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[35089] 薄刃陽炎(ネギま×BLEACH 第八話投稿)
Name: ドレイク◆f359215f ID:12861325
Date: 2013/09/08 15:09
 これはネギまの相坂さよがBLEACの死神の力を手に入れたら? という感じの、能力だけのクロスオーバー作品です。そう言った要素が苦手な方はご注意ください。

9/12 本作品をチラ裏から移動。第一話・第二話を投稿。



[35089] 第一話
Name: ドレイク◆f359215f ID:12861325
Date: 2012/09/12 07:21










 受け入れることは、変わらぬことに繋がる。

 ならば、変わるためには拒絶こそが必要で、

 その拒絶を、人は決意というのだろう。










 人気のない森の中で、確かめるように、煮詰める様に長大な刀が振るわれていく。夜闇の中で丁寧に振るわれるそれを眺めるのが、彼女、相坂さよの去年からの日課だった。
 時折、おお、と感嘆の声を漏らし、覗き見と言う人を不快にさせかねない行為ながらも、さよには人目を憚っているという雰囲気は感じられない。
 それもそのはず、彼女の体は透けていて、彼女の漏らす声が周りの木々を震わすことはなく、そして何より、彼女には大地をしかと踏みしめる“足”が無かった。――――端的に言えば、幽霊だった。
 それも幽霊歴六十年以上という、中々に古株の幽霊だ。とはいえ、さよの纏う気配にはそんなおどろおどろしいものはなく、人畜無害という方が正しいのかもしれない。
 重ねて、さよを認識できる者は少なく――――その筋の者ですら、そうそう知覚できないほどに、酷い言い方ではあるが、影が薄かった。
 その二点のおかげもあってか、さよの幽霊人生が脅かされたことなど、未だ起こっていなかった。当人の知らぬこととはいえ、関東魔法教会の根拠地でもある、この麻帆良学園都市で、である。

「はぁっ!!」
「おぉ……すごいですねぇ」

 そのさよの眼前で刃を振るうのは、さよのクラスメイト――――文字通りの“幽霊生徒”であるさよを、勿論向こうは認識していないが――――である、桜咲刹那であった。
ちなみに、さよの所属するのは麻帆良女子中学校2―A、つまりは十四歳の少女が真剣を懸命に振るっていると言うことになるのだが、さよの脳内には銃刀法違反だのなんだのと言った、諸々の常識的な突っ込みは一切ない。
 ただ、条理を覆すほどの体裁きから放たれる常識外れの剣閃に、見惚れているだけなのだ。
 裂帛の気合と共に目にもとまらぬ、ではなく目にも映らぬ速度で動いたり、鋭い息吹と共に放たれる剣閃が、巨木や大岩を両断したりする、そんな幻想の光景に。


「――――今日はこれ位にしておくか」


 だから、腕を磨くためであろうこの時間が終わりを告げるのは、いつもさよにとってはものさびしいものだった。
 幽霊としての人生が脅かされないと言うことは、翻せば誰も自分を認識しないと言うことであり、安穏としたこの六十年は、常に孤独が尽き纏っていた。眺めるだけのクラスメイトは瞬く間に学校というゆりかごから巣立っていき、自分はその光景を、欠片も干渉することができないままに、取り残されるだけ。

「残念です。……もう、終わっちゃいましたか」

 本心は違う。もっと見たい。叶うのならば、ずっと見ていたい。この煌めきに見惚れている間だけは、ずっと続く孤独を忘れられるから。
 もし、今この時に“生きて”いるのならば、同じ道を歩む者として、互いに切磋琢磨する、なんていうこともできたのだろうか。
 余裕ぶった呟きでもこぼさなければ、きっと、とめどなくこの孤独を呪う言葉が溢れてくるのを、さよは自覚していた。それが、成仏することも、悪霊に堕することもできない、ただの自縛霊のさよにできる、唯一のことだった。


「えっと、……こうでしたっけ?」


 けれど最近、さよはこのひと時に別の楽しみを見出していた。
 そこらに落ちる小枝すら持てない身ではあるが、それでも、刹那のように刀を握りしめた剣士になっているのだと想像して、さよは想像の中に作り上げた刀を握りしめる。
 右手は鍔元に、左手は柄尻に、そして想像の中の切っ先は、自身の目線の高さに。剣道においては初歩中の初歩と言える中段の構えだが、それでも一年近くに渡り刹那の鍛錬を見続けてきたさよの構えは、中々に堂に入ったものだった。

「はぁっ!!」

 刹那の裂帛の気合とは比べ物にならない、可愛らしい気合を上げて、ありもしない足を踏み出し、明確に見ることは叶わなかった刹那の剣さばきを模倣していく。未熟で、稚拙で、それでもさよは懸命に、そして楽しそうに想像の剣を振るっていく。


「えへへ、なんだか私も、お侍さんになっちゃった感じですね」


 無為な一人遊び。それでもさよにとっては、まるで友達と切磋琢磨している様な、中々に悪くない遊びだった。










 けれど、それは所詮遊びに過ぎなかった。なにも成すことのできない、無為な遊びだったのだ。

「……グゥッ」
「ハハッ、麻帆良の魔法生徒とやらも、所詮はガキか」
「何故だ。……どうしてそんな数を召喚できるっ」
「馬鹿か貴様、手の内をばらすものがいるかよ」

 いつもの刹那の鍛錬場所であり、さよの憩いの場でもあった森は、今や戦場ならぬ処刑場と化していた。
 さよの眼前には至る所に切り傷を負い、血塗れのままに膝をつく刹那。
 その刹那を見下しているのは、フードをかぶった――声からするに恐らくは男だろう。そしてその男は、周囲に様々な“モノ”を引き連れていた。
 それは一言で表わすならば魑魅魍魎の群れであった。小鬼、蟲、妖怪、妖精、霊体、そう言った諸々の群れだ。恐らく一匹や数匹、或いは数十匹ならば刹那がこうまで傷を負う相手ではない。もとより彼女が修める京都神鳴流はそういった手合いに対するための剣技だ。ならばこれはあり得ざる光景である筈なのだが、――――いかんせんその数が多過ぎた。男が呼び出した魍魎の群れは、正しく雲霞のごとき数を以って、その物量でこうまで刹那を追い詰めたのだ。
 本来ならば、学園都市に張られている結界によって、この程度の下級存在は瞬く間に浄化されているものなのだが、どういうわけか男は難なくその召喚物を維持し続けており、その異常による動揺もまた、刹那の敗因の一つであった。




「ど、どうしましょう……っ!?」




 その光景を、さよは黙ってみていることしかできなかった。枝一つ、小石一つ持てない身であるから、声を出したり、姿を見せつけてあの男の気をひきつけることすらできない身だから。
 ただただいきなりに起こった恐怖に震え、刹那が害されようとしている現実におののいていた。

「さて、こっちもお前一人にかかずらっていられるほど暇じゃないんでな」

 そして、男の右手が指揮官の合図であるかのように掲げられ、周囲に蠢く数多の魑魅魍魎がそれぞれの武器を刹那に向ける。刃を、牙を、棍棒を、槍を、鬼火を、弓矢を、毒針を、全て余さず刹那ただ一人に。
 最早刹那の命は風前の灯火。さよにもそれが完全にわかってしまう。もうすぐ刹那は死んでしまう、と。


「……駄目、です」


――――死んじゃうのは、とても寂しいから。


――――誰も相手にしてくれなくて、誰にも触れ合えなくて、ずっと、ずっと、何も無いんですよ。


「そんなの、絶対駄目ですっ」


 けれど、さよにはもうそれは止められない。何もできない自分には、何かを成せることは無いから。自分にあるのは、精々が無力感だけだ。
 この時ばかりは、死した自分を呪った。生きていない自分を憎んだ。友と呼ぶことはできない大切な人を守れない自分が、どうしようもなく許せなかった。




――――ならば、変えろ。




 自分の中で、“ナニカ”がトクンと跳ねた。

「く、ぁ……」

 思わずありもしない胸元を抑え、そこからわき上がる理解不能の熱さに、さよは瞠目する。まるで鼓動、まるで息吹、まるで生命の歌声のように、“それ”はあった。

(ははっ……まるで私、生きているみたいです)

 それほどまでに瞭然な、命の証がそこにはあった。まるでこの長き無為の時の中で初めて抱いた敵意に、否、大切な人を守りたいと願うおぼろげな闘志が鍵となったかのように、胸の奥の熱さは際限なく高まっていく。


――――変えることのできなかった悔しさを


 胸の内の声は未だ続く。


――――変わることができなかった悔しさを、


 朗々と、宣誓のように、


――――変わらずあったその優しさを、


 静かに、厳かに、されど鋼を刃金へと変える、確固とした灼熱を滲ませて、




――――今こそ、その全てを刃に変えろっ!!




 その内なる声と、湧き上がる直感に従い、さよは唱える。心を、魂を心鉄とする、自分だけの、自分のための刃、その銘を、




「日陰に舞え――――薄刃陽炎うすばかげろう!!」




 それは硝子の如き、透き通る刃を持つ刀だった。景色に溶け込む様な、かき消える様な、名のとおり儚げな刃。されど、今ここに確かにある刃だ。
 これなら、いけるとさよは確信を持った。少なくとも、今の自分は無力ではない。何もできないなんてことはない。だったら、行こう。戦おう。刹那さんの、助けになろう。
 そしてさよは、一歩を踏み出す。己の足で、戦場に向かう為に。




「なっ!?」
「何だとっ!?」

 蹲る刹那と、止めを刺さんとする襲撃者。それぞれの驚愕の声が同時に響く。何せ、今まで何も無かった所から、膨大な、気に似た力が溢れだしてきたのだから。

「馬鹿なっ!? 増援はまだ来ない筈っ!!」

 恐らくは複数、共同での襲撃だったのだろう。予想外の展開の男は刹那に止めを刺すことも忘れ叫び声を上げる。
 男は知らない。男が得意とする結界の中和術式。それによって、六十年もの長きにわたり存在をかろうじて維持することしかできなかった少女が、今この瞬間に、結界によって散らされ続けたその力を取り戻したことなど。ましてや、その急激な力の収縮により、その少女が、――――死神と呼ばれるモノへと変貌していることなど、知る由もない。




「刹那さんに、これ以上手出しさせませんっ!!」




 だが、その事実は、今この瞬間に白日の物となった。
 力の発生地点。その木々の陰から飛び出してきた黒衣の少女が、その手に持つ透き通る刃の一振りで、男の頼みの綱である魍魎の群れを薙ぎ払ったのだから。

「えっと……大丈夫ですか? せ、刹那、さんっ」

 その少女は先の叫びの通りに、刹那を守る様に男の前に立ちはだかり、戦場に似つかわしくない気恥ずかしげな口調で、刹那に呼び掛ける。

「えっと……あなたは?」

 無論、刹那の記憶に少女の存在は影も形もない。当然の流れとして窮地を救ってくれた感謝と疑惑を混ぜ込んだ言葉を口にした。
 
「え、あ……、その、ですね……」

 先ほど見せた、粗削りながらも見事な剣閃を見せたのとはとても同一人物とは思えないほどに、少女はしどろもどろになり、けれど、その直後、




「初めまして、相坂さよって言います」




 満面の笑みで、幽霊になって初めての、“クラスメイト”への自己紹介をしたのだった。







<あとがき>
 最近ドン・観音寺主役の小説を読んで、そういや昔こんなネタ思いついたなぁ、と頭の中から引っ張り出して書いてみました。
 ぶっちゃけいちばん苦労したのは、冒頭のオサレポエムだったり。……原作並みの詩を書くのって、やっぱり難しいです。



[35089] 第二話
Name: ドレイク◆f359215f ID:12861325
Date: 2012/09/12 07:21


 自己紹介はさておき、刹那の窮地を救うと言う目的をとりあえず果たしたさよには、現在進行形で一つの問題が起こっていた。

「それでですね、刹那さん」
「どうしたんです?」

 それを解決するためにもさよは刹那に救いを求める。刹那もどうやらさよをある程度は信頼してもいいと判断したらしく、いぶかしみながらも疑問の声に応える。

「あのですね……」
「はぁ」
「――――どうやって戦えばいいんでしょう?」
「はぁ!?」
「だって私ずっと幽霊やってましたから、戦いなんてしたことないんですよぅ!?」
「幽霊!? え、えぇ!?」
「ど、どうしましょう刹那さ~ん!!」

 さっきあれだけ豪快に登場しておいてそれですか!? と刹那の視線が雄弁に物語る。さよとしてもそれは当然の反応だとは思うのだが、さよとしてもそう言うしかないのだ。
 先ほどの一撃は刹那を救う為に無我夢中になった結果できたことであり、いったん冷静になってしまうと、忘れ去っていた諸々、例えば戦いに対する恐怖心であったり、初めて踏み入れる戦場に対する緊張出会ったり、初陣であることを理解しての困惑だったりが、一斉に噴き出てしまうのだ。
 だから本当に、どうやって戦えばいいのかわからない状況であり、さよにしてみれば泣きわめかないだけで精一杯なのだ。




「――――ふざけてるのか貴様アアアアアァッ!!」




 そんな寸劇を眼前で見せられたせいだろうか、襲撃者の男があらんばかりの絶叫を上げる。
 同時、雑多な戦意の波が周囲に侍る魑魅魍魎から溢れだす。統率など考えられていない、まさに烏合の衆だが、それでもその数は軽く百を超えている。どうやら先ほどさよが蹴散らした分など、即座に召喚しなおし、その穴を埋めていたようだった。

「いけませんっ、あなたは速く逃げてくださいっ!!」
「え、でもっ!!」
「私ならばもう大丈夫ですからっ」

 その刹那の言葉を、さよは嘘だと断じた。刹那の体はそう言いながらも膝をつき、かろうじて野太刀を握りしめる手は震えている。きっとこれは助けてくれた自分を逃がすための、そう言う嘘だと判断して、さよは改めて刀を、薄刃陽炎を構え直す。

「な、なら、私だってもう大丈夫ですもんっ!!」
「あからさまな嘘言わないでくださいっ」
「あからさまなのは刹那さんでしょう!!」

 そう言い合う間に、男の従える魍魎どもは既にさよの間近に迫ってきていた。既にさよにも逃走という選択肢はなくなり、戦って勝つしか――幽霊に言うにはおかしな話だが――生存は望めない。




――――そうだ、それでいい。臆せば死ぬぞ。




 その時だ。さよの傍らで声が響いた。刹那でもなければ、視線の先にいる男でもない。それは、先程聞いた胸の奥からの声だった。
 微かに視線を声の方に向ければ、そこには一人の女性がいた。身を包むのは闇夜の様な漆黒で染め上げられたドレス。靡く黒髪は腰元まで届き、その髪の下から覗く肌は新雪のように純白だった。
 抱く印象は、白刃の様に冷たげでもあり、陽炎のように儚げでもあった。まるでそう、今さよが手に持つ刀の銘の様な―――

「え?」

 刹那も男も、この女性の気付いたそぶりさえ見せない。つまりこれは自分だけに見えているとさよは判断する。


――――誰なのか、とでも言いたげだな。


 それはそうだ。自分は何もわかっていない。胸の内から呼び出したこの刀――薄刃陽炎のことすらも、全くわかっていないのだから。
 けれどさよの心は、この女性に対し不信感を抱いていなかった。見知らぬはずなのに、まるで長年連れ添ってきた相棒の様な、そんな不思議な既知感を感じるのだ。


――――お前が私を知らぬなど、あり得んよ。


 そんな内心を察知したのか、刃の様に冷ややかな口調の中に、どこかさよを気遣う様な、そんな雰囲気が滲み出てくる。




――――何せ、先程“私の名前を言った”だろうに。




 その言葉は、さよの疑問を解消するピース。
 導き出された答えを読み上げるように、さよは薄刃陽炎を握る手に力を込める。きっと彼女は、それこそを求めているのだと確信を抱きながら。


――――ならば往け。恐れるな。勝利は常に一歩を踏み出した者こそが得る。


――――お前は既に、一歩踏み出しただろう。


 その言葉に、今の今までさよの内に吹き荒れていた恐怖や緊張がかき消える。自分は守るために、戦うことを選択したのだ。ならば、恐怖如きに負けてはいけないだろう。
 それを思えば、迫る敵の何と矮小なことか。一転して表出した戦意が漲り、溢れ出る力が木々を揺らす。




「大丈夫――――私は、やれるっ!!」




 やけに遅く感じられるような魍魎どもの突撃に、さよは恐れることなく前進を選択した。
 力の限り大地を踏みしめ、敵の群れを両断するように、刀を大きく振りかぶる。
 描く剣閃はそう、常日頃から目に焼き付けた刹那の剣閃。透き通る刃に力を込めて、巨岩すら両断する威力を乗せて振るう一閃、それこそは、




「なっ!?」
「あれは……斬岩剣!?」




 刀身に気を漲らせ、巌の如き妖怪の肉体すら両断する剣技、京都神鳴流・斬岩剣に他ならなかった。
 響く轟音。魍魎の群れごと両断する剛剣が戦場を揺らす。

「まだ、まだあああぁっ!!」

 それでもまだまだ残る敵の群れに対し、さよは続けざまに一撃二撃と振るっていく。振り下ろしでは効果が薄いと見るや、より多くを叩き斬る様に、横薙ぎに硝子の剛剣を振るっていく。
 三日月の剣閃を描くそれは、敵を飲みこむ数を大幅に増していき、元より一体一体の実力に乏しい魍魎どもは、さよの攻撃に面白いように飲まれていく。

「舐めるな小娘がっ!!」

 されどそれは男と言う指揮官がいない話でのこと。さよの攻勢からようやく平静を取り戻した男は、印を結び呪を唱え、烏合の群れであったそれを、一個の軍団へと変えていく。

「え? きゃぁっ!!」

 小鬼達の振るう槍の切っ先が壁を作り、その隙間から投擲される小刀、放たれる弓矢や術が、さよに襲いかかる。
 咄嗟に襲いかかってくるそれを薄刃陽炎で撃ち払い、どうにか直撃をかわすものの、攻撃されるという初めての体験に、さよの心に再び恐怖の欠片が浮かび上がる。
 足は竦み、腕は縮こまり、


――――言っただろう、臆するなとっ!!


 その檄と同時、握りしめる刃から伝わる意思がある。


――――私を使え!! 我が身は刃、ならば我が身を十全に使いこなすことこそが、今、お前がやるべき事だっ!!


 迫る槍衾から逃れながら、さよは今、自分がやるべき事を認識する。
 迫ってくる槍の切っ先は、正直に言えば怖い。飛んでくる矢や、炎や、飛びかかってくる敵の爪も、本当に怖い。それが間近を通り過ぎたり、掠ったりするのは、気を抜けば涙が出そうになるくらい怖い、けど、


(……陽炎さん。私、やれますよね)


――――ああ。


(あんなのなんて、お茶の子さいさいですよねっ)


――――無論だとも。


 その肯定を胸にさよは大きく間合いを取ると、薄刃陽炎を一旦構え直した。
 今からやるべきは、刹那の模倣ではなく、薄刃陽炎を“使う”こと。単に刃として用いるのではなく、己が魂の刃であるこれの力を正しく使うのだと、さよは自身に言い聞かせる。
 使い方は、何となくだがわかる。文字通り自分の一部なのだから。
そう決意した瞬間、さよの体が“あやふや”になっていく。ピントのずれた写真のように、輪郭がぼやけ、まるで陽炎のように、さよの体に“ずれ”が生じていく。

「幻術……なのか?」

 その男の言葉通りに、そこには二人のさよが現れる。
 まるでアニメに出てくる忍者が使う様な、分身の術そのものだった。

「フンッ、それがどうしたっ!!」

 それを所詮は小細工だと断じる男。質はさておき数の面では男が圧倒的に優位なのだから、分身を一つ出したところで全くの無意味だと思うのは当然だった。

「諸共に片付けろっ」

 その判断の元に号令を駆け、魍魎の群れが一気呵成にさよへと攻撃を仕掛ける。さっきまで泡を食って回避に専念するしかなかったさよなど、これで打ち取れる。多少腕が立つようだったが、所詮は小娘なのだろうと嘲りを込めて。
 そうしてまずは一体、前に進み出ていた一人目のさよに攻撃が届く。その体は槍衾に貫かれ、あっという間に蜂の巣になる。


「――――引っ掛かりましたね」


 その時、さよがにやりと笑う。悪戯を仕掛けた子供の様に。
 するとそのズタボロにされたさよの体は何事も無かったかのように、槍衾を無視して進みだす。見ればその体には傷一つ無く、今し方攻撃を喰らったことすら嘘ではないかと思わせた。

「フン、それがどうしたぁっ!!」

 男はその光景を分身故と判断。その後方に位置する二人目のさよに対し、重ねて攻撃を指示する。
 分身のさよが魍魎どもの群れを飛び越える様に跳躍し、後方のさよへと何の妨害もなく攻撃が届いた。


「――――またまた引っ掛かりましたね」


 結果は、寸分たがわず先ほどの焼き直し。分身などであるわけがない筈の二人目のさよもまた、槍衾に貫かれた素振りさえ見せず、にやりと微笑んだ。

「馬鹿なっ、そっちも分身だとっ!?」
「違いますよ。今はこっちが本物ですっ!!」

 その声は男の頭上から、分身だと捨て置いた筈の一人目のさよだ。

「――――!?」

 男の顔が驚愕に染まる。
 無論実態を持つ分身を作り出す術も世の中にはある。だがそう言うものは得てして先ほどのさよの様に脆い構造はしていない。男が一体目のさよを捨て置いたのも、“あの程度の攻撃”が易々通じるほど、脆い術式故だ。
 だと言うのに、今は男の頭上で刃を振り上げるさよこそが本物だ。在りえない、道理が通じない。そんな思いが男の胸中を占め――――




「てぇりゃああああぁっ!!」




 呆れるほど無防備に、さよの刃を返した――峰打ちの一撃を脳天に喰らって昏倒したのだった。
 先程のさよは、まずは分身を前に出し攻撃させ、気を逸らさせ、その後に“分身と実態を入れ替えた”。故に男は本物だと思っている分身に攻撃をかけ、致命の隙を晒したのだ。
 本物の自分と自在に入れ替えることのできる分身を作り出す、それこそが薄刃陽炎の能力であり、六十年もの長きにわたって、現実と幻想の間を彷徨い続けた、さよらしい力でもあった。


「峯打ちです。――――なんて、一度言ってみたかったんですよね」


――――全く、あまり調子付くな。


 人生初ならぬ、“幽霊”生初の戦いを何とか勝利でおさめ、にこやかに胸を張るさよに対し、傍らに立つ陽炎は苦言を漏らす。
 とはいえそれが耳に入っているのか怪しいほどに、さよは満面の笑みを浮かべ、刹那の元へと再び歩み寄る。

「大丈夫ですか? 刹那さん」
「はい、何とか自力で立てるぐらいには、体のほうも回復しましたので」
「そうですか~、よかったです」
「ええ、あなたのおかげです。“さよさん”」

 最早さよに対し、疑心は無いのか刹那の口調は柔らかだ。
 それに何より、刹那はたった今、こういったのだ――――さよさん、と。
 それはこれまでずっと、孤独に耐え続けてきたさよにとっては、万金に勝る言葉だった。

「……ぐすっ」
「え、えぇっ!? 何で泣くんですかさよさんっ」

 その響きが更にさよの眦に涙をあふれさせてしまう。名前を呼んでくれたことが本当に嬉しくて。

「ち、違いますっ……。これは、嬉し涙ですっ」
「嬉し涙?」
「はい……」

 その涙を皮切りに、さよは刹那にこれまでの経緯を話し始める。六十年近く幽霊で過ごしてきたこと。刹那の鍛錬を見ることが唯一の楽しみだったこと、刹那の窮地に薄刃陽炎という不思議な力に目覚めたこと。それら全てを涙で滲んだ声で余すことなく刹那へ語っていく。

「……こんなところでしょうか」
「その、つらいことを話させてしまってすみません」
「いえいえ、今はそんなことないですから」
「そうなのですか?」
「ええ、だってこうして刹那さんとお話しできるんですから」
「……さよさん」
「ああっ、そんなに気にしなくていいですよ!」

 これまでの身の上話に罪悪感を抱く刹那に、さよは努めて笑顔で語りかける。せっかくの、六十年ぶりの会話だ。決して一方通行ではない会話だ。できればこんな話は笑って聞き流してほしいと言うのがさよの本音だった。

「ですが……」

 刹那にしてみれば助けられた上に、つらい話をさせてしまった負い目があるのだろうか。
 なんだか生真面目過ぎる人ですねぇ、とさよは思い、同時に、ある一つの考えが浮かんだ。

「でしたら」
「な、なんでしょうか」

 思えば、この状況は自分の最大の望みを叶えるチャンスではないだろうか。刹那の罪悪感につけ込む様な気がして少しばかり気が引けるさよだったが、できればこのチャンスを逃したくないと思うのも事実。




「――――でしたら、お友達になってくれませんか?」




 一方通行から双方向の関係へと変えるための一言を、さよは今ここに、正しく全霊の思いで口にしたのだった。









<あとがき>
 さよは影が薄くて儚げで、というイメージから斬魄刀の名前を決めたんですけど、なんだか気付けば能力が、某殺し愛夫婦の片割れの能力っぽくなってしまいました。薄刃“陽炎”って名前の所為で特に。



[35089] 第三話
Name: ドレイク◆f359215f ID:12861325
Date: 2012/09/18 22:46




「――――その前に、僕にも事情を説明してくれないかな?」




 さよの全霊の言葉。その結果を遮ったのは一人の男。眼鏡をかけ、無精髭を生やしたスーツ姿の男だ。
 無論のこと、その男は刹那にも、そしてさよにとっても初対面ではなかった。

「あ、高畑先生。他の所はもう終わったのですか?」
「ああ、刹那君の所が最後だった……というよりも本命だったみたいだ。援護が遅れて申し訳ない」
「いえ、予想外の援軍もいたので大丈夫ですよ」

 タカミチ・T・高畑――刹那の所属する2-Aの担任であり、この関東魔法協会においては例外二名を除けば、実質的な最強戦力に数えられる存在だ。
 とはいえその纏う雰囲気は、戦闘が終結したこともあってか、教壇に立つときと変わらない、実に人当たりのいい柔らかなものだった。

「そうか……、ありがとう“さよ”君」
「いえいえ~、そんなことないですよ…………あれ?」

 率直な高畑の謝辞にさよは照れ笑いしながら、数秒の間をおいて当然の疑問に気付く。傍らにいる刹那も同様だ。――なぜ高畑先生がさよの名前を知っている? さよが高畑のことを見知っているのは当然だ。一方通行ではあるがずっと会ってきた人物なのだから。

「はは……、君が疑問を抱くのは当然だろうね。そして、僕たちもまた、君の現状に疑問を抱いている。だからまずは話し合いたいと思うんだが、どうかな?」
「わ、わかりました」
「刹那君も、申し訳ないけれど付き合ってくれないかな?」
「はい、“ある程度は治りましたので”」
「?」
「そうか、じゃあついてきてくれ、相坂君」

 刹那のその言葉に混じる僅かな違和感を無視しながら、さよは踵を返す高畑の背中に付いていく。先生の言うことには素直に従うと言う、ごくごく自然な道理を持っているあたり、さよの真っ当さは幽霊というものからかけ離れていた。

「……なんというかさよさんって、“普通”ですね」
「そうですよ?」

 そんなやり取りに思わず噴出しかけた高畑だったが、幸いにして、それがさよに気取られることは無かった。







 うわぁ、ぬらりひょんってホントにいたんですねぇ。それがさよがこの麻帆良女子中学校校長室に入った時に、まず最初に抱いた感想だった。何せ頭が長い。すんごく長い。人間ではなくぬらりひょんだと言った方が納得がいくぐらいに長い。

「……なんか失礼なこと考えてないかのぅ?」

 そんな頭の持ち主こそが麻帆良学園都市理事長と、関東魔法協会の会長を兼任する近衛近右衛門その人である。頭の長さと長々と蓄えた白髭が相まって、まさに狸爺とかそんな言葉が当てはまる雰囲気を漂わせている。

「そ、そんなことないですよ!?」
「本当かのぅ。もしそんなこと思われておったら悲しくて、わし泣きそうじゃわい」
「す、すみませんっ。ちょっとぬらりひょんみたいだなぁとか思っちゃってごめんなさいっ!!」

 だが現実は、孫をあたふたさせて楽しんでいる好々爺にしか見えない。権威ある組織の主柱であることの威厳とかそう言った諸々など、欠片も感じられはしない。
 高畑と刹那も、眼前で繰り広げられるそんな光景に、苦笑とも付かない生温かい視線を向けているだけである。

「ま、冗談はこれくらいにしておこうかの」
「えっ、冗談だったんですか!?」
「まぁそれも嘘じゃが」
「ええっ!?」
「流石にそろそろやめてください学園長。話が始まりません」
「いやぁ、今どきおらんぞい。ここまで純真な子は」

 やや気疲れしたような表情の高畑の言葉を受け入れ、好々爺を気取っていた近右衛門の表情が引き締まる。ここからは一人の老人ではなく、関東魔法協会の会長の近衛近右衛門として話を聞くのだろう。
 涙目であったさよも場の流れが切り替わったことを理解し、思わず息を飲む。


「――――では、何があったかを事細かに聞かせてもらおうかの」


 表情は変わらずとも、滲みでる威厳と空気に気圧されながらも、さよは先ほど刹那に話したことを語り始めた。








「――――ふむ、凡そは理解した」

 口元の髭をさすりながら、近右衛門はそう呟く。

「何もわからん――――ということがの」
「何もわからん……ですか?」
「うむ」

 次いで出た言葉。その言葉にさよは落胆を抱く。この場にくるまでの間に刹那から伝えられた、この麻帆良という土地に関する概要を聞き、そこのトップであるならば、今現在自分の身に何が起こっているのかが分かるかもしれないと思っていたからだ。
 薄刃陽炎が自分に害を成さない、というのは直感的に理解しているが、それでも突如起こったこの自身の変質を明確に理論立ててわかりたいと思うのは、幽霊ならずとも至極当然の思いだ。

「勿論こちらが知る技術体系の中にも、そう言った異能の力を持つ武具を、自身の深層心理等から投影し作り出す、というのはある。仮契約<パクテイオー>と言うんじゃがな。しかし、君はそういうものをやったことにも、されたことにも心当たりがないじゃろ?」
「あ、はい。本当に突然できるようになったので」
「率直に言わせてもらうと、君は突如異質な力を得た未知の存在ということになる。まずはそこを理解してもらいたい」

 厳かな口調でそう告げる近右衛門に対し、さよは自分がどれほど異質なのかを理解した。戦力云々はわからない、どれほど自分が異能の力を手にしようが、自分は未だ素人なのだろうと言いきれる。
 単純戦力で見るならばきっとこの麻帆良の地には上が山ほどいるだろうし、刹那も万全ならば自分よりはるかに強いだろう。
 だからこの場合、問題とするならば今の今まで学園側に補足すらされなかったさよが、突如未知の力を手にした、という一点に尽きる。
 そういう謀略に全く以って疎いさよであるが、近右衛門の言葉でそこだけはしっかりと理解できた。


「…………もしかして、私を除霊とかしますか?」


 理解できたからこそ、そういう結論が出てくる。もとよりさよは六十年間過ごして来た自縛霊なのだ。初めからして世の道理に逆らった存在であるし、潜在的な危険が高いかもしれないならば、一番手っ取り早いのは即座にさよを成仏させることだろう。
 さよとしては、率直に言ってしまえば嫌だ。そんなのは嫌だ。身も蓋もない言い方をすれば、もっと生きていたい。幽霊であることは理解していても、今確かにさよの内にあるのは生存欲なのだ。何せ刹那という、六十年ぶりの、最早初めての――とすら言っていい友達が、できそうなのだから。

「いや、除霊などはせんよ。……こちらの条件を飲んでくれるのであれば、の話じゃが」
「ほ、本当ですかっ!!」

 だからその言葉に、さよは一も二もなく飛び付いた。

「さよちゃんや……老婆心ながら言っておくが、そういうときは即答したらいかんぞい?」
「あ……そうですね。それで、条件って言うのは?」
「うむ、まず第一にこちらの監視下に入ってもらうことじゃな」
「それは確かにそうですよね」

 捕捉されなかった今までとは違い、存在をしかと認知され、異能の力を手にしたのだ。この地を治める学園側からすれば、そんな存在をこれまで通り放置できる筈がない。

「第二に、これから定期的にこちらの検査を受けてほしい、ということじゃよ」

 これも当然のことだろう。未知の力に対し消去ではなく確保を選んだのだから。その情報を得たいと思うはず。

「……あれ?」

 まかりなりにも六十年という時間を過ごしてきたさよである。その条件に疑問を抱く。
 何せ“緩い”。こちらの条件などと言ってみても、この二つは組織の庇護下に入るのならば当然のことだ。わざわざ条件と口にするまでもないことである。

「本当にそれでいいんですか?」
「勿論じゃよ。もとより我ら魔法使いの理念は力持つ者の責務としての救済じゃ。異能の力を無為に腐らせず、苦難にあうものたちに救いの手を差し伸べる。傲慢に聞こえるかもしれんが、我らはそういう題目によって動いておる。不安要素だからと言って軽々しく排除を選んだりはせぬよ」

 その題目を聞いた時、さよの内心に浮かんだのは疑念ではなく感心だった。そう言う題目のもとに動くのを偽善だとは思わず、嘘っぱちだとも思わず、ただそういうことの為に活動できることそのものに感心したのだ。

「へぇ、すごいんですねぇ」

 だから口にするのは衒いのない賛辞であり、そこには人間社会の摩擦とかそう言ったものは感じられない。浮世離れしているとも言えるだろう。
 そして、得てしてそう言う混じりけのない言葉は、何の変哲がなくとも聞く者にとっては破壊力が絶大なのだ。

「……そう言ってくれるとこちらとしても喜ばしいのう」
「学園長、照れが隠せてませんよ」
「フォッ!? な、何いっとるんじゃ」
「学園長でもうろたえることあるんですね、お嬢様以外で」
「もっと何をいっとるんじゃ刹那君!?」

 正直言って狸爺のデレなど見て誰が得するのか。少なくともこの場には居やしないだろう。

「葛葉先生から聞きました。またお嬢様に無理にお見合いを強要して手酷い反撃を受けた、と」
「だって曾孫の顔を早く見たかったんだもん」
「だもん、とかいい年して言わないでください。遠まわしに言って気持ち悪いです」
「どこが遠まわし!?」
「率直に言うなら早く死んでほしいです」
「酷い!? 老い先短い老人に対して言うことかの。というか怒っとる?」

 そして話の流れは当事者であるさよから完膚なきまでに離れ、学園長対刹那という摩訶不思議な構図に移行する。
 さよは刹那の未知の一面を見て思考を停止させ、高畑はそれを見て苦笑するばかりである。

「ど、どうしたんでしょうか刹那さん」
「ああ、2-Aに近衛木乃香って子がいるだろう? 彼女は名前の通り学園長の孫娘で、刹那君とは幼馴染だったんだ」

 さよの記憶に、黒髪のおっとりとしたクラスメイトの顔が映る。席が少し離れているので、そう言えばそんな子もいたなぁ、という認識でしかなかったが。

「ああ、その所為で無理矢理お見合いさせたことに怒ってるんですか」
「学園長もなんというか、悪ふざけを真剣にやる人だから……」

 そうこうしている間にも刹那がいつの間にやら野太刀を抜き放っていた。峰など返していない本気である。真剣と書いてマジであった。そしてそんなことをやらかしていても表情が全くいつも通りなのが、更にヤバさを倍増させていた。

「あの、……助けなくていいんでしょうか?」
「ハハ、いい薬じゃないかな」

 そうのたまう高畑の表情は実にいい笑顔である。近右衛門の常日頃の周囲からの評価がよくわかる。

「うぉい!? 儂には味方がおらんのか!! というか刹那君ってばもしかして、お嬢様を嫁にするなら私を倒してからにしろ!! とか言う性質かのぅ?」
「何言ってるんですか」
「そうじゃなそうじゃな。そこまでひどくは――――」
「当たり前でしょう」
「もう手遅れ!?」

 そう叫ぶ近右衛門の髭が所々不自然に短くなっているのはきっと気のせいだろう。少なくともさよはそう思っていた。言うまでもなく現実逃避である。
 そしてさよは刹那さんは木乃香さんのことになると余裕がなくなる、と心の中でメモし、話の流れを再び自分に向けるべく口を開いた。せっかく他人に認識されるようになったのに、こういうことでおいてけぼりは勘弁願いたいのだ。

「あのぅ……、ところで私はこれからどうすればいいんでしょうか?」
「あ、それもそうでしたね」
「ふぅ、全く老骨には応えるわい」

 さよの言葉に刹那はようやく刀を収め、近右衛門はほっと胸をなでおろす。さよもまた、ようやく会話の輪の中に戻れたことにほっと胸をなでおろす。

「うむ、そのこと何じゃがな。まずその刀――薄刃陽炎とか言ったかの、それはそのまま出しっぱなしなのかのぅ?」

 その指摘の通り、さよの姿は先ほどの黒い袴のままであり、その腰に鞘に収めた薄刃陽炎を差していた。間違いなく表に出ていい格好ではない。出たら間違いなく銃刀法違反で検挙される。

「あ、それもそうですね」

確かにその通りだとさよは薄刃陽炎をかき消すイメージを描いていく。こうすればこの刀は自分の胸の内にしまわれる、そんな感じがするからだ。
そしてその想像通りにさよの手元から薄刃陽炎が消失し、さよの姿も古めかしいセーラー服になったその時だ。




『――――消えた!?』




 三人の叫びが唱和する。さよにしてみれば刀を消しただけであり、自分までも消した感覚など無い、ない筈なのだが自分を見る三人の視線は驚愕に満ちていた。
 あれ、もしかしてと思い、すぐさま薄刃陽炎を呼び出す。呼び出すための言葉を唱え、手の中に再び鋼の感触が宿る。身に纏う衣装も黒の袴姿へと変わっている。


『…………』


 三人のいぶかしむような視線が痛い。既にさよの脳裏には先ほど自分の身に何が起こったのかが鮮明にわかってしまっていた。なるほど、現実というのはなかなかうまくいくことは無いらしい、と思いながらさよは自分の身に起こったことを言葉にした。


「…………もしかして、この刀を消したら私見えなくなっちゃうんですか?」


 反応はしばらくなかったが、その沈黙こそが何よりの肯定でもあった。

「酷なことをいうようじゃが、刀を出しているとは言っても、こちらの見立てでは高密度の霊体になっておるだけじゃ。恐らく何の力も持たん一般人には見えんじゃろうな」
「そんなぁ!?」

 この瞬間、さよの中にあった普通の学生生活を送りたいという思いは、木っ端微塵に砕かれた。

「ほ、本当に無理なのですか? 例えば専用の人形に入ってもらうとか方法はいくらでもあると思うのですが」
「とはいってもそれがさよくんにとって安全かどうかを確かめるには相応の時間がかかるわい。今日はもう遅いから無理だとしても、明日に専門の術者を呼んで、そこからあれやこれややって、という流れになるじゃろうし」
「それじゃあ一週間ぐらい待てば私も日常生活とかできたりするんですかっ!?」

 少なくとも一、二週間はかかる、と続ける近右衛門だが、さよにとってはそんなことは問題ですらない。何せかれこれ六十年近く我慢してきたのだ、一週間かそこらなど我慢するうちに入らない。

「……そうじゃが?」
「だったらこれまで通り幽霊生活して待ちますよ?」
「いや、それをやられると儂らとしても心苦しいと言うかのぅ」
「確かにそうですね。建前としてもさよ君をその間放置、というのは好ましくないですしね」
「高畑君の言う通りじゃの。とすれば――――」

 近右衛門と高畑の視線がさよの隣に集まる。

「私と同室になる、ということですか?」
「うむ、ちと窮屈な思いをさせてしまうが、さよくんの体の都合がつくまでの間匿ってもらえんかの? ある程度の戦闘能力を持ち、儂等ですらも下手をすれば見逃してしまいかねん存在がいると言うことは、あまり公にしたくは無い」
「確かに、暗殺などにはうってつけすぎますね」
「私そんなことしませんよぅ!?」
「この場合、“そう言うことができてしまう”ということが重要なんじゃよ。無論さよくんがそういうことができる性格などとは儂は思わん。じゃが、そういう疑念はできるだけ消しておきたい」

 人形などを利用した仮の体さえ作ってしまえば、後は通常の魔法生徒ということで押し通してしまえるしの。と言葉を繋げる近右衛門の言葉に対し、刹那は頷く。
 さよもまた、迷惑をかけないためには刹那の世話になることが一番いいと判断する。むしろ、

「じゃあ、私刹那さんの部屋にお邪魔しますけどいいですか?」

 さよにしてみれば刹那の部屋にお邪魔する、などという他愛ない行為だけで気分がわくわくする。まるで普通のありふれた友達付き合いみたいだ、と。

「ええ、構いませんよ」

 そんな内心を悟ってくれたのか、刹那は快い許可を出してくれた。こうしてとりあえず、さよが刹那と同室になることが決められたのだった。







「――――で、彼女がしばらくこの部屋に泊まることになった、と?」

 学園寮の一室。そうして招き入れられた刹那の部屋で、さよは刹那のルームメイトと顔合わせすることになった。
 褐色の肌に長く伸ばした黒髪、とても中学生とは思えぬ長身と豊満なスタイル、そしてそれに見合う凛とした美貌は正に麗人と評することのできる美少女だ。

「ああ、さよさんの体の都合がつくまで匿ってやってくれ、と学園長からな」
「確かに、聞く限りいろいろと邪推ができそうだしな。……相坂さよ、だったか、私の名前は龍宮真名だ、よろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願いします、真名さんっ」
「……そんなに緊張しなくてもいいと思うんだが」

 真名の言う通り、さよはがちがちに緊張したまま正座していた。さよ自身もこんなに緊張する必要はないと理解しているのだが、だからと言ってこの状況で落ち着いていられると言うのはかなり無理な話だった。

「うぅ、すみません。こうして同じクラスの人と話せるなんてまだ夢みたいで……」
「確かに、六十年間ずっと一人ぼっち、なんて想像すらできません」
「私としては一年近く、君の存在に気が付かなかったのが夢だと思いたいよ」
「どういうことです?」
「こういうことさ」

 そう言うなり真名は部屋の片隅においてあったケースを開くと、そこからボルトアクション式の狙撃銃を取り出し、さよによく見える様に掲げてみせた。

「見ての通り、私はスナイパーでね」
「おぉ、すごいです」

 さよの感心の声に真名は僅かに満足するような表情を浮かべると、さよの眼前でライフルを構えながら問いかけてきた。

「狙撃手にとって一番大切なことは何だと思う?」
「へ? い、いきなりそんなこと言われても……」
「私個人の考えだがな、“見逃さない”ことだと思っている」
「見逃さない、ですか?」
「ああ、確かに集中力やら射撃の腕そのものも重要だろう。だが、スコープ越しに敵を見逃してしまうスナイパーなんて間抜け過ぎるだろう?」
「確かにそうですねぇ」

 真名の持論は狙撃のことなど欠片もわからないさよにとっても非常に納得がいく話だった。確かに敵を見逃してしまうスナイパーなんて話にならない。……だが、何故そんな話を今この場でするのだろうかと疑問が浮かぶ。いくら裏の事情に関わっているとはいえ、初対面の話題としてはそぐわないだろう。

「――――そしていま私の目の前に、一年近くの間見逃し続けてきた存在がいるんだが」
「え、ええええぇっ!? それって私が悪いんですかぁ!?」
「ああ、私の面子がすごく傷ついたよ」

 真名の猛禽の様に鋭い視線がさよを射抜く。刹那が語ってくれたところによると真名は傭兵らしく、かなりプロ意識も持ち合わせているらしい。だからと言ってどうしろと? むしろさよにしてみればぜひとも気付いてほしかった。主に会話相手的な意味で。

「龍宮、そこまででいいんじゃないのか?」
「何、同居人がどんな性格か知りたかっただけさ。あの程度の揺さぶりでこうも見事な反応を返してくれるんだ、異端であっても害がないのは存分にわかったよ」
「うぅ、またからかわれちゃいました……」

 刹那の取り成しのおかげか、真名の鋭い視線が和らぎ、構えられていたライフルがしまわれる。そのことにさよはほっと一息つきながら肩を落とす。ようやく真名が自分をからかっているだけだと気付いたからだ。
 先程の近右衛門と言い、ひょっとしたらこの学園には変な人が多いのだろうか。いやいや、高畑先生とか刹那さんがいるし……、あれ? でもその二人もさっきの会話を思い返すと少し変な様な気がします。
 果たして本当に友達とかになれるんだろうか……、とか思っているさよだが、正体不明の力を手に入れた幽霊という点で、さよもかなりアレである。
 そうして少し落ち込むさよだったが、よくよく考えればからかったりするのも親愛の証なんじゃないかぁ、とポジティブに考えることにした。幽霊らしからぬポジティブさは、さよの長所でもある。楽観的、とも言えるが。

「本当に、私これからうまくやっていけるんでしょうか……?」

 今まで想像の中であった普通の生活。しかし、自分は集団生活初心者と言っていい。それを近右衛門と真名によって痛感させられてしまったさよの中で、これからへの期待と不安が混ざり合っていく。

「大丈夫ですよ、私もできる限りサポートしますから」
「刹那さん……、はいっ、そうですよねっ」
「ククッ、いつにも増して饒舌だな刹那。情でも湧いたか?」
「からかうな龍宮っ!!」

 けれど、頬を少し赤らめて声を荒げる刹那を見て、少なくとも今までとは違い、頼ることのできる人がいるのだから、まぁ大丈夫だろうとさよは自分に言い聞かせた。







「――――それで学園長」

 その同時刻、さよの体に関する手配を続けていた高畑は、おもむろに近右衛門に問いかけた。
 その表情にはさよと話していた時にあった温和さは鳴りを潜めている。それは、教師とは程遠い、戦士の顔だった。
 それでも近右衛門の顔からは、飄々とした雰囲気が変わらず残っている。まるで強風を受け流す柳の様である。

「なんじゃ?」
「そろそろ教えてほしいものですね、――――“彼女”は一体何なのかを」
「自分で言っておったじゃろう。哀れにも六十年間誰にも気付かれることなく孤独を過ごしておった幽霊だと」
「ええ、彼女の言葉には嘘は無いでしょう。――――ならばなぜ彼女に対しては不干渉、などという命令が出ているんです? しかも僕だけに」

 その問いかけに、近右衛門はただ一言こう答えた。




「高畑君や、何故この麻帆良の地に、――――“彼女”が封印されたと思うておる」







<あとがき>
 死神の力とは別にして、さよの設定に関しても色々いじっていく予定です。やっぱりクラス名簿に名を残しておきながらあれだけ放置をかましているのは不自然すぎるんですよね。
 それはそうと最近総隊長の卍解が出てきましたけど、あの形状って朽木白哉が初めて天鎖斬月を見た時の反応と矛盾しません? 「そんな矮小なものが卍解である筈がない」とか言ってた様な。



[35089] 第四話
Name: ドレイク◆f359215f ID:12861325
Date: 2013/09/09 22:17

 翌朝。おもむろに真名が口を開いた。

「――――物凄いクマだぞ、刹那」

 誰だってそうなる、と言いかけるのを無理矢理飲み込む。確かに真名の言う通り、今の刹那はものすごいクマができているのだろう。だってものすごく眠いし。気を抜けば女としてやっちゃいけないレベルの大きな欠伸が出てしまいそうだ。

「まぁ……何だ……」
「同衾したから緊張した、か?」

 その言葉を聞いた途端、刹那は愛用の野太刀である<夕凪>をベッドの下から即座に取り出し、一瞬で抜き放った。まだ体が未成熟な女子中学生である刹那だが、その動作は“気”を使わずとも滑らかなものだった。
 選択した軌道は余分な所作など無い横薙ぎ。居合抜きの形で振るわれた刃は、狙い過たず真名の顔面へと飛来する。

「何だ図星か?」
「そんなわけないだろうがっ!!」

 それを同様に一瞬で取り出した愛用のデザートイーグルの銃身で防ぐ真名。近接戦闘時の防具としても使えるように、真名が色々と改造を施した銃身は、刹那の放った斬撃を小さな火花が出る程度の被害に抑え込む。

「……ちっ」
「おい、峰を返せ峰を」
「返したらお前を斬れないだろうが」

 そして真名の言う通り、刹那が放った斬撃は“気”こそ纏っていないものの、防がなければ確実グロ直行の行為である。日常会話の中でのツッコミにしては確実に行き過ぎの行為であるが、刹那にしても真名にしてもそれほど深刻に受け止めていないあたり、実はこの二人かなり常識外れなんじゃないかなぁ、と見る者に思わせてしまう光景である。

「全く、私が防ぎきれなかったらどうするつもりなんだ? 御嬢様と剣ばかりにかまけていないで少しは常識というものをだなぁ……」
「そんななりで中学生だとぬかすお前には言われたくはない」

 刹那の言うとおり真名の身長は184cm、それで14歳なのだから発育とかそういう言葉に真っ向から喧嘩を売っている。
 無論真名のスタイルが悪い、と言うわけではない。その背の高さと胸とかそういった部分の発育の良さも相まって、年に見合わぬ色香を持つスタイルなのだが、当人にしてみればそれはコンプレックスの元でしかなく、

「よし、宣戦布告と見なす」

 その怜悧な美貌に氷の様な怒りの色が宿り、引き金にかかっていた指に、“つい力がかかり過ぎてしまった”のは不可抗力であった、少なくとも真名当人にしてみれば。
 ここが室内だとかそう言うのぶっちぎって放たれる弾丸が、轟音を響かせる。

「先に喧嘩を売ったのは貴様だろうがっ!!」
「フン、やっぱりあの子との同衾で緊張して眠れなかったのか? 何だ、随分とまぁあの子にご執心じゃないか」
「ああ、少なくともお前より万倍素直でいい性格だからなっ!!」
「ぬかせ、激昂してすぐに真剣持ち出すお前よりいい性格、の間違いだろう」
「実弾ぶっ放すお前が言うなっ」

 そしてその至近距離で撃ち出される銃弾をいとも簡単に弾き返す刹那。重ねて言うがここは室内である、だと言うのに野太刀が振り回され銃弾が撃ち出され続けているのは、いろんな意味で見るに堪えない光景である。
 おまけにそんなことをやらかしているのに、室内の被害を壁だけに留めているのだ。斬撃と銃撃の軌道を精緻に制御しているおかげか、調度品やら各々の私物やらには一切の被害は無い。ついでに言えば壁のほうも真名が入寮する際に「普通の壁では心もとないから防弾加工を頼む。勿論窓も防弾ガラスで」とのたまったせいで、ここまでやらかしておきながら被害は実質壁紙だけという有様である。




「ふぁ……何なんですかこれは~!?」




 訂正しよう。どうやら新参の同居人の精神衛生に多大な被害をもたらしたようである。




「もうっ、こんなことしちゃ駄目ですよ?」
「「……わ、わかりました」」

 壁だけが器用にボロボロになった部屋の中で仁王立ちするさよが、正座した刹那と真名に対して欠片も威圧感のない説教を繰り広げていた。とはいえそれが無視できるか、と言われると、刹那にしても真名にしても「部屋で刃物やら銃やら使って暴れるな」という至極真っ当な正論を振りかざすさよに対して、流石に言い逃れはできないらしい。

「ほんとに……目を覚ました時は目を疑いました」

 幽霊とはいえ、さよ当人は実に常識人である。何せ文字通りの幽霊生徒でありながら、数十年間ずっと授業を真面目に受け続けていたほどだ。
 だから、今も彼女は珍しく心の底から怒っていた。

「一歩間違えれば大怪我ですよ、もう……」
「「……す、すみません」」

 その怒りが、被害が自分にも及んでいたかもしれないからではなく、純粋に刹那と真名の身を慮ってのものであるから、二人にしてみればただただ頭を下げるほかなかった。人間余程のことがなければ、こういう純粋さには勝てないものだ。

「それで? どうしてお二人は喧嘩してたんですか?」
「えっ!?」
「……さて、なんだろうなぁ、あはは」

 そして喧嘩の説教であるならばその原因を尋ねるのは当然だ。だが、あなたと一緒にベッドに入ったせいで緊張して眠れなかったのをからかわれました、などと馬鹿正直に言える筈もなく、二人は殊更に視線を泳がせて言葉を濁す。


「はぁ……こんなことならもう少し早く起きてればよかったですねぇ。――――あれ、そう言えば何で私眠ってたんでしょうか?」


 溜息から一転、首を傾げてそんなわけのわからないことを口にするさよ。

「はい?」
「だって私幽霊ですから、今までずっと眠ったことなんてなかったんですよ」
「ちょっと待ってください、だって昨日は――――!?」

 刹那が思い返すのは、初戦闘とその後の話し合いで疲れたのか、眠たげに欠伸を漏らしたさよだ。しかも夜遅くにいきなり同居が決まったことだから、さよの寝床を確保するのを忘れてしまったのだ。
 仕方なく刹那のベッドで一緒に寝る、ということになったのが昨夜の顛末なのだが。

「……よくよく考えれば変な話だな。幽霊って寝るのか?」

 刹那と同じく、真名も疑問の表情を浮かべる。

「昨夜の戦闘の消耗とか、未知の力を手に入れた影響とかいろいろ考えられるが……」

 ただ麻帆良の敷地内を彷徨うだけの日々から一転したのだから、刹那の推論には一定の説得力があった。

「まぁなんにせよ、幽霊らしくないな」
「幽霊らしくありませんね」
「……どうやれば幽霊らしくなるんでしょうか?」

 やはりこの少女は呆れるほどに幽霊らしくないなと思いつつ、そんなことを生きてる人間に聞かないでくれと願う二人であった。







 その日の夜、さよは再び刹那の練習場所へとやってきていた。理由はこれまでのように、刹那の練習をただ眺めるだけ、というわけではない。
 未知の力、つまり異端というものは往々にして厄介事を呼び寄せやすい。魔法という、身も蓋もない言い方をすればオカルトに関わる魔法使いにとって、それは不文律として刻みこまれている。
 となれば当然、さよがこれから先平穏で居られる保証など無い。今は麻帆良内部においてもごく一部しか知らない存在ではあるが、ひとたびその情報が外部に漏れれば、この麻帆良の地にある貴重な蔵書やマジックアイテムと同列の扱いを受けるかもしれないのだ。


「――――というわけで、学園長からの指示で神鳴流を教えることになりました」


 薄刃陽炎が刀である以上、一番無理なく教えられそうなのは神鳴流であった。そんなわけで刹那がさよに色々と戦闘方法を教授することになったわけだ。
 勿論刹那としては、初めて受け持つ弟子の様なものだから相応の気恥ずかしさもあるが、後輩ができたささやかな優越感からくる嬉しさもある。

「はいっ、頑張りますっ!!」
「フフッ、そんなに肩肘張らなくていいですよ」
「え~、だって私も刹那さんみたいにカッコよくなれるかもしれないんですよ? あっ!! だったら師匠、とか呼んだ方がいいでしょうか?」
「それは勘弁してください」
「あはは、わかりました刹那さん」

 師匠とは呼ばないことで落ち着いたことに安堵した刹那は、まず夕凪を鞘から抜いて見せる。
 その刃を食い入るように見つめるさよに苦笑しながら、刹那はまず、神鳴流の成り立ちから語っていくことにした。

「さて、私がならっている京都神鳴流は、文字通り京の都に跳梁跋扈する魑魅魍魎を相手取るために生まれた剣術です。――――さてさよさん、人間が妖怪を相手取る際に最も重要なことは何だと思いますか?」
「え? う~ん……魔法とか、そういう力を使うことでしょうか?」
「確かにそうですね、それも一理あります」

 妖怪とは異端である。尋常の生命とは違う成り立ちで発生し、人とは隔絶した規格の性能を誇り、人には扱えぬ異能を行使する。人とは違うもの、それが妖怪であると言っていい。

「ですが規格外の体躯に異能の力の増幅を加えた場合と、脆弱な人間の体に増幅を加えた場合とでは、性能だけを見れば前者のほうが有利なのはわかりますね?」
「成程~」
「重要なのは、攻撃よりも防御。如何にして人外の攻撃から生還するかが重要になってくるわけです。神鳴流の場合、敵の攻撃を受け流す技法と、“気”による身体能力の強化、それによる防御力の向上を真っ先に習います。なのでまず、今日はそれを教えたいと思います」
「わかりましたっ」

 そんなさよの可愛らしい決意の言葉を聞きながら、刹那は自分の体に気を纏わせる。放出される生体エネルギーが、飛散することなく刹那の体を瞬時に覆う。今回はさよに“気を纏う”ということがどういうことかを教えるために、僅かに制御を甘くする。その結果、小さく散らばる気の粒子が、ほのかな輝きとなっていく。

「うわぁ……これが“気”ですか?」
「ええ、まずはこうして気を扱うことが神鳴流では重要なんです。……確かに剣技を磨くことも重要ですが、単純で圧倒的な力の前には文字通り力不足になるんですよね」

 磨き抜かれた業だけを用い、人外の攻撃を防ぎきる。気の遠くなる様な鍛錬の果てにできるかもしれない、その領域に辿りつけた者もいるだろう。だがしかし、神鳴流は一子相伝の暗殺剣ではない、無辜の民衆の生活を脅かす人外に対抗するために絶対不可欠な“戦術”なのだ。
 必要にかられて練磨された戦術理論であるが故に、個人の資質、天与の才に頼った理論の構築をしてはならない。気という資質を必要とする部分があるために、尚更単純化して、間口を広げる必要があったのだ。
 だからまずは気による防御力の向上、これが絶対に必要になってくる。攻撃は二の次。まずは人外と対峙して生き延びること。これが神鳴流の骨子だ。

「それじゃあさよさんもやってみましょうか」
「え……えぇっ!?」
「大丈夫ですよ。昨夜の戦いぶりを見る限り、さよさんは気を扱うことはできていました。必要なのは“無意識の自覚”です。歩くことは誰にだって出来ますよね? そんな感じで変に意識せず、まずできるんだと言うことを認識してください」
「わ、わかりました」

 そう言われるなり、さよは小さく己が刃の名を呼んだ。手の中に現れる刃の感触を確かめながら、言われたとおりに気を出してみようと試みる。
 瞼を閉じ、出てこい出てこいと頭の中で唱えながら気の出所を意識しようとするが、中々しっくりと来る感触が得られずに、体だけが強張っていく。

「………………ぷはぁっ!!」

 思わず息まで止めていたらしい。口を金魚のようにぱくぱくとさせ、酸素を必死になって肺に送り込んでいく。
 思わず胸元に手をやれば、そこにはドクンドクンと鳴り響く心臓の鼓動が伝わってくる。
 それは命の脈動だった。死んでいるのか生きているのか、幽霊なのかそれとも別のナニカなのか。一切合財があやふやな今のさよにとって、それは唯一自分の存在を肯定するものだった。


「――――私、生きてますね」


 ひょっとしたら幻かもしれない感触だけど、確かに感じているこの感触は、思わずそんな呟きを洩らしてしまうほどに、さよの心を感動で揺さぶっていた。

「さよさん?」
「大丈夫です。なんとなくわかった様な気がしますから」

 気は体力、魔力は精神力だと裏の世界ではよく言われる。森羅万象、万物に満ちる生命力を吸収・精製してできる力が魔力ならば、気とは自身の生命力そのものを汲み上げ、精製してできる力だ。
 幽霊だったからこそこうして湧き上がる命の感触を、さよは恐らく麻帆良の誰よりも鮮明に感じていた。
 そう認識した直後、さよの体から淡い輝きが漏れる。刹那の出した輝きによく似た日の光の様な、命の息吹を感じさせる輝きだ。

「こんな感じでいいんですよね?」

 昨日からどうにも些細なことで感激してしまう自分を少しだけ恥じながら、さよは刹那に問いかける。

「ええ、初めてにしては文句なしです」
「これで私も刹那さんみたいにカッコよくなれるんでしょうかねぇ~」

 そんな呑気なことをのたまいながら、薄刃陽炎をぶんぶんと振り回すさよに対し、多分頭の中で思い描いている華麗な女剣士なんて感じには、きっとなれそうにもないでしょうね……いくら強くなった所で、などと、割と手酷いことを思う刹那であった。
 確かに今なお呑気な様子で浮かれているさよを見ていると、恐らく誰もが刹那と同じことを思うだろう。それぐらい、さよには毒気というものが無かった。

「それじゃあ少しだけ戦ってみましょうか?」
「え、えぇっ!?」
「そんなに驚くことじゃありません。言ってみれば模擬戦みたいなものです」
「なんだぁ~、そういうことでしたか。……あ、でも?」
「刃を当ててしまったらどうしよう、ですか? だったらこう言わせてもらいます。今のさよさんに後れを取るつもりなど毛頭ありませんから」
「あぅ、それもそうですよねぇ……」

 刹那の少し辛辣な言葉に気落ちするさよだったが、少し考えてみれば、これは自分が想像していたことが叶うことじゃないのかと思い至る。
 対して刹那も、いきなりこんなことを口にしたわけではない。実のところを言えば、刹那の振るう神鳴流は、少しだけ正道から“外れた”ものなのだ。それは体質的なものが関係しているのだが、その為に自分がきちんとさよを指導できるのかという不安が少なからずある。
 だからこそまずはさよがどういう戦い方が向いているのかを見定める必要がある。おまけにその体質――薄刃陽炎と不可分なせいもあり、薄刃陽炎の性能を芯に据えて、どういった神鳴流を構築すればいいのかを考えなければならない。その為の模擬戦だ。

「じゃあ、遠慮なくいきますよ」
「勿論、全力で来てくださいね」
 神鳴流の稽古で使われる、防護の術式を組み込み、余計な怪我を負わせないようにした模擬戦用の符を夕凪と薄刃陽炎それぞれの刀身に張り付け、二人は初めての模擬戦を開始した。







 さよにとって二回目の戦闘。しかしさよの脳内に戦術など無い。在るのは見よう見まねの刹那の剣技と、手に持つ薄刃陽炎だけだ。

「だったら、当たって砕けろでいくしかありませんよね」

 となれば思うままに行くしかない。そもそもがド素人と言って差し支えないのだ、さよは。どうするか、などこの後に考えればいい。
 そう決めたさよは、昨日行った様に自身の側へと分身を出現させる。自身の視界と分身の視界、重なる二つの感触を、しかし鮮明に捉えつつさよは前進する。

「いっきますよぉ~!!」

 間延びした声を響かせながらさよは先ほど感じた気の感触に注意する。現状では唯一刹那から教えられたことを守ろうとしたのだ。
 しっかりと気の感触を確認して、その気を全身の張り巡らせる。意識して行われたその行為は、出力という面において昨夜の戦闘とは比べ物にならない。
 振りかぶる刃は正に風を斬るほどで、踏み出した足は大地を踏み割ってしまいそうだ。その感触の正しさを示す様に、今のさよは素人のチャンバラごっこのようなぎこちない体捌きでありながら、目にも止まらぬスピードで刹那へと向かっている。例えて言うなら、ペーパードライバーの乗る軽自動車にF1のエンジンを積んだようなものだろう。




「――――って、うわわわわぁっ!?」




 つまりどう考えた所で制御不能。刹那に対し薄刃陽炎を振り下ろすどころか、幻と二人揃ってその背後の草むらへと盛大に突っ込んでしまう。

「……大丈夫ですか?」
「うぅ……痛いって言うより恥ずかしいです」
「よくよく考えれば、気をすぐに戦闘に活用する、って言うのは無理があったかもしれませんね」
「分かりました、次はちょっと加減してみます」

 絡みついた草木を払いのけながら、さよは全力を出すことを諦め、気を少しだけ出す様にイメージする。先ほどとは違い、心なしか体が軽くなった様な感触だが、今はそれで十分過ぎるぐらいだろう。

「それじゃあ行きますっ!!」
「どこからでもどうぞっ」

 そしてさよは気を取り直して、先程よりも遅い速度で刹那へと向かっていった。何も考えずに薄刃陽炎を振りかぶり、だいたい間合いに入ったかな? という心もとない目測の元に真っ直ぐに振り下ろす。

「踏み込みが足りませんよ。それは野太刀の間合いです」

 その時脳内で刹那の剣技をイメージしたのが悪かったらしい、指摘通りに振り下ろした刃は実態と幻も共に切っ先すら刹那の体に届いていなかった。刹那の振るうのは長大な野太刀である夕凪、対してさよが振るうのは刀身の長さは至って普通の刀である薄刃陽炎だ。その誤差を脳内で補正しきれていなかったらしい。

「どんな戦い方にもいえることですが、自身と敵の間合いを見定めるのは重要なことです。――――こんな感じのように」

 その言葉と共に刹那が振るった夕凪の刃は、さよの首元ぎりぎりで止まっていた。

「は、はいっ!!」
「何せ三寸斬り込めば人は死ぬ、と伝える流派もありますしね」
「さ、三寸ですか……」
「ええ、その程度だと柄を握り変えるぐらいで稼げてしまいますから」

 そんな些細なことが致命的な敗北に繋がりかねないと聞かされ、さよの顔から血の気が引いた。幽霊のリアクションとしては甚だ不適当であるが仕方がないことだろう。

「とにかく、よく見ることです」
「わかりましたっ」

 刹那の言葉にさよは気を取り直し、先程より深く踏み込むことを心がけて薄刃陽炎を振るう。目標としてはしっかり間合いの中で振るうこと。初歩中の初歩としか言えないが、正直言ってさよはそこから始めなければいけないレベルだからだ。
 幸いと言っていいのか、刹那の稽古を一年近く見続けてきたおかげで、基本的な剣の振り方はある程度は覚えていた。
 その記憶の中の刹那の動きを、見よう見まねで自分用に修正しつつ、とにかくさよは遮二無二剣を振っていった。

「そうです、そのかんじですよ」

 だがやはり、幻と共に振るうその剣は刹那の夕凪に阻まれていた。幻のほうはそのまま刃が通り抜け、実態のほうは刃鳴りを響かせ弾かれる。実質二対一、使う得物も刹那のほうはとり回しに劣る野太刀を使ってこれなのだから、さよは自身と刹那の間に横たわる技量の壁を痛烈に感じていた。







「はぁはぁ、やっぱり刹那さんは強いです」

 そんな練習をかれこれ三十分ほど続けたころだろうか、とうとうさよは疲労困憊で音を上げた。幻なんて当に消してへたり込み、至って涼しげな表情を浮かべている刹那を見上げる。

「フフッ、ありがとうございます。でもさよさんも筋がいいと思いますよ?」
「ほんとですか?」
「ええ基本はある程度身についていますから、あとは気の扱いと、自分にどういった戦い方が合っているのかの模索ですね。やっぱり自分なりの戦術があるのとないのとでは全然違いますから」
「ちなみに刹那さんの戦い方ってどんなのなんです?」
「私ですか? そうですね……私の場合だと気の総量と元々の身体能力が人並み以上にあるので、それを生かした力技でしょうか。相手が防御したならそれごと断ち切る。遠くにいるなら瞬動で距離を詰めてとにかく斬る。戦術というには少々、考えがなさ過ぎる気もしますが、どうしてもそういう方向性のほうが効率がいいので」
「刹那さん、瞬動って何ですか?」
「あ、そう言えばまだ教えてませんでしたね。瞬動って言うのは気を使った高速移動術のことです」

言うなり刹那は自分の足元を指さしながら、瞬動のことに対して説明を始めた。

「簡単に言ってしまえば、自分の足の裏で気を爆発的に放出して、その勢いを使って素早く動くことです。――――こんな感じに」
「うわ……全然見えなかったです」

 言うなり刹那の姿がさよの視界からかき消える。正に目にも映らぬ速度だった。気付けば刹那の姿は元いた位置から数メートルは動いており、さよは感嘆の言葉を漏らすことしかできなかった

「欠点としては技の性質上、直線移動しかできないことですが、結構基本的な技でもあるので覚えておく必要と、使われても見切る必要がありますね」
「わ、わかりましたっ。……え、え~と足の裏足の裏」

 重要性を言われたこともあってか、さよは少しだけチャレンジしてみようと思い、技の概要を呟きながら足元に気を込めた。直後、刹那と同じように目にも映らぬ速さでさよは動く、結果は――――


「――――うわわわわわぁっ」


 先ほどと同じような悲鳴を上げ、先程と同じように草むらへと突っ込む。つまりは失敗だ。しかし、それは刹那にとっては単なる制御不能の失敗ではなかった。




(――――馬鹿な、今のさよさんの動きは“弧を”描いていた。瞬動が気の爆発に自身の体を乗せて行う以上、その軌道は直線しか描けないはず。…………見たところ、気の爆発力ではなく、気の流れを作り出してその流れに乗り、それで高速移動したようだが。恐らく、その構築が甘かった故に歪んだ気のレールを作ってしまったのか?)




 その技法が瞬動ではなく、とある世界において“瞬歩”と呼ばれるものだと、刹那も、そしてさよも未だ知ることはない。






<あとがき>
 この作品内では
瞬動・直線移動しかできない。曲がるためには連続行使が必要。ただし比較的簡単。
瞬歩・作り出す気(霊子)の流れによっては、一回の行使で曲線移動も可能。ただし比較的難しい。
 こんな感じで差別化を図ろうと思います。あくまでこれは作者オリジナルの設定ですので、突っ込みとかは無しでお願いします。



[35089] 第五話
Name: ドレイク◆f359215f ID:12861325
Date: 2012/10/08 20:46


 漆黒の袴の上から、純白の羽織を纏い、そんな感じの衣装と色彩を合わせているのだろうか、その顔すらも白と黒に染め上げた男。
 そんな奇妙な風体の男を、彼女は見知っていた。それこそ、物心ついたころから、ずっと。


「――――でハ、実験再開といこうじゃないカ」


 粘つくような質感を持った声が、まるで蛇の舌舐めずりの様に彼女の頬を撫でる。その手には、まるで如何にもな形をした、禍々しさすら感じさせる手術道具がある。
 そう、この男の発する気配は、まさに実験に酔いしれる醜悪な科学者のそれだ。人倫など厭わず、ただ、己が知的好奇心を満たす探求の為に、あらゆる命を消費する、最も邪悪な捕食者。

「ぐっ……ぎゃぁぁっ……!?」

 ならば被食者は誰か。彼女こそが、この場における実験台に他ならない。四肢を縛られ、一糸まとわぬ姿を明かりの下に晒され、そして、麻酔などという温情もなく、手術道具が彼女の柔肌を突き破る。
 滴る鮮血と共に、彼女の喉から絶叫が吐き出される。それでもなお、男は彼女に対する蹂躙をやめない。それどころか、彼女の絶叫を作業をはかどらせる音楽の様に聞き流し、鼻歌交じりに蹂躙を加速させる。

「あがっ……ひぐぅっ……!?」
「どうしたネ? いつものように■■■の誇りにかけて、とか叫ばんのかネ?」

 男が口にするその誇りも、脳髄を焼く痛苦に押し流されていく。彼女が望むのはただ、この絶え間なき地獄からの生還。それが死であれ何であれ、どんな形でもいいから自分を終わらせてほしいと強く願う。けれど、この男はいとも容易く人の命を実験の供物に捧げるが、決して使いつぶしたりしないのだ。男の中では適切な手法を用い、よりよい記録をとるために“有効的”に命を使う。
 すなわち、限界ぎりぎりまでこの地獄は続く。果たして、この男に捕らえられ、どれほどの時間がたったのか。数日なのか数年なのか、それすら判別できない混濁した時間の感覚の中で、彼女の意識はその肉体諸共すり潰されていく。







「はぁっ……はぁっ…………糞ったれ、またかよ」

 最悪の夢身に荒くなった呼吸をどうにか抑え込み、彼女――長谷川千雨は悪態をついた。物心ついてから纏わりつく地獄、客観的な言葉にするならあまりにも現実感がない夢の中の出来事だが、感じるのは痛みという言葉では生温い激痛の奔流。まだどこか千雨の意識がこの地獄に対して、主観と客観の間のずれた位置にあるのが不幸中の幸いだ。そうでなければ、当の昔に自分は気がふれていただろう、千雨はそう実感していた。

「ったく、見るのは久しぶりだな」

 そうぼやきつつ、夢見の悪さの所為でぐっしょりと寝汗に濡れたパジャマを脱ぎ棄てる。
 そしてシャワーでべとつく汗を洗い流すと、彼女は机の上においてある愛用の眼鏡をかける。とはいってもそれは度の入っていない伊達眼鏡である。
幼き頃から、言っても誰も信じない様な非日常の悪夢に触れ続けていた彼女にとって、日常から外れる、というのはひどく耐えがたい行為だった。もし、そういう事柄に現実の中でも関わってしまえば、あの悪夢までもが現実になってしまう、そんな思いを抱いていたからだ。
だから自然と、千雨は何事にも目立たないようにすることを心がける子供になっていった。平穏こそを愛し、変わり映えの無い日常こそを愛し、騒がず、揺らがない水底の様な、そんな繰り返しこそを至上とする人生観を構築していた。
そんな千雨にとって、この麻帆良学園というのは正に魔窟だった。目をこらさなくとも、異端・異常はそこかしこに散乱し、誰もが皆そんな光景を日常のものとして受け入れている。
この学園都市においては異端こそが日常であり、千雨の中にある真っ当な常識こそが異端だった。
それを口に出して叫べばどれほど爽快だろうか、でも、もしそう叫んだとして、自分が変わり者だと周りからつまはじきにされると言う未来予想は、千雨の心に大きな恐怖を植え付けるには十分だった。
 だからこうして、メガネをかけた。世界と自分を切り離し、せめて蔓延る非日常から自分を保護したかったのだ。少なくとも、そうして得られたほんの僅かな安心感があればこそ、千雨はこの麻帆良で生活できていると言っても過言ではない。







「――――成程、それでいつにもましてし不機嫌そうなのでござるか」
「ああ、夢見が悪すぎてお前のその変な言葉遣いにいらつかないほどにな」
「ひどっ!? 酷いでござるよっ」

 そう嘆きながらも、時代がかった口調で傍目にもそれとわかる忍者装束に身を包む、長身の彼女――長瀬楓は千雨に向かって苦無を投げつける。それも一つや二つではない、目にも止まらぬ早業で絶え間なく、それこそ機関銃の掃射の様に十数本を一気に投げつけてくる。ここが楓お気に入りの練習場所である森の中であることと、その口調も合わせればまさに忍者そのものだ。――当人は頑なに、忍者であることを否定しているが。
 迫る苦無。千雨はそれに対し、右手に力を集める。


「――――本当に、情けないな」


 久々に見た夢の所為もあってか、弱気な独り言が千雨の口から漏れた。日常に非日常が侵食してくるのが怖い、そう思いつつも「じゃあ、“そういうこと”に巻き込まれたらどうすればいい」、そんな恐怖もまた、幼き頃から千雨の中にあった。
 少なくとも千雨にとっては、通り魔に襲われることと、未知の力を持った怪物に襲われることは、同党の現実感を以って恐怖心を抱くに足る事柄なのだ。そして、前者ならば不用意に危ない所に近づかなければいいとか、そんな対策を自身に課せば、ひとまずの安心感を得られるのだが、後者に対しどうすればいいのか、千雨は迷いに迷った。
 分かってはいる、わかってはいたのだ。未知の怪物が怖いのならば、未知の怪物から、少なくとも逃げれるだけの力があればいいのだと。
 けれどその選択は、非日常に触れたくないと渇望している千雨にとって、矛盾極まる選択だった。

「それでも選択しちまったんだよな、私は」

 力は、更に千雨の右腕に集う。霊子、そう呼ばれる世界に遍在する力の粒、楓曰く、魔力と言うらしいその力を集わせ束ね、弓の形へと作り替える。
 弧雀、千雨はそれを、夢の中の自分が持つ知識、端的に言えば前世の知識だろうか、それをもとにこう呼んでいた。
 それは虚<ホロウ>と呼ばれる悪霊を滅却するための力、人間が身を守るための力、――――そして、あの男が属する、死神たちに滅ぼされた力。
 その力を、千雨は撃ちだした。引き絞る弦に番えるは、同じく霊子を集わせ束ね形作った矢だ。引き絞られた弓は、弦を引き絞る指先を手放すと同時に撃ち出され、狙い過つことなく、飛来する苦無の、その先頭にある一本を撃ち落とした。そのまま弦を引き絞り、矢を番え、そして打ち出す動作を瞬きの間に連続して行い、迫る苦無の悉くを撃墜していく。


――――その様、その力は、まさに滅却師<クインシー>と呼ぶに相応しかった。


 前世の異能、知識、経験を身につけ、非日常の恐怖に抗うことを千雨は選択した。思い出せば出すほどに、あの悪夢の恐怖に身を苛まれながら、心を少しずつすり減らしながら、千雨は修練に励んでいた。
 教師となるのは前世の己、人の人生一本分の映画をじっくりと見るような感覚で、千雨は己が身につけるべき技能を思い出していった。




「相も変わらず、弓矢で早撃ちとは恐れ入るでござる」
「これしかできないし、これが基本だからな。否が応にも技量は上がるってもんさ」

 滅却師にとって、この霊子で形作った弓矢こそが主兵装だ。無論、かつての知識の中には様々な補助兵装、術式があったが、それらを作る技術も無ければ、それらを身につける技量も無かった。千雨にとっては、この弧雀を磨くことこそが唯一の道だったのだ。
 おかげというべきか、その連射速度・威力・命中精度は楓も目を見張るものとなっていた。

「しかし、それ以外ははまだまだでござるな」
「うっせぇ!! 私はお前みたいに出鱈目な身体能力してないんだよ」

 そういうや否や、楓は千雨の放つ霊子の矢の弾幕を振り切り、周囲の木々の枝から枝へと飛び移っていく。しかも分身までも含めた念の入りようだ。
 千雨の照準はそれによってぶらされ、先程までの命中率が嘘であったかのように、狙いを外れる射撃が増えていく。
 霊子の矢が周囲の木々に突き刺さり、このままではまずいと直感した千雨は、自分の足元に霊子を集わせる。飛廉脚(ひれんきゃく)、そう呼ばれる滅却師の高等歩法。自身の足元に霊子の流れを作り出しそれに乗る、高速移動の為の技法だ。
 直後、千雨の視界の中の景色が急速に流れる。霊子の流れに乗って、ひと先ず楓との距離をとるつもりだった。楓に対し優位に立てるとすれば、遠間からの面制圧射撃ぐらいしかなかったからだ。このまま高速移動と分身を組み合わせた攪乱で、一気に間合いを詰められ格闘戦に移行すれば瞬く間に制圧されることは目に見えていた。

「誘いに簡単に乗り過ぎでござるよ」
「ちぃっ!?」

 しかし、その程度の目算は楓には予想済みだったのだろう。飛廉脚の刀着地点と定めていた場所に先回りする楓がいた。まったく、クラスでバカレンジャーなんて言われてるくせに、こと戦闘になると頭が回りやがる。内心でそう悪態をつきながら、千雨は楓の振り下ろす手刀をまともに喰らったのだった。







「――――あぁくそ痛ぇな、お前本気で殴り過ぎだ」
「……加減はしたでござるが」
「バカレンジャーの馬鹿力なんて加減し過ぎがちょうどいいんだよ」
「バカレンジャーは関係ないでござろう!?」
「馬鹿だから馬鹿力なんだろ?」
「うぅ……相も変わらず千雨殿は毒舌にござるなぁ……」

 千雨がこうして楓と一緒に修行することになったのは中学生に上がったころだった。体もそろそろ出来上がりつつあるころなので、それなりにしっかりと練習できる場所を探そうとした千雨が見つけた場所が、楓が先に目を付けた場所だったために、なし崩し的に一緒に修行をすることになったのだ。
 楓にとってみれば、千雨は都合のいい修行仲間であり、千雨にとってみれば、楓は唯一自身の異能を隠し立てすることなく付き合える唯一の同級生であった。

「それにしても、やはり千雨殿のそれはどうやっているか皆目つかんでござるな。何の触媒も無しにそのような遠距離武装を作り出せるのは忍びにとってかなり有用でござるのに」
「それは最初に言っただろ? だがいに無用な詮索は無しで、ってな」
「とはいっても、眼前に美味い餌をぶら下げられれば手を出したくなるのが人情でござるよ」
「じゃあ忍者ってどんな存在なのか教えてくれたら、教えてやらんこともない」
「生憎と拙者、忍者ではないのでその条件は果たせぬでござるな」

 そういいながらも、楓には無用な執着心が見られない。言葉とは裏腹に、それほど気にかけていないのだろう。バカレンジャーと呼ばれながらも、楓はきっちりと一線を引き、そこから逸脱することは決してしない。
 悪夢に怯えて強くなることを望んでいることをあまり知られたくない千雨にとって、こうして、こちらの機微をしっかりと読んで付き合ってくれる楓という存在は、千雨にとってかなり貴重な存在だった。生憎と、そんな存在を友達と正面切って呼べるほど、千雨の性格は素直なものではなかったのだが。

「はぁ、果たして千雨殿がデレるのはいつになることやら」
「何阿呆なことぬかしてやがるんだこの馬鹿忍者」
「うむ、なんというか千雨殿、なかなか人に慣れない子猫の様にござるからなぁ……」
「だから阿呆ぬかしてるんじゃねぇよっ!! 何だ子猫ってっ!?」
「あはは、言葉通りでござるよ」

 とはいうものの、悪夢の所為で常に周りに対し気を張っていて、更にこの麻帆良の環境がそれに輪をかけている千雨は、基本的にクラスの中で人付き合いに消極的な存在と思われている。こうして普通に軽口を交わしあえるのも、基本的に楓だけなのだ。
 それを知っている楓にしてみれば、確かに人に慣れない子猫のようにしか思えないのだろう。

「だぁああぁっ!? 避けんなこら一発殴らせろっ!!」
「うむ、頭を撫で撫でさせてくれるのならばよいでござるよ?」
「させるわけねぇだろぉっ!!」







「はぁっ……はぁっ……このっ、体力馬鹿っ……」
「千雨殿が少々体力ないだけではござらんかな?」

 そうして追いかけっこを演じることしばし、先に体力切れに陥った千雨が倒れ伏したことで、追いかけっこは幕を閉じた。


「――――そうそう、近々転校生が来るらしいでござるよ?」


 そんなときに、楓はおもむろにそんなことを切り出してきた。

「はぁっ!? こんな時期に転校生?」
「うむ、朝倉殿の話では、正確には転入生ではなく、復学らしいでござる。だからこんな冬休みが目前に迫ったこの時期に来るらしいでござるよ」
「ふ~ん、復学ねぇ……。居たっけか? そんな奴」
「確かに、とんと記憶にござらぬなぁ」

 楓と共に、自分の記憶を思い返して、長い間休学していた生徒とやらを調べてみる者の、二人揃ってしかめっ面を浮かべるだけだ。

「うちのクラスにいないよな」
「確かに、……ともあれ、明日にでもその疑問は解消されるでござるよ」
「だな、少しだけ楽しみにしておくか」

 そういって苦笑を浮かべる千雨だったが、内心では、願わくば私の日常を壊さぬ真っ当な人物であってくれと、切に切に願うのだった。







「――――初めまして、相坂さよっていいます」

 その願いは、あっけなく打ち砕かれた。何の変哲もない、至って善良なその少女の一挙手一挙動に総身が震えた。悪夢の中でしか感じない筈の、己が体に刃を差しこまれ、完膚なきまでに蹂躙される感覚がよみがえる。
 脳髄はどうして、どうして、と疑問符ばかりをぶちまけ、恐らく顔は、熱を失ったかのように蒼白になっていることだろう。

「……何で、こんなところに」

 自身の、かつての滅却師としての己を思い出しているうちに、千雨には一つの確信があった。――――この世界は、“違う”と。
 力を使いこなそうとしていくうちに、一般的に幽霊と呼ばれるものは幾度か目にした。その時感じた感覚は、どこかかつての感覚とずれていたし、何より、いくつもの幽霊を目にしたが、そのどれもに<虚>の所以である“穴”が無かったのだ。
 千雨の中にある知識においては、無念を抱えたまま成仏できずに彷徨う幽霊は、時間がたてば胸にいつしか穴ができ始め、それが開き切った時に他の魂を喰らおうとする怪物、<虚>に成り果てる。
 それが、千雨の知る魂の現象、決して変わることない法則だった。
 だと言うのに、“長谷川千雨”が目にする霊の悉くが、己が知る法則から外れている。だからいつしか、千雨は変わらず非日常に対する恐怖を抱えながらも、「この世界は、かつての世界とは魂の法則が異なっている」、そう結論付けていたのだ。
 恐怖の対象であるあの男は、<虚>と戦いその魂を正常に循環させるための集団に属していた。故に、法則が違う世界ならば少なくとも、“あの集団”はいないと、そう思っていたのだ。
 だと言うのに、件の復学生から感じる気配は、吐き気がするほどの既知感に満ちていた。体全体を、今すぐにでもこの場から走り去って逃げ出したい衝動が覆っていく。
 それでも、“日常から抜け出したくない”と、この場とは大いに矛盾する自分の心を楔にして、千雨はどうにか踏みとどまっていた。




「――――どうして“死神”がこんなところにいるんだよ」




 教壇に立つ相坂さよに対し、敵意と恐怖心がない交ぜになった視線を投げかけながら。








<あとがき>
 魔改造キャラ二人目の登場となりました。ポジションとしては、さよに対し死神の力がどういうものか指導できるキャラ、って感じです。主に卍解の為に。
 当初の構想としては、指導キャラに豪徳寺in刳屋敷 剣八とか考えたりもしていましたが、それやってしまったら、ただでさえ怪獣大決戦になりそうなエヴァンジェリンとの戦いが、さらに激化しそうなのでパスしました。



[35089] 第六話
Name: ドレイク◆f359215f ID:12861325
Date: 2012/10/28 18:56


「……はぁ」


 授業中に思わず漏れる溜息。授業内容を書き記す筈の手先はペンの動きを止め、視線も気付けば一点のみを見据え固まっている。
 視線の先に居るのは、数日前に復学した顔見知りになって日が浅い同級生だ。少々儚げな雰囲気に、温和そうな表情を浮かべるその同級生の名は、相坂さよ。担任である高畑先生がいうには、長いこと病気を患っていて、つい最近退院したばかりらしい。おかげでクラス名簿には名前があるが、このクラスに出席したのはこの前が初めてなのだそうだ。
 千雨が知っている彼女の情報はその程度。そういう経歴もあってか、馬鹿騒ぎが好きなこのクラス――特に「麻帆良のパパラッチ」の異名を持つ朝倉和美や、現役同人作家の早乙女ハルナですら、少々おとなしめの対応をしている。
 けれどまぁ、このクラスのことだ、気付けば彼女もこのクラスの空気に馴染んでいくだろう。――その筈だと、千雨にかろうじて残る冷静な思考は、そう結論付けている。
 だったら、何も問題は無い、その筈でそうあるべきなのだ。利己的な願望と客観的な推測の両面で一致するその結論は、しかし、今の千雨にとってどこまでも頼りないものでしかない。

「普通なんだ。アイツは……」

 クラスの面々と会話する際に見える人格は、まさに穏やかと言うべきだし、この麻帆良に満ち満ちる数々の異常にとりたてて違和感を抱いている様子もない。だが、その普通さが何よりも胸の内の不安を増幅させる。
 もし、目に見えて彼女を異常だと断じられたら、千雨は全霊をもって警戒に当たるだろう。もとより、非日常をどこまでも嫌う彼女が、あえてその非日常に滅却師の力の鍛錬という形で関わっているのも、そんな時の為だ。
 ならば、理性では敵ではないと断じられる彼女にどう対すればいいのか、本能のみが、彼女の体に潜む死神の力を感じられる現状に、どう立ち向かえばいいのか。どちらを信じても陥穽が潜んでいそうなその存在は、――――まさに蜃気楼の様だと千雨は思った。
 どこに進もうが、道を行く者に破滅を与える、そんな幻が、今も2―Aという千雨の日常の象徴に居座っているのは、苦痛でしかない。




「――――どこまで」




 どこまで現状に耐え忍べば、この苦痛は終わる? それとも、永遠に終わらないのだろうか。終わりなく循環する自問が、胸の内をかき乱していく。







 授業の終わりを告げる鐘の音。担任が告げる些細な連絡事項は脳裏に刻まれることなく流れゆき、茫洋とした意識のままで終わりの礼を機械的にこなす。
 今日もまた、答えの出ない自問に思考を占拠されたまま、一日が終わりを告げた。何事もなく終われたことに対するささやかな安堵と、明日も、その次の日も、真綿で首を絞められる様な緩慢な苦痛に塗れた時間が続いてしまうことへの、暗く重い恐怖を抱きながら。
 視界のなかでは、クラスメイトが和やかな談笑を繰り広げながら次々に教室から去っていく。やれどこそこのスイーツがおいしいだとか、あそこの店にしゃれたアクセサリーがあるだとか、他愛の無い、そう、平和の上にしか成り立たない他愛の無い会話を繰り広げている。
 そんな光景を、教室から立ち去るでもなく自分の席に座りこみながら、千雨は微動だにせず眺め続ける。或いは、それは羨望の表れだったのかもしれない。
死神という荒唐無稽な存在に怯え続け、神経をすり減らし続ける学生生活。それを思えば、蔓延る異常に頓着することなく、染め上げられているこの学園都市の大多数の人間は、間違いなく自分より幸せなのだろう。
世の中には、知らなければいいことは間違いなくある。千雨にとってそれはかつての己であり、周りの人間にとっては薄皮一枚裏側に存在するこの都市の異常性なのだろう。


「――――畜生」


 誰もいなくなった教室で、千雨ただ一人が取り残されたこの教室で、日常というオアシスから取り残された千雨の呟きが、虚しく響く。
 例えるなら、今の千雨は先ほど自分自身で例えたとおり、相坂さよという名の蜃気楼によって砂漠に取り残された、哀れな旅人に過ぎなかった。ささくれ立つ心を癒す水もなく、体を休める寝床もなく、潤いと安らぎに決して手の届かない旅人だ。


「誰か……助けてくれよぉっ……」


 嗚咽交じりの嘆きを聞き届けてくれる誰かは、一人としていなかった。
 いくら前世の記憶があるとしても、所詮中学生に過ぎない千雨にとって、その孤独と苦しみは、正に地獄だった。――――そこから抜け出す蜘蛛の糸は、未だ降りてこない。







「あ、千雨さん」
「――――!?」

 そして、そんな精神状況で件の人物と遭遇するとは、つくづく自分には幸運というものが無いらしい。
 既に夕焼け色に染まっている校舎の玄関で、千雨は偶然にもさよと遭遇してしまったのだ。

「あの、……千雨さん?」
「あ、ああ」

 悪辣さすら感じるほどの偶然に思考停止する千雨に対し、さよは当然、千雨が抱え込んでいる葛藤など知る由もなく、常と変らぬ穏やかな空気を纏って話しかけてくる。

「大丈夫ですか? 少し顔色が悪いみたいですけど」
「いや、大丈夫だよ。少しばかり教室で寝ちまってな。半端に寝たから眠気がきついだけだ」

 思考停止故の硬直を体調不良と思ったのか、千雨を慮るさよの言葉が、千雨の耳にはやけに空虚に聞こえた。
 口ではあたりさわりの無い出鱈目を紡ぎ相坂を誤魔化しながら、心の中ではやはり怒りとも憎しみとも付かない感情が煮えたぎる。
 お前が、お前の所為で、私が何をした、何で私がこんな目に会わなきゃならない。聞くに堪えない罵詈雑言が、恐らくは八つ当たりでしかない言葉が、渦巻く。

「……相坂はどうしたんだ? こんな時間にまで校舎に居るなんて。お前確か部活には入って無かっただろ」
「えっと……、私が復学してから少したったじゃないですか。それで一応保健室で簡単な診察を受けてました」
「ああ、成程……」

 どうやら、千雨の質問もまた、相坂にとっては答えづらい質問だったらしい。口にした理由の隙間に、嘘の匂いが見え隠れする。
 果たしてそれが、どういう理由の下、どういう意図を以って紡がれた嘘なのかは、当然千雨にはわからない。けれど、微かに言葉に詰まった相坂の、時間にすれば秒にも満たないその表情は、千雨の心の天秤を傾かせるのには十分な猛毒だった。


(――――お前は、やっぱり死神なんだよなっ!!)


 ドクンドクンと、心臓が刻むリズムのギアが上がる。緩慢な地獄であったこの数日で極限まで脆くなった心の天秤は、最早傾くと言うよりも崩れ落ちると言う言葉の方が相応しい様相を見せた。

「なぁ、相坂」
「なんですか?」

 最早、この天秤は破滅まで戻らないだろう。それを心の片隅で自覚する千雨。果たして、これが殺意と呼べるものなのかは分からない。
 今確実に、断定と共に言えるのは、崩れた天秤は戻らない、それだけだ。既に千雨の体は千雨の理性の鎖を食いちぎり、煮え滾る衝動に支配されている。
 今から行う行為が無論、法にも、倫理にも思い切り喧嘩を売る最低な行為だと言うのはわかる。所詮これは、些細なことで難癖をつけ暴行を振るうチンピラと同じでしかないのだから。




「――――――――悪い、死んでくれねぇか?」




 人生で初めて口にした、嘘でも誇張でもない正真の殺意の宣言は、何処までも冷たい響きを伴っていた。
 瞬間、千雨の人生最速のスピード形成された霊子の矢が、未だ惚けた顔を見せる相坂へと撃ち放たれた







 その同時刻、どこかの世界のどこかの場所で。

「全く、君達は危険物の保管一つ満足にこなせんのかネ?」
「いや、ほんとマジすんません」
「謝罪の言葉はいい、時間の無駄だヨ。問題は、あの保管倉庫の中でなにが起こったのか、その一点に尽きるのだヨ」
「いやどうも、この間の痣城剣八の一件で、あのザエルアボロ・グランツがここで暴れたじゃないですか。……どうもその時に保管庫の保護機能にちょっと影響を及ぼしてたみたいで。しかもその後に霊圧開放しまくってた十一番隊隊長がここにきてたのが止めとなっちまったみたいで」
「つまりは君達の保守点検の不備が原因というわけかネ。――――よろしい、私直々に君達を実験材料にしてやろうじゃないカ」
「マジっすか!?」
「冗談にきまっているヨ。君たちみたいに有象無象など、実験材料にもならないからネ。……で? 霊圧検知器に微かな反応を見せた保管物というのはどれかネ」
「――――大変言いにくいんですけど、局長が昔保管した、あれです」
「何?」

 その一言で、今の今まで部下からの報告を無視を眺めるような無表情で聞き流していた、局長と呼ばれた男――涅マユリは、その時初めて驚愕の色を、その白と黒に染め上げられた顔面に映しだした。

「あれ……とはネ……」
「だから、あの霊圧のかすかな異常が何なのか俺達には全く分かんないいんですよ。何せあれ、局長が作り上げて局長が一人で厳重封印して保管庫にぶち込んだものなんですから。――――あれ、一体何なんです?」

 その部下からの問いかけに、数泊の沈黙を置いてから、マユリは技術研究局の局長らしく、論文を読み上げる様な一切の感情を乗せない明瞭な口調で、件のモノについて説明を始めた。

「私が“アレ”を作った切欠はネ、断界(だんがい)にあるのだヨ」
「断界に……?」
「そう、あそこは知っての通り現世と尸魂界を結ぶ異界であるのは君達も知っての通り、その何よりの特徴は、時間の流れが違うこと。……ここまではいいかネ?」
「そりゃまぁ……死神にとっては常識ですし。あっこはその所為で下手を打てば百年単位で時間軸が狂って、その状態で断界から抜け出れば消滅しちまいますからね」
「では何故消滅するのかネ?」
「え!?」
「そもそも、時間軸の狂いが何故魂に影響を与えるのカ。その点についてはあまりにも未解明なのだヨ」
「た、確かに……」
「安全に断界を通行できる技術は確立されてはいても、“なぜ”危険なのかが解明されていないのは、片手落ちに過ぎる。故に私はまず推測を立て、その実証試験機を作り上げたのだヨ」
「推測ですか……」
「推測を立て実証試験を行い、結論を得る、至って普通の流れだヨ」
「どんな推測を立てたんです? すみませんけど、自分には全く想像もつかないです」
「量子力学、だヨ」
「は……量子力学、っすか?」

 突然告げられたその言葉は、彼にとっては耳慣れない言葉であった。それも当然だろう、死神の技術開発局局長であるマユリが口にした言葉は、人間の学術体系の中にある言葉なのだから。正に畑違いという言葉が相応しいだろう。

「その中にある多世界解釈――二つの観測結果に分岐する可能性がある事象に対して、観測結果が確定されるまでは、可能性は重なり合っているという解釈があるのだがネ。私はそれをもとに、断界の所為でずれた時間軸に巻き込まれた者は、現世ないし尸魂界に出た途端、二つの時間軸が重なり合ってしまうのではないかと考えたのだヨ」
「……聞くだけでも無茶苦茶っすね」
「そう、無茶苦茶な状況だヨ。故に消滅という結果は、その矛盾を消し去る為の世界の自浄作用、私はそう考えたのだヨ。その過程を再現できれば、違う可能性に至った世界、所謂可能性世界にも干渉できるのではないかと、ネ」
「で、それがもしかしたら起動しちまったかもしれないと? 何が起こるんです?」

 戦慄に塗れた部下からの問いかけ、聞くだけでも荒唐無稽の理論だが、彼の眼前に立つ上司は、その荒唐無稽を実現させかねない存在なのだ。故に恐れる、これから何が起こるのか、或いは、今、何が起こっているのか。




「――――わからんヨ」




 だがしかし、マユリが答えたのはその一言だけ。

「…………は?」
「いくら私でも、そんな物騒極まるものを本気で起動させるわけがないだろウ? 故に作っただけにとどめ、保管庫に厳重に封印して放置したのだヨ」
「じゃあ、何が起こるか局長にもわからない、と」
「正確に言うならば、何が起こってもおかしくは無い、だヨ。断界のように、世界の法則からして違う可能性世界に干渉してしまうのかもしれんのだからネ。世界と世界の法則が干渉し合った際、果たして何が起こるのか、一研究者としては非常に興味深い案件だがネ。やはり実験というのはある程度の安全性も必要なのだヨ」
「確かに、実験しました。事故起こしました。自分も死んでしまいました。じゃ洒落になりませんしね」
「全くだヨ。そうなれば失敗の原因究明も出来やしない。やはり実験材料というのは、未知であると共に、ある程度の安全性も必要だネ、虚や、そう――――滅却師の様にネ」

 少しばかり悔しさを滲ませ、そう呟くマユリの視線の先には、不壊液に満たされた保存容器が、標本という名の、マユリの手によって蹂躙されたいくつもの、かつて人であったモノが収められたいくつもの保存容器が並んでいた。




その中の一つ、件の実験機に一番近い保存容器には、こう記されていた。――――石田千雨、と。







<あとがき>
 なんか我ながら千雨いじめまくってんなぁ……。そしてこの話において一番の元凶は間違いなくマユリです。



[35089] 第七話
Name: ドレイク◆f359215f ID:12861325
Date: 2012/11/10 17:33




「――――日陰に舞え、薄刃陽炎!!」




 飛来する霊子の矢、それに対し硝子の刀身を翳すことができたのは、さよにとっては全くの偶然に近かった。硝子の刀身に車線を狂わされた霊子の矢はさよの髪先を僅かに焦げ付かせながら、背後の壁に深々と突き刺さり、そして霧散した。

「なっ……!?」

 その焦げ臭いにおいを鼻腔に感じながら、さよはようやく、千雨の突然の凶行に対する驚愕を漏らした。とはいえそれも言葉の体を成していないものであったが。
 それでもどうにか、薄刃陽炎の刃を正眼に構える。刹那の指導が、まかりなりにも実を結んだが故だった。

「何で……」

 次いで漏れる言葉は、突然このような凶行に及んだ付き合いの薄い同級生に対する困惑だった。
 訳が分からない。憎しみはもとより、好意すら醸成するには長谷川千雨という人物は、さよにとって縁の薄い存在であり、こういう行為に行きつくための時間が決定的に不足しているにもかかわらず、現状はこの有様だ。何を以って、彼女がこの凶行に及んだのか、さよには皆目見当がつかない。


「どうしてってか? ああ、実に個人的な理由だよ、吐き気がするほどにな」


 どうして、と続ける筈の言葉は、千雨の切り捨てる様な言葉により断ち切られ、再び霊子の矢がさよに向かって撃ち放たれる。
 それは間断なき連射であり、そのどれもがさよの体の正中線に狙いを付けていた。言うまでもなくそれは人体の急所が並ぶ線であり、千雨の言葉に虚飾がないことの証左だった。

「……!!」

 瞬間、さよは五体に気を張り巡らせる。賦活され、増幅される身体機能が放たれる矢の射線を認識し、捻りの所作を咥えられた体が、辛うじての回避を成功させた。
 振り乱される己の長髪を視界の端に捉えながら、さよはともかく逃避を選択した。幸運にもここはいくつもの下駄箱が立ちならぶ校舎の玄関であり、身を隠す遮蔽物には事欠かない。
 捻りの所作の勢いが残る体はそのままに、無理矢理、地面を転げ回るかのような無理な跳躍を行い、さよはとにかく手近な下駄箱の裏側に、自身の体を隠すことに成功した。

「はぁ……はぁ……」

 下駄箱の外壁に背中を張り付け、ようやく自身の呼吸が荒ぶっていることに気付くさよ。視界は必然的に、先程までとは180度反転しており、校舎の柱や壁、玄関の硝子戸に穿たれた矢の風穴が視界に入り、思わずそれが自分の体にも刻まれた様を想像してしまい、更に呼吸を荒げさせた。
嫌だ、死にたくない。
 矛盾を孕むその感情。しかしそれが、今この瞬間において、さよの心中を支配していた。
 兎にも角にも、今はまず生き延びる。現状の勝利条件をそう設定し、まずは彼我の戦力を分析する。

「……うわぁ」

 分析する、したのだが、言うまでもなく薄刃陽炎を用いた近接戦闘しかできない自分に対して、千雨は見ればわかる通り、あの矢による射撃戦が主体の筈。
 間合いが思いきり違うのだ。逃げるにせよ立ち向かうにせよ、まずはこの間合いの差をどうにかしなければならない。
 間合いが長いほうが先制攻撃を仕掛けられる。戦術に疎いさよでさえ、それぐらいの理屈はすぐに浮かんでくる。しかも、抜き打ちの様に放った最初の一発、次いで放たれた矢の連射を見る限り、速射性と連射性にも優れているらしい。

「弾切れは、……狙わない方がいいんでしょうねぇ」

 そもそもあれが、主体として扱っている武装なのか、それともサブウェポン的な武装の扱いなのか。
 真っ先に使ってきたことから見れば、恐らく前者なのだろうし、そんな楽観的な推測に基づいて戦い方を組み立てるのは、あからさまに危なすぎる。

「――逃がすかっ!!」

 下駄箱越しに響く千雨の声が、さよの短い推測の時間を断ち切る。直後、うっすらと響く風切音を鼓膜で捉えながら、さよは再び走り出した。
 同時、さよの背後を射抜くように、千雨の矢が下駄箱に風穴を穿つ。金属板がひしゃげる音が鳴り響き、何処の誰のものとも分からぬ上履きが飛散していく。
 恐らくはそんな状況になっているだろうと、さよは鳴り響く音で想像しながら、とにかく駆け続ける。

「逃がしてくださいよぉっ!!」
「無理だ」
「即答っ!?」

 少しばかり緊迫感に欠ける会話を繰り広げながらも、さよは留まることなく走り続ける。
 背後では未だに穿つ音が間断なく響き、足を止めればどうなるか、その想像をさよの脳裏に叩きつけている。
 どうにかして逃げなければ。その思いが体を動かすものの、それを成すためには玄関から外に出るか、校舎内へと続く廊下に進まねばならない。それがさよの勝利条件であり、千雨にとっての敗北条件であるのだろう。

「させねぇよっ!!」
「うわわっ!?」

 その証拠に、やはりその方向に足を進めようとすれば、先回りの様な射撃がさよの直前の空間を穿つ。
 その脅威に、靴底を削りながら無理矢理反転、軋む体に鞭を打ってさよは全力で後退する。


――やっぱり、ここは薄刃陽炎を使うべきなんでしょうか。


 続く窮地、その最中にさよの思考が導き出す一手は、やはり己が手に握る刃の力だった。
 虚と実、本体と偽物を自在に入れ替えられる分身の構築。なるほど、その力は正に闘争においてうってつけではある。ただ一つの問題――射程距離の問題を考慮しなければ、であるが。
 これまでの攻撃からも、千雨の射撃は弾速・速射生・連射性といった、この玄関という室内戦闘において射撃戦に必要不可欠な要素を高いレベルで実現させている。
 そのような状況下において、分身による攪乱、及び逃走を実現させようと思えば、分身と本体の距離をよほど大きく広げなければ意味がない。中途半端な距離では諸共に撃ち抜かれる可能性が高いからだ。理想を言えば、それこそ千雨を起点として正反対の方向に分身と本体を展開させる、ぐらいはしたいところなのだ。

――こんなことなら、もっと薄刃陽炎を使いこなす練習をするべきでしたっ……。

力を得て、刹那の指導を受けてはいるさよだったが、当然の方針として気を使った戦闘の基礎を身につけることに重点を置いていた。
つまりは碌に、薄刃陽炎の昨日の習熟に時間を割いてはいなかった。その不安こそが、さよにその一手を使わせることをためらわせる原因だった。作り出す分身がどこまでいけるか、何処までやれるかの指針がないのだ。

――どうしましょう。

 その不安の束縛が、さよの脳裏から光明を奪う。使えるかもしれない一手が、使えない一手かもしれない、その一手を使えるようにするための手を考えた方がいいのか、それとももっと別の手を考えた方がいいのか、それとも――暴力には暴力で立ち向かうべきなのか。
膨れ上がる思考の連鎖。それを断ち切るには、さよには経験も何もかも、依って立つものがない。


「――――悪いな、これで詰みだ」


 故に、膠着の打開という一点において、さよが後れをとるのは必然だった。
 故に、さよはその言葉と共に、破滅の足音を聞いた。







「畜生、意外にすばしっこいなあいつ……」

 そう呟く合間にも、千雨は矢を撃ち続け、撃ち続け、撃ち続ける。
 それはあたかも、一つの行為に純化した機構へと己を作り変えているようでもあり、

「ああ糞、ほんとすばしっこいな……」

 苛立ちを乗せて紡がれる再びの呟きは、千雨の内心を表わしていた。
 殺害、という人にとっての最大の禁忌。それを犯そうとしている自分と止められない自分が、何よりも汚らわしいものだと思えて仕方がない。
 それでも、時計の針は戻せない。引き絞った矢を放った瞬間から、千雨に後戻りする道は無くなっている。
 発作的な覚悟、とも言える矛盾した感情はリセットなど効かず、さながらブレーキと行く先の線路を無くした暴走列車のようだった。




「――――早く終わりたいんだよ、私は」




 最早、その終わり方など頓着する余裕など無い。破滅であれ何であれ、とにかく何がしかの終わりを得たい、それが後戻りの効かない選択をしてしまった千雨が唯一望めることだった。
 希望というには、あまりにも残るものがないそれは、自殺を望むことと同義だった。
 故にこそ、彼女を突き動かす心情に恐れや躊躇いなどある筈もなく、逃げ惑う者と追い詰める者という構図で膠着している現状を突き崩す一手を、千雨は何の躊躇いもなく取った。
 上半身は弓を引き絞り、矢を放つという動作を間断なく続けながら、下半身が追加の動きをとった。
 それは跳躍、目指すは視界を遮り立ち並ぶ下駄箱の上。そこと天井の間には、千雨が直立できるほどの余裕を有していた。
 結果として得たのは、先ほどよりも大幅に高さを得た射点の確保。逃げを打つさよが目指す校舎と外を仕切る硝子戸も、校舎の中へと繋がる廊下の入り口も軽々と見渡し俯瞰できる、そういう場所を、千雨は確保した。
 逃げを打つなら打てばいい、その背中は今の千雨にとっては容易く撃てる。仮にさよが千雨に対し突撃を仕掛けたとて、無謀な突撃か、或いは無様な跳躍が必要となる。


「悪いな、これで詰みだ」


 だからこその勝利宣言。勝って利を得ることなど無い、空虚なその宣言が玄関全てを睥睨する千雨の口から放たれた。







 その宣言は、一言一句欠けることなくさよの聴覚に響き渡っていた。
 逃走経路は千雨の射線によって塞がれ、自分に彼女の射撃を斬り払う技量など存在しないことも痛感している。
 客観的に見ても主観的に見ても、さよは詰んでいる。
 そして、彼女は自分に対し、手心など加えないことも。
 それは彼女の射撃に乗せられた感情が、言葉以上に雄弁に物語っている。
 歯の根が合わず、ガタガタと無様な震えを起こす。足元が喪失したかのような感覚に襲われ、闘志するような寒気が体全体を包む。

「う……ぁ……」

 喉から絞り出すのは、言葉にならぬ呻き声だけ。それは間違いなく、死への恐怖だった。
 死にたくない、せっかく“生き返った”のだから、もっと生きていたい。やりたいことはそれこそ山の様にあり、確かな実感を得ているこの体は、その山に手が届くのだと思わせてくれるのだから。

「何で」

 だから、その恐怖は当然の帰結として、一つの所に辿り着く。

「何で……あなたに……」

 迫る死を前にしての、生命としての必然。死への恐怖に抗えるのはいつも決まって一つなのだから。




「何であなたに――――殺されなきゃなんないんですかぁっ!!」




 そう吠えたてた瞬間、さよの体と思考を、死からの逃避ではなく死への抵抗が支配した。
 その激情が他者に対して刃を振るう罪悪感を消し去り、瞬間、さよは“逃走”ではなく“戦闘”を行う決意を持った。
 そして、身を隠していた下駄箱の影から進み出て、乱立するその群れの合間に自身を晒した。

「そうかよ、だったらどうするんだ?」

 今の今まで身を隠していた己の体が、千雨の射線に割り込んでいる。殺意の乗った視線がさよの体を捉え、その手にある弓が引き絞られる。
 霊子で形作られた鏃が瞬く間に顕現し、間をおかずにそれが放たれた。一直線に、さよの体のど真ん中へと。


「決まってます。――――戦いますっ!!」


 疾走する矢と共に放たれる問いかけに、力を込めた決意の声を以って応じる。そして、低く、地を這うように踏み込んだ。矢の下をくぐる様な、そういう踏み込みだ。
 その勢いにふわりと舞うさよの髪の合間を、矢が一直線に突き抜けた。だが、低く踏み込んださよの視線の先では、既に第二射の体勢を整える千雨の姿がある。
 引き絞られた弓。低く踏み込んだ体制では更に下に避けることなどできないし、左右には下駄箱の壁が回避の隙間を無くしている。

――薄刃陽炎っ!!

 だからこそ、さよはここにきてついに、自身の刃の力を使う。
 硝子の刃が主の意を受けきらめきを見せ、その結実を、




「――――なっ!? 後ろっ?」




視線の先の、千雨のその背後に結び上げる。瞬間、重なる二つの感覚がさよの五感に現れる。それは分身が捉える感覚であり、分身を操作する感覚だ。
そして、二つの感覚、それが持つ虚と実を、入れ替える。本体が分身に、分身が本体に、入れ替わるそれは千雨を起点にした瞬間移動であり、動揺しながらも引き絞った弦から解き放たれた矢は、駆け抜けるさよの分身を貫く。

「そっちが本体かっ!!」

 それを捉えながらの旋回、その回転の動きの中で千雨は背後に現れた二人目のさよに対し狙いを定める。
 それを視界の中に収めながら、さよは疾走を止めない。駆けて、駆けて、弓を構える千雨を己が刃の射程に収めるべく、再び矢が発射されるその時まで駆け抜け続ける。千雨の背後で駆ける、先程まで己であった分身と共に。
 三度、矢が放たれる。それを前にして、さよは再び己の虚と実を入れ替える。
 結果として、矢は分身を穿つに留まり、

「なっ、こっちも!?」

 驚愕する千雨の“背中”を見ながら、さよは下駄箱の上へと飛びあがり、硝子の刃を振りかぶる。確かな戦意を受けて煌めく刃は、一直線に千雨の無防備な背中に振り下ろされる。
 それを、千雨は矢を放つと同時に背後に迫る脅威を振り払うように、力任せに弓を振り回すことで対応する。振り下ろされる剣閃と弓が描く大振りな弧が噛み合い、火花を散らす。

「……なるほど、それがあんたの斬魄刀の始解の能力ってわけか」

 噛み合う刃と弓、それが散らす火花の先で、千雨の殺意に塗れた笑みが顔をのぞかせる。
 それは、確信を深めた殺意であった。やはり、という思いのままにさよの体を床へと押し落そうと力を込める。

「斬魄刀……?」

 そうはさせまいと、頼りない足場の上で押し込まれまいと力を振り絞るさよは、至近距離で千雨が漏らした言葉に中に引っかかりを覚えた。
 その単語こそ、確信を深めたかのような殺意の焦点であると、さよは感じ取った。理由なき明確な殺意、それはこの正体不明な力にこそ原因ではないのかと。
 押し固めた戦う意思はその理解と共に僅かに削れ、未だ以って欠片も理解していないこの力に対する疑問が顔をのぞかせた。

「“コレ”って何ですか……!!」
「私が、あんたを殺すに足る理由だ。あんたがその様で居る限り、私に安堵は訪れない。だから殺そうと思ったんだよ」
「それほどまでに、この力が危険だっていうんですか?」
「違うな……、不快ってだけだよ」

 不快、そう漏らしたその言葉は、力そのものに焦点が当たっていなかった。――――まるで、そう、その背後を見据えているかのような、そんな響きがあった。

「あぁ、でも……」

 一転して、その呟きには疲れ切った老人の様な響きがあった。




「――――なんで私、さっきの一撃を防御しちまったんだろうなぁ」




 あふれる特大の自己嫌悪と諦観が、間近で聞いていたさよの背筋に怖気を走らせた。
 それが持つ意味は、こうして立ち向かう彼女には未来への展望が何一つとしてないのだと、さよは直感で理解した。
 生を希う死者と、死を希う生者。この戦いは正にそういう構図なのだと理解して、さよに戦意とも疑問とも違う、別の感情が溢れ出た。


「――私、あなたが嫌いです」


 それは嫌悪。長い孤独の果てにようやく得た、生というモノに欠片も喜びを得ていない千雨のその様は、温和なさよをして、嫌悪という感情を抱かせるに十分だった。

「ハッ、そうかよ」
「ええ、そうです」

 瞬間、拮抗していた力は、同時に弾け飛び、両者は互いに狭い足場の上から飛び降りた。
 遠く離れた間合い。同時に、玄関へと近づく複数の足音を、二人は聞きとっていた。あれほど激しく戦闘を行っていたのだ、放課後とはいえ、耳目を集めるには十分であったと言うことだろう。

「何だ、時間切れか」

 逃走は、千雨の方が一歩速かった、手近な位置にあったガラス窓を矢で撃ち抜き、飛び散るガラスの煌めきの中を突っ切って、校舎の外へと逃走を果たす。




「――――じゃあな、“死神”。また殺しに行くから覚悟しておけ」




 溢れ出る殺意と共に投げかけられるその言葉は、先の会話の中に垣間見えた複雑怪奇な感情の揺らぎを知ってしまったさよの脳裏には、単純に殺意として捉えることはできなかった。
 故に、さよもまた、千雨に対して恐怖とも嫌悪とも付かない複雑な感情を抱きながら、その場からの逃走を果たす。
 そうして、一方的な交戦から始まった短い戦いは、千雨の一方的な逃走によって一旦の幕を閉じた。







[35089] 第八話
Name: ドレイク◆f359215f ID:12861325
Date: 2013/09/08 15:08



 死神とは、一体何なのか。
 死を司る神、魂を狩り取る者。世間一般の共通の認識でくくられた形で語るのならば、凡そそんなところだろう。
 だがそれも、幻想の中。あり得ざる者として語られるそれは所詮幻でしかなく、死神というのは所詮、死を恐れる太古の人間が作り上げた死の恐怖からくる虚構の概念でしかないのだから。

「……私って、そんなに怖いのかな」
「どうしました?」
「あ、いえ、なんでもないですよっ」

 あまりに突然の命を賭けた戦い。それを切り抜けたというべきか、見逃してもらったというべきか、とにかくさよは千雨に続くかのように戦場となった玄関を後にした。
 一方的に襲われた筈にもかかわらず、まるで逃げるように立ち去ってしまったのか、それはさよ自身にもわからなかった。形ばかりとはいえ、既に学園長の後見を受けている身だ。駆け付けて来た人に事情を話し、あとは早晩、学園側が千雨の捕縛なりなんなりを行い、解決していただろうことは想像に難くない。
 明らかに非は襲撃者側の千雨にあり、そのような不穏分子を放置しておくなどあり得ない。その程度はさよ出も容易に想像がつき、だとすればこうして、起こった争いに口を噤み、いつもの様に刹那の指導を受けている現状は、事態の早期解決を放棄したかのようだ。

「いえ、ですが明らかに昨日より剣が鈍っています。それで何も無い、というのはちょっと……」

 突然の脅威、明らかな矛盾、その二つが起こす必然の迷い。
 表情を隠す、などという人間関係の構築に必要な行為からとことん縁の無かったさよに、それを行うなど土台無理な話である。
 いともあっさりと内心の揺らぎを見咎められ、それでも自分を心配してくれているのだという色を帯びた言葉を投げかけられたさよは、とりあえず、今一番疑問に思っていることを口にした。


「……私って、死神呼ばわりされるほどに怖いと思いますか?」
「へ?」


 そこで自分が死神呼ばわりされるのは、自分がそう呼ばれるほどに怖い存在なのかもしれない、などとピントのはずれまくった疑問を口にするさよ。言うまでもなく本気で口にするあたり、そんなわけは無いだろうと刹那は思った。
 どこの世界に打ち捨てられた子犬の様に不安げな眼差しで、「私って怖いですか?」などと聞く死神がいるのだろうか。

「むしろさよさんは死神と呼ばれて怖がるより、死神が枕元にやってきて怖がる方が似合っているような……」

 だっていろいろ付随要素はあるけど現在進行形で幽霊だし。

「ひっ、ひどいですよぉ刹那さんっ。私だってこれでも幽霊なんですからね、怖がらせるぐらいお茶の子さいさいなんですからっ!!」

 それがお茶の子さいさいだったのならば、とっくの昔にさよの存在は認識されているんじゃないのか、という当然の言葉を刹那は飲み込み、全く以って字面と似合わない様で気合を込めるさよに、生温かい視線を向ける。死神? いいえしにがみ(笑)です。言葉にするならそんな感じだろうか。


――そうして交わされる、二人の少女の他愛のない会話。


 けして普通、とは言えない背景を二人ともが持っている。だから普通の人生を歩んでいるとは言えない二人がそうして交わす会話は、まぎれもなくどこにでもありふれた友達同士が紡ぐもの。
 これからもそういうことを続けたい。これまでできなかった分を取り戻したいと思うし、だからこそ喪うのは、死ぬのは死んでも御免だとさよは思っている。
 だからこそ、彼女は千雨とは相容れない。
 生きたがりの幽霊と、死にたがりの生者など水と油以外の何物でもないだろう。
 あぁ、つまり――


                    ■■


「――――で、つまり?」

 その規模の大きさ故に、日常的に喧騒に包まれる学食の食堂、その片隅で周囲の視線から外れるように昼食をとっていた千雨は、唐突に断りもなく、対面の座席に座った予想外の人物に対し、苦虫を百匹ぐらい噛みつぶした様な苦い表情を隠すことなく晒していた。

「えっと、お話をしたいんです」
「ねぇよ」
「えぇ~」

 何が悲しくてつい先日殺し合ったばかりの相手と、仲良く会話に応じなければいけないのか。
 確かに、昨日の戦闘は自分が一方的に襲いかかったのが原因であるのは間違いない、だからと言ってこれではまるで、そう、まるで自分のクラスメイトの様な脳天気さだと千雨は感じた。

「ほんとまじでねぇよ。――殺し合いならいくらでも応じてやる、大歓迎だ」

 どの口で殺し合いなどとほざく。〝合い〟じゃないだろうに。楽になりたいから戦火を望む心をオブラートに包んだその物言い。
 死にたいのなら死ねばいい。殺されないのならそれこそ、いくらでも自分で自分を殺す方法は存在する。
 それを選択しないのは自分に死の恐怖が僅かなりとも存在するからなのか、それとも単なる捻くれ、自分の心情を吐露したくない感情が働いているのか。
 正と負、善と邪、陽と陰、その二極で精神を分類するのならば間違いなく千雨は後者であった。

「だから失せろ、あたしにお前と話すことなんざ欠片もねぇ」

 その歪みが一層、険を増した排斥の言葉を吐き出させる。――お前はあたしと違うだろう、脳天気な奴らと真っ当に、脳天気な馬鹿騒ぎをやっとけよ。――さよを射抜く視線が、声なき声を繋げている。

「――――けど、私にはありますよ」

 けれど、さよの纏う柔らかな空気は、そんな言葉では揺らぎもしなかった。

「正直に言えば、私はあなたのことが嫌いです」
「そりゃそうだろ、何処の世界に殺し合いを仕掛けてきた奴にこう感情を抱く奴がいるんだよ」

 だというのに、さよの空気は欠片も変化を見せてはいない。ここまでくれば、悪し様に罵りの言葉を吐き捨て、敵意をぶつけられた方が万倍もましだった。針の筵というには腑抜けた居心地の悪さを感じる。

「だからですね、どうしてあなたのことが嫌いなのかなぁ、って昨日はずっと考えていたんですよ」
「……当人目の前にしてそんなこと言うか?」
「だってもう昨日既に言ってるじゃないですか」
「あぁ、そういやそうだった」

 千雨の脳裏に、戦火の中に紛れた売り言葉と買い言葉が再生される。
 あれは確か、そう……、情けない本心を思わず漏らしてしまった直後だったか。
 しかしあれは、思い返してみるとどうにも衝動的な物に思えた。
 つまりさよの考えた、という発言はその衝動を明確に形にできたということだろうか。




「だから聞きます、――――千雨さんは死にたいんですか?」




 だからといっても、それはあまりにも直球過ぎる言葉だった。
 そして、飾り気のない正しく抜き身の様な言葉は千雨の心中に、鋭利な刃を突き立てていた。
 お前に何がわかる、と子供じみた勘気が鎌首をもたげ、ここが多数の生徒がたむろしている食堂だということも忘れて、手の中に霊子の鏃を形作ろうとしてしまう。
そうしてここに惨禍をまき散らして、裏の人間に粛清されて生を終える。間違いなく下から数えたほうが早いぐらいにお粗末な終わり方だろう。

「……それが事実だとして、お前に何の関係があるんだ」

 そんな衝動を怒りにつり上がる目元だけにどうにか留め、体の奥深くから絞り出すような声を吐き出す。そこには間違いなく、返答如何では昨日の続きを今ここで行うという、無言の通告が含まれている。

「……関係大有りです」
「何?」
「死にたいなんて、軽々しく思わないでください」
「軽々しくねぇよ」
「そんなところが、あなたの嫌いなところです」
「死にたがりの、死にたがる部分が嫌いってか? 随分とお人好しだな」
「お人好しなんかじゃありませんよ。だって、あなたの為じゃありませんから」
「は? 意味わかんねぇよ」
「だって私、生きたがりですから」

 まるで千雨が口にした死にたがり、という言葉に反発するように、さよはその言葉に明確な敵意をこめていた。
 そして、表情は何一つ変わらぬままに、さよはその瞬間、うすら寒くなるような敵意とも憐れみとも付かない感情をのぞかせる。

「死ぬって、どういうことだと思います? ――――私の声は届かなくて、誰も彼もが自分を見ない。自分はここにいるんだって言う確証が持てなくて、ずっとあやふやな底なし沼にいる様な感じで」

 そんな感じなんですよ、と薄く笑みさえ浮かべながら告げるさよに、千雨は二の句を告げないでいた。
 妄言だ、と切って捨てるのは容易いだろう。相坂さよという少女はここにいる、しっかりとした輪郭と質量を持って、千雨の眼前に確かにいるのだから。
 それでも、死とはどういうことかを語るさよは、まるで現世ではないどこかにいる様なうすら寒い透明感を湛えていた。

「だから私、あなたが嫌いなんです。私がようやく手に入れられた大切な物を馬鹿にされたままではいられないですから」

 その言葉に、気圧されたままにいた千雨の心中に怒りが灯る。
 お前がそれを言うのか、と。
 よりにもよってお前がそんなことをぬかすのか、と。
 私から平穏を奪ったお前が、そうぬかすのか、と。
 八つ当たりだというのは勿論分かっている。
 歪みに歪んだ後ろ暗い感情を暴発させ、襲いかかったのは千雨の方で、その様がどうやら、相坂さよという少女に対して宣戦を布告するに足る行為だったらしい、それぐらいはう僅かに残る冷静な部分で理解できる。
 だがもう、理屈ではないのだ。

「あぁ、なんだ。つまりお前は――」
「――えぇ、喧嘩を売りに来ちゃいました」
「ハッ、似合わねぇ言葉だな」
「私もそう思います。でも、死んでしまったらこういうこともできないんですよ」
「そうかもな、――――でも知るか、そんなの」

 表情だけは笑みの形を張り付けている二人だったが、その中には相手に対する制御できない敵意が渦巻き始めていた。
 二人の周囲の空気が軋み、戦場の風が吹き荒れようとする。
 今はまだ周囲の喧騒に紛れるそれは、何かきっかけさえあればそのまま暴発しかねなかった。

「で、どうする、ここでやるのか?」

 その張りつめた均衡を崩そうとしたのは千雨の方からであった。弄ぶような手つきで霊子の矢を形成――無論昨日さよに撃ち放ったようなでかさではない、精々鉛筆サイズの矢だった。
 そしてそれを、弓には番えず、手首の動きだけで投擲。下からさよの顎を突き上げる様な軌道で、十二分に人を殺傷せしめる威力を持った矢が飛翔する。

「う~ん、それは他の人に迷惑じゃないでしょうか」

 それをさよは手の中にあった箸に気を纏わせ、軽く払うような仕草で千雨の一撃を迎撃する。所詮これは挨拶代わり、如何に相応の威力があろうとも、二人の中に渦巻く敵意の確認作業に過ぎない。
 千雨の中には既にさよに対する敵意が、暗く、黒く煮詰まった汚泥の如くに沈殿していて、さよの中には、昨日垣間見て、そして今まさに確認し終えた千雨の感情を認められないものとして認識している。

「じゃあ、今度の日曜でどうだ?」
「そうですね、私はそれで構いませんよ。あ、でも場所はどうしましょうか」
「それなら心当たりがあるぞ」

 言うなり千雨は胸ポケットから生徒手帳を取り出すと、メモ書き用のページに簡単な地図を書き記し、それをさよに手渡した。
 さよはそれを受け取り目を通し、にこやかな表情のままで懐にしまいこむ。
 まるでそれは、仲の良い友達が遊ぶ約束を取り付けているようにしか見えず、しかし、剣呑さに溢れた行為だった。


                    ■■


「……なぁ、龍宮」

 そんなとんでもない状況になっているとは知る由もない刹那は、さよが入浴している間を見計らって真名に相談を持ちかけていた。

「どうした? 刹那」
「実はな……、どうにもさよさんが何か隠しているみたいなんだ。昨日からどうにも様子がおかしいし、今日の昼休みだってふらりとどこかに消えていたし」

 真名の法もさよの様子の変化には気づいていたが、真っ当な生活を送れるようになってほとんど時間が経過していない、何がしか心情の変化があってもおかしくは無いだろうと結論付けていた。

「それで不安を感じているわけか、中々に過保護だなお前は」
「あぁ、しかも今日の鍛錬の時には「……必殺技とか、どうやって身につければいいんでしょうか」、とか言ってたしな」
「ひ、必殺技か……」
「あぁ、急にそんなことを言い出すなんて明らかにおかしいだろう」

 これは相当に重症だな、と真名は心中で呟いた。いつもの刹那ならば過保護だなんだと言われれば慌てふためいて否定するだろう。それぐらいにいつもの刹那というのは自身の気持ちに正直になるのが下手な不器用者なのだ。
 ルームメイトとして、そして仕事仲間として付き合いの深い真名はそんな刹那がそうした軽いジョークにも反応せず、深刻な表情を浮かべている刹那の動揺具合を正確に見抜いていた。
 そして、或いはこれも好都合かもしれないと考え――――

「そうだな、――――明らかな隠し事は、されると辛いものだろうな」

 まるでここにいない誰かを慮る様な口調。

「何が言いたい」
「さてな、どう受け取るかはお前次第さ。何も感じないならこのままでいいと思うし、何かを感じたら――その時はお前のしたいようにすればいい」

 そして言外に、これはお前の問題でもあると告げてる真名に対し、刹那はただ、押し黙っているだけであった。








<あとがき>
 さよさん宣戦布告回。次回はさよ対千雨の本格バトル、という感じになると思います。


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