アルゲードの転移門付近。現在は朝7時なため、解放直後の階層と言えどプレイヤーはそこまで多くはない。
もう少し時が経てば増えることだろう。
そんな街の中、キリトは迷宮区へと一人、足を進める。
周りに眼をくれる事もなく、足元へ視線を向けたまま歩く姿はどこか寂しさを感じさせる。
そんな最中、ふと目の前に一人、立って行き先を阻む者が現れた。
キリトは血盟騎士団の副長が待ち伏せしていたのかと思ったが、視線を徐々に上げている途中に全く別の人物だと気づく。
もっと近しい顔見知りで、現状最も顔を合わせたくない人物であった。
「……クライン」
「聞いたぞお前ェ。四十九層一人でクリアしたんだってな」
クライン。キリトがこのデスゲーム開始直後にフレンドとなった、ただ一人の男。
髭と頭に巻いているバンダナが特徴的で武器が刀で武士の様な格好をしている。
クラインは怒気を孕ませながらプレイヤーによって作られた新聞を突きつける。
書かれている内容は四十九層、人知れずクリアされる、という内容。
そこにはキリト、とは一言も書かれていない。しかしクラインには判った。
知っているのだ。キリトが一人でクリスマスのイベントボス、ニコラスを撃破するという有り得ない様な事を達成した事を。
だから、キリトならば一人でも49層のボスを倒すのも夢では無いだろうし、
そもそもこんな馬鹿な真似をして成功させる奴など一人しか居ない、と。
「何であんな無茶したんだ」
キリトは眼を反らし、無言を貫く。
そんなキリトの態度に我慢できないのか、クラインは徐々に声を荒げ始める。
「おい、何とか言えよ!お前ェはそんなに命を無駄にしたいのかよ!」
「そうだよ」
さらりと当然の様に出された言葉はクラインの心をぎゅっと締め付けた。
「何度でも言うぞ!黒猫団が壊滅したのはお前ェのせいじゃねえ!」
「紛れも無く俺のせいだ」
クラインは優しい。言い方を変えれば甘い。
キリトがしてきた事の詳細を鑑みればキリトが黒猫団壊滅の原因となっている部分はかなり大きい。
それなのにキリトを庇うものだから、クラインの言葉は今のキリトに自分の罪を再認識させるための苦痛の言葉でしか無くなってしまっている。
そうこう話している間にも、キリトは僅かながらも徐々に人の視線が集まってくるのを感じる。
頃合を見て、クラインとの会話を無理やり切り上げるべく歩き出す。
クラインは止めようとするが、その前に別の人物がキリトの前に現れたのに気づき、行動を止めた。
「よお、坊主。朝早いな。結構なことだ。ガッハッハ」
着ている服は血盟騎士団の制服。
巨漢でどこか豪快さを漂わせているその雰囲気。
キリトには見覚えがあった。先日、五十層の迷宮区に居た血盟騎士団の団員の一人だ。
「おっと、そういや自己紹介がまだだったな。血盟騎士団のフォワードの指揮を預かるゴドフリー――」
そう言っている間にもキリトは無言で男、ゴドフリーの横を通り過ぎようとする。
だが、その際、自分の足が地面から離れて度肝を抜かれるハメとなった。
「な、何する!」
キリトの持っている装備の重量とかを考えると、キリトを持ち上げるには
並みの筋力値では無理だ。
恐らく、このゴドフリーという男は完全に筋力値先行型なのだろう。
「おいおい坊主。人が自己紹介してんだから最後まで聞けや。
まあいい。それより、副団長は午前9時に到着される。あと2時間程ある。それまで待つんだ」
そこまで言うとゴドフリーは暴れているキリトから手を離す。
キリトはスタッと軽快に着地すると無言でまた歩き出した。
これ以上、俺に関わらないでくれと背中でアピールするが
それで引き下がるゴドフリーではなかった。(実際は単純にキリトのほっといてくれオーラを読めなかっただけだが)
「待て待て。お前さんには悪いがここで待機していてくれ。わしが組むわけでは無いが、副団長にお叱りを受けてしまうのでな」
ゴドフリーは再度キリトの襟をつかもうとするが、それより早くキリトが走り出す。
だが、それを見越していたのか他の血盟騎士団の団員が脇道より飛び出してきた。
「全く、たまに朝早く着てみたらこれだ。もっと遅く来るんだっ――」
飛び出してきた団員がなにやらブツブツと文句を言う。
まだ眠いのか、欠伸を一つ。その瞬間。
「おぼぶげばっ!」
キリトの無言のとび蹴りが顔面に綺麗に炸裂した。
圏内なため体力は減らない。キリトは後ろを振り返らずにそのまま走り去った。
「ばかもーん!!油断する奴があるか!」
「ごほっごほっ、とは言いましてもねゴドフリーさん。ぶっちゃけ俺にアイツ止めるの、無理っす。
というかやる気が出ないから無理っす」
「やってみんとわからんだろうが!追うぞ!」
「いや、それこそ無駄っすよゴドフリーさん!俺たち完全に筋力馬鹿なんですから!」
「そんなの気合でなんとかせんか!ほら走れ!」
ゴドフリーは武器である斧を取り出すと、団員に向かって振り下ろした。
当然当てるつもりは……あったらしく、団員が避けた直後、元々居た位置に斧が振り下ろされていた。
「ひ、ひぃぃっ!あ、あんた本気で殺そうとしただろ!」
「デュエルもしてないのに圏内で殺される奴が居るか!無駄口叩いてないで走れ」
「あーもうウゼェ!!」
血盟騎士団の二人がキリトを追うため、その場から走り去る。
その後には完全に置いてけぼりにされたクラインが一人、ポツンと立っていた。
第三話 迷宮区の戦い
フィールドを進んだ後、迷宮区へと到着する。
背後を度々確認したが、血盟騎士団の気配は無かった。
完全に巻けたと確信し、特に感慨に浸ることなくすぐにマッピングを開始するために
昨日、ヒースクリフと決闘を行った付近まで戻る。
迷宮区にはまだ他のプレイヤーの姿は無い。
迷宮区に繋がるフィールドも敵がなかなか厄介なことに加え、地形も公開されていないため、それに手間取っているのだろう。
それに何よりもハイディングがなかなか有効なフィールドであるため、団体行動より
ソロでハイディングもちのプレイヤーの方がこの階層のフィールドに関しては速い。
隠密行動があれば更に早いのだが、ハイディングがあるか無いかでも大分違う。
とは言ってもそれはあくまでもフィールドだけの話で、迷宮区に入ってしまえば
パーティーの方が早いのは昨日戦ったモンスターからしても明らかだろう。
(……ん?)
ふと、道の真ん中に違和感があった。
極細い溝が入っており、キリトはそこへ手で触れる。
すると、床は力を入れた分だけ沈む。
何かのトラップなのだろう。
他のユーザーの事を考えると解除した方がいいのだが、
残念ながらキリトは罠解除スキルを修得していない。
他プレイヤーにこの事を知らせたくとも残念ながらここは迷宮区。通信手段が無い。
キリトは些か悩んだが、放置する事にした。大抵のソロプレイヤーは罠を看過できるスキルを修得しているし、
パーティー単位で動いているメンバーも各パーティーに一人、罠解除のスキルは必ず持っているためだ。
だから無理して連絡する必要など無いと判断してその場を去る。
黙々と敵を倒し、マッピングを進める。その作業を延々とこなしている間に時間は夕方にさしかかろうとしていた。
マッピングは簡単に終わるものでは無い。キリトは野宿をするために安全エリアへ向かいたかったが、それが出来なかった。
理由は単純。まだ安全エリアが見つかっていないためだ。
(敵との戦闘に時間がかかりすぎてるな……。もっと効率を上げないと)
キリトは数日前より、自分の動きが鈍っているのを実感していた。
一度睡眠を取って狩りの間が空いてしまったせいか。
それとも――。
「……んなわけあるはずが無い」
一瞬頭に血盟騎士団の副団長の顔が思い浮かぶ。
思えば例え攻略を進めるため、という下心があるとはいえ、あそこまで自分に関わろうとしてくる人物は初めてだった。
だから少し情が移って死に向かうのを戸惑っているのかもしれない、と考えたがすぐにそれを否定する。
実際、キリトは先日よりも大人しい狩り方をしてしており、その理由は上記の通りだ。
しかし当人はそれを受け入れる事はせず、再びダンジョンの奥へと足を進める。
安全エリアが見つからなければ寝ないでマッピングを進めれば良い。
昨日は丸一日寝てしまったと聞いていたため、またぶっ通しで戦う事に戸惑いは無かった。
(そうだ。前まではずっと寝ずにやっていたんだ。寝なければ良い)
モンスターがすぐ横にポップする。
それを剣ですぐに斬る。
土竜型モンスターの戦いにも大分慣れてきたため、初期より大分早く決着がつくようになってきていた。
モンスターを倒してポリゴンが散ると、剣を鞘へ戻し、先へ進むため身体の向きを変える。
「キャキャキャキャキャ」
「!!」
突然の耳元の声に思わず飛び退く。
声の方を確認すると、そこには半透明の浮いた布、分かりやすく述べると
オバケの様なモンスターが居た。
「キャキャキャキャ。キャキャキャキャ」
何が楽しいのか、ひたすら甲高い声で笑っている。
攻撃してくる気配は無い。カーソルを見てみるが、やはり敵。
ポップするエフェクトは発生していなかったため、かなり高レベルのハイディング、もしくは隠密行動を使えるモンスターなのだろう。
オバケはひとしきり笑うと、通路の奥へふよふよと揺れながら移動し、視界から消えると黙り込んだのか、辺りが急に静かになった。
もしかしたら、驚かせることを専門に活動しているタイプのモンスターなのかもしれない、と検討をつける。
そう仮定すると、完全に嫌がらせのための存在だ。
ここまで遭遇しなかったのは、恐らく陽が沈む時間が近づいてきてから出るタイプだからなのだろう。
夜になれば下手をすると、この鉱山ダンジョン全体がオバケの巣窟になるかもしれない。
そう考えながらキリトは気を取り直し、先へ進む。
『イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』
ピタリ、と立ち止まる。
どこかのパーティーが先ほどのオバケモンスターと遭遇したのか、物凄い大音量の悲鳴が聞こえた。
そして、その声にどこか聞き覚えがあるような気がした。
悲鳴声が上がると、当然のようにそこにモンスターが大勢集まりだす。
つまり、ここにもすぐに敵が押し寄せてくるだろう。
恐らく、この状況で一番賢いのは転移結晶を使ってこの場から完全に離脱する事だ。
だが、キリトは転移結晶を取り出す事は無かった。
敵が襲ってきて死ぬのは望む所だ。
しかし、それ以上に当人は認めないが
モンスターに囲まれるだろうプレイヤー達が心配だった。
「……一応様子を見に行くか」
そう独り言を漏らして軽く走り出した。
自分が敵を引き連れない様に気を配りつつ、曲がりくねっている道を走っていると、前方に人の気配を捉える。
キリトの方へ向ってきており、その後方に多くのモンスターを従えている。
一方、キリトは全く慌てていないものの、索敵スキルのおかげで後方にはモンスターが大勢迫っている事に気づいている。
よって、今逃げてくる者たちに転移結晶を使わせて上げられる暇は無い。
「こっちは俺が抑える!あんたらはそっちの敵を何とかしろ!」
念のために維持していたハイディングを解き、
前方から走ってきた血盟騎士団の者たちに背を向け、剣を構える。
「き、キリト君!?」
突然現れた事に驚いているのだろう、後方からアスナの驚いた声が聞こえるが無視する。
既に敵は着ている。それを確認したのか、今逃げてきた血盟騎士団の者たちは迎撃体勢に入った。
キリトは急ぎ、予めオブジェクト化してあった耐毒ポーションを飲む。
これで麻痺毒で反って足手まといになる、という状況だけは防げる。
「私も手伝う!」
キリトの隣にアスナが並ぶ。既にフェンサーを構えており、共闘する気満々である。
「こっちはいいからあっちを何とかしろ!」
「あっちは私が抜けても4人居る!この狭い通路なら4人以上居ても意味が無い。
こっちは君一人じゃない!」
「なら……勝手にしろ!」
これ以上言い合っている時間は無い。そう判断し、キリトは仕方が無くアスナと敵の対処を始めた。
敵は同時に三体きた。基本的に一人が一匹を相手し、残りの一匹をフォローしながら足止めをする。そのような流れになる。
アスナがソードスキルを使ったらその隙をキリトが上手くフォローする。
対し、キリトはソードスキルをほとんど使わずに敵を止める。
アスナはフェンサーとファイター性能の特性上、敵を足止めするのには向かない。
だから、敵の波を止めるには倒し続けるしかない。
対し、キリトも武器防御スキルはあるが盾には劣ってしまうため、
敵の足止めには向いていない。けど、アスナよりはマシだ。
フェンサーは片手剣と比較すると耐久値が減りやすいため、片手剣で防ぐより劣るためだ。
よって、キリトはアスナを上手くフォローしてやらなければならない。
とは言っても、足手まといなわけでは無い。
第一層の時から感じていたが、良いセンスをしており、攻撃の仕方が的確だった。
一人で足止めするよりは断然、二人の方が楽だ。
そんな二人だが、徐々に体力が削られる。
キリトは良い。武器防御スキルもあるし、アスナより若干レベルも高い。
それに、持ち前の素早い反応を活かして敵を上手くさばいて、まだ体力も半分を切っていない。
しかし、アスナがそろそろ危険だった。イエローゾーンに入っており、
そろそろレッドに迫ろうとしていた。
敵数もまだ残っており、減るどころか、増す一方で状況は良くならず、むしろ悪化している。
「アスナ!一度下がって回復しろ!」
「でも、それじゃ君が!」
「俺はまだもつ!だから早く!」
「……うん、わかった!お願い!」
下手に論争するより回復した方が良いと判断したのか、アスナは素早く一歩下がり、急ぎ高価な回復結晶を使う。
その直後、背後から声がかかった。
「アスナ、こっちの始末ほとんど終わったよ!」
血盟騎士団の女の子からだ。
反対側を見てみると、敵の姿が一、二匹程度となっている。
既に団員の一人がこの場から逃げたかったのか、走り出している。
それを見てキリトは急ぎ声を上げる。
「下手に動くな!ここは確実にこっち側の敵を倒せばそれで済む!」
下手に動いて敵の軍団に突っ込み、挟み撃ちされれば今よりも辛くなる。
それならば今、狭い通路という地の利があるこの状況を耐え抜く方が懸命と言えよう。
しかし、キリトの意見になど聞く耳持たないのか、聞こえていないのか、
それともこの場から逃げたい一心なのか、団員の男は止まらずに走る。
そしてその後を団員二人が追い始めた。
状況が良く無い方向へと動き出し、思わず舌打ちをした。
「キリト君、いくよ!」
アスナはキリトの言う事が理解できたのだろうが、それでも走っていった団員たちを見捨てるわけにはいかないため、
後に続く事を決めた。
「俺の事はいいから先に行け!」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ!」
アスナは頃合を見て、キリトの左腕を引っつかみ、全力で走り出した。
キリトは一瞬つんのめりそうになるが、慌てて体勢を立て直してアスナに続いた。
「強引だな」
「君がもたもたしているからでしょ!ほら、走りながら回復する!」
キリトの愚痴に怒鳴って返す。
キリトは若干嫌そうな顔をするものの、素直に回復結晶を使って回復を行った。
そうしている間にも血盟騎士団のメンバーたちが進む道を選択していく。
出来るだけ敵数の少ない道を選ぶ。しかし、倒せど倒せど敵が現れる。
「いくらなんでも多すぎる!」
アスナが苛立たしげに声を荒げながら言う。
こういうオンラインゲームは人が行かない場所ほど敵が自然と貯まるようになっている。
倒した敵はそのマップ上のランダムな位置で沸くため、攻略されていない場所ほど
敵が貯まっていくのだ。
よって、今、キリトたちが居る位置はまだマッピングが行われていない場所なため、敵が貯まっている。
だが、それでもやたら多かった。
「……もしかしたらこの階層、シャウトするとモブのポップ率が上がるのかもしれない」
「え?」
キリトの予想外の発言にアスナはキリトの顔を伺う。
意味が上手く伝わらなかったのか、それとも聞こえなかったのかわからないが、
詳しく説明を始める事にした。
「あんなシャウトさせるためのモンスターが居るぐらいだ。シャウトするとポップ率が上がる可能性はある」
「いくらなんでもそんなむちゃくちゃなシステム……」
「ありえる!このゲームのトラップは性質が悪い!」
このゲームのシステムを決して舐めてはいけないことをキリトの心には深く刻まれている。
キリトの真剣な表情にアスナも心得たのか、これ以上反論はしなかった。
「もう嫌だ!俺は逃げる!!」
突如、中年の男がそう発言した。
声に反応して振り向いてみるが、既に転移結晶を掲げ、転移の光を放ち始める。
だが、すぐ近くにいた団員がそれを無理やり殴って止めた。オレンジカーソルになるが、
そのような小さな事に拘っている場合では無い。
「って、何すんだてめぇ!!」
「正気かお前は!俺たち全員に敵を押し付けるつもりか!
こんな時に一人で逃げようとするな!仲間が死ぬぞ!」
「うるっせぇ!大体こんな状況になったのも副団長のせいじゃねえか!
副団長が責任取って俺たちを逃がすべきだ!そうじゃねえのか!」
「お前、アスナ様に何て事を!」
「止めて下さい二人とも!言い争ってる場合じゃありませんよ!アスナの事はひとまず置いといて
皆で逃げる事を考えないと!」
一触即発の状況をアスナと同じぐらいの年齢であろう少女が何とか止める。
言い争っている場合では無いという事は男二人も判っているのか、渋々と引き下がって再び
敵との戦闘に戻る。
アスナは敵と戦いながら、気まずそうに表情を曇らせる。
その余りにも苦しそうな表情にキリトは我が事の様に心が痛んだ。
「前方と右、敵だ!」
「左しか無い!」
敵を殲滅しながらメンバーたちが進む道を選択する。
キリトも索敵スキルを使ってできるだけの敵の位置を把握し、
団員たちの判断が正しいと理解したため、何も口を挟まない。
後方からは敵がまだ大量に迫っているため未だに転移結晶を使う暇も無い。
そんな時だった。ふと、前方のプレイヤーたちの姿がブレる。
「え?」
何が起きたのか。隣のアスナから唖然とした声が上がる。
(――落とし穴!?)
かなり助走がついているため、急に止まる事はキリトもアスナも不可能。
刹那、キリトは咄嗟に判断してアスナを自分に抱き寄せて、更に加速する。
アスナが驚いて小さな悲鳴を上げるが、知った事では無い。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
壁に向ってジャンプする。体術のスキル、ウォールラン。
落とし穴の長さは5m近く。走りきるには微妙な距離。
この距離を人を一人抱えて飛び越えられるか。
雄叫びをあげつつ一気に走る。躊躇したが最後、落ちる。
壁を強く蹴るだけではいけない。ウォールランには独特なコツがある。
走っていると少しずつ高度が落ち、暗闇が近づく。
(駄目だ!)
せめてアスナだけでも。
そう思ってウォールランの途中、キリトは身体を捻ってアスナを放り投げる。
アスナは落とし穴を越え、どさりと地面へ落ちる。
「き、キリト君!?」
「だ、大丈夫。ギリギリだ」
そう言ってキリトは地面に腕をついて這い上がろうとしていた。
アスナは急いでそれを助け、無事、二人とも反対側へ飛ぶ事に成功した。
キリトは成功した事に一瞬ほっとするが、すぐにまた緊張感が走る。
『うわあああああああああ』
落ちた4人の叫び声が木霊する。4人が落ちた事が悔やまれるが、とてもじゃないが4人も止めることなどできなかった。
罠解除スキルを持っている人が居たのだろうが、道を曲がった直後で判別しきれなかったのだろう。
また、状況は更に目の前で悪化していっている。
今までキリトたちを追ってきていた敵がどんどん落とし穴の中へと落下していくのが見えた。
つまり、この下に落ちた4人に襲い掛かっている、ということだ。
「皆!」
アスナが急ぎ、飛び降りようとするのをキリトが慌てて腕を掴んで止める。
「落ち着け!下手をするとこの下は結晶無効化空間だ!
だったら4人を助けるためにも縄が要るかもしれない!
お前、持ってないか!?」
「も、持ってないよ!」
それを聞いたキリトは悔しそうに呻く。
「やっぱロープは鉱山ダンジョンを攻略するのには必要なアイテムだったのか!?」
そう話している間にも落ちていく敵を見て歯噛みする。
このままだと下手をすれば落ちた全員、ゲームオーバーになる。
迷っている暇は無い。
「アスナ!一度町に戻って応援を呼ぶんだ!ヒースクリフでも誰でもいいから強力なメンバー連れてこい!
その間、俺は4人を追ってできるだけ持ちこたえる!」
「そんな!それならギルドの部外者の君が戻って――」
巻き込んでしまって悪い、と思っているのだろう。
アスナがそう提案するが、言い終わる前にキリトは大声で割り込む。
「俺は応援を頼める人間が居ないんだ!血盟騎士団の団員たちとのコンタクトも取りづらい!」
ソロプレイヤーの宿命か。すぐに協力してくれるメンバーを集めるのにもどうしても苦労してしまうという切実な問題。
それに、ここは未開の地である五十層。こんな危険な状況のプレイヤーを助けにきてくれる人間も早々居ないだろう。
ならば、ギルドの重要な立場にいるアスナを戻し、大至急応援のメンバーを連れてくる方が早いし確実なのは間違い無い。
「俺が下に行っても持ちこたえられるかどうかはわからない。けど、4人を助けたいのなら早く行け!」
「…………ごめん、無理」
否定された事により、キリトは余計に気持ちが高ぶる。
「迷っている場合じゃない!早く行くんだ!」
「だって……だって!!こんな状況に皆を追い込んだのは私なんだよ!?」
アスナは左手のひらを自分の胸に当ててキリトにそう言う。
キリトは言葉を詰まらせる。
先ほど聞こえた悲鳴。あれはやはり、アスナによるものだったのだ。
「皆が死ぬかもしれないのに、私一人だけ安全な場所に逃げ帰ることなんてできるわけないじゃない!!!」
そう言うと、アスナはあろうことか自ら落とし穴へと身を投じた。
それを見て、キリトは信じられない、という風に目を見開き
止めようと腕を伸ばすが、1テンポ遅れて、アスナは穴の底へと落ちて行った。
「馬鹿野郎!!どうなっても知らないぞ!」
そう悪態をつきながら、キリトもアスナの後を追った。
地面に着地し、周りの状況を確認する。
上に居た時よりも辺りは薄暗く、なかなか眼が慣れない。
魔物の蠢く音が気持ち悪く耳に入ってくる。
「ギャーーーーーーーーーーーーーーー!!」
形容しがたい不快な音が鳴った。
途端、キリトは何かに怯え、情け無い声を上げる。
それと同時に視界が暗闇に慣れてきて辺りが見えた。
状況は最悪だった。
既に二人がレッドゾーンに突入し、一人がイエロー状態となっている。
そして、イエローのプレイヤーは麻痺にかかってしまっており、レッドゾーンの一人が毒状態。
このままではもう間もなく死ぬだろう。
3人の周りには敵。3人の姿を埋め尽くさんばかりの数。
一人、男性プレイヤーの姿が無い。恐らく、先ほどの悲鳴と不快な音が死亡エフェクトの音だったのだろう。
思い出される。
この状況は余りにも似通っていた。
転倒した所に敵に次々と攻撃を打ち込まれて死に逝く「仲間を。
敵に囲まれ、槍で捌ききれず死亡する仲間を。
そして、手が届かず救えなかったサチを。
「……また、なのか?」
キリトは震えた声で自身に問う。
またトラップで人を失ってしまうのか、と。
今度は見慣れた仲間では無い。
ほとんど縁の無い人間だ。
しかし、それでもキリトは心底死んでほしくない、と思った。
「う、うあああっ!」
悲鳴が聞こえた直後、動きだす。
助けなければ。そんな使命感が身体中を駆け巡る。
「た、助けてくれぇーーー!!」
怯えながらも男は必死に剣を振るう。
キリトも必死に割り込もうとするが、三人の間には敵が多すぎる。間に合わない。
男が敵の攻撃を受け、HPバーを全て失ってしまったのが眼に映る。
「し、死にたくねぇ!死にたくねえよーーーーーーっ!!」
そう叫びながら男が一人、その身を散らした。
「いやああああああっ!!」
アスナの悲痛な叫び声が痛いほど耳に届く。それをキリトは無意識に無視する。
そんな事に構っている場合ではない。
「うあああ!!」
叫び声か、気合の篭った声か。どちらとも取れる声を上げながら剣を全力で振るう。後隙など考えず、ただただ敵を葬ることのみを目的として。
キリトは願う。戦いながら、ひたすら願う。
敵の攻撃を受けても構わない。死んでも構わない。
だから、だから頼むからこれ以上死なせないでくれ、と。
あの悲劇をもう一度、起こさないでくれ、と。
「死なせない!!」
声を上げつつけ、ひたすら斬る。もう結晶無効化エリアだということはなぜか肌で感じ取っている。
心臓付近にモグラの爪が刺さる。
その不快感など受け入れず、仰け反りが終了した直後、反撃をして斬り飛ばす。
一つ、耳に嫌な音が届いた。
聞き覚えのある、一番聞きたくない音。
また、一人守ることが出来なかった。
「これ以上、死なせるかーーーー!!」
叫び声を出しすぎ、掠れて行く。それでもまだ、叫び続ける。
脳が焼ききれるほど早く動く。自分の命など知ったことでは無い。
最後の一人、アスナと同い年ぐらいの少女がやられそうになる。その前にキリトが敵を倒そうとする。
――間に合え
だが、キリトと少女の間には敵が2,3体居るという状況。
――間に合え間に合え!
少女の後頭部に敵の攻撃が
――間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え
間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え
間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え
間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え
間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え
間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え!!
「間に合えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
当たった。
「あっ……」
場がシンと静まった気がする。はっきりと、少女のすすり泣き声が聞こえる。
もうすぐアバターが散る。キリトにはそれが判ってしまった。
キリトは情け無い声を上げ、顔にも絶望が広がり始める。
少女は目から涙を流し、唇をわなわなと震わせながら、身体から光を放ちはじめる。
「茅場……かやばぁーーーーーーーー!!」
天井に向ってヒステリックな声を出し、洞窟全体に響かせる。
シャウトで敵を呼び寄せる事などもう頭に無いのか、力の限り叫ぶ。
そんな少女の叫ぶ姿からキリトは眼が放せなかった。
「お前は何のためにこの世界を!!呪ってやる!お前が死ぬまで、私はあの世でずっとお前を呪――――」
言葉は最後まで続かなかった。その前に少女のアバターは四散し、このゲーム……そして現実からログアウトした。
「嘘……だろ?」
誰一人として守れなかった。
どれだけこの状況を頭の中で否定しても、もう死んだ人物は帰ってこない。
キリトの身体から力が抜けていく。
もうどうでも良い。ここで死のう、と。
けど、背後からの叫び声がキリトに再び力を込めさせた。
後ろを振り向いて見ると、アスナが一人、奮闘していただろう姿があった。
ただ、今は麻痺状態になって倒れてしまっている。
(そうだ……まだ一人、残ってる…………!!!)
キリトの体力はもうすぐイエローゾーンへと入ろうとしている。
それでも怖気づかない。
ここで最後の一人を死なせてしまう方がよほど怖い。
アスナは身を震わせている。怯えているのだろうか。少なくともキリトにはそう見えた。
その姿が何となくサチの怯えている姿と被った。
(絶対に死なせやしない!!!)
誓い、立ち上がり、剣を再び振るう。
敵を倒し、一瞬の隙間を見出してアスナを持ち前の筋力を活かして担ぎ、
壁際へと移動して降ろす。
これで大分守りやすくなった。
「に……げて……」
涙声が混じった言葉が背後から聞こえる。
精一杯、強がって言っているのが丸分かりだった。
歯をガチガチと鳴らしている音まではっきりと聞こえる程なのだから。
「……安心しろ」
キリトはこんな、絶望的な状況だというのに、全く心を乱さなかった。
絶望の中の僅かな希望。
この少女を護りきれるかもしれないという希望。
それが目の前にある限り、いつまでも剣を振るえる自信があった。
「絶対に……」
再び顔を引き締め、目の前の敵と向き合う。
そして、心からの言葉を紡ぐ。
「あんたは俺が守る!!」
戦い続ける。
薙ぎ払う、突く、叩き斬る、斬り上げる。
刺される、斬られる、叩かれる、体当たりされる。
攻防はひたすら続く。
状況は絶望的。先が見えない。
敵の数は少しずつ減少する。しかし、それ以上にキリトの体力の方が
確実に削られている。
アスナはそろそろ解毒ポーションを飲んで麻痺を治しただろうか。
そんな事が頭の片隅で思われる。
彼女の事だろうからしっかり用意しているだろうが、最悪の場合、解毒ポーションが無い可能性も無くは無い。
その場合は弱い麻痺でも回復まで最低十分はかかる。
そして、ここは五十層。なかなか強い麻痺だろうから
回復まで15分はかかると見た方がいいだろう。
だから彼女がポーションを持っていない場合、すぐにでも与えなければならない。
しかし、それは難しい。現在、キリトのオブジェクト化しているアイテムの中に
解毒クリスタルはあるが、解毒ポーションは無い。
アイテムストレージの中にはあるが、取り出すのに2,3秒は最低かかる。
それだけの時間を費やしてしまったら、すぐ様敵に一方的に攻撃されて死を迎えることになる。
だからそれは叶わない。
左手だけでストレージを開き、操作する事も可能ではあるが、
左手で体術スキルも駆使しつつ戦わなければとてもでは無いがこの状況を抑えられない。
実はアスナはこの時、解毒結晶が使えないか試した。
しかし使うことが出来なかったため、そのせいで余計に時間を浪費していた。
アスナはまだ解毒ポーションを持ってはいるものの、飲めていないため戦線復帰には時間がかかる。
キリトはアスナが回復に手間取っている間にも、戦い続ける。
この調子ならば、自分は死ぬ。キリトはそう確信した。
死ぬのは構わない。彼の望む所でもある。
しかし、後ろの少女を助けられないのがただ一つの心残り。
せめて最後の一匹と刺し違えたい。そう願う。
敵が襲ってくる。紫色の泥の塊の様なモンスター。
飛び掛ってきた所を、アスナに近づけないために剣で弾く。
そこで、武器に違和感が生じた。
かつてこの階層より少し前でも感じた違和感。
その違和感の正体は武器の耐久値の減少。
(まずいっ――!!)
一気に危機感が溢れ出す。
今使っている武器はメイン武器ではない。メイン武器はボス戦のために取っておいてある。
メイン武器の方はニコラスと四十九層のボスを相手にしてかなり耐久値が減っていたため
NPCに頼んで修理を行った。だから修復された状態だ。
しかし、サブの武器は当分はもつはずだったし、いざとなればメイン武器に代えて
行けばいいと考えていた。
だが、予想外の攻防により武器の消耗が激しい事に加え、この様な敵による
武器の耐久値減少までは計算に入れていなかった。
解毒ポーション同様、それをアイテムストレージから取り出す暇は無い。
つまり、この武器が壊れたらそれと同時に全ては終わる事になる。
意識はどんどん加速していくというのに、それでももう戦う事ができない。
モンスターの姿からしても武器の耐久値を削る気配があったはず。なぜ気づかなかった、と自分を強く責める。
武器の耐久値ぐらい常に全快にしておくんだったと強く後悔する。
だが現状、この剣でどうにかしなければならない。
後どのぐらい持つか。最後まで持ってほしいと願う。
そう願っている時、鳥の敵の突進がキリトに当たって一瞬怯む。
眼を見開き。歯を食いしばって耐える。大きな仰け反りが起きない様耐えなければその瞬間ハメられる。
耐えた。耐え切った。しかし、それと同時に泥のモンスターの攻撃が剣に当たる。
そこで武器の耐久値が限界を迎えたのか、剣が綺麗に砕け散った。
(……ごめん、アスナ)
心の中で静かに謝る。
これでは敵を薙ぎ払うことが出来ない。
アスナの方を横目でチラッと見る。
まだ麻痺からは回復していない。
「ひっく……」
嗚咽が聞こえた。
(ああ、泣いてるのか……)
珍しい光景だろうな、と思った。
いつも強気な血盟騎士団の副長が
こんな場面とはいえ、泣いているとは。
そんなアスナを見たせいか、自然と護ってあげたいという気持ちが競りあがってきた。
(……そうだ)
剣が消え去った右手に力を込める。
(……まだだ!!)
「うおおおおおおおおっ!」
敵に向って右手を突き出す。
エクストラスキル、体術だけに切り替える。
このゲーム内で素手でも唯一戦えると言ってもいい手段。
だが、これも所詮は時間稼ぎ。
どんどん敵が近寄って来て、キリトが敵の攻撃を受ける。
だが、無いよりはずっとマシ。
この絶望的な状況、切り開けるとしたらこれしか無い。このスキルしか無い。
しかし悲しいかな。キリトは剣と比較したら体術は余り鍛えていない。
一番不味かったのは間合い管理が身体に染み付いていない事。
敵の懐に潜り込んだはいいが、次の瞬間、横から一際強力な攻撃がキリトに当たる。
そのせいでアスナから若干離れてしまい、そこを敵がキリトをあざ笑うかの様に横をすり抜ける。
(しまっ――)
破綻が始まる。
後ろの敵を攻撃しようとすると他の敵がキリトを殺しにかかる。
前の敵を迎撃しようとすると通りすぎた敵がアスナへ一方的に攻撃を加える。
一番希望がある行動の選択肢は、彼女が体力を全損する前に麻痺から回復し、
自分の力で敵を跳ね除けること。
しかし、それも希望的憶測である。
「くそ……くそっ!くそっ!クソーーー!!!」
どれだけ悪態をついても事態は好転しない。
――また、皆を死なせてしまうのか。
……あの時とは状況が違う。今回は俺のせいじゃない。
――また、誰一人助けられないのか。
……今回は出来る限りの事をした。最善を尽くした結果だ。きっと誰にも責められない。
――それで良いのか?
……良いはずが無い!!
願う。願う。ひたすら願う。
誰か、彼女を助けてやってくれ、と。
オレンジプレイヤーの連中でも、なんなら茅場晶彦でも誰でも良い。
自分はどうなってもいいから、どうか彼女を救ってくれ、と。
その願いは――――
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
――――届いた。
耳を疑った。自分以外の、少し野太い声が聞こえた。
目の前の敵のポリゴンが散る。
一瞬、何が起きたかわからなかった。
敵は体術スキルで止めを刺せるような体力ではなかった。なのに敵が消えた。
状況をすぐに理解できなかった。
ただ、頭では理解していないというのに、口と身体は勝手に動いた。
「クライン!アスナを頼む!」
瞬間、突如その場に現れたクラインはキリトの横を高速で駆け抜けて行く。
その際、確かに聞こえた。任せろ、と。
そしてクラインが走り抜けた直後、強烈な音が響いた。
刀の強力なソードスキルがクリティカルで敵に炸裂したのだろう。
その攻撃でアスナを襲っていた敵の体力は全損し、その身を散らした。
状況は良い方向へ一変した。
クラインに続き、次々に風林火山のメンバーが上空から降りてくる。
そして最後にロープがスルスルと降りてくる。
上に一人、もしくは数人が残って縄を降ろしてくれているのだろう。
「ほら、飲んどけ」
メンバーの一人よりハイポーションを渡される。
受け取る前にアスナは大丈夫か、と心配して様子を見たら
麻痺は未だに治っていないもののクラインが守ってくれているため
大丈夫そうだった。
それを確認した後、急いでハイポーションを飲み干してメインの武器を取り出す。
そして再び前に出ようとするが、風林火山のメンバーに止められた。
「坊主はリーダーと一緒にアスナさん守ってあげてくれ。雑魚は俺らに任せろ」
「でも……」
「いいから。お前、自分の残りのHP判ってんのか?」
そう言われて見てみると、僅か1ドット残っているかどうか、という状況になっていた。
思わず、「あ……」と間抜けな声を漏らす。
キリトが納得したのを確認すると、風林火山の男は笑顔になって言った。
「判ったのなら大人しく下がってろ。それと……よくここまで頑張ったな」
一瞬、褒められた事にポカンとする。
だが、男はすぐに戦闘体勢に入ったため、キリトもとりあえずアスナの場所へと戻った。
それと同時にアスナは麻痺が治った様で、ようやく身体を起こした。
「大丈夫か?」
アスナは起き上がると共に恐る恐る己の体力を確認する。
体力はレッドゾーンに入るかどうかという所で留まっており、確かな量が残っていた。
「わ……私……?」
アスナが震えた声でなかなか言葉を紡げずに居る。
「生き残ったんだ。あんたは」
怯えから解放されてほっとする。
それがキリトのアスナの行動の予測だった。
しかし――。
「……何で」
「?」
俯き、身体をワナワナと奮わせる。
そして顔を思い切り上げ、キリトに訴えた。
「何で私を助けたのよ!!」
「!!」
アスナはキリトの予想とは全く一致しない発言をした。
顔が引きつる。キリトだけでは無い。
クラインも、敵と戦っている風林火山のメンバーの顔も信じられない、という風に驚きに顔が染まる。
「私が原因で皆が死んだのに!何で私だけ生き残ってるの!!ねぇ、応えてよ!!
何で私だけ!私だけーーーーーーーーーーーー!!」
どれだけ叫ぼうと、もう辺りの敵はほぼ片付いてしまったのか、余り来ることは無かった。
シャウトして敵を呼び寄せる事すら頭の中から抜け落ちているのか、アスナはまだ続ける。
「私が……私が怖がりじゃなかったら!叫ばなかったらこんな事にならなかったのに!
何で皆が死ななきゃいけないの?何で私だけ生き残ったの?
一体茅場は何のためにこの世界を作ったの!?ねえっ!!」
キリトは何一つ、応える事が出来なかった。
ただただ、ひたすらアスナの嘆きを聞き続ける事しか出来ない。
風林火山のメンバーも、敵を倒し終わった後、黙って二人を見守る事しか出来ずにいた。
「……で、何人亡くなった?」
時は過ぎ、今は五十層の迷宮区から出て、帰り道。街の近くのフィールドを歩いている。
あれから、暫くしてアスナは泣き疲れたのか眠り、今はキリトの背中に居る。
キリトの筋力値はだいぶ高く、アイテムも消耗しているせいか
こうして人を一人背負うぐらいの事は可能だった。
「…………4人死んだ」
「そっか。……すまねえな」
謝る理由。それは他の血盟騎士団のメンバーを助けられなかった事に対してなのだろう。
そんな彼の謝罪に、キリトは首を横に振って応えた。
「いや、助かったよ。もしクラインが来てくれなければこいつは死んでいた」
そう言って自分の背中で眠っているアスナを首を曲げて視線を送る。
そしてその後、またクラインへと視線を戻す。
「それよりお前、どうしてあそこに居たんだ?」
「お前ェが今朝、街を出た後に急いで追ってきたんだよ。心配だったからな。
でもフィールドを進んでいるうちに追跡できなくなっちまってよ。
フィールドのモブもダンジョンのモブも初見だったからな。
フレンドリストで追おうにもどういうルートで行っちまったのか検討つかなく
なっちまって追えなくなったんだ。
んで、ダンジョンに来て少しずつフレンドの位置を確認しながら
進んで行って少し前にまた追跡できるようになったと思ったら
その……今度は女の子の叫び声が聞こえたと同時に敵がわんさか来てよ。
何とか片付けた後にまた追跡開始したら……あそこだったってわけだ」
キリトは口には出さない。けど、心より感謝した。
もしクラインが心配して来てくれなければまた一つ、大きな物を背負う事になっていた。
それを免れた事がどれだけ救われる事か。キリト自身以外にそれを理解できる者は居ないだろう。
そうこう話している間にアルゲードに到着した。
辺りはすっかり暗くなり、深夜の時間帯となっている。
他のプレイヤーはほとんど居らず、NPCがポツポツと居るだけだった。
「それじゃあオレはKoBの本部行って今日の事、報告に行ってくる。
たぶんKoBの連中、心配しているだろうからな。
キリトはアスナさんを宿に送って休ませてやってくれ」
本来ならば副団長であり、事故の原因を起こしたアスナがやるべき仕事なのだが、
当のアスナは眠ったまま。キリトか風林火山の誰かが報告に行くしか無い。
ならば、KoBに重要な連絡をするという体面上、報告役はクラインが適していると言える。
「悪いな。嫌な役、任せて」
そう謝るキリトの姿を見て、クラインは軽く笑う。
「な~に、気にすんな。嫌な役目が大人の役目ってな。ほんじゃ、またなキリト」
またな、という言葉に対してはキリトは何もいえなかった。
ただ、今日は取り合えず、軽く手を上げて応えるぐらいはしておいた。
キリトは五十層の宿屋へ泊まるため、アスナを背負いながら出来るだけ人目を避けられる道を選んで行く。
彼女も長期間借りている部屋もあるのだろうが、その場所が判らないため
今日は五十層の適当な宿で我慢して貰うことにする。
宿に入ってアスナをベッドに降ろす。
それで自分の役目は終わり。そう思ってその場を去ろうとするが、
ふと服の裾が掴まれる。
「……アスナ?」
振り返ってみると、いつの間にかアスナが眼を僅かに開き、泣いている。
「一人に……しないで……」
キリトは頭が真っ白になる。
すぐには理由が判らなかった。
ただ、アスナのその表情がどこか、懐かしい気がしたのだ。
(ああ、そうか……)
暫くして思いだす。かつて見たことがある表情だという事に。
この世界が苦しく、怯えている感情が表に強く出ている表情。
そう、かつてサチがよく見せていた表情だった。
だからか、キリトはアスナの手にそっと触れ、同じ布団の触れない程度の位置に潜り込んだ。
傷ついた野良猫の傷の舐めあい。
かつてのキリトとサチ、二人と同じ状況。
キリトはまたこんな状況になる日が来るとは思わなかった。
だが、サチの時とは違い、こんな事をするのは今日だけ。
どうしても見捨てておけない状況の今日だけだ。
明日になったらすぐに離れる。でなければ、また同じ事が起きてしまう。
朝になったら彼女と別れ、また迷宮区で死闘を繰り広げる日がやってくる。
また、孤独の中で戦い続ける。
だけど、今だけはゆっくり休む。今夜だけは。
今のアスナはサチそっくりな状況となっているのだから、きっとサチも許してくれるだろう。
アスナは涙声で謝り続けていた。
ナンナ、グレール、ハーツァ、クラディール。
恐らく死んだ者たちの名前なのだろう。必死に謝り続けている。
キリトはアスナの方へ向き直り、頭を撫でてあやす。
「君のせいじゃない。君は精一杯戦った。
だからこれは防ぎようのない事故だったんだ」
事実だけを見ればアスナが原因な部分は大きい。だけど、誰も死なずに済む方法はあった。
キリトが遭遇してすぐのモンスターとの攻防。あの時、あの場で耐えていればきっと助かったのだ。
だから全てがアスナのせいでは無い。
しかしやはり一番の原因はアスナ。
だが、どれだけアスナが悪かろうとキリトは彼女を責める気には到底なれなかった。
わざとでなければ良いというものでも無いのはキリトにもわかる。
けど、これだけ涙を流して懺悔をし続ける彼女を責められるはずも無い。
キリト自身が彼女に似たような――否、それ以上に性質の悪い失態を犯してしまっているのだから。
黙ってアスナの懺悔に耳を傾けていたが、暫くするとアスナは眠りについた。
それを確認してから、キリトはアスナに背を向けてから眼を瞑る。
今夜だけは一緒に居る。
少しでも罪悪感と恐怖を和らげてあげるために。
それが今、自分にできる唯一の事なのだから。
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後書きという名の空気読めない欄
A君(´・ω・)「なあ、何でクラディール死んでんの?」
B君(`・ω・)「というかそもそも居たのかよ。それにこの時期まだKoBにクラディール居ねえんじゃね?」
C君(・ω・`)「まあいいじゃないか。奴が死んでも困る奴なんて居ない。そうだろ?」
A君(´・ω・)「そうだねー」「ねー」(・ω・`)B君
※クラディールさんに関しての苦情は受け付けておりません。何卒ご了承下さい。