「ねぇ、リズ。ちょっと聞いて良い?」
そう、一人の少女が声をかける。純白を基調とし、赤いラインで色を整えた騎士然とした戦闘服の少女だ。名をアスナという。
対する相手もまた、少女。此方は給仕服、またの名をメイド服に身を包んだ少女。名をリズベットという。勿論、両者ともSAO世界での名だ。
「んー、どうしたの。アスナったら、改まって」
そう答えて、回転砥石に中てていた細剣を宙に翳す。剣の腹は鏡面の如く輝きを放つ。そして剣の耐久値を確認。減少していた値は随分と回復している。研磨は成功だ。
リズという少女は、鍛冶屋を生業とするSAOプレイヤー。今もこうして戦闘で目減りした武器の耐久値を回復させるべく、お得意様兼親友のアスナが依頼する砥ぎの仕事を熟している。
此処はリズベットが拠点とする鍛冶工房/水車付きの個人宅でもある《リズベット武具店》。アスナはその工房の片隅でリズの仕事振りを仕上がるの待つ序でに眺めていた。
「リズは武器作製や防具作製スキルとかの鍛冶職人のスキルをメインに上げてるよね?」
「そうだね。そうしないと良い武器や防具は作れないし、その他にも細々とした鍛冶スキルを上げていかないと補正ステータスも良いのが付加し難いもの。
基本的な鍛冶スキルの大半は完全習得(マスター)してるけど、最前線で使うにはまだまだ必要なスキルが多いのがネックなのよね。それが如何かしたの?」
細剣の刃を鞘に納める。そしてリズベットは剣をアスナに渡し、アスナは経費をリズベットに支払う。
「リズは此処で色々な武器や防具を作ってるじゃない。そうなると迷宮区やダンジョンには縁が無いから、レベルはそう高くはならないと思ってたんだけど…」
メニュー画面からフレンドリストを表示。任意のプレイヤーを選択し、最後に一つのステータス画面を展開。表示されるステータスのプレイヤー名はリズベット、眼前の少女のステータスだ。
フレンドリストから閲覧できる情報は現在位置に所属ギルド、そして現在のレベルといった簡素なモノ。そしてアスナはそのレベルを注視する。
「レベル77。最前線で戦うプレイヤーとまでは行かないけど、随分とレベル上げを頑張っているんだな、と思って…」
「まぁ、確かに。レベル上げなんてしている時間があれば、鍛冶スキルを集中的に上げた方が良い武器が沢山作れるわね」
リズベットのホームである一軒家が存在するのは第48層。現在の最前線は第73層だ。安全マージンは、その階層数+10レベルとされる。
このセオリーを当て嵌めると、リズのレベルでの安全マージン限界は第67層。PTと装備次第ならば第70層辺りの迷宮区での戦闘も可能なレベルでもある。
そして確認にもなるが、スキルは使うことで熟練度が蓄積される。そしてスキルは熟練度1,000に達することで《完全習得(マスター)》し、本来のスキル能力を駆使可能となる。
戦闘スキルであれば、迷宮区などの安全圏外に出現する敵モンスターをスキルで倒せば熟練度は向上、同時にレベル経験値も獲得出来るので一石二鳥だ。
だが、戦闘と関係のない武器作製/防具作製や料理、釣り等々のスキルは純粋にスキルの熟練に徹頭徹尾しなければならない。
逆に言えば、レベル経験値を上げる余地がない。故に職人スキルと呼ばれる。
「だけど、良い武器に良い武器補正ステータスを付加するには良いアイテムが必要になる。買い付けで手に入らない時は自分でクエストを受けて取りに行く必要があるでしょ。
鍛冶屋《スミス》の職業でないと発生しないクエストもあるから、定期的に上の層でレベル上げをしてるのよ。マスタースミスを目指すのも楽じゃないわよ」
「ああ、成程。それで時折、お店が閉まってたんだ」
「そ。本当なら成る可く、お店を空けないようしたいんだけどね。こればかりは如何しても時間を要するから、ね」
そう言い、リズベットはアイテムストレージから一つのアイテムを展開。琥珀色をした塊、鍛冶アイテムの金属を炉の入口に添える。
アスナはその鍛冶アイテムが如何ほどの価値/作製補正があるかは判らないが、その光沢からレアアイテムの類なのは理解できた。
炉の中に入り、再びアスナの目に姿を現したアイテムは赤発色に輝いていた。それに向けてリズの鍛冶ハンマーが振り下ろされる。
辺りに響く打撃音。幾度も振り下ろされては金属特有の劈く音が木魂す。それが工房内を駆け廻り、幾度も反響する。アスナはそれを傍の椅子に腰を据えて観察する。
音が鳴り始めてどれ程の時間が経過したか、アスナには分からない。叩く数が100を超えて200に到達して300、400を過ぎ去った頃には数えるのを止めた。
これがゲームでなければ、リズベットの額には数多の汗が滴っているだろう。その金属をハンマーで叩く姿/瞳の真摯で真剣な眼差しが衰える兆しは一向に見えない。そしてその終焉もまた見えない。
まるでフロアボスを相手に戦っているのではと、アスナは幻視する。そう、これは鍛冶屋の戦いなのだ。工房が戦場で、敵は鍛冶アイテム。そして勝利の証は、最高の武器/防具アイテムの作製成功。
「…」
叩き始めてからアスナはリズベットとの会話の一切が絶たれている。リズベットは此方を振り向く気配はなく、アスナはそんな彼女の横顔を飽きることなく見詰め続ける。
そして同時に思う。彼女は何を想い/願い、鎚を振り下ろしているのか、と。高レベルの装備アイテムを作製する為とはいえ、延々と幾百もの鍛錬をする精神は尊敬の念を覚える。
だが偏に鍛錬をすると呼ぶにも、これはゲームである。システムで定められた手順を踏めば、それを行うプレイヤーの意思は必要としない。
アスナ自身は料理スキルをマスターしている。料理には包丁やフライパンといった刻む/炒める為のアイテムが必要だが、実際に切る/炒ることはしない。
料理に工程はほぼ『魔法の杖の一振り。それが南瓜を素敵な馬車に変身させる』を地で行くのだ。スキルさえ上げれば、プレイヤーの手を煩わせない。
だが目の前のリズベットは、決してそれに頼らない。自身の一振りが今、作製途上のアイテムにその意志を注ぎ込まんと振り下ろしている。システム的に無意味か否かは論外だとばかりに。
澄んだ音が鳴いた。アスナは耳にこびり付いた鍛錬の音の中で、その音に違和感を覚える。何が如何違うのかは説明できないが、一つの確信を抱く。それが最後の一打だという事。
リズベットの鎚を振るう手は止め、眼下の鍛冶アイテムの変容を見据える。それを見てアスナは、それがアイテムの産声なのだと知る。
単なる塊であったアイテムがより一段と光を帯びて変態。姿がひとつの形に成る。それは鉾。縄で締めたような柄から伸びる、透き通らんばかりの琥珀色が夕日が差し込む室内と色が同化している。
それは細剣だ。剣先は凹んでいるが、決して打突による攻撃が不得手な武器ではない。アスナはそう直感した。
「ご免ね、アスナ。話の途中で鍛冶を始めちゃって。ふと思い付いた鍛錬方法があったから、思わず打ち始めちゃったわ」
気にしていない旨をリズベットに告げる。窓の外に目を向ければ、夕日の半分が地平線へと沈んでいる。お昼過ぎに来てから思いの外、長く居座ってしまった。
リズベットはお詫びとばかりに件の細剣をアスナに差し出す。細剣使いとして作品の試し振りさせてくれる。体の良いテスターにされているとも言えるが…。
「――…凄い。私が使ってる細剣には攻撃力が一歩劣るけど、ソードスキルの敏捷度補正があるから連撃速度が速い。
それに耐久値は多いのも凄いけど、一番凄いのはこの重量感。羽のように軽い! 凄い、まるで小枝みたい!」
アスナは演武でも披露するかの如く、リズの作製した細剣を振るう。細剣の基本である連撃の刺突に始まり、上段中段下段に水平斜め斬り、ソードスキル各種の発動までアスナの出し得る限りの技を試した。
流石のリズベットもアスナのその嬉々としてソードスキルを発動させてまで剣を振るわれては顔を引き攣ってしまう。こうなっては暴風の目と化したアスナが満足するまで振るわせるしかなかった。
「気は済んだ?」
「うぅ…。ゴメンね、リズ。折角の新しい剣を勝手に振り回しちゃって…」
一通りの技を終えたアスナがそんなリズベットに気が付いたのは更に十分後のこと。そうと気付いた数瞬後には赤面、右往左往とあたふたしつつも丁寧に細剣を返却。そして肩を落としてシュンとなる。
先程の技のコンボに続いて百面相をするアスナに、リズベットは苦笑する。自分の作品をこんなに喜んでもらえたのは職人冥利に尽きると、彼女は思う。
「それでね、リズ。その剣なんだけど――…」
合わせた両の手を世話しなく動かすアスナ。彼女の視線は頻繁にリズベットの手元、今し方にアスナが振り回した細剣に注がれている。
アスナの言わんとする事を察して苦笑い。そして口の端を釣り上げるイイ笑顔で告げる。それはもう、清々しいまでに嫌らしく。
「売っても良いけど――…お金、ある? 結構イイ値段になるよ、コレ」
ぐぬっ、とアスナが慄く。その様はまるでご飯が近い時間に美味しいスイーツを食したい衝動に駆られ、我慢しなければならないと叫ぶ理性との葛藤に苛まれれたかの如く。
そんな反応をするアスナの顔を見て、満足したリズベットはアイテムストレージを表示して細剣を格納する。それにアスナは首を傾げる。
「店頭に飾らないの? 置いておけば良い客引きの飾りになるのに」
「この剣の素材はレアアイテムだから、似たような武器はそうそう打てないの。
マスタースミスを目指す身として、もう一度打っても作れない武器を店に飾るなんて私のプライドが許さないわ」
「そ、そうなんだぁ」
リズベットは胸を張って告げる。アスナはそれに頬を引き攣らせながら肯定の意を返した。
妙な職人気質を露呈するリズベットから、親友を名乗るアスナは物理的に距離を取る。そんな時、店先の鈴が軽やかに鳴り響く。来客の合図だ。
「こんな時間に済まない。リズは居るか?」
店の奥にある工房に居るため、姿は見えない。だが、その声に聞き覚えがある。リズベットとアスナは互いに顔を見合わせ、店頭へと足を向ける。
「キリト、こんな時間に如何したの?」「あ、キリト君だ」「お。リズ、こんばんわ。アスナも居たのか」
来客はキリトだ。互いに挨拶を交わしながら、こんな時間に来るとは珍しいとリズベットは思った。偽物の太陽が完全に地平線に沈んだ今の時間は普段、閉店している。
今日はアスナの来訪と鍛冶に夢中になって閉店作業が遅れたからだ。キリトなら、また日が昇ってから来るような少年である。
そんな彼がこの時間に店に訪れるということは、リズベットひとりに用事があるか、差し迫った緊急性の高いものであるか、だ。
「それでキリト。何か用事があるんでしょう?」
リズベットの問い掛けに返事はない。キリトの視線がアスナとリズベットを行ったり来たりしている。どうやら他の人が居ると話せない類の話題のようだ。
「ん、それじゃ。私はお暇するね、リズ。今日は剣をありがとう。また宜しくね」
そんなキリトの様子から察したアスナは別れを告げ、店の出口へと向かう。
「キリト君。リズにあんまり無茶な難題を押し付けないでね」
「無茶とは何だよ。まるで俺が持ってくる話は何時も、碌でもないモノばかりと云わんばかりじゃないか?」
「実際そうじゃない。それとも自覚なしかな?」
アスナの言に口籠る。問われ、返す言葉がキリトには見付からない。したり顔をするアスナはそのままリズベットと一言二言言葉を交わし、今度こそ店を出た。
リズベットはそのまま店の玄関の掛札を閉店に設定し、店を閉める。店番のNPCも姿を消し、この店兼家に居るのはリズベットとキリトの二人になる。
キリトにはリビングのある私室で待つように告げ、工房の炉や置かれた機材の片付けをする。リアルなら全ての作業を終えるのに小一時間は要するがゲームなので、ほんの十分で終える。
「それで、キリト。今日は一体どんな用件なの?」
リビングで待つキリトは椅子に腰を掛けず、窓際で外を眺めて待っていた。此方の問い掛けにキリトはアイテムストレージから幾つかのアイテムを展開し、テーブルに置いた。
両手剣に細剣、曲刀、槍。その全ては攻撃に用いる武器だ。これが一体何を意味すのか、数瞬の間をおいてリズベットは武器からキリトへと疑問の眼差しを向ける。
「少し確認してもらいたいんだが、この武器から情報を読み取ってくれないか?」
「読むって――…この武器の耐久値や銘柄、製作者とかの? そんなの商人のエギルにでも頼めば良いんじゃない」
そう言いつつも、武器を一つ一つ手に取り、鑑定にかけて情報を引き出していく。
「まぁ、確かに。エギルにも来る前にやってもらったんだけど――…一応、武器の専門家であるリズにも確認してもらおうとかと思ってな」
「一応、という処が少し気になるけど。そう思うんだったら真っ先にこのマスタースミス☆リズ様の所に駆け込んで、『マスタースミス様! どうかパーフェクトなスミスでビューティな貴女様の御力を御貸し下さいませ!』て言いに来なさいよ」
キャピっ♪としたリズベットにキリトは呆れと疲れの交った顔で答える。その様はまたの名を、ドン引きしたとも言う。
「…なんだよ、そのパーフェクトでビューティなスミス様☆、てのは。自意識過剰にも程があるんじゃないか、戦鎚《メイス》使いのリ、ズ、ベ、ッ、ト、さん?」
「うわ、酷っ。そんな事を言う失礼なお客には何も教えてあげないわよ。このままアンタを家から追い出して塩を撒いてやるんだからっ」
剣の切先を向けられ、キリトは諸手を上げて降参の意を示す。そしてその眼差しを真剣なモノに替え、言葉を口にする。
「この間、圏外で俺はとあるプレイヤーに襲撃された。そいつはソロプレイヤーで、投剣スキルと思われる攻撃で俺を翻弄してきた」
「ふーん。で、そいつを蹴散らしたは良いものの、取り逃した。そして現場には投げて転がるこれらの剣が在った、と」
PKという犯罪の被害あったこのキリトは強い。最前線の中でも一際偉才を持つソロプレイヤーとしてこのSAOでは名を轟かせている。
そんな彼を翻弄し、逃げた。恐らく、相手は分が悪いとPKを諦めたのだ。だが今度はキリトの方が相手を、レッドプレイヤーを追いかけ始めた。
特に投剣スキルを使ってPKを行う、その特異性に目を付けられたのだ。こうなった彼は、相手を追い詰めるまで止めることはないだろう。
「そんな処だ。それで相手の足取りを追う手掛かりに、奴の置き土産の武器を調べていたんだが――…」
「どうかしたの?」
「奴がどんなレッドプレイヤーかどうかで、この先の見方が変わる。本当に投剣スキルを使ってPKをする奴なのか、仲間が居るのか、でな。
投剣スキルは投げれば大抵その武器を使い捨てのように使うしかない。回収するにしても効率が悪い。そして何より、使える武器を揃えるには並大抵の手段では揃わない。
これらの武器は軽く見積もって、最前線で使われても遜色のない性能を持っている。そんな武器を奴はどうやって手にしたのか。PKで獲得したにしては、数が多過ぎる」
視線がリズベットを射抜き、リズベットはそれを淡々と見返す。キリトはそのまま、言葉を続ける。
「戦ってみたからこそ判る。奴は実力者だ。だからこそ解せない。奴は投剣スキルに何故拘る? 武器を投げずに上手く接近し、これ等の武器で攻撃すれば大抵のプレイヤーはPKできる。
名乗りを上げようとすれば幾らでも上げられる。それ程までの実力を持っている。なのに、情報屋からも奴の話に関する話題は湧き出てこない。
まるで投剣スキルでPKをすることが奴のプレイスタイルだから一々、他人に言い触らす必要がないと謂わんばかりだ」
「キリト」
リズの静止の声。だが、キリトは言葉を止めない。
「不確定な情報しか存在しない。だから、色々と推測をして推論を並べている。だからまず、確定情報から精査している最中だ。
判っている事の一つ。これ等の武器に共通する点、プレイヤーメイドにして製作者が同一人物。その人物が――…」
「製作者名はリズベット。この私。そうでしょう?」
悲しみを帯びた笑みをリズベットは浮かべ、キリトに変わって答える。キリトはそれに口を閉ざす。それは肯定の意。
既にエギルからこの事実を聞いている。そしてある推理をし、そしてその可能性を打ち払った。今日、此処に来たのはそれを確固たるものにするため。
そうであって欲しくないと願う、彼の理性の足掻き。だがそれは彼女の浮かべる表情が現実を突き付ける。
「キリトがこの武器を見せた時から分かってた。見せてくれる武器全部が私の作品。私が手掛けた最高傑作の数々だ、てね。
見間違えたり、忘れたりなんてしない。だって全部、私が心を込めて、良い武器になることを願って作り上げた武器だもの」
今にも瞳から涙が零れんばかりの笑みを浮かべる。それを直視できず、キリトは視線を逸らしてしまう。
「…可能性としてリズが一つのギルドに纏めて武器を納入したり、偶然リズの武器を懇意にしていたプレイヤーから奪ったとも考えた。
だが調べると、奴にPKされたと思われる犠牲者の中にそんな都合の良いギルドやプレイヤーは存在しなかった。だからこそ、もう一つの可能性がどうしても浮上してしまう。
――奴に、レッドプレイヤーに武器調達あるいは製作の協力をしている可能性を」
キリトはリズベットを見詰める。それは自分の推理を確信した眼差し/それはそうであって欲しくない苦悶の表情。
リズベットは武器をテーブルに戻す。少しの間をおいて、彼女はキリトへと再び視線を交わした。一つの思いを秘めて。
「キリト。その人は本当に投剣スキルの使っていたの?」
確信を貫いた。キリトは口をきつく結ぶ。その先の言葉を紡ぐのを拒絶する。
「その人は、素手で剣を投げ付けていたの?」
視線が宙を泳ぐ。今、起っている現実から逃避するために。
「その人は、本当は、剣を射る何かを持っていなかった?」
だが、眼前の少女は現実を/真実を/確信をキリトに突き付けた。逃げ道は、もう無い。
「その人は――、《弓》を使っていなかった?」
◆
メイスが敵モンスターの腹を下段から打ち穿つ。ソードスキルの威力が乗る攻撃に、敵は硬直と後退を余儀なくされる。
その隙を逃さず、タメの大きい二連撃スキルの攻撃を継続。放った一撃目の軌道をそのままに逆回転。上段へと振り上げたメイスを、敵の脳天へと振り下ろす。
敵は地面へと叩き付けられ、そのまま消滅。リザルト画面が少女、リズベットの眼前に表示される。
「さ。先を急ぎましょ、キリト」
「あ、ああ…」
現在、二人PTを組んでいるリズベットとキリト。彼女が今、最後の一匹を華麗に倒す姿を見たキリトは生返事を返すしかなかった。
この階層は第50層のサブダンジョン。リズとキリトの今のレベルなら容易に攻略可能なのは知っているが、リズベットが戦う姿はこれが初めてだ。
しかも、だ。メイスを駆け、敵を流れるように見事に打ち倒す姿は一介の鍛冶屋には見えない。中層の、贔屓目に見れば上層プレイヤーに見えてしまう。
「手際が随分と良いけど、随分とリズはこのダンジョンには来たことあるのか?」
「鍛冶アイテムのクエストで何度かね。買い付けたり、取引する事も多いけど、自分で取りに行く方が数が集まる場合もあるから」
なるほど、とキリトは感心する。同時にリズの装備へと改めて目を向ける。
装備は普段の給仕服に各所にプロテクター風の軽防具を全身に纏っている。それらは全てプレイヤーメイド、リズベットの作品だろう。
一見すれば、何処ぞの神話に出てくる戦乙女とも見える。まぁ、その童顔をみれば背伸びをして装備だけを整えた子供にも見えなくもない。
「…キリト。今、失礼なことを考えていなかった?」
「何を言う。俺は格好良いリズベット様の雄姿を心の中で称賛していたんだぜ。ほら、そんな事よりも敵が来たぞ!」
リズベットのジト目を流し、タイミング良くPOPした敵モンスターへ突撃をする。その際に向けられる、リズベットの疑惑の眼差しは意図して無視する。
敵モンスターは大猪。突進力が高く、防御重視の盾持ちプレイヤーであっても防御し切れない威力を有する。移動力もあり、敵のペースに飲まれると命に関わる。
だが弱点も明確だ。横の動きには弱い。故に突進にのみ気を付ければ、後は側面からタイミングを合わせて攻撃を当て続ければ良い。
「リズ!」
キリトがセオリー通りに、突進攻撃をする敵の動きを見極めて側面に回避。すれ違いざまにカウンターの斬撃を敵の胴体を食らわせる。
「キリト、スイッチ(攻撃を継続したまま交代するの意)!」
そうしてカウンター攻撃を食らい、突進速度をそのままによろめく大猪。その進行先には、メイスを大きく振り被ってソードスキルを発動完了させているリズベットの姿。
攻撃範囲に侵入。スキルを発動し、野球選手のホームランバッター顔負けのフルスイングで大猪の鼻っ面を強打。敵の巨体が宙を舞い、キリトの方へと吹き飛んでいく。
キリトは慌てて落下地点から退避する。敵は落着と同時に消滅し、キリトはそんな様子を見届けてから安堵の溜息を吐く。
「リズ、危ないじゃないか! 下敷きになってHPが減ったら如何してくれる!?」
「最前線で戦うアンタがこんな事でHPが減る筈ないじゃない。第一、軽く減ったHPポイントなんてアンタのレベルなら自動回復で直ぐに元に戻るじゃない。細かい男は女に嫌われるわよ~」
「余計なお世話だっ」
そう愚痴りながらも、キリトは心でリズベットの玄人ぶりに舌を巻く。今の敵は高威力な単調な攻撃方法に加え、防御力も高い。
つまり、吹き飛ばしといった敵の硬直や吹き飛ばし攻撃への耐性が高い。それをリズは突進したままの大猪を、元来た道を戻るようにキリトの所まで吹き飛ばした。
ダメージはキリトの初撃で大半を奪ったが、今のリズベットの攻撃は本来、敵のHPを如何ほど奪い去ったのか。下手をするとキリトの単発最高威力のソードスキルを上回る威力を秘めているかもしれない。
勿論、単発の威力が高いメイスだからこそ単純な比較は出来ないが、彼女がそこまで戦闘スキルを保持している事も驚きだ。
一つのスキルレベルを実用レベルまで引き上げる、またはマスターするには長い時間を根気良く使い続けなければならない。
鍛冶スキルを上げるために工房に篭っていては戦闘スキルは決して上がらない。一体彼女は如何のようにして二律背反の戦闘スキルと職人スキルを習得するに至ったのか。
その答えは、この先に在るのかもしれない――。
「それで、リズ。お願いしたい事というのは、この先にあるのか?」
「そ。そこにキリトが探している答えと、私のお願い事があるわ」
あの日、武器鑑定の話はリズベットの言葉によって延期された。彼女はあの後、キリトにこう言った。
『キリト、アンタに一つお願いした事があるの。詳細はまた後で連絡する。遅くても半月以内に、必ず。
その時にキリトが追うレッドプレイヤーの問題の答えも、きっと見つかるから』
あの時のキリトは、その言に頷くしかなかった。リズベットがレッドプレイヤーに協力しているという衝撃の事実を前に、それ以外の選択肢はなかった。
果たして、10日後の明け方。リズから第50層のサブダンジョンでPTを組んで最深部に向かう旨のメッセージが届く。
リズベットと件のレッドプレイヤーとの関係。それが明確となる日が来た。第73層の迷宮区から第48層のリズの武具店へ直行。
連絡から一刻も経たずに姿を見せる連絡相手に、リズベットは驚いて目をぱちくりとさせ、そして悲しい笑みの苦笑を返した。
この先の待ち受ける真実を、彼女のその笑顔が物語っている。キリトは予感していた。誰もが幸せにならない結末が待っているのだと。
「リズ。このダンジョンの最深部への道のりはこっちだろ」
広葉樹林の生い茂り、晴天が広がるダンジョンは道のりが決まっている。複雑に絡み合っているが、売られているコンプリートマップを使えば最深部までの最短ルートは把握できる。
しかし、リズベットは途中、全くの別方向に行ってしまう。それこそ観光名所の一つとして知られる綺麗な滝が流れ落ちる滝壺のフィールドに繋がる道を歩いていく。
「キリトは知らないの? 滝の裏側に秘密の隠し洞窟があるのを」
「いや、知ってはいるけど、そこは一度限りのクエストでしか入れない洞窟だ。今はクエストクリアで落盤し、塞がれている筈だけど…」
「正解。けどね、必ずしもそのクエストだけが洞窟に入れる唯一の条件じゃないのよ」
初耳だ。キリトはリズベットの後を追いながら驚く。リズベットはキリトを一瞥し、話を続けて良いか視線で確認した。それを、頷くことで返した。
「探してみると結構あるのよ、そういうクエスト。職人スキルが一定レベル以上に達しないと出現しないクエストや、一度誰かがクリアして人も知れずにいたフィールドが別のクエストで入れたり、とか」
「成程。条件次第で再びレアアイテム獲得が可能なのか」
「それがそうでもないのよ。試しにあるPTが二度目の挑戦をしたんだけど、居るのはモンスターとクエストクリアに必要なアイテムだけ。
ダンジョンは踏破可能だけど、レアアイテムや隠しボスはナシ。殆どが中層プレイヤーの肝試し感覚でレアダンジョンに潜りに行くだけだから、最前線の人にとっては無縁な話よ」
「珍しいだけで、美味しい話でもない訳か…」
リズベットが肯定の意を返す。目的の洞窟ダンジョンまで道程は順調で、途中に出現する敵は初撃必殺で通過する。
滝壺のフィールドは話に違わず、美しい自然の様相を呈し、見る者の心を引き付ける。水飛沫の冷たさを肌に感じ、滝の裏側に通じる道を通り、裏側へと二人は向かう。
見れば、滝の裏側に件の洞窟が在り、その入り口から先は深淵が広がっていた。落盤は、何かしらのクエストの影響で撤去されたのか。そのまま中へと進入する。
「キリト、聞きたいことがあるんだけど良い?」
唐突の質問。リズベットの顔は変わらずに進行先を向いたままだ。未だに敵モンスターと遭遇せずに手持無沙汰なので先を促す。
「犯罪行為を行ったプレイヤーのカーソルはオレンジになる。そうなるとこの世界の活動するには色々と制約が課されるわよね?」
「――…ああ、そうだ。転移結晶が使えなくなり、階層移動はいちいち迷宮区を通らないといけない。街へ入ると鬼のように強いNPCに襲われるし、買い物をするにしても割増だ。
はっきり言って、オレンジ色になる利点は俺にはない。そして――…」
好んでオレンジ色になる奴等の気持ちも分からない。そう答えようとして言葉を噤む。
お互いレッドプレイヤーの件で微妙な心持なのだ。これ以上、波風を立てる必要はない。
「…オレンジ色になったカーソルを、グリーンに戻すクエストがあるのも本当なのよね?」
キリトが紡ごうとした言葉にリズベットはある程度察する。だから沈黙を穴を埋めるように話を促す。
「カルマ回復クエストの事だな。色々と善行を積むことをメインに、NPCの細々とした依頼を熟す時間がかかるクエストだ」
キリトも一度、オレンジギルド討伐の際にオレンジカーソルになった。直ぐにカルマ回復クエストを受けたが、これが七面倒だった。
子供のお使いから広大な宿屋施設の全フロアの清掃作業、果ては階層を20も跨いだ雑魚モンスターのドロップアイテムを、アイテムストレージを何度も満杯にして集めないといけないアイテム収集クエスト等々。
それを十や二十を熟さないといけない。必要レベルは足りているが、とにかく時間を要した。あれはもう経験したくない。
「そうなんだ…――」
キリトの顔からどんなクエストか察して言葉を噤む。その後、特に話題も湧かず、キリトはリズベットの後を追うだけの時間が過ぎていく。
そうして辿り着いた一つの大扉の入口。此処は嘗て、このダンジョンの隠しボス部屋として存在したフィールドへの入口だ。リズベットの話が本当なら、この先には何もない部屋が広がるだけだ。
「キリトは此処で、少しだけ待ってて」
彼女はメニュー画面を幾度か操作をし、一言だけ言い残して大扉を小さく開けて中へと入っていく。
キリトは首肯をし、近くの壁の寄り掛かって時が来るのを待ち侘びる。答えは急いても返っては来ない。
――…。
リズベットが部屋に入って暫くしても、姿を見せない。十分は過ぎているのに関わらず、まだ声がかからない。
フレンドリストを展開し、リズベットの項目を確認するとまだ健在である事を示している。安堵の溜息を吐く。最悪の事態は起きてはいなかった。
「ん?――…これは、歌声?」
ふと耳に届いたソレ。改めて耳を澄ましてみたが、何も聞き取れない。
幻聴かとも思ったが、ふと傍にある大扉に目を向ける。リズベットが入る時に開けて、そのまま半開きになったままの扉が目に入る。
「真逆、中からなのか?」
扉に手をかけ、そして踏み止まる。リズは待てと言った。今、その言を破って良いのかとキリトを躊躇させた。
「――」
意を決して扉を開ける。中は迷宮区の階層ボスの部屋よりも少し小さい、洞窟の切り立った岩が其処ら中に見られるフィールドだ。
周囲を見渡すが、リズベットの姿は見当たらない。歩みを進め、部屋の最深部へと進む。そして耳に届く、声。先程の歌声だ。
それは『きらきら星』だった。小さな子供が良く耳にし、口遊む唄。その歌声は決して上手い類ではなく、拙い語り部として彼の耳に届く。
だけれどもその声は、心安らぐものに聞こえてしまう。まるで母親に慰められるかの如く/母の腕の中で癒されるかの如く…。
剣を鞘に納め、キリトは声の発信源へと向かう。場所は部屋の最深部の片隅、一際大きな岩場の陰。そこに彼女、リズベットは居た。
一人の少年に膝枕で寝かし付け、髪を手で梳きながら唄を歌う一人の少女の姿を、キリトを目にする。
まるで我が子をあやすように、リズベットは優しい眼差しで眼下の少年を慈しんでいた。
「キリト」
彼女はその眼差しのまま、キリトへと顔を向ける。その顔には優しさの他に、一抹の悲しみを映している。
「お願い、キリト。彼を、メイソンを助けて…」
その頬に一筋の涙が通り過ぎた。その涙を前に、キリトの胸中は強く締め付けられる思いに駆られた。
オレンジカーソルの少年を庇護するリズベットに対して、二の句を告げられずに立ち尽くすしかなかった――…。