「……魔法……少、女……? ……ははっ、そんな訳、ないよな……」
「ふぇ!? ど、どうして分かったんですか!?」
「え?」
「え?」
「……」
「……」
「なにそれ怖い」
――神は死んだ。
By ニーチェ。
「はい、二名様ご案内しまーす」
「あ、すいません、もう一人いるんですけど……」
「え? あ! す、すいません!……にめ……さ、三名様ご案内しまーす!」
「……今また二名って言いそうになったね」
「……ドンマイ、透」
「……いや、もう慣れたけどな。あ、喫煙席で」
「お煙草はお吸いになられますか?」
「いや、今言ったんですけど……」
「え?」
「え?」
ここは、とあるファミリーレストラン。
そこに女一人、男二人の三人組みが居た。内二人の男女は隣合った席で、この店の名物であるDXチョコレートパフェDXと言う頭の悪そうな物を中睦まじく二人で食している。その向かいの席の男は、煙草を口に咥えてどこか不機嫌そうな顔で紫煙を吐き出していた。
「どうしたの? 紫君。なんか機嫌悪い? はい、アツシ、あーん」
「あーん……あれか? 店員に悉く無視されたことか? ナオ、あーん」
「あーん。んー、美味しいー! ……あ、もしかしてこの店の自動ドアが反応してくれなかったこと?」
「いや、その前のビラ配りが透にだけチラシを渡さなかったことか?」
二人の男女が口々に対面する男に問う。
問われた男は吸っていた煙草がフィルター付近まで無くなっているのに気付き、軽く舌打ちしながらその煙草を灰皿に押し付けた。
そして、間髪いれずに次の煙草を取り出し、ライターで火を点け、点火後一服目の煙をゆっくり肺に入れた後、そしてこれまたゆっくり煙を吐き出して、さらにまたゆっくりと口を開き、
「……お前らが俺の前でイチャつきながら胸やけしそうなモン食ってるからだよ……!」
男が持てる上での限界の敵意を、目の前のバカップルにぶつけた。
そんな彼は、紫 透。21歳の大学生。好きなものは煙草。嫌いなものはイチャつくカップルと甘い物。趣味は散歩。最近の、というより人生の悩みは、――尋常じゃ無いぐらいの存在感の無さ。
「何? そんなのにイラついていたの?」
「だからお前も良い人を見つければいいんだって。なー、ナオ」
「ねー、アツシ」
自分が出来るだけの敵意をまき散らしたのに、目の前のバカップルの反省もせずにイチャつく様子を見て、透は今猛烈にショットガンが欲しくなった。
それがこの手にあるのならば、全世界の恋人のいない人の為に立ち上がるというのに。
しかし、その手にあるのは、紫煙を天井の吸煙機に向かって昇らせている火の点いた煙草だけ。
おまけに透が立ちあがっても、恐らく誰も追従してはくれないだろう。
と言うか、気付いてくれないだろう。
「まー、お前は別に顔が悪いって訳じゃないんだよなー」
「頭も悪くないしねー。背も高い方だし」
「性格も悪くないのになー」
「まー、ヘビースモーカーなのはマイナスかもしれないけどねー」
「でもなー……」
「でもねー……」
『存在感が無い』
「からなー」
「からねー」
息ぴったりに好き勝手な事を言っている二人をジト目で見て、透は溜息を煙に乗せて吐き出した。
――何が嫌だって、全部当っている事だ。
顔は別段悪くない。日本人特有の薄いホリで、良くも悪くも普通な顔だ。身長だって180cm近くある。
頭だって、大学をきちんと真面目に行き、学校から特待生として奨学金を貰っているぐらいだから、悪くはない。性格も、基本的に堅実で真面目な性格だ。
ヘビースモーカーと言う今時の基準のマイナスポイントは確かにあるが、これは透にとってはむしろにプラスに働く事が多い。
それは、顔が普通とか、そこそこの身長だとか、大学の特待生だとか、真面目な性格だとか、そんな物がまるで意味をなさない程――『存在感が無い』為だ。
よって、透にとって煙草を吸う事はアピールポイントの一つなのだ。
事実、周囲の人からは『ああ、あのヘビースモーカーの人ね』と認識されている。
尤も、その後に『……あの人名前何だっけ?』と言う悲しい言葉が付くが。
ここで一番重要なのは、透はその存在感の無さの所為で、恋人どころか友人も碌にいないことである。
団体で遊ぶ時に、『アレ、お前居たの?』と聞かれるのは日常茶飯事だし、その後の、
『……最初から居たよ』
『え?』
『え?』
『なにそれ怖い』
と言うのもお約束だ。今だって、貴重な友人との付き合いでこうしてファミレスに来ているが、透は本当はあまりこう言う店には来たくないのだ。
先ず十中八九店員に無視されるし、二回に一回は自動ドアも反応してくれない。
水を運んで来た店員が慌てて一旦裏に戻って行く、というのもしょっちゅうだ。――つまり、透の分の水を忘れたのだ。
今回も、透が食事を注文してから運ばれてくるまで、店員が彼を見てあっ、と言う反応をしたのが5回ぐらいあり、かつ、料理の来るスピードも他の客に比べると圧倒的に遅い。然程混んでいないにも関わらず、だ。
こうして三人で来ている時にはまだいいが、もし透一人で来ていたら……ああ、どうなってしまうのか。透本人はその未来が容易に想像出来てしまうので、あまり考えないようにしている。虚しい気持ちになるだけだからだ。
件のバカップルは透の大学の同期であり、もう長い付き合いである数少ない友人だ。なんだかんだで存在感の無い透を心配してくれているし、目の前で節操無くイチャつくのを除けば、決して悪い奴らではない、悪い奴らではないのだが……透の胸の内にあるこの世の不条理を嘆く気持ちは、晴れそうになかった。カップルとか爆発しろ。
「じゃーなー。透、明日大学でなー」
「紫君ばいばーい」
「おお、じゃあな」
透はやっとこさデザートを食い終わったバカップル達を見届けて、別れの挨拶を交わした。
あの二人はこれからデートに行くらしい。
――全く、羨ましいことで。
透はそう思いながら、ファミレスの前の喫煙コーナーで煙を揺らしていた。
さて、これからどうしようか、と物思いに耽る。
大学の授業は終わり、今日はアルバイトもない。家に帰ってもこれと言って特にする事が無いし、一緒に遊ぶ友人も碌にいない。
限りなく寂しい一日になるが、透にとっては何時もの事である。なので、この慣れ親しんだ海鳴の土地をぶらりと適当に散歩する事にした。これもまた、何時もの事である。
透は吸い終わった煙草を灰皿に捨て、当てもなく歩き始める。ムカつくぐらいの抜ける様な青空の下で、彼は一つ、あくびをした。
――今日という日が彼にとっての人生の転機になるとは、その時は勿論考えもしなかった。
海鳴市。
海に隣接した街で、海辺といっても山もあれば丘もあり、果てには温泉宿やスーパー銭湯も備えた、至れり尽くせりな街である。田舎なのか都会なのか良く解らない所だ。ただ、この自然の多い土地が、透は好きだった。何よりも空気が美味い……のだが。
「煙草も美味い……」
せっかく新鮮な空気を取りこんでいるのに、せっせと肺を汚す作業に勤しんでいる透。
何やら矛盾、というか意味の無い事をしている様に見えるが、本人曰く「空気の良い所で吸う煙草は美味い」らしい。
元はアピールポイントで吸っていると言うのに、すっかりニコチン中毒になってしまった彼である。
歩行喫煙上等と言わんばかりに堂々と吸っている透であったが、気づく・気づかれない以前にそれは人がいないからである。それに、吸殻を捨てる際にはきちんとジャケットの裏に入っている携帯灰皿を使用する。そして、出来るだけ子供の前では吸わない。これが彼が己に課している不文律である。ちなみに、カップルの前では積極的に吸う。なんなら、煙を吹きかける事もある。
マナーを守っているのだかいないのだが良く分からない男だ。いや、実際守ってはいないのだが、それを咎める人物もいない。
「マナー違反しても皆気付いてくれないからな……」
煙をゆらゆらと揺らしながら、悲しい言葉を呟く透。ちなみに、今彼は神社へと向かう為の階段をゆっくりとした歩調で昇って行くところである。
彼がどんな目的で神社に向かっているのかと言うと、何の事はない。ただ景色の綺麗な所で煙草を吸いに行くだけである。彼に神を敬い奉る気持ちなんて一ピコグラムもない。
――罰当りとか言うなら、勝手に言えばいい。天罰とかやってみろよ。俺はそれでも煙草を吸うぞ。
透は心中でそう言って、残り少なくなった煙草を携帯灰皿にねじ込んだ。すると、透の前に神社の目印である鳥居が現れた。もう少しすれば着くだろう。
「ん……?」
と、そこで透に奔る違和感。
(何だ、これ。神社から変な、……気配? なんか、そんなんがする、ようなしないような……)
どっちだ。
別に透は格闘の達人だったり、剣術を習っていたり、超スピードで動けたりはしない。
身体能力では極々一般的な大学生だ。無論、気配を読む、なんて能力は一切ない。漫画やアニメじゃあるまいし。
そんな彼が感じた、変な気配(仮)。
具体的に何か目に見える変化はない。
しかし、透の胸がなにやらざわめくのだ。
ここは、何かおかしい。何か、居る? と。
「……馬鹿馬鹿しい」
透は現実主義者だ。謎の気配とか言うオカルト染みたものは信じない。
彼は己の感じたざわめきを一笑して、神社の鳥居をくぐって境内の中程まで進み、胸ポケットから煙草を取り出して、火を点けた。そして。
『グオオオオオオオオオオ!』
なんかドデカい犬ちっくな生物が雄叫びを上げているのを見た。
「……………………………………あ?」
たっぷりと間を開けて、透は一言だけ呟くことが出来た。とりあえず、煙草を咥えたまま目を擦る。これは幻覚に違いない。違うとしたら、夢だ。
ごしごし、と目を擦る。
そこには、やたらデカくて目が血走っている犬ちっくな何か。その足元には倒れている女性。
ごしごし。その後、ぐにー、と頬っぺたも引っ張ってみる。痛い。
そこには、犬の割にはなにかゴテゴテした物がくっ付いている変な化け物。足元にはやっぱり女性。
――――犬っぽいと物と目があった。
それはそれはとても血走っていた。
「なにそれ怖い」
夢や幻覚じゃなかったらこれは天罰なのだろうか。流石に境内で煙草を吸うのは拙かったかもしれない。透はそう思いながら、すんごい速さでこちらへ向かってくる犬の様な化け物をぼんやり眺めていた。
――――こちらへ、向かってくる?
「うわっ、うわわわわわわわ!」
余りにも非日常な光景を見て、情報が脳内に届かすのが遅れた透が、叫びながら慌ててその場に蹲る。 だが、それはその場しのぎにもならない、稚拙な策であった。
相手は透に真っ直ぐ向かっているのだ。それを、進行上にいる彼がその場に留まってどうするのか。これでは『どうぞ食べて下さい』と言っている様ではないか。
透が自分の拙い行動に気付いたのは、あの犬っぽい怪物が蹲っている透をスル―して飛び越えて行ったのを見届けた後であった。
「……え?」
それはそれは完璧なスルーだった。
(……無視、された?)
茫然として思う透。その口には、こんな状況だと言うのに未だ煙草が咥えられていた。
もしかして、自分の凄まじい程の存在感の無さの所為で、こちらに気付いていないのか。透は助かった筈なのに変に物悲しい気分に浸って、そう考えていた。
だが。
(……あ!?)
いつの間にいたのだろうか。怪物の進行上には、小学生ぐらいの女の子が立っているではないか。突然向かってくる異形の怪物に、明らかに怯えている女の子。しかし、怪物はそんな事はどうでもいいと言わんばかりに、女の子に飛びかかった。
「っ! お、おい!」
そう叫んだ透であったが、もう間に合わないのは明白だった。
――――自分があの怪物に無視された所為で、あんな小さい女の子が殺されてしまうのか。
――――やはり、神なんていないのだ。なんだ、これは。もしかして、いや、もしかしなくても、俺の所為なのか。俺の所為で。俺の所為だ。
なんて言う自責の念に、彼が囚われる事は無かった。
何故なら。
『protection』
怪物と少女の距離がゼロになろうとした瞬間、なんかピンクのバリアー的な何かが少女の周りに展開したからだ。そして吹っ飛ぶ怪物。
「……………………………………………ああ?」
流石の透も、これには煙草を落とさざるを得なかった。
その後は、突然変な玉が付いている棒が少女の手に現れたり、少女のそばに居たフェレットが喋っていたり、何故か少女の服が変わったり、少女の持つ棒から光が出て怪物を拘束したり、その拘束された怪物から何か変な石が出てきたらと思ったらその怪物が子犬になったり、で、一件落着。
正直、透はこの状況に全くついて行けなかった。まぁ無理もないが。
少女が奮闘している間、彼が何をしていたのかと言うと、地面に落としてしまった吸い殻を携帯灰皿に入れていた。なんと律儀な男なのか。ただ混乱していただけとも言える。
「あ、あの! だ、大丈夫ですか?」
透が現実逃避していると、件の少女が彼に声を掛けて来た。珍しく友人でもない人が自分に気付いてくれたので、場違いながらも軽く感動してしまった彼であったが、良く考えてみればここ居る少女以外の人間は透と、倒れている女性だけであったし、一応声も掛けたのだ。そりゃ気づくであろう。
件の倒れている女性には、さっきの喋るフェレットが近付いて行った。
恐らく、女性は気絶しているだけだろう。倒れているその体が、軽く上下している。
「あ、ああ。大丈夫だ……」
結果的にこの場の全員が無事だったことに安堵した透だが、結局、目の前の少女は何者なのだろうか。透は考える。あの怪物も謎だが、同じぐらいこの少女も謎である。
そして、ふと、ある考えが彼の頭に浮んだ。
それはとてもではないが、現実的とは言えない考え。
杖っぽい棒。
突然変わる服。
杖っぽい棒から出る変な光。
謎の怪物との対決。
喋る小動物のお供。
これから導かれる答えは、それは。
「……魔法……少、女……? ……ははっ、そんな訳、ないよな……」
これだ。かつて、透の妹が良く見ていた魔法少女物のアニメは、概ねドンピシャなこんな感じの設定だった。しかし、これは現実だ。魔法少女って。魔法って。
自分で言っておいて何だが、これは無い。透はそう断じる。現実逃避も程ほどにしないとな。
しかし、問われた少女は、透の思いとは裏腹に狼狽した声をだした。
「ふぇ!? ど、どうして分かったんですか!?」
「え?」
「え?」
慌てた様にそう言った少女。その答えが予想外なのか想定内なのか良く分からない状況下で、思わず疑問符を上げる透。その疑問符の意味が分からず聞き返す少女。
「……」
透は無言だった。え? マジもんなの? そう言う思いだった。
「……」
少女も無言だった。この人、どう言う人なんだろう? そういう思いだった。
何かやっかいなものに巻き込まれた気がする。そう言う不安が透の胸にあった。この限りなく混沌として、夕暮れも近くなった境内で、そんな彼はとりあえず自分の今の気持ちを素直に言う事にした。半ばヤケクソだったが。
「なにそれ怖い」
「こ、怖くないですよぅっ!」
――――いや、怖いよ。
今度は心中で、そう呟いた。