに振る舞い、帰りのHRが終わるや、どちらからともなく自然と校門前で合流していた。 それから特に話すこともなく連れ立って歩き、途中で目についたファミレスに二人で入った、という経緯だ。
 しかし、それぞれ好みの飲み物を選び席まで持ってきたところでお互い黙り込んでしまった。 いや、正確には最初から特に言葉を交わしてなどいなかったのだが、テーブルに向かいあって座るという明らかな会話のスタンスを取ってしまったことで、改めて沈黙が背中に重くのしかかってきたのだ。
 どちらもこういった状況――オンラインゲームで現実世界の知り合いと遭遇する――には不慣れであり、何を話せばいいかが思い付かない。 別に悪いことをしていたわけでも、誰かしらに迷惑をかけたわけでもないのだが、どこか気まずさにも似た感情が先行してしまい、先程から5分も黙りっぱなしだった。
 とはいえ、このままだんまりを決め込んでいても時間の無駄だ。 詩乃はひとまず気持ちを切り替えるつもりでコーヒーカップからホットのキャラメルラテを一口すすると、ようやく詠士と視線を合わせて口を開いた。

「それにしても、昨日は驚いたわ。 同じオンラインゲームやってる人がこんな近くに………それも学校どころかクラスメイトの中にいるなんて思いもしなかったもの」

 十日も行動を共にしてたのに、まったく気付かないなんてね。 そう言って、詩乃は少しだけ皮肉っぽく笑う。
 対する詠士は、こちらもホットココアを一口すすって気持ちを切り替えたあと、口元に薄く笑みを浮かべながら言った。

「俺の方こそ驚いたよ。 ネットゲームで知り合いと出くわすなんて……。 まあ、なんだかんだで世界は狭いってことかな。
 けどさすがに朝田さんだったのは意外だった。 なんとなく、朝田さんってゲームとかしなさそうなイメージあったし」

「………まあ、なりゆきでね」

 問いかける様な響きを含む詠士の台詞に、詩乃は言葉を濁してはぐらかした。 悪人でないことは知っているし、それなりに信用できる相手ではあるが、自分がGGOをプレイし始めた動機までは流石に話す気にはなれない。
 昨夜、遠征から戻ったシノンとハイネがグロッケンへと帰還し、GGOの酒場で軽い祝勝会のようなものを行っていた折。
 お互いの正体が現実世界での知り合いだと気付いた二人は、しばしの沈黙の後、ごまかすように笑い合いながらぎこちなく話を逸らした。 それからまるで数秒前の一幕がなかったかのように雑談に戻り、しばらくしてから店内で解散。 それぞれその場を離れてから別々にログアウトした。
 そして今日この時に至る。 何を話せばいいのかは分からなかったが、とりあえず昨日の出来事についての再確認という意味を込めて話し合いの場を設けたのだ。 口に出さなくても自然と二人揃って同じ行動を取っていたのは、多分、詠士の方も似たような心境だったのだろう。

「それにしても……こうして見ると、やっぱりシノンとは随分と印象が違うね」

 ふと、彼女の顔をしげしげと眺めながら詠士がそう呟いた。
 詩乃はなんとなく居心地の悪さを感じて眉間に皺を寄せる。 別に馬鹿にしているという風でもなく、いやらしい目つきだったわけでもなかったが、やはりゲームの中での自分と比較されるのは微妙に恥ずかしいというか、こそばゆい。

「……あんな美少女アバターと一緒にしないでよ。 シノンの外見は仮想空間のグラフィック技術を駆使して作られた、文字通りの人工物よ」

 不満げな声で言いながら、詩乃は思わず横目で窓に映った自身の顔を眺める。
 色白の細面に小さな鼻。 病弱にすら見えるほど華奢なおとがいに薄い唇。 顔の輪郭から各パーツまでが全体的に小さく、黒い両目だけがやたらと大きく見える。 まるで栄養の足りてない子猫を思わせる顔立ちだ。 どう贔屓目に見ても、戦場で戦う兵士の屈強さなどは欠片も見いだせない。
 それに比べて荒野の狙撃手シノンは、いわば獰猛な山猫だ。 意志の強さを感じさせるくっきりとした眉に、獲物を見据える時の鋭い眼光。 人形のように造作は整い、かつエキゾチックな趣のある目鼻立ち。
 小柄な体格と顔の両脇で結わえたショートヘアという髪型を除けば、現実世界の詩乃とは似ても似つかない。 その体格にしたところで、背丈がほぼ同じくらいだというだけであり、外見から与える印象はまるで違う。 GGO内のシノンが細身ながらも鋭利さと俊敏さを感じさせるしなやかな体躯をしているのに対し、現実世界の詩乃はただ単に年齢に比して痩せすぎているだけだ。 筋肉も脂肪も、必要な所にすらまるで付いていない。
 別に自分の容姿に不満やコンプレックスがあるわけではないし、女性的な魅力あふれる豊満なスタイルに憧れがあるわけでもないが、小柄なことを除けばハリウッドのアクション女優にも引けを取らない美形アバターと比べられるのは、なんとなく癪だ。

「それに……そっちこそ人のこと言えないでしょ。 向こうでの君、まるで別人だよ」

 まだあどけなさの残る詠士の顔立ちを睨み上げるような上目遣いで見やりながら詩乃が言う。 実際、詩乃の目の前に座る詠士の外見は、GGOでのハイネとはまるで違っていた。
 無造作に伸びた鉄灰色の髪に金色の瞳。 好戦的な鋭い眼光に加え、常に口端を吊り上げ皮肉げな笑みを浮かべる口元。 目の前にいる童顔で大人しげな人物が、あの世界で獣のごとく獰猛に戦っていた狂戦士と同一人物だとは今でも信じがたい。
 無論、ここにいる詠士が外見通りの温厚で大人しいだけの人物でないことは彼女も知っている。 実際に喧嘩している姿を見たこともあるし、外見からは想像しにくいが、運動部のエース格にも引けを取らない体力の持ち主でもある。 だがそれでも、今こうして詩乃の目の前でココアをすすっている見た目大人しそうな少年は、殺戮の荒野でナイフと二丁拳銃を武器に戦う恐るべきガンナーとは纏う雰囲気が違い過ぎた。
 GGO世界でのハイネは、例えるならば血に飢えた野生の狼だ。 戦いと獲物を求めて荒野をうろつく、鋼の毛皮で覆われた一頭の灰色狼。 鉛の牙と鋼鉄の爪を持ち、軽薄に笑いながらも狂気のごとき闘志を迸らせる、狂暴にして強靭な野獣。 少なくともそれが彼女の……ハイネというプレイヤーに対してシノンの抱いていた印象だった。
 それに比べて詠士は、いわば秋田犬のような大型犬だろうか。 別にそれほど大柄というわけでもないが、なんとなくそんな雰囲気を感じさせる。 普段の物腰や態度は温厚で大人しく、常に落ち着いた佇まいで自分から他人にすり寄ってくることはないが、親愛をこめて近付いて来る相手には人懐こい笑顔も見せる。 しかし一旦敵に回れば、恐れも容赦もせずに噛みついていく。 学校での振る舞いや態度から、詩乃はなんとなく詠士をそんな人物像として捉えていた。
 ……現実でもゲームでも強い、という点だけは詩乃と大いに異なるようだが。

「あー、そうそう。 そういえば……朝田さんはよく俺だってわかったね。 別人みたいって言う割にさ」

 と、そこで詠士が思い出したように言った。
 GGOでのハイネと自分とでは、外見や物腰から与える印象があまりにも違うということは詠士自身も自覚している。 たとえリアルの知り合いと遭遇したとしても、それなりに親しい者でなければ、よほどのことが無い限り気付けなかっただろう。
 そう感心するような口調で話す彼に、詩乃はひょいと肩を竦めるような仕草で答えた。

「結構ヒント出てたもの。 外国育ちとか、日本に来たのが半年前とか。 それにこの辺じゃあまり聞かないマイナーな格闘技だのスポーツだの……それだけ共通点があれば予想はつくわよ。 高校生の私と生活サイクルも大体同じだったし」

「んーそれもそうか。 考えてみれば、格闘技の話とか朝田さん以外に話してなかったっけ」

 今のところ、学校で詠士と最も親しいと言える知人は委員長のさゆりとその友人である香苗だが、その次によく口を利くのは、おそらく隣の席でもある詩乃だろう。 転校初日の出来事もあって、他の生徒は詠士を排斥や拒絶こそしないものの、どこか距離を取った態度で接してくることが多い。
 ちなみに遠藤などはあからさまに詠士を避けている。 もっとも、それは差別や偏見というよりも恐怖に近い感情ゆえだろうが。
 それはともかくとして、お互い口数こそ多くないものの、何かと交流する機会の多かった詩乃が詠士にとって比較的親しいクラスメイトであるのは確かだった。 周囲から避けられていることを別にしても、どちらかといえば他者との間に壁を作ってしまう性格であるため、質問攻めにしてくることこそなかったが、自分の身の上やプライベートなことに関してもいくつか話した記憶はある。

「まあ、俺も特にリアル情報隠すつもりなかったからね。 本名とか固有名詞さえ出さなきゃ、別に大丈夫かなって。 知り合い相手じゃばれてもおかしくはないか」

 そもそもこの辺には知り合い自体少ないから油断してたよ、と苦笑気味に呟く。

「私も昨日の体育の時間であなたと話さなかったら多分気付かなかったと思うけどね。 大体あなたこっちと向こうじゃ言葉遣いまで全然違うじゃない。 そのせいで余計に雰囲気が違って見えるわ。 正直あれだけリアル情報が揃ってなかったら、さすがに誰も気付かないわよ」

「はは。 まあ、言葉遣いはあっちの方が素なんだけどね。 日本に来て間もない時に、この顔であの言葉遣いは似合わないって言われてさ。 仕方なく矯正したんだよ。 今じゃ自然とこういう喋り方になるんだ。 ただ、なぜかゲーム内だと素の口調が出ちゃうんだけどね。 自分ではそれほど使い分けてるって感覚もないよ」

「ふーん……。 まあ、私も向こうとこっちじゃ結構性格変わってるかもしれないしね。 リアルとゲーム両方での友達って少ないから、はっきりとはわからないけど」

 そもそもゲームと現実では、受ける印象が全く同じであることの方が珍しいのかもしれない。 具体例をそんなに知っているわけではないが、たとえば彼女の数少ない友人である新川恭二は、目の前の少年よりもさらに一段幼い童顔で、体格も同年代の少年にしては非常に小柄だ。 しかし彼がGGO内で操るアバター 《シュピーゲル》 は、長身痩躯に鋭利な顔立ちと、現実世界とは正反対の姿をしている。
 とはいえ、コアなゲーマーほど現実世界で体を鍛えることとは無縁の生活を送っているだろうことを考えれば、それも頷ける話なのかもしれない。 時間を費やせばそれだけ強くなることが可能なネットゲームの世界において、多大なプレイ時間を誇るトップレベルのプレイヤーほど現実世界では不健康で虚弱になっていくのも、当然と言えば当然だ。 無論、中には例外もいるだろうが。

「確かに、性格っていうか纏ってる雰囲気が違うかもね。 向こうじゃもうちょっと周りに対して攻撃的な印象があったし」

「ちょ、攻撃的って……少し失礼じゃない? 向こうの私ってそんなに乱暴なイメージある?」

「乱暴っていうかなんていうか……こう、ネコ科の肉食獣みたいな……」

 多少は自覚があったため、詩乃も反論できずにむすっと黙り込む。 その様子に苦笑しながら詠士は言葉を続けた。

「まあ、とにかくこっちの朝田さんとはかなり雰囲気違って見えたのは確かかな。 俺だって先に朝田さん……っていうかシノンの方から名前呼ばれなかったら気付かなかっただろうし」

「……そういえば、あなたは髪型で気付いたの? シノンのプレイヤーが私だって」

 詩乃は顔の横で結わえた房を指先で摘まみながら、なんとなく気になったことを訊ねてみる。 いくらリアルの知り合いが少ないとはいえ、さすがに名前を呼ばれたというだけで素性を特定したわけではないだろう。

「それもあるけど……単純にキャラネームが似てたってのもあるかな。 朝田さんのアバターのシノンって、本名をもじっただけでしょ?」

「……あれ? 私、夜代くんに下の名前教えてたっけ?」

「前に世界史の資料集見せてもらおうと机近づけた時、ノートの名前が目に入ったんだよ」

「ああ、そういえばそんなこともあったっけ……よく覚えてたね」

「そりゃ隣席の生徒の名前くらい覚えとかないと」

 やがて話の内容は昨日の出来事から何気ない雑談、あるいは普段の生活や学校に関する話題へと移っていった。
 路地裏での喧嘩以来、詩乃が学校内でも時折詠士と行動を共にしているためか遠藤たちがまったく絡んでこなくなったことや、最近ゲームのしすぎで少しだけ寝不足なこと、先日会った新川恭二が自分と同じくGGOプレイヤーであることなど。 あるいは学校での授業や休み時間の出来事など、他愛もないことをあれこれと話す。

 彼女と言葉を交わす間、詠士は相槌を打ったり自分のことを話したりしながら、会話に興じる詩乃の様子を、少しだけ意外な物を見るような目で眺めていた。
 実際、今目の前で雑談している詩乃の様子は、いつも学校で見せる彼女のそれ――周りに無関心かつクールなようでいて、そのくせどこか寂しげに映る佇まいとは、微妙に違って見える。
 大きく声に出して笑うことこそないものの、時折淡く微笑を滲ませながら会話に興じる詩乃の姿は、普段よりも少しだけリラックスしているように感じられた。 少なくとも学校で彼女がこういう風に笑顔を浮かべて他人と会話する姿を詠士が見たことはほとんど無い。 せいぜい、さゆりや香苗に対してぎこちなく愛想笑いを向ける程度だ。
 同じゲームをプレイしているということで一種の仲間意識の様なものが芽生えたのだろうか。 今の彼女は、詠士に対して以前よりもいくらか心を許しているように見えた。 学校中に広まってしまった彼女の過去を知った上で拒絶を示さなかったという点も、警戒心を緩めるのに一役買っているのかもしれない。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、詠士は自分もこの国に来てからの苦労や外国との違いで驚いたことなど、他愛もない身の上話を話して聞かせる。
 その時ふと、ファミレスの出入り口のガラス戸を押し開けて一人の若い男が入ってきた。
 たまたまそちらに体を向けて座っていた詠士は、なんとはなしにその男を視線で追う。
 別にこれといって目を引く外見ではない。 服装もよれよれのパーカーにジーンズと、街中ではありふれた格好だ。 詠士も、普段ならばすぐに視線を外して詩乃との会話に戻っただろう。
 しかしその男の嫌な感じに濁った目を見た瞬間、彼は形容しがたい胸騒ぎを覚えた。

「どうしたの?」

 僅かに顔色を変えた詠士を見て、詩乃が怪訝そうに声をかける。
 しかし詠士は答えられない。 自分でも上手く言葉にできない不安感。 だが確かに、ある種の予感も似た焦燥感が彼の胸を襲っていた。
 やがて来客に気付いたファミレスの店員がその男に歩み寄る。 にこやかな営業スマイルで接客を始めたその店員に向かって、男は口の中でぶつぶつと何事かを呟きながら、ニィっと口元を歪ませて笑った。 狂気の滲んだ、不吉な笑み。
 それから男は目の前の店員に対して何事かを言い放ちながら、徐にパーカーの前ポケットにつっこんでいた右手を引き抜いてみせた。 接客にあたっていた店員の目がその手に握られたものに吸い寄せられる。

―― ヒャハ…………不気味に歪んだ口元で、男がそう笑ったような気がした。

 次の瞬間、店内に何かが破裂したような乾いた音が響き、店員が顔面から血を吹いて倒れた。 突然の出来事に、周囲が一瞬だけ静まり返る。
 倒れた店員の前では、先程店に入ってきた男が右手に黒光りする凶器を握り、ニヤニヤ笑いながらそれを突き出すように構えていた。
 そしてその先端からは、細い煙が立ち上っている。

――拳銃!

 その場にいた人間全てがそれを認識した瞬間、店内には悲鳴と怒号が響き渡った。

「う、うわあぁぁぁぁぁ!」

「け、け、け、拳銃! あぶ……にげ……逃げないと……」

「人殺しぃーー!」

 客たちが悲鳴を上げて右往左往する。 店内に喧騒が溢れ、人間同士がぶつかり合ってはお互いに悲鳴を上げた。 拳銃を持った男から少しでも距離を取ろうと後退しては、後にいた他の客ともつれ合って転倒している者もいる。
 そんな周りの狂騒を意に介する風もなく、男はぐるりと銃口を巡らせると、適当に目に付いた二人目の犠牲者に向けて再び引鉄を引き絞った。

「いぎぁああ!」

 肩を撃たれた男が痛みに床を転げまわる。 その様子を見ていた周囲の客がまたもや恐怖に悲鳴を上げた。
 恐慌を来した人々を拳銃男はヘラヘラと愉快そうに眺めながら、再び獲物を探して銃口を巡らせる。 やがてその濁った視線が詠士たちの座るテーブル席へと向かい、そのあとを追いかけるように銃口が二人を捉えた。
 この時、詠士は正面に座る詩乃にできるだけ姿勢を低くするよう言いながら、男の動向に注意を払いつつも最初に座っていたテーブル席にとどまっていた。 下手に動き回ればそれだけ混乱に巻き込まれ、怪我をする確率が増えると判断したからだ。
 しかし、パニックに陥り騒ぎ立てる客たちの中で、大人しく席についていた二人は逆に目を引いたのかもしれない。 あるいは銃口の止まった先が詠士たちだったのは、完全な偶然だったのか。
 いや、理由はどうでもいい。 問題は、男がこのまま撃てば詩乃か詠士に当たる恐れがあるということだ。
 それを認識した時には、すでに詠士は椅子から立ち上がっていた。 同時にテーブルの上から水の入ったグラスを手に取り、腕をしならせるようにして拳銃男に向かって投擲する。 最小限かつ素早いモーションで投じられたそのグラスは狙い違わず男の額に命中した。

「がっ!」

 硬質な破砕音と共にグラスは粉々に砕け散り、零れた水と破片による出血で男の顔はびしょ濡れになる。
 一時的に視界を塞がれた男がうめき声を上げ、その隙に詠士は席を離れて疾走。 相手がパーカーの袖で顔を拭い視線を上げた時には、すでにその眼前にまで肉薄していた。
 男は怒声を上げながら銃を握った右腕を持ち上げ詠士に向かって突き付けようとする。 対する詠士は、ほとんど反射的に横殴りの掌底打を放ち、相手の腕を弾いて己の身体から銃口を逸らしていた。 その衝撃に勢い余って引鉄が絞られ、発射された弾丸が誰もいない方向へと飛来しファミレスの壁に突き刺さる。
 周囲で再び上がる悲鳴を耳にしながら、詠士はそのまま左手で男の拳銃を上から掴み、素早くマガジンキャッチを押して弾倉を吐き出させた。 次いで、掴んだままの銃のスライドを後退させ、薬室(チェンバー)に装填されていた弾丸も排出する。 さらに指先一つで分解レバーをも操作し、後退していたスライドを拳銃から一気に抜き取った。
 まるで流れるような手際で敵の銃を無効化する、その間わずか1秒と少し。 驚いたように後ずさる男の目の前で、詠士は相手に見せつけるように取り外したスライドを床へ放り捨てる。
 拳銃男は一瞬で無力化された己の武器に目を剥きつつも、すぐさま手の中の拳銃を捨ててパーカーの前ポケットから別の凶器を取りだした。

「………イカれた野郎の割には随分と用意周到な犯罪者だな」

 用意周到な犯罪者など、一般市民にとっては迷惑以外の何ものでもないが。 嘆息するように呟きながら、詠士は呆れを含んだ目で目の前の相手を睨み据える。 その男の手には、攻撃的に光を反射する大振りのサバイバルナイフが握られていた。
 男は再びニタニタと不気味な笑みを浮かべながら威嚇するようにナイフを突き出し、切っ先をゆらゆらと揺らしてみせる。 詠士はその切っ先から視線を外し、ナイフ越しに男の濁り切った瞳を見た。
 そこにあるのは暴力に酔った目。 今までに何度も見たことのある、タガの外れた衝動と歪んだ欲求に染まった狂気の双眸。

「きへぇけあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 次の瞬間、男は狂ったような声を上げながら大きく振りかぶって右手に持った大型のサバイバルナイフを振り下ろしてきた。
 普通の人間ならば、咄嗟に頭を庇うか、反射的に後ろへ飛び下がって躱そうとするものだ。 しかし詠士は逆に、あえて男に向かって大きく踏み込んだ。
 素早い前進で距離を詰めながら空手の回し受けの要領で左手刀を振るい、ナイフを振り下ろす男の右腕、その手首部分を弾くように打ち払う。 そして同時に右手で踏み込みの勢いを乗せた拳打を放ち、交差法で相手のボディに叩き込んだ。 防御と攻撃を同時に行う、クラヴマガの基本技の一つ、バースティングだ。
 内臓にまで響くその衝撃に男はふらふらと後退する。 が、咳き込みつつも怯んだ様子はない。 右手には未だにナイフが握られたままだ。
 男は据わった目でこちらを睨みながら、口の中で何やらぶつぶつと呟いている。

(感触からして、アバラに罅くらいは入ったはずだが……)

 男の目を見ると、瞳孔がやや開き気味だ。 顔色は悪く肌は荒れ、頬は紅潮している。

(……薬物中毒者〔ジャンキー〕か。 クスリでハイになってるな)

 痛覚が鈍っているのだろう。 普通に殴ったり蹴ったりするだけでは、大して応えなさそうだ。
 そんなことを考えているうちに、男が再び奇声を発しながらナイフで切りかかってきた。
 詠士は咄嗟に傍のテーブルに置いてあった食器入れの中からステーキナイフを手に取った。 すかさずそれを逆手に構え、振り下ろされたサバイバルナイフの刃を打ち弾く。 そうして男が驚いたように動きを止めた隙にバックステップで距離を取る。 一旦仕切り直しながら、詠士はさらに近くのテーブルからフォークを手に取った。
 相手は再び威嚇するように切っ先をゆらゆら動かしながらサバイバルナイフを向けてくる。 対する詠士は、右手にステーキナイフ、左手にフォークをそれぞれ逆手で握り、格闘技のような半身の構えを取った。 傍から見れば非常にシュールな絵面だろう。 相手の口元が馬鹿にするような笑みに歪んだ。

「あ゛、あ゛ああぁぁぁ!」

 男は再び奇声を発しながら詠士に向かって突進。 メチャクチャな動きでナイフを繰り出してくる。
 頭の上から振り下ろされたその一撃を、詠士は先程同様ステーキナイフで受け流すように弾いた。 勢いのままに体を泳がせながら男が目を剥く。 その顔に浮かぶ感情が、驚きから憎しみへと変わったように詠士は感じた。

「ぅれぇらぁぁぁぁ!」

 両目に憎悪を湛えた男が激昂したようにナイフを振り回す。 対する詠士は、立て続けに振るわれる刃のことごとくをステーキナイフで弾き、打ち払い、受け流し、捌ききった。 その動きに無駄はなく、傍目からも苛立っているのが明らかな男と比べ、詠士の表情には余裕すらも見受けられる。
 やがて痺れを切らした男は突進しながら渾身の力でナイフを突き出してきた。 詠士は体を開くことでそれを躱し、同時にナイフを持った男の右腕を脇で挟みながら自身の右腕を巻きつけるようにして絡め取る。 そうやって抱え込むように押さえつけたところで、左手に握ったフォークを相手の前腕に突き立てた。

「ぐぎぃ!?」

 鋭い痛みに、男は思わずナイフを取り落とす。
 床に落ちた相手のナイフを詠士はすかさず遠くへ蹴った。 それから自身もステーキナイフとフォークを捨て、間髪入れずに鋭角的な右下段蹴りを繰り出す。 男の上体が傾いだところで、さらにコンパクトな右フック。 その一撃で側頭部を打ち抜き、よろめく相手の顔面に直線的な左の掌底打を叩き込む。
 仰け反るように後退する男を追って詠士は素早く前進。 畳み掛けるように右、左、右と両手で交互に打撃を放った。 横殴りの掌底打で頬をぶち飛ばし、鋭いフックで脇腹を抉り、振り下ろした手刀で鎖骨を打ち、耳を狙った平手打ちで脳ごと頭を大きく揺さぶる。
 痛覚が鈍っていると言っても、全く無いわけではない。 次々と打ち込まれる打撃に耐え切れず、男は背中を折って亀のように丸まった。
 そこで詠士はすかさず右のアッパーカット。 頭を庇う両腕の隙間を掻い潜り、突き上げるような拳を叩き込む。 下を向いた相手の顔面を強烈な一撃が捉え、詠士の拳に鼻骨の折れる感触が伝わった。
 ヤク中相手に手加減は命取り。 容赦は無用。 大きく後ろに仰け反る男の眼前で、詠士はさらに踏み込み左足を軸に旋回、追撃の後ろ突き蹴りを放つ。
 回転の勢いを乗せて槍のように突き出された鋭い蹴りが鳩尾を貫き、男は肋骨の折れる感触と共に後ろへ吹き飛んだ。 そのままファミレスの壁に叩きつけられて床に崩れ落ちるや、体をくの字に折って凄まじい痛みに悶絶する。 横隔膜が麻痺し、呼吸困難に陥ったのだ。
 いくらクスリでハイになっていようと、生物である以上酸素が無ければ動けない。 痛みは無視できても、息苦しさまではごまかせないのだろう。
 男はしばらく床の上で痙攣していたが、やがて口から泡を吹くと完全に気絶した。








 周囲で客たちが安堵の息を吐き、家族同士・友人同士で無事を喜び合う声がそこかしこで上がる。 壁際では店員の一人が撃たれた男の傍に近寄って介抱しており、入口の近くでは最初に撃たれた店員の死体を見て痛ましげに顔を顰める者や、初めて見た他殺体にショックを受けて嘔吐している客もいた。
 詠士はすでに動けなくなったヤク中男や周囲の喧騒から視線を外し、振り返って詩乃の方を見やる。 おそらくはショックを受けているだろうと思い、とりあえずは安心させるため彼女に声をかけようとしたところで、驚愕に目を見開いた。
 詩乃は椅子から滑り落ちたような位置で床に蹲り、両手で口元を覆いながら激しく背中を痙攣させていた。 大きく見開かれたその両目は、床のある一点を真っ直ぐに凝視し続けている。 いや、正確には床に落ちている物をだ。
 詩乃の視線は、先程男が放り捨てたスライドの取り外された拳銃、その黒い金属製のグリップに刻まれた星型の刻印を見詰めたまま、完全に硬直していた。

「朝田さん!」

 詠士は思わず名前を呼びながら詩乃へと駆け寄る。
 しかし詩乃は応えられない。 ただじっと視線を黒い星に固定したまま体を震わせ続けている。

――――なんで……あの銃が………なんで……こんなところに………

 囁くように、口の中だけで小さく呟く。
 詠士は自分の体で詩乃の視界を遮りながら彼女のすぐ傍に膝をつくと、その華奢な両肩に手を置いて声をかけた。

「どうかした? しっかり!」

 詩乃は思わずすがりつくように詠士の体に倒れ込んだ。 ブレザーの両肩に弱々しく手をかけ、詠士の胸に額を押し当てるようにして嗚咽を漏らす。

「あ……ぇ……ぃぁ………」

「大丈夫。 もう撃たれる心配はないよ。 だから落ち着いて」

 詠士は詩乃を抱きよせながら努めて優しく声をかけるが、彼女の体は震えが止まらない。 背中を激しく痙攣させ、過呼吸に陥っている。
 いや、彼女にはすでに彼の声が聞こえていなかった。 頭の中では先程聞いた銃声が何度も響き、鼻の奥にはツンとした火薬の臭いが甦る。 視界からは消えても、先程目に映った刻印が尚も瞼の裏にくっきりと焼け付いている。
 飛び散る鮮血。 恐怖に脅えた瞳。 甲高い声で悲鳴を上げる…………自分自身。
 その時、脳裏にフラッシュバックする映像と共に、彼女の胃が激しく収縮した。

「あ……が………ぁ」

 額に玉の様な汗を浮かべながら、詩乃は両手で口を押さえる。
 しかしそんな抵抗も空しく、詩乃は体内で荒れ狂う熱い奔流に耐え切れずにその場で激しく嘔吐した。
 ツンと鼻をつくようなすっぱい臭いと共に、濁った液体が詩乃の口から溢れ出し、詠士のブレザーとシャツの胸元を汚していく。
 詠士は一瞬だけ眉を顰めるが、しかし彼女の体を突き放したりはせず、ただその目に案じるような色を浮かべたまま、身を捩って呻き声を上げ続ける詩乃の体を支えていた。
 やがて体内にあるものをほとんど出し切ったのか、詩乃は咳込みながら苦しそうに喘ぐ。 もはや何も出るものはないが、それでもしばらくは胃の収縮が止まらなかった。 意識は混濁し、自身の体重を支えきれず、詩乃の上体が再び詠士に向かって倒れ込む。
 詠士はどうすべきか迷った末、ずっと痙攣を続ける彼女の背中を優しくさすってやった。 詩乃は赤子が母親にそうするように詠士の体にしがみつき、涙で濡れた顔をその肩に埋める。
 そうして、しばらくは詠士にもたれかかる様にして体重を預けたまま痙攣と浅い呼吸を繰り返していたが、やがて少しずつ動悸が収まり、詩乃の体からも徐々に力が抜けていった。
 ようやく状態が落ち着いたことを悟った詠士は、テーブルの上から水の入ったグラスを取り、彼女の口へと持っていってやる。 詩乃は焦点の定まらない視線を虚空に彷徨わせながら、おとなしく彼の手から水を飲んだ。
 そのまま口の中の嫌な感覚を纏めて洗い流すように喉へと水を流し込んでいく。 そしてグラスから口を離して大きく安堵の息を吐いた瞬間、詠士の両肩に掴まっていた手が力尽きたように滑り落ち、彼女は気を失った。


















[34288] 10.銃声の記憶
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2013/01/02 19:00

遠い世界で銃声が聞こえる。

飛び散る鮮血。 撒き散らされる脳漿。

噎せ返るような血の匂い。

血だまりに沈む、二つの人影。

扉の向こうで醜く笑う男たち。

俺はそれをずっと見ていた。

声を出さず、悲鳴を上げず。

息を殺して、気配を殺して。

感情までをも殺そうとしながら、その全てをずっと見ていた。




















 不意に意識が覚醒する。 声を上げることも無く、詠士は静かに瞼を開いた。
 見ていたのは悪夢と呼んでもおかしくない内容の夢だ。 しかし、叫んだり飛び起きたりはしない。 ただ静かに上体を起こす。
 脳裏には尚も過去の映像が繰り返し再生されているが、息切れや動悸が起こることはない。 それどころか、冷や汗一つかいてはいなかった。
 どう表現しても楽しいとは言えない夢。 しかし彼にとっては、この8年ですでに慣れ切ってしまった夢だった。 
 早々と夢の内容を頭の隅に追いやった詠士は、ベッド代わりに使っていたソファから起きあがると、ゆっくりと周囲を見渡した。 微かに眠気の残る目をこすりながら、ぼんやりと自分の置かれた状況を確認する。 場所は自宅であるマンションの一室。 すぐさま詠士は昨夜の自分が寝室ではなくこのリビングで寝ていたことを思い出した。
 ソファから降りた彼は気だるげな動作で洗面所へと向かい、手が切れそうなほどに冷たい水で顔を洗う。 僅かに霞みがかっていた意識が、ここでようやくはっきりとしてきた。
 タオルで顔を拭いた後リビングへと戻り、LDK一体型のキッチンで冷蔵庫からスポーツゼリー飲料を確保。 封を切ったそれの飲み口をくわえながら、リビングと扉一枚で繋がった隣の部屋へと向かう。
 そこは普段彼が自室兼寝室として使っている部屋だった。 さほど広いわけではないが、物が少ないせいか狭苦しいというほどでもない。 無地の壁紙やフローリング張りの床といった簡素な内装に、ライティングデスクやオープンラックなど家具類はどこの家でも見られるようなごくありふれたものが置いてある程度。 ベランダに面したガラス戸には淡い水色のカーテンがかかっている。
 その部屋のベッドに、今は一人の少女が眠っていた。 寝相は良い方なのか、昨夜最後に見た時と変わらぬ姿勢で静かに寝息を立てている。 普段学校でかけている眼鏡はベッド脇のデスクに置いてあった。 度は入っていないようなので、目が覚めても見えなくて困るということはないだろう。

 ぐっすりと眠る少女を一瞥した後、詠士は壁際のクローゼットを開けると適当に着替えを取り出した。 睡眠中とはいえ異性が同じ空間にいる場所で着替えるのもマナー違反なので、それらを持って再びリビングへ。
 口に咥えたままだったゼリーの容器をゴミ箱に捨て、詠士は室内着から黒のジャージズボンと運動用の半袖Tシャツに着替えた。 それからリビングを出て玄関へと向かい、運動用の外靴を履いて外に出る。
 時刻はまだ6時を過ぎたばかり。 すでに冬へと突入したこの時期では、日が出ているとはいえまだ薄暗い時間帯だ。
 冷えた外気に向かって白い息を吐きつつ、詠士は足早にマンションの階段へと向かう。 十二月ともなると半袖で外に出るには厳しい季節だが、そのことを意に介した様子は見られない。 そのまま一階まで下りた詠士は、軽く準備運動をしてから道路に向かってゆっくりと走り出した。
 最初は歩きとそう変わらない速度で。 そこから徐々にスピードを上げ、身体の駆動を司るエンジン部分に少しずつ熱を送り込んでいく。 心臓の鼓動は走る速度に合わせてだんだんと加速し、同時に体内を巡る血流は平常時よりも幾分激しいものへと変わる。
 やがて詠士はある程度の速さでペースを固定し、それを維持しながら決められたコースを走り続けた。 さらに自らの走るリズムに合わせて規則正しく呼吸を行い、身体の意識をただ前へと進むことのみに集中させる。
 半ばオートパイロット気味に身体が動くようになると、やがて肉体から思考だけが乖離して別の方向へと向かい始めた。 両足をほぼ無意識に動かしながら、頭の中は記憶を整理するように過去をさかのぼり始める。
 思い起こされるのは、昨日学校近くのファミレスで起きた事件。 そして、そのあとに交わされた知人との会話だった。

























「すみません。 いきなり呼び出してしまって」

 金曜日の夕方、レストランでの一件があった後。
 自宅のキッチンでコーヒーの準備をしていた詠士は、リビングへとカップを運びながら申し訳なさそうに頭を下げた。

「気にしなくてもいいよ。 ちょうど手が空いていたからね」

 応えたのはテーブル前のソファに座った一人の男だ。 見上げるような長身に、肩幅が広く腰の位置が高い。 鍛え上げられた肉体をしているが武骨という印象はなく、すらりと伸びた長い手足をグレーのスーツに包んでいる。 口や目もとには常に柔和な笑顔を浮かべており、端整な顔立ちは穏やかで落ち着いた気性を感じさせる優男風。 歳はすでに三十代の半ばだが、もともとの顔立ちのせいか柔らかい表情のせいか、傍目からは二十代と言っても通りそうだ。
 男の名は真田紅兵(さなだ こうへい)。  詠士にとっては、現時点での保護者に当たる人物だった。

「それと車、ありがとうございます」

「ん、どういたしまして」

 詠士は礼を言いつつ真田の前にコーヒーカップを置く。 テーブルの反対側にも同じものを置くと、お茶受けのつもりなのか赤いラベルの付いた板チョコを山のように積み重ねて、自身も対面のソファに腰を下ろした。 それから板チョコの山の中から一枚を自分の手元に引き寄せ、ラベルと包装紙を外して一口齧る。 口の中に甘ったるいチョコの香りが広がり、詠士は全身から疲労が抜けていくような感覚を味わった。
 それからコーヒーを一口すすろうとカップを持ち上げたところで、ふと、ソファに座っていた真田が無言でテーブルの上を、正確には目の前に積み上げられた板チョコの山を物言いたげな目で見つめていることに気が付いた。 詠士は軽く眉を上げ、怪訝そうな声で訊く。

「――? ウイスキーとつまみの方が良かったですか?」

「いや、今日は私が車運転してきてるから……ていうか、一人暮らしの高校生の家にどうして酒があるんだい?」

「そこはホラ、蛇の道は蛇って言うか……」

「何が言いたいかはよく分からないが、多分その言葉は使い方が違うと思うよ」

 言いながら、真田は自身のコーヒーを口に運んだ。 チョコレートの山は、努めて見ないふりをする。
 それからカップをテーブルの上に置くと、顎の下で両手を組み唇の端に悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「しかしいきなり呼び出してくるから何の用かと思えば、家にガールフレンド連れ込むのを手伝えとはね」

「わざわざ人聞きの悪い言い方するのはやめてもらえませんか」

 途端にうんざりしたような渋い顔で応える詠士に、真田は軽やかな笑いの混じる声で言葉を続けた。

「いやほんとに驚いたんだよ? 突然うちに電話してきたと思ったら、適当な女性スタッフを連れてすぐに車で来てくれって……。 おまけに女物の着替えまで持ってきて欲しいなんて言うし。 一瞬、変わった趣味にでも目覚めたのかと思ったよ」

「そんなわけないでしょうが」

「それで……結局、何があったんだい?」

 ひとしきり笑った後、切り替えるように真田が居住まいを正す。 それを見た詠士は嘆息しながらカップをテーブルに下ろした。 お互いにコーヒーと軽い冗談(詠士にとっては甚だ不本意ながら)で口を滑らかにしたところで、ようやく本題だ。

「実は……」

 詠士は学校帰りのファミレスで起こったことをかいつまんで説明した。

「ほう……薬物中毒者がレストランで乱射事件か。 日本も随分と物騒になったものだね……。 それで、銃の種類は?」

「ノリンコ54式・黒星(ヘイシン)」

 短く答える詠士に、真田は「ふむ」と顎に手を当てて思案する。

「黒星……トカレフか。 昔、裏で中国から日本に大量流入してきた銃だな。 出所は暴力団か、はたまた汚職警官・汚職役人の横流しか……」

「アジア系の密入国者が持ちこんできた品という可能性もありますね。 食うに困って強盗に使った後、適当に廃棄したものをあの男がたまたま拾ったとか」

 もともと54式は中国がソ連製のトカレフを元に輸出用に生産した銃でもあるため、特にアジアを中心として多くの国に出回っている。 近年では、日本の暴力団が所有する銃器もベレッタなどの比較的新しいものに移り変わりつつあるらしいが、東南アジアのマフィア・ギャングなど、比較的貧しい国の犯罪組織ではトカレフやマカロフなども未だに現役だ。 そういった者たちの使用していた銃器が不法投棄され、スラムなどに住む貧困層の人間の手に渡るのも、外国ではそう珍しい話ではない。
 日本という国は、移民の受け入れに対しては消極的であるものの、不法に入国してくる者たちに対する管理体制は他の国と比べても非常にザルだ。 故国で貧しさに耐え切れなくなった者たちが、実入りの良い職を求めて豊かな国である――少なくとも途上国側からはそう見える――日本に来るのは、昔からそう珍しいことではなかった。
 しかし正規の手続きを踏んで入ってきた者ならともかく、非正規に入国した人間がまともな職に付けるほど、日本の社会体制は異邦人に対して優しくない。 金を求めて海を渡ってきたものの、結果的に困窮して犯罪に走る、あるいは犯罪に巻き込まれるといった事件は、はるか以前から枚挙に暇が無かった。

「まあ、情報が少な過ぎて断定はできませんけどね。 仮説を立てようとすればキリが無い」

「結局は警察の取り調べを待つしかない、か。 どこまで詳しく発表されるかはわからないが」

 嘆息するように呟く真田に、詠士は肩を竦める仕草で応えた。

「それ以前に、ちゃんと自供できるかどうかが問題ですけど」 

「そんなにボコボコにしたのかい? しゃべれなくなるくらい」

「違いますよ。 ただ、麻薬で相当ラリってましたし、まともな思考が残ってるかどうか……」

「ああ、成程」

 詠士の言葉を聞いた真田が納得したように頷く。

「ま、その辺も含めてあとは警察に任せるしかないな。 これ以上は私たちが口を挟むことじゃないし」

 そもそも銃の出所がわかったところで、自分たちが何か行動を起こすわけでもない。 対策を練るのも事後処理をするのも、あとは全て公僕の仕事だ。 暴力団を取り締まるなり、汚職役人を摘発するなり、入国管理や銃規制を強化するなり……その辺りはただの一般市民である自分たちが口を出せるようなことではない。

「そういえば俺、現場から逃げちゃったんですけど……大丈夫ですかね?」

 ここでふと、詠士が思い出したように不安げな表情を浮かべて言った。
 ファミレスで詩乃が倒れた際、詠士は周囲がまだ混乱している隙に、気を失った彼女を抱えて店を出ていた。 衆目の前であれだけ暴れたこともあって、現場にいた客や店員の中にはその場を後にしようとする詠士を視線で追う者も少なくはなかったが、あえて声をかけて止めようとする者はいなかった。
 その後、警察が来る前に裏口から外へ出た詠士は、あらかじめ電話で呼んでおいた真田の車に乗り、ひとまず家まで送ってもらった、というのが事の経緯だ。 詩乃を病院に連れて行くかどうかで少しばかり迷ったものの、発作による動悸や呼吸の乱れはすでに落ち着いていたし、あまり大事にするのは彼女も本意ではないだろうと考え、結局は家まで連れてきてしまった。 自宅へ送ろうにも、詠士は詩乃の住所を知らない。

「事情聴取だの何だの、事後処理のゴタゴタに巻き込まれるのが嫌であの場を離れたんですけど……冷静に考えてみると、やっぱりまずいですかね。 カメラにはばっちり顔も映ってるだろうし……。
 警察沙汰も嫌ですけど、下手に学校内で噂されるのも御免被りたいんですよね」

 面倒臭そうな顔でぼやく詠士に、真田は苦笑気味に答えた。

「人の口に戸は立てられないと言うしね。 事件の噂自体はすぐに広まるだろう。 それが君のことだとまで知れ渡るかは、今のところわからないが」

 学校からいくらも離れていない店で起こった事件だ。 うちの生徒が客やアルバイトとして店内にいた可能性もある。 そもそも店で暴れた時、詠士は制服姿だった。 少なくとも犯人を取り押さえたのがウチの生徒であるという話はすぐにでも警察へ伝わるだろうし、町や学校で噂されるのも時間の問題かもしれない。
 そこまで考えて、思わず詠士は頭を抱えた。 本当に面倒なことになりそうだ。

「とりあえず警察の方には私から事情を話しておくよ。 ……ま、別に悪いことをしたわけでもなし、監視カメラや目撃者の数は足りているだろう。 後でわざわざ参考人として呼び出されるということはないと思うよ。 何かしら話を聞きに来ることはあるかもしれないが……とりあえず、君の関与はできるだけ表沙汰にしないよう頼んでおこう」

「となると、あとは学校にまで伝わるかどうかですか………」

 不幸中の幸いは明日が休日であることくらいだろうか。 大した気休めにはならないが、多少の猶予はある。
 少なくとも今後通学する時はあのファミレスを避けていかないとな、と胸のうちでぼやきつつ、詠士は真田に向かって頭を下げた。

「すみません。 世話をかけます」

「いいさ。 これでもいちおう君の後見人なんだからね」

 そう言って真田はいつも通りの柔和な笑みをうかべた。
 返す言葉は無く、詠士は静かに黙礼する。 それから気持ちを切り替えるつもりでコーヒーを口に運んだところで、不意に真田が問いかけた。

「ところで君の彼女、本当に病院には連れて行かなくてよかったのかい?」

「俺の彼女ではありません」

 と、ひとまず訂正を入れてから言葉を続ける。

「大丈夫だと思いますよ。 倒れた理由は多分、PTSD(心的外傷後ストレス障害)による突発的な発作が原因でしょうし」

 先刻、詩乃が過呼吸による発作を起こして倒れたことについて、念のためクラス委員のさゆりに何か知ってることはないかと電話で訊ねた(無論、他言しないよう言い含めた上で、ファミレスでの一件については省いて説明した)ところ、以前にも学校で同じようなことがあったと言っていたため、まず間違いないだろう。
 ちなみにその時は世界史の授業で、ビデオ教材の映像資料を見ていた時に突然発作を起こして倒れたという。 いちおう保健室にも運ばれたらしいが、表面上は特に病気の症状は見られなかったそうだ。 ありえるとすれば身体的なものではなく精神的なもの。 おそらくはテレビに映っていた鉄砲が原因だったのではないかとさゆりは言っていた。 銃器に対する異常なまでの恐怖。 噂程度に聞いた話ではあるが、彼女の過去を考えれば不思議なことではない。 ましてやビデオですら拒絶反応を起こす彼女が、実銃を目にしたりなどすれば……

「とりあえず容態はもう落ち着いていますし、疲労もたまっているみたいです。 変に検査とか受けさせたりするよりは、ゆっくり寝かせてやった方がいいと思いますよ。 それに……彼女自身、あまり大事にはしないでほしいと思いますし……」

 勝手な想像ではあるが、詩乃は多分、警察や病院に対しあまり良い思い出は無いだろう。
 それにただでさえ過去のことを学校内で噂されているのに、再びおかしな事件や警察沙汰に巻き込まれて噂の種になるのは、彼女も望まないはずだ。

「ふむ。 まあ、今は雨宮くんが容態を見てるから心配はいらないかな」

 真田はちらりと寝室に通じるドアを一瞥し、それから再びコーヒーに口をつけた。
 今、隣の部屋では倒れて眠りこんだ詩乃を、真田が職場から連れてきた女性スタッフが看病している。 だからこそ、こうして二人で事件についての議論などをしてられるのだ。

「とはいえ何かと気に掛けてあげた方が良いだろうね。 恋人はちゃんと労わってあげないといけないよ」

「だから恋人じゃありませんから。 彼女はただのクラスメイトです」

「ただのクラスメイトとファミレスで仲良く駄弁ってたのかい?」

「いけませんか?」

「いけなくはないけど……色気が無いねぇ」

 ふぅ、と溜息交じりにぼやく真田に、詠士が眉を顰める。
 それを見て真田が再び愉快そうな笑みを浮かべた。

「いや実際私としても嬉しいんだよ。 君が学校でちゃんと友達を作れているのが。 君って外面とか人当たりは良い割に、あんまり人付き合いが好きなタイプじゃないからね。 私も学校でうまくやれているかどうか、実はちょっと心配していたんだよ」

「……そりゃどうも」

 なんとなく子供扱いされているように感じて――実際彼からすれば自分は子供だろうが――詠士はふて腐れたように嘆息を漏らした。 いつのまにか言葉遣いもぞんざいになっている。
 そんな様子を楽しげに眺めながら、真田はさらに問いを重ねた。

「あの子とはどこで知り合ったんだい?」

「どこって……学校に決まってるじゃないですか」

「そうかい? さっきから彼女のことをよく知ってるような口ぶりだったし、“ただの”クラスメイトじゃないんじゃないかな」

 なんとなく含みのある言葉に警戒心を覚えながら、しかし適当なごまかしも思い浮かばず、結局は事実のみを述べた。

「別に。 同じオンラインゲームをやってる仲間ってだけです」

 それを知ったのは昨日なのだが、話せば長くなるので黙っておく。

「オンラインゲーム? 最近流行りのVRMMOってやつかい? 確か君もGGOとかいうシューティングゲームにハマってるって言ってたっけ」

「ええ、まあ。 同じゲームやってるってことで、最近少し話すようになって」

「ほう……ん?」

 それを聞いて頷きかけたところで、ふと真田は不思議そうに首を傾げた。

「君の彼女、拳銃を見て発作を起こしたと言ってたよね? それなのにシューティングゲームをやってるのかい? そりゃゲームと現実は違うかもしれないけど……ゲーム内で慣れてるなら多少は耐性あってもおかしくないと思うんだが。 それ以前に、拳銃が怖いのになんでそんなゲームを始めたのかな?」

「さあ、そこまでは俺も。 詳しい話を聞いたわけじゃありませんし……。 それと俺の彼女じゃないですよ」

 詩乃がわざわざFPS系のゲームを始めた動機までは、詠士も聞き及んではいない。

「ふぅん……ま、いっか。 その辺に関しては私と関わりの無いところだしね。 あとは彼氏が面倒見てあげればいいよ」

「だから彼氏じゃねぇっつってんだろ」

「おやぁ? 少なくとも今私は君が彼氏だとは言わなかったけど?」

 からかうような口調に、詠士はイラァ……と目元をひくつかせる。
 そんな様子を知ってか知らずか、真田は口元に淡く笑みを浮かべながら「さて」と小さく呟くと、テーブルにコーヒーカップを置いて立ち上がった。

「時間も遅いし、そろそろお暇しようかな。 コーヒーごちそうさま」

 それを見て、詠士も即座にソファから立ち上がる。 そして何事も無かったかのように怒りの表情を引っ込めると、真田に向かって丁寧に頭を下げた。

「今日は本当にありがとうございました」

「いやいや、いいんだよ。 私の力が必要な時は好きなだけ頼ってくれるといい」

「そう言ってもらえると助かりますけど、さすがに世話になりっぱなしというのは気が引けますよ」

「そうかい? まあ自立的なのは良いことだけどね。 それと、私相手にそこまで固くなる必要はないんだよ?」

「………いえ、今じゃもうほとんど条件反射みたいなものですから」

 少し前に矯正したこともあってか、真田に対しては自然と丁寧語で話してしまう。 それでも時折(主に頭に来た時など)乱暴な言葉を使ってしまうことはあるが。
 そんな詠士に、真田は苦笑気味に言葉を返す。

「まあガミガミ言うつもりはないけれどね。 ああそれと、君とあの子の制服は私がクリーニングに出しておくよ。 君の名前で出しておくから、あとで取りに行くといい」

 そう言ってビニールで包んだブレザーとシャツを掲げてみせる。 詩乃の吐瀉物で汚れた制服は、帰った後いちおう濡れタオルなどで拭いたものの、やはり完全には綺麗にならなかった。

「重ね重ねすみません」

「なに、これくらいはね」

 そうして言葉を交わしていると、隣の部屋から真田の連れてきたスーツ姿の女性、雨宮が出てきた。 落ち着きのある怜悧な顔立ちといいビシッと決まったスーツといい、いかにも真面目そうというか事務仕事に強そうな印象の女性だ。
 詠士は一旦そちらへ視線を映すと、どこか案じるような表情を浮かべて彼女に訊ねた。

「あの子の様子はどうですか?」

「先程と同じです。 特に変わったところはありません。 よく眠っているようですよ」

「そう………ですか」

 それを聞いて、詠士は安堵の息を漏らす。 詩乃の発作についてはさゆりから話を聞いていたこともあって、いちおう大丈夫だとは思っていたものの、第三者からそう告げられるとより安心できた。

「寝不足気味だったのか、疲労がたまっていたみたいですけど」

「まあ、最近疲れてるみたいでしたしね」

 昨日もそんなことを言っていたし、学校でも時々眠そうにしていたことを思い出す。

「………ていうか俺のせいか」

 おそらく詩乃がこれだけ疲れているのは、ここ数日、GGO内で毎日のようにハイネが彼女のアバター、シノンを連れ回していたからだろう。 最近は連日遅くまで潜りっぱなしであり、彼女の睡眠時間はかなり削られていたはずだ。 それでも遅刻欠席一切せずに登校していたのだから、疲れているのも当然だった。
 それを言うなら行動を共にしていたはずの詠士も同じなのだが、もとより基礎体力が違い過ぎる。
 と、そんなことを考えていると再び悪戯っぽい笑顔を浮かべた真田がからかうように口を開いた。

「なんだ、やっぱり君が原因なのかい? 若いからってあんまり女の子に無理させちゃいけないよ。 誰もが君みたいにタフなわけじゃないんだから。 ちゃんと適度に休ませてあげなきゃ体を痛めてしまうよ」

「……なんとなく何が言いたいのかわかりますけど…………誤解だ、ってことだけ言っておきます」

「――? 毎日夜遅くまで一緒に頑張ってたんじゃないの?」

「間違っちゃいないけど、なんとなく紅兵さんの言い方は引っかかりがあるんですよ」

 そう言ってうんざりしたように大きく息を吐く詠士を見て、真田が面白がるように相好を崩す。 柔和ではあるが、どこか油断のできない笑み。 やり取りを見守っていた雨宮が呆れたように溜息をついた。

「さて、それじゃ行こうか」

 言って、リビングを出て玄関へと向かう真田を詠士と雨宮も追いかける。
 下に降りて靴を履く二人を眺めながら、詠士が再三の礼を述べた。

「今日は本当にお世話になりました」

「いやいや」

「雨宮さんも、お忙しいところ呼び出してすみません」

「いえ、お気になさらず」

 やがて靴を履き終えた真田がドアに手をかけながら顔を上げた。

「じゃあまた。 あ、事件について何かしら分かったことがあったら連絡するから」

「助かります」

「君の話を聞く限り、期待はしない方が良いと思うけどね。 それと警察への説明の方は任せておいてくれ」

「ありがとうございます」

 そこまで言って、真田は玄関のドアを開ける。 そのまま部屋から出ていこうとしたところで、ふと思い出したようにこちらを振り返った。

「ああ、それと最後にもう1つ」

「――? なんですか?」

「可愛いからって、女の子の寝込みを襲わないようにね」

「殺すぞ」

 険悪な顔で物騒な台詞を吐く詠士に、真田は「ははは」と愉快そうに笑いながら、今度こそ部屋を出ていく。 その背中を追う雨宮を見送ったあと、詠士は不機嫌そうに顔を顰めたまま思わず大きなため息を吐いた。



























 ランニングから戻った詠士は、日課の筋力トレーニングを終えた後、全身の汗を流すためにシャワーを浴びていた。
 流れ出た湯が体表を伝う様子を何とはなしに眺めながら、ふと自分の部屋で寝ている少女のことを思い出す。
 再び記憶に甦るのは昨日の出来事。 そして“彼女”の、銃を目にして怯えたように震える姿と、血の気を失い力尽きたように倒れる姿。

「体重……軽かったな……」

 腕に残る微かな感触を思い返しながら小さく独りごちる。
 レストランで倒れた彼女を抱え上げた時、あまりにも重さを感じられず詠士はひどく驚いた。
 小柄だとか、女の子だからとか、そういう意味ではない。 普通、意識を失った人間というのは起きている時よりも重たくなると言われている。 しかし彼女を床から抱き上げた時、その身体からは痛ましいほどに重さを感じなかったのだ。 あまりにも軽過ぎて、むしろこちらが不安になるほどに。
 生きた人間を抱いているとは思えない、儚いほどに空虚な軽さ。 まるで重さを感じないその様は、羽のようというよりも、魂の抜けた虚ろな人形を思わせた。
 ワイングラスのように繊細で壊れやすそうな、ガラス細工の小さな人形。 それが、力尽きたように眠る詩乃に対し、詠士が抱いた印象だった。

「苦労………したんだろうな」

 その存在の希薄さと儚げな様子が、彼女がこれまで歩んできた過去と負ってきた重荷をまざまざと連想させる。
 詩乃の人生を変貌させた過去の事件について、詠士はさわり程度のことしか聞いていない。 そもそもその噂がどの程度正確なのかも知らないのだ。 彼女がどんな目に遭い、どんな思いを味わってきたのか……結局のところ、想像の域を出ることはない。
 だがそれでも、学校での周りの反応を見れば、彼女がこれまで歩んできた道がロクでもないものであったろうことは、想像に難くなかった。 むしろある程度は分別の付いた高校生だからこそ、あのくらいですんでいるのだろう。 子供というのは、幼稚で残酷だ。 自己の痛みには敏感なくせに、他者の痛みに疎く、平気で人を傷つける。 彼女が小学校や中学校ではどんな目に遭ったのか……いくら考えても、愉快な想像はまるで浮かばない。

(それに……あの子は外だけじゃなく、内にも問題を抱えていたわけだしな)

 発作を起こし、苦しそうに体を震わせていた詩乃の姿を思い出す。 過去の事件が残した爪痕は、彼女の社会的な立場だけでなく精神の方にこそより深く刻み込まれているようだった。

「……爪痕っつーよりも弾痕か」

 呟くように独りごちる。
 それと同時に、詠士はゲームの中で見たもう一人の“彼女”の姿を思い出した。
 ペールブルーのショートヘアをなびかせ風のごとく荒野を駆ける姿。 藍色の大きな瞳を鋭く吊り上げ、山猫のように獰猛かつ俊敏に戦う姿。 貪欲に強さを求め、巨大なライフルを手に戦場を渡り歩く姿。
 そして常にその身に纏った、戦士として、兵士としての孤高さを感じさせる峻烈なまでの空気。
 昨日まではまるで共通点など感じなかったその姿に、今はなぜか、寂しげな一人の少女が――己の肩を抱き、背中を丸めて震える小さな女の子の姿が重なった。 心に傷を負い、周囲からは排斥され、声も上げずに泣き続ける孤独な少女。
 真田が言っていたように、異常なまでに銃器を恐れる彼女がどうして 《ガンゲイル・オンライン》 などという、銃と弾丸が物を言うゲームを始めたのか。 それは詠士にはわからない。 どうして彼女は、あの世界で執拗なまでに力を求めたのか……
 あるいは銃が全てを象徴するあの世界で強さを得れば、現実でも銃を恐れなくなるなどと考えたのだろうか。 だからこそ、狂おしいほどに力を、戦いにおける勝利を求めていたのか。

(所詮は想像か)

 どれほど複雑に考察し、想像したところで、人の心を完全に理解することなどできるわけがない。 そう結論付け、無為な思考を張り巡らせるのを止める。

「ただ……あんな姿を見た後じゃあ、さすがにほっとけないよな……」

 思わず漏れた独り言に、小さく苦笑する。
 GGOではともかく、現実世界における詠士と詩乃は、少なくともこれまで特別親しい間柄というわけではなかった。
 朝や帰り際に挨拶し、偶に顔を合わせれば少し話をする程度。 隣の席だから他の生徒よりは口を利く機会も多いが、所詮はそれだけだ。 お互い深く踏み込んだ話をしたことはない。 自分は詩乃の身の上について、学校で噂されている以上のことは知らないし、彼女もまた、詠士の過去や日本に来た事情などを詳しく知っているわけではないだろう。

(別に、まだ会って間もない他人といえばそうなんだけど……)

 しかし、昨日見た彼女の姿。 縋り付くように詠士に体を預け、背中を震わせる詩乃の様子を思い出すと、ある種の焦燥感にも似た形容しがたい感情を掻き立てられる。
 あえてその感情を当てはめるのなら、庇護欲というのだろうか。 過去の記憶に押しつぶされそうになりながら、それでも必死に抗おうとするその姿を見ていると、なぜか目を離してはいけないような気持ちにさせられた。 目を離せば、次の瞬間には消えてしまいそうな――そんな儚さを感じたのだ。
 いや、似たような印象自体は会った時からそこはかとなく感じてはいた。
 教室で初めて顔を合わせた時、整った容姿をしているにもかかわらず、なぜか可愛いとか美人だとかいうよりも先に、その姿に痛ましさや悲壮さの様なものを強く感じたのだ。 それと同時に、孤独を厭う寂しげで人恋しげな気配も……
 体格は華奢で、強く握れば折れてしまいそうなほどに手足は細く、見た目はお世辞にも頑健そうには思えなかった。 そのくせ身に纏う空気にはそこはかとない鋭さが宿り、どこか切羽詰まったような、強がりにも似た気丈な意志を感じさせる。 瞳には常に追い詰められたような焦燥感が浮かび、己の周囲全てを敵と見做したかのような危うさと、鋭く張り詰めた孤独な雰囲気を漂わせていた。
 初めて見た時に感じたその印象の理由も、今なら少しは理解できる気がする。 過去の記憶に苦しみもがき、暗い闇の底から助けを求め、しかし救いが訪れることはなく……
 絶望の末、他者からの助けを諦め、己の弱さを嘆きながらも自分で自分を守ろうと決意した……それが朝田詩乃という少女なのかもしれない。 彼女の纏う周囲を拒絶するような雰囲気も、同時に自身の弱さを隠し守るためのものなのだろう。

 育った環境や価値観の違いなのかもしれないが、正直な気持ち、あんなに辛く苦しそうにしている少女を見て敵意や悪意を向けることのできる学校の連中の気持ちが、詠士にはまるで理解できなかった。
 頭ではわかる。 かつて人を殺したという彼女の過去が周囲の者に忌避感を抱かせているのだということは、彼にも分かっていた。 しかしその考え方や感情に賛同や共感ができるかといえば、それは否だ。 少なくとも詠士の価値観では、詩乃の過去が彼女に対し悪感情を抱くことの理由になることはない。 強盗を射殺した彼女の行為は、何一つとして責められるべきことではないし、貶められるべきことでもない、というのが彼にとっての正直な意見だ。
 むしろ、止むを得ずとはいえ年端のいかぬ子供が人の命を奪ってしまったこと。 その事実に苦しみ続けてきたことへの同情や憐憫といった感情の方が強かった。 だからこそ、初日に彼女の過去を自分に教え迫害する側に参加させようとした生徒に対して、迎合せずに反発してしまったのかもしれない。
 庇ってやるというほど明確に意識していたわけではなかったが、あの時教室で、彼女を人殺しと呼び嘲っていた遠藤という女子生徒に対して、苛立ちと嫌悪を感じていたのは確かだった。
 おそらくはこれからも、自分が遠藤たちに賛同することはないだろう。 ましてや昨日の詩乃の姿を見た以上、たとえ学校内でどんな不利益を被ることになったとしても、彼らに迎合することなど考えられない。

(とはいえ、それだけであの子の助けになるかって言えば……そういうわけでもないか)

 ヒーロー願望とでもいうのだろうか。 守ってやりたい、守ってやらなければならない――学校での様子や昨日の姿を見て、そんな感情を詩乃に対して抱いてしまったのは確かだ。
 しかしそれで自分に何ができるのかというと………何も思いつかない。
 たとえば学校で、多くの生徒や教師が彼女を避ける中、排斥しない側に回るのは簡単だ。 もとより自分はさほど社会的な立場やステータスに固執するタイプではないし、特別好きでもない相手と仲良くしたいとも思わない。 彼女を庇うことで自身が周囲から孤立することになったとしても、さして傷つくことは無いだろう。
 あるいは昨日や十日前のように、物理的な暴力に晒されそうになっているのであれば、助けることも可能だ。 そもそも詠士が護身術として格闘技を学び、今でもその身を鍛え続けているのは、自分自身と親しい者をその身に降りかかる暴力や物理的な脅威から守るためだ。 単純に、喧嘩に強くなるためと言ってもいい。
 寂しげな空気を漂わせたあの少女に対して、傍にいてやることは確かにできる。 彼女の身に降りかかる危険を退けてやることもできるだろう。 しかし、それだけだ。 ただ傍にいて、番犬やボディガードのまねごとをするだけでは、本当の意味で詩乃を救うことなどできはしない。 彼女のもっとも深い傷。 心の傷を癒すことは、彼にはできないのだ。
 そして心に傷を負っている限り、たとえ傍にいてやることができたとしても、本当の意味で彼女を孤独から救うことは不可能だろう。

(彼女の方から助けを求めてきたんならともかく、な)

 孤独の苦しみというのは、誰かが傍にいれば必ずしも解決するというものではない。 人を最も孤独へと追い込んでいるのは、他でもない本人の心だからだ。 傍にいるその誰かが彼女にとっての安らぎとならない限り、闇の中から引き上げてやることなどできはしない。
 ではどうすればいいのか? どう接すれば、安らぎを与えてやることができるのか。 そこで必ず思考は停止する。 そこから先が進めない。
 そもそもこんなことを考えること自体が余計なお節介だ。 頼まれたわけでもないのに何を空回りしているのか――そう思わないでもなかったが、やはり昨日の様子を思い出すと、どうしても放っておけない気持ちになってしまう。
 そう思いながら、詠士は苦々しそうに口元を歪めた。 無意識のうちに拳を強く握りしめる。
 
「自分だってまだガキの癖に、いっちょ前に保護者気取りかよ」

――だいたい喧嘩するしか能が無い自分に、一体何ができるのかっつー話だ。

 吐き捨てるように自嘲する。
 そもそも本人もいないのに、自分のような人間が一人であれこれ考えたところで正しい答えが出るわけがない。 本当に詩乃の力になりたいのであれば、彼女が目を覚ましてから改めて向き合えばいい話だ。
 胸のうちでそう断じると、詠士は頭から湯をかぶった。



























あとがき

できればせめて年内には更新したかったんですが、残念。 今日になってようやっと続きを投稿できました。 心理描写はやっぱり難しいです。

今回は珍しくずっと詠士のターンですね。 まあ詩乃が眠ってるから当然と言えば当然なのでしょうけど。
それとオリキャラも一人二人登場。 彼らの詳しい情報についてはまた後ほど。

早くBoBに入りたいのですが、なかなか進行が思うように捗りません。
それでもなんとか続けていきたいと思うので、これからもよろしくお願いします。


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