受け入れることは、変わらぬことに繋がる。
ならば、変わるためには拒絶こそが必要で、
その拒絶を、人は決意というのだろう。
人気のない森の中で、確かめるように、煮詰める様に長大な刀が振るわれていく。夜闇の中で丁寧に振るわれるそれを眺めるのが、彼女、相坂さよの去年からの日課だった。
時折、おお、と感嘆の声を漏らし、覗き見と言う人を不快にさせかねない行為ながらも、さよには人目を憚っているという雰囲気は感じられない。
それもそのはず、彼女の体は透けていて、彼女の漏らす声が周りの木々を震わすことはなく、そして何より、彼女には大地をしかと踏みしめる“足”が無かった。――――端的に言えば、幽霊だった。
それも幽霊歴六十年以上という、中々に古株の幽霊だ。とはいえ、さよの纏う気配にはそんなおどろおどろしいものはなく、人畜無害という方が正しいのかもしれない。
重ねて、さよを認識できる者は少なく――――その筋の者ですら、そうそう知覚できないほどに、酷い言い方ではあるが、影が薄かった。
その二点のおかげもあってか、さよの幽霊人生が脅かされたことなど、未だ起こっていなかった。当人の知らぬこととはいえ、関東魔法教会の根拠地でもある、この麻帆良学園都市で、である。
「はぁっ!!」
「おぉ……すごいですねぇ」
そのさよの眼前で刃を振るうのは、さよのクラスメイト――――文字通りの“幽霊生徒”であるさよを、勿論向こうは認識していないが――――である、桜咲刹那であった。
ちなみに、さよの所属するのは麻帆良女子中学校2―A、つまりは十四歳の少女が真剣を懸命に振るっていると言うことになるのだが、さよの脳内には銃刀法違反だのなんだのと言った、諸々の常識的な突っ込みは一切ない。
ただ、条理を覆すほどの体裁きから放たれる常識外れの剣閃に、見惚れているだけなのだ。
裂帛の気合と共に目にもとまらぬ、ではなく目にも映らぬ速度で動いたり、鋭い息吹と共に放たれる剣閃が、巨木や大岩を両断したりする、そんな幻想の光景に。
「――――今日はこれ位にしておくか」
だから、腕を磨くためであろうこの時間が終わりを告げるのは、いつもさよにとってはものさびしいものだった。
幽霊としての人生が脅かされないと言うことは、翻せば誰も自分を認識しないと言うことであり、安穏としたこの六十年は、常に孤独が尽き纏っていた。眺めるだけのクラスメイトは瞬く間に学校というゆりかごから巣立っていき、自分はその光景を、欠片も干渉することができないままに、取り残されるだけ。
「残念です。……もう、終わっちゃいましたか」
本心は違う。もっと見たい。叶うのならば、ずっと見ていたい。この煌めきに見惚れている間だけは、ずっと続く孤独を忘れられるから。
もし、今この時に“生きて”いるのならば、同じ道を歩む者として、互いに切磋琢磨する、なんていうこともできたのだろうか。
余裕ぶった呟きでもこぼさなければ、きっと、とめどなくこの孤独を呪う言葉が溢れてくるのを、さよは自覚していた。それが、成仏することも、悪霊に堕することもできない、ただの自縛霊のさよにできる、唯一のことだった。
「えっと、……こうでしたっけ?」
けれど最近、さよはこのひと時に別の楽しみを見出していた。
そこらに落ちる小枝すら持てない身ではあるが、それでも、刹那のように刀を握りしめた剣士になっているのだと想像して、さよは想像の中に作り上げた刀を握りしめる。
右手は鍔元に、左手は柄尻に、そして想像の中の切っ先は、自身の目線の高さに。剣道においては初歩中の初歩と言える中段の構えだが、それでも一年近くに渡り刹那の鍛錬を見続けてきたさよの構えは、中々に堂に入ったものだった。
「はぁっ!!」
刹那の裂帛の気合とは比べ物にならない、可愛らしい気合を上げて、ありもしない足を踏み出し、明確に見ることは叶わなかった刹那の剣さばきを模倣していく。未熟で、稚拙で、それでもさよは懸命に、そして楽しそうに想像の剣を振るっていく。
「えへへ、なんだか私も、お侍さんになっちゃった感じですね」
無為な一人遊び。それでもさよにとっては、まるで友達と切磋琢磨している様な、中々に悪くない遊びだった。
けれど、それは所詮遊びに過ぎなかった。なにも成すことのできない、無為な遊びだったのだ。
「……グゥッ」
「ハハッ、麻帆良の魔法生徒とやらも、所詮はガキか」
「何故だ。……どうしてそんな数を召喚できるっ」
「馬鹿か貴様、手の内をばらすものがいるかよ」
いつもの刹那の鍛錬場所であり、さよの憩いの場でもあった森は、今や戦場ならぬ処刑場と化していた。
さよの眼前には至る所に切り傷を負い、血塗れのままに膝をつく刹那。
その刹那を見下しているのは、フードをかぶった――声からするに恐らくは男だろう。そしてその男は、周囲に様々な“モノ”を引き連れていた。
それは一言で表わすならば魑魅魍魎の群れであった。小鬼、蟲、妖怪、妖精、霊体、そう言った諸々の群れだ。恐らく一匹や数匹、或いは数十匹ならば刹那がこうまで傷を負う相手ではない。もとより彼女が修める京都神鳴流はそういった手合いに対するための剣技だ。ならばこれはあり得ざる光景である筈なのだが、――――いかんせんその数が多過ぎた。男が呼び出した魍魎の群れは、正しく雲霞のごとき数を以って、その物量でこうまで刹那を追い詰めたのだ。
本来ならば、学園都市に張られている結界によって、この程度の下級存在は瞬く間に浄化されているものなのだが、どういうわけか男は難なくその召喚物を維持し続けており、その異常による動揺もまた、刹那の敗因の一つであった。
「ど、どうしましょう……っ!?」
その光景を、さよは黙ってみていることしかできなかった。枝一つ、小石一つ持てない身であるから、声を出したり、姿を見せつけてあの男の気をひきつけることすらできない身だから。
ただただいきなりに起こった恐怖に震え、刹那が害されようとしている現実におののいていた。
「さて、こっちもお前一人にかかずらっていられるほど暇じゃないんでな」
そして、男の右手が指揮官の合図であるかのように掲げられ、周囲に蠢く数多の魑魅魍魎がそれぞれの武器を刹那に向ける。刃を、牙を、棍棒を、槍を、鬼火を、弓矢を、毒針を、全て余さず刹那ただ一人に。
最早刹那の命は風前の灯火。さよにもそれが完全にわかってしまう。もうすぐ刹那は死んでしまう、と。
「……駄目、です」
――――死んじゃうのは、とても寂しいから。
――――誰も相手にしてくれなくて、誰にも触れ合えなくて、ずっと、ずっと、何も無いんですよ。
「そんなの、絶対駄目ですっ」
けれど、さよにはもうそれは止められない。何もできない自分には、何かを成せることは無いから。自分にあるのは、精々が無力感だけだ。
この時ばかりは、死した自分を呪った。生きていない自分を憎んだ。友と呼ぶことはできない大切な人を守れない自分が、どうしようもなく許せなかった。
――――ならば、変えろ。
自分の中で、“ナニカ”がトクンと跳ねた。
「く、ぁ……」
思わずありもしない胸元を抑え、そこからわき上がる理解不能の熱さに、さよは瞠目する。まるで鼓動、まるで息吹、まるで生命の歌声のように、“それ”はあった。
(ははっ……まるで私、生きているみたいです)
それほどまでに瞭然な、命の証がそこにはあった。まるでこの長き無為の時の中で初めて抱いた敵意に、否、大切な人を守りたいと願うおぼろげな闘志が鍵となったかのように、胸の奥の熱さは際限なく高まっていく。
――――変えることのできなかった悔しさを
胸の内の声は未だ続く。
――――変わることができなかった悔しさを、
朗々と、宣誓のように、
――――変わらずあったその優しさを、
静かに、厳かに、されど鋼を刃金へと変える、確固とした灼熱を滲ませて、
――――今こそ、その全てを刃に変えろっ!!
その内なる声と、湧き上がる直感に従い、さよは唱える。心を、魂を心鉄とする、自分だけの、自分のための刃、その銘を、
「日陰に舞え――――薄刃陽炎!!」
それは硝子の如き、透き通る刃を持つ刀だった。景色に溶け込む様な、かき消える様な、名のとおり儚げな刃。されど、今ここに確かにある刃だ。
これなら、いけるとさよは確信を持った。少なくとも、今の自分は無力ではない。何もできないなんてことはない。だったら、行こう。戦おう。刹那さんの、助けになろう。
そしてさよは、一歩を踏み出す。己の足で、戦場に向かう為に。
「なっ!?」
「何だとっ!?」
蹲る刹那と、止めを刺さんとする襲撃者。それぞれの驚愕の声が同時に響く。何せ、今まで何も無かった所から、膨大な、気に似た力が溢れだしてきたのだから。
「馬鹿なっ!? 増援はまだ来ない筈っ!!」
恐らくは複数、共同での襲撃だったのだろう。予想外の展開の男は刹那に止めを刺すことも忘れ叫び声を上げる。
男は知らない。男が得意とする結界の中和術式。それによって、六十年もの長きにわたり存在をかろうじて維持することしかできなかった少女が、今この瞬間に、結界によって散らされ続けたその力を取り戻したことなど。ましてや、その急激な力の収縮により、その少女が、――――死神と呼ばれるモノへと変貌していることなど、知る由もない。
「刹那さんに、これ以上手出しさせませんっ!!」
だが、その事実は、今この瞬間に白日の物となった。
力の発生地点。その木々の陰から飛び出してきた黒衣の少女が、その手に持つ透き通る刃の一振りで、男の頼みの綱である魍魎の群れを薙ぎ払ったのだから。
「えっと……大丈夫ですか? せ、刹那、さんっ」
その少女は先の叫びの通りに、刹那を守る様に男の前に立ちはだかり、戦場に似つかわしくない気恥ずかしげな口調で、刹那に呼び掛ける。
「えっと……あなたは?」
無論、刹那の記憶に少女の存在は影も形もない。当然の流れとして窮地を救ってくれた感謝と疑惑を混ぜ込んだ言葉を口にした。
「え、あ……、その、ですね……」
先ほど見せた、粗削りながらも見事な剣閃を見せたのとはとても同一人物とは思えないほどに、少女はしどろもどろになり、けれど、その直後、
「初めまして、相坂さよって言います」
満面の笑みで、幽霊になって初めての、“クラスメイト”への自己紹介をしたのだった。
<あとがき>
最近ドン・観音寺主役の小説を読んで、そういや昔こんなネタ思いついたなぁ、と頭の中から引っ張り出して書いてみました。
ぶっちゃけいちばん苦労したのは、冒頭のオサレポエムだったり。……原作並みの詩を書くのって、やっぱり難しいです。