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[35639] 相棒×立食師 Series
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/29 22:30
また性懲りもなくこちらの提示版に投稿させていただきます。


相棒、押井守監督を敬愛される方はお読みにならないほうが良いかと思われます……。

こういったものは所詮ひとつのギャグとしてお楽しみいただければ幸いです。

今回は前回の反省も踏まえてきちんとした小説形式で書かせていただきましたが、こちらの掲示板の目の肥えたかたがたにはどのように移るのか若干不安ではありますが、生暖かい目で見てやってください。



さて、前置きはこれぐらいにして。


SSでは珍しい相棒と押井守監督作品の中でも趣味的意味合いが強い立食師と組み合わせてみたら面白いのでは……

という私の勝手ではた迷惑な妄想から生まれたのがこの小説であります。


一応、物語の舞台としてはSeason 9が舞台となっておりますので、杉下さんと神戸さんが主な登場人物となっております。



それから、意外と好評だったのと私の中で妄想がとまらなくなったのもありシリーズとタイトルを変えあと2、3回続ける予定です。










[35639] 銀杏と立食師    プロローグ
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/29 22:32
イチョウの葉が黄色く色づいている。独特の香りと味のある実をつけ、たわわに実った銀杏はすでに路上に落ちていた。
夏は眩しいほどに緑色だったイチョウの葉の色が冬の訪れを告げるかのように鮮やかに色を変えていた。

 
佐藤和美は自分の部屋のベランダから見えるまっすぐ伸びる道路に行儀良くならんだイチョウを無表情に眺めていたが、何かに気づいてすぐに顔を曇らせる。


和美の視線の先にはだぶだぶのトレンチコートを着た男がいた。
和美はその男がまっすぐこのマンションに向かっているのを確認すると、ため息をひとつ吐いて台所の換気扇を回してガスコンロに火をつけフライパンを暖める。


フライパンの中に銀杏を殻のまま放り込み、
火が通るのを待つ。佐藤は無表情のままフライパンの上の銀杏を箸で転がす。

和美は無表情にたんたんと何十回も同じ作業を繰り返していた。もう、肌寒いというのに和美の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。


 『ピンポーン』


ドアのベルが鳴ったが和美は無愛想にインターフォン越しに「勝手に入って」とボタンを押した。


しばらくすると、家のドアが開いて外の冷たい風が吹き込んできた。
 
 「おお、銀杏か」

 両手をこすり合わせ、犬のように鼻をながら男がとまっすぐに台所の和美のほうに向った。

 「そうよ、あなた好きだったでしょ?」

和美はガスコンロの火を消し、まだ熱を持っているフライパンから銀杏を皿に移し、殻を入れるごみ袋を男が座っているテーブルの上に置いた。

 「こんなにたくさんの量を俺一人で?」
 「まさか。でも沢山もらったから私一人じゃ食べきれなくって」
 

男は「ふーん」と間の抜けた返事をしてから炒りたての銀杏に手を伸ばし『熱い』と言いながら湯気の登る銀杏を一つ二つと口へと運んだ……。



[35639] 一 翌朝
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/27 22:48
 「銀杏の食べすぎで中毒死?こりゃまたずいぶんな死因ですね、杉下さん」
 
 「ええ、珍しいといえば珍しいですよねえ、神戸君」


警視庁の中にある組織犯罪対策部組織犯罪対策五課の奥、日当たりの悪い一画に特命係がある。
特に命令されることがなければ仕事がない係――要するに警察組織にとって不都合な人間を追いやる窓際部署として特命係は存在している。

≪人材の墓場≫とまで周囲に言わしめる部署である特命係には警視庁きっての≪変人≫である杉下右京がいる。杉下の下についたものは三日と

経たずに仕事をやめていった。

そんな中、エリート出身の神戸が特命係から左遷されて来た。周囲からは「どうせすぐやめる」と思われていたが紆余曲折、打算、陰謀があり

ながらも神戸は杉下の相棒としてその役目を立派に果たしているのであった。

 「ヒマか?」
 「あ、課長」

捜査五課課長の角田がいつものように神戸が入れたコーヒーをうまそうに飲んだ。特命係が捜査五課の奥にあることから角田はヒマなときには

特命係に顔を出しては無駄話とコーヒーを拝借しにくるのが角田の日課だ。


 「しかし、銀杏の食いすぎで死ぬなんてなぁ。アレって毒があったの?」
 「いえ、成人男性であれば大量に摂取しなければ中毒、ましてや死亡するなんてことはめったにありませんよ」



杉下も自身のティーカップに紅茶を注ぐ。ただその注ぎ方はずいぶんと大げさで肩の高さまでポットを掲げて紅茶を注ぎ落している。


朝の日差しが差し込む部屋には紅茶の豊かな香りと湯気が立ち込めている。



 「そういえば新聞にものってましたよ。銀杏による中毒で男女二人のうち男一人死亡って。女性のほうは未だに意識不明なんだとか」
神戸は記事が乗っている新聞に指をさしながら言った。


 「そういえばこの事件、うちの管轄で起きたんだよな?」

 「ええ、何でも遺書が見つかったとか」


紅茶の香りをかぎながら杉下が答えた。


 「え?じゃあ、銀杏を食べて心中しようとしたと……」


 「妙な話だと思いませんか?」


杉下の目が一瞬光る。
神戸は杉下の顔を見ながら右手で前髪をいじり「またか」とため息をついた。





 「これまた杉下さん、今日はどういったご用件で?」


鑑識課の米沢がデスクに座ったまま疲れた顔で杉下を出迎えた。
独特の髪型でボソボソとしゃべる米沢は数少ない特命係の理解者であり、功労者であり、被害者だ。確かな鑑識としての技術があるため、こと

あるごとに杉下の手伝いをさせられる。
しかし決して断ることが出来ないのため他の部署からは同情され、特命係の二人からは信頼されているのであった。


 「おや、ずいぶんとお疲れで」
 「ええ、朝から忙しくってですね。二人が来られたということは今朝の銀杏による心中未遂の件ですな」
 「何でも遺書があったとか?」

神戸が横から口を出す。

 「ええ」
米沢はメガネを上げ、自分の引き出しに手をかけてビニール袋に入った遺留品と現場写真を机の上に取り出した。

「これです」
杉下は米沢から大き目のビニール袋を受け取ると律儀に「拝借します」と言ってから目を通した。
遺書と呼ばれる紙にはパソコンで印刷された字でこう書かれていた。



もしも、私が死ぬのならきっと食べ過ぎて死ぬのでしょう。
それは立食師の私にとっては光栄なことです。ただ、死ぬ前にもう一度だけ食べたいものがあるのです。
そう、あの時の。
子供のときに食べた母親と冬の日に食べたそばを、あの時のようにたっぷりと刻みネギと七味をかけて食べたいのです。




 「これが遺書ですか?」



神戸が理解できないという風に首を振る。

 「そう言われると極めて微妙です」

杉下が現場写真を見ながらたずねた。

 「どちらかというと、小説の導入のようですが……」
 「ええ、何でも第一発見者である被害者の一人である女性の方は立食師関連の小説を何冊も執筆している小説家だそうで、
  何かそういったところと関係があるかもしれません……」



 「あの、立食師って何ですか?」



神戸に杉下と米沢の視線が突き刺さる。


 「まさか、立食師を知らないんですか?」
 「今の若い人は知らないかもしれませんねえ……」


杉下はゆっくりと息を吸い込むと人差し指を立てた。


 「いいですか神戸くん。そもそも立食師というのはですね、あの手この手、奇行や話術を用いて
  飲食代金を払うことなく暮らしている輩のことです」
 
 「それって要するに、食い逃げってことですよね?」


苦笑いをする神戸を無視して杉下の講釈は続く。


 「この立食師なる輩が一般的な食い逃げと異なるのは、その無銭飲食の手段として一切の暴力や恫喝を用いないところにあります」
 

 「もはやその手段は芸術の域に達しているといっても過言ではないのです!」

米沢が二人の間に割って入った。杉下が軽く会釈してバトンタッチとばかりに後ろに下がると、米沢は鼻息を荒くし意気揚々としゃべりはじめた。


 「一番有名なのは昭和初期、戦後復興の時代に実在した立食師である≪月見の銀二≫です。詳しい記述は古い時代のためほとんど残っていませんが、なんでもそば屋に行って月見そばを注文した際に態度の悪いそば屋の主人に説教をたれ、その説教に感動し、感涙した蕎麦屋の亭主は月見そばをタダで銀二に振舞ったそうです」


 「一体どうやってそんなことを?」


神戸はポケットに両手を突っ込み、不真面目な格好で相槌をうった。
米沢はその神戸の態度を気にすることなく話を続ける。米沢はすでに自分の言葉に酔っている。


 「立食師関連の書籍は多数ありますが、中でも話題になったのは《ディズ○ーランドを夢見て》という立食師を主人公とした幻想小説です。私もこの本を読みましたが、あの母親との電話のくだりは涙を禁じえません」


  「あれは確かに傑作でした」と杉下は深く頷いた。


賛同者を得た米沢は目を輝かせ、鼻息もあらく、唾を飛ばす。


神戸は頭を抱えながら二人の終わりそうもない会話にただただなすすべもなくうなづくのだった。





[35639] 二 聞き取り調査
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/27 23:14
銀杏による食中毒で入院している女性に聞き取り調査を行うため杉下と神戸は車を走らせた。



 「佐藤和美さんですよね?」

杉下と神戸が会釈をしながら病人服を着た肌の白い女に近づく。


 「そうですが。どなたでしょうか?」

ベットの上に座っている佐藤和美は怪訝な顔をして二人の顔を交互に見る。



 「こういうものです」



和美の視線の意味に気づいた杉下と神戸慣れた手つきで警察手帳を見せ、名詞を渡す。


 「特命係?」と和美は首を傾げながら出された名刺を受け取った。

 「どうして自殺をするのに銀杏を選んだんですか?」
 「……」
 
 「あの……」言葉に詰まる神戸を杉下が遮った。
 

 「しかし、生き残ったのは幸運でしたねえ」

和美は二人の視線に耐え切れずに口を開いた。
 
 「私もまさか、こんなことになるなんて想像もしていませんでした」

和美は話を続ける神戸に視線を合わせない。

 「ところで、亡くなられた男性。犬養徹さんとの関係を教えていただきたいのですがよろしですかね?」
杉下の口調は丁寧ではあったが、有無を言わせぬ凄みがあった。


 「私の彼氏……というかほとんどヒモみたいな関係でした。」
 「ヒモ、ですか?」


神戸がわざとらしく驚く。
 「私が立食師関連の小説を書いていることはご存知ですか?」

和美の問いかけに二人は黙って頷いた。和美は伏せっていた視線を上げ何かを思い出すかのように遠くを見つめた。


 「私がまだ売れないころから犬養は私の傍にいて色々と私の相談にのっていてくれていました」


そこまで言った和美は『ゴホン』と咳払いを一つして、吐き出すように話を続けた。

 「私が売れないころは彼も働いていて、大変だったけれども楽しかったです。二人で将来のことや小説のアイディアを夜遅くまで話し合うのは幸せでした」
 「確か和美さんの出世作は《なきの犬丸》をモデルにされた小説でしたよね?」

杉下が話を促すように合いの手を入れる。
 「はい、その作品も犬養と話し合いながら書きました」
 「でも」と和美は杉下の顔を見ながら「良く知っていましたね?」と笑った。

 「実は私も立食師をモデルにした小説は好きでして」

照れくさそうな杉下をよそ目に神戸が話の後を引き継ぐ。

 「どうして、そんな協力的だった犬養さんがヒモなんかに?」
 「その理由は私にも……。ただ、私も仕事が忙しくなって小説に集中したかったので、彼とは別々のマンションに住むようになりました。だから私たちの関係はほとんど冷め切っていました」



 「失礼ですが、そんな関係のあなたがどうして犬養さんに銀杏を……?」



杉下は笑顔で和美に話しかけるがその目は笑っていない。
 

「犬養が好きだったんです」


和美は苦笑いしながら答えた。


「私のマンションからイチョウがまっすぐ国道に沿って植えられているんですが。毎年、今の時期ぐらいになるとりっぱな銀杏がたくさん落ちているんで拾いにいっていたんです。それをいっしょに食べるのが二人の決まりごとでした」

「じゃあ、今年も?」


神戸が遠慮がちに尋ねると和美は黙って頷いた。

 「あの遺書は和美さんがお書きになったんですか?」


 「遺書?」


 「もしかしてご存じない?」ワザとらしく杉下は首をかしげ「神戸君」と神戸に視線を合わせた。神戸はゆっくりとスーツのうちポケットから遺書の入ったビニール袋を取り出す。


 「実は、これなんですが……」


和美は神戸の手から遺書を奪い取った。


 「こんなものを……」


和美の咽喉が嗚咽を堪えきれず次の言葉が続かない。


 「犬養さんはどうしてそのような遺書を残したんだとお考えでしょうか?」
 「え?」



 「和美さんのご意見をお伺いしてみたいのです」



神戸は杉下と和美の顔を交互に見る。

 「……わかりません。ただ犬養も昔は小説家を夢見ていたので、それで最後にそんなものを書いたのかもしれません」

杉下は人差し指を立てて、和美の目を覗き込んだ。

 「私には小説のプロットのように見えてしょうがないんですがねえ」



 「杉下さん!」


神戸が杉下の前に出て和美を庇った。







黒いGT―Rのドアを開けたまま神戸はバンネットの部分に持たれかかっていた。

 「どうして恋人をなくしたばかりの和美さんにあんなことを聞いたんですか?」

笑顔で杉下に話しかけるが語気には静かな怒りが含まれている。

 「神戸君、犬養徹の部屋に行きましょう」

杉下は神戸の言葉を無視して助手席のシートに滑り込み、シートベルトをひっぱりだし思い切りドアを閉めるとシートベルトを締めた。神戸はそれを確認してから力強くアクセルを踏んだ。車の急な反動に杉下の体が後ろに大きくのけぞる。


 「君は妙だと思いませんか?」
 「何がですか?」と神戸は笑顔のまま苛立ちを隠さない。


杉下は「いいですか」と前置きをして中指を立てた。


 「まず、第一にどうして佐藤さん自殺をするのに銀杏を選んだのか?自殺する方法ならいくらでもあるでしょうに」
言葉に合わせて杉下の手が踊る。
 「それは二人の慣習に合わせたからでしょ」
 

「次にどうして佐藤さんが第一発見者なのか?」
 「佐藤さんのほうが中毒症状が軽かったから」



 「最後に」



目の前の信号が青から赤に変わる。神戸は思いっきりブレーキペダルを踏んだ。杉下の体が大きく弾む。


 「どうして和美さんは遺書の存在を知らなかったのか?」


 「それは……」

 「普通、遺書というものは誰の目にも届きやすい場所に置くものだと思いませんか?」
 「和美さんの気が動転していたとか?」

 「だとしても、この遺書は犬養さんの上着の内ポケットに入っていました。もし、犬養さんと和美さんが心中するつもりならテーブルの上にでも置くのが自然だと思うんですが彼女は遺書の存在に気づいていませんでした」


信号が青に変わる。神戸はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。


 「ということは和美さんは心中をするつもりがなかったと」



杉下は力を抜いてシートにもたれかかると神戸の質問に「その通りです」と答えた。



[35639] 三 家宅捜索
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/27 22:52
 「すごい量……」


犬養が住んでいたアパートの管理人に鍵を借りた杉下と神戸は犬養の部屋の状況に驚いた。
犬養の部屋は本で出来ているかのようだった。日当たりの悪い四畳半は足の踏み場がないほど本が散乱し、机の上にはもちろん、炊事場や風呂場以外はベランダにすら本が山積みになっていた。


 「ちょっとした図書館ですね……」


神戸が畳の上の本の隙間に足を置こうとするがなかなか玄関から先に進まない。


 「しかし、犬養さんという人物は雑食ですねえ」

杉下は大量の本の上を起用に歩きながら、適当に本を拾い上げる。

 「研究書、文学小説、論文、SFものにホラー小説。おやおや、これは今年の直木賞受賞作じゃないですか!」
たくさんの本に囲まれてはしゃぐ杉下を横目に神戸は赤ん坊がするように壁伝いに手を置きながらやっとのことで、ベランダに着くことができた。

 「この量は単純に本が好きだったと言うには異常ですよ」


神戸がカーテンを開ると肌寒い部屋に暖かい西日が差し込む。

「杉下さん」神戸がコンセントに刺さっている電源アダプターを指差した。


 「どうやらノートパソコンの電源アダプターみたいですが本体はどこにあるんでしょうか?」
 「見たところどこにもないようですが、この本ですし……」


神戸がお手上げだと言わんばかりに肩をすくめた。


 「ですが、いくらノートパソコンと言っても何時までもアダプターなしでは電池がもちません」
 「他にもアダプターがあるか、あるいはどこかに持って行った?」


 「そう考えるのが自然でしょう」
 
「ちょっと待ってください」神戸は足場を慎重に確認しながら杉下の隣に立った。

 「だとしたら一体どこに?」


杉下は神戸の目の前に指を立てる。
 
 「可能性としては和美さんの家にパソコンを持っていたっと考えるのが普通でしょう。しかし、押収された証拠品の中には犬解さんのノートパソコンは見つからなかった」
 「和美さんが犬養さんのパソコンを捨てたと?」

 「その可能性も否定できませんが。もし、仮に和美さんの家に行くとしたら念のためアダプターを持っていくのが普通だとはおもいませんか?もちろん、和美さんの家にも同じアダプターがある場合や、たまたまアダプターを持っていくのを忘れてしまった可能性も十分考えられますが」

神戸は頷く。


 「わかりました僕が調べてみます」
 「ええ、お願いします」


杉下が軽く会釈をして「じゃあ、お先に」と玄関に走る神戸の姿が一瞬で消えた。


 「神戸君!」


『ドスン』という鈍い音が狭い部屋に響く。神戸が重なりあった本を踏みつけて滑って転んでしまったようだ。
散乱した本がさらにごっちゃになり、神戸の足元にあった本たちは転んだ拍子にどこかに飛んでいってしまった。


『いたたた』転んでぶつけた尻の部分をさすっていた神戸は「何でしょう、これ?」
と足元に重なった本の隙間から白い袋が潰れているのを見つけた。

杉下は神戸から紙製の白い袋を受け取ると隅々までよくながめ、紙袋の中を開けてみると説明書のようなものを取り出した。


「アモキシシリン、クラリス錠……プロトンポンプ阻害剤!」
神戸は立ち上がると杉下が手に持っている紙を覗き込んだ。


「薬ですか?」


杉下は体を震わせて興奮したよう口調で「そういうことですか」と神戸を無視して一人で頷いた。



[35639] 四 捜査
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/27 22:54
犬養の部屋から出た杉下と神戸はそのあと二手に別れた。杉下は調べ物があると言う事で警視庁に戻り、神戸はなくなったノートパソコンを探すためにGT―Rを走らせたのだった。


 「そうですか、ありがとうございます」

杉下は丁寧に礼をいうと受話器を下ろした。



 「やはりそういうことでしたか」



杉下は一人、冷めてしまった紅茶をすする。外はもう日が落ち真っ暗になって、気温も下がり窓をしめきっていても肌寒いぐらいだ。
杉下の様子をとなりの部署のいかつい労刑事二人が覗き込んでいた。杉下はいつものことなので特に気にすることもなく、紅茶をすすりながら、机の上に置いてあるチェスボードの駒を動かした。


「杉下さん」息を切らせながら神戸が部屋に入ると「わかりました!」と杉下の目の前に勢いよく一枚の紙を突きつけた。

 「犬養の携帯の発信履歴から調べました」

杉下はズレ下がった眼鏡をかけ直すと神戸から突き出された紙に目を通す。


 「電気屋に修理に出していたんですね」
「ええ」神戸は息切れを押さえるために、大きく深呼吸をすると「事件当日に修理にだしたそうです」と付け加えた。



 「杉下さん」



入り口のほうから米沢が声をかける。神戸が振り返り、杉下は紙を見たままわかったとというように手を上げて返事をした。

 
 「頼まれていた件ですが」


 「やはり杉下さんの睨んだとおりでした」

 「ご苦労さまです」と紅茶を一口含んだ。

 「これは、事件当日のマンションのカメラに移った映像と例の資料です」



 「どういうことですか?」



米沢に詰め寄る神戸を手で制し杉下が二人の間を横切りながら「僕がお願いしたんです」と米沢の資料を一枚、二枚とめくる。
 
 「実は杉下警部から犬養徹の犯罪歴について調べて欲しいとお願いされまして。そしたらデータベースから面白いことがわかりました」


 「おもしろいこと?」



 「はい、実は犬養徹は二十年ほど前に赤い眼鏡の一員だっただんです」




「赤い眼鏡って」神戸が書類を眺めている杉下の顔を見ながら「あの過激派組織の?」と質問をした。


 「赤い眼鏡は今ではほとんんど休眠状態ですが、以前はの安保闘争などの学生運動が盛んな時代にはそれなりの力があったと聞きます」
 「それと犬飼がなんの関係があるんですか?」


神戸が天井を仰いだ。


 「杉下警部は犬養徹が立食師だったと考えているんですよ」


 「犬養が立食師だとどうして過激派になるんですか?」


杉下は手に取っていた書類を机に戻すと腕を後ろに回してゆっくりと神戸の前に立った。


 「以前話した立食師にはほとんどの場合裏の顔があるといわれいます。そして、彼らに関しては黒い噂もついてまわるのです。その中でも有名なのは以前話した《月見の銀二》です。彼は戦後すぐに現れた立食師としても有名でしたが過激派団体の一味であったとも言われています」


神戸はわからないという風にただ「はあ」と生返事をした。

 「他にも《ケツネコロッケのお銀》や立食師撲殺事件の被害者である《冷やしタヌキの政》や最近では《牛丼の牛五郎》など。彼らの背後には黒い影が絶えず付きまとっているのです」
 「だからって、どうして犬養が立食師だと?」


 「それはですね……」と杉下は一人不適な笑みを浮かべた。



[35639] 五 証拠
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/27 22:46


 『ピンポーン』


間の抜けた呼び鈴の音が和美の部屋に鳴り響く。和美は足早にインターフォンのテレビ画像を確認する。そこには、病院で会った二人の男がマンションの玄関に立っていた。和美はその二人の姿を見て、顔をしかめた。


「何の用ですか?」和美はドアを開けながら厭味を特命の二人にぶつけた。


「すいませんねえ、気になるとどうしても抑えることができないものでして」

杉下が愛想笑いを浮かべている。

「本当にすいません」

神戸も笑いながらドアを閉めようとする和美を押し切って部屋の中に入った。




「警察をよびますよ!!」



和美は金切り声をあげながら大きな声で叫んだ。

「それには及びません」
「僕たちも一応、警察官です」

杉下と神戸は和美の苛立ちに気づかないふりをする。そのワザとらしい二人のしぐさに和美の怒りは抑えられない、髪の毛を掻き毟り、頭を振り乱す。




「あなたたちは一体なんの用なんですか!!」



杉下が言葉を遮るように和美の顔の前に指を立てた。


「どうして、銀杏なんかで心中しようとしたんですか?」


杉下の一言で和美の体が怒りで震える。和美は気分を落ち着かせようと、タバコを取り出し、ライターで火をつけようとするがうまくいかない。


「そもそも心中なんてするつもりじゃなかった」和美はやっとのことでついたタバコを苦々しく吸いながら、煙といっしょに搾り出すように言葉を吐いた。


「ただ、たまたま銀杏で中毒症状がでただけで、本当に心中ができるなんて考えていませんでした」


「なるほど」と杉下が大げさに頭を振ってうなずくと「質問を変えましょう」と言葉を続ける。



「どうして銀杏でなければいけなかったのですか?」



和美はだまってタバコをくわえたまま杉下の顔をにらんだ。

 「他にも心中をするのでしたらもっと確実で簡単な方法があると思うのですがねえ」

杉下の手が言葉に合わせてリズミカルに揺れる。


 「僕には心中するために銀杏を選んだ理由がわからないものでして」


「私だって、銀杏の食べ過ぎで死にかけるなんて思ってもいませんでした。半分は自分の作品に対する冗談のつもりだったんです」

和美はタバコを吸って気分がいくぶん落ち着いたのか、感情を言葉にださず淡々と答えることができたようだった。だが、その体は動揺を隠せないのか小刻みに揺れている。


「そうだったんですか」杉下は難しい算数の問題が解けた小学生のように明るい声をあげ「細かいことが気になるのが僕の悪い癖でして」と軽く頭をさげた。神戸もつられて「すいませんね」と笑う。


和美はため息をついて、いつのまにか根元まで吸い切ってしまったタバコを灰皿で消してから、二本目に火をつけた。


「もう一つ質問をさせていただいてもよろしでしょうか?」
「何度もすいません」

和美は二人のやりとりを散らかった部屋でも見るような、途方もないという表情をしてから「細かいことが気になるんでしょ?」と厭味を言い、引きつった笑みを浮かべて、タバコの煙を吐いた。


部屋は和美の吐いた煙で充満し始めていた。和美はガスコンロの前に立つと、換気扇のボタンを押して煙を外へと追い出す。



「事件当日にどうして犬養さんの家まで行かれたんですか?」



和美の体が固まる。開いた目、開いたままの唇、握ったこぶし。まるで、時間が止まってしまったかのように和美は一切身動きを取らない。ただ二本の指に挟まれたタバコの火だけがじりじりと燃えている。



「それは……」



ついに、自分の重みに耐えられなくなったタバコの灰がぼろぼろと崩れ落ちた。


「これは事件当日の防犯カメラの画像を印刷したものです」


「これです」神戸が内ポケットから三枚の写真を取り出し、和美に手渡す。
和美は震える手を必死で押さえながら、神戸から写真を受け取った。


「あなたはどうして犬養さんがこの部屋に入ってから、外に出たのでしょうか?」


和美はさっきまでのタバコを捨て、新しいタバコを引っ張り出そうとするが手が震えてうまく取り出すことができない。和美は新しいタバコが半分まで出てきたところで、たっぷり残りが詰まったタバコを箱ごとゴミ箱に投げ捨てた。


 「犬養さんの部屋の隣の住民が、あなたが入っていくのを目撃しています」


神戸は冷たい視線を和美に向ける。


 「あなたはもしかして犬養さんの部屋で何か探していたのではないのですか?」
 「私が何を探していたと?」


新しいタバコの箱を開ようとする和美、杉下はそれを無視して質問を続ける。


 「彼のノートパソコンを捜していたのではないんですか?」
 「なぜ、私が徹のパソコンなんかを捜さなければいけないんですか?」



「それは」と杉下が言葉を止める。和美は気にしないふりをして開けようとしていたタバコをテーブルの上に置き、腕を組んで杉下の言葉を待ち構えた。




「犬養徹さんがあなたのゴーストライターだったからです」



[35639] 六 真相
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/29 22:18
「徹が私のゴーストライターだったですって。私はたまたま犬養に貸していたパソコンを返してもらおうと」

杉下が和美の言葉を遮った。

「なぜ、犬養さんが重体な症状になっているにも関らずどうしてあの部屋にいったんですか?」
「私が部屋にいったのは徹があんなことになる前です。パソコンを家に忘れたからと言っていたので、締め切りに間に合わせないといけない物があったので、徹にはまかせておけないと思ったからです」

「そのパソコンはどこにありましたか?」
「見つかりませんでした、あんなに本が山積みだったら見つかるはずないじゃないですか」

神戸が和美の目の前に立ち、一枚の紙を見せた。

「これは?」和美はわからないという風に神戸の顔を見上げた。

「事件当日、犬養さんはあなたの家に行く前に電気やにいってパソコンの修理に行っています。これはその日に犬養さんが受け取った証明書です」


「どうして……」和美は首を振りその現実を受け入れられないという風に首を振りながら後ずさる。


「もし、本当にあなたが犬養さんからそのお話お伺いしていたとしたら、どうして修理に出したことを知らなかったのですか?」

杉下の手が踊る、饒舌になり、言葉に力が入る。それとは対照的に和美は静かになっていく、言葉は弱々しく、寡黙になり、体は怯えたように縮んでいる。


「あなたにはどうしても犬養さんのパソコンの中にあるデーターを処分しなければいけなかった。なぜなら犬養さんはあなたの名前を使っていただけに過ぎなかったからです。万が一、それが誰かにわかってしまえばあなたの作家人生は終わりと言っても過言ではない」


和美の足の力が抜け、その場にずれ落ちるように座り込んだ。口は動くが言葉にならない。


「詳しい理由はわかりませんが、犬養さんは過激派組織である赤い眼鏡の内ゲバを恐れたのではないでしょうか? 彼は若いころ、赤い眼鏡の中でもかなりの地位にいたようですし。だから彼はひっそりと本に埋もれながら暮らしていた。執筆した小説もあなたの名義にすることで自分の存在が表にでないように」


和美が座り込んだまま、弱々しく頷いた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「そのとおりです。でも、私が徹を殺そうとしたところで銀杏を使って殺すことなんてできないじゃないですか?」


「いえ、それが絶対に不可能ではないのです」

杉下は神戸の顔を見て一歩さがった。神戸は杉下の言葉を引き継ぐ。

「小さい子供は銀杏を食べると中毒症状が出やすいといいます。重篤な場合は痙攣を起こし意識を失い死亡することもあります。」

「それは子供の場合でしょ?」和美は弱々しく反論する。目にたまった涙が頬を伝って地面に落ちた。

「いいえ、大人でも大量に。まあ、あまり現実的ではありませんが大量に摂取すれば死亡が可能です」


杉下が咳払いをした。


「確かに確実性という面でしたら銀杏を凶器に用いるというのはあまり現実性はないのかもしれません。あなたも遺書のように書かれたプロットさえ発見されなければ単なる事故死で処理されていたことでしょう。ですが、その遺書が発見されたばかりにあなたの計画は大きく狂ってしまった」


「計画? そんなものは私にはありません」和美は精一杯の大きな声を出して、杉下の言葉を否定する。しかし、彼女の言葉はすぐに覆されることになった。


「あなたは犬養さんが慢性の胃腸炎であったためアモキシシリン、クラリス錠、プロトンポンプ阻害剤などのピロリ菌を抑えるための抗生物質を常用していました。これは犬養さんが通っていた病院に電話で確認済みです。ご存知かもしれませんが、銀杏による中毒の場合ビタミン6の欠乏が中毒を起こす原因だと考えられています。そして、抗生物質などを長期的に摂取されている方にはビタミンB6が不足がちであり、それが原因で重い中毒症状を引き起こす可能性が大いにあるのです」

ここまで言うと杉下は大きく息を吸い、中指を立てる。杉下の言葉に今まで以上に熱がもこもる。


「あなたは犬養さんが抗生物質を長期的に摂取していることを知っていましたね? そして、あなたは故意に犬養さんが大量に銀杏を食べるように誘導した」

「どうして、そんなことがわかるんですか?」

すがるような目で和美は杉下を見上げる。



「それは犬養さんが立食師だからです」



和美は目を大きく見開きしぼりだすように「どうしてそれを……」とつぶやいた。

「やはりそうでしたか」

杉下の言葉に和美は思わず頭を振る。



「カマをかけたのね!!」



最後の力を振り絞ったかのような和美の大きい声が部屋中にむなしく響いた。



「ええ、確証はありませんでした。ですが、一〇〇個以上もの銀杏を残さず食べると言う芸当を行えるのは立食師ぐらいしかおりません。逆説的に考えればゴーストライターの件も、なぜ銀杏の食べ過ぎで死亡するに至ったのかも犬養さんが立食師であればすべてはつじつまがあったのです」



和美は座り込んだまま「あ、ああ」と言葉にならない嗚咽をもらした。



[35639] エピローグ
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/28 03:16
和美は最後にはすべてを自白し、自首をした。
杉下と神戸は仕事を追え、行きつけの小料理屋である花の里のカウンターに座っている。

「まさか、殺人の理由が犬養への嫉妬だったとは」

神戸が杉下のお猪口に酒を注いだ。

「自分にはなかった小説家の才能がありながらも、それに真面目に順ずることがない犬養さんを見て和美さんも考えるところがあったのでしょう……」

杉下は注がれた酒に軽く口をつけ、ゆっくりと味わう。

「あら、なんの話ですか?」奥の調理場からのれんをくぐって、この小料理屋の女将である月本が笑顔で料理を運んできた。月本は白い湯気がゆらゆらと沸く、そばを二人の前に丁寧に置いた。

「寒くなったので作ってみました、ねぎたっぷりで」

「これはいいですねえ」杉下の顔が思わずほころぶ。神戸もうまそうにそばをすすると「温まりますね」と杉下に同意した。


「あとこれを」

月本はカウンターの下から、皿にあふれんばかりに山盛りになった銀杏をそれぞれ二人の前置くと「たくさん食べてくださいね」と笑った。

「これはどうしたんですか?」神戸が遠慮がちにたずねると「公園で拾ってたら夢中になっちゃって」と月本は恥ずかしそうにはにかんだ。


杉下と神戸はというと、月本に見えないように二人で顔を見合わせたのだった。



(了)



[35639] あとがきと注意事項
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/28 03:27
私のようのどうしようもない人間が書いた小説をお読みいただきありがとうございます。

もう、念のためではありますが注意事項について一つ。

作中、銀杏が扱われておりますが適量を食べた際には大変おいしいですし、中国では漢方に使われるなどして食中毒を起こすことはありません。

串刺しにしたり、油で揚げたり、フライパンでいためたりと調理法もさまざまです。一番手軽に食べる方法は電子レンジで加熱するだけという方法もあります。


ですが、あまりにも大量のぎんなんを摂取しますと実際に食中毒になる可能性がありますので、ご注意ください。

実際に現代においても年に数件の割合で食中毒の報告があるといいます。

また、小さいお子様の場合は少量でも十分に食中毒を起こす可能性がありますのでたくさんの量を与えないように注意してください。

以上です。






[35639] 殺人事件と立食師 プロローグ
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/31 23:35


「お前が殺したんだろう! 」



警察庁の中にある取調べ室に伊丹憲一の怒号が響き渡る。
四畳半の広さもないその取調べ室には音の逃げ場すらない、まさに『箱』だ。
今、箱の中には一人の男が三人もの刑事に圧迫されていた。


普通なら取調室に入ったものは否応なく、警察という組織の圧力に負けざるをえない。なぜなら、その箱に容疑者といっしょに入っている彼らは、犯罪捜査のエキスパートである刑事だからだ。犯人逮捕でメシを食っている彼らに、矛盾を孕んだ嘘を容疑者がつき続ける事は困難だ。

会話やしぐさ、必ずどこかにボロが出る。
そして、その出たボロを飢えた野犬のように見逃さず証拠と言う「牙」に容疑者が負けたとき、奴らは『落ちる』のだ。刑事というものは「牙」でぼろぼろになった奴らの血肉を食い散らかしながら生きている、そう伊丹は思っている。

しかし、今回の相手はどうもいつもと様子が違った。こちらの「牙」をぬるりと軟体動物のように、そ知らぬ顔と話術でかわし続ける。


(一体いつになったら落ちるんだ、こいつは? )


この容疑者をこの『箱』に入れてから、もう一時間は経っている。アリバイもなければ、まともな仕事をしてもいない、それに何より犯行に使われたと思われる凶器を所持していた。
ほとんど決まりだった。凶器を持っているものイコール犯人。この図式が覆ることはまずありえない。

だが、取調べを受けている小太りでだぼだぼの作業服を引っ掛けた中年腹の「カントク」と呼ばれている容疑者はどんなに怒鳴ろうが、変化球を効かせて上げ足を取ろうが一向に尻尾を出さない。


こいつが犯人で間違いない。


現場の刑事のほとんどがそう思っていた。

しかし、確実な証拠が足りなかった。この男が所持していた凶器が被害者の傷跡とまったく一致しなかったからだ。


限りなく黒に近い、白。
ならば奴に犯行を自白させるしかない。


その判断のもと取調べを始めたのだが、成果は一向にない。


伊丹は今まで座っていた椅子から立ち上がると、容疑者に背を向け誰にも聞こえないように小さなため息を吐いた。


目の前の男がどうしてこうも自分たちの攻撃をのらりくらりとかわせているのか、不思議でならない。
自白どころから自分たちの話をまともに聞いてすらいないように思える。ときおりこちらの話を聞いているかと思ったら、勝手に独自の解釈で話をすすめ、あーだこーだとのたうちまわった後に講釈をたれ、結局話はあらぬ方向へと脱線していく。


(こいつは一体、何がしたいんだ? )


犯人でないと言い張るのなら、真っ向から否定すればいいのに、それもせず。自分が犯人だと自白をしようともしない。
むしろ、自分たち警察を煙に巻くのを楽しんでいるかのように話の中に「ゲヘへ」と下品に笑っては伊丹たちを苛立たせる。

そして、何よりこの『立食師』の話に引きつけられている自分自身にも伊丹は腹を立てていた。



[35639] 一 質問
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/10/31 23:37
「よっ、暇か? 」

特命係りの隣の部署にあたる、組織犯罪対策五課の課長。角田が朝のコーヒーをすすり、新聞を片手にお決まりの挨拶をしに来た。

甲斐享は「ここは喫茶店じゃないですよ」と言いたいのを堪え、作り笑いを浮かべながら「おはようございます」と挨拶をした。

わざわざ朝っぱらから気分を悪くさせる必要はない、カイトは自分に言い聞かせた。


「今日はずいぶんとご機嫌みたいですね? 」


カイトの上司に当たる杉下はポットを肩まで高々と掲げ、勢いよくティーカップに注ぎ込む。日当たりの悪い特命係の部屋には香りのいい紅茶の湯気が立ち込めた。

特命係――警察組織のつまはじきものが島流れのように移動させられる悪夢の部署だ。なぜなら特命係には『警視庁一の変人』とその名を知られる杉下右京がいるのがその理由だった。

「杉下右京の下についたも者は三日と持たない」
誰が言い始めたのか知らないがその言葉のとおりに今までも何人もの刑事が辞めていった。

皆、あの杉下の厭味に耐え切れなかったんだろう。

カイトは事件が起こるたびに自分もいつまで持つものかと考えるのであった。とても、杉下の下で何年も相棒をやっていた人がいたとは思えない。自分はこの上司に耐え切れなくなる前に捜査一課にいけるだろうかと時折不安に思う。

父親さえ邪魔をしなければ――カイトはたまに自分の父親である警察庁次長の息子という肩書きを脱ぎ捨てたくなることがある。


「で、立食師が捕まったって知ってる? 」
「立食師ってなんっすか? 」

甲斐の質問に角田は小ばかにしたように指をさして「知らないの~? 」と笑う。


「ええ、知りませんがそれが何か? 」


カイトは苦々しく顔をしかめながら、皮肉で言葉を返す。
人がせっかく気分良く一日をはじめようと思っていたのに「唯でさえ訳の分からない上司といっしょにいるんだから勘弁してくれ! 」と心の中で毒づいた。


「最近の若い人は知らないのかもしれませんねえ」
「だから立食師って何なんですか! 」


杉下は指を立て「いいですか、カイトくん」と前置きをした。
カイトは自分のペースでのんびりと話す杉下に苛立ちながら黙って頭を振った。


「立食師というのはゴトと言われるさまざまな方法を使って、タダで飲食をする人物を主にいいます」
「それって、ただの食い逃げですよね? 」

カイトの言葉を無視して杉下は話を続ける。

「ゴトの手口は話術であったりしますが、その手法においては一切の暴力行為や恫喝の類は行いません。まさにその手口は……」


「芸術の域に達しているといっても過言ではありません! 」

いつの間にか現れた鑑識課の米沢が興奮のあまり鼻息も荒く、杉下の言葉を奪い去った。
突然の登場に驚いたのか角田は飲んでいたコーヒーをこぼしてスーツにシミをつけ、カイトは心臓の辺りを押さえながら荒れた呼吸をととのえ、杉下は持っていたティーカップを揺らした。

「すいません、つい興奮してしまいまして」

独特の髪型と黒縁眼鏡。米沢守は鑑識の中でも腕はいいのだが特命係につるんでいるため周囲の人間からは、やはり変人の一人だと認識されているようだった。
確かにどこかしら変わっている人だと、何度も米沢に接するうちにカイトも周囲の評価は妥当だと納得するようになっていた。


「杉下警部、これを」
米沢がずっしりとした重みを持った茶封筒を杉下に手渡す。
「これは? 」と杉下は茶封筒から何枚かの書類を取りだした。


「立食師の事件に関しての捜査資料です」


「えっー! 」とカイトは大きな声で資料を指差した。
こんな勝手なことが警察組織としていいのだろうか、カイトは米沢に冷たい視線を向けるが、その行為自体に怒りはわかず、日常風景として受け入れている自分に驚いていた。


「いいんですか? 」
「いいんですよ」


杉下と米沢のワザとらしい掛け合いを飽きれながらカイトと角田は見つめていた。
しかし、カイトは自分が事件に関係することができることに内心ガッツポーズを決めていた。



[35639] 二 取調べ
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/11/05 09:23

取調室はすでに取調べ開始時の熱量を失っていた。
さすがの伊丹もいつまでものらりくらりと交わす立食師に、疲れきっていた。

伊丹と同じく取調べをしていた三浦はすでに諦めたのか「暖簾に腕押し」とばかりに取調室の壁にもたれかかって休憩している。


「みなさん、ずいぶんお疲れですねえ」
「うわ、びっくりした! 」取調室をマジックミラー越しに眺めていた芹沢は不意に現れた杉下に驚いた。

「芹沢先輩、あれが立食師ってやつですか? 」

カイトは遊園地の乗り物を待つ子供のように容疑者を指差す、芹沢は疲れたように頷くと「伊丹さんなんて、イタミンなんて呼ばれてるよ」と力なく笑う。

「顔に似合いませんよね」とカイトが言うと、芹沢は『そうそう』と言わんばかりに頭を小刻みに振る。二人の後ろからマジックミラーを覗いている杉下も「おやおや」と噴出しそうになるのを口を押さえて堪えた。

「で、どこから立食師について情報を? 」

芹沢情報の出所は米沢あたりだろうとアタリをつけた。
どうせ、いつもの事だし最終的に手柄は自分達のものになるし、と芹沢は内心ほくそ笑む。自分達三人がいくら取り調べたところで相手の立食師はのらりくらりとかわすだけ、なら特命係を使って少しでも事件解決の手がかりがでてくるのなら儲けものだろう。


「そんなことより、どうなってるんでしょうか? 」


杉下が話をそらすように芹沢に質問をする。
やっぱり米沢かと芹沢は頷く。

「どうせ隠しても無駄でしょうからいいますよ。現在取調べを受けているのが通称カントクと呼ばれている立食師です。またの名をアラ煮のトクと呼ばれている本名、徳田寛治です」

「二つ名って……」

カイトが呆けたような顔をする、確かに二つ名を持つ輩はめずらしい。いまだに二つ名のような風習があるのはやくざか刑事ぐらいだろう。

「それから? 」と杉下が話しを進めろとばかりに相槌を打つ。
芹沢は咳払いを一つして話を続けた。

事件発生現場は近くの漁港だった。

本日明朝、漁港の冷凍倉庫内に長門守、五十一歳が胸部を鋭い細長い棒状のものでさされ死んでいるのを漁業関係者に発見された。

第一発見者――富田健二によると発見当時、長門に凶器は刺さっていなかったらしい。
富田の報告によりまもなくして、現場近くの巡査が到着。その途中、泥酔状態で事件発生現場の近くにもたれかかって寝ている徳田を発見、その右手に人間のものと思われる血液が付着したアイスピックを所持していたことから、緊急逮捕と相成ったのだった。

さらに、現場の聞き込みによると事件前夜。遺体が発見された倉庫前で殺された長門と誰かが言い争っているのを近所の住人が目撃していた。

徳田が犯人と思われる証拠がありすぎるほど、あるのだ。

「ほとんど決りじゃないですか! 」とカイトが叫ぶ、確かに普通ならこの時点で事件解決だ。

「まあ、これからが問題なんだよ」と芹沢はあせるカイトをなだめる。

鑑識の結果によると長門が死亡した原因と思われる傷跡と徳田が所持していたアイスピックの傷跡と一致しなかったのだ。また、長門と誰かが言い争っていた時間に徳田は近くの居酒屋で店主と酒を飲んでいたとその居酒屋の常連客の一人が証言している。

現状では証拠不十分。
徳田のアリバイと凶器の傷跡が一致しない理由を突き止めなければ書類送検には難しい。

「なるほど良く分かりました」

杉下が頭をさげる。
「どうぞ中へ」芹沢がドアの入り口に二人をエスコートすると杉下が「今日はずいぶんと気前がいいですね? 」と苦笑いをする。「いいんですか! 」と杉下とは対照的にカイトは興奮気味だ。

ドアを開けると取調室は奇妙な沈黙に包まれていた。何を聞けばいいのか、何を話せばいいのか、三浦と伊丹は考え込むように立食師を睨んでいる。

そんな二人に芹沢が手を上げて挨拶をした。伊丹が挨拶を返そうと手を上げると、後ろの特命係に気づいたのかうんざりしたように顔をゆがめる。「またか」と伊丹の口が動いたのが見えた。芹沢は思わず条件反射のように首をすぼめた。

「イタミンこいつら誰よ? 」
「だから、俺のことをイタミンってよぶんじゃねえよ! 」

伊丹は芹沢の隣に立つとスーツの首根っこをつかみ上げて「芹沢くーん」と苦々しい顔を近づける。
芹沢はそんな伊丹に特命係の二人には聞こえないような小さな声で「こういうときこそあの二人を使いましょ? 」と恐る恐る伊丹の顔を見返す。三浦はただ黙って同意するように頷いた。

「警部どの、それではよろしくお願いします」

ああ、この人単純でよかった。
そう芹沢は心の中で伊丹の性格に感謝した。

伊丹は芹沢の首根っこから手を離す。芹沢はやれやれという風にため息をつくと、伊丹と三浦といっしょに取調室から出ることにした。




「では、カイトくんお願いしてもよろしいでしょうか? 」

杉下の意外な申し出にカイトは思わず「マジっすか! 」と喜ぶ。


「兄ちゃん、ずいぶん若いみたいだね? 」

徳田は軽いボディーブローのような第一声を打ち込んだ。それを無視してカイトは「なぜ、長門さんを殺したんですか? 」とその挑発には乗らなかった。

「殺すってどういう意味で? 」

さすがに今度の挑発にはカイトは耐え切れなかったのか「あんたが長門さんをアイスピックで刺し殺したんだろうが! 」と怒鳴る。しかし、徳田はカイトの言葉を無視して一人で語り始めた。

「殺すといっても、兄ちゃん。いろいろな意味があるんだよ? 文化人類学的な死、熱が失われることによる死。人々の記憶からの抹消もある意味、人を殺しているのと同意義だとカイトくんは思わないかね? 」

「はあ? 」カイトは眉間にシワをよせ青筋を立てる。

「一言に殺すといっても哲学的な意味や文化人類学的な意味、さまざまな意味があるけれど」



「ふざけんな! 」


カイトは徳田の言葉を遮って大声を張り上げた。
マジックミラー越しに二人のやり取りを見ていた芹沢は「ああ、これじゃダメだ」とかぶりを振った。もうすでにカイトは立食師にいいようにやられている。

まあ、ここまでは予想通りだけれどもと、芹沢は伊丹の顔を見て頷いた。


「だから、アイスピックを使ってどうやって長門さんを殺したと言っているんだ! 」
「そこまで分かっているならどうして送検しないんだい? カイトくん」


「それは」とカイトは言葉に詰まった。

芹沢は思わず立食師の話術に舌を巻いた。いまだに送検しない理由お話してしまえば、犯人だけしか知りえない情報を教えてしまうことになる、凶器はアイスピック以外の何かかもしれないと。

しかし、その立食師の質問に戸惑ってしまっては半分答えを言っているも同然だった。

証拠が足りない。

どちらにしても、カイトには立食師の相手は荷が重いように思えた。芹沢は心の中で「はやく杉下警部に変わってもらえればいいのに」とカイトに同情する。



「なぜアイスピックでなければいいけなかったのでしょうか? 」


杉下が沈黙を破るかの用に徳田に質問をした。
これでもカイトに助け舟を出してるつもりかと、芹沢は顔をしかめた。

「もしも、突発的な犯行であったとするなら何も、アイスピックなど使わずとも冷凍倉庫の中であれば凶器になりそうなものはたくさんあったと思うんですがね」

「たとえば? 」


徳田が杉下の話に乗ってきた。
マジックミラーから取調室を見つめる三人は思わず身を乗り出す。

「アイスピックを使わなくとも、氷の塊で頭を殴りつけたり、そのまま冷凍倉庫に長門さんを置き去りにすれば十分に殺害は可能だと思うのですが」

「よっぱらっていたから手元にあったアイスピックを使ったんじゃないの? 」


徳田はさも他人事のように杉下の挑発に乗った。


「それは自白と考えてもよろしいのでしょうか? 」

「まさか、でももしアイスピックで刺し殺したんなら良く一回で俺は刺し殺せたなと思ってね」

「おや、では凶器は他のものだったと? 」

「俺が目を覚ましたときにはアイスピックを握っていたけれど、そいつで長門を殺したと言うのは不適切な表現じゃないかね? 」


杉下と徳田がお互い笑ったまま睨みあう。カイトは申し訳なさそうに、杉下の後ろに立っていた。

「最後に質問してもよろしいでしょうか? 」

徳田は大きく頷く。

「なぜあなたは自分が犯人なら犯人と、犯人でないのなら犯人でないと正直に言わないのでしょうか? 」

マジックミラー越しに伊丹、三浦、芹沢の三人は杉下の顔を覗き込んだ。
確かに今まで自分の犯行を肯定もしなければ否定もしていない、だたのらりくらりとかわすだけだった。

徳田は口の端を大きく上げてにやりと笑った。


「俺は立食師だからね」



[35639] 三 事件考察
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/11/27 09:49
いったん徳田への取調べは中止されることになった、杉下がなにやら勘付いたようだと分かったからだ。


ならば真相は他にある。


伊丹と芹沢が現場へ聞き込みをするために車を走らせ、杉下とカイトもとりあえず駐車場に向かうことにした。

「おや、珍しいですね」

杉下は二人よりも先に車の前で待っていた三浦に声をかける。

「警部殿。今回の事件、どう思われますか? 」
「といいますと? 」三浦の突然の質問に杉下は少し驚いたようだった。

「相手は立食師ですよ? もしかしたら、ワザとわれわれを騙くらかしているのかもしれません」

「なんのために? 」

カイトは理解できないと言う風に頭を抱えた。
立食師とはそれほどまでに普通の犯罪者と違うのか?

確かにあのままでは気に食わない。
勝ち試合だったにも関らず不意の一撃で逆転を決められた。そんな気持ちの悪さをカイトは抱えていた。

自分のツメが甘かった、自分が未熟だった。
カイトは杉下にわからないように、唇を噛む。


世の中にはさまざまな犯罪者が存在する。いかに公明正大な人間であろうとも罪を犯してしまえば犯罪者だ。特に自らの立場を使って罪から逃げるような輩をカイトは許せなかった。


しかし、この立食師はそんな連中とは違うと思った。
犯罪行為スレスレなのにも関らず、杉下や米沢、それに三浦の態度を見る限り、徳田を毛嫌いしている様子はない。


だれもが立食師に翻弄されているにもかかわらず楽しそうに見えた。



確かにどうやって、立ち食いそば屋の亭主に説教をするだけでそばをタダで食べたのだろうか?


前に聞いた話を思い出し、カイトは自分の頭に浮かんだ疑問を払うように頭を振った。


「徳田は留置所のただ飯を食べるたいがために、わざと犯人を演じているのではないでしょうか? 」


「確かにその可能性も十分考えられますね! 」


カイトは杉下の言葉に驚いた。
たったそれだけの理由で、自分の無罪を主張しない犯罪者がいるわけがない。
誰だってくさい飯はいやだろう。もちろんそれが自分が起こした犯罪だとしても。


鼻息も荒く杉下は三浦の言葉に同意するかのようにお互い頷きあっている。

カイトは何がなんだかまったく訳が分からなくなって、大きなため息を吐くのだった。





環状線をミニカーのような杉下の愛車がカイトを乗せて犯行現場に向かう。

カイトは車の窓から外を眺めながら今までのことを考えていた。


立食師の話がでてから杉下はどこか楽しげだ、ただの無銭飲食の常習犯の何が面白いのか?

カイトは杉下に聞かねばならぬことがあった。


「そもそも、なんなんですか立食師って? 」

「おや、それにはキチンとお答えしたと思っていましたけれど」


杉下がおどけたように言葉を返す。

「あんな説明じゃまったく理解できません」

「ヒントです」

「突然何なんですか! 」

相変わらず自分とリズムが合わない杉下にカイトはイラつく。

「私が以前解決した事件で意外な食材が犯行に使われました。それは一体なんでしょう? 」

杉下の突然の質問にカイトは考え込んだ。
杉下が何を言いたいのかまったく理解できない。


「さあ、知りません。冷凍してあった牛肉かなんかで殴り殺したんじゃないんですか? 」

ふて腐れたようにカイトは答えた。
「正解は冷凍されたイカでした」

「そんなもので人を殺せるんですか? 」

カイトは驚きのあまり、杉下の顔を覗き込む。
確かにどんな食材であれ冷凍されればある程度は硬度が増すだろう。冷凍庫に入れておけばバナナでさえも釘を打てる、それにある程度の重さが加われば人を殺すことだって可能だ。
しかし、冷凍されたイカが凶器として使われたというのは頭で分かっても、なんとなく腑に落ちない。


「ええ、殺せるんですよ。しかも、刺殺です。さらに、その犯人はあろう事か証拠隠滅のためにそのイカを調理して、君の特命係の先輩に当たる亀山君に食べさせたのです」


カイトは車の振動にあわせて唸る。


「ですので、何が凶器になるのか全くもって分からないということなんですよ」と杉下が話をしめくくった。





[35639] 四 現場検証
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/11/28 09:36
二人が車から降りると、海から吹きつける潮風と、魚類独特の生臭いにおいが漂っていた。
朝早くなら怒号のような掛け声が響き渡っているであろう、港には仕事の時間が終わったからか、人の姿はまばらだ。



「 なぜ犯人はアイスピックを使ったのでしょうね? 」


事件現場となった冷凍倉庫内の中を見渡しながら杉下は独り言のようにカイトに問いかける。

「 たまたまアイスピックを手に持っていたから……?」


杉下は山積みになっている冷凍された魚を指差した。


「だとしても、相手を殺そうと思うのならここにある物を使ってもなんら問題はないと思うのです」



「確かに」とカイトは小さく頷く。


いくら鋭利なアイスピックとはいえ、人を殺す道具としては心細いだろう。本気で相手を殺そうと思うのなら包丁か、それなりの鈍器を使ったほうが確実だし、相手から反撃を受ける可能性も少ない。
冷静に考えれば他の物を使うはずだ。


「さらに言うなら、どうして徳田さんはアイスピックなんて持ち歩いていたのでしょう? 普通ならそんなものを持ち歩かないと思うのですが」

「氷を割るためのものを酔っぱらって拝借してしまったとか? 」


我ながら苦しい、とカイトは思う。
カイトの心中を知ってか杉下がすさかず疑問を投げかける。


「君は居酒屋などで飲むときに、アイスピックを渡されますか? 」

「普通ああいうものは、お客の手元には置きませんよね……」

カイトはバツが悪いように肩をすくめた。
さらに杉下が追撃をかける。


「突発的な犯行だとすると矛盾が生まれると思いませんか? 」

カイトは黙って頷いた。


突発的な犯行ならば手元にある物を凶器とするはずだし、計画的な犯行だったとしたらアイスピックを用いる理由がない、手近なところにいくらでも殺傷力の高い道具はあるからだ。
考えれば考えるほど、アイスピックを犯行に用いたとは考えづらい。


「じゃあ、犯人は別にいると? 」
「その可能性が高いと考えるのが普通でしょう」


二人は冷凍倉庫の外にでると見張りの警官に一礼してから、徳田が事件前に飲んでいたとされる居酒屋に向かうことにした。




「徳田さんって誰だい? 」


店が始まる時間を狙って徳田が飲んでいた居酒屋「マッハ亭」に杉下とカイトは店主である、山崎昇に聞き込み調査をしているところだった。


「失礼、この写真の方です」


杉下はスーツの内ポケットの中から徳田の写真を取り出すと、山崎に手渡す。


「あ~カントクのことか! 」

山崎が合点がいったというように、手を叩くと「うんうん」と頷く。カイトは杉下の隣によると耳元で「本当に二つ名って本当にあるんですね」と感心していた。


「どうして、徳田さんはカントクと呼ばれているのでしょうか? 」
「なんでも昔は映画監督をやってたとか。みんなは工事現場の監督やってたからっていってるけど」

杉下は満足したと言わんばかりに大きく頷く。カイトはそのままきびすを返してこの場から立ち去りそうな杉下に代わって質問を続ける。

「昨夜、そのカントクは何時までお店で飲んでたんですか? 」

山崎は腕組みをしてひとしきり唸ると「12時ぐらいかなあ」と自信なさげだ。


「ずいぶん遅くまで飲んでいたんですね? 」

「こちらの閉店時間は10時なんですよね? 」


「え? 」と山崎は二人の不意打ちに困ったように笑うと「あの日は二人でいっしょに酒を飲んでて……」とバツが悪そうに頭をかいた。


「いやあ、たまたま話が盛り上がってしまいまして」

「それを証明するものってありますか? 」


山崎は「はい」と答えると立ち上がってレジから伝票らしき白い紙を取り出すと杉下に手渡した。


「そのレシート、カントクに渡し忘れちゃって」


手渡されたレシートには今日の日付と0時15分と時刻が記されている。


「ありがとうございます、ところでこれ頂いてもよろしいでしょうか? 」

山崎は返事をせず黙って頭を振ると時計を指差した。

「そろそろ時間だから、いいかい? 」




二人は次に長門守がよく通っていたとされるスナックに向かった。
「なんか、すごい名前……」カイトは「西部戦線」と書かれた看板を見上げると一人つぶやく。


「行きますよ」


杉下に促され店内に入ると、このスナックのママであろう女性がテーブルを丁寧に拭いているところだった。


「ごめんなさい、まだお店やってないの」

にっこりと上品に笑うママは、開店前だからか化粧をしていない。その割りに大きな目がしっかりと自己主張をしている。

昔はどこぞのクラブで人気だったのだろうと、カイトは思った。

「いえ、我々はこういうもので」

杉下はポケットから警察手帳を取り出す。何千回と繰り返された慣れた手つきで証明写真をみせた。


「もしかして、長門さんのこと? 」


頭の回りも速いのかと、カイトは伊達にスナックのママを任されているわけではないのだなと納得した。


「刺し殺されたんですって? 」


「よくご存知で」と杉下は頷くと「えー」と語尾を延ばす。
「ケイよ」とポーチからタバコと名詞を取り出し二人に手渡すと「本名なの」と付け足した。


「確かに長門さんはここの常連だったわ。先に言っておきますが私も長門さんからお金を借りてます。まあ、あまり評判のいい人ではなかったわね」


ケイはタバコをくわえると、テーブルの上にあるライターを手に取り火をつけた。


「話がはやくて助かります」


杉下は頭を下げる。


「長門さんは昨日もこの店に来て、10時過ぎごろには店を出て行ったわ。私は2時までアルバイトの子と片づけをしてから、一人で家に帰りました。家に帰ったのは4時ごろだったかしら」

ケイはひとしきり話し終えるとタバコの煙を吐き出した。


「この方をご存知ですか? 」

カイトは徳田の写真をケイに手渡す。


「あー、カントクさんね! この人が犯人なの? そんな人には見えなかったけど」

「徳田さんはこのお店によくこられていたんですか? 」

ケイは徳田の写真をカイトに返すと「ここら辺の店の人はカントクさんのこと皆しってるんじゃない? 福の神みたいな人だったから」と答えると「徳田って名前だったんだ」と一人で笑った。


「福の神みたいな人? 」とカイトが素っ頓狂な声を出した。

あの中年太りの親父が福の神とは思えない、確かに体系だけなら恵比寿さまのようでもあるが訳の分からない理屈をこねる徳田のどこに福の神の要素があるのだろう。


「どうして福の神なんでしょうか? 」

杉下も気になったのだろう、興奮しているのか軽く握った手を躍らせている。

「あの人のゴトってとっても素敵なのよ」とケイは笑顔で言った。



[35639] 五 雑談
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2012/12/28 11:52

「そもそもゴトって何っすか? 」

聞き込み調査を終えた杉下とカイトの二人は自分の部署に戻ってお互いコーヒーと紅茶を飲んでいるところだった。

「おや、そういえば教えていませんでしたか? 」

「ええ、教えてもらっていません」

カイトは不服そうにコーヒーをすすりながら答えた。

パチンコや賭け事などで言われる“ ゴト ”とは根本的にどこかが違う。
普通、ヤクザやチンピラがつかう“ ゴト ”とは恫喝の類をさす。
その風貌やガラの悪さを利用して金品を騙し取る、脅し取る。それが世間一般的な” ゴト ”だ。

しかし、徳田の” ゴト ”はどうも性質が異なる。


「いいですかカイトくん」


杉下のいつもようにもったいぶった言い方を聞きながら、カイトはカップの底にたまった残りのコーヒーを飲み干した。


「そもそも一般的に使われるゴト行為と、立食師が使うゴトとはその性質が異なります」

「はあ」


そりゃあまあ、そうだろう。

カイトは白いカップに残ったコーヒーで出来た渋を見つめている。
杉下はカイトのことなど眼中にも無いといった風に指を立てて熱弁をふるっている。


「立食師が使うゴトというのはその話術、自己演出術により主に飲食店に対してごく自然な方法で無声飲食――平たく言えば、タダ食いを行うことにあります。しかし、その方法はそれぞれの立食師によって異なります。たとえば中辛のサブですが」

「中辛のサブ!?」

なんだ、適当なその名前は。
そんな通り名でいいのか、サブ。

カイトは心の中で思わず突っ込んだ。

「はい、中辛のサブです。この中辛のサブというのはカレー専門のゴト師でインド人としか見えないその風貌を使って、店主にこう問いかけるのです」

杉下はゆっくりと息を吸い込む。


「まさか” 中辛” ですか? 」


ちゃちゃを入れたつもりのカイトに杉下が驚いたように――いや、驚いているのだろう。目を大きく見開いて「おや」と小さくつぶやいた。


「……本当ですか? 」
「カイトくん……本当は知ってたんじゃないんですか? 」


話の腰を折られた杉下はふてくされたようにカイトに背中を向けると手に取った紅茶を机において自分の椅子に座った。

「いや、続きを教えてくださいよ」

カイトがすっかり機嫌を損ねてしまった杉下の隣にしゃがみ込む。


「お願いしますって、杉下さん」

「本当に聞きたいですか? 」


ああ、めんどくせえこの上司。
カイトは立ち上がってポケットに手をつっこんで、杉下に苛立ちを隠しながら「お願いします」と頭を下げる、するとその背後から声が。

「私もその話、興味ありますね」

不意に後ろから現われた鑑識課の米沢が興味津々といった具合に、眼鏡を光らせている。

「驚かせないでくださいよ 」

心臓の辺りを押さえながらカイトが米沢につばを飛ばす。米沢はそんなカイトの様子など気にもせず「続きを」と杉下に話を促している。

「いいでしょう」と米沢の登場で機嫌をよくしたのか杉下が椅子から勢いよく立ち上がった。


「その前に」
「アレですね? 」

米沢は後ろに隠すように持っていた茶封筒を杉下に差し出す。


「ありがとうございます」
「いえいえ」

二人のやり取りを横目にカイトはため息をついた。
本当にこいつらときたら……。


「やはり死亡推定時刻は分かりませんでしたか」

それも想定内だったといわんばかりに杉下は頷く。
つづく米沢もいつものように淡々と答える。


「やはり冷凍庫内で発見されたからでしょう。凍りついた死体では死亡推定時刻を測るのは無理でした」


「でしょうね」

カイトは自分のコップと来客用のコップにコーヒーを注ぐと米沢に手渡した。

いくら人間といえども素を正せばたんぱく質の塊だ。冷凍されてしまえばたんぱく質はズタズタに傷つく、解剖のために解凍されてしまえば余計に。

「じゃあ凶器も? 」

カイトの質問に米沢は首を縦に振る。

「冷凍された状態の時点で一応の確認は出来ていますが、やはり凶器は証拠品として押収されたアイスピックとは言いがたいですね……」

これでますます徳田の線は薄くなった。
では、犯人は誰か?

カイトは低く唸る。


「では、杉下警部。話の続きをお願いします」

杉下は満足そうに「わかりました」と大げさに頷いた。

「中辛のサブと呼ばれた立食師はそのインド人にしか見えない、しかしインド人ではない――しいて言うなら国籍不明のインド人と思われる風貌を使ってカレー店に向かうのです」

「一体どんな顔してるんでしょうね? 」
カイトの再度のちゃちゃに米沢は「シー! 」と子供にするように唇に人差し指を当てて注意する。

米沢にカイトは声は出さずに「ハイハイ」とめんどくさそうに何度も頷いた。杉下はというと、二人のやりとりなど全く気にせず自分の世界に入り込んでしまっている。

「その国籍不明のインド人という自己演出により、たわいも無い 『 中辛 』 という発言が一気に重みをますのです。その 『 中辛 』 と何度も繰り返すことにより店主にこう問いかけるのです」

米沢がつばを飲み、カイトがあくびをかみ締める。
話はどうやらクライマックスに差し掛かっているようだ。

「そう『 そのカレーは中辛なのか、それが本当に中辛でいいのか? 』 と。そしてカレー屋の店主はそのジレンマに勝てず、立ち去っていく彼に代金を請求できないという寸法です」

米沢とカイトが同時にため息をついた。
しかし、二人のため息の意味は全く違うことだろう。

「それで」とカイトが前々から気になっていたことを質問した。

「どうやって生活していくんですか? 」

杉下はカイトの質問に答えるべく、大きく息を吸い込む。
その光景を米沢は真剣なまなざしで見つめている。

「それは」と杉下が言葉をためる、「それは ? 」 とカイトと米沢が杉下の復唱する。



「それは……わかりません」



[35639] 六 疑問
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2013/01/07 00:27
「 ……というわけなんですが、教えていただけませんか? 」

取調室に徳田を呼び出し、杉下とカイトは事件そっちのけといった具合に立食師について質問している。質問の大半は事件とは関係のない立食師の生活についてであり、隣の部屋ではマジックミラー越しに米沢は鼻息荒く、三人のやり取りを真剣なまなざしで見つめている。

「あのさ」と徳田がめんどくさそうに口を開いた。

「マジシャンがマジックの種を素人に教えると思う? 」
「いえ、思いません」
「イカサマ師がイカサマのタネを教えないよね? 」

「無理ですか……」

杉下が残念そうに席を離れた。
杉下に代わり今度はカイトが座る。

「で、これだけ事件に関係ないことを聞いてくるって事は俺の疑いは晴れたのかな? 」
「さあ、それはどうでしょうか? 」

徳田は目の前のカイトを無視して、怪訝な顔で杉下の顔を見上げると杉下は黙って頷いた。
「オレは蚊帳の外かよ」とカイトは舌打ちする。

「あなたは事件前にマッハ定で山崎さんと夜遅くまで飲んでいたそうですが? 」
「ああ、そういえばそうだったっけかな」

「なぜそのことを隠していたんですか? 」
「いや」と一呼吸置いて「忘れてたから」と徳田は悪びれる様子も無くあっけらかんと言い切った。

「ちなみに何時まで飲んでいたんでしょうか? 」
「さあ、何時までと言われてもね……」

いつまでも要領の得ない会話、平行線で決定打がない。
徳田が犯人である可能性は低い。
にもかかわらず徳田は無罪なら無罪ではっきりと言わないのはなぜだ ?
ぐるぐると終わりの無い疑問がカイトの頭の中で反芻する。

カイトの考えを無視して二人は会話を続けている。

「でも食べた魚なら覚えてるよ 」
「それはなんの魚ですか? 」

いつまでこんな会話を続けるんだ?
カタカタと小さい耳障りな音が取調室に響く。

「杉下さん、ダツって知ってる? 」
「おや、それは珍しい魚ですね! 」

カイトはいつの間にか始まった自分の貧乏ゆすりに驚いた。
「まあいいか」と頷くとわざと今度はその貧乏ゆすりの音が明らかに二人に聞こえるようにする。
カイトは杉下の顔をチラリと覗き見ると、杉下は無反応を装っているように見えた。

「どのような味だったのでしょうか? 」
「いや、意外と淡白でうまかったよ」

杉下が黙ってカイトの椅子を軽く蹴る。
カイトは小さく頷くと、大きく息を吸い込んだ。

「刺身で食ったけど、ありゃから揚げも……」
「一体事件に何の関係があるんだ! 」

徳田はいきなりの怒気に驚いて、軽口をやめた。
カイトは畳み掛けるように言葉を続ける。

「お前が犯人なんだろ!! 」
「いやあ」と徳田は困ったように頭をかいた。

「杉下さん。コイツが犯人ですよ、さっさとあの証拠を突きつけたくださいよ! 」
徳田は杉下とカイトの真意を探るように黙って二人の顔を見比べている。
杉下がおもむろにスーツの内ポケットに手を入れた。

「徳田さん、あなたはマッハ定で夜遅くまで店主の山崎さんと飲んでいた。それは間違いないですね? 」

徳田は黙って頷く。

「あなたは山崎さんに勘定を払い、そこでアイスピックを手に入れ長門さんを呼び込み犯行に及んだ」

「ちょっと待って」徳田が杉下を止める。

「俺は立食師だよ、金なんて払うわけないでしょ? 」


「ええ、知ってますよ」

カイトは杉下に向かってウインクをしてから、満面の笑みを顔に貼り付けて徳田を見ると徳田は「しまった」という顔をした。
杉下は内ポケットに入れていた手を出してマッハ定でもらったレシートを見せると、徳田は苦笑いをしながら「そういうことか……」とつぶやいて降参したと言わんばかりに両手を挙げて万歳をした。


隣の部屋ではマジックミラー越しに米沢が小さくガッツポーズを決めていた。



[35639] 七 犯人
Name: なんとかなるさ◆998e713a ID:b3cf1309
Date: 2013/01/16 01:59
「 残るは凶器のみ……ですかね? 」

徳田の証言で犯人のめぼしはついた。
あの時の徳田の” ゴト ” の証言がなければ確定的な証拠はあがらなかっただろう。
結局のところ立食師の意地のおかげか徳田の食い意地のおかげかと言われたら、後者だろうとカイトは睨んでいる。

取調室に徳田を残しカイトと杉下は漁港へと足を運ぶことにした。
後のことは米沢がどうにかしているだろう。

杉下の車で漁港に向かうと相変わらず人の姿は少なかった。昼過ぎの時間だからか朝来たときよりも魚の生臭みが強くなっている気がした。

「凶器はすでに判明しました」
「え?」

思わず「どうやって」と聞きそうになったがカイトは頭を振ってその考えをやめた。
どうせ聞いたところで素直に教えてくれる相手ではないし、どうせうやむやにされるだろう。
「放っておこう」とカイトは心のなかで頷いた。

カイトの心中を知ってか知らずか杉下はどんどんと足早に遠ざかっていく。
小さくなった杉下の後ろ姿に気づいたカイトは走ってその後を追った。


「いらっしゃい」

二人の顔を見るやマッハ定の店主、山崎は営業用の笑みを消して心底めんどくさそうな顔をした。
カイトはその山崎の顔が一瞬だけ曇ったような気がした。

「なんの御用でしょうか?」

山崎はカウンター裏で仕込みをしているのか店内にはリズミカルな包丁の音が響いている。
これはファのシャープだな、と子供のころに仕込まれたピアノのおかげで培った絶対音感で嫌でも雑音に音色がついてしまう。

カイトは誰にも聞こえない声で「くそ親父め」とつぶやいた。
杉下が自分のほうを見た気がするがきっと気のせいだろう。

「実は真犯人が分かったもので……」
杉下のまっすぐな視線に一瞬、山崎が後ずさりをした。
山崎は子気味良いリズムでファのシャープを奏でていた包丁をフキンで軽くぬぐってからゆっくりとした足取りで杉下の前に立った。

「ということはやっぱりカントクが犯人だったの? 」
「いえ、違います」

あまりにもあっけない杉下の答えに山崎は力が抜けたように「あっそう」とだけ言って椅子に座った。

「じゃあ、真犯人はだれなの? 」
山崎は懐からライターとマイルドセブンを取り出すと、ゆっくりとした手つきでタバコを口へと運ぶ。
山崎の手が小刻みに震えているのをカイトは見逃さなかった。

やはり、山崎が犯人なのか。
動機の線も山崎なら被害者の長門から借金をしていたことが分かっている。

後は凶器が見つかるか、あるいは山崎が自白する意外に事件の解決はない。
少なくとも立食師の徳田が殺人容疑で誤認逮捕されることだけはなくなったので良かったと言えばよかったが。


「山崎さんあなたですよ」
ある程度、予想はしていたのだろう山崎は黙ってタバコの煙を吐き出した。

「凶器は」
「はい?」

「凶器は見つかったの? 」と山崎は震える手を隠すように灰皿にタバコを押し付けると二本目に火をつける。

杉下は短く「ええ」と答えるとカイトに目配せをする。
往生際の悪い、とカイトは思った。
王手が決まった将棋、チェックメイトで逃げ場の無いキング。杉下の犯人への追い込みは将棋やチェスのそれのように完全に相手から退路を断つ。
ほとんど逃げ場のない状況で杉下の追及から逃れるすべは無いだろう。


「あなたは事件前夜、徳田さんといっしょにお酒を飲んでいたと証言しましたよね? 」
カイトの質問に山崎は頷く。

「そのとき徳田さんにあげ損ねたレシートがこれだったと」
カイトは自身の携帯電話の画面からレシートの画像を選択すると山崎に見せた。

「これが何か? 」山崎は引きつった笑いを浮かべている。その額から大粒の汗が今にも流れ落ちそうなほど溜まっている。
「あなたは徳田――カントクの職業を知っていますよね? 」
「立食師……」

杉下は「それ、職業じゃないですよ」とカイトに言うとバトンタッチとばかりにカイトに変わって山崎の目の前に立った。

「あなたは先ほど凶器が見つかっていないとおっしゃっていましたが、だれから聞いたんですか? 」
「それはあんたらと、その前の刑事さんの口ぶりからさ」

苦しい言い訳だな、とカイトは思った。しかし、カンがいい人間ならば確かに凶器が見つかって無いことに気づくだろう。
”凶器が見つかっていないことを知っている”という事実だけでは逮捕することはできない。

「いいでしょう」杉下もそれが分かっているのだろう、あえて詳しく聞こうとしない。
山崎は大きなため息をつく。

やり過ごせたとでも思っているのかもしれないな、とカイトは杉下の後姿を見ながら考えた。

「実は凶器ですが、すでに見つかっていたのです」
「え? 」

狼狽する山崎を無視して杉下はどこか楽しげに手を振りまわしながら言葉を続ける。

「あなたは事件当日の夜、ある食材を食べさせました」
「何のことですか!」と大声を上げる山崎を静止しする。

「実はあなたはその凶器を使って――たまたまなのか計画的な犯行なのかはわかりませんが長戸守さんと口論になり冷凍庫でめった刺殺した。あなたにとって幸運だったのは冷凍庫で長門守さんを殺したため死亡推定時刻が不明瞭になり、アリバイを作り易かったことでしょう」

山崎はすっかり短くなったタバコに気づかず淡々とすすむ杉下の話を聞き入っている。
事実と異なっているからか、それともすべてをあきらめたのか、それともカウンターパンチになるだけの証拠がまだあるあのかもしれない。


カイトは山崎の顔をしっかり見ながら杉下の先の言葉を考える、凶器は一体なんだったのかを。

「あなたはその凶器を処分することを考えた。しかし、血のついた凶器を処分しようにも捨て場所によっては自分が疑われてしまうかも知れないということで、徳田さんを利用することにした。あろうことかあなたはその凶器を徳田さんに食べさせることによって処分したのです! 」

「まさか! 」
「ええ、そのまさかです」

カイトの脳裏に徳田との会話が浮かんだ。しかし、あんなものが凶器になるとは思えない。

「そう、それは徳田さんに食べさせたダツです」
「魚なんて凶器になるもんか! 」山崎が杉下に食ってかかるようにつばを飛ばしながら詰め寄る。
確かにいくら冷凍したといっても、ダツは魚だ。アイスピックのような鋭く長門の身体に突き刺さるとは思えない。

「いえ、それがなるんです。沖縄では年間5人以上の方がダツに突き刺されているとの報告があります。また、実際に飛んできたダツに刺さって病院に運びこまれ九死に一生を得たという新聞記事も過去にはありました」

「マジですか……」カイトは驚きのあまり口を大きく開けたまま固まってしまった。
あまりに現実味のない現実だ。ギャグかと思うがこの場面で杉下がそんなことを言う訳がない。

山崎はまだ観念していないのか額に溜まった汗を拭いながらも目だけはギラギラと光っている。
山崎のあの目はチャンスを狙っている、そうカイトは直感した。

「あなたは冷凍保存され固まったダツを使って長門さんを刺殺した後。確かに血のついたダツが漁港に転がっていたら事件になるかも知れない。そう考えたあなたはそのダツを証拠隠滅のためにたまたま来ていた徳田さんに調理して食べさせた。そして、お酒に睡眠薬でもいれたのでしょう。意識をなくした徳田さんにアイスピックを持たせて、長門さんが死亡している冷凍倉庫の前に放置した」

「でも」山崎は腹のそこから搾り出すような声を出した。

「でも、その証拠はない。実際にダツを食べさせた証拠も、私が犯人だという証拠も! 」

大きな声ではないにも関らず山崎の声は枯れていた。

「いえ、その証拠はすでに見つかっていますよ。実は徳田さんは発見された冷凍倉庫の前で嘔吐していました。そして、その嘔吐物から……」

カイトは山崎の後ろに立ち「もうあきらめろ」と肩に手を置くと、「私がやりました……」と消え入るような声でつぶやいた。


すべての駒を取られた裸の王にもう逃げ場は無かった。


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