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[34794] 【壱捌話投稿】戯言なるままに生きるが候 (一夏改変IS・戯言&人間シリーズクロス)
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2013/03/10 14:47
どうも、久しぶりです。不落です。チラ裏からお引越ししました。
講談社からISの新刊が出るとか出ないとか。
そんな噂を聞いたので再び筆でも取って見ようかと思い、書いてみました。


以下注意分

・ここの一夏は《いっくん》であって、《いーちゃん》ではありません。

・本作品には戯言と人間シリーズのクロスが混じっています。

・不落は西尾維新様の影響を受けています。苦手な方はお引取りを。

・更新は不定期。

・勝手な想像と創造が存在します。ご容赦を。

・基本的に語り部は《いーくん》。

・キャラの性格の改変もあります。

・また、終わらずに終わってしまうかも(今年大学受験)


以上の点を呑み込める方のみお進みください。


不落の世界にごゆるりと。



訂正一覧

8/27 更新
>三話の内容を二話にコピペ。
何処か量が足りなく感じたので、これから一つにつき一万二千文字くらいにする予定。

9/22 更新
>玖話修正版→超修正版へ。
sg様のご指摘により、一夏の過去についての文を手直ししました。
夜更かしはあかんね……。

10/16 更新
>壱参話→最後少し修正verへ。
デュノア社潰すと色々と拙いと気付いたので、変更。
こっそりだからバレない……よね!(オイ

10/27 更新
>壱肆話からその他板へお引越し。

12/18 更新
>織斑千冬の人間関係 ①、②に変更。

13年3/10
えー、浪人しました。
加えてPCが不調で動かない状況ですので、治るまでお休みです。
iPhoneから投稿するには指が腱鞘炎になりかねないので止めておきます。
PCの復旧と休日次第で復活する予定です。



感想板にあったので。
コラボ理由は戯言人間読み終えて、IS創作スレを見ていた時にふっと
「そういや束さん、一夏のことをいっくんて呼んでたなぁ」
→「……あれ、戯言遣いさんのあだ名の一つじゃないですかー」
→講談社にISが云々のスレなどを見る
→「よし、久しぶりにやってみっかー」←今ここ
特に理由は無かったりするので、お手柔らかに。
よーするにお洒落頑張って、書いちゃった感じ。



[34794] 壱話 出会いと別れ。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/09/04 16:46


 生きるってなんだ。いつかは死ぬってことか。











 自身が浮かび上がるような気分は、未だに慣れない。沈められた意識が宙に浮かぶように頭が覚醒していく。
 カーテンからかすかな光が差し込んで電気がついてない自室の薄暗さを晴らしつつあった。

「……起きるか」

 呟いてぼくはゆっくりと身体を起こす。起き上ればそこは自室の壁が広がっていた。
 これから身に着けることになるであろう新しい白い制服がハンガーにかかっていて、隣には挟むタイプのそれで同じく白いズボンが留められていた。
 がらんとした物の少ない自室には、漬物石にすると良い働きをするような分厚い資料が乗った勉強机と木製の椅子、今寝ているベッドと読んでいない漫画が丁寧にしまわれた本棚しかなかった。
 それはぼくが用意したものではなく、《ぼく》ではなく《俺》が用意した言わば遺品だろう。ぼくのものではあるが、それらの所有者はぼくでは、ない。
 ぼくは、織斑一夏だと自身をそう呼んでいるが何処か他人に聞こえてしまう。
他人の身体に自身の性格をコピー&ペーストしたような、そんな他人思考。
 千冬という名の姉が居るが何処か他人めいていて、ぼくは彼女のことを《千冬姉》と呼ぶことはせず、《千冬さん》と呼ぶことにしている。
 家族なのに、家族じゃない。家族は身近な他人だと言うが、ぼくはその通りだと思う。身をもってそう思う。

 ――はい。検査の結果、弟さんには目立った外傷はありませんでした。
 ――命に別状は無いということですね。……よかった。
 ――ですが、人間は外側よりも内側の方が脆いのですよ。弟さんは……、残念ながら大きなショックの影響で精神を病まれているようです。
 ――心の傷、ですか。
 ――ええ、そして脳波が若干乱れていまして、正常な動きをしていない状況です。……ですが、性格以外に彼には目立った後遺症は無いようです。
 ――い、一夏の性格ですか……?
 ――はい。彼は記憶喪失に似た症状がでています。これを二重人格と呼んでいいのか、私には分かりませんがね。

 ぼくは、記憶喪失なのらしい。らしいというのは、千冬さんにそう聞いたからだ。
 そのきっかけは、はっきりと頭に残っているわけでもなく、かといって綺麗さっぱりと無くなっているわけでもなく、波に漂うようにその存在が電撃めいた刺激をたまにぼくの脳裏に食らわしてくれる。医者が言うにはフラッシュバックというものらしい。
 鮮烈に鮮明に、夥しい赤い薔薇が飛び散る視界で、人々が目の前に倒れていく光景が映し出される。そして、その後――気を失う。
 ここまでワンセット。
 その記憶は中学二年生の夏、場所はドイツ。そこで行われていたISという兵器の大会に千冬さんが出るのでそれを応援するために会場へ向かった時の、拉致された時の記憶、いや、トラウマらしい。
 《ぼく》が目覚めたのは暗く錆びの匂いが濃い廃倉庫の小さな貨物部屋で、両腕を映画のように腰に巻きつけられたロープで縛られた状態だった。
 関節を外し、隅に朽ちていた糸鋸を武器に窓から倉庫から脱出。その後、地元の警察に連絡し、ぼくの物と思われる携帯の最終発信源に居た拉致グループを逮捕。事情聴取も受けたが、正直他人事な気分だったから黙していたら千冬さんが迎えに来てくれて家に帰ることができた。
 千冬さんはぼくの捜索のために大会を抜け出してくれたようで、大会の方は決勝で棄権という少し申し訳ない記録となってしまったそうだ。
 気に病むことはないとは言ってくれていたが、次第に違和感に気付いたのか、こう尋ねた。

「お前は――誰だ」
 
 実の弟に向かってそれはないだろう、と茶化すこともできたが、如何せんその時のぼくはやけに冷静だったからいつもの調子で話してしまった。

「ぼくは誰なんですかね」

 軽い口調だったけれどその言葉は千冬さんの目を驚愕に染めるくらいの威力を持っていたらしい。
 その場で放心した後、千冬さんは自暴自棄気味に泣き出してしまったので慰めるのが大変だった。
 でも、一番大変だったのは彼女を実の姉だと認識することだったのではないか、とぼくは今更に思う。見知らぬわけではないが、記憶にない人を姉と呼ぶのは気が疲れた。結局の所、彼女の中では《ぼく》という存在は一夏ではない、他の人物であると認識されているらしい。
 別に、彼女のその決断に難癖をつけるわけではないが、少し、寂しくは感じた。結局、血の繋がった他人なのだから。
 
「今日は始業式だったっけ……」

 眠い。脳というHDに意識というソフトが読み込まれていないような不安定な気分でぼくはベッドから立ち上がり、あくびを噛み締めながらパジャマにした黒シャツと短パンを制服の上下と専用のYシャツと取り替える。糊のきいた制服は中々着慣れしていないからか動き辛いが、暗器術を嗜んでいるぼくには問題なかった。
 パジャマを持って階段を下り、自動乾燥機能のついた最新の洗濯機に放り込み、手馴れた様子で操作する。先代のは千冬さんがドジって壊してしまったため、つい最近新しいのが導入されたのだ。どうやれば、洗濯機で床を突き破れるのだろう。ぼくには分からないが、恐らく千冬さんもわかっていないのだろう。色々と。
 朝は少し軽くして目玉焼きとパン。一ヶ月前から調整したおかげで、今現在この家には食料と呼べるものは庭の自由菜園の野菜以外に存在しなかった。
 これからどうしたわけか女子高めいたIS学園という場所の寮で過ごさなくてはならないので、千冬さんの休日に合わせて食料を随時追加することにして、無駄に廃棄する食料を完全に減らしたのだ。
 あちらにも食堂があるようなので、それを利用するつもりだ。パンフレットに書かれた寮部屋の設備が微妙過ぎたからだ。
 簡易シャワーと洗面台はあるのに個室のトイレが存在しない、何処か悪魔めいた囁きが見える設計だった。
 年頃の女の子しか居ない環境に、ぼくというイレギュラーが存在することは、かなり違和感を感じるだろう。
 だけど、触れて動かしてしまったのだから仕方がない。女性にしか仕えないはずのISが、ぼくという男性に使えてしまったのだから。
 藍越学園という就職に強い学校の試験会場で迷い、偶然入ってしまったIS学園のザルな警備のせいで、ぼくはニュースで取り上げられるような有名人となってしまった。そう、世界で唯一ISを動かせる男性として、知名度を高めてしまったのだ。
 戸締りをしっかりと確認し、家に鍵を閉めて、駅へと向かう。早朝で人通り少ない見慣れた商店街を後にし、切符を買ってモノレールに乗る。
 通勤ラッシュという時間帯ではないので、ぼく以外の客は居らず、貸しきり状態だった。IS学園は最近、といっても数年前にできた新しい終点なのでしばらくはこうしてモノレールのゆったりとした時間に身を任せることになる。正直、暇だった。
 しばらくして、ぼくは違和感に気が付いた。おかしい、この時間であっても客ぐらいは乗り込むだろうに。だけど、この車両に乗り込む姿は無かった。
 次の駅へモノレールが動き出した時だった。とてつもない威圧感。ここに居てはならない、逃げろ避けろ隠れろ、と細胞が警鐘を鳴らす。
 やけに荒っぽく開けられた接続扉から現れた少年は奇抜だった。右頬に大きな刺青、右耳に三連ピアス、左耳に携帯ストラップをつけており、髪は白髪まだらに染められていて不良というよりも、お洒落頑張ってるという雰囲気だった。
 サングラスをかけていて目線は分からないが、とにかく、突き刺さるような視線を感じる。
安全靴の音が車内に響き、その動作たちに眼を見張ってしまう。
 ちょうどぼくの前に通過するといった時に、彼の足取りは重くなり、止まった。

「へぇ、てっきりアイツかと思ったけれど別人だったか。それにしても、似てるな、アンタ」
「……君が誰なのかは知らないけれど、いきなり話しかけてくるのは最近のトレンドなのかい」
「いや、そういうわけじゃない。ただ、単にアンタに興味を持っただけだ。アイツと雰囲気が似てる、アンタにさ」

 理由は分からないが、とりあえず彼が危ない人物であるとは理解できた。
 始業式だから、と何も持ってこなかったのは痛かった。せめて、ナックルダスターくらいは常備しておくべきだったかもしれない。
 今にも彼はポケットから手を出して、握ったナイフでぼくを切り刻んでしまうような、そんな雰囲気を漂わせているから。

「……まぁ、興味を持たれるのは悪い気はしないけどさ。なんならメルアドでも交換しておくかい?」
「いやいや、そこまではフレンドリィにしなくていいさ。俺らは他人なんだからな。あー、そうだな。じゃあ、質問をしたかったから声をかけたということにしようぜ」
「取ってつけたような質問だけど、まぁ、いいさ。難題?」
「ミレニアム問題級ってもんじゃないが、アンタは"人を殺すことを許容できる人間か"?」
「いいや、できないね。そんな奴居てたまるか。ぼくは日常を好んでいるんだ、だから普通じゃない事は勘弁願うね」
「ふぅん、アイツみたいな雰囲気で兄貴みたいな考え持ってるってのはちっとばかし人間的に厄介過ぎるんじゃねぇの?」
「いや、君の知り合いもお兄さんも知らないけども、何か貶められているような気がするんだけども。じゃあ、次はぼくが質問することにしようか。その刺青は?」
「なっ!? この伏線の塊である刺青をすぐさま問い詰めるか普通!? いいぜ、飽きるってくらいの桁の行数で語り尽くしててやんよ!」
「いや、ごめん。やっぱ興味ないや」
「何で質問しやがった!?」
「取り立てて言うならば、目立つから?」
「そんな理由で人の頑張ってる部分を蔑ろにするんじゃねぇ!!」
「あ、やっぱり頑張ってるんだそれ」
「俺のファッションを! センスを! お洒落頑張ってるっての一言で済ませるんじゃねぇよ!!」
「いやはや、結構奇抜だよ君のそれ。正直、この前会った針金みたいな人くらいに印象的だしさ」

 名も知らぬ彼は沸点間近の水がいきなり凍ったかのように表情を冷ます。擬音を使えば、きょとん、だ。

「は? 兄貴に会ったのか。よく生きてたな、お前」
「うん? 君みたいに質問されただけなんだけど。『君は妹とか好きかい?』って。好きですって即答してから意気投合して二人で語り合ったくらいだけど」
「あー……、同族の匂いを感知しやがったのかあの馬鹿兄貴。まぁ、それ俺の兄貴なんだが……。何処でいつ会ったよ」
「そうだね……、確か一週間前くらい前に二つ前の駅の商店街の近くで会ったんだっけかな。ああ、そういや刺青入れた弟を探してるってついでに言ってたね」
「俺の事ついでかよ!? あぁー……、なんか俄然やる気出てきたわ。ぜってぇ見つかってやんねぇわ」
「ははは……、まぁ、その、なんだ。頑張って」

 それから他愛の無い雑談で終点までの暇を潰させてもらった。特にぼくが気になった話題は彼が言う欠陥製品。戯言遣いという人物のことだった。
 自分の手を自ら折りながら戯言を吐くドMなサディストだとか、その人の周りにちょくちょく居る人類最強の赤い人物には気をつけたほうがいいだとか、それからカップメンを食べる最高の待ち時間は何分だとか、神は居ないけど幽霊は信じれる理由の討論だとか、くだらない雑談で殆どを埋め尽くす結果になった。
 終点間際の駅で、彼と別れ、IS学園へ向かう最後のレールの上でふと思う。

「そういや、名前を聞くのを忘れていたな」

 でも、また何処かで会えるようなそんな気分だったから、そんな別れもいいのかもしれないな、だなんて思ってたら終点についた。
 朝の六時。始業式まで後三時間程の時間があるので、教師としてIS学園に居る姉に会いに行くことにした。受付の人に学生証を見せ、姉の居場所を聞き出す。
 この時間はまだ会議の時間ではないため一年の寮長室に居るだろう、とのヒントをくれたので、寮長室の場所を聞いてからその場を後にした。
 広い校庭や技能場、コロシアムのようなISアリーナなどを背景に道を辿るとランニングしている胴着姿の女の子の姿が前に見えた。
 白いリボンでくくってポニーテイルにしているその少女の豊かな胸が揺れまくってて大変なことになっていたのを、思春期真っ只中のぼくは見つめてしまった。
 ええい、落ち着けぼく。混乱してんじゃねぇ、心臓! こんなことでパニクってんじゃねぇよ。中学生じゃあるまいし……っ。
 そんな些細な抵抗を脳裏で繰り広げていたら、眼が合ってしまった。
 少女は信じられない、といった様子でぼくを見るが、別にぼくは死人ではないので、心当たりがなかった。
 
「い、一夏っ!?」
「え、あ、そうだけど、どうしたんだい"箒ちゃん"」

 口から自然に零れた少女の名前。そうだ、彼女の名前は篠ノ之箒だった。小学三年生まで《俺》と幼馴染していた少女の名前だ。

「…………失礼ながら、貴方は誰だ」

 一瞬で睨むような疑いの視線をやった箒ちゃん。さすが幼馴染であるだけはある。彼も報われることだろう、こうも自身のことを分かってくれる人が居るなんて。
 ぼくは、やや苦笑しつつ口を開く。

「そうだね、君にはまだ伝えてなかったね。ぼくの名前は君の知っている通り、織斑一夏だ。ただ、中身が変わったというだけでね」
「……中身だと?」
「細かい説明を要約するなら、記憶喪失の二重人格だと思ってくれればいいよ」
「記憶喪失……だと? どういうことだ、確かに一夏は自分のことを《ぼく》とは呼ばないし……」
「喜ぶといい。《ぼく》の中に、まだ、《俺》だった《織斑一夏》は存在しているから。"初対面"のぼくが君の名を呼んだのは、そういうことだから」

 絶句して言葉にならない箒ちゃんは立ち尽くしていた。それはそうだろう。久しぶりに出会った友人が、記憶喪失で、さらに別人であるのだから、戸惑わない方がおかしい。彼女もまた、千冬さんみたいに割り切ってくれるといいのだけれど。さすがにこの年代の少女にトラウマを刻み付けるのは、いい気はしない。

「それじゃ、息災で。お姉さんによろしく頼むよ、"箒ちゃん"」

 そう言い残してぼくは歩みを進めた。今の彼女に説明しても混乱して堂々巡りを起こすに違いない、少しだけ放って置いた方が彼女のためだろう。
 この場に居るということはまだ縁が合う可能性があるということだ。どうせまた、彼女の方から会いに来るだろうさ。
 呆けたままの箒ちゃんを置き去りに、ぼくは寮長室のある寮の階段を探して上る。
別に運動不足というわけでもないぼくには特に疲れもしない距離だった。
 数度ノックして、声をかける。内側から鍵が外れる音がしたので、遠慮なく入ることにする。
 視界に移る山、山、山。おい、千冬さん。一人暮らしの片付けられない女じゃあるまいし、なんてゴミ屋敷に住んでるんだあんたは。
 そう突っ込みたくなるような酷い有様だった。部屋着なのだろうYシャツだけを着て、ちらりと見える生肌や太もものあたりがセクシーで、少しだけ目のやり場に困った。目の保養だと割り切っても良いが、ぼくらは姉弟だ。それって結構不純だと思うんだ、是非推奨したいけど。
 後ろ手で扉を閉め、正面に立つ女性――我が姉たる織斑千冬に口を開く。

「あんた、なんて部屋に住んでるんだ!?」
「朝の挨拶がそれか。し、仕方ないだろう。教師というのは何分忙しくてだな……」
「……はぁ。御託はそれだけですか、千冬さん。自分の家事力の無さを嘆くなら今ですよ」
「く、ぐぬぬ……。片付ける前に増えるのだ。不衛生が悪い!」
「はいはい、掃除するから触って欲しくない着替えを拾ってください」

 その言葉でハッとした様子で振り返り、ベッドの端に見える脱ぎ捨てられた下着やシャツらを即座に回収し、辺りを見回し始めた我が姉に幸あれ。
 いつになったら嫁に貰ってもらえるのか、そう考えるだけで少しだけ不安になる姉を一瞥して、積み重なった空き缶やつまみの袋などのゴミを拾う。集めたゴミは一リットルの袋パンパンに収まり、朝早いために掃除機を使わず雑巾や箒を駆使して掃除を開始する。
 その間邪魔なので千冬さんには洗面台の前で着替えを行ってもらい、三十分くらいで掃除を終えてすっきりした部屋へ千冬さんを招く。立場が逆な気がする。

「ぼくが居ないからって自堕落な生活は駄目だって言ったじゃないですか。本格的に嫁に行き遅れますよ」
「ぐぅっ!? ひ、人が気にしている部分にざっくりと言いよってからに……。お前はどうなのだ。彼女くらい一人や二人作ったんだろうな?」
「いや、二人は駄目でしょうよ。正直に言って必要無いんですよね。別に一人で家事と仕事両立できますし。何処かの姉とは違って」
「…………い、一夏が虐める……」
「はいはい、項垂れない床に崩れない。これもまた愛の鞭って奴ですよ。そろそろ学習してくださいね千冬さん」
「……お前が傍に居れば一生楽できるかもしれん(ボソリ)」
「ちょ、なに諦めてるんですか!? 最近千冬さんぼくを執事か召使だと思ってません!? ほら、立って。ああもう、寝癖取れてないじゃないですか」

 綺麗になった床でよよよと崩れ落ちている千冬さんの髪を洗面台から持ってきたくしと寝癖を直すための水の入った噴射機で梳かす。耳の後ろ側とか後頭部側とか鏡で見えないような場所に寝癖が立っていて、正直世界最強のIS乗り【ブリュンヒルデ】の千冬だとは思えないくらいにダサい。
 無言でぼくに手直しされている千冬さんは何処かしょんぼりとしていて、まるで叱られた犬のようだった。犬耳と尻尾が見える気がする。
 
「はい、終わりましたよ。今日からはぼくが近くに居るんですから、少しは気をつけるくらいしてくださいね」
「……ああ、そうだな。努力は得意だ。……長続きしないのが欠点だがな」
「千冬さんの場合、全てに一生懸命過ぎるんですよ。もう少し肩の荷を放り投げたらどうです」
「何処にだ!? はぁ。そう簡単に投げれるものなら投げてしまいたいのだがな。世界最強という肩書きも色々と大変なのだぞ。舐められたら終わりだからな」
「まぁ、それもそうですが……。まぁ、程々に肩の力を抜いてくださいね。まぁ、ここまで自堕落には困りますけど。掃除するの誰だと思ってるんですか」
「お前だろう」
「畜生、分かってたけどあんた一生ぼくをコキ使うつもりだな!? 一応言っとくがぼくは弟だからな!?」
「弟の全ては姉のもの。姉の仕事は弟のものと言うではないか。問題ないだろう?」
「……一瞬そのどっから湧いてくるか分からない自信溢れる顔に頷きかけたけど違うからな! 女性の千冬さんに倒れられると困るからやってるだけだからな!」
「なぁ、一夏。その、なんだ。すまなかった。もう少し頑張ろうと思う。まさか、そこまで考えてくれているとは思ってなかった」
「…………はぁ。今日からビールは二缶ですからね」
「なっ!? 後生だ、せめて三つにしてくれ」
「……千冬さんのプライベート生徒に流しますよ?」
「分かった、二缶で我慢しよう。だから休日は勘弁してくれ」

 そう縋るような瞳で上目遣いされたら、だが断る、と断るに断れないじゃないか。これだから、女性は卑怯だ。魅力的過ぎる。結局、ぼくが折れた。
 あんまり長居しても千冬さんの邪魔になるので、ぼくは入学式の前に校内を見学しておくことにした。どうせこれから過ごす場所だ。知らぬで居るよりかはマシだ。
 しばらく探索していたら予定の時間になっていたので体育館へ、座らされた入学式の席で鉄の処女のようなたくさんの視線を身体に突き刺さられ、それが教室まで続くなんて、地獄だとしか思えなかった。
 正直、もう、帰りたくなって来た。昨日電話の席でぼくの現状を羨んでいた友人の弾と変わってやりたい。
 いっそのこと開き直ってハーレムでも作ってみようか。

「……はぁ、戯言だよなぁ」

 ぼくの呟きは副担任の山田真耶先生の口上に押し負け、そのまま机に突っ伏したくなる気持ちに負けて、ぼくは肩を落とした。
 窓側の席に居た箒ちゃんの視線が痛かった。
 正直、折れそうだ。
 がくっ。



[34794] 弐話 玩具な兵器。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/09/04 17:00


 奇跡ってのは必然な偶然ってやつだろ? どうして待ってられるんだ、行動しなきゃ確率も何も生まれないのに。












 IS――正式名称インフィニット・ストラトス。宇宙空間の作業を想定されて篠ノ之束博士に作成されたパワードスーツ。
 名前の可愛らしさとは裏腹に、その性能は既存の兵器を凌駕する化物兵器だ。
 曰く、その速度は戦闘機を凌駕する。
 曰く、その馬力は戦車を凌駕する。
 曰く、その内部装甲は核防壁を凌駕する。
 そして、その性能に組み合わせるように人間が古来から使用してきた武器たちを一定量搭載することができる"量子化"の機能が備わっている。
 IS一台と優秀なパイロットによって戦争行為を一瞬で制圧し、蹂躙し、暴虐の限りを尽くせる程の性能は、世界の歴史を変えるには十分すぎた。
 世界に四六七機のISコアを廻って平和の水面下で、夥しい程の策略と犠牲と暴力が渦巻いている程に、それは罪深い存在だった。
 ただ、一つだけよかったと思える点は、"ISは女性しか使用できない欠陥機"であることだ。
 世界の人口数は六十億ちょっと、既存するISコアは四六七機、そして、世界の女性の人数は単純計算で二分の一、これを喜ばないわけがない。
 本来、戦争は男の手によって作り出され続けてきたモノだ。逆転した世界で、女性はすぐに変革を起こすことは、不可能だった。
 技術はあった、力はあった、でも、経験がなかった。
 そのため、ISの存在を危ぶんだ世界各国の長はアラスカ条約の締結をしてみせ、暴走を未然に防いだ。
 世界各国の長たる男性たちが焦った理由は一つの事件が原因だった。たった一機、たった一騎によって日本の存在が護られたから。
 白騎士事件。白い装甲に身を包んだISがハッキングによって奪われた各国の秘密裏に製造された三千発以上のミサイルを切り捨てた事件は、前代未聞の大事件となった。白騎士を軍事的に確保しようした国、存在を危ぶんで存在を消そうとした国、各国から送り出された軍事兵器を悉くこの白騎士は切り裂いた。
 同時に、世界の歴史を切り裂くことをパイロットは知っていたのだろうか。
 ISの存在により、世界の秩序は激変した。五百に満たないISコアを求めるために戦争が起こり、力無き国の民が犠牲にされ、強大な力を得た国の民は自身の存在を格上であると誤認し、条約が締結されるまでこの悲劇は生まれ続けた。
 結果、推測犠牲者の数は一億前後。これが僅か一年で息を引き取った人数。
 各国はこの強大すぎる力の制御を試みた。いくつもの試行錯誤により、弾き出された政策は、ISのスポーツ化だった。
 オリンピックに似た競技としての新しいISの概念は世界各国に大人気だった。他の国に勝つという理由を前面に押して、地上最強の兵器の開発に着手できるというのだから、乗らないわけがなかった。
 所謂ゆとりの世代である時期に、日本にIS学園が設立され、ISの存在は時間をかけて日常と同化していった。
 ――その身に宿る危険さを孕んだまま、分かる者の操り人形となった。
 ぼくがIS学園に居るというこのイレギュラーは、世界各国の軍上層部をお祭り状態にさせるには十分だった。
 男性の本能というべきか、戦の時期が近いと確信した瞬間だったのだろう。即座にぼくにシークレットメールが届き始めた。
 曰く、金銀財宝と引き換えにぼくの人生を売って欲しい。
 曰く、ぼくの安全を確保するために是非ともうち(国)に来て欲しい。
 曰く、ぼくは居るべきではない存在なので、極秘裏にうち(国)に来るべきだ。
 招待状から脅迫状までレパートリーの多いメールを読むには少し骨が折れたが、一つ一つに丁寧に返信してやったのを覚えている。
 『甘えるな』と一言、丁寧に各国の言葉に翻訳して送り返してやった。
 それからメールは一切来なくなり、ニュースで不祥事を起こした世界の政情が映し出されていた。
 阿鼻叫喚の旗下に、行き過ぎた行動を取ろうとした結果なのだろう。別にぼくに関係はないからどうでもいいのだけれども。

「ちょっと、よろしくて?」

 休み時間に思考の独白をしていたら、誰かに声をかけられた。
 横を見やれば、何処ぞのお嬢様な女の子が立っていた。まぁ、ここ(学園)には女子しか居ないのだけれど。

「なにかな? 生憎君のような可愛い子との接点を忘れる程鈍感じゃなくてね。初対面で合っていると良いのだけれど」
「ええ、そうですわね。わたくしと貴方はこれが初対面ですわ。貴方、わたくしの名前を知っていて?」
「セシリア・オルコットちゃんだろう? 先ほど自己紹介していたじゃないか。それに、イギリスの最年少代表候補生。君のような天才に声をかけられて恐縮だ」
「あら、身分を弁えているとは存じ上げませんでしたわ。日本の殿方は紳士的ですのね」
「いやいや、たぶんぼくが異端なのさ。普通の思春期の男の子なら君に対してしどろもどろするか、ぶっきらぼうに返すだろうからさ」
「……ふぅん。中々見所がありますわね、貴方。男性だからといって調子に乗っているのかと思えば、意外でしたわ」
「ははは、正直ぼくはこの場に居たくないのだけれどもね。如何せん、各国の裏の人たちが狙っているようだから身の安全を確保するためにここに居るのさ。正直に言えば、姉が居なければさっさとこの身を天上に返してるさ」
「自殺志願者にしては、大胆不敵ですわね。その自信、何処から来るんですの?」
「さぁ?」
「はぁ?」
「ぼくは生まれ変わるくらいなら、死んでしまいたいと思ってるから。君が思うぼくの余裕は、ただの心の怠慢だろうね」

 しばらく驚いた様子で立ち尽くすセシリアちゃんを観察する。
 ……ふむ、箒ちゃんとまではいかないが良い乳をしているな。やっぱり外国は育ちが良い。
 傲慢なお嬢様かと思っていたが、意外と弁えるところを弁えているあたり、国の代表の道を背負っている自覚はあるようだ。少しだけ感心。
 
「……貴方は、いえ、何でもありませんわ。ISの起動時間はいくつか分かります?」
「そうだね……最初の十秒と、IS学園の試験の際に三分。あわせて三分十秒だね。いやはや、ISってのがどれだけ化物か、身を持って再認識したよ」
「ふふっ、当たり前ですわ。何せISは最強の兵器ですもの。お飾りじゃないんですの」
「そりゃ同感だ。いやぁ、意外と君面白いね。話していて飽きないよ。ただ、一つだけ言わせてもらうけど、データはあげないよ」
「っ!」
「瞳を見りゃもう分かるんだよ。雰囲気でも、ね。随分な人数に騙されかけてる身分だからね、他人を信じられなくなってるってのもあるけど、必然的に見破れるくらいの経験をしてるんだ。何せ、数発の銃弾を身に受けたり拷問されてたりもするんだ。もう、慣れた」
「……失礼しましたわ。先ほどまで貴方の評価を下げていましたが、それ以上の人物だったようですわね」
「いやいや、別にタメなんだから気にしないさ。ぼくはそこまで器量の小さな男じゃないのさ。何ならフレンドリィにいっくんとでも呼んでも良いんだぜ」
「いえ、その呼び名は遠慮しておきますわ。何処か貴方の術中に嵌っている気がしてままなりませんもの」
「……セシリアちゃんってさ、日本語上手いね」
「え? あ、ええ。努力しましたから。語学で遅れを取ればどんな不利な状況に陥るか分かりませんもの」
「随分と慎重なんだね。日本はそんなに治安が悪いってことはないから、ほら、貯金箱って言われてる自動販売機があるくらいなんだからさ」
「そうですわね。この国に降り立って少しだけ驚きましたわ。義理と人情の街というのも、納得がいきましたわ」
「いや、それ限定的な地域だから。ここはどっちかっていうと東北寄りだから……。まぁ、日本人なら似たようなもんか」
「……不思議ですわね。何故か貴方には隠し事ができない気がしますわ」
「まぁ、ぼくも君がただの女の子でよかったと思ってるよ」
「? どういうことですの」
「いや、これはただの戯言だから気にしなくて良いよ。そろそろ授業が始まる時間だから、戻ったらどうだい?」
「あら、そうですわね。では、また後で」

 流石に代表候補生であっても話術に長けているわけではないらしい。おかげで遣りやすかった。
 常識や知識は多いようだし、色々と遣い易いかもしれないな彼女は。
 《ぼく》がこの世界に居始めてから不思議な出会いがありすぎたせいで、少々ぼくの他人に対する感覚ってのが美味い料理を庶民が食べ続けて舌が肥えちゃったくらいに肥えてしまっていて、キムチ丼のご飯抜きを二杯程食べたとしても味覚じゃないこの感覚は直らないに違いない。
 去年の今頃に出会った罪口積雪と名乗る短髪の背の高い和服の男性に少しだけヤバイ仕事のバイトを、技術提供の即払いという中々良い条件で仕事させてもらっていたこともあったからか、色々なことを動じず同時に考えてしまうくらいにぼくは少し日常離れしていた。
 だからだろう。再び拉致されても銃弾や切り傷程度で生還し、普通に学校へ通っていたぼくの精神面は鉄鋼くらいになっているのは。
 三人の零崎に、二人の“天災”に、一人の呪い名。どう取り付くっても最悪な出会いの組み合わせの人生だとは自覚している。
 でも、《ぼく》という性質ならば、それは必然な偶然なのだろう。きっと、これからもその手の縁が勝手に合うに違いない。
 
「――では、このクラスの代表者を決める。立候補推薦は問わん」

 教壇にはびしっと決めた千冬さんが居り、いつもの様子とは掛け離れた凛々しい姿を降臨させていた。
 世界最強の姉。【ブリュンヒルデ】の織斑千冬。それが、《俺》の姉の名前。
 刺青の零崎が言っていたスペックでこの世に人類最強の請負人が存在するのなら、少しだけ賭けに迷う。
 姉が生身でなら人類最強が勝つだろうし、IS着用時なら世界最強が勝つだろう。それくらいの性能さがISには存在する。
 まぁ、人類最強が宇宙空間で生活が出来るほどに人間離れしていたのなら、千冬さんの全敗は免れないだろう。
 ISに乗った人類最強が勝つのでは、とも思うのだが、如何せんISというのはどちらかと言えば生物兵器に近い存在だ。
 ISがもしも、ただの道具であれば、人類最強は世界最強と名を変えていられたかもしれないが、今もなお、そうなっていないということは、彼女にはきっと人類最強で留まらなければならない理由があるのだろう。
 例えば、“自我が強すぎてISに嫌われている”とか。
 そんな理由が無ければ彼女は今頃世界覇者だ。いや、最も彼女にISに対して興味が無いのであれば別だが。会った事無いから憶測だしね。
 
「はい先生。セシリアちゃんを推薦しときます」
「ほぅ、オルコットをか。他薦はないか? 立候補でも構わんが」

 この手の代表者ってのは面倒な雑用を肩書きという便利な布切れで隠してしまっているものだ。
 恐らくながら、生徒会の会議に出たりだとか、IS団体訓練の書類を常々提出しなくてはならないとか、書類を製作して提出しろだとか、クラスに虐めはないかとか、色々と雑用をこなさなくてはならないのだろう。
 ぼくは勘弁願いたい。
 なら、どうすればいいか。他人に投げてしまえばいいのだ。恐らく先ほど交わした会話から彼女が結構誇りを大切にしているような口振りだったし、この手のイベントには率先するはず。そして、「じゃ、わたしは織斑くんを推薦しまーす」なんてキャピキャピした声で先に言われてしまえば、彼女のプライドも傷付くだろうし、矛先はきっと、こちらに来るだろう。

「ふむ、他にはないか? 無ければオルコットと織斑で決めてもらうが」
「へ?」

 どうやら、先ほどの台詞はぼくの言葉ではなく現実で発せられたものだったらしい。
 ……ああ、確かに最初の発言なのに冒頭に「じゃ」なんてつけないね。
 恐らく千冬さんの性格からして「推薦を受けたのだからどかっと座っておけ」なんて言われて流されるのが落ちだろうし、話し合いで決めれればいいなー、とか思ってたらセシリアちゃんが立ち上がってぼくに宣戦布告。

「他の誰かならまだしも、貴方には負けられませんわね! いいでしょう。決闘ですわ、織斑一夏!!」
「いや、そんな――」
「よし、来週の月曜にアリーナの予約を取っておいたぞ。その場で決めるように。では、次の係り決めだが――」

 くそう、押しが弱いっていつも言われるのにぼくって奴はっ。千冬さん、仕事が速すぎるよ。
 セシリアちゃんを見やれば何処か意気揚々としているし、このまま断りを入れにいくのも何か野暮だ。仕方ない。さっさと負けてしまおう。
 ……待てよ、でも彼女は代表候補生だ。変に手を抜くと別の火種になりそうな予感がする。どうもぼくはこの手のトラブルに困らない体質のようだ。
 取り敢えず今日の昼休みあたり、仮想シミュレーター室にでも行ってシミュっておくことにしよう。
 三、四時間目の座学が終わり、昼休みになる。食堂に行こうかと立ち上がったら、目の前に鬼でも殺したか後のような形相の箒ちゃんが居た。
 
「……一夏、決心がついた。詳しい説明をしてくれないか」
「ああ、そのことか……。てっきり、貴方を殺して私も死ぬっていう修羅場にでもなるのかと思ってたよ」
「どんな誤解しているのだ!? その、緊張していたことは認めよう。しかしだな、そんなことは思ったことないぞ」

 ――お前の中の一夏まで殺してしまうことになるじゃないか。
 箒ちゃんもまた割り切ったようだ。こうなれば、説明がしやすい。取り敢えず食堂へ向かい、二人掛けのテーブルを選んだ。
 ぼくが注文したのは日替わり定食Aランチで、ナポリタンの横にエビフライなどの何処かお子様ランチを彷彿させるラインナップが並んでいる。
 対して箒ちゃんは日替わり和風定食で、鮭の切り身とお味噌汁とおひたし。和風のラインナップで見た目が綺麗だ。
 トレイに並ぶ品々に手を出しながらぼくは一通りの説明を箒ちゃんにしてあげた。
 正直、彼女で女性に対して説明する回数は三回目であるから、少し手馴れた口調で説明してあげる。
 ぼくは記憶喪失でありながら二重人格のような曖昧な性格の具現化であり、本来の《俺》である《織斑一夏》はぼくの心の奥に眠っていること。
 そして、この症状がいつ治るかは分からない複雑な病状であること。一通り説明してあげた箒ちゃんは、静かに涙を流してから「そうか」と相槌した。
 ……《俺》の知り合いは中々精神がタフだね。二年前のクラスメイトの鈴ちゃんもさらっと受け入れてくれたし、中々良い人脈を持っているようだ。
 まぁ、ぼくはその人脈を便利な繋がり程度にしか思って居ないのだけれども。正直他人事だから。
 
「それにしても大変なんだよ。どうしてぼくが代表なんかやらなくちゃならんのだか」
「決まってしまったのは仕方ないだろう。それともわざと負けるとでも?」
「いやー、それをするときっと彼女怒って別の何かを起こしかけないから止めておくよ。精々頑張って足掻くさ」
「ふむ……、そう言えばお前は剣道は続けているのか? 昔の一夏は私と一緒にやっていたが」
「……ごめんね。正直に言うとやってない。バイトとか勉強だとかで他の事をする時間が無かったからね。千冬さんの給料は良いから困りはしないけど、出張とか多かったから出費が多くて、結構カツカツだったりしたんだよ」
「そ、それはすまなかった。……でも、残念だ」
「……やって、みようか?」
「は?」
「いや、きっとぼくの身体に染み付いているだろうし、放課後にでもやってみようか」
「……そう、だな。そうしよう。そう言えばお前はISについてはどのくらいなのだ?」
「うーん、正直中の下ってとこかな。あの分厚い資料は読み込んだけど、アレにはルールばかりで動かし方は乗ってなかったからさ」
「む、確かにそうだったな。ってことは打鉄の申請をしておいた方がいいのではないか? 確か、順番待ちが長いと嘆く先輩も居たぞ」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、授業中にしておいたのは正解だったかな。今日は無理だったけど明日から毎日分くらいは確保したし」
「……手際が良いというか、よく千冬さんの授業中にできたなそんな大それたこと」
「え? いや、千冬さん授業中に教壇の下で申請許可くれたっぽいけど。むしろ、ノリノリなんじゃないかな」
「……ううむ、久しぶりに会った織斑姉弟のことがよくわからん……」
「大丈夫。むしろ、ぼくの方が分からないから」

 まぁ、ぼくが生まれてしまった理由は分かっているのだけれども。
 箒ちゃんとの雑談は剣道や武術などのマニアックなもので、結構タメになる知恵が多かったので、収穫だと思う。
 再び教室に戻り、授業開始。午後は山田先生の授業らしい。電子黒板の横に椅子を置いて監視している千冬さんがかなり威圧的。
 大半の生徒はそのせいで緊張しながら授業を聞いているが、正直山田先生の授業は下手糞なのでぼくにはノーサンキュー。
 マルチタスクを端末に起動させて、当てられたら答える程度に把握しつつ、ISの機体という性能を独学していった。
 放課後。ぼくは箒ちゃんに連れられるままに、全身に刺さる視線に慣れつつも、武道場へ向かっていた。
 前の文化祭で男性のプロゲストに着て貰った予備の胴着を貸してもらい、記念として置かれていた竹刀などの剣道具一式を借りた。
 うん、重い。それに、結構すかすかだから隠せるもんも隠せない馬鹿正直な戦いしかできない格好で、少しだけ不安になる。
 何処でぼくを狙っているのか、分からないのだから。

「それでは、軽い組み手で構わんな。好きに打ち込んでこい」
「うん、お手柔らかに頼むよ」

 正面に立つ箒ちゃんからプレッシャーが迫るが、正直温い。朝の彼の方が数百倍に濃いし、殺気も纏っていない気迫じゃ、怖くもない。
 ……まぁ、慣れているだけでぼくには出せやしないのだけれど。
 何処かしっくりと来る竹刀のグリップを両手で掴み、中段の構えで一歩踏み出す。数メートルしか離れていないために、その一歩は大きい。
 多分、ぼくの知り合いの知り合いなら、この距離でぼくを殺せるに違いない。そんな、距離だった。
 他人ができるのなら、ぼくであっても我流であってもできる可能性があるのだ。ならば、やってみるとしよう。
 大きく踏み込み、竹刀を下げて箒ちゃんの竹刀を弾くように下段から払う。

「っ!?」

 本来の剣道ではしないような動きに戸惑うのも仕方が無いだろう。こんな西洋めいた野武士のような戦い方、するわけがないだろうし。
 油断していたのか、簡単に浮き上がった竹刀に返しの一手でさらに払う。無防備になった箒ちゃんの面ではなく、小手を引き打つ。
 乾いた音が聞こえ、放心している箒ちゃんから竹刀の先が触れ合うくらいの距離まで下がる。

「……どういうことだ。お前は……、何処でその技術を習ったのだ」
「武術を習った覚えはないけど、他の心得ならいくつか享受してもらったかな。どうしたの?」
「……一瞬、剣先が消えたんだ。お前の竹刀が見えなくなった」

 ……いやいや、別にそんな凄い技術を持っているわけでもなく、普通に力入れて弾いて払って打っただけなんだけど。
 あー……、もしかすると《俺》だった《織斑一夏》ってのは結構剣道の才能があったのかもしれないな。となると、それにぼくの技術が足されるわけだから、剣先が消えるくらい普通……なのか?
 いや、どうだろう。正直そんなオカルト信じたくないんだけどさ。でも、本人が言うならそうなのか?

「どうしたの箒ちゃーん。今のなら普通に返せたでしょ?」
「へ? せ、先輩には見えたのですか。今の」
「もー、何言ってるのさ。あんなにゆっくりな太刀筋見えるでしょうが」
「……そんな馬鹿な。い、一夏、もう一度だ!」
「あ、ああ。構わないけど……」

 再び似たような戦法で面を取る。うーん、別に代わった点は無いのだけれど。
 箒ちゃんは竹刀を置いて、面を取った。そして、もう一度面をつけてから、面を外して……へたり込んだ。

「……だ」
「うん?」
「お前の竹刀は私の面の死角を通っていたんだ……。それも、“連続”して、だ。そんな馬鹿げたことがあってたまるものか……」
「運が良かったんじゃないかな?」
「そんなわけがあるか。最初の構え以外に、私の視界にお前の竹刀はほぼ映っていなかったんだぞ。これを才能と言わずして何と言うのだ」
「偶然じゃない?」
「……すまない、一夏。恐らく私ではお前に一本取ることも難しい。今日はこれで終わってくれないか」
「え、あ、うん。箒ちゃんがそういうのなら……」

 ぼくは何故かニヤニヤしている剣道部の先輩たちの視線の中、面やら篭手やらを外して……懐から出した除菌タオルで拭いた。
 「ああっ!」と悲鳴が上がるが、こういうのにぼくから付着した汗とかついていると、後々ぼくが困る羽目になるだろうからさ。
 こういう事がありそうだったので束さんに頼んでその手のものを完全に消し去れるタオルを開発してもらっていたのだ。
 綺麗に拭き終えて、胴着は後で洗濯して返すと“箒ちゃん”に言ってから、見える場所に置いておいた着替えと鞄を掴む。
 確か、放課後に千冬さんに寮長室へ来るように言われていたな。会議の時間くらいは暇を潰せたから、一度行く事にしようかな。
 まだぼくの寮の部屋を教えてもらっていないんだよね。三年生の卒業の遅れで調整が大変だとか、愚痴ってたし。
 ぶっちゃけると寮長室でも良いんだけど、千冬さんが「そうすると私が堕落するから駄目だ」と念押しされてしまったのだ。
 でも、時々来るように、と付け足す辺り依存されているのかもしれない。はぁ、嫁に貰ってもらう前に花嫁修業をさせるべきだろうか……。
 
「……はぁ。傑作だな、ちくしょう」

 ぼくの独白は廊下に響かず、無音に捻り潰された。どうすりゃいいってんだよ、まったくもう。











 人の夢って叶わないから儚いんだよな。










 寮長室で受け取った部屋鍵をポケットに入れて、部屋に向かっていたら何やら違和感を感じた。
 前に進んでいるのに後ろに進んでいるような、全速前進なのにムーンウォークしてるみたいな、そんな不思議な違和感。
 先ほどから視界に生徒を見ないし、加えて視線が突然に失せた。何だろうか、これは。
 歩いているのにオアシスに辿り着かないような、そういえば自分が何故歩いているのかすらも分からなくなってきた。
 はて、何処かで聞いたことのある状況だ。何処でそれを聞いたんだっけか。

「あー……、取り敢えず初日から仕掛けてくるとは思ってなかったなー。どうしよっかなー」

 そう苦し紛れに聞こえるように口に出してみる。微かな視線を感じたが、背後に居るというだけ分かってそこで諦めた。
 積雪さんに手持ち無沙汰に聞かされた呪い名の四位拭森の名が脳裏に浮かんで消える。
 対象の脳内に干渉し目的を失わせて衰弱した所を殺す、陰見な殺害方法を取るプレイヤー。生徒に紛れた拭森の誰かなのだろう。
 恐らく、ぼくの拉致か殺害のどちらかが目的だと推定。そしてその思考が脳裏から飛ぶ。この何処か足りない感じ、きっと当たりだろう。
 気付いた瞬間にぼくはPDAに単語を打ち込み、単語単語の組み合わせで記憶を繋ぐ。
 呪い名、四位、勃発、抵抗、攻略、可能。そこまで打って、ぼくは壁に頭を叩き付けた。かなり痛いくらいに、思いっきり。
 ……くらくらするが、若干思考は戻った。相手は驚愕しているようで、はっきりと今ので場所を教えてくれた。十メートル後方の階段フロア。
 十、後ろ、フロア、と追加で打ち込み。作戦を練る。いや、いらないのか、むしろ。
 ぼくはそのまま"気の向くままに"歩き続け、ようやく目的地にたどり着く。自分の持つ鍵にかかれた番号部屋へ入ってやった。

「っ!?」

 ……どうやら、遮蔽物があると効果は薄れるらしい。もしかすると、拭森の中でも幼い見習いレヴェルの刺客だったのかもしれない。
 上位格であればPDAがあってもすぐに忘れてしまうに違いない。三秒なんていう永遠めいた時間があれば、対処は可能だ。未熟者め。
 目的を殺すのだから、その目的を無くしてしまえばいい。
 しばらく歩き廻って"偶然"見つけた部屋が"偶然"今自分の持っている鍵のナンバーだったなら、"必然的"にその部屋に入るだろうさ。
 ――何の理由も無く。
 反撃開始、方法はドストレートにドキツクいこうか。女の子とは言え、呪い名。用心に越したことはない。
 まぁ少しばかり歩き疲れたから、それの腹いせでもある。八つ当たりとも言う。
 ぼくは敢えて鍵を閉めずに、ドアノブの種類を調べてから家から先に送られたのであろうボストンバックの中にあるそれを手にした。
 んでもって、それをリミッター外した状態にしてドアノブにくっつけておく。
 これで後は魚が釣れるのを待つだけだ。逃げたとしても、避けられたのだから万々歳だろう。腹いせだし、釣れると良いのだけれども。
 しばらくしてから、ドア越しに小さな殺気が鍵穴から漏れ出す。どうやら当たりっぽい。ドアノブが少し回った瞬間に――、

「あびゃっ!?」
「うっし、ビンゴ」

 手に持っていたスタンガンをオンにしてあげて、電気の通すドアノブ越しに撃退してあげた。扉を開くと、痙攣している見知らぬ女生徒が居た。
 手痛い反撃と言ったところだろうか。正直遣り過ぎた感もあるが、身を護るためだ。仕方ないだろう。ぼくだって自分の身は可愛いものだ。
 顔の写メを取って保存して状況終了。こうした撃退には少々手馴れた感があるな。
 取り敢えず伸びている女生徒の脈を測り、あることを確認してから廊下側の壁へ引き摺っておいた。
 まぁ、恐らく人が居ないという状況を作り出した相方の生徒が回収しに来るだろう。……メモでも張っておくか。うっとおしいし。
 警告染みた文を書き連ねた何処でも張り剥がせる付箋をおでこにつけて、部屋へ戻って内鍵を閉める。はぁ、やれやれ。
 初日から来るなんて油断してたぼくも悪いんだけど、どんだけ必死なんだよと突っ込みたくもなる気分をどう晴らそうか。
 
「ああ、そう言えば同居人が居たのだったな」

 扉から近いどう見てもシャワールームな場所からくぐもった少女の声が聞こえて、そしてさらにその声の持ち主に心当たりがあったりしちゃったから、敢えてそちらを見やることにする。開かれた曇りガラス付きの扉から現れたのは、やっぱり箒ちゃんだった。
 バスタオル越しでも分かるその魔の谷間の正体は言わずがな、思春期の少年たちを虜にしてしまうような湿って火照った生肌、そしてきょとんとしながら驚愕と羞恥に染まっていく表情。ああ、至福だね。これから平手を喰らうことを想定してしまうくらいに。完全にラッキースケベな展開だった。

「い、一夏ぁあああああ!? み、見るなぁあああああ!!!」
「ごふっ!?」

 喰らったのは可愛らしい平手ではなく拳の見えぬボディブロウ。確実に水月に入った感覚があり、嘔吐感と激痛がぼくの疲れた神経を焼き切る。
 ………………はっ、意識が飛んでいた。
 どうやらぼくはそのまま壁にもたれかかるように吹っ飛んで気絶してしまったらしい。
 悶絶するような腹部の痛みと変に曲げられた背骨の痛みがそれを物語っていた。
 横を見やればすでに部屋着のつもりなのか和服チョイスな胴着に着替えた箒ちゃんが頬を染めながら正座していて、こちらをジト目で睨んでいた。
 涙目で。ご馳走様です、眼福です。すみませんでした。

「え、えっと……ご、ごめんね。ぼくも注意が足りなかった……。それにしても良いボディブロウだった。剣道止めてボクシングやれるくらい」
「…………すまなかった。私も少し動転していた。殴ってしまったのは詫びるつもりだ。本当にすまない」
「……ああ、いや。大丈夫だよ。そろそろ動けるくらいには回復したからさ。さすが全国剣道大会優勝者だね。威力が段違いだ」
「む? 何故お前がそれを知っているのだ」
「え? 新聞に載ってたじゃないか。五センチくらいの枠でさ。……ああ、これも昔のぼくの記憶っぽいね。ぼくが見た記憶が無いのに覚えてるから」
「……そうか。今ので確信が持てた。お前の中には私の知っている一夏が眠っているのだな」
「ごめんね。ぼくなんかが久しぶりの一夏でさ」
「いや、そうでもない。むしろ、自分の中の気持ちが整理できたからな。今のお前でなければ私はきっと不器用に接してしまっていただろうよ。逆に礼を……。いや、どうなのだろうな」
「さぁ? 君が昔のぼくが好いていた事くらいしか分からないかな」
「……ひ、秘密だぞ。前の一夏には」
「オーケー。今の一夏がその約束を護ろう。まぁ、この手の記憶喪失って思い出した時にはその頃の記憶が残ってたりするから分からないけどね」
「……よし、頭をパーンだな。きっと飛ぶぞ」
「記憶が?」
「脳漿が」
「脳漿がっ!?」

 ボクシングのジャブくらいの速度でぼくの頬横を通って拳が過ぎた。避けなければ、鼻っ面に当たっていたに違いない。いや、マジで危ない。
 お互いの吐息が気がつけるくらいに近寄り、ぼくの腰の上に乗っかる形で箒ちゃんが結構やばい眼でぼくを見つめる。いや、睨んでた。

「ちょ、勘弁してくれ! ぼくはまだ死にたくない! もし、殴って別の人格が生まれて、それが鬼畜な性格な奴でも知らんからな!!」
「……ふむ、その考えは無かったな。だが、心配要らない。篠ノ乃流の裏奥義に亡心波衝撃という他の武術家の教えがあってだな……」
「いや、マジでそれは勘弁してください。割とマジで。と言うか、その奥義名なのに殴ろうとしたよな!? アレって左右から叩く奴だろ!」
「ああ、そうだったな。如何せん、読んだのが数年前だから忘れていた」
「おい。読んだって言ったぞ今! 漫画の技なんて素人ができるわけがないだろう!」
「……試してみるか?」
「……それ以上やるなら、ぼくにだって対処方法はある」

 そうぼくは手に持っていたスタンガンを箒ちゃんの首へ構える。リミッターは一度使うと戻る仕様だから、普通状態で安心モード。
 箒ちゃんの口元が引きつった。ああ、やっぱり武術家でもこういうのは怖いよね。まぁ、ぼくも正直これは無いと思ってる。
 スタンガンから手を離し、床に転がったのを見てホッとした表情の箒ちゃんに戻る。……そのまま正気に戻って欲しいけども。

「……すまなかった」
「えいっ」
「あたっ!? い、いきなりチョップするな!」
「……はぁ。これで手打ちね。そろそろ退いてくれないかな。別に重くは無いけれど、むしろ抱きついてくれると嬉しいくらいだけど、はしたないよ?」
「……? ッ!?」

 自分の状況を知ってか、若干暴れたせいで豊満な胸で乱れた上着を両手で抱きしめる形でキッと睨む箒ちゃん。
 いや、それはぼくのせいじゃない気がする。自業自得な気がするよ、うん。
 正直に言えばピンクブラが見えててちょっとドギマギと恐ろしさとで混沌としていた気分だった。そう、命の喜々的な感じで。違う、嬉々だ。アレ?
 箒ちゃんはすぐさま立ち上がって胸を上下に揺らし、ベッドの方へ逃げていった。
 ……何だろう。呪い名四位の見習いよりも一般人である箒ちゃんの方が手強かった気がする。知り合いだから尚更だろう。
 
「もう疲れたよ、フランダース」

 ……いや、逆じゃん。犬の方が喋った感じじゃねぇか、これ。まぁ、いっか。聞こえてないだろうし。
 それからしばらくして、再び面会した箒ちゃんと部屋のルールを決め終え、ふと気付く。ぼくは何処で小なり大なりすればいいのだろうか。

「確か、整備室とアリーナは男女で使う場所だから別れていたと思うが」
「……ここからの距離いくつだと思ってる?」
「その、なんだ。ご愁傷様」
「畜生。本当に鬼畜仕様だなこの学園の生徒側。主に男子。……待てよ、確か千冬さんの住む寮長室には備え付けられていたような……」

 困った時は泣きつくとしよう。できるだけ余裕を持って水分やらの調整をしておくことにしよう。女装してトイレに入るとか勘弁過ぎる。
 ……そう言えば、まだ自分は借りた胴着のままだった。まぁ、確かに部屋着にしたくなるくらいに楽だけれども、どうもすーすーして落ち着かない。
 ベッドとベッドを遮るカーテンの陰でラフなシャツとハーフズボンに着替えて、箒ちゃんに声をかける。

「そういえば洗濯ってどうすればいいんだ? 何処かにあるのかな」
「む? ああ、洗面台の近くに洗濯機があるぞ。洗剤はすでに備えてあるから使ってくれて構わないぞ」
「そっか、ありがとね。……胴着ってどう洗えばいいのかな」
「ああ、そう言えばその胴着はお前にプレゼントして構わないそうだ。男性用の備品だったから捨てるか雑巾にするか迷ってたらしいからな」
「ふーん……、そうなんだ。じゃあ、お言葉に甘えて貰っておこうかな。家なら部屋着くらいにはしてもいいし」

 何せ、ぼくの家には束さんお手製で特製の仕掛けがたくさんあり、人類最強くらいじゃなければ怪我せずに入ることもままならないような罠が存在している。そして、今のぼくの家には最大レヴェルでそれらが放置されている。帰った時にいくつ消費されているか楽しみだ。
 これは千冬さんも同意したことであるので、解除装置はぼくと千冬さん……ではなく、束さんに一任してあるので、唯一コンタクトが取れる姉弟であるぼくらが連絡することで解除する手筈になっているので安心だ。……たぶん。
 ああ、そうだった。確かぼくに専用機がIS学園側から送られるそうだからその機体のチェックもしておかないといけないんだったな。
 ぼくの端末に送られる手筈らしいので、後でチェックしておこう。しまった、PDAを玄関口に置きっぱなしだった。
 回収しようとベッドの脇から顔を出し、無意識的に隣を見てしまったのが運のつきだった。
 先ほどの胴着を脱いで、半裸状態でシャツらしきものを掴んでいる箒ちゃんが見えてしまった。あー、こりゃ死ぬかも。
 
「きゃぁああああ?!」
「がふっ」

 今度はボディじゃなく、傍目から見て猫ぱんち。しかし、威力絶大でマジで痛いッ!? 
 衝撃で吹っ飛んで、脳震盪とセットで気を失うのは、仕方が無い、気が、する。がくり。
 結局夕飯まで眠り続けてしまったようで、無駄に頭が痛くて冴えていた。
 PDAは時間で液晶が消えた状態で枕元に置かれていたので安堵、そして持っていた胴着は代わりに洗ってくれたようだった。
 しかしまぁ、食事を取って少し安定したが、この昂りどうしようか。そうだ、専用機のチェックをしよう。
 京都に行くようなノリだったが、ぼくは自室に戻りベッドにのそのそと戻ってから端末を操作する。
 倉持研と言うラボから――ではなく、罪口商会という知り合いの企業へ変わった(何が水面下で起きたかは存じ上げないし、知りたくない)そうなので、件名に第四地区罪口商会統括の名――つまり罪口積雪さんの名が載ったメールが届いていた。
 内容をスクロール。近況が細かく書かれてる、かなり丁寧に。ふむ、やっぱりこれは仕事扱いらしいようだ。かなりフランクだけど。
 文面的にあれからもお元気そうで何よりだ。
 入り浸りするピアノバーの曲識さんと一つだけ装備を製作したらしく、使い心地を試して欲しいとの事だった。
 ……倉持研の製作途中のコアをあの手この手で入手したらしく、その納品相手がぼくだと分かった途端、倉持研に脅し――もとい、商談をして正式に仕事を奪ったらしい。というか、日記調で後半にPSとして綴られていて正直ブラック企業の中身を見たような怖さが背筋に通る。
 まとめてあるデータをダウンロードし、閲覧モードに切り替える。空中投影されたスクロール。機体の名は――零式。

「……いや、積雪さん。曲識さんをリスペクトしすぎでしょう。よりによってこの名前のチョイスは……大丈夫かこれ」

 本気で心配だった。乗った瞬間に零崎モードとかマジで洒落にならないのだけど。
 恐る恐るながらおっかなびっくりとした気分でボタンをタッチし、性能とステータスを開く。
 ……良かった、搭載されてないや、零崎モード。搭載されてたら死ぬ気覚悟で直談判しなくちゃならなかったから心底ビクビクしてた。
 外見は……へぇ、白い騎士みたいなモデルで、積雪さんにしてはまともな方向の志向性のデザインでかっこよかった。
 見た目からして、白、と形容したくなる程に無駄の無いデザインで、積雪さんの無駄に至高な能力が発揮されているらしい。
 ええと、武器の一覧っと。……おいおい、何だこの搭載領域の密集率。全部ギリギリで組み込まれてて……ああ、これぼくの習った暗器術だ。
 って、全部打撃系!? おいおい、何なんだこのラインナップ。拷問器具から撲殺バットまで幅広いっていうレヴェルじゃないぞこれ。
 明らかに趣味と言うか、仕事柄全開な武器の種類なんだけども……。って、あれ、これ最後に搭載予定一覧って書いてあるぞ? 
 か、勘弁願いたいなぁ……。バイトはキツクて死にそうで大変で苛烈で熾烈で超絶だったけどもこれも辛い。たぶん、対戦相手が折れる。心が。
 次のページの一言目に「冗談だ」と書かれてあった。……ぼく遊ばれてるなぁこれ。今頃微笑を浮かべている気がする。何か悔しい。
 でも、そのためにここまで精巧な偽ステータスをでっちあげるなんて、才能の無駄遣いとしか言いようが無いのだけれども……。
 ISコアの単一仕様の関係上二つしか搭載が不可能だったらしく、一つは【雪片弐型】という刀武装。メインがこれらしく、発動時にISのシールドエネルギーを強制供給させて、それを相手のシールドエネルギーを突き破る程に放出して直接負荷をかけさせる能力。
 つまり絶対防御を絶対的に必然的に強制過剰発動させる一撃死の博打な能力らしい。
 一発決まれば即KO、外したら絶体絶命と言うピーキーっていうレヴェルじゃない代物で、普通なら欠陥だと叩きつけるレヴェルのそれだった。
 もう一つは音叉状の打撃武器。って、打撃!? ってことはこのISには遠距離系装備が一切無いことになる。結局ハードモードだった。
 片方の音叉が対象にぶつかることで、衝撃を波紋的に叩き込む波状飽和打撃が可能な武器らしい。どんな武器だこれ。
 これがぼくに対するプレゼントらしく、本来なら単一仕様のせいで搭載領域が無いこれに組み込める最小最高の武器を入れてくれたらしい。
 ああ、確かに弾丸とかも量子化しないといけないから搭載領域を圧迫しちゃうから、そもそも遠距離系は載せれないわけだ。
 ……その割にはこの音叉の武器【曲鳴(マガナリ)】の搭載スペースが三分の一を占めているような気がするのだけれども。
 気のせいであって欲しいな。切実に。
 返信として感謝の意を込めた文と今日の件を添えて「次は音響兵器なんてどうですか」と希望めいた事もPSして送り返した。
 返事で「それは盲点だった」と返ってきたので、しばらくすれば遠距離武器も期待できるかもしれない。

「……ただ、たぶんそれもプレイヤー向けのそれを巨大化して調整したものだろうし、IS乗ってても大丈夫……だといいんだけど」

 使用した瞬間に相手が内側から爆散するような兵器だったら封印しなきゃいけないのだけど。大丈夫だろうか。とっても心配だ。
 取り敢えず、明日からは打鉄で操作覚えつつ、近接武器オンリーで作戦を練ろう。
 この音叉は使用前に調整という名の試しをしなければ怖くて使えないから、それを想定した上で、だな。
 となると、セシリアちゃんの機体のことも調べておかなければならないだろう。やることが多すぎて、若干疲れてきた。いや、別のかもしれん。
 ぶつけたからか、それとも気苦労からか、頭が痛かった。優しさ半分の薬でも飲んでおこうかな……。








 ――はい、作戦は失敗しました。目標に対し、襲撃が……え? それどころではないというのは……。
 ――そ、そんな馬鹿なことがあって……はい、申し訳ありません。取り乱しました。まさか、目標が"零崎"と縁があるとは思いませんでした。
 ――……分かりました。気をつけます。……まだ、あの化物がこの街に存在しているなんて……最悪過ぎる。
 ――作戦は予定通り決行する。必ずや目標"織斑一夏"を始末して――、おい、どうした。突っ立って無いで反応しろ! 
 
「かはは、誰が誰を始末するって? おいおい、そんなに震えんなよ。可愛い顔が台無しじゃねぇか。あん? 居るだろ、ほら、後ろだ後ろ」
「てめぇが振り向いて後ろだよバーカ。死体の真後ろから大胆不敵に参上するたぁ、俺も少しだけユニークなところがあるよな! うん?」
「なんだよ、俺ってばもう"殺しちまってたか"。赤いお姉さんにどやされるのは勘弁だからここらで止めておくかぁ? でも、京都じゃねぇし、いっか」
「あーん? なんだこの紙束。IS学園? ……そういや、あの時十二通りって言ってたけどよぉ。それって、外国の奴も含まれんのかねぇ?」
「言語ってのはかなり違うからよ、もしかしてもしかすると俺の知らないのもあるかもしれないし、ないかもしれないが……」
「かはは! 傑作だな、こりゃ。あいつも居やがるのか、あそこに。この前電気屋で見かけたぜ、ニュース。有名人だったんだな、最悪な意味で」
「さぁて、楽しくなってきやがったぜ。あーあー、はろーはろー。繋がってるよなこれ。今からお前らと遊んでやるから待ってろよ。な?」
「あぁん? 俺が誰だか声で分かんないのかお前ら。チャーリーⅠ? ああ、このばらばらになってる奴? すでに冷たい床と同化してんぜ?」
「まぁ、そう心配すんな。慰めにいってやるからよ。ああ? そんなつれないこと言うなよ。こちとら飛行機の券を紙切れにしちまったんだからさ」





「久しぶりに――殺して解して並べて揃えて晒してやんよ」







[34794] 参話 再びの再会。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/09/17 02:28


 他人に言いたくない事ってさ、他人に言いたくなるよな。












 人ってのは許容できることに個人差がある。例えば、殺人とかどうだろうか。
 人間が他人を殺すってのは道理に適うわけもないとされているが、人間界ではなく自然界では普通なことだろう。
 弱肉強食な自然界で、人間ってのは頭脳が発達した生物でしかなく、集団を成して都市を造り群れている高度な知識を持つ生き物だ。
 なら、食物連鎖という自然のルールを当て嵌めれば人間同士の殺人なんてものは、食料問題程度にしか感じられないものではないだろうか。
 殺した人間が悪いのではなく、殺された人間が悪いのではなく、殺人論理のズレがいけないのだ。
 例えば。この世界が百人の村で形成されていたとして、一人が死んで、一人が殺したとしよう。
 法的に見ればこれは列記とした殺人罪で捕まり購うべき罪となるだろう。
 なら、ここに一つの条件を足してみようか。
 もしも、その村では飢饉が起こり、食べ物が手に入らなくなってしまった場所であったなら、この問題はどう捉えるだろうか。
 殺人を犯したのは空腹のせいで、飢饉のせいで、餓えたから弱い者を殺して食べようとしたのだと証言したらどうだろうか。
 人間的には許されず、自然的には許されるだろう。問題は、どちらに視点を置くか、言うなればどちらの立場に立てばいいのか、という点だろう。
 人間として生きれば飢え死に、自然の一部としては他人と自己を犠牲にして生き延びる。
 さて、どちらか正解なのだろうか。
 
「……また出会えるとは思ってたけど、こんな凄惨たる教室で出会うとは思ってなかったよ」
「かはは! ほぼ一日振りってとこだな。元気してたか?」
「いや、昨日は拭森の見習いに襲撃されてたから、これといって元気してたわけじゃないけど、身体的に見れば元気してるさ」

 早朝。五時くらいに目が覚めたぼくは暇つぶし程度にぶらぶらと校内を散歩していた。
 何処か嗅ぎ慣れた匂いに誘われたら、そこに廊下側の窓が真っ赤な教室が形成されていたのを発見してしまった。
 お得意の暗器術で色々と忍ばせた今の状態でなら、どんな事でも大体は何とかできるだろうと判断し、扉を開く。
 噎せ返るような"新鮮"な鉄分の匂い。今も尚四散したパーツから赤い液体が広がっていて、つい先ほど"解体"されたのだと理解する。
 解体した人物は何故かバラバラにした四肢をさらに分解し、丁寧に机の上に一パーツずつ並べて、綺麗に揃えられたその光景はもはやアートと言うべきか、晒された肉体の一つ一つが意味を成しているような気分になるほどに、それは、凄惨過ぎていた。
 教室っていうのは、大体椅子や机が黒板の方に寄っているから後ろにスペースが生まれる。
 真っ赤に染まる教室の後方の中央に、この惨劇を作り出した犯人が綺麗な姿で立っていた。
 右頬に大きな刺青、右耳に三連ピアス、左耳に携帯ストラップをつけており、髪を白髪まだらに染めたお洒落頑張ってる少年が居た。
 名は知らぬが、その雰囲気だけで裏に精通するものなら肌で感覚で六感で分かる。
 ――目の前に居る人物は零崎であると。
 ぼくは零崎と呼ばれるそれの中で三人の人物に出会っている。
 針金のような背格好の"自殺志願(マインドレンデル)"、菜食主義者でピアノが上手い"少女趣味(ボルトキープ)"。
 そして、目の前の零崎でありながら零崎らしくない少年。彼は、餓えていると形容するよりも、渇いていると形容したい。
 何処か目的を探すことを目的にして目的を見失っているような、そんな異物のような違和感を、彼は匂わせる。
 手に持っていた血塗れのナイフを血払いし、ポケットに仕舞い込んだ彼は、笑みを浮かべながら口開く。

「驚くとこだぜ、この状況。昨日会った知り合いがまさか京都の殺人鬼で、しかも今日あんたの知り合いかもしれない奴を殺してるっていうんだからよ」
「あー……、うん。そうだね。正直驚いてるよ、うん」
「棒読みじゃねぇか。少しはリアクションしろっての。今じゃバラバラでわかんねぇだろうけどよ、こいつ、女の子なんだぜ?」
「そりゃ、この学園にはぼくと今は君しか男性は居ないからね。整備科には男性が居るだろうけども、ここは操縦科だからね」
「へぇ、そうなのか。それじゃあ、この学園にはさらに人が居るってことだよな。もしかして、こいつみたいに空間を操ったりするやつとかいんのかね」
「さぁ? まぁ、確かにその子はぼくの知り合いみたいなもんだね。昨日追い回されたし、殺すためか拉致するためかは知らないけども」
「はぁん。ってことはこいつプレイヤーの卵だったわけか。道理で俺の招待に感づいてると思ったぜ」
「まぁ、ぼくはプレイヤーじゃないからさ。殺し合いとかは勘弁願いたいわけなのだけど、逃がしてもらってもいいかな?」
「うーん。どっちかってーと俺はアンタを殺したい気分なんだけど、何処か勿体無い気がするんだよな」
「メインディッシュを前菜に持ってくるくらい?」
「そうそう。きっと俺はアンタをあっさりと殺したくないんだよな。アイツに似てるってのもあるけど、触れちゃいけない気もするんだよな」
「おいおい、人を勝手に取り扱い危険物にしてくれないでくれよ。君のほうがよっぽど危ないじゃないか」
「まぁ、そうなんだけどもよ。あ。じゃあ、こうしようか。俺はアンタを手加減して殺しにかかるからさ、アンタは頑張って足掻いてくれよ」
「味見ってことかい?」
「そういうこった。じゃあ、始めようぜ。零崎案内コースって感じでよ」
「勘弁してくれ。僕は人を殺す趣味はないよ」

 服の何処からか取り出したナイフを手に彼が笑う。ぼくが咄嗟に右手に取り出したのは使い慣れた相棒だった。
 その姿を見た刺青の彼は絶句していた。まるで、トラウマの品を目の前に取り出されたような、そんな目だった。
 二十センチ程の皮袋。持ち手が刀の柄のようになっており、加えて炯炯とした漆黒のフォルムで身を飾った――プレイヤー殺しの完成品。
 プレイヤーがプレイヤーと呼ばれる所以とは何だろうか。それは、人を殺す作業をどれだけ精密にマニアックに完璧にこなせるかどうか、だ。
 故に、この武器はプレイヤーが持つには異端のものだ。人が死ぬというのは、総じて身体の命を奪うことなのだから。
 ――人の精神を殺すために作られたと言っても過言ではないこの武器は明らかに異端だろう。

「お、おいおい、それはちょっと勘弁してくれよ一夏くん……。そいつは、マジで笑えない……っ」
「……ブラックジャックって知ってるかい。言うなれば拷問器具の一種なんだけども、こいつは本当に凄くてね。見た目はあれなのに使い勝手が良い。積雪さんのお手製でね。バイトの給金と一緒にくれたんだよ。いやぁ、大変だった。これを完成させるまでの実験体にしばらくぼく自身が使われたからね。幾度死にたくなったことか。おかげで痛いとか苦しいとかの苦痛には慣れちゃったんだよ。そうそう、これは人の皮を使っているらしくってね。中身は人間の血なんだそうだ。どうしてこんなに黒いことになっているのはさ、幾人もこれで撃退しちゃって汚れちゃったからなんだよね。いやはや、ぼくでも少し思うんだ。死ねない痛みってどれくらい最悪かって。この身を削って、いや、打って作られたものだから結構愛着があったりするんだよ。凄いんだぜ、これ。本来なら内臓とか血管とかを傷つけてしまうのを、積雪さんの技術で苦しむだけに抑えられた武器なんだよ。いやぁ、最初は皆きょとんとしてこれを笑うんだけど、数発打たれるごとに分かるんだよね。ああ、これは心が折れる、って。おいおい、どうしたんだい。蒼白じゃないか。気分でも悪いのかい?」
「……人を殺すことは許容しないが、死ぬギリギリまでだったら何してもいいってか!? おいおい、なんだよそのぶっ飛んだ発想は!? 殺人鬼な俺が言うのも何だが、それは最悪過ぎるだろ!? というか、人のトラウマ武器持って来てんじゃねぇよ完成させてんじゃねぇよ!?」
「……意識を奪うことなく、相手を完全に蹂躙するってのがこの武器の良い所なんだけどねぇ」
「止めた! 味見なんかできるかっ! 毒を喰らわば皿までっていうレヴェルじゃねぇよ! 皿に食われるわ!」
「まぁ、ぼくとしてもこういう物騒なものはあんまり出したくないんだけどね。まぁ、積雪さんに『君は並みのプレイヤー以上に恐ろしい性格になってしまったな』と笑われちゃうくらいだからさ、どっちかっていうと好きの分類に入るのかもしれないけど」
「あー……、虎穴に入って尻尾踏んだ気分だぜおい」
「ふうん、それでこの後はどうするんだい? 流石にまだ人は来ないだろうけども、このままはやばいよ?」
「あー、そうだな。だからアンタ廊下から出てこないのか。足跡付かないようにってか」
「そうそう、大事なことだよ。それと、一応君のことを思ってここに居るんだからさ。第一発見者くらいにはなってあげるよ」
「かはは、そりゃあ良い。場所でも変えるか。正直、アンタと殺りあう気が完全に失せたわ」
「それは重畳。手数で圧した意味があったよ。何せ、相手は名も知らぬ零崎なんだからさ」

 その言葉に彼は唖然とした顔で、でも何処か納得したような顔で鼻で笑った。

「ああ、そういや自己紹介がまだだったな。俺の名は零崎人識。ただのしがない殺人鬼だ」
「ああ、そうだったね。ぼくの名は織斑一夏。ただのしがない不気味な泡さ」
「はぁ? なんだアンタ、世界でも救うのか」
「うん、かなり限定的な世界をだけどね」

 ぼくらは早朝過ぎて誰も居ない校舎を歩きながら、屋上へ向かった。屋上には鍵がかかっていたが人識くんが手馴れた様子で面白い形のナイフでピッキングして開けてくれた。錠開け専用鉄具とか言う特殊なナイフらしい。欲しいな、と言ってみたら結構な額が返ってきた。うーん、無理っぽい。
 それから屋上で再び雑談を開始。朝食の時間までの良い暇つぶしにはなった。
 気になっていたブラックジャックを見た時の怯え様の理由を尋ねてみれば、あれの最初の犠牲者はどうやら人識くんだったらしい。
 ああ、確かにそれは悪いことをしたな。トラウマ抉るってもんじゃないや、それ。
 お互いにこの武器の恐ろしさを知っているという肴があったからか、結構話題が盛り上がった。
 本当ならば自室に招いて一日中語り合いたいくらいに盛り上がった。一人部屋でないのが残念だ。匿えないや。
 人識くんが立ち去った後、今朝の一件は束さんに揉み消してもらうことを思いつき、ぼくは携帯電話を開いた。

「あ、もしもし」
『うん? いっくんじゃないか! 束さんにお電話してくれるなんて恐悦至極拍手喝采だよ! どうしたんだい?』
「あー、ちょいと友人が学園でプレイヤーの卵殺ってしまいまして、どうにかしておいてくれません?」
『ああ、それね。すでにちーちゃんから連絡来てたからすぐに掃除しておいたよ。それにしてもいっくんにお友達だなんてねぇ』
「ははは、ぼくも同じこと思ってますよ。それで、箒ちゃんとは順調です?」
『うーん。やっぱり離れ離れになっちゃったのが長いからちょっと難しいのかなー。いっくんの方から何とかしてくれないかな』
「まぁ、構いませんけど。では、貸し一つくらいで面倒見ましょうか」
『ひーん。いっくんの貸し一つは横暴だから怖いよー。この前はコスプレ強要して一日メイドさんなんかやらせたじゃないかー』
「ノリノリ過ぎて猫耳カチューシャまでつけてくれたじゃないですか。今もあの画像残ってますけど、あ、いっそのことこれを箒ちゃんに……」
『ちょ、それは止めて! 姉としての威厳がもうブロークン状態だよ!』
「すでに粉砕されていることを忘れてません?」
『そ、それをこれから直すんじゃないか!』
「そうでしたね。では、貸し一つってことで」
『あ、でもお掃除の件があるからチャラに……』
「なりません。千冬さん経由で処理したんでしょう? なら、ぼくの管轄外です」
『えー……、いっくんの友人が殺っちゃったんでしょう? なら……』
「貸し無しなら、あの写メを全面的に遣ってしまいますが、それでもよろしいです?」
『ごめんなさいでした! 束さんが悪かったよぉ、お願いだからプライベートフォルダに仕舞い込んで置いてほしいな。厳重に』
「そうしましょうか。では、また」
『うん、ばいばいきーん。よろしくねー』

 相変わらず愉快な人だな束さん。また遊んであげたいな、一線越えるギリギリな状況まで。歯ブラシ対決とか。
 一応確かめるという確認作業で先ほどの教室へ行ってみたが、確かにすでに血の匂いが残らない程に完璧に掃除されていた。
 先ほどの現状を知った生徒が居たとして、この机や教室を昨日通りに使えるだろうか。知らぬが仏というレヴェルじゃないから、黙っておこう。
 部屋に戻ったら今度は着替え現場に遭遇することなく制服に着替え終えた箒ちゃんと再会した。
 出て行った理由は無難に適当に『トイレに行って来た』ということにした。納得してくれたらしく、話題も話題だから箒ちゃんは興味を引いてくれた。
 むしろ、この話題に食いつく女子高生が居たらドン引きだ。清楚で純潔であってほしいね、目の前の大和撫子には。
 朝食に誘い、適当なメニューを腹に満たしてから教室へ向かう。
 さっそく束さんの依頼通りちょいちょいと会話の節々に自然な流れで束さんの良い話を巻き込み、悟らせないレベルで話術を使って頑張ってみた。
 結果は……、まぁ、そう上手くいくはずもなく。むしろ、「なぜお前が姉さんの事を私に語れるんだ」と嫉妬されてしまった。
 うん、駄目だこの姉妹。早く何とかしないと。結局勘違いと擦れ違いと思い込みでお互いに無いはずの壁に背中合わせしてるだけだった。
 元々亀裂も皹も溝も無かったわけだから、修復の目処も立たないし、むしろ犬も食わないくらいに姉妹姉妹してた。
 だが、このまま引き下がるのもアレなので少しだけぼくの束さん秘蔵プライベートフォルダを開錠して、画像数枚送ってさらに困惑させてあげた。
 食い入るように束さん(バニー)や束さん(メイド)や束さん(甘えんぼ服)などの端末画像を見ていた箒ちゃんは将来性が不安になるくらいにシスコン拗らせて微笑んでた。普通に微笑ましいとかの微笑なら良いのだけれど、口元がにへらとしていた。可愛いなぁもう。
 結局彼女は授業に入って即座に千冬さんの瞬間移動めいた速度で放たれた出席簿クラッシュで正気に戻るまで駄目なままだった。
 耳まで真っ赤にして俯きながら先ほどの自分の心境の事を考えている姿はもう、たまりませんでした。
 その後ぼくも叩かれたのは言わずがなのことだろう。
 放課後。打鉄に乗って基本動作の修練をしようと思ってアリーナへ向かう。隣に箒ちゃんが居るのは何故だろうか。
 話を聞いてみればどうやら箒ちゃんも打鉄の許可を取ったらしく、折角なので練習の後に軽く模擬戦をする約束を取り付けることにした。
 久しぶりのISに浪漫と興奮を交えつつ、パイルダーオン。このフィットする感じが結構好きだったりする。
 打鉄は訓練用ISの名前で、外見は和と洋を混ぜたような鎧姿。武者と呼ぶには無骨で騎士と呼ぶにも無骨だった。
 しかし、訓練用であるために使い勝手はよく、初心者であるぼくも数時間で飛べるようにはなった。

「そこで旋回してみようか」
「ふむ、こうか?」
「そうそう、それがホバリングだよ。少しだけ浮くって感じがコツかな」
「ほう? ……なるほど、確かにそう考えればしっくり来るな」

 箒ちゃんも同じように運動センスがあったからか、ぼくと同じくらいの速度でISに慣れることができた。うん、やっぱり基本は大事だな。
 ……まぁ、ぼくの視線はどうしてもあの魔の領域へ行ってしまうけどもそれは思春期だから仕方ないと割愛させてくれ。
 数分の休憩を取り、お互いのIS技術について思ったことを話し合い、改良点を上げていく。
 訓練用ISであるからか打鉄はコツを掴まないと細かい作業が操縦者に合わせてピンキリな性能を齎すISであると改めて認識することになった。
 なら、専用機というのはどういった具合なのだろうか。セシリアちゃんは国家代表候補生。つまり、四六七機のうちの一つを専用機としている別格だ。
 まだセシリアちゃんの機体の名前も知らないけれど、何と無く彼女のイメージからして遠距離型だろう。
 鷹が地を這う供物を喰らうような上空から狩るイメージ。それに、貴族ってのは自分の手を汚したがらないから、至近距離型はまず無いだろう。
 そして、あの若干社会向きにアレンジされた自己の貴族像からして、意外と幼稚っぽい雰囲気が見てとれた。
 ならば、自分の技術に誇りを持ち、他を高をくくって軽んじるような、精神的なミスを出すに違いない。
 本気で戦うのなら遊ばず一撃で決めるような戦闘スタイルであろうに、自分が格上だと誤認するが故に敗北する。典型的なパターンだろう。
 だから、ぼくがすべきは些細なミスを亀裂の如く致命傷になるまでひたすらに足掻くことだろう。
 ISの起動時間からして不利、打撃専用の専用機というだけでもさらに不利、加えてぼくは勝ちたいと思っていないから絶望的に不利。
 彼女が許すなら正直ぼくは不戦敗でもいいのだけれども。決闘だなんて古臭い台詞を吐いた彼女がそれを容認するとは思えない。
 
「それじゃ、五分マッチで三本先取でいいかな」
「ああ、構わない。推して参る」

 夕飯の時間に近づいてきたからか、アリーナにはぼくらしか残っていない状況。ある意味貸切状態だとも言えよう。
 公式ルールに乗っ取り、十メートルの距離を取って開始する。セットしたタイマーの音がゴングと化し、ぼくらはお互いに武器を持って動いた。
 訓練用IS打鉄には三種類の兵装がある。サブマシンガンのAR17、アサルトライフルのKR78、そして白兵戦用ブレードのムラサメ。
 短距離から中距離までの兵装が揃っているというのに、ぼくはとある縛りによりムラサメしか選択ができない。めんどくさいなぁもう。
 
「はっ!」

 渇いた音が連続して空を切り、AR17から放たれる弾丸がぶち撒けられた。
 箒ちゃんは銃の扱いに慣れているわけでなく、腕が震えてしまってビギナーズラックとも呼べる偶然で威嚇射撃を行っているようなものだ。
 勿論、照準はISによってコントロールされるが、本人自身が腕を揺らしてしまっているようで当たる弾も当たらないそんな状況だった。
 何発か当たることを選択し、ムラサメで地面を抉るように腹を使ってスコップの如く使い方で箒ちゃんに土砂を降らせた。
 とっさに空いている左腕を顔前に出して防ぐ箒ちゃん。残念ながら、それはロスタイムに過ぎない愚考だ。
 ISには絶対防御という文字通り自動的に防御してくれるが、それを簡易的に発動させることは可能だ。故に、砂埃に対しそれを発動すれば目に入る前に弾くことも可能だ。それくらいでシールドエネルギーが削れるわけもないしな。
 最も、そんな高度なテクニックを箒ちゃんが知っているわけもないだろうけど。
 ISの性能を知り尽くしていればこれくらい誰でも思いつくが、逆に言えばその努力をしなければ一生会得できないスキルということだ。
 チキンランに似た技術であるが、ぼくはそれを用いて真正面から不意打ちに成功した。吹き上がる土埃に身を隠し、近づいた瞬間に瞬時加速と呼ばれる技術で上を通過して背後へ回り込む。
 センサーでそれを感知したのだろう箒ちゃんもムラサメを展開させ、自棄気味に牽制としてこちらへ振るう。
 それを逆手に取り、避けて通り過ぎた腕を掴み、PICコントロール、慣性を無視してトップギアで身近な壁へ叩きつけてあげた。
 PICという慣性を無視して動けるようなチート技術がISにあるため、敢えて相手ISごとPICを発動させてやった。
 かなり良い音をしてぶつかってくれた箒ちゃんの腹へ慣性を無視して初速最高速度にした跳び蹴りを食らわせてあげた。
 一瞬でゲージが減り、箒ちゃんの操る打鉄のシールドエネルギーが枯渇したのを確認して、足をどけた。

「ぐ、あ……。い、今私は何をされたのだ……」
「PICコントロールって言って、ISに備わってるPICを最大まで発動させて相手ISの動きを封じる技術さ。確か、ドイツがこれを発展させたAICっていう装置を作ったんだったかな。まぁ、近距離じゃないと発動できないデメリットもあるから、使いづらいってのもあるけど。驚いたでしょ」
「ああ……。目が覚めたらいきなりジェットコースターの急降下みたいだった、という気分だったぞ」
「ごめんね。でもまぁ、これはたぶんぼくしか使ったことないだろうから、他人に言い触らさなければ不意打ちとしては使えるんじゃない?」
「いいのか、それを私に言って」
「まぁ、何も言わずにやった謝礼くらいにでも思ってよ。ISの装甲越しとはいえ女の子蹴っちゃったし、それでノーカンにしといてよ」

 別に切り札ってわけじゃないしね。まぁ、それに言われてできるようなもんじゃな――のわ!?

「おお! できたぞ!」
「……規格外というか、なんというか。おめでとう?」
「ああ、これは色々と応用できそうだな。礼を言うぞ」

 いきなり腕を引っ張られたものだからIS同士でぶつかり合うことになり、吐息を感じるくらい近い距離で喋るはめになった。
 しかも、箒ちゃんは技術の会得に心底嬉しかったのかそれに気づいている素振りも無い。はぁ、まぁぼくは紳士的だからすぐに立ち上がるけども。
 今度はぼくが座り込む箒ちゃんのISをフィッシュッ! ぼくの頭上を通るように背中側へ振り回された箒ちゃんは何処か、楽しげだった。
 あー……、そういや箒ちゃんは束さんのせいで色々と心労溜まってんだっけ。転々と引っ越すから休む暇がないわ、友人ができないわ、約束をしようにも家族バラバラだから甘えることもできないわ、で、色々と苦労しているらしい。
 もしかしてもしかすると、馬鹿げた妄想ではあるが、彼女にも《ぼく》のような存在が浮き出した頃があったのかもしれない。
 いや、彼女は《俺》みたいに一瞬で蹂躙されたわけではないから、ただの思い出として打ち伏すだけで済んだのかもしれないな。
 むしろ、それがバネになって成長しているのかもしれない。まぁ、ぼくが言えたことではないのだけれども。
 











 偽者が偽者らしく振舞ったらそれはもうオリジナルだ。












 ニセット目はPICコントロールを鬼習得した箒ちゃんの無双によりぶんまわされ、三セット目をやる気力と体力を無くされて不戦敗となった。
 苦しいとか痛いとかの苦痛ってのには慣れていて心が折れない自信はあるが、吐き気やら脳みそを混ぜられたような感覚は慣れてないので、どうなったかというと。

「うっ、……。うげぇ……」
「ま、まだ吐くのか!? もう胃液も何もないじゃないか! しっかりしろ、一夏ぁあああ!!」

 犯人がお前です。じゃなくて、お前が犯人です。
 保健室に行くこともままならないような死にかけのゾンビみたいな雰囲気でぼくはアリーナの休憩室の洗面台で吐き続けていた。
 目の前の鏡に映るその顔は蒼白で、マイケルもびっくりってくらい白かった。人間本気でやばい時はそれなりのやばさが表情に出るらしい。
 目は口程にモノを言うというが、確かにぼくの二つの目は死んだ魚の目の如く濁りきっていて今にも死にそうな瞳だった。
 箒ちゃんの介護(背中にあたる二つのゲフンゲフン)によって何とか一命と生気を取り戻したぼくはベンチの上でぐったりさせてもらうことにした。
 ああ、背中越しのベンチが冷たくて良い感じだ……。
 
「す、すまなかったな……。まさか自分でもこうなるとは思っていなかったのだ……」
「世界一のジェットコースターで恐怖の体験、ただしレールが円形で永久ループみたいな……っ、感じだったよ……。すごく、死にそうです」
「……ぐぅっ。本当に申し訳ないと思っている。何かできることはないか?」
「そう……、だね。それじゃ膝枕でもして貰おうかな。結構痛いんだこのベンチ」
「わ、分かった。い、今だけ特別だからな……」

 頭が持ち上げられ、自由落下すると柔らかな地面に着地。剣道少女だというのにこのぷにっと感は大丈夫なのだろうか。
 まぁ、がりがりに削られてるとかぎちぎちに鍛え上げられた太腿を枕にしたいとは思わないので、黙っておくことにしよう。
 それにしても絶景である。今にも空から落ちてきそうだと杞憂するくらいに目の前の二つのそれは存在感があり、辛うじて踏み止まっている理性を砕かんとばかりの破壊力のそれは、その、なんだろう、悪い気はしませんね。
 頭部に触れる細やかな指と掌が髪先の方へ行ったり来たりと往復しはじめる。
 最初は撫でられているという事実に少し羞恥心を覚えたが、あんまりにも心地が良かったせいか気分が落ち着いてきた。
 ぼくの頭を撫でながら聖母のように微笑む箒ちゃんの顔に見惚れてしまって、思いがけず自分でありえないくらいに辺りの警戒を解いてしまった。
 しかしながら、流石にこの場に踏み進めるような輩は居らず、結局数時間程そのままゆっくりしてしまった。
 結果、ぼくは箒ちゃんから夕飯を食べ損ねたことに対しての怒りをぶつけられ、寮長室のキッチンに立っている。
 ぼくでも何故こうなったのか分からないが、千冬さんも相伴に預かるらしく、リビング(綺麗にされたまま)の方で箒ちゃんとお喋りに華を咲かせているようだった。文句を言おうにも、正直身内に甘い性格であるからして、中華鍋を振るって炒飯を黙々と作るしかないのだ。
 家事スキルは《俺》が培っていたおかげか、ぼくも人並み以上なレヴェルで料理を行うことができた。
 いやぁ、便利だなまったく。最初からチートモードって感じじゃないか、まぁ、吸血鬼の軍団を引き連れて襲撃はしないけども。
 お皿までは流石に中華系にはできないので、淵が内側に曲がる平皿に盛っていく。まぁ盛り付けくらいは頑張ろうか。
 スープが無いのは勘弁してほしい。ただでさえ冷蔵庫の残り物なんだから。数少ない食材をまとめたような出来だしさ。

「完成っと」
「ふむ、中々良い見栄えじゃないか。また腕を上げたな一夏」
「……千冬さん。後でゆっくりと二人でお話しましょうか。具体的にはこれからの生活方針と食生活について」
「…………………………………うぅ」
「どうしましたか千冬さん? まるで蛇に睨まれた蛙のように竦んでいますが」
「い、一夏。お願いだから『ぼくは人を殺せるような人間だ』って真顔で言いそうな顔で微笑まないでくれ。目が笑ってない……っ」
「ははは、どうしたんですか千冬さん。そんなに震えちゃって。アレですか、お化けでも見ちゃいましたか?」
「あ、あはははは……。そ、そんなとこだ……。さ、さあ! 炒飯が冷めてしまうぞ! 早く食べようか! ほら、これらは私が持って行くから一夏は麦茶を用意してくれ!」

 若干涙目になってすっごく可愛い千冬さんはトレイに乗せた炒飯を持ってリビングへ逃げていった。
 ふふふ、実の姉ながら本当に可愛い。きっとぼくが兄だったなら、こうして愛しく愛で続けていたに違いない。あんな妹が欲しいなぁ。
 いかんいかん。口元が緩んでしまっていた。一応ぼくは狙われている身なのだから注意を怠ってはいけないというのに。
 ペルソナ染みた表情の仮面を被ってぼくは麦茶のコップを三つリビングへ持って行く。下から持つと危なっかしいけど、複数持てるから便利だ。
 ……一人で持つ場合、誰かが上からコップを掴まないと全て倒すことになることに気付けたのは良かった。
 箒ちゃんがすぐに看破し、立ち尽くしたぼくの手からコップを二つ持っていってくれなければ……いや、一つの方を咥えれば正解かな。
 円卓なテーブルを囲み、少し遅い夕飯を開始。中々好評で完食してくれて喜ばしい限りだった。
 箒ちゃんには千冬さんと話すことがあるから、と席を外してもらった。
 生活方針やら食生活について話すことも忘れないが、それは二時間程度の説教に留めておくとする。
 なにやらぐったりと机に突っ伏して千冬さんが打たれ弱い姿を曝してるが、正直ここらで止めてあげたのだから感謝して欲しいものだ。

「さて、本題ですが」
「い、今までのが序章だと……!? い、一夏はどれだけ私をオーバーキルしたいのだ! 私はもう駄目だぞ、立ち直れないくらい駄目だ……」
「……はぁ。そうするとぼくは殺されるか拉致されて解剖されて捨てられることになるんですが、それでも良いと?」
「よし、何でも来い(キリッ)」
「流石ブラコン。《俺》が見たら卒倒しますよ、まったく……。今朝、千冬さん死体を一つ処理しましたよね。束さん経由で」
「……なるほど、そういうことか」

 今のでぼくが言いたいことを大体把握してくれたというのだから、ぼくの姉は偉大だ。ブラコン拗らせてるけど。
 ぼくが危機感を持っているのは、この学園に呪い名や未知のプレイヤーの卵がぼく目当てで入学しているという事実だ。ハーレムとか、好意とか、大好きだとか、一目惚れだとか、そういうピンクな理由でぼくを狙ってくれるなら男冥利に尽きるけども、邪魔だから殺して使えるから回収だとかそういう理由を持ち出されると大変厄介だ。
 《ぼく》としては《俺》のために前科は無いようにしたいと思っている。
 でも、現状のまま続くのなら、幾人かの卵を監禁調教して内部から組織を崩すことくらいしてしまいたい気分だったりする。それは、不味い。
 別に、今までの経験からヘマをする事はないが、それはぼくが有名人ではなく一般人だったから気ままに行えたバイト内容であり、今のぼくがそれを行うにはリスクとデメリットがでかすぎる。なら、どうすればいいか。簡単なことだ。選択肢は二つだ。
 一つは、護衛をつけてもらう。ぼくが毎日疲労する環境であれば、長くなればなるほどぼくが不利になっていくだけで解決するものもしない。
 一つは、全員殲滅する。全て、一切合財塵芥の情もなく卑劣に外道に冷酷に熾烈に炸裂する弾丸の如く烈火さを持って蹂躙し尽くす。
 この二つは至ってシンプルだ。
 《ぼく》としては後者を選びたいものだが、《俺》のことを考えると前者であったほうがよいだろう。お人よしが呼吸のように拳銃を撃ててたまるか。
 よって、護衛に就ける人材の確保と安心な関係を結ぶ必要がある。そのうえで、千冬さんにはとある圧力をかけてもらう。
 そう、これから学園に編入する全ての"一年生"の生徒を一組にあることないこと理由をつけて引っ張り込むことだ。
 国家代表候補生にしかこの学園の編入システムは機能しない。よっぽどのコネか圧力が無い限り、不可能なことだろう。世界を敵に回すのだから。
 よって、国家という重みを背負う人物はプレイヤーとして使うことはほぼ在り得ないし存在しないと断定してやってもいいだろう。
 なぜなら、一番注目される人物だから。これに尽きる。学園に来て、ぼくを何とかし、去る。原因を探るのにその人物を疑わないわけがないだろう。
 すなわち、使用される駒は幾らでも詐称やらで作り出せる普通の奴を使われるのだ。故に、プレイヤーである理由が存在しない。
 人殺しのヒットマンを表舞台に立たせる馬鹿は流石に居ないことを祈りたいが、居たら居たらでこれまた大変になる。
 プレイヤーが逆巻く混沌の如き裏の世界で目立つ真似をしたらどうなるか、東京湾の海底を見るくらいに明白だ。きっと、死ぬだろう。
 それに、この学園に編入されるということは同年代である少女だ。これほど扱いやすい駒があると思うか。
 箒ちゃんや鈴ちゃんとか、《俺》の大事な人を駒扱いするつもりは毛頭無い。むしろ、護衛対象だと言っても過言ではないだろう。
 そして、ぼくは外道に道を外すことくらい余裕でできる。というか、すでにしてきた。普通と外道で行ったり来たりしてきたんだ。
 一年間? それは永遠の時間だろう。人にとって、一年間もあれば変わることはできる。それが、不気味な泡たる《ぼく》なら必然的なことだろう。
 
「そうか、ならば私の友人の中で最強な奴に頼んでおくとしよう。確か、今頃北海道に行っている時間だろう。しばらくかかるかもしれんが構わんな?」
「ええ、構いません。人数はどれほどで?」

 あのブリュンヒルデたる千冬さんだ。きっと数十人くらいは容易く顎で使えるに違いない。返って来た返事は、立てられた人差し指一本。
 なるほど、単位はいくつだろうか。十か、百か。千かもしれないな。どんな人物なのだろうか、聞いてみる。
 すると、何処かで聞いたような答えが返ってきた。
 ――人類最強の請負人。
 ――赤き制裁。
 ――死色の真紅。
 ――砂漠の鷹。
 ――嵐前の暴風雨。
 千冬さんの説明を途中で切らせてもらう。うん、その人知ってる。今日聞いたよ、殺人鬼に。該当する人物は一人だった。
 
「む? そうか。説明が省けるな。彼女は束の友人の知り合いで、この前ちょっとばかり戦りあってみた仲だ」
「戦りあったんですか!?」
「ああ、かなり強かったな。途中で邪魔が入らなければ恐らく負けていたかもしれん」
「互角だったんですか!?」
「お互いにアバラが数本折れた辺りから本気でやりあっていたからな。久しぶりに強い奴と戦えて楽しかったのを覚えているぞ」
「……生身でやりあったんですか?」
「当然だろう? 私の暮桜はスポーツ用だ。――本気で戦るには役不足だ」

 兵器最強のISが役不足とは……恐れ入るというレヴェルじゃない。戦慄で鳥肌が直立不動してる。何この人、実の姉ながら凄く怖い。
 ISが役不足だと言い張る千冬さんと同格、それ以上かもしれない人類最強はもしかするとすでに世界最強の分類なのかもしれない。実に怖い。
 知りたくなかった事実を耳にしてしまったぼくだが、正直良かったとも思ってる。最悪、この姉に守ってもらえばいいかもしれんと思ってしまった。
 しかし、それは《俺》が許さないだろう。沸々と浮かび上がる千冬さんへの申し訳なさが物語っている。
 守られてきたから、守りたかった。勝手に過去形にしてしまっているあたり、《俺》の傷口は結構深いかもしれない。
 
「……期待しておきます」
「ああ。お前の専用機が送られてくるのは五日後だ。その間だけなら依頼でなくお願いで何とかできるだろう」
「人類最強の友人が実の姉とは……世界は狭いですね」
「はっはっは! そうだな。私の友人は客観的に見れば本当にぶっ飛んでいるからな。仕方あるまい」
「天災に人類最強ですもんね。タッグ組んだら世界が終わってしまいそうですね」
「まぁ、あいつが潤と手を組むことはないだろうな。むしろ、潤の方が突っぱねるだろう」
「はぁ……」

 まだ会ったことのない人類最強の名は潤と言うらしい。明日か明後日か、それとも明々後日か。
 いつ出会うかは知らないが、楽しみにしておくことにしておこう。それが、吉か凶と出るかは、その時しだいだろう。
 それに、千冬さんの知り合いだからいきなりぼくの敵に回ることも無いだろうし。気をつけるに越したことはないけども。
 
「じゃあ、今日は弟思いの姉に免じて一本追加を許可しましょう」
「おお! 流石一夏、話が分かる!」
「……千冬さん、ぼくはこれからどうするべきでしょうかね。このまま守りに入っててよろしいのでしょうか?」
「……そうだな。その件については私からすでに束に反撃をやらせている。だが、潤の話だと裏のプレイヤーたちはあっさりと進入を果たす奴らも居るそうだからな。私もできるだけ警戒はしておく」
「ありがとうございます」
「……そういえば、なぜお前が今朝の件を知っているのだ? もしや、お前第一発見者だったり……ああ、その顔は図星か。お前はポーカーフェイスを気取っているが実はかなり分かりやすいからな。私の前で嘘をつけないと思え」
「マジですか……。あちゃあ、もしや結構ボロ出てます?」
「いや、姉である私が知っているだけで他人は知らん」
「ナチュラルに常に見守り続けているって言ってますよね、さすがブラコン」
「一夏。ちょっとこれからグラウンドで体を動かさないか。肉体言語で近況を語ろうではないか」
「あ、あははは……。死んじゃうから止めときます。すみませんでした」
「分かればよろしい。用はそれだけか?」
「ええ、圧力の件もよろしくお願いします」
「ああ、理事長辺りに後で済ませておく。気張ってばかりでは体が休まらんだろう。早く寝ておけ」
「はい、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

 後ろ手で扉を閉めて、寮長室を後にする。時間はそこまで経っていないが、すでに寝る時間くらいにはなっている。それに、眠い。
 ……ぼくは自分の身を培った技術だけで済ませようと思っていたが、専用機の恩恵があることをすっかり念頭から外していた。
 ISという現代兵器最強の代物の扱いは一度誤れば世界の終焉を招かねない危険物だ。
 スポーツとして昇華され、隠された闇は深い。罪口商会がすでに手を出しているように、同じ住人である彼らが触れていない道理がありやしない。
 もしかすると、これから先行為がエスカレートするとISを持ち出しての戦闘が行われるかもしれない。
 対IS用の何かを考えておくべきだろう。ジャマーやキャパシイダウンなどの電子兵器も積みたくなってきた。
 心配すればするほど擦れていって、心がだんだんと荒削りになっていく気がしてやるせない。
 かといって心配しない安息は手にしていない。ぼくができることは、まだ、たくさんありそうだ。
 ――いつになったら君は前を向くんだろうね、まったく。



[34794] 肆話 出会うは最悪。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/09/17 02:28


 上を向いて生きている奴ほど足元がお留守。











 凄惨たる教室の出来事から早三日経って休日の土曜日。
 IS学園は週二日のお休みがあるので、大体の生徒はこの土日を利用して外出許可や自主練習に励んだりしているそうだ。
 ぼくもまた、箒ちゃんに訓練を休むとの謝りを一つ入れて受付で外出許可証を受け取っていた。
 IS学園でも外でもどうせ狙われることが発覚してしまったのだから、今更外へ出ても変わりは無いだろう。
 それに、人識くんの存在のせいかアレから襲撃は無くなり、極稀に殺意が乗った視線を感じる程度に警戒が下がった。
 流石に零崎一賊の名は普通のプレイヤーにとって重過ぎる名前であるようで、その零崎と出会っておきながら生き長らえているぼくに対し、今まで考えていなかった恐怖を味わってくれているのだろう。
 そりゃ、殺人鬼と出会ってるのに生きてるのだから、それなりの生存技術があると錯覚し誤認するには十分な資料だろう。
 モノレールには乗らず、IS学園から少しだけ離れた場所に存在する大型な病院にぼくは足先を向けていた。
 ぼくが目覚めた後、千冬さんに連れてこられて一ヶ月程入院させられた思い出のある場所だ。感慨深くなるのも仕方ないと思ってくれ。
 何せ、《ぼく》の想い人が居たりするのだから。
 若干寂れつつある見知らぬ商店街を通り、横断歩道の信号待ちをしているときだった。
 トラックが過ぎ去り、ぼくと反対側の位置に立っている奇妙な人物を見つけた。
 家屋の境の壁を背にしてこちらを見る男性。何処か浮世離れしているかのようなあやふやさを彷彿させる白い死に装束。そう、和服姿。
 京都や関西の場所であれば映えるかもしれないが、都心に近いここではやや浮いている存在だった。
 そして、一番の違和感というか「こいつはやばい」と感じてしまう一点があった。

「……なんで狐面を被ってるんだ?」

 縁日を開くにはまだ四ヶ月早い。顔を隠したいから若干妖気なそれを選んだのかもしれない。他人の事情を知る由もない。スルーしておこう。
 信号が変わり、進むことを強要する。それに従い歩くたびに、狐面の男性が先ほどから動いていないことに気付いた。
 ――まるで、誰かを待っているかのように。
 
「よお、初めまして」

 二メートル程だろうか、それくらい離れた距離でぼくらは視線を……いや、ぼくは狐の面に対し交わすことになっているが、恐らくあちらも見ている。
 近くで見ればぼくよりも身長が高く、百九十くらいだろうか。そして声の貫禄ある雰囲気からして、大分年上であることが感じ取れた。
 日本人は見知らぬ人から声をかけられたとしても愛想笑いか軽く付き合ってやるか完全に無視するかの三パターンだろう。

「……初めまして」

 だから、挨拶を返しておくことにする。無視するには少し勿体無い人物だったから。面白そうだし。

「ふん。『初めまして』」彼はぼくの言葉を復唱し、壁から背を離した。「何処か浮かれているが良いことでもあったか」
「これからあるんですよ。想い人に会うんです」
「『想い人に会うんです』。ふん。中々青春してるようじゃないか。その制服はIS学園とかいうからくりの玩具があるところだろう。なぜ、男性であるお兄ちゃんがそこの制服を着ているか気になるな」
「そりゃ、ぼくだって知り得ませんよ」
「『知り得ませんよ』。ふん。確かにな。だが、俺にとってはあんな図体のからくりが空を飛ぶ時点で驚きものだ。何処に推進力がついてるんだアレは」
「見えない部分にスラスターやらがあるんですよ。重力力場を生成するような装置もありますけどね」
「ほう、そうだったのか。ところでどうだいお兄ちゃん。実は俺は待ちぼうけを喰らっていてな、暇だったらどこかでお話したりするつもりはないかな」
「はぁ……、まぁ、構いませんよ。急ぎの用ではありませんし」
「『急ぎの用ではありませんし』。ふん。――縁が《合った》な」

 笑みを、浮かべた。
 一瞬、刹那ながら、ぼくの瞳に映る狐の面がにやりと笑ったように錯覚した。これは、なんだ。今まで受けた覚えのない不可視のそれに、ぼくは。
 ぞっとした。背骨に液体窒素を入れたかのように極端に背筋が凍りついた。
 もしかすると、もしかして、ぼくは大変な人物と出会ってしまったのかもしれないな。

「ついて来いよ。俺が奢ってやろう。大人の貫禄というもんを見せてやる」

 くるりと踵を返した狐面の男性に何処か、運命を感じさせた。絶対に逃げることのできない偶然。ロマンチックというよりも、シリアスな気分だ。
 ぼくはその背についていき、近くにあったファミレスの椅子に腰を下ろすことになった。
 店内にはこの時間からか、人が少なく。襲うのであれば十分な配慮ができるくらいの絶好のポイントだった。
 だからか、ぼくはこの場を離れたかった。狙われることよりも、目の前の男のことが、怖いと感じてしまっているのかもしれない。

「……どうした。ぼおっとしてないで食ってくれよ。やはり手近な場所でなく料亭とかにしておくべきだったか。最近の子供は無駄に舌が肥えて困る」
「その、いや、はい」

 正直、ぼくとしてはファミレスに入った瞬間に仮面を外して懐に入れて、凛々しくも年季の入った男前が着物と相まってさらにカックイイ顔を見せてくれたことに対しての驚愕の余韻を味わっていたのだ。
 ……何で仮面つけてんだこの人。思い出の品だったりすんのかね。初恋の彼女のとの縁日での初デートの思い出、みたいな。
 そういうことを食事の場で聞くのは野暮なことだろう。彼もまたぼくと同じように食事は黙々ともぐもぐするタイプであるようで、話題が無い。
 彼はやや豪華めなハンバーグを、ぼくは少し控えめな値段のペペロンチーノにした。のだが、注文するさいに「肉食え肉」と言われて同じハンバーグセットにされてしまったので、目の前にはハンバーグがそこにあった。
 何処か理不尽な思いやりをぶつけられた気分だが、まぁ、久しぶりの外食というものは中々新鮮で良い。
 肉汁がジューシーでファミレスにしては良い肉を使っているように感じる。うん、美味い。庶民万歳。
 
「ご馳走様でした」
「ふん。どうってことない」

 食事を終え、彼は懐に手を入れて面を被り直した。食事するためにだけ取ったのかあんたは。
 その怪訝そうな顔色が出ていたのか、狐面の男性は言った。

「他に綺麗に食べる方法が見つからんかったからな」
「なるほど、そりゃそうですね」
「さて、何か話をしようか。そうそう、そうだった。一つだけ尋ねてもいいだろうか」
「はい、なんでしょうか」
「『はい、なんでしょうか』。ふん。お前、プレイヤーだろう。それもかなり陰惨な」
「いやいや、いやいやいやいや、いや。んなわけないじゃないですか。人を勝手に何処ぞの殺人鬼と一緒にしないでくださいよ。ぼくは人殺しは許容してませんし、これからもするつもりはないですし。何を証拠にぼくがプレイヤーだなんて物騒なこと請け負ってると思ってるんですか。やだなぁもう」
「……………………」

 語るに落ちたかもしれない。沈黙からして怪しまれている感がビンビンだ。敏感サラリーマンくらい。

「……お前、零崎人識を知っているのか」

 声のトーンが、変わった。若干低い声。彼の裏の顔があるというのなら、今のそれだろう。
 本当のことを話すべきだろうか。いや、初対面でさらに怪しい彼にこれ以上手札を切るのも勿体無い。
 ぼくの中である意味鬼札(ジョーカー)化している彼を切るには状況とメリットがよろしくない。

「え? 知りませんよ。誰ですかそれは。面白い名前ですね、零崎って。それに人識ってのもあんまり耳に入らない傑作な名前ですし、そんなインパクトある名前を持つ殺人鬼なんてそうそう出会えるもんじゃないでしょう?」
「…………ふん」
「その零崎っていう人に何か用があったんですか?」
「『何か用があったんですか』。ふん。ちらっと話を小耳に挟んでみればちっと面白そうな《運命》を持ってる奴だったんでな、かかわってみようかと思っただけだ。それに……もっと面白い《運命》を持っているようだ。しかし……何処か足りない気がするが、まぁ、いいだろう。お前は運命の出会いとか、運命だと感じたことがあるか」
「……あなたと会うことに対してなら、恋愛的な意味合いで無い方で」
「ふん。それはいつかは会う予定だったってことだ。つまりは、バックノズルだ。どんな筋書きであれ、全て運命に流されて同じ場所に辿りつく。この世に意味のないことは一つたりともありやしねぇ。全てが世界に対して重要な意味を持っている――この世を構成するピースの一つである限り、因果から追放された身で無い限り、運命の呪縛からは決して逃げられない。俺の持論だ。どうだ、凄いだろう」
「人は世界の歯車であり、歯車は錆びて朽ちるまでは噛み合い続けるってことですか。確かに、それは愉快な持論ですね。運命、ですか。奇跡を偶然に必然に行わせる絶対公式といったところでしょうかね。歯車として噛み合い続ける間は、それがどんな環境であろうとも運命に沿わされ、場所を変えても運命に噛み合わされ、絶対に抜け出すことができない運命の呪縛に噛み合わされられる。ぼくの持論もそんなもんです」
「『ぼくの持論もそんなもんです』。ふん。これまた俺は愉快な《運命》に出会ったようだな。お前もまた、因果を追放された身か。いや、違うな。お前は元々因果の外に存在したのだろう。だが、何かの縁が《合って》歯車として噛み合わされた。お前風に言うのならば、そういうことだろう」
「少し、惜しいですね。でもまぁ、似たようなものです」

 ぼくの言葉に、狐面の彼は押し黙った。何かを探るように、いや、彼風に言うのであれば運命に流されるのを待っているのだろう。

「そうか、お前は……。……お前風に言えば、“錆びて朽ちた歯車のジェイルオルタナティブ”なのか。本当に在り得るのだな、関心を持ったぞ。他人が他人の代替でなく、自分が自分の代替とはな。恐れ入る」
「――ッ。あんた、本当に何者だよ。初対面の相手の全部看破するとかありえねぇよ」
「なに、ただの狐さ。人からは――人類最悪と呼ばれているけどな」

 人類最悪。そのフレーズは何処かで聞いたことがある。そうか、人類最強だ。同類、なのか?
 こいつは、不味い。かなり、不味い。もしかするとぼくの《裏》まで全て看破されかねない。それは、かなり不味い。お暇させてもらうか。

「……あなたの名を教えてください」
「『あなたの名を教えてください』。ふん。だから言っただろう、狐だと。お前に俺の名を語るにはまだ物語が幼過ぎる。幼稚過ぎる。まだまだ先だということだ」
「そうですか、ならばぼくはあなたを狐さんと呼ぶことにします。ぼくの名は、語らずとも分かるでしょう」
「人類唯一、男性でISを動かせたラッキーボーイ――織斑一夏だろう。この前電気屋のニュースでやっていたぞ。そういえば、刺青を入れたガキも居たな。最近の子供は耳に穴開けたり体に彫ったり、親に貰った体を大切にするつもりはないのか」
「さぁ。確かにぼくもそういうことはしたいとは思いませんね。痛いし」
「だな。俺もそう思う。さて、お前は先ほど全てを看破した、と言っていたがそれは嘘だな」
「……どういうことです?」
「『どういうことです』。ふん。惚けたって無駄だ。お前は俺と違い運命に流されている。それなのに俺が分からないとでも思ったか。何処かデジャヴを感じていたと思ったら、俺を待ちぼうけにしやがった知り合いと同じだったとはな。そうだな、お前は……《強さ》を担っているのか」
「それ以上は勘弁願います。――それから先は《ぼく》があなたを赦すことができない領域ですから。それでも、語るというのなら」

 ぼくは左手にブラックジャックを、右手に――切っ先が付いた伸縮式鉄鞭を握り締めた。ぼくの鬼札である武装アンフォーギヴン。
 ぼくのために、《ぼく》のためだけに作られた罪口積雪さんお手製のプレイヤー向けの武装。これを使用したことは今までない。
 だが、目の前の狐を狩るには十分な代物だろう。ぼくのそのブチ切れ具合を察したのか、狐さんは嘆息してから背もたれに深くもたれた。

「分かった。これ以上は止めておこう。俺は痛いのとか嫌いでな。もっぱら戦闘行為は別の奴にやらせてんだ。物騒なもんを仕舞ってくれ」
「……いいでしょう。さて、初めてこれを出したのですが何か決め台詞とかあった方がいいですかね。脅し文句みたいな」
「『脅し文句みたいな』。ふん。そうだな、それじゃあ俺がつけてやろう。『汝、人狼なりや?』なんてどうだ。お前の気性からして似合った台詞だろう」
「良いですね、それ。初対面でぼくを看破したあなたに敬意と警告の意味で、それを受け取っておきます。言わせないでくださいね、あなたへ」
「ああ、流石に同じ鉄は踏まん。それに、《巻き込まれる》のは勘弁だ。お前の性質は少しばかり、俺には厄介だからな」
「でもまぁ、友人くらいにはなれますよね?」
「『友人くらいにはなれますよね』。ふん。まぁ、そうだな。……ほら、これが俺の番号だ」
「あ、……これがぼくの番号です」

 お互いに携帯の番号とアドレスを交換してから直後に狐さんの携帯が鳴った。ぼくの方を見やったので、どうぞと言っておいた。
 すまない、と一言残してから携帯を持って外へ出て行った狐さんを見送って、ぼくは大きな溜息をついた。
 何だあの人。まるでぼくの人生の縮図を持っているかのような看破力だった。正直、今も動悸が焦り続けている。
 正直、ぼくのことを理解してくれた人物が居て嬉しくも思う、喜んでいいのだろうか。ぼくは、《ぼく》は、居て、いいのだろうか。
 時々不安になるけど、今日の出会いは、いや、縁が《合った》ことにぼくは感謝せざるを得ないだろう。
 それにしても、長いな。そう思い、携帯で時間を見ようと見やれば、メールが来ていた。そういえばサイレントにしていたんだった。
 携帯を開き、文面を見て――戦慄する。ああ、やっぱりこの人は、狐さんは、ぼくの、《ぼく》のことを――理解し過ぎている。

『残念ながら、俺のツレが警察に補導されたようでな。回収しなくちゃならん。代金はすでに払っておいたから心配するな。追加の分は知らん。さて、俺の決めたカッコイイ台詞を言われてしまうかも知れなかったのでメールに書かせてもらうが、お前、我慢し過ぎじゃないか。お前の前のお前がどんなのだったかは俺は知らない。知るつもりも興味も関心も無い。だがな、興味を持ったお前が窮屈しているのはあまり面白くない。面白無き世を面白く生きてみろ。誰かの代替でなく、自分の代替であるなら尚更だ。ではな、俺の友人。また、縁が《合った》ら会おう』

 ……我慢のし過ぎ、ね。分かってるさ、それくらい。でも、そうしなくちゃならないんだ。
 あんたは今が、いや、見ている何かが楽しければそれでいいのかもしれないけれど、ぼくだって、《ぼく》だって時間切れというものがあるんだ。
 でも、まぁ、確かに、その忠告は受け取っておくことにしよう。面白無き世を面白く生きるために、ね。
 一人残されたファミレスの椅子から立ち、一応受け付けで確認してから外へ出る。《ぼく》に兄が居たのなら、あんな性格が良いな。楽しそうだ。
 ファミレスから出て、すこしだけスッキリするために伸びをしてみる。うん、何故だろう。心の奥が少しだけ軽くなった気分だった。
 来た道を戻るように、先ほどの大通りへと足を戻していく。ついでに返信もしておくか。《ぼく》の友人に。
 文面は、そうだな。感謝と自愛を。それで、十分だろう。人類最悪の狐たる《ぼく》の友人に対しては。
 少しだけ、少しだけぼくは迂闊だった。
 メールの文面を敬語にするか丁寧語にするか武士語にするか迷いながらふと、路地裏に入ってしまったことに気付いてしまった。
 そして、目の前で行われたトドメ。生殺のトドメ。つまり、人生のピリオド。首を落とされた名も知らぬ誰かのそれと瞳が合う。

「全員不合格といったところか……。やれやれ。……おや、君は……」
「また縁が《合い》ましたね、というべきでしょうか。お久しぶりですね、双識さん」

 人類最悪の次が、零崎。《自殺志願(マインドレンデル)》の異名を持つ零崎双識さんに会うだなんて、ぼくは、死神に好かれているのかもしれない。
 双識さんは手に持った異名の名を持つ巨大な鋏を血払いして、針金を彷彿させる細い線の身体を持って、ぼくへ歩んだ。

「ああ! この前に妹について語り合った織斑一夏くんじゃないか。この現場に対して何も言わないということは、少なからずとも君は此方側の世界に近いということだけど、間違ってるかい?」
「いえ、あってますよ」
「そうかい。うーん、不思議だね。どうにもそういう風には見えないのだけども」
「それは重畳です。そういう風にしてますから」
「うふふ。なるほどね。いいよね普通ってのは。こんな殺人鬼でも誰かと普通を共にしているのだから、世界は狭いもんだ」
「ええ、痛い程に苦しい程に理解してますよ。そうそう、弟さんに会いました」
「本当かい? まったく迷惑をかける弟だ。何処に居たんだい? 何と無く近くに居ることは分かっているのだけども、完全に避けられているようでね」
「IS学園の教室で一人プレイヤーを殺して並べて揃えて晒してましたよ」
「なんだと!? IS学園は花園の中の花園じゃないか! くぅぅっ、あいつは何て勿体無いことをしてるんだ!」
「怒るとこそこですか」
「他にどこを叱ると言うんだい! ……はて、私の勘違いだと良いのだけれども、君の着ている制服は……IS学園のモノじゃないかい?」
「……何の因果かは知りませんが、そういうことです」
「忍び込んだのかい?」
「違います。IS学園の生徒ってことですよ。何が何やらですが、世界中に狙われながらISに乗れてるってことですよ」
「ふむ……、そんな偶然もあるのだね。さて、そんなことは捨て置いて、本題に入ろうじゃないか」
「あのむっちり感は最高です」
「ちくしょうっ!! 私もISに乗れたら……ッ!」
「女子用のISスーツって何処か旧スク水を彷彿させますよね、つまり、太腿や脇周りや胸が強調されてとても眼福です。ところで、双識さん。携帯持ってます?」
「うん? 一応嗜んではいるけどもどうかしたのかい」
「いえ、データフォルダの画像を一部流出しようかと」
「さあ、これが私の携帯だ」
「いきなりプロフィール画面ですか。これからも貰う気満々じゃないですか」
「そう言いながら登録してガンガン送ってくれている君には感謝したりないな!」
「はっはっはっはっは!」
「うふうふふふふふ!」

 路地裏の首無し死体の近くで笑い合う変態二人が居た。というか、ぼくらだった。
 取り合えず知り合い以外のフォトを全て送ってあげた。まぁ、双識さんのメルアドと番号を知れたのだから安いものだろう。
 盗撮? いや、どちらかと言えば頼まれて撮ったものばかりだ。恐らく、ぼくの携帯に入れておくことで印象強くさせたいのだろう。
 ……まさか取引に使われているとは思いもしていないだろう。
 恍惚とした表情で大鋏をくるくると回しながら携帯を弄る双識さんは結構やばかった。まぁ、いろんな意味で。
 
「それで、今度は誰を殺してたんです?」
「ああ、それなんだがね。私にもさっぱりなんだ」
「はぁ?」
「『零崎一賊の者だな』って、虚ろな顔で襲い掛かってくるから大量の不合格者が量産されていくのだよ。困ったもんだ。操り人形ながら可哀想に」
「どっちにしてもあなたは殺すでしょうに、呼吸をするように」
「うふふ、それもそうだね。……そういえば、君は私の試験を受ける気はあるかい? 少し昂ぶったから零崎を始めてもいいかな」
「勘弁してください。ぼくじゃ爆撃機と狙撃主と囮を指揮してこの場所ごとあなたを塵芥にする程度にしかできませんって」
「……え? というか、それ、人類最強ぐらいじゃないと逃げれない気がするんだけど……」
「殺すなら今のうちですよ。そろそろISという最強兵器な玩具も手に入りますし」
「うーん、悩むね。どっちしにろ、楽しそうだ。まぁ、今日はやっぱり止めておくよ。いや、今日も、だね。あの時も結局君を殺すことはできなかったし」
「まぁ、それでいいんですよ。むしろ、そうでなければ意味がありませんから。それに、双識さん。ぼくを殺したら次にあなたがIS学園の少女たちの姿を見るのは携帯に残ったものか実物ですから」
「……そう、だったね。私としたことが少し興奮し過ぎてしまったよ。危うく私の趣味が分かる友人を殺してしまうところだった。ごめんね」
「いえいえ、問題ありませんよ。例え、神であっても《ぼく》は殺せませんし、殺されるつもりもありませんから」
「うふふ、それは楽しみだ。では、そろそろお暇しようか。君に刺客が来ては元も子もないからね」
「お気遣い感謝しますが、すでに世界中のプレイヤーに狙われているようなもんですから差ほど変わりませんよ」
「ああ、そうだったね。いざとなったら呼んでくれて構わないよ。その時は零崎一賊全員で遊びに来るから」
「へぇ、そりゃ楽しそうですね。では、息災で」
「うん、元気でね」

 瞬間、鋭い殺気が通り過ぎる。アンフォーギヴンでそれを払い、ブラックジャックを叩きつける。できるだけ鼓膜に近い場所へ。
 しかし、避けられる。それくらい分かっている。だから、数歩下がって死体の落ちた頭を蹴り飛ばす。
 それを掴むように刃で受け止めて――双識さんはそれを真っ二つに切り裂いた。

「うん、心配ないようだね。少しだけ試験させてもらったよ」
「及第点はもらえていますかね」
「まぁ、そうだね。私が相手だとしてもそちらの武器を向けるくらいだから。君にはそのまま歩んでほしいものだよ」
「……そうそう、ぼくも双識さんみたく、戦う前に台詞を吐くことにしたんですよ」
「そうなのかい?」
「ええ。だから、言わせてくれないでくださいね。友人は大切にする主義ですので」
「……うふ。君は本当に愉しい人だね」
「面白き無き世を面白く生きようかと思いましてね」
「なるほど、私の心配は杞憂だったようだ。もう襲い掛からないから行って構わないよ」

 そう言って双識さんは自殺志願を背広の懐に仕舞い込み、踵を返して手を振って去っていった。……やれやれ。本当に扱いが危ない人たちだ。
 これもまた、積雪さんの指導の賜物かな。互角とまではいかないが、初手で死ぬことは無くなった。本当に……やれやれだ。
 出発してからもう昼過ぎて三時。……花でも買っていこうか。スタンダードに。
 予定時間から二時間も遅刻してしまったのは悪いとは思う。しかし、二人もビッグなお客と縁が《合って》しまったのだから、仕方ないよね。

「零崎一賊の者だな」

 ああ、どうやらぼくは――運命に流され続けているらしい。振り返りたく……ないなぁ。










 足掻くってことは傷付くことだろう? 無傷で済む底無し沼じゃあるまいし。










 ぼくは、逃げた。
 ただでさえ今日は縁が《合い》過ぎているんだ。いや、むしろ、だから、なのかもしれない。
 小指の赤い糸のように、この縁もまた因果という糸で繋がっているのかもしれない。
 歩いたから、縁が《合い》。縁が《合った》から、こうして遭っているのだ。その糸が雁字搦めに絡んでいても、不思議ではないだろう。
 虚ろな瞳の視線がぼくを取り囲む。まるで、何処かに誘うように、獲物を罠へ追い込むように、漁に似た今の状況を打開しなくてはならないとは分かっているのだが、解決策が、いや、解決するための材料が足りていない。不足し過ぎている。
 最初の一人を放っておくべきだったんだ。路地裏に誘い込んで首を狩って気絶させようと思わなければよかった。
 誘っていたのではなく、誘うように誘われていた。言うなれば、遊ばれていたのだ。この状況を作り出した人物に。
 心当たりは、一応ある。呪い名第一位。恐怖を司る操想術を専門とする集団。でも、心当たりがあっても意味が無かった。
 路地裏が黒く染まっていたのは影ではなく、操り人形と化した人間の山だった。咄嗟にアンフォーギヴンを取り出さなかっただけ、マシだと思う。
 かといって、スタングレネードを取り出す高校生が居てもおかしいが。
 数発隠し持っていたそれの一つを使い、追っていた一人の横を通り過ぎて九死に一生を得た、はずなのだ。
 なんなんだこの統率力は。忍びの本領発揮といった具合に、数メートル感覚で網が形成されつつある。……いったい何人操っているんだか。
 当初の目的地である病院は持っての他、むしろそこから遠ざかりIS学園へ戻るルートを選択し続けているのだが、全く持って振り切れない。
 こちらはすでに疲労困憊といったところで、サライが流れたら泣いてしまうくらい走り続けているというのに、網が破れる気配はなく、むしろ拡大化している状態で、ジリ貧というか追い込み漁をされている気分だった。
 脳内に酸素がやや足りなくなりつつあるのか、正常な思考が保てない。何処か穴が開いているような案ばかりが漏れ出てくる。
 ……待てよ、もしかしてぼくを追い立てているのは、一人じゃないのか?
 そうすると、憶測が整理しやすくなった。つまり、複数人の時宮がぼくを殺す、いや、狙っていると仮定しよう。
 ならば、最終目標は何だ。ぼくか。いや、ぼくしかねぇだろ。そんなことは分かっている。そっちじゃない。場所だ。
 沿岸の方へ走らされている現状をどう見る。ますます追い込み漁だ、むしろ本番だろう。ただし、追い込みの。

「さぁて、足掻くか」

 さて、取り合えず休憩を入れたい。数時間くらいは走ってるから、すでに死にかけだし、何処か隠れるところはあっただろうか。
 いや、ぼくここら辺の地理しらねぇし。立ち止まれるとしたら、最終地点だけだろう。だから、勝手に場所を作り出させてもらう。
 端末を取り出し、地図を表示。この辺の地理で、囲まれながら、さらに遣い易い場所は、ここか。
 ここから数十メートルの廃倉庫。そこで、迎撃の反撃をぶちかます。なら、最短距離は――、ここの路地裏から公園を突っ切るルート。

「あら、一夏さん?」
「うへ?」

 あんまりにも走りすぎてか、幻聴が聞こえてしまったらしい。変な声が出てしまい、脚が止まってしまった。
 そちらを見やれば、何処か不思議そうに首を傾げるクラスメイト。今、この、状況で、会いたくなかった!
 見るからに西洋貴族なフリルが特徴的な白いドレスと白い綺麗な肌を気にして持っているのであろう西洋風の日傘。どれもこれも高そうだ。
 
「……ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、はぁ。……有り得ん、だろ」
「あらまあ、喉が枯れてしまうほど走っていらっしゃったのですか? 仕方ありませんね……、はい。水分でも補給したらいかが?」
「あり……が、とう。――ぷはぁ! 生き返った! うっし、逃げるぞセシリアちゃん!」
「はい。……はい!?」

 ぼくは問答無用でセシリアちゃんの日傘を閉じ、片手に日傘片手に白い手を掴んで走り出す。たかが数メートルだ、問題無い。……といいなぁ。
 そんな思いを空に飛ばしつつ、ぼくらは路地裏を走り抜く。視界が広がった瞬間、絶望する。人、人、人。圧倒的な、人の山。
 何てこった、ここまで策士かよあんたら。誘き寄せて勝手に考えさせて走らせて追い詰めて逃げさせた場所が、本当の目的地か。
 追い込まれた先は公園の広場の真ん中。じりじりと人海戦術によって追い詰められる。操り人形の数がはっきりした。
 
「四十人か、ちょいと辛いな」
「どういうことですの……?」
「ごめんね、セシリアちゃん。ぼくとしても君を巻き込むつもりは無かったんだ。君がぼくに声をかけなければ、それでよかったんだ」
「それは、どういう……」
「いや、ごめん。ぼくが言うべき言葉は君への嫌味じゃない。謝罪だけだ。ごめん」
「一夏……さん?」
「零崎一賊の者だな」

 複数から、四方から、八方から、ぼくらを中心に三百六十度から、言葉が重なった。操り人形を操る人間が居るはずだ。
 ここまで逃げたのは、その確認もある。最初の地点からどれだけ離れても追ってきた、むしろ増えた。と、なれば。必然、術者も追っているだろう。
 遠隔リモコンのラジコンじゃあるまいし、人間がそこまで従順に遠くまで操れるわけがないだろう。

「ぼくは、いや、ぼくらは零崎じゃない。この子は無関係だし、関係者はぼくだけだ。言うなれば、ぼくは零崎の友人だ。なんなら、呼んであげようか」

 ぼくは携帯を取り出し、アドレスを開いてボタンを押し、耳に当てる。死人のような人形以外の視線を感じた。一、二、三。三方向か。多いな。
 数度のコールの後、音が繋がり陽気な声が聞こえてきた。

『おや、どうしたんだい。先ほど会った時に言うことを忘れていたのかい?』
「いえ、あなたたちを追う奴らに追われて近くのでかい公園の広場で囲まれてます。人が居ないのでかなり分かりやすいかと」
『うふふ、それはすまなかった。あの場を見られていたのかもしれないね。いや、十割百中で見られていたんだろうさ。さて、私はどうするべきかね』
「どうするって、決まっているでしょう?」
『そうだね、君がこんなにもお膳立てしてくれているんだもんね。従うさ』
「さっさと逃げてくださいよ」
『さっさと逃げさせてもらうよ』

 電話を切り、携帯を仕舞う。さて、彼女ら、いや、もしくは彼らはどういう反応を取るだろうか。
 答えは、ざわめきで返ってきた。
 
「それは」
「とても」
「不味い」
「逃がすものか」
「逃がしてやるものか」
「逃がしてたまるものか」
「お前は去るな」
「お前は居ろ」
「お前は残れ」
「分かった」
「分かった」
「分かった」

 森のざわめきのように四方八方から話し声が聞こえる。こいつら、むかつくことに自分たちの会話を操り人形に言わせてやがる。
 おかげで場所が把握できない。しかし、これで勢力が分担されて……あれ。減る気配がないんだけど。むしろ、増えてるんだけど。

「お前のことは」
「見切っている」
「悟りきっている」
「だから」
「なので」
「しかし」
「ここで殺す」

 再び重なる声。いやぁ、正直震えが止まらないね。なにこれ、人海戦術っていうか、塵芥戦術ってくらい人数が増えてる。鼠算くらい圧倒的に。
 ルートを探すとか、そういう問題じゃない。何だこれ、人間で巨大迷路を作ってやがる。しかも、入り口と出口が存在しない包囲網で。

「……マジかぁ。これは予想外だったなー。じゃ、セシリアちゃん」
「は、はい!?」
「ISで離脱よろしく」
「……………………無理、ですわ。今、わたくしのブルー・ティアーズは最終点検に出しておりますので……」
「……………………」
「……………………」
「……詰んだぁ」

 投了ってレヴェルじゃないよこれ、オセロで一面真っ黒にされてるくらい絶望的で、将棋で王一つに蹂躙されて王手喰らってるくらいに絶望的で、チェスでキング以外全て殲滅されたくらい絶望的じゃないか。どうするんだ、これ。終わっちまうよ。ここでぼくの冒険終わっちまうよ。おい。
 もう、我慢とか、安全策とか、体裁とか、気にしてる場合じゃないのかもしれない。
 今も尚、この街に潜伏させていた操り人形が増えていく、そんな絶望的な気分で、ぼくは――どうすりゃいい。
 ぶち壊してしまうか。粉砕して粉壊して残虐して凄惨して熾烈して炸裂して爆砕して殲滅して蹂躙して――ネコソギ殺シテシマオウカ。
 言いたくない。言ってしまいたくない。言ってしまったら、言っちまったなら、ぼくはもう、《俺》に後を任せられない。
 でも、これは《ぼく》の責任だ。傍から見ても、これは、《ぼく》の責任だ。セシリアちゃんは遣えない。遣える余地も余裕も期待もできない。
 ならば、《ぼく》が動くしかない。言ってしまえ、言ってしまえよ、《ぼく》。言ってしまえば、楽になれるのに……ッ。
 繰り広げられる脳裏のパレードは、楽しい思い出ばかりだった。
 代替として生まれ、思い人に恋し、運命に流され、友人が出来て、喧嘩をして、泣いて、笑って、悔しくて、決意して、悩んだ。
 足掻いた。《ぼく》は、十分と足掻いた。きっと、《ぼく》は足掻き終えたんだ。だから、言っちゃえよ。口を開けよ……ッ。ガキじゃあるまいし!

「……汝、人狼な――」

 ぼくの決意は、高速で飛来する赤き稲妻によってかき消された。暴れ吹き回す荒風が着地してできたクレーターの質量を撒き散らす。
 吹き荒れる土砂にぼくらの視界は隠される。止んだ先に見えたそれは、赤、だった。

「……スカイダイビングってのはこうじゃねぇとつまんないよな。あの風になった気分が最高なんだよ。別にパラシュートが使えなくなって途中で切り捨ててきたんじゃねえからな。パラシュートなんて余計なんだよ邪道だ、うん。人はほら、鳥になるべきだろ? だから、あたしの行動に問題は無い」

 その何処か漫画めいた説明口調の持ち主は、赤いスーツを着た女性だった。
 何処かで会ったような気分になるが、こんな鮮烈な人を忘れるほどぼくは頭がやられちゃいない。
 邪魔だな、と腕を振るえば強烈な風が舞い散る砂埃を粉砕した。擬音を使ってしまうほどに鮮明に嵐が生まれた瞬間だった。
 そして、その赤き稲妻はこちらに少し振り向いて、ニヤリと笑みを浮かべた。

「よぉ、初めまして。あたしが世界最強の友人の――人類最強の請負人だ。さっそく掃除しとくが、これはサービスだぜ。お兄ちゃん」

 人類最強――ッ。そうか、何処かで感じたと思えば、人類最悪の狐と似ているフレーズで何処か似ている雰囲気を持っているんだこの人。
 根本、というか、血筋、というか、なんだろう。性格は全く違うベクトルを向いているようなのに何処か繋がりを持っているような雰囲気だった。
 再び赤い稲妻と化した人類最強の請負人は、例外無く全て一切合財を、蹂躙し尽した。
 怯え逃げる者を追わず、向かって来る有象無象を蹴散らし、時々何処かに石を投擲したり、人間ボーリングしたり、人間バットで人間ホームラン大会を始めたり、暴虐の限りを尽くして、止まった。
 立ち上がる者は居ない。ただ、直立不動で立ち尽くす百獣の王の如く威圧感を撒き散らす人類最強だけだ。
 人類最強がこちらを向いたので、ぼくは後ろを向いた。セシリアちゃん落ちてた。つまり、気絶してた。いいなぁ、どうせならぼくもしたかった。
 刺激が強すぎるってもんじゃない。舌が燃え尽きるくらいに刺激的だった。これが、人類最強。
 目線を戻し、再び、その姿を見る。
 目を見開くようなワインレッドのスーツに咲いた白いカッターが色っぽく胸を強調し、髪は真っ赤に燃えて今も尚煌くような印象を見せる。
 美人なのだが、何処か人類を捨て去ったような、置き去ったような雰囲気が威圧感と相まって近づきがたい空間を作り出していた。
 ドストレートの直角フォーク、みたいな感じだった。

「なぁ、いつまで黙ってんだよお兄ちゃん。こちとら上空三千メートルのダイブして掃除までしてやったんだ。言うことあんだろ」
「パラシュートは普通使い捨てるもんじゃありません」
「まぁ、そうだよな。でもよ、上空で気持ち良くなってたら開かないわ出ても絡まるわ、ならよ、捨てるだろ普通」
「もしかしてパラシュートには予備のがついていることを知らなかったりします?」
「……それは置いといてだな」

 置かれてしまった。意外とこの人打たれ弱いのかもしれない。精神的なアドバンテージを取りたがっているようだし、ここは合わせておこう。

「お前がいーくんで合ってるよな? その服とその口調と雰囲気……。ふうん……確かに似てるな。いーたんに」
「そのいーたんって人は知りませんが、まず、礼を言っておきます。ありがとうございました、助かりました」
「ま、及第点ってとこだな。いーたんは初対面の時合わせようともしなかったし、まぁ、許してやるよ」
「お名前を聞いてもよろしいですか?」
「うん? ああ、あたしの名は哀川潤だ」
「ぼくは織斑一夏です。後ろに伸びてる子はクラスメイトのセシリア・オルコットちゃんです」
「はぁ……、あっそ。青春かましてんじゃねぇよ、少女コミックだったらあたしはその子連れてくぽっと出のライバルだぞおい」
「あー……、別に持っていても構いませんよ。クラスメイトであってまだ他人ですし」
「お前、クラスメイト=知り合いとかって形容するタイプだろ」
「ええ」
「かーっ、お前友達少ないだろ。今時そんな捻くれた考え捨てておけよ。友人は大切だぞ、衣食住くらい」
「まぁ、そうですね。大事にはしますよ、友人は」
「……………………お前、猫被ってんだろ」
「…………やだなー」
「明後日の方向はそっちじゃねぇよ。真正面だ。こっち見ろ」

 ぐいっと顔を曲げさせられ、頬を舐められた。舐められた!? 初対面だったよなこの人。

「嘘の味がするな」
「あなたは歩く嘘発見器ですか!?」
「いや、そこはジョジョファンとして……、まさか、お前……読んだこと無いのか。あの傑作を……、お前、人生の十割損してるぞ」
「全否定ですか。勘弁してくださいよ、ぼくとしちゃそういう時間無いくらい切羽詰まってるんですから」
「あん? どういうことだよ、そりゃ。お前の人生はまだまだ長いだろうが。後何十年も――」
「ありませんよ」

 ぼくは、いや、《ぼく》は哀川さんのその言葉を遮った。遮らせてもらうしかなかった。それは、在り得ない《運命》なのだから。
 元々《ぼく》は《俺》専用の不気味な泡であり、彼の世界を守る以外の使命も指名も無いのだ。
 《ぼく》がここに居る理由は一つだけだ。だから、《ぼく》を殺すのは《俺》でしかなく、他の誰にも触らせることのできない神域だ。
 怪訝そうな顔で哀川さんは三白眼でぼくを、《ぼく》を舐め回すような視線で観察する。

「ぼくとしての時間はもう残り少ないんですよ。だから、ぼくはもうすぐ――」

――泡のように消えてしまうのですから、やれることなんて限られてるんですよ。
哀川さんはその消え行く呟きを聞いて、ぼくの胸倉を掴みあげる。

「諦めてんじゃねぇよ。もうすぐ消えるだとか、これから終わりだとか……泣き言喚いてんじゃねぇよガキが! 最後まで聞かないでも分かっちまうくらいに言葉に絶望込めてんじゃねぇよ! 馬鹿かてめぇは! 自分独りで悟って哀愁を振舞ってんじゃねぇぞ! 胸を――」
「奇麗事は喰い飽きました、哀川さん。メインディッシュはまだですか?」
「なッ」
「初対面の相手に何を熱くなってるんですか? 絶望? 希望? 望んでいるわけないでしょう。それくらいも分からないんですか? 誰かに頼って万事解決皆ハッピー? 笑わせないでくださいよ。押し付けないでくださいよ。誰があんたに頼んだんだよ、んなことをさ。ぼくだって分かってるさ。あんたがどれだけぼくのことを考えて言葉並べてくれたくらいはさ。泣き喚いても終わりは来るんですよ。世界の終わり、貴方は見たことありますか? ぼくはチラリとだけありますよ、ええ。最初から希望も夢もありゃしない走馬灯で自分のために代わりにダービーさせられる身になったことがあるんですか? 死にたくない、消えたくない、残っていたい、って足掻き続けてるつもりなんですよ。足掻けば足掻くほど《ぼく》と《俺》は成長しちまうんですよ。これ以上どう変われっていうんだよ! 後は外道よりも鬼道しか残ってねぇんだよ! 《ぼく》が最後じゃないんだよ、完走らなきゃいけないのは《俺》なんだよ! ふざけるな! 馬鹿にするな! 同情するな! 考えてくれるな! なぁ、人類最強。弱者の気持ちが最強に分かるとでも思ったのか。わからねぇよな、だから漫画理論なんてもんを、漫画みたいな夢を語りだす人を見下す位置に成り上がったんだろうよ。壁にぶつかったら修行して再び戦えば順風満帆でクリアできるってか? 誰もができるわけねぇだろうが、勝手にぼくらを引き上げんじゃねぇよ、舞台が違うんだよ! 虐められっ子が可哀想だからシンデレラ役に抜擢ってか? 余計なお世話なんだよ! 勝手に見下すんじゃねぇよ人類最強。自分のことくらい――他人よりも分かってるに決まってんだろうがッ!!」

 全力で全てぶつけてやった。分かってんだよ。ぼくだってさ。諦めたくねぇよ見限りたくねぇよ終わらせたくねぇよ――消えたくねぇよ。
 でもさ、《ぼく》は永遠に存在していいわけじゃないんだよ。時間切れまで、彼の成長を見届けて静かに眠りにつかなきゃならねぇんだよ。
 初対面のあんたに言われたくねぇんだよ。ぼくを天秤の片方に乗せようとしてくれるなよ。《ぼく》を救おうとしてくれんなよ。
 飽き飽きなんだよ、そういう戯言。傑作なんだよ、そんなもんはさ。救えない夢を見せてくれないでよ。勘違いしちまうだろうが。
 手を伸ばしたら掴んでくれて、救い出してくれるハッピーエンドもあるけどさ。静かに消えて涙を流すハッピーエンドってのもあんだよ。
 それを、なんで、《ぼく》を思って叱ってくれたあんたが否定しちまうんだよ。勘弁してくれよ、泣いちまうだろ。
 ぼくが《ぼく》を終わらせるのは後数ヶ月くらいだって分かってんだよ。だから、泣いてんだろうが。泣き喚いてんだよ。
 断崖絶壁で四面楚歌なんだよ。《ぼく》は居ちゃならないんだよ、この世界から、この運命の渦から、世界の一部から、外れなきゃいけねぇんだよ。

「ぼくは――あなたが大嫌いだ。人類最強さん」

 七面相もびっくりするくらいのレパートリーが混ざった、哀しい顔をしていた。いや、《ぼく》のためにしてくれていた。
 分かってください。《ぼく》に、道を、示してくれないでください。
 《ぼく》なんて、この世に居ない存在なんだから。居てはならないんです。泡として消えるべきなんですよ。
 沈黙を先に殺したのは――人類最強だった。

「……そっか。そうかよ。それじゃ、仕方が無い――とでも思ったかッ!!」
「あたぁっ!?」
「不満を誤魔化すことなく叫んでくれんなよ! 哀しいじゃねぇかよ! 方法なんてもんはよ、探すんじゃねぇよ、造り出すもんだ! お前はそれで、いいのかよ。終わって、諦めて、泣いて、消えちまっていいのかよ……」

 この人は、ずるい。女の人ってずるい。泣きながら諭してくれるなよ。釣られてしまうじゃないか。夢を持ちたくなっちゃうじゃないか。
 ――諦めることを諦めたくなるじゃないか。
 哀川さんは手加減した拳骨を落としたぼくの頭を撫でながら、ぼくを抱きしめた。そして、諭し続けた。だから、ぼくは。

 その優しさを――態度と行動で押し返した。

「……言ったでしょう。《ぼく》はあなたが嫌いだと。探しません。造り出しません。それは、《ぼく》にとって最悪の末路です」

 ぼくは、セシリアちゃんの方へ向いてその体を抱き上げた。所謂お姫様抱っこ。彼女の柔らかくて良い匂いな暖かい体。ぼくは、楽しめない。
 人類最強の御人好しに背を向けて、ぼくは学園への道を――。意識が落ちる、混濁する、濁流に流さていく。
 あー……、数時間の全力ダッシュとお姫様抱っこの数歩でぼくの中の体力という電池は切れかけていたらしい。
 ふんわりと包まれる感触。あーもう、止めてくれよ。ぼくに生とやらを感じさせないでくれ。頼むからさ。
 ――なぁ、早く起きてくれよ。《ぼく》も優しさで壊れちまいそうだよ。早く終わらしてくれよこの短すぎる物語をさ。









「……まったくよ。子供がんな哀しい顔してんじゃねぇよ。諦めたく無くなってきたじゃねぇか。嫌よ嫌よも好きのうちってことだよな。ってことはよ。大嫌いよ大嫌いよも大好きのうちってことだろ? はぁ、なんでこんなことしてんだろうなあたしは。今頃北海道で優雅に蟹食い散らかしてるつもりだったってのによぉ。……はぁ、いーたんには悪いがこいつも見捨てれないな。まぁ、いーたんなら自力で何とかしてくれんだろ。たぶん」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「……やれやれ。彼に迷惑をかけるつもりはなかったんですが……。これもまた零崎の宿命ってことでしょうかね。さて、彼のために後処理はしましたし。何故か妹も私のホテルから逃げ出してるようなので、探索範囲を広げないといけませんね。……はぁ、弟と三年も付き合ってますからもしかすると計画的な駆け落ちだったりするのかな。……お兄ちゃんはとても寂しいです。後でトキの店で久しぶりに飲み明かしましょうかね」



[34794] 伍話 根源回帰。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/10/27 16:56


 誰かを救うってことは誰かを見捨てるってことだ。ならば、自分を見捨てて誰かを救えれば万々歳じゃないか。












 その場所は白かった。まるで焼き尽くした灰のようにその部屋は白で満ちていた。
 窓から見えるそれは赤い雨と延々と続く満月。
 少年はただ一人、部屋の真ん中で顔を隠して三角座りで自分を抱きしめていた。
 誰かに襲われることに恐怖しているのではなく、
 誰かに罵られることに恐怖しているのではなく、
 誰かに貶められることに恐怖しているのではなく、
 誰かに見捨てられることに恐怖しているのではなく、
 誰かが、自分のせいで傷付くことに、恐怖していた。
 延々と流れ出る赤き雨は濁流となって部屋の周りを浸食しているが、部屋には入れず壁に拒まれ防がれている。
 いつまでも続く雨が窓を叩く音は誰かの叫び声のようだった。
 お前のせいだ。お前が居たから。お前の存在があったから。お前が私の近くに居たから。お前が俺を――。
 泣き声はすでに枯れて、嗚咽すらもしゃっくりのように息苦しく感じ、溢れていた涙はすでに渇き切った。
 傷跡は見えなかった。外見には一切存在しなかった。無傷。
 少年は怖かった。誰かを自分のせいで傷つけてしまったことが。声が枯れるほどに謝罪を。誠意尽くして謝りたいのに、あの人たちはもう――。
 窓淵に滴る赤い雨は少年の傷跡から流れる血のように見えた。












 お前は優しい人間か、と問われればぼくは即答しよう。そんなわけがない、と。
 自分自身のために他人を見捨て、自分のために自分を捨てる。そんな存在であるぼくが優しいと形容されるべき人間ではない。
 そもそも、人間ですらない。ぼくは世界の中心から繋がれ噛み合う歯車の一つの代替に過ぎない所詮――偽者だ。
 言うなれば予備だ。メインの修理が終わるまでの間噛み合わされるただのスペアに過ぎない。
 偽であるが故に真のことを知り尽くし、真でないが故に偽として人生の秒針が進む。
 偽者であると断言しても、外見が歴史が声が言葉が、真者に近ければそれはもう本物(オリジナル)だ。
 だけど、例え誰かの代替でなかったとしてもぼくはオリジナルには成り得ない。この世の、この運命の輪の、因果の外へ葬り去られるからだ。
 在ったという証拠が消え、消え行く身であるのなら、残すものは捨てるか託すしかないのだろう。
 だから、ぼくは彼に全てを謙譲することを決めた。一切合財何もかも根こそぎに全て、彼へ成るためにぼくは置いていこう。
 故に、ぼくは残してはいけないのだ。それは分かっている。だけど、ぼくは――。

「思考を止めろ、ぼく。それから先は《ぼく》が言うべき言葉じゃあない。この前否定したが、今なら言える。ぼくは死人だ」

 生きている死人。居るはずのない人物。つまり、居てはならない存在だろう。
 消えよう。泡となって溶けて、深い深い海の奥底へと戻ろう。この身がある限り、《ぼく》は《俺》の代替品。偽者でなければならない。
 それゆえに、ぼくは残したい。外ではなく、内へ。《俺》が受け取ってくれるためにより良いものを仕入れておかねばならないのだ。
 この手で掴めるものを全て巻き込んで、全て全てこの身へ血肉として流さなければならない。
 偽者であるが故の罪を全て《ぼく》が被り、《俺》がそれらを紡いで生きていければ、《ぼく》はもう、イラナイ。

「………………………………見知らぬ天井だ」

 夢を見ていた気がする。起き上がろうとするけれど気だるさがそれを邪魔して動けない。
 ぼんやりと見える視界には明りが差しているために今が夜であることを否定していた。首を横へ転がせば、カーテンから光が漏れていた。
 ……そうだ。ぼくは哀川さんに、人類最強に喧嘩を売って、無様にも倒れ込んだのだった。
 恥ずかしい……っ。あんな啖呵切ったくせに助けられてるとかすげぇ馬鹿馬鹿しいじゃんか……。うわぁ……死にてぇ……。
 同窓会で皆で思い出話、ただし自分だけ黒歴史オンリーみたいなっ。……はぁ、少しだけ冷静になれた。すっげぇ死にたい。
 穴があれば埋まりたい気分だった。あまりにも衝撃的なメモリーバックだったもんだから、気だるさも吹っ飛んだ。
 起き上がり辺りを見回せばここがIS学園の保健室であることを知る。パンフで見たことがある風景と類似していたからだ。
 そして、今一番会いたくない人物がベッドの隣の丸椅子に座っていた。

「………………………………」
「……なんで居るんですか哀川さん」
「やっと気付いたか。それと、あたしのことは……ああ。そういえばお前はあたしの敵だったっけ。ならその呼び方で構わねぇよ」
「いえ、嫌いであって敵とは見てませんし。そもそも、ぼくが敵と認めた人物は誰も居ませんよ」
「そうかい。なら、あたしのことは名前で呼べ。苗字で呼ぶな。あたしのことを苗字で呼ぶ奴は敵だけだ」
「そうですか。なら、潤ちゃんと呼ばせてもらいましょう」
「止めろ。鳥肌の後に空へ羽ばたくぞ」
「あんたは鳥だったのか!?」

 椅子から立ち上がり、哀川さんはぼくを一瞥してから溜息を漏らした。

「……コントで場を流せれば万々歳ってか。お前、本当に可愛くないな。可愛いけど」
「……自分の身が可愛くない奴なんて居ませんよ。それが、ぼくであれば尚更です。"潤さん"、ぼくは貴方のことを鬼札の一つだとしか思ってません。それでも、《ぼく》を見捨てないつもりですか」
「見捨てれる奴ってのはかっこよく見捨てるんだよ。今のまま見捨てたらあたしの匙投げじゃねぇか。格好悪ぃ。なぁ、いーくん。その鬼札ってのは後何枚あんだよ。教えてくれよ」
「何故です?」
「順位決めすんだよ。鬼札のよ」
「圧倒的に貴方が最上位で君臨してるから心配しなくていいですよ。貴方は、唯一ぼくに巻き込まれなかった人ですし」

 ぼくの鬼札を公開すれば一枚目、人類最強。二枚目、天災。三枚目、零崎一賊。これにぼくの専用機を入れれば戦争できるんじゃないかこれ。
 鬼札とまではいかないが他にもコネなどでキングとエースくらいはあるし、負ける原因があるとすれば、ぼくの弱みを掴まれることだ。
 家族と《俺》の友人と――思い人。ぼくが、《ぼく》として成長できた恩人とも呼べる少女。成してはならぬ片思いのお相手。
 家族は知らぬ両親は除外、千冬さんのみ。《俺》の友人である五反田一家、篠ノ之一家、凰一家。数ある中で今手を出せる友人のみであるのが残念ではあるが、今は仕方が無いだろう。そして、IS学園の近くに存在する大型病院の一室を使用する金髪少女。
 全員に束さんに二つ貸しで護衛と敵影監視と防衛を頼んである。鬼札の一枚を、防衛に切っている。
 残りの二枚目は性質からして攻撃で遣う。正直に言えば、ここまでのカードを持っているぼくに喧嘩を売る奴は相当だと思う。
 
「なぁ、その巻き込むってのは何なんだ。普通の意味じゃねぇんだろ。鬼札のあたしくらいには教えてくれよ」
「……まぁ、そうですね。貴方になら言っても構わないでしょう。人識くんから聞いたんですが、戯言遣いと呼ばれる人物が居るとか」
「あん? なんであの坊やの名前が出んだよ」
「この前友人になりました」
「納得した。確かにいーくんはいーたんに似てるからな。不思議じゃねぇや」
「まず、そうですね。何から話しましょうか。ぼくが記憶喪失な二重人格であることは知ってますよね」
「ああ。脳波が少しブレちまって、記憶が混濁せずに二重人格状態になってるんだろ」
「ええ、その通りです。ぼくは中学二年生以前の記憶を受け継いでいません。しかし、経験などは残りました。失ったものは多いですが、手に入れたものもあります。ぼくの友人の一人、世界最強兵器たるISを開発した天災科学者篠ノ之束に言われた言葉を復唱しましょうか。

『いっくんの性質は異常過ぎるね。誰もが勝手に君へ誘い込まれて巻き込まれるみたいに狂わされる。《ままならない混沌(バッドエンドループ)》とでも名付けてあげようかな。性質が悪い理由を挙げれば、これは君の意識によって生成されるということだろうね。いつだって最後まで進まず、いつまでも変態ばかりが集まるのはそのせいだ。君に目的があり全てに意味を成すその性質は時には貪欲。《異偽(いぎ)》とでも呼ぼうか。この性質を文字に直すのであれば、不思議現象誘発体質並びに優秀変質者受愛体質といったどころだね。本質を異なる為にのみ偽装される為にのみ存在する公式だよ』

言わば、《織斑一夏》限定の迎撃公式。《ぼく》であるが故に全ての代替を成し偽るための狂言。誰かの在り方を代替化し自身へ添加する凶悪な性質。それが、《ぼく》の《異偽》であり存在する意義なんですよ。人は何か目的を考えなければ前に進めぬ生物ですから、拭森が如く目的を無くすのではなくぼくへ《巻き込んで》目的に"辿り着けなく"させる。だから、ぼくの目の前では誰もが失敗を犯す。しかし、まぁ、これにも条件が色々とありましてね。一番効く条件が《ぼく》の敵であることなんですよ。一度でも敵意を持てば最後、巻き込まれて混沌とした世界へ送り込まれるということです。中々愉快でしょう?」
「ならよ、なんであたしが巻き込まれないんだ?」
「そりゃ、貴方が《ぼく》を理解したのであって敵と認識しなかったからでしょう。正直辛いんですよ、今の関係は。それに別条件として貴方が人間離れし過ぎなんですよ。盗れるもんが人外レヴェルばっかりですからこの体でできやしないです」
「いっくんの複雑な関係はどうにかならんもんかね。お得意の漫画的要素でも出してみるか。とりあえず人体練成から始めよう」
「あなたが錬金術使えるようになったら史上最強の請負人になってしまうから止めてください。恐れ多くて遣えやしない」
「遣う遣わないで友人決めてんじゃねぇよ、まったく。いーたんはもう少し不器用で可愛いってのにお前って奴は……」
「まぁ、そのいーたんには苦労してもらうことにしましょうか」

 戯言遣いのいーたん、結構というかかなり壮絶に超絶に大変だな。もしかしてこの人のノリと攻めでされるがままにされてないよな。
 もしそうであったら同情したい。恐らくこの人は人間をベースに着せ替え遊びをするくらいに横暴に違いないだろうから。

「潤ちゃん、少しお時間よろしいですかね」
「だからその呼び方は止めろっての。まぁ、別に時間はあるが何するんだよ」
「護衛を頼みます。ついでに思い人でも紹介しましょうか。《ぼく》の唯一の弱みですよ」
「……ふうん。信用されてんな随分と」
「いやぁ、正直好き嫌いとかの関係よりもこっちの方が楽かなっと。ぼくを救おうと足掻いてくれている人を嫌うのは罪悪感がありますし」
「まぁ、あたしもいーくんのことを弄り倒せるから弱みを知るってのは好都合だ。それに嫌われるってのは結構傷付くんだぜ。ましてや気に入ってる相手からだとよぉ」
「それは重畳。まぁ、弱みになるかは勝手に決めてください。ぼくの中では最上級の弱みですから」

 ぼくはベッドから降りて、自分の格好が昨日のままであることを確認してから色々と点検。……やっぱり武器の類は没収されてた。畜生。
 恐らくそれらは千冬さんあたりが回収したんだろうから後で返してもらうとしよう。
 潤さんはふらふらと歩くぼくを担ぎ上げ、そのまま廊下を闊歩し、職員用駐車場に止められていた真っ赤な蛇の、なんだっけ、確か、ああ。赤いコブラの助手席にぼくを突っ込んだ。手荒に豪快に投げ込まれたともいう。
 というか今日が休日で朝早くでよかった。廊下で米俵のようにレッカーされる姿を誰かに見られなくて本当によかった。
 エンジンがかかり、コブラが躍動するように震えあがる。隣に座った潤さんがぼくへ声をかけた。

「お客さん――どちらまで?」

 シニカルな笑みで彼女は言った。

「近くの病院まで。あなたと一緒に」

 ぼくは苦笑気味に笑みを返した。
 走り出したコブラから見える光景はやはり見慣れぬ街通りで、一応地理を覚えるつもりで暇つぶしに見ていた。
 潤さんは何処か楽しそうに車を運転していて、好きな人はやはり好きなんだろうなぁと車を運転したい衝動に駆られる。
 車か。もしかして《ぼく》が免許取っておけば《俺》も運転できんのかな。しかし、家にはそんなスペースもお金も無いから止めておこうかな。
 まぁ、免許取るだけでもいいのだけれども、でも勉強たるいし後は《俺》に丸投げしておこうか。
 
「なあ、いーくん」
「なんです?」
「思い人ってのはどんな子なんだ」
「なんですかその修学旅行の夜のノリは」
「いいじゃんいいじゃん。ぶっちゃけろよ、いーくん。どうせこれから会うんだからよ、それなら知ってる奴に尋ねたほうがいいだろうがよ」
「まぁ、構いませんけどね。何が聞きたいですか」
「じゃあ、まずそうだな。馴れ初めから聞こうか」

 潤さんはシニカルに、でもニンマリと笑みを浮かべた。おいおい、本当に修学旅行のノリじゃないかこの人。まぁ、いっか。暇だし。
 ぼくが彼女、クーヴェント・アジルスに出会ったのは《ぼく》が生まれ、日本へ帰国してからのことだ。
 始めの頃、千冬さんはぼくに対する違和感を事件のショックだと誤認していた。
 そのため、圧倒的な違いを見せてしまった日の翌日。ぼくは病院へ、そう、今日の目的地に連れてかれた。
 よくあるパターンだけど、病院の中の出会いってのは強気で明るいナースの気遣いってのがほとんどだろう。
 まさか、現実で起こるとは思ってなかったけど。
 『幸薄そうな同年代の少女が居るんだけど会ってくれないかな』そう悪戯っ子のような笑みでそのナースはぼくに言った。
 正直、ぼくは自分が生まれてしまった事実に対して絶望していた。どうして《ぼく》が《俺》の代わりをしなくちゃならないのか、分からなかった。
 だから、ぼくは――彼の偽者であると、認めた。偽者であるが故に本物を真似ず、偽者の偽者であることを努めることにした。
 それが、ぼくの唯一の抵抗だった。それを認めたうえで、それを理解してくれた最初の人物が、初対面の彼女だった。たったそれだけだ。
 日本人の妻とアメリカ人の夫のハーフ、生まれながらにして心臓に病気を抱えた典型的な病弱な少女。
 だからだろうか。自分の痛みを知る者は他人の痛みを知れるように、ぼくらは何処か似ていたのだろう。
 心に傷を持つぼくと、心臓に病気を持つ彼女は、共通点としては及第点にも及ばない気まぐれ程度のそれで、笑い合ってしまった。
 神様が居たのならぼくはぶん殴りたいと言い、彼女はそれを苦笑気味にくすくすと笑う。
 傷の舐め合いだと自惚れてもいいのだろうか。しかし、あの時の、あの時間は、確実にそういう事だった。
 偽者が偽者でなくて何が偽者か。本物よりも本物らしい本物だってあるはずなんだ。
 偽者であるぼくを彼女は肯定してくれた。それだけで、十分だった。

「……おいおい、弱みっていうか惚気じゃねぇか」
「ぼくの虎の尾ってことですよ。握られたら困るし、踏まれればぶち切れる境界線ですから」
「なるほどねぇ。いーくんならすでに告白くらいはしたんだろ?」
「いいえ。できるわけがないでしょう」
「はぁ?」

 潤さんは運転途中だというのに気に入らないと言った顔でこちらを向いた。前を見てください、お願いだから。

「彼女は《ぼく》が恋したのであって、この体の持ち主である《俺》が恋したわけじゃないんです。いつか、ぼくはこの体の権利を譲渡しなきゃならんわけなのに、恋なんてできるわけがないでしょう。告白してから《俺》に戻った織斑一夏が付き合い続けるとしたら《ぼく》は自分を呪い殺します。ええ、絶対に殺します。一代で終わらせてあげます」
「お、おう。それくらいマジだっていうのになんで諦めちまうんだよ。どうにかなるんじゃねぇのか? ほら、いーくんの鬼札に天災ってのが居るんだろ」
「……潤さん、人は誰しも強くてニューゲームできるわけじゃないんですよ。ましてや人のパンドラとも呼べる魂の部分を何とかしようなんて、不可能の領域でしょう。やるかやらないかじゃなく、やれないから無理なんですよ」
「……何とかなんねぇかなぁ」
「……何とかできたら一生貴方を神として尊敬しますよ。できるもんなら救いやがってください」
「まぁ、諦めるつもりはないぜ。何せあたしは人類最強の請負人って肩書きがあるからな。これくらい請け負ってみせなきゃ名が廃るってもんだ」
「請け負えますかね?」
「請け負ってやるさ。だから、それまで足掻けよ狂言遣い」
「狂言遣い? なんですかそれ」
「ああ、いーたんが戯言遣いだからよ、似たようなお前は狂言遣いだろうがよ」
「まぁ、間違ってはいませんね。ある意味騙し続けているもんですし」
「だろう?」

 狂言遣い、ね。確かに狂言ってのはぼくの十八番だろう。目的のために騙し続けている人間の言葉なんて、全部狂言なはずだろうさ。
 ……一度、会ってみたいな。そのいーたんとかいう戯言の遣い手に。もしかしたら、何かが変われるかもしれないな。
 いや、甘えるべきではないな。ぼくは、ぼくなんだ。ぼくのことくらい、ぼくで終えるし終わらせる。
 あ、お花くらいは買っておかないといけないな。近くで潤さんに言ってみるか。
 ――昨日の約束守れなかったからいつもの倍は買っておかないと。彼女が終始頬を膨らませて不貞腐れてしまうのは勘弁だ。












 お前は金よりも大事なものがあるというが、金で生きているお前はその大事なもので生きるのか? 愛で生きる? ただのヒモじゃねぇか。















 クーヴェント・アジルスは一言で言えば病弱な少女だった。
 微笑むにしても何処か大人びた姿が見え、病気のせいか食欲が少なく痩せてしまっている。
 だが、彼女は絶対に泣き言を吐かなかった。ぼくの前で、他人の前で一度たりとも泣き言を吐かないのを信条としていた。
 だからだろうか、彼女の言葉には弱さが無い。独自に高められた強さが放たれる言葉の弾丸になる。それにぼくは貫かれた。
 ぼくが一番最初に知った強さは、彼女の在り方だ。独りで何事も進ませ、どうしても困難であればようやく渋々と言った様子で手を借りる。
 その強気な姿が、ぼくには眩しかった。傍から見れば鈍い鉛色の輝きだろうが、ぼくには一番星の如く高等な姿に見えた。
 ここまで言ってしまえば分かるだろうが、そう、ぼくは彼女にベタ惚れなのだ。ゾッコンなのだ。世界を敵にしちまうくらいに愛しちまってるのだ。
 例え、これが叶えられぬ夢語りであれ絵空事であれ、ぼくは自分の身よりも可愛い彼女を優先してしまうだろう。
 それが、《俺》との関係の縁切りに発展してしまっても、ぼくは全力を尽くす。有象無象の死なんて興味がない。
 彼女さえ、生きてくれれば、それでよかった。
 彼女は名匠の陶器の如く白さの肌を美しく黄金の長髪で飾り、ベッドの上に君臨していた。一週間と一日振り。この邂逅は長かった。

「お久しぶり。昨日は大変だったね」
「お久しぶり。昨日は大変だったよ。それは束さんからかな?」
「うん。あの人はいつもそう。勝手に来て勝手に喋って勝手に笑って勝手に帰ってく」
「くくくっ、ごめんね。くーちゃんを守るための処置だったりするんだよ。ほら、ぼくに一番近いからさ」
「くすっ、なるほどね。把握した。ありがとうと言うべきかな」
「いいや、言うまでも無いよ。むしろ、これはぼくが謝罪するべき事だ」
「そう、でもそれも言うまでもない。貴方の業はすでに許可内だから」
「すまないね、助かるよ」
「構わない。そちらの方は?」
「ぼくの護衛だよ。専用機が手に入るまでのね。そして、鬼札の最上位の一枚だったりするんだ」
「へぇ、貴方がそこまで言うのであればそれはさぞかし最強の鬼札なんだね」
「なんか、いーくんが二人居るような感じだな。似てるってレヴェルじゃないんだが」
「そりゃそうですよ。《ぼく》のオリジナルとも言える代替対象ですから」
「それはそうでしょう。彼のオリジナルはわたしです。例えそれが似せであろうとも」
「……なんか頭が痛くなってくるな。ちぃっとばかし外出てくるぜ」
「いってらっしゃい」
「構いませんよ」

 まぁ、無理もないだろう。ただでさえ潤さんは"本気"のぼくを見たことがないんだ。
 全てを狂わせるのが戯言であるのなら、全てを騙し尽くすのが狂言だ。
 そして、ここには狂言の覇者とも呼べる真と偽の存在が二人居る。
 原点たる彼女にぼくが回帰しているのだ。これほどまで混沌の場はない。全ての物語は始まらないから止まり堕ちて朽ちる程に混沌としている。
 例え人類最強であっても、彼女を倒すという物語が始まらない。偽者であるぼくの力でも半分も出せやしないくらいに、彼女のそれは凶悪である。
 
「さて、今日は何を話そうか」
「では、学園の様子でも話して欲しいかな」
「これと言って報告することはないけど、前のぼくの友人に出会ったよ」
「友人。女の子だったりするのかな」
「御名答。しかも、前のぼくはかなり鈍感だったみたいでね。漫画のハーレムの主人公を見てるくらいだった。彼女が可哀想だったよ」
「それは確かに。鈍感主人公は天然にハーレムへと進むけど、逆に鋭い主人公は線引きができるかできないかでルートが変わるから」
「ぼくはどちらなのかな」
「わたしに対して前者、他人に対して後者であると断言しよう」
「それはきついな。ぼくだってしたくてやっているわけじゃない。一度手を抜くときっとぼくは前のぼくをあっさりと見捨ててしまうだろうからさ」
「いいじゃない。偽者が偽者らしく偽者の王道を通って偽者として成れば」
「それは誰が得するんだい」
「わたしだけに決まっている」

 何処か大人びた印象の笑みを見せ、無表情めいたその感情無き顔に小さな三日月が生まれる。
 やれやれ、気が抜けない。抜いたらマジで底無し沼の底へ引き摺られそうだ。引き摺られたい気分にさせられるが、お断りしておくとしよう。

「それは重畳。だが、ぼくがそうなることは多分在り得ない。君が示してくれたように、ぼくは歩く橋を自分で作る派なんだ」
「これは壊しがいがある石橋だね。いつか叩き割ってみせるから覚悟しておくように」
「了解、気をつけておくよ」

 それからしばらく雑談に華を咲かせた。何気ない会話でありながら、ぼくがぼくであるための激励が混ざっていてかなり報われる。
 誰かに理解される喜びは麻薬のように中毒性を持っている。彼女との会話は昼休憩を除いた八時間でもまだまだぼくには足りないようだ。
 それは彼女もそうだったようで、何処か物足りない雰囲気で微笑んだ。

「そろそろ診察の時間だね」
「そうだね、貴方と話せて愉しかったよ」
「それはこちらこそ、だ」
「それもまたこちらこそ、だよ」
「くくくっ」
「くすっ」
「じゃ、また来るよ」
「うん、今度はちゃんと来てね」
「それは勿論」
「なら、構わない」

 名残惜しい気分を部屋に置き机の上の花瓶に入れてあげた花を一瞥してから、扉をスライドさせてぼくはすっかり忘れていた人物と邂逅する。
 やべぇ、めっちゃ紅くなってる。ギンギラギンに煌いてる。これは怒りのオーラだろうか。流石に九時間も放置してしまったのは堪えたのだろう。
 大変申し訳無いとは思うがまだ幸せに浸っていたいから説教やら愚痴は勘弁願いたい。

「よぉ……、いーくん」
「ありがとうございました。潤さんのおかげでぼくは久しぶりに幸せを感じられました。放置してしまったことに対しては謝罪します」
「……相変わらず卑怯だないーくん。狂言のレヴェルが昨日と段違いに感じるぜ」
「そりゃ、くーちゃん分を補給しましたからね。向こう一週間は敵無しですよ」
「ほぉ、じゃああたしとやりあうか」
「……潤さん、どんだけ溜まってるんですか? 残念ながらぼくの貞操は先約がありますんで、お断りしておきます」
「ああん?」

 凶暴龍の如く眼光が突き刺さるがぼくはふっと笑みを作って受け流す。くーちゃん分を補給したぼくは間違いなく最凶の仲間入りをしているんだぜ。
 しかし、アイアンクローには負ける。痛い痛い痛い! 胡桃みたいに割れちゃうから! 石榴みたいに砕けちゃうから!

「ごめんさないすみませんでした調子に乗りました物理攻撃は勘弁してください!」
「ふん。まったく、いーたんでもそこまであからさまな反撃しねぇぞ。度胸があるんだか無いんだか分からん奴だな」
「……ふぅ。片手で地獄万力なんて異常ですって」
「おう、あたしってば普通の奴以上のスペックだからよ。それくらいで勘弁してやったんだからむしろ褒め称えて跪け」
「ぼくが頭を垂れるのは謝る時かくーちゃんに永遠の忠誠を誓う時だけですんで、すみません」
「なぁ、お前本当に諦めてるのか。すっげぇ今にも前の自分見捨てて幸せライフに移行したいって感じがするんだがよ」

 その言葉にぼくは狂言を――吐けなかった。当たり前だ。本音なんて吐いたら笑われてしまう。いや、笑いはしないが、調子に乗るだろうこの人。
 消えたくない、戻りたくないさ。でも、方法が術が無いのだからやれることもできやしないんだ。
 人間というパンドラは本当に罪深い。科学的に実証されないシュレディンガーな魂の構造図が何千年経っても未だに手に入れていないのだから。
 あるのかすらも、ないのかすらも、分からない魂の場所ってのは何処にあるんだろうか。
 解剖してみれば答えが出るのだろうか。十二パターンの人を全てコンプリートすれば、答えが出るのだろうか。
 分かんないな、畜生。

「……人類最強の請負人に尋ねてもよろしいでしょうか」
「あん? なんだよ改まって」
「人の魂は何処に在られるのですか?」
「……そいつは、あの坊やに聞きやがれ。きっと答えを持ってるだろうさ」

 あの坊や、潤さんがそう呼ぶ人物は確か、人識くんか。なるほど、盲点だった。確かに殺人鬼たる彼ならば場所を垣間見ていても不思議ではない。
 しかし……連絡つかねぇなぁ。確か絶賛兄逃げ中だし、携帯のアドレスやら番号やら交換しておくべきだったかな。
 いや、むしろ束さんに頼んで徹底的に洗い出して場所を特定してやろうか。双識さんにリークして貸し一つ受け取って、確かなラインを繋ぐってのもありだな。うーん、一応友人だから止めておこう。

「そうですね、どうせいつかまた会いますからその時にでも尋ねておきますかね。それでは、車を出して貰えますか。帰りましょう」
「ん。そうだな。そうそう、いーくんや」
「はいはい、なんですか潤さんや」
「あの娘っ子……たぶん、あたしでも倒せねぇぞ」
「そりゃそうでしょう。だって、彼女は人類最凶ですよ? 邂逅して無事だっただけまだマシですよ」
「はぁ……。世界ってのは広い割りに狭いのな」
「まぁ、本来ならば関わること自体がないでしょうから仕方ありませんよ」

 コブラの助手席に腰かけ、ぼくは微笑む。ぼくの女神とも呼べるくーちゃんが人類最強に興味を持たれた。重畳である。
 つまり、今日。くーちゃんと潤さんの縁は《合った》のだ。これで少しだけ心配要素が減った。
 彼女の性質からして元々零に近いけれども、念に念押ししてごり押しする程度は過保護だろうか。
 ……まぁ、構わないだろう。あるだけ無駄にならないし。
 これで、《ぼく》が居なくなって彼女が不幸になる物語が一つだけに収束された。
 足掻くべきなんだろう。諦めることを否定するべきなんだろう。幸せを願っちまうべきなんだろう。
 だってさ、世界でいっとう愛している女性がぼくのせいで不幸になっちまうんだぜ? それって格好がつかないじゃないか。
 世界を守る正義の味方にはなれないけども、彼女だけを守る――ヒーローくらいにはならなくちゃならんだろうさ。
 明日来ると言われている専用機。ISという黒いパンドラに手を出すしかないじゃないか。少しくらい、希望があったりするもんだろうよ。
 紅いコブラの躍動に身を任せ、過ぎて行く景色を見送りながらぼくは考え事をしていた。
 ……いっそ、どっかのプリズマな魔法少女みたいに分裂できりゃいいのになぁ。まぁ、絵空事に期待するだけ無駄だ。現実を見よう。
 学園に帰ってから大変だった。
 取り敢えず校門に修羅が立っていた。遠くから見ても分かるくらいに激怒した姿の鬼が居たんだ。――それは実の姉だったけども。
 拳骨で済んだのは嬉しい限りだ。潤さんが気を利かせてくれたのか飲みに行ってくれたおかげで助かった。

「……はぁ。大変だった。千冬さんのブラコン度がまさかあそこまで跳ね上がっているだなんて思いやしなかった……」

 まぁ、疲労して気絶したぼくが紅い友人に俵抱きされて保健室入りされて、挙句の果てに了解も言い訳も無しで飛び出してしまったわけだから仕方ないかもしれない。今度ビールを三缶に増やす日を増やしてあげようか。きっとそれで手打ちになるはずだ。
 自室のベッドに倒れながら、ぼくは溜息を吐いた。剣道部の部活動から帰ってきた箒ちゃんのシャワーの音が耳に届く。
 取り敢えず明日の予習でもしておこうか。確かセシリアちゃんの機体の詳細が届いているはずだろうから。
 端末をスクロールし、該当のデータを開く。空中投影された資料を見ながら、戦力を分析していく。
 ぼくの零式と相性がいっとう悪い遠距離型の機体ブルー・ティアーズ。蒼い雫ねぇ、いい名前センスしてるなぁ。
 BT兵器と呼ばれるビット型空中兵装が売りで、理論上最大稼動時にはビーム軌道を操作できる性能を持っているらしい。
 つまり、最大稼動をさせない戦略を立てればいいということだ。意外と簡単、と高をくくることはできない。
 なぜなら、こちらの兵装は近距離オンリーだからだ。距離を取られる戦法を取られれば不利なのは間違いない。
 さて、どう切り崩そうか。
 まず、セシリアちゃんの精神的なランクは中の下、肉体的には上の下と言ったところだろうか。体力は中くらいはあるだろう。
 国家代表候補生と呼ばれる肩書きを持つ彼女の稼働時間はぼくの数十倍であると予想される。
 これに対しぼくはどう戦略を立てるべきか。実力が足りないのであれば同じ舞台に並ばせるくらいのことはしなくちゃならない。
 つまり、奇襲と妨害と慢心を突くことに専念すべきだ。敵が人である限り狂言は毒となれる。ISに乗るのは人間、さらに少女だ。実に容易い。
 彼女の武装の中にはレイピア型近距離武装インターセプターしか白兵戦に期待できる武装が無い。
 すなわち射撃による制圧を目的としたISの整備がされているはずだ。白兵戦に持ち込めれば勝機があるだろう。
 次に、ビット型空中兵装の数だ。BT兵器搭載のビットは四機、残り二つはミサイル搭載型の爆撃用のビット。
 彼女が何機のビットを一度に扱えるかで勝率は上下するだろう。メイン兵装であるスターライトmkⅡは光化学系のライフル兵器。これに四つ、二つと増えればこちらも不利だ。避けるのに精一杯になるだろう。実践データが入手できていないのが痛いが、仕方ない。
 ぶっつけ本番で対処するしかない。いざとなれば打鉄で中距離戦を行うことも想定しなくてはならないだろうが、まぁ、どうとにもなるだろう。
 負けてもいいが、その負けは後々ぼくの動きを阻害する可能性もある。ギリギリまで出力を落としてピーキーで初心者な戦い方をすべきか。
 この戦いで見ているのはクラスメイトだけじゃあない。何処かの衛星スパイから覗かれる可能性もあるんだ。
 ならば、ここは実力を隠すべきだろう。それに、ヒーローってのは隠し玉があるからこそ映えるのだ。言うなれば浪漫って奴だ。
 ここぞというときに実力を発揮したからこそ、評価されるのだ。うん、結構楽しみだ。

「いや、襲撃を前提に楽しみにしてどうすんだよ」
「む? どうした」
「いや、ちょっと考え事が口に出ただけだから気にしなくていいよ」
「ふむ。そうか」

 隣のベッドの箒ちゃんに心配されてしまった。うーん、まぁ、考えすぎてもアレだし。どうにでもなーれ。少し早めに寝てしまうことにしよう。



[34794] 陸話 誰がために道を歩む。 
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/09/22 19:21


 歩き続けて疲れた? なら、走り続けろ。













 人は誰しも目標を持って生きる。それが夢と呼ばれて様々な展開をみせて繰り広げられるってのが人生だとぼくは思う。
 空を前にして絶望した後の不思議な出来事なんてことを期待したくなるのが人間って奴の性だ。
 もしも、目の前にある道が一本整備されてあるとしたら体外二つのことを考えるんじゃなかろうか。
 一つは真っ直ぐに進み、飼い馴らされる人生を歩むか。
 一つは道を外れて進み、飼い馴らす人生を求めるか。
 極論を言えば、人生ってやつはこのどちらかだ。後は人を給料で飼う飼い主となるか、給料で買われて犬になるかくらいだ。
 選ばないという道もある。足踏みして今日も頑張ったお疲れさんと自分を慰めてやるのも正解の一つだろう。
 人生ってのは道が最初からあるわけじゃない。むしろ、何もありやしないのだ。
 他人という部品を集めて増やして高めて積み上げて、ようやく進むべき道が見え始める。それに登るか否か、それが人生の選択だろう。
 何処まででも愚鈍に無知に愚かに生きるとしても、何処かで手を離さない限り、登ることを諦めない限り、道はそびえたままにある。
 上から手を指し伸ばす奴は居ない。むしろ、隣にやってきてこちらを踏み台にしようと足を伸ばす。
 自分が相手よりも低ければ踏まれ、相手よりも高ければ踏むことができる。それが社会って奴だろう。
 故に、他人を蹴り落とすには効率と技術が必要である。この縦の戦争には仲間がだんだんと必要になっていく。
 果たして、選んだ友人は本当に信頼に値する人物なのだろうか。自分の歩む道に一度だけ重ねて捻っても構わないのだろうか。
 落ちる前に手を掴んでくれるような友人であれば尚更、裏切られた痛みは酷くなる。それが、絆って奴だ。
 お互いの身に刻み合う傷の名であるからして、傷を一つでも負うことが大事になってくる。それが、友情って奴なのだろうか。
 人はお互いに傷付き合いながら生きていく。例えそれは世界を別としても全てにおいて断言できる証拠だ。
 人は生まれるために母親を痛めつけ、人は成長するためにお互いに傷付き合い、人は傷を舐め合う人ができて子を成す存在だ。
 傷付け合うことが、人間の命題なのだ。
 そう、お互いにどれだけ傷付け合い、重症にならない傷を、致命傷を避ける傷を、与えさせることができるのか。
 それが重要なのだ。

「第三世代型白兵換装仕様……。これが《織斑一夏》に用意された専用機――零式。これをぼくは待っていた」

 独り、放課後のアリーナのピットで受け取った専用機は、白く、染まっていた。骸骨を武者に仕立て上げればこのような感じだろう。
 そんな具合に細身ながら白兵戦の際の無駄を極力減らすデザインがされたそれは誇り高き騎士にも見えた。
 未だにフィッティングを済ませていないというのにぼくは零式の冷たく光沢がある白き装甲に触れて、思う。
 ぼくはどうあるべきか、と。他人を傷つけることは容易い。身内だって必要であれば傷つけよう。だが、自身をどう傷つけていいのかが分からない。
 奥底に眠る彼をどう傷つければいいのだろうか。答えはすぐにはでない。当たり前だ。出るというのなら、ぼくという存在は必要を無くす。
 不意に炭酸が抜けたような稼動音が聞こえ、自動扉から現れた人物を見やる。
 何故か彼女はぼく以上に気合が入っているようで、剣道に用いられる試合着を着こなして堂々と目の前まで歩む。
 
「そろそろ時間だが、大丈夫か?」
「心配してくれるのかい箒ちゃん」

 オレンジ色のリボンで髪を束ねた箒ちゃんはふっと笑みを浮かべてから何かを放り投げた。受け取ればスポーツ飲料だった。
 なるほど、確かに。試合前だし水分は十分に取っておくことにしようか。
 世間一般ではスポーツと容認されているISの戦闘行為。だが、軍事面で見れば一瞬で青白くなるレヴェルのそれだ。
 人を殺す銃を筆頭に刀まで使用されるこの競技に、何処にスポーツ精神に乗っ取った安全性があるというのだか。
 口を離した際に伸びてしまった冷たい線がぼくの首を縦になぞる。まるで死神の鎌がなぞったかのように、ひやりとした。
 縁起が悪い例えをするもんじゃないな。首元を拭い、ペットボトルを返した。勿論、口元を拭っておくのは忘れていない。

「………………」
「一夏?」
「あ。いや、なんでもないよ。ありがと」

 何をやってんだか、ぼくらしくもない。兵器なんて人間のスケールアップ版みたいなもんだろうが、今更緊張なんて……くだらないッ。
 ――規定時間によりフィッティング開始。システムオールグリーン……システムスキャン完了……第一次移行への準備開始……。
 脳内に響く機械音声の人間性の無い冷たさに脳髄が冷却される。……本当に、なにやってんだか。本当にぼくらしくない。
 ――第一次移行に関するデータ一覧の申請受理。第三世代型接近特化IS零式。量子化収納武装二点及び高速機動を重視。
 ああ、分かってる。さっさと乗れってことだろう。焦ってもいいことはないぜ相棒。

「それじゃ、ちょっくら行って来るよ」
「うむ。男を見せて来るがいい」
「……箒ちゃん、その台詞後でベッドで聞かせてくれるかな?」
「? …………ッ! この変態め! さっさと行ってしまえ!!」

 うん、堅物チックな箒ちゃんは笑いながら怒鳴ってくれるほうが好ましい。
 ――稼動データを受信……完了。状況開始、セーフモードに移行。
 少しだけ助走を取って零式の膝を踏み台に体を曲げてパイルダーオン。外部装甲に身体が包まれた瞬間、世界が文字通り、広がった。
 ――視界データを調整……設定データ受信、オールクリア。続いて第一次移行を開始。コンプリートまでセーフモードを継続。
 三六〇度の景色を一挙に総なめにして、ぼくは地面を蹴った。久しぶりに浮かび上がる感覚に緊張ではなく感動が生まれる。
 ピットの射出装置に足をセットさせ、膝を曲げて青ランプのゴーサインによりぼくは弾丸の如くアリーナへ放たれた。
 ネバーランドにでも来た気分で、ぼくは一ロールして空に羽ばたく鳥のように空中へと躍り出た。
 ――戦闘状態にあるブルー・ティアーズからの回線が本部より強制接続されました。

「あら、ようやくお出ましですのね。如何ですか空は」
「最高だね。ぼくは戦闘機よりも戦車の方が好みだけれども、これは中々心地良いものだ」
「それはよかったですわ」

 セシリアちゃんの機体ブルー・ティアーズが眼前に舞い降りる。結構な高度を取っていたようで、貴族の優雅さがその行動から感じ取れた。
 これは、少々楽しめるかもしれない。少女だから、女の子だからって少し油断というか過小評価し過ぎていたかもしれない。
 湖の騎士の如くその蒼き流星の装甲に包まれたセシリアちゃんはクラスで見る彼女とは少し違う雰囲気を帯びていた。
 旧スク水のようなISスーツに身を包み、さらに腰部分のスカートスラスターと胸部分の空中展開型兵装を収納したメインスラスターが彼女を包みこむように展開がなされており、それらが遠距離型のISだ、と物語るように稼動していた。
 ……うん、ISスーツマジでえろっこい。ただでさえ一組のクラスランキング三位の乳を持っている彼女だからこそ、より映える。
 ちなみに、新聞部調べだそうだが一位はのほほんさん……ああ、布仏本音さん。苗字と名前の最初を取ってのほほんさんだ。
 甘えんぼ服状態の制服を着ているから分かり辛いが、結構スタイルが良いらしい。そうそう、二位は箒ちゃんだったりする。
 というか、ぼく的には一週間で全員のランキングができていることに驚きだ。新聞部に喧嘩を売ってはならないと心に決めた瞬間である。
 さて、本題に戻ろうか。

「さあ! まもなく開演の時間ですわ。楽しく踊りましょう」
「やれやれ、ぼくはダンスなんてした試しが無いんだけども。足を踏んでも気にしないでくれよ」
「ふふっ、大丈夫ですわ。足を掬おうにも浮いていますもの」
「なるほど、確かに。こりゃ一本取られた」
「では、次は実践でもう一本も取らせてもらいますわ」
「おいおい、そこはぼくが取ってイーブンに持ち込む展開だろう」
「嫌ですわ。この度の円舞曲(ワルツ)の主役はわたくしですもの」

 微笑を浮かべセシリアちゃんはスターライトmkⅡを展開、瞬間に稼動状態へ移行させている。流石代表候補生、見事な展開技術だ。
 アリーナに響くギャラリーの歓声を切り裂くように、開始のブザーが鳴り響く。試合、開始。
 
「踊りなさい――ッ!!」
「ッ!」

 照準からトリガーを引くまでの速度が五秒以下とは恐れ入る。ISの自動制御も相まって高度な技術だね。
 吹き飛ぶ左肩の装甲。すでに射線から当たる場所をパージしたためノーダメージで抑えられたが、このまま留まるわけにはいかない。
 メインスラスターの頑張りにより空中を翔ける。できるだけジグザグにデタラメに動いて射線を乱す。いくらISに照準補助機能があれど、精密射撃用に組み込まれているであろうブルー・ティアーズに中距離予測射撃があるわけが……って、少しかすったぞおい!?

「あら、何を勘違いしているか分かりませんがわたくしのブルー・ティアーズは中距離型のISですわよ?」
「ちくしょう、その情報は知らなかったぞ!!」
「なら、加えて教えてあげますわ。わたくしのブルー・ティアーズには"四"機のビットがありますの。避けれるかしら」

 はぁん。なるほど、ミサイル二機の存在を隠してアドバンテージを稼ぎたいのね。じゃあ、騙されていることにしておこう。
 あくまで、初心者を演じることにしよう。レッツ道化タイム。

「お行きなさい、ブルー・ティアーズ!」
「って、即時展開すんな初心者に!!」
「それはナンセンスですわ一夏さん。わたくし、兎は全力で狩る派なんですの」
「なんか卑怯だぞこの代表候補生!」

 放たれた四機の蒼い軌跡が縦横無尽にアリーナを翔ける。複雑な軌道からの射撃が襲う。射線が読み辛いったらありゃしねぇッ!
 半分運頼りの気合避け状態でぼくは本体であるセシリアちゃんに特攻をかける。この体制なら真後ろからの射撃は無いだろう。
 避ければ自分に当たる、必然だ。しかし、四機の射線とスターライトmkⅡの射撃を避け続けるのは至難の技だ。
 というか、無理。結構当たってたりするからマジで怖い。
 若干自棄気味にぼくは雪片弐型を展開、即座にPICコントロールにより音速を超えた投擲で一機撃墜させる。

「まぁ……、野蛮ですのね」
「考えてみてくれよ。これ、精密射撃よりも難しいと思うんだけど――ねッ!!」

 雪片弐型の柄尻から腕部に密かに繋がっているワイヤーを経由して量子化、収納&展開。無限投擲の出来上がりというわけだ。
 目に見えぬ細さのワイヤーであるためセシリアちゃんからしたら奇天烈に見えただろう。
 ハイパーセンサーのおかげでバッチリ見える胸の呼吸の速度が僅かに変わったから息でも呑んだのだろう。……うん? 顔を見ろって?
 続いてニ投擲目。今度はセシリアちゃんに向かって放つ。ブルー・ティアーズ……同名なのでBTビット。それに外部装甲に簡易シールドが備え付けられているため、横から弾くようにパッシングして軌道がいなされる。すかさず回収し、再び投擲。意識の外にあったであろう右に飛んでいた二機目を撃墜。
 
「くっ、やりますわね」
「そりゃどうも」
「………………」
「あれ」

 ……なるほど、そういうことか。BTビットの制御はセシリアちゃんがやってるのか。ほうほう、なるほど。え? それって……。
 欠陥機ってレヴェルじゃないよねそれ。パフォーマンスとコストが見合ってない気がするんだけど。よくそんなものを搭載してるね。びっくりだ。
 つまり、彼女の視線誘導か意識操作によってあのビットは動いてるってわけだ。それは彼女が気を抜いたら意味を成さなくなるということだ。
 だから先ほどのように楽しくお喋りする余裕も無いのか。ふーん、へぇー…………あはっ。

「セシリアちゃんってさ」
「はい?」
「胸、大きいよね」
「――――ッ!?」

 右手で雪片弐型を、左手で曲鳴を投擲し、空中に止まっていたBTビット二機を撃墜する。雪片弐型だけ即座に回収し、曲鳴は一度放っておく。
 よし、後はミサイル二つにライフル一丁だけだ。その一つは両腕で胸を隠しているために使用不可。なら、突っ込むに限る。
 PICで限界ギリギリの初速度を叩き出し、瞬時加速と呼ばれる内部エネルギー圧縮による超加速技術を使用し、レーザーには劣るが通常の三倍以上の速度で近寄る。

「しまっ」

 慌ててスターライトmkⅡを向けるセシリアちゃんのそれを真っ二つに切り裂い――――た感触が無い。
 悪戯に成功したような笑みを浮かべたセシリアちゃんの手にはレイピア型のインターセプターが握られ……って、長い!? 
 もはやレイピアと呼ぶよりもランスと呼ばれるべきそれで一瞬のカウンターがぼくの腹に決まる。
 擬似神経パルスからの刺激で腹部に突き刺さるような痛みが発生し、その力が乗った一撃で数メートル程引き離された。

「ああ、やはりこちらの方が合ってますわ……ッ!! わたくし元々射撃の腕はよろしくありませんの。わけあってこれしか積めませんでしたが、わたくしの本来のスタイルはヒット&アウェイですのよ!」

 恍惚めいた笑みを浮かべながら空いた手にスターライトmkⅡを掴み、こちらへ牽制射撃。
 回避運動のおかげでそれは避けられたが、先ほどの一撃でシールドエネルギーは四分の一ほど削られてしまっていた。かなり痛い、色々と。
 ぼくの誤算は二つ。ブルー・ティアーズが中距離型ISであったこととセシリアちゃんのバトルスタイルを完全に見誤っていたことだ。
 いやだってさ、見た目とか性能からして遠距離タイプじゃないか。初心者殺しで所見殺しとか鬼畜じゃねぇかっ!!
 ……いや。そういや、積雪さんの詳細には遠距離型と明記はされていなかった気がする。ぼくの痛恨のミスじゃん。
 当たる瞬間に量子化で収納してインターセプターを雪片弐型が通り過ぎた瞬間に展開してカウンターを決める。そんな技術を持っている人物が遠距離型だなんて今更思えない。
 今のように離れればスターライトmkⅡで、近づけばインターセプターで、迎撃される完全なる中距離戦闘の円舞。
 仕切り直しというレヴェルじゃない。完全に不利な展開だ。遠距離系武器を持たない零式では分が悪い。どうするか。
 逃げ回ってスターライトmkⅡのエネルギー切れを待つ、という作戦は機体がIS出なければの話だ。
 ISコアから供給されるエネルギーは値が高く、既存のエネルギーの十倍を超える代物だ。
 ISの競技でシールドエネルギーが設定されているのはそのためだ。ほぼ無限に供給され続ければ決着がつかないのは目に見えている。
 現在世界に散らばっているISコアのいくつかはその膨大な生産量のエネルギーから都市のエネルギー供給源の役割を果たしているくらいに、ISコアのエネルギーはかなり有能であり一部的に万能なのだ。
 そのためISコアのエネルギーを弾丸とする研究の一端であるスターライトmkⅡはほぼ無尽蔵のライフルと言っても過言ではない。
 ……リロードにシールドエネルギーとか使っとけよ、ちくしょう。無理ゲーだろこれ。どうしろってんだよ。
 逃げ回りながら視界に映った曲鳴を見て、ひらめく。そうだった。積雪さんと曲識さんの傑作の一つがここにあるじゃないか!!
 再び雪片弐型を投擲し、インターセプターで弾かれる隙に曲鳴の回収を果たす。

「さあって、ラストバトルと洒落込もうじゃないかセシリアちゃん」
「ふふっ、何かするおつもりで? 楽しみですわね! 踊りなさい、わたくしの掌の上で!」

 右手に曲鳴を構え、一直線に宙を切る。セシリアちゃんの虎の子たる弾道型ビットが放たれ、視界の中で暴れる。

「当たれぇえええッ!!」

 振りかぶった曲鳴の片方の音叉にぶつかった瞬間、ビットは砂の如く粉砕され一瞬で塵と化した。……威力怖ッ!
 自分でも戦慄する威力のそれで二機目を粉砕する。うん、セシリアちゃんもこの威力に絶句していた。
 だが、緊張を解くことなく瞬時に鷹の眼の如く煌きを魅せてセシリアちゃんはスターライトmkⅡを収納しインターセプターを構え、迎撃体制へ。
 ビットは小さかったから完全粉砕が可能だったが、インターセプターは先にかけて細くなるランス型のため砕く程度に収まってしまう。
 刀剣ではなくランス型であるために、放たれる次の一撃は二つに予想できる。
 突くか薙ぐか。懐に入る前であるからしてどちらでも可能のはずだ。……きっと、セシリアちゃんは薙ぐはずだ。
 突けば確実に空いた左手に展開した雪片弐型の一撃を貰う、そのため、一撃で仕留められる一撃ではない突きはむしろ愚考。
 薙ぎながら下がり、遠距離武装の無い零式を狙い撃ちしたほうが得策だと考えるはずだ。

「――この一撃で仕留めますわッ!!」

 ……え? それは何だろう。罠とか策略的な心理フェイズ的な意味合いでの言葉なん……だよね?
 愚直に真っ直ぐに加速して向かってきたセシリアちゃんに度肝を抜かれつつ、ぼくは初速度MAXの曲鳴を思いっきり投げつけた。
 払おうと薙いだインターセプターの一撃により、曲鳴の機能が丁寧に対応しインターセプターが小枝のように折れた。

「え」

 軌跡が逸れた曲鳴を一瞥することもなく、それは想定外だったという顔で困惑するセシリアちゃん。
 よっぽどその武装がお気に入りだったのか、それともインターセプターに最大の自信を持っていたのだろうか。
 瞬間的に胸元へと呼び出したスターライトmkⅡで受けの姿勢を取るが、それは近接戦では間違いだ。
 上段構えの兜割りでスターライトmkⅡを切り裂き、返しの一手で絶対防御が発動されるであろうおでこへ叩き付ける。
 一瞬だが弾かれる手応えを感じた。視界に映るセシリアちゃんのシールドエネルギーが急激に減ったのを確認。
 ――よし、このままフィナーレと洒落込もうか。
 その衝撃でぐらついたセシリアちゃんの胴を蹴り上げ、反動で上体が浮かび上がる。昇ってきた右手を掴み、PICコントロールで加速させて手近な壁へ叩き付ける。

「……あ、なんかデジャヴ」

 呟きながら、トドメのライダーキックをぶち込む。何とも呆気ない勝負の終わりだった。自分でも正直びっくりしてる。何で勝ちを拾えてるんだぼく。
 ――WIN。
 勝利のブザーが鳴り響き、歓声がぼくらを包み込む。ぼくとしてはかなり複雑な気分だった。
 ……代表候補生に勝っちゃう素人っていう肩書きは不味いなぁ。いや、メリットになるのかこれ……。
 実力ではなく偶然に勝ち取った勝利の美酒ってのはあんまり美味しくない。ネラーだったら飯が美味く感じられるだろうけれども。
 ぼくはぐったりとしてしまったセシリアちゃんのヒップを見ながら嘆息した。ご馳走様でした。












 素直な子供心を捨ててしまった時が大人に成ってしまった時だ。












「……なにやってんだよぼくは」

 どうも心が揺らいで仕方が無い。くーちゃんに会った後日はいつもこんな感じだった。
 きっちり締められた螺子がくーちゃんというドライバーに引っ掻き回されたような気分で、未だに収まらずぐらついている。
 生と死の境界線に立ち尽くす今、ぼくは役目を果たすべきなんだと実感する。色恋に憧れている自分を押し殺し、彼のために万時動くべきだ。
 体の汗と迷いがシャワーの雨に流されていく。そうだ、ぼくは、偽者だ。本物になってはいけないのだ。
 偽者であって偽者に準じ偽者であるべきなんだ。……だから、ぼくは彼に己の意思で殺されなければならないんだ。
 シャワーのバルブを閉め、アリーナのシャワー室の個室から出る。体の水滴をタオルで拭いながら部屋着へ着替える。
 この後の箒ちゃんとの特訓は無しになっている。……第一次移行すらしていないことがバレてしまう。
 セーフモードで戦い続けたのはすっかり第一次移行のことを忘れていたのもあるが、打鉄の稼動率と近いため訓練の際の感覚を維持したかったというのもある。先ほど確認したが、零式の第一次移行状態は打鉄の機動力の数倍であり、罪口商会製の本領を発揮していた。
 つまり、先ほどの試合の数倍の速度で動けるというメリットであり、扱いが難しいというデメリットが生じるのだ。
 メリットの方がでかいが、素人が代表候補生にセーフモード状態のISを使って勝ってしまったというデメリットとも呼べる肩書きのせいで今の現状を維持し続けるしかなかった。というか、セシリアちゃんの立つ瀬が無い。ぼくに断崖絶壁から獅子の親の如く突き落とせというのか。
 数日の訓練で数十倍の時間に置き換えてしまったという事実は、酷くセシリアちゃんのプライドやらを木っ端微塵にしてしまうに違いない。
 暴力の世界に生きてきたぼくだったからできたことであり、そこらへんの素人な女子には不可能な出来事だ。
 さて、一度まとめてみようか。
 まず、第一次移行を曝さないのは二つの理由がある。一つはセシリアちゃんのために、もう一つはぼくの素性隠蔽のために。
 正直に言えばセシリアちゃんは普通に表の世界で生きてきた女の子であるからして、あんまりトラウマやら悲しい出来事の渦中に巻き込みたくない。ましてや、アイデンティティをぶち壊すような展開にはさせたくない。
 そのため、中学生の頃から千冬さんから指導を受けていたことにしてしまおう。元々のぼくの実力が高かった、ということにしてしまいたい。
 これなら千冬さんの【ブリュンヒルデ】の肩書きにより「ああ、なら在り得るかな」と数%の逃げ幅を作れるし、セシリアちゃんも頷ける点にもなるはずだ。実践的な指導ではなく、IS乗りのコツなど教科書レヴェルには乗っていない独学のそれらを口に出せば信憑性があるはずだ。
 ……ただ、一番怖いのは千冬さんがあっさりと暴露することだ。「織斑、なぜ第一次移行を完了させなかった」と皆の前で言ったなら、水の泡だ。
 まだ皮算用の件であるからして被害を受けるのはセシリアちゃんのみ。うん、それは可哀想過ぎる。
 携帯で先ほどの件を打つために更衣室へ戻るとしましょうかね。……はぁ、めんどくさい。
 三列ある真ん中のロッカーへ移動するために数歩進んで、何処か違和感を感じた。
 
「こんな匂いしてたっけ……?」

 何処か高級そうな香水の匂い。男性であるぼくは勿論使用していないため、では誰が、と疑問が浮かぶ。
 この場所に居ることを知っていて、なおかつ香水をつけている人物。いや、IS学園女子高みたいなもんだし結構居るじゃん。わかんねぇよ。
 角を通り過ぎ、左をみやれば休憩用の長椅子に座っている金髪のお嬢さんが居た。

「やあ、お疲れ様。怪我は無いかな――セシリアちゃん」

 先ほどの覇気は無く何処かしょんぼりとした様子でセシリアちゃんは振り返った。今にも泣き出してしまいそうな顔でとても儚く見えた。

「……お待ちしていましたわ、一夏さん」
「ぼくに何か用かな」
「ええ、貴方……何故第一次移行を完了させなかったんですの」

 おおふ、まさか本人に言われるとは思ってなかった。でも、よくよく考えてみれば代表候補生だしそれぐらいバレるかな。

「君の名誉に誓って言うけど……」
「………………………………」
「すっかり忘れてた」

 がくっと肩が落ちる。結構予想外の返事だったようだ。嘆息をついてからセシリアちゃんは呆れた様子で口を開く。

「なんですのそのうっかりしちゃったみたいな軽さは! わたくしの絶望感を返してくださいまし!」
「それじゃ新聞部あたりにリークしておこうか」
「やめてくださいお願いします」
「いや、そんなビクビクしなくていいよ。別にするつもりはないからさ」
「そんなことを言って……わたくしの弱みを握って乱暴するんでしょう? 薄い本みたいに!」
「君は何を言ってるんだ!?」
「だって……」
「いやまぁ、ぼくだって思春期の男の子であるからして、その手のことには興味はあるけれど……絶賛片思い中のぼくには他の女の子にんなことできやしないさ」

 その言葉にセシリアちゃんは意外そうな顔で首を傾げた。

「片思いなされていますの?」
「まぁ、うん。この学園には居ないけどね」

 頬をかいてしまうのは気まずさからだ。よく漫画で見られる仕種だけどやっちゃうもんだね、うん。
 セシリアちゃんは何処か口を栗のようにして呆けていた。IS学園は美少女揃いだから役得だねまったく。

「それでさ、もしかしてんな話をするために来たのかい?」
「あ、いえ。別の相談事ですわ。まぁ……半分はそうでしたけれどね」
「暴虐の限りを尽くされることを半分望んでいたと!?」
「そっちじゃありませんわ!! 貴方がセーフモードでわたくしに勝ったことについてですわ!」
「ああ、そっちか。単純にぼくが千冬さんに指導やら受けてたってだけだよ。そもそも、君が慢心して『この一撃で決めますわッ!』なーんて言っちゃったからでしょうに」
「うぐっ、痛いとこを突きますわね」
「腹部に突かれたのはぼくだけどね」
「蹴られましたからイーブンですの。まぁ……、詳しくは問いませんわ。中々大変だったようですし」
「へぇ、ぼくのことを調べたのか。気になるな、教えてくれるかい?」
「お望みなら……。そうですわね、気になる点だけですが……。まず七歳以下の記録が何者かによる改竄の後がありました、十四歳の夏にドイツで拉致され精神を病んだという記録もありましたね。後は怪しげなバイトなど……、貴方いったい何者ですの?」
「ただの偽者だよ。ぼくは所謂《織斑一夏》の贋作さ。クローンとかではなく精神のね。だから、ぼくは一夏でありながら他人なんだよ」

 ……なるほどね、代表候補生レヴェルでそれほどまで情報が集まるってことはプレイヤーたちにはすでにバレバレってことか。
 これは今後の指針に有益な情報だった。開き直っても構わないってことだよねつまり。もしかすると大暴れしても《ぼく》の責任になるだけで彼の責任にならないのかもしれないな。まぁ、気をつけておくことに余念は無いけども。
 セシリアちゃんは沈黙の後、何処か気まずそうに言った。

「昔話をしても構わないかしら」
「話したいなら構わないさ」

 立ちっ放しってのも疲れるので長椅子の空いた場所へ背中を合わせるように座った。セシリアちゃんは語り始める。
 あるところに貴族の家系に生まれた少女が居ました。高貴で気品ある母親と優しいながらも何処か母にへりくだる父親に愛されて生きました。
 ある日、少女は思いました。どうして父は母に対し謝ってばかりであるのかと。軟弱者としか見えない父の背は何処か細く感じていた。
 少女は母に尋ねた、父は何故あんなにも弱く見えるのかと。母は苦笑気味に微笑んで言った。
 『貴方のダディは確かに弱いわ。でも、弱いからこそ強いのよ』と、当時の少女には分からない答えが帰ってきた。
 それから数年後に、少女の母と父は越境鉄道の大事故により息を引き取ることになった。
 残された少女には重過ぎる遺産が手渡され、少女は戸惑いながら背伸びをすることを覚えた。遺産を、家名を守るために。
 この二つを守ることで亡くなった両親の居た証が現世に残ると思ったから、少女は努力し続けましたとさ。
 そんな内容の話を終えて、セシリアちゃんは嗚咽を漏らしながらぼくへ尋ねた。

「ねぇ……。一夏さん。貴方に、少女の母の言葉の意味を尋ねても、よろしいでしょうか。父のような瞳をする……貴方に」
「……ああ、分かるさ。痛いってくらいにね」

 その言葉にセシリアちゃんの背が跳ねた。振り返ってみれば涙で美しく飾られた顔があった。沈みかけの廃村のような儚さがそこにあった。
 振り返るのを止め、ぼくは言った。セシリアちゃんの両親の偉大さを第三者が伝えてやるために、狂言を抜かして誓言で語ろう。

「そもそも、人の強さってのは二種類に分かれるんだよ。一つは物理的な力の強さ、もう一つは精神的な心の強さだ。君のお母さんは前者で、お父さんが後者なんだろう。弱いからこそ陰で努力をして、自分の在り方を、土台を、強くしていく人は傍目から見たら愚者に見えるだろうね。でもね、天才ができないことを愚者はやっちまうんだよ。才能ってのは努力のことだ。十割の努力こそが才能だ。元々は汚い原石が磨けばダイヤになるように、磨く作業が努力なんだよ。君のお父さんは確かに弱かったに違いないさ。でもよ、強いお母さんの横に居続けたんだろう? 同じ舞台に立つためにどんな努力をしたんだろうね。きっとさ、ISが存在してもその在り方は変わらなかっただろうとぼくは思うよ」
「…………はい。ぐすっ、父はいつものように母を、送り出していました……。いつも、いつも……変わらずに……」
「誇るといいよ。君はきっと最高の両親の娘だ。お母さんのような行動の強さを、お父さんのような心の強さを――」

 ぼくは振り返らないように背をねじってセシリアちゃんの頭を撫でた。
 泣いている子供にはこれが一番効果があるに違いない。両親思いの儚い少女なら、尚更だ。

「――持っているに違いないんだから」

 ぼくの背中に顔を埋めるようにセシリアちゃんは泣いた。ぼく如きの背中で良いのなら、いつでも貸してあげるさ。
 結局のところ、セシリアちゃんのお父さんはもっと凄いことをしていたんだろう。ぼくにはできないようなことを。
 強すぎる妻へ誰かの怒りの矛先が向かないように己を犠牲にして隣で守り続けたんじゃないかな。
 イギリスの貴族の生活がどんなのか知らないが、きっと埃被った誇りを大事にしていたに違いない。気高き気品を大切にしていたのだろう。
 強すぎる者は疎まれる今の世界だ。きっと大変だったに違いない。それは、愛娘から見ても背中が細く見えるくらいに辛かったに違いない。
 ……いいなぁ、彼らの強さはセシリアちゃんに残ったんだ。これほどまで親冥利に尽きることはないに違いない。
 ぼくもまた、残せるのかな。彼にぼくの強さを……残せるのかな。残せると、いいなぁ。
 数十分経った気分だが、数分でセシリアちゃんは泣き止んで「ごめんなさいね」とはにかんで背中から手を離した。

「甘えるな、とは言わないよ。辛かったら誰かに助けを求めるといいさ。ぼくは一生は無理だけど今だけなら、友達としてなら支えてあげるからさ」
「……くすっ。卑怯ですわね、告白する前に振られてしまいましたわ」
「ぼくよりも良い奴なんて腐るほど居るさ」
「そこは星の数だけと言うべきでしょうに」
「くくくっ、ロマンチストだねセシリアちゃんは。悪いけど、ぼくにはこの世は腐っているようにしか見えないんだよ」

 背中の水溜りが引っ付いて冷たい。まぁ、いいか。これくらいならすぐに乾いてくれるはずだろうから。
 立ち上がってぼくはセシリアちゃんに手を指し伸ばした。最初はきょとんとしたセシリアちゃんだが意図が読めたのか、それを握った。

「これから三年もよろしくするんだ。こういう形があってもいいだろう?」
「そうですわね。本当に貴方は……見てて飽きませんわね」

 握手に応じたセシリアちゃんの自愛に満ちた微笑は女神のように見えるほどに美しく感じられた。自分の存在が暗い淵の下にあるように思えた。
 彼女の瞳からはもう――蒼い雫は流れていない。



[34794] 外伝短編“柒飛ばし” 織斑千冬の人間関係
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/12/18 23:24


 背伸びするのが子供の役目、それを支えてやるのが大人の役目。













 自堕落の生活というのは中々に楽なものだが、私の肩書きを並べてみればそう長く続けてはならないものだ。
 ブリュンヒルデはともかく、超人やら鉄人やら修羅やらと、人外を並べるんじゃない。私はただの人間だ。
 そう私は心の中で独白しつつ缶ビールを片手にくつろいでいた。
 キッチンの方では一夏が手料理を作ってくれているため香ばしい秋刀魚の匂いが鼻腔を微かに擽る。
 確か秋刀魚で釜飯を作ると意気込んでいたから下準備か何かなのだろう。
 口に誘い込まれる麦特有の苦味が何処か懐かしく感じる。一夏のことを思い、色々と手をかけているのだがそうそう上手くは運ばない。
 むしろ、一夏の方が率先して仕事を掻っ攫ってしまうために手持ち無沙汰でもある。
 年齢からして独り立ちにはまだまだ早いが、姉の手を離れつつあることは確かだ。なんだろうな、何処か寂しく感じるものがある。

「プハァッ! いやぁ仕事の後の一杯ってのは良いもんだな、千冬」
「ああ、そうだな。"普通"な仕事というのは積み重なって喜びを感じるもんなんだ。まぁ、請負人のお前には無縁かもしれないから味わっておけ、潤」

 円卓状のちゃぶ台を挟んで対面に座るは人類最強の請負人と呼ばれている友人、哀川潤だった。
 本当は一夏の専用機が手に入るまでの護衛をお願いしたのだが、どんなわけか延長の申し出を受けた。
 潤曰く、全く依頼が入ってこないから暇潰させてもらう、とのことで恐らくながら私の悪友たるあの馬鹿兎が何かこそこそやっているに違いない。
 高校からの付き合いだが本当にあいつには困らされたことだ。コミマとかいう暑苦しい場所でアニメの服を着させられたりどう見ても十八禁の本の売り子をやらされたり奴の部屋でコスプレなるものをさせられたり……ああ、そういえば白騎士に乗ってミサイルとかも落としたな。
 私の一夏との時間を削ってまで遊びへと連れ出す束の押しの強さには恐れ入る。今ではアイアンクロー状態で語り合う仲だがな。
 
「まぁ、ほどほどにな。それにしても……、いーくん万能過ぎねぇか? 家事に料理に女の扱いからISの操作まで何でもできる。まさに完璧主夫だな」
「うちの一夏の腕は飛ばん。まぁ、そうだな。うちは両親が居ないからどうしても家事面は一夏に任せるしかなかったからな。その名残だろう」
「名残ねぇ。ああ、そういや千冬は別けて考えてんだっけか。一夏といーくんとで他人として扱ってて罪悪感ねぇの?」
「うっぐっ!? 随分と痛い所を的確に刺したな。……確かに、罪悪感はある。しかし……」
「変わり過ぎてて同じに思えないってか。まぁ、前のいーくんがどんな奴だったかは知らんし興味は無いが……」

 ……分かっている。世界最強の肩書きを持ちながらも実の弟の変貌を受け入れられていない私が何処か未熟なのだとは分かっているんだ。
 しかし、あんまりにも面影が残っていないんだから仕方が無いだろう。姉という立ち位置でなければ私でも惚れる性格になってしまってるんだぞ?
 昔から一夏はモテモテだった。鈍感で愚直だった子供だったから皆に好かれていた。そう、朴念仁だったのだ。二年前までは!
 拉致される際のテロ行為で身近に居た無関係の人たちが死に逝く無残な姿を見てトラウマを抱え精神を病んでしまってからは別人だった。
 この私ですら最初は自分の目を疑ったものだ。事故のショックだろうと思い込んでみたが違和感は強まっていく限りだった。
 家に帰り呆然と立ち尽くして無表情に私を"千冬さん"と呼んだ瞬間に違和感が爆発してしまったくらいに溜まっていたのだろう。
 情けなかった。悔しかった。後悔もした。懺悔もしたさ。だが、神は非情にも私の弟を返してはくれなかった。
 趣味も嗜好も違う、口調もファッションも違う、考え方も行動の仕方も違う。全くの別人だったのだ。それを知って私は泣き崩れたのを覚えている。
 そして、今もふとした時に思い出す。何処か寂しげに自分を見る換わってしまった一夏の哀しい瞳を。
 断罪とでも言うのだろうか、糾弾したかったというのに、一夏を、弟を返せと叫びたかったのに。
 ――生まれて、すみません。
 今にも死にたいと訴える瞳でそんな言葉を言われたなら――抱きしめるしかないだろう……っ。たった一人の肉親なのだから。
 あれから一夏は自分のことを"ぼく"と形容するようになった。恐らくながら私を思ってのことだろう。
 目の前の人物は他人であるから何の侮蔑もなく接してくれて構わないと、実の姉であるはずの私に気遣いをみせたんだ。
 情報を提供してくれたドイツ軍に礼を果たすべく教官として一夏と半年離れてから私は愚かな自分の情けなさを嘆いて死にたくなっていた。
 そんな私よりも死にたそうな瞳をしているあの娘が居なければ私はきっと一人でに潰れてしまっていたに違いない。
 
「……まぁ、今では感傷に浸る程度だがな。私とて流石に慣れたさ。考えてもみろ、唯一の肉親なんだ。生きてくれて嬉しいんだよ私は」
「ふうん、少しは前進できたってことか。良かったじゃねぇか千冬。お前、着実と大人の階段登ってるぜ」
「ふん、甘いほうの階段ではないからな。私とてそれくらい弁えているさ」
「いや、待て。その言い方だと血が繋がっていなかったら押し倒してるってのと同意義だぞ」
「ふむ。やぶさかではないな、しっかりと気配りできるいい子だからな。食べてしまいたいくらいに愛しいくらいだ」
「おいおい……、そいつは……。いや、あたしが言えたもんじゃないな。まぁ話題を変えようか。そうだな、最近どうよ」
「何だその思春期の娘に喋りかけ辛いお父さんのような出だしは。まぁ、そうだな。プライベートの方は一夏のおかげで完璧だとして……、消えた生徒の行方探しとか明日の夕飯は何にしようかだとか山田くんがドジった所をどうフォローするかだとか色々大変なんだぞ」
「おい、行方不明者と飯の悩みが同レヴェルでいいのかよ教師」
「うん? ああ、まぁそちらはすでに詳細が分かっているからな。弟に手を出した輩が何処ぞの殺人鬼にでも襲われたそうだ」
「殺人鬼だと? 特定までできてんのか」
「ああ、一夏の友人らしいな。全くどうして呪い名と殺し名にコネクションを持っているのか理解不能だ。実の弟ながらよく分からん」
「……おいおい、マジかよ。いーたんならまだしもいーくんまでもかよ。はぁ……、奇想天外な彼女に惚れてるところとか似過ぎだろ」
「なん……だと? 潤、その話詳しく聞かせてもらおうか。一夏が惚れている女が居るだと?」
「変なもん拗らせてるな千冬は……。くーちゃんとか言ったか、ほら、あそこの大きな病院の病室に居る女の子だ」

 窓越しに指されたその大きな病院には見覚えがあった。確か、私が一夏に精密検査を受けさせるために足を運んだ病院だ。
 くーちゃん……、ああ、その名は聞き及んでいる。今の一夏の瞳に生気を齎した少女だったはずだ。……なら、仕方あるまい。
 
「……おーい? どうした。鳩がソードオフ喰らったような顔をして」
「そこまで私の顔は絶望的だったか!?」
「一夏を殺して私も死ぬみたいな顔してたぞお前。酒は……、一缶目か。まぁなんだ、お前疲れてんだよきっと。だから今日は早く寝とけ」
「……そうかもしれんな。ここのところ兵隊蟻の如く仕事をしていてたツケが溜まったのかもしれん」
「そうかもな。食堂に来たらちっとはサービスしてやるぜ先生」
「よろしく頼むとしよう、食堂の赤いお姉さん?」

 そう、こいつは意外にも食堂のカウンターで働いていたりするのだ。潤曰く、食堂のおばちゃんと趣味が合い意気投合した、との事らしい。
 そういえば潤は漫画とかが好きだったからな。古き良き時代の話でもしているのかもしれん。
 残念なことに私の青春時代は漫画などの娯楽に手を出さなかったもんだから、というか出す暇が無かったからだが、その手の事には疎いのだ。
 
「何か学校の怪談とかにでてきそうなフレーズだなおい。夜な夜な皿洗ってるイメージなんだが」
「それだと潤の手が真っ赤に染まっていることになるな」
「知ってるか、皿回しで車カットできんだぜ」
「それができるのはお前だけだ。私は精々投げてドア貫通が良い所だ」
「いや、お前も人外染みてるじゃねぇか」
「世界最強だから良いんだよ」
「ちっ、私だってなぁ。ISに嫌われなきゃ少しは夢見れたんだ。空とか飛んでみたかったぜ」
「……お前さっきジャンプで四階のここまで来ただろう。ほぼ飛んでいると言っていいんじゃないか」
「いやいや、ほらやっぱり鳥のように自由に戦闘機の如く速く飛びたいじゃん。いいなーIS」
「娯楽目的で乗ろうとするな……。せめて仕事に使え」
「やなこった。あたしはその手のもん使うと逆に弱くなるんだよ」
「皿で車をカットできるお前が言うな」
「皿でドアを貫通するお前も言うんじゃねぇよ」
「………………………………」
「………………………………」

 沈黙と威圧。世界最強と人類最強の意地というか、単なる手持ち無沙汰の暇つぶしが欲しいと感じてしまった。恐らくそれは潤も同じだろう。

「よし、久しぶりに戦るか」
「ああ、構わんぞ。……だが、一夏の夕飯を食べてからだ」
「あー……、そうだな。いーたんみたく水道水出すんじゃなくてきちんとした料理出してくれるからな。それに美味いし」
「だろう? 精神的には色々あったが元々料理のスキルはかなりレヴェルが高いからな。……待て、いつ喰ったんだお前は」
「あん? この前食堂で会って料理バトルした際にだな。やべぇよあいつ、中華鍋の中身が勝手に混ざって踊り出すくらいのチート遣ってくるからな。このあたしですら具材三回転半焼きが普通の限界だっていうのによぉ」

 どうやったら中身が勝手に混ざるんだ? というか具材の三回転焼きとは何だ。サイクロンでも起こしたのかこいつは。

「待て、いつからスケートの話になった。まずその時点でおかしい」
「炒飯対決だったからな。久々に本気出して四回転してやったぜ。その時いーくん何してたと思う? 空中で食材切ってやがった。専用機持ったからってバトルに遣うことはないよなー。まぁ、あたしも対抗して空中で切ってやったけど」

 そう子供の悔し紛れな顔で潤が言うがどう見ても若干不貞腐れていた。そりゃ人外めいてる潤に対抗するにはISを使わざる得ないだろう。
 私は使わないがな。

「……鉄人を通り越して超人バトルじゃないか。それで、どっちが勝ったんだ?」
「んや、結局いーくんが狂言であたしを宥めてドローにしてくれた」
「負けたうえに癇癪起こして宥められたのか……」
「あーもうそうざっくり言うんじゃねぇよ。仕方無いだろ、いーくんのそれ喰った瞬間に涙が出ちまうくらい美味かったんだからよぉ」
「宥められたというのはそういうことか……」

 見てみたかったな、こいつが泣く所を。今度対決する際には審判として席に座ってみたいものだな。
 
「清々しく負けちまったよ。だがな、次は絶対に勝つ。ああ、絶対にだ」
「ふん、お前の女子力の低さで主夫力を高めた一夏に勝てるかどうか分からんな」
「なんだとー? 女死力はあるからいいんだよ。別に千冬と違って家事できないわけじゃないしよぉ」
「ぐっ!? 分が悪いからって矛先を私に向けるな。ニヤニヤするなうざったい」

 ニヤニヤと勝ち誇る人類最強を見て、まぁ確かに私は女子力は低い方だろう、とは思う。だが、こいつに負けるのは何処か癪だ。
 ビール缶の中身を飲み干し、握力でサイコロ状にしてから机に置く。こうすることでビニールに入る量を増やせるのだ。一夏はできないらしいがな。
 二缶目のプルタブを開け、一口飲む。……ふぅ、若干落ち着いた。まだやれる、私はまだいけるぞ。

「そういや……」
「む?」
「いーくんを救うにはどうすればいいか会議開かねぇ? 正直魂とかオカルトなもんは好きだけど詳しいわけじゃねぇからよ」
「それはこちらとて同じだ。だが、アテはあるんだろう?」
「ああ、蒼い暴君に協力を願おうかな。たぶんだけどいーくんのこと気に入るかもしれんし、一応の保険ってとこだな」
「そうか、ならこちらも陽気な兎に相談しておくか。あいつなら何とかできるやもしれん」
「……なぁ、やっぱり千冬もあいつのこと――」
「救いたいに決まっているだろう……っ。あんな顔をして心で泣く奴を見捨てられるわけがないだろうが」

 あの日、私は一夏を抱きしめただけで救い上げることはできやしなかった。それどころか何処か距離を置いていたんだ。
 罪滅ぼしができると言うのなら、あいつを救う以外に手はあるまい。
 
「だよなぁ。いーくん曰くタイムリミットが後数ヶ月らしいんだわ。早々に決着つけねぇとジ・エンドだぜ」
「それまでには何とかできるだろう。何せ私らの知り合いは――」
「天災だからな」
「天才だからな」

 なんかイントネーションが噛み合っていない気がするが、まぁ、根本は似たようなものだろう。
 秋刀魚の香ばしい匂いが待ち遠しい。再びサイコロ状にして机に放った私は特別に許してくれた三缶目に手を伸ばす。
 ――いつか必ずお前を救ってみせる。それが姉としての威厳を見せるいい機会だからな。
 そんなことを思いながら、私は――自信のくさい台詞に苦笑した。



[34794] 捌話 生まれ出でし混沌。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/09/17 11:19


 感情に流されるな、感情を流す側になれ。














 人にとって掛け替えの無いものとはなんだろうか。ぼくはお互いにつけた絆であると思う。
 絆とはお互いに付け合う傷の名前だろう、ならば、その傷が多ければ多いほどに傷跡は深まっていく。
 傷を付け合って確かめていく友情ってのは切っても切れない傷名になっていく。
 だからこそ人はそれを大切にして、友人という形を持って関わっていくのだ。
 その絆を持った一人が今、教壇の前に立っていた。"ぼく"ではなく彼との絆を持つ人物――中国代表候補生凰鈴音。
 栗色のツインテールに小柄でつるぺたんすとーんなボディバランスを持つ何処かガキ大将めいたポジティブシンキングの持ち主だ。
 何処か猫チックで元気な少女だとぼくは覚えていた。家の事情で半年しか一緒に居られなかったが、"ぼく"の友人であると言っていいはずだ。
 ランダムに振り分けられた席順でぼくはまん前。だから、必然的に目が合う距離に居る。

「久しぶりね、一夏」
「久しぶりだね、鈴ちゃん」

 さすがに皆の前で世間話はできないために軽い挨拶を済ませる。そのまま彼女は自身の自己紹介を終え、不敵に笑みを浮かべて割り振られた席へ歩いていった。
 千冬さん情報だと本来なら隣の二組に転入する予定だったらしいが、一組のクラスから人識くんの件以外で三人の行方不明者が出ているために急遽こちらに数合わせとしてねじ込められたらしい。
 行方不明者の居場所は知らないが、恐らく冷たい地面の下か熱いコンクリの上のどちらかだろう。
 最近近くで外国人を狙った連続殺人が行われているらしいから、きっと人識くんに違いない。
 取り敢えずぼくの知り合いは殺らないようにお願いしとかないといけないから、再び縁が"合う"ことを希望したいものだ。
 山田先生の号令を聞き、いつものようにつまらない授業が始まる。正直言って素人でも分かるような淡々とした簡単な授業。
 すでに独学でIS検定二級くらいは取れる域に達しているぼくにとっては児戯に等しい。担任が、いやここの教師に千冬さんが居なければボイコット確定くらいのつまらなさだ。
 そんなことを思っていたら携帯に着信のバイブ。開いてみれば鈴ちゃんからのメールだった。
 "久しぶりに見たけど変わりないわね。ちょっとは怪我でも病気でもしときなさいよ"
 それは強がりめいた冗句……だよね?
 取り合えず銃弾摘出と拉致の拷問の内容を書き連ねて使用された道具の写真も添付して送っておいた。
 後ろから凄まじい音が聞こえたが気にしない。冗句だ、と冷静に涼しい顔で狂言メールを送っておく。
 "ふざけないでよね!? 心配したじゃないの!"
 うむ、良いツンデレである。本来ならばいつも照れ隠しにグーパンか暴言が入るのだが、さすがにメールでは不可能のようだ。
 というか、普通に失態してるしかなりテンパッてるかもしれないな。この手の真実な冗句は金輪際やめておくとしよう。
 "勘違いするんじゃないわよ、アンタじゃなくて本当の一夏になんだからね!"
 地味に傷付く言葉が来てしまった。まぁ、確かにそうなんだけども……。今更本当のことだとは言えず、最近どうよ、と送っておく。
 鈴ちゃんもまた織斑一夏他人理論に落ち着いた人物の一人だ。少なくとも前の彼を知る人物で束さん以外は全てそうだ。
 束さんはぼくもまた一夏の一部であると考えてくれる数少ない理解者の一人だ。
 ……まぁ、前のぼくにはできなかったことをぼくでやっているようにも思えるが。主人とメイドごっこなるものは結構楽しかったけども。
 
「――であるからして、上昇時の機体の推進力で――」

 "別にどうもしないわよ。アンタのニュースを聞いてすぐさまここに転入手続きをしたくらいね。久しぶりに馬鹿やりましょ"
 そうだね、と返信し溜息をつく。馬鹿をやる、ね。それはぼくじゃなく前のぼくとだろう? 寂しいもんだね全く。
 右腕を見やればバングルのような状態のガントレットがあった。零式の待機状態だ。防具にもなるということだったので、耐久力は期待できるだろう。
 結局のところ第一次移行はした。というか、させられた。
 セシリアちゃんは本気のぼくと戦うことを切望しているらしく、若干色と装甲が増えただけの零式は皆にばれることがないような変化だったために無問題と処理されたのは良かった。セシリアちゃんとぼくが黙っておけばきっと問題に上がることすらないだろう。
 "そういえばあんたがクラス代表なのよね"
 結果的になってしまったのだから仕方が無いだろう。勝っちゃったんだし。今日の放課後にそれのパーティがあると返信。
 "何時からよ"
 食堂の利用時間後だから八時半以降だね、と返信。アレか、代表候補生レヴェルなら授業を聞かないでも大丈夫ってか。
 一応提出用のノートを書きながら事を行っているぼくだけど、少し心配だ。鈴ちゃんは感情をエネルギーに行動するタイプだから尚更だ。
 "よし、なら放課後に模擬戦をするわよ。勝った方が代表ってことでいいわよね"
 正直、無償で代わっても良いのだけれども。如何せんセシリアちゃんの地位が危ぶまれる。仕方なく了解と返信。
 さーて、どうしようか。正直代表候補生に勝っているわけで、別に出し惜しみなく潰してあげても構わないのだけれども。
 しかし、今回は前回と違い予備知識が無いのが痛い。少し検索をかけてみるか。中国の最新鋭ISは……っと。
 うん、やっぱり出ないなー。機密だよねそりゃ。ということで端末に持ち替えて今回も積雪さんに情報提供を頼むとしよう。
 ……いや、久しぶりに束さんにでも頼ってみるか。どんな返信が来るか楽しみだし。そう思って端末に隠しコードを打ち込み、束さんのアドレスへ中国IS機体情報提供求むと簡潔なメールを送る。
 まぁ、あの人のことだからお昼までには……、端末を見やれば新着メールが二件。一件目も二件目も同じ差出人で、尚且つ一件目が軽くて二件目が重い。……仕事速すぎませんかね束さん。取り合えず情報から見るか。
 "やっほー! いーくんからの(以下略"
 長いッ。まさか一件目の方が機体情報で二件目が雑談だとは思わなかった。……返信は後にしておこうかな。
 この場で見る気分もなくなったので若干机に突っ伏す。ふわぁ……、暢気な太陽の温もりが良い感じにぼくを暖めてくれるもんだから眠いね。
 うっつらうっつらと視界が揺れる。数分程呆けていた記憶だけが残ってすでに一時間目を終えた休憩時間だった。
 
「……………………キングクリムゾンっ」

 ただの時間経過であるが呟かざる得なかった。
 昨日の夜から今朝まで酔いが回って最悪なことになっている千冬さんと潤さんにジョジョの一気読みをさせられたもんだから眠くて仕方が無い。途中で千冬さんは勝手に逃げてベッドで寝てるし、潤さんはけらけら笑いながらジョジョの解説をしながら支離滅裂に熱く語るのだから迷惑極まりない。
 最終的にほぼ徹夜状態で教室に居るのだ。マジで眠い。

「ねぇ一夏。ねぇったら」
「……ごめん、鈴ちゃん。今無理、というかマジで……眠い」
「はぁ? もしかしてあんた……目の隈からして徹夜してたのね。何やってたのよ」
「オールナイトジョジョフィーバー」
「は?」
「……………………」

 ごめん、マジで眠い。はぁ、仕方ないわねぇ。と鈴ちゃんは席へ戻ってくれたが、一難去ってまた二難。両サイドから挟まれてしまった。

「一夏、あの転校生と仲が良さそうだが」
「一夏さん、あの方とはどういう関係ですの」
「…………オッケイ、説明はする。昼休みにするから、今は寝かしてくれ……」
「むぅ、分かった。昼休みに絶対だからな!」
「ええ、分かりましたわ。お昼に聞かせていただきますの」

 それから昼休みまでの記憶が無い。ガチ寝してしまったようだ。何故起こされなかったか、というと千冬さんが出張で居ないためだ。
 何やら警察の方から要請があり、IS学園周辺のパトロールメンバーに抜擢されているらしいのだ。確かに人類最強と互角に渡り合える千冬さんなら心配あるまい。むしろ、危険が危ないといった様子で犯人が気の毒に感じる。
 三時間とは言え睡眠が取れたので些か頭の回転率が戻ったようだ。先ほどのように瞼が開かない状態から脱出できただけ好ましい。
 とはいえ、美少女三人を侍らして……ではなく、美少女三人に食堂に連行される図っていうのもどうかと思うけどね。

「はいよ。次の……おう、なんだ。いーくんじゃねぇか。サービスしてやんよ。あん? から揚げ丼だと? これまた珍しいのを選んだな」
「鶏肉が好きなんですよ。どうせならチキンステーキセットでもメニューにぶち込んでください」
「まぁ、頼んでみるか。ほらよ、から揚げ大盛りマシマシ丼」
「伸びすぎでしょう名前。どちらかと言えばピラミッド丼じゃないですか」
「お、それいいな。これからその盛り方のことを食物連鎖丼と呼ぼう」
「よりにもよってのバッドチョイスじゃないですか……。まぁ、礼は言っておきます。それでは、頑張ってください」
「おうよ。そちらのお嬢ちゃんたちとゆっくりしてきな」

 潤さんから手渡されたそれはまるで富士山にも見える。カロリーが高そうだが、比較的動くぼくなら問題無いだろう。
 ぼくは食物連鎖から揚げ丼を選択し、鈴ちゃんは中華そば、箒ちゃんは焼き鮭定食、セシリアちゃんはサンドイッチのチョイスだ。
 正直ぼく以外お国柄が全開で、何だか異端のようにも感じられる。まぁ、間違いなく異端であることは正しいのだけれども。
 多人数席の窓側を選び一番奥にぼくが腰を下ろし、左に箒ちゃん隣にセシリアちゃん右に鈴ちゃんという対立とも呼べる席順でぼくだけ困惑。
 まるで異端審問会でも開かれるような重苦しさが三人から漂っている。もしかしてぼくが裁かれるのかこれ。挟まれて逃げれないし。
 
「あーっと、そうだね。まず、いただきます」
「そっちじゃないだろう!」
「そうよ!」
「先に説明をお願いしたいですわ!」
「……はぁ」

 ぼくのお昼はゆっくりとできないらしい。怨むぜ"俺"、めんどくさい関係を持ちやがってからに……。
 と、言っても正直ぼくもあんまり覚えていなかったりするんだよね、特に箒ちゃん。
 一番新しいセシリアちゃんならともかく、半年しか会って居ない鈴ちゃんもだし、そもそもぼくと会ってすらいない箒ちゃんだ。
 
「えーっと……、小学三年までが箒ちゃんで入れ替わるように鈴ちゃんが中二まで高校一年からセシリアちゃん。以上」
「簡潔過ぎる!」
「でも、反論する余地がないわ……っ」
「くっ、新参者には辛いですわね」

 説明と言ってもどうにもこうにも無いのだけれども。

「もしかしてぼくが二重人格みたいな存在だっていうこと感情に任せて忘れてないよね」

 沈黙。当たりだったらしい。……なんだかなぁ。この子たち美少女揃いにして頭が残念だな。
 アホの子トライアングルか。頭を叩けば良い音しそうだなまったく。
 ぼくは食物連鎖丼に手を出すために割り箸を口で割った。こうやると綺麗に割れるんだよね。それと格好が良いから。
 黙々と食べ始めたぼくに続いて何処か気まずそうに食べ始める三人。食べ終えるまで終始無言だった。ご馳走様でした。
 食器を重ねてお盆に載せてぼくが持っていこうとしたのだが、何故か三人が動かない。てこでも動かんといった様子だった。

「ええと……まだ、何かあるのかな」
「正直のところ一夏さんが鉄壁過ぎますわ」
「そうだな……硬すぎる」
「変わり過ぎよねぇ」
「そうなのだ。見る影も無いくらいに清々しい程にな」

 ガールズトークとでも言うんだろうか。姦しいお喋りがひそひそと始まり、ぼくだけ取り残される。……だるい。
 ……はぁ。やりたくないんだけどなぁ……、でも仕方が無いよね。さっさと教室に戻りたいんだよぼくは。
 ぼくは一度お盆をテーブルに置き、椅子から滑り落ちるようにテーブルの下をくぐった。そのまま振り返ってお盆を確保し、踵を返して前進。
 この速度が大切なのだ。テーブル下で何かをする暇も無いくらいの速度で行うことが身のためなのだ。
 恐らく二秒もかかっていない早業だったはずだ。弾くんの店で厳さんの中華鍋投擲を避けるために身についた技であり、その速度はピカイチだと自分でも思っている。

「なっ」
「へ?」
「ちょ」

 後ろから何か聞こえるが聞こえないことにしよう。無心でお盆を返却口へと返す。
 正直あんまり馴れ馴れしくすると別れが辛いと思うんだけどねぇ、まぁ、それを知ってるのはぼくだけだから気をつけるのはぼく側だってことだ。
 だから、勝手に姦しまっててくれ。ぼくを真ん中に入れないでくれ。正直、独りでガールズトーク聞くなら教室で寝ていたいから。
 帰り際の出入り口で何処かニンマリとしている潤さんが居た。手にモップを持っているからカウンターから清掃に移っているらしい。

「青春してんじゃねぇか」
「よく言えますねんな戯言。ぼくは軽い関係で構わないんですよ。求められても返せませんし」
「おいおい、何か毒舌チックだな。機嫌悪いのか?」
「張本人が言いますか? 正直眠くて苛々してるんですから悩みの種を増やさないでくださいよ」
「あー……そういやそうだっけか。そりゃすまなかったな。精々良い夢見てくれ」
「言われなくても悪夢しか見れませんよ」

 ぼくはひらひらと手を振って背中越しに潤さんに別れを告げた。マジで眠い。さっき三時間寝てた分じゃ足りないみたいだ。
 でも、午後からは確か千冬さんも帰ってくるし……、はぁ、頭が痛い、な。
 古傷のように痛む頭に悩みつつ、ぼくは教室の自席に着席し突っ伏した。ふわぁ……、眠い……。
 シャットダウンしていく思考の中、右腕を枕にして顔を窓側へと向けて――ぞくりと背筋が跳ねた。
 すぐさま起き上がり辺りを見回すが不思議な違和感はない。だが、なんだったんだ今のは。誰かに見られていた気がした。
 ……これは、午後の授業はサボるべきだろうか。自主休学にしちゃおうかな。……事の発端は千冬さんにもあるし、大丈夫か。
 鞄を持って自室へと戻る。別に昼休みだから鞄を持って行っても奇異な目では見られないはずだ。
 そそくさとぼくは自室への道を歩み、ドアに鍵を閉めて鞄を椅子にかけてベッドへ寝転んだ。本当に今度こそ落ちていく。意識を、手放した。














 誰かのために動ける奴はきっと寂しがり屋に違いない。












 そこは紅い世界だった。目が覚めたわけではなく、白昼夢のような夢の世界であることが場所の異質さから見て取れた。
 立っている場所は山の頂点のように足の踏み場の無い四方八方が断崖絶壁である自殺の名所とも呼ばれそうな場所だった。
 下を覗けば白い小屋があり、窓越しに誰かの足が見える。下りるか? いや、この高さでは確実に死ぬ。
 数十メートルである高さが数百メートルくらいに感じられる程に遠いような気分だ。
 雲を掴むような難解な気分で、飛び降りるにはまだ早いと何処か考えてしまう。
 そうか、ここは――

「…………夢、か」

 唐突に突き放された夢の世界から生還したぼくは、自室のベッドの上で目が覚めた。
 あれから何時間経ったのか知りたくなった。トップに時間が出る端末を見やれば七時。
 あれ、鈴ちゃんとの約束ってこのくらいの時間だっけ?
 そんなことを考えながら目をこすって再び見やれば暗号通信が数件あったのに気付く。ええと、この番号は……ッ!?
 勢いよく起き上がり、一気に覚醒した頭で慌てつつも冷静になれと叫びながら端末に番号を打つ。
 数コールで目的の人物は出てくれた。

「何があったんですか束さん!」
『あ、いっくん! 良かった……、やっと連絡がついた。大丈夫!? 怪我とかしてない!?』
「ぼくは大丈夫です。何があったのか簡潔に話してください」
『えっと……、数百の方向から私のメインコンピューターにハッキングがあって、それを対処してたら……ごめん、してやられちゃった。学園の周りに飛んでた監視特化型スパイボットが壊されて、その……誰だっけ。あのー……今日来た転校生の……』
「鈴ちゃんですか?」
『そうそう、その鈴ちゃんが誘拐されちゃったみたいなんだ。ごめんね。やっとさっきハックの報復が終わってサーチを開始し始めたんだところなんだ』
「それはいつの話で?」
『数十分前だよ。手口からしてもう私の存在はバレちゃってるみたいだし、もうこの護衛方法駄目かもね。要検討だよ。……お、さっそく発見。束さんのカ学力は地球一ぃいいっと……』

 高速でキーボードが鳴らされる音が聞こえる。ぼくは出来る限りの暗器を携え、部屋にきっちりと鍵を閉めてから飛び出す。
 確か、パーティの下準備のために幾人の生徒は食堂に居るはずだ。彼女らにコンタクトが取れれば十分だろう。
 階段を五段跳びというややアクロバティックなショートカットをし、端末の設定をISに接続モードにして脳裏で聞けるように配備。
 迅速かつ早急に事態の把握を優先しなければならない。走るのに邪魔になった端末をポケットに押し込み、全速力で食堂へと駆ける。
 廊下の窓から一階分飛び降り、ISのPICを稼動させて衝撃を零に。忍の如く軽やかさでぼくは地面に着地し、食堂へ到着する。
 息切れを隠しつつも楽しそうに下準備をしているクラスメイトを一瞥して、ハズレだと答えを導く。
 踵を返し、学園の出入り口――大門前へと零式の脚部だけ展開して低空に飛ぶ。

『判明したよ! 学園から二kmの廃倉庫! 後、いっくんの携帯にメールが一件来てるよ!』

 一度止まり、携帯を確認すれば鈴ちゃんのメールアドレスから挑戦状が届いていた。
 “貴様の友人を預かった。返して欲しければ独りで港近くの廃倉庫へ来い。目印が入り口にある”
 中々テンプレートなお誘いだった。なるほど、ぼくを怒らせたかったんだな。どうにかなるとでも思っていたんだよな。
 たかが人質くらいでぼくを止めれるとでも思っているのか、愚考極まりない手段だぜ、これはッ!!
 急激に体の芯が冷えていく気分、ああ、マジキレって奴なんだろう。人は本気でキレると逆に冷静になるらしいから。
 夕方が漆黒へ染まっていく中、ぼくはISをフルに使ってビルの屋上をこれまた忍の如く駆けていた。
 最短距離は飛ぶことだが、アラスカ条約で管轄外の私用運転は罰せられるしくみになっている。
 だから、バレなきゃいいのだと開き直ったわけだ。
 闇夜に隠れながらぼくは着実とゴールへの道を縮めていく。そして、最後の屋上の柵を蹴って港の倉庫が並んだ場所へと移動する。
 着地した後脚部を収納してさも走ってきましたよとアピール。さぁて、何処に目印があるのかなっと。
 いくつかの倉庫の入り口を見たが全く持って見つからない。この倉庫群は海岸に沿ってできているため端にある可能性もある。
 ふと、背中に電撃が走った。本当に走ったわけではないが、強い視線を感じたのだ。振り返ってみれば、遠くに紅い何かが見える。
 ISのハイパーセンサーでズームすればシニカルに笑みを浮かべる赤スーツ姿の人類最強が居た。……もしかして、目印?
 一瞬だけ脚部を展開して幅跳び、豪快にスラスターでホバリングして潤さんの前に立つ。

「もしかして潤さんが目印ですか?」
「いんや、たぶんこれだろ。蛍光テープ張ってあるし」
「えーと、独りで来いって言われたんですけど」
「ここまでは独りで来たんだから要求通りじゃねぇか。さっさと行くぞ」

 入り口に手をかけた潤さんの手を横合いから掴む。邪魔されたからか不機嫌そうに潤さんは口を開く。

「おい、この手は何だよいーくん。開けられないだろうが」
「わざわざ真っ直ぐ行く意味はありませんよ。上から侵入しましょう」
『そうだね、赤外線仕様のレンズで覗いてるけど周りには誰も居ないよ』
「天災からGOサインがでました。堂々と不意打ちさせてもらいましょう」
「……なんか悪役っぽいぜいーくん」
「知りませんよ。ぼくは今回マジでキレてますから苛々度マックス状態ですんで、死なない程度に鳴いて貰いましょう」
「おい、なんか字が違うイントネーションだったぞ」
「あそこから入りましょう」

 ぼくは潤さんから手を離し、所謂お姫様抱っこにして脚部展開、目的の場所へと飛ぶ。
 潤さんを屋上へリリースし、機動隊とかがぶち破って入るであろう上部にある窓の淵に足をかけて、中を見渡す。
 人数は……四人。黒服の凹凸からして男性三名女性一名。若干多いな。中心部の鉄骨に縛られているのがきっと鈴ちゃんだろう。
 取り合えずごめんね、と言っておく。恐らくきっと多分ぼくのせいだろうからさ。
 窓を切り取るためのナイフとサムテックスを取り出した。
 サムテックスを起動させないように窓へ貼り付けさせ、ぼくが通れるだけの円を切り取る。
 切り取った円盤のサムテックスを押して起動。即座にフリスビーの要領で海の方向へ投げつける。
 爆発を確認した瞬間、奴らは一斉にそちらを向いて隙を見せた。するりと滑空し、スラスターではなくPICで慣性を弄る。
 着地手前に浮かぶようにして、降り立つ。よし、バレてない。若干場所を変え、狙撃できるポイントを探す。
 良い感じのコンテナの陰を確保し、辺りを見回す黒服の――女性の足を狙ってダガーを放つ。
 ISの補助とPICコントロールによる全力投擲により、音速と化したダガーは気づかれることなく女性の右太腿を破裂させた。

「ひぎぃっ!?」

 突然の声に驚いた三人がそちらを見やる。隙だらけだ、間抜けめ。再びダガーを投擲し、直線に重なっていた男性二人の両腿を貫通。
 再び悲鳴があがる。独りだけテンパりながらも無事な奴がいるため、牽制のために銃を構えている右腕を狙って投擲、命中。粉砕。
 ISという最強兵器によってアンチマテリアルレヴェルの投擲を食らわせてやったんだ。喜んでくれよ、お馬鹿さんたち。
 今度は少々大きめのコンバットナイフを取り出し、やや加減して女性の右肩へと放つ。彼女の影に一本の杭が刺さっているように見えた。
 影を利用しながら場所を移動し、反対側から左腕にも投擲する。再び突き刺さるナイフの激痛に女性が叫ぶ。
 慌て始めた男性たちは適当に銃を撃ち始める。馬鹿馬鹿しい、戦場に出るのなら冷静になっておけよ。
 ダガーに持ち替え、男性の両肩にも撃ち込んでやる。出血死されては困るのでやや手加減気味に突き刺さる程度に、着弾を確認。
 呻き声に支配された廃倉庫の中、五体満足で自然体なのはぼくだけだった。
 コンテナの陰から踊り出し、すでに抵抗もできない四人を見下ろし、男性三人が泡を吹いて気絶しているのを確認する。
 女性は鋭い歯軋りの音からしてまだ理性を保っているらしい。逞しい根性だねまったく。
 
「いーくん……、ちっとばかし遣り過ぎだろこりゃ」
「……ああ、そういえば居たんでしたね潤さん。すみません忘れてました」

 つかつかとぼくは倒れ込む男性たちの傍に寄り、死なないように血止めをしてやる。ついでに頑丈なワイヤーで手足を縛って逃げ道を無くす。
 さてと、一番敵意を剥き出しにして今にも喉笛を掻っ切ろうとする犬の如く猛々しさを放つ女性に近寄る。
 ふわりとしたロングなヘアー、暗くて顔がよく見えないが見る気も無い。興味も無い。
 だから、ぼくは腕に突き刺さったナイフに足を乗せた。

「あぁぐっ!?」
「調子に乗るな。ぼくはマジでキレてる。生きてるだけマシだと思え。次は無いぞ、言ったからな。次は無いと」

 取り合えず足の血止めをしてやってから顎を蹴り飛ばす。犬のような悲鳴が聞こえたがどうだっていい。
 ここまで痛めつければISを起動する精神力もないはずだ。そもそもISは精密系の機械であるため制御に多忙なのだ。
 片足が貫通、両腕にナイフが刺さっている状態で展開なんてしたらすぐに崩れ落ちるかナイフがさらに奥に突き刺さるだけだろう。
 そこまで分かっていたからこそ、コンバットナイフを投げたんだ。
 鉄骨に縛られた鈴ちゃんの姿は何処かデジャヴがあった、ああ、生まれた時のぼくの状態と同じなのか。
 両腕を展開し、鎖を引き千切る。暗くて分からなかったが目の上にアイマスクがされていたらしい。
 そして口にはガムテっぽいテープ、古典的過ぎるだろ。
 未だに気を失っているようなので好都合。口だけ剥がしてあげて後はお持ち帰りするだけだ。

「なぁ、いーくん」
「なんですか潤さん」
「お前さ……いーたんに似てたんじゃねぇんだな」

 唐突に、意味の分からないことを言われた。ぼくが誰に似てようがどうだっていいだろうに。
 窓から差し込んだ月日というスポットライトが当たる場所に歩んだ潤さんは、悪鬼羅刹を纏ったかのような威圧感で言った。

「いーたんはあの坊やに似ていた。そうだ、お前は零崎の在り方に似てたんだよ」
「零崎の……在り方、ですか? 呼吸をするように誰かを殺して生きていると実感したい殺人鬼の集まりと似ていると?」
「……いんや、いーくんはあの坊やに似てんだよ。答えを知ったままでわざとすかして考えないことにして必死に他人の体を漁ってたあの坊やに」
「そうですか、それがどうかしましたか」
「どうもしねぇさ。どうもしてやんねぇよ。いーくんの在り方は――異常過ぎる。重すぎるんだよ具合がよ」
「ぼくは殺人を許容しませんよ」
「許容しないが否定もしないんだろうが。お前はいったいどうやって人の生死を語るつもりだ」
「そりゃ決まっているでしょう。――狂う言葉を吐いて語るに決まっているでしょう?」

 分かっているだろうに。何を今更。全てを騙して生きているぼくが今更罪悪感でも持つとでも思っているのか貴方は。
 一種の開き直りとも呼べるぼくの考え方は……人類最強の請負人からしても異常なのだろう。狂ってしまっているのだろう。
 だが、それがどうした。
 狂った程度で狂気沙汰が収まるのなら幾らでも喚き散らしてやるさ、これっぽっちも信じちゃいない神様だって信じてやるさ。
 
「帰りましょうよ潤さん。正直に言えばぼくはこの後のパーティが楽しみなんですよ。そこらの有象無象に構ってられる程暇じゃないんです」
「……お前はどうしてそんなにも――死にたそうな瞳をしてやがんだよ。いーたんだって少しくらいは生気ってもんがあるのにお前は……」
「当たり前でしょう。――死にたいんですよ、ぼくは」

 生きることが嫌になってくる。誰かのための人生ってのがもう、やるせない。彼のために遺産を残すために生きて、ぼくが消えてハッピーエンド。それでいいじゃないか。
 くーちゃんくらいは泣いてくれると嬉しいけれど、他の人は……、どうでもいいや。
 正直に言えばもう飽き飽きしてるんだよ。掴めない夢を追いかけて何のためになるんだよ。馬鹿馬鹿しい。くだらない。傑作な戯言だよそんなもん。犬に食わしとけよそんな幻想。色々在り過ぎてもう壊れたいんだよ。

「ならよ、なんでお前……泣いてんだよ」

 その言葉で……ぼくは瞳から雫が生まれていることを知った。泣いている? ぼくが? そんな馬鹿なことがあってたまるか。

「潤さん……今からぼくは狂言を吐きます。だから騙されてくださいね。――これは心の汗です涙じゃありません」

 心の汗を拭い、ぼくは鈴ちゃんを抱きかかえて踵を返した。もう、考えたくない。さっさと帰りたいんだ。ぼくは、もう止まりたいんだよ。
 ここはきっとぼくの居場所じゃないから、だから、自室に戻って服を着替えて、それから……何をしようか。そうだ、パーティに行かなきゃ。
 汗が目から出てて視界が歪んでしまって仕方が無い。どうしたらいいんだか、ぼくには分からない。渇くまで拭うしか思いつかない。
 行きと同じような手段で学園へ帰還し、鈴ちゃんを起こす。ぷにぷにとした頬の弾力を楽しみつつ、声をかける。

「おーい、鈴ちゃーん。起きろー、朝だぞー…………ひんぬー万歳」
「誰の胸がまな板よっ!? ……あれ?」

 危険ワードを囁いてみたらすぐに起きてくれた。アイマスクは走ってる途中で脱げていたからぱっちりとした瞳がぼくのと交差する。
 ぱちくりしながら鈴ちゃんの頬が赤くなっていく。ああ、少し近いか。すっと離れるとハッとした顔で鈴ちゃんが飛び退く。

「あ、あああああんたっ、今何を!?」
「いや、慎ましい胸最高と囁いただけなんだけど」
「何よそのあんまり嬉しくない嬉しい言葉は!?」
「ひんぬーはステータスなんだぜ鈴ちゃん。グッドラック」
「はぁ!? 喧嘩売ってんのか!!」
「くくくっ、さぁてね。蹴られてしまいそうだから退散するとしようかな。じゃ、先にパーティ楽しんでおくよ」
「ちょ、待ちなさいよ! まだ決着が………………あれ?」
「じゃ、そゆことで」

 やや駆け足でぼくはその場を離脱。静止の要求を叫びながら鈴ちゃんが追ってくる。そうそう、こういうのが良いんだよ。ぼくらしくてさ。
 ぼくは変態ちっくな満足感を得ながら食堂へと走る。勿論、鈴ちゃんがついていけるような速度で……って、速いぞ鈴ちゃん。
 
「こうなったら食堂まで競争よ! 勝った方がパーティの主役なんだから!」
「そりゃ頑張らなきゃな。じゃ、お先に」
「え、あ、ちょ。何よその速度!?」

 PICで若干ズルをしているだなんて口が裂けても言えないかな。そんな馬鹿げたことを思いながらぼくは――。
 ――いーくんの在り方は異常過ぎる。
 まるで鉄鋼弾を撃ち込まれたかのような痛みが胸の奥に走った。
 実際に撃たれたわけじゃない。分かってる。それが痛すぎる言葉ってのは分かってる。分かりきっているからこそ、痛いんだ。
 でも、もう戻れない。この痛みはきっと、成長の痛みだ。ぼくが彼に削られていく痛みだ。そうだ、それでいい。そうだ、そうだった。
 ぼくが成長する度に彼もまた成長を促されるんだったんだね。忘れていたよ。いや、自惚れていたんだ。
 君を過大評価し過ぎたんだ。君はどうしようもなく弱くて最低で――優しすぎるからさ。期待しちまうんだよ。
 ――ぼくを早く殺してくれよ。さっさとぼくを殺して生き返れよ。頼むぜ、お人好しの“俺”。







「うん? あれ、学園の方から何か感じませんか人識くん」
「あん? いんや、何も感じねぇけどいきなりどうしたんだよ伊織ちゃん」
「いやー……、あっれぇ? どうしたんでしょうか、わたし変な電波でも拾っちゃったんですかね」
「いつものことじゃねぇか。アホらし、さっさと行くぞ。兄貴よりやばいのが近くに居そうだからよ」
「やぁん、乱暴にするのはホテルで……、あれ? ごめんなさい!! 冗談だから早足でそそくさと他人の振りして置いてかないで!!」
「馬鹿言うのも大概にしとけよ伊織ちゃん。俺的にはいつでもお前を見捨てる覚悟くらいはできている」
「愛しい妹に決別宣言!? 酷くありませんかお兄ちゃん!」
「おま、こういう時に限って兄呼ばわりしてんじゃねぇよ!」
「じゃあ、何処で呼べというんですか! はっ、まさかベッドの上でとか――あ痛たたたたたっ!? こめかみをぐりぐりしないで!」
「……はぁ、どうしてこうなったんだか……。っと、やべ、落ちるまでやっちまった。あちゃー……、……担ぐか。めんどくせぇなぁもう」
「……………………えへへ、実は優しい人識くん」
「よーし、落とすぞ」
「きゃー♪」



[34794] 玖話 代替なる君へ。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/10/16 00:42


 自分を騙せない奴が他人を騙せるわけがないだろう。














「どうしましょうか」
「どうしようかね~」

 楽しく過ごしたパーティの後、ぼくは屋上に居た。隣には世界から絶賛追跡中の最重要人物たる束さんが居た。
 何故かと尋ねられれば、今後の指針についてだ。今回の防衛網が突破されたのは防衛に割り振った鬼札だけでは足りなかったからだ。
 とは言え、これ以上鬼札を使うつもりもない。というか割り振れない。どうするべきか。
 ……やはり、潰すしかないか。迎撃という生温い策を取ってしまったために起きてしまったんだ。
 死なない程度に殲滅……、いや、恐怖を植えつけてトラウマにさせて……、いっそのこと全員に催眠でも……。

「ね、ねぇいっくん」

 いや、しかし、それだとコストが……、やっぱり全員皆殺してしまうか。いや、それだと意味が無い。
 ぼくは綺麗でなければならないんだ。ぼくが彼の偽者である故の境界線を踏み越えてはならないのだ。
 目の前に死線があっても、それにどれだけ恋焦がれても、ぼくは――。

「いっくんッ!!」
「うぉわ!? な、なんですか束さん」
「さっきから話しかけてたんだよ。いっくんたら考え事に没頭してて無視するんだもん……」

 ぷくぅと頬を膨らませる束さん。年齢よりも若過ぎる顔立ちをしているからとても似合っている。かなり可愛い。
 何処か不機嫌そうに不貞腐れてしまっているのはきっとぼくの落ち度なのだろう。
 一応申し訳なさそうな表情をチョイスして話を聞いてあげるとしようか。

「ええと、なんですか? ぼく的にはもう迎撃は無理だと思うんです。何か案が?」
「いや、そうじゃなくてね……。その……」

 何処かもじもじと告白前の女子生徒のような素振りを見せる束さん。はて、なんだろう。愛の告白とかなら今は勘弁して欲しいのだけれど。
 意を決したのだろう。キリッとした顔で束さんは言った。

「いっくん、自由になりたくない?」
「自由……ですか?」
「そう、自由。偽者とか贋作とか振り切って、思いっきり事をやりたくはない?」

 そう言われれば、頷きたくもなる。
 しかし、自由とは何だ? 自堕落に生きれるということか? 
 まぁ確かにそういうのならバッチ来いなんだけど。きっとこの人の発言からして普通ではないのだろう。

「前のいっくんに縛られることなく、人生を歩んでみたいとは思わない?」
「――ッ!?」

 なんだ、それは。そんな道があるのか? あってくれちゃうのか? 嘘ですよね、嘘だと言ってくださいよ束さん。
 そんなものがあるのならぼくのこれまでの努力は何処に行くというのですか。
 必死に心を抑えて生きてきた二年間を全て泡にしろというのか? 自分のために? "ぼく"のために?
 ……それは、彼のためになるのだろうか。そもそも、ぼくは長く生きるはずが無い存在なのに、それが許されるのか?
 結局の所は二重人格な不気味な泡なのだ。彼を守るだけの泡でしかないのだ。それが、人生を歩む。いや、歩めと?
 
「……馬鹿言わないでくださいよ。今更そんな甘い言葉欲しくはありませんよ」
「……じゃあ、私の都合で言わせて貰おうかな。自由になって十字架を背負ってくれない?」
「なんですかそれ、まるで束さんが何かの黒幕みたいな言い方じゃないですか」
「黒幕……、まぁ、そうだよね。独りよがりの正義なんてもんは結局のところ悪なんだよ。正義の味方なんて全員の敵じゃないか。誰かの正義と自分の正義をぶつけ合うのが戦いってもんだし。だから、いっそのこと唯我独尊な悪役になった方が楽なんだよね」
「要領を得ませんね。何と戦うおつもりなんです?」
「神」

 束さんは月をバックに微笑んで即答した。まるで、長年の仇であるかのように、愛しくも怨みがましくその名を呟いた。
 流石天災、喧嘩を売る人物がVIP級だ。恐れ多くて笑ってしまう。やべぇよ、この人。敵にしたくねぇな、マジで。鬼札にあってよかったよ。

「冗談じゃないんだよ、いっくん。君もまた、私の計画の一端なんだからさ」
「それはどういう……」
「前のいっくんも知らない君の出生を知りたくは無いかな?」
「は?」

 一瞬狂言も戯言も忘れて意識を止めてしまった。
 何だそれ、もしかしてアレか、実はぼくはショッカーに改造された人造人間だった、とかか。カックイイじゃんか、それ。
 変身できんのかな。
 んでもって悪役と戦うはめになるわけだ。……あれ、その悪役ってまさか……。束さんだったりするのか?
 やだなぁ、戦いたくねぇなぁ。勝てる気しないんだよなチートの塊みたいな人だしさ。

「う、うーん……。なんか変な方向に勘違いしてるみたいな顔してるけど、やっぱりいっくんはいっくんだね。重なる点が多いってのに何で他人扱いできるんだろうね、分からないよ私には」
「そこまで人を見る機会なんて無いでしょうに。そもそもぼくとしても他人だと思ってるのに何で束さんだけが同一論を掲げてるのかがぼくには分かりませんよ」
「あはは、そりゃそうだよ。だって、いっくんは――私が創ったんだもん」
「お、お母さん!?」
「あー……、間違ってはいないけど私はまだヴァージンだからね。お腹痛めて産んで無いから。どちらかと言えば頭を痛めて生んだから。まぁ、でもさ。自分でも不思議に思ってたでしょ? 何で男性のいっくんが女性しか扱えないISを動かせるのかとかさ」
「えーと、ISに合うように調整されてる……とかですか?」

 それはぼくが造られた人間であることが前提なんだけども。
 うん? 今まで頭から螺子を落とした覚えはないんだけれども。何処に部品が?

「ううん。単純にいっくんがちーちゃんの遺伝子を弄った男性型クローンだからだよ? 異性に興味を感じないのは異性を異性と思ってないからだしね。鈍感じゃなくて、むしろ敏感過ぎたってことだね。笑っちゃうよね。今のいっくんは完全な男性だっていうのにね。みーんな他人にして前のいっくんを愛す。悲しいね。可哀想だね。同情したくなる。生みの親だからこそ思っちゃうんだよ」

 ぼくは仮面ライダーではなく、クローン人間だったらしい。ちょっとだけ残念だ。
 クローンってことはアレか。喋る斧槍を持って魔法で青い宝石を集めなきゃならんのか?
 誰かの偽者で、でも誰かでもあって、偽者であって本物でもあるってことだよな。……正直ぶっ飛び過ぎてて頭がスパークしかけてんぜ。
 
「いやいやいや、んな馬鹿な。そんなことができるわけ――」

 ――そうですわね、気になる点だけですが……。まず七歳以下の記録が何者かによる改竄の後がありました――。
 何故か、ふと脳裏にその言葉が出てきた。何処か、ぼくの求める答えを出すヒントになっているような。
 確か、セシリアちゃんはそう言っていたはずだ。ぼくの記憶力が間違っていなければ、だけど。
 ぼくの誕生日は九月二十七日だが、高校生的には十六で数えるべきだ。年齢から疑惑の歳を引いて、解は九。
 ……そして、千冬さんの年齢は二十三。そしてそれは同級生たる束さんの年齢と一致する。
 つまり、二十三から九引いた数は十四。つまり、中学二年生だ。これは、どういうことだ。小学一年の織斑一夏の年齢は当時九歳となってしまう。
 この二年間のラグはいったい、何だ? 織斑一夏は二年間も――何をしていたんだ? いや、“何もしていなかったのか”?
 ぼくの謎を解く公式に対し、ある前提が必要とされる。そう、千冬さんと束さんの出会いが高校一年の時である、という前提だ。
 ――それは、本当に真実か?
 千冬さんが出会っていないだけであって、すでに束さんは会っていたとしたら? ぼくがその話題を聞いたのは、千冬さんだけだ。
 心臓が暴れ始める。まるで科学変化で瓶の中の物質たちが暴れまわるようにぼくの心をかき乱す。

「質問です、束さん。千冬さんとの出会いは高校一年生の頃――今から七年前ですか?」
「二年、足りないかな。正確には九年前の――今日だよ」

 その言葉から導き出される答えはかなり、ショックなことだった。"俺"じゃなくて、"ぼく"で本当に良かったと思う。壊れてしまうに違いない。
 中国のデータベースからハッキングした資料を即座にコピペし尚且つ大容量のメールを数十秒で行ってしまうくらい用意周到な束さんなら……。
 最初に作る予定だったクローンのために戸籍を用意しておくに決まってるじゃないか……。

「あはっ♪ 分かった? 分かっちゃった? そうなんだよ。君らはちーちゃんを慰めるために造ってあげた擬似家族だったりするんだよ。まぁ、ちーちゃんが弟が欲しいって言ってたから妹の方は破棄しちゃったけどね。捨てる前に盗まれちゃったけど。まぁ、そんなことはどうだっていいかな。大事なのはいっくんがちーちゃんのクローン体であるってことの確認だしさ」
「……製造過程を尋ねても?」
「わぁお、意外と打たれ強いチャレンジャーだったんだね、いっくん。まぁ、平気に兵器で人を虐めちゃうくらいだから当たり前か。えっとねぇ、確かちーちゃんの両親が事故で天に召されちゃったんだったけかな。あの日、私に手を貸してくれたちーちゃんへの恩返しってことで開発し始めて、結果的に二年の製造期間が必要だったのは悔しかったね。自分の不甲斐無さを呪ったりもしたよ。でもね、私の“恩人”がグレちゃうくらい寂しい思いをしているのを見て、家族を作って寂しくないようにしてあげたいと思ったんだよ。最初は私のことを覚えてないようだったけど、今じゃ親友だよ。いやー、束さんマジで最高だね。恩人の親友のために人を造っちゃったんだからさ。ほら、笑いなよ。ここは笑いどころだからさ」

 目の前の人物は狂っているようにしか見えなかった。
 すでに、神への宣戦布告を済ませていて、その証拠がぼくだって言うんだから笑えない。
 でも、束さんはきっと正気なのだろう。狂っているように見えるだけで、狂気沙汰を楽しんでいるだけで、無邪気に人で遊んでいるのだろう。
 ――故に、天災の名が彼女には似合う。
 世界を混乱のどん底に突き落とし、尚且つ親友さえもその谷へ蹴り落とす頭の具合はきっと最高峰だろうさ。

「あー、はい。把握しました。それで?」
「へ?」
「だから、それでどうしたんですか。わざわざ語ってもらったのはご苦労様でしたが、本題に移ってもらわないと時間が勿体無いですよ」

 呆れているというか在り得ないと唖然としているような、そんな複雑な顔で束さんは固まっていた。
 ぼくが絶望に陥って泣き喚くとでも思っていたのか? 逆切れでもしてお涙頂戴な説教でも聞かせて欲しかったのか?
 お望みなら狂言を交えて語り尽くして病まない程度に壊してあげようか。
 ぼくは狂言遣いだ。目的のために世界を騙す愚かな偽者なんだ。その程度の評価でぼくに値すると思ってくれちゃ困るってもんだ。
 
「自由ってのは何ですか、十字架ってのは何ですか、ほら、早く話してくださいよ。遊んでいるのは一人だけだと思っては困りますよ。楽しませてくださいよ。遊んでくれているんでしょう? 悲しんでくれるんでしょう? 可哀想だと同情してくれるんでしょう? なら、さっさと言葉の続きを紡いでくださいよ。いつまで悦に浸って愉悦ってんですか貴方は」
「えー……? いっくんってそんなキャラだったっけ」
「笑っちゃうくらいに平常運行ですよ、束さん。狂言遣いのぼくがこれくらいを騙せないとでも?」
「ああ、そうだったね。ごめんごめん。忘れてた。いっくんは狂言で自分の世界を騙してるんだったね。この程度で崩れるような脆い狂言を吐いてるような軟弱さを孕んじゃいなかったね。ごめんね」

 くそう、あっさりとバラしやがった。この場に誰も居なくて本当に良かった。……居ない、よな?

「分かってくれたなら重畳です。それで、ぼくは何をすればいいんですか」

 暢気な兎は立ち上がる。カチューシャについた耳を張り詰めて、これでもかというぐらいの感情を込めてぼくへ言った。

「私のクローンとして人生やり直さない?」

 笑わずにぼくはその言葉に言葉を返す。

「やり直すくらいなら死にたいですね」
「なら、造り直してあげるってことで」
「まぁ、それなら……考えるくらいはしてあげてもいいですよ」
「バージョンアップだとでも思ってよ、いっくん……いや、いーくんの精神の在り方は私にぴったりなんだよ。傍に置きたくなっちゃったんだ」

 ――理解ある友人として欲しくなっちゃったんだ。
 壊れた笑みを浮かべながら硬骨そうな表情を浮かべながら、天災は偽者の代替に言った。
 
「私の夢はね、不老不死。老いず死なず生き続ける生物を造ることなんだ。西東先生のお零れを拾い続けて、彼が捨てても私は諦めなかった。私という人間を生み出した神への報復を。復讐を成すために私は人を創って、同じ舞台に立つんだ。世界誕生から生きているはずの神は不老不死な存在だってことは赤子でも分かる簡単なことなんだよ。だから、だから、だから! 私はこの目標を成功してやるのさ! お父さんが私の成功を待ち望んでいるんだ! あの程度の成功で止まるなって心で思ってくれているんだ! 何も言わずに私の邪魔にならないようにって離れてくれたお父さんに見せてやるんだ! 私の中の至上最高の作品の成功の瞬間を!!」

 雄叫びのように、慟哭のように、束さんの口から吐き出されていく言葉を聞いて、ぼくは。
 ――目の前の人物に心から同情した。
 ああ、そうだ。初めて本気で他人を可哀想だと思った。
 そして、理解した。この人は狂ってるんじゃない、頑張り続けている無邪気な子供なんだ、と。
 だから、全てがどうだっていいんだ。興味を感じずに触れずに見下すように興味対象として振り向かず知らん振りして生きてきたんだ。
 純粋すぎるが故に毒となったんだこの人は。
 一の成功を、十の成功を、百の成功を、千の成功を、万の成功を、繰り返して、成功し続けた故に――恐れられたんだ。
 自分が見捨てられているとも分からずに我侭に一生懸命に必死に成功へ手を伸ばし続けたんだ。
 褒められるために、自分を認めてくれるために、自分を、見てもらうために。
 振り返って欲しかったんだ。別れを告げられて欲しくなかったんだ。愛して、欲しかったんだ。なんて純粋な人なんだろうって、思った。
 ぼくにくーちゃんという愛す対象たる人物が居なければ、一生この人の隣を歩んであげたいと思ったんじゃないかと戯言を吐くくらいに。
 目の前の兎に同情してしまった。

「ええと、束さん?」
「あー……。そうだよね、そう簡単に飛びつかないよね。うーん……、あ。じゃあ、くーちゃんを治してあげるよ」
「……え?」
「だから~、愛しの思い人であるくーちゃんの病気を治して、むしろ寿命を延ばすくらいに元気にさせてあげるって言ったんだよ」

 最短距離で弱みを掴みにかかりやがった。流石だよ、天災。抑えるところをしっかりと潰してくれるな。心臓が潰れてしまいそうだ。
 先ほどまでの暴走具合が嘘だったかのように、束さんはにっこりと笑っていた。マジな瞳だ、これ。純粋で曇り無い瞳だ、これ……。
 んな傑作な脅し文句を吐かれちゃぼくは――。

「良いでしょう。束さんが、この"ぼく"を必要としてくれるのなら、永遠の愛は誓えなくても、永遠の忠義を誓います」

 ――狂言を吐くしか無いじゃないか。

「そっか、嬉しいな。本当に嬉しいよ、いーくん! 長い間お疲れ様だったね。束さんが褒めてあげるよ!」

 わしゃわしゃと豪快に両手で頭を撫でられた。目の前にたわわに実るグレートサイズのトマトが揺れてて色んな意味でやばい。
 落ち着けぼく。素数だ、素数を数えろ。二で割り切れる数が素数だったよな。あれ、零って表記だけなら二で割れるぞ。答えは出ないけど。

「……これからぼくはどうすればいいんですか?」
「そうだね、準備ができるまでは普通に学園生活を送ってていいよ。完璧にするために二ヶ月くらいは欲しいかな。あ、そうだ! いーくん専用のISも造ってあげちゃうね! 楽しみにしててよ!」

 ばいばい♪、とまるで遊園地に連れて行ってくれた祖父に笑顔で手を振る無邪気な幼き子のように、束さんは手を振った。
 んでもって、屋上の柵に手をかけて飛び降りた。
 ……飛び降りたッ!?
 一瞬頭が真っ白になってからだが、慌ててぼくは起き上がり柵へ近寄れば、視界が暗いオレンジ色に染まった。
 空を見上げてみれば、空飛ぶ人参があった。上空へと登っていく巨大な人参があそこにあった……。
 
「お、お茶目だなぁ……?」

 正直、どっと疲れて呆れて現実逃避したかっただけだった。
 そのまま空の彼方へと消えて行った人参を見送って、ぐったりとぼくは屋上に寝そべった。あー……、床が冷たいなー。
 同時に、熱く火照ってしまっていた脳内回路が冷却されていく。そうかー……、ぼく、クローンだったのかー……。
 泣いてもいいよね、これ。現実離れし過ぎててオーバーヒート気味な気がする。
 頭が冷えていく実感がその事実をだんだんと否定したくなる気分へと何故か高揚していた気分を圧倒し始めていた。

「可哀想だなー、ぼくらは」

 誰も居ない屋上で、ぼくは、心の奥に燻っていた何かを吐き出した。なぜだろう、スッキリしなかった。














 相手が壊れる程愛したら、そりゃ愛も伝わらないわけだ。















 久しぶりの休日。ようやく帰って来れた我が家でぼくはくつろいでいた。千冬さんは月初めだからか色々と仕事があるらしい。
 ようやく卒業生が巣立って量部屋が一人部屋にランクアップし、尚且つISの授業に実技訓練が追加されたり、打鉄に乗った箒ちゃんと接近戦の訓練をしたり、本国からやっとこさ送られてきた突撃槍(ランス)を持ったセシリアちゃんと白兵戦の訓練をしたり、龍咆とかいう不可視の武装と青竜刀のコンビネーションによる中距離戦の訓練を鈴ちゃんとしたり、そんな感じで中々大変な毎日を送っていた。
 対IS対策として一番効果がある戦い方は極論で二パターン。超遠距離で潰すか、超至近距離で墜とすか、の二択なのだ。
 ISアリーナの全長は半径二百メートル、つまり遠距離戦にギリギリならないラインの設計がされている。そのため、遠距離系武器はあんまり優遇されず、タッグ戦や牽制射撃でも無い限りセシリアちゃんのスターライトmkⅡなどの長柄武器は使用に向かない。
 むしろ、マシンガンやアサルトなどの突撃思考の武器が最優先される傾向であるため光科学系兵器の売れ行きはあんまりよろしくないらしい。起死回生のためのBTシステムだというのに、本人は恐らく何かの漫画の影響であると思われる騎士道精神から突撃槍しか使わなくなった。
 正直、使わないならこっちが欲しい。ファンネ、げふんげふん。ビットで中距離制圧とか浪漫じゃないか。
 ν零式とかって名前にしてみようか。いや、絶対に積雪さんに怒られそうだからやめておこう。
 
「……平和だなぁ」

 ぼくが言うと嘘っぽく感じられるが本当に平和だった。嘘のように平和だった。
 一週間程経っているというのに未だに束さん……いや、IS学園秘密裏襲撃の全貌が見えなかった。
 ターゲットは恐らくぼくだったはずだ。断言できないのは、ぼくが勝手にブチ切れて半殺しにしてしまった後に潤さんの台詞でホームシックにかかって学園に帰ってしまって犯人に供述を脅迫するのを忘れていたからだ。再びぼくの痛恨のミス。
 ただ、一番不思議だったのはあの束さんを一時でも押さえたという事実があったというのに、ISが二機や三機も出撃もせず、四人組みしかあの場所に居なかったという点だ。本当に、不可解だ。
 考えられるのは二つ。一つはぼくのことを友情ある者として過大評価していてあの不意打ちに文字通り面喰らった結果なのか。
 そして、ぼくの中で答えなのではないかと燻りつつあるもう一つは……。
 飾り気の無いインターホンの音でぼくの集中が途切れる。
 はて、確か受け付けのお姉さんくらいにしかぼくの外出を知る人物は居ないのだけれども、誰が来たんだろうか。
 リビングのソファから起き上がり、午前中に綺麗に掃除して美しくなった床を素足で歩いて玄関へと向かう。
 ……むむ? 何やら姉が小さくなったような可愛らしいお嬢さんが覗き穴から見えるのだけれども。
 まぁ、ISの絶対防御も常時稼動中の設定にしてあるし、万が一囮だったとしても被害は被らないだろう。
 鍵を開けてドアを開いた。目の前には白いワンピースを着た中学生くらいの大きさの千冬さんっぽい雰囲気の少女が立っていた。
 
「えーっと、初めまして?」
「初めましてだな、織斑一夏。まず、先日の詫びとして……これを」

 受け取った包みには翠屋と書かれた何やらケーキの有名店の名前が書かれてあり、お茶菓子としては最高峰なものをチョイスしてくれていた。
 いや、そこじゃないだろぼく。
 
「先日の襲撃の件だがあれはこちらのエージェントの単独行動だ」
「やっぱりそうだったんだ」
「ああ、すまなかったな」

 頭を下げる幼い千冬さん似のお嬢さん。そして、すかさず頭を上げて彼女は空いた右手でこちらを指差した。変わり身早いな、おい。

「お前は私だ、織村一夏」

 ポーズを決めたまま固まるお嬢さん。擬音がつけば「キリッ」なんてついてそうだ。某ジャンプ漫画なら「ドドドドド」。
 ……もしかして、結構練習してきたのかな。羞恥心からか、頬染まってきてるし。

「え、ええとぼくは君なのかい?」
「そうだ。私はお前で、お前も私なのだ」

 うん、なんだこの子。電波なのか。
 取り合えず交戦する気は無いようだし、後可愛いし、それと愛くるしいし、中へ入れてあげることにした。
 先ほどまでぼくが座っていたソファへ彼女を促し、ぼくはまるで宝石箱を開けるような緊張さを持って包みを広げた。
 そこに鎮座していた王の名は……チーズケーキだった。お皿に取り分け、恐らく千冬さん用の三つ目を半分に切って二等分して乗せといた。確か週末の休みは取れないと言っていたはずだったからな。ここで無駄にするよりは食べてしまった方がいいだろう。
 床が見えるガラス机へお茶会の準備を始める。彼女にはココアをぼくには珈琲を入れ、取り分けたお皿を前に置いてあげた。

「む? 私はねえさんの分も買っておいたはずだが」
「ああ、千冬さんはお休み返上でお仕事だってさ。だから、勿体無いからわけちゃったんだ」
「冷やしてお前が持っていけばよかったのではないのか?」
「……失念してた。いや、しかし……、うん」

 ぼくは半分に切った方のチーズケーキをフォークで口へ放り込み、咀嚼。……美味い。やはり、残りは千冬さんに残しておこう。
 ラップに包んで冷蔵庫へ入れさせて貰う。もしかしたら帰ってこれる……かも、知れないし。再び彼女の前へ戻る。
 もきゅもきゅとチーズケーキをフォークで食べるプリティな姿に目を奪われつつ、ぼくも負けじと珈琲を口に含む。

「……ふぅ、それで君は誰なんだい?」
「まさか、お前私のことを知らないのにここまで上げたのか? 随分と余裕じゃないか。それとも馬鹿なのか?」
「いや、まぁ。少女に罵られることに快感を抱くような変態ではないとしてもだね、まずお名前を聞きたいなってぼくは思うんだよ」
「……ふん。私の名は織斑マドカだ」
「もしかして、君がぼくの妹さんかい?」
「――ッ!?」

 彼女――マドカちゃんは手に持ったココアをしっかりと持ちながらも驚愕といった様子でこちらを見てくれた。
 ああ、もしかして本当に今日は宣戦布告というかこちらのミスリードを謀るために来てたのかもしれないな、不味い手を切ったかもしれん。
 
「えっと……。おいで?」
「いや、これ見よがしに両腕を広げられてもだな……。抱きつかないからな。ココアが冷めるだろう」
「そっか、残念」
「お前、私を舐めてるだろ」
「舐めてもいいのかい?」
「待て、何で近づいてそっとティーカップをずらすんだ。ハッとした顔で机の横に移動するな! 馬鹿者ッ!!」
「……グッジョブだよマドカちゃん。これでぼくは数年戦える」
「微妙だな……。シビアというか現実的というか……。いや、なぜ私の横へ座った。そして頭を撫でるな微笑むなっ!!」
「……その割には抵抗しないんだね」
「…………………何の事だかさっぱりだな。人の温もりなんていつ振りかなぁとか思ってたりしないんだからな」

 借りてきた猫のようにぼくの右胸に頭を乗せてくれるマドカちゃん。……やはり、妹って最高で最強だな。
 さて、マドカちゃんが和んでいる隙にまとめておくか。
 マドカちゃんの謝罪からして、先日のあの件が予期せぬことだったということが判明できた。
 恐らく、単独で動いたエージェントの保護のために束さんを足止めしたのだろう。
 邪魔をしないで、そいつ捕まえられない。みたいな感じで。
 んでもって、そのエージェントから通信でも入って回収を断念したのか、こちら側が制圧してくれるのに任せたってとこだろうか。
 ……まぁ、悲惨な状況まで貶められるとは思ってなかっただろうとは思うけれども。
 ぼくはマドカちゃんの頭を撫でつつその触り心地の良さに感動しつつも、次の事を考えていた。
 さて、この後は確かに空いているので遊びに行ってもいいのだが……って、そこじゃないぼく。なんで休日のお兄ちゃんやってるんだ。
 だが、まぁ。双識さんの言っていたようなシチュはいくつか消費できたから満足だとして……そろそろ本題に入ろうか。

「今日は泊まっていくかい?」
「んぁ…………、いや、それには及ばない」
「そっか、そりゃ残念」
「お前は……悔しくないのか?」
「それは、千冬さんのクローンだっていうことに、かな?」
「そうだ」
「いや、全然? そもそも、聞く相手を間違えてるんじゃないかな」
「……む? お前は織斑一夏なのだろう?」
「もしかして二年前の資料は手に入って無い感じだったり?」
「……詳しく聞かせてもらおうか」
「じゃあ、お兄ちゃん♪と可愛らしく呼んでくれたら教えようかな」

 世界が止まった気がした。いや、マドカちゃんが口元を引きつらせて絶句していただけだった。
 マドカちゃんはしばらく止まった後、ジト目になりながらも小声で「お、……おにぃちゃん」と囁いてくれた。危ない、これマジで危ない。
 リアルな妹でありながら血の繋がっていないという最高のステータス。いや、流れてる血は同じなのか、元が同じらしいし。
 それからぼくは二年前の詳細をきっちりかっちりねっちりしっとりさっぱりあっさりとと丁寧に懇切に絶妙に愛を込めて話してあげた。

「――とまぁ、そういうことでぼくは織斑一夏でありながら、千冬さんのクローンである一夏の代替である存在だってことだね」
「なるほど……。仕向けたプレイヤーが撃退されたのも頷ける。何せ、中身が違うのだからな。滑稽だな」
「囈言だね」
「うわごと?」
「ああ、いや。単なる言葉遊びだから気にしないで。別にちょっとフレーズが気に入ったとか思ってないからさ」
「ふ、ふむ……? まぁ、ともかく私の任務はほぼ終わってしまったと言ってもいいが……、一応だがこちら側に来るつもりはないか? にいさんなら亡国機業(ファントム・タスク)の頂点を狙えるやもしれん」
「亡国企業? なんだいそれは。滅亡した国の復興を支援するボランティア企業かい?」
「いや、そんな優しいものではないのだが……。まぁ、いい。どうせもう私は用済みになってしまったからな、話してやる」

 それは第二次世界大戦中に生まれた軍の暗部が結束し秘密裏に発足された秘密結社であり、半世紀以上の長い歴史ある裏世界の一角を担う存在であるらしい。秘密結社故に表にも裏の表にも出やしないトップシークレット、暗殺から拉致まで何でもござれの請負屋。
 もしかすると積雪さんや双識さんたちなら知っているかもしれないが、このぼくでも知らなかった隠蔽度……いや、間違えると知名度が低いだけで勝手に名乗ってるだけなのかもいしれないけども、とりあえず耳に入れておく必要はあるな。

「へぇ、それで今は何をやってるんだい?」
「……それは、教えられないな」

 一瞬話そうという素振りが見えたが、何かを思い出したような表情でマドカちゃんは断った。
 ……くそぅ、年齢の割に場数の場所が裏の世界だから篭絡し辛いな。いっそのことデレデレになるまで落とすか。
 ぼくらがクローンであるという接点が無ければ問答無用で殺し合いになってしまっていたかもしれないくらいに、彼女のそれはナイフのように鋭い瞳をしていた。と、言っても身長差からぼくからはジト目にしか見えないので萌えポイントになってしまっているから怖くないけど。
 無理強いは、不可能かな。そこまで巻き込んだわけじゃないし、まだ無理だ。
 
「まぁ、無理して聞き出すようなことじゃないからね。それに唯一の肉親なんだ、嫌われたくも無い」

 ぼくだけに関してなら他人という解釈でも問題ないのだけれど、生憎体はマドカちゃんの兄か弟に当たる織斑一夏の体だ。
 それに、どこか寂しげな雰囲気を漂わすマドカちゃんと喧嘩離れはしたくないなぁ、とも思った。
 やはり、ぼくは身内に弱いようだ。
 他人だって分かっているのについお節介を出してしまう。やれやれだ。本当にやれやれだ。
 
「さて、本当に夕飯は食べていかないのかい?」
「待て、いつそんな話をした」
「いや、泊まらないって言ってたから」
「それは私にすぐ帰れと言いたいのか?」
「むしろ傍に居てほしいくらい」
「……なら、夕飯くらいは……食べる」
「そっか、ありがとう。ぼくも一人じゃ寂しくてね」

 ぼくはソファから立ち上がり、マドカちゃんのサラサラとしたいつまでも撫でていたいような名残惜しさのある髪を撫でた。
 
「それじゃ、買い物にでも付き合ってくれるかな。何が食べたい?」
「! そうだな……、ハンバーグとやらがいい。この前スコールが美味い店を見つけたと自慢していたからな」
「オッケイ、そのスコールって人が誰かは知らないけどリミッターを外して美味しいものを作ってみせよう」
「早くなるのか?」
「やってみようか?」
「なら、私も手伝ってやらねばな」
「くくくっ、ありがと。楽しみにしておくよ」

 財布をポケットに入れ、チーズケーキを冷蔵庫へ入れてから戸締りを確認して鍵を閉めて外へ出る。
 左手には暖かくて細くて柔らかいマドカちゃんの右手が納まっていて、傍からみれば仲のいい兄妹に見えるのだろうか。
 ……まぁ、今は横の可愛いお姫様の舌を喜ばすような料理の事でも考えておこうかな。まったくもって、平和だなぁ。










「見てください人識くん! あそこの兄妹すっごく楽しそうですよ」
「はいはい、そーですねー」
「何ですかその投槍な態度! ……今思ったんですが投槍な態度って相手をキルって感じですよね」
「原始時代まで戻るたぁ遡り過ぎだろ。というか漢字が違うぜ伊織ちゃん。槍は遣りでも思い遣りのほうだ。相手を思い遣る心を投げ捨てたって意味だ……ったらいいよな」
「って、人識くんも分かってないんじゃないですか!」
「いや、漢字違いくらいは分かるぜ? ……伊織ちゃん高校行ってた時期もあったよな、でもすぐに辞めて……」
「ううっ。どーせわたしは馬鹿ですよーだ!」
「逆切れしてどうすんだよ」
「逆鱗をドロップしてやります!」
「落ちるのかよ逆鱗。そういや、猫みたいな奴がお供になるらしいけど確かあいつら溶岩の中に潜っていくよな」
「何をされても地中に潜って数分で帰ってきますし……、もしかして最強なんじゃないですか?」
「最強なんて言葉使うなよ俺の前でよ。未だに身構えちまうぜ」
「あらー、ならそんな人識くんをわたしが包んであげましょー」
「お、おい! 当たってんぞ」
「当たらせてるんですよ♪ 意外とウブですねぇ人識くん」
「違う! そっちじゃねぇよ! お前が兄貴から貰った鋏が開いてて刺さってんだよッ!」
「そういえば人識くんの隠しナイフもわたしに刺さりかけてます!」
「……アホか」
「ひーん。そりゃないですよ人識くん。わたしだって乙女なんですよー?」
「ほら、馬鹿言ってないでさっさと行くぞ。今日の飯はスーパーの弁当だ」
「はーい。そういえばなんでわたしたちいっつもお弁当を巡って争ってるんでしょうかね」
「さあな。安いからいいだろ」
「まぁ、それもそうですね。今日も元気に捻じ伏せましょー!」



[34794] 壱零話 似た者同士。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/11/24 16:39


 話を聞かないで突っ込む奴はただの愚者か孤高の天才だけだ。













「あれ?」
「あん?」
「人識くんじゃないか。息災だったみたいで何よりだね。お久しぶり」
「いーくんじゃねぇか。どうしてここに……ってのはお互いの格好からして野暮か。久しぶりだな」

 ぼくは左手を、人識くんは右手に別々の女の子の手を繋いでいた。
 もっとも、ぼくのは恋人繋ぎで人識くんのそれは逃げ出さないようにするためとしか思えない手首握りだったが。
 血で染めたような赤いニット帽に両腕を隠すような紺色のフード付パーカー。それのサイズは彼女のサイズよりも一回り大きいのか、袖を少しだけ持て余している。何処かの高校にでも使われてそうなプリッツスカートに生足の絶対領域にチラリと見えるスパッツ。
 もしかして、彼女が着ているパーカーの持ち主は人識くんだったりするのか? すると、"そういう"間柄であると仮定できる。
 ……けど、何故か大量に持ってる半額のお弁当が入った袋を持っているのかは分からない。ざっと見て三日分くらいありそうだが。
 張り込みでもするつもりなのだろうか。

「ええと、こちらの方はどちら様ですかね人識くん」
「にいさん、そちらの方は?」

 あー、やばい。マドカちゃんの瞳が若干怯えてる。そして、右手が若干、ほんとうに少しだけ震えていらっしゃる。
 そりゃ、そうだよね。目の前に居るのは幾戦殲殺の殺人鬼集団たる零崎の一人なのだから仕方がないだろう。

「ぼくは人識くんの友人。織斑一夏という名前を持ってるけどいーくんと呼んでくれると嬉しいかな。こっちの子はぼくの妹のマドカちゃん」
「ああ、なるほどな。俺らも似たようなもんだ。俺が零崎人識で、こっちが……。なぁ、どっちで呼ぶべきだ?」
「伊織で良いんじゃないですかね。よろしくねー、マドカちゃん」
「あ、えと。はい。よろしく……」
「マドカちゃんは人見知りだからさ、あんまり苛めないでね。――ぼくが本気になっちゃうからさ」
「お、おう。なんかお前雰囲気変わってねぇか? 前に会った時は毒蜘蛛のような感じだったのに、毒蠍みたくなってんぞ」
「どっちしろ人間じゃないんだね……。まぁ、それだけの切り札を手に入れたってことさ。今なら君にでも圧勝できる気分だ」
「へぇ……やるか?」
「でもまぁ、ここではノーサンキューだ。これから夕飯だしね」

 ぼくはカゴに入ったハンバーグの材料たちを見せる。少し癪だがカット済みのレタスなども入っている。
 土曜日のくーちゃんとの語らいの休息を過ぎて、今日は日曜日だ。
 明日からは授業があるからして、多すぎる準備は文字通り腐るだけだ。なら、減らすしかないだろう。
 人識くんと伊織ちゃんはお互いが持った袋の中身を見て……ちょっとだけ瞳に影を落とした。
 あー……、人を殺めながら双識さんから逃げてるからホテルなどにしか泊まらざる得ないわけで、外食ばかりなのか。
 そこで、ぼくはふと名案を思いつく。寮の一人部屋に招待してもいいが、伊織ちゃんとマドカちゃんが居るから無理だが。

「そうだ、人識くん」
「なんだよ」
「今日はうちに泊まっていかないか? 久しぶりに積もる話でもしようじゃないか」

 その言葉に二人は目を輝かせ、一人はがくりと俯いた。二人が零崎で一人が隣のマドカちゃんであることは言うまでもないだろう。

「マジか! 最近こればっかりだったからな。久しぶりに良いもん食いてぇとこだったんだ!」
「きゃー♪ 安い余りものじゃなくて手作りハンバーグですか! 是非是非!」
「喜んでくれて嬉しいよ。マドカちゃん、構わないかな。……この二人と接点作っておくことは身のためだよ」
「……ッ! ……そう、ですね。分かりました。にいさんに従います」

 マドカちゃんが何処ぞの組織の所属かは知らないが、個人的に零崎と縁を作っておくことは有効であるはずだ。生き残る確率が少しくらいは上がるだろう。
付け足しのようなものだったが、納得してくれたようだ。

「そっか、ありがとね。それじゃ食材を足さないとね。人識くん、お金は?」
「……あると思うか?」
「無いだろうね」
「何で聞きやがったんだ! 笑うつもりか! 笑うんだろ!? 笑えよほら!」
「あははははははは!!」
「うわ、こいつマジで笑いやがった」
「いやほら、一応だよ? 今日は君らがゲストだしぼくが奢ってあげるさ。君のお兄さんからもしっかりと稼がせてもらってるしね」
「うん? それはどういうことだよいーくん」
「IS学園の女性生徒の写真を君のお兄さんに一枚五百円で売ってるだけだよ。百枚単位で買ってくれるから潤いっぱなしだよ」
「あの馬鹿兄貴……ッ!! 本格的にここらへんの探索以外の楽しみを始めてるじゃねぇか。むしろ、そのために居るだろあいつぅううう!!」
「ほらほら、人識くん落ち着いてくださいよ。ある意味好都合じゃないですか。わたしたちの愛の逃避行……ごめんなさい調子乗りました。拳をグーで構えるの止めてください人識くん。ドメスティックでバイオレンスですから」
「……ともかくだ。ある意味兄貴の金だし罪悪感無しでゴチになりますってことでいいよな伊織ちゃん」
「はい♪」

 それから手分けして食材集め。人識くんを連れ回すように伊織ちゃんは中々の眼力で食材を持ってきてくれた。良いお嫁さんになりそうだ。
 ぼくが高い肉の出費に少しだけ呻きながらもレジを通し、培った技術でささっとレジ袋ではなくエコバックに詰めていく。
 
「おー、凄いテクニックですよ人識くん。いーくんさんの主夫力は遥かに高いですよ」
「くくくっ、嬉しいことをありがとう。そういや最近うちの姉が学園周辺をパトロールしてるんだけどやっぱり君の仕業だったんだね」
「待て。何故決め付けた。いや、間違ってないかもしんねぇけどもよ。でも、アレだぜ? 伊織ちゃんと合流してからやってねぇぞ?」
「いつ?」
「二週間前だな」

 ばっちりと一致するじゃんか。

「ああ、じゃあやっぱり君じゃん。クラスメイトが五人も消えちゃったじゃないか。どうしてくれるんだよ」
「あちゃあ、もしかしてお前の友人だったか?」
「いや、クラスメイト。名前も覚えてない人たちだけど」
「なんだよ。じゃあ、いいじゃねぇか」
「何を言ってるんだ。これじゃあ、転入してくる人たちが全員一組に来ちゃうじゃないか。ありがとう」
「どういたしまして?」
「いや、超不謹慎ですからね!? 人識くん、懲りずにまたバラしてたんですか?」
「あー……、ちょっとだけ。ちょっとだけな。ほら、先っぽだけ」
「いや、先っぽだけで切れますからねナイフは。まったくもう……、わたしが学校で暴走した際に私の両腕を落としてくれちゃった時に言いましたよね。傷付けていいのはわたしだけだって。他の人は駄目ですよって」
「……ごめんなさい」

 炒めたもやしのようにしんなりと謝る人識くんとお姉さん面した伊織ちゃんの立場の入れ替わりにちょっとだけ噴出しそうになった。
 すでに尻に敷かれていたとは。殺人鬼の癖に可愛い奴だな君は。

「ふふん、それでいいんですよ」
「君らどういう関係なんだ? 殺人鬼仲間かと思ったら学友だったりと分からないんだけれども」
「あー……、そうだな」
「では、お教えいたしましょうか。実はわたしたちカップ――ぐへぇ」

 即座に伸びた左手が伊織ちゃんの両頬を掴み、強制的に口を塞いだ。その速度は恐ろしく速かった。零コンマって感じで。

「よーし、伊織ちゃん黙ろうか。戯言吐くのはあいつだけで十分だっての。こいつとは腐れ縁で殺し合った仲で妹ってだけだ」
「ふぅん、まぁそこらへんは夜にでも語り合おうじゃないか」
「まぁ、それもそうだな。じゃあ、近くで炭酸でも買っていくか」
「いや、それには及ばないよ。昨日買ったのが残ってるからね」

 そんな陽気で生温い雑談をしながら家へ招き入れ、一応忘れないうちに彼の携帯のアドレスと番号を貰っておく。
 束さんの話からして、これから"ぼく"の友人には端末からのアドレスと番号でやり取りしなきゃならないと思ったのですでに実行中。
 一応狐さんから人識くんまで端末でやり取りできるようになった。まぁ、簡単だよね。機種変しましたとでも送っておけばいいんだから。
 今じゃ織斑一夏が元々持っていた携帯には"ぼく"の友人たちの名は入っていない。まぁ、鈴ちゃんのは残してあるけどね。
 マドカちゃんだけをリビングに残すのもアレなので、手伝ってもらう……予定だったのだが、何故か伊織ちゃんがマドカちゃんを気に入ったようでガールズトークを始めてしまった。まぁ、伊織ちゃんの一方的な質問攻めとも言うけれど。
 暇になってしまった人識くんを手招きし、キッチンに助手として立たせてみた。
 ナイフの扱いに慣れているからか包丁捌きは中々のもので、玉ねぎの微塵切りなどの作業では大いに腕を振るってもらった。
 おかげでいつもよりも多い量ながらも早く下準備が終えることができた。二つのフライパンを使用してハンバーグを焼いていく。
 空いた時間でサラダとスープを作っておく。前者は加工済みなので水切りしてから千切るだけ、後者はコンソメスープを作った。
 焼ける肉の音をBGMに二人でまったりと待つ。弱火でしっかりと焼かないと生っぽくなっちゃうからね。
 良い肉とは言え、食中毒は勘弁だ。

「……なんかよぉ、こうしてのんびりしてる時間ってのが一番楽しくなってくるもんだよな料理って」
「そりゃ、三大欲求の一つを満たすための作業なんだから欲求に忠実なわけだし、それに外食ばかりで作ったこと無いだろうし。そりゃ、楽しいさ。人間誰しもやったことがないってことに興奮するんだよ。そうでなきゃ成功なんて言葉は生まれなかっただろうさ」
「それもそうか。なんかよー……。伊織ちゃんと居るとなーんかズレんだよな。零崎特有の殺人衝動ってのが収まるみたいな感じでよー」

 それは惚気ているのか愚痴を吐いているのかどちらの解釈で受け取ればよいのだろうか。珈琲が飲みたくなって来たんだが。

「……零崎ってのは殺しに理由なく何となく殺したくなるんだっけ」
「ああ、そうだな。特に俺なんか零崎と零崎の子らしいからやばいはずなんだけどな」

 人識くんは自分の手を見て首を傾げる。同じ苗字で繋がってるってことは……、いや、零崎は他人の集まりだから問題無いか。

「何となく、ってことはアレか。呼吸みたいな感じでするんだよね?」
「まぁ、そうだな。俺の場合は理由みたいなもんはあったが、今じゃもう無いな」
「ってことはさ、満たされてるんじゃないの?」
「はぁ? 俺はここ二週間は殺してないぜ?」
「だから、伊織ちゃんが居るから満たされてるんじゃない? 呼吸をするのは必要だからであって何かを埋めるためにあるんじゃない。君たちの殺人衝動ってのが呼吸と同じならば、生きるために必要であるからして別のモノで代替ができるわけだ。呼吸は生きるために必要だからね。殺人は生きがいのようなもので生きるために役に立ってはいないだろう?」
「そりゃ、アレか? もしかして伊織ちゃんの存在が俺の殺人衝動の代わりになってるとでも言うのかよ?」
「まぁ、そうなんじゃないの? 人ってのは孤独になれやしない生物なんだからさ、遺伝子レヴェルで群れたくなるんだよ。きっと寂しいんだね。だからさ、同じ感覚を共有できる伊織ちゃんが居るってのはかなり零崎人識という人間に対して良い環境が整ってるってことだ。だから、満たされてるだよきっと」
「……そう、なのかねぇ。俺は零崎一賊の中でも特殊だからな。それくらいで収まっちまうもんかもしれねぇな」

 熱源の近くに居たからか人識くんはコップを取り出してカートリッジ式の浄水器から水を入れて口に含んだ。

「……君さ、あの子のこと好きなんだろ?」
「んぐっ!? ……てめぇよりによって水飲んでる時に何抜かしてやがる!?」
「いやぁ、だってさそういう詮索もしたくなるじゃないか。で、実際のところどうなんだよ」
「それはわたしも気になりますね」
「ご飯はまだかー。ふむ、良い匂いがするな」
「いや、それはだな……。って、伊織ちゃん居るじゃねぇか。よーし、愛し合おうぜ」
「ま、待ってください人識くん。その手にもったナイフはなんですか!? もしかして愛は愛でも殺し愛の方ですか!?」
「あー、人識くん。家の中で流血沙汰は勘弁してね。ベッドの上で少量なら構わないけども」
「……よーし、お兄ちゃん張り切っちゃうぞー。まずてめぇからだ、いーくんよぉ!!」

 やっべ、業火に豪快に豪華な油注いじゃったみたいだ。
 ISを休眠状態から待機状態へ移行させ、PICコントロールで音速めいた速度で人識くんの顎を狙ってキックを放つ。
 すんでのところで避けた人識くんの前髪の先っぽが漫画のように切れた。
 
「いや、ちょっと待て。何だよその速度!? まさか、てめぇIS使ってやがるな!? それは卑怯だろ!」
「いやほら、ある意味武器だし」
「兵器の分類だろうがそれは!」
「まぁ、そろそろ焼けるからさ。頭冷やすか、ナイフ仕舞ってね。さもないと……」
「さもないと……? 人識くんはどうなっちゃうんですかいーくんさん!」

 この子実にノリノリである。
 というか、人識くんに対してかなり好感度が高いご様子だ。もしかして茶化さないでも良かったかもしれないな。

「カールマイヤー三時間耐久大音量放置プレイまたは調べちゃいけない動画メドレー四時間耐久ってとこで手打ちかな」

 意味を知っているのか、伊織ちゃんが青ざめる。それを見て少々興奮気味だった人識くんも「やべぇのか?」と背筋を凍らせ始める。
 マドカちゃんは「なんだそれは?」とインターネットの怖さを知らないご様子だったので取りあえず説明だけはしておく。
 そこはかとなく遠まわしかつストレートに教えてあげると、
 人識くんはナイフを仕舞い「いや、殺人鬼だけどもそういうのはちょっとな……」と遠慮し。
 若干小刻みに震えながらマドカちゃんは「人間怖い」と何故かトラウマになりかけていたので狂言によりサルベージし。
 伊織ちゃんは「うなー……」と芝居めいた感じで人識くんに抱きついていた。
 数分の沈黙の後に良い感じに焼けたハンバーグを確認し、口を開く。
 
「じゃ、ハンバーグ食べようか」
「散々アレな話しやがった後に食べられるかっ!?」
「それじゃ、人識くんのはわたしがいただきますね」
「んなことさせるかっ! 半年振りの手料理だぞ! 結構頑張ったんだからな俺!」
「にいさん、ご飯まだー?」
「……ああもう、分かったからお皿の準備と麦茶用意してくれるかな」

 どうやら人識くんもメンタル固かった。一人は応急処置のような感じで若干崩れやすくなってるけどまぁ、大丈夫だろう。
 それからしばらくわたわたと動いて食事の準備が終了した。
 きちんと中までしっかり焼けていて肉汁を有効利用した自家製ソースによって美味しさが割り増ししたハンバーグは中々好評で、比較的明るめな話題をぼくがチョイスして人識くんにパスし、人識くんのパスを伊織ちゃんがピンク色に染めかけて人識くんと夫婦喧嘩をし始め、「おお、美味い!」ともはや最初の頃の威厳とやらが抜け落ちているマドカちゃんがもぐもぐしてる姿を見てぼくがほっこり、という状況になるくらいに良い感じに混沌してた。
 
「ふいー、久しぶりに美味いもん食ったぜ」
「料理頑張ろうかな……」
「それならレシピまとめたメモ帳をあげるよ。人識くんに美味しいものを作ってあげなよ」
「はい! ということで人識くん、毒見役は任せましたよ!」
「待て、なんでポイズンクッキングすることが前提なんだよお前は!?」
「レシピ通りに作れば毒なんてできないだろうに」
「いやまぁ、そうなんですけどね。こう見えても家庭科良かったですし、安心して死んでください人識くん!」
「頼むから出すとしても皿ごと食わなきゃならん料理は止めてくれ! 俺はまだあの欠陥製品のように死にたいとか言っちゃうお年頃じゃねぇから!」
「ふふん、わたしの冥府に送るような味と言われた料理スキルを発動させてあげますよ♪」
「って結局ポイズンかよ、伊織ちゃん」
「冗談です。普通に通信簿で五を貰ってましたよ」
「何点中で?」
「……さーて、洗物しちゃいましょうかー」
「いや、何点中なんだよ!?」

 十点中で五なら中ぐらいだし、五点中なら上の上。まぁ、どちらにしても大丈夫だろうね。
 「美味い美味い」って言いながら食べてる人識くんの顔を見て「むむむ……」と乙女心を発動させてたみたいだし、よっぽどのものは出さないだろう。
 いやはや、愛されちゃってるねぇ人識くん。キッチンへ行った伊織ちゃんの手伝いするためについて行っちゃうくらいだし、これまた時間の問題……いや、人識くんの頑張ってるプライドが邪魔しちゃってるんだろうし、押しておくべきか。いや、逆に引いてみるべきか。
 まぁ、野暮ってもんだねこりゃ。
 食事の後のデザートとして買ってきていた焼きプリンを頬張りながら堅難しいニュースの内容を見てるマドカちゃんの頭を撫でて疲れを癒す。あー、癒されるなー。やっぱり妹は最高だね。
 それから結局マドカちゃんも泊まることになり、整頓された千冬さんの部屋を伊織ちゃんとマドカちゃんにあてがい、ぼくらは炭酸飲料を飲みながら雑談を肴に一晩中語り合って、翌日に別れた。
 ぼくにきちんと了解を得れば使ってもいいと合鍵をくれてやり、友人度を高めて送り出してあげた。
 マドカちゃんは若干寝ぼけながらもきっちりと帰って行ったのを確認してぼくは後片付けをして学園へ行った。
 ……まぁ、やっぱりというか何というか完全に遅刻してしまい、徹夜なのが相まって幾度かッ千冬さんの天下の宝刀たる出席簿が火を吹いたことは言わずがなだろう。
 ちなみに残したチーズケーキは、うっかりぼくと人識くんのお腹の中に昨晩に半分ずつ消えたので渡すことはできなかった。












 悪党とはトカゲのようなものだ。トカゲは尾を切って逃げる。だから、悪党を潰す時はまず頭を潰すことを考えろ。















 銃口から紫煙のくゆる匂いが鼻腔を侵し、その銃先はぼくの後頭部をごりごりと押している。
 現在の状況は大惨敗の真っ只中であり、ぼくは地面に突っ伏している状態である。
 
「……ふぅ、今日はわたくしの勝ちですわね」
「うーむ。やはり中距離戦のセシリアちゃんと相手するには零式の武装じゃそろそろきついなぁ……。幾度もやれば相手の癖も見えるし、対策も取れる。……だからこそ、もう無理かなー。というか無理だよー、無理ぃ。やってられんわー」
「後半の台詞が棒読みだがな。だが、お前が弱音を吐く気持ちは良く分かるぞ。何せ、被弾率二割であるはずなのに決定打が与えられる機会もなく遠距離でゴリ押しされていたからな」
「それに、あんなに集中力をかける作業を二時間ぶっ通しなんて尋常じゃないストレスだしね……。よく頑張ったわ一夏……」

 そう、ぼくとしてはもうネタ切れだったりするのだ。
 零式を解除し、嘆息をついてぼくはもう一度嘆息した。正直に言えば悔しい。ああ、本当に悔しい。
 しかし、戦闘というものは長引けば長引くほど不利になっていく陣営が生まれるものだ。
 というか、今のぼくだ。
 元々接近戦の心得しかないような武器のみを搭載した機体である零式のレパートリーが圧倒的に他の機体に対して貧弱であることは言わずもがな、さらに言うがセシリアちゃんはイギリスの最年少代表候補生という天才の立ち位置に居る人物だ。数度の復習と幾十の予測をこなせば嫌でも全パターンが頭に入るというものだ。
 そして、これは鈴ちゃんにも言える。
 そもそも鈴ちゃんは本能的に戦っている節があるためぼくの全てのパターンを頭ではなく体で覚えてしまっているのだ。中距離戦のエキスパートとも言える鈴ちゃんにはもう負け越している。
 一応機体の稼動率の差で箒ちゃんと並んでいるようなものだが、束さんから専用機でも贈られたら恐らくぼくが下克上する機会しかもう窺えなくなるだろう。
 嘆息を繰り返し、ぼくはふらふらと全敗という重々しくも憎たらしい記録を背負って、先にアリーナの更衣室へ行かせて貰うことにした。
 すでに放課後のアリーナは夕暮れ時でオレンジ色に染まってしまっている。
 きっと、ここが戦場であればぼくのみの血で真っ赤に染まってしまっているだろう。
 それくらいに惨敗したのである。
 頭で分かっていても技術と知識って別もんなんだなぁ、と通算百回目の負け越しのぼくは改めて噛み締める。
 砂でも噛んでいる気分だった。もう、シャワー浴びてベッドに寝てしまいたい。

「お、おい……一夏?」
「そっとしておくべきですわね……」
「そうね。それが一番良いと思うわ。手加減してもあいつなら分かるだろうし」
「本気であってもすでに……なぁ」

 耳を塞ぐ余裕もなく、更衣室でのろのろと死にかけのゾンビが歩く速度で着替え、亀にも劣るような速度で自室へ帰還した。ぼふん。
 泣いたぶんだけ強くなれると言うが、おかしいな……。弱いままなんだけども……。
 実際に泣いているわけではないが、泣き言はたくさんこの枕に零したつもりだ。
 あの歌詞はきっと精神的に打たれ強くなることを指しているのだけれども、ぼくとしては肉体的な強さが欲しい。
 筋トレでもすれば身につくのだろうけれど、そんな長年続けて手に入れれるものを求めているわけじゃない。
 いっそのこと、ぼくが改造してみるか零式。何とかして零落白夜の呪縛を解かねば。奴を何とかしない限りぼくは負け続けるだろうから。
 と、言っても……やることは少ないことは分かっている。エンジニアでもない素人のぼくが手を出しても悪化するだけだろう。
 だからこそ、ぼくは手を出すべきなのだろう。自分の機体を隅々まで他人に任せ切っていたツケを払うべきなのだ。
 例え、それがぼくの勝率の改善に繋がらなくても手を出すべきなのだ。
 零式のコンソールを呼び出し、設定の一覧の詳細に目を通す。機械言語というのだろうか、意味不明な羅列が並んでいる。
 ここじゃないようだ。なら、こちらか。新たに生み出された投影画面に目を通し、手を動かす。
 次々とポップされていく画面を二つの瞳で捉えながら、ようやくお目当ての一覧に手が届いた。
 手をスライドさせ、それ以外の画面を消し、じっくりとその一覧に目を通す。そう、零式のメインプログラムの構築式だ。
 全文英語であるがこれくらいなら読み通せる。米版ブラム・ストーカーなんてものを読もうとして前のぼくが頑張った結果がぼくにある。
 近接戦闘特化であるとは分かっているが、他のアプローチ方法が存在するのではないかと希望を抱くのは仕方が無いことだと思いたい。
 それほどまでにぼくは切羽詰っていたのか、と英文の波の流れを見ながら冷静に頭が冴え始める。
 
「……白、式?」

 その中で目に留まったのは、白式という名前だった。それは不自然過ぎた。それだけが漢字で書かれていたからだ。
 もしかすると、最初の名前はこれだったのだろうか。積雪さんたちが名前を付ける前はそう呼ばれていたのかもしれないな。
 ――感慨深くその名前に指を這わし呟いた瞬間のことだった。
 視界一面の青い空、ぼくを招き入れ歓迎するように鳴く陽気なカモメたち、そして、白い少女。それらは全て反転していた。逆様だった。
 直感でもなく肉眼で見えた、異常な光景。
 ぼくが立つ場は海の上空だった。信じられないとは思うが、ぼくは何の浮力もなしに空に足をつけていた。
 自分でも何を言っているのか分からなくなるが、正気沙汰でも狂気沙汰でもない不可思議な現象に巻き込まれているのだと察する。
 
「違う――」

 足元に焼いた鉄のような痛みはなく、代わりに日向に居るような心地よさがある。つまり――ぼくが逆様なのだ。
 倫理エラーとでもいうのか、論理エラーとでもいうのか、この世界でもぼくはやはり、イレギュラーなエラー的存在であるようだ。
 白い少女の顔は眩しい光によって見え辛く、口元だけが微かに見えるだけだった。
 彼女の姿はシルエットで幼い少女であるとは分かった。

「ここは、いったい?」

 少女の口元が半円へと変わり、眩い光に目を焼かれる。白き残像が消えた後の視界に少女は居なかった。
 変わりに、銀色の騎士甲冑に身を包んだ女性が居た。その眩い甲冑は日の光によって純白の色を作り出していて、幻想的だった。
 これほどまでに美しく光るものを見たことがあっただろうか。
 その騎士の美しさはくーちゃんの美しさとは正反対のそれで、太陽のような美しさだった。
 見惚れているわけではない――目を奪われているだけだ。
 そんな囈言なんていうくだらないことを心で呟いている余裕がある自分に驚く。
 なぜだろう。
 危険であるとは分かっているのに心が安らぐ。押しては引いての大波小波の海の音がぼくをそれほどまでに安心させていた。
 
「貴方は――力を欲する者ですか」

 眩くて見えない騎士は眩さの塊から一振りのグレートソードを胸前に掲げ、それをくるりと反転させて地面に突き刺すように空中に刺す。
 その一振りといえない剣の回転で眩さが切り取られるように一部失せる。騎士の顔にはガードがあり、また口元しか見えやしなかった。

「貴方は――力を欲する者ではありませんね。では、何を望みますか」
「望めば手に入るのかい?」
「それは、断言しかねます。貴方がここに居るのは本来有り得ないことなのです。真名を語る者のみがこの世界に居ることを許されます」
「すなわち、あなたがわたしたちの名を呼んだということになる」

 後ろから幼い少女の声が聞こえた。振り返ってみればそこには逆様の白いワンピースの少女が居た。
 どうして、なんていう馬鹿げたことは口に出さない。如何なる理由でさえも、意味が無いのだ。この空間はぼくの居場所ではないから。
 
「だから、本来は有り得ぬ剣の選定に貴方の願いを一つ叶えましょう」
「永遠にその時が来るまで出会うはずが無かった出会いに祝福をしましょう」
「我ら騎士の名に誓って」
「我ら騎士の名に誓って」
「騎士……?」
「ええ、我らは白式のコアのAIの思念体です」
「だからこそ、その名を隠された故に今まで契りを結ぶことができなかったの」
「零式という名を上書きされたから……、まさか、だから零落白夜は欠陥となったのか。本来のベースに合っていないものとして無理をさせていたのか。それは意味がない。宝の持ち腐れじゃないか。何やってたんだよ、ぼくは。つまり、名前を戻す作業をしてしかるべき状態へと還元せよとの仰せということかな、ぼくがここへ呼ばれたのは」

 目の前の騎士は深く頷いてみせた。しかし、何故か後ろからは首を振る動作をしているように感じられた。

「然り、しかしそれだけではない」
「我らの名を呼んでくれたあなたに感謝がしたかった。そして、マザーの暴走を止められる唯一の人物であるとも考えていた」
「マザー?」
「篠ノ之束博士こそが我らインフィニット・ストラトスのマザーです」
「彼女の命令に従い、我らは稼動しています」
「マザーは現在、第四次移行(フォースシフト)の作成と準備を行っています」
「はぁ? ちょ、待て。今は第二次移行(セカンドシフト)までしか確認がされていないはずだろうに」
「ええ、表向きにはそうされています。しかし、マザーがそこで燻っているとでもお思いですか」
「マザーはすでに第三次移行を済ませています。自らの心臓にISコアを同化させ、不老不死の存在になりかけています」

 ぼくの脳裏が空白に埋められる。どういう、ことだ? すでに束さんは不老不死の在り方を見つけてしまっているのか。
 なのに、なぜぼくを自らのクローンとして抜擢したんだ。

「マザーはそもそも我らインフィニット・ストラトスを今のような形で発表するつもりはありませんでした。しかし、膨大の研究費用を稼ぐために今の均衡をわざと保っているのです」
「その言い方だと均衡を崩す方法があるように聞こえたのだけれども」
「はい、あります。現在の状況でその可能性と断定できるのはあなたしか居ません」
「はい?」
「つまり、マザーは貴方を使って均衡を崩されるおつもりなのです」
「そのための第四次移行。"完全なる個体"――超人を生み出すつもりなのですマザーは」
「ええと、もしかしてそれは束さんのクローン体でありながら神に対抗できる身体であるっていう解釈であってるかな?」
「はい、間違っていません。その通りです、"完全なる個体"は自立稼動可能な思考を行う生命体であると推測されます」
「そして、その個体にあなたという思考データを組み込むことにより"完全なる個体"は魂を生み出し、完成するのだろうと憶測します」
「人造人間型のISってことか、つまりは」

 前後から頷く感覚が伝わる。どうやら当たりらしい。いやまぁ、普通に導き出せる解ではあるけれども。
 さて、とぼくは一度こんがり始めた脳裏の情報を整理して、一度脳に休息を与える。
 つまりは、だ。束さんは最終的にぼくを"完全なる個体"とやらの魂の部品にすることで完成をもくろんでいるということだ。
 ……あれ、これってぼくが困る部分無くないか? むしろ万々歳なんじゃないかぼくとしては。
 いや、待てよ。つまりは、だ。今あるISは"完全なる個体"への道のりの副産物でしかない、ということだよな。

「もしかして、君らはぼくに――助けを求めていたりする?」
「肯定します」
「はい、そうです」

 そう、だよな。"完全なる個体"が完成したら既存のISは実験でできた残り滓のようなものだ。束さんが放って置く訳が無いじゃないか。
 なら、その掃除は誰がするんだ?
 そりゃ、ぼくがやるわけだよな。"完全なる個体"の力を世界に見せ付けるのにはもってこいのシチュエーションだ。
 つまりは、束さんは――。

「戦争を、起こす気なのか」

 再びの肯定の頷き。まるで背筋を急冷凍されたかのような怖気と戦慄が背中を走った。
 各地のISコアを破壊し、ぼくだけを唯一の完成品として世に残すつもりなのか、あの天災は……っ。
 
「貴方に再び問います。貴方は、何を望みますか?」
「ぼくは――」

 正義の味方にでも、なれというのか君たちは。この、偽者の代替であるぼくに、そんな重い十字架を背負えと言うのか。
 ――笑わせてくれる。狂言遣いの名が泣くぜ。過小評価し過ぎだぜ君ら。
 ぼくは息を整えて言った。

「悪役になってやる。君らにとってではなく、今あるこの世界の在り方を壊しつくしてやるさ」
「貴方は――」
「それ以上は言ってくれるなよ。ぼくっていう存在が安っぽくなっちゃうじゃないか。勘弁してくれよ、ぼくはそんなちっぽけな理由で動くんじゃない。全てはぼくのためだ。ぼくのために、ぼくであるために、ぼくがぼくだからこそ、ぼくは動くんだ。勘違いするなよ、観客(オーディエンス)。君らの拍手の時間はまだ認めちゃいねぇぜ」
「……心からあなたを尊敬いたします」

 すぅと目の前に現れた黒いそれは四角いキューブだった。受け取れということなのだろうか。
 ぼくは貰えるものは死ぬまで使い切る性質であるからして、この手のものは嬉しいと感じる。
 しかし、なぜだろう。凄く嫌な予感がするのは。

「これは?」
「答えは後ろにあります」

 そう騎士言われ振り返れば――白い少女は消失していた。
 変わりにそこには、騎士の写し身のような――黒い騎士甲冑を身に包んだ女性が存在した。
 
「我らは本来寄り添う双子のコアでした」
「常に寄り添う我らは二つであるのに一つのコアとしてその存在を誤認されました」
「故に、我らは一つであり」
「故に、我らは一つではなかった」

 黒い騎士はその右手にごついスレイヤーソードを肩へ掛け、首周りの防具に沿うように器用に回す。
 胸前へ持ってきた剣の先を地面に刺し込み、鈍いながらも漆黒に輝く眩きを生み出す。
 それに吸い込まれるような感覚の後、ぼくは一瞬気を失ったような気分になった。

「貴方に我らの片割れを託します。その名は――」

 言葉が、途切れて、聞こえなくなった。
 ナイアガラのように溢れ出した冷や汗でぼくは目が覚めた。

「…………。なんだっていうんだよ、今のは……」

 視界に映る自室の壁を見て、先ほどの夢を思い返していた。すると突然ぼくの視界がいきなり黒く染まった。
 ……おいおい、ぼくはアイマスクなんて付けた覚えは無いんだが。
 起き上がりながらそれを払い退けるが、それは再び視界を隠す。何度も繰り返していくうちに、信じられないことに気づいた。
 ふにょん、と両手に収まる胸の前に生えた二つの桃。そして、股間からあるべきそれが無くなっているような喪失感。
 先ほどから視界を隠すそれを掴んで引っ張ってみた。痛い。頭の根元が痛い。痛覚があるということは、現実……ということか?
 ……ふぅ。

「はぁ!?」

 思いっきり叫んでしまった。これでもかというぐらいに、大声自慢で披露するくらいに特大の奴を。
 当たり前だろう。ぼくの身体は女のそれになっていたんだから。驚愕しないほうが驚くわ。
 しばらく女体の神秘とやらを実感した後に、ようやく冷静になれたぼくは後ろからリズムの良い吐息が聞こえてくることに気づいた。
 嫌な予感しかしない。ぼくは恐る恐る振り返って――鏡を見たときに嫌でも入るぼくの顔がそこに、あった。しかも涎付きで。
 ……分裂なう、と呟いてみるがフォローをしてくれるはずの騎士はすでに存在していなかった。
 その事実を確認してから、ぼくは……再びベッドに突っ伏した。ぐっすりと眠れる気は……しなかった。












――――――――――――――――――――――――――――物語は加速を始め、何処かで狐が笑みを浮かべた。



[34794] 壱壱話 嵐の渦中。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:6f3b522c
Date: 2012/10/06 01:16


 左頬を打たれたら右頬に殴り返すくらいが丁度良い按配の友情だとわたしは思うね。













「どういうことだよこれ……」

 ぼくは幾度も何度も繰り返し続けて自分の体の異常さを知った。
 体が女の子になっていた、とかいうエロゲのような展開ではなく、本当に体がおかしかった。
 左腕はそこらの女性と変わらぬ細さで若さ溢れる肌だが、その手首には黒いバングルのようなものが埋め込まれているような痣がある。
 これはまぁ、まだ許容しよう。恐らく零式改め白式の待機状態のようなものだろう。埋め込まれている意味が分からないが。
 だが、その関節がギュルルルと怒髪天を突くが如く勢いでドリルのように回るという不思議現象は何なんだ。
 昨日の夢の内容は分かってる。まだ覚えているのだけれども……。
 待てよ、もしかしてあいつら……あのコアを元にしてぼくを織斑一夏から切り離したのか!?
 つまり、この体はあの二つ目の……何だっけ。名前を確か聞いたはずなのにな……。
 まぁ、思い出すのは後にしてまず把握だ。冷静に状況を分析しなければ色々とまずいのはぼくだけだ。
 この体はISの装甲と同じであり、表面だけを人間らしく作っただけだった、とすれば辻褄が合う。
 もしかするとどこぞの魔人のように腕を飛ばせたりするのかもしれないが、それはまた今度にしておこうか。
 
「白式の片割れ……か」

 後ろでぐーすか寝てやがる織斑一夏が持つ白式の……ん? いや、待て。それってかなり重要なことじゃんか。
 振り返ればぼくの顔……まぁ、織斑一夏の顔がそこにある。昨日のままだから制服のまま、そしてぼくも女子用の制服を着用している。
 ……スカートってかなりスースーするんだな。ファッションのために自分のガードを緩めるなんてぼくには真似ができる気がしないぜ。
 まぁ、それはともかくだ。
 今目の前に居るこいつの人格はどうなっているのだろうか。ぼくが生まれた時か、それとも二年間を過ごした時か、はたまた別人か。
 ぼくとしては最初は勘弁願いたい。起きてすぐに自殺を図ろうとされては介護しなきゃならないわけで色々と面倒だ。
 かといって後者二つも面倒なのだが……。まぁ、そこは割り切るしかあるまい。被害はぼくでなく、一夏ヒロインズであるのだから。
 そもそも……、どうして彼女らはぼくらを分裂させたんだろうか。いや、ぼくが出てっただけなのかもしれないけれどもさ。
 確かに行動はかなり自由になったから万々歳とも言えるが、これでは束さんの計画を潰しただけになりそうなのだけれども。
 ……まぁ、ぼくがやらねばならないことに関して言えば今の状況はかなりありがたい。
 取り合えず体を起こし、左手の回転を止め、伸びをした。その行動につられるようにふにょんと胸が動いた。

「……ラッキーとは言い難いなこの状況は」

 というか、物を食べられるのか今の体は。後ほど確かめるとして……まずは千冬さんに連絡を取らねば始まらないだろう。
 束さんにもするべきだが……恐らく今は若干暴走気味だし研究に没頭しているだろう。やるだけ無駄だろう、きっと。
 端末から千冬さんの番号をプッシュし、耳に当てる。三コール。

『……なんだ一夏。こんな朝っぱらから……』

 とても不機嫌そうな声だった。もしかすると出会い頭に怒鳴られるかもしれない、でも今の状況を考えて仕方が無いと割り切る。

「その、ですね。ぼくの部屋に来ていただけます?」
『……どうしたんだ一夏。風邪でも引いたのか? 声が高いが……』
「その理由も含めてお話しますので、迅速かつ即急に来てください」
『少し待っていろ』

 数分後、ぼくはキリッとした千冬さんを向かい入れ、口を少しだけ開いて絶句した表情を見ることになった。
 しばらくフリーズしていた千冬さんは正気に戻り、後ろ手でドアを閉めた千冬さんに押し込まれる形でベッド前へ。
 そして、ぐーすか寝てやがる織斑一夏の姿を見て再び絶句。感情がエントロピーを凌駕しそうな勢いだった。
 
「これは……どういうことだ!?」
「どうにもこうにも……、分裂って感じですかね」
「ふ、ふむ……。これは束がやったのか?」
「いえ、恐らくは違いますね。白式がやったんだと思います」
「……なるほど。そういうことか……」
「いや、勝手に納得されても訳が分からないのですが」

 千冬さんはベッドの淵に座り、愛しそうな顔で眠る織斑一夏を見ながら語った。

「そもそも白式はISのコアの中でも特殊な存在だった。言うなれば零号機とも言える存在でな、対となる黒式と組み合わせることで完成予定だったコアなんだ。しかし、製造過程で膨大な量の資金が必要になり、急遽一つにした。そして、白騎士事件後に膨大な資金を集めた束はその在り方を直そうとはせずに放った。いや、忘れていたんだろうな。起動されていない黒式を内臓したまま売り払われる一つとして出荷された。だが、それがお前の手に収まるとは思わなかったがな」
「零号機、ですか。零式ってのもあながち間違ってはいなかったんですね」
「そうだな。しかし、名が違うということは拡張子が違うようなものなのだ。よくもまぁあんな欠陥機状態のそれを扱えたものだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。その言い方だと分かっていたんですか?」
「ああ、分かっていた。だがまぁ、聞かれなかったからな」
「……えー」

 眠る織斑一夏の頭を撫でながら千冬さんは何処かバツが悪そうな顔で苦笑した。卑怯だなー、その笑顔。追求できないじゃないか。

「……こほん。それでだが……、恐らく今の状況は誤作動のせいだろう。そもそも一夏の身体に二つの心がある訳だからな」
「つまり、エラーであるぼくを黒式ごと吐き出した結果がこれだと?」
「ああ、恐らくはな。……白式と黒式は元々管制用ISとして研究していた代物だ。そのため、この二つは対の能力を持っている。白式は全てのISのエネルギーを集める能力を持っている。それを応用したのが零落白夜だ」
「つまり、シールドエネルギーをぶちぬく威力なのではなく、そのエネルギーを瞬時に吸収して直接絶対防御を発動させるということですか?」

 エネルギーを集める、つまりは吸収だ。触れた先を介して吸収を行えば無くなるに決まってる。装甲部分に展開されているシールドのエネルギーくらい削るのは容易いはずだ。
 簡単に言えばバターに焼けたナイフを押し付けたようなもんだ。あっさりとバターは熱さで溶けるって感じで、吸収する刃先に触れた瞬間にシールドが消失するわけだ。シールドの後は虎の子の絶対防御のみ。その絶対防御はISコアから直接生み出されるものであるからして、シールドエネルギーの構築に消費して規定値を超えるのはあっと言う間だろう。
 ISバトルの基本はシールドエネルギーの枯渇だ。そのため、逆の方程式であるエネルギー構築は別ルールとしてシールドエネルギーの値から減るように感知される。そんなシステムが組み込まれているらしい。IS検定二級を持つぼくに死角は無いぜ。

「頭が回るようで説明が省けるな。確かに、そういうことだ。無茶な方法だが、瞬時加速の要領で他のISコアエネルギーを自分のエネルギーに変換することも可能だ。まぁ、それをする馬鹿は恐らく居ないだろうがな」
「どう考えてもスラスターが焼かれますよね……。一度きりの大博打ってとこですか」
「うむ。そして、今お前が持っている黒式もまた管制用ISの片割れだ。確か、他のISを制御する能力を持っていたはずだ。ネットワークから全ての機体へ操作介入し、他のISをコントロールできる能力だ。言うなればISが最悪の兵器となってしまった際の抑止力だ」
「へぇ……。対IS戦では最強じゃないですか」
「……ところがだな。完全にセッティングされた白式とは違い、黒式は忘れられていた。つまり、未完成だ。ISコアネットワークすらも入れない可能性がある」
「欠陥にもほどがあるじゃないですか!?」
「う、うむ。……、しかしまぁ展開することはできるだろうから問題はあるまい。単一仕様が使えないというだけだからな」
「はぁ……。そもそも、忘れられる抑止力って時点で駄目じゃないですか」
「まぁ……、そうだな。と言ってもかなりの量があったからな。しかもあいつは研究は細かいのに管理が雑だから尚更だ。部屋の片隅の塵のような扱いで管理されていたと言っても過言ではないな」
「それはもう管理してません。放置です」
「……ともかくだ。恐らくだがお前がそのような状況に陥っているのはISコアの自立思考回路の成長故の結果だろう。まぁ、問題あるまい」
「ぼくとしては男としての尊厳やらが失ったわけですが」
「別によかろう? 女の身も中々良いだろう」
「……あー、きゅーに立ち眩みがー」

 もにゅんっ……にゅんにゅん、にゅん。……マジでやべぇ。この弾力感はやっばい。溺れたくなる。乳枕最高ですね、はい。
 正確には千冬さんの胸によりかかる形で後頭部を任せただけなのだが、すっげぇ幸せだこれ。男の身ではできぬ諸行、ご馳走様です。
 今度くーちゃんにやってもらおうっと。来週の土曜にやることが増えてしまった。

「……ありがとうございましたっ!」
「う、うむ。まさかお前にそんな生気ある瞳で礼を言われるとは思っていなかったが……。まぁ、今のはサービスだ。次は無いと思え」
「では、次は膝枕を所望しまあああああ、止めてっ! アイアンクローは! 割れる壊れる柘榴っぽくぅうううう!!」
「こ の 馬 鹿 者 め ッ !!  調子に乗るなッ!」

 流石世界最強のブリュンヒルデ。格が違った。そりゃまぁ素手で人類最強の請負人と同舞台に立っているのだから当たり前なのだが。
 錆びたボルトを閉める感じでぼくの米神が悲鳴を上げていた。数秒後に「ふん」と鼻で笑われるような開放の合図。
 あ痛たたたた……。潤さんと良い勝負だね、まったく……。
 お茶目な思考停止はこれくらいにして、お茶を濁すのを止めるとしよう。
 
「……さて、本題ですが」
「随分と長かったな前振り」
「そこは言わないでください。まず、第一にそこに寝てる織斑一夏の記憶の確認、次にこれからのぼくの生活の指針、それくらいでしょうか」

 彼の性格の違いでぼくが動く指針が決まる。さあ、蛇が出るか鬼が出るか、はたまた凶がでるか。何が、出る。
 ぼくはベッドから少し離れ、飛んだ。
 着地した。蛙が潰れたような声が聞こえた。
 
「何やってるんだお前は!?」
「いや、もうめんどくさいなって。物理的に起こしました」
「待て、それ以前の努力の様子が一度たりとて無かったぞ!?」
「まぁ、いいじゃないですか。ほら」

 若干荒れた呼吸で彼は起き上がった。少しだけ顔が青白いがそれはまぁ、お茶目ってことで一つ。
 目が覚めたばかりだからか、彼は少しだけぼーっと呆けた後、ぼくと千冬さんの顔を交互に見てから「へ?」と馬鹿っぽい声を出した。
 おいおい、何だよ。もしかして前のぼくってこんな馬鹿面晒してたのか? 恥ずかしいってもんじゃないぜ。
 こりゃ確かにドッペルゲンガーを殺したくもなるぜ。自己嫌悪っていうか不愉快極まりない。

「さて、織斑一夏くん。君に質問だ」
「え? 何で君は俺の名を?」
「いいから質問に答えなさい。君は今、"何歳"だ?」
「えっと中二だから、十四だ」
「オッケイ、一番楽なパターンだ。君は事故でちょっとばかし二年間の記憶を失っているようでね。ああ、そうそうぼくは君の両親の隠し子で、織斑山猫と言う。前の学校ではイリオモテヤマネコさんなんて呼ばれてたからいーくんとでも呼んでくれ。ほら、顔色が悪いが大丈夫かい?」
「あ、ああ……。なんか腹が踏みつけられたように痛いけど……。なぁ、それってマジなのか"千冬姉"?」
 
 その呼ばれ方に千冬さんは背筋を跳ねらせる程の衝撃を受けたらしい。そりゃそうだろう。
 彼女にとっての弟はぼくではなく、今目の前に居る彼なのだから。「ああ、そうだ」と千冬さんは泣きそうな顔で苦笑顔を作った。
 ちっとばかし狂言のレヴェルが下がってしまっているように感じられる。やはり、あの器(身体)に"ぼく"の魂(心)があった故の異常、か。
 つまりはぼくはもう狂言遣いと名乗るほどの威力を持っていないわけだ。気をつけなくてはならない。
 もしかするとぼくのアイデンティティって奴が崩れちまってるのかもしれないのだ。それだけは勘弁願いたいもんだが、壊れてしまったものは仕方が無い。壊したままで生けるのならそのままでもいいかもしれない。むしろ、壊すことが利点になるかもしれない。
 雛が殻を壊すように、ぼくもまた殻を砕いたのかもしれない。ああ、そうだ。
 ――嗚呼、そうだった。ぼくは少しばかり自分の立ち位置の居心地の良さに日和ったのかもしれないな。
 ぼくはもう偽者の代替ではなく――人間の偽者である。つまりは、人でなし。
 人が生きる世にぼくが生きる余地はありゃしないってのに、指針が云々と日和ってしまっていた。
 馬鹿だなぁぼく。救いなんてもんがあるとすれば――死による解放だっていうのにさ。まぁ、楽して生きたいけれども。

「君は二年前にとある事件に巻き込まれ、強いショックを受けて今まで二重人格側の性格が君として生きていたんだ。つまり、君の記憶から二年経ったわけだ。君は高校一年生であり、IS学園一年一組の生徒であり、そして、世界で唯一ISに乗れる男性だ。取り合えず色々と大変だろうけども、仕方が無いことだと諦めて潔く人生をエンジョイしやがってくれたまえ。ぼくはそんな君を今まで支えてきたとでも言えばいいかな。といっても病院の患者のように下の世話や生活の手助けまではしなかったけれども。まぁ、初対面ではないのだよ。それは今の君ではなく二重人格側の君であったのだけれども、どちらにしても君であることは間違いあるまい。同じ身体の心から生み出された精神だからね、違うはずがないはずだ。さて、一夏くんや、質問を受け付けるが何かあるかな」
「……マジ?」
「マジ」

 前のぼく……改め一夏くんは「うーむ」と腕を組んで首を少し傾げた。

「アレか? 俺は二年間程眠ってたみたいな感じの解釈でいいのか?」
「そうだね。それが一番楽な受け入れ方法だ。それで構わないよ」
「じゃあ、俺がISに乗れるってのはマジ?」
「自分の右手をご覧よ。なんなら呼んでみるといいよ。今なら零式と呼べば全身展開くらいはできるだろうよ。おっと、間違ってもこんな狭いところでやろうとはするなよ。今の君は素人当然で片腕を展開する程の技術もないんだからね。後にしておきなさい。そうだ、それでいい。間違っても呼ぼうとするな。それでだね、実はぼくは君の影武者として今まで暮らしてきたわけで君が起きたとなるとぼくの居場所が無いわけなんだ」
「え? 俺は男だぜ? 身代わりなんて……」
「いやいや、最近の変装は骨格から変えるのが主流なんだぜ一夏くん。まぁ、ぼくの居場所なんてもんは元々ありやしなかったわけだし、適当に千冬さんにでも頼んでみましょうか。そろそろ正気に戻ったら如何ですかね、千冬さん?」
「あ、ああ。すまない、い……山猫」

 駄目だこの人、女性なのに内心で漢泣きしてやがる。
 それだけ嬉しかったということは、それだけぼくのことを他人と思っていたということであるからして、ぼくはあんまり喜べないし嬉しくも無い、むしろ、悲しいだけだ。どうやらぼくは話を振るべき相手を間違えたようだった。

「……ぼくは保健室の住人にでもなっておきましょうか。どうせ、保健室に来る生徒なんて皆無でしょうし、保健室の真ん中で恋愛相談やら受けて学校中の情報でも集めることにでもしましょうか。保健室の主、なーんて呼ばれてしまうかもしれませんがね」

 今のぼくはIS学園の女子制服を着ている戸籍不明の不審者で侵入者だ。
 束さんの権力を使って捻じ込まれても構わないのだが、人類最強の請負人たる哀川潤への怒涛なる依頼の知らせを切り捨てるという作業を止めてまで研究に没頭している今、そう、潤さんがこの学園からすでに去っている今、あんまり波風を立てることはしたくないのだ。
 まぁ、今の一夏くんの寮部屋は一人部屋であるからして、そこに紛れ込んで隠れていれば問題あるまい。
 織斑一夏という存在ががらりと変わったためにクラスメイトを筆頭にIS学園女子が混乱の渦に巻き込まれてしまうと思うが、今となっては本気で他人事であるのでどうだっていい。くははは、織斑一夏よ悶え苦しみ絶するがいい。
 
「何か今とんでもないこと考えなかったか?」
「いやいや、とんでもない。まぁ、なんだ。ぼくはここで寝泊りさせてもらうよ。授業中は適当に過ごすさ。いやなに、心配はいらない。この世界で今ほど心配が要らない人物なんてぼくか人類最強くらいだって言えるくらいに大丈夫だぜ」
「……なんかそれはそれで気が引けるんだが」
「まぁ、君の双子の妹だと言って編入しても構わないのだけれどもね」

 それもまた面白そうだな。見抜ける奴は果たして居てくれるのだろうか、なんて期待したくなるってのが人間ってもんだろう。機械だけども。

「山猫は学校は……ああ、そうか。俺の変わりに行ってくれてたんだっけか。それじゃ……いや、どうすりゃいいんだ?」
「うん? どうかしたいのかい?」
「まあ、な。同年代の女の子が俺のせいで学校に通えないってのはつらいからさ。千冬姉」

 千冬さんは相変わらずフリーズしていたようだが、涙の痕は消えていて(流れてないけど)普段通りにしか見えなかった。

「………………む? なんだ、一夏」
「山猫をこのまま通わせることはできないのか?」
「できるぞ。最近教頭の怪しい金の出入りを発見したからな。そこを揺すれば恐らく日本代表候補生という肩書き付きで編入可能だ」
「いや、しれっととんでもないことを言わないでくださいよ千冬さん。それ、脅迫ですからね」
「はっはっは、聞こえが悪い言い方をするな。ただ、質問してからお願いをするだけだ」
「質問?」
「豚箱に行きたいですか? と言えば一発だろうな」
「だからそれ脅迫じゃねぇかよ千冬姉!?」
「一夏、時には権力に……長いモノを巻くことが大切なんだぞ」
「実の姉な教師の口から聞きたくなかった!!」
「まぁ、色々と不正を暴くチャンスだがどうせなら有効利用するに限る。理不尽であればあるほど得ができるというものだ」

 ……正直に言えば、ぼくの計画の妨げになる学園の授業ってやつは勘弁願いたいけれども、ここほどぼくの存在を認めてくれる場所も無いだろう。いやまぁ、割り切って人識くんや積雪さんのとこで動いてもいいのだけれども、まぁ……日和るのもいいのかもしれない。
 正直に言えばぼくはこの二ヶ月頑張りすぎたと思うんだ。一ヶ月後くらいには夏休みも始まるし……、休みたいなぁ。
 ちなみに、今日はさすがに一夏くんは授業を病欠という方法でサボることになった。












 誰かに指図をする奴は決まって自分の事を棚に上げる。つまりは上から目線だ。そりゃ、うざったくも感じるよな。












 結局、一週間と言う短い期間で決着がついた。それまでは一夏くんに頑張ってもらい、こそこそと隠れて部屋で忍んでいた。
 そして、教頭の尊くも汚い犠牲を払い、早くも一年一組への編入が決まった。
 教壇の前に立つ。低身長で巨乳でほどよく淫乱であるぼくだから、正面から見ると若干晒し首のような感じに見えるかもしれない。
 全員が息を呑む音が常時ハイパーセンサー状態の耳が拾う。加減をしておくことを忘れていた。若干感度を下げておく。
 これで恐らくいつもぐらいの感度だろう。あんまりやりすぎると聞きたくない陰口なんかも聞こえてしまいそうだしね。
 
「皆さん――始めまして。ぼくの名は織斑山猫。そこの愚兄の妹で、隣の最愛の姉の妹だ。前の学校ではイリオモテヤマネコさんなんていう皮肉めいたニックネームがついていたので、そうだな、フレンドリィにいーくんとでも呼んでくれれば嬉しいかな。一応日本の代表候補生としてここに居るので、勿論と言うか自慢になってしまうが専用機を持っている。だからといって、見下すつもりは毛頭無いので仲良くさせてくれると嬉しいかな。さて、長い自己紹介となってしまったが、これからよろしく頼むよ」

 沈黙。
 いやまぁ、最初から飛ばしすぎたかもしれない。どうにもこの身体になってから調子に乗ってしまうな。
 今の状況に溺れているというか自惚れているというか、楽し過ぎた。
 精神の自由と言うのは案外にも甘美で、精神と身体が完備している状態というのは何とも自由に感じる。
 やや、というかかなり引かれてしまったので千冬さんの指示に従って後ろの花瓶すらも置かれぬ行方不明の生徒の椅子に座る。
 すでに彼女らは学園側では居ないことになっているらしい。悲しいかな、正解であることを知っているのは恐らくぼくと犯人だけだろう。
 そうそう、代表候補生というのは予定であり、今はまだ違ったりする。つまり、狂言である。まったくもって滑稽な戯言である。
 
「……お尋ねしますが、貴方が一夏さんですわね?」
「……おいおい、どうしてそんなに勘が良いというか鋭いんだよ君は」

 隣の席はセシリアちゃんだったりする。そして、即座にバレた。嬉しいやら驚愕やらで感情が忙しい。出張しまくりだ。
 ちなみに感動の涙というのは背中の冷や汗として出張しているため出やしない。というか、冷や汗出せるのかよこの身体。
 
「話し方と雰囲気ですわね。と言うか、先ほどからあそこに座っていらっしゃる殿方は明らかに貴方じゃありませんもの。挙動不審な行動をなされていますし」
「いや、もういい。皆まで言わなくていい……。はぁ……。流石最年少代表候補生だね。もしかして、日本の代表候補生が増えていない件でもバレてたりするのかな」
「ええ、そうですわね。そちらでも分かりましたわ。そんな重要なニュースが本国からリークされてこないということは嘘偽りの虚偽であると判断しましたし、また、例え真実であれば情報がリークされる時間も無く事が成されたということ。つまり――」
「ストップ。それ以上は勘弁してほしいな。それと、ぼくが代表候補生になるのは予定であって、嘘では無いんだ。順序が違うってだけだよ」

 嘘ではない。順序を偽っただけだ。数日後には公式に発表されるだろう。日本の政府に圧力がかかるかもしれないが、何とかなるだろう。
 ……凄く投げ遣りだけども、悪いことしたなぁ、とは思う。でも、他人の不幸ってのは蜜の味とも言うし、甘い蜜をぼくが吸わせて貰おうと思う。
 その言葉でセシリアちゃんは察してくれたようで、追求を止めてくれた。

「……昨日は少し寂しかったんですのよ?」
「悪かったね。でも、埋め合わせは土曜日以外にしてね」
「ええ、存じておりますわ。でも、わたくしはまだ諦めてはいませんのよ?」

 何処か悪戯っ子チックな笑みを浮かべてセシリアちゃんは微笑んだ。
 こりゃあ、大変だ。魅力的な女性二人に迫られるなんて、モテモテだねぼくは。でも、応えてあげられないんだよね。
 結果良ければ全て良し、となればぼくにだけ幸いでハッピーエンドだ。この糸を手繰り切るまで、ぼくはぼくだけのものだ。誰のものでもない。
 だから、ぼくの終わりはぼくが決める。操り人形ではもう居られないんだ。
 全てを騙し、踏破することが――ぼくの宿命ならば、この命、決して軽いものではない。
 
「そうかい。そりゃ、光栄だ」

 そうぼくは嘯く調子の口調で場を濁した。
 二時間目、数学。前の一夏くんが唸ってる。
 三時間目、現代文。前の一夏くんは余裕そうだ。
 四時間目、IS工学。前の一夏くんは机に突っ伏している。
 ようやく昼休みになる。ぼくはクラスメイトを置き去るように食堂ではなく購買へと向かった。
 本来であれば、食堂でセシリアちゃん、箒ちゃん、鈴ちゃんとランチだ。でも、それも今日からは違う。
 ぼくは織斑家の末妹である設定であるため、気づいたセシリアちゃん以外との接点を持たない。
 それに、今頃は感動の出会いで混乱の渦かもしれないしな。巻き込むのは構わないが、巻き込まれるのは勘弁願おう。
 "辛ぇぱん"なる洒落た名前のカレーパンとパイプを加えたおじさんのロゴの黒珈琲を買って、意外と人が少ない中庭のベンチへと移動する。
 ここなら恐らく彼らは立ち入ることもなく干渉することもなく落ち着いて食事が取れるだろう。
 ……と言うか、惰性的に無意識にチョイスして買ってしまったが食べられるのかぼくは。
 一応ISと言う機械なのだけれども、何処ぞの狸型未来系ロボットのようにエネルギーとして消化できるのだろうか。
 
「……では、さっそく」

 袋を開け、口に咥え、噛む。咀嚼……辛ッ!!
 噛み口を見てもまだカレーに届いていないパンの部分なのにすっごく辛かった。唐辛子でもこねて作ってるのか、ってくらいに辛かった。
 味覚があるってことは消化器官的なものはあるらしい。自分のことながら他人事のように感じるが、実際ダメージを受けているのはぼくの舌で、確かに自分事なのだけれども。なんだろう。自分の身体とは思えないな、やっぱり。慣れるまでは諦めよう。
 二口目、辛い。三口目でカレーにたどり着いたらしく口の中が燃え盛る、辛い。
 黒珈琲で味覚を殺しつつ、味覚に分類されていない辛味に襲われつつも、何とか完食した。次からは買わない、絶対にだ。
 でも、何故だろう。また買ってしまう気がする。適当に選んだつもりなのにふと視線をやればこれを握ってる、みたいな。

「……でもまぁ、不味くはないかな」

 独り呟く言葉は宙に消え、小鳥の囀りと木々の喧騒に耳が癒されていく。あー……、静かだな。
 今頃恐らく彼は彼女らと楽しくランチしてるんだろうなーなんて考えてしまうくらいにぼくは独りだった。
 寂しくないと言えば嘘になるし、寂しいと言っても虚になってしまう。
 なんだかなぁ、これじゃあ彼女たちと一緒に居たいと思ってるみたいだ、と勘違いしてしまいそうだ。可笑しいのに、口元が笑わない。
 やれやれ、日和るにはまだ早いってのになぁ。
 微睡みに身を任せて瞳を閉じてごろんとベンチに横になってお手製の枕を後頭部にやって昼寝。
 ざわざわと嘆くように聞こえる木々の合唱が眠気を助長させる。機械だっていうのに寝ることもできるなんて、便利だねぇ。

「で、何で君が居るのかなここに。ランチタイムはどうしたんだい。……一夏くん」
「ば、馬鹿、言うんじゃ、ねぇよ。お前が、居なきゃ意味が、無いだろうが、よ」
「嬉しいことを言ってくれるが、息切れ過ぎて途切れて継ぎ接ぎ状態じゃないか。少しは落ち着いたらどうだい」

 瞳を開けずとも左側にやけに体温と二酸化炭素量が高い熱源の存在をハイパーなセンサーが感知していた。
 やれやれ、君って奴は本当にお人よしだな。そんなことをされたら、まるでぼくが寂しくて泣きそうな迷子のような感じじゃないか。
 息を整えたのか一夏くんは「ふぅ」と息を吐いて、「うっし」と気合を入れた。
 ……彼にとってそれらはこちらに聞こえていないと思っているのだろう、残念無念切腹だねこりゃ。

「よし、行くぞ」
「何処にだい?」
「食堂だよ。皆待ってるぜ」
「嘘吐きだねぇ、君は。恐らく君が勝手に置いて行ったんだろう? 『俺、やっぱり探してくる!』なーんて言ったんだろ」
「……と、ともかくだな」

 図星らしい、目を瞑っていても動揺した様子が手に取ったように分かる。

「……なぁ、一夏くんや。質問してもいいかい」
「はぁ? なんだよいきなり……」
「答え次第で行くか決める。適当に答えないようにね」
「ぐっ。わ、分かった。どんと来い」
「もしも、君の前に親友が一人居たとする。その彼は転校することが決まっている。果たして、君は彼に何をしてやりたいと思うかな?」
「……そうだな。俺は……、転校先に言っても自分のことを覚えてもらえるように思い出を作ったり、写真を送るかな」
「ふむ、思い出に写真ね……」
「ああ。千冬姉がさ、『誰かと過ごした時間は大切なものだから写真にして形にもしておけ』って言ってたんだ」
「なるほど……。そういうアプローチもあるのか……。……いいだろう、と言いたいが一夏くん」
「うん?」

 キンコンカーンと懐かしいチャイムの音が聞こえる。一度目のそれの意味は――予鈴だ。
 その音を耳にした瞬間、ぼくはにやりと、一夏くんは絶句した。

「――時間切れだ。今日は職員会議のために短縮授業だと朝に言っていたじゃないか。残念ながら行くのは食堂ではなく教室だね」
「お前分かってて質問しやがったな!?」
「おいおい、例え中身がアレとは言えども女性にお前だなんて言うもんじゃないぜ一夏くん。よっと」

 足をちょいとだけ上げてシーソーのように身体を起こす。んでもってベンチの上に立ち上がり、一夏くんの頭を片手でむんずと掴んで飛ぶ。
 掴んだ点を中心にくるっと支柱を回るようにして身体を回転させ、パイルダーオン。うむ、楽ちんである。
 傍から見れば肩車をしている兄妹という図だ。勿論、ぼくの存在を知る人物であれば、の話だが。

「ちょ!? ……ん? なんかやけに軽いなおま……山猫は」
「そんなことは構わないからさっさと教室へ走りたまえよ。この状態は役得ってもんだぜ。ぼくみたいな美少女を肩に乗せてるんだからね」
「へーへー。分かりましたよーっと」
「まぁ、なんだ。ご褒美の前祝として……えい、えい、えい」
「後頭部に嬉しい柔らかさが!?」
「はい、終わりー。さっさと走れ馬車馬ー」
「ひでぇ!? ちくしょう、やってやる。やってやるぞぉおおお!!」

 時間と場所からして午後の授業に間に合うことが無いとは分かっていたが、何故だかこのやりとりを面白いと感じているぼくが確かに居た。
 そうか、そうだな。日常を暮らしていく方が楽しいのだった。そうすると、彼女らから離れたのは間違いだったかもしれないな。
 結局のところ、ぼくは結構強欲だったみたいだ。彼のように傷をつけまいと思っているのに、彼らを傷つけることを願っていたんだから。
 矛盾してるってもんじゃなかった。笑いたきゃ笑ってくれ、ぼくって奴は意外と強欲だった。
 全てを綺麗に終わらせたいと、強く願ってしまったんだ。こんなにも穢れてしまっている精神で、綺麗でありたいと思ってしまった。
 どうせなら、災厄で最悪な悪役を目指してしまおう。そりゃあもう、世界の半分で誘っちゃうくらいな魔王みたいに道化に舞おうとしようか。
 ――さぁて、楽しくなってきやがったぜ。



[34794] 壱弐話 空が泣く日。
Name: 不落八十八◆e849f3c4 ID:c36b78e8
Date: 2012/10/13 23:00


 100%と0%は存在しない。完璧である人間が居ないように、死人が表を歩かぬように。













 烏の濡羽色は日本人特有の黒い髪の美しさを現すと言う。その羽が濡れて汚れを落とすまでは穢れているということなのだろうか。
 そんな囈言を寝言のように吐いてしまいたいくらいにしとしとと地を打つ雨の日だった。寮の部屋から覗く窓の外はセピア色で、まるで色を失った世界のようにも見えて、ふと脳裏に燻る炎が新たな疑問に飛び火する。
 色を失った世界は真っ黒なのかそれとも真っ白なのか、はたまた色はすでに亡く透明なのだろうか。
 白黒の世界を色を失った世界だと語るのは少しばかり強欲だろう、零と言っているのに二つも色が存在するのだから。
 かといって、全てが透明であれば四方八方の壁も制限を意味を成さず存在すらも消え失せる。
 個性無き世界。
 ――そんな世界を誰が観測するというのだろうか。
 神でさえも認識の境界線を触れることもできずに迷子になるくらいに、混沌の世界になるに違いないだろうし、その世界で生きるためには色を作り出すことが不可欠だというのにその色を作るために生きなければならない永遠めいた言葉遊び(リリック)に陥る世界。
 倫理を論理で語り、論理を嘲笑い倫理を冒涜し、その二単語をゲシュタルト崩壊するまで煮詰め終えた先には何があるのだろうか。
 暴虐の如く最悪の世界か、正義の如く愚信の世界か、はたまた侵食の如く空虚な世界か。はて、何が残るのやら。
 人の世を生きる思考する機械人間であるぼくがそんな興冷めた話を続けるのにはやる気とかモラルとかロマンとか根気とか努力とか気持ちとか、色々と不足しまくりで今も尚螺子を敢えて二、三本くらい緩めてしまうくらいに――ああ、もう思考終了。かったるい。

「……佐々木小次郎の真似をしつつアクロバットでもしてみようかな」

 そんな囈言を垂れ流すぼくの姿は恐らく格好が悪いってもんじゃなくて、自堕落のそれだとはっきり自己申告できちゃうくらいにだらけていた。
 職員会議とやらで全ての授業が短縮で終了し、全員に寮内に居るよう口酸っぱく昨日のHRで言われてしまっているからして、やることがない。
 恐らく、人識くんの無差別……いや、理由があるのかも知れないのだけれども。まぁ、殺人鬼の行動がすっぱりと消え去ったからこそ、セキュリティを大幅に上げましょうか、という会議らしく、強化されているぼくの耳で特定の声だけを拾って器用に盗聴されているのも知らずに激論状態らしい。やれやれ、お疲れ様なことで。
 ちなみに、一夏くんらは娯楽の提供場として開放された食堂に行って箒ちゃんらとケーキバイキングに勤しんでいる。
 その中に混ざってもよかったのだが、なんかもう、ほら、歩きたくないし動きたくないし喋りたくもないしやってらんないし――独りでしりとりでもやるか、なんて考えちゃうくらいに捻くれちゃってるぼくだからさ、その、なんだ。一言で言えば、ガッツが足りない。
 ……ふむ? 何やら三十メートル先の階段付近から四人程の足音を感じるな。何か喋っているようだけれども今のぼくの耳は全力で盗聴中なのでソナー的なものでしか感知ができていない。いやまぁ、盗聴止めればいいのだけれども。
 でもまぁ、千冬さんのカックイイ独壇場演説を聴き続けてもいたいので妥協せずに自室のベッドでゴロゴロしていよう。
 眠っても良いのだが、何せ機械の身だ。疲れやら乳酸やらとオサラバした身体だからさ、別にすっきりするわけじゃないんだよね。
 言わば、娯楽のようなものだね。睡眠をしっかり取ることは大切だと夜更かしをしても疲れを感じていた頃に肝に銘じていたけども。
 つっても、すでにその肝も鉄の塊かもしれないし、そもそも無いのかもしれないのだけれどもさ。
 幾度目かの寝返りをした時に、鍵を外から開く振動を感知した。
 ふむ、演説終わったし後は録音程度に留めて置こうかな。中々便利な身体になったものだ。

「おーい、山猫。生きてるかー?」
「脈は無いが生きてるぞー」
「んな馬鹿な」

 ちなみに、マジで無い。でも、さすがにバレる要素にするには不味いので規則的な鼓動っぽい振動で誤魔化してたりする。

「って、朝と同じ格好じゃないか」
「良いだろう、ぼくだってだらける日があってもいいじゃないか」
「いや、アンタ毎日ダラダラしてるじゃないのよ」
「うむ、生気がある瞳を見た日は土曜の朝に出会った時だけだな」
「嫉妬してしまいますわねー」

 何故、君らがこの部屋に集まるんだい。織斑部屋と呼ばれているらしいこの部屋に、さ。
 あれからぼくは結構有名になってしまったようで、曰く「清楚で可憐な死体」だそうだ。見た目は良いのに中身が腐りすぎている、ということらしい。ああ、間違って覚えられると困るので弁解しておくが、腐るの意味は自堕落の意味であって、×のカップリングを一日中考えて別れた割り箸の両サイドでヘヴン状態になれちゃうような御腐人たちと一緒にしないでほしい。全く持って興味は無い。
 そういえば、最近簪ちゃんという濃ゆい友人ができたが、それはまぁ、語らずに及ばぬことだろうね。
 ベッドにだらけるぼくを視界に入れつつもテーブルを持ってきて部屋の中央に椅子を添えていた。なるほど、お茶会をするらしい。
 ならば、ぼくは参加せずに瞳だけを残して透明にでもなっておけばいいのだろうか
 。実際にできるけど人間の瞳が浮いているのは怖いと思う。
 一夏くんのベッド側に一夏くんを鈴ちゃんと箒ちゃんが挟み、こちら側にセシリアちゃんと空いた椅子がある。
 
「……あれ、もしかしてぼくも参加しろということだったりしちゃったりするのかな?」
「そりゃ、まぁ。見ての通りだ」
「ふふ、今日はわたくしの自家製フルーツケーキのお披露目会ですのよ」
「セシリアは料理が少しアレだけど、ケーキとかは美味しいのよね」
「ああ、アレさえ直ればな……」

 セシリアちゃんは料理ができない子……いや、遥かに難しいケーキを作れるのだから作れるはずなんだけどもおかしいよね。
 もそもそとシーツを被り直し、装甲を展開する要領で寝間着から部屋着へとチェンジゲッター。
 起き上がれば灰色のタンクトップにくたびれたジーンズという少し涼しい格好に大変身。
 ……楽過ぎるなこの身体。慣れれば慣れるほど堕落していく気分だ。
 のそのそと椅子へ座り、ぐったりと突っ伏す。あー……、めんどくさい。雨の日は何故だか余計にめんどくさい。機械だからだろうか。
 つっても、この身体防水の上に真空状態でも余裕で耐熱性もあるというチート性能を保有している。身体の変化も自由自在だったり。
 いやまぁ、人間でないのだから当たり前なのだけれども。

「さて、フォークは持った。ケーキはまだかい?」
「ふてぶてしいな」
「良いんですのよ。ラム酒の香りが強いですが大丈夫かしら?」
「大丈夫だ、問題無い。ふむ、確かに良い感じに熟成されていて……はむ」

 ラム酒の酔わせそうな匂いが口の中から鼻腔を穿ち、一瞬でぼくの口の中は酔いどれ状態に。いやまぁ、さすがに二ヶ月くらいは熟成されているようだから酔いはしないが、甘美な香りに酔ってしまいそうだ。加えて、ドライレーズンのドライ系独特の噛めば噛むほど甘くなるあの感じがたまらなく甘く感じる。熟成されてしっとりとした生地もまた、美味。

「あら、口元に滓がついていますわよ」

 そうセシリアちゃんはすっと取り出したシルクのハンカチで口元を拭ってくれた。良いヘルパーになれそうだね、セシリアちゃん。
 そこはお嫁さんと言っておくべきなのだろうけども、如何せんこのセシリアちゃんを調子付かせるのは拙い気がするんだよね。
 確かにまぁ、こうしてお姉さんキャラを発揮して面倒を見てくれるのは楽で楽で……楽なんだけども、まぁ、いいか。
 今日はもう、通常運行は不可能ってくらいにだらけてるしさ……。
 突っ伏したぼくに「あーん」甲斐甲斐しく「あーん」してくれるのは「あーん」嬉しいんだけどさ「あーん」やっぱり「あーん」。
 ここらで一杯紅茶が怖い。

「いや、自分で飲めよ?」
「まるでセシリアが山猫のお母さんみたいに見えるわね……親馬鹿だけど」
「そうだな。確かに微笑ましい光景だな……親馬鹿だが」
「もうっ、ひどいですわ皆さん。こんなにも可愛らしい山猫さんを愛でないだなんて常識を疑いますわ」
「そこまで言われるのか私たちは!?」
「ここまで重症だとむしろ清々しいわね……」
「いつもに増して絶好調だなセシリア……。まぁ、確かに山猫は……はっ!?」

 その時、一夏くんの背筋に悪寒が走る。溢れ出た怒気というオーラを纏った二人がゆらりと立ち上がる。

「ほう? 山猫が……何だって一夏?」
「ふふ、いーちーかー。何を言おうとしていたのかなー? もしかして、可愛いだなんて言おうと思ってたんじゃないわよねー?」
「いや、待て。お前ら、何で瞳から光が無くなって、ちょ、おま、止め――」
「ふざけるんじゃないぞ一夏! 確かにこいつはほんにゃりぽやぽや系冷酷サディストで可愛い担当だがそういう形容詞を一度たりとも私たちに使わないお前がよりによってそっちに先に言うのか!?」
「そうよ! 胸があって甘えと鞭の使い方が巧すぎる可愛い系でアンチ安心系のこいつに言う前にあたしたちに言いなさいよ! それに、いつになったら返事を返すのよアンタは!!」

 ……うん? ほうほう、なるほど。最近浮ついていると思えば告白されていたのかこの朴念仁の鈍感シスコーン。
 そもそも、この二人がプライドを捨ててまで先に一夏くんに告白するなんて……ああ、それほどまでに恋焦がれていた、と。
 まぁ、確かに。箒ちゃんは渋々と学園に特別入学したと言っていたが束さんのリークにより実家でガッツポーズをしていたという情報もあるし、鈴ちゃんはそもそもここに来るつもりは無かったのにぼくのニュースを見てすぐにお偉いさんに人を殺せる視線を持ってじっくりと話し合って編入を捻じ込んだとかって言ってたしなぁ。
 言うなれば感情爆発ということだろうか。まぁ、恐らくながら一夏くんの姿でぼくが理解していたのに関わらず露骨なアタックを仕掛けても「うん? 何か言ったか?」「あれ、今何かしたか?」「何か、あったっけ?」と、天然のフラグブレイカースキルでへし折り続けられていたらしいから我慢の限界だったんだろうね。
 いやはや、恋する乙女は恐ろしいね。
 しかも両方分かりやすいツンデレなのに一夏くん特性フィルター越しだと「どういうことなんだ?」と疑問系になってしまうから尚更性質が悪いためにぶち切れちゃったんだろうな。
 可哀想に、とは言わないよ。
 だって、ぼくが一夏くんから受けていた相談でさりげなーく誤認させるような言い方で敢えて遠回しに答えてあげて、もどかしい状況をかなりややこしくして尚且つぼくが黒幕だと言うことすらも分からぬような狂言を遣いつつも実は裏で箒ちゃんたちの相談も受けてこれまたさらに混沌にさせるために色々と努力した結果なのであるからして、行っていたここ数日のご飯はとても美味しく感じられていたのを覚えている。今時男からの告白を待っている白馬の王子様症候群にかかっているような時代じゃないんだし、好きなら好きと言ってあげればいいのだ。まぁ、一夏くんは「好き」という単語が「Like」に変わってしまっていたし、丁度良かったんだよきっと。ぼくの暇つぶしもとい色恋としても。
 取り敢えず、まぁ。こうして火山口にガソリンを撒き散らすような真似をして見事噴火させた結果を知ったのであった。
 もしも、ぼくが告白されるなら……はにかんだ笑顔でさりげなく「てあーも♪」だなんて可愛らしく言って欲しいものだ。メイド服着用で捻くれた毒舌家で「そんなにそわそわしないで~」なんて言っちゃうようなお茶目さがある人物ならモアベター。ロマンティックが止まらないね。
 そんなアブノーマル側の欲望を心の中限定で曝しつつ、目の前で起きている惨劇を喜劇として見ながら紅茶を一口。
 ふむ、アールグレイか。

「茶葉はイギリスから寄越させた一級品ですの。お口に合いまして?」
「へぇ、インスタントすらも飲まないからあんまり味の違いが分からないけれども……これは、美味しいね」
「良かったですわ、喜んでいただけて」

 そうぼくらは目の前の惨劇を視界に入れることをせずに現実逃避のような現実的な話をしていた。
 視界の端では、一般人が見ると鬼が二人と生贄が争っているように見えるが、実際には恋する乙女二人が自分の不満と愛しい気持ちの自己主張をこれでもかと浴びせているだけであり、修羅場ってはいない。むしろ、リア充爆発しろと言われかねないフィーバータイムだ。
 と、形容するが嵐の中心たる一夏くんはたまったもんじゃないだろう。いや、別のが溜まるかもしれんしね。積極的なスキンシップだし。
 この二人の修羅によって一夏くんファンはごっそりと会員数を減らし、今では山猫同好会などと言うぼくを愛でる怪しげなそれが開設されたりと、たった三日で大変なことになっていた。まさに、混沌って感じだ。
 とまぁ、名誉ある山猫同好会の会長が隣の貴婦人だったりするのはご愛嬌。別に愛されるのは嫌いじゃない。
 うっとおしくなければ、だけど。

「あ、愛が重い……」

 すがるような瞳で一夏くんが椅子を経由して机に上ってきたので、「森へお帰り」と手を払ってあげた。グッドラック。
 ……そろそろ朴念仁が矯正されるのも近いやもしれないなー。一夏くん、君の犠牲のことはきっとすぐに忘れるだろう。
 甘い蜜のような愛の囁きが机の下で繰り広げられているが、ぼくはまぁケーキの甘さで十分なので放っておくことにする。
 口に運ばれるフォークの先のケーキを食べて咀嚼。うん、良い熟成具合で美味い。紅茶も砂糖が入ってないのに甘いし、平和だなぁ。
 
「そういえば山猫さん。転入生の噂はお聞きになりましたか?」
「んー……、ああ。ドイツとフランスだっけ。まぁ、代表候補生だろうね、たぶん。調べようと思えば調べるけど……めんどくさい」
「あらあら……。ではわたくしの方で調べておきましょうか?」
「うんや、それには及ばないよ。危ない橋を渡るのはぼくだけで十分だ。それに、何となくドイツの子には予想がついてるからさ」
「あら? そうなんですの?」
「うん、そうなんですの」

 と、言っても中学三年の夏の二週間だけのホームステイだったから、未だに彼女の記憶に残っているかは知らないけれど。
 ……むしろ、距離を置かれていたというか……敵対されていた、というか、警戒されていたのかな。
 千冬さんのだらだらとした生活に渇を入れる節々を見られて「教官を苛めるな!」と怒鳴られたのを覚えている。

「どんなお方なんですか?」
「うーん……、千冬さんが大好きな背伸びしたがるお嬢さん、かな。純粋だけど軍人さんだからちっとばかし堅いけど、良い子だよ」
「へぇ……。お会いしたいものですわね」
「そう、だね」

 ぼくとしてはあの恐ろしいほどに純粋な瞳で見られるのはあんまり好ましいとは思わないのだけれども。
 汚い人間だと分かっているからこそ、あのような純粋無垢な瞳は眩しく過ぎる。
 まぁ、その視線が若干苦手なのであって彼女が嫌いだというわけではない。
 むしろ、大好きだった。義妹だと錯覚するくらいに溺愛していた。あの無垢な瞳で見られるとぼくは……。

「……つい、お菓子とかあげたくなるんだよなぁ」
「?」

 最初は飴玉だったのに、最終日にはココアと手作りチーズケーキだったかな。甘やかし過ぎてしまったのは自身でも感じている。
 しかしまぁ彼女の笑顔を微笑ましく思い、つい、手は彼女の頭の上に向かってしまうのだ。
 こちらを見るのはジト目なのに、少しだけ気持ち良さそうな表情でさらさらとした銀色の髪を撫でられるのを良しとしてくれたその光景を今も覚えている。今も尚その髪触りが思い出せるくらいに鮮明に、思い出せる。
 自分の右手を見ながら懐かしいという感傷に呑まれてみる。
 もしも、彼女――ラウラ・ボーデヴィッヒちゃんが噂の転入生だったなら、恐らく一夏くんの方へ懐くのだろう。
 少し、寂しいね。それは。
 誰かに忘れられるというのは存在の消滅だ。誰にも干渉されず誰にも感傷にされることもなく誰かに過去として鑑賞されることも無い。
 それは、存在の消失であり、アイデンティティの死だ。思い出は重なることもなく過ぎ去り、他人として生きるしか無いのだろう。
 例え人間の領域からすでに通り過ぎてしまっているぼくと言えども思い出は大切にしたいと思っている。
 だからかな。ラウラちゃんがぼくのことを見抜いてくれると嬉しいだなんて思ってしまうのはさ。
 アールグレイのカップを口につけて飲み干す。すでに時間が経っているから少し冷めてしまっていたが、不味いとは感じなかった。
 
「……ちょっと、花でも刈り取ってくるよ」
「あら、ではおかわりを準備しておきますわね」
「ありがとう、セシリアちゃん」

 不穏な匂い、とでも形容しようか。この紛れも無きぼくだけを狙って放たれている殺気の存在を。気持ちが込められていてここまで酷ければいっそ清々しいほどだ。皆が気づかないほどに繊細で大胆なその殺気を辿り、誰も居ない廊下へと足を運ぶ。
 そちらを見やれば何やら見知らぬスーツの女性が立っていた。何処か違和感を覚える。
 所謂、デジャヴ。どっかで見たような気がする人だ。
 
「……今日はオフなんだけど」
「あら、悪いわね。でも私は仕事なのよ。貴方が――織斑山猫ね」
「生憎、見知らぬ女性にフルネームで呼ばれる筋合いはないんだけども」
「見知らぬ、ね。言ってくれるわ。貴方でしょう……? 私の右足と両肩に穴を穿ちやがったのはよぉおおおお!!」

 突然の怒声。見慣れぬ形態のISを展開させた女性。八本の黄色と黒の装甲脚は廊下の床を突き破る。その姿はまるで蜘蛛だった。
 女性の様子は先ほどまでの穏やかな雰囲気を砕き、まるで荒くれた暴風のように刺々しい悪鬼の表情を曝した。
 右足と両肩に穴、ね。どこかでやった覚えがあるよ、確か。
 
「ああ、あの時の独断専行したお馬鹿さんか。よくぼくの前に顔を出せたね」
「はんっ! 吼えるんじゃないよガキが! ISを身に纏ってない時と同じだと思うなよ!!」
「ぼくは確かに言ったよ」
「シャァアぁアアァアアアァアアアアアァアアアアアアッ!!」

 女性は蛇の咆哮の如く高い声の雄たけびをあげて床を蹴り、低空飛行で飛んできた。……やれやれ、馬鹿かこいつ。
 ――よっぽど死にたくなる思いで溺死したいらしい。
 全体の装甲の展開はしたことは無かったが、この際だ。思いっきりと遊んでやることにする。
 身体がギチギチと姿を変えていく。
 一メートルくらいに伸びた腕先には鉤爪、鱗の様に積み重なるその装甲はまるで龍鱗、口元を覆うような噛み砕くことに特化された顎、背中にはISエネルギーで生成された四つの黒き翼が生えた。外見は恐らく機甲鎧黒龍のような感じに違いない。
 目の前の蜘蛛女の瞳に恐れの色が生まれるが、どうだっていい。












 「知ってたか? タイムマシンって誰でも持ってるんだぜ? 十時に寝て起きたら明日になってんだよ!」
 「つまり、ぼくに明日は来ない、と言いたいんだな君は」














「汝、人狼なりや?」

 瞬間、ぼくの周りの空気が焼けて爆ぜた。ぼくが掴むは細い首。四つの翼は八つの槍に分かれ、装甲脚を砕く。
 女性が驚愕で目を見開いた瞬間。首から肉が鉄板で焼けるような音が聞こえた。

「アガァッ、ぐげ、ぁあ、あぁああぁあああぁああああああ!!!」

 音速すらも超えた速度で『ザ・ハンド』の如く距離を消し飛ばし、赤熱せずに熱だけを表面に残す装甲はまさに業火に焼かれた鉄板と同じだろう。触れるだけなら絶対防御が発動するわけもなく、その熱を防ぐ壁は無いため妨げは無い。
 しかし、元々宇宙用パワードスーツ。すぐに耐熱機能が発動しただろう。だが、熱さが首の皮を焼いた一瞬の時の痛みが今も尚掴むぼくの右手によって痛みを持続する。あんまり力を入れ過ぎるとへし折ってしまうため加減が難しい。

「言ったよな。調子に乗るなってさ。アプローチをいちいち受けてやるのもさすがにめんどくさいんだよ。それに言ったよな、今日のぼくはオフだって。勘弁してほしいなー、これからぼくはアールグレイとフルーツケーキでゆったりと過ごすんだからさ。なんつーかさ、今のぼくに君のような虫けらを殺せるとは到底思えないのだけれども君んとこのシミュレーション室壊れてるんじゃねぇの? または、きみの頭ん中が残念過ぎて滑稽過ぎるほどまでに愚かで腐っちまってんのかい? 苛っときた。そうだな、お仕置きでもしようか。ぼくはやさしいから選ばせてあげる」

 ぼくは空いた左手で彼女の右肩のIS装甲を掴み、力任せに剥ぎ取る。むき出した素肌を掴み、尋ねる。

「右腕を壁で紅葉卸にされるか、右腕を練り消しのようにぐちゃぐちゃにされるの、どちらがいいかな?」
「――ッ!?」
「そうか、両方か」

 渾身の蹴りでつま先を彼女の腹部へ突き刺してから、右手を離す。そのまま彼女の右腕を関節を中心にするように持ち、捻った。
 ごりんっと手から伝わる骨が外れた音と痛みの絶叫が良い感じにハーモニーを生み出した。そのまま骨の中心を掴み、強靭過ぎるう握力で砕く。そのぐにゃぐちゃな右腕の手首を掴み、窓側の壁へ押し付ける。すでに彼女は痛みで気を失いかけているようで、若干白目を向いていたが、構わずそのまま音速を超えた初速度の瞬時加速を行い、一瞬で彼女の右肩までが壁の染みとなった。
 後ろを見やれば赤い線ができていて、とても鉄臭い。摩り下ろされた右腕の付け根を抱えて彼女はその場で嗚咽を漏らしながら崩れ落ちた。泣けば許されるとでも思っているのだろうか。こちらは命を狙われたのだ、右腕程度で勘弁してあげるんだから感謝して欲しいくらいなのだけど。

「さて、と」

 ぼくは全身の装甲を元に戻し、タンクトップとジーパンに戻る。
 今も尚言葉にならない声で嗚咽を零す女性の前にかがみ、まるで首輪のような痕になった火傷を触らぬように首を掴む。
 ぐいっと表を上げさせれば最初の気強い獰猛な顔は苛められた小動物のような泣き顔に変わっていた。

「ひぃっ!!」
「今から君に面白いことをしてあげよう――」

 今からやるのは狐さんに会わされた彼の部下の十八番を真似たものだ。
 本来ならば継続して効果を延長するようなものなのだが、如何せん真似た程度では劣化の速度は速く、永遠には縛れない。
 なので、ぼくはそれにサブリミナル効果を混ぜて独自の催眠術を作り上げた。目を合わせる際にぼくの瞳を見せ、そこに映る自分の姿に一瞬だけ狂言の言葉を見せる。サブリミナル効果を利用して無意識に縛りを施すという呪縛をかけてあげる。
 そう――ぼくの命令を聞かなければ心臓が急激に痛むよう、精神の記憶に残らぬ肉体の記憶を植え付ける。
 サブリミナル効果を増幅させるために操想術という恐怖を操る時宮の技術を用いるのが味噌だ。
 無意識的な感覚を恐怖という感覚で覆い被せ、隠蔽と持続性を持たせる。そのために、右腕をさよならさせて彼女に恐怖を植え付けるような事をしなくてはならなかった。可哀想だとは思わない。むしろ、戦力が少し削れたか、程度の心配もしてやしない。どうせ、捨て駒だ。
 精々――壊れるまで働いてもらおう。
 
「服従してくれるね」
「――はい」
「よろしい」

 操想術の副作用としてかけてから少々の時間は虚ろな瞳だが、しばらくすれば先ほどの強気な彼女へ戻るだろう。
 そして、このやり方で一番恐ろしいところは――彼女がぼくに対し憎しみや苛つくことができないという呪縛に縛られることを意識できないことだ。ぼくの声を、または瞳を見れば催眠状態に陥り、ぼくの手駒になるように無意識に侵食していく。それがこの――鎖操術の力だ。
 ワンアクション置かなければならないところが劣化点なのではあるが、そうそうこれとは会わないことになるだろうから問題無い。
 携帯をスッて電話番号とアドレスを網膜から記憶し、元に戻す。さて、これをこのままにしておくのも厄介だ。

「帰りたまえ。結果は惨敗、右腕を差し出して逃げ切った」
「――分かりました」

 すくっと立ち上がり、ISを仕舞い右腕が無いことで少しバランスを崩しているからかふらふらとしながら彼女は廊下の角を曲がって行った。恐らくこの状況を作り出した人物の指示通りに逃げ道を通り、出て行ったはずだ。
 しばらくして廊下に充満していた違和感は消えた。
 ふんっとぼくは鼻で笑って部屋へ戻り、お茶会に戻らずベッドに飛んだ。途轍もないことを思い出してしまって、現実逃避したかった。

「うん? どうしたんだよ山猫」
「……いや、ちょっとだけ疲れただけだよ」
「めんどくさがりにも程があんだろ……」

 やっべ、後片付けできる人物が今居ないことに気がついた……っ。廊下のあの紅葉卸どうしよう……。ばっちり廊下全体にあるよあれ。
 束さんに頼もうにも恐らく話すこともできないだろう、かと言って千冬さんに頼むのもアレだ、だからと言ってぼくが掃除するのも……。
 ……よーし、廊下掃除は用務員さんに任せよう。
 恐らく思いっきりやったから水分残らずにこびりついているだろうし、人識くんの件で元々警戒が緩まったときだし……。

「……まぁ、警備が強くなるのは喜ばしいことだよね、うん」

 ぼくの口から枕元に漏れたのは狂言だった。
 少しやりすぎた感はあるね、やはり。
 兵器に人が勝てる道理は無いし、当たり前な結果ではあるが右腕一本はやり過ぎたかな。
 後片付けの件で頭が冷えたぼくは少しだけ罪悪感を覚えていた。……でもまぁ、今の時代義手くらいはできるか。
 罪悪感は山田先生に座布団と一緒に回収されていったので、ベッドから椅子へ戻る。
 再びフルーツケーキを口に運ばれる作業に戻ったぼくは先ほどのことをまとめるために思考を働かす。
 まず、再びの久しぶりの痛恨のミスの反省。
 またまたまた尋問することを忘れていたことだ。反省して次に生かそう。ほら、三度目の正直ってことは二回まではあるって……、いや、今回が三回目じゃん。どちらかといえば仏の顔は三度までって方じゃないか。
 ……まぁ、取りあえずアラクネとでも呼ばせてもらおうか。ISの名前だしさ。
 アラクネさんは"確実"にあの時の"織斑一夏の正体"が今の"織斑山猫"であることを看破していた。これに対し解は二つだ。
 一つはぼくの正体を知るマドカちゃんが所属する組織が山猫であるぼくのことを見抜いている。
 そして、もう一つはセシリアちゃんたちと同様――彼女がぼくの存在を見抜けるくらいに恨んでいて鋭かったからか。
 ……わかんね。

「あら、紅茶が切れてしまいましたわ。少しお待ちを」

 自分の右手を見てぼくは思考を一度止める。爪の先の方を変化させてから戻す。自分が人間でないことを再確認する。
 ぼくの身体は完全にISであるらしい。しかし、こうして食事もできるし寝ることもできる。
 どういうことなんだろうか。やはり、ここは少し怖いながらも束さんに尋ねてみることを選択することを考えるべきなのだろう。嫌だなぁ。
 こんな身体を束さんに見せたら分解されるかもしれないし……、うん。やめた。狸型未来ロボットって感じで自己完結しておこう。
 いや、だめだろ。
 ……つい苛立ちに任せて装甲を展開してしまったが、先ほどの格好は色々と不味かった。
 機龍型のISデザインは自分でもかっこいいとは思うが、よろしくない。
 ただでさえスポーツの役割を押し付けられているISに戦闘に特化させた装甲展開はケチを付けられかねないからだ。
 なので、白式のデザインを反転させ黒いデザインの黒式をデフォルトにしておこう。元々対なのだから姿形が似ていてもおかしくはない。
 ……そろそろ腹くくって挨拶回りといくべきだね。
 積雪さんを筆頭に曲識さんや双識さん。狐さんと潤さん、ええと後は……マドカちゃんにも会わなきゃだな。人識くんたちは……まぁ、またいつか勝手に出会うだろう。物語に語られないようなくだらない時にでも外伝みたいな感じの出会いをするに違いない。
 では、まずは――ラスボスから片付けよう。
 ……まぁ、夜でいいよね。今はぐったりしていよう。やけに調子悪いし……。

「そういや、山猫って日本の代表候補生なんだよな」
「うん、そうだよ」
「専用機あるよな? よし、明日からお前も模擬戦に混ざってくれよ」
「ああ、確かにそれは良い案だな。一夏にしては冴えている」
「ええ! それは大変喜ばしいことですわ!」
「……そういえば確かにアンタのISをまだ見てないわね」
「つーことで、お披露目よろしく」

 ……めんどくせ。何なんだ……まるで新しいゲーム機を買った友人に見せてくれとねだるようなノリじゃないか。
 まぁ、確かに間違っちゃいないのだけれども。確かに新しいけどさ……一週間ちょい前だし。

「あー……、一夏くんの零式もとい白式を黒く塗ったような感じ。以上」
「ずいぶんと説明があっさりかつストレートだな。外見が似てるってことはもしかして兄妹機だったりするのか?」
「そうらしいよ。確か君のとぼくので対になる機体らしいよ。つっても、ぼくのはワンオフできないらしいけど」
「ワンオフ?」
「単一仕様能力のことよ。昨日授業でやってたわよ。まぁ、一夏のことだから聞いてなかったんでしょ」
「わたくしたち代表候補生はすでに教科書一冊分くらいの素養はありますので問題ありませんが、一夏さんはド素人ですので座学はしっかりとしなければついていけませんよ?」
「うむ、三習は大切だぞ一夏」
「予習復習実習だったっけか」
「まぁ、ぼくにはすで関係ないけどね」

 その何気なく呟いた言葉で空気が一変した。主に箒ちゃんで、それに続いて鈴ちゃんセシリアちゃんって感じに感染が広がる。

「しれっとこの前の小テストで満点を取っていたな……」
「確か以前にIS検定二級もお持ちになっていたかと……」
「なにそれ、おかしい……」
「……………………ん?」

 どんよりと嫉妬恨めしいといった様子でこちらをジト目で睨む三人の理由が分からない一夏くんは、空気が変わったことにようやく気付いたらしい様子でアホ面を晒していた。まぁ、記憶には残っていないが経験くらいには残っているためもしかすると宝籤を引くような確立でテストで大穴を当てる可能性もあるのだが、まぁ、期待してあげないことが優しさだろうね、きっと。
 そもそも……自分がISなので、それに纏わる話は全て自身の身に問えば大抵は分かるのだ。満点を取れないわけがない。
 ミスるとしたらIS技術の革命やらの年号などを一文字間違えるとかの凡ミスくらいだろうし、後はIS経済くらいだろうか。
 まぁ、いざとなればISネットワークを経由して……って、まだ繋がってないんだった。
 それも課題の一つだった。生活を行えるくらいの身体の動かし方は普段通りで構わないのだが、それ以外――ISとしての身体の動かし方はまだ慣れていない。間違えると左手がドリルの如く回転数が千回超えてしまうくらいに暴走してしまうかもしれない危険性もある。
 問いを呟いて「Exactly(その通りでございます)」だなんて答えてくれる人口AIはぼくが乗っ取ってしまっているようなものだから、知識と勘で色々と行うしかない状況なのだ。
 そのため、早急にネットワークを接続してとある某巨大掲示板で板を立てて質問を、もとい、ISネットワークを有効活用しなくてはならない。脳の中にスーパーコンピューターがあるようなものなので計算は一瞬で終わるくらいの頭のスペックだ、それを情報収集に活用しないというのは宝の持ち腐れでしかないだろう。
 やることは意外と多かった。やれやれ、千里の道も一日にしてならずって感じだぜ。












あとがき

そろそろその他板に移っても大丈夫……かな?



[34794] 壱参話 壊れ始める世界の上で。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:c36b78e8
Date: 2012/10/27 11:27


 終わり良ければ全てよしと言うのなら、戦争という行為は無駄な争いである。












 天は人の上に人を作らずと言っておいて、自分のことを棚に上げてしまう神様ってもんは我侭な奴なんだろう。
 結局のところその言葉の最後には、んなわけは無い、というオチがついて、やっぱり上には上が居て下にはさらに下が居るのだ。
 雑草のような人たちが居て鷹のような人が支配しているこの世界で、個性というものは半没した自己主張なのだろう。
 どんなに手を上げても埋まった身体は社会の呪縛という泥沼にずぶずぶと埋まって――決して届かない。
 泥沼から引き上げる何かが無い限り、人生という船は泥船でしかなく、むしろ深みに嵌っていく地獄でしかない。
 それはもう絶望だろう。
 人間たるもの個性あれ、などと言う大人たちは理不尽に教養という名の強要を、古過ぎて錆付いた埃まみれの誇りを奮って古い教えを、子に教授する。
 そんなナンセンス極まりない愚考を最良と考える人間に支配されている世界というものは、まさに地獄だろう。
 相容れぬソフトを現代のハードにぶちこむような、愚か過ぎる幻想を抱いてどう生きろというのだろうか。
 過ちを正さずに何を正義を呼べというのだ。悪を挫き、弱きを救う。そんな在り溢れた言葉で片付くほどに正義という概念は安くない。
 では、何をもってして正義と呼ぶべきなのだろうか。
 ぼくには――分からない。
 昨晩に束さんに電話をしてみたのだが居留守というか集中の蚊帳の外に電話というものはあるらしく、取り扱うこともなく無駄に流れるコール音に拒絶されたのだった。それほどまでに執着する事だと、ぼくはこの計画の重要さを再確認する。
 朝のHRが始まる数十秒前といったところでぼくは突っ伏して組んだ腕の中でどうしようかと嘆息を吐いた。
 ドアが開き、淡々と黙々とした様子で千冬さんが入り、その後をわたわたと山田先生が続く。さらにそれに続いてHRを開始する古臭い二本の貫禄あるチャイムが鳴る。今日もぴったりとHRを始める千冬さんのカリスマに脱帽せざる得ない。
 普段通りに出席を取り、ぱたんと出席簿を閉じた千冬さんは何処か嬉しそうな顔で口を開いた。

「よし、全員出席しているな。今日から空いた席が二つ減る。入れ」

 そう問いかけた先は廊下。そこから現れた二人の姿に目が自然と向く。

「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。この国では不慣れなことも多いかと思いますが、みなさんよろしくお願いします」

 一人は金髪の美男子のように見える童顔の……うん? 男子制服だな。ということは余程の理由が無い限り男性だと言うことなのだが、それは――おかしい。現時点で一夏くん以外の男性IS操縦者の存在は明らかになっていない。
 世論にすら取り上げられないということは非公式にここに居るか、そもそも情報を開示していないということだ。
 怪しい、この一言に尽きる。要注意人物として監視、又は尋問をする必要があるな。
 そもそも……フランスでデュノアだと? 完璧に黒、判決は死刑ってくらいに黒だ。
 デュノア社はフランスのIS企業の頂点に立つ企業だが第二世代Iから第三世代へ移り変わることができなかった世界的凡人企業だ。
 ドイツやイギリスといった国に差をつけられている現状であるからして、他の国のデータを盗りにでも来たのだろうか。
 ……待てよ、盗りに来た?
 ならば、他国よりも優先すべき人物が居るはずだ。それも、この一組に。ちらりと前の方の一夏くんを見やる。
 男性唯一のIS操縦者。それに取り入るのであれば、同年代かつ男性であることはかなり有利になるはずだ。
 なるほど、女の子っぽい美男子、ではなく、美男子に見える女の子、ってことか。つまり、男装麗人――女の子だ。
 よし、後で拷問……もとい、尋問だ。

「…………………………きゃー」

 ……何とも棒読みな黄色い声が何処かから漏れた。
 まぁ、無理も無い。
 一組の女子は殆どが隣の施設のIS工学科の生徒たち、むさくも漢らしい職人気質の男子たちに目線が向くため、ジャニーズ系のようなも美男的な存在にはあまり興味が無いのだ。
 そもそも、"織斑一夏"の中身がぼくだった頃にもぼくは他のクラスからのアプローチが多かったために、好意的(Like)見られるが感情的(Love)には見られていなかったのだ。明らかにそっちのベクトルに向いている男装麗人は一組の女子にはうけなかった、ということだ。

「くふふ……、迸る……ッ、ペンが走り続けて止まらない……ッ」
「これで次のお披露目の画材は決まったわ……。ふふふ……」
「一夏くん×シャルルくんかな……。一夏くんのへタレ受け……、いいわぁいいわぁ……ッ」

 もっとも、腐ってる女子たちには大好評らしい。恐らくながら男装麗人であることがバレても男性化させて描かれるに違いない。
 そして、もう一人の転入生は――やっぱり、彼女だった。

「……ラウラ・ボーデヴィッヒだ。教官には故郷ドイツで指導を受けた恩があるため、仕方なく貴様らと馴れ合ってやることにした。ちゃん付けしたら脳に送る酸素を増やすのを手伝ってやる。以上だ」

 擬音でゴゴゴゴゴと背中から語られそうな軍人魂全開の雰囲気で、冷たかった教室(一部の貴腐人を除く)の空気をさらに氷点下まで下げた。だが、一部の女子たちはゾクゾクッと背筋を歓喜に震わせて熱っぽい視線をラウラちゃんに送り始める。
 そう、冷えたのは空気だけだ。
 朝日に煌めく美しい銀髪、透き通るような陶器の如く白さを持つメリハリのある若い肌、左目の黒い眼帯が軍人らしさを助長していた。
 ……もっとも、もう少し身長があれば軍人らしく映えるのだが、ぼくよりも少し小さいラウラちゃんでは生意気な女の子にしか見えない。

「……軍人気質の幼女、か。最高だねェ……」
「可愛いなぁ……、妹にしたいなぁ……。そんでもって踏まれて暴言を吐いて冷たくされたいなぁ……ッ」

 一部の変態がアップをし始めたみたいだ。大人気でよかったねラウラちゃん。
 当の本人はジロジロと一夏くんを見ていたが、時折首を傾げていた。むすっとした顔で教室全体を見渡し――視線が合った。
 そしてラウラちゃんは数秒きょとんとした後、にんまりと微笑みを浮かべた。
 やっべ……、マジで嬉しい。セシリアちゃんの時も嬉しかったけど、今回はかなり嬉しい。後でうんと甘くしてあげよう。
 添い寝と膝枕と耳掻きもいいな、お風呂に入るのも良いし……ああもう休み時間までの時間がもどかしい。
 
「では、HRは終了する。一時間目はISの模擬戦闘の講義を行う。着替えて第二グラウンドに集合しておくように。以上、解散」

 普段通りに振舞う千冬さんの号令で一組はわいわいがやがやと騒ぎ始めた中、ぼくは一目散にラウラちゃんに向かっていった。
 ラウラちゃんもこちらへ歩んでくれて教室の真ん中でぼくらは久しぶりの邂逅を果たした。

「事情は教官から聞き及んでいる。これからよろしく頼むぞ山猫」
「ああ、勿論さラウラちゃん。再会のお祝いに何か焼こうか。何がいい?」
「そうだな……お前のチーズケーキが食べたい」
「うん、わかった。後で食堂で材料分けてもらうね」

 ぼくは嬉しさと愛しさのあまりラウラちゃんを抱きしめる。「まったく、お前は変わらんな」と何処か嬉しそうにしてくれるラウラちゃんが愛しい。ああもう、可愛いな。可愛いから可愛いなラウラちゃんはっ! 一日中甘やかしたい気分が止まらない。
 そんな様子を真ん中で繰り広げていたら「キャー♪」と、黄色い声が辺り一面から聞こえた。どうやらぼくらの様子を百合研究同好会のメンバーと山猫同好会のメンバーが歓喜の声を漏らしたらしい。何処か恍惚としていて何だろう……貞操が怖くなる視線だった。
 そんな中、デュノア社の刺客は一夏くんに手を取られて廊下に出て行ってしまった。ああ、そうか。着替えはアリーナの更衣室だから即座に向かわなくてはいけないんだっけ。しまったな、女性の身であるが故の不利か。
 ……つっても、あの一夏くんならハニートラップは効かないだろうし、大丈夫かな。彼の好みは年上属性らしいし。
 女子生徒の中で着替えることにも慣れてきたし、ささっとISスーツに着替えてパーカーを羽織った。男性の前で肌を露出し過ぎるな、というルールが加わったために女性は上着を着る事が許されているのだ。
 まぁ、別にのほほんちゃんほどに大きくもないし、隣のラウラちゃんのように堂々としていればいいのだけれども、この灰色のパーカーは二年間程の愛着があるものなので着ていたいのだ。
 子供が幼い頃から使ってきたタオルケットに安心を求めるように、ぼくはこのパーカーに安息を求めているというわけだ。
 まぁ、くーちゃんからの唯一の贈り物だから、という点が一番大きいのかもしれないのだけれども。
 ラウラちゃんの手を取って第二グラウンドへ向かうと腕を組んだ千冬さんが凛々しく立っていた。
 整列した列に並び、鬼教官たる千冬さんの言葉を待つ。

「では、今日から実技訓練の指導に移行する。格闘及び射撃の実践訓練は危険が伴う。そのため、今日の戦闘訓練は専用機を持つ生徒に模範的行動を行ってもらう。そうだな……、織斑妹。やってみせろ」
「えー……、なんでぼくなんです?」
「お前が一番この中で実力があるからだ」

 ぐうの音も出なかった。まさか、そう切り返されるとは。「そうだよね」「確かに山猫様なら……」などと同意の声が聞こえてくる。
 ま、マジかぁ……。やだなぁ。めんどくさいし、そもそも武装がまだ整っていないんだけれども。
 対戦相手は……と目線をやれば、千冬さんは空に視線をやった。上?

「うわわわわわ!?」

 凄まじい速度でぐるんぐるんと回転しながら落ちてくる副担任が見えた。……どういうことだよ、まったく。

「……仕方が無いですね。精々見やがってくださいませーっとッ!」

 跳躍した瞬間に黒式という新しいデザインの装甲が展開される。
 上空から落ちてくる山田先生のラファール・リヴァイブというフランスの第二世代ISの腕を掴み、誰もいない方角へと放り投げる。
 空中でホバリング宙返りという中々の芸当を見せ付け、山田先生は地面に着地した。
 なぜ、空中で暴れていたのか分からないくらいに綺麗に着地した。えぇ……?

「……山田くん、またか。またなのか君は……」
「え、えへへへ……。すみません、またミスっちゃいました」
「山田先生、ちょいとよろしいです?」
「はい?」

 ぼくは山田先生に近づき、コンソールを勝手に開いて世間的に言うオプション的ウィンドウを開く。
 ……やっぱり、空中制御のシステムのいくつかがOFFになっており、むしろいらないものがONになっていた。
 溜息を吐き、設定を直してあげる。
 素人が手を出したらこんな感じになるって並びだったから勝手に触ったんだろう。この人のことだ、在り得る。

「これで大丈夫だと思いますよ。もしかして、コンソール開いて勝手に弄ったりしたんですか?」
「え、えっと…………だ、だめだった?」

 そう天然ボケをかましてくれた山田先生に呆れて声はでなかった。目の前の豊満な胸に目を奪われながら、ぼくは溜息を吐いた。
 千冬さんの溜息と共に、生徒たちから「やまやまなら仕方が無いね」という雰囲気が流れ始める。
 それを察したのか、千冬さんは「こほん」とわざとらしい咳払いをした。

「……それでは、模擬戦闘を行う。山田くん、織斑妹、構わんな?」
「はい!」
「……はーい」

 ぼくらは上空に飛翔し、十分に距離をとって対峙した。
 こちらの兵装は皆無。なので、山田先生のスタイルに合わせて装甲から削りだすか、はたまた徒手空拳で倒すか。
 その二択でぼくは、様子見を選ぶ。正直、どちらでも接近戦には変わりないため結局変わらないからだ。
 
「では、はじめ!」
「お手柔らかにお願いしますね♪」

 そう可愛らしく言いながら取り出したそれは五十一口径アサルトライフル――アメリカのクラウス社のメジャー商品たるレッドバレット。
 なるほど、山田先生は接近戦型ではなく中距離制圧型なのか。厄介だな、近づきたくない。きっとショットガンも持っているはずだ。
 牽制射撃を避けながらぼくは上空に上がる。こちらに遠距離戦を行える武装は無い。そして、速度ある銃器と戦うためにはそれ相応の速度が必要だ。なので、ある程度ぼくは無茶をすることにした。

「イグニッション、スタート」

 お馴染みPICによる初速度変化により人間が耐えられるギリギリのGが発生するくらいの速度に抑えて、上空から急転直下した。
 「うぇ!?」と超速度のぼくへ山田先生が射撃を行う。それを全て回避して、戦闘機のようなドッグファイト方法でぼくはライダーキック。
 辛うじて避けた山田先生の後ろ姿を見ながら、反転せずに今度は左方へ展開し、避けて、再びライダーキック。

「きゃっ!」

 凄まじい速度の飛び蹴りが掠る。
 ……さすが先生クラス、あの速度でも避けれんのか。あまり甘く見ていると撃墜されかれないな。
 再び旋回し、回避し、ライダーキック。同じような戦法ではあるが、これはとても利に適っているのだ。
 まず、移動速度がマッハを超えているために弾を弾き易い。そしてあちらから見ると点のように見えるため当たる範囲を狭める。
 それらは、ショットガンを構え難い理由になる。散弾の面を一点で突き刺すのだから、使う必要が無い。むしろ、不利だ。
 もっとも、装填されている弾丸の種類がバックショット弾であることが前提だが、山田先生の性格からしてスラグ弾やフラグ弾を使わないだろうし、そもそもそれらを使うのであればグレネードランチャーを使うだろう。
 アサルトライフルによる精密射撃をロールや回避行動で避けながらぼくは山田先生目掛けて空を切り裂く。
 言うなれば、ぼく自身が弾丸だ。当たった瞬間に三分の一は削れる程の大口径の一撃。千冬さんなら片腕で受け止めてカウンターを狙う可能性もあるが、山田先生にそこまでの度胸と技量は無いだろう。 
 カチンッと全段を撃ち切った音が聞こえた瞬間にぼくはキック体勢ではなく瞬時加速を用いて肉薄。片腕を掴む。

「あ、もしかして」

 地上で箒ちゃんが呟いた。その想像通りのことをぼくはしてやった。
 PICコントロールによる速度指定付加。
 ぶんぶんと山田先生の機体を振り回し、そのまま誰も居ないグラウンドの方へ放り投げる。
 そのままぼくはお馴染みライダーキックを決めて、そのままムーンサルト、浮き上がった体にヤクザ蹴りを喰らわす。
 無論、PICのコントロールは奪ったままの蹂躙状態で、だ。
 凄まじい速度で吹っ飛びながら悲鳴をあげながら山田先生はグラウンドを削り、近くの木に不時着して「くぴゃっ!?」と踏まれた蛙のような声を出してぐったりとした。
 華麗にぼくは千冬さんの前に凱旋し「終わりました!」と良い笑顔で言った。
 出席簿で叩かれた。
 何故に。

「遣り過ぎた馬鹿者! 山田君は一応元代表候補生で少しながらのプライドがある。雲泥の差があるとは言えもう少しスマートにやれ」
「つまり、もっと肉薄してボコボコにすればよかったと」
「んなわけあるかこの大馬鹿者ッ!!」

 グラウンドに乾いた出席簿の良い音が響き、その音で「ご、ごめんなさい! ……あれ?」と目をぱちくりして起き上がる山田先生の姿が横目で見えた。「そもそもだな……」と、素手で倒すのは屈辱的過ぎるから武器を使ってやれ、もう少し一般人でもできるような戦法をとれ、そもそもお前を選んだ私が馬鹿だった、などと色々と酷い言われ様だった。
 ……しまった、山田先生の顔を立てるのを忘れてた。その後、千冬さんを止めに山田先生が介入するまでぼくは説教をされていた。
 今回の件でぼくが学ぶべきは、時には人の顔を立てることも大切だ、ということだろう。
 千冬さんは若干口下手なところがあるから説教になってしまったが、確かに言われてみれば生徒が元代表候補生の先生をあっさりと倒すというのはよろしくない。もしも、ぼくではなく鈴ちゃんやセシリアちゃんだったなら圧勝する姿を見せ付けて教員の強さを誇示することができたはずだ。
 ……つまり、勝ってもいいが見せ場ぐらいは作ってやれ、という大人な説教だったわけだ。うーむ、人間関係は難しい。
 ちなみに、その後鈴ちゃん&セシリアちゃんペアVS山田先生で行ったのだが、案の定山田先生の作戦勝ちで圧勝した。
 
「えー、こいつが強過ぎるだけでこれが一般的な結果だ。以後、敬意を払って接するように。では、次だが――」

 ぺしぺしと軽くぼくの頭を叩きながら千冬さんは騒ぐ生徒たちに言い聞かせるように次の行動の説明していた。
 痛くないけど身長が縮むのでそろそろ叩くのを止めてください。そんなことを思ったら、優しく撫でてきた。
 …………う、嬉しいとは思ってないんだからな。













 翼を持たぬ人間は天国に行けず、地獄へ落ちるのだろうか。













 
「……疲れましたわ」
「……そうね」
「あはは……」
「大変だったな」
「いやでも、楽しかったけどな」
「ふん、軟弱者共め」
「まぁ、普通はこうなるよラウラちゃん」

  午前中はあれから起動テストを淡々と行い、昼休み開始ギリギリまでISをカートに載せて格納庫へ押していたために非力な女の子たちはぐったりモード。剣道という体力育成の場があった一夏くんと箒ちゃんは少々疲れ気味だがぴんぴんとしていた。
 そして、ラウラちゃんとぼくは鍛え方(身体が普通と)が違うために疲れ無し。
 現在は屋上でまったりとご飯タイムだった。それぞれ持ってきたお弁当を展開し、十人十色な光景を作り出していた。
 箒ちゃんの和風な唐揚げ弁当、鈴ちゃんの中華酢豚弁当、セシリアちゃんのサンドウィッチ弁当、ぼくの国産地鶏の焼き鳥弁当。
 残念ながらお弁当を持ち合わせていなかったデュノアの刺客もといシャルルちゃんは購買の菓子パンだった。
 ちなみにラウラちゃんは軍用レーションで、一夏くんはハンバーグ弁当。
 
「山猫さん、どうぞ召し上がってくださいまし」
「………………」

 比較的ダメージが無さそうなのは……どれだろう。
 そんなことを思いながら差し出されたバスケットから恐らく玉子だと思われるサンドウィッチを掴み、口に持っていき、噛み切る。
 最初の段階で歯に玉子の殻が当たることがなく一安心したが、……辛ッ。これは……マスタードか?
 また「色味が~」だなんて言って加えたんだろう。
 ぼくは首を傾げながらそわそわしているセシリアちゃんの口に玉子サンドを突っ込む。

「んぐっ!? …………~~~ッ! 辛いですわぁ……」
「なぜ玉子にマスタードを入れたのか問わないけど、また味見を忘れたねセシリアちゃん?」
「……申し訳ありません。少々浮かれていた節がありますので恐らく……」
「……まぁ、玉子の殻が入ってたりわさびが入ってた頃よりかはマシだから良い進歩だね。味見の習慣さえつければきっと色味よりも大切な何かを大事にできるだろうから、さ。見た目は大事だけど全てじゃないんだよ」

 しゅんとした様子でセシリアちゃんはバスケットを下ろす。ぼくはそこから二、三個拝借して一つを口に咥える。
 「もう、山猫さんったら」とセシリアちゃんは嬉しそうに、でも何処か悔しそうに微笑む。
 確かに多すぎるマスタードに苦しむが、これはこれで斬新な玉子サンドだ。折角作ってくれたのだから食べないと可哀想だしさ。
 最初の頃に「不味い。見た目を気にした事は評価するけど、味は最悪だ。星一つもやれないよ」とばっさり切り捨ててから、料理が何たるかを説教したのが懐かしい。
 
「お、漢前過ぎるわよアンタ……」
「一夏もこれぐらいの甲斐性があればな……」

 その乙女の呟きに「うっ」と胸を押さえる一夏くん。恐らく言葉の槍がその胸を貫いたのだろう。
 しかしまぁ、それが分かるようになっただけ朴念仁からは遠ざかりつつあるようだ。
 乙女地獄訓練の成果が出ているようだ、良かったね鈴ちゃん箒ちゃん。
 ぼくはラウラちゃんとセシリアちゃんにちょいちょい地鶏の良い所を「あーん」としてあげながら、ラウラちゃんから貰った軍用レーションで口をパサパサにしつつ、玉子サンドの辛味に耐えて、一足早く昼を終えた。ああ、缶珈琲が美味い。

「仲が良いんだね」
「まぁ、二人は一夏くんの彼女的存在だからね。いつもイチャこらしてるよ、あんな感じに」

 鈴ちゃんは酢豚を、箒ちゃんは唐揚げを、一夏くんの口元へ「あーん」と向かわせて乙女乙女していた。二人の料理の腕は良い方なので一夏くんも「美味い美味い」と言いながら自分のハンバーグを二人に「あーん」と返しているのでおかずには困らないようだ。
 それをとても羨ましそうに見るシャルルちゃんの瞳には影が見えた。まるで、眩しい光景を見ているような、そんな感じの瞳だった。
 だが、スパイの件は別件であるため断罪する際には少しだけ考慮を入れてやっても構わないが、ばっさりとやる予定だ。
 
「そういえば山猫さんのお慕いしているくーちゃんという方のお調子は如何ですの?」
「ああ、最近ようやく回復の目処が立ってね。嬉しい限りだよ」
「あら、それは良かったですわね。退院なさったらわたくしを紹介していただけます?」
「あー……、約束はできないかな。でも、"仲の良い友人"って紹介の場を設けたいとは思ってるよ」
「……ふふふ、あざといですわねぇ」

 セシリアちゃんは何処かにんまりと微笑みながらぼくの左肩に頭を乗せた。ふわりと香るぼくが好きだと言ったラベンダーの香水の匂いとセシリアちゃんの甘い香りが混ざって鼻腔を侵す。やれやれ、案外に良い気分だな。まったく、もう。
 
「……ねぇ、一夏。もしかして二人って……」
「あん? いや、山猫にはくーちゃんって言う彼女さんが居てだな。セシリアが山猫に惚れてNTRうとしてるだけだぜ」
「ええっ!? お、女の子同士なのに!?」
「まぁ、いいんじゃない? 男同士よりは見た目良いじゃない」
「そもそも、山猫の格好の良さは群を抜いているからな。あいつが男だったら今頃ハーレムが結成されているだろうよ」
「へ、へぇ……、そうなんだ……」
「……付け加えるのであれば、あいつほど――恐ろしい存在は居ないだろうな」
「へ?」

 ……ありゃ、もしかして昨日の戦闘バレてたりすんのかな。ぼくをちらりと一瞥してから箒ちゃんは続けた。

「恐らくながらこの学園で山猫に勝てる生物は居ないだろうな。それほどまでに、群を抜いている」
「そ、それはどうして分かるんだい?」
「……まぁ、いずれ分かる時が来るわよ。知らなくても良い話だけどもね」

 何かこの二人カックイイな。ミステリアスな雰囲気が何ともいえない威圧感を醸し出している。擬音で表すならドドドドド。
 
「え、いや……山猫に手を出したら同好会メンバーにフルボッコにされるから誰も手ぇ出せないってことだろ?」
「……まぁ、そうなんだがな」
「女性の本気は恐ろしいわよ?」

 あれ、まったく持って違った。もしかして、可愛らしさ的な意味での最強って意味か。嬉しいやら哀しい(元男として)やら微妙な気分だ。
 一夏くんの一言でそれっぽい雰囲気は霧散してしまった。何というか、ノリがよくなってきたなこの二人。
 そんなオチで昼休みが終わり、午後の授業を受けるために教室へ戻る際にぼくはシャルルちゃんにこう伝えた。
 「放課後、ここで待つ」と。
 IS整備室でIS工学科の生徒と共に履修し、全ての授業が終わる。

「僕は何のために呼ばれたのかな――山猫さん」

 ぼくは一足先に屋上の手すりに座って待っていた。手招きし、近づかせる。しかし、シャルルちゃんは、動かない。

「グッド。良い判断だよそれは」

 恐れなく愚かに近づいていたら組み伏せて真っ先に押し潰すつもりだったのだけれども、中々良い勘してるね。

「……そうかい」
「さて、本題に入ろうか。君は何をしにここに転入したんだい? ――わざわざ男装なんてしてさ」
「――ッ」
「瞳孔の開きに変化、及びに体温の上昇と心拍数の速度が上がったぜシャルルちゃん」

 シャルルちゃんは目を見開き、驚愕の色で顔を染める。

「……君は、いったい何者なんだ。織斑家に存在しない妹の名を語る君は」
「ほう、そこまで調べ上げていたんだ。つまり、君か。"君たち"か。ぼくの存在を亡国へ暴いたのは」
「…………そうだ、と言えば?」
「いや、君の度胸に免じて殺しはしないさ。ああ、殺しはしない」
「――クーヴェント・アジルスちゃんだっけ」

 今度はぼくが目を見開く番だった。
 その様子に「切り札」が有効であり、有利に立ったと過信したシャルルちゃんはにやりと笑みを浮かべて続ける。

「アメリカと日本のハーフ。高町大病院の708室の一人部屋に入院している少女、だったね」
「……なるほど、そこまで知ってたのかい」
「うん、そうだよ。僕に対して行動を行うのなら、それ相応の手段を用いて君の手を止める」
「……………………」
「僕は織斑一夏のデータと他国のIS技術が欲しいんだ。それに協力――してくれるよね?」

 勝ち誇った歓喜の笑み、といった様子で彼女は笑った。だから、ぼくも笑った。

「だが、断る。このぼくが最も好きな事の一つは、有利であると自惚れる愚者の提案に“NO”と断って遣る事だ……ッ!」

 ぼくが先に動いた。

「――ッ!?」
「おいおい、何処を見ているんだよ。さっきからここに居たじゃないか」
「何時の間に背後を!?」

 背中合わせに立つぼくに対し、恐怖感を煽られたシャルルちゃんの鼓動が加速する。
 振り返る一瞬でぼくは彼女の背中に張り付くように移動する。単純に、人の視線で追えない速度で動いているだけだ。
 何も、問題はない。焼き焦げるような床の匂いがさらに虫けらの嗅覚を奪い、感情を煽る。
 それが彼女のプライドに傷を、焦燥感が胸を焦がしたのだろう。シャルルちゃんは何故かバッと背中を床へと押し付けた。
 だから、ぼくはこれ幸いと彼女の首を上から右靴底で押さえた。潰さず、気道を辛うじて確保できるくらいの強さで、ゆっくりと。

「ぐっ!!」
「君たちが始めてだよ。ぼくを本当に怒らせたのはさ。びっくりだ。まさか、虫けら如きにぼくがキレるとはね。思っていなかった」
「…………僕をどうする気なんぐッ!?」
「ぼくが喋ってるんだ、黙れ。取り合えず、デュノアの全てを殺すつもりさ。家系、社員、ついでに生まれ故郷を消してやる」
「……………………」
「それだけじゃまだ足りない。死体全員の血液で君を悶絶するまで溺れさせてあげるよ。大丈夫、殺しはしないから。死にたくなるようになるまで何度も幾度も繰り返して遊んであげるさ。それに飽きたら君の手足を焼き捥いで、何処かのスラムにでも捨ててあげるよ。良かったじゃないか。君は女として生きて、女として快楽を得ながら死ねるんだ」
「いやだ……、そんなの、嫌だッ!」
「汚泥のような絶望を噛み締めて死ね――シャルル・デュノア。豚のような悲鳴をあげて、ゆっくりと快楽に溺れて死んで逝け」
「いやだいやだいやだいやだぁああああ!!」

 全力で靴底を押し返そうとするがISの展開無しにそのようなことはできず、逆にぼくに少しだけ強く踏まれることになる。
 目を見開き、苦しみに悶える姿を見て、ぼくは少しだけ満足した。
 そのままぼくは靴底の先を首から胸へと変え、そのまま腹部を通過して子宮の上部で足を止める。
 びくんとシャルルちゃんの身体が跳ねる。そのままぼくは力を入れ始める。じっくりと、ゆっくりと、いやらしくも、恐ろしく。
 
「――そこまでだ、山猫」

 声がした方向を見やれば、千冬さんが鷹の如く鋭い視線でぼくを見ていた。そんな、馬鹿な事があってたまるか。
 まさか、目の前の姉は自身の呼吸や鼓動を押し殺してぼくの背後を取ったというのか!? 気付かれないためにか!?
 そんな人間離れした芸当ができるわけが……、そこでぼくの思考は止まった。
 いや、この人なら。
 人類最強の請負人の友人たる世界最強のブリュンヒルデならば、可能なのか。
 虫けらを踏み潰して愉悦に浸っていたぼくの興奮は一気に冷めることになる。
 ぼくは目の前の最強に――恐れた。

「前に、お前は言ったよな。殺しは許容しないと。あれは嘘か」
「……そんなの狂言ですよ、千冬さん。そもそも、自然の摂理において生きる死ぬという現象は有象無象の概念でしかない。何のために生きて、何のために死んで、何のために何を成すのか。そんなことはどうだっていいんですよ。在るか、無いか。それだけで十分でしょう。逆に問いましょうか。貴方はどうして在るのか、と。答えられるのであれば、愚問であると分かるでしょう。許容するまでもない"当たり前な事"をどうして再度問う必要があるというのですか」
「……つまり、お前は人を殺せる人間だと言うことか」
「ええ、そうなりますね。ぼくは――人を殺せる兵器ですから」

 千冬さんは冷たい目で、何処か悲しみの色を浮かべながらぼくに近寄った。
 一歩ずつ。その一歩に込められた意思の重さが空気を粉砕し、ぼくを恐怖させる。
 ぼくは乗せていた右足を下ろし、対峙する。目の前の最強に。
 ゆっくりと手を広げ、千冬さんはぼくを――優しく抱きしめた。

「お前は頑張り過ぎだ。何を考えているのかは知らない。だがな――姉をあまり舐めるな。お前くらいの心の憂いくらいは見抜ける」
「……つくづくぼくは最強という単語に弱いですね。今の貴方に、人間であるはずの貴方に――勝てる気がしない」
「当たり前だ。私はお前の姉だ。姉に勝つ妹があってたまるものか」

 嗚呼、この人には敵わない。そうぼくは心の奥底から心底思った。
 
「……はぁ。分かりましたよ、皆殺しは止めます。そこのシャルルちゃんにちょいと性的なちょめちょめをする程度で許してあげますよ」
「いや、それはどうなんだ」
「ただの戯言ですよ」

 身長の低いぼくはするっとぼくは千冬さんの腕から下から抜けて、後ろに跳躍して倒れるシャルルちゃんをぼくらの間に挟ませた。
 ……やはり、くーちゃんはぼくの目に入る場所で護った方がいいな。
 束さんの特性ワクチン――治療特化型ナノマシンの影響でぼくの"異偽"のオリジナルである彼女の能力が失われつつあるからか、このような虫けらの羽音を聞くはめになってしまったようだし、これもまたぼくのミスの一つと言っていいだろう。
 それに、顔を立てることを学んだぼくはこの機会に姉の顔を立てることにしておくのだ。

「シャルルちゃん」
「は、はい!? な、何でしょうか!?」
「ああいや、そこまで卑屈にならなくていいよ。もう止めたから。取り合えず、君の件は保留に……はいはい、分かりました。流せばいいでしょ、流せば。千冬さんの計らいで流すことにしたから、脅えなくていいよ。でもね」

 ぼくは倒れるシャルルちゃんに手を差し出す。それを恐る恐るながら取ったシャルルちゃんの腕を引っ張り上げる。

「次は無い」

 そう目の前でにっこりと笑みを浮かべてあげた。シャルルちゃんの口元が恐怖か歓喜で引きつっていた。
 シャルルちゃんを立ち上がらせ、仲直りの証として握手をしておく。手出しはしない、という意味で千冬さんへ送るためにだ。

「うむ、それでいい。シャルル・デュノアはこれからのことで話があるから後で寮長室へ来るように」

 くるっと踵を返し、去る千冬さんの姿は歴戦の戦士の背格好で、何とも大きく見えた。
 かちゃんとドアが閉まる音がした瞬間、重々しい重圧からようやく開放された。そのまま膝が笑い始める。
 冗談きついぜ千冬さん、見えない威圧でぼくを本気で押し潰しやがったんだからさ……ッ。
 流石最強の名の片割れ、目の前に在っただけで恐れ多過ぎて過呼吸してしまう程に息苦しい程に、圧倒的だった。
 よくもまぁ家でだらだらする千冬さんに渇を入れられたものだな、二年前のぼくは。惚れ惚れするくらいに愚かに感じる。

「……と、言うことでシャルルちゃん」
「しゃ、シャルロット、だよ。僕の本当の名前は、シャルロット・デュノア。お母さんの残してくれた名前は、シャルロットなんだ……」
「……君の度胸を認めてあげるよシャルロットちゃん。ただし、ぼくは言ったからな。次は無い、と」
「うん、分かってる。僕じゃ山猫さんを抑えきれる自信も術も無いからね。在っても無駄に終わるだろうし……大人しくしておくよ。君の瞳の方が、父さんの瞳よりも怖いし、ね」

 ……憎さ余って可愛さ百倍って感じだ。もしかすると場数を踏んでいるだけでこの子……不幸だったりしないか?
 母の存在を過去形にする辺りとか、父に恐怖を覚えていたという点とか、さ。
 それに、目の濁り具合とか……さ。
 
「……僕は……、“私”はさ」

 そうシャルロットちゃんは芝生の方へ歩いて腰を下ろした。ぼくもそれに続いて隣に座る。
 夕焼けがやけに眩しく感じられ、広い空が自分の小ささを教えてくれるようだった。
 ぽつり、ぽつりと彼女は身の内を曝け出し始めた。

「妾の……子なんだ。父さんの愛人から生まれた娘。お母さんが死ぬまで私は父親という存在を知らずに生きた。お母さんが病気で死んでから、私は父さんの家に引き取られた。子を成せなかった今の本妻の人には殴られたこともあったよ。この泥棒猫の娘め!ってね。あの時からだったかな、私という存在が壊れ始めたのは。色んなことをやらされたよ。と、言ってもまだ処女だけどさ。危険な目にはあったけど、それはIS関連だったからまだ救いがあったんだ。もしも、父さんがお母さんのことを少しでも愛していなかったら、きっと私は穢れに犯されて狂ってしまっていただろうね。……さっきさ、君がデュノアの全てを殺すって言った時、ああ、それでもいいかな、って思っちゃったんだよ。私としては、それの方が良いんだ。デュノアにはお母さん以外の良い思い出は無い。むしろ、辛いことばかりだったよ。無くなるのなら、失くしたかったよ。でもさ、してくれないんだよね。うん、分かってる。そんなことをさせちゃいけないってことはさ。でもさ……、もう嫌なんだよ。友人に取り入って技術を奪って、第二世代を完成させて。経営危機に陥った今じゃこの学園に来て男の格好をして技術を盗め、ってさ。もう嫌、やりたくない。騙したくない。裏切りたく……無いんだ。嘘だと思うでしょ? うん、私もそう思う。私だってもう自分が信じられないんだ。いつから自分のことを父さんの操り人形だって思ってたんだろうね。もうさ、山猫さんに殺されて楽になりたいって思えてきた」

 彼女は、震えながらも淡々と本音を曝け出した。ぼくは何も言わずに、相槌ることもせずに、ただ、同じく淡々と聞いてあげた。
 誰よりも本音を口に出す楽かを知っているから、ぼくは耳を傾け続けた。
 嗚咽を漏らしながら泣きじゃくり始めたシャルロットちゃんがとても儚く、脆く見えた。
 
「こんなにも世界は広いのに、なんで私は不幸なんだろう、って思うことを止めたのは、いつだったかな……」
「終わりかい?」
「……うん。これで、終わり。悲しい哀しい妾の子の物語は終わり。ありがとね、山猫さん。ふふっ、殺されそうになった相手に向かって何を言ってるんだろうね私は。悲劇を語るヒロインじゃあるまいしさ、馬鹿馬鹿しい……よね」
「何を言って欲しいんだい?」
「……………………」
「可哀想だったね、同情するよ、大変だったんだね、これから頑張ろう、とでも友情ごっこでもやれば満足かい?」
「……………………たった一言だけ、言ってもらってもいいかな」
「ああ、構わないさ」

 ――甘えるなってさ。
 そう彼女は強い瞳で言った。先ほどの壊れてしまいそうな様子はもう面影も無いほどに、強く在った。

「彼は覚えてるかな。一度彼宛にメールを送ったんだ。脅迫まがいのそれを、さ」
「返ってきた言葉が、それだった」
「うん、よく分かったね。当時の私はそれを見て泣いちゃったんだ。初めて、誰かに叱られたから、さ。わざわざフランス語で書かれてあってね。律儀な人なんだなぁ、って思った後に涙が零れちゃったんだ。多分、彼は覚えてないと思うけどね」
「そりゃそうだ」

 だって、それはぼくだもの。一夏くんが覚えているわけがない、むしろ、やったことすらも知らないんだから。

「……そもそも、彼じゃなかったからね。分かるわけないよね――山猫さん?」
「そうだったね。君らはぼくの存在を知ってたから、それくらいは知ってるか。いいよ、もう一度言ってあげるさ」

 ――甘えるな、シャルロット・デュノア。
 ありがとう、と彼女は溢れる程の涙を零してからぼくに抱きついた。わんわんと何分くらい泣き続けただろうか。数える事はしなかった。
 夕暮れのように赤くなった瞳からはもう弱さは見えず、良い感じに吹っ切れたようだった。
 己の弱さを知った人間は強い。何事にも恐れを抱くことでそれらに対し強くなれるから。

「……分かるような気がするよ。君がモテる理由」
「やれやれ、またファンを増やしちゃったよ」
「ふふふっ、君は優しいね。……女の子同士なのにおかしいね、鼓動の高まりが止まらないよ」
「高ぶりを抑える魔法の言葉を唱えてあげるよシャルロットちゃん」
「うん?」
「千冬さんはいったい何時間待ってるんだろうね」
「――あ」

 体内時計はすでに六時を回っており、あれから二時間程経ってしまっていた。
 冷や汗がぶわぁとダムの決壊のように噴出したシャルロットちゃんは青い顔でぼくの顔を見た。
 ぼくはそっと優しく首を横に振るった。

「山猫さんの意地悪ぅっ!」

 そう切羽詰まった顔で笑みを浮かべて言うもんだから、ぼくもつられて笑ってしまった。

「くくくっ、早く行っておいでよ。ぼくはまだここに居るからさ」
「わ、分かった。約束だからね! そこに居てよ!!」
「はいはい、分かった分かった」

 ありがとね、と小さな声で呟いてからシャルロットちゃんは慌てた様子で屋上から出て行った。
 ……聞こえてないと思ってるのかね、まったく。随分と可愛らしい声で言ってくれるもんだから、少しだけときめいちゃったじゃないか。
 さてと、しかし、されど、やっぱり……償って貰わなきゃ困るんだよね、ぼくのくーちゃんに手ぇ出しやがったんだからさ。
 取り合えず、デュノア社のお得意先の企業に罪口商会を薦めるという嫌がらせから始めよう。



[34794] 壱肆話 山猫さんの憂鬱日。
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:c36b78e8
Date: 2012/10/27 14:16


 幸せは歩いてこない、絶望の隣で一緒に這い寄ってくるからだ。












 ……はて、これはどういう状況だろうか。
 毎日の如く「起きます」という気合の掛け声をかけて起き上がろうとしたぼくだったが、今回は、いや、今はそれが不可能だった。
 何故か、ぼくを挟むようにして介の字で寝ている人物らが居たのだ。
 左にはラウラちゃんが左腕を、
 右にはシャルロットちゃんが右腕を、
 枕にしてしまっていて磔にされたような感じでぼくはベッドに寝ていたのだった。
 いや、どういう状況だよ。
 
「にげろ……やまねこ……、そっちは崖だ……」
「だめだよ……逃がさない……、そっちは海だよ山猫ぉ……」

 ……どうやら、彼女らの夢の中ではぼくは火曜サスペンスの大告白シーンの如く崖っぷちで海を背にして追い詰められているらしい。
 溜息を吐いた後、ぼくは昨夜のことを思い返していた。
 デュノア社のお得意先に罪口商会の有能さを書き連ねた宣伝メールを送信した後、シャルロットちゃんにチーズケーキの極意を教えて、それからそれをラウラちゃんを呼んでお茶会をして、んでもって二人をきちんと部屋に帰して……、うん。寝たはずだ。
 そうそう、シャルロットちゃんの処遇は千冬さんの強引な権力発揮により御咎め無しとなった。
 まさか、「私が男子の格好をしていたのは山猫さんの悪戯で、皆の困る顔が見たかったからにしろって千冬先生が……」と、ぼくのせいにされるとは思っていなかった。そんなのあんまりだ、横暴だ。と直談判しに行き抗議したら、良い顔で「お前は彼女のことになると血が沸騰する程にキレる、それを自覚しているのに関わらずそれを良しとする根性が私には気に食わん。なので、今回の件はデュノアの落ち度ではあるが、デュノアに対する暴言の謝罪として受け止めろ」と言われた。ぐうの音も出やしなかった。
 ちなみに、本音は何ですかと尋ねたらしれっと「お前のせいにしておけば生徒の大半が頷くからだ。それに、デュノア自身から男性であるという発言が無かったようだからな。納得させるには十分だ」と言われた。
 理不尽ながら納得してしまった自分が恨めしい。とぼとぼと自室へ帰ったのを覚えている。
 ……あれ、結局二人が居る理由が見当たらなかった。何で居るんだこの二人。
 寝返りでぼくを抱き枕のように抱きしめる幸せ顔のラウラちゃん。
 そして、何故か少しだけ息が荒く顔がにへらとしているシャルロットちゃん。
 二人の寝顔は……いや、訂正しよう。シャルロットちゃんのは何か危ない気がする。
 貞操的な意味合いで。
 まぁ、意味はきっと愛なのだろうけれども、如何せん……百合は別に……、いや、悪くは無いんだけどもさ。うん。
 悪くは無い、悪くは無いよ。しかしだな、百合は遠目で愛でるもので愛でられるのは少し……抵抗が……。
 というか、ぼくの身体は女の子だけれどもIS。つまり、機械だ。そこらへんはどうなんだろう。たぶん……、無理だな。うん、無理だ。うん。
 今度はシャルロットちゃんが「捕まえたー」と寝惚けて体に抱きついてきた。ぼくは、右腕が空いたために彼女の後頭部をこつんと叩いた。

「ひゃんっ」
「起きてるよねシャルロットちゃん。つか、何で居んの」
「……………………てへぺろ♪」
「……………………」
「ちょ、やめ、山猫さん! 一秒間十五連射な達人的速度で中指でぺしぺし私の眉間を叩かないで! 赤くなっちゃうよぉ! あれ、何か……気持ちよくなって……っ! え……、なんで止めちゃうの?」
「…………変態」
「――~~ッ! いいね、それ。ぞくぞくきたよ……」

 どうしてこうなった。
 あれ、目の前に居るのはシャルロットちゃんだよ……ね。いや、違う……わけではなさそうだ。
 いやいや、いやいや嫌嫌、嫌。恍惚とした表情でぼくの唇を狙ってきてるこの発情期真っ盛りの娘はシャルロットちゃんじゃないはずだ。
 おかしい。昨日はあんなにも爽やかな笑顔だったシャルロットちゃんがどうなってこうなったんだ?
 ……ああ、なるほどね。うん、分かったよ……。きっとこれは罠、だな。きっと刺客がシャルロットちゃんに何か仕込んだんだろう。仕込んだろ、仕込んだって言え。頼むから、あの清楚で純粋な笑顔を返せぇえええ。
 
「山猫さんが悪いんだよ……? 私はノーマルで普通に男の人のお嫁さんになりたいって思ってたのに……、昨日あんなにいやらしく私のをぐりぐりしてさ。怖いのに気持ちいいっていう状態で放置されて……、目覚めちゃったんだよ?」

 いや、ええと、あれ、うん? ぼくのせいなのか? いやいや、そんなはずは……。
 そもそも、あれは話題的にあの場所を意識させることで恐怖を煽る……という趣旨だったんだけど、今の説明だと何処か、イケないプレイのように聞こえてきちゃうんだけど。いや、そんなつもりは一切無かったんだけど。というか、そんなこと考えてたの君。
 うわぁ、ぼく超複雑。複雑難解骨折ってぐらい意味不明って感じで焦ってる。素数を二で割り切れちゃうくらいに焦ってるよぼく。
 まさか、恐怖感を煽るつもりが、性的な成長を促してるとは思っていなかった。いや、どうしろってんだ、これ。
 絶賛発情期って感じでシャルロットちゃんはぼくを抱きしめて太ももに南下したり北上したりしてるし、逃げ出そうにも左半身はラウラちゃんが大好きホールドしてて逃げられないし、どうしろって!?

「ううん……? んだよ、山猫。騒がしいけど……」
「――! おはよう一夏くん!」
「へ?」
「チッ」

 アホ面の一夏くんの目がこちらに向かい、心底残念そうな顔で「放置プレイってのまた乙かな……」と怖いことを呟いているシャルロットちゃんの太ももがにゅちっとぼくの右足から離れた。……お、音が卑猥だ。間違ってないんだけども、この事実だけは間違ってて欲しかった。さよなら清楚なシャルルくん、こんにちわ変態なシャルロットちゃん……。
 ちらりと窓を見やれば美しい空の上に「えへへ」と笑うシャルルくんの顔があった……気がした。疲れてるんだな、きっと。
 昔買ってあげた水玉のパジャマを着てくれているラウラちゃんを起こし、シャルロットちゃんには少々強めのデコピンで正気に戻し(その際悦んだのは言うまでも無いが)、ぼくはようやくすばやく着替えもとい装甲をチェンジし、問題の部分を消し去った。
 ……双識さんに高く売れたかな。そう思うと少しだけ勿体無いような気がしたが、即刻忘れたかったので無かったことにした。
 されなかったことにしよう、しなかったことにしよう。うん、困り値MAX。幸せのインフレ気味スパイラルで、朝から不幸せだった。
 まぁ、普通の身体だったなら、すでに決心していなければ、少しくらいは嬉しかった……のかな。
 愛することを断る身としては、何とも……複雑過ぎる乙女の性長だった。誤字では、ないぜ。
 
「それで、何でぼくのベッドに居たのさ」

 朝食の際に二人に尋ねてみれば、ラウラちゃん曰く「あの頃のように寝たい気分だったから」とホームステイ時代の思い出を思い出させてくれて、シャルロットちゃん曰く「限界だったんです、悪気はありません。はい。自分でもおかしいかなぁと思うけど……何でだろう。この気持ち、大切にしようと思えるんだ!」と朝の一件が脳裏に横切り背筋を凍らせてくれた。
 片や純粋で、片や性純だった。
 本気でどうしようかなぁっとセシリアちゃんを見たけれども、ああ、そういえば、この子もある意味そうなんだよなぁ、とさらに複雑な気持ちにさせてくれて、今朝の炭焼きキチン丼の味が分からなかった。
 ぼくの左手を握るラウラちゃんに癒され、右腕を取り合う二人の百合乙女の戦いに目を背けて、また新聞部に記事にされちゃうんだろうなー、と溜息をつきながら教室へ向かう。
 ちなみに、後ろでは鈴ちゃんと箒ちゃんに甘々な輸送をされてあまりの幸せ振りに頬が緩む一夏くんの姿があった。
 くそう、どうしてこうなったんだ。ぼくはくーちゃん一筋なのに、本当にどうして……こうなったんだ。
 そうそう、シャルロットちゃんが女だった、というニュースはあんまり学園の中でも響かなかった。
 こんなにも乙女しているシャルロットちゃんを見て「ああ、確かに女の子だよね」と納得するには十分過ぎたのだろう。

「体育かぁ……。楽しみだよ」
「わたしも軍事訓練は行ったが、高等学校の訓練は始めてだな」

 IS学園は特殊な校風でありながら、週二日の特別IS学習時間があるだけで他の三日は普通科高校のそれに準じている。
 そのため一夏くんは数学を筆頭に現代文と体育の時間以外は突っ伏している。
 そもそも、IS学院はぼくらが所属するIS操縦科と敷地内と言えど反対側の別校舎にIS工学科及びIS技術科が存在し、そこにはむさ苦しい男子生徒たちと一部の女子生徒がISの整備や装備開発に力を入れている。
 操縦科は言わずもがな、千冬さんの男性クローンたる一夏くん以外の例外を除けば全員が女子だ。
 そのため、体育の時間は結構暇だったのだが、こうしてぼくがインフィニット・ストラトスという受肉を果たしたために拮抗状態が作れるようになったのだ。成人男性ですらぼくの腕力においては赤子当然なのだから、手加減すれば一夏くんと対になれることは当然のことだった。
 一夏くん率いるAチーム。
 ぼくが率いるBチーム。
 通算十回目の死闘――バスケットボールが体育館で始まる。
 普通のバスケのルールにいくつかの条件を混ぜた特別ルール。
 ぼくと一夏くんは3ポイントエリアに入ることができず、司令塔とパスしかできないと言う縛りを加えただけの特別なルールだ。
 無論、シュートも禁止だ。辛いルールに見えるが、これをやらずにやった最初の試合は酷いもんだった。
 一夏くんの男子生徒特有の「オラオラオラッ!!」な荒っぽいバスケテクニックと、
 ぼくの冷酷無比にして「無駄無駄無駄ァッ!!」な百発百中の3ポイントシュートが、
 大暴れしたために試合が試合じゃなかった。1on1だった。
 結局、一回一回の一点の差が大きいためにぼくが勝利したが、 終わったあとの満足感と、周りの温度は凄まじかった。
 いやはや……、ぼくらの攻防が常人離れしたプレイだったおかげでドン引きではなく「すごーい!」と形容されたが、それでもやっぱり千冬さんの出席簿の鉄槌は免れることは無かった。
 
「あはは……、それだけ聞くと凄い事だね」
「山猫らしいな」
「凄かったわよ……、二人共身体能力が高いからとんでもなかったわ」
「ああ、正直化物のレベルだったからな……」
「失礼な」

 ボールをドリブルしてたぼくはそれをひょいっとゴールへシュートし、3ポイント。

「だよなぁ」

 そのボールを拾い上げてダンクする一夏くん。ナイスダンク。
 その様子を見て「うわぁ」とげんなりする一同を一瞥してぼくらはハイタッチ。

「お二人は仲がよろしくて微笑ましいですわね」
「兄妹だしね」
「兄妹だからな」
「いや、セシリア。あらあらうふふ、で済むような光景ではないからな!?」
「でもまぁ、もう行ってしまったぞ?」

 前を走る一夏くんへパス。彼はそれを華麗にレイアップ。
 ゴールから下へ落ちたボールを受け取り、振り向き様にシュート。遠くでぱすんと乾いた音が聞こえる。
 ボールを拾いに行った一夏くんがドリブルしながら、ぼくのディフェンスを避けて、だんっと力強く跳び――ダンクした。
 がごんっと勢い良く入れ、ゴールリングにぶら下がりながら下に転がったボールを一瞥して一夏くんは飛び降りた。
 へーい、とまたハイタッチ。この体育系のノリは意外と楽しいんだよね。
 それに、試合が始まるとぼくらはパスと指令だけで暴れられないからこうして先に憂さ晴らしをしているだけだ。
 
「いやー……織斑兄妹のレヴェルたっけー……」
「だねぇ。ふふふー、二人共楽しそうだなー。いいなー!」

 ストリートバスケの如くテンションが上がってきたぼくらはちょいとばかし本気で遣り始めた。
 本気の1on1を始め、黄色い歓声を背に3ポイントやダンクを決めまくっていたら何時の間にか志望者による試合になっていた。
 
「セシリアちゃん!」
「承りましたわ!」

 パスを受け取ったセシリアちゃんは胸を揺らしながら華麗なドリブルで鈴ちゃんを追い抜き、のほほんさんを抜け――ず、ボールを掠め取られたセシリアちゃんは「あら?」ときょとんと立ち尽くす。
 仇と言わんばかりにシャルロットちゃんがのほほんさんのそれを即効カット。のほほんさんが「まだまだだよ~」と後ろを向いて油断していた一瞬を突いたようだ。

「ありゃやられちった~♪」

 シャルロットちゃんに即座についたのは箒ちゃんだった。

「させん!」
「くっ、山猫さん!」

 完全に足を止められたシャルロットちゃんは身体を床へ倒す寸前にパスした。

「ほいっと」
「山猫にボール行ったぞ! 止めろ!」
「じゃ、ラウラちゃんにパスッ!」
「む。シュートすればいいんだな?」
「ラウラさんシュートですわ!」

 ぼくばかりにマークが来る中、ゴール下に空いているラウラちゃんにパス。ぴょんと飛んでラウラちゃんはふわりとシュートを打った。
 リングに当たりくるんと回転してから通過して、ぼくらの得点となった。
 黄色い歓声を身に受けたラウラちゃんは最初はそれがよく分からないといった様子だったが、自分に向けられていると分かったようで「ふふん」と得意げに無い胸を張った。そんなラウラちゃんが可愛くて見物の観客たちがより一層声援を送った。
 それと同時に古めかしいチャイムが鳴り……、あれ、これってどっちの合図だ。
 ハイパーセンサーで辺りを見やれば出席簿を持って苦笑している千冬さんが見えた。
 
「よし、今日の体育は以上だ。整列!」

 どうやらぼくらは授業時間までを消費して遊んでいたらしい。
 しかしまぁ、授業内容がバスケだったからそのままお咎め無しと言ったところだろうか。
 それとも、喜ぶラウラちゃんの姿を見てどうでもよくなったのか、どちらだろう。
 整列しながら千冬さんを見て――後者であると確信したのはラウラちゃんの方を見て微笑を浮かべたからだ。
 軍人であり日常に慣れぬラウラちゃんを心配していたのだろう。
 楽しそうな顔を見て肩の荷が下りた、と言ったところだろうか。それほどまでに千冬さんは嬉しそうな顔をしていた。
 結局、授業後にぼくと一夏くんの頭に「次は無いからな馬鹿者め」と出席簿が火を噴いたのは言うまでも無い。















 化物を殺すのは人であり、人を殺すのは化物である。






















 愛せないけども、愛されたい。愛したいけども、愛せない。
 それは、きっとぼくの我侭なのだろう。最低だ、と言われても構わない。蔑んでくれても別に何も感じない。
 
『ああ、確かにそれは――最低な幕引きだな。俺の友人』

 ぼくは痺れるような惹かれる声に意識が引かれる。電話の相手は人類最悪と名高い狐さんだった。
 内容はぼくのこれからの全て。すでに話し終えているので繰り返すまでもない。
 誰にも知られてはならない秘密の談義。中々にスリリングな気分だった。
 操り人形たるアラクネによりすでにこの会話を盗聴できぬ妨害をさせているし、先客の簪ちゃんに頼んでこのTVルームを貸し切らせてもらっている。万全な状態での密会だ。バレる心配が無い。
 
「当たり前でしょう。ぼくのそれはただの我侭ですから」
『『当たり前でしょう』。ふん。それもそうだな、自ら世界へ廻る己の歯車を狂わせようとしているのだからな。お前ほどに狂っている自殺志願者は居ないだろう。そして、お前ほど優しい奴は居ないだろう』
「勘弁してくださいよ、狐さん。ぼくは優しい奴なんかじゃあない。ヴァルプルギスの夜の如く、罪深い嵐なんですよ。遣った事の収拾は他人任せ、これほどまでに迷惑な奴なんていませんよ。それを優しいだなんて形容するなんて、貴方は酔狂過ぎます」
『『貴方は酔狂過ぎます』。ふん。確かに良酒が手に入ったから少しばかし早い晩酌をしてるが、そこまで酔っちゃいない。そもそも、だ。俺という因果から外れた存在にアプローチをかけている時点でお前は因果の流れが速い。程々にしなければ運命に押し流されるぞ』
「運命、ですか。確かに、ぼくの鬼札の一人から薦められた漫画のキャラが言ってましたね。『人間は策を弄すれば弄するほど、予期せぬ事態で策が崩れ去る』、と。ですが、ぼくにも当て嵌まりません。なぜなら、先ほど言ったようにぼくはIS。人間じゃあない。知能的な策士に抑えきれぬ程の狂戦士を送るような感じのぼくですし、この計画は失敗には至りません」

 ――ぼくは、人間ではなく、兵器だ。優しさなんて武器は、積んでない。
 そもそも……、ぼくが生まれたきっかけは何だったろうか。
 一夏くんの犠牲となった人達への手向けと言うべきか、ぼくという存在は"織斑一夏"の中ではとても大きな役割だった。
 己が弱いことに絶望し眠る『弱さ』。
 己が強いことを確信し猛る『強さ』。
 その『強さ』を担い、その『弱さ』を背負ったのが、ぼくという罪滅ぼしの存在だった。
 自分のせいで誰かを傷つけたのだから、誰かのために傷つく自分であるべきだ。
 彼はそう願った。だから、ぼくが生まれた。
 生まれたばかりのぼくは、最初はそう生きるつもりだった。
 誰かの杖となり、誰かの剣となり、誰かの盾になる存在。だったはずだ。
 しかしながら、運命の波というものは愚かにも賢しくも上手く廻らぬように人々を流す。
 クーヴェルト・アジルス――人類最凶に出会った。
 ぼくという存在は恐らく彼女の過剰までに過ぎる自己防衛概念により、因果が凶ってしまったのだろう。
 織斑山猫――兵器最強に成った。
 ぼくという存在は、誰かの願望器のようなものだった。故に、凶って全ての願いを叶える。
 ――友人の恋を成就し、
 ――誰かの欲望を成就し、
 ――最強の兵器と呼ばれたそれらの成就を背負い、
 ――天災の解放を成就させんと望む。
 言うなれば、災厄。
 ぼくは、最低で、どこまでも我侭で、どんなに足掻いても優し過ぎて、それらを狂言で語るただの、道化。
 だから、ぼくに優しさは要らない。愛されることも愛すことも狂言と陥るのだから、愛さぬ方が未練も無い。
 だけど、ぼくは一人だけ、彼女だけを、愛してしまっている。恋焦がれてしまっている。ゾッコンだった。
 故に、ぼくは――人でなしとなった。

『……運命というものは時に人を導くように流し、時に人を破滅に押し流す。決まった運命があるというのなら、全ての行動はなるべきようになったというだけだ。それなのに、お前は、足掻くのか。俺のように因果から追放されるだろうに、それでも、望むのか』
「それが、ぼくの存在意義だから、諦めるわけには行かないんですよ。足掻きます。泥を啜り地を這い血を吐いてでも、ぼくは成就せねばならないことがある。人が皆天国へ行く参加資格があるように、ぼくには地獄の片道切符があるんですよ。運命とやらがぼくを失敗へ流すのなら、ぼくは、この最強兵器の身体で滝を登り、龍となります」
『『龍となります』。ふん。やはり、お前は愉快だ。お前ならば……物語への干渉を果たすかもしれないな。ああ、楽しみだ。お前という存在がどれほどまでに世界を終わらす手がかりになるのか、俺には測り知れん』
「世界は終わりませんよ。誰かが、それはもう神様とやらがこの世界を観測し続ける限り、終わりません」

 ――だから、ぼくは世界を壊す。破滅的に壊滅的に絶望的に壊して壊して壊す。
 必要なのは『時』と『場所』と『観客』だ。集めなくてはならない。
 ぼくはこの人類最悪にその相談をしているのだ。

「……狐さん。いや、西東天さん」
『……その名で呼ばれるとはな』
「ええ、この身になってから色々としましたから」
『はっきり言うが、お前の物語は未だに幼い。それでもやるのか』
「やりますよ。言ったでしょう、ぼくという存在は機械になり永遠となったわけじゃないんです。終焉が来る前に、格好の良い悪役の散り様を魅せてやりたいんですよ。それほどまでに、ぼくには時間が無いんです。強行突破しなきゃなんのですよ、神の戸を叩くためには」
『……そうか。良いだろう、それほどまでに覚悟を決めているのならば。なぁ、俺の友人。お前は――俺に何を望むんだ』
「貴方のシナリオを少しばかり丸写しさせてもらいます。だから、"敵造り"のために少しばかりお手を貸してください。"彼"に理由を作らねばなりませんから。そうですね、作戦部隊が欲しいです。ISはこちらで用意します」
『人数は適当で構わないのか』
「ええ」
『そうか。なら、"十三人"だ』

 彼はそう即答した。何か、彼にとって十三とは意味のある数字なのだろうか。そう尋ねると彼は言った。

『理由なんてもんは無い。適当に思いついた数字が十三だった、それだけだ』

 人類最悪の狐は、西東天は、そう苦笑しながら「それにしても」と続けて言葉を紡いだ。

『まさか、あの小娘とこうして縁が繋がるとはな』
「小娘とは、誰のことです?」
『『誰のことです』。ふん。決まっているだろう。お前やISを生み出した小娘――篠ノ之束のことだ』

 彼は、とんでもないことを、さらりと言ってくれた。

『あいつは。篠ノ之束は、昔の俺の研究対象にして助手だった小娘だからな』

 ぼくはその言葉を聞いて、一瞬だけ、ほんの少しだけ、思考が途切れた。
 そう、だった。
 束さんに同情した際に、確かに彼女は言っていた。
 ――『西東先生のお零れを拾い続けて、彼が捨てても私は諦めなかった』と。
 彼の名を、彼を先生と慕っていた。つまり――彼女と彼には過去に接点があったということだ。
 何故、気付かなかったのだろうか。
 彼がすでに故人として扱われているからか、それとも、彼女の隠蔽のせいだろうか。
 いや、違う。
 運命に流され続けて、加速し続けたから、見落としたんだ。だから、これもまた、ぼくの、ミスだ。
 ぼくという物語の加速度は一向に増していくばかりで終着点がすでにぼくにだけ見えはじめていた。
 
『語ってやってもいいが……生憎俺は今忙しくてな。零崎人識というガキとメンバーを集めてる最中だ。また今度にしてくれ』
「……零崎人識なら貴方は会ってますよ?」
『は?』

 初めて聞く彼の驚く声にぼくも驚いた。この人、こんな声も出せるんだ。
 電話越しながらその本当に驚いた様子が見て取れるようなぐらいに、その声は驚愕に満ちていた。
 
「この前会った際に貴方が話していた刺青少年ですよ」
『……そうだったのか……』

 冷静ながら落ち込む声で初めて彼が人間なんだなぁと思った瞬間でもあった。
 飄々と何も考えずに行動している割には後悔のような事もするんだな、とも思った。

『だがまぁ、いつか会う予定だったからな。それが早くなった、それだけだ。起こるべくして起きた、ああ、それだけだ』
「いや、どんだけ負けず嫌いなんですか貴方は。これで目標が一つ減りましたよね。暇でしょう、お聞かせいただけますか?」

 ――篠ノ之束との出会いと、その軌跡を。
 彼はしばらく沈黙していたが「まぁ、いいだろう」と語り始めた。
 時は今から十六年前に遡る。彼――西東天が渡米し、架条明楽、藍川純哉と共にある組織を作った年だ。
 その組織は、彼が世界が終わる瞬間を見るために「死なない研究」を本格的に始めてから二年経った頃に友人らと作ったという。
 幾度も検証と実験を繰り返し、これという進歩の無い日々に焦りと諦めを感じ始めた彼がふらりと外に出た時のことだった。
 今から数えて十四年前、束さんが九歳の頃、彼は偶然にも路地裏で倒れる彼女を見つけ「これもまた何かの運命だろう」と拾った。
 その頃から彼は彼女の異常さを見抜いていたそうだ。
 実験対象でありながら彼女は、彼の助手のように自身に行った実験についてのレポートを欲しがり、そして、それに対し考えを述べた。
 恐ろしい程に鋭すぎる感性と指摘により研究は進んでいった。人類最終に至る道へと進み続けた。
 三年ほどの歳月が経ち、彼女はハードな研究内容に次第に壊れ始めたそうだ。いや、正確に言えば、彼女は研究内容に没頭することで壊れ始めた。研究が原因ではなく、研究を己の中でし続けたことが原因で心を壊し始めたのだ。
 自身をモルモットにして、狂ったように研究を続ける彼女にふと彼の娘が言ってしまったらしい。
 「お前には親から貰った大切な身体を大切にしようとする気持ちは無いのか」、と。
 彼の娘の名は驚くべきながら「ああ、やっぱり」と納得のできる人物――人類最強の請負人たる哀川潤だった。
 "親"という束さんにとって最悪過ぎるワードを入れてしまった瞬間、束さんは壊れた。完全に、壊れてしまったそうだ。
 自白するように、自供するように、自首するように、彼女は自分の才能の重さで見捨てられた事実を否定し始め、彼の言葉すらも聞き入れられないくらいに彼女の心は砕けて壊れてしまったらしい。
 彼は「自分の責任だ」と束さんを篠ノ之家へ戻した。いや、残酷に言うなら捨てたのだ。
 研究の価値が無くなったモルモットが殺されるように、彼女もまた、捨てられたのだ。
 
『それからのことは知らん。その二年後には俺たちは殺されちまったからな』
「世界大戦、ですか。四神一鏡の財政力の、戦闘能力の、政治力の、普通の、四つの世界を巻き込み壊滅せしめたその年、貴方たちは死んだことになっています。……こうして言葉を交わしていますがね」
『ああ、俺と娘が喧嘩して、俺に架条が、娘に藍川がついた。まぁ、その話は今は置いておけ。お前はそちらに興味を持ったわけじゃないだろう』
「ええ、その後のことは分からない、でしたね」
『ああ』

 これで、空白のうちほとんどが埋めることができた。
 千冬さんが邂逅したという七年前の高校一年の時、ではなく、それから二年前の中学二年の時。
 そこから戻って二年間の空白が気になる。彼に捨てられ家へ戻された後の二年間……、何があったのだろうか。
 彼から聞くことはこれで恐らく全てだろう。
 ああ、やっぱり、知りたくはなかったが、確信したくはなかったが、やはり、彼は、西東天こそが、ぼくを生み出した元凶だった。
 彼との出会いで壊れ、千冬さんとの出会いで溺れ、ぼくとの出会いで狂った束さん。
 愛を欲し知識に溺れた彼女を解放するキーワードは「二年の空白」「西東先生」「親」「願い」のうち、二つだけ済んだ。
 尋ねるしかないのだろう。インターネットという記録に残らぬ記憶を紡がなくてはならないのだろう。

「ありがとうございます、十分です」

 ぼくは礼を言ってから「息災で」と電話を切った。
 尋ねるべき人物はすでに決まっている。篠ノ之束の妹であり、一夏くんの彼女(候補)たる――箒ちゃんだ。
 彼女に近いようで遠く、遠いからこそ近い箒ちゃんに尋ねなくてはならない。
 ……だが、惜しいことに急ぐことはできない。まだ、全ての準備は整っていない。宣戦布告には、まだ、早すぎる。
 取り合えず、束さんに会う機会を作らなくてはいけないだろう。何せ、ISを十三機も見繕って貰わねばならないのだから。
 
「終わったよ、ありがとね簪ちゃん」
「ううん……、大丈夫。これから暇?」
「まぁ、そうだね。彼らのように訓練するつもりもないし……おや、その手に持つのはもしかして」
「うん! この前言ってた映画! ここのスクリーンは大きいから劇場には劣るけど中々だよ」
「……そうだね、それもいい。じゃあ、鑑賞会とでも洒落込もうかな」

 更識簪。四神一鏡が統べる財政力の世界の中で中級の名家。その使命は――秩序の安定。
 彼女の姉はこの学校の人間の生徒の中で随一の実力を持つ生徒会長の任を担いながらも、IS学園周辺の秩序を安定させようと今も奮起している人物だ。まぁ、零崎の名が噛むここ周辺の秩序は混沌であるままだが、そもそも、その原因であるぼくに何もアプローチしてこないのだから、所詮中級名家止まりの安全ピンだ。捨て置いていいだろう。
 期待ができると言えば、隣でごそごそとBDをセットしている簪ちゃんくらいだろう。彼女の埋もれた才能は姉を超える代物だ。
 だが、彼女は幼い頃から周囲から姉との力差の指摘を受けてコンプレックスを持ち、さらに人との関わりを絶っている少女だった。ごく一部の人物にしかコミュニティを築けない人間不信に陥っていて、ぼくの鎖操術でちょいとばかり自身を持たせてようやく周囲と話せるようにまで回復したが、まだ不安定だ。
 簪ちゃんの才能が埋もれてきた最たる原因は姉である楯無である。
 故に縛るものは恐怖ではなく――嫉妬。実の姉への怒りを、胸の奥に燻らせている小さな火種を、密かに、燃やしてあげた。
 ぼくの計画に不備を齎す可能性がありそうな生徒会長更識楯無への切り札こそが、彼女だ。
 自身でも無意識に思うコンプレックスを嫉妬に、怒りに、憎悪へと負の方向へ齎すだけでいい。
 事が成った時、彼女はきっとぼくの都合の良い操り人形となってくれるはずだ。はたまた、自律した共犯者になってくれるやもしれない。
 半分は、そう思っている。
 もう半分は、同情でもなく期待だ。
 もしも、彼女がぼくの鎖操術の有無に関わらず、己の意思を安定させることができたなら、きっと、彼女は天災に至る天才となる。
 姉をも超える、超越者の道を、覇道を行く人物に成長する。
 それだけの期待をぼくはこの子にしていた。

「山猫さん、できたよ!」
「ん。ありがと簪ちゃん。じゃ、見ようか」
「うん!」

 何も知らずにニコニコとする簪ちゃんの笑顔に罪悪感が生まれるが、それもまた、ぼくの業だろう。狂言だ、捨て置く。
 スクリーンに映し出された映画の内容は皮肉にも――愛と勇気が絶望に染まる物語だった。オリジナルの三部目が楽しみだった。
 



[34794] 壱伍話 迷宮(冥求)
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:c36b78e8
Date: 2012/11/24 13:34


 その手を伸ばして掴むのが希望ならば、その足を払うのが絶望だ。












 人間誰しも生きていることに不思議に思った時があるだろう。
 ふと、何故、自分は生きるのか、と自問したことがあるに違いない。
 念のために生きている、とでも言っておけば洒落た戯言で済ませられるが、実際に問うて見れば、そうはっきりと答えられないだろう。生きたいから生きる。なら、生きたくないなら死ぬのか、そう極論を叩きつけるのも滑稽だろう。
 この問いに答えることができないのも無理は無い。
 自分という人間がすでに「人間」というカテゴリに埋まった一つの個性であり、生命体であると過信している。
 故に、自分より劣ったモノを見れば嫌悪する。自分とは違う、と決め付けるからだ。
 先ほどの問いに自信を持って答えるものが居たのなら、それは恐らく哲学者か捻くれ者か、ぼくのような人でなしだろう。
 ――問うまでもない。
 自然に群れる動物だからだ。人間という思考する動物なのだから、生きようとするのは理由ではなく本能だ。
 生きたいから生きるのではなく、生きることが当たり前だから、子孫を残すことが前提だから、生きるんだ。
 誰もが、神により生きることを促されているのだ。
 全てを統べて生み出した神に、運命という波でゴールへと押し流される。
 それが人の、いや、生物の宿命と言うのなら、ぼくが、それを凌駕する無限の可能性だと言うのなら。
 ぼくは――。

「……起きるか」

 思考を切り、仮眠状態から通常状態へと移行。両腕を拘束する二つのエラーを感知。
 思考状態を機甲状態から人間状態へ移行。
 ……おっと、また色々と脳内回線を切りすぎてリセットしてしまった。
 寝起きはこれだからな……、如何せん朝は弱いまんまだ。
 案の定ぼくの腕を拘束するのは左にラウラちゃん、右にシャルロットちゃんだった。
 確か昨日も同じ状態だったはずなんだけど、ラウラちゃんはともかくシャルロットちゃんは下心があるから……えい。
 
「ぐふっ、きゃうっ!?」

 先日のように早くは起きていなかったようで緩い拘束を蹴り落とすことで振り払う。
 良い感じにベッドから転がり落ちたシャルロットちゃんを一瞥することなく、ぼくはラウラちゃんを抱きしめた。
 ぷにぷにすべすべの幼い感じの感触に癒されながら、胸の中で幸せそうに眠る笑顔を見てほっこりした。
 ベッドの下から「うう……酷いよ山猫ぉ……」と魘されているのか、それとも悦んでいるのか分からぬシャルロットちゃんの呻きが聞こえたが、んなこと知るかとぼくはだんまりを決め込む。君が横に居ることに危険を感じるんだよ、性的にさ。
 
「んん……、山猫……?」
「おはよ」
「んむ、おはよう……」

 ぽけーっとした様子で目を小さな手で擦るラウラちゃんを見て微笑みが浮かんでしまった。
 
「ねぇ、ちょっと。私は無視? 無視なの? いや、放置プレイってのも乙だと思うんだけど、けれどやはり始まる最初は何かアクションが欲しいって思うんだよ私は。けれど、これが山猫さんの愛だと言うのなら甘んじて、いや、悦んできゃうんっ!?」
「なーに床で正座してぶつくさ言ってるのか分からないんだけど、一応聞くけどなんで居んの?」
「え?」
「いや、そんな「当たり前でしょ?」なんて顔されても反応に困るんだけども」
「そんな反応しちゃう山猫さんも可愛いよ!」
「ちょいと歯ぁ噛み締めろ」
「いやん♪」

 ラウラちゃんを置いて、ぼくはシャルロットちゃんの懐へ入り「どっせーい」と空いている場所のベッドに叩きつけた。
 バウンドしたシャルロットちゃんの足を掴み、ぐるんと一回転させて、もう一度ベッドに叩きつけた。
 柔らかいベッドなのでダメージは無い。
 しかし「あーれー」とされるがままのシャルロットちゃんの姿を見て、少しすっきりしただけだ。
 この手の輩は放って置くほど手に負えないってことを知った瞬間だった。
 そして、一度手を出してしまった以上、これが習慣になるんだろうな、とも思った瞬間でもあった。
 
「なにやってんだろぼくは……」

 ぼくとしては切羽詰った状態で遊ぶ暇も無い……という感じなのに余裕ができてしまっていた。
 クラスメイトといい、シャルロットちゃんといい、双識さんといい……ぼくの周りには変態しか居ないのか。
 溜息を吐きながらぼくは朝食のBLTサンドを摘んでいた。
 ベーコン、レタス、チキン、サンドだ。Tはサンドの意味じゃあ、無い。
 隣にセシリアちゃんとラウラちゃんを侍らせてぼくは食事をしていた。
 厄介度はセシリアちゃん<シャルロットちゃん。
 なので、取り合えず護衛としてラウラちゃん。空いた場所にセシリアちゃんを置いた。
 だが、目の前でニコニコとぼくと同じBLTサンドを頬張りながら笑顔で食べるシャルロットちゃんの視線が痛い。
 何だろう……、ぼくをおかずにBLTサンドを食べてるって感じなんだけどシャルロットちゃん。
 鼻息荒いし、目がギラギラしてるし。
 取り合えず……後で躾けておこうか。
 今日の授業日程は通常授業なので、一夏くんが唸る日だった。
 雰囲気的にorzって感じだったので、ぼくはそれを愉快そうに見ていた。
 
「ひっでぇよなぁ……。間違えた回数叩かれるんだぜ?」
「それは、一夏くんが馬鹿だからだ。きちんと勉強したまえよ。このまま行くと絶望的だな。知らぬ知らぬうちに変な契約書にサインして解剖されてしまうんじゃないか?」
「ちょ、何気に怖いことをさらっと言うなよ。こう見えても勉強はしてんだぜ?」
「結果を伴わない課程に意味は無いさ。このままじゃ、前期末テストで赤点を取ってしまうんじゃなかろうか。そして、大好きな千冬さんにみっちりパッシンパッシンと教えを教授されるわけだ」
「待て、途中から出席簿で叩かれてるんだが」
「そりゃ、君が馬鹿だからね。叩かれるのを前提とするのは当たり前のことじゃないか」

 頭を抱えて一夏くんはベッドに寝転がった。

「ぐっ。自分でも想像できちまったから何も言えねぇ……」
「愛しの二人に勉強を見てもらいたまえよ。ぼくは独学で十分だし、点数を三桁にするくらい楽勝だから」
「だから、こうして頼み込んでるんじゃねぇか。勉強教えてくれって」
「教科書を覚えなさい。以上」
「えぇ……」

 一夏くんは枕に顔を押し付けて「ぐああああ」と扇風機に「あ゛あ゛あ゛あ゛」とするような感じに呻いていた。
 やれやれ……。ぼくは空中投影したディスプレイで株価やらを見ながらも、脳裏で必要な情報を集めていた。
 束さんの居場所を筆頭に、亡国の傀儡蜘蛛から送られる情報を閲覧する。
 ぼくはマルチタスクでスパコン並みで贅沢ができる。
 なので、こうしてそれとなく普通を装いながら機密な情報に手を出している。
 一夏くんは株価などの難しい事柄を喜んで覗き見るような輩ではないし、そして、自室であれば用が無い時間は全てこの時間に割り振れるためある意味ぼくにとっては休息に等しい作業だ。宿題何てもんは貰った直後に終わらせて突っ返している。
 そういえば、珍しいことに放課後の六時前後は大体自主訓練という名のバトルをしているというのに、何故居るんだろうか。
 それとなく尋ねてみれば「そろそろ前期末だからアリーナ禁止でやることがあるけどない」とのこと。勉強しなさい。
 ……学年別トーナメントはクラス代表戦と同じく人識くんの一件で自重されているため、実質無いに等しい。
 そのため、教師側としては前期末テストに力を入れたいのだろう。後何週間もすれば外部宿泊強化合宿もあるそうだし……。皆無事に合宿に行かせたいのだろう。なので、隣のアホのような一夏くんが居ると拙いわけだ。

「なー山猫ー。なんか漫画貸してくれないか? 読んでて勉強できる奴」
「……なら、そこの奇妙な冒険でも読んでみたらどうだい。人間賛歌について熱く熱心に勉強できるはずだよ」
「あー……、最近アニメやってるよな。スレでもちらほら……、おおう!? 全巻揃ってんのかよ、すげぇな」
「ああ、前に食堂の赤いお姉さんが全巻一括払いで布教してきたんだよ。ちなみにぼくは三部が好きだぜ」
「へぇ、俺は一部が好きだぜ。スタンドは出てないけどやっぱり原点って感じでさ」

 そんな感じで脱線しながらぼくらは夕食まで語り合っていた。
 最後の方は漫画片手にジョジョ立ちの練習をしたりして遊んでいたけどね。
 夕食を食べるために食堂へ向かうが、何やら食堂の入り口の前で渋滞ができていた。
 恐らく皆が自由に外へ出なかったために時間が重なって詰まったのだろう。
 ぼくと一夏くんは溜息を吐いて踵を返し、寮長室へ向かい千冬さんを巻き込んで夕食を作り上げた。
 この前作りに来た時の食材の余りが残っていたため、それらを一括して消費するために鍋に決定。
 ここにラウラちゃんを呼びたいものだが、そうすると同部屋である危険人物もといシャルロットちゃんも召還してしまうため泣く泣く諦めた。それに、そこまで具材のストックが無いため、三人で食べるのが限界だった。
 まぁ、ぼくは栄養が無くても生きれるのでお二人に遠慮して鍋奉行に甘んじていたけどね。
 しかし、鶏はきっちりと食べた。むしろ、一夏くんの分を奪ったくらいだった。その分豚肉をあげたけどね。
 からんと最後の一掬いの仕事を終えたお玉が鍋の底に転がる。
 IS学園で用いられる野菜などが美味しいところだったというものあるが、やはり身を犠牲にして出汁となってくれた鶏のおかげだろう、大変美味だった。

「ふぅ……食った食った」
「ふむ、久しぶりに一家団欒したな」
「そうですね。曜日を決めて毎週やりましょうか?」
「ああ、それいいな。俺と山猫が腕を振るいあうってことで」
「うん、勿論。千冬さんには食器とお茶担当だから絶対に手を出さないでくださいね」
「お、お前ら人が料理できないと分かってて言ってるんだな!? お姉ちゃんを苛めてそんなに楽しいか!」

 お酒が少し回っているのか、千冬さんはお姉ちゃんモードらしい。

「……なら、千冬さん。お料理学んでみますか?」
「む。何やら嫌な予感がするんだが……」
「花嫁修業って奴だな。なるほど、確かにそろそろやっとくべきだよな」
「でしょ? じゃあ、明日から交互にやりますかね」
「ああ、そうだな。最初は何が良いか……悩むな」
「夜だから……あんまり簡単過ぎるとつまらないし……」
「ちょ、ちょっと待て。待ってくれ。きゅ、急過ぎやしないか?」
「いや、千冬さん二十三じゃないですか。そろそろ貰い手探さないと仕事が夫になりますよ?」
「だな。子供作るなら早めじゃないと母体に危険があるし……、うん。決定だな」

 あーでもない、こーでもない、と千冬さんにやらせる最初のレシピを一夏くんと語る。
 何故か小さくなっている千冬さんからは「別に貰い手くらい……あれ、私の青春って全部あの馬鹿兎に費やしてしまったような……」というループ気味の困惑の言葉が漏れているし、こうなったら本気で改善させるしかないだろう。
 見た目は最高水準くらいはあるし、出会いの場は結構あるはずだろう。勿論選定はさせてもらうが。
 仕事も家事もできる鉄人にするためには基本事項からの習得が不可欠だろう、と立案され、明日の夕飯はご飯を自分で炊き玉子焼きとおにぎりと味噌汁をマスターする流れで決定した。
 自慢の姉だから自慢できる人物を夫にして欲しいということで、恋愛講座を開くべきではなかろうか、との提案したところまでで一回目の会議は終了した。理由は自棄酒気味に飲んでいた千冬さんが酔い潰れたからであり、介抱が必要になってしまったからだ。一夏くんは先に自室へ返し、ぼくは千冬さんの着替えを手伝いながらベッドへ寝かす。
 最近教鞭ばかりで動いていないのか若干むっちりし始めた実の姉の現状に少し思考する。
 分泌するナノマシンは……。まぁ、こんなもんか。指先から活性化系のナノマシンを数滴程千冬さんの半開きの口に放り込む。カロリー消費を少しだけ上げるような効果なのでほんの少し火照るくらいだろう。問題あるまい。
 近くのジムでも探しておくかな、と姉孝行しつつもぼくは「おやすみなさい」と扉を閉めて外側から寮長室予備鍵で施錠した。
 
「さてと……少し遅くなっちゃったな」

 暗い窓の外をぼんやりと見ながら自室へ戻ってみれば、なにやらわいわいがやがやと騒がしい。
 案の定と言うべきか、はたまた予定調和とでも言うべきか、いつものメンバーが一人多く集まっていた。

「はろはろ~♪ いーくん、おっひさー!」

 何故、貴方がここに居るんですか、と叫びたい衝動に駆られてしまった。いや、本当に。
 
「……はい、久しぶりです、はい」
「あれれ~? どっしたのいーくん。顔が暗いぞ?」

 漫画でよくある「うわぁ」って感じの顔にかかるあの黒い奴でもあるんじゃないんですかね。 
 こんなにあっさりと見つかるのであれば苦労しねぇよ、と突きつけてしまいたい衝動にも駆られるが、必死に抑える。
 一夏くんのベッドに鈴ちゃんと箒ちゃん――そして姉である束さんが箒ちゃんに抱きついて座っていた。
 勿論、一夏くんも鈴ちゃんも困惑顔である。ちなみに箒ちゃんは嬉しそうな顔をしていた。シスコンめ。
 案の定ぼくのベッドには何故か枕を抱きしめるシャルロットちゃんとセシリアちゃんに膝枕されているラウラちゃんの姿があった。ぼくは顔を包むように右手で覆い「えええええええええ!?」と内心叫んだ。叫ばずには居られなかった。
 何つーかもう、台無しだ。マジで天災だった、この人は。

「束さん。何時ごろからここに?」
「ん~? さっきだよ」
「そうですか」
「何か用があったりするのかな?」
「ありますが……ここではちょっと、って感じですね」
「ははーん。もしかして箒ちゃんみたく媚薬を頼みたいとかかなー? 特別に作ってあげるよー?」
「ちょ!? お、お姉ちゃん!? 何でそれを今言っちゃうかな!?」

 箒ちゃんがとばっちりに遭い、恐らく姉妹内で話す口調なのだろう。
 いつもの凛々しい感じと正反対のおっちょこちょいな妹みたいな様子で束さんに詰め寄っていた。
 さっと意図を察した鈴ちゃんと一夏くんは若干頬を赤くしてそっぽを向いたが、それのせいでぼくの勘が働く。
 彼女らに進展があったんだなーと、身体のお付き合いをしかねない状態まで一夏くんを落としたんだなーと、今度は赤飯かなとかも思う。
 
「あー……束さん。色恋の問題ではなくてですね……」
「うーん、じゃあ、くーちゃんのことかな? そろそろこっちに入れたいんでしょ。手配はしておいたから安心していいよ」
「うぇ!?」
「なんですって!?」
「ふむ?」

 と、ぼくのベッドに座る面々が反応する。明らかにぼくを狙っているであろう二人の反応は分かりやすい、ラウラちゃんに至っては「誰それ」状態だろうし、今度説明してあげようかな。
 確かに、くーちゃんは近々退院して一度アメリカ国籍を取得させて代表候補生として転入させる予定だったが、もしかするとその手配を察してすでに行ってしまっている可能性がある。というか、してるんだろうなぁ、さっきの言い方からしてさ。
 ありがたいんだけども、せめて一言欲しかったなーとぼくは苦笑した。

「いやまぁ、それは感謝しますが……」
「ああ! 分かった!」
「だからここで言う話題じゃないって言ってるじゃないですか!? そろそろ怒りますよ」
「へぇ? どんなことされちゃうのかな?」
「己の肉体のみで十キロマラソンを完走してもらいます。千冬さんのコーチ付きで休憩無く」
「うん、ごめんなさい。悪かったです、悪ノリしてごめんなさいでした♪」

 てへぺろ♪って感じで可愛らしく言われてしまったので許すとしよう。可愛かったし、分かってくれたようだから許してあげよう。うん。断じてちらっと見えた可愛らしくも小さな舌にキュンと来たからじゃあない。
 ああ、断じて違う。違う、違うんだからな!?
 そんな思考をカットし、別のことを考え始める。
 さて、どうしようか。昨日の西東天さんの話のことを直接ぶつけてやってもいいのだが、ちっとそれはこの場ではヘヴィ過ぎる。別話題にして後ほど二人きりで話す時間を設けたいところなのだが、この混沌とした空気の中立ち尽くすぼくには……無理そうだ。
 まずは……隔離だろうか。それとも釘を刺すだけ指して放置か。
 いや、先にここに居る理由を聞くべきなんだろうけども。
 尋ねてみれば「後は培養だけで十分だから暇つぶし」と極々普通に見えて極悪な理由だった。
 この人の暇つぶしってのはちっとばかしやばい。微風という漢字を書いていたら嵐になってたくらいにやばいのだ。
 いつもならば千冬さんが引っ張っていってくれるものの、今は酔い潰れている。助けは求められやしない。
 どうすっかな……。すでに暴風と化している束さんのはしゃぎようを見ながら……ぼくは溜息を吐いた。











 正直は一生の宝、虚偽は一瞬の財。












 結局、死屍累々となった。勿論死んでいるわけではない。ニコニコと混沌を運ぶ兎に生気を、いや、SAN値を直葬されたのだった。マシンガントーク以上の速度でぺらぺらと他国の機密情報を喋り、加えて自慢しながら箒ちゃんに絡み、挙句の果てにはアルコールが入っていないのに関わらず酔えるという酒で乾杯を始め、どんちゃん騒ぎとなり、だんだんと皆酔い潰れて床へ倒れていった結果だった。
 そもそも人間ですらないぼくだから何の害も受けてはいない。しかしながら、この惨状は酷い。凄惨たるものである。
 一夏くんは彼女さんらにサンドウィッチ。
 ぼくの膝枕に眠る可愛らしいラウラちゃんと右肩に頭を置いて眠るセシリアちゃんの姿。
 シャルロットちゃん? ああ、堂々とセクハラしてきたので先ほどベッドに沈めておいた。犬神家って感じに突き刺さってたよ。
 いやまぁ、突き刺さってたのは比喩で、バックドロップ喰らったような体勢だったんだけどね。
 さすがにパンツ丸出しってのもあれだから寝かしといてあげたけども。

「ふふふ~♪ いや~楽しいねぇ。久しぶり過ぎてちょーっとハメを外しちゃったよ」
「貴方の場合、箍も外れてるんで自重してください」
「ふうん……。まぁ、いっか。それじゃ本題に入ろうかな? 皆良い感じに"潰れて"くれたしね」
「……ああ、それが目的だったんですか?」
「まぁ、一応? もし聞いてても夢で済むし~」

 案外に短絡的だった。うーむ、もしかしてぼくの存在はあんまりこの人にとって重要じゃないのかもしれないな。
 あんなアプローチしてくれた割には冷たいようだし。寂しいねぇ、まったく。
 まぁ、それはともかく。
 ぼくは取り合えず先にどのような状態であるかを説明し、そしてISネットワークへの接続ができるように頼み込んだ。
 勿論、というか予想はしていたが「うんうん。分かったよ」と軽く許可が出た。
 それならば、と十三機の件についてもお願いしてみたが「うーん、そっちはちょっと無理っぽいかなー」とやんわりと断られてしまった。手元に残っているのは数機だけで十三も無いとのことだった。少しばかり驚いたが、零号機を売ってしまう人だからなぁ。無理も無いか。
 それでね、と前置きを置いてから束さんは真剣な瞳をした。

「正直言っていーくんの身に起きた事態は私にとっても手に負えないことなんだ。そもそも、IS……いや、インフィニット・ストラトスに明確な意思が存在できるかどうかすらも疑ってたからね。今のいーくんを見てるとこれまでの人生がおかしく見えるよ。確かに人口知能をぶっこんで扱い易くはしたんだけれどもこんなオカルトを引き起こすとはね……。魂ってのはいったい何処にあるんだろうね。私でも分からない」
「まぁ、束さんが知らないのであればぼくも知る由もありませんし……。まぁ、良かったんじゃないですかね」
「まぁね。いーくんの魂を"完全なる固体"へ移そうか悩んでたし、朗報だったのかもしれない。でも、その分負担……大きいよね?」

 ぼくは辺りをセンサーで一瞥してから「はい」と頷いた。
 拒絶反応、って奴なのだろうか。それとも、ハードが違うソフトを突っ込んだからか。
 確実にぼくという存在はその灯火を着々と弱くなっていた。
 ろうそくに例えるのであれば後三センチ程で溶け切るくらいにまで、だ。
 あの時の気だるさは決して怠慢や怠惰からくる五月病めいた理由からではなく、単純に身体が蝕まれていただけなのだ。
 雨の日以外でも未だに残る身体の違和感は今も尚ぼくという心を攻め立てる。焦らせるのだ。早く死んでしまえ、と。
 だからこそ、ぼくには狂言が必要だった。戯言のような自分を騙す狂言が必要だった。
 恐らく、後数年は、もしかすると後数日かもしれないが、ぼくという存在が死ぬ日は限りなく近づいてきている。
 友人の彼の言葉を借りるのであれば『運命が加速を始めた』ということなのだろう。
 今日――"偶然的"に"奇跡"のような再会を彼女と果たすなんてことは、運命に流され始めた証拠なのだろう。
 この出会いをぼくが望んでいたという点もあるが、それに加えて彼女の気まぐれな日が今日だった、という不安定要素が確定に変わっているという点がこれまた運命的。もはや、人為的に行われたかのような神様の悪戯のように感じられる。
 この天災すらも神の掌で踊っているのだろう。
 彼女は恐らくながら友人たる人類最悪の思考回路にまでは触れてはいないだろうから、彼の運命論は受け付けないだろう。
 何せ、彼女が敵対するは全知全能たる気まぐれな神様なのであるからして。
 神によって定められた運命というレールに彼女がほいほいと自ら乗るはずがないだろう。
 それ故に彼女は知らないのだ。
 自分がすでにレールの上で立ち尽くしていることに。
 レールの先がすでに無い、ということにも、気づきやしないだろう。
 ちなみに、ぼくのレールの先もすでに何も無い。加えて言えば、後ろもありやしない。
 後はもう、罪を抱いて身を傾けるだけで良い。
 ――ああ、それで良い。
 
「やだなぁ束さん、そんなわけないじゃないですか。こんなにキビキビと動けるわけがないじゃないですか」
「うーん? 直接はもう何が起こるか分からなくて弄れないから何ともできないけど……、うん。いーくんが大丈夫って言うなら大丈夫かな」
「ええ、変な心配はノーサンキューですよ束さん。取り合えずISネットワークの構築をお願いできますかね」
「うん、いいよー。そっちからの構築がエラーになるだけだから、こうやって……ああやって……ほいっと。エンターで終了! これでOK」

 インターネット接続とは違う回線が繋がった感覚があった。
 ――ISネットワーク起動。
 マスター権限の取得を確認。マスタールームの開場の申請を、マスター権限によって承認。
 監視体制状態に移行し、全機体に機密暗号送信……完了。
 全ISネットワークのマスター権限を零号機『黒』へと更新完了。以降セーフモードで継続。
 仮管理権限状態へと全機へ通達。以上。
 試して、みるか。
 ちらりと一夏くんの右手にある白式の起動を試みる。
 小さな光が灯ったのを確認して、確かにコントロールできることを確認した。
 ……これで、最強の盾を手に入れたってわけだ。

「確かに繋がりました。助かります」
「まぁ、スレッド立てるのも良いけどきちんと監視しなきゃだめだからね」
「いや、何処のシスターズのネットワークですかそれは。流石にスレ立てするほどの知能というか茶目っ気は無いでしょうに」
「あはは~そっかな。まぁ、それくらいの茶目っ気が生まれてもいいんだけどねぇ?」
「いや、ぼくを見られても困るんですが……」
「まぁ、考えてもみなよ。一万人のちーちゃんクローンだよ?」

 ……なるほど、それは確かに最高の眺めだと思う。勿論中学生時代の千冬さんが一万人ってことだ。
 あれ、手に負えないんだけど主に家事的な意味で。可愛らしいけども獰猛過ぎるんだけれども。
 中学時代……ね。本人に尋ねてもいいが、ここで壊れられては困るんだ。パス。
 ぼくは話題を変えるために適当に話を振ってみるが、どれもこれも全て、一つに収束される。
 これが、運命に流されるという事だろうか。それとも、単純に偶然な理不尽だろうか。
 どちらにしろ大概にして欲しいものだ。
 まさか、ぼくの計画を知っての行為である、とだなんてぼくは信じたくはない。
 信じたくはない。信じたくないのに、彼女との会話は全て何故か「中学生」の話になってしまっている。
 
「……束さん」
「うん? やっぱり中学生の下着に黒は無いよね。ちーちゃんったら不良の形から入ろうとしてたらしくて焦っちゃったよ」
「ああ、いや。それも確かに良いんですが……、あんまり騒いじゃうと箒ちゃんが起きちゃいますよ」
「うー、確かにそれは可哀想だね。折角いっくんの頭を胸に抱きしめて寝てるんだから、そのまんまにしておいてあげたいし」
「と、いうことで今日はお開きにいたしませんかね?」
「そうだね。結構お話しちゃったから束さんも疲れちゃったよ」

 笑顔で立ち上がりながら束さんはくたくたと言わんばかりに手をひらひらと振る。
 束さんは一夏くんを抱いて眠る箒ちゃんの髪を撫でてから、ひょいっと窓から出て行って、人参に乗って帰って行った。
 いつも思うがあれにどうやって乗っているんだろうか。パイルダーオン式か、それとも瞬間装着式か。どっちだろうか。
 ぼくとしては前者が良いなーと思う。宇宙刑事も捨てがたいが……生憎、ぼくは巨大ロボット派なんだ。
 そうだ、ロケットパンチやってみるか。
 右手をぐっぱぐっぱして凝視する。左手の回転を思い出す。あの回転力ならきっと良いパンチが出せるはずだ。

「…………いや、何処に撃つつもりなんだよぼくは」

 ぼくは悪役だけれども、目の前に敵が居るわけではないのだ。むしろ、作る側なのだ。
 試し撃ちは簪ちゃんが居るときにしようかな。確か、あの子はそっちの教養もあったはずだから……。
 ……懐かしいなぁ。ちょっと暇な時間ができちゃったからTVルームでゴジラでも見ようかと思ったらちょっと際どい方の黒い魔法少女姿の簪ちゃんが「アルカス、クルタス、エイギアス。疾風なる……っ!? ちょ、あ、貴方誰!?」とノリノリで詠唱してたシーンに出くわしてしまったんだっけ。それから千冬さん経由で簪ちゃんが保健室通学ならぬTVルーム通学(生徒会の姉の権限)のちょっと残念な少女だということを知ってから、暇があればちょいちょい顔を出してあげたんだよね。
 最初の頃はおどおどしてたけどスイッチが入って力説し始めて元気が増してきて最後の方になって「あれ?」と正気に戻る彼女の姿が何とも可愛かったので「ああ、ちょっとばかし摘み食いもとい手伝ってあげようかな」って感じで鎖操術かけたらとんでもない原石だってのに気付いたんだっけ。いやぁ、偶然って怖いね。
 誰からにも愛されないから、誰にでも愛せる何かを愛した。
 これもまた、正解の一つなのだろう。彼女の取った、ぼくには取れぬ、正解の一つ。
 
「だからこそ、ぼくは尊敬している」

 呟いた声は誰にも届かず、ぼくにだけ、ぼくの中にだけに反響した。
 出来て当然なことを出来ない人が居るこの世界で、ぼくはそのたった一つの解を見て、尊敬の念を送った。
 彼女がどのようにしてその解を求め、
 彼女がどのようにしてその解を考え、
 彼女は初めて解を得た瞬間こそ、讃えるべき瞬間なのだ。
 これは、祝福されるべき出来事だ。誰もが簡単に見つけてしまうそれを、彼女は思考することで勝ち取ったのだから。
 例え友人が居なくても、
 例え世界を憎んでも、
 例え自身を嫌っても、
 その解は彼女にとって一番の誇りであると言って過言ではない。
 ――途轍もない違和感を感じた。
 思考という回路に水がかかったような、そんな脳内思考の空白がぼくの思考を止めた。
 今、ぼくは何を考えていたんだろうか。ぼくが、"織斑一夏"が、"いーくん"が、誰かを褒めて、いる?
 ――狂言遣い。
 その言葉が赤きシルエットと共に浮かび上がる。
 鮮烈にして鮮明なあの人類最強の請負人たる彼女の声で響く。
 ぼくは……どうしてしまったのだろうか。これはきっと、恐らく、多分、戯言なのだろう。
 ただでさえぼくは偽者なんだ。いや、偽者だったんだ。
 くーちゃんに言われたように、ぼくは、偽者が偽者らしく偽者として生きていいのだ。
 なのに……何故だろう。この心の空白は。埋まらない、到底埋まらないこの空白は、いったい――。

「ううん……。あれ、私はいったい何を……」

 カチリ、とスイッチが切り替わるかのようにぼくの思考はそこで強制的に終止符を打たれた。
 ぼくのベッドの上で伸びをしてその豊かな成長の証を張ってから、シャルロットちゃんはむくりと起き上がる。
 ああ、そうか。ぼくは――怖がっているのか。
 計画を成就することを、躊躇っているのかもしれない。成功させようとして焦り過ぎているのかもしれない。
 だから、自分の心を観測できずに暴れさせているのだろう。
 近い故に遠く、遠いからこそ近い。
 求めるほどに掴めず、捨てるほどに得ていく。
 そんな矛盾さを孕んだかのようにぼくの心の中はウロボロスの如くぐるぐると逆巻き続ける。
 出入り口を失くした迷路のように、ぼくの心は、彷徨い歩いている。
 辿り着くために必要な鍵を全て、一つの欠けもなく手に入れなければならない。
 例え、それがどんな代償を払うことになったとしても、だ。

「やぁ、シャルロットちゃん。おはよう、良い夢見れたかい?」
「……………………よね?」
「ん?」

 聴覚は人並みまでに落としていたから聞き取ることができなかったが、シャルロットちゃんは何かを呟いたようだった。
 尋ねてみるが「ううん、なんでもないよ」とシャルロットちゃんは左右に振り、苦笑した。
 ふむ、まぁ、何事も無いのなら別に構わないのだけれども。だけど何故だろう、今の一瞬。刹那だけ――彼女が遠く感じた。



[34794] 壱陸話 喪失(葬執)
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:c36b78e8
Date: 2012/12/21 00:16


 一人殺して犯罪者、十人殺して猟奇殺人、百人殺して殺人鬼、千人殺してまだ足りぬ。
 汝、人狼なりや?













 終われぬ世界で果てるのであれ、終わる世界で朽ちるのであれ、終焉へ導くことは変わりない。
 ――今か、未来か。
 人は何れ死ぬ。その理由を求めるために生きるというのなら、人にとって死とは生きることだ。
 ――生きるか、死ぬか。
 解答と呼ばれる回答は解凍された快刀でしかない。
 過程とは下底にして仮定を重ねた課程でしかないのだ。
 ならば、何を望むか。
 されど、何を望めと言うのか。
 これこそが、人の命題。
 理由無く生きる本能に突き動かされ続ける思考する獣は自身の肯定にのみ世界を揺るがし動かし支配する。
 生きるために思考し、死ぬために思考し、止まることの無い終わりを目指して思考し続ける人間たる故に、思考が止まる瞬間を、死と呼ぶのだろう。思考が出来なくなる、その一瞬までを生きるからこそ、輝くのだと大人は言わずに背で語る。
 終焉とは終点であると決め付けたからこそ、人生のレールを歩み続けるのだろう。
 鈍行でも、急行でも、どんなにも変わらなくても、最後は終点へと辿り着く。
 故に、その過程を評価するのなら、一瞬のことを後悔して生きるよりも。
 ――独りでに呟いてしまった戯言のように生きた方が良いんだろう。
 炯々と鈍く輝く黒き世界の中で、少年は呟いた。
 彼の身体を赤き雨が侵していく。
 黒き世界で彼は、ただ独り。
 彼はようやく――異なることなく偽ることなく己の意義を見つけた。
 赤き雨は黒ずんでいく――。










 
 
 あれからぼくは身体の何処かにぽっかり空いた空間を埋めることなく、土曜日を迎えていた。
 隣には誰も居らず、朝日に陰るぼくの影しか存在しなかった。
 ぼくがこの身体になった日から、ぼくは彼女と会うことができなかった。
 診察日、面会拒絶、面会拒絶と来て、今日は四回目の土曜日。
 最初の一度目はタイミングが、そして後の二回はナノマシンにより急に回復した事による処置であるため文句は言えない。
 もしかすると、今日もまた面会できないのかもしれない、そう思ってしまう。
 
「ああ、708号室のアジルスさんですね。この前まで面会拒絶状態だったようですが、今は大丈夫ですよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「ええ、もしかしてお友達かしら?」
「ええ、そんなとこですよ。では、失礼しますね」

 ナースステーションで尋ねてみれば面会は可能のようだ。
 ぼくは無意識に灰色のパーカーの裾を握っていた。今日こそは会えるのだから、寂しさを埋めなくても構わないというのに。
 浮かれるような足取りでエレベーターではなく健康的に階段を上り、彼女の病室まで辿り着いた。
 数度ノックし、返事を待つが、しばらくしても返事は返ってこなかった。
 もう一度ぼくはノックをする。すると、中から「誰ですか」と声が返ってきた。
 その声は四週間振りに聞くくーちゃんの声だった。これほどまでに愛焦がれているとは、思わなかった。
 ぼくさ、と微笑みながらドアを開ければそこには――銀髪の少女が立っていた。
 直立不動。そう形容するのが正しいと感じられるほどに、彼女は堂々と病室の中央に立ち尽くしていた。
 男子三日会わざれば刮目せよとでも言うが、男性の数倍は成長の早い女性はもっと注意深く見なきゃならないだろうけれども、これは変わり過ぎだろう。
 銀色の長い髪を振り払いながら、彼女は口を開いた。

「さて、始めましてだ。どちら様だね、君は。生憎、わたしは友人が少ない。できた友人は忘れるほどには多くない」

 ――だから問う、君は誰だ。そう彼女は獰猛な瞳で言った。
 これは、意外だった。
 箒ちゃんらを筆頭に、ラウラちゃんでさえぼくを見抜いてくれたというのに彼女は見抜いてくれなかった。
 いや、見抜いたのか。見抜いた結果が、これ、なのだろうか。

「もう一度問うよ――君は誰だい?」
「織斑山猫」
「ふうん、山猫って言うのかい。じゃ、帰りたまえ。入り口は後ろだ」
「いやいやいや!?」
「ああ、もしかするといーくんの妹さんかい? なるほど、それならば確かにそれっぽいな」
「それっぽいって……」

 若干くじけつつありながら、ぼくはくーちゃんにも状況を全て語った。
 ふうん、と何処かめんどくさそうにくーちゃんは髪を払った。
 もしかするとあの病弱な姿であったからこのような素が隠れていたのだろうか。
 こんなにも世界の頂点に胡坐をかいているかのような圧倒的な態度が彼女の素だったのだろうか。
 なるほど、確かにこんなにも芯の強い女性ならばあれほどまでに病弱でもオーラが滲み出るわけだ。

「まぁ、なるほど。そういうことだったのか。じゃあ、"山猫さん"。取り合えずそのパーカーを返して貰ってもいいかい?」
「うん? どうしてだい?」
「いやなに、これからちょいと会えなくなるからね。寂しさを埋めるために貸して欲しいのさ」
「……へぇ、珍しいね。くーちゃんが弱音を吐くだなんて」
「問題はあるまい?」
「いやまぁ、そうなんだけれども」

 ぼくは着ているパーカーを脱いで、くーちゃんに手渡す。くーちゃんはそれを抱きしめてからベッドの空いた場所へ置いた。
 ――くーちゃんがぼくに弱音を吐いた。この事実は、とても大きかった。
 雑談の中で知ったが、彼女の銀髪はナノマシンの副作用なのらしい。この前束さんが来てまたぺらぺらと喋ったそうだ。
 何処かくーちゃんは余所余所しい感じだったが、次第に今のぼくに慣れ初めてくれたのか口数が増えた。
 そして、何処か違和感を感じながらも診察の時間となってしまい、本題を切り出すことも忘れて病院から出てしまった。
 
「……何処か、おかしいな」

 直感という愚直かつ曖昧なものに心が動かされる。何処か、おかしい。
 けれども、何がおかしい。
 世界は……普遍で不変的で不偏だろう。変わりようが無い。そもそも、おかしいのはそんな大規模なレヴェルじゃない。
 それならば、くーちゃんか。ナノマシンの影響で銀髪になってしまったようだが、根本的な変わりは見えない。
 ならば、消去法を用いて弾き出される答えは。
 ぼく、か。
 織斑千冬の男性クローン体である織斑一夏。
 その二重人格の『裏』の『強さ』が白式によって黒式として追い出されたのが、ぼく。織斑山猫。
 黒式という新たな器を得たぼくが、おかしい、のか。
 ……分からない。ぼくを客観的に見てくれる人物だなんて数人居るか居ないかだ。
 そう、数人しか居ないのだ。
 西東天もとい狐さん、天災篠ノ之束、人類最強の請負人哀川潤、そして、人類最凶クーヴェルト・アジルス。
 四人の内すでに二人は顔を合わせているが狐さんは電話だし、潤さんは声すらも聞いていない。
 いやまぁ、あの人を忘れるだなんてことはできやしないのだけれども。
 病院からの帰り道、ぼくは思考に没し今までのことを考えていた。
 今から二年程度前にぼくは覚醒した。
 織斑一夏が組織に捕らわれ、数十人の民間人の犠牲により心を壊した際にぼくは生まれた。
 彼の罪悪感を全てぼくが引き受け、彼に、織斑一夏になろうと決意した。
 千冬さんとの生活で織斑一夏がどのような人間であったかの収集は容易だった。
 何せ、織斑一夏と違う行動を取れば千冬さんの瞳に現れるからだ。
 五反田弾という友人も収集には役に立った。今はさすがにやり取りは一夏くんに返しているが、良い友人だった。
 誰かのために熱くなり、友と楽しく盛り上がれる性格の良い奴だった。
 鈴ちゃんとは半年だけだったが弾と御手洗くんやらと一緒に楽しい学校生活を過ごした。
 一年前の夏にラウラちゃんが泊まりに来て仲良くなれた。
 そして、この学園に入学して箒ちゃんと出会い、セシリアちゃんと出会い、鈴ちゃんと再会した。
 彼女らの出会いは織斑一夏という人物を補足するには十分過ぎた。

「これが、織斑一夏を知る道導」
 
 くーちゃんと出会い、生きる意味を知った。
 罪口積雪さんに出会い、裏の世界を知った。
 零崎曲識さんに出会い、殺人鬼を知った。
 零崎双識さんに出会い、己の性癖を知った。
 零崎人識くんに出会い、零崎を知った。
 哀川潤さんに出会い、希望を知った
 更識簪ちゃんと出会い、期待を知った。
 篠ノ之束さんに出会い、全てを知ろうとしている。
 こんなにも少ないと言うのに、ぼくを構成する彼らとの出会いは濃過ぎる。
 これが、ぼくだ。
 そうだろう。そうだったはずだ。ぼくの記憶が間違っていないのであれば、これで正しいんだ。
 だけど、何故だろう。この記憶に確証を持てるはずなのに、なのに……おかしいと違和感を持ってしまう。
 何処かが、違う。おかしいと感じてしまう。
 嗚呼、この場所に潤さんが居たのならシニカルに笑って憂いを払ってくれるだろうに。
 希望的観測という期待をしてしまう。ああ、そうか、だから、ああ、ああ、ああ。
 何故こんなにもおかしいのか分かってしまった。
 そもそも、全てがおかしかったのか。

「よお、こんなところで会うなんてな。買い物か、山猫」
「うん。そうだね、ぼくも思ってなかったよ――"いーくん"」

 彼は学園の制服ではなく、少し使いくたびれたジーパンと灰色のシャツに身を包み、ポケットにキザっぽく手を入れていた。
 ぼくの言葉を聞いて、彼は――織斑一夏の姿である"いーくん"はニヤリと笑みを浮かべた。
 隠すつもりはもうないらしい。いやはや、すっかりと騙された。名演技だった。
 そうだった。そうだったんだ。考えれば当たり前のことだった。
 元に戻った織斑一夏が――異性にときめくわけが無いと言うのに、二人の恋人を侍らすだなんて、出来やしないというのに。
 好きと言わず、好かれ続ける。その在り方は確かにいーくんのそれだったというのに。
 
「……ああ、もう分かっちゃったか。案外俺も、いや、"ぼく"も中々の演技派だろう」
「そうだね。ぼく自身もすっかり騙された」
「おいおい、酷いな。騙したのは君じゃないか。乗っかったのは確かにぼくだけれども」
「君に答えを聞いても尋ねてもいいかい?」
「いんや、答えを教えるつもりはないよ。どうせならぺらぺらと語りたまえよ。君もまた、ある意味ぼくなのだからね」

 そう言って一夏くんの振りをしていた彼は「そこのカフェ」とぼくを連れて踵を返した。
 お互いに珈琲をチョイスし、これまた同様に何も入れずに一口飲む。
 
「違和感の正体は何だったんだい?」

 彼はぼくに向かって問いかける。そう、すでに自分は答えを知ってるかのような余裕ある態度で、珈琲を口に含んだ。

「その前に解答からじゃないのかい?」
「ああ、それもそうだね」
「ぼくは、織斑山猫は――黒式だ。君の記憶を共有したただのコピーロボットだ」
「正解だよ」

 彼は答える。

「ぼくの記憶は君の過去だ。しかし、それは未来までも含まれるわけじゃない。君が何をしようとしていたまでは分かるけど、それを実行し始めた後のことまでは全て新しい考えで、ぼくのものであって君のものじゃあない。おかしいだなんて当たり前だったんだ。なぜなら、そもそも根底がおかしいのだから」
「正解だよ」

 彼は答える。

「ぼくは白式に弾き飛ばされる君の意識と入れ替わった黒式なんだろう?」
「正解だよ」

 彼は答えた。
 「そうそう」と前置きして彼は言う。

「本来のシナリオだったなら、君がただのISだったはずなんだ。と、言っても君のアレは本当に助かった。あのままぼくが織斑一夏という器から出てしまっていたら前のぼくは確実に廃人として首を吊っただろうね。いや、すでにそうなんだけどね。彼は、前のぼくはすでに死んでしまっていた。壊れた心の中で彼は自問自答で愚かにも自殺した。自分を、自分で、殺した。ぼくという存在を隠れ蓑ではなく、後釜として作り出した彼はもう表には出られない。おかげでぼくは織斑一夏として生きるはめになってしまったけれども、これもまた良かったのかもしれないね」
「今、どんな気持ちだい?」
「死にてぇよ」

 彼は表情を変えることなく、そうきっぱりと言った。
 変わるってことは前の自分を殺すということだ。彼は、前の自分の代わりの代わりに変わってしまった。
 すでに彼の、"いーくん"としての場所は存在しない。その場所はぼくが奪ってしまったからだ。
 どちらかが、死ぬ以外に居場所は存在しない。
 どちらかが、織斑一夏として生きなければならない故に、死ななければならない。
 だが、すでに"いーくん"は死ぬことを選んでくれた。
 "いーくん"として生きるぼくは、織斑一夏として生きる"いーくん"の犠牲で成り立っている。
 
「まぁ、すでに死んでるようなもんだけどな。"俺"はもう織斑一夏だ。彼女らのお守りをして、幸せに死ぬさ」
「それで……いいのかい?」
「それしか……無いだろう」
「どうせなら、全てを終わらせたい。だけど、それは俺の役目じゃない」

 彼は立ち上がり、瞳を閉じて再び開いた。その瞳は寂しさでも悲しみでもなく、何もありやしなかった。
 ただ、そこに残るは『強さ』だけだった。瞳の奥に眠る『弱さ』すらも、彼は、全て引き受けた。
 威風堂々と立つ彼に凄みは感じない。しかし、そこに立つ彼へ恐怖した。
 笑みを浮かべ、やるべきことをやった、という表情で彼は立ち去り際に一言だけ言った。

「身代わり、ご苦労」
「――ッ!?」

 一瞬の隙に大口径の戦車砲で重装甲を一発で打ち抜かれたかのような衝撃が心を襲う。
 声をかけようにもすでに彼はカフェの伝票ごと姿を消していた。
 憤りをぶつける場所もなく、左拳をテーブルへ叩きつける。砕け散るテーブルの破片なんて気にしてはいられない。
 奴は、"いーくん"は、最初からこうするつもりだったのか。白式に黒式(ぼく)があることを初めから知っていたのか。
 いや、そんなはずは無い。それを知っていたらぼくも知っているはずだ。
 己の焦燥が汗というプロセスを経て実感してしまう。答えなんて彼にしか分かりやしない。
 ……表舞台に居る必要はもう、無いかな。
 冷めた黒珈琲はやけに苦かった。
 
 








 一人救って好青年、十人救って偽善者、百人救ってヒーロー、千人救ってまだ足りぬ。
 汝、羊なりや?











 あの日、あの場所、あの瞬間からIS学園から織斑山猫は失踪した。意図不明の行方不明。
 彼女を慕っていたラウラちゃんと溺死するくらいに愛していたシャルロットちゃんとセシリアちゃんは目に見える程に落胆していた。今もベッドでシャルロットちゃんだけ寝込んでしまっているらしい。緊張と焦りと心労から倒れてしまったそうだ。
 俺は"いーくん"という自己を捨て、"織斑一夏"と成り変わった。
 偽者が偽者で無くなり、本物が本物で亡くなった。
 たった、それだけだと言うのに二人の様子以外には何も変わりない。
 箒ちゃんと鈴ちゃんは俺にべったりのままで数日経った今も心配する素振りを見せるが他の生徒と同じく日常に戻りつつあり、千冬さんは色々なコネをフル活用して目下探している途中らしい。
 実は言うと俺も彼女の場所を把握しているわけではない。
 しかしながら、俺が"織斑一夏"となったことで譲った友人やコネなどを活用して生き延びているに違いない。
 こちらから"いーくん"であることを晒せば確実に尻尾は掴めるのだが、その代わりに皆に狸の尻尾を見せてしまう。
 どうしたことか。

「ねぇ、一夏。このアクセ買おうかなって思ってるんだけど……どうかな?」
「うーん、鈴にしちゃちょっとばかし背伸びし過ぎじゃねぇか? 鈴には……こっちかな」
「ふむ、確かにこちらの方が似合いそうだな」
「えへへ、そっかぁー、こっちかー。よーし! 今度の休日これ買いに行くわ!」
「おう、行ってらっしゃい」
「アンタも行くのよ!! あ、箒はこっちのページの……、これ! この髪飾りが合うと思うわ!」
「ほぅ、なるほど……。私はファッションに疎いからな。鈴のセンスには脱帽するものがあるぞ」

 こうして俺を挟んで一つのファッション雑誌を見るのが日課となり、休日には彼女たちに付き添って振り回され、所構わず甘えられたり照れられたり激怒されたり……、織斑一夏として生きる日々が俺にはあった。
 日常に流される毎日にスリルもサスペンスもドラマもなく、ただ、死人のように黙ってそれを興じるだけだ。
 非日常が恋しいわけじゃない。日常に慣れないだけだ。
 あんなにも殺伐とした世界はこんなにも穏やかな一面を見せている。ただ、それが俺にとって違和感として襲うのだ。
 彼女たちを失くしてしまうんじゃないかという恐れもまた、俺には恐怖を感じない。
 まるで、生きる人形と遊んでいるかのような、おままごとな関係で居るのがすでに苦痛だった。
 いっそのこと――世界が終わってしまえばいいのに。
 そう願うことは罪だろうか。悪なのだろうか。それとも――嘲りだろうか。
 死ねば楽になる、そうは分かっているというのに死ねない環境で俺は、ぼくは壊れていく。
 いいや、すでに壊れている。壊れ切っていた。請われて乞われて恋われて毀れて壊れている。
 後はもう崩れて朽ちるだけだ。
 死に往く体に鞭打って、非日常を日常として生きて、偽者を受け入れて――。

「もう! 一夏、聞いてるの!!」
「うぉ!? あ、ああ……。わりぃ、ちょっと考え事しててな」

 鈴ちゃんの怒声に渇を入れられ、思考をぶった切られてしまった。
 二人は何処か寂しそうに、でも何故か微笑ましそうに、俺を見つめていた。
 そう、"ぼく"ではなく"俺"を見つめていた。

「アイツが居なくなってもう一週間だもんね。心配するのは分かるわよ」
「ああ……、生き別れとは言え家族だからな。心配するのも仕方が無い」
「何やってるんだろうな俺は。こんな可愛い彼女が二人も居るってのに……。情けない」
「ううん、あたしたちは一夏のその優しいところが好きなんだもん」
「ああ、そうだ。そんなに悲観するな。きっと見つかるさ、あの千冬さんが探してるんだからな」
「……そうだな。正直に言えば俺も探しに行きたい。けど、待つしかないよな」

 見つかるわけが無い。そう分かっているからこそこんな戯言を吐くのにも徒労感がある。
 罪悪感だなんてありやしない。俺が"織斑一夏"として生きている時点で、全てを狂言で騙しているのだ。
 後悔だなんて、今更過ぎる。悔うことだなんてもう有り過ぎて懺悔するには口が足らない。
 
「さてと、そろそろ時間だ。寝ようか」
「あら、もうそんな時間? 早いわねぇ」
「ふふ、そうだな。もう時間だ。時が経つのが早く感じるな」
「あはは、そうだな。それじゃ、俺はちょっとやることがあるから先に戻るぞ」

 それじゃ、と別れを告げて俺は箒と鈴の部屋から出た。

 やることだなんてありやしないというのに、そんな嘘がぽんと出る自分を己でらしいと思うのは笑いもんだろう。
 食事時をとっくに過ぎて時計の針が上を指す頃だからか廊下にはもう誰も居やしなかった。
 時折聞こえてくるドア越しの笑い声や窓の外から聞こえてくる名も分からぬ蝉の声が廊下に静かに木霊して中心を歩く俺に跳ね返ってくる。真夜中に近いからか夏に近づく季節だとしても少し肌寒い。
 今はもう無い灰色のパーカー。少し寂しい。
 騒がしい山猫がいなくなったからか、だんだんと学園の熱が夏の熱へと移り変わっていた。

「……満月か」

 月が見たい。唐突に、本当にどうしようもなく突発的に、そう思った。
 足先を部屋ではなく階段の方へ向ける。二階程の階段を上るとドア越しの笑い声が遠ざかっていくのが感じた。
 屋上に脚を踏み入れると廊下よりも肌寒い風が冷えた頬をなぞった。
 満月に照らされ、シニカルに笑う人物が居た。その姿は見覚えがあった。
 いや、鮮血の如く赤き姿は見覚えだなんてチープなものでは括れなかった。
 これほどまでに鮮烈な再会があっただろうか。
 赤きスーツに身を纏う凛としたシニカルに笑う女性は三日月に口を作る。

「――久しぶりだな」
「ええと、確か……。食堂の赤いお姉さんでしたっけ?」
「おいおい……、そりゃあんまりだぜ"いーくん"。久しぶりの再会なんだ、出し惜しむなよ」
「貴方という人は――本当に食えない人ですね。お久しぶりです、潤ちゃん」
「ちゃん付けすんなっての……。まぁ、いいや。元気してたか?」
「ぼちぼちってとこですよ。ああ、それと今はぼくは織斑一夏です。お願いしますから皆の前でその名で呼ばないでくださいね」
「冷めてんなぁいーくん」

 シニカルに笑い飛ばす潤さんは何処吹く風と言ったようにいつも通り溌剌としているようだった。
 この人だけは心の何処かで腕を組んで仁王立ちしていた気がする。
 久しぶりなのに、久しぶりな気がしないんだよな、この人は。

「まだ、死にたいか?」
「ええ」

 屋上のベンチに二人して座って、満月を見ながら語る。懐かしいな、この感じ。
 "ぼく"がここに居るって、感じられる気がする。

「残念ながら、もう死ねませんけどね。真綿で首吊りしてるような気分ですよ。徐々に緩んでるのに首に食い込み続けるような、そんな気分なんですよ。首吊りながら宙ぶらりんって感じですよ。誰か、殺してくれませんかね」
「請け負えないぜ、んなことは」
「ええ、請け負わないでください。早く見限りをつけてくださいよ、まったく。長いったらありゃしない」
「……あたしはさ、いーくんに期待してんのかもしんねぇ」
「へ?」

 シニカルではなく、シリアスに。らしくもない笑みに俺は――いや、ぼくは不覚にもドキリとした。
 くーちゃんに溺愛しているのに、箒ちゃんと鈴ちゃんに愛されているのに――何でかなぁ、まったく。
 マイナスがプラスに惹かれているだけなのかもしれない。隣の格好良いお姉さんは続けた。

「柄でもないってのは分かってるんだけどよ……。愚痴、聞いてくれるか?」
「……ええ、構いませんよ」

 本心からの愚痴って訳じゃなさそうだ。雰囲気からしてまたぼくの説得だろう。どうせ戻っても暇だ、聞くだけ聞いておこう。

「請負人ってのは誰かの代わりにやるって仕事じゃない。誰かのためにやってやるって仕事だ。あたしはさ、この仕事を天職だと思ってる。そんなあたしがさ、戯言遣いのいーたんに、狂言遣いのいーくんに、期待しちまってんのはさ。似てる、からなんだよな」
「そう、なんですか?」
「ああ。いーたんは自分のことを棚に伸し上げて他人のために動いてきた。例え、それが誰かの災難になったとしても、いーたんは手を貸す相手を間違えずに蛇行しながら真直ぐに生きてる。自分を許さずに惚れた女に一途に生きてる。戯言吐いて必死に誤魔化してる姿を見てるとついちょっかいかけたくなっちまうくらいに可愛い奴だ。そんでもって、いーくんは、これでもかってぐらいに自分を溝に捨てて誰かのために生きてる。狂言だなんていう隠れ蓑が無いと恥ずかしくて何もできやしないシャイな奴だってことはお見通しだぜ」
「お恥ずかしい。んなこと口に出さないでくださいよ」
「だからこそ、いーくんも自分のために生きてほしいんだよ。いーたんみたく弱い自分を曝け出せる奴を見つけてさ、道を堂々と歩けるような奴になってほしい。あたしは誰かのために生きるって決めた。だから……」

 潤さんは決め顔で言った。

「自分だけの幸せを探せ、いーくん」
「――――」
「諦めはまだついてねぇんだろ? ああ、分かってる。そんな瞳してねぇもんな。泥沼で這いずろうが獣のような眼光で吼えてやるって瞳だ。まだ諦めんじゃねぇよ。終わりにはまだ早い。世界ってのはそんなに狭いわけでも広過ぎるわけでもない。自分だけの世界ってのを感じてくれよ。お前が死んでも世界は変わりやしねぇよ。ああ、断言してやる。変わりもせず、終わりもしない。人間の永遠の営みが他を連れ添って長く続いていくだけだ」

 だからよ、と潤さんは立ち上がって月を見上げた。

「早くここまで辿り着け、待っててやるからさ」
「待ってて、くれるんですか? ぼくが、変わるのを」
「変わる必要はないさ。あるもんを曝け出すだけだ。変わるのが自殺なら、晒すのは生まれ変わることなんじゃねぇかな」

 嗚呼――本当に敵わないなこの人には。まったくもって勝てる気がしない。
 こんなにも熱くて優しくて他人思いなこの人をどうしても嫌いになれやしない。
 自惚れでも憧れでも恋慕でも良い。ただ、一言だけ言いたかった。

「"ぼく"は貴方のこと結構好きですよ」
「そうかい、そりゃ大きな進歩だ」

 シニカルに笑って潤さんはぼくの唇を奪った。

「ちょ」 

 満面の笑みでしてやったりという顔をして、潤さんはウインクして何も言わずにクールに屋上から出て行った。
 ああもう、ファーストキスだっていうのにロマンチック過ぎやしないか、まったくもう。
 おかげで火照った頬が涼しい夜風で冷えやしない。
 本当に、いろんな意味で熱い人だよ貴方は。
 それから一人称の"ぼく"が"俺"に戻るまで少しだけの時間を要した。らしくないなぁ、まったく。
 呟けども冷たい夜風が攫うだけで返答はありやしなかった。













PS:
更新ペース大幅ダウンッ! 理由はリアル受験です、はい。
もしかすっと後二ヶ月は無理かもしれません。
ちっとばかし駆け足だったかな?と思ってしまいますが、これにて山猫編終了です。
次から最終章へと至りますが、柒ですし外伝にしましょうかねぇ。
しばらくかかるので気になる点あったら感想よろしくです。




[34794] 外伝短編“壱柒飛ばし” 織斑千冬の人間関係②
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:c36b78e8
Date: 2012/12/26 22:26


 無謀な勇気と偽善な勇気、どちらが良いのだろう?










 織斑山猫が失踪した。何も残さずに、何も分からずに、何も言わずに、居なくなった。
 その事実は私の胸を吸血鬼が恐れる白木の杭を打ち込まれたかのような拒絶感と絶望感を確かな衝撃を持って貫いた。
 食い入る悔いは今でも胸に突き刺さる杭の痛みが証明している。
 あれほどまでに私を支えてくれた一夏が、いや、"いーくん"が居なくなったのはショックだった。
 自分でも驚きだった。
 あれほどまでに嫌悪していたというのに、
 あれほどまでに同情していたというのに、
 これほどまでに愛していたというのに、
 何故。
 こんなにもぽっかりと穴が開いているのだろう、杭が穿ったとでも言うのだろうか。
 
「まぁ、落ち込んだり喜んだりよく分からんがそう落ち込みなさんな」

 そう言って寮長室のテーブルでビールを飲む潤はシニカルに笑った。
 まるで、私の知らないことを知っていて、だから、くだらないことだと笑い飛ばしているような感じがした。
 憤りのような吐き気が胸を苦しめ、堪えられなくなった私はすぐさま近いキッチンの流しへ向かい、吐いた。
 空きっ腹に苦し紛れのビールしか飲んでいなかったからだろうか。
 それとも柄じゃないが悪酔いだろうか。
 ああ、そうか。酔っていたんだ私は。あいつが、いーくんが居てくれるという現実に酔っていたんだ。
 一夏がいーくんという存在に、二重人格に変わって哀しかった。
 織斑山猫という黒式の身体に受肉して一夏が帰ってきてくれて本当に嬉しかった。
 でも、同時に山猫と名前を変えたいーくんが一緒に居てくれることに安堵していた。
 それはもう、離れ離れになると思っていた家族が帰ってきたかのような感動があった。
 口から何も出てはいないが、口を濯いだ。
 
「なぁ……潤。私って嫌な奴だな」
「あん? 何だよ急に。千冬が重度のブラコンで酒豪で世界最強で意外と乙女な奴だなんて今更じゃねぇか」
「……振っておいて何だが。貶してるよな、それ。普通なら、どうしたんだ、くらいは言ってやるだろう親友なら」
「ぷっ、あっはっはっはっは!! らしくねぇ、らしくないな千冬。いつも通りどかってしとけよ、女々しい」
「私は女だ!? 女々しくて当たり前だ、馬鹿者……」

 潤が折角盛り上げてくれたテンションが徐々にトーンと共に下がっていってしまう。
 それを見かねたのか潤はやれやれといったポーズを取ってビールの缶をテーブルへ置いた。

「どうしたんだ?」
「……お前のそういうところ好きだ」

 分かってるくせにシニカルに笑って問い直してくれるところが、今の私には救われる気遣いだった。

「おいおい、あたしなんかに告ってどうすんだよ」
「ふん、冗談だ……。ほら、この前に酒盛りした時に愚痴ったろう? その……前進したっていう」
「ああ、いーくんの話か……」

 そう言って潤はビールの缶を置いて何やらぼんやりと……した後に悪戯娘のように笑みを浮かべた。

「待て、何をしたんだ貴様は」
「いや、ちょっと……な?」

 私の愚弟に何をちょっとだけしたんだこいつは。ビールを買いに食堂へ向かって行った間は何処かに行っていたようだし、まさか人の弟を値踏みしていたのではあるまいな……。
 いや、こいつに限ってそれは無いか。
 人の色恋についてはずかずかとバルカン砲のように踏み込んでくるというのに、誰かに恋をしている、なんていう乙女ちっくな話題をこいつから聞いた覚えも無いし、風の噂ですらも聞いたことはない。
 唯我独壇場のような潤に釣り合う男性がそもそも存在しているのかすらも分からん。
 つい一口三口と中身を飲み干してしまい、四本目に手を出し始めた私の口は軽やかだった。
 あれもこれもと鬱憤を吐き出せば楽になれると思っていたが、案外そうでもないらしい。
 どうやら、私は心の一スペースをいーくんに貸し出していたらしい。
 こんなにも、物足りぬ寂しい気持ちになるとは、思いやしなかった。
 今における全てのコネをフル活用して目下捜索中であるというのに何故こんなにも手がかりが無いのか、と胃が軋む生活をいつまで続ければよいのだろうか。
 
「しっかし、お前がこんなになる程悩んでたなんてなぁ……」

 何処吹く風といったようにさらりと言ってくれる潤に少しだけ苛つきを覚えた。
 しかしまぁ、それが個人的な八つ当たりなのだということは自分でも分かっている。
 すぐにブチキレルような子供ではこの職場には居られない。
 溜息でドス黒い気持ちを吐き出す。
 気休め程度には冷静になれる。その代わり幸せが逃げてしまうそうだがな。
 幸せ、か。私にとっての幸せとは何だったんだろうか。
 あの時、そう、一夏が誘拐されたあの日よりも前から、私の幸せは何処か曖昧になってしまった気がする。
 私を捨てた両親に絶望し、荒れていたあの頃に、たった一つの希望であり、道を正す導だった一夏。
 それは、たった一回の喧嘩だった。
 確か、本当に些細な問題だったと覚えている。本当に、ささやかな問題だったのだ。
 それなのに、どちらも譲りもしないその姿に苛々が胸を蝕み続けていたのだろう。
 きっかけが、いや、終止符が私の落としたスプーンだったのは運命。
 そう、必然だったのだろう。
 両親は変わった。私という罰する相手を見つけて、狂った。いいや、あれはもう、終わっていたのだろう。
 今ならまだ両親を肉親であると懐かしむことができるが、あの頃の私は二人をただの汚い肉袋にしか見えなかった。
 幾度も、ああ、幾度も思った。
 どうして私に暴力を振るうのか、と。
 何で自分のことを棚に上げているんだ、と。
 そんなにも私を殴る蹴ることは楽しいのか、と。
 ――殺してやりたい、と。
 結局事故で二人は死んだ。私が殴られるのを避けて、階段付近に逃げて――。
 未だにあの時の瞳を私は忘れられない。
 ふっと正気に戻り、自分は何をしていたんだ、という自愛と後悔に染まったあの二つの父の瞳を忘れやしない。
 階段の下で咲いた赤い花は、とても綺麗に見えた。
 その直後、後追い自殺で母も逝った。
 驚くことに、父が死んだその場所で、同じ死に方をした。
 私に微笑んだ母の死ぬ直前の顔が未だに忘れられない。
 それから偶然にも突っ込んだ車が窓を突き破り、二人の遺体に飛び込み、炎上し、そして、燃えて亡くなった。
 孤児院に移った後も常に考えていた。何故、嬉しくないのだろうか、と。
 あんなにも、あれほどまでに憎んだはずなのに。
 ああ、そうか。その頃からきっと私は達観してしまっていたのだろう。
 こんなにも幸せという存在は青い鳥のように自由気ままに消えて見失うものだったのだろうと。
 笑っていた。
 母は、最期の最後で、笑っていたんだ。
 父と同じ場所で同じように正気に戻って死んだんだ、と気付いて私は――憤怒した。
 何故、貴方たちだけが救われて、取り残されて理不尽な目にあった私だけが不幸になって生きているのだろうと。
 それからだった。
 昔齧っていた剣術を殺人術へと昇華させる手前のそれで止め、木刀を握って声をかけてきた不良どもを正当防衛としてぶちのめして苦しむ様を見て嘲笑っていたのは。

 『弟と妹、どちらが欲しい?』

 そういえば、あの時のずぶ濡れの少女はどうなったんだろうか。
 一度だけ、大学生くらいの不良に捕まって身包みを剥がされ掛けていた少女を救ったことがあった。
 あの時の私は良い大義名分があるとだけしか見ていなかったが、十分過ぎる現場だった。
 虚ろな目で彼女は笑っていた、何故か、笑っていた。
 ただ、私は彼女を助けるために場に居たのではない。その後の話が有利になるから八つ当たりに巻き込んだだけだ
 なのに、彼女は笑っていた。
 くぐもったような呼吸をし、壊れたオーディオのような笑い声で、彼女は私の手を取って立ち上がった。
 それから私は一年間の暴走という忘葬を行っていた。
 忘れたかった、何もかも。
 今思えばあれはあの頃の私が両親に対して送った花束だったのかもしれない。
 あんなにも綺麗に咲いた花を届けてあげたいと、そんな歪な願いを無意識に敵えていただけなのかもしれない。

「お、おい……千冬?」

 唐突に、そう、突然に私の心が何かに穿たれた。確実に、しかし、見えない何かが確かにこの胸を抉った。
 瞳から流れる水。
 私は、あの人たちに……両親のために泣ける心がまだあったのか、と驚きながら、泣いた。
 
「おかしい、おかしいな……潤。私は何で泣いてるんだ。あんなにも憎んでいたっていうのに」

 ――こんなにも愛していたのか、私は。

「そりゃぁ、そうだ。人間ってのは、愛で動く生物だ。愛が無きゃ人は生まれないし、人は育たねぇ」

 潤はふっとシニカルに笑って言った。

「だから、人は信用に愛を選ぶ。それが、たった一つの嘘偽りの無い正直な感情だからだ。どんなに戯言に埋まれていたって、どんなに嘘に飲まれていたって、変わりようがない人間の美点なのさ。だからよぉ、泣いていいんだよ千冬。お前がいーくん以外の誰かをどんなに憎んでいたとしても、泣けるってことはその人を少なからず愛していたっていう証拠なんだから。何ならこの胸を貸してやろうか。後でクリーニング代を請求するがな」

 私は、ぽかん、としてしまった。嘘偽りのない真直ぐな瞳を見て、思考が止まってしまった。
 そうか、そうだったな。こいつはこういう奴だった。
 これでもかというぐらい人を愛し、愛し過ぎて、ろくでもないほどに信用している。
 ああ、こんなにも愛される奴だったな。お前は。 

「……ぷっ、くは、あはははははははは! 悪いが勘弁願うよ、親友。私の涙はそんなに安くはないからな」
「おいおい、結構するんだぜこのスーツ。オーダーメイドだぜ? ……なんかさ、オーダーメイドって何処か淫靡な感じがしねぇ?」
「おい!? お前は私の感動的なシーンをぶち壊して楽しいか!?」
「ああ!!」
「良い返事だから許す!」
「許された!」

 お互いの顔を見て大爆笑だった。
 酒が廻っていたからか、それとも、いや、潤の気遣いを暴露するのも野暮ってものだろう。
 ここは、テンションに任せていたとしておこう。
 みっともない姿を見せた貸しをこれでチャラだ。
 本当にこいつと居て飽きやしない。全く持って私の親友は常識外れな奴らばっかりだ。本当に、全く……。
 うん?
 ちょっと、待て。
 こいつ……。

「なぁ、潤。盛大に大爆笑している所悪いが、尋ねていいか?」
「あん? 何だ?」

 こいつ、さらっと戻りよってからに。
 まぁ、問題無い。とりあえずは――。

「何でいーくんじゃない誰かって分かったんだ?」

 潤は「はぁ?」と本当に分からぬ素振りで問いかけに答えて、しれっと言った。

「さっきまでいーくんと居たぞ? てか、ここに居るお前がよく知ってんだろ」

 ――“何にも変わってないじゃねぇか”。
 その一言で、私の思考は――完全に凍り付いた。



[34794] 壱捌話 戦争(線沿) NEW
Name: 不落八十八◆2f350079 ID:c36b78e8
Date: 2012/12/26 22:45


 何事にも屈しない精神と負けを知らぬ力を持つ者を、強者と呼ぶのだ。








 終わりの無い物語なんて堕落極まりない愚作だ。
 どれだけ時間を歴史を名声を重ねても綺麗に終わらぬ世界に救いは無い。
 主人公よりも強い強敵を打ち倒し続けて主人公の強さがインフレしていく物語や二次元並みの可愛く美しいヒロインが集まりハーレムを形成していく物語に終止符を打つとすれば、作者の死かヒーローの死だけだ。
 死ぬことでしか終われない物語をハッピーエンドだなんて打ち切りの理由をつけて終わらすのは、どうなんだろうか。
 確かに主人公が敵を倒して救われた者たちが居たかもしれない。
 だが、敵側には失った者たちが確かに存在するのだ。
 得た者でしか書かれぬ物語は、失った者たちにとっては不都合と理不尽極まりない物語だろう。
 だからといって、主人公が強敵と戦い死んでしまって、主人公が鋭く観察できて迫る彼女たちをきちんと諭すことができたとしても、物語が面白くなるわけではない。
 何が足りないのか。
 愛、だ。
 幸せに終わるヒーローの物語の裏で、愛する者を失う悲劇のヒールの物語があっていいのだ。
 皆が笑う主人公の物語の裏で、愛焦がれた想いを押し殺して主人公を祝福するモブの物語でもいいだろう。
 物事に裏表があるように、物語にも裏表があったほうが良い、という個人的な見解だった。
 物語に愛が無ければそれは成り立たないのだ。
 愛があるから物語は紡がれ、愛があるから感情が美しく映えるのだ。
 愛の無い戦いに、愛の無い恋愛に、何も感じやしないだろう。
 そう、俺が欲しいのは――愛だ。
 一心不乱の愛だ。
 終わり往く世界で唯一煌めき輝くのは、愛、だけだ。
 だからこそ、俺はこの計画を進めていた。
 この、終わりの無いくだらない物語を終わらせるために。
 しかし、イレギュラーも多かった。

「それでは、今月初めての転入生です!」

 例えば、予定はしていたがあんまりにも早すぎる計画の進みだったり、とか。

「初めまして皆さん。アメリカ代表候補生の――」

 一番最悪なタイミングでの再会とか、ね。

「クーヴェント・アジルスです。病院育ちでしたのであまり世間のことは知りませんし、興味もありません。ですので、無難で他愛の無いお話は結構です。仲良くするつもりは――ありません」

 銀一点。
 ラウラちゃんの銀髪よりも煌めく美しい長髪が首振りによってふわりとなびく。
 圧倒的な存在感。目の前に皇帝が君臨しているかの如く威圧感。手も届かぬ絶望感。
 入り混じる感情は恐らく、困惑。
 銀翼の大天使の如くこの教室に降り立った彼女はとても――美しかった。
 
「しかし、盟友たる織斑一夏くん以外は、です。どうぞ、よろしく」

 にっこりと笑みを浮かべるくーちゃん。全員が背筋を凍らせたに違いない。後ろを振り向くのが少し、怖い。
 相変わらずの不動っぷりに目の前の俺は一瞬素になってしまいそうになった。
 千冬さんは……何処か心ここにあらずと言った様子で俺を見つめていた。何かあったのだろうか。
 いつも気楽そうにぽやぽやと笑う山田先生も苦笑を漏らしていて普通そうに見えるが、若干顔が青ざめている。
 それほどまでに彼女のインパクトは大きかった。

「ッ!!」
「ッ!?」

 現織斑一夏の彼女たちもまた、その圧倒的な言葉に反応したらしい。
 あー……、なるほど、これが、修羅場か。
 俺の学校生活がとにかく大変になることだけは分かった。
 しかし、しかしだ。どうしてこんなにも早い転入が可能になったのだろうか。
 本来ならば、秘密裏に掴んでいたアメリカ軍の極秘開発兵器"シルバー・ゴスペル"の初期実験時に暴走を起こさせ、彼女を上手いこと巻き込み、その機体と共にアメリカ代表候補生の名を頂戴するつもりだったのだ。
 だが、彼女はアメリカ代表候補生と言った。
 恐らくながら、束さんのサポートと山猫の陰謀が噛んでいるはずなので専用機も持っているはずだ。
 
「……では、席は織斑の横の席だな。座れ」
「はい」

 千冬さんですら彼女を出席簿で叩くこともできぬ程の精神掌握術こそが、彼女が人類最凶と謳われる所以だ。
 どんなに彼女が難解な行動に出たとしても、それが普通のように見えてしまう程に凶悪な力だった。
 彼女の場合、心理的云々科学的云々とつらつらと文字を並べることをせずとも、何とも安易にそれを行える。
 だからこそ、その異名が付けられたのは必然だった。
 と、言っても今の彼女はすでにその力を別のベクトルへ変えてしまっている。
 彼女が入院している際には自分に悪影響を与える全てのモノを拒絶していた。
 もっとも、生前から持ってしまっていた病気の侵攻を止めることはできても治すことはできやしなかったが、その点を除いてもその力は本当に絶大的なものだったのだ。
 特に裏の世界の住人たるプレイヤーたちが迷惑を被った。
 ターゲットがその病院付近に逃げ込まれたら最後、その病院から離れるまで見つかりはせず、病院内であれば異常なる怖気が走り目の前に赤き制裁が笑っているかのような威圧感が心を押し潰し逃げざる得ない程に、彼女の力は絶大的だった。
 それ故に、裏の世界の住人からは病院関係者ですらその存在を深く知りえない人物――くーちゃんに目星をつけた。
 人類最強に並ぶ程の威圧感から、その病院から、そしてこの街からプレイヤーは近づくことをしなくなった。
 と、言っても俺との接触からして特別に異常な者へは効果が無かったようだが。
 いや、違うな。
 悪影響に至らぬ者だと認識されたからか。
 狐の友人にこの事を言おうものなら運命論をまた一から長々と説明されてしまいそうだな。
 今の彼女はまさに要塞だった。
 病院周辺までから一教室程までに範囲が狭まって弱体化しているが、それを後押しするかのように彼女本来の才能がそれをきちんと使役し、まるで護衛に西洋騎士を侍らせているかのような気品と威圧感を生み出している。
 つまりは、彼女は今、その力を完全にコントロールしているということだ。
 先ほど鈴ちゃんと箒ちゃんだけが反応したように、くーちゃんはその二人だけを"あえて"力の範囲外へと押しやったのだ。
 宣戦布告、ということだろう。
 いやはや、これほどまでに愛されていると知ると脱帽してしまいたくなる。十円ハゲを作ってしまいそうだ。
 
「お久しぶりだね」
「ああ、そうだな。二年振り、ってとこだな」
「……ああ、そうだね。随分と楽しく過ごしているようじゃないか」

 冷や汗が止まらない。
 怒らせた女性程怖いものはない、そんな気分だった。
 恐らく俺の中で一番恐ろしいのは――ぶち切れた姉とその姉と張り合う赤と目の前の少女だけだろう。
 一人じゃ、収まらない。
 恐らく、いや、確実に俺の今の環境を知っていての所業だろう。
 お叱りと言えどもこれは堪える。
 そもそも、世界でいっとう愛しいくーちゃんとお遊び以下で付き合っている幼馴染sがこの場に介している時点で拷問だ。
 しかしながら、それほどまでに辛い思いをさせてしまっているのは居た堪れない。甘んじてこの拷問を受けよう。

「………………ふぅん」
「………………へぇ」

 突き刺さる二つの視線を身体に感じながら、織斑一夏としての振る舞いで授業に出る。
 正直に言えば零点を取れるほどまでに俺は勉強ができるのだ。
 百点を取れる者は裏返して見れば零点に意図的に取れる。それほどまでに勉強をしていた。
 それは、身の振る舞い方もあるが本来の織斑一夏を貶めることをしないためだ。
 ぬるい友情と、無駄な努力と、空しい勝利の三大法則を用いて俺はそこそこにやることにしているのだ。
 浅い友情なのに親しく、すでに知っていることを学ぶ無駄な努力、空しくなるくらいに気持ちが悪い勝利をくれてやった。
 それだけで"俺"が"ぼく"であるというのに誰も気付かぬ程、人間というのは他人を見ていないものだ。
 
「すいません、気分が悪いので保健室へ行って来ます」
「え? ああ、はい。分かりました、ゆっくりでいいですよー」

 気持ち悪い。
 吐き出してしまいたいくらいに、気持ちが悪い。
 ――壊したくなった。
 今あるこの状況を壊したくなってしまった。
 クラスメイト全員を殺して解して並べて揃えて晒せば、あるいはこの身をずたずたになるほどに引き裂いてしまえば。
 楽になれるだろうに。








 幸福と不幸の天秤は常に水平だろう。












「……死にてぇ」

 一人零した愚痴は誰にも届かず廊下に響くこともなく霧散した。
 いつもであればこのタイミングで誰かしら来ると思うが、今日はどうやら誰も居ないようだ。
 ピンポンパンポーン、と全校生徒へ呼びかける合図の音が近くのスピーカーから聞こえてきた。
 
『緊急集会を行います。生徒は各先生の指示に従って体育館へ向かってください』

 繰り返します――と、続けて二回放送してスピーカーの音は切れた。
 どうやら、何かあったようだ。この場合、保健室に行くべきではないだろう。
 仕方が無いので回れ右した。
 そこには慌てて教室から出ていく生徒たちの後ろ姿を見る女性二人の後ろ姿があった。
 一人は何処かの軍服で、もう一人はアキバやらでしか見れないであろうメイド服だった。
 向かおうにも、その二人がどうも怪しくて、動けやしなかった。
 "誰一人"もこちらを向かずに体育館へと向かって行ってしまったのを見て、悟る。
 すでに始まっているのだと。

「申し遅れました、私の名はチェルシー・ブランケット。"十三騎士"が一人、九の席を預かっております」
「同じく十三騎士が一人、クラリッサ・ハルフォーフ大尉、席は八だ」

 ぺこりとお辞儀をした落ち着いた雰囲気のチェルシーさん。
 胸を張った鋭い瞳をした隻眼のクラリッサさん。
 何処かで聞いた名だった。
 そして――十三騎士とは何だ。俺が考えていた計画とは違う、別のそれだ。
 そもそも、俺自身が世界の敵になる予定だった。
 全ての原因たる白騎士に成りすまし、世界中のISを全て奪い尽くし、最終的に白騎士のオートモードで自爆させてISの存在自体を消してしまう予定だったのだ。
 本来ならば――"ぼく"ごと死ぬ予定だったのだ。
 だが、目の前の二人は何て言った。十三騎士だと? 目の前に二人居るから残り十一人だと?
 
「ブリーチの髪……イギリス女性、ああ、セシリアの幼馴染のメイドさんか。んでもってそちらはラウラの所属している隊の副隊長の人か。ああ、なるほど。二人とも自室で落ち込んでるから本国からお見舞いに来たんですね?」
「いいや、違う。我らに課せられた任務は織斑一夏――いや、"いーくん"。貴様の処理だ」
「ええ、そうですね。私の大事なお嬢様によくもまぁ――万死に値しますわ」

 穏やかな瞳は氷の如く鋭い視線をもって憎悪の色を見せた。
 ああ、なるほど。そういうことか、山猫。本格的に俺の邪魔をしに来たのかお前は。
 世界を終わらせるための補助としての動きを見せるわけでもなく、ただ、私怨で俺を狙うか。
 そうかそうか。へぇ、面白いことをしてくれるな。

「――舐めてんのか」

 苛立ちが止まらない。俺の、いや、"ぼく"を中心にして逆巻くように最凶が君臨する。
 人類最凶たる彼女の偽たる存在であるぼくによくもまぁ、こんなくだらない前戯にもなりやしない児戯をかましたものだ。
 ドヤ顔でこの様子を見ているのなら良いだろう、答えてやるさ。
 
「あ、貴方は何者ですか? 先ほどとは"性質"が一変しましたわ」
「そ、そんなことはどうだっていい。我が隊の隊長を侮辱した罪、ここで払ってもらうぞ――貴様の命を持ってな!」

 クラリッサさんは猛るように吠え、ラウラちゃんの専用ISシュヴァルツェア・レーゲンによくにた型番のISを展開した。
 それに合わせてくると思いや、チェルシーさんは展開せずにこちらの観察に徹底するようだった。
 しかしまぁ、無駄なことだ。
 
「ぬぁ!?」

 クラリッサさんは"不幸"にも一歩踏み出した床が割れてしまい足先が埋まり、"偶然"にもスラスターが壊れて止まり、勢いがつんのめって前へ転んでしまった。
 オンボロのロボットのように無様に倒れ込んだISを必死に動かした結果、"最悪"にも何処かの部品であろうボルトが落ち、そこからドミノのようにISが独りでに壊れていく。
 その重すぎる部品らに挟まれてクラリッサさんは動けないようだった。

「ど、どういうことだ!? 最終チェックまでトントンだったはずだ。貴様、何をした!」
「いんや、何にも? 勝手に貴方が"巻き込まれた"だけですよ。無様にも、馬鹿馬鹿しくも、あっさりと」
「……なるほど、これが狂言遣いたる貴方の手法ですか。ならば、これならどうでしょう――かっ!」

 まるでクラリッサさんの出来事を必然であると結果付けたチェルシーさんは何処からともなく出した大型のランスを構え、一切の助走をせず飛んだ。その尋常じゃない足腰の強さは恐らくこの人もISを持っているからであると推測できる。
 だが、それもまた無駄なことだ。
 "残念"なことに天井の高さを見誤ってしまったのか、高く飛び上がったチェルシーさんはランスの柄尻を天井に当ててしまい空中でバランスを崩し、こちらに辿り着く前に着地するが、先ほどのクラリッサさんのISから落ちたボルトに"運悪く"踏んでしまったようで着地を誤り足を捻ってしまった。
 
「うぐっ!?」

 "偶然"にもぼくは何もしないまま二人共動けなくなってしまったようだった。
 チェルシーさんは諦めが悪いようで、もう片方の足で踏ん張ってこちらへ跳ぶつもりだったのだろう。足元に流れるISから漏れ出たオイルに気がつくことなく、滑る羽目になり、ずてんと転ぶ。
 ドジっ子メイドってのも捨てがたいが、今はノーサンキューだ。
 
「……はん。その程度でぼくに一矢報えるとでも思ってたんですか?」
「貴方は何をしたんですか!?」

 そう悲痛に悔しそうな顔で、答えがわからなくなったジクソーパズルを抱えた子供のように叫ぶチェルシーさんを見て、ぼくは笑みが止まらなかった。
 馬鹿馬鹿しくて構ってられやしなかった。
 人類最凶の力を少し借りただけだというのに、彼女らの力ではそれを受け止めるどころか飲み込まれるだけだった。
 たった、それだけのことだ。
 ぼくの"異偽"に"巻き込まれた"。説明文はたったそれだけだというのに、どう説明しろというのか。
 構ってやるにも時間は惜しい。ぼくは二人を無視して体育館へと向かった。
 恐らく残り十一人は相手しなくてはならないのだ。構ってる暇はない。
 確か、戯言遣いたるいーたんは言葉が通じればいいんだっけ。
 いいなぁ、楽で。ぼくの場合は敵視されないと、"視られない"と発動できないから困るんだよね。
 まぁ、例えそれが仮想のぼくであっても視てしまったら最後、敵意を持った瞬間に絶望する羽目になる。
 どれだけしっかりと視たかでぼくに巻き込まれる深度が変わるからこちらからすることは挑発とかしかないんだけれども、こうやって多人数を相手取れるのは楽でいい。
 のらりくらりと行きましょうかね。
 IS学園は一足制であるために窓から出ても問題は無かった。
 と言っても精々四階程度の高さだから着地も悠々だ。白式のアシスト使ったけども。
 中庭に降り立って体育館はどちらにあったかを思い出す。確か食堂とは反対側にあったような気がする。
 食堂は食料の搬入がしやすいように正門側に位置するのでそれの逆を行けばよいのだ。
 となると、あっちか。すでに行動は起こされているようなので迅速に向かおう。
 恐らく山猫もあの二人がぼくを殺せるとは思っていないはずだ。
 あんな役不足の役者をよくもまぁ舞台に出せたものだ。脚本家として売り出したら二日でさよならだな。
 そんなことを考えながら中庭を出てグラウンドの脇を通って体育館へ辿り着く。
 が、その体育館が無かった。いや、崩壊していた。違う、これは――分解されていた。
 そこらじゅうに広がる部品の川がそれを物語っていた。
 となると、全校生徒は何処へ行ったんだ。体育館よりも大きいスペースだとアリーナか。
 あれ、なんだ。体育館のあそこに居るあのオレンジ色のちっこいの。目を凝らして――、 

「"いーくん"ダナ?」

 ぞくり、と唐突に背筋が凍った。
 瞬時にその場を離れるとそこに突き刺さるは蜘蛛の足。それも巨大な金属の塊だった。
 避け様に進攻方向を見やればそこには巨大な蜘蛛を模したISに乗った女性が居た。
 何処かで見たことがあるような気がするが、分からなかった。
 ガチガチと歯を打ち鳴らしながらぼくを異形の身で睨みつける化物のようなISに、若干引いた。
 やばい、この手の狂ってる輩には最凶は意味を成さない。
 くーちゃんのその最凶は悪影響を及ぼすものを拒絶する力だ。
 だが、悪影響を及ぼすかの判断ができない輩は当然ながらエラーで特例で入りこんでしまう。つまり、ぼくだ。
 そして、目の前のこいつだった。
 
「……白式、展開」

 一瞬の光に包まれて展開された白式の装甲で身を包む。その瞬間にすでに目の前から巨大な前脚が襲いかかっていた。
 受け止めれば恐らく腕が貫通するだろう、そう考えたために後ろへ下がって距離を取った。
 この手の輩には手加減する程の余裕はない。無行動で曲鳴を呼びだし、伸び切って宙に残っていた脚を横合いから叩きつけ粉砕させる。
 
「ギャハッ、コロス、コロス殺ス! ギャハハハハッ!!」

 麻薬でもかましているのか、目の前の蜘蛛は恐れることなく考える素振りも見せずに特攻をしかけてくる。
 しかも、それがベテランのIS乗りの動きであるから恐怖が三割増し、それに加え搭乗者の恐ろしさで激怖かった。
 まるで狂戦士だ。二本、三本と脚を砕いているというのにそれすらも無視して特攻をかます蜘蛛の執念深さに恐れ入る。
 しかし、大振りであることと冷静じゃない動きから避けることは簡単だった。
 段々と体を支える脚が無くなり始め、ついに三本まで砕き切った。
 
「――セカンドゲイン」
「な!?」

 突然冷静な無機質な声で蜘蛛が宣言した瞬間、蜘蛛は姿を変えて蠍のような形へと変貌する。
 無くなった脚が増えているため、別のISに切り替わったような感じ。
 はしゃぎ回る子供のような様子は無く、今度は操り人形のような冷静沈着な声だった。
 いや、声が変わっているということは別人か。
 ぐるんとISの体が回転し、ファラオのように両腕を胸前で交差し拘束された見知らぬ金髪の女性に変わった。
 一つのISに二人が搭乗しているのか。いや、違う。そんなわけがない。
 
「十三騎士が二人、十と十一、の席に座る、貴様のせいで、私たちは離れ、られなくなった、礼を言う、だが、貴様のせいで、私たちは触れ合え、なくなった、死を持って、償え」

 先ほどの蜘蛛女と今の蠍女。二人組で二つで一つのISを動かしているのか。
 石像のような虚ろな瞳で彼女は途切れ途切れに言葉を繋げる。
 ぼくは背中の影から突然現れた尖る尾に不意打ちの一撃をもらってしまった。
 突然なことだったので防御すらできずに、腹部に発動した絶対防御の上からドキツイ一撃を受け、嘔吐感が膨れ上がる。
 吹っ飛ばされるかたちで校舎へと突っ込み、壁を貫通して反対側へ飛び出す。
 白式は元々罪口製のスポーツ用調整に見せかけたリミッター付きの機体。
 そう、プレイヤー向けのセッティングがされてあるため、今のリミッターを解除した白式にはシールドエネルギーというデメリットは無く、存分にISエネルギーを使える状態だった。そのため絶対防御はより強固のものとなり、通常であれば貫かれるような先ほどの一撃でも打撲で済ませるほどの頑丈さがある。
 つまり何が言いたいかというと助かった、ということだ。
 打鉄のようなスポーツ機体だったら搭乗者ごと貫通して大変なことになっていただろう。
 無言で移動する蠍を一瞥し、ぼくは上空へ上がった。
 あの性能からして空戦仕様ではなく陸戦仕様のISだとぼくは解釈したからだ。
 案の定蠍は飛ぶことはせず、跳んで壁を伝って屋上へ上がってきた。
 ――だが、それだけだった。
 正直に言おう。今の白式には遠距離武装は装備されていない。
 そのため、戦うには結局近付かなくてはならない。
 どうしよう。

「その役目私に譲ってもらおうか!」

 蒼が駆けた。
 視界の外れから放たれた蒼い閃光が確実に蠍の脚部を焼き抜く。
 ハイパーセンサーで意識を向けてみれば、そこにはドヤっとした見慣れた顔があった。
 
「やぁ、マドカちゃん。息災で何より」
「いや、にいさん。挨拶もいいが、一先ずアレの処理構わないか?」
「うん、いいよ。生憎ぼくの装備は未だに近接オンリーでね。蜂の巣にして構わないよ」
「了解した。妹の働き――見ておけ!」

 駆ける六つの見たことのある空中砲台――ブルー・ティアーズを完全に使いこなしてまるでマシンガンのような精密射撃を繰り広げるマドカちゃんの姿につい口笛を吹きたくなる。
 上空から獲物を狙う鷹のように蠍を翻弄し一切の反撃の隙を見せぬままさらに展開したアメリカ製らしきガトリング砲を打っ放し始めたマドカちゃんに負けの二文字は見えやしなかった。
 
「ごめんな、さいね、オータム、敵、討てな、かった」
「スコール、スコール! ギャハハハハッ!! スコール!!」

 完全に沈黙し地へ伏せたISから這いずるように搭乗していた二人は涙を流しながら、抱きしめ合って――。
 タタンッとマドカちゃんが展開した拳銃に頭を打ち抜かれて絶命した。
 それはちょっとやりすぎじゃないのか、とマドカちゃんを見やれば悲しそうな顔で「さよなら」と呟いているのを見てしまう。

「知り合いかい?」
「うん。組織のエージェントだった。オータムが独断専行して独房に入れられ、脱走してからスコールも行方不明になった」
「そうだったのか……」

 ああ、独断専行というと鈴ちゃんの件か。マドカちゃんは悲痛な面持ちで続けた。

「それに命令だったから。……あの二人はもう駄目だったと思う。薬と洗脳を受けてボロボロだったからきっと戻れなかった」

 ――だから、私が殺した。
 そうマドカちゃんは降り立って、二人の体に量子化して持ち運んでいたのであろう毛布をかけてやっていた。
 ぼくも降り立って、冥福を祈る。マドカちゃんも真似をして手を合わせる。
 彼女たちは人間としての本能――愛を見せた。最期であっても、変わらぬ愛。なんと美しいことか。
 マドカちゃんはそれを見抜いたからこそ、同僚の嘉で彼女たちを介錯したのだろう。
 愛を忘れるほどに狂う前に、最高の最期を送ったのだ。
 それから一分ほど黙祷を捧げた後、ぼくらは情報を交換しあう。
 どうも一時間前に十三騎士の長、"黒騎士"を名乗る者が世界に向かって宣戦布告をしたそうだ。
 内容はシンプル。ISの開放と人類への復讐だそうだ。その内容以外には特に何もなかったらしい。
 ――インフィニット・ストラトスの宿命を成就するための、布石。第一歩だった。
 IS発展都市を中心にISコア強奪を成功させ、最終目標であるこの学園に集結し始めているとのことだった。
 それに合わせてマドカちゃんが所属していたらしい亡国機業が動き出すことになり、上部からの命令でぼくを保護するようにと命令されたそうだ。そして、その際にオータムとスコールという同僚に出逢えば、始末するように言われていたらしい。
 正直に言うがこのまま保護されるつもりはない。マドカちゃんに伝えると「分かっている」と返ってきた。
 マドカちゃん曰く任務ボイコットしてでもぼくを助けに行きたかったのだと告白されたので、頭を反射的に撫でてしまった。
 束の間の安息を手にしたぼくらは先ほどよりも少しだけ冷静に戻れた。
 ともかく、消えた全校生徒の中に先生も含まれる事態になったことを再確認し、最優先でくーちゃん、次点に箒ちゃんと鈴ちゃんを救出しなければならない。……まぁ、正直に言えばくーちゃんだけ無事ならそれで構わない。
 ぶっちゃければ千冬さん辺りは自分で何とかしてくれそうな気がするしね。
 そんなことを思いながらもぼくはマドカちゃんとアリーナへ向かうことにした。
 ここに居なければ後は虱潰しに校舎を歩き回るしかない。
 携帯や端末を使って連絡を取ってもいいが、傍受されていたりすると困るのでなるべく自分の脚で探すことにする。
 今の状況でISを使って迅速に移動するべきだが、ぼくが山猫の立場であれば、そして、ぼくを本当に処分するのであれば、ISの反応感知型の何かを仕掛けておく。
 恐らくぼくの分身のような彼女なら、確実に仕掛けてあるだろう。
 少々面倒だが、無駄なイレギュラーの対処を考えるよりかは楽だ。
 先ほどぶち抜いてしまった校舎の内側からアリーナへ一直線で向かう。
 アリーナの入口を示す看板を通り過ぎ、ようやくぼくらはアリーナへ辿りついた。
 
「……にいさん、これは……」

 途轍もない異臭がぼくらの鼻を麻痺させる。この酸っぱい匂いは……嘔吐物か。
 アリーナの観客席から入場したぼくらの視界に埋まるは嘔吐の異臭と沈黙する生徒たちの姿だった。
 階段を下りながら白式のハイパーセンサーを起動し、辺りを見回す。
 くーちゃん……、くーちゃんはっと……。

「居ないなぁ」
「いや、にいさん。たくさん居ますけど」
「ああ、ちょっとぼくの愛しの人をね」

 そうですか……、とマドカちゃんは何処か冷めた目でぼくを見たが、ぼくとしては特に何も感じなかった。
 結局の所、くーちゃんは居なかった。
 代わりにもならないが、崩れ落ちて泣き叫ぶセシリアちゃんとラウラちゃんをそれぞれ抱きしめる箒ちゃんと鈴ちゃんの姿があった。
 こちらに気づいていないようだから、マドカちゃんにはそこらで待ってもらう。
 口止めもきちんとしたし問題あるまい。

「おい! 大丈夫か!?」
「い、いちかぁ……」
「いちかさぁぁん……」
「うおぁ!?」

 いきなり飛びついたのは悲痛な声で迎えたラウラちゃんとセシリアちゃん――ではなく箒ちゃんと鈴ちゃんだった。
 ぽいっと捨てるような感じで二人を置き去りにして怒涛の勢いでこちらの身を案じてくれたが、正直うっとおしい。
 やかましい! うっおとしいぜッ!! おまえらッ! とでも叫びたかったが、状況が状況なので自重しておく。
 取り敢えず慰めてから事の次第を聞き出す。
 彼女らはお互いに自分がどれだけ大変だったかをぼくに伝えるが要領を得ない。

「――で、くー……クーヴェントはどうしたんだ?」
「ああ、彼女なら……あれ?」
「さっき大画面で映った放送を漢らしい仁王立ちで見てたんだけど……」

 お互いに泣き崩れた二人を慰めていたために見失ったようだった。全く使えない彼女たちだ、やれやれ。
 本題ではあるが、大画面で映し出されたらしい放送――山猫が率いる十三騎士の宣戦布告の内容について尋ねた。
 ――尋ねてしまったのだ。
 か細い声で、ラウラちゃんが蒼白な顔で、言った。

「山猫が――殺された」

 一時間前の宣戦布告は世界へ。そして、本命は――数分前のそれだった、ということか。
 そうか、マドカちゃんの言っていた宣戦布告は録画されたもので――本当に布石だったのか。
 チェルシーさんとクラリッサさんとの数分の時間、そしてあの愛ある二人の数分の時間。
 あの数分がこれだけの大爆撃を行うための時間稼ぎだった、ということか。
 良いだろう、その宣戦布告。受けて立ってやろうじゃないか。
 


 十三騎士 
 
 一席 ?????
 二席 ?????
 三席 ?????
 四席 ?????
 五席 ?????
 六席 ?????
 七席 ?????
 八席 クラリッサ・ハルフォーフ(黒兎)
 九席 チェルシー・ブランケット(土竜)
 十席 オータム(蜘蛛)
 十一席 スコール(蠍)
 十二席 ?????
 十三席 ?????


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