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[35475] 【ネタ】転生先がキリトさんだった件。これからどうしたらいいと思う?(SAO_転生憑依モノ)
Name: みさっち◆e0b6253f ID:560afcc0
Date: 2012/11/24 14:43


誰もがやらなかった禁じ手 『キリトさん転生憑依モノ』 を書いてみた。




 久しぶりに原作を読み返してたとき、なんとなくネタを思いついたので投下してみるテスト。

 あぁ、アニメのせいでまたなんか香ばしいのがわいてきたな。
 ―― くらいの心持ちでお付き合いいただけたら幸いかと。



【警告】 WARNING!! 【警告】


 本作品は、原作主人公への転生憑依要素を含んでいます。
 ・転生憑依? キリトさんがキリトさんじゃないSAOなんて認めるかよっ!
 ・アスナ姫とにゃんにゃんしたいだと? まずはそのふざけた幻想を(ry
 等の、原作改変に対して、並々ならぬ不快感をお持ちの方は、華麗にスルーする事を推奨します。

 また、“ネタばれ”、“ご都合主義”、“捏造設定”、“もはやオリ主”、“オリキャラ”、“キャラ改変”などのキーワードが忌諱に触れる方はお気をつけ下さい。


【警告】 WARNING!! 【警告】



 最後に、作者は国語力が低い上にとうふメンタルなので、きつい事を言われるとすぐにハートブレイクしてしまいます。
 なので、「まぁ、暇つぶし程度に読んでやるよ」くらいの寛容な精神で応対してくれると、とてもよろこびます。







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  ―― Q.桐ヶ谷和人に転生憑依してしまった件。安全に生き残る為にはどうしたらいいと思う?

  ―― A.ソードアート・オンラインをプレイしなきゃいいと思うよ。


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 ―― “目が覚めたら赤ん坊になっていた”なんて事が、実際に起こりうると思うかい?

 そんなの、理性的あるいは良識的に考えれば、まずあり得ない。


 ―― 更に、“その赤ん坊が自分の好きだったライトノベルの登場人物だった”だなんて事になっていたらどう思う?

 それは一体どこのネット小説のネタですか?
 虚構と事実を混同していいのは、作家と中二病罹患者だけですよ?


 ……そんな風に考えていた時期が俺にもありました。

 いやまさか、『事実は小説より奇なり』という言葉を、身をもって体験する日が来るだなんて思いもしなかったよ。
 HAHAHA!





 とまぁそんな訳で、目を覚ましたら俺は赤ん坊になっていましたとさ。

 ―― そんな、嘘みたいな本当の話。





 最初に感じたのは困惑だった。
 そこから、驚愕、混乱、狼狽、消沈と移っていき、最終的に諦観へと落ち着いた。

 だってそうだろ?

 単なる夢にしては、妙にリアルすぎるし、いつまで経っても覚める気配はない。
 嘆こうが、喚こうが、慌てふためこうが、目の前にある事実は変わらない。

 だったらもう、全てをあるがままに受け入れるしかないじゃないか。

 つまり、前世の俺は何らかの理由でもって死んでしまったんだよ。
 でもって、俺は前世の記憶を持ったまま転生してしまったんだよ。

 きっと… たぶん… めいびー…

 もう、そう言う事でいいよ。



 ―― そんな風に、生後数日で半ば悟りの境地に達していた俺は、その数ヶ月後、さらなる災厄に見舞われる事になる。



 まぁ、単刀直入に言ってしまえば、一家そろって事故に遭ってしまったのですよ。それはもう、盛大なヤツに。

 その事故の所為で、今生の両親は他界、俺自身も瀕死の重傷を負うハメに…
 なんとか奇跡的に九死に一生を得る事ができたのだけど、果たしてこれは幸なのか不幸なのか。

 だってそうだろ?

 生後一年未満で両親と死別とかっ… どんな無理ゲーだよ、コレっ…
 今生の俺の人生、ルナティックっ!?

 つか、むしろ下手に生きながらえて悲惨な人生を送るくらいなら、いっその事、あの時にひと思いに死んでしまえた方のが幸運だったのではなかろうか?

 なんて俺が悲嘆に暮れてしまうのも無理からぬ事だろうさ。


 けれど、世界はそんな俺を見捨ててはいなかったっ!


 たった一人残された俺の事を不憫に思ったのか、死んでしまった母親の妹夫婦が俺を養子として引き取ってくれる事になったのだ。

 来た! これで勝つる!!

 などと、最初は軽い気持ちで小躍りしていた俺だったが、身重の身体をおして俺の養子縁組を成立させる為に奔走する叔母の姿を見て、次第に純粋に感謝するようになった。

 ……だってさ。
 この人、自分の大きなお腹も顧みず、何度も俺の見舞いに来てはいろいろと話しかけてくるんですよ。
 「キミは姉さんの忘れ形見」だの、「絶対に不幸になんてさせない」だの、「もうすぐ本当の家族になれるよ」だの。
 挙句の果てには、俺の手を握って声を押し殺しながら泣いたりだとか、さ。
 そりゃお前、こっちもシリアスにならざるをえないってばよ。

 それから、俺は心を入れ替えた。
 訳の分からないまま始まった二度目の人生だし、どうでもいいや。なんて考えは即刻ゴミ箱へと放り捨てた。
 決してこの人の悲しむ事はするまいと、そしてまた、新しく生まれてくる弟か妹を精一杯大切にしようと、そう心に誓った。
 たとえ、直接的な血のつながりのない家族だったとしても、母子であると、兄弟であると、胸を張ってそう言えるような、そんな関係を作っていけたらいいなと願った。


 それから数ヶ月後、無事養子縁組の手続きを終え、正式に俺の両親となった人たちの名前を聞いて、俺は自身のあごが外れそうになるほどに驚愕するハメになった。


 “桐ヶ谷翠”と“桐ヶ谷峰嵩”、それが俺の新しい両親の名前だった。
 そして、その二人に引き取られる事になった俺の新しい名前は、“桐ヶ谷和人”。
 さらに付け加えると、先日生まれた妹の名前は“桐ヶ谷直葉”という。





 ―― それなんてSAO?





 どうやら俺は、ライトノベルの主人公に転生してしまったようです。




  *    *    *




 名前に、来歴、家族構成までもが見事に合致。
 おまけに、茅場晶彦やらNERDLESやらナーヴギアなんて単語が、新聞やテレビで飛び交う毎日。

 もはや、認めるしかないのでしょう。

 俺が転生してきたこの世界はソードアート・オンラインの世界であり、俺が転生した人物はキリトさんこと桐ヶ谷和人その人であるとっ!!



 ―― ふ・ざ・け・ん・なっ!



 つか、いきなり赤ん坊になったってだけでも訳わかんないのに、ラノベの世界に転生とかっ!
 しかも、よりにもよってソードアート・オンラインとかっ!

 おまけに、主人公に憑依とかっ!
 キリトさんに憑依とかっ! キリトさんに憑依とかっ! キリトさんに憑依とかっ!

 もう、何なの? 何を考えているの? バカなの? 死ぬの?

 ―― ていうか死ぬよ、主に俺が! あと、一万人のSAOプレイヤーが!

 あぁ、もう、ちくしょうっ!
 引き取られた先でも、俺の人生はルナティックかっ!!



 くそぅ… 同じソードアート・オンラインの世界でも、どうせ憑依するんならレコン辺りがよかったよ…
 彼だったなら、ALO編の終盤で盛大に自爆して、文字通り一花咲かせてやれたものをっ…
 ALOなら死んでも死なないしなっ!!

 つか、同じSAOプレイヤーだったとしても、エギルやら、クラインやら、またはその他の名も無きオリ主だったならまだマシだったのに…
 なんでよりにもよってキリトさんなんだよ… 難易度激高だろ、常考。
 あんな、薄氷の上で軽快にタップダンスを踊るみたいなマネ、あの人以外にできる訳ないじゃん。


 ぶっちゃけた話、俺にはキリトさん不在でSAOが攻略できるだなんて思えない。
 でもって、前世の記憶がある以外はごくごく平凡な一般人である俺に、キリトさんの代わりが務まるとも思えない。

 つまり、“俺が桐ヶ谷和人に憑依する” = “アインクラッドにキリトさん不在” = “SAO攻略不能” でQ.E.D.だ。

 この世界のSAOが、事実上攻略不可能な無理ゲーである事は確定的に明らか。
 よしんば攻略できたとしても、それにかかる時間や犠牲者の数は原作のそれよりも膨れ上がるだろう事は疑うべくもない。

 それで結局、俺が何を言いたいのかと言うと…


 ―― 攻略できないとわかってるデスゲームに参加するバカが、一体どこの世界にいるってんだよっ!


 つか、そもそもデスゲームな時点でお断りです。

 原作の主要人物たちを含む一万人のSAO参加者には悪いが、俺は顔も知らない他人の為に死地に赴くだなんて博愛精神は持ち合わせていない。
 まして、キリトさんじゃない俺が参加したとしても、SAOを攻略できる保証なんて欠片もないのだからなおさらに。

 加えて言えば ――
 もし仮に無事SAOが攻略できたとしても、参加してしまった時点で最短でも二年、ひどければさらに多くの時間を電脳空間に囚われたままで過ごす事になる訳だ。

 中学二年半ばからの二年間を電脳空間で無駄にするとか、ないわー
 学歴社会なめんなよっ!

 そんなあからさまな負け組ルートに、好き好んで飛び込むヤツがいるだろうか? いやいないっ!

 故に、俺はSAOには近づかない。触れもしない。
 そして、この第二の人生を平穏無事なままで過ごすんだっ!




 と、そんな決意を固めたのも、今となっては遠い過去の話。
 訳の分らぬままに転生し、強制的に新しい人生を歩む事になってから、既に十四年の月日が流れていた。
 思えば遠くへ来たものである。


 共働きで何かと忙しそうだった両親の手を煩わせるのも心苦しいと、物分かりのいい手のかからない子供を演じていた幼年期。
 忙しい両親の代わりにぐずる妹の世話をしたり、じいさまに筋がいいと言われ竹刀を片手に追いかけ回されたりしたのも、今となってはいい思い出である。

 持ち越した前世の記憶の所為で精神年齢が合わず、孤立するハメになった小学校時代。
 おかげで、親しい友人の一人も作れず、まっすぐ家に帰っては両親の代わりに家事やら妹の世話やらをする毎日だった。
 まあ、じいさまの言いつけで剣道道場に通ったりもしていたけど。

 というか、よくある転生モノの主人公たちのコミュ力は異常だろ。
 あそこまで精神年齢のずれた級友たちと話を合わせるなんて、とてもじゃないが無理だ。
 俺には、彼らの言動や情動を理解する事なんてできなかった。

 そんな俺が、リアルの年齢を気にせず素の自分を出しても問題のないネットゲームの世界に耽溺するようになったのは、ある意味で当然の帰結だったのかもしれない。
 ゲームの中でなら、現世でのしがらみに囚われる事なく自由に振る舞う事ができた。素の自分を出しても、周囲から奇異の目を向けられる事はなかった。

 そんな俺だったから、母さんからSAOのベータテスターに当選したと聞かされた時には、一も二もなく飛びついた。
 そこには、迷いも、ちゅうちょも、ためらいも、一欠片だってありはしなかった。



 え? 固めた決意はどうしたのかって? ―― 大丈夫だ、問題ない。

 SAOのベータ版はデスゲームじゃない。
 言うなれば、参加しても死ぬ事のない“安全な”SAOなのだ。
 だったらもうプレイするしかないだろっ!!

 フゥーハッハッハッハ!
 SAO、サイコー! 茅場晶彦、まぢ天才!




  *    *    *




 運命は廻る…
 予定調和という名の歯車に導かれて、くるりくるりと廻り続ける…

 因果の果てに待ち構えるは希望か絶望か、それはまだ神のみぞ知る…





[35475] 第1話
Name: みさっち◆e0b6253f ID:560afcc0
Date: 2012/11/29 00:24

 その日、俺は一人寂しくリビングで昼食を食べていた。

 妹の直葉は、剣道少女よろしく、学校の剣道場で部活に精を出している。
 母さんは、仕事のない休日は基本的に昼過ぎまで寝ている。
 父さんは、海外に単身赴任中で、もうかれこれ一年ほど顔を見ていない。

 故に、今日の俺はボッチ飯。買い置きの菓子パンを、モソモソと口に運ぶ。
 まぁ、だからという訳でもないのだが、今日の俺はなんともアンニュイな気分に浸っていた。

 暇つぶしにとつけたテレビでは、SAOの特番が放送されていた。
 というか、今日に限っていえば、多分どこの局でもこんなもんだろうな。
 ものは試しとばかりにチャンネルを変えてみても、SAO、SAO、SAO。

 さすがは、全世界中から注目を集めているVRMMORPGなだけの事はある。

 SAO、マジパネェ…

「……つか、このお姉さんも、まさか今自分が解説しているゲームが、ほんの数時間後にはデスゲームになってるだなんて、思ってもみないんだろうなぁ」

 テレビの中で、「私も欲しかったー」などと言っているレポーターの女性を見ながら、俺はポツリとつぶやいた。





 ―― 2022年11月6日。

 今日この日より、のちに史上最悪のネット犯罪と呼ばれる事になるSAO事件が始まる。





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  第1話  チキンな俺がSAOをプレイするわけがない

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 何の気なしに眺めていたテレビから時計へと視線を移せば、現在の時刻は12:42。
 気づけば、ゲーム開始までの残り時間は、既に30分を切っていた。

「……アイツらも、今頃はきっとナーヴギアかぶって準備万端スタンバってるんだろうなぁ」

 ボヤくようにつぶやいた俺の脳裏に浮かんだのは、ベータテストをプレイしていた時に知り合い、幾度もパーティを組む事になったフレンドたちの姿だった。


 SAOのベータテストは、たったの2ヶ月という短い期間であったにもかかわらず、そんな事が吹き飛ぶほど濃密な時間を俺に提供してくれた。

 広大な世界、難解なダンジョン、凶悪なモンスター、流麗なソードスキル、そして、圧倒的なリアリティ。
 数多のネットゲーマーたちの求めて止まないものが、そこにはあった。
 それこそ、俺が今までプレイしてきたいくつものナーヴギア対応ソフトなど児戯に等しかったとすら思えるくらい、SAOはスゴかった。

 あんな代物が、ほぼたった一人の力で創り上げられたと言うのだから、本当にすごい。
 茅場晶彦という男が、多方面の有識者たちをして超ド級の天才だと言わしめるのにも納得がいくというものだ。
 ……その思想はともかくとして。

 おかげで、SAOにログインした俺のテンションは常に上げ上げ状態。
 そのままの勢いで、アインクラッドの大地を縦横無尽に駆けずり回っていた。

 無駄に一晩中、街にあった訓練用のカカシを殴りまくってみたり。
 フロアボスに、一人でバンザイ突撃を敢行してみたり。
 両手に武器を持って、システム的には意味のない二刀流ゴッコをしてみたり。

 最初の二週間くらいは、ずっとそんな感じの事をやっていた。
 傍から見れば、ただの痛い子にしか見えなかった事だろうな。

 とは言え、来る日も来る日もそんな事をやっていれば、いい加減ネタも尽きてくる訳で。
 はっちゃけるのにも飽きてきたし、そろそろ真面目に冒険するか、なんて思っていたところで出会ったのが、ユウ、レイ、ジョーの3人だった。

 寡黙な盾騎士のユウ。
 陽気な長槍使いのレイ。
 ヘタレンジャーのジョー。

 なんとなく声をかけたことから始まった関係だった。
 けれど、気があったのか、波長があったのか、気がつけば俺と彼らはいつの間にやら固定パーティを組む程に深い仲になっていた。
 そして、俺は彼らと共にクエストを攻略し、いくつものダンジョンを踏破し、背中を預け合いながらボスと戦った。

 三人とも、なかなかに愉快で気の良いヤツらだった。
 だからこそ、リアルではボッチ街道まっしぐらだった俺の中で、彼らが親友と呼んでも差し支えないほどの存在になるのに、そう長い時間はかからなかった。

 彼らは、俺がこの世界に転生してきて初めてできた親友になった。

 そりゃまぁ、ネットの世界でなら、友人の10人や20人はいた。
 でも、その関係は所詮、無機質な文字のやり取りでしかなかった。
 親友と呼べるほどに深い仲になった相手は、1人もいなかった。
 こちらの都合上、オフ会に参加する訳にもいかなかったので、尚更に。

 そんな俺にとって、現実と見紛うばかりのSAOのリアリティは、まさに青天の霹靂と言って過言ではなかったのだった。

 楽しかった。
 偽りの仮面アバターなのだと分かってはいても、直接顔を突き合わせて笑いあったり、バカ話で盛り上がったり、時に額を突き合わせて喧嘩したり。
 そんな風に、普通の友達付き合いができる事が、俺にはこの上なく楽しかった。

 家族以外の人間とは事務的な会話以外した事のなかった十四年のボッチ生活は、自分でも気づかぬ間に俺の心をかなりのレベルで蝕んでいたようだった。

 だから俺は、彼らと一緒に遊ぶ為に、自分でも思ってもみないくらいSAOにのめり込んでいく事になった。
 もともとは単なるミーハー目的で始めたハズだったSAOに、気がつけば昼夜問わず、それこそ寝る間も惜しむレベルでログインするようになっていた。

 夏休みが終わるまでは、食事と入浴の時間以外はほとんどずっとログインしていた。
 新学期が始まってからも、睡眠時間は学校で確保し、家に帰ったら即ログイン。
 そんな生活を続けていた所為か、フレンドたちからは「お前はいつログインしたってここにいるな」なんて苦笑されたりもした。

 そんな夢のような時間が終わったのは、今から一ケ月ほど前の事だった。
 そして、夢から覚めた俺は、とある一つのとてつもなく重大な事実と向き合う事を余儀なくされた。

 ―― SAOは、デスゲームである。

 それは、動かしようのない純然たる事実だった。

 ベータ版SAOは、たとえゲーム内で死んだとしても、多少のデスペナルティを支払うだけですぐに復帰する事ができた。
 けれど、今日から始まる正式版は違う。
 正式版SAOでは、ゲーム内で死んだ場合、使用者の脳がナーヴギアによって破壊されるようになっているのだ。
 そして、内部からの自発的にログアウトする手段は一つもない。
 加えて、外部からナーヴギアを取り外すなどの手段で強制終了しようとした場合には、ゲーム内で死んだ時と同様の処置がされるようになっている。

 つまり、“生きて現実世界に帰る為にはSAOを完全攻略しなければならない”というデスゲームに作り変えられているのだ。

 製作者本人の手によって…
 『真の異世界の具現化』という彼自身の願いを叶える為に…


 ぶっちゃけた話、俺にはキリトさんなしでSAOがクリアできるなんて思えない。
 仮にクリアできたとしても、それは原作以上の時間をかけ、原作以上の犠牲者を出して、となるだろう。
 原作のようなショートカットクリアが行われる可能性は、まずあり得ない。
 二刀流を取得するプレイヤーが一体誰になるかは分からないが、その誰かさんにキリトさん並の働きを期待するのは無茶と言うものだろう。

 つまり、“SAOをプレイする” ≒ “死ぬ”という実に解りやすい等式が結ばれる訳だ。

 クリアの見込みのないデスゲームに参加するなんて、バカのする事だ。そんなの自ら死にに行くようなものだ。
 俺は死にたくない。だから、そんな代物に手を出そうだなんて気にはならない。

 けれど、ユウたちは違う。
 ベータテスターだった彼らは、まず間違いなく今日これから始まるSAOをプレイするだろう。
 それが自身の命をも脅かすデスゲームなのだという事を、知る由もないのだから…

 だが、もし仮にここで俺が彼らにSAOはデスゲームなのだと知らせたとしても、そこに何の意味があるだろう?

 そんな与太話を信じる者などいやしない。
 前世での原作知識なんて、明確な根拠のない情報なんて、誰も信じたりはしない。
 そんな不可解な情報で、彼らを止める事なんてできやしない。

 ―― だったら、俺は一体どうすればいい? どうすれば彼らを助ける事ができる?

 なんだかんだで買ってしまった正式版SAOのパッケージ。
 こいつを、SAO事件対策本部の菊岡氏に提供する?

 なるほど確かに、未使用のパッケージ品があれば、なにか捜査の手助けになるかもしれない。
 けれど、それだけだ。多少捜査の手助けになったところで、あの男の創ったゲーム ―― 世界をどうにかできるだなんて思えない。

 独力で茅場晶彦の居場所を突き止めた神代女史。
 彼女の事をリークする?

 なるほど確かに、それならば彼女を通じて茅場を逮捕する事ができるかも知れない。
 けれど、それには何の意味もない。たとえ茅場が捕まったとしても、それでデスゲームが終わる訳じゃない。
 何より、彼が事前に宣言していた通りに全てのプレイヤーを殺してしまうかもしれないという危険性もある。


 覆水盆に返らず。
 こぼれた水を盆に戻す事などできはしない。
 事が起こってしまってからでは、何もかもが遅すぎる。

 結局、事前にデスゲームが始まる事を止められなかった時点で、SAOの参加者が解放される方法なんて一つしかないのだ。

 ―― すなわち、ゲーム内で茅場晶彦本人を打倒する事。

 そして、それを踏まえた現状で俺に選ぶ事のできる選択肢は、実のところ二つしかない。

 一つは、SAOに参加せずゲームがクリアされる事を祈って待つこと。
 一つは、SAOに参加し親友と共にゲームのクリアを目指すこと。

 親友を見殺しにするか、自分も一緒に死ぬか、二つに一つだ。


 ……そんな二択、どちらも選べるハズがないじゃないか。


「―― ちっ」

 思わず、舌打ちがもれる。

 こんな事になるんなら、ベータテストになんて参加しなければよかった。
 一年我慢して、ALOが発売されるのを待てばよかった。
 あるいは、調子に乗ってパーティプレイなんかせず、最後までソロを貫き通せばよかった。

 そうすれば、こんな気持ちになる事もなかっただろうに…


 死ぬのは嫌だ。だけど、見殺しにするのも嫌だ。


 全てを丸く収める事のできる第三の選択肢があればいいのに。
 そうすれば、みんなが笑い合う事のできるエンディングを迎える事だってできるハズなのに。

 ……けれど、そんなものは何処にもありはしない。


 ―― この世界に主人公ヒーローはいない。




  *    *    *




 時刻は、ついに13時を回って、13:05。

 結局俺は、親友を見殺しにする方を選んだ。

 いや、選んでなんかいないか。
 時間切れの結果、そうなってしまったというだけだった。

 ……最悪だな。

 結局のところ、俺には共に死地に赴く勇気も、非情に切り捨てる強かさもなかったと、そういう事なんだろう。
 というか、たかだか前世の記憶を引き継いでいるだけの平凡な中学二年生に求めていいレベルの選択じゃないと思うんだ、コレは。
 こんな選択、大の大人にだって選べやしないだろう。

 そんな言い訳じみた事を思いながら、俺はSAOのサービス開始のカウントダウンを終えたテレビの電源を落として席を立つ。
 そして、食べ終えた菓子パンの袋を丸めてゴミ箱へ捨てた。


 胸の内にくすぶっている罪悪感は、いまだに俺を苛んでいる。
 今ならまだ間に合う。その気になれば、すぐにSAOを始める事ができる。彼らのもとへ向かう事ができる。
 そんな風に考えている自分が心の片隅にいるのを感じる。
 見殺しにするのを仕方ない事だと諦めているチキンな俺を、それでいいのかと叱責する声が聞こえてくる。


 だからこそ、今は何かをしていたかった。
 手を動かしている間だけは、何も考えず、その事だけに集中していられるから。

「とは言うものの、これから一体何をしようか?」

 予定のない休日の過ごし方に、俺は頭を悩ませる。

 普段の俺だったら、それこそネットの巡回をしたり、某大型掲示板に書き込みをしたり、ネトゲをプレイしたりする訳なのだが…

 今日一日くらいはネットに触れたくない。
 理由なんて言うまでもない事だろう?
 気分転換をしたいハズなのに、更に憂鬱な気分になるとか、一体何がしたいんだよ。

 ……とは言え、ネットという選択肢をなくしてしまうと、途端に手持無沙汰になってしまうのが俺の悲しいところ。
 普段、自分がいかにネットに依存して生活しているのかを思い知らされる。

「……ふむ。いっその事、素振りでもしようかね」

 最近、ご無沙汰だったし。
 それに、汗の一つでも流せば、多少はこの煩悶とした気持ちも収まるんじゃないだろうか。
 倒れるまで、無心でただひたすらに剣を振り続ける。……うん、それもありだな。

 そんな風に考えをまとめ、俺が道場に向かおうとしたところで、妙にフラフラした様子の母さんがリビングにやってきた。

「あ~ やっと終わったわ~」

 そんな事を言いながら、母さんは盛大な溜息をついて、ぐったりとちゃぶ台に突っ伏した。
 その姿を見て、俺は我知らず苦笑を浮かべる。

 俺は、母さんのその心底疲れ切ったような様子から、職場から持ち帰ってきた仕事を今の今までやっていたのだろうと当たりをつける。

 まったく、たまの休日だって言うのに、相も変わらずご苦労な事である。
 と言うか、この人の場合、もうほとんどワーカーホリックの領域なんじゃないだろうか?
 仕事に打ち込むのは結構な事だけど、あまり根を詰めすぎて倒れられても、それはそれで困るんだけどなぁ…

 そんな事を考えながら、俺は母さんに声をかける。

「母さん、昼飯はどうする? 今だったら、俺が何かテキトーに作るけど?」

「お願い~」

「あいあい」

 ちゃぶ台に突っ伏したままの体勢で手を振る母さんにうなずき返すと、俺はキッチンに向かった。

「まったく、もぉ… あの子ったら、他ならぬこの私の娘だってのに、どうしてあそこまでPCオンチになれるのかしらねぇ…」

 母さんが何やらぶつくさと愚痴っているのが聞こえてくるが軽くスルー、下手に突っついて噛みつかれても困るしね。
 そして、キッチンに辿り着いた俺は冷蔵庫を開いた。

 ふむ。見事に何にもないな。
 そう言えば、最近はSAOの事ばかりで、買い物にすら満足に行ってなかった気がする。
 桐ヶ谷家の家事をほぼ一手に引き受けている俺がこの体たらくなのだから、冷蔵庫の中のこの惨状もむべなるかな。
 米に関しては、冷凍庫に小分けに冷凍していたのがあるから、これを解凍すれば問題ないだろう。
 あとはまぁ、とりあえず卵が何個かあるから、何か適当に卵料理でも作ればいいか。
 “TKG(卵かけごはん)用”などというラベルが貼ってあるのは見ないふり。あれは料理でも何でもない。

 そんな風に考えをまとめると、俺は卵をいくつか取り出し調理を始めた。

 ジューッという卵の焼ける音を聞きながら、ふと俺は、あんなにも千々に乱れていた自身の心が、いつの間にかすっかり落ち着いているのに気づいた。
 何故だろうと首をかしげる。

 リビングには、だらしない姿でちゃぶ台に突っ伏している母さんがいる。
 そして、そんな母さんの為に昼食の準備をしている俺がいる。

 そこまで考えたところで、ふっと答えに思い至る。

 ……あぁ、そうだ。そうだった。これが俺の日常だった。
 私生活だと意外なほどにだらしない母さんや、しっかりしているようで意外に抜けてるところのある妹の世話を焼くのが俺の役割だったじゃないか。

 最近、SAOの事ばかり気にしていた所為で、こんな大切な事を失念してしまっていた。

 俺の望みは何だったのか。俺が本当に守りたいものは何だったのか。
 そんなの、考えるまでもない。

 幼かったあの頃に抱いた誓いは、今もこの胸の中にある。

 そうだ。俺はこの日常を守りたい。
 母さんや直葉を悲しませるような真似はしたくない。
 だからこそ、SAOをプレイする訳にはいかない。
 何故なら俺は、原作で二人がどんな想いをする事になるのかを知っているから。

 なんか、母さんや直葉を出しにするみたいで気が引けるけど、それが今の俺の素直な気持ちだった。

 迷いは晴れた。

 三人を見捨てる事への心苦しさは、きっと消える事はないだろう。
 けれど、それでも俺は、俺の日常を守る為にSAOをプレイしない。
 時間切れで流された結果としてではなく、自分自身が選んだ結果として。

 それが俺の選択だ。

 そんな風に心の中で決意を固めていると、リビングにいた母さんが突然大声を上げた。

「―― って、和人っ!?」
「うぉっ!?」

 不意打ち気味なその大声にかなり驚き、慌てて振り返れば、母さんがドッタンバッタン音を立てながらキッチンに顔を出してくるところだった。

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、ちょっと、和人っ! アンタ、こんな時にこんなところで、何を呑気に料理なんてしてんのよっ!!」

 今にも掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってくる母さん。

「いや、何を呑気にって… そりゃ、母さんの昼飯を作ってるからだけど?」

 そんな母さんの様子にやや引き気味になりつつも、俺はそう返した。

「いやいやいや、そうじゃないでしょ。ゲームはどうしたのよ、ゲームはっ! アンタ、今日がSAOの本運用開始の日だって知ってるでしょ? なのに、どうしてアンタがここにいるのよっ!」

「どうしてって…」

 まあ確かに、母さんはベータテスト期間中に俺がどれだけ無茶な事をしていたのかをよく知っている。
 そんな俺が正式運用の開始したSAOをプレイしていないのだから、そりゃ驚くのも無理はないのかもしれない。

 ……でも、だからって、こんなに取り乱すほどの事だろうか?

 なんとなく疑問に思いつつも、ひとまず俺は妙な具合に興奮気味な母さんを落ち着かせる。
 そして、デスゲーム云々の事は誤魔化しながら、今日はSAOをプレイする気はないという事を伝えると…

 何故か母さんが、「うわぁ~、やっちまった~」とでも言いたげな顔になった。

「なぁ、一体どうしたんだよ、母さん。なんか俺がSAOをプレイしないと不都合な事でもあるのか?」

 なにやら嫌な予感を覚えつつ俺がそう問いかけると、母さんが気まずそうな顔で頬をかいた。

「いやね。今、直葉がSAOをプレイしてるのよ」


 …………………………は?


「そこでアンタの事を探してると思うんだけど… どれだけ探したって見つかる訳ないわよね。アンタ、ここにいるんだし」

 え? なんだって? この人は今、何て言った?

「というか、アンタがプレイしてないなんて思ってもみなかったわよ。おかげで予定が狂っちゃったわ。おまけに、今日はプレイする気はないとか… う~ん、どうしたものかしらね? 呼び戻そうにも、ナーヴギアにリンク中の相手に外から連絡する手段なんてないし。……いっその事、ナーヴギアを外して強制終了させちゃおうかしら?」

「―― ちょ、ちょっと待ってくれよ、母さんっ!? 直葉が、直葉がどうしたって?」

 眉根を寄せながらとんでもない事を口走った母さんに、俺は泡を食ったような勢いで詰め寄った。

「へ? あ、いやだから、SAOで、いもしないアンタの事を探してるんだってば」

 直葉が、SAO…?

「い、いやいやいや、何をバカな。そんな事、あるハズないだろ?」

 だって、そんなシナリオ、俺は知らない。

「SAOの初期出荷分は限定一万本。そりゃ、ベータテストに比べれば倍率も大分下がってるだろうけど… それにしたって、素人がそう簡単に手に入れられるような代物じゃない」

 あいつがプレイするのは、SAOじゃなくてALOのハズじゃないか。

「一万本の内、千本はベータテスターが優先購入権を持ってたし、ウェブ予約分は数分で即完売、店頭販売分も徹夜組が三日も前から行列を作っていたってニュースにもなったくらいだ。直葉がSAOを買える要素なんて、万に一つもありはしないじゃないか」

 だから、アイツがSAOをプレイするハズがない。できるハズがない。

 けれど、そんな俺の否定の言葉は、続く母さんの言葉を前に、もろくも砕け散った。

「そこら辺はまあ、蛇の道は蛇って言うか、パソコン情報誌編集者の面目躍如ってところかしら? ……おかげさまで、随分と大きな借りを作らされるハメになったんだけどね」

 などと遠い眼をして語る母さん。

 たかが、ゲームソフト一本。されど、ゲームソフト一本。
 全世界が注目する史上初めてのVRMMORPGを融通してもらうとか… 母さん、一体何をしたんだ?

 ……いや、この際そんな事はどうだっていい。
 問題なのは、母さんが実際にSAOをどっかからもらってきてしまったという事か。

「……ていうか、たとえゲームがあったとしても、自他共に認めるゲーム嫌いでPCオンチな直葉が、どうしてSAOなんてやろうとするんだよ? ネットワークゲームとか、アイツが一番嫌いなジャンルじゃないか」

 アイツのPCオンチっぷりは、兄である俺が一番よく知っている。
 なにせ、アイツは自分の部屋に置くPC端末ですら、そのセットアップからメールアカウント、その他もろもろの設定まで、全て俺に丸投げしてきたくらいなのだ。
 おまけに、携帯端末だって通話機能とメール機能以外満足に扱えないレベルだし。

 それに、原作で直葉がALOを始めたのは、SAOに囚われてしまった兄の事をもっと知りたいと考えたのがきっかけだったと記憶している。
 だったら、今の彼女にゲームをプレイしようだなんて考える理由なんてない ――

「そんなの、アンタがやってたからに決まってるでしょ」

 ―― ハズだ…

「…………って、は? え、俺?」

 母さんの言ってる言葉の意味が分からない。

 俺がSAOをやってたから何だってんだ?
 どうしてそれが、アイツもSAOをやりたがる理由につながる?
 別に俺はまだ、デスゲームに囚われてなんかいないぞ?

 困惑する俺に向けて、母さんが呆れ顔でため息を一つ。

―― 『お兄ちゃんをゲームに取られた』

「あの日、馬鹿みたいに深刻そうな顔をしたあの子の第一声がそれだったわ」

 ……俺をゲームに? なんだそりゃ?

「この世の終わりみたいな顔して一体何を言い出すのかと思ったら、それよ? 本当、笑っちゃうわよね。……まあ、あの子があそこまでアンタに依存するようになっちゃった原因は、間違いなく私や峰嵩さんにあるんだから、あまり笑ってばかりもいられないんだけど、ね」

 そう言って、母さんは口元に苦笑いを浮かべる。

「だから、私は言ってやったのよ」

―― 『取られたんなら、取り返してきなさい。その為に必要なものは、全部母さんがそろえて上げるから』

「……おかげで、私はここ一週間くらい、ほとんど不眠不休の大忙しよ。あのPCオンチにものを教え込むのには、本当に骨が折れたわ。なんせ、ほんのつい今し方まで、あの子のアバターの設定やらなんやらを手伝ってたくらいだし」

 そして、サービス開始と同時にあの子にナーヴギアをかぶせて今に至る、と言って母さんは話を締めくくった。

「というか、今回の事の原因は8割以上がアンタの責任なんだから、ちょっとは私に感謝しなさいよ」

「俺の、責任…?」

「そりゃそうでしょ。和人ったら、ベータテスト期間中は、寝ても覚めてもSAOの事ばかり。終わったら終わったで、今度は呆けた顔でどっか遠くを見てたり、憂い顔でため息ついたりで、こっちからいくら話しかけたって無反応。そんなの、直葉じゃなくたって不安になるわよ。それでなくても、あの子はアンタにべったりなんだから」


 それはつまり、俺がSAOに傾倒し過ぎていた所為で、直葉はSAOがプレイする事になったと?


「って、あ、あーっ!! 焦げてる、焦げてる! めっちゃ焦げてるってば、和人!! あぁ、私の昼飯がぁーーっ!!」

 火にかけたままだったフライパンからモクモクと黒煙が立ち上っているのを見て、母さんが悲鳴を上げた。

 大慌てで駆け寄ってくると、コンロのスイッチを切った。
 そして、胸をなで下ろしながら安堵の吐息をひとつ。

「まったく、もぅ… 一体どうしたのよ、和人。 ―― って、アンタ、本当にどうしたのよ? 顔、真っ青よ?」

 心配そうに俺の顔を覗き込む母さんに、けれど俺は返事を返す事ができなかった。


 そう言えば、最後に直葉と会話をしたのはいつの事だっただろうか?

 その問いに対し、すぐに答えを出せなかった自分に愕然とした。
 以前は、それこそ毎日のように会話をしていたハズだったのに…

 学校での事や、道場での事。嬉しかった事、悲しかった事。楽しかった事、くだらなかった事。
 ほとんどの場合、しゃべるのは直葉の役割で、俺は聞き役に徹してばかりだった。
 けれど、それでも表情をころころと変えながらその日1日あった事を伝える直葉を見ているのは退屈しなかった。
 そんな時間が、俺は好きだった。

 それなのに、ここ最近、彼女と会話した記憶が少しもなかった。

 そして、理解した。

 俺がSAOにかまけていた所為で、どれほど直葉を寂しがらせていたのかを。
 俺がうだうだと悩んでいた所為で、どれほど直葉を不安にさせていたのかを。

 その所為で、本来なら彼女が関わる事のないハズだった事件へと巻き込んでしまったという事を。


 だったら、今の俺にできる事なんて一つしかないじゃないか。


「なあ、母さん。今から直葉を迎えに行ってくるから、アイツのアバターネームを教えてくれないか?」

 いくらゲームの中だと言っても、顔も名前も知らないような相手を探し出すのは不可能だ。
 さすがの直葉でも、リアルと同じ容姿のアバターで実名プレイなんてとんでもない真似はしてないだろうし。……してないよな?

 というか、そう言えばアイツはどうやって俺を探しているんだ?

「え? あぁ、えっと、“リーファ”よ」

 リーファ、ね…
 まぁ、考えたのが同一人物なんだから、そういう事もあるだろう。

「……ねぇ、和人。本当に大丈夫なの? 顔色さっきよりも悪くなってるわよ? ほら、直葉だって子供じゃないんだし、しばらくしたら諦めて戻ってくるわよ。だから、アンタが無理して今迎えに行く必要なんてないのよ?」

 しばらくしたら戻ってくる、か…
 そうだよな。普通だったら、そう思うよな。

 ……でも、そうじゃない。そうじゃないんだよ、母さん。

「なあ、母さん」

「な、何よ、あらたまって?」

 真っ直ぐ母さんの目を見て問いかける俺に、母さんがキョトンとした顔になる。

「しばらくしたら、多分とんでもないニュースが流れだすと思う。でも、心配しないでほしい。直葉の事は、俺が絶対に連れて帰って来るから。だから、信じて待っていてほしいんだ」

「は? え? あ、あんた、一体何言って ――」

 戸惑う母さんに背を向ける。

「……いってきます」


 ―― 向かう先は、巨大浮遊城≪アインクラッド≫。


 囚われのお姫様を助ける為に魔王の城に立ち向かうだなんて、なんだか大昔からあるオフゲーRPGの鉄板みたいな展開だよな。

 そう考えると、なんだか少し笑えた。




  *    *    *




 ナーヴギアの稼働状況を表すLEDインジケータ。
 三つあるLEDライトの左端、大脳接続をモニターしているそれは、今も煌々と青く輝いていた。

 ナーヴギアをかぶりベッドに寝ている直葉を見下ろしながら、俺はホッと胸をなでおろす。

 ―― よかった。直葉は、まだ生きている。

 ゲーム開始からまだ1時間も経っていないのだから、そう滅多な事は起こらないだろうとは思っていた。
 けれども、実際にこの目で確かめるまでは安心なんてできはしなかった。
 なんせ、これから助けに行こうと思っている相手が既に手遅れな状態になっていただなんて、そんなの笑い話にもならない。

「直葉…」

 俺は、眠る直葉の頬を軽くなでた。

「ごめんな、直葉。不甲斐ない兄貴で、ごめんな。こんな事に巻き込んじまって、ごめんな」

 それは後悔。それは謝罪。それは告解。

「―― でも、守るから。絶対に、守るから」

 そして、それは誓い。


 俺はその場に腰を下ろすと、ベッドのふちに背を預けてナーヴギアをかぶる。
 本当だったら、自分の部屋に戻り、きちんとベッドに寝た状態でログインする方がいいのだろうけど、なんとなく今日はここからログインしたい気分だった。
 感傷以外の何物でもないんだろうけど、今は少しでも彼女の近くにいてあげたかった。

 だから俺は、直葉の手を握りしめながら目を閉じた。


 なんとも不思議な心持だった。

 これから俺が向かうのは単なる仮想世界じゃない。
 仮想での死が現実の死に直結している、史上最悪のデスゲーム“ソードアート・オンライン”。
 一度入ってしまったが最後、ゲームがクリアされるまで、生きて脱出する事の許されない不条理な世界。

 にもかかわらず、今、俺の心はこれ以上ないくらいに凪いでいた。
 この土壇場に来て肝が据わったのか、あるいは自棄っぱちになったのか。
 それは、自分でも判らなかった。

 でも、悪くない。

 不安がない訳じゃない。
 でも、一度覚悟を決めたらなら、あとは自分がなすべき事をやるだけだ。
 ただひたすらに、前だけを見て駆け抜けるのみ。

 クリアへの道筋は既にできている。
 考えるべき点は二つ。
 一つは、ヒースクリフの正体を告発するタイミング。
 一つは、ヒースクリフとの一騎討ちに勝利する為の戦略。

 前者はともかく、後者に関しては相当うまい事やらないと達成は難しそうだけど、それでもやるしかないんだ。

 この世界に、英雄キリトはいない。

 俺はキリトさんじゃない。
 俺にキリトさんの代わりなんて務まらない。
 彼の様な、六千人を救った英雄になれるだなんて思っちゃいない。

 だけど、たった一人の妹くらいは守ってあげられるような、そんな兄貴でありたい。

 たとえ、本当の兄妹ではなかったとしても。
 たとえ、本当のキリトさんじゃないニセモノだったとしても。

 それでも、直葉は俺の妹で、俺は直葉の兄貴だから。
 このつながりだけは、嘘じゃないから。

 絶対に守る。絶対に死なせない。絶対に連れ帰る。

 これは俺の誓い。これは俺の決意。

 そして、これはこの世界への宣戦布告だっ!!


「―― リンク・スタート!」




  *    *    *




 遊びの時間モラトリアムは終わった。
 さあ、命を賭けた本当のゲームを始めよう。

 これは、とある天才の狂気が作り出した異世界に囚われたる人々の織りなす物語。

 現実となったゲームの世界で、彼らは一体何を成し、何を得るのだろうか?

 ―― その答えを、今はまだ誰も知らない…





 > > > > > > > > > > > > > > > > > > > >


 リーファ・イン・アインクラッド。

 そう言えば、直葉がSAO事件に巻き込まれる話ってないよねぇ
 そんな思い付きから生まれたのがこの話。


 作者は、キリトさんヒロインズの中では、リーファが一番好きです。 ポニテ (*´ω`*)
 故に、リーファのいるSAOをっ! リーファがメインヒロインのSAOをっ!! そんな話があったっていいじゃないか!!


 もし、話の流れに不自然な違和感を覚えてしまったならごめんなさい。
 全ては作者の筆力不足のいたすところでございます。

 正直、作者自身、あまり納得がいっていない部分もあるのですが…
 でも、作者の足りない頭ではこれが精一杯。
 本来いなかったはずの人間を無理矢理押し込んだ訳なので、そこら辺は割り切って考えてもらえるとありがたいです。

 こまけぇこたぁいいんだよ、そう言ってくれるあなたが好きです。



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[35475] 第2話
Name: みさっち◆e0b6253f ID:560afcc0
Date: 2013/05/20 00:20


 βテスト時に登録したデータが残っていますが、使用しますか?
 アバターネーム : “Kazuya”

 ―― YES


 “ Welcome to Sword Art Online ! ”




 ライトブルーの閃光が視界を呑み込んだと思った次の瞬間、感じたのは一瞬の浮遊感。
 そして、その直後、足の裏から石畳を踏みしめるリアルな感触が返ってくる。

 ホワイトアウトした視界が徐々に視力を取り戻していき、周囲の光景がおぼろげながらも見え始めてきた。

 広大な石畳。周囲を囲む街路樹と、瀟洒な中世風の街並み。そして、正面遠くにそびえたつ巨大な宮殿。

 そこは間違いなく、ゲームのスタート地点である《はじまりの街》の中央広場だった。


 約一ヶ月ぶりの《アインクラッド》の大地を踏みしめながら、俺は空を仰ぐ。

「また、戻ってきたか。……この世界に」

 ここは、とある天才の狂気が創り出した一つの異世界。
 ここは、一万人のプレイヤーを呑み込む電脳の牢獄。
 ここは、巨大浮遊城《アインクラッド》。


 ふと周囲を見渡せば、そこはたくさんの歓声であふれていた。

 SAOの世界へとやってきた事に歓喜の声をあげている者。
 ゲームとは思えないSAOのリアルさに感激の声をあげている者。
 フィールドで狩りをしようとメンバーを勧誘する声をあげている者。
 露店をひやかしながらショッピングを楽しんでいる者。
 異性のアバターと連れ立って歩きながら会話を楽しんでいる者。

 誰も彼もが、皆一様に希望にあふれた顔をしていた。


 ……けれど、あと数時間もすれば、この顔は全て絶望のそれに塗り替えられてしまう事になるだろう。


 彼らは知らない。
 この世界の本当の姿を。

 彼らは知らない。
 自らが獄につながれた虜囚である事を。




 ―― 悪夢の始まりは、もう、すぐ目前にまで迫っていた。





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  第2話 ブラコンな妹は好きですか? ―― YES! キモウト、ヤンデレ、どんと来い

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 ベータテスト時には確かにあったその部分は、今現在、見事なまでに空欄になっていた。

「やっぱりないか…」

 呼び出したメインメニューの一番下の欄を睨みつけながら、俺は嘆息を一つ落としす。

 もしかしたら、ログアウトボタンがあるんじゃないだろうか? などという俺の淡い希望は、冷酷なる現実の前に脆くも崩れ去るのだった。

 ……あぁ、やっぱり、デスゲームなんだよなぁ、コレ。

 信じていたけど、認めたくなかった現実。
 前世の原作知識だなんていう曖昧な根拠しかなかったソレは、けれど今、明確な物証を得て真実へと昇華されてしまった。

 いやまあ、別にそこまで期待してた訳じゃなかったんだけどさ…
 でも、こうやってまざまざと現実を見せつけられるとヘコむよねぇ、やっぱり…

「―― っと、だからといって、いつまでも呆けてる場合じゃないよな」

 デスゲームが現実だという確証を得たからには、最早一分一秒とて無駄にはできない。

 そうと決まれば早速とばかりに、俺はメインメニューを操作し、インスタント・メッセージを呼び出す。
 そして、直葉 ―― リーファへとメッセージを送った。

【こちら和人。このメッセージを受け取ったら、すぐに返事してくれ】

 ……これでよし、と。
 さて、これで後は直葉からの返信を待つばかりだ。

 アインクラッドの第一階層は、直径十キロメートルのほぼ新円を描いたフロアとなっており、その敷地面積は実に約八十平方キロメートル。
 そして、その主街区である《はじまりの街》は、基礎フロアの約2割ほどの面積を占めており、東京の小さな区一つほどの威容を誇っている。
 そんな中から、何の手がかりもなく特定の人物を探し出そうだなんていうのは、土台無理な話である。

 そこで登場するのが、このインスタント・メッセージだ。
 これは、送りたい相手の名前さえわかっていれば、その相手に対してメッセージを送る事ができるというお手軽便利機能なのだ。
 まぁ、お手軽であるがゆえに、送る相手が同階層にいないと届かないとか、送ったメッセージの受信確認ができないとかっていう欠点もあるのだけれどもね。

 などと言っている間に、ポーンという軽いSEとともに視界の端っこにメッセージの受信を通知するアイコンが現れた。
 どうやら、直葉からの返信メッセージが届いたようである。

 俺は、すぐさまポップアップを指でタップしてメッセージを開封した。

【えぇっ!? お、お兄ちゃんっ!? なんでっ!?】

 なんていうか、今アイツがどんな顔をしてるのかが簡単に予想できそうな感じの返信だった。

 さぞかし驚いた事だろうなぁ
 なにせ、探していたハズの当人からいきなりメッセージが飛んできたんだから。

【母さんから聞いた。詳しい話は合流してからにしよう。お前、今どこにいる?】

【むぅー… お母さんめ。お兄ちゃんには絶対に内緒だって言っておいたのに…
 えっと、今いる場所だっけ? ……ん~? どこだろ、ここ? わかんない】

 ……まあ、そうだろうな。
 土地勘のない場所で、いきなりどこにいるのかなんて訊かれても、答えようがないよな。
 かといって、座標を教えろなんて言っても、余計混乱させるだろうし…

 うーん… どうすっかな…
 俺を探してた訳だから、人の多いこの中央広場からそう離れたところにはいってないと思うんだけど…

【よしわかった。だったら、黒鉄宮の前で合流しよう】

【黒鉄宮? どこ、そこ?】

【バカでかい宮殿。ゲーム開始地点の中央広場から見えただろ? たぶん、今お前がいる場所からでも見えると思うけど】

【あっ、あった。あれか。うん、ここからも見えるよ。あそこに行けばいいの?】

【あぁ。俺は一足先に行って待ってるから、早く来いよ】

【うん、わかった】

 そうして、俺たちはメッセージでのやり取りを終えた。

「さて、と」

 ポツリ、そうつぶやくと、俺はひざを曲げて二、三回ほど屈伸運動をする。
 そして、足首、手首、腕、肩と順にほぐしていき、最後に大きく伸びをした。

「うーん!! ……っと」

 よし、感度良好!

「馴染む… 実によく馴染むぞっ! 最高にハイってヤツだぁーー!!」

 なんというか、ベータテストの時から思ったけど、現実世界よりもむしろこっちの方が身体の調子がいい気がするんだよな。
 ……なんでだろ?

 そんな事を考えつつも、一ヶ月のブランクを感じさせない身体の反応に大いに満足した俺は、正面にある黒鉄宮へ向けて駆け出した。




  *    *    *




 黒鉄宮の周辺には、ほとんど人通りがなかった。

 スタートダッシュ組は言わずもがな、それ以外のプレイヤーたちも、基本的に中央広場から北にのびているメインストリートの方へ向かっているようで、こっち側にはあまり人は来ていないみたいだった。

 とりあえず、一番でかい建物を目印にと考えただけだったけど、これは思わぬ幸運。
 これだけ人がいなければ、すれ違う可能性はほとんどないと言っていいだろう。

 と、そんな事を考えていた俺の視界に、さっそくの来訪者が現れた。
 それは、不安そうな面持ちで周囲をキョロキョロとうかがいながらこちらに向けて歩いてくる女の子だった。

 ……うん。
 まぁ、たぶん、状況的に見て、あれが直葉なんだろう。
 さすがに、黒鉄宮を見物しにきた物好きって事はないと思う。
 思うん、だけど…

「……なんでさ?」

 思わず漏らした、その呟き。
 でも、それもまた、いたしかたない事だったと思う。
 だって、あの女の子の容姿は ――

 彼女が周囲をうかがうたびに左右に揺れる黄緑色のポニーテール。
 意思の強さを感じさせるような、キリリとした眉と翡翠色の瞳。
 そして、先のとがったエルフ耳。

 ―― まんま原作のリーファじゃんっ!?

 あんまりと言えばあんまりなその姿に、俺が声をかける事も忘れて絶句していると…

「あっ…」

 彼女と目が合った。

「……え、えっと、お兄ちゃん?」

「……よぉ」

 少女の誰何の問いかけに、俺は片手を上げる事で答える。
 すると少女は、表情をパッと明るくさせて俺の元へと駆け寄ってきた。

 ―― と思ったら、唐突にその足を止めて、疑いのまなざしをこちらへ向けてきた。

「あ、あの! お兄ちゃんは、本当にあたしのお兄ちゃんですか? ……ホンモノですか?」

「……は? いや、いきなりホンモノかどうかなんて訊かれても困るんだけど… ていうか、そもそも俺にニセモノなんているの?」

 いきなり思いもよらなかった質問を投げかけてきた直葉に俺が逆に問い返すと、彼女はコクリと首を縦にふった。

「いたよっ! いっぱい、いたっ! あたしがお兄ちゃんですかって訊くと、だいたいみんなそうだって答えてきたっ! でも全部ニセモノだったっ!」

 その直葉の主張を聞き、俺は思わず絶句してしまった。

「いや、お前… それは、どうなんだ…?」

 ゲームの中じゃ、顔も名前もわからんだろう俺を、一体どうやって探してたのかと思えば…
 まさか、直接訊いて回ってたとか… お前、行き当たりばったりにも程があんだろうがよ…

 というか、そんな質問をされてYESと答えるプレイヤーがいる事にも驚きだよ。

「それに、あたしのお兄ちゃんはそんな変な顔してないもん」
「えぇー…」

 ちょ、おま… 俺が長い時間をかけて苦心の末に造り上げた勇者顔のアバターを変な顔扱いとか…

 ……俺、泣いてもいいですかね?

「つか、容姿に関して言えば、お前だって俺の事言えないだろうが。なんだよ、そのエルフ耳」
「うっ!?」

 俺がそう指摘すると、直葉がばつが悪そうな顔になって後ずさった。
 どうやら、彼女自身も、自分のアバターの容姿には思うところがあるようだ。

「こ、これはその… お母さんが、『現実リアルでできないおしゃれをするのが仮想ゲームのダイゴミなのよ』って言って…」

「……それでエルフ耳か」

「……うん、エルフ耳です」

 か、母さんェ…

 いや、まぁ… 言ってる事は間違っちゃいないとは思うけど…
 だからって、エルフ耳はねぇよ…

「正直、あたしもコレはやり過ぎだったんじゃないかなって、ちょっと後悔してる。
 だって、こんな耳してる人、あたしの他にいないし…
 あとなんか、いきなり知らない人から声掛けられたりするし…」

 確かに、いくら自由に容姿を設定できるからと言って、そこまで弄ろうだなんて考える人、そうはいないだろうしなぁ
 でもって、そんなもの珍しいアバターを使ってれば、そりゃ声の一つもかけられるだろうしなぁ

「あ! でもね! ほら ――」

 そう言って、直葉はその場でくるりと回った。
 それと同時に、彼女のしっぽも宙を舞う。

「現実だったら剣道するのに邪魔だからって短く切ってた髪だけど、こっちでは長くしてみたの。
 ……ど、どうかな? 似合うかな?」

 そうして、上目づかいでこちらの反応をうかがってくる直葉。
 そんな彼女に、俺は大きくうなずき返してやった。

「あぁ、よく似合ってるよ。かわいいと思う」

「そ、そっか… えへへ」

 俺の褒め言葉に、直葉ははにかんで頬を赤らめた。


 それにしても… ふぅむ…
 今の話を聞く限り、このエルフ耳は母さんの悪ノリ、髪型は直葉の気まぐれって事のようだ。
 この分だと、瞳の色や髪の色なんかも、たぶん似たようなノリなんだろうなぁ…

 ……なにそれこわい。

 見えない力というか、歴史の修正力というか、因果律量子論的なものを感じざるを得ないっ…!


「……ねぇ、お兄ちゃん」

「あん?」

 おずおず、といった雰囲気で直葉が声をかけてきた。

「お兄ちゃんは、あたしのお兄ちゃんなんだよね?」

 不安そうな顔でそんな事を問いかけてくる直葉を見て、俺は口元に苦笑を浮かべながら彼女のもとまで歩み寄り、その頭にポンと手を乗せた。

「まあ、お前さんの兄貴の名前が、桐ヶ谷和人っていうんなら、そうだな」

「そっか… うん、そっか… よかった…」

 その俺の答えを聞いて安心したのか、直葉はホッと胸をなで下ろしていた。

 きっと初めてのフルダイブ体験で、いろいろと不安になっていたのだろう。
 そんな風に考えた俺は、彼女の頭に乗せたままだった手を動かしてポンポンと頭をなでる。

「……ねぇ、お兄ちゃん」

 すると直葉は、そう言って俺の服の裾をキュッと握りしめてきた。

「ん?」

 だから俺は、その呼びかけに、できるだけ優しく聞こえるような声音で返してやった。

「…………」

「直葉? どうした?」

「あ、あははっ… ダメだなぁ、あたし… 本当はお兄ちゃんに会ったらガツンと言ってやるつもりだったのに、なんて言おうと思っていたのか全部忘れちゃった…」

 俺に促される事で、ようやく開かれた彼女の口から出てきたのは、自嘲の色を多分に含んだそんな言葉だった。

「……直葉?」

 その声色に不審なものを感じた俺は、直葉の顔をうかがおうとしたが、俯いていたために彼女の顔を見る事は叶わなかった。

「ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、なんでこんな世界に来ようと思ったの? どうしてあたしを無視するようになったの?」

「え?」

 まるで囁くような、けれど有無を言わさぬ強さを秘めたその問いかけに俺は驚き、すぐに答えを返す事ができなかった。

「ねぇ… 教えてよ、お兄ちゃん… あたし、バカだから、わかんないよっ… ちゃんと言ってくれなくちゃ、何にもわかんないよっ…!」

 俺の服をつかんでいた彼女の手は、いつの間にか、つかんでいたところに深く皺ができるほどに、強く固く握られていた。

「ナーヴギアをかぶって寝てるお兄ちゃんを見てると、すぐ近くにいるハズなのになんだかとっても遠くにいるように感じたんだっ!
 寝ているお兄ちゃんは何も言ってくれないっ! どんなに話しかけても、何も答えてはくれないっ! 笑いかけてくれる事も、頭をなでてくれる事もないっ!
 怖かったっ! このまま放っておいたら、お兄ちゃんはあたしの手の届かないどこか遠くに行っちゃうんじゃないかって、どうしようもなく不安になったっ!

 だから、あたしもSAOを始めたんだっ!

 お兄ちゃんが見ているものと同じものが見たかったからっ!
 お兄ちゃんが夢中になっている物の正体が知りたかったからっ!
 お兄ちゃんに置いてけぼりにされるのが怖かったからっ!

 でも、わかんなかった… あたしには、何にもわかんなかった… こんな世界、何にも面白くないよ…

 ここにいる人たちは、誰も彼もがみんな、なんだか作りモノみたいで、怖かった。
 こんなにいっぱいいるのに、誰も彼もがみんな、同じような顔をしているように見えて、気持ち悪かった。
 こんなにもたくさんのヒトに囲まれているのに、あたし一人がこの広い街に取り残されちゃったみたい思えて、寂しかった」

 激情に駆られたかのように言い募る直葉に圧倒され、俺は二の句を継ぐ事ができなかった。

「もう、嫌だった。こんな場所には、一秒だっていたくなかった。
 この世界は、何処も彼処もニセモノばかり。誰も彼もがニセモノばかり。ホンモノなんて、どこにもない。ホンモノなんか、どこにもいない。

 ……でも、お兄ちゃんはここにいる。だからあたしは、必死になってお兄ちゃんを探した。
 大丈夫だよって、笑いかけて欲しかった。直葉は一人じゃないって、頭をなでて欲しかった。
 ……でも、お兄ちゃんはどこにもいなかった。あたしが、どれだけ探しても見つからなかった。

 だから、お兄ちゃんからメッセージが飛んできたとき、あたしは本当に驚いた。……驚いて、驚いて、でもすっごく嬉しくなった。
 お兄ちゃんがあたしを助けに来てくれたんだって、そう思った。もうあたしは独りぼっちじゃないんだって、そう思った」

 そう言って顔をあげた直葉の瞳には、今にも零れそうなほどの涙が湛えられていた。

「あのね、さっきお兄ちゃんを見つけた時、あたし、本当は一目でお兄ちゃんだってわかってたよ?
 だって、あたしがお兄ちゃんの事を見間違えるハズがないもん。……本当だよ?
 でもね、あたし、急に不安になったの。お兄ちゃんは、どうしてこんなゲームを始めんだろうって。
 本当はあたしの事が嫌いになったんじゃないか。本当はあたしの事がうっとうしくなったんじゃないか。そんな風に考えたら、怖くなった。
 足が竦んじゃって、その場から一歩も動けなくなっちゃった。あたし、どうしたらいいのか分からなくなっちゃって。だから、自分でも訳わかんない事言いだして…

 でも、お兄ちゃんは、あたしの事かわいいって言ってくれた。あたしのお兄ちゃんだって言ってくれた。あたしの頭をなでてくれた。
 お兄ちゃんは… お兄ちゃんは…」

「―― 直葉っ!」

 大粒の涙をこぼしながら訴える彼女の告白を遮るように、俺は直葉を抱きしめた。
 突然俺に抱きしめられ身体をこわばらせた直葉は、けれどすぐに服を握りしめていた手を俺の背中にまわしてヒシと抱き返してきた。

「おにぃ、ちゃん… おにぃ、ちゃ… おにぃ… うっ、あうぅぁ…」

「ごめんな、直葉… ごめん… 本当に、ごめん…」

「わあぁーーんっ! うあぁぁーーーーんっ!!!」

 肩口の辺りに顔を押し当て、俺にすがりつきながら、声をあげて号泣する直葉。

 まるで幼子のように泣きじゃくる彼女を抱きしめながら、俺は思った。 ―― このクソバカ野郎、と。

 ほんの数分前までの自分を殴り飛ばしてやりたい気分になった。
 ここまで本気で自分自身に腹を立てたのは、初めての経験だった。

 まさか、直葉がこんな状態なっているだなんて思いもしなかった。

 ―― バッド・トリップ。
 それは、フルダイブ環境に慣れていない者の中でしばしば発現する現象の一つで、一言でいえば一種の悪酔いみたいなものである。
 使用者が心の内に抱えている、恐怖や不安といった負の感情を表面化させ、あたかもそれが現実であるかのような幻覚を見せるのだ。
 幻覚の内容や効果の大小は様々で、人によってはダイブした直後に恐慌状態に陥ってしまった、だなんて例もあるくらい恐ろしい現象なのである。

 たかが幻覚くらいで、などと侮るなかれ。
 この世界では、強い想いが現実を上書きする事すら在り得るのだから。

 そもそも、ナーヴギアが行っているのは、データという名の情報を信号にして使用者の脳に直接送り、現実にはないこの世界をあると誤認させているだけにすぎない。
 つまり極端な話、この世界にある全てのものは、ナーヴギアの信号によって脳が見せている錯覚現象にすぎないのである。

 故にこそ、直葉の抱えていた不安感や孤独感がダイレクトにこの世界へと反映され、彼女の言う“独りぼっちの世界”が再現されてしまったのだ。
 それを、こうやって俺に会うまで耐え続けていた彼女の精神力には、正直、脱帽せざるを得ないだろう。

 彼女は、一体どれほどの不安を抱えていたのだろう? 一体どれほどの孤独を感じていたのだろう? 俺には想像する事すらできはしない。

 ……まったく、どうしようもない兄貴がいたもんだよ。
 本来、守るべきハズだった相手を、自らの手で追い詰めていたっていうのだから。

 ―― でも、間に合った。
 “独りぼっちの世界”になげ出され、怯えていた彼女を、俺はこうやって抱きしめてあげる事ができた。

 生真面目で男勝りでしっかり者な直葉。
 いつの間にか、涙を隠す事を覚え、俺の前でも泣かなくなった直葉。
 だけど、本当は寂しがり屋で甘えたがりで泣き虫な直葉。

 そんな彼女が久しぶりに見せた涙で肩口を濡らしながら思う。
 この子を、独りぼっちなんかにさせずにすんで、本当に良かった、と。
 それだけでも、俺がこの世界にやってきた価値はあったのだと。

「はぁ、まったく… バカだな、直葉は」

 ポツリ漏らした俺のつぶやきに、直葉の身体がピクリと震えた。
 そんな彼女の反応にやや苦笑を浮かべつつ、安心させるようにと俺は背中にまわした手に少し力を込める。

「俺が直葉の事を嫌いになんてなるハズないじゃないか。お前は俺にとって、間違いなく世界で一番大切な女の子なんだ。……この世界で、たった二人きりの兄妹じゃないか」

 誰が何と言おうとも、俺にとって直葉は、十数年間を共に過ごしてきたかけがえのない大切な家族だ。
 たとえ俺が、全くの赤の他人が憑依したニセモノの桐ケ谷和人でしかなかったとしても… 俺のこの想いには、一片の偽りもない。

 だけど…

 ―― “お兄ちゃんは、本当にあたしのお兄ちゃんですか? ……ホンモノですか?”

 結局、俺はその質問に答えられなかった。……答える事ができなかった。

 だってそうだろう?
 いったいどの口でホンモノだなどと言えというのだ。そんな事、言えるハズがないじゃないか…

 なぜなら俺は、“桐ケ谷和人”という人物の居場所に我物顔で居座っているだけの異邦人でしかないのだから。
 所詮、俺は“桐ケ谷和人”という皮を被ったニセモノでしかないのだから。

 それは、たとえどれだけ足掻いたところで、絶対に変える事のできない偽れざる真実。

 果たして、その真実を知った後でも、この子は俺の妹のままでいてくれるのだろうか?
 果たして、俺がニセモノだと知った後でも、この子は俺に笑いかけてくれるのだろうか?


 あぁ、たとえそれが、どこまでも身勝手で自身に都合のいい妄想でしかないのだとしても… それでもと、俺は思わずにはいられない…

 願わくは、いつまでも、彼女が俺に笑顔を見せ続けてくれますようにと ――




  *    *    *




「大・勝・利~!!」

 手にしたロングソードをかかげ、直葉が勝鬨を上げた。
 彼女の背後では、フレンジーボアが“バシャッ!”という派手なサウンドエフェクトと共に幾多ものポリゴン片に爆散したのが見える。

「お兄ちゃんっ! VRゲームってこんなに面白かったんだねっ!!」

 目を輝かせながらそう言い、楽しそうに剣を振り回してはしゃいでいる彼女を見つめながら、俺は一つため息をついた。

 ……どうしてこうなった。


『よし、直葉。せっかくだから、これから俺がこの世界の楽しみ方ってヤツを教えてやるよ』

 あの後、落ち着きを取り戻した直葉にそう告げ、すぐさま彼女の手をとり、草原フィールドまで引っ張ってきた。
 泣きやんだばかりの直葉にこんな事をするのは少々酷かとも思ったが、それでもヒトの多いこの街に留まるよりも、外で剣を振っていた方のがいいんじゃないかと考えたからだ。

 そして、ちょうど近場にいたフレンジーボアと、二人で協力しながら戦った。
 初期フィールドのザコMobであるボアに対して二人がかりなんて、過剰戦力以外のなにものでもなかったのだが、そこはそれ。
 ガチで命がかかっているのだから、警戒するにこした事はないし、最初は過剰戦力くらいでちょうどいいのだ。

 戦闘のレクチャーを兼ねたボア狩りは、大成功だったと言えただろう。
 二人がかりでフルボッコにされた哀れなボアが、ポリゴンの欠片に変わる頃には、直葉の機嫌は大分上向きに改善していた。
 唯一の失敗、というか誤算と言えば ――

 まるで獲物を狙う肉食獣のような視線で周囲を見回す妹の姿をしり目に、俺はもう一つため息をついた。

 なにやら妙な具合に戦闘にハマってしまった直葉が、さながら戦闘中毒者バトルジャンキーのようなものになってしまった事だろうか?
 ……一体、どこで育て方を間違えてしまったのだろう? お兄ちゃんは、とても悲しいです。

 でも、さすがというか、なんというか。
 原作で、同系統のゲームであるALOでゲーム内屈指の剣士となっていただけの事はあり、直葉はかなりの早さでSAOに適応していった。

 もともと剣道を習っていたおかげで剣の振りは様になっているし、相手の動きをしっかり見てから対処しているので戦い方にも危なげはない。ソードスキルも、それなりに使いこなしている。
 唯一の欠点、というか問題点と言えば ――

「おーい、リーファ」

 呼びかけても、直葉からの返事はない。
 その様子を見て、三度目のため息をつくと、俺は彼女のもとへと歩み寄っていった。

 そして、周囲を警戒しているハズなのに隙だらけな彼女の背後に立つと、その後ろ頭をスパーンとはたいてやった。

「あいたーっ!?」

 ダメージの発生しない程度に手加減した俺のはり手を受けた直葉が、やや大げさな悲鳴を上げながらつんのめる。

「い、いきなりなにするんだよ、お兄ちゃんっ!!」

「呼ばれたら、すぐに返事くらいせんかい。このバカタレが」

「へ?」

 はたかれた後頭部をさすりながら恨みがましげな眼を向けてきた直葉に俺がそう指摘すると、彼女はキョトンとした顔になり、しばしのち納得したように両手をポンとたたいた。

「…………あっ! そうか、リーファって、あたしの事だっ!」

「はぁ… お前、これで何度目だよ。いい加減慣れろよな」

「う~… だって、お兄ちゃん~」

「俺をお兄ちゃんと呼ぶな、俺のアバターネームは“カズヤ”だって何度も言っただろう」

「うーうー!」

 いくら訂正しようとも一向に改善する様子を見せない彼女に、俺は軽く頭が痛くなってきた。

「……はぁ。まあ、いいか。どうせその内、嫌でも慣れるだろうさ」

 なにせ、このアバターとは年単位で付き合う事になるのだから。
 そんな風に心の内で言い訳しつつ、俺は直葉 ―― もとい、リーファの矯正を諦めた。
 人間、無駄な事に労力を注ぐ事ほど虚しい事はないのだから。

 と、そんなとき、タイミングよくフレンジーボアがポップしたのが目に入った。

 ―― 八つ当たり相手、発見っ!!

 俺はすぐさま、腰にはいていたスモールソードを抜き放つと、ポップしたばかりのフレンジーボアの元へ駆け出した。
 そして、相手がソードスキルの攻撃圏内に入ったと同時に、俺は片手直剣スキル《スラント》を発動させる。

 その瞬間、刀身が仄かに発光し、身体が半ば自動的に動き出すのを感じた。
 ソードスキル特有のシステムアシストが、斬撃モーションを補正してくれているのだ。
 俺はそのアシストに逆らわないように注意しながら、あえて蹴り足と腕の振りを意図的に加速させ、技の威力を上乗せさせていく。

 ターゲットされた事に反応したのか、フレンジーボアがこちらへ振り返ろうとしていたが、時すでに遅し。
 振り返る間もなく、俺の剣がヤツの首の後ろへと吸い込まれていく。

 直後、俺の放った斬撃が、フレンジーボアの弱点であるたてがみ部分に強烈な手応えとともに命中。
 と同時に、クリティカルヒットを示す派手なエフェクトがはじけた。

 ソードスキルの一撃を受けたフレンジーボアは、後方に大きく弾き飛ばされた後、地面にワンバウンド。
 そして、空中で不自然に停止ししたかと思った次の瞬間、ガラスの割れるような効果音と共にポリゴン片に破砕した。

 ふぅ~、スッキリしたっ

 取得経験値やコル、ドロップアイテムなどが表示されたウィンドを一瞥したのち、俺は手にした剣をヒュンヒュンと左右に払って鞘に収めた。
 ……別にこの世界には血のりなんてものはないのだから、こんな事をする意味なんてないのだが、なんとなくこうすると納まりがいいのだ。たぶん、イメージ的な問題なんだろう。

「むー…」

 ふと、その唸り声の聞こえてきた方へ振り返れば、そこには眉間にしわを寄せた不機嫌顔のリーファがいた。

 ……えっと、なんでせうか? あれですかね? よくもあたしの獲物を横取りしやがって的な?
 一体どこまでバトルジャンキーなんだよ、こいつは…

「相変わらず、お兄ちゃんのそれはズルイ。武器の攻撃力はあたしの方が高いハズなのに、なんで?」

 恨みがましげな視線で告げられたその言葉を受けて、俺は頬を掻いた。

「いや、ズルイとか言われてもなぁ… 単なるソードスキルだし」

「でも、あたしがやっても一撃で倒すなんてできないもん」

「いや、そこら辺は経験の差ってヤツだろ。なんせ、俺の方が二ヶ月も先輩な訳だし。つか、始めて数時間のヤツにそんな簡単に追いつかれたら、こっちの立つ瀬がないっての」

「むーっ! それでもズルイっ! やっぱりズルイっ! 次は絶対にあたしの番だからねっ! お兄ちゃんが横取りしたら怒るからねっ!!」

「あー、はいはい。わかった、わかりました。どうぞご自由になさってください」

「わかればよろしい」

 むくれるリーファに、俺が両手をあげて降参の合図を送ると、彼女はおおきくうなずき返したのだった。


「おーいっ! そこのにいちゃーんっ!!」


 などと、二人して不毛なやり取りをしていたら、後ろの方から大声で呼びかけてくるのが聞こえてきた。
 一体何事だと、その声の聞こえてきた方へ顔を向けると、そこには、赤みがかった髪を黄色と黒のバンダナで逆立たせた髪型の男がいて、大きく手を振りながらこちらへ駆け寄ってきているのが目に入ってきた。

 ……ん? あれ? あいつ、どこかで…?

 その姿に、どことなく既視感を覚え首をひねっていると、正面にいたはずのリーファがいつの間にか俺の陰に隠れるような位置に移動していた。

「リーファ…?」

 いきなりの妹の奇行に戸惑っていたら、件のバンダナ男が俺たちのすぐ目の前まで来ていた。

「はぁ、はぁ… み、見てたぜ、今の。あの迷いのない太刀筋… あんた、ベータテスト経験者だろ?」

「は? あぁ、まあ、そうだけど…」

 息も絶え絶えな様子で問いかけてきたバンダナ男に、戸惑いつつも俺がうなずき返すと、今度は俺を拝むように両手を合わせながら懇願してきた。

「頼む! 俺にも戦闘のコツっていうかそういうのを、ちょいとレクチャーしてくれないか?」

「レクチャー?」

 その言葉を、首をかしげながらオウム返しすると、バンダナ男は大きくうなずき返してきた。

「おうよっ! ……いや、実はさっきまで一人でやってたんだがな。どうにもあのイノシシ野郎には俺の攻撃が当たらなくてよぉ…
 で、どうしたもんかと思っていたときに、アイツを一撃でのしたあんたの姿が目に入ってきたって訳よ」

「あぁ、それでレクチャーか。……なるほど」

 拝み倒してくるバンダナ男の姿を見ながら、俺は思いを巡らす。

 はてさて、これはどうしたものだろう?

 チュートリアルが始まるまでにリーファにある程度戦いの仕方を教えておこうという俺の算段は、もうすでに達成されている。
 最早リーファは、一人でもフレンジーボア程度ならノーダメージで勝利できるほどになっているのだから。

 だから、ここでビギナーであろう彼に対してレクチャーを行う事には何ら問題はない。
 問題はないのだが…

 そこまで考えて、ちらりとリーファの方へ視線を向ける。

「……っ」

 と、そこには、なにやら緊張したような面持ちで件の男を見つめているリーファの姿があった。


 ……ふむ。


「オッケーだ」

 そう言って、俺は男の提案にうなずき返した。

「おっ、マジかっ!」
「お、お兄ちゃんっ!?」

 歓喜の声を上げるバンダナ男と、困惑の声を上げる妹。

「マジだよ。俺はカズヤ。で、こっちはリーファ。短い間かも知れないが、よろし ――」
「ちょ、ちょっと、お兄ちゃんっ!!」

 俺がバンダナ男の方へ手を差し出そうとした瞬間、リーファが焦ったような様子で俺の手を引き、彼のもとから引き離してしまった。

「お、おいおい。まだ自己紹介の途中だろ。いきなり何するんだよ?」

「何するはこっちのセリフだよっ! お兄ちゃん、あの人のレクチャーを引き受けるとか、一体どういうつもりなのっ!!」

 ふむ。どうやら、我が愛しの妹様は、俺がバンダナ男のレクチャーを引き受けた事に対して相当お冠なようだった。
 まぁ、一言の相談もなく、勝手にそんな事を決められれば、文句の一つも言いたくなるだろう。
 けれど、これにもきちんとした理由がある訳でして。

「いや、だって俺は最初に言っただろ? 『この世界の楽しみ方を教えてやる』って」

「え? う、うん。言ってたけど… それが何なの?」

「MMORPGの醍醐味と言えば、それすなわちパーティプレイだ」

「パーティ? お兄ちゃんがいるじゃん」

「そりゃまぁ、確かに身内オンリープレイってのもいいんだろうけど… それでも俺は、不特定多数の人間と気兼ねなく交流を持つことができる事こそが、MMOの最大の魅力だと思っているんだ。だから、それこそをリーファにも経験して欲しいと思っている」

「む~…」

 俺の説明を聞いても、いまだに不満顔のままのリーファに苦笑を一つ。
 俺は、ポフポフと彼女の頭をなでた。

「安心しろって、直葉。アイツは作りモノなんかじゃないし。ニセモノなんかでもない。俺たちと同じ、一人の人間だよ」

 俺の提案を承服しかねる理由が、バッド・トリップの後遺症を引きずっているからなのかと思って彼女に告げたその言葉は、けれど、どうやら彼女の別の琴線に触れてしまったようだった。

「~~~っ!! バカっ! お兄ちゃんのバカっ! アホっ! 鈍感魔神っ! 朴念仁っ! うわ~~~~んっ!!」

 いきなり俺の脚を一発蹴りつけると、リーファは叫び声をあげながらどこへともなく走り去って行った。

 おい、この見渡す限り平原のこのフィールドで、お前は一体どこに行くつもりなんだ?
 あ、転んだ。真っ赤な顔してこっちを見てる。若干半泣きだ。と思ったら今度は近くの茂みに飛び込んだ。
 ……あいつは一体、何がしたいんだろう?

「おいおい、あの子放っておいていいのかよ?」

「ん?」

 リーファの突然の奇行に呆れていると、いつの間に近づいてきたのかすぐ隣にいたバンダナ男が俺に訊いてきた。

「ああ、別に気にしなくていいよ。あいつ、ちょっと人見知りしてるだけだから、寂しくなったらすぐに戻ってくると思うし」

「……いやぁ、あれはそう言うんじゃねぇと思うんだけどなぁ」

「うん?」

「自覚なしかよ… まあ、それもまた青春か… あぁもぅ、ちくしょー! リア充爆発しろっ!!」

 なにやら、訳知り顔で訳の分からない事をつぶやいた後、バンダナ男は唐突に独り身男性全員に共通するであろう魂の叫びを彼方へと絶叫した。

 そして、クルリと俺に向き直ると、何食わぬ顔で手を差し出してこう告げた。

「俺はクラインってんだ。よろしくな、カズヤ」

「あ、あぁ… よろしくな、クライン」

 ……やっぱり、クラインだったか。

 彼の口から、原作キャラと同じ名前が出されても、あまり動揺する事はなかった。
 なんとなく、そうなんじゃないかという気がしていたから。

 だから俺も、バンダナ男改めクラインの差し出された手を握り、答えた。

「さっきも言ったけど、俺の名前はカズヤ。でもって、あそこの茂みから隠れてこっちをうかがってるのが妹のリーファだ」


 後に、攻略組の一角に数えられる事になるギルド《風林火山》のギルドリーダーと俺との出会いは、こんな風にして始まったのだった。







「…………へ? 妹?」

「ん? あぁ、妹。ガチで妹。リアル妹」

「なん…だと…?」





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 てな訳で、リーファ・イン・アインクラッド2をお送りしました。

 と言いつつも、いまだにデスゲームがはじまっていない件。
 次は、次こそはきっと、チュートリアルまで終わらせられるはずっ!

 筆が遅くて、話の進みも遅くて、独自解釈の雨あられとか、
 ダメが三つくらいつきそうな感じですが、これが作者の精一杯。

 出だしは良かったけど後が続かないなぁ、所詮駄作か。
 などと思われない事を願いつつ。



 感想返しは、感想掲示板の[82],[115]へ










――― おまけ

< NGシーン ~ 直葉合流編 ~ >


「あっ…」

 彼女と目が合った。

「……え、えっと、お兄ちゃん?」

「……よぉ」

 少女の誰何の問いかけに、俺は片手を上げる事で答える。
 すると少女は、表情をパッと明るくさせて俺の元へと駆け寄ってきた。

 そして、そのままの勢いで俺に飛びつこうとして ――

「お兄ぃ~~~ちゃ~~~~~~~…… ―― へぶっ!?」

 アンチクリミナルコードの障壁にぶち当たった。

 ……どうやらカデ子さんは、先程の直葉の行動を、俺に対する攻撃との判断を下したようだった。

「 ? ? ? 」

 その場にペタンと座り込んだ直葉は、打ちつけた顔を抑えながら、訳が分からないよとばかりに疑問符を飛ばしまくっている。

「あ~、なんだ? SAOでは、街の中でのプレイヤーに対する攻撃は、不可視の障壁に阻まれるようシステム的に保護されてるんだよ」

 そんな俺の説明に、直葉は目を見開いて驚く。

「こ、攻撃っ!? そんなっ!? あたし、そんなつもりなかったのにっ!!」

「……まあ、カデ子さんって、空気読めない子だから、さ」

「うわーーーんっ!! こんなゲーム、やっぱり大っ嫌いだーーーっ!!!!」


Fin.



 アンチクリミナルコードが適用される範囲ってどのくらいからなんでしょうね?
 原作だと、抱っことか、おんぶとか、普通にしてたような気がするけど…
 ダイビング・ハグは、OK? それとも、NG?




[35475] 第3話
Name: みさっち◆e0b6253f ID:560afcc0
Date: 2013/05/20 00:20


 そんなこんなで、俺たちは新たにクラインをパーティに迎え、狩りを再開させる事になった。

 最初こそ妙な意地を張っていたリーファも、いつの間にやら警戒心を解きほぐされ、今では普通にクラインと会話するようになっていた。

 さすがは、安心と信頼の実績を持つクラインさんである。
 “あの”キリトさんをして親友と言わしめたのは伊達ではない。

 相手の警戒心を素通りしていつの間にか懐に入ってくる気安さ。
 相手に不快感を与えない絶妙な距離感を瞬時に把握する洞察力。
 相手を飽きさせる事のない巧みな話術。

 どれもこれも、コミュ障を自認する俺にはとても真似できない芸当である。
 というか、ここまでコミュ充なのに、どうして原作のクラインには浮いた話の一つもなかったのだろう? 不思議で仕方がない。

 あとクラインがパーティに加わってから改善された点が一つ。
 リーファが、ようやくリーファと呼ばれる事に慣れた。

 やはり、第三者がいるのは大きいな。
 俺と二人っきりだったら、結局はなあなあで済ませていた可能性もあった訳だから、ほんとクラインさまさまである。

 俺の呼び方は、依然として“お兄ちゃん”のままなんだけどさ…

 とまあ、そんな感じで、和気あいあいとパーティ狩りを続けていた俺たちであったが…
 3人狩りでPOP待ちなんてしてたのだから、狩り効率なんてあってないようなもの。当然、レベルアップなどは望むべくもない。
 けれどその分、空いた時間でクラインにSAOの序盤のコツや細かいテクニックなんかをしこたま詰め込んでやれたのは、良い意味で誤算だった。
 クラインの性格ならば、情報の独占なんてしないだろうから、ビギナーの死亡率も少しは下がるんじゃないだろうか。

 とりあえず、ビギナーに関してはそれでいいとして、問題なのは元ベータテスターに対してどうするかなんだけど…
 正直、現状では手の打ちようがないというのが結論である。

 個人的には、戦力化するのに時間のかかるビギナーよりも、即戦力になる元ベータテスターたちにこそ生き残って欲しいと思っているだけに、非常に歯がゆいものがある。

 いっその事、ベータテストの時に知り合った情報屋のアルゴに頼んで、茅場トラップの情報を流してもらうというのも一つの手かもしれないが…
 そもそもの話として、情報屋を自称するあの少女が、情報元が顔なじみの俺だからというだけで信用してくれるのかと言えば、……そんな事は、まずあり得ない。
 信用が第一の情報屋稼業で、アイツが裏づけの取れていないネタを《商品》にするハズがないのだ。
 でもって、お前はその情報を一体どこで仕入れてきたんだという話になるのは確実。
 そして今の俺は、その質問に対する答えを持ち合わせてはいない。バカ正直に、前世の原作知識なんだと言えるハズもないだろう。

 ……本当、世の中というのは、なんとままならないものであるか。

 つらつらと、そんな事を考えながら三人で狩りを続けているうちに、気がつけば黄昏時。
 夕食の為にログアウトしようとしたクラインが、ログアウトボタンの消滅に気づいて一騒動起こしたものの、最終的にはGMの対応待ちという結論に達した。

 意気消沈とばかりにその場に座り込むクライン。
 そんな彼をしり目に、俺は、細く覗く空にある真っ赤な夕焼けと、その夕焼けに照らされて茜色に染め上げられた草原を眺めていた。
 たぶん、こんな風にゆっくりと周囲の景色を楽しむ事ができるは、もうあとわずかな時間しか残されていないだろうから。


 ―― この世界は、美しい。

 しみじみとそう思う。
 そしてそれは、今この世界にいる誰に訊いたとしても同意を得られる事だとも思う。

 例えそれが、たった一人の男が、自らの願いを叶える為だけに創り出した世界だったとしても。

 ……違うな、自らの願いを叶える為だけに創り出した世界だったからこそ、か。
 この世界には、たぶん、あの男の何もかもが詰まっているんだ。 ―― 夢も、願いも、欲望も。

 他の全てをなげうってまで、たった一つのものを追い求め続け、そしてついに成し遂げた。
 あの男に対しては、いろいろと思うところもあるけれど、その一点に関してだけはあの男の事を尊敬できると思う。

 ふと、バッド・トリップに陥っていた時の直葉の言葉を思い出した。

―― 『この世界にはニセモノしかない。ホンモノなんてどこにもない』

 確かに、それはその通りなのだろう。
 誰がどう言い繕ったとしても、所詮ここは仮想の世界。ナーヴギアから送られてきた信号によって脳が見せる幻の世界。

 けれど…

 ホンモノが常にニセモノより優れているなど、一体誰が決めたのだろう?
 ホンモノよりも優れたニセモノがないなどと、一体誰が決めたのだろう?

 そんな事はないハズだ。ホンモノよりも素晴らしいニセモノだって、きっとあるに違いない。

 だって、この世界は、こんなにも、美しいのだから ――




 そして時刻が、5時半を回った。

 ―― 全ての始まりを告げる鐘の音が、仮想世界全土に鳴り響く。





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  第3話 その鐘を鳴らしたのはあなた

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 突如鳴り出した、大音量のサウンドエフェクト。
 そして、それと連動するように俺たちの身体を包み込むブルーの光の柱。

 GM権限による《強制転移》により、俺たち3人は ―― 否、今この瞬間に、SAOにログインしていた一万人弱のプレイヤー全員が、ゲームのスタート地点である《はじまりの街》の中央広場へと呼び戻された。

「おいおい。一体全体何だってんだ?」

「お、おにぃ…」

 突然の出来事に戸惑いの声をあげているクラインと、不安げな表情で俺にすり寄ってくるリーファ。
 どうやら、両者とも俺のすぐ近くに転移されていたようだった。
 その事に、ひとまずはホッと胸をなで下ろす。この人ごみの中を探し回るだなんて、正直ゾッとしない想像である。

 俺は、すぐ隣で心配そうな顔をしていたリーファの手を握り、安心させるように笑いかける。
 そして、困惑しているクラインの疑問に答えた。

「たぶん、これはGM権限による《強制転移》だと思う」

「GMの《強制転移》だぁ? なんでまたいきなりそんな事を?」

「さぁ? さすがにそこまでは俺にも分からないよ。 ……ログアウトボタンの件の釈明か、はたまたゲームの始まりを告げるセレモニーの演出か」

「あ、なるほど。つまりこの“ログアウト不能”ってのも、運営側による盛大なドッキリって事か… うわっ、そうとわかってりゃピザなんか頼まなかったってのによぉ… 俺様の照りマヨピザ…」

「そんな泣くほどの事かよ」

「うるせぇっ! 冷めたピッツァなんて、ネバらない納豆以下だぜ…」

「いや、意味わかんないし」

 俺の言葉にひとまずの納得がいったのか、今度はその場にひざまずいてるーるーと涙を流すクライン。
 その哀愁漂う後ろ姿に、俺は思わず苦笑を浮かべる。

「……お兄、ちゃん?」

 ふと、呼ばれた方に目を向けてみれば、リーファが不思議そうな顔をして俺の事を見つめていた。

「ん? どうかしたのか、リーファ?」

「あっ、う、うん… 別に、あたしの勘違いなのかもしれないけど…
 なんか今お兄ちゃん、嘘ついた時の顔してたから、なんでかなって」

「―― なっ」

 リーファのその言葉に、思わず絶句してしまった次の瞬間 ――

「お、おいっ……上を見ろっ!!」

 どこかの誰かが上げた叫び声につられて、反射的にリーファも視線を上に向けていた。
 これ以上ないというタイミングで上げられた叫び声のおかげで、リーファの追及から逃れる事のできた俺は、内心でグッジョブ!と喝采をあげながら胸をなで下ろした。

 妹の勘…………侮りがたしっ!

 油断ならないリーファの直感に戦慄を覚えつつ、俺も視線をあげれば、そこは深紅の市松模様で染め上げられていた。

 そして、そこから悪趣味な演出で出現した全高20メートルほどの、深紅のフード付きローブをまとった巨人が告げる。

 曰く、ログアウトボタンが消滅しているのは、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である。
 曰く、この世界から脱出する為には、この城の最上階にいる最終ボスを倒さなければならない。
 曰く、外部の人間の手によってナーヴギアが外されそうになった場合、使用者の脳をナーヴギアが破壊する。
 曰く、プレイヤーのヒットポイントがゼロになった場合も、そのプレイヤーの脳をナーヴギアが破壊する。

 あまりに残酷なこの世界のルールに、広場に集まった全ての者たちが言葉を失い、シーンと静まり返っていた。
 その中で、一切の感情を削ぎ落としたかのような巨人の声だけが、ただただ響きわたる。

『それでは最後に、諸君にとって、この世界が唯一の現実であるという証拠をお見せするとしよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』

 その言葉を聞いて、俺は思わずといった体で目をつむる。

 あぁ、ついにこの時がやってきてしまったのか、と。

 そんな事を思いながら、アイテムストレージの中から《手鏡》を取り出す。
 覗き込んだ手鏡の中に映るのは、俺が長い時間をかけて苦心の末に作り上げた勇者顔のアバター。

 ……この顔とも、もう後わずかでお別れなのか。

 さようなら、精悍な勇者顔の俺。そしておかえりなさい、柔弱な女顔の俺。
 できる事なら、もっとずっと長い間、お別れしていたかったよ。

 なんてやっている間に、俺の身体は白い光に包まれた。
 そして、その光が収まった後、手鏡に映っていたのは ――

 俺が忌避してやまない、現実世界の生身の容姿そのものだった。

 それを見て、思わずため息をひとつ。
 別に、今の自分の容姿にコンプレックスを持っている訳じゃない。女顔なのは、キリトさんなんだから仕方がない。
 ただ、さ… 私服姿で妹と一緒に街を歩いていると、普通に姉妹に間違えられるというのはどうなんだ、と。
 一人の男として、それでいいのかと、そう疑問に思ってしまうだけなんだ。

 そんな事を考えながら、視線を横に移した俺は…

「―― うおっ!?」 「お、お兄ちゃんっ!?」

 顔を向き合わせた俺たちは、二人して驚愕の声をあげた。
 リーファが驚きの声をあげたのは、俺のアバターの容姿が生身の俺と同じになっていたからだろうが、俺が驚いた理由は違う。

 俺が振り返った先には、ポニーテールのままの直葉がいたのだ。 ………………なんでさ?

 え? マジ、なんでポニーのままなの? ショートの直葉はどこに行った!?

 戸惑いながら、クラインのいた方に振り返ると。
 そこには、若侍から野武士にクラスチェンジした男がいた。
 けれど、その男にしても髪形は、赤髪のツンツンヘアーのままだった。

 ……もしや、と思い周囲を見渡してみれば。
 もはや、コミケのコスプレ広場のようになってしまった中央広場に、チラホラと見受けられる女性物の衣装に身を包み、女のような髪形をした男の姿。

 つまりは、そう言う事なんだろう。

「って事は、二人がカズヤとリーファちゃんかっ!?」
「という事は、あなたがクラインさんですかっ!?」

 そんな事を考えていると、クラインとリーファの二人が、顔を見合わせて驚きの声をあげていた。

「おいこら、カズヤっ! この野郎っ! お前ら、とんだ美人姉妹じゃねぇかっ! ぜひ、メールアドレスを交換してくださ ――」
「黙れクソ虫」

 ――――――。

「お、おい、リーファちゃん。お前の兄ちゃん、なんかキャラ変わってねぇか? つか、物凄ぇ怖いんですけど… 一体どうしちまったの?」

「ダメですよ、クラインさんっ…! お兄ちゃんにその手の話題は禁句なんですっ…!
 ついこの間だって、知らないでナンパしてきた人を泣いたり笑ったりできなくしたばっかりなんですからっ…!」

「いや、泣いたり笑ったりって… お前の兄ちゃんは、一体どこの軍曹だよ…」

「冗談じゃないんですって! あんまりふざけてばかりいると、クラインさんもお兄ちゃんに去勢させられちゃうかもしれないですよ!」

「去勢っ!? って、ちょっと待った、リーファちゃん。“も”って何だ、“も”って」

「…………」

「おぃぃ!? 怖いからそこで黙るなよっ!?」

 なにやら、喧々諤々と言い合っている二人の事はひとまず黙殺して、俺は考えをまとめる。

 というか、よくよく考えてみれば、なにも不思議な事はないんじゃないだろうか。
 そもそもナーヴギアをかぶった状態でスキャンするのだから、使用者の髪形情報なんてスキャンできる訳がない。
 スキャンできないものを再現できるハズがないのだから、髪形は元のアバターのまま据え置きだ。

 ……にしてもこの展開、ネカマプレイヤーたちには悪夢以外のなにものでもないだろうな。
 この中に結構な割合でいるであろうネカマの皆さんには、本当、ご愁傷さまとしか言いようがない。
 今は、色々といっぱいいっぱいだからあまり気にしていないだろうけど、しばらくして我に返った後、彼らがどんな想いをするのかは想像に難くない。

『……以上で、《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。それではプレイヤーの諸君 ―― 健闘を祈る』

 そんな事を考えていたら、チュートリアルがいつの間にやら終わっていた。

 そして始まる、阿鼻叫喚の宴。
 一万人近い集団による悲鳴と罵声、絶叫に怒号。
 大音量の音の波が、広大な広場を呑み込んだ。

 誰もが困惑し、狂乱し、窮する中で、けれど事前に全てを知っていた俺だけが、即座に行動を起こす。

「リーファ、クライン。ちょっと来い」

「へ? おい! ちょ、おまっ!?」 「ぅえ!? な、なに? どうしたのおにぃ ―― わっぷ!?」

 そう言って二人の腕をつかむと、俺は荒れ狂う人垣を縫うように広場の外へと向かった。
 人波をかき分けるように脱出した後、広場から放射状に広がるいくつもの街路の一本に入り、そして俺は二人の方へ振り返る。

「いいか、よく聞け二人とも。俺はすぐにこの街を出て、次の村へ向かう」

「いきなり何するんだよ、カズヤ ―― って、は?」
「もうっ! お兄ちゃん強引過ぎ ―― って、へ?」

 突然、広場から連れ出された二人が俺に向けて不満の言葉を言おうとした途中で呆気にとられた顔に変わった。
 けれど俺は、そんな二人にはとりあわず、話を続ける。

「あの男の言葉が全て本当なら、このゲームは、ほとんど現実と変わらない物と言っていい。
 だったら、現実と変わらないものとなったこの世界で、実際に剣を振って戦える者がどれだけいると思う?
 ベータテストの時ですら戦闘でパニックに陥る者がいたほどなのに、この世界での死が現実の死と等しくなってしまった今、一体どれだけの人間がモンスターと戦える?
 大半のヤツが初期フィールドのモンスターにさえ尻込みするに決まっている。それは多分、ビギナーも元ベータテスト経験者も変わらない。
 そして、そいつらがモンスターと戦う事に慣れるまでに、一体どれだけの時間がかかる?
 ―― 遅い。それじゃあ、遅すぎる。そんなのを待っている暇なんてありはしない」

 俺の言葉を、二人は神妙な面持ちで聞き入っていた。

「あの男の言葉が全て本当なら、俺たちはこのゲームから生きて脱出する為には、第百層まで攻略しなければならない事になる。
 だがもし仮に、一層一週間のペースで攻略できたとしても、俺たちが第百層に辿り着けるのは単純計算でも2年近く後の話だ。
 そしてその間、俺たちの身体はずっと意識のない植物状態でいる事になる。
 たぶん、俺たちの身体は病院か、それと類似した施設に搬送される事になるだろう。
 普通の家で、植物状態の人間を長期間介護し続ける事なんてできるハズがないから。
 けれど、たとえ病院に搬送されたとしても、年単位で事が運んでしまった場合、俺たちの身体をいつまでも無事に維持し続けられるとは思えない。
 もし停電が起きたら? もしネットワーク障害が発生したら? たったそれだけの事で、俺たちの脳はナーヴギアによって、破壊される」

 原作で大丈夫だったから大丈夫。 ―― なんて言葉は気休めにもならない。
 そんな言葉、今ここにリーファがいる時点で意味をなさくなっている。
 バタフライエフェクトが、俺の全く関知しないところで働いている可能性だってあるのだから、心配してしすぎると言う事はないだろう。

「俺たちが生き残る為には、一刻も早く、一日でも、一分一秒でも早くこのゲームをクリアしなくちゃならないんだ。
 だからこそ、俺は先に進むよ。
 別に、俺一人でこのゲームをクリアしてやるだなんて言うつもりはないし、そんな事ができるとも思わない。
 それでも、少しでも早く俺たちがこの世界から解放される為には、前に進むしかないんだ」

「カズヤ… お前ぇ…」

 言いたい事が言葉にならない。そんな奥歯に物が挟まったような、なんとも言えない表情を見せるクライン。

「おいおい、そんな心配そうな顔するなよ、クライン。
 少なくとも今現在であれば、俺はこの世界の他の誰よりも上手く戦闘をこなせる自信がある。そう簡単に死んだりしないさ。
 元ベータテスターの実力を舐めるなよ?」

 そんな彼に、だから俺はそううそぶいてやった。

「―― 待って」

 と、今度は俺の話を受け、張りつめた表情をしていたリーファが口を開いた。

「ねぇ、待ってよ、お兄ちゃん。俺“は”って、なに? 一人って、どう言う事? それって、あたしは…」

 けれど、そんなリーファの問いかけを無視するように、俺はクラインに話しかけた。

「だからクライン。お前に一つ、頼みたい事がある」

 クラインの目を真っ直ぐに見つめ、最大限の真剣な声音で懇願する。

「お前がこの街にいる間だけでもいい。リーファの面倒を見てやって欲しいんだ」
「―― やだっ!」

 遮るようにあげられた彼女の鋭い拒絶の言葉を黙殺し、俺はさらに言葉を重ねる。

「今はまだ、多くのプレイヤーがあの男の話を信じきる事ができていないから、それほどでもないが…
 彼らが、この世界から本当に出られないんだと真に理解した時、この街はたぶんとんでもないパニックに包まれると思う。
 そんなとき、俺の代わりにリーファの事を守ってやって欲しいんだ」
「―― やだやだやだやだっ!!」

 髪を振り乱しながら拒絶の声を上げるリーファ。

「バカっ! お兄ちゃんのバカっ! どうしてそんな事言うのっ!?
 せっかく会えたのにっ… やっと帰ってきてくれたのにっ…
 どうして? ねぇ、どうしてっ!?」

 そんな彼女の様子を見て、俺はため息を一つ。

 やっぱり、こうなるよな…

 そして俺は、諦めたよう彼女へ向き直った。

「……お願いだから聞き分けてくれよ、リーファ。今の俺のレベルじゃ、お前を守りながら戦うなんて事できやしないんだ」

「いいもんっ! いらないもんっ! 自分の身くらい、自分で守るもんっ!!」

「これから俺が向かうのはゲーム攻略の最前線。そこにはどんな危険があるのかもわからない。だから ――」

「やだっ! 絶対やだっ! 絶対にお兄ちゃんについていくっ!!」

 俺がいくら説き諭そうとしてもリーファは拒絶の姿勢を崩さない。

「リーファっ!!」

「やだっ!!」

 あまりに聞き分けのないリーファに思わず怒声をあげるが、それでも彼女は一歩も引こうとはしなかった。

「お前、わかってんのかっ! ここで死んだら本当に死ぬんだぞっ!」

「わかんないよっ! ワケわかんないよっ!!
 いきなり、ゲームから出られないなんて言われたって、ゲームで死んだら現実でも死んじゃうなんて言われたって、わかる訳ないよっ!!
 あたしはただ、お兄ちゃんと一緒にいたいだけっ! ただそれだけっ!
 離れ離れはいや… 置いていかれるのはいや… 独りぼっちは、もういやぁ…」

「……リーファ」

 決して離すものかと言わんばかりの様相で俺の腕にしがみつく妹の姿に、思わず言葉を失う。

 彼女の気持ちはわかっているつもりだった。
 フィールドでのやり取りでやっとこさ持ち直してきたところで、コレである。
 そりゃ、不安にもなるだろうさ。

 けれど、だからと言って直葉を連れていく訳にはいかない。
 圏内にいれば、少なくともモンスターに命を脅かされる危険はないのだから。
 そして、街の安全圏が消滅する前に、一騎討ちクエストを発生させればそれでおしまいだ。
 直葉が危険な目に遭ってまで戦う必要なんてどこにもない。

 “直葉を絶対に連れ帰る”
 それは、出立の直前に俺が母さんと交わした約束。
 その約束を果たす為にも、直葉の身には極力危険が及ばないようにしておきたい。

 だから ――

「連れて行ってやれよ」

「……え?」

 だから、そのクラインの一言はあまりに意外で、

「本当はわかってんだろ、カズヤ? たとえお前さんがなんと言おうとも、このお嬢さんは間違いなくお前の後をついていくよ。
 それこそ、今のリーファちゃんなら、お前に気づかれないようにこっそりと後をつけるくらいの事はするさだろうさ」

 けれど、続く彼の言葉に、俺は納得せざるを得なかった。

「…………」

 俺の腕をかき抱くリーファの姿を見て思う。
 ……確かに、今のコイツならやりかねない。

「隠れてついてこられるくらいなら、テメェの手の届く範囲にいてもらって、危なくなったらテメェの手で守ってやる方のが大分マシじゃねぇか」

 「だろう?」と、こちらに同意を求めてくるクライン。

「…………」 「…………」

 そんな彼としばしの間、無言でにらみ合っていたが、 ―― 結局、先に根負けしたのは俺の方だった。

「……………………はぁ~」

 盛大な溜息をつくと共に、ガシガシと頭を掻いた。

「本当だったら、そこら辺もお前にどうにかして欲しかったんだけどな…」

「無茶言うな! お前を追いかけるリーファちゃんを引きとめる事なんて、俺にできる訳ねぇだろ! ぶった斬られるのがオチだっつーの!」

 俺のぼやきを茶化して返すクライン。
 そんな彼にフッと苦笑を返すと、俺はリーファと向き合った。

「リーファ。……俺についてくるか?」
「―― 行くっ!」

 そう俺が問いかけると、間髪いれずに即答するリーファ。

「本当に死ぬかも知れないんだぞ? それでもくるのか?」
「―― 行くっ!!」

 不退転、といった決意のこもった顔でこちらを見返してくる彼女を前にして、俺もようやく覚悟を決めた。

「……わかった。だったら、俺と約束しろ」

「約束?」

「あぁ、約束だ」

 不思議そうな顔で首をかしげるリーファに、俺は大きくうなずき返した。

「一つ、戦闘中は絶対に俺の指示に従う事。二つ、決して一人では圏外に出ない事。三つ、危なくなった時は大声で俺を呼べ。
 これらの約束が一度でも破られた場合、お前にはこの街まで引き返してもらう。 ―― いいな?」

「うん」

「弱音を吐いた場合も同様だぞ?」

「うん」

「あと、いい加減手を離せ」

「うん、それ無理」

 いや、無理ってあんた… 別に俺は、離した瞬間逃げたりしねぇよ。

 俺とリーファがそんなやり取りをしていると、クラインがおずおずといった様子で声をかけてきた。

「悪い、カズヤ。あんな事言っておいてなんだけどよ、俺はお前らとは一緒に行く事はできねぇ」

 そう言って、申し訳なさそうな顔でこちらを見ているクライン。
 思ってもみなかったその言葉を受けて、俺はキョトンとしてしまった。

「……ここにはよ、他のゲームでダチだったヤツらがいるんだ。一緒に徹夜で並んでこのソフトを買ったヤツらなんだ。俺はアイツらを置いてはいけねぇ」

 どうやらこの男は、今までパーティを組んでいた中で、自分だけが抜けてしまう事に引け目を感じているようだった。
 もともと俺は一人で行くつもりだったのだから、そんな物を感じる必要なんてどこにもないというのに…

 だから俺は、口元を釣り上げ、いかにもふてぶてしく聞こえるような声音で茶化してやった。

「何言ってんだ、クライン。俺としては、足手まといが二人に増えなくて万々歳だぜ?」

 お前が気にやむ必要なんてどこにもないんだと、そう伝える為に。

「―― はっ! 言ってろ、このバカ野郎っ!」

 そんな俺の思いが伝わったのかどうか、俺の軽口に対してクラインもまた軽口で返し、互いに笑い合う。

「……なぁ、カズヤよぉ。お前さっき言ってたよな? ビギナーがこの世界に慣れるまで、待ってはいられないってよ?」

「うん? あ、あぁ… 言ったけど、それがどうした?」

「だったら俺が、そのビギナーたちを仕立てあげてやんよ」

「……は?」

 そのあまりに突拍子もない申し出に、俺は思わず呆気にとられてしまった。

「オメェが俺に教えてくれた序盤のコツ、戦い方やら心構えなんかを俺がビギナーたちに手解きして、いっぱしの剣士に育て上げてやる。
 俺だって、前のゲームじゃギルドのアタマ張ってたんだ。そんくらいの事はやってみせるさ」

「クライン…」

「だからいつか、トンでもねぇ大部隊を率いてお前んところに行くからよ、それまで待ってろ。 ―― いや、違うな。待ってなくていい。
 オメェたちは後ろの事なんて考えず、どこまでも突っ走っていけ! いつか絶対に追いついて見せっからよ!」

 そう言って、クラインは俺に拳を差し出してきた。
 そんな彼に対して、俺もにやりと笑い返して拳を突き出す。

「いいのか? 俺たちが本気で走ったら、お前が追いつく間もなくゲームがクリアされちまうぜ?」

「上等っ! そこまで言ったからには、カズヤ。オメェ、絶対ぇに死ぬんじゃねぇぞっ!」

 コツンと互いの拳をぶつけ合うと、クラインは身をひるがえし広場へと駆け出した。
 たぶん、他のゲームで知り合った連中と合流するのだろう。

 そんな彼の背中に俺は声をかける。

「おーい、クラインっ!! お前、今の野武士ヅラの方が、さっきの若侍よりも万倍似合ってるぜっ!!」

「うるせぇ! お前だって、随分とカワイイ顔してんじゃねぇかよっ! 結構好みだぜ俺っ!!」

「死ねっ!!」

 クラインの捨て台詞にそう返し、彼の姿が見えなくなるまで見送る。

「……ん?」

 ふと、視線を感じてそちらに振り向けば、不思議そうな表情でこちらを見上げていたリーファの顔があった。

「そんな顔して、一体どうしたよ?」

「あたし、そんな顔したお兄ちゃん初めて見た、かも」

「そんな顔?」

「お兄ちゃん。なんだかクラインさんの事、羨ましそうな顔で見てた」

 ……羨ましそう、か。
 なるほど確かに、リーファの言うように、俺は彼の事が羨ましかったのかもしれない。
 自らの命すら危ういこんな状況下でありながら、真っ先に俺たちの事や自分の友人の事を心配できる彼の心の強さが、羨ましかった。

 だって俺は ――

「……あれ?」

 その時、メッセージの受信を通知するアイコンが視界の端で点滅していた事に気付いた。

「メッセージ? 一体誰からだ?」

 首をかしげながらも、そのメッセージを開封して目を見張る。

「―― っ!?」

 差出人の名前は ―― “ユウ”。
 内容は、「合流しよう」という一言と、その合流場所と思われる地名が書かれているのみ。
 実に彼らしいシンプルなメッセージだった。

 あまりに不意打ちだったソレに、俺は自身の心が軋みをあげた様な気がした。

 震える指でメッセージウィンドウを閉じ、大きく息を吐いた。

「お兄ちゃん…?」

 心配そうに俺の顔をのぞき見るリーファに、大丈夫だと笑い返す。

「行こうか、リーファ」

「う、うん…」

 突然の俺の変調に戸惑っているリーファを促し、俺たちは歩き出した。
 ユウに合流地点として指定されていた場所とは真逆の方向にある北門へと。

 ……これでいい。そう、これで、いいんだ。

 本当だったら、このまま二人でフィールドに飛び出すよりも、合流地点へと向かい再び彼らとパーティを組ませてもらった方のが、何倍も安全な事くらいわかっている。
 リーファの事だって、彼らならば笑って迎え入れてくれるだろう事は想像に難くない。

 それでも… いや、それだからこそ、俺は彼らのもとへ行く訳にはいかない。彼らの優しさに甘える訳にはいかない。

 理性は、今すぐにでも引き返せと、彼らと合流しろと訴えている。
 実際、彼らと合流した方のが断然安全に攻略を進める事ができるだろう。
 直葉の安全を思うなら、今すぐ合流するべきだ。

 けれど、俺にはどうしてもその選択肢を選ぶ事ができなかった。

 なぜなら俺は、彼らを見捨てた。
 仕方のない事だと自分の心に言い訳をして、我が身可愛さに彼らを見捨てたんだ。

 そんな俺が、今さら、一体どんな顔をして彼らに会えばいい?
 そんな俺が、彼らの優しさに甘えてパーティに入れてもらうだって?

 そんな事、できるハズがないじゃないか。

 うじうじと自問自答を繰り返していた俺の手が、唐突に暖かい感触に包まれた。
 驚き、そちらに目を向ければ、こちらを見上げているリーファの顔が。

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。えっと、お兄ちゃんが、何を悩んでるのかあたしには全然わかんないけど…
 でも大丈夫っ! お兄ちゃんならきっと大丈夫っ!」

 リーファから、全幅の信頼をこめて告げらたその言葉を受けて、俺は思わず天を仰いだ。
 この妹は… 兄が一体、誰の所為でこんなに悩んでいるんだと思っているんだろうか?

 ……けれど、リーファのその言葉に救われた気持ちになっている俺もいた。

 俺なら大丈夫、か。

「ふっ… ふふふ… あはははっ」

 なんだか、ごちゃごちゃと悩んでいた自分がバカみたいに思えて、声を出して笑ってしまった。
 そんな俺の様子を見て、キョトンとした顔になるリーファ。その顔を見て、更に笑いがこみ上げてくる。

 下手の考え休むに似たり、か。そうだよな、考える事なんていつでもできるよな。
 だったら ――

「よし、リーファ、走るぞ!」

「は? え? えっと、全く意味がわかんないんだけど?」

「いいから走るんだよっ! ほらっ、ダッシュ、ダッシュ!!」

「えぇっ!? ちょっ!? 待ってよ、お兄ちゃん~!」

 とにかく、今は走ろう。難しい事は考えず、頭をカラッポにして、ただひたすらに前へと進んで行こう。
 今はまだ、ユウたちの前に立つ勇気が出ない俺だけど、それでもいつかはこの引け目を払拭して、ベータの時のように彼らと笑いあえるような関係に戻れたらいいと思っている。

 けれど、それまでは ――

「ほれほれ、どうしたどうした? 早くしないと置いて行っちゃうぞ?」

「待って… 待ってよ、お兄ちゃんっ…! ちょっ、うそぉっ!? 速いっ、速すぎだってばっ!? ステータスは同じはずなのにどうしてぇ~!?」

 それまでは、この頑固者で寂しがり屋な最愛の妹と二人で旅をするのもいいんじゃないだろうかと、そんな風に思ったのだった。




  *    *    *




 新友を見送り、旧友から逃亡し、ついに始まった彼と彼女の二人きりの旅路。

 現実となったゲームの世界で、彼は彼女は、何を感じ、何を想うのか…
 別たれた道程が、再び交錯する日は来るのだろうか…

 なにはともあれ、今は祝福を… 旅立った二人の道行に幸の多からん事を…





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 ―― 妹想う、故に兄あり

 という訳で、第3話をお送りしました。

 長かった… ようやく二人が旅立ってくれました…

 だが、問題はこの後だ。
 このまま原作通り74層までぶっ飛ぶか
 アニメよろしく《星なき夜のアリア》に行くか
 あるいは短編の《はじまりの日》に行くか

 ぶっちゃけ、今回の終わり方ならどれでもいけるんですよねぇ…

 どれがいいと思う?


 あと、本作でのナーヴギアのスキャン云々の話は、ラノベ版設定の拡大解釈です。

 そもそもクラインって、アニメ版だと髪形が変わってますけど、ラノベ版だと最初から赤髪ツンツンヘアーなんですよね。
 つまり、ラノベ版設定では、顔は元に戻っても髪形と髪の色が戻る事はないと、そういう解釈です。
 つか、赤髪の日本人なんているハズねぇ

 ほとんどオリジナルとは言え、一応、原作設定とは矛盾していないつもりなんですけど、どんなもんでしょう?


 最後に、一応言っておきますが“新友”は誤字にあらず、新しい友の意味の造語ですのであしからず。



 感想返しは、感想掲示板の[152],[154],[161]へ










――― おまけ

< 設定のノート ~ 桐ヶ谷和人(憑依) ~ >


○オリ主 ―― 桐ヶ谷和人 (きりがや かずと):カズヤ/Kazuya

 キリトさんこと桐ヶ谷和人に転生憑依してしまった、原作知識持ちの転生者。
 あと、マザコンでシスコン。

 幼稚園デビューに失敗した男。
 あまりのジェネレーションギャップに心が折れ、その事が軽くトラウマになる。
 その為、リアルでは『コミュ障のボッチ』、ネットでは『名の知れたゲーマー』という二面性を持つに至る。

 原作のキリトさんとは異なり剣道をやめておらず、今でも道場に通っている。
 その為、妹の直葉との仲はこじれていない。
 というか、むしろ彼女のブラコン度は原作よりもヒドくなっている。

 あと、女顔および身長の事は禁句。

 ・パーソナルスキル
 『幸運』:《アンチ物欲センサー》
      欲しいものほど手に入りやすくなる。廃人たちが聞いたら泣いて羨ましがる能力。
 『直感』:《ニュータイプもどき》
      幼少時より行われてきたほとんど虐待レベルの修行おかげで発達した危機察知能力。
 『鈍感』:《フラグとはキリトさんが立てるもの》
      キリトさんじゃない俺がフラグを立てられるハズがない。





[35475] 第4話
Name: みさっち◆e0b6253f ID:560afcc0
Date: 2013/05/20 00:21


 《はじまりの街》を後にした俺たち二人は、草原を全速力で駆け抜け、深い森を慎重に分け入って、《ホルンカの村》へと辿り着いた。

 村に着いた俺たちは、すぐさま武器屋へ向かった。
 そしてそこで、クラインと共に狩りをしていた時に手に入れた素材アイテムなどをまとめて売り払い、装備を整える事にした。

 まず防具は、ほとんど防御力のない初期装備である麻のシャツから、そこそこ防御力のある革のハーフコートに替えた。
 本当だったら、リーファにはレザーコートよりも多少防御力の高い革鎧の方を装備させたかったのだが、懐事情的な理由により断念せざるを得なかった。
 もっとも、『おそろい!』だの、『ペアルック!』だの騒いで喜んでいるリーファの姿を見ていると、仮に革鎧を買えたとしても素直に装備してくれたかどうかは定かではない…

 次に武器だが、こちらに関しては買い替えるつもりはない。
 というか、この村の武器屋には片手直剣である《ブロンズソード》しか売っていないので、両手剣使いのリーファはそもそも武器を買い替える事ができない。
 それに、この村で受ける事のできるクエストの報酬で、《ブロンズソード》よりも強い片手直剣を手に入れる事ができるので、正直買い替える必要なんてないのだ。

 武器屋での用事を済ませた俺たちは、次に隣にある道具屋に向かい、そこで所持金の許す限りポーションを買い込んだ。

 そして最後に、村の奥にある一軒家に向かい、そこで先ほど言っていた報酬で片手剣を入手できるクエストを引き受ける。

 以上で、村での用事を全て終えた俺たちは、クエストのキーアイテムである《リトルネペントの胚珠》を求めて、森の中にあるリトルネペントの群生地帯へと向かったのだった。





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  第4話  なんかいろいろとはじまってしまった日

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「―― 見つけたっ!」

 索敵範囲内に現れたリトルネペントへ向かい、俺はダッシュで近づいていく。
 木々の間をすり抜けて、ついに視認可能な距離にまで近づいた時、相手も接近する俺に気づいたようで、二本のツルを威嚇するように高々と掲げていた。
 けれど、俺はそんな相手の反応にも構う事なく、そのままの速度で突き進んでいく。

 俺が相手の攻撃範囲内に入った瞬間、奇声を上げながらネペントが右のツルを俺めがけて振るってきた。
 それを確認した俺は、慌てず騒がずツタの動きに注目し、その軌道を見切る。
 そして、身をかがめる事でツタの一撃をやり過ごし、そのままの勢いでヤツの懐へと飛び込んだ。

「せぃっ!!」

 懐に入り込んだ瞬間、俺は擦れ違い様にネペントの弱点である胴体部と脚部のつなぎ目に、ブーストをかけたソードスキルをたたき込む。

 手応えは十分。見れば、満タンだったネペントのHPバーはその7割ほどが削られ、残り3割程度にまで減っている。
 そして、俺の攻撃を受けたネペントは、スタン状態に陥りこそしなかったものの、大ダメージを受けた影響で大きくのけ反っていた。

 その隙を見逃す事なく、後から追いついてきたリーファがネペントにトドメの一撃を加える。

「やぁっ!!」

 リーファの繰り出したソードスキルが残った3割を削りとり、ネペントがポリゴン片へ爆散する。

 接敵から撃破までの時間は実に十数秒。まさしく秒殺である。
 乱獲どころか、POP枯渇なんて言葉が笑い話じゃすまないレベルの狩り効率であった。

「よし、次っ!」

 だが俺は、勝利の余韻に浸る間もなく再び索敵範囲内を精査し、次の獲物の動向を探るのだった。



 ホルンカの西の森に来てからずっと、こんな風に2確でネペント乱獲してる俺たちだけど…
 信じられるかい? 相方であるウチの妹、別にベータテスターでも何でもないんだぜ?


 リーファが足手まといになるだなんて、誰が言った?

 足手まといなんて、滅相もない。この妹は、やはりとんでもないバトルジャンキーでした。
 そしてそれは、デスゲームの開始が宣言された今でも全く変わりありませんでした。

 ていうか、戦闘では常に自分の命がベットされているこの状況下で、初めてモンスターを見つけた時の反応が、欠片も尻込みする事なく自分から飛びかかっていくってどうなの?
 その反応に、むしろ俺の方が驚いたわ。

 おまけに、戦闘中俺が指示を出そうと呼びかけると、すぐに指示通りの反応をするんだ。 ……俺が指示を出す前に。
 曰く、「なんか、顔見ればどうして欲しいのかがなんとなく分かる」とのこと。

 ―― ウチの妹は、エスパーか何かですか?

 以心伝心やら、阿吽の呼吸なんて言葉があるけど、今のリーファはまさしくそんな状態だった。
 おかげ様で、俺たちコンビの経験値効率は、ソロプレイのそれに匹敵するどころか凌駕すらしそうな勢いで爆走中なのであった。



 この森にやって来てからおよそ10分ほどが経過し、俺たちは30体近い数のリトルネペントを屠っていた。
 そして、その撃墜スコアは今まさに、一体分加算されようとしている。

「リーファっ!」
「―― うんっ!」

 ターゲッティングしたリトルネペントが腐食液噴射の予備動作を行っているのを見取った俺が背後を走るリーファに呼びかければ、即座に了解の返事が返ってきた。

 ネペントから腐食液が発射されるぎりぎりのタイミングを見極め、発射される直前に、俺が左へ、リーファが右へジャンプして回避。
 そして、相手を挟み込むような立ち位置になった俺たちが同時に剣を振りかぶった。

 ―― 気合一閃。

「らぁっ!」
「やぁっ!」

 俺たちの放ったソードスキルが、同時にリトルネペントの弱点に直撃。
 ソードスキルのエフェクト光に輝く刀身が、ネペントの茎部に食い込む一瞬の手応えを感じた直後 ――
 乾いた快音が響き、リトルネペントの胴体部が脚部から切り離されて宙を舞った。

 満タンだったHPゲージが瞬時に赤く染まり、急速に減少していく。
 そして、ゲージがゼロになったと同時に、リトルネペントの巨体が青く凍りつき、爆散した。

 と同時に、軽やかなファンファーレが二重に鳴り響く。
 そして、俺とリーファの身体が金色のライトエフェクトに包まれた。
 どうやら、今のネペントで、俺たち二人の経験値がレベルアップ必要量に達したようだった。

 突然の事態に驚き、目を白黒させているリーファの姿を見て、思わず苦笑。

「レベルアップおめでとう、リーファ」

「レベルアップ? これが?」

 呆気にとられたような顔で訊ね返してきたリーファにうなずき返し、俺は剣を腰にはいていた鞘に収める。
 そして、メニューからステータスウィンドを開き、加算されていたステータスアップポイントを全て筋力に振った。

「ねぇ、お兄ちゃん」

 と、俺のメニュー操作を見て同じ事をしていたリーファが声をかけてきた。

「このステータスアップポイントって、筋力と敏捷力のどっちに振ればいいの?」

「筋力」

「全部?」

「全部」

「敏捷力の方には振らなくていいの?」

「ああ」

 リーファの問いかけに、俺はうなずき返した。

 とは言え、これは別に、筋力極にしろという訳でも、永遠に敏捷力を上げるなという訳でもない。
 ただ、筋力は直接与ダメ被ダメに関係するステータスなので、短期的に生存力を高める場合、筋力だけを上げていった方のが効率がいいのだ。
 故に、安全マージンであるレベル10になるまでは、ステータスアップは全て筋力に振るべし。
 それ以降は、まあ、個人の自由でいいと思う。

 というような事を一通りリーファに説明していると、背後からパンパンパンという手を叩く音が聞こえてきた。
 その拍手の音に驚き、振り返ればそこにヤツがいた。

 革鎧と円形盾を身につけ、俺と同じ初期装備のスモールソードを手にした、俺よりもやや身長の高い同年代ほどに見える少年。 ……確か、名前は《コペル》だったか。
 原作で、キリトさんの覚醒に一役買った元ベータテスターであり、胚珠欲しさにキリトさんをMPKしようとして失敗した危険人物でもある少年だ。
 同じ狩場で、同じモンスターを標的にして狩りを続けていれば、いずれは会う事もあるだろうとは思っていたけれど、まさかこんなにも早く出会う事になろうとは…

 やっぱりこれ、絶対なんか働いてるよね? たぶん、大宇宙の大いなる意志的な何かがさ。

「何、今の二人技っ!? バッと散開したと思ったら、ネペントめがけてエックスぎりとか何それっ!? ソードスキルに連携技なんて実装されてなかったハズだよねっ!?」

 なんて事を考えていたら、手を叩いていた少年がやや興奮した面持ちで俺の方へ詰め寄ってきた。
 そんな少年の反応に圧倒され、俺は思わず一歩後退る。

「あ、あぁ、多分… 少なくとも、俺は連携技のソードスキルなんて知らないな。さっきのあれだって、ただ同時に攻撃しただけだし」

 ……というか、食いつき良すぎるだろ、コペル。
 エックスぎりとか… まぁ、確かにそんな感じだったけど、またずいぶんと懐かしいもん持ち出してきたな、おい。

「だよね。 ……って事は、純粋にプレイヤースキルなのかぁ」

 そんな俺の答えに、少年は感心したようにはぁと嘆息した。

「って、あぁ、いきなり不躾だったよね、ごめん」

 呆気にとられている俺の姿を見て、我に返った様子の少年がバツの悪そうな顔で頭をかいた。

「まだ誰もいないと思っていたのに、既に先客がいた上、いきなりあんな場面を見せられて、思わず興奮しちゃったんだ」

 そう言って、やや恥ずかしそうな顔で笑う少年。

「えっと、遅まきながら、レベルアップおめでとう。ずいぶんと早いんだね、てっきり僕が一番乗りかと思っていたけど」

「あぁ、まあ、な… あのチュートリアルが終わってから即行で来たから」

「なるほど、それじゃ敵わないのも納得だ」

 俺の言葉にそう返すと、少年はあははと朗らかに笑った。
 そんな少年の笑顔を見ながら、俺は内心で首をかしげる。

 はて? コペルってこんな性格だったっけ?
 正直、MPKの危険人物って印象しか残ってなくて、どんな性格だかほとんど覚えてないんだけど…
 今のところ、見た感じ、ただのゲーム好きの好青年にしか見えない。 ……本当にこいつ、危険人物か?

「片手剣使いっていう事は、キミも受けているんだよね、《森の秘薬》クエ」

「あぁ、あれは俺たち片手剣使いにとって、必須のクエストだし」

 そんな少年の問いかけに、俺は首を縦に振って答えた。

 先の村で受ける事のできる《森の秘薬》クエストの報酬は《アニールブレード》という。
 この片手剣は、しっかりと強化していけば三層の迷宮区辺りまで十分に使う事のできる優れものなのだ。

「なら、ここで会ったのも何かの縁だし。せっかくだから、クエ、協力してやらない?」

「へ?」

「って言おうと思ったんだけど… でも今の光景を見せられた後じゃ、完全に要らないお世話だよね。二人でネペントを2確できるなら、僕がいたって邪魔にしかならないだろうし。
 それなら、むしろ別々にやった方のが効率は良い」

 まあ、確かに。
 超攻撃型の俺とリーファのコンビに、盾持ちバランス型のコペルが加わったとしても、狩り効率はさして上がる事はないだろう。

「まあ、今の調子で二人がガンガンネペントを乱獲し続けてくれれば、その分《花つき》の出現率も上がるだろうから、このクエスト意外に早くクリアできそうだね」

「いいや、そんな事しなくても、もっと手っ取り早くクリアする方法があるぞ」

「手っ取り早く?」

 その俺の発言にキョトンとした顔を見せる少年をしり目に、俺はメニューを操作しアイテムストレージから“それ”を取り出す。
 それを見た、少年が驚愕の声を上げる。

「《リトルネペントの胚珠》っ!? どうしてそれをっ!?」

「いや、この森に来て一番最初に戦ったのが《花つき》だったんだよ。で、そいつから出てきた」

「最初にって… ものすごいリアルラックだね、キミ」

 そういってガックリと肩を落とす少年。

「って、そうじゃないよっ! 胚珠が出たんなら、どうしてクエストを達成させてないのさっ!?」

「どうしてって、そんな事したら胚珠が出なくなるだろ?」

「いや、それはまあ、そうなんだけど…」

「別に、スモールソードのままでも2確できてるし、わざわざ村に戻るのもめんどくさいじゃないか」

「そう、かなぁ?」

 それに、俺の武器をアニールブレードに新調すると、まず間違いなく1確狩りになってしまうだろう。
 そして、SAOでは、パーティの経験値分配率は戦闘での貢献度によって決定する事になっている。
 つまり、俺が1確狩りなんて始めた日には、リーファに全く経験値が入らない事になってしまうのだ。

 俺だけが強くなっても仕方がない。リーファを置いてきぼりにしてしまっては意味がない。
 せっかくコンビを組んでるのだから、二人で強くなっていかないと。

「で、話は戻るんだけど、 ……あんたなら、いくら出す?」

「は?」

 その俺の発言に、ポカンとした顔を返す少年。

「だから、あんたはこの《リトルネペントの胚珠》にいくら出すのかって訊いてるんだ」

「……あ、あぁっ! なるほど、そう言う事かっ!!」

 呆けていた彼の顔に理解の色が広がる。

「あはっ… あはははっ あーっはっはっはっはっ!」

 かと思ったら、少年は急に笑い出した。

「あぁ、なるほどなるほど。つまりそれが、キミたちのやり方なんだね。他人のいない今の内に集めておいて、需要が増えてきたら高く売り払う、と。《森の秘薬》クエの胚珠なら多少ふっかけたとしても、買う人はいるだろうしね。報酬のアニールブレードには、それだけの価値があるから。 ……なんともはや、実にらしい・・・やり方だ」

 ひとしきり声を上げて笑っていた少年は、笑い終えるとそんな事を言いながらニヤリと俺に笑いかけてきた。
 その“らしい”という言葉にかかるのが、ネットゲーマーなのかベータテスターなのかは分からないが、どうやら俺の言葉の真意は十分彼に伝わったらしい。

 もともと俺は、顔も知らない他人に配慮してやる気なんて毛頭ない。
 けれど、犠牲にしたりするよりは、上手に利用する方のが旨味は大きいのも確か。
 なにせ死んでしまったらそれきりだけど、生きていれば何度でも利用する事ができるのだから。
 つまり何が言いたいのかと言えば、「MPK、ダメ絶対」。

「そうだね… うん、僕なら10k出すよ」

「10k、一万コルか… まあ、まだゲームが始まったばかりだし、そんなもんだろうな。 ―― OK、商談成立だ」

 そう言って差し出した俺の手を、少年が握る。

「とは言っても、まだ10kなんて持ってはいないんだけどね」

「知ってる。まあ、ゆるりと貯めてくれればいいよ。 ……もっとも、10k貯まるよりも胚珠が出る方が早いだろうけどな」

「はははっ、確かに今の状況ならそうかもしれないね」

「なにはともあれ、10k貯まるか胚珠を出すかしたら一言メッセージを送ってくれ。俺の名前は、 ……《カズマ》。でもってこっちは《リーファ》だ」

「……カズ、マ? あれ、どこかで聞いた事がある様な…」

「ひ、人違いだろ。似たような名前なんていくらでもあるだろうし」

 その名前を聞き、不思議そうに首をかしげる少年を見て、俺は慌てて誤魔化した。

 ベータ時代、俺の名前は良くも悪くも、というか主に悪い意味で有名だった。
 なにせ、わずか二ヶ月しかなかったテスト期間で二つ名がついたりしたくらいなのだから。
 《狂人》、あるいは《変人》。それが俺につけられた二つ名だった。 ……イメージ、悪すぎんだろ。
 まあ、正直なところ、命名理由は自業自得以外のなにものでもないんで、あまり文句も言えないんだけどさ…

 ……あぁ、SAOを始めたばかりの俺は、どうしてあんなにハッチャケてたんだろうか?

 とっさに口をついた偽名にすら疑問を抱かれるとか、本名をそのまま伝えていたら一発でバレていたに違いない。
 というか、一体どこまで広まってるんだよ、俺の悪名は。

「それもそうか。僕は《コペル》。よろしくね、カズマ、リーファ」

「あぁ、よろしくな、コペル。あっ、それと、メッセージはリーファの方に送ってくれないか? 俺の場合、送られてきた事に気づかないかもしれないからさ」

「え? ま、まあ、それは別に構わないけど…」

「じゃあ、すまないがそれで頼む」

 どうやら上手い事誤魔化されてくれた様子の少年 ―― コペルに、俺はホッと胸をなで下ろした。

「っと、そうだな。ここで会ったのも何かの縁。お兄さんが、お前さんに良い事を教えてやろう」

「お、お兄さんって…」

 正体がバレなかった事に気を良くした俺がそんな言うと、コペルは顔をひきつらせた。

 そりゃまあ、こんなナリした俺にお兄さんだなんて言われても反応に困るだろう。
 中の人的に考えれば、お兄さんどころかおっさん呼ばわりされても不思議じゃないんだけどなぁ

「まあ、聞けよ。《隠蔽》スキルってのは便利だけど万能じゃない。特に、視覚以外の感覚を持っているモンスター相手には効果が薄いんだ。たとえば、リトルネペントとかな」

「へ、へぇ… そうだったのか。知らなかったよ」

 そんな俺の言葉に、別の意味で顔をひきつらせるコペル。

「それともう一つ、隠蔽スキルを使ったままプレイヤーに近づくのはマナー違反だ。特に今は、あのチュートリアルの所為で誰もがなにかしらピリピリしてるだろうから尚更に、な。最悪、PKと間違えられたって文句は言えないぞ?」

 そう言って、隣に控えているリーファの方へ視線を向けた。

 彼女は、コペルが現れてから今の今まで、剣を抜いてこそいないもののずっと臨戦態勢で彼の行動をつぶさに観察してたのだった。
 それこそ、彼に少しでもおかしな挙動が見られれば、すぐにでも斬りかかれるようにと。
 ……つか、ウチの妹、この世界に適合するの早すぎだろ。本当、どうしてこうなった?

 そんなリーファの様子を見たコペルは、降参するように軽く両手を上げて首を振った。

「忠告、心より感謝するよ」

「いえいえ、どういたしまして」




  *    *    *




 コペルと別れてからも、俺たちはネペントの乱獲を続けていた。
 倒した数は、100を超えた辺りから数えるのを止めていたので正確なところはわからないが、その3倍くらいは軽くいっている事は間違いないだろう。
 おかげ様で、《花つき》を倒した数も片手では収まらない数になっていたし、それと同じ数だけ胚珠も手に入れる事ができた。
 あとついでに、コペルの方も胚珠の入手に成功したとのメッセージも送られてきた。

 けれど、長時間乱獲し続けた代償として、少し前からネペントのPOPが追いつかなくなってきているようだった。
 いわゆる、POP枯渇状態というヤツだろう。
 そのおかげで、索敵するのに無駄に時間を取られるようになってきた上、俺たちのレベルもあれから2つ上がって4になっていた所為で、ネペント狩りの旨味自体が薄れてきていた。

 ―― そろそろ、潮時だな。

 そう考えた俺は、リーファに声をかける。

「おい、リーファ。そろそろ村に戻ろう」

「ん、りょーかい」

 俺の言葉にうなずき返してきたリーファを引き連れ、俺は一路、村へと戻る道を歩き始めた。



 二人がかりの乱獲が功を奏したのか、その後、俺たちは一度もモンスターとエンカウントする事なく村に帰り着く事ができた。

 時刻は、夜の九時。どうやら、あのチュートリアルからおよそ三時間ほどが経過していたようだった。
 さすがにこれくらいの時間が経てば多少は心を落ち着ける事ができるようになったのか、村の広場には数名のプレイヤーの姿があった。
 けれど、他のプレイヤーたちと楽しくおしゃべりをするという気分じゃなかった俺は、彼らに気づかれないように裏道を通って村の奥にある一軒家へと向かった。

 目的地に辿り着いた俺たちは、すぐさま依頼人である奥さんに胚珠を手渡してクエストをクリアする。
 そして受け取った剣をストレージに格納すると、俺は近くにあった椅子にどさっと腰を下ろした。

「どうかしたの、お兄ちゃん?」

 そんな俺を見て、リーファは不思議そうな顔になった。

「クエストはクリアしたけど、イベントはまだもう少し続くんだよ」

「ふぅん?」

 俺がそう答えると、首をかしげつつもリーファは俺の隣の椅子に座った。

 しばらく二人で並んで、かまどの鍋を混ぜている奥さんの後姿を眺めていると、ふとリーファが口を開いた。

「……ねぇ、お兄ちゃん」

「ん? なんだ?」

「ここで死んだら、あたしたち、本当に現実でも死んじゃうのかな?」

「…………」

 ポツリ、リーファの口からこぼれ落ちたその質問は、多分、今このゲーム内にいる全てのプレイヤーが抱えている疑問の一つだろう。
 本来なら、もっと早い段階で訊かれてもおかしくなかったその問いかけ。
 それが今になってようやく彼女の口をついて出たのは、一体どういう心境の変化だろうか。

 あるいは、ただ単に今までそんな事を考える余裕がなかっただけなのかもしれない。
 チュートリアル直後にはじまりの街を出て、危険なフィールドを抜けて村に辿り着いて、その後は延々とネペント狩り。
 それはもう、常に緊張のしっぱなしで、気を抜く余裕もなかったハズだ。
 と言うか、よくもまあ、こんな強行軍に素人のリーファがついてこれたものだと感心してしまう。

「さて、な… 多分、本当の意味でその答えを知っているのは、この状況を作り出した茅場晶彦本人か、あるいは実際に死んじまったプレイヤーだけだろうな」

「……そっか」

 SAOがデスゲームになっているという事を、俺は原作知識から知ってはいるが、けれども果してそれがこの世界でも適応されているのかどうかは分からない。
 あるいは、ゲーム中に死んだプレイヤーは、ナーヴギアに脳を破壊されるなんて事もなくゲームから解放され、現実世界へと戻っているのかもしれない。
 けれどそれは、ゲーム内に囚われている俺たちには決して知る事のできない事だ。それこそ、実際に死んでみない事には…

「だけど、俺は死ぬつもりなんてないぞ」

「……お兄ちゃん?」

「そして、お前を死なせるつもりもない。絶対に守り抜いてみせる。 ―― 絶対に、だ」

「お兄、ちゃん…」

 そう言って俺がリーファの手を握りしめると、彼女の方からも俺の手をキュッと握り返してきた。

「いつか、このゲームをクリアして現実世界に戻ったら、二人そろって母さんに“ただいま”って言うんだからな」

「そう、だね。きっと、そうしようよ。生き抜いて、二人で一緒にお母さんのところに帰ろう。お兄ちゃん」

 そんな風に俺の言葉に同意しながら、リーファは俺の肩にコテンと頭を乗せてくるのだった。



 そんなこんなで、ポツポツとリーファと会話をしていると、俺たちの視線の先で奥さんが棚から木製のカップを取り出して、鍋の中身をそれに注いでいた。
 そしてそれを大事そうに捧げ持ち、奥のドアへと歩いていく。
 そんな様子を見ていた俺は、隣のリーファを促して立ち上がると、奥さんの後を追った。
 奥さんの後についてその部屋に足を踏み入れれば、待っていたのはベッドに横たわる7,8歳程度の少女。
 少女の枕元へ辿り着いた奥さんは、右手をのばすと彼女の背中を支えて起き上がらせる。
 そして、手にしていたカップの中身を、奥さんは少女へ丁寧に飲ませていく。
 カップの中身をこくこくと飲み干した少女は、気のせいか先程よりもほんの少し頬の赤みが増しているように見えた。
 そんな少女に対して奥さんが何事かを伝えると、彼女は入口のほど近くで立ち尽くしている俺たちの方へ視線を向けてきた。
 そして、にこりと微笑みながら告げた。

     「ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん」


 ………………。


「ねぇ、お兄ちゃん」

 先程の一軒家を後にして道具屋へ向かう途中、リーファが声をかけてきた。

「ん?」

「SAOって、変なゲームだね」

「は?」

「なんか、NPCがNPCじゃないみたいって言うか… さっきのクエストの母子だって、本当に生きてるみたいだったし…」

 まあ確かに、リーファがそんな風に思うのも無理ない事だろう。それくらい、SAOのAIプログラムは本当に秀逸だった。
 もっとも、AIはプログラムだから生きていない、と言うのはどうなんだとも俺なんかは思ったりするのだけれども。
 少なくとも、この電脳世界において、俺たちと彼らの間に、一体どれほどの違いがあるというのだろうか?

 などと、益体もない事を考えていたら、再びリーファが口を開いた。

「お母さんも ――」

「ん?」

「お母さんも、さっきのあの人みたいにあたしたちの事、心配してるのかな?」

「そりゃまあ、してるだろうな。特に直葉に関しては、原因はさて置いても、母さんがSAOをもらってこなけりゃ巻き込まれる事はなかったんだからな」

「そう、だよね…」

 俺の答えを聞いて肩を落とすリーファ。

「どうしたんだよ、リーファ? もしかして、ホームシックにでもなったか?」

 なにやら落ち込んだ様子のリーファに、俺が多少おどけてそう訊ねると、彼女はコクリとうなずいた。

「……うん、そうなのかも」

「は?」

「さっきの二人を見てたら、あたし、ものすごくお母さんに会いたくなっちゃった…」

「……そ、そうか」

 からかい半分、挑発半分で投げた球を、まさかのド直球で返され、俺は思わずどもる。

「だから、お兄ちゃんっ! こんなゲームさっさとクリアしちゃおうよっ!」

「あ、あぁっ! そうだなっ!」

「うんっ! そうと決まれば、ガンガンレベル上げしようっ! やるぞっ! おーっ!!」

「おーっ! ―― って、ちょっと待てっ! ……もしかして、それって今からか?」

 気合十分なリーファにつられて拳を上げつつも、ふと我に返った俺が慌てて訊ねると、彼女は何を当たり前の事をとでも言わんばかりの顔になった。

「思い立ったが吉日、鉄は熱い内に打て、って言うじゃん。それに、一分一秒無駄にできないって言ってたのはお兄ちゃんの方だよ?」

「いやいやいや、確かにそれはそうかも知れんが、だとしてもお前、今何時だと思ってんだ。こんな時間にフィールドに出て、お前は一体どこで寝る気なんだよ?」

 そんな俺の言葉に、けれどリーファはふふんと鼻を鳴らして答えた。

「心配ご無用だよっ! 道具屋さんに寝袋が売っていたのは確認済みだからねっ! それさえあれば、何の問題もなしっ!!」

「なん…だと…!?」

 どうして寝袋なんて売ってるんだっ!? ベータ版の時にはそんなもん売ってなかったじゃんっ!
 ……というか、もしかして、コイツ、フィールドで野宿するつもりなのか?

「う~んっ! 寝袋で野宿だなんて、本当、久しぶりだね、お兄ちゃんっ! あれかな? おじいちゃんの“しゅぎょー”で行った“やまごもり”以来かな?」

 なにやら、今にもスキップしそうなくらいにウキウキしている妹を前にして、俺は全てを諦めた。

 直情発進! 暴走特急☆直葉ちゃん、参上である。

 一体何が彼女のスイッチを押してしまったのかは分からないが、こうなってしまった直葉を止められる者なんていない。
 俺にできるのは、コイツの気がすむまで好きにやらせる事くらいだ。

 野宿、かぁ… 今から俺が、いくらその危険性を説いたところで、ここまで盛り上がってるこいつが考えを改める事はないんだろうなぁ…


 …………本当、どうしてこうなった。




  *    *    *




 白亜の個室に並べられた二台のベッド。
 そのベッドの上に横たわっているのは、十代半ばほどの年頃の少年と少女だった。
 頭部を無骨なヘッドギアに覆われ、深い眠りについている二人。

 そして、そんな二人を見つめているのは、二人の ―― 桐ヶ谷和人と桐ヶ谷直葉の母親である桐ヶ谷翠その人である。

 悪夢の事件が始まったあの日から、今日でちょうど二週間が経過していた。
 その事を、もう二週間と取るか、まだ二週間と取るかは人によりけりであろうが、彼女にとっては間違いなく後者であった。

 この二週間、彼女を苛み続けていたのは、いくつもの後悔。

 どうして自分は、あのとき、娘にSAOなんかを勧めてしまったのだろうか?
 どうして自分は、あのとき、息子が娘を迎えに行こうとするのを止めなかったのだろうか?
 そもそも、どうして自分は、SAOベータテスターの応募なんてしてしまったのだろうか?

 どうして? どうして? どうして?

 胸の内に去来するのは、いくつものIF。
 あのとき、たった一つでも、今と違う選択肢を選んでいれば、こんな最悪な状況に陥る事はなかったんじゃないだろうか?
 SAO事件をニュースで知り、娘と二人でまるで他人事のように恐ろしい事件だねと言い合ったり、ネットゲームに傾倒しつつある息子にあんたも気をつけなさいよと注意を促したり、そんな風にしていつもと変わらない日常に戻っていく。
 そんな未来があったんじゃないだろうか?

 けれど、どれだけ後悔しようとも、どれだけ望もうとも、現実は変わらない。
 二人は今もこんこんと眠り続け、自分にはただただそれを見ている事しかできない。

 運命のあの日から、ろくに眠る事もできず、また食事をとる事すら億劫になっていた彼女は、目の下にくっきりと大きなくまをつくり、頬はやせこけ、顔色は蒼白。
 もはや、はたから見れば、ベッドの上の二人よりも彼女の方が、よっぽど重篤患者に思える様な状態になっていた。

 自分が今、かなりの無茶をやらかしているという自覚はあった。

 けれど、心配なのだ。けれど、不安なのだ。
 もしも自分か少し目を離した隙に、もしも自分が眠ってしまっている間に、息子が、娘が、その命を絶たれてしまったらと、そう思うだけで恐怖が自身の身体を苛むのだ。縛りつけるのだ。
 この場から、一歩だって離れる事はできない。眠りにつく事なんてできやしない。

 もはや心身ともに限界に達していた彼女を、けれどギリギリのところで支えていたのは、あのときの息子の言葉だった。

『しばらくしたら、多分とんでもないニュースが流れだすと思う。でも、心配しないでほしい。直葉の事は、俺が絶対に連れて帰って来るから。だから、信じて待っていてほしいんだ』

 よくよく考えてみるまでもなく、それはおかしな発言だった。
 それではまるで、事件が起こる事を予め知っていたかのようではないか。
 けれど、彼女にとって重要なのはそんなところではない。
 今の彼女にとって重要だったは、ただ一言。

―― 『直葉の事は、俺が絶対に連れて帰って来るから』

 息子が、和人が、そう言ったのだ。そう約束したのだ。
 そして、あの子がこの手の約束を違える事は絶対にない。
 だから、和人はきっと直葉をあの世界から連れ帰ってきてくれる。

 そう、信じている。


 だから、今はただ、それだけを心の支えとして…



 ―― バタンッ!



「……え?」

 唐突に響いた、乱暴にドアの開かれる音に驚き振り返ると ――

「峰嵩、さん…?」

 決してこの場所に現れるハズのない、最愛の人がそこにいた。

「え? どうして、峰嵩さんがここに…?」

「はぁ、はぁ… 今回の事、ニュースで、聞いてっ… 大慌てで、駆けつけたんだっ…」

 その疑問に、ゼイゼイと肩で息をしながら答えてくれたその人を、私は信じられないようなものを見るような目で見ていた。

「そんな… でも、仕事は…?」

「上司に無理言って、一ヶ月間休職扱いにしてもらった」

「休職って… そんな事したらっ」

「―― 会社なんかよりも、キミや和人たちの方が万倍大事だっ!!」

 それでも続けようとした私の抗議の言葉をかき消すように、彼はピシャリと言い放つ。

「遅れて、すまない。肝心な時にそばにいてやれなくて、本当にすまない」

 そして、私の目の前まで来ると、そう謝りながら抱きしめてくれた。

「あっ… あぁ…!」

 強引にかき抱いてきた温かいその腕に包まれて、 ―― 私は泣いた。

 とうの昔に枯れ果てたと思っていた涙が、けれど次から次へとあふれ出てきて、私は彼にすがりつきながら泣いた。

「和人がっ…! 直葉がっ…! あ、あぁっ! ああぁぁぁーーーー!!」

 ―― 絶望も、悔恨も、不安も、恐怖も、決してなくなった訳じゃない。

 けれど、私はもう一人じゃない。
 今はただ、その想いだけに満たされていた。

「こんなにボロボロになって… この、バッカヤローが」

 ポツリと紡がれた彼のその罵声は、けれど、どこか優しく私の耳に響いたのだった。




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 今回、現実世界サイドの話をちょこっと入れてみたが、むつかしぃ…
 というか、基本的にシリアスなシーンを書くのがすごくむつかしぃ…

 という訳で、第4話をお送りしました。

 よし、74層にワープして一気にSAO編を終わらせちまおうっ!
 そんな風に考えていた時期が俺にもありました…

 ……正直、ワープは無理ぽ
 ていうか、現状からそこまで飛んだ時、リーファがどんな進化をとげているのかが全く想像できんかった
 あれだよね、原作であんな荒技ができたのは、きっと基本的にキリトさんがボッチだったからだよね
 二年分の人間関係とかその他もろもろを考えながらワープさせるなんて、作者の力量じゃ無理だったんだぜ…

 と言う訳で、素直に一歩一歩進んで行く事にします

 多分、次回はアリア編に突入、……かしら?



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――― おまけ

< 設定のノート ~ 桐ヶ谷直葉(もはや別人) ~ >

○ブラコン妹 ―― 桐ヶ谷直葉 (きりがや すぐは):リーファ/Leafa

 オリ主くん転生憑依の影響を最も大きく受ける事となった人物。
 生まれた時からずっとカズヤくんに育てられてきた為に、
 原作の彼女とは似ても似つかない存在となってしまった。

 小学校の作文で、将来の夢は“兄ちゃんの嫁さん”と大真面目に書いたほどのブラコン。
 その後、担任の先生に兄妹では結婚できないと諭され、大泣きした過去を持つ。

 曰く、お兄ちゃんは優しくて、強くて、格好良くて、頭良くて、素敵なの。
 ……何その完璧超人。


 ・パーソナルスキル
 『兄魂ブラコン』:《キモウト一歩手前》
      兄が近くにいると通常の5割増しの実力を発揮できる。
      兄の顔を見れば何を考えているのか大体分かる。
      兄に好意をよせるオンナを直感的に察知する事ができる。





[35475] 第5話 前編
Name: みさっち◆e0b6253f ID:ee55f6cd
Date: 2013/05/20 00:22


 ―― 桐ヶ谷直葉にとって、兄、桐ヶ谷和人という存在は、まさしくヒーローであった。


 ものごころつく以前より常に傍らにあり、いつでも自分を守ってくれていた特別な存在。

 多忙な両親に構ってもらえず寂しい思いをしていた時、彼はすぐそばにいてくれた。
 厳格な祖父に叱られ泣いていた時、彼は頭をなでて慰めてくれた。
 同年代の男の子に意地悪をされた時、彼は一緒になって憤ってくれた。

 たとえ、どのような状況に陥ろうとも、彼さえいれば大丈夫。
 たとえ、どのような事が起ころうとも、彼さえいれば大丈夫。

 あたしのお兄ちゃんが、きっと何とかしてくれる。

 だって、あたしのお兄ちゃんは、あたしが困っていれば、いつだって、どこからともなくフラリと現れて助けてくれる、完全無欠な“あたし”の味方なんだから。


 だから、彼がボスモンスターの連続攻撃をその身に受け、二十メートル近くも弾き飛ばされ、自身のすぐ目の前に落下するその姿を見ても、彼女にはその光景が現実のモノであると認識する事ができなかった。

 理性が、感情が、およそ彼女を構成する全てのものが、理解する事を拒絶していた。

 そんな事、起こるハズがない。そんな事、起こっていいハズがない。

 ―― だって、あたしのお兄ちゃんは、絶対無敵のヒーローなんだ。

 それは、十余年という彼女がこれまで生きてきた歳月で構築された、決して侵される事のない絶対的な信頼からくる確信。

 ―― だから、あたしのお兄ちゃんが、負けるハズない。

 それなのに、今自分のすぐ目の前で仰向けに倒れている彼は、ピクリとも動かない。

 ―― ねぇ、起きてよ… タチの悪い冗談はやめてよ… こんなのどってことないって、いつもみたいに笑ってよ…

 そして、深紅に染まり上がったHPゲージが減少していく。

 ―― 嘘、だ… 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だっ! こんなの嘘だっ! 絶対に、嘘だっ!!

 そしてついに、彼のHPゲージが ――


 信頼が、盲信でしかなかった事を知った。
 確信が、過信でしかなかった事を知った。

 理想と現実を混同していた。

 完璧な人間なんて、現実にいるハズがなかった。
 疲れない人間なんて、現実にいるハズがなかった。
 傷つかない人間なんて、現実にいるハズがなかった。

 そこにいたのは、完全無欠でも絶対無敵でもなんでもない、ただのちっぽけな人間。
 そこにいたのは、妹の過大な信頼にもなんとか応えようと必死にがんばる一人の兄。

 絶対無敵なヒーローなんて、本当はどこにもいなかったんだ。

 だけど、気づいた時には、全てが遅くて。


 ―― カッシャァァンッ!

 どこかで何かが砕ける音が聞こえた。


「―――――― っ!!!!」





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  第5話  第一層フロアボス攻略戦 ~ 狗頭王との死闘・前編 ~

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 《ソードアート・オンライン》と言う名のデスゲームが正式サービスを開始してから、早二週間が経過していた。

 結局、我が不肖の妹が発案した“山籠もり”ならぬ“フィールド籠もり”は、俺の必死の説得も虚しく断行される運びとなった。
 しかも、あの日一晩だけじゃなく、その後も延々と…

 ……おかげ様で、俺はこの二週間、安心して眠りにつけた記憶がない。

 というか、圏外のフィールドで野宿するなんて、アホのする事だ。
 システム的な保障のない《アンチクリミナルコード有効圏内》の外で寝るとか、正気の沙汰とは思えないだろ。
 いつ、ModやPKに襲われるとも知れないような場所でなんて、安眠どころか仮眠する事すらできるハズがないじゃないか。
 それなのに、どうして俺はこんな事をしてるんだろう…?

 ……いやまあ、どうしても何も、我が妹様の暴走を止められなかったからなんだけどさ。

 あの時、無駄に躍起になっている妹様を説得するのは無理と悟った俺は、仕方がないので、実際に圏外で寝起きする事の難しさを体感させ、現実を見せる事にしたんだ。
 モンスターが、いつどこから襲い掛かってくるか分からないような状況に一晩放り込まれれば、さしもの妹様も考えを改めるに違いない、と。
 一晩くらいだったら、寝ずの番をするのもそんなに苦じゃないし。特に問題はないだろう。

 ―― と、そんなふうに考えていたんだ。……この時点では。


 ところがどっこいっ… この妹様っ…
 モンスターの襲撃なんぞ関係ないとばかりにっ… 即行で熟睡しやがったっ…!!


 もうね…
 マジかよっ、と…
 ウチの妹は一体何者なんだよっ、と…

 豪胆というか、図太いというか…
 まあ、それだけ俺の事を信頼してくれているのだと思えば、……………………いや、ねぇよ。

 たとえ、どれだけ俺の事を信頼していたって、普通、あの状況で熟睡できるヤツなんていねぇよ。
 ウチの妹様は、どんだけ大物なんだよ。
 現代日本でのキャンプとこっちの世界での野宿を同列に考えないでください、いや本気で。

 と、そんな訳で、リーファを更正させる事に失敗した俺は、その後もズルズルと“フィールド籠もり”を続けさせられる事になった訳です。
 いやはや、人間、死ぬ気になれば意外と何だってできるもんなんですね。

 ―― HAHAHAHAっ! …………はぁ

 とりあえず、今回の一件で実感した事が一つ。《索敵》の恩恵というのは、本気で凄まじい。
 たしか、原作ではキリトさんが、《索敵》はパーティプレイでは重視されないなんて言っていたのだが…

 とんでもないっ! そんな事、全然全くありえないっ! 《索敵》重要っ! マジ重要っ!!
 なにせ、この俺がここまで生きつないでこれたのは、ひとえにこのスキルのおかげだと言っても過言じゃないくらいなのだからなっ!

 その感度は、あたかもマンガ世界の武道の達人やら、宇宙世紀の新人類もかくやと言ったレベル。
 おかげで、俺が深夜、接近するモンスターに気づいて飛び起きたのは、それこそ一度や二度じゃきかないのだ。
 本当、《索敵》がなかったら、俺は一体何度死んでいた事だろう…

 ていうか、今のスキルレベルでもこれだけすごいとなると、MAXレベルまで上がったら一体どうなるんだ?
 フィールドやダンジョンにいる全てのモンスターの位置を把握できる、とかか?

 とはいうものの、いくら《索敵》が優秀だとはいえ、それだけで安眠できるほど俺は豪胆じゃない。
 いや、別に自分の事を小心者だという気はないけれど、自分と妹の命がかかっているのだから、慎重に過ぎるなんて事はないだろう。
 必然、睡眠時間もお察しレベルである。

 だからなのか、俺には迷宮区にある安全地帯が、まるで天国であるかのように思えたものだ。……いや、マジで。
 さすがに熟睡とまではいかなかったものの、三時間以上連続で寝ていられたのは、野宿生活が始まって以来の快挙だった。

 ……モンスターの足音? 唸り声?

 それがどうしたっ! あんなもの、慣れてしまえば、森の葉擦れとさして変わらんのよっ!
 どうあがこうとも、ヤツらはこの場所に侵入する事などできんのだからなっ!
 そんな有象無象の輩を気にする必要がどこにあるというのだろうか? ―― いやないっ!


 そして、そんな俺とは対照的に、いつでもどこでも快眠していらっしゃった我が妹様。……マジパネェっす。

 多分、リーファはまだ、他の大多数のプレイヤーと同様に、この世界で死ぬという事の意味を理解できていないのだろう。
 だから、本当に踏みとどまらなければならないラインというものがまるで見えていないのだ。

 現実世界への帰還を目指し、レベルアップ ―― 自身を強化する事にのみ全神経を集中させ、他の事柄には一切意識を払わない。
 ただひたすらに上だけを目指し、一心不乱に突き進んでいくその様は、見ていて、……酷く危うかった。
 今はまだいいが、もしこのままの状態がいつまでも続くようならば、リーファは早晩、躓く事になるだろう。
 それが軽傷で済むのならば問題ないのだが、致命傷となってしまう可能性も捨てきれない。
 というか、現状を見ている限り、俺には後者になってしまう確率の方が遥かに高いように思える。

 ……なにせ、ブレーキのきかない車の末路など、決まり切っているのだから。

 だからこそ、俺は可及的速やかに彼女の意識改革を行わなければならない。
 ならないのだが… 正直なところ、具体的な対策案が思いつかなくて困っている。

 そもそもが、個々人の意識の話なので、俺が口で言ってどうこうなるような問題でもないだろう。

 一番手っ取り早いのは、一度実際に危険な目に遭ってもらう事なのだが…
 危険な目に遭わせない為に危険な目に遭わせようとするとか、もう意味がわからない。

 そりゃ、意識改革を促すのだから、多少の荒療治が必要だという事は理解しているけれど。
 だからと言って自らリスクを冒すような真似をしてまで実行する気にはなれない。

 “万が一”という言葉は、実際に起こりえるから存在するのだ。
 だからこそ、常に石橋を叩いて渡るくらいの慎重さは在ってしかるべきだろう。
 なにせ、この世界でのアクシデントというものは、常に自分と妹の命の問題へと直結しているのだから。

 ここ最近、俺の頭を悩ませ続けているこの問題は、結局、いまだ解決策を見つける事ができず、いつまでも俺の頭を悩ませ続けているのだった。


 まあ、なにはともあれ、そんなこんなでこの二週間、俺たちは来る日も来る日もモンスターと戦い続けていた。

 “フィールド籠もり”の効果はすさまじく、第一層の攻略も俺たちのレベリングも、俺の想定以上のハイペースで進んでいる。
 具体的にいえば、ゲーム開始からわずか二週間で、第一層迷宮区タワーを完全踏破フルコンプリートしてしまったくらいだ。

 原作では、迷宮区の最寄りの町《トルバーナ》に最初のプレイヤーが到達したのがゲーム開始から三週間後だったと言えば、この攻略速度がどれほど異常なものであるか分かってもらえるだろう。
 この世界での攻略速度は知らないが、こっちでもまだ、俺たち以外にトルバーナに到達したプレイヤーはいないと思われる。
 なにせ、俺たちがこの迷宮区で他のプレイヤーを見かけた事なんて、今のところ一度もないのだから。

 この世界は、原作と比べて、犠牲者の数はだいぶ減っていると思う。

 自ら命を絶った者、この世界での戦闘に馴染めなった者、自らを過信し引き際を見誤った者、見知らぬ罠に嵌まった者など、様々な事由で今もなお増加の一途をたどっている脱落者たち。
 けれど、それでも、はじまりの街でがんばっているだろうクラインのおかげで、無茶をして命を落とすビギナーの数は原作に比べ確実に減少しているに違いない。
 また、かなりのハイペースで攻略を進める事ができたおかげで、俺が実体験したいくつかの茅場トラップの詳細を、アルゴを通じてベータテスターへと広める事もできたので、ベータテスターの犠牲者も具体的な人数こそ分からないものの、減少していると思われる。

 故にこそ、俺はここでもう一つテコ入れをしようと思う。



「―― 決闘モード?」

 その言葉を受けて首をかしげるリーファに、俺はうなずき返した。

「あぁ、そうだ。この階層のボスモンスターには取り巻きモンスターを召喚して闘う集団戦モードの他にもう一つ、一対一で闘う決闘モードがあるんだ」

 三ヶ月前のベータテストの際に、第一層迷宮区タワーの周囲を囲む森の中で偶然発見した一軒家。
 その中にいる狩人のような格好をしたNPCから受ける事のできる、とあるクエスト。
 それが、限定ユニーククエスト《狗頭王への挑戦》である。

『迷宮の最上階にいるコボルト王《イルファング》は、誇り高き王者。
 彼の者は、常に勇気ある挑戦者を待っている。挑戦する気あらば、ただ一人で王のもとへと赴き、決闘を申し出よ』

 ベータテストのときは、レベル的な問題もあって結局クリアする事ができなかったクエストだが、今の俺のレベルと装備ならやってやれない事はないと思う。
 レイドボスを相手に一人で立ち向かうというのはかなりの無茶のように聞こえるが、けれど、実際はそうでもない。
 このボスの場合、厄介な取り巻き連中がいない状態で戦闘ができるのならば、一人でも十分に勝機はあるだろう。
 それに、一人じゃ勝てなそうだったなら、その時は無理せず尻尾を巻いて逃げればいいだけの話なので問題はない。

 このタイミングで第一層をクリアできれば、ゲーム内の沈み込んだ雰囲気も多少は改善され、犠牲者の増加にもストップがかかるに違いない。
 犠牲者が減れば、戦力が増えるのは自明の理。そうなれば、ゲームの攻略も少しは楽になるハズ。

 とは言え、それはそれ、これはこれ。全ては、命あってこその物種である。
 ここで変に無理をして、自分が犠牲者の仲間入りになるだなんて事になったら、それこそ笑い話にもならないだろう。
 だから単独撃破が無理そうだった場合は、素直に諦めて後に組まれるフロアボス攻略パーティと合流しよう。
 どこぞのサボテン頭が、元ベータテスターがなんだとうるさいかもしれないが、そこら辺は黙殺すれば問題なし。
 多少煩わしい思いをする事になったとしても、集団に混ざって安全に攻略するのが上策だ。

 というような事をリーファに説明すると、彼女はやや不満そうな顔になるのだった。

 ……えっと、それはつまり、あれですか?
 自分もフロアボスと闘ってみたかったとか、そういう事ですか? 相変わらずのバトルジャンキーっぷりですね、リーファさん。
 もしくは、赤の他人とパーティを組むのが嫌とか、そう言う事ですか? 相変わらずの人見知りっぷりですね、リーファさん。

 ウチの妹は、稀にこういう反応を見せるから、本当に困る。
 戦闘に忌避感がないのは良い事なんだが、なさ過ぎるのも問題だ。
 ある意味、俺たちコンビの相性が良すぎたのも、問題だったのかもしれない。

 これは、早い内になんとかしないと、本気でいつか火傷じゃすまない事になりそうだ。


 まあ、なにはともあれ、話はまとまった。

 フロアボスとの決戦は、明日。
 今日はふもとの町へ向かい、ストレージの中身を売り払ったり、POTを買い込んだり、装備の強化をしたりして、明日の準備を整えるとよう。




  *    *    *




 という訳で、俺たちは数日ぶりに迷宮区から離れ、巨大な風車の立ち並ぶのどかな雰囲気を持つ町《トルバーナ》へとやってきた。

「そう言えば、お兄ちゃん」

「うん?」

 道具屋で買い物をしていると、隣でそれを見ていたリーファが、ふと何かを思い出したかのように口を開いた。

「ものすごく今更なんだけど… お兄ちゃん、どうして両手剣じゃなくて片手剣を使ってるの?」

「と言うと?」

「だって、片手剣よりも両手剣の方が攻撃力が高いでしょ? それに、あたしもそうだけど、剣道やってるお兄ちゃんなら、こっちの方が使い慣れてるんじゃないの?」

 そう言って、リーファが自身の愛剣《バムグレイター+6》を差し出してきた。

「まあ、確かに。じいさんに言われて道場通いしてたから、慣れてるっちゃ慣れてるけど」

 彼女が差し出してきたそれを受け取り、鞘から抜いて正眼に構える。

 《両手用大剣》スキルを習得していない俺には、システム上、両手剣であるバムグレイターを装備する事はできない。
 装備しようとしても、装備フィギュアの右手と左手のセルに、装備不能イリーガルウェポンと表示されてしまうのだ。
 もっとも、装備できないと言うのは、武器のプロパティをステータスに反映させる事ができないと言うだけであって、素振りをするだけなら装備できなくても特に支障はない。

 なので俺は、店内の棚や天井に気をつけながら、適当に剣を振り回す。

 唐竹からの逆風。袈裟に逆袈裟。右薙ぎ、左薙ぎ、斬上、逆斬上、刺突。
 振り下ろし、切り返し、薙ぎ払い、突き穿つ。

 なんとなく、しっくりくる感覚。
 一言で言い表わすなら、ほどよく手に馴染むと言ったところか。
 三つ子の魂なんとやら、ガキの頃からじいさんに仕込まれていたのはダテじゃないという事だろう。

 そんな風に考えながら、ひとしきり剣を振り回して満足した俺は、剣を鞘に納める。

 隣りで見ていたリーファが、「おぉ~」と感嘆の声を上げながらパチパチと手を叩いていた。
 そんな彼女の反応に苦笑で返しながら、元の持ち主に剣を返す。

「お兄ちゃん、やっぱ両手剣使った方がいいって。ていうか、県大会優勝者の名が泣くよ?」

「名が泣くって… たかが県優勝程度で大げさな」

「いやいやいや、全然、大げさなんかじゃないからっ!? お兄ちゃんがウチの県で一番強いって事だからっ!?」

 いや、県で一番って言っても、所詮中学生の中でだからなぁ ……つか、俺の正体は中坊の皮を被った三十路男だぜ?
 身体の出来上がってる高校生相手ならともかく、心身ともに未熟な中学生を相手に負けるハズがないだろ。
 ていうか、自分の半分も生きていないような子供相手に負けるとか、あり得ないだろ、常考。

「ていうか、コンビで同じ武器使ったって仕方ないだろ。そんなの戦術の幅を狭めるだけじゃないか」

「そんな事ないよっ! おそろいの武器を使うからこそのコンビネーションが生まれるかもしれないじゃんっ!」

 ……ふむ、その発想はなかった。
 なるほど確かに、言われてみれば、そういう考え方もあるかもしれない。

「とは言え、俺だって伊達や酔狂でコイツを使ってる訳じゃないんだぞ」

 そう言って、俺は腰に挿した愛剣をポンと叩いた。

「そうなの?」

「当たり前だ。というか、自分の命がかかってるこの状況で趣味に走れるほど、俺は人生を捨てちゃいない。ちゃんと、片手剣にしかない利点があるからこそ、俺はこっちを使ってるんだ」

 原作でキリトさんが片手剣だったから自分もそうしようだなんてミーハーな理由で武器を選ぶ余裕は、俺にはない。

「……むぅ~」

 俺がそう説明すると、なぜだかリーファがうなりだした。

「じゃあ、片手剣の利点って何?」

「とりあえず、片手剣の方が両手剣よりもリーチが長いとか、小回りが利くから使い易いとか細かい利点がいくつかあるけど、一番の利点はもう片方の手を自由に使えるって事だな」

「自由にって… あ、そういえばお兄ちゃんは、片手剣なのに盾装備してないよね。ダンジョンに出てきたコボルトとかはみんな装備してたのに」

「ん? あんなデッドウェイトにしかならないような物、装備する訳ないだろ」

「……へ?」

「いや、だってそうだろ? モンスターの攻撃なんて、避けるか往なすかすればいいだけの話なんだから、盾なんて必要ないじゃん」

 そんな俺の答えに、なぜか絶句した顔を見せるリーファ。

「え、えっと… だったら、お兄ちゃんはその空いた左手で何するっていうの?」

「ふむ、そうだな…」

 思い出すのは、ベータテストの時にソロをしていた頃の経験。

「一概にこれって言える訳じゃないけど、ベータの時に一番やってたのは回復だな。こう、相手の攻撃を剣で受け流しながら、逆の手でポーチの中の回復ポーションを取り出す訳だ。でもって、隙を見て一気にあおる、と。パーティメンバーがいなくてソロやってた時なんかは、結構重宝したなぁ。なにせ、一人じゃどう足掻いたって、POTローテなんてできないからな」

 当時を思い出し、苦笑いを浮かべながら俺がそう答えると、なぜかリーファがなんとも言えないアンニュイな表情を浮かべていた。

「うん、お兄ちゃん」

「ん? なんだ?」


「―― そ の 理 屈 は お か し い」


 そして、キッパリと断言した。

「それ、無理だから。戦ってる最中にポーチからアイテムを取り出すとか、無理だから。あまつさえ、モンスターと戦いならがらそれを使うとか、絶対に無理だから」

「いや、無理て… このくらい、慣れれば誰だって普通にできるぞ。だってこれ、ソロプレイヤーには必須技能だし。じゃなきゃ、ソロはどうやって回復するんだよ」

「……誰だって、普通に、できる?」

 その俺の発言を受けて、何故だかリーファが頭を抱え出した。

「前々から思ってたけど、お兄ちゃんの普通は時々おかしいと思うの」

 そして、神妙な顔になって告げる。

「普通に考えて、他の事に意識を取られながら戦闘するなんてできるハズないよ。そんな事ができるのは、頭がおかしい人だけです。そのくらい、実際にモンスターと戦った事のあるあたしにもわかる」

「……頭おかしいって、またずいぶんな言い草だな、妹よ。お兄ちゃん、びっくりだ」

「あたしも、お兄ちゃんにびっくりだよっ!」

 そう言って、ガックリと肩を落とすリーファ。

「とりあえず、お兄ちゃんが片手剣を使う理由はわかったよ。……あと、あたしには絶対にできそうにないって事も。
 お兄ちゃんはおかしい。なんかもう、それでいい気がする」

 なにやら、妹の兄に対する評価がヒドい件。
 てか、このくらいソロプレイヤーなら普通にやってると思うんだけどなぁ…

 そんな風に首をかしげながらも買い物を済ませた俺は、リーファを引き連れ道具屋を後にするのだった。




  *    *    *




 そして、翌日。

 準備万端整えた俺たちは、迷宮区最上階のボス部屋へとつながる巨大な二枚扉の前にいた。

「ね、ねぇ、お兄ちゃん… 本当に一人で大丈夫なの?」

 ボス部屋への突入を前に、リーファがやや不安そうな顔で訊ねてきた。

「いくらゲームの事はあんまり知らないあたしでも、ボスモンスターを一人で相手にするのが普通じゃないって事くらい分かるよ。普通なら、もっと大勢の人とパーティを組んで戦うんだよね?」

 ここへきて怖気づいたのか、そんな事を言い出したリーファを見て、俺は苦笑を浮かべた。

 彼女の気持ちはよくわかる。
 恐ろしげな獣頭人身の怪物が刻印された灰色の大扉は、ただ見ているだけでもこちらが萎縮してしまいそうな威圧感を醸し出しているのだ。
 つか、ベータテストで何度か目にする機会のあった俺ですら、若干気後れしているくらいだ。
 初見では、さしものリーファでも、この威容を前に二の足を踏まざるを得なかったらしい。

 とは言え、いつまでもビビっている訳にもいかない。

「おいおい、そんな心配そうな顔すんなよ、リーファ。今回のボスは、数値的なステータスで言えばそこまでヤバいヤツじゃない。厄介なスキルを持ってる訳でもない。ウザい取り巻きどもさえいなければ、今のレベルと装備があれば一人でも十二分に撃破可能な相手さ」

 そう言って俺は、リーファの頭をやや強めになでつける。

「だからお前は、安心して俺の勇姿をその目に焼きつけてろよ」

 頭をなでながら俺がニッと笑いかけると、ようやく納得したのか、彼女はコクリとうなずき返してくれた。

「……うん」

「よろしい。……そんじゃ、ちょっくら行ってくるよ」

 リーファがうなずいたのを見届けた俺は、大扉のもとへ向かうと、その中央に手を当てて一気に押し開いた。



 俺が、暗闇に沈んだボス部屋に足を踏み入れると、ぼっと音を立てて部屋の左右に設置されていた粗雑な松明に火が灯る。
 一つ目の松明が灯ってからは、ぼっ、ぼっ、と奥へ向かい次々に火の灯った松明がその数を増やしていった。
 光源が増えるに従って、部屋内の明度も上がっていき、数秒後には部屋の最奥部まで見渡せるようになっていた。

 そして、部屋の最奥部に設えられている粗雑かつ巨大な玉座と、そこに座する何者かのシルエット ――

 獣人の王《イルファング・ザ・コボルトロード》。
 青灰色の毛皮をまとった二メートルを軽く超える逞しい体躯と、血に飢えたかのように赤銅色に爛々と輝く隻眼。
 玉座の左右に立てかけられているのは、骨を削り出して作られた手斧と、革を張り合わせたバックラー。
 そして、以前決闘をした際には、結局一度も抜かせる事のできなかった湾刀の代わりに腰の後ろに差された、刃渡り一メートル超の野太刀。

 ―― ベータテスト時代、この俺に何度も辛酸を味あわせてくれた宿敵が、そこにいた。

 カツン、カツンと靴音を立てながら、幅二十メートル、奥行百メートルの広大な長方形の部屋を一人、奥へ向かって歩いていく。
 これから、ベータテストの時に戦った際には歯牙にもかけられる事のなかった強敵と、文字通り命のやり取りをするというのに、不思議と心は落ち着いていた。

 あの時の俺とはまるで違うという自負がある。
 幾度もの死線をくぐりぬけてきた経験がある。
 決して負けられない理由がある。
 守らなければならない人がいる。
 帰らなければならない場所がある。

 ならば、今の俺の一体どこに、心を乱す必要があるだろうか。
 今、俺のするべき事はただ一つ… ―― あいつに勝つ事だけだ。

 玉座との距離が二十メートルほどになり、俺は一度足を止める。
 そして、愛剣を抜き放ち、その切っ先をこちらを睥睨しているイルファングへ突きつけた。

 以前の分まで、まとめてのしつけて返してやるから覚悟しやがれ、犬っころ!


「―― 《決闘》だっ!!」




  *    *    *




 カズヤが叫んだその瞬間、イルファングが立ち上がり、狼を思わせるそのアギトを目いっぱいに開いて吼えた。

「グルルゥラアアアァァァァッッ!!!」

 その咆哮にこめられたのは、挑戦を受ける事に対する歓喜か、はたまた身の程知らずな愚者への嘲りか。
 判断する間もなく、イルファングは玉座に立てかけられていた武具を手に取ると、その巨体に見合わぬ俊敏さで猛然と跳び上がった。
 そして、空中でクルリと一回転すると、手にしていた骨斧を振り上げ、着地点にいたカズヤへ向けて振り下ろす。

 巨岩すらも粉砕しかねないその苛烈な一撃前に、けれどカズヤは臆する事なく迎え撃った。

「おおおぉぉぉぉーーーーーっっ!!!!」

 裂帛の気合と共にかち合った両者の武器。

 倍以上ある体格差に、重力加速が加わった上空からの振り下ろしの一撃。
 常識的に考えれば、イルファングのその攻撃を、カズヤの細腕一本で繰り出された下からの斬り上げなんかで受け止めれられるハズなどない。

 けれど、この仮想世界では、現実世界の常識など通用しない。

 火花を散らす攻防を制したのは… ―― カズヤのアニールブレードだった。

 カズヤが剣を振り切った勢いに押され、イルファングは後方へ大きくノックバックした。


 現実世界の常識では、絶対に起こりえないだろう現象。
 けれど、この世界では、カズヤがイルファング撃破適正レベルの倍以上のレベルを持っているという事を加味して考えれば、当然の帰結ともいえる結果でしかない。

 体格差や物理法則も、確かに重要なファクターではあるものの、この世界でもっとも重点の置かれている要素はステータス値である。
 圧倒的なレベル差やステータス差の前には、そんなもの、風前の塵ほどの価値もないのだ。


 相手にとっても、それは予想外の結果だったのだろう。
 グルルと唸りながらも、体勢を低くしてこちらを警戒しているイルファング。
 その姿を前にして、カズヤはニヤリと口元を釣り上げた。

「いけるっ… 今の俺なら、やれるっ…!」

 度胸試しと、ある種の試金石的な意味で受け止める事にした先程の一撃。
 あの一撃は、ベータ時代の自分だったなら、ただそれだけで戦闘不能にされかねない威力を持ったものだったハズだ。
 だからこそ、それを受け止められるかどうかで、撤退するか否かを決める事にしたのだ。

 その結果は、見ての通りの圧勝。
 武器の耐久度こそ多少削れはしたものの、こちらのHPは一ドットだって削られてはいない。

 今の自分ならば、このボスが相手でも十分に通用する。

 その事を理解したカズヤは、剣を構え直すと ――

「ハッ! そっちが来ないんなら、こっちから行かせてもらうぜぇっ!!」

 イルファングへ向けて、昂然と駆け出した。


 ………………
 …………
 ……


 コボルト王の苛烈な攻撃を、時に回避し、時に受け流し、時に打ち払う。
 掠りはしても、決して直撃だけは受けないように、全ての攻撃に神経をとがらせながら対処する。

 そしてお返しに、斬り返し、突き穿ち、薙ぎ払う。
 大振り攻撃の後や、ソードスキルの技後硬直などの大きな隙を見せる際には、こちらもソードスキルを叩きこむ。

 ベータ時代に、何度も苦汁をなめさせられた経験はダテじゃない。ヤツの攻撃パターンは、その全てが頭の中に入っている。
 だからこそ俺は今、ボスモンスターを相手にここまで危なげなく闘う事ができているのだ。

 けれど、だからと言って、深追いだけは絶対にしないよう、自分に言い聞かせる。
 ボスモンスターの瞬間火力のデカさは、ベータ時代に身を以て思い知らされているので、一瞬だって気を抜く事はできない。
 たとえ、どれだけ優勢に事を運べていたとしても、たった一度の、一瞬の油断から全てをひっくり返されるなんて事が起こりうるのがボス攻略戦の常である。
 気を抜いていいのは、決着がついてから。でないと、手痛いしっぺ返しをその身に受けるハメになるのだ。


 時間の感覚がない。戦闘が始まってから、一体どれだけの時間が経過しただろうか。
 まだ1時間は経っていないとは思うが、それでも5分、10分という事もないだろう。
 たった一人で、これほどの長時間、戦闘をし続けた経験はベータ時代にもなかったと思う。
 なぜなら、あのときはいつだって、俺の隣には頼もしい仲間たちがいたのだから。

 けれど、今の俺は、一人。

 あの日、あの時、あのはじまりの街で、彼らの誘いに応じていれば、こんな風に、たった一人でフロアボスと戦おうだなんて無茶な真似をする事はなかっただろう。
 アイツらがいれば、こんな博打染みた真似なんてせず、最初からみんなと協力して事に当たっていたかもしれない。

 だがそんなのは、所詮IFの話だ。

 あの日俺は、合流して共に闘おうという彼らの誘いを、拒絶した。
 一度は見捨てる事を決めた彼らと、再び顔を合わせる事にどうしようもない後ろめたさを感じて、逃げ出した。

 全てが全て、自業自得以外のなにものでもない。

 けれど、だからと言って、それで全てを諦める事などできはしなかった。
 彼らと再びパーティを組み、共に冒険する事を夢見なかった日はなかった。
 リーファと共に戦いながらも、ここにアイツがいたらなんて考えるのは日常茶飯事だった。

 そんなくだらない妄想は、けれど、いつか実現してほしい願望でもあった。
 今は無理でも、彼らが生きてさえいてくれれば、いつか再会できた時に叶うかもしれない希望なのだ。

 だからこそ、俺は知りえた情報の全てをアルゴへ流した。思わぬ罠にかかって彼らが死んでしまわないように。
 だからこそ、俺は今、戦っている。己が犯した罪を贖う為に。胸を張って彼らの前に立てる自分になる為に。


 ふと気がつけば、いつの間にかコボルト王のHPゲージは、二本目まで削り切られ、三本目のそれももう間もなく尽きようとしているところだった。

 さて… ここからが、本番だ。
 本当の戦いは、ここから始まる。

 ここまでは、攻撃パターンも何もかもが、ベータ時代のそれと変わらない戦闘だった。
 だからここまでこれる事は、俺がコボルト王の初撃を受け止められた時点で既に確定していた事だった。
 それこそ、予定調和といってもいいくらいに。

 けれど、ここから先は違う。

 コボルト王は、三本目のHPゲージを削り切られたその瞬間、それまで手にしていた武具を投げ捨て、腰に差していた得物を引き抜くのだ。もちろん、攻撃パターンもそれまでとは様変わりする。
 ベータ版の時はただ湾刀を縦に振り回すだけだったので対処が容易だったが、正式版では得物が湾刀から野太刀に変わり、その攻撃パターンも複雑で厄介にな物に変更されているのだ。
 俺がそれに対応できるかどうかで、この戦闘の趨勢が決まると言っても過言ではない。

 などと考えている内に、俺が叩きこんだソードスキルが三本目のHPゲージを削り切った。

 その瞬間、コボルト王が両手に持っていた武具を投げ捨てる。
 ベータの時に何度か見た、攻撃パターン変更モーションだ。

 モーション中は、いくら攻撃してもダメージを与える事のできない無敵状態なので、俺はその隙に腰のポーチに入っていた回復ポーションを取り出して、一息に呷った。
 HPの残量は、まだ7割をきった程度で十分に安全域と言えたが、ここから先は何が起こるか分からないのだから、備えておくにこした事はない。

 そんな風に考えながら、視線をコボルト王に戻せば、なぜがヤツはいまだに野太刀に手を添えていなかった。
 見ればコボルト王は、上体を大きく反らせ、胸を大きく膨らませているところだった。

 バカ、なっ…!? このモーションは ――


 ―― その光景を目にした瞬間、ここではないどこかで誰かが口元を釣り上げてニヤリと笑った気がした。


 あまりに想定外すぎるコボルト王の行動を目の当たりにした俺は、回避する事すら忘れて絶句してしまった。
 必然、俺はヤツから放たれた“それ”の直撃を受ける事となる。

「グルラアアァァァァーーーーーーー!!!!」

 激しい咆哮を目の前で浴びせられた俺は、おどろきすくみあがって動けなくなる。

 ―― 《雄叫び》。

 それは、モンスターの使用する最もポピュラーな状態異常付与スキルの一つだ。与える状態異常は、一時行動不能スタン
 彼我のレベル差を考慮すれば、成功率はそこまで高いものではないハズなのだが、完全に虚を突かれた状態で受けた為に、俺はあえなくスタン状態に陥ってしまうのだった。

 状態異常の所為で身体を動かす事のできなくなった俺は、己の馬鹿さ加減に内心で歯噛みする。

 いくらモーション中だからと言って、すぐ目の前に敵がいるっていうのに何を安心しきっていたんだ、俺はっ!
 ベータの時は、原作では、モーション中にこんなスキルを使う事なんてなかった。 ―― そんなのは言い訳にすらならない。
 ベータでも、原作でも、全ての攻撃パターンを網羅していた訳じゃないのだから、気を抜いた俺がバカだったのだ。

 スタンとは、数秒間対象者を行動不能にしてしまうという状態異常だ。
 だが、たかだか数秒と侮るなかれ。戦闘時における数秒間の隙とは、生死を分かつ致命傷に直結しかねない恐ろしいものなのだ。
 そして、ボス戦でのそれは…

 ―― すなわち、死を意味する。

 状態異常で動けなくなった俺を前に、コボルト王は、悠々と腰に差していた野太刀を抜き放った。
 獰猛な笑みを浮かべたコボルト王の手に持つ野太刀の刀身が、薄赤色のライトエフェクトに包み込まれる。

 直後、床すれすれの軌道から高く斬り上げるソードスキル《浮舟》が、無防備な俺へ向けて放たれた ――



 ………………



 イルファングの《浮舟》がカズヤを捉え、薄赤いの円弧にひっかけられたかのように彼の身体が高く宙に浮き上がる。
 直後、錐揉みしながら宙を舞うカズヤを追いかけるように、イルファングが跳び上がった。

 そして、続けざま彼に放たれるソードスキル《緋扇》。
 目にもとまらぬ上下の連撃と、そこから一拍溜めて放たれる強烈な刺突。その全てが浮かび上がったカズヤの無防備な身体を捉える。
 彼の身体を包み込んだ三連続のダメージエフェクトは、その強烈な色彩と衝撃音で、その全てがクリティカルヒットであった事を示していた。

 痛烈なスキルのラッシュをその身に受ける事となったカズヤは、二十メートル以上も弾き飛ばされた。
 そこから、地面に突き刺ささるかのような勢いで落下し、その勢いのままに二転三転と転がっていく。
 そして、入口のほど近くに立っていた石柱に衝突する事でようやく止まったのだった。

 仰向けに倒れている彼の頭上に表示されているHPバーは、急速に減少していき、その色を緑から赤へと変えていく。


 その一部始終をボス部屋の入口のすぐそばから見ていた少女は、忘我の様相でその場にガクリと膝をついた。



 ―― そして、声にならない悲鳴が響き渡る…





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 あらためて第5話を読み返してみて…
 やっぱりコレ、長すぎじゃね? と言う訳で、二つに分けてみた

 ― 後半へ続く ―










――― おまけ

< 設定のノート ~ チラシの裏 ~ >

○ 装備について
 武器を持つ ≠ 装備する
 装備フィギュアにセットする = 装備する

 装備は、装備フィギュアにセットして初めてステータスに反映される ※ RPGの基本中の基本
 たとえ伝説の武器だろうとひのきの棒だろうと、装備しなければ与えるダメージはどちらも変わらない ※ どんなにリアルでも実態はゲーム
 他にも、アクセサリーを大量にジャラジャラと身につけていたとしても、効果が反映されるのは装備フィギュアにセットしているもののみ

 どんな武器でも、ストレージから出して実体化すれば手に持って振り回す事は可能
 ただし、該当の武器スキルを取得していなければ、その武器を装備フィギュアにセットする事はできない

 武器に関しては、装備しているもので攻撃しなければステータス通りの攻撃力が発揮される事はない
 だから、二刀流ごっこをした場合、装備フィギュアにセットしている方の武器で攻撃すればダメージを与えられるが、
 セットしていない方の武器で攻撃してもほとんどダメージを与えられないという事になる
 また、片手用武器の場合、セットしている方の手にセットした武器を持っていなければダメージは与えられない





[35475] 第5話 後編
Name: みさっち◆e0b6253f ID:ee55f6cd
Date: 2013/05/20 00:22


 ―― 俺は、死ぬのだろうか?

 目の前にある、真っ赤に染まったHPバーを見ながら、カズヤはそんな事を思った。

 ―― こんなところで、終わってしまうのだろうか?

 急速に削られていく自身のHPバーを見詰めながら、誰にともなく問いかける。

 ―― もし俺が、このまま死ぬ事になったら… あいつらは悲しんでくれるかな?

 ふと、脳裏をよぎったのは、ベータ時代にパーティを組んだ三人の友人の顔。
 彼らは、きっと悲しんでくれるだろう。あるいは、自らを責めてしまうかもしれない。
 自分たちと合流する事ができていたなら、こんな事にはならなかったんじゃないかと…

 ―― クラインは、怒るかな?

 次に浮かんできたのは、この世界に来て初めて友人になった気のいい男の顔。
 あれだけでかい口を叩いておいて、たったの二週間で脱落するなんて失笑もいいところだろう。呆れ果てるか、怒り出すか。
 そして、彼もまた悔恨の念に駆られるのだろう。あの時一緒についていけば、あるいは無理にでも引き止めていればと…

 ―― アルゴは、……アルゴは、どう思うだろう? 正直、アイツに関しては想像がつかない。

 腹黒を演じながらも、その実、全てのプレイヤーに対して公平である事を自らに課していた情報屋の少女。
 ベータ時代、それなりに親交のあった少女だったが、俺にはついぞ彼女の考えを読み取ることなどできはしなかった。
 もっとも、たんなるネット弁慶でリアルボッチな俺に、乙女心など理解できようハズもなかったのだけれども。
 それでもなんとなく、アイツはいつもの張り付けたような嘲笑を口元に浮かべながら、俺の事を罵倒してきそうな気がする。
 『相変わらず、カズ坊はバカだなぁ』、と ――

 ―― 母さんは、きっと悲しむんだろうな。

 仮想世界に囚われてしまった俺たちが、帰還するのを信じて待ってくれているであろう母さん。
 そんな母さんが、俺の死を知ったとしたら、何を思うだろう。
 悲哀? 絶望? 悔恨? いずれにせよ、あまり自分を責めないでほしい。
 俺がこうなったのは全てが自業自得で、母さんに責任なんて欠片もありはしないのだから。

 ―― リーファは、どうなるだろう?

 理不尽な絶望渦巻くこの世界で、二人、身を寄せ合って生きてきた大切な妹。
 目の前で兄を喪う事になった彼女は、一体何を思うのだろうか…
 たとえ俺がいなくなったとしても、俺なんかの死に囚われる事なく強く生きて欲しい。


 【You are dead.】


 それは、HPバーに残された最後の1ドットが消えるのを見届けた後、視界に小さく表示された一文のメッセージ。
 お前は死んだのだという、システムからの宣告。

 俺は諦観の念に包まれながら目蓋を閉じた。

 ―― 不甲斐ない兄ちゃんでごめんな、リーファ…

 閉じたまぶたの裏側には、なぜだか妹の泣き顔が焼き付いていた。





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  第5話  第一層フロアボス攻略戦 ~ 狗頭王との死闘・後編 ~

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『本当に、それでいいのか?』


 ふと、どこからか問いかけてくる声が聞こえてきた。


『このまま、何もかもが中途半端なまま、何一つ成せないまま、終わってしまって、本当にいいのか?』


 そんなの、いい訳ないに決まってるだろう。
 でもこれ以上、俺に一体何ができるって言うんだ。


『お前は、一体何のためにここに来たんだ? 何を為すためにここに来たんだ?』


 それ、は…


『妹を泣かせる為か? 母を絶望させる為か? 友の心に遺恨を残す為か?』


 違うっ! そんな事がしたくて、俺はここに来たんじゃないっ!
 守りたかった! 助けたかった! 泣かせたくなかった!
 だから、俺はこの世界に来たんだっ!

 妹の為に、母さんの為に、アイツらの為に、そして何より自分自身の為にっ!


『ならば、なぜお前は立ち上がらない?』


 ……あんたには、あのメッセージが見えないのか?

 俺は死んだんだ。
 今の俺はただの死人なんだ。
 もう、何もかもが終わってしまったんだ。

 立ち上がりたくても、立ち上がれない。
 だって、死人が動いていい道理なんてないだろう。


『くだらないな』


 …………?


『HPが0になったから死ぬのか? システムに告げられたから終わりなのか?』


 …………


『違うな。間違っているぞ』


 ……何だと?


『ヒトが本当の意味で死ぬのは、諦めた時だ』


 ……諦め、た?


『そうだ。ヒトは、自らの死を認め、受け入れ、そしてはじめて死ぬのだ』


 ……ぁ……


『お前はどうなんだ?』


 俺、は…


『自らの死を認めるのか?』


 いや、だ…


『自らの死を受け入れるのか?』


 いやだ…


『何一つ為せないままに、諦めてしまうのか?』


 ―― 嫌だっ!!


 そんなの認めないっ!
 絶対に受け入れられないっ!
 俺は諦めたりなんかしないっ!!

 だって、約束したんだっ!
 絶対に連れて帰るって ――

 そうだ、約束したんだっ!
 二人で一緒に帰るって ――

 俺は、こんなところで死ぬ訳にはいかないっ!

 死なないっ!
 死ねないっ!
 死にたくないっ!

 死んでたまるかぁーーーーっ!!


『ならば、立ち上がれっ!

 逆境を覆し、勝ち取れっ!
 理不尽に抗い、我を通せっ!
 絶望を斬り裂き、糧となせっ!

 強いられたルールシステムの支配など打ち砕いてしまえっ!
 その術を、お前は知っているハズだろうっ!!』


 ―― うおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーっ!!!!!


『そうだ、それでいい。
 想えっ! 願えっ! 求めろっ!
 それこそが、お前の力となるのだからっ!!』




  *    *    *




「うおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーっ!!!!!」


 閉ざしていた目をカッと見開き、力の限り雄叫びを上げた。
 それは、魂の咆哮。奇跡の産声。運命の反逆。

 死したはずの男が発した絶叫に、少女が、怪物が、驚愕の表情を見せる。
 見れば、ついさきほどまで倒れ伏していたハズの彼が、二本の足で立ち上がっていたのだ。
 その驚愕は計り知れないだろう。


 だが、それ以上に、立ち上がった彼自身こそが誰よりも現状に驚きを抱いていたのだった。


 死んだはずの俺が、なんで生きている?
 システムから宣告を受けたのだから、まず間違いなく俺は死んだハズなのに…

 どうしてだ? いったい何があった?

 そもそも、さっきまでのアレはなんだったんだ? 白昼夢?
 いや、VR世界で夢を見るなんて、そんな事が在り得るのか?

 あぁ、もう、訳が分からないっ!

 全くもって、一体全体、何が何やら、訳が分らないが…
 どうやら俺は、生きているらしい。

 ―― だったら、もうそれでいい。

 理由なんて知らない。経緯なんてどうでもいい。
 大事なのは、俺が生きていて、まだやり直せるという事実、ただそれだけがあればいい。


 いち早く乱れた思考に折り合いをつけたカズヤは、自身のHPバーへ目を向ける。そしてその値を見て、目を見開いて驚いた。
 なぜならば、全て削り取られてしまっていたハズのそれが、なぜか数ドット分だけといえど、回復していたのだ。
 そしてそれは、今もなお、ジワリジワリと回復している。その光景を見て、カズヤは、ハッとその原因に思い当たる。

 ―― そうか、回復ポーションかっ!

 どうやら彼は、回復ポーションのおかげで、何とか生きながらえる事ができたようだった。
 ……もっとも、それが事実だったとしても、それだけではとても説明のつかない事がいくつもあるのだが、それについて今は深く考えない事にする。
 なぜなら、今の彼にはそんな事にかかずらっていられる暇などありはしないのだから。

 そう、たとえ奇跡的に九死に一生を得る事ができたのだとしても、自身が絶体絶命の状況にいる事には変わりがないのだ。

 なにせ、イルファングの残りHPは、四本目が丸々一本残っているのに対し。
 カズヤのそれは、ポーションのおかげで徐々に回復しているとはいえ、いまだ危険域レッド
 誰がどう考えても、戦闘の継続は不可能。

 とは言え、幸いな事にイルファングのソードスキルによって弾き飛ばされたおかげで、ボス部屋の入口はすぐ目の前にある。
 そして、イルファングはいまだにスキルの技後硬直から回復していない為、すぐに追撃を行う事はできない。


 なんとなれば、誰もが撤退を選ぶであろうこの状況で、しかし彼は ――


「やってくれたな、ワン公… さっきのはきいたぞ…」

 そう言ってカズヤは、イルファングの猛攻にさらされてもなお、決して放す事のなかった愛剣を宿敵へ向けて構える。


 ―― 戦う事を選んだ。


「礼を言うよ、イルファング。獣人の王。お前のおかげで、目が覚めた」

 と言うよりも、今の彼に撤退などという発想はなかった。

「どうやら俺は、ここまでうまく行き過ぎていた所為で、知らず完全に調子に乗っていたみたいだ」

 目の前の敵を倒す。ボスを倒す。イルファングを倒す。

「口ではなんだかんだと言いながらも、結局のところ、俺はお前との戦いを単なる消化試合のように思っていたんだ」

 もう間違えない。油断なんてしない。無様をさらすつもりもない。

「圧倒的なまでのレベル差。限界まで鍛えた武具。ベータ時代に得た攻略情報。
 これだけのものがあって、負けるはずがないと高を括っていた」

 ただ、その事しか頭になかった。

「―― その結果が、コレだ」

 心の内に隠れていた楽観が、自らの首を絞めて、今の状況がある。
 一歩間違えれば、―― 否、あの不可解な奇跡が起こらなければ、自分は間違いなく死んでいた。

 ―― 負ければ死ぬ。

 それは、ゲームが始まって一番最初に宣言された、この世界のルール。
 このゲームに囚われた者達にとって、もっとも重要で絶対的なルール。
 そんな簡単な事すら、さっきまでの俺は忘れかけていた。

 感覚が麻痺していたのはリーファだけじゃない、俺もだったんだ。

 この二週間、何度か危ない目に遭った事もあったが、それでも死を覚悟するような目には一度も遭わなかった。
 多少格上の相手だろうと、リーファと二人でなら問題なく対処する事ができてしまっていたからだ。
 そんな日々が感覚を鈍麻させ、いつしか、自分が死ぬはずがないなどと、そんな錯覚を抱くようになっていた。

 そんな事、あるハズがないのに…

 イルファング程度が相手なら、全力を出すまでもない。
 心のどこかで、そんな風に思っていた。完全に相手を侮っていた。

 全ては、己の慢心が招いた結果だったのだ。

「だからこそ、もう出し惜しみはしない。ここから先は全力だ。俺の全てをもって… ―― お前を倒す」

 イルファングを睨みつけながらそう宣言すると、カズヤは右手を剣指の形にして縦に振りメニューウィンドを表示させた。

 そして、上体をギリギリまで傾け、地を這うような低い軌道でイルファングに向かって駆け出す。
 右に持った剣は左腰に据え、イルファングの巨体が射程圏内に入ったその瞬間、カズヤはソードスキルを発動させた。
 片手剣基本突進技、《レイジスパイク》。
 スキルの発動と同時に、カズヤの全身が薄青色のライトエフェクトに包まれ、彼我の間にあった十数メートルの距離を、瞬時に駆け抜ける。

 対して、迎え撃つイルファングは、グルルと獰猛な唸り声を上げると、両手で握っていた野太刀を左肩に担ぎ、前傾姿勢になった。
 カタナ突進技、《風早》。
 左肩に担がれた野太刀が、ギラリと薄赤色に輝く。
 と同時に、イルファングは爆発したかのような踏み込みで、カズヤへと突進する。

 瞬く間に両者の距離がゼロとなり、左下から斬り上げたカズヤの剣と、右上から振り下ろされたイルファングの野太刀がかち合い、甲高い金属音と共に大量の火花が散る。
 互いに繰り出した剣技の押し合いに勝利したのは、 ―― カズヤ。

 野太刀を弾き返され、イルファングが大きく仰け反る。
 相手の見せたその明確な隙を見逃す事なく、カズヤはその土手っ腹に左水平斬り《ホリゾンタル》を叩きこんだ。
 自身の右腹部を深々と斬り裂くその斬撃に、イルファングがたまらず悲鳴を上げる。と同時に、ボスの四段目のHPバーが目に見えて減少するのが見て取れた。

 自らに痛撃を与えたカズヤに憎しみのこもった眼差しを向け、反撃しようとイルファングが野太刀を振りかぶるも、しかしそれが振り下ろされるよりも早く、カズヤが次の斬撃を繰り出していた。

 垂直斬り《バーチカル》が、イルファングの頭頂部から股下まで斬り裂く。
 さらに、左からの《スラント》。重ねるように、右からの《スラント》。

 流れるような連撃で相手に反撃をさせる暇を与えず、次から次へとソードスキルを繰り出し続けるカズヤ。
 ソードスキル特有の薄青色のライトエフェクトが乱舞するその様は、あたかも青い竜巻のようだった。


 これこそが、カズヤの奥の手。 ―― 《剣技連携スキルコネクト ver. SAO》。
 原作主人公の編み出したシステム外スキル《剣技連携スキルコネクト》を彼なりにアレンジし、SAOで再現したものである。

 ソードスキルがヒットした瞬間、予め開いておいたメニューの下部にある《クイックチェンジ》のアイコンをタップ。
 すると、それまで装備していた愛剣がかすかなエフェクトを残して消失し、逆側の手に現出する。
 それを握りしめて新たなソードスキルのプレモーションに入り、発動した剣技のシステムアシストに身を任せて攻撃。再び《クイックチェンジ》。
 後は、ひたすらそれの繰り返し。

 左右の手の切り替えを、自力ではなくスキルmod《クイックチェンジ》で行っているので、難易度は原作のそれよりも大分低いとは考案者である彼の言。

 口で言うだけならば意外と簡単そうにも思えるが、実際にそれを実行に移すためには、相当な集中力が必要となる。
 確かに、《クイックチェンジ》によって装備フィギュア自体が変更されるため、本家のようにコンマ一秒の誤差すら許されないと言うほどのシビアさはないのだが…
 それでも、装備が消失してから現出するまでのタイミングを完璧に把握していなければならなかったり、剣技での攻撃とメニューの操作を同時に行わなければならなかったりと、その難易度の高さは折り紙つきである。

 そんな芸当を何度も繰り返し行えている時点で彼の異常性は明白なのだが、その事に彼自身が気づく事はなかった。


「せえぇぃっ!!」

 《スラント》、《ホリゾンタル》、《バーチカル》と、隙の少ない単発ソードスキルを立て続けに繰り出していくカズヤ。
 その猛攻を受けているイルファングは、ただなす術もなくガリガリとHPバーを削られていく。

 そんな攻防をどれほどの時間繰り返していただろうか。
 極限まで集中し、神経を尖らせ続けていたカズヤに、もはや正確な時間の感覚はなかった。
 一度でも反撃を受けたその瞬間に即死するという極限状態が、カズヤに限界以上の集中力をもたらしていた。
 そして、今この瞬間、彼は数分間が一時間とも二時間とも感じるようになっていた。

 速くっ… もっと速くっ…! どこまでも、どこまでもっ! 限界を超えたその先までっ!!

 彼は、ただひたすらに、一心不乱に、目の前の敵を倒すためだけに、剣を振り、剣技を放つ。


 いつまでも続くかと思われていたその時間は、けれど唐突に終わりを迎える。
 集中力の限界が訪れてしまったのか、ついに彼が、目測を誤りメニュー操作に失敗してしまったのだ。

「―― しまっ!?」

 その痛恨のミスに、カズヤは思わず毒づく。
 即座に意識を切り替えリカバリーを行おうとするがしかし、その隙を見逃すほど甘い相手ではなかった。

 操作ミスを犯したその瞬間、イルファングはカズヤの封殺攻撃を断ち切る横薙ぎの一撃を繰り出してきたのだ。

「ちぃっ! ―― うおおぉぉぉっ!!!」

 その攻撃を、カズヤは大慌てで剣を引き戻す事で防ぐ。
 間一髪で剣の引き戻しが間に合った事と、イルファングの攻撃を受けたその瞬間、衝撃に逆らわず自ら後方へと逃れたおかげで受けるダメージを最小限に抑え、ギリギリのところでやり過ごす事はできたが…
 その代償として相手との間合いを大きく広げられ、再び仕切り直しとなってしまった。

 再び封殺攻撃を行うために息つく間もなく間合いをつめようとするカズヤであったが…
 しかし、彼の剣が再び届く間合いまで近づく頃にはイルファングが野太刀を大きく振りかぶり、ソードスキルのモーションに入っていた。

 ソードスキル《幻月》。
 同じモーションから上下のどちらかの斬撃をランダムに繰り出すというフェイントの要素を含んだ剣技で、攻撃が上段下段のどちらから繰り出されるのかは、実際に発動するまで判断する事ができないという厄介な特性を持ったスキルである。

 そして、この場で《幻月》を使われるという事は、カズヤにとって致命的と言ってよかった。
 なぜならば、彼のHP残量は先程の攻防のおかげで、もはや数ドット分しか残っていない。
 それこそ、相手の攻撃がわずかにかかすっただけでも、カズヤのHPは十二分に全て削り切られてしまうだろう。
 にもかかわらず、ここへ来てこのフェイント剣技である。現状の危うさなど、もはや語るべくもない。

 これまで、圧倒的な優勢を誇っていたかのように見えていたのは、ひとえにカズヤが相手の反撃を完全に封殺できていたからにすぎないのだ。
 ひとたび反撃を受ければ、直撃でなくとも終わってしまう。それが今のカズヤの実情だった。

 二者択一、外れれば即死という究極の選択を前に、けれどカズヤは欠片もためらう事なく自らキルゾーンへと飛び込んでいく。

 直後、イルファングの《幻月》が発動し、振り上げられた野太刀が頭上から振り下ろされた。
 かと思われた次の瞬間、薄赤色の軌跡がクルリと半円を描いて真下に回り、下段から跳ね上がる。

 それを見て、カズヤはニヤリと笑みを浮かべる。

「悪いな、ワン公。何故だか知らないが俺は勘が良くってな、今まで一度も選択問題をハズした事がないんだよっ!」

 そう言って彼の放った《バーチカル》が、自身に迫りくる野太刀を叩き落とす。
 その強烈な一撃に耐えられなかったのか、イルファングが自らの得物を取り落とファンブルした。

 得物を失い、反撃の手段をなくしたイルファングへ一気呵成に攻め込もうとしたカズヤは、けれど相手が上体を反らして《雄叫び》のモーションに入ろうとしているのを見て、不快げに鼻を鳴らした。

「苦し紛れか、そう言うルーチンが組み込まれているのかは知らないが… 同じ手に、二度も引っかかるわきゃねぇだろぉがよぉっ!!」

 そしてカズヤは、剣を右肩に担ぐように構えて、左足で思い切り踏み切る。

 片手剣突進技、《ソニックリープ》。
 同じ突進技である《レイジスパイク》よりは射程が短いものの、軌道を上空にも向けられるという特徴を持つソードスキルである。
 本来の敏捷力では考えられない加速がカズヤの背中を叩き、彼の身体を斜め上空へと砲弾のように跳び上がらせた。
 そして、《雄叫び》のモーションに入っていたイルファングの顔面を下から切り上げる。

 更に、剣技によって加速した勢いをそのまま利用してイルファングの頭上を飛び越え、背後に着地。

「おおおおぉぉぉーーーーーっ!!!」

 次いで、裂帛の気合と共に振り向きざま片手剣二連撃技《ホリゾンタル・アーク》で背面を二度斬りつけ、《クイックチェンジ》。
 そして、止めとばかりに片手剣二連撃《バーチカル・アーク》で、右肩口から左肩口までV字の軌跡を描きながら斬り裂く。

 モーションキャンセルのヘッドアタックに続き、痛烈な四連撃をバックアタック補正込みで叩きつけられ、ついにイルファングのHPゲージが全て消失した。

 直後、イルファングの巨躯が力を失い、ガタンという音を立てて膝をつく。

 ―― オオォォォーーーーー……

 そして、イルファングがオオカミに似たその顔を天へと向けて、細く高く吼えた。
 同時に、その身体にピシッと音を立てて無数のひびが入る。

 そして、アインクラッド第一層フロアボス、《イルファング・ザ・コボルトロード》は、幾千幾万の硝子片となり盛大に爆散した。

 カズヤは、誇り高きコボルト王のその散り様を、いつまでも見詰め続けていた。


【 Congratulations !  Winner is KAZUYA !! 】


 紫色のシステムメッセージだけが、単独でのフロアボス撃破という快挙を成し遂げた彼を祝福するかのように瞬いていた。




  *    *    *




「勝った、な…」

 コボルト王の最後を見届けた体勢のままボス部屋の真ん中で突っ立っていた俺は、誰にともなくつぶやいた。

 その直後、緊張の糸が切れてしまったのか、足腰に力が入らなくなり俺はドサリと音を立ててその場に座り込んだ。
 そのまま両足を投げ出し、後ろ手をついて天を仰ぐ。

「はっ、はははっ…
 はぁ~… なんていうか、もう本気で疲れたわ」

 それこそ、俺が生身だったら脳の神経の一本か二本くらい、焼き切れていてもおかしくないほどに。
 同じ事をもう一度やれと言われても、絶対に無理だ。次は確実に死ねる自信がある。
 こんな無茶をやらかすのはもうこれっきりにしようと、俺は心に固く誓うのだった。

「にしても、本気でボロボロだな、俺…」

 そんな事をぼやきながら、今の自身の姿を見下ろして、思わず苦笑を浮かべる。

 愛剣のアニールブレードは刃毀れだらけで、耐久度は限界ギリギリ。
 もしも、あと数合打ち合っていたら、それこそ武器消失アームロストしていたかもしれないくらいだ。
 あの状況で武器消失とか、マジ笑えない。良くぞ持ち堪えてくれたと、感謝の意をこめて俺は愛剣を軽くなでる。

 次いで防具はといえば、こちらもまた見るも無残な有様だった。
 いつの間にやら、ハードレザージャケットが耐久限界を迎えて消失ロストしていたようで、インナーがむき出しの状態になっていた。
 おまけに、そのインナーに関しても、ボロボロのヨレヨレである。
 まぁ、何が原因かと言えば… まず、間違いなくあのスキルラッシュだろう。
 というか、あんなのをまともにくらってよく生きていられたもんだな、俺。

 まさに奇跡、か… 本当にギリギリの勝利だった。
 特に、最後のアレには、もう本気で肝を冷やされた。
 あのタイミングでまさかの操作ミス。
 もしもあの時、一手でも対処を間違えていたら、この場に立っていたのは俺じゃなくてヤツだったに違いないだろう。

 けれど、“もしも”は“もしも”でしかない。 ―― 勝ったのは俺だ。


「にしたって、ここまでやって、ようやっと百分の一なんだよなぁ…
 つか、割に合わないだろ、コレ… いやマジで」

 こんなのがまだ、九十九回も残っているかと思うと、心底、憂鬱な気分になってくる。

 まあ、アレだ。
 全体から見れば小さな一歩だが、SAOプレイヤーにとっては偉大な一歩であるとか、そんな風に思っておけばいいよ、たぶん。

 それに、全てのフロアボス攻略戦に俺が参加しなきゃならない必要なんてないだろうしさ。
 つか、フロアボスと一騎打ちする機会なんて早々あるもんじゃないだろうしさ。
 何より、バカ正直に百層まで付き合う必要もない訳だけだしさ。


 何はともあれ、この段階で第一層を攻略できたのはかなり大きな意味を持つだろう。
 なにせ、原作では一ヶ月かかったのを、半分の二週間に短縮したんだから、各所にいろいろな影響が出るのは間違いない。

 そもそも、俺とリーファというイレギュラーが入った事により起こった齟齬が、一体どれほどのものになるのかすら予想がつかないのだし。

 幾人かの死んでいたハズの人間が生き残る代わりに、原作よりもレベルが低い状態で第二層に挑む。
 それが、吉と出るか凶と出るかは、神の身ならぬ俺には知る由もない。

 原作では、まる二年という時間をかけ約四千人もの犠牲者を出した末にクリアされたこのゲームが、この世界ではどのような結末を迎えるのか…
 そんな事は、ゲームマスターである茅場晶彦にだって分かりはしないだろう。

 今の俺にできる事と言えば、一プレイヤーとしてこのゲームのクリアを目指して進む事だけだ。
 一秒でも短く、一人でも少なく。より良い未来を目指して。

 別に、俺にキリトさんの代わりが務まるだなんて思い上がった事をいうつもりはない。
 けれど、彼のいないこの世界では、たぶん俺が動かなければゲームがクリアされる事はないだろう。
 だったら、俺がやるしかないじゃないか。

 役者不足だなんて事は、とっくの昔に理解している。だけど、それでもやらなきゃならない時がある。
 力不足を嘆いている暇なんて、もう一秒だってありはしない。そんな暇があるのなら、レベルを上げる努力をしろ。
 俺の力が根本的に足りないと言うのなら、余所から持ってくればいい。
 全てを一人でやらなければならない必要もなければ理由もないのだ。だから、利用できるものは、なんだって利用すればいい。
 カンニングだろうが、チートだろうが、悪知恵だろうが気にしない。
 泥臭くとも、意地汚くとも、卑怯卑劣と罵られようとも、俺は絶対に生き残って必ずこのゲームをクリアしてやる。

「……だから、せいぜい首を洗って待っていろよ、茅場晶彦」

 きっとどこかで、こちらの様子をうかがっているであろうあの男へ向けて、俺は宣戦を布告した。



「……ん?」

 と、ボス部屋の入り口の方から駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
 リーファか? と思った次の瞬間 ――

「―― ぅおっと!?」

 いきなり飛びつかれて押し倒されそうになった。
 体勢的にかなり危うかったが、根性でなんとか持ち堪える。
 もしも、このとき俺が後ろ手をついていなければ、なす術なく彼女に押し倒され、固い地面に後頭部を強打し、床の上を転げまわっていた事だろう。

 ……まあ、嘘だけど。
 ペイン・アブソーバがあるから、たとえ後頭部を強打したってそこまで大げさな痛みは感じません。

 だがまあ、痛くはなくともダメージになっていた可能性はあったわけで…
 下手をすれば、残り少ないHPを削り切りかねなかったというのは事実。
 なので俺は、下手人に対して軽く文句を言ってやる事にした。

「おい、勘弁してくれよリーファ。俺のHPはまだレッドなんだぞ。妹に押し倒されて死亡とか、そんなの笑い話にもならないだろうが」

 そんな俺の軽口に、けれどリーファからは反応が返ってこなかった。

「……ん? リーファ? おい、どうかしたのか?」

 ここへ来てようやく俺は、彼女の様子がおかしい事に気づく。

 俺の首に手を回しヒシッと抱きついているリーファの身体が、小刻みに震えていた。
 そして、耳元では彼女の口からしゃくりあげるような嗚咽が聞こえていた。

「もしかして、お前、……泣いてるのか?」

 俺はやや戸惑いながら、リーファに問いかける。

 すると ――

「―― バカッ!!」

 肩に手を乗せ、グイと身を起こしたリーファが、開口一番罵声を浴びせてきた。

「死んじゃったかと、思った…」

「……リーファ?」

「あた、し… お兄ちゃんが、本当に死んじゃったんじゃないかって、思ったんだからっ…!」

「…………」

 大粒の涙をこぼしながらこちらをにらんでくるリーファに気圧され、俺は思わず口をつぐむ。

「どう、して? なんで? 大丈夫だって言ってたじゃん! 危険はないって言ってたじゃん!
 なのに、なんでだよぉ…」

 なじる様に責め立ててくる彼女に、返す言葉が見つからなかった。
 自分の力を過信していたつもりは毛頭なかったけど、多分に楽観視していた事もまた事実だったからだ。

「ヤダぁ… ヤダよぉ… 死んじゃ、ヤダっ… いなくなっちゃ、ヤダっ…!」

 そして、その楽観が油断を生み… 結果、俺は死にかけるハメになった。

「あたしを、一人に、しないでぇ…」

 いつかの様に泣きじゃくる妹を前に、俺はただ彼女を引き寄せ、抱きしめてあげる事しかできなかった。
 胸にすがりつき、一人にしないでと繰り返すリーファの背に手を回し、彼女を強く抱きしめる。

「ごめん。悪い、すまない、許せ」

「うぅ… ばかぁ…」

 そう謝りながら、俺の胸に顔をうずめるリーファの頭を軽くなでつける。

「でも、生きてる。俺は生きてるよ、リーファ」

「……おにぃ?」

「だから大丈夫だ、心配いらない。俺はどこにも行かないし、お前を独りぼっちになんかしない」

 自身の不甲斐なさに歯噛みしながら、俺は今一度、自らに誓いを立てる。

「約束しよう。……賭けてもいい」

 俺は、もう二度と生を諦めたりはしない。
 腕の中にいるこの子を、決して手放したりはしない、と ――


 ………………


 その後しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したリーファに、俺はストレージから取り出して実体化させた“それ”を差し出した。

「えっと… これは、何?」

 手に持つ“それ”と俺の顔を交互に見ながら訊いてくる彼女に、俺は苦笑を浮かべながら答える。

「まぁ、あれだ。今回不安にさせちまったお詫び、みたいなもんかな」

「お、おぉ… お詫びなんて、お兄ちゃんにしてはずいぶんと気が利くじゃん」

「うっせ! なんだ、コラ。いらないんなら、それ返せ!」

「えへへっ、やーだよー」

 いつまでも尾を引くような性格をしているリーファじゃないけれど、今回は全面的に俺が悪いという事もあり、ご機嫌取りの一つでもしておこうかと思い立った次第である。
 なのでここはとりあえず、『女性のご機嫌取りをするなら、まずは贈り物』という親父殿のありがたい教えを実践してみたのだ。

 こうして嬉しそうに笑ってる彼女の顔を見る限り、どうやら親父殿の教えは間違っていなかったようである。

「……でも、お兄ちゃん。こんなのいつの間に買ってたの? あたし、お兄ちゃんがこんなの持ってたなんて知らなかったよ?」

「そりゃそうだろ。だってそれ、さっきのボスの撃破報酬でもらったもんだし」

「ふ~ん… ―― って、はぃっ!?」

 俺から手渡された“それ”を、矯めつ眇めつ眺めていたリーファが発したその疑問に俺が軽い感じで答えると、いきなり彼女が素っ頓狂な声を上げてきた。

「うえぇっ!? ボ、ボス撃破報酬って… それ、ものすごいレアものなんじゃないの? あたしがもらっちゃっていいの?」

 などと言って、目を白黒させながらアワアワしている妹の頭を、なだめる様にポンポンと叩く。

「いやまあ、レアっちゃレアだけど… 別にそこまで気にするようなもんじゃないって」

 とかなんとか口では言いつつも、その実、“ものすごいレアもの”どころの話じゃなかったりする。
 なにせ“それ”は、他のゲームならそれほどでもないのだが、SAO内で考えればとんでもなく有用な能力を持っているものなのだから…

「……そうなの?」

「応ともさ。……それとも、このお兄様の言葉が信じられないと?」

 だが、俺はそんな事などおくびにも出さず、いまだに納得いかなげな顔をしているリーファに鷹揚にうなずき返した。

「そ、そういう訳じゃないんだけど…」

「なんだなんだ、そんな遠慮すんなって、らしくないぞ。なんだったら俺がつけてやろうか?」

「……へ? え、えぇーーっ!?」

「ほれ、貸してみろ」

「―― ちょ、まっ!?」

 そう言って俺がリーファから“それ”をとって首の裏側に腕を回すと、なぜか彼女は金縛りにでも遭ったかのように硬直するのだった。

「ままま、待ってよ、おにぃ! 顔、近いって! 顔がっ!」

「はぁ? 今更そんなん気にするような仲でもないだろうが。もうちょっとで終わるから我慢しろ」

「が、我慢しろって言われても…!? あ、あわっ… あわわわっ…」

 何やらあわあわ言っているリーファを無視して、俺は“それ”を彼女の首に巻きつける。

「よっしゃ、これでOK。あとで装備フィギュアにセットするのを忘れるなよ? つけてるだけじゃ、効果は反映されないからな」

 そう言ってリーファを開放すると、何故か彼女はその場に両手をついてガックリとうな垂れる。

「お、乙女の純情をなんだとっ… おにぃのバカっ… アホっ… 鈍感魔神っ… 朴念仁っ…」

 そして、何やらぶつぶつと言いながら地面を殴りだす。
 いきなり奇行に走り出した妹の姿に、若干ビビりつつ俺は首をかしげる。

 一体、何があったし…

「というか、他人の事に関しては必要以上に鋭いクセに、自分が絡むと途端にからっきしになるってなんなの?
 キャラ作り? わざとか、わざとなのかっ!? ハーレムものの鈍感系主人公気取りかっ!?」

 ……いやまぁ、なんだ。
 よくわからんが、女子には意味もなく地面を殴りたくなるようなときがあるのだろう。きっと、たぶん、めいびー…
 理解のある兄としては、ここは見て見ぬフリをしつつそっとしておいてやるのがせめてもの情けだろう。

 という訳で、なにやら御乱心中の妹が落ち着くのを、俺はやや離れた場所から見守る事にした。


「はぁ… なんていうか、お兄ちゃんに乙女心を理解しろって言うのが、ドダイ無理な話だったんだよね」

 と、しばしのち、我に返った様子のリーファが盛大にため息をついてきた。

「おい待て、妹よ。その件に関しては、全くもって否定できる気がしないのは事実なんだが…
 目の前でそこまであからさまにため息をつかれると、さすがの兄でも結構傷つくぞ」

「むしろ、お兄ちゃんはもっともっと傷つけばいいと思よ。……この妹殺し」

「―― なぜにっ!? ていうか、妹殺しって何っ!?」

「そんな事はどうでもいいんだよ。
 ていうかお兄ちゃんは、もっともっと乙女心について学ぶべきだと思う。主に、あたしのために。
 他所の女の子にも気軽にこんな事してるんじゃないかと思うと、あたしは気が気でなりません。

 ……えっと、やってない、よね?」

 おずおずといった様子で訊ねてくるリーファに、俺は眉根を寄せながら答えた。

「お前の言う“こんな事”ってのがどんな事を指してるのか知らんが…
 そもそも、リアルにはお前と母さん以外に異性の知り合いなんていない件。
 ていうか、むしろ同性の知り合いすらいない件。……いない件っ」

 べ、別に悔しくなんてないんだからねっ!
 俺にはネットがあるもん! ネットでなら俺はヒーローだもん!

 ……あれ、おかしいな? なんだか、視界がぼやけてきたぞ…?

「……あぁ、うん。そう言えばそうだったね。お兄ちゃんはそういう人だったね、うん」

 ひとのトラウマを盛大にえぐっておいて、なぜか呆れ顔になる我が妹。 ―― テメェの血は何色だ。

「あっ、そうだ! せっかくお兄ちゃんにつけてもらったんだし、早速装備しよっと」

 そして、あからさまに話を変える我が妹。

 ……いやまあ、ね? いいんだけどね? 別に、気にしてないし? ……くすん

 などと考えながら、俺はリーファが装備フィギュアを開いて“それ”を装備するのを眺めていた。


 俺がリーファにプレゼントした“それ”の名前は、《チョーカー・オブ・ファング》。
 見た目は牙を模したトップのつけられたチョーカーで、“一度だけ致死ダメージを無効化する”という能力を持ったアクセサリーだ。

 まあ、一言でいえば、この手のRPGではお決まりの身代わりアクセサリーである。
 身代わり以外の効果がないので、普通のゲームでならばステータス上昇効果のあるものよりも重要度の劣る、あれば嬉しいけどなくても特に困らない木っ端アクセサリー扱いが関の山なんだろうが…

 ―― しかし、これが一度でも死んだら終わりのデスゲームとなると、その価値は180度ひっくり返る。

 何せ、一度だけとは言え“死”から逃れる事ができるのだから、その価値は計り知れないだろう。
 金で命が買えるのならば、それをためらう者などいないだろうからな。
 それこそ、“殺してでも奪い取る”とか言い出すヤツが出てきても不思議じゃないレベルだ。
 まあ、本当に殺した場合、目的のアクセサリーがロストしちゃうんだから何の意味もないんだけどさ。

 とはいえ、無駄に波風を立たせる必要はないので、このアクセサリーの効果内容を誰かに言うつもりはない。
 それに、普通に考えればあり得ないのだけれど、頭のオカシイヤツというのはどこにだっているものだ。
 そういったヤツらに粘着されるのは、精神衛生上よろしくない。
 身を守るための装備の所為で身を危険にさらすなんて、本末転倒もいいところだからな。


「……そう言えば」

 メニュー操作を終えたリーファが、ふと顔を上げてもらした。

「あたし、お兄ちゃんからこういうのプレゼントされたのって初めてかもしれない」

「ん? あぁ~、そう言えばそうだな」

 リーファのその一言に、俺もうなずき返す。

 俺からリーファにプレゼントするものなんてのは、基本は食い物。
 あとはまぁ、誕生日に手作りの小物やらぬいぐるみやら人形やらを贈ったくらいか。
 服だのアクセサリーだのをプレゼントした事はない。

 ていうか、小学生相手にそういったものをプレゼントするという発想自体、俺にはなかった。
 だって、この年頃なら普通、男も女も関係なく色気よりも食気が優先されるだろ。
 そもそも、小学生の妹の誕生日に服やらアクセやらを贈る兄とか、どんだけマセてるんだよ。違和感バリバリじゃん。

 ……なんて思ってしまうのは、俺の中の人がおっさんだからなのだろうか?
 むしろ、最近の若い子の間では、服を贈り合うのが普通だったりするのか?

 ……う~ん、どうなんだろ? 同世代の子の感覚が俺には理解できん。 ―― 基本、ボッチですからねっ!!

 などと自分の同世代の者とのジェネレーションギャップについて考えていると、リーファがツンツンと俺をつついてきた。

「ねぇねぇ、お兄ちゃん」

「あん?」

「ど、どうかな? コレ、似合ってるかな?」

 そう言って、期待のこもった熱い視線を向けてくるリーファ。

 ……ふむ。
 妹からそんな視線を向けられたのならば…
 妹を溺愛している兄としては、その期待に応えない訳にはいくまいっ!

 だから俺は、リーファの質問に親指を立てながらこう答えた。

「バッチリ似合ってる。すっげぇ可愛いよ」

 ……いやまぁ、似合ってるのはマジだけどな。
 なにせ、ウチの妹は何を身につけても可愛い。異論は認めない。
 文句があるヤツは、どっからでもかかって来いやっ! 戦争だっ!!

「―― にゃっ!?」

 と、俺の答えを聞いたリーファが、ボッとでも音が鳴りそうな勢いで顔を赤くした。

 うぉっ!?
 すげぇ、さすがはVR世界… リアクションが派手で、実にわかりやすいな。
 つか、こういう感情の動きってどうやって判断してるんだろ?
 カデ子さんが脳波の変化とかを監視でもしてるのだろうか?

「~~~っ!! お、おにぃっ! いつまでもこんなところで油売ってないで、さっさと次に進もうよっ!!」

 俺がそんな事を考えていると、顔を真っ赤にした彼女がクルリと背を向け、第二層へつながる扉へと向い歩き出した。

「……あいよ」

 まったく、自分から訊いてきたくせに、それで恥ずかしがってるんだから世話がない。

 そんな妹のリアクションに苦笑を返しながら、俺は彼女のあとを追いかけた。


 そして、ずんずん進んでいるリーファに追いつき、横目で彼女の様子を探ると ――

 リーファは、にやにやした顔で首に巻かれたチョーカーのトップをいじっていた。

 ふむ… たかがプレゼント一つでここまで上機嫌になるとは…
 我が妹ながら、チョロイというかなんというか。
 思わず、泣いたカラスがなんとやら、なんて言葉を思い出してしまった。

 と、俺の視線に気づいたのか、リーファがちらりと視線だけをこちらに向けて一瞥した。

 そして ――

「……お兄ちゃん、ありがと」

 ぼそりと、聞こえるか聞こえないかの声でそうつぶやいた。
 だから俺は、耳の先まで赤くしている彼女に向けて微笑み、こう返した。

「どーいたしまして」




  *    *    *




 ―― 第一層のフロアボス撃破。

 その吉報は、瞬く間に第一層中を駆け巡った。

 その事実は、いまだ《はじまりの街》に引きこもる多くの者たちに明日への希望を、街を飛び出し迷宮区を目指し戦っていた者たちに多大な驚愕を与えた。
 そして、ごく一部の者が、「あのバカめ」とつぶやいた。

 デスゲームが開始されてから二週間が経過した今も、現実世界からのアクションが何もないという事実を前に絶望していた多くの人々が、歓喜した。
 いつかこのゲームをクリアできるかもしれないと、誰もが希望を抱いた。
 外部からの救出と言う希望の絶たれた今でも、まだ自分たちが助かる可能性はあるのだ。

 その日から、ゲーム内の雰囲気が少しずつ変わっていった。
 絶望感漂う暗くふさぎ込んだものから、希望を抱いた前向きなものへ。

 例えそれが、どれだけか細い藁のようなものだったとしても、希望があるのならば人はどこでだって生きていけるのだ。

 けれど、そんな雰囲気の変化に真っ向から対峙しようとする者も、またいた ――


 ……………


 そこは、はじまりの街のとある宿屋の一室。
 大した広さもないその室内の、その床面積の半分近くをふさいでいるベッドの上で、一人の少女が膝を抱えてうずくまっていた。


 ―― 第一層のフロアボスが倒されたらしい。

 初めてその話を耳にした時、一番最初に思ったのは「だからなに?」という一言だった。

 だってそうじゃない。たかだか、百分の一歩進んだだけで、他に何を思えというの?

 だからこそわたしは、今のこの街全体に広がっている、妙に浮足だったかのような雰囲気が気に入らない。

 そもそも、一層突破するのに二週間かかるというのなら、百層すべてを攻略するのには単純計算で四年近くかかる事になる。
 つまり、たとえゲームがクリアされてこの世界から解放されたとしても、それは四年も後の話。

 そんな状態で現実世界に帰れたとして、一体何になるというの?
 それとも、今外で騒いでいる連中は、そんな簡単な事にも気づけないほどバカなの?

 だいたい、玉手箱を開けてしまった浦島太郎が、その後、幸せな余生を送れたなどと思う人間がどれほどいる?
 そんな人間、いるハズがない。
 そして、それと同じ事が今のわたしたちにも言える。

 仮に、このゲームをクリアできて、現実世界に帰還できたとして。
 けれど、ゲームの中で無為に過ごした四年もの時間を、わたしたちは一体どうやって取り戻せばいいというの?

 そんな方法など、どこにもありはしない。過ぎ去ってしまった時間は、決して戻ってきたりはしないのだから…

 故にわたしたちは、“四年分の遅れ”という重荷を背負いながら、その後の人生を生きていかなければならない。
 あいにくと、人生というものは、物語と違ってバッドエンドだからそこでお仕舞い、という事にはならないのだ。


 最悪だ… 最悪だっ… 最悪だっ…!

 あの時わたしは、どうしてあんな気まぐれを起こしたのだろう?
 なぜあの時、わたしは自分のものですらない新品のゲーム機なんかに手を伸ばしてしまったのだろう?

 それは、この世界に囚われて以来、何百何千と繰り返してきた自問だった。

 もともと、このゲームを購入したのは自分ではなく年の離れた兄だった。
 けれど、その兄はゲームの正式サービスが開始されるまさにその日に海外へ出張する事になってしまったのだ。

 最初は、単なる好奇心だったと思う。
 あるいは、巷で話題になっているVRMMOというものに触れて、エゴイスティックな優越感に浸りたかったなんて思いがあったのかもしれない。

 けれど、それは致命的な間違いだった。
 そして、それに気づいた時には、もう何もかもが手遅れになっていた。

 あの日、わたしは全てを失った。

 思えば、わたしの十五年の人生は、戦いの連続だった。
 幼稚園の入園試験に始まり、これまで大小様々な試練を乗り越えてきた。
 両親の期待に背いた事など、一度たりともなかった。
 一度でも敗れれば、自分は無価値な人間になると思い定めた上で、その全てに勝ち続けてきた。

 けれど、そんな風にしてこれまで重ねてきた努力も勝利も、その全てが今は無価値な物に成り下がってしまった。

 ―― 人生の脱落者。今のわたしは、まさにそれだった。


 二週間、待った。
 わたしはこの二週間、ほんのわずかな希望にすがりながら待ち続けてきた。

 けれど、現実世界からのアクションはいまだ皆無。
 そしてたぶん、もうこれ以上いくら待ったとしても、その結果が変わる事はないだろう。

 なぜなら、ここまでなんの反応もないという事はつまり、このふざけた世界を作り出したあの男の方が、警察よりも上手だったという事に他ならないからだ。
 もっとも、だからと言って警察を責めるつもりもない。
 何せ、相手は一万もの人質の命を握っている凶悪犯だ、それは警察だって慎重にならざるを得ないだろう。
 人質を殺されてしまっては元も子もないのだ。軽率な事などできようハズもない。

 以上から、外部からの救出と言うわたしたちにとって唯一無二の救済は、期待できない。

 ならば ――
 わたしたちに残された選択肢は、“ゲームの中で死ぬ”か“現実に戻って死んだように生きる”かの二つしかない。

 だったら、わたしは前者を選ぶ。バッドエンドを迎えた後の人生なんて、まっぴらごめんだ。

 わたしは、このゲームに、この世界に、そして何よりあんな訳の分からない男なんかに負けたくない。
 屈する事など、わたしの矜持が許さない。
 わたしが終わるその瞬間まで、わたしはわたしのままで在り続けたい。

 ―― だから、街を出よう。

 こんなところで膝を抱えていたって、助けがくる事などあり得ない。
 だったら、己の能力全てを振りしぼって、学び、鍛え、戦おう。
 その果てに力尽きて倒れるのならば、少なくとも、過去の気まぐれを悔んだり、失われた未来を惜しんだりはしなくてすむハズだから。



 故に、走れ。突き進め。そして消えろ。

 あたかも、大気に焼かれて燃え尽きる、一瞬の流星のように ――





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 ―― アインクラッド第一層編・完

 初っ端から超展開、キタコレーーー!!


 と言う訳で、怒涛の第5話後編をお送りしました

 待ってくれていた方には、ずいぶんとお待たせして申し訳ありません


 第一層のフロアボスを撃破し、二層へと歩を進めた二人っ!
 そして、ついに動き出した謎の少女Aっ!
 二週間もの時間を短縮した結果が、吉と出るか凶と出るかっ!
 その答えは ――

 アインクラッド第二層編へ続くっ!!



 感想返しは、感想掲示板の[271]へ










――― おまけ

< 設定のノート ~ チラシの裏 ~ >

○ クエストのランク
 《限定ユニーククエスト》:ゲーム内で一人しか達成する事のできないクエスト
 《個別エクストラクエスト》:各個々人が一度しか達成する事のできないクエスト
 《汎用コモンクエスト》:いつでも誰でも何度でも達成する事のできるクエスト


○ スキル
 ・武器スキルは初期スキルやら熟練度解放スキルやらの設定が曖昧でワケわかんなかったので、武器スキルの熟練度によって解放される派生スキルはなしという方向で
 ・それに伴い、両手剣スキルや細剣スキルは最初から習得可能
 ・カタナスキルは、体術スキルと同様エクストラクエストをクリアする事で習得
 ・エクストラスキルは通常のスキルとは別扱いで、スキルスロットを消費しない
 ・生産系のスキルも設定が錯綜していてよく分からなかったので以下のように捏造

 ―― 《鍛冶》:金属装備補修、金属装備強化、金属精製ができるようになる
      《斬撃武器作成》:鍛冶の派生スキル 斬撃属性の武器を作成できるようになる
      《刺突武器作成》:鍛冶の派生スキル 刺突属性の武器を作成できるようになる
      《打撃武器作成》:鍛冶の派生スキル 打撃属性の武器を作成できるようになる
      《貫通武器作成》:鍛冶の派生スキル 貫通属性の武器を作成できるようになる
      《軽金属鎧作成》:鍛冶の派生スキル 軽金属属性の防具を作成できるようになる
      《重金属鎧作成》:鍛冶の派生スキル 重金属属性の防具を作成できるようになる

 ―― 《裁縫》:布・革装備作成、布・革装備補修、布・革装備強化ができるようになる

 ―― 《細工》:装飾装備作成、装飾装備補修、装飾装備強化ができるようになる


○ カズヤの使ったシステム外スキル
 《武装転換ソードスイッチ》:メニューを表示したままにしておき、ソードスキル発動中にスキルmod《クイックチェンジ》を用いて装備を換装する
 《硬直破棄ディレイキャンセル》:《武装転換》を用いる事で、本来ならば発生するハズの技後硬直ポストモーションを省略する
 《剣技連携スキルコネクト》:《武装転換》と《硬直破棄》を組み合わせる事で、本来ならば連携する事のできないソードスキルを連続で繰り出す





[35475] 第6話
Name: みさっち◆e0b6253f ID:ee55f6cd
Date: 2013/05/20 00:23


 ―― 《狂人のカズヤ》。
 それは、八月の頭から九月末にかけて行われたSAOベータテストにおいて、たぶん、もっとも知名度の高かったであろうプレイヤーの名前である。

 彼の人物は、“いつログインしてもヤツはそこにいる”とまで噂されるほどの長時間プレイを行っており、いつだって目撃情報に事欠かないプレイヤーだった。
 初期はあまりに奇矯な行動を取り続けるイロモノプレイヤーとして、中期以降はフロアボス攻略の中核を担う要として、多くのベータテスターたちにその名を知られていった。
 その活躍は目覚ましく、彼のプレイヤーがいなければ、二ヶ月のベータテスト期間で第十六層まで駒を進める事などできなかったのではないだろうかと言われているくらいだ。

 その無駄に長いプレイ時間を使って、フィールドやダンジョンのマッピングをガンガン進めていく。
 フロアボス攻略戦ともなれば、自身の身の丈の倍以上もあるボスモンスターを相手に、ためらいもせずに突撃していく。
 そのくせ、何故か死亡率は極端に低く、私の知る限りでも両手で数えられるほどしか死んでいなかったハズだ。
 その為、彼の加入した後の攻略組の進軍速度は凄まじかった。気がつけば、テストが終了する二ヶ月後には十六層まで進んでいたという塩梅である。

 おまけに、ドロップ率など関係ないとばかりに次々とレアアイテムをドロップする神がかり的な強運の持ち主でもあった。
 そしてまた、そのドロップしたレアアイテムを、自分は使わないからの一言で捨て値同然の値段で売りさばく奇特な人物でもあった。

 故に、ついたあだ名が、 ―― 《狂人のカズヤ》。
 他にも、《SAOのヌシ》やら、《王さま》やら、色々なあだ名がつけられていた。

 一体何を考えているのか、余人には全く理解できない。
 けれど、何か面白い事をやらかしてくれるんじゃないだろうかと、ついつい期待してしまう。
 そばにいるだけで、何故だかワクワクしてしまう。……そんな不思議な雰囲気を持った男だった。

 だからだろうか、このデスゲームが始まってからと言うもの、私は多くの元ベータテスターたちから彼の行方を訊ねられる事になった。
 彼らは皆一様に、ベータテスト時に情報屋を営んでいた私ならば知っているのではないかと思っていたようだが、生憎と私にも彼の足取りを掴む事はできていなかった。

 まさかと思って、デスゲーム開始直後に《はじまりの街》の黒鉄宮に現れた《生命の碑》を確認しに行ったりもしたが。
 Kazuyaの名前は確かに刻まれていたし、横線がひかれている事もなかった。
 つまり、彼は今もこのゲーム内のどこかでちゃんと生きているハズなのだ。

 けれど、そうだとするなら、彼は今、一体どこで何をしているのだろうか?





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  第6話  インターミッション的な何か。  ……  第一層 ⇒ 第二層

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 本当だったら、私はSAOの正式版では情報屋をするつもりなんてなかった。
 と言うよりも、正式版では情報屋なんて商売はやりたくてもできないだろうと思っていた。

 そもそも、ベータ版で情報屋なんて商売が成り立っていたのは、ゲーム内の情報を外部に公開してはならないという規制があったからだ。
 お手軽に情報を入手する手段がないからこそ、情報屋の仕入れてきた情報を金銭と交換するという商売が成り立つ。
 けれど、情報規制のかけられることのないであろう正式版ならば、ゲームの情報などそれこそ攻略サイトを読むだけで事足りてしまうだろう。
 そして、タダで手に入る情報を、わざわざ情報屋に金を払って購入するような物好きなんているハズがない。
 故に、正式版では情報屋は商売として成り立たないと、そう思っていた。

 だからこそ私は、そんな需要のない職業をロールプレイするくらいならば、いっその事、攻略組に転向するのもいいんじゃだろうかなんて思っていた。
 情報屋をするにあたり自らに課した“誰にも肩入れしない”という制約を捨て去って、アイツらと一緒に気侭な冒険者ライフを送るのも悪くないんじゃないだろうかなんて本気で思っていた。


 そんな私の密かな思惑は、けれど、製作者 ―― 茅場晶彦による“デスゲーム開始宣言”のおかげで、その全てがものの見事にご破算となってしまったのだった。


 あの日、あの時、あの場所で ――
 唐突に、フィクションでしか在りえなかったハズの出来事に巻き込まれた私は、ただただ呆けている事しかできなかった。
 だって、いきなりデスゲームだなんて言われたって、信じられるハズがなかった。納得なんてできるハズがなかった。
 けれど、だからといって、実際に確かめてみようだなんて気にもなれなかった。
 自分は何をするべきなのか、自分は何がしたいのか、それすらも分からず私は一人、茫然自失の状態で立ち尽くす事しかできなかった。

 だからこそ、私には元ベータテスターたちが“アイツ”を求めた理由がよく分かる。

 突然、こんな事件に巻き込まれて、真に冷静でいられる人間なんているハズがない。
 それは、初めてこの世界にやってきたビギナーも、予めプレイした事のあるテスターも関係ない事だろう。
 誰も彼もが不安で仕方がないのだ。

 だからこそ、求める。己の立脚点を、拠り所となるものを。

 不安だから、心細いから、恐ろしいから。
 助けて欲しかった。守って欲しかった。導いて欲しかった。

 だからこそ、アイツを知る者は皆、アイツに期待してしまう。

 ベータテスト時代、誰よりもひたむきにゲームと向き合っていたアイツに。
 誰よりも戦い、誰よりも傷つき、けれど決して負ける事のなかったアイツに。

 それが無責任な願望の押しつけでしかない事は、当然、自覚している。
 けれど、それでも、アイツならばきっとなんとかしてくれる。
 そんな期待を抱かずにはいられない。そんな雰囲気をアイツは持っていたのだ。

 そして、私もまた、アイツに魅せられ、期待を寄せてしまった人間の一人だった。

 それはあたかも、暗闇の中で母親が自分を見つけてくれるのを待ち続ける迷子の子供のようで…

 ……まったく、こんなのは私のキャラじゃないだろうに。
 こんなんじゃ、泣く子も黙る敏腕情報屋《鼠のアルゴ》の名が泣いているに違いない。

 そんな風にも思うのだけれど、それでも気が乗らないのだから仕方がない。
 今は何もやる気がしない。今は何もやれる気がしない。

 だから私は、今日も無駄に歩き回る。危険のない街の中を、何の目的もなくただフラフラと…


 このゲームが始まってしばらくしたある日のこと、そんな私のもとに一通のインスタントメッセージが届いた。
 メッセージの差出人の名は、カズヤ ――

 差出人の名前を見た瞬間、私は大慌てで受信アイコンをタップし、そのメッセージを開く。

 そして ――

「―― ぷっ…! くくくっ… にゃハッ にゃハハハッ! にゃーハハハハッ!!」

 そのメッセージを読み終えた私は、知らず大笑いしていた。

 けれど、それも仕方ないことだろう。
 だって、こんなにも変わってしまったこの世界で、けれどアイツは少しも変わっていなかったのだから。
 少しも変わる事なく、私たちが期待していたとおりにアイツがアイツのままでいてくれた・・・・・・・・・・・・・・・・のだから。

 私には、その事実が、ただただうれしかった。

 メッセージに書かれていたのは、あからさまに元ベータテスターを標的としているであろう悪辣なトラップの数々。
 そして、この情報を元ベータテスターたちに広めてくれという一言。

 製作者の性格の悪さがにじみ出ているかのようなそれらのトラップは、知らずに遭遇していれば多くの犠牲者を出していたに違いない代物ばかりだった。
 けれど、それは同時に、知ってさえいれば対処は容易いという事でもあった。

 ―― 情報は力だ。この世界では、情報収集を怠った者から死んでいく。それこそが、ベータ版から変わる事ないこの世界で唯一無二の絶対の真理。

 けれど、正確な情報なんてものは、素人がそう易々と手に入れられるものじゃないんだ。
 そして、ベータ版では、マップ情報や攻略情報を彼から仕入れ、周囲に広めるのは私の役目だった。
 だからだろうか、彼はこの私にベータ版と同じ事をこの正式版でもやれと言っているようだった。

 私が何の目的もなくフラフラとしていたこの数日の間、けれど彼は戦っていた。
 死が現実のものとなってしまったこの世界でも、以前となんら変わる事なく彼は戦い続けていた。

 そしてまた、私にも戦えと言ってきた。
 武器を振る必要もなければ、モンスターと戦う必要もない。けれど、それでもそこは、確かに命懸けの戦場だった。
 そして、再び私にそこで戦えと、彼はそう言ってきたのだ。

 正直にいえば、自由気侭な冒険者ライフに未練がないのかと訊かれれば、答えはNOである。
 むしろ、今すぐにでもアイツの元へ駆けつけ、共にありたいと願う気持ちが余計に膨らんでしまったくらいだ。

 けれど、それでも、こんな風に求められてしまったなら、応えたくなるのが人情ってもんだろう?
 これは、私にしかできない仕事。私だけの仕事。だったらもう、どうするのかなんて決まっている。

 どうやら、私が情報屋を廃業するのは、もうしばらく先の事になりそうだネ。

「ふふふっ… 仕方がないナァ。あぁ、仕方がナイ。なにせ、これは“王さま”からの直々のお達しなんダ。それを無碍にする訳にはいかないよナ?」

 あはっ… たかがメッセージが一つ届いただけで、コレか…

 あっさりと手のひらを返した自分の現金さにやや呆れ返りつつも、不思議と悪い気はしなかった。

「なにはともあれ、そうと決まれば善は急げだナ」

 なんとなく気まぐれで購入していたメーキャップアイテムをストレージから取り出す。
 そして、私は《鼠》のチャームポイントである動物のヒゲを模した三本線のマーキング、“おヒゲ”を自身の頬に描くのだった。

 さあ、これで情報屋《鼠のアルゴ》、完全復活だ。

「さてさて… それじゃまずは、この世界でも“王さま”は健在だって事を皆に喧伝して回る事から始めようかネ。アイツの事を気にしてるヤツは多そうだったしナ」

 人は、目的があれば立ち上がる事ができる。
 人は、目標があれば前へと進む事ができる。
 人は、希望があれば明日を紡ぐ事ができる。

 だから私は、 ―― 否、オレっち・・・・は、死と隣り合わせになってしまったこの世界でも、再び前へと踏み出す事ができる。


 さあ、みんなに教えてやろう。
 母親を待ち続けている子供は、他にもたくさんいるのだから。




  *    *    *




 唐突だが、このゲームには、階層間を移動するための方法が三つある。

 一つ目は、迷宮区ダンジョンを通り、自らの足で移動する方法。
 二つ目は、一度でも訪れた事のある場所に転移する事のできる転移アイテムを使用して移動する方法。
 三つ目は、主街区の中央部にある《転移門》を使って移動する方法。

 以上の三つだ。

 けれど、理由なく一つ目の手段をとる者はあまりいないし、ただ階層間を移動するためだけに貴重な転移アイテムを使用する者もあまりいない。
 だから、ベータテストではほとんどのプレイヤーが三つ目の手段、《転移門》を使っての移動を行っていた。

 では、そも《転移門》とは一体何なのか?
 一言でいうなら、各階層の主街区中央部に存在する大きな門の事である。
 これらの門は相互に連結していて、有効化アクティベートされている他の《転移門》を指定して門をくぐれば、その門へと転移する事ができるという大変便利なオブジェクトなのだ。

 そして、《転移門》をアクティベートさせる方法はただ一つ。 ―― フロアボスモンスターを撃破する事である。

 フロアボスが討伐されてからきっかり二時間後、次層主街区に存在する《転移門》が自動的にアクティベートされ、下層主街区のそれと連結される。
 ここで初めて、フロアボスを攻略し迷宮区ダンジョンを踏破したプレイヤー以外の一般プレイヤーたちも新しい階層へ行けるようになるのだ。
 もちろん、門を手動でアクティベートする方法もある。
 プレイヤーが《転移門》に直接触れる事で、二時間の待機時間を待たずにアクティベートさせる事ができるのだ。

 ベータ時代に都合十五回行われた《街開き》では、前層のボスを倒したレイドパーティの面々が《転移門》の前に並び、下からテレポートしてきたプレイヤーたちから惜しみない拍手と称賛を浴びせられる、なんて光景が何度も繰り広げられたものだ。


「とまあ、そんな訳でやってきました、《転移門》!」

「わーっ ぱちぱちぱちっ」

 そんな俺の言葉に、リーファからかなりおざなりな感じの歓声と拍手が上がった。


 アインクラッド第二層主街区《ウルバス》にやってきた俺たちは、装備武具の補修を済ませるとすぐさま街の中央部にある《転移門》の前までやってきた。

「それで、これからどうするの?」

「そりゃもちろん、門を開通させるのさ。まあ、黙って見てなって」

 首をかしげるリーファにニヤリと笑ってそう返すと、俺は門に近づいていく。

 遠目からはただの石積みのアーチにしか見えないのだが、間近からよく見るとアーチ中央の空間がほのかに揺らいでいるのが分かる。
 それはあたかも、ごく薄い水の膜を通して見ているかのような光景だった。
 そして俺は、その揺れる透明なベールへゆっくりと手を伸ばしていき ―― 触れた。

 その瞬間、鮮やかなブルーの光が溢れ、俺とリーファの視界を染め上げた。

「―― っ!?」

 突然の出来事に驚き身構えたリーファの気配を背中で感じながらも、俺は視線を外す事なく輝く門を眺め続ける。

 すると、ブルーの光は同心円状に脈動しながら、幅五メートルほどもあるアーチいっぱいに広がっていくのが見て取れた。
 この光が、アーチ内の空間一杯に満たされたその時こそが、《転移門》の開通、 ―― すなわち《街開き》である。
 これと全く同じ現象が第一層の主街区にある門でも発生しているハズで、きっと第二層の開通を知ったプレイヤーたちが今や遅しとたむろしている事だろう。

 そんな事を考えながら、俺は呆気にとられたような顔で門を見つめているリーファのもとへ向かった。

 しばらく二人で門を眺めていると、ゲートの内側がひときわ大きく輝き、広場の片隅に陣取っていたNPCの楽団が高らかに《開通のファンファーレ》を奏で始める。
 そして、青い光に満たされたゲートから、無数のプレイヤーたちが色とりどりの奔流となって溢れ出 ―― てこなかった。

「……あれ?」

 大量のプレイヤーたちが転移してくるだろうと思って身構えていたのだが、そんな俺の予想に反して、ゲートからテレポートしてくるプレイヤーは一人としていなかった。

「……なんでさ?」

 そのあまりに想定外な光景を前にして、俺は思わず呆気にとられてしまった。

 《転移門》が故障した……なんて事はさすがにないだろうし。
 アクティベートに失敗した……なんて事もないハズ。
 となると ――

「……あっ」

 もしかして、アレか? 門が開通した事に、誰も気づいていないとか?

 そんな馬鹿なと思いつつも、いや、よくよく考えてみれば全くあり得ない話とも言い切れないと思い直す。
 なにせ、俺たち以外のプレイヤーは、いまだ迷宮区ダンジョンどころか《トールバーナ》にすら辿り着いていないのだから。

 ……ま、まあ、それだったら仕方がないか。
 とりあえずメッセージでも送っておこう。アルゴ辺りに伝えておけば、たぶん、すぐに広まるだろ。

 なんとなく拍子抜けな気持ちになりながらも、俺はメニューを開いた。

 階層が違うので、インスタントメッセージでアルゴに連絡をとる事はできない。
 だから俺は、唯一フレンド登録しているクラインへとフレンドメッセージを送った。

【一層の犬王様、撃破。二層の門、開通完了。って、アルゴに伝えておいてくれ】

 これでよし、と。
 アイツは顔の広い情報屋だし。クラインだって、アルゴの名前くらいは知ってるだろうから、連絡が取れないって事はないだろう。




  *    *    *




「いいかお前ら、いくら相手がザコMobだからって気を抜くんじゃねぇぞっ!
 こいつはただのゲームじゃねぇ、たった一つしかない本当の命がかかったデスゲームなんだって事を自覚しろっ!
 何度も繰り返し言ってる事だが、絶対に無理はするな、無茶もするな、危なくなったらすぐに助けを呼べっ! わかったなっ!」

「―― はいっ!!」

 赤い髪に黄色と黒のバンダナを巻いた男が、自身の前に並ぶ三人の少年少女たちへ言い聞かせるように告げる。
 そして三人は、そんな彼の言葉を受けて、大きくうなずき返した。

「よしっ! なら、まずはエミル、お前が壁役だっ! お前はボアの攻撃を防ぎながらヘイトをかせげっ!
 そして、ユウダイとサラサは攻撃役っ! 二人は、隙を見て横からソードスキルをブチ当てろっ! ―― 以上、散開っ!」

 直後、彼から指示を受けた三人が、正面にPOPしたフレンジーボアに向かって一目散に挑みかかっていった。


 ここは《はじまりの街》周辺にある広大な草原フィールドの一角。
 その場所でバンダナ男ことクラインは今、新米剣士ニュービー三人の監督役をしていた。

 本来ならば、このフィールドに現れるボアやウルフなどは、ソードスキルを2,3発ヒットさせるだけで倒せる程度のザコモンスターでしかない。
 だから、そんなザコMobに対して三人プラス監督役で当たるなどというのは、あきらかに過剰戦力であった。
 そして、当然の事だが、パーティの人数が増えれば増えただけ、一人当たりが獲得できる経験値は減っていく。
 三人でボアを倒したとしても、それこそスズメの涙程度しか獲得する事はできはしないのだから、経験値効率は最低の部類だろう。

 けれど、この狩りの主目的は三人のレベルアップではない。
 今回の主目的は、これまで街の訓練場で木人を相手に剣を振っていた彼らに、実戦を経験させる事なのだ。

 考えてみてほしい。
 たとえステータス的にはザコでしかないのだとしても、身の丈一メートルを超えるイノシシを、そしてオオカミを相手に真正面から対峙できる者が一体どれほどいるのだろうか?
 自らの命がかかった状況で、冷静に戦闘のできる者が一体どれほどいるのだろうか?
 そんな事ができる者などいるハズがない。仮にいたとしても、それはごく少数に限られるだろう。
 そして、それ以外の大多数の者は、恐怖のあまり錯乱するか、身を竦ませて棒立ちになるかのどちらかだ。

 故に、まずは比較的安全な状況下で戦闘の経験をつませる。モンスターと戦う事に慣れさせる。
 その為の三人パーティ。その為の監督役だ。


 フレンジーボアを相手に死闘を繰り広げている三人の戦闘風景を観戦しながら、クラインは遣る方無い気持ちでため息を一つついた。
 エミル、ユウダイ、サラサの三人は、三人ともが15歳の中学生。いまだ義務教育すら修了していない少年少女だった。
 本来ならば、まだ大人の庇護下にいるべきハズの子供なのだ。
 にもかかわらず、そんな彼らすら命の危険のある戦場に引っ張り出さなければならないという今の状況に、クラインは遣る瀬無さを感じずにはいられないのだった。

 この二週間で、前向きに攻略する気概のある大人連中は皆、ここを卒業して街の外へと旅立っていってしまった。
 そのため、今、《はじまりの街》に残っているのは、クラインのような他プレイヤーの支援を行っている者たちを除けば、宿に引きこもってそこから一歩も外へ出ようとしない現実逃避組と、戦闘に向かない女子供組だけだった。

 初期資金の残っている今はまだいい。だが、それも無尽蔵にある訳じゃない。いつか、それもそう遠くない未来に底をついてしまうのは確定事項だ。
 では、その時、残された《はじまりの街》の住人たちをいったいどうやって養っていけばいいのだろうか。
 いまだ全プレイヤー中の半数以上が残っている《はじまりの街》の全ての住人を、十数人程度しかいないクラインたち支援組が養うというのは現実的ではない。
 ならば、一体どうするべきか。その事を支援組内で話し合った結果、やはり自分の食い扶持くらいは自分たちで稼いでもらおうという結論に落ち着いたのだった。

 将来を見据えた、非戦力層の戦力化。

 それが仕方のない事なのだと分かってはいても、それでもやはり子供たちにはいつまでも、命の危険にさらされるフィールドなんかには出ないで安全な街の中にいてほしい、というのが彼の偽らざる本音なのだった。
 故に、クラインは彼らの訓練に力を入れる。
 せめて、自分の身くらいは自分で守れる程度にはなってほしいから。
 そしてなにより、一人の大人として、若い命を無駄に散らせる事にだけはなってほしくないから。


 などと、益体もない事を考えていたクラインがふと気づけば、いつの間にやらエミルたちがボアを撃破していた。
 初陣を勝利で飾った事を互いに喜び合っている三人。けれど、そんな彼らの背後から忍び寄る影が一つあった。
 グレイウルフ ―― フレンジーボア同様、草原フィールドに出現するザコMobの一種である。
 突撃しかしてこないボアと異なり、その高い俊敏力でプレイヤーを撹乱し、隙を見ては鋭い牙や爪を用いて襲いかかってくるという初心者が相手にするには少々難儀な相手だった。
 けれど、初勝利に浮かれている三人は、その新たに出現したモンスターの接近に気づかない。
 そして、気づいた時には既に手遅れ、グレイウルフが三人の中で最も近場にいたエミルへと飛びかかろうとしているところだった。

 突然の事態に驚いて、エミルは思わず目をつむり、一瞬後に来るであろう衝撃に身を固くしてしまう。
 だが、いつまでたってもエミルが攻撃を受ける事はなかった。
 その事を疑問に思い恐る恐る目を開くと、愛用の曲刀を正面に突きだしたクラインと、無数のポリゴン片に爆散するグレイウルフの姿が目に入ってきた。

 ―― 片手曲刀基本技《リーバー》

 その光景を呆気にとられたような気持ちで見ていたエミルに笑いかけながら、クラインは突き出していた曲刀を下げる。

「初勝利に浮かれる気持ちもわかるがよ、常に周囲の警戒だけはおこたらないように気をつけろな。ここは安全な圏内じゃない。敵がどこから襲ってくるのかわからないフィールドなんだからよ」

 そう言って、クラインはエミルに手を差し出してた。

「あ、は、はいっ」

 いつの間にやら自分が尻もちをついていた事に気づいたエミルは、やや気恥ずかしそうな面持ちとなりながらも差し出されたクラインの手をとり立ち上がる。

「そんじゃ、お次はあそこにいるボアだ。今度はユウダイが壁役で、残りの二人が攻撃役な。ほれ、駆け足駆け足」

 クラインに急かされ、慌ててフレンジーボアのもとへ駆けていく三人の後姿を見つめながら、彼は思わず口元に苦笑いを浮かべる。
 なぜならば、今彼がエミルに告げたあの言葉は、もともとは今のエミルと似たような状況に陥った自分がそのとき一緒にパーティを組んでいた相手に言われた言葉だったからだ。

「カズヤ、か… そういやあの野郎は今、一体どこで何をしてるんだろうなぁ」

 全てが始まる事となったあの日に出会い、この世界での生き方を教えてくれた友人の事を思う。
 その後別れて以降、全く音沙汰がないので、彼の友人が今どこで何をしているのか、クラインは全く把握していない。
 この街を卒業していった教え子たちに、見かけたら教えてくれないかと頼んでもいるのだが、そちらからの連絡もいまだにない。
 以前、ヒゲの情報屋に訊いてみた事もあったが、どうやらあちらさんもアイツの行方に関してはまるで分かっていないらしかった。

 これだけ手を尽くしても、いまだに尻尾すらつかませないとか、アイツは一体どこで何やってるんだか…
 まあ、《生命の碑》に刻まれた名前が消されていない以上、“死”という最悪の可能性だけはあり得ないのが救いなのかね。
 きっと、今もこの世界のどこかで元気にやっているに違いないのだから。

 そんな事を考えながら三人の戦闘風景を観戦していたクラインの視界の隅に、ポーンという軽いSEとともにメッセージの受信を通知するアイコンが現れた。

「……あん? メッセージだぁ? こんな時にメッセージを送ってくるなんて、一体どこのどいつだよ?」

 街にいる知り合いは、今自分が監督役をしていて手が離せない事を知っているハズだ。
 にもかかわらずメッセージを送ってきたと言う事は、余程の事態が、つまりあまり歓迎できない何かが起こっているという事の示唆に他ならないのではないだろうか。

「おぃおぃ… できれば、これ以上の厄介事は勘弁してほしいんだがなぁ…」

 再びボアを撃破しつつも、今度はしっかりと周囲の警戒をしている三人の様子を視界の端に納めながら、クラインはそんな風にボヤいてメッセージを確認する。

「んで、差出人は、っと… ―― って、カズヤかよっ!?」

 メッセージの差出人がつい今し方まで考えて友人だった事に驚き、クラインは思わず声を荒げてしまう。

「はぁ? 犬王様撃破? 二層の門開通? はぁぁぁーーーーっ!?」

 そして内容を読み、更に驚愕の声を上げるのだった。




  *    *    *




 アインクラッド第一層の北西部に広がる森林フィールドを超えた先にある遺跡ダンジョン。
 そのダンジョンの中を今、とある三人のプレイヤーが進んでいた。

「―― っ!!」

 巨大な芋虫の突進を、フルプレートアーマーで全身を覆った戦士が、真正面から受け止めた。

「ハァッ!!」

 そして、戦士はお返しとばかりに手にしていた盾をワームへ叩きつける。

「ギギャッ!」

 《シールドバッシュ》の直撃を受けたワームが、悲鳴と共に大きく後方へと叩き飛ばされた。
 そして、その着地点で待ち構えているのは、長槍を手にした槍使い。

「はいよ、お勤めご苦労さんっ!」

 そして槍使いが、飛んできたワームを槍で刺し貫く。

 ―― 両手長槍基本技《スラストワン》

 突き出された長槍に貫かれ、百舌の速贄状態になったワームは、そのHPバーを急速に減らしていき、すぐに無数のポリゴン片となり消えていった。

「ふぃ~… 一丁上がりっと」

 そう言って、槍使いが突き出していた槍を肩に担いだ。

「レイ、まだ終わってないよっ! 前方二時の方向から、ワーム3、ゴブリン2、接近中っ!」

 と、そんな槍使いの背後から、警戒を促す声が飛んできた。

「うげっ… そいつはまた、随分な団体さんじゃねぇか。……今日は厄日か何かか?」

 その言葉を聞いて、思わずゲンナリした顔になる槍使い。

 広範囲を殲滅できる魔法が存在せず、範囲攻撃型のソードスキルもその効果範囲はせいぜいが武器の間合いプラスアルファ程度しかないSAOでは、転移結晶などの退避手段を持たない状態で複数のモンスターに囲まれるという事は、即ち死を意味する事になる。
 その為、通常、ゲーム内ではほとんどのモンスターは単独か、あるいは二、三体単位でしか現れない事になっているハズだった。
 少なくとも、ベータ時代はそういう仕様になっていた。
 にもかかわらずのこの大盤振る舞い。槍使いでなくても、愚痴の一つや二つ言いたくなる状況だろう。

「ボヤかない、ボヤかない。死にたくなかったら、口じゃなくて手を動かして」

「わーってるよ! ったく…」

 後方で索敵を担当している相棒にせっつかれた槍使いは、大声で返事を返した。
 そして、隣りにいたもう一人の相棒に声をかける。

「んで、そっちはまだ大丈夫そうか?」

「大丈夫。……そっちは?」

「俺もまだまだ余裕だぜ。 ―― っつー訳で、とっとと蹴散らして先に進ませてもらうとしましょうかねっ!!」

 そう言って、槍使いと戦士はモンスターの一団へと飛びかかっていった。



 その後、二時間ほどの探索を経て、一行は遺跡の外へと抜け出す事ができた。

「ふぃ~ ようやく、お天道様の下に出る事ができたな。やっぱ、人間ってのは太陽の下で活動するのが一番だぜ」

「天井があるから、太陽なんて見えないけどね」

「うっせぇ! 気分的な問題だよっ!」

 遺跡を出て早々に漫才を始めた二人を眺めていた戦士は、ふと自分宛てにメッセージが届いている事に気づいた。
 一体誰からだろうかと首をかしげていると、その様子に気づいた二人が問いかけてきた。

「どうしたんだ、ユウ?」

「……メッセージが」

「メッセージ? おっ、本当だ。なんか、俺んところにも来てるな」

「あ、こっちにも来てる。たぶん、いままで遺跡の中にいたから気づけなかったんだね」

 その言葉に、なるほどとうなずき返す二人。

「ふむ… どうやら、アルゴのヤローからのメッセーみたいだな。内容はっと…」

 三人が、送られてきたメッセージに目を通す。

【どこぞのバカがイルファングを単独で撃破した模様。《ウルバス》の門は開通済みダヨ】

「………………」

 そして、あまりにもあまりなその内容に、三人とも言葉を失う。

「……ねぇ、レイ。コレって、本当だと思う?」
「……アルゴからの情報だからな。単独撃破の方はともかく、《ウルバス》の門が開通してるのはまず間違いないだろうな」

「……ねぇ、レイ。カズって、本当に人間なのかな?」
「……とりあえず今の俺には、カズがTASさんだったと言われても驚かない自信があるな」

「……ねぇ、ユウはどう思う? って、いない!?」

 そう言って振り返った先に戦士はおらず、顔を突き合わせて話していた二人を置いて一人でずんずんと先に進んでいた。

「ちょっ、ちょっと待ってよ、ユウっ! 一体全体どうしたの?」

 慌てて追いすがってきた二人に向けて、戦士がポツリと答えた。


「……今ならまだ、間に合うかもしれない」

 何に、とは言わなかった。

「……今ならまだ、会えるかもしれない」

 誰に、とは言わなかった。

 けれど、三人の脳裏に思い浮かんだのは、いまだ再会する事の叶わない一人の少年の姿だった。


 このゲームが開始されてから既に二週間も経過しているというのに、いまだ出会う事も連絡をとり合う事もできていない大切な親友。
 これまで音信不通だったのが故意なのか偶然なのかは分からない。ただ、彼が自分たちの事を避けているのは何となく理解していた。
 こちらが彼の名前を知っているように、彼もまたこちらの名前を知っているのだ。
 だから、その気になれば、今すぐにでも連絡を取り合う事は可能なハズ。
 にもかかわらず、これまで彼からのメッセージが送られてきた事は一度だってなかった。
 こちらからどれだけメッセージを送ろうとも、彼がそれに返してくれた事も一度だってなかった。
 理由は分からないが、どうやら彼は自分たちと顔を合わせる事を避けているようだった。

 ……けれど、それがどうしたと言うのだ。

 あの人に会いたい。だからこそ、あの人を追いかける。
 あの人の事情なんて知った事ではない。それは、自分たちの足を阻む理由にはならない。

 なぜなら、少し避けられた程度で切れるような、そんなヤワな付き合い方をしてきた覚えなどないからだ。

 自分にとってあの人は、かけがえのない親友で、代替のきかないリーダーで…
 そしてなにより、一度ではとても返しきれないほどの恩を与えてくれた恩人なのだ。

 故に、諦めるだなんて選択肢は、ない。

 なぜ? なんていう疑問は、この際わきに放っておく。
 そんなのは、実際に顔を合わせた時に問い詰めればいいだけの事。

 だから、あちらが逃げるというのなら、こちらは追いかければいい。ただそれだけの話。
 彼を捕まえるまで、いつまでもどこまでも、追いかけ続ければいい。ただそれだけの話。


「ふぅ… そんじゃまぁ、とっとと二層の《ウルバス》まで行って、バカズヤの野郎をとっ捕まえてやりますかね」

 そう言って、槍使いはニヤリと口元を釣り上げた。
 その言葉に残り二人もコクリとうなずき返し、三人は一塊となって《トールバーナ》への道を駆けていく。

 遺跡ダンジョンを越えた今、《転移門》のある《トールバーナ》までの距離は文字通り目と鼻の先だ。
 駆け足で行けば、それこそものの数分もかからずに、第二層の《ウルバス》へと辿り着く事ができるだろう。


 ―― 再会の時は、近い。




  *    *    *




 深夜、完全に人通りのなくなった《はじまりの街》の転移門広場に、ふらりと一人の人物が現れた。

 夜の帳が完全に落ちて薄暗闇に包まれたその場所を、その人物は迷うことなく突き進んでいく。
 そして、《転移門》の前までくるとその足を止めた。

「…………」

 門を見上げるその人物は、頭の先から腰元までをすっぽりと覆う暗赤色のフード付きケープを身につけていたために、はた目からはその容姿や性別を判断する事はできない。
 しばしの間、門を見上げていたその人物は、視線を下ろすと腰に差していたレイピアをひとなでした。
 そして、ぼそりと何事かをつぶやくと、《転移門》をくぐる。

 その瞬間、ライトブルーの閃光が薄暗い広場を淡く照らした。
 そして、光の収まった後に残されたのは、再び静寂を取り戻した薄暗い転移門広場だけだった。





 ――― そして、物語の舞台は第一層から第二層へと移っていく ―――





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 と言う訳で、インターミッション的な何か。をお送りしました
 インターミッションなので、本編の時系列的には、前回の終わりからほとんど進んでおりませんがご容赦ください

 たまにはオリ主くん以外にスポットを当ててみるのもいいかもね的な実験作
 作者は基本的にカッコイイ主人公スキーなので、勘違い要素をしこたまちりばめてみました
 だから、肌に合わなかった人もいるかと思います

 だが作者は謝らないっ! むしろ、どんどん勘違いを加速させてやるっ! ふぅーーはっはっはっはっ!!!


 こんな作者のこんな話でよろしければ、これに懲りずにまた付き合ってやってください



 感想返しは、感想掲示板の[370]へ










――― おまけ

< 設定のノート ~ 捏造設定置き場 ~ >

○ 《転移門》について
 ある一定以上の規模のある街の中央部に設置されているワープ装置
 第一層で転移門のある街は、《はじまりの街》と《トールバーナ》の二つのみ
 主街区の転移門へはフロアボス攻略後に一度アクティベートされれば誰もが転移できるようになるが、
 主街区以外の街の転移門に転移する為には、それぞれ個々人でアクティベートしておかなければならない





[35475] 第7話
Name: みさっち◆e0b6253f ID:ee55f6cd
Date: 2013/05/27 19:20


 第二層の東の端にある、周囲よりもひときわ高くそびえたった岩山の頂上。

 その場所に、あたかも親の仇を前にしたかような形相で巨岩を殴り続ける一人の男の姿があった。


「オラオラオラオラオラッ」

 殴るっ! 殴るっ! 殴るっ! 殴るっ!

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラーッ」

 ひたすら殴るっ! 無心で殴るっ! 一心不乱に殴りつけるっ!

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラーッ!!」

 目の前にデンとそびえたつ巨岩を、無我の境地で殴り続けるっ!!





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  第7話  カズえもんは鼠さんが苦手?

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 SAOには、筋力ステータスを一定値以上まで上げる事で習得ができるようになる《格闘》というスキルがある。
 その名の通り、拳打や蹴撃などの近接格闘術でモンスターと戦う事ができるようになるスキルだ。
 武器落としディスアームをくらったり、武器消失アームロストしたりして、武器を失った状態でも戦えるようになるので、結構有用なスキルなのだが…
 けれどこのスキル、ベータ版ではすこぶる評判の悪かったりする。

 ……まあ、ヴァーチャルだと分かっていてもパニクる人が出る程にリアルなモンスターを相手に、わざわざ素手で殴り合いをしたがるプレイヤーなんて、そうはいないだろうからさもあらん。
 そのためベータ版では、このスキルはごく一部の物好きなプレイヤーが趣味で取得する程度の、いわゆる色物系スキルの扱いをされていた。

 だがしかし、俺から言わせてもらえば、《格闘》を色物系扱いするなんてのはバカのする事以外の何物でもないと思う。
 このスキルは、その本当の性能を知っていれば、誰であろうと取得するに否やはないだろうほどの優良スキルなのだ。

 何が凄いって、このスキルったら、バグなのか仕様なのかは知らないが、素手の時だけじゃなく武器を装備している状態でもその効果を発揮するのだ。
 つまり、武器装備中でも普通に蹴れるし、装備している武器が片手用ならば空いた方の手で殴る事すらできる。
 おまけに、ソードスキルの発動すら可能だというのだから、まさに壊れ性能。
 その気になれば《武装転換ソードスイッチ》しなくても《剣技連携スキルコネクト》ができるとか、どんだけー…

 とはいえ、《格闘》がどれだけ優良スキルであるといっても、それは武器スキルを所持しているという前提があった場合の話である。
 スキルスロットの乏しい序盤では、攻撃系のスキルを二つも取るというのは正直あまり実用的ではない。
 なにせ、SAOはただ戦っていればいいだけのゲームじゃないのだ。効率的かつ安全に攻略をしていくには、やはり補助系のスキルが必須と言える。
 ソロや、コンビでプレイをするつもりならば、尚更に。
 そう考えると、非常に残念な事だが、《格闘》を取得するのはどうしても後に回さざるを得なくなってしまう。

 ―― のだが、そこで出てくるのが《体術》スキルの存在である。

 《体術》とは、《体術マスター》に弟子入りする事で習得できるようになる《格闘》の完全上位補完スキルである。
 しかも、エクストラスキル扱いなので、スキルスロットに空きがなくても取得できるという素晴らしさ。
 そして、好都合な事に、《体術マスター》がいるのは第二層の東の果てにある小さな一軒家ときたもんだ。
 本来ならば、ある程度《格闘》スキルのレベルを上げた状態で第七層にいるとあるNPCに話しかけ、《体術マスター》の存在を教えてもらい、そして彼の居場所を探すという手順を踏まなければならないハズなのだが…
 実際には、第七層にいるNPCから彼の事を聞いていなくても、彼の元に辿り着く事さえできれば弟子入りはできるというのは、ベータ時に確認済みである。
 故に、この俺を止められるものなどどこにもいない。


 ……だた一つ、《体術》を習得するためのクエストがめちゃくちゃ面倒くさい、という大きな問題を除いて。


 個別エクストラクエスト《体術道場入門》。 ―― 『両の拳のみを用いて、大岩を砕け』

 うん。単純明快で実にわかりやすいクエストだ。……実現が可能なのかどうかは、また別の話として。

 読んで字の如くなので別段説明する必要なんてないだろうが…
 そこをあえて説明させてもらうのなら、《破壊不能イモータルオブジェクト一歩手前の大岩》を、武器を使わず殴り砕けと ――

 もうね、バカかと。
 つか、こんなクエストを考えた開発スタッフは、本気でアホなんじゃないかと思う。

 しかも最悪な事に、このクエストは受領してしまったが最後、達成するまで逃げる事ができないように《証》と称して《体術マスター》から問答無用で“彼にしか消す事のできないフェイスペイント”を描かれるのだ。
 おまけに、このフェイスペイントというのがかなりの曲者で、どのようなペイントになるかは完全にランダムで決まるらしい。
 どこぞの情報屋みたいに“三本ヒゲ”だったならまだマシな方で、ベータの時に俺の顔に描かれた《証》はそれはそれは酷いものだった…

 ―― カズえもんっ! カズえもんじゃないかっ!! にゃはっ! にゃははははっ!!
 などと叫びながら笑い転げていたあの女の姿を、たぶん、俺は一生忘れないだろう。

 あの時は、なんとかクエストを達成する事ができたおかげで、無事フェイスペイントを消してもらえたからよかったけど…
 あれで、消せてなかったらと思うと、正直今でもゾッとする。


 つまりこの《体術》クエストとは、俺にとっては半ばトラウマと言っても過言じゃないものなのだが…

 しかし、それでもなお、今後の事を考えれば《体術》スキルは欲しい。コレがあるのとないのとじゃ、戦術の幅が格段に変わってくるのだ。
 無手での戦闘能力に加えて、ちょっとしたフィジカルブースト的な効果がスキルスロットを使わずに入手できるというのだから、ある意味でクエストの難易度と報酬は釣り合っているのかもしれないが…

 しかし、カズえもんだけはっ… カズえもんになるのだけは、勘弁願いたいっ…
 あんな悪夢は、もう絶対に繰り返しちゃいけないっ! 絶対にだっ!

 とは言ったものの…
 よくよく考えてみれば、ベータの時と今とじゃ状況がかなり違うよな。
 ログアウトする必要のない今なら、その気になれば一昼夜、延々と殴り続ける事もできる訳で…
 それならむしろ、以前よりも簡単にクリアできるんじゃね?


 ―― そんな風に考えていた時期が、俺にもありました…


 今、俺の前に鎮座しているソレはっ… 大岩という名の絶望っ…

 どれだけ殴っても、一向に削れている気がしませんっ!?
 なんていう事なのっ…

 弾幕薄いぞっ! なにやってんのっ!!
 くそっ! SAOの大岩は化け物かっ…!

 その圧倒的な姿にっ… 誰もが膝をつきっ… そしてっ… こうつぶやくのだっ…

 ―― ホント、もう勘弁してください。


 そもそもの話、《格闘》スキルなしの状態で岩を砕こうなんてのが、ドダイ無理だったんじゃないかと今更になって思う、今日この頃。
 本来の前提条件を満たしていないクセに、一足飛びに《体術》スキルをゲットしようだなんて横着をしようとするからこういう事になるんだ。

 このバカちんがっ! 俺のバカちんがっ!!
 ちくしょうっ… 後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 ―― 俺は今、猛烈に後悔しているっ…

 唯一の救いは、ペイン・アブソーバが痛覚を鈍化してくれているおかげで、どれだけ岩を殴っても自分の手が痛くならない事だろうか。
 でなきゃ、岩を相手にオラオララッシュなんぞできようハズもない。

 もっとも、一向に削れた感の見えない大岩を目の前にさせられては、そんな恩恵にありがたみを感じる余裕なんて皆無ですけどねっ!

 今ならば、ベータ時にヤツがこのクエストのクリアを早々に諦めた理由がよくわかる…
 あまりのマゾクエっぷりに、オジサンの心はポッキリと折れてしまいそうだよ… ふふふっ…



 そんなこんなで、一体どれだけの時間、大岩を殴り続けていただろうか…
 ふと、常在戦場の精神でいつでも発動させている《索敵》スキルが、その無駄に広い索敵範囲にものをいわせ、こちらに向かっているプレイヤーの存在を感知した。

「……ん?」

 第二層が開通してからほとんど間もないこの時期に、こんなフィールドの端っこに来るだなんて、一体どこの物好きだろうか?
 などと、一向に削られた様子を見せない大岩を前に、やや現実逃避気味にそんな事を思う。

 まぁ、実のところ、一人だけ心当たりがない訳でもないんだけどね。
 というか、この場所を目指して一直線に向かってきているのだから、まず間違いなくヤツだろう。
 なにせ、ベータ時にこの場所の事を知っていた人物なんてのは、俺以外にはヤツしかいないのだからな。

 ……だが、それはマズい。非常にマズい。
 なぜならば、今の俺には、絶対にヤツと顔を合わせてはならない理由があるのだからっ!

 ―― カズえもんっ! カズえもんじゃないかっ!!

 ベータ時に穿たれたトラウマが、再び俺の胸を苛む…
 故に、あの女にもう二度とこの姿を見せる訳にはいかないんだっ!!

 だが、どうする? どうすればいい?
 一体どうすれば、俺はヤツをやり過ごす事ができるっ!?

 というか、そもそもヤツはどうしてこんな場所に来ようとしてるんだ?
 ここには道場と言う名の掘っ建て小屋があるだけで、それこそ《体術》クエストを受ける以外でこんな場所にくる理由なんて何もないハズだろ。
 だが、俺と同じく《体術マスター》の被害に遭った事のあるヤツが、再びこのクエストを受けようとするだなんて到底思えない。
 いや、もしかすると、デスゲームになった今なら前よりも楽に《体術》クエストを達成できるんじゃないかとか考えたりしたのかもしれない。……俺みたいに。

 ……さすがにそれはないか。別段、そこまでしてヤツが《体術》スキルを欲しがる理由もないしな。

 まあ、もうこの際、理由なんてどうでもいい。
 今、問題なのは、ヤツがここに向かっている事実と、それに対して俺がどうするかという事だ。

 いっその事、どこかに隠れてやり過ごすか? 触らぬ神になんとやらとも言うし…

 ……いや、それだともし見つかった時に何を言われるかわからない。
 最悪の場合、敏捷力極振りのヤツとリアル鬼ごっこをするハメになるかもしれんので、大却下。
 あんな経験をするのは、もう二度とお断りだ。

 とはいえ、他に何かいい腹案がある訳でもないのも確か。
 どうする? どうすればいい? 俺のライフカードはどこにあるっ!?

 ―― はっ! そうだっ! これだっ! 俺にはこれがあったっ!!

 正直なところ、コイツを使うのにはいささか以上に抵抗があるんだが…
 もうこの際、贅沢は言っていられないっ
 トラウマをえぐられる事に比べればなんぼかマシだっ


 ………………
 …………
 ……


 準備万端で待っていた俺は、つい先ほどやってきた来訪者へと呼びかけた。

『それで、いつまで隠れてるつもりなんだ? いい加減、出てこいよ』

 すると、俺の目の前の風景がぐにゃっと歪み、呆気にとられたような顔をした少女が虚空から湧き出るかのように出現した。
 俺は、その少女の頬に“三本ヒゲ”が描かれているのを確認して、自身の予想が間違っていなかっのだというた事を確信した。

 茅場晶彦の謀略により、メイクしたキャラではなくリアルと同じ姿になってしまっているため、ベータ時とは違う姿となってしまっているものの…
 自分の頬に、わざわざそんなペイントを施す物好きなんて他にはいないだろうから、間違いないだろう。

「……これは驚いたナ。まさか、こんなにもあっさり看破されるだなんて思ってもみなかったヨ。
 職業柄、《隠蔽》スキルに関しては誰にも負けない自信があったんだけどネ…」

『まあ、それは仕方ないさ。なんだかんだで俺の《索敵》スキル、無駄にレベルが高くなっちまったからな…』

 頬に三本ヒゲのペイントの描かれた少女 ―― アルゴが、驚き半分、悔しさ半分といった雰囲気で告げたその言葉に、俺は苦笑いで答える。

『久しぶりだな、アルゴ。こうやって実際に顔を突き合わせるのは、ベータ版以来か?』

「さて、な? とりあえずその質問に答える前に、俺っちには早急に一つ、アンタに訊かなきゃならない事があるんだガ…」

『訊かなきゃならない事? なんだよそりゃ?』

「いや、なんだも何もないヨ。……アンタ、本当にカズヤなんだよナ?」

『おいおい、ずいぶんとおかしな事を訊くんだな。一体俺が、カズヤ以外の何に見えるって言うんだ?』


「―― 頭の上からスッポリと麻袋を被った変態」


 呆れ顔のアルゴが、どキッパリとその事実を指摘してきた。

 そう、今の俺は、まさに彼女が言った通りの格好をしていた。
 頭頂部から上半身にかけて、スッポリと麻袋を被った不審人物。
 それが今の俺だ。

『なんだ? 紙袋の方が良かったか?』

「そういう事言ってるんじゃないヨ! 話をするにしても何にしても、まずは顔を見せろって言ってるんダ!
 せっかくこんな第二層の僻地くんだりにまで足を運んだってのに、何が悲しくて、麻袋マンとおしゃべりしなきゃならないんダヨ!」

 アルゴには珍しくややハイテンションなツッコミだった。
 だがしかし、俺だって伊達や酔狂でこんな恰好をしている訳じゃない。

『断るっ! ……同志アルゴならば、今俺がコイツを被ってる理由など、言われずともわかるハズだろう』

「はぁ? 言わずともわかるって、何言って…」

 そう返す俺に、アルゴは一度胡乱気な視線をこちらに向けてきたが、すぐに何かに気づいたように手を叩いた。

「カズ坊、お前… もしかしてまた、体術師匠にカズえもんにされたのカ?」

『カズえもん、言うなし!
 体術師匠にやられたのは確かだが、どんなラクガキをされたのかまでは、確認してないから知らん。
 つか、怖くて確認なんかできん』

 そう答える俺に、アルゴは再び呆れ顔を見せる。

「怖くてって… たかがフェイスペイントじゃないカ。そこまで気にする事カ?」

『はっ! “三本ヒゲ”だなんてヌルいペイントしか描かれなかったキサマに、俺の気持ちなど到底理解できんだろうさっ!』

「いや、だからって… 麻袋を被るのは、どうなんダ? どう考えても、そんな姿をさらすよりもカズえもんの方が万倍マシな気がするゾ…」

『カズえもんになった事のないキサマに何を言われようが、痛くも痒くもないわっ!
 なんだったら、今すぐ体術師匠を呼んでこようか? きっと大喜びでキサマの顔にもペイントをしてくれるぞ?』

「はっはっはっ! ……絶対に御免ダヨ」

『はっはっはっ! ですよねー』

 互いに笑い合う二人。

 次の瞬間 ――

「おりゃっ!」

『あまいっ!』

 アルゴが瞬時に間合いを詰め、俺の麻袋をつかみ引っ張ってきた。
 だがしかし、俺も負けじと麻袋の裾を握りしめ、決して脱がされないようにと抵抗する。

 そして、事態は膠着状態に。

「取レ!」

『断る!』

 麻袋をはぎ取ろうと引っ張るアルゴと、脱がされてなるものかと抵抗する俺。
 ぶつかり合う眼と眼。かち合う意地と意地。互い一歩も譲ろうとしない二人。

「……なぁ、カズ坊。遠路遙々会いに来た旧友に対して、麻袋を被って応対するってのはいかがなものカ?
 かの高名な孔子先生だって言ってるじゃないカ。

 ―― 朋遠方より来たる有り、また嬉しいカズヤ」

『言うかバカっ! 儒学なめんな、コラっ!
 つか、俺が嬉しい事と麻袋脱ぐ事に、一体どんな関連性があるってんだよ!』

「嬉しいなら脱げヨっ!」

『嬉しくても脱がんわいっ!!』

「―― ぐぬぬぬぬっ…」
『―― ぐぬぬぬぬっ…』

 額を突き合わせながらにらみ合う、鼠少女と麻袋マン。

 ビジュアルがビジュアルなだけに、はたから見れば、それはとんでもなくシュールな光景だったことだろう。
 俺だって、当事者じゃなければ爆笑してたに違いない。……そんな光景を目にする機会なんて絶対に訪れる事はないだろうけどさ。

 そして、そんなにらみ合いの末に、先の折れたのはアルゴだった。

「わかった、わかったヨ。もうこの際、カズ坊の格好については妥協するヨ。
 というか、あれだけ苦労してここまで来たのに、こんなアホなやりとりに終始してたんじゃ割に合わなすぎるヨ」

『おぉ、やっとわかってくれたか。
 さすがは、同志アルゴ。ソナタに感謝を』

「はぁ… そう思うんだったら、せめてその麻袋だけはどうにかしてくれないカ? 顔を隠せるモノくらい他にいくらでも持ってるんダロ?
 こっちは、これからそれなりに真面目な話をするつもりなんだ、さすがに麻袋マンが相手じゃ締まらな過ぎダヨ…」

『……まぁ、キサマの言う事もわからないではないな。
 確かに、麻袋マン相手に長時間シリアス顔を続けるのは苦痛でしかないだろう』

「おぉっ! だったラ!」

『だが断る。
 この俺が最も好む事の一つは、妥協して譲歩の姿勢を見せ始めた腹黒情報屋に「NO」と言ってやる事だ』

 そんなアルゴの提案を、しかし俺は決め顔で拒絶した。

「ふっ… ふふふっ…

 ―― フシャーーーー!!」

 すると、アルゴが奇声を上げながら再び飛びかかってきた。

 よっしゃ、かかって来いやっ! 俺たちの戦いはまだまだこれからだっ!!


 ………………
 …………
 ……


 結局その戦いは、アルゴが妥協に妥協を重ねる事によって終結した。アルゴさん、マジ大人。
 というか、中の人的な意味でいえば二回り以上も年下であろう女の子相手に、お前は一体何をやっているんだなどと言われそうだが…

 しかし、それは致し方ない事だったのだ。

 だって、リーファ以外の人間とこうやって実際に会話するのなんて、実に二週間ぶりなんだもんっ!
 そりゃ、さすがの俺だって、久しぶりに再会した旧友を弄り倒したくもなるさっ!
 飢えていたんだ、俺はっ! リーファ以外の人間との会話にっ! 触れ合いにっ!!

 とまあ、脳内自己弁護の叫びはこのくらいにしておこう。

 とりあえず、いつまでもこんなところで立ち話を続けるというも何たったので、俺はアルゴを伴って体術師匠の道場の中にやってきた。

『それで、アルゴは一体何しにこんなところまで来たんだ? まさか本当に《体術》クエを受けに来たって訳じゃないんだろう?』

 膝を突き合わせて座ったアルゴに俺がそう問いかけると、彼女は眉をひそめながら答えた。

「当たり前ダロ。というか、俺っちから言わせてもらえば、こんな地雷クエストを受けようとするようなヤツの気が知れないネ。
 ……まあ、そこにあえて突っ込むのが、カズ坊がカズ坊たる所以なんだろうけどナ。それを知ってたからこそ、俺っちもここに来た訳ダシ」

 などと、なにやら感慨深げにつぶやくアルゴ。

『おいそこ、ちょっと待て。あたかも、俺が特殊な人格を持っているかのような物言いをするのはやめろ』

 俺だって、《格闘》スキルなしの《体術》クエがここまでマゾいとわかってたら受けんかったわい。

「にゃははははっ! なぁ、カズ坊。ここは笑うところだよナ?」

『んな訳あるかっ! 大真面目だよっ!!』

「……ふむ。まあ、アホの戯れ言はスルーするとしテ」

『ちょ、おまっ!?』

「アンタの最初の質問に答えると、俺っちはアンタに会いに来たんダヨ」

『俺に会いに? いや、俺に用事があるんだったら、それこそメッセージの一つも飛ばせば事足りるだろ。わざわざこんなところに来てまでする事か?』

 アルゴの言葉に俺が首をかしげてそう訊ねると…

 アルゴは一瞬、呆気にとられたような顔になった後、唐突に笑い出した。
 それはもう見事な、悪役三段笑いでした。

 ……あ、あれ? 俺、今何か、コイツが大笑いするような事を口にしただろうか? 別に、ごく普通の事しか言ってないよな?

 などと思っていたら、いきなり胸倉を掴まれた。

「そのメッセージに対して、どっかのバカがいつまで経っても返信してこないから、わざわざこうやって会いに来たんだろうガっ!!」

『―― はっ?』

 思ってもみなかったアルゴのその発言に、俺は一瞬、呆気にとられて言葉を失う。

『……い、いやいや、ちょっと待て。落ち着け、アルゴ。俺、お前からのメッセージなんて受け取った事ないぞ?』

「―― はっ! 何をバカなっ!
 こっちは、カズ坊から攻略情報を受け取る度に、情報料はどれ位がいいかとか、報酬の受け渡しはどうしたらいいとか、メッセージ送りまくりだってノ!
 その全てを、無視し続けてきたのはアンタじゃないカ!!」

『 ? ? ? 』

 その剣幕を見れば、アルゴが嘘を言っていないだろう事は分かる。
 だがしかし、彼女からのメッセージが俺に届いていないというのもまた確かなのだ。

 一体全体、何がどうなってくれちゃってるんだ?

『……あっ!』

 その時、ふと思い当った事があった。

 俺は麻袋の裾から手を出すと、メインメニューを開く。
 そして、そのままメニューを操作していき、お目当ての項目に辿り着くとそれを表示する。

 そこに書かれていた設定は、さきほど思った通りのものだった。

 ……あぁ、そりゃお前、これじゃメッセージなんて届くハズないわ。

『あ~、すまん、アルゴ。どうやら今まで、全メッセージ着信拒否設定にしていたみたいだわ。いや、すまんすまん』

 いやはや、そう言えばそうだった。
 またアイツらからのメッセージが来たら気まず過ぎるからって、着拒設定にしてたんだった。スッカリ忘れてたよ。

「はっ… ははははっ…
 すまん、じゃ、Neeeeeeeeeーーーー!!!!!」

 狭苦しい道場の中に、アルゴの絶叫が響いた。


 絶叫の後、ハァハァと肩で息をしているアルゴを、どぉどぉとなだめすかす俺。

 いやまぁ、全面的に俺が悪いんだけどさ…

「はぁ… もういいヨ。そういや、カズ坊はこんなヤツだったヨ。
 もう、今更何を言っても仕方がないから、これまでの事は全部水に流してやル。
 だから、今すぐその着拒設定を解除シロ。話はそれからダ」

『うぐっ…』

 いやまぁ、アルゴからすれば、それは確かにそうなるよな…
 でも今解除すると、アイツらからメッセージが届くかもしれないし…

「―― ギロッ!」

 俺の内心を察したのか、据わった目つきでこちらを睨みつけてくるアルゴ。

『あ~、はいはい。わかった、わかりましたよ。
 解除するよ、解除させていただきますよっ!』

 無言の圧力に屈した俺は、肩をガックリと落としながらメニューを操作し、着拒設定を解除する。

 その様を、うむうむとうなずきながらアルゴが見ていた。
 そして、彼女が再び口を開く。

「さて… それじゃあ、そろそろ本題に入ろうか、カズ坊」

『……え? 本題?』

「何を不思議そうに言ってるんダ、カズ坊?
 確かに、メッセージの返信が来ないからって理由もあったガ…
 それだけの為に、俺っちが足を運んだなんて一言も言ってないじゃないカ。
 そして、俺っちがここまで来た本当の理由は、カズ坊を直接問い詰めてやる為ダ」

『えぇ~… ていうか、問い詰めるってなんだよ。俺、お前からそんな事をされる覚えなんてないぞ?
 ……そりゃまぁ、着拒設定にしてた所為でメッセージに気づかなかったのは悪かったと思うけどさ』

「うるさい黙レ。当方、カズ坊からの抗議は、一切受け付けない所存でいるのでそのつもりでいるようニ」

 何と言う理不尽っ…! よもや、反論する権利すら奪われるとはっ…! 一体俺が何をしたって言うんだっ…!?

「さて… それじゃ覚悟はいいか、カズ坊?
 お前さんがこれまで一層で一体何をやらかしていたのか、どうやってフロアボスの単独撃破を成し遂げたのか、あとどうしてメッセージの着拒設定なんてしていたのか。
 一から十まで、きっちりはっきり納得のいく説明してもらうゾっ!」

 そう言い放ったのち、ニヤリと口の端を吊り上げるアルゴ。

「もし仮にカズ坊が、それらに答える事を拒否するだなんてバカな事を言い出すのなラ…
 俺っちは今すぐ本気でその麻袋を奪い取って、アンタのラクガキ顔をスクショに収め、SAO中の全プレイヤーに公開してやるので、悪しからズ。
 今のカズ坊のレベルがどれだけ高かろうと、敏捷力極振りの俺っちから逃げられるだなんて思わない事ダヨ… くっくっくっ…」

『ひ、ひぃっ!?』

 あ、悪魔か、コイツはっ… そんな事されたら、俺、もう素顔で表を歩けなくなるじゃんかっ!!
 なんて恐ろしい事を考えるんだよ… しかもコイツの場合、脅しとか冗談とかじゃなく、実際にやりかねないから本気で怖い。

『……オーケイ、分かった。俺の負けだ。もう、煮るなり焼くなり好きにしてくれ』

 肩をガックリと落としながら、俺はアルゴにそう答えた。
 気分はもはや、まな板の鯉状態である。


 ………………
 …………
 ……


『―― って感じだな』

「ふーむ… なるほど…
 とりあえず、カズ坊が今まで何をやってたのかは理解したヨ」

 俺が第一層でどんな風に生活していたのかの説明を終えると、アルゴが厳かにうなずいた。

「ところで、その噂の妹ちゃんってのは一体どこにいったんダ? 話を聞いている限りじゃ、クエストを受けるから別行動って事もなさそうだけド?」

『ん… まあな。お前さんのお察しの通り、俺についてきたよ。
 本当だったら、いったん別行動でもさせようかと思ってたんだが… 即行で断られたさ。
 ……たぶん、アイツは今もあの大岩の裏側で、せっせと大岩を殴り続けてるんじゃないか?』

「裏側? なんだってまたそんな所ニ? ……ていうか、岩を殴ってるって事は、もしかしテ」

 何かに気づき、顔を引きつらせながら問いかけてきたアルゴから、俺はスッと視線を外す。

『いや、俺はちゃんと説明したんだよ? クソ面倒くさいクエストだから、お前はやる必要ないって…
 それなのにアイツときたら ――』

 ―― だったら、あたしも一緒にクエストを受けるよ。一人でやるより二人でやった方のが早く終わるでしょ?

『―― とか言い出してっ…! 俺が止める間もなくっ…!』

 そう言って目を伏せる。

 迫る《体術マスター》の魔の手っ… 逃げ出す事すらかなわずに犠牲となったリーファっ…
 全てを悟ったアイツは、「クエストが終わるまで、決してこちらを覗かないでください」と言葉を残し、大岩の裏側へと向かっていったのだった。

「……あぁ、そう言う事カ」

 そんな俺の説明を受け、アルゴもまた、俺と同様に悲痛な表情で目を伏せた。

 “嫌な事件だったね”
 まさに、そんな空気が二人の間に立ち込める。

「あ、あぁっ! そうだ、そういえば!!」

 と、そんな風に空気がよどむのを嫌ったアルゴが、何かを思い出したかのように両手を叩いた。

「ベータテスト時に誰も見つける事ができなかったと言われていたユニーククエストが、まさか第一層なんかに隠れていたとはネっ! 本当、驚きだよナっ!!」

『ま、まあなっ! そりゃ第一層なんて、ベータの時はそれこそ一週間もかからずに即行で突破されてたしっ! 気づかなかったのも無理ないだろっ!』

 ナニかを振り切るように妙にテンション高く告げるアルゴに、俺もまた、そんな彼女に乗っかる形で答えた。

「いやいやいや、確かにそれはそうなんだが… でも、これは非常に興味深い情報ダヨ?」

 そう言って、アルゴは俺にニヤリと笑いかけてきた。

「これからはフロアボスを攻略する前に、一度迷宮区の周辺も探索しておいた方がいいみたいダナ。
 もしかしたら、第二層以降にも似たようなクエストがあるのかもしれないしネ」

 そんなアルゴの発言に、俺はうげぇとうめき声をあげる。

『いや、フロアボスとタイマンとか、あんな事もう二度とやりたくないんですけど…』

「そんなクエストがホイホイあってたまるカっ! デスゲームなんダヨ、このSAOはっ!!
 普通だったら、そんなクエストがあったところで受けるような人間なんて、自殺志願者でもない限りいないヨ。
 にもかかわらずそれを受けて、しかもクリアするとカ… もうほとんどマンガの世界の住人だよナ…
 ……なぁ、カズ坊。アンタ、本当に人間カ?」

 などと、至極真面目くさった顔で訊ねてくるアルゴ。

『失敬だな、おいっ! 人間だよ! 俺は間違いなく人間だ! 純度100パーセントの人間だよ!!』

「いや、だってなぁ… 今までのカズ坊の話を全部信じるとなるト…
 最初の一週間で、野宿をしながらフィールドを制覇、迷宮区に辿り着ク。
 次の一週間で、迷宮区を踏破。その後、フロアボスにタンマン挑んでこれを撃破。
 だゾ? そんなの、どう考えても人間業じゃないダロ?」

『むむっ…』

 確かに、そうやって説明されると、なかなかにすさまじい事をやっていたんだなと思わなくもない。……自覚なんて、これっぽっちもないのだけど。

「……なぁ、カズ坊。一体いつまでこんな事を続ける気ダ?」

『あん?』

 ふと、先程までの茶化すような雰囲気を消し、アルゴが真剣な顔で問いかけてきた。

「この先も、今のまま、なあなあでやっていこうだなんて考えているようなラ…
 ―― そう遠くない内に死ぬゾ、カズヤ・・・

 そのアルゴの口から告げられた辛辣な言葉に、俺は思わず絶句してしまう。

 ふざけている訳でも、冗談を言っている訳でもない。その目を見ればわかる。アルゴは今の言葉を、本気の本気で言っている。
 それが分かるからこそ、俺は彼女の雰囲気に気圧され、口を開く事ができなくなってしまった。

「確かにアンタは強いヨ。
 安全地帯のないフィールドで、足手まといを連れながら一週間野宿するなんて、普通は無理ダ。
 身の丈倍以上もあるフロアボスを相手にタイマンかまして、しかも打ち倒すなんで、絶対に無理ダ。
 でもアンタは、それをやってのけタ。常人には、逆立ちしたってできないだろう事をやってのけたんダヨ。

 それこそ、今この世界に存在するプレイヤー全てをひっくるめた中で最も強いのは誰かと問われれば、俺っちは迷う事なくアンタだって断言するヨ。

 ……けど、それは所詮、個人の力でしかないんダヨ」

 目を伏せたアルゴは、俺に語り聞かせるようにとうとうと言葉を紡いでいく。

「職業柄、俺っちは顔が広い。
 多くのプレイヤーと顔をつないでいるから、その分知り合いも多い。
 この世界にはさ、本当、いろんなヤツがいるんダヨ。

 いいヤツ、いやなヤツ。賢いヤツ、バカなヤツ。強いヤツ、弱いヤツ。真っ直ぐなヤツ、捻くれたヤツ。
 そして、もう二度と会えなくなったヤツ…

 ……俺っちは、さ。アンタには、そうなって欲しくないんダヨ」

『アルゴ… お前…』

「本当はアンタだってわかってるんダロ?
 これから先、階層が上がっていくしたがって、モンスターもトラップもダンジョンも、強く厭らしく複雑になっていク。
 個人の力じゃ、いつか絶対に太刀打ちできなくなル。そして、その時になって後悔したってもう遅いんダ。
 そりゃ、本当にカズヤ一人だけだったなら、何とかなるのかもしれなイ。カズヤのチートっぷりは、俺っちだってよく知ってるからナ。

 ……でも、今のカズヤには、妹ちゃんがいるんダロ?

 この先で、絶体絶命の危機的状況に陥ったとき、カズヤは本当に妹ちゃんを守り切れるのカ?
 死ぬ事も、死なせる事もなく、そのピンチを切り抜ける事ができると断言できるのカ?

 この世界はゲームだガ… ゲームであっても遊びじゃなイ。人は死ヌ。そして、死んだらお仕舞いなんだヨ」

『…………っ』

 アルゴから告げられた言葉は、どこまでも真摯で、圧倒的に正論で、そしていつか必ず直面するだろう現実だった。

「もういいじゃないカ、カズヤ。いい加減、アイツらと合流しろヨ。
 この二週間で、妹ちゃんだって大分使えるようになってるんダロ? だったらもう、ためらう理由なんてないじゃないカ。
 アイツらは、今もアンタの事を追いかけ続けてる。アンタの方から合流するってんなら、喜びこそすれ厭いはしないだろうヨ。
 なんだったら、俺っちが口利きをしてやってもいイ。
 ……だから、ナ?」

 そう言って、俺の事を上目遣いで見上げてくるアルゴ。

 彼女が、俺の事を思って忠告してくれているんだという事はわかっている。
 損得なんて関係なく、ただただ、俺の身を案じてくれているんだという事はわかっている。

 でも、それでも…

 今はまだ、彼らと顔を合わせる事への踏ん切りがつかないんだ…
 その一歩を踏み出す事に、どうしようもなく躊躇してしまう…
 本当、ヘタレだなぁ… 俺…

「はぁ、ここまで言ってもダメか、この頑固者」

『すまん』

「……謝るなよ、バカズヤ。
 アンタに謝られたら、俺っちは許さなきゃならなくなるダロ?」

 言外に自分はお前を許す気などないのだと言われ、けれどそれでも、そんな彼女に俺が返せる言葉は一つしかなかった。

『……すまん』

「……………………ばーか」


 周囲の者たちから、腹黒とか業突く張りとか守銭奴とか揶揄されているアルゴだけれど…
 その実、根はかなりの善人で、意外とお人好しなところがある少女である事を、俺はベータ時の付き合いから知っている。

 普段は情報屋としてなめられないようにと、意識して露悪的に振舞っているらしいのだが。
 今回みたいに、こんな俺なんかのためにもわざわざ耳の痛い忠告をしに来てくれてるあたり、彼女がいかに情の深い少女なのかがわかるだろう。

 その証拠に、ほら ――


「ダァー!! 止めだ止メっ! もうお仕舞イっ!
 やっぱり、慣れない事はするもんじゃないネ。背中が痒くなって仕方ないヨ」

 互いの間に立ち込めた重苦しい沈黙を嫌ったのか、それらを吹き飛ばすように大声で叫ぶと、彼女は肩をすくめてこちらに苦笑を向けてきた。

 ―― 重苦しい話はここまでダ。

 そんな彼女の気遣いを感じとり、俺もまたうなずく事で返事をしたのだった。


「そう言えば、カズ坊。アンタ、基本的に野宿ばっかりで村やら町にはあまり近づかなかったって言ってたケド。
 ポーションの補給とか、装備の修理とか、あと食事とか。そこら辺は一体どうやって対処してたんダ?」

 話題変換のためか唐突に告げられたアルゴのその疑問に、俺は首をかしげつつも答える。

『ん? どうやっても何も…
 ポーションなんて普通にモンスターがドロップするから、そう頻繁に町に買い物に行く必要なんてないだろ?
 食材に関しても同じ。装備はまあ、自分たちで砥いだり繕ったりしてたな』

 その答えを聞いた彼女から、俺は珍奇な生モノを見るような目を向けられた。

 ……え? なんでさ?

「あぁ、うン。そう言えばそうだったナ。カズ坊に常識は通じないんだっタ。忘れてたヨ」

『おい、そこ。人を非常識な生き物みたいに言うのは止めようか』

「というか、自分たちで砥いでたって事ハ… カズ坊、もしかして《鍛冶》スキル取ってるのカ?」

『無視ですか、そうですか… まあ、いいですけどね。
 あぁ、そうだよ。俺が《鍛冶》スキル、妹が《裁縫》スキルを取って、耐久度の減った装備は自分たちで修理してたんだ』

 すると、俺の答えを聞いたアルゴが、今度は恐ろしいものを見るような視線を俺に向けてきた。

「数少ないスキルスロットの一つに、生産職スキルを入れた状態でボスを倒すとか… カズ坊、本当に人間カ?」

『その話はもういいよっ!!』

 俺の突っ込みに、アルゴはにゃははと笑って返してきた。

「さてと… それじゃぁ、俺っちはそろそろお暇しようかネ」

『ん? もういいのか?』

 突然サラリと告げられた暇乞いに俺が問い返すと、アルゴは首を縦に振って答えてきた。

「あぁ、訊いておきたかった事は全部聞けたし、言いたかった事も一応は言えタ。だったらもう、ここにいる必要はないダロ。
 それに、これからはきちんとメッセージに返信してくれるんだろうシ?」

『うぐっ… はいはい。どーも、すいませんでしたー! これからは、着拒なんてせずに、きちんと返信しますよ!!』

「よろしい。……にゃははっ」

 そう言って鷹揚にうなずくアルゴの顔を見ながら、俺はふと、ストレージの肥やしになってしまっているとあるアイテムの事を思い出した。

『あっ、そうだった。なぁ、アルゴ。俺の方からも一つ質問いいか?』

「ン? なんダ? カズ坊には世話になりっぱなしだからナ。特別にどんな情報だってロハで答えてやるゾ。
 そう、たとえば… とある女性プレイヤーのスリーサイズとかな」

『なん…だと…?』

「俺っちの知る中でも最上級の容姿の持ち主で、現役ピッチピチの女子高生。しかも、ボンキュッボンのナイスばでぃ。
 どうダ? カズ坊がどうしても教えて欲しいって言うんなら、教えてやらないこともないゾ?」

 そう言って、フフリと笑いながら流し目を送ってくるアルゴ。

 ……マジか。
 そ、そそそ、そんな見え透いた餌で、この俺が釣られクマー

『って、そんな恐ろしい情報、受け取れるかっ! つか、個人情報をなんだと思ってるんだよ、お前は…』

「情報を開示する相手は選んでるに決まってるダロ。……それに、当人だってカズ坊が相手ならそんなに気にしないだろうしナ」

『俺は、お前がそう言えるだけの根拠が知りたいよ…
 んで、話をもどすが、《ホルンカの村》のアニブレクエって、今どんな感じなんだ?』

 そんな俺の質問に、アルゴは首をかしげる。

「アニブレクエがどんな感じかって、また漠然とした問いかけだナ。まあ、一言でいえば連日満員御礼状態ダヨ。
 報酬のアニブレもそうだけど、《ホルンカの村》自体が《はじまりの街》から結構近いからナ。
 今じゃ、報酬目的というよりも、ニュービーたちの登竜門的な扱いになりつつある、カナ?
 そのおかげで、高レベルプレイヤーが純粋に報酬目的でクエを受けるのが難しくなってるヨ。KY的な意味デ」

『へー、そうなんだ』

「なんだ、カズ坊? もしかして、アニブレが欲しかったのカ?
 だったら、俺っちが調達してきてやるヨ。
 今のアンタがあんなところに行ったら、それはもう大ひんしゅくを受ける事間違いなしだからナ」

 すると、俺の質問の意図を勘違いしたアルゴがそんな事を提案してきた。

『あぁ、違う違う。どちらかといえば逆なんだよ』

「……逆?」

『そそっ、実は俺、こんなん持ってるんだよ』

 そう言って、俺はストレージから《リトルネペントの胚珠》を取り出す。

「は? これって、胚珠じゃないかっ! どうしてカズ坊がこんなもの持ってるんだヨ」

『スタートダッシュでリトルネペント乱獲してた時に、いっぱいゲットしてたんだよ。
 その内どこかで売っぱらおうとか思ってたんだけど、そんな機会が訪れる事なく今に至るって感じ』

「……はぁ~、なるほド。相変わらず、カズ坊はやる事がアホだナ」

 俺の言葉に、アルゴが呆れ半分感心半分といった感じで返してくる。

『うるせぇよ。
 んで、ここからは相談なんだが… コイツを売りさばいてきてくれないか?』

「ん? 俺っちがか?」

『あぁ、相場も何も知らない俺が売るよりも、情報通のお前に頼んだ方のが高く売れるだろうし。
 それにアルゴの顔の広さなら、アニブレを欲しがってるヤツの一人や二人くらいすぐに見つかるだろ?』

「まぁ、そりゃネ。一人や二人どころか、軽くその十倍くらい心当たりがあるヨ。
 それこそ、場の雰囲気的にクエストを受けられなくなったヤツらに声をかければ、間違いなく瞬殺だろうナ」

『そんなにか… なら、価格交渉は全面的にそっちに任せる。報酬は、売上の三割。引き受けてくれるか?』

「オーケイ、引き受けタ。限界ギリギリまで値段を吊り上げてやるヨ。……ニヒヒ」

『あぁ~ まあ、そこら辺は、ほどほどで頼む』

 腕が鳴るぜなどと呟きながらギラギラと目を輝かせているアルゴに若干引きつつも、俺はトレードウィンドを開いて胚珠をすべて彼女に引き渡した。

「それにしてモ… なぁ、カズ坊。報酬が三割とか、本当にそんなにもらっちゃっていいのカ?
 ぶっちゃけ、知り合いに声をかけるだけの簡単なお仕事だし、一割でも多いくらいなんだガ…」

『あぁ、それに関しては問題ない。口止め料の分も入ってるからな』

 俺の言葉に、アルゴは首をかしげる。

「口止め料?」

『そうだ。俺が今ここにいるって事を、絶対に誰にも言わないように頼む。……特に、アイツらには』

「……はぁ~ ちゃっかりしてるナ、カズ坊」

『まあ、どこぞの腹黒情報屋に鍛えられてますから』

 呆れ顔になるアルゴに、俺はニヤリと笑い返す。

「あー、はいはい。わかったヨ。その依頼、しっかと承りましタ。安心しな、カズ坊の居場所は絶対に誰にも言わないヨ」

『相手から口止め料を上回る額を出されなければ、だろ?』

「……その通り、よくわかってるじゃないカ」

『まあ、な。ベータの時に、それこそ耳が痛くなるくらいに言われ続けたのはダテじゃないって事だ』

「ほぉ~… なら、もちろん分かっていると思うが、改めて言っておこうカ。
 誰かからカズ坊の口止め料以上の額を提示されれば、俺っちはそいつにこの場所の事を売ル。
 ……それともカズ坊、口止め料を更に上乗せするカ?」

『ん? いや、さすがにそんな必要はないだろ…
 もし仮に、そんな事をするヤツがいるってんなら、その時は素直に諦めるさ。
 ……まぁ、そんなヤツ、絶対に現れないと思うけど』

 そう言ってうなずく俺を見て、アルゴが呆れ顔でため息をついてきた。

「相変わらず、何にもわかってないなー、カズ坊は」

『―― ん?』

「いや、こっちの話ダ。まぁ、アンタがそれでいいってんなら、こっちから言う事は何もないサ」

『そうか? ならいいんだが…』

 何やら含みを持たせた言い方をするアルゴに、いぶかる視線を向けるもまぁいいかと思いなおす。

「それで、報酬の受け渡しはどうする?」

『うーん…』

 アルゴの問いかけに、俺は腕を組んでしばし悩む。

『……なら、三日後だ。三日後に、《ウルバス》で落ち合おう』

「へぇ…」

 俺の答えに、アルゴが感嘆の吐息をもらした。

「まあ、三日もあればこっちは十分にさばけると思うガ…
 カズ坊は、このマゾクエストをあと二日でクリアできるのか?」

 そんなアルゴに、俺はキッパリと返す。

『―― わからんっ!』

 そんな俺の宣言に、アルゴがキョトンといった顔を見せる。

「……はぁ? ちょ、力一杯何言ってんダヨ、カズ坊。そこは普通、俺に任せておけとか自信満々に請け負うところダロ」

『いやだって、わからんもんはわからんのだし… まぁ、俺は期限が決まってればがんばれるタチだし、なんとかなるんじゃね?』

「なんとかなるんじゃねって… 夏休みの最終日に本気を出す小学生か、アンタは…」

 そう言ってガックリと肩を落とすアルゴ。

「だが、それならまぁ… もしも、カズ坊の言う期日通りにクエストをクリアできたんなら、祝勝会でも開いてやるよ。もちろん俺たちのおごりで」

『―― は? なん…だと… アルゴが、おごる…だと…?』

「失礼なヤツだナ、カズ坊はっ! 俺っちにだって、第一層突破の功労者を労おうと思う甲斐性くらいあるゾっ!!」

 ……いや、でもねぇ? あのアルゴだぜ?
 あのアルゴがおごるとか… そりゃお前、自分の耳を疑うのも無理ないってばよ…
 普段からのアルゴの素行を思えば、そりゃ誰だってこういう反応を返すだろ。

 けれど、そんな俺の反応にアルゴは大変ご立腹といった様子だ。

「……それで、どうするんダ? 祝勝会、するのかしないのカ」

『するするします。いやー、アルゴさんにお招きいただけるだなんて、ぼかー幸せだなー』

 そう訊ねてくるアルゴに、俺は慌てて首肯を返す。

 ここであえて、「絶対にノゥ!」とか言ってたら、それはそれで面白かったかもしれないが…
 その瞬間、俺は間違いなくアルゴを敵に回す事になっていただろう。
 そんなのは、絶対にごめんだ。情報屋を敵に回す事ほど恐ろしい事はない。
 相手の方からおごってくれると言っているのだから、ここは喜んでご相伴にあずかっておこうじゃないか。タダ飯万歳。

 なんて思っていたのだが、次のアルゴの発言を聞いて俺は目をむいた。

「よし。それなら、三日後までにクエストをクリアできなくても絶対に来いヨ。もちろん、その邪魔な麻袋は脱いでナ」

『―― へ?
 あれ? それおかしくね? おごりの祝勝会って、クエストをクリアできたご褒美って話じゃなかったっけ?』

「だから、クリアできたら俺っちがおごってやるヨ。そして、クリアできなかったらカズ坊のおごりダ」

『ラグガキ顔をさらした上に金まで払えとっ!? やっぱお前、最悪だっ!!』



 ―― 結論、アルゴはやっぱりアルゴでした。




  *    *    *




 ―― 駆ける、駆ける。

「にゃはっ、にゃははっ、にゃははははっ!!」

 ステータスアップポイントのその全てをつぎ込んできた敏捷力ステータスを駆使して、少女は一人、荒野を駆け抜ける。

「バカだ、アイツっ! やっぱり、バカだっ!!」

 そして、爆笑しながら爆走していた彼女が、ついには叫び出したのだった。


 今日、直接、相見えた事で確信した。

 アイツは、ベータの時からまるで変わっていない。
 相変わらずバカで、相変わらずバグキャラで、相変わらず自分の事に無頓着だった。

 普通なら絶対に不可能な事を、必要な事だからの一言で平然とやってのける。それが、あのバカのバカたる所以。
 おまけに、自分がやった事の意味をまるで理解していない。周りからどう思われるかなんて気がつかない。

 今回のフロアボス単独撃破の件にしたってそうだ。
 アイツ的には、他に誰もいなかったから一人でやったくらいにしか考えていないのだろう。
 それに対して、周囲がどう思うかなんて事は考えもしなかったに違いない。
 ……そんな事、少しでも考えればすぐにわかるだろうに。

 羨望に憧憬。崇拝に心酔。嫉妬に猜疑。

 いろんな意味で目立ちまくっているあのバカは、やはり今後もバカな事をやり続け、その度に他のプレイヤーたちから様々な視線を向けられる事になるだろう。コレはもう確信だ。
 だが、この閉ざされた逃げ場のない世界で、ベータ時とは質も量もまるで違うであろうその視線にさらされ続け、アイツはいつまでアイツのままでいられるだろうか。

 ふと、胸によぎった一抹の不安。

 確かにアイツは、まさに厚顔不遜面の皮の厚いバカを絵に描いたような男だが…
 それでも、もしかしたらという事が絶対にないとは言い切れない。

「……やっぱり、このままじゃいけないよナ」

 我知らず、ポツリつぶやいていた。

 やはり、あのバカには絶対に味方が必要だ。
 互いに守り守られる事のできる、対等な間柄の仲間が必要だ。

 だが、それを妹ちゃんに求めるのは酷というものだろう。
 なぜなら、あのバカの話を聞く限り、アイツにとって妹ちゃんは庇護対象でしかない。
 きっと、何かを任せる事はあっても、心から頼る事はしないだろう。

 だからこそ ――

「この取って置きの情報を、早く教えてやらないとナ」

 口で言ってもわからないバカには、それこそ直接身体に教えてやるしかない。

 悪く思わないでくれよ、カズ坊。
 もっとも、別に契約を反故にするつもりなんてこれっぽっちもないんで、アンタから文句を言われる筋合いなんてどこにもないんだけどな。

 だたまぁ、一言だけ言わせてもらえるなら…


 ―― アンタ、アイツらの執念、甘く見すぎダヨ。




  *    *    *




 走り去っていく旧友を見送った後、ヤツが索敵範囲外まで出た事を確認した俺は、被っていた麻袋を脱いだ。

「ふぅ~… シャバの空気は美味いぜ」

 脱ぎ去った麻袋を放り捨てながら、俺は思わずといった感じでつぶやいた。

 別に、麻袋を被ってたから不快指数がどうのという事はない。
 暑苦しい事も、息苦しい事もない。あるとするなら、ただ少し視界が狭まるくらいだろう。

 けどまぁ、いわゆる気分的な問題というヤツなのだよ。

「さてと… それじゃ、そろそろ本腰入れて頑張りますかねっ!」

 そう、気合いを入れて、俺は大岩と対峙する。
 ……さすがに、ラクガキ顔で街中を歩くのはマジ勘弁なので、それはもう必死である。
 あのアルゴという女は、やると言ったら必ずやる女なのだ。

 よしっ! それじゃ ――

「いくぜオイ!」

 と、殴りかかろうとした瞬間、ポーンというメッセージの着信音が耳を打ち、思わずたたらを踏む。

「……おいおい、こんなタイミングで一体誰だよ? アルゴか? アイツ、なんか言い忘れた事でもあったのか?」

 そんな風にぼやきながらメッセージを確認すると、差出人部分に意外な名前が書かれていて思わず目を丸くする。

 ―― “リーファ”。

 ……いや、なんで今このタイミングでコイツからメッセージがくるんだよ?

 首をかしげながら、俺はメッセージを読み進める。

【さっきの女の人は誰】

「はぃ?」

 さっきの女の人って… アルゴの事か?
 いやでも、大岩の裏側にいるハズのリーファがなんでアルゴの事を知ってるんだ?

「ずいぶんと、お楽しみだったみたいだね」

「うわぉぃっ!?」

 突然後ろから声をかけられて、思わず俺の口から変な声が飛び出た。

 バ、バカなっ!? この俺が背後を取られただとっ!?

 かなり驚き、慌てて後ろを振り返れば ――


 ―― そこには、腕を組み、ガイナ立ちをしているリーファの姿があった。


 なっ…!? なぜ、お前がここにっ…!?

「ふーん… あたしが必死になって大岩を割ろうと頑張っていた間、お兄ちゃんは見知らぬ女の人とおしゃべりを楽しんでいた訳ですか、そうですか…」

 俺が驚愕に目を見開いていると、目の前にいるリーファがフフリと不敵に笑った。
 その笑顔は、《体術マスター》に描かれたフェイスペイントも相まって、とんでもない迫力を発していた。

 というか、あなた、その顔を見られたくないからって大岩の裏に行ったんじゃなかったのでせうか? なのにどうして?

「お兄ちゃんには黙秘をする権利がありません。お兄ちゃんには弁護士を呼ぶ権利がありません。
 そもそも、発言する権利がありません。釈明する権利も、弁明する権利も、懺悔する権利もありません」

 ちょ!? ま、待て、話せばわかるっ!!

「―― 問答無用っ! 悔い改めろ、バカおにぃ!!」


 アーーーーーーーーッ




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 デンドンデンドンデンドンデンドン
 デッデデーデデデデーデデデデー

 という訳で、第7話をお送りしました

 本作中で一番の常識人だと思われるアルゴの姐さんの登場の巻
 そして、オリ主くんの非常識を滅多斬り

 ただ、それだけの話です
 そのため、ゲーム攻略的には全く進んでいなかったり

 ……それなのに、なぜ?

 つか、アルゴの姐さんと駄弁ってただけなのに40kオーバーとか、どんだけだよ


 そして、こんだけ書いといて言うのもなんですが、アルゴのキャラがいまいちつかめていないデス

 本編じゃほとんど出てこなくて、アニメじゃチョイ役
 プログレ編でようやっと本格参戦してきた姐さん
 結局、無事にSAOから脱出できたのかすら不明な姐さん
 ALO編以降、全く出番のない姐さん

 ……どうしろと?


 正直、作者の書く姐さん、なんかキャラが変な気ががが…

 作者自身自覚しているので、こんなの俺の知ってる姐さんじゃねぇっ!! というツッコミは勘弁してくだしあ


 《厚顔不遜》:厚顔無恥と傲岸不遜を掛け合わせた、主にアルゴがカズヤを表す際に使われる造語



 感想返しは、感想掲示板の[471]、[495]




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