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[35534] 【完結】しゅらばらばらばら【ネギま オリ主 転生 最強】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2013/03/28 18:42
この作品は、何処にでもありそうなオリ主転生最強物です。

そういうのが嫌いな方も、そうでない方も、よければ一読お願いします


ハーメルンにて別エンド版の投稿も始めました。



[35534] 第一話【青山】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/18 22:43


 凶器を扱う者は、狂気に陥る。
 殺すということを意識する道具は、それだけで人の中に眠る魔性を引き出すのだ。
 冷たい殺意をその鈍い輝きを放つ鉄に込めて、凶器は子どもにすら殺人を選択肢に与える。
 まさに、狂気的だ。
 だからこそ、凶器を、武器を扱う者は道を外してはならない。
 邪道を正道に。
 狂気を侠気に。
 一歩、一歩。恐れながらその扱いを研鑽していかなければならない。

「……」

 男はそれをわかっていた。わかっていたのに、踏み外した。
 その行いは悪である。男は、邪道に走った。
 冷たい刃の輝きに魅せられた。
 狂気になれと囁く甘美に身を任せた。
 研鑽を積み。
 知られることなく狂気を育てていった。

「……」

 その全てを、今暴かれた。
 婚約をすることになり、引退するといった姉。全盛期を維持できるのはこれが最後だと思ったから、だから無理矢理呼び止めて、真剣を用いた殺し合いに近い決闘を持ちかけた。
 そして、全てを見抜かれたのだ。
 正しくは、見せ付けるように、見抜かせた。
 決闘の場所となった空き地は、あらゆる場所にミサイルでも着弾したようなクレーターが出来ている。だが対峙する二人の体には、埃による汚れ以外は見られなかった。
 この惨状を作り上げたと言うのに。そんな破壊を持ってしても、まるで無傷だった。

「……」

 男は静かに刀を正眼に構えた。
 いや、本来なら男というには、些か精悍さに欠ける幼い顔立ちだ。それは無理もなく、彼は十を僅かに過ぎたばかりの少年に過ぎない。
 だが、感情を表さない冷たい表情と、何よりも無感動な瞳が、彼から少年らしさを剥ぎ取っていた。
 対峙する女性もまた、普段の柔らかな笑みを浮かべることもなく刀を持つ。
 その内心に浮かんでいるのは──後悔だ。
 この数年、本気で試合をしたことがなかった弟。無言で、無表情のまま、ひたすら自己の内側で研鑽を続けていたその狂気を、肉親でありながら知ることが出来なかった。
 なんて、無様なことか。
 僅かに歪みそうになる顔を無理矢理とどめて、女性は天まで届くようだった気をさらに充実させた。嵐のように激烈な気の奔流を前に、男は無表情のまま、静かに内部で気を練り上げる。
 秘境の奥にある静寂の水面を思わせるような静けさだった。女性とはまるで逆。ひたすら己の内部に没頭するそのあり方が、終ぞその内側に眠る狂気を感づかれることをさせなかった所以か。
 人を殺すこと。妖を滅ぼすこと。
 そこに快楽を求めているわけではない。
 そんなわかりやすい狂気ではなく。
 誰よりも、圧倒的に、強くなる。
 たったそれだけの単純な狂気を、見逃してしまった。

「……」

 なら、その狂気を鎮める方法は一つだけ。
 ここで、敗北させる。
 強くなり続けるという願望を。そのために殺すことすら躊躇わない本質を。敗北という鎖で押さえ込む。
 でなければ、この青年は最強になってしまう。最強などというもののために、人を守るという本質はおろか、自分自身という、絶対に守らないといけない人間すら守れなくなってしまう。
 ──最も、人を守るという役割を放棄しようとしている自分が言えた義理はないのかもしれないが。
 小さな微笑。いや、苦笑。
 そこに、男は隙を見出した。
 男の体が消えたと同時、女性の目の前に突如として現れた。
 瞬動と呼ばれる高度な歩法だ。そして、男や相手の女性レベルの戦闘力を保有していれば、基本として修めている技術でもある。
 だから、別段驚きもしないし、そもそもこの破壊を撒き散らしている間にそんなのは何度も見た。

「シッ!」

 男の持つ刀が振るわれる。上から下への振り下ろし、単純なその軌跡は、単純ゆえに激烈。風すら斬られたことに後で気付くほどの神速は、女性の眼をもってしても見切ることは不可能だ。
 瞬動よりも速い斬撃。冗談のような神速を、事前に軌跡を予知することで回避する。
 冷たい殺気は女性の長く美しい黒髪を切り裂くに終わり、空を裂く。だがこんなことは先程から何度も繰り返したことでしかない。
 続いて女性が動く。右斜めに飛んで、振りぬかれた死を避けきり、男の背後を奪った。最短距離を詰めるのに瞬動は要らない。男の体を通り抜けたように無駄なく回り込み、その肩の付け根を狙って刃を振り下ろす。
 しかしこれも避けられる。巧みに体を逸らした男は、光の宿らぬ瞳で振り向いた。
 あぁ、その冷たさに嘆く。どうしてこの冷たさに気付かなかったのか。常に無表情。常に無言。沈黙の塊ゆえに注視しなかった。
 こんな化け物になるまで気付かぬ。気付かせぬ。
 姉さん。あなたは悪くない。男はその内心で優しく語りかけた。
 姉さん。あなたを斬ります。男はその内心で優しく語りかけた。
 同じように、語りかけた。

「ッ!」

 無言の気迫とともに、振り向きざまの加速を合わせて、男が刃を解き放った。上半身と下半身を泣き別れにする一撃は、咄嗟に後ろに飛んだ女性の体を──服を浅く切り裂く。
 着地と同時に、女性の顔に焦りの色が浮かんだ。服を切り裂かれただけで、体には傷一つすらない。
 しかし、これまで互いに無傷だった状態が、服一枚とはいえ拮抗が崩れた。
 やはり強くなっている。この一瞬の間にも着々と、好敵手に対応するために、己の内部に沈んでいき、より速く、より強く、その速度を増していく。
 末恐ろしい。今ですら恐ろしいのに、これ以上何処に行こうというのか。奥義を撃つ溜めすら作れなくなった現状、振るう刃はどれもが一撃必殺で、ひたすらに回避、回避、回避。
 絶技の応酬だった。まず間違いなく、世界中の全てを含めて、近距離戦では右に出る者がいない二人の激突は熾烈を極める。
 危険を冒さずには、この敵手は打倒できない。その思考に至った二人の刃は、次第にその身を危険に晒すことを躊躇わなくなっていく。
 これまで傷一つつかなかった二人の体に、ゆっくりと、だが確実に裂傷が刻まれ始めた。余裕が失われていく。思考は余分なことを失っていき、凍りつくように冷たくなっていく。
 闘争の行き着く果てなど、殺し合いの帰結など、結局はこの場所だ。
 冷たい、無感動。
 こんな場所にしか、最強は存在しない。人としてのあり方を見失った場所に、戦いの極みは存在する。
 そんな場所に、弟を行かせたくはなかった。冷たく鋭利な思考はそのままに、人としての心が女性の内側から炎となり、冷たい思考を熱くさせていく。
 人を守るために振るう刀は、最強である必要は何処にもない。
 守るための意思は、時として最強すら超えるのだから。

 だから、ここで倒す。

 冷たい刃と、熱き刃が激突した。刃毀れを嫌い、受けをしてこなかった両者の得物が拮抗する。名刀と呼ばれる互いの刃が、持ち主の気と敵手の気に板ばさみとなって悲鳴をあげた。
 こんな鍔迫り合いを後数秒でも行えば、半生を共にした刀が砕け散る。
 それを嫌って女性は飛び退き。
 そんなことは関係ないと男は飛び込んだ。

「ッ!」

「くぅ!?」

 己を厭わぬ特攻が来る。死して勝利を拾う。その光を宿さぬ瞳の奥の感情を読み取った女性は、苦悶の声をあげながらも、真っ向から向かえ撃った。
 互いに瞬動。音だけが響き渡り、虚空で火花が飛び散った。
 虚空瞬動を含めた空中戦は、防御を捨てた男の猛攻に女性が気おされる形となっている。
 殺しに来い。そう誘っているような無防備に、女性は躊躇った。
 殺せるわけがない。苦渋に満ちた女性の顔を見て、男は。

「斬ります」

 ただ静かに、涙を流した。

 その数年後、少年は神鳴流を破門となる。






 前世の人格を宿した子どもというのは、異常そのものだ。
 幼少の、おそらく三歳の半ばほどの頃、俺はかつての人格を手にした。
 そのときの記憶はない。
 ただ、例えば読み書きや、色んなスポーツ、料理等の雑学から、学校で習うような学業の内容について等の記憶は残っていた。前世の記憶は失っているが、体験した数々の知識は残っているといったなんとも都合のいい感じのものと解釈していただければいい。
 だから、この世界が前世の俺の常識とはまるで違うものだと理解したときの感動は凄かった。
 俺が新たな生を受けた青山と呼ばれるさる名家は、神鳴流と呼ばれる、簡単に言うと退魔を生業とする流派の宗家だった。当時は退魔などというオカルトは眉唾ものであったが、それはすぐ、己の体に流れている『青山の血』を知ったことで消し飛んだ。
 ともかく、青山という才能は恐ろしかった。幼少の頃から稽古を始めた俺は、ひたすらに没頭して、前世ではファンタジーとも言えるほどの恐るべき身体能力、気、技を身につけることが出来た。
 その途中で感情を表に出すことが難しくなったが、まぁそれはどうでもいい。
 結果として俺は強くなった。まるでゲームのRPGでもやっているかのように、稽古を重ね、実戦を積み、死線を潜り続けた。
 そして今、俺がこの世に人格を覚醒させ、常にその背中を追っていた女性の一人が、目の前にいる。
 戦いは、彼女のほうから仕掛けてきた。
 長女を降した俺に、彼女は仕合を申しこんでくれた。
 まるで、追い求めてもらえたようで嬉しかった。
 そして戦い、愛し合うように戦った。少なくとも俺は、愛し合っていたと思う。
 だけど、そんな気持ちは俺の独りよがりで。やっぱし俺は皆と違うんだなぁと、見せ付けられたような気がした。

「強く、なったなぁ」

 その一言に喜びの感情は見られなかった。それも仕方ないな、と心の隅で思う。
 俺は強さに魅せられた。青山という体の持つ、とてつもない才覚を開放する楽しさに歓喜し続けた。
 それは、人を守るという神鳴流のあり方とは決定的にずれていた。
 俺は気付けば修羅になっていたのだ。これがもしも、前世の人格に目覚めていなかったのならば、あるいは正統な青山の後継者として、神鳴流を受け継いでいたかもしれない。
 だが最早それは叶わない。俺は俺で、青山という玩具を得た童だ。
 殺人の技術を研鑽することに歓喜する化け物だ。
 そんな化け物が強くなった。そのことを女性は、青山として追い続けた幾人のうちの一人の背中、俺の二人目の姉、青山素子が嘆いていた。

「姉上を降し、そして、私も降し……誰もお前を、止められなかった。最も、当時の姉上にすら勝ったお前を、私が止められるわけもない、か」

 自嘲するような物言いに、俺は首を振っていた。
 そんなことはなかった。姉はとても強く、当時の、全盛期の鶴子すら凌駕する力で応えてくれた。
 強くて、強くて。
 だから、斬った。
 姉が手に持っている野太刀は半ばから絶たれ、斬り飛ばされた刀身が大地に虚しく突き立っている。とはいえ未だその戦闘力は失われたわけではない。
 対して俺はといえば、持っていた刀は完全に砕け散り、残骸が周り一面に散らばって徒手空拳。神鳴流であればそれでも戦えるが、半ばから折れているとはいえ、業物を持っている姉と俺では、戦力の差は決定的である。
 互いに傷は幾つも刻まれていた。しかしそれは決して戦闘を阻害できるほど深い傷ではなく、このまま対峙し続ければ、充実する気による活性化ですぐに塞がれるだろう。
 絶対的に不利な状況だ。今、姉に襲われれば、俺は敗北をする。

 だが、勝ったのは俺だった。

「斬ったのか……」

 姉は悲しげに手に持った野太刀を掲げた。

「斬れるのか?」

「……はい」

「そんな様で、斬れるのか」

「……はい」

 そう。
 斬れる。
 斬れるのだ。
 俺は斬れる。
 だから斬った。
 俺は、斬った。
 姉が放った渾身の太刀を、断ち切った。絶ち斬れた。
 その代償として、必殺すら斬り飛ばした十代目の相棒は砕け散ったが。
 まぁいい。
 そんなことは。
 どうでもいい。

「斬れるのです。素子姉さん」

 斬るのだ。刀があれば、斬れるのだ。
 ありとあらゆる全てを斬る。
 斬って。

「この様だから、斬るのです」

 だって、斬れたんだ。

「果てに、何を求める?」

 姉の問いに、俺は答えを持っていない。
 斬れるから、斬った。
 それだけだ。
 強くなれるから、強くなった。
 それだけだ。
 それだけだったのだ。

「理由などない、か」

「最早、果てに至った、ゆえに。理由もなき、刀です……ですが、かつて、願いは、ありました」

 苦笑する姉に対して、俺は久しぶりに長く使ったことで疲れてしまった舌をもつれさせないように、一言一言、慎重に言葉を重ねた。

「強く、なりたかったのです」

 青山が。俺の体になった青山が。
 この青山の血は、何処まで行くのか。

「知りたかったのです。俺は」

 もっと先に。
 もっと高く。
 強くなっていく、この肉体が向かう先を。
 俺は見たかったのだ。

「この体が、何処に、行くのか」

 そのために、殺すことも、かまわない。
 最早俺の刀は、人を守る刀ではない
 そんな狂気の果てが、この戦いで見せた俺の到達点─斬撃─だった。

 斬るということの、一つの極点だった。

「修羅に生きるか」

「……」

「……負けた私には、お前を止めることは出来ない。いや、お前はもう、進み終わったのか。だから、斬れたのか」

「……はい」

 人の道に終わりはない。誰かが言っていそうな言葉は、俺には通じない。
 俺は、到達している。
 斬るという道の最後に、至ってしまった。
 だから姉を斬れたのだ。
 そうして俺は斬ったから。そうして姉は斬られたから。剣士として認めざるを得ないほど、俺は、姉の刀を斬ったから。
 だから、俺は勝者で。
 姉は、素子姉さんは、敗者だ。

「……一手、ありがとうございました」

 頭を下げて、踵を返す。強き者と戦えた、そして降せたという充実感を胸に宿して。
 そしてもう、二度と会えないことへの悲しみを僅かに感じながら、静かに、帰路につく。

 空が、煤けているな。





「……」

 その背中を、素子は静かに見届けた。

「時代の、落ち子か」

 ある日、姉が呟いた弟への評価を口にしていた。
 弟は、時代がずれた。と。
 青山という骨と神鳴流という肉が作り上げてしまった、神鳴流の塊にして、神鳴流の闇。
 青山という化生。
 強さを求める修羅。
 だが、こことは違う場所で行われた、英雄が闊歩する戦いには間に合わなかった。
 もし、あと少しだけ時代がずれていたのならば、そうすれば彼は英雄になっただろう。
 しかしもうそれは叶わない。世界を揺るがした闘争は終わり、時代に取り残された修羅は、孤独となった。

「姉上。私達は、遅すぎた……もう、たどり着いていたのです。道半ばではなく、到達していました。私では、道半ばの私では、あの領域には届かない……だから」

 ならば、その極点に至った技は、何処に向かうというのだろう。
 時代は過ぎた。
 闘争の時代は終わった。
 だからこのまま。

「平和に眠るといい──。いや……青山よ」

 弟の名前を言い直し、その名称を呟く。最早、素子の弟であった青山──は死んだ。
 あそこに居たのは、青山と呼ばれる修羅だ。
 そうして、いつからか弟を指して呟かれるようになったその言葉を最後に。
 素子は静かに弟とは逆の方向に向かって歩いていった。
 空では、今にも泣き出しそうな灰色の雲だけが漂っている。

 眠れる修羅は、時代の落とし子。

 行き場を失ったその狂気は、何処へ行く。



[35534] 第二話【まどろみ】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/28 14:22
 社会としての枠組みで見た場合の青山は、不適合者の烙印を押されても仕方ないだろう。
 常に無表情で、喋ることもほとんどない。
 そんな彼を雇う場所など何処にあるのだろうか。破門されてから暫くは、魑魅魍魎の討伐や、かつて戦っていた頃に蓄えた貯金で生きていける。だがそれとは別に、表向きの職というものは必要である。

「青山、です……お願いします」

 そんな彼が奇跡的にも就職できたのは、麻帆良と呼ばれる学園都市の清掃員としての仕事であった。無口、無表情、しかも剣の鬼ではあるが、日常生活では害のない素朴な男だ。周りの従業員が、人生を長く経験した年長の人ばかりということもあり、若輩である青山は概ね受け入れられることになった。
 これから、少しずつ慣れていこう。前世の記憶はないが、きっと前世でも働きはしていたはずだと、無表情の奥でやる気を漲らせる。そんな彼は周囲の大人たちに肩を叩かれつつ満更でもなさそうに、長く付き合ってきた肉親にすらわからないくらい小さく、その目じりを緩めた。




「まぁここはとにかく広い。清掃場所なんて腐るほどあるから疲れるんじゃねぇぞ?」

「はい。錦、さん」

「声が小さい! っても兄ちゃん。ちょっと訳ありっぽいからな。そこまでとやかくは言わないが、出来るだけ話すように努力はしろよ?」

 俺が小さく頷くと、俺の教育担当兼、パートナーとなった明朗快活なおじさんである錦さんは、眩しいくらいの笑顔を浮かべてくれた。
 麻帆良学園の敷地は広い。今日は初めてということで、初等部の敷地の清掃だ。清掃用具を片手に俺は錦さんに言われたとおりに黙々と掃除をこなす。
 悪くない時間だった。幼少時、あんなにも没頭した非日常のせいか、戻りたくないと思った当たり前の日常。
 それがここまで落ち着けるものだとは思わなかった。こうして一人の人間として、ただの青山として掃除をしているとそう思う。敷地を綺麗にするごとに、自分の心の中も洗われるような気がするのは。
 それは、きっと気のせいだ。

「錦、さん。終わりました……」

 回らない舌をどうにか回して錦さんに声をかける。思いのほか速かった俺の掃除の速度に僅かに驚いているが、「やるじぁねぇか」と笑顔で褒められる。
 この程度なら、鍛えた肉体を行使すれば他愛ない。それに掃除というのもまた鍛錬になるので、やりがいがあった。
 いかに早く汚れを見つけ、どうすれば早く全てを清掃できるか、頭にプランを立てる。観察眼と状況判断。この二つが養われる立派な鍛錬だ。
 ……ほらやっぱしこんな思考。心が洗われているなんて、気のせい。

「ちっと早いが、飯にするか」

 錦さんの提案に頷いて応える。昼よりも少し前、暖かな陽気に包まれた俺は、グラウンドで元気にサッカーの授業を楽しんでいる、初等部の子どもたちの様子を見ながら食事をすることにした。
 隣には、コンビニ弁当とペットボトルのお茶を持ってきた錦さん。俺は自分で作った内臓を鍛える特別なメニューだ。興味を持った人に食べてもらったりもしたが、どうにも味は最悪らしい。
 まぁ、味覚なんてものがあるからそう感じるのだろう。俺には味がわからないのだから、こういうのも悪くはないのである。ちょっとばかし健康に悪そうな煮物を箸で摘むと、静かに食事を始めた。

「しかし、兄ちゃんみたいな若いのがこういう職につくなんて珍しいこともあるもんだ」

 錦さんは弁当を食べながらそんなことを呟いた。言うからには多分、そうなのかもしれない。こういうとき、前世で生きてきた記憶がないというのは心苦しい。今世では力ばかりに没頭したため、世間の常識というのには何かと疎い俺である。
 答えることも叶わずに沈黙していると、錦さんも答えを求めたわけではないのだろう、そのまま食事を続けた。
 そんなとき、グラウンドで遊んでいた子どもたちが蹴ったボールが俺のほうまで飛んできた。白と黒のサッカーボール。コロコロと転がってきて、つま先に触れる。

「すみませーん!」

 担任の女性教師と子どもたちが俺に向かって手を振ってきた。僅か、その光景に動きを止めていると、錦さんが俺の脇腹を軽く小突く。

「ほれ、返してやんなって」

 そう言われるのと、子どもたちの一人が我慢できずに走りよってくるのは同時だった。
 俺は静かに立ち上がってボールを片手で掴む。それを走ってくる少年に向かって軽く投げてやった。
 放物線を描いて見事に胸元へ。「ありがとうございます!」快活で、聞いていて気分のよくなる声に、手を上げて応じる。深々と被った帽子の下は見られなかっただろうか。微笑なんて出来ないから、そうすることでしか感情を示せない。
 よかった。傍に寄られていたら、子どもはきっと、泣いてしまったはずだ。

「笑わないな、兄ちゃんは」

「……すみません」

「いや……いいんだよ。若いからって俺らより苦労をしてねぇってわけじゃない。色々とあったんだろ? お前さんは」

 悟られているなぁ。申し訳なさを感じても、頭を下げるしか出来ない。
 そう、色々とあった。
 色々とあって、全部斬った。
 そんなものだ。

「……」

 やはり、斬るのだろう。斬るしか、答えは見つからない。
 所詮、日常などは程遠い。
 少し肌寒くも、それでも穏やかな陽気に包まれながら、この職についた本当の理由を思い出していた。
 あれは今から二週間ほど前、素子姉さんとの仕合が終わってから少し経った頃だった。
 寂れたあばら家に届いた一枚の封筒。その中身は二度と会うこともないと思っていた鶴子姉さんからであった。
 それは、神鳴流の青山にではなく、俺という青山に向けて送られてきた手紙だった。
 内容は、簡単に述べると、英雄の息子が麻帆良学園という場所に教師として赴任するので、影ながらその護衛を担当するように、ということだ。
 英雄の息子というのがどういうのかは知らないが、目下、何かしらしようとすることはなかったので、その依頼を受けることにした。
 他にも、学園長には従うようにという旨も書かれていた。ともかくはここで働け、そういうことらしい。
 何を考えて俺を推薦したのかは知らないが、こうして来たにはやることはやるし、出来ないことはしないつもりだ。
 それに、英雄の息子というのがどれ程の有名で、どんな厄介を引き連れてくるのか興味もあったし。
 そんなこんなで、俺はネギ・スプリングフィールドという少年を護衛するために、ここにこうして清掃員として着任したのであった。
 最も、護衛よりも楽しいことがありそうなので、個人的にはそっちのほうが楽しみではあるのだけれど。
 どうせ。
 うん。
 どうせ、斬るのだ。






 青山と言えば、神鳴流においては頭をあげることの出来ない名前である。化け物を打ち倒す剣術の使い手の頂点、宗家にして最強の名前。
 それが、青山だ。
 だが現在、神鳴流、そして一部の術者による青山という呼び名は、羨望と憧れに満ちてはなく、畏怖と恐怖の別名とさえ言われている。
 青山。
 そう呼ばれるとき、それは宗家の青山を指す言葉ではない。
 神鳴流が生み出した生きる修羅を、彼らはそう呼んでいる。
 かつては、歴代でも最強と言われるようになると言われていた青山家の男子は、数年前、姉である鶴子を殺し合いの如き決闘の末、半死半生にまで追い込む。
 それを皮切りに、その男は日本中のあらゆる妖魔、あるいは人間にいたるまで、強き者であればどのような手段を持ってしても、そう、封印されているのであれば、それすら抉じ開けて、戦いを行い続けた。
 驚異的なのは、彼が全ての戦いにおいて勝利を収めてきたということだ。
 そしていつしか、あらゆる猛者を殺して回る、化け物の如き男を指して、『青山』と誰もが呼ぶようになった。
 何故、青山と呼ばれるようになったのかはわからない。だが誰もが青山と呼んだ。
 もしかしたら、あえて青山と呼ぶことで、その男は宗家とは別の人間だと言いたかったのかもしれない。
 ともかく、青山が暴走してからの日本は、一時期混乱に陥っていたと言ってもいい。それでも外聞を気にした神鳴流と関西呪術協会のトップの者達の手によって、青山の名を畏怖と恐怖で呼ぶ者は、神鳴流と、一部の実力者などに収まった。
 青山自体が、強者以外との戦いを望まなかったというのも大きい。
 そうして、人間は青山から隠れ、妖魔も、青山一人で開放できる全ての封印が解け、そこに眠っていた妖魔が絶え、生きていた妖魔達も皆青山の刀に斬り伏せられ、その件はようやく落ち着きを取り戻した。
 だが青山と恐れられた男が残した爪痕は、深く、深くあらゆる場所に刻まれたのであった。



「まぁそう固くならんでゆっくりしなさい」

 そう朗らかに言ってきたのは、ここの学園長さんだ。
 慣れ親しみやすそうな笑顔に思わずこちらも安堵する。最も、俺の表情はまるで変わらないので、この気持ちを伝えることは出来ないのだが。

「よろしく、お願いいたします。不足ながら、学園の、礎になれればと」

 代わりに、深々と頭を下げる。真摯な態度は、表情以上に物を言う。俺の経験則だ。

「なに、鶴子ちゃんのご指名じゃからの、腕前のほうは心配しておらんよ。のぉ、高畑君や」

「えぇ。よろしく頼むよ、青山君」

 学園長さんの隣に立っている優しそうな男性、高畑さんが優しく声をかけてくれた。
 こうして人の優しさに触れるのはいつ振りのことになるのか。その暖かさに感動を覚えながら、そも、その優しさを手放したのは自業自得であることを忘れてはいけない。
 こういう世界を、見ることが出来たはずなのだ。
 だが、俺は青山だった。
 それだけの話である。

「それで、件の、英雄の息子は? 高畑さんのこと、ですか?」

「ほぉ? これは驚いた。英雄の息子といえば有名なのじゃが……知らないのかね?」

「生憎と、俗世には、疎く」

 斬ることだけは、怠らなかったが。

「安心せい、高畑君は護衛を必要とするほど柔ではないし、彼は英雄の息子などではないよ」

 そうか。どうやら勘違いをしてしまったらしい。
 これは恥ずかしいものだ。

「不快な、思いをさせて、申し訳、ありません」

 俺はいそいそと高畑さんに向かって頭を下げた。
 そうすると、逆に申し訳なさそうに高畑さんが苦笑した。

「気にしないでくれ。何、君には優男に見えてしまったんだろう。僕もまだまだ修行が足りないってことか」

「いや、そのような、ことは……ありません」

 むしろ、そそる。
 出来れば、学園長と二人一緒に相手していただけたら、それはきっと甘美なことで。
 などと、全く。
 なんともまぁ度し難い己の阿呆加減に、余計にいたたまれなくなる。

「話に聞いていたよりも、ずっと素朴な青年ですね」

「うむ。青山と聞いて、もっと恐ろしい人だと思ったのじゃがのぉ……と、本人を前に失礼な話じゃったか」

「いえ……事実、ですから」

 青山と言えば、知っている人間は怯える。
 俺が、高名な宗家の名前を地に落とした。
 斬って、落とした。

「俺は、青山です。そういう、ものです。己のために、全部、斬りました」

「そうかい……それは」

 言葉に詰まった高畑さんが、どこか寂しげに笑みを浮かべた。その笑みは、寂しいけれど優しい人の微笑だ。
 嬉しくなる。こんな自分に同情してくれる人がいるというのは、この上なく幸せなことだ。
 だからそんな優しい人に共感されるというのは、俺にはとても悲しいことだった。

「お気に、なさらずに。俺は、俺しか見ていません。そんな俺に、同情など。高畑さんに申し訳ない」

「僕は……いや、わかった。そうだね」

「はい」

 こんな人に同情されてしまったら、問題が発生してしまう。
 いざというとき、俺を殺しにきてくれないではないか。
 それは、とてもとても、悲しいことである。
 という思考は置いておこう。

「ところで、俺は、英雄の息子の、護衛として、どのようにすれば、よろしいのでしょうか?」

 ようやく本題に入る。最も、俺が勘違いしたせいで話が脱線したのだけれど。
 学園長さんもそんな俺の考えを見抜いたのだろう。コホンと咳払いを一つすると、静かに語り始めた。

「君には、この学園内で起こる諸問題に対する指導員としての立場をとってもらいたいのじゃが」

「指導員、というと?」

「要は、生徒間の揉め事を解決する立場じゃよ。そういう立場であれば、一ヵ月後に来る英雄の息子を護衛するにあたっても、いい位置にいることが出来るじゃろうて」

 なるほど。と思った。
 表向きは普通に仕事をこなしながら、裏では護衛としての仕事を全うする。
 実に理に叶っている。
 だがまぁ。

「それは、よろしくないと」

 俺は、辞退することにした。

「どうして、と聞いてもいいかな?」

 と言う高畑さんの言葉に、俺は正直に答える。

「俺が、青山だからです」

 理由なんて、それだけで充分だが、少し当惑の色が見える二人に対して、もう少し説明する必要があるだろう。

「少なくとも、二人。神鳴流の使い手の、気配を、感じました」

「……わかるのかね」

 学園長さんの視線が鋭くなる。だが特に怯むことなく、俺は頷きを返した。

「まぁ、この学園の、敷地内程度でしたら……把握は、容易で、ございます」

 複数を相手に一人で戦うということは珍しいことではなかった。その結果培われたレーダーのようなものだ。魔力と気を察知する、その程度のものである。そこから推察して神鳴流らしき使い手を見つけた。
 それだけだ。
 所詮は、その程度。

「青山という名は、神鳴流の、禁です。宗家を潰した、宗家の出来損ない。侮蔑の、総称で、あります」

「なるほど。つまり」

「……俺は、可能な限り、接触を控えるよう、心がけます」

 だがまぁ、この学園に居る限り、いずれは彼女、あるいは彼らと出会うことになるだろう。
 そのときは。
 そうだなぁ。
 斬るのかなぁ。

「しかし、そこまで根が深いのかね?」

「まぁ……」

 一応、殺してきた妖魔や人間は、全てが人間界には害となるような者を選んできたつもりだ。
 勿論、俺の噂を何処からか聞きつけて戦いを挑んできたら、それは善悪問わずに斬ったが。
 しかしそのやり方は、神鳴流の理念には反する行いだ。
 冒涜的で。
 異常者のやり口だ。

「宗家の名も、継承者も、まとめて、潰した相手を、許すわけが、ないでしょう」

 だがそれでも、鶴子姉さんは俺を推薦してくれたのだ。
 ならば、俺は可能な限り姉さんの期待に応えなければならない。

「……無論、やはり、駄目だと、言うことならば……今すぐに、出て行きます」

「いや、そんなことはせんよ。君を推薦したのも、何かしら意味があってのことじゃろう」

「では……」

「君の希望を汲んで、可能な限り目立たない職を探すことにしよう。本当は夜の見回りも頼みたかったのじゃが……まぁそこも上手くすり合わせてみよう」

「ありがとう、ございます。その寛大さに、礼を」

「じゃあ、今日のところは案内するから、ついでに僕の部屋をそのまま寝床に使ってもらおう。この後、時間は空いているかい?」

 高畑さんが朗らかに笑いながらそう言ってきた。
 いい加減舌が疲れてしまった俺は、頷きをもって返すと、いっそう笑顔が深くなる。
 確か、教師だと言っていたなぁ。
 人格者なのか。
 惜しいなぁ。
 そういう人は、本気で斬ってくれないんだ。

「案内、よろしく、お願いします」

 俺は深々と頭を下げた。
 こんな俺に優しくしてくれる高畑さんの気持ちが、嬉しかった。
 優しい人は、大好きだ。

 でも。

「それじゃ、早速行こうか」

「お願い、します」

 斬らないのだろうなぁ。






 タカミチと共に、青山は部屋を出て行った。
 一人になった近右衛門は、今しがた出て行った青年のことを思い返す。

「あれが、青山、のぉ」

 髭を撫で付けながら、聞いていた話とは随分と違う印象を受けたことに、僅かな戸惑いと、大きな安堵を覚えていた。

「いや……」

 違うのだろう。
 鶴子から貰った手紙には、弟は内側で全てを完結していると書いてあった。
 表面上に見えるものは、その無表情と同じように意味なし。
 あの内側は、地獄なのだとも書いてあった。
 そこまで。
 そこまで実の姉に言わせる彼が、感情が出せず、口数が少ないけれど、根は優しい素朴な青年であるわけがない。
 孕んでいるのだ。
 無表情の内側に、あの冷たい瞳の奥に。

「それでも、ワシを頼りにしたのじゃろ?」

 ここの、麻帆良の中でなら、彼も狂気を薄れさせることが出来るのではないか。内側に沈殿している、ヘドロのようなどす黒いものを、少しずつ、少しずつだけど掬われていき、いずれ、全うな男として、恐れられるべき青山ではなく、人の上に立つ青山になれるのではないか。
 そんな祈りを、鶴子は無理を承知でこの学園に託したのだ。
 肉親としての情愛が、半死半生に追い込まれた今ですら残っている。
 その優しさを近右衛門は無碍にしたくなかった。
 ならば、光の道を行かせてみせよう。一人で塞ぎこんだその殻を破り、広い世界を見せてあげよう。
 ただ、一人の教師として。タカミチもその気持ちは同じだから。

「まぁ、任せておきなさい。鶴子ちゃん」

 必ず、あの子を立派な子にしてみせる。そう誓いを新たにするのだった。

 だが、もしこれを、もう一人の姉である素子が聞いたのなら、首を横に振っていただろう。
 そんな奇跡なんてありえない。剣を交えて理解した。戦う前は、敗北を突きつければ狂気を鎮めることも出来ると、姉と同じ気持ちを抱いていたのに。
 今では、最早あれは、敗北ですら止まらないと確信していた。
 いや、止まらないのではない。
 すでに、終わっている。
 この世界で今は、素子だけが青山のことをわかっていた。
 修羅を行き。
 修羅に生き。
 そして、アレは果てに行き着いた。刀という道の、一つの極点に。幼少の頃からの修練が産んだ、自己以外を省みなかったから得られた極地。

 人は、何処まで行けるのか。

 その答えを、アレは得ている。




後書き

ちょっと設定的に無理はあるかもですが、まぁ最強物なんてそんなものということでここは一つ。



[35534] 第三話【斬ろう】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/18 22:42

 暗がりの森を駆ける。
 月明かりすら遮る木々の影の間を、俺は無音で駆けていた。
 冷たい空気に、白い息が淡く溶ける。息と共に、今にも消えそうになる体、でも月光に濡れた暗い瞳だけは、何もかも飲み込む闇として、確かにそこに存在していると思う。
 一寸先もわからぬ闇を、我が庭の如く容易に駆け抜ける。木々を縫いながら、迷いなく疾駆して向かう先からは、聞こえてくる僅かなざわめきが聞こえた。

「……」

 言葉もなく、ざわめき元へと駆けつける。そこに現れている無数の妖怪変化を、俺は腰の鞘から抜刀した冷たい鋼の煌きで、歓迎した。
 月夜の光は、濡らすように鋼の鈍さを照らし出す。
 直後、解き放った銀色が、その場に居た全ての妖魔を斬り滅ぼした。
 空気すらも、斬り裂かない。
 斬りたいものだけ、今回は妖怪だけを斬り裂く刃。
 俺は、俺の斬りたいものしか斬らない。だから、この生い茂る自然も、空気も、全部全部、斬るつもりはない。
 でも、妖怪だけは、正しくはその繋がりは斬る。
 単純だ。
 選択された斬撃対象。結果、俺の振りに耐えられなかった刀の刀身が半ばから斬れたのは、まぁ、悲しいことで。

「……うん」

 煙に消える妖怪達を見送るでもなく、今の斬撃で半ばから失われた刀身を、ぼんやりと見つめた。

「……」

 俺は、俺の太刀に耐え切れぬ刀に申し訳なさを感じていた。
 君を斬ってしまった。敵を斬るだけではなく、俺は君の鋭利すら斬ってしまった。
 悲しいと思う。刀に生き、刀と進みながら、刀を殺してしまう。そんな自分が情けなくもあり、仕方なく感じる。
 素子姉さんの仕合で使った十代目なら、この斬撃にも二千くらいなら耐えたのだが、ないものねだりは意味なしである。
 なんにせよ、俺は斬るのだ。
 それは、使うべき刀に関しても同じである。
 斬る対象は決められる。
 その分だけ、刀─俺─も斬ってしまう。
 それが、俺が見つけた、斬るということへの答えだったから。
 まぁ、斬れるのだから斬るだけで。
 それ以上もそれ以下もないだけの話なのだ。
 とても、つまらない話である。

「……冷たい、いや、暖かい?」

 軽いとはいえ運動をしたために、夜の空気が体を冷やす。一方、内側から火照った体は熱く、胃袋にカイロを突っ込んだような感覚。
 そんな当たり前の感覚を、当たり前のように自覚して、ほぅっとため息が漏れる。
 清掃員として働き始めてから一週間。
 この学園に現れた侵入者を、今日始めて斬った。
 といっても、妖魔達と現世を繋ぐ糸のようなものを斬っただけなのだが。
 これは、なるべく殺しはしてはいけないと、学園長さんに頼まれたからだ。
 なんというか、ちょっとばかし納得がいかないところがある。確かに俺は青山ではあるが、別に好き好んで人や妖魔を殺しているわけではない。
 ただ、斬っただけである。
 それだけだったのになぁ。
 いやいや。違うだろう。
 結果、殺している者もいるのだ。ちょっと我がまま過ぎたな。学園長さん達から見れば俺は危険人物である。ちょっとばかしのんびりしただけで、それを忘れるとは恥ずかしい。
 何たる無様。
 恥ずかしいなぁ。

「まぁ……」

 どうせ、斬るけど。

 にしても、面白い境遇だ。
 初仕事、のち、初仕事である。まぁしかし、一週間という期間で二つも仕事をこなすのだから、もしかしたら俺はなかなか忙しいご身分ではないのだろうか。
 歩く。というよりかは、コソ泥の如き逃走。周囲から殺到してくる気やら魔力やらから逃れつつである。夜道を一人、暗い森を散策するのは乙なものだ。
 とはいえ、同僚に会えないのは、少々寂しさを感じないでもないが。
 俺である。
 俺は、青山である。
 であれば、可能な限り、出会わないほうがいい。

「……」

 さておき、麻帆良学園には、こうして時たまに侵入者のようなものが現れるらしい。
 らしい、というのも、まぁあれだ。俺はこの仕事が初めてなのである。だから、そう何度も襲撃が来るものかと、心のどこかで疑いを持っているのだが。
 斬れるのならなんでもいいやという短絡思考によって、その疑いも彼方に飛ぶ。我が身ながら、恥ずかしい、思考を手放すやり方というのは、どうにも刹那的過ぎて、人には誇れぬ考えだ。
 恥ずかしく。
 恥ずべき。
 でも、斬るのかなぁ。

「……お?」

 少し離れた場所で、大きな気と魔力の膨らみを感じた。
 どうやら、いい感じに戦っているらしい。中々の使い手が揃っているようで、正直俺などという者は必要ないのではないのだろうか。
 だがまぁ、こうして俺が戦えば、それだけで周りの苦労が少しはなくなるのであれば、俺も社会に貢献できていると実感できるので、別に余計なおせっかいというわけでもないのだろう。
 いいこと。
 嬉しいことだ。
 人のためとは、よき響き。
 俺の刀が、平穏を守っている。
 うんうん。これは、よきことだ。

「……」

 そういうわけで足取りは軽く。また新たに発生した別働隊の元に俺は走る。腰には残り三本の刀。といっても、そこらに転がっていた真剣なのだが。
 急ごしらえのため、これしか用意できなかった。
 まぁ、ないものねだりは意味なしである。
 夜闇を裂いて、一直線。周りの気配は──あぁ、高畑さんが同じ場所に向かっている。他は、まだ少しだけかかりそうだ。
 どうしようかなぁ。
 会ってもいいのかなぁ。

「……」

 走りながら思考。あまりよろしくないが、そこはご愛嬌。
 どうやら高畑さんはそこまで本気で駆けつけているわけではないらしい。場所は俺よりも近いが、これなら瞬き程度先に俺が到着するだろう。
 どれどれ。
 ここは初仕事ということで、少しはいいところを見せてみよう。やる気が沸けば俄然、足も軽くなる。
 無論、そんなの気のせいだけど。
 そして、月を背中に俺は刃を解き放った。月光と刀の相性はいい。冷たい光が、冷たい鋼を、冷たくする。その様にいつ見ても心が落ち着く。
 斬れるのだ。
 そう、わかる。

「……」

 音もなく現れた俺に、妖怪達が気付くことはなかった。見ている方向は、どうやらもう目の前まで来た高畑さんのほうである。
 ちょうどいい。
 斬った。
 それだけ。






 タカミチが見たのは、常軌を逸した光景であった。
 それは突然のこと。
 目の前で、そこにいた妖魔が全員、真一文字に泣き別れしたのだ。
 まるで最初からそうだったかのように。
 あっさりと。
 とりとめもなく。
 違和感なんて、まるでない。さっきまで繋がっていた姿を確認していなかったら、目の前の妖魔は、最初から身体が真っ二つであったのだと納得してしまうくらい。
 それは当たり前のように。
 綺麗さっぱり、斬られていた。
 当然、痛烈な一撃を受けた妖魔達は煙となって消えていく。
 驚きは特になかった。ということにタカミチは驚いた。最初からそうであったという事実に、一瞬前までそうではなかったことを、あたかもそうであるとした太刀筋、太刀筋か? をぼんやりと見て、ぼんやりしていた自分に驚く。

 その直後、鈴の音のような清涼な響きが周囲に鳴った。

「ッ……!?」

 タカミチの背筋が凍った。喉元はおろか、体中に刃を突きつけられたような錯覚。死を意識するのではなく、斬られると意識してしまう。
 それほど冷たい空気に、タカミチは咄嗟に、だが遅いと感じながらも最大級の警戒態勢に入り。
 音もなく、砕けた刃と共に着地した男を見て、目を疑った。

「……青山、君?」

 砕けた刀を手に持った男は、つい先日も会ったばかりの青年だった。だというのに、タカミチは目の前の青年が、先日も会ったあの素朴な青年とは見えなかった。
 夜の闇のせいとは言えない。ちょうど月明かりが照らす場所に青山は立っており、強化された身体を持つタカミチであれば、この程度の闇は視界を妨げることはない。
 だというのに、その顔を正しく直視したというのに、タカミチは青山のことを疑ってしまった。
 無表情も、無感動な瞳も、何一つ変わっていないというのに。
 そこにいるのは、別の何かであった。

「……」

 青山は静かに会釈をした。常と変わらない、礼儀正しい所作だ。
 だがその腰に携えられた刀が、何処にでもありそうな、ただの刀があるだけで、彼の印象はまるで様変わりしていた。
 なんということだ。
 タカミチはこれまで、沢山の人間、人間でない種族、それらが持つあらゆる善と悪を見てきた経験がある。だから、人の善悪を感じ取る術には、常人よりかは長けている自信はあった。
 だが目の前のそれは、尊敬すべき正義でもなく、唾棄すべき邪悪でもない。
 そこにいるそれは、どちらともかけ離れていた。

「君、は……」

 ──なんて、様なんだ。

 その言葉を、教師として、立派な魔法使いとして、ぎりぎりのところで飲み込んだ。相手は人間である。生きている、考えもする、それに礼儀もしっかりしている人間である。そんな人間に、僕はなんてことを言おうとしたのか。
 なんて言い訳を、そう、彼の印象を、自分が覚えた彼のいいところを、タカミチは全て、その様を否定したいがために、言い訳に使ってしまった。そんな言葉を、頭の中に思い浮かべてしまった。
 それは、青山という化生を認めたということに他ならぬ。
 だがしかしタカミチは、それでも青山を、青山とは認めようとはしなかった。それはタカミチの優しさであり、まさに立派な魔法使いとして、人々を助ける崇高な精神がなせる心である。
 だって、それでは、そう認めてしまったら──
 そんな彼の思考を察したように、青山は再び頭を下げた。

「この様、なのです」

「……」

「だから、斬れます」

 何よりも説得力のある言葉だった。
 人は、人間は、『ここまで行けてしまう』。恐るべきは、若干二十歳前後の年齢でありながら、青山がそこに到達していたということである。
 人間は行けるのだ。道の果て、道の終わりで、完結できる。それ以上行けない場所へ、行けてしまう。
 だから青年は、『青山』と呼ばれている。

「……初仕事、お疲れ様」

 苦し紛れの一言に近かった。青山はそれを聞き届けると、ここに集まってくる気配を察して闇の中に消えていく。
 完璧な隠行だ。少なくとも、タカミチですら、青山が消えたのを見なければ、そこにいた事実にも気付かなかっただろう。
 タカミチはそれを見届けるしか出来なかった。かける言葉は見つからなかった。何を言えばいいのか、全部が全部、言い訳にしかならない気がした。

「高畑先生?」

 直後、森の木々を潜り抜けて一番に到着したのは、教え子でもある桜咲刹那であった。呆然と、いや、憔悴しきった顔で立つタカミチの顔を、訝しげに見上げている。

「いや……なんでもないよ」

 タカミチは懐から煙草を取り出すと、まるでその内心を覆い隠すように火を点けて、紫煙で顔を覆い隠した。
 そんなあからさまな動揺を見せる彼の動作に、刹那は驚きを隠せない。
 一体、この場所で何があったというのか。あっという間に、この学園でも最強の使い手が妖魔を一掃した、それ以外の何かがあったのか。
 刹那はまるで戦いの痕跡すら残っていないその場所の中央にまで向かい、ふと、月明かりに照らされた大地が光っていることに気付いた。

「これは……」

 光に近づき、拾い上げる。それは砕けた鋼の一欠けらであった。よく見れば、それはあたり一面に、月の光を反射して、まるで空に輝く星のように散乱している。
 やはり、何かがあったのだ。刹那はそう直感した。だが何があったのかすらわからない。散乱する鋼以外、まるで問題などなかった空間では、それ以上の推察は不可能だ。
 本当に、何もなかった。
 だが刹那は気付いていない。最も重要な違和感に、気付くことも出来ない。
 そもそも、妖魔が居たはずの場所が何もなかったように思えること自体、異常なのだということに。
 タカミチだけは、その違和感に気付く。どうしてそうなったのか、アレを見たからこそわかる。

「斬った、のか」

「え?」

「……独り言さ」

 繋がりを、斬った。
 だからここには、何もない。
 あの青年はそれが出来る。あんな状態だというのに、こんな絶技が出来てしまう。
 それが、あの有り様でそれが出来ることに、タカミチは末恐ろしい何かを感じる。

 ふとタカミチは空を見上げた。雲がかかった月が、何処となく波紋が波打つ日本刀に似ているような。

 そんな、気がした。



[35534] 第四話【優しさとか、誇りとか】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/19 21:50

 麻帆良学園で働き始めてから、もう二週間もの時間が流れた。警備の仕事からは一週間、英雄の息子さんが来るまでは大体残り二週間といったところである。
 そういうわけで、まだ仕事を始めて二週間しか経っていないというのに、俺は一週間のお休みをいただくことにした。大丈夫なのかとも思ったけれど、学園長自ら一筆書いてくれたこともあり、清掃員の皆様にはからかわれつつも、概ね受け入れてもらえた。
 勿論、警護、侵入者を撃退する仕事は、そもそも俺はいないという前提なので、いようがいまいが関係ない。
 気分は人知れず学園の平和を守るヒーローである。ちょっと寂しいけれど、こういう立場も悪くはないと思うのだ。
 さて。
 何故俺が一週間もの休みをいただいたのかというと、それはここで英雄の息子を護衛するにあたって使うことになる刀を作るためである。主兵装になる十一代目の真剣は、素子姉さんに十代目を砕かれてからこれまで、暇があれば元になる鋼に気を浸透させ続けていたので、多分あと二ヶ月もすれば完成する。
 だがいつもの護衛で真剣を持ち歩くわけにもいかない。夜道ともなれば、見つかる可能性はまずないとはいえ、もし見つかった場合、真剣なぞをぶら下げていたら捕まるのは自明の理である。
 そういうわけで、上手く擬態した刀作り。使うのは気の浸透率が高い木をモップ大の長さの棒にしたものを七つ。材質が木であるために、耐久性には些か不安が残るが、ちょっと組み立てればあら不思議、いつでもモップ部分が着脱可能な棒の出来上がりとなる。
 これを一つずつ、七日かけて気を浸透させるのが、この一週間の休みで行うことだ。まぁ俺はそこらへんが下手糞なので七日もかかってしまうのが恥ずかしい限り。
 しかも浸透中は気が外部に漏れてしまうので、気付かれないようにやるのは一苦労だ。

「……」

 そういうわけで、一週間、楽しく製作に取り掛かるぞ。






 青山が一週間の暇を貰ったと学園長から聞いたとき、タカミチはいい機会かもしれないと思い、青山が住んでいる麻帆良の郊外にある小屋に向けて歩いていた。
 一週間前、あの夜。月光に照らされた姿を見て思ったことを、タカミチは悔やんでいた。
 無表情で、言葉も少ない、だが根は素朴で、空気のような自然体は、沈黙が続いても苦しくない雰囲気を作り出してくれる。
 いい友人になれると、そう思ったのだ。学園を案内している間、感情は読めないけれど、色んな場所を見て興味を示している姿は子どものようで、見ていて面白かった。常に自分を下にする態度は、謙虚というにはやや過剰すぎるが、それでも彼の人柄を表しているようで、好感を覚えた。
 そんな全てを、一週間前、タカミチは砕かれた。
 酷いのでも、見るにも耐えられないのでも、気持ち悪いのでも、怖いのでもない。
 何たる様だと、そう思ってしまった。
 刀を携えただけで、それ以外、最初に会ったときの印象とまるで変わりはなかった。なのに、刀があるだけで崩れてしまう。
 それは、立派な魔法使いとして、抱いてはいけない感情だとタカミチは思っていた。同時に、そんな彼に人としての道を示してあげなくてはと、そうも思った。
 傲慢な考えなのかもしれないし、そんなことは不要だと言われるかもしれない。だが、アレを見たからにはそうしなければならない。教師として、立派な魔法使いとして、タカミチはそんな使命感を感じていた。

「……それにしても、随分と遠いな」

 驚いたことに、青山の住居は麻帆良郊外の山の方に存在していた。敷地内どころの騒ぎではない。これでは毎日学園に来るのさえ一苦労ではないかと思い、その考えを振り払う。
 何せ、青山だ。この程度の草木を掻き分けて、車よりも速く走ることなど造作もないだろう。
 朝の鍛錬ついでと考えれば、この場所にあるのも、納得。

「いや、納得は出来ないなぁ」

 タカミチは僅かに苦笑した。
 仕事終わりということもあり、もう日の光は落ちきっていた。あの日を思い出すようで何とも言えなくなるが、出来るだけあの日を思い出さないようにしてタカミチは青山の住居を目指して進む。
 学園長が言うには、一週間家からは出ないと言っていたので、多分この時間帯はいるはずだ。
 そうこう考えながら山を登っていき、タカミチはようやく僅かな明かりを発見した。
 小さな小屋だ。物置といわれても不思議ではない木造の小屋は、どうやら建てられてまだ日が浅いせいか、随分と小奇麗であった。
 周囲には人避けの札が貼られており、どうやら可能な限り接触は控えると言った言葉は本当だったらしい。

「青山君」

 タカミチは小屋の入り口をノックした。すると、僅かに床が軋む音が聞こえてから、ゆっくりと小屋の入り口の扉が開く。
 現れたのは、藍色に染められた着物を着た青山であった。光のない瞳で僅かにタカミチを見つめると、ゆっくり頭を下げてから、タカミチに見せるように、自分の喉下を指差した。

「喉が渇いて、声が出せないのかい?」

「……」

 声が出せるのなら、「恥ずかしながら」とでも言いそうな感じで小さく頷く。
 ならちょうどいい、タカミチはビニール袋一杯に入れた酒やら飲み物やらつまみやらを掲げて、明るく笑った。

「どうだい? 君がよかったら今日は一緒に飲みでもしないか?」

 青山は当然として、タカミチも明日は休日である。
 ならば新しく出来た同僚と飲み明かす、そういうのも悪くないのではないか。そんなタカミチの思いに、青山は身体を半身にして、タカミチを誘うように道を開けることで応えた。

「お邪魔します」

 そう言って中に入ったタカミチが見たのは、壁に立てかけられた無数の真剣だ。そのどれもが野太刀と呼ばれる、神鳴流の使い手が扱う長大な刀身の刀だけではなく、小太刀から鍔もついた立派な刀まで、狭い小屋の壁に隙間なく刀が置かれていた。
 だというのに、ポツンとスペースを確保している冷蔵庫が何とも言えぬ哀愁を漂わせている。僅かに驚いたものの、タカミチは部屋の中央、囲炉裏のあるところまで進んだ。

「……」

 遅れて入ってきた青山は、急いで出した座布団をタカミチに渡す。「ありがとう」と声を掛ければ、青山は会釈をして、タカミチと向かい合うように腰を下ろした。
 タカミチも座布団を敷いてそこに腰を下ろす。そして持ってきたビニール袋からお茶と紙コップを取り出して、まずは並々と注ぎ青山に手渡した。

「まずは喉を潤さないと」

 青山は頭を下げ、貪るようにコップの中身を飲み干した。よほど喉が渇いていたのだろう。何処となくその表情は満足そうに、見えないでもないような、気がするような、多分、そんな感じがした。
 タカミチはお茶のボトルを青山に寄越した。礼を一つしてから、どんどんお茶を飲んでいく。二リットルのお茶はたちまち半分にまで減り、そこでようやく青山はため息を一つ吐き出した。

「はしたない、ところを、お見せ、しました……」

「いいよ、気にしないで。君と飲むために買ってきたものだからね」

「お金、は」

「それも気にしない。今日は遅れながら君の歓迎パーティーのようなものだから。一週間前はご苦労様、清掃のほうも含めて、初仕事はどうだった?」

 朗らかに話し出すタカミチに対して、青山は常の無表情のまま軽く頷いた。

「誇らしい、仕事である、と」

「ほぅ」

「生徒のため、心地良い、場を作り。平穏のため、刀を、振るう……誇らしい、充実が、ありました」

 言葉に嘘は出せない。感情が出せないから、青山の言葉はいつだって正直だ。紡がれた言葉の節々に感じる誇らしさは本物で、それを聞けただけでも、タカミチはここに来たかいがあったものだと内心で考えた。

「よかった。慣れないうちに仕事を二つもこなしたからね。疲れているんじゃないかとも思ったけど、それを聞いて安心したよ……ところで、お酒は?」

「嗜む、程度には」

「なら、一杯やろう。紙コップというのが味気なくはあるけどね」

 取り出した一升瓶の口を開けて、新たに取り出した二つのコップに半分ほど注いでから、一方を青山に手渡した。

「それじゃ、初仕事兼、就任おめでとう記念で、乾杯」

「乾、杯」

 紙コップを掲げてから一口つける。度数の高いお酒ではあったが、囲炉裏から零れる暖かな炎のせいか、幾ら飲んでも酔いが回らないような気がした。
 暫くは買ってきたつまみを食べながら、話すこともなく酒を飲み進める。飲みながら、タカミチは部屋の様子を改めて見渡した。
 冷蔵庫がなかったら、ただの物置といわれても驚きもしなかっただろう。冷たい刃は、窓から射す月の光に照らされて、とても綺麗な物に見えた。

「ところで、一体どうして一週間も休みを貰ったんだい?」

「……」

 タカミチの素朴な質問に、青山は静かに立ち上がると、部屋の隅っこに立てかけられていた、札を貼り付けられた木製の大きな箱からモップを取り出して、タカミチに見せた。
 それはただのモップではなかった。ある程度以上、気や魔力に精通しているものが居たら、一目でわかるくらい、そのモップに漲る充実した気は、タカミチすら驚くほどである。

「後は、擬態用の、札を貼れば……」

 そういって、囲炉裏の傍に置かれていた木箱を開いて、一枚の札を取り出すと、モップ部分を外して、その溝部分に札を押し込んだ。
 小さく呪文を唱えると、貼られていたはずの札は溶けるように消え、改めて棒を取り付ければ、先程までの気の圧力は途端に失われた。
 そこにあるのは、何の変哲もないただのモップである。それを見てタカミチは、青山が護衛用の武器を製作するために、一週間の休みを貰ったのだと理解した。

「凄いな。随分と仕事熱心なんだね」

 タカミチの惜しみない賞賛に、青山は首を横に振って、モップを横に置いた。

「仕事は、好きです。誇らしく、あります……ですが、俺は、俺なのです」

 仕事はこなす。可能な限り最大限、自分に出来ることはする。まぁ、こうして準備はしているが、俗世に疎い分、護衛では色々とミスをしてしまうだろう。
 だが、そういう部分を除いても、青年は青山だ。

「仕事より、優先すべきことが、あります」

 ──斬るのです。
 そう一言、タカミチを真っ直ぐに見つめて呟いた。抜き身の刀のように鋭利な視線だった。冷たく、迷いのない直刃のように一直線で、そんな自分を誇るでもなく、淡々と事実のみを語るように告げていた。
 タカミチはそんな視線を受けながら、怯むでもなく優しく微笑んだ。そういうあり方を受け入れることから始めるという、彼なりの歩み寄りだった。

「……それでも、君が仕事に対して真摯なことには変わりないよ。それに、優先することがあるのは、仕方ないことじゃないかな? 例えば、家族や友人と仕事のどちらをとると言われたら、家族や友人を優先する。それが君の場合、たまたま斬ることだった。それだけなのさ」

 本当は、人を守るためにその刃を振るって欲しいのが、タカミチや近右衛門、そして肉親である鶴子の願いだ。
 だが急にやれと言っても、出来るはずがない。それが生涯を賭けて行ってきたことならば尚更だ。
 青山は、青山だ。生涯を賭けて積み上げたその業は深く。一朝一夕で変化するおど、簡単なものではない。だから、少しだけでいい。まずは、この仕事に誇りを持ってくれたことに、感謝して。
 君は、そこから青山を離れていこう。

「少しずつ、少しずつでいい。そしていつか、君が人を守ることを優先できるようになったのなら……僕は嬉しいかな」

「……善処は、します」

「その言葉だけで、今は充分以上に嬉しいよ」

 タカミチは深々と頭を下げた青山を見つめて、優しく微笑んだ。
 そう、少しずつでいい。劇的な変化など望めないけれど、ここの穏やかな陽気の中であれば、人はいつか優しくなっていくのだから。
 太陽の下、まどろまない人間なんて、居たりしない。そうして緩やかに、眠るように暖かさを覚えてくれたら。
 それが、人を思いやれる、最初の一歩になってくれる。
 タカミチはそんな願いを胸に秘めて、青山を歓迎するささやかな飲み会を楽しんだ。






 翌日、昼頃に麻帆良に帰っていった高畑さんを見送った俺は、僅かに残った酒精の心地よさに満足しながら、早速二本目の製作作業に取り掛かることにした。
 しかし、高畑さんはいい人だ。こんな俺のために、わざわざここまで訪れてくれた上に、食事までご馳走してくれて、寡黙な俺に優しく接してくれた。
 世界は広い。日本という狭い場所で戦いを繰り広げていた俺が出会ったことのない素晴らしい人々が沢山いる。
 とはいえ、日本にいながらつい最近まで麻帆良という場所を知らなかった時点で、世界が広いなど言うのも言いすぎではあるが。
 にしても、俺は世間を知らな過ぎたかも。もっと外の世界に眼を向けていれば、このような有り様にならずにすんだのかもしれない。
 ──そういう未来も、悪くなかったのかなぁ。

「……うん」

 俺は天井裏の板を外して、そこに隠していた札を何重にも貼り付けた木箱を取り出して、中を開く。
 現れたのは、鞘を覆い隠すほどに幾つもの札を貼り付けた野太刀が一本。
 躊躇うことなく鞘から太刀を引き抜けば、鈴の音のように美しい音色が響き渡った。
 天井高々に伸びた刃の曲線。俺が丹精込めて作り上げている十一代目。無銘で、銘をつけるほどではないけれど、いずれは俺の刀として振るわれる愛すべき消耗品。その鋼の輝きに感嘆のため息を漏らした。
 うん。
 やっぱし訂正。

「俺は、これでいい」

 余計な雑念も、未来への展望も、暖かな陽だまりも。
 具体的に言うなら、夜を通して酒を飲み明かした、尊敬して敬愛して、こんな人になりたいと思えた、新しい友人の優しさも。

 奏でる鈴の音。

 ほら、斬れた。
 そんなもん。



後書き
次回から本編です。お待たせしました。



[35534] 第五話【斬りたくなって】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/20 21:45
 清掃の仕事は、始まりは汚さに辟易とするが、終わる頃には周りが綺麗になっていて清々しい気持ちになる。こういう気持ちが清掃には大切なんだろうなぁとかしみじみと思っていると、錦さんはそんな俺の横顔を見て何かを悟ったように笑っていた。
 朝の清掃も一段落。現在は綺麗になった初等部の学び舎周りを見ながら、お昼休みを満喫中である。

「お前さんもこの仕事ってもんがわかってきたみたいだな。モップまで自分で持ってきて、やる気も充分じゃねぇか」

「いえ、まだまだ、奥が深く」

 感心したような錦さんの言葉に、俺は謙遜でもなく、思ったままの事実を口にした。
 清掃に限らず、何かを成すことの道は奥が深い。青山という肉体のおかげで、俺は道を一つ渡りきることが出来たが、恥ずかしい話、俺程度では青山という身体をその程度にしか扱えないのだ。
 ままならぬものである。といっても、たかだか二十かそこらの子どもが、人生を達観した言い方をするのも、それはそれで自惚れにもほどがあるだろう。
 難しいものである。
 だから、奥が深いのだ。

「なぁに、兄ちゃんは上手くやってるよ」

 錦さんは嬉しそうに、子どもの成長を喜ぶ親のように笑ってくれた。その期待がありがたく、人に認められるという、とても素晴らしい出来事を心に刻む。
 今、俺はとても充実している。こうして同僚の人と話しながら仕事をして、そんな彼らの日常を守るために、警護の仕事もしっかりとする。
 そして今日は、待ちに待った英雄の息子の到来だった。

「しかし、知ってるかい? 十程度の子どもが教師として赴任してくるんだってよ。兄ちゃんも大概だが、十歳の子どもが教師ってのは……時代が変わったのかねぇ」

 話は変わって、というか、俺の考えを察したような話題に、僅かにドキリと緊張。まぁ偶然というのはあるもので、俺もその噂というか、護衛対象としてその子ども教師については知っている。
 英雄の息子、ネギ・スプリングフィールド。頭のよさそうな、実際、十歳で教師として赴任するからには、頭がいいんだろう。
 いやぁ、英雄の息子とは名だけではないわけだ。俺も俺自身を知っているから、自分が充分天才の身であるのはわかっている。だがスプリングフィールド君の天才ぶりは、前世の人格を持っている俺とは違う、本物の、天才が零から培った天才の才覚だろう。
 俺はほら、天才だということを幼い頃から理解した凡才の精神ゆえ。その身体と必至に向き合わないとその実力を発揮できなかった凡才である。

「きっと、とてもいい子、なのでしょう」

「だろうなぁ。だが教師ってのはストレスがたまりやすい職業らしいし、その子ども先生が潰れちまわないか心配だよ、俺は」

 錦さんの心配という言葉に、俺はちょっと目を丸くしてしまった。
 なるほど、そう考えればそうだ。いい子だからといって教師が勤まるわけではない。そういう考えも出来るな。
 これは不覚である。が、まぁそれに関しては俺の管轄外なので放置するほかあるまい。
 あくまで、俺の任務は彼の警護である。命に危険がありそうなことが起きた場合は、彼の身を守ること、それが条件だ。
 だがまぁ、今日この学園に入ってきたあの膨大な魔力の持ち主が彼である場合、そう心配する必要はないだろう。魔法使いであり、魔力もある。それにこの学園で常時活動している脅威といえば、満月時に学園内をうろついている妖魔っぽいのくらいだ。
 だがあれは別に気にするほどでもないだろう。
 何かしょぼかったし。
 彼から感じた魔力量があれば、あの程度は脅威ですらないはずだ。
 まぁ、西洋の魔法使いの実力なんて、俺はあまり詳しくないのだけれど。夜の見回りのときに感じた魔法先生や、高畑さんの気や魔力の振り幅くらいでしか判断できない。魔力と気の大きさがわかっても、実際にその運用方法を見ないと実力はわからないからなぁ。今度こっそり彼らの戦いぶりを見てみるか。いやいや、そんな暇があるなら自分の出来ることをしなければ。
 全く、自分本位な考えに自分で自分が嫌になる。

「兄ちゃんも心配かい?」

 ちょっとため息を吐き出したのを、俺がスプリングフィールド君を心配していると勘違いしたらしい。まぁ説明する義理もないので、俺は首を縦に振っておく。

「……子ども、先生、か」

 とりあえず、ちょっとだけ見に行こう。今日は早めに仕事を切り上げていくのであれば問題ないはず。
 そうと決まれば、丁寧にかついつもよりも早く、清掃業務をこなしていこう。俄然、やる気を漲らせた俺は、食事を済ませてのんびり休憩をしながら、今日の清掃予定場所の最短距離を脳裏に思い描くのであった。






 そんなこんなで放課後である。
 正確には放課後の少し前くらいだ。
 最後の授業が終わる直前、どうにか麻帆良女子中等部の清掃を最後に持ってきたおかげで、上手く時間を合わせてこの場所に来ることが出来た。錦さんとも先程別れて、現在はモップやらの清掃用具を手に一人である。
 錦さんには、少し汚れが気になった部分があるので残っていきますと告げた。人のいい彼に嘘をつくのは心苦しかったが、一応建前がないと問題がありそうだからなのだが、別に嘘をつく必要はなかったかも。
 まぁそういう細かいことは抜きにして。一応気を引き締めてスプリングフィールド君を見に行かないといけない。英雄の息子が居る区域ということもあってか、ここら辺の魔力やら気の反応は結構密度が濃い。気配だけなので詳細はわからないが、経験則と直感で、凄いとわかるのがちらほらと。
 なお、一番凄いのは学園の地下から感じる者の気配だ。といっても、初めての警護任務のときに、この人は俺の存在に気付いたみたいなので、関わってこない以上気にすることもあるまい。
 さてさて。
 モップの気の遮断も完璧なので、特に気付かれる心配もなく、俺はするりと敷地内にいるスプリングフィールド君の下へと向かっていった。都合よく今は一人のようでもある。
 しかし、なんだか緊張してきたな。初めての護衛任務だから、緊張しているのかもしれない。
 なんて。
 緊張を楽しみながら歩けば、遠目に件の少年を見つけた。
 身の丈を超える大きな杖を持っているからとても目立っている。あぁやって堂々としていたほうが、逆に違和感がないのかもしれないな。俺みたいな小心者には出来ないやり口に感心してしまう。
 流石は英雄の息子。発想が凡夫である俺には考えられない。だがまぁそれでもまだ少年、命の危険があったらちゃんとフォロー出来るようにしないと。
 どうやら肩を落として歩いているのを見る限り、何か失敗でもしたのかもしれない。多感な時期に教師としての役割である。重圧はとてつもなくその小さな背中に圧し掛かっているはずだ。
 そうして一定の距離を保ちながら彼の様子を見ていたら、視界の端に、大量の本を抱えながら階段を下りようとする少女が一人。
 身体のバランスが悪すぎる。あれでは、ほぼ確実に階段を踏み外して落ちる。高さ的にぶつけどころが悪かったら最悪死ぬなぁ。
 確か、名簿で確認したスプリングフィールド君の生徒の一人か。

「……あ」

 そのまま死ぬなら仕方ないかと思った矢先、スプリングフィールド君も彼女に気付いたらしい。その直後、階段を踏み外した彼女が、まっさかさまに落ちて。

 そして俺は、言葉を失った。

「危ない!」

 少年が杖を構える。凛々しいような、幼いような、そんな印象の姿。膨れ上がる魔力は、その小さな身体には考えられないくらい膨大で。
 全てが幼稚だ。所詮は子どもで、まだまだ彼の素質に技量がてんで追いついていないのは、魔法に疎い俺にだってわかる。
 だけど、見えた。
 俺には、見えたのだ。

「……」

 スプリングフィールド君が風の魔法で、落ちた少女を救出する。それで新たに現れた少女に連れ去られていくその一連を見届けながら、しかしその全てが頭に入ってこない。
 見えたのだ。あの一瞬。確かに俺は、彼の未来を見た。
 天才の肉体を得て、その天才と一人で向き合い続けたからわかる。
 あの身体は、青山と同じだ。
 いやもしかしたら、青山すら越えているかもしれない。

「……ッ」

 そう思うと、背筋に言いようのない震えが走った。
 いや、わかっている。
 この震えは、快感だった。
 まさか、終わってからこれまで、素子姉さんにしか終ぞ感じることのなかった快感を、それ以上の震えを、未完成な少年から感じるとは思わなかったけど。でもこの快感は、性的な快感を遥かに上回る快感で、素子姉さんに感じた恋慕を遥かに上回っている。
 気付けば、俺は腰砕けになりそうだった。その場で膝をつき、全身を駆け巡る快感に身をゆだねたくなった。
 こんな。
 まさか、こんなことが起きるなんて。
 すでに終わっている俺の。
 斬るというものに終わり、斬ることで完結していた俺の。
 最強に君臨していた、あの素子姉さんですら届かなかった。
 俺の答え。
 斬ることの証明式。
 そこに佇む、君を見た。

「……君、だ」

 気付けば、俺は彼のことを呼んでいた。か細い声で、乙女のように頬を染めながら。
 君なんだ。見えたのだ。やっと見つけた。君なら来ることが出来る。君だけが俺の君だ。俺の君を、俺は見つけたんだ。
 君だけが、終われる。

「君だ……」

 その日、俺は出会った。終わった俺が見つけた。これ以上何処にもいけない俺が唯一見つけた。
 俺と同じ場所に到達できる君を。
 人が行き着ける、本当の終わりの場所に来る君を。

「……あぁ」

 持っているのがモップでよかった。
 持っているのがモップで残念だった。
 モップだから、君を斬らずにすんだ。
 モップだから、君を斬れなかった。
 久しぶりだった。終わりにたどり着いてから、初めて斬りたいと思った。
 斬るのではなく。
 斬りたいと思った。
 そう思えたことが、感動的だった。

「スプリング……いや、ネギ君」

 こんなにも素晴らしいことがあっていいのか。
 まるで夢を見ているようであった。誰だって喜ぶ。今の俺の気持ちを知ったのならば、誰だってその奇跡に喜んでくれるはずだ。
 だって、こんなにも素敵な感情なのだから。

「君に、惚れました」

 君だから。
 青山になれる、君だから。
 この感情は、愛以外の何ものでもない。恥ずかしくも、二十歳になって一目惚れして、斬りたいと思えたことに、涙を流す。
 君がいつかここに来て。終わってしまったそのときに。
 あぁ恥ずかしい、夢物語。
 乙女のように、夢想する。君と、俺のめくるめく──

 修羅場で二人、斬りあう姿を、思い描いた。



後書き

勿論ネギは男です。当然のことですが。



[35534] 第六話【福音、鈴の音、斬り斬りと(上)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/22 21:36
 時は過ぎ去りあれから随分と時間が流れた。一週間、二週間と、つつがなく何かが起きるでもなく時間は経過し、俺もここの生活にはすっかりなれて、順風満帆といった感じだ。
 まぁ、恥ずかしい話、その一番の理由は彼の存在が大きいのだが。
 愛の力は人を劇的に変えるという。今の俺はまさにそれというか、なんというか。
 はっきり言えば浮かれていた。

「……」

 といっても表情はそのままなので、代わりに素振りをして喜びを露にする。一閃ごとに願いを込めて、早く君が終わってくれと願うのは、やはりはしたない行為なのだろう。
 うん。あまりはしたないのはよくないだろう。稽古用の木刀を、よどみなく振るいながら、そんな俗な願いを抱きながら刃を振るうのは、刀に対しても、君に対しても失礼だ。
 でもなぁ。
 仕方ないよなぁ。

「……」

 なんとなしに取り出して、草場に置いておいた十一代目を掴むと、堪らず刃を抜き払った。
 昼下がりの太陽の光を切り裂く鋼の煌き、その輝きにうっとりとしたのも束の間、目の前の大木に君の姿を思い描いた。

「……ッ!」

 刹那、思うよりも早く刃が翻った。
 反射的だった。思うだけで、見るだけで、たったそれだけで斬りたいと思ってしまう。
 当然、大木は君ではないので、斬った直後、頭の妄想は元の木になって、俺の斬るという意思を叩きつけられた木は、斬られたことにも気付かないまま、左右に分かれて大地に沈んだ。
 あー。
 しまった。
 自制というのが出来ないから、この様。
 情けない。
 恥ずかしい。
 浮かれすぎだろと自粛する。

「……ハァ」

 こんなのでは、隠れて彼の成長を見守るというのが出来ないではないか。せめて斬りたいという気持ちを押さえつけることから始めないと大変だ。
 でないとまた彼女を驚かせてしまう。
 ごめんなさいと、修行している彼女のいる方角を見て頭を下げる、情けない俺であった。
 住居、変えたほうがいいかなぁ……






 警護をするに当たって、重要なことはなんだろう。
 まぁ、素人考えではあるが、可能な限り俺という存在を知られないようにという前提ではあるが、脅威の優先度こそが重要なのではないかと思う。
 というのは言い訳で。
 とどのつまり俺は、ぎりぎりまでネギ君を窮地に浸すことで、その成長を促進しようと思ったわけである。
 さて。
 何でこんなことを話しているのかというと。
 現在、ネギ君は満月のときに活動するあのしょっぱい妖魔、名簿に載っていたネギ君の生徒の一人と激戦を繰り広げていた。そして俺はその戦いから彼を守るでもなく、どんな戦いをするのだろうとワクワクしながら様子を伺っていた。
 にしても。
 いやはや。
 正直言って、驚きである。
 まさか。
 まさかここまで弱いとは。

「……ハァ」

 暗がりからネギ君としょっぱいのとの激戦を観戦しながら、俺はため息を吐き出した。
 弱い。
 弱すぎる。
 あまりにも、勿体ない。
 いやでも、初めて彼の魔法行使を見たときにそれはわかっていたことなんだけど。未来の彼を見てしまった俺からすると。
 その戦いぶりはあまりにも情けなく。
 見るに耐えないとは、このことであろう。
 西洋の魔法には詳しくない俺でも、そののろまな動きや、一々隙の多すぎる詠唱をしている姿が駄目なことくらいわかる。彼の肉体からすればありえないくらいお粗末だ。
 違う違う。君の肉体なら、そんなちまちましたことはしなくても──
 あぁ、もどかしい。
 今すぐ彼の元に行って、俺の持つありとあらゆる全ての技術を教えたい。
 だが、そんなことをしたら、多分途中で斬ってしまうので、それは出来ないけれど。

「……」

 モップを持つ手に力を込めて、俺はことの成り行きを静かに見守った。
 どうやらしょっぱいほうは、予想以上には強く、稚拙な魔力を道具で補いながら善戦していた。というか、上手く誘導している様を見れば、しょっぱいほうがネギ君を押していると言ってもいい。
 全く。
 こう、せめてしょっぱいほうの戦いぶりの半分でもネギ君が習得していればいいものを。
 残念だ。
 本当に残念である。
 落胆しながら見ていると、上手く誘導を果たしたしょっぱいのが、仲間の下に到着したところで、ネギ君の魔法によってその身体に纏っていたマントが吹き飛んだ。
 というか、脱げている。
 脱げ脱げだ。
 残念なことに、相手は幼女だが。

「……あぁ」

 眼も当てられぬ光景に肩をがっくしと落とした。
 話を聞く限りだと、どうやらあのしょっぱいのは封印されていた真祖の吸血鬼とのこと。なるほど、だから戦い方が上手かったのかと納得。
 同時に、この戦いはこれまでだと判断した。
 ネギ君は新手に捕まって、身動きが出来ず、やられるがまま後は血を吸われるしかない。ちょっと特殊な気の流れを感じる一般人が近づいているが、一般人ではどうにも出来ないだろう。
 なら、もう仕方ない。
 万が一血を吸われて殺されでもしたら、最悪だ。
 それに、斬るのは俺だ。
 止めろよ。それ以上は。






 絡繰茶々丸の視界に、それは突然現れた。
 一瞬前まで、マスターであるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと自分、そしてマスターに血を吸われそうになっている担任の教師であるネギ・スプリングフィールド。
 この三人しか居なかった場所に、それは初めから存在していたようにポツンと、ネギに牙を突き立てようとしているエヴァンジェリンと、暴れないようにネギを掴んでいる茶々丸の前に立っていた。
 清掃員の制服を着た男は、茶々丸が反応するよりも早く、モップから手を離して、ネギの腕を掴んでいた茶々丸の指に手を這わせて、強引に引き剥がして投げ飛ばす。何が起きたのか理解できないまま虚空に飛ぶ茶々丸には興味ないのか。男はエヴァンジェリンとネギを上から見下ろしながら、その頭を優しく掴んだ。

「な!?」

「ぅえ?」

 二人が困惑の声をあげたのも刹那、一瞬で頭を左右に振る。最弱にまで落ちたエヴァンジェリンとネギからすれば、何かが目の前を遮った瞬間、頭が揺さぶられたようにしか思えないだろう。
 強制的に脳震盪を起こされた二人は、意識を失ってその場に倒れこんだ。突然すぎる状況に、機械の処理すら追いつかない。虚空を舞う茶々丸は、そこまでされてようやく状況を理解した。新たな敵、しかも、タカミチクラスの化け物だ。

「マスター!」

「ネギ!」

 茶々丸が動き出すのと、混沌としたその場に新たな乱入者が現れるのは同時だった。
 だが誰よりも早く動き出したのは男からだ。ネギの首根っこを掴むと、ボールを扱うように軽く、新たな乱入者、神楽坂明日菜に向かって放り投げる。

「めぽ!?」

 反応する暇もなく、飛来したネギの頭と衝突した勢いで、明日菜は謎の奇声をあげながらそのまま意識を失った。そのとき、虚空でバーニアを最大出力で噴射した茶々丸が、目にも留まらぬ速さで背を向けた男の元に踏み込みを果たす。
 ネギに行ったデコピンなど比べ物にならない。踏み込みの熾烈は屋根に小さなクレーターを発生させた。それほどの勢いを宿した足先から発生した力を余すことなく拳へ。当たれば肋骨が砕け、内臓すら潰す一撃は、しかし男を捉えることなく空を切る。
 それどころか、茶々丸の視界から男の姿は消え去っていた。
 何処に消えた。完全に姿を逃した男の姿を探るが、茶々丸のセンサーにはまるで反応はなく。

「斬り……すまない」

 いつの間にか屋根から落ちそうになった明日菜とネギを支え、そっと降ろした男の呟きに茶々丸が気付いたのも束の間、その姿は再び消えた。
 そしてそれとほぼ同時に茶々丸の腹部に許容限界を超えた衝撃が走る。最早、荒波にもまれる木の葉の如く、茶々丸には成す術など存在しなかった。

「……?」

 茶々丸の反応速度を容易く超えてその腹部に拳を突きたてた男は、肉を叩くのとは違う違和感に首を傾げた。
 茶々丸は男の拳を受けても踏み止まるものの、瞬きもしないうちにその身体から力が失われ、力なく膝をついた。
 全身の駆動に必要な部品が、男の拳から浸透してきた気の塊によって耐久限界を超えてしまったため、強制的に機能を停止させたのだ。
 だがそれでもメインシステムは生きている。せめてその顔だけでも見ようと、唯一動く首を動かそうとして、茶々丸はその顔を踏みつけられた。

「……」

 男からすれば不思議そのものだった。人間かと思ったら、その実、人間ではなかった。この子も名簿に載っているため、殺すわけにはいかないが、些か興味は沸いた。
 茶々丸からは見えなかったが、男の手に持っていたモップが何かを払うように振るわれる。
 直後、並大抵の刃であれば、斬りつけたところで逆にへし折ることも出来る茶々丸の左腕が、何の抵抗もなく切断されて虚空に舞った。どういう理屈なのか、空に舞った左腕は、木のモップの先端に、焼き鳥の串に刺された肉の如く容易く突き刺さる。
 見るものが見れば唖然とするような技を見せた男は、そんな技を行使したというのに、特に表情を変えることなく、しげしげと突き刺した腕の中身を見た。

「……」

 弾ける電流と、中に詰まった機械部品の数々を見て、男はやはり不思議そうに首を傾げた。
 機械だった。人間の魂を宿した機械人間とでもいうのか。凄いなぁと感心しつつ、男、青山は茶々丸の頭を踏みつけたまま、そのまましゃがみこんだ。
 懐から布を取り出して茶々丸の眼を覆う。機械だとしたら気絶は不可能ではないかと思った青山なりのやり方だった。
 本当は斬り裂いてしまえば楽なのだが、近右衛門との契約がある。

「動くな」

 耳元で呟く言葉に、茶々丸は応じることも出来ない。そもそも、最初の一撃で全身の駆動系を完全にやられた。抵抗は不可能で、全ては正体もわからない男の手のひらの上だ。
 だがそれでも、何とか動く口を必至に動かして、茶々丸はノイズの走る声音で男に懇願した。

「マスターは」

「……」

「マスターだけは、助けてください」

 今、茶々丸に出来る抵抗といえば、エヴァンジェリンの命乞いだけだった。
 青山は沈黙したままだ。何か語るでもなく、茶々丸から足を退かせると、足音もなくエヴァンジェリンのほうに向かう。
 そしてその首根っこを摘むと、再び茶々丸のほうに戻り、同じよう首を掴み、明日菜が動く気配を察知して、瞬動でその場を後にした。

「うーん……」

 それから少しして、明日菜が再び意識を取り戻す頃には、最早そこには誰もいなくなっていた。

「……一体、何が起きたっていうのよ」

 明日菜が見つけたのは、僅かに残った争いの跡だけで、一般人である彼女には何が起きたのかさっぱりであった。




後書き

ギャグ補正を加えつつシリアスシーンって難しい。



[35534] 第六話【福音、鈴の音、斬り斬りと(中)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/23 22:47
 とりあえず、学園長さんに連絡を入れた俺は、指示されるがまま郊外の森の奥にある一軒家に辿り着いた。
 そこにはすでに先に来ていた学園長さんが家の前で立っている。高畑さんは出張でいないらしく、残念ながらここには居ない。
 俺は学園長さんの前に着地すると、持っていた妖魔と人形を地べたに置き、静かに学園長さんに頭を下げた。

「夜分遅く、呼び出してしまい、申し訳ありません」

「あぁ、気にせんでおくれ。本来なら、ワシらが早々に片付けておかなければいけなかったことじゃからのぉ……」

 そう言いながら、学園長さんは気絶したままのしょっぱいのと人形、マグダウェルさんと絡繰さんの二人を見た。

「ネギ君の名簿に、載っていた生徒なので……対処に困り、ました」

 その視線から学園長さんの気持ちを察し、俺は実は様子を見ていましたという事実はぼかしつつ、事の顛末をある程度語り始めた。
 ともかく、斬らずに連れてきたのは、彼女達がネギ君の生徒だったからだ。何で人形と妖魔が生徒をしているのかは不思議だが、そうしている以上、何かしらの理由があってのことだろう。
 そこらの察しがつくくらいには、社会に馴染んできた俺である。
 学園長さんは全てを聞き届けると、僅かに困ったように髭を撫でつけてから、なんと俺に対して頭を下げてきた。

「すまなかったのぉ。事件については我々もある程度察知はしていたのじゃが、満月ということ以外、警戒を上手く切り抜けられて事件が多発していたのじゃ。彼女が犯人という決定的証拠もなかったために、どうにも動くことが出来なくてのぉ」

 恥ずかしい話じゃが、そう言って改めて頭を下げてくる。

「とんでもない。頭を、上げてください」

 俺は目上の人が頭を下げるという事実に困惑して、条件反射的にそう言っていた。
 なんというか、人として己が恥ずかしかった。俺は自分の欲求を満たすために、事件が起きているにも関わらずあえて暫く放置をした。そして、その事実を告げずにいる。
 許しがたい。
 全く持って、度し難い。

「俺も、実は……」

 観念して、隠していたことも俺は話しておく。ネギ君ならこの程度は大丈夫だろうと放置してしまったこと。これもまた真実からは少し離れていたが、本当のことを言ったらネギ君の護衛を解雇される恐れがあったため、あえてそういった言い方をした。
 結局、嘘はついている。
 俺は自分が恥ずかしい。

「そうか。じゃが、青山君ほどの実力者となると、確かにそう思ってしまうのも無理ならぬことかもしれんからのぉ……今後はなるべく気をつけて欲しいがの」

「……はい」

「ほほほ、そう落ち込まないでおくれ、元はといえば、ワシらがこの件を解決できなかったことが原因なのじゃから」

 そう優しく言ってくれる学園長さんに、俺は頭が上がらなかった。
 なんと、なんと寛大な心だろう。高畑さんも学園長さんも、全く素晴らしい教師である。こういうとき、感情が表すことが出来ない己が悔しくて、やはり情けなく、恥ずかしい。
 ともかく、いつまでも謝り続けていてはキリがないので、俺は彼女たちのことについて質問をすると、学園長さんは神妙な顔つきになって静かに答えた。

「……闇の福音、という賞金首を知っているかね?」

「いえ……生憎と。俺は、なんとなく噂を聞きつけ、好敵手を探していただけで、世俗はおろか、裏のことにも、疎いものでして」

「そうじゃったか……まぁ、手っ取り早く言うと、そこにいる小さないほうの少女が、かつて闇の福音と言われ、恐れられた吸血鬼なのじゃよ」

 その言葉に俺は表情が変わるなら唖然としたくらいには驚いた。
 なんと、どの程度凄い賞金首なのか、学園長さんの話では全く理解できないものの、賞金首の吸血鬼であったのか。
 このしょっぱいのが。
 なんということだ……。
 そもそも、吸血鬼に初めて会った驚きを忘れていたのに気付いた。

「……」

「ほほほ、流石の青山君も賞金首と聞けば言葉もあるまいか」

「いや……」

 そういうのではなくて、吸血鬼に会えて嬉しいというだけなのだけれど。
 まぁいい。
 どうでもいいか。

「それで、彼女達は? その、一人、腕を斬って、しまいましたが。あ、殺しては、いませんので」

 俺は機械の少女、絡繰さんを指差して、ついでにモップに突き刺さったまんまの腕を引き抜きながら言った。
 血は出ていないので多分大丈夫なはずだが、機械には詳しくない俺である。最悪の事態も考えられるため、どうにも言葉の最後のほうが小さくなってしまった。
 学園長さんは何とも複雑な表情を浮かべ「それで、その目隠しは?」と聞いてきた。今更過ぎる質問だが、よく考えれば、一方には機械とはいえ腕が斬れ、目隠しされた少女、もう一方は下着姿の気絶した少女。
 そして俺はモップを持った無表情である。
 ともすれば、一番最初に質問すべきことが今更になっても、おかしくない状況であった。
 つまるところ、カオス。

「顔を見られるのを避けたかったためです」

 現状を正しく理解するのが嫌になった俺は、まくし立てるように学園長さんの質問に答えた。出来る限り見られないようにしたために、こんな処置になってしまったのだが、俺の答えを聞いて、学園長さんは何かを考えるようにしてから「彼女達には、気付かれてもよいのでは?」と聞いてきた。
 まぁ、その意見についてはなんとなく納得。
 なんせ、学園長さんの話では、気絶しているほうは賞金首になるほどの吸血鬼で、もう一人はそんな少女をマスターと呼ぶ従者だ。
 こういった場所に居る以上、何かしら理由があったりするのだろう。あまり周りに正体を知られると困るという点では、俺と彼女達の境遇は似ているとも言えた。

「……ですが、彼女達はネギ君を襲いました」

 そんな人達に、果たして俺の正体を晒していいものか。
 彼女達は敵だ。生徒であると同時に、しょっぱいながらも平穏を乱す敵である。

「そも、何故、賞金首が、ここに?」

「……少々、のぉ」

 言い辛そうに言葉を濁される。それもまた言えない事情があるのか。
 まぁ、賞金首を囲っているわけだから、新参者である俺には言えない事情は当然あるだろう。
 嫌な質問をしてしまった。全く、子どもでもあるまいし、反省しなければ。

「質問を変えます。彼女達の、処遇はどうしますか?」

 多分だが、これまでの話の流れだと、とっ捕まえてしかるべき場所に突き出すというわけではないのだろう。
 最早、会話も聞かれているために意味なしと判断した俺は、絡繰さんの目隠しを外して「腕は、置いておく」と告げて目の前に斬り飛ばした腕を置き、学園長さんの言葉を待った。

「無罪、というわけにはいくまい。ワシのほうでこの一件、預からせてもらえんかね?」

「……まぁ。どのようにされようが、俺には、些細なことなので」

 現状、彼女達はネギ君を護衛する俺にとって脅威にすらならない。仮に、俺が麻帆良の離れにある住居に戻って、それを見計らってネギ君を襲おうが、俺は一、二分もあればそこに駆けつけることができるし、その程度ならネギ君だけでも凌ぐことは出来る。

「取るに足りません」

 個人的には、ネギ君の血を求めて何度も襲撃を重ねてもらいたいものである。

「……ほう、この私を前に、大層な口の聞き方だな」

 後ろから、可憐な、しかし何処か風格を滲ませた声が俺に届いた。起きる気配はしていたので、特に驚くことなく後ろを振り返ると、頭を押さえながら、少女、マクダウェルさんがゆっくりと立ち上がってこちらを睨みつけていた。

「……」

「無視するとは、尚更気に入ったぞ? え?」

 気に入ったと言うわりには怒気が強くなっている。ただ所詮は大した力も持っていないしょっぱい者の怒気。そよ風よりも気にならないそれに反応するのもくだらないので、俺は再び学園長さんのほうを見た。

「では、彼女達のことは、お任せします」

 俺は改めて、腕を斬ったことを謝罪することも兼ねて、絡繰さんに頭を下げた。続いて学園長さんに頭を下げて、最後に振り返り、今にも飛び掛りそうなマクダウェルさんに頭を下げる。

「随分と舐めきった態度だな」

「……」

 意地を張っている。というわけではないのだろう。底知れぬ自負は、強者が持つ特有の凄みだ。その身に宿るちっぽけな能力からは考えられないくらい尊大な態度に首を傾げて……あぁ、そういうことか。
 つまりこの子は、この学園に囚われているわけだな。

「なるほど、子飼いの犬、というわけですね?」

 俺は学園長さんのほうに再び振り返りそう言った。蛇の道は蛇。能力を押さえつけられたとはいえ、賞金首になるほどの悪党であれば、学園を襲う悪にも対処できるというわけか。
 いや凄い。そういうリサイクル的な発想、御見それした。
 だから、ある程度の暴走くらいには眼を瞑るというわけか。多分だが、いざとなれば瞬間的に押さえつけた力を解放する手段なりがあって、本当に緊急のときは、その力を解き放つといった具合。
 そう考えて、俺は改めてマクダウェルを注視した。俺の遠慮のない視線にも全く怯むことなく、真っ向から見据えてくる彼女の、表面ではなく、奥底を静かに見る。
 そうすれば、巧妙に隠された鎖の如き何かを見つけた。しかも隠されているのに特大規模。
 斬ろうと思えばいずれ完成する十一代目があれば確実に出来るけど、そこまでする義理もないので止めておこう。

「なんだ? ははっ、まさか貴様、少女趣味の変態か」

「いや、そうでは……」

「だったら人の下着姿をじろじろ見るな。気持ち悪い」

「……すみません」

 鼻で笑われたうえに、とてつもない勢いで睨まれて、俺は思わず謝った。
 なんてことだ。
 敬語で少女に謝ってしまった。
 ん? 吸血鬼だから俺より年上だし、敬語でもいいのか。
 でも、見た目俺より歳が下っぽい子どもに敬語を使うって、何だか情けない。
 まぁ。
 まぁ、いいだろう。
 なんにせよ、封印を斬ってまで戦いたいと思う相手ではない。
 いや、ネギ君に会ってなかったら斬っていたかも。
 それくらいには、そそる相手。
 今はしょっぱいが。

「斬る?」

「ッ!?」

 俺が無意識に近い形で口走った言葉。それを聞いたマクダウェルさんの瞳が大きく見開かれた。
 そして、次の瞬間には下を向いてぶるぶると震えだす。どうしたというのか。いやいや、いきなり斬るなんて聞いたから驚いたのかもしれない。
 しまったなぁ。

「俺は行きます」

 そういうわけで、何か居た堪れなくなった俺は、そそくさとその場を後にしようとして。

「おぉ、お勤めご苦労さん」

「待て」

 さっさとその場を後にしようとした俺に、マクダウェルさんが待ったをかける。思わず振り返った俺に対して、マクダウェルさんは冷たい眼差しを向けてきた。

「貴様は、何だ?」

 何だと聞かれて、答えなんかは唯一つ。

「ネギ君の護衛です」

「そういうことじゃあない」

 ん? だったら一体どういうことだろう。言葉に詰まると、マクダウェルさんは壮絶な笑みを浮かべて俺に歩み寄ってきた。

「何て様だよ、貴様」

 俺を知って、俺に斬られた誰もが思う第一印象。俺という個人を表す、何よりも簡潔で、的確な言葉。
 それを、初めて笑いながら、面白そうに言われた。
 マクダウェルさんはほとんど密着するような距離まで近づくと、さらに笑みを深くする。本当に、それは楽しそうな笑顔だった。とてもとても、今すぐにかぶりつきそうなくらいに、その口は牙をむき出している。
 あぁ、しょっぱいのとか。
 そういうの、訂正。

「気に入ったよ。あぁ、この言葉は嘘じゃない。人間、久しぶりに会えたよ『人間』。どうやらこの十五年で、いや、ナギのアホに会ってから、どうやら私は随分と己の領分を忘れていたらしい」

 いきなり自分語りを始めるマクダウェルさんの雰囲気は、内包する力は変わらないというのに、纏う雰囲気が、暗転していた。
 うわぁ、これ、ひでぇ。

「私は、化け物だ。ふん、悪の魔法使いやらそういうのではない。すっかり忘れていた。いや、忘れようと逃れていただけか……貴様を見て思い出した」

「……」

「貴様は人間で、私が化け物だ」

 これ以上は、面倒だな。
 まだ何か言い募ろうとしている彼女の言葉が発せられる前に、俺は瞬動で帰路につくのであった。






 いつ技に入ったのかまるでわからなかった。ここまで完璧な瞬動は見たこともないくらい、青山の瞬動はそれだけで、彼の実力を知らしめていた。瞬間移動のように、音もなく消えた青山が居たほうを見てから、エヴァンジェリンは苦笑する。

「つまり、私は貴様らに踊らされていたということか?」

 苦々しげに顔を歪めて、エヴァンジェリンは近右衛門を睨んだ。幾ら最弱状態とはいえ、人形使いとしてのスキルや、一世紀もの間積んだ武の研鑽による戦闘力は、近接戦闘では一級品の実力を誇っている。
 そんなエヴァンジェリンが、軽くあしらわれた。ネギを捕らえたという油断があったとはいえ、不覚を取り、しかも茶々丸にいたっては左腕まで奪われた。そんな化け物を、知られることなく配置されていた。
 内心でエヴァンジェリンは、近右衛門を、この狸がと詰った。
 屈辱である。闇の福音として、一人の悪として、抗うことすら出来ずに生殺与奪を好きにされたのは、エヴァンジェリンには我慢が出来なかった。

「偶然じゃよ。たまたま彼がここに着たのと、ネギ君が赴任するのが重なったから、ちょうどいいと思って護衛につかせただけじゃ」

 近右衛門の言葉は本当だ。青山がここに来たのと、護衛につかせたのは偶然である。ただ、最近の動向が怪しかったエヴァンジェリンに対する保険であるのも、また事実であった。
 今回は、それが予想以上に噛み合った。
 後一歩で、犠牲者が出るほどまでに。

「私も人のことを言えた義理はないが……あんなモノ。立派な魔法使いの居る場所には似つかわしくないと思うがね」

 エヴァンジェリンは倒れた茶々丸を糸を使って立たせて、その身体を軽く観察した。眼の焦点があっているため、どうやら最悪の事態は免れたらしい。
 茶々丸の冷たい瞳を見て、エヴァンジェリンは軽くため息を漏らす。まだ茶々丸のほうが、感情の起伏が見られるというのは、冗談にすらならない。
 それでも、エヴァンジェリンは、誰よりも青山から人間を感じていた。

「今すぐアレは追い出したほうがいい。でないと、取り返しがつかなくなるぞ?」

 その言葉は、予感ではなく、確信に近かった。化け物だからこそ、人間を望んでいたことがあったからこそ得た確信。
 強いとかそういった次元の話ではない。
 アレは、救いようがない。

「教師として、立派な魔法使いとして、彼を見捨てるわけにはいかんよ。それに、彼の根は純粋じゃと、私は信じておる」

「ハッ、純粋ねぇ」

 蔑むように肩を揺らしてから、エヴァ苛立たしげに舌打ちをした。

「建前は立派だが、そういった曇りのない眼鏡が、貴様の、いや、貴様達立派な魔法使いとやらの欠点だ」

 人の善性を信じるから。人の悪性が間違いだといえるから。
 だからお前らは、ただの正義だ。

「いや……それもまた、そうだな」

 正義でも邪悪でもない。
 完成された個人。空っぽのようで、その実、余分なものなど一切受け付けないほどに埋め尽くされていて。

「アレは人間だよ。正真正銘、本物の人間だ」

 エヴァンジェリンの言葉を近右衛門は理解できなかった。そんなことはわかっているし、今更強調してまで言うことではないだろう。
 やっぱし、わかっていない。エヴァンジェリンは、どこか同情するように眼を細めた。

「それで? アレは一体何処で拾ってきた?」

 これ以上は話しても無駄だと思ったのか、エヴァンジェリンは話を切り替えて質問をする。

「拾ってきたというわけではないのじゃがの。知人の身内でのぉ。お主と同じで訳ありで、なるべく人に正体を知られないほうがいいと言っていた」

「なら別にもういいだろ? 私と茶々丸はあいつの顔を見たんだ。どうせここで働いてるなら、茶々丸に任せればすぐに全部わかる」

 だからきりきり話せ。そう凄んできエヴァンジェリンに、近右衛門は仕方ないといった素振りで口を開いた。

「元神鳴流じゃよ。数年前、各地の封印されていた妖魔、もしくは危険な術者を、目的もなく斬り続け、破門になった……青山じゃ」

「青山……宗家の人間が破門とは、面白いじゃないか。そんな奴をよく囲う気になれたな」

「言ったじゃろ? 知人の頼みじゃとな。それにあの実力を、人のために使うことが出来たら、素晴らしいとワシは思うのじゃよ」

「人のために、ねぇ」

 エヴァンジェリンの含みを持った言い草に、近右衛門は僅かに視線を険しくした。
 だがエヴァンジェリンは怯むことなく、肩を揺らして消えた青山を追うように視線を空に向けた。

「あいつは人間だよ」

「……何が言いたい?」

「誰よりも人間だ。少なくとも、正義を信じる者や、悪に浸った者や、そういうレベルで考えられるものではない……クククッ、興が乗った。処罰でも何でも好きにしろ」

 突如低く笑いながら、素直に処罰を受け入れると告げたエヴァンジェリンに対して、近右衛門は疑わしげな視線を送った。一体、どういうつもりなのか。そんな視線を浴びて、エヴァンジェリンはにんまりと口を歪めて、その吸血鬼の証である牙をむき出した。

「従ってやるって言ってるんだよ。気が変わらないうちに、首輪でも何でもつけておけ」

 そういって、エヴァンジェリンは糸で茶々丸を運びながら、自宅へと入っていく。
 その背中を見送りながら、近右衛門は久方見せることもなかったエヴァンジェリンの脅威を感じて、額に嫌な汗が浮かぶのを確かに感じた。
 どうしてエヴァンジェリンが豹変したのか、近右衛門にはわからない。人として、正義として生きてきたからわからない。

 化け物は人間に焦がれる。

 ただ、それだけだ。






[35534] 第六話【福音、鈴の音、斬り斬りと(下の上)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/23 22:53
 今回、生徒の一人と魔法先生を襲った罰として、エヴァンジェリンには一週間の謹慎処分が命じられた。とはいっても、学校に通うことだけは禁止しないので、事実上お咎めなしとでも言っていい。それ以前の事件については、証拠が不十分ということもあり、過去の事件との関連は不問とされた結果とも言える─勿論、表向きの理由だ─。
 当然、他の魔法先生や生徒からの苦情はあったものの、学園長自らがこの件を収めたということで、一応の終わりは見えた。
 だがそれよりも問題だったのは、禍々しさを増したエヴァンジェリンその人であろう。常から誇りある悪として生きてきた彼女であったが、今の彼女はそんなかつての姿とは少々毛色が違っていた。
 恐ろしいのだ。封印により最弱にまで貶められ、あるいは魔法生徒にすら容易に敗北しかねない彼女の纏う雰囲気が恐ろしい。

「わからないよ。貴様達には」

 そう言い残して自宅に戻ったエヴァンジェリンに何かを言おうとするものは存在しなかった。恐ろしかったからだ、単純に。
 その翌日、ネギ・スプリングフィールドの受け持つ3-Aは、いつも通りでありながら、どこか緊張感のある空気が漂っていた。
 原因は、エヴァンジェリンだ。無表情であるのは変わりないというのに、その身体に張り付くような気配が、昨日までのとは違う。能天気といわれるネギのクラスの女子達ですら、その異様に感づいていたのだろう。
 ネギはといえば、そんなエヴァンジェリンが怖くてたまらなかった。先日、訳もわからずに意識を失い、明日菜に背負われて帰路についた。そして眠りにつき、ここに来るまでの間、嫌な考えが止まらないのだ。
 また、襲われるのではないか。次こそは血を全て吸い尽くされてしまうのではないか。そっと首筋に手を当てて怯えると、教室の隅でエヴァンジェリンが笑ったような気がした。
 教師だなんだといわれようが、結局、ネギは十歳の少年でしかない。身を襲った恐怖を我慢して、こうして授業を行うために教室まで来ただけ大した胆力である。
 だが、そこまでだ。

「怖いのかい? ぼーや」

 エヴァンジェリンは笑った。ただ一人の化け物は、今は少女の身にも限らず笑った。
 昼休み。明日菜と共に、茶々丸を連れていないエヴァンジェリンの元へ、昨夜のことを聞くために来たのだ。
 明日菜もここに来て、ようやく昨夜の異常事態を把握した。
 空気が違う。二年間も同じクラスメートであったはずの少女が、今はまるで別の生き物にすら見える。

「……茶々丸さんは、今日は?」

 まずは、今日来なかった彼女についてネギは質問していた。
 その質問に、エヴァンジェリンは驚いた様子を見せると、続いて面白そうに笑みを浮かべた。

「何を笑ってるのよ!」

 人を嘲笑うような態度に、明日菜が食って掛かる。だがエヴァンジェリンはそんな明日菜の怒声を気に留めることなく、暫く肩を揺すると「貴様、まさか……知らないのか?」そう、見下しきった眼差しでネギを見つめた。

「え?」

 質問に質問を返されてネギは言葉に詰まる。というか、自分が何を知っているというのだろうか。まるでわからないといった態度に「過保護か……つまらん」とエヴァンジェリンはため息を吐き出した。

「安心しろ。機能の一件で少々やられただけで、すぐにでも回復する」

「やられたって……茶々丸さん、何かあったのですか!?」

 不安げに眉をひそめるネギ。昨日襲われたばかりの相手のことだというのに心配する姿は、お人好しが過ぎて、エヴァンジェリンには僅かに不愉快だ。舌打ちを一つして背中を向け、その場を後にしようとする。

「待ってください! もう! もう生徒達に手を出すのは止めてください!」

 そんな背中にネギは勇気を振り絞って声を掛けた。両手で杖を握り締め、臆しながらもエヴァンジェリンを止めようと叫ぶ。
 その姿だけは、好感が持てた。

「安心しろ。私も暫くは動くつもりはない、が……気をつけておけよ? 学園長やタカミチに手助けを願ってみろ。次は誰かが干からびているかもなぁ」

 最後の台詞ははったりである。昨夜、釘を刺されたばかりであるため、エヴァンジェリンの動きは完全にばれているといってもいい。
 だが、まだ切り札は一つだけ残っている。

「精々用心はしておけ。私は悪い魔法使いなんだからなぁ」

 それ以上話すことはない。エヴァンジェリンは尊大に笑って見せると、今度こそ立ち止まることなくその場を後にした。






 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。闇の福音と恐れられている、十五年前まで悪名を轟かせた吸血鬼の真祖。そんな恐ろしい相手を前にして、海外からわざわざ来てくれアルベール・カモミール。通称カモの助勢も微々たるもので。エヴァンジェリンに対抗するためのパートナー選びもして、明日菜が協力してくれることになったのだが、エヴァンジェリンの経歴や、ここに居ては迷惑がかかると知り。
 結果、ネギは逃げ出した。
 まぁ、十歳の精神力でよく耐えたものである。
 だが麻帆良を出たネギは、途中で余所見をしていたせいで木に激突。そのまま落下して、山中迷子になった。
 そんな彼を救ったのが、ネギの生徒である長瀬楓だ。
 ネギを山中で拾った彼女は、そのままなし崩し的にネギと共に夕飯の食材を集めたりして、そんな彼の心を少しだけ癒してあげたのであった。
 そんなこんなで土管を使った露天風呂である。満天の星空を見上げながらゆったりとつかる風呂は、風呂嫌いなネギも満足できるほどゆったりとしたものだ。
 だがまぁ、異性である楓と共に入浴するのは緊張してしまったが。

「ネギ坊主は、今壁にぶつかったのでござるよ。というよりも、教師を始めてからこれまで、よくぞまぁ上手くやってきたと感心するでござる」

「そ、そのとおりです……でも、僕は逃げて、逃げ出して」

「いいんじゃないでござるか? ネギ坊主の歳なら、逃げ出しても恥ずかしくないでござるよ。まだ、子どもなのでござるから……周りの大人に頼っても、ちっとも悪くないでござる」

 楓の言葉にネギは首を振った。
 逃げることも、頼ることも出来ない。この問題は自分が何とかしなければならないことであり、その不安で肩が押しつぶされそうになる。

「人間。今はどう足掻いても乗り越えられない事柄の一つや二つ、あるでござるよ」

「……楓さんも、そうなんですか?」

「勿論、拙者にも今はどうにも出来そうにない壁があるでござる」

 ネギは楓が超えられない壁があると聞いて驚いた。そんな内心が表情に表れていたのだろう。楓はネギの横顔を見つめて微笑むと、その頭を軽く撫でた。

「少し、難しい質問をするでござる」

「は、はい」

「乗り越えなくてもいい壁は、存在すると思うでござるか?」

 その質問は、大人であっても容易に答えられる質問ではなかった。

「えっと……乗り越えないと、前に進めないから、存在しないと思いますけど」

 子どもの無邪気さと、大人の知性を持つから故に、ネギは僅かな逡巡の後すぐに答えた。楓はその答えに満足したように頬を緩めると。

「拙者は、そうは思わないでござる」

 ただ静かに首を振った。
 答えの意図がわからずにネギは疑問を覚えた。乗り越えてはいけない壁は存在する。それは一体どういうことなのか。

「人は、乗り越えてはいけない……踏み出してはいけない一歩というのがあるでござる」

 確信しきった言葉であった。まるでそれをなした人間でも目の当たりにしたような言い草。
 その直後、ネギの身体を凄まじい寒気が走り抜けた。

「ひっ!?」

「……またでござるか。アレも加減を知らぬ」

 だから修行になるのでござるが。そうぼやいた楓を、ネギはすがりつくように見上げた。

「い、今、いきなり寒くなって……」

「超えてはいけない、壁でござるよ」

 ネギの言葉にかぶせるようにして楓は言った。そうして、ネギの身体を優しく抱きしめる。

「ネギ坊主は、天才でござる」

「そんなこと……」

「だから、どんな壁も簡単に乗り越えて……いつか、最後の壁に到達するかもしれない」

 その果てに、アレが居る。初めて出会ったとき、眼を離せないくらいの有り様を見せ付けたアレが立っている。アレは終わりだ。修行中の身ではあるが、楓にもそのくらいはすぐに理解できた。
 完結する。
 それは、最悪だ。

「そのとき、ネギ坊主には踏み止まってほしいものでござる」

 人の才能が極限にまで高まり、そんな人間が努力を積み重ねる。
 その果てを、楓は見てしまった。
 あの有り様を、まざまざと見せ付けられた。

「……まっ、安心するでござる。アレはこちらから干渉せねば無害ゆえ……だから辛くなったらいつでも来るでござるよ。ここへ来たら、お風呂くらいには入れてあげられるでござるから」

 楓はそう言うと、星空を見上げて満足そうに微笑んだ。
 つられて見上げたネギは、まだ楓の言うことがほとんど理解できなくて、寒気の正体にも怯えているけれど。

「そのときは、お願いします」

 少しだけ勇気を貰った。その事実だけは、本当だ。






 あの日の襲撃から、どうやらマクダウェルさんは何かをするでもなく、俺の護衛任務は特に何かがあるでもなく平穏無事に過ぎていた。まぁ、先日ネギ君が何を思ったのか山のほうに来てしまい、思わずテンションが上がって、修練の最中に気を開放してしまったりもしたが。
 まぁその程度のこと。
 些細である。

「そういや兄ちゃん。今日は大停電だから早めに仕事を切り上げるぞ」

 朝、いつも通りに錦さんに挨拶して今日の清掃に出かける際、そんなことを言われた。
 どうやら年に二回、学園都市全体のメンテナンスのため、大規模な停電が起きるらしい。

「いや悪いな。教えるのが遅れちまってよ」

 錦さんは申し訳ないと軽く頭を下げたが、俺は麻帆良から少し離れた山に住んでいるため、大停電の弊害は特にないので、頭を下げなくてもいいのだ。

「いえ、気になさらないで、ください。元から、電気にはあまり、世話にならぬ場所に居るので」

「そうかい? エコってやつか。若いのに偉いじゃねぇか」

 それともまた違うのだが。まぁ説明する必要も特にないだろう。俺は曖昧に返事をすると、今日の持ち場に向かって錦さんと向かっていった。
 そして昼休み。いつも通りに初等部の体育の授業を眺めながらの早めの昼食。

「しかし兄ちゃんも、最初の頃に比べたら随分と話せるようになってきたじゃねぇか」

「そうでしょうか?」

「あぁ、最初はもっとこうぼそぼそって感じだったがよ。まぁ今も声は小せぇが、結構マシになってきたってもんだ」

 錦さんの言葉に、俺はここ暫くを振り返って、それもそうかと思った。
 まぁ、ここに来るまではろくに人と接することなくすごしてきた俺である。少し話すだけで舌が疲れるくらいには世俗との縁がなかったためか、確かに無表情に加えていっそう根暗に見えたことであろう。

「変わったのでしょうか」

「あぁ、いい変化だと俺は思うぜ」

 男臭く笑う錦さんに、俺は頭を下げて応じる。残念なことに、俺の無表情は、使っていなかった言葉と違って修練のしようがない。
 それこそ、よほどの感情の起伏が生まれなければ、微笑むことすら出来ないだろう。
 全く。
 不憫極まりなく、錦さん達に対して申し訳ない。

「俺は……」

「兄ちゃんは、少しだけ外を見てなかっただけだと俺は思うぜ」

 言い募ろうとした俺に、錦さんは言葉を被せてきた。
 言葉を失う俺の頭を、錦さんの大きな手のひらが圧し掛かる。大きくて、重くて、ごつごつとした。
 生きている人間の、強い手だ。

「ゆっくりでいいんだよ。人間なんてもんはな、一目惚れ以外のことじゃ劇的には変化しねぇ。それでも、少しずつ重ねていけば、見えてくるもんってのもあるはずよ」

「そういうものでしょうか?」

「そういうもんさ。少なくとも、俺はそう信じているよ」

 臭い話をしちまったな。錦さんはそう照れくさそうに鼻を擦ると、ゆっくりと立ち上がって「トイレ行ってくらぁ」と告げて歩いていった。
 俺はその背中を見送りながら、頭に残る優しい感触を思い出すように、自分で頭を撫でてみる。
 気付きもしなかった。というよりも、見向きもしなかっただけだ。
 この世界に人格を芽生えさせてからこれまで、ひたすら俺は青山しか見ていなかった。強くなり続ける才能を、童のように無邪気に楽しみ続けた。
 だが今はどうだろう。
 俺は、青山は終わってしまった。
 それによって、俺は少しだけ外を見ることが出来て、今はこうして頼りになる上司や、新しく出来た友人、まだ出会っていないけれど、学園のために影で頑張っている同僚の皆様。
 色々な人と触れ合った。
 色々な現実を、ようやく見つけた。
 なら、俺は変わるのだろうか。変わって、違う何かに俺はなっていくのだろうか。
 そうだといいな、と思えることが素晴らしくて。
 斬るから。
 俺は、斬る。
 うん。いい方向に変わっているな。






 大停電の夜。黒衣を纏った吸血鬼はそっと空に浮かぶ月を見上げた。
 ひどく、ひどく、寒かった。
 どうしてかわからないけれど、とても冷たく感じた。

「よく言うことだ。人の夢と書き、儚いと。人を夢見る。なるほど、私にはとても儚い夢想だよ。そう思わないかい? 先生」

 眼下には、可能な限り装備を整えた英雄の息子が立っている。どうやら、先日付いてきていた神楽坂明日菜はいないようだ。

「一人で来るとは、見上げた勇気だな」

「あなたは……誰ですか?」

 その言葉に、小さく失笑。そういえば、今の自分の姿は大人のそれで、暗闇も重なればわからなくても無理あるまい。
 だから幻術を解いて、姿を晒す。冷たく笑って、エヴァンジェリンは英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドを見下した。

「私だよ先生。まぁ、姿形など、今の私にとっては意味のないことだが……お前たちは下がっていいぞ」

 エヴァンジェリンは吸血によって操っていたクラスメート達を開放した。隣には、メンテナンスを終えて以前よりもさらに強化された茶々丸が立っている。
 ネギも覚悟を決めたのだろう。杖を構えて、いつでも魔法を詠唱できる準備を整えた。

「満月でなくて悪いがな。今夜、ぼーやの血を存分に吸わせてもらうことにした」

「そんなことはさせません。今日、僕があなたに勝って、悪いことはやめてもらいます」

 強く宣言したその言葉に、エヴァンジェリンは声をあげて笑った。

「ハハハッ! 悪いこと? 悪いことか……そうだな。あぁ、悪いことを止めさせて、それで、どうする?」

「どうするも何も、授業に出てもらって皆と仲良くしてもらいます!」

「つくづく……いやまぁ、十歳のガキならこんなものか。なら試してみるといい、私に勝って、見せてみろ」

 人間なら、やってみろ。宣言とともにエヴァンジェリンの魔力が膨れ上がった。

「そら。足掻けよ、ぼーや」

 虚空に十にも及ぶ氷塊が発生した。無詠唱魔法、魔法の射手とはいえ、無詠唱で、しかも瞬時にそれらを作り上げたエヴァンジェリンの実力は、それだけでネギとの実力差を如実に表していた。

「うわ!?」

 その詠唱速度の違いをまざまざと見せ付けられたネギは、咄嗟に杖にまたがるとその場から一気に離脱した。
 それを待っていたかのように状況は動き出す。エヴァンジェリンが遅れて氷の矢を開放する。当たれば、常人を一撃で貫く威力を誇る矢が十、四方から囲い込むようにネギを襲う冷たい殺意を、持ってきた魔法銃を構えて迎撃した。
 魔力が反発し合って、虚空で閃光を放つ。その光に眼を焼かれないように顔を手で隠しながら、ネギは飛び掛ってきた茶々丸から杖を操って逃れた。
 爆発。ネギを打ち落とすための茶々丸の一撃は、その拳が直撃した地面を破砕してクレーターを作る。敗戦を経験した後、その一撃にすら耐えるようにバージョンアップした茶々丸の戦力は、最早単騎でネギの制圧は余裕なほどだ。
 だがあえてそれをしないし、ネギにそれを気付かせない。
 遊んでいるのだ。容易に捕まえ、葬れるのを、弄び、蔑み、その無様を笑って観賞する。
 攻撃が重なるにつれて、ネギもそのことに気付いたのだろう。防戦一方を維持『させられている』状況に、その顔に焦りの色が生まれた。

「でも……!」

 一撃ごとに装備を剥がされながら、それでもその瞳には諦めの色がない。
 その瞳にエヴァンジェリンは笑った。とても嬉しそうに、笑って見せた。

「そら! 何かあるなら出してみろ! なんでもいいぞ? 試してみろ。援軍でも、魔法具でも、乾坤一擲の魔法でもいい! 楽しませろ。私を楽しませるんだよぼーや。それが楽しければ楽しいほどに──」

 この後が、楽しくなるんだ。
 最後の言葉の意味はわからない。というよりも考える余裕すらないネギは、ひたすらにある場所を目掛けて飛翔する。
 早く、早く。
 油断しきっている今だから、この策は使えるから。

「見えた……」

 そしてようやくネギは目的の橋に辿り着いた。だがそれによってにじみ出た安堵をエヴァンジェリンは逃さない。

「氷爆!」

 橋を滑空しだしたところで、エヴァンジェリンの魔法がネギを吹き飛ばした。冷気の爆発は、ネギが作った障壁を食いちぎってその身体を木っ端の如く吹き飛ばす。

「うわぁぁぁ!?」

 成す術もなく吹き飛んだネギは、そのまま道を転がって倒れ伏した。そんなネギをゆっくりと追い詰めるように、エヴァンジェリンと茶々丸も着地して、歩み寄っていく。

「それで、もうお終いか? ん? まだあるだろ? そら、もったいぶらずに吐き出してしまえ」

 戯れだ。今のネギはエヴァンジェリンを楽しませる道具以上の価値がない。それでもネギはまだ諦めてはいなかった。僅かな可能性、そう、後少し踏み出せば!
 ネギの元へ二人が迫る。だがその途中、二人の足元に巨大な魔法陣が発生した。

「なっ!?」

 驚く間に、エヴァンジェリンと茶々丸を捕縛結界が捕まえ、その身体の自由を完全に奪い去る。
 確かに、エヴァンジェリンは驚いた。幾ら戯れたとはいえ、なおこの僅かな可能性に賭けたその足掻き、その根性は賞賛できる。

「見事だよ。それで、どうする?」

 感動的だ。だから告げた言葉は、次の瞬間汚されることになる。

「これで僕の勝ちです! さぁおとなしく観念して悪いことはやめてくださいね!」

 得意げなネギの言葉。
 それを聞いて、エヴァンジェリンの顔に浮かんだのは──落胆だった。

「何を言ってる? そら、まだ終わってないぞ。早く撃ってこい。まだ私はここに居て、お前はそこにいるだろ?」

「え、そ、そんなの……だってもうエヴァンジェリンさんは動けなくて!」

「だから?」

 ネギの言葉を一蹴する。言葉だけではない。冷たい視線こそが、何よりもネギの動きを止めてみせた。

「おいおい、動きを止めた。だから終わりって……それはないだろ? そうじゃないだろ? 早く折れ。相手の戦意を、砕いてしまえ。そうしなければ闘争なんてものは終わらないんだよ」

 私はまだ負けたつもりはない。そう告げるエヴァンジェリンに対して、ネギは言うべき答えがなかった。
 どのみち、時間がたてばこの結界は解除される。そのとき、エヴァンジェリンはまた動き出し、また戦う。

「捕まえてはい終わりで済ませられるのは、刑務所にぶち込まれるくらいなものだよ。もしくは援軍でも待つか? 生憎だが、この周囲には結界を張り巡らせている。余程気配を察するのが得意な奴でない限り、ここに援軍は来ないよ」

 それに、この程度はどうでもない。エヴァンジェリンは背後に居る茶々丸の名前を呼んだ。

「結界解除プログラム始動」

 淡々と告げた茶々丸の耳元のアンテナが開き、結界の構成に干渉する。
 するとたちまち、二人を捕縛していた結界が砕け散った。

「この通りだ」

「そ、そんなぁ……ず、ずるいです! 僕が勝ってたのに!」

「黙れよ。もう飽きた」

 直後、エヴァンジェリンが指を鳴らすと、ネギの真下に魔法陣が展開された。
 気付いたときには最早襲い。即座に発生した氷の捕縛陣が、ネギの四肢を固めて、動けなくさせる。

「この程度、私なら罠として設置するまでもない」

 ただの遊びだよ。そう告げたエヴァンジェリンを前にして、ネギは己の敗北を悟る。

「まぁ、十歳程度の子どもにしては、よく頑張ったほうじゃないのか? そのご褒美に殺すのだけは勘弁してやる」

「あ、うぅぅ……」

 エヴァンジェリンが展開した氷の呪縛は、今のネギでは解除することは出来ない。だからここまで、結末は残酷で、冷笑するエヴァンジェリンにネギは何も出来ず、訪れる恐怖から逃れるように眼を閉じて。

 凛と鳴る、美しい鈴の音を、その耳は確かに捉えた。






 ともすれば月光。
 突き刺すような輝きを見上げながら、ふと思う。常日頃、暇があれば考えていた意味のない思考。
 どうして月夜は刀に似合うのか。
 嬉しそうに刃鳴りを響かせる十一代目を胸に抱いて、そっと空を見上げれば、欠けた月が刀の曲線を思わせ、とても綺麗で、感動的。
 斬るという意思を感じた。
 ともすれば刃である。
 俺は十一代目をいつもの木箱に入れると、玄関口に置いた。残念ながら、気を充実させていない十一代目では、これからに僅かな支障をもたらしてしまう。
 だから持っていくのは、一週間、寝食を惜しんで作り上げた七本のモップ。それらを両手に一本、腰に残りの五本を差して、念のために懐に小太刀を一本、それではいざ空へ。
 とん。と軽い勢いで飛翔して。
 とん。と軽く麻帆良の街へ。
 気負いは特になかった。吐き気を催すようなおぞましい魔力の濁流を感じながら、頭はいたって冷静で。
 凛と。
 あるいは鈴と。
 耳元に残留する鈴の音を確かに。招き入れるように殺気を振りまく死地の名は、闇の福音、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。大橋の真ん中で、俺を誘き出すためだけにネギ君を制した化け物が、両手を広げ抱擁するように迎えてくれた。
 着地、瞬動で割って入ってきた俺を見て、四肢を氷漬けにされたネギ君が驚きの声をあげた。

「モップで来るとはな。あまり私を舐めていると、そこのガキと同じようになるぞ」

「……」

「カカッ。どうやら冗談でその武器を選んだわけではないということか……安心しろ。ぼーやは拘束しただけだ。まだ血を吸ってもいないよ」

 そうか。
 まぁ、そうだとわかっていたから、こうまでのんびりここまで来たんだけど。

「君の姿は充分に見た……意思のあるなしくらい、判別はつく」

「ハッ! つまりあれか? わかっていて放置してみせたと? クククッ、護衛役としては三流以下だな人間」

 おっしゃるとおり。
 返す言葉は何処にもなく。
 俺は返答代わりに、手にしたモップを一閃して、ネギ君の拘束を全て斬り捨てた。

「わっ!?」

 いきなり拘束が解けたため、バランスを失ったネギ君はその場に膝をつく。
 俺はそんな彼をじっと見て、何度かモップの握りを確かめた。
 うん。
 まぁ、我慢は出来るようになったか。

「私を前にして随分と余裕だな」

 どっかで聞いたような台詞。だが最初に会話したときと違うのは、「ありがとうございます。あの、あなたは……」と呟くネギ君から視線を離し、質問に答える余裕すらないほど、ゆっくりと距離を詰める化け物の放つ気配は尋常ではないということ。
 最早、取るに足りぬとは言えない。
 心胆が震え上がり、魂まで凍てつくような恐怖。
 恐ろしいから、化け物。
 なんともまぁ。
 訂正しなければならない。

「君を、斬りたくなった」

 それは、ネギ君に比べたら僅かな思いでしかないけれど。
 斬りたいと願った。
 この素敵は、やはり愛。

「笑えよ。人間」

 そんな俺の告白を、化け物はとても嬉しそうな微笑を浮かべて受け入──

 斬った。



後書き

次回で決着。



[35534] 第六話【福音、鈴の音、斬り斬りと(下の下)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/24 22:52

 開始の合図は、無音からだった。
 いつ振るったのかわからぬ速度で振るわれたモップが、笑みを浮かべたエヴァンジェリンの身体を縦一閃。十メートルは離れていた距離を一歩で詰めた青山は、真ん中から綺麗に割れたエヴァンジェリンの顔を見て、咄嗟に瞬動を使い距離を取った。
 斬り捨てたエヴァンジェリンの身体から色素が失われ氷の彫像となる。氷の分身をいつの間に展開したのか。一瞬で距離を取った直後、エヴァンジェリンの分身が爆発四散して、その爆発が及んだ範囲を氷の中に閉じ込めた。
 ネギがその余波を受けて悲鳴をあげているが、青山にはそれを助ける余裕はない。見上げれば、いつの間にか長大なライフルを何処からか取り出した茶々丸が、その銃口を向けていた。
 殺気はない。無感動な人形の砲撃は、機械そのもの、精密な射撃を持って青山を襲った。撃ち出された弾頭は、人間を打破するには十二分。掠っても死ぬだろう一撃は、音すら立てぬ青山の斬撃によって容易く斬り落とされて、夜の川底に叩きつけられた。
 分かたれた弾頭が爆発し川の水が吹き上がる。橋の上まで水飛沫が舞うその威力は、直撃すればひとたまりもないだろう。
 だから斬る。必殺も全て、青山のモップは斬って捨てる。冷たい眼差しは、茶々丸以上に感情を示さない。

「……」

 無音の瞬動。強化された茶々丸のセンサーすらも容易に越える速度でその背後を取る。
 最早、躊躇いなど何処にもない。左腕だけではなく、四肢の全てを断ち斬ると決めた青山が、両手のモップに力を込めた。
 反応などさせない。気付いたときには斬撃終了。その戦力を根こそぎ斬り払う一撃を放つ直前、青山は首筋を擽る殺気に気付いてそこから離脱した。
 瞬きの後、先ほどまで青山がいた空間に冷気の濁流が発生した。当然、近くにいた茶々丸はその冷気に巻き込まれて吹き飛ばされる。だがそれも予想の内か、冷気で機能を落とされながらも、茶々丸は虚空で姿勢を立て直して砲塔を青山に向けた。
 連続で放たれる鋼の咆哮。夜闇を食らう騒音と共に、螺旋を魔力の弾丸が青山に襲い掛かる。

「そら! 反応が遅れているぞ!?」

 虚空を蹴って、迫る熱量を逃れた青山の上空から、極寒の冷気が立ち込めた。
 見上げれば、右手の先から三つ、恐ろしいほどの魔力がこもった氷の刃を携えたエヴァンジェリンが、虚空瞬動を繰り返す青山を、その冷たい瞳で真っ直ぐ捕らえている。
 青山は冗談では済まされない魔力の猛りを感じて、内心で驚愕した。あれは破壊の牙だ。冷たすぎる殺意の塊。結晶化された破壊は、その手が振るわれると同時に、瞬動を終えた直後の僅かな硬直をする青山に殺到した。
 受けることなど出来ない。最大規模の防御結界でなければ耐え切れない規模の破壊は、最早虚空瞬動を行って離脱できる余裕すらない。
 死が迫る。
 だから、斬った。

「何っ!?」

 三つの殺意が、三つの閃光を受けて真っ二つに両断された。驚くことに、その斬撃はただ斬るだけではなく、そこに込められていた破壊の魔力を霧散、否、斬って捨てている。
 そして、そこまでの技のキレに耐え切れず、青山が右手に持っていたモップが半ばから砕け散った。込められていた気が四散し、砕けたモップはただの木の欠片となっていく。
 青山は躊躇いもなく、砕けたモップを放り投げた。そして左手のモップを両腕で強く握り、必殺を断たれ驚愕するエヴァンジェリンではなく、青山の背後で砲撃を放とうとする茶々丸の背後に回りこんだ。

「……」

 青山の腕がぶれる。刹那にも満たぬ閃光の後、茶々丸の四肢と、持っていた武装が粉々に切り裂かれた。

「茶々──!?」

 エヴァンジェリンは、落ちていく茶々丸の名を呼ぼうとして、すでに目の前に現れた青山に対応せざるを得なくなる。苦悶の表情を浮かべたエヴァンジェリンは、見えぬ斬撃を経験と勘を頼りに、現出させた氷の刃で受け止めた。
 衝撃は、まるでない。その事実に戦慄する。青山の持つモップと、その体が放つ気の量は異常だ。津波のようなそれは、青山の内側でのみ循環する。
 その全てを叩きつける斬撃が、受け止めた氷の刃に衝撃すら与えない。
 どういう理屈なのかエヴァンジェリンには理解出来なかった。いや、理解出来るはずがない。
 青山の刀は、まさに神鳴流そのものだから。だから、その刀の本質を知れる者は、同じ神鳴流の剣士以外にはいないのだ。

「いい表情だな貴様」

 鍔迫り合いの最中、驚きを彼方に飛ばしたエヴァンジェリンは、犬歯をむき出しにしてそう言った。
 その瞳は黒い光を放っている。どす黒い殺意の光だ。見るものをバラバラに砕くその眼光を真っ向から見つめるのは、これもまた黒い瞳。
 青山の瞳は、全てを飲み込む。

「……」

 氷の刃と鍔迫り合っていると、ぶつかり合っている場所から徐々に凍り付いていくのを青山は見た。これ以上こうしていれば、いずれは体すら凍らせる。
 状況判断は一瞬。青山はエヴァンジェリンを蹴り飛ばした。後瞬きほど判断が遅れれば、その両腕は完全に凍り付いていただろう。
 虚空に投げ出された青山は、冷え切ったモップを軽く見つめてから、迷いなく振るう。それだけで凍りついた部分は斬り裂かれて夜空に散った。
 散って消える残骸を尻目に、青山の眼が僅かに細まる。上から圧し掛かるような魔力の圧を肌で感じて見上げれば、ほぼ零秒。青山が氷を斬り裂く僅かな間に、エヴァンジェリンは次の手を放っていた。

「そら!」

 開いた間合いと時間を惜しげもなく使い、千にも及ぶ魔法の射手が、夜空の星に重なるように展開される。明確な殺意の込められた千の弾丸は、空を落ちていく青山目掛けて殺到した。
 見上げれば、一面を埋め尽くす氷の牙。流星の如く降り注ぐ魔弾は、ネギに放たれていたものとは比べ物にならない物量と速度を誇る。
 大停電の暗がりによって、氷の矢を見切る手段は月明かりただ一つ。経験と直感によるあやふやなもののみ。
 不可能ではない。
 それだけで充分だ。
 ほぼ見えないと言ってもいい暗黒を裂く飛礫を、青山はたった一振り、その手に持ったモップを走らせるだけでその三割以上を斬り砕いた。

「ッ!?」

 エヴァンジェリンの眼が、その絶技と、斬り開かれた空間を見て驚愕に染まった。エヴァンジェリンと青山を繋ぐ直線距離、そこを遮っていた魔法の射手のみを、青山のモップは斬ったのである。
 斬り開かれた世界。夜闇に浮かぶ藍色の無感動。
 斬るという意思。
 斬という音を聞いたような気が、エヴァンジェリンにはした。

「シッ!」

 呼気を僅かに漏らして空を蹴る。夜に溶けるようにして青山の体が消えた。
 届くと思う。
 手があって、刀があって。
 後は間合い。
 斬るための距離を詰めろ。

「っぅ!?」

 エヴァンジェリンは我が目を疑った。
 まさに縦横無尽。青山が放つ技には常識はないというのか。
 一歩ごとに放たれる虚空瞬動。自身で作り出した経路を抜けてエヴァンジェリンの前に飛び出した青山は、それだけでは飽きたらず、逃さぬとばかりに、その周囲を包み込むように飛び始めた。
 瞬動によって作られた擬似的な牢獄。ただでさえ技の隙が見えない青山の瞬動による見えない牢獄は、エヴァンジェリンをただそれだけで圧した。
 何たる技術。
 何たる研鑽。
 人が、ここまで行けるという事実。

「だがなぁ!」

 エヴァンジェリンの両手の指先から、極大の氷の刃が発生した。一本一本が、大橋を崩壊させて余りある破壊力を秘めている。その全てが同時に開放されれば、小さな町の一つは容易に壊滅できる魔法。
 敗北はしない。己を蘇らせた人間だからこそ、負けるわけにはいかず、貴様を必ず食いちぎる。
 その意志を存分に漲らせた刃は熾烈そのもの。掠るだけで青山の肉体を凍りつかせる牙は。
 鈴の音。
 その渾身すら、斬り裂き散らす。

「なっ……」

 最早、声をあげることすら出来なかった。エヴァンジェリンが無詠唱で出来る最大規模の魔力の刃が、見えぬ斬撃に斬って散る。青山の斬るという意志は、破壊力などでは測れない。
 斬るものを斬る。
 斬るから斬る。
 神鳴流が奥義、弐の太刀に通じる。人ではなくその背後、あるいは内側にある物を、気によって斬り捨てるという秘技。
 青山が放っているのは、その極地だ。
 斬りたいものだけを斬る。
 それこそ、青山が青山と恐れられる最初にして最大の理由。
 剣戟の極地。
 選択する斬撃対象こそ、青山が得た終わりの回答だった。

「青山ぁぁぁぁぁ!」

 吼えた。エヴァンジェリンは、怒りとも歓喜ともつかぬ気持ちを、その名前に乗せて叫んだ。
 だが答えは返らない。無言のまま、冷たいまま、瞳は静かに少女の姿を眼に宿して。
 虚空が跳ねる。大気が割れる。
 音はない。その美しい金髪を道連れに、一瞬の隙を突いた青山の太刀が、エヴァンジェリンの背中を深々と斬り裂いた。

 モップが砕ける。

 残りは、二本。






 カモから、ネギがエヴァンジェリンと戦っていると聞いた神楽坂明日菜がその現場に辿り着いたときに見たのは、人知の及ばぬ異常な戦いの光景だった。
 素人にもわかるほど、膨大な殺気を込められて放たれていく氷の弾丸や刃。それらが、明日菜では捉えることの出来ない影を追って放たれ、虚しく斬り裂かれていく。
 そしてその一方には見覚えがあった。二年間、共にクラスメートとして同じ教室で勉強をしてきた少女。同級生のエヴァンジェリン。
 話したことはほとんどなくて、交流なんてまるでなかったけれど。
 しかし。
 これは、何だ?

「姐さん!」

 肩に乗ったカモがどうにか明日菜に声をかける。カモもまた、そこで繰り広げられている戦いの過酷さに、何を言えばいいのかわからずにいた。
 だがやるべきことはわかっている。カモに呼びかけられて我を取り戻した明日菜は、その誘導に従って、大橋に踏み込もうとして──躊躇する。

「姐さん!? どうしたっていうんだ!?」

 カモが叫ぶが、明日菜は動けない。ただの夢と、そう解釈できればそれでよかった。魔法というものを知ってから日が浅いけれど、何とかできるのではないか。
 そう思っていた。
 楽観的な思考は、何処にもない。

「……ひっ!?」

 一際大きな殺気が遥か上空で生まれて、明日菜は無意識に悲鳴をあげていた。
 まるで夢のような光景でありながら、辺り一面に充満する殺気は本物だ。不良が言うような、ぶっ殺すという比喩的な言葉とは違う。
 込められているのだ。殺すという意志が、満ち溢れていて、吐き気がする。
 熾烈を極める戦いは、勝気なだけの一介の女子中学生がどうにか出来るものでもない。ここから一歩でも踏み込めば、いつ自分が死ぬのかもわからない状況。
 そんな場所に赴けるほどの勇気が明日菜には足りなくて──

「見つけた! 兄貴ぃぃ!」

 それでも、カモが見つけたネギの小さな影を見つけたとき、明日菜は恐怖を忘れるために、最初の使命感に身を任せて駆け出すことが出来た。

「ネギぃ!」

「あ、明日菜さんにカモ君! 駄目だ! こっちに来たら駄目です!」

 遠くから己を呼ぶ明日菜とカモの姿を見つけたネギは、一瞬だけ安堵の表情を浮かべたが、その直後、険しい顔で来るのを拒んだ。
 だがそんな言葉は聞き入れずに明日菜は近づき、ネギを担いで逃げようとしたが、その状況を見て言葉を失う。

「……ごめんなさい。僕はこの状況で、動けません」

 青山が切り裂いたエヴァンジェリンの氷の分身。そこから噴出した冷気によって、ネギの腕は地面に縫い付けられるように凍り付いていた。他にも、体のいたるところが冷傷によって傷つき、衰弱しきっている。
 挨拶代わりに放った一撃の、その余波。それだけで、ネギの戦闘力は造作もなく奪われていたのだった。
 明日菜は咄嗟に凍りついた腕に手を伸ばして「触らないでください!」というネギの強い言葉に動きを止めた。

「……この氷は、触れた者を侵蝕する類の、いわば呪いのようなものです。明日菜さんが触ったら、あなたまで凍ってしまいます」

「じゃあ! あんたの魔法で……」

 言葉を続けようとして、明日菜はネギの両腕が使えないことを再び認識した。

「逃げてください……どのみち、この戦いで僕や、ましてや明日菜さんに出来ることなんて、何もありません」

 それはただの事実だった。どうしようもないくらいの現実だった。
 直後、二人から少し離れた場所に、ゆっくりと何かが落ちてきた。見れば、四肢を失った茶々丸が、背部ブースターを吹かしながら、器用に着地しているところである。
 突然見たクラスメートの四肢欠損現場に、ネギと明日菜、両方の動きが停止する。前情報として、茶々丸がロボであることを知らなかったら、それこそ発狂物である。

「茶々丸さん!?」

 明日菜は反射的に駆け出して茶々丸を抱きかかえた。どうしてか涙が溢れてくる。こんなにも地獄のような光景に、明日菜はもうどうしていいのかわからなかった。

「……明日菜さん。逃げてください。ネギ先生だけだったらいざ知らず、今行われている戦いでは、マスターも私達を気遣う余裕などありません」

 それこそ、全力だ。遊ぶのではなく、持てる全てを尽くして、エヴァンジェリンは青山と死闘を繰り広げている。

「いずれ、最大規模の魔法が展開されます。その前に、早く」

「嫌よ! あんたら見捨てて逃げられるわけないじゃない!」

 混乱したまま、混乱していたからこそ、明日菜の心の善性が浮き出た。無謀と笑われるような選択だ。だが、ただの女子中学生がその覚悟を決めただけでも、それは人として素晴らしいあり方に違いない。
 しかし、現実はまるで変わらない。明日菜に出来るのは、茶々丸を担いでネギの傍に行くことだけだ。

「兄貴! しっかりしてくれ兄貴ぃ!」

 カモはゆっくりと衰弱していくネギの肩に乗って、必至に呼びかけていた。出来ることなんてその程度。
 だけど、一人ひとりが出来ることをしなければ、この地獄を乗り切れない。

「ネギ! ネギ!」

 明日菜もその名前を呼びながら、こみ上げる涙を我慢することなく溢れさせていった。
 何も出来なくて。
 どうしようもなくて。
 ゆっくりと力を失っていくネギの姿が、もうどうしようもない現実をまざまざと見せ付けてくるようで。
 刹那、脳裏をよぎるのは、血まみれの──

「駄目だよガトーさん……死んじゃ嫌だよぉ……」

 無意識に零れた言葉を聞く者は、静かに横たわる茶々丸のみ。

 直後、夜を舞う吸血鬼が、極限の斬撃に斬って落とされた。






 斬ったという感触はない。
 今俺が斬ったのは、マクダウェルさんの肉体だけだ。
 その根本には届かず、俺の斬撃はぎりぎりのところでマクダウェルさんを見誤ったということになる。
 だけれど斬った。
 斬ったのだ。
 そして俺の体も、存分に斬られていた。

「……っ」

 何が起きたのか。というか、何てことをしてくれたのか。

「ただでは、やらせん……!」

 血を撒き散らしながら落ちていくマクダウェルと共に、俺は彼女の血を媒介に作られた血の刃によって斬られて、同じく暗がりの川目掛けて落ちていた。
 なんともまぁ。
 多芸すぎて、やばすぎる。

「……っ!」

 胸から下腹部まで斜めに俺を斬った血の刃の根本を斬り裂く。感じるだけでも壮絶な魔力を込められた血の刃を斬ったことで、六本目のモップにも亀裂が走った。
 やはり、厳しい。
 可能な限り斬る物を選択して行ったつもりだが、俺の七日間を注いで作り上げたモップ達が、今や残り僅か。それだけで、マクダウェルさんという吸血鬼の持つ実力は容易にわかる。
 最低でも、通常の素子姉さんレベル。
 最悪、というかこれ、もしかしなくてもフルアーマー素子姉さんレベルだ。
 だとしたら拙い。俺が素子姉さんに勝てたのは、十代目が俺に辛うじて追いすがっていたからであり、現在のモップは、十代目はおろか、鍛えている最中の十一代目にも一本あたりの性能は遥かに劣る。
 これなら、出し惜しみせずに十一代目もってくればよか──

「シッ!」

 マクダウェルさんが、落下しながらも氷の矢を放ってきたので、俺は虚空瞬動でその場を離脱して大橋に着地した。
 反動で傷口から血が噴出して、藍色の着物をどす黒い赤に染めていく。
 うーん。強い。
 それ以上に問題なのは、マクダウェルさんの根っこが上手く探れないということだ。いや、これも素子姉さん同じく、一定以上の実力者は皆、斬るべき根っこを巧妙に隠している。
 それが曝け出されるのは、最大規模の一撃を放つときだ。あふれ出る気、あるいは魔力に込められた意志を感じることが出来れば、俺はそこに全てを注ぐことが出来るのに。
 にしてもこの微妙な感じはなんだろう。マクダウェルさんは斬りたいとは思う。だというのに、何だか感触があまりよろしくない。
 この違和感をどうにかしない限り、多分、いや間違いなく俺は死ぬ。
 それはどうだろう。
 死ぬのは嫌だなぁ。

「ハハハハハッ! 楽しいぞ! そうだ! これを待っていた! 不死の魔法使いだなんだと忌み嫌われ、恐れられた私の! 体の中から燃やしていくが如きこの激痛! 痛覚だよ! 痛いんだよ青山! 一向に治らない痛みで腸が煮えくり返って! 貴様をなぁ! 潰したくなってくるのさ!」

 マクダウェルさんが血を纏いながら空高く舞い上がる。月を背中に、氷の女王、あるいは吸血鬼の真祖に相応しい魔力の猛りをその両手に込めて。
 あら。
 こいつ、素子姉さんよりヤバイじゃん。

「開放・固定。『千年氷華』!」

 眼を疑うような魔力が収束している。見ているだけで眼球が凍りつきそうな冷気。それを平然と、哄笑しながらマクダウェルさんは手のひらに浮かべ。
 俺は全力で橋を蹴った。その反動で大橋が崩壊を始めて、橋にいるネギ君がちょっと危ないかもしれないが。
 そんなことに構う余裕すらない。
 間違いなく、これは──

「掌握」

 ボール大の極大冷気が、容易く砕け散る。
 俺はあまりにも遅かった。僅かに刹那、駆け抜けるのが遅かったが故に。

 ──術式兵装『氷の女王』。

 終わる世界を夜に見る。

「耐えろよ。人間」

 モップの殺傷圏内よりも一歩遠く。聞こえるはずのない言葉と共に、吸血鬼はその手から巨大な氷の槍を生み出して俺に打ち込んできた。
 回避が間に合ったのは偶然以外の何物でもない。本能が体を突き動かし、俺の体の真横を突き抜けた巨大質量は、一瞬で川底に着弾すると、周囲一帯を氷の世界に閉じ込めた。

「……」

 絶句。ここまでの威力、ここまでの戦力。全てを全て見誤った。
 だが呆然としている余裕はない。俺は、血に染まって赤くなった氷の華を纏う吸血鬼を真っ直ぐに見つめ、飛び掛る。そこにあるだけで、周囲の空間を凍らせる化け物は、むしろ優しげに両手を広げて俺を迎え入れた。
 だがその懐で振るうつもりだったモップは、女王までの道を遮る、空間を埋め尽くす氷の茨の壁によって阻まれた。それらを斬って突撃するのは出来るが……出来ない。

「読めたぞ、貴様」

 距離を取る俺にそう告げる吸血鬼の口元は、犬歯だけではなく、その全ての歯が鋭利に尖って唾液を滴らせている。
 まさに化け物。吸血鬼の名に相応しき、恐ろしさ。
 しかも、そんな化け物に俺を読まれてしまった。だがまぁ、仕方ない。襲い掛かる絨緞爆撃のような氷の嵐の只中を、経験と勘だけで逃れながら、俺は静かに勝機を伺う。

「その刃、斬ればその分、自分も斬るか」

 吸血鬼の言葉に返答も頷きもしなかったが、奴の言うことは的を得ている。
 俺は、俺が斬ったものと同じく、俺自身も斬る。一閃相殺。相手を斬り、己を斬り、そこにこそ斬るという全てが詰まっている。
 それは俺の切り札で、それ以外にないたった一つの特技で、最悪の弱点であった。
 俺はここに終わってしまったため、これ以外に出来ることがなくなった。それに後悔はしていないし、というか悔やむところが何処にあるというのか。
 終わるために、俺は青山を見続けたのだ。ひたむきに、成長し続ける天才を遊び尽くしてきたのだから。
 そんなどうでもいいことを考えている間に、俺の体は完全に氷の嵐に呑まれ、木っ端よりも情けなくなぶられていく。

「そら! まだまだ楽しませろ!」

 そんなことを言われても、少しばかり厳しくて。
 赤い冷気が肌を焼いていく。行き過ぎた冷気が、燃えるように肌を熱くさせていく。それは吸血鬼の冷血が混じったからなのか。もっと単純なことなのか。
 何処までも冷たくなって熱くなって。
 どうしてここに居るのか。
 何故戦うのか。
 そも、なんで斬りたいのか。
 斬るってなんなのか。
 四肢が冷たくなっていく。無意識で動き続ける体は、必至に生を掴み取ろうと足掻くけれど、もう一分だって耐えられるわけもなく。
 凍っていく。
 俺の全てが凍っていく。
 冷たくて、無感動で。
 感情さえも凍ってしまって。

「どうした!? ここで終わりか? ここで終わるのか!? こんなんでこの闘争の全てに終結をもたらすっていうのか青山!」

 吸血鬼は笑っている。面白そうに笑っている。圧倒的な力で、何もかも氷尽くす世界を携え、俺の全て、俺という存在を止めていく。
 死ぬのだろう。
 ここで俺は、死んでいく。
 思考も徐々に冷たくなって、死の足音が大きくなってくる。感覚なんて明後日の方向。馬鹿になった五臓六腑が、意志に反して止まっていく。
 世界は全て氷だった。
 あらゆる全てが氷結されて。
 死の間際、得られるものなんて、何処にもなく。

「……あ」

 何も残さずに、俺の命は停──

 だって、このザマ。

 口元が、三日月を描いた。






 そして、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは斬られる。
 その事実を、これから語ろう。








[35534] 第六話【福音、鈴の音、斬り斬りと(下下下)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/25 23:28

 素子だけだ。青山という人間の本質を理解したものは。
 でなければ、彼を更生させようとしたり、ましてや戦いを挑もうなどとは思うまい。
 何故か。
 それは、何故なのか。
 たかが人間。技を極め、戦いを制し、勝利を勝ち取ってきたところで、所詮は命に限りのある人間。
 その程度に、何を思うところがあるのだというのか。
 いや。
 だから、理解しなければならない。
 環境が、状況が、才能が、努力が。奇跡的に噛み合った故に、周りに見向きもせず、ただひたすら己という人間を見続けたことによって、人は、行き着く場所、それ以上は何処にもない場所にいけることを。
 誰もが理解しなければならない。

 終わる場所とは、修羅場である。






「……終わったか」

 周囲一帯を氷の中に封じ込めた化け物、エヴァンジェリンは、眼下の氷塊をつまらなげに見下ろした。
 学園の封印が解除されるまで、まだ三十分以上はある。いや、時間ぎりぎりまで遊ぶ余裕がなかったからこそ、三十分以上も残ったのか。
 結果を見れば、エヴァンジェリンはその美しい黄金の髪と、背中に刻まれた斬撃の跡以外、傷を受けずに勝った。背中の傷も、緩やかにだが治癒を始めており、傍目から見ればエヴァンジェリンの完勝といえるだろう。
 それでもぎりぎりの勝負だったとエヴァンジェリンは思う。近距離では圧倒的に青山が上手、勝てたのは、ぎりぎりで闇の魔法を唱える時間を得られたことと、青山の武器の数が不足していたからだろう。

「いや……所詮、勝負は時の運、か」

 だがそれが勝敗を分けたとは言いたくなかった。戦いなど、不足していて当たり前、今持てる物でどう相手を切り崩すか。青山にはそれが出来なくて、自分はその部分を突いた。
 それだけ。
 たったそれだけだ。

「ッ!?」

 エヴァンジェリンは、未だに痛みを発し続ける背中から走る熱を感じて顔をしかめた。
 不死の身になって久しく、腕を千切られようが、腹を貫かれようが、瞬時にそれらの怪我を回復してきたこの体が、たかだか斬り傷一つの回復に手間取っている。
 青山の持つ膨大な気を、斬るという一点に収束させたからこそ、この傷は回復に手間取っている。
 意味はないと思いつつ、エヴァンジェリンは思わずにはいられない。
 もし一手、放つ魔法の選択肢を誤っていたならば──

「考えても無駄か」

 エヴァンジェリンはそう小さく呟くと、今にも崩れ落ちそうな大橋を見つめ、虫でも払うように手を振った。
 すると、崩壊しだしていた大橋が氷に包まれて、その崩壊が停止する。この力、ここまでの能力を発揮する己の技を使って、それでも青山はぎりぎりまで抗い続けた。
 だから、人間はいい。エヴァンジェリンは僅かな寂しさと羨ましさをない交ぜにした笑みを浮かべると、状況に混乱するネギ達の前に静かに降り立った。

「やぁ、待たせたようだなぼーや……どうやら、観客が増えているようだが」

 ネギの傍で膝をついている明日菜とカモを見てエヴァンジェリンは呟いた。
 そうしている間にも、闇の魔法を使用しているエヴァンジェリンの周りは、どんどん氷漬けにされていっている。
 勝てるはずがない。ネギはエヴァンジェリンからあふれ出ている魔力の流れを感じ取って、顔色を真っ青に染め上げた。

「ほぅ、どうやら茶々丸を拾ってくれたみたいだな。それには感謝しておこう。そら、今の私は機嫌がいい。このまま失せるというなら、そこのオコジョもろとも逃がしてやってもいいぞ?」

 見下しきった傲慢な言い方に、しかし誰も口答えできない。
 生物としての格が文字通り違うのだ。立っているだけで己の世界を周囲に叩きつける化け物に見下されて、どうして何か言えるだろう。
 保有する戦力が違う。辺り一面を覆う惨状が、何よりもその実力差を物語っていた。

「ん?」

 そこでエヴァンジェリンは違和感に気付いた。己の放つ冷気の影響を受けていない明日菜の存在に、好奇心を刺激されたのか。ニタリと口元を歪めて、その手を軽く振るった。
 瞬間、見えない何かに操られるように、明日菜の四肢が虚空に束縛される。

「きゃあ!?」

 突然のことに悲鳴をあげる明日菜へと、エヴァンジェリンはゆっくりと近づいていった。それだけで、ネギとカモ、そして茶々丸すらもその肌が凍りついていくが。

「無効にしているのか?」

 服が凍る以外、その素肌に何の影響もない明日菜を見て、エヴァンジェリンは感嘆のため息を漏らした。

「な、にを……!?」

「面白いよ神楽坂明日菜。ふん、孫娘と共にぶち込んでいるのだから、何かしらあるとは思ったが……なるほど、タカミチも深く干渉するはずだ。ついでだ。貴様もその血を吸い取ってやるよ」

 そう言ったエヴァンジェリンの口元が大きく開く。

「ひっ……!」

 悲鳴をあげるのも無理はなかった。あらゆる歯が鋭利に尖り、その瞳の色も黒く黒く変色している。あの人形のような可愛らしさを持っていたエヴァンジェリンの姿はそこにはない。
 最早、吸血鬼。
 やはり、化け物。
 その種族の差をまざまざと見せ付けられて、明日菜は声を出すこともなく、ただ怯えるしかない。

「止めてください……!」

 そんな最強の化け物に抗うか細い声が一つ。両腕を未だに拘束されながら、体を氷に覆われつつありながら、英雄の息子はその瞳に強い使命感を宿して立ち向かう。

「僕の、生徒に、手を出すな……!」

 身体は震えていた。恐怖が総身を支配して、今にも泣き出しそうで、怯えそうで。
 それでも瞳だけは、前を向いている。

「……あぁ、やっぱし貴様はあいつの息子だよ」

 その瞳を見据えて、エヴァンジェリンは元の可愛らしい容姿に、人間のそれに戻ってネギを見つめた。
 策があるわけではない。万策は尽きていて、先ほどまで繰り広げられた戦いに対して、何も出来ないと確信していた。
 だけど、前を見ている。
 その瞳に、エヴァンジェリンは恋をしたのだから。

「だがどうしようもあるまい。今の貴様に何が出来る? その様で、貴様には抗う術などないだろ?」

「僕は……」

「充分だよ。諦めろ。それ以上、抗って何になる?」

「僕は……」

「安心しろ。殺したりはしないさ。ただ、血を吸わせてもらう。それだけだよ。だから安心してその首筋を差し出すがいい。それで終わりだ。貴様らはこれからも無事、温い陽だまりで暮らし、私は貴様らの前から姿を消そう」

 エヴァンジェリンの言葉が、ネギの意志をゆっくりと、まるで毒のように蝕んでいく。圧倒的強者から差し出された譲歩。いつ気が変わるかもわからないし、もし気が変われば、自分達は、目の前の吸血鬼に殺されるかもしれない。
 なら、選択肢はないのではないか。ゆっくりと差し出される少女の冷たい手をとれば、その冷たさに身を任せれば、全部が全部楽になって──
 そしたら、彼女はまた、悪の魔法使いとして動くのだろう。

「僕は……」

 ネギは顔を俯かせて、苦悶する。立派な魔法使いとして、絶対に敗北が確定している悪に抗うか。それとも、そんな我がままを通さずに、明日菜やカモのために膝を屈するか。
 いずれにせよ、ネギは大切なものを失う。その選択、悩む姿にエヴァンジェリンは深く深く、楽しげな笑みを浮かべて、食後のデザートの鮮度を堪能し。
 そんな、人間的な嗜虐が、決定的な隙を晒す。

「見つけた」

 突如、エヴァンジェリンの耳元でそんな声が響いた。咄嗟に背後を振り返るが、そこには誰もいない。
 いや、居る。川を埋め尽くす氷の世界に視線を移したエヴァンジェリンは、その内側を確かに見た。
 ネギ達はエヴァンジェリンの突然の豹変に困惑の色を浮かべるが、本人はそんなことに構っている余裕すらない。
 気付けば、冷や汗が額に浮かんでいた。何故だか、取り返しのつかない失敗をしたような気分だった。
 自分は今、決定的な何かを、晒してしまったのではないか。
 直後、冷気よりも冷たい音色が。

 鈴の音が、鳴り響く。






 人は、何処に行く。
 歩く先、歩む道。自身が選んだ道の上、見えない先を目指して、一歩一歩、手探りでその先を進んでいく。
 誰だってそうだ。
 誰でもそうだ。
 けれど、誰もがわかっている。その道には終わりなんてなくて、もし終わりがあるのなら、それはきっと、人生が終わるその瞬間、道半ばで眠るそのときなのだと。誰もが道半ばで夢半ば。終わりなんて何処にもないと、大人だったら誰でも知っている。
 そういうものだ。
 普通なら、そんなものだ。
 でも。
 違う。
 それは、ある。
 道の終わりは存在する。
 行けるのだ。届くのだ。それは確かに存在して、ふとした拍子に辿り着く。そこ以上の先がない世界。終わりの場所。人間の可能性が選択できる最後の場所。
 俺は知っている。
 俺だけは、知っている。
 斬るのだ。
 斬るしかない。
 果てに待つのは斬ることで。
 斬ったことこそ、終わりの証。

「……」

 心拍は停止して、思考は凍りついた。全てが氷に埋め尽くされて、どうしようもないその場所で。
 斬るということだけは変わらない。
 斬ることだけは凍らない。
 どんなに世界が変わっても。この心が凍り付いて死んでしまっても。
 斬るのだ。
 斬るだけだ。

「見つけた」

 だから、動く。俺の思考や心や肉体が死んでも、斬るということがあるから、俺は俺であり続け、この状況でも死にはしない。
 斬るのである。
 だから、斬れるし、斬るために身体は動く。
 それは簡単で、わかれば誰にだって出来ること。
 わかりやすいこの答えを理解してほしい。
 斬るということを理解しなかったから、君はそうして隙を晒したのだから。

「……」

 吸血鬼が遅れてその異常に気付くが、もう遅い。俺の手は斬る。斬った。
 よし、斬ろう。

 ──氷がいつの間にか目の前からなくなって、停止した思考と肉体が動き出す。危なかった。無意識の中で、どうにか俺の体は動いていたらしい。
 って、あちゃー、心臓止まってるよ。

「シッ!」

 俺はモップの先で自身の胸を叩いた。たたき起こされた心臓が突然脈動を再開し、俺の意識が再び揺らぐ。だがその直後全身を駆け抜けた激痛によって、揺らいだ意識はぎりぎりで保たれる。
 よし、ちょっと危ないけど、いやはや、死んだのは久しぶりで少々驚いた。後数秒遅かったら、本当に第二の人生が終わっていたなぁ。

「貴様!?」

 吸血鬼が困惑の声をあげている。
 ちょっと驚いた。
 もしかして、俺を死なせただけで、殺したと思ったのか?
 おいおい。
 おいおいおい。
 お前、つまらないな。

「……あ、そういうことか」

 氷の世界を抜け出して、意識もはっきりしたところで、俺はようやく彼女から感じていた違和感の正体に気付いた。
 同時に、俺はとてつもなく落胆した。
 なんだよ。
 お前、そんなんだったのかよ。

「ふん! 生きてるならちょうどいい! そら、まだ時間はある! 私を楽しませて──」

 何かを言おうとしたマクダウェルさんの前に俺は踏み込むと、一気にモップを横薙ぎに振るった。
 だが辛うじて反応されて、しょっぱいのはその場を離脱した。
 だけど、駄目。
 俺のモップは砕け散った。

「ぎぃ!?」

 虚空に再び飛び上がったマクダウェルさんが、押し殺した悲鳴をあげるのと同時、その右腕の肘から先が、まるでロケットみたいに血飛沫を噴出しながら夜空を飛んでいく。
 斬れたのはまたも肉体のみ。
 だが今ので確信出来た。

「もう、いい……」

「な、に……?」

 激痛に苦悶の表情を浮かべるマクダウェルさんを見上げて、俺はそんな彼女の顔を見ていられなくて、露骨な感じに視線を切った。

「……ッ! ふざけるなぁぁ!」

 そんな俺の態度が気に入らなかったのだろう。マクダウェルさんの魔力が膨れ上がり、夜空一面に百にも及ぶ巨大な氷の槍が現出した。
 おそらく、掠れば即座に相手を凍りつくすその槍を前にして、俺しかしが気にするのは背後のネギ君のほうだ。
 とりあえず巻き込まないように、大橋を蹴って、全速力でその場から離れる。

「逃がすかよ!」

 マクダウェルさんの号令の下、桁違いの魔力を込められた氷槍が、音速を超えた速度で俺目掛けて殺到する。一本一本が全長数メートルにも及ぶ槍は、全てが精密に操られ、互いに激突することなく、大橋から離れる俺目掛けて殺到してきた。
 傍を通り過ぎるだけで俺の体を凍らせるそれらの槍を、ぎりぎりで逃れつつ、内側から凍っていく極寒の世界を駆け抜ける。
 先ほどの繰り返しだ。氷の嵐に呑まれて、俺の意識は消えていく。
 けれど、逃れる。ぎりぎりで、俺はもう全てに対応しきっているから。
 この程度は、死に至らない。
 先ほどとは違って、ぎりぎりでありながら、決して落ちない俺を見てマクダウェルさんは苛立ちを感じたのだろう。氷の槍を用いた嵐に俺を閉じ込めながら、その左手に新たな魔力を凝縮させた。
 まさか、今の状態が切り札だと思っていたら、実は切り札が二段構えというオチとは。
 流石、真祖の吸血鬼。
 だからこそ、俺はため息を吐き出しそうになってしまった。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 契約に従い我に従え氷の女王!」

 詠唱と共に、これ以上冷たくならないと思った世界がさらに冷たく凍えていく。大気はおろか、時間すら凍らせてしまいそうな極寒の世界で、俺の本能を最大限に刺激する恐ろしい一撃が、来る。

「来たれ! とこしえのやみ! えいえんのひょうが!」

 そして、俺は停止した。周囲を旋回していた槍もろとも、俺は再び氷の中に閉じ込められる。
 止まる。
 止まる。
 止まって──だけど、終わらない。

「全ての命ある者に等しき死を! 其は安らぎ也!」

 絶対零度に埋め尽くされ、瞬時に止まった全ての内側に轟く死の気配。止めた世界を、終わらせる。
 それは究極の凍結にして、究極の死。
 世界を崩す最悪の破滅。
 今ここに、麻帆良を震撼させる、慈愛など何もない死の世界が、矮小なる俺を殺すためだけに放たれ。

「おわる──」

 終わる世界を斬り裂いた。






 エヴァンジェリンは我が目を疑った。今宵、何度目の驚愕になるだろうか。だがこの驚愕は、これまでの比ではない。今、彼女が放った魔法は、彼女の中でも最大規模、ほぼ絶対零度の空間を150フィートにも及ぶ広範囲に発揮する恐るべき魔法である。
 逃れる術など何処にもなく。ならば、そこに囚われた青山が、絶対零度の氷結を斬り裂いて現れたのは、どういったことなのか。
 虚空に舞う青山の瞳が、動揺を隠しきれないエヴァンジェリンの瞳を射抜いた。息が詰まる。青山の手にはもう得物はないというのに、その瞳はまるで変わらず、刀のような冷たさを宿していて。
 斬るということ。
 斬られるということ。
 エヴァンジェリンは、青山を見誤った。

「……っ!」

 すでに青山の身体はほとんど動かない。体中は冷気によって機能のほとんどを停止させられているが、それを膨大な気で強引に動かし虚空瞬動を発動させる。
 この戦いでとうとう捉えた、エヴァンジェリンの最大の隙。その隙がなくなる前に、辿り着け。

「あ……」

 そしてエヴァンジェリンは見た。空高く舞う男の姿。欠けた月に重なるその影を。
 青山は懐に手を伸ばすと、この最後の瞬間まで残された小太刀を抜き払った。右手に握られた小さな刃が真横に伸ばされ、月光を静かに反射する。
 その光はとても冷たかった。氷の持つ冷たさではなく、ただ心の中が寒くなる無感動な冷たさだった。その輝きに魅せられた。口を開けて、子どもがウインドウ越しの玩具を見つめるように瞳を輝かせ、エヴァンジェリンは呆けて止まる。
 青山が最後の虚空瞬動を行い、エヴァンジェリンの懐目掛けて飛んだ。だというのに、エヴァンジェリンにはその動きがまるで止まって見えた。
 そして理解する。
 これは、走馬灯だ。
 青山が手に持つ最後の刀。あれを逃れる術なんて何処にもなく、自分は斬り裂かれるより他はない。
 渾身の一撃を斬られ、その隙を捉えるまでの時間は一秒にも満たない。
 瞬きする暇もなく、エヴァンジェリンの身体は斬られる。その事実をただ静かに悟ったとき、少女の脳裏にあらゆる思い出が駆け抜けた。
 死の間際。振り返る記憶達。五百年にも及ぶその記憶を、瞬きよりも早く駆け抜ける。
 あぁ、死ぬんだ。
 私はようやく、死ねるんだ。
 そのことへの嬉しさ感じると同時に、記憶の中の彼の姿を見て、同じくらいの悲しさを覚える。
 ナギ。
 ナギ。
 せめて、もう一度だけ。
 もう一度だけその笑顔を見たかった。
 ゆっくりと迫る青山の姿すらその瞳にはもう映らない。エヴァンジェリンの中にある、あの強くて優しい笑顔が、何度も何度も繰り返し再生され、記憶にしかない彼の姿に──

 直後、ゾッとした。

「待て……」

 言えるはずのない言葉が漏れた。しかしその間にも青山は迫り、ナギとの思い出、『人として生きた記憶が再生されていく』。
 だからゾッとした。
 何で貴様は。
 何で。
 何で!

「何を、見ている……」

 視界の片隅、月光を浴びて落ちてくる青山は、エヴァンジェリンと同じものを見ていた。
 恐怖。これまで生きてきた中で最大級の恐怖が彼女の身体を駆け抜ける。
 止めろ。それだけは止めろ。
 命なんていらない。だから止めろ。
 それは。
 それは。

「嫌だ……」

 いつ振りの涙なのか。止まった世界で涙が溢れるのもおかしいが、エヴァンジェリンは涙を流していた。
 それが嫌だ。
 貴様が、貴様が斬ろうとしているものだけは。

「嫌だ!」

 止めてくれ。
 頼むから止めてくれ。
 それを斬らないでくれ。
 この大切な宝物だけは。
 これだけが。
 これしか、私の世界でこれだけが!

 月光を反射する鋼の色。

「あ、きれい」

 そして最後にその冷たい光に魅せられて、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの優しい記憶─魂─は。

 響き渡る鈴の音色。

 斬られてばらばら、修羅場に消えた。






 頭を撫でる優しい感触と暖かい笑顔と共に告げられた、とても大切な約束の言葉。

「光に生きてみろ」

 ごめんなさい。
 私は子どものように泣きながら、斬れ落ちるあなたに謝った。



[35534] 第七話【はっぴーばーすでー】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/26 22:47

 月下。交差した二つの影。
 一つは流星のように大橋に激突し、一つは木の葉のようにゆらゆらと大橋に着地した。
 前者は青山。
 後者はエヴァンジェリンだ。
 大橋に爆音をたてて落ちた青山は、自身で作ったクレーターの中央で力なく倒れている。指先すら動かすことはない姿は、まるで死んでいるようにすら見えた。
 一方のエヴァンジェリンは、胸から下腹部まで一直線に斬り裂かれた傷から血を流しつつも、ゆっくりと意識を保ったまま着地する。

「ッ!」

 ネギ、明日菜、カモは、傷つき、ぼろぼろになりながらも、それでもこの戦いを制したエヴァンジェリンを、恐怖と敵意、そして疑惑の眼差しで見つめた。

「あ、あ……」

 降り立ったエヴァンジェリンの様子がおかしい。着地と同時、血があふれ出ているのにも関わらず、空を見上げて手を伸ばした。
 虚空を彷徨う手は、何かを手繰り寄せようと必至である。傷は表面上塞がっているとはいえ、腹部を血まみれにした少女が、口から血を吐き、片腕も切断された状態で空を探りながらさ迷い歩く姿は狂気的だった。
 まるで、月の魔力に狂わされたような。哀れな迷い子みたいに、もしくは母を求める赤子の如く。虚ろな瞳から涙を流して呻きながら、それでも必至に見えない何かを追い求める。
 直後、空から月光を反射してキラキラと光る何かが降り注いできた。それは青山が最後に繰り出した小太刀の残骸だった。それらが、砂金のように月光に照らされながら、小さな粒子となって降り注ぐ。

「いやぁ……! いやぁぁぁ……!」

 その光に何を見たのか。エヴァンジェリンは縋りつくように鋼の残滓を残った片腕でかき集めた。
 だがそれらはエヴァンジェリンの手をすり抜けて、斬り裂かれた腕の先から滴る血によって出来た赤い水溜りに消え、その輝きを失っていく。

「あぁ! あぁぁぁぁぁ!」

 エヴァンジェリンは発狂したように首を振ると、自らが作り出した血の水溜りに膝をついた。
 そして、涙を流しながらその中を探りだす。
 ネギと明日菜とカモは、その光景から目を背けた。眼も当てられないほど痛々しい光景だ。なくしてしまった宝物を探す姿は、歳相応の少女のように哀れで、同情を誘い、何よりも衝撃的だった。
 何かがあったのだ。最後の瞬間、息をする間もなく終わりを迎えた交差。そのとき、エヴァンジェリンは何かをされたのだと、ネギ達は無意識に悟る。
 そして、それをなした男がアレなのだ。クレーターの中央、体中が凍傷で傷つき、激突の衝撃で深々と身体を斬り裂かれた血まみれの男。
 青山が立ち上がると、その姿に気付いたエヴァンジェリンが怒りの形相で青山に向かっていった。

「危ない!」

 ネギが叫ぶ。エヴァンジェリンは周囲を凍りつかせることはなくなったが、潜在する魔力と戦力は、未だ削られきってはいない。対して青山は、素人眼で見てもぼろぼろで、風が吹くだけで倒れそうで。
 だがそんなネギの予想を裏切って、青山に向かっていったエヴァンジェリンは、その命を終わらせるどころか、その身体を倒すことすら出来なかった。

「返せぇ! 返せぇぇぇ! 返せぇぇぇぇぇぇ!」

 駄々をこねるように、エヴァンジェリンは青山の胸を少女の細腕で叩き始めた。無論、肘から先がない腕も叩きつけているため、叩くたびに青山の血で染まった着物が、さらに赤く染まっていく。
 だがそれにも構わず、エヴァンジェリンは涙を流しながら青山の胸を叩き続けた。
 青山は何も語らない。ただ冷たくその姿を見下ろし、沈黙のまま受け入れる。
 その状態がどの程度続いたのか。次第に叩く速度が遅くなったエヴァンジェリンは、ついに腕を力なく垂らして、膝をつく。

「あぁぁぁぁぁ! うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 そして、大声を上げて泣き始めた。血に沈み、血にまみれて、少女はひたすら泣きじゃくる。
 悲しかった。
 とてもとても、悲しかった。

「返せぇ……! 返せぇぇ……!」

 どんどん落ちていくのだ。胸の傷が塞がっていくにつれて、その代わりに大切な何かが斬り落とされていくのをエヴァンジェリンは感じていた。
 それはもうどうしようもなくて、あふれ出る涙すらも、落ちていくものと共に乾いていく。
 斬られた。
 斬られてしまった。
 大切にしていた私を。人間として生きていた私の全部が。
 全部、全部、斬られていっちゃう。
 そんなの嫌だ。
 私が私でなくなるのが嫌だ。

「……それでいい。吸血鬼」

 見た目相応に泣き喚く姿を見て、よく見なければわからないくらい、だが確実に、青山は目じりを緩めて微笑みを浮かべていた。
 青山が感じていた違和感の正体、それは、人間であり続けた化け物の心だった。
 誇りある悪として、吸血鬼と成り果ててからも、女、子どもは殺さず、可能な限り殺さず。
 まるで、吸血鬼である自分を忌み嫌うように、人間のようにあり続けた。
 青山は知らないが、エヴァンジェリンの出生を考えれば、それも仕方ないであろう。自ら進んでではなく、無理矢理吸血鬼にさせられた少女が、人間であろうとしたのは当然のことであり。人間になろうと憧れ続けたのは、当たり前の帰結だった。
 だがしかし、長い年月は、そんな少女の内側に眠る化け物を育んだ。
 それがこの戦いで僅かな片鱗を見せ、そして人間性という檻は、青山の刀によって斬り裂かれ、今まさにたった一つの吸血鬼、たった一匹の化け物が覚醒する。

「……おめでとう」

 泣きじゃくる少女に対して、青山は愛情を精一杯乗せた言葉を送った。慈愛に満ちた優しい音色だった。死んでいく少女と、今産まれる美しく醜悪な化け物に対して、内側からあふれ出る愛を伝える、素晴らしい祝福の言葉だった。
 その愛は、やはり素敵な感情で。伝える言葉は一言でいい。
 君の目覚めにおめでとう。
 やっと出てきてくれたね。
 俺が斬りたい君に、俺は君を斬ることでようやく出会える。
 おめでとう。
 本当に、おめでとう。
 おめでとう、エヴァンジェリン。

「あぁぁぁっ! 嫌ぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 そして静かに涙は枯れる。咆哮のような泣き声を最後に、少女の涙は途絶え。あぁ、積み上げた積み木を崩すように、崩壊した形を取り戻すことは出来ない。
 魂が斬り落とされる。その垣根を形成していた大切な何かが、別の何かのように感じられてきたその瞬間、エヴァンジェリンは全てを悟り、青山はその歌声に心を奮わせた。

 ──死に行く君が心から叫ぶ。血まみれのバースデーソング。

 青山が頷くと同時、天を斬り裂くような泣き声が、まるで停止ボタンを押したかのようにピタリと鳴り止んだ。

「……」

 まるで何もなかったかのようにエヴァンジェリンは立ち上がる。その顔からは表情が抜け落ちていて、感情の灯らない暗い瞳は青山を見上げた。
 青山は、ふらつく身体で少女を見返す。傷つき、折れかけ、吸血鬼の力を解放すれば、小指だけで潰せそうな矮小なる人間。

「人間」

 愛おしく。憎らしく。エヴァンジェリンはたっぷりの感情を塗りたくって、その言葉を吐き出した。

「……」

「あはっ」

 返事も返さない青山に、エヴァンジェリンは無邪気に笑いかけると、踵を返して大橋に落ちている右腕を糸で吊り上げて回収した。
 そして迷いなく切断面につなげると、見えない糸で強引に縫いつける。血が噴出して、肉がぐちゃぐちゃと潰れる音がしたが、エヴァンジェリンは苦痛に顔を歪めることなく、嬉々としてその激痛を感受した。
 癒着した組織は、封印が再びかかるまでの残りの時間を再生に回し、後は自然治癒に身を任せれば回復するだろう。

「痛かったよ、青山。痛くて、痛くて、私はとっても泣きたくなったんだ、泣いちゃいそうなんだよ、青山」

 振り返ることなく、嬉しそうに呟いたエヴァンジェリンは、静かにネギ達の目の前に立った。
 警戒心を露にする。何て余裕もなかった。
 ネギ達は固まった。先ほどまでも恐ろしかった少女の顔は、先程と違って柔らかな笑みを浮かべている。
 だというのに怖かった。歯が噛み合わなくなり、身体は主の意志を無視して震えだす。意識を手放すことが出来るのなら楽だった。だが目の前のソレは、そんな楽を与えるほど優しい存在ではなかった。

「素敵な夜だなぁ、小僧、小娘」

 エヴァンジェリンは、そんな彼らの様子に気付かないように、いや見向きもせずにそんなことを語り始めた。
 夜空を見上げて、優しく微笑むその姿を写真にでもとれば、どこかの大賞を楽に取れそうなくらい、美しく可憐なその微笑。
 そこに、ネギ達は逃れられない死を感じた。容姿が豹変しているわけではないのに、むしろ少し前よりも美しくなっているというのに。
 なんということなんだ。
 なんて有り様なんだ。

「そう思うだろ? なぁ?」

 エヴァンジェリンは笑う。華のように可憐に、棘をむき出しにしてときめいている。
 答えは期待していなかったのだろう。沈黙するネギ達を見据えるでもなく、軽く手を振ると、ネギを凍らせ続けていた氷がたちまちに砕け散った。

「ふふっ、今宵の私は敗北者だ……ならば、勝者の命には粛々と従うことにしよう……消えろよ小僧、小娘。闘争に不要な正義感を振りかざす阿呆は、この素敵な夜には必要ない。青山に感謝しておけ。今の私の気まぐれは、奴が勝ち取った権利なのだからな」

 諭すようでありながら、それは何処までも強制的な命令であった。有無を言わさぬとはこのことか、エヴァンジェリンの言葉は、魔力を伴っていないにも関わらずネギ達を狂わせ、力なく、だが強引に帰路につかせる。
 無言だった。言われるがまま、ネギと明日菜は、互いを支えあうようにして大橋を後にする。ネギはその前に、四肢を失った茶々丸を見据え、そんな少年の視線を感じたエヴァンジェリンは鼻を鳴らした。

「茶々丸は置いて行け。その程度では壊れないし、それでも一応、今宵の私を引き立てた愛らしく可愛い従者だ。貴様らの手を借りたりはしない」

 だから失せろ。そう告げられれば何も言えない。ネギと明日菜はゆっくりと、それでもできるだけ早くその場から逃げていく。
 エヴァンジェリンはその姿を見送ることもなかった。最初から興味等なかったかのように、ネギに対してあった執着すらどこにもなかった。

「青山」

「……」

「ぼろぼろだなぁ……ホント、傷だらけで、酷い姿だ」

 エヴァンジェリンはゆっくりと、再び青山のほうに向かい、その前に立つと、青山の肩から下腹部まで刻まれた切り傷を、労わるようにそっと撫でた。
 激痛が走り、青山の身体が反射的に震える。しかし苦悶の声も、表情も一切漏らさずに、青山はエヴァンジェリンを見下ろすだけだ。
 いや、もうそれだけしか出来ない。
 今の青山は、立っているだけで精一杯だった。生殺与奪は化け物の側にあって、敗者と勝者は誰が見ても明らか。
 それでも斬ったのは青山で。
 斬られたのはエヴァンジェリンだった。

「止めておこう。今日だけは止めよう。本来、私と貴様の関係は、一方が朽ち果てるまで終わることが出来ないのだが……今夜はいい夜だ。生まれ変わったような気分で、それに、そうだな……あんな醜態を晒した後に、戦いを仕切りなおそうなどとはとてもとても……あぁ、そうだ、今は闘争の空気ではない。そうなんだよ。貴様と私は、ここで完結してはいけないんだ」

 酔いしれるように、黒い瞳を渦巻かせる。その眼に残ったのは狂気だ。悪意も正義も何処にもない。人が根源から恐れる狂気、化け物と呼ばれるシンプルな生命体として、エヴァンジェリンは立っている。

「君は、綺麗だな」

 そんな彼女の様を見た青山の率直な感想を受けて、エヴァンジェリンは笑った。無邪気に、躊躇いなく殺気を孕んだ笑顔だった。
 少女は壊れた。いや、人間としての根本を斬られて、生まれ変わった。今や、あんなにも執着していたナギへの思いを含めた、人間にしがみついていた己の一切がまるで消えていた。
 ただただ、化け物として人間に憧れる。それだけしか残っていない。

「きっと、全部なくなったからだよ。貴様が私を綺麗に斬ったんだ」

 青山が斬ったのは、記憶ではなく、その記憶や経験から生まれる、そうした人間的な諸々のものだ。悪なんていう、実に人間らしい価値観はもうエヴァンジェリンの中にはない。同時に、対となる正義という概念すら、彼女の魂からは綺麗に斬り落とされていた。
 善悪の概念もない。善悪を理解しながら、それらを自分とは無縁と笑う、垣根なしの吸血鬼。
 ただ怖いから、恐ろしいからこそ化け物。余分な定義など、一切含まれることはない。
 そこにいるのは一体の化け物で、それ以上でも以下でもない。
 最悪なまでに化け物。
 最低なくらいに化け物。
 純粋に化け物な君が。

「本当に、綺麗だ」

 そんな醜態が青山には美しく映った。化け物として、人間性などという『余分な代物』を剥がされたエヴァンジェリンはこうも綺麗で、心音がトクトクと脈動を大きくする。
 服もぼろぼろ、傷口は癒着しただけで未だに血を滴らせ、白い柔肌は血と泥でどろどろに、美しい黄金の髪もざんばらに斬り裂かれ、顔は血と涙と鼻水でぐちゃぐちゃとなっていて、先程までの美しい少女の姿は何処にもないというのに。
 その美しさはまさに神がかり。
 月光に濡れた姿に夢を見る。君もまた、終わる世界に辿り着く修羅の人。

「そのときに、君を斬る」

「あぁ、待ってるよ」

 いずれまた、冷たい修羅場で、めくるめく。
 眠るように崩れ落ちる青山を、エヴァンジェリンは壊れ物を扱うように、そっと優しく抱きとめた。
 触れ合った肌から互いの血が混ざり合い、アスファルトの大地に浸透していく。
 月光の下に始まった闘争は、赤い水面で寄り添うように。

「お休み、人間」

 今宵、産声をあげた修羅場のまどろみに、今はただその身を委ねよう。






[35534] エピローグ【A simply desultary philippic】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/25 02:33
 あの冷たくも熱い夜から、一週間の時間が流れた。といっても、俺が起きたのは今さっきのことで、体感的にはほんの少し前のことだったりするけれど。
 その後の顛末を、高畑さんからの伝聞ではあるが、かいつまんで説明しよう。
 エヴァンジェリンさんと俺が起こした闘争は、随分と凄まじい被害を与えたらしい。麻帆良の大橋を倒壊させ、川の水を永久凍土に閉じ込めた結果、暫くその場を厳重な認識阻害魔法を掛けた上で隔離することになったというのだから、それはもう凄い被害だ。
 だがどうやら学園長さんの説明で、今回の事件は大停電の際の有事における学園防衛の演習ということで、強引に話しをまとめあげたらしい。普通、そんなのではいそうですかと納得できるわけないが、事件の犯人であるエヴァンジェリンさんは、一ヶ月間、演習とはいえ、魔法の秘匿性を無視した行為を咎められ、監視をつけられた上での一ヶ月の謹慎処分。被害のほうは学園長さんの伝手によって、俺が眠っていた一週間の間で修復等が終わったらしい。
 そして俺はといえば、いち早く辿り着いた学園長さんの手によって、他の魔法先生にはその正体を隠された。それから麻帆良から離れた場所にある、学園長さんの息がかかった病院に送り込まれ、現在に至る。ネギ君達は無事に保護されて、昨日から授業を再開しているらしいが、どうやら未だに事件の影を引きずっているらしい。

「いいのですか? エヴァンジェリンさんを、軟禁程度で済ませて」

「……オコジョ刑務所に連行するという意見も出たのだけれどね。そもそも、十五年もの間、賞金首を保護していた責任は大きい。そうして彼女のことを公にすれば、学園に勤務する我々全員の信用を疑われ、西側に突かれて、場合によっては組織の力をかなり削られる事態になると考えられた……だから結果として、学園長の話に納得するほかなかったということだよ」

「まぁ、とてもよい猟犬ですし、デメリットとメリットを、上手く管理できるのであれば、俺は文句はありません」

 あっさりと俺は納得してしまうのだが、どうやら高畑さんは何故か不満、というよりいたたまれない感じである。

「……君には、迷惑を掛けた。すまない、学園を代表して、謝罪させてもらう」

 そう言って、高畑さんは深々と頭を下げた。とても申し訳なさそうに、沈痛な面持ちで頭を下げる彼に、俺は逆に申し訳なさを感じてしまった。

「いいのです。俺のことは、決して気になさらずに」

「だが、君は僕らの不注意で深手を負った。謝罪して今更だけれど、謝罪ですむ問題ではないと思うんだ」

 高畑さんは本気で申し訳ないのだろう。だがその申し訳なさを俺に見せることこそ、卑怯なやり方と心得ているため、必至に表情を取り繕っている。
 それだけでいい。
 その優しさと強さだけで、俺は充分だ。

「構いません」

「青山君……」

「そうです。俺は、青山です」

 だからいいのだ。俺は青山で、そのような人間は、使い潰されるくらいのほうがいいのだ。
 人知れず戦い、人知れず死んでいく。その過程でどれ程、斬れるか。俺のような人間はそんなものでしかない。

「むしろ、こちらが謝罪すべきだと。エヴァンジェリンさんを殺さなかった。これは、俺の不手際です」

「そんなことはないさ。封印が一時的にとはいえ解かれた彼女を、むしろ再び封印用の電力が回復するまで抑えようと奮戦した。それだけで十分さ」

 あぁ、どうやら、そういうことになっているのか。確かに俺は倒れ、エヴァンジェリンさんは傷つきながらも健在、とあれば俺が負けたと思われるのも仕方あるまい。
 実際、生殺与奪が勝敗を分けるという点では、あのとき、俺は確かに敗北者であった。
 だが、俺は斬って。
 彼女は斬られた。

「……その言葉だけで、救われます」

 別にそのことを説明する必要もないので、俺は静かに頭を下げると、未だ鈍い痛みが走る身体でベッドから降りた。

「お、おい。大丈夫かい?」

 ふらつく俺の肩を高畑さんが抑えてくれる。その手をそっと解いて、俺は地力で立ち上がった。
 気を身体中に回す。自然治癒と、身体操作に集中すれば、日常生活くらいはすぐに出来るくらいにはなる。まぁ、完全回復まで後二日といったところか。

「……流石というべきかな。本当は後一週間は安静にしないといけないところなんだが」

「青山、というよりも、神鳴流は化生を打ち滅ぼす仕事ですから。特に宗家は彼らにそれを示さなければならない身、この程度が出来なければ一笑されてしまいます」

「そのことなんだが……重ねてすまない。君を隠し続けるのが、厳しくなってきた」

 その言葉を聞いても、不思議と驚きは少なかった。無理もない。あの時の戦いはそれほど壮絶であったし、失礼な話だが、俺が感知した気と魔力の大きさからすれば、あのときのエヴァンジェリンさんとある程度以上戦える者は、学園長さんと、目の前にいる高畑さん。後は……面倒そうなのがネギ君のクラスに、一人、いや、二人? そして学園の地下に居る変なのくらいか。
 意外に居るなぁ。
 だがまぁ、それらに関しては面が割れているため、すぐに確認はとれただろう。だが誰一人としてエヴァンジェリンさんが巻き起こした被害に飲まれ、負傷を負った者は居なかった。
 では、あの時一体誰が戦っていたのか。そういう帰結になるのは当然の話で、多分、そこもエヴァンジェリンさんを軟禁程度ですませた原因なのかもしれない。
 封印を解いたエヴァンジェリンさんを当てなければならないほどの化け物が何処かに居る。いやいや、まぁ自分自身を化け物と評するのもどうかと思うが。
 まぁ、俺は青山である。
 そんな化け物がまだ居るかもしれないとあれば、心中穏やかではないだろう。その保険としてエヴァンジェリンさんを残しておくという打算も、ないわけではないはずだ。
 むしろ、それでも彼女を残すのは甘いと俺は思うのだが。そういうところが立派だと俺は感じた。

「それで、俺はどうします?」

 それより今は俺の立ち位置についてだ。神鳴流が二人居る以上、公にするのはあまりよろしくないと今でも思っている。
 そんな俺の気持ちを察したのか、高畑さんは「本当に申し訳ない」と前置きをしてから。

「君については、僕の知人であるということで話を通すことにした。正体については、あまり知られたくないという意見を伝えはして、その場では納得してもらったが、疑いは日毎に高まるだろう……いずれ、君には僕らの前に姿を出してもらうことになると思う」

 いたし方あるまい。果たして、俺は彼らにどう思われて、どのように扱われるのか。
 期待などはしない。彼らは皆、俺とは違って正義の味方の魔法使いで。
 俺は、青山だ。






 ここ暫く見る悪夢は、燃える村と蠢く悪魔から逃れるものではなく、金色の吸血鬼と、そんな化け物すら発狂させた冷たい眼差しの侍だ。
 悪魔とは違って、彼らは僕を追いかけたりはしない。だが見ているのだ。恐ろしい狂気を孕んだ瞳と、何もかも飲み込む冷たい瞳が、ただじっと僕を見続けているというだけ。
 それだけのことに恐怖を感じながらも、動くことも、泣き叫ぶことも出来はしない。四つの瞳は見てくる。無力で矮小な僕を、取るに足りない僕を、その瞳は断じるのだ。

 お前には、何も救えない、と。

「ッ!?」

 声なき悲鳴をあげながら目を覚ました。そして、体が動かないことに動揺して──明日菜さんが僕の身体をぎゅっと抱きしめていることに気付く。

「あ……」

 その腕が震えていた。それだけで、明日菜さんも悪夢を見ているのだとなんとなくに察する。
 あの日の記憶は、鮮明だ。子どもの自分がない知恵を振り絞ってやったような、戯れの遊びではない。殺意と殺意が激突して、世界全てを飲み込むような、そんな闘争。本物の殺し合い。
 それを見てしまった僕と明日菜さんとカモ君は、自分達が路傍の石ころであると見せ付けられた。何も出来ず、震えて互いを励ましあい、嵐が過ぎ去るのを待ち続ける哀れな子羊であった。
 だから、エヴァンジェリンさんが見逃がしたその帰路、僕達はただただ安堵していた。よかった。生きていてよかったと。あんな地獄から、傷だらけになりながらも生きながらえることが出来ただけで涙がいっぱい溢れた。
 それからあの悪夢から逃れるように、僕らは毎晩互いを抱きしめるようにして眠っている。ルームメイトの木乃香さんは、そんな僕らの雰囲気を察したのか、努めて明るく振舞って、励まし続けてくれた。
 そのかいあってか、昨日からようやく授業に復帰して、未だ影は射すものの、以前のように先生としての仕事をこなすことが出来たと思う。そう信じたい。
 ──結局、エヴァンジェリンさんは、事故により最低でも一ヶ月、授業には参加しない旨が伝えられた。それは勿論、表向きの話であり、現実は事件の責務を問われて、謹慎処分されているらしい。
 僕の生徒なので、僕に任せてください。そうを言うことは出来たのに、僕には何も言うことは出来なかった。
 それどころか、そのまま出ないで欲しいと、一瞬だけ思ってしまったくらいだ。当然、そんな考えはすぐに振り払ったが。
 最低な考えだ。
 僕は、教師として最悪だ。

「……僕は」

 あの日から、僕の内側には言葉に出来ない葛藤が生まれた。あの戦いを通して感じた、絶望的な無力感。震えるまま、言われるがまま、それだけの自分に、何を感じたのか。
 悩みを抱いたまま時間は過ぎる。クラスの陽気に当てられ、僕も明日菜さんも少しずつ明るさを取り戻しつつあったけど、悩みはその内容がわからぬまま肥大だけしていく。
 そしてその日の放課後、僕は学園長に呼ばれて部屋まで来ていた。
 どういう用件なのか。話したいことがあるから来て欲しいと言われて来たのだけれど……

「失礼します」

「おぉ、待っておったよネギ先生」

 学園長が気さくに話しかけてくる。学園長が座っている椅子から、机を挟んでタカミチが立っていて、僕に笑いかけてくれた。
 そんな日常の風景にほっとしつつ歩み寄る。

「それで、僕に話したいことって」

「……学園長、ここは僕に」

「うむ……」

 何だか突然、タカミチが深刻そうに表情を固めた。そんな表情を見れば、気楽に聞ける話題ではないくらい察することが出来る。僕も表情を引き締めて、タカミチを真っ直ぐに見つめ。

「先週のことについてだ」

 僕は唖然と口を開いてしまった。
 いけない。慌てて表情を取り繕うとするけど、申し訳なさそうに僕を見つめる二人の視線を感じて、僕は観念した。

「ごめんなさい……僕、怖くて」

「いや、それは気にしなくていい。どんな戦いがあったのかは聞いていないが、あの跡を見れば、君がどんな状況にいたのか位はわかる……だが、明日菜君を魔法関連に巻き込んだこと、何故すぐに僕か学園長に相談しなかったんだい? 学園長が上手く君達を隠したから、他の者には知られていないが、これが公になれば、君は本国に強制送還だ」

「あの……」

 僕は黙るしか出来なかった。強制送還と聞いて、心が冷たくなる。先週のあの戦いも思い出して、しかも明日菜さんのこともばれていて。僕、僕は……
 そのとき、頭に優しい暖かさが乗っかった。見上げれば、優しく微笑むタカミチが僕を見ていた。

「無理もないさ。この件については、僕と学園長にも責任はある。というよりも、十歳の少年に教師をさせている時点で、無理はあったんだ……ごめんよネギ君。先週のことも、明日菜君のことも、僕達大人が君を手放しにしたから、こんなことになってしまった」

「僕、僕は……!」

「安心するんだ。本国への送還もないし、エヴァンジェリンのことについても、お咎めはない。ただ、今後はそういうことがあったら僕か学園長に必ず相談すること。いいね?」

「は、はい!」

 よかった。安堵のため息が漏れ、何だか腰砕けになりそうになる。
 でもタカミチはすぐに表情を引き締めたので、僕も腰砕けになりそうな体を立て直す。

「まず、先週の戦いは、今後他言しないこと」

「はい」

「そして……ここで、何があったのかを話して欲しい。出来るかい?」

 そう言われて、僕は一瞬躊躇ってしまった。ほとんど目を閉じて、明日菜さんとカモ君に呼びかけてもらっていただけだったし。
 何より、あれはとても、とても怖かった。

「……僕のわかる範囲なら」

 でも、ここで話しておかないといけない。ここであのことと向かい合って、僕は前を向かないといけない。
 だって、ここで折れたら、僕が目指す立派な魔法使いに、もう二度となれないような気がしたから。
 だから話そう。あの夜のことを。僕が知る限りのこと、地獄のような世界の出来事を。

「……まず、あの日──」

 もし次があったとき、今度こそ間違えないで立ち向かえるように。
 胸のモヤモヤが少しだけ晴れたような、そんな気がした。






 その日のうちに、高畑さんに教えてもらったエヴァンジェリンさんの家まで俺は来た。というのも、俺が起きたら会いたいという彼女からのお誘いらしい。彼女は監視されているという話だったが、どうやら学園長さんが直々に使い魔を放って監視しているらしく、それ以外の目は存在しないとの事。
 なので誰かに気付かれる心配をすることなく、俺は僅かに痛む体で彼女の家まで来た。
 森の中に建った立派な家屋に唖然とする。俺の小屋と比べてあまりにも立派である。俺は歓心しつつ、扉の前に立ち何度かノック。そうして暫くすると扉が開いて、メイド服を着た絡繰さんが出迎えてくれた。

「連絡は、高畑さんからいっていると思うが」

「……はい。マスターがお待ちです。こちらへ」

 どうやら、俺が斬った四肢は無事に修理されたらしい。まぁあれは仕方ないことなので、別に謝ることなく、俺は彼女の後を追って歩く。
 そして辿り着いた部屋は、水晶の内側に塔のミニチュアがあるものがあるだけだ。溢れる魔力からして、どうやらいわくつき道具のようだが、どうしようか悩む俺を他所に絡繰さんはミニチュアに近づくと、俺に振り返った。

「マスターはこちらの別荘で傷を癒しております」

 なるほど。そういった類の道具か。無手で、怪我も治りきっていないというのは些か不安ではあるが、まぁなるようになるしかあるまい。俺は応じるがままミニチュアに近づき、視界が突如としてぶれた。

「お?」

 視界が正常に戻ると、俺は先程見たミニチュアをそのまま巨大にしたような場所に立っていた。
 多分、あのミニチュアに飲み込まれたのだろう。俺はその幻想的とも言える光景を見渡していると、遅れて絡繰さんが到着した。

「マスターはこちらです」

 そう言って再び先導。俺は周りを見ながらその背中についていき、広場、というか闘技場の奥にあるテラスに到着した。
 そこにはやはりというか、絡繰さんと似た人形メイドを侍らせたエヴァンジェリンさんが、漆黒のドレスを纏った麗しい姿で優雅にワインを飲んで楽しんでいた。
 どうやらざんばらだった髪は切りそろえたらしく、耳元で切りそろえた髪は、以前より利発そうな印象を与えるけれど、目が腐っているので全部台無し。

「待ったぞ青山。といっても、私はお前の感覚では五分ほど前に来たばかりなのだがな」

「……」

 返事はせず、俺は彼女の対面に立つ。
 そんな俺の姿を上から下まで楽しそうに見つめエヴァンジェリンさんは、楽しそうに肩を揺らした。

「おいおい、女性の誘いに清掃員の服で来る阿呆が何処にいる? だがまぁ……そういうものか。座れ青山、外界とは切り離されたここは、外界の一時間が一日になる異空間。戯けた場所だからこそ、闘争の空気にはならぬ場所だよ」

 つまり、俺と争う気はないということか。俺は少しだけ戦闘体勢に入っていた身体を弛緩させて、彼女の対面のベンチに腰掛けた。
 それと同時に、人形メイドが並々とワインの注がれたグラスを俺の前に置く。だがそちらを意識せず、俺を見つめてニタニタと笑い続ける彼女のほうを見た。

「何の用だ?」

「用も何も、『産まれて』初めて出来た知人の快気祝いをするのに理由がいるか?」

「知人、か」

「あぁ、知人だ。それとも、敵手とでも言おうか? あぁ、陳腐にライバルか? いやいや、それは少々違うなぁ」

「くだらない」

「そう、だからこの場所だよ」

 エヴァンジェリンさんは楽しそうに喉を鳴らした。時間も空間もペテンの場所だから、こうして俺と酒を飲み交わすことが出来る。
 つまり、そういうことか。

「今日呼んだのは、宣戦布告だよ青山」

 静かに語るエヴァンジェリンは、赤い液体がたっぷりと注がれたグラスを弄び、その中身を見つめながら呟いた。
 単純明快で、わかりやすい殺意がその言葉には込められていた。

「見ろ」

 エヴァンジェリンはまずそう言って、俺に右腕を見せ付けてきた。白く、滑らかな肌には傷一つないが、その肘の部分に、腕を一周する縫い合わされた傷口があった。それは未だに完治しておらず、糸で縫われた箇所は一般人が見れば目を背けたくなるくらいに痛々しい。

「そして、これ」

 次に、立ち上がったエヴァンジェリンは背中を向けた。大胆にも背中の大きく開いたドレスは、そこに刻まれた傷をまざまざと見せ付けてくる。これは腕とは違って傷は塞がっているが、分厚い蚯蚓腫れのよに斜めに走った線は、彼女の背中にいつまでもあり続けるだろう。

「最後に……」

 静かに傷を眺める俺の前で、エヴァンジェリンは躊躇いなくドレスを脱ぎ去った。傍から見れば、年端も行かぬ少女の裸体を眺める清掃員。いや、もう最悪。
 だけれど、そんなことを考えるのすらどうでもよくなるほど、彼女の裸体は俺の目を惹き付けた。

「これが、一番」

 身体の中央、胸の中心から臍まで刻まれた縫い口。癒着しながらも、未だに刃の斬り口がわかるくらい、開きかけのその傷は、見る者を誰だって引き寄せるだろう。

「一番、痛かったよ」

 どす黒い色を宿した瞳で俺を見る彼女は、視線に晒されて興奮したのか、その身体の傷口が僅かに開いて、少なくない鮮血が飛び散った。
 テーブルに跳ねた血が俺の服に跳ねる。赤い色は、すぐに黒く黒く淀んでいった。

「治さないのか?」

「治しはするさ」

 だが、ただ治すだけではつまらない。薄く笑ったエヴァンジェリンさんは、胸から溢れる赤と同じくらい真っ赤な液体に満たされたグラスを持ち、俺の傍に寄ってきた。
 そして、俺の手元のグラスを持って、差し出してくる。応じるがまま受け取れば、唾液の滴る口を笑みに変えた彼女が、俺の耳元で囁いてきた。

「貴様の血で癒す。私を斬ってくれた貴様の血を持って、私は初めて化け物として完成する」

「俺は、斬るぞ?」

 迷いない俺の返事に、エヴァンジェリンさんは頷いた。

「それもいい。それがいい。貴様が私を打ち滅ぼすのも、それはきっと、とても素晴らしい出来ことだ。かつて、誰かが言った。化け物は人間に倒されなければならない、と。その意味が今はよくわかるよ。深く深く、痛いくらいにわかるよ人間……斬るということで終わった貴様は、正義も悪もなく、人間の限界で私を倒してくれる。それを想像するだけでな。くくっ、ほら、こんなに溢れてきて仕方ないんだ」

 己の血を掬って、血に染まったその手を俺に見せ付けてくる。細い指が開けば、赤い糸が引いて、粘膜を擦るような音が耳をつく。

「だけど、それと同じくらい私は貴様を殺したい。そしてナギを殺したい。綺麗な貴様らを、美しい貴様らを、真っ黒な私で塗り潰して、ぐちゃぐちゃにするのさ。なぁ? 素敵だろ? 冷たい心臓が、ドクドクと高鳴るんだ」

 化け物は人間に倒される。
 そして、それと同じ道理で、人間は化け物に殺される。
 この二つは同じく成立する。化け物と人間。相容れない二つの種族で、唯一共通するルールを。

「だから宣戦布告だ。私は貴様を殺す」

「俺は、君を斬る」

 その答えに満足しきったのか。爛々と目を輝かせたエヴァンジェリンさんはやはり笑う。

「とは言っても、今の私は飼われるだけの番犬だ。だが毛並みを整えていれば、いずれ欲情した誰かが私の鎖を斬ってくれるかもしれない。そのときを、ゆるりと待とう」

「そうならないかもしれない」

「いいや、なるよ。我慢なんてさせたりしないさ。そのときが来たら、口を開けて、甘い吐息を吹きかけてやる」

 エヴァンジェリンさんは永遠にその笑みを張り続けるだろう、全てがペテンのような嘲笑を。世界を嘲笑うように、そして何よりも、化け物である己を嘲笑って。

「乾杯」

 エヴァンジェリンさんが掲げたグラスに、俺は手に持ったグラスを打ち鳴らせる。
 清涼な音は、何処かで聞いた鈴の音色に似ていて。
 ここはとてもいい場所だ。絶対に分かり合えない化け物と共にする、とても楽しい早めの晩餐会。
 グラスの赤は血のように。濃厚すぎるその味を俺はいつまでも楽しみ続けた。


後書き

まだまだ続くよ。次回は幕間。



[35534] 『京都地獄変』第一話【十一代目】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/01 00:27
「京都での護衛ですか?」

 何度目になるかわからぬ俺の言葉に、これまた何度目になるかわからない「頼めるかのぉ」という学園長さんの言葉。

「辞退します。俺は、青山ですから」

 だから、俺は頭を下げてその依頼を断った。
 事の始まりは、ネギ君が修学旅行で京都に行くことになったからだ。それで、西の呪術協会に和平の使者としてネギ君を送ることになったのだが、東の魔法使いであるネギ君を狙う西の強硬派が出る可能性がある。
 それの護衛のため、俺が選ばれたわけだが、流石にそれは拙いというものだ。

「しかし、そういう話でしたら、俺を解雇したほうがよろしいでしょう」

 続けた言葉に、学園長さんと、その隣にいつも通りに立っている高畑さんが驚いた表情を浮かべた。ん? そんなに驚くことだろうか?

「以前も話しましたが、俺は青山です。少なくとも、西の上層部は俺の存在を公にしないように、上手く隠して……神鳴流以外の一般の術者は、多分俺を知らないでしょうけれど。上があなた方にまで情報を隠し通した俺の存在を、あなたがたが知っている。これは、色々ないざこざを引き起こす恐れがあります」

 そんなことを話しながら、一方では随分と話せるようになったなぁと我ながら感心。
 ともかく、俺という存在がいる以上、西との和平は難しいと言っても過言ではあるまい。

「そういうわけにもいかんよ青山君。君の事は鶴子ちゃんにも頼まれていることじゃからのぉ」

「俺如き一個人よりも、組織として、周りの人を優先すべきかと……」

「そういうわけで、これじゃ」

 学園長さんは机の引き出しから一枚の手紙を取り出した。それを高畑さんが持って、俺に渡してくる。

「これは?」

「親書じゃよ。鶴子ちゃんと前々からやり取りはしていてのぉ。これまでの君の働きと、現在従事している表の仕事の評価を記した。そして現在、英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドの護衛を勤め、一定以上の成果も残しているともな。それに君の言うとおり、君の存在はどうやらあちらでも一部の者しか知らず、であれば、その一部を納得させれば、問題はないということじゃ。そしてその一部の中でもトップの男に関しては、ある程度裏は合わせている」

「つまり、俺に和解を?」

「そういうことじゃ。君には先に京都へ向かってもらい、西の長、君の兄でもある近衛詠春と接してもらい、彼ら上層部が集まる場所で、公に和解をしてもらう……勿論、ただというわけにはいかなかったがの」

 なるほど、それで護衛ということか。

「そして俺は、和解の証として、ネギ君を無事西の長の下へ送り届けて、無事、西と東の和平を成立させると……そういうことですね?」

「そして、こちらに帰ってきたところで、改めてネギ君を守り、西と東の和平を成立させた立役者の一人として、君を正式に他の魔法先生や生徒に紹介する手はずだ」

 基本は西と東の和平ということだろうが。その上で、俺のことを考えてこんなやり方をしてくれたのだろう。当然ながら、そう簡単にいくわけもなく、無事に和平を成立させなければ、結局俺は表に出されるだけ出されて、追い出されるということになるだろう。
 そのことがわかっているからか。学園長さんと高畑さんの顔は心苦しそうだ。

「気にしないでください。俺の苦労は所詮、身から出た錆ですからね。むしろ、俺に汚名返上の機会を下さって、感謝の極みであります」

 頭を下げて、手紙をポケットに丁寧に仕舞い込む。

「では、頼まれてくれるかの?」

「はい。不肖ながら、この青山。ネギ君の京都護衛、任せていただきます」






 とはいえ。
 まぁそれでも緊張するものである。

「どうした兄ちゃん? 今日はちょっとぎこちねぇじゃねぇか」

 錦さんがそんな俺の精彩を欠いた動きに気付いて、お昼休み、いつも通りにご飯を食べながらそんなことを聞いてきた。
 恥ずかしい。無表情が取り柄だというのに、己の内心を読まれるとは、よっぽどよく見られているんだなぁとちょっと嬉しかったり。

「また、今度は十日ほど、休みをいただくことになりまして」

 そう申し訳なさそうに言った俺に対して、錦さんは「またか」と呆れた風にため息を吐き出した。

「ったく、どうせ休みじゃないんだろ? 以前も一週間休んだと思った次の日は、目元が隈で酷くてげっそりこけてて、次の一週間は戻ってきたら体中包帯だらけだ……何してんだか知らねぇけどよ。無理だけはするんじゃねぇぞ? 俺らはおっさんとおばさんだらけだから、若い兄ちゃんに付き合うなんて無茶はできねぇけど、皆心配はしてるんだ」

 この阿呆が。錦さんは明るく笑いながら俺の肩を軽く小突いた。
 いや、ホント申し訳ない。そんなに心配をかけていたことが恥ずかしくて、心配されていることが嬉しくて、小突かれた肩は妙に熱い。

「上の兄に、久しぶりに会いに行くことになったんです」

 だからこの際だ。俺は洗いざらい全部を話すことにした。

「へぇ、いつごろから会ってないんだ?」

「おそらく、かれこれ十年近くは……そもそも、あまり兄との交流は幼いころからあまりなく、どうにも緊張をしてしまって」

 真実と嘘を少々。本当は青山と恐れられる俺が、あの土地に再び赴いて余計な混乱を招かないかという不安が一番なのだが。
 錦さんは俺の話を聞いて少し考え込んだ。嘘も混じった俺の話を真剣に聞いてくれて、やっぱし恥ずかしくて、だがやっぱし嬉しくて。ホント、俺はここに来てからいい上司に恵まれた。

「まぁ難しいことは言えねぇが、とりあえず会ってみて酒呑めば、大抵のしがらみってのはなくなるもんさ。兄ちゃんもここに来て、随分と変わってきたからな。今なら、色々と見えてくるものがあるんじゃねぇか?」

 言われて、思い返す。
 ここで生活してから巡り合ってきた色々な人。そのどれもが、この第二の人生で初めての経験ばかりで、前世があるとはいえ、人格と知識しか持ち越せなかった俺には全てが新鮮だった。
 充実しているのだろう。一人、青山という天才と遊び続けたのとは違う楽しさは毎日あって、それが俺をどんどんと変えていく。

「そうですね。今なら、色々なものが見えます」

 ふとした拍子にすれ違う子どもの笑顔。毎朝清掃に励む俺達に挨拶してくる学生達。
 知り合って、話した人達ばかりではない。そうした見知らぬ人との接触は、俺の中に着々と積まれていっている。

「俺は、ここで変わっています」

 全部が全部。素晴らしい世界。

「こんなにも人と出会えた。そのきっかけの一人である錦さんと知り合えて、俺は本当によかったです」

 そうして俺は、錦さんのほうを向いて──
 ありゃ、今、刀持ってないんだった。






 相棒となる刀を鍛える最後の仕上げのとき、青山はありったけの気を全て注ぎ込むことにしている。そうすることで、その刀をほとんど自分と同一とするのだ。
 だが十代目に至るこれまで、青山の気の最大出力を注いで、全てを飲み干した刀は存在しない。ほとんどが半分以上外部に散乱してしまうのだ。
 そのたびに青山は使用する刀をより禁忌の類のものにしていく。そして先代に至っては、ついに妖刀と呼ばれる刀を青山は己の気の色に染め上げた。
 だから、今回の刀も、見た目は神鳴流が使う長大な野太刀に仕立て上げているが、その大元となる芯には、人を斬り続けた危険な妖刀を使用している。
 まぁその仕立ての段階で、今回は随分と手こずったのだが。そんなことを思いつつ、青山は屋根裏に潜り込んだ。
 そこは、屋根裏一面に封印の札を敷き詰めた空間だった。青山が持てる技術の全てを費やして作り出した特性の密室は、十一代目の放つ危険な妖気はおろか、青山の全力の気の放出にすら、一度だったら耐え切るほどだ。
 そんな強力な防御結界を構築しなければならないほど、これから青山が行うことは周囲への影響が大きい。
 いつも通りの無表情で、青山は札で埋め尽くされた鞘からゆっくりと十一代目を抜く。それだけで、未だ残っている妖気によって、刃鳴りが何度も何度も響き渡った。
 斬らせろ。
 人を斬らせろ。
 生き血を吸わせろ。
 斬り殺せ。
 柄を通して青山の脳裏に響き渡る恐ろしい呪いの声。だがそれも、最初に比べたら随分と小さくなったものだし、大きかろうが小さかろうが、呪い程度では青山の精神は微塵も揺るぎはしない。
 そも、斬るとは斬ることで、それ以外の意味なんてないというのに。こいつは何を言っている? 青山が十一代目の芯が放つ呪いから受ける影響など、そんなことを考えさせることくらいだ。

「くだらない」

 青山が気を通し始めると、悲鳴をあげるように十一代目は繰り返し振動した。青山の斬るという意志は、殺人に酔った妖刀の存在すら意味をなさぬ。
 そしてここからが本番だ。青山は小さく深呼吸をすしながら、そっと瞼を閉じた。

「……」

 十一代目を胸の前に掲げる。未だ悲鳴をあげるその刀身にそっと空いた左手を這わせた。冷たい感触に落ち着きながら、指を僅かに切り裂いて血を滴らす。
 そして、青山は己の血をその刀身に塗りつけた。血の線を引きながら、切っ先まで血を流す指でなぞる。うっすらと刀身に残る赤色。青山は刀身に鮮血が馴染んだのを、目を開いて確認した。
 直後、青山の右手から、柄を通して膨大な気が十一代目に流れ出す。気を纏わせるのではなく、注ぐ。それは意味が似ているようで、まるで違う。表面を強化するのではなく、その内側を己の色に染めるという異常な行為。その刀の製作者の意志を食いちぎる恐るべき冒涜。
 それを青山は平然とやってのける。製作者がどんな願いを込めて作った刀でも、青山は青山の意志のみを押し通すために蹂躙していく。
 周囲の護符が一枚ずつ、ゆっくりと、だが確実に剥がれ始めた。落ちた護符は、虚空で真っ二つに分かれて床に落ちる。床に張られた護符は、そのまま分かたれるだけだ。
 想像を絶する気が屋根裏という小さな空間を埋め尽くしていた。だがそれは十一代目がその身にためることが出来なかった気、つまりはただの余波でしかない。十一代目は苦悶する。許容量を遥かに超えた気の充実に限界を感じて、必至にその身体から外に受け流す。
 同時に、その身に宿す意志すらも流されていった。己を守るために、己の存在を消していく。そんな矛盾した行為しか、今や十一代目に行えることはなかった。
 構わず、青山は気を注ぐ。持てる気をこの僅かな時間で全て吐き出しているために、その顔はもう青より白に近くなっていた。意識は朦朧としだして、掴んだ刀の感触すら遠い。
 それは、刀が己と重なっている証拠ともいえた。刀と自分の境界線が失われていく。流れる気が、刀という己を通して外に放たれていくのを感じる。
 最後の仕上げを始めてから、まだ十秒も経過していなかった。それだけの時間で、刀と己は重なる。心身合一。刀を己となす極地。
 そして、美しい鈴の音色が響いた。

「ッ……!」

 青山は突如、体中から汗を滲ませて手をついた。肩で息をして、疲労は濃い。視界は霞んでいて、体中が重かった。
 だが完成した。青山は右手に持った十一代目を見つめて、内心で笑う。

「よろしく」

 答えは静かな音色。その身に宿した妖気は完全に洗い流され、透き通った清流のような涼やかな色が青山を歓迎する。
 これで、ようやく準備が整った。手に持つ新しい相棒を青山は丁寧に鞘に仕舞い込み、屋根裏を抜け出す。
 直後、屋根裏を埋め尽くしていた全ての護符が真っ二つに斬られて落ちた。
 そんなことも気にせずに、青山は十一代目を片手に小屋を出ると、空を見上げる。

「……」

 ここからだと、星はよく見える。その一つ一つを見て青山は何を思ったのか、ただ暫く空を見上げると、やがて静かに小屋の中に戻っていった。
 こうして修羅は新たな刃をその手に持つ。ぎりぎりで間に合った相棒、何故ぎりぎりと思ったのか、それは言いようのない予感を感じたから。
 きっと、楽しい旅行になるだろうなぁ。
 そうして、青山は旅行を前にした子どものように、旅行先への思いを募らせながら眠りにつくのだった。



後書き

次回、京都へ。

なお、後書きは基本信用ならないことをここに書いておきます。



[35534] 第二話【関西呪術協会】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/10/30 22:34

 京都に行くのはもう五、六年ぶりくらいになるだろうか。鶴子姉さんを斬り、それから一年にも満たない間、各地の妖魔や悪党を斬り、そして当時の俺の異常性を恐れた上の人達によって数年間の軟禁、後、破門。
 それから京都には一切近寄ってはいない。別に、行こうと思えばいつでも行けるのだが、別段行く意味もなかった。なぜなら鶴子姉さんを斬ってから劇的に強くなり、それから一年で頂を見つけたため、最早、己が行くべき場所など何処でもよかったからだ。
 斬るという方向性は、鶴子姉さんがほとんど教えてくれたと言ってもいい、今から振り返っても、あの時の仕合は俺の生涯でもベスト3に入るくらい格別なものだった。
 ちなみに二番は、封印されていたやばい鬼が本気で俺を殺しにかかってきたときで。
 一番は戦いの最中に開眼した素子姉さんである。あれはやばかった。開眼直後に全力技撃ってきたから刀斬れたけど、もう一分奥技使われずに戦っていたら、俺は呆気なく敗北したかも。
 あぁ、懐かしき夢のような修羅場体験。最近ではエヴァンジェリンさんとの戦いがよかったが、あれはちょっとエヴァンジェリンさんが油断したり余分なところがあったりで、そこまでのものではなかったなぁ。
 ともかく。
 そういうわけで、京都である。
 竹刀袋に十一代目を入れた俺は、もう何年ぶりになるかわからない新幹線の乗り心地と、そこから見える景色を、飽きることなく堪能して、いつの間にか京都にまで辿り着いていた。
 ふむ。まぁ会合までの時間は今しばらく、夜からとなっているので、暫くは辺りを散策でもして時間を潰すのもいいかもしれない。
 そうと決まれば、早速周囲の気と魔力を探知して──お?

「あ、やば」

 少し離れた場所でとてつもない魔力を感じた。西のお家元ということもあり、ちらほらと気や魔力は感じるけど、その中でも桁違い、エヴァンジェリンさん並? いや、もう少し下くらい?
 にしても凄いものである。流石、京都だなぁと感心しているが、そうも言っていられるかどうか。気配を馴染ませるのは得意分野ではあるので気付かれることはないけれど、あっちから近づいているからなぁ……
 まぁ、普通に顔を拝むくらいはしておこう。

「……」

 そうして周囲と同調しながら人ごみの中を歩いていると、道の先から真っ白という目立つ髪色をした少年が現れた。
 絡繰さんみたいな無表情で、ともすれば昔懐かし当時の俺を思わせる感じ。歩き方にも隙はなく、少年だというのに周りの注目を集めるような、そんな少年。
 気と魔力を敏感に感じ取る術は俺専用なので、それだけでは気付かれることはないだろうけど、あの少年、それを踏まえても滅茶苦茶悪目立ちしてるから、じろじろ見ても気付かれたりしなさそう。周り皆見てるし。
 特に接触することもなく、俺と少年はすれ違う。そのとき彼が僅かに俺を見たのは、きっと竹刀袋に仕舞った十一代目の気配を察したからか。
 止まった少年を尻目に、俺は視線になど気付いた素振りを見せずにさっさと歩いていく。背中に浴びる視線は意識しない。意識しているのに意識しないというのもアレだが、まぁこういうのは表面上、相手に悟られなければいいのだ。

「……ねぇ」

 などというのはやっぱし不可能で、迂闊にも、あぁ本当に、本当に迂闊にも、近寄りすぎたせいで、少年は俺に感づいて、声をかけてきた。

「……」

 振り返り、少年の冷たい瞳を覗き込む。己の意志を強固な意志で隠し通しているような、そんな瞳だ。真正面から見たからわかる。この子は俺の幼少時のような、一人で完結しているような子ではない。
 しっかりと大地に根を張った。意志を持った強い人間だ。見た目どおりの年齢なら凄いことだが、まぁあれだ。この魔力量を考えれば、早熟な天才、もしくはエヴァンジェリンさんみたいな化け物といったところか。
 暫く俺と少年は互いに見つめあう。周囲を行き交う人達は、そんな俺達を遠目に見つめながら、距離を離してすれ違っていく。
 だが少なくとも、少年のほうはそんな瞳は気にしておらず、品定めをするように俺を見つめていた。
 さて。
 試しにちょっかい出したのはいいけれど、本当にどうしよう。現在の俺の立場はかな微妙なものだ。和平のために赴いたはいいが、俺自身の友好を示す親書は未だに届けていないので、ここで問題を起こせば──学園長さん達の好意を無碍にすることになる。
 それはいけない。立派な人間に変わっていくと決めた俺は、ここで問題を起こすわけにはいかないのだ。
 うん。
 竹刀袋、開けるのに数秒かかるようにしておいてよかった。

「道にでも迷ったのかな?」

 俺は当たり障りのないことを呟いた。すると少年は「いや……呼び止めて悪かったね」と言って、人混みの中に紛れ込んでいった。
 遠くなっていく少年の姿を追いながら、安堵のため息。にしてもびっくりした。これが街中でなかったら色々と大変だったかもしれないなぁ。
 流石は京都、楽しい場所だ。俺は内心うきうき気分で、観光に洒落込むのであった。






 ネギがその日、学園長室に呼ばれた用件は、端的に言うと、仲たがいしている西と東の関係を改善するための特使に選ばれたからであった。

「道中、向こうからの妨害があるかもしれん。この新書を奪おうとする西の強硬派によるものじゃろうが、おそらく、一般の生徒がいるところで、おいそれと危害が及ぶようなことはせんじゃろう」

 ただし、と近右衛門は穏やかな雰囲気を一転させて、真剣な表情を浮かべた。

「万が一ということは得てしてありえるものじゃ」

「……ッ」

 ネギの脳裏によぎったのは、あの夜の出来事だった。万が一といわれて、それ以上の最悪は思いつかない。
 そんなネギの不安を察したのか、近右衛門は安心させるように微笑んだ。

「何、それこそ万が一の話であって……危険に対する保険はすでにかけておる」

「それって……あのときの人のことですか?」

「うむ。いずれ正式に紹介しようとは思っておるが、命の危険が起こった場合、彼が君の身を守ることになっている」

「あの人が……」

 ネギが己の無力を感じた夜。モップという武器にもならない武器を使って、これ以上の悪夢はないと思われた、エヴァンジェリンを追い詰めた恐るべき剣客。
 彼が護衛についてくれると聞いて、安堵と恐怖の二つが同時にネギの心中を襲った。

「……怪我とか、大丈夫だったんですか?」

 ふと思ったのは、そんなことだ。
 あの日、エヴァンジェリンに言われるがまま、ネギはぼろぼろの彼を置いて逃げた。結果として生きていたからよかったが、もしかしたらあのまま殺されていたかもしれない。
 ネギの心を常に苛むのは、彼に対する恐怖と、たくましさと、罪悪感だ。常識を超えたあの戦いは、今でもネギの心を束縛し、幼い少年に回答のない葛藤を与えている。

「安心せい。彼はすっかりよくなって、今は先に京都に入っているところじゃよ」

「そうなんですか……よかったぁ」

 ネギは肩の荷が下りたように安堵のため息を吐き出した。それが聞けただけでも充分だ。
 そして、次に会ったときにはちゃんと謝罪しようと心に決める。

「ともかく……万が一を考えて彼を派遣したが、あまり彼の力を当てにしないように。君だけでも潜り抜けられる問題程度ならば、彼はおそらく手出しはせん……まぁ一番なのは、何も起こらずに無事親書を届けられることなのじゃがのぉ」

 そうなれば何も問題はない。誰の妨害もなく、ただ平穏無事に。
 だが本当にそうなるのだろうか。近右衛門は、あの夜以降のエヴァンジェリンの姿を思い出して、そんな予感に苛まれる。
 エヴァンジェリンは変わった。
 良く言うと以前よりも社交的に。
 悪く言うと以前よりも内向的に。
 エヴァンジェリンは、驚くほどの変化を遂げていた。
 最悪な言い方をすれば、アレは化け物になった。

「これは少しおかしな言い方かもしれぬが……くれぐれも、彼が出てくるような事態だけは避けるようにして欲しい。彼とは別に、君のクラスの桜咲刹那が、木乃香の護衛として、京都での任も受けている。出立の前に、事前に彼女と話を済ませておくのもよいじゃろう……」

 近右衛門は、彼を信じていないわけではない。いや、全力のエヴァンジェリンと戦い、その身体に癒すのにも時間がかかるほどの裂傷を与えた時点で、彼の能力は、少なく見積もってもタカミチと己とほぼ同等クラス。最高で、かつての大戦の英雄クラスでも最上級のレベルに匹敵すると見て間違いない。
 しかしそういうことではないのだ。彼を、青山を動かすということが、それだけで、例えるなら、無作為にターゲットを選んだミサイルのスイッチを押すような。
 そんな恐ろしい予感。

「……ところで、明日菜君のことじゃが」

 近右衛門は脳裏を苛む考えを振り払うように、別の話題を切り出した。

「あ、はい。とても、良くしてもらっています」

 頬を赤らめ、顔を俯かせてネギは呟いた。
 明日菜はあの日以来、ネギから離れるどころか、口は悪くしながらも、何かと手助けをして、こちらを気にかけてくれるようになった。
 あんな状況を経験したのだから、普通は距離を置いて当然だと思う。現にネギはそう考えて、可能な限り距離を取っていたのだが、明日菜はそんなことは関係ないとばかりに色々と世話を焼いてくれた。
 ──これはネギには考えもつかぬことだが、あの戦いの最中、謎の記憶を思い返した明日菜は、そのときの記憶の人物を無意識にネギと重ね合わせていた。思い出した記憶自体はすでに覚えてはいないが、それでも無意識はその出来事を覚えていたからそうなった。
 自分が守らなければ、ネギは死んでしまう。無意識下で明日菜が思っているのは、そんな脅迫に近い考えだった。戦闘の恐怖と、かつてのトラウマが混ざり合ったその考え方は、誰かが知ればそれは悲劇と思い、ネギ自身も罪悪感を覚えるだろう。
 だが現実は、ネギはそんな明日菜に、いつも自分を守ってくれた姉を無意識に重ねて、さらに信頼を深めていくだけだ。互いが互いに別の誰かを投影する。そんな虚しい信頼関係が、二人の間には芽生え始めているのであった。

 尤も、最悪の悲劇は、そのことに周囲はおろか、当人すら気付いていないということなのかもしれないが。






 京都に来て早々、少々のごたごたはあったが、それ以外は特に問題もなく、観光をしながら、俺は関西呪術協会の本山に到着した。
 立派な鳥居を見上げながら、いつ振りになるかわからないこの景色に、思わず感慨深いものを感じてしまう。最後に来たときには、兄さんはもう近衛の家に婿入りしていたので、あまり会う機会はなかったが、確か女の子がいたはず。当時から根暗だった俺は、青山では一番その子に歳が近かったのだが、そんな俺を遊び相手にするのは問題と感じた親の方針で、もう一人、ちっちゃい子が連れられていたはず。
 うーん。懐かしい思い出過ぎてほとんど覚えていないなぁ。まぁ、その一人娘とは挨拶したくらいしか交流ないし、そもそも俺の中ではそのすぐ後に行った鶴子姉さんとの戦いが刺激的過ぎて、そこらへんはほとんど記憶にない。
 確か、ネギ君のクラスにいる近衛木乃香という少女、あれって多分、苗字からして兄さんの娘さんのはず。魔力とかもとてつもなかったし。でも見た感じ、彼女は魔力が多いだけで、正直言って俺にはどうでもいい。
 それよりも、そんな木乃香をさりげなく見ている彼女、桜咲さんのほうが俺としてはありだ。
 神鳴流の使い手っぽいというのもあるが、あのストイックに近衛さんを見守る姿。
 正直言って、ネギ君の護衛をしている俺からすれば、リスペクトそのものである。やはりああやって、昼夜、守るべき人を守るために己を粉にするという姿勢は、見習わなければならない。その点俺は、己の欲求のために、ネギ君を窮地に陥れたり、護衛だって、気配が感じられればいいやと遠くから察するだけ。
 いかんなぁ。
 実に問題である。
 だがこれも惚れた弱み。俺は今回も、可能な限りネギ君には修羅場を経験してもらえるならば、経験してもらおうと思っていた。
 そういう考えだから、京都に来て出会ったあの少年を見逃すなんていう阿呆なこともしてしまう。
 あれは間違いなく、京都とは関係ない人間だ。東側の応援とも考えたけれど、だとしても、エヴァンジェリンさんクラスをそう何人も保有しているわけもないだろう。あの少年は楽観的に見ても敵である。気にしすぎということは出来ない。俺の勘も強く言っていたし、あれとは多分、遠からず激突することになる。
 それはそれでいいのだが。
 上手く、ネギ君とぶつけることが出来ないものかなぁ。

「……ハァ」

 考えていても仕方あるまい。俺はそそくさと鳥居を潜って、久しぶりの本山に足を踏み入れるのであった。
 へぇ、面白い術式あるなぁ……これは、うーん。有事の際に相手を封じ込めて時間稼ぎとか?
 流石、西の総本山。こういう仕掛けもしっかり施してあるのか。だが今回の俺は敵ではないため、罠は当然発動するわけもなく、すんなりと階段を上がっていく。夜の風は心地よく、灯篭に灯った輝きは暖かい。
 空を見上げるが、月はどうやら林の中に隠されているようだ。そのことに少し寂しさを感じながら、本山の入り口に辿り着く。

「お待ちしておりました。青山様ですね?」

 大きな門を潜れば、出迎えに来てくれた若い巫女さんが丁寧に挨拶してきた。

「はい。ご案内、お願いできますか?」

「どうぞこちらに……そちらの荷物は?」

 巫女さんは俺が持っている竹刀袋を見つめてそう言ってきた。

「刀です。預けるべきでしょうか?」

「出来れば、帯刀した状態で当主並び幹部の方々にお目通しするわけにはいきません」

 ご理解くださいと、巫女さんは両手を差し出して、刀を渡すように言ってきた。
 まぁ、俺としてもそれは全然構わないのだが……

「あなたは触らないほうがよろしいです」

「え?」

「数分、いや、あなたでは、一分もあれば刀に斬られる」

 今の十一代目は、俺そのものとは言えないが、充分に俺だ。
 触れれば、斬る。
 竹刀袋の内側に護符を貼り付け、さらに鞘にも封印を施してはいるが、それでも大抵の術者ならば、数分も竹刀袋に触れるだけで、間違いなく斬る。

「出来れば、保管場所まで俺が持っていきたいのですが」

「ですが……」

 巫女さんは困ったように言葉に詰まってしまった。まぁその対応は当たり前なので、俺は早々に十一代目を持ち込んだことを後悔していたのだが。

「相変わらず、常識を被ったようで常識外れですね、君は」

 そんな懐かしい声を聞いて顔を向ければ、あぁ本当に懐かしい。

「兄さん。いえ、詠春様。お久しぶりでございます」

 かつての青山の跡取りにして、今や西の長として活躍している懐かしき我が兄。近衛詠春様が、爽やかに笑いながら俺を出迎えてくれた。
 巫女さんは一歩下がって慌てたように頭を下げる。俺もそれに習うわけではないが、挨拶の後、深く頭を下げた。

「破門された身でありながら、おめおめと馳せ参じたこの身ではありますが、親書のみでも受け取っていただけたらと思います」

「頭を上げなさい。話は鶴子とお義父さんから聞いている。頑張っているようだね」

 顔を上げた俺は、昔と変わらず笑いかけてくる詠春様の笑顔に安堵した。近衛に婿入りしてから疎遠だったが、かつて幼かったころ、無口で無表情だった俺にもとても良くしてくれた、あのときの優しい兄のままである。
 それが俺にはとてもかけがえのないことに感じた。同時に、鶴子姉さん共々、そんな彼らの優しさを無碍にして暴れまわった当時を恥ずかしく思うばかりである。

「昔に比べて、よく話せるようになったね」

「学園長……近右衛門様と、麻帆良の同僚、上司の方々あってこそです。方々、俺を暖かく出迎えた全てが、今であります」

 今なら胸を張って堂々と言える。暴れまわっていたかつてとは違う。自己のみに没頭していた昔とも違う。
 周囲の暖かさがあるから、こうしてはっきりと話すことが出来る。

「尤も、無表情に関してはどうにも」

「……それは仕方ないさ。味覚も、まだかい?」

「はい、ですが最近は少し、味というものを楽しめるようになりました」

 俺の返事に、詠春様は小さく目を見開くと、とても嬉しそうに微笑んでくれた。

「それはよかった。医者は、絶望的とも言っていたのだがね……今から考えても、あれはやはり私達、家族の不注意だった……みんな、君の怪我の治療方法を探していたんだが、そうか。ゆっくりとでも、治っているのなら、それでいいんだ」

「詠春様……」

 あんなことがあって表情を失った俺を、未だに心配してくれていたとは。やはり俺は阿呆だ。こんなにも素晴らしい家族がいたというのに、勝手に暴走してしまって。
 若気の至りとは言えぬ。恥ずべき、ひたすらに猛省すべきだ。

「もう、昔みたいに兄さんとは呼んでくれないのかい?」

 詠春様は寂しそうに目を細めながらそう言ってきた。
 昔、恥ずべき、昔。

「俺は、青山です。詠春様……最早、兄さんの知る弟はいないのです」

 だからこそ、俺は青山で居続ける。いつまでも、恥ずべきこそ。
 そこに、後悔なんて、まるでない。
 斬ったのだ。

「なら……青山君。昔話もそこそこに、そろそろ行くとしよう。刀に関しては、近場に封印結界を敷いた場所がある。そこに一時的に納めてくれないか?」

「……是非もなく」

 先導する詠春様の背中に追従する。遅れて付いてくる巫女さんも引き連れて総本山へ。
 さぁ、まずは謝罪会見、頑張ろう。






[35534] 第三話【青山と言われたって】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/01 00:27

 脇に幹部の方々が控え、前には詠春様と、重鎮の方々。関西呪術協会のトップを含めた人達が見る中、俺は中央に進み正座をすると、額を床に触れさせるくらい頭を下げた。

「この青山、無様を晒しながらも馳せ参じました。私の暴走、無礼から始まった破門に至るまでの数々、今は深く反省している所存です」

 そうは言ってみたけれど、俺を見る彼らの目には、総じて困惑と畏怖の色が混ざっていた。
 まぁ。
 無理もない。

「……君が破門してから、どのような働きをしてきたのかは、親書を読んで重々承知している。以前のように、神鳴流の一人として迎え入れることは出来ないが、君を青山として受け入れることを約束しよう」

「ありがとうござます」

 面は上げずに、感謝の言葉だけを伝える。だがそう上手くいかないのが世の常というもの。ゆっくりと顔を上げたところで、幹部の一人が不愉快そうに顔をしかめて口を開いた。

「長、失礼ながら申し上げますが、この者が神鳴流に刻んだ汚名の数々。よもや忘れたとは言わせませんぞ?」

 その発言に随分な数の幹部が同意の意を示すように何度か頷いた。ここに来る前に聞いてはいたが、どうやら組織の纏め上げは上手くいってはいないらしい。
 それを抜きにしても、俺を、青山を許すというのはあまり受け入れられるものではないのだろうが。
 詠春様はそれを皮切りに噴出した、青山という存在への不満を次々に漏らす。だがそれも長くは続かず、少しずつ場が静かになってきたところで詠春様は話し出す。

「今回、彼には一つやってもらうことがあります。長年、いがみ合っていた西と東、この和平の親書を携えた少年……英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドの護衛として雇われた」

 その言葉に場は騒然とした。いや、それもただのポーズだろう。ネギ君が来るというのはすでに承知の事実。問題なのは、和平話をこの公の場で告げたということ。

「私は彼がここに訪れ、親書を渡してきた、その事実を持って、長年の因縁に一応の区切りを打ちたいと思っている」

 言外に手を出すなと言っているようなものだ。未だ東に敵意を持っている強硬派としては面白くないだろう。
 そして、俺である。俺がネギ君の護衛につく。
 少なくとも、俺という人間の脅威を知っているが故に、ここにいる強硬派はおいそれとネギ君に手を出せなくなる。全盛期の鶴子姉さん若輩ながら倒した俺の名は決して伊達ではない。
 妨害を考えていた者も、まさか俺という鬼札を持ち出すとは思っていなかったはずだ。

「それでは青山君、君はもう下がってもらってもいい。ここからは改めて、今後の関西呪術協会の方針を話し合っていくのでね」

「はい」

 俺は再び頭を下げると、ゆっくりと立ち上がり踵を返し、その場を後にする。
 背中に感じる視線の重圧も、戸を閉めれば切れて肩の荷が下りた。ホッと一息。あぁいった空気は苦手だ。針の筵というか、息苦しい。

「お疲れ様です青山様。さ、こちらへ」

 外で待っていた巫女さんが案内してくれる。ここはともかく広く、うっかり歩いていたら迷子になるのは間違いないだろう。
 やはり導かれるがまま、俺はさくさくと用意された自室のほうに向かっていく。

「どうぞ、ごゆっくり」

 室内に案内された俺は、巫女さんが居なくなってから一人で使うには些か大きい和室に寝転んだ。
 うーん。久しぶりの畳の感触。刀がないのは寂しいけれど、戸を開ければ夜桜の美しい景色があるので暇はしない。
 暫くほうけていると、またあの巫女さんがやってきた。

「お待たせしました。長は本日はお忙しいため、先に夕食にと」

 そうして置かれたのは、とてもいいにおいのする食事の数々だ。お酒に普通のお茶にと、より取り見取り。

「ありがとう」

「では、御用がありましたらお呼びくださいませ」

 巫女さんは礼をしてからその場を後にした。
 早速、箸を手に持ち食事と洒落込む。味覚は未だぼやけているので、美味しい食事をそこまで美味しく感じられないけれど、その分、食事の匂いはとても素晴らしいし、夜桜を見ながら酒を飲むのは気分がいい。
 破門された身である俺にこうまでしてくれる詠春様、そして機会を与えてくれた学園長さん達には感謝してもしきれないなぁ。
 さて、とりあえず何か言われているでもないので、のんびりとしよう。一人楽しむ夜桜を見上げて、酒精を楽しめることに感謝である。






 桜咲刹那はその日、ホームルームで、放課後自分に用があるといったネギを教室で待っていた。とはいっても野次馬根性を働かせた一部の面子がこっそりと堂々こちらの様子を見ているのだが。いや、こっそり堂々って何だよ。刹那は何だか肩がずっしりと重くなった気がした。
 刹那はネギが魔法使いであることを知っている。というか、クラスの幾人かはすでに知っていて、それとなくネギが魔法をばらさないように気をかけていたりするのだけれど。そこらへんは今はどうでもいいだろう。
 問題は、自分を含めて彼女達のことをネギは知らないはずなのだ。だから刹那が疲弊しているのは、野次馬根性を働かせているあれやこれやの視線や、成績がすっごくやばくなってるのかなぁといった日常的な不安のためであった。
 あぁ、闇の福音の件があってから、いっそうお嬢様の警護に力を入れていたからなぁ。やばいかなぁ。やばいんだろうなぁ。修学旅行前でなおのこと警護のプラン考えてたもんなぁ。
 など、見た目は冷静そのものだが、内心で冷や汗だらだらな刹那は、遠くから聞こえてきた足音に気付いて、席を立った。「あ、ネギ君来たよ!」「ちょ、早く隠れて隠れて!」外野は早く消えてくれ。

「刹那さん。お待たせしました!」

 刹那の内心を全く知らないネギは、驚いたことに明日菜を連れて現れた。その事実にいよいよ持って刹那の額に汗が滲む。駄目だ、間違いない。私も今日からバカレンジャー。ごめんなさいお嬢様。私はあなたの警護を言い訳にしてバカレンジャーに成り果てまする。
 いざ行かん、バカの道。覚悟を決めた刹那は、ぽけっとしたネギを真正面から見据えた。

「……あのぉ、補習ですか?」

 とはいっても些かショックがでかいのか、いつもの鋭い眼光は少しばかりなりを潜めて、何か今にも肩を落としそうな雰囲気で刹那はそう切り出した。
 その言葉にネギは明日菜を見上げて、明日菜もそんなネギを見て、そして刹那に向き直ると首を振る。

「へっ?」

 目を丸くして、刹那は素っ頓狂な声をあげた。どういうことなのか。いやいや、動考えても、面子的に確定的に補習ではないのだろうか。
 そうして硬直している刹那に、ネギは一人勝手に意を決すると口を開いた。

「そ、その……魔法の──」

「そこまでです。ネギ先生」

 看過出来ぬ言葉を聞いて、刹那の表情は途端に冷たいものに切り替わった。その豹変振りにネギと明日菜は目を丸くするばかりだ。
 だが構わずに刹那は視線を聞き耳をたてている野次馬に向けた。

「何を話そうとしているのかは知りませんが。個人的に話すことで他の者がいるのは迷惑でしかありません……まずは、あそこに居る方々をどうにかするべきかと」

 その言葉で明日菜とネギは教室の外にいる、外で待っていたクラスメートの存在に気付き、慌てて明日菜が追い出しにかかった。
 遠くで喧騒が響き渡る。それが遠くなっていくのを確認してから、刹那は呆れた風にため息を吐き出した。

「……いくら子どもとはいえ、危機意識がなさすぎる。おそらく学園長から私のことを聞いたのでしょうが、それにしたって好奇心が強いウチのクラスです。ホームルームで名指しをすればこのくらいなるのはわかりませんでしたか? せめて人のいない場所で用事があるといってくれればよかったものを」

「ご、ごめんなさい」

 シュンとうなだれるネギを見て言い過ぎたかなと内心で反省する刹那。軽く頬を掻くと「それで。何の用でしょうか? それと、神楽坂さんは魔法については?」と言った。

「あ、明日菜さんは、僕の協力者です。それでですね。実はお話というのは、修学旅行のことなんですが……」

「修学旅行……? わかりました。詳しくお聞かせください」

 そうしてネギが事の次第を語り始めたところで、明日菜も合流した。
 京都にて、西と東の和平を結ぶ使者に選ばれたこと。その道中での協力者として刹那を頼ったこと。
 それら全てを聞いた刹那は、しばし手を顎に添えて考えてから静かに告げた。

「……私の本来の任務は、近衛木乃香お嬢様をお守りすること。これだけです」

「へっ、そうなの?」

 明日菜が驚いた様子で聞いてきたので、刹那は小さく頷いた。

「私は、お嬢様を守るためにここに来た。その上で、麻帆良の夜の警護も勤めたり、可能な限り裏の事情に詳しい私は関わってきましたが……先に言っておきます。私はお嬢様の身柄を最優先する。ですが、そこに差し支えのない限り、先生の任務に協力することを約束しましょう」

 そうきっぱり言い切った刹那。だがそれでも協力を得られたということもあり、ネギは大いに喜んで、明日菜もそんなネギを優しい眼差しで見つめた。
 まぁ協力するからには仕方ない。今後のために色々と計画を練る必要があるだろう。刹那ははしゃぐネギを見ながら、そんなことを思うのであった。

 しかしホント、バカ認定されなくてよかった。いやホントに。





 どういうことだと歯噛みをする。総本山で先程行われたとある会合の一部始終を、強硬派の一人である直属の上司から聞いた天ヶ崎千草は、上から言われた「青山が介入する。計画は中止だ」という命令に苛立ちを隠せずにいた。
 西と東の友好。その話を聞きつけたときは正気を疑ったものである。それは上司も同じで、かつての大戦で被害を出した西洋の魔法使いと、今更手を取り合えるかという思いがそこにはあった。
 それは強硬派の幹部も同じであり、その親書受け取りを妨害し、さらに強引な手を使って詠春を倒し和平派を一掃する。今回はそういった筋書きであったはずだ。

「青山ぁ……」

 しかし、青山が出た以上最早それは叶わないのは、否定したくても千草にだってわかっていた。
 青山。
 神鳴流が生み出した禁忌の化け物にして、歴代最強の剣士。現役を退いてなお圧倒的な力を誇る青山鶴子を知っているがゆえ、その全盛期を倒した青山を千草は軽んじることは出来なかった。

「……どうしたんだい? 浮かない顔をしているね」

 頭を抱えて唸る千草の前に現れたのは、つい先日雇ったばかりの白髪の少年だ。それどころではないと怒鳴りつけようとしたが、そんなことをしても無駄と悟り、やや諦めた表情で、千草は洗いざらいぶちまけることにした。

「浮くも浮かないもありまへん。相手方に恐ろしい化け物が加わったんでな、どうしようか頭を悩ませているところや」

「ふぅん。それは、今言っていた青山って言う人のこと?」

 千草は片手を挙げることで肯定した。正直、本当に青山が介入するのであれば無理だ。千草も、青山を知る数少ない関係者の一人であるため、だからこそ青山という規格外を理解している。

「あんなん相手にするなら、それこそサウザンド・マスターを相手にしたほうが楽ってもんや」

 冗談染みた言い方だが、その言葉のほとんどは本音である。
 強さがどうだとかそういうレベルではない。
 関わりたくないのだ。だからこそ、アレは青山と言われている。

「ふぅん……でも、僕としてはやってくれないと困るんだけどな」

「ならあの青山をどうにかするんやな……まっ、あんな化け物。どうにかできるわけあらへんけど」

 投げやりに呟かれた言葉を聞いて、少年の目が僅かに細まった。

「わかった。なら、どうにかしてくるとするよ」

「なんやて?」

 顔を上げた千草だったが、そこにはもう少年の姿はない。
 一体何をするつもりなのか。何か、とてつもない失敗をしでかしたような、そんな気が千草にはした。






[35534] 第四話【花散らす】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/02 00:48

 花びら舞う夜。夕飯を美味しくいただき、酒も存分に堪能した俺は、酔いを醒ますために外に出ていた。
 手に持つのは、先程返してもらいに行って回収した十一代目──ではなくて、お借りした木刀である。十一代目は竹刀袋ごと腰に下げた状態なので、こうしていれば暴走する心配はない。
 いつも通り正眼に、ではなく、右手に持って肩に担いでから、左手を優しく添える。
 呼気は浅く。可能な限り身体を揺らさず、夜桜の散る世界に紛れるようにして、空気となった体を、散る花びらに影響を与えず、自然のままに一歩踏み込み、担いだ木刀を真っ直ぐ振るう。
 花びらの間を見切り、触れることなく下段まで降りぬかれた木刀が巻き起こした風が、地面に落ちた花びらを再び夜空に舞わせた。
 散って、乱れるからこそ花。風に吹かれるまま、なされるがまま、身を委ねるその姿は、剣士が夢見る夢想の境地を思わせた。
 だが花よ。
 そこは、俺も行き着いた。
 一刀。次は真一文字に薙いだ木刀は、風すら起こさず、花も揺らさず、何も斬らずに虚空を泳ぐ。
 斬るということは、斬らぬということだ。俺は斬るものを選べるからこそ、斬らないという選択肢も持っている。
 何もかも、斬らない。
 何もかも、斬る。
 この言葉は表裏一体。意味が異なるようで正に同一。斬るのである。だが斬らないのである。それがわかっているから斬るし、斬れるから、斬っていく。
 単純明快だ。人は俺を化け物と呼び、理解できぬ怪物と恐れているが、俺という個人はこうまで単純明快である。
 斬るのである。
 それだけを、どうして理解出来ない。
 表層に浮かぶ僅かな苛立ち。いつもなら感じるというよりも考えることもないそれは、ネギ君と出会ってから感じていることだ。しかし、そんな苛立ちも今振るっている木刀には微塵も響かない。至ったからこそ、俺という個人の思考は、斬撃という極地には影響しない。
 冷たく、凛と、花散るが如く。
 夜桜に溶けて俺は木刀片手に乱舞する。風に揺られるまま、己と全てを同化して。斬ることなく、斬っていく。斬られていくのは、弱い己。強く研がれていくために振るっていく刀は、次第に型などを無視した、夜の舞へと変わりいく。
 斬らないということを楽しめる。振るう刃が何も斬らない。斬ることを選ばない状況を、喜びをもって享受する。
 花に成れ。
 散り落ちていく。落ちた先に夢幻。
 乱れる花を見切る。真っ直ぐを断つようで、その実、閃きは花びらの如く揺れ乱れた。
 そうして暫く俺は、斬らぬ刃を堪能する。夜桜が生んだ閃き。散って、終わっていくこの景色があるからこそ、終わった俺はよく舞える。
 狂えばいい。
 狂って捻れて、真っ直ぐに歪んでしまえ。
 夜の桜は美しく、だからこそ狂気を予感させるから。

「……」

 そうして最後に我を通す。袈裟斬りが線上にあった花びらを悉く斬り裂いた。
 木刀を地面に突き立てる。体中に汗が滲み、額から流れる汗を俺は着物の裾で拭った。
 誇れる、刀ではない。
 いつからか。神鳴流の剣に違和感を覚えたのは。
 いつからか。奥技を使わなくなったのは。
 人の中に住まう魔のみを斬る。つまりは斬りたいものを斬る。その理念を違えぬようにしながら、いつから俺はその場所から外れたのか。
 これでは破門も当然である。
 そんな、取るに足りない俺だというのに。

「こんな俺に……何の用だ?」

「やはり、気付いていたんだね」

 木刀を暗がりに向けて投げつけると。突如噴出した水の触手が木刀を掴み、そのまま砕いた。
 水を従えて現れたのは、京都についた早々すれ違った例の少年だった。人形のような冷たい無表情で瞳が、無感動に俺を見つめている。

「その剣」

 少年は俺の腰に下がっている十一代目を指差した。

「それが、誰もが君を恐れている理由。というわけではないんだね、青山君」

「……」

「まぁいいさ。悪いけど、依頼主の目的と、僕個人の目的のため、君にここで消えてもらうことにした……何も言わずに消えるなら、それでもいい」

 どうやら、予想通りに身内の敵。俺の名前を知っているのがよき証拠。
 そもそも、消えるならそれでいいとはよく言った。
 俺が気付かなかったら、そのまま殺してきただろうに。
 返答はしなかった。代わりに竹刀袋の口を開く。そして静かに、護符を可能な限りに貼った相棒。十一代目を取り出した。

「……へぇ」

 十一代目が放つ気を感じたのだろう。少年は目つきを鋭くして、さらに水の触手を展開した。膨大な魔力量が場を満たし、桜の花びらが一斉に飛び散る。避けるように少年の傍には落ちていかない花びら。増大する一方の魔力量は、現在、俺が知覚できる範囲に居る術者では、援護に来てもまるで意味をなさない。それはこの異変に感づいて、こちらに向かってこようとする詠春様を含めたその護衛も同様だ。
 むしろ邪魔でしかない。来れば弊害。そも、害悪。
 この敵手を、集団で囲うなど、修羅外道の俺ゆえに許せるはずがないのだから。
 その意志を示すように、俺は十一代目の柄に手を添えた。
 そうして、俺の相棒を人の目に晒すのだ。
 凛と。
 奏でる。
 鈴の音色を響かせよう。

「その剣……なんていうアーティファクトなのか、教えて欲しいな」

「名はない。むしろ、俺は君の名を知りたいな」

「……確かに。僕だけ君を知っているのは、フェアではないかもしれない」

 なるほど、と頷いた少年は、感情のない瞳で俺を見据えたまま呟いた。

「フェイト・アーウェルンクスだ。悪いけど、君には僕らのためにも消えてもらう」

 名を聞けた。それだけでもう充分。

「……俺は、青山だ」

「知ってるよ」

「いや……」

 知らない。
 君は知らない。
 わかっていない。

「俺は、青山だ」

 繰り返し告げるこの名の意味を。
 忌み嫌われ、恐れられ続けるこの名前の本当の意味を。
 君は何にもわかってないよ。
 ゆっくりと封印を解く。強力な護符に包まれた十一代目が、最後の封印を開放された喜びに、刃鳴りを何度も響かせた。
 凛。
 りん。
 りーん、と。
 舞い散る花に揺らぎ狂う。ほのかな明かりをくすんだ鈍色で反射して、月光に身じろぎするは冷え冷えと刀。扇情的な曲線を描く鉄のしなりは、それこそ夜に煌く一陣の流れ星の如く。
 今、秘匿を斬る。相棒よ。青山の気をその一身にたらふく飲み込んだ一振りの斬撃よ。夜を抜ける冷めた鋼。修羅場を取り込む無名の刃。誰も彼も虜にさせる、凛と囁く君の声を、この映える桜に歌ってくれ。

「いざ、尋常に」

 ──花、散らせ。






「ッ……!?」

 フェイトは、突如豹変した青山の気の圧力を感じて、本能的に後方に飛んでいた。本当に咄嗟のことだった。全力で、なりふり構わずその場から逃げた。
 その直感によって、奇跡的にもフェイトは生き残る。
 やはり凛と、歌は響いた。遅れて斬と、フェイトの前髪がはらりと落ちる。
 障壁は破られていない。それはフェイトを驚愕させるには充分な出来事だった。
 多重に展開された彼の障壁は、並大抵の一撃では抜くことはおろか、減退させることすら難しい。それほど彼の防御は完璧だったし、彼自身も自信を持っている。
 その障壁が破られていない。
 だというのに、フェイトの前髪は切断された。

「……」

 様子見で展開していた水妖陣は──いつの間にか消滅していた。何をされたというのか。警戒心をむき出しに、先程まで自分がいた場所に立って、刀を振るった状態で止まっている青山をフェイトは睨む。
 油断しすぎた。東方の片田舎、そこで恐れられている程度の男でしかないと、その程度にしか考えていなかった。
 勿論、フェイトもかつての詠春の実力を知ってはいるし、それなりに警戒はしていた。油断しているところに攻め込み、瞬く間に無力化すると、そう考えていた。
 だが今の一合でフェイトは考えを改める。目の前の相手は強い。紅いの翼の構成メンバー、それ並に考えなければ、敗北するのはこちらのほうだ。
 フェイトは障壁を張った上で、さらに魔力で身体を強化した。そして、消える。
 その影を青山は目で追っていた。虚空に飛んだフェイトは、片手に魔力を凝縮して青山に牙を剥く。

「千刃黒曜剣」

 夜空を埋め尽くす石の剣が、青山を中心にその周りを取り囲むように展開された。回避も迎撃も、その時間を決して与えない。単純な質量すらも圧倒的な石の刃は、並みの術者を百殺しても釣りがくるほどの破壊の嵐。
 指揮者の号令の如く、フェイトが腕を一振りした瞬間、石の刃が青山目掛けて殺到した。
 体中に襲い掛かる死の行軍。むせ返りそうな牙の軍勢に青山は酔う。酒精などさっぱり消えた脳髄が白熱して、気分は落ちていくジェットコースター。
 だからほら、歌を歌おう。凛と響け鋼の歌よ。振ったという事実すら斬ったのか。青山の右腕がぶれたと思った瞬間、周りを埋め尽くしていた剣の群れは、一本残らず細切れとなり、音色だけが夜闇に謳う。
 空に影。音と共に飛んだ青山は月明かりに影を伸ばし、フェイトを黒く染めた。彼が見上げれば、長大な野太刀を、月を割るように真上に掲げた青山の影。寒気と悪寒と斬撃の予知。
 死ではない。
 斬られると理解した。

「……ッ!」

 空を蹴って、フェイトは地面に落下した。受身を取る余裕すらなく床にクレーターを作ったフェイトは、鈴の音が鳴らなかったことに安堵、する暇もなく。花びらの中を駆ける青山を見る。
 展開したのは石の剣。フェイトはそれを両手に持って青山を迎撃した。
 一撃だ。一撃当たれば、敗北する。確信に近い予感がフェイトにはあった。目の前の敵手の刃に己を触れさせてはならない。
 石と鋼が激突する。一方は大地を砕くほどの踏み込みを、一方は花すら揺らさぬほど静かに。震えた空気が二人の間の桜を吹き飛ばした。
 花が舞う。空に揺れる。青山の目は沈んでいる。
 眼光はなかった。人形であるフェイト以上に、その男は目の光がなかった。

「ッ!」

 フェイトにとって恐ろしい時間が始まった。青山の斬撃は、刃鳴りを響かせて石の剣を他愛もなく斬り裂く。そのたびにフェイトは石の剣を生み出して、返しの刃を受け止め、距離をとる隙をうかがう。
 だがそれは叶わないことだとわかっていた。青山を見誤った。この男を倒すのならば、初手は何が何でも距離を離して、遠距離から無詠唱の魔法を全力で放ち続けるしかなかった。だというのに、フェイトは不用意にも距離を詰め、初手を青山に譲ってしまった。
 最悪の展開だった。この距離にいる限り、フェイトでは青山を倒すことは出来ない。耳元で何度も鳴り響く鈴の音色が不愉快だった。斬るという歌声が不快そのものだ。
 そして一合毎にフェイトは死ぬ。だというのに、ぎりぎりでフェイトは生きていた。首に添えられた死神の鎌は、未だに彼の首を斬り落とさない。
 まるで自分を殺す意思でもないかのようだ。だがその心意は悟れない。無表情で、瞳が死んでいる男から一体何がわかるというだろう。
 果たしてどれ程の時が流れただろうか。鈴の音色は何重にも重なり、すでに音として認識できなくなるくらい。
 冷たい空間が生まれていた。音は失われ、散る花びらは止まり、空気すら静止して。
 そんな中で二人だけは動いていた。ともすれば穏やかであった。子守唄のように小さく聞こえる歌声を聴きながら、フェイトは死の道を行く。
 青山は無言で石の剣を斬り続けた。この程度なら、千も万も億を斬ろうが、十一代目は斬られはしない。だからこの状況が続けば、青山の勝ちは揺ぎ無かった。
 戦いは、詰んでいる。
 フェイトは初手を失敗し、青山はそのミスを見抜いて己の領域に彼を引きずり込んだ。
 でも斬らない。
 だけど斬らない。
 青山には確信があった。この少年なら、ネギにうってつけだという確信だ。当然、本気で戦えば、今のネギではフェイト相手に一秒すら持たないだろう。
 だが違う。
 そういうことではない。
 圧倒的な格上として、この少年ならネギに強さの必要性をさらに刻み込むことが出来る。エヴァンジェリンと青山の戦いは、ネギに戦いの恐怖を植えつけた。だからここで、圧倒的な格上に挑む勇気を得てほしい。
 ならば、ここで斬るのは──未来の俺のためにも躊躇われる。
 そして青山は微妙に隙を見せた。これまで軌跡がほとんど見えなかった青山が見せた大振りな斬撃。見ようによっては功を焦ったような一撃を、フェイトは目論見通り後方に飛んで回避した。

「……」

「……」

 互いにかける言葉はない。距離を離したとはいえ、そこは未だに青山の距離であるし、青山もまた、己の距離とはいえ油断慢心できるほど、フェイトという相手は御しやすい敵ではない。
 花は二人の姿を隠すように舞った。
 夜の桜に修羅場は似合う。
 美しく彩られたこの劇場で、仕合えぬことに不満はあった。だけれど今宵はここで終幕。

「何事だ!?」

 戦いが始まってまだ一分。それでもようやくというくらい遅く、詠春共々、彼らはその場に集まってきた。
 青山はわざとそちらに意識を向けた。その隙に、フェイトは真下に展開した水の転移陣に沈んでその場から消え去る。

「大丈夫だったか!?」

 詠春が青山を案じながら近寄ろうとして、その護衛共々、動きを止めた。
 桜並木の下。十一代目を片手に青山は空を見上げている。風が吹き、いっそう散っていく花吹雪が彼の身体を覆い隠す様は、幻想そのもの。
 はっきり言おう。悪夢だ。

「ヒッ……」

 その有り様に護衛の幾人かが小さな悲鳴をあげた。
 ただただ、何て有り様だというしかなかった。
 青山は刀を手にして立っているだけだ。それだけでなんという有り様なのか。
 勿論、誰かが聞けば青山はいつも通りに答えるだろう。
 この様だと。
 この様だから、斬れるのだと。
 だが、今は誰も声をかけない。かけられるわけがない。荒れ狂う花吹雪の渦の中、ただ一つ揺らぐことなく立つ男の背中はとても冷たくて。
 月光、月下、桜に映える修羅の背よ。

 凛、と小さく鈴の声。鞘に十一代目を仕舞った青山は、詠春達のほうに振り返った。

「問題はありません。詠春様」

 花散らす。その顔が隠れていることに、詠春は無意識のうちに安堵していた。




後書き

次回は、修学旅行始まるちょっと前。



[35534] 第五話【少年少女、思惑色々】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/14 00:35
 特に怪我もなく帰ってきたフェイトを見て、それだけで千草は目を見開いて驚愕していた。

「よぅ生きてましたなぁ……もしかして、戦わなかったとか?」

 そうだと思えば納得できる。結局、フェイトは青山と戦わずにおめおめと逃げてきたのだろう。
 だがフェイトは無表情のまま首を横に振った。

「いや、やってきた……正直、君の言うことを過小評価しすぎた」

「んな……あんさん、あの化け物とやってきて、それで生き延びたんどすか?」

「一方的に弄られたけれどね」

 そして千草には言わないが、まず間違いなく自分は手加減されて生き延びたとみて間違いないだろうとフェイトは確信していた。
 何故、という疑問はある。御しやすい相手と思われたのかとも考えるが、そうでもないだろう。一分程度手合わせしただけだが、青山はぎりぎりで手加減はしていたけれど、それは決して本気を出していなかったというわけではない。
 ならばどうしてなのか。フェイトが考えることはそこだけだ。神鳴流の流れを組んだ剣術を駆使していたところからして、前衛を幾人か増やし、自分は遠距離から砲撃を繰り返せば、かなりの高確率で制することは出来る。そしてその前衛に関しては、今回の計画が成功することで手に入ることが出来る。
 当然、こちらの計画は未だ漏れてはおらず、相手が出来ることといえば、精々今回の襲撃を踏まえて、総本山の警護をさらに厳重にする程度だ。
 たった一つの不確定要素が、こうも頭を苛む。しかしフェイトの個人的な目的を果たすためには、青山という存在はあまりにも厄介極まりないものであった。
 だが迷っているにはあまりにも計画までの時間が短い。リスクは覚悟で、フェイトは脳裏で計画の方針を改めた。

「すまないけれど、計画を少々変更してもらっても構わないかな?」

「……勝算は?」

 ある。とは強く言えない。だが少なくとも、座して待つよりははるかにマシである。

「まぁ、最低限はしてみせるさ」

 問題がさらに増えたな。フェイトは内心で苛立ちとともにそう毒づいた。






「正直、先生がここまで使えないとは思いもしませんでした」

 痛烈であった。直球で心をえぐる一言に目を白黒させて、ネギは力なく膝をつく。

「うぅぅ。明日菜さぁん」

「ごめん。弁解できないわ」

 唯一の味方であるはずの少女もそこには同意なのか。視線を逸らして言い辛そうに呟いた。

「おしまいだぁ……僕はもう駄目だぁ」

「あ、あ。で、でも! 遠距離からの魔法に関しては目を見張るものがありましたので! 優秀な前衛が居るのを考えれば充分だと思います!」

 慌ててど真ん中をえぐった少女、桜咲刹那がフォローに入るが、それでも打ちのめされたネギはしおれたままである。
 まさにしなびたネギだ。力なく倒れたアホ毛が妙に哀愁を誘った。
 時は放課後の相談から少しばかりしか経っていない。ネギ、刹那、明日菜、そしてカモのご一行は、人払いの結界を敷いてから、ネギがどの程度自衛できるのかを確かめるために、刹那と一対一で試合を行ったのだが。
 結果は、無手の刹那に対して、ネギは初手に魔法の射手を放ち、それを防がれ、次の詠唱を行うよりも早く間合いを詰めた刹那に制されてあえなく完敗、といったところだった。

「んー。でもさぁ刹那さん。前衛ってのを私と刹那さんがするなら問題ないんじゃないんですか?」

 そんなこんなで、観客として試合を見ていた明日菜の素朴な疑問に、刹那は特に否定するでもなく、普通に頷きを返した。

「ネギ先生を特使として考えて、私たちがそれを護衛するに足る人間であればそれでいいのですけどね。問題なのは、今回の旅で私はそもそも彼の護衛に専念するでもなく、神楽坂さんに至っては本来は関係ない一般人です。とあればネギ先生の警護は完璧とは言えず、必然、万が一を考えた場合、自衛の手段は必要です」

「だけど、ネギには魔法があるでしょ?」

 初手で全てが潰されたとはいえ、ネギが放った魔法の射手の威力と数は、素人である明日菜の目から見ても凄いというのはわかった。
 その威力があればそう安々と負けることはないのではないか。そう思っている明日菜に、刹那は「先程の戦い、何であっけなく決着がついたのでしょうか?」そう聞いてきた。

「何でって……あ」

「そう、ネギ先生は距離を詰められれば、ただの子ども程度の能力しかない」

 明日菜が思い至った答えを刹那は代弁した。
 砲台の役割としての魔法使いとすれば、ネギは充分以上の実力があるだろう。しかし、今回の特使としての役割は、それだけでは足りない。刹那はネギばかりにかまけていられないし、明日菜は仮契約を行い、人並み以上の身体能力があるとはいえ一般人。
 ならば、ネギ自身にも相応の力は必要になってくる。

「でもさ刹那さん。こいつ、まだ十歳のガキンチョだよ?」

「だが教師で、さらに言えば学園長から依頼を正式に受けた人間です……それに、圧倒的な天才は、ネギ先生の年齢から頭角を現している」

 そう呟いた刹那の目が少しだけ暗くなる。だがすぐにその闇を振り払うと、刹那は「ともかく」と話を戻した。

「残りは五日、その間に最低でも自身への魔力供給による身体能力の上昇くらいは覚えていただきます。私は気を扱うので、厳密には違う系統の話ですが、コツなどはおそらく同じなはずです。それに平行して気の扱いの練習もしていただいたほうがいいかもしれませんが……大丈夫ですか?」

「はい……ちょっとくじけそうでしたけど、大丈夫です」

 まだ少しだけ涙目だけれど、ネギは立ち上がって刹那の提案に頷いた。
 そうだ。落ち込んでいる余裕なんて何処にもない。あの戦いを経て、己の力が無力でしかないことなどわかったはずだ。
 ならば、ここから始めていく。胸のもやもやを払拭するために、自分はもっともっと強くなる。
 そうした少年らしい真っ直ぐな誓いを胸に、この日からネギは加速度的に強さを手にしていく。
 それこそ、当人や周囲の人間すら驚くほどに。
 だからこそ、誰も、本人すらも気付かない。
 そこまでして何故強くなろうとする。
 どうして強さにそこまで固執する。
 何故、どうして。天才とは言われながらも、復讐のために戦闘用の魔法を手に入れながらも、これまで以上に強さを求めはしなかったというのに。
 どういうことなのか。それはきっと、ネギすらわからない。胸の中に潜むもやもやのせいなのか。

 その答えを知る者はきっと、ネギの変化を知れば冷たい瞳の奥に、ほのかな喜びを浮かべたに違いない。






 絡繰茶々丸はロボットである。それこそ、機械オンチな人間から見れば、ただの人間と見分けがつかないほど、彼女は人間を模して精巧に作られたロボットである。
 心の如きAIに、人と同じように感情表現を表すことが出来る性能。さらに身体能力は常人をはるかに圧倒し、魔力や気で強化された術者にすら、その単純なスペックで圧倒する。
 そして彼女の優れたAIを使ったハッキング機能や、各種武装の取り扱いによる完璧なサポート機能。
 まさに至れり尽くせりの近未来型スーパーロボットとでも言える彼女は、ともかく人間ではなく、厳密に言えばやはりロボットなのである。
 だからこそ、青山はそのことを見逃し、決定的な証拠を与えてしまったのだった。
 麻帆良学園のどこかにある一室。カーテンも締め切り暗くなった室内で、唯一の光源であるモニターに映っているのは、大停電時に行われたエヴァンジェリンと謎の男の一戦であった。
 そのモニターを見つめるのは三人。三人共、ネギのクラスメートである。

「……とまぁこのとおり、いつの間にかこの学園内に、全盛期の力を取り戻したエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと、なんの冗談かモップで互角に渡り合った猛者が居るのが判明したネ。正直、今後の私たちの計画に大きな障害となるのはまず間違いないと見てもいいヨ」

 僅か一週間にも満たない時間の間に、科学研の技術を全て注いだロボットである茶々丸が、二回も修理に送られるという事態。一度目は何が起きたのかも茶々丸の映像からではわからなかったが、二度目は、四肢を破壊されながらも茶々丸はその映像は克明に映すことに成功していた。
 藍色の着物を着てモップを片手にエヴァンジェリンの猛攻を凌ぎ、さらに不死の肉体に回復すら難しい傷を与えるという異能。

「調べによると、彼はネギ先生が就任する一ヶ月程度前に麻帆良学園の清掃員として来たね。あまりにも地味であったために完全にマークから外れていたが……まさか、あんな隠し玉を学園が招き入れていたとは」

 本当に予想外である。見た目は飄々としながらも、内心で苛立ちを隠しきれずに、超鈴音は深くため息を吐き出した。

「えーっと……茶々丸が記録した映像データを元に、彼、青山さんの戦力を換算したところ。低く見積もってAAA。高畑先生クラスであると思います」

 パソコンの映像を見つめながら、葉加瀬聡美が最早笑うしかないといった風な笑みを浮かべながらそう言った。
 低く見積もって、タカミチクラスの実力。それはつまり、最大限に警戒するのであれば、青山はかつての大戦の英雄。サウザンド・マスターと同レベルに考える必要があるということになる。

「……そもそも、彼はどういった経緯でここに来たのか。どういう目的があるのか。強い者と戦いたいというだけの理由であれば、与しやすいと思うが?」

 最後の一人、龍宮真名がそう意見を言ってきたが、超は首を振ってそれを否定する。

「残念ながらそれは違うネ。一度目の映像の後、彼と学園長との会話記録を調べたのだが、彼の目的はネギ先生の護衛、その一点であるということがわかったネ」

「つまり、彼は学園側の人間である。そういうことかい?」

「しかも、他の魔法先生にも知らされていないところからみると……懐刀と見たほうがいいアル」

 その一言で、ただでさえ暗い室内にさらなる暗い雰囲気が漂い始めた。
 今年の麻帆良祭で行うはずだった一世一代の計画。そこに突如として現れた最大の障害は、流石の超ですら青山という化け物の存在までは予測できなかった。

「……もしも彼が敵に回った場合、学祭中に使用できる切り札を扱えるのを前提としても、我々の敗北はほとんど確定ヨ」

 楽観的に見積もってもタカミチが一人追加されるという現実。しかもアレは、戦闘映像を見る限り明らかに立派な魔法使い、つまりは正義の味方などではない。そうした類とは種類の違う、別物の化け物。
 端的に言えば悪という部類に属するものであろう。

「だが、我々は今更計画を諦めるわけにはいかない」

 超はそう言ってから静かに語りだす。

「彼を調べ上げ、如何にして対処するか。今後はそこに重点を絞って、計画の見直しなどを進めていくが……さしあたっての情報として、今彼が京都に行っているということがわかっているネ」

 京都といえば、彼女達が数日後行くことになる修学旅行先と同じだ。そしてそこにネギが行くことからも、彼の目的の概ねは把握できるだろう。
 だからこそ彼がどういう状況で動くのか。どうやって護衛を行うのか。様々な場所から覗くチャンスとも言える。

「そこで龍宮サンには一働きしてもらうネ」

「察するに……例の青山という男を見つけ出し、京都における行動を監視。可能であれば、無力化の算段を考えろとでも? 映像を見る限りでは、この依頼……高くつくぞ?」

「そこは承知の上ね。こちらからは無理を言って茶々丸に修学旅行とは別口で京都に行ってもらったネ。今頃ある程度の情報は調べているはずだから、私も可能な限り協力はおしまないヨ」

 その言葉に真名は僅かに驚いた。超自らこの危険な依頼に関わるというのは、これまでなら考えられないことだ。

「……お前は裏方で暗躍するタイプだと思っていたのだけどね」

「そうも言っていられない状況ヨ。それに──」

「それに?」

「いや、なんでもないネ」

 超の歯切れの悪い言い方に疑問を覚えながら、特に何かを聞き出すでもなく、真名は一応の話の区切りがついたものと見てその場を後にする。次いで聡美もパソコンの電源を落とすと、そそくさと部屋を出て行った。
 そして一人、モニターの光だけの暗がりに残った超はスッと目を細めた。

「青山……」

 その名前は超もある程度は知っている。映像と照らし合わせれば、おそらくは神鳴流の流れを組むのは、武術にも長けている彼女であれば見当はつく。
 青山。神鳴流が宗家にして、神鳴流でも郡を抜いた実力を誇る化け物どもの名称。裏に通じていれば、特に日本という極東の裏を知っていれば、誰もが聞いたことのあるその名前。
 だからこそ、疑問だった。
 だからこそ、恐ろしい。

「お前は……」

 未来人という、誰に言っても信じないだろうから誰にも言っていない彼女の出生。未来から来た人間である彼女は、この時代に転移するに当たって、可能な限りその時代の情報を調べ上げた。そうすることで、自身の計画においてもかなりのアドバンテージになるからだ。
 だからわからない。
 何でだ、という疑問がわく。
 なぜならば。

「一体、何者ネ」

 超の知る未来に『青山と呼ばれる男は、この時代に詠春しか存在しなかったはずなのだ』。
 闇の福音と互角の実力を持ちながら、それほどの強さを持ちながら、超の知る未来には存在すら見当たらなかったおぞましさ。
 そこが、己が動く必要があると思うくらい、超が青山を警戒する理由に他ならなかった。






 そして、それぞれの思惑を乗せて、修学旅行は賑やかな喧騒とともに始まりを告げる。
 最早、超の知る未来とは異なるこの世界で、犯してはならぬルールは一つ。

 鈴の音だけは鳴らしてはいけない。

 それだけだ。




後書き

にこにこ修学旅行の始まり。



[35534] 第六話【影からひっそり】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/08 23:59
 修学旅行当日、この五日間の特訓の疲労でぐっすりと眠った僕と明日菜さんは、木乃香さんに優しく声をかけられて起床した。
 旅行を前にしたワクワクと、大事な使命を果たさなければならないという緊張感がない交ぜになって、僕らは顔を突き合わせれば曖昧に笑い合って、クラスの皆さんからは色々と冷やかされたりもした。
 まぁ、正直言って楽しみです。
 それにこの五日間、刹那さんの下で身体能力の強化と、ある程度の護身術を学んだおかげで自信もついたっていうのもあるんだけど。
 この五日間を簡潔に言うと、僕は魔力による身体能力の強化はすぐに出来たので、それからは気の扱いを学びつつ、明日菜さんとともに刹那さんと試合をこなしてきた。その間に、明日菜さんは仮契約で手に入れたアーティファクトを使えるようになった。
 ともかく、五日前の僕に比べれば、随分と強くなったという自信はある。それでも刹那さんには明日菜さんと二人がかりでもまだ勝てないんだけど……

「ふぅ……」

「緊張かい兄貴?」

「いや……うん。ちょっとだけね。何もなければいいんだけどとは思うけど」

 カモ君の僕を案じる様子に、できるだけ不安を見せないように笑って答える。
 学園長も言っていたけれど、危険になるのは本当に万が一だ。幾ら東と西の仲が悪いといっても、この旅行で僕を襲撃すれば組織としては動かなければならなくなり、場合によっては激突することもあるかもしれない。
 そうなれば後は血みどろだ。子どもの僕にだってそれはわかるし、そんな組織間の力を削ぐようなやり方は、互いに本意ではないだろう。
 精々、狙いは僕が持つ親書を奪うくらいの嫌がらせのはず。
 と、思いたいんだけど。

「……大丈夫かなぁ」

「大丈夫だって! こっちには強い前衛が二人いるんだ! 何があっても姐さんがたが戦ってる間に兄貴がドカンと一撃かませばそれでオールオッケーよ!」

 カモ君は強気にそう言うけれど、正直、僕は二人の力は出来る限り借りないようにしたいと思っている。
 そもそも、彼女達は僕の生徒だ。僕は彼女達を守るのであり、本来その逆はあってはならない。

「……改めて言うけど、もう仮契約を勝手にやろうとか思ってないよね?」

「お、おう。そりゃもう、大丈夫だって」

 どもったのが怪しいけど、納得するほかないだろう。
 エヴァンジェリンさんとの戦いから少し経って、僕は仮契約を行っていこうというカモ君の言葉を全部否定した。
 正直、あんな恐ろしい戦いに誰かを巻き込むなんて、僕はもう我慢できない。今だって明日菜さんを巻き込んだことを後悔しているくらいだ。
 自分本意。
 全てが我がまま。
 そんなことに誰かを巻き込む。ましてやクラスの皆さんを巻き込むなんて許されない。
 改めて思い出したんだ。小さい頃、村が炎に焼かれたあの日の惨劇の恐怖を。親しい人達が失われていく恐怖は、もう一度だって味わいたくない。
 そう思いながらも、僕は結局今回の旅行に危険を持ち込んでいる。幾ら一般人を巻き込む危険は少ないとはいえ、万が一がありえる代物を僕は抱きかかえている。
 僅かな不安と、大きな自己嫌悪。
 それでもこれが立派な魔法使いとして、西と東という極東の一大組織の橋渡しになるのであれば、行う必要は充分以上にあるはずだ。
 そんなことを考えながら、京都へ向かう新幹線の中。道中にも妨害があるかもしれないということで、クラスの皆の様子を見て回りながら、周囲を警戒していたら、刹那さんが席を立って僕のほうに寄ってきた。

「あの、ネギ先生……」

「あ、ハイ。どうしましたか刹那さん」

 刹那さんの表情はいつもクールで凛々しいけれど、今の刹那さんは試合のときのようにぴりぴりとしている。
 どうしたんだろうと思って首を傾げた僕に、刹那さんはそっと耳打ちしてきた。

「術者の気配がします。お気をつけて」

 その言葉に、旅行で少しだけ浮かれていた気持ちが引き締まる。小さく頷いた僕は、懐から練習用の杖を取り出して、辺りを見渡した。
 といっても、僕にはそういった探知能力みたいなのはないので、そういう部分は刹那さん頼りだ。

「ひとまず、明日菜さんにもカードを使って念話を。こちらに合流してもらいましょう」

「え、でも……」

「今更、巻き込むのは気が引けるとでも? それなら勘違いだ。あなたの持つ親書が送られれば長年の因縁に一応のケリがつく。そう考えれば、今は一般人とはいえ彼女の助勢も必要です」

 僕の迷いを見抜いた刹那さんがはっきりと告げる。その言葉は言われればその通りであり、僕は言い返すことも出来ず、結局明日菜さんを呼ぶことにした。

「ネギ……!」

 念話をしてすぐに明日菜さんは僕らのところに来てくれた。一応、一般人に見られないように人気の少ない車両と車両の間で僕らは固まると辺りを警戒する。

「……よし。では私は周囲の警戒がてらお嬢様の元に行きます。何かあれば、連絡用の護符で呼んでください」

「わかりました……!」

「それでは、ご武運を」

 刹那さんは一礼すると、皆の居る場所に戻っていった。
 そういうわけでここからは明日菜さんと二人だ。何処から来るかわからない相手に緊張感を高めていながら待っていると、何処からともなく楓さんがいつもののほほんとした面持ちで現れた。

「なにやら物騒でござるなぁネギ先生」

「楓さん!? えっと、その! こ、ここはあれです! ちょっとあれなので席に戻ってくださりませぬものでしょうか!?」

 どうしよう!? いつ襲撃があるかわからないのに楓さんを巻き込むわけにはいかないよ! 「あんた、そんな慌ててたら何かありますよって言ってるもんじゃない」って明日菜さん! そんなに冷静に突っ込みいれてないでどうにかしてくださいよぅ!

「ふむふむ。どうやら何かしら問題がある様子……どうであろう? 拙者であればお手伝いするでござるよ?」

「え!?」

 僕は驚いて楓さんを見上げると、頭にそっと楓さんの手のひらが乗っかる。

「なぁに。おそらくは先程から嫌な気を飛ばしている者と何かしら関係があるのでござろう?」

 手のひらの感触の暖かさに心地よくなる暇すらなく、僕と明日菜さんは的確な楓さんの言葉に顔を見合わせた。
 その様子を見て悟ったのだろう。楓さんは何度か頷くと「少なくとも、足手まといにはならぬつもりでござるよ」とさらに続ける。

「ですが……! 楓さん。こっちの世界はとっても危険なんです! 僕、僕は……」

「ふむ。やはりネギ先生と明日菜は何かあったのであるな。察するに……停電の日、何かあったのでござるか?」

「……なんというか、楓さんって、エスパー?」

「ただの忍者でござるよー」

 と、指を立ててふにゃっと笑う。「それはそれでどうなのよ」と突っ込みを欠かさない明日菜さんとは違って、僕はその笑顔に頼もしさを感じて、ほっと一息僕は安堵のため息をついた。
 なんというか、言っても駄目なんだろうなぁとか勝手に思ってしまう。そう思うのは僕の身勝手な妄想か。でも、だけど。
 僕は、まだ弱いから。

「あ、あの……危なくなったら、逃げてくださいね?」

「それはお互い様でござるよ。それに拙者、逃げ足に関しては得意でござるゆえ」

 安心なされよ。と何処か芝居かかった言い草で楓さんは言うと「それで今はどういった状況でござる?」そう聞いてきた。
 こうなったら仕方ないと無理矢理納得して、ある程度かいつまんで今の状況について説明する。

「ほう。つまり、その親書とやらを届ければ、先生は安心して旅行を楽しめると」

「そ、そういうことです。それで、これが親書で……」

 僕は懐に大切に仕舞っていた新書を取り出して、楓さんに見せた。
 瞬間、楓さんの目の色が変わり、その右手が残像を残してぶれる。何かが切り裂かれる音と、遅れて床に落ちてきたのは──紙?

「ふむ。早速、役に立ったでござるな」

 楓さんはそう言いながら、手に持ったクナイを器用に回して落ちた札を見つめる。
 一瞬のことで僕にはわからなかったけど、間違いない。これって刹那さんと同じ式神っていう魔法の一種だ。

「ふむ……とりあえずそれは仕舞ったほうがいいであろう」

「あ、はい!」

 慌てて僕は親書を仕舞うと、再び杖を構えようとして、その手をそっと楓さんに押さえられた。

「そんなに肩肘張っていては疲れるだけでござるよ。今のであちらもここで手を出そうとは思わないはず……ひとまず席に戻ってのんびりするでござる」

 楓さんはそそくさとクナイを何処かに仕舞うと、元来た道を戻って自分の席に向かっていった。

「はー……刹那さんと言い、ウチのクラスって凄いのねー」

 唖然と、というか驚きが大きくて唖然とするしか出来ない明日菜さんと、僕も心境は同じだ。
 ともあれ、自分の力ではないにしろ襲撃を回避できたし、誰かが狙っているという事実もわかったから……うん。何とか頑張っていこうかな。






「……こんなんでよろしいんかいな?」

『上等だよ。これで僕らのことを彼は意識したし、青山も道中でネギ君を中心に絡んでいれば、そちらに意識が向くだろう』

 護符を通して念話をするのは、新幹線の従業員として乗り込んだ千草と、京都で待つフェイトだ。
 本来の計画なら、ここで混乱を起こして親書を一気に強奪するはずだったが、フェイトの助言により、一般人には混乱を与えず、ネギのみを狙う方向に切り替えた。
 一体これに何の意味があるというのか。そう千草は思うが、先日、フェイトが青山と戦い、生き延びたというのを上司からも聞いているので、彼の実力は疑うまでもない。そんな少年が計画を上手く行う方法があるというのだから、八方手詰まりになっていた千草には渡りに船。というか半ば自暴自棄に近かった。
 何せ、相手の護衛には青山が居る。だからこそ新幹線という場で全てに決着をつけたかった千草ではあったが、今はフェイトの助言を聞いていてよかったと安堵していた。

「全く、従者が居るなんて聞いていなかったですえ。しかもあの小娘、随分と腕が立つやないか。さらに神鳴流の使い手までいるとは、前途は多難やなぁ」

『式神の目で僕も見たが、確かにかなりの腕前みたいだね。だが彼女達だけなら、手持ちの札、二枚とも投入すれば抑えることが出来る。そして肝心の青山はネギ・スプリングフィールドの護衛だ……夜を待とう。上手くいけば、今夜中にお嬢様の奪還は可能だ』

「まっ、上の意見も無視しての単独行動や。今更はいそうですかと引くわけにもいかんしなぁ……頼むで新入り。あんたの腕だけが頼りだ」

『善処はするさ』

 千草は護符を仕舞うと、襲い掛かってきた虚脱感に肩を落とした。
 こうして行動をしてはいるが、正直、計画が成功するとは思っていない。
 だって、青山が居る。使者に手を出せば、あの化け物と相対しなければならなくなる。

「ッ……」

 そう考えるだけで千草の身体は震え、思わず両腕で自分の身体を抱きしめた。

「わかってないんや……あの化け物を。青山が何で青山って呼ばれているのか……」

 西の組織の上に近い人物ゆえにその名前を知り、知っているが故に誰よりも恐れる。千草の上司も、先日、総本山で青山と出会ったときは震えるのを抑えて、虚勢を張るように苦言を語るしか出来なかった。
 あれは異常なのだ。宗家、青山として生まれ、時代を担う後継者として育てられ、そしてずれてしまったから。だから、使者の妨害という隠れ蓑を用いて行うはずだった本来の計画すら、上は諦めるしかなくなった。
 敵は青山だ。あれならば、計画の要である封印された鬼神ですら、敗北する可能性は高い。何故なら、あれは己の刀ただ一本だけで、恐ろしき力を持った鬼の頭領すら斬り落としたのだから。それを知っているからこそ、計画の破綻の確立は高いと理解していた。

「クソ……」

 だがそれは抜きにしても千草は知っている。使い魔を通して見た、青山同士の壮絶な戦いと、その結末を。
 だからこそわからなかった。どうして青山家はあの化け物を迎え入れた? 破門として、追放をして、そうすることしか出来ないくらいに圧倒的に狂ったあの人外を。
 だって、知っているのだ。
 あの戦いの顛末を、千草は知っている。

「青山……」

 苦し紛れに呟いた一言。
 脳裏に浮かぶのは、手にした刀ごと利き腕を斬り飛ばされた、歴代最強の使い手、青山鶴子が血の海に沈む姿と。

 涙を流す少年が口を三日月に象りながら、己が斬り伏せた姉を見下ろすおぞましい光景。

「青山ぁ……!」

 知れば、誰もが恐怖する。
 だからこそ人は彼を、青山と呼ぶのだ。







 襲撃は些細なものだった。とはいえ、油断したら親書を奪われそうなので、その都度、僕と明日菜さんと楓さんは、一般人に気付かれないように気をつけながら、襲撃を逃れていた。
 人前ということもあり、襲撃が散発的だったのもよかった。刹那さんも時折僕たちを気にかけてくれたこともあり、とりあえずその日は無事に今日の宿にまで辿り着くことができて、僕はとっても満足していた。
 むふふ。さりげなく風を操ったりしてサポートできたぞぉ。明日菜さんも何でか魔法系統を無効化にするハリセンで、上手く札とか無効化してくれたし。
 特に楓さん。分身が凄くて、一に分身、二に分身、三四にニンニン、五に分身と、八面六臂の大活躍だった。
 というか、ほとんど楓さんの分身が全部片付けてくれた。
 うん。
 白状する。
 わかっているのだ。
 僕と明日菜さんは、ほとんど何もしてません。

「正直、私らじゃなくて楓さんに親書預けない?」

 明日菜さんの助言に思わず頷きかけるほど、楓さんは今日の襲撃を全て、事前に、完璧に防ぎきってくれた。
 そりゃもう凄かったってものではない。
 式による襲撃は分身が壁になって防ぎ。
 僕らを嵌めようと待ち構えていた落とし穴は分身で埋め尽くし。
 何故かお酒になった水を分身で飲みつくし。
 ともかく分身、やはり分身。今日も明日も分身だけとばかり、分身がゲシュタルト崩壊するくらい、分身尽くしの今日であった。
 というかここまでやって誰にも異常を悟られないのはどうしてなんだろう。それだけが不思議である。

「なんにせよ。これで今日は一安心──」

「なわけありません。結界の準備をしますよ」

 ほっと一息入れようとした僕らに忠告をしてくれるのは、いつもの刹那さんである。手には数枚の護符を持ち、辺りを見れば何枚かすでに張ってある。
 現在、宿に到着して食事も終わった後の自由時間だ。クラスの皆に部屋に来てと誘われたりしたけれど、それを何とか振り切って、宿のロビーに僕らは集まっていた。

「むしろ寝静まる頃こそ警戒してしかるべきです。一安心など持っての外……ていうか、楓、あなたもこちら側の人間だったのですね」

「なんのことやら」

 茶化すように笑った楓さんに、刹那さんはそれ以上追及することなく、再び僕のほうに向き直った。

「今のところ、新幹線のときのように露骨な気配は感じませんが、何処に襲撃者がまぎれているかわかりません。一応宿全体に護符は貼りましたが、ネギ先生自身も結界を張って警戒するようにしてください。当然、親書はちゃんと持っていてくださいよ?」

「は、はい!」

「よろしい。いい返事です」

 刹那さんはふんわりと優しく微笑み「では、お嬢様の部屋の護符を貼りに行きます」と言ってその場を後にした。

「いやー仕事人って感じだよね刹那さんって」

 だからこそ、何とかしてあげたいなぁという明日菜さんの意見に、僕も同意であった。
 木乃香さんの話だと、小さい頃はよく遊んでいた彼女の幼馴染らしく、何故か今は接する機会がなくなったらしい。木乃香さんは刹那さんに嫌われたのかなぁと寂しげに言っていたが、あの忠犬の如き姿勢を見れば、それはないということくらい僕にだってわかる。

「どうせだから、これを機会に仲良くなれるように出来ないかしらねぇ」

「そういうのは余計なお節介でござるよ。こういうのは、当人同士、ゆるりと展望を待つのがよいでござる」

「そんなものかしら?」

「そうでござるよ」

 そうなのかぁ。明日菜さんと二人、楓さんの意見に納得。ってそんなことをしている場合じゃない!

「僕、早速部屋に戻って結界を張ってきます!」

「あんたそんなのもできたの?」

「えっと、こういうこともあろうかと魔法学校の事典と各種魔法薬も持ってきたので、なんとかそれなりには出来ます」

 これは刹那さんとの特訓で思い知ったことだ。僕なんかの戦闘力ではたかが知れている。だから事前の準備が大切だと思って、しっかりと荷物を持ってきたのだ。
 惚れ薬の件もあるので、明日菜さんは納得してくれたらしい。楓さんは……にんにん。

「では、拙者も一つ働くとするか」

 そういい残して楓さんはあっという間にいなくなってしまう。
 こうしてロビーには僕と明日菜さんの二人だけ。とはいってもすぐにクラスの誰かに見つかるとは思うけど。

「明日菜さん」

「ん?」

「ありがとうございます」

 今だから、感謝しなくちゃいけない。僕はこれまで結局言おうとして言えなかった言葉をようやく言えることが出来た。

「ちょ、いきなりどうしたのよ」

 明日菜さんは僕の言葉の意図がわからずに混乱している。
 でも、僕はとっても感謝しています。あんな怖い目にあったのに、それでも僕の傍から離れずに、それどころか守ってくれている。
 本当に。本当に、明日菜さんがいてよかった。

「僕、明日菜さんにお礼を言うしかできませんけど……絶対に、明日菜さんが困っているとき、僕、力になりますから」

「んー……なんだかわからないけど。まっ、何かあったらよろしく頼むわ」

 だから今は行きましょ? 明日菜さんは得意げに笑ってくれる。

「はい!」

 よし、頑張ろう。僕は杖を握ると、明日菜さんとともに自分の部屋に戻ることにした。



後書き

Q.オリ主出てないじゃん!

A.ネギ「振り返れば奴がいる」

そんなお話でした。



[35534] 第七話【舞台交戦】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/08 23:58

 青山を潰し、かつネギの現在の能力を測る。随分と厄介な仕事だが、千草の本来の計画を遂行するだけなら、ネギは随分といい隠れ蓑である。フェイトはネギ達が泊まる宿の傍に生えている木々の上に立ち、計画の成り行きを見届けていた。
 とにかくネギを中心にちょっかいをかける。そうすることで、千草の計画に必要な近衛木乃香への注意を逸らすのだ。
 そして頃合いを見て、彼女だけを奪取する。後は眠った鬼神を復活させ総本山を叩き、依頼元である西の長が青山を呼び寄せたところで、ネギの力を試し、最後は鬼神、自分、今回の依頼の請負人の二人とともに青山を潰す。
 作戦自体はシンプルだが、それゆえにはまりやすい。第一、細かい策略や策謀など、少人数である現状で立てられるわけがないのだから。
 千草の計画と違うのは、可能な限り一般人を巻き込まないこと。そうすることで、こちらが隠密にネギの親書を狙っているということを植えつけるのだ。
 それも随分首尾よくいっているネギを中心に警戒網が張られているのがわかる。

「問題は、彼だな」

 青山。結局この日、彼は動くことはなかった。ネギ本人に害があるわけではないので当然だが、しかし親書が奪われるかもしれない襲撃を何度も行っているのに何のアクションも起こさないのは少しばかり違和感があった。
 このことから、フェイトは青山の目的は親書ではなく、ネギにあると推測した。勿論、安易に決め付けるのは早計だが、それでもこの推測はあながち間違っていないのではないかと考えている。
 尤もネギを表向き護衛している者が優秀だから手を出さないだけとも考えられるが。あれほどの熟練者だ。襲撃を察しただけで、その術者を捕捉することくらい可能なのに、特に何かするわけでもないのが証拠だった。

「ネギ・スプリングフィールドを見守っている……もしくは、経験を積ませようとしている?」

 とすれば、あの戦いで自分をいつでも殺せる状況でありながら逃がしたのにも納得がいく。襲撃者である自分を、上手くネギにあてつけて、可能な限り実戦を体験させることで……どうする?
 フェイトは無表情の奥で思案する。もし自身の予測が当たっていて、経験を積ませようとしているのなら、それは何故だ? 英雄の息子に相応しい能力を得てもらうためか?
 いや違う。あの男はそんな殊勝な考えをもってはいない。そんなことを考えるような人間ではない。

「まぁいい……それもこの夜でわかることだ」

 後ろを振り返ると、それに呼応するようにフェイトとそう背丈の変わらぬ少女と少年が現れる。
 一人はフリルの沢山ついた可愛らしい白のワンピースを着た少女だ。だが見た目の愛らしさに似合わぬ冷たい刀を二本持っている姿はアンバランスではあるが、逆にそれがよく似合っている。
 もう一人は学生服の少年。ニット帽を深く被り、やんちゃな色を瞳に宿し、口元はこれから始まる戦いを思ってか笑みを浮かべていた。

「それで、ウチらはどないすればいいのですか?」

「せや。まぁ依頼人の言うことやから言うこときいてるが、奇襲とかはあんますかんで」

「……何、君達には正々堂々と戦ってもらうさ。でも今夜は次に向けてのいわゆる下準備だから、ある程度手加減はしてもらうけどね」

 そしてこの下準備。もしも青山が動けばそこで失敗だ、ということまでは言わない。そのときはまた別の手段でネギの能力を確かめればいいだけだ。

「これから君達には派手に動いてもらうよ。ただし、決して相手を追い詰めないこと。僕は遠くから援護くらいはするけど、軽く様子見という感じで考えてくれていい」

「へっ、自分は遠くから高みの見物かいな」

 少年が呆れた風に呟くが、フェイトは気にした様子も見せずに宿のほうに向き直る。

「では、始めよう。戦いに気をとられすぎないようにしてね」

 後は運を天に任せよう。フェイトは内心でぼやくと、夜の闇に溶けるように消えていった。






 その襲撃は、予期していたものとは違うものだった。
 襲撃は完璧というわけではない。むしろ、あまりにも下策であったために予想外すぎた。
 ネギは周囲に張った結界に気を漲らせた何者かが触れたのを知覚して跳ね起きていた。時刻はすでに宿の誰もが寝ている時間帯ではあるものの、それでもその襲撃はあまりにも堂々すぎる。
 というよりも誘っているのか。結界にぎりぎり触れたところで止まっている二つの気は、ネギを誘うようにその密度を増大させている。そのまま隠れているなら、宿もろともあぶりだしてやると、言外に言っているようですらあった。

「ネギ先生……!」

 慌てた様子の刹那がネギの部屋に入ってきた。遅れて楓と明日菜も到着する。状況はわかっているし、気の猛りからして一刻の猶予もない。相談する余裕等あってないようなものだった。
 相手のやり口は下策だ。いや、下策と断ずるにはやり口が上手いと刹那は思う。今日の襲撃を見る限り、一般人には手を出さないと、そう決め付けてしまった。だから結界もあくまで万が一のためというだけだったのだが。

「やられた。外回りの警戒もしっかりとするべきでした」

 刹那は苦虫を噛み潰したように苦しそうに顔を歪めて呟いた。だが反省する暇はない。敵は外にいて、威嚇だとはいえ気を充実させて宿を狙っている。

「打って出るしかないでござるな」

 楓の観念したような言い分しか選択肢はなかった。そしてそこには当然ネギもいなければならないだろう。一般人へ危害を及ぼさないために、ネギには囮になってもらわなければならない。

「まだこちらの戦力はあちらを上回っている。伏兵がいる可能性もあるが……やるしかないでしょう」

 刹那は夕凪を片手に窓に寄った。玄関から堂々でる必要もない。ネギ達もその後に続くようにして窓に寄る。

「……ふぅ」

 ネギは瞼を閉じて体内で魔力を練り上げた。収束する魔力の波を知覚して、それらを全身に循環させる。
 魔力による身体強化。気を扱う要領で行うことにより、詠唱なくネギの身体は淡い光を放って魔力によって強化される。さらにカードを取り出すと、明日菜へ魔力供給も行った。

「いけます」

 淡い光に包まれたネギが言い、明日菜はハリセンを片手に窓の向こうを見つめた。
 相手の強攻策は愚策だが、愚策は決してただ愚かというわけではない。時として行われる蛮勇は、己の力に自信があるからこそ。
 行こう。仲間の先陣を切って、刹那と楓が窓から飛び出す。それを追うようにしてネギと明日菜も外に飛び出した。

「へぇ。こりゃまた結構な人数やなぁ」

 外に出たネギ達を待ち構えていたのは、学ランを着た少年と、ワンピースを着た可愛らしい少女だ。
 同時に、刹那は少女の持つ二刀と立ち振る舞いから、少女が神鳴流の使い手であることに気付く。背筋を伝う嫌な汗を感じながら、しかし表面上は冷静さを失わずに夕凪を抜いて構えた。

「あらー。もしかして神鳴流の先輩ですかー? ウチは月詠って言います。以後よろしゅう」

「……やはり神鳴流の剣士だったか。皆さん、彼女は私が相手をする。三人は……」

 刹那は月詠と名乗った少女と対峙しながら、その隣の少年を見た。視線に気付いた少年は小さく笑みを漏らすと、被っていたニット帽を脱ぎ捨てた。

「え、犬耳!?」

 明日菜が驚きの声をあげるが、それにも慣れているのだろう。少年は右手に気を収束させて「ただの犬やないで。狗神使いの犬上小太郎や!」そう叫ぶと同時に、召喚した黒犬の群れをネギ達に向かって殺到させた。

「悪いが、先に術者のチビ助を狙わせてもらうで!」

 同時に少年、小太郎も召喚した犬とともに地を這うようにして襲いかかる。狙いはネギ一人、常人では反応しきれない小太郎の動きに──反応する。
 突き出された拳を、ネギは杖で受け止めた。障壁頼りの偶然ではなく、しっかりと小太郎の動きを見た上での判断だ。

「へぇ! やるやないか!」

 己の動きに対応している。そのことをこの一合で理解した小太郎は、勢いのままネギもろとも後方に飛んだ。

「ネギ!?」

「待つでござる!」

 慌ててその後を追おうとした明日菜を楓の緊迫した声が引きとめた。何で? と問いかける余裕すらない。冷や汗を流す楓の視線の先、現れたのは白髪の少年、フェイトとその後ろで式神を展開した千草だった。

「……明日菜。女性のほうは頼んだでござる」

「えぇ!? ちょ! 私があんな……」

「あの少年は……まずい」

 余裕のない楓の言葉に、明日菜はフェイトを改めて見つめ、彼が吐き出す気配が、あの夜に現れた二人の化け物と重なった。
 思わず、悲鳴が零れそうになって、何とか息を呑んで踏み止まる。一瞬で理解した。あの少年は危険だ。だからこそ楓は一人で何とかしようと思い。

「いえ、二人で行きましょう。私のこれ、魔法とかそういうのにはとっても強いんだから」

 そんな彼女を一人で行かせるわけにはいかないと明日菜は隣に並びハリセンを構えた。魔法を完全に打ち消せる明日菜のハリセンは、確かにこの状況下、敵がネギと同じ魔法使いであるとするならば、充分に役に立つ。

「……それでもあの少年は危険でござる。出来る限り、後ろの女性の相手を意識するでござるよ?」

「了解!」

 気の強い返事を聞くと楓は先行する形で瞬動を行った。相手に行動を感知させぬほど巧みな踏み込みは、フェイトの傍に居た千草との距離を一瞬で詰め、さらにその背後を取った。
 千草には何が起きたのかすらわからないだろう。式神に命令する暇すらなく、楓の手刀千草の首筋目掛けて放たれ、それを予知したフェイトが無詠唱で放った石の槍が、その一撃を妨害した。

「ぬっ!?」

「中々やるけど……悪いが、慢心は先日捨てたばかりでね」

 槍を回避するために後ろに飛んだ楓をフェイトが襲う。互いに瞬動で交差して、障壁とクナイが激突した。
 それだけで楓は、フェイトが己では時間稼ぎ程度しか出来ない相手であることを悟る。刹那と二人がかりであるいは、といったところだが──

「奥義、斬岩剣!」

「ざーんがーんけーん」

 互いの刀から発せられた気と気がぶつかり合って大地を破裂させる。刹那と月詠の戦いはほぼ互角、いや、慣れぬ二刀を相手にしているせいか、刹那の表情は苦悶の色を浮かべていた。
 助勢は望めない。なら今自分に出来るのはぎりぎりまで戦いを長引かせて応援を待つことだけだ。
 覚悟を決めた楓は、何処からか取り出した巨大な手裏剣を片手にフェイトに向き合う。明日菜は共に戦おうと言っていたが、瞬動で戦線を延ばしたため、これで丁度全ての局面で一対一が成立したことになる。

「……わからないな。君くらいの実力者なら、今のぶつかり合いで戦力差はわかっていそうなものだけど」

 フェイトは逃げようとしない楓が不思議で仕方なかった。互いの戦力は、フェイトが頭一つ以上抜きん出ている。幾ら楓が頑張ろうとも、状況は厳しいものに違いなかった。
 だからといって追い詰めれば、今も何処かでこちらを見ているだろう化け物を起こすことになるのだが。そんなぼやきは心の奥底にしまい込む。

「生憎と、拙者、お主よりも強いお方に心当たりがあってなぁ。アレに比べれば、まだこの状況は楽でござるよ」

「奇遇だね。僕も最近、人生で最大級のピンチを潜り抜けてきたばかりなんだ」

 ほぅ。と僅かに目を開いた楓は、すぐに笑みを浮かべると「では、拙者達は似たもの同士でござるなぁ」そう嬉しそうに呟いた。
 フェイトはそんな楓の言葉に首を傾げ、それもそうかと納得した。

「甲賀中忍、長瀬楓。参る」

「フェイト・アーウェルンクスだ。覚えなくて結構」

「そうもいかぬでござるよ!」

 楓の内側から気が膨張する。手加減抜き、相手を殺傷する覚悟で全力を振り絞った楓は、さらに三体の影分身を展開した。
 さて、どの程度いけるでござるかな?
 胸の奥、強敵に挑む喜びをかみ締めつつ、楓は圧倒的化け物の口元へと、分身共々殺到した。






「とりゃあ!」

 可憐だが気合の篭った叫びと共に、明日菜のハリセン、ハマノツルギが千草の召喚した猿の式を一撃で送り返した。触れただけで問答無用。抵抗すら許さずに式を消す明日菜を相手にする千草の表情は歪む。
 相性が最悪だ。千草の本領は、前衛を盾にした火力重視の殲滅呪文を叩きつけることだ。西洋魔法使いと同じく、彼女もまた後衛を得意とするが、今回は相手が悪い。

「もういっちょ!」

 猿を落とした明日菜は、その勢いのまま着地と同時に隣に居た熊の式にハリセンを振りかぶる。魔力供給をえた肉体は、通常でも身体能力の高い明日菜の能力をさらに向上。式が腕を振りぬき明日菜を吹き飛ばそうとするが、その腕を掻い潜り、気持ちいい音色を奏でて熊の腹部を打った。
 やはり一撃。上と下で泣き別れになった熊が符に戻った。冗談にもならぬアーティファクトの威力をまざまざと見せつけられた千草は、符を放ちながら後退するものの、全て明日菜のハリセンが無力化する。

「くぅ!?」

「逃がさないんだから!」

 そして素の身体能力も差が開いている。数メートル以上空に舞った明日菜は、そのまま重力に身を任せて飛び蹴りを千草に目掛けて放った。
 自由落下と肉体のスペックが混ざり合い、ありえぬ速度と軌道を描いて蹴り足が飛ぶ。直撃すれば、確実に落ちる。千草の予感は正しく、ぎりぎりで間に合った回避の直後、地面に当たった足は小規模ながらクレーターを作った。

「わひゃ!?」

 これに驚いたのは千草ではなく明日菜である。ノリと勢いでやってみせたが、まさか爆弾のような威力をはじき出すとは思わなかったのだろう。
 当たれば、死ぬ。同時に理解したのはその事実だ。千草もまた術者の端くれであるため、ある程度の身体強化はしているため、一撃で死ぬということはないだろうが、明日菜が自身で生み出した威力は、彼女にそう思わせるには充分だった。

「ん?」

 クレーターの中心で動きを止めた明日菜を千草はいぶかしむ。明日菜が持つアドバンテージを考えれば、息をつかせぬ勢いで畳み掛けるのが定石だが、こちらの動きを誘っているのか。
 いや、悩むべきではない。フェイトが作戦前に言っていた言葉が正しいのであれば、いずれにせよ青山は現れる。その前に、上手くこちらの意図が親書のみと刷り込ませなければならないのだ。
 だから、攻める。千草はとっておきの札を取り出すと煙幕の向こう側に投げた。

「行け!」

 号令と共に札から吐き出されるのは、膨大なまでの水だ。明日菜が居る場所の真上に投げられた札から流れ落ちる水量は、常人では受け止めた瞬間押しつぶされるほど。

「えぇ!?」

 こちらも悩む予知などなかった。煙幕が晴れたと思えば空を埋め尽くす濁流に、明日菜は悲鳴をあげつつも全力でその場を蹴って離脱する。僅かに遅れて大地に叩きつけられた水は、その勢いで周囲一帯を水に飲み込み、明日菜も一時的に濁流に飲み込んだ。
 だがこれは所詮一時しのぎ。千草は得られた僅かな時間を使って、再び式を召喚すると、一匹の肩に乗り空に飛んだ。

「三枚符術!」

 空から落とす本命の札。アーティファクトに消されるならば、それを上回る紅蓮を持って、敵ごと燃やし尽くすのみ。

「京都大文字焼き!」

 地に落ちた札が爆発四散したかのようだった。燃え広がる炎は、流れた水によって湿った地面すら炎上させて、熱にあぶられて霧となった水もあわせて明日菜を包み込んだ。
 悲鳴すら燃える。紅蓮に飲まれた少女に対して憐憫の念は浮かぶけれど、近くに青山が居るかもしれないという恐怖が、千草に生易しい感情を振り払わせる。
 例え肉体を強化しようともこの熱量の直撃は無傷ですむはずがない。だがそれでも、魔に連なるものを消し去るあの武器があれば、充分生きていられるはずだ。宙に浮かびながら、式と共に燃え広がる炎を注視する。
 そうすればやはり予想通り、霧と炎を吹き飛ばして明日菜が現れた。それはいい。そこまでは予想通り。だが、千草は驚きに目を白黒させた。

「なっ」

「危ないじゃない!」

 炎から脱出した明日菜は、服の端が所々焦げているものの、肉体そのものは全く持って無傷で健在だ。明日菜自身も混乱はあるが、しかし魔法が無害にしかならぬことを確信したその瞳には、漲る自信がはっきりと見えた。
 最早、目の前の中学生はただの中学生とは認識できない。千草は唇をかみ締めて明日菜の脅威を改めて把握する。

「なら、おいでやす!」

 虚空に浮かんだ千草が持てる札をばらまくと、そこから無数の式が現れた。最初に出した可愛らしい式ではない。どれもが武器を携えた、殺傷用の式。
 術が駄目ならば、肉弾戦で押し切る。千草は空から指揮者の如く式を操り、明日菜へと襲い掛からせた。

「多いなぁ!」

 だが怯まない。怯えない。空から降りてくる式の群れと、それらが持つ、人を殺すため作られた刀剣類を見ても、明日菜は真っ向から挑む。
 千草を殺すかもしれない恐怖はまだある。それでも戦わなければ、戦わないと。

 また、失う。

「いやぁぁぁぁぁぁ!」

 己の奥底に眠る本当の恐怖を振り払うように自身を奮い立たせる。握る太刀は覚悟の証。失わないように、離さないように。
 だから、我武者羅に前を向け。




後書き

次回は刹那vsツッキーとネギvsこた。

オリ主が仲間に加わりたそうに彼らを見ている!

仲間に加えますか?

>はい
 いいえ




[35534] 第八話【勝ちたいという気持ち】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/14 00:37
 それぞれがぶつかり合う。戦況は、互いの陣営共に、一つずつ一方的な展開が繰り広げられている中、ここに居る二人はぎりぎりのところで拮抗していた。

「奥義!」

 刹那は月詠を強引に突き飛ばすと、気を夕凪に集中させた。収束した気は発電して、刀身に紫電がまとわりつく。耳につく甲高い音を響かせながら、夜に煌く雷光を敵手に向けて放つこの技こそ、神鳴流が奥義。

「雷鳴剣!」

 剣先から放たれた雷が月詠目掛けて飛んだ。突きの延長、雷光の突き。射程を延ばし、閃光の速度で妖魔を滅ぼす奥義を、月詠は事前に軌道を予測して横に飛ぶことで回避した。
 地を穿つ雷が大地を爆発させる。土と石飛礫が空を舞い、互いの間に降り注ぐ。
 だがその程度は障害にすらなっていなかった。月詠は遮蔽物に構わず瞬動を使って刹那との距離を再び詰める。

「せりゃー」

 気の抜けた声だが、振るわれる斬撃は熾烈苛烈にして激烈。小回りの効く小太刀を使った二刀の手さばきは、長大な野太刀を扱う刹那にとってはやり辛い相手である。
 右と左、舞うように首を狙ってくる切っ先を、野太刀を巧みに駆使して逃れつつ、隙あれば反撃の一太刀。
 近距離での戦いは月詠が圧倒的だ。スピードを生かした技の数々は、あまり考えたくないことではあるが、間違いなく──

「神鳴流でありながら、人斬りの刃を振るうのか!?」

 鍔迫り合いに持ち込み、顔を突き合わせる距離で刹那は吼えた。襲い掛かる魔から人を守るために振るわれるべき剣を、ただの人斬りの刃に貶めている。
 それは、タブーである。何せその刃は、質は圧倒的に違えども。

「その剣の果ては青山だぞ!」

 刹那は怒りを込めて叫んだ。事情を知らぬ者ならば、理解できないその言葉は、神鳴流だからこそ瞬時に理解できる。神鳴流であれば誰もが知る。そして神鳴流であるために誰もが口を閉ざす。
 それが青山。
 鬼畜外道に落ちた宗家の汚点にして、史上最強の神鳴流。
 そんな化け物である青山に、お前はなろうとでも言うのか。
 刹那の問いに月詠は底冷えするような笑みで答えた。当然とばかりに、むしろそれこそ、少女の望み。

「そうですえ。ウチはあのお方になるんです」

「な、に……?」

「あのお方こそ、ウチの神や」

 むしろ、と月詠はよくわからないといった面持ちで続けた。

「あの背中こそ、ウチらが目指すべきやと思いませんかー?」

「月詠ぃぃぃぃ!」

 刹那の気が膨れ上がる。手加減などない。ここでこの少女を止めなければ、また再びあの悲劇は繰り返されるのだ。
 幼少の記憶にすら新しい。腕を失い、今にも死にそうな鶴子を刹那は覚えている。
 弾き飛ばして、怒涛に畳み掛ける。野太刀の質量を巧みに使い、刹那は月詠を彼女の太刀の距離の外から切りかかり続けた。

「あれが悲劇を生んだ! お前は鶴子様の姿を見ていないのか!? 青山は、アレは斬ったんだぞ!? 悪でもなく、魔でもなく、己の肉親を、己のために斬ったんだ!」

「そうです。だからあのお方はつようなったんですえ。先輩は知らないからそうやって怒るだけや。見ればわかりますわ。あのお方が剣や。冷たくて、無感動で、殺風景で、とっても危険。ウチはなぁ、あぁなりたいんですわー」

 月詠は刹那の叫びを一笑した。
 わかっていないのだ。誰もがあのお方を化け物と詰るけれど、月詠は違う。幼いころ、偶然見ることが出来たあの瞳を見たからわかるし、それだけで自分には充分すぎた。
 月詠にとっての青山は神に等しい。人でありながら、人の道を究めた修羅。戦いの果てに彼ならば行き着くと、幼い思考で理解したから。そして幼き少女の憧れは、その数年後、周囲にとっての悪名として轟き、少女は自らが崇拝するべき対象を確信した。
 あの背中こそ、最後の場所なのだと。

「修羅に生きるか外道! 神鳴流の信念は何処に落とした!?」

「凶器を用いて正道を語る先輩方、いいえ、西を裏切った刹那先輩には言われたくありませんえー」

「くぅ……!」

 苦渋に満ちた表情で刹那は戦う。一方的に攻めながら、精神的に刹那は追い詰められていた。
 刹那は、青山を知らない。ただ、斬られた鶴子の姿を知っているから、アレを外道と断じているだけだ。だから、青山の人となりをほとんど覚えていない彼女では、青山に溺れた月詠を言葉では止められない。
 ならば、語るべきものは一つだけだ。夕凪に気を込める。大気を歪めるほどの威力が込められて、刀身が煌いた。
 同時、月詠の二刀も気を吸って震えた。殺気を充満させた剣は、少女の腹に宿る狂気を具体化させたかのよう。
 互いに一撃に込める。互いの思いを、祈りを。ここに吐き出す。

「秘剣、百花繚乱!」

「にとーれんげきざんてつせーん」

 気によって現出した一枚一枚が鋭利なる刃物となる花びらと、巨大な気の斬撃が激突して、周囲の光景が豹変する。互いに打ち消しあった技の残滓が残る中を、二人の剣士が駆け抜けて再び激突した。

「どうしてそこまであのお方を毛嫌いするのかわかりまへんわー」

「知れば誰もが嫌うだろうさ! 青山という存在を!」

 火花散る。気が散り散りと二人を包む。剣を交わしながら言葉をぶつける。
 だからこそ、月詠の発言は刹那の動きを止めるのには充分だった。

「あれー? でも確か先輩は麻帆良のお方ですよねー?」

「それがどうした!?」

「あのお方、今はそこで働いてるって聞きましたえ?」

「な……」

 刹那は呆然と動きを止めた。不意打ちの一言に身体は硬直し隙を晒す。月詠はそこを狙えるにもかかわらず、それはつまらないと感じて刹那を蹴り飛ばすに終えた。

「が……!?」

 それでも気で強化された一撃は痛烈だ。砲弾のように吹き飛び、大地を二転三転して刹那は体勢を立て直すが、しかしその顔に浮かぶ焦燥は隠し切れなかった。

「どういうことだ! 青山が麻帆良に居るだと!? 出鱈目を……」

「いーえ。出鱈目やありまへん。それにウチは嬉しいんですー。あのお方が西側との和解を果たすらしくてなぁ……ようやくあのお方のことを上のお方が認めてくれたと思うと、ウチはうれしゅうて──」

「バカな……ありえない! 青山が神鳴流に何をしたのかをわかっていて」

 そこまで言って、刹那はかつて鶴子とした会話を思い出した。
 正当な戦いの結果であり、彼は悪くない。
 簡単にまとめるとそんな話で、それからも鶴子は狂っていく弟を諌めようと苦心してきた。
 そう、恐るべき青山を、その最大の被害者である宗家こそが庇っていた事実。それを考えれば──

「……状況はどうあれ、今は関係ない話だ」

 刹那は深呼吸を一つして、胸中に浮かんだ考えを隅に投げ捨てた。今は関係ない。今考えるべきは、目の前の敵。
 文字通り目の色が変わった刹那の瞳を、月詠はうっとりとした眼差しで見つめ返した。

「えーなぁ。やっぱしえーなぁ刹那先輩は。先輩とならウチ、もっと先に進めそうな気がしますー。相性がええんやろうなぁ」

「黙れ外道……だが、同感だ。踏み外したお前には、裏切り者である私くらいしか相応しくないよ」

 足を肩幅に開き、夕凪を上段に構える。冷たく、剣の奥へ。余分なしがらみを一切捨てて、少女はこのひと時だけ剣となる。
 気に呼応して月詠が笑った。月下に照らされた禍々しさは異端の証。月の狂気を映し出したが如きおぞましさを吐き散らす剣鬼を前に、刹那は渾身の一振りを持って迎え撃った。
 激突で生じる被害は人間が行える破壊の領域を超えている。一合だけで周囲の風景が一変するほどの力をぶつけ合う両者は、理由はともかく斬るという目的を果たすために手を動かす。
 極大の一撃を受けた月詠は、刹那が放つ強力な太刀筋とは逆に、ただ冷徹に剣戟を重ねた。夕凪を逆手に持った小太刀で受け流し、右の太刀でその首を狙う。気で強化された肉体すらも斬り裂く刃を、刹那は紙一重で屈むことで逃れると、流された夕凪を引き戻し、身体ごと激突する。
 間合いを詰めさせてはいけない。超近距離での立会いは、二刀に慣れぬ刹那と、神鳴流の太刀筋を充分に知っている月詠とでは、月詠が一枚上手だ。
 ならば何をもって差を埋めるかといえば、野太刀の威力を生かした膂力に物言わせた近距離戦。突き飛ばした月詠に瞬動で間合いを詰めた刹那は、背中に夕凪が触れるほど振りかぶり、溜め込んだ気を爆発させた。

「雷光剣!」

 切っ先から飛んだ気が変質した電流は、月詠を中心にプラズマを発生、ドーム状に広がった光は、その内部にある物体を文字通り焼き尽くす。魔を滅ぼす神鳴流が奥義は、人間では受け流せぬ無敵の牙だ。
 だが、月詠は半身を焼かれながらも離脱を果たして、技を放ち動きを止めた刹那に向けて瞬動を行った。

「くぅ!?」

「あはっ、やりますなー」

 虚空で衝突した二人は、勢いのまま地面に落下する。煙幕が浮かぶ中、刹那は胸の辺りに感じる重さに戦慄した。

「捕まえましたわー」

 半身を火傷によって傷つきながらも、痛みを感じさせない微笑を浮かべて、刹那の前に月詠はいる。マウントを取られた刹那は反射的に夕凪を振るうが、所詮は長大な野太刀、この距離では威力を発揮することもなく月詠の小太刀はあっさりと弾き飛ばす。
 そして空に掲げられる太刀の切っ先は、寸分違わず刹那の首筋へと狙いを合わせた。

「楽しかったですえ。刹那先輩」

 迷いも躊躇いもなく、微笑みのまま振り下ろされる殺意の牙。なす術はなく、刹那は己の命を絶つ鋼の光を睨みつけ──赤い血が降り注ぐ。

「ぐぅぅぅ……」

 咄嗟の判断で空いている左手に気を全力で収束、強引にその刃を掴み取る。だがしかし神鳴流の得物を素手で掴むという無謀によって、刹那の左手が切り裂かれて鮮血がその顔を濡らした。

「ふふふ。先輩かわえーなー。その必至な姿、堪りませんわー」

「戦闘狂が……!」

 悪態をつきながらも、その一方で刹那は思考を回転させる。完全に追い込まれたこの状況、反撃するには夕凪を突き立てるほかないが、それは月詠の小太刀が遮るだろう。
 進退窮まったこの状況。突破するに必要なのは、状況を打開する何か。
 それを待てる時間も短い。出血は多くなり、数分もせずに左手の気は失われ、そうすれば指はおろか首に刃が突き立つ。

「くぅぅ」

 激痛に悶えながらも、瞳の輝きは失われない。ぎりぎりの戦い。刹那は打開の瞬間を狙って、その内側で気を練り上げて反撃の隙を待つ。






 詠唱の隙すらもなく、ただ必至に拳をさばき続ける。
 一方的な展開が繰り広げられていた。ネギと小太郎。二人の少年の戦いは、見た目の幼さとは裏腹に、一撃が地を砕くほどの異常な戦いだった。

「そらぁ! どうしたチビ助! パートナーがいなけりゃ何もできへんか!」

「くぅ!?」

 小太郎の一撃はネギが展開した障壁を数撃で貫く。それでもネギが堪えているのは、魔力で肉体を強化しているからに他ならなかった。
 だがスペック上は互角であっても、積み重ねた戦闘経験が違いすぎる。小太郎はネギが魔力で能力を底上げしているのも踏まえて、その動きに合わせて攻撃を重ねていた。口調は荒々しく攻撃的だが、こと戦闘においての小太郎の冷徹さはプロのそれだ。
 まず初撃、ネギが魔法使いだと知っているためか、詠唱の余裕を与えず距離を詰めて先手を打ち、そこからは息すらさせぬほど連撃をもって、ネギに魔法を使う機会を与えない。

「何もせんととっとと終わるでぇ!?」

 そう叫びながら放った掌底がネギの杖もろともその腹を打つ。唾液を吐きながら吹き飛ぶネギを、取ったとは思わずに距離を詰めて畳み掛けた。案の定、ネギの瞳は生気を失わず、必至に小太郎の拳に抗っている。
 言葉とは裏腹に、小太郎は想像以上に己の攻撃に耐え忍ぶネギに好意的な感情を覚えていた。年齢は己とそう変わらないだろう。だというのに、防戦一方とはいえぎりぎりで踏み止まっている。その事実が嬉しくて仕方ない。

「やぁぁぁ!」

 苦し紛れにネギが放った大振りの拳を屈んで回避して、小太郎は屈伸の勢いで跳ね上がり様に蹴り足をネギの顎に叩きつけた。
 炸裂した一撃は、障壁を貫き、強化された肉体すらも揺らす痛烈さ。視界がぶれ、上下が反転。ネギは意識がちぎれる音を聞きながら大地に落ちた。

「どやッ! 今のは顎もろたでぇ!」

 倒れたネギに小太郎は無垢な笑みを向けた。だが倒れたネギはそれに答える余力すらなかった。
 強すぎる。刹那と戦ったときに感じたものと同じ感覚が襲ってきた。いや、能力的には刹那が強いのかもしれないが、高さは違えど、ネギにとってはどちらも巨大な山と同じ。どちらも矮小な自分と比べてはるかに高いのならば、比べる意味等ない。
 それでも、抗わないといけないと思った。ネギは知っている。刹那よりも、小太郎よりも、はるかに格上の異常者の強さを見ている。

「まだ、だ」

 血を吐きながら、ネギはゆっくりと立ち上がった。口の中は引き裂け、上手く呼吸が出来ない。視界もぼやけたままで、全身に圧し掛かる重さは、水中にいるかのよう。
 嫌がおうにも理解させられる。たかが五日間修行をしただけの自分の強さなど、所詮はこの程度。
 けれど、踏み出した。だから、歩く。
 この道を歩いてみせる。

「おもろいやんけ」

 小太郎はぼろぼろになりながらも、光を失わないその眼差しを見据えて、さらに気を充実させた。認めよう。いけ好かない西洋の魔法使いと侮らない。自分と同じ歳でありながら、自分と同じく強さを求め、負けないという心を宿した立派な戦士。
 それを手折れる歓喜を、この拳で示そう。小太郎は充実する気力を威力に変えて、飛び出した。

「な!?」

「後ろや!」

 ネギの目の前から消えた小太郎が現れたのはその背後、振り返ろうとしたネギの頬にめり込む拳が容赦なくネギを吹き飛ばし──吹き飛んだ先に再び小太郎は現れた。
 瞬動二連。一定の実力者なら扱える高速歩法を連続で行えるその技量は、最早問答無用でネギの上をいっている。
 背中を蹴り上げられ、ネギは風に煽られる木の葉のようになす術なく夜空に飛んだ。取った。打ち上げたときの感触で、小太郎は確かな感触を覚えて勝利を確信した。
 だが意識は繋がれる。光を失いかけたネギの瞳が再び輝く。
 まだ、もう少し、この瞬間を待っていた!
 空中で反転。真っ直ぐを見据える少年の瞳は、眼下の小太郎を確かに捕らえた。強く吼える。手に持った杖の感触だけを頼りに、砕けた視界でなお光れ。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 闇夜切り裂く一条の光! 我が手に宿りて敵を喰らえ!」

 距離は開いた。直後、ネギは本能のままに詠唱を開始した。膨大な魔力が、打倒を願う主の祈りに答えて、詠唱の通り、闇夜に白き光を照らし出す。
 耐え切った。という事実に小太郎は僅かに驚愕して、己の失態に歯噛み。詠唱の隙を与えてしまった。それはつまり、西洋魔法使いの十八番。火力重視の強烈な魔法の展開という事実に繋がる。

「白き雷!」

 世界を照らす白光が、一直線に小太郎へと降り注いだ。文字通りの落雷。天災の一撃を再現した渾身が落ちた先、しかしネギは止まらない。
 小太郎は踏み止まっている。切り札にも近い護符の展開には間に合ったが、それらも全て焼ききれた。

「身体が……」

 それでも、全力を込めたネギの魔法は防ぎきれない。身体に走った電流によって、一時的に小太郎の身体が麻痺する。
 千載一遇のチャンスは来た。落下の勢いに任せながら、ネギは落下にかかる一秒に全てを賭ける。

「ラ・ステル・マス・キル・マギステル!」

 着地、強化されているとはいえ受身も取らずに降り立ったネギの両足が悲鳴をあげるが、痛みを意識する暇なんてなかった。
 手に宿る雷。動き出そうとする小太郎よりも早く放つのは初歩にして優秀な攻撃魔法。小太郎の腹部に添えた手のひらが紫電をほとばしる。全力全開、今出せる最速の魔法を放て。

「魔法の射手、連弾・雷の17矢!」

 零距離魔法の射手。17にも及ぶ雷の矢が小太郎の腹に収束して、その身体を吹き飛ばした。並みの術者であれば一撃で意識を失ってもおかしくない火力は、小太郎ですら受けきれるものではない。何メートルも吹き飛ばされ、地面を転がり、そして起き上がることなく倒れたまま停止した。

「ハァ……! ハァ……!」

 荒い吐息を漏らしながら、ネギは糸の切れた人形のように大地に倒れた。ぎりぎり、相手が晒した一瞬の隙に付け入ることが出来た。
 勝利への執念だけが、小太郎という実力者にネギが勝る唯一つの武器だった。付け焼刃の強化魔法だけで、武術の心得のないネギに出来るのはこれが限界。
 それでも勝った。僕は、勝った。
 心の底から、言葉に出来ない何かがこみ上げる。それは胸にくすぶるもやもやを少しだけ消化して、ネギはぼろぼろの拳を強く──

「やるやないか。少しだけ、焦ったで」

 握ろうとした矢先、倒れていたはずの小太郎がゆっくりと立ち上がった。
 流石に威力を殺しきれなかったのか、膝は笑って、その口からは血が溢れているが、笑っている。
 笑えるほど、痛いから、笑っている。
 それを理解できないネギは驚き、焦り。
 それを出来る人間だからこそ、小太郎は不敵だ。

「どうして立ち上がったか教えなくともわかるやろチビ助。俺がさっきお前を落としたと確信したとき、お前が意識を繋いでいたのと同じや」

 負けたくないんだ。
 それだけで、人は折れない。

「だが、今度こそお終いみたいやな。だが嬉しいで俺は、同年代でここまで張り合った奴はお前が最初や」

 だから油断も慢心もない。小太郎は両足を開いて膝を折ると、己の内側で気を練り上げた。
 ネギはその様子を見るしか出来なかった。豹変していく肉体。髪が色素を失い、月光を反射する白い髪が腰よりも長く伸びて、一本の白い尾が尻の辺りから生える。
 肉体は音をあげながら変異し、華奢な肉体は筋骨隆々に盛り上がった。いや、その身体は獣のようになっていた。爪は伸び、指は太くなり、足の形は犬のそれ。
 獣化。狗神使いの本領にして切り札が、指先を動かすのすら至難なネギに対して晒される。

「……ふぅ!」

 だからネギは立ち上がった。敵わないという卑屈な思いを振り払って、身体を束縛する見えない鎖は断ち切って。
 己の足だけで、立つという意思表示。

「おもろいで、お前」

 小太郎は笑みをより深くした。大気すら奮わせる気は、先程の数倍にも匹敵するほどだ。最早満身創痍のネギなど一撃で葬れるほどでありながら、その佇まいに隙は微塵も見当たらない。
 敗北の二文字がちらつく。負けるという結末。再び、繰り返すことになるのか。
 幼きときに見た紅蓮に染まる故郷。
 ゆっくりと凍っていくしかなかった大橋。
 そのときのように、抗うことなく、負けるというのか。

「負けない……」

 気付けばネギはそう呟いていた。手足は鉛、杖の感触すらすぐに失われそうになりながら。

「僕は、負けない……!」

 吼える。あの日、吸血鬼の問いかけにうなだれるだけだったときとは違う。
 はっきりと己を示す。ここで逃げれば、一生負け犬で居続けると思ったから。

「負けて、たまるか……!」

 我を通せ。
 逃げ道なんて必要ない。

「だったら無理矢理にでも負けを認めさせてやるで! ネギぃぃぃぃ!」

 小太郎が大地を蹴った。瞬動。先程まで小太郎がいた場所が爆発して、ネギの視界から消える。
 咄嗟にネギは杖を操作して空に飛んだ。ぎりぎりのところで小太郎の拳がネギの顔があった場所を突きぬけ、大気がねじれ、地が砕けた。
 身体を動かせないネギに出来るのは、杖を使った飛行だ。だがこんな手品、もう一度だって通用しないだろう。
 結局、逃げるのか。
 違う。
 僕は、戦うんだ。
 だが現実は厳しい。抗う術はなく、一秒もすれば小太郎は空に舞うネギとの距離を詰めて、無慈悲な一撃は夜空に赤い花を咲かせることになる。
 確定する敗北。
 逃れられない現実。
 届かない勝利を手繰り寄せる術は……一つだけ。

「おぉぉぉぉぉ!」

 ネギは杖を手放すと、叫びながら小太郎目掛けて飛んだ。
 面白いと小太郎は笑う。最後の足掻き、特攻。瀬戸際のカウンターしか残されていない。
 男やないか!
 小太郎は内心でネギを賞賛し、その気概に答えるべく、ありったけの気を右拳にかき集める。
 最早、相手の生死など彼岸の彼方だった。あの敵を倒す。それだけが小太郎の全てで。
 そのぎりぎりまで、思考をネギは手放さなかった。
 考えること。それが弱者に出来る最後の抵抗。突撃という自爆で、ネギは一瞬で距離を詰めるはずだった小太郎に、自分が落ちるまで待たせるという時間を得た。
 これによって得られる時間は一秒程度もない。
 だがその抗いが、その一秒が、今のネギには何よりも必要だった。
 それでも半ば無意識に近かった。削れていく思考の中、勝利を手に取るために必要な一撃を選択。その末に得られた回答は、やはり自爆しかなかった。
 落ちるネギの身体から魔力が噴出した。いや、それだけではない。遅くなった時間で、小太郎は魔力を身にまとうネギから溢れる別の力を感じ取った。
 魔力とは違う輝き。それは気だった。魔力が精神力なら、気は体力を削る。それゆえに元の体力は十歳のそれと同じネギが出せる気の量には限りがあり、だからこそ、この一瞬で吐き出せばすぐに尽きるものでしかない。

「ぎぃぃぃぃ!」

 魔力と気の同時運用。だが本来反発しあうそれらを使用したネギの身体を激痛が襲った。刹那の短い間にすら、無限の激痛が脳髄を焼きつくす。半端な技量での魔力と気の運用が引き起こす結果としては当然であり、最悪の帰結。
 だが繋げ。痛みに揉まれながら、ネギの瞳は小太郎を見据えた。これしかないのだ。土壇場で思いついた魔力と気の同時運用。これによって得られる最大威力にて、一瞬だけでいい、小太郎の身体能力を圧倒する。
 足りない技量を、単純なスペックで上回るというシンプルかつ、出鱈目な回答だった。破綻するのが目に見える結論。死に急ぐデッドヒート。
 それでも、必要なのは力だった。反発する魔力と気を強引に支配する。頭が沸騰するような錯覚を覚えた。意識が切れる前に激痛で死ぬ。そう理解した。
 だがこの一瞬でやらなければならない。
 束ねろ。
 重ねろ。
 集めて、隷属させろ。

「ッ!」

 瞬間、ネギの身体が内側から輝いた。目を瞑るということはしなかったが、小太郎はその光に目を奪われた。
 全てが零秒で起きた出来事だった。死に至る無謀が、裏返って力となる奇跡を零秒に見る。
 それの名前をネギも小太郎も知らない。
 だがそれは確かに存在する奥義。膨大なエネルギーを身につけたネギの今の状態。鼻はおろか両目からも出血するほどの危機を乗り越えて得られたたった一つの切り札。
 気と魔力の合一という高難度の究極技法。

 咸卦法。その切っ掛けを、ネギは極限状態の一瞬で手に入れた。

「届けぇぇぇぇ!」

 落ちるネギが、小太郎の反射神経を超えた一撃を炸裂させる。人外に変貌した小太郎すらも上回る人外の一撃は、痛みに唸る暇も与えずに、小太郎を吹き飛ばしてその意識すらも焼き尽くす。
 そしてネギは降り立った。身体の内側からこみ上げる得体の知れぬエネルギーに当惑しながら、ゆっくりと、今度こそ立ち上がらずに力尽きた小太郎を見据え。

「勝った」

 あふれ出す力と、現実にしてみせた不可能の回答。
 勝利という名の、飽きることなき最高の美酒の味。

「僕の、勝ちだ……!」

 泣くように、勝利を叫ぶ。溢れる力は収まらない。脳髄は痛みを忘れ、歓喜の渦に飲み込まれた。
 手に入れるということの甘美は、痛みと疲労を即座に吹き飛ばす。掴んだ実感、得られた光。
 それを確かめるようにネギは己の両手を見つめて。

「……っ」

 強く、ただ強く握りこんだ。






 その光景に俺は涙した。
 そっと、静かに頬を伝う水滴を拭うような野暮はしない。
 嬉しかった。
 ただただ、君の姿が美しくて嬉しかった。
 ほらやっぱしそうだった。
 君はやっぱしそうだった。
 極限の状況下。君は直前で手に入れたんだ。よかった。本当によかった。今すぐ君の元に行って褒めてやりたかった。
 よくやったね。
 よく頑張ったね。
 確かに光り輝きその強さを磨いていく。素晴らしいという言葉では言い表せない。
 あぁ。
 この気持ちをどう表現すればいいのだろう。
 君が強くなっていく。
 少しずつ。
 少しずつ。
 俺のところに近づいてくれている。
 感動的だった。感謝すべき奇跡だった。神という存在を信じられるくらい、今の俺は感謝していた。
 全てにお礼を言いたかった。君という奇跡に出会えた全てに感謝したい。ありがとうと声を大にして強く、強く。
 そう。
 思いっきり叫ぶのだ。


 斬る。


「あ」

 しまった。
 思ってしまった。
 内側から押さえつけていたアレが声を出して存在を主張する。
 俺という自意識を斬り裂いて、俺という自意識が覚醒していく。
 あぁ。
 駄目だよ。
 まだ、まだ駄目だよ。
 でも。

 うん。

 斬ろう。






 そして、爆音よりも静かな、だが何よりも存在感のある鈴の音が鳴り響く。
 それだけで、そこに居た者達は己が斬殺される瞬間をはっきりと思い描いた。
 聞きたくなかったその音を聞いてしまったこの瞬間、誰もが戦うという意識を喪失して、その音の先を見る。
 知らなくても理解する。知っているから理解する。どちらであろうが関係なしに、理解させてしまうその音色。
 美しくも悪夢的。
 狂気的ながら清涼の歌。
 響く音に停止した。




 青山が、来る。








後書き

オリ主、痛恨の「あ」

そんなお話でした。



[35534] 第九話【修羅よ、人の子よ(上)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/16 19:55
 凛と歌う刃鳴りが響く。
 それは突如その場に現れた。鈴の音色と共に、激突する四つの戦いの中心に唐突に現れて空を仰いでいた。
 まるで後悔でもするように。
 まるでこみ上げる笑いを堪えるように。
 それは空を見上げながら、透明に濁った気を撒き散らす刃を肩の高さまで掲げた。

「あ、あ、あ……」

 千草は恐怖に染まってしまい言葉を上手く出すことが出来なかった。
 最後に見たときよりも随分と顔立ちが変わっているせいで、パッと見では誰か気付かないし、そもそも夜の暗闇では表情を見るのは出来ないというのに。
 千草はわかってしまった。
 いや。
 青山を知る全ての人間は、それが青山だと即座に理解していた。

「あ、青山……」

 千草は震える声でようやくその名前を呟き、その言葉に反応した青山が視線を千草に向けた。

「はい、俺です」

 あまりにも簡素な死刑宣告が告げられる。
 青山。
 それだけで、悟る。

「俺が、青山です」

 千草はその視線に晒されて、恐怖すら感じることが出来なくなってしまった。感情で表現できるほどの生易しいものではない。青山とはそういう類の呪いだ。
 そして千草はこみ上げてくる怒りを感じた。恐怖すべき対象でありながら、憎むべき悪夢。辛うじて内側から燃え上がる怒りが、千草に冷静な思考を思い出させていた。
 だがそんなことは関係なく、青山は興味なさそうに視線を切ると、反対側に居る刹那と月詠を見た。

「ッ……」

「あはっ」

 刹那はその光を灯さない黒い瞳に見据えられ息を呑み。
 月詠は恋焦がれた相手を見つめるかのように、頬を染めて微笑んだ。
 だがすぐに青山は視線を移す。次はフェイトと楓。フェイトはこの状況を見据えて練り上げていた術式をさらに内側で練り上げ、楓は警戒心をむき出しにして青山とフェイトを視界に収めた。
 そして最後、青山はネギを見る。遠くに佇む少年は、その存在を主張するような明るい光を身に纏っていた。
 その姿に見惚れてしまう。思わず口を開いて食い入るようにネギを見る姿は、純粋無垢な少年そのものだった。
 宝石なんて目ではない。あの輝きはこれから先さらにさらに輝きを増していくだろう。
 そしていつか辿り着くのだ。脳髄すら冷たくなるこの領域に。
 修羅場へ。
 そう考えるだけで、手に持った十一代目が刃鳴りを響かせた。感情を表さない主に代わり、その刀は喜びを歌った。
 斬ろう。
 斬る。
 斬るのだ。
 斬る。
 斬ってしまえ。
 斬る。
 斬れ。
 斬る。
 斬。

「あはは!」

 物思いにふけっていた青山に向かって、抱擁するように両手を広げて月詠が襲い掛かった。その姿を見た誰よりも早く、彼女の憧れは無意識に斬撃を行うという回答をもたらしたのだ。
 半身が刹那の雷光剣で焼かれたというのに、その動きには劣化はない。それどころか、刹那との戦いをはるかに凌ぐ速度で青山に肉薄していた。
 充満する気は先の数倍にまで膨れ上がっている。青山という規格外に会えたという奇跡が、月詠に限界を超えた力を与えていた。

「ははは!」

 笑いながら月詠は二刀から気を放った。
 連撃斬空閃。触れればあらゆる魔も人も断ち切る見えない牙は、ネギを見続けている青山の背中を襲う。倒れ付す刹那は、膨大な気を練り上げて放たれた刃に、青山の死を予感した。青山は気を練り上げるということもせず、無防備に背中を晒すのみ。
 あっけなく、斬り裂かれる。逃れようなき現実を。
 ──凛。
 その音は容易く斬り裂いた。

「……っ!?」

 刹那の目には何が起きたのかわからなかった。青山の首目掛けて撃たれた斬撃が二つとも、鈴の音色が響いた瞬間霧散したのである。
 斬ったのだ。手にもつ、見るだけで気が狂いそうになる刀で、刹那の知覚を軽く超えた速度をもって、あの恐るべき必殺を斬り落とした。
 だが月詠は特段驚いた様子も見せず、青山の懐に潜り込んだ。無防備な背中に、手を伸ばす。その先には冷たい鋼。青山を斬るという祈りの牙は、振り返らずに十一代目で応じた青山に容易く受け止められた。

「あら?」

 鍔迫り合いの状態で月詠は首を傾げる。
 ぶつかっているはずの十一代目からの感触がなかった。相手側からの力も感じなければ、だからといってこちらが押し込んでも微動だにしない。
 巨大な壁と押し合っているような感覚だった。まるで響かない。まるで届かない。月詠の渾身は、青山にとってその程度でしかなかった。
 その間も青山は未だに混乱から抜けきっていないネギを見ていた。その後姿を見て月詠は理解する。
 青山は、己のことなど認識すらしていない。

「あ……」

 直後、月詠の刀を青山は無意識で弾くと、ネギに向かって歩き出した。その姿を呆然と、笑顔の抜けた絶望の表情で月詠は見送る。
 この世の終わりに遭遇したような表情だった。これ以上の絶望は存在しないとばかりに、その瞳からたちまち光は失われ、常に浮かんでいた微笑は消し飛ぶ。
 天国から地獄に落ちるという気持ちが今の月詠にはよくわかった。
 思って、思って、ただひたすらにその背中を思い続けて。ようやく手の届くところに現れてくれて。嬉しすぎてはしゃいでしまって。
 そんなウチは駄目ですか?
 そんなウチは嫌いですか?
 嫌だ。
 行かないで。
 ようやく見つけたというのに、遠くに行かないで。
 ウチを見て。
 ウチを斬って。
 それだけを、ウチはずっと祈ってきたから──

 だが願い虚しく、青山はネギのほうへと歩いていった。

「あ、あぁぁぁぁぁ!」

 直後、月詠の理性が砕け散り、余裕のない必至の形相で青山に飛び掛った。
 そして意味のない一人芝居が始まる。
 月詠は叫びながらその背中に怒涛の攻撃を仕掛けた。その勢いは万全の状態の刹那であったとしても、十秒だって持たないほどの圧倒的な手数と火力。それこそ限界を超えた力の発露だったのか、一秒毎に勢いを増す刀の舞。これぞ神鳴流と誰もが唸るほどの連撃は青山に全く通らない。
 どころか、その興味を惹くことすらできていなかった。

「う、あ……」

 絶望する。伝えたい気持ちはことごとく無視されて、崇拝すべき願いは月詠の元を去っていく。
 用などなく、意味もなく、眼中どころか意識にもなく。お前の全ては路傍の石以下だと告げられているような──そう、その背中が物語っているように月詠は感じた。

「嫌! 嫌や!」

 そんな予感を、声を大にして否定しながら、駄々をこねる子どものように身体を震わせて、月詠は思いのたけを乗せた刃を奮い続けた。不毛な刃は伝わらず、鉄が弾きあう音と、嗚咽の声だけが夜を震わせる。

「あぁ……」

 そんな後ろの『騒音』を無視して、青山は感嘆としたため息を漏らした。ネギは膨大なエネルギーを放ちながら、自分を真っ直ぐに見つめている。その目に映るのは自分と青山の間に広がる圧倒的な差を感じたことによる絶望だった。
 それが青山には嬉しかった。相手の力量を正確に把握する。把握できるくらいに大きくなったその輝きに感動した。
 一歩、ゆっくりと近づく。
 少しだけだ。
 少し。
 ほんの少し、俺に魅せてくれ。
 今の青山はぎりぎりのところで本能と理性がせめぎあっていた。いや、周囲には最悪なことに、青山の本能は僅かに理性を押している。
 だから、斬るつもりだった。試しに、ちょっとだけだったらいいだろうと、無表情の奥で欲望に爛れながら、動けずにいるネギへと一歩一歩迫っていく。
 止めろ。という理性の発言がその歩みを遅らせている要因だった。今、ネギを斬れば全てが瓦解する。
 だが我慢できない。
 斬りたいのだ。あの少年の輝きを一刀すれば、きっと俺はこの終着点で何かを手に入れることが出来る。
 しかし今のネギでは駄目だと理性は吼える。今のネギはまだ道を歩み始めたばかりで、お前が感じているのは未来の彼の姿だと。
 だから抑えろ。
 でも抑えられない。
 激突する二人の青山がその身体の動きをぎこちなくさせる。議論は堂々巡りで、その間にもゆっくりと距離は詰めて。

 じゃあ、他の奴を斬ればいい。

「あ、そっか」

 その動きが止まった。心の中が晴れ晴れとする思いだった。
 斬ればいい。
 斬るのがいい。
 青山は、あまりにも簡単な答えに気づかなかった己を恥じた。やはり未熟だ。目先のことに囚われてしまって、危うく彼の未来を奪うところだった。
 申し訳ない。
 本当に申し訳ない。
 でも斬りたいという気持ちは本当で、だから君を斬りたくて。
 仕方ないから、他の奴を斬って気を紛らわせるのだ。
 そのくらい、猿だってわかる簡単な方法に気付かなかった己を殴りたい気分ですらあった。
 誰だってそう思う。彼を斬るのには圧倒的に劣るけど、気分を紛らわすために誰かを斬る。
 実に合理的な考えだった。同時に、今の自分と同じ状況に居れば、誰もが思いつくような考えすら頭に浮かばなかった己の浅はかな思考に落胆。

「あぁぁぁ! あぁぁぁぁ!」

「ん?」

 ついには泣き出しながら青山に斬りかかる月詠の声と存在に、そのときようやく青山は気付いた。
 無意識で動いていた右腕を意識して動かし、獰猛な一撃を優しく受け流して振り返る。

「あ……」

 そうすれば、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになった月詠と目が合った。青山からしてみれば、振り返れば武器を持った少女が、体中を震わせて涙を流しているという異常な光景に他ならない。
 どうしようもなく気まずい気分になった。だからこそそれは奇跡だった。青山の意表を突くその光景は、一瞬とは言え本能の囁きを失わせる。そしてそれだけの時間があれば、青山は強引に己の本能を押さえ込むことが出来た。

「……うん」

 青山はようやく落ち着いたところで、内心で大きく安堵していた。
 今のは危なかった。あと少し抑えるのが遅れていれば、ネギを斬っていたところである。だがそれは青山にとっては本意ではない。ネギにはさらに経験を積んでもらって、自分と同じ場所に立ってもらわなければならないというのに。
 度し難い。未熟極まりない己の精神に辟易する。

「あ、あの!」

 自省していると、そんな青山に躊躇いがちに月詠が声をかけてきた。青山はその声に応じるように視線を合わせて、それだけで月詠は頬を染めてふにゃりと微笑んだ。

「よかったー。無視されて、ウチ、とっても悲しかったんですー」

「……そうか」

「だからー」

 月詠が気を吐き出す。その場一帯を覆いつくすほどの圧倒的かつ高密度の気の奔流。さながら巨大な魔物がそこに居るかのようだった。
 刹那はその圧力に抗うように立ち上がりながら、どうしてそこまで強くなれるのかと歯噛みした。
 月詠は強い。刹那と戦っていたときよりも強くなったと思ったら、今この瞬間、さらに先まで進んだ。その強さの源泉が修羅の道であることが、人を守る牙である刹那には理解できなかった。
 いや、理解するわけにはいかなかった。
 それを理解するということは、正道は邪道に屈するということを。外道は常道を破壊し、異端こそが常識を剥ぎ取るということを。
 そういうことだと認めなければならなくなる。
 ならば自分は何だ。正しい道を、守るという正義を。それこそが正しくて、間違っていないから突き進んで。
 そんな刹那をあざ笑うように月詠は一足飛びで進み、その果てに待つのが──

「青山……なのか」

 刹那は本能で理解した。その姿は知らなくても、それの存在だけでわかる。
 なんて様。
 なんという様なのか。
 酷いとか、気持ち悪いとか、そういうレベルの問題ではなかった。
 あの様だ。
 そうとしか言えなかった。言語を超えた謎の感覚に気が狂いそうになった。青山という人間は、あの様だから青山だと。
 あの様に、なるというのか。

「……お前は」

 本物の修羅が居る。修羅場に佇む完結した人間がこの世の中に存在してしまっている。だからこそわからない。その様で、その有り様で何が出来る?
 そんな刹那の葛藤に答えるように青山は構えた。月詠の放つ邪悪な気に微塵も動じない静かな立ち振る舞いだった。
 揺るぎようがない。
 揺らぐものがない。
 終わっているから、動じない。
 だから、魅せつける。
 この様だから。

 人は、人を斬れるのだ。

「神鳴流。月詠ですー」

 名乗りを上げた月詠みは、一心に自分を見つめてくる青山を前に、胸が高鳴り続けていた。
 夢が叶う。ありえない有り様を晒すこの人に、己の剣を魅せることが出来る。
 その奇跡に感謝して、月詠は行く。底など見えない暗闇へ。光を飲み込む何かの中へ。

「元神鳴流。青山」

 音は渡る。透き通る。

「いざ、参る」

 その宣誓を皮切りに、月詠は青山の真横に瞬動で飛んだ。臆することなくその懐へ飛び込む。二つの銀閃が揺れて、正眼に構える青山の喉元に食いついた。
 疾走する光は十一代目を使うでもなく、皮一枚で見切られて空を斬る。だが身体を崩すことなく月詠は逆手に持った小太刀を流れた勢いで青山の手の甲目掛けて奮った。
 だがこれも空を斬る。だけではなく、月詠の目の前から青山の姿がなくなっていた。
 瞬動。それも目の前に居る月詠に悟られないほどの錬度。当然、この場に居るものではフェイト以外に反応できるわけもなく。
 しかし剣士としての本能が、月詠の額を焼く気配を感づかせた。
 上空、見上げればすでに突きの構えに入った青山が、雷光もかくやという速度で十一代目を突き出していた。見切ることなど不可能。だが本能は月詠を動かし、額を貫くはずの刃は、辛うじて顔をずらすことが出来た少女の左の耳たぶを切断するだけに終わった。

「ふふふ! あはは!」

 戦っている。
 あのお方と戦えている。
 月詠は激痛を訴える耳の痛みに歓喜した。この痛みはきっと死ぬまで忘れない。いや、この一瞬全てを忘れることはない。
 だからもっと、まだ終わらせない。月詠は顔の横を抜けた鈴の音色にうっとりとしながら、左手の太刀に気を込めて、舞い降りてくる青山に向ける。

「ざーんがーんけーん」

 空という逃げようのない場。確実に突き立つという確信に月詠は笑い、全力全開の奥義を、憧れに向かって解き放つ。
 しかし放たれたはずの気は、放たれることはなかった。

「あらー?」

 おかしいなぁという思いと、降りてくる青山に反撃できなければ、このまま斬られてしまうという思いが重なり、再び左腕に気を収束して、失敗する。上手くいかず、呼吸のように出来るはずの気の収束がどうして出来ないのか、時の止まった世界で疑問を重ね続けた月詠は、恍惚とした吐息を漏らした。

「ぁ……ん」

 奮ったはずの左手の感触がなかった。降り立った青山を月詠は潤んだ瞳で見すえ、そっと掲げられた十一代目に突き立ったそれに視線を移した。
 赤く染まった十一代目の切っ先に突き立つのは、いつの間にか斬り飛ばされていた月詠の左腕だった。器用に肘から下が斬られて、まるで焼き鳥の肉のように十一代目の切っ先に突き刺さっている。
 大切な自身の肉体は、乱雑に扱われ、意味もなくぶらぶらと揺れていた。

「うふふ」

 だが月詠は笑っていた。とても嬉しかった。青山に斬られたという事実が嬉しくて、傷口から失われていく血のことすら気にならなかった。
 少女の短くない生涯。刀の道を究めるために、共に歩んできた大切な身体の一部がなくなった。
 斬られて千切れて突き刺さった。無意味に、何かをなすこともなく、青山に奪われた。
 その素晴らしい出来事が、月詠にはとてもとても、嬉しかった。
 だがまだだ。右腕の刃は重く、確かな感触を持って──

「ほえ?」

 いつの間にか、青山の刃が月を突くように空に掲げられている。
 そしてつられるようにして見上げた空に舞う二つの肉と銀色の輝き。それがくるくると回転しながら落ちてくる光景は、まるで竹とんぼのようだなぁと月詠は思った。
 月詠が惚けている間に、青山が掲げた十一代目に二つの肉が突き刺さる。赤い血を十一代目に滴らせる様は、初めてを奪われた少女の流す尊い鮮血に似ていた。
 気付けば右腕の重量感は、感触ごとなくなっていた。ちらりと見れば、左腕と違って肩の付け根から綺麗に削がれた傷口が、月詠の認識を皮切りに滂沱と流血を噴出しだす。
 両腕の傷口から、栓の壊れた蛇口から吐き出される水のように、月詠の命が失われていく。だがしかし、体中を血に染めながら、対照的に顔を真っ青に染めながら、月詠ははにかむように、慈しむように、青山の光なき瞳に微笑みながら語りかける。

「ウチの腕ー。美味しかったですかえ?」

「普通」

 青山の返事に「そーですかー」と、ちょっと寂しげに笑った月詠は、滂沱と流れる出血によって意識を保てなくなり、笑ったままその場に倒れた。
 場が、再び静寂する。
 戦いは一方的に完結した。
 結果だけを見れば、それは戦いとすら呼べぬものであった。青山は月詠を軽くあしらい、まるで駄賃を貰うようにその腕を斬り落としたという結果。
 それも無理はない。落ちたとはいえ、元は神鳴流の宗家。しかも歴代最強を悉く斬り倒した史上最強。そんな相手に、気の総量を土壇場で増やしただけの、未熟な少女が叶うはずもない。
 こと近距離という状況において、この旧世界で今の青山と斬り結べる相手は、それこそ同じ宗家、無双の域に到達した青山素子くらいである。幾ら月詠が熟練しようが、神鳴流にありながら、僅かに外道に逸れただけの刀で、青山に届くということはなかった。

「……」

 だがそんなわかりきった事実、得意げになるほどでもない。
 青山は自分の血で作った水溜りに沈んだ月詠に近づくと、無慈悲に十一代目を払って少女の両腕を地面に落とし、赤い刀身を誇示するように空に掲げた。
 冷たい表情は、刀のように冷え冷えとしている。

「やめろぉ!」

 倒れ付す少女を見つめるその姿から、次の行動を予感した刹那は叫ぶ。
 だが彼女の制止を聞くことなく、青山は断頭の刃を振り下ろし──切断された肘と肩の肉を斬り裂いた。
 光に翳せば透けるくらいに斬った箇所は薄く裂かれ、血の海に肉が落ちる。それだけで傷口は変わらず真っ赤な血を浮き出しているが、出血は収まっていた。
 傷口を斬ることで出血を止める。常識外れの光景に目を白黒させている暇もない。青山は先程とは打って変わってネギとは視線を合わせないようにして、千草とフェイトを見て、左手で軽く顎を擦った。

「長瀬さん。彼ら、もういない」

「なに?」

 青山の言葉を聞いて、楓は先程まで対峙していたフェイトを見つめ、クナイをその顔面に投げた。フェイトの技量でならあっさりと避けられるか弾くことができるだろうそれは、なんの抵抗もなく突き立つ。
 直後、フェイトを模していた何かは札に戻った。青山が出てきた一瞬、動いたのは月詠だけではなく、フェイトもそうだったのだ。青山が予想よりも早く現れたのを見越して、空間転移を使い千草を拾って、札を残して離脱。誰もが青山に集中していたからこそできた芸当だった。
 だがフェイトに出来たのはそれだけで。
 それだけで充分すぎた。

「……」

 青山は何かを追うように視線を虚空に飛ばしてから、悟ったように数度頷いた。そして腰の鞘に十一代目をしまい、帯に縛っていた竹刀袋に突っ込んで、口を厳重に締めた。
 ふぅ、と軽く吐息。刹那すら驚嘆すべき力量を誇った月詠を容易く降したというのに、その額には汗一つすらかいていなかった。
 これが、青山。立ち上がった刹那は、夕凪を鞘にしまうことなく、警戒心むき出しのまま近づき、それを制するように、楓が青山の前に立った。

「お久しぶりでござるなぁ」

「いつも、迷惑をかけている」

「いやいや、おかげでスリルのある修行が出来ているでござるよ」

 世間話のように軽く言葉を交わす両者だが、楓もまた青山に対する警戒を解いてはいない。
 そも、出会ったとき問答無用で斬るという意思を叩きつけてきた相手に、どうして警戒心を解けるだろうか。

「……助太刀、感謝します」

 遅れて、刹那が楓から一歩引いた場所で青山に声をかけた。不思議な男であると刹那は思った。刀を持っているときは、あんな有り様だったというのに、今の青山は雑多に紛れていればまるで気付かないほど、何処にでもいそうなほど存在感がない。
 だが目だけは変わらず光を吸い込む気持ち悪さを湛えていた。それが、不快だった。
 そんな刹那の気持ちに気付いているのか否か、まるでわからない無表情で、礼を述べた刹那に青山は深く頭を下げた。

「何の。助太刀が遅れたこと、申し開きがない」

「いや……いや、いいのです」

 最初の印象とのギャップがありすぎるからか、刹那は困惑した面持ちで頭を上げるように促した。

「斬り殺すかと、思いましたよ」

 刹那はそう言いながら、気絶している月詠に視線を落とした。腕からの出血は収まっており、これならば出血多量で死ぬことはないだろう。話に聞いた限りであれば、躊躇いなく殺していそうなものなのだが、そんな皮肉を含んだ言葉に、青山は事務的に答える。

「可能な限り殺すな。これが学園長と、詠春様からのご命令ゆえ」

 だから殺さなかった。
 裏を返せば、その命令がなかったら、殺していた。
 どうとでも取れる青山の発言に刹那は顔をしかめた。

「あなたは本当に青山なのですか?」

「そう、俺は青山だ。かつての名は、破門された俺が名乗れるものではない。恥ずべき、忌むべき青山として、君はわかってくれているはずだ」

 青山の名の意味。
 侮蔑と畏怖が混ざった恐怖の代名詞。
 重々理解している。というよりも、今まさに思い知ったばかりであった。

「……ならば、そんな青山が何故助太刀をする。何故今更になって戻ろうとする? あなたが神鳴流に刻んだ傷跡、よもや忘れたわけではないでしょう」

「それは……」

「学園長を騙し、事情を知らぬ西洋の魔法使いを騙せても、あなたを知る私はそうはいかない。それに先程の有り様を見て確信した……あなたは、青山以外になれやしない」

 道は違えたとしても、同じく剣の道を歩む刹那にはわかった。
 この男は終わっている。
 あまりにも終わりすぎている。
 友が出来ようが、恋人が出来ようが、家族が出来ようが、守りたい者が出来ようが、その心のあり方が変わろうが。
 全部、この男には響かない。完結しているから、芯がぶれない。
 そんな男の何処を信用すればいいというのか。

「……言葉は、上手く言えない」

 青山はそう前置きしてから、刹那を見据えて答える。

「だが、俺は変わっている。かつてのように、ひたすらに戦場へ戦場へと赴いていたときとは違う。今の俺には強さなど二の次だ。麻帆良で出会った色々な方々のおかげで……俺は空を見上げながら歩くことが出来るから、その陽だまりに居られるならば、喜んで身を捧げられる」

 過去を悔やみ、今を誇る。そんな素晴らしい言葉だった。
 その言葉はとても深く、重く、本心から告げられている言葉だというのに。

「そんなこと……!」

 青山が語る。
 それだけで壊滅していた。

「信じてもらえるとは思わない。だが今現在、君達に危害を与えることはしないと、俺を信じてくれた学園長と詠春様に誓う」

「……わかりました」

 いずれにせよ、青山が戦闘行動に移れば、ここに居る全員が斬殺される。だからこそ、納得はしなくても引くしかない。刹那はそう自分を戒めて引き下がった。
 青山は渋々ながらも理解を示してくれた刹那の気持ちに感謝を伝えるため、再び腰よりも下に頭を下げた。
 その礼儀正しい所作が、謙虚な姿勢は青山の人の良さを表しているというのに、どうしても受け入れられない。刹那は嫌悪感を隠すように視線を切り、ネギの元へ駆け寄った明日菜のほうを見た。ぼろぼろのネギを涙目で抱きしめる明日菜の姿。ネギも安堵の表情で明日菜の抱擁に身を任せている。
 その美しい光景に胸を撫で下ろした。

「襲撃者の身柄は俺のほうで預かろう。総本山には、明日?」

「そのつもりです。本来は明後日の予定でしたが、状況が変わりました。尤も、そちらで今親書を預かってもらえればありがたいのですが」

「そうもいかないのはわかっているはずだ。西洋の魔法使いであるネ、スプリングフィールド君が、総本山まで足を運ぶ。その事実こそが親書と同じく重要であるのだから」

「……わかっています。が、襲撃者はあまりにも強かった」

 だから出来ればという望みがあって。
 そんな望みを青山は無表情のまま断ち切った。

「俺が居る」

「……っ」

「青山が、彼の命を保証しよう」

 と言ったところで、青山は内心で苦笑した。先程、まさに彼の命を終わらせようとしていた自分が、どの口でそんなことを言えるのか。
 嘘が上手くなった。誇れぬ事実を自嘲するようにぼやき、そんな内心を悟られぬように刹那と楓に背を向けた。

「人避けの結界のほうは帰るときに斬っておこう」

「わかりました……助太刀していただいた身でありながら、先程までの無礼な物言い、申し訳ありません」

「気にしないでくれ。俺は、青山だから」

 そうされるべき、恐怖である。
 青山は気絶している月詠を抱え、ついでに地面に落ちた剣は散らばっていた鞘を回収してしまい、腕ごと腰帯に差しておく。着物が血で濡れているのは気にしていない様子であり、恐ろしいことに付着した血液がよく似合っていた。
 続いて青山は瞬動を使って小太郎の前に出た。そして空いた手で小太郎を抱きかかえようとして、

「待ってください!」

 そんな声に、ピタリと動きを止めた。
 ネギが駆け寄ってくる音が聞こえて、青山はどうしようか悩み、小太郎を抱きかかえた。

「その! やっぱり、あの時の人ですよね?」

 ネギは青山の背中に声をかけた。先程まで感じていた恐怖はない。むしろ、隔絶した実力差をわかったからこそ、その背中に、自覚もなく羨望の眼差しを向けていた。
 青山は振り返ろうとして、止める。折角押さえ込んだアレが、もしかしたら再び出てきそうな気がしたから。

「よく頑張ったね」

 だから、伝えたかった言葉だけを伝えて、青山は瞬動でその場を後にした。

「あっ……」

 ネギは蜃気楼のように消え去った青山を追うように手を伸ばして、その手を強く握り締める。
 頑張ったと言われた。強い人にそう言われたことは嬉しくて、けれどネギは微妙な違和感を覚えていた。
 違うのだ。そういう、上から言われる言葉ではなくて、もっと違う、別の何かを言ってほしくて。

「僕は……」

 だがその言葉は見つからない。胸の内側にくすぶるもやもやは再び広がって、ネギの内側を侵食していった。






 危なかったなぁと。
 いやホントに。
 虚空瞬動で総本山を目指しつつそんなことを思う。辛うじて踏み止まったところで、丁度この少女が上手く出てきて気を紛らわせてくれたから、どうにか最悪な結果にはならずにすんだ。
 にしたって。
 幾らネギ君が強くなったのが嬉しかったからって。
 斬ってはいけないだろ。
 いや、斬るけど。
 そういうことではなくて。
 あー。

「……ふぅ」

 赤面ものの先走りを、ため息とともに追い払う。とりあえず色々と台無しなことは避けられたので、今はこの少年少女を連行することだけを考えよう。
 フェイト少年とその仲間である女性はもうこの近辺にはいないし。
 しかし。

 彼ら、詠春様の娘さんを攫ってどうするんだろう。




後書き

京都、今晩燃えるってよ。

まずはその前段階でした。



[35534] 第九話【修羅よ、人の子よ(中)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/16 00:02

 フェイトは夜空を千草と共に飛びながら、最低限のことは出来たことに、一応納得していた。
 いや、納得せざるを得なかった。

「……」

「……」

 二人の間に会話はない。千草の式が抱えている少女、近衛木乃香の奪取には成功した。少女のもつ膨大な魔力量を使って、封じられた鬼神を復活させ、総本山の穏健派を叩き潰す。そのための第一段階はこれでクリアしたも同然だった。
 だが表情は暗かった。理由なんてわかりきっている。フェイトも千草も、アレを見てしまったのだから無理はなかった。
 青山。
 恐るべき、修羅よ。
 千草は恐怖に歪みそうな顔を、強引にかき集めた怒りで塗りつぶした。そうでなければ、もう一歩だって動けそうになかったから。
 数年ぶりに見た青山の実力は、圧倒的としか言えなかった。神鳴流でも青山に近い異端の剣士である月詠。彼女の剣術は魔を断つ以上に人間を斬ることに長けていた。
 未だ少女でありながら、神鳴流でも天才の域にある彼女は、しかし青山には遠く及ばなかった。土壇場で限界を超えて、能力をさらに増したというのに、それを青山は一蹴してみせた。
 そこまでの差があった。フェイトは最早疑うべくもなく確信する。
 あれはサウザンド・マスターに匹敵する。世界がバグを起こしたとしか思えない能力。フェイトの造物主が危惧し、そして羨んだ人間の可能性。
 問題なのは、アレはその一端でありながら、行ってはいけない人間の可能性に他ならなかった。

「……危険だ」

 フェイトの本来の目的に、いずれあの男は無視できない障害として現れる気がしてならなかった。誰もが幸福でいられる世界を作るという目的を、あの男は全てぶち壊しにしてしまう。
 予感は確信と同義だった。あの男に幸福なんてない。それどころか、あの男は間違いなく幸福を斬る。
 斬って。ただ斬る。
 だから青山は今ここで殺さなければならない。例えこの世界に数十年は刻まれる大災害とも呼べる被害を与えても。そうするだけの異常性があの男にはあるから。

「儀式のほうを強行しよう」

「……ここまで来たんや。後には引けんのはようわかりやす。だが、青山はどうするつもりや?」

「僕の予想はぎりぎりで当たった」

「どういうことや?」

「青山はお嬢様を攫った僕らの動きに気付いていたのに、追ってこなかった」

 千草はフェイトの言葉に絶句した。いつでも追われていたという事実に困惑し。

「……どうして、青山はウチらを追ってこなかったんや?」

「彼の目的は英雄の息子だ。それ以外はどうでもいいんだろう……それこそ、西の長の娘であろうともね」

 何故ネギに執着するのかはわからないが、フェイトは青山の目的はネギにあると確信した。あそこに居た者のほとんどは青山の気に当てられて把握していなかったが、フェイトは月詠を無視してネギにゆっくりと近づいていたのを見ていた。
 そして、式を残して稚拙な結界を潜り、木乃香を拉致した時に予想は確信に変貌する。青山は間違いなく自分たちに気付いていた。それなのにまるで気にすることもなく見逃した。
 フェイトの現在の目的は二つだ。
 一つ目の目的は、ネギが小太郎を下したことで決定した。想像を超えた成長を見せたネギは、将来の敵なりえると判断する。よって、これ以上成長する前に、ここで排除をしなければならない。咸卦法を使用出来るとはいえ、所詮はその程度。従者が三人居るが、それを踏まえても、彼らだけならフェイト一人で苦もなく排除出来る。
 だが二つ目の目的がそれを邪魔する。つまりは青山の排除。これはネギの排除とイコールで繋がっているため危険度が増す。
 それでもこの絶好の機会は今後訪れるとは限らない。木乃香の膨大な魔力を使用して、封じられた鬼神と、可能な限り召喚できる妖魔の軍勢。
 これをもって、青山を絶命させる。小太郎と月詠という手札を失ったのは痛いが、それでも保有する戦力は旧世界ではこれ以上望めない。

「……彼は総本山に帰っているはずだ。いつまで彼の気まぐれが続くかわからない。早速始めよう」

 フェイトは無感動な瞳に確固とした決意を秘めて、その場所に降り立った。千草も遅れて降り立ったのは、周囲を巨大な湖に囲まれた祭壇のような場所だ。その中央に置かれた台に、千草は木乃香を横たわらせる。
 猶予などはない。穴だらけの強行軍でありながら、しかしそれゆえに嵌れば充分に上手くいく策であった。とはいっても、策などというのは嵌った時点で上手くいくものだが。

「とりあえず、打ち合わせ通り総本山への尖兵の召喚から始めよう」

「わかっとる」

 千草は軽く返事をすると、木乃香に札を貼り付けて、その魔力を強引に使用し始めた。木乃香を中心に魔法陣が展開されて、湖一帯に展開されて、そこから無数の鬼が召喚された。
 その数、百はおろか二百を超える規模。その一体一体が充分以上に働けるほどの能力を持つ妖魔達だ。木乃香の魔力であれば少し時間をかけるだけでこの程度の召喚は容易いのだが、それでも想像を超える規模の軍勢である。

「……おのれらはこの子に付いていって、指示通りに動くんや」

 千草はそう言って背後に控えたフェイトを指差した。そして後はフェイトに任せると、己はこの祭壇のさらに奥にある巨大な岩に眠る鬼神を蘇らせるための準備に入った。
 総本山を攻めるだけならば充分な数を揃えたにも関わらず、千草の表情には余裕はない。
 それもこれも全ては青山が原因だ。あの男をこの程度で殺すことなど不可能であるという、わかりやすい事実が千草に余裕を失わせている。
 だから鬼神の復活を急がなければならない。それも不完全な状態ではなく、封印される前の最高の状態まで。
 そしてその戦力と、さらに増員する鬼の群れを用いて総本山ごと青山を叩き潰す。それしかないと千草は考えていた。
 だから気づかない。そもそもの目的から離れて、青山を殺すためだけに動いている異常な自分に。恐れを抱く化け物、戦うくらいなら逃げ出すのを選ぶ脅威。そんな人間である青山から、今ならば逃げられるというのに千草は逃げない。
 明らかにおかしな状態になっている千草を、フェイトは冷めた瞳で見据えた。

「……じゃあ、僕は彼らを総本山に向けたら、また戻ってくるよ」

 フェイトは何も語らない。催眠すら使わず、そのあり方だけで人を狂気に貶める魔性。その存在を滅ぼすことには、彼もまた同意見だったからだ。






 己の浅慮に死にたくなるような気分だった。刹那は怒りのままに拳を握りこみ、その掌が切れて血を流しても気にすらとめられなかった。
 戦いの後、旅館に戻ったネギ達は、居なくなった木乃香と、そこに残された一枚の手紙を見つけて、誰もが苦渋の表情となっていた。
 手紙の内容は、簡単にまとめれば木乃香は拉致したというものである。そして、その魔力を用いて総本山を叩き、手中に収めるというものだ。
 刹那は立て続けに襲い掛かってくる窮地に言葉すらないネギと明日菜に背を向けて、開いた窓に寄った。

「行くのでござるか?」

「あぁ。奴らの狙いが総本山なら、少なくともそこに行けばお嬢様の場所くらいはわかるはずだ」

 楓の問いに振り返ることなく刹那は答えた。そして何も語らずに行こうとする刹那だったが「待ってください!」というネギの声に止まる。

「僕もついていきます!」

「わ、私も!」

 ネギと明日菜が声を揃えて言った。その言葉に刹那は振り返り、静かに視線を落とす。

「しかし……これはお嬢様の護衛である私の──」

「生徒を守るのは教師の役目です!」

「親友を見捨てるなら親友なんて名乗らないわよ!」

 刹那の言葉を遮って、二人は思いのたけを叫んだ。刹那は、迷いなく答える二人の言葉に止まり、続いて楓を見た。

「お主の負けでござるよ刹那。そして拙者も、クラスメートを見捨てるほど腐ってはおらんのでな」

「皆さん……ありがとうございます」

 三人の助勢に刹那は深く頭を下げた。恥ずかしいという気持ちはある。ネギは親書を届けるという大切な任務があるし、明日菜は一般人。楓は、にんにん。
 そんな彼らを自分の事情に一方的に巻き込むことに罪悪感はあった。しかし現状、月詠と小太郎を失ってなお、フェイトが居るだけで刹那ではどうにも出来ない状況にある。
 だからその手を借りなければ木乃香を救えないから手を借りる。その後であれば喜んで自分は罰を受けよう。刹那はそう決心した。

「……ネギ先生を上手く隠れ蓑にしていましたが、奴らの狙いがお嬢様の魔力を使用した総本山の掌握ということは、お嬢様を拉致したことである程度わかりました。となれば総本山を狙うのは当然で……私達はその間に裏からお嬢様を奪還しましょう」

「でもそうしたらその、総本山ってところが危ないんじゃないの?」

「それと、学園にも連絡を入れたほうが……」

 刹那の作戦に明日菜とネギが疑問を投げかける。それに刹那は「学園にはネギ先生から連絡を入れてください」と告げ、そして明日菜の疑問には瞳に嫌悪感を滲ませながら呟くように答えた。

「総本山には、青山が居る」

「……であれば、我々の心配は杞憂でござるな」

 楓が納得したように相槌を打った。
 嫌悪の対象で、信頼など出来ない青山だが、その戦闘力だけは信用に足る。あの男がいる限り総本山が破られるとは考えられず、あの男が破られたのならば、こちらがどう足掻いても木乃香の奪還は不可能だ。
 だから、刹那は元は西の者でありながら総本山の危機を見捨てる。全ては奪われた木乃香のためだ。これも含めて、罰は全てが終わったら甘んじる。
 刹那は悲壮な覚悟は面に出さず、刃のように鋭い表情でネギ達を見つめ、告げる。

「木乃香お嬢様のために、皆様に危険を冒してもらいます。これは私の我がままで、あなたがたには一切関係ない……やめるなら──」

 刹那は全てを語らず、真っ直ぐに自分を見つめる三対の瞳の意思を感じて、それ以上は言わずに頷いた。

「行きます。現目標は総本山周辺、そこで敵を待ちながら辺りの捜索網を広げ、お嬢様までの血路を見出します」

 敵の手紙など罠以外に考えられない。それでも今は敵の口車に乗ってそこから木乃香までの道を見出さなければならない。
 未だ夜は終わらない。
 おろか、煉獄はすぐそこなのを、彼らはまだ知らずにいる。






 無事、ネギ君の護衛を果たした俺は、そそくさと総本山に戻って、少年少女を巫女さんに預けた。それから詠春様と面会の機会を得ることが出来た。
 最初とは違って詠春様の自室に呼ばれた俺は、「青山です」と一言告げてから戸を開いて、頭を下げた。

「顔を上げて、入るといい」

「はい」

 言われるがまま、顔を上げた俺は静かに部屋に入る。和風とはいえそこは現代。ちゃんと電気の明かりが点いており、室内を明るく照らしている。
 詠春様は何かを一筆していた手を止めて俺に向き直った。どうやら文を書いているのを邪魔してしまったようである。

「夜分に失礼します」

「気にしないでくれ。報告は簡単であるが聞いている。ネギ君に襲撃者が来たようだね?」

「はい。内、二名は連れ出しましたが、残り二名は逃してしまいました」

 実際は逃がしたということになるのだが。嘘を含むのは少々気分が悪いものの、これも俺好みのネギ君に育ってもらうためである。今頃は生徒を取られたことでネギ君達は彼らを追っているだろうか。いや、普通に考えたら生徒一人を無視してでも任務を達成するべきだが。
 でも出来れば追ってほしいな。
 なんて。
 遠くに展開されている無数の鬼の軍勢を知覚しながらワクワク気分。いい感じに窮地を作り出しているらしい。なるほど、詠春様の娘さんを拉致したのはこれが狙いか。

「青山君?」

「……申し訳ありません。少々、まどろんでいました」

 危ない危ない。少し呆けていたか。俺は咳払いを一つすると、頭の中では別のことを考えながら、先ほどのことの詳細を詠春様に話し始めた。
 さて。
 そんなどうでもいい話はともかくである。
 総本山に迫り来る鬼の軍勢とは別に、召喚された場所から感じる膨大な魔力と気を感じて内心の喜びはさらに膨れ上がるばかりだ。
 おそらく、これは結局俺が封印を解くことが出来なかった鬼神であろう。名前は確か、リョウメンスクナとかだったか。
 あの封印は、実は最後に開放するつもりだった。いや、実際は総本山のお膝元ということで、勝手に封印を開けば破門はおろか、犯罪者として永久に付け狙われると考えて手を出さなかったのだけど。いやはや、昔の俺はチキンだったものだ。
 それでもいずれは封印を解いて仕合うつもりだった。
 だがしかし、最後のとっておきの前に現れた物凄い鬼との一戦で完結してしまった俺は、それを皮切りにすっかり強さとかどうでもよくなってしまったのである。
 なんて。
 まぁ、今振り返れば当時の俺は青二才の若造で、やんちゃを繰り返していただけ。そう思えば、ぎりぎりで終われたのは運がよかったというかなんというか。
 そんなものである。
 ともあれ青春の残り香。言い換えれば暴走が止まったという印であるあの封印が解かれようとしている。
 楽しみである。

「というわけでして、神鳴流のほうは加減が効かず、物理的にその戦闘力を奪う形になりました」

「そうか……あの少女は君に倒されたわけだね」

 今にも唸りそうな複雑な面持ちで何事かを考え込む詠春様。思えば、久しぶりの再会から、嘘を織り交ぜた会話しかしていないような気がする。
 結局、本質的にはあの頃と変わっていない己が悔しい。しかし、それでも己の私利私欲のため、詠春様に嘘とわからぬ嘘を告げつつ、俺はネギ君の健やかな成長を手助けするのだ。
 そう、仕方なき。
 仕方なく。
 うんうん。

「長!」

「何事だ?」

 説明が終わったのを見計らったようなタイミングで、慌てた様子の巫女さんが入室の許可なく戸を開けた。ただ事ならぬその様子に、俺と詠春様は顔を見合わせてから巫女さんの話を伺うことにする。
 といっても、恐らくは迫ってきている鬼のこと。

「ほ、本山目掛けて無数の鬼の軍勢が!」

「何!?」

 詠春様が驚いているのを横目に、気付かれぬように内心でやっぱりと納得。
 いやしかし、感じる魔力と気は随分と優秀。多分、というか間違いなくフェイト少年とあの女性のせいだよなぁ。
 となると、彼らを見逃した俺のせいにもなるのか。
 というか間違いなくそうだよなぁ。
 ……。

「詠春様。俺が行きましょう。本山の戦力はそのまま詠春様の警護に回してください」

「な……恐れながら、あの戦力は神鳴流の剣客といえど、一人では迎撃は不可能です!」

 巫女さんは無茶言うなといった具合でそう言った。確かに並みの剣客では今迫っている妖魔を滅ぼすのは難しい。
 だが俺は青山で。
 君は、俺を青山と知らない。

「ご心配なく」

「そんな……」

「よしなさい。彼がそう言っている以上、つまりは大丈夫ということだろう。我々はもしもを考えて各地の戦力を至急集めよう」

 詠春様が俺の後を引き継いで巫女さんを説得する。長の言葉ということもあり、巫女さんは納得して引き下がった。
 同時に俺と詠春様は立ち上がった。挨拶もそこそこに、ネギ君ではなく俺を狙ってきた彼らを迎撃するため部屋を出る。

「すまないね」

 背中にかかるのは詠春様の申し訳なさそうな声だ。本当ならご自身で動きたいのだろうけど、生憎今は西の長という立ち位置。自ら危険に飛び込むことは出来ないから。
 そんな詠春様の気持ちがわかって、むしろ俺こそ申し訳なかった。
 なんせこの騒動。俺が防ごうと思えば防げたのである。逃げたフェイト少年を即座に追い詰め、斬ることは可能であった。
 当然、フェイト少年はかなりの猛者であるため、激突していたらあそこの周囲一帯は更地になっていただろうけど。
 それだって、今の状況を招くなら安い代償だったはず。
 まぁ今更悔やんでも仕方なく。俺はこの騒動にネギ君が着てくれたら嬉しいなぁと思いながら、戦場に躍り出ることにした。
 と、その前に。

「詠春様」

「なんだい?」

 これだけは聞いておかないといけない。予感だが、これから先はきっと自分を抑えることが出来ないという予感。
 だから、先に断っておこう。

「殺さずとはいきませんが、よろしいですか?」

「……あぁ。この状況で、殺さずを貫けというのは酷だろう」

 詠春様が数秒悩んだ末に告げた言葉に、俺は喜びを表すように礼を一つ。
 それを聞ければ、もう安心。

「では、後ほど」

 俺は十一代目の入っている竹刀袋の口を緩めると、迷いなく夜に飛び出した。
 冷たい刃鳴りが響く。斬るということに感動した刃が唸った。
 そう、斬ろう。

 一切合財、斬り捨てる。




後書き

次回、本山、燃ゆ。



[35534] 第九話【修羅よ、人の子よ(下の上)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/20 00:44
 酒呑童子。
 極東の裏側に潜む者なら誰もが知るこの名。現在はとある場所にて厳重に封印を施され眠っている、鬼の頭領にして、最強の化け物。
 誰もが恐れ、そして誰もがその封印の在り処を求めているこの鬼は、しかし一部の者しか知らぬ真実がある。
 今も封印が解かれるのを待っているとされているこの最強の鬼は、この世に存在しない。
 それは文字通り、いや、わかりやすく言おう。
 酒呑童子は死んだ。
 最強の鬼は、封印されるでもなく、たった一人の男の手によって殺されたのである。
 本来、この世に召喚された鬼を含めた魔族と呼ばれる者は例え魔を滅ぼすのに長けた術者であっても、完全に存在を滅することは出来ない。出来るのは、元の場所に召還するか、存在を希薄にし、封印を施すかしか出来ない。一部、完全に魔を滅ぼす術も存在するが、それは難しい術式であるため、使用する者も、そも使用しようという者もいない。
 さらに言えば、それであっても酒呑童子は滅ぼすことは出来ず、彼の鬼は封印をすることしか叶わない存在であった。
 あった、はずだった。
 だが今より数年前。異常事態は起きる。世界を滅ぼそうと画策したとある術者による酒呑童子の開放という計画。これを何処かで察知したある剣士が、計画を止めるために単身動いた。
 結果、酒呑童子は開放された。それも不完全な状態ではなく、計画を企てた術者達全ての命を吸うことで、完全な状態として。
 事実を知る者は少ない。封印場所すら定かではない鬼の頭領が目覚めたということも、その果てに地図にすら記されていない島が消滅したということも。
 全ては闇の中である。
 戦いの結果、酒呑童子がたった一人の剣士によって打ち滅ぼされたということも。
 ほとんど知らない。
 知る術もない。
 だが、彼らは知っている。

 そして、鈴の音色は響き渡った。

「……青山や」

 その音と姿を見たとき、鬼の軍勢の一匹が小さく呟いた。
 青山。青山。
 あれが青山。

「あれが……頭をやった奴かいな……」

 木々に囲まれた星明りも届かぬ暗闇。僅かに漏れた月光が鈍い鋼を照らし出し、反射した光が男の顔を暗闇に浮かび上がらせた。
 藍色の着物は、腰の部分が真っ赤に染まっている。すでに何人か斬っているのか。命の赤に染まった男は、光を飲み込む瞳で、視界一杯に佇む鬼の軍勢を見据えた。
 彼らは青山を知っている。
 知らぬわけがない。鬼にとっては最強の頭であり、他の種族も鬼の頭領の強さは理解している。
 化け物すら怯える化け物。それを斬り殺した化け物を知らぬわけがないだろう。

「あかん……」

 鬼の一匹が呟いた。契約のため戦わないわけにはいかない。
 だが勝てる気がしなかった。そして自分がただ召還されるだけで済むとも思わなかった。
 アレは斬ったのだ。
 魔という存在の本体を斬って、殺してみせた。
 だから最早彼らにはただ還されるだけという緩い考えはない。生死を賭けた戦い。そして相手は地獄の体現者。
 死ぬしかない。
 だが、それだけでは終わらない。
 冷ややかな空気が流れていた妖魔の群れの間に楽しそうな空気が流れる。
 知らぬとは言わせない。
 お前が殺した。
 お前が斬った。
 だからこそ、お前を倒せば、その者こそが鬼の頭領だ。

「青山ぁぁぁぁぁぁぁ!」

 その叫びを皮切りに、一匹一匹が猛者揃いの鬼達が青山に殺到した。戦闘に酔う妖魔達は、この極上に怯えることなどしない。青山を倒す。それこそが最強への道ならば、喜んでこの命を捨て去ろう。
 青山の倍以上はある体躯の鬼が、手に持った柱の如き棍棒を、膂力のままに振り下ろした。

「一番や──」

 雄叫びは途中で絶たれる。斬撃という結果が発生して、鬼の身体が粉微塵に斬り裂かれて、命の花を咲かせた。
 絶命。還されるでもなく、鬼は青山の刀によって今存在を抹消された。そこにいる誰も、青山の刃が走るのを捕捉できていない。見えぬほどの速度の斬撃で、敵手を容易く殺してしまう鋼の鋭利。
 だが立ち止まらない。一体で駄目なら複数で。四方八方を取り囲んだ鬼達が、それぞれの武器を掲げて突貫した。

「く」

 青山は何かしらを呟くと、全方位を取り囲む気の位置を把握。本来の用途で使われた敵の気と魔力を察知する第六感は、視界に映らない敵の動きすらも正確に読み取った。
 だからこそ全てが無意味。鬼の得物が青山の殺傷圏内に入ったと同時に、全ての武器とその勢いで圏内に飛び込んだ鬼達の首を空に飛ばした。
 無骨な得物の残骸と、歪な鬼の首が空を彩る不思議空間。その光景を見上げながら、青山は口を開いて、星を掴もうとする子どものように両手を広げた。

「くっ」

 開いた口から漏れるのは、言葉にならぬ声だ。地面に落下するよりも早く空気に溶けて消滅する鬼の首の雨を行く。飛び掛る鬼達を瞬動で追い越した青山の道の後、追い越された鬼は無数のパーツに分かれて粉々になった。
 凛と音だけは響いている。
 草木すらざわめくのを止めていた。音を鳴らして、この男の興味を引くのが嫌だとでも言わんばかりに、風すら吹くのを止めて、無音の空間は刃鳴りで埋め尽くされる。
 死の空間。音が響く、それつまり何かが斬られるという証。青山は圧倒的だった。二百を超える化け物の群れすら相手にしていなかった。
 その最強ぶりに、鬼の間に共通した思いは『それもそうか』という諦めに近い思いだった。
 この男は一人で鬼のトップを降した。しかもただ倒すだけではなく、完全に殺しきった。
 それが青山。
 これが人の子。

「修羅やのぉ」

 鬼の一匹の言葉は、時代の移り変わりを嘆く鬼の叫びだった。
 人の可能性を鬼は見た。そして何故魔族と比べて矮小な彼らが世界に蔓延っているのかも理解した。
 これが人間だ。人の可能性の極限だ。恐るべき魔すら恐れる極限。人という終わり。人の傑作。
 言語に出来ぬ有り様よ。

「くっっ」

 青山の言語に出来ぬ言葉は、何かを堪えているかのようにも見えた。無表情の裏側に潜む人間性が、外側の檻を砕こうともがいている。
 何か、取り返しのつかないことが起きているのではないか。鬼はそんなことを思いながら、一匹一匹、確実にその数を減らしている。
 青山の奮う刀は、すでに音を幾つも重ねていた。音すら置き去りにする斬撃は、刃鳴りすら遅らせて、まるで同時に奏でられているように響いている。
 命の花が散らす最後の音色。音叉の如く広がる波紋は、草木がその音だけで生命活動を停止させる死の音色。
 斬るという概念が。
 斬られるという思いが。

「青山……」

 こんなにも、美しい交響曲を奏でている。
 立ち向かえば斬られ、立ち向かわずに斬られ、気付けば斬られ、気付かなくても斬られている。
 斬撃結界とも言うべき場が形成された。指揮者青山のタクトが、一振りごとに鬼の命という楽器を鳴らしている。
 好きなように。
 自由気ままに。
 命の消える音に酔え。

「ひっ」

 青山の喉が引きつった声を漏らした。何かが出てくる。何かが生まれようとしている。光を飲み込むその瞳。
 そして、最後に残った鬼は気付く。気付かされてしまう。青山の瞳が黒に染まっている。黒々しく、黒という色に飲まれている。

「う、おおおおおおお!」

 刹那、脳裏をよぎった考えを振り払うように、鬼は乾坤一擲の雄叫びをあげながら特攻を仕掛けた。
 恐るべき速度と膂力。人の域など容易く超えている鬼の全力が世界を震撼させた。
 総本山が震える。青山に叩きつけられた棍棒が、敵を中心にクレーターを生み出して、その威力を余すことなく伝えた。
 初めて一撃が通った。信じられないといった表情と、一矢報いたという喜び。
 だがそんな感情は、次の瞬間には吹き飛んだ。

「あ?」

 鬼は棍棒の先に違和感を覚えた。振り切っていないのだ。両手に伝わる感触はあるのに、青山ごと棍棒は地面を叩いていない。
 そして違和感の原因に気付くことなく、鬼の身体から首は吹き飛んだ。いつ斬られたのかわからない。だが斬られたという事実は澄み渡る音色でわかる。
 薄れいく視界。鬼が暗転する世界で最後に見たのは──

「……」

 青山は第一波の撃破を終えると、遠くで展開されている新たな鬼の群れと、今まさに封印を解かれようとしているスクナの気配を感じ取った。
 そしてこちらは嬉しいことに、どうやらネギ達はスクナの元へ強行している。この調子ならすぐに封印場所へと辿り着き、フェイトと化け物にネギ達が激突するだろう。

「うん」

 いいことだ。
 青山は得意げに頷くと、総本山に足を踏み入れた鬼の第二波に向けて歩を進めた。今度の数も先程と大体一緒である。
 ゆっくりと斬っていけば、こいつらだけでそれなりに楽しめるだろう。
 それに救援になら虚空瞬動でさっさといけばいい。そのくらいの時間ならば、今のネギと仲間ならば耐え切ることが出来るはず。
 青山はそう結論すると、迫り来る鬼の群れのど真ん中に瞬動で飛んだ。

「あ?」

「お……」

「なっ」

 突然、群れの只中に現れた青山を、鬼達は認識したときには青山の刃は音を鳴らしていた。
 一瞬でその周囲に居た数体の鬼の首が吹き飛んだ。消滅。問答無用で敵手を葬るその手腕。混乱する鬼達は半ば本能で青山の脅威に反応して距離をとり、反応できなかった何体かが首を飛ばして花と散る。
 青山は踊った。舞うように、自身の刃が奏でる刃鳴りの音色に合わせて刃を振るい、足を動かし、月光を駆けた。
 散る花々よ。閃光に消えて落ちる魔の骸よ。他愛なく鬼を斬る青山は、再び言語に出来ぬ何かを口走っていた。

「うおぁぁぁぁ!」

 鬼達もただやられるだけではない。長年の研鑽が生んだ武技を用いて青山を襲う。その幾つかは青山の速度を捉えて、回避行動にまで至らせるが、所詮はその程度。十の鬼の手だれすら、青山に一撃、しかも余裕で回避を行える程度のものしか与えることが出来ない。
 当然、残りの九は音となる。僅かに生き延びるかどうかの差だ。次には残った一も空に飛んで絶命する。
 まるでお手玉でもしているみたいだなぁと青山は楽しい心地だった。
 ぽーん。
 ぽーん。
 ぽーんと飛んで、花と散る。
 確実に首だけを斬る青山の刃に気付いているものも居るが、しかし斬られる箇所がわかっていても、鬼ではどうすることも出来ない。
 避けようにも刃が見えない。
 受けようにも得物ごと斬られる。
 一撃必殺。青山の斬撃は、命を絶ってもいいという縛りから開放されたことで、文字通りの意味となっていた。
 斬撃の夜は終わらない。鬼達はここでようやく敵手が青山と理解した。そして誰もが名をあげようと勇敢に襲い掛かるが、全ては徒労。意味等なく。
 次々と消える命。一瞬の音だけに化す生命。これぞ魔を滅するという神鳴流のあり方ながら、しかしそのやり方は神鳴流とは別物だった。
 斬るのだ。
 斬るだけだ。
 その結果、命は消える。青山の音色に飲み込まれて溶けていく。

「ふぃ」

 何を語ろうと言うのか。もしくは何の意味もないのか。青山は漏れ出す声に気付いた様子もなく、ひたすらに鬼斬りを行い続ける。
 そして空を貫く閃光が青山と鬼を照らした。同時に感じるのは、心胆を奮わせるほどの膨大な魔力。生物であれば誰もが危険を感じざるを得ない禍々しい色の魔力に、青山はスクナの開放を確信──。

「おっ?」

 肌を焼く何かの予感に青山は鬼を無視して空に飛んだ。
 その視線の先には、遠めでもその巨大さがわかる二つの顔と四つの腕を持つ鬼神の姿と、傍でスクナと遜色のない魔力を噴出するフェイトが、それを待っていたとばかりに青山に視線を送っていた。

「しまった」

 青山は振り返り、丁度己が飛び出したことで射線上に総本山が重なっていることに気付いた。だが気付いたときには遅い。
 スクナの四つの掌から白い魔力がほとばしり収束した。巨大な光の玉は、純粋魔力の結晶。破壊という一点のみに特化した威力が四つ、全て青山に向けられている。
 一つだけで山を消し飛ばす光が四つ。だがしかしスクナはそれで止まらない。四つの光球は、ゆっくりと口を開いたスクナの口内に収まった。
 閉じた口が発光する。膨大な魔力をさらに収束。信じられないほどの火力が顕現する。リョウメンスクナ。伝承の通りの災厄を撒き散らす鬼神の一撃が、遥か遠くにいる青山を滅ぼすためだけに放たれた。
 全ては一瞬のことだった。スクナが口を開いたとき、雷の如き速度で放たれた高濃度の魔力レーザーが、総本山を丸ごと飲み込む巨大な光の柱となって青山に襲い掛かる。
 夜に昼が生まれた。そう表現するしか出来ないほどの輝きだった。光、白、正義の色でありながらそれは間違いなく破滅の色。その余波で射線外のものをなぎ払いながら、人間では受けようがない壊滅は、個人の殲滅のみに向けられる。
 世界が白に染まった。白が十に黒が零。青山を飲み込んで余りある白の蹂躙は、瞬きの暇すらなく青山を飲み込み。

 その白が吐き出す爆音よりも小さく、だが確かに存在を主張する音色は再び響いた。

 破壊が二つに分かれる。消されるより他ない破壊ですらも、青山の斬撃は斬って落とす。鬼神の全力ですらこの様。二つに絶たれて軌道を変えた破壊の力は、そのまま総本山をかすめて遠くの何処かに着弾する。
 青山の背後、遠くに二つの光の玉が生まれた。遅れて衝撃波と、腹の底に響く低い重低音が虚空の青山を揺らがせる。
 結果。京都に消えぬ破壊は刻まれた。
 しかし、青山は生きている。フェイトから見れば虚空に佇む黒い点にしか見えなくても、覆しようのない存在感は発揮されたまま。
 そしてそれは計算どおりで、極限の光すらも代償に、フェイト・アーウェルンクスの最強は告げられた。

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト」

 フェイトの右手に、スクナを上回る魔力が集まった。それは地を奮わせる大地の咆哮。騒音を手に集め、大地が放つ最大の災厄を一点に収める。

「契約に従い我に従え奈落の王。地割り来れ千丈舐め尽す灼熱の奔流」

 青山は真下より感じる熱に違和感を覚えた。この夜。冷たい空気が張り詰める闇に生まれた、無視できぬ熱量。大地にはびこる無数の鬼達も、その違和感に困惑し、自身が踏みしめる大地の震えを感じた。
 身体に感じる熱とは裏腹に、背筋が凍るような寒気に襲われる。ここは死地だ。絶命を直感した青山は虚空瞬動で逃れようとするが、それを遮るようにスクナの魔力砲が怒涛の勢いで青山に殺到した。
 己に直撃するものだけを斬る青山だが、絨毯爆撃の如く降り注ぐ光の雨の中では動くことは出来ない。破壊の光球は幾つも京都の夜を照らした。ここはすでに戦場だ。爆音が幾つも響き、きのこ雲代わりの光の花が何度も浮かぶ。その破壊を一身に受け止めつつも青山は未だ健在していた。凛と歌いながら、虚空瞬動のきっかけを狙っている。
 しかし最早遅い。フェイトの手にかき集められた魔力は、唸りをあげながら、青山の直下に叩きつけられた。

「滾れ。迸れ。赫妁たる亡びの地神」

 総本山を中心に世界が震える。誰もが抗いようのない自然の力。大地の怒り。余すことなく滅びを与える溶ける赤色が、目を開くことすら困難な熱を引きつれ、フェイトの魔力を貪りつくして顕現した。

「引き裂く大地」

 夜が溶ける。地獄の具体とも言える灼熱の大地、自然災害の頂点とも言えるマグマの濁流が、空に飛ぶ青山目掛けて噴出した。
 見よ。人一人が生み出せる破壊の極限、その一端。大地はおろか、空すらも溶かす赤色の衣が、総本山もろとも青山を飲み込むその様を。
 一際巨大な轟音が、京都一帯に響き渡った。距離を隔てたフェイトの場所にすら振動が伝わるほどの、圧倒的な崩壊。噴出すマグマに飲み込まれた総本山は爛れる赤色に飲まれ、余波に過ぎぬ炎が、大文字焼きなど比べものにならぬ範囲を燃やし、なおその勢いを止めずに、広がり続けた。
 破壊の只中。無数のクレーターと、紅蓮に飲まれる世界を見据え、フェイトはなおも漲る魔力を溶け砕けた本山に向けながら、静かに戦いのときを待つ。

 この日。京都は未曾有の大災害に巻き込まれ、誰もが忘れられぬ災厄を歴史に刻むことになる。
 なるのだ。
 なったではない。
 各地にクレーターが幾つも刻まれ、総本山がマグマに飲まれ、炎が周囲に延焼しているにも関わらず、これは未だに序章。
 これから、歴史に刻まれる。

 そう、地獄はまだ始まったばかりだった。



後書き

オリ主、大爆発。

次回、ネギくんがんばる。



[35534] 第九話【修羅よ、人の子よ(下の中)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/20 00:46
「何、木乃香が誘拐された?」

 近右衛門は、荒い吐息を繰り返すネギからの連絡に、表情を引き締めた。親書を奪うために現れた西の術者とその従者は、辛くも青山の助勢によって撃退した。しかしその隙を突かれて、彼らの本来の狙いである木乃香を奪われてしまったのだ。
 すみませんと謝るネギだが、今回に関しては誰が悪いというわけではないだろう。学園最大戦力である青山が介入しなければならぬほどの事態。そして西の者が、長の娘である木乃香を誘拐するという愚行。西自身の不手際でありながら、同時にネギばかりに意識を向けすぎた東側の不手際でもある。
 近右衛門はネギに「援軍を送るので、どうにか頑張ってくれ」と告げて通話を切ると、深くため息をついた。今は敵が木乃香を拉致して何をしようとしているのかが問題だ。詠春を脅して長から降ろすのか、はたまた別の──

「例えば、アレの膨大な魔力を使った悪事とかなぁ」

「……エヴァ」

 近右衛門は、対面に座っているエヴァンジェリンを諌めるように見据えた。だが当の本人は近右衛門の視線に全くひるむことなく、楽しげな微笑を浮かべている。

「事実だろう? むしろその程度考えなくてどうするという話だ。ふふ、いやいや、そうあって欲しいものだよ実際。とても楽しそうじゃないか」

「不謹慎じゃぞ」

「それでも私は繰り返し言ってやる。起こるだろう事実だ。なぁ学園長。楽観主義は止めたほうがいいぞ? 未だに私を人間に戻せるとか、そういった生ぬるい幻想と一緒にな」

 エヴァンジェリンは嘲るように鼻を鳴らすと、「さて、どうする?」と問いただしてきた。
 現状、最悪の事態を考えるなら、即座に急行できて、なおかつ圧倒的な実力を誇る人材を派遣すべきだろう。それをなせるタカミチは出張でここには居ない。
 とすれば、それが可能な実力を持つのは自分か。

「くくくっ」

 目の前で冷笑を浮かべるエヴァンジェリンだけだ。
 だが最悪の事態を考えた場合、事と次第によっては自分では能力が足りない場合もあり、かつ組織のトップが前線に出るという事態は、今の状態ではすることは難しい。組織の上に立つというのは、そういったしがらみも発生するということに他ならないのだ。

「あぁ、私は行かないぞ?」

 エヴァンジェリンは近右衛門の内心を察したようにそう言った。何故、と聞く前にエヴァンジェリンはさらに言葉を続ける。

「あそこには青山が居る」

「……じゃが、その青山君ですらとり逃した敵がいるのじゃぞ?」

「くはっ!」

 近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンは大口を開いて笑った。吐き気のこみ上げる邪悪な笑みだった。

「おい、おいおいおい! もしかして、貴様、まさか、くははははは!」

「何がおかしいのじゃエヴァンジェリン」

 近右衛門は、一刻の猶予もない状況の焦りから、僅かに怒気を含ませてエヴァンジェリンを睨んだ。だがお構いなしにエヴァンジェリンは笑う。呪いによって人間に貶められながらも、その笑い声と佇まいは恐ろしい化け物そのものだ。
 ともかく、面白かった。まさかこの爺、本気で青山が敵を逃したと思っている。笑える冗談であった。あの男が、あの人間が取り逃す?
 わかっちゃいない。やはり、近右衛門のような素晴らしい正義では、あの人間の本質を理解出来はしない。

「はー……久方ぶりに腹の底から笑ったよ」

 何とか笑いを抑えたエヴァンジェリンは、未だ口元に笑みの残滓を残しながら続けた。

「これはただの茶番だよ。そう、死人が出るだけのお遊びだ」

「死人が出る遊びなど存在せん」

「立派だ爺。潔癖な正義らしく、それは素晴らしい切り替えしだが……これは遊びだよ。詳しく語るのは野暮だがな」

 だからエヴァンジェリンは行かない。状況を理解しているとはいえぬネギの言葉を、さらに簡潔にまとめてエヴァに伝えた近右衛門の言葉だけで、エヴァンジェリンだけは青山を理解していた。
 これは、あいつが仕掛けた遊びだ。何を目的にしているのかはわからないが、きっと今のあいつは、とてもとても楽しんでいるだろう。嬉しくて楽しくて面白くて、だから私を斬る前に見せたあの表情で──
 ひひっ、と不気味な笑い声を出したエヴァンジェリンは、席を立つとそのまま出口に向かっていった。

「行くなら勝手にしろ。だが、やるなら人間同士で好きにやれ。飴か悪戯か(トリックオアトリート)をやるほど、私は子どもじゃないんだ」

 この騒動は、エヴァンジェリンからしたらその程度のものでしかない。そして、青山にとってもその程度のものだろう。
 飴か。
 悪戯か。
 勿論、あの男ならいずれにせよ。

「斬るだろうなぁ」

 そうするに違いない。
 エヴァンジェリンは笑った。青山と同じ笑みを浮かべた。






 総本山付近まで来たのと、遠くからでも感じるほどの巨大な魔力の唸りを感じたのは同時だった。ネギ達はとてつもない何かが生まれでそうなのを確信して、僅かにその歩みを止める。

「早く!」

 だがいち早く復活した刹那の一喝で我を取り戻した一同は、全速力で魔力元へ駆け抜け、ついに巨大な湖に辿り着いた。

「お嬢様!」

 刹那は祭壇に捧げられた供物のように横たわる木乃香の姿を見つけて、激昂しながら抜刀した。ネギ達が静止する暇もなく、刹那は瞬動で木乃香の元へと飛ぶが、しかしその直前に現れたフェイトによって行く手を遮られてしまった。

「フェイト……アーウェルンクス」

 楓が警戒心をむき出しにしてその名を呼んだ。敵味方揃ったあの場で、唯一青山と戦える実力を持った恐るべき少年。そんな化け物が一人佇んでいるだけで、ネギ達の動きは止められていた。

「残念ながら青山の助勢は期待しないほうがいい。今頃、僕らが召喚した鬼の群れの迎撃に忙しいだろうからね」

 彼らの望みを砕くように、フェイトは淡々とその事実を告げた。
 青山。
 味方とも呼べぬあの男だが、今は誰よりも必要な男であった。刹那は内心で、使えない奴と詰るが、そんなことに意味がないのもわかっていた。
 フェイトの目的は、ネギ達の希望を絶つことで、確実にその命を終わらせることだ。尤も、フェイトの狙いはネギ一人なので、他の者は可能な限り殺さないようにはするつもりである。
 だが例外は当然ある。
 青山、あの恐るべき男だけは、どのような惨劇をこの京都に起こそうが殺さなければならない。

「とりあえず、ネギ・スプリングフィールドを渡してくれれば、君達に危害を加えることはしないと約束はしよう」

「ふざけんじゃないわよ! 誰があんたにネギを渡すかっての!」

 誰よりも早く明日菜が反応した。ハリセンを構えて、ネギを庇うように前に出る。その勇敢さに後押しされて、刹那と楓もそれぞれの得物を構えた。

「……木乃香さんを返してもらいます!」

 最後にネギがそう叫びながら、魔力と気を内部で合成した。小太郎戦のときと違い、スムーズに合成された究極の技法を前に、フェイトの目が細くなった。
 やはり、この少年は危険だ。青山とは違う、その将来性がフェイトの邪魔になるのは間違いない。子どもだからという油断もなく、フェイトは「……なら、力ずくといこう」と言うと、静かに構えをとった。

「来るぞ!」

 楓の叫びがネギ達に伝わるのと、フェイトが明日菜の懐に飛び込むのは同時だった。

「きゃあ!?」

 反応すらさせない速度で、フェイトの拳が明日菜の腹部を捉えてそのまま空に打ち上げた。幾ら強化されているとはいえ、その凶悪な威力に明日菜の身体に激痛が走る。
 しかしネギ達に明日菜を構う余裕はなかった。四つに影分身した楓が、気を練り上げた拳を打ち、刹那もそれに合わせて夕凪を払う。

「無駄だ」

 だが捉えたのは水の分身。いつ代わったのか判断も出来ぬ業の冴えに驚嘆。フェイトは驚く二人を横目に、刹那の背後に回りこんだ。
 殺気に反応するが、対応が遅れた。背筋をはいずる悪寒に気付くが、フェイトの一撃は解き放たれている。直後に訪れる激痛を予感して覚悟を決めた刹那だったが、その拳はネギの掌に受け止められた。

「ぐぅ!?」

 咸卦法で得られた膨大な出力で受けたにも関わらず、ネギは掌が痺れる痛みに呻いた。
 それでも止めた。二度と放さない気概で、ネギはフェイトの拳を握りこむ。咸卦の光がさらに増大して、一瞬だけネギはフェイトをとどめることに成功した。
 そしてその一瞬を逃さない。楓の分身体が影の中を進むように静かにフェイトの懐に入る。低い体勢から放たれる三体の影分身の蹴りが、フェイトの胸部に集中した。
 痛烈な打撃に、明日菜と同じく空に吹き飛ぶフェイト。砲弾もかくやという勢いで飛翔した彼の胸部は、蹴りの跡が痛々しく残って、いない。

「へぇ」

 フェイトの顔に痛みの表情は浮かんでいなかった。楓渾身の連撃すら、フェイトの障壁を突破することは出来なかった。この程度の打撃では揺るぎもしない。その火力もさることながら、フェイトの恐るべきはその防御力にあった。
 だがまだ終わらない。吹き飛ぶフェイトの背中を誰かが止めた。振り返れば、太陽のように輝く気の塊を拳に収束させた楓が、鬼気迫る表情でそこにいる。

「神鳴流、決戦奥義!」

 そして眼下では、膝を畳み、力を溜め込んだ刹那が、夕凪の刀身に幾つもの紫電を纏わせて立っている。
 最大威力による同時攻撃。だがフェイトはそんなもの無駄といわんばかりに無表情でそれらを見据え、何かが迫る気配に咄嗟に視線を移した。

「うりゃあ!」

 明日菜が虚空から全力でハリセンを投擲した。逃れようとして、その動きを楓の手が強引に押しとどめる。
 結果、ハリセンはフェイトに直撃した。その体にダメージは何一つないが、ここで初めてフェイトの表情に焦りの色が浮かぶ。
 障壁が全て破られた。
 たちまち、己のアドバンテージが失われ、状況は一気に傾く。上空に太陽。下界に雷鳴。練り上げられた必殺を、この瞬間に叩き込め。

「極大雷光剣!」

「おぉぉ!」

 楓の気と刹那の奥義が、その間に居るフェイトを挟むように飲み込んだ。虚空に発生した星の輝き。目を開くことも出来ない光は、間違いなくフェイトを捉えた。
 やった。ネギは強敵からもぎ取った勝利を確信して拳を握りこむ。刹那と楓の全力を賭した、もう二度と訪れぬチャンスを生かした攻撃は、並の術者はおろか、熟練の達人ですら葬るほどの火力。
 楓と刹那、互いの必殺は反発しあうように数秒もの間雷鳴のような音を響かせながら膨張していき、一気に消し飛んだ。

「危なかったね」

 吹き飛んだ気の内部から、僅かに服を焦がしただけのフェイトが現れた。
 絶句する。体にうっすらと火傷があるものの、フェイトはほとんど無傷といっていい様相であった。
 達人二人の最大火力は、化け物の性能を上回ることが出来なかった。とはいえ、フェイトも表情とは裏腹に、内心は冷や汗ものだ。明日菜の無効化能力は先程見せてもらっていたので、それを踏まえて遅延呪文による障壁の即座の展開を出来るようにしていた。遅延呪文のほうも吹き飛ばされる懸念はあったが、呪文の構築式のみを固定。即座に魔力を流して展開という形をとったのが功をなしたらしい。
 いずれにせよ、上手くいったのだから問題はない。フェイトは呆然と隙を晒す刹那に飛び込み、今度こそその顔面に痛烈な拳を叩き込んだ。

「がぁ!?」

 女子にあるまじき悲鳴をあげながら、刹那は木っ端のように湖に飛ばされ、そのまま水柱を発生させて水底に沈んだ。
 そのまま浮かんでくることはない。絶命したのか、あるいはまた別の要因か。ともかくたった一撃、フェイトの打撃が炸裂しただけで刹那は戦闘から離脱させられたのだった。

「刹──」

「人の心配かい?」

 刹那を助けようとした楓の本体と分身の周囲に、無数の黒い刃が展開される。黒曜石の美しい輝きが千にも届く数。逃れえぬ刃の牢獄は、隙を晒した楓の逃げ道を完全に封じた。

「千刃黒曜剣」

 宣誓と共に刃が殺到する。分身がいようがいまいが関係ない。千に届く刃が音を置き去りに迫った。
 抵抗空しく、楓の体に刃は突き刺さる。分身は消滅し、残った本体も急所は守ったものの、体中に刃が突き刺さりウニのようになり、うめき声も上げられず楓は地に伏した。

「あ……」

 ネギはその間、何も出来なかった。遅れて落ちてきた明日菜も、ハリセンを投げただけで限界だったのだろう。力なく倒れ、その目は閉じられていた。
 一分にも満たない時間。
 たったそれだけで、フェイト・アーウェルンクスはネギを残して周りを無力化したのだった。

「さて、残りは君だけだね」

「そんな……」

 呆然と佇むネギにフェイトは向かい合う。保有する戦力の桁が違いすぎた。フェイトとネギ達の間には、やはり覆しようのない差があって。
 それでも譲れないものがある。ネギは半ば呆然とした意識を引き締めて、強い決意の篭った瞳でフェイトを睨んだ。

「……許さないぞ!」

「ならどうする? 勝つつもりならそれは自惚れだよネギ・スプリングフィールド。咸卦法を使えるようになっただけの君では、僕を打倒することは出来ない」

「そんなことぉ!」

 ネギの意志に影響されたように、咸卦のエネルギーが増大した。その能力の向上は、基礎スペックだけならばフェイトですら瞠目するほど。湖の水を波立たせるほどの力の濁流をかき集めて、ネギは体の赴くままにフェイトに突撃した。
 瞬動もかくやという速度で駆けるネギ。なるほど、確かにその身体能力は、飛躍的といえるほどに向上している。
 だが所詮はその程度。スペックだけで超えられない壁が存在する。

「うぉぉぉぉ!」

 大振りながらも砲弾に匹敵する拳が走った。咸卦の光に包まれた拳を、フェイトは軽く手で流すと、その勢いを利用してネギの重心をずらして横転させた。
 膨大なエネルギーを流された結果。ネギはただ横転するだけではなく、数メートル以上の距離を転がった。

「くっ!?」

「驚いているね。どうして自分が吹き飛ばされているかわかっていないっていう顔だ……なんてことはない。君より鋭角に、君よりスピーディーに、攻撃を流しただけの話だよ」

 ネギの身体能力は確かに驚異的だ。だが所詮、その程度でしかなかった。
 もしも再び同じ状況で小太郎とネギが戦ったのならば、間違いなく小太郎はネギを倒せるだろう。彼の敗北の原因は、予想外に向上した身体能力、つまりはネギの成長速度を知らなかったからだ。
 しかし所詮は一発芸。そういうものだとわかっていれば、ただの身体能力の高い人間。つまりはただの獣と変わりない。

「それで? 終わりなら決着をつけよう」

「うぅ……」

 勝てない。たった一合でネギはわかってしまった。身体能力で勝っていながら、それを活かす下地がネギには欠けている。これでは宝の持ち腐れに過ぎなかった。
 そんなネギを無感動に見下ろすフェイトは、トドメを刺すためにその手に魔力を収束して、背後で爆発した魔力の嵐に振り返った。

「どうやら、チェックだ」

 フェイトの視線を追ったネギもまた、その恐るべき姿を見た。
 夜を引き裂く白銀の肉体。見上げるほどに巨大な体躯には、四つの腕と二つの顔がある。指先一つにすら異常な魔力が詰まっている鬼の化け物こそ、かつての時代、恐るべき恐怖を振りまいた鬼神。
 リョウメンスクナがここに復活を果たしたのだった。

「……悪いが、君に構う暇がなくなった」

 フェイトはそう言うと、どうにか立ち上がったネギを置いて空に飛んだ。ここに手札は揃った。状況も望める限り最高の舞台。
 千草もまたわかっているのか。いや、わかっていないからこそか。尋常ならざる気配を漂わせた彼女の思考には、最早西の権力を剥ぎ取るという考えすらないのだろう。
 青山。
 恐るべき、青山よ。

「殺せ!」

 千草は叫んだ。総本山から飛び出した影を睨み、怒りのままに吼えた。

「殺せぇぇぇぇぇ!」

 鬼の狂気を具体したようだった。そして千草の狂気を再現するのが鬼神の役割。
 光が集った。膨大な魔力を膨大なまま破滅に変換して、神の名に相応しき極限が顕現する。
 世界を照らす恐ろしい光よ。正義の色を宿しながら破壊のみを宿す恐るべき魔弾よ。
 この怒りを表せ。お前が刻んだ恐怖を。お前が刻んだ怒りを。この一撃にぶつけてみせろ。

「青山ぁぁぁぁぁ!」

 千草の絶叫に合わせて、リョウメンスクナの口内に閉じ込められた魔力の爆弾が放たれた。怒りを束ねた咆哮が、一直線に遠くの影、青山目掛けて走った。
 終末の光。神罰の一撃。まさにそう表現するに足る閃光に千草は暗い笑みを浮かべた。
 殺った。アレは人間では抗いようのない破壊だ。それ以外に何とも言えぬ災いが青山を食らう。
 死ね。
 消えろ。
 この世から。

「消えるんや。悪魔が……!」

 だがそんな千草の願いすらも斬り裂くように、光の轟音すら斬り裂いて、鈴の音色が世界中に響き渡った。
 その音に千草は小さな悲鳴をあげた。
 青山。
 お前はどうして死なないのだ。

「う、ぁ」

 斬り分けられた光が二つ、軌道を変えて京都の街を爆発に飲み込むが、千草はそんな光景も目に入っていないようだった。
 声を失う。鬼神の全力すら、青山という修羅には届かないというのか。突きつけられた現実に、ぎりぎりで保たれていた千草の意地が崩れ落ちようとして。

「まだだよ」

 そんな彼女を奮い立たせる冷たい声が届いた。

「砲撃、続けて」

 フェイトはそう千草に告げると、魔力を最大出力まで吐き出して、持てる最大の魔法の詠唱を開始した。
 わかっていた。お前があれだけで終わるわけがないくらいわかりきっていた。
 だからこそ後詰めをする。この距離、虚空瞬動ですら数秒以上はかかるだろう絶好の機会を逃すわけがない。

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト」

 世界を震撼させる歌声が轟く。災厄の証明を告げる。宣告するのは死、そのものだ。

「契約に従い我に従え奈落の王。地割り来れ千丈舐め尽す灼熱の奔流」

 ネギはフェイトを中心に世界が震えるのを感じた。揺れはどんどん大きくなり、常人なら立つのも困難なほどにまでなっている。
 世界が悲鳴をあげているようだった。フェイトの魔力は最早、地球という存在すらも隷属させているのか。いや、今から放つ魔法を思えば、その表現は決して比喩でもなんでもないことがわかる。
 今からフェイトが放つのはそういった類の魔法だ。地属性魔法の最強。そう言っても過言ではないこの魔法は、本来旧世界と呼ばれるこの場所では使用すら禁じられるほどの究極の一手。
 その絶対の威力を把握した千草も、フェイトの背中を信じた。ならば時間は稼ごう。青山という修羅を滅ぼすには、地球の怒りでようやく比肩するはずだという、訳のわからない確信が千草を動かした。

「出し惜しみはなしや! 徹底的にぶっ放すんや!」

 千草の号令を聞いて、スクナが怒涛の魔力砲撃を展開した。無詠唱というのが考えられないほどの爆撃は、点ではなく面を抉る。結果、京都がさらなる被害をこうむり、幾つもの光が、眠る人々の安寧をぶち壊した。
 それは戦争だった。個人と個人が繰り広げる、現代の国家郡ですら展開することの出来ない破壊活動だった。
 空が震える。
 大地が砕ける。
 咆哮一つごとに世界が軋み、フェイトの魔力はなおも大地を泣き叫ばせた。
 ネギには何も出来なかった。あの時と同じく、ネギでは何も出来ない遥か高みの戦いが行われる。
 次元が違う。
 格が違う。
 蟻とゾウの背比べですら足りぬ絶望的な壁が広がっていた。

「滾れ。迸れ。赫妁たる亡びの地神」

 だがそんなネギの虚無感など、当然戦いを繰り広げる者には何の影響も与えない。そして、フェイトの詠唱が終わった。
 世界が吼える。怒号の如き爆音が京都を震撼させた。同時に爆発的な魔力が総本山を包み込み。

「引き裂く大地」

 地が空を飛ぶ。マグマとなった総本山の直下が噴出して、防戦一方の青山を容易く飲み込んだ。どうすることも出来ずにマグマの海に飲まれていく青山。
 だが。
 だが、千草はそれで勝利したとは思えなかった。

「まだや! もっと! アレの魂が消し飛ぶまで打ち続けるんやぁ!」

 千草はなおもスクナに号令を下した。主の命を受けて、スクナの砲撃が再開される。終わることなき光の雨が、未だに赤く爛れている総本山を吹き飛ばした。
 散ったマグマが四散し、さらに二次被害が加速する。紅蓮はその手を広げ、突如降り注いだ恐怖に怯える人々を飲み込んだ。
 その間にも、一般人には原理のわからない破壊の光が京都を穿つ。

「止めろ」

 阿鼻叫喚の声が聞こえてくるような気がした。紅蓮に包まれている街の姿が容易に想像できた。

「止めろ……!」

 悲鳴と怨嗟が広がるごとに、その負を吸収してスクナがより強大となり、砲撃はさらに威力を増して夜空を焦がす。
 黒の空にデコレーションする赤色が見えた。燃える世界に佇む己をネギは見た。

「やめろぉぉぉぉぉぉ!」

 立ち上がったネギは、怒りのままに杖にまたがり飛んだ。そしてスクナに飛び掛るものの、それをフェイトが遮る。
 無常にも、怒りの拳は再び受け流されて、ネギは水面に叩きつけられた。
 無力だった。
 誰よりも無力だった。
 魔法という、人よりも優れた力を持っているはずなのに、ネギは無力だった。
 英雄、サウザンド・マスターの息子であるはずなのに、ネギは無力だった。
 何も出来ないのなら、今も炎に泣き叫ぶ一般人と何が変わらない。
 まるで変わらない。
 お前は、まるで、変わらないのか。

「……違う」

 己を責める声にネギは頭を振った。
 違う。
 そうじゃない。
 そうならないために、強くなろうと。
 そうだ。

「僕は……」

 胸のもやもやが解消されていく。いや、解消はされていない。その正体が判明していく。
 わかったのだ。わかっていたのだ。自分はこんなにも弱くて、全くの無力で。

 だから、強くなりたかった。

 誰よりも、強くならないといけなかった。

 絶対に、勝利しなくちゃいけないから。

「勝つんだ」

 水の中でネギは呟いた。

「勝つんだ」

 でないと、再び惨劇は繰り返される。弱い己のせいで、燃える村が、崩れる大橋が、そして今まさに行われている惨劇が。
 何度だって、行われるのだから。

「勝つ。勝ってやる。絶対だ。もう嫌だ。強くなる。強くなる。僕はもう」

 ──誰も失いたくない。
 だからここで、弱い自分は死にさらせ。

「ラ・ステル・マス・キル・マギステル。風精召喚。戦の乙女100柱」

 唱えられるのは、何の変哲もない普通の風の精霊召喚。だがネギは100にも及ぶ精霊を、あろうことか強引にその掌に押さえつけた。
 咸卦法の出力によって、何とか押さえつけてはいるが、それでも暴れる魔法がネギの体からあふれ出して、その両腕の肉が引き裂け鮮血が周囲に漂った。

「術式、強制、固定ぃぃぃ……」

 それでもネギは止めない。咸卦法の膨大な力を使用して、ネギは今まさに自ら死への階段を駆け上っていた。
 ネギはわかっていた。最早、己の持つ手札だけでは彼らを止めることは出来ないことをわかっていた。
 ならば、作り出せばいい。勝てるものを、圧倒的な切り札を。今ここで、作り出すしか勝利を得られないのだから。一度だけ見たあの恐るべき力。あれさえあればきっと、この状況を乗り越えられると信じて。
 その先に己の体の崩壊が起きようとも。

「掌、握!」

 惨劇を止められるなら、安いものだ。

 瞬間、握りつぶした破壊力がネギの体を蹂躙した。悲鳴をあげることすら出来なかった。激痛は零秒の内に百以上頭の先から足先までを往復し、例えるなら血管を硫酸が流れているような心地だった。
 つまり、死ぬ。
 ネギの無謀は、咸卦法の時のような奇跡を起こさない。
 だが奇跡は起きた。咸卦法のエネルギーは、自殺行為ともいえる主の行為からすらも肉体を守ろうと足掻いた。
 その代償としてネギは無限の激痛を味わうことになる。自分が何処にいるのかもわからなくなった。ここが何処で、自分が誰で、そもそもなんでこんな痛みを受けなくてはいけないのかわからなくなる。
 しかしネギは耐えた。血が出るまで歯を食いしばり、体中が取り込んだ魔法によって引き裂かれるのすら咸卦法のエネルギーで強引に修復しながら、まさに必死に耐えた。
 死ぬわけにはいかなかった。
 負けたくないから死ぬわけにはいかなかった。
 だが割れていく。次々にネギを構成するあらゆるものが削られていく。取り留めのない日常がぽろぽろとその手からなくなっていくけれど。
 勝つのだ。
 その意識だけが。
 勝つのだ。
 その渇望だけが。
 勝つのだ。
 その願いだけが、ネギの存在を最後の最後まで保ち続け。

 ──そうだ。この杖をお前にやろう。

 最後に、失ってはいけなかった言葉が何処かに消えた。

 そして、無限でありながら、その実一秒にも満たない地獄が終わる。湖の底に沈んでいくネギの目が大きく開いたのと同時、巨大な水柱が発生した。

「君は、まだ……?」

 現れたネギの姿を見て、フェイトは一瞬それが誰なのかわからなかった。

「……術式兵装『風精影装』」

 緑色の風を纏ったその姿は、確かに見た目はネギなのだが、まるで別人のようでしかなかった。血に染まった服は、濡れているにも関わらず、流血の跡がはっきりとわかる。目と鼻と口、耳からも出血しており、血染めの顔はホラー映画にでも出そうだ。
 まさに別人といった様相だが、何よりもフェイトを驚かせたのは、その瞳。
 だがネギは構わずに己の状態を把握することにする。
 兵装は何とか完了。代償として体内の血が随分と失われ、鼓膜は弾けて音は聞き取れない。さらに嗅覚は完全に失われ、口の中の血の味もぼやけている。視界も左半分は完全に失われ、脳髄は強引に押さえつけた魔法のせいで絶え間なく激痛を発している。
 五感のうち四つが破損し、まともな思考も激痛のせいで難しい。
 しかし、戦える。
 ネギは咸卦法の力と、掌握した魔法の力を実感するように手を握り締めた。
 本来は考えられなかった恐ろしい者が生まれる。どちらも究極の技法である咸卦法と闇の魔法。それを未熟ながらも、その溢れる才能と、ありえぬ執念で作り上げた化け物が、ついに生まれた。

「勝つんだ。僕は、絶対に勝つんだ」

 ここに、兆しは生まれた。あどけない少年の面影は失われ、その瞳は──あぁ、なんということか。

「僕は、勝つ」

 あらゆる光を飲み込む闇色。

「もう負けない」

 それはまるで、青山の瞳だった。




後書き

展開上、闇の魔法と書いていますが、正確には咸卦法を下地にした別の何かみたいな感じです。

風精影装(ふうせいえいそう)
詳細・使うと(自分の五感と記憶が)死ぬ




[35534] 第九話【修羅よ、人の子よ(下の下)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/20 00:46
 術式兵装『風精影装』。
 闇の魔法を見よう見真似で作り上げた新たな切り札は、正しくは術式兵装と呼ぶにはあまりにもお粗末な代物だ。
 まず、スペック上の向上は一切ない。細かい違いをあげるなら、風の精霊を取り込んだことで、杖もなく自由に空を飛ぶことができるが、その程度だ。
 実質、ネギ自体に変化はない。どころか、五感の内四つがほとんど使い物にならなくなっており、内、嗅覚、聴覚は完全に奪われた。味覚も怪しく、戦闘に重要な視覚も左半分が闇の中。さらには強引な術式を構築した代償に、脳が沸騰して、絶え間なく激痛を訴えている。
 能力の向上という点では、ネギの闇の魔法は失敗したといってもいい。生きているだけで、ただ己をぼろぼろにしただけだ。
 それでも曲りなりにも闇の魔法を模倣したこの術式は、充分以上の能力をネギに与えていた。体に纏う魔力の風、意志をもつ緑色の大気は、ネギの意識下に隷属されていた。
 ここに、百の柱にて絶殺を行う。咸卦の光を宿したネギは、光を飲み込む瞳でフェイトを見つめ、指先を突きつけた。

「お前を倒すぞ、フェイト・アーウェルンクス」

「あぁ、あの忍者少女が名前を呟いていたね……それで? 大口はいいけれど、勝てると思っているのかい?」

 だとしたらおかしい話だと、フェイトは咸卦の光と緑色の風を纏ったネギを見据えて、呆れた風にため息を漏らした。
 だがその内心は決して油断していなかった。ネギと真正面から対峙しているのがその証拠。フェイトが恐れたのはネギの爆発的な成長力なのだから。
 故に全力を出す必要がある。構えを取ったフェイトに対して、武術の心得がないネギは不恰好に構えるだけだ。
 この期に及んで近接戦闘を行うつもりなのは、目に見えて明らかだ。策があるのだろう。何かしら、その身に纏う風を使った何かが。
 ──どうでもいい。ならば、その希望をへし折るため、また真正面から叩き潰すだけだ。

「来るといい」

 フェイトの呟きは、鼓膜の弾けたネギには届かない。だがしかし、立ち上る魔力に反応して、ネギは足元に風を集めると、それを足場に飛び出した。
 たちまち間合いは埋められて、その感情が込められたネギの拳が大きく振り上げられて放たれる。見え透いたテレフォンパンチ。先程と威力も速度もまるで変わらない拳を、フェイトは冷めた眼差しで見つめ、違和感に驚く。
 ネギの拳がぶれていた。いや、ネギの体そのものがぶれていた。まるで幾つもの影を重ね合わせたように、像が定まらないネギの一撃。風を操った光の屈折による一種のカモフラージュか。一瞬の間にその現象の謎を把握したフェイトは、ならば像が重なるその中心に視線のピントを合わせて、ネギの拳に掌を走らせた。
 他愛ない。この程度の児戯を行うなら、光を風で屈折させて透明にでもなったほうがまだ有効だった。そう内心で吐き出すフェイトは、遅くなった時間の中、ぶれたネギの拳にそっと掌を、合わせた。
 ぶれている拳に、掌が重なったのだ。

「な?」

「おぉぉぉぉ!」

 違和感に驚くその僅か、雄叫びを上げたネギの拳が、フェイトの掌を弾いてその顔面に炸裂した。
 そのときありえぬ現象が起きる。
 一撃ではなかったのだ。着弾したネギの拳は、驚くことにぶれた数の分だけフェイトの顔面に炸裂する。その数およそ十。一点に間髪入れず直撃した、咸卦法で威力を何倍にも増加されたネギの拳は、堅牢なフェイトの障壁を歪ませるほどの威力だった。

「な、に……!?」

 フェイトは吹き飛びながら困惑する。風を屈折させただけのはずだった。だが実際はぶれたように見えた像すらも『虚像ではなく実像』。水面に落ちていくフェイトを追うネギは未だにぶれたままだ。
 咄嗟にフェイトは石の剣をネギの周囲に展開した。無詠唱のためその数は百ほどだが、先程までのネギならば充分に落とせる数、それを問答無用で殺到させた。
 ネギは反応こそ出来たものの、十本ほど打ち落としたところで剣に体を串刺しにされる。急所すらも貫いた石の剣は、人間ならばどう足掻いても必死。
 だというのに、ネギはまるで剣など突き刺さっていないかのように動き出した。そのとき、脱皮でもするように緑色をした透明なネギが、剣が刺さった状態で五体、ネギの体から抜け落ちて消滅する。

「そういうことか……!」

 フェイトはその現象を見て、ネギがどうしてぶれているのか、その現象の正体に気付いた。
 術式兵装『風精影装』。これは術者の身体能力などの向上は出来ず、与えられるわかりやすい能力は、自由に空を動けることだけだが、この能力の真髄は別にある。
 掌握した風の精霊。今回は百柱。この分だけ、ネギは己の体の内側に十秒間だけ、本人と寸分の差がない影分身を展開することができるのだ。だがこの影分身は楓が使うものとは違って、術者と同じ動きをするだけの分身でしかなく、さらには魔法を詠唱しても、本体のみしか魔法は放てない。
 あくまで、術者の身体能力を模して、術者と同じ動きをするだけのものだ。それ以上でも以下でもない。
 しかし、本来なら術者が受ける攻撃を、影分身で受けるだけのデコイとして使うこの術式は、咸卦法という究極技法によって使用方法は一転する。膨大な身体能力を術者に与える咸卦法によって、今やネギの身体能力はスペックだけなら神鳴流の一流剣士にすら匹敵するほどだ。
 そんなネギと同じスペックを持つ影分身による、一点集中の同時攻撃。しかも攻撃の直前は分身が僅かに外に漏れることで打点をばらばらにすることが出来て、それが全て実体であるために、受けることは至難。
 まさに今、近接戦闘という限定された状況下において、ネギは一流の魔法使いすら凌ぐ能力を得ていたのだった。

「フェイトぉぉぉぉぉ!」

 それらの事柄を本能で理解したネギは、能力を最大効率で運用してフェイトに肉薄する。距離を開けることは出来ない。そしてフェイトであればすぐにでもこの能力の対抗策を思い浮かぶだろう。
 その前に全力で殴り続ける。先程の剣によって削られた影分身を補充したネギは、口から出血しているフェイトもろとも、湖に激突した。
 何度目になるかわからない、今日一番の巨大な水柱が発生する。外の轟音すら聞こえなくなる静寂の水の中で、ネギは己の周囲に風を展開して水による動きの阻害を排除。目の前のフェイトの胸倉を分身もろとも掴むと、空いた右拳で壮絶な追撃を始めた。

「らぁぁぁぁぁぁぁ!」

 水の中で空気が弾ける。一打ごとに十。十打ごとに百。百打重ねれば千。右腕一本で弾幕を展開していく。
 人間には考えられぬ壮絶な打撃が、周囲の水を弾き、二人はそのまま湖の底に着地した。
 湖がその一点のみ割れていた。古の賢者は海を割ったというが、ネギの拳はその領域に届いているのか。
 まさに神の領域。拳という野蛮な武器一つで、ネギはフェイトに思考させる隙も与えず追い詰めていく。
 だがフェイトもただやられるだけではない。両腕で体を庇い、一撃ごとに軋む障壁に魔力を補填しながら、冷静に反撃の隙を伺っていた。
 油断しないと決めながら、この様だ。結局、フェイトは何処かでネギはただの少年でしかないと見下していたのだろう。
 そのツケがこの状況だった。ガードをした腕がそのまま急所になったような錯覚。咸卦法の出力と、闇の魔法の特異性。この二つが見事に嵌まったネギの実力は、既に学園の魔法先生の平均を遥かに凌ぐ領域に到達していた。
 だがそんなことはどうでもよかった。
 勝つのだ。
 その意志と渇望だけが、脳髄を狂わせる激痛の中でネギを突き動かす。
 勝たなければいけない。絶対に勝つしかない。勝つ。僕は負けない。敗北が惨劇に繋がるなら、僕はもう二度と負けるわけにはいかない。

「ぃぎやぁぁぁぁぁ!」

 今も紅蓮と光に飲まれる、無力な人々の怨嗟の叫び。それを代弁したような雄叫びだった。
 打つ。
 ひたすら打つ。
 反撃させぬ。打つ。
 この拳で打つ。
 打撃。
 重なる打撃。
 これが打撃。

「負けるか! 負けない! 勝つんだ! 勝つんだ! 僕はぁぁぁぁ!!」

 ネギを中心に湖がどんどん押しのけられていく。ネギの執念が自然すらも崩していた。
 だからわからないのか。
 だから気付かないのか。
 その執念。
 人の業。
 全てが積み重なったネギの全力は、今も砲撃を続けるスクナと全く同じ天災となっていることに。
 気付いたところでどうだというわけではないが。しかしネギもまた一歩一歩、その領域に近づいていた。
 修羅の領域。
 修羅場へ。

「それで?」

 フェイトはネギの拳を受け止める両腕の向こう側で、冷めた視線を送った。
 ネギの動きが僅かに止まる。ガードされているとはいえ、今や容易に受け止められるものではないネギの拳を受けていたというのに、フェイトの表情に一切の動揺は見られなかった。
 直後、地面が隆起して、幾つもの土の槍がネギの体に突き刺さった。
 縫い付けられた肉体から、ネギは影分身を引き剥がして離脱する。だがその間にフェイトはネギから距離を離して上空に飛んでいた。

「逃がすか!」

 おいやられた水が大波となってネギに襲い掛かった。濁流を掻い潜ってフェイトを追うネギに対して、フェイトは黒光りする剣を空に展開して迎え撃つ。

「千刃黒曜剣」

 風を突き穿つ黒の弾丸がネギを襲った。降り注ぐ刃の雨。逃げ道など当然ない弾幕結界を、ネギはデコイを使用して強引に突破する。
 迫れ。この拳さえ届けば勝てるのだから、愚直でもいい。この道を行くのだ。
 光を飲み込む瞳の奥に、確固たる決意を秘めてネギは飛ぶ。だがまるで闘牛士のようにフェイトはネギの突撃をかわして、何度も剣の雨を放った。
 削られていく。ネギのデコイは、すなわち火力とイコールである。つまり削られれば削られるだけ弱体化するのだ。
 その弱点にフェイトも既に気付いていた。もしくはネギに無詠唱で撃てる火力のある魔法があれば、戦いの行方は違ったかもしれない。しかし所詮、ネギはつい先日まで、戦い方も知らない素人だったのだ。むしろここまで戦えたことが奇跡であった。
 だが奇跡は続かない。戦闘の経験値。積み重ねた技量の差。それらがネギにはあまりにも欠落していた。

「さて、君のそれは何処まで続くのかな? 百? それとも二百? いや、あるいはもう底が見えているかもしれないね」

 フェイトの独白はネギには届かないが、構わずにそのぼやきは続く。

「なんであろうが、無限ではないだろ?」

 そしてフェイトの言葉は事実だった。確実にネギを貫く黒の弾丸は、ついにデコイの底が尽きたネギの肩を貫き、そのまま地面に縫い付けた。

「ぐ、あぁぁぁぁ!」

 落下の衝撃よりも、貫かれた肩の激痛よりも、動けなくなった己が何よりも許せなかった。痛みなんて度外視だ。勝たないといけないのに届かない。負けたら全てがおしまいだというのに動けない。
 悔しかった。
 結局、届かない自分が悔しかった。

「うぅぁぁ……!」

「……君は頑張ったよ。正直、予想を超えたといってもいい」

 だから、障害になるのだ。フェイトは再度刃の軍勢を展開した。動けないネギに確実な敗北を突きつける。つまりは死を。絶対の宣告から逃れようと、ネギは足掻くものの、突き立った刃はネギを逃さないように地面にしっかりと固定されている。

「さよならだ」

 そして断罪の刃は落ちた。夜に溶けながら夜を斬り裂く弾丸が、抗う暇すら与えずに、ネギの視界を埋め尽くし。
 それよりも早く、ネギの前に細い背中が立ちふさがった。

「やぁぁぁ!」

 ハリセンを振りぬいた明日菜の手によって、弾丸が霧散する。それでも撃ち漏らした弾丸に激突するクナイ。放たれた方向を見れば、血染めになりながら、力を振り絞ってクナイを放った楓。
 そして驚くフェイトを他所に、湖が再び爆発した。

「おぉぉぉぉぉぉぉ!」

 水柱を振り払って飛び出したのは、背中から美しい二枚の白い羽を広げた刹那だった。遮二無二、一瞬の隙をさらし、さらにスクナとの距離が離れたこのタイミング。千草に捕まった木乃香目掛けて飛んだ刹那は、狂ったように砲撃を命じる千草を追い抜いて、木乃香を奪い取った。

「なっ……」

「お嬢様は返してもらったぞ!」

 刹那は驚愕の表情を浮かべた千草にそう言うと、体を震わす砲撃を続けるスクナから瞬動を使って強引に離脱を果たした。
 木乃香を庇いながら地面に落ちた刹那は、苦悶の表情を浮かべながらも、胸の中に抱く木乃香が、苦しそうながらも息をしているのに安堵した。
 もしもあのままスクナの制御に木乃香の魔力を使い続けていたら、そのまま木乃香は魔力枯渇による死を迎えていたかもしれない。
 だから確実に奪い去る機会が欲しかった。例え、人々が阿鼻叫喚に陥ろうとも、刹那はそれを堪えて千載一遇のときを狙っていたのだ。
 ──これでは青山を詰れはしないな。
 刹那は自らの恥ずべき行いにそう自嘲した。だが刹那にとって、神鳴流であることよりも、大切な幼馴染を守ることのほうが大切だった。
 ならばそれは人間として正しいあり方だ。何をしてでも少女を守るという強い決意。それがあれば自分はこの忌むべき羽だって広げられる。
 そのまま起きない木乃香を抱きしめている。刹那がそうしている時と同じくして、ネギは明日菜のハリセンで拘束を解かれて立ち上がり、信じられないといった様子で明日菜を見上げた。

「一人でかっこつけんじゃないわよ! バカネギ!」

 振り返らずに明日菜は声を荒げた。それは耳の聞こえないネギに、何故かその魂に直接響きわたった。ネギの胸の内側にある契約カードの影響か。ともかく、明日菜の魂からの絶叫は、黒く落ちていたネギの魂をぎりぎりで繋ぎとめる。

「でも、僕、もう負けないって……だから、僕、勝つから……」

「それがかっこつけてるって言うのよ!」

 明日菜はフェイトから一時も視線を放さずに、そのまま思いのたけを吐き出した。

「一人で出来ることなんてホンのちょっとだけ! それにアンタはただでさえガキンチョなんだから、もっと周りに頼りなさい!」

「だけど、僕……」

「私は!」

 勝利という執念、それを口にしようとしたネギの言葉を遮り、明日菜は振り返らず。

「アンタのパートナーでしょうが!」

 その背中で、不屈を叫んだ。

「あっ……」

 心の底から吐き出された明日菜の言葉がネギの心に染み渡る。それに合わせるように、全てを飲み込むような闇色の瞳が徐々に明るさを取り戻していった。
 すっかり。
 さっぱり忘れていた。
 ネギは明日菜の背中を見た。細くて、でもとても頼りになる、強くて優しい背中だ。少女の可憐な背中は、どれだけ強くなろうとも、ネギよりも強く気高い。
 誇りのある姿だった。
 神楽坂明日菜に、ネギは太陽を見つけた。

「……はい」

 そうだ。
 そうだよ。
 勝つのが目的ではない。
 僕は、もう失わないように守るんだ。
 それでも足りない部分は、頼りになる誰かが助けてくれる。タカミチが、明日菜のことを報告しなかったことを怒ったときに、言ってくれたではないか。
 頼っていいのだ。
 自分は子どもで、そんな人間に出来ることは少なくて、だから誰かの手があるのだ。

「ネギ! アンタにとって私は何!?」

 明日菜が叫ぶ。
 差し伸べられる手がある。
 楓も言った。
 超えなくていい壁もある。
 刹那は言った。
 ネギは未熟だと。
 だから。
 助け合うことで、僕は、僕らは進むんだ。

「明日菜さんは、僕のパートナーです!」

「……よく言ったでござる」

 ネギの宣誓に突き動かされたのか、体に剣が刺さったままでありながら立ち上がった楓がネギの隣に立つ。
 刹那も遠くから、ネギを見て頷いた。
 そう、少年は一人ではない。
 孤独の修羅では、ないのだから。

「僕達は……負けません」

 何度だって立ち上がってみせる。守りたい人がいる。守ってくれる人がいる。全てがネギを取り巻いていて、ならば一人で何か出来るだなんてきっと嘘っぱち。
 そんな彼らの絆に当てられたのか、フェイトは表情を小さく緩めたように見えた。
 だがそれとこれとは違う。光を取り戻したのなら、その光ごと砕くのみ。

「悪いが、仲良しこよしは──」

 おしまいだ。
 そう告げるよりも早く、魂を震わせるおぞましい絶叫が響き渡った。
 誰もがその発生源を見上げる。その先には、夜空を見上げながら、ようやく術者の束縛より解放された鬼神の姿があった。
 魂から恐ろしいと感じる雄叫びの正体は、スクナがあげる歓喜の声だ。狭き封印から開放され、矮小な人間の支配から抜け出した鬼神は今こそ最大。今や京都中に巻き上がっている負の感情を吸い上げて、さらに巨大となったスクナは。

「え?」

 すぐ傍にいた千草に、おつまみでも食べるように噛み付いた。
 その口が何度か咀嚼を繰り返し、喉が動く。断末魔すら食い尽くされた。京都を地獄に陥れた術者の最後は、そんなあまりにもわかりやすい蹂躙によって完結した。
 フェイトを覗いた誰もが、単純明快すぎる凄惨な光景に言葉を失った。
 スクナの目が次の標的を狙って怪しく輝く。その両目が、この場で最も魔力の多い木乃香を見据えた。

「くっ!」

 刹那が夕凪を構えて眠る木乃香の前に立つ。だが月詠との戦い、フェイトの一撃は、想像以上に刹那の体力を消耗させていた。
 それがわかっているのか。スクナは刹那など障害にすら感じず、その四つの腕の一つを、眠る木乃香目掛けて延ばした。

 そして、鈴の音色は響き渡る。

「ッ!?」

 最初に反応したのはフェイトだった。遅れて、スクナの腕が最初から繋がっていなかったかのように、肩から斬れて湖に沈んだ。
 四つの腕が三つに減る。痛みすら与えぬほどに鋭利な斬り口は、誰にでも出来るような技ではない。
 戦慄する。
 驚愕する。
 圧倒的な火力を遠距離から叩きつけた。そしてフェイトは自らが持つ最大の札も晒した。
 だというのにお前はいる。
 凛と歌って立っている。

「……生き延びたのか」

 フェイトが呟く声は、鬼神の怒りの声に遮られた。その怒りの全てが、この状況に現れた規格外に向けられる。
 体中が土と泥に汚れ、火傷の跡が幾つも残っている。だというのに足取りは確かで、薄汚れた乞食のような服装ながら、手に持つ刀は妖艶とした色気を放っていた。
 ここに、舞台を演出した脚本家にして、機械仕掛けの神の役を担う男が現れる。
 だからここからは素晴らしい絆の入り込む余地などない。
 いっそ、断言しよう。
 ネギが得た絆など、その才能には全くもって意味がないと声を大にして叫ぼう。
 その果てがここにいる。
 その終末がここにいる。
 何処までも己と向かい合い、周囲の全てから影響を受けず、ひたすらに天才の才能を磨き続けた人間がここに立つ。
 凛と歌え、斬殺の音色。死ぬ間際に放たれる美しき音色よ。

「間に合った」

 間に合えた。
 底のない黒い瞳がスクナとフェイト、そしてぼろぼろのネギを最後に捉えた。
 食指は──何故だろう。今は動かない。だが熱に狂った男にはそんなことはどうでもよかった。
 楽しいのだ。
 とてもとても。
 涙が出るほど楽しいんだ。

「く……ふぃ」

 得体の知れぬ鳴き声が男の口から漏れた。肩を揺らして、眼前で敵意を撒き散らす極上達を前に、表層に現れている自意識なんてたちまち吹き飛んだ。
 やっぱしあの時、君を逃がしてよかった。そのおかげでこんなにも楽しいことが起きている。麻帆良に着てから、楽しいことばかりで幸せすぎだ。この地獄に、この修羅場よ。めくるめく夢のはざまに、修羅の雄叫びを響かせる。
 あぁ、この気持ちをなんと表現しよう。喜びを表すには言葉が足りない。何から語ればいいのかもわからなくて、嬉しさが充満して。
 願うのは、そう。

「斬って、斬って」

 ばーらばら。






[35534] 第九話【修羅よ、人の子よ(下下下)】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/20 00:55

 ばーらばら。

 なんて。
 可愛く歌ってみたけれど。
 体中の火傷は激痛を発していて、積み重なった魔力砲によるダメージは、俺を終わらせるには充分すぎた。正確にはあの鬼神の砲撃に込められた呪詛が体を蝕んで、肉体ではなく魂を暴食して壊している。
 そのため、意識はもうろうとしていて、ちょっとでも気を抜けばそのまま、おれ、の、いの、ち、が……。
 あー。
 やばい。
 これはもう駄目かもしれな──

 ……。

 そういう感じで終わった。
 わかりやすく言うと死んだ。
 今まさに、絶命した。
 俺は死んだのだ。
 実を言うと、フェイト少年のところに到達した時点で意識なんて吹っ飛んで、意識なんてあってないようなもんだった。
 最後にぎりぎりでネギ君のたくましい姿を目に焼き付けることができたのは良かったなぁとか思ったり。
 そこで俺の意識は途絶えて、実質俺は死んだ。
 そういうもので。
 そういうことである。

「きゅふ、ぅぃ」

 だから言葉だって上手く言えない。言いたいことはあるのだが、どうにも口が回らないのだ。
 斬るのである。
 斬るだけである。
 そう伝えたいのに、どうやら砕けた意識では上手く伝えることが出来ない。
 まぁ、仕方ない。意識がなくて、肉体も死んでいる。そんな状態で会話を成り立たせるなんてできるわけがないのだ。マグマに飲み込まれた肉体は、辛うじて斬撃で命を溶かす熱だけは斬ったのだけど、流石は恐るべき魔力の一撃、マグマは俺の体を焼き、さらにそこに叩きつけられた魔力砲撃は、俺を瀕死に追い込み、かつ込められた呪詛で俺を殺すには充分すぎた。
 それでも砲撃を掻い潜り、呪詛に蝕まれながら、何とか彼らの元へ辿り着いただけでも評価してもらいたいものである。
 結果、俺の全部は砕けた。取り巻く全て、優しい上司に素晴らしい友人たちが与えてくれたこと。そんな生き方を変える切っ掛けを与えてくれた全てによって構成された俺の全てが消えた。
 残ったものなんて何もない。
 斬る。
 斬ること。
 それだけ。
 いや。
 もう白状しよう。
 俺は死んだけど。
 俺という人間は斬る。






 お前は、誰だ。
 そうとしか思えないほど、青山の雰囲気が変貌しだしていた。
 元から、終わっていた人間である。取り返しのつかぬ化け物で、変化や成長といった言葉とは無縁の人間であった。
 だが違う。
 今のこれは明らかに異常だ。

「みぃ」

 青山は言語化すら出来ていない鳴き声をあげながら、黒い瞳でぎょろりとスクナを見上げた。
 見上げられた。それだけで鬼神であるスクナの意識に、斬られるという確信が浮かぶ。その結果に死ぬというだけである。前提が破綻していた。死という破滅以上に斬るという恐怖が生まれたのは常識が狂っているとしか言えなかった。
 今の青山はそういった概念になりつつあった。見られるだけで斬られる。見ているだけで斬られる。
 人間という斬撃。
 人間だから斬撃。
 言葉としては間違ってはいるが、そう表現するしかない状態になっていた。

「青山……」

 刹那は胸の内側からこみ上げてくる恐怖を感じた。それは同時に、誰もが胸に抱き始めた感情であった。
 今、斬られたら終わる。
 命が、ではない。
 終わってしまう。
 間違いなく、自分が終わる。
 命あるものにとって最も大切なもの。各々が譲れないもの。刹那にとっては木乃香を守るという鋼の意志。フェイトにとっては崇高な使命。ネギにとっては『  』。
 明日菜達にもある、何よりも譲れない大切な信念や誇りとも言い換えることの出来るもの。
 それを斬られる。
 つまり、今までの自分が終わる。
 青山が覗き込み、斬撃しようとしているのは、そういった類の代物だった。

「……ぃつぅけえぇあ」

 ──見つけた。
 呂律の回っていない青山の口は、解読すればそう呟いていた。だが当然言語になっていないその言葉を、ネギ達がわかるわけがない。
 それでも何が言いたいのかは理解した。
 青山は、この場にいる全員の『命』を捕捉したのだ。

「■■■■ッッッッ!!」

 スクナは本能のままに雄叫びをあげた。同時に残った三本の腕に極大の魔力が収束し、間髪入れず青山目掛けて神罰の光が降り注ぐ。
 光の柱が三本突き立った。轟音が周囲一帯に響き渡り、余波で土砂が舞い散り湖がざわめく。鬼神の本能は恐るべき青山を敵として認定した。アレは己を殺す類の敵だ。殺さなければ、殺される。単純な真理のままに放った最大威力が巻き起こした土煙から飛び出す黒い影。
 青山は健在だ。三柱の破壊を掻い潜り飛び出した青山だが、それを予測していたフェイトが、その頭上で魔力をかき集めた。

「万象貫く黒杭の円環」

 まるでチェスのコマのような黒い杭を、夜空の星をかき消すほど無数に展開した。一撃当たれば敵を石化する一撃必殺を惜しむことなく解き放つ。
 夜風を裂いて敵手を止める針の散弾が青山目掛けて走った。フェイトはそれだけではなく、次々に杭を展開し続けて畳み掛ける。

「……」

 青山は虚空瞬動と十一代目を使いながら、その弾幕と真っ向から拮抗した。鈴の音が鳴り響き、一秒で百近くも放たれる弾幕を、一切合財斬り捨てる。
 青山の斬撃は目で追える速度を容易く超えていた。刀はおろか、振るう腕の肩まで見えぬ。腕が一本消失したかのような速度。加速した斬撃が音すら斬り裂いて、凛という音すら消え果る。
 何が起きたというのか。
 どういうことなのか。
 フェイトは無表情の下、死に物狂いで魔法を撃ちながら恐怖した。
 見誤った。
 この男のことを違えていた。
 理解などしていなかったのだ。この男がどういった存在なのか微塵もわかっていなかった。

「う、おぉぉぉぉ!!」

 らしくもない叫び声をあげて自身を奮い立たせて、フェイトは黒の剣すらも織り交ぜて、魔力の限り弾幕を展開した。
 刃と刺突が散乱する。憂うことなく断ち切る。青山は見ている。三日月が生まれている。
 その顔を見るのが、気持ち悪かった。

「■■■■ッッッッ!!」

 スクナもまた同じく、青山をようやくわかってきていた。アレの内側に閉じ込められていた修羅を見る。
 心胆を冷やし震わし悶絶させる瞳が、ゆっくりと、確実に『色づき始めている』。
 とても。
 とても恐ろしいことが起きようとしていた。
 だからこそ、それが起きる前に決着をつけなければならない。フェイトとスクナは無意識のうちに考えを一致させて、小さな都市なら数分で壊滅できるほどの破壊を青山に叩きつけ続ける。
 広がり続ける威力が、余波だけで刹那達を脅かす規模にまで膨れ上がっていく。

「拙い……ネギ先生! 神楽坂さん! 楓! 逃げろぉ!」

 刹那は轟音響く戦場で、必至に声を張り上げた。直後に木乃香を抱きかかえて全力でネギ達に近づくと、そのまま追い抜いてその場を離脱する。
 遅れてネギ達も走り出した。フェイトとの戦いで積み重なった痛みや疲労など忘れていた。
 それはフェイトとスクナが放つ破壊に巻き込まれるのを恐れた逃走ではない。今にも破壊に飲み込まれようとしている青山からの逃避であった。
 恐ろしいことが起きる。
 会ってはならぬモノが出てくる。
 きっと、終わってしまう。
 ネギ達は逃げ出した。遮二無二逃げ出した。背後から這い寄ってくる恐ろしさから逃れるように、言語に出来ぬ何かから逃れるために飛び出す。
 走りながら、ネギと明日菜だけはその言いえぬ何かの正体がなんなのか、僅かながらに気付いていた。
 あの大橋でエヴァンジェリンが青山を氷の棺桶に閉じ込めた後、停止空間を斬り裂いたあの時に一瞬だけ感じた何かと同じだった。
 青山という有り様が一瞬だけ出たあの時。
 だから類似していると思った。

 あの時も、青山は『見つけた』と言ったのだと。

「くっ。逃げ、きれない……!?」

 刹那が苦しげに呟いた。身体能力が肥大した彼らは、軽自動車程度の速度なら楽に出すことが出来る。そんな彼らが限界を超えて離脱しようとしているというのに。
 未だに、圏内。
 未だに、青山が背中に張り付いている。
 このままでは、もろとも斬られる。ネギ達は絶対に起きてはいけない斬撃に恐怖して、術もなく無謀な逃亡を行い──

「……やはり、こうなっていましたか。介入を極力避けた代償、ですかね」

 そんな声の直後、ネギ達の足元に眩い光が現れ、一瞬で光に飲み込まれた。

「ッ!?」

 突如、光に包まれたと思った直後、光が収まればそこは先程とは全く違う場所だった。周囲を見渡せば、紅蓮に染まった京都の町並みが見える。そこは総本山からだいぶ離れた場所にある丘のようなところだった。
 強制転移させられた。一体誰が。そんな思考をしていると、林の奥から物音がして、ネギ達はそれぞれの武器を構えた。

「警戒せずとも、ここは安全ですよ……尤も、一般の方々からすれば、安全な場所などないのですけどね」

 現れたのはフードを深く被った得体の知れぬ男だった。どこか人を煙に巻くような物腰と口調であり、刹那は警戒心をよりむき出しにして声を荒げた。

「誰だ!?」

「少なくとも敵ではありません。厳密には違いますが、学園長からの応援、と解釈していただけたらと思います」

「学園長からの?」

「はい。あ、私はクウネル・サンダース。気軽にクウネルとでも呼んでください。勿論、親愛の念を込めてくーちゃん、もしくはネルサンでもよろしいですよ?」

 可愛いですしね。そう言って影に隠れた表情の下を、男、クウネルは胡散臭い笑みに変えた。
 学園長からの応援とはいえ、そんな笑みを浮かべる男をすぐに信用できるわけがない。しかも彼らは今まさに死よりも恐ろしい恐怖を味わったばかりである。だからこそ武器は誰も納めず、刹那が代表して口を開いた。

「……私はあなたを知らないが?」

「青山君と同じく、学園長の秘密兵器ですから」

 しれっと青山の名前を告げながら微笑を崩さないところを見るに、相当な実力者なのは間違いないだろう。得体の知れない男だが、この状態では戦いにすらなりはしない。刹那は警戒するのも無駄と悟ったのか、夕凪を鞘に収めた。
 続くようにネギ達も武器を収めたところで「ありがとうございます」と優しく告げたクウネルは、剣山状態の楓に近づくと、その肩にそっと触れた。
 すると、たちまち楓の体から剣が抜けて、傷も塞がる。続いて明日菜、刹那と治療をした後、クウネルはネギに触れて、僅かに眉をひそめた。

「……無茶をしましたね」

「……え、はい。あ、音が聞こえる」

 先程まで音が一切聞こえていなかったネギは、突然音がわかるようになって驚いた様子だった。だがそれでもクウネルの表情は暗い。

「視覚と聴覚は治しました。ですが、無理な術式で潰れた味覚と嗅覚は、時間をかけるしかありませんね」

 特に、その瞳はね。内心で呟いたクウネルは、視覚を取り戻したというのに、終ぞ光を取り戻さない左目を見た。
 まるで、光を全て飲み込む闇色に染まっている。術式の影響か、あるいは──

「……助太刀、感謝します。あのままなら、危なかった」

 刹那が無礼を謝罪する意味も込めて深く頭を下げた。クウネルはたちまち笑顔を取り戻すと「気にしないでください」と爽やかに返す。

「麻帆良以外に出るのは中々制限がかかるので、本当は出てくるつもりはなかったのです。そのせいであなた達を危険に晒してしまった」

 だが事情は変わってしまった。クウネルは燃える京都を見ながら語る。

「あなた達はここで暫く待機していてください。ここならば、少なくとも万が一があっても、あなた達だけなら離脱させることが出来る。では、私は救助を手伝いに行くので、絶対にここから動かないでくださいね」

 そう告げて転移をしようとしたクウネルを「待ってください」と言ってネギが止めた。

「あの、クラスの皆を!」

「……ご安心を。麻帆良の生徒達なら既に避難が済んでいます。総本山から距離が随分と離れていたのが幸いしましたね。彼女達に怪我はありませんよ」

 ネギ達はその言葉を聞いて安堵のため息を吐き出した。それが聞けただけでも充分すぎた。
 クウネルは微笑を絶やすことなく、ネギ達に「それでは後ほど」と声をかけてから転移をした。
 そして静寂は訪れる。木々の囁きと、遠くでくすぶる炎の音と、鳴り止まぬ轟音を聞きながら、ふと明日菜が呟いた。

「……助かったのね。私達は」

 私達は。その言葉に重たい空気が漂う。明日菜達は地獄のど真ん中に居たのは事実で、彼らがあの地獄の中、木乃香を救い出し、かつ逃げ出せたことは素晴らしいことだろう。責められるいわれはなく、クウネルに回復してもらったとはいえ、これ以上動けないのは仕方ない。
 だが現在、地獄の余波を受けて恐怖に怯える人達が居る。それを思えばただ生きていることを、助かったことを安堵するのは憚られた。

「……私がもっと注意をしていれば、こんなことには」

 刹那は痛みを堪えた面持ちで呟いた。状況が自分の領分を越えていたとはいえ、確かに木乃香の警護を充分にしていればという気持ちが刹那にはあった。

「そんなことない。そういうなら、ここに居る私達の責任よ」

「そうでござるな……結局、拙者達は無力だった」

 明日菜と楓の言葉は真実だった。西の襲撃者。特にフェイトを前に彼らの力はあまりにも無力で、悔しいことだが、青山が居なければ被害はもっと酷くなっていたかもしれない。
 苦しい現実に押しつぶされそうになる中、唐突に刹那は立ち上がった。

「木乃香お嬢様をよろしくお願いします」

 そう告げてその場を離れようとする刹那を、明日菜が慌てて止めた。

「ちょっと! いきなりどうしたのよ!?」

「見たまま、ですよ」

 言われて、明日菜は刹那の背中に生えた羽を呆然と眺めた。

「……この羽を見られたからには、私はもうあなた方と共にはいられない。忌むべき妖魔とのハーフなんですよ、私は」

「そんなの──」

「とても、大切なことですよ。私は、人間では……」

「人間ですよ。刹那さんは」

 何かを言い募ろうとする刹那の言葉を遮って、ネギが口を挟んだ。

「逃げるつもりですか?」

「何を……」

「木乃香さんを置いて、刹那さんの使命は、羽を見られたくらいで投げ出せるものなんですか」

「……そんなわけないです」

「なら、一緒に守ってください。僕、未熟ですから、一人じゃ木乃香さんを守れません」

 ネギに続くように、明日菜と楓も頷いた。刹那は呆けた表情で振り返り、眠る木乃香を見る。

「それに、刹那さんのその羽。とても綺麗ですよ」

「そうそう、それにあいつがそれくらいであんたを嫌うとでも思ってるわけ?」

 ネギの隣に立った明日菜が笑いながら告げる。

「ふふっ、刹那。もっと拙者達を信じたほうがよいでござるよ」

 楓は座ったまま猫のように笑いかけた。
 誰も、刹那の姿を恐れてなんかいない。それだけで刹那は安堵し、僅かに目に涙を溜めたまま、小さく、だがはっきりと頷いた。
 災厄は続いている。
 状況に対して無力なのは変わらない。
 けれども、救えるもの、守れるものがある。

「今は……今だけは、待ちましょう」

 最早、自分達に残された力はない。
 だから祈り、願おう。
 そして、生きていることに感謝しよう。
 心は苦しい。ネギはその目に焼き付けるように炎を見据え、今にも飛び出したい体を押さえつけた。
 今の自分では、何も出来ない。どころかここからあの現場に行くことすらもう無理だろう。青山が目覚める直前の逃走で、持てる力の全てを使い果たしてしまった。それはここに居る誰もが同じで、恐ろしいことに、逃げていたときの恐怖すら思い出せないくらい、あの状況は恐ろしかった。
 それでも。
 それを経てなお。
 偶然の産物とはいえ、ネギ達は。

「僕達は、生きてます」

 未熟な僕達には何も出来ない。無力を嘆き、炎の町並みに絶望し、紅蓮に飲まれた人々が無事であることを祈るしか出来ないけれど。

「生きていて、良かった」

 この一瞬だけ、今は生きていることを感謝しよう。
 ネギは誰にでもなく呟きながら、炎をその両目に焼き付けた。
 右目はこの惨劇を刻み込むように、炎の輝きを映して。
 左目は、その惨劇の輝きすら飲み込んで闇のまま。
 修羅よ。
 人の子よ。
 お前はどちらを選択する。

「……」

 ネギは、ただ眺める。
 いつまでもいつまでも、その光景を眺め続ける。

 そうして、ネギ達の長すぎる夜は終わりを告げたのであった。




後書き

次回、オリジナル笑顔。

21st century schizoid man



[35534] 第十話【僕は、生きている】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/22 01:57
 あくまでただの一説にすぎないが、人の善悪が形成される状況を語ろう。

 人間は生まれの環境でその善悪が決まる。その人間が生まれながらの悪か、もしくは善なのかはわからない。赤子は純粋無垢。善悪もなく、赤子は周囲のものを見て、己の中に善悪を育む。
 哲学的な話ではない。誰でもそういうものだろうなぁと、ある程度は納得できる程度でしかない一般的な話だ。それが全てだとは言わないが、それが大きな要因になるのは事実である。
 では、青山はどうなのか。
 幼少時、青山という肉体に芽生えた自我。前世の知識や常識があるということは、つまり青山には最初から善悪が形成されていると言ってもいいのだろうか。
 答えは否。
 青山は純粋無垢な赤子のままである。知識や常識を知り、幼少の頃から成人と同じ精神年齢に達していながら、青山には善悪がない。それは善悪を知らないというわけではなく、善悪を知りながら、それら全てをただの知識や常識として当てはめているだけだからである。
 彼と赤子の違いはそこだ。赤子は知らないからこそ純粋であり、青山はそれらを知りながら、経験したという実感がないゆえに、純粋なままだった。
 ならば青山が経験していくのは一体なんなのか。何が青山の経験となるのか。
 答えは簡単。青山はあらゆる環境が見知ったものであったからこそ、その中で自分が知らなかった己の肉体、青山が育み、ついに生み出した歴代最強の才能のみに魅せられた。
 つまり、青山が経験として積み重ねているのは、極論として言えば己の肉体、ただそれのみである。
 周りの全ては、天才の肉体を育む栄養でしかない。赤子であれば、それら栄養を得ると同時に、自身にとって未知である知識や常識を、新鮮なものとして経験に積み重ねるだろう。
 だが青山にとって知識や常識は既に在るものだ。素晴らしい正義も、許せぬ邪悪も、あらゆる一切が、一般的に見知ったものであるため、経験として反映されない。
 全ては青山の肉体のみに反映し、青山の内側にある魂にはまるで響かなかった。
 あるいは、それでも青山の肉体に匹敵する天才が、成熟した形で傍につき彼に何かを与えれば、青山の魂はそれらを経験として培ったかもしれない。
 だが、青山はあまりにも天才だった。それこそ、歴代最強と言われていた鶴子の言葉すら響かないほど、青山にとっての青山の肉体は素晴らしすぎた。
 その果てに青山は完成してしまった。肉体の才能のみで、己の中のありとあらゆる全てを構築しきったのだ。
 才能の名前は斬撃。
 ひたすらに斬るということに特化した肉体からのみ経験を得た、前世を持つだけというつまらぬ魂は、容易く肉体に汚染される。
 だから、死んでも彼の思考は決して変わらない。魂がなくても、そもそも肉体に主導権があるというのに、一体何が変わるというのか。
 いや、変わってはいるのだろう。青山の中はほぼ十割が斬撃というもので構成されていたが、僅かにだが善悪の常識はそこにあった。それはもしかしたら前世の魂が叫ぶ最後の良心だったのかもしれないし、失われた前世の経験が訴える周囲への懇願だったのかもしれない。
 だが今やその最後の良心すら、フェイトとスクナ、世界有数の戦闘能力をもつ者によって殺された。再び殺されてしまった。
 誰もが見誤っていたのだ。前世というありえぬ要素ゆえに、誰もが見誤る。
 青山は終わっている。
 だがそれは青山の魂が終わっているわけではない。
 もしも前世の魂。それも普通の知識と常識しか持ち合わせていない彼のことを知れば、おかしいと誰もが気づく。
 ただの凡人に過ぎない魂が、本当に人間の可能性を極めることができるのか?
 そんなあまりにも当然な考えに。
 誰も、この先だって永遠に気付くことはない。
 青山の魂は、肉体を純粋培養するための鎧でしかない。経験を積み重ねない無垢な鎧は、成長し続けるだけの肉体に格好の揺り篭だった。
 終わっているのはその肉体。
 凡人が魅せられた、その体。
 その魂が戦いの果てに剥がされ、むき出しの肉体が露になる。これまで、タカミチやフェイトを含めた味方と敵が見てきた有り様は、なんてことはない。フィルター越しにぼやけた姿でしかなかった。それでもあの様この様こういう様。言語に出来ぬ姿に言葉すら失ったのだ。
 本当の姿を知っている者は、少ない。
 破壊という結果に狂った、極限の災厄にして生きた破滅、酒呑童子。
 戦いの果て、その才能を開花させながらも、善悪の価値観に踏み止まった、青山素子。
 圧倒的な実力をもつ化け物ながら、誇りある悪として人間であり続けた、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 一体は破壊もろとも斬られ。
 一人は終わりの光景に恐怖して引き返し。
 一匹はその斬撃に目覚めさせられた。
 そして今。
 再び、青山という終わりが顕現する。
 この様なのだと。
 この有り様なのだと。
 何も言わず、有り様だけで歌う。

「……これが、こんなものが、人間なのか……!」

 フェイトは嘔吐するようにそう呟きながら、ゆっくりと近づいてくる青山を近づけさせないように、弾幕の密度をさらに増大させた。
 人間の可能性。
 フェイトはいつか造物主が独り言のように呟いた言葉を聞いていた。
 侮れぬ、どころではない。
 こんなもののために、僕達は幸福な世界を作り上げなくてはいけないというのか。

「君が人間……? 人間の可能性だって……!?」

 そんなことを認めなくてはいけないのか。
 こんな奴を人間と思わなくてはいけないのか。

「ッ!」

 フェイトは頭を振った。
 そうではない。
 これは特殊な例にすぎない。それも、人知が介入できない、同じ状態なんて二度と現れないバグ。
 青山の有り様をフェイトとスクナはようやく言葉に出来た。
 合点した。歯車が噛み合ったように、その姿を、その有り様を表現する言葉を理解した。

「修羅」

 人でありながら、真っ直ぐに狂った修羅。
 その様を。
 この様を。
 修羅という言葉以外に何が当てはまるというのか。

「青山ぁぁぁぁぁ!」

「■■■■ッッッッ!」

 作られた人形と、人ならざる鬼の神。
 皮肉なことに、青山という人間を今この場で誰よりも理解しているのはこの二つだけだった。
 そして理解したが故に悟る。
 青山に斬られてしまうという絶望的な結末を。
 直後、弾幕に晒されていた青山の姿が消えた。そしてスクナの腕がさらに二本斬って落ちる。
 だが一体どうやって斬ったのかフェイトとスクナの目にはほとんど追えなかった。
 エヴァンジェリン戦でも見せた、一歩ごとに虚空瞬動を行い三次元の動きを行う、信じられぬ歩法。技の入りの隙を見せぬ瞬動を連続して行う異常は、あのエヴァンジェリンすら逃れることが出来なかった速度という名の檻。
 それがスクナを中心にして展開されていた。音すら引き裂いて空を縦横無尽に走る青山に対して、点では捉えられぬと判断したスクナは体の内側に魔力を収束した。
 スクナが発光した。体を中心に全方位に吐き出された光が湖を蒸発させ、天を砕き木々をなぎ倒す。
 最大火力を面に放つ。青山はおろかフェイトすらも範囲に巻き込んだ極限の輝きが、世界を真っ白に染め抜いた。
 だが響く。
 凛と響け。殺戮の音色。

「くぃ」

 ありえぬ光景が展開されていた。
 鳴き声をあげる青山が、押し寄せる光を斬り分けながらスクナとの距離を詰め始めていた。膨大な魔力の爆発は、弾道ミサイルが爆発したような火力だ。それに青山は真っ向から食いつく。目を見開き、呼気を荒げて。

 斬。

 閃光が収まる。障壁を全力で展開していたフェイトは、再び暗黒に戻った世界で信じられないものを見た。
 蒸発した湖に立つスクナの首が二つとも失われていた。そのままゆっくりと沈んでいく鬼神の肉体の上空。月を背中にくるくると回る二つの顔と、くるくると喉を鳴らす青山が、月明かりを背に踊っていた。

「……」

 両手を広げて鬼神の顔面の上に立つ青山が、眼下のフェイトを見下ろした。
 ゆらりとその右手に握られた十一代目が煌いた。
 月光、月下。
 刃の揺らめきよ、今宵、最後の敵手の喉を食え。

「うぉぉぉぉ!」

 フェイトは石化の杭をさらに展開して青山に叩きつけた。青山はスクナの首を上空に蹴り飛ばしながら、その反動でフェイトに突撃した。杭は歌声とともに斬り落ち、今やあらゆる攻撃が無に帰っている。
 無詠唱で放った石化の光すらも青山の刃は斬りながら迫る。
 スクナという駒を失った。最早、青山を倒す術はないというのに、逃げることも出来ず、当然ながら斬撃に酔う青山がフェイトを逃がすわけがない。
 何故か、己いうものを身近に感じた。どうしてなのかもわからずに、フェイトも虚空瞬動を繰り返しながら、青山と距離を開けつつ応戦する。
 光が幾つも弾け、消えていった。閃光が舞い散る。まるで打ち上げられた花火のように美しい光だった。
 青山が怖かった。斬るということに完結した修羅の在り方に恐怖した。無表情の下、手は萎縮し始め、呼吸は荒くなり、斬られたくないという願いが生まれる。
 何故だろう。脳裏に浮かぶのはなんでもない光景ばかりだった。気まぐれに助けた少女達とのくだらない会話や、日常の風景。壊してしまった村や街を無感動に見つめながら、そんな自分に寄り添う彼女達。
 浮かぶのはそういった類のものばかりで。どうしてか、完全なる世界という使命に着いては全くもって浮かばなかった。

「僕は……」

 ただ、死にたくなかった。

「僕は……!」

 生きることを、願っている。
 何にも感じなかった全てがフェイトを構成していた。記憶は次々にさかのぼり、あのコーヒーの美味しさすら知覚する。
 それら全てを青山にも覗かれている。
 最悪だった。
 恐怖と同じくらいに怒りがこみ上げてきた。
 今、お前が見ているものは自分だけのものだ。誰でもない、フェイト・アーウェルンクスのみに許された記憶を。

「君みたいな終わっている修羅が……! 勝手に覗きこむんじゃない!」

 フェイトは吼えた。青山は無言で追いすがり続ける。
 戦いは激化する。時間にすれば一分もない程度の時間。青山に打ち上げられた鬼の頭は、僅かに残った湖の底に落ちて四散した。
 それに連鎖するようにスクナの体が淡い光になって空に舞い上がっていった。まるで蛍の光が何千も空間にひしめく幻想的な光景の中、フェイトと青山の戦いはなおも苛烈さを増していく。
 いつの間にか、フェイトは青山と拮抗していた。
 杭と剣を織り交ぜながら弾をばら撒き、見えない斬撃すらも本能で予知して回避している。青山もただでは終わっていない。既にフェイトの放つ弾丸を見切り始め、斬るでもなくその隙間を掻い潜って、肉薄していた。
 それは同時に、十一代目の限界が近いということでもあった。
 度重なる砲撃と魔法。そしてスクナの命を斬った十一代目に、とうとう底がないように見えた限界が見え始めてきていた。
 だがそんなことを知らぬフェイトは、遮二無二、魔法を放ち、拳を織り交ぜていく。技術に裏打ちされた武と、死角から青山を狙う石化の杭と、鋭利な剣によって、近接戦闘で反撃を行えるほどにまで、少年は成長していた。
 極限の戦いが、互いをより強く磨いていく。青山はさらに斬撃の速度を上げていき、フェイトもその速度に呼応するように、感情の篭った拳と魔法で応戦する。
 斬られはしない。
 斬って、斬る。
 相反する意志がぶつかりあった。拳は肉体を撃ち、刃は肉体を斬る。
 届かない。青山はぎりぎりでフェイトの願いに届かぬことをどう思ったのか。無言のまま口元をゆがめた。
 誤算どころではない。
 驚嘆すべき奇跡と出会っていた。
 青山は今、段飛ばしで道を駆け上るフェイトを感じていた。
 斬られたくないからこそ、その場所へと走っていく。
 この場所よ。
 冷たくなっていっている。
 思考が凍り、空気が凍り、世界が凍りつき、動くのは互いの肉体のみ。
 修羅場。
 修羅場がある。
 月に昇りながら、二人は拳と刃を合わせた。
 大砲を凌ぐ拳が青山の眉間に走る。蛇のように追いすがる拳を頭を引いて避けるが、鼻にかすっただけで鼻骨が砕けて鼻血がほとばしりだそうとする。しかし流血よりも速く青山の返しの刃が筋を幾つも空間に走らせた。
 幾つかは予測のままに避けきったが、走らせた拳が半ばから吹き飛び、切断される。天高く飛んでいく己の腕を見上げる暇もなく、斬撃の隙を晒す青山の脇腹をフェイトの蹴り足が襲った。
 骨が軋み、へし折れ、砕け散る。内臓まで損傷したのか。口からも血を吐きながら青山は弾かれるまま空に飛んでいった。
 追撃の魔弾が青山を追う。避けようもない弾丸豪雨。掻き消えたように走った十一代目が凛と歌った。かすれたように聞こえるのは限界が近いからか。
 構わない。
 構うまい。
 意識もなく青山はそう考えると、虚空瞬動で再び間合いを詰めた。
 激突。束ねられた黒曜石の刃を斬りぬいた先、左腕に魔力を充填したフェイト待ち構えている。

「石の槍」

 斬り裂かれた黒の刃が一瞬で集まり、巨大な黒の槍衾となって青山を貫いた。槍の結界に飲まれていく。しかし内部から奏でる鈴の音。なおも尽きぬ渇望を吐き出して、青山が外に飛び出した。
 限界は超えた。圧倒的格上に死力を尽くすフェイトも、スクナとフェイトという、一体一体なら倒せるものの、タッグを組んだのならば己に拮抗する化け物に不利な遠距離戦を演じた青山も。
 どちらも尽きかけ。
 だというのに。
 青山よ。
 お前は未だ、斬るというのか。

「くひっ」

 月を背中にした青山は、その問いに答えるように、影の下の口を三日月に変えた。

「……あ」

 フェイトはその様に何故か見惚れてしまった。影を射すその体。傷つき、朽ちたその肉体が妖艶に動く様のなんと見事なことか。天に突き立つ鋼の濡れ様。あらゆる斬撃に晒されて傷ついた刀身は、それでも尚、斬るという歌を響かせた。
 ゆらり揺らげよ波紋の歪み。
 この月下、お前の刃に酔わせてしまえ。
 青山が飛んだ。鬼神の命が舞い散る空の中、まるで月を踏み台にしたように飛んできた。
 月の明かりと星明り。そして彩る命の欠片。
 この刃の冴えに落ちる。流星と突き立つ刀。

「青山……」

 フェイトは何となくわかってしまった。
 これで終わる。
 これが終わり。
 終局に至る鋼。至ったからこそ刃。
 斬るからこその青山。
 死ぬのだ。
 斬られてから死ぬのだ。
 わかりやすい絶望にフェイトは全てを手放しそうになる。斬られるという恐怖に体がすくみあがり、流れるはずのない涙だって流れそうになった。
 あぁ、斬られるのか。
 僕はここで、全てを丸ごと、この人間に斬られて、死ぬんだ。
 嫌だった。
 そんな結末なんて、嫌だと、強く強く。
 祈るように強く思った。
 天啓が脳裏を走ったのをフェイトは感じた。

「……そっか」

 願い、祈る。生まれて初めて己の命を思った直後、フェイトの表情は豹変した。こわばった顔は穏やかなものに変わり、霧が晴れるように、少年の中に渦巻いていた恐怖や絶望といったものが消えていった。
 僕は、生きている。
 生きているから、動けるから。

「……だから、生きる」

 フェイトの瞳が強い光を宿した。そして一秒が一年にまで延びる。渇望がフェイトを変えた。この刹那、斬られることを強くわかったそのとき、誰よりも何よりも、生きているという祈りを抱いた。
 そして。
 美しく彩られた幻想の夜空、互いに時間を置き去りにした空間で、フェイト・アーウェルンクスと青山は最後の激突を果たす。
 フェイトが取り出したのは漆黒の刃。瞬間で出せる武器などそれだけで、だからこそフェイトは持てる全てをその刃に込めることが出来た。

「……!?」

 青山もまたフェイトが取り出した剣が、これまでとは違うということを悟った。
 全てを込めるのだ。フェイトとして生きてきたこれまで、そしてフェイトとして紡いでいくこれから。
 その全てを、このちっぽけな剣に託す。
 フェイトの体が零秒も経たずに萎んでいくのが青山にもフェイトにもわかった。存在が失われていく。魔力や気という非常識すら超えた非常識が行われていた。今、彼はただ造物主に作られた人形ではなく、ここに生きる一個の命として、その全てを叩きつけている。
 故に、この直後フェイトは死ぬ。青山に斬られなくとも、フェイトはこの零秒に全てを叩き込んだため、最早その寿命などあってないようなもの。
 ただただ無限に引き伸ばされた刹那の時間だけがフェイトに残された全てだった。
 それでも構わないと、意識すらも刃に飲み込まれながらフェイトは思った。命の全てが消えていく今に至り、フェイトは己が生きていることを悟った。
 きっと。
 きっと、そういうことなんだ。
 悟る。そうしたらほら、恐るべき青山すらも、もう怖くない。

「フェイト……」

「青山……」

 互いの名前を呼びながら、二人は徐々に距離を詰め始めた。
 思うことがあった。
 あらゆる思いがあった。
 青山もまた思う。この瞬間、この奇跡に涙しよう。祈りの果て、願いの結末。生きているという渇望を手にした、人間になった御伽噺の人形の奇跡を祝福する。
 人形を越えて人間となった少年の輝きを前に、青山も己の渇望を吐き出した。
 斬る。
 斬ろう。
 斬ってやる。
 斬るから。
 斬って。
 ばら。
 ばーら。
 ばらばらばら。

 歌声。

「僕は、生きてるんだね」

「あぁ、君が生きているよ。フェイト」

 冷たい空気を奮わせる鈴の音色。結末した生存が奏でる、この世の何よりも感動的な歌声が、紅蓮の京都を包み込む。
 それまで泣いていた子ども達が空を見上げた。
 痛みに唸る老人が空を見上げた。
 救助をする大人達が空を見上げた。
 寒空で肩を寄せ合う家族が空を見上げた。
 無力に苦しむ狗神使いと、斬撃に食われた少女が空を見上げた。
 京都を焦がす紅蓮すらも空を見上げた。
 阿鼻叫喚に狂う呪詛すらも空を見上げた。
 ありとあらゆる全てが空を見上げて、その歌声に酔いしれた。

「綺麗な、歌声だ」

 そして離れた場所。ネギが咄嗟に立ち上がり、左目からそっと涙を流した。
 歌声は遠く、遠くまで伝わる。
 刹那、命を宿した人形の奏でる、優しく、暖かく、とても悲しい音色に酔った。
 命が消える。無限の刹那を生きたフェイトは、己の内側から奏でられて消えていく命を聞いて。
 そっと笑った。
 無邪気に笑った。

「僕は、生きたぞ」

 フェイトの呟きに呼応して、役目を終えた十一代目が、拍手を送るように甲高い音をたてながら砕け散った。
 降り注ぐ斬撃の亡骸に眠る。生き続ける少年の囁きこそが、この歌声を上回る極上のラブソング。

「あぁ、だから、君の勝ちだ」

 青山は、最後まで生き続けた少年に、惜しみない賞賛を贈った。
 生き続けて死ぬ勝者。
 斬り抜けずに死なした敗者。
 歌声は瞬きよりも一瞬。青山は笑顔のまま目を閉じたフェイトの体を、優しく両手に抱きしめた。

 少年の全てが込められた黒い刃は、己を誇るように空を舞う。

 抱きしめたフェイトの体から香る、温かなコーヒーの匂い。




 ──ここに、京都を震撼させた戦いは、勝者のなき決着を迎えるのだった。







 ──このコーヒーなら、いつまでも飲んでいたいな。

 陽だまり、草原、広がる風景。笑顔で手を振る二つの影。

 そんな夢を抱いて、少年は眠る。






[35534] エピローグ【21st century schizoid man】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/25 02:35
 その日、京都を襲った未曾有の大災害は、一夜もせずに国中はおろか世界中のあらゆる場所に知れ渡った。死者五万人以上、現在も行方がわからぬ者が多数。謎の爆発から発生した一連の被害は、日本という国と、そこに住まう人々にいつまでも残り続ける傷を残すことになった。
 地球温暖化による異常気象が天文学的な数値で最悪な組み合わせとなり、巨大な落雷と震度八を越える震災を引き起こし、その直下に溜め込まれていたマグマを放出させたと、世間では公表されている。だがこの話、京都以外への被害がほとんどないことと、まるで戦争が行われた跡のような、幾つものクレーターが確認されているのもある。何よりも、実際に災害の被害を受けた者達の証言は、落雷や震災といったわかりやすい災害ではないとネットも含めいたるところで言われているため、政府の公式発表は事実とは違うというのがネット利用者による認識である。
 では一体何がどうなっているのか。一時期動画サイトに上げられた巨大な白い発光体の映像が物議をかもし出し、それらの動画が軒並み削除されたという事実から、一部ではオカルト的な出来事があったのではないかとも囁かれている。
 例えば、見れば災いが降り注ぐといわれている、四つの腕と二つの顔をもつ恐るべき鬼、両面宿儺の仕業ではないのか。
 だが当然のように、これはオカルト的なものではなく、単なる自然現象でしかないと訴える面々も存在し、一ヶ月が過ぎた今でも、ネット上はおろか至るところで議論が白熱していた。
 そう、あの災厄から既に一ヶ月もの時が流れていた。
 2003年。6月1日。あの大災害から一ヶ月弱。荒れ果てた町並みにも僅かな復興の光が見え始めた頃。未だにマグマによって飲まれた被害がそのままに残されている関西呪術協会総本山跡地にて、西の長であった近衛詠春の葬儀が行われた。
 参列者は多数に及び、生前、詠春を慕った数多くの人々が参列し、誰もがその早すぎた死を悲しんでいた。
 だが規模は違えど、未曾有の大災害によって京都が被った被害は、この光景と同じようなものを至るところで発生させた。死者の葬儀も、一ヶ月がたった今、少しずつだが行われるようになってきており、この日は、大災害の真相を知るものであるが故に、詠春の葬儀は行われていた。
 関西呪術協会所属の術者、天ヶ崎千草が主犯となった一連の事件は、彼女の上司である反関東の幹部連の厳重な処罰によって一応の決着を終えた。騒動に加担したとされる千草以下、雇われた人間である犬神小太郎と月詠については、リョウメンスクナが暴れだした時、既に事件とは離れた場所にあったこと、そして未だ幼いということもあり、一ヶ月の謹慎と、後に監視をつけられるという形で収まった。
 事件としてはそうしてひと段落したものの、事実を知る者にとっては歯がゆい思いがある。
 実際の主犯である千草と、フェイト・アーウェルンクスという少年はこの世に存在しない。できるのはそれを指示した上層部を糾弾することのみだ。
 ともかく、この事件を切っ掛けに関西呪術協会は、長と多数の幹部連を一度に失ったことにより、東の手を借りることになり、なし崩し的にだが西と東の和解は成立したことになる。
 その裏では事件を引き起こしたのが、結局互いの上層部の甘い見通しのせいであったという後ろ暗い気持ちがあったのだが、それは余談だろう。
 ネギとその仲間達は、事件の早期解決の立役者、およびほぼ唯一事件の流れを全て見ていた重要参考人として、事件から一週間以上、東と西、双方から調書を取られることになる。
 そしてこの事件で『最も活躍した人物である』青山は、その功績を認められ、無事に西と東、双方にその武勇を轟かせることになったのは。

 実に、どうでもいい話である。

「……悲しみだけしか、残ってないですね」

 ネギは葬儀の後、付き添いで付いてきた明日菜にそう苦しそうに呟いた。明日菜も参列する人々に礼をしている木乃香の姿を見ながら「うん」と重苦しく頷いた。
 あの日から暫く、いや、今も木乃香は今まで浮かべていた明るい笑顔を見せてはいない。笑みすら浮かべられず、一時期不登校にすらなったが、ここ最近になって、ようやく少しずつ笑顔を見せ、登校するようになってくれた。
 そんな彼女だったが、それでも気丈な少女である。父が死に、生まれ育った京都が燃えたというのに、ネギ達の前では決して涙は見せなかった。だがそれでも夜中、時折響く小さな泣き声と嗚咽を明日菜とネギは聞いている。
 近衛木乃香の現状は、ネギ達の無力の象徴だった。吹けば消えてしまいそうな木乃香のためにということで、刹那も木乃香との距離を縮めたのは不幸中の幸いのようなものだが、その程度の木乃香の心が癒えるわけがない。
 ネギ達は、木乃香に事件の真相を伝えはしなかった。彼女のせいではないとはいえ、自身の魔力によって京都が紅蓮に染まり、父も殺したと知れば、きっと木乃香は潰れてしまうと思ったからだ。
 きっと、この嘘は生涯張り続けなければならない。それは同時に、木乃香を魔法という裏の事情に一切関わらせないという決意の表れだった。事実を知らないが、その決意は詠春が可能な限り行おうとしていた決意とほとんど同じものである。
 違うのは、危険から守るのではなく。木乃香の心を守るため。いずれにせよ彼女を生涯守るということには変わりなかった。

「木乃香さんは、僕達で守りましょう」

 ネギは決意の光を右目に宿した。
 彼の左目は現在、カラーコンタクトで右目と同じ色になっているが、未だにその目は光を飲み込む闇色のままだ。

「ネギ、アンタ、そろそろ時間じゃない?」

「あ、はい」

 ネギは明日菜に言われて、ポケットから飴のようなものが入ったビンを取り出した。その中から一粒取り出して口に放り込み、噛み砕く。
 一瞬だけ魔力の光が体を包み込み、収まった。明日菜はその姿をどこか寂しげに見つめて、慌てて視線を木乃香に移す。

「明日菜さん。ネギ先生」

 そうして暫くしていると、詠瞬を見送った刹那が声をかけてきた。一ヶ月前よりかは少しだけ柔らかくなってきていた表情も、この場に限っては固く、鋭い。
 三人は何とも言わずに視線を木乃香に合わせた。それに気付いた木乃香が儚げな笑みを口元に浮かべて応える。
 その姿がとても痛々しかった。

「長に誓いました。もっと強くなって、二度と同じ過ちを繰り返さないと」

 刹那はその姿から決して目を逸らすことなく、むしろ心に刻み込みながらその覚悟を呟いた。覚悟は二人も同じだったのか。答えるでもなく頷きを返す。
 あの日、総本山周囲で生き残ったのはネギ達と青山のみだった。ほとんどの死体はスクナの砲撃とフェイトの引き裂く大地によって、跡形もなく消滅して行方不明扱いとなっている。それは詠春も同じであり、彼の死体は肉片一つすら見つからなかった。
 一縷の望みをかけて捜索は行われたが、彼もその他の人々と同じく、マグマと紅蓮に飲まれて死亡したことになっている。

「雨だ」

 外に出たネギ達は掌に感じた雨粒を感じて空を見上げた。人々の悲しみを固めたような灰色の空は、徐々に雨の量を増やしていく。
 参列者も傘を取り出した。ネギ達も傘を差すと、静かにその場を後にした。
 事件の関係者とはいえ、この場に限ってはネギ達は親族でもないため部外者に過ぎない。雨に打たれながらホテルに戻るその道中、冷えた空気に三人は無意識に肩を寄せ合うのだった。
 そして、葬儀が無事終わった後、木乃香は一人詠春の遺影の前に立っていた。

「……お父様」

 そこには詠春の写真以外には存在しない。しかし肉片一つすら残っていないそこでしか、最早、彼女の父を感じる術はなかった。
 ただ、悲しかった。楽しみにしていた修学旅行。だというのに、目が覚めれば京都は紅蓮に飲まれて、わけもわからないうちに実家がマグマに飲まれているのを見て、いつの間にか父が死んだ。
 それ以外にも多くのものを失った。京都で過ごしたあらゆる思い出が炎と怨嗟に消え果て、涙と悲鳴は木乃香の心を蝕んだ。
 だけど明日菜達に心配をかけたくなくて、できる限り頑張ろうとして、でも駄目で。

「ウチ……どうすればえぇんや……」

 もう何もわからなかった。父の亡骸の前、そして一人という現実が、木乃香が堪えていたものを決壊させる。ぽろぽろと涙は溢れ、嗚咽で体は震え、絶望と悲しみだけが体中を支配した。
 どうしようもない。何も出来ない。近衛木乃香の優しい心は、優しいだけでこの現実に耐え切れない。とうとう立っていられずに木乃香は膝を折った。父の体の入っていない棺にすがりつき、しかしそこには重さがなくて。
 死という現実だけが、全てだった。

「うぁぁぁぁぁぁぁ! あぁぁぁ! あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 木乃香は声を大にして泣いた。
 これまで必至に堪え続けた全てが崩れた。我武者羅に泣き喚き、魂も肉体もない棺から何も手放さないとでも言うようにしがみつく。
 その姿は人として当然の姿だ。
 親を亡くした。
 気付かずに亡くした。
 現実感のなかった喪失感と、これまで積み重なった絶望と悲しみが混ざり合い、涙と悲鳴になって吐き出される。
 その終わりは、木乃香のみの絶望だった。

「うぇ、うぁぁ……あぁぁ……」

 木乃香は、そこに誰も居ないことを悟ったのか。両手を力なく垂らして床についた。
 溢れていた悲鳴は徐々に小さくなり、それに比例するように木乃香の体も小さく丸まっていく。
 何もなかった。
 全部奪われるだけで、抗うことさえ叶わなかった。
 そして悲痛な叫びは収まり、声もなく木乃香は泣きじゃくる。その涙はいつまでも止まることなかったが、ふとその場に響き渡った足音に、木乃香は反射的に振り返った。

「……すまない。覗き見するつもりはなかった」

 そこに居たのは、喪服以上に黒く、光を飲み込む闇色の瞳で木乃香を見る無表情の男、青山だった。
 木乃香は何も考えられず青山の姿を追った。青山はその視線を気にせずに詠春の遺影まで寄ると、そっと両手を合わせ、瞼を閉じる。
 どういった言葉を送ったのか。無言のまま佇む青山は、手を放して目を開けると、しゃがみこんだままの木乃香に向き直った。

「兄さんの娘さんだね。初めまして。兄さんの弟で……俺は君の叔父にあたる」

「お父様の……弟?」

「あぁ。とは言っても、最近まで絶縁状態だったけれど」

 そう言って、青山は遺影を見た。無表情で、色のない瞳は何を考えているのかわからない。
 だが木乃香はその様子を、彼もまた詠春の死を自分と同じく悲しみ、絶望しているのだと勘違いした。
 そう、勘違いした。

「ウチも……ウチも、ここ出てから、全然帰らへんかったんです……それで、もしかしたら、修学旅行で、会えたらって、ウチ……会えるって、いつでも、会えるって……!」

 一度壊れたものはすぐに崩れる。再び涙を浮かべて顔を伏せた木乃香を青山は見下ろし、膝をついてその視線を合わせた。

「君の父さんは、素晴らしい人だった。悪さを沢山して、家を勘当された俺を暖かく迎え入れてくれた。なのに、俺はあの日、傍に居ながら君の父さんを死なせてしまった。だから、俺を恨んでくれて構わない。君には、その資格がある」

「そんな、そんなの……違います」

 木乃香は優しい少女だった。だから、青山が自分のためにそんな『嘘をついている』のだろうと察して、首を横に振った。
 だが、と青山は口を開いて、それを遮るように木乃香は悲しみを湛えたまま言う。

「もし、そうやとしても……憎んで、恨んで……でも、お父様は帰らへん」

 その言葉に。悲しみながらもそう言える強さに、青山は僅かに目を見開き、そしてかみ締めるように瞼を閉じた。

「君は、とても強いな」

「そんなことありまへん……ウチが強かったら、きっとお父様も……」

「すまない。君を責めるつもりはないんだ……」

 青山はそう言ってから、再び静かに涙を流し始めた木乃香を見つめた。
 黒い瞳は何を考えているのかわからない。しかし、傍から見れば、全てに絶望しきった、そんな風にも見えた。

「兄さんは強かった。何よりも、人を信じられる強い心の持ち主だった。家族の中で誰よりも優しくて、誰よりも暖かくて、俺もそんな兄さんが好きだった」

 青山はそうして静かに語った。詠春とすごした記憶を少しずつ、そして、彼が如何に素晴らしい人間であったのかを。

「そして、兄さんは最後に、こんな俺でも人と手を取り合うことが出来るって、ただの青山ではなく、家族だったころの俺になれる、そう言ってくれたんだ……そんな兄さんの娘さんである君の強さを俺は誇りに思う」

 だから、今は泣いてもいいんだ。
 青山の黒い瞳は何も映さない。だからそこに何を見るのかは自分次第で、青山を見上げた木乃香は、そこに自分の姿を見た。
 それだけだった。

「う、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 再び大声をあげた木乃香は、我慢できずに青山の懐にすがりつき涙を流した。青山は僅かに驚き、躊躇いながらも、その右手で木乃香の背中をそっと撫でた。
 雨は響き、泣き声を優しく包み込む。
 青山は少女の涙と声が枯れるまで、その背中を優しく撫で続けた。
 その右手で。
 優しく撫でるのだ。




























【21世紀の精神異常者】


 炎の音は遠い。
 両腕に抱きしめたフェイトの体は、幾つもの花びらになって俺の手から失われた。
 その残滓を俺は目で追った。
 君という全てを感じ取れた。その果てに、君は俺の終わりですら斬り抜けなかった素晴らしい光を見せてくれた。
 感動の余韻に浸る。
 死した体すら息を吹き返すほどの多幸感に酔う。
 ただただ、素晴らしい刹那だった。
 俺と君だけの斬撃空間。互いがもてる全ての結末を曝け出して、流星の煌きよりも短い時に、百億年以上の世界を体験した。永遠があそこには存在した。永遠の存在を信じられた。
 それが嬉しかったんだ。
 だけど、君はもう居ない。俺は俺の終わりを魅せるだけで、君は君の終わりを全て注ぎ込んだ。
 その違いが、敗者である俺がここに立ち、勝者である君がここにいないという差を生んだ。
 ふがいなかった。
 あの時、全てを込めるには足りなかった十一代目がふがいなかった。
 何よりも、俺自身を叩きつけようとしなかった、俺の未熟が許せなかった。
 だが決着はついて。
 それ以上に清々しい敗北感が心を満たしていた。

「お?」

 そのとき、風を引き裂いて、俺の足元に何かが突き立った。
 いや、一目でわかる。
 その黒い輝きと、十一代目に酷似した形をした剣は、生きるという形をかき集めたフェイトの証だった。
 己の全てをかき集めたその刃を、俺は震える手で掴む。
 直後、その刀身に込められた、生きるという全てが俺の体を駆け抜けた。

「う、あ」

 目が眩み、意識が遠のく。これまであらゆる妖刀の怨念すら響かなかった俺の内部に響き渡る、生きたいという願い。
 フェイトの証。
 運命を超えた人形の生命。

「……う、うぅ」

 その全存在を感じた瞬間、俺の瞳に熱いものがこみ上げた。
 これが。
 これが、生きるってことなんだ。
 斬ることしか知らなかった俺が、初めて痛感する命の重さ。掌に感じる魂の重量。

「う、ぉぉ」

 気付けば膝を折って嗚咽した。
 ひたすらに涙する。
 俺は、何て馬鹿だったんだ。
 妖魔を斬り。
 自然を斬り。
 人も斬り。
 そんな、斬るという独りよがりで、俺はこんなにも尊いものを斬っていたというのか。
 何だ。
 何なんだ俺は。

「う、うぅぅぅぅ」

 フェイト。
 確かに君は勝者だ。
 俺の人生で初めての経験だった。こんなにも打ちのめされたことなんてなかった。
 斬るというだけの人生にしみこむ。生きるという当たり前な言葉。

「……」

 俺は空を見上げた。赤と黒が混じった空は、こんな俺を罰するように重く圧し掛かってくる。
 でも生きるんだ。
 わかったから、生きていこう。
 身近なものを、隣人を、友人を、あらゆる命あるものが尊いから。
 俺は、新たな道を行く。

「青山、君……」

 そんな決意を固めた俺の背中に声がかかった。
 反射的に振り返れば、そこには至るところを負傷した詠春様が立っていた。
 唖然とする俺に、痛みに苦しみながらも詠春様は確かな足取りで近づいてくる。

「すまない……動けるまで治していた間に、全て終わってしまったようだね」

「……その、従者の方々は?」

 俺の問いに、詠春様は顔を伏せて力なく首を振った。

「私を庇って、全員死んでしまった。鬼の襲来を懸念して展開した障壁が、僅かにだがあの砲撃やマグマを一時的にだが抑えてくれた……不甲斐ない。私は、何も出来なかった……」

「詠春様」

 俺は何も言えなかった。
 かけるべき言葉もなく、俺自身が招いた惨劇をどうも出来なかったのだから。
 全て、俺の責任だった。
 俺が何もかも壊した。

「俺は、何も、何も出来ず……」

「君は頑張っただろ? この惨状を見ればわかる。一人で、アレと戦ったんだね」

 ありがとうと、煤けた顔に笑みを浮かべた詠春様のねぎらいに、返す言葉もなく、何もなく。
 俺はそっと立ち上がって空を見上げた。その隣に詠春様も立つ。

「詠春様。俺は何も出来ませんでした。だからこそ、己の全てを賭けて、誰かのために刃を振るいたいと思っています」

「……あぁ。君が手助けしてくれるなら、きっとこの惨劇も人は乗り越えられる。どんな絶望も、争いも、手を取り合えば、超えることが出来るんだ」

 詠春様の言葉が染み渡る。
 人は、助け合って乗り越えていく。
 そうだ。一人よがりな俺も。

「俺も、出来るでしょうか?」

「ん?」

「俺にも、手を取り合うことが出来るでしょうか?」

 空を見ながら語る俺に、詠春様が頷いたような気がした。それがとても嬉しかった。家族という存在が肯定してくれることが、こんなにも嬉しいことだなんて、今までずっと気付かなかったから。
 こんなにも感動した。
 俺は、兄さんが兄さんでよかったって、声を大にして叫びたくなった。
 兄さんは語る。家族として、素晴らしき上司として、俺に対する家族愛が沢山篭った、心に伝わる強い言葉で。

「出来るさ。今からだって、傷を癒したらすぐにでも駆けつけよう。助けられる人々を、一人でも守るために……そうすれば、君もただの青山ではなくなる。いつかのように、私の弟、青山ひ──」

 ──りーん。

 ……俺は。
 俺はまた、かつての名前になれるのか。そしたらまた、兄さんと呼べるんだ。
 元の名前に戻れるのだろうか。その奇跡を思って、俺は瞼を閉じて、思いを馳せた。青山ではなく、青山『  』として。誰かのために、誰かの笑顔のために。

「こんな俺が、戻れるのですか」

「……」

「だが、そうするには俺は罪を重ねすぎました。この惨状。俺の私利私欲が招いた結果です」

「……」

「でも、そんな俺でも人のために何かが出来るなら。罪を背負ってでも、誰かのために、誰かの生涯を守るために。素晴らしき命を、尊くて、消してはいけない命のために、俺は、俺の全存在を賭しましょう。そして、あらゆる人々と笑顔でわかりあって」

「……」

「斬ります」

 そうして横を見たら、そこには誰も居なかった。

 俺の体には新たな赤色が付着している。
 隣に居た詠春様は肉片一つすら残っていない。右手に持った黒の剣は、ぽたぽたと赤い雫を滴らしている。
 赤が散っていた。空一面に赤色の雫。細胞の一欠けらすらない代わりに、飛び散った真っ赤な花びら。

 心地よい歌声が響く。

 俺は右手に持った黒い刀を振るった。
 飛び散る赤色すらも斬り裂いた。これまでの何よりも手に馴染む最高の刀は、俺の斬撃にだって嬉々として答える。俺が生きるということ。つまり俺が斬るということに全力で答えて、最良の選択肢を選んでくれる。
 そして最後に、くるくると落ちてきた兄さんの頭を一瞬で細切れにした。
 悲しいことに兄さんは死んだけど。だけど、生きるということはそういうことだから、誰もが死ぬから生きていて、フェイトの答えを得た俺の答えもまたそういうこと。
 斬るのは変わらない。
 斬ることを変える必要がない
 なぜならば、大切な命の歌声はここにある。喜びの産声を響かせる斬撃の音色。右手に掴む命の質量は、こんなにも完璧に歌ってみせている。命のあげる素晴らしい声。かけがえのない命だから響かせることの出来る全て。
 これが、フェイトの生存が俺に与えてくれた、新たな答え。
 つまり。

「ばーらばらー」

 生きることは、斬ることだ。












後書き

次章は、空白の一ヶ月編。

その前に幕間です。



[35534] 一章・幕間【お山の二人】【幽霊少女と転生青年】(没ネタ)
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/27 00:11




【お山の二人】

 唐突だが、長瀬楓は忍者である。
 モデルのような背丈とメリハリのある肉付き、糸目でいつも笑顔を絶やさない愛嬌のある顔は、街を歩けば人並み以上に人の目を惹きつけるほどの魅力を誇っている。だが当人はそんな自身の姿を自慢するでもなく、常に猫のように飄々としているため、クラスはおろかその他知り合いからの評判はすこぶるいい。皆からは頼れるお姉さんキャラとして慕われるような、そんな中学生らしからぬ大人びた少女だ。
 だが、忍者である。
 どういった経緯でそうなって、何故人里に降りて普通に暮らしているのか。諸々の事情は、その表情や態度からではつかめないし、そもそも本人は忍者っぽいことをしながら周囲にそのことを隠している。
 何故彼女は忍者なのか。そもそもこの平和な日本で忍者に需要があるのかどうか。そこらへんの疑問は放置して、そんな彼女は週末には、修行の一環として学園外の山岳地帯に足を運んでキャンプを行っている。
 忍者だからだ。
 勿論、そんなことを誰かに言いふらすことはないのだけれど。

 その日もいつも通り山篭りを行い、今日の夕食になる魚や山菜を集めながら、気分よく楓はニンニンと鼻歌を歌っていた。
 両手に持つ籠一杯に、山の幸を溜め込んだ楓の表情はご機嫌そのものだ。
 そして、いつも通りの修行風景が流れていく。いつも通り、ただただ静かな一日は──

 唐突に山岳地帯を覆い尽くした気配によって終わりを告げた。

「……!」

 楓がその気を感じたときに最初に覚えた感覚は、斬られるというシンプルな答えだった。
 ただ、刃の如き冷たい気配。
 それが楓を通り越し、山を丸ごと飲み込んでいた。
 逃げようという気持ちや、ましてや戦おうとは思わなかった。相手は既にこちらの気配に気付いている。
 だからこそなのか、絡みつく気配が自分に『逃げるな』と言っていているような気がした。
 はたして時間にして数秒か、あるいは数時間か。時間の感覚すら定かではなくなった楓の耳が、わざとらしく鳴り響いた草の擦れる音に反応した。

「……突然、すまない」

 そこに居たのは、げっそりと顔がこけた無表情の男だった。着ている着物はよれよれで、見た感じはまさに飢える直前の餓鬼のようだった。
 これが本当にあの気配を放っていた男だというのか。楓は見た感じさして脅威とは思えぬ男の態度をじっと眺め、そんな自分の考えを即座に改める。
 自然に紛れ込むような気配のなさ、すれ違えば意識すら出来ぬだろう雰囲気とは裏腹に、佇まいには一切の隙は存在しない。
 擬態しているのだ。忍者である楓以上に、男は完璧に全てと溶け込んでいた。
 警戒心を強める楓の気配を察したのか、男は困ったように頬を掻くと、敵意はないというのをアピールするように両手を挙げた。

「その、俺は、驚かせたことを……謝りに、きたんだ」

「謝りに?」

 男は肯定するように頷くと、両手を挙げたまま言った。

「俺の、名は……青山、という」

 もしよければ、俺の話を聞いてもらえないだろうか。
 そう、表情を一切変えずに男、青山は告げた。






「つまり、必要な理由があって、武器の作成を行っていると」

「そういう、ことになる。作成に、夢中になって、しまい。君を、驚かせる、ことになった」

 申し訳ない。青山は焚き火を挟んだ状態で楓に深く頭を下げた。
 現在は場所を移して、楓のキャンプ地だ。とってきた魚を焼きながら、青山がどうしてあのような気配を放ったのかの説明と謝罪が行われていた。

「いやいや、そうかしこまらなくとも良いでござるよ。青山殿が拙者を倒そうと思えば、それこそいつでも出来たのでござるからな」

 生殺与奪の権利は青山にある。そのことがわからないほど楓は馬鹿ではないし、そんな男が必要以上に下手に出たのだ。
 ならばそれは信頼に値するし、そもそも、信頼しなかったとしてどうだという話である。
 青山は楓の理解を得られたのに安堵しつつ顔を上げた。相変わらずの無表情のためその内心はわからないが、気配を穏やかなものに調整することで、敵意がないことをアピールする。

「長瀬さんも、随分と、出来るよう、じゃない、か」

「何の、拙者などまだまだでござるよ」

「そう、かな? 中学生で、あの気配の消し方は、俺には出来なかった」

 青山の率直な評価に満更でもなさそうに楓は口元を緩めて、ふとその言葉に首を傾げる。

「はて、拙者。青山殿に中学生だと言ってなかったと思うでござるが?」

「すまない。もしかして、間違って、いたかい? 体つきから、そう解釈、したのだが」

 人によっては誤解を招きそうな言葉だったが、楓は特に気にした素振りも見せずに、むしろ感嘆していた。
 本人としては不服ではあるが、楓は年齢以上に見られることが多い。人によっては大学生と勘違いするほどだ。それも中学生らしからぬスタイルと身長があれば当然かもしれない。
 しかし青山はそれを見ただけで見抜いた。勿論、彼女がネギのクラスの一人だということもあるが、それを知らなくとも青山は楓の肉体を見ただけでそう判断できただろう。

「いや、驚いた。気になさらずとも、拙者はおっしゃるとおり中学生のしがない学生でござる。よければ、青山殿も教えていただけるでござるか?」

「俺は、学生、では、ないな……少なくとも、君より、随分と、年上のおじさん、だ」

 そう冗談でも言うように無表情で青山は呟いた。だが楓はそれを真に受ける。実際、その無表情と佇まいは、青山を実年齢以上に老けさせて見えた。三十路の半ばほどか、二十歳程度の青年である青山が聞けば少なからずショックを受けるだろうが、楓はそう解釈した。

「であれば、青山殿が相当な実力者であるのも納得でござる。ところで、ここにはどうして?」

「麻帆良で、清掃の、仕事をして、いる。姉が、放浪していた、俺を……哀れんで、職を、探してくれたんだ」

「ほぉ、では暫くはこちらに?」

「また迷惑を、かけると、思うが……よろしく、頼むよ」

 青山はそう言って再び礼をした。
 楓も慌てて頭を下げる。なんというか、最初の印象と違って素朴で、純朴。牧歌的な雰囲気がよく似合う男だなぁと思った。
 どうにも調子を崩されている気がした楓を他所に、青山は焼けたのを確認して、川魚の刺さった串を取り出して楓に渡した。

「これはどうも」

「魚を分けて、いただくんだ。この程度、気にしないで、くれ」

 青山は可能な限り柔らかい口調で言うと、自分の分の川魚を取り「いただきます」と言ってから口に運んだ。
 どうにも、面白い隣人が現れたみたいだ。楓も川魚をむしゃむしゃと食べながら、あの気配を常に感じられるというスリルある修行を思い、内心で柄にもなくワクワクするのであった。





【幽霊少女と転生青年】

 相坂さよは幽霊ではあるが、幽霊らしからぬ怖がりで、夜は24時間営業のレストランの前で時を過ごしているのは、彼女だけ知らないことである。
 時には泣きたくなる朝や昼や夜があるけれど、それでも頑張って幽霊している彼女は、今日もまたレストランの前で時間を潰していた。

「──わけで、清掃ってのはそこが難しいんだよ兄ちゃん」

「はい。ご教授ありがとうございます」

「何がご教授だ。ったく、こそばゆいんだよ」

 暫くすると豪快に笑う年配の男性と、対照的に無表情で暗い青年が歩いてきた。さよはいつも通り、その様子をうらやましそうに見るだけだ。
 私もあぁやって誰かと話したいなぁ。
 そんな願望が叶わないのを知りつつもぽけーっと思っていると、根暗青年が入り口で唐突に止まり、隣に立つさよのほうに視線を移した。

「ひゃ!?」

 さよはたったそれだけで驚きの声を上げた。顔を真っ赤にして根暗青年の視線にドギマギしていると、店のほうから年配の男性が現れて「おい、どうした?」と根暗青年に声をかけた。

「……いえ、何でも、ありません」

 青年は視線を切ると、そのまま店の中に入っていった。

「あ……」

 さよは思わず手を延ばして、それも無駄と悟って手を引っ込めた。
 どうせ、たまたまだ。もう随分と前に諦めて納得したつもりだったが、それでも心の内側に燻っている願望。
 どうしようもなく、やっぱしなぁと諦めと共に諦められぬ願いをため息にして吐き出す。
 そうしてどのくらいたっただろうか。さよにとっては眠っているのと同じような時間が経ち、先ほどの二人組みも店を出て行ってから一時間ほどか。
 さよにとって予想外なことに、再び先程の青年がレストランに現れた。
 その足はよどみなく、あたふたするさよへと進み、どうしようもなく口をぱくつかせている彼女の前に立って、その顔を黒い瞳で見下ろした。

「あ、あのぉ……」

 恐る恐る声をかけるさよに対して、青年は悩むように顎をさすると、躊躇なくその手で少女の額を小突いた。

「めぽ!?」

 突然そんなことをされた彼女にとってはたまったものではない。奇声を上げて後退するのを見た青年は、感触を確かめるように小突いた指先を指で擦る。

「間違い、ではない……そこに、居るな?」

 青年は目を細めると、威圧感を放ちながら詰め寄る。警戒心を露にしているだけだが、幽霊なだけで根はビビリな少女であるさよは、それだけで恐怖に震えてしまった。

「ひ、ひぃぃぃ!」

 最早、久しぶりに誰かと話せたという喜びをかみ締める余裕などさよにはなかった。涙目で尻餅をつき震えるその姿は、本当に幽霊なのかと思ってしまうほどだ。
 だが青年はそんな様子に気付いた様子もなく近づき。

「もっ!?」

 腰を抜かしてへたり込んでいるさよの足に引っかかってバランスを崩し、盛大に顔面を入り口横の壁に激突させた。

「きゃああああああ! ち、違いますぅぅぅ! 私のせいじゃないですぅぅぅ!」

 大惨事である。殴打で傷害事件ものである。恐怖と罪悪感で混乱するさよは、泣き叫びながら口から泡を吹きつつ泣き喚く。
 そうして必至に弁明するさよの声を聞いているのかいないのか。青年はぶつけた鼻を軽く擦った。

「……不覚」

 呟きながら、青年は泣き喚くさよに視線を合わせるようにしゃがみこむ。

「害のある、霊では、ない……のだろ? 話を、しよう。こう見えて、君のような、ものの、専門なんだ」

 ついてきてくれ。そう言うだけ言うと、青年はさよに背を向けて歩いてしまう。

「え、と……ま、待ってくださーい!」

 慌ててその背中に憑いていく。様子を把握できるものがいれば、男の陰鬱そうな表情は、その背後に憑いている少女のせいではないかと思うかもしれないだろう。
 だが少女の姿は退魔を専門とするものですらほとんど見ることが出来ない。彼女を辛うじて探知した青年、青山にも、彼女の全体像がぼんやりとわかるだけで、細部まではまるでわからなかった。

「……俺は、青山、という」

「あ、私は相坂さよと言います!」

 敵意はないだろう。そう内心で結論した青山だが、彼がわざわざさよに接触したのは、青山宗家として育てられた己ですら、見ることも感じることもほとんど叶わぬ彼女のステルス性に興味を持ったからだ。
 青山の魔力と気の探知能力は、それこそ完全に存在を消す魔法や道具がない限り、麻帆良全域全ての人間を一人ひとり把握できるほどだ。こうしている現在も、まだ麻帆良に赴任したばかりということもあり、実力者と一般人の仕分けを行っている。
 そんな青山ですら、さよと名乗った少女の気配は、ほとんど視認できる距離でしか感じることが出来なかった。声も微妙にかすれて聞こえるのだから、流石としか言いようがない。
 一方のさよはといえば、久しぶりに誰かと話せたという事実に感動して目じりに涙を溜めていた。一体、何年ぶりになるというのか。長い年月を孤独に過ごしてきた少女は、嬉しさばかりで、今から自分が除霊されるかもという考えはまるで浮かんでいなかった。
 霊らしく空を浮遊しながら、さよは青山の背中を追う。

「あ、でも、知らない人についていったら危ないって……」

「……君は、襲われる、ような、存在では、ないだろ」

 どこか呆れた風に諭す青山の言に、それもそうかと納得しつつ、二人は近くの公園に到着した。
 青山は到着すると、早々にポケットから幾つかの札を取り出して、地面に何かしらの印を刻み、その上に札を置いた。

「あ、あの。何を?」

「成仏……出来る。そうだな……魔法、のような、ものだ」

「え?」

「君は、このまま、一人で、彷徨う、つもりかい?」

 青山は振り返り、煙のようにしか見えないさよを見上げた。

「……一人は、孤独だ」

 そう寂しげに言う青山の言葉は、言葉少なくありながら説得力があった。そして、孤独という言葉をさよは誰よりも知っている。
 一人は孤独。そんなの当たり前で、だからこそ寂しい意味が込められていた。辛いのだ。寂しいのだ。何よりも、自分が空気よりも価値がないように思えるのだ。

「俺は、死後、何があるのか……知らない」

 青山は夜空を見上げながら語る。虚空を見る瞳はその闇すら映さぬ黒だけれど、だからこそ、孤独を感じられた。

「だが、やり直す、ことは、出来る。それだけは、強く、言える」

「……やり直せるんですか?」

「あぁ。俺は死後を、知らないが、死後の世界は、きっと、生きた場所に、生まれる。それだけは、知っている」

 だからやり直せるのだ。青山は自分が転生したということを知っている。前世の記憶はないけれど、だが前世というものがあって、現世があって、ならば来世もまた前世の繰り返しだという未来を信じている。
 死後の魂が、どうなって現世に再び現れるのかは知らない。だが青山は、自分が輪廻転生という枠組みで見れば、バグのような存在なのだということは薄々と気づいている。
 ならば本来の輪廻転生の枠であれば、きっと新たな肉体が魂には用意されているはずなのだ。

「やり直せる、から……君は、成仏、すべきだよ」

 いつまでも幽霊として、誰とも接することの出来ない生活をする必要はない。さよには未来がある。来世とは明るい展望だ。価値ある光だ。

「でも私……友達、欲しくて」

 青山の説得を聞いて、さよはそれでも躊躇うように視線を落とした。
 やり直せる。だが今の自分はどうなる? 記憶はなくなり、今の自分として形成された全てが失われ、そんなのはゲームのリセットボタンを押すのと同じではないか。
 だがそれ以上に、いつまでもこのままでいても、何の進展もないことにだってさよは気付いていた。
 ただ、友達が欲しかったのだ。
 何かを語る、楽しめる友達が欲しかっただけなのだ。

「……」

 青山は少女の切なる願いを聞いて、そっと瞼を閉じた。

「友達、か」

 理解は出来なくても、納得はした。幽霊が未練を持っているなんてのはよくある話で、その意を汲むことも退魔には必要なことだ。うっかり刺激して暴走でもすれば、被害が大きくなることもある。
 だがどうしようもないだろう、と青山は内心で思った。さよの魂は、どういうわけか周囲への存在感があまりにも希薄すぎる。戦闘態勢に入れば、靄のようなっているさよを捉えることは出来るだろうが、どうにも中身の少ない相手では青山のやる気はあまり出ないのだ。
 そういう類の、幽霊には珍しい善よりの存在なのだろう。そう解釈すると、青山は札を拾い集め、書いた陣も綺麗に消した。

「え?」

「……無理に、逝きたく、ないなら、それで、いい。だが、魂が、現世に、残り続ける。それは、良くない、ことだと、わかって、くれ」

 青山は言うだけ言うと、背を向けてその場から去ろうとした。

「待ってください!」

 慌ててさよが声を荒げた。その声にに反応して振り返る青山に、しかし呼び止めたはいいが何も言えずに押し黙る。
 何を言おうか、迷っているさよの様子に感づいたのかどうか。青山は僅かに視線を逸らして考え込み、口を開いた。

「普段は、麻帆良、全域の、清掃をして、いる……」

「え、えと?」

「逝きたく、なったとき、以外でも……構わない。友達、というに、には……俺は、話すのは、苦手だが……君の、話を聞く、くらいは、出来る」

 可能な限り優しく言う青山。さよはどうして先ほど会ったばかりの自分に、こうも親切にしてくれるのか不思議だった。

「どうして優しくしてくれるんですか?」

 だからこそ思わず疑問を口にすると、青山は少し困ったように目を伏せる。何かを躊躇うような。どうしようか悩んでいるような。だが結局、自分の行動がおかしいことにも気付いていた。

「……俺は、死後、行くところを、知っている」

「え?」

「だから、かな……幽霊には、可能な、限り。新たな、人生を、生きてほしい、んだ」

 話すことに疲れたのか。青山は喉を軽く撫でながら、何とか言い切った。
 前世を知るから、来世の素晴らしさを知っている。青山は自分がそうであるように、死して尚、現世に留まる幽霊に来世を生きてほしいのだ。
 勿論、それはただの我がままであることを知っている。幽霊にだって事情はあるし、来世は素晴らしいから、早く成仏しろと言うのはお節介に過ぎない。
 それでも。
 だけど、来世は現世を越えた輝きに溢れていると、訴えるのだ。

「……願わくは、君の、未来が、輝いて、いるといいな」

「私の、未来」

 さよは己の未来がどういったものかを思い描く。
 このまま、誰にも気付かれないまま、霊として死んでいくか。
 それとも、未知の来世に思いを馳せるか。
 答えなんて、どちらかだけれど。
 だからこそどちらを選べばいいのかわからない。

「少しだけ」

「……」

「やっぱし、待ってくれませんか?」

 さよの願いに、青山は軽く頷くだけだ。
 いつでも。
 いつだって待っている。

「あぁ、それで、いいよ」

 青山は暖かくさよの願いを祝福すると、今度こそ振り返らずに歩き去った。
 一人残された幽霊少女は、闇がよく似合う背中を眺めながら、思う。

「……来世、かぁ」

 いずれは逝かなければならなくなる日は来る。
 そのとき、自分は後悔しながら逝くか。
 それとも、満足しながら逝くか。
 幽霊の身で未来なんて思うのはどうかとも思うし、見ず知らずの他人だった人との数分の会話で、影響を受けすぎるのも変だとは思う。
 だけど。
 青山さんは、今が好きなんだって言うことだけは、良くわかった。

「ふふ」

 さよは久しぶりに話せたことへの充足感と、未来を思うという希望的な考えが生まれたことの楽しさを感じながら、再びファミレスの入り口に向かう直前、ふと己の現在の状況に気付く。
 夜の公園に一人。夜風は吹き、何か得体の知れない何かが背筋を撫でるような、そんな感じ。
 その状況の恐ろしさにさよは震え、今にも夜に消えそうな青山の背中に視線を移す。

「ひぃぃ! 青山さーん! 置いていかないでぇぇぇ!」

 涙目になって悲鳴をあげ青山の後を追うその姿は、どう見ても幽霊になんか見えたりしなかった。




後書き

以下、没になった理由とか。

【お山の二人】
モップ製作中の出来事。楓さん、死を覚悟するの巻。
何でもない描写だったので、付け加えたら流れが中途半端になるかなぁという理由から省きました。今考えれば、二人がどうやって知り合ったのか書いてないので、ちゃんと途中に挟めばよかったです。

【幽霊少女と転生青年】
オリ主、着任直後。死んだ少女である彼女だからこそ、転生したオリ主が語る本音みたいな感じのお話。
書いた後に、オリ主がコメディーすぎたり優しかったりで、お前誰?状態となり没にしました。でも話としては、死んだ人間と、死を経験して転生した人間の会話っていう、オリ主に残された良心を語る重要な場面だったかもしれないかもです。


次回は、災害に巻き込まれた人々視点。




[35534] 二章・幕間【傍観者。あるいは無力な人々の群れ】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/11/29 23:02

 燃える。
 燃えていく。
 遠くの景色、幾つも降り注ぐ光の柱を眺める瀬流彦は、その柱の一本一本から感じる規格外の魔力量に背筋を凍りつかせながら、虚空に障壁を幾つも展開していた。
 悲鳴を押し殺しながら避難をする生徒たちを眺めながら、苦悶の色を浮かべる。
 先ほど、一撃だけ流れ弾が直撃した。しかもただの余波のようなものだ。
 それだけで瀬流彦の障壁は紙くずのように剥がされた。
 自分もそれなりに魔法を研鑽してきた魔法使いの端くれだ。だというのに、この状況で覚えるのは圧倒的な無力感。砲撃から漏れる呪詛を防ぐだけで精々であった。
 もし次流れ弾が当たれば、呪詛に飲まれて魔法を知らぬ生徒達は苦悶の果てに絶命していくだろう。
 それだけは許せない。安全圏に逃れるまではここで食い止める。そう悲壮な決意を固めた瀬流彦をあざ笑うかのごとく、新たな砲撃が襲い掛かった。

「くぅ!?」

 全力で魔力を注ぎ込み、己の身体すら壁にしながら瀬流彦は迫る砲撃に立ち向かう。だが当然、その程度の抵抗、スクナの呪詛をたらふく飲んだ一撃を防げるわけがなく、数秒の拮抗の後、あっけなく砕かれた。
 直後、そこにかぶせるように新たな障壁が展開された。

「だ、誰が!?」

「……対象砲撃、予測値内。結界弾、充分に作用します」

「よし、では以後も結界弾を移動予測地点にばら撒く。私と君で交互に行うぞ」

「了解しました」

 驚愕する瀬流彦の前に現れたのは、長大な狙撃銃を携えた絡繰茶々丸と龍宮真名だった。彼女達は何でもないように、次弾を装填して、光の発生源を注視している。

「き、君達……」

「先生はそのまま生徒の誘導と警護を頼む。私たちは今見たように結界弾を幾つか持っているのでね。心配には及ばない」

「だ、だが……」

 それでも尚、生徒である彼女達を案じる瀬流彦に、真名は真剣な表情で向き直ると言葉を被せた。

「今は議論の暇がない。使えるものは使う、そして決断は拙速に。前線での掟だ。ぐずっていたら死ぬぞ?」

 真名の有無を言わさぬ言葉に、瀬流彦は僅かに躊躇い、しぶしぶといった様子で逃げる生徒達の後を追っていった。
 その後姿を見ながら、真名は「貧乏くじだったかな?」と軽口を叩き、再び災厄を吐き出す先を見た。

「……あそこに、例の男が居るんだな?」

「はい。監視カメラは残り一つですが、青山さんの生存を確認しています」

「冗談であってほしいよ」

「ですが、事実です」

 わかっている。思わず愚痴を吐き出そうになって、慌てて口を紡ぐ。
 だが愚痴を言いたくなるような状況だった。青山と対峙したときの離脱用として渡された、特注の防御結界、これを使わなければ防げぬほどの砲撃のど真ん中で、青山は一人で戦っているという。
 この現実に居なければ冗談と一笑したに違いない。それほど、状況は異常極まっていた。
 様々な戦場を渡り歩いてきた真名は、戦場のようなこの状況にも適応できている。だが、この状況を作り出したのが、たった三体の生命体だというのだ。しかも、この災厄のほとんどが、ただの人間であるはずの青山のみに注がれている。
 つまり、最新鋭の軍隊による壮絶な殲滅攻撃を、青山はたった一人で凌いでいることになるのだ。
 直後、一際巨大な輝きが夜を照らし出した。

「監視カメラ全喪失。全方位に放たれた魔力爆発の影響でしょう……五キロ放れた地点ですら衝撃で吹き飛びました」

「……うかうかしていられないか。私たちも後退しつつ援護に徹しよう」

「了解しました」

 茶々丸と真名はそう言うと夜空に飛翔した。いつ砲弾が来るかわからない極限状態は、懐かしい感覚を思い起こさせる。
 そして、無力感というならば真名こそ感じていた。
 戦場を動かすのは無数の兵士でありながら、同時に個々の兵士には戦場を動かす影響力はない。一見矛盾するだろうが、あくまで組織と組織のぶつかりあいが戦場を構成するのだ。そこに一個人の思想や願い等は意味を成さない。
 だから目の前に集中できるし、戦場を動かす群れとしての意識をもつから戦いを行える。
 だがこれは違う。個人と個人による戦場という、戦場の常識を崩す異常事態に、笑えばいいのか泣けばいいのかわからない状態だった。
 個人の力が戦場を支配している現状。生きた核弾頭が激突しているような非合理。無力感を覚える。苛まれるのだ。個人の武が全てを決定する場で、己の武がまるで役に立たないという事実が。

「くだらないな」

「何か?」

 己の独り言に反応した茶々丸に「いや……なんでもない」と頭を振った真名は、意識を切り替えて紅蓮に飲まれていく町並みを注視する。

「嘆く暇はない。タイミングが遅れたら、それは私たちの死とイコールだ……くれぐれも遅れるな」

「わかりました」

 真名と茶々丸は夜を駆けていく。自分達は無力だけれど、それでも巨大な水面に波紋を波立たせるくらいの抵抗はしてみせる。
 それが出来るから、人間で。
 人間は、抗うからこそ、美しいのだ。






 抗うことの意味のなさを痛感する。
 犬神小太郎は、背筋を震え上がらせる恐ろしい何かから逃げながら、己の弱さを嘆いていた。

「あー、これー、青山さんやわー。ウチも行きたいですー」

 小脇に抱えた月詠は、恐るべき何かに恐怖する小太郎と裏腹に、その気配を感じて嬉しそうに笑みを漏らしていた。

「あほぅ! 何考えてるんや姉ちゃん! 腕もないアンタが行ったところで何も出来へんやろが!」

 小太郎は八つ当たりするように月詠を怒鳴りつけた。それには同意見なのか、月詠は少なくない落胆の色を滲ませて、抱きかかえられたまま、目覚めようとしている青山の方角に目を向けた。

「……残念やなー。腕四本とかの魔族に生まれたかったわー。あ、でもそしたらー、残りの二つも斬られたやもしれへんなー」

 それはそれで面白そうですわー。
 月詠はにこにこ笑いながら、色を失い始めている黒い瞳で空を見上げていた。

「正気失ってるやないか……あぁ、クソったれ」

 そう悪態をつきながら、それでも小太郎は月詠を見捨てることなく、瞬動でその場から離脱を行う。
 彼らが生きているのは、偶然が重なったからに過ぎない。総本山に鬼の軍勢が現れたことにより慌ただしくなった中を、小太郎は上手く突いて脱出を果たした。月詠はその途中でついでに拾ってきたに過ぎない。見つけたとき、両腕が失われていることには驚いたものの、それを問いただす時間等はなく、結果として、その問いただす時間を惜しんで離脱したおかげで二人はぎりぎりで戦地を逃れた。
 運が良かったのは、彼らが走っている方向が、丁度青山との線上になっていたことだろう。特大の砲撃すら斬り裂いてあらぬ方向に逸らす技の冴えのおかげで、青山の射線上は唯一炎による被害以外はないも同然だった。
 そして、それだけであればネギに気絶させられた程度の小太郎は、月詠を抱きかかえたままでも離脱を果たせる。
 そんな奇跡の積み重ねで生き残った二人だが、山を降りて町に出たところで、言葉もなく眼下の紅蓮を見つめるしか出来なかった。
 ある程度の被害は覚悟していたが、これは異常だ。阿鼻叫喚の只中、小太郎ですら気を抜けば立ち込める呪詛に飲まれそうな異空間。

「綺麗ですなー」

 月詠の言葉は耳に入らなかった。というか、耳に入れるのすら不快だった。この異常を綺麗だと言う神経に構っている暇なんてない。
 小太郎は顔を引き締めて目の前の悲劇を見据えた。
 己の強さを求める毎日だったと思う。まだ幼くありながら、それでも周囲の大人以上の強さで生き抜いてきた自負はある。
 だが、無力。
 圧倒的な、無力。

「……こんなんが、強さの果て」

 今は遥か遠く、それでも存在感のある三つの気配を感じて小太郎は吐露した。
 強くなりたい。
 強くありたい。
 結果が、この惨事にあるのなら。
 強さとはなんなのだ?

「とりあえず無事なとこまで走るで姉ちゃん。怪我は痛くないか?」

「お気になさらずー。むしろ、痛いほうが嬉しかったりしてー」

 恋する乙女のように頬を染めて「いやん」とか呟く様を見て、気にするのもアホ臭いと判断する。
 今は胸にへばりつく悩みも全て置き去りにして走ろう。そうすれば今だけは、恐るべき何かを気にしないでいられるのだから。

「……」

 前を向いて、あるいは臭いものから目を逸らすように走り出す小太郎を横目に、月詠は柔らかな微笑を口元に浮かべた。
 彼の内心に浮かんでいる悩みが手に取るようにわかる。どうせ強さというものがもつ危険性に恐怖でもしたのだろう。
 子どもやなぁと、己のことを差し置いて月詠は内心で笑った。
 斬られたから、わかることがある。
 もしも斬られる前にこの惨劇を見たなら、自分もまた別の感想をもっていただろう。
 だが違う。
 嘆こう。哀れもう。無力に苦しみもしよう。
 しかし、斬ることは変わらない。

「うふふ」

 月詠の瞳からゆっくりと色が失われていっていた。そのことにすら気付かず、本人は微笑をいっそう深めていく。
 青山は、きっとこの光景にも『何も思わない』。あらゆる感情を覚えながら、そのことが全く響かないはずだ。
 この地獄と。
 普通の日常と。
 もしかしたら今だって。
 青山にとっては全てが等しく斬撃に完結する。
 とりあえず、月詠はそこからはじめることにした。
 これまでの自分は、この光景を綺麗と思うくらいだった。そして戦えば楽しいと思っただけだった。
 それでいい。だが大切なのはそこから。

「斬るんですわ」

 そう、あらゆる感情を覚えよう。
 喜びも。
 怒りも。
 楽しさも。
 悲しみも。
 絶望も。
 希望も。
 幸せに浸り、不幸に飲まれ、普通に安堵しながら。

 斬る。

 斬るのだ。

「ふふっ」

 青山を知れた。月詠はそれがとても嬉しかった。あらゆる全てに感謝したくなった。
 斬るから。
 斬るのである。

「あぁ……」

 心のあり方が変わった。青山に、己の両腕ごと別の何かを斬られた結果だった。
 だが所詮、これは模倣に過ぎないということも月詠はわかっていた。大切なのは、一切合財に勝る答えを得ること。今は代用品として青山が得た回答を使用するが、いずれ自分は己の道を見つける必要があるだろう。
 斬撃に完結した修羅。
 では、己は何に完結するのか。
 両腕がなくなった。だが今の月詠は両腕があった時以上の実力を得ていた。そういう確信が彼女にはあった。模倣に過ぎずとも、至った者と同じ回答を斬られたことで得られたから。
 強くなり続ける。
 いずれは青山すら超えた果て。冷たく凍りつくような修羅場へと。
 紅蓮の町並みを眼に焼き付けながら、月詠はゆっくりと変貌していく。その瞳は徐々に紅蓮の輝きを飲み込んでいき。

 避難場所に到達したとき、彼女の両目は完全な暗黒に染まるのであった。






 超鈴音の予想は、この時点で完全に砕かれたと言ってもいい。
 京都直下に起きた大災害。歴史に刻み込まれるこの大災害のことを、鈴音は『知らない』。それはこれまでの前提を覆すほどの事態であり、普段焦りを見せぬ彼女はですら、この事態に周囲とは違った不安を抱いていた。
 彼女のみが知る彼女の秘密。未来の火星から来た宇宙人で未来人という立場の彼女の目的にとって、その卓越した科学技術以上にアドバンテージとなっているのは、未来人であるゆえの過去の出来事に対する知識だ。
 いつ何処で何が起きるのか。ある程度脚色された過去は幾つもあったが、歴史上まれに見る大事件などについては彼女は把握していた。
 だからこそ、おかしいのだ。
 死者五万人以上、行方不明者も万を越えると言われている京都の大災害。これほどまでの出来事を知らなかったという事実は、未来人である彼女を窮地に追い込むには充分すぎた。
 今後も、今回と同じように、超が知らない未来が訪れるのかもしれない。未来を知る。故に決定的な部分で改変を行おうとしていたからこそ、不安は尽きないし、常に苛む。
 何よりも……怖いのだ。
 超が今回の修学旅行で、旅行を楽しむということとは別に調査していた青山という男。
 アレの恐ろしさを、超は最新鋭のステルスが張られた機械越しに見てしまった。
 エヴァンジェリンのときの戦いですら見えなかった男の本質。呼吸するように斬るということを行う化け物のあり様。
 見たのだ。
 あの、斬撃に完結した化け物の生き方を。見れたのはスクナの周囲を焦がす光が放たれるまでだが、そこまでの映像ですら、青山の鮮烈さを理解するには充分すぎた。

「……青山」

 超は震えそうになる身体を両手で抱きしめることで押さえつけた。
 策を弄して、どうこうなる問題だとは思えなかった。
 カメラ越しに確認した青山の戦闘力は、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、ナギ・スプリングフィールド、ジャック・ラカン。そういった、小細工を抜きに強すぎる実力者と同格、いや、躊躇いなく肉親を斬る異常性を考えれば、それ以上。
 そんな化け物を、制御しきれていないとはいえ学園長が手札に持っている。動けば、自身の計画など容易に崩壊させるジョーカー。だが超が何よりも怖く思っているのは、計画が失敗することではなく。
 計画を遂行して青山が動いた場合。

「麻帆良が、壊滅するだろうな。しかも、一方的にだ……それはそれで、面白くなる」

 超は自身の内面を代弁した言葉に反射的に振り返った。
 そこにいたのは、大停電を機に雰囲気が一変した真祖の吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ。二度と剥がれることのない冷笑を浮かべながら、警戒心をむき出しにする超へ臆せず近づく。

「青山を、どうにかしたいんだろ?」

 傍に寄ってきたエヴァンジェリンは、熱い吐息を漏らしながら超の肩に手を這わせる。熱の篭った吐息とは裏腹に、制服越しに感じる手は、異常なまでに冷たかった。

「なら、どうだ? 私と契約しないか?」

「契約?」

 いぶかしむ超に、エヴァンジェリンは赤子に応じるように優しく頷きを返した。

「そう、契約だ。貴様と私、人間と吸血鬼。人と、化け物。本来相容れぬこれもな、利害が一致すれば手を取り合うことが出来るのさ」

「何が、目的ネ?」

 超は遠まわしなエヴァンジェリンの言葉にイラつきながら、話をせかすようにそう問い。
 それを待っていたとばかりに、エヴァンジェリンは大口を開けて笑った。

「青山と戦わせろ。貴様が何をたくらんでいるかは知らないが、その目的の最大の障害である青山を、私が殺してやる」

「……そちらの要求は?」

「私にかけられた封印の解除。そして戦いの後、この世界からは消えてやる。どうだ? 悪くない条件だとは思うが」

 エヴァンジェリンは面白そうに喉を鳴らすと、超の肩から手を放して背を向けた。

「何、のんびりと考えればいい。だが、願ってもいないチャンスだと思うぞ? 私はあの男と戦うために、惜しみない努力をする。いっそう綺麗になったんだ。だったら、私はアレを汚すために、もっともっと、努力して汚くならないといけないんだ」

「……狂ってるネ」

「オイオイ、貴様の目の前にいるのはな。そういった類の化け物だぞ?」

 エヴァンジェリンは足取り軽やかにその場を後にする。
 残された超は、エヴァンジェリンがいなくなった場所をじっと睨みつけ、長くため息を吐き出した。

「エヴァンジェリン、ネ……」

 映像を見る限りでは、エヴァンジェリンは青山に一度勝利している。だがそれは青山の武装がモップという冗談みたいな装備での勝利だ。それですら彼女は背中と腹部を裂かれ、さらに腕も斬り飛ばされた。
 正式な刀剣を得た青山の実力は、京都を紅蓮に染めた二体の化け物を相手に一歩も引かないほどだった。一撃が山を抉り、大地を砕き、空を引き裂く爆撃を一身に受けて、それでも青山は彼らの前に立ち、現在生きているということは、勝ったということだろう。
 そんな化け物が動くかもしれない。それを止めるための戦力は喉から手が出るほど欲しいくらいだ。超にも自身の計画の中で、切り札は用意しているが、それを使っても抑えられるのはタカミチ一人が精々。
 何よりも恐ろしい。
 青山は、己の切り札すら──斬ってしまうのではないか。

「……考えてもしょうがないカ」

 超は混乱した思考を落ち着かせるために頭を振った。そして改めて今後の計画を立てる。
 例え予想外の出来事があろうと、止めるつもりはない。いずれにせよ、自分が行うことによって、沢山の人間が幸福になるのは事実なのだから。
 そのためにも、青山よ。

「貴方は、危険すぎる」

 超は冷徹に決断する。その決断の先には悪魔の冷たい掌。毒をもって、毒を制するという、一歩間違えれば最悪に陥る決意を固めた。
 こうして、裏側で最悪は確定することになる。

 化け物と人間の再戦は、すぐそこだ。



後書き

次から三章です。二章と同じか、それ以上に原作キャラの凄惨な描写があります。ご注意を。



[35534] 『無貌の仮面』第一話【振り出しに戻る】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/12/10 00:57



 よく生きているものだなぁ。
 なんて、学園長室に二週間ぶりに来た俺は感慨深い思いを抱いていた。

「……色々と、ご苦労じゃったの」

 京都での戦いの顛末を話したあと、数秒の間を置いて学園長さんが俺を労ってくれるが、その言葉は沈痛な響きが含まれていた。
 現在もテレビでは朝から晩まで報道されている京都の大災害。そのことに対する悲しみがあるのか。
 きっと、そうなのだろう。
 学園長さんは人を信じられる優しい人だ。こんな俺ですら受け入れてくれたのだから、きっとこの事件にも心を痛めているに違いない。

「俺は、結局……誰も、救えませんでした」

 こんなとき、表情が変わらない己が少しばかりありがたい。
 誰も救えなかった。
 そんな俺が、災害を防げなかった俺が悲しむ権利などあるはずがない。
 それどころか、この災害の中で一人、素晴らしいものに感動すらした始末。
 なんと。
 なんとも、救えぬ、悪党。

「……詠春様。兄さんも、俺はこの手で殺めたのです」

 刀を持っていない両手を開いて、眺める。今は付着しているはずのない血液が見えたような気がした。
 俺は、兄さんを救えなかった。
 たった一人の兄すら救えぬ、矮小な人間だった。

「いや、あの状況じゃ。青山君が一人で頑張ったところで、どうにかなる状況ではなかったじゃろう」

「学園長……」

「むしろ、孤立無援の中、よくぞ一人で戦ってくれた。顛末はある程度聞いておる。今は、ゆっくりと休むといいじゃろう」

 学園長さんの優しさを、俺は真正面から見ることが出来ずに視線を伏せたまま、力なく頷いた。
 義理とはいえ、学園長さんにとっても兄さんは息子のようなものだったはずだ。おろか、関係のない人々が魔法という裏事情に巻き込まれたというのは、学園長さんの心を痛めているだろう。
 それでも俺を労わる優しさに、これ以上俺は何も言えなかった。

「失礼します」

 俺は一礼すると部屋を後にした。
 扉を開けて、さて錦さんのところへ行こうかと思ったが、扉の外で待っていた高畑さんと鉢合わせになる。というか、話が終わってくれるまで待っていてくれていた。

「やぁ、報告、ご苦労様」

 高畑さんは表面上、普段となんら変わった様子はなかった。余裕のある笑みを浮かべて、俺に優しく声をかけてくれる。
 軽く会釈してから、俺と高畑さんは二人並んで歩き出した。

「学園長も言っていたが、君にだけ随分と苦労をかけた」

「いえ、あの場では俺しか対処できる人間がいませんでした。そして、対処できる能力を持ちながら、俺は私情を優先して……それが、あの結果です。高畑さんも学園長さんも、自らを責めず、俺だけを責めていただきたい」

 言ってから、己の浅ましい心に辟易する。
 何を言っている。
 何が俺を責めればいいだ。
 そんなことを言われて、彼らが俺を責めることはないと知っているというのに。
 唾棄すべき己の未熟に後悔しながら、慌てて訂正しようと口を開き、それよりも早く高畑さんが口を開いた。

「君だけを責めるなんて出来ないよ。そんな危険があるという判断をしなかった僕らの甘い見通しが、この事件を生んだ……誰かを責めなければならないなら、それはきっと、僕ら全員が責任を取る必要がある。そして、それは今後の人生全てを使って贖罪しなければならないことだ」

 高畑さんは、僅かに影の射した表情で思いのたけを吐き出した。
 ただ、その言葉に俺は答えをもたなかった。
 見通しの甘さ。それは俺も痛感していた。十一代目を得た俺は、何かあっても一人で対処できるつもりだったし、相手に対しても、一般人を巻き込むつもりはないはずだと高をくくっていた。
 その甘さが今回の惨劇。
 未だ包帯をいたるところに巻いた身体をそっと右手で抱くようにして、己に刻まれた傷を罪の証として再認識する。
 何もかも、悪い方向に繋がった。
 あの時、フェイト少年を総本山で倒していればあんなことにはならなかったのか。
 それとも、旅館で彼らが近衛木乃香さんを拉致するのを防いでいればあんなことにならなかったのか。
 全部俺ならあそこで対処できた。
 それをしなかったのは、全て私情。
 俺の欲を満たすためだった。
 ならばやはり、罰せられるのは俺だけだろう。
 そして恥ずべきことに。

 俺は、後悔と反省をしながらも、あの戦いを得られたことに満足していた。






 翌日。報告をした日はそのまま高畑さんと軽く飲んでから帰宅したため、錦さんには挨拶を出来なかった俺は、丁度いいのでそのまま職場に復帰をした。
 同僚の皆さんが、包帯まみれの俺を見て、心配してくれたのが心苦しく、暫くは休んだほうがいいという言葉も丁寧に断りを入れて、俺はいつもの通り錦さんと清掃を行い、昼休みに入っていた。

「身体、痛くねぇのか?」

「おかげさまで。錦さんが俺の分も掃除をしてくれたので、痛みはさしてありません」

「そうか……ならいいんだが」

 いつもの場所で、いつも通りに子どもたちの姿を眺めながら、空気は重く苦しかった。
 錦さんは何かを聞こうと何度か口を開けては閉じている。一体何が聞きたいのだろうと考え、ここを出る前、兄に会いに行くと言ったことを思い出した。

「兄は死にました」

「……あぁ」

 事情をある程度は知っている錦さんには、話をしておく必要があるだろう。淡々と語る俺に対して、錦さんの表情は暗い。

「傍にいながら、俺は兄を殺してしまったのです。折角、また兄と呼べるようになりながら、俺はこの手で兄を殺めてしまいました」

「ニュースで見たよ。ありゃ、誰かを助けるなんて余裕がなかったのはわかる。お前もそんな様なんだ。そうやって自分を責めるなよ」

「いいえ。俺は兄を殺しました……ですが、それでも得られたものはあるのです」

 空を見上げて、耳を澄ます。そうすれば、あの時響いた兄さんの歌声が、すぐに思い出せた。

「生きることの素晴らしさ。兄さんを殺してしまった俺ですが、それでも兄さんが生きた証を得られたことを、誇りに思っています」

「兄ちゃん……お前」

「災害のとき、とある少年に教わりました。生きることの素晴らしさ。生きていることの尊さ。そして、これまで俺は命に対してあまりにも無頓着だった……それを悔やみ、改めることが出来た……不謹慎ですが、この災害で多くのものを俺は失い、それでも別の何かを得ることが出来たのです」

 生きるということの当たり前な答え。

「人は、いずれ死にます。その間に培う生が、どのようなものなのか……きっと、生きることの意味はそこにあって、俺はそれを尊ぶべきなのだと」

 それだけは、誇ってもいいことだろう。
 色々と間違って、それでも何かを見つける。得られた答えだけは誇るべき真実だ。
 人間というのはそういう生き物で、いつだって過ちのなかから答えは見つかっていく。今回、俺はあらゆる悲劇の中でかけがえの無い答えを知った。
 代償は幾多の涙だ。償うことは出来なくて、ならば少しでも俺は得られた答えを信じて、誰かの生きた証を紡いでいこうと誓った。

「……へっ、どうやら、慰める必要はねぇようだな」

 錦さんは自分の鼻を軽くこすって恥ずかしそうに呟いた。俺は出来る限りの感情を込めて頷きを返す。
 大切な真実を、斬ることに並ぶ回答を守ろう。
 それがあの災厄を間接的に巻き起こした俺が出来る唯一の償いだと信じているから。

「とはいえ、兄ちゃんはまだ怪我してるんだ。無理だけはするんじゃねぇぞ? それでな、災害があったことでここら辺もあわただしくなるかもしれねぇからってことで、今週からボランティアで夜の見回りをすることにしたんだ」

 錦さんは辛気臭くなった空気を切り替えるために別の話題を投げかけてくれた。
 内容を簡潔にまとめると、京都の事件も夜に起きたということもあり、しばらくは何かあってもすぐに動けるボランティアで麻帆良一帯を見回りしようと決まったらしい。尤も、非公式なのでメンバーは職場の人間のみで構成されているらしいが。

「いいですね。俺も、よければ……」

 参加したいという意思を伝えようとして、それよりも早く錦さんは俺の頭を軽く小突いた。

「阿呆、兄ちゃんは怪我してるだろうが。それに住居が麻帆良の離れにあるんだろ? 見回りも時間がかかるんだ。まずは怪我を治す。それと住居をもっと近くに移す。でなけりゃ見回りには参加させられないぜ?」

 むぅ。
 まぁしかし、錦さんの言うとおりである。青山である俺はこの程度の怪我であれば充分に動けるのだが、如何せん彼らからすればただの若者でしかない。怪我もしているとすれば、無理をさせるわけにはいかないというのもわかる。
 仕方ないか。うん。残念、残念。

「ともかく、復帰おめでとさん……というか、いつも怪我して戻ってくるからな。振り出しに戻るってか?」

 冗談めかした錦さんの言葉でも笑みを浮かべることは出来ないけど。

「おっ、笑ったな?」

 吊り上げた唇が象る不器用な笑み。それで錦さんが笑ってくれて、俺は嬉しかった。
 さて、振り出しからまた頑張るとしようか。






「随分と時間がかかりましたね」

「……まぁ、あんなことがあったからね。事情聴取くらいは仕方ないわよ」

 ネギと明日菜は久しぶりに戻ってきた麻帆良の風景を眺めながら、そこでようやく自分達の日常が戻ったという実感を得ていた。
 あの日から一週間が過ぎていた。関西呪術協会の息がかかっている病院に運ばれたネギ達は、そこで事件の関係者ということで詳しく話をしながら療養をしていた。
 驚いたことに、ネギ達の怪我自体はさほど問題はなかった。というのも、最後の脱出を手伝ったクウネルの治癒魔法が彼らの怪我を回復させたからだ。
 だがしかし、ネギだけは後遺症が残ってしまった。
 明日菜達と気晴らしに談笑して判明したのだが、まず麻帆良に来てから幾つかの出来事の記憶が失われていた。それは図書館島での出来事だったり、惚れ薬の件は完全に失われていた。そしてカモとの思い出なども失われており、これについてはいずれ親族との改めて話し合うことで、何処まで記憶が失われたのかを調べる必要があると医師は語った。
 そしてもう一つは、色の失われた左目だ。光を飲み込むような黒い瞳は、視力はあるものの、右目とは明らかに色彩が異なっていた。
 その瞳に見つめられると、明日菜達はおろか、ネギも鏡を見て怯むことすらある。
 青山の瞳なのだ。あの恐るべき修羅の漆黒の黒い瞳と瓜二つといってもいい。早々にネギの右目と同じ色彩のカラーコンタクトを作ったのは当然であった。
 臭い物に蓋ともいう。左目が黒くなった。つまり己もまた青山になるのではないかという恐ろしい事実から目を背けたのである。
 ともかく、ネギは様々な代償を一晩にして払うことになった。同時に、一流の魔法使いすら凌ぐ力を得たのはなんという運命の悪戯か。
 だが時折ネギは思うのだ。
 まだ足りない。
 もっと力が欲しい。
 そんな自分の考えを、周りの仲間を思って振り払う。葛藤を繰り返しながら、この一週間、ようやく手にした日常の光景に二人はたまらずため息を漏らしていた。
 楓は既に帰宅している。正確には、途中で別れて、楓は一人で麻帆良の郊外に出て行ったのだが。
 刹那はそのまま京都に残ることになった。彼女自身も思うところがあったのだろう。神鳴流の本山に向かうといって、京都で別れたきりだ。
 そしてネギと明日菜は二人だけで戻ることになった。麻帆良の生徒達は彼らの数日前に無事に帰宅したということだ。
 ともかく、そういうわけで京都の惨状を知っているが故に、まるで麻帆良の風景は別世界のようにすら二人には感じられていた。あるいは京都こそが別世界だったのか。
 日常と非日常。そのギャップをまざまざと認識して、どこか疎外感を覚えるのも無理は無かった。

「よし、じゃあさっさと帰って木乃香に元気なとこ見せないと! 私達のこときっと心配していたはずよ!」

 明日菜は様々な葛藤を振り払うために、わざと明るく元気な声を出した。ネギも「はい!」と力強く答えて寮へと帰るのだった。

 だが、未だに日常は遠い。寮に戻ったことで、二人は改めて現実を突きつけられることになる。

「ただい、ま……」

 一週間ぶりの麻帆良。久しぶりに寮に戻ってきたネギと明日菜は、暗く締め切られた部屋が撒き散らす重苦しい空気に、一瞬部屋を間違えたのかと勘違いした。
 いつも暖かな雰囲気があった部屋が苦しい。小さいはずのテレビの音すら妙に五月蝿く感じるくらいだった。

「明日菜? ネギ君?」

 自分の部屋だというのに入るのを躊躇っていると、まるで這い出るように暗がりで座り込んでいた木乃香が、表情の抜けきった顔で明日菜達を見つめ、僅かにその瞳に涙が浮かんだと思うと、顔をくしゃくしゃにして「よかった……よかった……」と安堵の言葉を漏らした。
 その尋常ではない姿に背筋が凍る。明日菜は慌てて木乃香に近づくと、その肩に手を添えた。

「木乃香……」

「ウチ……明日菜達も、もしかしたら、居なくなったんやないかって……怖くてなぁ。ウチ、とっても怖かったんや」

 小刻みに震える肩、すすり泣くようにしながら、それでも懸命に涙を堪えている少女の背中に、明日菜は言葉を言うよりも早く抱きついていた。

「ただいま。ごめんね。心配ばっかかけてごめんね木乃香」

「ううん。えぇの、無事だったらえぇんや……ウチ、実家が、京都でな。それで、噴火があった場所が実家のあるところで……お父様から連絡なくて、不安で、それで明日菜達も連絡なくて、ウチ、ウチなぁ……」

 上手く言葉に出来ないくらい、焦燥と混乱と恐怖に苛まれていたのだろう。ネギは部屋の明かりをつけて、顔を上げた木乃香の顔が蒼白になっているのに声もなく驚いた。

「こ、木乃香さん。お食事は……」

 力なく顔を横に振る木乃香。食事をほとんどとっていないというのか。当惑するネギ達の耳に、ドアが開く音が聞こえた。
 振り返ると、そこに居たのはクラス委員長の雪広あやかだった。あやかも驚いたように目と口を開いて、直後、ゆっくりと近づいて、手に持った食事をテーブルに置き、ネギと明日菜を抱きしめた。

「ご無事で、よかったです。ネギ先生、明日菜さん」

「いいんちょ……」

 普段とは違うあやかの態度に困惑しながら、明日菜は涙を浮かべて「ただいま」と呟いた。
 ネギはあやかの柔らかな香りと暖かさに、何故か涙したくなった。だがそれを堪えて抱きしめ返して、四人は暫くの間静かに無事であることを喜ぶのだった。


「……そういうわけでして、木乃香さんはここ暫くお部屋に引きこもったままですわ」

 再会から一時間ほど過ぎた後、木乃香の傍にいると言う明日菜を部屋に残してあやかとネギは部屋の外で木乃香のことについて話し合っていた。
 クラスの幾人かも、京都の災害によって心身に負担を受けていたが、それでも早めに避難が完了したため、今は木乃香以外は普通に生活をしているらしい。
 だが木乃香だけは、実家がマグマの発生源の真上だったということもあり、父親の安否が不安で寝食があまり出来ていないらしい。

「交代で食事を作ったり、傍にいたりはしたのですけどね。よく一人にさせてと言って、あまり傍にいられない状態が続いていて……申し訳ありませんわネギ先生。私たちでは、木乃香さんの力になれなくて……」

「いえ、ありがとうございます。きっと木乃香さんにも気持ちは届いていますよ」

「そうだとよいのですが……それで、ネギ先生達はもう大丈夫なのですか?」

 あやかの不安げな表情を和らげるため、ネギは優しい微笑みを返して頷いた。

「僕も明日菜さんも大丈夫です。ここにはいませんが、楓さんと刹那さんも怪我はありませんよ」

 その言葉を聞いて、「よかった」と安堵のため息をあやかは漏らした。

「高畑先生からネギ先生達は無事だとは聞いていたのですが、こうして無事な姿を見るまでは不安で仕方ありませんでしたわ。この分だと、来ていないお二人も大丈夫なのですね」

 もしかしたら、クラスを落ち着かせるための嘘をタカミチが言っていたのではないかと、あやかは心の隅で考えていたのだ。だが二人が無事であることもあり、刹那と楓が無事であるという確証が得られたのだろう。
 何より、ネギの言葉を信じられた。それは最初からそうなのだが、不思議と今のネギは以前よりもさらに真摯だとあやかには感じられた。
 災害の後、変わったのだろうか。それが悪い方向でないことが良かったと思う。

「一応、私のほうでも京都復興のついで、というのは語弊がありますが、木乃香さんのお父様の捜索は行っています。尤も……」

 続く言葉をあやかは飲み込んだ。
 ネギも彼女が言いたいことはわかっている。おそらく、いや、確実に木乃香の父親は死んでいるだろう。マグマもそうだが、スクナの砲撃を受けて生きられるわけがない。それこそ英雄と呼ばれた自分の父親でもない限り、あの破壊と災厄は逃れえるものではなかった。
 それに、もし生きていたのなら、西の長としてネギ達のところに来たかもしれない。来なくても、何かしらの伝言はくれたはずだ。
 ネギはその事情を言うわけにもいかず、口を噤んだ。その様子を見たあやかは空気を悪くしたことに気付き、曖昧に笑ってどうにかごまかす。

「ともかく、お聞きになっているかもしれませんが、被害にあった私達は、暫くお休みをいただけましたわ。本当は授業に出て、早く日常に戻った実感が得たいところですが……木乃香さんのこともありますし」

 あやかはドアの向こうに寂しげな視線を送った。ネギもまた同じように視線を送り、耐え切れずに目を伏せる。
 力が足りなかった。まざまざと見せ付けられた木乃香の現状はネギの罪だ。もっと自分が強かったらあの惨劇を止められたはずだ。
 それこそ、総本山を防衛し、最後は打って出てフェイトとスクナ、二体の化け物を斬り捨てた青山のように。

「……ッ」

 ネギは己の脳裏に浮かんだ考えを振り払い、嫌悪するように顔をゆがめた。
 青山に対する感情は複雑だ。己の無力を棚上げにして、彼がもっと早く動いていればと思う苛立ちと憎しみ、一人であの災厄に挑んだという尊敬と憧れ、それら一切を覆しかねないくらいの恐怖と絶望。
 斬撃という完結。

「僕は、無力です」

「……そんなことはありませんわ、ネギ先生」

 あやかは木乃香を思って落ち込んでいると勘違いしたが、事実は違う。あやかに抱きしめられながら、ネギが思うのは別のことだ。
 無力を嘆き、強さを求めたその果てにアレに行き着くのを恐れている。
 今ならば楓の言っていたことが痛いほどわかった。青山とは超えてはいけない一線だ。人間が到達してはならない領域に住まう、化け物如きもの。
 だがしかし、あの力が無ければ何も救えない。実際は、ネギが無力を感じたのは、魔法使いでも最高位の戦いなので、無力であるのは当然である。しかし立て続けに最上位の戦いに紛れ込んだ少年は、あの領域に居なければならないという、一種の脅迫概念に襲われていた。
 現実は、そこに至る過程がまるで見えないのだが。
 咸卦法に闇の魔法。
 この二つを未熟ながらに修めたネギだが、そこから先の展望が見えずにいる。
 事件から毎日のように、暇を見つければ研鑽を積んでいるのだが、どうしても強くなっているという実感がわかなかった。

「先生?」

 自己に埋没するネギをあやかの声が引き上げる。慌てて意識を現実に戻したネギは、何か言うわけにもいかず、曖昧に笑って場を濁した。


 その翌日、ネギの元に一通の手紙が届けられたことによって状況は一転するが、今はただ、己の無力と、無力の象徴である木乃香を見続けるしかネギには出来なかった。





後書き

学園長室→錦さん
始まりはお決まり展開で。




[35534] 第二話【矛盾】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/12/10 00:40

 気を体内で循環させることで怪我の治りを早めることは出来るが、それでも動きにある程度の支障は出る。いち早く完治させるためには時間が必要だ。そのため、今日から暫くの間、仕事終わりの一時間をエヴァンジェリンの別荘である異空間で過ごすことになった。
 まぁこれは俺が自分で思いついたわけではなく、エヴァンジェリン直々のお誘いだったりする。正直、エヴァンジェリンと会話するのは楽しくありながらも疲れるのだが、願ったり叶ったりなので、俺はその誘いを受けることにしたのだった。

「それで? 京都は楽しかったか?」

 以前のときと同じく、テラスで向かい合って座ってから早々、目の前に広げられた豪華な料理以上に興味津々といった様子でエヴァンジェリンがあの日のことを聞いてきた。
 幾らなんでも無遠慮すぎる言い草に、内心で僅かに不貞腐れるものの、余裕たっぷりな笑みを浮かべる彼女に何か言っても無駄だと悟る。俺は観念してワイングラスの中身を一気に煽ると、胸を焼く熱以上に苦しい思い出を開封した。

「……死んだよ。見知らぬ他人。見知った知人。見知った光景。知り合えた友、沢山、死んだ」

「そうか。見知らぬ他人を斬って、見知った知人を斬って、見知った光景を斬って、知り合えた友を斬って、沢山、斬ったのか」

 エヴァンジェリンは俺の言葉をそっくりそのまま使ってそう返してきた。だが彼女にしては些か陳腐な言い回しだ。
 やや呆れながら俺はエヴァンジェリンを見た。

「当たり前なことを一々聞き返すな」

「くくっ。そうだな。それもそうだ」

 全く、本当に何が楽しいというのか。
 色々な人が死んだ。とても悲しいことで、とても心苦しいことで。
 斬った。
 それは別だろう。

「人が死んだよ。しかも、俺は兄さんをこの手で殺したんだ」

「兄?」

「近衛詠春。旧姓は青山詠春といって、俺の肉親だった」

 軽く説明すると、エヴァンジェリンは納得とばかりに笑った。

「何だ、詠春の奴死んだのか……にしても貴様も随分と手が早いな」

 手が早い。
 そう、あっという間に俺は詠春様を殺したのだ。生きているから、斬って、殺す。生物として当然の結末だとはいえ、兄さんが死んだこと、そして殺してしまったことはとても悲しい。

「だが兄さんの生きた証は俺の心に残っている。故人の生きた証を胸に抱いて、俺は少しずつ前に進めたら──」

「はははははははっ!」

 突如、エヴァンジェリンが腹を抱えて笑い出した。それはとても嬉しそうに、無邪気な笑い声の中に膨大な殺意を孕ませて。
 気味が悪い。同時に、そんな汚らしい彼女がとてもお似合いに見えた。
 だがいつまでも見とれているわけにはいかない。俺の決意を侮辱した笑みを浮かべたのは事実。俺は苛立ちをそのままにエヴァンジェリンを見据える。

「何がおかしい?」

「貴様がおかしい」

 先ほどと同じく、台詞をそのまま使ってエヴァンジェリンは返す。俺は口を出そうとして、エヴァンジェリンはそんな俺の言葉を、まるで幼子の駄々を聞き流すようにして続けた。

「いい成長をしたなぁ青山。いや、付け加えられたと言ったほうがいいのか? 何処の誰だか知らんが、またえらく歪な代物を渡したものだよ」

「どういうことだ?」

「どうもこうも。貴様……いや、これは語らないほうがいいか。人間は矛盾を孕む生き物だ。そして、生きることと死ぬことが両極にありながら成立するものと同じように、あるいはその矛盾もどこかで成立しているのかもな」

 エヴァンジェリンは、まるで俺の全てを見透かしたような物言いをした。対して、俺は彼女が何を言っているのか理解できなかったが、彼女は話は終わりだとばかりに食事に手をつけ始めた。
 俺も納得はしないが、話して面白いことではないのは確かなので、食事に手をつける。暫く食器と咀嚼の音だけが続いた。

「正義の元の行いと悪の元の行い。この二つはどう違うと思う?」

 唐突に。
 本当に唐突にエヴァンジェリンはそんなことを聞いてきた。あまりにも突拍子なことなので、俺は食事の手を止めて彼女を見返す。
 少女はどこか憂いを帯びた表情でグラスの中に注がれた赤ワインを見つめていた。俺に視線を向けるでもなく、遠くを見つめた様子で静かに語る。

「百人の貧困者がいる。一人は奉仕の精神で彼らを救い導き、一人は労働者を得るために彼らを救いの名の下に騙した。どちらも百人の貧しいものを救ったのは事実だ」

「だから?」

「極論、善悪に優劣はないというくだらないお話だよ。あらゆる行いは善でも悪でも、どちらの動機でも行うことが出来るということさ」

 だからそれがなんだ。

「一体、何を話している?」

「貴様のことだよ青山」

 エヴァンジェリンは視線を上げると、しなやかな白い指先で俺を指差した。

「貴様は善悪の基準を抱きながら、斬ることに帰結している。青山、貴様は斬るということに疑問をもったことはないのか?」

 その問いは愚問だ。いつだって俺の答えは決まっている。

「斬ることは斬ることだ」

「素晴らしい。そして、あまりにも愚かだ」

 エヴァンジェリンはもろ手を挙げて俺を賞賛し、同時に嘲笑した。
 結局、何が言いたいのかわからない。だから苦手なんだよなぁとか思いつつ、食事を再開するさもしい俺であった。





 夜。青山がゲスト用の寝室に行った後も、エヴァンジェリンは青山のことを肴にしてワインを楽しんでいた。
 己のことを何よりも知りながら、何よりも己自身を知らぬ愚かな男。それが青山だ。エヴァンジェリンは斬ることと生きること、矛盾する二つを当然のように矛盾させたまま併せ持つ青山を思って苦笑した。

「殺した相手の生きた証を胸に宿す、か……」

 矛盾している。だが青山の中でこれは矛盾していない。己が殺した相手の死を悲しみ、悼み、証を胸に抱いて、誰かを斬る。
 悪循環だ。そもそもが異常だった青山が、これまでよりもさらに捻れて狂った。無垢なまま気が狂っているという事実は、人間だから取り込めるものなのか。もしくは人間すらも忌み嫌う別種の何かなのか。
 いずれにせよ。
 予感はあるのだ。
 そう、エヴァンジェリンは薄い笑みの下で考える。

「貴様が私を殺すか。私が貴様を殺すか……貴様の謎解きなど、そのときが来れば自ずとわかるだろうさ」

 それは明日か明後日か。あるいは一年後か十年後か。
 いつ起きるのかはわからない。だがこれだけは斬っても斬れない縁だから。
 私は確かに貴様に斬られた。
 だから、今度は私が貴様を殺す番なのだ。
 来るべき最後のとき、そのときを夢想するだけで、エヴァンジェリンは今宵もまどろみの中、笑みを貼り付けたまま沈むことが出来るのだった。






 近衛木乃香は人一倍以上に優しい少女だ。少々突込みが苛烈なときがあるが、それも含めておしとやかで愛情に溢れている。彼女の周りでは笑顔が咲き誇り、そんな彼女の優しさに明日菜は随分と助けられたものだ。

「……おはよ、木乃香」

 だから今度は自分が彼女を支えるのだ。麻帆良に帰ってきた翌日の朝、既に起きていた、あるいは昨夜も眠れなかったのか、もう布団から出てうずくまっている木乃香に、明日菜は笑いかけた。

「おはよ、明日菜」

 返事だけして、木乃香は立てた膝に顔を埋める。
 木乃香は人一倍優しい。だからこそ人一倍、他人のことを心配する。それが肉親なら尚のことで、明日菜は木乃香の隣に座り、寄り添うしか出来ない己の無力に内心で毒づいた。
 あくまで客観的な、しかもかなり広義に解釈すればだが、今回の京都大災害は木乃香にも責任の一端はある。誰もそのことは責めないし、明日菜も責めるつもりはないが、もしも事件の真相を知れば、他でもない木乃香自身が己を責めるだろう。
 だが詠春の真実は、残酷ながら木乃香に教えられない魔法という裏の事情にこそ潜む。
 そも、どう説明しろというのか。あなたの魔力によって封印を解かれた鬼が実家を焼いた。守れなくてごめんねとでも言えばいいのか。
 違うだろう。短絡的な己の考えに辟易する。

「せや、明日菜、お腹空いたやろ……帰ってきたんやし、何か作らんと……」

 不意に木乃香は夢遊病者のように立ち上がると、虚ろな瞳で台所まで歩く。今にも倒れそうなその身体を慌てて支えようとして、そっと木乃香の手に遮られた。

「大丈夫やから。ウチ、嬉しいんや。明日菜とネギ君が帰ってきただけで、とっても嬉しいんや」

 そう言う木乃香の顔にはいつもの優しい笑顔は浮かんでいなかった。
 安否も知れぬ親の行方、連日報道される被災地の状況。優しいからこそ、現実に耐え切れない。

「木乃香……なら、私も手伝い──」

「駄目や!」

 突如、木乃香は大声をあげた。その声に驚き目を見開く明日菜の表情を見て、木乃香は虚ろな表情のまま慌てた様子で頭を振った。

「あ、違……明日菜、明日菜は、帰ってきたばかりやから。座って、待っててぇな」

「う、うん」

 その迫力に気おされた形で、明日菜は引き下がった。
 木乃香は安堵のため息を漏らすと、まるでいつもの日常がそこにあるとでも言わんばかりに、鼻歌を混じりに、冷蔵庫の中から食材を取り出して調理を始める。
 その姿を見ながら、明日菜は何かを言うことも出来ずに押し黙った。
 いつもの日常の出来損ないが広がっていた。いつものようでありながら、何処までも状況が違いすぎる。
 明日菜はわけもわからず悲しくなった。日常に戻ってきたつもりで、結局自分は日常に戻ることが出来なかったのだから。
 罪があり、それに対する罰がある。
 力がないことが罪ならば、木乃香の今こそその罰か。
 だとしたらあまりにも残酷すぎる。当事者である自分たちではなく、被害者である木乃香にばかり罰が下るというのなら。

「私は……私達は……」

 その先の言葉が見つからない。今、明日菜に出来るのは、この出来の悪い日常の焼き直しに付き合うことだけだった。






 ネギはその日、朝日も出たばかりの早朝から図書館島に来ていた。
 その手に握られているのは一通の手紙だ。昨夜、ネギの手元に唐突に現れたその手紙の中身は、ある意味では驚愕すべき内容だった。
 クウネル・サンダース。京都にて突如ネギ達の前に現れて、そのまま救出してくれた謎の男からの招待の手紙だった。
 図書館島地下にてお待ちしております。お一人で来てくださいね。
 そう書かれた内容に違和感はあったものの、現状ネギが出来ることはないので、明日菜には一言告げた状態で来たのであった。なお、カモについては留守番である。

「……えっと」

 ネギは手紙に記された地図の通りに図書館島を進んでいく。罠の位置も正確に記されているのと、魔法が使用可能ということもあり、以前よりはスムーズに奥に進むことが出来た。
 そうして歩くこと暫く、薄明かりを頼りに歩いていたネギの視界の奥から差し込む光に導かれた先で、開けた場所にようやく出ることができた。
 地下にあるとは思えないほど美しい自然が広がる空間は、日差しの暖かさすら感じられるほどだ。魔法で作られた特異な空間を眺めてから、手紙と場所を照らし合わせて、この場所が待ち合わせのところと合致しているのを確認した。
 だが手紙に書かれているのは、ここに来るまでのみだ。それ以上のことは書いておらず、ネギは周囲を見渡して。

「お待たせしました」

「わっ!?」

 突如、背後から声をかけられてその場で飛び跳ねてしまった。
 慌てた様子で振り返ると、相変わらず胡散臭そうな微笑を浮かべているクウネル・サンダースがそこに立っていた。
 いつの間に現れたのかと思って、京都のときも唐突に現れたことを思い出す。転移魔法の使い方がたくみなのだろう。
 そして少なくとも、青山の恐るべき気を受けて、表面上は平然としていられら人物でもある。

「もう怪我は大丈夫ですか?」

 ネギが警戒心を露にしているにも関わらず、クウネルは落ち着いた様子で声をかけてきた。そのとっつきやすさに、むしろ余計に警戒心が高まる。
 僅かに、苦笑。「嫌われるようなことしましたかね?」とぼやいた矢先、ネギを見下ろすクウネルの目が細まった。

「左目」

「え?」

「左目は、そのままですか」

 クウネルはカラーコンタクトを装着したネギの左目。その内側に宿る漆黒の光を見据えて呟いた。
 少年の瞳は暗黒に飲み込まれている。それは闇の魔法の代償か。あるいは別の何かによる『進化の証』なのか。
 人を遥かに超える時を生きてきたクウネルですら、ネギの瞳の質は見たことがない。まるで貪欲に光を飲み込み、己の糧にするような底なしの穴。
 そこに興味を抱いていないといえば、嘘になるだろう。クウネルは内心を微笑のカーテンで隠す。その内心の読めぬクウネルの態度に、埒が明かないと思ったのか、ネギは手紙を掲げてクウネルを見上げた。

「どうして、僕をここに呼んだのですか?」

「さぁ、どうしてでしょうか。世間話のため、とかはどうですか?」

「それなら、ここに呼ばなくても、外でご一緒に出来ますよ」

 ネギはあえて警戒心を解いて柔らかい口調で答えた。何となくだが、クウネルにはそう接したほうがいいという直感が働いたからだ。
 クウネルもネギがまとう空気が変わったのを見たのか、笑みを深くして指を立てる。

「実はここはここで美味しい紅茶も飲めるのですよ。そうですね。話の内容は……あなたの今後について、具体的には──強く、なりたくないですか?」

 何の突拍子もなくそう問いかけてきたクウネルの言葉に、ネギは目を丸くした。
 強くなりたいという願い。それは今まさにネギの内側に潜んでいるものである。強くなりたい。だが強くなる方法がわからない。暗中模索となっていたネギに、突如として降りてきた一本の蜘蛛の糸。

「……でしたら、ご一緒させていただきます」

「はい。是非とも」

 二人は笑い合うと、クウネルを先頭に歩いていく。
 何故、クウネルがネギにそんな提案をしようという考えに至ったのかはわからない。だがそれでも、振って沸いてきた唐突なチャンスをネギは逃すつもりはなかった。
 今度こそ失わないために。
 今度こそ守れるように。
 そのための力を、強さを得るために、ネギは最初の一歩を踏み出した。



後書き

いよいよオリ主。魔法先生にお披露目。



[35534] 第三話【その日、麻帆良にて】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/12/11 00:56

「あなたは自分が今どれほど強いかを考えたことはありますか?」

 マイナスイオンが充満していそうな、大きな滝が地核に見える幻想的な空間。紅茶を注いだカップが置かれたテーブルで、向かい合うように座りあった二人の雑談は、まずクウネルのそんな問いかけから始まった。

「僕は、強くないです」

 ネギの回答に、クウネルは「違いますよネギ君。どれほど弱いのかではなく、どれほど強いのかを聞いてるのです」と聞き返す。
 弱さではなく、強さを語る。だがネギの中で比較対象になるのは、弱い相手は一般人や明日菜。自分より強いのは刹那に楓、そして抗いようのなかった彼らのこと。
 自分の強さを比べられる相手がいない。いや、一人。犬神小太郎と名乗った少年は比べるには充分な相手のようで──振り返れば、単純な実力では勝てる相手ではなかっただろう。

「……んー」

 唸るネギを見て、クウネルは微笑みのままカップに口をつけた。いつもながら美味しくいれられたことに満足しながら、悩むネギに声をかける。

「今のあなたには比較できる相手がいない。それではどの程度強いのか、どの程度の強さから強いといえるのか、わからないでしょう」

 クウネルの言葉はするりとネギの心の中に入り込んできた。確かにネギがこれまで会ってきた者達は、ほとんど総じて今の自分よりも遥かに強靭だ。
 ならどうしようもないというのか。打ちひしがれそうなネギに、クウネルはさらに追い討ちをかける。

「強くなりたいという願いは素晴らしい。ですが現実はそんなものです。あなたは弱い。それはあなた自身がこれまで戦いから縁のない世界にいたことと、彼らは幼き頃から戦いに飲まれていたことが最初にして決定的な原因です」

 経験値不足。咸卦法と闇の魔法を手に入れたとはいえ、今のネギでは宝の持ち腐れである。それらを扱う技量が圧倒的に足りないのだ。
 言ってしまえば、獣と遜色ない。身体能力の赴くままに戦うだけならば、野生の獣のようでしかないだろう。いや、野性の獣だって己の身体の扱い方を知っていることを考えれば、ネギは獣以下になるか。

「……強くなるということは、膨大な経験値が必要です。確かにあなたは掛け値なしの天才です。私の元で少しばかり実戦を経験すれば、すぐにでも才覚を発揮するでしょうが。能力だけ上がっても、その下地が不足すれば、いずれ足元を容易く掬われるでしょう」

 そうなれば、また守れない。ネギはクウネルにそう言われたような気がした。
 ネギの表情に陰が射す。クウネルはそれを察して、ネギを安心させるように優しく微笑みかけた。

「ですがこれを覆す方法は簡単ですよ?」

「本当ですか?」

「はい。あなたが経験を積めばいいのです」

 あまりにも軽く言われたために、ネギは一瞬何を言われているのかわからなくなり言葉を失った。そして、たちまちネギの内側に苛立ちがこみ上げてくる。

「それがすぐに出来ないから問題なのではないのですか?」

 経験は一朝一夕で身につけられるものではない。同年代であろう小太郎ですら、充分な実戦を経たことによる経験値は膨大だ。
 そして経験は膨大な時間を必要とする。技術は才能があれば一朝一夕で身につけることは可能であるが、それを生かすための経験はまた別物だ。
 だがクウネルはそれをわかった上で提案する。ネギに足りない経験値。それを補う方法は確かに存在するのだ。

「短期間で経験を得られる方法は存在します」

 その言葉にネギは驚くが、クウネルは気にせずに続けた。いつの間にか取り出したのか、クウネルは手に持った水晶体をテーブルの上に置いた。
 ネギはその水晶の内側に、小さな建物が入っているのに気付いた。ミニチュアのようなそれは、よく見ると立派な豪邸で、小さなサイズでもその大きさがわかるくらいリアリティーがある。

「ですが当然ながら、あなたにはそれなりの代償を払ってもらうことにはなりますが」

「代償……」

 喉が引きつる。簡単な話ではないのはわかっているが、それでもいざ代償という言葉で言われると、ネギの身体は自然と硬直してしまった。

「英雄の息子であるあなたなら、経験を積み、技量を練磨すれば……私の見た目通りなら早くて一年。エヴァンジェリンの闇の魔法を使うのであれば半年でこの世界でも上位の力を得られるでしょう。あなたは少々特殊ですからね」

「僕が特殊って……そんなこと」

「ありますよ。尤もこれは特別に強いだとかそういうのではないですよ? 本来、経験という下地の上に築き上げられるはずの技量が、あなたの場合、技量の上に経験を築き上げようとしている……これでは順序が逆です」

 そしてそこがクウネルがネギを己で鍛え上げようとする最大の理由であることは、本人には言わない。
 天才であるが故か。ネギの開発力とでも言う魔法に対する見識の深さは常軌を逸するものだ。一日どころではない。数時間のうちに咸卦法と闇の魔法を、擬似的にだが体得する。これが異常でなくてなんだというのだろう。
 それがクウネルには不安であった。代償として奪われた左目の光も、不安に拍車をかけている。今のネギはどちらに天秤が傾くのかわからなく、酷く不安定な存在だ。
 あるいは、天秤そのものが崩壊してしまいそうである。最悪の結末を許容するには、クウネルは彼の父親であるナギ・スプリングフィールドに肩入れしすぎていた。
 何も正義の道に進ませようというわけではない。ただ、その器が崩壊するのが許せないという気持ちがある。
 だから、ここで経験という鎧をまとわせてネギを強固にする。
 クウネルは微笑みの下でそう心を決めていた。だからこそ、無償で彼に新たな道を指し示し。
 そっと手を差し伸べて、問いかけるのだ。

「ここに切っ掛けがあります」

「……」

「あなたが強くなれる道の鍵です。それをどう使いかはあなたの自由です」

 ネギは差し出された掌を数秒見つめ、そして視線を下に向けた。

「どうしてあなたが僕によくしてくれるのかはわかりません。話に出ませんでしたが、あなたは結局、理由を一切話はしなかった……」

「理由を話せと?」

「そうではないんです」

 ネギは膝の上に置いた掌を開いて視線を落とした。頼りない掌、庇護されるべき子どもの手。

「そんなあなたにすがらなければならないほど……今の僕に選択肢はない」

 弱者だから、無力だから、ネギは京都の夜で平静を保ち続ける強さをもつクウネルに、理由もなく縋ろうとしている。
 盲目というわけではない。怪しさがあろうと、それすらも含めて強くなろうとしているのだ。
 浅ましい考えといわれればそこまでだった。事実、ネギはクウネルの提案に乗ろうとしている己の弱さが情けなかったし、そんな情けない自分から脱却するために強くなるのだ。
 手段を選べない。あるいは手段を選ばない。己はどっちなのだろうか。クウネルの提案を受け入れることは、なりふり構わぬ決断か、わかった上での愚行か。
 どちらにせよ。この提案を理由もなく承諾した時点で、ネギは立派な人間にはなれないだろう。そして、そんな情けないことを吐露して、クウネルから理由を聞き出すという大義名分を得ようとする己の打算的な考えが許せなかった。
 クウネルは心中落ち込んだネギから手を引っ込め、立ち上がるとネギに背を向けた。

「……プライドが許さない、という話ではないのでしょうね。理由のない無償の行為が信じられない、ということでもない。だがその考えに至れたことは、誇っていいと思いますよ?」

「酷い考え方です」

「だが、それが人間です」

 ネギは何かに突き動かされるように顔を上げた。すると、応じるようにクウネルは振り返って微笑む。

「私が語るのもあれなのでしょうが……立派な人間などこの世には存在しませんよ。というよりも、立派とは何を指して立派なのですか? 素晴らしい聖人になればいいのか。もしくは冒涜的な悪人になればいいのか。ネギ君。あなたの甘いところは、善悪二つの基準に囚われていることです。正義のみを信じるか。悪のみに突き動かされるか。そうなれれば悩みはあれど進めるというのに……どっちつかずは何よりも苦しい」

 それも含めて、クウネルはネギに指し示すのだ。
 善であるか。
 悪であるか。
 そうすることで、善悪の垣根に生息する『何か』であることはなくなるはずだ。
 何か。
 つまり、修羅。
 クウネルは青山を知ってしまった。彼本人は自覚をしていないが、それこそがネギを弟子にしようとした最大の要因なのかもしれない。

「……そう、ですね」

 ネギはクウネルの言わんとすることを何となく察したのか、曖昧に笑った。
 思い出すのは、フェイトと戦ったときに得られたありえぬ確信だ。勝利という事象のみを求め続けたあの時、自分はあらゆる迷いを一切振り払って真っ直ぐだった。酷く歪でありながら、確かに真っ直ぐであったのだ。
 だがそれは善悪という、人間のルールを越えた別種の何かだ。誰しもが己の内側に一本だけ宿している芯。善悪にではなく、そこに囚われることは……異常だ。

「それを、教えてくれるのですか?」

 ネギも立ち上がってクウネルの隣に立った。善であれ、悪であれとはクウネルは言わない。ただ、経験を積み重ねさせることで、その過程で善であるか悪であるか。その道をネギに示そうというのだ。
 それはネギが当たり前な人間であるために必要な、大切な過程で、同時に、彼の年でその全てを培う必要がないことでもある。
 だがネギは経験を望み。
 クウネルはその経験として善悪両方の道を示すことにした。
 突き詰めれば、ここまでの会話はその程度のことでしかない。

「よろしくお願いします。クウネルさん」

「こちらこそ。私に任せてくださいね。あなたがあなたであるために……私はあなたの道となりましょう」

 今はただ、我武者羅に道を進もう。
 その果てに選択するときが来るまで、ネギは走るしかないのだから。






 京都の後処理が慌ただしく行われる中、その夜、近右衛門に麻帆良に在住する魔法関係者は呼び出された。
 京都事変でただ一人活躍した者を紹介する。彼らを呼び出した理由はそれだけであり、そしてそれだけで呼び出すに十分に足ることであった。
 学園の象徴とも呼べる世界樹前にある広間。太陽もすっかり隠れて夜になり、人払いの結界によって寂しくなったその場所。僅かにざわつく彼らの中で、葛葉刀子は半ば直感とも呼べるもので愛刀をこの場に持ってきていた。

「ピリピリしていますが、何かありましたか葛葉先生」

 そんな彼女のことを気にかけて、魔法先生の一人であるガンドルフィーニが声をかけてきた。

「……いえ。多分、気にしすぎだとは思うのですが」

「何かあったのですか?」

 ガンドルフィーニは表情を引き締めて問うが、刀子は心配させまいと身体の緊張を解いて小さく笑った。

「もしかしたら、京都の件でナーバスになっているのかもしれません。京都は私の故郷のようなものでもありますから」

「あぁ……そういえば葛葉先生はあちらで剣を習っていらっしゃいましたね」

 無遠慮で申し訳ないとガンドルフィーニは頭を下げて、刀子は笑みを浮かべたまま「こちらこそご心配かけました」と謝罪を口にした。
 京都の件は神鳴流の剣士であった刀子にとってもショッキングな出来事であった。しかもそれが裏の事情による出来事となれば気にしないほうがおかしいだろう。
 それでも、表面上も内面でも刀子は落ち込みはすれど、その強靭な心で何とか踏み止まることが出来た。今はただ京都の件に尽力しようと、そう決断できるくらいにはなれた。
 だが、この嫌な予感は別のものだ。以前もこんなことがあった。確か昨年度、自分にとって決定的に最悪な何かが訪れたような危機意識が芽生えたが、それは杞憂で終わった。

「考えすぎ、か」

 刀子は風に溶けるくらい小さく呟いた。
 わざわざ護身のために武器まで持ち出すまでもなかったはずだ。そう結論付けて、とりあえず今は京都に訪れた災いを払った、現代に現れた新たな英雄の登場をお待ちしよう。そんなひねくれた考えをしながら、刀子もまた周囲と雑談をしながら待っていると、まず近右衛門がタカミチを連れたって現れた。
 雑談が終わり静寂が戻る。近右衛門は周囲を見渡すと、まず軽く挨拶してから、普段とは違って真面目な雰囲気をまとって話し出した。

「まずは京都の件。ここでの業務をしながら尽力してくれたこと、誇りに思う。ワシも君達のような立派な魔法使いが居ることを誇りに思う」

 近右衛門は、義理とはいえ息子を失ったも同然であるというのに、悲しみなどおくびにも出さなかった。強い口調で全員を見渡し、京都の惨状。そしてこれから行うべきことへの心構えを語り、彼らはそれを静聴する。

「じゃがこの件。突き詰めればワシや一部の上層部の怠慢が起こした結果じゃ。何の危機意識もなく、刹那君とネギ先生、瀬流彦先生に委ねたワシの怠慢。内部で暴走を起こした西の怠慢。その怠慢に君達を巻き込んだことも、あわせて謝罪させてほしい」

 すまなかった。そう言って近右衛門とタカミチは頭を下げた。
 だがそれを責めることが誰に出来るだろうか。言葉もなく彼らは謝罪を見続け、我慢ならなくなったのか、ガンドルフィーニが「止めましょう学園長。それを言うなら私達全員に非がある」そう言って頭を上げさせた。
 京都の事件は、魔法という隠され続けているものが引き起こした災いだ。結局、それを公表せずに今も隠し通すことを選択している時点で、彼らもまた同罪と言えた。

「いや、正確には私達大人の責任ですね」

 ガンドルフィーニは今だ学生の身分である少女達を思って、そう訂正した。生徒の一人である高音・D・グッドマンが何かを言おうとして、刀子が首を横に振って発言を抑える。
 悔しそうに高音は俯いた。魔法が使えようが、彼女達子どもに非はない。責任を取るのが大人ならば、少女が罪悪感を覚えるようなことはさせたくなかった。

「……さて、話は変わるが、京都では確かに災害が訪れた。軽く話を聞いたのじゃが、封印されていた鬼神が解放されて、術者とともに京都を焼いたそうじゃ……被害は甚大じゃったが、それでもその事件に一人で立ち向かった者が居る」

 重くなっていた空気が一瞬でざわめき声に包まれる。呼び出された理由で知ってはいたが、それでもやはり一人であの災害を防ぐために動いた者が居るという事実は、彼らにとって驚くべきことだった。
 近右衛門は軽く咳払いをして静かにさせた。

「S級の凶悪な鬼神、リョウメンスクナ。そして……調べによってわかったことじゃが、あの事件には、高畑君が以前から追っていたとある組織の一員にして、S級の人間。フェイトアーウェルンクスが関わっていたことが判明した」

 再びざわめきが起こる。S級といえば、世界に一握りしかいないような戦力の保有者にしかもたらされないものだ。高畑ですらS級未満といえば、その凄さはわかるというものである。
 そんな者が二人もいた。そして、S級二人を相手取ったのがたった一人だというのは、信じられないような事実だ。
 だがそのどよめきもすぐに終わる。まずは話を、そう考えた彼らを見据えてから、近右衛門はそっと振り返った。

「では紹介しよう。此度の事件でたった一人で戦ったのが彼じゃ」

 先ほどとは違って、どよめきは起こらなかった。
 代わりに、小さな悲鳴が一つ。むしろそのことのほうが彼らを驚かせるものだった。
 そして、それはゆっくりと闇から現れる。
 麻帆良の清掃員の服を着た、何処にでも居そうな青年がゆっくりとした足取りで歩いてきた。服で隠されているが、覗いている肌には包帯が巻かれており、彼が何か恐ろしいことに巻き込まれたのを如実に語っていた。

「初めまして」

 近右衛門の隣に青年は立つと、深く深く、その頭を下げた。こちらが申し訳なくなりそうなくらいに頭を下げた青年は顔を上げてじっと魔法関係者である彼らの顔を見渡した。
 素朴な青年だ。表情は欠落しているといえるくらい乏しいが、物腰は穏やかで、どうしてもS級を二人も制したような男には見えなかった。
 だが瞳だけは違った。純朴な見た目とは裏腹に、光を飲み込んで反射すらしない二つの眼だけは、心胆が冷えるくらいの凄みがある。
 しかし悲鳴をあげるほどのものには感じられなかった。彼ら全員、青年の全身を観察した上で、身体をがくがくと震わせる刀子に視線を移した。
 そう、悲鳴をあげたのは刀子だ。いつもの冷静で落ち着いた姿とはかけ離れたその姿は、別人にすら思えるほどだった。
 だが刀子は己の醜態が見られているのにも気付かずに、視線を青年から動かすことが出来ずに混乱した思考をさらに混乱させていく。

「ど、どうして……」

「お久しぶりです。葛葉さん」

「ひっ」

 刀子は名前を呼ばれただけで一歩後ろに下がってしまった。
 決定的な意識の差があった。刀子とその他にある意識の違い。その原因は、目の前の青年を知っているか、否か。
 刀子は、青年を知っている。青年が恐るべき頃だったときを知っている。

「何で、あなたが……」

 知っている。どころではなかった。
 刀子にとって──神鳴流にとって、その青年は悪夢の総称であった。
 一時期、神鳴流が必至にその存在を隠蔽しようとした時がある。その当時、刀子は丁度退魔の道に入り込んだ頃であり、だから、アレがどういった存在なのか、若輩であったからこそトラウマのように身体に染み付いている。

 ──あの日、道場で鍛錬をしていた門下生の前に現れた。

 心臓が早鐘を打つ。冷や汗は浮かび、歯は噛み合わず音を鳴らし、だというのに体温はどんどん低くなり、顔は青ざめた。

 ──血塗れの鶴子をもって。

 どうして、なんで、ありえない。ぐるぐると回り続ける思考。いつの間にか目頭が熱くなった。いやいやと顔を振り、一歩、また一歩、束縛されたように重くなった足を必至に動かして後ろに下がり。

 ──お前は、笑っていた。

「あ、青山……」

 恐るべきは青山の名前。宗家でありながら宗家を潰したおぞましき災厄よ。

「はい。初めまして皆様。青山と申します」

 そして修羅は、正義の前に姿を晒した。




後書き

刀子さん、1D100で振ってください。そんなお話でした。



[35534] 第四話【異端審問】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/12/12 00:35

「簡潔に述べると、ネギ君にはこれ以上魔法関連で教えることはありません」

 クウネルはそう言って、何処からか取り出した黒板にチョークでネギの似顔絵を描いた。その下に咸卦法と闇の魔法と書く。

「未熟なものとは言え、あなたが習得したこの二つは、どちらも一つ修めればそれだけでどんな環境にも対応できるような、そんな代物です。まぁ正確には闇の魔法は既存の魔法を流用するので、全く魔法を教えないというわけではないのですが……基本的に、あなたには新たな魔法は必要ないです」

「じゃあ、どうすればいいんですか?」

「簡単です。この二つを実戦レベルにまで鍛え上げればいいのですよ」

 クウネルはさらっと言ってのけたが、咸卦法と闇の魔法の二つを同時に極めるなど、普通の術者ならどちらか片方を扱うことすら困難である。
 しかしネギには肉体の欠損を代償に、充分な下地が完成した。我流であることを踏まえれば、クウネルの指導によって、一ヶ月もすれば実戦レベルに鍛えることは容易だろう。

「故に、私があなたに集中して教えるのは、魔法使いとしての戦い方です。あなたは頭で考えるタイプだ。至近距離よりも、膨大な魔力を生かした火力押しがいいでしょう。そのために必要なのは──」

 クウネルは右手を軽く開いて滝に向ける。直後、膨大な重力が滝に圧し掛かり、水が四方八方に吹き飛んだ。
 呆然とそれを見るネギにクウネルは微笑みかける。

「とまぁこれはあくまで例の一つですが、このように無詠唱による魔法の行使、最低ラインは中級程度は使いこなしてもらいます」

「で、でも僕、魔法の射手すら詠唱無しで撃つことも出来ませんよ!?」

 さらに言えば、杖なしで魔法を使うことすら出来ない。無詠唱魔法とは、それだけで高度な技量が要求される代物だ。使えれば一流の魔法使いとして認められるほどのものであり。

「あなたは無詠唱呪文を上回る技を二つも修めたのですよ?」

 無理ですよと語るネギに、クウネルはやや呆れた様子で応えた。
 だがネギが言いたいことはクウネルにもわかる。だがそれを埋めるための魔法こそが闇の魔法であり、火力を水増しする咸卦法だ。

「最低でも二つの属性。出来れば基本の四大属性を使用した闇の魔法で、中級以下の魔法詠唱をノータイムで行う特訓を行いましょう。本来なら初めから行うにはありえない修行方法ですが、幸いネギ君の闇の魔法は、本家とは少々毛並みが違いますからね。上手く折り合いをつけて行うことにしましょう。では、続いて修行する場所についてですが……」

 水晶体を取り出して、差し出す。魔法具であるのはわかるが、それが一体なんなのかわからないネギに対して、クウネルはやはり意味深な微笑を浮かべるだけであった。






 神鳴流は東洋では一流の名門だ。遥か昔は、術符を使って行っていた退魔を、長大な野太刀と気を駆使した、魔族に匹敵する圧倒的な身体能力をもって、真正面から行う。化け物を滅ぼすために、化け物如き能力を得るに至った最強の戦闘集団だ。
 だからこそ、彼らは己を律する精神修行を、肉体の鍛錬以上に行うことになっている。化け物に抗うために化け物を超える力を得る。それはつまり己が化け物となると同じだ。
 そんな己の力に溺れないように、人間の守護者として、心を高潔に保つ必要がある。それでも一部の剣士は、力に酔った外道に陥ることもあったが、そんな外道を正すのもまた同じ剣士。
 その中で特に高潔で、他の神鳴流の剣士を超える者達こそ、神鳴流が宗家。
 名を、青山。
 特に当代の青山の者は、歴史上でも極上の才覚をもつ者が幾人も生まれ、サムライマスターとして名を馳せた旧姓、青山詠春を筆頭に、神鳴流ここにありと知らしめた。
 世界を巻き込んだ大戦を生き抜いたサムライマスターである青山詠春。
 歴代最強と謳われた最強の女剣客、青山鶴子。
 そんな姉に、己を超える才覚をもつと言わしめた現神鳴流の後継者、青山素子。
 彼ら三人の武勇は、極東に居る裏に関わる者であれば、知らぬ者が居ないと言われるほど有名だ。そしてその武勇は誇張でもなんでもなく、個人の実力で軍隊を相手取ることが可能なレベルとさえ言われている。
 宗家の名に相応しく、神鳴流が誇り、常に胸を張って素晴らしいと語る彼ら青山は、神鳴流であれば誰もが頭を垂れてひれ伏すほどである。
 青山様。
 史上最強の宗家、青山様。
 誇るべき、素晴らしき青山の名よ。神鳴流の誇りであるその名前。
 だが、その名前は勇名とは正反対の侮蔑の総称でもあった。
 当時の神鳴流、ひいては関西呪術協会がその存在を完全に抹消してみせた禁じられた名。
 それも、青山。
 恐るべき、青山よ。
 齢十を超えた頃から、突如として頭角を現したその少年。当時、歴代最強だった鶴子を斬り、周囲が苦言も言えぬ状況を作り上げた少年は、北に出向けば術者を斬り、南に向かえば鬼を斬り、山を登れば山を割り、海に出向けばそれすら斬った。
 神鳴流がもつ化け物性を存分に発揮して、依頼を受けて出向く先々で、恐怖を撒き散らした。
 結果、少年は周囲の意見を聞き入れた鶴子の一声で修行という名目での軟禁生活の果て、神鳴流を破門となる。
 この間、僅か数年の出来事。
 たったそれだけの期間で、隠蔽をせねば神鳴流の名を地に落とす働きをしたその男。

 そんな男が、かつての少年だったころの面影を残した瞳で、葛葉刀子の目の前に現れたのだった。

「う、ぁ、ぁ……」

 刀子は青山が一歩踏み出したところで、立っていられなくなりその場に崩れ落ちた。だが意識を手放すことも出来ず、涙目で体を震わす姿は、周囲の混乱を招くと同時に、青山が刀子をそこまで恐慌させるほどの何かであるという意識を植え付けた。
 魔法先生達が警戒心を露にしながら刀子を庇うように青山の前に立ちふさがる。
 その光景を見て近右衛門とタカミチが何かを言おうと前に出て、それを遮る形で青山が割って入った。
 そして、その場で膝を折ると、佇まいを直して、両手をついて頭を地面にこすり付けた。

「驚かせてしまい、申し訳ありません……俺が葛葉さんに、いや、神鳴流に与えた恐怖を考えれば、この反応は当然でありました。それを考えずに、姿を晒したこと、ただ謝罪するほかありません」

 これに動揺を隠せないのは魔法先生達だ。いきなり目の前で土下座をされてしまえば、正義を志す彼らは止まらざるをえない。
 だがそんな同様をかき消すように、刃が引き抜かれる鞘の響きが場を満たした。

「青山……! あなたが……あなたが! 鶴子様を!」

「葛葉先生!?」

 血走った目で青山を睨みながら刀を向ける刀子を、ガンドルフィーニが信じられないといった様子で見た。
 周りも、今度は青山ではなく刀子に向き直る。二人の間に何かがあったのは事実だろうが、だからといって丸腰の相手に武器を向けるということがどれ程危険なことなのかわからないわけではない。

「葛葉さん」

「私の名前を呼ぶな青山……! だから……! ひっ、来ないで!」

 青山はゆっくりと立ち上がると、教師の間をすり抜けて刀子に歩み寄った。
 たったそれだけで、誰もが認める達人の一人である刀子が、悪漢を前にした乙女の如く、身体を震わせ、泣きそうな表情で、動くこともままならず青山が来るのを拒む。
 青山の漆黒の眼が、悲しげに細くなった。一歩、一歩。怖がらせないようにと注意を払いながら、周囲の緊張が高まる中、刀子の斬撃が届く場に入り込む。
 今の刀子では何をしでかすかわからない。それこそその場で青山に斬りかかることも考えられたたが、既に距離が狭まった今、下手な手出しは出来ずに傍観しか出来なかった。

「俺は……愚かでした」

 不意に青山が自嘲するように語りだす。己の内側にある黒い靄を吐き出すかのように、無表情であるその顔には、己への嫌悪の影がうっすらと浮かんでいた。

「鶴子姉さんを斬ったとき、確かに見えた道を、愚直に突き進みました。そのせいで周囲がどんな迷惑を被るのかも気にせずに……ただ、進んでいきました」

 だがそんな自分を後悔しているのだ。陽だまりの心地よさは、眠たくなるくらいに気持ちよくて、いつまでもそこに居たいと思えるその場所を知らずに自分は生きていた。
 それが、どれ程つまらないのかということも知らずに、ひたすら走ってきた。

「俺は取り返しのつかないことをして……そして、その本質はまだ少ししか変わっていないけれど、だけど俺は少しずつ、少しずつ暖かい場所を知って、暖かくなれていると思うのです」

 青山は一歩踏み出した。突きつけられた刃が胸元に当たる。切っ先は服を裂き、その奥の肌を浅く突いた。
 肌が裂けて、針を刺すような痛みとともに血が溢れる。だが構わずに、青山は刀子の刀に片手を這わせると、その刀身を労わるように包み込んだ。

「京都で知りました。詠春兄さんが俺をどれだけ心配していたのか。そして鶴子姉さんが俺のために苦心したことも……」

 【素子については語る必要がない。アレは、当たり前に斬る程度でしかないから、誰もが「そんなこと言わなくてもわかっているよ」と言いそうな事実を語るのは野暮というものだ。青山は当然のように、素子をいずれ再び斬ることに決めていた。だから、彼女については語らない。】

 素晴らしきは家族の愛情だ。青山はそう思えるようになっていた。そしてその愛情がこの場所を与えてくれた。

「奇跡のような偶然が、愚鈍であった俺を正道に戻してくれました。だが、俺はそんな彼らの期待に今だ応えることが出来ていない……あの日、京都で、俺は守れるはずだった人々の笑顔を守ることが出来なかった。全ては俺の慢心が招いた結果で、その果てに、兄さんも殺してしまった」

 青山はまるで力の入っていない刀をどけようとして、最後の一言に反応した刀子は慌てて柄を握る手に力を込めて、切っ先をさらに推し進めた。
 肉を浅く裂かれる。鮮血が衣服を濡らし、青山の背中しか見ていない魔法先生達も、その異常には感づいた。
 だが青山気配だけで彼らを押しとどめて刀子を見る。

「鶴子様だけでは飽き足らず……詠春様もあなたは!」

「そう、俺が殺した。俺は兄さんを殺したんだ……」

 青山は無表情の仮面の下でそんな自分をあざ笑った。
 家族殺しの大悪党。生きている価値すらも見つからない外道な自分。
 【繰り返すが、斬ることは当たり前なことなので、問題なのは殺したこと。つまり自分が詠春を斬った事実は生きる過程で当然の帰結だったので、これは語る必要はないだろう。】

「けれど、兄さんが生きた事実は、俺の中に残っている……間違いだらけの俺だけど、そんな俺を見捨てなかった姉さんや兄さんのために、俺はここに居るのです。ここで、陽だまりを守りたいのです」

 誰もが青山が詠春を殺したと勘違いするところだった。きっと、彼は詠春を目の前で死なせてしまったのだろう。
 だがそれをどうして責めることが出来るだろうか。きっと苦悩したはずだ。そして彼の言葉は、守りきれなかったことを、肉親を手の届く場所で死なせたことに苦しみながらも、それでも前に進もうという高潔な意志の表れだった。
 近右衛門とタカミチが、青山の宣誓を聞いて後ろでそっと微笑んだ。真っ直ぐな正義のあり方を語る彼の言葉は、表情が変わらない彼だからこそ真摯に響く。
 周りもその言葉の強さに聞きほれていた。何でもないような、雑多に紛れて気付きそうにもない青年の言葉に込められた正義の心。

「だから俺にチャンスをください葛葉さん。俺はこの通り、過去に過ちを犯し、そして根暗で言葉数も少ない男で、行動でしか己を示すことが出来ません」

 そんな俺を見ていてください。青山は底なしの瞳で、涙で光る刀子の目を見つめた。

「わた、私、は……」

 刀子は思考がまとまらずに、言葉を上手く口にすることが出来なかった。
 彼女にとっての青山は、彼女がこうなりたくないという外道の総称だった。肉親にすら手をかける悪鬼羅刹。まさに修羅と呼べるあり様。だからこそ、彼女はこれまで、青山という恐怖を知るからこそ、あらゆる魔族にも立ち向かえた。
 それは裏を返せば、青山を心の支えにしているということでもあった。トラウマになるほどの恐怖の対象。一方でアレを超える恐怖がないからこそ心の芯になった存在。
 そんな男が、自分に頭を垂れて、切っ先で肉を裂かれながらも、自分を見て欲しいと訴えかけている。
 青山が何をしたいのかわからなかった。
 そして、自分が何をしたいのかもわからなかった。
 青山は優しく刀身に力を込めていく。何故か一瞬、刀が悲鳴のような刃鳴りを響かせたような気がしたが、刀子はそんなことを気にする余裕もなく、とうとう刀を下ろした。

「……私は、あなたを許すことは出来ない。いえ、当時を知る神鳴流のほとんどは、あなたを許しはしないでしょう」

「はい……」

「少しでも危険だと判断したら、私の命に代えてもあなたを倒す」

「是非、そうしてください」

 青山が頭を下げると、刀子は「気分が優れないので、先に失礼します」と告げてその場を後にする。
 微妙な空気が流れた。あまりにも突然の出来事に、これをどう処理すればいいのかわからずに、痛い沈黙が肌に突き刺さる。

「……こんな俺です。水に流すことも出来ぬ大罪を犯した俺ですが、それでも誰かの支えに少しでもなれば、それ以上に嬉しいことはありません」

 そんな空気をものともせずに、青山は強い決意を乗せてそう宣誓した。迷いのない言葉は、その場に居た全員に伝わる。
 確かに過ちはあったのだろう。それも刀子が怯えるほどの危険なことが。
 しかし青山はそんな自分を悔やみ、そして人々のためにその刃を振るったのだ。結果は、被害を出すことになったが、たった一人であの地獄を防ぐために彼が尽力したのは事実。
 ならば、光をともに志すのであれば、手を取り合うことが出来るのではないか。

「ガンドルフィーニだ。よろしく、青山君」

 そう最初に青山に手を差し伸べたのは、ガンドルフィーニだった。緊張を滲ませているが、まずは一歩、自ら歩み寄るその素晴らしきあり方。
 青山は表情を変えられない代わりに、深く頭を下げてその手をとった。割れ物を扱うように手を握るその掌は、包帯で包まれた痛々しい状態だ。
 ぼろぼろになり、傷つきながら人を守る。青山が身体に刻んだ正義の証に応えるように、ガンドルフィーニは手を握り返した。
 それを切っ掛けに一人ひとりの自己紹介が始まる。いつの間にか人の輪の中心になった青山は、そのことに戸惑いつつも、小さく頬を緩めながら一つ一つ丁寧に応じた。

「学園長」

「うむ。鶴子ちゃんの目は曇っていなかったようじゃの」

 そのほほえましい様子を見守りつつ、二人はゆっくりと変わりつつある青山の成長を喜ぶ。
 人は、変わることが出来る。少しずつでも、誰かと関わることで人はよくも悪くも変わっていって、そしてここに居れば、青山は間違えることなく進むことが出来るだろう。
 劇的な変化は必要ない。急激な変化はその人の芯を折ることにもなるから。
 だから一歩。まずは一歩。

 全部がくだらぬ、道化の舞台。

「盲目だよ、貴様らは。だから正義は美しい」

 その様子を遠くから眺めていた吸血鬼が、見た目からは考えられないくらい低い声色で小さく笑った。




後書き

エヴァ「酒ッ!飲まずにはいられないッ!(愉悦)」

そんなお話でした。



[35534] 第五話【斬撃の呼び声】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/12/13 01:27

 その夜。蟋蟀の鳴き声を聞いて目を覚ました。とても涼やかな音色だった。ともすれば心の芯まで凍りつくような音色は、耳元で、小さく、小さく、だがはっきりと響き渡り、臍の奥まで伝わった。

「……?」

 刀子は寝ぼけ眼で周囲を見渡すが、そこには当然何もない。夜も更けたこの時間帯、虫すらも眠りにつくくらいだ。
 だから、音なんてそれこそ、布団を滑る己の身体が奏でる衣擦れくらいなものである。
 きっと気のせいだろう。刀子はすぐに瞼を閉じた。今夜はとても怖いことがあったから、だからそれすらも夢にしてしまいたくて、本能が睡眠を強制する。
 そして静かに眠り、その翌日、刀子は表面上は冷静を保ったまま仕事を行い、再び夜、布団に包まり眠りについた。
 数時間か、あるいは数分か。沈んだ意識が鈴の音色に引き起こされた。意識を引きずりあげるものでありながら、それは母親が子を揺すり起こすかのごとく優しい寝覚めだった。

「……何なの」

 だが同時に恐怖を感じた。気持ちよく目覚めながら、身体は芯まで冷たくなっている。
 例えるなら、身体が刀になったかのような──
 一瞬沸いてきた思いを絶ち斬るかのごとく、今度は寝ぼけでは説明がつかないくらいにはっきりと張り詰めた音色が刀子の鼓膜を振るわせた。

「え?」

 その音の発生源を、鍛え抜かれた刀子の聴覚は今度こそ見逃さず、それゆえに困惑した。
 鳴っているのは、刀子の愛刀だった。恐る恐る近づけば、刀子の気配に呼応するように、鞘の中で野太刀は凛と存在を主張する。
 凛と鳴いていた。
 鳴いているのか、あるいは泣いているのか。
 だがその音色を聞いている刀子は、己の中で、何か得体の知れないものが蠢くような気がした。

「や、やめなさい……」

 刀子は半ば本能的に野太刀を胸に抱いて、その音色を沈めた。直後、震える刀身の波紋が彼女の身体の内側まで響き渡る。脳天から爪先まで、波立つ水面の波紋が脳裏によぎった。
 野太刀の鳴き声は、刀子という純白の風景に投じられた無骨な足跡でもある。立派な心を持つ女の魂を踏みにじる冒涜的な歌声だった。

「う、うぁ……」

 刀子は思わずうめき声をあげてそのまま野太刀を抱いて倒れた。脳味噌を素手でかき混ぜられたような不快感に耐え切れず、そのまま意識を失う。
 その翌日、目が覚めた刀子は、どうして自分が野太刀を抱いて眠っているのか思い出せずに首を捻った。もしかしたら青山に会ったせいで、無意識に警戒したのかもしれない。そう思うと、少女のように青山という悪漢を恐れる己の弱さが恥ずかしくて、誰に見られたわけでもないのに刀子は赤面した。
 その日はどうしてか身体が軽かった。まるで余分な何かが削げ落ちたような気分で、いつもよりも表情が柔らかいですねと学生に言われて、満更でもない気分になった。
 夜。今朝の変な寝相以外は素晴らしい一日だったと、一人酒を軽く楽しみながら、現在付き合っている男性に明後日のデート楽しみだね、などと思春期の少女のようなメールを送ったりしたりしてから、就寝することにした。
 そして、丑三つ時。三日続けて鳴り響いた音色を聞いて起きた刀子は、先日どうして自分が野太刀を抱いて寝たのかも思い出した。

「ど、どうして……」

 途端に、頭の中を無数の蟻が這い回っているような不快感が思考を愚鈍にさせる。凛と響く音色は、昨日よりもさらに頻度が増していた。まるで刀が苦痛を訴えているようだと刀子は感じた。どうしてか、そうだと思ったのだった。
 幽鬼のようにおぼつか無い足取りで野太刀に近づいた刀子は、柄に触ろうとして、逡巡する。
 先日は触った瞬間に意識を失った。もしかしたら今日も、触ったりしたら意識を失うのではないか。だが頭の中身はぐちゃぐちゃで、意識が暗転するのがわかっていても刀を触るしかないと脅迫概念に襲われる。
 何故ここまで己の愛刀に触りたくなるのかわからなかった。同時に、今すぐ逃げ出さなければならないという確信も脳裏に浮かんだ。
 触りたい。
 逃げたい。
 掴みたい。
 逃げろ。
 引き抜きたい。
 止めろ。

 斬れ。

「あぁぁぁ……!」

 刀子は恐慌しながら野太刀から飛びのいて尻餅をついた。途端に意識ははっきりして、体中に感覚が戻り、汗が噴出した。
 一瞬、脳裏に浮かんだ考えに絶望してしまう。
 斬れと。
 斬れという刀の声を聞いた。
 そしてそれと同じく、己を案じた刀が逃げろと悲鳴をあげた。
 ようやく納得する。
 あの鳴き声は、刻一刻とその身を蹂躙されている刀の断末魔だったのだ。同時に、そんな己から主を離そうとする、必至の呼びかけだった。

「何で、何で……!」

 刀子は耳を塞いで蹲った。しかし音色は塞いだ程度では聞こえなくなったりはしない。耳ではなく魂が歌声を聞いていた。透明な斬撃の音色が、光り輝く魔を断つ剣に悲鳴をあげさせている。
 悲鳴と美声の二重奏。気が狂いそうな音色だった。美しいのに汚い。穢れきっているのに透明。
 凛とした吐瀉物。
 その表現が正しいと、恐怖に染まった思考でどうでもいいことに納得。
 それどころではない。

「駄目、駄目……!」

 刀子は自分がおかしくなっていることにようやく気付いた。身体が軽いのは、身体が軽くなったのではなく、心が軽くなったから。ではどうして心が軽くなったのか。それはきっと、今も漠然と断末魔を是とする心の堤防。倫理観とか道徳とか、そういった人間的な枷が失われていっているから。
 そのとき思い出したのは、あの夜。青山が何気なく己の刀を触ったときに聞こえた悲鳴の如き歌声。

「うぅ、そんな……そんな……!」

 刀子は原因に気付いたものの、全ては遅すぎた。せめてこのことを誰かに伝えなければならない。青山という男の本質を刀だけは理解した。同じ性質だから、似ているから今こうして侵蝕されている。
 青山は斬撃だ。垣根なしに全てを斬るあの男が、正道を知るなんてことはありえないと、わかっていながら自分はあの時、恐怖から告げることなく逃げ出した。
 でもせめて伝えないと。口から泡を出しながら、加速度的に狂ってくる己の肉体を強引に突き動かして刀子は机に這いずっていく。視界はいっそう狭まり、今を逃せばもう二度と『自分には戻れない』という絶望感と戦いながら。

「誰、か……お願、い」

 刀子は朦朧としてきた思考で神に祈った。自分はもう駄目だと悟ったから、託せることを祈った。
 彼女が刀もろとも青山の影響を受けているのは、単純明快。刀子の心の奥深くに、かき消せぬ青山への畏怖があったからだ。
 だから狂う。結局のところ、刀子は青山に随分と昔から心の芯を奪われていたから。
 それでも刀子は最後の気力を振り絞った。誰でもいい。私の代わりに青山を。
 そして、今ここで終わってしまう私を──

「私を……殺して」

 その言葉を最後に、刀子は悲鳴をあげることもできず気絶した。

「……ん?」

 翌日、体中から重みが取れたような清々しい寝覚めをした刀子は、右手の質量に違和感を覚えて、手を掲げる。
 そこには引き抜かれた愛刀が握られていた。
 そんなものか。刀を握ったまま寝るはまぁ当然だしあれだ。でもちゃんと布団には入らないと。刀子はそんなことを思いながら鞘に仕舞うと、身支度と朝食の準備を始めようとして、机の上に置かれた一枚の紙に気付く。
 紙には乱暴に書きなぐられた単語が残されていた。

 『あお き る   たす   け  』

「……ストレスたまってるのかなぁ」

 刀子は己の寝ぼけた行動に赤面しながら、その紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。

 その日、刀子は凛という歌声を聴きながらぐっすりと眠った。
 まるで子守唄のようだなぁと思いつつ、断末魔に包まれて瞼を閉じる。
 とても綺麗な歌声で、いつまでも聞きたいと願いながら、僅かに脳裏によぎった疑問も、歌声にかき消されどんどん小さくなっていき。

 そして刀子は、考えることを止めた。






 ネギがクウネルの元で修行を始めてから、既に二週間もの月日が流れていた。時間に換算すると、一ヶ月以上はクウネルに教わっているのだが、その原理は魔法具による恩恵のおかげだった。
 現在彼らが居るのは、水晶体の中にあった建物だ。エヴァンジェリンが保有する別荘と同じく、水晶体の内部では、外の一時間が一日になるような仕組みとなっている。ネギはその中で毎日のように外では二時間、つまり二日間クウネルとの修行に当てていた。

「さて、それではまずは咸卦から」

「はい!」

 言われるがまま、ネギは身体の内側に気を練り上げ、重ねるように魔力を外側から混ぜ合わせた。
 すると眩い光と共に膨大なエネルギーがネギの身体からあふれ出す。一流の魔法使いすらかすむほどの膨大なエネルギーを、ネギは既に自在に扱えるまで成長していた。
 だがクウネルとネギが求めるのはその先。クウネルは真剣な表情で「続いて術式固定」と告げて、ネギは応じた。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。風精召喚。戦の乙女100柱!」

 渦巻く魔法を右手の上に纏め上げる。フェイトのときと比べてネギの身体への負担は少なく、咸卦法の出力があれば充分に耐え切れるほど。

「術式固定! 掌握!」

 そして躊躇いなく纏め上げた風の精霊を握りつぶした。直後、召喚した精霊が体内で練り上げられ、ネギの周囲に風が巻き起こる。
 術式兵装『風精影装』。それも以前とは違って、デコイを一分以上展開できるほぼ完全状態だ。

「素晴らしい。これに関してはもう問題なく扱えるようになりましたね」

 では始めましょう。クウネルがそういうや否や、ネギは本能のままにその場から飛びのいた。
 遅れてネギが先ほどまで居た場所がクレーター状に押しつぶされる。詠唱もなしに放たれた重力魔法。押しつぶされれば風のデコイがまとめて消されるそれをわざわざ受ける意味はない。ネギは術式の恩恵で杖もなく空を飛びながら、最初の立ち位置から一歩も動かないクウネルに杖を向けた。

「術式排出! 戦の乙女10柱!」

 体内で練られた風の精霊が通常の魔法となって四方を取り囲みつつクウネルに襲い掛かる。だがクウネルは精霊の突撃を前に動くこともせず、両手を軽く掲げてそれら一切を重力の球で押しつぶした。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 雷の精霊100柱! 魔法の射手! 連弾・雷の100矢!」

 それも許容範囲内だったネギは、その僅かな隙を狙って怒涛の如き雷鳴の連弾を上空から解き放った。
 中位精霊と同化している今のネギは、ある程度の魔法なら精霊に負担させることで、魔力の消耗を抑えて放つことが出来る。絨毯爆撃のような連弾も、今ならば詠唱込みで余裕を持って放てるほどだ。

「不合格」

 だがネギの魔法に晒されているはずのクウネルは、詠唱の間にネギの後ろに回りこんでいた。咄嗟に振り返って迎撃を行おうとするが、クウネルの動きは早い。背中に圧し掛かる重圧。重力に囚われたネギはなすがままに地面へと激突した。

「くっ……!」

 だがデコイで受けきったことでダメージはない。急いで立ち上がるネギだが、手をついた時点でクウネルは彼の前に立っていた。

「おしまいです。今のあなたではここから離脱する方法がないですからね。尤も、短距離転移を無詠唱で扱えるようになれば大丈夫なのですが」

 クウネルの助言に苦笑しつつネギは立ち上がって、術式を全て解除した。
 これで何敗目になるだろうか。数えるのも億劫なほどネギは敗北したが、とりあえずこの一ヶ月でようやくクウネル本人と軽くでは戦えるほどにはなった。

「もしかしたらいけるかなとか思いましたけど、やはり駄目でしたね」

「いえいえ、私自身驚くペースで上達していますよ。ですが最終目標は近距離のスペシャリスト相手に遠距離戦を演じれるようになることですから。私のような遠距離専門に近距離でも圧倒されるようでは、やはりまだまだ……ここはタカミチ君を再生して、中距離から鍛えなおすことにしますか」

 そう言ってクウネル・サンダース。本名、アルビレオ・イマは仮契約カードを取り出して、アーティファクトを召喚した。
 現れたのは無数の日記帳だ。それがクウネルを取り巻くように螺旋状に並んで浮かんでいる。
 アーティファクト『イノチノシヘン』。特定の人物の身体能力や外見を一定時間だけ自身の身体を使って再現するこのアーティファクトこそ、クウネルがネギに与える最大の経験値だ。
 様々な能力を持つ相手と時間制限はあるが戦えるこのアーティファクトは、本来、戦闘での用途は薄いものの、戦闘経験値が少ないネギを鍛えるには充分以上の効果を発揮した。近距離、中距離、遠距離。クウネルがこれまで採集してきた猛者の能力がそのまま再現されるのは、一人をいつまでも相手にする以上に効率的だ。
 そのおかげで、クウネルが操作するために、本人よりは劣化するとはいえ、咸卦法を使用しないタカミチと戦えるほどにはなっていた。

 そしてみっちりと様々な相手と戦った後は、魔法の講義および、クウネルが集めた人々の経歴を辿る勉強会となる。タカミチなどの英雄から、世間では大悪党と呼ばれた者達まで、プライベートを侵害しない程度にイノチノシヘンから抜粋された彼ら、彼女らの足跡を、クウネルの解説を交えつつ蓄えたことで、これまで一方向しか見なかったネギは様々な価値観を持つことになった。
 中には参考にすべき素晴らしい考え方もあり、また唾棄すべき邪悪もあった。一方、素晴らしい考えの持ち主が行う邪悪を嫌悪したり、唾棄すべき邪悪がそこに至るにあった凄惨な状況にある日の自分を重ねて共感もした。
 魔法や戦いの実技以上に、人を知ることはネギの経験となった。同時に何が正しいのか、間違いなのか、思春期特有の悩みにぶつかることになるが、クウネルはそれこそ己で答えを出すことだと諭す。
 そんな折、ふとネギはクウネルに質問をした。

「師匠にとって立派な魔法使いってなんでしょうか?」

「そうですね……自分に素直なこと、でしょうか。何が正しいのか、何が間違ってるのか。多数決でそれらを決めるのではなくて、己の中の価値観でそれらを決める。私にとっての立派な魔法使いは、そんな人でした」

 クウネルは懐かしむように目を細めながら答える。何故か寂しげな雰囲気がそこにはあり、そしてその後、彼は父親のように優しい眼差しでネギに笑いかけた。
 自分の父親は、どんな人物だったのだろう。幼少の頃考えていたことを、この頃再び考えるようになった。既にもう居ないと言われ、幼い頃はピンチになったら助けてくれつと信じて、色んな悪戯も行った。
 結局、父さんはあの紅蓮の日にも現れなかったけど。自分を助けたのは、悪魔の軍勢を殺しきった恐ろしい男で──そこで記憶がなくなっている。
 父親のことを考えていたのに、どうしてあの日を思い出すのか。ネギは脱線した思考を戻して、父親のことを想像する。
 強くてかっこいい、誰もが憧れる英雄。御伽噺になるような英雄で、そんな父親こそ自分がなるべき立派な魔法使いなのか。

「ネギ君?」

 物思いにふけっていたネギを現実に戻すクウネルの穏やかな声。ネギは慌てて返事をすると、新たな魔法の術式の練習に戻った。
 だが思考は再び己に沈む。
 何が正義で。
 何が邪悪で。
 自分はどうやってその線引きをするのか。
 世が定めた法律。違う。法律に縛られた正義は、時に悪となる。
 ならばクウネルが言っていた、己の価値観で善悪を決めることか。だがそうするにはネギに足りないものは沢山ある。正しいことを正しいままに行えるほど、ネギは大人ではなかった。
 天才だ。
 英雄の息子だ。
 そう言われても、所詮ネギはまだ子どもだった。何かをすれば盲目的になるし、何も決めなければ右往左往する。庇護なくしては歩くことも出来ぬひよこのような存在。
 クウネルによって教えられた様々な人々は、ネギに様々な導を与えたと同時に、広大な闇の深さをまざまざと見せつけもした。
 目先の闇すら照らせなくて、しかも闇はなおも広がっている。
 何処に己の道があるのかわからない。
 それでも。
 それでも、一つだけ、確かなのは。

 終わっては、いけない。

 ネギは僅かにうずく左目を、そっと掌で隠した。






 超鈴音は現在、計画の最終段階を前に追い込まれていた。
 というのも、一人の不確定要素。
 名前を、青山。
 地獄の如き、修羅の名。

「……圧倒的に数が足りないネ」

 一人、麻帆良に作った隠し部屋で愚痴るが、解決策などエヴァンジェリンの助勢くらいしかない。
 それだって、残されたタカミチと学園長という戦力を出し抜くには五分五分。計画の最中、エヴァンジェリンが敗北することがあれば、計画は完全に潰されるだろう。
 後、一人。真名レベルとまではいかないが、それに準ずる戦力があれば道は見える。
 既に超の知る歴史とは随分と違うが、魔法を世界にばらすという計画は、だからこそ遂行する必要があると確信していた。
 結局、京都の事件は魔法使いが引き起こしたものだ。それを断罪するというわけではないが、いつ再び同じようなことが起きるかわからない。そのとき、魔法が知られていれば、魔法使いはもっと迅速に動くことが出来たはずだ。
 だから、五分五分では拙いのだ。改めて思い知る。自身の未来のためにも、そして今の世界の明日のためにも、魔法を知らしめる。
 だが。

「駄目ネ。私は駄目駄目ネー」

 やる気なく身体をだらけさせて、超はんがーと大口を開けた。切羽詰っているわけではない。焦りはあるが、余裕を失うほどではなかった。
 余裕こそ、自分のようなボスキャラに必要な要素である。失敗も計算に、むしろ使命感やらなんやらを覚えていては、それに囚われてやりづらくなるというものだ。

「んー。計画に賛同してくれて、かつ優秀な魔法使いは……」

 改めて探そうとして、思い出したのは京都の惨劇を乗り越えたネギとその一行のことだった。

「……」

 超は顎に手を添えて考える。監視カメラの映像を見る限り、あの災厄の中心にネギはいた。魔法という力が行う惨劇。あの惨劇は、魔法を知る人間が自由に動ければもっと簡単に解決できることは、少し考えれば、十歳で教師として赴任した聡明なネギであればわかることだろう。

「ちょっと……危険だが」

 英雄の息子、ネギ・スプリングフィールド。京都での戦いぶりを見る限りでも、その実力は充分及第点に届く。

「誘ってみる価値はあるネ」

 ネギが誘いを断れば、自分の計画が事前に崩れるリスクは確かにある。だがそれを補って余りあるリターンが、ネギを引き入れるという報酬にはあった。




後書き

かゆ
うま

そんなお話でした。



[35534] 第六話【無貌の仮面─張り付いた平和─】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/12/13 23:28

 桜咲刹那が京都の惨劇の後も、護衛対象である木乃香を麻帆良に返してまで一人残ったのは、未熟な己を鍛えなおすためである。
 ネギ達が京都を出て早々、その日のうちに刹那は行動に移ることにした。
 幸いにも今回の件によって西と東の関係はある程度改善し、刹那は久しぶりに神鳴流の総本山に戻り、そこでとある人物の居場所を知ることが出来た。

「だがあまり近寄らないほうがいい。思うところがあるのか、ここ数ヶ月ほど山に篭ったまま出てこないのだ。京都の件を聞いても出ようとしないのは、それほどの何かがあったのだろう」

 高弟の一人から聞いた助言に感謝しながらも、刹那は一人人知れぬ山奥に乗り込んだ。代々神鳴流の剣士が鍛錬の場として選ぶその場所は、清涼な空気が充実しており、精神を研ぎ澄ますには最高の場である。
 道なき道も刹那にとっては苦にもならない。愛刀の夕凪の入った竹刀袋を背負い歩くこと暫く、刹那はようやく目的の場所に辿り着いた。
 木々の迷路を抜けた先に広がるのは、見上げるほど巨大な滝を中心に試合が出来るほど大きな一枚岩が特徴的な開けた場所だった。その大岩の上に目当ての女性が座っているのを見て、刹那は声をかけようと──躊躇う。

「……」

 ただ座禅を組んでいるだけだというのに、妙齢の女性は目が眩むくらいに膨大な気をその内側で練り上げていた。だが驚くべきは、恐るべき青山に匹敵するほどの気を練り上げながら、刹那が視界に収めるまでそれを外界に晒さないほど濃縮していることと、その気が春に吹く暖かな風のように心地よいものであったことだ。
 目が眩んだのは、刃のように鋭いのに、女性らしい柔らかさがその気に含まれていたことによるアンバランスさからか。そうして暫くその美しい座禅に見惚れていると、女性は閉じていた瞼を開いて、立ち尽くす刹那にそっと微笑みかけた。

「桜咲、刹那……だったかな? 大きくなったな」

 名前を呼ばれて正気に戻った刹那は、反射的に片膝をついて頭を下げた。

「失礼しました! 神鳴流、桜咲刹那、次期当主、青山素子様に拝見できたこと──」

「そういう堅苦しいのは止めてくれ……疲れる」

 そう言って、もう一人の青山にして、現神鳴流最強の剣士、青山素子は恥ずかしそうに頬を掻いた。

 鍛錬所より数分歩いた場所にある木製の小さな小屋に招かれた刹那は、自分が決断したこととはいえ、雲の上の存在である素子と対面していることに緊張を隠せずにいた。
 素子はそんな刹那の緊張を知り、それとなく緊張を解すために雑談をしたりとってきた魚を焼いたりした。
 そんな気遣いに気が回ることのない刹那は、出会ってからこれまで緊張し続けていて、素子は刹那の緊張振りに、何となく懐かしさすら感じて笑みを浮かべた。
 それも対面して、雑談をしながらともに同じ食事をすれば緊張も和らぐ。ようやく落ち着きを取り戻した刹那は、串に刺しただけの魚を美味しそうに頬張る素子に、質問を投げかけた。

「京都のお話は聞いていますか?」

「あぁ。人が沢山死んだみたいだな……」

 どこか人事のように語る素子の言い草に若干の苛立ちがこみ上げなかったといえば嘘になる。刹那はそんな自身の気持ちを吐き出すように、語気を強めながら視線を下げる。

「私は、あの惨劇で己の無力を感じました……木乃香お嬢様を何とか取り返すことが出来たとはいえ、それ以外に何も出来なかったのです。魔から人々を守るのが神鳴流の剣士であるというのに、しかも──」

「弟に……青山に会ったか」

 刹那の言葉に素子は続けた。ハッと顔を上げた刹那が見たのは、途端に表情が失われた素子の顔だ。まるで別人になったかのような様変わりに言葉が失われた。
 代わりに今度は素子が淡々と語りだす。

「私は数ヶ月前に、アレとやりあった。理解できなかったよ。こんな人間がこの世に存在するのかと……今だって、怖くて怖くて、仕方ないんだ」

「素子様……」

 刹那にとって、彼女が青山と戦っていたことも驚きだったが、それ以上に素子であっても青山が怖いという事実が衝撃的だった。

「兄上は、詠春様は見つかっていないのだろ?」

「は、はい……おそらく、総本山を襲ったマグマによって命を奪われたと……」

 唐突に変わった話題に、刹那は驚きを引っ込めて懺悔するように告白した。あの悲劇は刹那が間接的に招いたようなものでもある。だから責めを幾らでも受ける覚悟もあった。
 しかし素子は「そうか」と、どこか他人事のように語る。

「多分、私の責任だ」

「え?」

「山に篭らず、京都に戻っていればその惨劇は免れ、兄上が死ぬことはなかっただろう」

「そんなことは……」

「あるのだ、桜咲。恐怖せず、青山をあの場で殺していれば、惨劇は回避されていたはずだ」

 素子の言葉は有無を言わせぬ説得力があり、同時に疑問が浮かぶものだった。
 今は京都の惨劇の話をしていたはずだ。それが何故青山を殺すという話になっているのか。確かに恐ろしい男ではあった。だが事実、青山がいたからこそ惨劇は被害をあそこまで抑えられたことも事実。
 意味がわからないといった刹那の表情を見て、素子は己の説明力のなさに内心で舌打ちをした。だからわかりやすく、簡潔に告げる。

「青山が斬った」

「……それは、どういう」

「あの修羅が……あぁクソ。姉上はやはり気が狂っている。桜咲、悪いことは言わない。お前に守りたいものがいるならば、一刻も早くその者を連れてここに来い」

 素子はそう言いながら紙と筆を取り出して、ひなた荘という場所の住所を書いた。
 問答無用でそれを押し付けられた刹那が目を白黒させていると、素子は疲れ果てた老婆のように背を丸めてため息を吐き出した。
 そして刹那は背筋に怖気が走るのを感じた。素子の様子が反転し、最初に見たあの優しい気が嘘のように、冷たく、凛と奏でるような音が今にも聞こえそうな様相に変わっていく。

「私の予想が正しいのなら、今のアレを止められるのは、この世で私を含めて数人いるかいないかだろう。あぁ言わなくてもいい。お前の身体にアレの気が僅かに染み付いてるのはわかってる……そして木乃香お嬢様が麻帆良にいること、姉がアレを麻帆良に送ったこと。全部、わかってる……わかってるが……怖いのだ。わかってしまうから怖い。私はいい、だがアレはいつか私の大切なものも斬ってしまうのではないかと思う、いや、確信がある。そのとき、私は私のままなのか? 私は今の私ではなく、その向こう側に行ってしまうのではないか? 冷たい場所が広がる。冷たくなっていくのだ。凍りつくのではない。触れば斬り裂く冷たさが延々と広がる……アレはそこに平然と立っている」

 素子は背筋を正しながら、弱音を吐露した。まくし立てるように言いながら、一言一句が刹那の脳裏に刻み込まれた。言葉自体に重さが、冷気が込められているようで正気が失われていきそうになる。
 青山。
 あの青山が、素子をここまで追い詰めたというのか。刹那は愕然とした面持ちで、なおも語る素子を見据えた。

「私はもうアレと真正面から対峙するなんてしたくない。京都の件は間違いなく青山が関わったから惨劇に繋がったのだ。証拠なんて必要ない。青山だよ。青山が青山だというだけで全ては繋がる。アレが元凶だ。そして、アレを後一歩まで追い詰めながら、恐怖で逃した私の責務だ。そしていつかアレは私の前に現れる。そのとき、一瞬だけでも同じ領域に辿り着ければ、アレと相打つことは可能で……すまない。少々、取り乱した」

「いえ……気になさらないでください」

「そう言ってくれると助かる」

 お茶を一口飲んで落ち着きを取り戻した素子は、その場で座禅を組んで己の体内に気を練り上げた。
 すると、素子の身体から発揮されていた冷たい気配が吹き飛ぶ。再び誰もを包み込むあるがままの気に戻った素子は「青山と仕合ってから、この様だ」と己を恥じた。

「異変は青山に刀を斬られたその日からだった。今はどうにか抑えるところまできたが、最初の頃は一秒だって気が抜けない状況が続いたんだ……恐ろしかったよ。もし刀ではなく、己自身を斬られたらと思うとな」

「素子様……」

 刹那はようやく素子がこれまで山に篭っていたのかを理解した。山から出たくても出られなかったのだ。
 今もなおこの人はあの恐ろしい男と一人で戦っている。刹那は神鳴流として素子の高潔さを誇らしくすら思った。人間とも呼べぬ外道畜生と戦って、それでも修羅に陥らぬ心の強さ。
 やはり、押し付けがましくても、この人しかいない。刹那は覚悟を決めると、一歩下がり床に頭をこすり付けた。

「無礼ながらお願いがあります! 素子様が今も苦行に立たされているのは重々承知のうえで! それでもなお! 私は人を守る強さが欲しいのです!」

「私は、誰かに指導できるほどではない。未だ道を彷徨う求道者だ」

「ならば隣に、せめて素子様の求道をその傍で見させていただけないでしょうか?」

 何卒お願い申し上げます。刹那は頭を下げることしか出来ない。だが決して退くことはない強固な意思がその姿からは感じられた。
 素子はそれでも何かを言い募ろうとして、だがこの少女はやはり動かないだろうなぁと、かつての己を見るような複雑な気持ちで納得するのだった。

「一週間だ。それが過ぎたら一度戻り、改めてまた来るといい……本業は学生だろう? 勉学を怠ることいけないからな。本当に……うん……」

 勉学という言葉が何かしら響いたのか。遠くを見つめながら数度うなずく素子。だが刹那は期間は短くとも、素子の師事が得られたことに喜び、ただ力強く「ありがとうございます!」と答えるのみであった。






 思ったよりも俺は人の輪に入れるようになったのだろう。
 などと自惚れてみるくらいちょっとだけだったらいいはずだ。何せあの夜の一件以来、刀子さんとは少々疎遠であるものの、魔法関係者の皆様に、清掃中に挨拶をされることが多くなった。
 子どもの魔法使いも挨拶するので、必然、その周りの人達にも挨拶される。気付けば軽く挨拶をするだけではあったが、挨拶が挨拶を繋げて、色々な人と関われるようになっていた。

「こんちゃーっす」

「こんにちは」

 今も清掃中に男子生徒に挨拶をされる。俺も律儀に返して、それだけで何だか嬉しくなってしまうのだ。
 だがここ数日で爆発的に人数が増えてきたので、錦さんには「ちゃんと仕事しろよ?」とからかわれつつ釘を刺されて赤面ものだったが。
 ともかく。
 良き日々である。
 誰かと触れ合い、繋がっていく。陽だまりは連鎖していき、暖かな陽気が俺をまどろみに引きずり込む。それは冷たい修羅場とは違う面白さがあって、これをそのままあの冷たい感覚に引きずり込んだら面白いだろうなぁとか思ったり。
 なんて、誰かに聞かれたらからかわれそうなことを考えていると、いつの間にかこの場の清掃が完了してしまった。毎日のように掃除していたため、意識せずともこの程度なら出来るようになったのか。我ながら進歩したよなぁと、いっそ刀もそうだが清掃の道を究めるのもいいかも、なんてね。

「あら、青山さん。こんにちは」

 そうして惚けていると、不意に俺の背中越しに聞きなれた声が届いた。
 慌てて振り返る。そこにはいつの間に俺の傍に現れた刀子さんが、憑き物が落ちたような表情で俺に笑いかけてくれていた。

「びっくりした……あ、失礼しました。お久しぶりです。葛葉さん」

「あぁそんなにかしこまらなくてもいいわ。刀子って呼んでちょうだい」

「はぁ」

 なんか。
 なんか、変わったなぁ。
 あの夜に会ったときは、蛇に睨まれた蛙。猫に捕らわれた鼠。買い手を見上げるチワワ。そんな哀れむべき雰囲気が全開だったのだけど。
 男子もそうだが、女性も三日会わなかったら活目せよといったところだろうか。妙齢の女性らしい色気を滲ませた今の彼女は、すれ違う通行人が何人も振り返るほどに美しかった。

「いいことでもありました?」

 俺は率直にそう聞いてみるが、葛葉さん、もとい刀子さんは困ったように頭を振った。
 失礼なことを聞いてしまったのか。その表情を見て申し訳ないと頭を下げた俺の肩を刀子さんは優しく抑えた。

「それ、もう何度も聞かれてたから混乱しただけで、謝らなくていいわよ。むしろ、私が謝らないといけないってずっと思っていたの」

「そうなのですか? 俺は葛葉さん……刀子さんに何か迷惑された覚えはないのですが」

 そう言うと刀子さんは苦笑して「ほら、あの夜のことよ」と告げてきた。
 あの夜は……んー。刀子さんが驚くのも当然だし、俺はそれほどのことをしてしまったからなぁ。
 だから気にしないでくださいと言ったが、刀子さんは「そういうわけにもいかないわ」と返してきた。

「魔法先生の方々の前で恥をかかせたのは事実よ。ごめんなさい。今思えば、どうしてあなたをあそこまで怖がってたのか不思議でたまらなくて……」

「ですが、確かに俺は鶴子姉さんに取り返しのつかない怪我をさせましたからね。それで道場に連れていったのだから、怖がらないほうが当然だと」

「そうなのだけど。でもほら、あれは斬ったから怪我をしたので、それなら仕方ないかなぁと。勿論、怪我させたことは反省しなくてはいけないわ。でも斬るのは仕方ないものね」

 んー。まぁ斬るのは普通だしなぁ。

「ほら、しかし怪我はしましたし。姉さん腕がぽーんって」

「そこよりも驚いたのは血の量だったわ。第一、あなたが腕を斬るところは誰も見ていないでしょう?」

「あ、それもそうか」

「ふふふ、うっかりね青山さんは……それでまぁ仲直りでというのも変だけど、少し相談してもいいかしら? ほら、秘密の共有で仲良しってあるでしょ?」

 刀子さんの提案に内心で苦笑。秘密の共有で仲良しは、いかにも女の子らしいなぁとか、自分の年齢考えてくださいとかふと思ったり。

「何か変なこと考えたかしら?」

「いえいえ、ところで、相談というのは?」

 錦さんは空気を読んだのか刀子さんが来た時点でこの場を離れて次の場所に先に行っている。周囲の人も俺達の話に耳を貸すことはないだろう。幾ら刀子さんが人目を引くとはいえ、往来の場である。わざわざ立ち止まって聞くような人はいないだろう。
 それがわかっているのか。刀子さんも場所を移そうとはせず、なんら気負いもなく口を開いた。

「えぇ、明日彼氏とデートなのだけど……久しぶりだからちょっと緊張してて。男性にとっての、理想のデートのシチュエーションとか何かないかしら?」

 うむぅ。
 これは軽く聞こうとした罰か。中々難しい問題だなぁ。俺はこの年になっても彼女も出来たことないし、好きな異性も出来たことはない。
 しいて言うなら好敵手とかは沢山斬ったけど……
 俺ではそういう方面でしか助言できないなぁ。

「とりあえず」

「とりあえず?」

「二人っきりになって斬りあえばいいのではないでしょうか」

 好きな相手とは斬りたい相手だ。上手くいけば冷たいあの場所に一緒に行ける。だから一般論として俺はそう告げたのだが、刀子さんはどうやらお気に召さなかった様子。不満げに眉をひそめると、俺に詰め寄って怒鳴ってきた。

「そんな当たり前なことは聞いてません!」

「そうですよねぇ」

 やはり俺には恋愛ごとの相談を解決は出来ないみたいだ。そも、斬ることなんて普通なのだし、そんなこと言われても困るのは目に見えていたというもの。
 呆れた様子で「相談しなければよかったわ」などと自分から勝手に提案したくせに理不尽なことを言う刀子さんに呆れつつ、とりあえずせめてものということで、最近ではかなりよかった詠春様を斬ったときの感想とか語ったりする。
 刀子さんもこの話は気に入ったらしい。「私なら一瞬で斬らないで味わって斬るわ」「ですが断続的な音はその人の感性を傷つけますよ」「それでも一瞬で終わらせたらそこだけしか斬りとれないから、やはり別の角度から行うべきよ」などとそれぞれ意見を交わしつつ、俺達は錦さんがいい加減にしろと携帯電話越しに怒鳴りつけてくるまで、雑談を続けるのであった。

 翌日、駅について買った今朝の新聞に、首だけの死体が見つかるという殺人事件が新聞の一面に載ってるのを見た。帰り際に交換した番号に電話して刀子さんに聞いてみたら、斬ったのはやっぱし刀子さんだったので、どうでしたと聞いたら、刀子さんは電話越しに。

「汚い声でしらけました」

 などと一言。
 ご愁傷様、そういうこともよくありますよ。なんて俺が冗談めかして言ったら、やっぱし大声で怒鳴られた。残念。
 そんなよくある朝の出来事。俺は今日も笑顔の陽だまりを守るために、麻帆良の清掃業務に勤しむのであった。

「おはようございまーす」

「おはようございます」

 うん。
 今日も麻帆良は平和だなぁ。



後書き

日常(ちゃんばら)



[35534] 第七話【無貌の仮面─裏側の真実─】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/12/16 00:14

 日差しが暖かく、流れる空気は緩やかに身体を包み、呼吸一つにすら美味しさを感じる。
 だが全てがまやかし。偽りの空間で感じる全ては意味をなさないもので、現実世界に充満している排気ガスで汚染された空気にすら届かない。
 しかし。
 それでもしかし。
 この空間こそ、青山と自分の内心を表すのに最適な場ではないのだろうか。エヴァンジェリンは束の間の休戦。外界とは切り離された別荘で、毎日の恒例となった青山との会合を楽しみながら、そんなことを考えた。

「どうかしたか?」

「ん? いや、なんでもない。取るに足らぬことだよ。私にも、貴様にとっても」

 青山は意味がわからないといった風に眉をひそめる青山に、内心を悟らせぬ怪しい笑みを返した。

「しいて言うなら、この会合も今日で最後だからな。少々、感傷に浸っていたところだ」

 青山が別荘を利用する理由は、京都での怪我を癒すという目的のためだ。かれこれ二週間以上。長いように見えるが、マグマと呪詛の砲撃を受け、さらにフェイトによって骨を幾つか折られたというのに、己の気を使った自然治癒でほぼ回復したのだから、正気を疑う回復速度だろう。
 だが当の本人からすればこの程度は手馴れたものなのかもしれないが。若輩でありながら、終わりの領域にまで到達した男だ。その人生は長く生きただけの老人をはるかに超える密度のものだったろう。
 例えば、化け物になりきれなかったかつての己のような。そう自嘲して、堪えきれずにエヴァンジェリンは笑った。

「お前の笑みは、気持ち悪いな」

「今さらだぞ青山。貴様がそうした。貴様の責任だ。だから責任はしっかりととれ」

 打てば響くように、青山の率直な感想を真っ向から突き返す。言ってることは事実なので、なんとも複雑な感じに青山は唸って視線を逸らした。
 そんな情けない姿を鼻で笑う。なんにせよ、随分と長くこの男とは接した。もう充分に語りつくしたし、言葉で伝えることなんて特にない。
 あるとすれば、そうだ。

「なぁ青山」

「……何だ?」

 椅子に腰掛けてのんびりとしている青山が答える。エヴァは偽りの空を見上げて、ただ自然のままに口ずさんだ。

「次に会ったとき、貴様を殺す」

 挨拶をするような気軽さで、しかし聞けば誰もが絶望するほどの恐ろしい殺気を漲らせたその言葉に、青山は特に動じた様子も見せず。

「それは嫌だなぁ」

 などと、当たり前な回答を口にして、エヴァンジェリンを笑わせるのであった。






 雨は勢いを増すばかりだ。
 その夜、錦宗平とその仕事仲間は、京都災害の後からボランティアで行っている夜の麻帆良の見回りをしていた。
 話題に出るのは、休みを取るたびに怪我をしてくる、寡黙ながら誠実な好青年である青山のことだ。些か以上に浮世離れしており、表情も常に変わらないために不気味といえば不気味なのだが、彼らの中での評判はすこぶるよかった。
 仕事の勤務態度が素晴らしいことや、表情が変わらない代わりに、身振り手振りで丁寧に感情を表すその真摯でありながら、田舎者のような雰囲気も評判がいいのに繋がっていたが、真の理由は別にある。
 ともかく、青山は透明なのだ。それこそ無表情と相まって、己がないように見えるものの、それ故に打てば響き、放てば返す。ブラックホールのような黒い瞳も、裏を返せば何もかも透かす透明と同義であった。
 特に、彼の相方である宗平は青山のことを気に入っていた。我が子を事故で失った彼にとって、青山は子どものようでもあったことも理由だろう。ともかく、職場では人気者である青山の話題は毎度尽きることはなく、本人がいれば赤面すらしたはずだ。

「……しかし錦さん。あの子は一体何を抱えているのかねぇ。俺達じゃ力になれないもんか」

「阿呆。あの怪我を見ればわかるだろ。兄ちゃんの抱えてることは、きっと俺らでどうこうできるもんじゃねぇ。」

 あの年齢で表情が変わらなくなったのだ。そして毎度の休暇と怪我をしており、さらに学園長の推薦でここに来た。
 これだけでも得体の知れない何かを抱えているのは明白だった。だが宗平は無理に理由を問いただすつもりはなかった。
 事情はわからなくても、傍にいることでその苦労を取り払うことは出来るはずだ。最近は生徒に挨拶されることも多くなり、昼休みのときはどこか嬉しそうに「友人が出来ました」と、少々頬を染めながら言ってもいた。
 少しずつ変わっている。最初のときに感じた、冷たい刃のごとき印象も随分と様変わりしてきたから。
 青山は透明な感性はそのままに、普通の人間のように成長をはたしたのだ。宗平は我が子の成長を見るように、青山の変化が嬉しかった。
 だから、兄すらも失った彼の隣で、父親とまでは行かないが傍にいよう。そう新たな決心をして、唐突にそれは現れた。
 誰もがそれが現れたとき驚きに声を失った。見た目は全身黒尽くめの、少々古臭い帽子も被った紳士の如き姿。だがまとう空気があまりにも現実的ではなかった。
 まるでその老人の周囲だけが異界のような錯覚。いや、宗平を含めた彼らはそれが現れる瞬間を確かに見ていた。
 突如、空から雨とともに降りてきたのだ。周囲には高さのある建物などないというのに、道の真ん中に男は悠然と降り立った。
 それは、何処までも異常な光景であった。

「ふむ……魔法関係者から逃れるのを意識するあまり、一般人への警戒を怠ってしまったようだ……」

 老人はそんなことを呟くと、困惑と恐怖で動くことも話すことも出来ない宗平達を見据えると、「残念だが、見られたからには眠ってもらおう……殺しはしない」そう言って、一輪の花を取り出した。
 直後、男は人間には考えられない跳躍力で後方に飛んだ。
 遅れて道が爆発した。そうとしか思えぬ斬撃が発生したのだが、宗平達には理解できない。
 最早全てが常識の枠から離れた出来事だった。逃げるという意識すら浮かぶこともなく、爆撃の跡地に降り立つのは、宗平に見覚えのある人物。

「あの時の、姉ちゃん?」

 背中しか見えないが、そこに立っていたのは、確かに青山と世間話をしていた女性、葛葉刀子その人だった。雨に濡れ滴る姿は、この状況を忘れるくらいに美しく、扇情的な色香がむせるほどにあふれ出ているようだ。

「……もう追っ手が来たか。上手く撒いたつもりだったが、君はあのメガネの黒人の仲間なのかな?」

「えぇ……尤も、彼は今怪我をしているので動けませんが……代わりに私があなたを倒します」

 そう言って、女性が扱うにはあまりにも長大な刀を刀子は構えた。瞬間、対峙する男の表情に焦りと恐怖が滲むが、すぐに表情は引き締まり、構えを取る。

「私の目的のために、悪いが君に構っている暇はないのだよ」

「……構いませんわ。どうせ、すぐに終わります」

 そして対峙も一瞬。一般人である宗平達を置き去りにして、二人は同時に飛び出した。
 瞬動を利用した高速戦闘。技量の上で老人を圧倒する刀子は、距離を詰めると同時に、容赦もなく充実した気を吐き出した。

「奥義、斬岩……!?」

 だがその瞬間、刀子は己の気が雲散霧消するのを肌で感じて当惑した。構築した技が紐解かれるような違和感。そしてその違和感を覚えたことによる隙を男は見逃さなかった。

「遅い」

「ッ……!?」

 刀子が防御に回るよりも早く、男は野太刀の内側に入り込む。大柄な肉体からは考えられぬほどに洗練された踏み込み。余分等微塵もない動きは、風のように防ぐ余地も与えず刀子への接触を果たす。
 接触状態から、刀子の腹部に痛烈な一撃が炸裂した。気で強化されたとはいえ、鳩尾を抉られたような男の拳の威力は耐えられぬものではない。たちまちミックスされた血液と胃液を撒き散らして、刀子は雨に濡れた地面に叩きつけられた。

「ぐぅ……!」

「はぁ!」

 痛みにうめく暇もなく、地面を陥没させるほどの威力を受けた刀子に追撃の蹴り足が迫る。踏み込みとは大地の反発を得るための打撃と同義。大地を砕く踏み込みを、大地ではなく対象を刀子へと変える単純ながら恐ろしい脅威。胸部目掛けて振り下ろされる足裏を、刀子は苦悶しつつ横に転がることで間一髪逃れた。
 えぐれた大地の破片が刀子の頬を打ち、足一個分で地面をえぐる足に冷や汗。だがその程度で止まることはない。倒れたまま身体を回して、両足で刀子は男の足を挟みこむ。

「むっ?」

「シッ!」

 挟んだ足をそのまま捻り上げる。バランスを崩した男は勢いのまま地面に激突した。
 その隙に身体を起こして距離をとる。追撃はしないし、反撃は来なかった。際外は立ち位置が逆転した状態。状況は刀子の腹部には鈍痛が残ったままで、男は顔面を強かに打ちつけたものの、まるでダメージになっていないので刀子に不利。
 何よりも、先程の一連が引っかかっていた。身体に染み付いた神鳴流の奥義が放てない異常。偶然でも失敗でもない。明らかに何かの干渉の結果、刀子の奥義は散らされたのだ。

「……おや、追撃がないぞ?」

 男はわざとらしくゆっくりと起き上がると、余裕たっぷりの様子で刀子に向き直った。
 鼻からうっすらと血を流しているがその程度。何よりも刀子は、この見た目だけ人間に似せた者が、あの程度で怪我をしているとは思えなかった。

「この学院に何のようかしら……悪魔」

「おやおや、もうばれてしまったか……自己紹介が遅れたね、私はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン伯爵。伯爵とは名乗っているが、しがない没落貴族だよ」

「爵位級の、上位悪魔か……」

 刀子は苛立たしげに愚痴を零した。
 悪魔と呼ばれる中でも一際戦闘力が高いのが爵位を持つ悪魔だ。伯爵、といえばそれなり以上の悪魔で、さらに奥義が使えないというのは状況的に分が悪かった。
 何より、立ち位置が悪い。刀子は意識されぬようにヘルマンの背後にいる宗平達を見た。
 今はある程度平静を取り戻しているように見えるが、それでも幾人かは恐慌状態で動けないように見える。
 奥義を散らす得体の知れぬ技も脅威だが、ここで人質をとられては話にならない。
 ならば早々に決着をつける。そう覚悟を決めた刀子は、決意を宿した眼でヘルマンを見据えた。
 その純粋な闘志の冴えにヘルマンは楽しげな笑みを浮かべつつ、構えを再度とる。
 これが調査対象であるネギであれば、加減したうえで負けてもよかったが、相手が完成された個性ならば話は別だった。

「どうやら君相手に手加減は不要みたいだ……様子見は止めて、増援が来る前に終わらせよう」

 直後、ヘルマンがコートを翻すとそのコート自体が巨大な一対の翼に変貌した。さらに両手両足は異様に伸び、巨大な二つの角と、滑らかな黒い尾まで生える。
 上位悪魔の覚醒した姿。人間の姿を象っていたときとは比べ物にならない魔力が巻き起こり、刀子の身体に叩きつけられた。

「行くぞ」

 ヘルマンは卵に目と口をつけただけの異様な顔を笑みに変えて、口に魔力を収束した。
 直感が刀子に回避を訴える。そして収束した魔力砲撃は、雨粒を石化させながら、瞬動で右に飛んだ刀子の服を浅く削り後方で爆発した。

「チッ」

 刀子は石化を始めたスーツを躊躇せず脱ぎ捨てた。石化を始めたスーツは地面に落ちるときには完全に石化し、地面に落ちると同時に砕け散る。
 そのときには刀子はヘルマンの懐に入り込んでいた。瞬動二連。スーツを脱ぐという焦りの色を見せることで相手の余裕を誘ったところでの奇襲。これにはヘルマンも完全に対応出来ない。表情がわからずとも驚いているのは手に取るようにわかった。
 一線が空間に走る。線上の水滴を両断しながら、真一文字の斬撃をヘルマンは腹部を浅く斬られながらも逃れ、お返しと腕を突き出して魔力を放った。

「ぐ……!?」

 二度、刀子の鳩尾を強かに打つ重い打撃。人体の構造上、誤魔化すことの出来ぬ激痛に、吹き飛びながら刀子は身体を九の字に丸めた。
 無様に地面を二転、三転。回転するたびに吐き出される鮮血のテールランプを引きながら、しかし刀子は意識を切らすことなく踏み止まった。
 空を見上げれば口内に再び石化の光を収束させたヘルマン。刀子は意を決して気を刀身にかき集めた。

「奥義……斬鉄閃!」

 石化の一本腺が刀子目掛けて放たれるのと、螺旋状の気が振りぬいた刃の線の形にヘルマン目掛けて飛んだのは同時だった。
 ようやく放つことが出来た膨大な気の出力は、石化の光すらも斬り裂いてヘルマンに激突し──はかなく散っていった。

「……やはり、一定距離内での無効化か」

「正解だよお嬢さん。報酬の景品はないがね……!」

 ヘルマンが虚空で拳を連打した。拳圧と魔力が合成された怒涛の連撃が刀子に襲い掛かる。
 刀子は視界を埋め尽くす弾丸豪雨を避ける余裕もなく、その場で迎撃をせざるを得なかった。砲弾をその細腕で逸らす作業に苦悶の表情が浮かぶ。
 だが凌ぐ。
 斬って。
 斬りしのぐから。
 これは、そこまで難しいことではなかったと、刀子はくるんと思考が反転したのを自覚した。

「奥義、雷鳴剣」

 空が落ちる。雷雲ではなく、人間の手から眩い光の雷は放たれた。襲い掛かる弾幕を焼ききり、しかしヘルマンに届く前にそれらは霧散。
 無駄だ、そう叫ぼうとしたヘルマンだったが、叫びよりも早く刀子はヘルマンと同じく空を飛び、何もない虚空を足で踏み抜いて飛んだ。
 虚空瞬動。上空に飛び、虚空を掴んで鋭角に迫る刀子。
 その速度にヘルマンは困惑した。

 否。

 困惑したのは、その眼。

「何だというのだ……君は」

 顔を抉ったかのような、光を飲み込む闇色の瞳。

 そして、惨劇は幕を開ける。






 ガンドルフィーニがそれを探知できたのは、エヴァンジェリンが学園の警護の任を放棄して久しく、ローテーションで学内警護の担当をしており、彼が今夜の当番であったからだった。
 結界に得体の知れない魔力反応を感知したガンドルフィーニが慌ててその場に急行したとき、その場にいたのは初老の紳士、ヘルマン。ガンドルフィーニは果敢に戦いを挑むもののまんまと煙に巻かれてしまったのだった。

「くっ、急いで応援を……」

「ガンドルフィーニ先生」

 携帯を取り出して応援を呼ぼうとしたとき、聞きなれた声が彼の耳を打った。
 振り返れば、おそらく異変をかぎつけてきた刀子が、愛刀を片手に鋭利な気を充満させて立っていた。

「よかった。葛葉先生、学内に不審者が一人、いや、使い魔らしき反応もあったので複数現れました」

 刀子はガンドルフィーニの説明に表情を引き締めた。

「……京都の件もあります。迅速に、かつ的確な対処をしましょう。木乃香お嬢様の身が心配です。私はその不審者を追いますので、先生は応援を呼んでお嬢様の警護を」

「わかりました……くれぐれも気をつけて」

「はい。先生も気をつけてください」

 刀子はそう言って華やかに笑った。傘もささずに来たせいで雨に濡れた刀子は、最近の変化で色気が増したこともあり、目に毒であった。妻帯者であるガンドルフィーニは顔を赤らめながらも、その姿から顔を赤らめて視線を切り。
 それが、明暗を分けることになる。

 凛。

 という音の前、透明でありながら肌に張り付くような気持ち悪さを感じてガンドルフィーニは咄嗟に背後に飛び、しかしその胸部が激痛とともに赤い花を咲かせた。

「なっ」

 当惑と、激痛、そして目の前で笑顔を浮かべたまま抜き身の真剣を振りぬいた姿勢の刀子。
 着地とともに膝をついたガンドルフィーニは、信じられないといった様子で刀子を見上げた。

「何を……何をして……」

「え? 斬っただけですけど」

 それが何か?
 ガンドルフィーニに以上に困惑した表情でそう言った刀子こそ、彼を混乱させた。

「斬ったって……」

「って、あら、申し訳ありません。怪我させてしまいましたね。どうしましょう。とりあえず斬りますね? 怪我なんてさせて私ったら何をしてるの……あぁもう、斬りますから動かないでください」

 ガンドルフィーニは、一歩一歩、真剣を掲げて近づいてくる刀子が、本当に刀子なのかわからなくなった。
 何を言っている。
 この女は、何を言っている。

「待て! 葛葉先生! 正気に戻るんだ!」

「正気も何も普通ですよ? ……いえ、わかります。わかっていますよ先生。確かに私は先生に怪我させてしまいましたけど、斬るのですから。斬るのなら当然です」

「は、ぁ……え……?」

「斬りますから。死んでしまいますけど。あぁ、殺すなんて酷い。そんなの許されないわ。でも斬るのは仕方ないですし。でも斬ったら死ぬ。死ぬのに斬った。斬ったら死ぬ。死ぬ? 斬る。あれ? おかしい。ううん、おかしくないわ。斬るのは普通で、でも斬ったら死ぬ。でも斬らないと、斬るのは当たり前だから、怪我も痛みも死ぬのも殺すのも、全部斬るから」

 刀子はうわ言のように意味のわからない言葉を羅列したと思うと、そっと瞼を閉じてからゆっくりと開き、痛みすら忘れて唖然とするガンドルフィーニを。

「怪我して痛んで死んで殺して……斬るのです。先生」

 光すら飲み込む黒い眼で、見下ろした。

「う、うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 ガンドルフィーニの生存本能が逃走を叫んだ。咄嗟に取り出した拳銃で、相手が同僚なのも関わらずその顔面目掛けて弾丸を撃つ。
 これを咄嗟に弾いた刀子の隙を突いて、ガンドルフィーニはその場から離脱した。全力で逃げ、振り返ることなく、道すらも決めずにひたすら走った。
 得体の知れぬ深淵が広がったような錯覚に陥った。恐怖を超えた何かが彼を動かした。
 身体を構成する全てが逃走を訴えた。叫ぶ体力すら足を動かすことに使って、そしてガンドルフィーニは当然のように全力で走り続けた影響で地べたに倒れた。

「あ、ぅ」

 幸い、斬られた怪我は命に関わるほどではない。それでも治癒魔法を早急にかけるほどの深さだ。ガンドルフィーニははいずりながら近くの木に寄ると、必至に身体を起こして幹に背を預けた。

「葛葉先生……」

 何があったのか。落ち着きを取り戻し始めた思考で、ガンドルフィーニは刀子の変貌を冷静に考えようとする。
 しかし何故彼女があんなことになったのかわからなかった。
 とりあえず、応援を呼ばなければ。ガンドルフィーニは懐に手を入れて、先程の一撃で手から落としたのを思い出して力なくうなだれた。
 激痛を無視して動いたため、最早一歩も動くことは出来ない。
 何より。
 何より、怖かった。
 得体の知れない化け物の口の中に入れられるような、捕食される哀れな草食動物の如き心境だった。
 今は心が折れている。動くことすら出来ない。
 雨は強かに身体を打ち、じっとりと体温を奪っていった。
 いや、雨はとても暖かくガンドルフィーニを癒している。
 体温は雨にすら暖かさを感じるほど低くなっていた。おかしい話だが、身体は冷たかった。
 まるで、刃のようだとガンドルフィーニは思う。
 空を見上げれば、雷雲が雷を纏いながら、雨をいっそう強くさせていた。
 その光景を見てから、ガンドルフィーニの意識はゆっくりと沈んでいく。まるで投げ捨てられた人形のように力なく眠る彼を見るのは、優しく降り注ぐ雨だれのみ。
 不幸中の幸いか。
 あるいは、不幸に重なる災厄か。
 この先の光景を彼が知らずにすんだことだけは、せめてもの救いとなったことだろう。





後書き

次回、悪魔が泣き出す。




[35534] 第八話【無貌の仮面─薄皮の正論─】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/12/16 23:43
 斬撃は冷たく、そして熱い。切り口は刃の冷えに凍てつき、同時にあふれ出す熱血が傷口を焼けるくらいに熱くした。
 斬られた。
 驚愕に怯む一瞬を突いて、一閃は見事へルマンの腕と片羽を奪い去って、バランスを崩した身体はそのまま大地に落下する。
 だがヘルマンはただやられるだけではなく、口内に再度閃光をかき集めて、刀子目掛けて放った。

「ッ!?」

 瞬きの暇もなく、夜空を貫く一筋の光が刀子に炸裂した。石化の直撃。気で強化されていようが問答無用であらゆるものを石とする光を、刀子は咄嗟に差し出した左腕で受けたものの、たちまち左腕は汚染され。
 躊躇いなく、腕を斬り落とす。そのとき女の口元に隠しきれない快楽が浮かんだのが見て取れた。

「うん。これもいいわ」

 鮮血を迸らせながら、しかし刀子は全く怯んだ様子もない。ヘルマンが背中から無様に着地したのに対して、刀子は羽のように優しく地面に降り立った。
 同時、鮮血が滂沱。降り注ぐ雨に逆らって虚空の空に飛び散っていく。己の血と雨に濡れながら、刀子は野太刀を持った右腕を抱擁するように空に掲げて、石化した左腕を迷いなく斬り裂いた。

「ふふ、ふふはは!」

 刀子は石化したとはいえ、己の腕を斬った事実に歓喜していた。
 こんなにも気持ちいい歌声は他にあるか? いや、ない。
 自分の腕だ。大切な、苦楽をともにした大切な四肢の一つ。だが斬る。
 刀子は斬ることの段階を一つ上げられたのを感じた。僅かにくすぶっていた殺人や死への疑問が吹き飛ぶのを感じる。
 斬るから、斬る。
 当たり前に、とうとう疑問を浮かべることがなくなってしまっていた。

「……何だというのだ」

 ヘルマンは血まみれで笑う刀子の変貌に当惑した。
 彼も長年を生きてきた悪魔だ。異常な人間の一人や二人、それこそ今の刀子に似た人物だって両手の指で足りないくらいに知っている。
 だが、これは違う。
 狂気でありながら、それは何処までも透明で、邪気とは無縁の慈愛に満ちていた。
 例えるならば、空気。
 あるがままの自然体。

「あ、死んじゃう」

 刀子はヘルマンの困惑を他所に、他人事のようにそう呟いて己の傷口に気を収束して出血を止めた。
 それでも血が足りないせいか、刀子の身体は右に左に揺れている。
 立ち位置は再び刀子が宗平達、一般人を庇う形となっていた。当然、刀子の変貌を彼らも見ていたが、見ていたからこそ、あってはならない出来事が起きてしまうことになる。

「おい! お嬢ちゃん大丈夫か!」

 宗平の後ろにいた男の一人が、片腕を失った刀子に駆け寄った。恐怖と混沌にまみれた戦場。異常が積み重なった状況で、男が刀子に見たのは──見知った青年の面影。
 だから彼は思わず駆け寄っていた。お人よしゆえか、宗平とは違って何かと青山を構っていた男は、混沌に現れた見知った日常ゆえに。
 駆け寄る。
 駆け寄って、その首が吹き飛んだ。

「あ」

 宗平は、あるいはその場にいた誰かがそう漏らした。
 それくらい唐突に、一つの命が奪われたのだった。

「大変。首が飛んだわ」

 本人は当たり前のように雨を弾いてくるくると飛んでいく男の首を見上げている。
 空に。
 夜空に。
 消えていく、命。

「君は……狂人の類か」

 ヘルマンは立ち上がりながら、忌々しそうに呟いた。将来が有望な少年少女は好ましいが、完成した個人、ましてや狂人はヘルマンの好みからは外れている。
 刀子はヘルマンの言葉に不満げに眉を寄せた。

「……悪魔に狂人呼ばわりされる言われはないわ」

「狂人とはえてして己が正しいと思うものだから、これ以上は野暮だが……君は、今一人の男の命を奪ったことに、何かを感じないのかね?」

 問答としては矛盾した場面だった。悪魔が人道を説く。その歪さに他ならぬヘルマン自身が笑いたくなったが、問いかけられた刀子は首をかしげて、落ちてきた首をその刀で団子のように突き刺した。

「命を奪ったのは悲しいことです……私は己の私利私欲を優先して彼の命を、守るべき尊いものを奪ってしまいましたわ。斬るのよ」

 己の行いを反省する言葉と、斬るという言葉は、別々に言いながら、どちらも本心であった。
 それはヘルマンが見たこともない異常性だ。
 人間らしい善悪の価値観を持ちながら、斬るということだけはそれらと乖離して一つの価値観として存在している。
 狂っているのではない。
 人間の感性という鞘に包まれた、刃。

「……だが君は、私の見る限り中途半端だな」

 ヘルマンは冷や汗を浮かべながらも、それでも落ち着いて戦闘体勢に入った。
 刀子の精神は異常だが、どうにも違和感が残る。
 まるで、誰かに飲み込まれたかのようだった。
 ならば、その精神性から来る戦闘力も未だ些細。現に彼女の能力は、常識の枠内にあり、遠距離で落ち着いて対処すれば──

「あぁ、間に合った」

 直後、そんな言葉が雨音を斬り裂いた。
 それはこれまでの唐突さを全て覆すくらいに、唐突な発露だった。
 刀子の後ろ、宗平達のさらに後ろ。夜闇から、ぞるりとそいつは現れる。
 そのとき、ヘルマンは確信した。それこそ、目の前の刀子を飲み込んだ張本人だと、半ば本能で理解した。
 雨音の支配する空間で、誰よりも言葉を失ったのは、錦宗平であった。背後、振り返ったそこにいたのは、見知った人物、息子のように思っていた青年。

「兄ちゃん……?」

「はい。ご無事で何よりです。錦さん」

 暗がりよりいでし存在。青山は濡れた前髪の下、暗黒の眼を細めて会釈した。
 その手に持つ長大な野太刀を収める鞘は、全てを術符に覆われ、さらにその上、上位悪魔であるヘルマンを数体は封じてなおお釣りがくるほど強力な鎖が乱雑に巻き付いている。
 それでもなお、その野太刀が吐き出す『生きる』という単純な訴えはかき消すことは出来なかった。

「あぎぃ!」

 ヘルマンや刀子はともかく、一般人である宗平達の内、精神の弱い幾人かは、その強烈な生存本能とでもいうものに当てられ、喉を押さえて窒息し、気絶した。
 宗平自身も息苦しさに膝をついたが、それを凌駕する混乱が彼一人のみ意識を手放すことなく踏み止まらせる。

「アーティファクト……いや、あんな凶悪な……」

 ヘルマンの長い年月ですら、あそこまで厳重に封じられた剣を見たことはなかった。魔剣と呼ばれる、持ち主を呪う剣を何本か知っているが、あれほどのものは理解できない。
 それはありえぬ刃だった。常世にあってはならぬ魔剣。完結した者の全存在を抽出した奇跡の刃。

「証─あかし─と、銘打ちました」

 青山は朗々とその刃の名前を謳いあげると、宗平は訳もわからぬままに青山に駆け寄った。
 そしてその肩を掴むと、激しく揺さぶる。

「な、なぁ兄ちゃん! なんなんだこれは……!? これが、こんなのが兄ちゃんの抱えていたものなのかい!?」

「錦、さん……」

「止めようぜ? 逃げちまおう。こんなのやる必要なんかねぇ。もう戻って、酒飲んで、明日もまた一緒に仕事してよぉ」

 既に一人、平和に暮らしていた人間の命が刀子に奪われた事実すら頭になかった。
 冷静で、いられるはずがない。宗平を動かす思いは唯一つ。
 息子のように見守ってきた。
 息子のように接してきた。
 息子のように、成長を喜んだ。

「だから逃げよう。さぁ、早く! こんな場所なんか……」

「いえ、それはいけませんよ、錦さん」

 そう言って、青山は自身の肩に乗った両手を斬った。

「あ?」

「うん。錦さんはやっぱし素晴らしい人だなぁ」

 宗平は何があったのかわからず失われた己の腕の断面を見つめ、噴出す血で顔を染めながら呆然と傷口を、続いて青山の顔を見た。
 そして、悟る。
 青山は嬉しそうに口元を三日月に変えていて。自分は、この今に至ってようやく、青山という人間を間違えていたことに気付いた。
 そこにいるのは人間ではない。
 ひたすらに修羅。
 変わることなんて永遠にありえない何かで。

「なんて様なんだ。お前」

「だから俺は、青山と呼ばれています」

 翻る刃の残光。

 生きてください。

 そんな優しい言葉を最後に、錦宗平は苦悶のままに絶命した。






 ネギがその日、寮に戻って最初に見たのは、荒れ果てた室内と、目から色を失って横たわる木乃香の姿だった。

「木乃香さん!」

 慌ててネギが駆け寄って木乃香を抱きかかえる。だが木乃香は全く反応することもなく、何かしらを繰り返し呟き続けていた。

「ウチの責任や。ウチが原因や。ウチが悪くて、全部ウチのせいや」

「木乃香さん……! しっかりして! 木乃香さん!」

 精神に異常をきたしている。それを悟ったネギは何とか彼女を正気に戻すために、気分を落ち着かせる魔法を唱えた。
 すると僅かばかり木乃香の瞳に色が戻り、ネギに視線を合わせるまでに回復する。

「ネギ君……? ネギ君……」

「僕ですよ。大丈夫です。大丈夫ですからね」

「うぁぁぁぁぁ! ネギ君! 明日菜が! 明日菜がぁぁぁぁ!」

 瞬間、恐慌した木乃香がネギに抱きついた。咄嗟に風を操って周囲に音が漏れないようにする。かすかに残る魔力の残滓が、状況の悪化を物語っており、周囲を巻き込むのはいけないと悟ったからだ。
 刹那は昨日づけで再び京都に戻った後で、頼ることは出来ない。それよりも今は木乃香を落ち着かせる必要があった。

「木乃香さん!」

「嫌ぁ……もう嫌やぁ……明日菜もいなくなって、ウチ、ウチ……全部、ウチが……」

「……大丈夫。僕が助けます。僕が守ります。だから──ごめんなさい」

 ネギは嗚咽を漏らす木乃香に眠りの霧を唱えて眠らせた。
 その瞼がゆっくりと落ちて、それでも最後まで己を呪い続けた少女は可憐な吐息を漏らしながら眠りにつく。
 そっと床に寝かして、ネギは「ごめんなさい」と一言謝ってから、夢に入り込む魔法を使用した。

「……」

 木乃香の夢は地獄だった。
 紅蓮に飲まれる父親。そしてクラスの仲間やネギ。
 ありとあらゆる全てが紅蓮に飲まれ、それを必至に助けようと手を伸ばし、しかし誰にも手が届かず炎は全てを燃やしていく。
 その間、紅蓮に飲まれた全ての人間が囁くのだ。
 お前がいたから。
 お前が悪い。
 お前だけなんで生きている。
 酷い。
 最低。
 死ね。
 死ね。
 詫びて、死ね。
 あらゆる怨嗟に包まれながら、木乃香が頭を抱えていつまでも謝り続ける光景に、ネギは吐き気すら覚えた。
 だが今必要なのはこの夢ではない。ネギは激痛を訴える左目を無視して、その裏側、最新の記憶を読み取った。
 そして、目を開く。

「……明日菜さんを、拉致したのか」

 記憶に現れたのはスライムの使い魔が三つ。それが唐突に明日菜を奪い去り、泣き叫ぶ木乃香を虫でも払うように吹き飛ばして、そのまま離脱していくもの。
 その記憶も、木乃香の感情もネギは汲み取った。
 理解不能な超常現象に親友を奪われ、目に届くところにありながら救うことも出来ない無力な自分。
 ネギは木乃香に己を重ねた。
 その姿はフェイトに挑んで返り討ちにあった己そのものだったから。

「……そうか」

 ネギは滑るように立ち上がった。魔力の残滓は目に見える。痛む左目が微細な魔力の軌跡を表していた。
 今のネギの心に沸き起こるのは、善悪を超えた怒りだった。人間なら誰もが持つ正しくも邪悪な怒りだった。
 拳は硬く作られ、目つきは険しくなり、苛立ちに歯が軋む。

「僕から、また奪うつもりか……」

 一度目は、悪魔の軍勢が全てを赤に染めた。
 二度目は、鬼と人形が全てを赤に染めた。
 そして三度目。
 また、同じ紅蓮を自分に見せるというのか。

「……ふざけるな」

 最早、状況は問答を許さなかった。いや、ネギは誰であろうと許すつもりはなかった。
 閃光。合成された魔力と気がネギの体から膨大なエネルギーとなるのと同時、さらに集められていく精霊がその手に収束した。

「戦の乙女。百柱……術式固定。掌握」

 術式兵装。風精影装。
 膨大な力と百に及ぶ風の精霊を身にまとって、ネギは開いたままの窓から実を乗り出して空に舞う。

「何処だ……!」

 左目がさらに痛む。痛みとともに謎の存在が内側から強烈に口を開くが、怒りがそれをかき消した。
 今は、この激痛が心地よい。痛みの最中、左目が全てを知覚する異常な状況を認識する。脳が沸騰するような感覚。広がり続ける認識。
 ネギの脳髄に麻帆良の全てがうっすらと浮かんだ。その中から部屋に残された魔力の残滓のみに意識を固定。見えない道が虚空を伝って浮かび上がる。
 五感に頼らぬ何かだったが、ネギは漠然とそれを信じることが出来た。痛むのは左目だというのに、鮮血が溢れるのは右目。雨で流血を洗い流しながら、ネギは捕捉した魔力を追って空に飛んだ。
 体は驚くくらい熱いのに、思考はとてつもなく冷たい。脳味噌の代わりに氷をぶち込んだような心地。左目の痛みすらも鈍磨して、鈍い痛みに苛まれた。
 許すわけにはいかなかった。
 冷静な思考で、敵と出会ったときのことを考えながら、そんなことばかり考える。
 許せるわけがない。守るべき日常を再び壊そうとするおぞましき邪悪を、どうして許せるだろうか。
 同時に、これが正義の義憤なのかも定かではないとネギは思う。
 だが、選択肢は一つしかない。
 己の邪悪に従った断罪か。
 己の正義に従った断罪か。
 結局、行き着く果てが一つなら、終わった後に行動に対する善悪を考えよう。
 今はただ、怒りのままに。

「開放。雷の暴風・五連」

 そしてその場に辿り着いた瞬間、ネギは縛られた明日菜を取り囲む三つの固体目掛けて移動中にためていた魔法を叩きつけた。
 分身体が位相をずらし、五つの暴風が螺旋を描いて殺到した。炸裂した破壊の乱気流は明日菜すらも巻き込むほどに見えたが、そこは台風の目とでもいうべき、五つの破壊が重なり打ち消しあう中心に明日菜を置くことで問題なくする。
 相手からすれば何が起きたのかわからないだろう。立ち上る煙幕の中にネギは突入すると、風を頼りに明日菜の元に辿り着いた。

「ネギ!?」

「じっとしていてください!」

 ネギは明日菜を束縛していた紐を切り裂き、そのついでとばかりに、明日菜の胸元にあったネックレスを引きちぎって咸卦法の出力のままに握りつぶした。

「……あぅ」

 何かの影響か、束縛から解放された明日菜が力なく倒れる。慌ててネギはそれを受け止めると、直後、煙を弾いて三つの影が飛び掛ってきた。
 明日菜を抱いているため動きが僅かに遅れる。三体のスライム娘は、腕を刃に変えてネギの無防備な背中に突きたてた。
 だがその程度ではネギのデコイはおろか、咸卦法で底上げされた体を貫くことすら出来ない。
 ネギはスライムを足で弾くと、空に舞い上がって距離をとった。
 改めてみると、ここは麻帆良にある屋外ステージの一角だ。ステージはネギの魔法によって完全に砕け散っているので既に原型はないが、ネギはそのことは気にも留めず観客席に明日菜を優しく下ろした。

「ネ、ネギ……」

「安心してください。もう、大丈夫ですから」

 ネギは明日菜を安心させるように優しく笑いかけると、こちらを警戒するスライムに向き直り、杖を突きつける。

「……誰だか知らないし、知る気もありません。召喚した人物も近くにいるようですが、そちらは別の方が相手しているので、今はあなた方を倒します」

 勝利を断言する。先の一合だけで戦力差ははっきりしていたからこその宣言だ。
 ネギは明日菜を巻き込む危険性を考えて、クウネルからは行わないようにと言われた距離を詰める行為を自ら行う。
 瞬動ほどの速度はないが、風と咸卦法の相乗効果によってスライムの反射を凌ぐ加速をもって肉薄。三体の丁度間に潜り込むと、二対の分身を放出して左右のスライムを迎撃。目の前のスライムは雷撃を纏った拳で吹き飛ばした。
 三体全てがばらばらになる。戦力の分散は一時的で構わない。一体一体に集中できるだけならば上等。
 ネギは己の内側を切り分けていく。分割される思考はそのまま体から抜けた分身体に取り込まれ、一つ一つが別々の思考を用いて魔法を詠唱を始めた。


「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。風の精霊60人。縛鎖となりて敵を捕まえろ。魔法の射手・戒めの風矢」
『ラス・テル・マ・スキル・マギステル。来れ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐。雷の暴風』
『ラス・テル・マ・スキル・マギステル。闇夜を切り裂く一条の光。我が手に宿りて敵を喰らえ。白き雷』
『ラス・テル・マ・スキル・マギステル。闇夜を切り裂く一条の光。我が手に宿りて敵を喰らえ。白き雷』

 新たに一つの分身も扱い、本体を含めた四人が同時に詠唱を完了する。最初に放たれたのは本体から放たれた五十に及ぶ戒め。それは三つに枝分かれして、スライムを雁字搦めにして逃げられないように縫い付けた。
 直後、それぞれスライムの方向を向いた緑色の分身が魔法を放った。極大の暴風と、一筋の白き雷。
 雷鳴は轟く。幼い少女の姿をしていようが容赦はなく、ネギの魔法は動けぬ使い魔を貫き、あるいは嵐で切り裂き、瞬く間に殲滅を果たした。
 術式兵装。風精影装の真骨頂。以前は己の動きをトレースするだけしか出来なかったが、クウネルとの鍛錬により、現在は最高で五つまで、分割思考により分身い魔力を与えることで別々の魔法を扱えるまでに至った。
 尤もデメリットはあり、魔法を使用した時点で分身も消滅するのだが──それはネギの戦闘スタイルからすれば些細なデメリットに過ぎない。
 無詠唱が未だに未熟な代わりに、複数分身による多重詠唱はネギの大きな強みだ。

「……ふぅ」

 殲滅を確認したネギは、それでも周囲を警戒しつつ明日菜の元に飛んだ。

「明日菜さん! ご無事ですか!?」

「……う、うん。私は大丈夫。それより、木乃香のところに、早く私を連れてって」

 衰弱の様子が見られるが、明日菜は自分のことより木乃香のことを案じた。ネギはそんな明日菜に無理をするなと告げようとして、じっとこちらを見つめてくる瞳の強さに、何を言うでもなくうなずきを返した。
 雨の中、ネギは風を駆使して明日菜に雨が注がないようにしながら帰路を急ぐ。本来ならタカミチに連絡をするほうが正しいのだろうが、何故かそんな気は浮かばなかった。
 行きと同じく窓から入ったネギと明日菜は、明日菜は何だかとてつもない感じの下着を着替えに行き、ネギはその間に木乃香を見守ることにした。

「木乃香さん……守りましたよ。明日菜さんを」

 そう優しく囁きかけると同時、何故かネギの眼から涙がとめどなく溢れてきた。

「あ、あれ?」

 慌てて目元の涙を拭うが、しかし涙は勢いを増していくばかり。
 困惑はすぐになくなった。目から流れる熱いものの正体にすぐに気付けたから。

「ネギ?」

「……僕、やっと、やっと、守れたんですね」

 ネギは涙を流しながら、着替えを終えた明日菜を見上げた。
 何よりも、守れたことに少年は救われていた。三度目、それもこれまでに比べてささやかな相手だったとはいえ、ネギはようやく大切な人を守ることが出来たから。

「ありがとう、ございます……守らせてくれて、ありがとうござます……」

「ネギ……!」

 明日菜は思わずネギに駆け寄りその体を抱きしめた。
 何てことを自分は彼に言わせているのだろう。早熟で、聡明で、自分よりもよっぽど大人な雰囲気を漂わせているが、ネギはまだ十歳。大人の庇護を受けるべき子どもだというのに。
 そんな彼が嬉しそうに、守らせてくれてありがとうと言ったのだ。それは彼にとって救いであり、同時に、幼い少年に言わせてはならない言葉に他ならなかった。

「ごめんね。ごめんね……私は大丈夫だから。ありがとうなんて言わないでネギ。私が感謝しなくちゃ駄目なのに……」

「いいんです明日菜さん。僕、守らせてもらって凄く嬉しいんです。自分勝手ですけど、守れたことが嬉しいから」

「ネギ……」

 明日菜はただ後悔するしかなかった。傷心の木乃香を構うばかり、ネギに巣くっていた闇を見逃したことを。
 すれ違って、誤って、自分はもう彼の隣ではないことを悟って、明日菜は涙を流してしまう。許されないとわかっていながら、己のふがいなさに涙しかでなかった。

「大丈夫ですよ明日菜さん」

 木乃香を守ると誓ったはずだった。
 だが自分は彼女の隣にいることばかりを考えて、ネギのように守るための強さを得る努力を怠ってしまった。自分を誘拐した怪物を圧倒した手並みは、京都のときとは比べ物にすらならなくて。

「ごめんね。ありがとう」

 そう言う事しか出来ぬ己の情けなさに、涙がこみ上げるのを明日菜は止めることが出来ず、二人は木乃香が目を覚ますまでの間、互いの傷を舐めあうように抱き合い続けた。






 雨が降り続いている。
 雷雲は雷を放ち、轟々と雨音が耳にやけに五月蝿く感じる中、ヘルマンはその狂乱を愕然とした心境で見つめるしか出来なかった。
 一瞬。
 雷よりも早き斬撃が幾筋も走った直後、青山の肩を掴んでいた初老の男が消滅した。
 展開された斬撃の檻が錦宗平という男の人生を奪い去り、雨音に掻き消えるくらい、しかし耳に張り付く美しい音色に成り果てる。

「綺麗な音色だろ?」

 青山は誰にでもなく、そんなことを呟いた。一瞬ではかなく消えた音に酔うように眼を閉じた青山に共感したのは、喜色の笑みを浮かべている刀子だけだ。
 証と名づけられた刃に狂わされた男達は、その壮絶な音色にたたき起こされ、唖然としている。
 目の前にいる男が誰なのか思考できなかった。凛と響く生存の証明に惚け、そしてそれが不幸中の幸い。
 刀子が青山に近づくついでとばかりに生き残った男達の首を体から斬り分けた。青山の奏でた音色を聞いた後では、あまりにも未熟な音色が聞こえる。そのことに刀子は羞恥に頬を染めた。

「嫌だわ。恥ずかしい」

「いえ、俺以外の人の歌を聞いたのは初めてだったので、新鮮でしたよ」

「そんな、私なんかのでは青山さんの──」

 不意に、刀子の口から鮮血が溢れて、その先の言葉は出なかった。
 その腹部には後ろの風景が見えるくらいの風穴が開いている。ぽっかりと空いたのは肉体か、あるいは空洞となった心を体現したのか。
 青山が愕然と目を見開いて風穴の向こうで人間にはありえぬ長さの腕を突き出したヘルマンを見た。

「あ……」

「……おぞましいのだよ。君達は……!」

 刀子の体がぐらりと傾き、そのまま鮮血に沈む。
 即死だった。普段の青山なら逃すはずのない虚を突いた一撃が、異常な状態に陥り警戒を怠った刀子を絶命させたのである。
 ヘルマンは吐き気を覚えながら、不意打ちとはいえ刀子を落とせたことに僅かながら安堵していた。
 刀子を貫いた一撃は、反射的に証で防御したことで青山には届かなかったが、それでも一人を葬ったことで状況はある程度好転している。
 何より、あんな気味の悪い何かの会話を聞くことが耐えられなかった。想像を超えたありえぬ何か。形容できぬ人間の終末。
 存在が害。
 その根源が未だいることがヘルマンには絶望的な心地であった。

「あ、あぁ……そんな……」

 青山はヘルマンが畏怖によって最大級の警戒をしているにも関わらず、腹部をえぐられて絶命した刀子に震えながら歩み寄り、刀を取りこぼしてその体を抱きかかえた。

「何で、何でこんな……酷すぎる。何故、彼女を殺した」

「君は、何を……」

「ただ斬っていただけの彼女を殺す必要が、何処にあったのだ……」

 その瞬間、ヘルマンはこみ上げる吐き気と、理解できぬ青山の言葉に一歩後ろに引いていた。
 何を言っている。
 この男の言っていることが理解できない。
 だが青山は語る。雨か涙かわからぬが、まるで泣いているかのように顔から雨の雫を流し、刀子の亡骸に視線を落とした。

「初めての友人だった。人と同じく恋をし、人を守るための仕事に誇りを持ち、そんな彼女が俺は尊敬していた……人々の笑顔を守るために戦う彼女が、お前のような殺人を躊躇わぬ悪魔に殺されるなど……俺は俺がふがいなくてたまらない」

「……ッ」

「わかっているのか悪魔よ。あぁ、言ってもわからぬだろうが何度でも言ってやる。殺すことは悪だ。そんな悪を躊躇なく、しかも不意打ちという形で行ったお前を、俺は許したりしない。命は、奪ってはいけない大切なものだというのに、それを容易く奪ったお前を許せば、俺はただの外道に成り果てるのだから」

 それをお前が。
 お前がそれを言うのか。
 逃げようと言い寄った知り合いを躊躇なく斬り殺したお前が。
 容赦なく命を奪い、あまつさえいい音色だと笑いさえしたお前が。

 どの口で、命が大切だと吼えられる。

「……」

 ヘルマンは最早返す言葉もなかった。
 返答を期待してなかった青山も、刀子の遺体をそっと横たわらせて、証を手に持ってゆっくりと立ち上がり、構える。
 瞬間、ヘルマンは反吐を撒き散らした。
 正視に堪えられる者ではなかった。不意打ち気味に見てしまったことで、ヘルマンの魂が青山という存在を認識することを拒んだのだ。
 なんという様なのか。
 こんなものが人間だというのか。
 ヘルマンは怖くなった。
 とても、とても怖かった。
 初めて覚えた絶望感に身を縮ませ、青山という人類の終末にひれ伏すしかない。

「こんなのが……こんなものが人間ならば……」

 私は人間の成長に期待するのを止めよう。
 神に祈ることなく、魂が人間という種族を畏怖した。これが人間の果てならば、人間とはいてはいけない存在となる。
 悪魔は人間に恐怖した。
 涙を流して終わりのときを待つしか出来ぬ哀れな存在に成り果てた。

「……だが、それでも俺はお前を斬ろう。でなければ俺はお前と同類になってしまう……それが俺の正義だ。俺はお前とは違う。俺は生きた証を証明し続ける」

 青山の言葉に、恐怖の片隅で嘲笑する。
 むしろ。

「君は、この世界で誰よりも孤独な……化け物だ」

「……俺は誰よりも人間だよ。悪魔」

 だからこうして斬っていく。
 凛という鈴の音色に染み込む歌声が、せめて刀子の鎮魂になるように、青山はそう願わずにはいられなかった。






 悪魔の来訪からおよそ一時間後、異変を察知した魔法先生達がガンドルフィーニを保護し、現場に到着したときには既に全てが終わった後だった。
 破壊の傷跡が幾つも残っており、辺りに幾つもの死体が散乱し、その中に眠るように死んでいる刀子の姿もあった。
 事件に関係があったネギと、状況を知っていたガンドルフィーニの証言、そして最後に調書を取った青山の言によって、刀子は悪魔に操られガンドルフィーニを斬り、一般人を殺した。そんな彼女を用なしとばかりに悪魔は殺し、それを青山が滅したという形に収まる。
 ネギの証言は魔法先生に知られることなく隠されることになった。これは神楽坂明日菜のもつ秘密を守るための処置であったが、代わりにネギも事件を解決に導いたという形で、新たに魔法先生の組織に紹介されることとなる。
 事件はこうして完結した。京都の一件が未だ記憶に新しいというのに、新たに刻まれた惨劇の記録。彼らはいっそう気を引き締めて己の業務の困難さを再確認することになる。

 聴取の最後、青山はこう語る。

「俺は錦さんを殺した挙句、刀子さんを助けることすら出来なかった」

 苦悶に満ちたその姿は誰もが哀れむに足る姿であった。




 ──なお、錦宗平の遺体だけはどれだけ探しても見つからなかったため、悪魔に捕食されたという結論に至ったことをここに記す。




後書き

次回、エピローグ。または最後の伏線など。



[35534] エピローグ【Close to you】
Name: トロ◆0491591d ID:8f3c5814
Date: 2012/12/18 00:37

 ──そして、京都の惨劇から一月が経過した後、ネギは詠春の葬儀が行われたその夜、一人、ホテルの外に出て憂鬱な表情で夜空を見上げていた。

「……痛ッ」

 ネギは左目の痛みに耐え切れず、懐からクウネルより手渡された丸薬を取り出して口に含む。
 噛み砕くと、透明な魔力が体を汚染する呪いを吹き飛ばして、ある程度落ち着きを取り戻した。
 あの日、左目を酷使したネギは、漠然とだが周囲の気や魔力を探知できる能力を得た代わりに、定期的にクウネル特製の薬を服用せねばならないほどの激痛に苛まれることになった。明日菜には修行で得た魔力を馴染ませるためと説明しているが、いつまでも騙せるものではないだろう。現に、最近では薬を飲むたびに寂しそうな表情を浮かべている。
 だがネギは後悔していなかった。得られた力は守ることに特化した能力だ。この力で全てを守ることが出来るのなら、激痛だって甘んじて受け入れよう。

「……」

 ネギは夜空に再び視線を漂わせ、詠春のことを思った。会ったことも話したこともないけれど、葬儀に集まった人々の表情を見れば、よほど慕われていたのはすぐにわかる。
 京都に行く前、クウネルも「彼はとても素晴らしい方でした」と、友人として詠春のことを語ってくれた。
 だが。
 そんな人すら、容易く死ぬ。
 記憶に新しいのは、麻帆良を襲撃した悪魔の事件だ。そのとき、優秀な魔法先生が一人殉職したこともあり、人は容易く死ぬと、自分の見知らぬところであっという間に死んでいくと悟る。
 先程、全てを守ることが出来ると思ったが、それは傲慢な考えにすぎないのだろう。ネギは全知全能でもなく、ましてや強さも未熟だ。

「……はぁ」

 善悪を考える前に、それを語るための強さがない。
 そもそも、何処まで強くなれば強いというのか。
 わからないことだらけで、培った全ては道を照らすにはあまりにも小さな明かりでしかない。
 守ると誓い。
 強くなると誓い。
 果てに待つ者にならぬことを選択し。
 自分は何を手にするつもりなのか。
 空虚な手には掴めるものはない。今も悲しみに枕を濡らす木乃香の涙だって掬うことも出来なくて──

「悩んでいるようだネ。ネギ先生」

 不意に、いや、来ているのはわかっていたので、ネギは驚くことなく視線を横に向けた。

「超さん……いつここへ?」

「んー。未来人の超技術でつい先程来たネ」

「そうですか」

「……ここ、突っ込むところヨ」

 超鈴音は、困ったように頬を掻いた。
 いつ着たのかは知らないが、ネギは今はどうも教師として接することが出来なかった。今は考えることが多すぎて、超のことに構う余裕すらない。
 超はそんなネギの心境を察してか、数分ほど、夜空を見上げるネギの隣に無言で寄り添った。
 慰めの言葉なんて出ない。ネギは知らないが、超はネギがどれ程頑張ったのか知っているから。それを安直な言葉で慰めることも、話題に出すことも出来なかった。
 だから、彼女に出来るのは率直に己の思いを彼に告げることだけだ。

「……もし、誰もが魔法を知っていたら、今回の惨劇は回避されたかもしれないネ」

 ネギは無視できぬ言葉に超に視線を移した。だが超はネギを見ることなく、今は己の話を聞けと態度でネギに示す。

「私はそう思うヨ。もしも魔法が世界中に知れ渡っていたなら、京都だけではない。こうしている間も失われていっている希望を、魔法使いの手で拾い上げることが出来るのではないかと」

「……ですが、魔法が知れることで世界は混乱します。だからこそ、魔法は秘匿されるべきなのです」

 ネギは魔法使いとして当然の反論を口にしていた。今は超が何故魔法を知っているのかを追求するでもなく、素直にそんなことを言い返すことが出来た。
 だがネギのそれは一般論で、今のネギには、己の言葉が何処までも空虚なものだという自覚があった。
 超はそんなネギを見透かすような淡い笑みを浮かべる。

「混乱は重々承知ヨ。だが先を見据えればどうかネ? 魔法を知らしめて混乱した一年を乗り切った十年後、二十年後の未来は、今混乱を起こさずに過ごした十年後、二十年後よりも素晴らしいのではないか?」

「……それは」

「魔法をばらすことは許されないというのは、魔法使い側から見ただけの正義ではないと言い切れるか? それが本当に立派な魔法使いの答えになるのか?」

 超はそこで一呼吸置くと、初めて見るような苦しげな表情で頭を振った。

「私は、そう思わないネ。魔法という素晴らしい技術がもたらす混乱は、それ以上の幸福を人々に与える切っ掛けになるという確信がある。勿論、魔法を人々に知らせることが出来たといって、すぐに混乱が収まるとは限らない。一年? 十年? それとも一世紀? 魔法使いと、非魔法使いとの格差は目に見えるが、しかし私はもし世界に魔法を知らしめた暁には、そこに生涯を賭ける覚悟があるヨ」

 それは超の本心からの言葉だ。真っ直ぐに語る超の言葉は、ネギにはとても眩しいものに感じられた。
 比べて、自分はどうであろうか。何処に行くでもなく、ぐずぐずと燻るばかりで、超の目的はどうあれ、彼女と自分ではその覚悟に雲泥の差があった。

「……それでも、魔法をばらすことによって苦しむ人がいます」

 ネギの脳裏に浮かんだのは木乃香のことだ。あるいは京都に住む人々のことで、今も魔法があれば助かったかもしれない人々の怨嗟である。
 超もネギが言いたいことがわかるのか、寂しそうに口元を緩め目じりを下げた。

「傷つけられた心を、いっそう傷つけることはあるヨ。しかし……改革は血が必要という考えを鵜呑みにすることは出来ないが、だからといってこのまま、今日の百のために明日以降の千を捨てるのが正しい選択かネ?」

「それでも、魔法という影響力が与える波紋によって、もしかしたら今日の百の代償が、明日以降の千の代償を生むことになることもあります。魔法を世に知らしめることによる混乱の向こうには、新たな混乱が起こるかもしれませんよ」

「そうかもしれない。しかしネギ先生も思うところがあるのではないか? もしも京都の一件で魔法が知れ渡っていれば、もっと違う選択肢があったのではないかと。あるいは誰も死なぬ終わりがあったかもしれないと」

 そう言われるとネギには返す言葉がなかった。
 思わなかったわけではない。もしも魔法が知れ渡っていれば、木乃香はもっと厳重な警護か、あるいは彼女自身も魔法を覚えて自衛を行っていたとか、ネギ達ももっと堂々と親書を渡すことが出来たのではないかとか。
 もしも。
 もしも。
 そんな思いに苛まれない日がなかったといえば、嘘だ。

「学園の中央にある世界樹には、数年に一度願いを叶える能力が発言するという。これはあらゆる願いをかなえるわけではないが……例えば、世界樹の魔力を使って、世界中に『魔法があってもおかしくはない』という認識を与える程度のことならば可能ネ」

 超は唐突にそんなことを話した。どういうことなのかわからないといったネギにようやく視線を合わせて、超はその頭を軽く撫でた。

「私は学園祭の最終日に、世界樹を利用して世界中に魔法を認識させるネ」

「……そんなこと、僕に話していいんですか? 超さんがどうやってそうするのかわかりませんが、僕がこのことを学園長に話せば、その時点で超さんのその目的は」

「ご破算だろうネ。だが、ここでネギ先生が私の計画に乗らずに全てを話そうが、ネギ先生が仲間にならなかった時点で私の計画は失敗するヨ」

 超は半ば確信をもってそう言った。どういうことだ? とネギが問う前に、超は一言「青山がいるネ」と、その確信の正体を告げた。
 ネギもその名前を聞いた瞬間に全てに納得する。青山。あの男の力ならば、問答無用で超の計画を斬ることが思い浮かんだから。

「……それで、何で僕を? 僕なんかの力ではものの足しにもならないですよ?」

「ネギ先生に期待しているのは、土壇場での爆発力ネ。そして、麻帆良で先日起きた事件……そのときの戦いぶりも見せてもらったヨ。あの実力なら学園の魔法先生にも遅れはとらないどころか、圧倒すら可能ネ」

 超の見立てにネギは自嘲しながら「僕はまだまだですよ」と呟いた。
 自分にそこまでの能力があるとは思えない。そんなネガティブな思考を、事情を知るからこそ超はやはり安直には否定できなかった。

「いずれにせよ。私はネギ先生の協力が欲しい。もしもこの計画に乗ってくれるのならば、少なくとも木乃香のことだけは何とかすることだけは保証するヨ。協力してくれる以上、全てとは言わないが、ネギ先生の周りだけは保護するのは当然の義務ネ」

 超は言いたいだけいうと、「では、また学園で」と告げて、歩き去っていった。
 その背を見送ったネギは、唐突に目の前に現れた選択肢に戸惑いを覚えつつも、やはり表情は憂いを帯びたままだった。
 どうすればいいのか。何が正しいのか。超の発言が真実ならば、それは魔法使いにとって許せぬ悪である。
 しかしどうだろう。まるで夢物語であったような先の会話が、ネギの心をじっとりと熱くさせていた。
 答えは今すぐ出せるものではない。ただでさえ色々と混乱しているせいで限界なのに、魔法を世に知らしめることに協力するかどうかについて考えられる余裕もなかった。
 僕は、何処までも中途半端だ。
 もしかしたらこのまま、『永遠に中途半端』なのではないか。
 半ば無意識に自虐したネギ。直後、その左目が先程以上に強烈な激痛に襲われた。

「ぎぃ……!?」

 あまりの痛みにネギはその場で膝をつく。まるで左目が脳髄をかき乱しているかのようだった。
 熱に浮かされ、痛みに悶えながら、だがネギの思考は冷たくなっていく。その矛盾に疑問を持つことも許されず、ネギは左目の痛みが赴くままに、視線を上げた。

「……」

「……」

 そこに、それは立っていた。
 うっすらと、むしろ冷たさすら感じるか細い街灯の下、夜からくり抜かれたような暗黒の瞳でネギを見つめる一人の男。喪服の黒すら色あせて見える漆黒は、まさに痛む左目と同色で。
 ネギは歯噛みした。激痛の中、そこにいる男に対する様々な感情が混沌と混ざり合い、怒りとなって噴出した。
 理由はなかった。
 だが原因は男にあった。

「……あなたは」

 ネギはふらつきながらも立ち上がる。目を押さえながら、しかし決して先に待つ男から視線を離さない。
 そこには二人を隔てる物理的な距離以上の差があった。
 男は暗黒の冷たさの上に立っている。そこが己の定位置で、ここから一歩だって動くつもりはないと無言で訴えている。だがしかし、変化はあった。これまでなら平然とネギを見るだけだったはずが、今はネギと同じく、痛みに頭を片手で抑えながら、信じられないといった様子で見つめてきている。
 ネギは男を見据えながら、それでもそこに行くことはなかった。背後には町明かりがあった。人々の営み、当たり前の暖かさ、災害を経てなお力強く生きようとする人々のたくましい命の灯。
 その輝きを背に、ネギは男と対峙する。
 予感が、否。
 確信があった。

「……青山さん」

「ネギ・スプリングフィールド」

 二人は互いの名前を呼び合った。
 語る言葉なんてほかに何もなかった。根拠もなく、互いが互いを認識したと同時に、これまでまともに話したことすらないというのに、決別したと感じた。
 青山はそれがショックだった。ネギは己そのものだったはずなのに、今の彼はまるで修羅場とは対極の陽だまりに、冷たさを内包しながら踏み止まっている。ここが己の場所だと、お前になどはならぬと無言で吼えている。
 ネギにはそれが当然だった。青山の居場所は空虚だ。あまりにもそこには何もなくて、それは何もいらないことと同義で、完全な個人として完結している。それは見るに耐えない孤独だった。足りないものがないということが、ここまで酷いとやっと理解出来たから。
 だからネギは背を向けて陽だまりに消えていく。青山はその背に思わず手を伸ばしたが、結局そこから動くことはなかった。

 語ることなんて、一言すらない。

 少年は悩みながら、苦しみながら、悶えながらも無意識に己の道を選択する。それは青山という完結した存在には理解できぬ選択肢。
 人は、足りぬから悩み、惑い、それでも手探りで歩いていく。当たり前の帰結、当たり前のことを、当たり前のように考え続けるその道は──

「僕には何もわからないですよ。青山さん」

 その道の名は『未完成』。永遠に完結しないという完結が、人知れず完成した。







 だから、ここからはただの消化試合だ。
 化け物は修羅に倒され。
 修羅は英雄に落とされ。
 英雄は民衆に淘汰される。
 あらゆる全てがばらばらになる。これからの話は、それだけの話でしかない。





後書き

次回。最終章【しゅらばらばらばら】編となります。




[35534] 『しゅらばらばらばら』第一話【閃光刹那(上)】
Name: トロ◆0491591d ID:e83d8206
Date: 2012/12/21 22:34




 青山素子との一月にも満たぬ修練の日々は、桜咲刹那にとって充実したものであった。何よりも素子は、口ではなんやと言いながら、仮初の師弟関係とはいえ丁寧に基礎から刹那の術技を指導した。
 若輩ながらもいっぱしの剣士としての自負があった刹那も、青山宗家の後継者である素子の指導には素直になれた。同時に、奥義を会得しながら、未だ基礎の部分がおろそかになっているのを見抜かれて恥ずかしい思いもしたが。
 一から己を見つめなおす作業は、初心を改めることにも繋がった。ただ、そのせいで再び木乃香が窮地に陥ったと聞いたときは心を痛めたが、それでも今は己を強く磨くことが木乃香の安全に繋がると信じて、刹那は鍛錬に明け暮れた。
 そして今日、刹那は素子に言われるがまま、夕凪を片手に滝の前にある一枚岩のうえで素子と対峙していた。

「……早いものだな桜咲。束の間だったが、お前と過ごした一ヶ月、悪いものではなかった」

「あ、あの……素子様? これは……」

「言わなくても、わかるだろ?」

 刹那と対峙する素子は、自嘲の笑みを浮かべると腰に差した鞘から柄、刀身まで全てが黒一色の太刀を抜いた。
 その太刀から禍々しいと形容する他ない邪悪な気配が立ち込める。まるで刀自体が一つの意志を持っているかのように刹那には感じられた。

「妖刀ひな……聞いたことはあるか?」

「……以前、小耳に挟む程度ですが」

「そうか……これは、所有者に膨大な気を与える代わりに、刀自身の狂気を所有者にしみこませる魔剣の一種だ。尤も、この程度の狂気は青山と比べれば赤子の駄々にすら劣るがな」

 素子はそう言うが、しかし刹那にしてみれば遠くから見るだけでも気が狂いそうになるほどの凶悪さだ。
 だがしかし。
 確かに、あの時吐きだされていた青山の狂気と比べれば、微々たるのも事実だった。

「……それが、どうしたというのですか?」

「言わなくても、もうわかるだろう?」

 刹那の問いに、素子はひなを正眼に構えることで答えた。
 そして、狂気を吐いていたひなが、それを飲み干すほどの強大な気にかき消された。清涼かつ鬼気湧き立つ素子の気の圧力に、刹那は反射的に夕凪を構えて戦闘態勢をとる。

「それでいいよ。桜咲!」

 直後、覚悟も何もなく戦いは幕を開けた。刹那では見切ることすら至難の瞬動で素子は背後に回り込む。
 脳裏を過ったのは己の首が吹き飛ぶ映像だ。反射が刹那をぎりぎりで救う。屈みこむのに遅れて数瞬、黒い軌跡が真一文字に刹那の首が先程まであった場所を通りぬけた。

「……ッ!」

 この人は本気だ。飛びずさり冷や汗を流す。反射神経を凌駕した素子の斬撃は刹那の髪を縛っていた紐を斬り裂いただけだったが、それはつまり素子が斬撃を止めるつもりがなかったことを如実に語っていた。
 素子の構えに隙は微塵もない。その殺気は本気だが、しかし刹那からすれば本当に彼女が本気かすらわからない。
 コップで海の水を測ることが出来るだろうか? 今の刹那の察知能力では素子の全容を測ることすら叶わない。
 少なくとも、青山素子という女性は、敗北しながらもあの青山から生き延びた数少ない人物。
 それだけで、驚異的だった。

「……シッ!」

 素子は距離を隔てた場所からひなを振るった。奥義の予兆すらなく、刹那目がけて固められた気が岩を削りながら飛んだ。
 音速を置いて行く斬撃。放たれた斬撃の威力もまた空気と音を引き裂いている。目に頼った戦いは不可能だ。刹那はそれを知覚するよりも早く、直感で真横に飛び、皮一枚で逃れて行く。
 当然だが、素子の攻撃は一撃だけではない。音を裂く刃すら彼女にとっては児戯なのか、刹那では一撃を再現するのすら苦心する技の冴えが、大安売りの如き勢いで乱舞した。
 斬空閃乱れ撃ち。
 陳腐だが名づけるならこうか。思考にすらならぬ思考でどうでもいいことを考えつつ、刹那はぎりぎりで素子の技に対応していた。
 一か月程度の鍛錬。しかしそれは間違いなく一か月前の己にはない力を彼女に授けている。

「……そうか」

 素子は何かしら察したのか。そう小さく呟くとさらに気を膨れ上がらせた。瞬間、一枚岩は砕け散り、周囲の風景が気の爆発に押されて吹き飛ぶ。刹那も同じく吹き飛びながら、尚も上昇する素子の能力に戦慄を隠せなかった。
 これで。
 ここまで強くありながら青山に負けたというのか。
 驚愕はむしろそちらのほうが強かった。刹那から見れば、今の素子の気の圧力は、京都を震撼させたリョウメンスクナやフェイト・アーウェルンクスすら凌ぐほど。それほどの出力を誇りながら、その顔には余裕すら感じられる。

「凌げ。桜咲」

 素子は一言警告すると、片手で斬空閃の弾幕を展開しながら、空いた手に吹き出す気を収束させていく。
 あれは不味い。刹那は直感でそう判断すると、体が斬り裂かれるのを覚悟して、虚空瞬動で素子に特攻を仕掛けた。
 弾幕を最大出力の気を纏わせた夕凪で弾きながら加速。素子の放つ技の冴えを見れば、刹那のそれすらも驚嘆に値する絶技ながら、素子の顔には微塵の驚きもなく、むしろ平然と刹那を迎え入れた。

「奥義。斬岩剣!」

 刹那は射程に素子が入るのと同時、今放てる最大を遠慮なしに放った。素子の安否は二の次だ。
 やらなければ、やられる。
 シンプルな世界観が刹那を埋め尽くした。岩はおろか大地に消えぬ大断層すら刻みこみかねない刹那の奥義に対するは、ひなを両手で構えた素子の、あまりにも遅すぎる迎撃。
 技が放たれたときすら構えの姿勢。最早逃れようがない奥義の閃きを見据え、素子はゆっくりと、それこそ時が止まっているかのような場所で──

「え?」

 刹那はそこでようやく気付いた。
 時が、止まっているかのようだった。斬岩剣が素子に迫り、岩が削られ虚空に散っていく。
 それら一切が停止していた。刹那の意識だけを置き去りに全てが止まって動いていなかった。
 そんな世界を素子のみが動く。ゆったりと、稽古をしているかのように遅々とした動きで斬撃を振るう姿勢へと取りかかり。
 脳裏に浮かぶ数多の思い出、走馬灯のように巡る記憶を刹那は見た。
 それらの中で大切な記憶が際限なく繰り返されていく。
 それを素子が見ていた。
 吐き気をもよおす透明な瞳で、刹那の走馬灯を覗いていた。

「……止めだ」

 その一言と共に、世界が等速に戻って、最大出力の斬岩剣が素子に直撃して破裂した。

「も、素子様!?」

 先程の感覚は残っているものの、それ以上に素子が己の奥義をその身に受けたことに驚き刹那は叫んだ。一か月の鍛錬の成果は、天高く吹き飛んだ岩の破片と、ミサイルでも爆発でもしたのかのごとき轟音をだけでも充分わかるであろう。
 だからこそ、刹那は素子の無事を案じた。格下とはいえ、己の一撃も余裕をもって受け切れるものではないと悟ったからなのだが。
 そんな杞憂もろとも煙幕を切り裂いて素子は平然と現れた。

「どうだった? あまり使えるものではないが……今のが、青山と対峙する結果だ」

「え……」

「共に見ただろう。お前の大切な記憶を」

 素子は申しわけなさそうに、そしてそんな自分を唾棄するように自嘲した。
 走馬灯という名の記憶の共有。刹那が死を覚悟したその瞬間、素子はそれを斬るために捉えた。
 素子の言葉の意味を知って、刹那は夕凪を取り落とし、肩を抱いて蹲る。恐怖を思い出した体は震え、目からは止めどなく涙が溢れてきた。
 その哀れな姿に何かを感じたのか、素子はひなを収めて刹那に近寄ると、震えている体を抱きしめた。

「斬魔剣二の太刀。私が思うに、青山はあらゆる物を取捨選択して斬るこの奥義を、相手の精神に介入する領域にまで突き詰めている……この修行の最後に知って欲しかったのはな桜咲。お前のすぐ傍に、あんなことをする人間が居るということだ」

「も、素子……様」

「……逃げろ桜咲。あれから逃げることは恥ではない。修羅と相対出来ることは誇れるものではないのだから。出来るのなら、それはただの……いや、止めておこう」

 素子は顔を上げた刹那の頬を伝う涙を拭いとりゆっくりと立ち上がった。
 問いたいことがあった。だが刹那はその問いを己の中で噛み殺す。
 ならば、青山と同じことが出来る貴方は、一体何なのでしょう。
 その答えは聞くのもはばかられるものであり、同時に答えの分かりきった問いですらあった。
 もしも聞いていたら素子は悔しそうに、恥ずかしそうに、そして何よりも空虚な眼差しで答えていただろう。

 私は、あれと同じ道にいる。

 何故か刹那にはそれが痛いほどわかってしまった。
 悲しいくらい、素子の今を知っているからこそ、先程の恐怖以上に涙を流すべきことだったから。






 刹那は下山をしながら、昨夜のことを思い出していた。
 先日、二人は修業が終わった痕、師弟としてではなく、素子と刹那、二人の女の子として晩餐を楽しんだ。
 これまで語らなかった取りとめのない日常を素子はそこで語ってくれた。それはひなた荘という場所で過ごした日常が大半で、一つ一つはくだらなくて、どうでもいいことで、現に素子自身も、時には怒りを滲ませたり呆れたりしながら語っていた。
 だが刹那は初めて素子の優しそうな微笑みをそこで見つけることが出来た。
 多分、素子が青山と同じことをしながらも、青山と決定的に違うのはそこだろう。
 素子を構成するのは斬撃だけではない。彼女の中には何でもない全てが大切な物として積み重なっている。
 そこが青山にはない部分で、だからこそ素子は青山から逃れ、かつ、斬られたのだ。
 一瞬だけあれば充分だといつか素子は言っていた。それはおそらく、あの領域では時間と言う概念が意味をなさなくなるからこその言葉なのだと思う。
 いずれにせよ。
 そう、いずれにせよ、だ。
 刹那は感謝するより他なかった。一か月前に比べて格段に強くなれたことや、さらに青山という男の脅威を、己が完結する危険を顧みず見せてくれたこと。それによって刹那は一つの決意を心に決めた。
 逃げるのだ。
 木乃香を連れて逃げよう。叶うならばクラスの仲間やネギも連れて、あの場所から、修羅の居る場所から逃げ出そう。
 京都の事件。
 そして先日起きた麻帆良襲撃事件。
 素子から青山という男の全てを知った今、刹那は全てに青山が影響しているという予感を得ることが出来たから。
 証拠なんてそれこそないけれど──
 せめて、木乃香だけは連れ出す。そう覚悟を決めて刹那は山を降りて行き。

「見つけましたわぁ」

 一本の凶刃と相対した。

「……月詠」

 刹那はまるでここを通るのがわかっていたと言わんばかりに待ちかまえていた月詠を睨む。青山に奪われた両腕は失われたままだ。しかし、剣を持つ両腕すらなくないというのに、刹那は月詠への警戒を解くことは出来なかった。
 以前対峙したときも、恐るべき狂気を放っていたが、不思議なことに今の月詠は何処までも冷たく、禍々しい雰囲気は一切感じられない。
 粘つくような気も、突き刺すような邪気も、ありとあらゆる全てが一変しているようだった。
 冷たく、凛。
 それだけで、今の刹那には警戒するに足る相手に違いない。

「……随分と変わりましたなぁセンパイ。以前とは見違えるくらいですー」

「それは互いにだろうよ月詠。言わせてもらうが、以前のお前は今よりもまだ可愛げがあったよ」

「そうですかー」

 うふふと口を裂いたような笑みを浮かべて声を上げると、月詠は腰にさしていた一本の野太刀の鞘を足で蹴りあげて刀身を空に飛ばした。
 くるくると空を舞った野太刀は、数秒の滞空をした後、月詠の目の前に突き立った。

「ウチ、気付いたんですー。斬ることは斬ることでー。それ以上の理由なんて必要ないってことにー」

 刹那は返答せずに竹刀袋から取り出した夕凪を鞘から引き抜いた。唐突な対峙であり、昨日青山の恐怖と対峙したばかり。
 だというのに、刹那の心は穏やかだった。対面の脅威は、まさに青山の如き戦意を吐きだしている。
 斬撃という終わりへと至る者、その特有の臭いを敏感に感じる。
 だから逃げるわけにはいかなかった。
 この場だけは、逃げるわけにはいかなかった。

「必要だよ」

「え?」

「何かを斬ることに、理由は必要なんだ月詠」

 あの恐るべき青山は終わっているけれど。
 目の前の少女はまだ終わっていない。
 ならば、刹那はここで戦おう。戦うことで、伝えられることがあるのならば。

「斬ることは斬ることではない。斬ることは、斬られる相手を分かつことで……おいそれとやってはいけないことなんだよ」

 完結した事象に赴く理由なんて何処にもないし、立ち向かえる強さももっていない自分だが、それでも己の手で救えるかもしれない相手が、青山に似ているという理由だけで逃げるほど落ちぶれてはいない。

「……だったら剣を捨てたほうがえぇですぇ、センパイ」

「無理だよ月詠。私も、これしか知らないし、これしか大切な者を守る術を持たないからな」

 月詠は人間味の感じられぬ笑みを僅かに浮かべると、その可憐な口を大きく開いて、頬を染めながら突き立った野太刀の柄に顔を近づけた。
 まるで愛撫でもするかのように、多量に分泌された唾液を滴らせながら柄に舌を這わせる。ふやけるほどにたっぷりと己の臭いをしみ込ませた月詠は、一度口を放すと舌先からゆっくり柄をその口の中に含んだ。

「ん、ふぁ……」

 扇情的な吐息を漏らしながら、口をすぼませて柄を固定すると、ぬるりと大地から野太刀を引き抜いた。
 ずるりと抜かれた野太刀の刀身には、柄から零れ落ちた少女の唾液が日の光を照り返して、怪しげな輝きを放っている。まるで月詠に誘われるままその妖艶さを引き立たせているようだった。
 妖刀と呼ばれる類の剣がある。
 その制作過程に問題があるのか。あるいは作られた後に人を斬り続けてきたのが問題か。
 その問いの答えがそこにはあった。

「……」

 刹那は妖刀が出来る過程を今まさに見ていた。月詠という狂気の剣士が鬼気によって、人を守るために作られた神鳴の剣が斬撃という一点に染まっていく。
 だが臆するわけにはいかない。引いた体に喝を入れて、刹那は一歩月詠に向かって足を踏み出した。
 凛と、文字通りの意味で凛々しく刹那は構える。文字は同じくありながら、刹那のそれは刃鳴りにはない光り輝く誇らしさがあった。
 神鳴流として、仮初であるが素子の弟子として、何より桜咲刹那として立つ。胸を張り、気高く吼えよう。
 お前は間違っているんだって。
 月詠はその宣誓にすら歓喜して、目を潤ませながらいっそうその唇から唾液を溢れださせ首筋まで濡らした。

「いひまふえ」

 柄を口に含んだ状態では美味く言葉は言えぬのか。もごもごとくぐもった声音で月詠がそう告げる。
 だが意味は受け取った。立ち込める気の圧力を切り裂いて、刹那は両腕のない異端の剣客を迎え撃つ。
 ただ冷え冷えと、木漏れ日の暖かさすらかき消して、刹那の戦いは始まりを告げた。



後書き

ラストです。よろしくお願いします。



[35534] 第一話【閃光刹那(下)】
Name: トロ◆0491591d ID:e83d8206
Date: 2012/12/27 18:55

 恐ろしい程の気の高まりに惑わされがちだが、月詠の戦闘力は見たとおりに劣化しているとみて間違いないだろう。
 答えは一目瞭然。月詠には両腕が存在しない。分かりやすくて当たり前な結論だ。刀とは手に持つものであり、決して口で咥えるものではないのだから。
 だが。
 それでもなお、月詠の醸し出す鬼気と呼べるものは、両腕がないというハンデすら補ってあまりあるものだった。
 刹那は対峙しているだけだというのに、背筋を嫌な汗が伝っていくのを感じた。柄を咥えているため、切っ先が真っ直ぐに刹那の方を向いているのが恐ろしかったのだ。
 斬るのか、あるいは突くのか。迷いは惑わせ、月詠が腕を失ったことにより弱くなっていることすら忘れそうになる。
 対峙だけで体力を削られる命がけの攻防だ。
 しかし。
 それでもなお、月詠は弱い。
 両腕のハンデは、一か月を素子の元で過ごした刹那に対してはあまりにも開き過ぎており、呼吸を僅かに乱しつつありながらも、刹那は幾つも脳裏に敵の刃の軌跡を思い浮かべ、問答無用で一刀に伏せるだろう己を夢想する。
 刹那はいつの間にか相手の気当たりによって止まっていた呼吸を再開した。隙を晒さぬように呼気を一つ、二つ、三つしたところで、月詠は一歩右足を後ろに下げた。体も屈めて、下半身に力を蓄える。素人目からでも分かるほど、月詠の次の行動は丸わかりだった。
 咥えた刃の切っ先をそのままに、己の体を顧みぬ突きによる特攻攻撃。
 それは予測した中でも一番厄介な構えであった。幾ら狂人とは言え、刹那には同じ人間である月詠を殺すまでの覚悟はない。人を守るための剣が人を斬り殺してしまえば本末転倒でしかないのだから。
 だが。
 刹那は目つき鋭く、重心を下げると右足を一歩下げて、切っ先を月詠に向けた。
 殺す覚悟はない。
 それでも月詠を止める覚悟はある。
 そよ風が二人の間を流れた。木々がさざ波を打ち、木の葉の影から射す日差しが影の位置をずらした。そんな自然の中に刹那は己を同化させていく。
 月詠は弱くなった。だが同時にとてつもない強さを得ていた。人の精神とは、段階が一つ上がるだけでこうも人を変貌させるのか。
 自然と一体化していく静の心に埋没していく中、己とは逆に周囲の自然から浮き出ている月詠の壮絶に、共感はせずとも羨望がないと言えば嘘になる。
 強くなるという願い。違いはどうあれ、月詠の精神性は、未だに惑ったままの刹那の精神性を凌駕しており、それが肉体という決定的なハンデの差を埋めていから。
 だからと言って、斬るという概念になることが正しいのか。
 答えは否。
 違うだろう。
 そういうことではないはずだ。
 そうなるのは簡単であり、そうならないことはとても難しいから。ならば刹那が未完成なのは当然のことだろう。
 いつか聞いた言葉がある。
 狂気を侠気に。
 邪道を正道に。
 狂気に陥らぬために、剣を持つ者は己の精神を律するのだ。
 今ならそれがどれほど困難なことなのか痛いほどわかる。刀とは、突き詰めなくとも何かを斬り、殺すための道具でしかない。
 そんな武器を持って、正道を、人を守ると謳うことのどれほど愚かでわざとらしいことか。
 周囲と同化していく。自己に埋没するからこその葛藤。心は静かになっていくというのに、脳裏には今は考えても意味がない疑問が幾つも浮かんでは泡のように消えていく。
 消えていくのは答えを得たからなのか。あるいは疑問に対する答えがないから目を背けて彼方に放っているからなのか。
 一瞬で全てが終わる。文字通り刹那の決闘にて、刹那は切っ先を鈍らせる思考ばかりを繰り返す。
 だがしかし、心はやはり落ち着いていた。
 何処までも己に問い続ける愚行を繰り返し。
 そうすることで精神を昇華させる矛盾した行為。
 忌むべき種族である己が、正道を行える場に居られる切っ掛けをくれた神鳴流。
 だが守ると誓いながらいつも大切な幼馴染を守れない自分。
 次こそと意気込み、素子の元を訪ねてからの今。
 そして。
 未来は。
 どうなのだろうか。
 過去も、今も、分からないことだらけだと言うのに、未来がどうなのかなど分かるわけがない。
 だが見渡す限りの闇の中でも、わかることは微々ではあるが確かにある。それは自分のことではなくて、周りの人のこと。
 もしかしたら人間というのは、自分で思っている以上に、己のことよりも他人のことのほうがわかっているのかもしれない。
 客観視。
 そう、それが大切だ。
 他人だからこそよくわかる。だがこれが己のことになると、途端に様々なしがらみが己への評価に靄をかけて見えなくさせるのだ。
 他人こそ己を映す鏡である。
 そういうものだとしたら、目の前に立つ月詠もまた、わからないことだらけの刹那を照らす、かけがえのない灯りの一つなのか。
 改めて見る。己を張り続ける少女の立ち姿を見据える。
 月詠は口に刀を咥えているせいか、まるで彼女自身も刀を構成する一つのパーツになっているようだった。
 もしくは、刀こそ月詠を構成するパーツの一つとなってしまったか。
 いずれにせよ。
 彼女の恐ろしさは、増大の一途であった。
 増大し続ける恐ろしき斬撃という名の自我。斬るという信念に支配された少女は、守るための戦い、逃げるために戦おうとする刹那とは真逆だ。
 だからこそ、己の鏡だった。
 彼女は、邪道で。
 刹那は、正道で。
 故に、コインの裏表。
 刹那は恐ろしくも弱々しい月詠をよく見た。
 少女の瞳からは伝わる意志は斬ることだけで、それ以上の余分は一切ない。
 だからこそ刹那の迷いも、この一瞬だけ研ぎすまされて削られていくのだ。
 再び、呼気を一つ。
 二つ。
 三つを経て、ゆっくりと。
 月詠。修羅に捉われた哀れな少女よ。
 お前から見た私はどう映っているのだろうか。
 乗り越えるべき壁か。
 耐えがたい醜悪な外道か。
 それとも好敵手として恋い慕っているのか。
 いずれにせよ、お前は斬るのだろう。
 斬って。
 私を斬るだけではなくて。
 斬るものがなくなるまでずっと斬るのか。何も知らぬ人々すらも巻き込んで、己の外道邪道をまき散らすのか。
 その結果、京都と同じ惨劇が生まれると知りながら。
 お前は。
 でも。

「お嬢様が居なかったら、私もそうなっていた」

 強く。
 ひたすらに強く。
 始まりの願い。原初の祈りはきっとそこに。鍛錬とは己を強くする行為に他ならなくて。
 力を求める外道だろうが。
 人々を守る正道だろうが。
 結果として、強くなりたいという願望だけは変わらない。
 だから一歩踏み外せば刹那は月詠だっただろうし、月詠も一歩踏み出していれば、刹那になっていただろう。
 だけど月詠。
 結局、同じだから。

「強さの果ては──修羅場だよ」

 直後、鋼は砕ける。鈍い輝きを乱反射する刃の亡骸に包まれながら、刹那は冷たい眼差しで呟いた。

「奥義、斬魔剣」

 戦いは、完結した。
 その時、同時に動いた二人。互いに突き出した刃の切っ先は、寸分の狂いもなく激突して、当然のように月詠の刃は砕かれ、その勢いで柄を叩いたところで力を加減したことで、月詠の口内を、濡れそぼった柄が強かに蹂躙した。
 遅れて吹き飛んだ月詠は、大地を抉り、口から柄もろとも歯や血をまき散らした。ようやく止まったあとも、常人なら喉を突き破られるほどの衝撃を受けたことによって、月詠は力なく横たわりながら吐血を繰り返して痙攣している。

「……あぁ。終わりか」

 夕凪を鞘に仕舞った刹那は、淡々と決着を把握した。
 一度、平静に陥った心は勝利の高揚にすら泡立ったりしない。
 冷たかった。
 木漏れ日の暖かさすら感じられないくらい、冷たい勝利だった。
 刹那は体を包む冷気を振り払うように月詠の元に歩み寄る。少女は吐血を繰り返し、腕がないため自力で立つことすら叶わない状態でありながら、それでも首を持ち上げて勝者である刹那を見上げていた。

「……」

「グッ……ゴホッ……ガホッ!」

 喉を潰されたことにより月詠は刹那に言葉をかけることが出来ない。それでも黒く染まった瞳は、勝者である刹那に言葉以上に分かりやすい願いを訴えかけていた。
 斬れ。
 私を斬れ。

「嫌だよ。そんなの」

 刹那はそう告げると、月詠の前に屈みこみその体を抱き上げた。

「なぁ。こんなことの何が楽しいんだ? 私自身の存在意義を否定する言い方だが、私達は使われるべきでも、ましてや進んで己を使うべきではないよ……冷たいんだ。邪道を極めようが、正道を極めようが、闘争であるこれらの道の先は、どっちも冷たすぎる」

 悲しいよ。
 刹那の言葉に、ようやく痙攣がおさまり始めた月詠は未体験の何かを見るように、驚いた様子だった。
 その反応が悲しかった。
 鳥族とのハーフである己以上に、邪道に染まりきった少女の反応が辛くて、だが涙を流すには、今の刹那は冷たくなりすぎている。

「月詠……もし勝者としての権利が許されるのならば、私と一つ約束をしてくれないか?」

「な、でず、が……?」

「今後、斬りに来るなら私だけを斬りに来い。私は何度だってお前を倒すよ。そしていつか、お前がそのままでは私に勝てないって、そう思えたら、それがいい」

 修羅の子よ。月詠という少女、修羅に魅せられた彼女を正道に戻すには、一度の敗北だけでは足りないだろう。
 なら、何度でも見せてみる。
 武器を持ちながら正道を進む困難を。その道こそ本物の強さに繋がるのだと。
 尤も。

「結局……どっちも冷たい」

 邪道だろうが正道だろうが。
 行きつく果ては、空虚な修羅場に違いない。






 修羅に魅せられただけの少女だった。
 だがそんな少女ですら、狂気的かつ一本の芯が育まれる。
 ならば本物の修羅はどれほどのものとなるのだろう。刹那は麻帆良へと帰る新幹線の中で、脳裏に浮かんだ青山の恐るべき気配に、それだけで怖気を感じた。
 逃げるという決意はさらに強固なものとなる。
 どうやって逃げるのか。どうやって逃げ続けるのか。
 手段はわからないし、刹那一人に出来ることはあまりにも少ない。
 だがそれでも刹那は成し遂げなければいけなかった。
 青山。
 恐るべき青山。
 多分、というよりもこれは確信だが、学園側の人間は信用できないと見ていいだろう。彼らが悪いというわけではなく、青山の本質を見ていない者に青山の危険性を説いた所で、それは無意味なものだからだ。
 最悪、刹那に出来るのは木乃香と明日菜と楓とネギを連れて逃げ出すことだけだろう。彼女達だけは、刹那と共に青山の脅威を体験した仲間達だから。

「……木乃香お嬢様」

 今暫くだけ、お待ちください。
 そんなことを思いながら麻帆良へ帰るために新幹線に乗ろうと駅に入り。

「あ、せっちゃん」

 聞き慣れたそんな言葉が耳に届いた。

「ホントだ。おーい刹那さーん!」

「桜咲さーん!」

「やっほー!」

 振り返れば、そこにはクラスの皆が全員そろってその場に立っていた。

「え……ちょ、お嬢様!?」

 驚いて目を見開き、刹那はそこでようやく気付く。
 クラスの仲間だけではなくて、その他麻帆良に在籍する生徒が多数そこには存在していた。
 一体どういうことなのか。刹那がその光景に当惑していると、我慢できずに駆け寄ってきた木乃香が体当たりの如き勢いで刹那に抱きついてきた。

「良かった……! 久しぶりや……! 会いたかった……」

「そ、そりゃウチも……ってどういうことですかこれ!?」

「ぇ? せっちゃん、何も知らんの?」

 意外とばかりに目を開いて抱きついたまま刹那を見上げる木乃香。何がどうして木乃香を含め学園の皆がここに居るのかわからなくて右往左往しつつ木乃香の背中にこっそり手を回していると、見かねたあやかが近づいてきた。

「公然でいちゃつくのは後にしてくださいな」

「いちゃ……! わ、私はそういうつもりでは……!」

「……ならいいのですが、とりあえず刹那さん。暫く京都に居たので事情を知らないようなので、よければご説明いたしますが」

「は、はい」

 あやかは小さく一つ咳払いをすると、これまでの経緯をかいつまんで説明し始めた。
 その内容は刹那が驚くのも当然な内容で、そしてそれ以上に青山から逃れるという彼女の願いには好都合な話に他ならない。

「つまり……暫くは京都の復興のため、麻帆良の生徒が京都近辺に来ていると?」

「まとめるとその通りですわ。宿泊施設等の問題はありますが、私を含めて、超さん等が出資したりすることでそういう部分は上手くまとめています。勿論、刹那さんの分の部屋も確保していますので……」

「あの、明日菜さんと、ネギ先生は?」

 刹那は周囲にネギと明日菜。そして他にも幾人の生徒がいないのことに気付いた。
 あやかは微かに不満げな色を瞳に浮かべ、呆れた風に溜息を漏らす。

「ネギ先生は明日菜さん以下残った生徒の方々と共に麻帆良に残っているみたいです。どうやらやらなければならないことがあるようでして……」

「やらないといけないこと……」

 その当たり前と言えば当たり前な言葉に。
 刹那は。
 何となく。
 嫌な、予感がした。

「せっちゃん……」

 刹那は自分の名前を呼び、腕に抱きついている木乃香を見た。決して離さないと、もしくは離れないでと訴えかけてくる木乃香の不安げな眼差しを見返す。
 逡巡は一瞬だった。
 刹那は、彼女を守るのだ。

「すみませんお嬢様。今は、ただ御身の隣に置かせていただけたらと……よろしいでしょうか?」

「ううん。そんなことない。ウチ、せっちゃんが隣にいてくれたらえぇんや……」

 頬を肩に擦りつけて、木乃香は最近ようやく戻り始めた微笑みを浮かべた。
 刹那はその笑顔に安堵の笑みを浮かべながら、同時に胸を突く小さな罪悪感に心を痛めていた。
 もしかしたら、自分はとんでもない過ちを犯したのかもしれない。
 だがそれでも、もうこれ以上木乃香を一人にさせるわけにはいかなかった。
 守るのだ。
 守って、守り続けて、これより先、彼女に振りかかる全ての災厄から守り続けるのだ。
 だから──

「……頑張って」

 麻帆良に居る彼らに向けて、刹那はただ祈りを捧げるしかない。

 空は、そんな彼女の祈りを覆い隠すような暗雲が立ち込め始めていた。






後書き

いつから……学園祭を行うと錯覚した?




[35534] 第二話【近くて遠くの君達に】
Name: トロ◆0491591d ID:07450041
Date: 2013/01/11 16:37

 麻帆良学園は本来なら学園祭前で賑わう時期でありながら、今は空虚な静寂が学園内を満たしていた。
 今年、いや、歴史上を見ても最大規模の災厄が降り注いだ京都。この復興のために麻帆良学園の学生達の過半数以上の人間が名乗りを上げて、現地に向けて足を運んだからである。
 切っ掛けは大したこともない。
 ただ、学園内部で上がった小さな主張が、波紋のように響き渡って全校生徒、ひいては学園の教師陣にも浸透した結果だろう。
 それこそ、驚く程の速度で。
 小さな主張。ネギ・スプリングフィールドと超鈴音による計画遂行は、そんな些細なところからまずは始まりを告げていた。

 時間は、近衛詠春の葬儀が行われてから数日後、麻帆良学園にネギが戻ってからとなる。



「僕はあなたの計画に乗ります。超さん」

 超鈴音にとって待望の一言がネギの口から伝えられた。
 放課後、超が事前にネギへと伝えていた自身への接触方法を使い、葬儀の夜ぶりに二人は一対一で対峙していた。
 場所は麻帆良の教師陣の監視の目が届かない空き教室の一つ。分かりやすいお題目や雑談も、それこそ挨拶すらも抜きにして、対峙早々ネギは己の心を吐露した。

「正直、僕には今だ何が正しくて何が悪いことなのかの判断はつきません……それでも、行動することに意味があり、ただ安寧と腐るしかない現状に留まるのがおかしいということだけはわかっているつもりです」

 ネギが出した答えはシンプルながらも確固たる決意のこもったものだ。勿論、行動することが正しいと思っているわけではないし、現状に踏みとどまることの過酷さだってわかっているつもりだ。
 だが、だからこそ主張する。現状は腐る一方だと、行動し、道なき暗黒を切り開かなければ。

「でないと、また、京都の惨劇は何処かで起きます」

 それは最早、確信に近い予感だった。
 一握りの者ではあるが、魔法使いは個人の戦力だけで、場合によっては現代の軍事力に匹敵、あるいは大国すら上回る力を保有している。そして、そんな者達が全力を振り絞らなければならない妖魔が幾つも存在する。
 であれば、いずれまた京都の惨劇が繰り返されるのは自明の理とも言えた。修行を経て、力を得てきた実感がわいてきたネギだからこそようやく得られた答えとも言える。
 極端な話。今朝まで笑いあっていた友人が、ミサイルを上回る火力を誇る化け物かもしれない。
 その恐ろしさ。
 その脅威。
 知らしめ、警告し、そして理解を求めずにどうするというのか。
 当然、脅威だけを知らしめるわけではない。魔法と言うものの危険性を伝えた上で、魔法を用いた平和を作り上げる。より良き未来のため、魔法の脅威と有効性を知らしめるという超の案は、ネギには理解できるものであった。

「……その意志に敬意を表するネ。ありがとうネギ先生。いや、同士よ」

 超は悩み抜いた上にネギが出した答えに、頭を下げてその両手を握り返すことで感謝の意を伝えた。
 五分五分。いや、部の悪い賭けであった。
 京都からこれまで、著しい成長を見せるネギを己の陣営に組み込むこと、これは青山という化け物が麻帆良に居る今を打開するには絶対の条件だった。
 だがネギは英雄、サウザンドマスターの息子。立派な魔法使いたれと、そう育てられた少年であり、であれば魔法を知らしめるという己の考えを間違っていると言う可能性が、京都の一件があったうえで、尚も高かった。
 だがそれも杞憂だったのかもしれない。ネギはよく考えた上で超を選んでくれた。
 ともすれば、拍子抜け。本当は、断られてから丸めこむ方法を考えていた超は、ネギを見誤っていた自分の線慮に失笑した。

「超さん?」

「いや……何でもないネ。ネギ先生」

 ただ、嬉しいだけだ。そう言って、浮かんだ笑みをいっそう深い笑みで誤魔化した超は、表情を引き締めると「では、改めてネギ先生にはその他同士の面々を紹介するネ」そう言って黒板に近づいた。
 そのまま馴れた手つきでチョーク入れの下に手を添えると、そこにあったくぼみに指を入れて指の腹を添える。
 すると、巧妙に隠されていた指紋認証装置が起動し、直後、黒板の中央部分が動き、地下へと続く道を開いた。
 奥へと続く道は、下へ下へと広がっている。光源は足元を照らす程度にしかなく、螺旋を描いて伸びている階段は、まるで底なしのように見えた。

「……これは」

「準備してきたことの一環ネ。他にも学園内に幾つも経路を用意しているヨ」

「なんだか悪の秘密結社みたいですね」

 冗談混じりにネギがそう言うと、超は何処か嬉しそうに喉を鳴らし、「まさにその通りアルヨ」とからかうようにネギへと笑いかけたのだった。

「それはともかく、仲間になったのだから我々の仲間を紹介しよう。ついて来るヨ」

 超が先導して階段を下りて行く。ネギは僅かに逡巡したものの、どんどん先へと進むその背中に誘われるがまま階段へと一歩を踏み出した。
 直後、ネギが入ったことで入り口が再び閉じる。特に驚くこともなかったが、閉じ込められたなぁとどうでもいいことを思いながら、ネギは超の背中を追った。
 道中、特に会話はなかった。語るべきことはあの夜と、そして今さっきに殆ど離し尽くした。
 雄弁である必要はない。少ない言葉だからこそ、こめられた意志こそ、言葉以上に雄弁と二人の心を語っていたのだから。
 歩いてからどの程度の時間が過ぎただろうか。暗がりの奥へ奥へ、肌を突き刺す冷気に体を小さく震わせた頃、ようやくネギの前を行く超が足をとめた。

「ここネ」

 長は目の前のドアをゆっくりと開いた。
 ネギは突如広がった光に手を翳して目を細めた。眩いばかりの光は、地下へと潜っていたにしてはあまりにも暖かい。
 数秒して、光に目が慣れたネギがドアの向こうにある光景を見た。

「うわぁ……」

 そこに広がっていた光景は驚嘆する他ない。学園の地下二あるとは思えないくらいに広大なドームには、無数の人造人間や四足の戦車が整列し、さらにその奥にある森林や湖には、超巨大ロボットが幾つも鎮座していた。

「小さいのは田中さんという、まぁ戦闘用に特化した茶々丸さんの先行量産型と考えていただければいいネ……そしてあそこにあるのは、かつて、大戦のときに封じられていた鬼神。京都に封じられていたリョウメンスクナと比べると、能力は半分にも届かないが、それでも麻帆良の一部を除いた魔法使いを足止めするには充分ネ」

「そして、一部の魔法使いを──青山さんを相手にするのが……」

「それは私の役目だよ、小僧……いや、ネギ先生」

 ネギは背後から響いた邪悪な声に振り返った。そこに居たのは、かつてネギに圧倒的な恐怖を叩きつけた張本人の一人、エヴァンジェリンと茶々丸、そしてクラスメートである龍宮真名と葉加瀬聡美が立っていた。
 驚くネギの前に、代表するようにエヴァンジェリンが歩み寄る。大橋の一件からヘドロのような瞳になってしまった少女は、見定めるようにネギを上から下まで舐めまわすように見つめ、満足したのかニタリと笑んだ。

「へぇ……最近は随分と面白くなってきたと思ってはいたが、こうして改めて見ると……育ってるじゃないかネギ先生」

「……エヴァンジェリンさん」

「だが駄目だ。青山は私が殺す。これは既に超とも契約済みだから諦めろ」

 エヴァンジェリンの言い草は、まるでネギが好んで青山と戦いたがるとでも言いたそうなものだった。それに不快感をあらわにしたネギは、表情を歪めて、しかしそれでも正義の魔法使いの一人として「殺すのはいけませんよ」とだけははっきりと言った。
 以前なら呆れただろう。あの大橋と同じようにネギが言ったのならエヴァンジェリンは悪態の一つでも返したかもしれない。
 だがエヴァンジェリンは笑みをさらに深くするだけにとどめた。殺すなと告げながら、同時にその瞳が如実に「それも仕方ないのかな」という別の回答を訴えているのに気付いたからだ。

「……超。どうやら貴様の人選、思いの外悪くはないみたいだぞ?」

「私もそう思っているヨ」

 ネギを間に挟み、超とエヴァンジェリンは意味深に視線を交わした。その視線の意味に気付かぬネギが首を傾げると、割って入ってきた真名がその手をネギに差し出した。

「驚きはあるが……君が加わってくれて私も嬉しいよ」

「は、はい……えと、もしかして龍宮さんも」

「あぁ、魔法使いではないが……それに関係する人間の一人だと思ってくれ。何、少しばかりだが戦闘も行えるからね、遠くから君やエヴァンジェリンをサポートするさ」

「私には必要ない」

「これは失礼」

 真名は肩を竦めつつも、ネギの手をとって握手をした。

「言いたいことは多数あるだろうが、葉加瀬共々よろしく頼むよ」

「よ、よろしくお願いします!」

 真名の後ろで聡美が勢いよく頭を下げた。
 釣られてネギも軽く会釈を返して、真名の言うとおり、聞きたいことがむくむくと込み上げてくる。
 だがまずは教師として、ネギには言わなければならないことがあった。

「……龍宮さん、葉加瀬さん。危ないので、この件から手を引いてください」

 真名の手を放して、ネギは二人にそう告げた。これからネギと超が行うことは、青山が関わる以上、死人が出てもおかしくないものだ。そんなことにクラスメートを関わらせることは、担任の教師としても、魔法使いとしてもネギには許容できるものではなかった。
 それに対して真名は困ったように苦笑。聡美は失礼な、と言わんばかりに胸を張った。

「悪いがそれは聞けない相談だよネギ先生。尤も、葉加瀬に関しては兵器設計とその他計画に必要なあれこれの支援をしてもらうだけで、直接に関わることはないから安心してほしい」

「ですが、龍宮さんは……」

「少なくとも、君以上には戦いを経験してきているつもりだよ」

 そう言う真名の佇まいは、成程、クウネルとの実戦特訓で無数に戦った戦闘者特有の雰囲気がある。
 ネギはそれでも何かを言おうとして、首を横に振って己を律した。
 理由はともあれ。そう、理由はともあれ、彼女もまた、己の意志でここにいる。その決意が本物であるならば、ネギがとやかく言うのは失礼でしかないだろう。

「さて」

 話がひと段落ついたところで、超は両掌を打ち鳴らして視線を集めた。

「話もまとまったところで、そろそろ計画について話し合うこととするネ。ここにいるものには周知のことだが、我々の最終目的は、来る学園祭の最終日、世界樹の魔力が最大までたまったのを見計らって、願望機としての役割を持つ世界樹の魔力を用い、世界に魔法があってもおかしくないという認識を持たせることにある。これは計画の最初期段階だが、同時に、最終目標である魔法と科学の共存へと至る最も重要な段階ネ」

 改めて計画のことについて話始める超。具体的な例を用いて語るのは、計画の詳細を知らぬネギのためであり、そして計画始動を直前に控えた今、改めて一同に覚悟を問う演説であった。
 超が話す計画内容は、魔法は秘匿するべきという考えの魔法使いでは対応できないものだった。学園祭に出る一般生徒の前で堂々とここに居る戦力を使用して世界樹を占拠するというものだ。
 超と聡美の解説では、ここにあるロボットは人体に危害を加えるものではないが、充分に魔法使い側を無力化する術があるという。

「そのための切り札が……学園祭期間のみに使える時間跳躍弾と、時間航行機ネ。弾丸のほうは、接触した対象を計画が終了した後の未来にまで飛ばす能力、航行機はそのまんま、使用者を瞬間的な空間跳躍、正確には未来にある別の空間に転移させることが可能ネ。この二つとロボによる強襲制圧にて……」

「待ってください」

 唐突に、ネギは超の話に割って入ってきた。超は別段不快になることもなく、いや、むしろそれが当然だと言わんばかりの表情でネギに続きを促した。

「確かに超さんの計画なら、魔法使い側の大半は身動きを封じられます。ですが計画の最終段階。つまり世界樹の制圧を見れば、何を願うかは抜きにしても、危険だと察した皆さんはなりふり構わず動くでしょう」

「それで?」

「青山さんが動きます。それが、最悪です」

 最早。
 最早、ネギにとって、青山こそ恐ろしい者だった。
 京都の一件、直接的な被害をもたらしたのはリョウメンスクナとフェイト・アーウェルンクスであったが、ネギが、あそこに居た誰もが恐ろしいと感じたのは、前者の一体と一人ではなく、彼らに真っ向から立ち向かい、ついには打倒、斬って捨てた青山に他ならなかった。

「青山さんが動けば……死人が出るような、そんな気がするんです」

 確証はなかった。しかし、京都での出会い、そして葬儀の夜の会合で激痛を発した眼が、雄弁に青山という修羅の脅威を訴えている。
 何より、場所は違えど、今やネギ自身も道を『歩き終えている』故に、青山の恐ろしさはエヴァンジェリンと同じくらいに把握していた。
 未完成という終わり。終わりがない終わりに立った少年から見て、斬撃に生きるという修羅は理解できるからこそ決して相容れない。
 そんな相手を、一般人が居る場所で解き放つ恐れがある。それは、何よりも恐ろしいことに他ならないと思うのだ。

「だから、僕はその案には頷けません。確かに超さんの計画の果てには、回避出来ぬ流血が待っているでしょう。だからと言って、回避出来る流血を享受するというのは間違っています」

「……では、他に代えのプランがあるのかネ?」

 超は試すように問いかけた。その挑戦的な視線に怯むことなく、ネギは真っ向から頷きを返す。

「今思いついたわけではなく、超さんの話を聞いてからこれまで、僕なりに考えたプランなのですが……とりあえず、学園の皆さんには、学際中全員ここから出て行ってもらいます」

 そんな滅茶苦茶な発言を皮きりに、ネギは噛みしめるように彼なりに考えてきた計画について、話しだした。







 京都復興のボランティアに学園の一般生徒を全員連れ出す。それに伴い、当然ながら引率としてついていくことになる教師陣も、事件の前後ということもあり、魔法先生並びに生徒をかなりの人数同伴することになる。そして一般生徒、並びに学園で働く人員の殆どがいなくなった麻帆良を最大戦力で強襲。相手も当然秘匿する必要がないので真っ向から抵抗するだろうが、それこそ真正面からの戦いと見せかけて、真名による援護射撃で追放する。
 これこそネギが代替プランとして提案したものであり、そのプランの第一段階も、雪広あやか並びに、超鈴音の協力によって成立することになる。学園の生徒がまとめて復興に当たるというメディアへの公表の効果も大きいものがあった。
 普段は賑やかな麻帆良の姿はない。まるでゴーストタウンにでもなったかのような閑散とした街並みが広がる中、数少ない、いや、唯一の居残り生徒である神楽坂明日菜は、いつもとはまるで違う街並みを見つめながら、ネギの言い分を耳から耳に流していた。

「だから今からでも遅くありません。明日菜さんも京都に行って復興のお手伝いをしてきてください。木乃香さんだって明日菜さんが居た方が……」

 隣で必死に説得をし続けるネギだが、明日菜はその言葉を決して聞こうとは思わなかった。
 そもそも話が急すぎるのだ。とんとん拍子で京都復興に学生が行くことが決定したのもそうだが、世界樹が願いをかなえる魔法の樹であること、そしてそれを使って世界中に魔法を知らしめること。
 全部が全部、ネギは明日菜に黙って事を進めたのである。理由だって、ネギと一部の生徒のみが学園に残るのを不審に思って、無理を言って学園に残ったらようやく観念して話したのだ。
 自分は、信頼されていないのだろうか。力になることすらできないのか。
 せめて一言、相談だけでもしてくれたらよかったのに、そんな思いが明日菜を学園に何が何でも残ってやると頑なにさせていた。
 だがしかし、罪悪感がないわけではない。どうにか京都に自分を行かせようと、理由を並び立ててネギが説得にかかってくれば、おのずとどうして学生を京都に映したのかの理由も分かった。
 青山だ。
 あの男が、動くのだ。
 あの京都で、誰よりも恐ろしかった漆黒の人間。何もかも台無しにさせる冷たい男が、必ず動く。
 そうなれば、麻帆良は無事で済むかどうかわからない。ネギはだからこそ明日菜には京都に行ってもらいたかった。
 彼にとって、明日菜は故郷に残した姉と同じ、大切な家族だ。それが極限状態が築き上げ、姉を明日菜に投影しているという、本人すら自覚していない哀れな感情だとしても。
 ネギにとって明日菜は守るべき大切な家族。例え、それが仮初のものだとしても、そう思っていることは事実だ。
 だからこそ危険に巻き込みたくないのだが、明日菜の考えは違う。うっすらとだが戻り始めているかつての記憶。幼少時のトラウマとでも言うべき、親しい者の死。
 その死した人間とネギを彼女は重ねている。だからこそ明日菜はネギの説得に、自分の無力を実感しながらも応じようとはしなかった。
 また失うかもしれない。意識せずとも、無意識であっても、その内側にこびりついているトラウマは拭い去ることは出来ず、明日菜を突き動かしている。
 結局、ことここに至るまで二人は互いを別の誰かに投影している事実から逃れることも、また、それに気付くことすらできなかった。
 もしも。
 もしも、京都の一件が何事もなく終わり、木乃香が魔法に関わることになっていたら、誰よりも二人の側にいる彼女であればその違和感に気付き、諭すことが出来たかもしれない。
 だがそれは所詮ありえたかもしれないもしもの話であり、決して望むことは出来ない意味のない空想だ。だから二人は誰よりも互いに依存している状態でありながら、誰よりも理解し合っていない彼方に立っている。

「もう! そんなことはどうでもいいでしょ! 私だって超さんの言ってることには全面的に賛成なんだから、少しぐらい協力させなさいよ!」

 明日菜はとうとう我慢できずにネギに怒鳴った。自分が力不足であることはわかっていても、それでもネギの側にいると決めているから。
 だがネギもそう簡単には引き下がれない。普段なら明日菜の声に驚き、従ったかもしれないが、今回ばかりは譲れなかった。

「……明日菜さんはわかってないですよ。わかってほしくはないのですけど。青山さんは正義にも、ましてや悪にも『属してはいけない』人間だ。そんな人が立ちふさがる場所に、明日菜さんを巻き込みたくないのです」

「そんなの……わ、わかっているわよ! 危ないことくらい!」

「……わかってないですよ。何にも」

 ネギは不愉快そうに呟いた。
 決して明日菜の頭ごなしな言葉に苛立ったわけではない。青山という人間を理解してしまっている自分を唾棄したのだ。
 最後の会合は、あの夜。
 決定的な決別があった。斬撃と、生きるという答えに終わっている修羅。そんな男をまざまざと見せつけられた。言葉以上に雄弁な会合で、互いに相容れぬ者同士だとわかった。

「僕は、わかってほしくないのです」

 アレをわかるということは、終わってしまうということだから。
 だから逃げてほしい。その願いを込めて、ネギは明日菜を真正面に立ち、左目のカラーコンタクトを取り外した。
 そこにあるのは、光すら飲み干す恐るべき漆黒の穴。

「僕の目を見てください」

「ッ……」

 明日菜は、堪らず視線を切ってしまってから、慌ててネギを再び見る。

「出来ないのが、当たり前ですよ」

 ネギは己への嘲笑を浮かべていた。毎朝、鏡を見る度に自分の目なのに竦んでしまう。
 青山とはこれで。
 これと対峙出来ることが何の自慢になるというだろうか。
 ネギは呆然とする明日菜に背を向けた。本当はこの目を見せたくはなかったから、言葉で説得したかったけれど、この目を見れば納得するほかないだろう。

「……さよなら、明日菜さん」

「それでも!」

 明日菜は咄嗟にネギの背中に抱きついた。

「私は居るから!」

 今離せば、もう二度と出会えないような気がしたから。
 だから隣にいるのだ。明日菜はネギの左目を見た恐怖から震える体で、それでもネギを包み込む。
 震えは当然ネギにも伝わった。
 怖いだろう。
 恐ろしいだろう。
 この目に宿る青山が──

「明日菜さん……」

 ネギは、そんな自分を優しく包んでくれる明日菜の手に己の掌を重ねた。
 はがされると勘違いした明日菜は、いっそう抱きしめる力を強くする。柔らかい少女の体と、優しい匂いに抱かれて、ネギは──

「僕は最低な教師です」

「ネギ?」

「隣に居てください。明日菜さん」

 温もりが欲しかった。冷たい場所に行こうとしている自分に、明日菜の優しさは麻薬のように手放せぬ中毒性があって、わかったからにはもう離さない。

「任せなさい。絶対に、隣に居るから」

 明日菜は誓いを新たにして、ネギはその誓いを聞き、必ず守ってみせると心の内で強く思う。
 互いに依存しあうような悲しい関係。けれど、その思いは間違いではないのは確かで。
 だから二人は静寂の中、静かに寄り添う。この先に待つのが冷たい修羅場だとしても、きっと乗り越えられると信じているから。

「約束ですよ。明日菜さん」

 その時、偽りであるが美しい誓いを交わした二人を祝福するように、魔力を充実させた
世界樹が、ゴーストタウンの如き静寂に包まれた麻帆良学園を、その輝きで照らしだした。

「……綺麗ですね」

「うん」

 隣り合って立った明日菜とネギは、木漏れ日の暖かさを冷たい夜に降らす世界樹を眺め続けた。
 その手は硬く結ばれて、互いの存在を感じ取るように握られている。
 もうすぐ、戦いは始まる。それは誰に知られるものでもなく、冷たい静寂で人知れず行われる寂しい者だけど。

「来年は……」

「ん?」

「クラスの皆と一緒に、世界樹を見ましょうね」

「……うん」

 明日菜はネギの横顔を見つめて、優しく微笑んだ。
 降り注ぐ光の残滓は、ただ今は二人を照らしだす。
 必ず。
 今度は皆で。
 大切な約束を胸に、ネギは来る戦いを思い、明日菜と繋いでいないほうの手を強く強く、握りしめた・


 ──結果として。
 その選択こそ、すれ違い続ける二人が起こした最大にして最後のミスであり。

 誓いをやり直す暇もなく、決着のときは刻一刻と近づきつつあった。






後書き

そろそろオリ主のターン。




[35534] 第三話【鋭利な愚鈍】
Name: トロ◆0491591d ID:07450041
Date: 2013/01/13 19:18
 時間は京都へのボランティアに学生達が赴くより前に遡る。
 危険は去ったとはいえ、惨劇の記憶は新しい。関西呪術協会の術師が京都の守護を固めているとは言え、そこに麻帆良のほぼ全員の生徒や教師が向かうと言う事態に、魔法使い側も人員を割かない訳にはいかなかった。
 幸か不幸か、それにより数十年に一度、世界樹の魔力が満ちることによる、願望をかなえる能力を使われないための警護を行う必要はほぼなくなったのは良かったのだが。
 ともあれ、京都に誰が向かう必要があるのか。京都の件とは別に、先日麻帆良を襲った悪魔襲撃事件のこともあり、麻帆良に誰かが残る必要もあるだろう。

「俺はここに残りたいと思います」

 会議も佳境に差し掛かった頃、人員の配置がある程度決まったときだ。
 その会議の場に呼ばれた、一人だけ清掃員の制服を着た場違いな男、青山が誰よりも早くそう言った。

「……青山君には我々と共に京都に来てもらいたいのだが、君はかつて京都守護役、神鳴流の剣士でもあったと聞くからね」

 ガンドルフィーニがそう言うと、含んだ京都行きの魔法使いも同意だと頷きを返す。
 青山はそれに対して困ったように頬を掻くと、一同を見渡した。

「確かに京都は俺の古巣であります。ですが京都の一件、元を辿れば、その古巣を荒らした張本人である俺が京都を訪れたために起きたことでもあるのです。そんな男が京都に再び赴けば、新たな災厄を持ち込む恐れもあるでしょう」

「だが……」

「それに、何となく……俺は、ここに残るべきだと思うのデス」

 青山は対面に立つネギを見据えながら呟いた。
 ネギはその視線を怯むことなく受け止めて、むしろ真っ向から見つめ返す。そこに込められた複雑な感情を読みとったのは、タカミチと近右衛門の二人だ。
 怒り。
 憎しみ。
 そして、羨望。
 それは暗黒の如き青山の瞳にもうっすらと滲んでいたが、それに気付いたのはネギ一人だけだった。

「……曖昧な理由じゃのぉ」

 近右衛門が青山に苦言を漏らすが、それは表向きのものだ。そこに居る誰もが、青山の曖昧な理由に納得せざるを得なかった。
 青山の佇まいは、戦場を幾つも超えてきた剣士のそれだ。時としてそんな者達が何となくという曖昧な勘に任せることはある。そしてそう言った曖昧な勘というのは、殆どの場合『当たる』のだ。
学園から殆ど人が居なくなるとは言え世界樹が魔力を最大まで溜めて発光するのもまた事実。
 もしかしたら、そこで何かが起きるのではないか。
 青山の勘はそれを暗示しているように思えた。

「僕も、青山さんは京都に出向く必要はないと思います。僕も個人的な理由があるので麻帆良に残りますし……何かあったならば、共に動きましょう。必ず」

 意外とでも言うべきか。ネギが青山を庇いたてる。しかしその言葉は協力をしたいという明るいものだが、青山を見つめる瞳は決して友好的とは程遠い。
 これではまるで、威嚇しているようではないか。誰かがそう思ったとき、気味の悪い奇声が粘液のようにぬらりと滲みでた。

「う……ひっ」

 それは。

「ひっ。いいな。それ」

 男が初めて周囲に見せる、笑みであった。
 瞬間、その場にいた誰もが、背骨が氷に代わったような錯覚に陥る。しかしその感覚も一瞬、青山の浮かべた笑みもまた幻のようにその顔からは失われていた。
 青山の呟きは錯覚に隠されて誰の耳にも入らなかったが、唯一ネギだけは竦むことも怯むこともなく、青山の一言一句を把握していた。

「そういうわけです。俺とネギ君。そして高畑さんと学園長さんが残る。なので皆さまの過半数以上は京都に向かってもよろしいかと思います……では、俺はこれにて失礼します。人が少なくなったので、仕事がまだ残っております故」

 話すことはもうないと、青山は深く頭を下げると先に部屋を後にした。普段は礼儀を重んじる彼にしては珍しくいことだ。
 だがそうせねばならないくらい、今の青山は冷静さを失っていた。
 部屋を出て一人、口元を抑えた青山はどうしようもない己を恥じた。

「……そっか」

 やはり。
 君は、そこに居るのか。
 あの場で青山を見据えていたその瞳。京都の夜では決して相容れないと思ってしまったが、何てことはない、あれはきっと間違いであったのだと今ではわかる。
 未完成などとんでもない。
 めちゃくちゃ終わってるよ。

「青山さん」

 その背中に、続いて部屋を出てきたネギが声をかけてくる。静かに振り返った青山は、これまでとは違って決して己を恐れていない真っ直ぐな瞳に緩む頬を自覚した。

「……何か用かな?」

「とぼけるのもいい加減にしてください──僕が何をしようとしているのか、気付いているはずでしょう?」

「……わかるのかい?」

 ネギは答えの代わりに左目のカラーコンタクトを外した。
 その向こうにあるのは青山と同じ暗黒だ。「痛むんですよ。あなたに知覚されているのがわかりますとね」ネギは己の目を指差して言った。
 悪魔襲撃の一件で完全に己の答えに至ったネギは、誰にも言ってはいないものの、今では青山と同じく麻帆良全域の気配を察知する能力を得ている。遥か高みから下を双眼鏡で見渡すのと同じだ。終わりという頂点にいるからこそ、そこに至らず進もうとする者達の気配を容易に察することが出来る。
 だが本来同じ領域、つまり完結している人間である青山にはこの知覚は通じないのだが─悪魔襲撃の前、青山が刀子の接近を察知できなかったのも同じような理由だ。正確には自身と同じ雰囲気を纏っているために察知がむずかしくなっただけではあるが─しかしネギの場合、未完成という終わりにいるからこそ、青山という完結した別物の同類が、完成していないからこそわかる。そしてそれは青山もまた同じであった。

「……そういうことだったのか」

 青山もまた、ネギ程ではないが痛みを訴える両目の理由をようやく悟った。
 そこの理屈は言葉では上手く伝えられないが、終わり同士だからこその共感があったのか。最近はネギを辿る度に痛んでいた理由を知って納得する。
 そして青山は当然、彼が学園の地下に潜っていることも察していた。そして地下に幾つもの鬼神の気配があるのも把握済みだ。
 その傍に頻繁に行っているネギと、集まっている実力者、極上の吸血鬼。
 さらにこのタイミングで、今よりさらに前、ネギがボランティアで学生を京都にという意見が出ていると進言したこと。
 青山でなくても、これだけの要素が重なっているのを知れば、ネギが何かを行おうとしていると気づくだろう。そして青山は知らないが、超鈴音が関わっていることも知れば、麻帆良の魔法使い達は京都に多数の魔法先生を派遣しようとはしなかったかもしれない。
 だがそれも痕の祭り。事前にネギ本人が京都で起きたことを事こまかに説明することで、京都へ送る人員はタカミチと近右衛門を除き全員引っ張ることが出来た。これで後は転移遮断のパスを秘密裏に組み立て、京都から増援として来られないように仕向ければ問題ない。
 しかし、それでもなお、青山が残っている。

「……なら、俺も京都に行けば良かったのかな?」

「まさか」

 ネギは笑えぬ冗談を嘲るように鼻を鳴らした。
 超と事前に話した時は、可能な限り青山を優先して京都に送るべきだと彼女は言ったのだが、そこにはネギとエヴァンジェリンだけは頑なに反対している。
 その理由は単純明快。

「僕は、あなたを見誤ったりしませんよ」

 そのために舞台を作り上げたのだから。ネギは青山との距離を詰めて、その顔を見上げた。
 ネギは聡い子だ。故にクウネルとの修行で得られたあらゆる価値観が、青山の存在に警報を鳴らしていた。
 この男は。
 この修羅は、本来在ってはいけない存在だから。

「僕ら──僕の計画の最大の障害はあなただ」

 魔法をばらしたその時、超は考えていない、いや、あるいは考えたくないことだったのかもしれないが、ネギはその時のことを考えている。
 つまり、魔法が知れ渡った世界に、青山が居るという可能性。

「それは……物騒な話だな」

 青山は本当にネギがどうしてそこまで自分を警戒しているのか分かっていない様子だった。
 その態度は、明らかに先程までとは矛盾している。ネギが自分を見ていると分かっているはずだったのに、そこに込められた敵意を感じ取っていないわけがないというのに、
 この男は、何故自分が警戒されているのかまるで分かっていない。
 だから、最大の障害なのだ。

「あなたは動物的すぎる……エヴァンジェリンさんに言わせれば、人間らしすぎるとでも言うのでしょうが」

 その矛盾した姿こそ、青山が己の本質に支配されている最大の理由だ。ネギは未完成であるために、人間らしさを善悪で判断出来るけれど。

「あなたは……何も分かっていないんだ」

 善悪を知らぬ、ではない。
 善悪を基準としないのだ。
 だからこれまで青山は矛盾した行動をとり続けてきた。ネギはその矛盾を殆ど知らないけれど、それでも言葉よりも雄弁に青山とは語っているから。

「分かってる癖に。分かりきってない。おかしいですよ、青山さん」

 それは、かつてエヴァンジェリンが戯れに告げた言葉と同じだった。
 正気ではない。
 つまり、修羅。

「そんな人は、この世界に必要ない」

 こんな会話を、今も部屋で話し合っている彼らが知れば、ネギの正気を疑ったかもしれない。
 だが仕方ないだろうなとネギは思う。
 さらに言えば、青山を敵視している超だって、何もそこまで言う必要はないだろうと言っただろう。
 それも仕方ないだろうなとネギは思う。
 肯定する者がいるなら、エヴァンジェリンと、ネギは知らぬが、素子くらいか。
 この世には、存在してはいけない命は、存在する。
 本来、世界に必要ないと言われる悪ですら、悪に生きる者にとっては必要であることを考えれば、世界には存在してはいけない者などいないのだが。
 青山は例外だ。
 この男は、存在が許されない。

「……酷い言われようだな。俺は、君に何かしたかな?」

 青山は無表情のまま静かに言い返した。やはりその声色は、どうしてそこまで言われるのか、本当に分かっていなくて。
 たまらなく、気持ち悪い。
 だからこそ、ネギは言わなければならないことがあった。

「……正義とはなんでしょうか?」

 唐突にネギはそんなことを聞いてきた。

「人を守り、成長させ、暖かき場所を尊ぶことだ」

 青山は間髪いれず、ここに来てから培ってきた善の在り方を誇らしげに語る。

「……悪とはなんでしょうか?」

 ネギはその答えを反芻することなく、続けて問う。

「人を殺め、潰し、苦しめることだ」

 青山は間髪いれず、あの悪魔のことを思いだした。そして、人を困らせていたかつての己を思いだし僅かに苦々しげに答えた。

「……貴方は、何のために生きているのですか?」

 そしてネギは問う。
 青山はやはり間髪いれず。

「斬るために」

 胸も張らず、苦々しくもならず、呼吸するようにその言葉を吐きだした。

「だからあなたを許してはいけないんだ」

 ネギは疲れたように呟いた。
 首を傾げるのは青山だ。一体何がいけなかったのか、やはり何もかも分かっていなくて。

「斬るために生きる人間なんて存在しません」

「え……?」

「生きることの意味は、斬ることではない。それは、いつまでも探し続けることだ」

 ネギははっきりと青山に己の中の答えを叩きつけた。例えネギの答えもまた、未完成という完結に縛られたものであるが。

「な、に?」

 だがそれでも、青山には衝撃的な一言だった・

「そ、んなの……違う。俺は、俺達は生きてるから、斬るから……」

「斬ったら人は死にます」

「それは当然だろ? だって、生きることは死ぬことだから。斬ることは死ぬことでもあって──」

「あなたの言い分では、人殺しは正当化されます」

「仕方ないんだ。兄さんを、錦さんを、殺し、殺して……」

「……やはり、木乃香さんのお父さんを殺したというのは、言葉通りだったのですね」

 京都で取られた調書にはネギも目を通している。そのときの青山が語った内容もネギの頭には入っていて。
 やはり。
 やはり殺したのか。
 ネギはさらに一歩青山へと詰め寄った。すると、押される形で青山が一歩下がる。

「どの口で正義を語れますか? 殺したのでしょう? あなたはあなたが苦々しく思った悪を行ったのに、どうしてそれが当然だと受け入れられるのですか……!?」

「俺は、俺は生きているから、生きていることを伝えるために……」

「殺した」

「ッ……」

「あなたが、殺した……!」

 同類だからこそ、ネギの言葉は青山に響いていた。
 これがフェイトと戦う前の青山であれば、ネギの言葉すらも響いていなかっただろう。何故なら、善と悪を理解しながら、青山は斬ることを別としていたから。
 しかし今の青山は違う。生きるという答えを得て、以前よりもさらに鋭さを増したものの、それは限りなく薄刃の鋭利。
 矛盾しているのだ。
 斬るという悪と。
 生きるという善が。
 どうして、混ざることが出来るのか。
 透明な斬撃だった青山に刻まれた確かな傷。
 フェイト・アーウェルンクス。
 確かに、生きるという答えを得た彼は、青山に勝利し、傷跡を残していたのだ。
 だからこうして追い詰められる。誰もが追求することも出来ず、気付いていた者すら追求しようとしなかった決定的な矛盾が。

「斬るのが生きること? 違いますよ。あなたのそれは、生きようとしている命を、己のエゴで殺し尽くしているだけでしかない……善も悪もなく、最も醜悪なやり方だ」

 同じく終わりに立つ少年の手によって、暴かれようとしていた。

「……ッ」

 青山は僅かに唇を噛んで苦汁の表情を浮かべた。
 返す。
 返す、言葉がなかった。
 だがそれは反論の言葉を告げようとしているからではない。

「どうして……」

 ここまで言われ。
 ここまで矛盾を突かれて尚。

「どうして、分かってくれないんだ……」

 青山は、己の矛盾を決して理解していなかった。
 ネギもそれは分かっていたのか。己の言い分は分かりやすいと信じている青山に呆れながらも、決して驚きはない。しかし分かっていて尚、言わずにはいられなかった。
 何故なら、こんなことになるまで、青山に誰もそのことを言わなかったから。
 もう手遅れだけれど。
 それでも、伝えるべきだと思った。
 でなければ、この人はあまりにも報われなさすぎる。

「あなたこそ、周りを分かろうとしてないじゃないですか」

 他人を理解しようとせずに、己だけを理解してもらえると確信しているその精神。
 世界最強レベルの使い手すら上回る圧倒的な戦闘力や、揺るぎようのない心に隠されて見えないが、青山という男の本質はそれだ。
 何処までも自分勝手。
 駄々をこねる童にすら劣る、自分本位。
 まるで幼少の魂が一切の経験を積み重ねずに大人になったような男だった。

「……何て、有り様」

「それが、俺だよ。ネギ君」

 悲しげに瞳を細めて、さも傷ついたとばかりに呟く青山に対して、ネギは歯を噛みしめて。

「無様ですよ。青山さん」

 吐き捨てる。
 言葉には最早、何かを変える力はなかった。






 その時のことを思いだして、俺は僅かに落ち込み、小さく溜息を吐きだした。

「……どうかしたのかな?」

 隣に立っている高畑さんが俺を心配して声をかけてくれる。

「いえ……何も。何でも、ないのです」

 俺は生徒を乗せて京都に向かっていく新幹線を見送りながら呟いた。
 これで麻帆良に残った魔法関係者は俺と高畑さんと学園長さん。そしてネギ君と彼の生徒の幾人か。
 その内の一人、超鈴音。
 彼女が残るとわかったとき、何故か麻帆良の魔法使いをさらに何人か残すべきだという意見が出た。
 尤も、彼女一人で出来ることはあまりないこと、そして学園の最高戦力である高畑さんと学園長さん、そして嬉しいことに俺を信頼してくれた彼らは、最後まで心配してくれたものの京都行きの新幹線に乗り込んだ。
 新幹線はあっという間に小さくなっていく。ものの数秒もしないうちに視界からなくなった新幹線から視線を切った俺は、同じく見送りに来ていたネギ君達を見た。
 俺の側には、学園長さんと高畑さん。
 対して離れた場所に居るネギ君の側には、超鈴音を含めた数名。どうやら強引に残ることを決めたネギ君のルームメイトと言い争っているらしい。

「……どうやら、彼女達が残る生徒のようですね」

「そうだね。わかっているはずだけど、超鈴音はともかく、龍宮真名も学園では有数の戦力を誇る傭兵だ。彼女も残る以上、気を引き締める必要がある」

 かつての生徒を疑うのは教師失格だがね。
 そう締めくくって自嘲する高畑さんへ俺は首を振って答えた。

「仕方ありません。信じるのが教師の仕事であれば、疑うことは大人の役割です」

 相反することだが、盲目であることは良いことではない。俺はそう思うのだが、高畑さんはそれでも、生徒を疑う己を恥じているようであった。
 無理もあるまい。そも、俺如き一介の清掃員の助言、しかも剣しか知らぬ男の言葉がどう響こうか。

「ありがとう、少し楽になったよ」

「いえ」

 それでも俺を気遣ってそう言ってくれることに、逆に俺こそが申しわけなく思ったり。

「だがしかし、賑やかでありますね」

「うん。居残り中も、彼らがあの賑やかなまま過ごしてくれればいいんだけど」


 高畑さんは活発な子に喚き散らされて困り果てているネギ君と、その周りでニヤニヤと笑っている超さん達を見て、穏やかに微笑んだ。
 俺も。
 俺も、そうあってほしいと願うばかりだ。

「えぇ、全くその通りです」

 だが現実はそういかないだろう。
 予感は、確信に変わっている。
 ネギ君から受けた宣戦布告。それがあるから、学生が居なくなった今、きっと逃れられない冷たい場所は必ず来るはずだ。
 恥ずべきことに、京都の反省を全く生かさず、今回も俺はネギ君のことを黙ったままでいるけれど。
 だが仕方ない。
 それが俺だ。
 恥ずべき者こそ俺だ。

「だから……斬り合おう」

 きっと、対峙の時はそう遠くない。目を閉じれば脳を揺らす凛とした歌声を想像して、俺は高畑さんと同じように、彼らの姿を見て穏やかに微笑んだ。






後書き

ネギ「必要ないのだ! 宇宙に! 青山は!」

こんなお話でした。



[35534] 第四話【遠く、戦いへ】
Name: トロ◆0491591d ID:c5d28fff
Date: 2013/01/22 01:20

 麻帆良学園の世界樹が大発光をした次の日、ネギは己の意志を伝えるために、師であるクウネル・サンダース。アルビレオ・イマの元に足を運んだ。
 超の計画に賛同してからは来ていなかったためか、修行に使っていた地下の広場は何処か懐かしい。巨大な滝壺の傍、いつもクウネルと二人で座学やお茶会を行っていた一角。そこには依然と変わらぬ様子で一人お茶を楽しむクウネルの姿があった。

「師匠」

「お待ちしておりましたよネギ君……どうやら、お茶を飲みに来たというわけではない様子ですが」

「えぇ、この後直ぐにでも行かなければなりません」

「そうですか。であれば、私は止めませんよ。エヴァンジェリンの封印も解かれようとしている。地下に寝ていた鬼神の群れも起動を始めたようだしね」

 クウネルは何もかも分かっているような口ぶりだった。いや、その程度当然だろう。ネギは驚くこともなく受け入れる。
 彼がこの麻帆良に滞在してからこれまで、何もしなかったとは考えられない。おそらく、麻帆良で起きていることならば、クウネルの探知能力はネギや青山すらも上回るのではないか。

「止めないのですね」

 だからこそネギにはそれが不思議だった。
 今からネギが行おうとしていることは、善悪はどうあれ、世界に混乱を招く一石に他ならない。聡いクウネルが、今しがた口にした情報からそれを察せないということはないだろう。
 既に気付いているはず。なのに、クウネルは決してネギの行動を咎めようとしなかった。

「修行を始める時、私は言ったはずですよ。あなたには善悪について教えると。だが、あなたに善行を行ってもらうと強制したつもりは一度だってない」

 クウネルは淡い笑みを浮かべながら答えた。その微笑みとは裏腹に、彼の内心は複雑なものである。

「師匠……僕は、それでもやはりあなたの期待を裏切っているような気がするのです」

 ネギも薄々とクウネルの内心に気付いていたのか。彼を気遣うような言葉を口にしながら、申し訳なさそうに表情を曇らせる。

「でももうどちらが善か悪かわからなくて、何もかもわからないけれど、それでも前に進むって決めたから」

 ネギが続けて口走った言葉に、クウネルはやはり曖昧に微笑みを返すばかりだ。

「せめて決意だけは伝えたかった」

「なら、そのまま進めばいいでしょう。あなたの気持が赴くままに、あなたの道を、一歩ずつ」

 クウネルはそう返しながら、やはり己は失敗したのだろうと悟り、心を曇らせていく。
 最悪ではないが、それでもネギを導くことにクウネルは失敗したのだろう。ネギの言葉は、聞けば善悪の価値観に苛まれながら、しかし前に進もうとする崇高な意志を持っているように聞こえる。
 しかし、クウネルはその言葉に込められた最悪を見抜いていた。
 わからないと、ネギは言っている。
 この少年は、善悪の基準がわからないと言っているのだ。
 それは。
 それはとても危ういことなのではないだろうか。

「僕がこれから行うことは悪なのでしょう。でも、僕にはこれから行うことが、本当に悪に基づく行いのかやはりわからないです」

 客観的な情報として、ネギは己の行いが悪であるという仮定はしている。
 しかし、彼本人の答えが、未完成という完結が、ネギ個人の考えを曖昧にさせていた。
 善悪の基準が分からない。
 正確には、客観的な善悪の基準を持ちながら、ネギは主観である未完成を基準にしているため、その客観性を是と出来ないのだ。

「……それでも、進むと決めたのでしょう?」

 クウネルには、彼の迷いを僅かに照らす灯火を手渡すことしか叶わない。
 斬撃と生に終わった青山。
 未完成に終わったネギ。
 辛うじて、ネギは人間に寄り添える可能性の終結に居るが、青山もネギも、善悪の基準を無視しているという点では、同類と言っても過言ではなかった。

「はい」

 ネギは返事こそはっきりとしていたが、表情は曇ったままだった。クウネルはその表情をどうすることもできないから、せめて助言だけは伝えておく。

「出来れば、彼にだけは近寄らないでほしい」

 瞬間、ネギの瞳がぎょろりとクウネルを見上げた。

「あの人は、ここで落とします」

 先程までの暗い表情が全て演技にすら思える程、ネギの瞳は冷たい輝きを帯びていた。
 青山という男を、ネギはある境から嫌悪するようになっている。それはやはりネギもまた同類となり果てたからなのだろう。

「あんな人が、認められるわけがない」

 そう憎々しげに語るネギ。
 しかし彼は気付かない。会議の後の会合。一方的に青山を断罪したその言葉の全てが、今のネギにも当てはまるのだということを。
 周りをわかろうとしていない、そうネギは言った。
 だがそう断罪する本人こそ、何もわかっていないというのは、あまりにも皮肉が効きすぎている。
 ネギ。
 未完成に終わった英雄の息子。
 楓が言っていた、超えてはならぬ壁を超えてしまった哀れな少年。
 何故、彼がこうなってしまったのか。兆しは大橋での会合から既にあったのだ。振り返ればそこからだろうと、目の前の冷たい眼を見返しながらクウネルは推測する。
 ネギは吸収してしまったのだ。夜を従える真租の吸血鬼を、封じられていた恐るべき鬼神を、造物主が作り上げた無敵の使徒を、悉くその刃で斬り伏せた青山という男。
 その男が得た力の源泉を、ネギは取り込んでしまった。
 天才だった故に、天才を極めた者に無意識ながら魅せられる。ネギはただ魅せられ、そしてその後を無意識で追い。

(……最後のひと押しをしたのは、私だったわけだ)

 様々な人間の生きざまを教えることで、ネギはそれらも取り入れ、知りえる中で最大の個性であった青山をベースに、自らの答えを手に入れてしまった。
 だがこれについてクウネルを責めるのは酷というものだろう。むしろ、クウネルがネギを師事しなかった場合、青山と同じか、あるいは同じような性質の回答を得た修羅に鳴り果てていたはずだ。
 遅かれ早かれ。
 結局、爆弾の導火線に火は点いていたのだから。

「マスター?」

 ネギが冷たい眼差しを一転させて、笑みを消したクウネルを不安げに見上げてきた。

「いや……何でもありませんよ」

 クウネルには最早そう返すしか出来なかった。
 なまじ、ネギを守ることが出来る立場に居たからこそ、悔まれる。
 大橋の時点で、いや、青山が麻帆良に来た時点でどうにかしていれば──というのも、不可能だろう。普段の青山はただの青年と代わりなく、大橋の時点では、彼は以上の一端しか見せなかったから。
 だが。
 しかし。
 それでも。
 もしかしたら。
 あらゆる可能性に思考を張り巡らせて、だが現実は戻すことは出来ず、零れた水を再び盆に戻すことは不可能。
 選択の果てに、今がある。ならば大切なのは、ここから何が出来るかなのではないだろうか。

「さぁ、もう行きなさい」

 クウネルはネギの肩を優しく押した。
 押されるがままに一歩後退したネギは、クウネルの様子に後ろ髪引かれる思いがあったのか、何度も振り返りながら地下を後にする。
 その背中を見送ったクウネルは、ゆっくりと頭上を見上げた。地下だというのに太陽の光の如き暖かな輝きが地下を照らしているが、彼が見ているのは暖かな光ではない。

「……隠居するというわけにもいきませんか」

 麻帆良全域に張り巡らされたクウネルの知覚は、今は大人しく佇んでいる青山の気配を察知する。
 選択の結果の今。
 だが、この男こそ無限の選択肢を一本に斬り捨てた張本人であることは間違いあるまい。

「タカミチ君と学園長がネギ君を抑えている間が勝負ですかね。旧友の戦いを邪魔するのは、些か心苦しいものがありますが」

 クウネルは。
 アルビレオ・イマは、人間が好きだ。

「認められない、ですか」

 だがしかし。
 だからこそしかし。
 何もわかっていないネギだけど。
 その言葉は、正しかった。

「確かに、あなたを認めるわけにはいかないのでしょう。青山君」

 選択を行う。
 正しいのか間違いなのか。その答えはわからないけれど。
 選択しなければ、いつまでも立ち竦んだままなのだ。





「遅れました」

 クウネルの元からネギが向かったのは、別の入り口から通じる超の地下秘密基地であった。
 息を切らしているネギが到着したころには、既に実動員である聡美と茶々丸を除いた三人は既に集まっていたらしい。申しわけなさを感じて頭を下げるが、超は気にした様子を見せず「いや、皆さき来たばかりヨ」とデートの常套句で場を和ませた。

「明日菜さんは?」

「ハカセのとこに置いてきたネ。彼女のアーティファクトは魅力的だが、今回の主戦力が純粋な戦士が主軸となれば、あまり有効には扱えないヨ」

 まるで使える状況ならば使ってみせたとでも言うべき超の言葉だが、それは彼女らしい冗談だ。だがあまりにも皮肉が効いているその冗談は、超にしてみれば意外な程ユーモアに乏しい。
 超もそれがわかっているのか。咳払いを一つして発言を誤魔化した。計画の最初期段階とはいえ、一世一代の大勝負を前に彼女も緊張をしているのだろう。
 改めて超は並び立つ三人を一人ひとり見た。各々、理由は違うとは言え集まったかけがえのない同胞達、彼らに対して自分が出来ることは、誓いを新たにすることだけだった。

「このままいけば、いずれは訪れることになる未来。緩やかに首を締めあげ、窒息するのが目に見えている世界に、新しい息吹は必要ネ。その結果、新たな空気に紛れたウイルスが世界を蝕んだとしても、なさねばならぬことがある」

 魔法を知らしめる。
 それにより生まれる歪み、混乱、そして流血。
 計画の第一段階を超えて、第二段階に入ったとき、決して目を背けることのできない不幸が待ちかまえている。

「勿論、そうならぬように事前に最大の労力は行てる。しかし、だがしかし、便利すぎる力というものは、人の心を容易に歪めるだろう……そこから目を背けてはならない」

 彼らは、混乱を招かぬように停滞させてきたことを、あえて動かそうとする革命者だ。だから見届けなければならない。導かなければならない。
 その幼い心と体で、全てを受け止める義務がある。

「覚悟は、あるか?」

 最後通達。超はここに居るネギ達に問いかける。
 その真意を。
 その覚悟を。

「私はお前の計画に賛同した。だが生憎と私には銃器の扱いしか特技はなくてね……だから、引き金をお前に預けるよ、超」

 真名は言葉少なく、その眼に確固たる決意を乗せることで言葉以上に雄弁に覚悟を告げた。
 ネギは彼女が歩んできた道のりの過酷さを知らない。どうすればここまでの鋼の意志を手に入れることが出来るのか。それを知るには、ネギは真名のことをあまりにも知らなくて。
 しかし、覚悟は伝わってきた。真名は己で選択し、行動をしようとしている。教師だからではなく、一人の人間として、ネギはその意志を尊重した。

「くだらん」

 そんな覚悟を嘲るのは、やはり全てを見下したような笑みを浮かべるエヴァンジェリンだ。
 ここにいる者で、エヴァンジェリンだけは計画とは無縁の場所に居る。むしろ、計画の先を見据えるなら、今ここで排除しなければならないほどの化け物であろう。
 真租の吸血鬼。不死の化け物。その本質に落ちてしまった化け物は、だからこそここにいる者と比肩、あるいは上回る覚悟をしている。

「貴様らのことなど実にどうでもいい……が、青山と遠慮なく戦える場所を提供してくれる、このことだけは感謝しよう」

 唯一人、地獄を望む恐ろしき化け物は、間近に迫ってきた宿敵との戦いを思い浮かべて笑みをいっそう深くした。
 未来も。
 過去もない。
 あるのは全てが冷たくなっていくこの修羅場のみ。
 故にエヴァンジェリンは超の陣営のジョーカーだ。場をひっくり返すことが出来る強力な札だが、この札は彼ら自身を凍らせる諸刃の刃でもある。
 だからこそ、切り札は存在する。超はエヴァンジェリンから視線を切って、土壇場で獲得することが出来た切り札、英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドを見た。

「……僕には、超さんや龍宮さんみたいな意志や、エヴァンジェリンさんのように戦いだけに没頭する精神もありません」

 わからないのです。
 ここに至るまで、ここに至るからこそ、惑い、悩む。苦悩することを永遠に決定づけられた哀れな少年は、それでも前に進むことだけは止めない。

「僕らの行いは、やはり人々から見たら悪なのでしょう。ですが、やはり世界を思う正義の心でもある……ならば、僕は前に進んで確かめたいのです。停滞したままでは光なんて見えはしない。進んで、暗闇を照らしていくことを選択し続けるしかない」

 永遠に完成しない。
 だが完成を求めて突き進む。
 わからないとネギは言う。その答えは子どもらしくもあり、求道者の崇高な苦行でもあり。
 やはり、矛盾を孕んだ終わりの回答でしかなかった。
 超達はネギの答えをどう受け取ったのか。神妙な面持ちの彼女達、唯一、隠しきれぬ笑みを噛み殺そうとしているエヴァンジェリンだけが、その本質を捉えているのか。

「僕はあなたの計画こそ、前に進み、いずれ再び起きる災厄を防ぐ手だと思いました。その心だけは嘘ではないから、僕は、僕のためにも計画を遂行します」

 初心に従い、矛盾を抱きながら進む。
 今は前に、ひたすら前に。
 その行いは、やはり初心。
 かつてのように。
 あの時のように。
 大きな背中を追っている瞳。

「行きましょう、みなさん」

 ネギがそう言って踵を返すと、それぞれが意志を胸に秘めて歩き出す。
 この世に悪があるとすれば、おそらく今のネギ達は悪の部類に入るのだろう。
 世界を混乱に陥れる。
 まさに魔王の如き所業。
 だと言うのなら。
 もしかしたら、ネギは無意識の内に願っているのかもしれない。
 悪を滅ぼす正義の味方。英雄の姿を。
 ならばやはり、ネギの言葉は嘘なのかもしれない。
 ピンチになったら現れる。
 何処からともなくやってくる。
 ──どうかお願いたします。
 急いで。
 早く。
 ここに来て。
 かつてと変わらず、少年の瞳は終わった今でさえ父親を求めているのかもしれなかった。






 太陽も地平線に落ちる間際、辺りに漂う静けさは、まさに嵐の前の静寂だった。
 学生の殆どが京都に行ったことにより、ほぼゴーストタウンとなった麻帆良学園都市。しかしその日は、さらに輪をかけて人がいなかった。
 いや、最早人一人すら存在していない。
 残っていた数少ない一般人も、超によって身元が割れているため、一人ひとり人払いの魔法を行使することで麻帆良の外へと追いだしたのだ。
 舞台は整った。完全なるゴーストタウンと化した麻帆良学園都市に残ったのは、京都と麻帆良で人員が半分以下にまで減った魔法使いのみ。

「作戦、開始ネ」

 超が地下から一言言葉を響かせると同時、麻帆良郊外に待機していた茶々丸と聡美が、麻帆良学園の結界内部へとハッキングを開始する。
 まずは第一段階。
 結界および麻帆良全域の通信網を掌握。しかる後にエヴァンジェリン・A・K・撒く打ウェルの本来の姿を解放する。
 そして嵐は唐突に来る。まずは現実ならぬ電子の世界から、超鈴音が長年にわたり練り上げてきた、世界を脅かす計画が始動した。
 茶々丸によるハッキングは、学園に残る魔法使いではどうすることも出来ない。混乱し続ける管制室は、茶々丸の能力を最大限に使用されたことにより、抵抗空しく学園内の情報網および結界等、麻帆良を管理維持する全てのシステムを奪われることとなった。

『こっちは完了だよ。いつでもどうぞ』

 通信越しに聡美が超に掌握成功の知らせを送る。ここまでは何の障害もなく終わった。もう少しすれば、エヴァンジェリンの封印を解除することも出来るだろう。
 順調な滑り出し、しかし本当の戦いはここからであることは超でなくても分かりきっていた。

「全軍起動ネ。これより、世界樹周辺のエリアを確保する」

 号令一つと共に、地下でその出番を待ち続けてきた機械歩兵と戦車。そして機械制御された鬼神が起動する。入水、麻帆良の大橋から広がる川と図書館島周囲の湖から、彼らはついにその姿を現した。
 戦力を二つ、いや、エヴァンジェリンを含めて三つに分けて麻帆良中心部の世界樹を制圧する。物量差があるからこそ作戦自体はシンプルに。

「では、踏み出すとしようカ」

 世界を変える一歩目を。






 タカミチ達、麻帆良に留まった魔法使いがその異変に気付いたときには、既に何もかも出遅れた状態となっていた。
 正反対の場所から同時に現れた膨大な数のサイボーグと戦車、そして大戦でも滅多にお目にかからぬ巨大な体躯の鬼神の混成部隊。
 決して油断があったわけではない。タカミチと青山は類まれな嗅覚で戦いの気配を感じていたのだが、タカミチは突如居場所がわからなくなったネギに対して嫌な予感を察知し、単身その身柄を捜索したことで出遅れ、青山に関しては、それ以上に強大な気配を前に、迫りくる機械の軍勢に構う余裕すらなく、改めて作りだしたモップでは力不足と察知、急ぎ愛刀の証を取りに言えに戻っているため、対応出来ずにいた。
 一時的とはいえ最大戦力の二つを欠いた状態。長である学園長がやすやすと動けぬ現状では、実質麻帆良の魔法使い側の戦力はその九割以上を損なった状態と言っても過言ではなかった。

「くぅ。なんなんだこれ……!」

 図書館島方面。何とか異変を察知して急行した瀬流彦達魔法使いは、市街に入り込んだサイボーグ、戦車、そして異様な迫力で一歩一歩確実に距離を詰めてくる鬼神を見ながら罵声を吐きだしていた。
 ここにいる魔法使いは僅か十人にも届かない。これでは侵攻を防ぐことはおろか、歩みを遅延させることが精々でしかなかった。
 瀬流彦が展開した防御結界に、戦車から放たれるビームと、量産型のサイボーグ、T-ANK-α3の力任せの一撃が次々に突き刺さり、結界が軋みを上げる。
 完全に劣勢に追い込まれていた。最早後数分堪え切れるかどうかという状況。それでも苦悶を浮かべながらも共に必死に侵攻を食い止めている同僚のことを思い、瀬流彦は隣を見て。
 彼の目の前で、同僚の魔法使いの一人が謎の黒い球体に飲み込まれ、最初から存在していなかったかのように、その場から消失した。

「え……」

 当惑。
 混乱。
 直感。
 反射的にその場から離脱した瀬流彦に遅れて瞬き、先程まで彼が立っていた場所に、先程と同じ黒い結界が広がった。

「なんだ……これは……!」

 見えない場所から魔法を放たれている。瀬流彦は瞬時に判断すると物影に隠れるようにして後退を始めた。
 そんな彼を逃さぬと謎の魔法は次々に着弾する。身体能力を強化しながら全力で後退している今の瀬流彦は、野生の猛獣の反射神経すら超えるはずだが、恐るべきことに謎の魔法はそんな彼を正確に追い詰めるどころか、徐々に誤差を修正していた。
 このままでは捉えられる。だがどうしようもない状況で、後ろに飛び続ける瀬流彦に影が射した。

「しまっ……!」

 飛びかかってくる三体のサイボーグ。謎の狙撃は、瀬流彦を確実に捉えるためにその逃走経路を限定させてサイボーグの待つ袋小路へと追いやったのであった。
 気付いたときには行動は遅すぎる。サイボーグの超人的な能力で瀬流彦の体が拘束される。その間は僅か。しかし、それだけの時間があれば、得体のしれぬ魔法の使い手──否、狙撃銃を構える美しい狙撃手、龍宮真名には充分以上だった。

「悪いね」

 心にもない謝罪を一言。同時に引き金は絞られて、着弾した対象を時間跳躍させて未来へと飛ばすという恐るべき魔弾。超鈴音がこの計画のために作りあげた切り札の一つ。強制時間跳躍弾─B・C・T・L─が、超音速の速さをもって、サイボーグもろとも瀬流彦を未来の麻帆良へと吹き飛ばした。
 対象の跳躍を確認して、真名は次の標的に照準を合わせる。サイボーグの物量に押される形になっている魔法使い達は、動きを抑えつけられて、格好の的でしかない。

「……確実に、飛んでもらう」

 次の標的に狙いをつけて、殺意を宿さぬ鋼鉄の意志が正義の使者を食いちぎる。図書館島戦は、最高戦力の欠如ということもあり、勝敗が決しようとしていた。






 一方で大橋側の戦いは、図書館島とは違って侵攻がある一点で抑えつけられていた。
 市街に入り込んだサイボーグの残骸が幾つも道に散らばっている。いや、そこは街道というにはあまりにも崩壊していた。
 巨大な重機で念入りに削ったように、道が抉られていた。真っ直ぐに伸びた破壊の痕は、しかしある一点から後ろは崩壊はおろか、サイボーグの残骸すら散らばっていなかった。
 破壊と日常の境界線上。そこに立つのは麻帆良学園が最高戦力が一人。魔法使いであれば名前を知らぬ者など殆どいないとされる実力者、タカミチだ。
 ポケットに両手を仕舞うという隙だらけの姿ながら、その体が纏うエネルギーは、人間が一人で扱うには望外なものである。
 それこそ究極の技法。魔力と気を合成することで、内と外に力を纏い膨大な出力を得る高難易度技術。
 名を、咸卦法。
 ネギが使う咸卦法よりも遥かに洗練された力を持って、タカミチはただ一人で百を遥かに超える機械軍団と拮抗をしていた。

「僕が行くまで持ちこたえてくれよ?」

 タカミチは図書館島に向かわせたこちらを防衛していた魔法使い達が、無事であることを祈った。
 直後、そんな祈りをへし折らんと、死などおそれぬ機械歩兵と戦車がタカミチへと殺到する。ポケットに両手を突っ込んだ無防備なタカミチに迫る明確な脅威。ロケットパンチが、ビームが、世界樹への道を遮るタカミチを排除するために放たれた。
 並の魔法使いの結界など容易く食い破る物量。しかし、迫りくるそれらを見据えるタカミチには焦った様子はなく。
 直後、ポケットに仕舞われていた腕がぶれた。
 ポケットを銃口に、拳を弾丸と為す。射出のためのエネルギーは、咸卦法の圧倒的な出力をもって。
 ここに、ミサイルの破壊力を収束させたかのような一撃が解放された。
 豪殺居合い拳。
 咸卦法の力を、余すことなく拳に乗せて放つこの業こそ、タカミチが当たり前のように使う技にして、これ以上ない必殺技であった。
 巨大なエネルギーの塊としか言えぬ何かが、タカミチを排除せんとした攻撃群を悉く飲み込むのはおろか、勢いを衰えさせることなくサイボーグと戦車を幾つも飲み込み、鬼神にすら着弾してその歩みを押しとどめた。

「……ちっ」

 タカミチにしては珍しく、焦りから舌打ちが漏れた。先兵のサイボーグと戦車はともかくとして、後ろに控える鬼神がネックだった。
 居合い拳ですら威力をある程度減衰された一撃では侵攻を押しとどめることしか出来ない。
 そんな鬼神がまだ数体。しかもサイボーグと戦車が居る現状、この場をタカミチが動く訳にはいかなかった。
 このままでは時間を稼がれて図書館島を突破されてしまう。

「青山君……」

 タカミチは危険を感じ取って郊外の住居に急ぎ戻った青山が戻ってくれればと願うばかりだ。だが虚空瞬動を行って駆けた青山が戻らないところを見ると、どうやらあちらの状況も悪いことになっているかもしれないとタカミチは思った。
 このままでは──
 焦燥感と焦りがタカミチから冷静さを奪っていく。何より彼を焦らせたのは、未だに消息がつかめないネギの……
 その時、タカミチの視界で鬼神に動きがあった。まるで道を譲るように左右に分かれた鬼神達。それは戦車とサイボーグも同じだった。
 何かが来る。警戒心をいっそう強くして左右に開かれた軍勢の間をタカミチは見据え。

「なっ……」

 言葉もなく、絶句してしまった。

「やっぱり、タカミチだったんだね」

 『まるで瞬間移動でもしたかのように』、唐突に分かたれた軍勢の間に現れたその小さな影は、何処か寂しげに、だが嬉しそうに声を上げた。
 タカミチはその声に返す言葉がない。
 それどころではなかった。
 頭が混乱している。何故、どうして、何で君が。脳内でぐるぐると回る思考は無意味に堂々巡りを繰り返す。
 いや、タカミチはわかっていたはずだ。
 彼ならば気付けたはずの回答。
 生徒をボランティアに出すべきと提案したのは誰か。
 会議でも積極的だったのは誰か。
 そして、この状況下で行方不明になったのは誰か。

「ネギ、君……」

 タカミチは目の前に現れた、自分と同じ咸卦の輝きを纏ったネギを信じられないといった眼差しで見つめた。
 信じられなかった。
 理由はどうあれ、ネギが今居る場所は、麻帆良の魔法使いに反逆する逆徒の居る場所に他ならず。
 理由はどうあれ、ネギはタカミチの敵としてここにいる。

「本当は、こんな風に戦いたくはなかった」

 それでも。
 ネギは強く右手を握りこむと、背中に担いだ父親の杖を引き抜いて構えた。

「タカミチを倒して、僕は前に進むよ」

 術式兵装『風精影装』。
 明確な敵意を込めて敵を睨むネギは、未だ動揺を隠しきれないタカミチにその掌を向けた。

「解放」

 この戦いを前に、体内に溜めるだけ溜めた遅延魔法。合わせて二十七。その内の一つ、天を切り裂く雷の嵐の圧縮された球体がネギの掌の内側に展開された。
 魔力と別に込めた意志は押しとおるという単純な覚悟。幼少時、もしかしたら幼馴染であるアーニャを除けば、初めて友達になってくれた大切な人に、迷いなく放つ破滅の呪文。

「雷の暴風」

 天地を分かつ極大の乱気流がタカミチ目がけて放たれる。鼓膜を引き裂くような轟音と、それに見合った破壊をまき散らして突き進むネギ渾身の魔法の只中へ、タカミチはやはり混乱のままに飲み込まれていく。
 直後、これ以上ないと思われた破壊の嵐を霧散させて天高く突き抜けるエネルギーの塊が現れた。

「……理由を聞いたところで、意味はないのだろう。問答の時はどうやら過ぎてるようだね」

 雷の暴風が巻き起こした土煙の中からネギに向けて、未だ混乱した、しかし覚悟を決めた男の声が響く。
 瞬間、立ち込めていた煙が吹き飛び、見えない何かが幾つもネギの体に突き刺さった。

「……ッ!?」

 咄嗟に距離を取ったネギは、その見えぬ弾丸によってデコイが一体はがされたことに驚く暇もなく、埃まみれになりながらも無傷で立つタカミチを見た。
 迷いはない。完全に敵として己を見るその瞳に、タカミチの中にあった最後の迷いが掻き消える。
 何があった、とは問うまい。京都の一件からこれまで、どう接すればいいのかわからずに、距離を置いていたのは自分なのだから。その結果がこの対峙ならば、タカミチはネギにかける言葉がない。
 かけられるわけが、なかった。

「……いつか、君とは戦ってみたいと思っていた」

 左手に魔力を。
 右手に気を。
 咸卦法は既に行っているが、タカミチはあえて見せつけるように咸卦法の所作を言葉を紡ぎながら行う。

「だが、こんな対峙を望んでいたわけではなかったんだ」

 合成。アルビレオとの修行で洗練されたネギの咸卦法だが、タカミチのそれは長年磨きがかけられたものであり、精度、出力、コントロール、全てにおいてネギの上を行っている。
 改めて咸卦の力を身にまとったタカミチは、その間閉じていた瞼を静かに開き、ネギを見た。

「う……ッ」

 思わず、ネギは呻き声を出してしまうのを止められなかった。
 アルビレオとの修行は確かに実戦的だったが、ここまで明確な戦意を向けられるのは、ネギには数えられる程度の経験しかなかった。
 そしてその数えられる経験のどれもが、トラウマのように脳裏にこびりついている。
 だがタカミチの放つ戦意は、これまでのどれとも違っていた。
 歴戦の戦士。正義の使者としての覚悟。
 修羅を見た。
 化け物を見た。
 だが、その気迫はまさに、正道を行く者のみが放つ、清浄なる闘志。

「理由は聞かない。そんなものは、後でゆっくりと聞かせてもらうよ」

 ネギを倒した上で。
 無言の圧力で自身の勝利を歌ったタカミチが、再度ポケットに両手を仕舞う。こちらを舐めているのではない。アルビレオとの修行でも見たガトーと呼ばれる熟達した戦士と同じ構え。
 つまり、そこから放たれるのは最速にして、反応すら許さぬ拳なり。

「魔法の射手──」

「遅い」

 先手を取って魔法の射手を放とうとしたネギの顔面に、幾つもの見えない弾丸が突き刺さった。
 いつの間にか距離を詰められている。瞬動、タカミチレベルなら当たり前のように収めている高難易度の歩法。一瞬で無音拳までの距離を詰めて、詠唱を潰すためにネギの顔面を打ちすえたのだ。
 だがタカミチの判断は通常の魔法使いなら正しいだろうが、相手は真租の吸血鬼が編み出した闇の魔法を収めた恐るべき魔法使い。その程度で止まれるのならば、初手で決着はついていた。

「雷の十二矢!」

 風精影装によって体内に装填された二百に及ぶ風の精霊のデコイ。先程で一体、そして今のでさらに一体削られたとして、未だ百九十八のデコイを超えぬ限り、タカミチの攻撃はネギの体にはまるで響かないのだ。
 そのアドバンテージを存分に生かしたネギは、全く怯まない自分に違和感を覚えて僅かに動きが止まったタカミチへ、紫電を纏った魔法の射手を叩きこむ。同時に瞬動で距離を放してさらに詠唱を開始。
 タカミチは迫る十二の雷光を、散弾の如き無音拳の弾幕で全てかき消した。
 しかし動きは僅かに止まった。その好機、遠距離を専門として己の技量を磨きあげたネギには充分な時間。

「白き雷!」

 無詠唱で放たれる最高威力の魔法が一直線に敵手の胸元目がけて飛んだ。白く輝く雷光を、タカミチは避けるでもなく迎え撃った。
 光が当たるよる直前、ポケットに仕舞われていた拳が腕ごとぶれる。その時、雷の暴風すら霧散させた破壊の鉄槌が大気を砕きながら振るわれた。
 その威力は先程の一合で確認済みだ。唯一の救いは無音拳と違って、豪殺居合い拳と呼ばれるそれは、腕の動きやエネルギー自体の速度は視認できる程度の速度だということか。
 ネギは瞬動で空に飛んで居合い拳から逃れた。余波で巻き上げられた突風に煽られながら、一瞬だって視線を放せぬタカミチに杖を向けて応戦する。

「風の戦乙女・十二柱! いけぇ!」

 再び無詠唱で使用された魔法は、ネギの姿を模した十二体の風の中位精霊の群れだ。それぞれ右手に長大なランスを持ち、ネギの号令に従ってタカミチへと四方から突撃を行う。
 咸卦法の出力を上乗せした精霊は、通常よりも遥かに堅牢だ。その耐久力で、どの程度なら無音拳に耐えられるかの試金石とする。牽制と観察を兼ねた一手に対して、タカミチは正道を行く者らしく真っ向から激突、無音拳が何重にも重なって大気を破裂させると、ほぼ同時に襲いかかった精霊が全て跡形もなく消し飛んだ。
 現状で使える無詠唱魔法ではタカミチに届かない。だが詠唱を行えば、その間に距離を詰められて確実に潰される。進退窮まった状態で打開の一手は、体内に蓄積された遅延呪文、残り二十六。これらをもってネギはタカミチを倒さなければならないのだ。
 いや、後二つだけ千日手になりかけている状況を変える手段はあるのだが。

(使うタイミングは……もう少し後だ)

 まだその時ではない。服の下に着込んでいる切り札の内の一つを確認するように胸元を撫でる。背中で解放のときを今かと待っている切り札を切るタイミングはここではない。
 使うのならば確実に一撃を与えられる時。侵入するサイボーグを防ぐことなく、ネギだけを敵として捉えたタカミチに、果たして決定的な隙が訪れるかはわからないが。

「解放!」

 ないのならば、作りあげるまでだ。
 瞬間、麻帆良の郊外だというのに、市街であるここまで立ち込める冷気と、空一面を埋め尽くす赤き氷の檻が発生するのを切っ掛けとして、ネギは掲げた掌に次の魔法を展開し、タカミチは必殺の間合いへネギを入れるために、空高く飛び出した。




後書き

最終決戦開始。次回は吸血鬼対修羅、序章。



[35534] 第五話【終わりなく赤き九天】
Name: トロ◆0491591d ID:c5d28fff
Date: 2013/01/23 21:43
 戦いの果てに敵を殺したとして、何が得られるのだろうか。

 特に何も思わないよ。悪の魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルなら、邪悪な冷笑を浮かべて、淡々と答えただろう。

 戦いの果てに敵を殺したとして、何が得られるのだろうか。

 今の充実だよ。真租の吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルなら、作りもののような笑顔を浮かべて、嬉々として答えただろう。

 それがどうしたというわけでもない。かつての己と、今の自分。その違いを簡単に表すなら、このように比べたほうがわかりやすいだけだという話だ。
 計画が始まったその時、エヴァンジェリンが地下の移動施設を使って出たのは、麻帆良の出口、郊外に広がる山の直ぐ側だった。
 既に茶々丸による麻帆良中枢へのハッキングは開始しているだろう。だから待つ。郊外へと、外へと続く境界線の前に立ち、エヴァンジェリンは解放の時を、一人静かに待ち焦がれる。
 後少しで、化け物、エヴァンジェリンが始まりを告げる。この身を束縛する鎖から解放され、自由に光を汚し、夜を満たすことが出来る。
 待ちわびた、と言われれば、待ちわびたと答えただろう。だが悠久の時を生きた吸血鬼にとっては僅か数年、閃光のように短い歳月であったのも事実。
 それでも長く、とても長く感じたのは。
 多分。
 いや、間違いなく。

「私は、ここが好きだったんだろうなぁ」

 かつての己の残滓が、言葉と共に吐きだされる。感慨はないけれど、そう思っていた自分が少しだけ誇らしかった。
 だが悪の残滓は即座に吹き飛ぶ。エヴァンジェリンは、恐るべき速度でこちらに迫る不気味な気配を察知して、その口角を引き裂くくらいに釣りあげた。

「……エヴァンジェリン」

「待っていたよ、青山」

 境界線の向こう側に降り立ったのは、エヴァンジェリンが待ち望んだ最大の好敵手。
 修羅外道。
 恐るべき、青山よ。

「これはまた……随分と気が狂った獲物を手に入れたようだな」

 エヴァンジェリンは、青山の右手に掴まれている、一部の隙もなく封印の呪府に包まれた鞘に収まった野太刀、証を見た。証はその強大すぎる力を抑えるために、術式を刻み込んだ鎖を乱雑に撒きつけられて封じられている。
 それでも漏れ出ている生を渇望する力の露出に、エヴァンジェリンは込み上げる笑いを抑えることが出来なかった。

「……退け。お前を相手にする暇などない」

 青山は封印状態のエヴァンジェリンなど、相手にするまでもないと思っている。
 エヴァンジェリンもそれには納得なのか、特に反論することなく頷きを返すが。

「なら、どうして貴様は取るに足りぬ私の前に立った?」

 逆にそう問い返した。
 青山は答えない。いや、その無言の佇まいが、言葉以上に雄弁と語っていた。
 常識的に考えれば、今のエヴァンジェリンは脅威にすらならない。
 しかし、青山の本能は、ここで待っていれば、きっと間違いなく──

「次に会ったら、殺すと言ったろ?」

 エヴァンジェリンは歌うように言いながら、舞うように青山へと一歩を踏み出した。境界線まで後三歩。線を越えればたちまち呪いによって体中に激痛が走るのがわかっていない彼女ではないだろう。

「だというのに貴様、私の前にのこのこと出てきてどういうつもりだ?」

 嘆かわしそうに眉をひそめながら、しかしその表情には隠しきれぬ喜びが滲みでていた。
 よくぞ。
 よくぞ出てきてくれたと無言で訴えながら、また一歩。
 残りは、二歩。

「言い訳する気にはなれないな」

 青山はそこで観念したように溜息を吐くと、証を拘束していた鎖を、わずらわしそうに解いた。
 興奮が沸々と込み上げてきていた。同じく、エヴァンジェリンのまき散らす気配が、一歩を踏み出すごとに劇的に増大していく。醜悪で、目も当てられない脅威。心胆が凍りつき、そのまま悶死してしまいそうな気配が立ち込めるなか、青山は極上の汚物を変わらぬ無表情で迎え入れる。
 残りは、一歩。

「お前を斬りたい」

 引き抜かれる漆黒の牙が、濃密な殺気を断ち切って冷気を放つ。凍てつく世界。二人だけの修羅場に相応しく。
 そしてエヴァンジェリンは。

「私も、貴様を殺したいよ。なぁ……」

 境界線を、超える。

「青山ぁ!」

 物理的な圧力を伴って、エヴァンジェリンを中心に魔力が破裂した。青山ですら咄嗟に距離をとらざるを得ない物理的な衝撃力。人間としての本能が瞬動で青山を後退させた時、エヴァンジェリンは既に空高く舞い上がっていた。

「クハハハハハ! ハァッハッハッハッハッ!」

 それは狭き牢獄からようやく自由になれたことによる歓喜の笑い声であり。
 それはようやく化け物として世に出ることが出来た命のあげる産声であった。
 大橋で出会ったときとは魔力の総量自体は変わらないだろう。劇的に変化するほど、彼女は未完成の存在ではない。
 だがしかし。
 それでもやはり。

「化けたか……吸血鬼」

 青山は空を舞う死に対して、彼なりの称賛の言葉を送った。
 なんと見事な醜悪さか。
 空気すらヘドロにする魔性の花。
 美しき汚泥の君。
 その者こそ、世界に名だたる最強の化け物。
 人の血を食らって生きる、夜の王。
 エヴァンジェリンは青山の称賛に、右手に顕現した氷の刃を持って返答する。少女の背丈ほどもあるその刃は、振るえば高層ビルを輪切りにして、さらに永久凍土に送りこむ威力を持つ断罪の刃。
 それが詠唱もなく指先一つ一つから現れ、爪の如く五本。敵手である青山への返答代わりに放たれた。
 人間一人を葬るには過剰すぎる火力。かつての青山は、この氷の刃を含めた乱気流になす術なく飲まれた。あの時はエヴァンジェリン自身の油断があったことで勝利を掴んだが、今や彼女には毛ほどの油断も存在しない。
 頭の先から爪先まで、全てが嫌悪すべき化け物ならば。

「……シッ!」

 己もまた、尋常ならざる刃にて五つの氷獄を斬って伏せよう。
 青山に降り注いだ五つの破壊が、その威力を発揮することなく砕け散った。フェイト・アーウェルンクスが全存在をかけて作り上げた生の魔剣。
 銘は『証』。
 終わりに至った生存本能は、終わりに至った斬撃に斬られることなく音色だけを奏でて見せる。いつ振るっても最速かつ最適に己へと対応する刃の冴えに、青山は胸中に溢れる歓喜に打ち震えざるをえなかった。
 エヴァンジェリンもその素晴らしき斬撃一閃に感嘆する。終わりに至りし修羅に相応しき刃。この敵手にこの刃ありとでも言うべきコンビネーションに、見事と言うほかないだろう。

「だからこそ殺す」

 エヴァンジェリンは嗜虐心のまま、大橋での決戦で青山を一時は死亡させるまで追い詰めた究極の魔法が一を出し惜しみせず解放する。

「解放・固定……千年氷華」

 青山が止める暇すらなく、エヴァンジェリンは掌に召喚した野球ボール大の絶対零度の塊を躊躇なく己の肉体に取りこんだ。
 そして再び氷の女王は現れる。大橋で斬られた腹部と背中、そして腕の接合部が涙を流すように出血を始めた。致死量にまで達する血液は、エヴァンジェリンの衣服から溢れだし、一つの意志の元、その背中に集まって氷の華となる。
 術式兵装『氷の女王』。
 陽だまりの平穏を凍りつかせる恐るべき魔が、落ちゆく夕日よりも尚濃い赤色の氷山を、守られてきた平和を崩さんために天へと放った。

「……来い」

 対峙するは人間の極地。完結した修羅。手に持つは同じく完結した魔性の牙。漆黒の刀身は、天高くどす黒い輝きを放つ流血の氷華にすら負けぬ禍々しい気を吐きだして、担い手の期待に答えんと凛とした歌声を響かせた。

「言われなくとも! 私と貴様! 百億年すら超える因縁の決着を! 今ここでつけようじゃあないか!」

 吸血鬼は高らかと吼え猛り、その激情を冷気と為して、青山の視界一面に鮮血色の槍を召喚した。
 一撃が先の刃に負けず劣らぬ断罪の刃。百を超えた剣群が、究極の一目がけてその矛先を光らせた。

「行け!」

 号令一掃。射線を凍らせながら剣群が青山へと突撃した。
 エヴァンジェリンの人形遣いとしてのスキルはここでも存分に発揮される。新たな剣群を次々に生み出しながら、さながら指揮者の如く腕を振るって百を超え、今や千にも届きかねない剣と槍の混成群を一つ一つ別個の生き物の如く操る。
 青山は不規則に己の周りを飛び回りながら襲いかかってくる剣群を斬り伏せながら、不用意にエヴァンジェリンへと飛び出せないことを悟る。
 確かに青山の持つ証は、山すら凍り尽くす剣群すらも一刀の元斬り伏せるだろう。だがエヴァンジェリンは個で敵わぬからこそ群れとしての長所を最大限に生かして、青山が強引に突撃したとき、その斬撃速度すら上回る剣群を叩きつける用意を行っていた。
 大橋の戦いの後、何もただ遊んでいたわけではない。むしろ別荘を使っていた分、京都の死闘を経た青山以上に濃密な時間を過ごしたと言えよう。
 全ては次に見えたとき、必ずや青山の首を取り、その生き血を啜るため。エヴァンジェリンは宿敵との死闘に焦がれ、ひたすらに研鑽を積んだ。
 だからこそ、青山の恐ろしきところも、そして付け入ることのできる短所も熟知している。

「そらぁ!」

 右手を横薙ぎに振るえば、数十の氷の槍が青山の側面に襲いかかる。遅れて左手も振るい逆方向からも同等数が強襲。青山は迫る物量に目を細め、周囲を取り囲む氷の乱気流に身を投じることで必殺から免れた。
 密度を濃くしている弾幕に比べて、青山を取り囲むだけの氷雨はさばけないほどではない。嵐の中、一秒に幾つもの斬撃を振るいながら己の領域を確保した青山を、左右から挟撃しようとしていた氷の槍が中央で合流して、マシンガンの弾幕を超える密度となり襲いかかる。
 迫る剣群。触れた個所から冷気に閉じ込める必殺の一矢を前に、青山はあろうことか自ら突撃をする。

 凛。

 激突の瞬間世界に響き渡った清涼なる音と共に、まるで見えない壁があるかのように、青山の眼前まで来た槍から順に、次々と砕け散っていった。
 個々に分かれていようが、突き詰めればエヴァンジェリンの意志一つに捜査された群れでしかない。であれば、青山はその意志との連結を見抜き、断ち斬ることが出来る。
 結果、青山の一振りに連鎖するようにして、続々と槍が砕けて消滅していくことになった。
 これが青山の恐るべきところ。あの修羅は、目には見えぬ『意志』というものを見切り、斬ることが出来るのだ。正確には見ることが出来れば形として捉えて断つことが出来るというものであるが、いずれにせよ常人の視界とは別の何かが青山には見えているとみて間違いあるまい。
 もしも少しでも気を緩めて、己の心をさらけ出そうものならば、そのとき青山は躊躇なくエヴァンジェリンの中にある化け物性とでもいうものもろとも斬り裂くことだろう。
 一撃必殺を可能とする目と、それを支える目にも止まらぬ斬撃、そして一歩ごとに瞬動を行うことにより、本来は直線的になりがちな瞬動で三次元的な動きを可能とした技量。
 たった三つ。だがこの三つは全てが世界最高峰の達人すら鼻で笑うほどにまで極まったものである。
 少なくとも、至近距離に持ちこまれた場合、エヴァンジェリンでは青山を落とすことは出来ない。こと近距離戦闘において、青山は歴史上最強の使い手とみて間違いない。
 だがしかし。
 だからこその欠点がある。

「ッ……!」

 青山は氷の槍を砕いてみせたというのに、苛立たしげに唇を噛んでいた。それもそのはず、たかが氷の槍の二十や三十。今もなお次々と量産される槍と剣の総量に比べれば、微々たるものでしかないのだ。
 第一の弱点、それは、完成された技故に、遠距離の攻撃方法を青山が持っていないということだ。これは終わりに至った弊害とでもいうべきか。刀を通してでなければ、青山は対象を斬ることが出来なくなっている。もしかしたら隠しているだけだともエヴァンジェリンは考えたが、だとしたら大橋のときに使っていたはずだろうから、その可能性はほぼないだろう。
 事実、青山は終わりに至ったそのときから、対象に刀を通して切断するという風にしか気を練り上げることが出来なくなっていた。
 その弱点、突かずに置くのは失礼という話だ。むしろ、一対一という状況にしようとしただけありがたいと思ってほしいとすらエヴァンジェリンは思っている。
 なりふり構わず青山を倒すなら、それこそやり方は幾らでもあった。麻帆良の魔法使いに、青山の本質を、本人の実演つきで見せつけて、敵として排除されるのに便乗して、封印を一時的に解除してもらい、集団で叩き潰す。例え青山が最強だとしても、タカミチ、近右衛門、そしてエヴァンジェリンを含んだ魔法使い達に戦いを挑まれれば、京都での状況を見る限り勝てはしないだろう。

「だが私は貴様を手ずから殺す」

 しかしこの闘争は、エヴァンジェリンが真の吸血鬼となるための大切な儀式。乗り越えなければならない最後の壁。
 一対一。人間と化け物。それ以外の余分は一切必要ない。

「なぁ、青山!」

 二人だけの修羅場がここにはある。
 それ以外の要素など、全てが全て余分でしかないのだから。

「ッ、おぉ!」

 青山もまた、エヴァンジェリンに感化されて、らしからぬ気合いの声を張り上げて証を振るった。
 大橋の時とは強さの深みが違う。あの当時でさえ、姉である素子に匹敵、あるいは凌駕する戦闘力をもっていたというのに、今では強さ、精神性、全てが素子はおろか、己すら超えているのではないだろうか。
 人では覆すことの出来ない、種族としての明確な差が広がっている。
 純粋に汚らしい化け物。
 だが俺は、斬るだけだ。

「ハハッ、そうではなくてはなぁ」

 エヴァンジェリンは、山すらも飲み込もうとしている氷圏をさらに加速度的に広げた。その様はまさに浸食。鮮血の氷獄が、今や視界一面、青山の立つ大地はおろか、空一面すらも赤き氷が包み込もうとしていた。
 それはつまり、エヴァンジェリンが行使できる魔法の範囲がさらに広がったということ。手の一振りどころではない。呼気一つだけで無数の氷塊を降らす姿は、まさに氷の女王の名に恥じぬ。
 外から見れば、何百メートルにも及ぶ巨大な氷の塊が、今もその質量を増大させているように見えるだろう。だが見た目はただの氷塊。しかし今、その内部は生きる者を許さぬ真の地獄と化していた。
 上下四方、あらゆる場所で吹き荒れる氷の竜巻。立っているだけで、氷点下を遥かに下回ったこの環境は、気の出力を緩めれば忽ち体力を奪っていくだろう。恐ろしきは、空気すらも呪的な効果を付加されているということか。
 ここはエヴァンジェリンの腹の中。溶かす代わりに凍り尽くす魔の胃袋。
 先程まで立っていた大地すら、一瞬のあと槍衾が発生して、一秒だって気が抜けない。
 これこそ、エヴァンジェリン。
 魔法世界を震撼させ、今もなお恐怖の代名詞として語られている魔の極地。
 証という最高のパートナーを得た所で変わらない。氷獄に収めた時点で、状況はかつての大橋と同じとなっていた。

「……だが」

 青山はこの程度は他愛ないと半ば確信している。大橋の時を超えた氷の世界の中で、しかしあの時の自分と今の自分では、獲物に明確な違いがある。
 証を両手で握りしめ、吹き荒れる暴風と降り注ぐ氷槍の雨を見据える。猛っていた心は今一度冷静に、冷たく、平坦に、凍らせるのではなく、ただ冷たい。
 無感動。
 零の刹那に、身を投じる。

「シッ……!」

 吐きだした呼気とともに青山は虚空瞬動を駆使して、上空からこちらを見下ろすエヴァンジェリンの元へと飛び出した。
 当然、簡単に接近を許すエヴァンジェリンではない。両手を広げればその背後から生まれる氷槍乱舞。天と地からも盛り上がってくる冷気の軍勢が、最強の一振り目がけて飛び出した。
 究極の一と、無個性の無限が衝突する。だが青山は次の瞬間目を疑った。

「氷爆!」

 無限の軍勢の全てが、青山の斬撃圏内に入る直前に爆発を起こす。点ではなく面。青山に斬られれば効果を失うのであれば、その間合いの外から魔法を発動すればいいという、きわめてシンプルながらこれ以上ない有効打。
 虚空瞬動、冷気の爆風を斬りながら横に飛んだ青山だが、僅かにその体に氷が付着している。
 斬りきれない。次々に爆発していく槍に飲まれながら、青山はそれでも凛と鈴音を響かせて、京都を落としたスクナの攻撃よりも壮絶な冷気の嵐と拮抗する。
 勝機を必ず手繰り寄せるのだ。青山は四方八方を斬りながら、この状況下で尚、暗黒の瞳でエヴァンジェリンから視線を離さず前を見ている。

「ハハハッ! いいぞ! それでこそ貴様だよ青山!」

 劣勢に追いこんでいるというのに、喉元に鋼を突きつけられたかのような幻視したエヴァンジェリンは高笑いをした。
 こうでなければならない。エヴァンジェリンが見染めた人間が、この程度で終わるなど断じて許されてたまるか。
 いずれ。
 もう少ししたら早く死んでくれと願うことだろう。
 だが今は青山が生きていることに、抗っていることに感謝する。

「今がある! 私と貴様がなぁ!」

 整合性が取れていない言葉を吐きだすほど、エヴァンジェリンは世界を満たす冷気とは逆に熱く熱く滾っていた。
 あるいは、冷たい熱を宿していると言ったほうがいいのか。
 青山はその熱に応えるために、凛と歌を奏で続ける。斬るという完結の中、斬りたいと思える相手を斬るために。

「行くぞ、吸血鬼……!」

 言霊に思いを乗せる。これ以上ない興奮の中、ついに発生した結果である冷気の爆風の繋がりを見つけた青山が、刃を一振りした。
 そして破裂しようとしていた槍が一斉に砕け散る。その目に映るのは、最早物質世界の物だけではない。三次元を超越した高次元にチャンネルを合わせた脳髄は、終わりに到達した青山、天才の肉体の青山を持ってすら、割れるような痛みが目と頭から響くほど。
 だがそこまで出来る。証という刀があれば、これまで刀が追いつかなかったために出来なかった技にすら至ることが出来る。
 これまでも全力を絞らなかったわけではない。だがここに至り遂に、青山は証という相棒を手にしたことで、斬撃という完結の全てを扱うまでに自分を解き放つことに成功したのだった。

「……ッ!」

 流石のエヴァンジェリンも、既に発生した結果の因果すら断ち切る魔技には言葉を失う。氷の霧が晴れた向こう。高次元を見るという出力に耐えきれなかった両目と鼻から流血する青山と目が合う。
 互いが汚泥。
 許されぬ異端存在。
 雌雄を決する修羅と化け物。

「斬る」

 射竦められた訳ではない。
 エヴァンジェリンはその刹那、青山の放つ気配に見惚れただけだった。
 虚空瞬動。

「しまっ……」

 一瞬の隙と突いた青山がエヴァンジェリンの懐に飛び込む。反応した時には遅い。天高く掲げられた証の切っ先が振り下ろされ、少女の体に再び肩から腰まで伸びる裂傷が刻まれた。
 鮮血がほとばしる。そして、全てを包み込んでいた氷の檻もまた、少女の墜落と共に音を立てて砕け散る。
 そしてようやく姿を現した空を見上げれば、太陽も完全に隠れ、天には幾つもの星と、刃の冴えを思わせる月光が一つ。

「……あぁ」

 青山は体に飛び散って付着した化け物の冷血に恍惚とした溜息を吐きだした。久しく見ていなかったような月光を見上げ、手に残る感触と、耳に残留する鈴の音色に酔いしれて。

「俺の──」

「甘いよ、人間」

 夜は始まった。
 ならばそう、ここからが吸血鬼の本領なり。

「なっ……」

「甘いなぁ。甘すぎるぞ青山……今度は貴様が油断したのか? なぁ!?」

 青山が驚愕する。確実に斬ったはずだった。だというのに聞こえるその声に当惑して眼下を見下ろす。
 そうすれば、鮮血を滴らせながらも、その鮮血で翼を型どり再び舞い上がる吸血鬼のおぞましき姿。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック」

 闇の魔法は健在だ。山を幾つも飲み込める程に広がった氷圏は先の一刀で砕けたものの、エヴァンジェリンの周囲だけであれば上級以下の魔法は詠唱無しで行えるはず。
 だというのに、詠唱が始まっている。それは間違いなくあの時、何とか断ち切るのが間に合った最強の氷結魔法の詠唱では──

「……!」

 それを坐して待つ程お人よしではない。青山は距離を離していくエヴァンジェリンに虚空瞬動で追いすがる。
 一瞬。再び懐に潜り込んだ青山は、今度こそその命を斬るためにエヴァンジェリンの首を横薙ぎに斬り裂いた。

「阿呆が」

 だが虚空に舞ったエヴァンジェリンの顔が冷笑を浮かべた刹那。轟音を響かせて少女を模した氷の彫像が爆発した。
 デコイを張られた。そのことに気付いた時、耳元に届くのは、魔力を孕んだ冒涜的な歌声だった。

「契約に従い我に応えよ。闇と氷雪と永遠の女王。咲きわたる氷の赤薔薇。眠れる永劫庭園」

 聞き惚れ、目を閉じて陶酔したくなるような美声だ。破滅的な歌声だというのに、こうも美しくあるという矛盾は、だが奇跡的な組み合わせで完全に調和している。
 だが聞き惚れる余裕はない。青山は歌声の発信源を捉えて、さらに上空、月を背中に両手を広げているエヴァンジェリンを見つけ出した。

「来れ永久の闇。無限の氷河!」

 巨大な魔法陣がエヴァンジェリンを中心に展開される。まるでそれそのものが一つの世界の如き異様に、青山の脳裏で生存本能が強く叫び出す。
 アレを放たれてはいけない。アレは全てを終わらせる本物の一撃必殺だ。
 青山が夜空に飛びだす。気を最大出力まで発揮して、その全てを足に叩きこみ駆け抜ける。牽制で放たれた氷の槍は、直撃するコースのものだけ斬り裂いて、最短距離を突き抜けた。

「ッ……!」

 化け物の頭上を取り、落下の勢いを乗せて叩き斬る。勢いの乗った一閃は、夜を照らす星すらも断ち斬るような怒涛の勢い。
 流星の如き鉄槌を前に、ここでエヴァンジェリンはこの瞬間を得るために隠してきた切り札を解き放った。
 青山の斬撃は、達人ですら見切れぬ速度である。だがそれも上段から来るとわかっていれば、達人なら見切れるのもまた必然。焦りからか、らしくもなく直線的な軌道を描いてしまったその斬撃の線を、エヴァンジェリンは待ち望んでいたのだった。
 驚くべきことが起きる。最小限の動きで体を逸らしたエヴァンジェリンの肩を擦るようにして、空を断つ漆黒の閃き。

「見え透いて──」

 そして間髪いれず青山の懐に潜り込んだエヴァンジェリンは、その手を掴み、捻りあげ、虚空ということもありバランスを維持出来ぬ青山の天地を逆にして放り投げた。

「いるんだよ!」

 日本に着いたときに、気まぐれに習得した合気道。例え彼女自身に合気の才はなくとも、膨大な年月で練り上げた技の冴えは、達人と比べてもそん色ない。
 天地を逆さにされながら吹き飛んだ青山に、この手はもう通用しないだろう。一度限りの奇策。だがそれだけでいい。一度だけでも距離を離すことができたのならば、値千金以上の価値がそこにはあった。

「凍れる雷もて」

 青山が体勢を立て直す。そこに怒涛と押し寄せる氷の雨は、男の肉体には届かないが、障害とはなりえる。

「道なき修羅を囚えよ」

 間に合わない。エヴァンジェリンの奇策にまんまとはめられた青山は、魔法には疎くとも、その魔力の高まりが最高潮にあるのだけは察していた。
 そして歌声は最後の詩を紡ぐ。

「妙なる静謐。赤薔薇沸き生まれる無限の牢獄」

 世界は知らない。
 これこそ真租の吸血鬼が敗北を超え、修羅の魂を飲むためだけに作りあげた唯一の魔法にして、先の氷獄すら児戯に落ちる、無限に生まれ出る這い寄る冷気。
 万象一切相手にせず、ただ一途に修羅を落とすためだけに練り上げた、ただそれだけに特化した、九つの天を抜く氷結の英知。
 その名に魔を乗せさらけ出す。

「終わりなく赤き九天!」

 時すらも凍りつかせる美しき赤薔薇、生まれ続ける氷の大海。滂沱と天に昇るのは、雷を孕んだ極大の天災なり。
 天にとぐろ巻く摩天楼の頂点で、エヴァンジェリンは化け物らしく高らかと、下劣に汚濁を吐きだしながら、戦慄に震える青山へと宣誓した。

「まだだ! 私と貴様の終わりはここから始めるんだろ!? そうだろう? なぁ……青山ぁぁぁ!」

 エヴァンジェリンは歌う。二人だけの絢爛舞踏に酔いしれて、歓喜の気持ちに打ち震えながら。
 まだ、ここから。ここまでは所詮、前座にすぎぬ。青山もそれを理解してか、己を停止させる巨大氷獄に挑むため、たった一振りの暗黒の感触を強く強く、握り直した。
 戦いは激化する。互いが死力を尽くし、互いが最大の力を行使して繰り広げた激戦は頂上を目指して加速していた。
 だがしかし。
 やはりそう。
 あえて、あえてこう言おう。

「あぁ、始めよう」

 真っ赤に荒れ狂う嵐の中、唯一人の人間を殺すために作りあげた魔道の頂に佇む吸血鬼と、国すら落とす大嵐に孤立無援、手にした刃のみを頼りに挑む修羅一人。

 どちらか一人、死するべきは確たる運命。

 今宵最大の戦いは、赤き薔薇の咲き乱れる中、ついに幕を開けたのだった。






後書き

微妙に違うオリジナルスペル出現の回。
次回はネギの場面なので、終わりなく赤き九天の効果についてはもう少し後で。



[35534] 第六話【行く者、留まる者】
Name: トロ◆0491591d ID:c5d28fff
Date: 2013/01/27 23:50

 天を割る赤薔薇の魔が顕現した一方、その異様を眺める超は、真名と共に残り僅かまで迫った計画の発動の瞬間を待っていた。
 青山をエヴァンジェリンが、タカミチをネギが抑えたことにより、鬼神の進撃と、真名による狙撃によって、残存する麻帆良の魔法使いは全員未来へと飛ばされている。彼らは後に、世界中に広がった結果を見届けてもらい、己の無力を嘆いてもらうこととなるだろう。

「……私は援護に行かなくていいのかな?」

 真名が遠くで響き渡る轟音と、ここまで伝わってくる冷気に肌を震わせながら超に聞く。

「いや、龍宮さんにはこのままここの防衛を行てもらうネ。まだ学園長が残てるから、私達は彼が動いたときに二人がかりで抑える役目ヨ」

 ここまで戦況が傾けば、近右衛門も動かざるをえないだろう。超と真名はそれを見逃さず食い止める役割があるため、援護に向かうことは出来ない。
 真名もそれがわかっているが、しかし聞かざるを得ないほど、麻帆良で今行われている最終決戦の行方は過酷そのものだった。
 図書館島方面の市街地は、今や一角丸ごと瓦礫と化している。それでもまだ轟音と雷鳴は鳴りやまず、ネギとタカミチの戦いは死力を賭した上で拮抗しているのだろう。
 そして郊外で行われている戦いは遠目からでもその戦いの恐ろしさがわかる。赤く濡れた氷の棘が何百何千と空に伸び、枝分かれを繰り返し、標的を飲みこまんと踊り狂っている。さらにエヴァンジェリン本人の魔法も乱舞し、郊外の山々は氷の檻に飲み込まれて氷山が幾つも出来ていた。
 だがそれより恐ろしいのは、凛と響く斬撃の呼び声。

「ッ……」

 わかっていても震えが走るその音に、超は顔をしかめながら音の発生源を睨んだ。
 例え戦艦や戦闘機を幾つ投入しようが容易く飲み込む天災規模の魔法行使、そんな天災の只中で、未だ存在を主張するのは。

「青山……」

 超は心中に沸き上がる恐怖を、その名前に乗せた怒りの感情で覆い隠した。
 激化する一方の戦い。世界樹を占拠した状態でありながら、尚この二つの戦いの結果如何によっては、状況は容易く逆転する恐れがある。
 超は考えうる最大限の札は全て晒した。後は結果だけが全てとなる。
 その果てに、勝利が得られることを信じて。

「勝つネ。ネギ先生」

 願うのは超の切り札にして主戦力。そして遠い未来における己の先祖の勝利。
 ただ、それだけを今は祈るしか彼女にはなかった。






 夕日も消えた夜の麻帆良。生気の感じられぬ機械の群れが生者の数を上回るという非現実的な世界で、最早数えるほどしかこの場には存在しない人間同士が、機械群を超える戦闘力で激突を繰り返していた。

「白き雷!」

 詠唱破棄して放たれた雷光は、応じるように放たれた砲弾の如きエネルギーの塊によって霧散する。咄嗟に横に飛んで回避するが、それを読んだ上で真上を取った影が、見えぬ弾丸を幾つも走らせた。
 脳に集中した空気圧の弾丸だが、その体から抜け出る風の精霊がダメージを全て受けたことにより無傷。

「くっ」

 しかし苦しい表情を浮かべながら、ネギはこれで何度目になるかわからない後退を余儀なくされていた。
 タカミチとの戦いは、実力伯仲と言えば響きは良いが、ほぼネギが防戦一方でタカミチの攻撃を凌いでいるといった状態だった。
 侮っていたわけではない。魔法世界に名だたる実力者の一人であるタカミチの戦闘力は、僅か一か月程度経験を重ねただけで超えられるものではないとは思っていた。気付けば体内に蓄積された風の精霊は半分を切り、術式も残り十。
 むしろ未だ鍛錬を始めて一か月かそこらしか経過していない少年が、世界屈指の実力者にここまで戦いを繰り広げられたことこそ予想外だった。

「……どうしたんだいネギ君。焦っているようだね」

 苦悶の色を浮かべるネギに、淡々とタカミチは告げるものの、実際は彼にもそこまで余裕があるわけではなかった。
 ネギは強くなった。麻帆良に来た当初は感じられなかった戦闘者としての深みが感じられる。長年をかけて積み重ねてきた自身の本気にここまで食い下がっていることからも明白だ。
 本気では足りない。ネギの実力は既にその程度ではいけないという予感があった。
 本気ではなく、全力。これ以上時間をかければ、麻帆良を取り返すことも出来ぬという焦りもそこにはあったが、それ以上にネギ相手に出し惜しみは出来ないと悟ったから。

「行くよ」

 瞬動。先程までと同じようにネギの懐に飛び込んだタカミチは、さらに立て続けに無音拳を叩きこむ。容赦なく人体の急所を的確に射抜く空気の圧力に、ネギもまたタカミチがついに覚悟を決めたということを悟った。
 つまり、何もかもが予定通り。デコイを吹き飛ばされながら必死の形相で距離を取りながら、ネギはタカミチがようやく全力で向かってくることに喜びを隠せずにいた。

「魔法の射手。雷の三十矢!」

 距離を保ちながら、これもまた何度目になるかわからない牽制の魔法の射手を放つ。折り重なった紫電の束が弾けながら加速。殺到する破壊の雨は、やはり無音拳と豪殺居合い拳の連撃を突破は出来ない。
 逆に居合い拳がネギへと襲いかかるほどだ。距離を離したとしてもこれがある。無音拳に比べて速度が極端に遅いが、それでも射程、範囲、威力の桁が違いすぎる。
 咸卦法を極めたからこそ放てる究極の打撃。威力は雷の暴風よりもやや上といったところだが、恐ろしきはそれらをノータイムで放たれる速射性。
 さらに速射の効く無音拳と合わせて、例えるなら小回りのきくド級の戦艦とでもいう何とも冗談みたいな戦力であった。
 だが。

(いける!)

 ネギは心中でそう叫んだ。
 確かに現状は劣勢だ。動きの殆どは見切られ、攻撃は容易く弾かれるようになり、デコイも最初に比べて減少数が加速度的に増えている。
 それでも。
 勝てるのだ。
 その確信がネギの背部には存在する。

「解放!」

 雷撃で足止めをしている間に、この戦いでもう何度も繰り出した遅延魔法を展開する。杖の先に凝縮される乱気流。濃縮された異能の結晶をタカミチに向ける。

「雷の暴風!」

 轟く雷鳴。暴風の進撃。崩壊した市街をさらに瓦解させる特大の嵐が今宵何度目になるかわからぬ炸裂のときをみる。
 魔法の射手で動きを制限されたタカミチにはこれを逃れる術はない。しかしその程度、避けるまでもないのはこれまでで実証済みだ。

「ハッ!」

 迫る暴風を真正面から打ち砕く。豪殺の名にふさわしき爆音と破壊の光が、雷の暴風と衝突。拮抗すら許さずにかき消して、魔法を放つネギへと迫る。
 当然、甘んじて受けるわけにはいかない。横に飛んで皮一枚をかすらせながらも居合い拳から逃れるネギ。
 直後、その頭上に覆いかぶさるようにタカミチが現れた。

「早っ……」

「シッ!」

 これまでとは初動の速さが違う。手を抜いていたわけではなく、全力では動いていなかっただけの話。ネギの実力を認めた上で叩き潰すために、とうとう麻帆良最強戦力が殺意をもって襲いかかってきた。
 咄嗟に瞬動で動こうとしたネギの両足が弾ける。無音拳の乱射だ。リズムを取るように軽快に乾いた音が幾つも響く。だがデコイを犠牲に怯むことなく離脱を果たすネギ。

「くっ……! 振りきれない……!?」

 しかしこれまでの攻防と違って、ネギはタカミチを振りきることができないでいた。ピタリと無音拳の射程を維持するタカミチの速度は変わっていない。
 ただ、詠まれている。ここまでの戦いでネギ自身の行動パターンを推測して、先回りするように瞬動で距離を詰めているのだ。
 結果生まれるのは、一方的な殲滅戦だ。苦し紛れに無詠唱の魔法を繰り出すネギだが、それらは一切合財かき消され、それどころか一撃を撃ちこむごとにネギのデコイは無音拳ではがされていく。
 おそらく、近接戦闘にのみ限定すればタカミチはフェイトを凌ぐ実力者だろう。経験に裏打ちされた行動予測による先回りは、修行を重ねたとはいえ、根本的な実戦不足であるネギには一朝一夕では得られぬやり方だ。
 だからこそ。
 故に、経験になる。

「ぎぃ!?」

 数分後、ついにネギの風精影装のデコイが完全に消滅した。無音拳がネギの生身を叩き、苦悶の声があがった。
 そこに何も感じないわけがない。幼少のころから知る大切な少年を自分が痛めつけているという事実に、タカミチが心を苦しめないわけがないのだ。
 だが心を鬼に、立派な魔法使いとして感情は表に出さない。動きを止めたネギの前に立ったタカミチは、容赦なく居合い拳を至近距離から放った。

「風楯……!」

 咄嗟に展開した障壁によって辛うじて一撃は弾く。だがこの魔法は瞬間的にしか発動せず、連続使用は不可能。
 つまり。
 頭上に現れる死神の影を見上げるネギ。
 轟と唸るは。
 必殺の居合い拳。

「終わりだ」

 頭上から振り下ろされた弾頭がネギの体を床とサンドして、コンクリートごとミックスする。
 遠慮も何もない。生きていたとしても体に重大な障害が残ってもおかしくない威力を受け止めたネギは、血反吐をまき散らして力なく大地に倒れた。
 力なく四肢を投げ出したネギの隣にタカミチが降り立つ。見下ろせば、呼気を荒げながらも未だ意識を保ち自分を見上げるネギの両目と視線が重なった。

「諦めなさい。君の実力はよくわかった……まさか麻帆良に来てからこの短期間で僕に全力を出させるまで強くなるとは思わなかったけれど。これが結果だ」

「ま、だ……だ」

 タカミチの敗北勧告に抗って、ネギは投げ出した四肢に力を込めて、右手に持っていた杖を強く握り直した。
 そして上半身を杖を支えに起き上がらせて、口から血を流しながらも起き上がる。その両足はぶるぶると震え、杖がなければ立つことすら至難なのはタカミチでなくてもわかることだった。

「……まだだよ。タカミ──」

 その顔を無音拳が強かに打つ。己の肉体で作り上げたクレーターから吹き飛ばされて荒れ地を何度もネギはバウンドした。
 ここまでされて折れない心は、さすがはあの親あってこの子ありといったところか。その鋼の精神には敬意を表するが、それとこれとは話が別だった。

「諦めなさい」

 再び同じ言葉を重ねるが、ネギはやはり立ちあがった。その右目は決して挫けることのない不屈を吼えている。諦めろと言おうが、この少年は決して諦めはしないだろう。
 ──やはり、強くなったな。
 傷つきながら立ち上がるその姿は、タカミチが見続けて、今も追い続けている英雄たちの背中と重なる影。間違いなくネギは彼の息子だと、そう喜ばしいものを感じる以上に、悲しみがタカミチの心を支配する。

「……この戦いは、超君が計画したものだね?」

「……」

「何故、君は彼女に協力するんだい?」

 立派な魔法使いを目指すのならば。
 どうして、このようなテロ染みたことを行えるというのだろう。
 タカミチは戦いで荒廃した麻帆良を見渡し、そして今も世界樹に集まり、その膨大な魔力で何事かを行おうとしている超を見た。
 理由はわからないが、タカミチや他の魔法使いに話さなかったということはつまり、自分達には決して相談出来るようなことではなかったのだろう。
 つまり、悪だ。
 後ろめたいからこそ話せない。ならばそれはやはり悪。決めつけるなと誰かが言うかもしれない。しかしタカミチはどうしようもなく正義の味方であり、法の下、秩序を保ち、争いを失くすために戦ってきた。
 そんな彼に相談出来ぬことが悪でなくてなんだというのか。
 ネギはタカミチから放たれる無言の威圧感を受けながら、仕方ないなと、薄く笑みを張り付けた。

「京都の出来事が、また起きるかもしれない。あの時復活した鬼神が、そんなものが傍にあることすら知らされていなかった人々の前に再び現れるかもしれない。それだけではない。秘匿するために影に徹さなければならない。そのために動けない状況、救えなかった人々……タカミチにならわかるはずだ」

 紡がれた言葉は、タカミチが動きを止めるには充分過ぎる重みがあった。
 だからネギは続ける。真っ直ぐにタカミチを見つめ、決して視線を逸らすことなく、ふらつく足に力を込めながら。

「魔法が世界に知れ渡っていれば、こんなことにはならなかったのにって」

 それは、呪いの言葉に違いなかった。

「ッ……それが、君の、君達の狙いというわけか」

 タカミチはあえてネギの言葉に明確な答えを返さずにそう言った。言葉の節々に苦々しいものがあるのは、その言葉こそ、タカミチの、いや、世界中で今もなお活躍している立派な魔法使いが、一度は胸に懐かせた甘い幻想だったからだ。
 ネギはタカミチの動揺に気付きながら、あえて指摘することなく頷きを返して応じる。

「はい。麻帆良中心にある世界樹の魔力。蓄えられた膨大な魔力を波及させ、世界中に点在する同様の魔力溜まりとも呼べるスポットを刺激して、魔法があってもおかしくないと、世界中の人々に簡易的な催眠術をかけるのが僕らの第一の目的です」

 そしてその果てに、世界に住む全ての人々が違和感なく魔法を受け入れたとき、ネギ達の計画は始動する。

「世界に魔法を知らしめ、魔法と科学による、今よりも優れた世界を目指します」

「ならば何故こんなことを……! 確かに僕らにはそれは賛同出来ないだろう。それでも何故一言……」

 相談をしてくれなかったのか。
 その無意味さを誰よりもわかっていながら、タカミチは聞かずにはいられなかった。

「無理だよ、タカミチ」

 ネギは拭けば消えそうな笑みを浮かべながら答える。それはタカミチへと相談することが無理だと言うことよりも、もっと別な理由からの無理という言葉だった。

「あの人がいる」

「あの人?」

 ネギは空を指差した。
 そして、鈴の音色が響き渡る。

「青山さんがいるじゃないか」

 タカミチは、絶句した。
 理由にすらなっていなかった。だがしかし、今この瞬間、この音色を聞いたタカミチは何故か納得してしまった。断続的に響き渡る凛とした終わりの奏でが正気を震わしていくのを感じる。
 青山。
 正義に殉じようとしている青年。

「違います」

 ネギはそんなタカミチの内心を見透かしたかのように断言した。

「アレは人に仇なす」

 そう言って、静かに左目のカラーコンタクトを外して。

「修羅だ」

 苦々しげに言うその瞳は、まさに青山と同じく暗黒の眼に他ならなかった。
 瞬間、ネギは左手を開いて体内に宿していた回復魔法の術式を解放して、即座に体の治癒を行った。

「ッ……まだ話は!」

「話す必要なんて、ない!」

 魔法の射手が束ねて、決別代わりにタカミチへと放つ。再び始まった戦いに表情を曇らせるタカミチだが、状況は依然としてネギに不利な状態だ。
 術式兵装ははがされ、体内の遅延魔法も数はない。タカミチを倒すどころか一矢を報いることすら叶わぬ状況で、故に追い詰められた今こそ、この後に向けて切り札を使うべき丁度よかった。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル」

 この戦いで初めてネギが詠唱を始める。だがその間は完全なる無防備であり、タカミチは動揺しながらも戦士として無意識に反応していた。
 ネギと自分とにあった距離を一瞬で縮める。見事な瞬動術によって頭上を再び取ったタカミチは、狙いをすまして、今度こそネギの意識を刈り取る一撃を放とうとして、その視界から唐突にネギの姿が消えた。

「なっ……」

「来れ雷精風の精!」

 詠唱が聞こえたのはタカミチの背後、辛うじて原形をとどめているビルの上からだった。
 早すぎる。ここまででも瞬動をネギは使っていたが、これまでとは別次元の動きだった。
 まるで、瞬間移動でもしたかのような。

「雷を纏いて吹きすさべ南洋の風!」

 詠唱は終わりへと向かう。決して油断はしていなかった。むしろここまでの激闘で、ネギ相手ですら無意識で渾身の打撃をぶつけることが出来るくらいの集中力が、あの会話を経て尚あった。
 だがそのタカミチの感覚すらも超える速度でネギは動いている。見えないのだ。決して瞬動の動きを逃さぬと決めながらも。
 再び消失。

「雷の──」

 聞こえたのは真後ろ。収束した雷撃を左手に纏わせて、ネギは咸卦法の出力を乗せた拳に上乗せした小規模の嵐を解き放つ。
 衝撃で身に纏っていた上半身の衣服がローブごと吹き飛んだ。そして露わになったのは、少年の裸体ではなく、強力な呪符と、それによって背中に固定された手のひら大の時計のような何か。
 それがカチリと音を鳴らして、時間を刻んでいた。

「暴風!」

 零距離から脇腹へ放たれる最大級。クウネルとの戦いによって練り上げた、近距離で魔法を解き放つという荒技は、強かにタカミチの脇腹へと突き刺さる。戦士として鍛え上げられたタカミチの肉体すら抜く強力な一閃は、呻き声すらあげる暇すら与えずに、轟音の中へとタカミチを飲みこんで天高く突き抜ける。

「お、おぉぉぉぉぉ!」

 しかしその途中で雷の暴風が吹き飛んだ。現れたのはスーツはおろか体の至るところに裂傷と火傷を負ったタカミチ。
 だが健在。まるで衰えぬ戦意はさらに高まり、咸卦の光がその意志に応えるように爆発的にその体から噴き上がった。
 まるで夜空に浮かぶ一つの星の如き光を放つタカミチを見上げ、確かな手ごたえがあったというのに未だ動くどころか、さらに圧力を増した相手に押され、ネギは息を飲む。
 だが予感は確信に変わっていた。

「タカミチでも、反応出来ない」

 ネギが先程使用した、背部に付けられた時計は、カシオペアと呼ぶタイムマシンのようなものだ。世界樹の魔力が満ちているときにだけ使える反則技であるこの魔法具は、時間を操ることによって、本来は長大な詠唱を必要とする瞬間移動を、ノーモーションで行えるという優れものである。
 まさに反則の名にふさわしいこの魔法具をネギがここまで使わなかったのは、全力を振り絞ったタカミチ相手にカシオペアの瞬間移動が通用するかを検証するためだった。
 何故己の敗北が待っているかもしれないのにそのような無謀を行ったのかと言うと、ただ単純に、ネギは思わずにはいられなかったのだ。
 エヴァンジェリンは、青山に敗北する。
 超はエヴァンジェリンの能力ならば勝てぬまでも相討ちにはもっていくだろうと踏んでいたが、ネギはそこまで楽観的になれなかった。
 だからこの戦いで、ネギは仮想青山としてタカミチと対峙していたのだ。
 結果、タカミチレベルなら防戦一方になるが、切り札を使わずとも戦うことは可能。そして、切り札の一つであるカシオペアを使った今──

「雷の三十矢!」

 形勢は、完全に逆転していた。
 カシオペアの瞬間移動は、例えタカミチであっても反応出来るものではない。何せ相手は刹那の時間もかからず、零秒でその場から別の場所へと転移を果たす。これに通常の瞬動を合わせて撹乱させることによって、ネギは本来アルビレオに禁じられていた近距離での戦いを可能としていた。
 いや、せざるを得なかったというべきかもしれない。

「タカミチ!」

 憧れの名前を呼びながら、雷撃を纏って転移、そして放つ。
 だが僅かにでも距離が離れていれば、タカミチはその全てに反応して紙一重で回避してみせた。流石は現代の英雄とでも言うべき実力とでも言うべきか。
 雷光に輝く拳がタカミチの腹部を痛烈に撃ち抜く。体勢を崩したタカミチは、しかしその状態で無音拳をネギの頬に炸裂させていた。

「ぎっ!?」

「くっ!」

 互いに弾け飛び距離が生まれる。ネギは詠唱を始めて、させじとタカミチが居合い拳を放った。
 当然、カシオペアによって転移を行う。零秒遅れて、タカミチは上空に転移したネギへと視線を移した。ネギや青山と違って、タカミチには麻帆良全域を探知する能力はないものの、それでも身近に迫る戦意への反応は鋭い。熟練された経験値が、圧倒的なスペックと反則技との間を埋めているという事実に、驚嘆せざるをえない。
 だがここで苦戦するわけにはいかないのだ。ネギが見ているのは、タカミチすら上回る実力を誇る強者、青山。

「う、ぉぉぉぉぉぉ!」

 ならば、この程度。気迫を込めて瞬動で突撃するネギ。
 応じるタカミチの無音拳が、瞬間移動によって大気を虚しく弾いて終わる。その間に真横へと転移したネギは開いた拳から白き雷を放つ。拳が触れるか触れないかの至近距離での一閃は、例えタカミチであったとしても今度こそ耐えきれるものではないが、直感が男の体を動かして、スーツを焼いて白光は大地を穿つ。
 体を逸らした状態で、ポケットから引き抜かれた拳が飛ぶ。顔面目がけて渦を巻き飛んでくる肉の弾に対して転移は僅かに早い。頭上へと飛んだ状態で、杖は背負って両手に魔法の射手を収束。
 反応されている。だが見上げてくるタカミチが迎撃に移る前に、ネギは紫電を落とした。
 轟と雷光が煙を巻く。飛び出す影はタカミチのものだ。尚、動く。しかし完全には回避出来なかったのだろう。その左腕は力なく下がっており、揺れる左手の先からは鮮血が溢れて夜空へと舞っていた。
 空では沈黙した赤薔薇の周りで、幾つもの雷撃とそれらを斬り裂く鈴の音色が響いている。美しき幻想風景とは裏腹に、原始的な様相を見せ始めたタカミチとネギの両者。爛々と敵手の影を辿るタカミチの前で、立ちのぼっていた煙がとぐろを巻いて雲散霧消した。

「解放」

 渦の中心には、再びネギの手に球体となった魔法が浮かんでいる。
 それは雷の暴風を遥かに凌ぐ雷を強引に球体の形にした何かであった。ただ掌に展開しただけで辺りに突風を巻き起こす破滅の結晶。ここまで取っておいた、ネギの切り札が最後の一つにして、最強の一手。
 内に取り込むは高殿の王。我が身にひれ伏せ、契約の名の元に。
 千雷万来。溢れ出ろ、無限の光。

「掌握。『千の雷』!」

 力強く握りしめた術式が、確かな力となってネギの体中を駆け抜けた。血流がスパークする。神経網の一切も雷撃に狂い、弾けた電流がネギの小さな肉体の内で天災級の破壊をまき散らした。意識が白濁して、痛みに苦悶する暇もなく視界が暗転しそうになる。
 それらを強引に飲み干す。咸卦法のエネルギーが電流と拮抗した。奪われるか、飲み干すか。術式兵装にはある程度慣れてきたネギですら扱いには正気を保つことすら難しくなる極限をもって。

「術式兵装『雷轟無人』」

 千の雷がネギに装填される。千を超えれば無限と等しく、すなわち最早、雷と化した己は人に無く。
 迸る電流がネギの両腕から光の籠手として纏われていた。剥き出しの肉体を包む雷轟の鎧は、触れれば地球がもたらす天災と等しき破壊を瞬時に与えることだろう。
 その威容は見るだけで常人の目を焼くほどだ。闇に生まれる一筋の流星。咄嗟に目を庇ったタカミチは、こちらを静かに見上げるネギが、そっと手を掲げるのを見た。

「……カシオペアだけで終わればよかったけど、タカミチは強いから」

 生木を素手で引き裂くような音が掲げられた手に纏わる雷光の籠手から放たれた。それは徐々に音を大きくして、数秒もせずにその雷鳴は鼓膜を引き裂く程となり。
 轟音。
 そして、タカミチの直ぐ横を雷の暴風を遥かに凌ぐ雷の集合体が抜けて行った。
 閃光とはこのことをまさに言うのだろう。そうとしか言いようがないほど、その一撃は速すぎて、いや、雷そのものを射出する荒技に、果たしてどうやって反応出来るというのか。

「これを使うからには、手加減なんてもう出来ない」

 そう呟いたと同時、再びネギの姿がその場から消え失せた。
 咄嗟に研ぎすました感覚がタカミチの頭上を焼く光を捉える。見上げれば太陽の如き輝きを放つネギが、次は両腕を束ね合わせて雷光の力を集めていた。

「ッ!?」

「おぉぉ!」

 最早、躊躇いは失われた。雄叫びをあげながらネギが凝縮させている雷光の恐ろしきは、既に居合い拳だけでは貫くことは出来ないのを悟る。本能がタカミチを突き動かした。仕舞いこんだ両腕を同時に抜く。この瞬間にも麻帆良に落ちようとする天雷を思えばあまりにも遅すぎるこの両手。
 動け。
 もっと速く。
 加速する思考が、今にも放たれんとする紫電に先行する。煌めきの中に束ねられた弾丸は七つ。
 二つの腕に装填される。あらゆる敵を打ち滅ぼす無双をもって、絶対の破砕を完了させよう。
 ガチリと起き上がった激鉄を、意を込めて叩きこむ。
 咸卦の輝きが一層煌めき、頭上にある雷に劣らぬ光を放ったとき、それら一切がその両腕へとかき集められた。
 一撃。
 打撃。
 連撃。
 追撃。
 攻撃。
 直撃。
 束ねて爆撃。
 刹那に七つの光が瞬いた。煌めきは重なり合い、音を置き去りに、否、音すらもかき消すこの業こそ、タカミチが誇る必殺が一。

 七条大槍無音拳。

 七つに束ねた破壊をもって、ここに、天より降り注ぐ千の雷を打ち貫く。

「ッ!」

 死を予感する破壊が迫る。手の内を見せていなかったのはタカミチも同様だった。視界一面を覆い尽くす七つの必殺は、ネギの一撃に先んじて放たれている。
 何たる意地。
 何と言う底力。
 英雄足る資質の本領をネギは見た。これぞ英雄、窮地にこそ輝きを増す人々の希望足る存在よ。

「だけど……!」

 停滞した時間の中で、ネギは出せるはずのない声を出していた。それはただの思考であり、実際は現実の世界に空気を震わせて吐き出されるのは、この刹那の無限では一生よりもさらに後。
 だが口を開いた。雄叫びだった。
 激痛を放つ左目が血涙をあふれさせる。全力を放てることに歓喜の涙を流したのか。あるいは目の前の一撃が、埋めようのない決別を意味して、悲しいから涙したのか。
 どちらかわからないし。
 どちらでも構わないのだろう。
 ネギは停滞した刹那で、可能な限りの咸卦の力を両腕の雷撃に注ぎ込む。主の祈りに応えて、さらに膨張した籠手が荒ぶり、闇を焦がしていく。
 術式兵装『雷轟無人』。
 雷属性では最強の魔法である千の雷を術式兵装としたこの魔法は、両腕に装着された雷の籠手に魔力を込めるだけで、無詠唱で雷の暴風を遥かに超える出力の雷撃を連続で放てるという能力をもつ。
 勿論、籠手自体も、敵が触れれば内臓する雷撃で一気に焦がすことも可能であり、雷の速度と雷の破壊力を合わせ持つ、いわばタカミチの無音拳の上位互換版と言ってもいい。
 そしてその威力の最大値は、無論、装填した千の雷そのものと同じ。チャージには時間がかかるが、詠唱するよりも早く千の雷級の魔法を放てるこの兵装は、遠距離を主体とする魔法使いにとっての理想形とも言える。これに瞬間移動を行うカシオペアを扱える今、地球、そして魔法世界を合わせて見渡しても、ネギに勝つことが出来る生物は存在しないだろう。
 それでも。
 目の前に迫る七つの破壊は、ほぼ反則状態となっているネギですら震えあがらせるものであった。
 英雄が英雄足る資質。それは例え相手が格上だろうと勝利を手繰り寄せようとする鋼の精神力と、手繰り寄せることの出来る必然力とでも言うべき力。
 タカミチは英雄だ。カシオペアを使うネギにも食らいつき、土壇場でさらに切られた切り札を相手に、最善のタイミングで必殺を叩きこむ戦略眼。
 どれもが、今のネギには足りないもので。
 だから、この人を超えたとき、自分は初めて進めるのだと思った。

「く、だ……け!」

 籠手に流れ込む力が乱舞する。装填された力は最大。迫る脅威も最大。
 互いに最大をさらけ出す。光と光。闇をくりぬく神聖な輝きをここに。
 ネギは両手を束ねて、千にも及ぶ雷を眼前の破壊目がけて振り下ろした。

「うぉぉぉぉ!」

「おぉぉぉぉ!」

 世界の時間が元に戻る。遅れて響き渡る雷鳴と轟音が、尚も響いていた鈴の音色すらかき消して夜を一直線に割った。
 極大同士が激突する。互いを削り合う光の塊の余波が、その力を吐きだす両者の肉体に裂傷を刻み込む。
 タカミチの全霊が込められた七つの光の束は、千の雷とほぼ同等の火力にまで膨れ上がった雷轟無人の光をゆっくりと削っていた。意地と執念がネギを圧する。両腕に重く圧し掛かる意志の何たる強きことか。素直に称賛の念を覚えながら、ネギはさらに咸卦の出力を込めて無音拳に抗う。

「ぎ、ぐぅ……!」

 丹田に力を込める。気を練りあげろ。魔力を取りこみ、合成しろ。出力は拮抗している。後はどこまで魔力と気を保ち続けることが出来るかが勝敗を分かつのだ。
 奥歯を噛みしめ目を見開き、踏ん張ることなんて出来ないはずの虚空で足腰を留まらせて体を支える。弾けそうな両腕は、積み上げた意志力で保つ。
 超えるのだ。
 かつての理想。
 今も目標としていた理想の一人。
 タカミチ。
 僕は今日、あなたを超える。

「う、おぉぉぉぉぉぉぉ!」

 ネギは叫んだ。夜の月に届けとばかりに叫び、その祈りに応えるべく、雷轟無人がさらに輝きを増した。
 束ねろ。もっと細く、もっと硬く。本来なら拮抗するはずのないこの激突を拮抗させ、あまつさえ凌駕されそうになっているのは、タカミチの放つ七つの破壊が、一本の槍として束ねられているからに他ならぬ。
 絞れ。
 もっと絞めろ。
 敵の首を握りつぶすように、今放っている光を引き絞ってかき集めるのだ。

「ッ!?」

 タカミチは徐々に押され始めている己の必殺を見て目を見開いた。ゆっくりと、だが確実にか細くなっている雷轟無人の光は、小さくまとまっていくのとは裏腹に、その光をより濃く、力をより強く高めている。
 この一秒に成長する。
 未完成という答えだからこそ、ネギの成長は際限ない。
 より上に。
 さらに前へ。
 例え答えを生涯見つけることは出来なくても。

 進み続ける軌跡だけは、本物だ。

「ぁぁぁぁぁぁぁ!」

 そして限界まで収束した光が、ついにタカミチの必殺をかき消した。その威力の殆どを削られながらも、タカミチを飲みこむ力は今度こそそのタフな体を貫いて。

「あぁ、僕の負けか」

 そんな声すらも奪い去り、極光は七つの祈りを打ち砕き、荒廃した麻帆良の大地に突き刺さった。






 術式兵装を解除して瓦礫に降り立ったネギは、肩で息をしながらも未だ戦闘には支障がない。
 その彼の目の前で横たわっているタカミチは、スーツはぼろぼろ、露出した肌も裂傷と火傷が刻まれ、最早指一本動かす余裕すらないだろう。
 激闘は終わった。
 勝者は、ネギだった。

「タカミチ……」

「……迷いがあったのかもしれない。いや、言い訳だな……強くなったね」

 空を見上げながら、タカミチはどうにか動く顔の筋肉を動かして、笑みを象った。それすらも辛いのか、普段の笑顔とは違い、口元は震えている。

「……僕は」

「語ることはない。テロリストになった君を、僕には止めることが出来なかった」

 あえてテロリストという言葉を口にしたタカミチ。だがネギはそれを自覚しているのか、ただ困ったように小さく微笑んで、タカミチの隣に座った。

「転移の札を龍宮さんから一枚もらったんだ。これの転移先は麻帆良郊外のセーフハウスのベッドに繋がってる」

 懐から取り出した札をタカミチの胸の上に置く。「僕はもう行くよ」ネギは断続的に響く鈴の音色の方角を向いて、そう言った。

「僕は、どこから間違っていたのかな」

 タカミチはふとそんなことを呟いた。何もかもを出しきったタカミチは、何もかもに疲れきったような表情を浮かべている。
 懐を探って煙草を取り出そうとして──スーツの上は完全に消し飛んでいるのでないのを悟る。
 ネギはただ虚しいと空を見上げるタカミチにかけるべき言葉を探って、静かに口を開いた。

「僕にはわからないよ。でも、タカミチが間違ったって思ったのなら……何かが、間違えていたのかもしれない」

「……そうだね。だけど、だからと言って君が、君達が正しいというわけではない」

 今にも意識が飛びそうになりながら、それでもタカミチはネギに伝えたいことがあった。

「本当はわかっている。もしも君が言うとおりに魔法と科学が融合したのなら、今よりも救える人々が増えるのだと……だが、もしかしたらさらに巨大な犠牲を生みだすかもしれない」

 それは超とも同じことを話した。勿論、タカミチもネギがその可能性に気付いていないとは考えていない。
 ただ、聞きたかっただけだ。
 君は、どうするのかということを。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……でも、僕はいずれまた京都と同じことが必ず起きるとわかっていて、それをどうにか出来る選択肢を選ばないなんてことはしたくない。ただ、それだけなんだ」

 そこには正義も、ましてや悪も存在しない。言い方を変えれば、そういった分かりやすい逃げ道に逃げたくはなかっただけだった。

「この選択の結果は、未来が来ればわかるよ。そのとき初めて、僕らは正しかったのか、間違っていたのかわかるはずだ」

「それは無責任じゃないかな?」

「勿論、正しかったと言われるように、最大限の努力はするよ……少なくとも、超さんはそうすると決めているし、僕もそうだ。行動に対する責任は取らなければならないから」

「だが、責任を取れなかったらどうする? それに、君達の行動では必ず被害者が出る。その被害者のことを考えないのかい?」

「それ、嫌な言い方だよタカミチ。完全でなければやってはいけないって言うなら、人間は誰も行動をすることが出来なくなる」

 全てを救うことは出来ない。超が目指すのはより良き未来だが、決して誰もかれもが幸せになれるような完璧なものではないのだ。
 理想から逃げるな。全てを救ってみせろ、そう言うのは容易いだろう。だが歴史を振り返っても、誰もが幸せでいられた瞬間など存在しない。
 だからと言って、なりふり構わず何もかも押し通すというのも間違っている。
 ベストでもワーストでもなく。
 現実はベターが限界で、それ以下を選択は出来ないし、してはいけない。

「……大人のように話すようになったね」

「あんなことがあって、子どもじゃいられないよ」

「そっか……」

 そういうものだろう。
 ネギはあまりにも、災厄に飲まれすぎた。幼少時に続き、京都での一件。己の無力を痛感し、無力ではいられないと、子どもではいられないと思ったはずだ。
 そして、そう思わせた事態を引き起こしたのは、大人である自分達の責任だった。

「そうなんだね」

 タカミチは噛みしめるように呟いた。無責任のせいで、責任が発生する。もっと注意すればよかった。甘い算段をするべきではなかった。
 現実は漫画のようにはいかない。
 ウェールズの山奥での一件も。
 エヴァンジェリンとの一件も。
 そして京都の一件も。
 どれもが、起こしてはならない悲劇であり、自分達はその悲劇を起こさないようにするための行動をすることを怠った。選択肢を間違えて、止められた惨劇を引き起こしたのだ。
 いや。
 それよりも。
 自分達が起こした最大の過ちは。

 ──凛と鳴り響く鈴の音色。

 これをどうにか出来ると思ったことにあるのではないか。

「……気をつけて」

 タカミチはそう言うしかなかった。
 直後、これまでで何よりも美しく、呼吸すら止まるような音色が麻帆良全域に響き渡った。
 その響きにタカミチは思考を停止させて。
 ネギはただ静かに、一つの戦いが終わったのを悟る。

「うん。ありがとう、タカミチ」

 ネギは空を見上げた。音色は再び鳴りだす。耳を済ませれば脳髄が発狂しそうな歌声は、先程よりもさらに透明に純化しているようにネギには感じられた。
 行こう。
 鈍く痛む体を無視して、ネギは行く。夜空はまだ震えている。戦いは続いている。
 うずく左目が、音色に呼応して痛みを増していく。思考は徐々に冷えていた。世界は透明で、現実的ではないくらい綺麗で。
 だからネギは、唐突に悟るのだ。

「青山さん」

 これで、全て終わるんだって。





後書き
術式兵装『雷轟無人』
千の雷を術式兵装にしたやつ。両手に雷の籠手を装着する。この籠手から放つ雷は、雷そのものの速度と、雷の暴風以上の破壊力を誇る、しかも連射可能。ようはタカミチの無音拳の射程、威力が劇的に向上したものを放てるみたいなもん。ただ、籠手以外の部分は強化されてない生身のままなので、そこを狙われると案外もろい。
魔法使いスタイルのネギ・スプリングフィールドが辿りついた一つの境地。



[35534] 第七話【修羅外道(上)】
Name: トロ◆0491591d ID:c5d28fff
Date: 2013/01/28 23:18

 天空に映える赤薔薇は、月灯りを通して尚美しく咲き乱れている。まるで神話の光景をそのまま甦らせたような、美しく壮大で、やはり恐ろしい氷の華を見上げる青山は、臆すことなく証を構え直してエヴァンジェリンへと切っ先を向けた。
 暴れ、狂い咲く華は、今か今かとエヴァンジェリンの号令を待っている。さながらチ忠義の犬。あるいは牢獄に捕らわれた猛獣の如く。薔薇を挟んで空に立つエヴァンジェリンは、白い吐息を可憐な口から漏らしながら、嗜虐の笑みを浮かべて刑を待つ罪人の如き青山を見返した。

「これが貴様を殺すためだけに作りだした魔法、終わりなく赤き九天だ」

 誇るように両手を広げながら、滴り続ける鮮血を媒体に棘の軍勢をその周囲に張り巡らせる。
 終わりなく赤き九天。
 大橋での敗北からこれまで、青山を殺すために練り上げ、編み出した、生まれ続ける雷氷の群れだ。見た目からして、吸血鬼の血液を溶かしたために禍々しい雰囲気を放つその棘は、触れればそのまま肉体を氷に閉じ込めると、青山の目は見抜いている。
 だがそれだけだ。その棘の一本一本が絶対零度の冷気を放っているが、その程度であれば青山にとって脅威とはなりえない。

「くくく」

 そんな青山の思考を見透かすような笑い声。揺らめく水面のような少女の瞳が、それだけではないと青山に警告する。
 見誤るなと。この棘をただの絶対零度と断じたその時が、貴様の最後だ。

「行くぞ」

 エヴァンジェリンは、広げた両手を指揮者の如く天に掲げた。その動きに合わせて棘もまた天へと昇る。渦を巻くように絡みあい、束ねられた棘が、螺旋を描いて空へと行く。そのまま月すら穿たんと駆け登る棘が、その渦中にエヴァンジェリンを隠した直後、青山に向かって棘が急転直下と襲いかかった。

「……ッ」

 青山は枝分かれして四方から飛びかかる棘の動きを辿る。氷の女王すら上回る棘の弾幕は、青山を包み隠すように広がっているのが見て取れた。
 食虫植物みたいだな。そう内心でぼやきながら、青山は両足に気を込めて大地を蹴る。瞬動術にて後ろに飛んだ青山に遅れて、一瞬前まで青山が居た場所もろとも赤薔薇が全てを飲みこんだ。
 その章頭の余波だけで愛用している藍色の着物の端が凍りつく。余波だけでこれだ。もしも生身で触れたならば、たちまち心臓を停止させられて即死するだろう。
 だがその結末を甘んじる訳にはいかない。津波のように暴れ、乱れ襲ってくる棘の頭上へと青山は飛んだ。目指すは遥か上空。氷に隠されたエヴァンジェリンの喉元だ。
 先程は斬り損ねた。
 だが今度は必ずその命にまで刃を届かせよう。応じるように震えた証に感謝しつつ、空気の塊を蹴って天上へと走り抜ける。
 その行く手を阻むのはやはり赤薔薇の棘だ。雷を纏いながら青山を執拗に追いかける棘の速度は、虚空瞬動を繰り返す青山にすら劣らない。
 むしろ、追いこまれている。これまで速度の領域において他の追従を許さなかった青山にとっては衝撃だったが、驚きは心の奥深くへ。迫る棘に向き直り、証を構えて迎え撃つ。
 先程と同じく、青山は赤薔薇の群れを見るのではなく、赤薔薇の術式を構成する根源を、その棘の一つ一つから読みとる。脳髄と眼球を蝕む痛み。込み上げる吐瀉物を強引に胃へと落としこみながら、見えぬ概念の一端へと狙いをつけた。

「おぉ!」

 気合い一閃。百を超える棘を一刀の元に斬る。斬撃に酔う音色が何重にも重なり響き渡り、青山は手元の感触に確かなものを覚え──
 まるで何事もなかったかのように、斬られた断面から棘が再び生まれてきた。

「何……!?」

 今度こそ隠しきれぬ驚きに当惑しながらも、慌てて棘を斬り払い、その場から離脱する。
 しかしやはり、根源を斬られた証でもある鈴の音色を響かせているというのに、棘はまるで壊れない。
 むしろ、先程にもまして棘の数は増えているのではないか?

「こ、れは……」

 棘は無限に生まれ続ける。この恐ろしき氷結呪文の真の怖さを、青山は今まさに体感していた。
 終わりなく赤き九天。棘の全てが絶対零度というだけでも恐ろしきこの呪文の本当の恐ろしさはそこではない。
 真の恐怖。それは、棘を構成する一本一本が、全て別個の精霊を宿した個別の生命体であるということにある。真租の吸血鬼としておそれられたエヴァンジェリンのもう一つの異名。
 人形遣い。
 かつては軍勢とも呼べる数の人形を一人で操ったエヴァンジェリンだからこそ考案し、操ることが出来るのだ。当然、青山以外の相手であれば、誰であってもこのような手間をかける必要はない。
 むしろ、魔力の消耗が激しくなる分無駄だというものだ。
 しかし、相手が青山である場合、全てが別個の生命体であるという利点は強烈である。敵の大本を斬るという、まさに神鳴流の秘奥を極めた青山の最後にして最大の弱点。
 それは、彼には大群を一掃する技がないということにある。
 斬るという答えに至ったから得た。必殺とも言える斬撃。しかし刀が一本であるため、斬れる対象も一つずつ。
 故に、その圧倒的な強さに隠されているが、青山の殲滅能力だけを上げた場合、その能力は赴任した当初のネギにすら劣るのだ。
 勿論。それを補って余りある切っ先の冴えと、歩法の速さがあるが、神速の斬撃速度すら上回る増殖力と、青山の瞬動にすら追いつくスピードが合わさったとき。

「貴様の底が見えたぞ。青山」

 エヴァンジェリンは青山の全てを捉えた。終わりに至った肉体の骨の髄までしゃぶりつくし、この魔法をもって、遂にその流血で己の体を満たせることに歓喜する。
 斬ろうが引こうが追いすがる氷の軍勢が、次第に青山の影を踏み始めていた。初めての体験だった。斬っても死なない物が存在することが、己の常識を壊す異常に青山は恐怖すらした。
 嫌だ。何だこれは。斬っているのに、斬ったのに死なないなんて、生きてる証を歌いながら、地獄からよみがえる亡者の如く増え続ける棘の群れ。
 その全てがまるで自分を死へといざなっているようだった。
 こっちへ来い。
 こっちへ来るんだ。
 死ね。
 この棘に包まれて殺されろ。

「ぃ……ひぃぁぁぁぁ!」

 絹を裂くが如き悲鳴が青山の口から漏れた。理解出来ぬ化け物が自分を殺そうと迫ってくるのが怖かった。戦いの歓喜すらそこにはなく、ただただ生きたくて、生きようとしているだけの自分には眼前の殺意が、涙が出るほど恐ろしい。
 耳に届く凛と合わさった悲鳴に、エヴァンジェリンは酔いしれた。

「……んん。いい。いいぞ青山。その恐怖。その絶望。全てが芳醇だ。香しくて瑞々しい。脳みそをぐちゃぐちゃに溶かすような歌声だよ。怖いんだろ? 斬るという常識が通じないことが……あぁ、あぁ! 貴様の奏でる鈴の音色も綺麗だが──」

「あ、ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「私としては、その悲鳴のほうが濡れるなぁ」

 目を閉じて、頬を紅潮させ、真租は絶望に落ちた人間のあげる声を、腹の底まで楽しんだ。へその下がじわりと疼く。繰り返し続く絶叫が、氷に閉じ込められたエヴァンジェリンの脳裏に鮮明と青山の顔に浮かんだ恐怖の色を想像させた。
 常人には理解できないことだが、『今の』青山にとって斬っても斬れないというのは常識外に他ならなかった。
 生きることは斬ることだ。
 その単純な回答に矛盾するエヴァンジェリンの魔法は、まるで太陽が空から失われたかのような絶望を青山に叩きつけたのだ。

「な、んで……! なんで……!?」

 無表情の顔に浮かぶ困惑と焦燥と絶望と悲壮。それでも刃の冴えは決して衰えないあたりは見事としか言いようがないが、いずれこのままでは棘に食いつかれるのは時間の問題だった。
 死が迫っている。
 死んでしまう。
 こんなところで。
 斬られることなく、殺される。

「嫌だ……死にたくない……」

 呟かれた言葉の、何と外道なことか。青山がこれまで行ってきた全てを冒涜する一言が漏れ出た。
 死にたくない。
 幾人も斬り殺しながら。
 青山は、死にたくないのだ。
 そしてその言葉に誰よりも憤るのが。

「……何だ、それは」

 他でもない。エヴァンジェリンその人だった。
 その時、後一歩で青山を絡め取るところまで来ていた棘が突然動きを止めた。
 何事かと、恐怖に怯えた表情を浮かべながら棘から距離を取る青山。すると、天空高く咲いていた氷の薔薇が開き、中にいたエヴァンジェリンが嫌悪に歪んだ表情を浮かべて現れた。

「何だよ。その様は」

 誰かが常に青山に思っていた、形容出来ぬ様を言うのではなく。
 エヴァンジェリンはただただ、その無様に対して唾棄した。

「貴様……あぁクソ。確かに貴様は滅茶苦茶になったよ。もう一度聞くぞ? 何だそれは、違うだろう青山。貴様はもっと純粋だったはずだ。間違っても……自分の生死に固執する人間ではなかっただろ?」

 エヴァンジェリンが望む青山が浮かべる恐怖は、そんな己の死に恐怖する様ではない。
 斬るという終わりが通用しないことに対する絶望。
 そうであるべきなのだ。

「何を……人間なんだから、生きたいって思うのは──」

「貴様は……いや、話しても通じまい」

 そう言って、諦めた風に首を振ると、エヴァンジェリンは再び氷の中に覆われていく。

「気が変わったぞ青山。貴様を殺す……そんな『余分』は、私が直々に殺しきってやるよ!」

「エヴァ──」

「今の貴様が私を呼ぶな! 青山ぁ!」

 直後、エヴァンジェリンの怒りとは裏腹に、別個の魂をもった、共通の使命を持つ棘の群れが青山へと殺到する。再び始まった敗北までの出来レース。猛然となだれ込む棘の雨を掻い潜り、青山はただエヴァンジェリンが何を言いたいのかわからずに混乱した。
 生きたいのだ。
 斬りたいのだ。
 ただそれだけであり。
 自分は決して間違っていないはずで。

「俺、は……」

 指先が凍っていく。内臓も凍っていく。脳髄も激痛すら消えるほど冷たくなっていて、これでは棘の直撃を受けずとも、死に果てるのは明白で。
 死ぬのだ。
 このままでは、死んでしまうのだ。

「嫌だ……嫌だ……!」

 青山は背を向けて走り出した。全力で逃げ出す。目の前の山々を壁にして、狂い来る薔薇の棘から、嗚咽を漏らし、地べたを這いずりながら、何とも無様な姿で青山は逃げた。
 怖いのだ。
 ただ怖くて、こんな場所には一秒だっていたくない。
 第三者が見たら、何を今更と言うだろう。自らが望んだ戦場に嬉々として現れながら、いざ戦況が己にとって悪くなったと見るや否や逃げ出すその情けなさ。
 見るに堪えぬ醜悪。
 例えエヴァンジェリンでなくても、今の青山を見れば、素子すら「それは違うだろう」と幻滅したに違いない。

「ひぃ……あぁぁ……」

 目口鼻から液体を流し、股すら濡らして逃げる青山だが、体に染みついた技術はそこまでの醜態を晒す主をぎりぎりで生かしている。最善の逃走経路を選び、迫る棘を斬り捨てて、時には土を舐め、恐怖から嘔吐すらしながら。
 青山は逃げていた。
 何が彼をそこまで突き動かすのか。そうまでして逃げなければならぬ理由があるというのか。
 今や、ただの人に落ちぶれた哀れな子鬼になりながら。
 何故、逃げる?

「死にたくない」

 生きたいのだ。フェイトが教えてくれた。この斬撃にこそ生きる意味があるから。自分はそれ以外で殺されるわけにはいかないのだ。
 この素晴らしい答えを皆に教えるために、殺されたくなかった。

「生きたいんだ」

 願い─呪い─は根深い。同じく終わりに至った少年が青山に与えた鎖は、はっきり言おう。青山をただの気が狂っただけの狂人へと突き落とした。
 修羅ではない。
 狂人。
 ただの、人間。

「守りたいんだ」

 その言葉の何たる空虚。何を守るというのか。守れるものがあるというのか。
 ──凛と悶える右手の証。
 生きるために。
 斬るのだ。

「陽だまりがあるから……!」

 大切だから。
 だから、生きて、斬るんだ。
 それだけのこと。
 幸せな回答。
 ─激痛を訴える黒色の刀身─

「生きるんだ」

 何のために?
 ─今にも死にそうな刃が狂う。末端から震え、黒い刀身の先から罅が走る─

「生きて、斬るために」

 誰のために?
 ─破裂する。矛盾は成立しない。刀身を覆っていた黒は剥がれ、その矛盾を、生きるという答えを食いつぶすように現れるのは─

「斬るんだ」

 斬るために。
 斬るから。
 斬って。
 斬るだけで。
 斬るしかないから。
 斬っていくのです。
 どうか。
 斬らせてください。
 斬るために斬る。
 斬る。
 だから。
 生きることは、斬ることで。

 違うだろ。

「あ」

 迫る棘が体に巻きつく。体中が痛みを感じる前に、一瞬で魂まで冷却されて、思考は暗転。

「死ねよ青山」

 氷獄に落ちる。人生の最後、死にたくないという思いに勝り脳裏を走ったのは──

 ──斬ることは、斬ることだ。

 おかえりなさい。修羅外道。

 右手のソレ─証─は、刀だよ。









 斬る。













後書き

オリ主の一人称、これにて終了です。



[35534] 第七話【修羅外道(終)】
Name: トロ◆0491591d ID:8741f41c
Date: 2013/02/17 18:09

 青山を飲みこんだ棘は、餌に群がるハイエナの如く次々と殺到し、凍りながらさらに生まれ続けて尚凍らせていく。
 エヴァンジェリンの魔力が尽きるまでこの増殖は終わらないだろう。今はまだ小規模だが、このままこの氷獄が広がれば、麻帆良学園を容易く飲み干すまでになるはずだ。
 勝敗は決した。恐るべき修羅である青山は氷の棺桶に抱かれて絶命し、エヴァンジェリンは鮮血を溢れさせながら健在。
 勝者は、真租の吸血鬼、エヴァンジェリンだった。

「……これじゃないよ」

 だが勝利したはずのエヴァンジェリンの表情は暗い。掴めるはずだった実感は何処にもなく、ただただ虚しさが心を満たしていた。

「私は、そんな貴様を殺したかったわけではなかった……」

 無様に這いずりまわり、己の所業を顧みることなく、ただ生きたいと喚き散らした男。
 その程度の男に固執していたわけではなかった。

「クソ……誰だか知らんが、余計な真似をしてくれた」

 矛盾には気付いていた。だがこの男なら、その程度の矛盾に飲まれることなく、ひたすら刀に邁進するだろうと信じていた。何より、麻帆良を襲撃した悪魔の一件は、青山が斬ることにあり続けているんだと信じられる材料だったはず。
 しかし蓋を開ければどうだろう。生きるという答えに斬るという回答が遅れてついてきている。
 そうではない。
 そうではないのだ。
 形容出来ぬが、違うとエヴァンジェリンは思った。そんな在り方ではない。青山はもっと鋼であるべきだ。
 恐怖で言い表せられるような俗物ではない。
 この様だと。
 こんな有り様だと訴えるのが、青山だったはずだろう。

「なぁ……青山」

 せめて一縷の望みをと賭けて、その魂を凍てつかせて絶命してみせたが、規模を広げる棘の内部では一向に動く気配はない。
 もう、彼女が恋焦がれた修羅は何処にもいないのだ。
 そう考えると、エヴァンジェリンは四肢を失う以上の喪失感に襲われた。

「貴様は……私だった」

 斬られてから、繋がった。可笑しい話だが、エヴァンジェリンは青山との繋がりを感じていた。
 だから誰よりも彼を知っていた。
 事実は、あの醜態を見るまで変貌に気付かなかったため、ただ単純に羨望のフィルターをかけて見ていただけなのだろうが。
 それでも自分は、彼の一番の理解者だと自負していた。誰に自慢するわけでも、本人に言うわけでもなかったが、エヴァンジェリンはそう思っていた。

「せめてもの慈悲だ……ここら一帯を、貴様の棺桶にしてやろう」

 涙の代わりに流血を指先から滴らせて、エヴァンジェリンは最後の号令をかける。麻帆良郊外にそびえる山々が加速度的に氷に閉ざされていた。一度凍らせれば、術者であるエヴァンジェリンですら解除することのできない絶対零度の棘の群れが、その通り道を氷塊へと変えていく。
 その中心にとぐろを巻いて天へと伸び行く華。そこに眠る修羅のなれの果てを思い、吸血鬼は手向けの華を咲かせていった。

「……願いがあった。貴様を殺し、その血で己の体を癒し……無限に続く未来を、膨大な殺戮で埋められると信じていた」

 めくるめく闘争の日々を夢想していた。いずれ世界が己を殺しきるまで、ただただ吸血鬼であろうと、永遠にこの戦いの連鎖を続けていけると思っていた。
 だがどうだろう。
 何故か今は、少しだけ──疲れた。

「青山……」

 貴様が変わったせいで、こんなにも悲しい。
 こと、この最後に至り、感じるのは失望ではなく絶望。
 人間は、変わらずにはいられないという、悲しい事実。
 エヴァンジェリンはもう変わらないだろう。無限の時を、この姿のまま、無限に戦い続けて、無限に歓喜するしかない。
 だが人間は違う。時と共に成長し、練磨し、そして、衰える。
 変わっていく。
 自分を残して、変わっていく。

「わかっていたはずなのだがな……」

 化け物に戻ったことで、その本質すら忘れてしまったのだろうか。
 人間と化け物。
 殺し、殺される関係。
 変わらないと信じていたその絆。
 死を恐れ、無様に生きようとした青山の姿は、その絆に綻びを与えるには充分だった。
 青山を殺した後、見つけ出して殺そうと思っていたナギ・スプリングフィールドも、もしかしたら青山と同じように変わっているのかもしれない。
 強き者は変わらないという不文律は、人間には適用されないのだろうか。
 ならばどうする。
 永遠に、人間という名の夢を抱いて戦い続けろというのか。

「……それもまた一興。夢の狭間で生きるこそ、化け物の本懐だ」

 無限に生きる己こそ、夢の如き存在ならば。
 ここから始めよう。焦がれた人間の墓標を最後に見降ろし、エヴァンジェリンは約束通り、麻帆良に手を出すことなくその場を後にしようとして。

 凛。

 そんな彼女を引きとめるように、静かな波紋が響き渡った。

「……ああ」

 その音色に瞼を閉じて酔いしれる。永遠に狂い咲く棘と同じく、無限に鈴の音色は鳴り響いていた。
 眼下、修羅の棺桶は真っ二つに引き裂かれる。だがその隙間を埋めるように棘は荒れ狂い、一秒もすれば亀裂は忽ち塞がれるだろう。
 だがそれよりも早く飛び出した影が一つ。棘の影を引き連れながら、空に伸び行く流星は、月を背中にその翼を広げた。

「おかえり」

 月下に映える鈍色の光に笑顔を向ける。無邪気な微笑みに応えるように、絶殺より現れた男、青山は右腕に掴んだ証を天へと掲げた。
 最早、証の刀身は黒ではない。愚直なまでに鋼。ひたすらに鉄の冴え。不純を払い、その輝きの全貌を露わにした証の全ては、まさしく青山そのものの光を放っていた。
 生きるという訴えはその刀身からは伝わってこない。
 ただ斬る。
 理由はそこにはない。
 斬るから、斬る。
 その美しいまでの一本筋こそ、少女が恋した冷え冷えと鋼。
 青山の太刀。

「エヴァンジェリン……俺は──」

 直後、エヴァンジェリンの願い、その刃に惹かれり気持ちをくみ取るように、重なり合いながら棘が切っ先へと殺到した。
 荒れ狂う大海すら水遊びにしか感じられない程、迫る氷塊の圧力は凄まじい。事実、一分前の青山なら、悲鳴をあげて恐怖に飲み込まれただろう。

「悪い夢を見ていたみたいだ」

 だがしかし、青山はこれまでと同じく、これまで以上に単純に棘の全てを斬り捨てた。当然、棘の個は死に絶えるが、群としての棘は不滅。尚迫りくる軍勢を、青山は特に怯えることなく斬りながら、ゆっくりと地上へ落ちていく。
 手足を投げ出して落ちていく青山へと追いすがる氷の牙が、体に触れることすら敵わずに砕けて散っていた。
 落ちるままに、無意識に。思考するよりも早く斬撃が放たれ、歌声は際限なく重なりあっていく。
 青山はその視界一面に広がる月と氷、そして遠くで微笑む吸血鬼を見据えて、思う。
 長かった。
 ここに再び気付くまで、とても長かった。

「理由なんて、必要なかった」

 初めの心を自分は見失っていたのだ。
 強く。
 強くなりたかった。

「俺は、俺のこの肉体が行く先を見たかった」

 だから強くなった。
 ひたすらに己の肉体と向き合い。
 強くなることに歓喜して。

「そして、ここに来た」

 斬撃。
 ただ斬るだけ。
 この答え。
 この様ゆえに。
 至った全て。

「俺は、その答えに泥を塗ったんだ……」

 思えば、至った後から、随分と惑っていた。
 人のためにと。
 友人のためにと。
 恩人のためにと。
 家族のためにと。
 理由を求めてしまった。
 斬撃と言う答えの理由を探してしまった。

「俺は……弱くなった」

 答えを得てからゆっくりと、周囲の環境にじっとりと汚染され、穢れのなかった斬撃を見失ってしまった。
 姉さん。
 素子姉さん。
 俺は、ただただ、あなたに恥じ入らなければならない。

「……あの時の俺は透明だった」

 この様だったはずだ。
 嫌悪とも、好意とも、そもそも、あらゆる感情とは無縁だったあの時。
 あの様。
 この様。
 そうとしか言えぬ何かだった、あの時の自分を。
 素子が踵を返さざるをえなかった曇りなき自分を。
 鋼。
 この様に、刀。
 そそり立つ無心こそ刃。

「もう、動かないよ」

 ──俺はこのまま。

「もう、振り向かないよ」

 ──俺はひたすら。

「もう、前を見ないよ」

 ──俺はありのまま。

 丸っと一つ。等身大の、鋼となりて。

「この修羅場─斬撃─に、在り続ける」

 いざ月光。
 死して鋼、曇りを払う。
 大地に降り立った青山は、執拗に迫りくる棘を散らし、上空のエヴァンジェリンに笑いかけた。

「夢幻と嘆いたが……」

 その様にエヴァンジェリンは哄笑を隠しきれなかった。
 人は変わる。惑い、迷いて、同じ場所になんて一秒も立てないくらい生き急ぐ生物だけれど。
 違うのだ。
 それでも変わらない人間は、現れたのだ。

「いいよ青山。なんて様だよ」

 斬撃という答えを得ながら、僅かな残滓が周囲との関係を求め、同等に近い強敵が、修羅に人らしい彩りを与えた。
 だが最早、ここに居る男は違う。
 終末に至る斬撃に酔う修羅の冴え。凛と佇む一本の鋼に青山は立つ。
 不変の強さ。折れない刃の如き冷たさを放ちながら、青山はここに居る。
 もう、彼は変わることはないだろう。前世という鎧が育てた肉体は、ついにその鎧にこびりついた汚れを、鎧もろとも斬り裂いて生まれる。
 初めてする呼吸。
 冷たい空気に、喉が凍る。
 実感だけが、ここにはあった。

「待たせたなエヴァンジェリン」

 棘を斬り飛ばす。斬撃一つで、周囲を取り囲んでいた棘が悉く砕け散り、その氷の雨に隠れながら、携えるのは己そのもの。
 右手の刀は、己。
 己こそ刀。

「お前を、斬るぞ」

 生も死も意味をなさぬ。
 刃は斬ること以外に、考えないのだから。
 その直後、青山は地面を陥没させながら空へと飛んだ。一歩で上空遥かまで飛び立つ健脚に、我がことながら驚きを覚える。
 体は妙に軽かった。あらゆる重石を斬り払ったかのように、肌に触れる空気すら斬りながら、青山は再度、薔薇の中に沈んだエヴァンジェリン目がけて駆けだした。
 当然、行く手を遮ってくる雷氷の棘。瞬動ですら逃れるのが困難な速度と物量を斬り分けて、無心のままに前へと進む。
 展開する斬撃結界。先程よりも遥かに洗練された冴えの幕は、空間を断絶したかのように棘を寄せ付けない。
 だがエヴァンジェリンの渾身はこの程度では済まない。圧倒的な物量と速度は、次第に青山の結界を狭めていき、ついに死角を突いて切っ先は青山の頭部へと届いた。

「ッ……」

 だがその瞬間、独楽のように体を回転させた青山が気を頭部に集中。額を擦らせるように棘へと擦りつけていなして直撃を避けた。
 しかし相手は絶対零度。気を最大出力で纏ったとはいえ、たちまち額は凍りつき、浸食する氷は忽ち青山の顔の左半分を凍らせた。
 刹那、右手の証がぶれ顔の氷を斬り砕く。顔には一切傷をつけることなく、氷だけを斬るという絶技は見事の一言。しかし気で強化していたにも関わらず、凍っていた部分は凍傷を起こし、さらに左目は完全に氷に飲み込まれていた。
 だから、眼球の氷が脳髄に届く前に、証を躊躇なく突き立てて、一気に抉り取った。

「ぃッ……!」

 切っ先に突き刺さった眼球が引き抜かれると同時、熱血が青山の眼底から迸った。残留した氷塊は流血に溶けて、直後、抉った左目がただの氷の塊になり果てる。
 だがそこに何かを思う余裕はなかった。そうしている間にも迫る棘を掻い潜らなければならない。一閃を忘れただけで再び棘が突き立つことを思えば、失われた眼球に思いをはせる暇は皆無だった。
 それに、そもそも、嬉しいのだ。

「ひぃひっ……!」

 奇声の如き笑い声が青山の口から漏れ出た。状況はあまりにも劣勢だ。唯でさえ密度の濃い軍勢は、エヴァンジェリンに近づけば近づくだけ、その総量を増やしている。さらにその棘の一つにでも触れれば、今のように体の何処かを失う恐れがある。
 まるでかつて死闘を繰り広げた酒呑童子のようだ。一撃が掠っただけで破壊に飲まれるのと同じ、エヴァンジェリンの氷は、掠っただけで殺される。
 だがそれは青山も同じだ。
 一撃。
 今度こそ、一撃。
 先程のように、矛盾を孕んだ状態の一撃ではない。正真正銘、斬撃という名の己を斬りつける一撃ならば、確実にエヴァンジェリンの命にだって届くだろう。

「エヴァンジェリン……!」

 その時を思えば、体中が快感に狂ってしまう。
 絶頂だ。
 あの吸血鬼を斬った時、俺は宇宙最高の絶頂を迎えることが出来る。
 ならば、眼球の一つくらい惜しむことなどない。
 むしろ己を斬るという行為にすら快感があった。
 世界が斬ることに終わっている。ありとあらゆる現象も、固形も、感情も、どこもかしこも斬撃が現れている。
 斬る。
 だから赴くままに斬る。

「エヴァンジェリン! エヴァンジェリン! そこだろ!? そこなんだろエヴァンジェリン!」

 歓喜に酔う修羅が行く。棘は次々となだれ込み、青山の体の至るところを凍らせていった。
 その度に青山は己の体に刃を這わせる。触れる度に流血。痛む体を斬撃。
 喜びに至る自傷行為。
 冷気よりも冷ややかなこの修羅場空間に漲る思いの丈。
 君の名前を呼ぶたびに、愛しき恋人へと送る愛の感情を滴る程に乗せていく。

「いい……凄くいい! 感じるぞ青山……貴様を感じるぞ青山! 刺したいんだろ? 私の『ここ』に! お前の『それ』を! 何度も何度も斬って斬って斬り続けたいんだろ!?」

 あぁ。
 わかる。
 その冷気がわかる。
 冷たい熱意が腹の奥にズンと響くのをエヴァンジェリンは感じた。薔薇の蕾を掻き分けて、ここに立つ自分を乱暴に引きだして、躊躇なくそのその刃を突き立てるのだ。
 乱暴に。
 痛い痛いと泣き叫んでも。
 貴様は絶対に止めないのだろう。

「愛だ」

 惹かれあうからわかるのだ。

「愛だよ!」

 恋慕しているから通じ合うのだ。

「愛してるんだよ青山!」

 エヴァンジェリンは吼えた。今この時、誰でもなく他でもない。青山という男と、エヴァンジェリンという女は惹かれあっている。
 斬りたいから。
 殺したいから。
 誰よりも互いを求めあっているこの状況を。
 愛という言葉以外の何で表現出来るというのか。

「わかるだろ? 貴様が盛った犬のように呼気を乱して唾液を滴らせながら私に迫りくるこの状況に堪らなく発情してるんだよ! 良い! 最っ高だ! 早く来い! 今すぐ来い! 私を斬ろうとする貴様を私は殺す。斬るだけに終わった貴様を恐怖のどん底に叩き落として、泣き喚く貴様の顔を撫でながら、その首筋にキスしてやる! そしてドクドクと脈打つ血管を食いちぎって、貴様の熱い冷血をたらふく私の胎に注ぎ込むのだ!」

 これほど素晴らしい瞬間は他にはない。今ここが命の極限であるということを、吸血鬼は脳髄が理解するよりも早く魂で理解した。
 頬を上気させ、興奮から硬く伸びた犬歯を剥いてエヴァンジェリンは迫りくる青山に呼びかけた。
 熱烈な求愛行動に、青山も全霊で答える。容赦なく斬り刻んだ棘が周囲に散っていく中、その中でひと際巨大な塊を、青山は空いた左腕に掴んで構えた。

「いいや。お前が食らうのは……俺の刃だけだ」

 右手の証が瞬き、左腕の氷塊が一瞬のうちに一本の氷の刀へと変貌する。青山はその切れ味を試すように、迫る棘に向けて数度振るった。
 右手に持つ証と同時に、即席の刃が歌を奏でる。それも僅か一秒。エヴァンジェリンとの距離換算だと数歩しか距離を詰められずに氷の刀は微塵と砕け散る。
 だがそれを見計らったように、再度棘を斬って作りあげた刀が左手に収まった。永遠に増え続けるのであれば、こちらもまた永遠に刀を振るい、刀を作り続ける。

「斬り続ける……!」

 前代未聞。史上最強の剣士による二刀流の切れは強力無比だ。物量を増す終わりなく赤き九天にすら遅れを取らない。物量には物量を。一本刀が増えただけで、青山の斬撃密度は倍どころか二乗されたかのような勢いで増大している。
 しかし代償がないわけではない。加工し、気で掌を強化しているとはいえ、元は絶対零度の氷塊。持っているだけで凍傷により掌は痛み、ぼろぼろになっていっていた。
 だが構わない。
 遥か高みに待つエヴァンジェリンまでは残り僅か。そこまで左腕が持てば充分だった。
 虚空瞬動は続いている。だが物量に押される今の青山には、常の圧倒的な速度は見る影もない。一歩、一歩、罪人が十三階段を上るように重々しく、青山は遥か上空の赤薔薇へと向かっていた。
 体は重かった。何度も体を凍てつかせた氷の棘によって、藍色の着物は鮮血で濡れていない個所はない。左の視界はないし、今まさに左手の人差し指が凍りついて砕け散った。
 残った四本で刀を掴む。問題なんて何処にもない。体は重いが、重さはとても心地よい。刃の冴えは加速している。一度斬る度に生まれ変わっていくような心地だった。
 斬り開いていくのだ。壊死していく肉体とは裏腹に、体は一閃ごとに覚醒していく。前へ、前へ、ひたすら前へ。重い体と軽い両腕。激痛を発しながら快楽物質を生産し続ける脳髄が、己の体を押し上げていく。
 これで幾つになるだろうか。限りなく時間が圧縮されて引き延ばされた世界で、ついに青山の左手の指が全て壊死して砕け散った。僅かな空白、斬撃結界に再び開いた穴に殺到する棘が、容赦なく青山の左腕に絡みつく。一瞬で氷の檻に閉じ込められる左腕を眺めた青山は、手首までを完全に凍らせた腕に、躊躇なく証を振り下ろす。

「シッ!」

 青山は呼気を一つ漏らして、手首ごと氷を斬った。凛と奏でながら鮮血がほとばしり、それすらも逃すまいと氷が血を凝固する。だがそれは青山によって指向性をもたらされた氷結。冷血に沿って伸びた氷は、手首から先で一本の刀となって完成する。
 腕ごと刀と為す。徐々に手首から先を浸食する冷気を甘んじて、青山は体と一体化した氷の刀を携えて、再度上空へと眼光を鋭く飛ばした。

「待っていろ」

 そこで待ち、この斬撃に分かたれる瞬間を夢見ているといい。
 そしてついに上空遥か、棘を斬りながらついに青山はエヴァンジェリンが眠る薔薇の蕾の前に立つ。
 だがここに至って左手の指はおろか手首まで全損。現在、氷の刃は手首から先はおろか、まるで針山のように幾つもの刃を腕から生やしながら、未だ凍結を止めてはいない。それ以外にも、藍色の着物はぼろぼろで、出血の痕も目立っている。唯一の救いは、傷口も直ぐに冷却されたため、出血は収まったことか。
 ともかく、青山はぼろぼろになりながらもエヴァンジェリンの前まで辿りついた。半分になった視界が、閉ざされた蕾を見据えると、その視線に耐えきれないように、ゆっくりと赤薔薇は開いた。

「よくぞここまで辿りついた」

 虚空を踏む青山を襲う棘を一度己の周囲に戻す。訝しむ青山にエヴァンジェリンは笑いかけると、雷氷が幾つも重なり合って、これまでよりも一回り以上膨れ上がった棘が幾つも誕生した。

「まずは四肢からもいでやる。安心しろ、その後優しく抱きしめてやろう」

「俺は斬るだけだ」

「必然だな。その時は犬歯を研いで私の胎にでも突き立てるといい……抵抗を止めるな。最後まで足掻いてみせろ。貴様の終わりで私を満たせ」

 いずれにせよ、ここで決まる。
 エヴァンジェリンは、祭りの終わりに対する物悲しさと似たような思いを感じつつ、両手に考えられるだけの魔法を展開した。
 充分だった。青山という人間が見せてくれた可能性の獣は、吸血鬼の全存在を叩きつけるには充分すぎた。寿命の定められた人間の身でありながら、ひたすらに修練を重ねて至る強さ。
 その強さはまるで、繰り返し槌を叩きつけて鍛え上げた名刀のようですらあった。
 そんな名刀が、芸術品の如く美しかった自らの体を斬り崩してまで、醜悪たる化け物の総称である自分の前に立つ。
 この奇跡。

「今の貴様は、美しい」

 傷つき、泥に汚れた姿の麗しきこと。額縁に飾られた絵画ではこうもいかない。完成された芸術が不完全を享受することで練り上げられた美しさ。
 至高の美。
 それを砕く、喜びよ。

「殺す」

 薔薇に立ったエヴァンジェリンの周囲に、氷の槍に刃、さらには暗黒の氷雪の嵐が無数と展開された。
 総軍を率いる指揮官の如く、掲げられた右手を振り下ろした瞬間、最後の激突は始まるだろう。
 その姿に青山もまた見惚れた。長年を孤独と過ごし、いつしか孕んだ化け物としての資質を開花させた吸血鬼の、恐ろしさすら感じる麗しさ。
 袈裟に斬られた体から出血を続けながらも、その美しさは衰えることはない。むしろその傷口すら美しかった。吸血鬼としての特性を完全に取り戻した結果か、新雪の如き白さの肌と、赤色はよく映える。冷気に靡く金髪も、同じ量の黄金ですら釣り合わない程の輝きと値打ちはあるだろう。
 そして真っ直ぐとこちらを見つめる二つの眼。僅かに吊りあがった瞳の中にたらふく詰め込んだ殺気は、最早自分への愛情であると言ってもいい。真っ赤な唇を自然と舐めるために、ぬらりと現れた舌先も、その向こう側にいる己を舐めるように妖しく蠢いた。
 愛されているなぁ。何ともなしに青山はそう思った。だからどうだというわけでもない。嬉しいやら恥ずかしいやら。この世で最も尊い美に見染められたことを誇らしく思うか。

「斬る」

 だが変わらない。それら一切の感情や思いを差し置いて、斬撃は先行する。気付けたのだ。あらゆる感情も、思いも、願いも、斬るという答えには届かないし、届く必要もない。
 美しいから斬るのではない。
 斬るから、斬る。
 そこを違えることは、もう二度と在りえないだろう。右手の証を握り直し、左腕に突き刺さった氷の刃は、筋肉を締めることでさらに固定する。
 そうしている間に、周囲を取り囲んでいた棘は、二人以外を切り離すように巨大なドーム状になって外界と隔絶した。氷の女王の最大展開と似たような状況。違うのは、その規模が山を飲みこんでなおあまりあるということか。
 ぼろぼろの青山に対して、傷を負っているとはいえ、魔法の規模、破壊力、そして軍勢、あらゆる要素でエヴァンジェリンは優勢だ。
 しかし侮ることはおろか、己が追い込まれていることをエヴァンジェリンは悟っている。確かに彼女の棘は並の術者はおろか、高位の術者でも一撃で殺戮するだろう。だが青山はその全てを掻い潜りここまで到達した。
 そして、その刃は今度こそ一撃でも当たれば、エヴァンジェリンを絶命させる。
 互いの命を曝け出す場。死の氷海の中心で向かい合った二人は、互いが死ぬ瞬間を思い描き、同時に互いの殺戮と斬撃を夢想している。

「……」

「……」

 言葉は不要ではないが、言葉を交わすのは今ではない。向かい合う死神。命を狩るのは果たしてどちらか──

 開始の合図は必要ない。

 これで、終わり。

「青山ぁぁぁぁぁ!」

 死の軍勢が機先を制した。無限が一を飲みこむ。雷氷が、槍が、刃が、吹雪が、これまでの全てを乗せたエヴァンジェリン最大最後の魔法は、その生で最高の破壊力と規模で青山へと突き進む。
 余力はない。エヴァンジェリンは己の魔力が完全になくなるのを把握しながら、無限の命すら絞り尽くして叩きつけるのだ。
 殺す。
 この願いだけを乗せた魔法は、腐乱死体よりも醜悪で、神々よりも美しい。
 世界を埋め尽くす破壊を前に、青山は嵐に飲まれる木っ端よりも軽く一歩を踏み出した。
 麻帆良全域を数度飲み込んで余りある威力が、棘によって限定された空間内に圧縮されている。例えるなら小規模のビッグバン。生死を孕んだ氷の極限に、青山はやはり木っ端のごとく飲み込まれ。
 凛。
 凛と。
 凛と繰り返し。
 凛と歌うは斬撃故。

「ぉ……おぉぉぉぉ!」

 己の存在を訴えるように、青山は無限に吼えた。一個の命だけで無限に相対した。
 斬り捨てる。隙間なんて何処にもない無限を斬り分けて、その向こうにいる少女を求めて斬り進む。
 視界なんて役に立たなかった。一面が赤、十が赤、一は己。どうやって進んでいるのかわからないし、次々に凍っていく自分の体すら後回しだった。
 一歩、踏み出した瞬間、体の末端から凍てついていく。冷気に飲まれた体。重要なのは進むために必要最低限な機能ならば、左足の防御は捨てる。
 一歩、一歩。赤の中心に小さな穴が開く。向こう側に黄金と白。抱擁するように両手を広げる少女を幻視。
 一歩、一歩、さらに一歩。幻視ではなかった。開けた先に吸血鬼。喜び揺らぐ哄笑を浮かべる少女の元へ、完全に凍った左腕を強引にねじ込む。
 一歩、一歩、さらに一歩、もう一歩。たちまち食いつぶされた左腕を、根元から斬り捨てる。そして出来た最後の隙、そこに体をねじ込んで。
 一歩、一歩、さらに一歩、もう一歩、後一歩。薔薇の内部に侵入を果たす。それを待ちかまえていたエヴァンジェリンが、指先より展開した氷の刃が放たれる。避ける余裕などなく、防御出来るのは最低限。重要な器官は守り抜くが、代わりに防御を忘れた左足が飲みこまれて砕け散る。
 そして、一歩なんていらなくて。

「エヴァァァァァ!」

 掲げた右腕、証の刀。証明するのは斬撃という解答。降り注ぐ棘よりも速く、決別の刃は化け物の心臓を──

「来い、修羅外道」

 凛と沁みこむ鈴の音。
 あらゆる全てが冷たい世界で、己の答えが間違っていないことに青山はひたすら感謝した。

 薔薇は、枯れる。






 赤色の世界が砕け散り、黒い夜空と美しい月が姿を現した。再び現実に戻った世界の中心で、抱きしめあうように寄り添う二人の男女が静かに大地へと落ちていく。無限の棘など存在しない。どれもが一個の命であり、増殖するとはいえ、元をただせばエヴァンジェリンの魔力だ。だから彼女が死ぬ以上、その全てが砕け散るのも自明の理。
 羽根のように柔らかに落ちていく中、口から大量の血液を吐きだしたエヴァンジェリンは、震える両手を青山の背中にまわした。

「いたい」

「あぁ……」

「いたいなぁ」

 エヴァンジェリンの心臓を貫いて背中から飛び出した証は、溢れたばかりの鮮血を切っ先から滴らせている。
 確実に命に届いた。今度こそ確信する青山は、最早指先を動かすのすら難しくなっているエヴァンジェリンの首元に顔を埋めた。

「斬れた」

「そうだな」

「君を、斬れた」

 決着はついた。
 四肢の半分を失いながらも、それでも渾身の斬撃を放った青山が、エヴァンジェリンの命を斬った。現状辛うじて息をしているが、それもじきに失われ、エヴァンジェリンの命はこの世から失われるだろう。
 霞む眼で、エヴァンジェリンは遠くを見つめながらそっと微笑んだ。
 後悔はない。
 互いに出し惜しみすることなく命を叩きつけ合い、結果として敗北はしたが、充分以上に満足のいく終わりだった。
 どちらの体温も冷たいままだ。修羅場に相応しい冷ややかな体を摺り寄せて、二人は光から遠ざかるように落ちていく。淡く散っていく赤い飛礫だけが、そんな二人を優しく包み込んでいた。

「……エヴァンジェリン」

 青山は少女の名を呼んで、二の句を告げることも出来ずに黙りこむ。
 かけるべき言葉は自分にはない。
 斬れたという言葉こそ、伝えたい全てであり、それだけでエヴァンジェリンにも充分過ぎた。

「いたいな。あおやま」

 エヴァンジェリンもまた、それ以外に伝える言葉は殆どなかった。
 痛いのだ。
 そして、居たいのだ。
 この無限に引き延ばされた永劫刹那。修羅と化け物、二つの命しか存在しない奇跡の空間。
 こここそ、地獄。
 まさに修羅場。
 反吐が出るくらい素敵な場所に違いない。

「……あおやま」

 だが何事にも終わりはある。
 殺すことに終わるように。
 斬ることに終わるように。
 修羅場にだって終わりは存在していて。

「そうだな」

 エヴァンジェリンの首筋から顔を離した青山は、眠るように目を閉じた。
 もうすぐこの世界も現実に戻る。時間すら曖昧な場も、冷気を埋め尽くす熱気に飲まれれば最後、終わりの向こう側へと至るならば。

「さよなら、エヴァ」

 最後に、額を合わせて淡く微笑めば、少女も無邪気に笑い返した。

「さよなら、あおやま」

 引き抜いた証を真横に振るう。凛と響き渡る歌声は、フェイトが奏でたそれに勝るとも劣らぬほど美しく世界へと響く。分かたれた少女の冷血は、思った以上に暖かく、まるで太陽の日射しに包まれているような温もりに嬉しくなる。

「さよなら……」

 最後に一言、分かれの言葉を告げて。現実に戻った時間と重力が、恐ろしい勢いで青山を大地へと引き寄せた。
 そして、着地。片足片腕になったことで少々バランスを失ったが、今の青山はそんなことすら些細なことに思えるくらい、気が充実していた。

「……斬るよ。これからも」

 消え去った少女の魂を見送って、欠けた瞳が黒い色で月を見上げる。エヴァンジェリンの答えに引き寄せられることはない。その証すらも斬り裂いた今の青山は、あらゆることに動じることはない。
 ただ。
 ただ少しだけ、悲しさはある。

「ありがとう……」

 再びこの場所に立たせてくれた少女に向けて。
 青山は、祈りを捧げるように刀を空へと突き立てた。

 さぁ、俺達の愛した修羅場を、再びここから始めよう。






後書き

では次回。最終話です。

修羅外道よ、ばらばらと。



[35534] 最終話【修羅場LOVER】
Name: トロ◆0491591d ID:8741f41c
Date: 2013/03/28 18:42
 世界樹の下。最早不要となりつつある防衛線にネギが静かに現れ、その姿を見た超は己の直感が外れていなかったことを確信した。

「随分と苦戦したようだネ」

 衣服がぼろぼろになっているネギに労いの言葉を送る超。だがネギは複雑そうな表情で超と、その隣に立つ真名を見て口を開いた。

「青山さんがここに来ます。お二人は逃げてください」

 有無を言わさぬ言葉だった。夜よりも尚黒い左目で射竦められた二人は、返事を詰まらせた。
 ネギもまた返事は期待していなかったのか、二人に背を向けると、先程まで赤薔薇が咲き誇っていた方向に視線を向けた。奇しくも、戦いの影響でここから郊外までの道は一直線に開けている。未だ燻ぶる氷の残滓と、瓦礫になり果てた麻帆良の光景を見据える。
 放っておけばそのまま真っ直ぐに進んでしまいそうな、そんなネギの背中に超と真名は呆れた風に声をかけた。

「……悪いが先生。私は今更逃げようとは思てないヨ」

「同じく。それにこの戦いは最早ネギ先生一人の問題ではない」

「二人とも……」

 振り返ったネギに二人は笑い返す。束の間の談笑はここまでだ。既に戦いは新たな局面に突入している。
 誰かはわからないが、エヴァンジェリンとの戦いを終えた青山と交戦している二つの影。最早、問答の時間はない。

「行きましょう……これで、終わらせます」

 遥か遠く。凛と奏でる破滅の輝きへ。






 青山とエヴァンジェリンの戦いが終結したのを、遥か上空から二つの影が見届けていた。一つはローブを纏った、青年とも老人ともとれるような不思議な雰囲気をもつ男。その隣には老齢の男が一人。

「これが彼ですよ」

 ローブの男、アルビレオは隣でその最後を見届けた老人、近右衛門に静かに語りかけた。
 返事はない。だが絶句する他ない光景に目を見開いて唖然とする近右衛門を見れば、答えなど効く必要もない。
 斬撃という解答に立つ青山と、殺戮という解答に立つエヴァンジェリンの戦いは、余人が介入する隙など何処にもなかった。古き友人であるエヴァンジェリンを助けようと言う思いがアルビレオにはあったが、最早あの二人に割りこめる余地などなかったのを悟り、口調は平然としているが、内心は複雑である。
 彼女の変貌をただ見るしか出来なかった己が、何を思うというのか。それがアルビレオの思いだが、しかしやはり納得出来ないものはある。
 エヴァンジェリンは死んだ。
 青山との戦いの果て、互いに曝け出した命のチップを奪い取られて、立っているのは青山が──修羅が一人。
 なんという様だろうか。
 負の感情では言い表せぬ様。
 修羅という一つの形。
 この世には存在してはいけない異形の冴えは、アルビレオと近右衛門に、これまで己が何と共に麻帆良にいたのかをまざまざと叩きつけた。
 特に近右衛門の衝撃は大きいだろう。
 変わっていると思っていた。
 変えられると思っていた。
 そしていつか自分達と共に人々のために力を尽くしてくれると信じていた。

「儂は……」

 だが最早、それらの願いは全て夢幻と消えている。
 あの様を見て、どうしてそのようなことを思えるのだろうか。青山は終わっている。取り返しのつかない領域に立つあの男は、既に善悪両方にとって脅威そのものと化していた。
 だからそう、今では全てが合致する。
 京都の地獄。
 麻帆良で起きた惨劇。
 証拠など必要ない。青山が青山というだけで、全ての因果が彼にあるというのを、問答無用で理解した。

「……儂は、何をみていたのじゃ」

 己の目は曇っていた。決定的なミスに気づいたときにはもう遅い。惨劇は起こり、青山は刀を手にして斬ろうとしている。そのことで自分を責める近右衛門だが、どうして彼ばかりを責めることが出来るだろうか。
 正義であっても理解は出来ぬ。
 悪であっても理解は出来ぬ。
 善悪を超えた別次元。住んでいる場所が彼岸よりも彼方の男を理解出来るのは、同じ修羅外道か化け物しか存在しないのだから。

「……ですが、今ならばもしかしたら間に合うかもしれません」

 アルビレオはそう言って、眼下、刀を空に掲げて視線をこちらに向けている青山を見返した。
 あの男は居てはならない存在だ。斬るから斬るという帰結のみに立つ男には、更生の余地などありはしない。アルビレオが言っていることを近右衛門もわかっているのか、自責の念を今だけは遠くに投げ捨てて、アルビレオと同じく青山を見下ろした。
 左腕と左足と左目、そして体には幾つもの裂傷を刻み込まれた青山は満身創痍。機はここしかないのだ。

「そうじゃの……これは、儂の責任じゃ」

 修羅を解き放った責務がある。ならばこれから先、彼によって幾度も引き起こされるだろう惨劇を回避するためには。

「……えぇ、彼を殺す他、ありません」

 これから先の世界を守るため、今ここで在りえてはならぬ存在を完全に消滅させる。
 人に仇なす修羅外道。
 これを殺すことこそ、正義の在り方に他ならないのだから。

「では、始めましょう」

「そうじゃの」

 青山に対しての罪悪感がないわけではない。彼もまた、ただ行きついた解答をありのままに表現しているだけなのだから。
 だがそれでも生きてはいけない命はある。
 世界中を探しても唯一無二。例外など他に存在しえない修羅に向けて、研鑽を積み重ねた老兵二人が、若い者達の未来のために覚悟を決めた瞬間。
 ぎょろりと、青山の瞳が二人の存在を飲みこんだ。

「……!」

 咄嗟の判断だった。
 エヴァンジェリンと青山の戦いを見ている二人は、詠唱を行うでもなく無詠唱の魔法を同時に叩きこんだ。超重力の塊と、無数の属性に彩られた魔法の射手。話し合うという選択肢すら青山の瞳は許さなかった。いや、許す許さないではなく、斬るという意志しかそこにはない。
 だから、本能が体を動かして魔法を放っていた。
 結果、熟練の域にある魔法使い二人が放った渾身の魔法は、エヴァンジェリンの弾幕と比しても遜色のない怒涛の雨となって降り注ぐ。対して青山は臆することも、ましてや昂ることなく刃を振りかざして答えた。

「シッ」

 学園長に突然攻撃されることへの困惑は確かにあった。だが同時にそれも仕方ないことだろうなぁという納得もある。
 おそらく。
 いや、間違いない。
 何か間違ったのかもしれない。それは、自分を排除しなければならないほど取り返しがつかないことなのかもしれなくて。

「俺は……」

 また、取り返しのつかぬ過ちを繰り返したのか。残念だ。俺はとても悲しい。
 斬る。

「ッ!?」

 直後、その圧力にアルビレオと近右衛門の両者共々が驚愕する。遠目から見ていたときすら戦慄したその眼光に射竦められる。例え歴戦の猛者であろうとも、いや、歴戦の猛者だからこそ青山の目には当惑せざるをえなかった。
 なんという。
 なんという様なのか。
 その有り様は、言葉で形容出来る範疇を既に超えていた。恐怖ではない。素晴らしさでもない。いや、もしかしたらどちらかであるかもしれないし、両方であるかもしれない。
 ただ、なんて様だというしかなかった。

「これが、青山……」

 近右衛門は改めて理解した。
 神鳴流が畏怖し、その名前を恐れた修羅の姿を理解した。
 誰もこんな人間を理解出来ないということを、理解した。
 同じ人間でありながら、人間はこうも『自己中心的』になれるのだろうか。善も悪もなく、ただただ斬るという答えのみを求道し続けたなれの果て。
 この様を、どうして自分は、立派な人間に出来ると盲信していた?

「そうです……俺が、青山だ」

 そんな近右衛門の内心を見透かしたように、青山が迫る魔法を斬り裂きながら呟く。
 そうこうしている間に。あらゆる属性の魔法の射手は一刀で霧散した。
 質量などあってないような重力の塊すら、容易く両断されていく。
 二人は再び驚くが、青山にとっては拍子抜けと言ってもいい状況だった。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 不死身の吸血鬼が命を削って繰り出した無限の軍勢に比べれば、アルビレオと近右衛門の繰り出す魔法の何たる児戯か。

「……どうして?」

 攻撃されていることに対する疑問は沸く。
 だがそれに興味は然程感じない。
 当たり前のように斬ることは変わらないが。
 お前らは、斬りたいと思えるような魅力が何処にもないのだ。

「……斬る」

 斬るという答えに飲み込まれた証を持つ今の青山は、己の解答を余すことなく発揮している。
 そも、先程エヴァンジェリンによって魂を冷凍絶命させられたのだから、斬る以外に意味はないのだ。
 だから青山が二人を見る視線には、これまで辛うじてあった敬意や友情といった感情は存在しない。
 それがアルビレオと近右衛門には恐ろしかった。斬るだけなのだ。ひたすらに斬って、ただ斬って。
 理由は斬る。
 だから斬る。
 斬るから斬るため。
 人は斬るのだ。

「ぬぉ……!?」

「くっ!?」

 いつの間に眼前まで現れた青山から、二人は苦悶の声をあげて転移を使い距離を取った。
 その姿を冷えた瞳で眺める青山。その姿は片足片腕、視界も半分が奪われ、さらに体には幾つもの凍傷があるという、今にも倒れてもおかしくない状態だ。
 だがそれでもなお。
 両者の戦力は、圧倒的な開きがあった。

「……これほどですか」

 アルビレオはいつも浮かべていた笑みを消して、冷や汗を拭いながら青山を油断なく見た。
 今の交差。後一瞬判断が遅かったらそのまま斬られていただろう。彼らにとって運が良かったことに、青山はエヴァンジェリン戦の余韻があるために、積極的に二人を相手にしようという気持ちが沸いていなかった。
 もしもエヴァンジェリンとの戦いと同じテンションであったならば、先の一合で勝敗は決していただろう。

「青山君……君は」

 近右衛門もそれはわかっているのだろう。いや、それ以上に近右衛門がショックだったのは、青山が僅かな逡巡もなく自分達を斬ろうとしているという事実だった。
 勿論、こちらから攻撃を仕掛けたというせいもあるだろう。しかし、あの時もしも先手を仕掛けていなかったならば、なす術なくこの体は両断されていたという予感があったからだ。
 分かったはずであった。
 余人の介入する隙のなかったエヴァンジェリンと青山の死闘。それを一部始終見たからこそ、近右衛門は彼が変わりようがないということを分かったはずだった。
 だが悔しいのだ。
 あの若さでそこに至るという狂気。
 修羅の域。
 そこに至らせてしまった自分達と、そこに気付かなかった己のふがいなさに、悔しさがこみ上げてくる。

「この様ですよ」

 だから青山は告げるのだ。

「この様だから、斬れるのです」

 それは、常に誰かに告げていた言葉だった。
 斬れるのだ。
 人は、斬れる。
 この様だから。

「最早、言葉は通じぬのかね?」

 近右衛門の問いかけに青山は首を傾げた。

「通じぬも何も……俺は勿論話しをしましょう。いえ、むしろ話してほしい。どうして突然俺を攻撃したのかを、話してください学園長。不義があったのなら謝罪します。失敗をしたのなら次回にいかします。どうして俺たちが敵対しなくてはいけないのか……そんなことをする必要はないのです。だって俺達は、まだ分かりあえるのではないでしょうか?」

 青山は饒舌に語った。その言葉の何処まで薄っぺらなことか。アルビレオは当たり前のように和解を求めながら、決して変わることのない斬撃の予感に吐き気すら覚えていた。
 分かりあえる?
 一体、どの様でそんな言葉を口にすることが出来るというのか。

「青山君。儂は……儂らはまだ、分かりあえるのかのぅ?」

 だが近右衛門はアルビレオと違い、それでも惑わずにはいられなかった。
 もしかしたらまだ大丈夫なのではないか?
 この様でも。
 言葉を交わす意志があるのなら、大丈夫なのではないか?
 その思考は愚者のそれでは決してない。
 この様を見て、尚言葉を交わせると信じられるその姿はまさに正義の使者の鏡と言えよう。
 例え一度、無意識の防衛反応とはいえ青山に攻撃を行った後とはいえ、それでも近右衛門の在り方は、尊敬されるべき正義であり。
 だからこそ、この瞬間まで青山という修羅の本質に気付くことが出来なかったのである。

「学園長……当然ですよ。そのために言葉があるはずです」

 青山は、己と向き合い語ろうとする近右衛門の姿に感銘を受けた。
 悪いのはおそらく自分だ。
 何がどうあれ、決して変わりようのない修羅外道である己にある。
 だというのに、そんな自分と未だ分かりあえると、修羅の言葉を信じてくれると言う姿に、感動しないわけがない。
 力なく下がる切っ先。胡乱な瞳で近右衛門を見る瞳は、暗黒でありながら、まるで救いを求める罪人のようだと近右衛門は感じて。

「そうじゃの……そうじゃ、戦うだけが全てではないはずじゃ。だから、のぉ?」

 近右衛門はそっと手を差し伸べる。まだ間に合うのだ。この手を握り合えば、それだけで充分だと。

「ありがとうございます。その言葉だけで俺は……やはり、ここに来たことは間違いではなくて……」

 青山は光に誘われる虫のように、ふらりと証を握った手を伸ばす。救いはあるのだ。この手の先に、分かりあえるという確かな希望が。繋ぎあうことで、一人ではないという確信が得られるのだと。
 そうしてただ感謝の意を抱いたまま、青山は感情の赴くままにポツリと呟いた。

「斬るのです」

 別離は一瞬。最大限の警戒を行っていたアルビレオが反応するよりも速く、青山は虚空を蹴り飛ばして近右衛門の懐に入り込んだ。
 反応させる隙すら与えない。突然、目の前に現れた青山に対して、近右衛門は半ば口を開いて呆けたまま、ただ為すことも行えず。
 絆を断ち斬るように、近右衛門の腕が半ばから斬り裂かれた。

「あ……?」

「しまっ──」

 アルビレオが反応するが既に遅い。近右衛門の腕の斬り口から出血が始まるよりも速く、青山の二の太刀は容赦なくその首筋に吸い込まれていった。
 決して。
 侮ることなかれ。
 斬るという答えはここにしかない。
 言葉を交わすこともなく。
 互いの主義主張をぶつけ合うこともなく。

「んー」

 近右衛門は、無邪気な青山のひとり言を聞いた瞬間、微かな浮遊感と共に視界がぐるぐると回転するのを感じた。
 何が起きたのかと疑問を浮かべると同時、回転する視界が見つけたのは、力なく大地へと落ちていく誰かの体。

 ──そうか。儂は……

 全てを悟る。
 何も出来ぬまま。
 何もなせぬまま。

「斬りやすいなー」

 無邪気に笑う修羅の刃が、近右衛門の全てを一切合財斬って捨てた。






 最早、太陽の光は遠い。作戦の完了まで残り一時間を切った今、麻帆良から離れた郊外で、明日菜は堪らず外に出て戦火の方角の空を見上げていた。
 鈴の音は幾つも響き渡っていた。その都度、ネギの元へと走り出そうとする体を抑えつけながら、明日菜はひたすらネギ達が無事に全てを終わらせて戻ってくることばかりを祈っていた。

「ネギ……」

 かつての記憶が体を縛りつけている。守られるばかりで大切な人を死なせてしまった記憶だ。
 だがそれは、無力な己が傍にいたから、彼は死んでしまったのではないかという不安の裏返しでもあった。
 大切な人を死なせたくない。
 しかし、無力な己が行ったところで無駄となる。
 行きたい気持ちと、行ってはいけないという気持ち。相反する二つがない交ぜになって、明日菜は地団駄を踏むように体を小さく震わせた。

「私……ううん。でも……」

 行くべきか。
 行かざるべきか。
 悩みは待つごとに膨れ上がり、ただ留まり続ける己のふがいなさに嘆く現状。

 直後、再びひと際大きな鈴の音色が鼓膜を震わせる。

「……ッ!」

 瞬間。明日菜を束縛していた見えない鎖すら断ち斬られたのか。ほとんど反射的に明日菜の体は麻帆良に向けて駆けだしていた。
 いつまでも待つことなんて出来るわけがない。未熟な己が駆け付けたところでどうにかなるとは思えないが、それでも明日菜は前に前にと進みだす体を止めることは出来ず、我武者羅に戦いの場へと赴くのであった。






「あっ……」

 ネギ達がそこに辿りついた時、まずは一人犠牲者が出ていた。

「学園長……」

 ネギは呆然と首と体が泣き分かれになった近右衛門を呼んだ。
 あまりにも。
 あんまりな結末だった。
 積み上げてきた何かに思うことはない。
 交わした言葉や、育んだ尊敬の念すら意味がない。
 ただ、斬った。
 無情に。
 理由など、斬るから斬った、それだけで。
 それだけで、人は容易く尊敬すべき人間すらも斬れるというのか。

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 その光景を見た瞬間、ネギは感情の赴くまま掌に束ねた千の雷を握り潰して取りこんだ。
 術式兵装『雷轟無人』。
 ありあまる雷の力を両手に纏ったネギに気付いた青山が視線を向けた瞬間、カシオペアの力によってネギの体がその場から消えた。
 青山の目が見開く。彼の目を持ってすら追うことは叶わない。何故ならそれは時間を移動するという異常なる技。時間の鎖に捕らわれている者では、その速度を見切ることはおろか、影を捉えることすら不可能だ。

「な──」

「おぉ!」

「に……!?」

 直後にネギが現れたのは己の真上。気付いたときには、雷轟の力を収束させた雷の光の柱が青山目がけて放たれていた。
 轟と音を立てて突き立つ光は文字通り雷撃の速度。反応させる暇すら与えない神速の一撃は確かに青山の額を僅かに焦がしたが。

 凛と歌う斬撃音。

「そんな!?」

 離れた場所だったからこそその全てを見ることが出来た超は、雷の柱が真ん中から二つに分かれて大地に突き立つ光景に驚愕した。
 カシオペアによる瞬間移動と、雷轟無人による雷の一撃。どちらも青山にとっては初見であり、あのタイミングならばほぼ直撃は確実だと思われた。
 しかし恐ろしきは青山の神速。雷の速度すら上回る刃の冴えが、咄嗟に雷撃を二つに斬り裂いたのである。

「師匠! 離れてください!」

 だがネギは決して驚いたりはしない。むしろこの程度は予想してすらいた。だからこそ冷静に雷撃を放ち続けながら、側にいるアルビレオに叫ぶ。
 その声に反応したアルビレオは、その場から全力で離れた。近右衛門が死んだという事実に怯む暇すらない。ネギはアルビレオが離れたのを確認すると、さらに左手の籠手にもエネルギーを収束。

「食らえ!」

 怒涛と降り注ぐ光の柱が、斬り分けられながらもそのエネルギーの出力だけで強引に青山を地面に叩きつけた。
 砂煙と轟音の中に青山が掻き消える。反応出来たとはいえ、やはり初見の技に対して完全に対応できたわけではなかった青山は、雷轟のエネルギーに吹き飛ばされるがまま、辛うじて地面にぶつかる直前に横へと飛んで光柱から脱出する。

「ッ……」

 舞い上がる砂煙から飛び出した青山は、続いてこめかみを焼く気配に反応して、咄嗟に刃を振るった。二度、三度、斬る度に虚空に火花が散る。視線を移した先には、ライフルのスコープ越しにこちらを見る真名が居た。
 戦線に到達と同時、絶好の狙撃ポジションに陣取った彼女の行動は称賛に値するだろう。距離も申し分はなく、一キロほど離れた真名の現在の位置からならば、ほぼ一方的に狙撃を敢行出来るだろう。
 だがそれはあくまで一般的な高位の立つ人が相手の場合。例え足と腕を失ったとはいえ、いや、だからこそ現在の青山は、世界有数の実力者の中でさらに指折りの実力者であり、一キロ程度ならば、数秒もあれば埋めることが出来るのだ。
 右足に気を注ぐ。青山は標的を真名へと移す。ライフルの銃弾自体は然程の脅威ではないが、先程迎撃したとき、真名は的確にこちら動きを阻害するタイミングで狙撃を行い、さらに急所に狙いすら定めていた。
 だからまだ状況が傾きすぎていない今、出鼻をくじくために斬り捨てる。暗黒の瞳に込められる壮絶な気が、遠くにいる真名を射止め、その剣気に真名は呼吸すら忘れて驚愕した。

「こいつ……!?」

 ──この距離で、斬るのか?
 本能が真名にその事実を確信させた。数秒の後、抵抗することも出来ずに自分は二つに斬られて死ぬ。魂もろとも、龍宮真名という存在そのものが消される予感に、歴戦の猛者である彼女をもってして恐怖が総身を支配した。
 距離など在ってないようなもの。青山の斬撃圏内は麻帆良全域。一足をもって、僅かな一歩で一里の距離を埋め尽くす。

「ッ!」

 だが瞬動が行われる直前、もう一人のカシオペアの使い手である超が青山と真名の間に転移して立ち塞がった。
 青山の知覚領域を容易に欺く時間軸移動という切り札。それが青山に警戒をさせ、動きを僅かに止めさせる。警戒が生んだ瞬きの時間。だがそれは値千金の価値を持つ時間だ。
 もしも青山が迷わずに突撃をしていれば、その時点で超の命は終わっていただろう。彼女にはこの一瞬で魔法を行える程の技量はなく、近距離では青山と比べようがないのだから。
 故に覚悟を決めて超もろとも斬り伏せようと再び足に力を込めた青山に対して為す術はない。路傍の石よりも頼りなく、超は一秒の時間を稼いだだけで絶命する。

「おぉぉぉぉ!」

 だがそれを阻むのはこの場でほぼ唯一青山の脅威となりえる存在。雄叫びをあげながら超の前に転移したネギが、僅かな時間でチャージを完了した雷轟の籠手を青山へと突き出した。

「行け!」

 瞬動に先んじて雷轟の光が二つ、螺旋を巻いて重なりあいながら青山へと放たれた。瞬動では回避出来ぬ。この技には青山ですら斬撃で受け止める以外の方法が存在しないのだ。

「ひっ」

 青山はそのことに歓喜の笑みを浮かべた。迫る雷轟を凛と斬り裂きながら、充分に自分の敵として成長してみせたネギに称賛を送る。
 技を究めた自分を超える移動速度。そして斬撃にすら匹敵する攻撃の速さと破壊力。戦闘者として理想的な完成度に至ったネギが誇らしく、愛おしい。

「でも……」

 青山は呼気を一つ行うと、一刀で雷轟の破壊力を無効化した。
 一度目は許そう。だがこの刃の元で、二度目は決して許しはしない。

「まだ、足りない」

 突きつけるような言葉に、ネギは僅かに委縮する。
 これでは自分には届かないのだ。青山という極地、人間という斬撃へ当てるには、後一つ足りないものが存在する。

「覚悟が足りない」

 覚悟。あるいは揺るぎない己。
 これまで青山を追い詰めてきた者に共通する己の在り方の答えがネギにはない。
 いや、実際にはネギは未完成という答えを手に入れているのだが、それは所詮未完成。
 答えの出来損ない。
 永劫未完の、何処に理があるというのだろう。

「ッ……! あなたがそれを……!」

「俺だからそれを言えるんだよネギ君」

 ネギの言葉に被せるようにして青山は喋った。
 以前とは逆だ。青山の言い分を断じたネギとの立ち位置は入れ替わっている。だがそれは厳密にはかつての再現ではなく、決定的な違いが一つ。

「俺は、俺を知っているぞ」

 青山は、惑い迷ったりはしない。

「だから、言おう。君には覚悟が足りていない」

 突きつける刃と言葉、その言葉は短くとも、確実にネギの心に食い込んでいく。
 答えを持った者の覚悟。善悪を超えて自分の解答にのみ突き動かされるという究極の自己中心的覚悟。
 青山に足りていて、ネギに足りていないのはそんな利己主義であった。

「己の領分を知っているならば、何を躊躇うことがある。仲間を守るのかい? 世界を救いたいのかい? 成程、素晴らしい正義だ。俺もそれに協力したい」

「だったら──」

「斬るんだ」

 ネギの呼びかけすら断ち斬って、青山は冷酷に語る。

「俺は陽だまりを守るために人々の礎になりたい。斬るんだ。同じ志を持つ同僚と肩を並べて笑い合いたい。斬るんだ。尊敬すべき先人の教えに感銘したい。斬るんだ。大切な家族と共に過ごしたい。斬るんだ。愛すべき人といつまでも寄り添っていたい。斬るんだ」

 斬るんだ。
 初めて口にされたその祝詞(呪詛)は、まさに青山が得た解答の全てを物語っていた。
 斬ることは全てに先行する。麻帆良に来てからこの言葉を聞いたのは、唯一タカミチ唯一人だった。その時すら酒の席、しかも青山が刀を持っていなかったため、そこまでの凄みを孕んではいなかったが。
 今回のそれは世界に向けて解き放たれている。ただただ自分を中心にした言い分は、何処までも善悪とは無縁の位置にあるために、震えるくらいに透明だった。

「う……」

 ネギの後ろに控えていた超が口元を抑えて蹲った。この中ではまだ常人に近い感性をもつ超には青山の言葉が孕む魔に耐えきれなかったのだ。
 込み上げる吐瀉物で手を汚し、体中に走る悪寒に震えあがりながら、超はここでようやく青山という存在を理解する。

「……なんて様」

 その男には悪意はない。そして同時に善性もまるでない。
 限りなく透明で神聖的な汚物の塊であり、どこまでも濁り腐った美形の結晶。あらゆる善悪を斬るという解答で汚染しながら浄化する極限の自我。
 青山。
 これが青山なのだ。

「っと……」

 直後、片足のバランスを崩した青山の体がよろけた。幾ら青山とはいえ、つい先ほど片腕片足を失ったばかり、ここまでの猛攻をしのぎ切り、あまつさえ反撃すら行おうとしていたことが異常だった。
 青山も己の体の変調には気付いているのだろう。だが驚いた様子は見せずに、失った腕と足に視線を落とす。

「ん……」

 大切なのはバランスだ。失った分を補うような体の動きを考える。右足から頭までに一本の杭を刺したイメージ。体の軸は筋肉を操作してずらし、まずは軽く素振り。
 音が後から聞こえる斬撃を数度繰り返し、まるで手の延長線のように馴染む証を改めて握り直す。

「ぬぅぱ」

 ネギ達が警戒しているのを気にせずに、奇声をあげつつさらに一振り。今度は先程よりもさらに速度が上がっている。だが速度よりも大切なのは動き。独楽のようにその場でくるくると回り、微妙に位置をずらしながら上下左右。ありとあらゆる空間に刃を走らせた。

「ぬぅい。ぬぱぁん」

 その奇声は、青山が感じた刃の動きの擬音であった。軽くありながら重く。鋭いながら分厚い。刃の冴えは一振りを経てさらに改善されていき、ネギ達が演舞のような動きに見惚れ始める頃には、青山の体は失った四肢の分を補う動きを完全に収めていた。

「……ぬぱって言った。これでいいか」

 工夫がなった青山は、誇るように証を空に突き立てて再度ネギへと向き直る。
 その瞳は光を飲みこむ黒でありながら、纏う空気は清々しいまでに透明だ。また一つ、終わりの中で得られた新たな在り方に、青山は無邪気な笑みすら浮かべている。
 ──来るのか?
 纏う気配が変わった青山と相対するネギと超、そしてスコープ越しにそれを見る真名が息を飲む。
 そうして数秒。睨みあう両者が張り詰めた空気を斬り裂こうとした瞬間だった。

「……下がりなさい、ネギ君」

「師匠!?」

 上空より、アルビレオが両者の間に降り立って青山と向き合った。

「……」

 青山は無粋にも割り込んできたアルビレオに対して、僅かに嫌悪を滲ませた視線を向けた。ここからもう一手、『ネギ完成させるひと押し』をしようとしていたのを邪魔されたためだ。
 だがそんな青山の事情などアルビレオには関係ないし、そもそもそんなことを知ればいっそう割り込むしかなかっただろう。
 大切な友人が残した息子にして、大切な弟子。
 過ごした時間は短くとも、アルビレオにとってネギは命を賭けてでも守らなければならぬ大切な存在であった。

「師匠……ここは僕が」

 だがそんなアルビレオの覚悟をもってすらネギを止めることは出来ない。
 それはあまりにも単純な理由。

「……師匠では、アレには届きません」

 最早、アルビレオでは青山と戦う実力が伴っていなかった。

「……辛辣ですね。だが、そうなのでしょう」

 アルビレオは自嘲の笑みを浮かべながら、無情にも告げられた戦力外の通告を肯定した。
 明確な事実だ。だがこれはアルビレオ本人の実力が足りていないという言えば、些か誤りがある。
 アルビレオの戦い方はあくまで遠距離専門だ。もしも青山と戦うのならば、こんな視認出来る距離からではなく、真名と同じく遥かに距離を隔てた場所から戦う必要がある。
 土俵が違うのだ。
 そして彼にはこの土俵で戦える能力が伴っていない。
 それだけ。
 だがしかし、最も危険なこの場所にネギを残すわけにはいかなかった。

「ネギ君。私から君に、最後のレッスンです」

「……師匠?」

 ネギはこんな状況にも関わらず、いつもの修行のときと同じく、気軽なアルビレオの言葉に疑問を浮かべた。
 だがアルビレオはあくまでいつも通り、いつもと同じように彼のアーティファクト『イノチノシヘン』を展開した。
 この状況下で何故今更。ネギは驚き、超と青山は初めて見るアルビレオのアーティファクトに警戒の念を覚えた。
 ここで青山が突撃しなかったのは、警戒とは別に心に咲いた好奇心の花と、最後のひと押しがここにあるのではないかという直感からである。
 だからイノチノシヘンはその効果を発揮する。螺旋を描きながら空を舞う無数の本の一つをアルビレオは手にとって、青山が目の前にいるにも関わらず隣のネギに視線を移した。

「私のこのアーティファクトは、特定人物の身体能力と外見的特徴の再生です……だがもう一つだけあなたに教えていなかった能力があります。それは、この半生の書を作成した時点での人物のありとあらゆる全て、全人格の完全再生です。尤も、使用した場合その書は失われ、さらに再生は十分間しかもたないのですが」

 渦を巻く魔力の奔流。そこに隠されていくアルビレオが持つ半生の書が浮かび上がり、徐々にその輝きを増していく。
 ネギはアルビレオが何故今更そんなことを言うのかわからなかった。唖然とするネギを他所にアルビレオは寂しげな微笑みを一つ。

「では本題です。十年前、とある友人に自分にもしものことがあった場合、まだ見ぬ息子のために言葉を残したいと頼まれたのですが」

 瞬間、ネギの心臓が大きく跳ね上がった。息子に残す言葉。そして十年前。
 全てのピースはネギしか知らない。ネギにとっては、ここが死地であることすら忘れさせる言葉と共に、アルビレオはネギの頭を軽く撫でると、こちらの様子をうかがう青山に一歩踏み出した。

「もし、私が危険だと感じた出来事が迫った場合……躊躇いなく『俺』を使えとも言われたのです」

 世界有数の実力を持つアルビレオが危険と判断する状況。彼一人ではどうしようも出来ない脅威。
 修羅、青山。
 ならばそれに抗うにはどうする?
 誰ならばこの修羅と戦うことが出来る?
 答えはそう。
 答えはあまりにも簡単で。
 そして、簡単だからこそ、その答えは何よりも難しい。

「では青山さん……」

 アルビレオは青山に語りかける。
 だが青山はその言葉に返す余裕すらなかった。
 本能が感じているのだ。滂沱と荒れ狂う魔力の奔流の中、青山と同じく、あらゆる闘争をくぐり抜け、しかし青山とは決して交わることがない本物が現れる予感。
 それはつまり。
 その存在は単純明快。

「『英雄』こそ、貴方の相手には相応しい」

 邪道の極地があるのなら。
 正道の極地こそ、その男。
 アルビレオは虚空の半生の書を掴むと、そのページを開いて一枚の栞のようなものを取りだした。その栞自体が魔力の発生源だとでもいうのか。爆発音のような音と光の残滓を垂れ流して引き抜かれた栞が瞬いた直後。

 閃光。

 光が空を突き抜け遥か上空へと飛んでいく。その光の柱が放つ衝撃波に、青山も含めた誰もが気圧された刹那。

「ッ!?」

 唯一、青山のみが咄嗟に反応出来た。
 光の柱を砕いて現れた影、その影はアルビレオと同じ服装をしながら、脱げたフードより見える顔は決してアルビレオと同じではない。

「おぉ!」

 威勢の良い気合いと共に、信じられない規模の魔力が光を割って現れた男の腕に集まった。威力ならばネギの雷轟に劣るだろうその光、しかしそれは今のネギには無い鋼の如き信念が束ねられており。
 轟と男が青山目がけて飛びかかる。虚空瞬動。瞬きの余地すら与えぬ速度で、あの青山へと肉薄する。

 そして、光を束ねた右拳と、あらゆるものを斬り裂く証の刃が激突した。

「うわ!?」

 直後、発生した衝撃波にネギと超は抵抗もすること叶わず吹き飛ばされた。だが即座に体勢を立て直したネギは、視界の奥、あの青山の斬撃を素手でいなす男の背中を確かに見た。

「う、ぁ……」

 言葉すらなかった。眼前の光景を信じられぬ。それは見据える先を見たネギの暗黒に染まった眼にすら光を灯す程に衝撃的で。
 だが何処か納得出来るような気がした。
 荒れ狂う魔力と気が激突する中心。光の化身とも言える程眩しくて綺麗なその男こそ。
 ネギが誰よりも望んだ背中。
 いつか追いつくと誓ったその背中。

「本当に……とうさ──」

 ネギの言葉すらかき消す程の魔力が充実する。さらに上昇した力に青山が対応するよりも速く、男はあろうことか青山の体をその場から吹き飛ばして見せた。

「ッッ!?」

 青山が驚きに震える。何とか証の刀身で拳を受け止めてみせたが、斬撃に染まったはずの証すらたわませる威力に目を見張らざるを得ない。
 いや、違うな。青山は瞬時にその考えを否定する。
 青山が着地するのと、男がネギの元に下がるのは同時だった。青山は自分には眩しいくらい真っ直ぐな瞳を見て、思う。

「……そうか」

 成程。と得心する。
 証がたわまされたのは間違いない。
 それは青山とは別種の存在だ。
 人間が持つ可能性を極めたのが青山ならば。
 今ネギの隣に立つ男は、人間の『在り方を極めた』男。
 それこそつまり。
 幾つもの邪道を正してきた、正の極み。

「英雄……」

 あぁきっと、その言葉こそ、彼という男には相応しい。

「呼んだのはテメェか?」

 男は隣に立つネギを見ることなく、油断せずに青山を見ながら言う。

「あ……はい!」

 ネギはあまりにも唐突すぎる展開について行けずにいたが、しかしそれでも真っ直ぐに男を見上げて返事をした。
 そうか。そう男は呟くと、何処か嬉しそうに、だが状況が状況なために悲しそうに、あらゆる善と悪をまとめて飲み干す笑顔を浮かべて、乱雑にネギの頭を撫でまわした。

「わわ!」

「へっ、だったらお前がネギか……ったく、アルの野郎。何がどうなったらこんな状況になるのかね」

 そうぼやいた男は、暗黒の体現者たる青山すら照らしつける輝きをそのままに、時間がないのはわかっているが、せめてこれだけはと思って口を開いた。

「ネギ。会いたかったぜ」

 極限状態の今だから、本当は語りあう余地など何処にもないけれど。
 それでも。
 だからこそ、ネギは思う。

「一緒に、戦いましょう! 父さん!」

 ネギと同じ色の髪と、何処か似た雰囲気の顔をした男。
 その男こそ世界を救った本物の英雄。
 千の魔法を扱うと言われた現代の伝説。
 その名前こそ。

「おう。しっかりついてこいよ!」

 『千の呪文の男―サウザンドマスター─』ナギ・スプリングフィールド。
 歴史上最強の英雄とその息子。今、これ以上を望むことが出来ない究極のタッグが、最高の気力を漲らせて、最悪の修羅へと戦いを挑むのであった。






 ――ならば、これが敗北というものだろう。

 英雄とその息子。並び立つ両者の姿を見た瞬間、あるがまま、己が敗北するだろうことを青山は理解した。
 傷ついた体はもって後数分動ければいい方で、視界は削れたまま、呼気は荒く、欠損した四肢が絶え間なく激痛を訴えている。万全には程遠く、エヴァンジェリンとの戦いを経た今、先程までは何とかなっていたが、既に戦うということはほぼ不可能な状態だ。それほどまでにエヴァンジェリンは強敵であった。
 そんな相手と戦えたことに後悔はない。だがそれでも、今の青山では彼らを相手取るには些か以上に消耗しすぎていた。
 万全の己ですら、無傷では斬り落とすことは難しい相手、英雄、ナギ・スプリングフィールドを筆頭に、未だ届かぬとはいえ、不意を打たれれば今の自分にすら充分手傷を負わせることが可能なネギと、未知の移動術を持つ超に、さらに後方では三人を支援する狙撃手である真名が静かにこちらの隙を窺っている。
 勝機は万に一つにすら届かない。もしも相手がアルビレオのままであったなら、近接で青山に匹敵する相手がいないため、まだ勝機はあったのだが、万全の己すら苦戦は免れぬ敵、ナギが出てきた時点で、この戦いの勝敗は決した。

 青山は負ける。

 それも、これ以上ないという程惨めな醜態をさらして、青山はその命の灯火を消されることになるだろう。

「ひっ」

 青山の口元に笑みが浮かんだ。凍傷で爛れた顔面で笑うその様を見て、ネギ達の顔から血の気が引き、ナギの顔すら僅かに歪む。
 構わなかった。
 敗北がこの先に待っているとわかっていても。
 だからどうしたと。
 凛と証を空へと伸ばして、己の在り方をただ歌う。

「いざ、尋常に」

 そも、エヴァンジェリンとの戦いを終えた時点で、己の体は限界を迎えていた。
 どう工夫しようが。
 どう生き足掻こうが。
 どうしようもなく、己の体は死に絶えていて。

「斬る」

 それでも行くのだ。
 ひたすらに。
 この刃が冴え渡るまま飛び出して。
 青山の体がぶれる。虚空を蹴り飛ばして距離を埋めるその技量に衰えは見えぬ。ネギ達が反応する暇すらも与えず、羽のように軽やかに飛びだした向こう側、唯一その姿を捉えていたナギが、大上段からネギに襲いかかる証の軌道上にその体を滑り込ませた。

「おらぁ!」

 証の横腹にナギの拳が突き刺さる。強引に切っ先を逸らされた青山は、片足では踏ん張ることも敵わず、拳の勢いに押される形で真横に吹き飛んだ。

「ッ!? はぁ!」

 遅れて、今の一瞬で自分が斬られていたかもしれないことを察したネギだったが、直ぐに気を引き締めると、砲弾の如き勢いで吹き飛んでいる青山に、雷轟の一撃を放出した。
 吹き飛ぶ青山に一瞬で追いつく雷のアギト。光の中へと自身を飲みこもうとする破壊の柱。
 だが青山が意識するよりも速く、肉体が主を置いて刃を走らせた。
 凛。
 音と成り果てて消滅する雷撃。だが消し飛ばした閃光の向こう側から、躍り出る閃光がさらに二つ。

「雷の暴風!」

「はぁぁぁぁ!」

 ナギの掌から迸る雷の乱気流と、ネギの拳から解放された紫電の一撃が、青山に休む暇すら与えない。
 直撃は、そのまま敗北に直結する。最早、余裕をもって迎えられるような魔法ではない。決死の覚悟で雷光に振るうは神速の太刀。尚、衰えを見せぬどころか冴えを増す剣戟は、一刀の元に二つの必殺を両断した。
 ──その隙間を縫うように、こめかみに走る殺意の電流。

「ッ!?」

 全力の刃を振るった僅かな隙を逃さずに、真名の放った弾丸が青山に襲いかかる。例え真正面では狙撃が出来なくとも、戦場を渡り歩いてきた兵たる真名は、即座に自分の役割を判断して、行動に移している。
 援護射撃。しかも青山の斬撃を縫うという恐るべき絶技を果たす真名は、遠方で体中から流れる汗と、乱れかけの呼気を整えつつ、強引に弾丸の射線から体を逸らした青山を追うように続けて引き金を引いた。
 たかが狙撃と侮れはしない。今の真名は体が壊れるのも厭わずに、青山の隙を見逃さぬように全神経を向けている。そこに向けられるエネルギーは今も戦っているナギとネギと同じか、あるいはそれ以上の消耗を真名にかしている。
 この狙撃は、後六発。それを過ぎれば、集中力を使い果たした真名の意識はそこでぶつ切りとなるだろう。

「……」

 思考の片隅で、焼が回ったかと真名は自嘲した。戦いの場において、兵士、特に傭兵であった真名は全力を振り絞って戦うことの愚を熟知している。逃げるための余力を必ず残しておくことは、傭兵の鉄則だ。
 だが。
 だがしかし。
 スコープ越しに見据える暗黒。
 あんな化け物から、一体どうやって逃れろというのか。

「ッ……」

 続いて、ナギとネギが青山を追いたてている隙を捉えて、真名は青山の足に銃弾を叩きこんだ。高速で動く青山の動きの先を捉えて真名の弾丸がその太ももに吸い込まれるように着弾する。
 その瞬間。青山が独楽のように体全体で回転した。その動きは恐るべきことに、太ももに触れた弾丸の回転と同じ。それにより見事音速を突き抜けた弾丸をいなして見せた青山に、真名は呆れとも恐れともつかぬ笑みを浮かべた。
 代償として青山の太ももの皮膚が弾けて血が噴き出したが、対戦車ライフルの直撃を受けたはずなのにその程度。
 例え弾道ミサイルがあったとしても、この化け物には通じないのではないか。そんな在りもしない光景を思い浮かべながら、真名は朦朧としかけている意識を繋ぎとめて、青山の隙が再び見えるまで集中力を高めていった。





「ッ……」

 一方、超は自分では最早この状況で何も出来ないことを悟り、ナギとネギ、そして真名に戦場を預けて、自分は遠方で待機している茶々丸と聡美のいるセーフハウスにまでカシオペアを使って急行していた。
 転移を繰り返しながら、己が未だ本物の魔法使いという存在に対して過小評価を下していたことを恥じる。最新軍用強化服にカシオペアによる時空間移動。特に後者の反則的な能力は折り紙つきだが、それでも超ではあの領域にはまるで届かない。
 唯一ネギのみが、カシオペアを使用することで何とかナギと青山の戦いに真正面から介入することが出来るのだが、それにしても咸卦法を下地にした闇の魔法という、魔法世界でも群を抜いた究極の技法を用いた結果だ。
 だがナギと青山、あの二人は違う。
 魔法技術の頂点に位置する技法である咸卦法に闇の魔法、科学の粋を尽くしたカシオペア。それら一切を使わず、単純なスペックのみで、その戦闘力は一国の軍事力を上回る程である。
 ──アレが裏世界の最強。だとすれば、世界は、人間は、あの領域に突入するまでどれほどの時間を費やさなければならないというのか。
 核弾頭すら上回る個人の存在。そんな者が現れ、そして戦っている以上、指揮官の立ち位置に居る超は、最悪の事態を見越して動かなければならなかった。

「撤退準備は出来たカ?」

「……はい。ハカセのほうは既に離脱をしました。私も超が合流場所に到着次第、離脱可能です」

「そうカ……」

 最悪の事態、それは青山が勝利するという最悪のそれ。
 勝つ見込みはあった。京都で撮影した青山のスペックと、今も戦っているネギ、死したエヴァンジェリン、そして保有するその他戦力を合わせれば、勝算は九割を越えていた。
 少なくとも、実際に対峙するまでは、勝敗はほぼ決していたはずだった。そして、客観的に見た場合、現状の勝率はほぼ百に近いと言ってもいい。
 その最大の理由がエヴァンジェリンであり、駄目押しとなったのがナギの存在だった。
 勝てるはずなのだ。どう考えても、青山は半死半生であり、放っておいても自滅するのは目に見えていた。
 最低でも、計画が発動する瞬間まで抑えることは可能なはずで、残り十五分を切った今、超の勝利は確定したはず。
 そう、はずだ。
 はず。
 多分。
 でも、もしかしたら──

「ッ……!」

 超は脳裏を過った最悪の光景に顔を顰めた。だがそれを振り払ったりはしない。
 最悪は、あり得る。
 その確率は万分の一以下。億も兆もないけれど。
 あの男ならば、それこそ那由他の確率すら掴みとってしまうではないだろうか?

「合流が出来たら、直ぐに離脱を始めるヨ。世界樹の発光と共にプログラムが起動するようには出来ているカ?」

「はい。滞りなく、現時刻より約十四分後、自動的に認識魔法は世界に広がるようセッティングは終わりました。ですが──」

「ん……? 何か問題ガ?」

「はい。明日菜さんが、無断で出て行ってしまったようで……」

「ッ……わかった。明日菜サンはこちらで回収して合流するヨ。だが、もし時間に間に合わなかったら、そっちだけで離脱するネ」

「……わかりました」

「よろしく頼むヨ」

 超は通信を切ると、再び空間転移を行い、出ていったという明日菜の足跡を追うことにする。
 いずれにせよ。
 この戦い、どちらに軍配が上がったところで、超の計画は確実に発動することだけは見えている。
 だがもしも最悪が起きた場合。

「その時は──」

 世界が魔法を認識していく。
 そんな世界に、あの修羅外道を放つこととなるのだ。






 意識はゆっくりと削られていた。
 剥離していく意識と、合わせて喪失していく視界。既に手に持っている証すらぼやけて見えている現状に、青山は確実に近づいてくる敗北の影を背中に感じていた。

「おらぁ!」

 濁流の如き魔力の塊が振り下ろされる。乾坤一擲、威勢の良い掛け声は、青山では生きつけぬ、灼熱の感情を宿した至高の一振り。
 痛む肌をさらに焦がす熱量に、真っ向から冷たい刃を叩きこむ。凛とはいかぬ、斬と斬り捨てられた二つの熱量の間を、青山は虚空瞬動で駆け抜けた。
 大気が爆ぜ、衝撃波を引きつれて青山がナギへと強襲する。
 間合いまで後一歩。
 だがその距離を埋めるよりも速く、横合いから轟き駆ける雷轟が、削れた視界すら光で埋め尽くして青山へと殺到した。
 その数は十。恐ろしいことにこの極限状況で、ネギは雷轟の一撃を拡散させるという荒技まで行えるところまで成長をしていた。
 その成長を内心で喜びつつも、ただでこの身をやるわけにはいかず斬撃を数えて十。重なった音色が不協和音を響かせる空間。青山の斬撃空間、すなわち死地へと飛び込むのはナギだ。

「うらぁ!」

 魔力を纏った拳が青山の顔面に飛ぶ。だが幾らか甘い。功を焦ったのか、僅かに大ぶりとなったその拳を逃す青山ではなく、冷徹に冗談から拳目がけて証を振り下ろす。
 しかしナギの拳を切断するはずだった証は空しく虚空を払うだけだった。一瞬の空白、視界が使えないためにやってしまった青山らしからぬミス。
 フェイントをかけられた。直前で引っ込んだ拳を見送った青山は、死角となった左側より強襲する回し蹴りの気配を察知して上半身を限界まで逸らした。

「マジかよ!?」

 ナギが驚きの声をあげる。相手の状態を見抜き、絶好のタイミングで間をずらし、渾身の蹴りを放ったのだが、これを回避されるとは予想だにしなかった。
 だがそれも当然。学園全土を探知する脅威の知覚をもってすれば、この程度は目が見えなくても可能だ。
 それでも肝を冷やしたのは事実。額をかすめていった健脚に震えつつも、体を逸らした勢いのまま、右足をナギの股ぐら目がけて蹴りあげた。

「よっ」

 回避に連なった攻撃を、ナギは振り抜いた足を戻して脛で受け止める。互いの足が激突し、骨と骨がぶつかったとは思えぬほど、腹に響くような重低音が鳴った。互いの魔力と気、一方が僅かにでも劣っていたならば、その足が砕け散っていたのは言うまでもない。
 魔力と気。両者の扱う力の源泉は違えど、その質と量は秤で測ったように互角だった。
 ならば戦いを決する材料は何か。
 青山にとってはこの距離。最も得意とする接近戦こそ勝利への道筋であり。

「はぁぁぁぁ!」

 ナギにとっては、己の背中を預ける仲間こそ、修羅外道を打倒する鍵であった。
 唸る紫電が、三度斬撃を放とうとした青山の四方八方から襲いかかる。一撃が致命的である今の青山にとって、一撃の威力よりは分散させてでも手数で押し切るのが妥当。それを僅かな戦いの間で判断したネギのやり方は上手いと言わざるをえない。
 現に青山は音速を遥かに凌ぐ雷撃の群れを迎撃しなければならず、結果、己の射程に入れていたナギを取り逃がすことになった。

「ぎひぃ……!」

 悲鳴ともつかぬ声を上げながら、青山が雷光を斬り落とす。霧散する閃光は、まるで夜に花咲く星屑の如く、では光の粒子を纏う青山は、さながら暗黒世界で尚黒を主張するブラックホールか。
 あらゆる全てを斬り落とすならば、あらゆる全てを飲みこむブラックホールと相違ないだろう。銀閃を翻して、星屑を振り払って突き進む姿に、流石のナギですら冷や汗を隠しきれない。

「こいつ……」

 ぶつかり合う度に、ナギは青山という人間を分かってきていた。
 それは同時に、決して相容れない存在であるということを理解するということと同義である。
 青山は人間が人間らしく生き続けた結果だ。己のためだけに殺しを肯定するという、野生の獣には持ち得ぬ人間らしい感情を突きつめたなれの果てだ。
 だがそれはあくまで人間の本質の側面の一つでしかない。
 斬撃。
 その様に鋼。
 成程な。ナギはそう納得しながら、だがそれでは人間は直ぐにでも滅亡してしまうという思いがある故、拳を固めて叩きつける。
 人間の在り方は、人間の可能性にだって打ち勝つ。野生の獣のように、ただ食らい、生き、子孫を残し、次代に託すだけではない。その過程で積み上げられる思い、感情、絆、願い、これら人間の在り方こそ、人間が持ち得る最大の武器にして、かけがえのない宝物だ。
 それは時として、あらゆる困難すら跳ね除けて、不可能すらと踏破する。
 だから、人間のみが紡げる過程が、人間の原始的感情のみが辿りつく終わりに敗北するなどということはないのだ。
 ナギは知っている。
 人間の可能性とは、人間の在り方であり、決して一つの自我が持ち得る感情のみで行きつける場所のことではない。
 その願いを込めて、ナギは拳を叩きつけるのだ。
 善でも悪でもない。
 ましてや、可能性の終わりに捕らわれた鋼の如き一本芯でもない。
 複雑に絡み合う、絡みついてぐちゃぐちゃになった様々な願いや祈り、紡いできた絆。
 ナギがその拳に乗せるのは、そんな小汚くて醜くて、だけど栄光ある宝物。

「ぃ……!?」

 その拳を受けて、証が再び軋んだ。斬るという一念にすら響く英雄の拳は、そのまま青山の内部にまで浸透して、心の奥から熱を伝えてくる。
 修羅場に吹き付ける熱気を青山は感じた。心ごと温めてくれるような、前に進む活力をくれるような熱風を浴びて──憤怒。

「ふざ、けるな!」

「ッ!?」

 青山はその熱風もろともかき消すように、雄叫びをあげながら証を振り払ってナギを吹き飛ばした。
 着地。肩で息をしながら、青山は遅れて大地に降り立ったナギを睨んだ。

「ここは……俺達の場所だ……!」

 修羅場がある。
 何処までも冷たくて。
 あらゆる全てが絶対零度よりも冷たくなっていくこの場所。
 凍るのではない。
 冷たい熱がそこにはあって、美しいまでの零秒にこそ、命の煌めきがあるからこそ。

「お前は……邪魔だ……!」

 かつてのように。
 酒呑童子が。
 フェイト・アーウェルンクスが。
 そして、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが。
 彼らが愛した修羅場に、ナギ・スプリングフィールドという太陽は必要ない。
 大上段に構える証に、青山はこれまで交わしてきた思いの丈を乗せた。
 確かにナギの拳は重い。
 自分にはまるでない、人々と通じ合うことで重ねてきた願いの重さがある。
 だが。
 無数に重ねた個の感情が。
 一個人の鋼に勝ると、誰が決めた?

「これが俺だ」

 青山は誇示する。
 天すら突かんと伸ばした刀こそ己だと。

「俺が青山だ」

 青山。
 だから青山。
 己こそ、修羅外道。
 永遠にこの場に居続ける、孤独の戦鬼。

「刀なんだよ……」

 念じるように、訴える。
 刀で、鋼で、故に青山。
 斬撃でしか語れないから。
 そこに他人という名の熱風はいらなくて。

「……だからどうした」

 その有り様を、ナギが理解なんて出来るわけもないし、してやるつもりもない。
 反発しあう英雄と修羅。最早その激突は、同族嫌悪のそれのようにしか見えなくて、戦いの中、ただ援護を続けるネギは、未完成であるという呪い故、どちらが正しいのかわからなかった。

「……父さん、青山さん」

 声は睨みあう両者の耳には届かない。まるで置き去りにされたような心地になって、ネギは悲しげに目尻を下げた。
 ナギという英雄か。
 青山という修羅か。
 分からぬままに、だがしかし、今自分の居る立ち位置だけで、ネギは戦うのだ。
 そして、極限状態の今、そんな息子の機微に気付ける程、ナギにも余裕があるわけではなかった。

「よくわからねぇがよ!」

 ネギの葛藤から背を向けるかの如く、ナギは一歩で青山との距離を埋めると、着地と同時に全力で大地を踏みぬいた。
 あえてそれの名前を呼ぶなら震脚だろう。だが人間の放てる限界値を遥かに凌いだナギの震脚は、大地を砕き、岩盤ごと青山を宙に浮かせる。片足では踏ん張りの聞かぬ青山は一瞬体勢を崩し、その隙を狙って大地を踏み抜いた蹴り足の威力をそのまま乗せたナギの体が、弾丸のように虚空の青山目がけて飛んだ。
 反撃する暇もない。見事、青山の太刀を振るえぬ状況は作り出された結果、青山は咄嗟に証の刀身で拳を受けるしか出来なかった。
 激突。
 空気が乾いた破裂音を響かせて、音速を突き抜けた両者の体が上空へと一気に舞い上がる。空に伸びゆく流星は二つ。反発しあいながら、睨みあいながら、感情のままにナギは吼えるのだ。

「テメェの身勝手に……周りを巻きこむんじゃねぇ!」

 言葉は交わしていない。そも、ナギは青山の名前すらも知らない。
 だがそれでもナギはこの戦いを通して、青山という人間がどういったものなのかは肌で感じていた。

「巻き込むつもりは毛頭ない」

 それは青山もまた同じ。太陽を侵略する極寒の暗黒の瞳がぎょろりと見開き、真っ向からナギを見返した。

「余分な熱を孕んだお前が……何を言うつもりだ!」

 気を収束。滂沱の気に膨れ上がった右腕が証を強く握りこみ、接触するナギを振り払った。
 弾け飛ぶナギは、虚空で体勢を整える。その僅かな間に間合いを詰めてくる青山と、魔法の射手を練り上げたナギ。

「そらぁ!」

 百を越える破壊の流星が迫りくる。呼気一つ分の時間でこれだけの破壊を練り上げるその技量に感服する。
 故に、斬る。
 百を一で斬殺し、底の見えぬ気を両足にまとめ上げて、青山はナギへと飛んだ。

「ッ!」

 だがそこにネギがカシオペアを使い割り込んできた。しかし青山は驚いたりしない。己の知覚領域を越える動きであるならば、最初からそういうものとして対処すればいいだけの話。
 狙うのは転移が行われたその次の瞬間。ネギの雷轟が閃光を放つ間際、青山は体から溢れる流血をすくい取り、気で圧力をかけた血を、転移したネギに投げつけた。

「いぎ……!?」

 雷轟を振り抜く直前、右肩と脇腹を斬り裂いた血の手裏剣によって、ネギの動きが鈍る。それだけあれば充分に雷轟の捕捉を振り抜くのは容易だ。虚空瞬動で再度ナギと激突した青山は、最早対処法を見つけて眼中にすらなくなったネギに目もくれることなく、刃に己を叩きつけてナギへと送る。
 応じるナギもネギを意識する余裕などない。満身創痍の身でありながら、自分と同等に戦いを繰り広げるこの相手に対する敬意と、それ以上に胸にこみ上げてくる嫌悪感。何より、ここで青山を倒さなければならぬという、英雄としての本能が、ナギをしてその眼には青山しか映さずにいる。
 刀が華散らし、拳が流星を描く。曲線と直線が重なり合い、刻一刻と限界時間が近づく両者の思考に、さらに全力を振り絞らせることを強要した。
 ナギは残り五分で自分が消えることをわかっている。故に、今使える全てをこの五分で叩きつける。
 青山もまた、自分が残り数分も命が続かないことを知っている。だからこそ、いつものように、刃を振るい続けるのだ。
 全力で駆け、命を賭ける。
 最強と最強の激突には、余人の入りこむ隙などない。
 一瞬で遥か彼方へと飛んでいく二人の影を追いながら、ネギは自分だけが何も出来ずにここに居ることを実感として受け入れた。
 真名は既に己の限界を越えた射撃を終わらせて、意識を失っている。
 超は今も最悪の事態を考えて、聡美と茶々丸と明日菜を撤退させる用意を進めている。
 だが自分はどうだ。
 何も出来ない。
 出来ることは一切ない。

「僕は……どうして……!」

 今にも臓物が溢れそうになっている横腹の傷口を抑えながら、ネギは己の無力を嘆いた。
 それでも、ここに至ってわかったことがある。
 自分は誰よりも中途半端だ。
 明確な信念もなく。
 明確な覚悟も持たず。
 ただ、間違っていると思うから、この世界に魔法を知らしめよう。
 それだけで、自分はこの戦いに赴いた。
 ならば成程、覚悟が足りないと青山に言われるのも無理はないだろう。
 戦うための力はある。
 だがそこに込めるべき己が欠けている以上、その様では修羅外道にすら劣る半端者だ。

「だけど……」

 ネギは空を見上げた。空を踏みしめて激突を続ける二つの光。
 かたや一時のみの幻想。
 かたや一時のみの骸。
 この煌めきを経て続くことのなき命を燃やして戦う二人とは違って、ネギには先へ行ける足があるから──

「僕は……!」

 覚悟を決めろ。淀んだ右目に決意を。澄んだ左目に渇望を。
 宙ぶらりんのネギだから込められる意志を叩きつけるために、月光へと雷を突き立てろ。

「解放!」

 雷轟無人の籠手が輝きを増す。今で足りぬのならばもっと上へ。渇望する力の根源にある闇が、ネギの意志を貪り食らって唾液を滴らせる。
 光り輝く籠手が新たな紫電を纏った。闇の魔法の上にさらに上書きされた極限の魔法。
 出し惜しみなし、唯一残された最後にして最強の一手。

「あぁぁぁぁ!」

 ナギと青山が再び磁石のように反発して吹き飛ぶ。その瞬間を見計らって、カシオペアが起動したネギが青山の目の前に飛びだした。

「ネギ!?」

 ナギがあまりにも無謀なネギの行動に目を見開く。だがそれは青山も同じで、近接では危険と知りながら、敢えて身を差し出したネギの思考が理解できずに動きが乱れた。
 そこに勝機がある。
 光の籠手に束ねられた咸卦の力と、その上に上乗せされた切り札──遅延魔法で術式をストックしていた千の雷が火花を散らす。
 雷轟の最大出力と合わせて、千の雷が二つ同時に放たれるという異常事態。その右腕の一点に、小さな村なら容易に消し飛ばすことが可能な破壊の乱気流が収束し。

「ぉやまぁぁぁぁぁぁぁ!」

 縋るように敵手の名前を呼ぶ。
 だがそれも同時に放たれた雷轟と千の雷の重複魔法の響かせる轟音にかき消され。

「くはっ」

 笑みを浮かべる修羅外道。
 恐るべき破壊に体を蒸発させながら、証の一振りが差し出されたネギの右腕を、肘の部分から斬り飛ばした。

 閃光。見ただけで網膜を焼きつくす光に、青山の体が全て飲みこまれる。

「チッ……!」

 その全てを見届けることなく、腕を斬り飛ばされたネギが、流血を夜空に散らしながら落下していく。ナギは慌てた様子で、舌打ち混じりに駆けつけると、その体を優しく抱きとめた。

「馬鹿野郎! アホなことすんじゃねぇ!」

「は、はは……父さんに、怒られちゃった」

 無謀を叱咤するナギに、ネギは痛みに呼気を乱しながらも嬉しそうな笑みを浮かべた。
 ──何で笑ってんだ。
 ナギは見当違いな喜びを見せるネギに再び言葉を重ねようとして、口を閉じて、夜空に視線を向けた。

「父、さん?」

「……まだだ」

 ナギが視線を送る先、吹き抜けてきた風が肉の焦げる嫌な匂いを鼻に届かせた。遅れて、先程の一撃で舞いあがった煙がかき消される。

「ひゅ、ご……」

「……マジかよ」

 ナギが額から脂汗を流して見据えるそこに、辛うじて腰に着物が巻き付いただけの青山が、力なく息をしつつも虚空をリズミカルに叩いて立っていた。
 青山が飲みこまれた多重雷轟とでも呼ぶべき一撃は、麻帆良学園都市に着弾して、その景観の半分程を薙ぎ払っている。天災級の魔法を二つ重ねた破壊力だ。その程度は当然あるべきなのだが。
 問題は、それほどの技を受けて、未だ青山が生きているということにある。

「こ、ひゅ……」

 露わになった上半身は、至るところが火傷を負っている。酷い所では炭になっている部分もあり、凍傷で左半分が崩れた顔など、多重雷轟によって元の顔の形すらわからぬ程、見るに堪えぬものと成り果てた。
 だがそれでも、証を握る右腕だけは、刀身と同じく傷なく綺麗なままだった。刀と一つになっているかのように、そこだけが完全に青山から浮いている。
 いっそ、あの右腕こそ青山の本体だと言われても納得出来ぬほど、傷すらないその腕は異彩を放っていた。

「……もう、時間もねぇか」

 ナギは残り僅かとなったイノチノシヘンの効果を考えて、覚悟を決める。
 青山は、放っておいても死ぬだろう。最早その傷は取り返しがつかず、今この瞬間に心臓を止めて倒れたとしてもおかしい話ではない。
 しかしナギの直感は、今、この場で、己の手でアレを止めなければならぬと訴えていた。
 死ぬはずだ。
 放っておいても、人間ならば死ぬはずだ。

「何て、都合のいいことは思わねぇよ」

 ナギは分かっている。
 青山。
 恐るべき青山。
 この十分にも満たない戦いの中で、今や唯一の理解者とも言える青山素子以上に、ナギは青山という男を分かっていた。
 分かりたくないけれど。
 分かったのだから、仕方ない。

「ここでテメェを倒すぜ? じゃねぇとテメェはそのままだ……『生きてもいねぇ癖に、いつまでも生きようとしてるんじゃねぇよ』」

「ヒッ……」

 青山は悲鳴とも笑い声とも取れる引きつった声を発した。
 彼もまた、ナギという存在を分かりたくもないのに分かっているから。
 ──あぁ確かに。英雄と言う存在は、斬りたい程に胸糞悪いな、エヴァンジェリン。
 脳裏で、英雄を語っていたエヴァンジェリンの姿を思い出す。彼女が待ち望み、忌々しく思い、そして恋い焦がれた英雄という存在。
 それが目の前の人間だ。名前は知らなくても、きっとこの男こそ英雄で、誰もが信じる暖かな強さを宿す者だ。

「ぅぃ……ひぇ」

 口から奇声とどす黒い血液が溢れた。
 時間はもうない。立っているだけで絶命しそうな体。だというのに証を握る腕だけは、羽根のように軽く、思うよりも速く夜空を引き裂く大上段に構えられた。

「う……ぅぁ。父さん?」

「飛べるか?」

 ネギは頷きを返しながら、ナギの手を離れた。
 浮遊術で体を浮かしながら、欠損した右腕を治癒魔法で止血する。傷口は、痛みとともに直ぐ無くなった。傷口が綺麗だったことが回復を促進したのか。あるいはまた別の理由か。
 どうでもよかった。
 それ以上に、腕すら犠牲にしてまで、自分では青山を殺すことが出来なかった事実が、歯がゆかった。

「……ッ」

 睨みあうナギと青山をしり目に、ネギは歪む顔を見られないように逸らした。
 確信だ。
 この戦いは、次の一撃で呆気なく終わる。
 ナギも青山も、互いに残された時間はないから、どちらもこの今に全てを賭して、命の炎を燃やすだろう。
 そして、中途半端なネギは、その光景を見ることしか出来ない。
 青山を打倒するために作りあげた雷轟無人も、反則技であるカシオペアも。
 どちらも使用して、さらに生徒であるエヴァンジェリンや、超等を巻きこんでまで、青山を倒すために尽くした時間。
 それら一切が、全て無駄だった。
 化け物。
 英雄。
 修羅外道。
 ネギが積み上げた全ては、これらには一切通じぬものでしかなくて。

「ネギ……行くぞ?」

 そんな自分が、未だに期待されている。
 絶望的な心地だった。

「僕、は……」

 あくまで、仮定の話だが。
 ネギが修羅か英雄か。あるいは道半ばを行く戦士としてこの場に居たのなら、ナギの対応は問題なく、青山はただ惨めな醜態を晒して、呆気なく死に絶えていただろう。
 だがしかし、現実は非情だ。
 青山という恐るべき相手と対峙している今、例え英雄であっても、息子とはいえ、見ず知らずの相手の心境をくみ取れるわけがない。ナギとしては、青山と対峙するだけの強さをネギが見せていたから、今こうして共に戦う仲間として信頼をしている。
 だがその内側を知れば、ナギは決して背中を預けようとはしなかっただろう。
 見せかけだけの、張りぼてな戦士。
 今のネギを表す言葉として、それ以上のものはない。
 しかし状況は最早決まった。
 青山はここに至り、ネギの成長にではなく、目の前に居るナギという男に全霊を込めることを決意し。
 ナギは青山を倒すために、ネギの力添えを前提条件として組み込んだ。
 そしてネギは──

「ハァ!」

「くぁ……!」

 覚悟の時間は残されていない。決定打を与えることもなく戦い続けていた二人が、ここに来て己に残された時間を知り、拳と鋼。双方が信じる必殺の武器に持てる全てを注ぎ込む。
 その膨大な量は、質量をもって世界に伝播していく。大地が、大気が、あらゆる全てがこの後起きることに恐れ戦くように震えだす。
 勝敗を決するのは、繋いできた思いを乗せた拳か。あるいは個の終わりのみで磨き上げられた鋼か。
 どちらも立ち位置は違えど、人間の至れる極地へと到達した者の一撃。束ねられていく全開が、暗黒すらも塗り潰して自我を世界に訴える。
 そして今まさに激突が行われる間際。ナギは小さく、後ろにいるネギに声をかけた。

「ネギ……」

「え?」

「任せたぜ」

 信じているから。後を託す。
 そして、月光の下。震撼する世界とは真逆に、静かに飛びだした二つの影が交差する。
 青山が乗せるのは斬撃だ。そこに余分はいらない。
 鋼たれ。
 ひたすらに鋼であれ。
 愚直であることの誉れを誇るだけだ。
 月下に光る鈍い鉄が、怪しく光を照り返しながら、暴食するように鋼であると確約された気を飲みこむ。
 斬撃という一つの形。
 至ったのだ。そう青山は確信する。
 対して、ナギの拳は雑念に固まっている。
 だがそれは決して余分などではない。紡いできた数多の意志、願い、拳に巻き付けた絆という雑念は、対面する青山の鋼にすら負けぬ硬さを誇るだろう。
 そこにありったけの魔力を混ぜ合わせる。混沌と化した拳が紫電をまき散らし、ナギという英雄の命を光と熱量と変えて顕現させた。
 互いに残された時間は一秒。
 死の刻限が迫り、流血を傷口や体の穴という穴から垂れ流しつつも駆ける青山。
 アーティファクトに刻まれた幻想が切れる時間が迫り、己の体が光の粒子となって消えていくことを自覚しながらも飛ぶナギ。
 黒の流星。
 白の流星。
 観客は唯一人。一方には見限られ、一方には誤った信頼を向けられた哀れなる道化のみ。
 だからこそ、この戦いはドラマ等何もない。あまりにも退屈な終わりが待っているのは、目に見えていて……。

 激突する両雄。

 そして──斬撃は、空を裂いた。

「……あ」

 人の終わりに行きついたとはいえ、所詮青山もまた人である。
 その結末は当初から分かりきっていたことだった。
 空しく空振った刃は、エヴァンジェリンとの戦いで見せたような切れなど微塵もなく。ここまで保ったことこそ奇跡のようで。
 頭髪を幾つか斬り裂いただけで空しく振り抜かれた斬撃の間をナギがくぐり抜ける。限界まで溜めた魔力を雷撃に変換。空気圧の大地を蹴り抜いて、万力を込めた拳が青山の腹部へ炸裂した。

「ぃっ!」

 吐血よりも速く、青山の体を雷撃が駆け抜けた。雷を纏った拳によって敵の動きを止めるその技。

「来れ虚空の雷! 薙ぎ払え!」

 体の自由を奪われて地面へと落ちていく青山は、天高く伸びたナギの右手が象る断罪の一撃を、既に完全に奪われたはずの網膜で、確かに見た。
 あらゆる敵を打ち砕き、そして戦友達が行く道を切り開いてきたその技の名前こそ──

「あばよ、クソ外道」

 ──雷の斧。

 灰燼と化せ修羅外道。
 光の慈悲に照らされた幕引きの一撃。人を斬り続けた修羅、その最後には勿体ないくらいに美しい断頭台は、英雄の号令により振り下ろされた。






 こうして、あまりにも呆気なく終わるのだ。

 化け物は殺されて。
 修羅は落ちて。


 そして最後は唯一つ。


 では、英雄を淘汰しよう。







 戦いは終わる。
 ネギはそうして、何もなせぬままに、全ての決着を見ることしかできなかった。
 敗者たる青山は、雷の斧に焼かれて、煙を纏いながら、ぼろ屑のように地べたへと叩きつけられ、勝者であるナギは、それが幻だったかのように光の粒子となって姿を消していく。
 その腹部には、いつの間にか証が突き立てられ、背中を貫通していた。

「わりぃアル……下手こいた」

 掻き消える間際、その表情は勝者と呼ぶにはとても苦々しそうに歪んでおり。

「あっ」

 ネギと視線が合う。何か言おうとしたネギだったが、やはり何も言えず言葉に詰まり。
 ただ逃げるように、視線を切って俯いた。

「ネギ……お前……」

 それは。
 託したものを否定するということに他ならず。
 ナギは、そんな息子の姿を見て──ようやく、自分が最大の失敗を犯したことに気付いた。

「……クソっ」

 数多の英雄が、その最後を悲劇で閉じるように。
 ナギ・スプリングフィールド。例えアーティファクトで顕現した偽りの英雄とはいえ、彼もまた、数多の英雄と同じ、悲劇に終わることになるのだった。
 そして、着地と同時にナギの姿がなくなり。

 アルビレオは、そのまま二度と戻ることなく光となって消滅した。

「う、ぁ……」

 喉を引きつらせながら駆けよったネギは、別れの言葉すら伝えることも出来ずに失われた。
 大切な師匠と、生きていると心のどこかで信じていた父親。
 いっぺんに二つも失われたことで、ネギは喪失感に膝を折る。立ち上がることも出来ず、虚ろな眼差しで、誰もかれもが居なくなった戦場の跡地で唯一人。
 否。
 未だ、二人。

「……っぁ」

 その擦れた声に反応して、失意に沈むネギが顔を上げる。
 そこに立っていたのは。
 傷だらけで。
 とうに死に絶えているはずの。

「青山、さん……」

 最早、心臓すら停止している青山が、今にも倒れそうなくらいゆらゆらと揺れながらも、その足で立っていた。

「……ネギ・スプリングフィールド」

 青山は暗転した視界ではなく、魔力を辿ってネギの存在を感知した。

「そ、んな……」

 どうして、まだ、生きている?
 ネギがそう疑問を口にしようとして、その言葉に被せる形で青山は歪に口を吊りあげて応えた。

「彼が、言っていた、だろ? 俺は……生きいないのに、生きてるんだよ」

 斬撃がある。
 刃に魂は必要ない。
 必要なのは刃。
 つまり、己の肉体。
 そう、最早青山には魂等存在しない。肉体のみで立つという不可思議。その全てを滅せない限り、この男は何度でも立ち上がり、何度でも鋼であるだろう。
 それが人間の可能性の終わりだ。
 魂を輝かせる英雄と。
 肉体に突き動かされる修羅。
 絶対的な違いはそこにあり。
 だから、ナギは激突の直前、ネギに後を託したのだった。この男は、自分の最後の技を受けても立ち上がり続ける可能性があった。
 そのために、後詰めとしてネギに託したのだ。
 それだけの強さがあり、心があると。

 信じたのだ。

 そして、裏切られたのだ。

「……」

 ネギは己がやらなければならないことが分かっているのに、指一本動かすことも出来なかった。
 失った腕から血を流し過ぎたせいではない。
 雷轟に魔力と気を注ぎこみ過ぎたせいではない。
 あの戦いを経て。
 本物の激突を見て。
 張りぼての自分が、何たる道化だったのかに気付いただけだ。

「……そう、か」

 青山もまた、ナギと同じく失望した様子で、打ちのめされているネギから視線を切って、大地に突き立った証を引き抜いた。
 そして、最後に項垂れるネギを見下ろし、証を杖にしてゆっくりと近づき、その刃を振りあげて──

「駄目ぇぇぇぇ!」

 その瞬間、絶叫を上げながら、ようやく戦いの場に辿りついた明日菜が両者の間に割って入った。
 涙目になりながら、恐怖で体を震わせながら、明日菜は両腕を広げてネギを背中に庇う。
 身を呈してネギを失わんと足掻く明日菜は、無力ながらも高潔な意志で打ちひしがれた少年を守ろうとしているのだろう。余人が見れば、その献身こそ素晴らしいものだと言うかもしれない。
 だがしかし、それはあくまで事情を知らぬ者がそれを見た場合であり、ここに来て、青山はようやく、ネギが無様を晒す理由を知り得た。

「何だ、それは……」

 青山は、両腕を広げて立ちふさがる明日菜ではなく、その背中を見て、別の誰かを見ているネギに気付き、刀を降ろした。

「えっ?」

 明日菜が困惑するのも無理はない。斬ることに腐心した。斬ることだけに邁進し続けた男が、斬らずに刀を収めるという異常。
 どうして斬らないのか。その理由すら、明日菜にも、そしてネギにもわからないだろう。

「俺が望んだのは……君じゃない」

 あぁ。
 わかってしまった。
 力なく肩を落として、青山は明日菜達に背を向ける。最早、その二人の関係は見るに堪えない程だった。
 幻想に生きていたのは、ナギでも、ましてや青山でもない。
 ありもしない幻に飲まれていたのは、この二人だったのだ。
 互いが互いに別の誰かを投影している。ネギは明日菜に、自分を守り続けた肉親を、明日菜は遠い日に失った男の幻影を、どちらも目の前にいる相手のことではなく、ここにはいない幻覚を追っている。
 斬る価値がないのではない。
 現実に生きぬ者を、どうして現実を斬り開いてきた刀で斬れようか。

「そこで、いつまでも、遊んでいろ」

 青山は、そう吐き捨てると、証を杖の代わりにしてその場を後にした。
 斬ってきた。
 ひたすらに、この手で青山は斬ってきた。
 だからこそ青山は平等だ。斬撃に置いて、今の青山は公平に全てを斬ることに佇んでいる。

「助かった、の?」

 明日菜は自分達が生き残れたことに安堵して、力が抜けたのか尻もちをついた。

「明日菜さん……」

 ネギは命を賭して自分をかばってくれた明日菜に、折れた心のまま、ただただ感謝する。

 ──その異常に、気付きはしない。

 斬撃のみで完成した青山すら斬らずに置いていく。それが意味することはすなわち、修羅外道にすら見捨てられたということに他ならぬ。
 青山は確かに地獄のような男だ。間違っても善性とか、そういった類の者ではないし、存在するだけで害をまき散らすような災厄の如き者だ。
 だが、地獄に見限られるという意味の恐ろしさを二人は知らない。
 この二人は生涯、幻影に生き続けるだろう。互いが互いに依存して、だというのに依存する相手のことなど一生見ることもせず。
 積み重ねてきた過ちのツケは、ここで払われる。
 鋼にすら不要と見捨てられた彼らには、最早天国も地獄も訪れぬ。

 永遠の煉獄に苛まれるという悲劇。

 その日、英雄になるはずだった少年は、選択の末に訪れた結末により資格をはく奪される。
 残ったのは、英雄に落とされ、だが尚も動き続ける修羅外道が唯一人。

「……あ、ぁ」

 未来もいらぬ。
 過去もいらぬ。
 ここにあり続けると覚悟した修羅は、失われた視界に降り注ぐ暖かな光の塊に向けて、人として生きた最後の残滓を清算するために、空へと飛んだ。






 熱血が喉を焼き尽くし、失われた肉体が、焦がされた肌が、体の動きを鈍化させていっている。
 俺に残されたのは、もう証だけだった。
 最後と決めた戦い。
 終わりにある俺が、本当の意味で終われると思ったというのに、英雄が後を託したはずのネギ君は、結局、俺を冷たくも温かくも終わらせることも出来ずに、するりとこの腕の中から失われた。
 何もない。
 鋼だけしかない。
 それでも俺が飛ぶ理由は、麻帆良で請け負った最後の役割を果たすためだった。
 形骸化した約束。
 この戦いを防ぐという、結局出来もしなかった誓い。
 俺に残された最後の思いが、壊れた体を突き動かす。

「がっ……!?」

 だがそんな願いとは裏腹に、鋼であるはずの体すら、もう限界を越えていたようだ。
 虚空瞬動すら出来ずにただ空を弾いて飛んでいたが、とうとうそれすら行うことが出来なくなって、俺は無様に受け身も取ることも出来ずに地べたへと落ちる。
 痛みはない。
 もう痛みを感じる程、生きてはいられないから。

「う、ぐ……ぁ」

 暗闇に落ちた視界に広がる暖かな光は、徐々にその輝きを増している。
 急がなければならないだろう。苦悶の声は、息苦しさのせいだ。下半身の感覚は失せていた。いや、もう体中の感覚が、まるで巨大な綿越しに感じるように曖昧となっている。
 それでも指先に神経を集中した。
 すると、握っている証が、そこに込められた彼の声が、俺を励ますように凛と歌う。

「……そうだな、フェイト」

 淡く微笑んで、腕を支点に、光のほうへと這いずって行く。とうに潰れた知覚でも、充分に感じられるほどの魔力の猛りと、そこに込められた願いのようなものに向けて。この魔力が、彼らにクーデターを起こさせた原因ならば、何としても食い止めるのが俺に残された最後の役割だ。
 一歩、ではなく、ほうほうの体で。
 他人が見れば今の俺は、B級映画に出る亡者のように見えることだろう。
 いや、比喩でも何でもなく、そうなのかもしれない。
 魂は凍りつき。
 体は痛みも感覚も失い。
 何もない。
 生きているという証拠が今の俺には何もない。
 唯一残っているのは、こんな状態でもあり続ける俺と言う自意識だけ。
 這いずる。
 一メートル進むだけで、数年の月日を費やすような労力があった。死んだ肉体を動かすのは、燻ぶるだけの残留思念。
 いや。
 ネギ君という愛しき相手を失ったことから来る意地だろうか。

「は、はっ」

 あんな姿を晒した相手を見て、まだ未練がましく思っている。
 成程、どうやら俺は、よっぽどネギ君に恋慕していたのだろう。
 後少しだったはずなのだ。もう少しで彼は俺と同じ場所に至るはずだったのに。何処かでかけ違えたボタンが、決定的な歪を産んでしまったのだ。
 これも、己の我がままで災厄をまき散らした自分への罰なのだろうか?
 いや。
 だけど、後悔はきっとない。
 あの鬼との戦いでこの修羅場に至ってからこれまで。

「……素子、姉さん」

 貴女に魅せることが出来た、至福。強さを求めた果て、至った斬撃を受け切ってくれた貴女の強さにありがとう。

「フェイト……」

 君に魅せられたあの夜の零秒。命を注ぎ込み、本物の鋼をもたらし、この最後まで付き添ってくれた生き方にありがとう。

「……英雄、さん」

 唐突な登場を果たし、その勢いのまま、何よりも鮮烈に俺の終わりへの道程を彩ってくれた、名前も知らない太陽との交差。不愉快だったけれど、相容れぬからこそ激突出来た貴方の強さにありがとう。
 そして。
 あぁ。
 やっぱり、そうなのかもしれない。

「エヴァ……」

 エヴァンジェリン。
 恐るべき、化け物よ。
 君の汚らわしい笑顔が、潰れた網膜に蘇る。
 もういいだろうか?
 一人孤独にあり続けたこの様に、本当の終わりを与えてもいいだろうか?
 なんて。
 ここに君が居たなら、もっと殺せと笑うだろうけど。

「あぁ……」

 斬撃に終わる月下。月のように冷たくて鋭利な俺の終わり。
 見えない視界で空を見上げれば、ほら、俺以外何も存在しない無感の冷徹が無限に広がり、祝福をもたらしてくれて。
 ただひたすらに、感謝の言葉を最後に残す。

 エヴァンジェリン。俺は君を──

「斬れて、良かった」

 なけなしの力と意志を全て込める。冷たさに固まる渾身の鋼は、するりと世界樹の幹の中へと突き立って──




 りーん。



 ……あぁ。

 とっても、きれいな、ねいろだなぁ。






 その日、世界は、斬撃の歌声を聞く。

 それは終末に響く破滅のラッパか。

 もしくは、迷い惑う者達に送る、曇りなき祝福の──









後書き

次回、エピローグを挟んで終了となります。

長い間ありがとうございました。



[35534] エピローグ【我が斬撃は無感に至る】
Name: トロ◆0491591d ID:8741f41c
Date: 2013/03/28 18:44

 日本のとある山岳地帯。人の手の入っていいない山脈の一つ、鬱蒼と生える草木の間に僅かに残された獣道を辿って半日程歩いていくと、それまで木漏れ日しかささなかったところから一転、清涼な空気を放つ大きな滝を中心とした広い空間に出てくる。
 山奥にある秘境とも呼べるその場所は、魔を滅する京都神鳴流が門弟でも、限られた者達しか知らない修行の地だ。
 そんな場所に佇むのは一人の女性。かつては日本を魔の手から守ってきた神鳴流が宗家、青山素子である。

「……」

 そっと瞼を閉じながら、滝口の側にある巨大な一枚岩の上に座り瞑想をする姿は、周囲の自然と融けるように融和しながら、一個人としての存在を強く強く主張していた。
 場に流れる清涼な空気と同じく、美しく淀みのない気を練り上げながら、素子は岩のように動くことなく座禅を組んでいた。
 それが一時間か、または二時間か。時が止まったように動かない素子だったが、ふと木々のざわめきと滝壺から響く涼やかな水音に混じって聞こえてきた微かな足音を察知して、閉じていたときと同じように、そっと瞼を開いて起き上がった。

「来ないでほしかったのかな。それとも待ちわびていたのだろうか……なぁ、どっちだと思う?」

「そんなの、俺にはわからないよ」

 素子が振り向くと、その視線の先には足音の主である一人の男が立っていた。
 黒い。
 とても黒い眼差しをした男である。
 歳は二十歳前後だろうか。少し幼さの残った顔立ちだが、感情のない顔と瞳のせいで、歳以上にその顔は老けて見える。
 無表情故か、素子とは対照的に、男には存在感というものが希薄だった。だが男が身に纏っている藍色の着物の内側にある鍛え抜かれた四肢は、歴戦の兵の如く丹念に鍛えあげられている。
 帯には一本。あまりにも長大な野太刀が携えられていた。現代では違法であり、見れば違和感を覚える出で立ちだが、しかし着物姿と相まって、男が帯刀している姿は、それが自然のようですらある。

「でも、そうだな……待ちわびてくれたのなら、嬉しい」

 男は空を見上げて、一歩一歩、その両足で素子の元へと歩み寄った。

「どうかな……今更、お前に喜ばれても、少々──困る」

 抜いてはいないとは言え、本物の真剣を帯刀した男が迫ってきているというのに、素子は平然としたものだ。むしろそれを歓迎するような、ともすれば不愉快そうに身じろぎしながら、己の腰にもまた備わっている古より受け継がれた妖刀、ひなの柄に手をかける。

「お前が世界に飛びまわって……色々と滅茶苦茶になったよ」

「……」

「神鳴流は、あの日を境に狂ってしまった。お前を知る世代が、今の神鳴流を支えている熟達の者達だったからな。あっという間に全員いかれて、これまで何とか知られずに隠されてきた裏と表の世界がごちゃごちゃだ……上のほうでは、直に表と裏での全面戦争が起こるだろうと戦々恐々さ。尤も、今でも世界の至る所で、裏表限らず、あの音色で狂った者達が暴れているからな。当分はその鎮静化で戦争どころの騒ぎではないが……なぁ?」

 口調は穏やかだが、その言葉の裏には、隠しきれぬ苛立ちがあらん限り込められて男へと叩きつけられていた。
 だが男は決して動揺はしない。柳に風と素子の怒りを受け流すと、そもそもそんなことに気付いてないといった素振りで首を傾げた。

「同意を求められても困るよ。確かに人々が憎しみ合うのは心苦しい。でも……」

「あぁそうだ。お前には関係ないだろ?」

「うん。だって、関係ないから」

 男はそう言うと、腰に差した刀に手をかけて、鍔鳴りの音を響かせながらゆっくりと抜きはらう。

「俺は、これだ」

 天に掲げるその鋼。通常の刀の倍以上はある長い刀身は、本来なら刀としては欠陥品そのものだ。
 だが錬鉄の極みと言うべきその鋼は、むしろその長さで刀として完成していた。天を穿つが如き刀身は、太陽の輝きを照り返すでもなく斬り落とし、愚直と存在を主張する。
 同時に、男の放つ存在感が突如として増大した。いや、それは最早増大という言葉では言い表せない。何もない空間に、突然巨大な嵐が顕現したかのような異常。そうでありながら、台風の目の中にいるような静かな静寂。

「……俺は、これになれたよ。素子姉さん」

「そうだな……お前は、なれたのか」

 そこに立つのは、修羅外道。
 あの日、世界樹を斬りつけて、旧世界はおろか『魔法世界にまで』凛と響く斬撃の呪いを解放した張本人でありながら、誰もその存在を知らぬ恐るべき男。

「……本当に、我がままだなお前は。お前が名乗り出ないから、超鈴音という少女が自ら犯人と名乗り出たというのに」

「仕方ないよ。それもまた、やむなしだ」

 残念ではあるが。そう悔恨を吐きだす男を嘲笑うように素子は鼻を鳴らした。

「何が残念、だ」

 刀を引き抜きながら、素子もまた鏡合わせのようにひなを大上段に掲げて語る。

「そんなこと、刀が思うわけあるまい」

「違いなし」

 直後、合図もなく戦いは始まった。
 うっすらとその無表情に笑みを張り付けた男が、飢えた獣のように体を屈めながら地面を擦るように疾駆する。一枚岩を軽やかに踏みつけるその動きは、獣のようでありながらもその実、一歩ごとに速度に強弱をつけることで、迎え撃つ形となった素子のリズムを狂わせる。
 並の達人であれば、その歩法に騙されてあらぬタイミングで刃を走らせ空を裂いただろう。しかし素子は決して惑わされることなく、一心に男が刃の圏内に入るのを見届けてから、容赦なく激烈と斬りつけた。
 正確に男の影を捉える素子の一刀。紫電と駆け抜けた雷光の太刀は、視覚情報を脳髄へ送るよりも速く、男の頭蓋に走り、間一髪で急停止した男の額を浅く斬るに終わった。

「くっ……」

「ぬっ……」

 どちらも苦悶の声をあげるが、その間も剣戟は続く。割られた額が鮮血をあふれさせる間に、男の両手にしかと握られた刀が、岩肌を空気か何かのように斬りながら、素子の足をすくい上げるように振られた。
 斬撃の隙。振り抜かれた大上段を戻す暇なし。呆けていれば男の刃が容赦なく足はおろか股ぐらから脳天までを真っ二つとするだろう。
 だがそれは許さぬ。踏み出した右足を支点に、素子は円を描くように己の左側から迫る刀とは逆に踏み出した。たかが回転ではない。瞬動という高度な歩法を、回転という複雑な形で成すという離れ業。
 結果、見事死地を踏み越えた素子と、乗り越えられた男は交差し、そのまま背中合わせとなる。

「ふっ」

「ひっ」

 素子は呼気を一つ。男は奇怪な笑い声を一つあげながら、体を反転させつつ、申し合わせたように、両者共、刃を真一文字に振るう。
 速度では男の斬撃が勝ったのか。先に首元へ伸びてきた刃を素子は体を仰け反らせて回避すると、遅れて男の首に吸い込まれていくひなの刀身も、同じく仰け反ることで男は逃れた。
 互いの刃がぶつかり合うことはなく、空気を断つ音すら遠く、二人は嬉々と笑みを交わして無音で斬り結び続ける。
 鋭く放つ一手に、容赦のない一手で応じられる。互いが互いの手口を知り尽くしているかの如く、両者の刃は、最初の一撃以降、当たることも叶わずにいた。

「やはり、ここに来て良かった」

 剣戟の最中、ふと男は素子に感謝した。
 その言葉に驚きつつも、首から下は驚愕とは無縁に斬撃の牢獄をくぐり抜け、または牢獄に男を即罰しつつ、素子も淡く笑みを浮かべる。

「そうだな……結局、間違いはそこだったんだよ」

 あの時。
 逃げようと。
 ましてや生きようともせず。
 ただ真っ直ぐにこの男との戦いに没頭出来たのなら。

「うん……世界は、こんなことにならなかったかな?」

 素子に咎があるのだとすれば、きっと始まりにして終わりの会合の時。
 あの時、無感の鋼であったのならば、世界は最悪に転げ落ちることはなかったはずだ。

「だが、もうどうでもいいんだ」

 袈裟に。横に。突き。斬り。
 奪うように。
 あるいは与えるように刃を振るいながら、ただ思う。

「世界なんて、どうでもいい」

 咎のあるなしなど些細なことだ。
 手の中に刀があり、振るうべき相手が居る。

「そうだね、姉さん……」

 男は、修羅外道は素子の言い分に頷いた。
 あれから世界がどうなったかなんて、もう関係ない。
 素子はただ、いずれ来るだろうと思っていたこの日のために、周囲のことを気にするフリをしながら、己をひたすら鍛え上げた。
 そう。
 もう、どうだっていい。
 音が徐々に遠くなっていく。
 木々の囀り。
 そよぐ風の音。
 流れる川の歌声。
 滝壺に轟く雄叫び。
 そして。
 今もなお、世界に蔓延する斬撃の音色すら。
 遠く。
 とても、遠く。
 感覚すらも、遠く、遠く。

「なぁ、青山」

 素子は男の名を呼ぶ。
 青山。
 忌み嫌われ、呪われ続けているその名よ。
 だが、ふと思うこともある。青山が侮蔑の総称だとしたら、同じくその名を背負う自身もまた、彼と同じ修羅外道と言われているのではないかと──

「ハッ」

 一笑に伏す。
 今更だ。そんなこと、今更過ぎて、考えることも意味はない。
 ひと際速い一閃が青山の懐目がけて走った。
 するりと己の刃の元を抜けた鋼を反射的に回避するが、その藍色の着物が僅かに斬れて、その切れ端が二人の間を漂う。

「ハァ!」

 清流から激流へ。烈と吼えた素子は、青山に先んじて返しの刃を走らせた。遅れて応じた鋼、証の刀身とひなの刀身が初めて激突する。
 火花散らす刀身。悶えるのは、妖刀たるひなが先。
 どうやら刀の質では劣っているらしい。そう瞬時に判断した素子は、競り合う刀身から力を抜いて、幾らかひなの刃を削らせながらも証を一枚岩にいなす。
 削られた黒い刀身の内側から、剥き出しの鉄が姿を現した。鈍く光る鋼の色。妖刀だなんだと囁かれながら、メッキを剥がせば所詮は鋼。
 見かけ倒しの呪いなどいらない。素子は人を狂わせる怨嗟の声をあげるひなを、溜めこんだ膨大な気で一気に洗い流す。

「これで良い」

 黒い刀身が全て削られて、抜き身の刃に素子は己を映す。照り返す鋼に込める斬るという我意。
 至る斬撃。
 それ以外は、一切が不要となりて。

「これが良い」

「うん」

 青山は素子の在り方を是とした。
 剥がれ落ちた黒が降り注ぐ中、激突は熾烈を極めていく。刀を己に染める。己が刀、刀が己。同一と化した刃と自我を相手に斬りつけていく。
 翻り、先走る。意を越えて、意も介さずに、無我に走る切っ先。思考は既に刃に飲まれている。いつしか斬られていくようになった体すら気にせずに、吹き出す熱血に体を染め上げながら、素子と青山は言葉の代わりに刃を交わした。
 数秒か。
 あるいは、数刻か。
 もしかしたら、もう地球が寿命を迎えるまで、二人は斬り合っていたかもしれない。
 体感としてはそれくらい長く、だがとても短い斬り合いが続く。
 抱きしめる代わりに斬る。
 触れあう代わりに斬る。
 そして何もかもが斬撃に代用されるならば。

 すなわち全て、無感に至ると同義なり。

「ッ……ぃ」

 突くという一点。光となった一閃が青山の喉元へ走る。流水のように緩やかで、受け止めるより他なき牙に、証の腹を優しく添えて横に逸らす。鉄が磨耗して削られる。熱量に仄かに赤くなったひなを見据えて、素子は刃の寿命が近いことを悟った。
 担い手の技量に刀がついていけなくなっている。一方、青山の刀は鈍色透明。真の意味で剣と使い手が合一しているその在り方を羨ましく思うが、それはそれ。

「私は、私だ」

 願うように呟き、ひなを引き戻している間に振るわれた証を受け止める。
 凛、と。
 音もなくした世界に小さく響く鋼の歌声。
 斬られたのか。
 あるいは斬ったのか。
 多分、前者だ。ひなの刀身の半ばまで斬りこんだ証を見て素子は悟る。
 それでもまだ終わったわけではなかった。

「いざ」

「応」

 直後、真っ二つに斬り捨てられたひなの刀身が虚空に散る。続いて、素子の肩に落ちていった証だが、僅かに防いだことで得た時間を使って体を逸らして避けきる。
 再び空を裂く斬撃。
 頬に触れる冷たい感触は、巻き起こった風か、あるいは鋼の冷たさか。どちらでも構うまい。半ばで失われたひなから片手を離し、くるくると回転している断たれた刀身を素手でつかんだ。
 未だ鋭利が失われたわけではないひなの鋭利が、握りこんだ素子の掌を深々と斬り裂く。だが痛み等気にする余裕なんてなく、赴くままに一刀を振るった青山の肘へと突き刺さる。
 肉が千切れ、骨が砕ける。ゴムの塊を裂くような不快感。吹き出す熱血が、素子の掌の傷口と混ざりあう。
 共になる。
 血を分けあい、血を注ぎ合う。
 一刀で肘の根元から斬られた腕は、それでも証から掌を離すことはなくしかと握られたまま。
 青山は痛みに悶える様子すら見せなかった。そんなこと、分かりきっていたから驚かない。返す刀で二の腕を斬り裂かれながら、素子は自分と相手の間に降り注ぐ流血の雨に身悶えした。
 決着は近い。どちらも距離を離すことなく次の手を打つ。千切れた腕をぶら下げながら、証を振り下ろす青山、合わせるのは断ち切られたひなの刀身。しかし一度斬られたことで死した鋼は、殆ど抵抗することも叶わず、容易く両断されて素子の肩から下腹部までを浅く斬った。
 その拍子に髪を結っていた紐が解けて、一本一本が生きているかのように艶やかな黒の長髪が乱れる。その黒におびただしい鮮血は良く似合った。
 ぐらりと素子の膝が崩れる。左肩から臍まで、浅くはあるが一気に斬られた肉体が、主の意志を無視して限界に屈しようとしている。

「青山……」

 だが動く。肉体の限界を精神が凌駕した。生気を失っていない瞳が、右手に掴んだひなの残骸に再び力を込める。切っ先はなくとも、まだ半分ある刀身があるのだ。死していく肉体を行使して、死していく鋼を振り下ろす。
 命を込めた一刀は、流れる清水が如く穏やかで静かで、青山はその美しさに笑みを浮かべて証を合わせた。
 凛と鈴の音色が響き渡る。
 全てを込めた斬撃は、証の鋭利に届くことなく斬り捨てられた。
 それどころか手首から肩にかけて裂傷を受ける始末。無様な醜態を晒すなぁと、どうでもいいことを考えながら素子の瞳から色が失われていく。
 だからと言って容赦はしない。無言で構えを直す青山は、崩れ落ちる素子の首に狙いを定めて証を振りあげた。

 そして、次の一手でこの体は容易く斬られてしまうから──

「ハハッ……」

「あっ」

 素子の手が、青山の手に重なった。なけなしの力を全てかき集めて、一瞬だけの瞬動を行う。意識の隙を縫うようにしてその懐に潜り込んだ刹那。愛刀を代償に手繰り寄せたなけなしの勝機。
 刀の質で負けているなら。
 相手の刀を、使えばいい。
 これが最後、武器も何も全部捨てて、我が身一身で得た最後の一手。
 まるで抱きしめあうように二人の体が密着する。額を擦り合わせ、吐息の熱すら感じられる距離で、素子は口づけをするように、黒い瞳に語りかけた。

「なぁ、青山」

 いや、違うな。
 素子は苦笑する。そうではない。ことここに至り、ようやく対等になれた今ならば、呼び名はきっとかつてのように。
 直ぐに首を振って、言い直すことにした。

「なぁ、響─ひびき─」

 修羅外道。
 恐るべき青山。
 そうではない。
 今目の前に居るのは、青山素子の大切な弟。
 青山響。
 家族だった、あの日々の名残を。

「この場所に、ようやく至れた今だから言える」

 恐るべき青山ではなくて。

「家族だからなぁ……」

 祈りを込めて、告げるのだ。

「な? 響」

 我が弟よ。
 今こそこの刃で、斬り伏せる。

「素子、姉さん……」

 久しぶりに聞いた己の名前に、何を思うのか。
 感情無き顔に浮かぶのは、混乱、驚き、それとも喜びか。
 構わない。
 どれであろうと構わない。
 ただ、ようやく弟の名前を呼べるようになった己が、ちょっとだけ誇らしかった。

「だからもう……終わりにしよう」

 私の敗北で、全てを完結させる。
 響が刀を離すことはないだろう。だがしかしせめてもの抵抗として絡めた指に力を込めたとき、素子は冷徹に動く己の体とは逆に、響が力を緩めたことに驚愕した。
 しかし沁みこんだ体の動きは止まらない。指先は冷酷に掴んだ手首を返して、するりと刀は奪いとる。何故か、素子にはその瞬間、重荷を全て降ろせたように安堵する響の澄んだ表情を見た気がして。
 そんな幻すらも断つ。素子は、口づけるように響の背中に突き立てた。
 骨を割って心臓を斬った証が、胸元吹き出す赤が素子の顔を染め上げて、見上げる視界も全部が真っ赤。
 流血に染まる世界。
 だがそれは所詮後の祭り。本来ならこうすべきだった結末を再現しただけのこと。
 己の牙たる刀を斬られて敗北した素子が、勝者たる響に刀を突き立てて死を与える。
 その結末の予想外に今度こそ素子の体の動きが全て停止して、信じられぬと言った様相で響の顔を見た。

「何、で……」

「姉さん……」

 血を吐きながら、響は笑う。
 そうだなぁ。
 そうなんだろう。
 あの日、素子の刀を半ばから斬ったとき、もしも彼女が逃げなければこの結末に至ったはずで。
 だから響は勝者のまま死ねるのか。
 細まる瞳は何を思うのか。刀ごと抱きしめられ、互いに血に飲まれつつ、響はほうっと呼気を一つ漏らして小さく口を開いた。

「ありがとう」

「……お前」

 あえて剣を奪わせた弟の心を悟った素子が顔を上げる。響は、かつての少年のような無邪気な心地で、涙すら滲ませている素子の目尻に真っ赤な指先を優しく添えた。

「いいんだ」

「響……私は」

「この身体に飲まれて幾年……」

「私は、お前が……」

「魅せられ続けてきた日々の中……」

「お前が、落ちたまんまだって……そう、思って……」

「身体を失い……この無感に達して、初めて俺は刀を手にした」

 もしかして。
 ここに来た時点ですでに響は──
 その先を言わせないように、響は『暖かな光の宿った瞳で』素子を見つめると、ゆっくり視線を空に移した。

「身体は至福のままに修羅場へ散った。でも俺は我がままだからさ……折角、俺自身の手で、刀を握れたから」

 その最後。迷惑をかけ続けた肉親に、最後の我がままをするという愚弟の恥を許してほしい。

「俺の魂は凡百だから……残せたのは災厄とか悲しみとか、冷たいものばかりだけど……」

 在りし日の残滓。
 斬撃を越え、無感に至りて。
 二度目の生で、初めて自分の力だけで手にした命の実感。

「心は……残せる」

「響……」

「青山─修羅─としてではない……俺─響─の斬撃は、残せるから」

「響……!」

 既に素子の方を響は見ていない。その視線は遥か向こう、体を離れ、その心は海を越えて彼方、彼方へ。

「……やっと、逝ける」

 まどろみに眠る。魂ごと力が抜けた体が最後の呼気を吐きだす時、素子もまた抗いきれぬまどろみの中へと沈んでいき──

 そして、ふと目を開ければ、そこには誰もいなかった。

「……」

 先程まで繰り広げていた戦いの残滓はない。素子は内心で困惑しつつも、裂傷を幾つも刻まれていたはずの己の体を見て、何処にも斬られた痕がないことに気づく。

「さっきのは……」

 この終わりに近づく世界で見た、破滅の白昼夢だったのだろうか。
 そう結論しようとして、立ち上がり振りかえると。

「あっ……」

 そこには、半ばから折られている二本の刀が、寄り添うようにして転がっていた。
 素子は刀の元に近づくと、その二本を手にとって眺める。
 一本は、黒い刀身ではなくなったものの、先程まで腰に差していたはずのひな。
 そしてもう一本は、まるで持ち主の在り方を表しているかのように、遊びの一切ない直刃の──

「そうか……」

 素子は、悲しげに眼を細めながらも、安堵の笑みを口元に浮かべて、銘も知らぬ刀の亡骸の刀身を指でなぞる。

「最後の最後で……戻れたのか」

 肉体は朽ち果てて、それでもさすらい続けた男の最後を看取ることが出来た。
 交わしたのは言葉ではなくて冷たい鋼だったけど。
 素子は砕けた鋼の一片を拾い、親指の腹を斬り裂いた。溢れ出る熱血を二本の刀へと注ぐ。
 鉄に残る赤。混じった色が黒となるけれど、その黒は太陽の日射しを反射する優しい黒光り。
 せめて、その生から死に至るまで温もりを知らなかった男へと送る。肉親として最後の温もりを。

「おやすみ、響。そして──」

 肉体を手放したことで、ようやく戻ってきた我が弟に、労いの言葉をかける。
 そして、それとは別にもう一人。
 彼の魂の安息が、素子の胸の温もりにあるのなら。
 今ここで砕け散って骸を晒す鋼にもまた、平穏を与えるべきではないか。
 世界はゆっくりと破滅の階段を上っている。その本当の元凶である男が安寧と眠ることは、本来なら許されないことなのかもしれない。
 だがそれでも。
 誰が許さなくても、素子だけは、その孤独で在り続けた男の、今は唯一の理解者として、抱きしめてあげなければならないから。
 時代が産んだ、災厄の子よ。
 今わの際でようやく産声をあげられた無垢な魂の鎧で育てられた恐ろしい鋼の化身よ。

「お前の望んだ……」

 修羅場に眠れ──修羅外道。

 無感に至るしか己を呼び戻せなかった魂と、無垢を食らうしか生きられなかった肉体。同じでありながら別種の存在として成立した哀れなる二つの生き様に、静かなる安息があることを。

 歌声は、もう聞こえない。










[35534] あとがき
Name: トロ◆0491591d ID:8741f41c
Date: 2013/03/28 18:44

あとがき

 とりあえず、これにてしゅらばらばらばらで唯一オリ主に救いのあるノーマルエンドをもちまして完結となります。
 あとがきの最初でいきなりですが、今後の予定としてはしゅらばらのBルートであるバッドエンドを書きあげ、それをもって私個人の二次創作活動は一先ず終わりという形にさせていただきます。それに伴い、未完で放置している作品群は撤去いたしますのでご了承ください。
 以降は小説家になろうで連載中のオリジナル作品。『不倒不屈の不良勇者』という作品の執筆に集中します。宣伝みたいな形になりますが、なろうにあるオリジナル作品にも、オリ主とはまた違った修羅な剣客とが出ますので、しゅらばらを読んでこういうキャラもいいなぁと思えた方は、是非読んでいただけると幸いです。

 ついでに感想とかポイントとかよろしくね! 沢山くれるとテンション上がって執筆速度上がるよ!

 なんて。

 個人的なことはここまでにして(そもそも二次も個人的なことなんであれですが)、以降はこの作品の長々とした語りとなりますので、そういった作者の自分語りが苦手な方は、この先は読まずにそっと戻って読了後の余韻に浸っていただけたら幸いです。







 さて。

 実に半年近くにわたり連載したこのしゅらばらばらばらですが、当初はもっと短くなる予定でした。ですが当初の感想でオリ主に対する評価が私の伝えたい人物像と差異があったので、その擦り合わせのために結構な量を費やすことになってしまいました。

 これに関しては私の技量が不足した結果なので、何とも恥ずかしい限りではありますが。現にオリ主の語りがアレだっていう感想もいただいたので、そこの塩梅が上手くいかなかったことについては反省するばかりです。

 ともあれ、最初はオリ主転生最強物という、叩かれても仕方ないジャンルを書くことで、皆様からの罵倒や嘲笑を受けて悦に浸ろうとしたために書いたのですが、思いの外高評価を得られたことに関しては、今後の執筆活動にあたり良い自信となりました。

 勿論、罵倒や嘲笑を受けるだけでは皆様を不快にさせるだけなので、意識したのは『面白いと思う人はいるだろうけど、自分は読めない作品だなぁ』と言われることでした。これについては、感想でもちょくちょく『自分には合わない作品でした』と書かれたりしたので、目標を果たせたことは嬉しくて小躍りしたりしなかったり。

 そんなことを思わせるまでのキャラになったオリ主である青山。このキャラは書くにあたって参考にさせていただいた作品が幾つかあります。

 一つは『東方先代録』。作風全然違うじゃん! とか思う方もいるでしょうが、寡黙で強いっていう独特な個の在り方は、オリ主である青山を書くにあたってとても参考になりました。いやまぁ、こんなこと書いたら先代録のファンにボロクソ言われそうですが、それはそれ。

 続いては『ルナティック幻想入り』。こちらはもうその精神性の形そのものが、オリ主を構成するにあたって重大なベースとなりました。いやもう、ちぐはぐな感じというか、不気味でアレなところとか、そりゃもうスッゲー影響を受けまくった次第です。まぁ参考にさせてもらった身でこう言うのも失礼ですが、人を選ぶ作品なのでしゅらばら読んで駄目だった人は読まないほうが身のためです。

 そして最後は小説家になろうで連載し、完結したオリジナル作品の『剣戟rock’n’roll』。私はこの作品に出る主人公の生き様や、その在り方にそりゃもう惚れこみまして、でも同じようなキャラを書くのは失礼極まりなくて、でも同じ境地に到達させたくてと悩み嘆いたあげく、だったら最初から至ってる変態書けばいいやという悟りに至って青山というキャラを作りあげました。もしもこの作品がなかったら、私は一つの境地というか、人間の可能性の限界値に至った誰よりも人間的な狂人を書こうという考えには行きつかなかったでしょう。

 以上、三つの偉大な作品があったからこそ、しゅらばらばらばら、というよりも青山というキャラは生まれました。

 ですがこのオリ主。正直、最初の方はそうでもなかったですが、途中からだんだん書くのが気持ち悪くなるというか、ぶっちゃけ趣味で書いてるのに何で疲れるんだろうとか思うようになって、一時は書き溜めを消化しつつ、執筆を止めていた時期がありました。

 それでも、これで二次を書くのは最後と決めていた意地があったので、何とか書きあげることが出来ましたけど。

 とまぁ。

 なんか、色々書きたいことはあって、実はこのあとがきも何度か書きなおしたりしてるんですけど、正直何書いても違和感あるというか。こういうことだからこうしたんだよ、っていうのはどうにも書けそうにないです。あとがきだっていうのにね。

 でもこの作品を読んで、読者の皆様がそれぞれに何か感じ取っていただけたのなら幸いです。オリ主物が嫌いになったとか、青山って聞くと刃鳴りを思い出すようになったとか、逆にオリ主物が好きになったとか、最強物もたまには悪くないかなぁとか。

 何でもいいです。何かしら残すことが出来たのなら、作者冥利に尽きるというか。まぁそんなの二次創作でやる意味なくね? とか自分で思わなくもないんですが、それでも二次創作だからこそ出来たこの作品を、少しでも楽しんでいただけたのなら、それだけで充分です。

 ではでは、長々と語った上に、整合性も取れてないちんぷんかんぷんなあとがきとなりましたけど、とりあえずこれで筆を降ろしたいと思います。


 最後に。


 賛否の分かれる作品だとは思いますし、ラストのオチに納得のいかない方もいるかもしれません。ですが私にとってはこれが最善であり、消化しきれないほうは別ルートで行えるとはいえ、当初考えていた通りのラストを迎えることが出来たので充分満足しました。少なくとも私の中では二次創作卒業の作品としてこれ以上ない作品を書きあげることができ、かつ、皆様に読んでいただけたのは嬉しかったです。

 それでは、長い間、大変お世話になりました。これにて『しゅらばらばらばら』完結とさせていただきます。


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