京都の空に、火球が生まれた。
火球は衝撃波を撒き散らし、再建途上にある街並みを容赦なく解体していく。
「またやられた!」
「斯衛の武御雷まで……?」
「増援はまだか!? このままだと、『奴等』は帝都城に到達するぞ!」
恐慌寸前の通信波を送り合いながら、無数の巨人達が大地を駆ける。
巨人は、金属と炭素繊維と電子機器で出来ていた。
戦術機と呼ばれる、対BETA戦のための人類が開発した兵器。その中でも、不知火あるいは不知火弐型と呼ばれる機体の混成群だ。
不知火を操る衛士達は、帝都守備師団と呼ばれる選り抜きの精鋭らである。
が、今の彼らに外聞を憚る余裕などなく、喚きあい同然の通信を交わしながら必死で機体を操る。
2005年1月初頭。
長年、頭を悩ませてきた地球外生命体・BETAの脅威を切除することに成功した日本帝国は、穏やかな正月を迎えていた。
大陸では未だ激闘が続いているものの、日本帝国に対して直接侵攻しうるBETAの巣――ハイヴは、すでに攻略済み。
非常時のために東京へ遷都していた首都を、元々あった京都に戻す計画が発表されたのは、そのシンボルだ。
いまだ皇帝陛下及び将軍殿下を迎え入れる帝都城の再建すら、工期半ばではあったが。時間さえあれば、帝都・京都復興を阻むモノは何も存在しないはずだった。
しかし、その平穏は防空識別圏を突破してきた、未確認飛行物によって破られた。
未だ再建のメドが全く立たない空軍及び戦闘機部隊の代替としてスクランブルした、和歌山駐屯の撃震小隊が、
『未確認飛行物体は、戦術機と思われる。数は四。機種は記録に該当無し』
という緊急通報を発した後に、壊滅。
慌てて帝国軍がさらなる部隊の出撃を命じた頃には、未確認戦術機は真南から旧京都市街へ突入せんとしていた。
京都近辺に駐屯していた帝国斯衛軍からも迎撃の武御雷が何機か出たが、これさえも『敵』を止められない。
未確認戦術機が、日本帝国軍所属の戦術機を攻撃した事により、敵意をもっているのは明白。
そんな相手に、工事段階であるとはいえ帝都城を攻撃圏内に捉えられては、帝国軍人として切腹しても収まらない屈辱だ。
スクランブルした帝国戦術機部隊のうち、去年採用されたばかりの新型である弐型に搭乗した衛士達は、アメリカ製の高出力ジャンプユニットをレッドゾーンまで吹かす。
おくれじと、武御雷が色とりどりの機体を震わせて続いた。
「――見つけたぞ! これ以上好きにはさせんっ!」
先頭を切っていた弐型からなる戦術機小隊の隊長は、網膜投影画面に未確認機を捉えると吼えた。
「油断するな! 確実に殲滅せよ!」
日本帝国全体に、油断があったのは事実。
未だ軍事的にも復興途上にある京都近辺の帝国軍及び斯衛軍の配置が不十分で、防空に穴があったのも確かだ。
が、それでも生半可な相手に突破されるほど、極東屈指の国家である帝国の防備は甘くない。
隊長機の弐型が、ジャンプユニットから盛大な炎と轟音を吐き出し、シルバーグレイの塗装である未確認機の背中に迫る。
匍匐飛行、と呼ばれる低空飛行域で、両者の距離が詰まっていく。
有効射程距離に入った途端に、弐型が腕にもっていた突撃砲が36ミリ砲弾を連続で吐き出した。
追撃する帝国衛士達の目を、爆発の閃光が一瞬焼いた。
撃破――だが、喜びは数瞬だった。
戦術機が直撃を受け、爆散したにしては炎が小さすぎる。
相手は、攻撃を受ける直前に何か……恐らく航続距離を伸ばすための追加燃料タンクあたりを切り離し、盾としたのだ。
そう気づいた隊長の背筋に、戦慄が氷となって走り抜けた。
「しまっ……!」
隊長の、不覚を嘆く声が中断された。
未確認機は、いつの間にか下に回りこんでいた。地面に背中の構造物がぶつかってもおかしくないような、超低空背面飛行。
弐型のものより一回り大きい砲弾が、未確認機から放たれた。
真下からの攻撃に叩かれ、弐型の装甲が耐え切れずに粉砕される。
次の瞬間、弐型の予備弾倉が誘爆した。
「隊長!?」
「この野郎ぉぉぉ!」
目の前で長を殺された部下達が激昂し、未確認機を追う。
未確認機は、自身が撃破した日本機の破片を避けるように、S字を描きながら飛行を続ける。
それが帝国衛士達には、自分達をからかっているように見えた。
「熱くなるな! 敵はそいつだけじゃないんだぞ!」
性能差から、追随が遅れている……それゆえ若干の冷静さを残した不知火の衛士から、警告が飛ぶ。
だが、都合四機の未確認機のうち、三機はひたすら帝都城へ向けて直進していき、コースを変える気配はない。
一方、弐型三機を相手にする事となった一機は、明らかにわざと速度を落とし、誘いを見せている。
不知火の衛士は、ぞっとなった。
侵入者達は、たった一機で追撃を食い止める自信があるのか。それとも、一機を生贄に捧げてでも帝都城へつっこもうというのか。
いずれにせよ、まともではなかった。
不知火に乗った衛士は、体にかかるGに耐えながら居残る形となった未確認機を凝視した。
「…………!?」
似ている。
不知火の衛士が、未確認機の全容をはっきりと捉えて脳裏に浮かべた言葉が、それだった。
太い一本角のような頭部突起物、鋭い曲線面を持つ装甲形状――武御雷に比べれば、単純な平面で構成される部分も多いが。
日本帝国軍・斯衛軍の制式機である武御雷を思わせるフォルムを、未確認機はもっていたのだ。
追撃していた者達がすぐにそうと気づかなかったのは、武御雷にはない外見上の特徴をもそいつにあったから、だろう。
未確認機は、一般の戦術機が可動兵装担架システムをつけている肩から背面にかけての部位に、大型のスラスターを装備していた。
スラスターには大振りの翼状パーツがついており、それが細かく可動している。
復讐の念にかられる弐型達は、無数の砲弾を撒き散らして小癪な敵を落とそうとしているが。
未確認機は、背中の『羽根』と、こちらは普通の戦術機同様の腰部ジャンプユニットを不規則に吹かし、あるいは動かしながら回避運動を成功させ続けている。
いや、スラスターやジャンプユニットだけではない。手足を不断に揺らし、それによって生まれる複雑な重心移動をコントロールしながら、超低空を自由に泳ぎまわっていた。
時折、機体の各部に光が閃くのは、小型スラスターでも仕込まれているのだろうか?
だとすれば、火力を捨てて機動性優先に特化したスラスターの塊、ということになる。
不知火の衛士は、見ている光景を消化できない。
理屈としては、通常戦術機の最低二倍の推力装置をもっている相手の速度性能や機動性が、弐型や武御雷ですら上回っているという事なのだろうが……。
そんな滅茶苦茶なマシンを操るとすれば、乗る衛士の負担も並大抵では済まない。
Gや衝撃、そして操縦難度は跳ね上がっているはずだ。
しかし、未確認機は余裕さえ感じさせる機動をもって、弐型を翻弄している。
数え切れないほどの外れ弾が、大地を抉っているのに肝心の直撃弾は一発も出ていない。
さらに追いついた武御雷が砲撃に加わるが、未確認機は全てをあらかじめ予知しているかのように、火線の網の僅かな隙間をすり抜けていく。
本当に、あの戦術機には人間が乗っているのか?
そんな疑問さえよぎらせていた不知火の衛士は、はっとなって先行した未確認機の残り位置をレーダーで探した。
連中はすでに、この場の帝国衛士がもっとも守らなければならない領域に突入しつつあった。
「しまった! 帝都城が!」
叫ぶ声は、何の意味も持たない。
帝国衛士達の網膜投影画面に、『帝都城、爆撃さる』という敗北を示す情報が入ったのは、それから十秒後の事だった。
東京、下町の工場地区は正月にもかかわらず、活気に溢れていた。
本土防衛戦以来の戦いで、奇跡的に戦禍を免れたこの地区は、今や復興景気の恩恵を頭から浴びていた。
(このあたりが一番打撃を受けたのは、12・5事件……クーデターを発端とする日本人同士の内輪揉めの時だ)
正月返上で働く、うれしい悲鳴に満ち満ちた街。
そんな街の活気から、取り残されたような小さな電気屋があった。
今にも崩れそうな、という表現がぴったりのバラック小屋の入り口には、一応は『有藤(ありとう)電器店』という表札がかかっていたが。
客足は、全く見られない。
雑多な店内の中央でパイプ椅子に腰掛け、店番をしているのは、三十がらみのくたびれた男が一人。
愛想のかけらもない細面に、やたら度の強そうな眼鏡。油汚れだけは一人前の作業服を着たまま、ぼんやりと椅子に座って青空を見上げていた。
足元には、街の電気屋には似合わない先進技術雑誌や戦術機情報誌が積まれている。
男の名は、有藤順之助という。
かつてこの男が、日本戦術機開発の総本山・国産次世代機開発研究機構の主任であった――といっても、周りに住む人間は誰も信じないだろう。
また、経歴をつぶさに知っていても、好意的な目で見た可能性は低い。
有藤電器店の店先に、三台ほどの車が止まった。いずれも、軍用のジープだ。
ジープから無数の人影が降り立つ。いずれも、憲兵隊所属であることを示す腕章を巻いた兵達だった。
「…………?」
誰がどうみてもお客様とは見えない者達に気づいた有藤は、神経質そうに眉を寄せる。
「――有藤予備役技術大尉ですね?」
憲兵達の中から、一際筋骨逞しい中年男の憲兵が出てきて、開口一番そう言う。
「……そうだが」
軍人はもとより、民間人もその姿を見れば反射的に警戒してしまう憲兵に囲まれる形になった有藤は、ただ面倒そうに答えたのみで立ち上がろうともしない。
中年憲兵は、眼鏡の予備役技術者の態度を咎める事もなく、自身を中津川憲兵中尉と名乗った後、事務的に用件を切り出す。
「予備役技術大尉は、先日起こった『領空侵犯事件』をご存知ですね?」
「なんだそれは?」
声を潜めた憲兵中尉に対して有藤が返したのは、心底知らないといった間の抜けた言葉だった。
一瞬、鼻白んだ中津川は、補足を付け加える。
「太平洋方面から京都へ未確認機が侵入し、復興途上にあった市街を爆撃した事件です」
日本帝国の体面を重んじて、受けた損害はまるで第二次大戦期の大本営発表の如く伏せられていたが。
事件自体は流石に抑えきれなかったため、ぼかした報道はされている。
一般的な国民は動揺し関心を強くもっていたのだが――
有藤は、首を横に振ったのみだ。まったく世事に関心がない、といった風情。
中津川の動きが、一瞬止まる。
「……技術馬鹿で、そのせいで軍を追い出されたって話は本当かよ」
二人のやりとりを聞いていた憲兵の一人が、呆れ顔でそう呟きを漏らした。
「これから話すことは、国家の威信に関わる事です。他言無用に願います」
そう前置きした中津川は、一般はおろか軍内部にも伏せられている情報を含んだ事件のあらましを説明しはじめた。
和歌山方面から京都へ侵入した未確認戦術機により、武御雷二機・不知火弐型一機・撃震四機が撃墜されたこと。
無人の帝都城に、『砲弾』が撃ち込まれたこと。
未確認機はそのまま日本海方面へ抜け、帝国軍の追撃は空振りになったこと。
帝国軍及び斯衛軍にとっては、恥辱極まりない事件を淡々と説明した中津川は、最後に
「その未確認戦術機が……かつて貴方が最後に開発した試作機と酷似しているという事が、我々の調べで判明しました」
と、締めくくった。
「……おいおい、オレをわざわざからかいにくるとは、憲兵も随分暇だな?」
全てを聞き終えた有藤の口元に浮かんだのは、冷笑。
「あんたが言っている試作機っていうのは、試98式戦術歩行戦闘機の事だろう?」
言い募る有藤の顔に、無数の表情が浮かんでは消えた。
懐かしさ、悔しさ、矜持、怒り、恥辱……最後に残ったのは、憲兵達への嘲りだった。
「確かに試98式は、オレが主任を務めたチームの最高傑作だ。
武御雷なんぞ、馬鹿な武家に阿った技術者の恥さらしどもが、あれを改悪したモノに過ぎん!」
数百年前から日本を支配する特権階級への、露骨な侮蔑。憲兵達が、ざわつく。
それを一瞥で黙らせてから、中津川は続きを促した。
中津川は、ここに来る前に有藤の経歴一切を調べていた。憲兵隊の士官として、当然の責務だった。
全ての国産戦術機の祖となったTSF-X開発に携わり、多大な功績を挙げた技術士官。
同時に、
『技術屋は、軍の注文通りのモノを作るよう努力すればいい。余計な意見はするな、考えるな』
という感覚を未だに持つ国防省や城内省相手に、何度も噛みついた男だ。
特に本土防衛戦が開始される一年前(1997年)あたりから、事あるごとに衝突。
最終的に左遷・解任を喰らっても持論を曲げず、ついに予備役編入という名目の追放を受け――それでも意地を張り通した筋金入り。
この程度の言葉に目くじらを立てていては、話が全く進まない。
「……と、開発当時なら豪語したところだがな。所詮は1998年完成……つまり7年も前の試作機だぞ? 時代の進歩には抗えん。
国防省の技術音痴どものせいで早々の陳腐化が確定だった不知火さえ、強化改良が可能な時代だ。
試98式が、バージョンアップを重ねた現行の一線機を相手にそんな戦果を挙げるなんて、不可能だ! まして試作機の現物やデータは――」
「本土防衛戦の最中、テストを行っていた基地ごとBETAに綺麗さっぱりと平らげられた。公式記録上はそうなっています」
トーンが上がる有藤の言葉を、刃のように冷たくなった中津川の声が押し留める。
「――だが、現実にその試98式らしき戦術機が確認され、帝国を翻弄した。これは、事実。
恐らく、何者かの手によって改良が施されているのでしょうが……」
「…………」
「当時の、試98式に関する資料は開発基地がやられた事情もあり、ほとんど残っていないのです。
断片的な情報によれば、かなり特殊な機体だったとか……。
我々に同行し、技術面から事件解決に協力して頂きたい」
有藤は、腕組みをして黙考に入った。
だが、すぐに顔を上げてうなずく。
「わかった。オレの最後の機体が、本当にそんな事件に使われたのなら業腹だしな……」
「ありがとうございます」
うなずきながら、中津川は軽く目を細める。
帝国の公的組織から追放された技術者という経歴から、有藤が今回のテロ事件の協力者ではないのか、という疑いを持つのは当然だった。
相手の態度次第では強制確保も考えていた憲兵中尉は、厄介事にならずに済んだ安堵を押し隠し、立ち上がった有藤にジープに乗るよう促した。
地下ネットワークを通して、ひそやかな会話が交わされている。
BETA大戦の影響で整備途上のまま中断され、放置された――建前上はそうなっている、世界的な地中及び海底ケーブルを通じての密談。
「日本帝国政府は、我々の要求を黙殺した。いや、そもそもまともに取り上げなかった」
「まあ……悪戯と判断されたのだろうな。身元を明らかにしない情報開示の申し入れなど――」
「それゆえ、今回の強硬手段に出たわけだが……」
「これで、日本が我々の要求に応じてくれればいいのだが」
「……可能性は低いだろうな」
「『スポンサー』は、より大きな火種を撒く事を期待しているが?」
「そのあたりは、当初の取り決め通りだ」
「今回は不意打ちできたが、次からは難しくなるぞ……」
「覚悟していた事だ。なんとしても、やり抜かねばならない。我等に後戻りの道はないのだから、な」
旧式もいいところの回線に、さらに暗号プロトコルを重ねているため、発言と発言の間には常時三十秒以上のタイムラグが発生する。
だが、会談の参加者達は冷静に、淡々と距離を隔てた会話を続けた。
「全ては、散っていった同胞達の無念のために――」
一人がそう締めくくり、回線は切断された。