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[3500] 召喚!触手生物!!(オリジナル)
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:283fc5bb
Date: 2009/09/26 15:27
<前書き>




このSSは、オリジナルのファンタジーものです。

主人公の怪物が魔女に召喚されて、ファンタジー世界で大活躍します。嘘です。
エロいことしますが、エロ描写はあんまり細かく出ません。

18禁ですがエロエロがメインではないのでご注意下さい。

ジャンルは、エロコメを目指しています。

そのようなジャンルですので、あまり重い話にはなりません。
女の子が外道かつ酷いことがあっても、ドロドロした展開にはなりませんし、精神的に大ダメージを受けたり大変なことになったりもしませんので、そこのところはご了承下さい。

封入カードは、稀に文末に置いてます。興味があったら見てみてください。



[3500] 1話「外道! 触手生物登場!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:283fc5bb
Date: 2009/06/03 20:04
 私という意識がこの世界に産まれ落ちたとき、最初に認識したのは、私を喚ぶ声だった。

 私を喚んだ者は、それは順番は逆だという。
 自分が喚んだからお前が産まれた、つまり、喚び声が先で、お前が産まれたのは後だと。

 だけど確かに私は、その喚び声を聞いたのだ。





1話「外道! 触手生物登場!!」





 私がまず目を開いたとき、その目の前にあったのは、一人の少女だった。

 碧がかった青い大きな瞳と、結ばれていない、足下まで届く長い長い金糸のような金髪。
 子供にしてもずいぶんと小柄な体躯は、しかし女らしい丸みを帯びはじめていて、わずかに膨らんだ胸が女としてささやかな自己主張をしている。
 背丈は10かそこらの子供のようだが、身体つきを見るともう少し上の年齢かも知れない。

 あちこちに金の糸による刺繍の施された、深紅のローブを身に纏っている。
 身に着けている少女の人形めいた美しい顔立ちのせいか、少女の姿は、美しいドレスを身に纏った宮廷の姫君を思わせた。

 その瞳が、驚きに彩られている。
 それだけではない。
 
 私を見上げ、身を屈めて後ずさる姿勢には狼狽が。
 微かに震える細く白い脚には怯えが。

 何かを叫ぼうと口を開き、されど音を発することを忘れたように、微かに震えながらただ口を開閉させる姿には、深い、深い恐怖が見てとれる。

 まるで小鳥のように怯えて、私を見上げている。

「■■■■■」

 声をかけようと口を開いたはずが、音は出なかった。
 伸ばそうとした手は、しかし手ではなく、粘液にまみれた触手だった。

 ――――?

 足下を見ると、足下もまた、薄く透明の粘液にまみれた触手だった。

 恐らく全身が、粘液にまみれた触手だった。

 そのことに違和感を感じることはあったが、その事実に恐怖を感じることはなかった。
 それは、この自分の身体は驚くほどスムーズに自分の思うように動いたからだ。

 自由を失ったわけじゃない。
 視力があるということは、はっきりとは分からないが眼球はあるのだろう。
 視界の微かな違和感は、眼球が一つだからだろうか。
 そうか、私の眼球は一つなのか。

 そんなことを考えていたせいだろう、周囲への注意がおろそかになっていた。

「――――――――!」

 その意味の分からない音の羅列が、私の知らぬ言語なのだと理解すると同時に、何の脈絡もなく重く鈍い衝撃が私の肉体を襲った。
 まるで巨大な刃物を叩き付けられたような、鈍い痛みが私の上半身を焼くと同時に、肉体の半分がごっそりと削ぎ落とされた。

 ビチャビチャと紫色の血飛沫が飛び散り、引き千切られた俺の肉体の一部が周囲に転がる。
 太い触手、細い触手。
 それらのどれもが、私の肉体から離れたにも関わらず、未だに苦しげにのたうっている。

 周囲を見回す。
 いや、たった今、私の眼球は肉体の半ばとともに破壊されたはずだ。

 そうか、新しい眼球を触手の中に作ったのか。

 同じ肉体のあちこちに眼球を作り出し、周囲を注意深く観察する。

 この場所は、冷えた空気が沈殿する石室だ。
 部屋の四方には炎が揺れる燭台が飾られていて、私が立っているのは部屋の中央。
 奥に階段があるが、その先は堅く閉じられた鋼鉄の扉があるのみ。

 そしてこの石室の中には、私と、私の目の前に立つ少女しかいない。

 つまりは、私の前に立つこの少女が。
 その手の中にあるねじくれた木製の杖を使って、どうにかして私に先ほどの痛撃を浴びせたと見て、間違いないだろう。

 なるほど。
 少女の足下はいまだ震えが止まらず、恐怖を完全に消しきれていない。
 だが、そうであるにも関わらず、その目の中にある敵意の炎の強さはどうだろう。

 その瞳の炎の強さからは、どのような恐怖に晒されようとも、決して攻撃を緩めることなく私を滅ぼすつもりであろうという少女の強い意志が見てとれる。、
 その瞳の意志の強さ、その口から助けを求める叫びの一つすら漏れないのは、きっと、あの階段の上にある扉の向こうにすら、彼女を守る者がいないからだろう。

 この場から逃げ出す様子もないのは、この少女に頼る者がいないためなのだ。
 それだけではない、少女の瞳の中にある気高さが、私の手に掛かることを良しとしていないのだ。

 この石室の中には私と少女の二人きり。
 ここで後ずされば、滅びるのは私だ。

「――――――!」

 もう一度、少女の口から上がった先ほどの音。

 少女の可憐な姿に似合う、小鳥のさえずりのように美しい音だったが、同時にそれが私に破滅的な打撃をもたらすことは先ほどの一撃で理解している。

 私は身をひねってその場から逃れようとした。
 このまま棒きれのように立ちつくすのはいかにも不味い。

 恐らく、あの杖だ。あの杖から、私に認識できない類の攻撃が行われている。
 その認識は正しかったようだが、私の試みそのものは失敗した。

 目に見えない何かに身体が縛り付けられている。
 それが、足下に浮かんでいる、薄く輝く奇妙な文様だということに気付いたのと、先ほどと同じ痛撃が私を襲ったのは同時だった。

 ほとんど真正面から先ほどの一撃を受けた私は、ほとんど爆ぜるようにして肉体の大半を失った。
 吹き飛んだ私の体液が空中に散って、引き千切れた無数の触手と一緒に、真正面に立つ少女の身体の周りにぼとぼとと落ちていく。

 半ば吹き飛んだ肉体に、それでも眼球を作り出して、私はその光景を見た。
 少女は、紫の血にまみれながらも、気丈に私の目を見返した。

 杖の先端が私に向けられる。
 ああ、今あの一撃を受けたら、私の肉体は完全に四散してしまうだろう。
 少女に笑みはない。
 私の命を刈り取る寸前であろうというのに、追いつめた者の余裕はなく、むしろ追いつめられたかのように油断無く、最後の一撃を振るおうと小さな口を開いた。

 少女の認識は正しい。

 私の中には、すでに、この状況を打破する手段が浮かんでいた。


 …………ミチミチミチミチッ……

 耳障りな音に、少女の瞳に動揺の色が浮かぶ。
 音の源を辿り自分の身体を見下ろして、少女は微かな悲鳴を上げた。

 少女の身に着けていた衣装を濡らした私の紫の血が、まるで意志を持つかのようにその衣装を浸食し、腐食し、朽ち果てさせていく。
 私の紫の血は、たっぷりとその少女に降り注いだ。
 朽ち果ててパラパラと崩れ落ちていく衣装の下で、下着すらも茶色い滓になって崩れて落ちた。

 白い肌が、石室の四隅に置かれた松明の炎に照らされる。
 少女は半ば反射的に、羞恥に頬を染めながら自らの身体の、前を隠そうとした。

 それはそうだろう。
 確かにその瞬間、触手に浮かび上がった私の無数の瞳は、衣装が無惨に砕け散り、少女の白い肌が晒されていく様をじっと見ていたのだから。
 自分でも驚くことに、その視線には間違いなく欲情による獣の臭さが絡み付いていた。

 その視線は、瞳の中に気高さを秘めたその少女には耐え難いものだったはずだ。
 だが、その隙は、私にとっては絶好の、少女にとっては致命のものだった。

 ありったけの力を込めて、伸ばせる限りの触手を一斉に少女へと向けて伸ばす。
 その目標はただ一つ、少女の手の中にある樫の杖だった。

 少女は、一瞬遅れて我へと返り、私の延ばした無数の触手から逃れようと背後へ後ずさった。
 だが、それも私の計算の内である。

 足下には、先ほど千切られた私の触手がまだ残っていた。
 それが、私の意志に従って床から跳ね上がり、少女の足首に絡み付く。
 完全に意識を正面に向けていた少女は、容易く罠に落ち、ぺたんと床に尻餅を付いた。


 私の触手の範囲からは、逃れきれてない。


 少女の手の中にあった樫の杖を、数本の触手が掴んで、石室の奥へと放る。
 カラカラと音を立てて石床を杖が滑っていき、少女の手から遙か遠くの壁に当たって止まった。

 そして逃げる隙を与えずにその胴を太い触手で拘束した。
 少女の腰回りは驚くほど細く、簡単に二重に巻き付けることが出来る。
 華奢な腰骨と薄い肉の感触が心地よく、触手の先で何度かその感触を楽しむ。

「……っ! …………っっ!?…………っっ!!」

 少女が大きく口を開き、何かを叫ぶ。
 一瞬、私は肉体を強ばらせたが、先ほど受けた痛撃はもう来なかった。
 やはり、あの杖が攻撃手段のキーだったらしい。

 今、この少女が口にしているのは、私に対する罵声なのだろう。
 それならば、気にする必要はない。

 私は少女の身体に無数の触手を絡めると、そのままこの肉体の側へと引きずり込んだ。
 私が逃げられないのだから、確実に動きを押さえつけるため。

 そう考えながらも、暴れようとする少女を見下ろしていると、先ほど、少女の肌を見たときに沸き上がった感情が再び鎌首をもたげてくる。

 奇妙な感情だと思う。
 私は間違いなく、この少女と種族を同じにしていない。
 そうでありながらどうしてこの少女の容姿を美しいと感じるのだろうか。
 繁殖する相手ではないし、自分でもこの少女を使って繁殖することは出来ないと分かっているにも関わらず、間違いなくその身体に欲情している。

 怯えながらも気丈に私を睨み付ける少女の、前を必死に隠す手足が邪魔に感じられて、太い触手をしっかりと巻き付けて、どかしていく。
 剥き出しになった少女の裸体に、私は間違いなく情欲を感じた。
 無数の触手が、私の意識を半ば外れて、少女の肌を嬲るようになぞり始める。

「……――っ…………っっ!…………っっ!!」

 肌を粘液にまみれさせられながら、少女は私に罵声を浴びせかけようとする。
 だが、それも、少女の身体にある種の情動が芽生えるまでだった。

 恥辱に頬を赤く染めて、戸惑うように身をよじる姿にいっそう私の情動は膨れあがり、完全に制御を失った無数の触手は少女の肌を容赦なく陵辱していった。




◆◆◆




「――つまり、ムラムラして思わずヤッてしまった、と?」

 腕組みして私を睨み付ける少女の言葉に、ぺたりと台座に身を横たえた私は肯定の意を返す。
 少なくともあの時、私は自分の衝動を抑えきれていなかった。

 だが、今は完全にこの情動を押さえているという自信がある。
 いまだ衣服を纏っていないこの少女の裸体を前にしているにも関わらず、今の私の中にはつい数時間前に生まれた滾る炎のような情動は生まれていないのだから。
 むしろ、自分の行為への後悔というか、反省の気持ちすら生まれている。

「さんざん人の体を好き放題にしておいて、今更なに言ってる」

 好き放題という言葉は正確ではないだろう。
 私の目的は情動を充足させることだったが、その手段は自らの快楽を得るためではなく、むしろ快楽を与えるためだったのだから、私の行為はある意味、好意と言っても良いはずだ。

「……うるさい、黙れっ!! 私は何度も『やめろ!』と……」

 申し訳ないのだがその時点では、私は少女の口にする言語を理解していなかった。
 それが理解できるようになったのは、肌を接触することで感覚を共有することを学び、さらにそれによって自分の飢えを充足させる手段を学んだ上で、実行した結果――

「黙れ変態生物ッッ!!」

 そうすることで、私はコミュニケーションの手段を得られたのだ。
 それ以前は、お互いコミュニケーションが不可能だったし、少女も私に敵意を向けていたのだから、これはコミュニケーションの不足による不幸な事故と言っても良いのではないかと思う。

 結果的にお互い満足のいく時間を得られたことだし、ここは――――

「……だーかーら、そういう事を言うなと言ってるだろうこのケダモノがッ!」

 吐き捨てるように口にされた、その少女の言葉はこの場合は適切ではないだろう。
 明らかに私は一般的に言われる獣とは違う種類の生物なのだから。

「難しそうなことを考えてごまかすな、この鬼畜下劣生命体。お前なんてケダモノ以下だ」

 私がプランクトンだとでも言うのだろうか。
 私の体の構造は私自身も完全には理解していないが、少なくとも私はそういった生物よりも複雑な構造を備えているはずだ。
 なにより、知能という点においては確実に勝っているという自信がある。

「プランクトンの方が人間に無害なだけマシだ。それに、プランクトンの方がお前よりいくらか上品だしな。……それより、いい加減に離せ。このやたらめったら生えてるチ○コもどきを片っ端から引き千切るぞ」

 それはやめて欲しかったので、私は少女の手足に絡めていた触手を引っ込めた。
 再生能力はあっても痛みはあるし、強い痛みは苦痛を伴うのだ。

 だがそれでも、細い触手を一本、腕に絡みつけておくのは忘れない。
 完全に接触が外れれば私からコミュニケーションを行うことが出来なくなる。
 相手に不快感を与えてしまう危険があるとしても、それは私にとって非常に不安に感じられた。

「……考えがダダ漏れだとしてもか?」

 その通りだとも。
 私は当然のように、肯定の意を返す。

 感覚が共有できると言っても、相手の考えが分かるわけではない。
 少女が私を睨んでいるその内心で、どれほどの怒りを燻らせているか、私は分からない。
 もしかしたら愛が芽生えているかも知れない。

「いやそれはないが。キモいぞその思考」

 キモいとか言われて酷く傷ついた。

 まぁ、そんな感じで言語が理解できるようになったのはいいのだが、それ以外の、この世界などに関する知識までは身に付かなかった。
 恐らく、この手段で得られる知識のはコミュニケーションに関するものだけなのだろう。

 この世界の知識のない私にとっては、コミュニケーションが可能で、かつ会話の成立する人間は、大海で溺れている時に見付けた一艘の舟のように魅力的な存在なのだ。
 たぶん、普通の人間ならば、このような状況では会話が成立しないだろう。

「…………そうだな。普通は恐怖に怯えて思考停止してしまうか、悪ければ発狂していただろう」

 自覚はしていたが、そこまで酷かったか。

「無理矢理与えられる快楽が、普通に受け取れるものかよ。自分が気持ちよければ相手も気持ちいいと思うなよ、変態軟体生物が」

 ふむ。やはり、この少女は常人ではなかったか。
 少し話しただけでも十分理解できたが、この少女からは見た目通りの可憐な姿とは相容れない、強い意志の力を感じる。普通の子供とはとても思えない。

 まぁ、謎の杖で魔法っぽい攻撃を加えてきた辺りですでに分かっていたことだが。

「魔法っぽいじゃなくて、魔法だ。お前を召喚したのもな、バケモノ」

 おお……魔法少女か。

「…………魔女だ。……魔女になってから歳を喰わなくなってな」

 なねほど。
 反応からして若作りしてるわけでもないと思っていたが、単に成長しないだけだったか。
 生涯ぺったんことは不憫な。

「バラバラにするぞ?」

 よし、この思考は中止だ。別のことを考えよう。

 えーと、うむむ、つまり私は召喚魔法的な手段で召喚されたということなのだろうが。
 しかし私は一体全体、どこから召喚されたのだろうか?

「……知らないのか?」

 知らない。
 おお、記憶喪失かっ!

「………………喪失するような記憶がないだけじゃないか? どう見ても知的な外見じゃないし、知的な私に召還されたショックで理性に目覚めたんだろう。いや、理性はないか」

 理性はある。たださっきはちょっと抑えきれなかっただけで。

「いや全然ダメだろ」

 反省はしている。
 次回からは善処しようと思う。

「……お前、理屈屋ぶってるだけで実はアホだろ?」

 ひどく失礼なことを言われてしまった。

 だが、否定はすまい。
 なにしろ、この少女は初めて私の人格は認識した相手なのだ。
 その彼女が口にする私の印象が間違ってるという根拠は、私には存在しない。

 この見た目通りに全体的に幼いボディを持つ少女、いやむしろ幼女の言葉は概ね正しいのだろう。
 色々したところ、色々と子供だったのがよく分かったこの少女の口にすることだから、きっと純粋に悪意のない真っ白な気持ちに口にしているに違いない。
 そう、まるで彼女の薄い毛すら生えていないまっさらな――――

「…………よし、お前その目玉一つづつえぐり取ってやるからちょっと目玉貸せ」

 それはご免したい。
 聞くだけで、とても痛そうだというのが伝わってくる。
 全裸であることを恥じて、慌てて前を隠して動けなくなどという展開を期待したのだが。

「あれだけ好き放題されて、今更恥ずかしいもナニもあるか! ……死ね!!」




◆◆◆




 もの凄く痛かったが、ちゃんと私の体は再生した。

 十個ほど私の目玉を抉った辺りで飽きたのだろう、さんざん私を虐め倒した少女も、今は部屋の台座に腰かけて半眼で私を睨んでいる。

 この少女がそうだという、魔女というカテゴリの人間は、総じて肉体的にも屈強なものなのだろうか? それともこの少女が度を超して人間として屈強すぎるのだろうか?

「お前が貧弱なんだよ。最初の勢いはどうなったんだ?」

 なんか思ったより力が出なかったのも確かなのだが。
 私だってまさかマジで目を抉りに来るとは想像だにしていなかった。

「……さっきさんざん『ごめんなさいすいませんもう言いませんから勘弁してください』とか謝り倒してたクセに、止めてやったらまたいきなり偉そうなことを考え始めたな?」

 暴力を前には人の意志は屈することもあるのである。

「お前、人じゃないだろ」

 それはそうだが、暴力に弱いというのは全ての生物に共通する認識である。

「まぁ、いい。少しスッキリしたからな」

 少女は溜息を吐くと、ふらりと台座から立ち上がった。
 そして、部屋の端へと歩いていって、私が弾き飛ばした、あの杖を拾い上げる。
 くるりと身体を反転させて、その先端を私の方へと向ける。

 その間、私は台座の上に横たわったまま、身動きもせずに彼女を見ていた。
 細い触手を一本だけ、腕に絡めたまま。

「………………どうすると思う?」

 殺さない方に賭けたい。

 さっき、そのままの勢いで殺されるかと思ったらそうされなかったことだし。
 言動からしても、怒りは感じても憎しみは感じなかった、と、思う。

 私の考えを認めるように、杖を私に向ける少女の腕が下がった。

「召喚してしくじったのは私だしな。お前だってそのまま私を嬲り殺すこともできたのに、それもしなかったんだから、理性が存在するのは認めてやろう」

 助かった。
 私は少女の言葉に感謝した。感謝する。

 あと、よろしければ社会に馴染むまで匿って欲しいと思う。
 そもそも私が馴染めるような社会かというと相当に怪しいと思っているのだが、なんとか生き伸びていくための算段ぐらいは付けたい。
 このままこの石室で一生を終えるというのは、どうか許して欲しい。

「…………仕方ないな」

 私の懇願に、少女は渋い顔を作ったが、やがて仕方なしと言った様子で頷いた。

「どうせ私も社会を追われる身だ。言われた通りにと働くのなら、面倒ぐらいは見てやろう」

 彼女のような可憐で心優しい少女が追われる社会とはいかがなものかと思うが、面倒を見てくれるというのであれば喜んで働こうではないか。

「助けると分かった途端、調子のいいことを言うな……まったく」

 多少照れるように口元を緩ませて、少女はそっぽを向いた。
 その仕草はいかにも見た目通りの少女らしい可愛らしいもので、私を威嚇するように睨み付けていた先ほどまでの彼女とは違う魅力がある。
 いや、あまりこういうことを考えるのは止めよう、筒抜けだし。

「……全くだな。そういうことを考えてるときは、この触手を離せ」

 いまだにその白い細腕に繋がりっぱなしだった細い触手を持ち上げて見せて、少女が言った。
 殴られているときですら、私はそれを繋いでいたのだ。

 まだ、離しているのは不安なのだが、私は少女の腕から触手を解くことにする。

 その寸前で、触手を止めた。
 一つだけ聞き忘れていたことがあることに気付いたのだ。

「今度はなんだ?」

 変な要求でもされると思ったのだろうか、少女が半眼で私を睨むが、そういうつもりはない。
 私が聞きたいことは極めて単純で、コミュニケーションの基本中の基本とも言えることだ。

 つまりは――。



 君の名前を教えてくれませんか?



 少しだけ、間があった。
 目を丸くして不思議そうに少女が黙って。

「……ははは、そういうことか」

 そして、小さく、自嘲気味に笑ってから答えた。

「…………ヒルデガルデ。……ヒルダでいい」

 まるで懐かしい隣人に語りかけるように、優しく微笑んで、そう少女は名乗った。






 その微笑みを見て、私は――――――――。




 なんかムラムラしてきた。

「……ぅおいっっ!!?」


 マジですいません私なんぞの理性では、この溢れ煮えたぎるマグマの如き熱い情動を抑えらることは出来そうにもありません! ごっつぁんです!!



「こっ、このケダモノ触手っっ!! はなせっ、はな……い、いやぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっっ!?」










<つづく>




封入特典・その1
www.geocities.jp/setiunu/syokusyu/MONSTERCARD_HILDA.jpg



[3500] 2話「野獣! 触手生物 対 魔女!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:283fc5bb
Date: 2008/07/17 00:25


 沼を泳ぐ夢を見ていた。

 ひどく粘性の高いその沼の中で、私は必死に手足を振って泳ごうとする。
 沼の中から逃れようと、私が必死に手で沼をかきわけるたびに、ひどく粘りつく水が、指の間にまで絡みついてくる。
 激しい嫌悪感に私は顔を歪めた。

 足を大きく動かすたびに、大きな何かが足の間に潜り込もうとしているかのように感じる。
 悲鳴を上げたかったが、口を開けば沼の水がその中にも潜り込んできそうで、私は怯えながらじっと口を固く閉ざしていた。

 いつの間にか、身に着けていたはずの服が泥の中に紛れるように消えていて、それでも私を沼の中を泳がなければいけない。

 身体が沼の中で動くだけで、沼の液体が意志を持っているかのように肌をなぞり、ゆっくりと唾液をのせて舐めていくように。
 裸になった胸の先が休みなく粘り着く沼の水に擦られ、必死に閉じようとする脚の付け根の奥にすら、それは例外なくそれは潜り込んでくる。
 沼の中で私はいつしか自分を失い、砂粒が肌と粘りつく沼の水との間で擦れる感触に、身を反らして打ち震え、ひどく甘い声を漏らしていた。

 そうして、唇の中にも沼の水が潜り込んできて、私は……。





 目が覚めると、私は蠢く触手の中に捕らえられていた。

 休み無く動く無数の触手が、私の肌を容赦なく責め立てている。
 両の手にはしっかりと触手が絡み付いて、指先にまで丁寧に細い触手の行為の対象にされている。
 脚は、当然のように左右に大きく割り開かされていた。

 寝る前に履いた薄い白のショーツは半ば溶け落ちていて、無数の侵入者によって内側からいびつに盛り上がり、それらが次々と吐き出す白濁色の液体によってぐっしょりと濡れていた。
 それを濡らしているのが、触手からの粘液だけではないことは、下肢から臀部にかけて走っている重たく甘い刺激で、嫌というほど分かってしまう。

 無防備に触手に弄られ続けていた私の身体は、今さら立て直すことなど無理なほどに快楽の方へと天秤が傾いてしまっていた。

「んっ……くっ…………」

 何か口にしようとしたものの、そうして開いた口の中にすら触手が潜り込んでくる。
 舌が、細く伸びた触手に絡みとられ、口にしようとした罵声は私の頭から消えてしまう。

 何かをこらえるように脈動している太い触手が、私の下肢にあてがわれる。

「…ぁっ……!………っ!……っっ!!」

 そして私は結局、夢の続きを現実で体験することになった。





2話「野獣! 触手生物 対 魔女!!」





 触手の中に埋もれるようにして肌を押しつけたまま、私は微睡んでいた。

 さんざん私の肌を汚した白濁色の粘液は、いつの間にか空気のように溶けてしまっている。
 ただ、妙に甘ったるい匂いだけが、消えない残滓のように私の肌に絡み付いていて。
 その匂いと、肌に染みついた行為の感触が、薄く私の頭を惚けさせている。

 身体の芯が重く、手足が妙にだるい。
 触手の中に埋もれたまま、かすかに身じろぎする。

 手足を微かに動かすたびに、触手の裏に無数に貼り付いた吸盤が、触れる肌を小さく吸った。
 甘噛みのような肌をくすぐる感触は、だが、決して不快なモノではない。

 触手の一本が私の髪を絡めとり、一束掬い上げる。

 擦りつけられ、浴びせられて、酷く粘液で汚されていた髪の毛は、何事もなかったように触手をすり抜けて、金の糸のように解けて私の肌の上へ流れ落ちていく。
 髪の毛が、裸の肌に触れて流れ落ちていくくすぐったい感触に小さく息を漏らす。

 もう少し眠りたいなと思い、私は目を薄く閉じた。

 身体が暖かい泥になるような、そんな感覚に落ちていく途中で。
 触手から意識が伝わってきた。

『……しまった、明日は一回だけだと昨晩約束したというのに、もうやってしまった…………』

 …………。

 内心で溜息を一つ吐く。
 そうして、ことさら意識をはっきりとさせてから、小さく息を吸った。

「……こぉぉの、変態エロ触手が! あれだけヤリすぎは禁止だって言ったのに、なんで一晩経っただけであっさり約束を忘れて盛ってるんだ? あぁ!?」

 私の怒鳴り声に、怪物は驚きながら私の肌にまとわりつかせていた触手を引っ込めた。
 一瞬だけ、身体の芯の部分が切なくなる。
 もう少しあの中に埋もれていたいという欲望が、まるで残響のように私の中に響いている。

『いや、約束はまだ破ってはいない。ただ、一回だけという約束の一回を、今消費しただけだ』

 また屁理屈をこね始めた魔物に半ば呆れつつ、私は魔物には分からないように、まだ疼きの止まっていない下肢をシーツの下に隠す。
 足を摺り合わせるだけでも、声を漏らしてしまいそうだ。

 一度唇を噛んでから、大きく口を開いた。

「じゃあ、事が済んだんだから、とっとと朝の洗濯と薪割りに行って来いッ!!」

 拳で魔物をベッドから殴り落とす。
 事が済んだ直後のコイツは、驚くほど力がない。
 あっさりとベッドから転げ落ちた触手は、しばらくの間は名残惜しそうに、私の方へ触手を伸ばしたり引っ込めたりと繰り返していたが、私が睨むと、慌てて部屋の外へと出ていった。

「後で話があるからな! 色々とハッキリさせるから、覚悟しておけよっ!!」

 ……寂しそうな背中に罪悪感など感じてやるものか。

 蠢く触手が部屋から出ていき、蠢く触手が完全に見えなくなってから、鼻息を一つ。

「フン、阿呆め」

 小さく呟いて、勢いよくベッドに身を沈めた。

 そうしてしばらくぼんやりとベッドの中に身を沈めていると、いつの間にかあの甘い匂いは薄れて消えていき、身体の芯に染みいっていた疼きも和らいでくる。
 匂いは毒の類ではなく、あの魔物の持つ魔力によるモノらしいということは分かっていた。
 本人が離れればすぐに消えてしまう。

「…………朝風呂にでも入るか……」

 一度身体を洗って、このなんとも知れない倦怠感をどうにかしたい。

 そう決めて、ベッドから身を乗り出し、側に置いている洋服箪笥を引く。
 身体を拭く布を引っ張り出して、着替えの服をまとめて手に取り……さらなる問題に気付いた。

「ショーツがもうないな……」

 ついさっき溶かされたのが、棚の中にあった最後の一枚だったらしい。
 ベッドの方は溶かさないのに、なんだってヤツはいちいちヤるたびに下着の方を溶かすんだ。
 あれか? 趣味で溶かしてるのかあの変態は!?

 くそっ……いつかは、こうなるんじゃないかと薄々とは思っていたが……。

 舌打ちをしながら、勢いよく立ち上がる。

「あたたたたたた……」

 瞬間、腰に鈍い痛みがずきりと走って、思わずつんのめってしまった。
 床に屈み込んだまま、腰に手を置いてなとか痛みをこらえる。

 裸で床に転がる恥ずかしさにシーツを慌てて被るが、痛みの方はなかなか引かなかった。

「本当に、好き放題やりおって……」

 昨晩たっぷりと、さらに続いて今朝から連続して魔物に嬲られたせいで、腰の辺が随分と怠くなっていて、無理に動くと鈍い痛みがある。
 足の方にもかなり来ているらしく、まともに歩くのもきつかった。
 そして、ヤツを喚んでから連日こんなものだから、ここ三日、ろくに外にも出ていない。

「いかん……」

 食糧の備蓄はまだあるが、このままだらだらと日々を重ねるのは不味い。
 その先に、どんな結果が待っているかは考えるまでもないことだ。

 きっとこのままでは…………私は、サルになってしまう。

 ベッドに鎖でくくりつけられたまま、あの淫獣の上に乗って白痴のように嬌声をあげ続ける自分の姿を想像して、私の額に冷たい汗が流れ落ちた。
 しかも、よく考えたら今の状況はかなりこの想像に近い気がする。
 一体いつの間に、と思ってしまう時点で私の方が心に隙を作りすぎていたのだろうか。

 あまり人間と会うこともないし、会話に飢えていたのは自覚していたが、まさかあんなバケモノ相手にまで情が…………いやいやいやいや。

 …………なんとか……なんとか、せねばなるまい。
 この現状をとにかく打破するのだ。


 ヤツが戻ってきたら、このままの調子で襲いかかってくるなら家から追い出してやると、しっかりと言いつけてやらなければなるまい。





◆◆◆





 ヒルダの拳によってベッドの外へと追いやられた時は暗澹たる思いだったのだが。
 いざ外へ出てみると、朝の陽の光はなかなかに気持ちいい。

 見渡す限りに広がる、緑溢れる大森林。

 湿気は薄く、陽の光が適度に射し込む程度に茂った木々の隙間からは、心地よい風が流れてくる。
 ヒルダから聞いた話によると、この森は“死霊使いの森”と呼ばれているらしい。
 とてもそんな風に呼ばれているとは思えない、穏やかな森のように見えるのだが。

 理由を聞いたが、意地悪く笑って教えてくれなかったので、命名の理由は分からない。
 或いはこの世界の住人は総じてセンスがおかしいのかもしれない。

 ヒルダが一人で暮らしている小さな家は、その森にある小高い丘に建っている。

 この森にはそぐわない頑丈な煉瓦造りの建物で、どこか人形の家を思わせる赤い屋根と丸みを帯びた窓の可愛らしい建物で、なんとヒルダが魔法を使って数時間で作ったものらしい。
 中にはキッチンからリビングにベッドルームに倉庫に書斎と、この大森林の中にあるとは思えない設備が整っていて、さらには、無限に水の出る井戸と風呂まで付いている。

 はじめて見た時には魔女の凄さの一端を見せられた気分になったものだ。
 こんな素敵な場所に、こんな素敵な家を作って暮らしているなんて、これはもう他に必要なモノはないに違いない。

 …………などということは当然なかった。

 一人暮らしというのは、何かと面倒なモノなのだ。
 掃除洗濯食事の準備にベッドメイク、その他もろもろの雑事にいい加減耐えられなくなり、魔女であるところのヒルダはその技能をもつてして、その面倒さを解決しようとした。

 この森の中に発見した儀式上を利用して、下僕となる悪魔を召喚しようとしたのだ。

 それで失敗した結果が私らしい。

 ちなみに、何故に失敗と断言できるかというと、悪魔の召喚には自動的に含まれるはずの従属の契約がされてないことと、私がいかなる悪魔にも該当しない謎の種族であるからである。
 とはいえ、あの施設を使ってもう一回悪魔を召喚するのは不可能とのこと。

 これでは目的は果たせない。

 そうして彼女か困り果てていたところ、この私が本来悪魔に与えられるべきだった役割の、が時やら雑事やらを引き受けることを申し出たというわけだ。

 残念ながら炊事に関しては、そもそも私にモノを食べるスキルがないことから不可能となってしまったが、それ以外の掃除洗濯やらの雑事は普通にできる。

 そういうことで、私は彼女の身の回りの世話を引き受けることになったのだった。



 そして三日が過ぎた!!



 今、私は、先ほどのヒルダの言いつけ通り、昨晩のうちにまとめておいた彼女の着替えや汚れてしまったシーツやテーブルクロスの類をタライに入れた水を使ってじゃぶじゃぶと洗濯している。

 当初はうっかりショーツを引き千切ったりして怒られたが、今や揉み洗いの極意を触手に刻んで、驚きの白さを実現することに成功している。

 ちなみに、風呂場でヒルダにもこの極意を実行したら有効だった。
 さすが極意である。

 もちろん、洗いだけではなく、洗い終わった品物のすすぎ、布を傷つけないように水気を払う絞り、そして皺一つなく洗濯竿に干すまで、全ての動きが完璧である。
 なにしろ私には数千本に及ぶ、大小から太さ長さまで様々な無数な、触手があるのだ。
 この程度の雑事、朝飯前である。

 …………召喚されて覚えたのは以上だ。

 この世界が何と呼ばれていて、どんな住人が住んでいるか?

 実は、初日にヒルダがこの世界がいかなる場所なのか説明をしてくれるはずだったのだが。

 残念ながら、黒板まで準備した彼女が張り切った様子で教鞭を片手に、メガネを付けて登場してしまったのである。
 彼女の遠回しな誘惑に私は紳士的に答え、そして一晩愛し合った結果、この世界についての説明の件はうやむやになってしまった。

 後になってその件はどうなったか聞いてみたら、獣でも見るような目で睨まれた。

 そういうわけで、私はなんだかよく分からないが人っ子一人住んでいないらしい“死霊使いの森”にあるヒルダの家で、丁稚をして暮らしているのである。



 以上、近況の説明終了。

 洗濯物も終わったので、薪割りの道具を取りに家の中へと戻る。

 扉を開けてリビングに入ると、キッチンの方で料理する音が聞こえた。
 自分のための朝食を作っているらしい。

 ちなみに、私は食事が必要ないので関係ない。
 どうやら私の食事は、私の中に存在するある種の情動が満たされることと等しいらしいのだ。

 言うなれば、彼女自身が私の食事ということになる、などという考えが彼女に知られたらそれこそ酷い勢いで殺されそうなので、この発想は封印しよう。

 洗濯が終わったことを報告するついでに、先ほどはできなかった朝の挨拶をあらためてしようと思い、私はキッチンへと向かった。
 家の中の床は私自身によって綺麗に磨かれていて、冷えた感触が触手に気持ち良かった。

 もちろん、床を這い進む触手から粘液の一つでも零すようなことはしない。
 自分で綺麗にしたものを自分で汚すようなことをするものか。

 これだけしっかりとこの家の家事に貢献しているのだ、そうそう邪険にされることはないはず。

 ただ、先ほど言われた、覚悟しておけという言葉が気になる。
 ここは慎重に、穏やかに挨拶をすることで彼女の印象を良くせねばなるまい。

 私はそう自分に言い聞かせて、キッチン中へ入った。
 ヒルダは、キッチンに常備されている火を放つ魔法の薬瓶の上にフライパンを当て、なにやら炒め物らしい料理を作っている様子である。

 フライパンから料理が焼ける音がしているせいか、それとも料理に夢中になっているのか、私の存在に気付かないまま無防備に背を向けている。
 その格好は、丈の長いシャツ一枚きりで、素足が剥き出しになっていた。

 彼女に挨拶しようと伸ばしていた触手が、自然と動きを止める。
 重力の重さに引かれるように触手が床へ静かに着地する。

 その触手の先端に眼球が生まれたのはいかなる奇跡か?
 いや、私がやったのだが。

 とにかく、彼女の足下に這い落ちる触手のその先端の眼球から、私は彼女をとてもローアングルで見ることに成功したのである。

 そこには、美しい純白の布地が………………なかった。



 というかパンツ履いてない。



 ――――――ふむ、これはいけない。

 チラリズムを利用した交渉手段の奥義の一つとして『ノーパン接待』というものが存在するらしいが、私としてはさすがに慎みが足りないと思うのだ。嬉しいが。
 そもそも、そういう部分はきちんと下着の中に秘めておくことで、その無限の可能性をさらに高めていくのが大事なのだ。

 いくら丈が長めのシャツを着ていることでチラリチラリとしか見えないと言っても、そのチラリと覗くモノが丸出しのそれではさすがに興が削がれるというものではないか。嬉しいが。

 それに、丈が長めのシャツというのも重要な問題点がある。
 下着を履いてないということは、現在、彼女の身に着けている着衣はそれ一枚きりなのだ。
 ちなみに、上の下着は、慎ましやかな胸である彼女には必要ないようだ。

 まぁ、実はこっそりと何着か所有しているようだが、普段は着けない。
 背伸びしたものの、やはりあまりお気に召さなかったのだろう。

 とにかく、彼女は今、シャツ一枚きり。

 これはやはりアレだろうか。いつでも準備は良いということだろうか。
 確かに私の方も、この数日で少々紳士的ではない振る舞いを多々してしまったのだが、だからと言って彼女からそれに合わせるというのは…………その、なんだ、申し訳ない。

 だが、その好意を受け取らないのは紳士的ではないだろう。
 据え膳喰わぬは……なんとかというし。

 私は、そろそろとヒルダの背後に近寄る。

 ここは、彼女の料理が一段落するのを待つべきか。
 それともいっそ、途中から襲いかかって、同時進行でやって貰うか。

 む……同時進行!?
 これはなにか、新しい世界が開ける予感がする。

 これは是非試してみなければ――――

「――――ん?」

 私が期待に心をざわめかせながら、飛びかかるタイミングを見計らっていると、ヒルダが何気ない仕草で振り向いた。

 視線は最初、台所の入り口で蠢いていた私に向けられ、次にその私から床に伸びた触手を辿って、彼女の足下でローアングルから見上げている私の小さめの眼球へと向けられた。

 ヒルダはしばらく不思議そうな顔をした後、合点がいったように微笑む。

 そうして、ゆっくりとその細い足を上げた。
 高く上げられた腿でシャツの裾がまくれ、彼女の色々と幼い部分が私の視界へ映し出される。

 なんと大胆な。
 やはりこれはヒルダとしてもあえて見せるつもりで――――

「死ね、この変態触手」

 振り上げられた足は、そのまま垂直落下して容赦なく私の眼球を踏みつぶした。



 ぎゃああああああ、目が……! 目がぁぁああああああ!?


 目がぁぁぁああああああああああああッッ!!!





◆◆◆




 リビングに、ヒルダの怒りの声が響き渡る。
 私は、多少小さくリビングの端にうずくまりながら、その声を聞いた。

「だーかーら! お前が所構わず襲いかかるから、下着にも困ってるんだって言ってただろうが!!」

 なんだかんだ言って、モロに自分の大変に涼しい状態になった下半身を見られたのは恥ずかしかったらしい、大音声でそう私に告げるヒルダの顔は赤みが差している。

「今朝お前に洗わせた分が、最後の残りだったんだよ。乾いたら履こうと思って、とりあえず朝食の準備の方を先にしたんだ。勝手に変な解釈で襲いかかってくるな!」

 なるほど、どうやら彼女が下半身スッポンポンで料理をしていたのはそういう訳らしい。

 一枚だけ着ているのがエプロンじゃないからおかしいとは思っていたのだが。
 純白のエプロンは、抜けるような白い肌の彼女にはとても似合うだろう。

「だ・か・ら! 人の身体でそういうエロい妄想をするんじゃないって言ってるだろうが!! 」

 噛み付かんばかりに吠え立てられて、私はこの思考を中断させた。
 本当に噛み付かれてはたまらない。

 しかし、そうやって照れる姿はなかなか可愛らしいではないか。

 よもやこんな可愛らしい少女がつい先ほどキッチンをヘルズキッチンとでも改名しないといけないような大惨事に陥れたとは誰も思うまい。

 シチューに私の目玉がぽとんと落ちたのを、少し考えてから梳くって捨てたのを見たとき、私はよもや自分は食材と認識されてしまったのではないかと恐怖したのだが。
 普通はそこはシチュー自体を捨てるところではないだろうか?
 そのまま煮込んでみるとか一瞬考えたように見えたのだが、それは私の見間違いだろうか?

「……まー、不味そうだったしな」

 ヒルダの二の腕には、一本、私の触手が絡んでいる。
 そこから私の考えはすっきりかっきりヒルダに伝わってしまうのである。

 というか、美味しかったら食べてしまったというのだろうか。
 自分と同じ知的生命体に対しての敬意を払おうという心構えがないのだろうかこの幼女は。

「幼女言うな」

 ヒルダはそう言って、半眼で私を睨みながら朝食のスプーンでシチューを啜った。
 私の方は食事が必要ない種族なので、ただ見ているだけだ。

 こういう部分は不便だと思う。
 喋っていては食事をすることが出来ない彼女の方は、口を開かなければ私に意志を伝えられず、口を開く必要のない私の方は食事の必要がない。
 逆だったなら良かっただろうに。

 ヒルダは、溜息を一つ吐くと私の方を見て口を開いた。

「せめて、服を溶かすのを止めろ。なんでお前はいちいち襲いかかるたびに人の服を溶かすんだ? お前がさんざん溶かして糸屑にしたショーツの中には、首都の方でしか取り扱ってないような高級品も混じってたんだぞ?」

 噛んで含めるようにそう告げられると、さすがの私も反省せざるを得ない。
 この世界の物品の価値についての知識がないのではっきりとは理解できないが、あまりそういった事を口にしないヒルダが口にするからには、大きな被害だったのだろう。

 恐らく、家事手伝い程度の仕事では代価にならない。

「分かったているなら、もうちょっと時と場所をわきまえろ。覚えたてで盛りきったガキじゃあるまいし、もう少し控えられんのか?」

 覚えたてのガキなどという欲望に技巧が追いついていない子供と一緒にされては困る。
 少なくとも私はヒルダを十二分に満足させ――――

 ザクッと音がして、フォークがテーブルに突き刺さった。

「…………」

 えーと、うむ。
 最初よりは、衝動を抑えるのに慣れてきた感じはする。

 先ほどの台所での件だって、ヒルダの一撃で私の中にあった衝動というか勢いのようなモノが抑えられたお陰で無事で済んだのだ。
 以前だったら、あの程度は気にせずに空気を読まないまま襲いかかっていただろう。
 いや、空気を読んでなかったのはヒルダの方だったと私は今でも信じているが。

「……そんな理由で真っ昼間から襲われてたまるか」

 なにしろ下半身丸出しだったのだ。下半分すっぽんぽんだったのだ。
 あのまま襲いかかれば、溢れる情熱に任せてやってやれないことはなかったに違いない。

「繰り返すな。変態エロ触手」

 しかし、女の子が大事な部分を丸出しでは風邪を引いてしまうのではないか?

 確かに私は常時全体的に丸出しの印象を受けそうだが、実際にはそういった部分は事に至っている最中以外はしっかりと内側に隠している。

「なんだ、お前それだけチ○コがあって、一本残らず皮被ってたのか?」

 ……それは聞き捨てならない言葉だ。

 私の触手を、人間の男が待つような単機能なブツと一緒にしないで頂きたい。

 人間の男のブツが、厚い辞書を軽々と持ち上げるパワーや、踏み潰されてもすぐ生えてくる耐久力、最長10メートルまで伸びる長さ、それに暴れる子猫もひと縛りの自由自在なしなやかさを備えているとでも言うのかね。

「そんな気色の悪いモノを持ってるのは、この世界広しと言えどもお前だけだな。あと、なんでそんなに誇らしげなんだよ薄気味悪い」

 ヒルダが吐き捨てるように言って、うんざりした顔でスープを口に含む。

 ちなみに先ほどの子猫というのはヒルダのような少女のことを指すのであって、本当に子猫にそんな可哀想なことはしない。

「いやなんかフォローするとこおかしくないか?」

 お腹を出して転がる子猫を見て可愛いという気持ちと、お腹を出して眠る君を見てムラムラするという気持ちは似て非なるものだということを分かって欲しい。

「朝っぱらから襲いかかってきたのはそれか……」

 いや最初は、子供みたいに可愛い寝顔だな、という評価だったのだが。

 その、シャツがまくれてお腹が見えるどころか、胸の辺りをポリポリと自分で掻いて、シャツのまくれ方がさらに上の部分まで到達して色々と見えてしまったのが問題だったというか。
 しかも、普段では聞けないような大胆な寝言を聞いてしまって、思わずメーターが一気に振り切れてしまったというか。

「……なにを聞いた?」

 それはお互いの良好な関係を保つためにも秘密にすべきだろう。
 寝言だとはいえ、彼女があのような積極的な。
 あんな甘い声で、彼女があんな大胆な言葉を無意識のままに口にするなんて、彼女だって知らない方がいいに違いない、下手をしたら私が彼女の羞恥と怒りによって家を追い出されてしまう。

 ちなみに格闘家っぽい味付けをした言い方にすると『こっちの準備はとっくに出来てるぜ! グズグズせずにかかって来いやぁ!!』みたいな感じのセリフだった。

「…………考えがダダ漏れなんだが。……あと、それはあくまで夢の中だからだ。寝言だったら無意識だから本音が出てくるなんて、馬鹿げた考えだぞ?」

 そう言って、シチューの入った皿を口元で傾ける。
 持ち上げた皿で隠される寸前に見えたヒルダの頬は、図星を突かれたためか紅潮していた。

「してない」

 いやいや、していたようにしか見えなかった。
 それに慌てて否定するところも怪しいではないか。

「……黙れ包○触手」

 それは聞き捨てならない言葉だな!!





◆◆◆





「で、それを証明するために、私に襲いかかった、と」

 私の触手の中に埋もれるようにして肌を押しつけたまま、ヒルダが私を恨めしげに睨んでいる。
 さんざん彼女の肌を汚した白濁色の粘液は、空気のように溶けてしまっていた。

 私の粘液のように、彼女の怒りも空気に溶けてくれないだろうか?

 それに、あの時点になってもいまだパンツを履いていなかったヒルダにも問題があったのではないだろうかと思うのだが、どうだろう?
 なんというか、つい勢いで押し倒したところで、ヒルダさんがパンツ履いてなかったので、なんこう抑えが完全に効かなくなってしまったというか。

「…………責任逃れをするな」

 逆に考えようではないか。
 パンツを履いていなかったおかげで、パンツが溶けることはなかったのだ。
 この調子で、ヒルダは普段からノーパンで過ごしてみるという逆転の発想はいかがだろうか。

 そういえばノーパン健康法という言葉があったと思う。
 おお、二重にお得ではないか。

「……あー、なんかもう、どうでも良くなってきたな…………」

 いやいや、自暴自棄になるのは良くない。
 人は自ら考え、自らの足で前に進むことで現状を打破し、進化していく存在なのだ。
 ただ快楽に溺れるだけでは獣と変わらないではないか。

「お前が言うな」

 ぽか、と殴ってから、ヒルダは嘆息した。
 結局そのまま、ふにゃふにゃと目を閉じてしまう。

 うむむ、食べてすぐ寝ると牛になるというのに。

 仕方なく私は、ヒルダの身体を太い触手でしっかりと抱え上げ、ベッドへと運ぶことにした。
 少なくとも身体だけは小柄な少女に過ぎないヒルダの身体は、驚くほどに軽かった。

 ベッドにヒルダを横たえて、シーツをかぶせてやってから、ふと思い出す。



 …………そういえば、朝言っていた、覚悟しろって話はなんだったのだろうか?










つづく



[3500] 3話「悪夢! 死霊使いの森!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:283fc5bb
Date: 2008/07/19 17:23
 その人を初めて見たのは、一年も前。
 ボクが男の子と混じって森の中を駆け回っていた頃のことだった。

 その日ボク達は、狩人もどきになった気分で森を駆け回って遊んでいた。

 その最中、少年の一人が、突然怯え始めたのだ。
 今すぐ家に帰りたいと言い出すその子を不思議がりながらも、本気で怯えきった様子に、他の子にも恐怖が伝染していくのはあっという間だった。

 意地っ張りだったボクだけが、そんなの気のせいだと言い張って、森の探索を続けて。
 そして、見つけてしまった。

 薄い乳白色の霧が漂う森の中、薄い布のように宙を漂い続ける白い影、森の木の間にぽつぽつと立っている、青白い肌の無数の人間たち。

 “死霊使いの森”

 父親が夜に眠る前に話してくれた物語を思い出す。
 ボクは、そんな話は単なる迷信だと、父親に言い返したと思う。
 魔女なんてどうせただの人間もどき、人間なんかにそんなことはできない、と。

 ボクは、大人達の何人んはその魔女と時々会っていて、薬とか、魔法の品とかを食料と交換しているという話を知っていたから、そう答えることができた。

 商売の相手が、そんなお化けみたいなモノのはずがない。
 どうせ人間に追われて逃げてきた人間が、ボクたちのことが怖くて噂を広めてるんだ。

 だけど、いつの間にか周囲は白い霧の中に押し包まれていて、鳥の鳴く声も聞こえない。
 さっきまで射し込んでいた陽の光すら、もう何処にも見えない。

 泣くことも叫ぶことも暴れることも出来ず。
 ただぼんやりと、ボクは自分がもうダメなんだと感じていた。
 きっと、今にも、こいつらの手が伸びてきて、ボクは遠いところへ連れて行かれるのだ。

 ほら、今にもあの青白い肌の人間の手のひらが――――

「坊主、こんな森になんのようだ……?」
「きゃああああっっ!?」

 肩に触れられた手のひらの感触に、ボクは素っ頓狂な悲鳴を上げて犬のように這いつくばった。
 腰の力が入らなくて立ち上がる事も出来ず、ボクはみっともなく四つ足を地面に付いたまま、恐怖に震えながら声のした方を振り返った。
 そして、私に声をかけた人物は、そこに立っていた。

 村の結婚式でだけ使うことが許されている純白のドレスのような、ボク達とは全然違う、絹のようになめらかな汚れ一つない白い肌。
 小人の職人の一世一代の腕をかけた黄金細工でも作れないような、淡い光沢を放つ糸で編まれたとても長い金色の髪。
 まるで私の心を見透かすように細められた蒼い瞳。

 ボクはただ頬を真っ赤にして、ぱくぱくと口を開いたり閉じることしかできなかった。
 その、人形のように綺麗な少女に、ボクは人目で心を奪われてしまったから。

 彼女が、父親の言っていた魔女だと、理性が判断する。
 魔女は村に来ない。
 付き合いのあるわずかな村人が、直接この森に訪れて物々交換をするのだ。

 だから、魔女がこんな姿をしているなんて知らなかったはずなのに、どうしてかボクは、目の前に立つ、ボクよりも幼く見えるその小柄な少女を魔女だと思った。

「…………なんだ、迷子か?」

 呆れたような声で、魔女は腰に手を置く。
 すると周囲の風景は一変していた。

 いつの間にか、乳白色のあの霧は消えて、木の隙間から届いた日差しが私の頬を照らしている。
 安堵に脱力して土に伏してしまいそうになるのをこらえ、ボクはなんとか口を開いた。

「あ、あの、ボク……ここに、来るつもり、なくて……だから……」

 思うように言葉が思いつかなくて、泣きそうになる。
 すると、ボクを安心させるように微笑んで、魔女は小さな手の平でボクの頭を撫でてくれた。

「分かっている。すまないな、怖がらせて」

 首を勢いよくぶんぶんと振る、自分が悪いのだとそう伝えたくて。
 魔女は困ったように、それでも「ありがとう」と言った。
 照れたように、可愛らしい顔で。

 だけど、急に魔女は口を固く結ぶと、何かを小さく呟いた。
 すると、優しそうな笑みは消えていた。

「いいか? この森の奥は、私の住処だ。本当に助けが必要なとき以外は、絶対にここに来ちゃいけない。…………だって、ここは死霊使いの森だから」

 そう、どこか感情の籠もらない、淡々とした声で言う。
 ボクの前で屈み込んで、直接ボクの目を覗き込むようにして、言った。

「……いいね?」

 ボクは、少しの間を置いてから頷いた。
 躊躇したのは、この美しい少女をもう少しだけ見ていたいと思ったから。
 それに、こんなに優しそうなのに。

 そう思いながらも口に出来なかったのは、あの乳白色の霧の中からボクを見ていた無数の黒い眼窩が、まだボクの脳裏に刻まれていたから。
 選択を誤ればどうなってしまうのか、そんな恐怖がボクの口を堅く縛り付けた。

 そして、魔女の指先の示すまま、ボクは森から逃げ出した。





3話「悪夢! 死霊使いの森!!」





 村の長である父さんが倒れたのは、過労のせいだと村の呪術医は言っていた。

 先代のお爺さんから代替わりしたばかりの呪術医は、まだまだ若いから頼りないって年寄りの皆が言ってたけど、
村の為に必死で頑張っているのを知っていたからその診断を疑う人はいなかった。
 だけど、その呪術医が倒れて、父さんと一緒に仕事していた村の男達がバタバタと倒れて、やっとそれが過労なんかじゃない、質の悪い病気か呪いなんだってことに皆が気付いた。

 小さく咳き込んでから、目眩に襲われて倒れて、全身が怠くて動けなくなる。
 そんな村人がたくさん出てきた。

 村の皆は急いで対策を練ったけど、その中心になる筈の呪術医が倒れているせいで上手く対処できないまま数日が過ぎてしまって、事態は悪い方へと転がっていった。
 子供達の中にまで、同じような症状を起こす者が出始めた。
 大人達はまだ耐え切れているけれど、体力のない子供達はそう長い間病に耐えることは出来ない。

 辺境であるこの村からは、医者や治癒術師のいるような大きな集落は遠すぎる。
 人間の街の方が近いぐらいだが、もちろん人間を頼れる筈なんてない。

 だけど、人間の中でも頼ることの出来るものがいることを、村の何人かは知っていて、何よりもほとんどの大人でも教えられていないその住処を、ボクは知っていた。

「あの魔女をボクが連れてくる。父さんは、魔女と交流があったし……事情を話したら、きっと助けてくれる」

 村人達を集めた会議の席でそう言ったボクに、他の皆が驚きの表情を向ける。

「し、しかし、交渉をしていた長老……お父様は、倒れてられますし、悪くすればロナ様までがあの魔女に……」
「そうだ、それにあの魔女は死霊使いの森にいる。もし行く途中に死霊に捕まったら……」
「人間に頼るなんて馬鹿げてるだ! もっと別の方法を考えましょう!」

 口々に否定の言葉を口にする村人達に、ボクは首を振って言葉を続ける。

「大丈夫だよ。本当に助けが必要なときは…………必要なときは、助けてくれるって、言ってたから」

 村人の一人が、驚いた顔で口を開いた。

「……ま、まさか、ロナ様はあの魔女と面識がおありなんですかッ!?」
「うん、昔ね。……怖かったけど、優しそう人だったよ」

 驚きを流すように、気楽そうな顔を作って笑い、そう答える。
 これで納得してくれればいいと、そう願ったことも気付かれたらしく、今までずっと口を閉ざしていた、村の戦士連中でも古株のおじさんが重々しく口を開いた。

「それならば、儂らからはなにも言うことはありませんじゃ。ですが、せめて儂ら戦士を護衛にお付け下され。……長の大事な愛娘であるロナ様を、こんな夜中に危険な死霊使いの森に行かせたとあっては、儂らは長に顔向けが出来ません!」

 背の戦斧に触れてそういうおじさんに、ボクは厳しい顔で首を振った。

「ダメ。みんなは村の人達を看病してあげて。……それに、森を駆けるならボク一人の方が速い」

 反論を認める気はない。
 それに、夜の森だって、ボク達は昼間のようにものを見ることが出来る。

 さらに何か口を開こうとした村人を手で制して「長の娘としての命令だから」と言うと、今度こそ誰も反論する村人は誰もいなくなった。
 そんな風に他の村人に命令をする自分が嫌だったけれど、今は時間が勿体なかった。

 会議場を出て、父さんの補佐役をしていた人を探して、自分に何かあったときの対処を伝える。
 そしてその足で、ボクは村の端から深い森の中へと入った。

 その先にある、一年前に行ったきり二度と足を踏み入れなかった闇の果て。

 泣きそうなボクを、優しく微笑んで頭を撫でてくれた、綺麗な魔女と出会った場所。

 死霊使いの森へ。





◆◆◆





 霧の中を駆ける。

 どれくらいそうしていたのか分からない。
 死霊使いの森に入ってから。
 あの乳白色の霧が周囲を覆い隠してからボクはそのことを考えるのを止めていた。

 木立の影に立つ青白い影から、無数の視線を感じる。
 ただぼんやりと立つ影は、まるで影法師のように、走っても走ってもボクの左右の木立の影に立ちすくんで、ボクが走る姿をじっとみている。
 夢でも時々思い出す、あの黒い眼窩の奥の恐怖を振り払い、視線をまっすぐ正面にのみ向けて、ボクは走り続けた。

 視界の端をちらちらと白い布のような者が舞っているのが見える。
 あの布の中から覗いている白い手は、きっと女の手だ。

 もし道を間違っていたら、疲労で動けなくなったボクは、あの手に――

 …………ダメだ、考えるな。

 ボクは唇の端を噛んで、走ることだけに意識を集中させた。
 あの時の記憶は、一欠片すら忘れていない。
 走る方向は間違っていない、だから間違いなく、あの少女の住処に辿り着けるはずだ。

 そう自分に言い聞かせながら、ただひたすらに闇を駆ける。

「…………っ!」

 正面、霧の向こうに何かが見えた気がして、ボクは息を飲んだ。
 その瞬間に、木の根に躓いて、ボクは駆けていた勢いもろともゴロゴロと地面を転がった。

 受け身を取る時間すら惜しく、転がりながら地面を蹴って、そのまま正面へ駆け続ける。
 背中越しに宙を切る女の手を幻視して、ボクは小さく身を震わせた。

 髪や服にまとわりついた土を払いこともせず、ただ一心に走って――――


 不意に、視界が晴れた。

 辿り着いたのは小高い丘、森が途切れて丈の低い草ばかりが生えるその場所に建つ、不自然なほど形の整った、煉瓦造りの小さな一軒家。
 丸い窓から橙色の光が溢れていて、ずんぐりとした煙突から白い煙が空へと上っている。
 こんな場所に、こんな立派な建物が建っているなんて事、ありえない。

「やった……ちゃんと、辿り着けた……」

 息を吐いて、その場にへたり込む。
 気付くと、休み無く走り続けた疲労に、胸が早鐘のように鳴り響いている。
 安堵のあまりそのまま倒れてしまいそうだった。

 ふと思いついて、怖々と後を振り向く。
 ボクの目でも見通せないほど暗く深い森の奥には、なんの姿も見えなかった。

「…………もう、戻れないよね。……うん」

 村では、父さんや大人達、子供達が苦しんでいる。
 ボクは軽く頬を叩いてから、その建物の入り口へ、近付いていった。

 呼び出しの為のベルもない、小さな色付きガラスが装飾にはめ込められた扉の前で足を止める。

「わ……」

 びっくりしたのは、入り口の扉が鉄製の扉だったこと。
 ちゃんとした樫の扉だって村には少ないのに、鉄製の扉なんて。
 それも、村の戦士が身に着けているようなドワーフ族製の無骨な鉄じゃなくて、もっと丁寧に時間をかけて作られたような、綺麗な装飾が施されている。

 緊張しながら、ボクは、とにかくノックをしようと思って握った手を扉に近づた。

「――――……っ…………ぁ…………ぅっ……」

 その時、ボクの耳に届いたのは、扉の隙間から漏れる、微かな音。

 ただの音じゃなくて、間違いなく人の声だった。
 苦しげな呻き声みたいな、悲鳴みたいな、低く掠れた女の子の声。

「この声……!?」

 ひどく胸騒ぎがした。
 握った手を開いて慌てて扉のノブに手をかける。

 ノブを激しく押し引きすると、何の反動もなくそれは後に開いた。
 そして、扉の奥、その建物の中で行われていた光景が、ボクの目の中に飛び込んできた。



「……あっ!……んっ……ふぁぁ…………あぁっ……ん……んぁっっ!!」

 揺れる白い肌。
 無数の薄黒い触手が、ランプの明かりに照らされてぬらぬらと輝いていた。
 少女の身体が助けを求めるように激しく揺れるたび、金色の髪が激しく舞っている。

 触手の中に埋もれる少女は、何も身に着けていない裸で、身体を隠すことも出来ないように、無数の触手によって手と足をしっかりと絡み取られていた。

 わずかに膨らんだ胸を、脇から回り込んだ触手がなぞるように這い回り、あらわになった胸の先の桜色の突起を、細い触手がしつこくつついている。
 そういるたびに、少女は弱々しくを反らして触手のもたらす責めから逃れようとするけれど、身体をわずかに揺らすだけでは逃れることも出来ない。

 無数の触手が、あざ笑うように少女の肌にその先端を擦りつけ、粘液を吐きかける。

 しっかりと触手の中に深く埋もれさせられた下肢に、無数の太い、細い、蠢く突起の突き出た触手が、その身を擦りつけながら、何度も何度も這い続けている。
 逃れようと腰を浮かせようとする少女を、太い触手がしっかりと脚を絡めて押さえつけ、より一艘触手の中へと沈めると、少女の口から甲高く甘い悲鳴が上がった。

 その少女は、一年前にボクが見た、あの綺麗な少女で間違いなくて。
 あの、森の中で出会った綺麗な少女が、ボクの目の前で、得体の知れないバケモノの黒々とした無数の触手に絡み取られて、ただただ陵辱されている。

「え……う…………ぁ……?」

 理解不能な光景に、ボクは呆然とそれを見ることしかできなかった。

 触手の中には、無数の目があってそれが視線ですら嬲るように、自分の触手の中で溺れ続けている魔女を見ている。

 その目の一つが、ボクを見た。

「っ……!!」

 生理的な嫌悪を感じて、私はほとんど無意識に後ずさっていた。
 その瞬間、村のことも魔女のことも考えることが出来なくて、ただ恐怖だけが脳裏にあった。

 でも、その場から逃げ出すには、恐怖に気付いたのが絶望的に遅くて――――

 最初、細い触手が数本、槍のような早さで伸びて、ボクの身体に絡み付いた。

「ひっ!」

 小さく悲鳴を上げて、触手を力ずくで振り払おうとする。
 細い触手は引っ張る力も弱くて、必死に引き剥がせばなんとか振り払える。
 けれど、そうしてもがいているうちに太い触手が次々と伸びて、ボクをあっさりと捕まえた。

 脚に絡み付いた太い触手をふりほどこうとして、逆に急に引かれて玄関に転がってしまう。
 空いていたもう一本の脚の足首にも太い触手が巻き付くと、ボクを建物の中へと引っ張り始めた。

「……やっ……離せっ!」

 バタバタと足を振りながら、手を入り口の扉へと伸ばす。
 けれど、その腕に触手が絡み付いて、別の触手がノブを掴んで扉を閉じてしまった。

 這いつくばったままおそるおそる振り向くと、そこにはボクを捕まえた怪物が、無数の触手を蠢かせながら大きな眼球でボクを覗き込んでいる。
 小さな眼球が先に付いた触手がボクの身体をじろじろと舐めるように見る。

「なっ……なにを……」

 何をするつもりか、そんなこと、分かっているのに。
 触手の一本が上着の裾から服の中に入り込む。
 それがボクの身体をまさぐりはじめて、嫌と言うほどそれを思い知らされた。

「やっ………やだっ……やめろっ! ボクは……こんなことしてるヒマ……っ!!」

 何を言っても、こんな怪物が聞いてくれるはずがない。
 堰を切ったように触手が次々とボクに襲いかかって、すぐにボクの口が塞がれた。

 触手によって上着がまくり上げられて、晒された胸を蹂躙される。
 細い触手がズボンの中へ入り込み、下着と肌の間をしつこく擦り上げながら何度も往復する。

 やがて、ズボンが引き下ろされて、お尻が外気に晒される。
 何をされるのか、恐ろしい想像に半狂乱になって暴れようとしても、手足を押さえる触手は堅く強くて、立ち上がることも出来ない。
 太い触手が、粘液をたっぷりと滴らせてお尻を撫で上げたとき、ボクは抵抗を諦めて――



 何かが物凄い勢いで叩き付けられ、砕け散る音がした。



 その次に、水を詰めた水袋が破られて勢いよく破裂したような、耳障りな音。
 生ぬるい青色の液体がボクの身体にかかる。

 おそるおそる視線を上げると、そこには、身体を半分失ってよたよたと後ずさる怪物がいた。
 周囲にはバラバラに砕けた椅子の破片。

 そして、裸のままの少女――魔女が仁王立ちで立っていた。

 片手に、折れた椅子の足を一本。
 もう片方に、魔女の証でもある杖を持っている。

「……あ、あぁぁ…………ボ、ボクは…………」

 何かを言わないといけないと分かっていても、何を口にすればいいのか分からない。
 頭の中は恐怖と混乱で渦巻くばかりで、どうすればいいのか分からない。

 そうしていると、魔女は何故か困ったように息を吐いて、私の額に触れた。

「…………眠れ」

 その言葉が聞こえた直後、ボクの意識は闇に閉ざされた。





◆◆◆





「……どういう思考回路をしてるんだお前は。普通、最中に来客があったからって、喜々としてコトの最中に引きずり込んだりするか?」

 あの時、少女と目があった瞬間、私の頭の中には“挑戦者現る!”みたいな文字が見えた。
 瞬間、この状況はもうどうでも良いから、とにかく目の前に現れたこの子に色々やってみよう、というチャレンジスピリットが生まれてしまったのである。
 言葉で表すならば、“なぜ事を成すか、そこに女の子がいるからである”という感じか。

「もう一回魔法で体を削ってやろうか? 激しい衝撃を与えれば、何かの弾みで少しくらいその腐った思考回路も元に戻るかもしれん」

 真顔で杖を向けるヒルダの瞳に本気の光が宿っていたので、私は慌てて前言を撤回した。

 というか、実際やりすぎたとは思っているのである。
 もしもあのまま事に及んでいたら、被害者の娘さんには間違いなくトラウマが残っただろう。
 それを考えると、ああいう行為はどうかという気持ちもある。

「…………万が一、お前がそんな無体な真似を喜々としてやるようだったら、召喚者として責任を持って、お前を必ずこの世界から塵も残さずに抹消してやるからな?」

 ヒルダに激しく睨まれて、私は身を小さくすくめる。

 事の最中になるとどうも意識がそっち方面に傾きまくってしまうというか、抑えが効きづらくなってしまうのだが、今回は本当に危なかった。
 なにしろヒルダ以外の人を目にするのは初めてだったし、こんな事態考えてなかったのである。

「…………そう言えばそうか。まぁ、これで分かっただろうから、今後は気を付けろ」

 溜息をついて、ヒルダは杖を下ろした。

 魔法で眠らせたらしい被害者の少女を抱え上げ、ソファに横たえる。
 脱がされかけた衣服を戻す時にもう一度睨まれて、さすがに私も気まずさを感じた。

 別に自分を呪いたいなどとは思わないが、確かに、あまり良い習性とは言えないかもしれない。
 一応、ヒルダにさんざん止めるように言われた、襲いかかるときに勢いで服を破り取るクセだけは抑えられていたようなのだが。

「そういう問題か……まったく」

 服を直してやるのを待ってから、改めて少女を覗き込む。
 冷静になると不思議なのだが、なぜにこの少女の肌は真緑なのだろうか?

「ゴブリンだよ。近くにある集落から来たんだろう」

 ……ゴブリンって、もっとこう、醜い子鬼っぽいイメージがあるのだが。
 見た感じは普通の女の子のように見えるのだが。

「女の子だからな。男の方は割とお前のイメージに近いよ」

 イメージが伝わるというのは便利だ。
 しかし、ゴブリンとは。
 ぼんやりとある印象だと、人間に悪さをする山賊みたいな連中ってイメージがあるのだが。

「いや、この辺にいるのは農作と狩りで生計を立てているような大人しい連中だ。それに人間に悪さをするのは人間も同じだろう?」

 それは確かにそうだなぁ。
 まぁ、それを言ったら私の方がよっぽど怖い見た目なので、文句は出ない。
 むしろ可愛い方がいいじゃないか。

「……またヘンなことするなよ?」

 無理矢理襲うような行為は極力控えよう。

 私の肯定の意があまりお気に召さなかったのか、ヒルダは呆れたように溜息を吐くと、事が始まる前に自分の着ていた服を探し始めた。
 今までのやりとりの間、ずっとヒルダはスッポンポンだったのである。
 慣れというものは恐ろしいと思うが、私としては眼福なので何ら異を挟むことはない。

 私はヒルダが私に思いっきり叩き付けたせいで砕け散った椅子の破片を集め、ヒルダはぐちぐちと愚痴を言いながらも衣服を探す。
 あーもう恥ずかしいな、とか、なんだってあんな最中に、とか言ってるから、やはり事の最中をモロに見られたのは大変恥ずかしかったらしい。
 もしかしてさっき私にこっぴどく怒ったのも照れ隠しだったのかも知れない。

 そんなことを思っていると、私が片付けておいた服を見付けたらしく、ヒルダが口を開いた。

「おい、脱がした服をいちいち折り目正しく折り畳んでおくのはどういうつもりだ?」

 ヒルダの視線の先にあるのは、私が彼女から脱がし終わり次第に、洗濯担当の義務として、きれいに折り目正しく折り畳んで傍らのテーブルに置いておいた服だ。
 服の一番上には、先ほど彼女の脚から私が引き下ろした下着が乗せられている。
 乱暴にならないように細心の注意を払って丁寧に脱がしたので、破れたりはしていないだろう。

 多少下着を脱がすタイミングが遅かったので染みとか付いてるかも知れないが、それは自業自得ということで勘弁して貰いたい。

「うるさいわッ!!」

 真っ赤になったヒルダが椅子を投げつけてきたので慌ててキャッチする。家具に罪はない。

 ヒルダの方も、命中することは期待してなかったらしく特に追い打ちはなかった。
 家具を触手で抱え上げて元の場所に戻す。

 そうしている間も、ヒルダは何故かすぐに着替えることはせず、全裸のままなにやら悩んでいる。

「…………むぅ」

 パンツの端をつまんで吊し、難しい顔でじっと見ているところを見ると、どうやら穿いていいものかどうか悩んでいるらしい。
 だが結局、着替えの下着もロクに無いことを思い出したのか、諦めてその場で穿きはじめた。
 片足づつ脚を通してそれを穿く。

 穿き終えた直後、一瞬ひどく微妙な、憂鬱な表情を見せたので、きっと色々とあったのだろう。

「……いちいち観察するなっ!」

 いや、目の前で着替えられるとさすがに気になるというか。
 色々としている時に見るヒルダの裸も良いが、素の時に見る裸もまた別の味があるのだ。

 それが着替えのシーンとなるとさらに――――



「着替えは余所でする! 貴様は部屋の掃除していろっ!!」

 着替えをひっつかんだヒルダは足音高く隣の部屋へと立ち去り、私が後を追う間もなく、扉が爆発するんじゃないかという勢いで閉められてしまった。
 扉に挟まれて千切れた触手の鋭利な切断面を見て追跡を断念する。

 仕方ない、申しつけられた部屋の掃除をしておくことにしよう。

 ……と言っても、色々と始めたときに倒してしまった家具を元に戻して、ヒルダが破壊した椅子を片付けておくだけである。

 部屋にスプラッタな感じで飛び散った私はの体液や肉片は、私がそう意識すると、するすると壁や床を滑りながら集まって、全て私の体に戻ってくる。
 意識しなければそのうちに消えるのだが、なんとなく勿体ない気がしたのでそうした。

 我ながら便利な機能であるが、掃除が簡単だという理由でさっきみたいな暴力行為を気軽にされてしまうのが問題点だ。

 あとは、寝てしまっている女の子の方だけど。
 ソファに寝かせられたその子を見直す。緑色の肌が、なんとも変な感じだ。

 ゴブリンとか言われても、私には肌が緑なだけで普通の女の子に見える。
 背が小さくて全体的に小柄な感じなのは、この子がゴブリンだからなのだろうか?

 日に焼けた硬い薄い色の髪が四方に飛んでいる、ショートカットというか、乱雑な髪型。
 可愛い顔立ちなのだが、厚めの上着に半ズボンという男の子っぽい衣装のせいで、少年なんじゃないかと勘違いしてしまいそうだ。

 とはいえ、私からしたら、この子が女の子なのは体の丸みからして丸分かりだし、なにより匂いからしていかにも女の子という感じではないか。
 見た目にしても、今は胸がないのが原因でそう見えるだけで、もう少し成長すれば色々と出るところも出て見分けが付くようになるんだろう。

 ああ、よく見ていると、半ズボンが中途半端に脱げかけている。
 どうやら半ズボンの前を留めるボタンを触手で千切ってしまっていたらしい。

 私もまだまだだな。
 内心で溜息を吐きながら、リビングの端にある棚から裁縫箱を取り出す。
 無数の細い触手を使ってする針仕事は、ここ数日の家事で完璧に身に着けていた。
 最初のうちにヒルダの衣装をさんざん破いたり溶かしたりしたせいで、彼女の衣装はずいぶんと減ってしまった。その埋め合わせのために覚えた技術である。

 眠ったままの少女の上から触手を伸ばして、そろそろと足を開かせて半ズボンのボタンに触手を触れさせちまちまと針と糸を通していく。
 ちなみにボタンは修復不能になったヒルダさんの衣装から集めたものを使う。
 どうも俺の体液では鉄のヤツは溶けないらしく、寝室や家のあちこちで残っていたのだ。

 ちまちまちまちま。

 最近気付いたのだが、こういう細かい仕事を触手でやるのは頭が冴える感じがしてとても良い。
 そのうち毛糸を所望して、セーターとかを編んでみるのも良いかも知れない。
 そういえば、この森には冬などは来るのだろうか?

 …………よし、出来た。

 そのうち私好みのセクシーな衣装でも自作してヒルダにプレゼントするのもいいかもしれない。
 そんなことを思いながら、ふと視線を上げると、少女と目があった。

「……や……」

 目の中に見える恐怖と、震える身体。
 なるほど、どうやら彼女は、私が先ほどの続きをしようとしていると勘違いしているらしい。
 驚かないで欲しいのだが、落ち着いてくれないだろうか?

 落ち着いて状況を見さえしてくれれば、私の触手が別に君の履いている半ズボンの内側に入り込んではいないことに気付くことが出来るはずだ。
 それに、私が触手に手にしている針や糸を見てくれるのも良い。
 半ズボンのボタンが見覚えのあるものではなくなっている事実と、そのことを照らし合わせれば、私が半ズボンのボタンを修理していたという回答を容易に得られるはずだ。

 だからどうか、悲鳴を上げて助けを呼ぶことだけは許して欲しい。

 そんな思いを込めて、私はゴブリンの少女の脚を一撫でした。



「……ぃ……っ……いぃ……いやぁぁーーっ! おかーーーさぁぁんんっっ!!」



 直後、扉を蹴り破らんばかりの勢いで駆けつけたヒルダの破壊魔法が私を襲った。










<つづくよ!>





[3500] 4話「疾走! 触手生物、村へ!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:283fc5bb
Date: 2008/07/23 17:53

「……というわけで、『不用意に怖がらせて大変申し訳ない。どのような罰も受ける所存なので是非とも謝らせて欲しい』とコイツが言っているのだが」

「え、あ……ぅ…………はい……」

 謝意を込めてとりあえず地面にぺたりと這ってみると、ヒルダに上から踏まれた。

 そのまま容赦なく靴の踵を食い込ませてくるヒルダに屈辱を感じると共に、靴じゃなくて素足ならばこういったプレイもアリなどと思っていると、今度は蹴られた。
 ヒルダのキックを受けて、フライパンの上を舞うホットケーキの勢いで宙を舞う私。
 それを見て慌てて止める少女。

「あっ! そんなに怒らなくて良いですからっ! ボクも、その、不注意だったっていうか……」

 どうやら、私の意志は間違いなく伝わってないらしい。
 ヒルダが私にいわれのない折檻を加えているように見えたらしい、おお、なんと鬼畜なのだろうか。

 さらに少女の謝罪は続く。

「ごめんなさい! その、ボク、まさか魔女様が、その、あ、ああ、あああああ、愛し合ってる、最中だったなんて……全然、わかんなくて……」

 おお、顔がドンドンうつむいて、トマトマもかくやと真っ赤になっていく。
 話を続ける少女の声が物凄く引きつっているのは、ついつい私とヒルダとの愛の営みを思い出してしまったからだろう。

 顔は真っ赤で、視線は宙を泳ぎっぱなし、脚は落ち尽きなく内股を擦り合わせている。
 見たところあまり経験豊富ではなさそうなこの少女には、あの激しい営みはいささか刺激があり過ぎたに違いない。
 それに輪をかけて、その後の経験は彼女に度を超した羞恥の感情を植え付けてしまったようだ。
 しかしその初々しい反応には興味をそそられる。

「あっ、で、でもその、いきなり三人一緒にとかっ……ボク、そういうのまだだし……、……ダメです! ダメですよ……っ!?」

 思わずじーっと見てたら、慌てて手をバタバタ振ってなんか顔を隠す少女。
 いや、なにも私の視線にそんなに怯えることはないだろうに。

 それとヒルダ、今のやりとりの何が悪かったのかはよく分からないが、黙々と私に麺棒を叩き付けるのは中断して欲しいのだが。

「うるさい黙れ」

 なにかしら腹の立つことでもあったのか、ヒルダはキッチンから取り出してきたやけに大きな麺棒で、出し抜けに黙々と私を殴打しはじめた。
 力の篭もった重い音がリビングに響くのを、ゴブリンの少女はビクビクとした目で見ている。

 それはそうだろう、目の前で生物が見る見るひしゃげていくのを見て平静になれるはずもないし、むしろ“次はお前だ”的なメッセージに受け取ってしまいかねない状況だ。
 完全に人よりも長めの耳が、ぺたんと垂れてしまってる。

「あっ、あのっ、そんなに怒らなくても……」

 だが、あからさまに怯えている少女のことなどお構いなしにヒルダが口を開く。
 目が怖い。

「いいからこの変態生命体のことは気にするな。……というか、さっき見たものは忘れろ」

 私から見ても怖いのだ、この少女からすればもう猛獣に牙を剥かれるかの如き恐怖であろう。

「……え、でも、その、さっきは」

「忘れろ」

「あ、う、え?」

「わーすーれーろー」

「は、はいぃぃぃ…………」

 ヒルダの激しい脅迫によって、ゴブリンの少女は屈してしまった。

 力が事実をもねじ曲げて信念を折り、暴力が幅を利かせるという恐ろしい悪循環の好例である。
 ところで暴力と言えば、麺棒で殴られすぎてだんだん私の体がだんだん平面に近付いてきたのだが、もしやヒルダは私をこのまま折り畳んでラーメンにでもするつもりなのだろうか?

 今の時点でも十分麺類として通用しそうな肉体を有しているのだから、これ以上麺類に近付くのは勘弁して欲しいのだが。

「そうなっても私は絶対に喰わんぞ」

 ぽい、と麺棒をテーブルに放り捨ててヒルダが言い捨てる。

 物凄く素っ気ないのは、やはりこのゴブリンの少女の視線を気にしているのだろうか。
 先ほどの脅迫の際も、若干ながら照れが入っていた様子があったことであるし、そういうことならばもっと可愛らしい表現の仕方というものが――

 なんかまた水球が割れるような音がして、私の体が半分ほど吹き飛んだ。
 これで三回目である。
 私の再生能力は本日フル稼働だ。

「ああああ、あのっ、魔女様っ! ボクはもういいですから!! さっきのこと、気にしてないですし、いきなり入ってきたのが悪かったっていうか……だから、これ以上はもう…………」

 体液と肉片をまき散らしてぐったり倒れている私がよっぽど悲惨な状態に見えたのか、ゴブリンの少女が心優しくも私の助命を嘆願する。
 ああ、あんな目に遭わせたというのに本当にいい子ではないか。
 私とヒルダのやりとりが伝わっていないので、なにやら盛大な勘違いしているようでもあるが。

「いや、そこはちゃんと気にしておけ。気にしてなかったら絶対また同じコトされるぞ?」
「えぇっ!?」

 ヒルダの言葉に、ゴブリンの少女は言葉を引っ込めて、びくりと身をすくめて私を見た。
 人間よりも少し長めの耳が緊張にピコンと立っている。

 なんとなくそうしなければならない気がして、私は勢いよく再生しながら立ち上がってみた。

「ひゃあああああああぁぁっっっ!!?」

 目をぐるぐると回しながらソファの影に慌てて駆け込んでいく少女。
 うむ、なんというか、可愛いじゃないか。

「お前も遊ぶな」

 ポカリともう一度持ち上げた麺棒で私を叩いて、ヒルダがソファの影に逃げ込んだ少女をぐいぐいと引っ張り出す。

 そんなことをやっていたせいか、彼女がわざわざヒルダの自宅までやってきた理由を聞き出すまでは、多少の時間がかかってしまった。

 ……話を聞いて、私とヒルダがさすがに申し訳ない気分で顔を見合わせたのも仕方あるまい。





4話「疾走! 触手生物、村へ!!」





 ゴブリンの少女は、自分のことをロナと名乗ると、ここに来た事情を素早く説明してくれた。

 話しているうちに村の状況を思い出したのか、最初の怯えた顔から、村の長の娘として村のことを思う、真剣な表情になっていく
 責任感や義務感だけではなく、本当に村のことを思っているのだろう。
 そして最後にロナちゃんは、自分が払える範囲ならば、望む限りの代償を払うと約束した。

 実に良い子である。
 こんな子の願いを叶えるのが、魔女の役目だと思うのだが、どうだろうか?

「すぐ村まで案内しろ。どうせそんなことだろうと思ったから、必要そうな道具はもう揃えてある。それとお前、乗せられるなら私たちを運んで行け。お前の力ならそれぐらい余裕だろう?」

 ヒルダは躊躇いもなくそう答える。
 もちろんだとも。

 勇気ある少女のために、この私も森を駆ける一陣の風になろうではないか。

 そんな意志を込めてロナちゃんへとへすーっと太い触手を伸ばしてみると、彼女はすかさずヒルダの陰に隠れて、怯えた目でこっちを見ている。

 ……うむ、なんだか少し傷ついた。

 さっき私の意志が伝わってなかったっぽいことも考えると、どうやら最後までコトに及んだ相手以外には、触手で触れても私の意志を伝えることはできないらしい。
 仕方なく、にょろにょろと先に家の外へと出る。
 急がないといけないのは間違いないのだ、決心が付いたら外へ出てくるだろう。

「そいつが村まで私達を乗せていく。事の最中でもなければ血迷って襲いかかってくることもないから、安心して乗れ。一刻をも争う状況なんだろう?」
「…………は、はい……すいませんっ……ボク、つい…………」
「私に謝らなくて良い。今の自分に必要なものが何かをよく考えて、そして行動しろ」

 そんなヒルダとのやりとりが家から聞こえて、おずおずとロナちゃんが玄関から出てきた。

「あの……よろしく、お願いします……」

 ちゃんと決心が付いたのだろう、ぺこりと頭をこちらに下げてくれる。

 それでも触手を伸ばすと小兎のように震え出す様子に多少の罪悪感を感じて、あまり刺激しないようにやんわりとその細い腰を掴む。
 そのままひょいと背中に乗せると、ロナちゃんは小さい悲鳴を上げてしがみついてきた。

「きゃ……」

 怖々と背中に触れてくる手に触手でぺしぺしと触れると、慌てて手が引っ込んでしまう。
 まぁ、こんなものだろう。

 玄関の閉じる音がして、明かりの消えた家からヒルダが出て来て私を見上げた。

「よし、行くぞ」

 言われるままにヒルダに触手を伸ばし、その腰をくるりと掴む。
 すると、ヒルダは申し合わせたように私が引く力に合わせて地を蹴り、私の背に跳んだ。
 その腕が吊していた大きな鞄を受け取り、太い触手で落とさないよう固定する。

 よし、これくらいの重さなら何の問題も無しだ。

 最後に一度大きく体を揺すって、二人が走っている途中に零れ落ちないよう、ちゃんと捕まっているのを確認してから、私は地面を蹴って森へと駆けだした。

 森の中へと入るなり、前方に青白い光が浮かび上がる。

「わっ……ひっ、人魂っ!」

 こらこらロナちゃん、そんなにくっつくと私の触手に君の色んなところが当たって、またムラムラしてしまうではないか。

「……走ってる最中にアホなことを考えるなよ?…………あれは、私が魔法で喚んだ鬼火だ。森の外までアレが案内するから、お前はあれを道しるべにして走れ」

 なるほど、鬼火は道しるべのように連なって森を照らしている。
 私はそれを追うように走り続ければいいというわけか。

 私の走るスピードに合わせて、鬼火は左右に延々と灯っていき、通り過ぎると消えていく。
 青白い炎は何とも陰鬱で、私にすらどこか身震いするような不気味さを感じさせた。

 だが、私の上に載せた二人分の重みがそのような不安を打ち払ってくれる。

 具体的にはくっついてくる肌の柔らかさとか、丸くて柔らかいお尻の感触とかが。
 触手を腰にしっかりと巻き付けているので取り零したりは絶対しないのだが、それでもちょっと揺れたりすると、怖がって必死に縋り付いてくれるのがとても良い。

 思わずわざとゆらゆら揺れたい気分になってくる。

「……いらんこと考えてると、むしり取るぞ」
「すすす、すいません、魔女様! まだ、ちょっと、怖くて!!」

 おお、なんと恐ろしい。
 鬼のようなヒルダは、一体罪のないロナちゃんのどこをむしろうというのか?

 もしかして自分には生えていない下の方の――――

 ブチリ

「よしよし、ロナのことを言ってるわけじゃないから、安心しろ?」
「ままま、魔女様、触手、もげちゃってますよっ!?」
「いいから。どーせそのうちまた生える」

 痛みはあるのだから勘弁して欲しいのだが。
 これ以上あちらこちらをむしり取られたのでは堪らないので、私は前方を見据え、ただ木の隙間を駆けることだけに集中することにした。

 視界に入る木々を避け、時に触手を絡めて勢いを増す道具にし、時には障害物になる木を触手でねじ曲げて隙間を抜けていく。
 触手を使って全速力で駆けたことはなかったが、体がその方法を覚えている。
 この無数に生い茂った木々の中は、普通の獣にとっては障害物に満ち溢れた歩みにくい場所かも知れないが、この私にとってはとても加速をしやすい空間だ。

 障害であるはずの木々が、代わりに加速のための手段となってくれる。

「ひゃぁっっ、はひっ……はやっ……速いです魔女様ぁっ!」
「くっ……確かにこれは、予想以上だ……っ!!」

 いつしか、私の速度に耐えるのが難しくなったのか、背に乗せていた二人は、私の触手に必死にしがみつくのがやっとのようだ。
 小さい体躯が、太い触手を離すまいと腕を回し必死にすがりついてくる。

 いかん、激しい揺れが巻き起こす衝撃のたびに、振り落とされまいと強く掴まれて、それが故に彼女たちの色々と柔らかい部分が私の触手に押しつけられて――

 胸の感触からして、ロナちゃんの方が上か。

 ブチブチブチリ

「魔女さまーーっ!?」
「いいから」
「ひゃっ……ひあああっ! 血がっ、血が飛び散ってきますーっ!!」
「いいから」

 よーし、なんか出血で気が遠くなってきたから余計なことを考えられなくなってきた。
 この調子で走ってればきっとそのうちに目的地に辿り着く。

 そうしたらまずヒルダにしこたま謝ろう、私の体から触手が全部もがれて、千切れた触手の痕だけが残ったつぶつぶボールみたいになってしまう前に。





◆◆◆





「……あの、魔女様、この方は一体何をされているのですか?」

 私の必死の謝罪表明は、ロナちゃんには何か儀式的な意味合いの踊りのように映ったらしい。
 なるほど、私の意志が伝わらない彼女からは、触手を地面に這わせてリズミカルに上下に揺れ続けるその動きはさぞかし神秘的かつ美しい儀式のように見えたのだろう。

「気にするな。ちょっと主人への忠誠を改めて誓いたくなっただけだろう」

 身も蓋もない説明がヒルダの口から出る。
 本気でなにか意味があるとでも思っていたのか、驚くロナちゃん。

「えぇっ、そーだったんですか!?」
「あぁ、へーこら謝ってた」

 謝罪の表明をそのようないい加減な言葉で説明しないで頂きたい。

 私はあくまで紳士的に、他社の肉体をあげへつらうような差別的な意識を持った自分を恥じ、ツルペタでもツルツルでも平等な愛を注ごうという決意を示しただけで――

 上から振り下ろされた衝撃に体がへこむ。
 私は、また少し平面に近くなった。

「……あの、魔女様、その麺棒はいったいどこから……?」
「いいから」
「は、はい……っ!」

 なにか先ほどのやりとりがトラウマになったのだろう。
 ヒルダの返事を聞くと、あからさまにロナちゃんはビクッと震えて全身で了解の意を示した。

「とりあえず馬鹿はここまででだ。ロナ、間違いなくここがお前の村なんだな?」

 ヒルダの言葉に、私も潰れるのをやめて立ち上がり、抱え込んできた治療の道具の入った大きな鞄を太い触手に吊してヒルダの側に下ろした。

「はいっ! 病人の介護に使っていた屋敷に灯りがありますから、まだみんな起きてると思います!」

 なるほど、病人の中には介護を一晩中しないといけないような重態の人もいるのか。
 これはさすがに、馬鹿をやっているワケにもいくまい。

「よし、それならすぐに治療に取りかかるぞ。案内と村人への説明は任せる。私を信用しているなら、全ての村人達にちゃんと治療が出来るように、間を取り持ってくれ」

「任せてくださいっ!!」

 ロナちゃんはドンと胸を叩いてヒルダの指示を請け負った。
 部外者に村人の治療を任せさせるよう説得するなんて、いくら長の娘のロナちゃんでも、信用が問われるような難しい役目だろうに。

「お前は、薬箱を持って付いてこい。治療の助手をさせる」

 いや、それは無理だろう。
 私のこの見た目が他者にとってどう映るか考えればすぐに分かると思うが、どう考えても私は治療の助手にしては見た目が凶悪かつ卑猥すぎる。
 私は村の外で待機しておくというのがこの場の正しい判断だろう。

 そういうわけで、私は大きな鞄を地面に置いて、村の外れへと移動を始めたのだが。

 背後から触手の一本を掴まれた。

「…………付いて来いと言っただろう」

 後ろに目玉を作りながら体全体を後ろ向きに作り替え、触手を掴んだままじっと私を見上げているヒルダを見下ろす。

 睨むような彼女の視線からは、いったい何を考えているのかはよく分からない。
 私のような怪物を従えているということをこの村のゴブリン達に示すことで、自分にまで害が及ぶ可能性をヒルダは理解していないのだろうか?
 ただでさえ魔女なんて悪いイメージがあるというのに、これ以上評判を落とす必要もなかろう。

 そう理解しているはずだし、していなくても今理解したはずだ。

 なのにヒルダは私の触手を離そうとしない。

「あ……あのっ、魔女様と……えぇと、その、うねうねされた方!」

 私たちを見ていたロナちゃんが口を開く。
 ……名前を名乗れないからと言って放置してたら、呼び方が凄いことになっていた。

「村のみんなは、少し怖い見た目の魔物だって、同じ魔物なら仲間だって分かってますから怖がったり嫌ったりはしないです! 魔女様だって、いざという時にちゃんと助けてくれる人だって分かったらみんなだって……」

 彼女は、両手をばたばたと振って、必死になって私を引き留めようとしてくれている。
 本当にこの娘は真面目な子だ。
 それに、自分の村のゴブリン達を心底信じているのだろう。

 ……うーむ。

 ロナちゃんに向けていた視線を、再び私を捕まえているヒルダへと向け直す。
 変わらず、ヒルダは私をじっと見上げていた。

「だそうだ。…………それならば、いいだろう?」

 あれだけ助け船を出されて、さらにヒルダにそんな風に頼まれて、断れるわけがあるまい。
 私は地面に置いた大きな鞄を触手で掴み直して、村の方へと這い進みはじめた。

「あっ、あの……お二人ともっ!」

 私とヒルダが村の柵を乗り越えて村の中へ入った直後、唐突にロナちゃんが駆けだした。
 何故か私の前へと回り込んで、大きく両手を挙げる。

「ようこそ! ゴブゴブ村へ!! 今、こんな時間だし、大変なことになってるけど、ボクはお二人を歓迎しますっ!」

 なんというか、色々いっぱいいっぱいだろうに、律儀な娘である。
 それに、なんともつたない歓迎の言葉だったが、人里など経験のない私には少しだけ嬉しかった。

 ……だが、すまない。歓迎されてなんだが、そのネーミングセンスは酷すぎると思う。
 あれか、人間の村だとヒトヒト村なのか。





◆◆◆





 ヒルダの手際は素晴らしく、たった数時間で病人達の検診と治療は終わった。

 どうも、外部との接触のあるゴブリンが、人間の商人かなにかからうっかり伝染されてきた風土病だったらしく、ヒルダはその対処方法を熟知していた。
 数日もすればみな元気になると聞いて、村人達は大喜びであった。

 とはいえ、夜中に家を出ただけあって、私たちが村を後にする頃にはすっかり深夜を通り過ぎ、もはや日も昇ってきそうな時間となってしまった。
 今は背中にヒルダを乗せて、ゆらゆらと帰宅の最中である。

 さすがにお子様に夜更かしは辛かったのか、ヒルダはすっかり眠りこけている。

「…………寝てない。……誰がお子様だ……」

 訂正。舟を漕いでいる最中である。
 まぁ、やるべき仕事は果たしたのだから、寝てしまっても問題はないのだが。

「……誰が、お前の背中なんぞで寝るか……またヘンなことする気だろう……全く……」

 そんな風に誘惑されるとちょっと衝動に駆られてしまいそうだが、今夜のところはやめておこう。

 なんだかんだ言って私やヒルダに怯えていたちっこいゴブリン達が、最後には治療の手伝いを進んでしてくれて、帰り際には何度も礼を言っていた。
 そんなものを見たせいで、少し自分の在り方というものを見直したい気分なのだ。

 あと、してる最中に相手に寝られたら凹む。

「…………台無しなヤツめ」

 もう急ぐ必要もないし、あまり揺れないように、茂みをかき分けながら森を歩いていく。

 来るときに見た目印がないのが難儀だったが、村に向かう時に急いで駆けてきたお陰で、あちこちに私の残した移動の跡が残っている。
 先ほどから時々視界の端に見える、影のない青白い人影さえ無視しておけば、まっすぐ家に戻るのには問題ないだろう。

 これが、死霊使いの森の所以か。
 家の周りには出てこないから初めて見るが、慣れると意外と気にならない。
 こういうのも私が怪物だからだろうか。

「ふぁふ……それは、お前が鈍感なだけだろぅ…………?」

 そういえば、ヒルダはそういうのに敏感だったらしい。
 村に入るなり集まってきたゴブリン達に、ヒルダは多少怯えていた。
 甘く見られないようにとばかりに虚勢を張っていたが、いつも触れている私の触手を握りつぶさんばかりのしっかりと掴んでいたので間違いはないだろう。

 こんな人気のない森の奥に引きこもっているから対人恐怖症になるのである。

「……別に、それが原因じゃない」

 なるほど、対人恐怖症だから、人気のない森に引きこもっていたのか。
 それならば道理ではある。

「………………」

 そういえば、本人は治療に集中していたから気付いていなかったようだが。
 ゴブリン達は別の意味で私のことでヒルダを誤解していたようだ。

「…………?」

 治療を手伝ってくれた奥さんが『やっぱり一人で暮らで寂しいからこんな凄いのを……』とか、『バカねぇ、こんな凄いのがあるから一人暮らしでもいいんじゃない』とか、しきりに私のことを賞賛して憧れの目で見ていた。
 禿頭に牙の生えた妙に簡単な造形のゴブリン族の男連中に比べて、割と人間に近い造形のゴブリンの女性に褒め称えられるのは悪い気はしなかったが、ちょっと視線が怖かった気がする。

 だがヒルダ、少なくとも君は彼女たちに羨ましがられていたぞ、自らの立場を誇るが良い。

「今から村に戻れ……ちょっと滅ぼしてくる……」

 たった今村の危機を救ってきたばかりで、いきなりらそれはないだろう。

「誰が欲求不満の寂しい一人暮らしだ……私は別に相手に飢えてない…………」

 私は常時飢えているぞ。
 しかもいつでも挑戦者募集中だ。

「…………阿呆」

 吐き捨てる声もか細い。
 意地を張らずに、そのまま寝てしまっても良いだろうに。

 そういえば、ロナちゃんも最後まで無理矢理起きて頑張っていた。
 ヒルダの家まで森を抜けて全力疾走した後での治療の手伝いなんて相当なオーバーワークだっただろうに、あの娘は最後までフラつくどころか欠伸一つせずに、ヒルダの治療を手伝い続けた。

 無事に治療が終わって安心したのか、村の外まで見送りに行こうとしながら、すとーんと地面に倒れてそのまま寝ていたのはなかなか衝撃的な光景だった。
 慌てて助け起こすと、ふにゃふにゃと目元を擦りながら最後に『ありがとうございました』とか言って、そのまま寝てしまった。
 シチュエーションのせいで、一瞬死んだかと思ったのは秘密である。

 そのまま熟睡してびくともしない様子だったから、ゴブリンの戦士のおっさんに預けておいた。
 今頃は柔らかいベッドの中で幸せな夢を見ているだろう。

 もしかしたらやらしい夢かも知れない。
 色々と若い性を刺激するようなことをしてしまったし、あの年頃の娘さんの記憶にはしっかりと染みついてしまっただろうから、夢の中に出てもおかしくないだろう。
 あまり激しい夢を見てしまって、恥ずかしいことになっていなければよいのだが。

「………………」

 ふむ、どうやら眠ってしまっていたらしい。
 どうやら私も、思考するのに相手を求めてしまう癖が付いてしまったようだ。

 とりあえず、あの可愛らしいゴブリンの少女のことは胸にしまっておくとして、今は背に乗せた方の少女を無事に家に送り届けることに集中することにしよう。

 体重を預けてくる小さな体躯は、無防備すぎて扱いに困る。



 ……まぁ。



 その重さも、悪い感覚ではない。

 私の中の飢えが耐えず欲望を求め続けているのもまた確かなことだが、だからといって、ただそれのみの為に生きていくのが能でもないだろう。

 それに、自分ばかりが満足するのは紳士的ではないではないか。










<つづきます>





[3500] 5話「暴走! 抑え切れぬ欲望!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:283fc5bb
Date: 2008/07/27 00:28

 森の中を駆けていく。
 急がないと、手遅れになってしまうから、一瞬でも早く目的地に辿り着かないと。
 焦りばかりが頭をよぎって、目の前すら見えなくなりそうで。

 だから、足下に何かが絡み付くのに気付けず、ボクはあっさりと足をすくわれて宙を舞った。

 地面に投げ出される。
 そう思って、ボクは反射的に衝撃に備えて身体を固くしてぎゅっと目を閉じる。

 けれど、地面にぶつかる前に、何かがボクの身体を空中で絡め取った。

「……えっ……」

 目を開くと、視界に移ったのは、蠢きながら絡み合う無数の触手と、その中から覗く無数の眼球。
 表面が粘液で濡れきったその黒色の触手が、ボクの身体を捕まえていた。

「……ぇ……な、なに……これ…………」

 太さと細さ、その計上も様々な無数の触手が絡み合い、触手同士の表面に付いた粘液が糸を引きながら粘り着くような音色を立てるのが、何故かとてもいやらしく感じられて、ボクは自分の頬が赤くなるのを感じた。
 どこか甘い香りが鼻をツンと刺激して、ひどく落ち着かない気分になる。
 触手の隙間からじっと見る視線が、まるでボクの身体を探っているように感じられて、冷たい汗が流れる。

「……やだっ! ……いーかげん、離してよっ、ヘンな目で見るなっ!」

 慌ててボクは手足にまとわりつく触手から離れようと暴れ出した。

 だけど、濡れた触手はのらりくらりとボクの暴れる動きに合わせて動くだけで、なかなか解けない。
 絡み付いた触手はどんどん数が増えて、ボクの身体は触手の主の方へと引き寄せられていく。

「やっ、離せっ! 来るなっ、バカーッ!!」

 叫んで、大きく振り上げた足が太い触手にがっしりと掴まれる。

「……えっ」

 表面に無数の吸盤の貼り付いた、蛸を思わせるその太い触手は、ボクが慌てて両手で足から引き剥がそうとしている間にも、数を増やして次々と手足に絡み付いていく。
 吸盤が肌に吸い付く感触に、背筋に電気が走って、振り解く余裕が無くなっていく。
 いつの間にか、ボクの体は無数の触手が絡み合う渦の中に引き込まれていた。

「ひゃっ……やっ……や、やぁっ! なんで……!?」

 絶対に振り解けないような力じゃないはずなのに、触手はどんどんと数を増していき、みるみるうちにボクの手足を完全に征服してしまう。
 どんなに手足に力を込めても、もうボクの力じゃ動かすことも出来ない。

 そのまま、ボクは触手の渦の中に半身を埋めるように仰向けにされた。
 触手の中から見えていた、あの無数の視線を背中に感じて、背筋にぞわぞわと悪寒が走る。

 次に何をされるのか、不吉な予感が頭の中で鎌首をもたげる。

 触手にがっちりと固定された手足は、左右に大きく開かされて、前を隠すことも出来ない。
 背後から伸びてきた触手が、背中越しに前に回り込んできて、ボクのお腹を撫でた。

「やっ……触らないでよっ……こんな、卑怯な真似……っ……ひゃぅっ」

 濡れた触手が背後から次々と伸びてきて、粘液をたっぷりと滴らせながら、身体を舐め始める。
 次第にそれは、ボクの服の中にも入り込んできて、微妙な部分を擦っていく。

「……やだっ、……このぉっ、調子に……んっ……のってぇ……っ…………」

 そのたびにボクは必死に身をくねらせて、敏感な部分に触手が触れるのを防ごうとするけど、身体中をひっきりなしになめ回す無数の触手から逃れることは出来なくて。
 次々と与えられる刺激に、だんだんと身体が頭がぼぅっと痺れてくる。

「ひゃぅっ!……んんっ……くっ……」

 きゅ、と足の付け根を強く擦られて、ボクは我に返った。

 いつからそこにいたんだろう。
 触手にずっと虐められているボクの姿を、じっと見ている人影がある。

 痴態を見られていた相手の顔を見て、ボクは自分の身体に震えが走るのが分かった。

「えっ? えぇっ? な、なんで?」

 見惚れるような艶のある白い肌は、まるで濡れているように見えた。
 自分よりもずっと幼い貌をしているのに、自分には絶対に出来ないようなひどく妖艶な微笑みを浮かべて、紅を差したように赤い唇をペロリと舐める。

 その仕草に、ゾクリと寒気が立った。

「魔女様……? あ、あのっ……この触手離してって、言ってくださいっ!……こんなの恥ずかしいです……」

 必死に呼びかけるけれど、魔女様は聞いてくれない。

 ゆっくりと霧の中から前に進み出てきた魔女様の、その腕の中には、どうしてか大きな麺棒があった。



 な  ん  で  麺  棒  ?



 凄くいい顔で、魔女様がじわりじわりと近付いてくる。

 なにかしら嫌な予感を感じてボクはその場から逃げようとしたけれど、絡み付いた触手は、まるで魔女様と申し合わせてるみたいに、しっかりとボクの手足を掴んで離さない。

 麺棒が、じわじわと近付いてきて。
 いつの間にかボクはズボンを履いてなくて。

「ダ、ダメですーーっ!……そんなの入りませんっ! やぁ、いやぁぁぁ……っ!」

「いいから」

「良くないで……ひゃっ……おしつけないでっ、魔女様ぁっ……ひぃんっ!」

「いいから」

「やっ……いやぁぁっ……無理ですっ! 無理ーーーっ!!」





「無理って…………なにがだ?」

 目の前に、造形の少ない顔の中にぽつんとくっついた二つのつぶらな瞳があった。
 その下にあるのは、高さの丸でない穴二つだけの小さい鼻。
 顎の方が大きいせいで太めの二本の牙が上向きに剥き出しになっている、大きな口。
 妖精族の名残という長めの耳だけが、かろうじてボクと同じ種族であることを示している。

 ゴブリンという種族は総じて男の人の顔はみんなそんな造形なわけで
 それでも誰だか分からないわけはない。
 ゴブリンなのに冒険者にうっかり緑色のトロルと勘違いされて、陽の当たるところに誘導されてしまって大変困惑したという、無駄なぐらいの頑強な胸板は忘れたいのに忘れられない。

 つまり、目の前にあるのは間違いなく、ボクの父さんの顔だった。

「…………で、……で…………で…………」

 それを理解して、自分が布団の中で眠っていたのだということを思い出して、今の時刻が朝なのだと理解して。
 そして、今までボクが見ていた夢の映像が、頭の中でもう一度再現されて。

「で?」

 父さんが、まるで紙芝居屋さんに話の続きをねだる子供みたいに、身を乗り出して聞いてくる。
 自分の頬が、耳が、顔全体がどんどん熱くなっていく。

 ボクは、大きく息を吸ってから、声の限り叫んだ

「出てけぇぇええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーっっ!!」

 ついでに、枕元にあった小物とか椅子とか枕そのものとかをありったけ投げつけた。

「おわわわわっ、なんだいきなりっ!? 儂はちっとも起きてこんから、親切心でロナを優しく起こそうとしただけだぞ!? それとも、これが噂の理由無き反抗期というヤツなのかっ!!?」

 頭を抑えて逃げ出しながら、父さんが勝手なことを喚く。

「年頃の娘の部屋に勝手に入って勝手に起こしに来るだけで、十分反抗したくなる理由なの!」

 円盤投げの要領で、布団の脇にあった小さな丸テーブルを投げつけると、さすがに慌てて父さんは部屋の外へと逃げ出していった。
 勢いよく閉じた扉に、投げたテーブルが激しい音と共にぶつかって落ちる。

 扉の向こうで父さんの足音が去っていったのを確認してから、ボクはぐったりと布団の中で脱力した。

「うぅぅぅぅぅ…………すごい夢見ちゃった」

 テーブルを投げつけた姿勢から、へなへなと身体を前に倒して崩れ落ちる。
 そのまま何も考えずに突っ伏してしまい衝動に駆られるけど、ボクはなんとか踏みとどまった。

 そろそろと、怯えるようにパジャマのズボンのゴムを引く。
 その下に穿いた下着に触れると、見るまでもなく、恥ずかしいぐらいに湿った感触を返した。

 ううううううう、穴があったら入ってしまいたい……。

 しばらくの間、ボクはベッドの中で身体を二つに折って、際限なく沸き上がってくる羞恥心に、必死に耐えなければいけなかった。
 落ち着けば落ち着くほど、先ほどまでの夢の中の映像や、あのぞわぞわする感触が脳裏に蘇ってきて、なんとも知れない気分になってしまう。

「バカバカっ! ボクは一体、なに考えてるんだーっ!」

 最後にでてきた魔女様のことを思いだすと、もう顔から火を出してしまいそうだった。
 いくらなんでも恥ずかしすぎる。

 自分の頭をぽかぽかと叩いたりして、なんとか平静を取り戻そうと努力する。

 それから、すっかり汚してしまった下着はこっそりと処分して。
 新品の下着に着替えたボクが、いつものように朝の食卓に立つことが出来るまで、30分もかかった。





5話「暴走! 抑え切れぬ欲望!!」





 昼を過ぎると、森の中は急に涼しくなる。
 ボクはその時間を利用して、あの夜と同じように死霊の森を抜けた。
 二回も訪ねたせいで耐性が出来ちゃったみたいで、不思議と森の中に佇む青い影を見てもそんなに怖くなかったし、向こうから近付いてくるような気配もなかった。

「…………うぅ、なんで、あんな夢見たばっかりなのに、また来ちゃったんだろ……」

 そして今。
 背中に重い荷物を抱えたまま、何故かボクはあの小さな家の前に来ていた。
 ゴブリン族はみんな力自慢なので、ボクだって自分より大きい荷物を背負っても大丈夫。

 子供がまるまる一人くらい入れそうな大きなバックには、この前のお礼ということでゴブゴブ村のみんなから集めてきたお礼の品々がたくさん入っている。
 ほとんどが収穫してきた野菜や果物、穀物とかばっかりだけど、気に入ってくれるかな。
 お父さんの話だと、食材の方が喜ばれるって話だったし、大丈夫だと思うけど。

 ……そんなに色々知ってるなら、いっそお父さんが魔女様に渡しに行ってくれればいいのに。

『儂は倒れてた間の村のアレコレをしなきゃならんから、お礼の方はロナが渡しに行ってくれ。魔女様のこと、尊敬してるんだろう? 色々話を聞いてくると良い』

 お父さんの言葉を思い出して、恨めしく思う気持ちが蘇ってくる。

 ボクだって、魔女様のお顔を見たくないわけじゃない。

 あの触手がいっぱい生えた……うねうねした人だって、村ではすごく一生懸命働いてくれたし、その、最初のことは怖かったけど、ホントはいい人みたいだったし。
 でも、あんな恥ずかしい夢を見ちゃったばっかりで、どんな顔をすればいいのか全然分からない。

 あんな夢みたいなことは無いって分かってるけど!
 でも、どーしても考えちゃうっていうか!!

「そうだ! 玄関で挨拶して、扉を開けてすぐにお礼の品を置いて帰ろう!」

 突然閃いた思いつきに、ボクは思わず小躍りしたい気分になった。

 急げばほとんど顔を合わせずに済むし、運が良かったら姿すら見ないで済んじゃう!
 ものすごーく無作法かもしれないけど、荷物の入ったバッグの中にはみんなのお礼の言葉は手紙に書いて一緒にしてるし、置いていったってちゃんと気持ちは伝わるはず!
 この前みたいなこともあるかも知れないし、ずっとお邪魔するよりすぐに退散する方がいいよね!

 …………この前みたいなこと。

 また、色々思い出してきて、顔が熱くなってくる。

 そ、そーだ、扉開ける前に、ちゃんとよく聞き耳しないと…………。

 こそこそと扉の前に近付いて体を斜めにして耳を扉に付ける。
 しばらくそうしていたけど、扉の向こうからは何の音も聞こえてこない。

 よし、今だ!

 ボクは勢いよく扉のノブに手をかけて、押し開いた!
 昨晩に見た時と同じリビングは、テーブルも椅子も綺麗に片づいていて、誰の姿もない。
 キッチンの方から洗い物の音なんかも聞こえないから、奥の部屋にいらっしゃるか、もしかしてまだ寝室で眠ってたり、どこかに外出中なのかも。

 ボクはこのチャンスを逃さすに慌てて背中のバックを床に下ろして、すぐ分かるように玄関の正面に置いた。
 そのまますぐさま逃げる体勢を取りつつ、早口でまくし立てるように挨拶の言葉を上げる。

「こんにちはーっ! この前はありがとうございましたちゃんとお礼したいけどお忙しいみたいですけどこれで失礼しますお礼の品物をここに置いていきますからお納めくだひゃあああああああああああああっ!?」

 後ろを振り向いたら、目の前に巨大な触手の塊がうねうねしていた。

 晴天の下、黒い触手が粘液を反射させててらてらと光っている。
 その大きな塊の中にぽつぽつと小さな穴が浮き出ると、その中から眼球が生まれてボクをじっと見る。

「あああああああおおはよようございますすすすっ!!」

 回らない舌で必死に挨拶の言葉を口にした。

 挨拶はなんとか口に出来たものの、身体の方はぜんぜん付いてこない。
 ボクは荷物を下ろして床に置こうとしていたポーズのままで固まってしまっいた。

 だけど、そのポーズで触手の方にお尻を向けてしまっていたことに気付いて、ボクは慌ててお尻に手を当てて隠すようにしながら正面に向き直る。

 べ、別にお尻を向けたら変なコトされるって思った訳じゃないけど、無作法だからっていうか――。

 そんな言い訳を頭の中で必死に繰り返していると。

 にゅ、と太い触手が伸びてくる。
 吸盤が内側に貼り付いた、太くて滑らかに動く蛸のような触手。

「ひゃっ……!」

 反射的に目を閉じる。
 目を閉じてから、後悔した。

 これって夢の中で――――――

 ぺしぺし

 そう、目を閉じたボクは頭をぺしぺしされて――――

「…………はい?」

 目を開けると、触手をリズミカルに蠢かせながら、うねうねした人は奥の方に移動していくところだった。

「えっと……あれ?……あの、えっと……」

 頭におそるおそる触れてみると、粘液の跡も付いてなかった。
 狐につままれたような気分でその場に呆然と立っていると、突然リビングの奥の廊下の先から、魔女様のすっごい罵声と扉を蹴破る音が聞こえて、びっくりした。

 か、帰っちゃっおうかな……?
 チラリと背後を見る、なんだかこの家の中より、おどろおどろしい森の中の方が安全な気がしてくる。
 そろりそろりと、後ずさりを始めたところで。

「……ああ、なんでまたお前が来たかと思ったら、この前の礼か?」

 魔女様が廊下の先から現れたので、慌ててボクは背筋をピンと立て、直立不動の姿勢をとった。

「こ、こんばんは!」

「…………まだ昼過ぎだぞ?」

 呆れた顔でそう言われて、また顔が真っ赤になってしまう。

「こんにちは、です!!」

「ん。……本当に、よく来たな……ふぁふ……」

 言い直すと、口元に手をやって小さな欠伸を噛み殺してから、腰に手を置いてちょっどたけ笑ってくれた。

 見惚れるような綺麗な顔に加えて、今日の魔女様は何故か眼鏡をかけている。
 それと、まるで寝起きみたいに、金色の髪が少し乱れて、あちこちに飛んで艶を失ってしまっている。

 じっと見ていると、少し困ったように笑ってから、『ちょっと研究をな』と答えてくれた。

「けんきゅう……ですかぁ」

 この前、村を助けてくれたときの、魔女様の治療の光景を思い出す。
 村のみんなが想像してたような魔法や呪術とかでのてっとり早い治療とは違う、病人のことを細かく調べて症状を見極めてから、薬草や体を冷やしたりの対症方法での治療。
 長い時間と根気のいる仕事だったけど、自分たちで何とか出来たという安心感があって、ゴブゴブ村のみんなもしきりに魔女様のことを見直してた。

「あの、あの時は、本当にありがとうございましたっ!」

 なんだか急に先ほどまでの自分の考えが恥ずかしくなって、慌てるようにボクは頭を深く下げる。

「あ……いや、私だって少なからず礼が目当てだったし、お前の父親は数少ない商売相手だったからな。そんなに改まって礼をしなくてもいいぞ?」

 ちょっと慌てるように言われて、ボクも顔を上げる。
 もしかして困らせちゃったのかと思ったけど、目を逸らしてあさってに視線を逸らした魔女様は、それでも少しだけ嬉しそうに見えた。
 そんな風な魔女様を見てると、ついボクも口元が緩んでしまう。

「あ、あの! バックの中に、みんなの感謝の言葉を手紙にして入れてますから! 絶対見てくださいね!!」

 お父さんの思いつきで書かれたそれは、皆で書いているのをはたから見た時はなんだか子供っぽくて恥ずかしいと思ったけど、魔女様ならきっと喜んでくれる気がした。

「…………あ、あー。うん……分かった」

 反応弱めに、魔女様は小さくこく、と頷く。
 ちょっと子供みたいな仕草に見えて、少しだけお姉さんの気持ちになれた。
 いけないいけない、またなんか変なこと考えちゃってる。

「それじゃ、大事なものは渡せましたから、これでボクは……」

 魔女様がお仕事中なら、あまり長居して邪魔しちゃダメかと思って、そう言ったのだけれど。
 そう言って外へと出ようとするボクの足を、魔女様の言葉が引き留めた。

「……ああ、そうだ。ちょっと待ってくれるか? 村まで持たせたいものがあるから」





◆◆◆





 うぅ、気まずいよぅ……。

 あの後、しばらく待っていろ、と言って魔女様が奥に引っ込んじゃってから、ずいぶん時間が過ぎた気がする。
 ボクはリビングの中央にあるテーブルにある椅子を勧められて、そこでじっと座って待っていた。

 最初は、すぐに戻ってくるかと思っていたけれど、なかなか魔女様は戻ってこなくて。

 テーブルを挟んで向かい側。
 床に直接触手の塊が這っていて、所在なげに太い触手を蠢かせている。

 ボクと同じで、も魔女様を待っているのかも知れない。
 そんな風に思うと、ちょっとお預けをされている犬みたいで可愛いな、なんてことを思ってみる。

 でも、見た目からして可愛いと思うにはやっぱり無理があった。前言撤回。

 最初の頃は何をしているかもよく分からなかったけど、よく見てみると、小さな本を参考にしながら、細い触手の先に編み針と毛糸を絡めて、試行錯誤しながら編み物をしている。
 針を掴んだ触手の動きは下手っぴで、あまり上手くいってないみたいだったけど、子供の頃はもっぱら男の子と遊んでいたボクだって、編み物の心得はまるでない。
 助言の一つでもできれば会話というか、意志疎通のきっかけになるんだけど……。

 チラチラと見ていると、ふと、編み物をしている触手を見つめていた眼球と目が合ってしまった。

 すると、何を言う暇もなく、ぽつぽつと眼球の中に新しい眼が生まれて、一斉にボクを見る。

 母さんの作ってくれるホットケーキ。
 目玉が生まれてくる様子を見て、フライパンの上で熱せられたそれにぽつぽつと気泡が生まれてくる様子をつい想像してしまってから、ボクは激しく後悔した。
 うぅ、しばらく食べられなくなっちゃった……好物なのに。

「あっ、いえっ! なんでもないですよっ!!」

 慌てて、両手でブンブンと振り回したなんでもないことを主張すると、ボクを見ていた沢山の怪物さんの目はじわじわと小さくなって消えていった。

 うぅ、普通に出している目をこちらに向けるとかして欲しい。
 なんでいちいち目玉を増やすんだろう……あ、でもどこにでも目が出てくるならその方が便利だもんね。

 想像できないけど、いっぱい目があった方があちこちから見えて便利だし……。

 そう思ってから、なんとなく足下が気になって、ボクはズボンの裾をさりげなく正した。
 もしかして、足とかじっと見られてるのかも。
 でも、あからさまに気にしたら、気を悪くしちゃうかも知れないし。
 だけどホントにじっと見られてたら恥ずかしいし…………ホントに見てたら、どうしよう。

 なんだか足下まで触手が這ってきているような気がして、私はしきりに足を閉じたり開いたり、小さく組んだり元に戻したりしていた。

 や、やっぱり気のせ――――

 つつ、と太股に舐められるような感触。

「ひゃぅっ……!?」

 跳ねるように椅子から立ち上がって、慌てて自分の足元を見る。

 ……あれ? 触手、来てない……。

 頭の中に疑問符を浮かべながら、さっきの感触を感じた太股を指でなぞる。
 ただの水……じゃなくて、舐めてみるとしょっぱい。

 汗だった。

 ふと、顔を上げると、うねうねの人が続けていた編み物が止まっていて、触手の隙間に生まれた無数の目玉が、不思議そうにじっとボクのことを見ている。
 まるでたくさんの群衆のただ中にいるような錯覚を覚えて、私はみるみる赤面した。

「あ、あはははははははっ、えっ……えーと……暑いから、いつの間にか汗かいちゃってて! ちょっと、汗がひやっとして驚いちゃったというか…………い、いきなりすいませんでしたっ!!」

 つたない説明をしながらわたわたと頭を下げて、慌てて椅子を戻して座る。
 顔を伏せてから、落ち着け、落ち着けと念じているけど、顔が火を噴きそうに熱くなって止まらない。

 ああああーん、絶対変な子だって思われてる!

 弁解したくても、『あんなにびっくりしたのはアナタに触られたかと思ったからです』なんて絶対言えないし、そっちの方が余計にダメダメだし。
 いっそあのまま扉を蹴破って森の果てまで逃げちゃえば良かったんだ……。
 そしたら絶対不思議がられるけど、少なくともこれ以上ヘンなことをして困ることはないはず。

 い、今からでも、間に合うかも……?

 脱出のタイミングを計ろうと、おそるおそる顔を上げて、うねうねの人を見る。

 すると、ボクの目の前、テーブルの上に、トンと音を立ててガラス製のジョッキが置かれた。
 太い触手がそれを持ってきたのだと気付いて、触手の主の人へと視線を向けると、丸く開いた目がボクとジョッキを交互に見ている。

 の、飲みなさいって、こと……だよね?

「えっと、あの……どうも、ありがとう……ございます」

 小さく頭を下げてから、ジョッキを見る。
 表面に水滴が浮いているのは、中身がとっても冷たいからだろう。
 でも、この中身って……なんだろう?

 透明だけど……これって、水で、いいんだよね……?

 もう一回、顔を上げる。
 触手の先の大きな目玉は、何も語らないでただボクを見ているばかりだった。

 ジョッキをずるずるとテーブルの上で引いて、中を見てみる。
 透明度な水は、濁り一つなくて、ボクの顔を映していた。

 せ、せっかくだし……飲まないと、悪いよね……うん。

 おずおずと両手でジョッキを持ってから、少しだけ傾ける。
 喉の中を、ジョッキの中身が滑り落ちていく。

「わ、この水、美味しい…………」

 とっても冷たくて、この辺りの井戸水だと少し残りがちな土の味とか、濾すのに使う草の味とかが全然しない。
 どーやってこんな水を作ってるんだろ?
 少し呆然としてジョッキの中の透明な液体を見る、これがホントにいつも飲んでる土の味の残った井戸水と同じモノなんて凄く不思議だった。

 思わず両手で抱えてこくこくと一気に飲んでしまう。

 喉を通り抜けていく冷たい感触がとっても心地よかった。
 トン、と大きなジョッキをテーブルに置いて、もう一杯貰えないかな、と思う。

 けど、不意に下肢に襲ってきた感覚に、そんな考えは吹っ飛んでしまった。
 そういえば、朝ご飯食べてから村を出るまで一度も行かなかったし、今日はけっこう暖かかったのに、急に冷たいもの飲んじゃったから、無理もないはずだけど、なんでこんな時に。

 うぅぅぅぅ、急にジョッキ一杯の水なんて飲むから……。

 ……オシッコしたくなってきちゃった…………。





◆◆◆





 案内されたのは、2メートル×1.5メートルくらいの狭い個室だった。
 個室の奥の上側には、格子がついた窓があって、森ばかりが見える外の光景が見えた。
 そこから、外の少し温い空気が入り込んでいる。

 入ってすぐ、真正面に鎮座しているのは、大きな椅子みたいな器。
 人間の街とか、ずっと東にある魔都とかにはあるって聞いていたけど、魔女様の家のもこれだったんだ。

「うわー、これが!」

 上にまたがって穴の中にするんじゃなくて、座れるように縁のついた器の中にして、魔法仕掛けの装置で器の中を洗浄しながら器の下の穴へ流すのが、この西風式便器というものだ。
 びっくりすると同時に、その便利さに魔女様が羨ましくなるくらいだった。

 流れたものがどうなるんだろう? 汲み上げ式じゃないなら、やっぱり魔法でどーにかしちゃうのかなー。
 こういうところは、素直に魔法が羨ましくなる。
 そのうち、こういうのも魔法無しでなんとか出来たら良いんだけど、ずっと先だろうなぁ。

 使い方はなんとなく知ってたので、案内してくれたうねうねの人に感謝の言葉をかけて、扉をすぐに閉めた。

 おずおずと、縁に腰かける。
 少し考えてから、ズボンを脱がないといけないことに気付いて、慌てて足下まで引き下ろす。

「ふー……いいなぁ、これ、どれくらいのお金がかかるんだろう」

 そんなに高い値段のものじゃなかったら、父さんに我が侭言って、家に取り付けて貰えないかな。
 でも、人間の街にしかそういう設備を作る人っていないかぁ。
 ドワーフさんも、どうせ人間の街に出入りしてるなら、すごい武器とか作るよりよっぽどこういうもの造る技術を人間の街から持ってきて欲しいのになぁ。

 腰かけて、いると妙に落ち着くせいで、なんだかぽやぽやと色々と考えてしまう。

「……なんか、落ち着くと逆に引っ込んじゃった…………」

 う、パンツ下ろしてるんだから、早く済ませた方がいいよね。
 なんでこれ、座ってるとやたらに落ち着くんだろう。



 そんなことをぼーっと考えている時、ふと背後からボクを見ると強い視線を感じた。


「……え?」

 そろそろと、振り返る。
 こんな風にゆっくり振り返ったって、視線の主が待ってくれるわけじゃないことは分かっているのに、どうしても一気に振り返ることが出来ない。
 振り返る時間を伸ばして、自分の中の悪い予感が間違いだったことを願ってるみたいに。
 あるいは、背後に隠れていた何かが、視界から消えてくれるのを期待するみたいに。

 けれど、それはいた。

 格子窓の外の風景がいつの間にか黒一色に塗り潰されて、その中に大きな眼球が浮かんでいる。
 その黒色は、格子の隙間から溢れ出して、個室の中へと入り込んでくる。

 ……格子窓に見えていたのは、格子窓一面に張り付いて蠢き続ける黒色の無数の触手だった。
 そして、格子の隙間から溢れた黒は、粘液を垂らしてボクに迫ってくる触手。

「ひっ、ひやぁぁぁっ!!」

 ほとんど反射的に立ち上がろうとして、不意につんのめる。
 いつの間にか、ドアの下の隙間から、無数の触手が這い出てきて、ボクの足首をしっかりと掴んでいた。

 視線を下ろすと、みるみる床下を覆っていく無数の触手。

「……やっ、いやぁぁっ、離してっ! やだぁっ!!」

 想像を絶するおぞましい光景に、私は半狂乱になって悲鳴を上げた。
 細い触手が次々絡み付いてくるのを、必死に腕を振り回して引き剥がして、足下を這い上がろうとする触手を引き剥がす。
 肌に張り付いた吸盤が剥がれるたびに、刺すような刺激が肌を突いて、声を上げてしまいそうになってしまう。

「きゃっ……!」

 不意に背後からお尻を撫で上げられて、ボクはもう一度悲鳴を上げた。

 無数の触手を前に、自分がまだ下半身を丸出しにしたままだったことに気付いて、頬が熱くなるのを感じる。
 慌てて、ボクは足下へ引き下ろしていたズボンと下着を引き上げようとした。

 けれど、無数の触手が、下着の縁に絡み付いて離さない。

「やっ、やだ! 離してよっ!!」

 触手を振り払おうと、うずくまったまま力を込めていると、その隙に格子からドンドン溢れてきた触手がボクの背中から、シャツの首筋へと潜り込んでくる。

「やんっ、やめっ……ひゃあああぁっ!!」

 背中から潜り込んできたその触手を引き抜こうとして、慌てて立ち上がった瞬間、足下に集まっていた触手が不意にボクの足を手前に引っ張った。
 足下のことを考える余裕を失っていた私は、あっさりと足を滑らせてもう一度便座の上に尻餅を付いてしまう。
 して追い打ちをかけるように、壁に張り付いて機会を伺っていた触手が、足や手に絡み付いてきた。

 ズボンは脱がされて、足下で触手にくしゃくしゃに丸められている。
 足は左右の壁に触手によってしっかりと押さえつけられていた。

「なっ、なにする気……、こんなことしたら、魔女様が……んんんっ!?」

 そう言いかけた瞬間、口の中に太い触手が入り込んだ。
 口の中で先端から細い触手が突き出てきて、舌を絡め取って、口の中で暴れ回る。

「んんっ……んんーーっ!」

 首を振って外そうとしても、手足を押さえられているせいで上手く動けず、触手を口の中から追い出すことがどうしても出来ない。
 そうしている間も、もう、個室の中に溢れかえっている無数の触手は、抵抗できなくなったボクの身体のあちこちに、じわじわと触れてくる。

 最初は触手で胸の先をつつくようにじわじわと。
 次第に無数の触手が大胆に肌をじっとりと舐めるように撫でてくる。
 そのたびに粘液がじっとりと肌に塗りつけられて、ぼぅと頭が惚けるような甘い香りが個室に満ちて、痺れるような刺激が肌を撫でるたびに、耐え難い衝動が下肢を襲い始める。。

 その感覚がじわじわと強くなっていくことで、ボクはやっと我に返った。
 必死で触手を振り払おうと身体に力を込める。

「んっ、んんっ……んーっ…………んんんんーーっっ!!」

 声を張り上げようとしても、開こうとした口の中に新しい触手が入り込んで声を抑え、手足は太い触手が抑えて離してくれない。
 そして、焦って涙目でもがくボクをあざ笑うように、太い触手の先から細い触手が次々と生まれて、針のような細い先端が、大きく開かされたボクの足の付け根をつつき始める。

 そこが、ボクの敏感な部分を、つんと強く突いた瞬間。

 こらえていたそれを我慢できなくなって、ボクはとうとう――――



 ――なんてことになったらどうしようと思ったけれど、別にそんなことはなかった。



「……うぅ、出ないよぅ」

 格子窓から入り込んできた生温い空気が個室の中に満ちていて、なんだか頭がとろけそうだった。





◆◆◆





 ふむ、えらく長いトイレだな。

 リビングのいつもの定位置にぺたんと這って、ヒルダから受け取った編み物の教本に目を通しながら、触手に絡め取った編み針を操って毛糸を編んでいく。
 これがなかなかに難しく、私は人間の手というものがいかに巧妙に造られているのかを実感してしまった。
 まぁ、だからこそ、触手でそれを再現することは、私にとってのプラスになるだろう。

 そんなことを考えつつも、廊下の方に向かわせた触手の先端に造った目で、トイレのドアをじっと見る。
 もしかして何か不具合でもあったのだろうか?
 そもそもトイレに足を踏み入れたことのない私には、どう不具合が起こるのかもよく分からないが。

 しかし、どうしたものか。

 言葉が通じない相手が側にいるというのは何とも奇妙である。

 なんだかこちらをチラチラと見ているようでもあるし、何か言いたいことがあるのかと思って言葉を促すと、逆に慌ててごまかしはじめるし、一体何がしたいのか。

 まさか、私に愛の告白でもしたいのだろうか?

 なるほど、トイレから出てこないのは私がこの飢えに耐えられずにやってくるのを待っているのか?

 いやいやいや。
 あまりにも馬鹿げた考えだ。勘弁していただきたい。

 排泄行為を行う場所で神聖な愛の営みを行うなど罰が当たるではないか。
 というか、場所がどうであるかなどを語る以前に、その二つを結びつけるのは私には無理だ。
 なんというか、ダメだなのだ。

 ――――私にだって、興奮できないことぐらい、あるのである。

 排泄行為の必要がそもそも存在しない私には、全く理解不可能な世界なのだ。

 しかし、恐ろしいことに、ヒルダの言によればこの世界の中には、そういった行為に快感を覚えるような奇特な存在が確かに存在するのだという。
 よもやヒルダがそうだったのかと私は恐怖と戦慄に恐れおののいたが、耳まで真っ赤になって破壊魔法を連発してきたところを見ると違っていたらしい。
 そのようなことを私に求められると大変困るので、そのことについてはとても安心した。

 しかし、それはそれとして、えらく長いトイレだ。

 まぁ、そのうち出てくるだろうというとで、私は再び目の前で行っている編み物に意識を戻した。
 なんだかこれやってるとなんとなく落ち着くのだ。

 朝からヒルダにお預けを喰らってるせいで、飢えに飢えているもやもやを紛らすにも、ちょうど良い。

 そう、よく考えれば、ロナちゃんが視界にいないのも、私としてはありがたいとも言えるのだ。
 テーブルの下にぺっとりと這ってるせいで、ついつい下から覗いてしまう健康的な二本の足は、今の私にはなんとも目の毒であることだし。
 ついつい触手で撫でてみたくなる自分を抑えるのにも一苦労なのだ。

 うっかりそんなことをしてしまったら、せっかくの理性の砦が崩壊してしまうではないか。





◆◆◆





「待たせたな。これは、あの時の病気の治療法と、同じような伝染しやすい人間の里にある病気とかの病気とかについての医学書を、魔物語に訳し直したものだ。村の呪術医に渡してやってくれ」

 両手一杯に本を抱えた本をよたよたと持ってきたヒルダさんは、リビングに入るなりボクにそう言った。
 ポロポロと落ちそうになる紙の束を、横から伸びてきた触手がひょいひょいと捕まえてテーブルに載せる。

「うぅぅ、はい……了解です……」

 ボクは、テーブルからよろよろと伏せていた顔を上げて、なんとか言葉を返した。
 自分でも、返事に元気がないのは理解しているけれど、そうするのがやっとだったのだから仕方がない。

「どうした? なにか、えらく疲れた顔をしてるが」

 きょとん、と目を瞬かせて魔女様が私を見る。

「いえ、なにも……まったく…………」

 むしろ、まったくなにも無かったのが、逆にヘンに疲れちゃった原因というか。

 あの後も、色々あったのである。

 トイレから戻ってきたボクを、触手が無理矢理捕まえて、どこかへさらわれるー!と思ったら、手を洗わせようと井戸の前まで引きずって行っただけだったり。
 本の読み方を聞きたくて近付いてきた触手さんに驚いて、椅子ごと触手さんに頭から倒れ込んじゃって、くっついた粘液を泣きながらまた井戸で洗う羽目になったり。

 最後は、うねうねした人も、なんだか迷惑そうにリビングの隅に避難しちゃってたし。

「少し遅くなったが、せいぜい、一時間ぐらいだっただろう?」

 …………うぅ、ボクの中では、24時間ぐらいたったような気分です。

 純粋な厚意で、わざわざ村のためになるものを作ってくれていた魔女様に、まさかそんなことを言ううわけにもいかず、私はなんとかふにゃふにゃと笑顔を作って、こくこくと頷いた。

「えっと、……ちょっと暑くて眠りそうになっただけで、すぐ、でした!」

 そう言ってみたものの、やっぱりボクの笑顔の裏なんてお見通しみたいで、魔女様は頬を掻きながらも、すまなさそうな表情をしてしまう。

「ん~、まぁ、それならいいが。……悪かったな、すぐ済むと思ったが、備えのことを考えて少し時間をかけすぎてしまったんだ。その分、ちゃんとしたものを作ったから、村の役には立つと思う」

 そう言って、魔女様がポンと叩いた紙の束は、本当に凄そうだった。
 共通魔物語で書かれた病気の説明が、事細かに注意書きを加えながら丁寧に書かれている。
 ボクだけじゃよく分からない部分もあるけど、呪術医のお兄さんなら、本当に役立ててくれるだろう。

「それじゃ、大事に持っていきます! この分のお礼は…………お礼は、えと、……また、持ってきますね?」

 勢いよく頷いて、そう言ったものの。
 つい語尾が弱くなってしまうのは、色々と思い出してしまったせいというか。

 きっと、明日以降、あの夢みたせいで頭の中にあるもやもやが晴れた頃には、すっきりした気分で魔女様のお宅に来れると思うので、そのときを楽しみにしよう。

「ああ。次に来たときには、ちゃんと相手出来るように時間を作ろう。今日はすまなかったな」

 少し微笑んで、魔女様はそう言ってくれた。

「はい!」

 そんな風に気遣ってくれるのが嬉しくて、ボクも勢いよく頷く。
 けど、その直後の展開は完全に予想してなかった。

「じゃあ、お前、ちょっと送ってこい。どうせもう村までの道は憶えてるんだろう?」

 軽く足先で触手を蹴って、魔女様がそう言ったのだ。
 リビングの端の方で埋もれていた触手の塊は、丸く開いた目でしばらく瞬きをしていたけれど、結局諦めたようにぬるぬると触手を這わせながら床を這って僕の前までやってくる。

「え、あの……ええっ?……あの、もしかして、送るって……?」

 おそるおそる魔女様を見ると、怪訝そうな表情を返された。

「ん、嫌だったか?」

 このうねうねと蠢いてる触手の塊にまたがって移動することに、魔女様はまるで疑問も感じてない様子で、本当に不思議そうに聞いてくる。
 そりゃ、この前は乗せて貰いましたけど、蓋りっきりで、誰もいない森の中を乗せて貰うなんて。
 そんなの、まるで――――。

 魔女様の横では、触手を絡ませながら立ち上がった塊が、大きい目を丸く開いてボクを見ている。

 うぅぅぅ、そんなこと、本人を目の前にして言えるわけないじゃないですか!?

「……え、えーと」

 触手の人がじっと丸い目を開いてみているのを見返す。
 胸が急に激しく高鳴って、頬がドンドン熱くなってくるのが分かる。

「い、嫌じゃ、ないです…………けど」

 ぼそぼそ、とボクは答えた。





 そして、暗い森の中で。

「やぁっ……ウソっ……こんなのっ、……おかしい……っ」

 ズボン越しに、足の付け根の部分に太い触手が押し付けられて、激しく前後にボクの身体を揺すり上げる。
 触手の内側に無数に突き出ている突起が、何度も何度も押し付けられて、そのたびにボクの足腰に痺れるような感覚が端って、頭が真っ白になりそうになる。

 がっちりと足を掴んだ触手は外れる様子もなくて、腕も触手にとられているので腰を浮かすこともできない。
 ボクの全体重が、そのままボクの身体を触手の刺激に押さえつける枷になっていた。

「あっ…………んぅ……あぁっ……くっ…………んん……ん……っ……」

 堪えようとしても、耐えきれないくらい熱い息が口から漏れてしまって。
 ボクは、涎が口の端から零れてしまうのも構わずに自分の大事なところをその触手に押し付けていた。
 嫌なはずなのに、どうしても止められない。

「もっ……やぁ…………ぁ……ああああっ……!」

 そしてボクは、どうしようもない気持ち良さに全身を震えさせて、触手の中に体をうずめるようにして脱力してしまった。

 行為の間、がっちりとボクの脚に絡み付いて押さえつけていた触手が、蠢きながら足首を持ち上げると、細い触手がするするとズボンに入り込んでくる。
 ぬるりと触手の粘液が肌を擦る感触。

「ひっ、……ひゃぅっ!」

 熱い棒が押し付けられたみたいに、ボクは腰を跳ねさせて悲鳴を上げた。

 反射的に腕に力を込めるけれど、がっちりと腕を掴んだ触手は力を緩める様子はなかった。
 ボクが抵抗できるのを理解してるのか、触手はまるで嬲るようにズボンの中に入り込んで、前を留めるボタンを弄ったり、下着を引っ張ったりしている。
 好き放題に自分の服を弄られる感触に、ボクは頬が熱くなるのを感じた。

「なっ、なにするの…………」

 薄れかけていた羞恥心がまた戻ってきて、問い質そうとした声にも力が入らない。

 そして、ボクの質問なんてお構いなしに、触手はズボンの左右の端に絡み付いて、ボクの半ズボンを、下着ごと、するすると引き下ろしていった。
 足をばたつかせて抵抗しようとするけれど、足を絡め取った触手はしっかりとボクの足を掴んだままで、腹が立つくらい器用にその行為を終えてしまう。

 さっき触手に虐められたせいで、ぐっしょりと濡れてしまっていた下着が、脱がされた後も無数の触手の中で弄ばれている。
 だけど、そんな触手の行為よりも、自分の恥ずかしい箇所が晒しものにされたことの方が、今のボクには耐えきれないほど恥ずかしいことで。
 それをよく分かっているのか、触手もボクの足を掴んで左右に大きく引っ張った。

 触手の中に生まれたいくつもの目が、大きく開かされたボクの身体を見る。

「やっ……見ないで…………っ」

 無数の目から視線を逸らして、ボクは弱々しく口を開くことしか出来なかった。
 ついさっき、あの触手に恥ずかしい箇所を擦られて、自分がどれくらい喜んでいたのか、見せつけられる。

 ボクがこれからなにをされるのか、もう分かっていた。
 だけど、もう逆らえない。

 それが分かっているのか、無数の触手は何もしないで……じっと、ボクを見ている。

「………………おね……がい、します……。……もう、イジメないで……」

 それ以上のことは、恥ずかしくて言えなかった。
 ゆっくりと、濡れた触手が、うねり蠢きながら、左右へと分かれていく。

 その向こうから、一本の……黒光りするような……太くてツルリとした表面の――――




 太  い  麺  棒  が  出  て  き  た  。





 そしてその太い麺棒を手に、大開脚をさせられたままのボクにずんずん迫ってくる魔女様。

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、魔女様……魔女様なんでぇぇぇぇええええ!?」

「いいから」

「よーくーなーいーですっ!……なんでこんなっ……って! そんな太いの、ボク、絶対無理で……っ!!」

「いいから」

「やぁっ、いやぁぁあ……んっ…あっっ…押、押し付けないでっ……無理っ、ぜったい、無理ーーーーっ!!」





「……むぅぅぅ、なにが無理なんじゃあ?」

 目の前に、造形の少ない顔の中にぽつんとくっついた二つのつぶらな瞳があった。

 ゴブリン族の男連中独特の簡単な造形の顔と、それに全然合ってない鍛えられた肉体。

 ゴブリンなのに冒険者に緑色のキングトロルと勘違いされて、気が付くと魔王城に配備されていて勇者連中のの経験値稼ぎ攻勢に大変難儀したという。
 その無駄なぐらいの立派な巨体は、忘れたいのに忘れられない。

 つまり、目の前にあるのは間違いなく、ボクのお爺さんの顔だった。

「…………で、……で…………で…………」

 それを理解して、自分が帰宅と同時布団の中に潜って眠ってしまったのだということを思い出して、ついでにあのうねうねした人が実際は最後まで触手一本触れてきたりはしなかったことを思い出して。

 にも関わらず、今までボクが見ていた夢の映像が、頭の中でもう一度再現されて。

「で?」

 お爺さんが、まるで紙芝居屋さんに話の続きをねだる子供みたいに、身を乗り出して聞いてくる。
 自分の頬が、耳が、顔全体がどんどん熱くなっていく。

 ボクは、大きく息を吸ってから、声の限り叫んだ

「出てけぇぇええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーっっ!!」

 扉の向こうでお爺さんの足音が去っていったのを確認してから、ボクはぐったりと布団の中に突っ伏した。

「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!」

 じたばたとベッドで暴れる。
 自分のあまりの恥ずかしさに、いっそ死んでしまいたかった。

 下着も当然、また処分した。
 感触からそうなのだと分かっていても、パジャマのズボンの端を持ち上げて、穿いていた下着の惨状と、触れたときの絶望感は忘れられない。
 ズボンも急いで履き替えて、夜のウチにこっそり洗わないと。

 そうして泣く泣く新しい下着を探したら、朝に処分した筈の下着が綺麗に洗われた上で下着入れの中に入っているのを見付けて、本格的に死んでしまいたくなった。





◆◆◆





「んっ……あぁ……はぁっ…………もぅ、これくらいで、いいだろう……? いい加減にっ……んんっ!」

 少し悪戯が過ぎたらしい。
 触手の先を唇に絡めていると、軽く歯先で噛まれて、慌てて私は触手を引っ込めた。

 そう、怒らないで欲しいのだが。
 なにしろ、私は丸一日間も食事をしてないで耐えてきたようなものなのだ。
 確かに人間ならばそれでも問題はないだろうが、私の肉体は人間と違ってエネルギー効率が悪いらしく、半日が過ぎた頃には強烈な飢えでだんだん頭が回らなくなっていた。
 ともすれば、私ははじめてヒルダと遭遇したときの、あの獣同様の存在に逆戻りしてしまいそうだったのだ。

「あー……悪かったよ。お前、ヤらないと飢えるんだったな……」

 しかも、飢えた私の前に、ロナちゃんという格好の餌がぶら下がっていたのだ。
 紳士として望まぬ相手に襲いかかるのは堪えたものの、あの数々のハプニングは我慢の限界にも程があった。

「……我慢って。そもそも、普通の紳士は来客を襲おうとか思わん」

 いやいや、確かにロナちゃんはそうとは見せないようにしていたようだが、私をチラチラと見る目には確かに意識している様子と、静かな信頼的なものが感じられた。
 きっと、逢瀬を重ねていけばいつかは心だけではなく分かり合えるようになれる時が来るであろう。
 なにより、最後に私が送っていった時に拒否しなかったのが証拠だ。

 絶対の信頼がなければ、二人きりになるような危険な行為は出来なかっただろう。

「それは妄想だろう。この前の怯え方を見ただろ? あれだけ酷い目に遭って、また自分からヤられたいなんて思うものか。むしろお前の側にいて、嫌悪感をまるで見せなかったことの方が驚きだ」

 しかしそれだと、ヒルダはロナちゃんに怖がってる私に乗れと命じた恐ろしい悪女ということになるのだが。
 てっきり私へと嫌がらせかと思ったのだが。

「あー、すまん。久しぶりに研究に集中してたからな。熱中するとちょっと周りがおろそかになるのは自分でも自覚してる。……今度、埋め合わせはするつもりだ」

 まぁ、それがいいだろう。
 ロナちゃんは、ヒルダにえらく懐いてるようだったから喜ぶに違いない。
 君たちが二人で話しているときのあの空気には、私ですら近寄りがたいものがあるからな。

「はぁ……なんだそれは。まったく」

 ところで、埋め合わせという言葉で思い出したのだが、あの娘さんに色々と接触したのに必死に耐えねばならなかった私にはないのだろうか。
 具体的には、色々と我慢していた分、今すぐその埋め合わせが欲しいところなのだが。

「……またか? はぁ…………まぁ、いいだろう。ちゃんと研究終わるまで邪魔しなかったしな。……うん」

 溜息を一つ落としながらも、ヒルダは薄く微笑んで長い金の髪を掻き上げる。

 そうして、私の本体へと体重を預けてくる彼女の前に、私はひょいと一本の触手を差し出した。

 ところで、研究の時に付けていたメガネを拾ってきたのだが。
 ちょっと付けてくれると、本日一日待たされた分の利息にちょうどいいのではないだろうか。

「はぁ……なにをするかと思えば」

 溜息を吐きながらも、ヒルダは私の触手の先に手を伸ばし、その眼鏡の弦を手にした。

「…………変態め」

 もちろんだ。

 魔法で作り出した光に照らされて、小柄な少女の影が、もう一度無数の波打つ触手の中に引き込まれていく。

 やがてその光も消えたが、彼女の上げる甘い声だけはいつまでも寝室に残っていた。







<つづくー>




[3500] 6話「無惨! 冒険者 対 触手生物!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:283fc5bb
Date: 2008/07/30 20:59
 森の中に入ったときから、ずっと嫌な予感がしていた。

 確かに、ノーム族に伝わる精霊の秘術を駆使してグノーが作り出したという宝石の護符は、死霊の森に蔓延している筈のアンデットの存在を完全に抑え込んでいる。

 森の中には人影はないし、近くの街の冒険者の宿で情報を集めた時に聞かされた、この森への侵入者を惑わせて死霊の巣に導くという、不気味な白い霧も見えない。

 周囲の殺気を関知する、サムライとしての私のスキルも、どこにも危険がないことを告げている。

 敵は周囲にはいない。



 ――――それでも、何かが見ているような、嫌な予感が尾の先を撫でる感覚があった。



 もうずっと前に出てきたまま、一度も帰ってないフェルパーの村の事を思い出す。

 村を大嵐が襲ったときに、長老は何故か前もって村人を高台に避難させて、村の危機を救ってくれた。
 幼かった私は、嵐のことを知っていたかのように行動した長老を不思議に思って、どうして村人を避難させてみたのか訪ねてみたのだ。
 そのとき長老は、なんとも知れない深い笑みを作って『尾の先の知らせで分かったんじゃ』と答えた。

 はぐらかされたのかと思って、その時は頬を膨らませたものだけど。



 今、私の尾は、何か細いものがまとわりつくように、落ち着きなく動き続けている。

 この仕事のために新調したラメラーメイルの、動き易さのために短めにしてあるスカート部分の下からこぼれた私の灰毛の尻尾が、絡み付いてくる何かから逃げようとするように、せわしなく舞い続けている。

 自分で意識しても、うまく尾を止めることが出来ない。

 なんだか心がまるで落ち着かない。
 このままでは手遅れになるんじゃないか、そう、私の奥の声が囁いてくる。

「…………ん」

 私は、足を止めて、前にいる相棒の腕を引いた。

 長い杖を手にぺしぺしと茂みをかき分けて先行していた相棒は、怪訝な顔で振り返る。
 私が冒険者としての生活を初めてから、ずっとお世話になっている、ノーム族のグノー。

 初めて冒険者の酒場に入ったとき、悪い冒険者に騙されそうになっていた私を助けてくれた。
 それからずっと、お礼を出来ればいいと思って、一緒に冒険してる。

「どしたの? オシッコ?」

 ふるふる、と首を振る。

 なんでそんなことを聞くんだろう。
 あ、尻尾か。

 足を閉じて、片手で尻尾を押さえると、せわしなく暴れていた尾の動きは大分おさまった。

「……嫌な予感」

 そう言ったら、グノーはとても苦いモノを食べた時みたいに、ぎゅっと顔をしかめた。

「んー、ネコミが嫌な予感とか言うの、初めてだねー。一応確認だけど、敵じゃないの?」

 耳をピンと伸ばして、もう一度だけ敵感知のスキルを使う。
 殺気とか気配とかで周りにいる敵の場所を知らせてくれる、サムライ特有のスキル。

 グノーに訓練すれば出来るようになるって教えて貰ってから、勉強して憶えた。

 だけど、やっぱり何も感じない。

「ん」

 敵じゃない。
 でも、嫌な予感がする。

「じゃあ、却下ね。この宝石の護符作るのにほとんど有り金はたいちゃったから、しっかり賞金首の魔女を捕まえて帰らないと大赤字になっちゃうし」

 手の中の宝石の護符を見せて、グノーが答える。

 一人に一つ必要なその護符はとても高価で、今までのお金を全部使っても二つしか作れなかった。
 だから、今回は一緒に仕事をすることのある他の冒険者は連れてきていない。

 たった二人きりで、危険度最高クラスと言われているこの“死霊使いの森”に来た。

「ま、もしなにかあっても、その時のために一番頼りになるネコミを連れてきたんだし。ねー?」

 グノーにそう言われると、私は何も言えない。
 頼りにされているという言葉が、深い感動を伴って胸に染み込んでくる。

「ん」

 腰のカタナの柄にそっと触れながら、私は頷いた。

「よろしい! それじゃ、行きましょう!」

 グノーは私の答えに満足するように大きく頷くと、再び杖でべしべしと茂みの枝を折りながら歩き出す。
 ちょっと不用心かなと思うけど、敵の姿も気配もぜんぜん無い。

 うん、大丈夫。

「ふふーん、この宝石の護符さえあれば死霊なんて怖くないんだし、後はちょちょいって魔女一匹をひっ捕まえてお国に連れて帰れば、護符の分の赤字なんてお釣りがくる大儲けよー♪」

 振り回す杖を指揮棒のようにリズミカルに動かしつつ、歌うようにグノーが言った。
 杖が纏った魔法の衝撃に弾かれて、道を邪魔する茂みや枝が、枯れ木のように簡単に弾かれていく。

「……ん」

 私は、小さく頷いた。

 情報によると、魔女は死霊を従え、たった一人きりで森の奥にいるのだという。
 だけど、グノーの作った宝石の護符のおかげで、魔女が従えている死霊は近づけないはずだ。

 それならば、ちょっとくらい強い魔女だったとしても、サムライである私の剣とビショップであるグノーの魔法があれば十分すぎるほどに対処できる。

 生け捕りにしないといけないと言われて、ちゃんと峰打ちの練習もしてきた。
 準備は万全。大丈夫。

 もう一度、腰のカタナの柄に触れる。
 うん。少しだけ落ち着いてきた。



 ――――だけど、私の尻尾だけは、やっぱり落ち着きなくふらふらと揺れていた。





6話「無惨! 冒険者 対 触手生物!!」





 ヒルダが風邪を引いた。



 判明したのは今朝のこと。

 朝からいつものように一人ベッドを抜け出して、洗濯・薪割り・掃除を済ませ、窓を開けて外気の取り入れをしたものの、肝心の家の主人が起きてこない。
 いつものように寝坊かと思い寝室へ戻ってみると、ヒルダは想像通りにベッドの中で身を丸めていた。
 想像の外だったのはねけふけふという小さな咳の音。

 何事かと思い揺り動かしてみれば、熱に潤んだ瞳で「体が、だるい……」と言われた。
 次いで、背中を丸めてこふこふと咳き込む。

 明らかに風邪だった。

 だが、それも考えてみればそれも当たり前のこと。

 昨晩色々と頑張り過ぎてお互いすっかり疲れ果てて泥のように眠ってしまったのだが、そうなると、当然私はともかくヒルダもすっほんほんで寝てたわけで。
 まぁ、控えめに見てもそれが原因であることてに間違いなかった。
 汗とか色々な要因で湿っていたシーツを羽織っていたのも身体が冷えた原因であろう。

 それでも、いつもは私はヒルダにくっついたまま寝るので、全身が冷え切ってしまうということもないのだが、今朝は私はベッドから蹴り落とされていたのである。
 次からは逃げられないようにもっとしっかりと抱きついて寝ようと思う。

 まぁ、そんな決意はともかく。今の問題はヒルダの風邪だった。

 私は事態を理解すると、すぐにヒルダから布団を剥いだ。

 すぐに下着からパジャマまでを一通り着せようとして、先に体を拭くことが先決だと思い直し、台所にある魔法の発火装置を使って手早く湯を沸かす。
 湯で濡らした手拭いを数枚使い、触手でヒルダの身体を綺麗に拭いた。

 普段なら明るいうちにこんなことをされたら断固として嫌がるヒルダが、大人しくされるがままになっている。
 多少その様子に思うところもあったが、なんとか心を鎮めて下着とパジャマ、それにあまり出来が良くないので渡すまいと思っていた手作りのセーターやらマフラーを、上から無理矢理着せておく。

 最後に、同時進行でシーツや毛布を新しいものに変えたベッドに入れて、毛布をかぶせて寝かせた。

 そこまでしたところで、初めてヒルダの口から声が漏れた。

「……ありがとう…………」

 いつもの鋭い口調とは違う、年齢相応の、怯えた少女のような儚げな声だった。

 熱のせいで朦朧としていた様子だったが、体を温めたお陰で少しは楽になってきたらしい。
 もっとも、ヒルダの口から感謝の言葉というのは極めて珍しい事態であるからして、あるいはまだ熱で朦朧としているのかもしれないが。

「…………いらんことを言う……」

 まだ目は少し潤んでいたが、小さく睨む目はいつものヒルダに間違いない。
 声をかけてもまともな返事もなく、身体に触れても目を覚まさないときはどうなることかと思ったが、こうしてコミュニケーションがとれたことを素直に喜びたい。

 ところで、有効な風邪薬や治療の魔法などの手段はないだろうか?

「……ない。……薬は、原料しかないから……お前には、無理だ…………」

 文字が読めないことが災いしたか。
 絵がついているような子供向けのものはともかく、風邪薬の調合の方法が書かれた本なんて、確かに私が読んで参考にするのは無理だろう。
 それどころか、見付けることすら出来るかどうか。

 しかし、何か風邪を治すため、私に出来ることはないのだろうか?

「ない…………。……どうせ、たいしたことのない風邪だ……寝てれば、治る……」

 やれることが無いと言われると、かえって何かやりたくなってくるのだが。

 そういえば、風邪は他人に伝染すと治ると聞いたことがある。

「あきらかにお前に風邪が感染するとは思えんぞ……伝染るなら、まっ先に伝染させてやるものを…………」

 確かに普通の方法ではダメかもしれない。
 だがしかし、やらしいことをすると風邪は伝染る、という話を私は聞いたことがあるのだが、この方法ならば、或いはイケるのではないか?
 なにしろ別の意味でもイケるわけであるし、二倍お得というか。

「…………ナニ上手いこと言ったみたいな気分になってるんだ……まったく……」

 一つこの噂の真偽を試してみるのはどうだろうか?

「……いらん。……この体調で、ナニなんて出来るか…………」

 ダメらしい。

 そもそもの原因が私だったことを思いだして、調子に乗りすぎたことに多少の反省をする。

 こふこふと咳をしながら、ヒルダは身体を横にして背を少し丸めた。
 なるほど、辛そうに見える。

 ……本当に、風邪薬などを作らなくても大丈夫なのだろうか?
 …………万が一にも私やヒルダの考えているよりももっと質の悪い病気だったら?

 私は少し考えて、触手をヒルダの身体に伸ばした。
 指の先に絡みつけて、腕に触れて、足先に乗せて……そうして一本、二本……と触手の接触が増えていくと、次第に、怠さと寒気、痛みが私に流れ込んでくる。

 なるほど、これが病気の苦しさというものか。
 確かにこれは不快なものだ。

「やめろ…………お前がそれを感じたって、風邪が治る訳じゃない」

 それはもちろんそうだが、責任ぐらいは感じさせて欲しい。
 これでも申し訳ないと思っているのだ。

 残念ながら沈痛な表情を見せたいと思っても、たくさんの目玉と触手ぐらいしか私には感情の表現手段がないので、私の謝意を伝えることは困難なのだが。

「……あのな……そんなこと考えてるくせに、しっかり触ってるじゃないか…………」

 そうしないとホントに私の意志が伝わってるのか不安になるから仕方がない。
 ヒルダだって、無数の目玉と触手が無言で枕元に佇んでいると、不安に感じるだろう?

「…………そんなの、もう慣れた」

 かすれた声で返事をしてから、ヒルダはごろんとベッドの中で転がって、私に背を向けた。

 浅くしか触れていなかった触手が解ける。
 最後に指先に絡んでいた触手も、ヒルダの指が乱暴に払った。

「しばらく寝る。……大人しくしてれば、そのうち治るから…………」

 気にするな、と言って、そのままヒルダは背を丸めて黙り込んだ。

 そろそろと触手をその背中に伸ばしかけて、止める。
 小さく背を丸めたヒルダが、咳を抑えようとしているのに気付いてしまった。

 なるほど、私の考えが全て伝わるなら、私がヒルダの心配をしていることも丸見えなのだったな。
 心配をかけさせまいと気を遣う病人というのも難儀な話だが、心配しているのが見え透いている見舞い人というのも、きっと厄介なものなのだろう。
 そしてこの場合は、引くべきは病人にいらぬ気遣いをさせる見舞い人の方だ。

 私はそれ以上の返事を求めず、ただシーツをヒルダの肩に深く掛け直してから、部屋の窓を空気の篭もらない程度に半分ほど閉じて寝室を出た。

 廊下へ出て、リビングへ向かいながら考える。

 ふむ。

 ヒルダが自分で作らなくても良いと判断したのだから、無理に起こして風邪薬を作らせるなんて論外だろう。
 せめて病人に良さそうな食事でもと思うが、味覚のない私は料理が出来ない。

 そして、字が読めないので、資料と材料があっても風邪薬を自分で作ることも出来ない。

 ふむ、食事が出来て、文字が読める人材か。

 一人だけ思い当たる人物がある。
 あの娘ならば、例え私からのコミュニケーションが不可能だとしても、多少無理してでもこの家に連れてきて、寝床で苦しんでいるヒルダを見せれば、間違いなく協力してくれるだろう。
 もしかしたら、彼女の病状に対して有効な看病の方法だって色々と知っているかもしれない。

 眠ったままのヒルダを置いていくのは不安だが、全力で駆ければ往復で一時間もかからない道だ。

 よし、善は急げ、だ。

 私は家の鍵を掛けてから、ゴブゴブ村へと進路を定め、森の中へと全力で駆け出した。




◆◆◆




 村への道程の半分を過ぎた頃。

 不意に、目の前に見えた予想外の存在に、私は慌てて森を駆ける足を止めた。

 影のように佇む亡霊や、ゴブリン村で見た真緑の肌に質素な服を着た連中とはまるで違う、やけに高価そうな衣装……というか、武器や鎧を身に着けた、二人組の見知らぬ娘さん。


 正面に立つのは、ヒルダと同じ、魔法使いみたいに見えた。

 物々しい杖と、鎧を兼ねた厚手のローブを着ているものの、人間の半分ほどの背丈しかない上に、とても長い茶色の髪の毛を左右で縛って可愛らしく垂らしているせいで、まるで子供みたいに見える。
 肌は健康的な小麦色で、驚いたまま見開いた目はドングリのように大きい。
 ヒルダも外見は幼いが、こんなにちっこくはない。

 もしかして、本当にただの子供なんじゃないだろうか。
 そうも思うのだが、長くて横に広がっている大きめの耳が、普通の人間じゃないことを示している。


 そして、その後ろから滑るように現れて、私と魔法使いの間に入り込んだ剣士。

 腰に刀の収まった鞘を下げて、上半身には鉄製の丈の短いセーターみたいな鎧を身に着けている。
 まるで子供にしか見えない魔法使いとは違って、鎧の胸部分を自己主張の激しい大きな二つの膨らみが内側から押し上げており、女らしい身体つきをしていた。
 長い黒髪と白い肌で、こちらを睨む金色の目は猫のように鋭い。

 ……というか、頭の斜め上からちょこんとネコミミが生えてピクピク震えてるし、丈が短めの鎧の下からは、素脚といっしょに灰毛のしっぽが落ち着きなく振られている。
 紛れもなくその動きは作り物ではなく、彼女がネコ人間であるのは間違いなかった。


 問題は、この二人の娘さんが、なんでこの森の中にいるのかということだが。
 そもそも魔物の一種なのか、それとも人間の一種なのか?
 微妙すぎてとても反応に困る。

 思わず人影に反応して近付いてしまったが、もしかして不用意に怯えさせてしまったかもしれない。
 見ない振りして通り過ぎた方が良かっただろうか?

 いや、しかし。

 よく考えたら、今は来客の相手を出来るような状態でもなし、もしもヒルダの知り合いだったとしても、ここはお引き取りして貰った方がいいだろう。
 不用意にヒトを驚かせるのは誉められることではないが、今はヒルダの風邪への対処を急ぎたい。
 もしもヒルダの知り合いだったなら、ここは天命と諦めてヒルダに蹴られることとしよう。

 そんな風に考えて、私は軽い威嚇の意志を込めて触手を高く持ち上げ、一歩近付いた。

 予想した通り、二人の娘さんの目の中に恐怖が入り込むのが分かる。

 ――――――だが、猫の耳を持った方の女の子の目が、怯えながらも、鋭さを増す。

 その瞳の中に、どこか既視感を覚えた直後。

 威嚇のために持ち上げていた私の触手は、猫耳の女の子が抜き放った刀の一閃に断ち斬られていた。




◆◆◆




 その瞬間、恐怖からくる呪縛を振り切ることが出来たのは、自分でも信じられなかった。

 突然。
 本当に突然、森の木々を裂いて現れた、黒々と蠢く無数の触手で作られた異形の怪物。
 触手の奥から巨大な、小さな、無数の丸い目が、私とグノーを見下ろした。

 手足の先まで痺れるような恐ろしさに、もう駄目なのだとはっきりと思ったのに。

 触手が私と、グノーに伸びてくるのが見えたその時に、私を縛っていた呪縛は消えた。

 瞬間、意識すら越える速さで、私はカタナを抜き放っていた。

 切断された触手が苦しげにのたうつ。
 けれど、それを見た私は、自分の胸が冷えるのを感じた。
 完全に切り裂いたと思った切断面から、すぐに新しい触手が生えようとしている。
 だけど、触手そのものは、まるで攻撃を受けたことに戸惑っているかのように、こちらへ仕掛けてこない。

 私は一瞬の躊躇の後、さらに奥へ一歩踏み込んだ。

 紫色の血飛沫を浴びながら、水平に二度、渾身の力を込めてカタナを振るう。
 無数の藁束を裂くような、奇妙な手応えと共に無数の触手が千切れていく、叫ぶ口を持たないこの異形の魔物は、これほどの深手を受けながらも悲鳴すら漏らさない。
 こびりついた血の滴を払いながら大上段にカタナを振り上げ、水平に魔物の本体へと振り下ろす。

 その瞬間、引き裂いた傷口から巨大な眼球が生まれて私を見た。

「…………っ!!」

 背筋を走った悪寒に、私はカタナを止めて後ろに向けて全力で地面を蹴った。

 後方に下がる私を追うように、空中から槍襖と化した触手が次々と降り注いでくる。
 私の振るうカタナの剣先を迂回するように空中へ伸ばした触手を、槍のように鋭く細く尖らせて、私めがけて伸ばしてきているのだ。
 致命傷にもならないような攻撃だけど、弾いたり避けたりを続けるには、手数の多すぎる攻撃。

「……グノー!」

 魔物と私が数合を交えていたこの間に、自分を取り戻していることを期待して、私はとっさに相棒を呼んだ。

「わ、分かってる…………“雷鳴の城塞”!」

 期待したとおりに、グノーが強力な防護の魔法を唱える。

 一瞬の遅延を、カタナの一振りでカバーして、私は魔法の範囲の内側へと跳んだ。

 そして魔法の完成と同時に、光の天幕が、私と異形の間に瞬時に生まれる。
 私に雪崩れかかってきていた無数の細い触手は、勢いを殺すことなくその天幕に触れた。

 次の瞬間、閃光と耳を突く破裂音が響いて、光の天幕が数千の稲妻に河って触手を打ち据えた。
 一瞬で焼け焦げた無数の触手は、そのほとんどが炭化して崩れ落ち、完全には炭化しなかった触手も先をボロボロと崩れさせながら身悶えるように苦しんでいる。

 その隙を逃さず、私は地を蹴った。

 わずかに宙に残った雷精の残滓が皮膚を焼くのも構わず、踏み込みと同時にカタナを斜めに切り上げる。
 カタナは、異形の身を深く深く切り裂いた。
 普通の魔物ならばこれで致命傷だと断言できる重い手応え。

 だけど、魔物は深く体を切り裂かれて身を震わせつつも、まだ動きを止めない。
 斬り戻しを仕掛け、数本の触手を切り裂く。

 次々と触手が再生してくる、額を汗が伝うのを感じながら、私は構えを変えて身を引いて構えた。
 腕の力を落として手数を最大に、腕から手首にかけての力とカタナの重さを利用して、左右に素早くカタナを振って、再生を続ける触手に次々と斬りつける。

 裁断機にかけられた紙切れのように、触手が次々と切断されて、紫の血飛沫が霧のように舞った。
 次々と切り裂かれる触手に再生が追いつかないのか、さっきの傷は戻りきれてないまま、正面に立てば視界を覆うほどだったその触手も次第に数を減らしていく。

 やがて、触手の奥に隠された、蠢く肉の塊のような魔物の本体の表面に刃が届いた。
 肉の表面に浮かぶ眼球は、斬り裂かれると、すぐに次の眼球が生まれてくる、そしてそれを斬るとさらに眼球が生まれて、私を見ようとする。
 おぞましさに背筋が震えるのを感じるが、だからこそ腕は止めなかった。

 やがて、少しづつ異形の魔物の動きは鈍ってきて。

「ネコミ、下がって! デカいのいくよ…………“巨人の鉄槌”!!」

 その時を待っていたかのように、警告からほとんど間を与えずにグノーの攻撃魔法が発動した。

 地を蹴って私が後ろに飛び退いた直後、動きを鈍らせていた異形の魔物は、周囲の大地もろともに巨大な巨人に踏みつぶされたかのごとく、ぐしゃりと潰れる。

 まるで粘土を引き延ばしたみたいに、平面に潰れた魔物は地面に大きく広がっていた。
 草や芝が割れて土が剥き出しになった地面に、紫の体液が染み込んでいく。

「やった?」

 後ろにいたグノーが、おっかなひっくり少しだけ近付きながら私に聞いた。
 私は振り向かない。

「……まだ」

 そう答えた直後、私は宙へと跳んだ。

 ほとんど同時に、平面になっていた魔物の体から、蛸を思わせる太い一本の触手が立ち上がる。
 だけど大振りにその触手が横に振られたとき、私はもう触手の振られた軌跡の中にはいなかった。

 宙を舞って、まっすぐに私の体は落下していく。
 完全に潰れてしまった体の中に、たった一つだけ残った、大きな眼球へめがけて。

 触手が慌てて跳ね上がり、私を打ち据えようとするけど、もう遅い。
 身体を垂直に立てるように、真下に構えたカタナを先端にして、垂直に落ちる矢のように落下する。
 落下速度はそのまま、敵への攻撃力になる。

「終わり」

 ストン、と目の中央に私のカタナが突き刺さった。
 まるで空気の抜けた風船のように、異形の魔物はぐにゃぐにゃと力無く地面に崩れ落ちて、そのまま動かなくなる。
 ぺたんと地面に落ちた最後の一本の触手は、次第にどろどろと溶けて紫の液体になっていった。

 カタナを抜いて振ると、血が地面に散る。
 手応えはあった。命が途切れる感触を、私は確かに手の中に感じた。

「おつかれー。ホント、こーんな隠し球がいたなんてねー。やっぱ、ネコミ連れてきて良かったわー」

 今度こそ安心したのか、グノーがにこにこ顔で近付いてくる。
 だけど、私はカタナを納めないまま、じっとまだ潰れたその魔物を見ていた。

「……焼いて」

「ん?」

「トドメ。…………焼いて」

 また、すぐにでも動き出すんじゃないか。
 そんな気がしてならなかった。

 だって、私の背筋はまだ冷えたままで、シッポも落ち着かないままぐるぐると舞っている。
 例え潰れて溶け落ちそうになっているとしても、それがこの異形の魔物の骸だというのなら、私は視界から外すなんて怖くてとても出来ない。

 呆れたように、グノーが笑う。

「心配性だねー。ま、それでネコミが安心するならいいけどさ。……そいや、“火蜥蜴の舌”」

 力ある言葉に導かれた青い炎が大地を舐めると、魔物の骸は一気に燃え上がっていった。

 潰れて平面になった地面と一緒に、それはしばらく燃え続けて、炎が消えた跡には、生き物の焼けたときに臭う酷い臭いと、わずかに黒い炭のようなものが残るだけ。
 それを見届けて、私はやっと息を吐いた。

 木にもたれて力を抜きたくなる衝動を抑えて、鞘にカタナを納める。
 とても疲れてしまった。

 肩から背中にかけて、鎧の下のインナーがぐっしょりと冷や汗で濡れているのが分かる。
 正直、こんな嫌な感じのする敵とはもう戦いたくない。

「終わった。…………帰る」

「終わってなーい! こっからが本番! こんなキショいのをけしかけてきた魔女をとっちめるのよ!!」

 グノーの怒鳴り声で、この戦いまでの経緯を色々思い出す。

「ん。……忘れてた」

「忘れるな! まぁ、コイツが最大の難関だったってことだ、後は壁のない魔法使いを捕まえるだけだからラショーだし、ネコミの希望通りとっとと街に帰りましょ?」

 それなら、きっとなんとかなる。
 それに、街にすぐ帰れるという言葉はとても魅力的。

「ん」

 頷いてみてから、ふと考える。

 もし魔女が、この魔物と一緒に出てきていたら、すごく危なかったのではないか。

 異形の魔物は決して危険すぎるほどの敵ではなかったと思うけれど、触手の多さによる手数がすごく怖くて、なにより耐久力がものすごかった。
 魔法の援護が私だけのものじゃなかったら、倒されていたのはきっと私だった。

 ……なのにどうして、この魔物は一匹だけで出てきたのだろう。

 焼け焦げた地面に転がる炭の欠片は、そんなことを訪ねても何も答えない。
 だから私は何も言わずに、グノーに続いて森の奥へと向かった。




◆◆◆




 ああ、なるほど。なるほど。なるほど。なるほど。

 思い出した、あの目は。

 瞳の中に震える微かな恐怖と、それを打ち消すほどに燃える敵意の炎。
 自らがどのような恐怖に晒されようとも、決して攻撃を緩めることなく私を滅ぼそうという強い意志。

 あの瞳は、同じものだ。

 それならば、私が生まれて初めて味わった甘美なるそれと、同じように、きっと美味に違いない。
 きっと同じようにこの飢えを満たしてくれるに違いない。

 自らの飢えを満たすため、私は自ら埋もれた地の底からゆっくりと這い出した。







<つづく!>



[3500] 7話「恐怖!蒼白の悪魔!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:283fc5bb
Date: 2009/06/03 20:04
『そういえば、あの森の中にうろうろしてるお化けの類は、ヒルダが呼んだものなのか?』

 ある夜のこと。

 こいつを喚び出してから何度目の夜だとか、もう数えるのも止めてしまった頃だ。
 このところずっとそうだったように、その夜も私はヤツをベッドに招き、ヤツが望む“食事”をたっぷりと与えて……与えられてから、ヤツの触手の中に身を沈めるようにして微睡んでいた。

「ああ…………気付いていたか。そうだよ、私が“死霊使い”だ」

 心地よい疲労に引かれるように眠りかけていた私の意識を揺り動かしたその質問に、私は身を埋めたままわずかに顎だけを持ち上げ、ただ薄く目を細めてそう答える。

 一瞬、確かに私の心臓は驚きに跳ねた。
 だがそれもすぐに静まる。

 どうせこの性欲の塊のようなスケベなバケモノが、私が手にしている魔法が禁断のモノであるかどうかなど、いちいち気にするはずもないのだから。
 こうしてこの触手に触れているだけで、コイツが本気でどうでも良いと思っていることが伝わってくる。
 一方的な、卑怯なコミュニケーションなのだが、コイツはまるで気にしていない。

『それならば、死霊に家の手伝いをさせればいいのではないか?』

 その方が私が楽をできる、と、明確ではない思考のまま、内心で呟いているのが丸分かりだった。
 まぁ、正直で良いとは思う。

「死霊は生き物に干渉は出来るが、モノには干渉できないんだよ。実体がないからな」

 それが死霊のルールだ。
 もちろん、家の手伝いなんてさせたくないというのもあるが。

 どうあっても、死霊は生者を憎むように出来ている。
 生前の魂というものは、死後はこの世界から消え、神の元に召されるなりなんなりするのだが、骸に残った魂の残滓は、魂本体が失われたために生まれる渇望に耐えられず、狂う。
 そして、生きていたときににどれほど高貴な精神の持ち主だったとしても、死霊と化したそれは等しく悪鬼と化してしまうのだ。

 それが死霊。

 死者の魂などとは違う。私の操る“死霊”はそういうものなのだ。
 そんな物騒極まりない存在を、自宅の中に彷徨かせて安心などできるものか。

「それに、室内が霧だらけでは蔵書が腐るしな」

 だが、死霊の危険性をわざわざ語るつもりもない。
 自分の力を自慢しているようで馬鹿らしいし、コイツだって、どうせ興味も無いだろう。
 だから私は、むしろ、現実的な問題の方を口にする。

『……霧?』

「あの霧が、実体を待たない死霊を運ぶんだよ。それが私の作った魔法だ」

 森の中に常に淡く漂う、薄く白い霧。
 それこそが、本来ならば長時間はこの世界に止まることも出来ず、やがて拡散して消えてしまうはずの死霊をこの世界にとどめ続けることが出来る理由だ。

『なるほど、そういえば、あの森の中はどこまで行っても白い霧があった』

「…………あれが全て死霊だ。肉体を失って、生者を憎みながら彷徨い続ける」

 そして、死霊に殺されたモノの骸から、新たな死霊が作られて、無限に死霊は増え続ける。
 最初に作り出した私ですら、この白い霧を完全に消すことは出来ない。

 この死霊の霧は、もしも私がそうあれと望めば、この世界を覆い尽くすまで人を喰らい尽くし、死霊と化すことで無限に増大し続けることすらできるのだ。

『ふむ、ロナちゃんや、私が狙われないのは君のお陰かね』

「その通りだ。敵でない者に対しては指示がなければ狙わないように命令を……そういう風に条件付けている」

 それでも、もしも私に対する殺意を感じたら死霊は喜びと共に生者へ殺到するだろう。
 完全に生者を襲うことを禁じることは出来ないのだから。

 だからこそ私はこの森の奥へ潜むことを選んだ。
 それでも、危険すぎる力を持つ私を殺害しようとする者、利用しようとする者は後を絶たない。
 森の奥深くにいても、霧は年々その大きさを増している。

『なるほど、便利だな』

 私は、視線の先で踊っているも触手の先に付いた目玉を睨んだ。

「ちっとも便利じゃない。アレのお陰で、私がどれだけ面倒に巻き込まれたか……」

 そう言っただけで、なんとなくは事情を察したのだろう、謝意を込めているつもりなのか、太めの触手がその身をよじらせて私へと近付くと、私の肩を小さく叩いた。

「ん……」

 肩を叩いた触手が、そのままするすると首筋から背中へと潜り込んでいく。
 そのまま脇の下をくぐり抜け、胸の先へとチロチロと噛み付いてきたところで、さすがに我慢の限界に来て、肩に乗った触手の根本を軽くつねった。

『むぅ、痛いぞ。そういう痛い系のプレイは私の範囲外だ』

 慌ててひっこんだ触手を手で追い払い、触手が撫でた部分を手で押さえる。
 頬が熱くなっているのが分かった。
 つい先ほど、あれだけやったというのに、もうその気になっている自分の身体が恨めしい。

「なに変態じみたことを考えてるんだ、このエロ触手が! さっき言ってたように、霧に喰わせてやろうか!?」

 そう言って睨むと、私を見ていた触手の先の目玉が、不思議そうに一度瞬きをした。
 なんだこの動作、気色悪い。

『私が霧に喰われると、どうなるのだ?』

「………………む」

 そう改めて聞かれてみると、確かによく分からない。
 死霊が生者を殺すのは、その肉体を奪おうとしているからに他ならない。
 もちろん、死霊が生者をそうやって殺したとしても、決してそれは成功しない、他者の骸を使っても生き返ることは出来ないのだ。蘇るべき魂はもう其処にないのだから。

 だが、コイツの場合は…………どうなるんだ?

 そんなことを考えて動きを止めていたせいだろう。
 そろそろと下肢から這い上がってくる触手を完全に失念して、そのまま押し倒されてしまったのは。

 ――――――結局、そのままその晩は、朝まで



「…………あ」

 目を覚ますと、ベッドの中で一人だった。

 立ち上がろうとして、ひどく思い自分の体に驚き、自分が病に伏していたことを思い出す。
 ふと、枕の上を見ると、わずかに濡れた布が落ちている。

「ああ、あいつか……」

 額に乗せていたものが、ずり落ちていたのだろう。
 私はしばらくそれを見てから、ベッドの傍らにある机の上に置いた。

 ヤツが置いていったらしい、大きめの水差しを手に取る。
 ずいぶんと小さくなった氷が浮かんでいて、喉を通った水はそれなりに冷えていた。

 ヤツが最後にここを出てから、それほど経っていないのだろう。
 出て行けと言ったのに、寝ている間に部屋に出入りするなんて酷いヤツだ。

「……つまらんな、寝よう」

 水差しをテーブルに置いて、もう一度横になる。
 手を伸ばしてテーブルの上にぺたぺたと手を這わせて、先ほどの濡れた布を手にとり、自分の額の上に載せる。

「ん……」

 目を閉じる。
 すっかり温くなった布は、あまり気色の良い感触ではない。
 だか、私はその感触が、それほど嫌いではなかった。

 きっと、もう少し寝れば、風邪も治るし、ヤツもまたフラフラと戻ってくるだろう。

 だからそれまで、もう少し寝ていよう。




7話「恐怖!蒼白の悪魔!!」




 森を割って背後から攻め入ってきたその敵に、私達は困惑した。

 先ほどの触手を無数に持つ異形の魔物の時のように、不意を討たれたたわけではない。
 敵の襲撃を警戒していた私は、即座に刀を抜き、襲いかかってきたその敵を迎え撃った。

 蒼白の皮膚を持ち、白く錆び付いた鎧を身につけた兵士だった。
 鉄兜に覆われた顔は分からない。
 ただ、皮膚だけではなく、剣も鎧も、衣服までが全て薄白い。
 美しさを感じさせる純白などではない、まるで色を失った骸のような擦り切れた蒼白の。

 カタナと剣が一合を交わす。
 それだけで、兵士の剣の腕の底は知れた。
 まるで操り人形のようなぎくしゃくとした動きに眉をひそめながらも、私は迷わずにその兵士を切り伏せる。

「…………これは、なに?」

 剣を打ち合わせたときから、これが人間ではないのは分かった。
 けど、斬った感触は更に異様だった。
 生き物を斬った感じがしない、まるで藁束を斬ったような、人の形をした者から斬った感触としては、あまりにもおぞましい感触が手に残っている。

「なんだろ? 分かんない。護符が効いてないからアンデットじゃないと思うけど……」

 グノーが地面に倒れ伏した兵士の死骸に近付く。
 私は、とっさに手を上げてそれを制した。

 尻尾がざわざわと付け根から毛をわななかせている。
 サムライの気配感知能力が、押し寄せてくる無数の敵の気配を感知していた。

「来る。いっぱい」

 それだけを言って、私は弓を引き絞るように深くカタナを構えて腰を落とす。

 グノーもすぐに承知して、魔法の詠唱を始める。
 数で押してくる敵には私が堪えて、グノーの大魔法で対抗するのがパターン。

 声もなく、音もなく、森を割って次の敵が現れる。
 槍を多にして突撃してくる、鉄の鎧で武装をした騎士が4人。

 槍が私まで届く寸前、私は限界まで引き絞っていたカタナを解き放つように、全力で真一文字に振り抜いた。
 鈍く重い、カタナが鉄を断つ音と共に、胸や胴を両断された騎士達が崩れ落ちる。

 地面に転がった上半身から、兜が転がり落ちた。
 その中にあるのは、人間とは思えない、痩せこけた蒼白の顔と、落ち窪み、黒い穴だけがある眼窩。

「…………これ、本当に、ゾンビとかじゃ、ないの?」

 目の代わりに、黒い眼窩だけのその貌がひどく怖くて、私はそこから視線を放した。

 頭の奥の警戒音は止んでいない。
 さらに森を割って、5人の兵士が駆けてくる。今度は斧を手にした軽装の兵士。
 もう同じ技は使えない。

 私は半歩退きながら斜めに構え、前に出た兵士を切り伏せ、残りの攻撃を上半身の動きだけで避ける。
 斬り戻しでもう一人を斬り、同時に鞘を兵士の足に絡めて転ばせる。

 さらに森を割って兵士が現れる。数は9。

 斧を避けながら、手甲に仕込んだ投げナイフを放つ。
 牽制のつもりで放ったそれは、その一本が防御の動作すら見せない兵士の頭部に刺さって倒しただけで、突き進んでくる兵士達の勢いを止める役にはならなかった。
 ショートソードで武装した兵士は、まるで糸に引かれるようにまっすぐに私に飛びかかってくる。

 避ける隙がない。
 後ろへ下がれば、詠唱のために無防備なグノーが危険。

「たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 私は低く身を伏せて、地面を蹴りながら身体を半回転させ、斜めに刀を振り上げた。
 私に到達しようとしていたショートソードが弾かれて、兵士達がふらりとバランスを崩して後ろへよろける。

 間髪入れずに深く地面に踏み込み、同じ軌道で上段から下へと斜めに切り降ろした。
 藁束を裂く感触と共に、深手を負った兵士達がゴロゴロと地面に伏せ落ちる。

 手首が激しく痛む、けれど、休む暇もなく、今の一撃を耐えた兵士の何人かが私に突きを放ってくる。
 私は、手首を痛めた腕の握りを弱くして、なんとか突きを弾く。

 激しい火花が散るのも構わず、私は全力の蹴りでまた一人の兵士を森の奥へ蹴り飛ばした。

 けれど、そうしている間にも、森を割って新手がやってくる。
 厚い鋼鉄の大盾を前に構え、手斧を手にした、鋼鉄の完全鎧に身を包む無数の重装兵達。
 兜のせいで見えないけれど、その奥からはあの黒い穴だけの眼窩が私を見ているのだろうか。

「……グノー、もう、駄目……!」

 私のカタナでは、あの大盾と完全鎧は簡単に打ち崩せない。
 全力の一撃で両断できなかったら、鉄に食い込んだカタナはもう使えなくなってしまう。

「ふふん、任せなさい! ああいう木偶の坊相手なら、とっておきのがあるんだから……!」

 私の言葉に応えて、グノーが杖を振り上げる。
 詠唱の完成した大魔法は、後は発動を待つだけの状態になっていた。
 弾かれるように私は後方に飛んで、グノーの後ろへと下がる。

「灼熱の炎よ、灼熱の炎よ、灼熱の炎よ! 万物の中心、精霊の極を要に、今解き放たれよ! ……“核熱”!」

 魔法使いの操る魔法で最大級の魔法、万物を焼き払う究極の炎が、杖の先から迸る。
 吹き荒れる灼熱の炎の嵐は、音さえを飲み込みながら正面にいた敵を、地面や森もろとも焼き払っていく。
 やがて炎の嵐が収まると、一陣の風が吹き、破壊の跡を舐めていった。

「やった! ざまーみろ!!」

 炎すら残らない深い破壊の傷痕に、グノーが満面の笑みで勝利の宣言を口にする。
 けれど、私の中の警戒音は、まるで鳴り止もうとしない。

 敵の居た場所には、黒く焦げ付いたまま、大盾を正面に構えた重武装のの兵士達の姿がそのまま残っていた。
 私が慌てて剣を向けると、グノーが笑う。

「パッカねぇ、核熱の炎じゃ、鎧は耐えられても、中身は黒こげなんてレベルじゃないわよ…………ほら」

 確かに、重装備の鎧の隙間から、薄い煙が出ている。
 鎧の隙間という隙間から漏れだした薄黒い煙は、生物が焼け焦げた時の匂いをかすかに残している。

 兵士達は力無く、地面へ倒れていった。中の身体はすでに繋がりすらないのか、倒れながら手足の部品がバラバラになり、兵士の姿だったそれらは、只の鉄屑の塊のようにボロボロに崩れていく。


 ――――――その向こうから、20数人の完全武装の兵士が駆けてくる。


「……嘘っ、なんでっ!?」

 慌ててグノーが後退して魔法の詠唱を始める。

「落ち着いて。まだ、なんとかなる。……なんとかする」

 カタナを抜いて、兵士に全力で向かう。
 一歩でも先に進んで、グノーから引き離さないといけない。

 そう思い、カタナを振りながらも、あの大魔法が生み出す灼熱の炎の向こうから現れた兵士に、私は強い恐怖と疑問を抱かずにはいれなかった。
 あの炎は、兵士の盾など無視して、森の奥までを間違いなく焼き払っていた。
 もしあの兵士達の後ろに兵士が控えていたとしても、一緒にあの炎に飲み込まれていた筈なのだ。

 なのに、この兵士達は、死んだ兵士の影から現れた。
 まるであの場に突然現れたように。

 私の恐れを読みとったかのように、重装備の兵士が大盾を正面に構えたままタックルを仕掛けてくる。
 弾き飛ばされ、地面へ転がりながらも、追撃の手を伸ばしてきた兵士の腕を切り払い、立ち上がる。

 ……その瞬間、背後から異様な気配を感じて、私は振り向いた。

「……っ!」

 ついさっきまで誰もいなかったはずの場所に、いつの間にか槍を手にした兵士が立っている。
 落ち窪んだ眼窩が私を見たまま、操られるようなぎくしゃくした動きで、槍を突き出す。

「いつの間に……!?」

 槍の先端を避けて、カタナで払う。
 一縷の望みを裏切るように、払った槍は幻でもなんでもない、実体があった。
 ゾンビではない、なのに、突然現れた。

「グノー! なにかおかしい! 逃げよう!!」

 とっさに名を呼ぶ。
 けれど、詠唱に集中していたグノーはその言葉に応えず、代わりに杖の先に魔法の光りを灯した。

「こっちだって、負けられないのっ! ネコミ、ちゃんと伏せなさいよ……!!」

 地面に水平に杖を置いて、グノーがそれを支えるように握りしめる。
 その動作と警告の言葉で魔法の正体に気付いた私は、慌てて地面に身を投げ出した。

「万物を包む空と大気よ、慈しみを捨て凶刃と化せ! 疾く走れ虐殺の旋風! “風裂殺”!!」

 次の瞬間、地面からの高さ1メートルぐらいの低空を、刃と化した風が薙いだ。

 断ち切られた木が、あちこちで倒れはじめる。
 先に炎の魔法で辺りの木を焼き払っていたから良かったけれど、そうじゃなければ下敷きにされていたと思う。
 私は慌てて立ち上がって、グノーに駆け寄った。

「どうよ……これなら、少しぐらい隠れてても、一網打尽でしょ?」

 杖に掴まるようにしてなんとか立ち、会心の笑みを受けるグノーに、安堵の笑みを向ける。
 周囲を取り囲んでいた気配はなく、頭の奥の警告音も止んでいた。

「今のは、グノーも危なかった」
「ま、あのゾンビもどきに捕まるよりマシでしょ。……しっかし、ホントになんなんだろうね、コイツら。魔女の作ったホムンクルスか何かかしら? それにしては装備が物々しいけど」

 多少咎めるように言ったけれど、グノーは軽く流してしまった。
 興味を今倒したばかりの敵たちに向けると、その死体の方へと近付いていく。

 周囲を見ると、先ほど私達を取り囲もうとしていた重装備の兵士は、その全てが腰や足から下を綺麗に断ち切られて、立ち上がることもなく死に絶えていた。
 さっき打ち合ったときは次から次に敵が出てきたせいで気付かなかったけれど、死体から血が出ていない。
 本当に、人形か何かのように、身体を欠けさせたまま動きを止めている。

「なにかこの生き物、凄く嫌だ。尻尾がむずむずする」

 スカートの下から伸びている、固く膨れた自分の尻尾を触れる。
 さっきの異形の悪魔と斬り合ったときと同じ、今にも襲いかかられそうな錯覚があった。

 グノーが嫌そうな顔で死体を爪先で軽く蹴ると、肩をすくめる。

「まぁ、さすがにあれだけやっつければ打ち止めでしょ。とっとと…………」

 先に進みましょう、と言いかけて、グノーが言葉を止めた。

「……なに?」

 慌てて、私は周囲を見回しながら、緩んでいた周囲への警戒を戻す。

 魔法で断ち切られて転がっている無数の木の陰から、白い肌の兵士達が立ち上がっていた。
 私の頭の中で、ひっきりなしに警戒音が鳴り響く。

 剣を手にした鉄鎧の兵士、手斧を手に大盾を構える重装備の兵士、槍を手にした兵士、小剣を構えた軽装の兵士、色褪せた白い鎧を身に付けた無数の兵士達の群れが、私達をぐるりと取り囲んでいる。
 その顔にある、眼球もなにもない、ただ落ち窪んだ眼窩の奥にある、黒々とした穴。

 その闇の奥から、何かが私達をじっと見ていた。

 そして、蒼白の兵士達の群は、鬨の声もなにもなく。
 ただ静かに、武器を構えたまま、ゆっくりと私達へと歩み寄ってくる。

 その数は、あまりにも多すぎる。


 ――――――こんなの勝てるわけない。


 戦いの場を、絶望感が支配していた。




◆◆◆




 恐らくあの魔法使いの切り札だったのであろう、超高温の熱波を叩き付ける魔法と、風で物体を水平に切断する魔法の二つを完全に凌いでからは、明らかに二人組の少女達の抵抗は弱まっていった。

 剣士の方はまだ諦めていない。
 押し寄せる私の攻撃をなんとか防ぎ、ギリギリの所で押し返しながらも後退して私の作り出した包囲から逃れようとしているのが分かる。
 だが、魔法使いはそうではない。
 魔法を何度も凌がれたショックはすでに疲れ切っている魔法使いの詠唱速度を鈍らせていて、付け入る隙を作ることを容易にしていった。

 必死に紡いだ攻撃呪文を魔法使いが唱え終えた直後。
 ただ地面から生み出した手で足首を掴むだけで、完全に意識が余所にあった魔法使いは、地面に転倒した。
 それに合わせて、周囲から一斉に兵士を群がらせる。

 剣士がフォローに回ろうとするのも計算通り。我を忘れて魔法使いを助けようとした剣士は、後ろからのしかかる兵士の体を振り払うことも出来ず地面に倒れた。
 すかさず腕から武器を奪い、遠くへ転がす。
 剣士を完全に地面に這わせた頃には、魔法使いもまた兵士達の腕の前に為すすべもなく地面に這っていた。

 兵士達の無数の腕が、俯せに抑え込まれていた少女の身体を乱暴に引き起こすと、仰向けにさせる。
 振り払おうとする腕は捻り上げられ、蹴りを放とうとする脚も兵士の手にしっかりと掴ませる。

 もちろん、前がよく見えるように、だ。

 さて。

 剣士と魔法使いは、自分の視界を埋め尽くすほどに群れて自分を取り囲む兵士達に、何を見ているだろうか。

 魔法使いの少女は、大きな目を歪めてひどく怯えている。
 まあ、それは当然だろう。
 彼等のがらんどうの瞳の奥にあるのは、すなわち私の目。
 獣臭い欲望に満ちた無数の視線は、うら若い少女にはさぞかし堪えるだろう。

 剣士の少女は良い。
 これほど絶望的な状況もないだろうに、手足の自由を奪われたままで、自分を取り囲んで見下ろす兵士達を必死に睨み付けている。
 そんな目で見られると、私としてはかえって欲情が収まらなくなってしまうのだが。
 なにより、押さえる腕に伝わってくる、かすかな震えが堪らない。こんなに怖がっているのというのに無理をして強がるなんて、なんと愛らしいのだろうか。

 狩りの時間は終わりだ。

 私は本来の姿を取り戻していく。
 形を与えていた無数の“触手”を元の形に戻していくのだ。
 この森に溢れる霧から作り出した操り人形の兵士の姿から、粘液にまみれて蠢く我が触手の形へと。

 数十人の兵士が、寄り集まった触手を解いていくと共に無数の触手へと形を変えていく。
 そして、地面の中に潜んでいた私自身が、寄り集まっていく数百の触手の中からゆっくりと這い出してくるのを、二人の少女はただ呆然と見ていた。
 死者の手を思わせる、色褪せた蒼白の、粘液にまみれた無数の触手。

 自分を抑えていた兵士達すら、触手の塊へと変貌していくのを見て、魔法使いが悲鳴を上げる。

「きゃあああああ……んんっ、くむっ……んーーっ」

 なんとも甲高い悲鳴に苦笑して、私はその口へ触手を潜り込ませた。

 魔法使いは、慌てて首を振って振り払おうとするが、手足がしっかりと触手に絡まれて身動きできないのでは、首を振ることのできる範囲もたかが知れている。
 幼い顔立ちに違わず可愛らしいくらいに短い舌を触手の先で弄んでやると、喚き散らそうとする口もゆっくりに、噛み付こうとする力も次第に弱まり、大人しくなっていった。
 だからといって、止める理由など無いが。

「グノー、今、助ける……!」

 仲間が私の触手の嬲り者になる姿に怒りを覚えたのか、剣士の女の子が、私の拘束を振り払おうと触手でしっかりと絡め取っている両腕に力を込める。
 あまり力がある方ではないのだろう、私の触手を引きちぎるほどでもなかったが、こうも力んでいては、事に及ぶのもままならない。

 私は触手をスカートの中から、鎧の内側へと潜り込ませ、上へ上へと這い上がらせた。
 たっぷりと触手から粘液を分泌して、邪魔な鎧の下の肌着を溶かしていく。
 薄い肌着は瞬く間に溶けて消え、敏感な柔らかい肌へと触手が触れるまで、それぼど時間はかからなかった。

 柔らかな曲線を描く豊かな尻の谷をなぞり、背筋を這い上がって脇を擦り。
 内股を擦り上げながら、下着に包まれた柔肉を撫で上げて、白いお腹から豊かな乳房の合間へ。
 無数の触手が、剣士の身に付けた鎧の内側へと進入を果たしていく。

「……っ…………なにを……やめっ、あっ、ひゃぅっっ……やぁぁぁっ」

 鎧の下に少女が隠していた、その身体を触手の先で味わっていく。
 胸から突きだした乳房の柔らかさは、触手を絡めて強く押すと、形を変えて柔らかく歪み、胸の先に触手が触れるだけで、痺れたように剣士の身体が小さく震える。
 そのたびに震える二つの乳房の柔らかさは、私をしばし夢中にさせた。

 無数の触手から吐き出される粘液が鎧の内側に溢れ、とろとろと剣士の太股から流れ落ちていく。

「こっ、こんなことで……調子に、乗るな……んんっ……」

 頬を真っ赤に染めて、荒い息を繰り返しながらも、少女は怒りの言葉を漏らす。
 無数の触手に身体を嬲られながらも、剣士としての最後の力を振り絞るように力を込めた。

 だが、胸の先に細い触手を絡め、強くつねり上げると、剣士は跳ねるように身を反らす。

「ん……くっ、ひぃぁっ!!」

 そのまま左右の胸の先に触手を絡ませて、交互に抓り上げると、面白いように剣士の身体が跳ねる。

 そして、もう一本、下肢を覆っている薄い布きれの中へと触手を潜り込ませる。
 細く鋭いその触手が、悦楽に緩み始めた少女の花弁の中へと潜り込み、小さく突いた。

「あっ、やっ……やぁ……ひ……っっひぁぁぁっっ!!?」

 ひときわ高い悲鳴が上がり、剣士の身体は、電撃に撃たれたように弓なりに反れ、激しく震えた。
 そして、脱力したように力が抜けていく。

 もう、触手を振り払おうとする腕の力は消えていた。

 だんだんと触手の感触に、少女の肌が馴染んでいくのが伝わってくる。

 自分の鎧の下を這い回る触手から逃れるようとするように、ただただ必死に目に涙をにじませながら身を揺する剣士を、しっかりと触手を手足を巻き付けて、逃れられないように捕まえる。

 そうして触手で絡みとられた手足ですら、柔らかな弾力と絹のような感触で、触手を這わせればわななき震え、触手の内側に浮かぶ吸盤で吸い上げると、剣士は堪えるように身を震わせて甘い声を漏らした。

 触手で掴んだ腕の先までも細い触手を指先に絡ませ、舐めるように付け根から指先までを何度もなぞる。
 そうして、わななく指先すら粘液にまみれさせていく。

「……ふぁっ……はぁっ、あ、ああ……んっ、うぁんんっ……ひっ……んん……っ」

 休み無く自分を責め立てる触手に、剣士はだらしなく開いた唇の端から透明な涎を漏らしながら、猫の耳をペタリと情けなく伏せたまま、息も絶え絶えに甘い悲鳴を上げ続けていた。

 鎧の中へと太い触手を潜り込ませて、ゆっくりと手前に引いていく。
 粘液にたっぷりと晒されていた鎧は、その鉄片を繋ぎ止める革の留め具を溶かされ、あっさりとボロボロと崩れていく。

「あっ、ああ…………っ」

 その下から、たっぷりと受けた責めで粘液にまみれた裸の身体が露わになると、剣士は喘ぐような羞恥の悲鳴を上げた。
 自分が受けている陵辱を直視させられるのはなかなかに応えたらしく、薄くピンク色に上気した肌が、晒された裸の自分を隠そうと必死に身をくねらせる。

 だが、私がそれを許すはずもない。

 無様に割り開かれたままの足の付け根。
 先ほど軽くつついただけで、あれだけの反応を見せた敏感な部分に、触手を這わせていく。
 もう、粘液でドロドロに溶けかけている最後の布きれを剥ぎ取り、捨てる。

「やっ、……ダメっ……やめっ…………やめて……!」

 最後に守っていた部分すらも晒されたことに気付いて、羞恥からわずかに理性を取り戻した剣士が、弱々しい抵抗の声を漏らす。

 その声も、晒された尻の上へと触手をなぞり上げ、剣士が悦楽に震えるたびに敏感に身をくねらせていた灰毛の尻尾を絡みとってやると、小さい悲鳴と共に大人しくなった。

 なるほど、ここはこれで、敏感な部位らしい。
 二本の触手を逃れようとする尻尾に絡めとり、付け根と先端を嬲るように弄ってやると、ふるふると白い尻を振るわせて、剣士は激しく身を揺すって甘い声を上げた。

「ひぁっ……ひんっ、あっ! やっ、ひぁぁっっ!」

 悦楽を堪えようとしているのかとしているのか、必死に丸い尻を振るなんとも可愛らしい姿がよく見えるよう、脚に絡めていた触手を高く引き上げ、剣士の身体を奥へと引き倒す。

 丸く形の良い尻のラインがよく見える姿勢にされ、自分が見せていた痴態に気付いたのか、剣士の顔は羞恥で真っ赤に染まった。

 だが、一度悦楽という坂を転げ始めた以上、急に止まることなど出来るはずもない。

「ん……んんっ……ぁ……ひぁ……っ、やぁ、……やめ……っ」

 なんとも心地よい少女の囀りに自らが満たされていくのを感じながら、私は溢れ出す欲望に激しく脈動を続ける一本の触手を、悦楽に身をよじる彼女の下肢へと這い進ませていく。

 ぽたりぽたりと粘液を溢れさせながら蒼白の触手が向かうのは、剣士の、剥き出しにされた形の良い丸い尻。

「やっ、そこ……いやぁっ……そんなのっ……! やだぁ……っ!!」

 触手が自分に何をしようとしているのか気付いた剣士が、激しい悲鳴を上げて暴れようとする。
 甲高い悲鳴はさすがに聞くに堪えず、私は触手をその口の中に潜り込ませて、静かにさせることにした。

「んっ、んんっ…………んんーっ!」

 唇の中に潜り込んだ蒼白の触手が、内側から細い触手を伸ばして舌を絡めとり、口内を舐め上げていく感触に、剣士が声にならない悲鳴を上げる。

 そして、人間のものとは違い、わずかに鋭い牙の生えた少女の歯が、触手に噛みついた。
 多少刃が鋭くても、唇をこじ開けている、太い触手を噛み千切るには及ばない。

 だから、なんの問題はない、はずなのだが。


 ――――――――その瞬間。




◆◆◆




 ずっと昔、まだフェルパー族の村に私がいた頃のこと。

 海に面していたその村はいつでも魚が釣ることができて、きちんと家族を養うための漁をしている大人達とは別に、私みたいな子供もみんな、魚釣りや、海に潜っての狩りをして遊んでいた。

 ある日のこと、私は海に潜っての狩りで見慣れない魚を捕まえてきた。

 それはいつも釣りで捕まえる魚とは全然違う、なんだか変な形をした、まっ白い魚だった。
 だけど、幼かった私は、あまりにも日常的に魚釣りや狩りをして、その成果をオヤツ代わりに口にしていたため、海を泳いでいるモノは何でも食べられるモノだという勘違いをしていて。

 その白い魚を迷わずに少し食べてみた。
 噛み付いたそれの、奇妙な食感は、決して忘れられない。

 そして私は、それまでの人生で味わうことの無かった、地獄の苦しみを知ることとなった。

 その、幼い頃の私が白い魚と思っていた海の生き物は、フェルパー族の天敵にして、決して口に入れてはならない禁断の海の悪魔そのもの。

 すなわち、イカ、だったのだ。

 フェルパー族はイカとかタコ、あとタマネギとかはを食べちゃダメという原則。
 一説には腰を抜かすとか言われているけれど、実際の被害はそんな甘いものじゃなくて。

 なんでそうなるかは解明されていない。ネコとかがそうだから、きっとネコに似ている私達もそうるんじゃないかって、フェルパーのみんなは言っているけれど、人間の医者によるとそれは関係ないという話だ。

 でも、そうなってしまうというのは間違いなくて、それは疑いようのない常識だった。
 そして、それを破ったらどんな目に遭うか、その時に教えられたのである。




◆◆◆




 不意に感じた、嫌な予感。
 私は、なにか致命的な間違いを犯したような気がする。

 彼女にまとわりついていた無数の触手が一斉に動きを止めていた。まるで、危険な何かを警戒しているかのように。

 そして、その予感を裏付けるように、次の瞬間、肉食獣の唸り声を思わせる重い響きが森に響いた。



 ぐるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる…………



 その音の発生源は…………この、ネコミミの少女の、剥き出しになった白いお腹である。

 つい先ほどまで悦楽と恥辱の狭間で溺れていた少女は、必死に何かに耐えるように、くの字に身体を曲げて、ふるふると小さく震えている。

 少女の目の端には堪え切れぬ涙が浮かび、額にはぽつぽつと汗の粒が浮かんでいる。
 その瞳は、つい今しがたまで容赦のない恥辱を与えていた私にすら、真剣に助けを求めていた。

 おそるおそる、少女の舌に絡めていた触手を、その口の中から引き出す。
 自由になった唇から小さく息を吐くと、今にも消え入りそうな声で、少女は言った。

「…………トイレ……いかせて……」


 ――――――――……萎えた。


 たった一言。
 その言葉だけで、私の中に燻っていた情欲の炎は消え去った。

 あとなんか私の中に生まれてたような気がするゴイスーな力も消え去った。

 いやだって、ほら、さすがに、そういうのはどうかと思うのだ。
 まだ私のような初心者には早すぎるというか、心の準備が出来てないというか、さすがに無理というか。


 少女の涙を裏付けるように、きゅるきゅるきゅると可愛らしいお腹が悲鳴を上げる。
 尻の付け根から生えた尻尾は、痺れたようにピンと立ったままぷるぷると左右に震えて止まらない。

 事態は、まさに地獄の様相を示していた。
 このまま地獄の釜が開くことになったら、きっと私の中に拭い切れぬトラウマが出来てしまう。

 私は一瞬の淀みもなく猫耳少女を担ぎ上げると、手近に思いつく唯一のトイレを目指して全力疾走を開始した。




◆◆◆




 気が付くとトイレの中にいた。
 何がどうなって私がここにいるのか、細かい部分は思い出せない。


 ――――――とにかく間に合った。


 とにかくそれが全てだ。
 それだけで、私はもう他のことは全てどうでも良かった。
 後処理とかも済ませて、今はただ静かに座の上に座るだけだ。

 どうしてこんな森の奥に、お金持ちの家にしかないような高級トイレがあるのかは分からないけど、このトイレとても使いやすくていいなぁ。持って帰りたい。
 せめてこの凄く使いやすい拭き紙だけでもいくらか持っていけないだろうか……。

 なんだか頭がぼーっとしていた。
 得体の知れない虚脱感が、下半身から背の裏を抜けて、頭の芯にまで届いている感じがする。
 それがなんだかひどく心地よい感じがして、私は小さく身を震わせた。

「…………あ……」

 その、さらにその前の行為を、いつの間にか頭の中で反芻していた自分に気付く。
 なんだか急に恥ずかしくなってしまい、私は頬を抑えた。

 自分の顔が、耳の先まで熱くなっているのが分かる。
 きっと今の私の顔は真っ赤だろう。

「うー……」

 ついさっきまで、色々とされていたことを思い出した。というか、それがどういうことだったのかをはっきりと意識してきた。そうだった、私は無理矢理あんな事を…………。

 立ち上がろうとして、ハッと気付く。
 そもそも私は、着ているものは何もない、裸だった。
 トイレの外で今も待ち構えているだろう触手の怪物が、私の鎧も下着も全部溶かしてしまったのだ。

 思わず逃げ場を探すけど、あるのは格子に塞がれた窓だけで、狭い個室には逃げ場なんて無い。

「……とうしよう」

 この個室を出たら、また、変なコトされちゃうんだろうか。

 そういえば、怪物の触手の先からから、あんなにいっぱい身体中にかけられた、ヌルヌルした変な気持ちになる液体は、気が付いたらいつの間にか無くなってる。
 水みたいに乾いたら消えちゃったのか、くんくんと自分の匂いを嗅いでも、あの甘ったるい匂いはしなかった。
 あの液体と匂いを思い出すと、下半身がもぞもぞして、尻尾が痺れたみたいになる。

「……グノー、大丈夫かな」

 最後の辺りのことは、あんまり覚えてないけど、グノーはどうなったんだろう。
 自分と一緒にあの触手の怪物に襲われていた相棒を思いだして、少し気が引き締まる感じがした。

 うん。やっぱり逃げないと。

 扉を勢いよく開けて、だーっと駆けていけば、逃げられるかも。
 武器とかがあったらいいけれど、この扉の外がどうなっていたかは全然覚えてないし。

『…………なんだ、帰ってたのか』

 突然、扉の外で声が聞こえた。
 鈴を鳴らすように高く綺麗な響きの、小さな女の子の声。

『……ああ、少しは治った。うん、水差しとか、助かった…………ありがとう』

 この声は、もしかして魔女の声なんだろうか。
 100歳近いって聞いたから、しわしわのお婆さんを想像していたのに、こんな可愛い声なんて想像外。

 それに、誰かと話しているみたいだけど、相手の声は聞こえない。
 声の主は少しづつこちらに近付いてくる。

『ああ、もう……なんで道を塞ぐ。まだ身体が怠いし……お前の変態趣味には付き合わんぞ……?』

 何かが軽く叩かれるような音がして、足音がさらにこちらに近付いてきて。
 私はとっさに周りを見回したけど、やっぱり逃げ場はないままで。

『……したいから通るに決まってるだろう! ベッドの中で堪えるのも限界なんだ……だいたい、お前があんな大きな水差しを置くからだな……!!』

 扉の婿絵の少女の声に段々怒りが混ざってきて、そして足音も近付いてくる。

 ……ああ、鍵もないんだ、この個室。

 ガチャ

 そして、個室の扉が開いて、その向こうに立つ女の子が私の前に姿を現した。

 綺麗な金色の髪と、透けるような白い肌の女の子。
 寝床から出たばかりなのか、少し大きめのパジャマを着ていて、その上からは不格好なセーターを羽織り、さらに首にはあちこちほつれたマフラーを巻いている。
 風邪でも引いてるのかも知れない。驚きで丸く見開かれた目は、少し赤く充血してるし。

 私は、両手と尻尾を使って必死に前を手で隠しながらそう思った。
 知らない人に裸を見られるのは恥ずかしい。
 トイレの中でこんな格好の私を見て、この魔女らしき女の子はどう思っただろう。

「……こ、こんにちは…………」

 おそるおそるそう言うと、魔女らしき少女はただただ無言で扉を静かに閉じた。
 沈黙がとても痛かった。

『くぉぉぉぉのっ、エロ触手がァァッ!! 人が風邪で寝込んでるっていうのに、一体ナニしやがってるんだ貴様はッ! よりにもよって拉致監禁、しかもその先が人様の家のトイレとはッ! いくら貴様が下劣極まりない最低王者のド変態だからと言っても限度というものがあるだろうが!? 終いには壁に擦りつけて擦り潰すぞ軟体生物ッッ!!』

 扉の向こうで何か物凄い罵声とか爆発音とか聞こえる。
 ピシャッ、て扉に液体とか肉片とかが飛び散る音がしたので、私はそっと耳を伏せた。
 よく分からないけれど、扉の向こうは凄く怖いことになっている気がする。

 そうしてしばらくの間、連続で衝撃が壁越しに伝わってきて、やがて唐突に止んだ。

「…………?」

 終わったんだろうか。
 しばらくの躊躇の後に、おそるおそる扉を開けてみる。
 廊下は、緑色の血と肉片が、床から壁、天井にまで飛び散っている大惨事になっていた。
 そんな凄惨な場に、パタリと倒れ伏している、先ほどまで怒鳴り散らしていたと思われる金髪の少女。

 そしてそれを支えてオロオロしている触手の魔物。
 壁とかに飛び散っている血とか肉片とかは大丈夫なのか、という疑問よりも先に、その姿の方が印象深かった。

 ……オロオロしてる。

 世にも珍しい異形の怪物がオロオロする図を見ていると、触手がするすると伸びてきて私の腕を掴んだ。
 とっさに身を固くした私の脳裏に、声が伝わってくる。

《聞こえるかね? 私の考えが伝わるのなら、是非とも君の助けが欲しい》

「…………わ。……喋った」

 喋った訳じゃないけれど、目の前で蠢いていてる、いかにも知性のなさそうな異形の魔物から、ちゃんとした知性があるという明確な証拠を見せられたのは驚くべき事だった。
 トイレに連れて行ってくれたことから、なんとなく知性があるんだろうなと思っていたけれど、知性らしきものが認められるのと、ちゃんと言葉が通じるのとでは、また大きな違いがある。

《怒りすぎて倒れてしまった。病状が急に悪化したのかもしれん》

 倒れている少女を支える無数の触手は、おそるおそるという様子で額に触れたり乱れた服を直したりしている。
 よく分からないけれど、この女の子が魔女で、この異形の怪物はその魔女を大事にする理由があるのだろう。

「え、でも……私、そういうの、分からない。治療とか、グノーの、担当だったし」

 とっさにそう答えると、異形の怪物は触手でそっと少女を抱える。

《もう一人の小さい方だな? すぐ連れてくる》

 そんなことを最後に告げると、異形の怪物は触手を私に伸ばし、抱え込んでいた少女を私の手の中に預けてから、触手を押し寄せる波のように猛烈な勢いで蠢かせ、廊下を這って外へと出ていった。

 そのまま一人取り残されて、少女を見下ろす。
 たぶん、病気で疲れきっている時に魔法を使ったから、一気に体力を持って行かれちゃったんだろう。
 完全に意識を失っているようで、私がそっと手の中から床へと降ろしても、目を覚ます様子はない。

 少し考える。

 今なら、簡単に逃げられるんじゃないだろうか。
 でも、任されちゃったし、こんな小さい子を置いていくのは良くないし。

 けど、このままだと後で変なコトされるかも。
 さっきの続き……。

 また、尻尾がびりびりと痺れてきた。
 ぎゅう、と勝手に動き出した自分の尻尾を握って、喉の奥で唸る。

「うー…………」

 結局、私はその女の子を抱えて、見付けた寝室のベッドに寝かせてあげた。

 ……えっと、やっぱり、見捨てちゃ駄目だと思うし。
 グノーだって連れてこられるなら、私だけ先に逃げたら駄目だと思う。うん。










<つづく>










おまけ


 剣士の女の子の言葉に従って、慌てて少女二人組にアレなことを色々してた場所へと戻ってみると、ちっこい魔法使いの女の子の姿は影も形も残っていなかった。

 散乱していた衣服の切れ端とか武器なども、ほとんどなくなっている。
 ちょっと地面に落ちた染みやら、味わい深い匂いとかが残っているので、場所は間違えていない。

 何処へ行ったのやらと探してみると、ご本人の代わりとばかりに、私が少女二人を捕まえてアレをしていた現場のすぐ側に転がっていた木の表面に、刃物で抉るように刻まれた伝言がしっかりと残されていた。

 刻まれていた伝言はシンプルに一言である。


“コロス”


 ああ、なんか色々とカッとなっていたので完全には憶えていないが、よく考えてみるとあっちの子って、最初に触手で口を塞いでからは、あの剣士の娘さんばっかり虐めてて、ほとんど放置していたしな……。

 いや、色々と弄ったりはしていたのだが、いかんせん意識は完全に猫耳のナイスバディな娘さんの方に向けられていたわけで、割を食わせてしまった形になるあっちの娘さんには大変申し訳なかったと思っている。

 …………次に会ったときには、満足のいく結果を出したい。

 そう空に誓う私であった。







封入特典・その2
www.geocities.jp/setiunu/syokusyu/MONSTERCARD_NEKOMI.jpg



[3500] 8話「決闘!自らを賭けた戦い!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:283fc5bb
Date: 2009/05/09 04:21



 目が覚めると、見知らぬ女が私の顔が私を覗き込んでいた。

 その手の中には濡れた布。
 それが私の汗でも拭こうと額を撫でたのが、目を覚ました原因なのだろう。
 目をまん丸にして驚いていた顔が、次第に喜びの表情に変わる。

 どこか冷たそうな切れ長の瞳が、なんとも子供っぽい変化を見せるモノだと思ったが。
 それよりも先に立つ疑問をのせて、私は口を開いた。

「…………誰だ?」

 私が眉をひそめて訪ねると。
 女の頭の上に乗った二つの猫耳が、不満そうにぺたりと伏せた。




8話「決闘!自らを賭けた戦い!!」




「――つまり、侵入者を撃退したところで、ムラムラして思わずヤッてしまった、と?」

 腕組みして私を睨み付ける少女の言葉に、ぺたりとソファに身を横たえた私は肯定の意を返す。
 少なくともあの時、私は自分の衝動の赴くまま、欲望に任せて行動してしまっていた。

 あの時、あの凶悪極まりないちびっ子の魔法使いの魔法で焼き払われて、見事に生死の境界線を越えてしまったとき、私の中に存在する、ある種の感情が爆発的に膨れあがったのを感じたのだ。
 それに縋り付かなければ、私は恐らくそのまま境界のその向こう、いわゆる天国の階段を登ってしまっていたに違いない。

「いや常識的に考えて地獄だろうお前の場合。よくても魔界か異界か海の果てだろーが」

 睨む目を緩めずにヒルダが吐き捨てる。
 なんだかよく分からないが、本日のヒルダはご機嫌斜めである。

 だが機嫌を直して落ち着いて考えて欲しい、私の日頃の行いは、自分で言うのもなんだがとても善行に満ち溢れているではないか。

 なにしろ毎晩ヒルダを天国に逝かせてグシャァッ

「……踏み千切るぞ変態触手」

 踏み千切った後にそう言うと、ヒルダはトドメとばかりに一発私に蹴りを入れた。
 オマケとばかりに千切れた触手をポイと蹴り飛ばされたので、触手で掴んで繋ぎ直す。

 なるほど、たっぷりと休養もとったし、剣士ちゃんと私の共同作業で作り出した風邪薬を飲んだこともあって完全に風邪のダメージからは回復したようである。
 とても元気に溢れている様子だ。

「毎晩?」

 耳をぴこっと揺らして剣士ちゃんが小さく呟いた。
 いや、疑問系だからもしかして真相を聞いているのかも知れないが。

「お前もいらんことを聞くな!」

 勢いよく反応したヒルダが両手を振り上げて吠えると、剣士ちゃんは慌てて真面目な顔のままぺこぺこと頭を下げて平謝りしていた。
 さすがの私も同じ目に遭うのは恐ろしいので、ベッドの上で毎晩私に見せてくれヒルダの淫靡なる姿の数々についての解説は諦めよう。

「……いんび」

 尻尾を何故かピンと立てた剣士ちゃんがマジマジとヒルダを見る。
 みるみる可愛らしく朱色に染まったヒルダは、何故かテーブルに立てかけられていた麺棒を手に取ると、勢いよくそれを私めがけて振り下ろした。

 過激な照れ隠しもあったものである。
 この一撃一撃が、きっと彼女にとっての恥ずかしい記憶と同等の重みがあるに違いまい。
 それだけ私がヒルダを恥ずかしい目に遭わせてしまったということで、こうして叩かれるのも、愛ゆえの罪と言えるのかもしれない。
 いやむしろこの痛みこそが愛というか……

 えぇと、その、なんだ、さすがに私の外観がすっかり変形するほど連続して叩くのはやりすぎだと思うのでそろそろ勘弁して欲しい。
 なんだか衝撃で自分でもなにを考えてるのかよく分からなくなってきたし、この調子だと変な回路が繋がってしまいそうなのだが。

「…………少しは反省しろバカ」

 唇をへの字に曲げてそう言うと、ヒルダは麺棒をテーブル脇に戻した。
 とりあえず落ち着いてくれたようである。

「……大丈夫?」

 とれあえず一連の動作が終わったのを見計らって、おそるおそる剣士ちゃんが聞いてくる。
 良い子だ。

「どーせすぐ元に戻る。……ほら」

 まぁ、確かにヒルダの言う通り元に戻るのだが。

「わ。…………ゴム人形みたい」

 ゴム人形がどういうものかは知らないが、それはさぞかし不屈の魂を持っているのだろう。一度はお目にかかりたいモノである。

 ところで、先ほどから話が最初の流れから完全に脱線してしまっていることについて、お二人はいかにお考えだろうか。
 そもそもヒルダの要望により、事の経緯の説明をしていたはずなのだが。

「ごめん」
「……お前が変な風に話を持っていくからだろうが。さっさと続けろ」

 ちなみに、私の触手はヒルダと剣士ちゃんの腕に、それぞれ軽く巻き付けてある。
 なんだか妙な構図だが、私に口を作って発声する機能がないので仕方あるまい。

 ホントはテーブルの下で脚に巻き付けた方が見栄えが良いのだが、ヒルダが剣士ちゃんに、触手に目を作って下から覗いてくるそなどという誹謗中傷を行ったのでこうなってしまったのだ。
 まぁ、覗いても思考がだだ漏れなので丸分かりなのだが。

「……で! 死にかけて、よくわからない衝動に身を任せた、と!!その後はどうなったんだ?」

 落ち着かなげに腕を組んだり戻したり、太股をもぞもぞ揺らしたりし始めた剣士ちゃんを放置しつつ、ヒルダが力強く話を急かす。

 ちなみに、着替えなどない剣士ちゃんは、ヒルダの衣装を借りて着ている。

 布のあまっている大きめのローブを借りているのだが、さすがに下着の方はサイズ的に下だけ借りるのが精一杯だったらしく、胸の方は下着無しなのだそうだ。
 そんなわけで、布の下からもはっきりと分かる二つの豊かに盛り上がった半球は、本人の恥ずかしさなどお構いなしでこれでもかと自己主張をしていた。

 それに丈がどうしても足りなくなってしまうローブなど、先ほどから白い太股がチラチラと見えて実に胸が躍る。私には胸なんてないけど。
 まぁ、それでもさすがにその奥まではローブのお陰で覗くのは困難なので安心して貰いたい。

 さすがの私も、人前でいきなりローブの中に触手を潜り込ませたりは…………ふふふ。

「……え、ぅ」

 おお、剣士ちゃんが一生懸命脚を閉じてローブの裾を抑えている。

「だから、話を進めろと言ってるだろうが、このセクハラ大魔人がっ!!」

 力強いキックが私の目を抉った。
 ぐぉぉぉぉぉ!? キックで目を狙うとは、なんて恐ろしい攻撃方法を……っ!!

「うー」

 耳を伏せた剣士ちゃんが不満そうに唸ったので、とりあえずこの辺で止めておこうと思う。
 なんか真面目な子なので虐めたくなってしまうのである。

「もうさすがに突っ込まんぞ? とにかくその話は良いから、次はどうなったんだ、次は」

 うむ。
 その後は、死霊の森の霧を吸い込んで白くなって、触手を人間の形に変えて物量作戦でこの剣士ちゃんとちっこい魔法使いの二人組をやっつけたのだ。
 しかし、それで余計に疲れたというか、こう、飢えに飢えてしまってな。
 元々一回殺されかけたので腹に据えかねていたのもあって、いったん捕まえてしまうと、若さのたぎりが抑えられないというか、勢いが止まらずに凄い勢いで襲いかかってしまったというか。

「待て、今ものすごく重大なことをさらっと言わなかったか?」

 一回殺されかけた件か?
 それはもう別に良いのだが。無事に生き返ったし。

「そっちじゃなくて、霧を吸い込んで白くなった件だ。今は普通に以前と同じ色してるだろう?」

 ああ、なんだか色々あって元に戻ったのだ。
 きっとあれは神様がくれた贈り物だったんだろう。

「きっと陵辱と淫行とセクハラの神だな」

 まぁ、助けてくれるモノなら何でも良いではないか。今も無事なんだし。

「……あのなぁ。どうやって死霊を吸収して自分の力にしたかとかはどうでもいいのか? 言っておくが、そんなことが出来る魔物なんて聞いたことがない。恐ろしい力だぞ、それは」

 本人が恐ろしくなければ問題無しだ。
 しかもちゃんと元に戻ったとなれば、更に問題無し、むしろラッキーではないか。

「ホントにお前、自分の存在に疑問を抱かないな……。まぁ、別に良いんだが」

 自分の存在など、触手がちゃんと自分の思い通りに動いて、他者にコミュニケーションをとる手段が確立されていさえすればそれで十分である。
 私は触手が動かせなければ満足に飢えを凌ぐことも出来ないし、だからと言って、あまり一方的に飢えを満たすというのもどうかと思うじゃないか。

「最初のアレは、一方的じゃなかったとでも言うつもりか?」
「……私も、一方的だった、……と思う」

 二人がかりの不満そうな視線。
 なるほど、コミュニケーションの前提条件がそもそも性的な意味で接触することなのだから、先ほど口にした、私の希望は必ずしも満たされていないのか。

「そっか。…………大変、そう」

 うむ、大変なのだ。
 剣士ちゃんとは最後まで突入してないものの、なんとか無事に意志疎通が出来るようになったのでとても助かった。君には感謝の言葉を贈りたい。
 ヒルダのことを任せて家に残しちゃったときは、帰り道でもしかして逃げちゃってるんじゃないかとか気付いて少し慌てたのだが、ちゃんと残ってヒルダの看病してくれてたし。

「……別に、いい」

 謙虚な娘さんである。
 そんな耳まで真っ赤にして照れなくても良いのに。

「なんだ、途中で止めたのか? ずいぶん珍しいな」

 うむ、それはなんというか、深いわけがあったというか、色々あってだな。
 あわやというところで、泣いて嫌がる彼女への罪悪感から正義の心に目覚めてしまったのだよ。

「そ、そう。危ないところで止めてくれた」

 ほら本人もそう言っている。
 私が動きを止めそっと彼女を降ろしお互い和解を果たす。実に感動的な一場面だった。

「私が泣いて嫌がっても必死で止めてくれと嘆願しても、抵抗する気力が無くなるまで徹底的に、それはもう喜々として何度も何度も繰り返しありとあらゆる場所をヤリまくったお前が?」

 …………過去の罪を見て悔い改めたのだよ。

「あ、ありとあらゆる場所……繰り返し繰り返し何度も…………」

 耳をピンと立てた剣士ちゃんが、頬を真っ赤に染めたままぼそぼそ呟く。

 いやいや剣士ちゃん、あまりヒルダの艶姿を想像してはいけない。
 さすがに本人の前で、まだ○○○○な■■■を▲▲で××られて、同時に●●に▲▲▲▲を◎◎◎しながら◇◇◇◇される所を想像するのは可哀想ではないか。

「………………」

「頼むから無言でマジマジと私を見るな。いい加減突っ込むのも面倒くさくなってきたから」

 それなら私をスムーズに麺棒で平面にかえる作業も面倒くささに任せて止めて欲しいのだが。
 女の子と自分の痴態を思い出して照れてしまうのは分かるが、そもそもヒルダが生々しく過去のことを言うから、私もついあの時のことを鮮明に思いだしてしまったのだ。

 やはり最初の出会いの記憶というのは忘れがたいもの。
 だから多少君にとって恥ずかしい思い出でも、私の記憶に残るのは許して欲しい。

「…………なにを上手いことを言ってるか」

 そう言いながらも、誠心誠意の説得が通じたのか、ヒルダは攻撃を止めてくれた。

「いい加減話が進まんからな。……今度またいらんこと言ったら、平面にした後に魔法でこんがり焼いて、ホットケーキ的なものに変えてやるからな?」

 そして美味しく頂かれるという訳か。
 むしろ私は美味しく頂く方の側でありたいと思うので、それは勘弁したいところだ。

 よし、妙な雲行きになる前に話を続けよう。

 その後、色々あって私はヒルダに飲ませる風邪薬を作る手伝いや、ヒルダの看病などの手伝いをこの剣士ちゃんにお願いして、今に至るという訳なのである。

「それが、なんでそこの女はトイレに入ってたんだ? 全裸で」

 色々あったのだ。

「うぅぅぅぅぅ~~~~」

 なんだか剣士ちゃんが熱暴走気味に唸り始めたので深くは追求しないであげて欲しい。
 好都合なことに先ほど自分にとっての恥ずかしい過去を明かされることの恥辱は味わったばかりであるし、同じ痛みを知る者として剣士ちゃんを守ってあげようではないか。

「…………まぁ、いいが。どーせロクでもないことを聞かされるだけのような気がするし」

 聞くも涙、語るも涙だ。
 それはそれとして、風邪薬とか看病とかは本当なので、少しは感謝するように。

「意識のないうちにしたことを言われてもな」

 口移しで風邪薬を飲ませて貰ったりもしたというのに、そんな言いぐさはないだろう。

「……ナニをさせてるんだお前は」
「ちょっと恥ずかしかった」

 昨晩のことを思い出して、剣士ちゃんが指先で唇を押さえて赤くなる。
 薬を飲ませるのに無理矢理起こすのもどうかと思ってお願いしたのだが、実際目の前でやられるとなかなか目に毒な絵面だった。

「…………そこは普通に起こせ。たかが風邪なんだから……まったく」

 実際のところ、昨晩は私もちょっと気が動転していたので勢い余って色々とやりすぎてしまったのだが、これもひとえにヒルダの無事を祈ってのことだったのだから、そうプリプリ怒らなくてもいいだろう。
 昨日は、怒ってる最中に目の前でいきなり倒れたので、ちょっと怖かったのだ。
 多少やり過ぎてしまったが、それはどちらかというと私が動揺していたせいであって、決して面白がってやったわけではない。

「…………それぐらい分かっやるから、いちいち恩着せがましいことを言うな、まったく」

 口をへの字に曲げたヒルダは、そう言った後、一度息を大きく吐いて「ありがとう」と言った。
 素直になれないお年頃なのであろう。

「…………お前も、うちのバカに付き合わせて悪かったな。えぇと…………」

 私の感想をスルーしつつ、剣士ちゃんの方にも礼を告げる。
 その途中で、ふと怪訝な表情を浮かべると、ヒルダは私の方を見た。

「お前。さっきから剣士ちゃんとしか呼んでないみたいだが、そもそもこのフェルパーの娘の名前はなんというんだ?」

 言われてみるともっともなその疑問を受け止め、私はしばし熟考してみた。
 剣士ちゃんの名前か。
 なるほど、言われてみると私もそれを聞いた記憶がない。

 私は、触手の連なる中央に大きく作り出した眼球を、まっすぐに猫耳の剣士である少女に向け、腕に繋いだ触手を通じて語りかけた。

 というわけで、君の名前はなんなのだろうか。

「…………うーーーー」

 何故か、ぺたりと耳を伏せて唸られた。
 じとーっと睨む瞳の端にうっすらと涙が浮いてるのは何故だろう。

「お前、名前も聞かないでずーっと相手してたのか。酷いヤツだな、まったく」

 別に必要ないと思ったから聞かなかったのだが。
 私にとっては彼女がどんな人物であるか理解していれば十分だと判断したのである。
 または、うっかり聞き忘れていたとも言う。

「……ネコミ」

 剣士ちゃんは、頭頂の猫耳を伏せたまま、ボソリと呟くように小さな声で教えてくれた。

 ふむ、ネコミか。

 名は体を表すという言葉通り、猫っぽくて可愛い名前である。
 ベッドの中で寝込んでいそうな名前ともとれるが、本人はいたって元気なので問題はなかろう。

 というわけで、ありがとうネコミ。
 そもそもの目的がヒルダを襲撃しに来たはずだったらしいのに、何故かヒルダの風邪薬作ったり看病のやり方を教えて貰ったりと色々と助けられてしまった。
 お礼はそのうち、私の体を使って払おう。

「…………よろしく」
「いや、なんでそこで“よろしく”なんだ? 反応がおかしいだろ常識的に考えて」

 うむ。その疑問の答えは、そのうち私の体を使って教えよう。

「私まで巻き込むな!」




◆◆◆






「…………まったく、人の気も知らないであちこち勝手にほっつき回って」

 息を吐いて、たった一晩でもうほつれ始めているセーターを脱ぐ。
 少し汗を吸ってしまったが、乱暴に扱うのも気が引けて、畳んでマフラーの下に置いた。

 ネコミと名乗ったフェルパーの娘は、応接室のソファで今頃丸くなっている。
 朝食に干し魚とスープを出してやったら、尻尾を振ってパクついた挙げ句、眠気に襲われて欠伸までしはじめたので、休ませてやることにしたのである。
 それも当たり前で、呆れたことにあの娘は触手に付き合って一晩中私を看病していたらしい。

 死霊を避けて森深くまで進入したことといい、あの触手を一度は始末した腕といい、間違いなく一流どころの冒険者だろうに、どこか抜けた娘だ。
 本気で憶えてないのか、それともしらばっれているのか、どこからの依頼で私を狙いに来たのかは答えなかったが、それなりに私の悪名は聞いているだろうに。

 …………いや、本気で知らないのかもしれないが、あの様子では。

 パジャマのボタンを上から一つ一つ外していき、籠の中へと放り捨てる。
 このパジャマも、ずいぶん古いものだからか、あちこち生地が傷んできている。
 そもそも生地が厚すぎて野暮ったい上に、ずいぶん長いこと倉庫にあったものなので、さんざん洗ったにもかかわらず、古着独特の匂いが抜け切れてないのだ。

 小さく自分の二の腕の匂いを嗅ぐ。
 やはり丸一日以上ベッドの中で寝て過ごしたせいだろう、汗の匂いが肌に染みついている。
 長い髪にまでそれが染みついたその独特の臭いに私は顔をしかめた。
 エロ触手にさんざん破られたせいで、あれぐらいしか寝間着が残っていないから仕方がないのだが、そろそろ街にでも出て新しいものを買ってきた方がいいかもしれない。

 そういえば、あのバケモノは衣装についての審美眼はないんだろうか。
 ちょっと甘い顔をしたらすぐに野獣の如く襲いかかって服の下に触手を潜り込ませてくるし、もうちょっとゆっくり手順を踏んでもいいだろうに。

 いや、手順を踏んでも一緒か。あれじゃあ。
 あの触手の塊に愛の言葉など囁きかけられるのを考えると怖気がする。

 自分の想像に首を振り、下着に手をかけ、引き下ろす。

 胸を覆う下着は、普段は身に付けない。
 決して皆無というわけではないが、私の胸の二つの膨らみは、女として振る舞うにはずいぶんと慎ましやかであるのは自覚している。
 まぁ、つまり、それを身に付ける必要があるほど胸がないのだ。

 身体の年齢にしては胸は大きい方だと思うのだが、これ以上の成長が望めないのも確かである。
 こればかりは、魔女となることを選んだ自分のせいなのだからしょうがない。

 しかし、あのフェルパーの豊かな胸を見ると、どうしても羨む気持ちが生まれてしまう。
 やはりあの触手も胸が大きい方が色々と喜ぶのだろうか。

「…………いや、アホな考えか。どっちにしろ好き放題するに決まってる」

 籠の中に手の中の下着を放ってから、私は風呂場に通じる戸を開いた。

 魔法技術を編み込んで私が作り出したその風呂場には、服を脱ぐ前に起動させた術式に従って、すでに浴槽に程良い暖かの湯が張られている。
 狭い風呂場の中には、湯船から出た薄い湯気が立ちこめていて、薄い熱気に包まれていた。

 染みいるような熱が裸の肌に触れる感触が心地良い。

 浴槽の側にかがみ込み、湯船に指先で触れると、思ったよりも少し熱い。
 木桶を手にとって、湯船を割って数度かき回すと、それは程良い暖かさになっていく。

 そのまま木桶の中に湯を掬い上げて、身体にかけようとしたところで。

 背後で戸の開く音がした。

 足音の代わりに聞こえる蛇の這いずるようなかすかな湿った音と、無防備に晒してしまっている私の背筋から尻までを、撫でるように舐め上げる無数の視線。

 振り返るまでもなく、視界の端から無数の触手が壁を這って伸びてくるのが見える。

 その一本が私の腕に絡み付いてきた。
 それ以外の触手は、まるでお預けを喰らった犬のように、舌の代わりに触手の先を物欲しげに揺らしながら風呂の壁から私にその先を向けている。

「…………風呂に勝手に入り込んでくるな、スケベ」

 木桶を浴槽の側に置き、息を吐いて振り返る。

 そこには、風呂場の入り口から触手を無数に生やした怪物が、蠢き続ける幾重にも絡み合った触手の先に、生やしたその無数の眼球で私を見ていた。
 怪物は器用に触手をくねらせながら風呂場の中へと自分の体を潜り込ませると、その触手の一本を使って風呂場の戸を静かに閉じる。

 さすがに裸をまじまじと見られるのは恥ずかしく、自分の身体が固くなるのを感じた。

 風呂場はそれほど広くなはない。
 この触手の魔物が風呂へ入ってきただけで、部屋の半分ほどを触手が覆っていることになる。
 外へ繋がっている窓にかけられた格子は、人の出入りのできるものではないから、出口もなし。

 どう見ても、この触手の目的は一目瞭然だ。

「風邪のせいで風呂にも入ってないのにベットでは汗だくだったから、いい加減に気持ち悪いんだ。そーいうことをしたいなら、せめて後にしろ、後に」

 それだけ言って、触手から視線を逸らし、風呂桶を持ち上げる。
 するりと伸びた太い触手がその腕を捕まえる。

『まぁ、待って欲しい』

 風呂桶の中の湯が、斜めに傾いた風呂桶から湯船へと落ちる。
 別の触手がするりと伸びると、風呂桶を私の手の中から奪い取った。

「……おい、しつこいぞ」

 獲物に襲いかからんと鎌首をもたげた触手を軽く睨むと、触手は先端の眼球を小さく収縮させながら少し後ろへ引く。
 だが怯んだのも一瞬だけで、蠢く触手の奥から大きな眼球が開き、私をじろりと直視した。

 舐めるように上から下へと探るその視線に、私はとっさに前を隠し、拳を振り上げる。

『すまん、さっきは平静を装っていたがぶっちゃけ物凄く飢えてるのだ。ネコミを襲ったとき中途半端で止めてしまったのもあるが、なんかあの二人組をとっちめる時にえらくエネルギーを使ったみたいで、こう、黙っていると頭の中がアレな感じになって落ち着かないのだ』

 さすがに先ほどさんざん殴られたのに懲りたのか、慌てたようにそんな思考が伝わってくる。
 私は溜息を吐くと手を下ろした。

「……別に、嫌だとは言ってない。ただ…………」

 その言葉を喜ぶように、太く吸盤のたっぷり張り付いた触手が私の腰へと絡み付いてくる。
 触手から溢れた粘液が腰をなぞる感触に、勝手に身体が震えるのを感じる。

「まっ、待て! 風呂に入ってないってさっき言っただろう! せめて汗を流した後にしろっ!!」

 触手の先を慌てて振り払ってそう言うと、触手は揃ってピタリと動きを止めた。
 まるで触手同士で相談しているように先端をうねうねと揺らすこと数秒。

『それはそれで』

「こ、このド変態がーーーっ!!」

 一度勢いに乗られてまえば、裸で逃げ場もないこんな状況で、抵抗できようはずもない。

 今度こそ本気で一斉に襲いかかってきた触手の群に私はあっけないほど簡単に手足を絡め取られ、蠢く触手の渦中へと引き寄せられて、百を越える無数の触手による抱擁を受けた。

 無数の触手が競うように身体の要所をつつき、たっぷりと粘液にまみれた赤黒い分厚い触手が舌のように柔らかく表面で、味わうようにゆっくりと肌を舐めていく。
 身体を流そうとした湯の代わりに、触手から分泌される粘液が私の肌に塗りつけられていくと、次第に肌の芯に痺れが走るようになっていくのが分かる。

『なるほど、これが“味”と“匂い”いうものなのだな。こうしてじっくりと嗅いだり舐めたりしてみると、確かにはっきりとその存在を感じとれる。……これはなかなか』

 赤黒い分厚いその触手が舌の代わりなのか、ことさらゆっくりと私の肌を責めているそれは、まるで味わうように胸から脇までをじっくり舐め上げていく。
 そして、鼻の代わりなのだろう、先端に細い線のような隙間のある、数本の太い触手が、どこか鈍重にうねりながら私の体のあちこちにその先端を押し付けていた。

「ん……くっ…………ど、どこをっ、……舐めてるっ、この、変態……! っつ……やっ、やめろっ……! そ、そんなとこ、嗅ぐな……この……んっ、く……ぁっ!」

 割り開かれた左右の足の付け根にそれが押し付けられてくる。
 直接そこの匂いを嗅がれる恥ずかしさに耐えかねて私が口を開くと、鈍重なその触手はそろそろとそこから離れた。

「……ん……はぁっ、…………そうだ、それで……ひゃぅっ……そ、そこは……やめ……っ!」

 代わりに、赤黒く分厚い触手が、背をなぞりながら、尻の線をなぞり、そこへ到達する。
 その先端を細く尖らせながら、無理矢理開かされた私の足の付け根を激しく何度も往復させるように舐め上げてくる感触に、私は悲鳴を上げた。




◆◆◆






 部屋の隅にある窓の外からは、薄赤くなった外の風景が見えている。
 私が目を覚ましたのは、夕方頃になってのことだった。

「……目がショボショボする」

 変な時間に寝起きしたからだろうと結論づけて、顔を洗おうとふらふら立ち上がる。

 部屋から出て一階にある井戸の方に、なんてことを思いながら数歩を歩いたところで、私は自分が今いる部屋がいつも過ごしている冒険者の宿ではないことに気付いた。

 しばらく呆然と立ちすくんだまま目を瞬かせていると、窓の外に動くものが見えた。
 当然、窓の外は見知った街並みではなく、そこにあるのは平原と、その向こうに広がる一面の森。
 その平原にポツンと置かれた物干し台から、触手の怪物が洗濯物の取り込みをしている。

 左右に広げた触手を器用に使ってシーツを小さくはたいてから綺麗に折り畳んでいく様は、とても慣れている様子で、なんだかそれが当たり前の光景のような錯覚を感じてしまう。
 しばらくの間、私は自分が異世界に入り込んでしまったような錯覚を感じながら、その奇天烈な光景をぼんやり見ていた。

 トン、と音がする。

 振り返ると、部屋の出入り口の扉が開いていて、自己紹介の後にヒルデガルデと名乗ってくれた、綺麗な金色の髪の魔女が立っていた。
 裾にレースの装飾の入った黒のワンピースがとても似合っている。

 さっきの音はそこから出したのか、小さな手の甲を樫の扉に当てていた。

「おはよう。ゆっくり眠れたか?」

 子供だと思っていたけれど、本当は長生きしているので私よりずっと年上なのだという。
 そういえばグノーもそんなことを言ってたけれど、本物を見るとあんまりそんな気がしない。

「……うん」

 小さく頷く。
 その後になって“はい”の方が良かったかな、とちょっと反省した。

「それは何よりだ。……それで、これからどうするつもりだ?」

 首を傾げてそう訪ねるヒルデガルデさん……ヒルダさん、に、私も首を傾げて応える。

「いや、なんでそこでお前が首を傾げる」
「あ」

 いけないいけない。
 一人で行動するのが久しぶりだったから、どうするのか聞かれるのって慣れてない。

 逃げちゃったっていうグノーはどうしただろう。
 しっかりしたグノーのことだから、あんなことがあった後でもちゃんと街に帰れただろうけど、一緒に付いていけなかった私のことを心配してるかもしれない。

「えぇと……街に帰って、グノー……相棒の魔法使い、と、合流する」

 そう答えると、ヒルダさんは「そうか」と答えて私が眠っていたソファに深く腰かけた。
 まるで大人の女の人みたいに脚を組んで膝の上に手を置いて、細めた瞳で私を見る。

「それで、また私を狙いに来るのか? 冒険者のお嬢さん」
「ヒルダさん、は、悪い人じゃない」

 呼び方は来れて良いかなと思ってヒルダさんの顔を伺う。
 少し不機嫌そうだけど、オホンと咳したりしてないから、たぶんこれで良かったんだろう。

「悪い子じゃないのに捕まえるのは良くないから、もうしない」
「…………じゃあ、やっぱり本当は私が悪い子だったら?」

 急に意地悪く笑いだしたヒルダさんは、少し不思議な感じがした。
 なんだか構ってもらいたい子供みたいなことを言うな、って思いながら、ちょっとだけ首を傾げる。

「怒ってる?」

 訪ねてみると、ヒルダさんは苦虫を潰したような顔になった。
 やっぱりなにか怒ってたんだろうか。自分の耳が伏せてしまうのを感じる。

「……ちょっとな」

 そう言うと、ヒルダさんは組んでいた足を解いて、ソファの上で大きく伸びをした。
 しばらくそうして反らした体を震えさせてから、ゆっくりと力を緩める。

 そうして、両手をだらりとソファの上に載せてから、不意に私を細めた目で睨んだ。

「お前達、アイツを殺しただろう?……そりゃ、結局生きてたが」
「…………うん」

 あの時は、絶対に殺さなきゃいけないと思ったから殺した。
 今は、あの時に感じた、本能に響く激しい警報はもう鳴っていない。

「アレが死んだままだったら、私はお前達を殺していたろう」

 冷たい目が私を睨み付ける。
 怖いと思ったけど、それよりも申し訳ないという気持ちの方が強かった。

「……ごめんなさい」

 へなりと垂れた尻尾には、まるで力が沸いてこない。

「はぁ……もう、いい。……調子が狂うな、まったく」

 溜息を吐くと、ヒルダさんは手の平をぱたぱたと振って話を打ち切ってしまった。
 そうして怠そうに自分の腰に両腕を当てて、腰を反らしながら軽く揉んでいく。

「…………寝過ぎ?」
「ん?」

 私の漏らした質問に、ヒルダさんが顔を上げる。

「身体、怠そう」
「…………ああ、いや、これはまぁ…………そうだな、寝過ぎた」

 コホンと小さく咳をすると、ヒルダさんは慌てるようにソファに腰を落として座り直した。
 でも、咳をしたということは、なにか私は良くないことを言ってしまったらしい。

 なんだかよくないことばかり言ってしまう。
 少しいたたまれない気持ちで外を見ると、いっぱいあった洗濯物は全て無くなっていて、真っ赤な夕陽が森の奥へと沈んでいくところだった。

「もう日が暮れる。いくらフェルパー族が少しは夜目が効くと言っても、深夜に死霊の彷徨うあの森を出るのはお前には無理だろう。悪いことは言わないから、今夜は泊まって行け」

 ヒルダさんが、私の方をちらりとだけ見てそう言ってくれた。
 この家にお泊まり、という言葉には、ちょっとだけ心が動かされるものを感じる。
 尻尾が揺れるのを感じて、後ろ手にそれをぎゅっと握った。

「帰る。グノーが心配するから」

 冒険者は、仕事を終えて帰還するときは全員一緒に。

 グノーがそう言ったワケじゃなくて、その言葉は私とグノーが寝泊まりしている、冒険者の宿の酒場の壁に飾られている、誰とも知れない人が壁に彫り込まらた言葉だった。
 それを見付けたとき、下手くそな字だとグノーは笑ったけど、私はその言葉が好きになった。

 だから、やっぱりちゃんと街に帰って、グノーを安心させたい。
 みんなで帰るまでは仕事はちゃんと終わってないから。




◆◆◆






 死霊使いの森が夜の帳に覆われると、闇の中に棲む死霊たちが、その姿を現す。
 声をかければ殺されて、目が合えば殺されて、触れられると殺される。
 見たら逃げろ。
 すぐに逃げないと、殺される。
 すぐに逃げないと、怖しさに気が狂う。

 近くの街で聞いた、この死霊使いの森のことを示す歌だ。

 その歌はこのうえなく真実を示していると思う。
 夜の森の中、うっすらとしか見えない森の木々の奥に、立ちすくむ蒼白い肌の人の姿が見える。
 何人も、何人も。

 その中に、兵士や騎士の姿が混ざっているのを見て、先日戦ったあの無数の兵士達が、間違いなくあの死霊達の姿だったのだと確信した。
 けれど、よく見てはいけない。
 視線はまるで感じなくて、まるで等身大の人形の群のようだけど。
 だからこそ、ひどく薄気味が悪かった。

 尻尾を逆撫でされるようなおぞましい危険の予感があるのに、人の形をしているのに、無数に立ちすくむ死霊達は、どうしてあんな、モノのように気配や意志が欠けているのだろうか。

 私は、無意識に手元にある触手を強く掴んだ。

『そう心配することはない。どうせ、私達にはなにをしてくることもないのだからな』

 そんな思念が伝わってきて、私の手に触手の一本がくるりと少し強めに巻き付いた。
 昨日に押し倒されたときみたいな粘液は出てない。
 ただ、生き物の暖かさがありがたくて、私はその触手を強く握った。

「ありがとう」
『どういたしまして』

 言葉に返される、裏表のない思念が嬉しい。
 時々ちょっと恥ずかしい事を考えるのが分かってしまうのが困るけど、この触手の魔物さんとの奇妙なコミュニケーション方法ははなんだか好きだった。
 あまり言葉を交わすのは得意じゃないから、かえってそう感じるんだと思う。

 森に生い茂る木々の闇に紛れるように、無数の触手が木々の隙間を練っていく。
 そうして道を確かめながら固く太く変形させた触手で、地面を踏み込み、後方へと蹴る。

 まるで数千の脚を持つ巨大な騎馬のように、触手さんは森の中を駆けていた。
 その触手に掴まえられて、私は死霊の森を抜けようとしている。



 多少の危険があっても死霊使いの森を抜けて街へ戻ることに決めた私を、触手の魔物さんは森の端まで送ってくれると提案してくれた。

 とても申し訳ないので断ろうと思ったけれど、ヒルダさんが、そうしないなら「出ていくことは許さん」と宣言したので、それならばと厚意に甘えることにしたのである。
 事実、森の端まで半分を越えたところで急激に増えだした死霊の群れの姿に、私は自分一人で森を出ようとしたらどうなっていたかを思い、身震いすることになった。

 死霊使いの森は深く、決して森での暮らしが長いわけではない私にとっては、まっすぐに道を進むことは難しい。
 だが、死霊の影は、そのような心配が無意味であることを証明するかのように、光の下で作られる影法師のように、どこまで行っても付いてくる。
 本当に、逃げることが出来ないのだ。

 それに、あの人影の中に兵士を見るたびに、昨日の戦いの、あの無尽蔵に増える肉体を持つ死霊の群れによって徹底的に蹂躙された敗北の記憶が蘇ってしまう。
 無数の腕に取り囲まれて押さえつけられていくあの恐怖が蘇ると、私は途端に身体が石のように固くなって、立ち向かうことも逃げ出すことも出来なくなってしまった。
 次第に息が苦しくなって、死霊達から目が離せなくなり、やがて死霊たちの、あの空洞しかない眼窩の奥にある、底のない視線が私へと向けられるような気がして。

 そこで、触手さんにお尻から尻尾までを撫でられて我に返った。

 その後ちょっと暴れてしまったけれど、おかげで私はなんとか自分を取り戻した。
 それからは、触手さんの背にじっと乗せられたまま移動を続けている。



『……もうそろそろ森の端だ。この先は死霊が多いから目を閉じると良い』

 少し迷ってから、私は触手の魔物さんの言葉に従って目を閉じた。
 もしも急に揺れたりしても落ちないように、事にしっかりと巻かれた太い触手を握る。

 それからしばらく、真っ暗闇の中、ただ触手さんの太い触手が地面を蹴る振動だけが続いて。
 背筋が冷えるような無数の視線をどこからか感じた気がして。



 そして頭をぽんぽんと撫でる感触と共に、到着を告げる思念が聞こえた。

『お疲れさま。ここで死霊の森は終わりだ』

 目を開けると、どこまでも続いているように見えた鬱蒼と生い茂る木々はなくなっていた。

 立ってるのは丈の高い草が生い茂る平原。

 振り返ると、斜面に沿って木々がまばらに生えている森の入り口に、触手を風に揺らしながら、大きな単眼をその中央に作り出して、触手さんが真上を見上げている。
 釣られて視線を上へ向けると、木の枝に覆い隠されていた天井は空けて、星空が見えていた。

 ここは死霊使いの森の外なのだと実感する。
 なんだか、あっという間だった。

 ぼんやりと空を見上げていると、腕に触手がそっと絡み付いてくる。

『別れる前に、これを。ヒルダから渡されるように言われた』

 その体の何処に隠していたのか、触手さんが自分の体の奥に触手を潜り込ませると、ずるりと一本の長剣を引きずり出した。
 きちんと鞘に収まった、装飾もない普通の長剣。

『あの刀は無くなっていたし、剣士は武器が無いと心細いだろうと。たいしたものじゃないから返さなくて良いそうだから、安心して受け取って欲しい』

 私の手元まで差し出された剣を、両手で受け取る。
 鞘から少しだけ抜いてみると、抜き出された刀身は星明かりを反射して薄く光る。
 きちんと磨かれている、良い剣だった。

「ありがとう。……ヒルダさんにも、ありがとうって」
『伝えておこう』

 そう答えると、触手さんは私の腕に巻き付けていた触手を解いて、私に向けていた目を閉じた。
 触手の先で茂みをかき分けながら、死霊使いの森へと這っていく。

「……あ」

 私は、とっさに遠ざかっていく触手の一本を掴んだ。
 手の中の柔らかい感触と一緒に、動きを止めた触手さんから思考が伝わってくる。

『どうしたかね?』

 どうしたんだろう。
 自分でもよく分からないけれど、このままじゃダメな気がした。
 触手さんの体の中央に再び大きな眼球が生まれて、私にまっすぐ視線を向けてくる。

「あ、う、……あの」

 何か答えなきゃいけないと思いながら、慌てるようにして周囲を見回す。
 自分の中で何が引っかかっているのかを必死に思い出す。

 ついさっき渡された剣が目に入った。それと、昨日の敗北の記憶。

「……あの、勝負。……まだ、終わって、……ない」

 口をついて出たのは、そんな言葉だった。

 不思議そうに、大きな眼球が瞬きする。
 触手の先に生まれた小さき眼球が、お互いに不思議がっているかのように向かい合わせで先になって先端をくねらせるように踊っている。

「勝負したい。もう一回」

 そう言って、ついさっき渡された剣を片手で抜いて鞘を落とす。

『昨日のことを気にしているのだったら、あの時は私の幸運で拾ったような勝利だったことだし、気にする必要はないと思うのだが。それに私は無益な争いは好まないし、何よりも痛いのは嫌なので斬ったはったは可能な限り遠慮したい』

 私が剣を向けたというのに、触手さんはなんだか凄く嫌がっている様子だった。

 それはちょっと困る。
 たぶん私はもう一回この触手さんと戦って、あの時の、戦いが本当に怖いと思った気持ちを、吹っ切らないといけないのだ。
 だから、やる気を出して欲しいと思って、一生懸命次の言葉を考える。

「……負けたら、なんでも言うことを聞く」

 ぼそ、と私が言うと、触手さんは困ったようにうねくらせていた触手の動きをいったん止めた。
 そしてしばらく震えるように触手を震わせると、ぺたりと地面に垂らして、私に思念を送る。

『そこまで言うなら、ちょっとだけ』

 ちょっと消極的な返事だったけど、私はその言葉に頷いて、掴まえていた触手を離した。
 するすると触手を戻し、地を這うようにして触手さんが私から距離をとる。

 剣を両手で構えて、触手さんと相対する。
 自分の中で緩みきっていた緊張感が急速に引き絞られていくのが分かる。
 平原を覆っている丈の高い草が揺れる音の一つ一つや、吹き抜けていく柔らかい風が肌を撫でていく感触が、しっかりと認識できる。

 草の中に身を隠すように体を屈めて、私は剣先を斜めに下げた。

 そうして、私から距離をとった触手さんの動きが止まったのを見計らって、はっきりとお互いに聞こえるように宣言する。

「……勝負!」

 一拍、間を置いて、私は地を蹴った。
 それに合わせるように、無数の触手が槍の穂先のようにまっすぐと伸びて私を迎え撃つ。
 私は走りながら地面に捨てていた鞘を素早く拾い上げ、正面に投げる。

 触手の槍の一寸手前に、投げた鞘が斜めに刺さったのを確認して、私はその先に足裏を乗せた。

 後ろ足で地を蹴って、その反動で、足をかけた鞘を踏み台代わりに、私はまっすぐ跳んだ。
 乾いた金属音を立てて鞘が転がる横を、触手の槍が通り抜けていく。

 私はゆっくりと宙を舞って、やがて頂点に達すると、まっすぐに落下を始めた。
 触手さんの大きな体の中央めがけて、まっすぐに。

 身体を垂直に立てるように、真下に構えたカタナを先端にして、垂直に落ちる矢のように落下するその技は、最初に会ったときに触手さんを倒したもの。

 それに気付いて、私を阻むように触手がうねりながら上へ伸びてくる。
 けれど、とっさに伸ばした触手では、落下速度のついた私の刃を止められる力はない。

 刃を止めきれずに二つに切り裂かれた触手から、紫色の体液が飛び散って、頬にかかった。
 そしてそのまま、刃先は私を見上げた大きな単眼の中央に吸い込まれるように。




 カタナが、刺さる。




 倒れたヒルダさんを前にして、オロオロしている触手さん。

“私の考えが伝わるのなら、是非とも君の助けが欲しい”

 あの時に聞こえた声は、本当に切実で、真剣だった。

“アレが死んだままだったら、私はお前達を殺していたろう”

 そう言ったヒルダさんの顔は真剣だった。

 きっと、どちらも死んで欲しくないと思ってる。




 私は剣を投げ捨てた。




 伸びていた触手が、落下する私を一足遅れて捕まえる。
 遅れて、剣が地面に落ちる、甲高い音が聞こえた。

 そのまま次々と太い触手が伸びてきて、あっという間に私の手足に絡み付く。
 触手さんの、その大きな単眼に激突する前に、私は空中にぶら下がることになった。

『分かっていても、防げないものだな』

 ふらり、とぶら下げられた私を瞬きする目で見つめながら、触手さんが言う。
 怒っている気持ちもなくて、本当に驚いてるみたいだった。

「…………ごめんなさい」

 よく分からないけれど、あのまま刃を突き立てるのは違う気がする。

 じゃあ何がしたかったのか、と言われると、自分でも答えることが出来ないけれど、私はたぶん“悪いこと”をしてしまいそうになったんじゃないかと思う。
 だから、ただ謝るしか考えつかなかった。

『まぁ、死ななかったので問題は無しだ』

 そんな風な答えが返ってくると、触手さんは私を吊り下げる触手を一本づつほどいて、ゆっくり地面に降ろそうとしてくれて。
 あっけなさ過ぎるその答えにしばらく呆然とした後、私は慌てるように解けていく触手の一本を手の平で掴んで口を開く。

「……負けた」

 大きな単眼が瞬いた。
 しばらく宙ぶらりんのまま、じっと触手さんの視線に晒される。
 自分の言ったことが段々自覚できてきて、次第に頬が熱くなってくる。

『しかし、なんでも言うことを聞く、などと言われても困るのだが』
「どうして?」

 迷うような思考に、ほとんど反射的に質問を返す。
 私を掴まえた触手をそのままに、触手の一本が私の胸の先をつんとつつく。

『勝負の勝ち負けを傘に好き放題されるのは嫌だろう?』

 囁くように頭の中に入ってくる言葉に、頬がどんどん赤くなる。

 触手につつかれた胸の先が固くなっていくのが分かる。
 腕がしっかりと触手に絡み付かれていて動かせないのが酷くもどかしくて、身体を小さく揺する。
 下着のない、直接肌の上に羽織っただけのローブの生地が胸の先を擦る感触が、痛いくらいに強く感じられて、私は小さく息を吐いた。

「…………ん……ぁ……」

 もしかして、虐められてるのかもしれない、という思いが頭に浮かぶ。
 やっぱり、いきなり斬りかかったりしたから触手さんはすごく怒ってるんじゃないだろうか。
 だからこんな風に、私から言わせるみたいに。

「…………別に、いい…………」

 それだけ言うのがやっとだった。

『ふむ、では君は、服を剥かれて裸体をじっくり鑑賞されたり、どんな匂いがするのか身体中の匂いを嗅がれたり、挙げ句にの果てどんな味がするかなどと身体中をなめ回されたりしても良いというのかね?』

「う、うん」

『ほほぅ、ではその大きい胸を触手で思うままに蹂躙されてもいいと? 触手で胸を形が変わるほど揉まれたり、細い触手で胸の先を弄り回されたり、触手の先端で胸をつつき回されて、粘液をたっぷり塗りつけられたりするかもしれないのに』

「……は、はい」

『それだけじゃない。その可愛い尻尾やお尻だって、触手で何度もねぶるように逆撫でられたり、付け根を吸盤に吸い上げられたり、たっぷりと粘液の付いた細い触手が尻を何度も擦りながら奥の奥に入り込んできて、最後には触手が君にとって信じられないような中にまで入り込んでしまうようなことだってあるかもしれない』

「…………だ、大丈夫、だと、思う」

『もちろん、好き放題というからには、一番恥ずかしいところだって例外じゃない。触手が、ネコミの知らないようなもの凄いことを色々としてしまうだろう。一本どころか複数入ってきたり、別の穴にまで入ってきたり、とても敏感な部分を剥かれて弄られたりするだろう。もちろん、最初のうちは気持ちよいだけじゃなくて痛いだろうし、そうしたらもう取り返しの付かないことになる』

「……が、我慢する」

 何をされていまうのか、全然想像できない。
 昨日だって、されているうちに頭の中が真っ白になっちゃって、あんまり良く憶えてないのに。
 けれど、どうしても断ろうという気持ちは沸いてこない。

『――――――それならは、遠慮なく』

 いただきます、とそんな思考を最後に。

 宙にぶら下げられた私は、喜びに粘液を溢れさせ蠢いている無数の触手の中に落とされた。
 あっという間に触手は私の衣装を引きちぎり、裸に剥いていく。

 さらけ出された剥き出しの肉欲に恐怖を感じて、触手を振り払おうとしてももう遅く、あっという間に体の自由は奪われて、閉じようとした脚は容易く割り開かれる。

 そして、宣言通りのことを全て、私は自分の身体で味わうことになった。




◆◆◆






「――――それで、つい、勢いづいてヤリまくってたら、ネコミがヤリ過ぎが原因で歩けなくなったので、置いていくわけにもいかず、仕方なく連れて帰って来た、と」

 一言一言をわざわざ区切って言うと、ヒルダは脱力するかのように深い溜息を吐く。
 私は地面にペタリと這ったまま、足を組んで肘掛けのない椅子に腰かける彼女を見上げた。
 視殺せんばかりの勢いで私を睨み付ける視線に耐えかねて、慌てて目を逸らす。

「ごめん、腰が抜けて……」

 そう言うネコミは、ソファにぺたんと座らせられて、ペタリと耳を伏せて顔を俯かせている。
 とりあえず上から羽織らされたシーツはとても頼りなげで、豊かなボディラインはそのままに、白い肌が布の端から見え隠れてしている。

「いーかげんにしろ、ド変態! これ以上盛るなっ!!」

 素足で思いっきり蹴られた。
 ちょっと気持ち良かったり感じてしまうのは、生物進化における適応というものかもしれない。

「……頼むから、これ以上の変態になるなよ。まったく…………」

 しかし考えてもみて欲しい、いくらなんでもまだ憶えたての女の子にあれだけ色々とやれば、それはもう足腰が立たなくなったとしても仕方ないのではないか?
 むしろ足腰が立たなくなるまで私の行為に応えてくれたネコミの健闘を讃えるべきであろう。

「あーのーなーーーー! お前達はサルかっ! 一体、何回やったらそんなになるんだっ!?」

 頬を染めてヒルダが吠える。
 私の繰り広げた数々のプレイを想像しているのだろう。

「……6回くらいまで、数えてた」

 いや、私が認識している範囲では少なくとも10回は越えていたと思うが。
 たぶん、途中から野獣に戻ったというか、意識が怪しくなっていたのが原因だろう。

「そうなの?」

 うむ。爪を立てられたりしてちょっと大変だった。
 それはそれで、押さえつけがいがあったというか、全然アリだったが。

「……ぅぅー」

 シーツの前を合わせて、ネコミが唸る。

「えらく遅いから心配していれば、予想通りというかなんというか……」

 額に指を当てて、ヒルダはもう何度目かになる溜息を吐いた。
 その目がじろりと睨むと、ソファの上のネコミは気の毒なぐらいに小さくなっていく。

「だいたい、いきなりそっちから決闘を仕掛けておいて、自分から負けて“好きにして”とか、あからさまに誘ってるだけだろーに。それなら最初から押し倒してくれと言えばいいだろう!」

「……やっぱり、そう?」

 身も蓋もないヒルダの言葉に、耳を伏せてなんだか情けない表情になったネコミが答える。
 なるほど、やはりその解釈で間違いなかったか。
 慎重に慎重を重ねてOKなのかどうかを確認したのだが、間違いはなかったようで何よりだ。

「……うー」

 なにかししら思うところでもあるのか、ネコミは頬を赤く染めたまま俯いて、もう一度唸った。
 まぁ、色々あった直後だし、情緒不安定なんだろう。

「で、泊まっていくんだな?」

 口をへの字に曲げたヒルダの問いかけに、ネコミはますます小さくなりつつ頭を下げた。

「……はい」

 というわけで、ネコミの二泊目がここに決定した。
 正直、もうネコミが街まで合流しに行くより早くも、復讐とかに燃えるあの魔法使いの子が、この家まで押しかけてくるような気がするのだが。

 まぁ、それはそれ、言葉の通じ合う者同士なのだから、誤解を解くのは簡単だろう。





<つづく!>




[3500] 9話「友情!決戦前夜の誓い!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:1a145480
Date: 2009/06/01 01:50
 冒険者とは、迷宮探索や魔物退治などをしながら定住地を持たず旅を続ける根無し草の事を言う。
 地下迷宮の探索を専門にしていたら、いつの間にかその国に定住してしまうヤツとか、どこぞの国に正式に雇われて非公式の傭兵として雇われたり、酷いのには冒険者の振りを続けたまま雇われた国のために間諜まがいのことをしているけれど。
 少なくともあたし達は、どこの国にも団体にも属さない、正真正銘まじりっけのない冒険者だった。

 だから、リターンは全て自分達のものだけど、リスクも自分達のものだ。
 取り返すのも、自分達でやらなきゃならない。




9話「友情!決戦前夜の誓い!!」




 この地域に立ち寄った際に、あたし達が逗留している宿は、この近辺で取れる木材という薄黒い茶色の木で組まれた、二階建ての建物だった。
 一階が食堂になっていて、朝・昼・夜の食事はサービスで付いてくる。
 この食事がとても味がいいのだけれど、それが原因で食堂がやたらに盛況で町の人間がひっきりなしに食堂を出入りしているのが頂けない。。
 深夜以外はいつも食堂の客による喧騒が二階の部屋にまで届いてくるだ。

 その喧騒の中に、あたしは一人で降りていく。
 階段を降りていく途中、あたしは微かに眩暈を感じて目を覆った。
 宿の一階にそこかしこに備え付けられたランプの明かりですら、長いこと暗い部屋にいたあたしには毒になる。

 くそ、眩しい。
 五月蝿い。

 凄腕の剣士のクセに、怖がりの気があるネコミは、その方が安心できて良いなんて言っていたけど、あたしはイヤだった。

 今は、あのフェルパーはどうしているのだろう。
 いつもあたしの後に引っ付いてきて、何をするにもあたしの顔を見て首を傾げて言葉を待っていた。

 今も、あたしのことを待って……。

「……やっほー、話ってなーに?」

 いつの間にか、あたしはテーブルに辿り着いていた。
 あたし達の席だ。

 4つの椅子に、小さめの四角いテーブル。
 片側の二つの椅子に、二人が並んで座ってこっちを見ている。

 妖精族のピクス。ニンジャ。
 ドラゴニュートのギリュウ。騎士。

 これに、ノームの司祭をやっているあたしと、フェルパーで侍のネコミで、あたし達のパーティーは全員になる。
 今は、そのうちの三人しかいない。

 あたしは、ピクスとギリュウの対面にある椅子に座ってから、息を一度吸った。
 そして二人を見ながら、一息に言う。

「死霊使いの森で負けて、魔物にネコミがさらわれた。今すぐにでも助けに行かなきゃならないの。……だから、あんた達の力を借りたい」

 四人パーティーのうち二人だけで森に向かったのはあたしだ。
 だから、けなされてもしかたがない。

 だが、この迷宮もないような田舎の町で、この二人以上の戦力が存在しないことも事実だった。

 予想していた通りに、ピクスがまず不満げに頬を膨らませた。
 碧色の髪を短く首ほどの長さで切り詰めた全長30センチほどの妖精は、ふわりと椅子から舞い上がると、腰に手を置いてあたしを不満げに見下ろす。

「でも、護符が足りないじゃん。ギリュウだけレンタルとかイヤだよ。あたしとギリュウは一心同体だし」

 そういい終わると、妖精族の娘は、「ねー」と言いながら、ランプの灯りの下で虹色に輝く、ギリュウの首筋の鱗に顔を埋める。
 ムカつく話だが、この妖精はなぜかドラゴニュートとやけに仲が良い。

 暖炉と客の熱気で少し蒸す食堂の中では、爬虫類特有の冷えた鱗の感触はひんやりして気持ちいいのだろう。
 目を細めて満足そうにしているピクスは、それ以上にあたしを追求することはなかった。

 あたしは、懐から宝石細工で飾られた護符を取り出し、テーブルに置いた。

「…………三つ。一つは、徹夜で作った」

 暗い部屋で、半日をかけてあたし自身が作ったものだ。
 これがあれば、死霊使いの森でも、死霊に襲われることはない。

 あの、正体のわからない触手の化け物を除いて。

「この護符、製造費だけで今までの冒険で稼いだお金がなくなっちゃったんじゃなかったの?」

 目を丸く開いてピクスが聞いてくる。

「ほとんどって言ってたでしょ。……溜め込んでた分の財産と、足りない分は使わない装備を売り払ってお金を作ったのよ。質が悪くて親玉の所に辿り着く前にアウトなんて馬鹿な真似はしない」

 かなりギリギリの買い物になった。
 実のところ、この宿に逗留し続けるためのお金だって、もう無いくらいなのだ。

「……キミ、ホントにグノー?」

 あたしの言葉に、ピクスが目を細める。
 失礼なヤツだ。

「悪い?」

 あたしが睨むと、ピクスがふるふると首を振った。

「うぅん、悪くないかなー。ねー?」
「……フム」

 コイツは、なにかあるとすぐにギリュウに話を振る。
 突然話を振られたドラゴニュートは、喉の下を震わせてあたしの顔を見た。

 本来は山岳に住み、竜となるため何者に関わることもなく修練を積むというドラゴニュートでありながら、人間の冒険者に混じって騎士としての訓練を積んできたこの竜は、角持つ爬虫類の頭と、鱗に覆われた二足歩行する人に似た体躯を有している。
 コイツは人間と比べると一回りでかいのだが、長い尾で椅子に座るのが邪魔なせいでいつも前のめり気味に座っているため、今もその顔はあたしの頭と同じくらいの高さで、目の前に突き出されていた。

 その顔が、薄く口を開いて少しだけ牙を剥き出すと、目の下から目蓋をぴくぴくと上下させた。
 コイツなりの笑みの表情だ。

「悪クナイ」

 その返事を聞いて、あたしは妙に疲れた気になって背を椅子につけた。
 少し身体がずり落ちるのを支えながら問いかける。

「……で、付き合うの、それとも怖じ気づいた?」

 あたしの口から、少しだけ強い言葉が出たのを敏感に察して、ピクスが顔をあげてこちらを見る。

「そーいう挑発とかさー、らしくないよね? いつもなら、おだてて丸め込むじゃん」

 ニタニタと笑う顔に腹が立って、あたしは邪険に手の平を振って覗き込んでくるピクスを追い払った。
 顔が赤くなっているのが分かったが、触れたりすればとまたからかわれるので、意識から離そうと努力する。

「うっさい! ついてくるか、こないか! さっさと決めてよっ!!」

 言いながら、すでに答えはなんとなく分かっていた。

「行くよ?」
「無論ダ。友ノ危機ヲ見過ゴセルモノカ」

 二人は、揃って頷いた。

「……ありがと」

 そう言って、あたしはテーブルの上から、宝石の護符を一つ取る。
 表情を見られたくなくて、顔を少し伏せる。

「へへへー、照れてる照れてる」

 笑いながらピクスが護符を取り、首に下げる。
 最後に、ギリュウがそれを手にとって手首に巻いた。

 そして、ギリュウは椅子から立ち上がる。

「準備ヲシヨウ。明日ノ朝、出発ダ」

 あたしが何かを言う前に、ギリュウはあたしの顔を見下ろしてそう言った。

 話が違う。
 あたしは即座に立ち上がってギリュウを睨み付けた。

「今からって言ったでしょ! 急がないと……」

 あたしが話を続ける前に、ギリュウの鱗に覆われた重厚な手の平が、頭の上に乗ってくる。

「目ニ隈ガアル。反応モ鈍イ。先ホド、階段ヲ下リテキタ時、足元ガフラツイテイタ」

 ムカつくほど重い手の平は、あたしの口からそれ以上の言葉が続くのを止めてしまった。
 全部、自覚はしていたことだ。

「そーいうこと、ネコミも心配だけど、今はグノーの方がもっと心配。だって、全然余裕ないじゃん」

 ピクスが下に回り込んで、いつも通りのあけすけな笑みであたしに言う。

「……でも、ネコミは今……」

 思い出すのは、あの絶望的な戦闘の中、自分達を引き倒してさらなる地獄へと引きずり込んだ無数の触手。
 口の中に潜り込んだ細い触手が舌を嬲る感触、身体中を這い回る触手が、服の内側に潜り込みそれを溶かしていく。
 あのとき、肌が晒される羞恥よりも、触手に肌を撫でられることにぞっとするほど嫌悪感を感じていない自分に、たまらない恥辱を感じた。

 ネコミがさらわれた後にあの場に残した三文字の言葉は、あの恥辱を忘れないことを、あの化け物に屈しない殺意を誓った言葉。
 そうしなければならないほどに、あの触手のおぞましいやり口は巧妙だったのだ。

 あのまま、森の奥にさらわれていったネコミが、あの地獄に抗えるとは思えない。
 どれほどおぞましい目に遭わされているか。

 心を壊され、あの化け物の苗床として、嬲られ続けるネコミを幻視して、あたしは身体を震わせた。

 けれど、ピクスがあたしの肩を叩き、現実に引き戻す。

「絶対しくじれないんでしょ? あたしだって、そんなエロい目に遭わされたくないし、グノーだってそーでしょ?」

 あまりピクスが見せない、真剣な顔。
 身体を襲っていた震えが収まるのが分かる。

「ピクス、ハ、俺ガ守ル」

 あたしは守らないのかい、なんて言葉が思いついたが口にはしない。
 守ってもらうのはついでで十分だ。

「……分かった。寝てくる。でも、夜明けになったらすぐ出発だからね?」

 あたしが頷くと、ギリュウの手が離れる。

「無論ダ」

 さっきと見せたのと同じ、口の端で牙を剥き出しにする笑みの表情を見せてギリュウは力強く頷いた。
 するりとあたしの前から離れて、その肩に乗ったピクスも同じように微笑んで頷く。

「絶対に成功させよ?……だってほら、あれでしょ」

 そう言って、宿の壁の一角を指差す。
 壁に直接掘り込まれた文字。

“冒険者は、仕事を終えて帰還するときは全員一緒に”

 下手糞な字だと思う。
 酔った勢いで、誰かが担当で壁に彫りこんだ言葉。

「あれ彫ったの、グノーでしょ?」

 うるさいバカ、と小さく口の中で言って、あたしは階段を上って部屋に戻る。
 部屋に戻るなり、ベットの中に倒れこむ。

 意識が泥に沈むように消えていく刹那、あたしの脳裏に、四人で冒険していたつい最近の光景が浮かんだ。




◆◆◆







 夕食は、無事に風邪から全快したヒルダによるビーフシチューだった。

 牛の肉は、この前にロナちゃんが運んできたゴブゴブ村から送られてきた感謝の品の一つで、この辺では結構な貴重品らしい。
 燻製にしてしまうのも手だが、せっかくなので日が経つ前に食べてしまうつもりだったのだそうだ。

 ちなみに、触手の表面に味覚や嗅覚を備えることに成功した私もちょっとだけ味見させてもらったが、確かに美味しそうな味だった。
 まぁ、口も消化器官も無いので、別に食えるわけじゃないのだが。
 しかし、なんで私はビーフシチューの味を美味しそうだと感じることが出来るのだろうか。謎である。
 そのようなものを口にしたことなど一度も無いというのに。

 ふむ、今度ヒルダに料理を習って見ようか。
 味見が出来るのなら、頑張れば料理スキルを身に着けるのも可能かもしれない。
 もっとも、食感とかが分からないので微妙といえば微妙なのだが。

 閑話休題。

 食後、食器洗いを済ませて食堂を兼ねた居間に戻ってきた私は、自らが思いついた一つのアイデアに心躍らせていた。

 料理を習う件ではない。
 それも興味のあることだが、今思いついたのはもっと重要なことだ。

 なにより、今、この時にしか出来ない事である。この機を逃せば機会は永遠に失われるかもしれない。
 私は内心の焦りを抑えて、つとめて平静を装いながら居間へと這い進んだ。

「ふぅん、自由都市郡は統合されたのか。じゃあ、聖教国の方と戦争になったんじゃないのか?」
「なってなかった、と、思う」

 居間では、ヒルダとネコミがなにやら話している。
 よくは分からないが、この森の外の、人間の国の領域の話らしい。

「ふーん? じゃあ、自由都市郡が統合した……連合? だったか、そこの通貨が変わったんじゃないか?」
「あ、うん。変わった。銀貨だけど、綺麗な丸いのに」
「なるほど、協定を結んで属国になる道を選んだ訳か。賢明な判断だな」

 ヒルダは訳知り顔で頷いているが、私はサッパリ分からない話題だ。
 ついでに言うと、ネコミも異国の歌でも聞かされているような顔できょとんとしている。

「ああ、お前か。ご苦労だったな」

 私は触手を伸ばして、いつものようにヒルダの細い腕に軽く巻きつけた。
 同時に、ネコミの腕にも一本、触手を巻きつける。

 決して二人の二の腕の柔らかさを比べようという意図があるわけではなく、あくまで意思疎通のためである。

 細いヒルダの折れてしまいそうな華奢な感触も良いが、よく鍛えているネコミの腕は筋の通ったしっかりした感触と、力を篭めていない時の意外な柔らかさがなかなかに良い。

「ほぅ、そうか。私の腕は肉の足りないトリガラか?」
「……スジ」

 ヒルダの目がすかさず攻撃色に染まり、ネコミの耳がぺたんと伏せる。

 待ちたまえ二人とも。
 私が伝えたいのはあくまで女性にはそれぞれ良い所があるということであって、決してどちらかが劣っているなどということではない。
 貧乳には貧乳の、巨乳には巨乳のよさがあり、それらはお互いを支えあうことで、さらにお互いを高めあうことが出来るのだ。

「支えあうのは大事」

 こくこくとネコミが頷く。
 彼女は本当に聞き分けの良い良い子だと思う。

「単にお前に見境が無いだけだろーが」

 一方のヒルダというと、じと目で私を見ながらそう評した。 
 彼女は見た目の可憐さに反して、いちいち反応が辛辣すぎると思うのだが。

 このように、私は相手の身体に触れることで、意思を伝えることができるのだ。
 その代わりに私の意志は相手にだだ漏れになるわけだが、意思疎通の手段が与えられるだけで私にとっては十分だ。
 そもそも万物に対して公明正大である私に、嘘を吐く必要などは無いのだから。

「神父さまみたい」

 ちょっと感動したようにネコミが尻尾を振って目を丸くしている。
 まぁ、私がそのように思われるのも当然だろう。
 ある意味、聖職者と私は似たようなものだからな。主に名前の響きとかが。

「“しょく”しか合っとらんわ!」

 ヒルダが軽く爪先で私の触手の一本を蹴る。
 いやいや、私はいい加減なことは言っていない。神には仕えてないが、この身にやましいことなど一切ないぞ?

「お前は、やましいことしか考えてないだろーが!」

 私の主張が不満だったらしく、ごすっと私の体に麺棒をめり込ませながらヒルダが言う。

 体の中央部分を作り出していた眼球ごとめっこりと凹まされて、私は仕方なく新しい眼球を作り出しながら麺棒から逃れた。
 私の弱点の一つが打撃であることを悟って以来、ヒルダはいつも麺棒をどっからともなく出してくるようになったのだが、本当にどこから出しているのだろうか。もしや魔法か?

「お前が四六時中アホなことを言うから持ち歩く羽目になってるだけだ。殴るぶんには血飛沫とか出なくて鬱陶しくないからな?」

 そこまでして突っ込みに徹するとは、ヒルダはよほどの突っ込み気質の持ち主らしい。
 ベッドの中では突っ込まれ気質だが。

 そんなことを思った瞬間、無言で振り下ろされた麺棒が私の頭を見事に平らにした。

 あまりそんな光景に慣れていないネコミが心配そうに私の目を覗き込む。

「……大丈夫?」

 なに、そんな耳を伏せて心配がらなくても、愛ある限り私は不死身だとも。

「また、くだらんことを」

 ぽい、と麺棒を部屋の隅に投げながら、ヒルダは呆れたように息を吐いた。
 ちょっと照れてるといいなぁ。表情に一切出てないのが残念だが。

「今の一撃には純粋に貴様への怒りしかこもとらんわ!」

 残念だ。
 時に、お互いが分かり合うために一つ提案があるのだが。

「……一応言ってみろ」

 せっかく珍しいお泊りの客様がいることだし、せっかくだからこれから二人だけでは出来ないことをしてはどうだろうか?

「…………具体的には?」

 3Pとか。

 そんなことを思った瞬間、無言で激しく振り下ろされた麺棒が、私の頭を見事に潰れたお饅頭にした。
 部屋の隅に放ったはずの麺棒がどうやってヒルダの手の中に移動したかは永遠の謎だ。

 あまりそんな光景に慣れていないネコミが心配そうに私の目を覗き込む。

「……大丈夫?」

 なに、そんな耳を伏せて心配がらなくても、愛ある限り私は不死身だとも。

「ンな変態を心配せんでもいい! エロ触手! お前もあんまりアホなことばっかり言ってると、お前の不死身具合がどの程度か端っこからちょっとづつ微塵切りにして試すぞ? それとも綺麗に平らにしてから麺にして茹でてやろうか!?」

 言われる前に既に平らにされてる私をぐりぐりと力いっぱい踏みながらヒルダが怒鳴る。
 個人的には裸足ならややオッケーなのだが、靴越しでは全然嬉しくないのでこういうプレイはベッドで痛い痛いいたいゴメンマジゴメンちょっと言い過ぎましたそれ以上は千切れちゃうからやっぱ踏まないで!

「え、あ、あの、やりすぎ。かわいそう」

 どうすればいいか分からずおろおろしているネコミの言葉で毒気を抜かれたのか、踏みつけ+靴先の抉り攻撃が私の体を靴で貫通する前に攻撃を止めてくれた。
 ちょっと反省した。やはり親しき仲にも礼儀ありというか、もう少し手順を踏まえないと不味いか。
 3Pはもっと好感度というかフラグというか、とにかくもっと色々させてくれるようになってから改めてお願いしよう。

 ちなみに今のはあくまでヒルダとの愛情を深めようという前向きな決意の表れであって、決して愛情を深めた後の色々が目的というわけではないことを言っておく。

「フォローを付け足すな」

 ヒルダも興味津々のクセに。

「もっかい踏むぞ」

 疲れたようなじと目で私を睨むと、ヒルダはテーブルに乗せてあった紅茶っぽい飲み物を飲んだ。
 一人で喋りまくりなので喉が渇いたのだろう。

「……あの」

 そこで、話が一段落したのを待っていたらしいネコミが、小さく挙手をした。
 ちっちゃい怪獣のように吼えるヒルダに遠慮していたのだろう、おずおずと小さく上げられた手の平が可愛らしい。

「なんだ? 別にいちいち断らなくていいから遠慮せずに聞け。さっきは私から質問攻めにしてしまったからな」

 少しばつが悪そうにしながらヒルダが応える。
 私は地味にもっかい踏まれたが、それ以上の追求はなかった。泥沼だしな。

 ヒルダの鷹揚な態度に安心したのか、ネコミは手を下ろして口を開いた。

「3Pってなに?」

 なんの意図もなさそうな、真面目な顔での質問である。

 おおおおおおお、聞きましたかヒルダさん!?
 今のセリフはちょっと問題ですよ?
 あんなおっきな胸してそんな言葉が飛び出すなんて、こいつはもしかしなくても誘っているかもしれませんし、そうじゃなかったとしても紳士淑女の嗜みとして一つ実践で我々が教えてあげる必要が……ッ!!

「分からないなら忘れろ!」

 勢い良くそう答えながら、ヒルダは思いっきり私のボディを踏みつけにした。

「でも」
「いいから忘れろ!」
「だって」
「わーすーれーろーーー!!」

 純真な子の一言で耳年増でエロエロな自分を自覚してしまった気恥ずかしさは分かるが、落ち着いて欲しい。

 照れ隠しに私をドンドン踏んでるせいで、なんだか私のボディがかき混ぜた目玉焼きみたいになってきているのだが。
 いや本気で痛いっていうか、痛すぎて痛覚が麻痺しちゃってるんだがマジで止めてくださいマジでストンピングはヤバい色々飛び散ってるかホントに。

「……!?」

 その時の私の潰れ方がよっぽど怖かったらしく、思わず止めようとして私を見下ろしたネコミがビクッとなっていた。
 一瞬でパンパンに膨らむ尻尾がとても猫っぽかった。




◆◆◆






 居間へと私が這い戻ると、ヒルダは酒の入ったグラスを傾けているところだった。
 私がいないうちに台所の方から持ってきたらしい酒瓶は、夕食と同じくゴブゴブ村から貢物として送られたてきたものだ。

「……ん、あの娘はちゃんと寝たのか?」

 こくりと喉を鳴らして酒を飲み込むと、ヒルダは床を這う私の姿に気づいて声をかけてきた。
 多少意外そうな物言いは、私が眠っていたネコミを客室のベッドに運ぶついでに襲ってしまうとでも思っていたのだろう。
 失礼な話だ。
 ちゃんとネコミは客室のベットに寝かしつけてきている。

 私は、ヒルダの向かい側の椅子に触手を絡め、その体を軽く椅子の上に乗せた。
 別にそんなことをしないでも床に這っていればいいのだが、床を這っているとすぐヒルダに踏まれるので、せめてもの予防措置である。

「何をふてくされてるんだ。……ほら」

 溜息をついたヒルダが、机の上でグラスを持っていない方の手を私へと伸ばした。
 掌を上に私へ向けられたヒルダの手を見て、なんだか犬の躾のようでコレも納得いかないかと思いつつ、私は太い触手の一本をちょこんとその上に乗せる。
 意外にも、ヒルダがその触手を手の中でしっかりと握ってくれた。

 ヒルダは、そうしてから、グラスをもう一度呷り、私に言う。

「明日にはちゃんと仲間の元に帰してやれよ」

 ネコミのことである。
 私自身、まさか二晩も泊めることになるのは予想していなかったのだが、さすがにそんなに長い間宿泊させるのは不味いか。
 そもそもこの家の主に無断で宿泊させてるのも悪いのだが。

「……それは別に良いんだが」

 ヒルダは深く息を吐く。
 頬がもう赤くなっているところを見ると、なかなか強い酒らしい。

「ぶっちゃけ仲間の方はネコミがお前に……まぁ、なんだ、良くないことをされてると思ってるだろう……?

 私は気持ち良いことしかしてな痛いイタイイタイ握らないで握らないで漏れるもれるなんか漏れてる!!?
 なんか私の触手を握ってくるパワーが格段に増したので、テーブルをベルの触手でぺしぺし叩いてストップをお願いする。

「アホか! ……あのなぁ、仲間が助けに来るとか、お前の方が退治されるとか考えてないのか?」

 私の触手を握り潰そうとする腕の力こそ止まったものの、青筋を浮かべたヒルダの怒鳴り声は止まらない。
 しかし、その言葉の内容からすると私の心配をしてくれているらしい。
 ありがたいことだ。

「……今回の件は、お前は私の巻き添えだったからな。それに、結果的にお前に守られたことは感謝してる」

 椅子の上から送っている私のまっすぐな視線(直径1メートル弱)に耐えられなくなったのか、ヒルダは視線を反らしてそのようなことを言った。
 別に照れなくていいのに。二人きりなのだからここは存分にデレてもらっても……すまない調子に乗った。

 ヒルダは言葉で責めると暴力が返ってくるので、いつも自重しようと思っているのだが、結局毎度のように同じ轍を踏む羽目になっているのは我ながら不思議だ。
 もしかしたら私はヒルダの暴力を求めているのだろうか?
 難しい問題だ。

「本気でそれ言ってるなら、二度とお前に触らんぞ……?」

 それは勘弁して欲しい。話し相手がいないと寂しくて死んでしまう。
 ウサギは寂しいと死んでしまうのだ。

「全然関係ないだろうが! お前のどの辺がウサギなんだッ!!」

 性欲が強いところとか。

「…………もういい」

 なにかしら脱力したらしく、ヒルダはへなへなとテーブルに突っ伏してしまった。
 安心して欲しい。この理論によるとヒルダだって立派にウサギっぽいぞ。

 あ、やっぱ今の無し。握られるのは全然嬉しくないい、ひたすら痛いだけだから是非やめて欲しい。ストップ・ザ・暴力。

「……話を戻すぞ」

 ラジャー了解です。
 えーと、仲間が助けに来て私が退治される件だったか。

「ああ。冒険者というのは魔物退治のプロだ。本気になれば、何をしてくるか分からん」

 確かにムチャクチャしてきてたが。スゲェ魔法で森がめっちゃ焼けたり斬れたりしてたし。
 しかしまぁ、私が退治されるほどではないんじゃないかとも思う。

「……馬鹿。周りにも注意を払えよ。この森の近くにはゴブゴブ村だってあるし、あまり無体をして大きな問題になれば、魔王軍に粛清されるぞ?」

 待て、そんな一気に言われても理解できない。
 ゴブゴブ村にまで迷惑がかかるというのは……そんな卑劣な感じでは無いと思うのだが、ネコミとかを見る限り。

 だが、魔王軍に粛清とか言われても私はサッパリだ。

「今の魔王は穏健派で、魔物と人間の組織だった争いや無法行為は禁止されている。一応、ここは魔物の領土で、お前の外見はどう見ても魔物だから、粛清の対象には十分だ」

 そうだったのか。
 言われてみると確かにゴブゴブ村はめっさ平和だったし、実は魔物というのはみんなあんな感じなのか。
 うむ。なんにしろ平和な感じなのは良いことだ。

 ……粛清とかはちょっと頂けないが。

「今は平和だが、昔は色々あったんだよ。あまりにも無法が過ぎて、オークなんかは種族ごと滅ばされたからな」

 長い金髪をかき上げて、ヒルダが深い溜息をついた。
 そう言えば、魔女であるヒルダは見た目よりずっと長生きしているのであった。

 私には分からないが、きっとそれが必要になるような嫌な時代が、確かに存在していたのだろう。

「……だから、目に付けられるようなことはするな。私が守ってやるのだって限界はあるんだから」

 そう言って、テーブルに半ば突っ伏したままヒルダはグラスにわずかに残っていた酒を飲み干した。
 深い溜息は、何を思い出してのものなのかは分からないし、私も尋ねるつもりは無い。

 願わくば、私の身の上を案じてのことであって欲しいが。
 贅沢は言うまい。

「ふん。いい男のようなことを言うな。見た目は触手の塊のクセに」

 ヒルダが笑うように目を細くする。。
 私はその言葉に抗議するように、本体に作り出した大きな眼球を半眼に閉ざした。
 私だって落ち着いたことを言いたくなる夜だってあるのだ。

「ああ、そういえばさっきは3P3P言ってたクセに、本気で襲いかかってこなかったな? いつもなら、考えながらもう触手伸ばしてきてただろう? そう思って力いっぱい踏んだのに、拍子抜けだったぞ」

 まぁ、あれは確かに全力全開ではなかった。
 あれぐらい距離的に近くだったら、本気の私ならば二秒でそのままあんなことやこんなことをして、そのまま一気にアレな場所にスギューンできたかもしれない。

 しかし、まぁ、なんというか……ほら、あれだ。
 家に戻ってくる前に外でネコミとたっぷりと色々アレなことをしたせいで、なんだかスッキリ爽快というか、いつもみたいに飢えてないというか、賢者としての自分を自覚できるようになっているというか。

 私のその説明に対して、ヒルダはみるみる微妙になっていった。

「お前、実は単なるデカいチン●なんじゃ……」

 女の子がチ●コとか言うものではないぞ、はしたない。

 というか、スゲェ真面目な顔でそんな嫌な考察をしないで欲しい。
 私はもっと理性と知性、そして紳士的な精神に溢れた健康的な成人男性だ。

「仮性包茎だけどな」

 それは違うだろう……ッ!
 これはあくまで変身前の一形態であって、いつでも変身できるこれは別にお子様のアレとは違ってちゃんと大人のソレと同一のものでだな……!!

 私は抗議の意味を含めておもむろに椅子からテーブル上に乗り上げると、引き伸ばした太い触手を数本、ヒルダの顔の目の前に突きつけて、文字通り変形させる。

「ぬぉっ!? いきなり這いよってくるな……っ!!」

 待て! 目をそらさずよく見ろ!!
 触手の先端は、確かにいわゆる成人男性のアレにそっくりの形をすることもできるのだが、コレとアレはあくまで似て非なる器官だ。

「くっ……か、顔に突きつけるなヘンタイっっ!!」

 私の触手をヒルダの手の平が反射的に掴み取る。
 もっとも触手の数は一本や二本ではないので、その程度の抵抗では私の解説を妨げることは出来ない。

 むしろ、手に握ったことでヒルダも私の説を再認識することが出来ただろう。
 ほら、私の触手はもっとヌルヌルしてるし、出る液体もアレに似てるけど違うしな!!

「だ、出すなよ! 絶対出すなよっ!?」

 焦ったヒルダが慌てて口にするが、ちょっと待って欲しい。
 私は決してそんなつもりではなかったのだが、ぎゅっと両手で一本づつ握られている触手は、大いに手の平で掴まれる感触を堪能しているわけで、しかもヌルヌルさを分かってもらうために手の中でちょっと前後してみたらこれがまた良い具合に

「ひやぁぁぁ!?」

 正直すまんかった。

 しかし、もうちょっと私の主張を聞いて欲しい。

 私のコレは、機能によって細い触手を備えた工作型や、無数の吸盤を備えて微妙な力加減も可能な吸着型、さらには先端に目玉を生やしてどんな隙間も覗ける目玉型など、自由自在の変形が可能なのだ!
 こんなことが、一段階の変形しか持たない通常のアレにできるだろうか!?

 見よ!無数の変形形態が織り成す、自由自在・縦横無尽の動きによる多重演奏の恐ろしさを!

「ひぁっ!? ば、ばか、いきなり服の中に入れるなっ! それにこんなところで…………ひぃんっ!?」

 椅子に座ったままのヒルダに、一斉に無数の触手がもぐりこむ。

 服の袖口からヒルダの脇に潜り込んだ触手が、その先端から無数の細い触手を伸ばして、肋骨の線を一本一本、なぞるように舐めていく。
 襟首からヒルダの背中に入り込んだ触手が、その表面の無数の吸盤を使って、白い肌を啄ばむように吸い上げ、小さな無数の吸着の痕を付けていく。
 捲り上げた上着の裾から入り込んだ触手が腹から這い上がり、ヒルダの緩やかな胸の膨らみをなぞり上げると、その先端の突起を探り当て、弄るようにしつこく突つく。
 脚の間を這い上がった太く無数の突起を備えた触手は、慌てて閉じようとする柔らかな太腿にたっぷりと粘液を塗りつけながら這い進み、その奥に隠された、柔らかな肉へと先端が当たる。

 びくん、と小さな体躯が震えた。
 ヒルダの口から漏れた甘い喘ぎには、もう拒否の意志が含まれていない。

 だがその時。
 私の触手の一本の、その先端に生み出された目が、居間の入り口で寝ぼけ眼のままこちらを見ているネコミを発見した。



「────おしっこ」

 なんだかどこを見ているんだか分からないぼんやりとした目で、ネコミは私とヒルダに向かってそれだけを告げた。



 それきり重苦しい沈黙が横たわる。

「……ぅ、ぁ」

 なにかしらヒルダが呻いたが、寝ぼけ眼のネコミからは何の反応も無い。

 驚きのあまり思わず色々な動きを止めてしまったので、私もヒルダもなんだか宙ぶらりんのまま、しばし視線を宙にさまよわせた。
 やがて、顔を真っ赤にして絶句していたヒルダが、おずおずと口を開いた。

「そっちの……廊下の、突き当たりだ…………」

 ヒルダの腕は私が触手で絡めとっていたので、私が触手の一本を伸ばしてトイレの方向を示した。

 それを見て取ると、ネコミはふらふらと夢遊病患者のような足取りで居間を横切り、トイレのある廊下へと行ってしまった。
 しばしの間を置いて、トイレの戸が閉じる音が聞こえる。

 遠く聞こえたその音は、なんだかやけに間抜けに聞こえた。



 私の大きな眼球と、ヒルダの顔が見合わせられる。

「……えっと」

 ヒルダが何か言いかけるが、その先は言葉にならずに宙に消えた。
 沈黙が再び二人きりの居間に横たわり、私はしばしこれからどうするかを迷うことになった。
 こういう行為はタイミングが大事というか、私もこう、今夜は大丈夫とか言った直後のことだったので大変に心苦しくもあるわけで。

 すでに私の触手は、ヒルダの肌からそろそろと離れかけているわけで、やっぱり落ち着いてみると無理矢理だったかもしてない気がしてきてちょっと自重しようとかそんな思いが。

 だが、私の迷いを断ち切るごとく、ヒルダが顔を真っ赤にしながらもそもそと口を開いた。

「……続き、私の部屋で」

 それは蚊の鳴くような小さな声だったが、私の聴覚的器官である触手には十分に響いた。
 否、私のこの触手の奥にひっそりと輝く魂に響き渡った。

 その返事の代わりに、私はヒルダの体を太い触手を使ってしっかりと絡めとり、椅子の上から持ち上げる。
 そして、ヒルダの寝室へと全速前進の勢いで這い進むのだった。



 その後、どうなったかは言うまでもあるまい。
 とりあえず、ヒルダがたっぷり疲労してからぐっすりと幸せな眠りにつくことができたことだけは確かだ。




◆◆◆






「グノー、朝だよー? 起きてるー?」

 ふわふわと羽根を舞わせて、音も立てずに室内へと侵入してきたピクスにベットの中から視線を返す。

 鍵が開けられる微かな金属音で目を覚ますことが出来た。
 自分の神経が、自分でも驚くほど鋭敏になっているのが分かる。

「……大丈夫。自分でも驚くほど調子良いから」

 立ち上がり、解いていた長い髪をまとめるために、髪をすくい上げる。

 すると、ふわふわと首の後ろに下りてきたピクスがその髪を掴んだ。
 いつの間にリボンを拾い上げたのか、手馴れた仕草で私の代わりに髪をまとめてリボンで縛っていく。

「ん……そういえばさ。髪のセットしてもらうの、久しぶりな気がする」
「だってグノー、ちっとも髪弄らせてくれないじゃん」

 髪を左右でツインテールに結ぶと、ピクスはあたしの前にづわりと回りこんで唇を尖らせた。

 音も無く宙を移動する妖精のニンジャを怖がって、近寄らせないようにしたのはいつからだったか。
 何故か笑いがこみ上げてきて、あたしは笑いながらピクスの頭を小さく撫でた。

「ありがと」

 驚いたのか、ピクスは慌てて胸を張ると「ど、どういたしまして」と、少し裏返った声で返した。
 そのやりとりがなんだかお互い子供じみてるように感じて、揃ってくすくすと笑う。

「……その髪、けっこうバサバサだったし、後で洗ってあげるから」

 絶対戻ってこようね、とまでは言わずに、ピクスはふわりと飛んで部屋の扉へ行ってしまう。
 あたしは一瞬躊躇いながらもその背中に声をかけた。

「ネコミもお風呂苦手だから。一緒に洗ってやってよ!」

 ピクスは振り返らない。
 だが、扉が閉じる寸前、廊下に響くような大きな声で返事が返ってきた。

「それはグノーの仕事!」

 ベッドの中で、そりゃ面倒な仕事ね、と呟いてから、私は立ち上がった。
 床のひやりと冷たい感触に、頭の中で微かに眠りの中でとろけていた部分が覚醒していくのを感じる。

 まだ日が昇って間もない灰色の街並を、格子窓から見下ろしながら、現在で揃えられる最高の装備を身に着けていく。
 朝の冷えた空気を肺に吸い込み、冷たい武器と鎧を身に着けていくごとに、自分の中に確かな自信が蘇っていく。
 二日前に味わった敗北を、取り返すのだ。

 ギシ、と扉が軋む音を聞いて、あたしは視線を入り口に向けた。
 鋼鉄の鎧に身を包んだギリュウが、その肩に毒塗りのダガーを装備したピクスを乗せて立っている。

 装備を整え、杖を手にしたあたしが静かに頷きかけると、二人も同じように頷きを返した。



 あたしはもう一度、死霊使いの森へと踏み入れる。
 あの忌まわしい森の奥へ行き、ヤツをブチ殺して仲間を取り戻してやるのだ。






<つづく!!>



[3500] 10話「決戦! 魔物 対 冒険者!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:250a013d
Date: 2009/06/03 19:07

 ゴブゴブ村はすっかり元の平和を取り戻していた。

 もともとゴブリン、というか魔物は無駄なくらいに生命力に溢れている連中ばっかりなので、大きな問題さえクリアしてしまえばこんなものだ。
 つい数日前まで村で猛威を振るっていた病気も、今では完全に根絶しちゃっている。

 昨日から、村には商人さんが来ていた。
 馬車一つに荷物を積んだだけの小さな交易相手だけど、人間の国のものは村ではとても珍しいので、いつも喜んで歓迎している。
 ボクがもっと小さかったころから村に出入りしているその商人さんは、いつも夕方に村に到着してから、一晩を村で過ごして、昼前に出て行くのだ。

 村には宿屋なんて洒落たものはないので、商人さんが村に来たときには村長の家に泊まることになってる。
 つまり、ウチなんだけど。



 朝食が終わった我が家の食堂。

「おかーさーん。お皿、ここに置くねー」
「はいはい。ありがとうね、ロナ」

 母さんは食事の片づけで、父さんとお爺さん、それに商人さんはテーブルに残っている。
 ボクはというと、母さんの手伝いでお皿を片付けた後、父さんたちの話を聞こうかと思ってテーブルに戻った。

「いやいや、本当にすいませんでした。我々も魔物の方との交易は経験が少なかったもので……」

 食堂では、商人さんがしきりに父さんたちに謝っていた。

 商人さんは、立派な口髭を生やした太っちょの人で、お話がとっても上手いので村の子供に人気がある。
 ボクも昔は商人さんから聞く人間の国の話、本当かどうかもよく分からない冒険譚が大好きで、商人さんが家に泊まっていく時にはいつも夜中までお話をせがんだ。

 最近はさすがに止めちゃったけど。
 今思うと、夜中に男の人の部屋に忍び込んでた自分が大変恥ずかしい。
 別に人間に興味があるわけじゃないけど、一応、ボクももう年頃の女の子な訳だし。

「なぁに、気にせんでいいですよ。それより、これに懲りずにこれからも村に来てください」

 商人さんの謝罪の言葉に、父さんがにこやかにそう応える。

 顔の造形がとってもシンプルなので表情がよく分からないのと、鍛えすぎて一般のゴブリンの範疇を超えた肉体は岩のように硬くデカくて威圧感抜群、という二点が言葉とは裏腹に商人さんを威嚇しまくっている。

「がっはっはっはっはっ、そもそも儂らが病に負けたのも鍛え方が足りなかったせいじゃしなぁ! そんな何度も頭下げんで、気にせんでもえぇぞ?」

 お爺ちゃんが豪快に笑って商人さんの肩をぽんぽんと叩いた。
 でも、父さんに輪をかけて鍛え抜かれた肉体は、一般のゴブリン云々以前に大きすぎる。
 猫背気味に屈み込んでも全長5メートルを超えている緑色の巨体は、うちが村一番の大きな屋敷と言われている最大の要因なのだ。屋根が高いだけでふつーに一階建てなのに。

 そんな巨体の二人に迫られると、どう見ても脅迫してるように見えるわけで。

「……そう言ってくださると、大変ありがたいです。ははははは」

 迫力満点の二人に迫られて、商人さんが微妙に青ざめる
 さすがに気の毒に思えてきたので、ボクは横から助け舟を出すことにした。

「ねーね、一人旅なのに病気になったら大変じゃない? 少し、お薬分けてあげよっか?」

 薬というのは、先日にヒルダさんから貰った薬のことだ。

 この辺りの森で材料が採れるので、今では村の呪術医のお兄さんが作って、村の常備薬になっている。
 ボクにはよく分からないけど、お兄さんによるととても長い時間保存が効くのが凄いらしい。

「おお、それは大変ありがたい。あの病気では、私も大変難儀してねぇ」

 嬉しそうに商人さんが言ってくれたので、ボクはすぐに隣の部屋に置いてある薬箱に向かった。

 その間も、商人さんと父さん達の話は続いている。
 うまく話の流れが変わったようで、村の外の方の話をしていた。

「しかし、商人さんもあちこち旅をして大変ですなぁ。やはり、病気にかかることは多いんですか?」
「いえいえ、それほどでもないんですね。危険があるとしたらもっと別のことですよ」
「ほぅ、別のことと言うと?」
「やはり一番危険なのは、山賊の類でしょうか……そう言えば、最近この近くでオークの山賊が出るという噂があります。大きな商隊が襲われて、護衛ともどもやられたのだとか」
「……オークの生き残りかのぅ。商人殿、人間の国の方で討伐隊は出てるんじゃろうか?」
「うーん、お恥ずかしいのですが、この辺りは辺境だからと、国の方はなかなか動いてくれんのですよ」
「それはいかんのぅ。こちらの方でもなんとかできんか動いてみましょう」
「ああ……それは助かります。私はそちらの道は避けていますが、やはり遠回りは辛いですしね……」

 商人さんも、なんだか色々大変らしい。
 山賊なんてお爺ちゃんがやっつけちゃえばいいのにと思うけど、そんな簡単なものじゃないのかな?

「もって来たよー。飲むときは、水と一緒に一度に一袋、一日三回飲むよーに!」

 ボクに薬をくれたときの、呪術医のお兄さんの真似をしてみたら、商人さんは笑いながら受け取ってくれた。

「うん。大事に使わせてもらうよ」

 ニコニコ顔で商人さんはボクの手から薬を受け取る。
 もうちょっと真面目に聞いてほしかったけど、あんまり嬉しそうだったのでこちらも思わず笑ってしまう。

 ちょっと間抜けに見える口髭は、商人の信用に関わるから剃れないそうだけど、ボクが思うに、相手を笑わせて油断させるためのものだろう。

「それじゃ、お礼……というには、安いものだけど、これをどうぞ」

 そう言って、商人さんはお菓子の入った袋をくれた。
 綺麗な麻袋の中に、鮮やかな色の飴玉や、トウモロコシから作った揚げ菓子が入っている。

「わ! いいの、おじさん?」

 こういうお菓子はこの村じゃ珍しい。
 特に、キラキラした黄色やピンク色の飴玉は、最近人間の国で作られたもので、めったに食べられないものだ。

「前に寄った町がちょうど祭りの途中でね。こういうのもたくさん売られてたから、まぁ、味を見るために買ってみたんだよ。これはその時の余りさ」

 商人さんが肩をすくめてそう言ってくれた。

「ありがとう! 大事に食べるねっ!」

 遠慮する理由もなくなったので、ボクは安心して受け取る。

「ほっほっほっ、良かったのぅ、ロナ」
「うん♪ 」

 お爺ちゃんが手を伸ばしてボクの頭を撫でてくれた。

 よく周りから『頭が握り潰されそうで見てて怖い』と言われるけど、ボクはお爺ちゃんの大きい手は好き。
 みんな、不必要に怖がりすぎたと思う。

「いやぁ、どうもありがとうございます。本当に、人間の国は色々と美味いものがありますなぁ」
「最近は錬金術の応用で、新しい調理法とかもあるそうで、これは国の知り合いの学者の話なんですが……」

 父さんと、商人さんがまた難しい話を始めたので、ボクはぺこりと頭を下げて食堂を出た。
 手の中のお菓子入りの袋をどーしようかと思いながら。

 村の子達や友達に上げるには量が少ないし、一人で食べるのもなんだかもったいないし……。
 薬のお礼で貰ったものだから、薬を作った人におすそ分けをするのがいいかなぁ。

 頭に浮かんだのは、死霊使いの森の魔女様と、村の呪術医のお兄さん。
 ボクの頭に浮かんだ天秤は、あっさりと魔女様の方に傾いた。

「よしっ! 」

 森に行くための道具を身に着けて、玄関に向かう。

「おとーさーん! 魔女様のところに、お菓子のおすそ分けに行ってくるー!!」

 一声かけてから、ボクは家から駆け出した。




10話「決戦! 魔物 対 冒険者!!」




 白い霧が森を覆っている。

 肌にまとわりつくような粘性の霧は、私たちの歩みに合わせて避けるように左右に割れていく。
 遠く怨嗟の声が聞こえるのは、きっと気のせいじゃないだろう。

「不気味だねー」
「不気味ダナ」

 ピクスとギリュウは揃ってそう口にした。
 あたしもそう思う。一昨日にこの森に来たときにはここまで霧は濃くなかった。
 警戒が強くなっているのかもしれない。

「……別に襲って来やしないわよ。あたしの魔除けは完璧」

 事実、白い霧はあたし達に触れることも出来ず、周囲の空気をゆるゆるとかき混ぜ続けているだけだ。
 問題は、この霧が例の魔女にあたし達の侵入を伝えてる可能性ぐらいか。

「不意討ち警戒なら、ピクスにお任せー♪」

 ……あたしが顔をしかめたのに気付いたのだろう。
 ピクスがそう言いながら、ふわふわとあたし達の先頭を切って宙を舞った。
 魔除けの効果に怯えるように、白い霧が逃げていく。

「虫の知らせってヤツ?」

 背中の半透明の羽を指差して言うと、ピクスはあたしに振り返った。
 ピクスは腰に手を置いて頬を膨らませる。

「しっつれいねー。わたしは妖精であって虫じゃありませーん」

 そう言ってから、くるりと空中で半回転する。
 ふわふわと勝手に進んでいくピクスを早足で追いかけながら、「ごめんごめん」と謝ると、やっと飛ぶ速度を緩めてくれた。

 木だらけ草だらけで、時々木の根が張って歩きにくくなっている森である。
 羽根がついてるのは正直羨ましい。

「……ファフ」

 さっきからマイペースであたしの横を付いて来ていたギリュウが欠伸を漏らす。
 朝早くから出発したせいだろう。ときどき薄い目蓋が開いたり閉じたりしている。

 警戒する様子がまったく見当たらないのは、ピクスの警戒能力に全幅の信頼を置いているからだろう。
 まるで冬眠前の蛇みたいな顔をしていたドラゴニュートは、白い喉を小さく鳴らすと、前を見たまま私に話しかけてきた。

「グノー、"転移の衣"デ、直接森ノ奥ニ行ケナイノカ?」

 パーティーごとの移動魔法は、一度座標を記憶した場所になら何度でも転移することが出来る。
 あたしはあの場の座標を記録しておいたから、実際、転移の魔法が正常に使えればあの場に移動することが可能だ。
 だけどあたしは首を振って否定する。

「ダメ。この霧が移動先にあると、魔力の集中が阻害されるから」

 この霧の厄介な特性の一つだ。
 攻撃魔法で戦う分には、魔除けのおかげで邪魔されずに使えるけど、転移の魔法は移動先に魔力の場が形成されるので、この霧に邪魔されてしまうのだ。

「脱出には使えるから、とにかくネコミを確保すればOKよ。そこまでは、地道に我慢」

 あたしの言葉に、ギリュウは目を細めて無言で頷いた。

 今更、魔女を捕縛なんてするつもりはない。
 あたし達は、とにかくネコミを確保したら即効で逃げるつもりだった。

 もちろん、例の触手の化け物を葬る手段は用意している。
 けど、確実に葬れる保証はない。
 ましてや、あの触手の化け物と、死霊使いの魔女がコンビで襲ってきたら勝ち目は薄い。

「出来れば、この霧で魔女に見付かっていないことを祈りたいなぁ……」

 あたしは神に祈った。ずいぶん長い間、祈っていない気がするが。
 一応、司教なので神の奇跡も使えるのだけど。

「わたしも魔女の賞金には興味ないー。あの賞金の出所って軍隊でしょー? あの辺と関係持ちたくないもーん」

 先頭を行くピクスが歌うように言う。

「霧ト、例ノ化ケ物以外ニハ、敵ハイナイノダロウナ?」

 目を細めてギリュウが聞いてくる。

「たぶんね。この霧って、他の魔物とは基本的に相性が悪いし」

 この三人だけの強行軍は、敵の主力が霧であることを前提とした計画だ。
 総戦力が魔女と触手の化け物ならば、三人でも何とかなるが、手下に魔物の群れなんかがいたなら、正直言って勝利は絶望的だ。
 特に、あたしの顔がバレればネコミを人質に取られる危険もある。

 それだけは避けないと……。

 そこまで考えたところで、ピクスが鋭い警告の声を発した。

「……後ろから走ってくる! 二足歩行、数は1、重さは……子供くらい!!」

 一瞬の思考の後、あたしは判断を下した。

「たぶん魔女よ! ピクスは不意討ち狙い! ギリュウ、前衛! 遭遇と同時に"魔障壁"をかけるから、すぐ距離詰めて!」

 想定した展開と違いすぎる。
 あたしは内心で舌打ちしながら、魔法防御の呪文を唱え始めた。

「大気に満ちる魔力の加護よ。我等が前に、魔力の衣を……」

 言いかけたところで、前方の茂みを裂いて人影が現れる。
 あたしが詠唱を止めたのは、人影の正体を確認した為だった。

「……え?」

 きょとん、と、目を丸めてこちらを見る、シャツに半ズボン、鎧も無しの軽装にナイフを手にしただけのゴブリンの少女。
 まるで、ありえないものを見るかのように目を瞬かせ硬直しているのは、この森に冒険者が近付くわけがないということを知っているからだろう。

「グノー」

 引き絞られた弓のように身を屈め、ギリュウがあたしに問いかける。

 躊躇いは一瞬だった。
 このゴブリンが死の霧に襲われていないということは、魔女の許可を得て森に向かうものということ。
 万が一にもあたし達のことを魔女の耳に入れられる訳にはいかない。

「倒して」

 殺して、ではない。
 そう自分に言い聞かせながらあたしが告げると、ギリュウは放たれた矢のように地を蹴って、まだ立ちすくんでいる小さなゴブリンへと躍りかかった。
 振り上げられた大剣を目にしながら、ゴブリンは手にした小さなナイフで必死に身を守ろうとする。

 その口が「とうさん」と、か細い悲鳴を上げた。




◆◆◆






「ふぅ………はっ!……ふぅ……はッッ!!」

 カタナを大上段に振り上げ。草に触れるまで振り下ろす。

 最初はゆっくりと、回数を重ねるごとにわずかづつ速く、それに合わせて足運びも絡めていく。
 その一連の動作の中でもっとも大事なのは、振り下ろすカタナの刃を違えない事だ。

「はっ!……はッ!!……はッッ!…はッッ!!」

 カタナは、切れ味こそ最強の武器だが、その反面切れ味以外は極端に他の武器に劣る。
 斬る時に、刃先がわずかでもナナメにずれていれば、カタナは容易く折れるのだ。

「はっ!はっ!!はッッ!はッッ!!」

 たとえば、斬り合いの中で剣をぶつけ合う時。
 カタナを使う者は、決してカタナを防御に使ってはならない。

 カタナは、その一撃一撃が必殺のものでなければならない。
 サムライがカタナを振る時は、常に刃を通し、その間にあるもの全てを切り裂くつもりであれ。

「……ふぅ」

 それが、私がカタナを教わったお師匠様の言葉だ。
 ちょっとよく分からなかったので、言いつけどおり毎日素振りを欠かさないようにしている。
 お師匠様はそれでも良いと言ってくれたけれど、私は果たしてお師匠様の言葉を守れているのだろうか?

「もう少し、しようかな」

 なんだかもやもやしたので、私はもう一度最初からカタナを振り始めた。

 空は青く澄み切っている。
 小高い丘の上にあるこの家は、澄んだ風が吹き付けてきたとても気持ちがいい。
 草むらに転がりたい衝動が浮かんだけれど、私はなんとかそれを抑えて訓練を続けた。

「ふぅ………はっ!……ふぅ……はッッ!!……はっ!……はッ!!……はッッ!…はッッ!!」

 横薙ぎ、袈裟、逆袈裟。
 それからしばらくの間、私は黙々とカタナを振り続けた。
 ずーっとカタナを振っていると、不思議とお師匠様の教えのことを忘れてすっきりしてくる。

 そんな風に、意識がカタナの刃先でいっぱいになっていたところで、急に足に何かが絡み付いてきた。

「ひゃぁぁぁぁっ!?」

 とっさにそれを斬りそうになって、すぐにその正体に気づいて慌てて止める。
 私の足に触手を絡めたまま、少し離れて私を見ていたのは、触手の魔物さんだった。

『お疲れ様』

 触手を通して、そんな言葉が伝わってきた。

「お、お疲れ様」

 慌ててそう返してから頭を下げる。
 触手の魔物さんも、物まねなのか、少し体を斜めに揺らすのがちょっと可愛かった。

 お仕事が終わったので実に来てくれたみたいだった。
 触手の魔物さんの背後では、三列並んでいる物干し竿にかけられて、ベッドのシーツや、ヒルダさんの服、下着とかのお洗濯物が、風に吹かれて小さく揺れている。
 そこまで見てしまってから、ちょっと耳を伏せた。

 やっぱりヒルダさんは、触手の魔物さんに下着とかも洗ってもらってるんだ……。
 恥ずかしくないのかな。それとも、やっぱりそういうのって、色々、深くつながりがあると、あんまり気にならなく……。

『洗濯物を見ながらなぜに身悶えしているのだろうか?』

 そこまで考えてところで、触手の魔物さんのそんな考えが唐突に伝わってきたので私は慌ててしまった。
 カタナを手にしたまま、手をばたばたと振って「なんでもない」と連呼する。

『ああ、シーツを見て昨晩の私とヒルダの……』

 それから伝わってきた触手の魔物さんの思考は、私の考えたことより凄くて、私は黙りこくってしまった。
 いくらなんでも、そんなところまで……ちょっと想像できない。怖い。
 ……ホントに気持ちいいのかな。

『む、あまり刺激的過ぎたかね? すまんな、つい自然と考えてしまう』

 黙っている私が怒っているように見えたのか、触手の魔物さんがそんな風に謝った。
 私は人からそんな風に思われるところが多いらしい。

「違う」

 私は首をふるふると横に振って答えた。

『む、もしや望むところだったのか?』

 すると、なぜかそんな言葉が返ってきたので、私は首を振るのを止めた。
 もう一度首を振るべきかどうか。
 悩んでいるうちに、じわじわと顔が赤くなってくるのが分かる。恥ずかしい。

『それはさておき』

 触手の魔物さんは、太い触手を一本上げると、くいくいとヒルダさんの家の方を指した。
 釣られてそちらを見る。

『そろそろ昼食が出来るそうだ。昼食後は仲間のところに帰るのだろう?』

 あ。

 何故か、私は口をぽかんと空けて驚いた顔をしてしまった。
 そういえばそうだった。
 なんとなく、ここでずっと暮らしていくような気がしていた自分に驚く。みんなもきっと待ってるのに。どうしてそんな風に思ってしまっていたのだろう。

『ヒルダが、衣装とかも用意してくれたそうだ。その格好では街まで行けないのだろう?』

 そう言って、触手の魔物さんが、私が着ているガウンの帯留めをつついた。
 ヒルダさんから借りたそれは、私が着るには丈が低いので、足とか胸とかお尻とかが窮屈。
 でも、尻尾が出せる衣装があまり無いのでとりあえず貸してもらったものだった。

「へ、変?」

 とっさに尋ねたのは、自分の格好が急に恥ずかしくなってきたから。
 落ち着かなくなって、尻尾が勝手にぱたぱた揺れてしまう。

『私としてはとても目の保養にはなるので嬉しいのだが、その姿で街を歩くのは過剰サービス過ぎてもったいないお化けに訴えられるだろうね』

 よく分からない。もったいないお化け?

 でも、触手の魔物さんとしては変な格好ではないみたいだった。
 なんとか尻尾がぺたんと寝てくれたので、もぞもぞとガウンの裾を弄っていた手を止める。

「えっと、分かった」

 ここではいいけど、街中は駄目なのだろう。
 そういえば。グノーにも同じようなことで怒られたことがあったのを思い出した。

『さて、では行こうか』

 触手の魔物さんは、私に触手を絡めたまま、ぺたぺたと草原を這って家の方へと戻って行く。
 先に行く魔物さんの、後ろ向きに湧き出した小さな目が、私を催促するようにじっと見ている。

「……うん」

 頷いて、わたしは触手の魔物さんについていく。
 拗ねた顔をしてると、自分でも思った。

 小さく駆けて魔物さんの横に並ぶと、触手が一本、私の腕を舐めた。

「ひゃ…」

 ひんやりした感触がちょっと気持ちよくて、私は小さく声を上げてしまう。
 びっくりして腕を見たが、触手はすぐに魔物さんの体の中に引っ込んでしまっていた。

『ふむ。やはり、汗はしょっぱいな』

 代わりに伝わってきたのはそんな思考。

「……汗、好き?」

 聞いてみたら、触手の魔物さんは『かなり』と答えた。
 そのままぺたぺた這っていく。

 別にまた舐めてもいいのに、と思った。




◆◆◆






 瞬間、背筋に怖気が走った。

 わたしは妖精族だが、それよりも先に、ニンジャだ。
 その極意は、敵の不意を狙って必殺の一撃を下す、無手の暗殺者。
 わたしの能力はそこまで達していない。
 服を着たほうが傷を受ける確率が低いし、素手よりもダガーを手にしているほうが殺傷力も高い。

 だけど、隠行と気配の察知には自信がある。
 妖精族独特の能力である、気配を察知するセンスによるものだ。

 だからこそ、それが"働かない瞬間"がなによりも恐ろしいことを知っている。
 まるで自分の頭の中の空白の中から滑り出てきたように、何の気配も感じさせず敵が出てきた瞬間。

「……うちの娘になんの用ですかのぅ?」

 ギリュウの振り下ろした大剣が、突然滑り込んできた影の、手にした棍棒で止められた瞬間。
 わたしは、警告を発することも出来なかった自分を恥じる前に、その敵の力量に冷たい汗を流していた。

「……と、ととと、……とうさんっ!」

 ゴブリンの娘がそう言って、現れた影の胸に飛び込む。
 そいつは、ゴブリンというにはデカ過ぎる。ギリュウより頭一つデカいということは、全長2メートルは軽く超えているはずだ。
 どう見ても、トロルやオーガーのサイズ。

「ははは、山賊が出るっちゅう話を聞いたからちっと心配になったんだが、ちょうど良かったみたいだなぁ」

 片手で持った棍棒で、ソイツはギリュウの持つ大剣と拮抗している。
 確かに馬鹿力だ。巨体からすればそれだけの力はあってしかるべきだろう。

 だが、わたしが一番恐ろしいのは、ソイツが出現した瞬間の速さ。
 恐らく娘の危険を察知して森を駆け込んできたのだろう。
 それも、わたしが気配を察知する暇も無いほどのスピードで。

 こいつは、この巨体で、ゴブリンの素早さを持っている。
 ありえない話だが、そう考えるのが一番説明が付く。

「シャアアアアアアアアアッッ!」

 ギリュウが半歩踏み出し、体重を乗せて拮抗を崩す。
 押し負けたゴブリン(親)がわずかにバランスを崩して、体重が後方に傾く。

「……ガァァァァァァッッ!」

 ギリュウが裂帛の気合を込めて、水平に大剣を薙いだ。
 圧倒的な重量の鉄の塊が、まるで巨大なギロチンのように、ゴブリン(親)の胴に迫る。

「甘いわぁぁぁぁッ!!!」

 重いものが叩きつけられる音がして、次の瞬間には大剣が地面に沈んでいた。
 ゴブリンが上から下に振り下ろした棍棒が、横に振られる途中の大剣を地面に叩きつけている。

 やっぱり、トロルやオーガーに比べて格段に反応が速い。
 ゴブリンが大剣を踏みながら、ギリュウに肩からぶつかっていく。

「グォォォォォ!!」

 とっさにギリュウが口から酸のブレスを吐き出すが、皮膚を微かに焼く程度の効果しか出せない。

 ショルダータックルは、正確にギリュウの胸を捉えた。
 鈍い音と共にギリュウが吹き飛ばされて、仰向けに地面に転がる。

「しばらく休んどれっ!!」

 振り下ろされる棍棒を見ながら、わたしは堪えた。
 ギリュウを助けに行きたい。
 だけど、今、わたしが飛び出せば、何もかもぶち壊しになってしまう。

「疾く走れ虐殺の旋風! "風裂殺"!!」

 わたしが期待した通り、グノーは切り札の一つを切った。
 敵が出現した瞬間、ギリュウが斬りかかった瞬間から詠唱を始めていたのは、わたしの警告が無かったことを『それだけの力量の敵』と判断したから。
 それを察してくれるだろうという信頼と、繰り返し連携組んだ仲間だから分かる行動予測。

 万物を切り裂く風の刃は、水平に森を走り、倒れたギリュウの真上を抜けて、ゴブリン(親)の胴を裂いた。
 木々が倒れて、茂みから草が散る。
 一瞬遅れて噴出した血飛沫が、舞い落ちてくる葉を赤く染めた。

「やるのぅ……だが、この程度で倒れちゃあ、村長の名折れだ…………」

 そう言って、ゴブリン(親)はニヤリと笑う。
 ゴブリン(親)は、倒れなかった。

「クゥ……駄目カ……」

 胴から血を流していたが、致命傷にはとても見えない。
 すぐに、立ち上がろうとしているギリュウへと、棍棒を振り上げようとしている。

 けれど、舞い散る木の葉と倒れ行く大木の音は、わたしが求めていた『囮』の役を十分に果たしている。
 わたしは、大きく一度羽ばたいて、舞い散る木の葉の隙間を滑っていった。

 まっすぐに、ゴブリン(親)の首筋に。

「ぐ」

 手にしたダガーの先が、柔らかい皮膚に潜り込む感触と同時に、呻き声が聞こえた。
 妖精族のわたしの一撃は、手練のニンジャのように首を刎ねたりはできない。

だけど、毒の塗られたダガーなら、一番毒が回りやすい場所、首筋に小さな傷さえ付けばそれでいい。

「ごめんね♪」

 強力な麻痺毒は、一瞬でゴブリン(親)の力を奪った。
 巨体が前のめりに崩れ落ちていく。

「……無念。もう、一人、いた……とは」

 最後にそう呻いて、ゴブリン(親)は動かなくなった。

 勝った。
 戦いの緊張で、いつもの何倍にも引き延ばされていた時間が元に戻り、わたし達は息を吐いて動き出す。

「助カッタ」

 ギリュウは、わたしをチラリと見てそう言うと、ゆっくり立ち上がった。
 言葉が少ないのは、力量で負けていた悔しさだろう。
 数歩を歩いて、先ほど棍棒で地面に埋められたままだった大剣を引き抜く。

「はぁ……うん、ありがと。やっぱ、あんたみたいなのが一人いると違うな……うん」

 緊張が解けたのか、長い杖に身を預けながらグノーが言った。
 たぶん、ネコミと二人でこの森に入ったことを後悔してるんだろう。その顔は優れない。

「へへへ、もっと褒めてー♪」

 わたしは努めて明るく笑いながら、グノーの側をふわふわ舞った。
 グノーが苦笑交じりに手を上げたので、わたしはその手に自分の手を打ち合わせる。
 小気味いい拍子の音が鳴った。

「サテ……」

 わたしとグノーのじゃれ合いをいつもの無表情で見ていたギリュウが、黙りかねるといった調子で口を開く。
 それに気付いて、慌ててギリュウの側に戻った。
 遅れて、グノーもそこに駆けつける。

「悪いけど、あんたを見逃すわけにはいかないの」

 グノーが冷たい声で言った。

 親が倒されるのを目の前にして、怯えた顔でへたり込んでいる小さなゴブリンがそこにいた。
 ギリュウが大剣を振り上げるよりも先に、わたしはふわりとその子の後ろに舞い飛んだ。

「ごめんね……おやすみ♪」

 そして、振り向くよりも先に、ダガーの柄を首筋に。
 衝撃の焦点を絞った一撃は、一瞬でゴブリンの意識を刈り取った。

 けれどその瞬間、わたしはうっかり見てしまったのだ。
 その口が「おじいちゃん」と、か細い悲鳴を上げるのを。

 瞬間、背筋に怖気が走った。




◆◆◆






 ネコミを上に乗せ、私は森の中をのんびりと這っていた。

 上に乗ったネコミは、ヒルダお手製のワンピースとキュロットスカートを履いている。
 熱にスカートでいいのに、と思ったらヒルダに睨まれた。
 いや決してスカートだったら柔らかいおみ足の感触が楽しめるとか、さり気にパンツ覗けたりするのが良いなどと言う訳じゃないのだが。
 そもそもそんなことしても、私に乗っているネコミにはバレバレだしな。

「う、うん」

 いや、困らなくて良いから。
 キュロットスカートも似合っている。
 お尻の穴から突き出た尻尾がとてもキュートだ。

「……ありがとう」

 ネコミは尻尾をピンと立ててそう答えると、そのままうつむいて黙り込んでしまった。

 さて、森の外に向かう道だが、今日はやけに霧が濃い。
 夜中のように、死霊が人の形を取って遠くに列を並べたり、怨嗟の視線を送ってくることはないが、その代わりに視界がやたらと悪くなっていた。
 私だけならば、それでも気にせず木に触手を巻きつけて跳んで進むことも出来るが、ネコミを背に乗せたままうっかり木にぶつかったら危ないので、落ち着いて地面を這うことにしたのだ。

 遅くなって申し訳ないが、私がいないと死霊使いの森の霧を抜けられないのだから仕方ない。
 結局、ヒルダはこの森の霧の攻撃対象からネコミを外すことをしなかったのだ。

「それは、当たり前だと、思う」

 私の心の声に、小さく一度震えてから、ネコミが言った。
 やっぱり気にしているんじゃないか。

「でも、最初に私は、ヒルダさんを捕まえに来たんだし……触手の魔物さんも、やっつけようと、してたし」

 いやいや、誤解は解けたんだから水に流してもいいだろう?
 ネコミが良い子なのはヒルダも認めているのだから、別にどうってことは無いと思うのだが。

「でも、触手の怪物さん、死んじゃいそうに……」

 私は別に気にしてないのだが。

「でも、なにかあったら……」

 むぅ。

「……ごめんなさい」

 いや、ネコミが謝ることではない。
 ヒルダとネコミの言い分はもっともだと思う。

 私が、個人的な願望として、ネコミとまた会う機会が欲しかったのだ。
 私にとって、理性的なコミュニケーションが可能な相手は、現在この広い世界の中で、恐らくヒルダとネコミの二人だけしかいないのだからな。
 そのような個人的な欲求で迷惑をかけるのは申し訳ないのだが。

「え、あ、う……う、うぅん。迷惑じゃない」

 ネコミがふるふると首を振る。
 嬉しい反応だ。これがネコミの帰り道でなかったら即座に押し倒すのだが。

「あ……」

 まさか、また連れて帰るわけにも行くまい。
 さすがにヒルダも怒るだろうし、ネコミの仲間だって心配しているだろう。

「…うん」

 もしその気があったら、この前進入するときに使った道具でまた遊びに来てくれたまえ。
 女の子の仲間だったら大歓迎するぞ。
 この前の、ちっこい女の子には気の毒なことをしたから、もしそのきがあったらまたゆっくりお相手をしたいことだしな。

「うん、分かった」

 こくこく、とネコミは頷いてくれた。
 次に遊びに来てくれるのを楽しみに待っていよう。
 それまでに、食事の作り方をヒルダに教わって、歓迎のご馳走などを作るのもいいかもしれない。

「楽しみ」

 立てた尻尾をゆっくりはたはたと振りながら、寝込みはこくこくと真面目な顔で頷いた。
 やはり好物は魚系だろうか?
 ゴブゴブ村からの差し入れに釣ってきた川魚などもあったから、今度ロナちゃんに川魚が取れる場所など聞いて、釣りなどしてみるのもいいかもしれない。

 そんなことを思っていたら、急に視界が開いた。
 一瞬、森の外に着いたのかと思ったが、白い霧は遠巻きに渦巻いているし、奥の方ではまだ森が続いているのが見えている。
 何故か森の中に大きな広場が出来ていて、その広場を白い霧が避けているのだ。
 広場の地面にはあちこちに焼け跡が残っていて、中心の辺りから放射状に草が焼き払われ、折れた大木が激しい熱に晒されたように炭化している。

 こんな光景を、俺はつい最近に見た。

「……これ、"核熱"の痕……他にも、魔法が、たくさん……」

 ネコミが私の思い付きに同意する。
 耳をピンと立てて周囲を見回すと、ちょうど戦闘の痕の中心と思われる方を見たまま視線を固定する。
 少し遅れて、私は慌ててそちらに向けて大きく目を開き、ネコミの視線の先を注視した。

「……グノー! ギリュウ! ピクス!!」

 ネコミが名前を叫ぶと同時に、私の上から跳んだ。

 その場所は、まさに死屍累々というに相応しい光景だった。

 まず、一昨日に私を追い詰めた、長い髪の毛をツインテールに結い上げた、小麦色の肌のちっこい女の子が、ぐったりと地面に崩れ落ちるようにして倒れている。
 次に、碧色の髪を首ぐらいの長さで短く切り詰めた、半透明の蝶の羽を持った全長30センチほどの妖精みたいな女の子が、折れた木の幹に叩きつけられたように手足を投げ出してぐったりしている。
 最後に、鋼鉄の鎧を身に纏った角突き爬虫類人間みたいなのが、何かに背中から叩きつけられたかのように、地面に軽くめり込むようにして動かなくなっている。

 その中央に立っているのは、巨大な棍棒を手にした、小山のような大きさの厳つい緑色の肌の巨人。
 岩のような肌を腰ミノ一つで覆っているが、人間の筋肉のパロディのような、有り得ないほど硬質の太く分厚い筋肉は、そんな鎧よりもその肉体を強固なものに見せている。
 そのくせ、禿げ上がった頭にはつぶらな瞳と2つの穴だけの鼻、突き出した顎から上に伸びる白い2本の牙だけしかなく、そのなんとも簡単な造形は、可愛らしくさえ見えた

 だが、その立ち姿の異様さは、正対したらすぐに分かるだろう。
 その巨体に反して、異常なほど手足の動きが静かで滑らかに見える。
 まるで、跳ね上がる寸前の昆虫を前にしているような、独特の緊張感がこの巨体から発せられているのだ。

 ネコミは、そんな存在を前に、瞬時に抜き放った刀を突きつけ立ち塞がっていた。
 倒れている三人を守るように。

「……皆を、どうした」

 ネコミの口から発せられた鋭い声で、私ははじめて、この巨大な緑色の魔物が、先ほどの三人を倒し、ネコミがその敵討ちをしようとしている現状を理解した。

「ほぉ、また一人来たんかのぉ。嬢ちゃん、この娘っこどもの仲間かいのぉ?」

 ネコミの問いかけに、巨人のしわがれた声が言葉を返す。
 年寄りなのか。それとも、巨人は種族的にこんな喋り方なのか。

「なかなかたいした娘っ子共じゃったなぁ。魔王城でも、こんな強いパーティ-はなかなかお目にかかれんかったわい。……目ぇ覚ましたら、もっと修行してから出直すように言っておくんじゃなぁ?」

 ふぁふぁふぁふぁふぁ、と笑う。
 なんだ、思ったよりも友好的じゃないか。

 私は、その場でネコミの側まで這い進み、ネコミの足に触手を軽く絡めて、周囲を改めて見回す。

 少し離れた場所で、太い木の幹に背をつけて2メートルちょっとのサイズの、腰ミノ付けた顔の造形が簡単な緑色の魔物……たぶん、デカいゴブリン……が、気絶している。
 その横には、同じく木に背をつけたまま意識を失っているロナちゃんの姿である。

 どうやら、ゴブゴブ村の方らしい。

 …………もしかして、この巨大な緑色の魔物って、デカいゴブリンなのか?

「ゴブリンッ!?」

 私の思考を聞いて、ネコミがびっくりした顔で声を上げた。
 驚きにピンと立った尻尾が逆立ち、パンパンに膨らんでいる。

「おお、そうじゃ……なんじゃ、嬢ちゃん、見て分からんかったんかの?」

 不満そうな声だが、造形がシンプルな顔はちょっと眉間にしわがよっただけであんまり感情を伝えてくれない。
 それでも非難の意志を感じたネコミは、慌ててちょっとだけ頭を下げて「ごめん」と答えた。

 しかし、ゴブリンいうことなら話が早い。
 ゴブゴブ村から来たゴブリンなら、たぶんヒルダの知り合いだろう。
 ここに倒れている冒険者の人たちとゴブリンさんに何があったかは分からないが、きっと些細な勘違いによるものに違いない。
 ちゃんと事情を説明すれば戦闘のような野蛮な行為は避けられるだろう。

「え、あ……う。……あの、ゴブゴブ、村? の、ゴブリンさん、ですか?」

 私の意志を汲み取って、ネコミちゃんが緑の巨人に話しかけた。
 よし、ナイスだ。正直カタナを構えっぱなしなのはどうかと思うが、この際その辺りは安全確保のためと思って眼をつぶろう。
 仕方ないのでネコミの横から私も触手をパタパタさせて自己主張をしてみる。

「おぅ……? おお、おお! もしや、お前さんがヒルダ嬢ちゃんが最近喚んだっていう珍しい魔物かの? 」

 やっと私のことが眼中に入ったのか、緑の巨人改め巨大ゴブリン氏は何度もカクカク頷きながら構えを解いてくれた。
 その代わり、私のことを「ほぉぉぉぉ……これが」とか言いながら見下ろしてくる。

 ネコミは目を丸くして巨大ゴブリン氏の様子を見ていたが、戦意がなくなったことに気付いて、慌てて自分もカタナを引っ込めた。
 よし。とりあえず戦闘勃発は免れたようだ。

「あの……私の、仲間」

 ちらちらと、倒れている三人を見ながらネコミが巨大ゴブリン氏に話しかける。
 たいへん言葉が足りない問いかけだったが、大意は察したらしく、巨大ゴブリン氏は頭を掻きながら答えた。

「おぅ、そうじゃそうじゃ。どうも森でばったり出くわしたか何かでドンパチしとった様子でのぅ。孫と息子がやられとったんで、久しぶりに暴れたんじゃよ」

 なるほど。なんとなく理解した。
 冒険者は魔物と遭遇したら問答無用で襲いかかってしまう人たちだしなぁ。

「……ごめんなさい」

 巨大ゴブリン氏の言葉に加えて私の考えまで受け止めて、ネコミがしゅんと耳を伏せて謝る。

「がっはっはっはっ、なぁに、この森も迷宮みたいなもんじゃしな。出会って戦うのはしょうがないじゃろ」

 巨大ゴブリン氏は豪快に笑って謝罪を流してしまった。私としても同感である。
 死人さえ出なければ、ちゃんと謝ってくれれば問題ないのだ。

「まぁ、よう事情は分からんが、お仲間なら連れて帰ってやってくれるかのぅ? ここに放り出すワケにもいかんし、僧侶魔法でもかけてやらにゃあ当分目を覚まさんからなぁ」

 巨大ゴブリン氏がそう提案する。
 確かに、この森の中に気絶した生き物を放置するのは危険っぽい。
 あの霧が近付かないところを見ると、たぶんネコミが言っていた魔除けとかで守っているんだろうけど、何かの拍子ということもあるし。

「……はい」

 こくこくとネコミが頷く。
 ちょっと変な展開になってしまったが、無事に合流できたから良かったと言えるだろう。

 後は、一緒に連れて帰るだけ……か?
 しかし、よく考えたら森の外に放り出すのはいくらなんでも可哀想か。

「それだけしてもらったら、大丈夫」

 私の心配を他所に、ネコミはこくこくと頷いている。
 自分が迷惑をかけたと思っているのだろう、寝込みはさっきからチラチラと向こうで気絶したロナちゃんたちの方を気にしていた。
 そういう生真面目なところはえらいと思うが、さすがにその大きな爬虫類の人を引きずっていくのはネコミには無理だろう。

 ヒルダには悪いが、一度戻ってもう一晩泊めてもらうのが……。

「!」

 ネコミの尻尾がぴんと立った。
 そして、そわそわと揺れる視線に合わせてふらふら左右に揺れだす。

 まぁ、本人も乗り気のようだし、そういうことになった。



「それじゃあ、またのぅ~。久しぶりに思いっきり戦えて、楽しかったって伝えてくれ~」

 先ほどの話からしてと、ロナちゃんのお爺さんだったらしい巨大ゴブリン氏は、片腕に息子とお孫さんを抱きかかえると、大きく手を振りながらゴブゴブ村の方に帰っていった。

「んん……やぁぁぁ……売り飛ばされるぅ……。こんな大勢の前で……ダメだよぅ……そんな値段、つけないでぇ……」

 なんか抱きかかえられたロナちゃんが変な夢見てるっぽかったが、とりあえず全員でスルーしておいた。
 よく分からんが、君に幸あれ。




◆◆◆






 というわけで、落ちてたのを拾って持って帰ってきたのだが。

「持って帰ってくるな!」

 お家で飼っちゃダメ?

「子供みたいにお願いしてもダメだ! とっとと捨てて来いっ!!」

 いや、だが、しかし、昏倒している娘さん達をあんな危険な森に放り出すというのは、さすがの私でもちょっと気が咎めるのだが。

「……はぁ……分かってる」

 私の言葉に、ヒルダがふかぶかとため息を付いて椅子に身を沈める。
 なにか老け込みそうな溜息だったが、思うに、なんだかんだで優しいヒルダのことだから、もともと本気で反対するつもりはなかったのだろう。

「いいか、全員目を覚ましたら、ちゃんと家に帰せよ? 絶対だからな?」

 勿論だとも。
 この誠実さに満ち溢れた大きな目と、万人に深い愛を注ぐ心を信用して欲しい。

「信用できるかっ! なんで1人帰しに行って3人増えて帰ってくるんだお前はっ!!」

 がーっ!と吠えるヒルダを前に、私はほんのちらっとだけ6P、とか考えてしまった。
 いや、決して他意があるわけでなく、現在ヒルダの家にいる総人口に対して単位「P」を当てはめてみただけなのだが。ホントに。

「こ! の! ド! ヘ! ン! タ! イ! がっっっ!!」

 麺棒で平たくされながら、私は必死に再度の説得を試みたが、なかなか誤解は解けない。

 まぁ、よくあることだ。うん。
 死にさえしなければ、そのうちきっと誤解も解けるだろう。





<つづくー>



[3500] 11話「悪夢! 虜囚の果てに!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:a356d9ca
Date: 2009/06/03 21:12
 鎖で吊るされた豪華なシャンデリアが、寝室を明るく照らしていた。

 シャンデリアを飾ってる水晶の明かりは、真昼のお日様の光りよりも明るくて、白々しい。

 その光に照らされているボクは、シャンデリアと同じように、鎖に縛られてベッドの上に寝かされている。
 寝かされているベッドは端々を精緻な装飾で飾られた高級品だったけど、肌に触れるシーツの、上品な獣の毛皮のような柔らかさを楽しむ気にもなれない。
 それは、なによりシーツの感触が分かるのが、ボクの肌がシーツに触れている部分が多いからで……ようするに、ボクが今、なにも身に着けていないからだ。

 そして、ボクを見下ろしている、いやらしい人間の目が、すぐ側にあるから。
 ボクは裸にされて、この男達の晒しものにされていた。

「くくくくく、男爵様もまた趣味が悪い。人間に飽きて果てた末、今度は魔物の娘とは」

 頭に大きなターバンを巻いた小太りの男がいやらしく笑う。
 鼻の下のチョビ髭は、油を塗っているみたいに黒くて、虫の殻みたいに艶がある。

「ふぁふぁふぁふぁふぁ、高尚な趣味といってくれないかね。或いは、ちょっとした紳士の嗜みとか」

 やけにクルクルした巻き毛の痩せぎすの男が、口元を歪めながら変な笑い方をする。
 ナナメに跳ねたブーメランみたいな髭は、人間の絵本で見たことのある悪い貴族そのものだった。

「ほっほっほっ、これはこれは失礼を。まぁ、しょせん魔物など人間以下の家畜ですからなぁ」

 商人の男が揉み手をしながら笑う。
 口にしている言葉と、ボクを見下ろす嫌な目つきは、ボクが知っている人間とは全然違う。
 それは、物語の中でしか聞いたことのない、サベツ主義の悪い人間そのもの。

「くそぉ……」

 今すぐその顔を引っかいてやりたいと思う。
 けど、その手は腕枷でバンザイの姿勢にさせられていて、前を隠すことも出来ない。

「ほほほ、しかし、なかなか可愛い娘ではないか。ゴブリンなど薄汚い山賊同然の生き物と思っていたが、なかなかどうして雌となると、ずいぶん形が違うな」

 悪い貴族が目を細めると、ボクの顔をジロリと見た。
 怖気がするような視線が怖くて、とっさにボクは目を逸らす。

 けれど、貴族の視線はボクの顔から下へ、喉を伝って胸を見て、そこからずっと下へ下へ、ゆっくりと身体を舐めるように見ていく。
 見えない巨大な舌が、たっぷりと唾液を塗りつけながら肌を舐めるような感触が、伝わってくる。
 前を隠して、足を閉じようちおしても、手足を引っ張り鉄の鎖はびくともしなかった。

 視線が、おへそを舐めて、下腹を伝って、閉じることもできない脚の間へ下りてくる……。

「……こっ、この、ヘンタイ! はなせよっ!!」

 必死に出した言葉は、自分でも分かるほど怯えていた。
 目に涙が溜まっているのを見られないように、腕で目尻を擦る。

「くくくく」

 貴族が喉奥で笑う声が聞こえて、視線が外れた。
 安堵とともに息を浅く吐く。
 感触だけで感じた唾液の代わりに、肌にじっとりと重い汗が浮かんでいた。

「ヘンタイとは失礼な、こちらはお前を高額で買ってくださったご主人様なのだぞ?」
「なぁに、気にすることはない。むしろこれぐらい元気な方が、教育のしがいがあるというもの」

 商人が立腹しながら異議を申し立てて、貴族がいやらしく笑う。
 教育、という言葉に嫌な予感を感じて顔を上げると、貴族の手が僕に近づいてくるのが見えた。

 ボクは必死にベッドの上を後ろに這って、男の手から逃げようとする。

「く……くるなっ! お前たちっ! ボクに指一本でも触れたら、ぜったい許さないからなっ!!」

 足枷から伸びる鎖がベッドの下へと伸びているので、後ずさることが出来たのは少しだけだった。
 けれど、貴族は伸ばしかけた手を止める。

「ほほぉ……これはまた可愛いことを言う。指一本、指一本とはなぁ……」

 代わりに貴族はにやりと笑い パチンと指を鳴らす。
 どいうつもりかと、ボクが戸惑ったのはほんのわずかな時間だけだった。

 急に、ガシャガシャと鉄の歯車が噛み合う音が聞こえて、ベッドの枠に添えられていた支柱が動き出す。
 支柱からは、ボクの足枷に繋がった鎖が伸びている。
 そして、その鎖をどんどん巻き取りながら、支柱はボクの左右へと移動していく。

「えっ、あっ……な、やぁ、やめ……」

 慌ててボクは足を引っ張る鎖を止めようと力を込めたり、身体を揺すって体勢を変えようとしたけれど、鎖を引っ張る機械の力は強くて、引っ張る力は止まらない。
 ガチャンと音を立てて鎖を巻き取る機械の動きが止まったときには、ボクの脚は、恥ずかしいぐらいに大きく左右に割り開かれていた。

「あっ……あああっ、いやああああっ!やだ! 見ないでっ!!」

 目をぎゅっと閉じて、顔を背ける。

 そんなことをしても、男達のいやらしい視線は、遮ることも出来ない。
 手でそこを隠したくても、鎖がジャラジャラと鳴るだけ。
 両脚を開かせている足枷は、もう限界まで引っ張られていて、音も鳴らなかった。

 視線が、ボクの大事な部分を、じっくりと弄ぶように舐めていく。

「なんだ、大きい口を叩く割には、こんなに震えて……それに、ここもまだまだ子供ではないか」

 貴族が声を潜めて、ボクに囁く。
 恥ずかしさとくやしさで、耳まで赤く染まっているのが分かった。

「くくく、こんなに可愛らしい割れ目では、男爵様のご立派な一物を受け入れるのは大変でしょうなぁ?」

 商人が屈み込んで、ボクの足の付け根を覗き込みながら言う。
 声と同時に、ボクの、敏感な場所に、商人の吐息と、鼻息がかかる。

「…………い、いや……」

 ボクは、首をゆるゆると振った。
 涙がポロポロとこぼれているのが分かる。

「なぁに、そんなに泣いて嫌がらなくても良い……。我輩が、たっぷりと時間をかけて、お前に女の悦びの何たるかを教えてあげようじゃないか」

 貴族が、ボクの上に覆いかぶさるように顔を近づけて、耳元に囁いた。
 手足が動かせないボクは、男の体を跳ね除けることも出来ない。
 噛み付いてやれ、そう頭の隅に考えが浮かぶけれど、背けた顔を男に向けることすら怖くてできない。

「そうそう、指一本触れたら……と言ったねぇ? 指一本触れたら、我輩を許さないんだったねぇ?」

 囁き声に含まれた嘲笑の響きに不吉な予感を感じて、ボクはとっさに自分の足元を見てしまう。
 開かれた足の付け根に、貴族の手が触れようとしている。

「や……やめっ…………う、あぁ……」

 そろそろと、時間をかけて、男の指が迫っていく。
 鎖に引かれた脚は、もがこうとしても、わずかにギチギチと鉄が引かれる音を上げるだけだった。
 汗が、腿の隙間を伝って、敏感な部分の側を撫ぜる。

 声を押し殺そうと、口を硬く閉じて、シーツを手の平でぎゅっと閉じる。

 貴族の指先は、獰猛な獣の舌先のように、ボクの……。


 ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!


 次の瞬間、唐突にベッド脇の壁が吹き飛んだ。

「おわぁぁぁッ!! せっかくお楽しみのところを!! なに者だ!!?」

 商人が何故か拳法っぽいポーズを取りながら声を上げる。
 その言葉に応えるように、吹き飛んだ壁の向こうから颯爽と現れる一陣の風。

「フハハハハハハハ! 私の名は、死霊使いのヒルダ様だ!! 悪い人間は土下座して今までの罪を悔いろ! さもなくば死んだ方がマシな目に遭わせる!!」

 そこには、巨大な肉の塊のような、絶え間なく蠢く無数の触手の上で哄笑する、魔女の姿があった。
 マントが風ではためき、とてもかっこいい。

「ふざけるな! 貴様も我輩のテクニックでにゃんにゃんしてやる!!」
「私達のテクニックを甘く見たのが仇となったようだな!!」

 さっきまでボクの上にまたがっていた男が、座ったままのポーズでジャンプすると、空中から魔女様へと襲いかかる。同時に、小太りの商人が地面を蹴った。
 上と下からの同時攻撃は、訓練されたもののそれだ。まさに回避不能の二重殺!

「魔女様、あぶない──ッ!!」

 僕の叫びに応えて、魔女様はにやりと笑うと、その白い細腕を上げる。

「甘いわ!! やってしまえーー!!」

 次の瞬間、魔女様の足元から怒涛の勢いで伸びた無数の触手が、貴族と商人をあっという間に絡めとる。
 うねうねと蠢く触手に二人の男が沈むと、ぽーんぽーんと身に着けていた服が飛び出していった。

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁやめろやめろやろそこは待ってゴメンすいませんマジ反省しますからこれ以上はちょっとあひぃぃぃぃやめてためてくださいそこだけは………………………………アーッ!」」

「この我輩がこのような薄汚い触手ごときにはぅあっ! いきなりどこをむをあああああっ!? き、貴族の我輩をひゃぅううっ! やめ、はな…っ…うひゃぁぁ! らめ!そこらめぇぇぇぇぇ!? 我輩いっひゃううううううっっ!!」

 断末魔の絶叫と共に、悪は滅びた。

「とぅ! 大丈夫かゴブリンの娘!?」

 一仕事終えた感じの触手さんからジャンプして、魔女様がボクの目の前に着地する。
 ボクはまだ裸のままだったので、多少恥ずかしかったけど、「ありがとうございます」と御礼をした。

「なに、当然のことをしたまでだ」

 笑顔でそう答えてくれる魔女様が頼もしい。
 その笑顔に安心しながら、ボクはおずおずとお願いした。

「それで……あの、魔女様……。この格好、すごく恥ずかしいから……鎖、外して欲しいんですけど……」

 鎖のせいでボクは大開脚させられているわけで。
 魔女様はそれを真正面から見ているわけで。
 いくら魔女様でも、こんな格好をずっと見られるのは恥ずかしすぎる。

 だというのに、魔女様は笑顔のままでこう答えた。

「いいから」

 背後に回した魔女様の手の平に、いつの間にか一本の太い何かが乗っている。
 ゆっくりとこちらに向けられたそれは、黒光りするような……太くてツルリとした表面の──────


 太  い  麺  棒  だ  っ  た  。


 そしてその太い麺棒を手に、大開脚をさせられたままのボクにずんずん迫ってくる魔女様。

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、魔女様……魔女様なんでぇぇぇぇええええ!?」

「いいから」

「よーくーなーいーですっ!……なんでこんなっ……って! そんな太いの、ボク、絶対無理で……っ!!」

「いいから」

「やぁっ、いやぁぁあ……んっ…あっっ…押、押し付けないでっ……無理っ、ぜったい、無理ーーーーっ!!」





「いやぁぁ……ダメ……麺棒が……めんぼーがーーー……」

 さっきまでうなされたり変な声を上げていると思ったら、急に悶え苦しみながら謎の寝言を口にしだした娘を前に、父と祖父は困り果てていた。

「……お、お父さん! こういう時は、いったいどうすれば!?」
「ぬ、ぬぅぅぅ、儂にも分からん! と、とりあえず、ロナの寝言の通りに、麺棒を持ってくればいいんじゃないか!?」
「分かりました、今すぐにありったけ持ってきますっ!!」
「くぅぅぅぅ、起こした方がいいのじゃろうか? しかし、無理に起こせば健康に阻害が……ぐぬぬぬぬ」

 数分後、ようやく目を覚ましたロナは、何故か麺棒を手にしたまま自分を心配げに覗き込む父と祖父の姿を前に、それはそれはすさまじい悲鳴を上げた。
 その悲鳴は夜中のゴブゴブ村の隅々まで響き渡り、翌日のゴブゴブ村の村人達をちょっとした寝不足に陥らせたという。

 あと、こっぴどく顔を引っかかれたロナの父と祖父は、ダメージから回復できずに翌日寝込む羽目になった。




11話「悪夢! 虜囚の果てに!!」




 客室はちょっとした負傷者収容所と化していた。
 あちこちに横たわる怪我人、慌てて用意されるベッド、とりあえず清潔なタオルの山。

「だぁぁぁぁぁ、お前は阿呆か! これは工具箱だろうが! 救急箱をとってこいと言ってるだろうにっ!!」

 触手がうねうねと差し出した木製の箱を押し返して、怒声を叩きつける。
 文字が読めないのを差し引いても、持ってくるときに中身の確認ぐらいしろと言ってやりたい。

 触手の怪物は、一度目を瞬かせるとうねうねと部屋を出て行く。

「……寝かせた」

 怪物の対応しているうちに、ネコミが冒険者共を横に寝かせ終えていた。
 部屋にベッドは一つだけなので、残りはソファと机の上と床に寝かせるように言いつけたのだが。

「よりによって一番デカいのをベッドで寝かすな! せめて鎧は脱がせろ馬鹿者ッ!!」

 ベッドのスプリングを押し潰さんばかりの重さで、仰向けのドラゴニュートが寝かせられていた。
 フルプレートアーマーを装着している上に、体の竜化が進み全身を甲殻と鱗で覆ったドラゴニュートは、ちょっとした岩の塊のような重さがある。
 ベッドまで持ち上げたのは凄いが、どう見てもこれではベッドが潰れて使い物にならなくなる。

「肩とか、おなか、怪我してる」

 仰向けにするには尻尾が邪魔だと言いたいんだろう。
 ソファでもいいと言いたいが、そっちはドラゴニュートが横たわるには小さい。

「分かった分かった。じゃあせめて脱がすぞ、やり方分かるか?」

 私が聞くと、ネコミはふるふると首を振った。
 一つ溜息を吐いて、ネコミの横について手伝いを始める。

「言われた通りにやれよ。まずコートの留め具を外すから、少し首の辺りを持ち上げる……よし」

 ネコミに手伝わせて、私はドラゴニュートの鎧を脱がし始めた。
 昔も今も、それほど鎧の構造というもの変わらない。
 もともと冒険者用の鎧は手順を踏めば素早く着脱出来るようになっていることが多く、ドラゴニュートの着ていた鎧も案の定、簡単に脱がすことが出来た。

 鎧の下に隠れていた白い鱗は、一部が波立つように割れて、その下の皮膚はドス黒く染まっている。

「……なるほど、打撲傷と衝撃で気を失ってるのか」

 話を聞いて見当は付いていたが、ゴブゴブ村の爺にやられたのだろう。
 あいつも私と同じ『生き残り』で、元は魔王城の番人だ。英雄抜きの冒険者三人程度では、話になるまい。

「どう?」

 ネコミが横から不安げに聞いてきたのは、見た目から負傷の程度が分からなかったからだろう。

「衝撃で深い疲労状態に陥らされているだけだ。意識が途絶えているが、ほっておけば自力で回復するだろう」

 私が説明すると、ネコミは安堵の溜息をついた。
 脱がした鎧をまとめて、ベッドの横にまとめ始める。

『これで良いだろうか?』

 急に腕に触手が絡みつくと、そんな思考が流れ込んだ。
 振り向くと、入り口から入ってきた怪物が、救急箱を触手で吊るしてぺたぺたと這ってくる所だった。

「ああ、それだ。次からは、ちゃんと憶えろよ」

 そう言って応急箱を受け取り、中を開ける。
 この手の打撲傷にはあまり塗り薬の効果はないので、血の偏りを防ぐ薬草を取り出す。
 すり鉢で磨り潰していると、横から怪物が、触手の先に生やした瞳で件のドラゴニュートを見ていた。

「……女の寝姿をじろじろ見るな」

 鎧を脱がしたときに胸は空けてある。
 完全な竜化を果たしている肉体は、人間のように乳房があるわけではないが、それでもジロジロ見ていいものじゃないだろう。
 両手が塞がっているので睨みつけるだけだったが、怪物の方はおとなしく触手を引っ込めた。

『そう言われてもピンと来ない。この爬虫類の人が本当に女性なのか?』

 代わりに、そんな思考が流れ込む。

「完全に竜化しているがな。ドラゴニュートは、このまま修行を続けて、最後に竜になる。気絶しても竜化が解けないということは、相当な修行をしてるんだろう」

 完全に竜化したドラゴニュートは実際珍しい。
 人類側にいるような連中は、中途半端な半人半竜の姿で子を生し、ドラゴニュートとしての種を維持する道を選んだ者がほとんどだと思っていたが。

『なるほど』

 私の言葉を受けた怪物は、もう一度目玉の付いた触手をドラゴニュートに向ける。
 その先端が途中で変形して吸盤のような触手に形が変わるのに気付いたのは、触手がドラゴニュートの下半身に乗っていたシーツの中に消えたときだった。
 するすると、シーツの中の盛り上がりが、仰向けに眠る竜の太い脚の付け根へと移動していく。

「……あ」

 両手が塞がっていたので、とっさに止められなかった。
 というか、いきなりそんなことすると予想できなかった。

『うむ、ほんとに女の子だ』

 なんか納得した感じの思考が伝わってくる。

「おまっ、この……!」

 黙れこの馬鹿すぐ止めろ、と口にしようとしたが、とっさのことで舌が回らない。あああああ、なんでコイツのアホ思考はダダ漏れで伝わってくるのに私の思考はコイツに伝わらないんだ!

 時すでに遅く、竜の口から吐息が漏れた。

「グ、ゥ、ア……は、ひ…………あ……あ……っ」

 声の途中で、その性質そのものが変化する。
 次の瞬間、ギチ、と音が鳴った。

 ミシミシミシと、鈍い音を立てて全身を覆っていた鱗が急激に硬度を失い、その肉体の輪郭が変化していく。
 後方に伸びた竜の角だけをそのままに、突き出た顎が引き込まれ、牙は縮み行き、突き出た爬虫類の瞳が眼窩に沈んでいく。
 角の後ろから生えた深緑の長い髪が、ベッドの上を波打ちながら広がっていく。
 鋭い爪を伴った手は細くしなやかなものへと変わり、前傾姿勢を前提とした折れ曲がった脚が、細い脚に変わるにつれて真っ直ぐと伸びていく。
 脚の間から見えていた、体を安定させるための長く太い尻尾が、みるみる短く縮んで細く短いものへと退化していく。
 鱗と甲殻に覆われて硬質のシルエットをしていた肉体は、女性らしい丸みを帯びた、人間とほとんど変わらないものへと変化を遂げた。

 研鑽のされ方から高齢だと思っていたが、予想よりも若い。
 人間なら20を過ぎたぐらいの年齢か。
 竜化した時と同じく背は高く、そのせいかずいぶんとスタイルがいい。
 むき出しの胸からこぼれた大きな乳房は、形を崩さずにツンと上を向いていた。

「…………あ、あ、ああああああ」

 事態に気付いたネコミが、口をあんぐりと開けて仲間の変化を見ている。
 その蒼ざめた顔からすると、この事態を理解しているのだろう。

『お、おおおおおお、驚いた、まさかいきなりこんなに変わるとは……』

 予想だにしない変化に、触手の怪物は慌てて脚の間から触手を引き抜いた。
 引き抜く瞬間、もう一度ドラゴニュートの口から微かな吐息が漏れる。なにやってるんだコイツは。

 私は、無言でドラゴニュートの娘のシーツを持ち上げると、胸までをかぶせる。
 腹の打撲は残っていたが、竜の姿をしていた時よりも黒い痕は小さい。今の変化で悪化することはないだろう。

 ────それは、ともかく、だ。

 すり鉢を置いて、両手を触手の怪物に伸ばす。
 事態に気付いて逃げようとするのを無理矢理捕まえて、太い触手を引っ張り上げた。

「アホか!! お前、お前なぁぁぁ! いきなり足の間に触手を突っ込むヤツがあるかッ!!」

 どこをどうしたかは見ないでも分かる。
 というか、今の変化だけで丸分かりだ。

『いや、私は単に男女を見分けようと。ほら、胸じゃ分からなかったから、そっちがあるかないかで分かるかなー、と。別に性的な目的があったわけではなくて……ですね?』

 言いたいことは分からないでもない。分からないでもないが。

「ヒトが女だとはっきり言ってるのに、そんな場所を触るヤツがあるかッ! お前、その調子で、私が寝てる時に毎回変な事をしてるんじゃないだろうなッ!?」
『いや、決してそんなことはない。ちょっと微妙な部分をくすぐるくらいで』
「それはやってるってことだろーがッッ!」

 持ち上げて吊るした触手の塊をぶんぶんと振り回すと、触手はわたわたと細い触手を無数に揺らして、必死に弁明の意志を伝えてくる。

『いやいやいや、それはこう、私の愛のあらわれであって、今回のケースとはまた別の問題であって、今回は決してやましい気持ちで触ったわけではないわけで……』

 なにか思考がどんどんあやしくなってきたが、私はいい加減コイツを責めても仕方ないと思い直して、触手の塊から手を離した。
 ぼろんとこぼれ落ちた触手は、伸ばしたゴムが縮むように、触手本体にひゅるひゅると巻き戻っていく。

 私は息を吐いてもう一度ドラゴニュートを見る。
 意識を失ったまま昏々と眠るその顔は、すでに人間のそれと変わらない。

「……あのな。ドラゴニュートは修行で竜になると言ったのはまだ憶えているな?」

 床の上で小さくなっている触手の怪物を前に、私は腕組みをして鋭い視線を向けた。
 軽く怒りを込めたのが効いたのか、怪物はぶるぶると触手を震え上がらせて私に思考で答える。

『サー! イエス、サー!』

 ちょっと芝居じみているのがムカつくが、真面目に聞く気はあるようだった。

「なんだその返答は。……とにかく、さっきの姿はドラゴニュートが修行の末に竜に近付いていたことへのあらわれだったのだ。つまり、ドラゴニュートは人から離れるほど、ドラゴンに近い肉体を獲得していく」

 触手の怪物の大きい目が瞬く。
 まだ、事態がよく分かってないらしい。

「肉体の変化は自在に行えるものではない。本来、人に似た姿であるドラゴニュートがそこまで到達するには、優に10年を超える修行が必要だ」

 私の言葉に、触手がビクンと揺れた。
 大きな瞳がドラゴニュートの娘を見て、もう一度私を見る。

「お前が先ほど触れた場所は、竜と化したドラゴニュートの逆鱗だ。触れれば人の性が蘇り、長い時間をかけてやっと捨て去った性は、あっという間に竜と化した肉体を解いてしまう。今までの苦労を無に返してな」

 やっと完全に事態を理解したのか、触手の怪物はブルブル震えていた。
 なにかそういう特殊な生き物みたいで大変気持ち悪かったが、私は気にせず腕組みを解き、静かに問い正す。

「……もちろん、ちょっと触れるだけでそこまではならない。が、お前……触手で、そこをどうした? 舐めたり吸ったり突いたり擦ったりしたんじゃないか? 罪の意識が少しでもあるなら、正直に言え────」

 ゆっくりと拳を鳴らしながら聞く。

 少しの間のあと、微妙に視線を逸らしながら触手の怪物が応えた。

『──────ちょっとだけ』

 次の瞬間放った左ストレートは、正確にデカい眼球を真正面から捉える。
 飛び散った硝子体は、飛沫になって私に降り注いだ。




◆◆◆






 目が覚めたら、ふわふわするタオルの山の上だった。
 洗濯したばかりなのか、白いタオルからはお日様の匂いがする。
 ちょっと気持ちいいなぁと、ぼんやり目蓋を下ろしかける。そのまま眠ってしまいたい気分だった。

 それを留まったのは、わたしを見下ろす顔に気付いたからだった。
 黙っていれば冷たい女で通るだろう切れ長の鋭い猫の目が、みっともなく目尻を落としたまま、オドオドと不安げに左右に揺れている。
 ぺたりと伏せた頭の上の猫の耳は、見間違えるはずもない、わたしの仲間の顔だった。

「……おはよー」

 ゆっくりと声を上げる。
 口から出てきた声は、しわがれたみっともない声になってしまった。

 わたしの声を聞きつけるや否や、耳を伏せてわたしを見ていた顔が丸く見開く。

「おはよう」

 声を高くするわけでなく、一文字ずつ確かめるようにゆっくり発音する声。
 それは慣れない相手が聞けば無感動な声と思うような声だったが、その頭の上では猫の耳がピンと立って、必死に喜びを表現していた。

 クスクス笑ってから、私は少し躊躇って口を開いた。

「えーと……それで、なにがどうなったのかな?」

 わたしの質問に、ネコミに耳がまたぺたりと伏せる。
 また、なにかややこしい事態にでもなっているらしいと、わたしは直感的に悟った。



「ふーん、なるほど、そんなことになってたのねー」

 わたしは、ネコミが出してくれた冷えたミルクを飲みながら、彼女から今までの経緯を聞いていた。

 わたし達が例のでっかいゴブリンに倒されてから、ざっと半日ぐらいが経ったらしい。
 外はもう真っ暗で、空には星と月が輝いている。

「うん。なってた」

 こくこくと頷くネコミの手元にも、ミルクの入ったマグカップが握られている。

 ここの主人はもう寝ちゃったとかで、二人のミルクはネコミが入れたものだ。
 どんだけ馴染んでるんだよと突っ込みたいが、あえて口にはしなかった。
 ネコミが先ほど話した話を聞いた後だと、どんな影しい突っ込みも、虚しく響くだけだろう。

「で、その触手は?」

 実物見てないし、見たくもないけど、ネコミを連れ帰るには顔ぐらい合わせないと無理だろう。
 そう思って聞いたのだが、ネコミは耳を伏せて口ごもった。

「……なに?」

 なんかまずいこと聞いたかと思って眉をひそめる。
 え、ギリュウの件で文句の一つも言ってやろうって思ってたのがバレた?

「ギリュウのことで、ヒルダさんが怒って。……悪さしないようにって、倉庫に、閉じ込めちゃった……」

 ネコミは、眉を八の字にしてそう言った。

「そ、そう……」

 なにその子供のしつけみたいな罰。
 あとネコミもそこで何故あからさまにガッカリしてる顔になってるのか。

「えーと……例の魔女、もう寝てるんでしょ? ちょっと出してやってもいいんじゃない??」

 できれば、魔女が寝てるうちに、真偽を確かめたい。
 そう思って提案したのだが、ネコミは首をふるふると横に振った。

「ヒルダさん、怒るから」

 そんな理由かい。
 思わず突っ込みたくなったが、ネコミの顔は真剣だ。

「あのさ……こっそり、とか、ダメなの?」

 一応聞いてみたが、耳がぺたりと伏せるのを見るだけで答えは判った。
 ようするに、その魔女はそれだけ義理を通さなきゃいけない相手になってるってことだ。ネコミ的に。

「……あーあ、それじゃ結局、全員起きてくるまで面会不能かぁー」

 わたしはがっくり来て机に突っ伏す。
 人が張り切って真面目に話を進めようとしたらコレだ。

 いっそ、魔女を暗殺しちゃおうか、なんて考えが頭をよぎったけど、ネコミの話を信じる限り、そんなことしても何の意味もない。
 そもそも装備や武器の類も一応、ほとんど取り上げられてるし、なによりグノーお手製の魔除けを全部取られちゃったのが痛すぎる。
 万が一にもネコミが騙されていて、やっぱり魔女は悪いヤツだったとしても、ここから脱出する方法がないのは厄介だ。

「うん。……魔物さん、紹介したかった」

 ネコミの方はと言うと、人の気も知らずに人智を越えるコメントを口にしていた。
 紹介されて困るものナンバーワンに輝きそうなんだけど、それ。

 そこまで考えて、ふと、先ほどの話を思い出す。

「ところで……えーと、その、触手の魔物に、エロいことされたんでしょ?」

 ネコミはその辺について、そのものズバリな表現はしなかったが、グノーの証言と組み合わせて考えると、それで間違いないはずだ。

「……うん」

 ネコミは、耳をぺたりと伏せて、少しうつむくように小さく頷いた。
 首筋まで赤く染まった初々しい反応が、なんとももやもやする効果を上げている。

「いやそこで乙女乙女しい反応されても困るんだけど……っていうか、えーと、基本的に無理矢理だったんだよね? えーと、その……二回目は、まぁ、同意の下でって話だけど」

 自分で言ってても、ありえなさ過ぎる話だと思うのだけど、とにかく事実確認だ。
 わたしはネコミの恋する乙女的反応をスルーしながら話を続ける。

「え、あ……う、うん。……たぶん、そう……だと、思う」

 口にしながらネコミの耳は立ったり伏せたり、尻尾が上がったり下がったりと忙しく動く。
 なんだこの反応。

「いや無理矢理じゃんなんでそこで口ごもるのよ」

 半眼で睨みながらそう言ったら、ネコミは困ったような顔になった。
 もごもごと口を動かして、当時のことを喋りだす。

「でも、その……色々、その……やって、やってもらって……途中から、私も……」

 赤く染まったままの頬に両手を当てて、斜めに逸らした視線を潤ませて喋りだす。
 声になんかいやな感じの熱が篭ってる。

「アーアーアーアーアーアーアーアー聞きたくない聞きたくない聞きたくなーーいーーー! とにかく!! 最初はッ! 無理矢理だったんでしょッッ!!」

 なんか聞いてるうちにだんだん、どっかから桶をもってきて頭から水を引っ掛けてやりたい衝動に駆られて、わたしは耳に指を突っ込みながら無理矢理ネコミの話を静止した。

「……うん」

 案外あっさりとネコミは口を閉じる。
 良かった、これ以上続けられたら気絶させなきゃいけないトコだった。

 安堵と共になんともしれないもやもやが去っていく。
 その次に浮かんだのは、問題の触手の魔物とやらに対する怒りだった。

 わたしは、ゆっくりと息を吸った。
 そして、ネコミの真正面から、目を逸らさないように顔を近づけ、一気に喋りだす。

「あのねー。アレよ、ほら。ネコミ、そーいうこと初めてだったわけでしょ? つまりアレじゃない? 経験とか全くないところに、いきなりエロいことされちゃって、自分でも分かんないうちに情が沸いたとかさー」

 ネコミがもぞもぞと反論を口にしようとするが、会話や交渉に関しては基本的に頭の回らないネコミは、考えをうまく口にすることができないでいる。
 もちろん、わたしは反論を待たずして話を続ける。この手の説得は、押し切った者の勝ちなのだ。

「それに、ほら、アレだって、触手っていうからには、ほら、なんかエロイ液とか垂れ流してるんでしょ? なんかネチョネチョされてるうちに、毒とか呪いとか魔法とかで、魅了されてるだけなんじゃない? つまり、状態異常なんじゃないかって意味なんだけど」

 ぶっちゃけ思いつきかつ言いがかりなのだが、ネコミの方はそうやら思い当たるところがあったらしく、困ったように眉が八の字に変わった。

「……でも」

 拗ねたような顔で、俯きながらそれだけを言う。
 ネコミがこういう顔をするときは絶対折れないことを、わたしは経験で知っている。
 けど、そこまではわたしの計算のうちなのだ。

「せめて一回、グノーに"完全治療"をかけて貰うこと。いい?」

 それが、わたしがネコミに了承させたいことだった。
 もし、わたしが考えた危険というのが本当だったら、これで問題は解決する。

「でも」

 ネコミの表情が変わった。
 拗ねた顔から、困ったような表情に。
 違うとか、ダメとか言いたいのに、言えないって顔だ。

「……ネコミが嘘つかないのは、わたしも知ってるの。でも、魔法とかの効果までは確かめられないでしょ?」

 噛んで含めるようにゆっくりと言う。
 卑怯な言い方だな、と、ちょっと自分でも思ってしまった。

「……」

 わたしよりもずっと大きいくせに、子供がすがるような悲しい顔でこちらを見つめてくる。
 その視線にかすかに胸が痛んだが、わたしが口にする言葉は変わらない。

「お願いだからさ……わたし達を安心させるために、お願い。ね? ね?」

 最後に、両手を合わせて頭を下げる。
 うちのパーティーに伝わる、伝統的なお願いのポーズだ。

「…………うん」

 それがトドメになったのだろう。
 ネコミは、いまだ渋々という様子だったが、とにかく頷いてくれた。

「ん。ありがと」

 そう言って、わたしは溜息を一つついた。

 椅子の背に体重をかけて、ずりずりと下へ滑っていく。
 全長30センチのわたしがそんなことすれば、わたしの姿はテーブルの縁に潜ってしまって、ネコミの視界からそっくり消えてしまうだろう。あんまり、顔を見られたくない気分だった。

「……それでさー。みんな起きたら、ネコミはどうする?」

 ネコミの話が全部本当として。
 たぶん、本当だろうなと思いながらも、さっきの話をしたのも、遠回りしたい気分だったからかもしれない。

 ネコミは、とにかく心配させないように、わたし達のところに戻るつもりだった。
 その目的は、色々と回りくどいこもあったけれど、とにかく果たしてしまったわけなのだ。

 それで……その後、ネコミはどうする?
 実のところ、わたし達って壮大なお邪魔虫だったんじゃないだろうか?

 それを聞いたわたしの顔こそ、見事に拗ねた顔になっていることだろう。
 ネコミは、テーブルの陰に隠れたわたしの表情に気付かないまま、あっさりと答えを返してきた。

「一緒についていく」

 てっきり逆の返事を予想していたので、わたしは微妙に言葉に詰まる。

「……え、あ、いいの?」

 あれ、なんだ、もしかして余計な心配だった?
 そう思いながらも、いらんことを聞いてしまうのが、小賢しい妖精の知恵だった。
 なにか裏がないかとか、後から言い直されるのが嫌だとか。

「うん。決めてたから」

 ネコミはしっかりした口調で答える。
 どうやら余計なことに気を回す必要はないらしい。

「そっか」

 わたしは、なんだか拍子抜けした気分で答える。
 余計なことまで気を回した自分が妙におかしくて、顔が水で膨れたパンみたいにへにゃりと緩む。

 当初の心配があっさり片付いて脱力するわたしに、ネコミの言葉が続く。

「でも、仕事の合間とかでいいから、また来たい。……魔物さん、寂しそうだった」

 ネコミの方はというと、あくまで真面目だ。
 きっと、わたしやグノーのの与り知らないところで、ネコミは結論を出していたんだろう。

「……ん、まぁ、そのくらいなら」

 しばらく、この辺りで仕事を探してやるかな、くらいのことを考える余裕ができていた。
 まぁ、寂しそうな触手の魔物ってどんなんだよ!と、頭の中の何割かはツッコミを入れていたが。

 よいしょと椅子の下から立ち上がり、テーブルに載ったコップを両手で抱えて口に運ぶ。
 コップに注がれていたミルクの残りを平らげてから、わたしはネコミの方を見た。

 いつもの通り、何をしてても真剣そのものの顔。
 しかしその耳はピンと立って、尻尾を嬉しげにピンと立てている。

 今の話を聞いてもらえるか心配だったんだろう。
 たかが、また遊びに来たいって主張するだけで、ずいぶんと悩んだもんだと思うが、それを口に出すほどわたしは意地悪じゃない。

 わたしは、ふわりと羽をはばたかせて机の上に浮かぶと、腰に手をやって口を開いた。

「さって、と。話も終わったし……他のみんなのこと、看てよっか?」
「……うん」

 わたしの言葉に、ネコミは嬉しそうに頷いた。




◆◆◆






「フン、だれが入ってきたかと思ったら、お前達か」

「……魔女」

「なんだドラゴニュート」

「まーまー、ギリュウもこんなトコでまで怒ってないでさー。さっさと入ろーよ、ね?」

「なるほど、妖精族は、相変わらずどこでも馴れ馴れしい種族だな」

「ピクスを侮辱するのは、許さん」

「もー、ギリュウもそれくらいで怒んなくていいから! 確かにわたしもちょっとどーかと思ったしっ!」

「そう思うなら最初からやるなよ」

 開かれた木戸を挟んで、お互いが睨みあう。
 ドラゴニュートは冷たい敵意の篭った瞳で、妖精族はいかにも不満そうな膨れ面で。

 その後ろから、心底困ったような、申し訳なさそうな声が上がった。

「……ごめんなさい。ギリュウが、身体が変わって、垢とか出て気持ち悪いから、身体を洗いたいって……」

 続いて、くしゅんと可愛いくしゃみの声。
 耳を伏せたフェルパーが、シッポを垂らして俯きがちにこちらを見ている。

 私は、小さく溜息をつくと、脱力しながら身体を再び湯船に沈めた。
 こんなところで言い争うのは馬鹿みたいだと気付いたからだ。

 風呂の入り口で、すっぱだかのまま『入る』『入れない』の口論などするものではない。

 ここは、私の家の風呂場だった。
 魔法仕掛けで水を汲み上げ、魔法装置で湯を作り、大きな湯船に水を張る。
 普通の宿などで用意されている一人入るのがやっとのバスタブと違い、リビングと同じぐらいの大きさの部屋を利用した設備は、ちょっとした浴場と言っていい。
 魔王城に詰めていた頃に利用した大浴場を参考にした、この家の中でもっとも自慢できる設備だ。

「もういいから、さっさと入って来い。そんな格好でいつまでも突っ立ってたら風邪を引くぞ」

 私の言葉に、さっきからすっぱだかで宙を舞っていた妖精が「やったー♪」と無邪気な喜びの声を上げて、まっすぐに湯船に飛び込んだ。
 見た目が凹凸のないお子様体型なだけに、身体を流せと突っ込む気も起こらん。

 ぬるい湯だったから良かったものを、私がもっと熱い湯にしていたらどうする気だったのかとは思うが、まぁ、考えてはいなかったのだろう。
 水浴びやら川遊びは、妖精族共通の趣味であり、弱点だ。
 魔王城にいる妖精共なんかは、最初から服を着る気もなく常時すっぱだかだしな。

「…………失礼する」

 次いで、こちらをいまだに睨みながら、ドラゴニュートがのしのしと入ってくる。
 桶を拾い上げてから、背中を流し始めた。

 逆さまにした桶から落ちた湯が、身体を伝って流れ落ちていくのを見て、思わず溜息を突く。
 ドラゴニュートは竜化した時と人に近い姿をとるときでは外見が大きく異なるが、雌が変化するのを直接見るのは初めてだった。
 最初見たときの厳つい竜と、目の前にいる見目麗しい女とでは見た目が違いすぎる。

 陶磁器のように白い肌に、無駄なく筋肉のついた均整の取れた身体。いや、正直に言うと胸と尻がでか過ぎるんじゃないかと言ってやりたい。……だいたい、その無駄な肉は何処から湧いて出てきたんだよ。
 竜の面影を残しているものは、耳の後ろ辺りから後方に伸びた一対の角と、尻の上辺りから伸びている細い赤銅色のシッポだけだ。
 やたらに長い深い緑の髪は、湯に濡れた肌にまとわりつき、その透けるような白さを艶かしく飾っている。
 背の高さのせいもあるんだろうが、腹立たしいほど美女という言葉が似合う女だった。

「入る」

 最後に入ってきたのは、ネコミだった。

 今朝、服を作ってやった時にさんざんサイズは測ったが、実物を見るとその数値の大きさを思い知らされる。
 もともとフェルパーは背が低めで細身の体型が普通なのだが、何故だかこの娘はそうした普通からかけ離れたスタイルをしている。
 そのクセ、背筋はピンと通っており、胸や尻の肉も緩むことなく瑞々しさと弾力を保っている。
 サムライに求められる、独特の機敏さを磨く訓練のせいか。

 浅い傷痕が肌にいくつか浮かんでいるものの、この娘の肌も冒険者にしては白く美しかった。
 腕を確かめたわけではないが、実戦の少ない雑魚ではないのだとすると、天才肌なのだろう。

 そういえば、灰色の毛で覆われた耳とシッポは、先ほどからぺたりと伏せたままになっている。もしかしたら、この娘は風呂が嫌いなのかもしれない。
 フェルパーのことは知らないが、ケットシーは水を嫌っていたからな。

「……ふぅ」

 行儀良く体を流し始めた二人から目を離して、私は湯に肩を沈めて溜息をついた。

 魔女になって以来、成長も、肉体の変化の可能性も無くした。
 別に後悔はしていないのだが、こういう連中を見ると、そのことが多少恨めしく思えてくる。

「ねーねー、魔女さん。なに見てためいきついてたのー?」

 声をかけてきたのは、先に湯船に入り込んでいた妖精族だった。
 そのなれなれしさに顔をしかめながら、軽く睨みつける。

「なにを見て溜息をつこうが私の勝手だ」

 だが、妖精の方は、私の視線に物怖じせずに首を小さく傾げた。
 小さくした声で、もう一度私に聞いてくる。

「おっぱい?」

 私は溜息をつきそうになって、何とか押しとどめた。
 視線を妖精からそらして、天井に備え付けた魔法の明かりを見上げながら応える。

「分かってるなら聞くな」

 つつつ、と妖精が近付いてくると、私の横に並んだ。

 どういう理屈なのかは良く分からないが、妖精の羽は水に濡れない。
 この妖精は、ぱちゃぱちゃと羽で湯船を叩いて、自身が沈まないように浮かんでいた。

「ネコミちゃんおっきーもんねぇ。魔女さんちっちゃいし」

 わざとらしい溜息の後に、胸に向かう視線。
 私は別に隠したりせず、代わりに妖精の胸に視線を送る。

「お前は小さいな」

 妖精の胸は、控えめに言ってもまったいらだ。
 仮に揉もうなどどするヤツがいたとしてもその手は虚しくすり抜けることだろう。

「そりゃー、私は種族からしてぜんぜん違うもん。張り合っても仕方ないじゃーん♪」

 妖精の身体は、どうしてか、人間で言うと少年少女ぐらいのところで成長が止まる。
 だから、老人の妖精というものはいない。
 老人の姿の妖精族もいないわけではないが、それは別の種族だ。

「私だって種族が違う。成長しないのだから、張り合う意味がないのは同じだ」

 正確には、成長しないのは、魔女になった時点で、だが。
 そんなこと、言うまでもあるまい。

「魔女さん、魔女だしねぇ」

 ピクスが何故かしみじみとそんなことを言ったので、私は少しだけ口元を緩めた。
 珍妙な言い回しは、この間抜けな状況に妙に似合って聞こえた。

「……ヒルダだ」

 私が名乗ると、ピクスがぱしゃぱしゃと羽で湯を弾きながら私の正面に回る。

「ピクスだよ。よろしくね♪」

 伸ばしてきた小さな手の平を少し見てから、私は指三本を使って握手に応えた。
 にこにこと懐っこい表情に、なんとも脱力するものを感じて溜息をつく。

 三度ほど手を上下させてから、ピクスは手の平を離した。

 そこに、横合いから下りてきた白い脚が湯船を割って沈み、ざぶんと音を立てて大きな波を作った。
 湯船を羽で叩いていたピクスは波にもまれてぱちゃぱちゃと流されていく。

「ギリュウだ」

 緑髪のドラゴニュートは、私を一瞥してそれだけを言った。
 別に握手しろとは言わないが、こっちは無愛想が過ぎる。

 まぁ、ドラゴニュートは元々、自己の力を信仰するような個人主義の連中だから無理も無いか。
 むしろ冒険者のパーティーに混じっている方が珍しいのだ。

「……遅れたが、ようこそ我が領域に。お前たちが無法を働かない限り、客人として扱おう」

 私が言うと、ギリュウは一瞬だけ目を瞬かせてから、自分の胸に手を当てて頭を下げた。
 ぽたぽたと髪から水滴が垂れて湯船に落ちる。

「感謝する」

 短い言葉だったが、ギリュウが顔を上げたとき、先程からずっと目に浮かべていた苛立ちは消えていた。
 私もイラついていたが、こいつも普通じゃなかったということだろう。

 次いでネコミがその横に、こちらは控えめにそろそろと入ってきた。
 私に向かって小さく頭を下げる。

 このフェルパーは本当に礼儀正しい。借りてきた猫どころか、借りっぱなしになったようなものだ。
 どっちかと言えば、ラウルフか、下手したらコボルト以上に犬っぽいんじゃないか?

 二人が揃って湯船に身体を沈めると、浴槽から溢れた湯が端からこぼれ、浴場の隅の排水溝へと流れていく。

 ギリュウとネコミは並んで、ちょうど私の対面に座る。
 二人とも髪をくくってないせいで、黒と緑の髪が湯の中で波打つ。

 しかし……揃って浮きやがった。くそ、ムカつくな。

 私は小さく舌打ちしてから視線を逸らすと、まだ湯船の上でぱちゃぱちゃと揺れているピクスを持ち上げた。
 溺れていたのか遊んでいたのか分からないが、ピクスは私の手の中で顔を上げると、ギリュウとネコミの二人を見てから、二人を思いっきり指差して言った。

「うわー、おっぱい両方浮いてる。いいなー!」

 ギリュウは、だからどうしたと言わんばかりに表情も変えずに自分の胸を見下ろし、ネコミは一瞬で頬を真っ赤に染めて自分の胸を押さえた。
 どっちの反応にしろ、ムカつくという点では一緒だという事に驚く。
 この手の、最近まで気にもかけていなかったコンプレックスを、今更になって感じるようになったのが何故かは、あまり考えたくは無い。

「ヒルダさん、うらやましい?」

 私は、返事の代わりに、手の中の妖精を無言で湯船の中に沈めた。




◆◆◆






「う……あ!」

 身体が、酷く重い。

 跳ね起きるようにして目を覚ますと、すぐに背中から押し潰されるような疲労がのしかかってきた。
 同時に襲いかかってきた眩暈を、しばらく背を丸めてやり過ごす。

 眩暈が去ったのを確かめて、よろめきながら立ち上がる。

「……どこよ、ここ……」

 あたしは、まだ少しふらつく足を引きずりながら、壁に手をついて薄暗い室内を見回した。
 窓の外は真っ暗で、陽の光は見えない。
 壁に吊るされた小さなランプから、魔法の光独特の白い明かりが漏れている。

 ベッドにソファ、机、クローゼットが置かれている……たぶん、客室だろう。

 そんなことをぼんやり確認している途中、不意に、目覚める前の記憶を思い出した。
 ネコミを助けに死霊の森に入って、予想外の事態に襲われて……そして結局、ネコミを助けるどころか、魔女の元にすら辿り着けずに敗北した。

「うぅ……畜生」

 あたしは、壁に身体をぶつけて、呻くように呟いた。
 なにもかも全部あたしのせいだ。あたしのせいで、皆が……。

 そこまで考えてから、ただ闇に沈むばかりだった思考の渦に、微かな明かりが灯る。

「……みんなは、どうなったんだろう」

 あたしは、生きている。
 それならば、他の皆が生きている可能性は高いはずだ。

 あたしはもう一度、部屋の中を良く見回した。
 状況を考えれば、ここは例の死霊使いの魔女の棲家だろう。
 恐らくここにはネコミもいる筈。

 室内には、ベッドがあるのに、あたしはソファに寝かされていた。それに机の上にはタオルの山が乗っている。
 たぶん、この部屋に、他の皆……ギリュウやピクスも寝かされていたんじゃないか?

 改めて自分の姿を見下ろすと、腹に包帯が巻いてあって、脇腹に薄く引き延ばされた塗り薬が塗ってあった。
 治療されていた……ということは、魔女の方は、あたし達を生かしておく理由があるということだ。

 それは……何か。

 考えるまでも無い。あたしが襲われて、ネコミがさらわれた時のことを考えれば、答えは一目瞭然だ。
 あの、触手の化け物の慰み者にするために、あたし達は生かされたのだ。

「……くそ」

 歯軋りしながら、息を吐く。
 怒りを抑えながら、あたしは状況を整理した。

 恐らく、ギリュウとピクスがこの場にいないのは、すでに別の場所に移されていると考えられる。
 あたしは魔法使いだし、身体が弱いから目覚めるまで大して時間がかからないと思われたのだろう。

 実際あたしが受けているダメージが深くて、体の方はまだ本調子とは言い難い。

 だけど、魔力の方はある程度回復している。
 ある程度、森の外周まで逃げられれば……せめて、あたしが前に倒された辺りまで逃げ切れれば、移動の魔法を使って森の外に一息に逃げ切れるはずだ。
 けれどそこまで考えてから、あたしは自分の考えの甘さに舌打ちした。

 魔除けの護符が無い。

 あれがなければ、森に出た途端、死霊の餌食にされてしまう。
 なんとなく、あたしがあっさりと放置した理由を察する。
 きっと、どうせこの場所からは誰も逃げられないと、魔女は高をくくっているのだろう。

「……甘く見ないでよ」

 ぎり、と歯を軋ませて、あたしは呟いた。

 あたしが目を覚ましているかを、魔女か、あの魔物が確認にきたら、たぶん終わりだ。
 一人だけじゃ、あたしは戦えない。
 せめて、敵と戦うには、誰か一人でも助ける必要がある。

 時間はほとんど無い。
 あたしは、自分の身体の軽さが役に立つことを祈りながら、出きる限り足音を殺して、部屋の外へと出た。

 薄暗い廊下には、人の気配は無く、左右に分かれている。
 夜中なのに、この廊下が完全な暗闇に包まれていないのは、廊下の片側の方から明かりが射しているからだった。白い光だから、魔法で灯された光だろう。

 試しに耳を済ませてみたが、そちらからは何の音も聞こえない。
 少しだけ躊躇った後、あたしは光を避けて、明かりの無い、暗い廊下の方へと進んだ。

「……これ」

 廊下の先にあったものを目にして、あたしは、つい驚きの声を漏らしてしまった。
 慌てて口を閉じる。しばらく息を殺したが、何の反応も無い。

 安堵の溜息を吐きながら、あたしは改めてそれを見た。

 そこには、二つの扉があった。
 どちらも樫で作られた丁寧な作りの扉で、ノブには鉄製のノブには花を象った装飾がある。

 問題は、二つのうちの、突き当たりの扉だ。

 何故か、大きな長方形の木箱が、扉に立てかけられていて、入り口を塞いでいるのだ。
 外側から、中にあるものが出るのを塞ぐように。

 それは、囚人を捕らえた看守のすることだ。
 口元に会心の笑みが浮かぶ。中に何が囚われているかなんて、確かめるまでも無い。

「よし……」

 あたしは、一つ息を吐くと、大きな木箱を手にかけた。
 少し動かしてその重さに顔をしかめるが、決して動かせないほどの重さじゃない。
 問題は、音を立てないように動かさないといけないことだ。

 あたしは、慎重に木箱をずらしていった。無駄な時間をかければ、発見される危険が増す。
 力づくで動かすんじゃなくて、引きずるようにして動かすのだ。

 しばらくの間、きしきしと、小さく床が軋む微かな音だけが続く。

 数分をかけて、あたしは木箱の位置をずらして、隣の扉の前に移動させることに成功した。

「……ふぅ」

 汗を拭う。
 数分の作業が、まるで数時間のように感じられていた。

 扉のノブに触れ、ノブを回す。
 冷たい鉄製のノブは、あたしの手の中で音も無く、綺麗にくるりと回転した。

 軋む音も無く、静かに開いた扉の中に、あたしは身体を滑り込ませる。
 中へ入る後ろ手に扉を閉じてから、あたしは内心で微かに焦った。

 部屋の中は真っ暗で、埃の匂いが微かにある。
 窓ぐらいはあるかと思ったのだが、元々無いか、または格子戸が下ろされているのだろう。

 明かりの魔法を唱えようと考えながらも、あたしは自分の考えの正しさを確かめるために、目を凝らしながら、部屋の奥の暗闇へ踏み出した。


 次の瞬間、暗闇から溢れ出した数十本のしなやかな触手があたしの身体を絡め取ると、まるで抱き寄せるように部屋の奥へと引きずり込んだ。
 前のめりに倒れた身体が、柔らかい肉の中に埋もれる。
 それが、粘液を垂らして蠢く無数の触手で形作られているものだと気付いた瞬間、あたしが必死に今まで堪えてきた緊張の糸が、プツンと切れたのを感じた。

 悲鳴を上げようと、口を開く。

 けれど、触手がその口の中に潜り込んできて、あたしの口を塞いでしまう。
 あたしは悲鳴すら上げられないまま、触手の優しい抱擁に押し包まれていった。





<つづくよ>





封入特典その3
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[3500] 12話「暗黒! すれ違いの悲劇!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:34364d00
Date: 2009/09/26 15:43
 真っ暗闇だ。

 何も見えないはずの暗闇の中から、何かが伸びてきたのが分かったのは、たぶん、閉め切られた部屋特有の淀んだ空気が確かに動くのを感じたから。

 とっさにあたしは、手を伸ばす。
 囚われているはずの友人を求めて伸ばした手は、細い、柔らかい、濡れた感触に触れた。

 あたしの指の間に、粘液を塗り付けながら、探るように手の平から肌を這い上がってくる、濡れた感触。
 ひどく柔らかくて、その癖に肌の上に張り付いて引き剥がせないような、吸い付くような感触。
 まるで、味を確かめるように、ゆっくりゆっくりと、肌を吸うような感触。

 それがあたしの二の腕の、柔らかい部分に触れたとき、あたしの口におぞましいまでの恐怖が蘇った。

 何も見えない暗闇の中でも分かる。手に絡みつくその感触は、忘れるはずもないものだった。

「──────っ」

 あたしは、子供のように身を竦めながら口を開く。
 次の瞬間に上げる悲鳴のために、身体が自然と肺に空気を吸い込んでいく。

 けれど、悲鳴が上がるよりも先に、あたしの口を塞ぐのにちょうどいい太さの、柔らかい、粘膜に包まれた蠢くものが、滑り込むようにするりと口の中に入り込んてきた。
 勢いで閉じたあたしの口は、その蠢くものを、噛み付くように挟み込む。
 けれど、柔らかい弾力に満ちたそれにはまるで歯が立たなくて、あたしの口はいっぱいに開かされたまま、閉じることもできなくなった。

「ん、ふ、んん…………っ」

 周囲に響くはずだったあたしの悲鳴は、くぐもった小さな悲鳴にすり替えられた。

 とっさに、空いた手で暗闇を探る。

 口が開けなければ呪文も使えない。
 なにか、武器を、切るもの、叩きつけるものでも、なんでもいい。
 壁のある方へと向けて伸ばした手の平が、何かを手に取る。

「──……んんっ」

 それはひどく柔らかくて、濡れていた。
 あたしの手の中で、掴んだ何かは無数の細い紐のようにバラバラに解けて、指の一本一本に絡みつく。
 指の間の付け根の部分を、細いなにかがすり抜けながら粘液を塗りこんでいく。
 そこから伝わる、弱い電流のような、奇妙な感触にあたしはとっさに腕を引っ込めようとした。

 けれど、いつの間にかあたしの脇の下から、太く頑丈なにかが、しっかりとあたしの腕を捕まえてしまう。
 ローブの生地ごしに、びっしりと表面に張り付いた突起が、探るようにあたしの肌にを突く。
 どんなに力を込めても、振りほどくことができない。

「……ふ、んんっ……んぁ」

 あたしは恐怖に追われるように、力づくで後ろに下がろうとした。

 無理だと分かっていても、肌を撫で上げながらゆっくりとあたしの身体へ這い進んでくる無数のおぞましい感触を前に、理性を保つことなんてできるはずも無かった。

 ただただ逃げようと、一歩でもこのおぞましい存在から離れようと、身体をひねって、背中を向けながらこの部屋から逃げようとする。

「ん……んぅっ!?」

 結果は、ただ、あたしがもんどりうって倒れただけだった。
 足首に絡みついていた蠢く何かが、あたしをあっさりと地面に転がしたのだと気付いたのは、足首から這い上がったそれの先端が太股に触れたから。
 倒れた音すらしなかったのは、倒れたあたしの下にも柔らかい感触が一面に敷き詰められていたから。
 それは、あっという間にあたしの身体に絡み付いて、ゆっくり後ろに引きずっていく。

「ん……ふぅっ、んんーーーっ、ふ、んんっ、ん、んんん……っ」

 あたしの腕よりも先に、なにかが真っ直ぐに出口へと伸びていって開いたままの扉にたどり着く。
 そして、木の軋む微かな音を立てて、扉が閉じていく。

 暗闇の中に切り取られた穴のような、四角形の出口は、ゆっくりと閉じられた。


 後に残るのは完全な暗闇。


 けれど、この暗闇の中、あたしを捕えて、自由を奪うものの正体は、もうあたしには分かっていた。

 それは一面を覆い尽くす触手の海。

 細くしなやかにくねる触手、粘液を垂らして蠢く触手、先端の吸盤を収縮させながら震える柔らかな触手、無数の吸盤を内側に貼り付けた太い触手、おぞましいほどの細い感覚器を内側で蠢かせる管蟲のような触手。

 あたしの身体を、何本もの触手が、何十本もの触手が、何百本もの触手が──

 身体中の、あちこちを、触手がまさぐり、撫で上げ、嘗め回し、擦り上げ、吸い付いている。
 ローブの裾から、襟元から、袖口から、どんどん細い触手が入り込んで、隙間に潜り込んでいく。
 もがこうとする手足が優しく触手に絡みとられて、自由を奪われてしまう。

「んんっ……んっ…………ふ、んんーー……」

 あたしは、触手に絡みつかれながら、仰向けに転がされた。
 触手に絡みとられた足を高く掲げ上げられて、あたしは背中から床に倒れる形になった。
 けれど、背中の、ローブ越しに感じたのは、固い床ではなく柔らかな触手が蠢き脈動する感触。

 あたしは、触手の中に飲み込まれるように、四方から触手に巻きつかれている。
 きっと今のあたしの姿は、海にいるという、イソギンチャクに囚われた獲物のような姿なのだろう。

「ん、く、んん……ふっ、んんっ」

 真っ暗闇の何も見えない世界で、肌を撫で上げる触手の感触だけが、ぞっとするほど鮮明に感じられる。
 粘液で濡れた肌を触手が舐めるたび、甘い痺れが肌の内側を焼くのがはっきりと分かる。

 襟元からローブの中に潜り込んだ太い触手が、その先端から突き出した細い触手で、あたしの胸の上を、探るように舐め回す。
 袖口から潜り込んだ細い触手達が、あたしの脇から胸まで、ゆっくりと粘液を塗り付けながら、肌を舐めるように這い上がってくる。

 堪えるように首をすくめ、身体を丸めた直後、細い触手があたしの胸の先端を絡めとった。
 粘液が胸の先端に塗り付けられると、それ恥ずかしいほどに硬く尖ってしまう。
 触手はまるで紐で縛るみたいに、あたしの乳首を絡みつき、動くたびにかすかに擦れるように甘く縛った。

「ん……ふ、ん、んぅ……」

 否応無く与えられる刺激に耐え切れず、背中をピンと張って胸を反らした直後、もう片方の胸の先に太い触手が貼りついた。
 ぴったりと胸の先に貼りついたソレの先端には、無数のヒダが折り重なった吸盤のような器官があって、それがあたしの胸の先をしっかりとくわえ込む。
 そして、粘液をたっぷりと塗り付けながら、あたしの胸を吸い始めた。

「──────────────んんんっっ!?」

 無数のヒダヒダが、無数の突起であたしの乳首を擦り、弄りながら、容赦なく吸い上げる。
 粘液が上げているのか、チュパチュパと胸から恥ずかしい音が聞こえた。

「んーー、んっ、ふぅっ、んっ!……ん、んんっんんーーーっ! 」

 あたしは、胸を執拗に責める触手から逃れようと、必死に身をよじった。
 けれど、胸を弄る触手から逃れることができない。
 逆に、もがけばもがくほど、胸の先を引っ張られる感触が、あたしの身体を責め立てた。

 ──はなせ、はなして。

 触手が胸を啜る音がするたびに、電流は流れたように身体が痺れる。
 自分の頬が熱くなって、息が荒くなっていくのが分かる。

「んっ……く、んんっ!」

 内腿に、粘液で濡れた柔らかい触手が触れた。
 身体中を触手で弄られているのに、それがはっきりと分かったのは、あたしの身体が恥ずかしいほどに敏感になっていたせいだろう。
 内腿の敏感な肌に吸い付いた触手が、丹念に舐めるように、ゆっくりとあたしの肌の上を這い進んでいく。

 その先に触手が這い進むのを想像するだけで、脳裏でおぞましい想像が沸き立つ。

 そう思っても、足首から太股までしっかりと絡みついた太い触手は、まるで蛸のように触手の内側に張り付いた無数の吸盤をぴったりとくっつけて離さない。
 一面に張り付いた無数の吸盤が、粘液と同時にねっとりと肌の裏側をしゃぶるように肌を吸うたび、あたしの足に、痺れるような微かな痛みを残していく。

「んふ……ん、ん……ふ、ぅんーーーっ」

 足を閉じる力すら入れられないまま、じわじわ、じわじわと、大きく足を開かされていく。
 ローブが捲り上げられていって、冷たい空気が、剥き出しに晒されたあたしの腹の上を撫でた。

 不意に、足の付け根に硬いものが触れる。

 粘液に塗れた、無数の硬い突起で包まれたざらざらした触手。
 それが、あたしの前から尻にかけて、ぴったりと張り付くようにして触れると、上から下へ、その表面の突起をあたしに押し付けながら擦り上げていく。

「んんんんんんっ、ふぅ、ん────────────」

 下着越しに押し付けられる、固い突起の感触に、あたしは腰を跳ねさせて、声にならない悲鳴を上げた。。

 まるで馬車の車輪が地面を踏むように、触手に張り付いたいくつもの突起が、執拗にあたしの敏感な部分に押し付けられる。

 下着は、いつの間にかしっとりと濡れて、あたしの下肢に張り付いていた。
 その上をなぞるように、薄く開いたあたしの敏感な部分にかすかに蠢く突起が押し付けられ、もぞり、もぞりと刺激する。

「ふっ、んっ、ふぅ……んんんっ」

 巨大な芋虫が這うような、おぞましい感触は、あたしはどんなに身をよじっても、離れてくれない。
 無数の突起が蠢くたびに、粘液がこびりついて、下着がぐちゃぐちゃに濡れていく。
 生温くドロリとした粘液が肌の奥まで染み入ると、痺れるような鈍い痛みが肌の内側からあたしを責め始める。

 ────やめて、やめて

 誰かに助けを求めることも出来ず、ただ高く掲げ上げられた足首で、無意味に宙を掻く。
 触手に絡みとられた腕に力を込めるたび、胸を吸い上げられる痺れるような感触が、あたしの抵抗する力を奪ってしまう。
 身をよじっても、顔を背けても、口を塞いだ触手は離れない。

 濡れた柔らかい触手が、するすると下着の中に潜り込んでいく。

 一本、二本、次々と下着の中に入り込んだそれは、粘膜から染み出した粘液をあたしの肌に擦りつけながら、表面のかすかなぎざぎざであたしの、敏感な部分を舐め回し始める。

「くっ、んぅ……ふぁぁぁぁぁっ!?」

 触手の先がその場所に直接触れた時、あたしは足首をピンと伸ばし、背中を大きく反らして、下肢から這い上がって全身を襲った甘い痺れに悲鳴を上げた。
 細い触手があたしの大事な部分に触れるたび、まるで針金の先を刺されたような痛みと痺れがあたしを襲う。

 けれど、触手は容赦なく、あたしの敏感な部分を左右に押し開いていく。
 容赦なく蠕動を続ける太い触手が、さらに深くあたしの敏感な部分に突起を押し付け、擦り上げていく。

「んふぁ……んっ、ふっ、んんっ……ん、んんっ、んふーっ、んんんーーーっ!」

 触手がずるずると粘液を垂らしながら、あたしの股の間をすり抜けていく。
 突起が蠢き、あたしの足の付け根を擦るのに合わせて、くちゅくちゅと、粘液が擦り合わせられる音がする。

 頭が焼けるほど淫らな刺激が、自分のものじゃなくなったみたいに敏感になった下肢からあたしを責める。
 そのたび、あたしは子供みたいに泣きじゃくりながら必死に身をよじった。

 けれど、そうする程、余計に下肢が触手に押し付けられて、淫らな刺激は一層増していく。

「んんっ、ふっ、ん……んん、ん、ふぁ……んんんっ、ふぁ……」

 次第にあたしは、自分が触手から逃げたて暴れているのか、触手の淫らな行為を受け入れるために腰を振っているのか、分からなくなっていった。

 頭がどろどろと、白く惚けていく。

 けれど、下着の中に潜り込んでいく、太い、柔らかな触手の感触が、あたしの最後の理性を引き戻した。

「んん……ふ、んぁ……?」

 突起を持つ触手が身を反らせて、新しく下着に入り込んだ触手に場所を譲る。
 柔らかな触手が、細い触手にさんざん弄られ、左右に開かされた敏感な部分の入り口へと触れた。

 ちゅぷ、と音を立てて、触手の先端が大きな吸盤のように、粘液を垂らしながら吸い付いた。
 じんじんと、痺れるように強く疼いている、ひときわ敏感な突起に。

「んんんんんんーーーーーーーーーーーーっ!?」

 胸を吸って、弄っていたのと同じ。
 無数のヒダが折り重なった吸盤のような器官、それがあたしの敏感な場所をしっかりとくわえ込む。

 チュプチュプ、チュプチュプと、恥ずかしい音が上がった。

 あたしの理性を磨り潰すように、敏感な突起が吸い上げられ、擦られ、弄られて、嬲られていく。

「んっんっんんんっ! んーっ、んん、ふ、んんっ、んんんんーーーーーーーーっ!!」

 細い触手が、針金のような先端で肉壁の内側突き、硬い触手の突起が乱暴に外から擦り上げていく。
 無数の触手に、敏感な部分を蹂躙されながら、あたしの理性は今度こそ真っ白に蕩ける。

「────────────────────っ!!」

 下肢から何かが溢れ出すのを堪えきれず、あたしは背中を大きく反らし、絶頂に達した。
 触手に塞がれた口からは、悲鳴すら上げることはできなかった。



12話「暗黒! すれ違いの悲劇!!」




「うっひゃ~、針金みたいになってる~~! これは洗いがいがありそ~!」

 わしゃわしゃと小さな手の平で、髪の毛につけた洗髪剤を泡立てながら、妖精族のピクスが歓喜の声を上げた。
 なにやらあの妖精は洗髪に喜びを感じる部類の人間らしい。

「うむ。好きにしろ」

 その前で、木で組んだ風呂用イスに座っているのは、ドラゴニュートのギリュウである。
 私用にゴブゴブ村の大工に作らせたイスは、この女の身体には小さすぎるらしく、丸い曲線を柔らかく崩した尻がはみ出している。
 そこから伸びた赤銅色の尻尾は、タイル床に垂れてイスの周りでくるりと小さなとぐろを巻いていた。

 風呂場なのだから裸なのは当然とは言え、スタイルの良い身体を惜しげもなく晒して背後のピクスの手を待つ姿は王侯貴族のごとき潔さを感じる。
 ……人の家だというのに、態度がデカいにも程があると思うんだが。

 いや、別に反らした胸の上に乗った二つの丸い球体に腹を立てているわけではない。
 腹を立てているわけではないが、こいつわざと見せつけてつんじゃないだろうな?

「それじゃ、目を閉じてねー」
「うむ」

 きゅ、と目を閉じたギリュウの髪に、たっぷりと洗髪剤の泡が乗ったピクスの手が触れる。
 深緑色の長い髪に白い泡が絡まり、妖精の細い指先がそれを解していく。

 わしゃわしゃわしゃわしゃ。

 ふと横を見ると、私の横で、何故かぶるるとフェルパーのネコミが震え上がっていた。

「……もしかしてお前、苦手なのか?」

 洗髪。と聞いてみると、ネコミは素直にコクコクと頷く。
 じゃあ、そんなに髪伸ばすなよ、とちょっと思ったが、私だってものぐさな割にダラダラ髪を伸ばしてる身だ、文句を言うのは控えておいた。
 風呂に入る時に思ったが、やはり水嫌いはフェルパーの種族的特徴なんだろう。

 代わりに、湯船の中に海藻類のごとくたゆたっているネコミの黒髪を一房掴み上げ、手の中で撫でてみる。
 冒険者なんて商売をしている割に、髪質は柔らかい。ちゃんと手入れしている証拠だ。

「あの妖精か」

 呆れた顔で言うと、ネコミはふるふると首を横に振った。

「グノー。……えっと、今、寝てる……ノームの……」

 名前の後に、もそもそと説明を始めるのを聞いて、私は息を吐いた。
 あのノームの娘にも事情を説明せねばなるまい。
 妖精とドラゴニュートはともかく、ノームの娘は直接アレの被害に遭ったらしいから、矛先を収めさせるのはさぞかし骨が折れるに違いない。

「あの司祭か。……まったく、女四人で仲の良い事だな」

 多少皮肉を交えて答えると、私の意図などと関係なく、ネコミは熱心にコクコク頷いていた。

 えらく熱の入った肯定に、毒気を抜かれる。
 なるほど、このフェルパーはよっぽど友人達が好きなんだろう。

 少しだけ、過去を思い出す。
 人間として冒険者をやっていたのは、もうずいぶんと昔のことだ。
 ロクでもないことからバカなことまで色々あったが、なんだかんだ言っても仲間がいるのは良かった。

 もちろん、過去の記憶を美化してしまっているから、はっきりとそう思えるのだろう。人間には、元来そういう便利な機能が備わっている。
 なにしろ数百年前のことだ。もう、当時の仲間で生きているのは、私一人きりしかいない。
 戦っていた敵の方なら、案外生きているヤツもいるのだが。

 また一つ息を吐く。歳を喰うと思い出に浸りすぎるのがいけない。

「……なぁ、ネコミ」

 私は掬い上げていたネコミの髪を湯船に返して、フェルパーの顔を見上げた。

「は、はいっ!」

 ピン、と頭の猫耳を立て、背筋をピンと伸ばしてネコミが答える。
 まるで王様に粗相を咎められた使用人のような緊張した表情だ。

 ……なんだってこのフェルパーは、私に対してやたらビクビクしてるんだろうか。

「さっきからチラチラと私をを見ているが、なにか言いたいことでもあるのか?」

 風呂に入ってきてからずっとである。
 最初はそれとなく聞き出すつもりだったのだが、どうもこの娘に会話を振っても長く続かないので、諦めてストレートに聞き出すことにした。

「え、あ……な、なんでも……、ない、です……」

 だというのに、今度は目を反らして露骨に口ごもる始末だ。
 この娘は私にどうしろというのか。まさに処置なしだ。

 どうしてやろうかとネコミを半眼で睨んでいたら、湯船の外から助け舟が出てきた。

「ネコミ、どしたの~? うっかりオシッコでもしちゃった?」

 ふわふわと羽根を揺らしてギリュウの髪を洗いながら、ピクスはそんなことを言う。

「なにぃっ!?」

 慌てて湯船から立ち上る。人の家でナニやってるんだコイツは。
 驚いた勢いでネコミを見ると、権人は真っ赤になった顔で首をブンブン左右に振って否定した。

「……しっ、してないっ! そんなことしない!」

 ゆでダコのように真っ赤になった顔で否定しているのを見て、私もさすがにそりゃないかと思い直して湯船に身体を沈めた。
 いかん。魔物基準で考えてたせいか、つい信じそうになってしまった。

「あ、ああ、信じるから落ち着け。必死に否定されるとなんか逆に怖いぞ」

 手のひらを向けてどうどうと落ち着かせると、ネコミも余計に恥ずかしくなってきたのか、ブクブクと口から泡を漏らしながら顔を沈めてしまう。
 さすがにいい歳した娘が心配することじゃないだろう。

「おい妖精、下品な推測は止めろ! こっちは湯船に浸かってるんだぞ!」

 手の甲で水を払って引っ掛けてやると、ピクスは宙をふわりと舞って避けて見せた。

「だって、ネコミっていつも口下手だしさ~。時々モソモソ言ってたと思ったら、ヘンなタイミングでそーいうこと言い出すんだもん」
「……敵だらけの迷宮のど真ん中とかでな」

 ピクスの言葉に、目を閉じたままのギリュウが続ける。

 視線を向けると、ネコミは顔を湯船に沈めたままブクブク言っていた。
 どうやらこっちは本当らしい。

「……で、本当はナニを言いたいんだ? お前らが私を狙ってきたことなら水に流してやるって言っただろう?」

 これ以上この話題で苛めるのも不憫だったので、改めてもう一度聞き返す。
 これでだんまりを決め込むようなら、さっきの話題を蒸し返して泣くまで苛めてやる。

 そんなつもりで睨んでやると、ネコミは耳をペタンと垂らしたまま湯船から顔を出した。
 びくびくと俯いたまま、モソモソ口を開く。

「お願いが……」

 それだけ言って、口を閉ざす。そして上目遣いでこちらの顔色を伺ってくる。
 ──私よりデカいなりしてそんな風にビビられると、さすがに居たたまれなくなるんだが。

「あー、もう。いいから、とにかくその“お願い”を言え。言われなきゃ何も分からんだろーが」

 指先で鎖骨の辺りをつつきながら、鋭く問い正すと、ネコミはようやっとゆるゆると口を開いた。

「えっと……その……また、遊びに、来たい」

 口からで出来たのは、なんとも子供じみた注文だ。
 そのくせ、上目遣いにじっと見上げてくる金色の瞳は不安に揺れている。

「はぁ? なんでだ?」
「……うぅ」

 意図が分からず真意を尋ねたら、ネコミはまたブクブクと泡を立てて湯船に沈んでいった。

 身体の方は十分大人のスタイルのクセに、行動がやたら子供じみている女だ。
 たぶん、そこで嬉しそうに髪をわしゃわしゃ洗っているような仲間達が甘やかした結果だろう。

 その甘やかしの仲間である妖精が、ロクにこちらも見ずに代わりの返事をしてくる。

「愛しの怪物さんの元に、またエッチな事をしに来てもいいかって意味ですよ~」

 二秒ほど意味が分からなかった。
 意味が分かっても、ちょっと事実としては認めがたい。

「はぁ?」

 口を半開きにして聞き返すと、ピクスは言うことは言ったとばかりに洗髪に集中していた。
 その前に座り込んだギリュウは、じっと目を閉じて洗髪を受けるばかりで、話に入るつもりもなさそうだ。

 諦めてネコミを見ると、湯船に猫耳だけが浮かんで、ブクブクと泡が浮かんでは消えていた。
 どうやら本気でそういう事らしい。

「……いや……正気か?」

 口をへの字に曲げて、私は思わず正直な感想を口にする。
 誰かに助けを求めたい気分で周りを見たが、フォローを投げかけてくれる人物もいない。
 ピクスは鼻歌交じりに洗髪を続けて、ギリュウは髪を現れるままに目をしっかり閉じている。

 ……あのな、お前ら止めてやれよ。

 代わりに、ネコミが顔半分まで浮かんできて、すがるような視線を向けてきた。

「あー……あのなぁ、お前、アイツは……」

 老婆心ながらの忠告でもしようかと口を開きかけて、寸前で思い留まる。
 ここで忠告を入れたら変な誤解されそうだし、ぶっちゃければ私にとって都合のいい申し出だからだ。
 標的になる相手は多い方がいい。

 息を吸ってから、吐く。

「あ~~、お前が来たいと言うなら、別に来てもいいぞ。それに、アイツが乗り気なら、お前がアイツとアレをしようがナニをしようが好きにしようが構わん。私はその辺に口出しするつもりはない」

 私の言葉に、ネコミの緊張していた顔がわずかに緩んで、目が嬉しそうにキラキラと輝いた。
 ……嬉しそうだ。ものすごく嬉しそうだ。

 こんないたいけな娘が……世も末だ。
 なにやら頭痛すら感じて、私は額に手を置いて息を吐いた。

 とりあえず、溜まった胸のもやもやは、後ほどあのアホにぶつけよう。

「おめでと~♪ これで公認カップルだね~♪」

 妖精の方から上がったいらん祝福の言葉に、水鉄砲で答えておく。
 私の手の中からまっすぐに飛んだ水を、妖精は視線も向けずに再びヒラリと避けた。

 舌打ちしてから、視線をネコミに戻す。
 ネコミは恥ずかしがっているのか顔を半分水に沈めていた。

「……それで、アイツのなにが良かったんだ?」

 正直あまり聞きたくなかったが、何一つ聞かないというわけにもいくまい。
 場合によっては、私の方から無理矢理にでも止めた方がいい気がする。

 決意を胸にして、沈んだまんまのネコミの返事を待っていると、ふとピクスが洗髪の手を止めた。
 顔を斜めに傾けて、いくぶん真面目な顔で口を開く。

「ナニが良かったんじゃないの?」

 ネコミは耳まで完全に沈んでしまった。
 私も沈んでやりたい気分になった。




◆◆◆






 暗闇に目が慣れても、周囲を厚く覆う闇は晴れることはなかった。

 闇の中にかすかに見えるのは、この部屋を取り囲む押し潰されそうなほど間近にある四方の壁と、その壁すら覆うほどに一面に蠢く触手の海。
 そして、部屋の奥の壁多角に設置された窓の、格子戸の隙間から漏れる明かりだけだった。

 闇の中では何も見えないに等しく、ただ、四方を波のようにうねる触手が見えるだけ。
 ソレがどれだけの大きさかも、どんな形をしているかも認識が出来ない。

 代わりに、鋭敏になった聴覚がうねる触手の音を聞き、嗅覚がどこか甘ったるい触手から塗りつけられた粘液の匂いを感じ、そして触覚が、肌を舐め回し、撫で回す触手をあたしに思い知らせる。
 最初の頃には身に着けていたはずの衣服は、いつの間にか肌から離されて、下着すらどこにもない。
 あるのは、裸にされたあたしの肌に愛撫を続ける、無数の触手の感触だけ。

 肌に浮かんだ汗を啜るように、触手はあたしの身体を舐め回していく。
 触手が這い回った後、肌に塗りつけられていく生温い粘液は、熱い疼きをあたしの肌に焼き付けていた。



「んぅ……ふぅ、ん…ふぁ………」

 あたしの口の中を、触手がゆっくりと舐め回していた。

 最初に口を塞いだ太く柔らかい触手は、その先端から三つに裂けたのが最初。
 それぞれが、粘液に濡れた柔らかな体表を持つ舌のような触手に形を変えると、あたしの口内に粘液を流し込みながら存分に暴れ始めたのだ。

 暗闇の中に、口の隙間から漏れる、ピチャピチャという水音が上がる。

「ん…うぅぅ……ふ、んぅぅぅぅぅ……」

 口内を塞いだ触手を噛み切ろうとした気力は、もう、どうしても沸いてこない。
 自分の口から漏れるその音の淫靡さに、あたしは自分の頬が熱くなっているのを感じていた。

 触手があたしの舌を絡めとって、舌の付け根をつつく。
 舌を責める触手から逃れようとするほど、触手は執拗にあたしの舌に、ザラつく表面を擦り付けるように絡み付けてくる。
 二本の触手は、歯の裏側から口内へと這い進み、口内の内側に粘液の張り付いた表面を擦り付けてくる。
 口内を無数の触手に弄られるくすぐったさは、次第にもどかしさに変わった。

「んんっ、ふ、ンン……!?」

 不意に、口をこじ開けていた触手が太くなる。
 混乱の中、苦しさに呻いているあたしの口内を、不意におぞましい感覚が襲った。」

 じゅるじゅるじゅると音を立てて、口内を吸われていく。
 口内を犯していた粘液と一緒に、あたしの唾液が、触手の中央の孔へと吸い上げられていた。
 自分の体液を吸われるというおぞましい経験に、あたしは顔を歪めた。

 太い触手は、あたしの口内の唾液を吸い上げると、まるで歓喜に震えるように細かく脈動する。
 その代わりに、大量の粘液を口内に流し込んでいた。

「ん……んぁ……ふぁ、ぅぁ……あ……んむッ……!」

 ドロドロと口内に溢れたその液体は、飲み込むとわずかに苦く、舌がわずかに痺れるような感覚がある。
 液体を吐き出したくても、太い触手は口の奥まで入り込んでそれを許さない。

 代わりに、口の端から溢れた粘液が顎を伝って垂れ落ちていく。

「ん、ふぁ……んぁぁッ!?」

 触手に絡まれるまま左右に引かれていた腕が、急に手前に引かれて、あたしは前のめりに倒れた。
 反射的に突き出した腕が触れたのは、硬い床ではなく、床一面広がっていた触手の海だった。

「ふぅ……んぅ、んん……っ!」

 手の平を襲ったのは、蠢く無数の繊毛の感触。

 粘液で濡れたそれがあたしの身体の下、一面に不気味な収縮運動を続けているのが分かる。
 だけど、さんざん無数の触手に絡みつかれ、その粘液で汚されたあたしの指は、嫌悪よりも先に背をなぞられるような生温い刺激を伝えてきた。

「んんぁっ!……んん、ん~~……ふ、んぅぅ……っ」

 まるで無数の細い舌に舐め回されるような感触に嬲られながら、腕が触手の中に埋もれていく。
 腕を引き抜く力もなく、犬のような四つん這いの姿勢を強いられてしまう。

 あたしは、必死に身を起こそうと身を反らそうとした。

「んんんっ!?」

 けれど、脚に力を込めるよりも先に、両脚に太い触手がしっかりと絡みつく。
 左右の脚の太ももから脛までを絡め取った二本の触手は、意外なほどの膂力を発揮して、あたしの脚を持ち上げ始めた。
 触手の中に埋もれた両腕を下にして、身体を逆さまに、半ば吊り上げられるような姿勢。

「~~~~~~~~っ! んぁ、ふっ……ぁ……んっ、んんんんんんっ!!」

 あたしは呼吸を荒げ、必死に触手の拘束を解こうと身をよじった。。
 この触手の主がなにをするつもりなのか、暗闇の中でもイヤというほど分かってしまったからだ。

 先ほどまで、脚の付け根を擦り上げていた太い触手や、淫らな吸盤を震わせてしつこくあたしの敏感な部分に吸い付いていた細い触手が、下肢から離れていた。
 その代わりに、太く熱い一本の触手が粘液を滴らせながら、あたしのアソコに触れていた。
 表面に張り付いた細かな突起が、怪しく蠕動をしているのを感じる。

「んんっ、ふぅ、んんんっ、む、んぅ、んぁぁ……っ!」

 あたしは子供のように涙をこぼしながら首を振った。
 もしも口が利けたら、それだけは許してと、みっともなく哀願していただろう。
 けれど、あたしの口は、触手によって塞がれたまま、口内にすら触手と粘液で間断なく蹂躙され続けている。

 触手があたしの脚を左右に開かせる。
 細い触手が、粘液でドロドロに汚されたあたしのアソコの左右に吸い付き、開かせていく。

 無理矢理こじ開けられるような痛みはない。
 ただ、風が敏感な部分の奥に当たる感触に、腰骨が痺れたような感覚が走った。

 そして、その“穴”を埋めるように、ズブズブと生温い粘液で濡れた触手が入り込んでくる。

「ふぐぅ、んぅ、ふぁ……んんんっ! んぅぅ、……~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 半ば感覚が麻痺するほどの、異質な感覚が、腰骨を伝ってあたしの脳裏を真っ白に染めた。

 ずぶ、ずりゅ、ずりゅずりゅ。

 奥へと潜り込むため、その粘液で濡れた表面が蠕動する感触が、はっきりと自分の中に感じられる。
 それが蠢くたび、体内を電流が荒れ狂い、あたしの身体はビクンビクンと跳ね上がった。

 それを痛みのせいだと思い込もうとしても、口内を、腕を、胸を、身体中を責める触手の感触が許さない。
 触手によって身体に染み込まされた愛撫の感触が、理性を保とうとするあたしの意思を無視して、身体を内側から灼くような熱い疼きとなって、内側からあたしを責めていた。

 不意に、ぐりぐりと、奥を突き上げる感触。

「ふぐぁぁっ!?」

 頭の中が、また、白く灼ける。
 触手で塞がれた口の端から、溢れた唾液と粘液が垂れ落ちていく。

 あたしの中、その奥までを征服した触手は、ゆっくりとその中で前後に動き始めた。

 ぐちゅっ……ぬぢゅっ……じゅっ……ずぢゅっ……
 ちゅぷぅっ、きゅ……ちゅるるっ、どぷっ……

 無数の突起を蠢かせて蠕動しながら、まるであたしの中を抉ろうとするように形を歪め、そして突起の表面の吸盤が気まぐれに吸い上げる。

「―――――――――んンンっ?! んぁっ、んんんん~~~っ! ちゅっ、くちゅ……ん、むぅ……んぅっ!? んんんっ、んんんんんんっっ、ふ、んっ、ン~~~~~~~~~~~~ッ!!」

 まるで全身の感覚がそこに集まったかのように、触手の蹂躙するままにあたしの身体は震え上がり、触手に抱かれた腰は何度も激しく跳ね上がった。

 顔が、涙と涎でドロドロになっていくのが分かる。
 触手に吊り上げられたあたしの身体から、あたしの中に潜り込んだ触手が擦れるたびに、アソコから透明の粘液が溢れ出して、だらしなく垂れ落ちていく。

 仲間を助けなければならないという義務感も、化け物に犯されるという嫌悪感も、すでにあたしの脳裏からは消えてしまっていた。

 もう、なにも分からない。

 不思議なほど、何かが満たされているような感覚がある。
 自分を侵しているはずの触手と繋がって、ドロドロに混ざり合っていくような、奇妙な一体感。
 頭の中を灼き尽くされるような絶頂の繰り返しの中、あたしは、気を失うことも出来ずに嬲られ続けた。




◆◆◆






「うっ……はぅぅぅぅ……っ」

 珍妙な悲鳴を上げて、ネコミが自分の目元をぐりぐりと擦る。
 見かねたピクスが風呂桶に湯を入れ、ネコミの顔にざぱーっと一気にかけた。

 妖精は、相手を変えながらもいまだに洗髪を続けていた。
 次の標的として風呂用イスに座っているのは、長い黒髪を白い肌に貼り付けたネコミである。

 コイツもさっきのギリュウと同じで、私が座るために作られた風呂用イスにデカい尻を乗せて、いかにも小さくて落ち着かないという様子で座っている。腹立たしいことこの上ない。

「あーもう、無理に目を開けるから目に入るのっ! ちゃんと目は閉じるっ!!」
「ご、ごめん……」

 まだちゃんと洗い流せていないのだろう、目をパチパチと瞬かせながら、ネコミがピクスに謝っていた。
 謝罪を受けた妖精はというと、再び洗髪剤を手にしてわしゃわしゃと泡立て始めている。

「……ふぅ」

 私は、ネコミ達から視線をそらし、風呂の天井を見た。
 頭が少しだるいのは、少し長く湯船に浸かり過ぎたせいだろう。

 のぼせる前に湯船から出た方がいいのだが、あいにくまだ髪を洗っておらず、そのスペースは先ほどからずっと妖精に使われている最中だ。
 せめて湯船から出て浴槽の縁にでも座ればいいのだが、この冒険者どもの前で裸体を晒すのは躊躇われた。
 いや、別にスタイルの差を気にしているわけではないのだが。

「ネコミちゃーん、かゆいところはないですか~?」
「み、耳の、うしろ……」

 わしゃわしゃわしゃ。

 ピクスがペタリと閉じたネコミの耳を持ち上げて、小さい手で器用に泡を馴染ませていく。
 フェルパーは髪を洗うのが面倒そうだな。水が耳に入りそうで。

 ────しかし。

 なんだって私は、押し入ってきた冒険者どもに風呂を占拠されてるんだ……?

 眉根を寄せて唸ってみても、答えは見つからない。
 今更文句をつけるようなみっともない真似はしたくないが、この無法ぶりを放置しておくと良くないことが起こるような気がする。
 まぁ、冒険者なんて無法者の集まりなんだから、仕方ないとも言えるが……。

「……ヒルダ」

 唐突に名を呼ばれて、私は無意味な思考を打ち切った。
 視線を下ろして、湯船に浸かっているもう一人の冒険者に視線を向ける。

「なんだ、……ギリュウ」

 切れ長の目の冷たい容貌が、こちらを睨んでいた。

 妖精の洗髪が終わったドラゴニュートは、長い髪が湯船に落ちないようにピンで留め、脱衣所から持ってきたタオルでくるんでいる。
 タオルの間からちょこんと突き出した竜の角が、表情と反してどこか可愛らしく見える。

「聞きたいことが、ある。……私達を、倒した者の、ことだ」

 有無を言わせない口調でそう言うと、ギリュウは言葉を切った。
 やけに途切れがちな喋り方は、あまり会話に慣れていないからだろう。

 ドラゴニュートは大抵がそうだ。連中は自らの鍛錬のために、他者と関わることを拒む者すらいる。
 冒険者をやっているような者であれ、口達者ということもあるまい。

「別に教えてもいいが、聞く理由は何だ?」

 連中がここに連れて来られた経緯は、すでにアイツとネコミから聞いている。
 だが、目的も聞かずに教えるつもりはない。
 まさか復讐などとは言わないだろうが、無為に危険の種を蒔くつもりもないからだ

 私の質問に、ギリュウはあっさりと答えた。

「私を倒した者だ、竜に達する、強き子をなすため……夫にしたい」

 ナニ言ってるんだこの女は。
 思わず『アホか』と突っ込みそうになる自分を諫め、丁寧に説明をする。

「……アイツは子供どころか孫までいるジジイだ。いまさら嫁なんぞとらんぞ」
「問題ない」

 私の言葉に、ギリュウはムカつくほどあっさり即答した。

「私を、嫁にとるかどうかは……相手が、決めることだ」

 そう言って、自信ありげに胸を反らす。
 見事なまでの自己中心っぷりだ。またはデカい乳を見せびらかしているのか。

 私が眉間に皺を寄せいるのもお構いなしで、ギリュウは言葉を続けた。

「強者との、戦いで、竜化が解け……私が、竜に達する望みは、断たれた」

 そこまで言うと、目を閉じて湯に浸かった自分の白い腹に手を置く。

「……ならば、竜に達する子をなすのが、定め」

 長く喋るのが苦手なのだろう。ギリュウは途切れがちの言葉で、ドラゴニュートの定めとやらを説いた。
 あまり雌のドラゴニュートは見ないが、そういうものなのかと感心する。

「おい……」

 感心した後、ギリュウの認識に重大な問題点があることに気付いた。
 主に竜化が解けた理由の部分だ。

 とっさにネコミを見ると、洗髪中のフェルパーは慌てて白い背中を向けた。
 丸まった尻尾が、風呂用イスの下に入り込んでしまっている。

 どうやら、ネコミは仲間にアイツの悪行のことについては喋らなかったらしい。
 ギリュウが不思議そうにネコミを見た後、眉根を寄せて私を見る。
 なにかあるなら説明しろと言わんばかりの顔だ。

 私は重い溜息を吐いてから、仕方なく口を開いた。
 誤解をそのままにはしておけん。古い友人の家庭に波風を立てるわけにもいくまい。

「よく聞け。お前の竜化が解けたのは戦闘のせいじゃない」

 ギリュウが訝しげに私を見る。

「? ……なにを言う。私は、確かに、戦闘で意識を失って…………」

 確かにギリュウの気持ちは分かる。
 ドラゴニュートが竜化を常に維持するには、莫大な集中力と修行が必要になる。
 例え寝ている時ですら、常に竜である自分を意識しなければならないのだ、恐らく他種族ではこの境地に至ることは困難だろう。それを数年間以上、無意識で続けるとなれば尚更だ。

「いや、だから……なんというか。意識を失っているうちに、事故があってだな」

 それがあっさりと破られたのだ。
 まさか寝てる間に逆鱗に触れたアホがいるとは、思いもよらないのだろう。
 そもそも、逆鱗だって触れれば竜化が解けるというほど簡単なものでもないはずだ。

「…………事故? どのような? 誰が原因だ?」

 湯船をかき分けて、ギリュウが私の前に顔を近づけてきた。
 切れ長の目が、キリキリと上がる。

 戦闘の中で感じるプレッシャーとはまた別の重圧を感じて、思わずのけぞりながら私は答えた。

「アイツだ。原因は……まぁ、アイツの能力のせいで、偶然……だな」

 アイツ、という言葉にギリュウは一瞬眉根を寄せる。
 その対象が、ネコミとグノーを襲った怪物のことだと思い至ると、少し不機嫌そうに言った。

「そうか……ならば、ソイツに、責任を取らせる。私より強ければ、問題は、あるまい」

 口を開いたと思ったら、とんでもない理屈を持ち出してきた。
 ナニを言い出すのかこの女は。

 種族の差というものを一切気にしてない堂々とした宣言に、私は思わず後ずさる。
 だいたい、自分より弱かったらどうする気だ、こいつは。

 ギリュウの毅然とした表情に動揺しながら、私はその決意に待ったをかけるべく口を開いた。

「……待て。一応言っておくが、アイツに子孫を残すような機能はないぞ?」

 これはアイツの生態で、私が真っ先に調べたことだ。
 アイツの不死身っぷりと底の抜けた桶のような性欲を考えると、もしそんな機能があれば、間違いなくこの世界はあの化け物で溢れかえることになるだろう。
 そもそも、それが分かってなかったらあんなに繰り返し何度も襲われてやるものか。

「あ、やっぱりそーなの? エッチはできるのに」

 私の言葉に反応したのは、目の前のギリュウではなく、ネコミを洗髪中のピクスだった。
 黒髪を泡立てる手を休めずに、言葉だけがこちらに向いている。

 私はチラリとピクスの方を見て答えた。

「ヤツのアレは、生殖行為じゃなくて食事だ。そもそも人間とはまったく違う」
「……はい? なにそれ、汗でも舐めてるの?」

 私の答えに、ピクスが多少引いた声で疑問の声を上げた。
 気持ちは分かるが、その答えはとっくに調べ済みだ。

「いや……アレが女を襲うのは、襲った相手の精神が目的だ。行為中の相手の衝動とか感情とか……とにかく、そういう反応を引き出すことで、飢えを満たしている」

 そう。
 ヤツのアレは、ただ純粋に飢えを満たしているだけ。
 恐らくあの存在は、本来はエネルギーの補給行為そのものが必要ないのだ。

「うわぁ……なにそれ。めっちゃ邪悪な生き物じゃん」

 洗髪の手を止めてこちらを見たピクスが、嫌そうに顔をしかめていた。
 私もそう思うが、嘘は言っていない。

 だが……と、私は言葉を区切って、頬をかいた。

「まぁ、そうなんだが……そんな生き物のクセに、妙に人間くさいんだよ」

 だから、どうも調子が狂う。憎む気になれない。
 別に長いこと一緒にいたから情が移ったという訳ではない。

 恐らくこの世界全体に対してすら、異質の存在であるはずのあの生き物は、異常に性欲が強いことを別にすれば、驚くほど人間的な精神を持っているのだ。
 教えれば掃除・洗濯・裁縫までなんでもするし、最近は料理にまで興味を持ち始めた。
 怒られれば謝るし、褒めれば喜び、無視すれば嘆く。

「確かに性質は妙なヤツだが、過剰に恐れる必要があるような存在でないことは確かだ」

 肩をすくめて、私はそう締めくくった。

「……ふむ」

 黙って私とピクスのやりとりを聞いていたギリュウが、顎下に手を置いて唸った。
 眉根を寄せながら、不可解だと言わんばかりの声で聞いてくる。

「つまりそれは……惚気か?」

「違うわぁぁッッ!!」

 私は勢いよく立ち上がり、空気を読まないドラゴニュートの顔に、思いっきり湯をぶっかけた。




◆◆◆






 密室はいまだ、暗闇に閉ざされている。

 この狭い密室には、粘液が放つ独特の甘ったるい臭いとあたしの体臭の混じった濃い匂いが満ち、無数の触手があたしの身体上げるいやらしい水音が繰り返し響いていた。

 休みなくあたしを責め続ける絶頂の余韻の中、弛緩した手足をだらしなく放り出して、あたしは触手に絡み付かれるまま、粘液にまみれて無益な身悶えを繰り返していた。
 触手は恐ろしいほど精力的に、あたしの身体を貪り続けている。

 粘液を垂らした触手がなにかを飲み込むように蠢くたび、まるで自分のものではないように、あたしの身体は電気に打たれたように震える。
 肌の上を震えながら触手が這い回るたび、あたしが今まで大事に守ってきた大事なものが削り取られていく。

「んぁっ!……あっ、はぁ……あ、ふぁぁっ!? ……く、んんっ、くふ、こふっ……」

 口内を責めていた触手が喉の奥に触れて、あたしは小さく咳き込んだ。
 そのとたん、さんざんあたしの口内を蹂躙していた触手は、慌てるように口内から引っこんでいく。

 あたしは、もう一度肩を震わせて咳き込んだ。
 詰め物が取れたあたしの口から、口内で混ざり合った唾液と粘液が、糸を引いて垂れ落ちる。

「う……あ……」

 口で息を吸うのは、ずっと久しぶりのように感じて、あたしは喉を震わせて呻きを漏らす。
 けれど、すぐにもう一度、粘液質の触手があたしの唇に割って入ろうと、その先端を押し付けてくる。

 あたしは、弱々しく顔を背けながら、必死で口を開いた。

「……おねがい………もう……ゆるして…………」

 初めにこの魔物を倒そうとしたときには考えもしなかった、みっともない哀願。
 自然と涙がこぼれる。
 無駄だと分かっていても、自分に出来ることはそれぐらいしかないのだ。

 けれど、ただその一言で、あたしの肌にまとわりついていた無数の触手は凍りつくように動きを止めた。
 石になったように硬く硬直した触手に、あたしは息を飲む。

「な……に……?」

 恐る恐る、声に出す。
 また、なにか恐ろしいことをされてしまうのかもしれない。
 漠然とした恐怖と、かすかな期待が脳裏に浮かぶ。

 不意に、硬質の音が上の方から聞こえた。

 見上げると、この部屋の奥の壁の天井に、白い、四角い穴が開いている。
 それが、格子窓から飛び込む月の光だと理解するまで、あたしはぼんやりとそれを見上げ続けていた。

 不意に、声が聞こえた気がして、視線を落とす。

 月の光の下で、無数の視線があたしを見ていた。
 動きを止めて固まった触手の中に生まれた無数の眼球が、大きく丸く見開いた瞳であたしを見ている。

 視線の集まる先、自分の姿を見下ろす。
 自分が裸で、あられもない姿を晒していることを自覚して、忘れていた羞恥が再びよみがえる。

 けれど、不意にその思考に割り込むものがあった。
 自分のものとは明らかに異質なそれを、あたしは自然と目の前に鎮座する触手の怪物のものだと認識する。
 快楽の渦の中で味わった、奇妙な一体感がそれを証明していた。

 けれど、触手から伝わったその思念は、驚愕。
 ……そして、遠方から押し寄せる波のようにゆっくりと心を覆っていく、恐怖と焦燥だった。

 ふと、視線を下に向けると、何故か、部屋の奥の床の上で綺麗に畳まれている、あたしの衣服一式がある。
 その一番上には、ちょこんと脱がされた下着が乗っていた。

 苦悩に満ちた怪物の言葉が、あたしの脳裏に確かに聞こえる。

『……いかん。……うっかり、相手を間違えてしまった……』





<つづく~>



[3500] 13話「対決! 触手生物炎に散る!?」
Name: 大冒険伝説◆a6485bd3 ID:a356d9ca
Date: 2009/09/26 20:44
 風呂の戸を開けた自分達が聞いたのは、断続的に繰り返される、鈍い打撃音だった。
 淡々と繰り返される音と、この小さな屋敷全体を揺らす、かすかな振動。

 胸騒ぎを感じた私は、水で濡れた身体を拭く暇すら惜しんで音の聞こえた場所へと駆けた。

 暗い廊下を走り、何度か曲がり角を抜ける。
 音と振動が近くになるにつれ、その場所がグノーを眠らせていた部屋に程近い事が分かる。
 次第に、嫌な予感が膨れ上がっていく。

 グノーがいるはずの部屋は、戸が開いたまま、中に誰もいなかった。
 その先にある曲がり角を抜けた、突き当たりの扉。
 固く閉ざされた樫の扉の向こうに、その音は聞こえていた。

 何者かによって動かされた痕跡のある木箱と、振動が響くたびにかすかに揺れる樫の扉。

 私は迷わず扉のノブを掴んだ。
 冷えた感触とともに、装飾で飾られた鉄製のノブは手の中で簡単にくるりと回る。

 引き開けた扉の向こうには、暗闇が広がっていた。

 どすん、どすんと響く音。

 倉庫らしき狭い室内。
 奥の壁、上側に小さな格子窓があり、そこから微かに星明りが届いている。
 ぼんやりと影だけが浮かぶぐらいの微かな明かりの下。

 血の海になった床の上に、グノーがうずくまっていた。
 何も纏わぬ素裸で伏せた表情は私には見えない。
 グノーはうずくまったまま、その手の中で固く握った棒を繰り返し床に叩きつけている。
 鈍い、湿った音が倉庫に響く。

「…………これは……っ」

 言葉を失いながら床を見下ろして、私は息を呑んだ。
 床一面に広がっているように見えたのは、人の血ではなかった。
 青い血。
 グノーの褐色の頬にこびりついたそれも、床に広がったそれも、星明りに照らされて青く光を反射している。

 そして、その青い血の海の中で、なお、無数の肉片が悶えるように蠢いているのを私は見た。
 それが形容しがたい怪物の一部なのだと理解するのに、それほど時間は必要なかった。

「グノー……もう、大丈夫だ……!」

 私は手を伸ばし、うずくまっていたグノーの手をとった。
 その手の中に握られていた細長い棍棒のようなものが、濡れた音を立てて床に落ちる。

「あ……ギリュウ?」

 ぽかん、と口を開いて、グノーが私を見た。
 初めて私が来たことに気付いたという顔だった。

 頬が紅潮し、目が潤んでいる。

 私はすぐにグノーの小さな身体を自分の側に引き寄せた。
 震えてはいなかった。ただ、足元がフラフラとおぼつかない様子で、倒れこんでくる。
 その身体をしっかりと抱いてやりながら、私は怒りに歯を鳴らした。

「どうしたの……!?」

 足音が廊下を駆け、背後からネコミが飛び込んでくる。
 私と同じ、タオルすら巻いてない濡れたままの裸の格好だが、手の中には鞘に収められた刀が握られていた。
 私達が寝ていた部屋から持ち出したのだろう、一瞬だけ、自分も武器を手にしてこなかったことを後悔する。

 勘の鋭いネコミは、すぐに私の手の中のグノーに気付いた。
 耳をピンと立てて目を見開く。

「グノー、大丈夫……?」

 ぐったりと私の腕の中に身体を預けているグノーを心配したのだろう。
 私は、倉庫の中で蠢き続けている肉塊から一歩下がりながら、鋭い声で短く答えた。

「……問題ない」

 大丈夫だ、とは答えられなかった。
 裸を晒しているグノーと床で蠢くこの怪物の残骸を見れば、友人がどのような目に遭ったかは、考えるまでもなく分かることだ。
 それほどの恥辱を味合わされたのか、その間、安穏と湯に浸かっていた自分に怒りが湧き上がる。
 私が一緒についていれば、このような目になど、決して遭わせなかった。

「あ、あのね……ギリュ」
「わわわわわわわわっ! だ……大丈夫っ!!?」

 腕の中で何かを言いかけたグノーの声を遮ったのは、泡を食ったようなネコミの問いかけだった。
 ついぞ見たことのないような慌てた様子を見せる友人になにがあったのかと見ると、その視線は倉庫内で次第に青い血の海から浮かび上がり、盛り上がっていく肉塊に向けられている。
 私は、あの蠢きが断末魔の身悶えなどではないことにやっと気付いた。

「な……!」

 この怪物は、まだ生きているのだ。

 肉塊の中央が盛り上がると、その中央に切れ目が生まれ、丸い眼球が生まれる。
 眼球は、私とネコミ、そしてグノーを順に見ていく。
 どこか淫らな欲望を感じさせる視線が自分の肌を舐めるのを感じて、私は反射的に裸の胸元を隠した。

「くっ……この……化け物がっ!」

 この状況で羞恥を感じてしまったことに怒りすら感じながら、私はグノーを庇うように逆手に抱き替えて、怪物に向かって一歩前に出る。
 細い枝のような無数の触手が、肉塊の中から解けるように伸びてくる。
 触手は、真っ直ぐにネコミへと伸びていくところだった。

「ネコミ! 下がれっ!!」
「え?」

 私が鋭く叫ぶと、憑かれたようにフラフラと触手へと手を伸ばしていたネコミが驚いて振り返る。
 あの眼球に魔力でもあったのだろう。
 私はその肩を掴んで後ろに引きながら、大きく口を開いた。

 すでに大いなる力の確信は失われたが、肉体は未だその片鱗を記憶として留めている。
 喉の奥から口内にかけて、私は自分の肉体を変質させていく。
 同時に、灼熱が喉を突き抜け、外へと放たれた。

「……あ」

 グノーの、何か言いたげな声を聞きながら、私は火炎のブレスを怪物へと放った。

 一瞬にして、再生を続けていた肉塊は炎の柱と化し、こちらへ伸びていた細い触手は焼け落ちていく。
 まるで助けを求めるようにバタバタとのたうつ触手を、炎の舌で焼き払っていく。
 青い血が鉄を焼くような音を上げて蒸発していき、生物が焼けるとき特有の強い匂いが鼻を打つ。

「ああああああ」

 何故か、尻尾を膨らませたネコミが、わたわたと手を振って悲鳴を上げていた。





13話「対決! 触手生物炎に散る!?」





 死ぬかと思った。





 さて、私がお好み焼きになりかけた件については、ネコミがとにかく角尻尾娘さんの火炎放射攻撃を止め、延焼についてはヒルダがあっさりと火を消して解決してくれた。
 その後も多少揉めたものの、私が襲ってしまった小さい娘さん……グノーが風呂に浸かりたいと主張したので、私を焼き殺しかけた角尻尾娘さんと一緒に一度この場を去ることになったのである。

 現在、倉庫には、私と三人の女性が残っている。
 それぞれが事情を求めるために私を見下ろし、私はそれに追いやられるように彼女達を見上げていた。

 今、この場で私が求められているものは、要するに、“なぜこんな事件が起こったか”の説明であろう。

 もちろん、私は決して嘘をつくことのない生物だ。
 むしろ嘘を吐くという機能が存在していない。
 だからこそ、正しく事情を説明することに私ほどの適任はいないと断言してもいい。

 証明は簡単だ。
 私は彼女達のうち、意思を伝えることが可能な二名に触手を絡ませ、事情の説明を開始した。



 とても不幸な事故だったのだ、これは。

 まず最初、何かを引きずる音が聞こえた。
 いっさいの視覚を閉ざし、ただ静かに床に這っていた私が、それを戸を塞ぐために置かれていた家具が動かされている音だと理解するのは容易い。
 私はすぐに体を震わせ、期待に胸を高鳴らせた。

 そして、次にドアのノブが回される時に鳴る、金属の擦れ合う音。
 私は躊躇いもなく入り口へと身を這わせ、その時を待った。

 戸の軋む音と共に、扉が開かれる。
 そこには、私の期待した通りの、長い髪の、小柄なシルエットが立っていた。
 そのとき私は、抱擁を躊躇う理由などないと思った。

 なにしろこちらは暗闇の中でじっと待っていたわけだから、扉を開いて薄闇の中から現れた小柄なシルエットを前にして、まさか別人がうっかり入ってきたなどと思うはずもないわけで。
 とても気の利いた愛の言葉と共にその身体を抱き寄せ、邪魔が入らないように素早く戸を閉めたのも、当然のことではないかと思う。
 ちなみにこれは、先日ネコミを泊めた時に起きた不幸な事故を考えての処置である。

 もちろん、今夜は客人が家にいる点も踏まえて、音が漏れないようにしっかり抱っこして、声などが漏れないように口も塞ぐことにした。
 あくまで私の個人的な見解であり、よその娘と比較したわけではないのだが、事の最中におけるヒルダの声は多少大きくなる時があるので、私は万が一のことを考える必要があったのだ。
 また、とても照れ屋なところのあるヒルダは、事の最中に暴れたり怒ったりすることはよくあるのだが、たいていはなんだかんだ言っても許してくれるので、今回も問題ないと判断した。
 逆に、嫌がってるみたいだしやっぱり止める、などと私が言い出したら、それはそれでヒルダが不機嫌になるのも実証済みだ。

 問題は、なぜに暗闇で事に及んだかなのだが、これについては私の感覚器官によるものが大きい。

 皮膚感覚というべきか、私の触手が触れた部分から、私が受け取ることができる情報量は、人間のそれよりも遥かに大きく、膨大ものなのだ。
 このため、私は視覚器官を作成しなくても、人間同様に私は接触で情報を受け取ることが出来る。
 例え暗闇の中でも、私はほぼ問題なく空間を把握できるのだ。

 その他にも、空腹時における飢餓状態が、私から正しい判断力を奪っていたという要因もある。

 例えば、砂漠を歩く旅人を想像してみて欲しい。
 水の備蓄を失い、あてもなく彷徨っている彼が倒れたとき、目の前にオアシスが現れる。
 彼はまず間違いなく、最後の力を振り絞ってオアシスまで這い進み、水源に口をつけるだろう。

 その時、彼が水源に毒がないかどうかなど、確かめるだろうか?

 いや、この例えが不適切なのは分かっているとも。
 もちろんヒルダが魅力的な女性であることは確かだが、グノー女史もまた大変に愛らしい女性であったことはこの私自身が保障しよう。
 例え不用意に触れる者を刺す棘があろうとも、毒などということはない。

 二人を例えるならば、そう。
 黄金の蜂蜜酒と、夢幻の世界に流れる虹色の川の一滴か。



「なに訳のわからんことを言ってるんだお前は」

 ヒルダが腕を組んだまま、どうでもよさげな表情で溜息をつく。
 風呂上りらしく、前を留めたバスローブを羽織り、濡れた髪の毛を頭上にまとめて結い上げていた。

 一方、ネコミの方は目をらんらんと輝かせ、顔を突き出しながら聞いてくる。

「……私は?」

 ネコミは、そう、葡萄の黒ワイン。
 黒く深い色に、苦さを想像してそっと口に含むと、その味は溶けるように甘い。
 ……とかどうだろうか?

「そ、そう」

 私の表現に満足したのか、ネコミは嬉しそうに立てた尻尾をゆらゆら振った。

 こちらも風呂上りのままで尻尾の先まで濡れている。
 先ほどは全裸で現れて大変私に嬉しい姿であったが、今は一応服を着ている。
 とはいえ、水で濡れた身体に下着だけを羽織った姿なものだから、布地がやんわりと透けてしまって、いまだ私にとって大変嬉しい状態だ。

「この……ドスケベが!」

 いや、ヒルダ。踏まないでくれたまえ。痛いから。
 そんなモグラ叩き風に片っ端から目を潰すとか、マジで痛い。本当に。

 私が体表に作り出した目を片っ端からヒルダが潰しているうちに、ネコミは真っ赤になって慌てて風呂場の方に駆け戻ってしまった。

「あーもう、なにやってんだか……」

 そんなネコミの姿をじと目で見送ったのは、倉庫にたたずむ最後の人物、妖精の娘さんである。

 ネコミから聞いた話だと、名をピクスという。
 自己紹介を受けていないのに名前を知っているというのも収まりが悪いが、こちらから名乗りを上げたいと思えど、残念ながら名を伝える手段がない。
 もっとも、よく考えると私には名乗る名前などないのだが。

「はぁ……とにかく、色々と聞きたいことがあるんだけど?」

 さて、彼女は腕を腰に当てて私を見下ろした。

 このピクス女史は妖精らしくとても小さな娘さんで、見た感じ約30センチほどの身長しかないのだが、これまた妖精らしく、蝶のような不思議な羽根を震わせて浮いている。
 寝巻きか普段着らしい、短パンと背の開いたシャツを着ているので、残念ながら下からのアングルであっても彼女の秘密の花園を垣間見ることは出来ない。

「だから!そーいうことを! いちいち! 考えるなと!」

 やめてやめて、痛いから。マジで痛い。ごめんなさいすいません。
 キックの鬼と化したヒルダから逃れることも出来ず、私は激しい暴行に震えることしかできなかった。

「いやもう、ナニ言ってんだかわたしにはわかんないけどさ……」

 ピクス女史が、激昂してキックを続けるヒルダを前に、頬をポリポリと掻く。

 当然だが、ピクス女史からするとヒルダが私に一方的な暴力に振るっているようにしか見えないので、今の光景がいかんともしがたいものに映るのも仕方ないだろう。
 その割には彼女の目には私に対する同情などが欠片ほども見当たらないのだが、まさか私の内心を見透かしているのだろうか?
 その疑問に、ヒルダが簡潔に答える。

「いや、誰が見てもお前の視線がスケベくさいのは丸分かりだ」

 なにを言うか。あくまで私は客観的に事象を見つめている。
 多少の好奇心が私の目を曇らせていることは認めるが、それは人の心を持つが故のこと。

 むしろそれを人間性の芽生えとして大事に育てて行きたいと私は思っている。

「なんか誇らしげな視線がムカつくんだけど」

 ピクス女史がとても心無い感想を口にしたので、私は視線を向けることを止めた。
 なんとも微妙な顔になりながら、彼女は言う。

「そもそも、えぇと……コレ、なんでパイの生地みたいになってるの?」

 なるほど、彼女の意見はもっともだ。

 今の私は、倉庫の床一面に平面状に引き伸ばされているような状態で、その上に目玉を作ったり細い触手を生やしたりするのがやっとの状態になっている。
 ペースト状になって床に広がった風とも、巨大な物体に押しつぶされてペラペラになった風とも言える。
 確かに一般的にはあまりお馴染みになれない姿である。
 この妖精の娘さんにとって私は初対面だ。初めて見た姿がこんなとはさぞかし衝撃的であっただろう。

 しかし、この独白はヒルダには同意を得られなかったようだ。
 縄跳びの紐のように私の触手を手の中でふらふら振りながら、ヒルダが重ねて尋ねる。

「普段の姿の方が衝撃的だと思うがな。……で、なんでそうなった?」

 なんか手近な場所にあったらしい麺棒で殴られてるうちにこんなことになった。
 殴られすぎて床と一体化したらしい。
 頑張って元に戻ろうとしたところで燃やされたせいか、いい感じに焦げ付いてしまって元に戻れない。

「……だそうだ」

 私の意志を、ヒルダが手際よく通訳してくれた。
 ピクス女史の顔が急に残念な物体を見る目に変わった。

「グノーに潰される前に、適当に取り押さえちゃえば良かったんじゃない?」

 なんということを。
 女性を無理矢理に取り押さえるなど、男のやってよいことではあるまい。
 怒りを抑えられないのならば、気の済むまで受け止める度量も男には必要だ。

「説得力が皆無なんだが」

 愛する者同士がお互い了承済みの上で行うならばもちろん問題ないだろう?
 そんな気持ちを込めてヒルダに視線を向ける。

「……いや、私に同意を求めるな」

 つれないことを言われた。
 まぁ、ピクス女史が生暖かい目で見ているから照れているんだろう。たぶん。

「……とにかく、だ。そもそも誤解で悪意はなかったので、されるがままに殴られてるうちにそんな薄っぺらくなったと、そういうことだな?」

 その通りだ。
 もし逆上して襲うようなことをすれば、私の男としての矜持は永遠に失われることになる。
 そんな野の獣同然の存在まで堕ちるのならば、木のうろに突撃した方がマシだ。

「そんなんでもいいのか? それなら……」

 いや待て今のは言葉の綾だ。いくらなんでも本気にしないで欲しい。
 いくら生物だからって植物相手とか勘弁してください。

「まぁ、植物がかわいそうだしな」

 植物以下に見られた。死にたい。

「うーん、なに話してるのかだいたい分かったけどさ。そもそもグノーに事情を説明して謝ったの? グノーともヤッたのなら、話も通じるんでしょ? ネコミとか、魔女さんみたいにさ」

 ピクス女史が、もっともなこと指摘をした。
 目の付け所はなかなか鋭い。

 しかし、私がこんなになるまで一度も命乞いをしなかったとでも思うかね?

「まぁ、しただろうな」

 うむ。
 私が必死に謝罪の言葉を重ね、許しを請い続けたにもかからわず、彼女は繰り返し私を殴打したのだ。
 土下座っぽい動作をしても、ありとあらゆる謝罪の言葉を試しても、とにかくボコボコに殴られた。
 殴られているうちに、うっかり新しい自分を発見してしまいそうになったぞ。

「一応言っておくが、変な性癖に目覚めたら、今度は炭になるまで焼くからな?」

 いやいやそれは勘弁して欲しい。
 私は今でも確実に、神に誓ってノーマルのままだ。
 それに、こんな大きなパイを食べるのは、5人がかりでも無理だろう。もったいないお化けが出るぞ。

 ヒルダは、「誰が食うか」と軽く私に蹴りを入れてから話を続ける。

「つまりは、何言っても通じなかった、と。…………ま、当たり前だろうな」

 腕を組んで、ヒルダは深く頷いた。
 ピクス女史も、「そりゃあそっか」と納得顔で頷く。

 女性陣からしたら当然の結果だったらしい。
 まぁ、この件に関しては私の過失でもあるので、黙して罪を受け入れようと思う。

「……終わった?」

 ひょこんと猫耳が入り口から先を覗かせてきた。
 戻ってきたネコミが、困ったような顔で出てくる。

 今度はヒルダのものの予備らしいバスローブを無理矢理着込んでいた。
 あきらかに丈とか足りてないので白い太腿が眩しい。

 私が挨拶がてらフラフラと触手を一本伸ばして振ると、ネコミは手の中に掴んだ。

「まぁ、だいたいは終わった」

 ヒルダが先ほどのネコミの質問に答える。
 ピクス女史の方はというと、腕組みしたまま「うーん」と答えるのみであった。

 被害者側の友人として、私にどう責任を取らせるか悩んでいるのであろう。

 体で返せといわれるのならば望むところだが、責任を取れといわれると難しい。
 ぶっちゃけ私はヒルダに生活を頼っている身なので、いわゆる甲斐性があるかと問われると自信がないのだ。
 だからと言って、ヒルダに迷惑が掛かるようなことになるぐらいなら、私自身で何とかせねばなるまい。

 なにやらネコミが困った顔で耳をピコピコと揺らす。
 困った顔で唸っているピクス女史を横目にネコミが少し焦り気味に口を開いた。

「魔物さん。……グノーと、ヒルダさん、そんなに似てる?」

 その質問に、ヒルダとピクス女史の視線が私に集まる。
 これまた鋭い質問だ。

 背格好や髪の長さ、それに、事の前に暴れるところとかが似ていたのは間違いない。
 抱き上げたときの体重とかもほとんど同じだった。

 それに、心理的な盲点だったというのもある。
 私はヒルダが来るのを待っていたので、まさか扉を開けるのがヒルダ以外だとは思ってもいなかったのだ。
 あの倉庫に閉じ込められた時に、私が飢えるのを見越して、夜中に訪ねてきてもらう約束をしていたのでな。

「あ……それで、あんな時間にお風呂に」

 ネコミが驚いた顔でヒルダを見た。
 その言葉で察したのか、ピクス女史も生暖かい目をヒルダに向ける。

「うるさい! そういうことを公言するな!」

 そんな叫びと共に、真っ赤に頬を染めたヒルダが私をさらに平面に変えた。

 このやり取りを最後に、私の事情聴取は終わりを告げる。
 なんだか床に張り付いたままの私を残して。




◆◆◆






 朝の目覚めは最悪だった。

「んぅ……」

 布団の中、ぼんやりと手探りしながら目を覚ます。
 手の中に思うものを掴めず、手応えのなさに目を瞬かせてから、ようやく記憶が戻ってくる。
 急激に頭に血を上っていくのを感じたが、寝起きのせいか、それはすぐに頭痛に代わって頭を責め出した。

「うぅぅぅ~……くそ……」

 誰に向けるでもない呻き声を漏らす。
 私は、痛む頭を抱えながらベッドから降りた。

 ベッドの縁までずりずりと這って移動して、足から軽く飛んで着地する。
 いつものようにバランスを崩してふらふらと手を舞わせてから、ベッドに手をついて安定を保つ。
 私がここに居を置くことになった折、ゴブゴブ村の者に頼んで作らせたこのベッドは、職人が無駄に張り切って作ったのか、私には大きすぎるのだ。

 何百回目かも分からない溜め息を吐きながら、ふらふらと部屋を横切る。
 鏡台に向かい、髪を巻くのに使っていた髪留めを解くと、腰まで解け落ちた髪がいつもより軽い。
 手櫛を通すと流水のように滑っていく髪を見て、ようやく冒険者の妖精族に髪を洗われたことを思い出した。

「そういえば、あまり手入れしてなかったからな……」

 思うに、ここ数十年は来客も少なかったので、身繕いもろくにしていなかった。
 トウモロコシ色に輝いている今の髪を弄ってみると、ずいぶんと色がくすんでいたのが分かる。
 ぞんざいにしか洗っていなかったからだろう。

 そういえば、ここのところ化粧すらしていなかったと思いつき、鏡台にある化粧棚に触れてみる。
 しかし、よく考えてみたら、見せる相手は女冒険者が四人に触手が一匹だ。
 私は化粧棚から手を放した。そもそも、最後にいつ使ったかも分からない化粧台の中身は使えないだろう。
 この辺りの薬草を材料に、作れないことはないだろうが……。

「……ふむ」

 思うと、化粧というのは作ったことがなかった。
 確かそれに関する文献がいくつか蔵書にあった筈だと思い出し、久しぶりに心が弾むのを感じる。
 ここのところ、手がけていた攻撃魔法付与型のロッドの設計に詰まっていたのだ、たまには気分転換に、基礎に返って薬草を弄るのも悪くないだろう。

 そんなことを考えているうちに、次第に頭の回転が良くなってくる。
 私は、着替えを後にまわすことにして、水場に顔を洗いに行くつもりで下着の上にローブを羽織った、

 部屋の入り口のドアからノックの音が聞こえたのは、ちょうどその時だった。

 聞くものを苛立たせるか不安にさせる、なんとも乱暴なノックだ。
 それが三回、これまた苛立たしげに連続でドアを叩いた。

「……朝っぱらから、なんだ」

 まさか、またあの触手に別の娘が襲われたなどと抜かすのではないだろうな。
 苛立ちを半分に、呆れを半分に私は扉を開けた。

 そこに立っていたのは、ドラゴニュートの娘だった。

 誰が直したのか、竜人用に作られていた鎧を組み直して、人間の姿でも着れるようにしている。
 両手両足の鉄の具足は、鉤爪を出す為の構造を残したまま、細い腕に合わせてあるし、腰を守るスカート部や肩部は革布で代用するか取り外して鎧の改造に無理が発生しないようごまかしてあった。
 間に合わせながらいい仕事だと感心しながら、その見上げると、そこには険しい顔があった。

「決闘を申し込みたい」
「……誰が誰にだ?」

 朝っぱらからの申し出に、呆れながら尋ねると、ギリギリと革が引き絞られるような音が上がる。
 視線を下ろして音の発生源を見ると、この娘の握った拳であった。
 手の甲を覆う手甲がひしゃげそうなほど握られた拳は白く色を変えている。

「私が、あの怪物にだ! ……魔女、お前も、邪魔をするなら……」
「誰があんなアホの片など持つか! 決闘だろうが死闘だろうが好きにしていろっ!!」

 反射的に口にした否定の言葉は、自分でも少し驚くほど強かった。
 機先を制されたドラゴニュートが勢いを殺されて鼻じろむ。

 その様子に少し頭の冷えた私は、少し決まり悪くなって頬を掻いた。

「……お前の仲間は了承してるのか? いや、そもそも一対一でアイツと戦って勝てると思ってるのか?」
「はじめの質問は否定だ。だが、次の質問は、当然……肯定だ」

 まぁ、ネコミは当然、アイツの片を持つだろうしな。
 あの化け物に襲われたノームの娘が大賛成で、妖精が中立って所だろう。
 仲間の件が総計で差し引きゼロとなると、コイツの修行の成果である竜の肉体への変化を解除した件が残る。
 なるほど、だから一騎打ちになるわけか。

 しかしこのドラゴニュートは、本当にアレに勝てると思っているのか……?

「……一応確認するが、決闘というのは殺し合いのことなんだな? 寝技の応酬的な意味じゃなくて」
「? なにを訳の分からんことを……殺し合いに決まっているだろう」

 ふむ。
 私の知る限り竜というものはは多淫なヤツが多いから、もしやと思ったのだが、流石にそれはなかったか。

 …………いかん、寝起きで頭が回ってないな、自分。

 私は込み上げてきた欠伸をかみ殺してから、手をヒラヒラさせて確認する。

「決闘は、飯喰った後でいいな?」
「う……むぅ、まぁいいだろう」

 もう少し劇的な反応を予想していたのか、対応に困っている様子のドラゴニュートの横をすり抜ける。
 そのまま水場に向かうつもりだったのが急にドラゴニュートは私の肩を掴んだ。
 鬱陶しげに振り返ると、神妙な表情を浮かべた顔が目の前にあった。

「少し、聞きたいことがある」

 重々しく、ドラゴニュートが口を開く。
 どうもコイツは、いちいち喋り方が重苦しくて相手しにくい。
 苦々しく思いながらも私が無視するのを諦めると、ドラゴニュートは質問をぶつけてきた。

「アレは、本当に喋っているのか?」

 なるほどと思う。
 ぶっちゃけ、アイツを見て友好的な生き物だと即断するヤツはいない。
 目の前のドラゴニュートは、いかにも頭の固そうな娘だ。
 大方、友人の言葉を聞いてさえ、どうしても納得できないんだろう。

「……ややこしい理屈はともかく、言ったことはちゃんと聞いてるし、条件を満たせば意思疎通も出来る」

 髪の毛の中に指を沈め、頭を掻きながら私は答えた。

「はっきり言っておくが、アイツはお前が思っているような恐ろしげな怪物でも、邪悪な意志で女を操るような悪魔でもなぞ。お前の一騎打ちも、期待しているような結果にはならんだろう」

 私の言葉に、ドラゴニュートの娘の肩が小さく跳ねた。
 硬い表情を浮かべて聞いてくる。

「……私が。負けるという事か?」
「誰も勝たないって事だ」

 私はそう答えて、背中を向けた。
 後は決闘の結果がこの娘に教えるだろう。

 ……と、そのつもりだったのだが、また肩を掴まれた。

「待て。もう、一つある」
「……今度やったら二度と口を利かんぞ」

 溜め息をついて振り返る。
 ドラゴニュートは静かに問いかけてきた。

「食事は、何が出る?」

 いたって真面目な表情である。

 ここを宿か食堂とでも勘違いしてるのかと、文句を言ってやろうと口を開く。
 しかし、目の前で真剣な表情を浮かべた女が、その実、スカートからはみ出た龍の尻尾をせわしなく振っていることに気付いて、私は力なく口を閉じることしかできなかった。
 確かに昨晩は夕飯を喰わせる暇もなかったが……デカいなりして、お子様かコイツは。

「……オムレツとパスタ、どっちがいい?」

 蘇ってきた頭痛に顔をしかめながらも、気を利かせて聞いてやる。
 ドラゴニュートはしばし悩んだ後、「御代わりのできる方を」と神妙な顔で答えた。




◆◆◆






 私は肉体から触手を作り出して周囲を探り出す。
 固い床の感触、焦げた木の板、鉄の棒。
 触手はあらゆるものに触れ、その形をなぞることでそれを理解していく。

 次第に敏感になっていく感覚が、表面に音や熱を感じはじめる。
 冷えた空気、遠くから微かに聞こえる風の音、周囲に沈殿した重い静寂。

 私は、肉体の表面に大きな切れ目を作り出し、切れ目をゆっくりと広げながら、その下に作り出した楕円形の大きな眼球を外へと露出させていく。
 数度瞬きをして、眼球が乾かないように適度な粘性の膜を作り出してから周囲をゆっくりと見回す。
 闇の中に触感という形のみで作られていたぼやけていた世界が、急激に彩を得て私の周囲に広がった。

 そうして、私はいつものように目を覚ました。

 私の肉体は理論上は睡眠を必要としないらしいのだが、不思議なことに私自身は睡眠の欲求を有している。
 なんでも、ヒルダが私を召喚した際に人間的な本能をもコピーしたんじゃないか、とのことらしい。
 私には良く分からない小難しいことはさておき、この睡眠というものは素晴らしい。
 精神的な疲労を癒すと同時に、目覚めという形でこの世界の美しさを私に再体験させてくれる。

 個人的には、目覚めた場所が柔らかなベッドで、側にヒルダがいたならばもっとそれを深く感じることができたのだが、残念ながら今回目覚めた場所は倉庫の床の上だった。

 まぁ、こういう一日もあるだろう。
 きっと明日には今日よりマシな状況なっているに違いない。

 倉庫に唯一ついている小さな格子窓から見た限り、外はとても良い天気のようだ。
 せっかくだし洗濯物でも干そう。
 ああ、丁度良いからシーツを取りに行くついでに、ヒルダを起こしてやらねばなるまい。
 寝起きにいつも無防備に抱きついてくるヒルダに色々と悪戯するのが、私の密かな朝の楽しみでもあるのだ。

 そうして、私はいつものように這いずって倉庫を離れようとした。
 自分の身に降りかかった恐るべき災難に気付いたのは、その時である。

 まだ私の肉体は床に張り付いていた。

 フライパンに焦げ付いて剥がれなくなった目玉焼きのように、私の肉体の下部はすっかり焦げた床と同化を果たしてしまっている。
 表面で一生懸命伸縮をしてみても焦げた部分が変形しないため意味がなく、さりとて触手を床について肉体を引き剥がそうとしても、まるで力が足りないのか剥がれる様子は無い。
 仕方ないので格子窓の鉄の格子に触手を巻きつけて、必死に引っ張ってみた。
 できるだけ肉体を上に上にと意識しながら、じわじわと力を込めていくと、格子を掴む触手が太く、床に張り付いた部位が薄く小さく変化していく。
 太い触手の力の方が当然強いわけで、次第に私の引く力が、床に貼り付いた頑固な焦げ付き剥がし始めた。

 薄皮の剥げる、独特の音が聞こえてくる。

 お、おおぉぉぉぉぉおおおおお……こ、これは、地味に辛い…………!

 生皮を剥がされるというか、自然に剥げていくというか、明確な痛覚に近しくも異なるこの感覚!
 まるで生きたまま神経を撫でられるような、拷問にも等しいこの苦しみは、人には決して理解できまい!!
 そう、まるで巨大なかさぶたを剥がすような……かさぶた?

「……あ」

 声。
 遅れて、扉の軋む音があった。

 私が自らの肉体への挑戦と痛みの狭間で思索の世界を彷徨っていたのを見越したかのような来訪であった。
 当然、現実に引き戻された私は、とっさに何らかの反応を返そうと肉体の集中を解いてしまう。
 結果は、ぼとりと焦げた床に引き戻された自らの肉体であった。

「え、な、なに……?」

 うろたえ、怯えた声だ。
 私は改めて眼球を肉体に作り出し、扉を開けたまま立ちすくんでいる声の主を見る。
 まだ足元がおぼつかないのか、扉と枠の間に掴まるようにして立っていたのは、昨晩、私が不慮の事故にて襲ってしまった相手、ノームのグノーであった。

 警戒するようにこちらを睨んでくる彼女を前に、私はどうしたものかと悩んだ。
 また攻撃されるのも嫌だが、このまま無意味に警戒されるのも座りが悪い。

 軽いジャブ程度の気持ちで、細く絞った触手を一本、そろそろと伸ばしてみる。

「……う…………」

 扉の後ろに小さな身体が引っ込む。
 失敗だったか。

 私は内心溜め息をつきながら、静かに触手を戻そうとした。
 だが、驚いたことにグノーが扉の向こうから再び顔を出し、今度は向こうから手を伸ばしてきたのだ。
 やはり警戒しているのか指先が微妙に震えているが、意思疎通の意思があるのは間違いない。

 私は、また驚かせないように慎重にグノーの指先に触れた。

 一瞬、私からグノーに、意識が繋がるような奇妙な感覚が広がり、消える。

 これで私の声も届くはずだ。

「……う、……そ、そうね」

 昨晩にも意志は伝えていたが、落ち着いて話せるのは初めてになるな。
 何よりもまず昨晩の謝罪を伝えたい、本当に失礼なことをしてしまったと思っている。

「え? あ……うん」

 グノーは、朝日の下で見る私の姿に気圧されているのか、いくぶん素直に私の言葉に頷いた。
 だが、どのような形であれ、謝罪を受け入れてもらえたのは嬉しい。
 昨晩の件はずいぶん気に病んでいたのだ。

「そ……そう」

 なにしろ、最初に襲ったときから中途半端な扱いをしてしまったうえに放置、二度目は別人と勘違いして全力で襲ってしまったのだから、これはもう鬼よ悪魔よと言われても仕方あるまい。
 本当はもっと納得のいく形で最初の件のお返しをするつもりだったのだ。
 その時のためにと思って、小柄な君のために色々とアクロバティックかつテクニカルな技を考えていたというのに全て無駄になってしまった……。

「ア、アクロバティックでテクニカル……?」

 具体的には×××に×××を××したまま××し、さらに×××にも同時に××する。すると×××が××××れて××し、ちょうど××××のように一気に××する。さらに上級テクニックとして、××する×××を細く数を増やすことで、×××の中での××をさらに数倍まで……

「…………そ、そんなことしたら、その……こ、壊れない……?」

 生唾を飲み込みながら、グノーがおずおずと尋ねる。
 その頬が紅潮しているのは、昨晩の経験から具体的にどんな風な体験ができるか想像してしまうが故だろう。

「うっさい!」

 グノーが手近に転がっていた麺棒で私を殴りつける。
 昨晩にも私を平べったくなるまで殴りつけるのに使っていたが、何故この木の棒は焦げていないのだろうか?
 もしかしたらヒルダの作った魔法の麺棒なのかもしれない。

 軽く頭頂部に当たる部分を物理的に凹まされながらそんな疑問を思っていると、大きく麺棒を振り上げたグノーが、そのままの勢いで足元をもつれさせた。

「……っ、……う……」

 とっさに数本の触手で腰と上体を絡める。
 グノーの身体が小動物のように震えて、その口からか細い悲鳴が漏れた。

 さすがに、昨晩のことは良くない記憶だったか。

 少し調子の乗っていたことを反省した。
 扉に小さな身体を預けさせて、私はグノーに絡めていた触手を解く。

「あ……」

 解いた瞬間、グノーは小さく声を上げた。

 ああ、急に触手を解いたので怒ったと思ったのだろうか?
 いやいや、そんなことはないし、腕の方は解いてないので意志の疎通には問題ない。
 まぁ、急に接近するのが怖いのだったら、最初は小粋な言葉のキャッチボールからはじめて、少しづつ距離を縮めていこうではないか。

「……最初にいきなり襲っといて、なんで今更そんなこと言うかな……?」

 扉にもたれると、グノーは溜息とともにそう言った。
 もっともな意見である。
 しかし最初は生きるか死ぬかの瀬戸際で暴走気味だったのもあり、二回目のあれは事故だったのだからして、私は決して衝動のままに肉欲の限りを尽くすような危険な生き物ではないのだ。
 少なくとも理性の残っているうちは。
 問題は空腹時にはすぐ理性がなくなってしまう点だが、幸運なことに私にはこの飢えを満たしてくれるありがたい相手に恵まれているので、この点は十分にクリアできている。

「相手……? ……ね、ねぇ……」

 なんだろう?

「アレ……えっと、その、昨晩の、ああいうの……あんなの毎晩してるの……? そ、その……魔女、と」

 うむ。
 そうじゃなければあんな事故は起こらなかっただろう。
 あ、いや、そうなんだが、あまり声高に主張するときっとヒルダが照れて私を殴りつけると思うので、本人にはこの件を問い質したりしないでいてくれると助かる。

「ま、毎晩……あんなに…………」

 というか、朝と昼と夜で一日三回だが。

「一日三回……っ!?」

 いや、食事は普通一日三回だろう?
 まぁ確かに食事事情が悪いところでは一日二回が普通らしいが、食べられる時には食べた方が。
 ほら、私はそもそも太ったりしない訳だし。

「あ、あんなのを……毎日……一日三回も…………?」

 そんなに衝撃的な事実だっただろうか?

 なにやらブツブツ呟きはじめて思考停止してしまったグノーを前に困っていると、扉の後ろの方からヒルダが顔を出してきた。
 失敗してしまった。私がグズグズしているうちに自ら起きてしまったか。
 多少残念だが、今朝の楽しみは諦めるとしよう。

「なんだ、こんなところにいたのか」
「あ……」

 ヒルダを前に、グノーが顔を真っ赤にしたまま口をパクパクさせている。
 いきなり謎のリアクションを突きつけられたヒルダは、訝しげな視線でしばらく見てから、興味を失ったように私に手を伸ばした。
 それに応えて、私もすぐに触手を伸ばして指先に絡み付ける。

「朝っぱらからなにをしていた?」

 何をしていたかと聞かれると、お話をしていたとしか答えようがない。
 まぁ、謝罪とか、事情の説明とか、色々だな。

「ふーん……?」

 おはようだ。
 起こしにいけなくて悪かった。

 いつも美人だが、今日は髪の艶が一段と良いな。洗髪剤を新しく変えたのか?

「……あー、まぁ、そんなところだ。……おはよう」

 ヒルダは私の挨拶に、何故か決まり悪そうに答えた。
 ちなみにヒルダは可愛いと言われると機嫌が悪くなる。
 私に言わせれば、美人も可愛いも方向性としては等しいと思うのだが。

「子供じゃあるまいし、そんな褒め言葉はいらん。……それより、朝っぱらからお前に伝言を受けてきたぞ」

 伝言?
 直接話しかければ良いだろうに、妙な話だな。
 私は昨日からここに貼り付きっぱなしで、逃げも隠れも出来ないぞ?

「……まぁ、直接話せない相手だからな」

 おお、あのちっこい妖精さんか?

「お前を丸焼きにした方だ」

 あの角尻尾娘さんか……。
 丸焼きにした謝罪とかなら気にしないでいいと言っておいてくれ。
 でも謝罪の印に身体を捧げると言ってたなら、喜んでその好意を受け取ろう。

「決闘の申し込みだ。一対一でブチ殺すから覚悟しとけって言ってたぞ」

 もしかして、アソコに触手を突っ込んだら女の子になっちゃった件だろうか?
 個人的な意見を言わせてもらえれば、今の状態が前のゴツい姿よりも明らかに万人の目に優しいので、むしろ感謝されてもいいぐらいだと思っていたのだが。
 いや、確かに初対面でいきなりそんなことをしたのは問題だったが、ほら、それはワンコにバンザイさせて性別を確かめてみるのと同じ程度の意味だったわけで、決して性的なアプローチだったわけでは。

「……本人に言ったら消し炭にされるぞ」

 ぬぅ、そんなに不味かったのか。

「さんざん言っただろう? 生まれてから成長期の期間のすべてを修行に費やした努力の成果を無駄にされたんだぞ? それに、ドラゴニュートの有限の寿命では、再び竜への修行をはじめても、老いに追いつかれる」

 つまり、やり直しもできないという事か。
 それは確かに怒るわけだな。
 正直想像不能なので甘く考えていたが、そんなに厳しいものなのか。
 これは、どう謝ったものだろうか。

「諦めて八つ裂きにされろ」

 まぁ、仕方あるまい。
 女性に手を上げるのも無理だからな。

「……馬鹿が。手を抜けば、余計に怒り狂うぞ」

 じゃあ、適当に触ったり抱きついたりしておこう。
 結構胸とか尻とかのボリュームがあったから、きっと抱きつけばさぞかし心地良いだろうし。

 うむ、ちょっとだけやる気が出てきた。

「…………まぁ、好きにしろ」

 呆れたように息を吐き、ヒルダは倉庫を出て行く。
 その横顔に、唐突にグノーが声をかけた。

「へ、変態……」

 いきなり変態呼ばわりである。
 それを口にするグノーの顔は、褐色の肌の上からもはっきりと分かるほど紅潮していた。
 ポカンと口を開いて見返すヒルダに、グノーはヒルダの眼前に指先を突きつけ、更に声を張り上げた。

「い、一日、三回とか……どう考えたってやりすぎでしょ! な、な、なに考えてんのよ! この変態っ!!」
「何を言ってる!? いったい何が一日三回……」

 言い返そうとした昼だの声が急に止まった。
 次第に頬を紅潮させながら、いちにちさんかい、と、もう一度繰り返す。
 グノーが同じく頬を紅潮させたままコクコク頷く。

 ヒルダがゆっくりと私の方を振り返った。
 キリキリと吊り上った目の中の瞳は、怒りに燃え上がっている。

「……こっ、アホッ! 余計なことはっ! 言うなと!! あれほど言っただろうがっっ!!」

 引きつった声とともに、グノーの手から麺棒をひったくる。
 説得も謝罪の機会もなく、ヒルダの振り上げた麺棒は真っ直ぐに俺に襲いかかった。

 当然のように、ヒルダに横殴りにベコベコに殴られました。

 頬を真っ赤染めて照れながら殴りかかってくるヒルダはなかなか可愛かったのだが(こういう時こそこの表現がピタリと当てはまる)、残念ながらその姿を堪能することはできなかった。

 真っ先に眼球を破壊されてしまったからである。




◆◆◆






 決闘は正午となった。

 私が我に返った時には、触手が陸に打ち上げられたマダコみたいにぐったりとなっていたのと、先に朝食やら、冒険者共の出立の準備を整える時間が必要になったのが理由である。

 冒険者達は、とりあえず決闘が終わったら街の方に戻るのだと言う。
 なんでも、明日の朝までに戻らなかったら部屋の荷物を処分するように、街で部屋を借りている宿の主人に言って来たので、このままここに留まっていたら全財産を失うらしい。
 あの連中がどれだけの覚悟でネコミを救助に来たのかが窺い知れるエピソードだ。
 お陰で、その話をしている間、ネコミはずっと耳を伏せて小さくなっていた。

 決闘は、特に捻りもなく私の家の目の前である。
 それほど派手なことはしないだろうが、それなりに距離はとっておいた。

 決闘の当事者である、触手とドラゴニュートが向かい合って立つ。
 距離はざっと10メートル、剣には遠く、魔法には近い距離だ。

 見届け人は他の冒険者の連中と私の四人になる。

 私や妖精は、完全に興味なさげに欠伸交じりに見ているだけ。
 グノーは朝の失礼な発言以降、なにやら一人考えているらしく決闘の方は見ていない。
 唯一ネコミだけが、垂れた尻尾を落ち着かない様子で左右に振りながら、ハラハラと左右交互に視線を揺らして決闘の開始を待っている。

「かいしー」

 特に何の気負いもない妖精の声が、決闘の開始を告げた。

 その言葉を待っていたかのように、触手が一気に自らの触手を増殖させ、太く無数の吸盤を張り付けたそれを前方に展開させながらドラゴニュート目掛けて這い進む。
 昨晩に十分な補給を得ていたとはいえ、朝から昼までは倉庫に放置されていたのだ。

 ドラゴニュートは、目に敵意の炎を燃やし、凶悪な武器を手にしているとはいえかなりの美人である。
 しかも、腹立たしいことに身体つきもかなり女性らしく起伏に富んでいる。

 触るだけとか言っていたが、飢えを感じ始めたヤツにとって、目の前の美女は間違いなく極上の獲物だった。

「……行、く、ゾォォッォッ!!」

 気合を入れたドラゴニュートが、鎧を内側から軋ませて人竜の姿に変化するまでは。

 顔は骨格から爬虫類のそれに変形し、尻尾を太く地面まで届く。
 長い髪の毛は急速に高質化しながら背に張り付いた。
 形を歪めた手足の先には鉤爪が飛び出し、身体は猫背の姿勢から、前傾に低く構えた独特のものに代わる。

 完全な竜人の姿だった。
 すでに一度集中を切ったのならば長時間は無理だろうが、十数分くらいなら耐えるだろう。

「来イ」

 閉じた顎の端から炎の混じった硫黄の息を吐き、巨大なグレートソードを片手で軽々と振り上げながら、
竜人が軋むような声で高らかに吼えた。

「……あ」

 ネコミが声を上げる。

 ドラゴニュートの前で、触手がへにょりと横倒しに倒れたのだ。
 伸びきった触手をグッタリと地面に落としたまま、やる気なさげに動きを止める。

「あ、やっぱりやる気なくしたー」

 妖精がやっぱりね、という顔で言った。

「まぁ、そうだろうな」

 私も同意して頷く。
 あれで興奮するのはさすがのヤツでも無理だろう。

 あ、そのままグレートソードで両断された。

「あああああ」

 ネコミがわたわたと手を振りながら私を見たり触手を見たりしている。
 いや、あの程度では死なんと思うが。

 ほら、二つに分裂して……あ、また切断された。

「わー、小さくなって逃げてく、なにあれ」

 ホントになんなんだろうな、アレは。
 激昂しながらドラゴニュートがふにゃふにゃとやる気なさげに逃げる触手を追っていく。

「貴様、逃ゲルナ…! 私ノ竜化ヲ破壊シタ、力……使ッテ見セロ……ッ!!」

 グレートソードで逃げた1/4の一つを切断して1/8にしながら、ドラゴニュートが吼えた。
 とっさにネコミを見ると、視線を反らして耳をぺたっと伏せる。
 まだ説明してなかったのか、いや、そうしたい気持ちは分からんでもないが。

 しかし、ドラゴニュートの言葉に反応したのは、私やネコミばかりではない。

 逃げ回っていた動きを止めて、ぴこっと触手の一本が跳ね上がる。
 触手の中に埋め込まれた大きな眼球が、真ん丸い目を見開いてこちらをチラッと見た。

 別に触手が触れているわけでもないが、『いいの?』と視線で聞いているのが分かる。
 こっち見るな阿呆。

 私は見なかったフリをして、視線を大剣を構えるギリュウの方に向けた。
 挑発を仕掛けた竜人は、太い尻尾で大きく地面を叩き、足の鉤爪で繰り返し草を裂きながら、触手の反撃を今か今かと待ち構えている。
 顎の端から炎の舌がくすぶっているのが見えていた。
 恐らく、触手の攻撃の正体が遠距離からのモノならば口からの炎のブレスで、近距離からのモノならば手の中の大剣で迎え撃つ気なのだろう。

 一方、触手もバラバラに切断された肉体を再結合しながら、向かい合う姿勢を見せる。

 …………。

 チラッ、チラッ

 触手の方は、まだしつこくこっち見ていた。
 私は、仕方なく深く息を吐く。

 睨みつけ、首を掻き切る仕草をした後、立てた親指を下に拳を下ろす。

 私のジェスチャーの意味を正確に把握した触手は、しなしなと勢いを落とし、再び元の乾燥しかけの海藻類みたいなしなびた動きに戻った。

 いいから適当にバラされていろ、馬鹿者。
 どうせあの程度の攻撃では、あの不死身の生き物に止めは刺せまい。

「マダ、出シ惜シミスルカ……!!」

 痺れを切らしたドラゴニュートが叫び、大きく開いた顎の奥から炎の息を噴き出す。
 槍のように真っ直ぐに伸びた燈色の炎は、触手を瞬く間に火達磨に変える。
 高熱に晒された触手は、その場でゴロゴロと地面を転がって必死に炎を消そうとするが、ドラゴニュートは容赦なく炎を吐きかけ続けている。
 肉体の表面が熱で焼き付いたせいか、次第にのた打ち回る動きが鈍くなってきた。
 なにより、触手などの末端がすぐに燃えて使い物にならなくなるのだ、このままでは文字通り手も足も出せないまま一方的な展開になる。

 これは流石に不味いか……?

 不意に、私の腕をそれまで黙っていたグノーが引いた。
 振り返ると、思いつめたようなように暗い表情を浮かべた顔がこちらを見ているる。

「……もう、やめさせていいでしょ? ギリュウの勝ちって事にしてさ」

 私は一瞬、何か反論を口にしようとして、結局止めた。
 当事者が言っているんだ、あのドラゴニュートも了承するだろう。
 いつでも平気な顔をして再生するのでついぞんざいな扱いをしてしまうが、あいつ自身、斬られたり焼かれたりして、痛みを感じないわではないのだ。

「そうだな……分かった」

 私は頷いた。

 はらはらと横から私とグノーのやり取りを見ていたネコミが、安堵したように尻尾を下げる。
 それを見て、自分が一番あいつのことをいい加減に扱っていたのだと自覚してしまい、気まずいような悔しいような、何とも言えない思いが浮かんだ。
 正確にアレのことを理解したつもりになって、大事なことを忘れていたのかもしれない。

 私の言葉を受けて、グノーもまた笑顔を浮かべた。
 そして、嬉しそうにぱんと手を叩く。

「じゃ、ギリュウの勝ちってことで……戦利品としてアレはあたしが引き取るから」
「ちょっ!?」

 突然、なんかえらいこと言い出した。

「うぉい! 話が違うぞ!!」
「いいじゃん! 勝ったら殺すぞって約束してたんだし、もって帰って有効利用したって!!」

 グノーは何故か顔を赤らめながらも勢いで押し切る体制でまくし立てる。
 アレをどう利用するつもりかは、絶対に聞きたくなかった。

「それとこれとは話が別だ!」
「え、なに? もって行っちゃ駄目なの? もしかして、いなくなったら一人寝が寂しいとか?」

 なんという破廉恥なことを言うのかこの小娘は。
 歯軋りと共に、喉の奥で唸り声が漏れる。

 そんな風に言われては、私の答えは限られてしまう。
 ニヤニヤ覗き込んでくるグノーを前に視線を反らし、ほとんど呻くようにして、私は答えた。

「……いや、そういう訳では」

 その言葉を待っていたかのように、グノーがニンマリと笑う。

「じゃあオッケーってことね!?」

 目の輝きが尋常じゃなかった。
 この目……この小娘、アレをマジで家まで持って帰る気だ。

 あとネコミがなんかソワソワながらグノーの方と私を見比べている、かなり心動かされるらしい。
 後ろでだんだん動かなくなってきてる触手の方も見てやれよ。

 私は、波風立てずにこの場を切り抜けることを諦めた。
 しばし息を吸って、大きく口を開く。

「仕方あるまい……おいっ! 前言撤回だ!! 私が許可する、どんなことをしてでも勝てっ!!」

 その一言で、十分だったのだ。

 私の言葉を受け、ヤツは一瞬で触手を再生させて立ち上がる。
 炭化した表皮が崩れ去り、その奥から柔らかさを取り戻した新鮮な肉が再び生まれ、蠢きながら新たな触手を次々とつむぎ出していく。
 火炎のブレスに激しく炙られながらも、突き出した太く粘液にまみれた触手は焼けることがなかった。
 熱を表面に絶え間なく作り出す粘液で防いでいるのだ。

 巨大な眼球が触手の奥に生まれ、ドラゴニュートを見据える。
 火炎のブレスを止めて、竜人は息を止めて後ずさった。

 あのドラゴニュートも目の前に立つヤツの視線から感じ取ったのだろう。
 ヤツを前にした時、始めて感じる恐怖“貞操の危機”を。

「あぁぁー! ずっこい!! ふつー今更そういうこと言うっ!?」

 グノーが私の首を引っ張りながら叫ぶ。
 その顔を手で押し退けながら、私は負けじと言い返した。

「フン! アイツの人生がかかっているのだから、私の言葉で制限を課すようなことがあって良い訳がないだろう。ただヤツに選択の機会を与えてやっただけだ!」
「うわ、なにその詭弁! ギリュウ!! 負けちゃ駄目だからね!!」

 グノーが私を言い負かすのが無理と感じたのか、行動をドラゴニュートの声援へと切り替える。
 だが、すでに私が許可を出した時点で結果は見えているのだ。

「オオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォッッ!!」

 ドラゴニュートが咆哮を上げる。
 大海の果てから襲いくる津波のごとき勢いを手にした触手の群れは、炎の息吹が数本を焼き落とされても、グレートソードに数本を両断されてもなお止まることなくその身体へと押し寄せていった。

 やがて、炎と斬撃を潜り抜けたたった一本の触手がその足を引き倒す。
 わずかにバランスを崩したその瞬間、無数の触手は隙を逃さずその体躯へと殺到していく。

「離セ! ナ、ナニヲ、……ドコヲ、触ッテ……ッッ!」

 地面へと引き倒されたドラゴニュートは、グレートソードを捨てて、腕の鉤爪を振り回して抵抗を続ける。
 だが、次第にその腕も太く皮膚に吸い付く触手に絡み取られて鈍くなっていく。
 足元に絡みつく触手の数が次第に増していき、脚が左右へ割り割かれた。

 当然、触手の目標はその奥になる。

「グ、ウ……コノ、ヤメ……ゥゥ……ッ、ゥあ……く、んぁぁぁっ!?」

 艶を帯びた悲鳴と共に、触手にまとわりつかれたドラゴニュートは再び美しい女の姿に戻された。

「うわぁ……」

 妖精が珍しく頬を赤らめながら口元を覆う。
 いつの間にか、ネコミとグノーも口を閉ざして頬を紅くしたままその光景を見ていた。

「んっ、くぅ……は、な、せぇ……やめ、んんっ!? ~~~~~~~~~っ! ……んむっ、む、んぅっ!! ……ふぁ、ぁうっ!……ひっ、んああぁぁっ……やっ、あっ……ん、んんんん~~っ!!」

 確かに、凄い。
 理性をなくした触手の凶行を目にするのは私も初めてだった。

「やぁっ……やめ……んんんっ!? んん…ん…んっ、んっく…んっ…むぅぅっ! ふぁ……あぁぁぁ…………」

 ……………………。

「ぁぁ…ぁ…ん…あ…はあああん…あぐっ……く…はぁ、ぁぁぁぁ、ん、んん……」

 ………………。

「あ…ああ…あ…ふぁぁ、んっ、んぁぁ…」

 …………。





◆◆◆






 しばらくしてから、我に返って全員で助けた。




 まぁ、そんなわけで、この話はおしまいである。
 連中は、また来るとだけ言い残して森を去っていった。

 何故かそう言ってた相手が触手だったが、なにか激しくどうでも良くなったので特に突っ込まなかった。





<つづくのでした>



[3500] 14話「黎明!それぞれの朝!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:ac288b81
Date: 2011/08/20 21:24

 女が、長さ1メートルを超える幅広の大剣を正眼に構え、おぞましき魔物の正面に対していた。

 女は名をギリュウと言った。

 深い緑の髪を腰下まで無造作に伸ばした、長身の美しい女性である。
 柔らかな曲線を描く胸の膨らみや、引き締まった腰、尻から太股までの蠱惑的なラインを、革のベルトで固定された無骨な鎧が覆っていた。
 その側頭からは、左右合わせて二本の湾曲した赤い角が生え、尻を覆う腰鎧の下からは爬虫類を思わせる尻尾が突き出ている。

 ギリュウは、かつては竜人であった。

 竜人とは修練を積んだドラゴニュートのみが達することのできる、竜に近しい肉体を持つ頑強な存在である。
 そうして竜人に達したドラゴニュートがさらなる修練、戦いを超える事で、この世界最強の存在である竜に達する。
 それがドラゴニュートという種族の信仰であり、生き方そのものなのだ。

 だが、ギリュウは戦いに敗れ、竜人の肉体を失い、人と等しいドラゴニュートの肉体に堕とされてしまった。
 定命の存在であるドラゴニュートにとって、修練にかけることのできる時間はあまりにも少ない、故に一度その道から外れてしまえば、再び竜に達することができる可能性は限りなく低い。
 そのため、修練の道を外れた女性のドラゴニュートは、強い子をなすことに残りの命を懸けることとなる。
 次の世代のものに、竜に達するという夢を託すのである。

 だが、ギリュウには、いまだ戦う理由があった。

 目の前に這う無数の触手と肉で作られた魔物は、ギリュウの肉体をドラゴニュートへと堕としただけではなく、彼女の友の一人を、そのおぞましく蠢く触手によって辱めたのだ。
 ギリュウは、その手にした大剣で魔物をなます斬りにしてやらねば気が済まなかった。

 決闘の場は、森の奥にある広場の一角である。大剣を振るうのに障害はない。
 正対している触手の魔物は、ギリュウの手の中の大剣を警戒しているのか、なかなか襲いかかって来ようとはせずに、ゆっくりと無数の足と無数の触手を宙空にふらふらと蠢かせているばかりだった。

 あるいは、言葉も話せぬ魔物が遠慮でもしているつもりなのか。
 ギリュウは待つことに飽き、誘いの言葉をかける。

「……こイ」

 その言葉に答えるように、ゆっくりと鈍く蠢いていた触手の塊が、まるで爆発するように一斉に動き出した。
 ギリュウの視界一杯に、無数の触手が迫る。

 芋虫を思わせる節を備えた太い肉色の触手は、その先から触手を蠢かせ手足を捉えようとしている。
 白く太い触手は、その内側に無数の吸盤を備え、手足に絡み付こうと鎌首をもたげている。
 淡いピンク色の細い触手は、表面に無数の突起を備え、濡れた粘液をまとったままうごめき続けている。
 植物じみた緑色の触手は、その先端から無数の細い触肢を伸ばして獲物を求めている。
 赤黒い触手は、その先端で反り返った、陰茎を思わせる肉口から白濁した粘液を滴らせている。

 粘液質の嫌悪感が、ギリュウの背を撫で上げる。
 女としての性などとうに捨て去り、竜人としてひたすら戦いと修練の道を歩んできたギリュウにさえ、それらが自分を求めて這いよるさまには、言いようのない恐怖を感じざるをえなかった。

「二度ト触れさせルと思ウナ、この化け物ガッっ!」

 手にした大剣を振るう筋力は竜人であった頃とほとんど変わらない。
 激昂の声とともに振り下ろされた、鉄の塊に刃の鋭さを付加した恐るべき武器は、束となって襲いくる触手を引き千切り肉片と変えた。
 引き千切れた肉片からこぼれた体液が飛沫となって飛び、ギリュウの頬を汚す。

 だが、裂けた肉片の隙間から、さらに倍の触手が奔流となってギリュウに襲いかかった。

「マダ懲りないカァ! 何度こようガ、微塵に斬ってヤルゾォッッ!!」

 吼えながら、ギリュウは振り下ろした大剣を、逆袈裟に斬り上げる。
 しかし、振り上げたはずの刃は半ばまで触手の束を断ち切ったところで不意に止まってしまう。

「くっ、コノ……ッ!」

 大剣の幅広の刀身に、太い白色の触手が巻きつき、その内側の吸盤を貼り付かせていた。
 その数は見る間に数を増やしていき、グレートソードの刀身はみるみる肉の中に埋もれていってしまう。

「ふざけるナッ! コノ程度デ……」

 触手の群れは、予想外の膂力で自らの裡へと引き寄せる。
 焦ったギリュウは、とっさに足を振り上げ、大剣に巻きついた触手の束に蹴りを放った。

 ギリュウの足を覆っているのは、鋼鉄製の脛当てである。
 ドラゴニュートの筋力から放たれるその蹴りは、鋼鉄製の鉄槌の一撃に等しい破壊力を持つ。

 だが、その瞬間を狙い済ましていたかのように、太い肉色の触手がギリュウの軸足をすくいあげた。

「ッッッ!?」

 竜人の姿を捨てたドラゴニュートの尾は、地面につくほどの長さはなく、膝下ほどの長さまでしかない。
 尾が地面に着くほど長く、重心が人間よりもずっと低い竜人の肉体で長い時間を過ごしていたギリュウは、まだ人に近い構造を持つドラゴニュートの雌の身体を理解しきれていなかった。
 その結果、ギリュウは数本の触手に脚をすくわれただけで容易くバランスを崩し、無様に地面に転がってしまう結果となったのである。

 仰向けに転げたギリュウが立ち上がるよりも早く、武器を失った彼女の身体に大量の触手が殺到した。

「ひっ……あああぁアァァァッッ!?」

 大量の触手が、抵抗の暇すらなく手足を絡めとっていく。
 触手から分泌される粘液越しに、肌に吸い付く吸盤や無数の突起、蠢く繊毛が肌をなぞる感触がギリュウの肌を責め立てる。

「ひゃっっ、はなせっ! 気色悪いッ……!!」

 罵声を張り上げながら、ギリュウは手足に力をこめた。怒りに任せて触手の拘束に逆らう。
 だが、力比べは長くは続かない。

 背中で胸鎧を留めていたベルトが、触手の分泌する溶解液で溶かされ、ついに耐え切れずに千切れ飛んだのだ。
 引き千切れる鋭い音とともに、胸鎧はギリュウの乳房の上を這い回る触手に弾かれて落ちた。

「なにを……っ」

 外気に晒された白い二つの乳房が、胸鎧の圧力から解放されて大きく上下に揺れる。

 だが、竜人として生きてきたギリュウに、女としての羞恥心などがあるはずもない。
 女の証である二つの膨らみを外気に晒されても、ギリュウはただ嫌悪感に顔をしかめただけだった。

 だが、二本の太く赤黒い触手が粘液を滴らせながら乳房にむしゃぶりつくと、ギリュウの顔色は変わった。

「ひぁぁぁぁ……っ!?!」

 ギリュウの口から、一度も漏らしたことのなかったような、甘い艶の篭った喘ぎがもれる。

 乳房を触手の表面が撫で上げた瞬間、背筋を電流が走った。
 触手がねっとりと乳房全体に粘液を擦り付け、その柔らかな白い曲線に吸いつけた吸盤を吸い上げるたび、形容のし難い痺れと痛みがギリュウの身体を責め上げる。
 それは、ギリュウが今までの生涯で感じたことのない、甘い刺激だった。

「んはぁ……や、やめロォッ! どこニ、吸い付いて……ンンンっッ!!」

 ギリュウは背筋を大きく反らして身をよじり、触手から逃れようともがいたが、両腕はしっかりと肉の拘束に捕えられて動かすことができない。
 それに、触手の粘液にぐっしょりと濡れた身体は、次第に奇妙な熱に冒されて、身体の力が入らなくなってきていた。

「ああ……ン……あぁ……」

 触手は螺旋を描くように、乳房の外側からぐるりぐるりと乳房に巻きついていく。
 乳房の先端、すでに赤く充血して硬く尖った乳首に届く寸前で、触手の進行は止まった。

「ひぅゥゥ……ッ!?」

 ピン、と、ギリュウの背が跳ねる。
 乳房に巻きついた触手の表面が変化して、無数の蟲の脚を思わせる細い管がビッシリと並んでいた。
 それが、ざわざわと蠢いて乳房の表面を撫で上げながら、じわりじわりと乳房を嬲るように引き絞っていく。

「はぁ……っ、く、ぅ……はなせっ! はなせぇ……はな……っっ!!」

 羞恥で真っ赤に染まった顔で、怒りの声を上げるギリュウの額に、汗が滲んでいた。
 どんなにギリュウが身をよじりもがいても、触手の拘束は乳房を押し包み、おぞましい愛撫を続けている。
 触手の表面から乳房を責める無数の肉管は、巧妙に肌に吸い付き、二つの柔肉を決して解放しようとしなかった。

 柔らかな二つの乳房は、今やギリュウ自身の意思に関係なく、ひらすらに淫らな刺激をその身体に送り続けている。

 そして、限界まで引き絞られた乳房の先端。
 いまだ触手の陵辱の手が伸びていなかった二つの乳首に、二本の触手が伸びようとしていた。

 触手の先端には、丸い口のような穴が空いていて、そこには何層にも作られた無数の細い触手で作られた顎が休みなく蠕動している。
 白く濁るほどに濃い粘液が、その口からドロリと溢れた。
 それが自分の胸の先に吸い付こうとするのを目にして、ギリュウの背筋は凍りつく。

「や、やめ…ロォ……ソコは…………っ」

 今まで罵声を張り上げていた勢いはなく、懇願じみた小さな声が、ギリュウの口から漏れた。
 だが、もちろん、触手がその願いを聞き入れるはずはない。

 さんざん弄られ、引き絞られた乳房の先端。硬く勃起した左右の乳首を、二本の触手の口がくわえ込んだ。

「あッ…あアアアアアアアアアアアア……ッッ」

 粘液が、限界まで敏感になった敏感になった乳首全体を塗りつけられ、すぐに粘液の膜を押しつぶすように無数のヒダが乳首にきつく吸い付いた。
 無数の柔らかな針につつかれるような、耐え難い感覚が乳首を責め立てる。
 張り詰めていた背筋がビクンビクンと繰り返し跳ね上がり、拘束された手足が痙攣のように激しく震え上がった。

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!?!」

 ギリュウは、意味のある言葉を発することもできずに、見開いた目から涙を流し、涎まみれの口から声にならない悲鳴を上げる。

 ――――それが性的絶頂というものだということも知らぬまま。ギリュウは達していた。




「とイウ夢を見たのダガ。ピクス、ドウ思う?」

 向かいのベッドに座ったギリュウは、そんな感じに話を締めくくった。

「え~~と…………」

、いや、『どう思う?』とか言われても、わたしはなんとか気の抜けた答えを口にするので精一杯だよ。
 恐らく今のわたしは、間違いなく世にも形容し難い表情を浮かべているに違いない。

 窓の外から飛び込む陽の光は、淡く白けている。まだ鶏の鳴き声も聞こえてこないような早朝だ。
 ここは、冒険者のパーティーであるわたし達4人が部屋を借りている冒険者向けの宿“青羽根鳥の囀り亭”の一室。わたしとギリュウの二人部屋だった。

 事のあらましはこうである。
 朝っぱらからゆさゆさと肩を揺り動かすギリュウの手に起こされたわたしは、なにやら神妙な顔をした彼女に「相談がある」と言われた。
 今現在はドラゴニュート……ようするに角と尻尾つき人間……をやってるギリュウだが、その前の、ゴツイ爬虫人類である竜人の頃から彼女と相部屋で過ごしていたわたしである。これはさぞかし真面目な話に違いないと思ってかなり緊張した。なにしろ彼女は今まで一緒に過ごしてきて、一度も自分のことでわたしや他の仲間に頼ったことがなかったからだ。

 しかし、いざ聞いてみると淫夢の話である。

 ちなみに今さっきまでの話はあくまで話を聞かされてわたしが思い浮かべてしまったイメージで、実際はギリュウはもっと淡々と喋ってたしもっと色々分かってない感じだったと付け加えておく。だからって細かいとこを教えるガッツはわたしにはない。というか感想を求められても激しく困る。

「えーと……あー……まぁ、夢ならいいんじゃない? あんま気にしないでもっかい寝たら? 今度はマシな夢が見れるかもしれないわよ?」

 ああ、我ながらいいアドバイス。よしこれで解決。今の話は綺麗に忘れてさっさと寝よう。
 そう決めてベッドに転がり込もうとするわたしを、ギリュウが止めた。真剣な顔つきのまま、彼女は端正な顔を左右に振る。

「イイヤ、ダメだ」
「なんか問題があるの?」

 ため息をつきながら、わたしは再びベッドの縁に腰を下ろす。

 死霊使いの森の一件が終わって、やっといつもの宿まで戻ってきたのはつい数日前のことだ。
 あの化け物にのしかかられてからそう時間も経ってないんだから、悪夢に見たとしても別におかしくないとは思う。
 そもそも、実際にはみんなが見守ってる前での決闘だったし、あのエロ触手はギリュウを押し倒したものの、服を剥いだりそれ以上のことをしたりするとこまではやってない。
 ま、人間の姿になったばかりなもんだから、鎧はあちこち隙間だらけだったし、服の中まで触手の一本や二本は入り込んじゃってたかもしれないけどさ。

 わたしがじとっとした目でギリュウを見ると、彼女は少し気後れしたように顎を引いてから、やがてゆっくりと口を開いた。

「問題ガ、発生したノダ」
「……もんだい?」

 わたしがオウム返しに尋ねると、ギリュウは静かに頷いてから言葉を続ける。

「……起キたら下着が濡れ」「あああああああああああああ! 止め!! それ以上喋るの止めッッ!!!」

 慌てて両手をブンブン振ってギリュウの言葉を止めさせる。いくら親友でもそんな相談は受けたくない。ごめんホント勘弁して。
 ちくしょう。それで下半身に毛布巻きつけてたのか。下履いてないのか今。

 …………うぅぅ、ちっとも買いに行かないからわざわざネコミから借りて履かせてた下着なのに。いったいどう説明しよう。

 わたしはなおも寝ていた自分の身に起きた不思議な出来事を語ろうとするギリュウの声を大声で遮りつつ、着替えを入れているクローゼットから一枚の布を取り出して放り渡した。

「あとで纏めて買ってくるから、とりあえずそれ巻いてなさい!」
「…………分かッタ」

 布切れを両手で受け止ったギリュウは、大人しくコクリと頷いてから下半身を覆う毛布の下でごそごそとやり始める。
 慌てて視線をそらしたわたしは、ベッドの脇においてある、体を洗うために水を入れてあるタライの中に、脱ぎ散らかした下着がプカプカ浮かんでるのを見てさらに憂鬱になった。やっぱりわたしが洗わないといけないんだろうなぁ、あれ。
 なかなかギリュウの着替えは終わらない。無駄に尻がデカいのと、尻尾の邪魔さのせいでなかなか巻きにくそうだ。

「ちゃんと履いたら、外に出てちょっと訓練してきなさい! 健康的に!!」
「わ、私ハ、健康ダ……!」

 言いながら、ギリュウはぎゅうぎゅうと布で股座を締めている。
 締めすぎてキツいのか、ピンと張った尻尾の先がふるふると震えていた。

「いいから行くッ!! まだその身体に慣れてないんでしょ!? とっとと動かして本調子に戻しなさい!!」
「ムゥ……」

 わたしがまくし立てると、多少不服そうにしながらもギリュウはのそのそと鎧を着けて(あんまり手間取るから結局わたしも手伝った)宿の外へと出て行った。




◆◆◆




 ヒルダの家のキッチンは、一人暮らしの娘の家のもとしてはかなり大きいのではないかと思う。

 なにしろ、料理を焼くための竈から、わざわざ井戸から直接水を引いている水場、料理を切ったり叩いたりするための大きな作業台、さまざまな料理の道具がずらりと取り揃えられた棚、高価そうな皿や硝子のコップが並んだ食器棚まで揃って、さらに直径1メートルを越す触手の塊であるこの私が中央に鎮座してもなお、料理を作るスペースがある。
 それでいて、のびのびと触手を端から端まで伸ばせば窯から水場まで先端が届くというちょうど良い広さ。
 残念ながらまだまだ修行中の身なので実行は出来ないが、修練を積めば窯で肉料理を焼きながら野菜を作業台で刻み、さらに取り出した皿にフルーツを盛り合わせることすら可能だろう。

 まさに私にとって理想のキッチンである。

 つい最近、一般人において鼻や舌から感じる感覚、いわゆる嗅覚と味覚を任意に作り出した触手から感じることの出来るようになった私は、ここ数日ヒルダから料理の手ほどきを受けていた。
 幸運なことに私の嗅覚や味覚は、ヒルダのような人間や魔物の感じるそれと同じらしく、つまり私が良いと感じるものを作れば、良い料理を作ることが出来る。
 一つ残念なのは私自身には食事をする習慣も機能もないため自分自身でそれを楽しむことだが、それは仕方ない。それよりも、自分の作った料理の味や匂いを楽しむことは、私にとってもなかなか楽しいことだった。もちろん、それをヒルダに振舞って批評してもらうこともである。

 さて、私は今日も朝早くからベッドを抜け出しキッチンに立っていた。
 いつものように床に体を這わせた姿勢ではない。天井に触手を張り付けて、半ば吊り下がるようにしてキッチン中央に自分の身を置いているのだ。これは、キッチン全体を見下ろせるように視点を高くするためである。
 もちろん、私には眼球を触手の先に生やして視線を移すことだって簡単なのだが、床に這ったまま触手を伸ばしていては今ひとつ触手の先まで力が入らないし、床の埃などを立ててせっかくの料理を台無しにしてしまう可能性もある。これはそうした事故を避けるための工夫なのだ。

 朝の冷たい空気に身を震わせながら、まず作業用の触手を軽く水場で洗う。
 料理に使うのは主に吸盤を供えた太めの触手である。この触手は吸盤のおかげで料理道具を掴むのに向いているし、細かい動きが出来て力も十分に込めることが出来る。なにより、私の触手から常に分泌されている粘液を長時間抑えることが出来る。
 料理に混入しても食べた相手に害を及ぼすようなことは無いようだが、やはりこういう異物が料理に入るのは避けるべきだというのが私の考えだろう。前垂れちゃったときはヒルダも嫌がって食べてくれなかったからな。

 次に料理の準備だ。作るものは、最近作り方をマスターしたばかりのパンである。

 私は大きな木のボウルを取り出し、同時に食材棚から小麦粉の袋と、ヒルダ特製の謎の膨らし粉の入った瓶を取った。
 それぞれをボウルの中に入れてやりながら、床に戸がある小さな冷室を開きよく冷えているバターを取り出す。こいつをスプーンを使って削り、同じくボウルの中に加えたら終了である。ちなみにバターと粉は別々において最初は混ざらないようにするのがポイントだ。
 これによく冷やしてある牛乳を流し込む。牛乳は、近くのゴブリンの村から頂いてるもので、味も新鮮さも折り紙つきだ。
 ボウルの中に材料が揃ったら、さっそく料理道具入れから取り出したウィスク(生地の素をかき混ぜて泡立てるのに使う、複数の針金を組み合わせた調理器具)を使ってボウルの中を混ぜ合わせる。
 この作業は私にとってなかなか難しい。触手で巻き取るように掴んだボウルはそれほど大きくないし、ウィスクも同様に太目の触手で扱うには小さ過ぎる。ちょっと油断すると、勢いよくかき混ぜすぎて中身をこぼしてしまうのだ。だからといって、繊細な動きを得意としている細い触手では粘液が垂れてしまってせっかくの中身が台無しになってしまう。
 決してあせらず慎重に、だからといって遅すぎず確実に。いうなれば女性の柔肌を扱うようにかき混ぜていくと、やがてボウルの中で小麦粉と牛乳が絡み合い、一つにまとまってくる。ここにお塩を少々かけてからなじませると生地は完成。第一段階終了だ。

 次に、キッチン台の上に出しておいた木製の大きな板の上にボウルの中の生地をのせる。
 よく混ぜ合わせたおかげでペースト状になった生地を、麺棒を使って板にこすり付けるようにして引き伸ばす。ここでは力の込めやすい太目の触手を用いなければならない。水分をすっかり吸い込んだ生地はなかなか固く、私がかなりの力を込めて麺棒で押さえても板に貼り付いたりせず、薄く広がっていく。
 そうして十分に引き伸ばしたら、伸びきった生地を慎重に細い触手の端でつかんで、折り畳んで重ねる。そしてまた、力を込めて麺棒で引き伸ばしていくのだ。実に単純な作業だが、二種類の触手を交互に使う間も不純物が垂れ落ちないように注意する必要があるため、私にとっては緊張の連続だ。
 それを10分くらい繰り返す。私がすっかりくたくたになった頃には、生地は元の固さが解れて、柔らかくなっていく。そう、ちょうどネコミのおっぱいくらいの柔らかさだろうか。あるいはヒルダの二の腕くらいか。
 生地がそれぐらいの柔らかさになれば、第二段階終了だ。

 さて、ここで一旦楽しいパン作りは中断になる。
 きれいに生地を一つに丸めてから、再びボウルに戻してから、ちょっと水気を含ませた布をかけたら、陽の当たる表の方に置いておく。

 ヒルダによると、この時間が必要になるのは、生地を発酵させるためらしい。残念ながら私はそれがどういう意味なのかは分からないが、とにかく一時間弱ほど暖かい場所においておかないといけないのである。これが第三段階だ。

 しばらく空いた時間には、朝のお洗濯の準備や、軽い掃除でもして過ごす。
 今日はヒルダの書斎の片づけを行った。この前森にやってきた冒険者達、その一人から買い取ったアミュレットについて研究をしているとのことで、ここ数日の彼女は時間が空けば書斎に篭っている。
 そのお陰で書斎の机は、なにやら理解不能な文字が書き散らされた紙束や、バラバラに開いたまま積み上げられた分厚い本で埋まっていた。
 紙束は一つにまとめて片付け、本は開いた場所に栞を挟んで棚に戻しておく。ついでに床に散らばっていた丸めた紙やら実験の過程で作られたと思しき鉄や硝子や土屑やらを箒で掃除していると、一通りの作業が済む頃には一時間が過ぎていた。

 さて、一時間も経つとボウルの中の生地はなんと二倍に膨らんでいる。
 はじめて見た時にはなかなか不気味な現象だと唸ってしまったものだが、ヒルダには「お前が言うな」と突っ込まれた。なるほど、確かに自然と膨らんだり伸びたりする塊という点では、私とこのパン生地は似ているかもしれない。可愛いヤツめ。
 こいつに細くした触手を一本刺して穴を作ってやると、生地が十分に膨らんだかどうかが分かる。まだまだ膨らみきってない場合は、生地がまだ膨らみ続けているため、この穴がゆっくり戻ったりへこんだりするのだ。
 少し掃除に時間がかかっていたせいか、私が触手の先を突き刺してみたところ。穴の形は変わらなかった。

 十分膨らんだのを確認したので、次は第四段階開始である。
 膨らんだパン生地を再び板の上に移してから、太い触手の先端をボール上に丸く硬質化させて生地に叩きつける。もちろん台が壊れるような力は出さないように、ちょうど少し力のこもったパンチのような感じでばしばし殴って生地を平らにしていくのだ。 
 意外とこの作業は楽しい。
 硬質化させた触手から粘液が垂れたりする危険はないし、柔らかいパン生地をボスボス叩く感触はなんとなく愉快なのだ。

 さて、ある程度生地を平らにしたら、今度はナイフ状に変形させた触手で丁寧に生地を切り分けていく。
 これをそれぞれ丸めて焼いたものが実際に完成するパンである。
 気を付けないといけないのは、ここからさらに生地が大きくなるので、心もち小さめにしないといけないということだ。あんまり大きくすると、ヒルダの小さな口では食べられないような巨大なパンになってしまう。熱の通りも悪くなるし、欲張らずに小さく丸めていくのが大事だ。

 この後、鉄皿の上で濡れ布をかけてさらに一時間弱。

 この間に料理用の窯に火を入れ、パンを焼く準備を始める。
 本来は、窯の扱いが難しくて焼き加減とかがなかなか上手くいかないらしいのだが、なんとヒルダの家にある窯は魔法仕掛けなので熱さも安定してるし点火も簡単なので非常に使いやすい。
 たまに遊びに来るロナちゃんが非常に羨ましそうにしていたが、ヒルダはよその家に作ったりはできないと言っていた。なにやら複雑な魔法装置や高価な触媒が必要になるとかで、そうそう簡単に作れるようなものでもないらしい。

 さて、ふたたび生地が膨らんでいるのを確認したら、鉄皿ごと窯の中に放り込む……前に、私は霧吹きでパン生地の上に軽く水をかけた。こうしておくと表面がパリッとなるのだ。食感が良いとかでヒルダが気に入っているので、私も真似ることにしている。
 あとはだいたい10分と少しほど待つと完成だ。

 出てくるのは鉄皿の上に整然と並ぶ、艶々に焼けた丸いパンたち。

 おお、この薄茶色に焼けた熱々パンの何たる美味しそうなことか!
 私自身で味を確かめられないのが非常に残念だが、この芳しい匂いからしてきっと素晴らしく美味に違いない!!

 私は大急ぎでパンを皿に盛り付け、いまだ寝室でまどろんでいるであろうヒルダの元へと駆けた。




◆◆◆




「……む、ぅ…………」

 カーテンの隙間から差し込んだ陽の光で、私は目を覚ました。
 シーツに横たわった身体は鈍く、背中に張り付くような疲労感が私の瞼を重くしている。あまり、良い目覚めとはいえない。

 眩しさに半ば目を閉じたまま、私は腕を自分の隣に伸ばして何度かベッドの上を叩いた。
 手の先が数度シーツに触れたところで、やっと探している相手がいないことに気付く。いつものことだ。

「フン……」

 掃除やら洗濯、最近は朝食まで覚えた同居人……いや、使い魔か……は、最近はいつも朝になるとベッドから抜け出して家事に励むようになった。
 前から朝は可能な限りベッドから蹴り落とすことにしていたし、家事をするよう私に言われれば大人しく仕事をしていたのだが、どうもヤツは最近、家事に生き甲斐を見出したらしく、私が何も言わずともいつの間にか済ませていることが多い。
 よく気が利く、と褒めるべきなのだろうが、どうも私からそうすると負けのような気がして積極的に褒める気にはなれなかった。

「ちょっと前までは朝からがっついていたケダモノのクセに、まったく生意気な…………」

 独り言は、長い時間をこの森の中で一人過ごしていたせいで身についた悪い癖のひとつだったが、治すつもりもない。
 頭の中だけで思考を完結させるより、一度口に出してみた方が考えがまとまることは間々あることだ。考えを口に出す私と、それを聞き取る私の考えが同じではないこともある。
 つい口に出た言葉を、もう一人の私が馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすことだってある。

 例えば。

「目を覚ますときぐらい、傍にいればいいものを――――」

 そう言ってしまってから、私は慌てて開いていた口を閉じた。とっさに自分の手の平で、馬鹿げた言葉を口にした唇を覆う。
 慌てて部屋の中を見回して、誰もいないことを確認してから私は安堵の溜息を吐いた。

 いかんな。またバカを調子付かせるところだ。
 ただでさえ、あのバカは最近調子に乗っているのだ。これ以上浮かれさせるわけにもいかん。

 昨晩だって――――。




 発端は私があのナマモノに疑問をぶつけたことにあった。
 詰問の内容は、数日前に起きた冒険者の襲撃事件の夜のことである。

 よりにもよってこのナマモノは、この私と、冒険者の一人であるノームの娘とを間違えたのだ。
 そのうえで、いらんことをして私と喧嘩をしていたヤツは、私と仲直りしようなどという動機で、相手を勘違いしたままその娘に襲いかかったのだ。
 仲間から発見された時には、すでにヤツに襲われたノームの娘は足腰が立たなくなるまでドロドロになっていたらしい。
 さすがに責任は感じていたらしく、私がそのことで話があると告げると、ヤツなりに神妙な様子で大人しく部屋の床にうずくまり、話を聞く姿勢になった。

 まぁ、触手の塊が床の真ん中でうずくまってる姿など不気味なだけではあるが。
 とにかく私は怒りを押し殺し、ヤツに問いただしたのである、

「この際、よりにもよってノームの娘を私と誤認したことは、追及せずにおいてやる。私の成長は確かに若いうちに止まっているのだから、人間の若い娘に背格好が似ているノームの娘と同じぐらいの姿格好をしていると言われても否定はできないからな。もちろん、耳や体格、その他にも解剖学的には差異は数多くあるのだが貴様には分からなかったようだからな……!」

 別にガキみたいなノームの娘と同じ扱いされたからといってムカついてはいない。
 とにかく、そう前置きしてから。私はあの夜からずっと頭の中でくすぶっていた疑問を爆発させた。

「普通、別人だと気づかないわけがないだろう! 一晩や二晩一緒にした程度の相手ならいざ知らず、どれだけ人を付き合わせてると思っている! こう……色々と、細かい部分では違っていたはずだ!! 何もかもまったく同じだったとは言わせんぞ? 少なくとも…………は、違っていたはずだ! 違うか!!」

 あまりにも下世話な話だと自覚してはいるが、私にはコイツに突っ込まざるを得なかったのだ。
 “部屋が真っ暗だったからうっかり別人と勘違いして襲ってしまった”。言い訳としては明快で分かりやすいが、それを認めるには疑問に思うことがあまりにも多すぎる。
 さすがにそれを堂々と口にするのは私にはできなかったが、さすがに私の言わんとすることのニュアンスは伝わった、ヤツはまるで図星を突かれたととでも言うように、触手をビクリと揺らして、へなへなとその場にへたりこんだ。

 やがて、腕組みして弁明を待つ私にその触手をおそるおそるくっつけてくると、私すら知らなかったとんでもない真相を打ち明けてきたのである。

『実はヤッてる最中はあんまり意識がないのだ』
「なん……だと……」


 その後、ヤツをどれだけぶちのめしたかはよく覚えていない。


 ブン殴っている合間に途切れ途切れに聞かされたヤツの主張から推測すると、あいつが主食としている精神エネルギーだか何かの吸収のために意識がより薄くなり、この触手で形作られた肉塊の持つ本能のままに動いてしまうから、あまり理性的な思考のできない、判断力などの欠如した状態に陥るらしい。

 なるほどそれは理屈では理解できる主張だ。
 人間で例えるならば、食事をイメージすれば分かりやすい。口にする食事を選定したり、食事そのものを味わう行為は人間が意識して判断し、望むように選ぶことができる。
 だが口から摂取した食事が体内でエネルギーとして肉体に吸収されていく過程は人間の意識とは関係なく行われる。
 ヤツにとって、実際に相手に触れて……むにゃむにゃする行為は、すでに選んだ獲物を口の中に飲み込んだ後、自動的に行われるような、意識の外にある物事なのだ。

「だが理屈では分かっていてもムカつくわッ!!」

 理屈では分かっていても、腹の立つものは腹が立つ。それもまた真理だ。
 一通り殴ったり踏んだりしてから、私は今後のことに付いて話すことにした。

「もうちょっとどうにかしろ」
『よし分かった。理性的に頑張るよう努めよう』

 そう宣言するなり迷わず襲いかかってくる根性だけはたいしたものだと思う。
 そこまではまぁ、いつものことだ。

 本当の問題は、ヤツの宣言した『理性的に頑張る』という努力の結果だったのである。
 ヤツは本気で最後まで理性的な状態を維持し続けたのだ。

 私も完全に忘れていたのだが、ヤツの思考というのは、一度でもヤッた相手には精神的な繋がりが発生するせいで、触手の一端にでも触れていればダダ漏れになる。
 自分がナニをされている間、ずっと懇親丁寧に説明されるようなものだ。今は何をしているのか、自分がどんな反応をしているのか、次は何をするのか、ひたすら聞かされ続ける。気持ち悪いなどと言い返せる間はまだマシで、口を塞がれそれすらできなくなった後にあったのは、思い出したくもないような生き地獄だった。
 しかも、よりにもよって、ヤツの触手は嗅覚と味覚を感じるようになっていた。生きたまま踊り食いにされながら、味と匂いの批評を受けるようなものである。私は、こいつがどれほど悪辣な性質を持つバケモノだったかを心底理解した。

 どれだけの時間続いたのかも分からない、悪夢のような時間が過ぎた。

 気が付いたとき、ベッドの向かいで得意げに『どうだ、ちゃんとギリギリまで理性を保ったぞ!』などと語るヤツを見て、私が無言でベッドから蹴り落としたとしても仕方はないと思う。人が止めるように何度も言ってるのを無視したクセに、なーにが『理性を保った』だ。




『美味しいパンができたぞ!』

 それで翌朝にはコレだ。

「……お前はなにを言ってるんだ…………」

 昨晩の疲れのせいか、まるで鉛できているかのように重く鈍い身体を持ち上げると、パンの盛られたお皿を抱えた触手の塊がベッドの縁から身を乗り出して、焼きたてのパンを差し出していた。触手の隙間に形作られた眼球は大きく見開かれ、味の批評に対する期待に満ち溢れている。
 触手でくるりと掴まれて差し出されているパンから漂う匂いは、腹が立つほど美味そうな香りだ。別にヤツがパン作りの才能に目覚めたというわけではないだろうが、やはり焼きたてのパンというものには独特の魅力がある。口元にそろそろと近づいてくるそれを噛めば、十分に熟成された小麦粉の生み出す甘みが口内に広がるに違いあるまい。

 いっそまたベッドから蹴り落としてやりたいという怒りを抑えて、じっとこちらを見ている目玉に促されるまま、私はパンを一齧りした。
 想像した通りに、口の中に香ばしさが広がる。

「……美味い」
『そうだろうそうだろう! まだまだあるから遠慮なく食べてくれたまえ』

 さらにパンを口元に押し付けてくる触手を前に、私は一つ溜息をついた。



◆◆◆




「おはよー」
「おはようさん」

 一階に降りてみると、朝早いというのに、カウンターの席には仲間のグノーの姿があった。
 他に客の姿はない。朝食を摂りに来る外の客が入ってくるには早すぎるし、わたし達のような冒険者が起きてくる時間はそれに輪をかけて遅い。

「こんな朝っぱらから、どしたの?」
「……そっちこそ」

 それだけ答えて、グノーは手元に持っていたコーヒーを啜る。
 湯気が立ってないところを見ると、ずいぶん前から起き出してたんだろう。機嫌が悪そうなのも寝不足のせいかな。

「いやぁ、わたしはなんかギリュウがヘンな夢を見たとか言って起きてきてさぁ」

 わたしがそう言うと、グノーはなぜかピクリと耳を揺らして、コーヒーを啜るのを一瞬止めた。
 ……何か思い当たるところでもあるのだろうか。いや、ここは追求はしない方が、私の精神衛生のためにもよい気がする。

「あ~~、え、えっと……そうそう! 次の仕事とかどうすんの?」
「あ、うん……そういえば、そうだっけ……」

 個人的には、商隊の護衛の仕事でも受けて別の街に行きたいんだけど、たぶん反対されるんだろうなぁ。
 この辺りにはダンジョンとかもないし、冒険者が受けるような仕事も少ないから、さっさと稼げる街に本拠地を移したいのだけど。

 わたしは気のない返事をするグノーを横目にしながら、仕事の依頼が貼り出される掲示板の方に向かった。
 
「お」

 時間が時間だから、昨日の残りみたいな仕事しか残ってないと思ったのだが、意外にも良さそうな仕事が一つ貼り出されている
 商隊を襲っている山賊の討伐依頼だ。依頼人はこの周辺の商隊の連名になっていて、報酬額の欄にはちょっと冒険者向けの仕事には見られないような数のゼロが並んでいる。

 問題は、退治する山賊の規模だけど、グノーの魔法の火力なら烏合の衆の百人二百人ぐらいはなんとでもなる。
 私はその依頼書を掲示板から失敬して、カウンターのグノーの前に置いた。

「ね、この仕事受けない?」

 いまだ気怠そうにコーヒーを啜りながらも、グノーは依頼書の文面に視線を走らせる。じっくりと数分。
 やっとこさコーヒーのカップから口を離して、グノーは口を開いた。

「……オークの山賊団、ね。受けてもいいわよ」






<ちゃんとつづきます>







[3500] 15話「策略! オーク山賊団の謎!!」
Name: 大冒険伝説◆1b3d82b9 ID:ac288b81
Date: 2011/08/20 23:28
 長い年月を経た大樹が幾重にも重なった深い森。その森に面した街道を一人の女性が歩いていた。

 女性は奇妙なことに給仕の服を身に着けている。フリル飾りのあしらわれた純白のエプロンに、スカートの丈が足元まで届くような黒いワンピース。とても旅人の衣装とは思えない。
 旅の荷物も見当たらず、衣装に反して長く伸ばしたままの薄紫の豊かな髪の上に、そこだけ不似合いな大きい広つばの帽子が載っていた。

「そろそろ見つかってもいい頃だと思うのだけれど……」

 頬に手をやって、女性は一つ溜息をついた。

 街道は、馬車が二台並べるかどうかという道幅で、石畳の加工も不完全なため細かな凹凸が目立つ。
 だが、女性はそれを不便に感じる様子もなく、滑るように街道を歩いていた。
 もしその姿を傍で見るものがいたら、その女性が下肢をすっぽりと覆うスカートの下で足を動かしていないことに気付くだろう。女性は石畳からわずか数センチの高さを浮いたまま、宙を滑って移動しているのだった。

 小さな鈴の音のような、遠慮がちな少女の声が女性の耳元でそっと囁く。

「あの、アークさん。あまりめだつようなことは……」
「大丈夫ですよ、アリエルちゃん。見える範囲に人間たちの姿はありませんから」

 女性の名はアークという。本名ではないが、同僚や部下達にはその名前で通していた。

 その彼女が口にしたように、他に街道を歩く者の姿はない。
 魔王軍の領内に面したこの街道は元々利用者が少なく、それに加えて最近では山賊の噂も広がっているため商人や旅人も避けるようになっていた。

「そうなんですか?」

 アークの薄紫色の豊かな髪の中から、小さな妖精がそっと顔を出した。
 この妖精が、先ほどアリエルと呼ばれた声の主である。人の目を気にしてずっと髪の中に隠れていたのだ。

 アリエルは周囲をおそるおそるという感じで見回して人目がないことを確かめると、透けるような白い肌の裸体を隠そうともせずに、嬉しそうに羽根を震わせてふわりと舞い上がる。

 妖精はしばし街道の上をふわりふわりと舞いながら、周囲を興味深そうにきょろきょろと見回していた。
 しばらくすると、女性の顔の高さに浮かびながら話しかける。

「おもったより、ひとはいないんですね。ニンゲンはたくさん群れる種族ときいていたから、国境のむこうはもっとひとでいっぱいだとおもっていました」
「アリエルちゃんは、人間を見てみたかったのですか?」
「はい。とてもきょうみがあります」

 アリエルはフェアリーと呼ばれる種族だった。同じように妖精族と呼ばれているピクシーが30センチほどの身長であるのに比べ、フェアリーは全長で10センチにも満たない位に小さい。
 また、ピクシーが人間種族側に傾いて街に住むようになったのに対して、彼女達フェアリーは森の中で暮らすことを選び、そのほとんどが魔物領内に身を置いていた。
 アリエル自身も、その生まれが魔物領内にある深い森であるため、人間種族の領内に足を踏み入れたことは一度もない。

「そんないいものでもないですよ? 乱暴者も多いですし、もっと性質の悪いような者も少なくはありません」
「でも、今はわたしたちとは同盟をむすんでいて、なかよくしているって教えられました」

 思わず頭を撫でてあげたくなるような良い子の答えだが、現実には正しいとは言えない。
 アークは首を傾けて、少し困った顔をした。

「個人同士では、そんなに仲良くもないんですよ」

 実のところ、アークは人間種族があまり好きではない。むしろ嫌悪していると言ってもいい。
 だからと言って、なにも『あなたのような可愛い子を売り飛ばしてひどいことをするような連中がゴロゴロいますよ』なんてことを言い聞かせる必要はないだろう。
 アークはそう考えて、柔らかく否定しておくだけに留める。アリエルも言動こそ幼いが、もう大人として扱われる立場でもあるのだから、現実を見れば自分で対処するはずだ。

「そうなんですね、気をつけます」

 アリエルはこくんと頷いてから、もう一度ふわりと羽根を振って高く舞い上がっていった。
 それを見送ってから、アークも街道をゆっくりと滑るように移動し続けながらくるりと回って周囲を見回す。

 雲ひとつない青空が、ずっと地平線まで続いている。こんな天気だから目標も警戒して隠れてしまっているのだろうかとアークは少し心配になった。今日の間に仕事を終わらせたいと思っていたからである。

 周囲に斥候でも出そうかしらと思っていると、上の方で鈴の鳴るような声が聞こえた。

「みつけました。二人です!」

 アークは、自らの豊かな胸の上に手を置き、安堵の息を吐いた。

 そうしてから、一度だけ目を閉じ、予定していた作戦を頭の中に描きなおす。
 すぅと大きく息を吸って、アークは目を開く。

「アリエルは目標の一人を始末してください。もう一人は見逃して、本拠へ案内をさせるように」
「はい!」

 アークの口にした『始末』という言葉に、アリエルは戸惑うことなくしっかりと頷いた。

「私は逃亡を許さないように周辺を征圧します。アリエルにも足の速い伝達役を随行させますから、なにかあれば命令を」
「お願いします」

 最初に打ち合わせしていた通りの展開だった。
 二人が揃えば、この作戦を成功させるだけの十分な戦力となる。だからこそ二人きりで目標の隠れている場所を訪れたのだ。

「作戦を開始します。目標は、潜伏しているオークの全滅です」

 アークの言葉が終わると、宙に留まっていたアリエルの姿が掻き消えた。
 優れた動体視力のあるものなら、風の中を滑るようにして真っ直ぐに街道の先へと飛んでいく妖精の姿に気付くことができただろう。
 その先には、街道から離れた一本木の下で道を見張っている、皮鎧を身に纏った豚面の男達がある。

 それを見送ってから、アークは手の先に力を込め、宙に円を描くような動作をした。
 綺麗な真円が空中に描かれると、そこにぽっかりと黒い円盤が生まれた。空間を削り取って異界へ繋がる穴、ゲートを作ったのである。

「おいでなさい、お仕事ですよ」

 円盤の端を鱗に覆われた巨大な手が内側から掴み、強引に割り開いていく。その向こうから現れたのは、全身を強固な鱗に覆われた巨大な体躯を持つ異界の悪魔、グレーターデーモンだった。
 巨大な一対の角と、獅子と爬虫類の特徴を併せ持つ凶悪な貌を持つ悪魔は、陽の光に目を細めると低く唸り声を上げて地面へ降り立った。
 一匹ではない。割り開かれて広がったゲートの向こうから、次々とグレーターデーモンが出現してくる。ゲートが消えるまでに、その数は9匹に上った。

「まだまだ足りません。頑張ってくださいね」

 アークにそう命じられると、グレーターデーモン達は皮膜を持つ巨大な翼を大きく開き、金属の擦れるような奇怪な響きを持つ咆哮を上げた。
 デーモン達が咆哮を向けた空間に亀裂が入る。先ほどと同じように、黒い闇の広がる亀裂の向こうから新たなグレーターデーモンが這い出でると、次々と地面に降り立っていく。

 彼らを前にして、アークはにっこりと微笑んで命じた。

「あと一息です。あと一度、お願いします」

 80匹を超えるグレーターデーモン達の咆哮が、再び街道に木霊する。その声に応えて、新たに生まれた空間の亀裂からグレーターデーモンが呼ばれ、次々と大地に降り立っていく。
 それは、地獄がこの世界に現出したかというような光景だった。





15話「策略! オーク山賊団の謎!!」





 作り過ぎとか材料の無駄などと怒られた割には、昼を過ぎた頃にはキッチンに並べていた私の手による美味しいパン達は綺麗になくなっていた。

 もちろん食事の摂り方が人間とは異なる私がパンを食べられるはずもなく、その行き先はすべてヒルダの腹の中である。ヒルダはあまり言葉では褒めてくれなかったが、案外気に入ってくれたらしい。
 とはいえ、夕食は自分で作ると言っていたから、さすがに胃にもたれたのかもしれない。あるいはウェストサイズでも気にしたか。
 私はヒルダの体型に問題など微塵も感じていないし、少々多めに食べたときにも見た目に変化を感じたことは無いのだが、彼女としては万全の態勢を保ちたいらしく、それとなく食事の量や運動の量を調整しているようだ。
 そのことを指摘すると蹴られそうなので、私がその涙ぐましい努力に気付いていることを悟られないようにしている。

 私はキッチンの洗い物を終えて、使い終わった調理道具を片付けていた。
 なかなか乾かない木製のボウルやパン生地を伸ばすのに使った板は、すでに表に出して日干しにしている。今日のような良い天気の日は助かる。
 これで昼に済ませる家事は終了。あとは洗濯物を取り込む時間までは自由時間である。

 洗い物で使った作業用触手に付いた水を軽くタオルでふき取ってから、私は弾むように床を這ってヒルダの姿を探した。
 なに、だいたいどこにいるかの見当は付いている。ヒルダが昼食を済ませた後にやることといったら、寝室でベッドに寝転がって本を読んでいるか、書斎で沢山の本を並べてなにやら難しい顔をしているかのどちらかである。私の希望としては寝室にいて欲しいのだが、例のウェストサイズの問題もあるから書斎の方にいる可能性が高いだろう。

 この予想は正しく的中し、私が書斎の扉を叩くと、ヒルダの声が扉越しに返ってきた。

「今日は忙しい。さっさと済ませておきたい仕事があるから、夜まで邪魔をするな」

 返ってきた刺々しい言葉は、残念ながら予想にないものである。

 扉の前で多少考えた後、私は一つ試してみるかと書斎の扉のノブに触手を巻きつかせ、クルリと捻ってみる事にする。
 ノブは私の触手の中でクルリと回り、その途中でガチリと音を立てて動かなくなった。

 書斎の扉には内側から掛ける鍵が付けられていて、しかも忌々しいことに魔法で守られているため精密動作の可能な私の触手でもおいそれと開けることはできない。
 中にある書物に恐るべき価値があるからこのような強固な守護が備わっているということなのだが、字の読めない私には書物など無用の長物である。欲しいのはそれを読んでる主人なのだから大人しく道を譲って欲しいものだと思う。無論、そのようなことを思っても、扉が答えを返してくれるはずもないのだが。

 私は再びしばらく考えた後、再び書斎の扉を叩くことにした。
 三度叩いてみる。

 反応がない。
 もう一度叩いてみる。私は紳士なので苛立ち紛れに乱暴にノックしたりはしない。あくまでソフトに三回だ。

 反応がな――……おぉ、足音が近づいてくる。

「……まったく……なんの用だ」

 扉を開けて出てきたヒルダは、書き物でもしていたらしく細い銀のフレームの眼鏡をかけていた。
 一瞬この場ですかさず飛びかかってしまいたい衝動に駆られるが、なんとか自分の中にある理性を総動員して押さえ込み、一本だけ触手を伸ばしてヒルダの腕にそっと巻きつけた。ああ、この二の腕の柔らかさといったらたまらない。

「んっ……」

 いかん、つい触手で吸い付いてしまった。
 だが、こうして肌を吸うと、陽が昇ってから起きたせいで流した寝汗の匂いと味がかすかに残っていて、なんとも芳しく。
 もっと奥の匂いのきつい方に触手が吸い寄せられるように――……

「っっ! ……こっ、この……変態がッ!!」

 真っ赤になったヒルダは、私の触手を引き千切らんばかりの勢いで引っ張り剥がした。
 怒りに任せて細い足を高らかに上げると、私の頭頂部へと踵を一気に叩き落して廊下に踏みつけにする。

「あ、朝に水浴びをできなかったのは、お前が朝食を急がせたからだろうが! いつもは寝汗は風呂場で流している!!」

 私は大きな目玉を上に向けて、自分を踏み潰しているヒルダを見上げた。

 どうやら寝汗のことを気にしているらしい。私自身はむしろヒルダの汗の匂いなら、もっとじっくり味わいたいぐらいなのだが、どうやらヒルダ自身はそうした匂いや味を私に知覚されるのを嫌っているようなのだ。

「嫌がられていると分かっているなら自粛しろ!」

 いかんいかん、いまだ接触しているのだから考えていることが筒抜けなのであった。
 踏みつける素足と這い蹲らされた頭部という一方的かつ背徳的な支配関係を感じさせる接触であろうとも、皮膚部分さえ接触していれば私とヒルダの心は通じ合ってしまうのだ。もとい、私からヒルダへ一方的に思考が筒抜けなのであった。

「いちいち妙な含みのある表現をするな! いきなり触手で腕を這い上がってきたお前が全面的に悪いだろうが!!」

 心外な。腕に触手を巻きつけた時にちょっと色っぽい声を上げたではないか。あれはもう誘っているとしか……
 ははーん、さては照れ隠しか?

「……お前はもうちょっと自重とかはできないのか?」

 自らを抑圧するという行為にあまり価値を見出していないからな。
 ヒルダもアレだ。我慢は身体に悪いぞ。

「好き放題にも限度があるだろうが。まったく……」

 呆れた顔でヒルダが息を吐く。

 ところで、いつまで私は床で踏み潰されていればいいのだろうか?
 いや、ヒルダの素足で踏まれる感触そのものは嫌いではない。ヒルダの小さな足は踵まで柔らかくて良い具合であるし、こうして下からのアングルで見上げれば、足先から付け根までの素張らしい眺めを見ることができる。

 勝負モノの黒レースもいいが、今履いてるような可愛いシルクも良いな。
 普段からの履き心地ではそちらの方が気に入っているようだし、無理に背伸びをせずともいいと思うぞ。

「…………ジロジロ見るな、あほぅ」

 私のアドバイスをスルーすると、ヒルダは私を横殴りに軽く一発蹴って、踏み潰しの刑から解放した。
 そうしてヒルダそのまま書斎の中に戻っていったが、扉までは閉めて行かなかった。

 感謝しながら彼女の後を付いて書斎へと這い入り、少し考えてから扉を閉じておくことにする。

 ヒルダは書斎の大机に戻り、なにやら難しい顔で羽根ペンをなにかの皮で作った紙に走らせていたいた。
 腕は邪魔だろうから、大き目の椅子からぶらりと下がっている素足の足首に触手を巻きつける。あんまり強く絞めないようにそっとだ。

「相手はしてやるが、邪魔はするなよ」

 ヒルダは触手が巻き付く感触にかすかに身じろぎすると、そう言ってジロリと床上に這う私を睨んだ。

 言うことはそれだけだとばかりに、すぐに視線を紙に下ろして羽根ペンを走らせ始める。
 皮製の紙などいかにも書きにくそうな見た目だが、ヒルダが文字を手早く書けているところを見るとそうでもないのかもしれない。
 普段は植物繊維から作るという薄っぺらいものを使っているから、皮の紙を使うのにも何か意味があるのだろう。

 なにを書いているかちょっと興味はあるが、文字というものがさっぱり読めない私には確認のしようもない。

「手紙だ、手紙」

 ほぉ、手紙か。
 ヒルダが手紙を書くというのも珍しい。私がこの家に来てからは初めてではないだろうか?

 てっきり薬草作りで日々の糧を得るだけの隠者のような生活を送っているのだと思っていたのだが、実際にはそうでもないのだろうか。確かにこの家に篭ったままでほとんど森の外に出たことのない私には、ヒルダの交友関係を知る由もない。
 ヒルダは人間ではなく魔女という種族の生き物で、外見は今の少女の姿のまま生涯変わらないそうだが、実際には結構な年齢だという話だ。手紙のやりとりをする旧友の一人二人ぐらいはいるだろう。

「まぁ、確かに手紙のやりとりをするような相手はたいして多くはないがな。今書いている手紙は、古巣の上司宛だ」

 古巣か。魔女の学校にでも通っていたのか?

「いいや、魔王軍に将軍として在籍していた。手紙の宛先は魔王だ」

 それは驚きだな。

「全然驚いてないだろ」

 いや、初めて聞いた単語だったのでな。どういうものかはなんとなく分かるが、詳しく知るわけでもないので反応に困ってしまう。
 どちらかというと、ヒルダが退役軍人だったという事の方が驚きだ。なんだかまるでイメージに合わない。

「……あのなぁ」

 軍服とかまだとっているなら、ちょっと試しに着てみて欲しいのだが。
 ヒルダがそれを着たらどんな風になるのかとても興味がある。

「まぁ、それぐらいなら別に――…………いや、待て。なんか邪な事を考えているだろう」

 ずっと皮紙の上に走らせていたペンを止めて、ヒルダがジロリと私を睨みつけた。
 なるほど、元軍人というのも納得できる素晴らしい眼力だ。

 ちなみに私は決して軍服を着たヒルダを押し倒して着衣のまま触手をあちこちに潜り込ませて乱れさせてみたいなどという願望を抱いたりはしていない。あくまで私が抱いているのはヒルダの軍服姿に対する知的好奇心だけである。

「…………あとだ、あと。手紙を書いてからな」

 3分間だけ待ってやろう。

「なんで偉そうなんだお前は」

 私を軽く足蹴にすると、ヒルダは視線を戻して再び羽根ペンを皮紙に走らせはじめる。
 心なしか、その動きはさっきより書くのが早くなっている気がした。




◆◆◆






 最初、それに気付いた男は眼の錯覚だと思った。

 街道を少し外れた、死霊使いの森に繋がる雑木林の端。そこで男は仲間と二人で見張り役を務めている。

 カモになりそうな商人を見付けたら、本拠としている古い神殿跡へと馬を走らせて仲間に知らせるのが男の仕事だった。
 そうして仲間を集めたら、数に物を言わせて襲撃で混乱している連中を降伏させて略奪する。
 ちょいと『顔』を見せて睨みつけてやれば、商人や旅人共は震え上がって許しを乞うのだ。まったくボロい商売だと男は思っていた。

「……あぁ? なんだ、ありゃ…………」

 その日は街道に人影がまったく見当たらず、いっそタダの旅人だろうが構わず襲ってやろうかと思っていた男は、自分の視界に映ったものを最初理解できなかった。

 極彩色のなにか、小さな蝶のものが近づいてくる。
 それが翠の髪と肌色、それに羽根の色だと見分けるようになったとき、はじめて男は自分が見ているのが裸の妖精だと気づいた。

 そして、自分の正気を確認するヒマもなく。

「ひぇ?」

 男の首は、音もなく切断された。
 男は死んだ。

 男には妖精の徒手が自らの首を切断したのだと、理解することなどできなかった。



 ただ、死の直前。
 空中に留まった妖精が、まんまるに見開いた目で自分を……自分の頭を見下ろしながら、驚いた顔で声を上げるのが聞こえた。

「え……? あ……そんな!」

 だが、当然男にその声の意味を理解することもできなかったのである。




◆◆◆






「我々も失敗はしたくないのですよ。山賊たちのせいで荷が滞れば、それだけ儲ける機会を失いますからね」

 仕事の依頼書に書かれていた連絡先、街の大通りに面した高級宿を尋ねると、いかにも商人らしく口の回る若い男があたし達を出迎えた。
 メルチと名乗ったその男は、商隊連盟から今回の案件を任されたのだという。
 あたし達が一通り自己紹介を済ませると、「これは心強い! ご高名は伺っていますよ」なんてことを言いながら握手を求めてきたので、そのご高名とやらの内訳を聞くと、他の街であたし達がこなした仕事のいくつかを口にしてきたので驚いた。

「よくもまぁ、そんなことまで調べたもんねー。あたし達が仕事を請けるかどうかも分からないのに」
「色々とこの街にいる冒険者さんについては調べさせていただいてるんですよ。この件で失敗したら、他の商人たちの信用を失うのは目に見えてますから」

 ふーん。仕事を請ける冒険者がいなければ、向こうから声をかけるつもりだったのか。

 あたしはこの仕事についての評価を一段階上げた。
 この依頼主は、言葉通りに山賊退治を成功させることを前提に仕事をさせるつもりだ。無知な金持ちが報酬と仕事を丸投げしているのとは違う。
 商人相手だから大儲けは出来ないだろうけど、仕事を成功させるためなら協力を惜しんだりはしないだろう。

「じゃ、そのオークの山賊団とやらについて分かってること、もうちょっと正確に教えて。あと被害報告とかもあると助かるんだけど」
「それはつまり、この仕事を受けて頂けるということで?」

 確認のため、仲間の顔を見回す。
 予想はしていたが、ギリュウとネコミは二人揃って興味なさそうに部屋の装飾など眺めているだけで、ピクスだけが指先で丸を作って了承の意を伝えてきた。

「そういうわけで、受けさせていただきます」

 こうして、あたし達は晴れて山賊退治の仕事を正式に受けることとなったのである。



 さすがに自分の評判が掛かっていると言うだけあって、メルチの手際ときたらなかなかのものだった。
 商人を偽装するための馬車を用立てして、変装用の商人衣装と空の樽やら木箱やらの小道具まで用意するのに一時間とかからず、あたし達はすぐに街を出発することになった。
 連れて行く人数については多少揉めたものの、あたしの方からの推測を話して、いつも通りの四人だけで行くことになっている。

 遠目に性別が分からないように布地のあまるような緩い衣装を着たネコミが御者として前に乗り、その横には髪を上で縛って帽子で耳を隠したあたしが座ることにした。
 種族的にどうやっても珍しすぎて商人には見えないギリュウとピクスは揃って馬車の中に潜ませてある。

「どうして、四人だけで受けたの?」

 ネコミは鈍くさいように見えて、動物を操るのがなかなか上手い。
 馬車を引く栗毛の馬はネコミが手綱を操るままに街道を駆け、オークの山賊団が出るという辺りまで真っ直ぐに向かっていた。

「ああ、そいつらが、そんなたいした連中じゃないからよ。……んー、そろそろ緩めてきていいから。あんまり急ぎすぎると向こうが諦めるから」

 あたしの言葉に従ってネコミが手綱を緩めると、指示した通りに馬がスピードをゆっくり緩めていく。
 あまりフェルパーはこういうことが得意じゃないと聞いたような気がするけど、ネコミにとってはむしろこういうのは得意分野だ。あたしが思うに、ネコミは猫っ気より犬っ気が強いのではないだろうか? 傷つきそうなので実際には口にしないけどさ。
 馬のスピードがゆったりしたものに変わったところで、ネコミは思い出したように口を開いた。

「オークって……たいした連中じゃないの?」
「山賊団が、ね」

 あたしが訂正すると、ネコミは丸く開いた目をぱちくりと瞬かせてこちらを見た。

「山賊団がオークだって話、たぶんフカシよ。被害報告とか聞いたけど、連中、荷物の強奪はやっても商人をせいぜい脅すだけで全然殺してない。女子供がさらわれたなんて話もゼロ」

 あたしだって実際に見たことは一度もないが、歴史書や当時の記録を紐解けばすぐに分かる。オークって種族はそんな甘い連中じゃない。

 オルクス帝国という独裁国家を作り上げた連中は、人類圏の都市を十数箇所、国を四つ滅ぼした。それもわずか十年ほどの間に、である。
 オークがそれほどの猛威を振るった理由は、その繁殖力のすさまじさにあった。連中は雄しか存在せず、他種族の女を襲って子を産ませることで、恐ろしいペースで繁殖していくのだ
 最終的に、魔王軍と人類圏の国々による同盟軍によってオークは一匹の生き残りも許さず徹底的に根絶された。

 そんな危険な連中が、こんな半端な山賊の真似事をするはずがない。

「大方、軍隊の動きを鈍らせるとか、討伐隊を怯えさせるのがつもりで、オークの被り物を使って襲った商人を脅かしたんじゃない?」
「…………そうなの?」
「そうなの」

 ネコミは眉を微妙に八の字にしていた。変装の一環で被っている帽子のせいで見えないが、たぶん猫耳はぺたんと情けなく垂れているだろう。
 あんまり難しい駆け引きとかはネコミの苦手とするところだ。…………この辺も、猫らしくないところだと思う。

「ま、アンタは山賊が来たら刀抜いて適当に斬ってくれればいいから」
「うん」

 こくこくと繰り返し頷く。

 この娘には得意分野だけやらせとけばいいだろう。
 どうせ仕事の前に色々と考えるのは、あたしかピクスの仕事だし。一旦始まってしまえば色々考える暇なんてないのが普通だ。

 今回の仕事も、あとはせいぜいやってくる山賊を蹴散らすだけ――――…………



 不意に、馬車が激しく揺れて、止まった。
 馬が後ろ足で立ち上がり、激しいいななきを上げる。怯えた声だった。

「ネコミ!?」

 御者台から立ち上がり、周囲を見回しながら相棒に声をかける。周囲にはおかしいところはない。

「……分からない。馬が怖がってる」

 ネコミは御者台で立ち上がり、馬を押えつけようとしていた。なんとか馬は足を下ろしたものの、今度は前に走ろうとしない。

 山賊らしきものの姿はどこにも見当たらない。街道の真ん中、だだ広い草原と森が見えるだけなのだ。
 なのに、馬はこの上なく怯えている様子だった。

「山賊が来たの?」
「……見当たらナイガ」

 荷台から出てきたギリュウとピクスがすぐに聞いてきた。
 すでに広刃の大剣を構えたギリュウは、周囲を油断なく見回しているが、やはり異常を見付けられないようだった。

「ちょっと待って、馬が怯えてるけど、肝心の山賊が来てないの。もしかしたらもっと別の――」

 あたしが二人を止めようとすると、不意に横で立っていたネコミが低く身構えた。

「…………いる」

 街道の先を見てポツリと呟くと、ネコミは一息に御者台を蹴って馬達の前、街道の石畳の上に着地した。
 そのまま流れるような動作で腰に下げていた鞘から刀を抜き放ち、地を這うような低い姿勢で地面スレスレの高さを横薙ぎに切り払う。

 ぎぎっ、と鳴き声がして、唐突に地面から跳ね上がった影があった。

「グレーターデーモン! なんで!?」

 そいつは、全身を鱗に包まれた巨躯の悪魔。
 長く太い腕の先には鋭い爪を持ち、背には悪魔独特の皮膜を持つ翼、牙を剥き出した顔は爬虫類と獅子の醜さのみを掛け合わせたような凶悪な面構えをしている。
 その鱗は剣を容易く弾き、爪は鋼の鎧を紙のように切り裂く。それどころこの魔物は高度な攻撃魔法も操るのである。普通なら、危険度の高い迷宮の奥に潜んでいるような凶悪な存在だ。

 それが何故こんな街道の真ん中にいるのか。

「うそ……まだいる! 地面、良く見て!!」

 ピクスが焦った声を上げる。
 それも無理はなかった。彼女の指差す先では、一体づつ、次々とグレーターデーモンが立ち上がりつつあった。

 体色を変化させるか、透明化するかの方法で、地面に伏せて隠れていたらしい。
 発見されて隠れている必要がなくなったからだろう。姿を現したグレーターデーモンの数は合計で9匹。あたし達でもギリギリ勝てるかどうかという数だ。

「フン、コレぐらいの数ナラ十分仕留められルゾ」
「……どうする、グノー?」

 ギリュウとピクスの言葉に短く頷いて、頭の中ですばやく戦術を練る。

 あたしはワンドを構えて防御呪文を展開する準備をした。
 そうだ、攻撃呪文さえしのげればネコミ達三人の腕なら十分に押し勝てる。後の問題は…………

「……?」

 最初にグレーターデーモンに斬りつけたネコミが、いまだ身構えたままの姿勢で一歩引いた。
 相手から来ると思っていた反撃が、いつになってもやってこないのだ。

 連中はネコミやあたし達を遠巻きに見ているだけで、何も仕掛けてこない。
 何か、様子がおかしい。

 仲間を喚ぼうとしているのかもしれない。デーモンは、周囲にいる仲間とテレパシーで連絡を取ることがあると聞いたことがある。
 これ以上仲間を喚ばれれば倒すのは厄介になる。先手を打って仕掛けるか…………。

 あたしは、ワンドを持つ手に力を込めた。




◆◆◆






 厚手の軍用ジャケットは、生地の下に呪紋が組み込まれて強度を上げていて、少し大きめの袖の内側には呪具が収納できる。
 腰は動きやすいタイトスカートで、左右それぞれのポケットには魔力の補充に使う水晶がそれぞれ1ダース。。
 その下、膝下までを覆う編み上げブーツは薄い鉄板が填め込まれているせいで一回り足が大きく見えるのが難点だが、強度は折り紙つきだ。

 そしてジャケットやスカートを留める金具の一つ一つが防御のための呪紋が組み込まれたアミュレットであり、最高クラスの攻撃魔法ですらその防御を打ち破るのは困難だ。この軍服そのものが、鋼鉄の甲冑を遥かに越えた要塞であると言ってもいい。。

 衣装は全て、魔王軍仕官服の基本色である黒と灰色で統一されている。

 軍服を身に着けた自分を鏡で確認する。
 元々、齢を重ねることのない魔女である身だ。衣装はかつて軍に籍を置いていた頃とまったく同じに、ぴったりと私の身体を包んでいた。
 そうしていると、かつて魔王軍の将軍として軍隊に身を置いていた頃の自分を思い出して、自然と身が引き締まる気がする。

 最後の軍帽を被ってからくるりと振り返り、私は腰に両手を置いて胸を張り、自信満々に言った。

「フフン……どうだ。これで、私が魔王軍の将軍だったことを信用する気になっただろう?」

 衣装棚から離れて私が着替えるのを待っていた怪物は、大きな眼球を一つ、丸く見開いて私の姿をじっと見ている。
 軍服姿の私に恐れをなしたのか、その体表はぶるぶると震えていた。

「なんだ、私の偉大さを理解して、少しは日頃の態度を改める気になったか?」

 髪の毛を掻き上げて笑ってやると、触手がするすると伸びてきた。

 軍服のせいでほとんど肌が露出している部分がないせいか、吸い付く吸盤を粘液で濡らした触手はタイトスカートの裾から突き出している太股を狙ってぺたりと巻きついてきた。
 多少ぞくりと来たが、仕方ないので許しておくことにする。

 そして、触手が触れるや否や、ヤツの感情が私の脳裏に届けられる――――――

『感動した。今すぐ襲いたい。もう我慢できない』

 伝わってきた感情は極めて単純で、そして即、行動に直結していた。

「なぁッ!?」

 怪物は正面からいきなりかぶさってきた。

 普段のノタノタと床を這う姿からは想像もできないような捕食者の動きに、私は反応すらできずに背後にあった机の上に引き倒された。
 触手に乱暴に打ち払われ、机に並べていた筆記具や本がバサバサと音を立てて床に落ちる。

「こ、こら! こういうのは、もうちょっと理性的に……」

 慌てて怒鳴りつけながら、のしかかってくる肉の塊を腕で押しのける。
 手の平は、怪物の触手の中に埋もれて肉の奥に触れた。いつになくビクビクと激しく脈打ち、粘液を溢れさせている触手の感触が伝わってくる。

「ひ……っ」

 私の腕を太い触手が捕らえ、細い触手が群がるように撫でる。
 無数の突起をもつ触手が指先の一つ一つを舐め上げるようにザラリと擦った。まるで味わうようにゆっくりと。

「はっ、はなせ、せめて、軍服を…………」

 慌てて抜こうとした腕が抜けない。

 腕を飲み込んだ肉塊が膨張し、粘液で濡れた、ドクドクと脈打つ凶悪な形の触手が次々と肉の中から生まれてくる。
 まるで涎をたらす獣の群れようだ。触手の一本一本から、原始的な欲求――私を屈服させ、支配したいという欲望が私に向けて放たれている。

 そして、机に引き倒した私をじっと見つめる、いつものような感情がまるで見当たらない血走った眼球。

 ただの小娘ならば、恐怖に飲み込まれて為すがままになるしかなかっただろう。
 だが、恐怖に飲み込まれる寸前、私の中で何かが切れた。

「…………いい加減に、しろッッ!!」

 触手に飲み込まれていなかった方の腕を思いっきり振りかぶり、私は真正面から目玉をぶん殴った。
 眼球にまで突き刺さるかと思ったが、目玉は意外と表面が硬く弾力があり、私の放った拳は怪物をぐらつかせただけだった。
 それでも、真芯を捉えた感触は確かで、怪物は意識を喪失したかのように動きを止める。

「どうだ、これで少しは――――」

 このまま、倒れるか。
 そう思って気を抜いた瞬間。そいつは再び動き出した。

 再び動き出した触手の群れが拳を振るった腕にまで巻きつくと、私を先ほどとは逆にうつぶせに机の上に引き倒す。

「あっ……くっ、この……っ! しつこいぞっ、いい加減に…………」

 もう一度ぶん殴ってやろうと、私は立ち上がろうと足をばたつかせるが、背中から怪物の肉全体がのしかかってきたせいで重量を跳ね除けることができない。
 後ろ足に蹴りを入れようと足をばたつかせていると、太い触手が巻きついてきて自由を奪ってくる。

 私の背中ごしに、興奮に脈打つ無数の触手が悦ぶように蠢くのが分かった。
 タイトスカートが引き上げられ、下着を剥き出しにされる。
 細い触手がまるで愉しむように左右からそれを引き下ろしていくと、私の下肢は触手の前に無防備になった。

「うぅぅぅ……この、助平怪物め…………」

 ポタポタと、触手が背中越しに垂れ落ちてくる。ジャケットの生地越しに、生暖かい肉の感触を感じて、私は悔しさに唇を噛んだ。
 何十もの触手が、悦びに打ち震えながら私の下肢めがけて鎌首をもたげている。これから、連中の宴が始まるのだ。

 そんな風に思い通りになってやるものかという怒りと、諦めに似た感情が私の中で渦巻いていた。

 だが、私に選択の余地を与えるはずもなく、触手の先端が、剥き出しになった私の足の付け根へと這い進んでいく。
 粘液と、熱い肉の感触が、花弁の入り口に触れた。

「……あ、あとで……覚えて、いろ……ッ」

 背筋を走るおぞましい痺れを感じながら、私は背中越しに怪物を睨みつけた。
 その時だ。

『それならば、ここで止めた方がいいか……?』

 唐突に、脳裏に声が届いた。
 ムカつくほど理性的なその声に、私は呆然と口を開いたまま。怪物を見返した。

 花弁を強引に割り開いて私の中を犯す――――そのはずだった触手は、その代わりに私の花弁の上に触れるだけで止まっていた。

『実は先ほど殴られたときに理性を取り戻したのだ。二人の愛の勝利というヤツだな』
「な……な…………」

 ナニが愛の勝利だこの馬鹿者。私が言葉を失っていると、じっと花弁に触れていたままだった触手が、不意にビクビクと上下に動きはじめる。
 粘液が、敏感な部分に擦り付けられる感触に、自分が何をされている最中だったかを思い出して、私は慌てて声を上げた。

「なら、さっさとこのいやらしい触手をどかせろ! いつまでやってるつもりだ!!」

 自分の頬が紅潮しているのが分かる。
 この怪物の前で自分が今どんなポーズをとっているのか、そう意識すると羞恥心が膨れ上がってくるのを感じた。
 机にうつぶせに押し倒されて、尻を晒しているのだ。こんな屈辱的な姿を晒したまままともに話などできるわけがない。

『待って欲しい。このまま続けさせてもらえないだろうか? ほら、せっかく軍服姿に着替えたんだし、そのまま脱いでしまっては勿体無いではないか』

 二本目の触手が、上側から尻の縁に触れた。ゆっくりと割れ目に沿って尻を這い降りながら、粘液を擦り付けていく。
 とっさに、足を硬く閉じようと力を込めるが、こんな尻を突き出したような姿勢ではどうすることもできない。

「アホ……かぁ……! 軍服は、関係……ない……だろうがっ!!」

 私は身じろぎしてなんとか触手の拘束を振りほどこうとするが、すでにその気になったのか、触手は再び力を込めて私の腕に巻きついている。
 三本目、四本目の触手が、両脇から花弁に触れた。細く尖らせた先端部を、花弁の縁をなぞるように擦り付けてきた。

 痺れるような刺激が、下肢から背筋を這い上がり私を責める。
 こらえようと唇を噛んだが、ダメだった。

「くっ、んん――……っ」

 じっと堪えていた熱い息が漏れる。
 これで、自分の身体が反応しているのだと怪物に身体で示してしまった。
 悔しさのせいか、背筋を撫でる怪物の視線が、無駄な抵抗をするニヤニヤと私を嘲笑っているようにも見える。

『そんなこと言っている割には、こっちは少し濡れはじめているぞ。ほらほら、実は軍服姿でこういう目に遭うというシチュに興奮してるのではないか?』

 そんなバカなことがあるか。
 ただ、怪物が衝動の赴くままに襲いかかってきていたときの恐怖が急に消えたせいで、張り詰めていた緊張感が抜けてしまったのだ。
 それで粘液の催淫効果が効きやすくなったせいで――――……

「んっ、ふ……はぁ、ん…………べ、別に……軍服だからって、気持ちいいとか、あるわけ――――……ひぁぁっっ!!」

 一瞬、まるで針で刺されたような刺激が走った。
 ジャケット襟元から、ヌラヌラと濡れた細い触手がしゅるしゅると潜り込むと、先端についた吸盤で私の胸にいきなり吸い付いていた。
 そいつは乳首を粘液を擦りつけながらねちっこく吸い上げてくる。

『大丈夫だ。決して服を溶かしたりしないし、染みも匂いも私が責任をもって洗濯して綺麗にするから安心して欲しい』
「あっ、安心できるかっ! この、大馬鹿………ひぅっ! なっ、あ……ひぁぁっ!?!」

 背中の裾を持ち上げて、ジャケットの中に次々と触手が潜り込んできた。
 ジャケットの前が解けて、下に着たシャツが露になる。白い生地は、触手のなぞるままに醜く膨らんで、上からでも私の肌の上を触手が蠢くさまが分かる。

『やっぱり、もう汗が浮いているじゃないか。いつもそうやって我慢しているから、こんなに汗だくになるんだぞ?』
「う……うる……さい…………」

 こいつは、私の身体の匂いを楽しんでいるのだ。
 脳裏に囁かれる声に、一旦は忘れかけていた羞恥が這い上がってくる。
 だが、触手を止める手段もなく、腰から胸、背筋から腋の下まで、触手は粘液で私を汚しながらゆっくりと肌を味わうようになぞり上げていく。
 私の肌と、下に着たシャツの間は、触手が噴き出した粘液と私自身の汗でドロドロになっていた。

「卑怯だぞ……こんな、中に、入って……ひぅぅッ?! やめっ……このぉ……っ!!」

 もう、どうしようもなかった。

 力づくで暴れようにも、服の中に潜り込んだ触手は私の肌の要所に吸い付き、絶え間なく責め続けている。
 絶え間なく肌を這い回る快感から逃れようと身をよじるたび、触手が無数の突起を蠢かせながら肌を擦り上げ、頭が痺れるような快感が背筋を走った。

 そして、追い討ちをかけるように、後ろから無数の触手が下肢を責め上げてくる。
 さんざん触手に入り口を弄られた花弁はすでに硬さを失い、細く尖った触手は敏感な肉の内側にまで潜り込み、繰り返し苛めるように私の中を責め立てていた。

「あ、あ、ひぁッ!?……んっ、んんんっ……んあぁぁぁ…! ぁぁ…ぁあ……やめっ……はぁっ、ふぁぁ……っ」

 軍服を着たままだというのに、私は裸で犯されているのとまるで同じだった。

 責め続けられる苦しさに息を吐くたび嬌声を上げる自分を、頭では恥ずかしいと思っていても堪えることができない。
 頭が、どうにかなってしまいそうだ。
 恥ずかしさのせいか、悔しさのせいか、涙がこぼれているの気付いても、自分ではどうしようもなかった。

 啜り上げる私を、怪物が見下ろす。

『すまん。虐め過ぎたか』

 そんな声が耳元に聞こえた気がすると、いつの間にか、私をあれだけ責め続けていた触手の動きは緩やかなものになっていた。

「あ…………」
『もう少しゆっくりとやろう。時間をかけても、邪魔は入らないのだからな』

 私の唇を割って、口内に柔らかい一本の触手が潜り込んできた。
 生温く粘液に濡れたそれは、人間の舌のような柔らかい表皮をしている。

「んんんんっ!? ふぅ、んっ、んぅぅッ……む、んん――――………………」

 いっそ噛みついてやれと頭の中では思っているのに、身体の方はまるで言うことを聞かなかった。

 唇の中に割り入りこんだ触手は、私の口内をゆっくりと蹂躙していく。
 舌を絡めとられ、口腔を舐め上げてうえで、じゅるじゅると音を立てて唾液を吸い上げられ、逆に生温い粘液をたっぷりと口内に流し込まれる。
 口元に吸い付いた太い触手の中に舌を吸い上げられ、触手の中に生えた無数の細い触手に舌を絡められ、嬲られていく。

 私はただ小さな体躯をよじって耐えることしかできなかった。
 いや、本当に耐えようとしていたのかもよく分からない。

「んぁ……はぁ、あ………………」

 長い蹂躙が終わり、触手が私の唇から抜かれる。
 私の唇と、引き抜かれた触手の間に、唾液と粘液の混じり合った濁った色の糸が垂れていた。

『落ち着いたかね?』

 いつの間にか、丸く見開いた目玉が私を見下ろしていた。

 その間の抜けた眼球を見上げていると、なんだか、悔しさとか怒りとか、どうでも良くなってしまう。
 粘液でドロドロにされた肌はすでに切実なほどに強く疼き始めていた。触られたい、弄られたいと私に訴えている。
 我慢するだけ無駄なのだ。いっそどうにかなってしまった方が――――

 ただ、恥ずかしさに顔を背けてから、私はぼそぼそと答えた。

「好きにしろ…………」

 その言葉を待っていたかのように、私の肌に張り付いていた無数の触手は再びゆっくりと動き出す。
 分かっていても、再び肌を触手が擦る感触に身体が震えるのが分かる。

 だが、今度は抵抗しなかった。

 触手が私の足を吊り上げて、足の付け根に濡れた触手の先端を当てる。軽く押し当てただけで、花弁の入り口にそれは埋まっていく。
 私は熱い息を吐き、続く刺激に耐えようと唇を噛んだ。

 だが、私の予想の変わりにもう一本、触手の先端が私の下肢に押し当てられた。
 さんざん粘液を擦りつけられて、濡れそぼった私の尻穴に、熱く脈動するそれが先端を埋めようとしている。

 尻の穴である。

「や、やっぱり……ダメっ、ダメだ! そっ、そこはちがうだろぉっ!!」
『人間にはチャレンジ精神が必要だと思わないか、ヒルダ』

 全力をあげて抵抗しようとしたが、脱出は不可能だった。

「ば、ばか! そんなの、必要な……んんんんっ!? ふぅ、んっ、あぅぅッ!……あぁ、うぅぅっ…………」

 私の尻穴の中へ押し入った触手は、粘液を私の肛内に注ぎ込むと細く形を変えながら激しく前後し、表面に生まれた無数の突起で肛内を刺激しはじめた。
 恐れていたような痛みや気持ち悪さはない。
 だが、排便するときにわずかに感じる、肛内を滑り落ちていく異物の感触、それが逆に中へと入っていくおぞましい感触は言葉では説明できない。

 注がれた粘液の催淫作用が、それを明確な快感に変えている。未知の淫らな刺激に、私は心底震えた。

「ふぁぁぁ…! あ…あ……あ…そこは……ひぃっ、ん~っ、んぁぁっ、やぁああああっ! んんっ、あぁぁぁ……」

 肌に張り付いた無数の触手もまた、乳首や腋、敏感な部分をきつく吸い上げ、自分を擦りつけようとでもするかのように精力的に激しく肌を擦りつけてくる。
 ぐっちゃぐっちゃと音を立てて触手が膣口を前後する。たっぷり注がれた粘液が肉をざらざらと擦り、無数の突起が敏感な部分を内側から責め立てる。
 自分の奥の奥まで犯されているのではないかというほど、触手が蠢く感触が自分の中を犯していくのが分かった。

 内と外から、触手が私を責め立てていく。

「ん…くっ…んん…――――――…っ!?! く……あぁぁぁ…………」

 不意に、私の中で触手の先端が膨れ上がる。
 膣内と肛内に、同時に大量の熱い粘液が注がれると同時に、私は自分の頭の中が真っ白に蕩けるのを感じた。



『どうだ、チャレンジ精神のお陰で新しい地平が開けただろう』
「…………この、ドスケベ」

 調子のいいことを抜かす怪物を睨みつける。

 私はテーブルに仰向けに転がったまま、息を吐いた。
 否定はしない。悔しいが確かに気持ち良かったのは事実だ。

 だが、せっかく衣装棚から引っ張り出してきた軍服はドロドロに汚れてしまった。
 触手に巻き付かれて拘束されていた袖の匂いをスンスンと嗅いでみると、なんともしれない匂いがする。後で死ぬほど洗濯させてやろう。

 そんなことを思いながら、怪物から視線をはずして、さかさまになってテーブルの向こうを見る。

 上下逆になった世界に、窓が見える。
 ヤツが気を利かせたのだろう、襲われたときには確か開いていたはずのカーテンは、いつの間にかしっかりと閉じてあった。
 私はさっぱりそのことに気付いていなかったので少し悔しい。

 カーテンの隙間からは、まだ陽が照っているのが分かった。確か、今は昼時を過ぎた時刻だ、陽は少し西へと傾いているだろう。
 そんなことをぼんやり思いながら視線を下に下げると、カーテンの隙間から、フェルパーの娘が顔を覗かせていた。


「……………………………………………………………………」


 真っ赤な顔で耳を伏せているそのフェルパーは、ついこの間に見た顔だ。
 名前はネコミだったか。

 じっと見ていると、ネコミはやがて真っ赤になった顔を伏せて、ゆっくりと窓枠の下の方へと沈んでいった。


「…………………………………………………………………………………………………………………………」


『どうしたヒルダ。まだ余韻に浸っているのかね?』

 脳裏に響く声に顔を上げると、触手をゆらゆらと揺らしながら、怪物が大きな目玉で私を見下ろしている。
 私はしばらくそいつをじっと見上げた後、腰を上げてテーブル端に座りながらこう言った。


「…………………………よし、二回戦をやるぞ」


 答えを聞くまでもなく、悦びに打ち震える触手の群れは、私めがけて一斉に躍りかかった。。




◆◆◆






 事の最中にネコミが窓をぺしぺしと叩いてきたおかげで、残念ながらヒルダとのお楽しみは三戦目に突入する前に中断となった。

「……で、なにしに来たんだお前は。まさか死霊の森を馬で突っ切ってまで覗き見をしたかったのか?」
「ち、ちがい、ます……」

 シャワーを浴びてすっきりしてきたヒルダが、バスローブ姿のままで腰に手を当て問いただす。
 耳をぺたりと伏せ、顔を真っ赤にしたネコミがぷるぷると首を振った。

 どうやらネコミは馬を駆って大急ぎでやってきたらしい。
 ネコミを乗せてきたという馬は、よほど急ぎで走らされたのか家の前で汗に濡れたまま、私が用意した桶入りの水を黙々と飲んでいる。
 駆けて来たのは普通の森ではなく、死霊の森である。ヒルダのお陰で危険こそないものの、幽霊モドキがわさわさ出て来ただろうに、怯みもせずに完走するとはなかなか忠義者の馬だ。

 ご褒美にニンジンを差し出してみたが目もくれなかった。よほど疲れているのだろう。

「じゃあ、なんの用だ。人の楽しみを邪魔をするほどたいした理由なんだろうなぁ?」

 ヒルダはなぜかサドっ気のある笑みで寝込みをニヤニヤと煽る。
 まるで最初からお楽しみだったかのような口調になってるのは気のせいだろう。いや、確かに途中からえらく積極的だったが。

「う、はい……大事な、用事…………」

 こくこく、とネコミは頷いた。
 緊張しているのか照れているのか、もじもじと顔を上げたりしているは大変可愛らしい反応だ。
 なるほど煽りたくなるヒルダの気持ちも分からないでもない。

 だがまぁ、なんだか涙目になってしまっていることだし、私は触手をするりとネコミの手首に巻きつけて助け舟を出すことにした。
 そう、仲間に入れて欲しかったのなら最初から素直に言ってくれればいいのである。

「ち、ちがう……!」

 ネコミはさらに勢いよくぶるぶると首を振る。なんだ違ったのか、残念だ。

「ふーん、そういうことだったのかエロネコ娘め。覗き見をしているうちに発情したか、んー?」
「ちゃんと言うから! ちょっと、待って……!!」

 んー、などと言いながら胸をつつくヒルダにいつまでもこのパターンを続けていたらキリがないと悟ったのだろう、ネコミはばたばたと手を振って一旦タイムを要請してきた。
 それほど本気でもなかったヒルダは「ふむ」なんて答えると、腕組みして言葉を待つ姿勢になる。

 ネコミは頭を一度ブンブン振ってから、一つ息を吸って、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

「グノーが捕まったの……デーモンに。助けて、欲しい」

 耳をぴたりと伏せたなんとも情けなさそうな表情と、力なく垂れ下がった尻尾。
 ぎゅ、と強く噛んだ悔しげな唇は、ネコミが口にした言葉が事実であることを示している。

 まるでネコミを慰めるように、短く馬がいなないた。

 ヒルダの腕組みが解け、顔に呆れたような驚いたような、なんともしれない表情が浮かぶ。

「またか……」

 また仲間をさらわれるパターンなのかこの子達は。

 自然とヒルダの口から漏れたその言葉は、思わず浮かんだ私の感想とピッタリ一致していた。





<つづかざるをえない>





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