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[35704] 東方婚活録~思わず魅惑、我ら婚活部~
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2015/01/07 11:45
 原作と口調などが変わっている点があり、歪んだ自己解釈もあります。
 オリジナルのキャラが出ます。プロットもありません。文章がいくらか粗い可能性があります。

 それらを踏まえたうえでお読みいただくことをご推奨いたします。

 ここ半年ひどいスランプに陥り、まるで書けない状態でしたが、最近になって回復の兆しが見えてきましたので、リハビリがてら書かせていただきます。読者諸賢のみなさま方のご批判があろうかと存じますが、敢えて前作を消去せず、おなじカテゴリの内に投稿させていただきました。なんとなれば、初期に書いた自由奔放な筆致(自分で言うのはおこがましいのですが)と、今現在の病み疲れた筆致の違いをぜひとも比較してもらいたがゆえです。このようにくどくど書き過ぎるのも、おそらく、まだスランプの影響をひきずっていることに由来しましょう。ことほど左様に、本文における我が筆致にも、いかばかりか疑心暗鬼な筆の運びが現れておりますし、ユーモアが著しく欠けている可能性がございます。
 それをご承知の上で、ぜひともご高覧くだされますよう、お願いもうしおきます。



[35704] ぷろでゅーさーさん、偶然ですよ、偶然。
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/06/09 09:25
 幻想郷にはたして婚活は必要あるのだろうか。
 蓬莱山輝夜は、わけもなくそう考えていた。

 現在彼女は、人里にて催された、建前は町内の親交を深める、しかし本当は生き遅れの男女をくっ付けるという――ありがた迷惑な――集団お見合いの、立食パーティーに参加していた。
 別段、彼女自身がアクティブな動機で参加しているのではなく、永遠亭のメンバーが人里のお偉いさんに誘われてしまい、それをむげにできないため、夕飯の支度をする者がいなくなり、料理スキルゼロの彼女は仕方なしに参加することになったのだ。

 パーティーはシャンデリアがぶら下がる洋風のアトリウムにて催されていた。このアトリウムは幻想郷近代化の先駆けとして、最近、人里の真ん中に建設されたもので、中々風通しも良く、シャンデリアのおかげで一面が明るい。聞くところによると、このシャンデリアはかなりの高値のアンティークらしい。
 とはいえ、どんなに金がかかっていようが、輝夜の印象は芳しいものではない。まるで将棋の駒の中にチェスのクイーンを置いたように、情緒が漂う景観とミスマッチの感が強すぎるのだ。意外に好きだった街並みを崩されると、楽しみが減らされたような、やりきれないような、嫌な気持ちになるのであった。

「…………」

 輝夜は外へと続くドア近くの壁に寄りかかっていた。そこから見ると、パーティーの状況は明確である。

 30ほどの円卓が綺麗に並んでおり、その円卓のまわりでは、各参加者たちがお目当ての相手を誘って、三々五々に歓談を咲かせている。ここにいても笑い声が聞こえるし、かるいボディータッチも見られる。

 しかし、それを批判する気はない。もっと言えば良いことだと思う。このパーティーの意義をちゃんと理解して、闊達に動いているのだ。批判する理由はそこからはくみ取れない。

 だが、すぐ隣に妖怪がいるというのに、里人が安逸な表情を浮かべているのは…………どう考えてもおかしい。妖怪は人間にとって天敵であり、その逆は言わずもがな。

 それなのに、人間は天敵と笑いあったり、助言を与えたり、あまつさえ、甘い言葉をもって口説く奴さえいるのだ。おまけに、相手も相手でまんざらではない様子、要するに、食物相手に頬を赤らめているのだ。

 しかし……仕方ないのかもしれない。

 妖怪が人間に恋をすることは昔からある話である。それに加え、昔よりも食べ物の選択肢が増えて、好き好んで人間を食する者も少なくなっている。ならば、妖怪も人間を同列に扱い、又、人間も妖怪を同列に扱い、声を掛けることに気兼ねは要らない。二人を分つ種族の壁は薄くなっている筈である。

 例えば、すぐ前のテーブルだ。

 そこでは礼服姿の人間の男が、ローブデコルテを着た天狗の女に、何やら迫っているようである。それに応えて天狗は、男の言葉に微笑を返し、顔を乙女のように赤らめて、ワインの入ったグラスを持つ手をしきりに持ち替えている。これを見る分、籠絡も時間の問題だろう。おまけに、互いに酒が入っていることだし、このあとはすぐさまベッドの上。上手くいけば、真剣恋愛で結婚、もしだめでも、子供ができちゃってゴールイン、おそらく二つに一つで、人里のお偉いさんは喜ばしいことだと祝辞を送るだろう。

 しかし、もしこの二人が円満な家庭を築くことになったら、つまり、赫々たる成果を上げたとしたら、開催者側は味を占めて、このパーティーを隔月で行う可能性がでてくる。よしや、再びこんな面倒くさいことに付き合わされる可能性が…………。鈴仙の人気は侮れないのだ。例えば、開催者側の愚息が鈴仙に恋々としていたら、毎月、いや、毎週催されるかもしれない。それは絶望だ、絶望。こんな人がいるところなんて金輪際来たくないのだ。

「はぁ……」

 輝夜はズルズルと壁伝いに辷って、地面に屈む。丈長のスカートのために、下着は隠れている。顔を上げてアトリウムを見回せば、女どもの丈は短い。すこし覗き込めば、パンツの柄さえ言い当てることができるだろう。流石にやりはしないが、大和撫子としての恥じらいはないのか。まぁ、面倒くさいので注意はしないが。

 彼女は暇つぶしに、永琳と鈴仙の姿を探してみることにした。

 ――――二人はすぐに見つかった。

 まずは永琳。彼女は奥のテーブルでお偉いさんに酒を注いでいる。お得意先ということで酒のお供をしているが、あれでは体の良いホステスではないかと思う。もしやアフター……はないな。一応、月の頭脳、そこの分別は付くだろう。いやでも、年増だし、老耄していたら、アレだから、お得意先の息子と既成事実を作り上げて、ウエディングドレスを着る……可能性はなくもない。

 それはともかくとして、注目すべきはもう一方の鈴仙だ。

 すぐにわかる。男どもがちょうど真ん中のテーブルでたむろっている。アレが鈴仙グループだ。時折、男どもの間から、戸惑いながらも笑みを見せる鈴仙の姿が眺められる。俯瞰してみると、女たちの妬心の眼差しが、そこに集まっているのが確認できる。

 不機嫌になる輝夜。これは嫉妬である。だが、彼女自身は嫉妬と知覚しておらず、「男に色目を使うなんてイナバも痴れたわね」と、心の内で言い訳を吐くのである。

「――――ここ空いてる?」

 輝夜はムスッとした顔を上げる。そこには少女がある。天狗だ。髪型は紫色のリボンを使ってツインテールにしている。肌も白くて綺麗で、瞳も大きい。決して美形というわけではないが、とかくかわいい少女だ。

「そこいい?」天狗は輝夜の隣りを指さす。

「え、ええ」

 別に断りを入れる必要はないと思うのだが。輝夜は疑問を感じ、その天狗のすわるのを見ている。
 短いスカートの裾を膝の裏を挟み、壁に寄りかかるようにしゃがみ込む。艶めかしい太ももがシャンデリアの光りを浴びて、琥珀色に光沢する。輝夜はそれを見て、興奮するとか、嫉妬するとか、そんな露骨なものは感じずに、「貴方も男に媚びるの……」とかるい侮りを覚えただけであった。

 しかし、天狗の少女は露になっている白い膝小僧に、薄手のブランケットを掛けた。まるで布がぴったりと肌に張り付いたパンツを隠すように、男からの情欲の視線を防ぐようにして。輝夜は、すっぽりと下半身を隠したそれをおどろきと共に見ている。天狗は須らく積極的―――輝夜の中では肉食系女子―――でなければならぬ、という先入観があったからだ。
一方の少女は暇そうに、ポケットから取り出した奇妙な箱をいじっている。そう、いじっていたのだが、隣りの少女の執拗な注目に堪えられなくなったのか、輝夜へその顔を向けた。

「なにかついてる?」

「え、いや」
 目線を外し、前を向く。するとそこには、ちょうどよく男二人がこちらを向いて何か喋っているのが見受けられた。ラッキーね。ついてるわ、私

「ほら、あなたのこと呼んでるみたいだから」

 顎でその二人組を示す。少女は納得しかねる表情を浮かべた。輝夜は焦った。それゆえ、言葉添えをしようとしたが、隣りの天狗らしくない天狗は何も言わずに立ち上がって、「これ、お願い」とブランケットを差し出した。

 彼女は受け取り、社交辞令的に「がんばって」

「……ええ」

 元気のない返事をして、天狗は男二人の許へ向かう。輝夜はその後ろ姿を満足げに見ている。恋愛の仲を取り持つと、たとえばランデブーでもプラトニックラブでも、自分の経験も馬鹿にならないと思うし、あの天狗の少女に優越した気分がしてくるのだ。だが天狗は身振り手振りもなく、淡々と男との数回のやり取りをして、もんどりを打った。

 不思議な面持ちで見上げると、

「私じゃないってさ」と言って、腕を差し伸べる天狗。

 ってことは……私ね。メンドクサ。

 次は輝夜が立って、手に持ったブランケットを天狗に返す。それにおかしな一体感を覚えつつ、男二人へ向かう。男は子供のようにはしゃいでいる。輝夜のズルズルと足を引きずるような歩き方を見てもなお、男のテンションは高まりを見せている。輝夜は「男って生き物は単純……」と思った。どうやら使い古された言葉には、使われた理由がちゃんとあるらしい。

 輝夜は彼らのまえで止まる。

 だが、二人は「お前が言えよ」とか、「ふざけんな。お前が最初だろ?」とか、女々しいことを内輪でやっている。輝夜はイライラした。いつもならシカトして戻るところだが、さすがにパーティーの楽しげな雰囲気をぶち壊す訳にはいかない。だからといって、迎合は絶対に嫌だ。なので、輝夜は言葉で、それと感じ取らせようと、「っで、何?」

「え、あ、おい」

 男の一人が片方を肘で突く。

「あ、ああ。暇そうにしてたから、その君に話しかけようと思って」

「そう」

「えっと、君この中でもすげぇー可愛いし、その……」

「そう、ありがとう」

「えっ、ちょっとッ!!」

 輝夜は踵を返し、あの場所へ戻る。

「なんだよ、顔が良いこと鼻にかけて」

 聞こえてるって。いやわざと言ってるのかしら。輝夜は胸に軽いムカムカを感じながら、天狗の少女の隣りに戻った。しかし、二人の間に言葉は飛ばない。二人は二人で黙ったままで、天狗の少女は奇妙な箱を弄り、輝夜は奇想天外な妄想をするのであった。

 だが堪えられない。先ほどのやり取りがあると、輝夜の食指は天狗の少女へ向くし、頭では少女の顔がチラつくし、どっぷり妄想に耽れないのだ。
 ややあって思い立ち、輝夜は結んでいた口を切った。

「なんで、ここに居るの?」

 天狗の少女は奇妙な箱から顔を上げて、輝夜へ視線をやる。いささか戸惑いが見えたが、彼女は澱みなく答える。

「取材。私、新聞作ってるから」

「そうなんだ。私は無理矢理つれられてね。行きたくなかったんだけどさぁ、行かなくちならないから。べつに来たくて来たわけじゃないのよ。ただ、仕方なかったのよ、そう、仕方なくきてやったの」

「人里との兼ね合い?」

「ちがう、ちがう。夕ご飯を作る人がいなくて」

「自分で作ればいいじゃない。そーしたら、オッケーじゃん」

 え? 納得しない? 輝夜は少女の顔をマジマジと見つめたあと、コホンと喉を整えるように空咳をする。

「食材がなくて作れなかっただけ。べつに作れないわけじゃないって。いまどき作れない女なんている訳ないでしょ? 私だって本気出せば、西京焼きの一つや二つ、片足で……」

「…………」

 じっとと湿っぽい視線。居た堪れなくなった輝夜は、少女から逃れるため、咄嗟に立ち上がって「何か取ってくるわね。お腹すいたし」その場を立ち去り、なるべく遠いテーブルに向かう。

 べ、別に逃げたわけじゃないし。ただお腹空いてたからよ。うん。……しかし、輝夜は何をするわけでもなくマカロンを1つ、腹に落として、天狗の少女が座っている壁際へ戻るのであった。

 すると、そこにさらに一人増えていた。見覚えがある金髪の髪、艶っぽい唇。胸もあって色気がムンムン。妖怪の賢者 八雲紫だ。そんな彼女が天狗の隣りでしゃがんでいる。自分の場所が横取りされた気がして、輝夜は眉間に皺をよせた。

「なんでアンタがいんのよ」

「ほら、不参加組に私も入れて欲しいと思ってね」

「ふんっ。男漁りに来たくせに、よくそんなことを。さすが、賢者様は一味違うわね」

 皮肉を言って、八雲紫の隣りに座る。

「ふふっ、それはお互い様でしょう? お姫様」

「はっ? 私は仕方なくよ。仕方なく来てやったのよ。べつに誰の為でもないわ」

「ホント、顔だけ良いわね。見惚れるほどよ。肌も白いし、どうすればこんなに」

「どういう意味? 馬鹿にしてんの?」

「言葉のとおり。男を誑かすのなんてお手の物でしょ?」

 紫は手をひらひら、冷笑的な口調。輝夜はムッとなって、

「その、厚ぼったい減らず口は伊達じゃないわね。大体、じゃあ、アンタは何だってこんなところに居るのよ?」

「……それはあれよ。男と話すため。ただそれだけ」

「は? 何言ってんの? 墓穴ってレベルじゃないわよ?」

「付き合いたいの、私だって。男の人と手を繋ぎたいの」

 紫のさびしそうな、いや深刻そうな表情が横顔に現れた。
 かまびすしい笑い声や女どもの囀りが場違いに思える。
 輝夜は眉を顰めて、彼女の言葉の意味を探ろうと、やさしく問いかける。

「いきなり何で?」

「……知人に彼氏が出来て私も欲しくなった。年中、のろけ話を聞いて、嫌になった。それだけ、たったそれだけなのよ。だけどね、それだけなのに、劣等感が横隔膜の底まで溜まって、吐きそうなのよ。わかるでしょ?」

「いや、私はべつに……」

「――――私もそう思う所があるかも」ぽつりと天狗の少女は呟いた。
「人の恋路を記事にすると、かなしくなるし。そのくせ、恋バナってやつがチョー好きなんだよねぇ。周りの天狗はみんな、彼氏と手を繋ぐのに、私は触れることさえできない……」

「なに、感傷的になってるのよ、アンタら……」

 そう言いながらも、輝夜も感傷的になっていた。
 彼女は知っているのだ。男に対して素っ気ない態度を取るのは、その容姿が重荷になっている証だと。その容姿に気を取られて、だれも蓬莱山輝夜の心を子細に観察しないのである。

「ねぇ? 私たち、頑張なければならないと思わない?」

「頑張る? 漠然と、何を言ってるの?」

「私もそう思う。チョット、本当に頑張らないと、マジヤバいよ」

「待って。だからなにを、なにを頑張れって言うのよ?」

 輝夜は小首を傾げた。
 と、隣りの天狗がハッと思いついたように膝を打ち、

「婚活よ、婚活しましょうよ、みんなで? そうよ、婚活部を設立しましょう、部長ッ!!」

「え? 私が部長?」

「部長、私も天狗として、男と手を繋ぎたいです……」

「まって、私が部長なの? 流れがおかしいわよ。だいたいねぇ、めんどくさいことはやらない主義なのよ、私。そうやって生きて来たし、これからもそうなの」

「はぁ~、これだから、ワガママなお姫さま(笑)は」

「なによ、家から出たくないのよ。人と顔を合わせるのがメンドイのッ。あるでしょ? 着てゆく服がないと、外遊びするのが嫌になることとか? それと同じ。他人に自分を合わせるのが、めんどくさいの」

 紫はクスクス妖艶に笑い、

「部長、私の能力を知ってる? スキマを使って、瞬間移動できるのよ? あんまり動かなくていいのよ?」

「なんかそれ欲しいッ。ハウマッチ?」

「ゲンキンだね、部長は。じゃあ、私はまず男と話せるようにしようかなぁ」

「え? さっき話してたじゃない? あれで十分でしょ」

「腹を割って話せないってゆーか、まぁーそんな感じで話せないんだよね、私。天狗なのにチョット致命的でしょ? 女同士ならモーマンタイなんだけどさ……」

「好感度アップを狙ってるんじゃないの、アンタ。絶賛、鯉のぼり中よ」

「それ、鰻のぼりじゃないかしら」

「そ、そうとも言うわ。いや、とにかくッ!! さっきので良いんじゃない?」

「でも、ホントーに男性と話せないんだよ。……私、天狗のくせにさ」

「女子力MAXなくせに、コミュ力が0だと。……そんなの不条理よ。もう、部長命令で、アンタを会計に任命するわ。これからは私の支給する金で、私に似合う服を買いなさい。なるべく落ち着いた色合いで、子供っぽくないやつね。あの世話焼きウサギに買わせると、子供っぽくて」

 ハァと息を吐く。

「もしかして、部長って私服がダサい系の女子? ふふっ、悲しいわね」

「そういうアンタは、おそらく、服がきわどすぎて、お店の女と勘違いされるんでしょ? 夜人里を歩いてたら酔っぱらいに肩を組まれないかしら?」

「なんでそれを」

「香水のにおいが酷いから。もう、くっさ~」

 ブンブン手を振り振り、輝夜は右へとずれる。
 紫は声を震わせて、

「く、くさくないわよ、ねぇ? 会計?」

「……良い匂いだから、気にしなくても……うん」

「…………そ、そうなの。私、くさいんだ」

「ちょっと、なんで泣きそうなのよ、え? なんで?」

「部長……そこは察するしょ、普通。というか、九分九厘、部長のせいだと思う」

「ア、アレは冗談じゃない、全然くさくないわよッ。だから、ねぇ? そんなに泣かないで? 輝夜もラベンダーのニオイ好きよ?」

「いや、わかってたわ。内心、付け過ぎかもって、わかってたのよ。だけど、周りの目が気になって。霊夢は石鹸の香りするんだけど、私はなんか澱んでる」

「巫女は特別なんです、だから、アンタが気を落とす必要はないんです。ほら、アンタにはでっかいお胸もお尻もあるじゃない? 男なんてイチコロよ。どこぞの巫女なんて歯牙にもかけなくていいの。どうせ、あの垢が抜けない巫女は、まな板にさらしを巻いてるだけなんだから。あんな絶壁ボディーに興奮する輩は、特殊なのよ」

「でも、人気あるのよ? あの子。お札のかわりにファンレターが、賽銭箱に入ってたりするのよ? それって、かなり凄くないかしら? もう幻想郷アイドルよ」

「それは、巫女だからね。巫女って時点で、もう、清々しい感じがして、それに綺麗そうじゃない? たとえば、青葉を揺らす風に、艶やかな黒髪が……」

「自分で言って、落ち込まないでよ。お姫様」

「お姫様か……それって――――そうだ。私、巫女になろう」

「部長、それっておかしいよ。たしかに巫女って響きにはチョー憧れるけど、だけど、ムリなもんはムリッしょ? ほら、ニワトリが空を飛ぶようなものじゃん」

「いや、諦めてはいけないし。とにかく明日から頑張るわ。まず、何より大切なのは睡眠ね。寝る子は育つって言うし、家宝は寝て待てって言うし。今後から『睡眠』と書いて『せいちょう』って読むべきだと、輝夜思う」

「そのようにして、月日が徒爾となるのね、嗚呼、生まれる前に戻りたいわ。そうしたら、生まれを巫女を選択するのに。そうして、数多の男に愛の言葉をささやかれ、しかし、運命の相手を一途に待つのよ。はぁ……考えただけで胸がいっぱい」

 輝夜は己が胸を眺めて、

「胸……私もいっぱい納豆食って、イソフラボンでボンッキュボンね。そしたら、セクシーな服も着れるし」

「それ、捕らぬ狸の皮算用だよ、部長」

「部長にそんな言葉をかけるとは、会計、アンタは大浴場でおっぱいモミモミの刑に処す」

「あっ、私も参加するわ、それ。だって、熟れきらない少女にセクハラするのって楽しいし。ほら、霊夢とかもーカワイイのよ? 胸揉んだら、やめてよッ!! って顔を赤らめるんだから」

「何それ、私も巫女にセクハラしたぁ~い。ウチのウサギはなまじ巨乳だから、恥ずかしがるだけだしぃ」

「いいじゃない、それ。俯くんでしょ?」

「うん。小さな声で、……やめてください、って言うの。私的には、もうすこし反応してほしいんだけどさぁ。じゃあなら、美乳っぽい会計のを触ったら、どんな反応を……」

「えっと、そんなこと言ってるから、二人ともダメなんじゃないかな?」

「「え?」」

 こうして、幻想郷婚活部の幕が上がる?



[35704] お前らは変態って言う。何回も何回も言う。俺はそう。俺はそうだ。俺はそう言う人間だ。
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/05/09 19:30
 或る昼下がりの空の下。
 八雲紫の力によって、集まった三人は人里の、ある家の前に立っていた。
 それぞれの顔には、ピンと張った緊張の色が現れており、だれ一人として言葉を交わそうとしない。ただ、平部員である八雲紫も、会計である姫海棠はたても、一応、部長である蓬莱山輝夜も、そこに立っているだけ。通り過ぎる人里の奇異の視線は、彼女たちに注がれていた。

「…………ふぅ」

 輝夜は両脇に居る部員と顔を見交わし、その家の戸をノックもなく、勢いよく開いた。

「たのもーッ!!」

 そして、その家の上がり端に居たのは、

「い、いきなりなんだ、お前たちッ?」

 尻餅をついている上白沢慧音である。
 そこは、けーねさんのお家であった。




 つまりこうだ。

 婚活部を作ったものも、顧問がいないという重大な問題に早急に気付いた紫は、我らが顧問として、寺子屋を開いているその人物――上白沢慧音に頼もうとしたのだ。その理由は当然、教師だからという単純明快の理由のほかはなかった。
 そして、紫が部員の二人にそう相談すると、ツインテールの少女――会計のはたては、初対面であるが、「紫さんがそう言うなら」と首肯し、認めたのだが、一方の輝夜は納得いかないようで、「顧問なんていらない」と言うのであった。部長がそう言い切るのであるから、平部員の紫と会計はなにも口出しできずに、しょんぼりとするしかなかった。すると、その様子を見た輝夜は「じゃあ、仕方ない」と渋々肯いて、上白沢先生を顧問に迎えることを承諾したのである。

 玄関口で、そんな三人の話をきいた慧音は、苦い顔をしていた。

 別段、その顧問の話自体は、信託を自分に預けられたという自恃の念を抱かせるものであるが、自分を客観視すると、どう考えても、女心や恋愛の作法を説くということは、彼女の乏しい経験では難しいし、どう見たって、自分は向こう側、つまり、部員側の人間であるのだ。

 しかし…………

 蓬莱山輝夜のいくらか不遜とした態度は置いといて、その隣りの、八雲紫の真剣味を帯びた表情と、その横の、天狗の少女のキラキラとする瞳とを見ては、断ることはできそうにない。良心の呵責が彼女を苦しめるのであった。

「ねぇ? だから、おねがい」

 紫の眼差しから顔をそらすが、その視線の先には、天狗の少女の瞳があった。

「うぅ…………」

 弱った。私だって恋愛なんて……くっ。
 八方ふさがりである。彼女たちの今後を思えば、しっかりと理由を述べて、願を断るべきであろうが、実際、今ここで断れば、この三人組は気落ちして身をひるがえし、そのさびしい背中を自分に見せるであろう。

 だが……ここは心を鬼にして断ろう。今ではなく将来が大切なのだ。

「その、非常に言いにくいのだがな」

「は、はい」

 天狗の少女の顔がこわばった。

「私も、そう経験が――――」


「――――あっ、えっと、けーねさん?」


 その時、慧音にある閃きが脳裏に瞬いた。咄嗟に口を開き、その三人娘の背後に立つその声の主、寺子屋の人手不足を救済すべく雇われたバイト、上背のある青年――田中に向かって、こう言うのだ。

「副顧問になってくれ!!」と。

 男の意見を取り入れれば、経験など関係ない。そう思った慧音である。



「いやですよ、んなの」

「頼む、彼女たちのためだ」

 バイトの田中は、雇い主の懇願を断ろうとしていた。

 現在、彼らは寺子屋にいる。その寺子屋は、古ぼけた家屋を改築しただけの粗雑な作りであり、部屋数も限られているが、なかなか掃除の行きとどいた清潔な様相で、現在、二人が立っている廊下の、陽射しを採光する透明な窓ガラスもピカピカである。それは田中のおかげである。決して田中が綺麗好きだとかそういう訳ではなくて、彼がいくらかの仕事を担ったことにより、掃除する暇のできた慧音が、生徒のためにせっせと床拭きなどをして、綺麗にしたのである。

 だからこそ、田中は嫌だった。どこぞの馬の骨とも知らぬ、あの三人の女の面倒を見なければいけないのかと。忙しいと嘆いていた本人が、また面倒事を抱えては元もこうもないではないかと。

 すると慧音は、さきに教室に待たせている三人を憂いるように、訥々と語りだした。内容は、婚活部の結成の経緯である。しかし、田中には一向に響かない。だって、あの三人の外貌を見れば、同情する余地など、一毫たりともないのだ。

 慧音は思いつめた様子で伝えきり、すこし晴れた顔をして、田中にもう一度聞く。

「どうだ? やってくれないか?」

「嫌ですって。だって、あの三人、顔は良いじゃないですか」

「それだからこそ、引き受けて欲しいんだ。折角、美人に生まれてきて、その特権を生かせないなんて悲しいだろ?」

「いや、それはそうですけど。だけど、俺たちが引き受ける必要はありませんよ。だいたい、あの三人の努力次第でしょう、モテるか、モテないなんて?」

「じゃあ……タダとは言わない」

「え?」

「田中、お前に報酬をあげよう」

「それって、もしかして、アレですか?」

「ああ、きゅう―――――」

「――――身体ってことですか? けーねさんの身体ってことですか!?」

「違うッ!! 時給を上げると言ってるんだ!! どうしたら、そうなるんだ、ったく」

「じょ、冗談ですよ。でも……それは本当なんですね?」

「あ、ああ。本当だ。一度言ってしまった以上、今更、取り返しはきかない」

 すこし惜しがる慧音。田中はため息を吐き、すこし笑いながら、

「わかりました。副顧問になりましょう」

「ほ、本当か?」

「ええ。一度言ってしまいましたから、取り返しはききませんし」

「流石、流石、田中だッ!!」

 慧音が田中に抱き付く。田中は身を固まらせ、彼女の抱擁を受けることに。意外と豊満な胸の圧迫感が腹部に感じ、慧音の甘い香りが彼の鼻孔に忍び込む。彼の男が、沈黙を破りかけたが、グッドタイミングで慧音が身体から身を離した。

 それから、なにやら周りを確認して、彼女に似合わぬ薄弱な声でこう呟いた。

「これで……私の身体だ。その、いいだろ? と、というか、今回だけだぞ」

 真っ赤な顔の珍しい慧音の、その健気な行動を、かわいらしく思い、まるで気になる女子にちょっかいを出す小学生のような気持で、

「よくできましたね、けーねちゃん」

「なっ、バ、バカにするなッ!! このぐらい、いつでも出来る!!」

「マジすか? なら、毎朝、やってもらおうかな」

「っ……。もう知らん!! 勝手に言ってろ!! このバカ!!」

 慧音はふんっと鼻を鳴らし、肩を怒らせながら三人が待つ教室に入ってゆく。
 



「私が顧問の上白沢慧音だ。そして」

「副顧問の田中です」

 ぺこりと下げた頭を上げると、教室の席に並んで座っているその三人が、各々異なった表情を浮かべていることに、田中は気付いた。

 端のブロンドの女性はじぃーと、まるで骨董品の価値を定めるように、厳粛な眼差しで自分を見ており、一方の真ん中の黒髪は、頬杖を突いて柳眉を顰め、不満の感を醸している。その少女の左側に座るツインテールの天狗は、恥ずかしそうにして、目を伏せていた。

「さて、私たちの自己紹介は終わったことだし、ほら、一人ずつ言っていけ」

 慧音はまずブロンドへ視線をやった。ブロンドは優雅に立ち上がり、その色気を刷いたような金髪を掻き上げて、滄海のような深い藍色の瞳で、田中を射抜いた。

「私は八雲紫。これからのち、お見知りおきを、田中様」

 窈窕たる麗人は、言下に唇を歪ませる。皓歯が覗き見え、その白がひどく性的であった。

「は、はい」

「では、次」

「はぁ……」

 紫と入れ替わるように、黒髪が気怠そうに腰をあげた。艶やかな漆黒の一続きは、柳腰まで至っており、それが穏やかな日差しを浴びて、透明な蜜のような光りを湛えている。その華奢な体躯を包む柔らかな肌は、穢してならぬ絶対的な白さを示しており、瞳の色は、恐ろしく澄んだ紅だった。……彼女のほどの楚々たる美少女にあった覚えが、田中にはなかった。思いがけず、彼は息を飲み込んだ。

「私が部長の、蓬莱山輝夜です。趣味は惰性に過ごすことです。これからよろしくお願いしまぁ~す」

 かなり投げやりな自己紹介であったが、慧音は咎めることもせず、彼女の座る様子を最後まで見て、残るツインテールへ自己紹介を求めた。
 ツインテールは急いで立ち上がった。

 田中はその様に胸の温まるのを感じた。

「私は、姫海棠はたてです。よろしくお願いしますッ!!」

 慌てて頭を下げたはたては、だが、すぐに顔を上げて、「趣味は、考え中ですッ!!」

「そう。じゃあ、この三人が婚活部なんだね?」

「そうよ、他に居る訳ないじゃない。節穴なの、その目?」

「ッ……けーねさん」

「なんだ、田中」

「まず、性格矯正から始めましょう。真ん中はもう駄目です」

「聞こえてるっつーの!! だいたい、なんで男がいるのよ、顧問!?」

「え? ああ、それは……実践だ」

「実践? 実践ってなに?」

 はたてが小首を傾げた。うはぁ……かわゆいな……と田中は惚けていると、

「それは田中から説明がある」

「――――え!? ここで俺にバトンパス!?」

「私は監督することに忙しんだ。主導はお前に任せる」

「任せるって、そんな無茶苦茶な」

「じゃあ、終わったら、もう一回、その……してや――――」

「――――え~では、説明しますね。簡単に言えば、俺が君たち三人の相手役だ。男心をくすぐれるか、君たちのしぐさや言動を見て、俺が判断するんだ。わかったか? わかったら、手を上げて。ほら、は~い」

 シーンとする。バッドコミュニケーションである。

「ま、まぁ、わかったみたいだからいいけど」

「では田中様、私たちはなにをすればよろしいんでしょうか?」

「……それはな」

「性格矯正だ。だろ、田中?」

「それはただの……いや、たしかに」

「なによ。もったいぶらないで、とっとと言いなさいよ、このノロマ」

「キャラだ。キャラクターを変えよう」

「は? 何の話をしてんのよ。もう、アホなんじゃないの、あんた?」

「だから、その暴言とかをなくすために、君たち三人のキャラを変える」

「では、私たちは田中様の奴隷となればいいのですね」

「ええ、その白々しい性格も変えます」

「ッ……ばれてたのね」

「それと、君のもね」

「え、あっ、はいッ!!」

 こうして、田中による三人の大改造が始まったのだ。



 服の準備は八雲紫がすべて担ったことにより、必要なものは一時間足らずで揃った。
 教室では、数着の服が机の上に並べられていた。一見するとコスプレものが多いが、田中には確然たる理由があって、それらを選んだのである。
 すべての準備が整い、さて、実際に大改造が開始されることになった。

 とはいえ、田中以外はその内容を知らないので、慧音を含めた四人は席について、教壇にたつ田中を見つめていた。

「これから始まる作戦は、君たち四人にあらたな美点を発見するためのものだ」

「私も入ってるのか、田中?」

「ええ、けーねさんも入ってます」

「そうか……いや、そうか」

「では、話をつづけるぞ。さて、君たち四人が何故モテないのか? それを私は真剣に考えたのだがぁ、存外簡単に見つかった。君たち四人は主観を除いても、『容姿は』平均以上だ。ならば、何に欠点があると思うかね? それは性格だ。その性格が悪いのだ!!」

 ポカンとする四人の内、田中はブロンドを指さす。

「まず、八雲紫ッ!!」

「な、なに?」

「君は男を誘惑しようと、空回りしているッ!! 実は恥ずかしがり屋だけど、虚栄心が強いばかりか、中途半端になって、周りから中途半端な痴女に思われているのだ!! 考えてみろ、覚えはいくらでもあるだろう?」

「え、いや、そんな訳……」

 紫は下を向いて、いままでの所業を思い返す。その間に田中は進む。

「次、蓬莱山なんとかッ!!」

「輝夜!! カ・グ・ヤよ!! なんで名前を忘れるのよ、この愚図!!」

「思った通り、君の言葉には棘が多い。なまじ外れてないから人を傷つけるのだ。わかるだろ? 他人を突き放して、自分には甘いのが。自分のことを棚に上げてるのが」

「う、うるさいッ!! そんな訳ある訳……」

「次、姫海棠はたて!!」

「は、はいッ!!」

「君はまったく申し分ない。ただ今まで良い出会いがなかっただけの話だ。しかし、今日をもって君は、この婚活部を辞めないとならない。なぜなら、君には、いや、はたてには私という―――――」

「――――おい、田中。はやく進めろ。話が進まん。私たちも疲れるが、読者も疲れるぞ」

「でました。慧音の達観モード。まるでなんでも知っているみたいな上から目線。そんなんだから男が寄ってこないんですよ。俺を含めた男は女をはべらせたいんですよ、その逆は嫌なんです」

「田中。おま……くッ」

 たった一人の男にズタボロにされた三人を、なぐさめるツインテール。

「そこでだ」

 皆が顔を上げる。紫は涙目になり、輝夜は怒りに染め、慧音は顔色を暗くしている。性格がよく表れている気がして、田中は自分の言葉は間違っていなかったと確信した。

「君たち四人に私の望むキャラになってもらう」

「私も入っているのか、田中?」

「無論だ。愚問だな、上白沢慧音。そんなことを訊くようになったしまったか。副顧問として悲しいよ」

「……もういい、早く進めろ」

「それで、そこにある服を着てもらう。自分の好きな服じゃないぞ、俺が選ぶんだ」

「職権乱用よ、そんなの。私たちにも自由や権利はあるわ」

「また棚上げか、お姫様? 働きもせずに、じっと家にいるなんて楽なもんだよな」

「うるさい!! 私はただ――――」

「―――――部長、諦めましょうよ」紫が目を剥いた輝夜の肩を持って諌める。

「でも、アンタだって何されるかわかったもんじゃないわよ」

「そうね。でも、もしこれで変われたらいいじゃない? 私だって自分を変えたいところだったし」

「そうね……じゃあ、今回だけよ。今回だけよ、田中!!」

「うはっ、ツンデレ」

「じゃないわよ、バカ!!」




 最初の改造は八雲紫だ。

 ジャンケンをして順番を決めたわけでも、立候補したわけでもなく、田中が独断で決めたのである。現在、その彼女は別室にて、田中が選んだ服に着替え中だ。それの付添として、慧音もこの部屋の隣室にいる。

 そして、この教室に残っているのは、輝夜、はたて、田中の三人である。

 無論、輝夜は田中ににらみを利かせて、怒っており、はたての方は田中の顔をまともに見れず、目を伏せている。彼らは教室を広く使うために、机などをうしろに寄せて、そのあと、それぞれ選んだイスに腰を下ろしていた。

「……遅いな」

「それはアンタがあんなものを選ぶからでしょ」

「ぴったりだと思うんだけど」

「サイズ的に?」

「いや、サイズ的にはムチムチだけど、まぁ容姿的にさ」

「そんな訳ないじゃない。というか背反しているわよ、あの服じゃ。夜のにおいが微塵もしないわ。言うなれば快い朝ね」

「まぁ、見てろよ。多分、傑作だぞ」


「――――田中、整ったぞ!!」


 廊下から慧音の声が響く。それを合図に田中は立ち上がって、残った三人で作ったスペースの真ん中に立つ。そして、「いいぞッ!!」と言葉を叫んだ。

 しかし、シーンとしてなにも始まらない。耳を澄ますと、なにやら廊下で小競り合いのようなことが起こっているようだ。おそらく、紫が恥ずかしがっているのだろう。

 それは田中の思惑通りだ。彼女は辱めてこそ、輝きが増す部類の女性。エロ漫画で得た知識では、妖艶な女はすべからく虐める。そうなっているのだ。

 ややあって、その扉が開かれる。

 そして、寸劇の幕があがる。劇の舞台は、田中の自宅である。設定を言うと、田中がだらしない男子学生。両親は旅行中で家を空けており、現在彼が一人で怠惰な生活を送っているということだ。
 すると、そこに彼の幼馴染がやってくる。

「お、おはよう、田中君」

「いきなりなんで、紫が」

 それが、ツインテールにした紫である。格好は白と青とを基調にした若々しいセーラー服。それは、熟れた身体と相反しているように見えるが、その不協和音もまた、紫の羞恥に染まる顔と相まって、非常にいじらしい。

「ほら、田中君のお母さんに、朝ごはんを頼まれてさ。その、迷惑だった?」

 紫は、両手でにぎる小道具のエコバックに、視線を落とす。田中はそのバッグよりも、いくらかだらしない白い太ももに注目していた。ニーソックスとのコントラストが得も言われぬ艶やかさを表しているように思えて、仕方なかった。ミルクの香りが鼻まで漂って……

「え、えっと、田中君?」

「え、ああ。いや、んなことはねぇーけど。つーか、紫、お前の方が大変なんじゃないか?」

「うんうん、そんなことないよ。好きだもん、料理」

 まだまだ青い少女のニオイを振りまくように、紫は首を振った。依然として顔や耳は紅潮しており、声色は先ほどより高く、滑舌も悪かった。羞恥がひどく感じられる。

「そうか、悪いな」

「だって幼馴染だし、それと……」

「ああ、そうだ。今日の午後あいてる?」

「え、うん」

「よかった。誕生日になにもあげられなかったろ? それのお返しにさ」

「それって……デート、だよね?」

「言い方を変えればな。それに、まぁ俺もさ、お前となら嬉しいしさ……」

「それって……」

「あーなんでもない!! ほら、一緒に朝飯作ろうぜ!! そっちの方が早いだろ?」

「う、うん!! そうだね。お嫁さんになるために―――――って、もうムリ!! 恥ずかし過ぎ!!」

 紫がそう言って演技をやめてしまう。

 だが、田中はその恥じ入る姿を見て、自分の作戦は大成功だったと思った。コスプレ熟女モノのエロさを実感した気持だ。決して、八雲紫が熟女と言っている訳ではなく、そう、例えば、巨乳の新妻がセーラー服を着て現れたら、その夜は燃え上がることと間違いなしであることと同じだ。
 すると、黙ってみていた輝夜は、思わず田中にこう言った。

「アンタ、天才ね。もう、ゆかりん、かわい過ぎでしょ」

「知らなかったのか? ゆかりんはかわいいだぞ?」

「ちょ、やめなさい!! ふたりとも!! 私はかわいくないわよ!!」

 子供っぽいツインテールを揺らしながら、ひどい怒りを表しても、賢者の威厳など窺えず、まったく恐怖などない。
 
 すると慧音も殊勝な顔つきで、「田中、私はどうにも納得できなかったが、これを見て納得したよ。お前は天才だ」と、田中をほめそやす。

「でしょ、けーねさん? ゆかりんはイジられてこそ生きるんです。ゆかりんはイジられキャラなんです」

「ゆかりん言うな!! もうやめて、ホントやめて!!」

「紫さん、かわいい。私がツインテールするより全然良いと思います」

「会計、あなたまでも……」

「ゆかりん」

「田中君ッ!!」と言って口をすぐに押える紫。演技での呼称が感染(うつ)ってしまったのである。

「なに? ゆかりん? かわいい顔をして。もっと俺に見せてくれよ、ゆかりん」

「うぅぅ。もう、イヤ。……もうイヤぁ」

 泣きそうになるのをじっと堪える紫に、輝夜は駆け寄って「大丈夫よ、ただゆかりんがかわいいから、悪口を言いたくなるのよ。ねっ? 輝夜に任せて」

「う、うん」

「ゆかりん、かわゆす」

「田中。弱い者いじめはダメよ」

 さっきまで田中たちに混じって紫をイジっていた筈の、その輝夜が、批判の眼差しを田中へむける。

「わかったよ、ゆかりんイジりはやめるって。また後の楽しみってことで。次へ移ろう」

「つ、次は私ですか?」

「いや、次は蓬莱山輝夜、部長のお出ましだ」



「恥ずかしいんだけど」

 すっかりしおらしくなった紫は、ツインテールのまま、セーラー服のまま、であった。田中を含めたはたてと慧音が、それをずっと見ていたいと望んだので、副顧問の彼が職権を利用し、元の紫に戻ることを禁じたのである。

「紫さん、かわいい~」

「ちょっと、会計。あなたもやめてよ」

「そういうところが、かわいいんだよねぇ~、ゆかりんは。転んだとき、キャッ!! とか言うタイプで、そのあと、周りを確認するタイプじゃないですか?」

「いつまでゆかりんって……もういいわ。もう、ゆかりんでいい」

 紫は子供っぽく拗ねる。

「ゆかりん、顔が赤くなってますけど。もしかして自分で言って恥ずかしがってるわけじゃ……」

「…………はぁ、帰りたい。家帰ったら藍にセクハラしよ」

「まぁ、次も傑作ですからって――――もう来てますね」

 扉のガラス越しに輝夜の頭が見えていた。

 田中は立ち上がり、呼びかける。

「入ってきていいぞッ!!」

 ――――ガラッと扉があく。


「はいさい!! プロデューサーッ!!」


 元気よく手を上げるポニーテールの少女。ポニーテールは青いリボンで結われている。南国風の服に、のホットパンツを履いている。

「おお、おはよう」

「そうだ、プロデューサー!! 今日、自分、いっぱいがんばるね!!」

「あんまり無理をするな? 怪我したら危ないだろ?」

「プロデューサー、それじゃダメだよっ!!」

「でも、明日も仕事があるし」

「でも本気だすぞ。だって自分……カンペキさー」

「おい、いきなりどうした?」

「プロデューサー、自分ってケモノクサい?」

「え?」

「クサくないよね、プロデューサーッ!?」

「…………」

 田中はなにも言わず、その少女を抱きしめる。

「ぎゃぁー!! い、いきなりなにするんだ、プロデューサーっ!?」

「待ってろ、匂いを嗅ぐから」

「で、でもッ!! そんないきなり……」

「大丈夫だ、もう少しでわかる。というか、髪の毛やわらかいな」

「そ、そんなことはどうでもいいから、はやくしてよねッ!! 自分、すっごく恥ずかしいんだからっ!!」

「わかってるって。すぅ……」

「ど、どう? 自分、臭い?」

「分からん、もうすこし、強く抱き付かないと。そっちも抱き付いてくれ」

「う、うん。こう?」

「ああ。というか、柔らかいな身体。意外と女らしい――――」


「――――ってアンタ、わざとやってるでしょ?」

「響。俺も真剣なんだ。だから、もう少しこのまま。そうすれば、おっぱ――――ごふっ」

 ――――少女の腹パンを喰らい、田中は足から崩れ落ちる。

 その地面に這いつくばる虫けらをさげすんで、輝夜は、

「たしかに、この服はいいかもだけど。……この変態」

「響はこんなことしない。お前は響じゃない。響はカンペキさー」

「私はか・ぐ・やだ!! このヘンタイプロデューサー!!」

「うは、ひび――――じょ、冗談です。その、こぶしを下ろしてください」

「ったく、これ誰をやらせてるのよ」

「俺が外にいた頃に応援してたアイドル」

 ゆっくりと立ち上がって、田中は眉間に皺を寄せる輝夜を見る。

「アイドル? ふ~ん、なんで? 私が似てるの?」

「身長と声がさ。まぁ、おっぱいが足りないけど」

「ちょ――――何言ってるの、この愚図!!」

 輝夜は自分の胸を隠すように身体を抱いて、身をよじる。

「だって、胸囲8r……83だぞ? お前は72ぐらいだろ」

「はっ!? 77です!! 77ありますぅ!! 72には紅白巫女じゃないの!? いくらなんでもバカにしないでよ!!」

「ふ~そうなんだ」

「あっ……」

 己の失敗に驚く輝夜の肩を、しろい手が叩く。その手の持ち主は、セーラー服姿の紫である。もう、陽光を浴びて艶やかなツインテールに、見慣れた感があるのは、それとなく彼女の容姿に似合っているのだ。やっぱり金髪にはツインテールだよね、と筆者は思った。

「部長、墓穴掘ったわね。それでCカップぐらいかしら?」とこれ見よがしに紫が、取り立てた。

「あ、いや、CじゃなくてBよ――――って!!」

「ふ~ん。部長がBね。意外と……」

「意外とあるんだな。触った感じだと鉄板だったけど」

「おまえ、殺す。おまえ、殺してやるっ!!」

「お、落ち着いて、部長」

 紫が両脇に手を掛け、輝夜を止めようとするが、それも逆効果。彼女の豊満なそれが輝夜の後頭部にぎゅうと圧しつけられる訳で――――輝夜は振り返り、「この爆乳が!!」とその膨らみを掴む。

「キャッ!!」

「この乳が悪いんだ。この乳が!!」

 乳を繰る輝夜の背中に、肩甲骨の躍動が見える。田中は感慨深いものを覚え、その乳房をなすままにされる紫の痴態をながめていた。

「んっ、ちょっ、ホントに!!」

「ここがええんやろ? え? ここええんやろ?」

「そこはダメ!! あっ……」

「ははっ。この乳はワシのもんじゃい。部員の乳は部長のもんじゃ!!」

「はっ……ならば、副顧問の俺は、みんなの乳を揉める……だと!?」

 慧音のするどい声が、部屋の天井を貫く。

「次、姫海棠はたてッ!!」



 ということで、慧音の説教を喰らう輝夜と田中。当然、正座である。一方、被害者である紫は慧音のうしろに隠れて、二人の生動をチラチラと確認していた。おまけに、すこしでも目が合うと、もぐら叩きのもぐらみたいに慧音の背中に隠れる始末。どうやら危険人物として認定されたようであった。

「二人ともきいてるのか!?」

「「は~い」」

「その態度はなんだ? 人のアレを揉んで、その態度はないだろ」

「自分、プロデューサーのゆーとおりにしただけだぞっ。だから、悪いのはプロデューサーだぞっ。ねっ、プロデューサー?」

「響……じゃなくて、それ、責任転嫁じゃねぇーか。つーか俺は乳を揉んでじゃん」

「私の揉んだじゃない。この変態」

「ん? あれは揉んだんじゃない。鉄板を叩いたんだ」

「あ?」

「なんだよ、Bカップ。副顧問にはむかうのか?」

「私、強いのよ? 知ってる? 私って強いのよ?」

「自分で言うなよ。しかも、二回もさぁ。うわ、はずかし~人」

「ッ……ホントに私強いんだかんな!! 後悔しても、もうおそいぞ!!」

「二人とも!! 喧嘩してどうするんだ? ほら、ここは仲直りの握手でも、なんでもしろ」

「なんでもって……」

 輝夜は、こちらに向けられた田中の妙なまじめな顔を、まじまじと見ていると、大人げなく気炎を吐いていた自分が、どうにも恥ずかしく思えたので、

「じゃあ、今回だけよ。仲直りしてやるから」

 と、慧音の言葉に従う旨を口にする。

 すると田中は、ここで思いがけない一言を放った。

「キスってしたことあるか?」

「はっ!?」

「いや、仲直りのキスをさ……俺はいいんだぜ? その、響とキスが出来るからな。でも、お前の気持ちはわからんし。それとお願いだが、俺の童――――」

 ――――バチンッと輝夜の強烈な平手が、田中の右ほほを正確とらえる。この時、田中の脳をちょっぴり揺れたのだが、輝夜はそんなことに気づかず、腕を振り抜いた。そして、ひりひりする自分の手を見て、満足げな顔をするのだ。一方の意識が飛んでいることに、気付かずに。

「ふっ。これで清々したわ。こんな愚図はいっそ死んだ方がいいのよ」

「…………」

「なに死んだふりしてんのよ、この頓馬」

「…………」

「って、聞きなさいよ。なんで黙ってるのよ」

 ちょんちょんと赤くなった頬を突くが、まったく起きる様子がない。

「え、ホント、冗談はやめてよ。起きなさいよ、このバカ!!」

「…………」

「本当に死んだの? うそでしょ?」

 死んでない。が、輝夜から見れば、ピクリとも動かない田中は、まるで、まだ生あたたかい屍のように思えてしまうのである。輝夜はあせって、彼に近寄る。眺めていた二人も急くようにしゃがみ込んだ。慧音の顔は恐れに染まっていた。

 ちょうどそこで、今や遺言になってしまった田中の言葉に準じて、着替えやキャラづくりなどを済ませたはたては、廊下で声をあげる。

「――――姫海棠はたて、準備できました!!」

 しかし、その明瞭な少女の声は、この教室にむなしく響いたのであった



 死んでいないことを知ったとき、はたてを含めた四人は安堵の息を吐いた。なんだかんだ言っていながら、輝夜も楽しんでいたために、この企画を提案した田中が死んでしまったら、気分が悪いのである。

 今、四人はそれぞれ田中が用意したキャラクターの……紫は幼馴染。輝夜は我那覇響。はたてはツンデレ妹キャラ。慧音は気が弱い部活の後輩……その気持になって、彼の回復を、変わらずあの教室で、じっと待っていた。

「…………」

 加害者である輝夜の、底光りを暈す白い腿の上に、その頭を置く田中は、規則正しく小さな息を立てていた。

 輝夜は後悔していた。いや、自分を責めていた。あのときに言われた田中のセリフ「自分に甘い」 それが的を射ていることを痛感し、己の醜さが、まるで蜜柑の皮を剥いたら腐った果肉が現れたように露見し、そして、この事態を引き起こしたと、輝夜は自責の念に駆られているのである。

「田中……」

 輝夜はぽつりと声をもらした。それに反応するように、青年の目蓋がピクリと反応をみせ、四人は四人して身を乗り出した。

 田中はちいさくうめき声を上げて、目を覚ます。

「た、たな……プロデューサー!!」

「田中君!!」

「お兄ちゃん!!」

「先輩!!」

「ん、あっ…………お前ら」

「プロデューサー……自分、心配したぞ。とっても心配したぞ」

「響……」

「心配して、心配して、心配したぞ。だから……自分、心配したぞ」

「お前。……なんか悪いな。俺が悪いのに」

「ううん、田中君のせいじゃないわ。大げさに反応した私が悪いのよ」

「そうだぞ、田中」

 三人は演技のことなど忘れて、田中に心配の言葉をかけ始める。

 すっかり失念している三人を見て、輝夜は一瞬、戸惑った。自分の演ているのは、この青年の好きなアイドル。多分、そのアイドルになり切り労わりの言葉をかけた方が、田中には嬉しい筈だし、贖罪の意味ではそちらの方が最善であろう。

「プロデューサー。自分が悪いと思う。だ、だからゴメン。それと、えっと、その……自分、カンペキだから、何をすればいいか」

「無理しなくてもいいぞ」

「え?」

「十分嬉しいから、こうやってひざまくらをしてもらってるし」

「……アンタ、いきなりなによ」

「本当のことだ。だって、お前は普通に綺麗だし、こんな美少女見たことないし」

「……バカ。なによ、ちょっとカッコいいじゃない」

「ん? カッコい――――」

「――――な、なんでもない!! というか、目を覚ましたなら起きなさいよ」

「嫌だ。スリスリする!!」

 輝夜のふとももに頬ずりする田中。輝夜は咄嗟に目を剥いたが、そこで踏み止まる。落ち着けと自分に言い聞かせた。

「ったく、今日だけよ。でも金輪際、触らせないから」

「そういわれると、なんだか。さびしい」

「では、私も田中君にサービスしようかしら」

「ゆかりん!!」

「じゃあ、私も田中さんに」

「会計ちゃん!!」

「田中。今日だけだぞ?」

「けーねさん!! うは、天国。びば、ゆーとぴあ!!」

 この時、教室に忍び寄る影があった。暇だからという理由で、田中と慧音を訪ねてきたのだ。その人物とは、


「田中、けーね。遊びにきた…………」


 白髪の少女――妹紅である。

 だが、その田中ハーレムを見て、動きを止めた。

 怨嗟の的である蓬莱山輝夜は、さわやかな南国風の格好をして、田中にしろい太ももを貸し、幻想郷の権力者である紫も、髪型をツインテールにして、青年の右手を大切そうに握っている。そして、もう一方の腕は見知らぬ天狗の少女のマッサージをされ、友人である寺子屋の女史は、田中のふくらはぎを按摩していた。

 それらはまるで、嬌声を上げる妾のようにして。

 妹紅は、ピクピクと頬を引きつらせる。

「妹紅、これはなッ!!」

 慧音は咄嗟に弁解しようと試みる。

 が、

「そそそそそそうだよね。ははっ、いきなり来たらそうな―――――」

 猛ダッシュの妹紅の遠くなる足音を聞きながら、田中はゆっくりと上体を起こした。そして、呆然とする女子諸君に向かって、彼はちょっぴり笑みを見せて、朗らかな声でこう言うのであった。

「今日のことはなかったことにしよう。だけど、ゆかりんのおっぱいも、部長の大腿部も、会計ちゃんのパンチラも、けーねさんの抱き心地も、末永く俺のオカズとして生き続け―――――」

 ふたたび輝夜の腕が振るわれたのは、言うまでもない。



 と、折角コスプレをしたのだから、前例に倣って、寸劇を行うことになった。慧音は妹紅を追って行ったので現在はいないが、ともかく天狗ちゃんの寸劇は見れる。

「っで、会計はなんなの?」べったり床にすわる輝夜は気怠そうに言った。

 顔を真っ赤にはらす田中は頬を擦りながら、膨れっ面で答える。

「俺の後輩」

「学校の?」と、すっかりツインテールが板についた紫が尋ねる。彼女もなぜか床で三角座りである。旨い具合にスカートの裾がお股を隠しており、パンチラもないが、乳房の潰れる様は偉容である。……すばらしい。が、田中も明け透けだ、と思って「……え?」と、もう一度訊く。とはいえ視線はおっぱい。

「いや、後輩なの?」紫は気付かないので、膝を抱いたまま、前、うしろ、と身体をゆらす。

「ええ。俺にぞっこんだった」

「叩かれるわよぉ~」と、やっぱり輝夜にやる気はない。

「え?」

 
 「――――ととのいましたぁ~」


「叩かれるってなんだよ」

「プロデューサー、なんでもないぞぉ~」輝夜は右手をゆらゆら動かし、明らかに億劫そうだ。言うこともあったが、今はあずにゃんが重要である。

「……わかった。―――――入っていいぞ」

「はいっ」

 ガラッとドアが開くと、ブレザー姿のはたてが入ってくる。肩にギターケースを掛けて、見慣れた『彼女』だ。髪の色がすこし薄く、背の高さも違うが、鈴を転がす声と折り目正しい身振りが、ひどくなつかしい。
興奮をおぼえる田中は平生を装って、

「中野。あれ、唯は?」

「唯せんぱ――――」

「ギターじゃん!!」

 バッと輝夜は立ち上がる。そして、田中のことなど露知らず、はたてもとい梓に歩み寄った。ゆかりんも「え……」と茫然とし、よろこびにポニーテールを揺らす輝夜をみつめる。

 唐突な予定の変更にはたても戸惑いを呈する。事前の打ち合わせでは、初々しいやり取りを……キラキラ輝くあかい瞳は遠慮をしらない。

「それ、エレキでしょ?」

「そうですけど」

「ひいてみてっ」

 無茶振りである。田中は輝夜の肩を持って、「おいっ。やめろって」

「プロデューサー、自分、ギター弾きたいぞっ」

「待て。俺はあずにゃんペロペロしたいんだ」

「プロデューサー、キモい」

「じょ、冗談だよ、響。ともかく今はあずにゃんなんだよ」

「プロデューサー、嫌いっ!!」拱手で鼻をならし、そっぽを向く。

「ハイハイ。あざとい、あざとい」

「このいけず。私だってあずにゃんぐらいできるしっ!!」

 ポニーテールを解き、両の側頭部に一束作る。ゴムがないので、手でつかんだままだが……アレ? 響があずにゃんに?

「――――ゆ、紫さん!! こっちに並んで下さい!!」

「え? なんで?」

「とにかく!!」

「う、うん」

 横一列に3人を並ばせる田中。

「これがツインテール精鋭部隊……最高だ。ツインテール最高だぁぁあぁあぁ!!」


 と、まぁオチがないわけだが、今回はこれでオワリである。



[35704] 正解は越後せ――――弁当だからです
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/05/09 19:39
 三千世界の烏を殺したいと、輝夜は寝床の中で思った。

 陽の光りが彼女の睡眠を覚まし、起きたくないのに起きてしまう。だからこうして暗闇の中、あつい掛布団の中に身を潜めているのだが、今日に限って目蓋の筋肉はバカみたいに元気で、まだ眠いのになぜか眠りに落ちない。

「…………」

 輝夜は勢いよく掛布団を跳ね除け、そのまま上体を起こす。起きぬけの眼界は不明瞭で、姿見に映る自分の輪郭が暈けている。試すように数回まばたきをすると、霞が晴れて視界がいささか良好になった。鏡には寝癖の酷い自分と乱れた寝間着と、それに吹き飛んだ掛け布団が、しっかりと映し出されていた。が輝夜はなんにも感じない。自宅でオシャレなんてバカバカしいと普段から思っていたからだ。

 ふと輝夜は上を向いた。死んだ魚のように口が開いて、アホっぽさ丸出しの面構えだが、彼女は口を閉じることもなく、凝った肩を解すように首をグルンと回した。ボキボキと快い音が鳴って肩凝りが解消される。
そして輝夜はガクンと頭を落とし、気怠そうに立ち上がり、それから自室の襖を引いて、廊下へ出る。忙しく立ち働く少女たちの声や足音が聞こえるが、家常茶飯の事なので、殊更目新しい発見もなかった。

 胸のあたりにかゆみがあったので、服の下から右手を差し入れ、ぼりぼりと掻く。そのついでに肩をもむ。たしか耳にするに、巨乳は肩凝りがひどいと言う。もしそれを逆説的に考えれば、肩凝りがひどいい自分は巨乳ではないか?
 輝夜は、そんなマヌケなことを考えながら、億劫とばかりにすり足で廊下を進むと、部屋から出てきたウサギと、つと目が合った。それはエプロン姿のうどんげだ。毎度のことながら爽やかである。

「……」

 輝夜はまだ眠そうな瞳で、彼女の顔を検める。それから、

「おはよ」

「えっ、あっ、おはようございます」

「うん」

 珍しそうに輝夜の顔を窺う彼女のわきを抜けて、朝飯の行われる8畳の襖を、ガラッと忌憚なく開けた。すでに、永琳とてゐは、定位置に座って歓談しており、輝夜も自分の場所、永琳の対面に、爺くさく腰を下ろした。

 このとき先に居た二人は、会話を止めて、先ほどの少女同様、疑義のまなざしを月のお姫さまじっと向けていた。輝夜はまだ眠いので、自分に懐疑の念が向けられていることなど、まったく気づかない。だが、あることに気づいた。

 それは……

「アレ? 茶碗は? 私のごはんは?」

 彼女の朝飯が無いのである。

 なにも言わない同居人の顔を見て、輝夜は食卓に視線を下ろした。そこには、うどんげを加えた三人の茶碗と箸とが、それぞれの場所に『ちゃんと』置かれている。しかし、輝夜の分だけ箸も茶碗も置かれてなかった。

「…………」

 突然、胸の辺りがくるしくなり、彼女はそこを押えた。
 なんだろう。なんでこんな悲しんだろう。
 輝夜はわかっていた。これが陰湿なイジメだと。虐待であると―――――

「――――姫様、今日はお早いですね」

 永琳はそう朗らかな調子で言った。



 輝夜は自分でも驚いていた。
 自分が早起きしたのだ。
 この一週間、あの三人で規則正しい生活をしてきたせいかもしれない。

「…………」

 居間で大の字に寝転がる輝夜は、天井の黒い木目の数を意味もなく数えはじめる。だが、どうにも頭の具合が不調のようで、途中で数を間違ってしまい、最初からやり直しをくらう。輝夜は仕方ないので指を折ることにした。そうすれば、間違うことはないだろう。

 廊下ではだれかが駆ける音がした。が、確認するのが面倒くさい。もし見当をつけるとしたら、てゐがうどんげをからかっている、そんな風であろう。

「あっ……」

 右手を見ると、折角折られた指が開かれていた。
 簡単な作業なのに、こう立て続けに失敗すると、己の無能ぶりを詰られているような気がして、嫌気が差し、輝夜はごろんと寝返りを打って、だらしなく横臥した。畳のざらつきが右頬を擦り、まだ青さの残る薫が匂って何故だか懐かしく思えた。

 ふと意識的に力を抜いてみる。

 体が鉛のようになり、目蓋も石膏のように固まる。鼻息が次第に静まり、頭の中の雑念も小さくなる。しかし雑念は、まるで炎のゆらめきのように心でチラつき、それを一度認識してしまうと、炎は燃え上がった。

「暇だ……」

 今日、活動はない。日曜日なので、個々のやりたいことをやろうとなったのである。輝夜も見栄を張って予定が入っている態で話していたが、実際はそんなものはなく、あまりに多すぎる余暇はこうして彼女を苦しめており、あんな提案に乗らなければ良かったなどと、今更ながらに悔いているのである。

 ――――ガラッと襖が開く。

 うどんげだ。

「なに?」

 上体を戻して、問いかけると、うどんげはすこし急いた様子でこう言った。

「友人の方々が」

「友人?」

 思い当る節はあの2人。しかし今日は休日である。

 輝夜は「とにかく行ってみよう」と立ち上がる。と、それを見計ったようにうどんげは手の内の櫛を、ひらひらと扇のように振って衒った。最初は何のことかと思ったが、うどんげの『回れ』というジェスチャーで納得。輝夜はうどんげに背を見せて、さらに酷くなった寝癖に櫛を通してもらう。うどんげの妹みたいで嫌だったが、自分で直すのは億劫である。

 手早く直したうどんげは「よし」と言って、それこそ姉のように輝夜の肩をポンと叩いた。その肩の合図に、輝夜は振り返って、塞がれていた戸口から廊下へ出る。まっすぐ廊下に行くと、輝夜の予想通りの人物が待っていた。

 紫とはたてである。

「昨日ぶりね、2人とも」

「ええ、昨日ぶり。しかし、いつまでも寝間着じゃ、ダメだと思うけど」




 彼女たちも同様暇らしい。結局、同種という訳だ。

 プライドを傷つけたくないのか、あくまでそのことを直接言いはしなかったが、2人の言葉の節々に感じる言外の意味を察するに、要するに『暇だから遊びに来た』ということであった。

 「三人よりば文殊の知恵」というように、一人では決して感じぬユーモアな高ぶりが、3人の顔に現れていた。依然として場所は変わらず居間だが、木目を数えるなぞという地味な作業が行われたとは思えぬ程に、ガールズトークは盛り上がりを見せ、時折、襖の隙間から、3人の様子を窺うような視線を感じたりした。おそらく、女同士のかしましい会話を意外と好むうどんげ辺りであろう。永琳は存外、寡言な人だし、てゐは、ただの悪がきだ。

 態勢を崩す紫と、ちゃんと正座するはたてを尻目に、輝夜は襖の向こう側の人物に声を掛けた。すると意想外、渋ることもせず、うどんげがその襖を開けた。恥ずかしさが顔に現れている所が、すこし憎たらしいが、それも彼女の人間性であるから、非難や否定はできない。輝夜は招き入れ、藤色の座布団を差し出した。そこにうどんげは、ゆっくりと座った。が、発条に弾かれるようにすぐに立ち上がり、視線を一身に集める。

「お茶、淹れてきます」

「いいわよ、べつに。押しかけて来たには私たちだし」

「でも、お客さんですし……」

「これからすこし込み入った話をするのに、お茶なんてだされても困るでしょ?」

「込み入った話?」

 うどんげは首を傾げるが、互いに顔を見合わせた紫と輝夜はニヤついた。はたても居住まいを直し、その込み入った話の内容をわかっているようだが、それを悟ったような表情はしない。

「それはね、部長?」

「うん、エッチな話よ」

「……いつもそんな話をしてるんですか? 読者も飽きますよ、姫様」

「え、読者?」

「いや、なんでもありません」

「ううん。流石にそうね。エロい話ばかりじゃ、私たちも飽きるわ。でもね、」

「はい」

「それ以外、話すことがなのよ。トレンドに疎い私たちじゃ、それ以外話題がないの」

「服屋に行けば流行を知れますよ?」

「それはダメなのよ」

「なぜ?」

「ゆかりんがね、おだてられると買っちゃう人だからね」

「ホント、お世辞ってわかってるんだけど、なんで買っちゃうのかしらね。口が上手い人って罪だと思わない?」

「それって自制心がないってことじゃないですか?」

「ッ……田中君に劣らず、きついことを言うのね、あなた」

「すいません。でも田中君って男の人ですか?」

「ええ。背が高くて、声だけが良い」

「そうなんだぁ。私、背の高い人、好きだなぁ~。それに声が良いってなんか憧れます。レイセンって呼ばれてみたいですね。それに――――」

 ――――そう澱みなく、うどんげは自分のタイプを披歴する一方、婚活部の3人は名状できぬ表情をして話の終わりをじっと待っていた。恋愛経験のうすい彼女たちは、己の好みを伝えることでさえ、「理想が高過ぎるかもしれない」と恥じ入るのである。

「3人はどんな人が好きなんですか?」

「え?」

「私だけじゃ不公平ですよね? ほら、みんなは?」

 うどんげのさわやかな笑顔が、輝夜と紫とはたてとの重たい沈黙を招いた。悪辣な質問でないとわかっているが、輝夜も他の2人も、前述のとおり、自分の好みなど口に出せないのだ。それに加え、輝夜の自尊心は、このペットであるうどんげに対しては、一等尊大になるのである。

 すると、うどんげはすこし困ったように頬を掻いて、

「もしかしてレズなんですか?」

「ち、違うわよ!! あるわよ、好きなタイプくらい!!」

「だって黙ってるから」

「言いたくないのよ。言っても何にもなんないし」

「私が応援します。任せてください」

「……むぅ。なんか輝夜思うんだけどぉ~イナバさんってもう幻想郷のマドンナっしょ?」

「そんなことないですよ。だって、本当に姫様とか、紫さんとかはたてさんが頑張るって言うんなら、私、応援しますよ。でもライバルになったら容赦しませんから」

「じゃあ……なおさら言い難いじゃない」

「何故です?」

「だって、なんか、ほら……情けないし、迷惑かかるし」

「え、あっ、そうなんですか。ははっ、なんか私、無神経なのかな」

「べつにそんなこと言ってないわ」

「いえ。実はこないだも、人の気持を考えろって男の人に言われて、私って自分勝手なのかなって思ってたところなんです。おまけに、前にも何回も言われて。私って自己チューなのかなぁーって……」

 うどんげは目を伏せた。それに合わせて輝夜も、自分の無力を悔いて、ウサギの少女から視線を外した。そうして、引力の増したような重苦しい雰囲気に覆われて、女子たちは口を噤んだ。

 だが、

「――――そ、そうだ。ここに来る途中にドーナッツ買っておいたんですよ」

 はたてが、陰気な空気を一新するように、わざとらしく弾んだ声を上げた。そして、食卓の上に、箱に入ったドーナッツを置く。そのドーナッツは、カラフルな服をまとってかわいらしく、置物にしても遜色ないような趣を持っていた。

 うどんげは天狗の顔を見る。はたては「ど、どうぞ」と勧める。

「これってたしか、最近できたお店の」

「はい。私、好きで買いに来るんですよ」

「私も食べてみたいって思ってたところで、美味しいんですか?」

 ぱぁっとはたては笑みを咲かせ、

「うん、食べてみればわかるよっ。例えば、このピンクのやつはね」

 そう言って身を乗り出し、ドーナッツの説明をはじめる。うどんげも興味津々で、懇ろに相槌を打ち、はたての話を傾聴する。どうやら2人の波長はばっちり合っていたようで、ほんの2、3言を交わしただけなのに、二人の間にあった緊張の糸は解かれて、まるで10年来の友人のように、歓談に花を咲かせることになった。微笑ましい光景である。

 しかし、その爽やかな2人の横顔を眺める、紫と輝夜は、話の流れに取り残された気分になり、自分たちのノンフレッシュさに、ひどい憂いを覚えるのであった。

 さきほどの鬱然とした雰囲気はなんだったのか?




 そんな訳で、はたてとうどんげとの仲が深まったのだが、しかし、輝夜たちはとりとめのない話をするのではなく、永遠亭の広めの台所で、料理に精を出していた。その由はこうである。田中が遅れてくるので、彼のために料理を作ろうということになったのだ。
 提案者はうどんげであり、輝夜は乗り気でなかったが、紫が「なんか料理のできる女って良い響きね」と洩らしたのを聞き、たしかに絶品料理を披露すれば、彼を見返してやることができるし、もしまぁまぁの出来でも自分たちの女子力は格段に上がるはずだ。そう思い、その料理とやらに着手することを、輝夜もとい紫とはたても決めたのである。

 しかし、三人を監督するうどんげから見える光景は、幼稚園児たちが砂場でおままごとをしているような、なんとも幼稚なものだった。これは溜息を吐くしかない。

 おまけに、輝夜と紫は喧しく囀って作業を疎かにし、黙々と具材を切っているはたてが不憫である。はたして右の2人にエプロンが必要なのか、疑うほどである。

「……はぁ。姫様、もう少し真剣にやって下さい」

「なによぉ。関係ないじゃない。こっちは楽しくお料理しているのに水をささないでよぉ。このいけずぅ~」

「怪我しますよ?」

「そんな不器用じゃないわ。包丁で怪我するなんて迷信よ、メ・イ・シ・ン」

「不器用とかそういう問題じゃないんですよ。ホントに危ないんですって。腕がなくなっても知りませんよ?」

「むぅ……ゆかりん、姑みたいにうるさいんだけど、あのウサギぃ」

「多分、経験人数の多さを鼻にかけてるんだわ」

「か、かけてません!! 大体、私だってその……」

「その?」

「なんでもありません!!」

「いいじゃない、いいじゃない。少しぐらいこの輝夜に教えてよぉ~」

「嫌です!!」

「誰にも言わないからさぁ~」

「師匠にも?」

「うん」

「じゃあ……わかりました」

「ホント!? っで、どんなことをしたの? もしかして、まだ付き合ったことがないとかぁ? それなら、この輝夜さんがちゃんと慰めるからね?」

「いや、キスぐらいしか」

「え?」

「キスしかしたことないです。で、でも、初恋の相手だったんですよ!? だから、その、えっと、エッチなこととかはまだです。み、みなさん、呆れてますよね……ははっ」

「あっ、ふ、ふ~ん。その程度なんだ、ふ~ん。なぁ~んだ、期待して損したわよ。さぁ~て、お料理、お料理」

「ひ、姫さま、それ自分の腕!! 何を切ろうとしてるんですか!!」

「これ、腕じゃないし!! 左手だしぃ!!」

「部長、え? もしかして」

「はっ!? キスぐらいしたことありますぅ!! ねぇ、会計!? いまどきキスぐらいしたことあるよね!? 無い方がありえないわよね!?」

「えっと、私はない……」

「…………」

「まぁ、うん。ほらっ、誰にでもミスはあるわよ。猿も木から落ちるって言うじゃない」

「私が猿ってこと? 見世物小屋の猿ってことなの、ゆかりん!?」

「いや、違うわ。だから、その包丁を下ろして。私を殺す気なの?」

「もう慰めは良いわ。ふんっ、どうせ長生きしてもキスもしたことないようじゃ、良い笑い者よね。ねぇ、イナバ。そこのたまねぎとって。今日は久々に泣きたい気分だわ」

「すみません、これジャガイモです。というかもう泣いてるんじゃ」

「――――泣いてないわよ!! くそっ!!」





 そうして、完成した料理は不気味な物体であった。嫌なニオイが台所に立ち込め、ともすれば、最新鋭の報知器が唸りを上げて危険を発するぐらいに、とんでもなく異様な物体だ。キセキの化学反応をおこし、毒薬を合成されてしまったのだ。

 台所の机に鎮座する劇物を指さし、鼻をつまむうどんげは言った。

「だれを殺すんですか?」

「いやねぇ~そんな物騒なことを考えるわけないじゃない」

 輝夜には白々しい感がプンプンしている。おまけに紫とはたてはすこし離れた所でこちらの様子を見守っている。危険物を見つけて怖がってるけど、実は興味津々、みたいな風である。うどんげはもう一度、朗らかな笑みを湛える輝夜を見た。皓皓とした月のように明らかな殺意が窺える。その清廉さがこの悪臭と対蹠的に見て、この謎の物体――Xの不気味さに拍車をかけた。

「さぁ、たぁ~んと召し上がれ。残したらダメよ?」

「いや、それは八つ当たりでは――――」

「――――ないわよねぇ。ただうどんげに天国を味わってほしいのよ」

「天国……?」

 ごくりと唾をのむ。

「ええ、天国」

「死なない人がそんなことを」

「あ? 早く食えよ」

「いや、それってただの八つ当た――――」

「早く食えよ、この■■■!!」



 ……少々お待ちください。


「……うぅ」

 永遠亭の奥まった所にあるトイレを、気分の悪そうに出るうどんげ。結局、お腹いっぱいに食わされ、このように腹を下したのだ。まるであれは下剤だ。厠の戸を閉めると、それを見計らったように、

「――――美味しかった、イナバさん?」と声がかかった。

 顔を上げると、目の前に立つ輝夜がニヤぁ~といやらしい笑みを浮かべた。上司でなかったら、助走をつけて殴っている所である。

「美味しかったですよ。吐き気がするほど」

「そう、ありがとう」

「っ……」

「どうしたの? そんなに殺意をにじませて」

「べ、べつに姫様を殺そうと思ってる訳ではありません。まぁ、妄想だとしても、キスしたことない人を殺そうなんて可哀想ですから、私にはできませんけど」

「へ、へ~。そうなんだぁ~キスしてないと、殺されないんだ、ふ~ん。あっ、メモでも取って覚えておくわ」

「まぁでも……姫様は『一生』殺されませんけどね」

「どういう意味よ!!」

「いや、べつに。ただ真実ですから。ねぇ、不老不死のお姫様」

「ぬぬぬぬ……」

 肩を怒らせる輝夜だったが、そこであきらめたように息を吐き、肩を落とした。

「はぁ、まぁ、良いわ。大体、私が発端だしね」

「え?」

「金輪際、あんな料理は作らないわよ」

「姫様……」

「べ、べつにアンタのためじゃないから。その、食べ物を無駄にしちゃいけないからよ!!わかった!?」

「デレた。姫様がデレた」

「うっさい、早く行きなさい!! 掃除が残ってるのよ!!」

 トイレに逃げ込む輝夜。それでもうどんげはニヤニヤしっぱなしで、弾んだ歩調で台所へ向かう。すると、廊下の半ばで甘い匂いが香り、急いで台所に向かうと、なにやら残った二人が新しく料理を始めている所であった。
 しかしうどんげは、先ほどの惨劇をすっかり失念したように、嬉々とした歩調で、はたての背中に近寄った。彼女の肩にお玉をかき回す様が見て取れた。

「あれ、はたてちゃん? なに作ってるの?」

「え? あ~精進料理。鈴仙が腹を壊したからって作ってるの」

「ふ~ん、作れるんだぁ~」

「ううん。教えてもらったのよ」

「誰に?」

「部長」

「」



「あら、ウサギは死んだの。良いザマね」

 輝夜は机に伏せるうどんげを一瞥して吐き捨てるように言った。するとウサギの耳がピクッと動き、少女は顔を上げた。頬がこけ眼窩が深く、渇いた土の色をしており、およそ人の顔とは思えぬ壮烈さがあらわれていた。

「じん゙でま゙ぜん゙……」

 うどんげはひどくノイズのかかった声でそう言って、ガクッと少しばかりの力を失った。

「そう、良かった。死なれたら永琳に言い訳できないもの」

「どSね、部長」

「これから歯向かうのはよしましょう。何されるかわかったもんじゃありません」

 なにかコソコソ言っている2人に部長は険しい視線を投げかける。はたてと紫はビシッと気を付けをし、口元を引きしめ、露骨な態度をとって、輝夜の文句を待った。

「いいわよ、別に。かしこまらなくて。というか田中の食事を作らないとならないし」

 輝夜の口から意外にも小言の漏れなかったことに、部員の2人は顔を見合わせ、

「自分からつくろうなんて、中々やる気じゃない、部長ぉ~」

「流石ですね、部長」

 とあからさまなご機嫌取りに転じる。なかなか輝夜も極楽トンボなので、そんな白々しいお世辞にも安直な態度でのってしまい、誇らしげに小振りな胸を張った。

「まぁ、私も鬼畜の前に女だからね」

「流石、部長」

「よっ、日本一!!

「まぁまぁ。さて、本番を――――」

「――――材料有りませんよ……姫様」

 最後の力をひねりだし、うどんげは遺言にそんなことを言った。咄嗟に輝夜は聞き返そうとしたが、すでに彼女はこの世にはいない。三途の川に旅立ったのだ。うどんげからすれば、おそらく、一矢報いた、そんな欣然たる想いであろう。

「ヤバい、これはヤバいわよ!!」

 火急の事態が三人を襲ったそのとき、泣きっ面に蜂と言わんばかりに男の声が永遠亭に響く。無論、田中だ。飛行を習得している彼ならば人里からそうかかるはずもない。そのことを誰も計算に入れてなかったのだ。

「なんというバッドタイミング!! なにもないじゃない!!」

「部長、どうします!?」

 珍しくはたては焦ったように輝夜に問いかけた。輝夜は2、3回周りを見回し、目に留まったうどんげの肩をゆすった。それに合わせうどんげの白い耳が、秋風に揺れる浅茅のようにさびしくゆり動いた。

「い、イナバ!! 今すぐ吐きなさい!! イッツリバース!! もし吐けないんなら、私が思い切り腹パンするけど!!」

「」

「反応がないただの屍のようだ。万事休すね、私たち」

「―――――いや、私の力で食材を買ってくるわ」

 紫は顔を上げて、目元をキリリと引き締めた。

「なんか男前ね、ゆかりん」

「任せない。私に全部!!」

「じゃあ、私たちは田中さんを引き留めましょう!!」



 田中は玄関で待ち惚けをしているようであった。輝夜はよそよそしく近づき、ワントーン高い声で、居間に招き入れるようなことを言った。一方のはたてはその居間を整えている。ドーナッツの食べ滓や、座布団の位置、他諸々を綺麗に取りなし、女のかしましい声が占めていた居間を、大事な客を迎えるまえの客間のけしきへと、すっかり清々しく変えてしまった。

 襖が開かれ二人が入ってくる。

 はたては輝夜に目で合図をし、田中を上座に誘導させ、そこに彼を座らせた。田中は困惑を浮かべたがやむを得ない。2人は彼の対面に仲居のように端座する。久々の正座に違和をおぼえた輝夜であったが、端然なはたての身がまえに足を崩すことを我慢した。

「…………えっと、さ。俺、どういう立ち位置?」

 二人は顔を見合わせる。

「驚いたふりをしなくていいから」

「田中様のご所望のことは、この私、蓬莱山輝夜にお申し付けくださいまし」

「いや、そんな恭しく言うな。というか正座なんかしなくていいから」

「だって、男の子が私の家に来たんだもん。輝夜だってぇ~恥ずかしいのぉ~」

「そう」

「その反応、解せないわね。度し難いわ」

「腹減ってるんだよ。飯も食わずに寒い中、飛んできたんだからさ。ト、竹林で迷いかけたぞ?」

「迷えばよかったのに……」

「ん?」

「いや、なにも。ただ迷って死ねばよかったのにって思っただけ。ホント億劫だから二回も言わせないで」

「ちょ、せっかく俺の聞き流した意味ねぇーだろ、それ!!

「うるさい。このえへん虫」

「俺は腹減って気が立ってるんだ!! どうせお前は食ったんだろ!? 昼飯を食ったんだろ!?」

「は!? 勝手に決めつけないでくれますぅ!?」

「なんで逆ギレ……」

「あっ、私たち、田中さんにご飯を作ってたんですよ」

「え? マジ?」

「まぁ。一応ね」

「なんか…………」

「なにニヤけてるのよ。ただ延長線上でアンタの分を作っただけでね、最初からお前の分なんて作るはずないじゃない。思い上がらないで」

「そうか、悪いな。っで、件の昼飯は?」

「は?」

「いや、とっくに昼飯時は過ぎてるし、俺のことを待ってたんだろ? なら怒ってゴメン」

 たしかに彼女たちはお腹は減っている。だが……

「え、あ、そ、それはねぇ、会計?」

 チラリと輝夜は隣りのはたてを確認するが、彼女も講ずる策がないようで、苦笑を浮かべていた。

「まだ作ってるのか?」

「え? あ、うん。も、もう少しで出来るわ!!」

「そうなのか、もう少しか。じゃあ、俺の世話は良いから、作っていいよ。紫さんが一人でやってるんだろう? なら俺も手伝おうか?」

「あっ……い、いや」



 「もう少し」なんて言ってしまったが為に、さらに窮地に追いやられたはたてと輝夜。紫は材料の買い出しでここに居ないが、しかし彼女も同様だ。
 田中のいる居間から台所に戻った2人は、溜息を吐きたいのは山々だったが、次の手を打たなければならないと、思いつくだけのことを言い合った。いっその事、お酒を飲ませて懐柔してしまおうという意見もあったが、慧音の話によると田中は大変な大酒食らいで、相当の量を飲ませないと酔わないらしく、そのことを思いだしてバッサリとこの意見は却下された。

 あらん限りの知力をもって作戦を出しあった2人だが、すべてが徒爾で、言えば言うほど、絶望の文字がにじり寄ってくる。

 ―――――そのとき玄関が開く音がした。

 輝夜は台所を飛び出し、廊下を駆けて、玄関の戸を開けた人物――永琳を迎える。

「永琳……」

「た、ただいまもどりました」

「……はぁ、なんで走ったんだろ、私。無駄な体力使っちゃったわ」

 自分の早とちりに後悔しつつ、とんぼ返りをしようとする輝夜。

 そこで咄嗟に永琳は声を掛けた。

「ひっ、姫様?」

「なに?」

「みんなにお弁当を買ってきたんですけど、食べますか?」

 輝夜の頭に、ティンとひらめきが生まれた。お弁当を皿に盛り付け、それを自分たちが作ったと言い張れば、田中は「うまい」と褒める筈だ。

「――――永琳、弁当をちょうだい!!」


 弁当を皿に盛り付け、輝夜とはたてとの2人は田中の前まで運び、固唾をのんで彼の食べるのを見守っていた。一見すれば邪視にも思えるが、その瞳に宿る熱心な光りを見ると、並々ならぬ想いがこの料理に詰まっていることが知れる。

 田中の箸は琥珀色の酢豚をつまむ。ぬらぬらと甘酢のタレをまとう肉だんごは、甘露な肉汁を充足させて食されるときを待っている。輝夜はゴクンと生唾を飲み、丹念に空きっ腹を撫でつづける。腹の虫が鳴きださないよう、あやしているのだ。

「…………」

 田中の口が開き、その肉だんごを丸ごと喰らう。
 頬の躍動がすぐ見られ、奥歯や犬歯でもってその肉を噛みつぶすさまが明らかになる。その間にもしっかりと味付けされた甘酢の餡は、彼の味覚に刺激を及ぼし、すぐさま追って流れ出す肉の波浪と相まって、田中の眉をそびやかした。

「なかなか……」

「ほ、ホント?」

 思わず身を乗り出し、問いかける輝夜。

「料理うまいんだな」

「う、うん。その、味を確かめてないからどうかと思ったけど」

「食べてみるか?」

「いいの!?」

「ああ」

 田中の差し出した箸を迷いなく輝夜は受けとり、皿に盛られた酢豚をつまむ。そしてそれを口に放り込み、上下の歯で噛みきる。口内に肉の脂が広がり、おぼえず輝夜は口をおさえた。空腹が一番の調味料とはよく言ったものだ。

 順から言って次のはたてに、その箸を渡そうとすると、彼女は受取りを拒んで、首を横に振った。

「お腹すいてないの?」

「いや、そういう訳では」

「じゃあ、なに?」

「間接……キス」

「かん……せ―――――!!」

 箸先を見て、それから田中に視線を向けた。

「お、俺はべつに気にしないけど」

「ファーストキスじゃん」

「へ?」

「私のファーストキス返しなさいよ!!」

「お、落ち着け!! たかだが間接キスだろ!? 前にも絶対あるって!!」

「じゃ、じゃあ、私のファーストキスは知らぬ間に奪われてたってこと?
 私はあの初々しい一瞬を感じつに、ファーストキスを終えたってこと?」

「間接キスはキスじゃねぇーよ。良く考えろ」

「……でも普通にアレよね。田中とキスしたのよね。しかも間をおかずに」

「まぁ、そうだな。おまけに俺の唾液をちょくで飲み込んだ――――」

「――――言うな!!」

「ちょ、蹴るな!! ただキスした真実を――――イテッ!!」

「言うな、言うな、言うな、言うなぁぁぁぁぁぁ!!」

「ちょ、いた、おい、マジ、やめろ、この、ニート!!」

「……言うなよ、ニートって!!」

「いって!!」

「もうはずかしい。顔赤くなっちゃたじゃない」

「蹴りすぎだっつーの!! ったく、間接キスでそこまでするか? 普通」

「――――します!!」と、はたてが、力に満ち充ちた声でそう断言した。

「私たちはするんです!! モテないと、間接キスは非常に重大な事実な
んです!! 『あれ、実は相手もわざとやってんじゃないかな? もしかして私に気があるの?』と思うんです!! それか『ああ、いつの日か大人のキスも。そのときはリップしよう!!』って考えるんです!!」

「お、おう。皮算用ってやつだな」

「これは、あのビッチ――――じゃなくて、あの痴女――――でもなく、同じ鴉天狗の射命丸文が新聞にコラムとして載せてました!! なまじ交流が広いと、あのビッチの情報もバカにできませんからね」

「ビ、ビッチって言っちゃってるよ」

「だって本当にビッチなんですよ!! 気安くボディータッチはするし、見せパンするし、わざと風を起こしてパンチラするんですよ!? あ~絶対許せない、あの女。あの女のせいで天狗は淫蕩だって蔑まれるのよ」

「……あの女、やっぱりヤリマンだったのね。自分のことを見世物小屋の猿みたくパシャパシャ撮りやがって。だいたい撮るんなら自分のハメ撮―――――」

「―――――ストップ!! それ以上はいけない。女の子がそんなことを言っていけない!!」

「なんで? そっちの方が新聞より売れるでしょ? 需要は高そうだし」

「いやまぁ、そうだとしても俺の前だぞ? 一応男の前でそんなことを言うのは株が下がるだろ」

「自分が恋愛対象になると思ってるの? 自信過剰も良いところね。ねぇ会計?」

「えっと私は、田中さんのことは一応その……アレなんで」

「え? デキてるの? 2人ってデキてるの!?」

「早計だぞ、部長。ただ将来的にはそうなるけどな」

「た、田中さん?」

「蓬莱山マグマより君の方が何倍も素敵だよ」

「それワザとでしょ? ねぇ、それわざと間違えてるでしょ?」

「じゃあマグマ蓬莱山? プロレスラーみたいだな」

「まずマグマを改めなさよ!!」

「まぁまぁ、俺だってわざとじゃないさ、マグ――――ヤ」

「なんで最後だけなのよ!! つーか私の名前分かってるんじゃない!!」

「なんだよ。そんなに俺に名前を呼ばれたいのか?」

「そ、そういうわけじゃないけど、名前を間違えられたらやっぱり嫌だしさ……というか、なんで私が責められるのよ!! 悪いのはアンタでしょ!?」

「じゃあ、輝夜」

「え……う、うん。それでよし」

「なら、なぁ、輝夜?」

「なによ?」

「なんで出来立てなのに、この酢豚、冷たいんだ?」





[35704] ピポパピポ、電波を受信しました。彼女はメンヘラ星の、夢見る王女です。 
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/06/14 21:30
 は~い、カメラ回りま~す。3、2、1――――

「―――――画面の前のみなさん、こんにちは。私、蓬莱山輝夜っ!! みんな覚えてると思うけどぉ~私たち婚活部は日ごろっ、女子力を磨くためにシコシコと頑張ってるんだっ!! うん、応援ありがとぉ~みんな。これからも蓬莱山輝夜は、未来の君のために頑張るよ、きゃは☆ ……それでね、私。画面の向こうの君たちに重大発表することになったの。実はね……じゃじゃ~ん。幻想郷のアイドル、博麗霊夢と共演でぇ~す。パチパチパチ。うん、うん、うん。みんな待ってたよね、だって博麗霊夢だもん。嬉しいよね、みん――――おいっ!! 田中!! 何笑ってるんだよ!! アンタがやらせたんじゃん!!」

「え? いや、あまりに似合って無くて。『きゃは☆』って……くっ、ぷっ…ちょっとこっち見ないでくれ」

「いいじゃない、『きゃは☆』ぐらい――――って会計も笑わないでよ!! というか、いつまで撮ってるのよ!!」

 だって、部長があんな声を出すなんて。

「う、うっさい!! というか、カメラ渡しナサイ!!」

 ちょっと部長っ!! ってヤバい。笑いそう。

「ぬぬぬぬ……会計ぃぃぃぃぃ!!」

「マ、マグマ!! やめろって」

「ちょっと掴まないで田中!! カメラを停めさせないと――――って、何処触ってんの!?」

「あっ、これは触ろうと思って――――叩くなよ、このバカ!!」

「そんなセリフが許されるのは主人公だけなのよ!! ば~か!!」

「っ――――俺怒ったぞ。くすぐってやる!!」

「なっ、ちょっと!! 首は弱いんだって、ひゃっ、はははははは、ちょ、ほん、ひははっ!! やめ、ひゃっ!!」

「ごめんなさいわ!?」

「い、いや、ひゃっ、っははは、ちょ――――そこは!!」

「何を言って――――え? あ、俺触ってるのって?」

 鎖骨の下は犯罪ですよ、田中さん

「え? あ、いや、こ、これはな? 神の意志がそうさせただけでさ、俺のせいじゃないんだよ。でも、そう、肌は滑らかだったよ。だから怒らないでおくれ」

「コ、コロスわ、あんた。私の純潔を奪っといて、いいいいい生かす理由がないもの」

「ちょ、会計ちゃん!! 助け―――――ひでぶ!!」


 長たらしい会話はさておき、彼ら3人は、或る団子屋の座敷に席を占めていた。ここに慧音と紫がいないのは、まず慧音の方は仕事の都合上時間が作れず、紫の方は、博麗霊夢を招くため、些か遅れるということであった。

 今回、霊夢を呼び入れる訳は、田中にあった。田中以外のメンバーは皆、霊夢とは出会っており、彼だけ話でしか彼女の姿を知らないのだ。そのため彼が、彼女と会いたいと願い、それを聞き入れた紫によって、本日その本懐が果たされるという訳である。

 画面に映し出された映像を見て、輝夜は言った。


「これ、消してよ」


 しかし、携帯の持ち主はかぶりを振り、パチンとそれを折りたたんだ。それから隣の田中に微笑む。

「楽しみですね、会えるとなると」

「ああ。すっげー可愛いんだろうなっ」

「ふんっ。普通よ、普通」

 輝夜は頬杖をつく。その様子を見るに、彼女は妬いているのだろう。田中はめずらく彼女を褒めることにした。

「お前から見れば、みんな普通かもな」

 それを聞くと輝夜は、狐につままれたように呆けた顔をしたが、体裁を整えるようにしてまた頬杖を突いた。だが、幾許かその頬は赤に染まっており、頬杖の突き方も口元を隠すように変えられていた。

「……ありがとうなんて言わないから」
「ああ。事実だし」
「……うるさいっ」
「部長、ツンデレってやつですね」
「なっ、私がいつ田中にデレたのよ!!」
「だって、ぴったりって思うから」
「なっ……」

 輝夜は声を詰まらせた。そして彼女は、田中を見る。
田中から見れば、彼女の羞恥なぞ一目瞭然、茹蛸のような顔色、何か言いたげな唇、おおきく開かれた眼も不安げで、泣き出しそうな子供を見てるようで、その表情から忍耐が透いて見えた。要するに、過失のない田中を怒鳴れないので、じっと堪えているのである。
しかし、決して辛抱強くない輝夜は「バカ、死んじゃえ」と、ぽつりと呟く。

「うう……部長、かわいすぎる」

「全然かわいくない!! 私はかわいくない!!」

「身長が低いし、かわいい……」

「もう知らない、ふんっ!!」

 へそを曲げる輝夜であっても、はたては褒めちぎった。なかば自分より悪質かもしれないと思いながら、田中は止めずに輝夜の横顔を眺めていた。
 ややあって、紫の姿が団子屋の外に見えて、はたてと田中とは手を上げる。自分たちの場所を示すためである。ずっと機嫌の治らない輝夜も首を巡らせ、紫の姿を認めた。そうして紫は1人で近づいてくる。霊夢らしき人物が見えない辺り、どうやら失敗したのだろう。田中は期待を裏切られ、落胆したが、責めることはできないので、ため息も吐かず、店の通路に立った紫の口元を見ていた。
 すると彼女はこんなことを言った。

「神社に来てくれればって言ってるわ」



 そんな訳で博麗神社。
 秋は終わりに差し掛かり、秋めく風合いの残りも少ない。証拠に丸裸の梢が見えたり、落葉の絨毯が広く敷かれていたのだ。それに、秋の澄明な日差しを浴びる神社の瓦が、その輪郭を明確としながら、やけにさびしい趣を醸しており、年末を思わせる色の到来を匂わせていた。
 件の少女は、その唐破風の下に佇んでいた。黒髪は青い影を刷かれたがために、ふかい黒に変わっている。田中は綺麗だと思った。その楚々たる少女は、輝夜とも紫ともはたてとも違う、ある意味で人間的ではない、非常に純粋な感じがした。この青い秋空のように、何一つ濁りのなく、ただ彼女にはその色と翳だけで足りるように思えた。
 近づくことも憚られたが、田中は3人についてゆく。少女も歩きだし、彼らを出迎えた。

「霊夢、これが田中くん」

 紫の紹介に少女は、彼に視線を映す。鳶色の瞳は、この世の不正も知らぬげに只々澄んでいた。

「よろしくね、田中さん」

「え、はい」

 すると、霊夢はなぜか笑った。

「タメ口で良いわよ。私より年上でしょ?」

「え? ああ、じゃあ」

 ぎこちない態度に輝夜がこっちを見て、眉をしかめた。

「なんだよ」

「別にぃ~。分かり易いなぁ~ってさぁ~」

「――――そうだ、寒いから家に上がってよ、田中さん。魔理沙もいるし」

「魔理沙?」

 その疑問に紫が答える。

「霊夢の友人よ。部長と同じぐらいの身長」

「――――はっ!? あ、あんなに低くないわよ!!」

「――――あんなにとは、私、傷つくけど」

 社殿の陰から現れたのは、輝夜ほどの身長の少女だった。波打った金髪が印象的で、その肌の白さは輝夜に似たところがあった。そう、彼女が霧雨魔理沙であった。
 魔理沙はすこし笑みを含みながら、田中に近寄る。

「背が高いね、君」

「え? まぁ」

「私の2倍ありそうだけどさ」

「それはいくらなんでもさ、」

「これは冗談だぜ、君ぃ~」

 やけにフレンドリーな彼女に戸惑い、紫を見ると「まぁ上がりましょうよ」とやさしく笑った。



 案外霊夢の住居は広く、6人が入ってもまだ居間には余裕があった。
 招待されるとすぐに霊夢は「座ってて」と言い残し台所に消えた。田中一行は言われた通り、大きな横長机の周りに腰を下ろし、魔理沙も田中の隣りに席を占めた。輝夜はそれを見てムッとし、はたてと田中の間に割り込んだ。そうすると、はてたは立ち上がり、紫の隣りへ場所を移した。その態度があまりに凛然たるもので、輝夜はすこし悪い気がした。
 はたての座ったのを見て、魔理沙が咄嗟に言う。

「そこの2人って付き合ってるのか?」

「はっ!? そんな訳ないでしょ!?」

「いや、だってそんなに近いし」

 言われればそうだ。田中と輝夜は近い。もう肩が触れ合っている。

「近いぞ、お前」

「バカ、死ね」

「なんで暴言なんだよ」

「うっさい、とにかく私たちは付き合ってない」

「一方的ってことなんだぁー。いいね、田中君を争う4角関係って」

「私たちはべつに田中を男と見てないわよ」

「え? マジ?」

「ねぇ? 田中?」

「いや、俺は女として見てるぞ」

「キモっ」

「うるせぇ。くすぐるぞ? 今度は腹だからな」

「でも、田中君はさぁ~キツくないの? 女の子に囲まれて」

「ああ、あんまりそうは思わないかも」

「へ~珍しいね。過ちが起こってもよさそうなメンバーなのに。とくに紫とは」

「私はそこまで不純じゃない」

「というか純真ね、ゆかりんは」

「なっ、部長!!」

「おっ、知ってるんだ。紫が純真なの」

「え? どういうことなの、魔理沙?」

「いや、時々紫が過去の恋愛話をしてくれるじゃん? 最初の内は納得してたんだけどさぁ、ちょうど今から2年前ぐらいかなぁ~紫の話が赤の他人の話って気づいたんだよねぇ。そんで、調べたら、紫の恋バナのほとんどが嘘ってわかった訳」

「じゃあ、2年間ずっと私の話を……」

「まぁ~そーゆーこと」

「あ、そ、そうなんだ。はは……」

「(死ぬんじゃないかしら、ゆかりん)」

「(あとで慰めよう)」

「(そうね)」

「つーかー遅いなー、霊夢。便秘かなぁー」

「そんなわけないでしょ、魔理沙」


 6人分の湯飲みが乗ったお盆を持って、すっと襖から現れる霊夢。魔理沙が「さすが霊夢だぜ。あざといぐらいのタイミングだ」とからかうが、まったく意に介したような顔をせず、律儀に全員のまえへ湯飲みを置いていった。が、お盆のうえにまだ残る湯飲み。当然それは霊夢のものだ。

「私はここね」

 霊夢ははてたの隣りに腰を下ろす。しかし魔理沙がすぐに「場所変わるから、こっち座れって」と立ち上がって、場所を譲った。困惑する霊夢であるが、魔理沙の要求を飲む。
 隣りに座る少女を見て田中は居住まいをなおす。言わずもがな輝夜はそれが気に入らなかった。なのでこんなことを言ってしまう。

「スケベ野郎」

「は?」

「なんでもない」

「……なんだよっ、意味わからねぇ」

 輝夜も同様の気持だった。彼女は、博麗霊夢に嫉妬しているなど一とて思わなかったのだ。自得のない卑下は彼女自身も傷つけ、肩の触れあう距離なのに、田中との溝が広がったような気がした。とはいえ、と輝夜は思った。田中1人に嫌われようが自分にはまだ仲間がいる。そう、いるのにどうしてこんなに……
 そんな輝夜の内心など露も知らず、おしゃべり魔理沙の口がうごきだす。

「田中君って何歳?」

「え? ああ、二十歳」

「そうなんだ。じゃあお兄さんじゃん、私たちからしたら」

「そうかもな」

「じゃあさ、じゃあさ、田中君って恋愛したことある? 人里とかで」

「いや……」

 田中は言葉をつまらせた。他方の輝夜もなぜかドキッとする。が冷静をよそおい田中の返答を待つ。当然どんな回答か想像もした。こんなときに潤沢な想像力が作用するなど、よもや考えも付かなかったが、とまれ有りうる予想を頭に浮かべた。だが、彼の返答は思いもよらぬもの、少なくとも『輝夜にとっては』俄かに信じられぬものであった。

「俺、外に恋人がいたから」

「えっ……」

 声を出したのは、はたてであった。だが彼女等は一様に同じ感想をその胸に抱いた。

「ああ、そうか。俺、外から来たからさ」

「いや、恋人? 恋人ってアレだよね? 田中君?」

 紫は慎重に聞き直した。

「まぁー居てもおかしくないでしょう?」

 田中の意見は正論だった。しかし、紫は納得のいかぬ表情をして、

「……あなたはなんで幻想郷にいるの?」
 と神妙に問う。

「いないから」


 その一言で了解した者は多かったが、霊夢と魔理沙とは疑問符を浮かべた。若いが故に経験が浅いのだ。そして魔理沙は思わず訊いた。咄嗟に輝夜は彼の袖を引っ張って、戒めを試みる。もし彼が2人に胸懐を明かせば、自分との曖昧な距離がさらに広がるような、そんな気がしたのだ。だが田中は、歯牙にもかけずと言った調子で、淡々と


「恋人はどこにもいないから」

「……それって死ん――――」

「――――霊夢。やめなさい」

「いいですよ。だって、俺はこうして生きてるし、死んでも魂はあるんでしょう?」

 輝夜には無理しているように見えた。だが不死の自分が懇ろな慰めを与えても、それはひどく滑稽なものに思え、摘まんだ袖から指をはなす。紺の袖の惰性にゆり動く様は、雨気を吸ったように重たく、そして、怠惰な運動である。

「はぁ……だから話したくないんですよね。自分のこと。空気が悪くなるから」

「ううん、訊いた私が悪かったよな。ゴメン、田中君」

「気にすんなって、魔理沙も。人が1人死んでも、幻想郷じゃ珍しくないだろ」

 たしかにそうであるが、そうだと肯く者は誰もなかった。しかもはたてに限っては、叱られた子供のように俯き、その表情のほども知り得ない。だがチラリと見える下唇は、つよく噛まれているのがわかった。
 すると突然霊夢が立ち上がり部屋を出てゆく。かわいた襖の快音が響き、煎茶の表面に一瞬、漣が及んだ。口を結んだ一同を見回し、田中は輝夜の方へ顔を向け、やわらかな声色で彼女の名を呼んだ。
 輝夜は自分の顔がどうなっているかわからないが、「なに?」と応える。声色もへんに震えており、心の臓も早鐘を打っていた。輝夜はそう緊張を客観視しながらも、それを解そうとは努めなかった。感情の糊塗が剥がれ落ちるが故に、できぬことである。もしこの琴線が弛めば、自分がどう口走るか見当も付かないのだ。


「お前もそんな顔、するんだな」

「うるさい……」

「悪いな、輝夜」

 彼の大きな手が輝夜のつむじに触れる。常の彼女なら振り払っていよう。しかし、両手も、首も、咽喉も、催眠のかけられたように言うことを聞かない。ただ唯一主の命を遂行するは、白目の青さが美しい眼球のみ。しかし、精一杯見ようとしても、彼の鼻先が上限で、それ以上は窺えない。

「…………」

 剃り跡の薄ら青い口元は笑っていた。それも無体な働きによるものだと輝夜には思えたが、撫でられる頭を想うと、次第に恥ずかしさがこみあげてきて、見上げることもできなくなった。そう、この羞恥こそ恋の証―――――


「全部、嘘なんだ」


「は?」
 顔を上げる。紅潮の色も一気に引く。
「いや、全部ウソ。恋人もいないし、死んでもない」
「なっ、じゃ、だだだだだまし」
「イエス→☆」
「ふ、ふ、ふ」


「――――ふざけないでください!!」


 はたての怒号が部屋を突く。皆の注目がはたてに向く。輝夜も例外でなく、バクバクと脈打つ心臓をおさえ、彼女の方へ顔を向ける。
 はたては泣きそうな顔をしていた。小刻みに身体を揺らし、目頭に涙をためていたのだ。輝夜はなぜ涙するか焦ったが、今しも収まりつつある心音を感じて納得する。そうか、田中も仲間だもんね。

「え、いや、悪い」
「ホント、私、つらい過去があるんだなぁ~ってしみじみしてたのに」
「お、俺もな、ここまで信じるとは思ってなかったし」
「ううぅぅぅぅ、私、怒りました!!」

 はたてはきぃっと立ち上がる。が、「ううう」と唸るばかりで何もせず、腰を下ろす。そして、眼光炬のごとく光らせ、じっと田中の顔を睨む。魔理沙も彼の嘘が相当衝撃だったらしく、その反動として、田中を猛然と責め立てる。輝夜も参加しようか逡巡したが、やめた。おそらく田中の嘘自体が……
 そのとき襖が開き、霊夢が入ってくる。
 彼女の手には一枚のチラシ。よく見ると『整形』という文字がプリントされているような……

「田中さん!!」
「え?」
「せ、整形しませんか!?」
「は?」
「え、あ、わ、私と夫婦になってくれないかなぁ……って。その、顔以外は運命の相手だと思うので……うん、いっぱいイチャイチャしたいし、その、子供も欲しい」

 霊夢は両手の人差し指をツンツンさせ、モジモジする。
 言わずもがな田中は唖然とする。隣りの輝夜と対面のはたても唖然とする。だが、紫と魔理沙は「あ~あ」といった表情。輝夜がにそのわけを訊くと、

「霊夢ね。現実主義とかなんとか思われてるけど、実際頭の中はヤバいのよ。運命の相手はゼッタイにいるって思い込んでるから。部長も大根は白いことを一々言及しないわよね?」
「まぁーうん」
「それと同じ。霊夢の中では、『運命の人がいる』ってことは真実なの。まぁ、ある意味で羊頭狗肉かもしれないわ」
「じゃあ、田中は顔以外はカンペキってこと?」
「そうね。だって背も高いし、声も良いし、暗い過去もあるし。私たちだって惹かれるでしょ? まぁ性格を知ってるから、恋愛対象じゃないけど、もしあれで顔が良かったら、私もアプローチかけてるわ」

 輝夜はなにか唱えている霊夢を見る。

「子供ができたら一緒に地下の温泉に行ってね、そこで子供を寝かしつけた後、田中さんが『今夜、二人目でもどうだ?』って聞いてきて……きゃっ!! 恥ずかしい。で、でも、私は受け入れるわ。だって田中さんの妻だもん。それで、うん、色々と……やって、帰りにお土産を買うのよ。もちろん魔理沙の分とかいっぱい買って、だけど、お揃いの湯飲みもその初めての旅行の日に買って、家にならべて置くの。ときどきそれを見て、『私たちみたいね?』とか言ってみたりして。きゃー恥ずかしい。でも、絶対やりたい。あっ、あとウェデイングドレスも着てみたいかも。ヒラヒラでフワフワの。それで私が『綺麗?』って聞くの。だけど、田中さん『いつも綺麗だよ』って言っちゃって……今考えるだけで顔が真っ赤になるわ。それで結婚式はちいさな教会で開いて、互いに顔を赤らめながら誓いのキスをするの。っでその日の初夜に、うん、子作りする。わ、私、婚前交渉とかゼッタイ嫌だし、その純潔は大事な日までにとっておきたいの。だって女の子はみんなそう思ってるのよ? 結婚式まで処女を貫くって思ってるんだけど、みんな意志が弱いから妥協しちゃうのよ。でも私は、運命の相手を待った。だって私は巫女だし、運命の相手はゼッタイ居る筈だから。でも今日、その運命の相手に出会った。紫に感謝しないとね。ありがとう、紫。―――それでね、私、あんまりそういう知識がないからどうすればいいかわからないかも。で、でもっ!! た、田中さんは経験済みでしょうから、その、リードしてくれると思う。だけど私、痛いのは少し怖い。血が出るんでしょ? う~怖い。だけど乗り越えないとね。そうじゃないと田中さんの妻に成れないわ。それで初夜の後は、私、恥らうの。『気持ち良くなかったよね?』って。そしたら田中さん、『ううん。君が一番だ。これからもずっと』って抱きしめるの。あ~、私、この人が一番だなぁ~っておもって、泣き出すわ。泣き出して、私の方からも離れないように抱きしめるの。


 ~省略~


 ―――――老後は外に……行ってみたいなぁ。それに私、田中家の墓に骨を埋めたいし、あの世でちゃんとあいさつしないといけないからね。田中さんのご両親に。あ~そのとき、なんてあいさつをしようかしら。そのときはすでに名字は田中だから『田中霊夢でございます』で初めて……あっ、アレ?」

 霊夢は周りを見回す。人がいない。冷めた湯飲みだけが残されていた。
 


 魔理沙を加えた五人は、あの団子屋に舞い戻っていた。場所も先ほどと一緒の、狭い座敷である。魔理沙がいるので三人掛け、はたて、輝夜、魔理沙、の方はキツい。割かし背の高い紫と、高塔に見える田中とは、その様子を見て、まるで示し合わせたような微笑みをたたえていた。傍から見れば夫婦に見える。

「霊夢、なかなか狂気的だよねぇ、田中?」
「え、ああ。でもいきなり名称が変わると、読者が焦るぞ、魔理沙?」
「まぁ~いいじゃん。私と田中の仲なんだか」
「誤解を呼ぶようなことはやめなさい」
「いいじゃん。というかさ、私も入れてよ」
「え?」
「下ネタじゃないよ。ただ私もこのメンバーに入れて欲しいなぁ~ってさ。良いっしょ?」
「いや、俺に訊くな。そいつに訊け」
 田中は輝夜を指す。魔理沙はそれを認めて、輝夜の肩を持つ。
「ねぇ、かぐやんっ」
「かぐやん言うな!!」
「ね~ぇ~か~ぐ~や~ん~」
「むぅ……私たちは遊びじゃないのよ?」
「婚活してるんでしょ?」
「そうだけど、ならなおさらアンタは関係ないじゃない」
「はぁ……なんでわからんかなぁ~。折角、交友が広い私がいるんだよ? なら、人伝いに出会えるかもしれないじゃんか」
「自分で交友が広いって言う?」
「嫉妬?」
「違うわよ!!」
「じゃあ、いいじゃん」
「……でもさぁ~。ゆかりんはどうなの?」
「いいんじゃない。だってもう、私、色々とバレてるし」
「じゃあ、会計は?」
「私も良いと思う。だって魔理沙、話しやすいし」
「流石、はたてん!!」
「じゃあ、田中は?」
「俺? 俺は」
「もし私を入れて結婚相手が見つからなかったらさぁ、そのときは、田中がみんな娶ればいいじゃん」
「「「「は?」」」」
「べつに良いじゃん。婚活ってそんなもんじゃないの?」
「いや、各々意志があるだろう。大体、ゆかりんとはたてんは良いが、マグマはゼッタイ嫌だ」
「はっ!? こっちから願い下げですぅ~」
「俺の方が早く『ヤダ』って言ったしー」
「私の方が早く思ったから」
「俺の方が早い」
「私の方が!!」
「俺!!」
「私!!」
「俺!!」
「私!!」
 魔理沙は言い争いを横目にしながら、はたてに話しかける。
「いつもこんな事?」
「大体ね。でも、喧嘩するほど仲が良いって――――」

「「――――良くない!!」」


 こうして婚活部に新たな部員『霧雨魔理沙』が入部?



[35704] デート編のプロローグだよ。うぱにしゃっと。
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/05/05 19:32
 それは魔理沙が入って三回目の部活動であった。彼女は、誰もがしきりに思ったが触れなかったことを容易く口にしてしまったのだ。それはいたく簡潔な言葉で述べられた。
「婚活してなくね?」
 その辛辣な指摘に皆はこぞって口を噤んだ。彼女らは婚活より、非建設的なとりとめのない話を好んだのである。無論、不毛なことだと自覚していたが、やはり安穏を望む彼女らにとってそれは、日ごろの鬱憤を晴らす欠かせない習慣になっていて、やめようにもやめられない板挟みの現状が、只々この怠けきった中だるみの日々を作っていたのである。
 とはいえ指摘した魔理沙自身も婚活への知識はなく、だからこうやって4人は知恵をしぼりにしぼって今後の予定を考えているのであった。
 現在、四人は輝夜の自室にいる。思いのほか片付いている彼女の部屋の中央に布団は敷かれており、その中で魔理沙と輝夜とが仲良さそうに一緒になって、安々といった調子で横になっていた。布団のおおきさは身体のちいさな2人にすれば十分の広さであり、当然掛布団の方も同様であった。
「あ~思いつかないぞぉ~」
「う~眠い。動きたくなぁ~い」
「部長ぉ~」
 魔理沙が輝夜に抱き付く。しかし彼女は拒まずに受け入れた。なんとなく人の温かさが欲しかったのである。部長の肯んじるのを見ると、魔理沙はさらにつよく抱きしめて頬ずりをする。少女の肉はたいそう柔らかに歪んで、お互いの体温を共にした。
「かぐやん、かぐやん。かわいいよ、かぐやぁ~ん」
「ん~やめてよぉ~」
「私が男だったら絶対襲ってるよ、こんなの」
「ちょっと、部長が嫌がってるじゃない。やめなさいよぉ、魔理沙」
 紫がそう注意する。しかし、発せられた言葉に勢いはなく、しなやかな指先では食べていたおかきの細かな食べ滓を、スリスリと擦ってボロボロとゴミ箱の中に落としていた。彼女も一応、話の中途まで考えをつらつら巡らしていたのだが、なまける2人を見てしまうと、自分の中にあったやる気が焚火に水をぶっかけるようにして全くもって消えてしまったのだ。
「じゃあ、紫もやる? 部長にスリスリ。三人はキツいけどなんとかなるよ」
「じゃあ仕方ないわね。入ってあげる」
「紫さん」
「じょ、冗談だって。でも、スリスリしたい……」
「私もスリスリしたいけど、ダメですよ。結論が出てないんだから。だいたい、紫さんが一番婚活を頑張らないとならないんですよ? この中じゃ」
 語気をつよめるはたて。妖怪の賢者は居住まいを直し、すごすごとして肯いた。その間も輝夜は頬ずりされており、いつの間にかその頬ずりも体全体に周って「あっ、んっ」と吐息をもらすまでの過激な『遊び』に変貌していた。
「ここがええんやろ? なぁ、ここやろ?」
「ま、魔理沙。私も」
「んっ、あっ、いきなり、そこは……あっ」
「お互い様で……しょ? 魔理沙ぁ……」
「わ、私もこらえられない。はやく服を――――」
「おい、そこのマイノリティー2人組。性交渉をするのはいいが、人の話を聞けって習わなかったか? というか布団から出ろ」
 はたてが掛布団をひっぺ返し、寝そべる2人を冷めた視線で蔑視する。しとげない格好の輝夜はむくりと身を起こし、怒れる少女へ諂うような笑みを、その綺麗な顔にたたえる。
「わ、私はイヤって言ったんだけどね。この屑がどうしてもって」
「屑!? ノリノリだったじゃん!!」
「うるさい!! アンタは黙って!!」
「棚上げするな!!」
「私は何もしてないもん!! 先に触ってきたのそっちじゃん!!」
「私が触ったときには、自分で触ってたくせに!!」
「あ、いや、あ、あれは習慣だから!! いつもやってることだからさ!!」
「ふ~ん。藪蛇って言葉知ってる、かぐやん?」
「あっ……」
 はたてをチラリと見ると、
「今、禁欲ブームがきてるらしいです。『仏に逢うては仏を殺せ』って言葉もあることだし、まずはその奔放な性欲を殺しましょ?」
「ち、違う!! そんなことしてないもん!! 私はただ癖で!!」
「その慌てよう、図星だね? 部長」
「はぁ、魔理沙。類は友を呼ぶって知ってる?」
「なっ、私は違う!! そんなことしない!!」
「そう、しないんだ」
「え、あ、す、するぞ。その、すこしはするけど……毎日じゃなくて、いや、でも時々二日連続」
「魔理沙。会計の口車にまんまに乗らされてるし」
「はっ、はめられた!? あ、下ネタじゃないよ」
 それを聞いていた紫がハッとしたようすで、
「……既成事実を作ればいいんじゃない? そうすれば結婚――――」
「――――ゆかりん。それはまさしく屑だよね? 作麼生」
「説破。まったく屑じゃないわ。一つの手段よ」
「良心の呵責とかないんですか?」
「ないわ。もう私は大人。手段は択ばないわ」
「まぁー結局、紫は純真だからできないけどな。なぁー紫?」
「…………で、できるから」
「ふ~ん、やってみろよ」
「や、やるわよ」
「まぁ、どうせできなけど。口だけだからな、紫は」
「わ、わかった!! 私、田中君を今から襲うから!! 襲って、その、子供孕むから、私!! それで、田中紫になるからね!! ご祝儀袋用意しときなさいよ!!」
「お、落ち着いてください、紫さん。いや、マジで落ち着いついて。その、紫さんは清き結婚生活を築きたいんですよね? なら、まず恋人にならないと。そこで色々と経験するんですよ。デートとかして」
「ん? デート? 会計、デートってアレだよね?」
「ランデブーでも、アバンチュールでもないですよ?」
「うん。じゃあ、アレじゃん? 私たち、デートすればいいじゃん」
「かぐやん、相手いんの?」
「田中」
「デレ過ぎだぜ、暑い暑い」
「いや、デートの練習台として田中を使うのよ。みんなで」
「エロ漫画に出てきそうな展開じゃん。お持ち帰りとかされる気? もしやシラフで言えないから、企画の勢いで告白とかっ? やっべぇ~テンションあがってきた」
「言うに事欠いて、そんなこと言うなっ」
「でも田中君、困るんじゃない? 両手両足に花って感じになるけど」
「だ~か~ら、一人ずつデートするの。それで評価を付けてもらえばいいじゃない」
「あ~なるほど。たしかにいいかも。ちょっと恥ずかしいけど、田中君なら気軽に話せるし。私はそれで良いかもね。で、でも、恥ずかしいわね…… て、手を繋いだりするのかしら……」
「じゃあ、デートですか? 次は」
「ええ。一番良いデートをした者が、田中にキスできる!!」
「「「「…………」」」」
「ど、どうしたの?」
「勝つ気ないですよね、部長?」
「あ、あるわ!! か、輝夜、頑張っちゃうぞぉ~」

 こうして田中へのキスを押し付け合う醜い争いが始まったのであった。



[35704] 俺のはたてがこんなに可愛いわけがない≪はたてとデート≫
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/05/09 19:52
 はじめは先ずはたてであった。

 押しなべて皆ドキドキする筈なのだが、分けても彼女はなかんずく緊張を喫した。理由は、何も知らない田中に彼女が企画の説明をするからである。要するに、この企画は、田中の許しも得ず始まったからに、先方へ情報が送られてなく、一番手であるはたてがそれの説明の担い手を負わなければならなかったのだ。

はっきり明かせば、すべて輝夜のせいである。彼女が「驚かせよう」と言うものだから、誰とて概略を伝えず、彼に会っても一切寓意するようなことは口にしなかったのだ。それ故、このような困った事態がはたての眼前に図々しく立ちはだかり、今しも田中宅の框戸が、まるで透明な錠前に鎖ばられているように感じるのである。よしや本当にそうかもしれない。ならば、逃げ出しても良い筈だ。

 とはいえ、折角田中のためにオシャレをしてきたはたて。淡い茶色のダッフルコートに、落ち着いた色のチェックのスカート、その下には、冬の寒さに負けじと朱のレギンスをしっかりと履いて、いつものダサい、両足の下駄は、ガラッと茶色のブーツに変えている。レトロをモチーフにコーディネートしてみたのだが、見せる相手に会えないとなると、この気合を入れた粉飾がこの上もなく無駄となってしまう。そうなると、二日思い悩んだあの苦労が、ひどく勿体ないものに思えて、帰りに帰れなくなるのであった。

 まぁそんな風にはたては逡巡しており、人通りのない寂れた通りの一角、あばら屋がごとき田中の自宅前で、何もせずじっと突っ立っていた。

(うう…どうしよう。私、初めてだからわかんないよぉ……鈴仙に訊いとけばよかった)


「――――はたてちゃん?」


 男の声にビクッと飛び上がるはたて。

「俺の家のまえで何してるんだ?」

 当然振り返ると、田中がいる。はたては会うといつも思うのだが、背が高くて、声が良い。

「え? あ、」

「なにか用?」

「デ、デート!!」

「は?」

「私とデートしてください!!」

「え? ……えっ!?」

 田中の反応に、はたてはハッとした。これでは自分が『本当に好きで』告白しているみたいではないか。そんな訳ではたては顔を真っ赤にしながら慌てて、

「そうじゃなくて!! 一緒に居て欲しいんです!!」

 とかなり空回りの発言を放ってしまう。

「そうだったのか。そんなに俺の事を……」

 田中は瞳を潤ませる。はたまた、アッとはたては自分の失敗に気づき、

「違う、違う!! 全然違うっ!!」

 いつもの、一歩身を引いて礼を順守する彼女――――らしからぬ様子で、田中の腕をはたてはブンブンと振るう。田中も「何かわけが違うぞ?」と流石に感づき、彼女の焦る理由を尋ねようとしたが、珍しく紅潮するはたての姿が、あまりに愛らしかったので、

「はたて。結婚式はいつにしよう」

 とからかってみる。

「違うぅ!! 違う!!」

「おお、かわいいな、はたては」

「違う!! 違うの!!」

「俺はうれしいぞ。まさか、告白されるとは」

「うう……違うのに……ひどい」

「さすがに気づいてるさ、俺だって」

「ホント?」

「ああ――――相思相愛ってことぐらいな」

「…………うう、バカっ」

 はたてが奥歯を噛んでフルフル震える。目頭に不思議な光りが宿り、眉根はきぃと上がっていた。目角はナイフのように鋭く、言葉にできぬ威圧感がある。

「わ、悪かったよ。俺が」

「ホン……ト?」

「あ、ああ。っで、何をしにきたんだ?」

「それは」

 かくかくしかじかと事情を説明すると、田中は、納得するようにポンっと手を打った。

「じゃあ、俺とラブホ――――」

「田中さん、そういう人だったんですね」

「じょ、冗談。デートをするってことだろ?」

「はい。……その、どうですか?」

「え? ああ、構わないよ。暇だしね。じゃあ、ちょっと待ってて。用意しちゃうから」

「はい。ここで待ってます」

「ん? 入らないの?」

「男の人の部屋に入るの……その、恥ずかしい」

「そっか。なら、すぐに用意するから待ってて」

 田中のさわやかな笑顔に、はたては目を逸らした。……何をやっているんだ、自分。意識する必要なんてないのに。
 自覚はないが、はたては恋をしていた。田中に……という訳ではない。恋人がおよそ行う『デート』という行為自体に、恋い焦がれていたのだ。
 しかし、気を張ると空回りするタイプの彼女にとって、この胸の淡い痛みは、田中への恋心が如く思われ、おのずからその曲解の悪循環に足を進めてゆくのであった。


 輝夜の課した1つのルールとして『デート中は手を繋ぐ』というものがある。発案者は、偶々廊下で話を聞いていたうどんげであり、輝夜はその提案を潔く受け入れてしまい、魔理沙・紫・はたてに対し、声高に、手を繋ぐよう宣言したのだった。半ば、はたては呆れたが、しかし、紫も魔理沙も思う所があるらしく、その提案を承諾してしまって、結局一人になっ
たはたても渋々首肯したという訳である。

 とはいえ、はたてにそんな大胆なことが出来る筈もない。

 現在彼女らは、殷賑たる人里のアベニューを歩いていた。特に会話もなく、まるで町の活気を愉しむようにして。だが、愉しむ余裕のあるのは田中だけである。片やはたては、田中の揺れる右手を見て、ロマンチックな想像をし、その彼の二歩うしろを、恭謙な態度で付いてゆくのであった。もはやその様は従者、行住坐臥彼に仕える態の良い小間使いであった。

(も、もし、田中さんと手を繋いだら、恋人に見られるよね。もしかしたら、腕を組んじゃったりして……恥ずかしい。だけど、嬉しいなぁ。田中さんと手を繋げるなんて。既成事実だよね、これって。うわっ、私って腹黒じゃない? だよね、やばっ。ビッチってやつ? ふふ、ふふふふふふ)


「はたてちゃん?」


 顔を上げると、自分を覗き込む田中の顔。最初、はたてはそれが何だかわからなかった。

 ただの肌色の物体? しかし、コンマ何秒かする内にはたては気付いておどろき、うしろへ転びそうになった。

「キャッ!!」

「あぶないっ!!」

 田中の長い腕がはたての背中にまわる。そうして、はたての転倒は田中の力により阻止され、ほとんど彼がはたてを抱き込むような形となった。
はたては混乱していた。何が、どうなって、こうなったのか、まったくわからない。気づいた時には、自分の右手で田中の服を握って、自分の右頬で心臓の音を聞いている――――

 要するに、抱き付いているのだ。無論、はたてに、こんな、男に抱き付くような経験はない。

 全身が粟立ち、汗腺から汗が出る。とはいえ、石化の魔術をかけられたように、動くことが出来ない。

「はたて……ちゃん?」

「あっ、いえ!! す、すいません!!」

「いや、いいけど。でも、やっぱり匂いは違うんだな」

「え?」

「輝夜はシャンプーの匂いがするけど、はたてちゃんは少し香水の匂いがするね」

「あっ……い、一応つけているので」

「そうなんだ」

「はい……」

「そうだ。折角、恋人なんだし手を繋がない?」

「えっ!?」

「いやならいいけど」

「お、おなしゃーす……」

「『おなしゃーす』、ってなんかエロいな」

「ど、どういうことですか?」

「いや、上位相互的な。グレイモンがメタルグレイモンになる的な」

「エボリューションってことですか?」

「そうだよ。BGMとしてブレイブハートが流れてね、『アグモン進化ぁ~』ってさ」

「なにを言ってるのか……そもそも何の進化ですか?」

「何の尊敬語の進化さ」

「お何?」

「……グッジョブ、はたてちゃん。ほらっ、テレビの前の君も、ナニを握手っ!!」

「何を言ってるのか、わからないです。……あとで教えてください」

「え? ナニを?」

「はい」

「……ゴメン、輝夜、ゆかりん、慧音さん、あと新人の魔理沙。ボク浮気しちゃうよ」

「?」

「よし、今度会ったとき、ナニの特訓だ!!」

「は、はい。お願いします」

「今日はデートを愉しもう!!」

「はいっ!!」



 2人は服屋を回り、お揃いのアクセサリー、それから、似顔を描いてもらって、馴染みの団子屋にやってきていた。すっかりはたては、田中の手を握ることに慣れてしまい、いつものような軽口を叩けるようになっていた。しかし、やっぱり田中を見ると、胸がドキドキして、『あ~好きなんだなぁ~私』と勘違いするのであった。

 向かいの席に座る田中が、団子を食い終え、話しはじめた。

「そうだ。魔理沙ってどんな奴だ?」

「魔理沙? 魔理沙は普通の女の子ですけど」

「そうか」

「でもどうして?」

「いや、博麗が……かなりヤバかっただろ? だから魔理沙ももしかしたら……ってさ。まぁ~大丈夫そうだけどさ」

「い、意外でしたけど」

「そのぉ、こないださ、ラブレターが送られてきたんだよ。おまけに、押捺されたやつ。多分、自分の親指に血をつけて押したと思うけど……」

「怖いですね」

「ああ。ストーカーされてるかもしれん」

「そのときは皆で田中さんを守りますよ。意外と強いんですから、私達」

「はは、いいよ。女の子にそんなことはさせられないだろ?」

「え? お、女の子なんて……」

 はたては顔を真っ赤にし、俯く。

「俺の彼女なんだから、胸を張ってくれ」

「は、はい」


「――――彼女?」


「ん? だれで――――」

「――――文っ!?」

「こんにちはぁ~はたて」

 向くと、天狗の少女がいた。はたてよりいくらか大人っぽい、黒髪の少女だ。スレンダーな身体つきと、知的な色を浮かべる表情が印象的である。これが……ビッチ、射命丸文。

「なんで、こんなところにいるのよ!!」

「取材よ」

「それなら家で妄想してればいいじゃない!?」

「根暗なはたてちゃんとは違いますからぁ~」

「ぬぬぬ……」

「でも、まさか、あのはたてに彼氏ねぇ……」

 文は田中の顔を無遠慮に覗き込もうとする。田中は、はたてのくやしがる姿を見てすこし仕返しをしてやろうと考えた。だから、その覗き込む文の顔に、自ずから顔を近づける。そうすると、文はビクッとして身を離す。それから繕うように、

「い、意外と普通ね、はたて」と、負け惜しみに聞こえることを言った。

 だが、はたての返答はまったく違う、もっと言えば、さらに質問で返したのである。

「というか、今日、文、休みだって言ってなかったっけ?」

「え?」

「だって、こないだ、予定が入ってて大変って……アレ?」

「な、なによ」

「もしかして……」

「と、友達ぐらい居ますぅぅ!! はっ!? 居るから!!」

「なにも言ってない……」

「居るし。友達ぐらい、居るから……バカにしないでよ」

(まさか文って……ビッチじゃなくて――――ボッチ?)

「その……文?」

「なに?」

「一緒に遊ばない? 今日は『たまたま』1人なんでしょ?」

「うん。『たまたま」ね」

「……俺も気にしないよ。はたてちゃんの友人なら」

「じゃあ~わかりましたっ!! その、彼氏さんのお願いだから聞くだけですから」

「じゃあ、こっち座り――――」

「――――じゃあ、失礼します。えっと、名前は?」

「田中です」

「じゃあ、田中さん、失礼します」

「文?」

「なに?」

 にっこり悪い文。はたては奥歯を噛み、堪える。ここでキレるな。折角、ビッチならぬボッチにやさしくしているのだ。キレたらいけない。

「な、なんでもない。なんでもない」

「そう。ああ、そうだ。田中さん」

「なに?」

「私のことを知ってます?」

「ああ、名前だけなら」

「じゃあ、今度、私の書いた新聞、渡しますね。読んで下さい」

「お金は」

「いいですよ。縁があって仲良くなれたんですから」

「…………」

 ジーと2人を見つめるはたて。

「どうしたの、はたてちゃん?」

「……べつに。なんでもないです」

「焼きもちやかないでよ、こんな所で」

「べつに嫉妬してない!!」

「じゃあ、田中さんっ」

 文はきれいな瞳でじっと田中を見つめ、

「文ぁ~、田中さん、タイプかもぉ~」

「文っ!!」

「なに?」

「くっ付かないでよ。性病がうつるわ」

「ひっどぉーい。ねぇ、田中さん?」

「え? いや、おっぱいが」

「あっ、すいません。当たってました?」

「わざとでしょ。それ、わざとでしょっ」

「わざとじゃない」

「うぅ……わ、私もそっち行く!!」

 はたては立ち上がり、田中たちが座る側に座ろうとした。しかし、定員が二名であるので、座れない。だが、はたては無理矢理座ろうと試みる。おまけに田中の右側――要するに、田中と壁に挟まれた場所に、席を占めようとしたのだ。
 文は反抗するが、敢為の気性に火が着いたはたては止まらず、文の足に蹴りを入れてずらし、田中の足を跨ごうとする。しかし、その跨ごうとする行為には、状態を不安定にするしかない。……そして結局、前のめりに倒れる羽目に。そうすると、田中が咄嗟に彼女を受け止めるのであった。
 またまた、はたては彼の胸の中で目を開ける。

「はたてちゃん?」

「た、田中さ――――」

 離れようと身を引くと、テーブルに腰が激突。痛みが走り、「あうっ」とマヌケな声を上げてしまう。田中は倒れ込むはたてを、また抱きしめる。

「大丈夫?」

「は、はい」

「周りから注目の的ですね、2人とも」

「うるさい!! このバカ文!!」

「だって本当のことだからね。ほらっ」

 コソコソと噂する声が聞こえる。

 はたては顔を赤くして、田中の胸におでこをつけた。

「……恥ずかしい」

「……まぁ、座りなよ、俺があっち行くから」

「そ、それじゃダメなんです!!」

「だって、狭いし」

「……じゃ、じゃあ、このままで……お願いします」

「え?」

「と、というか私がアッチに行かせません!!」

 はたてが田中の背に手を回し、ぎゅうと自分に抱き寄せる。紫や慧音のような、所謂爆乳組には劣るが、意外に巨乳のはたてがそうすると、田中の身体におっぱいが当たる訳で。そうなると、リビドーが体中を迸る訳で。

 彼は咄嗟に、霊夢を思い浮かべた。ストーカーを想像すれば、息子も怖気ついて元気をなくすだろう、というバカっぽい算段だ。

「こ、こうすれば一緒に座れますっ」

「お、おう」

「ううぅ……ゼッタイ離しませんから」

「おう」

 これは至福と苦悩の入り混じった時間。
 だって、姫海棠はたてが抱き付いてるんだぜ? なら、幸せだろう? と田中は自己弁護しつつ、自分の長男坊を抑えつけようと必死である。

 だが、それもある人物、というか、博麗霊夢の出現によって果たされるのであった。


「……何をやってるの? 田中さん」


「あっ……はく、はく、博麗」

 震えた声で少女の名前を呼ぶ。その少女――博麗霊夢は、どうやら友人と人里に来ているようだ。見慣れない緑髪の少女がうしろにおり、肩口からこちらの様子を覗いていた。

「私の知らないところで、何をやってるの?」

「あ、え、これは、不可抗力で」

「不可抗力? 女二人をはべらせて、そんなことをやってるのが不可抗力? こないだ、書いた手紙に書きましたよね? 他の女の子と遊ぶなって」

「て、手紙? あの怪文か?」

「怪文? 私の気持のこもった手紙です」

「……うん。というか、はたてちゃん?」

「ん~~ばな゙じま゙ぜん゙~」

 田中を顔を上げ、凝然とする文に助けを求める。

「助けて」

「え? あ、た、田中さんって浮気性なんですね。その、私、そういう人は苦手で」

「見捨てないでくれ」

「わ、私、帰り――――」


 ――――ガシッ


「逃げる気なの? 私の夫(将来的には)を誘惑しといて、逃げるの? ねぇ?」

「ゆゆゆゆ誘惑? 何のことでしょう?」

「は? 私の王子様が違う女を口説くはずないでしょ? なら、天狗のクソビッチどもが誘惑する以外、どう考えられるのよ? ねぇ? ねぇ?」

「れ、霊夢さん。そろそろ落ち着いて……」

 緑髪の少女が、最もな意見を彼女に言うが、

「これは重要な問題なの!! 早苗は黙って!! この非処女が!!」

「ち、違う!! 付き合ったことがあるだけで」

「あ? 突き合ってるじゃない。このアバズレ!!」

「あ、アバズレ……」

「は、博麗? それは言い過ぎじゃないか?」

「え? そ、そう? じゃあ、私って悪い子?」

「まぁ、うん」

「お仕置きされちゃうの?」

「いや、それは……って顔が近い」

「お仕置きって、その……キャッ」

「…………。私、帰りますね、田中さん」

「え? ああ」

「大丈夫です。新聞には載せませんよ。あやや、人生って奥深いなぁ……」

 妄想モードに入った霊夢の脇をすぅ~と抜けてゆく文。田中もぎゅうと抱き付いたままのはたてを揺り動かす。

「私、離しませんから!!」

「はたてちゃん、行くよ?」

「え? あ、はい。アレ? というか、文は―――って、え!?」

「今頃ですか……」
 


 そんな訳で、団子屋から逃げ出したはたてと田中。時間もそろそろ終わりに近づいており、はたても田中もじっと黙って手を繋ぎ、暮れなずむ人里を歩いていた。

(はぁ……あんまり恋人らしいことできなかったなぁ……)

 はたては溜息をついた。それは、恋する乙女の息である。

(このあと、紫さんとか部長とか、もっと楽しいデートするんだろうなぁ……田中さん、私を選んでくれないよね)

 そんなはたての表情を見て、田中は「今日はありがとう」と感謝をした。

「え? いや、私、何にもできなくて」

 彼女は首をブンブンと振る。火照った頬には、冷たい風が心地良かった。

「いや、たのしかったよ。色んな所まわれてさ」

「……でも、やっぱり、なんか」

 2人の形影が重なるのを眺め、はたてはさびしそうに呟いた。

「本当に、婚活部の中で付き合うんなら、マジではたてちゃんを選ぶよ、俺」

「……慰めはいいですよ、なんか情けない気持になります」

「嘘じゃないって。俺は、姫海棠はたてが、好きだよ」

「……ズルイですね。こういうときだけ」

「…………はぁ~」

 はたては田中の溜息を吐いて、さらに胸を詰まらせる。やっぱり面白くなかったんだ、と己を責めて。

 そんな時だった―――――田中が『突然』彼女を抱きしめる。

 はたては慌てて腕をバタバタさせたが、男の力に勝てず、静かになった。

「このぐらい好き」

 その言葉が、はたてにどれほど響いたか、書くまでもない。

「どう? わかった?」

 引き離し、はたての顔を覗くと、彼女は口をパクパクとさせて、何を言おうとしている。

「はたてちゃん?」

「うううう浮気」

「ん?」

「ゼッタイ浮気しないでください!!」

 田中は、彼女の『告白』を受け取り、それを承諾する。

「…………するわけないだろ、お前が一番だ」

 ゴシゴシと荒っぽく頭を撫でられ、はたてはうれしくなった。これはいつも輝夜のやられているやつで、他の者には全くしないのだが……自分にしてくれた、ということは。

「じゃ、じゃあ、もう一回手を握ってっ!!」

「はいはい」

 差し出す手を田中はぎゅうと強く握った。はたても握り返す。

(本当に楽しんでくれたんだ。なら、デート大成功だよね。これなら田中さん、浮気しないよ……ん? アレ? 私、なんで浮気するな……なんて。というか、アレ?)

 はたては難しい顔をする。というか、自分はなんで田中さんを好きでいたのだろうか?

「はたてちゃん?」

「た、田中さん。その……浮気してもいいですよ。というか、浮気って、付き合ってませんよね、私たち」

「あっ……ん?」

「アレ? なんか私、付き合って欲しいみたいな、感じになってませんでした?」

「まぁ~」

「私、気づいたんですけど、全然田中さんのこと好きじゃなかったみたいです」



 ……次は、霧雨魔理沙である。




[35704] 第一回ミィーティング
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/05/05 23:27
第一回男子禁制婚活部ミィーティング。
 参加者 上白河慧音 霧雨魔理沙 姫海棠はたて。
 議題 特になし
 開催地 寺子屋

 円卓のまわりに席を占める女たち。魔理沙、慧音、はたて、の3人である。この3人が選ばれた理由は五十音順の上から3つ、上白河、霧雨、姫海棠、の順で選抜されたのである。だから、馬の合う3人とかそんなのではない。完全なる平等である。決して、輝夜が嫌われているとかそんな風ではないのだ。
 開口一番は意外にもはたてだった。
「そうだ。お菓子買ってきたんだ」
「え? さすが会計だぜ、気が利くぅ~」
「悪いな。自費だろう?」
「いや、いいんです。みんなで食べれば太らないし、ほらっ、これです。そこで売ってたおかき」
「え? こんなに? バケツに入ってるぜ……」
「大丈夫だよ。だって3人だもん」
「また、太るのか、私は……くっ」
「あ~顧問、もしかしてダイエット中ですか?」
「ち、違う!! ただ体調管理とかそういうのがあるだろ?」
「じゃあ、食べましょう?
「そうだなっ!! じゃあ食べようぜっ!!」」
「ちょっと、魔理沙。そんな乱暴に取らないでよ」
「いいんだよ、すこしぐらい。いくぜ、ほら。ん~~~~~って? これ、開かないぞ」
「はぁ……いまどきの子供は貧弱だなぁ。ほら、すこし貸してみろ」
「じゃあ、ほいっ」
「うおっ、た、食べ物を投げるな!! ったく、これを開けるんだろ? こんなの簡単だろう。……こうやれば、―――ってアレ? 開かない……もう一度――――は? 全然、開かんぞ、これ」
「顧問。貸してください」
「そんな細い腕であけられるのか? まぁ、順番からいって会計だからな。はい、これっ」
「いやだって、これ…………」
「は、はたて……もしかしてそれって―――――回すやつ?」
「うん。クルクルって。顧問も魔理沙もけっこう恥ずかしいことやってたよね」
「わ、私は霧雨の開け方を見て、そう思ってただけで……」
「それ、責任転嫁じゃん!! 大の大人が子供に責任押しつけてるじゃん!!」
「まぁまぁ、ほらっ、食べようよ、おかき。もしかしておかきは、アウトオブ眼中ってやつ?」
「いや、違うけどさぁ~。分かった。今回はおかきに免じて、器の大きなこの魔理沙が許そうっ!!」
「体は小さいがな」
「か、上白河慧音さん? さすがの魔理沙さんもブチギレますよ?」
「魔理沙、それ、全然器が大きくない!! 大きくないよ!!」
「はっ!! そ、そうだぜ。ふぅ~あっぶない」
「そうだ。大人げないぞ、霧雨魔理沙」
「あなたが言わないでください。あなたが一番大人げないです」
「なかなか強烈なカウンターパンチだな」
「まぁ、ほらっ、開けたんだから食べません。そんな遅いと私が一番だよっ?」
「うん。どうぞ」
「え? あ、うん。貰うね」
「うん」
「ん~おいひぃ~。2人もほらっ」
「ああ、すまんな。じゃあ、ひとつ貰おうとしよう」
「私も貰うかなぁーっと。あっ、そういえば、おかきでもチーズおかきってあるよね?」
「なにそれ、魔理沙?」
「おかきの中にチーズが入ってる奴。下ネタじゃないよ?」
「わかるよ、それは。っでそれが?」
「最近、売り出したんだけど知らない?」
「え、知らなぁーい。それって美味しいの?」
「けっこう私は好きだなぁー。というか女子でチーズ嫌いなやついないでしょ」
「ああ、たしかに私もチーズは好きだな」
「私も好きですよ、チーズ。でも、チーズってそれなりに高いんですよね。しかも人里にしか売ってないんだもん。妖怪の山は流行がおくれてるというか」
「マジ? 私的には妖怪の山って結構オシャレな場所だと思ってたけど」
「いやいや、マジ全然。住んでみればわかるって。トレンドは人里にありっ!! って感じだからさ。しかも、あの巫女のせいでみんな、内心穏やかじゃないし。なんか、垢が抜けてるってだけでモテるんだってさ。あのビッチが新聞に載せてた」
「ふ~ん、意外。人里ってそんなに最先端なのかぁ~てっきり遅れてると」
「意外といえば、アレだな。たくわんと牛乳を一緒に食べると、旨いんだよ」
「え? なにそれっ。しもやけに塩をぶっかけるようなレベルの話じゃん」
「そんな嫌そうな顔するな、霧雨。持ってこようか?」
「ん~あとででいいや。というか帰りに寄る」
「あっ、そうだ。魔理沙はいつごろ帰る?」
「時間? ん~決めてない」
「帰らないの?」
「それもいいかも」
「じゃ、じゃあ、お泊り?」
「はたて……もしかしてお泊り経験ないの?」
「あ、いや。あ、あるよ。うん……多分」
「ないんだぁ~。結構楽しいよね、お泊りって。ねぇ、顧問?」
「ウチに泊るのか? ウチは無理だぞ。明日は仕事だ」
「え~いいじゃ~ん。夜は、恋バナだよ、恋バナ」
「寝れないくなるだろ、そうしたら」
「むぅ……じゃあ、田中のところに泊る?」
「まだ、男の人と一緒には嫌だよ、魔理沙」
「じゃあ、部長のところに押しかけるかぁ~」
「そ、それならいいかも。鈴仙も居るし」
「鈴仙ってあのウサギ?」
「うん。こないだ一緒に、服屋に行ったんだ。そしたら服の好みが意外と近くてびっくりしちゃった」
「う~私も行きたい。霊夢はなんか素っ気ないしさぁ~、他の奴だとちょっと誘い難いし」
「じゃあ、明後日行く? 鈴仙と約束してるし」
「あ、行く行くっ。顧問もどう?」
「私はいいよ」
「顧問もかわいい服着ればいいのに。スタイル良いんですし」
「私はそんな」
「じゃあ、1回立ってみようぜっ。物は試しだ」
「え? 立つのか? はぁ……」
「ほらっ、やっぱり。スタイルが良い。紫さんにも負けませんよ。魔理沙、隣に立ってみて」
「なんか定規みたいに扱われてる気がする」
「いいから、いいから」
「わかった、押すなって。……これで良いか?」
「OK。魔理沙の身長が150前後だとすると、160後半ぐらいですかね?」
「あ、ああ」
「じゃあ、カップ数は?」
「はっ!? な、なんでそんなこと!!」
「女同士だからいいじゃないですか」
「だ、だけど、私だけなんて……だ、大体、会計の方はどうなんだ」
「私ですか? 私はDです」
「そ、そうか……霧雨は?」
「私は……Bカップ。れ、霊夢には勝ってるぞ!!」
「部長と同じなんだ」
「え? うそ、同じなの? 私、勝ってると思ってたけど……意外だ」
「っで、顧問は?」
「わ、私は……あ~言えばいいんだろ。Gだ、Gっ!!」
「え? G!? 紫さんと同じ!?」
「紫もGなの!?」
「う、うん。こないだ、部長に問い詰められて嫌々言ってた」
「婚活部、巨乳ばっかりじゃん。幻想郷の平均はBですよ。そもそも私もペチャパイじゃないし。本当のペチャパイは霊夢みたいなことを言うんだ。だいたい、Gなんておっぱいお化けじゃん」
「わ、私だって好きで胸が大きくなったわけじゃない。肩凝りも酷いし、それに子供たちにからかわれるんだ」
「じゃあ、エロ漫画みたいになるっ? エロ漫画みたいになるのっ!?」
「ならない!! 大体、エロ漫画みたいになるってなんだ!?」
「ほらっ、『センセーお股が痛いよぉ~』ってなって、『ほら、見せて』って言って『おお、これは毒素を抜かないとな』ってなって、『センセーなんかでるぅ~』ってやつ。おまけにゴムなし」
「魔理沙、下ネタはダメだよ」
「いいじゃん、いいじゃん。だって田中がいないんだよ? 今しか話せないじゃん? 私も話すから、性処理の事情とか話そうよ」
「じゃあ、霧雨からだな」
「えっ!? な、なんで私から?」
「言いだしっぺの法則っしょ、魔理沙」
「ぬぅ~ズルい」
「じゃあ、座ろうよ」
「――――いや、言う!! ここで言うから!!」
「いや、ムリして言わんでいい」
「ムリしてない。言えるもん!! わ、私はね、毎日欠かさず、ベッドの上で、愛しのあの人を想って――――うっ!!」
「絶対言わせない!! 顧問はジタバタする手を持ってください」
「ん~ん~!!」
「わ、わかった」
「ん~~~~!!!!!!」
「おとなしくし――――ど、どこ触ってるんだ!!」
「ぷはっ、おっぱいを触ってるんだよ!! それにこっちも」
「きゃっ!!」
「へへへ、痴漢者トーマスもびっくりの早業だろう。年中、霊夢とかパチュリーを視姦してる甲斐があったぜ」
「田中さんに負けず劣らずの変態ってことなの、魔理沙は?」
「田中と同等だと? では私たちでは勝ち目はない」
「た、田中と同じぐらいって良い事なのか?」
「いや、良くないこと」
「田中さぁ~ん。陰口言われてますよぉ~」
「いつものことだ」
「え? いつもなの!? 部活内で亀裂入ってるじゃん!?」
「気にするな。田中は良いんだ。アイツはホモだからな」
「ホモなの!?」
「いや、男のコモノが一番興奮するとか、虫を引きつれたあの子にセクハラしたいって言ってたからな」
「なるほど、だから田中、女に囲まれてもピクリとしなかったのか。――――ってはたて?」
「ホモってことは、アレですか!? 男の子同士が絡んで甘い言葉で愛を語らうやつですかっ!? 禁断の愛ってやつですか!?」
「そ、そうかもな」
「まさか、こんな近くに……」
「不気味な笑いを浮かべてるけど、どうしよっか」
「まぁ……誰にでも秘密はあるだろ?」
「うん。あっ、そうだ。クリスマスっ!! クリスマス、どうする?」
「え? クリスマスか……子供たちを招いて」
「違うぜ、顧問。男と過ごすのか? ってこと」
「男? 田中がいるからそれで十分だ」
「そっか。田中さんは寺子屋勤めでしたね」
「魔理沙は1人だよぉ~紅魔館はなんか百合百合しいし、行きたくないのぉ~」
「魔理沙……」
「同情するなら愛をくれ!! さぁ、愛を!? ビバ愛っ!!」
「……霧雨、ウチで一緒にクリスマスパーティーやるか?」
「子供ってか? まだまだ霧雨は子供ってかっ!? おっぱいは大人の指標なのかっ!?」
「落ち着いて魔理沙っ!! なんか可哀想になるっ!!」
「じゃあ、はたてさんはどうするんですかっ!?」
「わ、わたし?」
「そうだよ!! ほかに何があるだよ、この海産物!! バター醤油で焼いてやろうかっ!? 美味しくしてやろうかっ!?」
「だって私は天狗の友人と……」
「っ……霊夢とやるよ、あ~二人だけのクリスマス。い~つまでも手を~つないで。いられるような気がして――――」
「―――――博麗は今回寺子屋を手伝ってくれるらしいんだが……」
「な、なんだとっ。あの霊夢が慈善活動!? 明日は雪かっ!?」
「いや、雪が降ってもおかしくないけどな。まぁ、博麗、サンタ役を買って出てくれたよ。サンタ女子になれば田中さんはイチコロって言ってたぞ。『私がプレゼントッ!!』ってやるらしい」
「はは……人を愛するということに気づいた、いつかのメリークリスマス」
「ああ、ウチでトナカイ役が余ってるが……」
「やるっ!! 私がトナカイ役やる!! 阿藤快でも空海でもやってやる!!」
「必死だね、魔理沙」
「1人きりのクリスマスはゼッタイ嫌だ。だよね、みんなっ☆」



[35704] 絶対オチ無しなんかに負けない≪魔理沙とデート≫
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/05/09 20:01
 田中は焦っていた。
 魔理沙がウチにやってきたのだ。
 べつだん来たことを疎んでいるわけではない。
 自宅の状態があまりにヒドいのである。たとえば、巨乳モノのエロ本や爆乳モノのエロ本、コスプレモノのエロ本、彼の支出の30%を担う数多のエロ本が雑然と散乱しており、まだまだ若い魔理沙には見せれぬ惨状なのだ。おまけに一番お気に入りの着衣――――ではなくて、どうにか隠さんとならん。いや、SM以外の本ならば資料のためにとって置いた……と言い訳を申せば。

 ドンドンドンッ!!

 ぶっ壊れそうな位に、玄関の引き戸が叩かれる。踏み込まれるのも時間の問題であろう。

「やべぇ……クライマックスじゃん」

 とにかく手を打たねば。6畳1間のちいさな自宅を田中は見回した。
 しかし、1日のほとんどを慧音のウチですごしている田中にとって自宅はエロ本倉庫を兼ねた寝殿。本棚や食器棚、挙げ句に衣装タンスの存在さえ見当たらない。総じてそれらは慧音の自宅においてある。夥しいエロ本の収納場所は、床の危うい押入れであった。だから、片付いているときは入れても全然かまわんが、こう性生活が存分に表れていると入室の許可は……言いに及ばない。

「やべぇーよ。マジでヤバいっ。魔理沙が入ってきたら、オナクラ紛いだぞ」

 いや……それも良いかもッ!! とちょっぴり思う田中。
 だって魔理沙に「アレ、もしかして興奮してんの? 足でやってやろうか?」なんて言われた日には、土下座でお願いするわけで。もしオナクラであっても、蔑んだまなざしの中、己の息子が欲望を吐き乱すと考えたら……当然興奮を禁じ得ない。

 ドンドンドンッ!!

「田中ぁーいないのかー」

「――――いる!!」

 言ったあと「あっ、失敗した」と彼は後悔した。黙っておけば、この部屋に入られることもなかったろうに。無論、田中の後悔など知らない少女は、その溌溂とした声で答える。

「じゃあ、はやく開けてくれよぉー」

「まてっ!! 今お取込み中なんだ!!」

「もしかして彼女ッ!? はは~ん、さては霊夢でしょ? たしかに霊夢のサンタ姿、可愛かったし」

「たしかにすげぇー可愛かったけど、違う!! ヤンデレ巫女、ゼッタイヤダ!!」

「ともかく早くしてよぉ~。寒いって。年末からこんな目に合うなんて予想外だっ」

「いや、ホント無理なんです!! ピンク色すぎて放送禁止コードに引っかかる!!」

「そんな奇抜な部屋なんだ。ヤバい。見たくなった――――おじゃましまーす」

 がらっ―――――気持ちよく開け放される戸。だが、笑顔のまま魔理沙は固まった。

「…………」

 遠方からやって来た『さむ~い』北風がひゅ~とふき、アブナイ雑誌をパラパラとめくって行った。なかなか色鮮やかな雑誌を見て、田中は『あ~今日も良い日本晴れだ』と、どうしようもなく思うのであった。



 今回のデートのテーマは『おウチでラブラブ。2人でヌクヌク。まったり家デートッ!!』なのだが、田中の家が……アレだったので、仕方なく魔理沙の家に行くことになった。

 しばしあって森の中に居を構える魔理沙の、その邸宅、それの前に、スタッと2つの影が降りたつ。当然それは、田中と魔理沙とのアベックだ。とはいえ形影相伴うとはいかず、孤影悄然、ひどく淋しい影を地面に作っていた。それは、太陽のさじ加減で、木立の影に呑まれてしまうが、偶然いまはきれいな輪郭である。又、そのシルエットを一見すれば、やっぱり背の差が顕著にあらわれている。わりかし背の高い慧音とちがって、背の低い魔理沙の場合、如何せん好一対の恋人と言うよりか、どうにもケンカ真っ最中の親子と言ったほうが、おそらく正解であろう。それは、父の不義のものでヘソを曲げた娘と、なんとか機嫌を直そうとする父親、の2人である。

 魔理沙がチラリと田中を見た。

「入るのか?」

「え? まぁ……一応」

「じゃあ、うん。……はいれ」

 めずらしく歯切れのわるい魔理沙。平常ペラペラと滑舌が良いのに、当座に限って声がモゴモゴと聞こえにくい。まぁ……しかたないだろう。

 田中は魔理沙に導かれるまま家に入ってゆく。

 ロマネクス風の外観にたかわず、なかなか内部もその様式に従ってコーディネートされている。花梨の机やイス、壁にかけられたポッポ時計、窓際におかれた白磁の花瓶が日の光りを浴びて、とりとめのない寂然とした印象をあたえる。これでいま素足でなかったら、途端、西洋のセカイに迷い込んだと思ったことであろう。

 田中は魔理沙の寝室にまねかれた。ちょっと躊躇したが、魔理沙が「いい」と言うので入った。

 寝室はガランとしている。四方を一面しろい壁。森の木立がくろく映る窓。そして部屋の一隅におおきなベッド。だが、床にしかれるペルシャ風の赤いカーペットだけが、広々とする部屋の様相にどうにもそぐわない。おそらく元は乱雑な部屋だったが、後からジャマなものを漸次排除していって、いまの2つだけになっているのだろう。

 魔理沙はふかふかのベッドにダイブした。まるで田中の存在をわすれているように。そしてヒラヒラのレースの羽根がつく枕を抱き寄せ、赤ちゃんが大事そうに物を抱えるようにギュ~ウとする。

(滅茶苦茶カワイイ……)

 田中は、少女のギャップを目の当たりにしたときは得てしてそう思わずにいられない性分なのだ。だが一方の魔理沙も意識の埒外でやったこの行為、ペブロフの犬的な己の行動に、おもわず赤面した。

「……の、飲み物とってくる」

「え? ああ」

「……うん」



 アリスはきっと、がんばり屋さんだ。
 たとえば進んで男の人と『話そう』としたり、にっともさっちも行かないムズカシイ問題をおのずから『請け負おう』としたり、ズバリ痴漢中の悪漢に辛辣な警句を『吹き付けようと』したり、なるたけ『他人と交流を深めよう』と考えているが大々的にそれを行動に移せないのだ。だから他人に無関心とかそんな風に思われている。しかし彼女を踏ん切りのつかない少女と思わないでほしい。ときたまアリスは森の迷い人を自宅に泊めることがある。寛容な心で空き部屋を貸すことがある。当然相手が男のときもある。しかし彼女は一向に泊めるのだ。
 だから彼女は『きっと』がんばり屋さん。ちょっぴりヘンなところで敢為の気性が高ぶるのである。そのため……いわゆるKY気味になって仄かにまわりから煙たがれることも一再でない。これは霊夢にも似たところがあるが、彼女の場合まるっきり自覚症状がないので幾分アリスよりマシだ。そうなのだ。アリス・マーガトロイドは『空気が読めない奴』だと重々自覚しており交わす言葉も「空気を乱してはならない」と少なくなるのである。そして彼女の特色をなす冷然たる容姿とあいまって、微塵も意図しない『冷たい印象』に拍車をかけるのであった。

 そのようにして常日頃から誤解されやすいアリスはどうにか自分のキャラクタを改めようと当今高らかな気概をもって魔理沙宅前に立っていた。無用な恥をかなぐり捨てて生来座持ちの良い気質の魔理沙に「助太刀申そう」と思い立ったのだ。しかしアリスは入れないでいた。もちろん気高いプライドもそれを邪魔していたがもっとそれ以上に魔理沙が男を招き入れたところを見てしまったが故に……板挟み。
 ここで引けば、同じ轍を踏むことになるのは自明のことであるが、然りとて水をさすようなことはゼッタイしたくない。

 ――――ドアに伸ばした手を引っこめアリスは踵を返した。紺碧の双眸はひどくもの悲しげな色をたたえるけれども彼女の心持は幾分良かった。おのれの本懐を挫くことによって友人の幸福を願うという基督教的自己犠牲の精神をいまここに果たしたのだ。たいへん清々しい朗らかな心地になるのであった。

「――――あっ、アリス」

「えっ?」

 振りかえると…………ひょっこり霧雨魔理沙が、ドアの間から顔をだしていた。

「入らないのか?」

「……あ、うん」



 なかなかどうして男の方は背が高い。……なるほど。魔理沙の惚れた理由はここにあるのだろう。いつしか長身への憧れが恋心にかわって今に至るに違いない。いやいやでもでも……

 アリスがつくねんと魔理沙の惚れた理由を考える一方、田中は見知らぬ少女に時めいていた。つくづく甲斐性なしの見境なしである――――というわけではなく、比較的ブロンド好きの田中であるが故に如何せん仕方ないことであった。おまけにいかにもクール系のツンデレっぽいのが、傾蓋の友の習のようにすぐさま他人と打ち解けることが出来る魔理沙や、いかにも女性的に・華やかに色めき続ける紫とちがって、今後の2人の人生にますます期待せざるを得ないのだ。一応ここで付言すると、2人というのは田中とアリスである。まぁ……楽天家の田中はゼッタイ自分にアリスはデレるという確信があるのだ。アホらしいばかりの確信であるが、ともかくあるのだ。それにあと……金髪ロリがいれば最高の布陣である。ベオウルフにも武田の騎馬隊にもスパルタの軍勢にもオリンポスの神々にも一切合切負ける気がしない。

 現在彼らはやっぱり魔理沙の寝室にいる。そして家主は客人にかまわずベッドの上で横になっている。ぐうたらの権化である。まぁ、けども外聞を気にしない彼女らしいと言えば彼女らしいものだ。

 ふと、そんな魔理沙が口を開く。

「やっぱりアリスは人見知りなんだ」

「え? な、なによ、だしぬけに」

「だって田中と目を合わさないしぃ~」

「しょ、初対面なんだから仕方ないでしょ?」

「そうだぞ、魔理沙。アリスちゃんをからかうな」

「(ア、アリスちゃん……)」ボソボソ

「もしかして惚れちゃったりして」

「バカ。他人の彼氏を取るもんですか」

「彼氏? 田中って霊夢以外と付き合ってるのか?」

「いやまず付き合ってねぇーしッ!!」

「ああ。もうそんな倦怠期に入ってるんだ。もう夜の営みご無沙汰なんだぁ」

「お前の発言がだいぶ狂気の沙汰だが」

「否定しない辺り、正解ってことかぁ」

「だからアイツとは何でもありません」

「アイツ? あれ? そんな仲良かったっけ?」

「いや、一応手紙は返してるし」

「えっ!? そうなの!?」

「どうにもシカトを決め込むのはわるい気がしてさ」

「やばっ。結構きてるじゃん!! ユイノーもありそーじゃん」

「韻踏んでるつもりなのか?」

「うんっ。テメェは聞くぞ、いまから行くぞ、yeah、オレ魔理沙のすばらしさ、yeah、霊夢とコミュニケーション、yeah、田中はベンジョンソン、yeah、夜は2人でイエス!!セッション!!」

「関係ないのが混じってるぞ」

「いいじゃん、いいじゃん、豆板醤。っでさ、アリスはどう思うよ、田中と霊夢が結婚したら?」

「ま、待って。状況が飲み込めないんだけど」

「だから。霊夢が田中をスキーってなってるんだよ。っで、田中も気のないフリして、自分の気持に正直になれないわけよ。あくまで迷惑だって言い張ってるってこと」

「おいっ。だからなんで、俺と博麗をくっつけたいわけ?」

「せっーかく、霊夢が真剣になったんだぜ? 友人として手伝わない手はないだろぉ?」

「ふ~ん。なかなかちゃんとした理由なんだな」

「後顧の憂いを断つようにねっ。だって霊夢が結婚しなかったらヤバいじゃん?」

「でも俺はヤダ。アイツこわい」

「こ、こわいって……なにかされたの、魔理沙?」

「え? 私じゃなくて田中に聞けよ。おもしろいぞ」

(は? い、いきなり初対面の人と話せるわけないじゃないっ!! 常識的に考えてさっ!! それに加えて私じゃ無理だってわかってるのに……バカ魔理沙)

「っで、アリスちゃんは聞く?」

「あ、うん。もちろんじゃない。一々聞かないでよ」

「え? あっ、そっか」

(――――って私、何言ってるんだよ。違うのよ。これは焦ってね……ってだれに弁解してるの、私。うわぁ……自己嫌悪だわ。もう嫌だぁ、帰りたい。でも帰ったらいきなり迷惑かかるしなぁ……)

「(えっと魔理沙?)」

「(アリスって面白いだろ?)」

「(面白いっていうか、変わった子だな。いきなり黙ったり高飛車になったり)」

「(すこし躁病気味なんだよ)」

「(そうなのか。こんど部長のところに連れて行ってやれよ?)」

「(合点承知の助っ)」

「……えっと、じゃあ、話そうかな」

「う、うん。お願い」

「それじゃあ……」

「…………」ジー

(視線が痛い。そんな見ないでくれよ、マガトロさん)

「というか、田中。お腹減らない?」

「あ、そうだな。昼飯食ってないし」

「アリスは?」

「私?」

(私は食ったわよ。でも、ここで食べたくないって言ったらダメよね。そうだ、私が作るってどうかしら。……うん、それがいいわ。名誉挽回のチャンスよ)

「じゃあ、作らない? お昼ごはん」

「ん? なんで? 人里近いしそっちの方がいいじゃん。なぁ、田中?」

「そうだな。ここに居てもしかたないし」

「……そ、そうね、そうよね」

(……ヤバい。恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい、すっごく恥ずかしい)

「(なぁ、魔理沙)」

「(どうした?)」

「(変わった気振りの子だな)」



 なかば婚活部の部室がわりとなっている団子屋に、魔理沙、アリス、田中の3人は来ていた。まぁ……行くとこがなかったのである。田中と魔理沙は顔なじみの店員に挨拶をし、一番奥のボックス席につく。アリスも遅れてちょこちょことついてくる。……周りの目が気になってしまい、どうにもいけない。アリスはそう思いつつも、なんだかとっても朗らかな心地であった。

(な、なんかリア充っぽくない? 私、いま、存分にリア充じゃない?)

 さびしい子、と、どうにか憐れまないでほしい。ほんと健気で良い子なのだ。
 ……田中の向かい側にアリスがすわると矢庭に「すいませ~ん」と間延びした声をあげる魔理沙。ちょっとびっくりしたアリスは魔理沙の横顔をじっと見つめる。最初はただの放心であったが、あとから疑問がわいてくる。まだ私……全然選んでない。これって……イジメ?

「ん? どうした?」

「え、いや、私決まってないし。全体どういうことなの? 要領が得ないんだけど」

「ここに来たら『みたらし』って相場も腹も決まってるんだぜ。なぁ~田中?」

「昼飯じゃないけどな。まぁ、大体」

(大体? ということはいつも2人で来てるの?)

 婚活部の存在そのものを既知ともせぬアリスは、やっぱり2人の関係をあやしむことに致し方ない。しかし、恋着しているなどおくびにも出さない魔理沙や、その嬢のからかいを冗談半分で柳にする田中を見ても、う~ん、遅疑逡巡、権衡はどちらに傾かず、依然として平衡を保ったままである。

 ……数分後、みたらしを頬張りながら、ど~でもいい会話がはじまる。

「なぁなぁアリス。アリスは恋愛してる?」

「は? 藪から棒になによ」

「してるのかなぁ~ってさ。ほら、やっぱり恋バナって盛り上るじゃん。秋風に吹かれる話より、春風に色めきたった方が少女らしいだろ?」

「じゃあ言いだしっぺがしなさいよ」

「ノリわるいぞぉ~。アリスぅ~」

「私の恋愛なんて聞いても面白くないわよ。色気もないし外連味もないわ。無味乾燥よ」

「プラトニックラブってやつ? うわ、純情だね。なんかキュンキュンするぜ」

「うるさい。自得するのも大概にしなさいよ。だいたいするんなら1人でやりなさい。……ったく、やたら滅多ら遣ろうとするの、魔理沙のわるい癖よ?」

「ふ~ん。案外アリスちゃんって喋るんだな」

「え? あっ、い、一応ね」

「如何せんクールな感じだと思ってたが、人の面で判断するのはどうも許されることじゃないようだな」

「クールって、アレか? 外柔内剛の逆って感じか、田中ぁ?」

「ああ。でも傲岸不遜ってわけじゃないぞ? 熱心に愛のムチを振るう的な」

「うわっ、なんか官能的で、SM的」

「お前の逞しい想像力には、ほとほと感服するよ」

「やめろって照れるなぁ。明後日粗品でも送っておいてくれ」

「曲解はだしいわね、魔理沙」

「我田引水って呼んでくれっ。ほら、ペンネーム的に」

「それ良い意味じゃないわよ。というかマイナスね」

「いいの、いいの、平気の平左だよ」

「ああ、というか、こないだのクリスマス会あったろ?」

「楽しかったなぁ~あんとき」

「クリスマス会なんてやったの?」

「寺子屋の雑用。霊夢がゼッタイやりたいって愚図るからさぁ、仕方なくね。ホント、霊夢がなぁ~」

「そうなの……でもなんで、あの怠慢巫女が?」

「そりゃー、田中が居るからに決まってるじゃん。宣言どおりサンタのコスプレして『私がプレゼントッ!!』ってやったし。おまけにほっぺにキスしたし」

「……不覚にも結婚していいかもって思ったぞ」

「どうぞ、よしなお願いします」

「いや、まだ貰うとは言ってないだろ」

「まだ?」

「ことばの綾だ。意味深長でもなんでもない」

「なかなかどうして滋味に溢れることばですなぁ~『まだ』とは」

「深い意味はないっつーの。勘繰るな」

「で、でも本当にあの巫女は恋してるの? 食い扶持と結婚して、横着する気じゃない?」

「俺は食い扶持か」

「何言ってるんだよ、アリス。霊夢はすでに横着してるじゃん。毎月紫がお母さんみたいに無心してるよ。生臭ボウズならぬ生臭霊夢だぜ」

「かなりひどい言い草だな、それ」

「まぁでも、着々に田中を引きこんでるけどさ。醜女は三日で慣れるというし」

「うまいことをいったつもりか? 横着と着々。おまけに博麗がブスってなってるぞ?」

「いいんだよ。ともかくあとは、霊夢と田中が同衾して密着するだけだぜ」

「それで子供が生まれて、一件落着ってか? バカらしい」

「田中……そんなことを見据えてるのか」

「いや、ノリだっつーの!!」

「ノリねぇ……本音じゃない? 意図しない所で心の声がほろりと」

「ちがう。だいたい魔理沙だってアレだろ。ほら、こーりん」

「こーりん? こーりんは違うって。だって兄妹みたいなもんだし」

「でも顔は良いし、背も俺と変わらんだろ」

「遠まわしに身長自慢ですか? どうせ、私はチビですよ。なぁーアリス」

「え? ああ、私はべつに劣等感はないわ」

「でも、魔理沙って背引くよな」

「そ、そんなことないぜ? かぐやんと同じぐらいだし」

「ん? アイツのほうがすこし高いんじゃないか? これこそ、どんぐりの背比べだな」

「なっ、私の方がデカいです!! 胸も背もデカいっつーの!! だいたい、Dカップとか、Gカップとか、周りが巨乳過ぎるんだよ!!」

「かの名山、霊峰に囲まれ、その姿あらわれず……って感じか」

「でも……Gカップ?」

「そうだよ、アリス!! 貧乳連盟№2としてゼッタイに許せないよな!?」

「勝手に私、連盟入りしてるの? どこでそんな手続きなんて」

「トップは霊夢、あと紅魔館のメイド。他諸々いるが、仰山いるから心を鬼にして紹介を割愛するけど、とにかくGカップって許せなくねっ? 怨敵じゃね?」

「まぁ規格外だけど……人それぞれでしょ。なべて同じだったら個性もへったくれもないじゃない。みんなGカップだったら神様の欠陥を疑うわよ」

「うわ……あきらめてるんだ、もう。清々しい」

「全然あきらめてないわ。ただ、その、上を見たら埒が明かないじゃない」

「じゃあ私は下を見る……はぁ」

「私を見て溜息ついたわよね?」

「そ、そんなわけはないだろ。と、というか田中。その、クリスマスがどうしたんだ?」

「はたてちゃんが写真とってくれたろ? それの現像ができたから渡そうと思って」

「ト、トナカイのまんまか?」

「ああ」

「トナカイってなによ、魔理沙? 下手な比喩なにか? 内輪ネタはどうにも不味いわよ?」

「いや、そのままだよ。アリスちゃん。コイツがトナカイになってサンタを乗せたんだ」

(サンタの巫女を上に乗せた……もしや、さっきの『SM的』は、用意周到な伏線? なら巫女が盲目である所以のものが、田中その人であったら、愛人を博麗霊夢として……魔理沙はこの人にとって――――ペット? ペットなの?)

「ちょっと田中ぁ~言うなってぇ。あ~アレは黒歴史です」

「そんなスゴかったの?」

「だって想像以上にキツいんだぜ? (子供に)上にのられたから次の日、腰が砕けんぐらい痛いんだよ。おまけに他の連中も口々にやりたいって言いだすし。それなのに田中は、傍観を決めこんで。あれこそ権力者って感じかな。無い乳のサンタを侍らせてさ」

「俺は博麗がくっ付いてくるから、どうしても忙しかったんだよ」

「イチャイチャしやがって。私は囲まれて大変だったんだぞっ?」

「で、でも避妊とかしたでしょ? その、ちゃんとスキニ……」

「否認、拒否のこと? できるわけないじゃん。だって(婚活部顧問の)命令だったし」

「め、命令」

(魔理沙は私の知らない境地に足を踏み入れたのね。一生家畜として過ごすんだわ。……可哀想だけど、命令に抗拒する意さえ殺がれたのよ。とっくに調教は完了してたんだわ。も、もしや私も首輪をつけられ、節を屈するの? そうなれば……惨たらしく輪姦されて、片親しか知らない子供を孕むのかしら。……コイツ、業突く張りのケモノじゃない)

「アリス? どうした?」

「え? ううん、出産とか考えてただけ」

「? なんだそれ。ちょっと幾らか熱でもあるんじゃないか、アリス?」

「魔理沙ほどじゃないわ」

「私ほど? それこそどういうこと?」

 アリスは決心を固める。堕ちた淑女の救済を担うのは自分だと、先だってサダメをしろしめす神に一驚を招こうぞ、と。

「おっ、かぐやん」

 魔理沙が立ち上がって、なにやら知人の名を呼んだみたいだ。見やると女。ぬばたまのいと美しき黒髪の、傾国の美貌を収める幼き一少女である。

「あっ、魔理沙、あと、アレだ」

「アレとはご挨拶だな」

「おあいにく様。それ以外持ち合せがありませんので」

「毎回憎たらしい奴だ」

「三つ子の魂百までってね。性格は変わらないのよ」

「百って、おまえ幾つだよ」

「レディーに年を訊くなんて、どうにも気遣いのない奴ね」

「うるせぇ。貧乳が」

「そ、それは関係ないじゃないッ。言うに事欠いて、持ち出さないでよ」

「まな板はつかめないな、平らで」

「ぬぬぬ。アンタ、口だけはすこぶる有能なのね。他はてんでダメなのに。そんなことじゃ一生結婚できないわよ?」

「もしものときは博麗がいる。保険としてキープすることにしたし」

「マジ? それって婚約発表!? うわ、スクープだぜ、スクープ!!」

(……あの竹林のお姫様じゃない。ということは、永遠亭はすでに田中大魔王の手の中ってこと? くぅ……手ごわい)

「――――ちょっと部長。飛ばし過ぎよ」

 続いて現れるのは、白妙の澄みし美肌の聡し者、金糸の長髪をふり乱して、気息奄々たる女、八雲紫である。自覚はないと思われるが、その胸部の豊満な隆起は見る者の眼をうばう。アリスは己の胸と引き比べ、心中で嘆ずることやむなし。

「ゆかりんが運動不足なんじゃない? 最近太ってきたみたいだし」

「え? うそっ?」

「まぁ俺からすれば、いっつもゆかりんは満点カワイイですけどね」

「またからかって」

「からかってませんよ。結婚してほしいぐらいです」

「……そういうことは霊夢に言ってあげなさい」

(もしや妖怪の賢者も、すでに調教され首輪つきなの? これは本格的に)

「――――紫さん、忘れ物です」

 最後に現れたのは、天狗の少女。ムリのない若い女のニオイを纏わせ登場である。

(て、天狗? まって……なら妖怪の山も? ……はっ!?)

 ガタンッ、と唐突に立ち上がるアリス。皆の視線を一気にひくが、一向に気付いた様子もなく虚空を見つめている。

「ど、どうしたアリス?」

「この幻想郷はすでに支配されてるのよ。もう末法の世界へと向かうしかないの。いえ、末法ではない。豪華を極めて酒池肉林、自制を逃れて淫乱地獄。もう終わりだわ」

 田中はおもわず魔理沙へ話しかけた。

「(なぁ、魔理沙?)」

「(どうした?)」

「(なんか変わった子だな)」

「(受信したみたいだから、その、うん)」

 このあとちゃんと誤解をときました。



[35704] サーファーは波に乗る
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/05/05 19:32
 小竹の瑞枝は朝焼けに光沢し、庇の影には霊夢の姿がある。有明の空の果てには、天を摩するがごとく番いのムクドリが飛んでゆく。比翼連理のことわりを思い起こし、悴む両手を丁寧に擦り合わせた。
「…………」
 ふと振り仰げば、おおきな枯れ柳。それが、ひろい暁の空に、たわんだ針先を突き刺すようにして、千枝のごとき数多の枝を垂らしている。ここで仮に枝先から朝露でもぽたりと滴ってくれれば、閑雅に富むことこの上ないが、浮世の沙汰はそう上手くは出来てはいない。しかし、あおく繁った衣を失った今でさえ、霖雨、雪花、颶風にも負けん、青柳のしたたかさは変わらぬまま、柔弱謙下たる様相を示している。
もしや、ご来光を敬って、頭を下げているのかもしれない。殊更年の瀬の日の出とあれば、柳も恭しく拝礼するだろうし、霊夢もその意を認めざるを得ない。とはいえ霊夢は、新しき年よりも今宵の宴に胸が沸き立つ。『彼に会える』と考えれば考えるほど、おのずと頬が上気して、想う気持ちも一入である。
「田中さん……」
 光条に目を細め、日輪を向かえる郷に対し「おはよう」と霊夢は寿ぐ。天下の隅から隅まで明らかにする日輪は、天霧る空でない限り、あの人も、自分も、このすばらしき世界を、須らく照らし出すべきであり、開闢から今日までその例に洩れることはなかったはずだ。
「はぁ……」
 白息を吐きだす。霞が日に蒸されるようにして大気に色を呈すが、刹那にて、朝ぼらけの冬の空に、やわらかく、名残りはなく、余すことなく、……溶けてゆく。




 聞いてない。まったく聞いていない。どのようにしてそんな参加が決まったのか。
 彼の着実な考えではこうである。大みそかは慧音の家で、家主と妹紅、そして自分と、その3人でのんびりとすごす予定であったが……糠雨野郎、魔理沙のやつが、婚活部のみんなで、博麗神社まえで開かれる宴会に参加することを身勝手に決めてしまったのだ。
 むろん妹紅を1人きりにするわけもいかず、連れてゆく運びなったのだが、実際メンバー集まってみると……妹紅と月のお姫様とがじっといがみ合って、たがいに一歩も引かぬまま一触即発の雰囲気を漂わす。2人を囲う面々は、むやみに触れることもできず……どうやっても魔理沙の失策である。
 日差しの傾いたそのころに、張りを持った緊張を保ちながら会場である博麗神社に降り立つ2人、と、他のメンツ。たしかに、白と黒とのあざやかな髪色のコントラストは非常に美しいが、よろしく険悪な2人の間に、田中を筆頭にして婚活部の部員どもは、どうやっても割り込むことは出来そうにない。魔理沙のつれの人形師、マガトロさんも流石に空気を読み、じっと黙っているぐらいである。
劈頭一番に右の輝夜が「なんでアンタがいんのよ」と気炎を吹きかける。
「こっちのセリフだっつーの」
「は? こっちだ」
「こっち」
 お互い様に眉を怒らせて、決然とした調子で言い合うが、まったくもって水掛け論、甲論乙駁である。見ている方が気苦労しそうだ。
しかし『策士、策に溺れる』の魔理沙が、横の田中へ向かって、何故かうれしそうに、こう囁いた。
「(なぁ、ケンカって見てると楽しいよな?)」
「(他人の不幸は蜜の味ってことか?)」
「(人間性がかいま見えるって感じじゃん)」
「(ならあの2人は似た者どおしってことだな)」
「(なかなか鋭いねぇ~田中くぅ~ん)」
「(お互い様。お前も存分に名伯楽だよ)」
すると背後から「(もしかして魔理沙……予見してたの?)」紫が訊く。
「(いや、怪我の功名ってやつ)」
「(功名じゃないぞ、霧雨)」と慧音が、声を険しくして言った。
「(私も、ちょっとひどいと思うけど)」と苦笑いのはたて。
「(本当だっ、この糠雨っ)」2人と続けとばかりに田中。
「(ひどっ、糠雨はないじゃん!!)」
「(ともかく早くいきましょう。部長とあの子のケンカは後々ってしない?)」
「(え~もう少し見ないのかぁ? なぁ、アリス)」
「え? いや、」
突然の話のふられ方に殿をつとめていたアリスは、今までの話を聞いていなかったので、結構な具合でびっくりする。
「っで、どうなんだ?」
 魔理沙が再度問う。当然、話の内容を知りえないアリスにとって、この問題は難解すぎるのであって、常人ならば「ちょっとわからない」と断るところ、アリスの場合、潤沢な妄想力もとい推理力を働かせるに至ってしまい、『ケンカを止めるべき』という内容で議論が交わされていた、と、的の得た結論を下して、
「そうじゃないかしら。うん、そうよ」と、かなり惜しい答えを返した。
「え? そうなんだ、アリスちゃん」
「い、いや違う。違うわよ。うん、違う」
「――――田中!!」前の輝夜が振り向く。
「お、おう」
「コイツと私、どっちが好きなの!?」
「うわ、初っ端から分岐ですか?」
「私はもこたんだぜ!!」
「も、もこたん……?」と妹紅は少々困惑のていだ。
「じゃあ俺も妹紅」
「流されてるな、田中」
「自称プロサーファーですから、波にのるんですよ。というか、慧音さんはどっちなんすか?」
「え? それは……パス」
「パスなんてあったのね、意外」
なおやかに扇で口元をかくす紫であるが、不意に魔理沙が「次は紫だぞ」と抜き打ちを放った。
もちろん紫も「じゃあ、私も……」と、風に揺れる扇のごとく受け流そうと口をひらくが――――このあとに続くのは、アリスとはたてである。簡単に柳にしようものなら、我が体面に泥をぬること甚だし。そろそろ墓穴を掘るのも好い加減にして、一賢者の鷹揚たる態度をみせるべきであろう。……と思いのほか、小っちゃいことにこだわる賢者様。
「私も、もこたんよ」
「も、もこたん?」妹紅は賜った愛称に頬を引きつらせずにはいられない。しかし一方の輝夜は、身も蓋もフォローもない信じられない選択に、「ゆ、ゆかりんが私を裏切った……」肩をおとして、悲愴な心を吐きだす。なかなかどうして悲劇の似合う演技派である。いっその事、プリンセスからアクトレスに転向してはどうだろうか? と田中は思うだけに留める。
「はは……どうせ私なんてさ、必要ないのよね」捨て鉢の輝夜。
「え、あっ」
 打てば響くと言ったように、お姫様の言の葉を承った紫は、どうにか慰めようと、文言の意味する所をあわてて教えんとする。
「部長だからこそ選ばなかったのよ」
 本来は「仲が良いからこそ選ばなかった」と述懐すべきだろうがすこしだけマヌケが働いて、畢竟、輝夜への辛辣な追い打ちとなるのだった。
「え? ああ……そう、はは」
影を薄くし目も虚ろ、不気味な笑みが口端に張り付いて、輝夜の落ち込み具合は月並みではない。
 紫は咄嗟に付言をするが、どうやっても言い訳がましく聞こえてしまう。袖行く水と言わんばかりの悲しみを背負う輝夜は、「ありがとう」と、笑みを浮かべた。悲愴のうちの輝夜をば目にすると、『西施の顰』に倣ったブスの心情には、情けをかけることもやむなし、そもそも綺麗な女は総じて卑怯である。と田中は思わずにいられなかった。
「どうせ私なんて」
「ま、まぁ落ち込むんじゃない。ほら、落ち込んでもなんにもないぞ?」
 ゆっくりと母親然に慧音は輝夜の頭をなでる。緑の黒髪がサラサラとゆり動き、輝夜姫は悲しげな瞳をちょっとそびやかす。
「……私のこと、嫌いじゃない?」
「もちろんだとも、みんなす―――――」
「――――田中さん!!」
 邪魔するように聞きたくもない少女の声が、青年の名を呼称する。声の方では、喜色満面、欣喜雀躍、鬼の首をとったように、霊夢が手を振りながらピョンピョンと飛び上がっている。
 輝夜は、なんだか落ち込む自分が恥ずかしくも、バカらしくもなって、「えっとありがとう」と慧音へ感謝した。
「田中さん、来てくれたんですねッ!!」駆け寄ってすぐに、臆面もなく恋着する相手へこうのたまう。「大好きです、田中さん!!」
「お、おう」
「そうだ。今日――――」
 という感じで、猛アタック中の霊夢は周りの面々に気を留めず、田中に対してだけ話をし出す。純愛に憧れるはたては、一心に慕う霊夢を「(やっぱり健気ですね、紫さん)」
と月並みに褒めるのであった。
「(とっとと付き合えばいいのに、田中君)」
「(月下氷人というわけだな、私たちは)」
「(あら、霊夢は運命の相手だと信じで疑わないけど。彼女からしたら天帝のご意志らしいわ、この出会いは)」
「(たしかに、お似合いですもんね)」
「聞こえてるぞ。ホント助けてくれ」
「ヒドイ、助けてくれなんて。私のことやっぱり嫌いなんですか?」
「いや、そういうわけじゃなくてさ」
「じゃあ好きですね」
「なんでそうなるんだよッ」
「まんざらでもないくせにぃ~。白々しいぜ、田中ぁ~」
「前評判を訊く限り、そりゃあ巫女だし―――って思ったけど、いざ会うと違うからさっ!!」
 さわがしいやり取りを見て、月の姫は対岸の火事といったように、拱手傍観のていである。
「アレが例のか?」と、妹紅が訊く。
「うん。いつも仲良くやってるわ」
 その冗談を耳にした霊夢はすかさずに
「もう認められてる……そういうことですね、田中さん?」
「……なんでもいいや、もう」



柳の下に車座になる婚活部の面々と2人。紫の持参のブルーシートに座りながら、当てのない雑談がダラダラと続く。いくぶん宵の宴を催すにはぜんたい早尚であるからに、単なる夜までの暇つぶし――それだけである。といっても、「つーかさ、妹紅ってアレだよな、アレ」と田中が口火を切ってみるも「アレってなに?」と妹紅に聞かれ「いや、……なんでもない」と、無聊のさまを露わにしてしまうのだ。
まぁ、特筆にあたいするイベントもなかったので、本意なきことであるがいっきに割愛させてもらいたい。
にぎわいが増し増す年越しの神社、夕闇の内に節を著す枯れた青柳、赤々とさかる焚火のはじける音。霞のたなびく夜空をあおげば、朧月夜のうつくしさにしろい息を洩らすこと、必定のことわりだ。だって、それが風情であり、大和国、蜻蛉島、葦原瑞穂国、に住まう者としては、山紫水明、山川草木、風致たる光景に嘆ずること憚りなん、って訳で、讃美歌を朗々と歌ってやってもいいが…………
「さびしい……」
皆が皆知り合いに挨拶をするとかいって蜘蛛の子を散らすように、田中のもとから居なくなってしまった。あんなにかしましく、騒がしく、やかましかったのに、いまや悄然とする男だけがたたずむのみ。画にはなり、詩にもなるが、水茎の跡のうららかな筆致を持たぬ彼には、詩を認めて、吾が身をなぐさむことも出来ない。二束三文も懐にない彼は、心も袖口もすこぶる淋しいものであって、人肌のぬくもりを欲するのである。するとそんなとき、金髪の幼女がトコトコと歩き寄って「お兄ちゃんっ!!」と抱き付く――――のも、一切合切卓越した妄想の領分である。そんなことがある筈もないし、あってはならぬ。
「………そうだ」
 社殿の軒端にスッとかがんで、敷きつまる砂子に、骨ばった指先で稚拙な絵をかく。それは、ブサイクな猫の絵、と、なんとなく慧音の絵だ。子猫は本当にブサイクだし、慧音の方は、やわらかな稜線を描く肉の山、いわゆる『おっぱい』を除いては歪んでいる。思いのほか田中も面白くなったので、おっぱいの隣りにまな板を描いてみる。結句、彼の特異な観察眼が存分に発揮されたが故に、体格、顔立ち、髪型、押しなべて狂っているが、『おっぱい』はいやに精巧である。おそらくこの幻想郷の只中において『乳絵』というせまい土俵に立てば、田中画伯に如く者はない。土つかずの英傑である、おっぱにおいては。
それで、当のまな板の持ち主とは……
「アンタ、何してるの。……って、それ」
「え? あ、いや」
 消そうとするが、「待ちなさいよ」と『輝夜』が制す。覗き込むきれいな横顔にびっくりして跳ねるものだから、輝夜の方は「なに、その反応」と眉根に集めて、妙にけんのんがる。
「べつにいいだろ」
「よくないわよ。失礼なことを考えてたでしょ?」
「そんなわけないだろ」と、何が無しに失礼な砂絵を悉く抹殺しようとする、が、輝夜のほそい手がすらりと伸びて、田中の腕をぎゅっとつかまえた。案外、いや見た目どおり、握る力は乏しくて、振りほどこうとすれば易々と出来る。とはいえ田中もそこまで無粋極まっておらぬようで、輝夜の文句をじっと待つことにした。
輝夜は一通りキテレツな砂絵をあらためて、「これなに? 豚と……なに?」と、絵のモチーフを聞いてくる。精巧なデッサンでないからに、田中には特段卑下された心地はない。画伯は、扱けるくらい勇壮なカイゼル髭はないが、それを思って無精ひげをジョリジョリと撫でる。金もない、恰幅もない、才能もない、平々凡々たる奴さんには、いくらか出過ぎた真似である。むずかしく言えば、僭越である。
「なかなかうまいだろ? お前を描いたんだ。彩管をふるったつもりだが」
「私? こっちが? ……解せないわね」
「お前が判断しろよ。ほら、見れば見るほど滋味が溢れるだろ? 芳しい絵じゃないか」
「でも……私の事を描いてないでしょう? ねぇ、これ、ヤンデレ巫女じゃない?」
「するどいな」
「ご名答ってことね。でも、なんかズルいわね。私も描いてよ」
 ドンっ、と、華奢な肩で男の身体をかるく押しやる。岡目だともはや『非生産的なことにでも、ものを選ばずにいちゃつきやがる、もー害悪な』いやしいカップルだ。天罰を冀う同心も少なくない筈……だろう。というか、美少女と密着できるだけで万代の僥倖なのに、この田中はあろうことかイチャイチャと……しかし、田中の野郎は万に一つの至上の幸いを、「ふざけるな」と、けんもほろろにはねつける。偶さか右肩に降り立った、幸運の青い鳥に一発、張り手をくらわすような、非常にもったいないことをしたのだ。こんなのを見たらモータイだってメーテルリンクだって、なによりチルチルが血の涙をながして、己の悲憤をかこつだろう。
「田中ってさぁ、結構、人によって区別するよね、態度。巧言令色鮮なし仁って知ってる?」
「偉大な孔子先生のことばだな。でもお前には孟子のことばをやろう。木に縁りて魚を求む。横着するなよ、お姫様」
「そうやっていつも無職ってバカにする。私はワーキングプアじゃなくてお姫様なの」
「まぁ、ワーキングプアじゃないよな。もうすこし短いカタカナ語だ」
「アゲマン?」
「は? なんでアゲマンなんて」
「こないだ、ゆかりんと一緒に手相を見てもらったんだけど。そのとき、私と結婚したら相手の運気も良くなるって聞いたから、アゲマンかなぁ~って」
「じゃあ俺と結婚する? 毎晩問わず寝床でハッスルだけど。ちょっと床を延べてもらわないか?」
「下ネタとか、死ね」
「それでヤリマ―――――」
「――――部長」と、背後から紫の声。
すると、輝夜は振り返りざまに「あっ、サゲマン」と、婚活中の女性に向かってひどい罵詈を浴びせかける。一瞬紫は気色ばむが、「……どうせ私はサゲマンよ」とご大層な仏頂面。すげない態度の御身を拝んで、田中画伯は「紫さん、もしかして手相で?」
「……うん。サゲマンだって言われたのよ。まぁ、仕方ないって思うけど……あんなわかり易く言わなくてもいいのに」
 なるほど、肚の底ではまだまだ占いの恨みが燃え果てぬようで、納得はしてないようだ。
「それでゆかりん拗ねちゃったのよねぇ~」
「す、拗ねてないわ。ただ、あぁ……そうなのかって思って」
「はぁ……俺は気にしませんよ。これからもずっと」
「それじゃ意味ないのよ、田中君」
かるいプロポーズに全然気付かない紫。スウェーイングでも首を傾げるでもない、正面からしっかり受け止めて、それでもなお痛痒を感じてないのだ。
「でも輝夜は思うだけどぉ~、ゼッタイゆかりんってモテる」
「そんなわけないわよ。それなら部長とか会計の方がモテるわ」
「会計かたしかにモテるわね。なにげないやさしさ? そういうのが、所作にあまねく行き渡ってるもの」
「じゃあ、はたてちゃんは俺の正妻ってことで、紫さんは愛人でいいですか?」
「ゴメン、それは了解しかねるわ。それにえっと、もう忘年会がはじまるから、みんなお待ちかねよ」
「側室の全員がお待ちかねか」
「全員? じゃあ私なんなのよ」
「ペット」
「ヘンタイ」
「え? お前、何を考えてるんだよ」
「べ、べつに首輪をつけるとか!! 四つん這いになるとか考えてないし!!」


 一献片手に魔理沙は、「この際だから、はっきりさせとくけど、私はかぐやんより胸があるぞっ!!」と声高らかにのたまった。これが俗に言う、目くそが鼻くそを笑うである。
 ……師走の末の、今宵の宴は、いかにも盛況である。酒をもり、肉を食らい、喋々と花を咲かせて、淡雲がたなびく朧月夜の空の下、雅な観月の宴ではあらぬが、笑みもこぼれる賑やかな宴会を愉しむ。これでこそ晦日であろう。軒端で絵を描くなぞ、そんな湿気たことをやる輩は頓馬である。やはり祭りは活気だ。当然その限りにある婚活部の面々も、各々が持ち寄った安い肴を摘まみつつ、差しつ差されずのていで、年忘れの賀宴に絆をあたためること、まったく気兼ねはない。絶好調である。
火種を落とした魔理沙は、次いではたてへ、喧嘩の押し売りをする。
そのはたては、酒よりツマミを好むらしく、一生懸命スルメイカを食らっており、せわしなく口元をモゴモゴとさせていた。
「大体な、会計は婚活しなくてもゼッタイモテると思うんだよっ。おっぱいあるし、顔はちいさいし、足は長いし。でも影はうすいけどなっ」
「霧雨、妬みが凄いぞ」
 慧音は、「引率は飲まない」となかなか律儀なことを言って、お茶を飲んでいた。うわばみ、もといヤマタノオロチと愛称される男田中は、酒を浴びるように飲んでいるのに……慧音は堅物だ。
「日々溜まってる鬱憤を晴らそうって思うし、それに、酒は憂いの玉箒って言うし。ほら、顧問もっ、言えばいいじゃん!!」
「鬱憤? まぁ、あるが私は遠慮しとくよ」
「じゃあ、私がありまぁ~す」と、呑気に手を上げる輝夜。
 慧音の隣りの妹紅が、ギロリとするどい眼差しで彼女の姿を射抜く。しかし、機嫌の良い輝夜にはどこ吹く風、おまけに、その向かいの田中はいつまでも酒を飲んでいる。
紫は「大丈夫?」と田中を心配するが、酒に対し無類のつよさを誇る田中には要らぬ世話、憂慮の片鱗さえ怒り心頭に発す―――――まではいかんが、残念である。
「じゃあ付き合います?」
「いや、いいわ」
「そうですか? 酒との勝負を―――――」
「――――田中!! 私はアンタに一言申す!!」
「え? 俺すか?」
「ええ。いまもそうだけど、なんかゆかりんと仲良くないっ?」
「「え?」」と異口同音。たがいに顔を見合わせ、「「なんで?」」と以心伝心。
「ほら、それよ。そ・れっ。熟年夫婦でも驚き桃の木よ。ひそかに懇ろなら言いなさいよ。べつに輝夜さんは怒らないからさ。ペットにはならないけどね」
「……はぁ、紫さん、ばれちゃいましたね―――――」
「―――――私たち付き合ってないわよ」
「ちょっ、俺の見せ場が」
「田中さん、見せ場とか自分で言うと悲しくないですか?」とマジメな様子のはたて。
「あっ、いや、はたてちゃん?」
 すると、付き合いの長いの妹紅も「いつものこと」といらぬ事を付けくわえる。安直に隣りの慧音も「そうだな」と付和雷同である。一方、酒をのんで顔を赤くするアリスは、酔いが回っているのかキョトンとして、その様子を眺めていた。ただただなんとなく眠いのだ。
「――――みなさん、こんばんは」
 声の方には、うどんげ、てゐ、永琳、永遠亭のメンバーがそろって立っていた。
「あっ、来たの?」
「はい、一応。挨拶しようかな、と」
「ふ~ん。永琳も、てゐも?」
 問われた2人も頷いた。すると、甲斐甲斐しく輝夜は立ち上がって、その3人の方へ歩み寄り、なにやらコソコソと耳打ちをしている。どうせよからぬことを考えているのだろう、と田中は酒を飲みつつ思ったが、野暮なことをする気はない、水を注さずに待っていよう。
「わかった? 3人とも。ゼッタイだめよ」
「ええ、心配しないでも」と永琳は応える。
「大丈夫ですって」とうどんげもお気楽だ。
しかし、てゐは「たしかに、Tバッグを買ったのはヤバいよね」と『おそらく耳打ちで口外を禁じたことであろう』ことを、飄々と口にした。にっこりと笑っている辺り、悪びれる気持ちはウサギの毛ほどもないのだろう。とっさに輝夜は振り返って仲間を見回すが、皆が皆、耳にしていたのを知るに及ぶとカァーと顔を赤らめて、「てゐ!!」と、逃げ出したちいさな脱兎を必死に追いかける。
さわがしい追走劇を遠い目でながめて、心から嬉しそうに「Tバッグって……なぁ慧音?」と妹紅が言った。
「え……あ、ああ」
「慧音?」
「まぁ、いいんじゃないか。Tバッグがわるいわけじゃないしな」
「もしかして慧音も?」
「……と、ともかく呑もう!! なぁ、霧雨!?」
「Tバッグって、凡そいくらぐらいするんだ?」と、興味津々である。
「それは……」
 言いよどむ慧音。ちょうどそこに頃合い良く、一とおり仕事をおえた霊夢が現れる。当然、他の奴らに目も向けず、猛進と田中へ一直線だ。紫との間に割り込んで、「お酌も出来ませんで、ごめんなさい」と、要らぬことを詫びる。
「え? いや、いいよ。俺は自分のペースで飲むから」
「しかし、妻としては、夫にお酌をするのが夢ですので」
「妻って、その前提なんだよ。幻想郷の危機とか言って、因果に含めようとしてもムダだからな」
「……袖を連ねることも、枝を連ねることもできませんの? 私、川端に身を投げるしかありません」
「いや、そんな深刻に……ほら、俺じゃなくてもさ」
「いえ、私は田中さんを愛すると決めたんですッ!!」
「お、おう」
 いつものやり取りをあけすけに披露する、田中夫婦。はたての左に腰を下ろしたうどんげは、「例の?」と尋ねる。妹紅同様、うどんげも話に聞く限りであって、実演を見た覚えがないのだ。事実うどんげは「千秋楽まで間に合うか」とひとりで案じていたが2人の濃やかなやり取りをもって推せば、なかなかのロングラン公演らしく、心配はただの杞憂であったらしい。婚活を旨とする女どもが見れば、ふかい愁嘆を吐くか、それとも憤懣の彩りを顔のツラに湛えるか、尋常な感性ならばするであろう。……尋常ならば
「うん。あれがいつもの」
「実際、結婚式は近いかも」
「そうだね、じゃあ服はどうする?」
「え? ああ、服は、人里の大通りの――――」
 ファッションの話題が持ち上がり、女子の匂いをプンプンとさせる。当然、隣りの魔理沙も花やいだ少女の薫りを吸い込むが、まだまだ服の類に昏いので、横槍も入れられないとまごつき、アリスを引きつれて筋向かい紫の方へ移動した。親しい彼女ならば、訳もなくちょっかいを出せると思ったのだ。どうやら、その紫も、永琳となにやら熱心に話している。
「最近、肌の調子が悪いのよ」
「ホント? コラーゲン足りてないでしょ?」
「一応、昨日すっぽんを食べたんだけどね、やっぱり冬眠しようかしら」
「寝すぎも良くないんじゃないかしら」
「そうかしら……ひとり寝のわびしさも関係してるのかしらね」
「関係ないと思うわ」
「え?」
「多分、悪いのは化粧水ね。ちょっと値が張るけど、良い物あるわよ」
「えっ? 私、買う」
 この女医さんは名うての詐欺師なのだろう、銅臭児の才に溢れる才女に相違ない。して見れば、賢き者を欺いた誉れを欲するのも、その者のたらふく肥やす私腹を希求するのも、ムリのない話だ。ならば……そっとしておこう。
 結局、魔理沙は元の場所へ戻り、ちょびちょび酒を盛るのであった。



 宴も酣。蛟の雨を得たるがごとしの田中は、何瓶もの酒を空けても、なお平然である。
「凄いですね、田中さん」端坐する霊夢も驚きである。
「まぁ、まだ全然」
「――――霊夢ぅ~」
 丹塗りの鳥居の辺りから、勇ましく鬼の角を生やした幼女が走ってくる。あからさまに霊夢は嫌そうな顔で、ちょっと田中は訝った。わけを訊こうと口をひらくが「ちょっとお待ちを」立ち上がり、走り来る鬼の子を迎え撃つ。活気の漲る境内、すこし離れれば、笑声に声音は埋もれ、話の中身なぞ到底わからん。聞きとがめんと耳を澄ますのは、無駄骨だ。
霊夢の席が空き、そこにすかさず紫が入った。田中は「キャバクラみたいだ」と思いつつ、口にはしない。只、生りの良い胸はすばらしく、腰を下ろすそのとき、重たく揺らいだ。
そんな感じで田中が盛っていると、おもむろに紫が、空になった彼のコップに、お酒をそそいだ。人に傅く方が好きらしい紫は、我が意を得たような、だが倨傲ではない、うれしそうな顔をしている。
紫は酒瓶を置いて、「田中君。そんなに飲んで大丈夫?」
「ええ。まぁ、取り柄はこのぐらいなんで」
「……お金のかかる取り柄なのね」
「だからこういうときしか飲まないんですよね」
「じゃあ、お酒での失敗とかないんだ」
「そうですね、考えると、ありませんね。紫さんはあるんですか?」
「私? 私は、失言ってやつかしら。ウソとかついちゃってね」
「見栄を張ったんですか?」
「うん」紫は肯く。
「なんか……らしいですね」
「酷いわね、田中君。今度のデートのときは、紳士然でよろしくね」
「わかりました。任せてください」
「頼もしいわ――――って霊夢が来たわ。私、行くわね」
「ええ。今日も可愛いよ、ゆかりん」
「バカ。からかわないの」
 と、うれしそうな膨れっ面で紫は退いた。



「はぁ、はぁ、はぁ」
 輝夜は息をきらしていた。あのクソうさぎ何処にいった。見つけたら皮を剥いで、鍋の肉にしてやる。
 炯々と周囲に目を配るが、夜目の効かない森の中に、ちいさなウサギの姿は見当たらない。愉しげな騒ぐ声が遠くに聞こえ、木立の間にぼんやりと宴の光りが浮かんでいる。たしか、参道の路肩に提灯が吊ってあったような覚えがある。大方それの弱火であろう。そう考えると、木立ちの繁る結構な場所まで来てしまったようだ。落葉を蹴散らす脱兎の足音も聞こえんところによれば、枯れぬ木の葉に埋ずもれた林を貫いて、今頃、苔むす瑞垣にお腰を下ろして、余裕綽々のていであろう。考えるだけでムカつく。
「…………ん?」
 樹木の頂に月光が砕けて、林中の暗がりを清かに明るくす。月夜に提灯、という諺を思い出し、輝夜は笑みを食んだ。
 ……ウサギ狩りをやめて帰るとしよう。ブージャクやジャバウォックにでも遇ったら大変である。深追いはいけないと、踵を返す輝夜さん。……だったが、カサカサと草の擦れる幽かな音を聞き咎めた。彼女は笑みを食み、ゆっくり音の方へ。靴音を立てずに、息を殺して、近寄ってゆく。緊張、焦燥、敏感となる聴覚、足に感ずるやわらかな抗力、鼻から洩れる温まった息、胸三寸の大太鼓がうち響き、彼女の感興を高めてゆく。隔靴掻痒たるが故に、心躍ることもあるのだ。
 だが、おかしなことに女の声が聞こえた。
「――――ちょっと、こんな所で」
 木立の影に輝夜は隠れて、声の聞こえた方――――抱き合う人影を観察する。翼の影絵を見るに、天狗の女と……もう一方は、人間か?
「いいだろ? 誰も居ないって」
「でも、こんなの見つかったら……。人間と天狗が、さ」
「でも、ここはもう……こんなに」
「ちょっとバカッ。もう……焦らさないでよ」
(う、うそでしょ。こんなところで……私、)
 と、他人ごとに感化されて、清らかな姦通の妄想が膨らんでゆく。自分の裸体に骨ばった指が触り、露わとなる鎖骨をゆっくりなぞって、やわらかな肩を愛撫する。聞こえる胸の高鳴り、洩れる男の息遣い、脱がれた着物は、あたかも蝉の抜け殻のごとく、そのままにされ、ほの暗い部屋には凛呼な風合いが充溢する。男の指先が彼女の顎をクイッとあげる。輝夜はそっと目蓋を閉じ……さわやかな口付け。一時、舌先に前歯が触れる。だがムリに皓歯をこじ開けて淫蕩に貪ることはせぬ。短い接吻が終わり、顔を離す。銀の線が2人の唇を繋ぐようにかかる。えもいわれぬ趣を感じつつ、ゆっくり目蓋を上げると―――――田中の顔。
(―――――違う違う違う!! うわっ、男の代名詞が田中になってるわ、私)
「――――舐めるの? 私、ちょっと苦手」
「触りながらそんなことを言うなよ。淫乱だなぁ」
「ヒドイ。でも、アナタと一緒に居れるだけでうれしいから」
「なんだよ、いきなり」
「その……いつか、結婚してほしいな、って」
「え?」
(え? いや、ん? これって逆プロポーズ。いやいやいや、どのタイミングで。というかヤラないの? ねぇ、ヤッテくれないの? その、うん。予習としてみたいんだから、早く)
「いつか、だよ。だって寿命も違うし、ずっと一緒にいれないからさ。その、アナタが遊びでも私は本気ってことを伝えたくて」
「……俺も本気だよ。それに寿命は魔法でなんとかなるし、さ。だから、その、結婚するか」
「ほ、ホントに?」
「ああ。男に二言はない――――って、泣くなよ」
「だってうれしくて。……私、好き。アナタが好きよ」
「俺もだ。……おまけに、こっちはもう」
「すごい。硬いね」
「孕ませてやるぞ。今日」
(よっしゃぁぁあぁぁ。来たぁぁ!!!! ほら、やれ!!)




「なぁ、妹紅」
「なんだよ、畏まって」
 夜風に当たりにやって来た妹紅と慧音。
石段の一段に重たく腰を下ろし、星々のうつくしい天蓋を、慧音は眺めながら、ことばをつづける。妹紅は、かっぱらった裂きイカを咥えながらいやに神妙である。
「私、好きだ」
「え?」
 ぽろっ、と裂きイカを口から落とす。二の句を継げず、晴れ晴れしい横顔をぽかんとして見つめる。慧音は、ちょっと照れた感じで「みんなが好きだ」
「え? バイなの?」
 てっきり、レズビアン宣言をされたのかと思ったが、どうやら両刀らしい。
「何を言ってるんだ?」
「ナニを言ってる? 私が言いたいのは、女でも関係ないの? ってこと」
「男も女も関係ないじゃないか」
「……あっ、そうなんですか」
「ああ。そうだ。もちろん、妹紅も好きだぞ」
「よ、喜んだ方がいいのかな?」
「失礼だな。喜ぶべきだ」
「や、やったぁ~」
「ぎこちないぞ」
「私は男の方が好きだから、すなおには」
「男?」
 妹紅のセリフに、慧音は、
(彼氏が出来たのか、妹紅……)
 となかなかかみ合わないことを思う。それでいて、祝福しようともする。
「じゃあ、今度、件の男を連れて来てくれ」
「連れてきて、なにかヤルのか?」
「ああ。いっぱいご馳走してやる」
「濃厚な感じですね、その、ごちそうって」
「ん? 濃い方が好きなのか。なら、いっぱい用意しよう」
「用意なんて、そんな。なんか……怖いって」
「大丈夫だ。私は取らないって。じっと見てるだけだ」
「見るだけって。……私をどうする気だよ」
「それは後々、2人に子供を作ってもらって、うちの寺子屋に入れてもらおうかと」
「こ、子供ですか。私まだ親になる気なんて」
「相手は多分望んでるぞ? それに、私だってプレゼントか何かを買おうとは思ってるけどな」
「えっと、もう(連れてくる男の)目星ついてるのか?」
「ああ。(プレゼントの)目星はついている。たとえ予想以上に(背が)伸びようとも、大丈夫なものをな。どんな(服の)柄が良い?」
「いや、私、大きさとか太さとか、その、形とかはわからない。へ、平均ってどんぐらいなんだ?」
「ん~、ウチの子供たちのを見るに……」
(こ、子供たち? まさか寺子屋の子どもに手を出して……)
「結構大き目かな」
「やっぱり昔に比べて大きくなってるのか?」
「まぁ。たぶん。でも、田中はデカすぎる」
「た、田中!?」
「ああ。アイツはデカい。普通だったら破れるな」
「そんなにデカいのか……田中。でも慧音は破れないんだろ?」
「破れたら自分で(縫い)直す」
「それってキツくない? 入ったと思ったら、破れるって」
「良く知ってるな。そうなんだよ、意外と入ると思うんだけど、実際はキツキツで苦しくて、動くと破れるんだ。もしかして経験あるのか?」
「田中と何て、そんな。私はゼッタイ壊れる。いくら不老不死でも、そんな、自分のアレは丈夫じゃないし」
「ん? なにを言ってるんだ?」
「いや、気にしないで。慧音は自分の人生楽しめばいいよ」
「ちょっと酔っぱらい過ぎだ、妹紅」
「いや、慧音ほどじゃ」
「は?」


 
 石段の在り処をしかと感じながら、登り進めてゆく妹紅。慧音もその後ろに付いている。妹紅はちょっと、いや、すごく怖かったが、とかく知人を貶めるが如き文言は吐けない性格なので、……………口を結び、階段を上っていく。
段々と丹塗りの鳥居が姿をあらわし、境内まで残りわずかといった処で――――で、ガサガサと、階段脇の草叢で、何者かが動いた。
2人は身構え、音を起こした生き物に対する。すこしして、またまたガサガサと音がする。どうやら出てくるようだ。そして、草葉の影から踊り出るのは、月のお姫様、蓬莱山輝夜である。見知った輩に「なんだ。輝夜か」と、妹紅は安堵する。今や慧音よりマシである。
「なんだ、なによ」と、何故だか顔の赤い輝夜は、ブーと不満をたれた。
しかし妹紅の興味は別のところへ注がれていた。果たして御髪に刺さった木の枝は、かんざしのつもりであろうか? なかなか洒落ている。まるで浮浪者みたいだ。
「……何見てんのよ、じっと」
「いや、べつに」
「なんかあるでしょ」
「なんにも――――」
「――――妹紅、ここら辺で輝夜をって……いるじゃん」
 田中の声が聞こえ、そっちを向くと、やっぱり田中である。彼がこちらに向かって下ってくる。妹紅は、慧音の評価を思い出し、田中のお股を見やった。にわかに悪寒が走り、顔を引きつらせた。ぞっとするとは正しくこのことである。
「おい、妹紅?」
「わ、私、いくからッ!!」と、慌てて逃げ出す。
「おい、妹紅!!」慧音も彼女を追って、階段を上ってゆく。
 訳の解らぬ間に、2人が行ってしまったので、残された田中と月の姫は、茫然としている。が、輝夜はハッとして田中に「私のこと探してたの?」と、訊く。
「ああ。てゐちゃん戻ったのに、お前がいないからさ。襲われたのかと心配して」
「私が襲われるわけないわよ。意外とつよいのよ」
「はぁ……そういう問題じゃないって。まぁ無事で何より。めでたい新年に、痛々しい思い出を作らなくて、良かったよ」
「え? もしかして年を越えた?」
「ああ。みんな酔っぱらって、寝てるぞ」
「……乗り遅れた」
「バカだな、ホント」
「バカじゃない。ちょっと、込み入ってたのよ」
「なにかあったのか?」
「まぁーね」土の汚れを構いもせず、くぼんだ石段に腰を下ろした。
 蹴込みの高さはそれ程もないので、立てた膝は楽に抱けた。その隣りに田中も坐する。黒髪に小枝が刺さっていたので、引き抜いてやると、「えっ、あっ、ありがと」と殊勝に感謝した。ムズ痒い感じがして、「別に」と素っ気なくことばを返す。しかし輝夜は、髪に刺さった枝を弄るばかりで、田中の態度に言い及ぶことはなかった。それがまたムズ痒い。
…………しばらくあって、ゆっくりと、彼女は口をひらいた。
「好きな人とは、その、エッチなことするの?」
「は?」
「いや、するのかなぁ~って」指から枝を落とす。
「まぁ……するよな、普通」
「結婚しなくても?」
「ああ」
「そう、なんだ。……私だって好きな人、いたのよ。月卿雲客の人だけどさ、手紙なんか書いたりして。まぁ、結局ダメになったんだけどね」
「どうしてだ? 月の桂を折る気持ち、なかったのか?」
「月の桂……」
「そっか、お前。月から」
「わざとらしいわよ」
「ばれたか。……まぁ永琳さんに聞いた、お前、有名だしな。教科書にも載ってるぜ?」
「あんまり、うれしくないわね。我が強いって描かれてるでしょ?」
「ああ。時の権力者を悉くはねつけてな。でも、手紙のやり取りって言うのは、アレだろ?」
「別に玉の輿を残ってたわけじゃないわ。ちゃんと帝のことはす……」
「ふ~ん、そうなのか」
「あのことはまだ純粋だったから、さ。手紙のやり取りだけで恋しちゃうなんて」
「今は婚活やってるんだもんな。あのかぐや姫が」
「……なんか、このままでいいかも」
 輝夜の爪先が、彼の手に当たる。田中はズラそうと力を入れたが――――輝夜は何も言わずに、その手を掴んだ。
「お、おい」
「寒いから。もしかしてドキッとした?」
「当然だ」
「女子力あがってるのね、私」笑みを食む輝夜だが、いささかの憂色をやさしい眦に残して、いつもより綺麗だった。…………良心からか、それとも、他の想いか、田中は指を、少女の指の間へ、ゆっくりと差し込む。一瞬輝夜の惑いが指先に及んで固まったが、男の慣れた手つきに合わせて、指の強張りは解かれてゆく。そうして、すなおに指を絡めあう。夫の身体を求めるとは、こんな感じだろうか? 輝夜は思った。思ったが、肉感があまりに鮮明で、現世的で、現実的だったので、考えることを止めた。
「……もしさ、お前が死ねないことを悩んでるんなら、気にするなよ」
「どうしたのいきなり」
「不老不死って結構ツライよなって、さ。好きな人の死に目に必ず会わないとならないんだろ? だから、さ。思うに、将来、好きなった人に強くなって貰えよ」
「どうして?」
「お前を殺せるぐらいにさ」
「……そんなの無理よ。私、死ねないんだもん」
「大丈夫だって。お前のことを好きな奴は、ゼッタイ強くなれるよ」
「じゃあ、誰かが、ううん、田中が私を好きに成ったら、強くなってくれるの?」
「さぁ?」
「……バカ」
「未来の話だからわからんよ。俺には。まぁ……可能性は結構あると思うけど」
「どんぐらい?」
「3割ぐらい」
「意外と大きいのね。ほかは?」
「博麗が五割で、ゆかりんが二割かな」
「ゼッタイ結婚するんだ、田中は」
「いや、もし結婚することになったら。たぶん、俺、結婚しないし」
「……なんで?」
「なんとなく、そう、思う」
「可笑しな話ね。未来の話がわからないって言うのに」
「じゃあ、……そうだな。お前と結婚する、未来もあるかも」
「ちょっとやめなさいよ。言霊って知らないの?」
「悪い。目に見えぬ鬼神をあわれだと、思わせるんだもんな」
「そうだっ」輝夜はスッと立ち上がる。「ほら、立って」手を引いて、催促する。
「ああ。何するんだ」
「言霊の力を借りましょうよ。ほら、ここで、夢を叫んで」
「……そうだな、じゃあ――――」
「―――-田中から」
「俺? ……じゃあ、わかった」
 田中は1呼吸おいて、夜空の下でこう叫ぶ。
「みんなをゼッタイ、孕ませるぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!」
 ぽかん、とする輝夜。コイツは何を口走ったのか、といった感じの顔だ。
「大丈夫。俺、子どもは好きだし」
「なんか……アンタらしい。じゃあ、私―――――」
 ―――――ツカッ。とうしろの方から足音が。2人して振り返ると、意外と近くに…………マガトロさん。
「あ、いや、うん。き、聞いてないわ。でも、その、遠慮していいですか?」
 さすが、マガトロさん。田中は絶望した。



[35704] 第二回ミィーティング
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/05/05 19:32
第二回男子禁制婚活部ミィーティング。
 参加者 八雲紫 蓬莱山輝夜 藤原妹紅 姫海棠はたて(おかきを買いに欠席中)
 議題 髪型について
 開催地 寺子屋


「妹紅、なんでアンタがいるのよ」
「こっちが聞きたいぐらいだよ」
「二人共やめなさい。ほら、今日の議題は髪型についてよ」
「髪型は個性じゃないと輝夜は思いまぁーす。個性は、心よ」
「たしかに輝夜の髪型は……清純系ビッチにしか――――」
「――――は? ブリーチかけ過ぎみたいな奴に言われたくないしっ。私みたいに艶やかな黒髪、欲しくないの? ほら、サラってやれば、ふわって匂いが広がるじゃない?」
「なんか自分で言う辺り、輝夜って、淋しい奴」
「さ、淋しくないし!! ちょっと髪に自信があるだけだし!!」
「でも、たしかに部長の髪の毛ってキレイよね。私はクセ毛だし……私も欲しい」
「そ、そうかな? その、使ってる……石鹸なら……」
「輝夜、顔真っ赤」
「う、うっさいっ!! アンタだって髪の毛キレイじゃない!!」
「え? あ、き、キレイじゃない!!」
「は? メッチャキレイだと思うけど。夜空を飛んでるときとか惚れ惚れしますぅ~。流星が尾っぽを引くように、ため息が出ちゃうわ」
「そ、それなら輝夜だってすっげー可愛いと思うけど。人里で噂になってるじゃん。どうせ輝夜は、密かにファンクラブ出来てるの知らないんだろ?」
「ファンクラブ? なによそのウソ。全然フィクションにもなってないわね。ねぇーゆかりん? そんなバカげた――――」
「――――本当に知らないの? 私もその一応、入ってるんだけど」
「へ?」
「会員書見る? たしかお財布の中に……ああ、あった。はい」
「う、うん…………カグヤンを愛しているの会。会員番号23、八雲紫……これって悪い、悪い冗談よね? 寝顔の写真が使われてるのも、アレよね? その、冗談よね?」
「輝夜、本当に知らなかったんだ。あんなに熱狂的なのに」
「ね、熱狂的?」
「うん、写真に愛を語らったりしてるわよ。私もやったけど」
「やったの!? ゆかりん、愛を語らったの!?」
「ええ、一応会員だから。やることは必須の条件なの」
「じゃあ語らってもらえよ、輝夜っ」
「は!? そ、そんなこと……」
「輝夜さん」
「は、はいっ」
「その、八雲紫は、輝夜様のことをお慕いしております。終日、夜もすがら、アナタの事を考えております。もし、もしアナタ様さえよければ、駆け落ちも覚悟しております。アナタ様のためとならば、塵芥に成り果てようと後悔はありませぬ。ならば、私と――――」
「――――ま、まって。ほら、女同士じゃない、私? その、一般的に見てさ、レズビアンは受け入れられないでしょ? 百合とかその、」
「……それを承知の上で、私は慕っているのです。アナタを愛しているのです。禁断がなんです、世間体がなんです、二人の燃え上がる情炎の前では、灰燼と変わりがありません」
「ゆ、ゆかりん」
「もし、私を愛していただけるのならば……誓のキスを」
「…………私、私――――」
「――――やっぱり、女子会はおかきですよねっ? ……って、アレ? なんで見つめ合ってる」
「カップル成立したんだよ。まぁ、ほらこっちに座って」
「妹紅さん。なんか愉しそうですねぇ~。はい、これ」
「あんがと。まぁ、なんかじゃなくて、愉しいんだよね。なぁ~輝夜?」
「べ、べつにカップルとかそういうのじゃないし……ただ、好きになるのに性別は関係ないかなぁ……って。そ、そうようね、ゆかりん?」
「……ええ。――――あっ、このおかき貰うわね」
「はい、構いませんよぉ。いやでも、部長が目覚めた。これは記者として、志を壮とさせられるニュースですよねっ、あのビッチを出しぬくことができますよ。ではその、単刀直入に聞きますが、二人のなれ初めはっ!?」
「えっ? い、いや、まだ付き合うとかそういうのじゃないっ。ただ……ねっ? ゆかりん?」
「え? うん、そうじゃないかしら。というかこれ美味しいわね、妹紅ちゃん」
「うん、結構上手いね。醤油が香ばしくて、油分も少ないし。あとおっきくないから、喰い易い」
「ふむふむ。じゃあ、なれ初めは、藤原妹紅っと。これには間違いない?」
「まぁ、悔しいけどそうね。妹紅がいなければ、私も本当の気持ちを気づけなかったわ。ねぇ? ゆかりん?」
「そうね。でも、このチーズのおかきも美味しいわよ。ほら、妹紅ちゃん、それっ」
「ん? それは食べたよ。でも、私はあんまり好きじゃなかったなぁ。そもそもチーズはあんまり好きじゃないし」
「え? チーズ嫌いなんですか? 妹紅さん?」
「嫌いってわけじゃないけど、好きじゃない。普通って感じかなぁ」
「ふむふむ。藤原妹紅は、チーズをあまり好まないと。じゃあ、好きなモノは?」
「好きなモノ? 好きなモノは~」
「――――ちょっと!! 話がずれてるわよ!!」
「はぁ、輝夜がマイノリティーだって話は、もう終わってるんだよ。今はおかきの話なの」
「ち、違うわよね? ゆかりん?」
「私だって、本気にするなんて思わなかったし。ごめんなさいね、部長。私、田中君の方が好きよ」
「え、ちょ、え? いや――――わ、私だって冗談で乗ったのよ!? 本当にマジだって!! いやマジなの!! 本当に男好きなの!! 男の人に滅茶苦茶にされたいのよ!!」
「部長、性癖が露見してますよ」
「じゃあ、Mだって認めれば、その、男好きって認めてくれるの?」
「ドMって認めれば、私も認めます」
「じゃあ私はドMです。滅茶苦茶にされたいです。お尻とか叩かれたいです。露出を強要されて、お外で失禁してみたいです。精神的にひどいことをされて、泣かされてみたいです。リードに繋がれて、犬みたいに扱われたいです」
「……その、輝夜。私も、さすがにそれは、うん」
「わ、私も許容しかねるわ、部長」
「だ、だってドMって認めれば、男好きって認めるんでしょ? だから認めただけだし、」
「部長は、変態さんですね」
「へ、変態じゃない!!」
「ウソつくなよ、輝夜。変態って呼ばれて喜んでるんだろ?」
「違う!!」
「あら? 部長、顔真っ赤よ?」
「やめてよ、もう!!」
「変態さんですね、部長」
「もう……やめて……ひどいよ、みんな」
「え、あっ、な、泣かないで部長っ。ご、ごめんなさい、私が言い過ぎたわ」
「やばい、泣かしたのバレたら慧音にどやされる」
「でも、なんか興奮しましたね」
「……お、おう」
「もう……もう死んじゃえ、ゆかりんも」
「本当にごめんなさい。私もからかい過ぎたって思うわ。でも言い訳をするとその、部長がかわいすぎるからなの。ほら、よく言うじゃない? いじめるのは気になるからだって」
「気になる?」
「うん」
「じゃ、じゃあ、その……ゆかりん、ううん、紫さんは私のこと好きなの?」
「ええ。友達的に好きよ」
「…………」
「ど、どうしたの?」
「ううん、なんでもない。ほら、今回の議題に戻りましょう。たしか今回の議題は――――」
「――――髪型ですね」
「そうそう、髪型よ。カ・ミ・ガ・タ」
「でも、髪型ってそんな重要じゃないんじゃない? 私は少なくともそう思うけどさぁ」
「アンタはモテないからね。私みたいにファンクラブがあると気にするのよ」
「今知った癖に、よくそんなこと言えるな」
「うるさい。ともかく、キャラクタライズするにはもっとも重要な因子であるのは明白でしょ? ならば、アドバルーンの然らしめるところ、目立って当然のゆかりんが、こんなに地味でいいのかしら?」
「え? 私、広告塔扱いなの?」
「もちろんよ。感想欄ではゆかりんのことばっかり書いてあるわ。だいたい、私こと蓬莱山輝夜は、ツインテールゆかりんで、イラスト投稿サイトの一位を取ろうという計画を、ひそかに画策してるのよ。のちのちは、未成年への性犯罪が公然と跋扈する、某動画サイトを、ゆかりんのツインテールで支配するつもり。そうして、叩かれることをわかっていながら、芸能界へデビュー。ゆかりんの可憐さで世の男のハートをがっしり掴むのよ」
「壮大ですね」
「ええ。そして私は、あのアイドルグループのみなさんと戯れる。マっキオコセー、ア〇シー、ア〇シー、ホォーユー」
「結局、幻想郷のアイドル、六歌星→☆に会いたいんだろ?」
「もしかして知ってるの? 六歌星→☆のこと? マジでいいわよね、ホント曲がいいのよ。なにが良いって、曲とダンスと……あと全部がいいのよ。あ~腸持ちの業平に会いたい」
「は? なに呼び捨てにしてるんだよっ? 業平様だろうが!!」
「うわ~でました。白馬の王子さま化する、身勝手なファン。業平自身も、ファン用の回覧板の……たしか五週目の火曜日ときに、書いてたじゃない。みんなとの隔たりはなくしたいって。なのにこういうやつがいるから、業平は悲しい目をするのよねぇ」
「お前こそ、恋人気取りじゃん。業平様はみんなの王子さまなんだよっ」
「ちょっと、業平様ばっかり注目しないでください!! 康秀だってカッコいいんです!! かわいい系の黒主との絡みとか、もう……最高じゃないですか!! 鼻血モノですよぉ!!」
「カプ厨乙。どうせ会計は、アレでしょ? 業平と小町との絡みとか考えてるんでしょ?」
「うう……だってお似合いだし。小町はその女の子みたいに美形で、それで、業平は男の子っぽくカッコいいから……」
「た、たしかに私もわかるよ、それは。業平様と小町のカップルは、うん。認めざるを得ない」
「妹紅は、王子さまが浮気性でもいいの?」
「そうやって、自分とカップリングするなよ。ドM女」
「は? そっちだって運命の相手だと思ってるくせに、ねぇ? ゆかりん?」
「うん、まぁ、そうね。というか、会計ちゃん? このおかきどこで売ってるの?」
「え? ああ、今日の帰りに一緒に寄ります?」
「ホント? ありがとう。藍とかに食べさせたいわ、すっごく美味しいもの」
「じゃあ、紫さん? 紫さんの一番好きなのは、だれですか?」
「私? 私は…………田中君が一番好きよ、男の中では」
「「「え?」」」



[35704] いい旅夢気分≪紫とデート≫
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:88c2afe6
Date: 2013/05/11 13:22
 うつくしい。……八雲藍は覗き者である。
 先ず一つに、主人の言いつけを守らんあたり、盗視者の素質に溢れる。
 その次に、己が式神を使ってお為ごかしを為さんとするあたり、危ない薫りが芬々とする。
 そして最後に乱れた気息、汗を握る諸手、炬として光る双眸、それら重要な証拠をもって推せば、ご立派な覗き者である。
(紫さまぁ……カワイイ)
 青柳を描く襖の間から、ひっそりと見える光景、それは…………これが良いか、あの色が良いか、数多の衣装を持ちに持ち替え、至極逡巡しておられる、八雲藍が主、八雲紫である。
(はぁ、なんであんなに可愛いんだろう)
 人智の及ばぬ神秘である。ゆかりんりんの『りんりん』たる所以のものは、宇宙開闢のその頃まで遡及し、我等を生みだせし聖なる父、創造神に問わんと、ことわけの一斑さえ知り得ぬであろう。いや、予定調和を流れるこの世界において、ゆかりんりんは、神をも予想だにしなかった、一種の矛盾かもしれん。可愛さと美しさ、本来同居の出来ない2つを兼ね備える彼女はもはや、認識の埒外にある存在ではないか? ならばこの、目に見える紫の姿は、わずかな一端。アプリオリな概念下にありながらも、今まさにそこに存するは『ゆかりんりん』の一部であり、他に存在する大部分の凄艶な御身は、識閾の外にはみ出しているのだ。
(まさか、アカシックレコードへさえ記載できない…………領域に)
 なんたることか。乳揺れとか、髪の乱れとか、間接キスとか、そんなことを言っている場合ではない。すぐさま、紫の身体を調べないとならない。無論、ご拝読の皆々さま方のご高閲を煩わすことになるだろう。しかし、ゆかりんが『りんりんりん』する姿を見たくはないか? 汗みずくになって、淫靡な音を立てて、乱れ舞う彼女の痴態を、目に焼き付けたいと思わんか?
(みた―――――)
「――――はぁ、田中君、どんな服が好きなんだろ」
 田中? 田中とは、博麗の巫女の夫のことか? 
(まさか……不倫。紫さまが不倫)
 いや、そんなことをする訳がない。良く考えろ。道徳を重んじるゆかりんが、田中と姦通だと? 胸を揉みし抱き、穴という穴を貫いたというのか?――――では、その田中とやらが、ゆかりんを『りんりんりん』したというのか? ではではでは、我が主は穢れを自ら浴びて、恍惚とするのか?
 許せん、田中。
(阿呆な神仏に代わり、私が天誅せねば……田中め、許さん!!)




「田中、お前ってなんでモテるんだ?」
 妹紅は真剣に訊いた。
「いや、モテてないしぃ~、ただ女が寄ってくるだけなんだよ」
 田中はふざけた答えを返した。
 妹紅は死ねって思った。思ったが言わず留める。胸の中でわだかまるが、火種を落とすようなことは絶対にしたくない。何故なら田中は最高の、パシリだからだ。ねこなで声でお願いするとなんでも買ってきてくれるのである。男は単純である。
 三が日がとうに過ぎ、節分の豆も腐りだした、旧称弥生のはじめ。
 家主の慧音を差し置いて、男女2人――妹紅と田中は、幅3尺8寸高さこれにかなうという紫檀の机、その机の隣りで、ぐうたら兄妹よろしくの怠慢を、気骨乏しく敢行していた。あたかも、ちいさなモスラが這っているように無様な姿だが、無論彼女らは虫ではなく、黙然として日向ぼっこに甘んじる、観葉植物的ものぐさ野郎である(片方は野郎ではないが)。この際思い切って、体中にクロロフィルでも移植すれば、「お日様カンカンうれしいな」――――の、光合成を行えるかもしれんが、……まぁ、そんなバカげたことができる筈もなく、彼らの横寝は未来永劫ムダな儘だ。
 閑話休題。モスラな2人の許へ、堅物おっぱい教師、慧音が参上つかまつる候。
「お前ら、人が働いてるのにどうしてそこまで……愚なんだ」
「慧音がお堅いんだよ。ほら、川の字にならない?」
「ならないッ。人の家の飯を食ってるのに、妹紅っ。すこし手伝え」
 下膊を杖として頭を支える妹紅に頓着する気色はない。一人前のヒモである。
「そうそう怒らないでくださいよ、慧音さん。だって俺、もう少しでデートなんですからぁ」
「泊りがけなのに、そんな余裕でいいのか?」
「いいんです。避妊用具はアッチが用意しますから」
「顧問として言っておくが、手を出すのは1人にしろよ」
「もちろん。それで慧音さん、明後日の夕飯は?」
「はぐらかすな。今ここで、自分は浮気しないと宣言しろ」
「え~いやですよぉ~。だって妹紅も慧音さんもゆかりんもはたてちゃんも魔理沙も輝夜もみんな魅力的ですし」
「輝夜を入れるんだな、田中」
 ブーたれる妹紅。白き髪に馬手をやり、妻を愛でるようにして、ゆっくりと撫でつける。
「妹紅が一番だよ」
「じゃあ浮気するなよ」
「もちろんさ。妹紅、君が一番さ」
 黄ばんだ犬歯を輝かす田中はよろしく爽やかだが、眠たい少女のお眼鏡には適わない。というかおくびをかみ殺し、食指までもひっこめている始末。シカトを決めこんだ妹紅は手ごわいと、己をば恃んだ田中は秘策を繰りだす。
 ……声の調子を整え、彼女の耳元で、
「妹紅、かわいいよ」
 とささやく。妹紅は「やめろよっ」とヘンに反抗する。
 田中の特徴として声が良い、というものがある。妹紅も声だけは気に入っており、妄想の王子様の声優さんも、紛うことなき田中さんである。ならば藤原妹紅、見目良き女と性をうければ、田中の声で一度は「好きだ」とささやかれたいものであって、今それが叶うとなると……身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ―――――といっても、ここで挫ければ外聞がわるくなる。
「妹紅、愛してる」
「ホントに、」
 弱弱しい反抗をするが、目をグッとつむり、身体をぎゅっと縮める。まぶたの裏には、豊頬の美少年。スカイブルーの双眸に、透き通るように白い肌え、眼窩の深さに異国の血を感じ、高い鼻柱に才知あふれる気韻を臭える、余慶を翕然としたが故に生まれた、絶世の王子さま。
「妹紅、かわいいよ。全部かわいい」
「うん……」
「――――慧音さん、妹紅が俺にデレた」
「じゃあ、妹紅を貰え」
 目を開けると、田中さんが……ニヤニヤ笑ってやがる。乙女心をいたずらに芽吹かせやがった、ウドの大木に、妹紅は憤懣する。横隔膜から怒りの炎を吐き出すように、
「田中ぁぁあぁあ!!」と大気炎を放つ。
「ちょ、まて、妹紅!! 俺はただ囁いただけだろ」
「知ってるくせに!! 私が田中の声が好きなの知ってるくせに!!」
「いや、知ってるけど、べつにそれを理由に」
「とにかく――――舌を抜かせろ!!」
「ふざけんな!! てめぇーは閻魔か!!」
「浄瑠璃の鏡なんていらない!! 田中の罪はさんざん私の目に映ってる!! なぁ、慧音!?」
「たしかに田中はセクハラまがいなことは何回も……そう思ったら私も怒りが湧いてきた」
「いや、紛いでしょ? なら、べつに……」
「とにかく私は謝罪を求める。もちろん慧音にも」
「そうやってプリプリすると結婚できないぞ?」
「別にしなくてもいいから、とにかく謝罪!!」

「――――ごめんくださぁ~い」

 勝利の女神の、美妙なる声色である。田中は雀躍して、
「よっしゃグッドタイミング!! 俺は彼女とデートですので、ほら、閨怨でもしてください」
 と沓脱へ向かう。背中にかかる女たちの、怒り、もとい悲愴の声を無視して、勇敢に進むのは、優越の極みである。凱靴を鳴らす積りで、鷹揚に廊下を抜け、玄関。
 玄関には、浴衣姿の紫がいた。金髪をアップに盛り上げて、見目麗しき姿この上ないが…………こんなに寒いのにどうして? てっきり紫宅に泊るのかと勘違いしていた田中は、首をかしげる。
 すると、紫は頬を赤らめて、
「その、田中君、行きましょう? その、地下の温泉街に」
 と恥ずかしそうに呟いた。飛んでくる罵声なぞ、田中の耳には入らない。



 しめった濛気の漂う地下街。
 くもった硫黄の薫りの中、幽かに匂ってくる、焦げたソースの匂い、甘く誘う醤油の薫り、そして、淑やかな紫の香水。しかし、それらを一緒くたに吹き払うように、湿った横風がひゅうと人の間を渡り、紫の金糸をユラユラ揺らした。
 堅い檜をもって構えた冠木門をくぐり、温泉街の大通りを歩く2人。
 湯水の熱気と、往来を闊歩する人々の、暑苦しい熱気によって、恋人握りの2人は汗をも握っており、丹念な紫の化粧も落ちかかっている。
 おそらくこの熱さは、人数も大分だが、軒を争うように商店が築かれているせいであろう。パッと見、あの里と比べると、ずいぶんと窮屈な作り、大八車を二つ並べればイッパイ、といった感じである。しかし、その窮屈さが祭りの宵を連想させ、心を湧かせるものがある。酔歩蹣跚の呑兵衛が歩いているのを見ると、なおさら祭りの観がつよく、ちょっとそこの酒場で1瓶干したい気持ちとなる。
 そのような祭りの空気をそのまま体現したような、割かしデカい芝居小屋は、妖怪、人間、種別の如何を問わず、さまざまな浴衣姿を吐呑し、商売繁盛。その斜向かいに築かれる赤甎の、二階建ては、定番の饅頭から、湯飲み、ガラス細工、ちょっと出典のわからない不気味なモンスターのキーホルダーまである、旅客が溢れるみやげ屋だ。
 ふと、チラリと案内の掲示板を見るに、どうやら繁華街の外れ、そこには、庇に提灯ぶら下げ、遊客を待つ、おおきな花柳街があるのだと云うし、合法な賭場も開かれているらしい。
 遊ぶところには事欠かないようだ。
「…………」
 そんな騒がしい温泉街を、2人は黙々と歩く。前申すとおり、手は握るものの、紫の口ははたとも動かぬ。寒中の二枚貝のように、まったく動かぬ。本日の紫は、今日に至るまでの彼女の中で、一等うつくしかった。菫の花の健気さが映じているように清潔で、白ユリの花弁のようになまめかしい。それに引き比べると、ほのかに上気する頬はいささか幼気を帯びて、いじらしく思える。突いて揄いたい衝動に駆られるが、彼女の手を握るだけで今回は満足しよう。
 紫は緊張している。岡目八目、という言葉もあるぐらいだから、田中の方も紫の緊張をありありと肌に感じ、こっちまで緊張しそうだった。そんなときにちょうど、座敷の空いた甘味処を見つける。田中は咄嗟に安らがないか、隣りの麗人にたずねる。
「あそこ、空いてるみたいですね。いきませんか?」
「え……う、うん」
「……どうかしました?」
「なんか、久しぶりだから、どんな感じに話せばいいのか」
「いつものとおりで良いんじゃないですか?」
「でも、デートだよ……?」
 かなりご無沙汰らしい。田中は妹紅に使った手で、
「大丈夫だよ、紫」とからかう。
「えっ」瞬く間に、頬は紅いを潮する。
 いじらしい答えが返ってくるか? じっと構える田中だが、なかなか答えが返ってこない。ちょっとフシギに思って「どうした、紫?」と冗談半分に口にすると、
「……えっと、『紫』」
「ああ、すみません」
「違くて……その、良かった……から」
「そうですか、意外ですね」
「……じゃあ、お願いしていいかな?」
「何をですか?」
「呼び捨て。そ、それと、もっと荒っぽく扱って欲しい」
「Mっ気あるんですね」
「べつに違います」
「おっ、敬語か。紫は賢妻だなぁ」
「あっ……そうね。今日は恋人だから、その呼び捨てにしてくれる? 田中君?」
「ゆかりん可愛い」
「紫って呼んで」
 怒りを露わにムスッと一文字を決め込むが、ほのかに上がる口の端を見るに、笑みをこらえる仕草にも思える。柄にもなく田中はドキマギすると、それを察したように紫は、「田中君、カワイイ」と、さっきの態度と打って変わって、無理に腕を組もうとする。恥らうゆかりんも良いが、積極的なゆかりんも格別である。
「ねぇ、ほら、いこうよ、田中君」
「ちょっと、胸が……」
「今更、胸なんて、まるで他人みたいじゃない。今日は恋人なんでしょ、ほら、私が財布になるから、行きましょ?」
「ゆ、紫」
「ええ、田中君」
 にっこりして、人波に乗る。



 ひねこびた宿へ、一ト先ず、荷を下ろす。下ろすと言うが、得意のスキマで調達、淑女嗜みの類を紫檀の机に並べ立てるのみで、そうそうの手間はない。お白粉、頬紅、香水、それらに疎い田中も、ちょっと気になって、一ト瓶手に取って見る。薄青の小瓶に満ちるは、大方香水……それに似たものか?
 恰幅良しの旅籠の女が、仲睦まじい二人に宛がった部屋は、二階の隅に位置する畳の青い二間の座敷。何用で替えたか、定かでない、匂いも新しき畳、木理の雄々しい紫檀の横長―――四本の足に若い早蕨を彫り、いかにも恬然と見ゆる。飾り気のない姿見も、一隅にあって、しゃんと立っている。
 活気の声が洩れいり、静寂(しじま)のときは無いようだ。外と内は音にして繋がり、隔たりは眼界のみに存する。おもわず聞き耳を立て、那辺の会話を知りたくなる。しかし、隣りの客間はすっからかんで、梵刹のごとき静寂(しじま)。
 ソワソワ浮き足立つ田中に、見かねた紫が一ト言、「落ち着いて、田中君」と穏やかに言う。
「ああ、すみません」
「敬語はダメよ」
「えっと、ゴメン」
「うん。じゃあ、化粧も終わったし、そろそろ行きましょ?」
「どこに?」
「う~ん、歩きながら決めましょうよ」
 すらりと紫は立ち上がり、それを見たでくの坊もムクリと腰をあげる。女は婀娜な笑みを食み、しなやかな指の先で男の馬手を突っつき、手を握るよう促すと、ぎこちなく男も応え、かろめに握る。
女の肉は誂えたように、男の十指に吸い付く。紅いの鮮やかな唇は、椿のごときダーティーな色合い。ほのかに香る、菫のフラグレンスは、素肌の香のように、無垢な女の体臭にも思える。…………ゾクゾクと肉欲が頭をもたげる。が、二枚貝のようにがっしりと、互い違いに五つの指を噛ませるだけに抑える。紅いを潮す女も、田中のリードに気を許し、つよく握り返す。紫が取った健気な反応に胸が轟き、ゴクリと、生唾を飲み込む田中である。
「いきましょ?」



 郁々たるアベニューを窮屈そうに抜けて、人気のない裏道へ逃げ込む。そこは壁に黒ずみ、土にはゴミ、鬱然とほの暗い軒下で、左側の軒先には流れる人の群れが眺められる場所だ。
仲睦まじく肩を並べた2人は、これといった言葉も交わさずに、一旦ここで安らぐことを決めた。晦日あの日、輝夜に言われたとおり、ツーカーの仲である。
「暑いね、こう人が居ると」民家の翳に浸った紫のかんばせは、汗ばみながらもにこやかな笑みを見せる。「やっぱり違う日を選べばよかったね」
 つめたい壁に背中を預けて、けだるそうに田中はこう答える。
「なんでこんな混んでんだよ」離れた右手は汁を搾ったように汗だくであった。「マジで暑い」
「えっと、アレ、」人を蒸し殺さんとする人いきれ、目まぐるしい人間の波、それらを収める大通りから視線を辷らせ、喜色を濃やかにした紫は「アイドルだってね。ほらっ。知ってるでしょ?」
「最近できた男のアイドルってやつか。輝夜がなんか言ってたな」
「部長、はまりかけてるし。家で歌ってるって、うれしそうに会計が言ってたわ」
「ふ~ん、意外。紫さん――――じゃなくて紫は、どうなの?」
「たしかにカッコいいけど、私には縁遠いかなぁ……って」汗ばむ額をハンカチで拭き拭き、すっかり化粧も落ちて素肌が丸見え。それでも白い肌えに恥らう気色はなく、温泉街独特の熱気に汗ばむばかり。細い首にもおおきな雫が一粒二粒数多く、彼女の腋なぞしとどに濡れて、酸味のきいた陰気なニオイが匂えるだろう。
「ふ~ん。でも、輝夜がそういうのにはまるって意外だ」
「そうね。ライブとか行ったことないって言ってたから、今度みんなでいかない?」
「いや、今度のデート、アイツなんでそんときライブでも」
「……なんか女心わかってないね、田中君って。結構ひどいわ」眉根の辺りに嫌皺が寄って、唇の先を幼く窄めて、見るからにぶうぶう言わす。
 思い当る節…………輝夜への言及だろうか。
「悪い。そうだよな、こんなときに違う女の話なんて」
「そうですよ、ホント」長いまつ毛が重さに枝垂れるように、目蓋を閉じる。「そうやって、いつも、私をいじめて……」
男を惑わす花唇がツヤツヤと、唾きに濡れる椿(カメリア)のごとくヌラヌラと。淫猥で、それでいて純朴で、まるで誘えるようにほころんだ口元は不安げに、熱気のこもった気息を繰りかえす。…………やおら田中は衣(きぬ)ずれの音もなくゆったりと、紫の前へ立ち回る。
「……でも、許そうかな――――って、田中君っ?」目前に男の顔が現れて、戯れに嘯いた紫は、長めの瞳を白黒と、狼狽のていをとる。「えあっ、ゴメンなさい、その、ちょっと可愛かったから揶揄ただけで、ホントに……」男の機嫌を害したかと顔色窺うが、田中の色は変ぜず――――むかっ腹に輪をかけたようにして、右の手を、横っ面すれすれに突っ立て、能面のごときをズイっと近寄らす。人の覗けるこの場所で、よもや…………と、静かに紫は思い定める。静かと言っても想像の内容は激しいもので、ここでは一旦割愛させてもらう。削除が怖いのだ。
「紫さん?」物静かに名を呼ばれ、「は、はいっ!!」と頓狂な声を上げる。緊張もなかば沸点に達し、耳元まで真っ赤に燃え立った。
「その、俺」田中は苦しそうに「もう、キツイです、憚りに行っていいですか?」
「え? う、うん。私はいいけど。……うん、ここまで待ってるよ」
「では、行ってきます」
 前かがみに歩いてゆく田中。
 それほどまでに堪えていたのだろうか、と彼の膀胱の方が心配な紫であった。

  田中を伴い、紫の向かった先は、赤瓦のみやげ屋。特徴的な錣(しころ)屋根を頂いた、わりかし人気の商店だそうで、笑顔の旅客がみやげを手にして、往来に出てくる姿がほほえましい。……冊子片手にまわりを確認しいしい、そびらを翻した紫は、嫣然な微笑を含んでいる。
 用を聞かされずに連れてこられた田中は、色の褪せた看板を示して、
「っで、ここで何するの、紫は?」
「おみやげ、買うんだよ。決まってるでしょ?」
「いや、こういうのは最後じゃないか? あっちで刃渡りの芸をやってるって言ってたし、そっち行かない?」
「部長に頼まれたし、藍にも買わないとだし、会計には借りがあるし……まだまだ」
 と、とかくの理由があるそうだ。うなだれた紫は、「はぁ」ともう一段うなだれる。
「じゃあ、わかった、寄ろう」
「ホント?」
「だって、輝夜がいるんだろ? なら、転ばぬ先の杖だよ。買い忘れるのは嫌だからさ」
「また部長の名前……」嘴を作った紫は、不平の視線を投げかける。
「それ、わざとでしょ? かわいいと思ってませんか?」
「……行くっ」拗ねたようにスタスタと、みやげ屋ののれんをくぐる。なかばで裂かれた紺色のそれには、墨絵の呉竹が白々と、葉っぱを繁らせた姿で描かれている。
「ちょっと、冗談だよっ。子供みたいだぞっ」
 田中の声が聞こえたか、のれんから顔だけだし、まなざしで圧をかける。
なんとも幼稚な賢者さまは、我知らずのふくれっ面。輝夜がこんな顔を見たら、ケタケタ声をあげて指差すに違いない。それについては田中も例外ではなく、ふっと笑いがこみあげて来たので、左右の手で口を隠した。
 そんな田中の姿に、紫はもっとムッとした。
「どうせ……かぐや姫の方が好きなんでしょ」
「は? なんでそうなるんだよ」
「じゃあ、私の方が好き?」
「同じぐらいっ」
「……今日デートなのよ? この、分からず屋」
 のれんから首を抜き、紫は進んでしまう。
卒然わがままとなった紫に、田中は「はぁ」と息をつきつつ、のれんをくぐる。
 お冠な紫はズンズン進んでしまう。おまけに田中を巻こうとしているらしく、商品棚で作られた通路をジグザグ進む。とはいえ、田中と紫の歩幅は全然違うし、浴衣の紫は鼻緒を摘まんでチョコチョコ歩くので、田中にすぐ捕まる……のだが、田中もわるい男で、足を踏む度にあらわれる豊満なお尻の形へ、性欲的なまなざしを浴びせつつ、わざわざじりじり時間をかけて近寄る。焦燥に胸を焦がす紫は、速力をあげて引き離そうとする。田中も合わせて足を速くする。物珍しく二人の追走劇を、他の客も見ている。
 紫はカーブに差しかかり、面舵イッパイにとる。しかし、彼女の眼前を、ちっちゃな女の子が駆け抜けてゆく。そんな出会いがしらに、二人はびっくり。女の子はうしろへのけぞり、紫も前へ転げそうになるが……スッと逞しい肱が伸びてきて、もの凄い力に紫は引っ張られた。なにか固いものにドンッとぶつかって、人肌めいたあたたかさが身体の全面を覆う。とはいえギュッと瞑目していた紫には、なにがなんだかさっぱりである。が、仏像の半眼ごとく、うす~く目をあけて様子をたしかめると、田中のアゴが浮かんでいた。つまり自分は彼に抱きしめられているのだ。おまけに、彼の身体へ自分の胸が当たっている。おおきく歪んでいることも、感覚的にわかってしまう。自分が淫らな女みたいに、田中君の身体へおっぱいを……
「あぶないだろ?」
「…………」
 耳元まで燃え立った紫は、彼の胸元に顔をうずめた。
これが羞恥心の故だというのは、想像に難くないだろう。本来ならばスキマに飛び込み、布団をかぶって泣きたいところだが、田中に抱きしめられているため、逃げることができないのである。そんな訳で真っ赤に染まった顔を隠すには、うずめる外に手段がないのだ。
「怒ってないから。ほらっ、顔をあげて」
「……今はダメ」
 紫の息が胸にあたって、すこしこそばゆい。田中はブルっとかるく震えたあと、フッと或るイタズラを頭に浮かんだ。
 ……それは妹紅同様、恥ずかしさに悶える彼女の耳元で、
「かわいい、耳まで赤いよ」
 乱れた後れ毛を、指の先でクルクルと巻く。それを嫌がってか、紫は小首を振って、「……赤くない、やめて」と恥じらって否んだ。
 田中は彼女を抱く力をつよめる。そうしながら、金糸を弄っていた指先で、今度は耳輪をゆっくりと撫でる。
「赤いって。なんか美味しそう」
「美味しくない……よ」
 初心な反応に田中はニヤニヤしつつも、次の行動へ移った。右の肱(かいな)を腰から上げて、そぉーと露わな白いうなじに、太い中指を這わせる。まるで、柔らかな花冠をひらくように、やさしくやさしく何遍も何遍も。紫の高まった体温も次第に落ち着いてきて、田中は計ったように、
「ナデナデしていい?」
「……うん、ちょっとだけなら」
 鎖骨にアゴ先をつけるとばかりに、紫は俯きながら恥ずかしげに身をはなす。
 と、まぁ吐き気がするくらいに糖分過多のやり取りを、見せつけやがるご両人のその近くに、ちっちゃな女の子がいることを忘れてはいけない。彼女はボー然とバカ二人を見上げていたが、胸の底から吹き上げていた曖昧な激情に、目頭から涙をぽろぽろ。最初のうちは口元をアワアワ言わせていたが、ついに横隔膜からも感情が込みあがって「うわぁぁぁぁん」と幼げな泣き声……である。
 抱き合っていたトンチンカンどもは、ハッとして少女を見る。
「うぅ……ふぅ、うぅう、」
 涙は淋漓として頬を伝い落ち、なんというか壮絶である。
 田中と紫は顔を見合わせ、もう一度少女を見やる。そうして一様に狼狽のていだ。押し合いへし合い、二人して近寄り、
「だ、大丈夫?」
「ごめんね。お姉ちゃんがわるかったわ」
「お姉ちゃん……」と田中はつぶやく。
「え? なんて?」
「いや、なんでも。と、とにかく親御さんにあやまろうっ」
「そ、そうね。……粗品とか渡した方がいいのかしら?」
「バカ、そう言うのはいいんだよ。ともかく、大丈夫?」
 おっきな眼に涙をためて、女の子はおもてをあげる。頬が染まって、眉弓のしなりが伸されている。不平を訴えるように眉根は集まっているが、口元は不安げにあいていた。
「……おじさん、だれ?」
「お、おじさん……」
 まだ二十歳である。……田中はがっくし肩を落としつつも、朗らかな笑顔を崩さずに、
「おじさんはいい人だよ」
「田中君、いい人はいい人って言わないわ」
「じゃあ、紫がやれよ」
「なんか、呼び捨てにしてから横柄じゃない」
「いいから」
「……はい、わかりましたぁ」
 ムスッとしつつも、紫は田中に従い、少女の目線に合わせるように屈む。少女はフシギそうに、金髪の女性を見ていたが、またまたこう洩らすのであった。
「おばさん、だれ?」
「お、おばさん……」
「クッ、ぷっ、おばさんだって……おばさん。クッ」
「田中君!! アナタだって言われたじゃない!!」
「でも、おばさんって」
「バ、バカにしないで!!」
「じゃあ、ツインテールにしたら呼ばない」
「ツ、ツインテール」悪夢のセーラー服事件を思い出し、地熱の熱気に汗ばむ面上を、紫は見事に凍りつかせた。「……そ、それはダメよ」
「じゃあ、おばさんだな」
「おばさんじゃないっ、まだそんな」
「ツインテール」
「イヤよ」
「おばさん」
「じゃない」
 と、徒爾たる禅問答を繰り返してゆくうちに、紫の両目にもウルウル光るものがあらわれ始まる。軽佻浮薄ここに極めりの男に成り下がった田中は、次々と湧いて出る繰り言を綿々と紡ぎ続けるが、ふっと我に返って今の状況を見てみると、
「うぅ……田中君、ひどい」
「お姉ちゃん、泣かないで。このおじさん、アタシが倒してあげるから」
 状況が一変している。勧善懲悪モノのストーリーに書き換わっているのである。これはいかん。が、思い立っても凶日。『時すでに遅し』である。
 ……田中たちのまわりには、ガテン系のオジサンたちがスクラムばりの連結力で、肩を争うように連なっている。人相は似て似つかぬ個性的な面々だが、共通していることと言えば、隆々たる上腕二頭筋、二枚の盾を張り合わせたような大胸筋、すばらしい稜線を描く僧帽筋……と挙げたらとどまることをしらない、斯界に雄視するマッチョの皆さんである。おまけに、指でポキポキ五重奏(カルテット)を組織して、田中への鎮魂歌(レクイエム)を披露する心遣いと言ったら、まことに鯔背な方々ばっかり。田中も後悔なく、奈落の底へ落とされることであろう。
「え、あっ、こ、これはですね。いやぁ……ははははは、なぁー紫?」
「……知りませんから。どうぞ、御貞操にはお気を付けてください」
 紫はぼんやりする少女の手を引いて、みやげ屋を出て行った。そうして残ったのは、ムキムキマッチョな皆さんと、ぎらつく視線におびえる田中だけである。
「え? ああ、マジすか? いや、ほらっ。作風的にさっ。婚活録としては女の子とイチャイチャさせたいわけじゃん? でも、今の状況って、完全にアレだよね? 男同士のアレ。うん、待って。ほら、そこっ、よるんじゃねーよ。――――『よ、寄らないでください』です!! す、すいません。で、でも、その~ほらっ? 俺がソッチの世界に行ったら、あとは百合々々しいモノになるでしょう? わかりますか? この絶望感? え? 人間は赤ちゃんの頃は闇の中にいた? そんな、極端なこと言わないでくださいよぉ~ねぇ~? え? 結構指がキレイだって? ちょっと、はずかしいですってぇ~。は? 顔もカワイイ? そ、そうですか? そう言われたら、悪い気は――――ちょ、ちょっと腕を引っぱらないで!! いや、マジで!! 掘られたくない!! そんな、強引なことっ!!!」



 場所はもどって、古びた宿屋である。舞台は紫たちの部屋と思いきや、その隣り、さきほどまで空き部屋であった、広めの二間である。作りも別段特別なものではなく、黄色い畳をたたんで、色褪せた襖を立てて、背の低い卓子を真ん中に据えた、変哲もない和室である。隣りの部屋と同じく、風景だけは格別に値するが、部屋の質という点で論ずると、中の下。とはいえこの舞台のキャストは、そんな些細なことを殊更論うことはしない。ではなぜ不満を漏らさないか? それにお答えすると、今回のキャストが、
「っで、なんで私がこんなことしないといけないわけ?」
 自称、田中の正妻――――博麗霊夢と、
「不倫だぞ、不倫っ!!」
 粘着質な狐様――――八雲藍と、
「まぁまぁ、二人共楽しもうぜぇ。ほら、探偵みたくね?」
 稀代の楽天家――――霧雨魔理沙の三人だからである。
 いささか説明不足の感が拭えぬために一言ずつ付言すると、藍は当然紫を諌めるために登場し、その藍に誘われた霊夢は手間賃かからぬ観光がてらにやってきて、その霊夢を追ってやって来た魔理沙は、興味本位で田中と紫を探偵しようという工合である。
 各々が各々の目的のために、この部屋を必要としただけで、別段部屋の土壁がどうだの、備え付けのお茶が不味いだの、そんな不満は垂れなかったのである。
 さも涼しげに正座をして、お茶をすする霊夢を見かねて、藍は唾きを飛ばさんとばかりの、熱病めいた雄弁を揮う。
「なぜ、そうも冷静なんだ!! 旦那が不倫をしてるんだぞ!? 不貞を働く夫を看過していいのか!? ここで婦徳を積まないでどうするんだ!! いくら田中を愛してるからと言って、だんまりを決め込んで不倫を宥免するなぞ、許されることではないぞ!?」
「はぁ……田中さんはそんなことをしないから。これは、部活の一環として仕方がないからやっているのよ。おまけに田中さんの返翰にも『デート形式の活動』と書いてあったわ。夫の言葉を信じないで、なにが婦徳よ。それこそ不貞極まるところだわ」
「いまでも紫様とあの野郎は手を繋いでるんだ!! 許せるのか?」
「だから? 私は田中さんと心が繋がってるから」
魔理沙はここぞばかりに「出た。霊夢の名言」と横槍を入れる。
「名言じゃないわよ。本当だもの」
 確信に満ちみちた霊夢の言葉に、さすがの藍も辟易したようで、乗り出した身体を元に戻し、ちいさく肩を竦めながら、
「どこがいいだ、田中みたいな奴が」とひとりごちる。
 胡坐をかいていた魔理沙は、なにか思ったように膝を打って、
「というか霊夢って、本当に田中が好きなのか?」
「え? ええ、もちろんよ」湯飲みを卓子において、念を押すように「もちろん、好きよ」
「ふ~ん、どこら辺が? 最初のやつはアレじゃん、一過性のモノじゃん、たぶんさ?」
「う~ん。今も運命の相手なのは変わりないけど、たしかにあのときみたいに、病気じみてはないわね」
「今でもかわらないけど」頬杖を突く藍は、子供っぽく聞えよがしにぼやいた。
「小豆飯でも食べてなさいよ、ストーカーは」
「私は油揚げのほうが好きだ。なんで小豆飯なんてマイナーなものを」
「油揚げはトンビじゃね?」
「……じゃあ、いなりずし」
 渋々吐き出した藍を見て、魔理沙は口を押さえつつ、「卑猥っ!!」と。
「そう考える方がずいぶん卑猥だな」
「でも、キツネの女って床上手ってイメージがあるけなぁ~」
「……アレは私の所為じゃない。どっかの淫乱キツネのクソアマが、有名になりすぎただけ」
「ふ~ん、でも淫乱だろ?」
「違う!! 断じて違う!! 私は紫様一筋だ!!」
「それもそれで問題があるっぽいけどなぁ~。というか、霊夢の話だよ。っで、霊夢は田中~のどこが好きなんだ? 暗い過去っていうのはなしだぞっ?」
霊夢は「ん~」と唸りつつ、黒目を斜にやって考えて、「私に遠慮しないことかしら」と意外な言葉を返した。
 漫然と聞くつもりでいた藍は、頬杖を崩して背筋をもどす。彼女の真意をわかりかねた魔理沙は、顔をしかめて疑義の念を浮かべる。そんな両者を尻目に、
「だって、私に近づく男は、お為ごかしなんだもの。なんか下心が見え透いてるから、あんまり近寄りたくなかったし。だから、田中さんがあらわれたときは確かに運命の相手だと思ったわ。今も思ってるけどさ」
 事もなげにそう述べたあと、霊夢はお茶を一口飲んで、
「……だけど、今は運命の相手なんていう言い訳じゃなくて、ただ好きなんだと思うのよ。手紙のやり取りでも全然私に気を遣ってくれないし、私が遊びたいって言ってもたまにしか肯かないし……おまけに、断る理由が億劫だから、って言うのよ? もちろん私だってイヤよ? 折角の好意をメンドウの一言で斬り伏せられたらさっ。でもね、ちいさなことに一喜一憂できるって、恋ならではのことじゃないかしら? だって、あの人が笑うと私もうれしいし、あの人が疲れてると私は労わりたくなるの。一緒にいたいって思うたびに、ああ好きなんだなぁ~ってさ。恥ずかしいけどね」
 照れ臭そうに笑った霊夢。しかし、行住坐臥飄然としていた昔の彼女に比べて、今の彼女はとても人間らしかった。少なくとも、長年の友人である魔理沙の目にはそう映った。そう映ると、魔理沙の方もなぜとなく照れ臭くなって、笑ってしまう。
 霊夢は、口に広がる笑みを飲み込むように抑えて、こう二人へ問いかける。
「……恋ってさ。こういうことでしょ?」
「霊夢。これは……正ヒロイン筆頭だぜ。でも、あんまり恋愛論を説くと、失恋フラグがビンビンだと思うけど」
「失恋? そんなのないわよ。だって、私と田中さんは心で通じ合ってるもの」
「……気のせいだ。正ヒロインは、カグヤンだね。いや、待ってカグヤンは正ヒロイン?」魔理沙は数秒黙思し「というか、正ヒロインがいないじゃん……みんな癖がありすぎる」
「それって、自分も入ってるの?」
「私? んなの、入るわけないじゃん。私は、攻略対象外だし」
「癖がないと自認して得意になっているというわけか。なかなか霧雨魔理沙も性根が腐っているな」
「真性ストーカーには言われたくないしぃ~。というか、紫はイヤがらないのかフシギなんだけど」
「イヤがる所以がないが?」
「……そう、なんかいいや。そうだ、風呂入ろうぜ!! なっ? 気合を入れるためにさ!!」
「風呂? ……そうね、すこし汗ばんだし、そうしましょう」
「紫様を追わないといけないんだぞ? そんな余裕は――――」
「――――いいんだよ。ほらっ、そんなすげないこと言わないでさっ、いこうぜ」
 こんなわけで三人は、田中一行を追わずにおおきな風呂場へ行くことになったのだった……



 この旅籠屋には、地熱で沸かした浴場が二つ、男女の区別をもって設えてあった。女湯の紺ののれんを潜り、最初にあらわれたのは意外にも霊夢である。顔色は従容として、はじめての浴場に気負いも興奮も見られない。ここら辺が、霊夢の霊夢たる所以のものである。続いてやって来たのは、藍である。気の進まない顔をして、のそのそと脱衣所に入ってくる。筆者としては、尻尾のことを看過してくれると相当うれしい。そして、最後は魔理沙である。意外にも言いだしっぺの魔理沙が最後にご登場というのはヘンな話だと思われるだろう。が、座持ちのいい彼女でもちょっと苦手なものがあるのである。それは裸だ。人前で裸になることは苦手なのである。なのに『風呂に入ろうぜ!!』と提案するところは、話題を欠かないための努力が、透いて見えると思われる。
壁を巡るように配置されたロッカーの右端に霊夢が、それと対蹠的つまり左端に藍が着てきた衣服を収めてゆく。魔理沙はオロオロしていると、なかばまで脱ぎ終わった霊夢が振りかえって、
「入らないの?」と平然に訊いてくる。
「も、もちろん入るっ」
 霊夢の方へ歩み寄って、ロッカーの一か所にタオルなどなどを詰め込む。そうしてドレス脱いでゆくが、横目で見える霊夢の白い肌を見ていると、おかしな動悸に襲われた。
「なに? 魔理沙?」
 スルスルとまとめた髪の毛を解くと、清冽な白滝が裾を広げるようにして、黒い放流は美しく広がった。艶やかな黒髪は、日本人特有の癖のない直毛で、清潔でありながら艶やかさも感じられる。一方自分は……と、自分の髪の毛を、魔理沙は見てみる。まさしく烟るような金髪と呼ぶべき、色味のうすいブロンド。クルクル毛先を丸めるひどいクセ毛で、湿気の多い地下に来てからうねりっ放しである。一方、金髪と言っても藍は直毛だし、紫だっておそらくそんなにクセはつよくない。
 なんだか異様に自分がダメダメに思われて、人もなげに「はぁ」と魔理沙はため息を洩らした。それを横で聞いていた霊夢は、ほとんど裸の状態にタオルを前掛にして、
「なんでため息なんかついてるのよ。発起人のくせに」
「私がオルグだけどさぁ……」と声を伸ばしつつ、背平を返すと、コッチにうしろを向けた藍も、一糸まとわぬ真っ裸である。おまけに、デカすぎるおっぱいが横にはみ出していて、下膨れ型の輪郭の一部が見えていた。ヒジョーに巨乳である。
 魔理沙は自分の膨らみを見下ろして、ふたたび嘆息を洩らした。
 しかし霊夢はそれを聞き流して、先に浴場へ向かう。それに続いて藍も。
 魔理沙は決心し、衣服を脱ぎ脱ぎ、丹念にたたみつつ、備え付けのタオルを確認。生まれたままの姿になると、手ぬぐい程度のタオルを手にして、風呂場へのガラス戸をひらいた。
 湯気がのぼっているが、狭霧に包まれるほどではない。そんな視界明瞭な中を、自分の貧相な身体で歩くとなると、恥部さえ暴露するような気がして、なかなかポジティブな心境は生まれない。おまけに、ナイスバディ―な藍のまえだと尚更だ。しかし、ここまで来たら諦めよう。
 魔理沙は風呂場のルールに従い、ゴシゴシと身体を洗ったあと、先につかっている二人に続いて、湯船の中へそぉーと入った。温度は普通。殊更、筆を揮うこともない。
魔理沙は二人からはなれるように、浴槽の一隅にすっぽりはまって、膝を抱えた。
 そんな彼女とほぼ対面に位置する狐様は、浴槽にもたれ掛って「ぅん~」とおおきく伸びをした。そうすると、胸に提げた二つの化け物がバシャンとお湯を弾きながら、姿をあらわす。まるで、ザトウクジラのイワシ狩りである。海の底から一気に海面を突き破り、プランクトンやイワシを喰らう、あの、勇壮な光景である。
 偉容な二つの肉塊へ、羨望の視線を向けていると、壁伝いに霊夢が近寄ってくる。
「……やっぱり苦手なのね、裸」
「苦手じゃないけど……ただ恥ずかしいだけだぜ、うん」
 顔の半分を沈めて、ブクブク泡を吹く魔理沙。
「そう。でも魔理沙ってさ、好きな人とかいる?」
「え? な、なんだよ、いきなり」
「私は本当に田中さんが好きだし、好きでよかったって思うわ。だから、魔理沙にも恋愛をしてほしいなぁ~って。お節介だけど、そう思うのよ?」
「……でも、私全然可愛くないしさっ。背も低いし、子供っぽいし、どうせ好きになる人なんていない」
「そうかしら? 私は可愛いと思うけど」
「……慰めはやめてくれ。なんかいっつも思うんだよ。カグヤンには敵わないってわかるよ。それに紫にだってスタイルじゃゼッタイ勝てないし、会計にも足の長さとか顔のおおきさとか……私って、全然魅力ないんじゃないのかなぁ~って思うだ」
「田中さんが言ってたから、魔理沙は可愛いって」
「嘘までつかないでくれ。どうせ私なんてさ……才能もないし、なんにもないし」
「才能ね。魔理沙は私よりずっと才能があるわよ」
 そんな戯けたことを嘯く霊夢に、魔理沙はきっとなって言い返そうとしたが、目を伏せる彼女を見た途端、怒りの矛先がぽきりと折れてしまう。まるで霊夢は本当にそう思っているように、しみじみと感じ入った表情をしている。似げない侘しささえ感じられる。
魔理沙は気になって、
「どこら辺が?」
「……私より明るいところとか、話が上手い所とか、田中さんに可愛いって言われたところとか」
「……ふ、ふ~ん」
「うん、そういうこと」
「そうなんだ」
「ええ」
「ふ~ん」
「うん」


 貞操の危機を免れた田中は、紫とともに繁華街の案内所へ向かっていた。彼らの間に挟まれるちいさな少女は、本当に嬉しそうな顔をして、艶やかな金髪を歩調に合わせて揺らしていた。そんな少女と手を繋ぐ紫の、重たい心境とは裏腹に、少女の歩みはスキップみたいに軽やかだった。
 この少女は、今このときでさえ迷子中であった。出会って間もない男女二人に挟まれても猶、小石を蹴飛ばして喜ぶほどに愉しげである。その傍ら母親然とした紫は、この子の親御さんを想うと気遣わしい気持ちとなって、彼女の笑顔をせつなげに見守るしかできなかった。今頃少女の両親は、この街のそこかしこを覗きまわっていたが見つからず、掌中の玉というべき一人娘を案じつつも、どこかの軒下で探し侘びているに違いない。そう考えると紫は、乳母のような緊張感と責任感を覚えて、ぴったりと合わされた唇を一層かたく結ぶのだった。
 しかし一方の田中は、そんなことを露も知らぬといった風に、
「じゃあ、お母さんとお父さんは、夜な夜なお相撲さんになってハッケヨイするんだ」
「うんっ!! 家の中が、ギシギシ言うんだよっ!! あと、ワンワンみたいにすっごい声出すのっ!! お母さん、すっごいもん!!」
「ふ~ん。なかなか興味深いねぇ。一種の夢遊病かもしれないな」
「ムユービョウ? なにそれ?」
「夢遊病というのはね――――」
「――――田中君。あんまりヘンなことを教え込まないで」
「べつにヘンなことじゃないさ。たんなる病理学的な観点で話すだけでさ。おまけにロボトミーとか、超心理学みたいなモノじゃないんだぜ? なら一介の大人として、子どものギモンに答えるのは尋常だと思うけど」
「尋常でもダメよ。田中君の魂胆はどうせ……アレでしょ?」
「アレってなんだよ? もったいぶるなって」
「この子と……」紫は、眉宇に不快そうな皺を浮かべて、とっても言い難そうに「相撲をとろうとしたいんでしょ?」
 田中は呆気にとられたようにぼぉーとする。一途に向けられる視線に、紫がちょっぴり顔を逸らして目を伏せると、まるでそれを嘲るように田中は笑った。
「想像を逞しゅうするのは勝手だけど、まさか……そんな猥褻なことをねぇ」
 いやらしく眇めた田中の表情に、火がついたように紫の頬が燃え立って、
「べ、べつに猥褻じゃない。ただそう思っただけで、ただそう思っただけよ」と言い訳じみた声が、不器用に放たれた。と、それを聞いた少女が、影ふみに加わるような安楽さで、
「相撲とってみたい!! ギシギシワンワンしたいっ!!」
 屈託のない笑顔を満面にたたえる。ちょっとこれには、猫だましを喰らったように、紫の方でも予想外のことである。が、持ち前の怜悧さを生かして、「ダメよ。まわしを取るのはもっと成長したあと。ちゃんと契りを結んでからにしてね」
一々しゃがんで真率な感じで言い諭すが、
「でも、紫ちゃんたちは相撲してるんでしょ?」と、純な疑問でやり返す少女。
「え?」ビンタを張られたように、ぼんやりとする紫。頭の中では少女の言葉が谺する。『相撲をしてる』つまり、同じ寝具の中で長身の田中と袖を重ねる――――皮下に鎮まった紅が、ほっぺたにワッとぶり返し、「あ、し、してない。してないっ」
「なんで?」
「なんでって……」ひそやかに田中の方を見ると、彼もおどろきを隠せぬようで、なにか言いたげに唇をあけていた。紫は向き直り、「……その、そういう関係じゃないの」と、少女の耳孔へ押し込めるように言った。
「ケッコンしてないの?」
「うん」
「ケッコンしないの?」
「え? ……それは」
 紫自身もフシギであったが、彼女はこのときに、わけなく視線を田中へ転じた。即座に否定してしまえばすぐに終わることなのに、忽ち引っ張られるようにして彼女の視線は田中の方を向いた。すると田中は、冗談を言うときの笑顔をたたえて、
「しちゃうかもなぁ~」
「ホント? いつ!?」
「来週かも」
「今日しないの?」
「じゃあ、今日するか」
 全部、冗談だった。思わせぶりな仕草も、放たれた言葉も、自分に対するすべてが冗談であると、紫にはすぐにわかった。わかったうえで、ちいさな鉛の玉を嚥下したように、胸の辺りが苦しくなった。その、幽かな苦痛に直面して、杳として知れないという態度をとっていた紫であったが、実際は違う。彼には、冗談でその言葉を言って欲しくなかったのである。
 だってつまり冗談だってことは……彼の気持ちは一片とも自分に向いていないということである。そんな風にわかっているくせに紫は、滾々とわき出る想いを胸奥に押し込めて、冷厳と現れた所以のものから目を逸らす。安逸をむさぼる自分は醜怪であるが、その情感でさえ無意識へ沈ませた。そうしてしまえば、この胸の痛みはナゾのままになる。本人がナゾとするモノを、他の者が解けるわけがない。一刹那に迸ったこの想いは、無意識という闇の中で時間をかけながらゆっくりと朽ち果ててゆくのだ。
 少なくとも紫にとっては、そう、あるべきなのである。



 少女を職員へ預けたあと、二人は宿に帰った。玄関口は閑散として、仲居一人とておらず、上り框のワニスの光りがさびしげである。釉薬をかけた白磁の花壺も、行儀よく玄関の棚に置かれてあった。その、壺の表には、青藍の車夫が活き活きと走り回っていた。
それを横目で眺めつつ、田中とともにまっすぐ進む。耳障りな音を立てる階段をのぼってゆき、提灯のオレンジがしみ込んだ長めの二階廊下へ上がると、前に立つ田中がチラリとこちらを向いた。酒に酔ったように彼の背中を見ていた紫は、咄嗟に顔を背け、わざとらしく前髪をいじる。しかし、なにも指摘されない。無言のままである。怖くなったので、田中の方を盗み見るが……彼はいない。先に進んでいた。
「あっ……」ちょこちょこ急ぎ足で、彼を追う。部屋へ戻ってみると、田中は隅の方でなにかゴソゴソやっていた。ここで尋ねるのは、秘密を暴くような気がして、あまり気が進まなかったが、紫は意を決して「なに、やってるの?」と、彼の背中へ問い掛ける。
 すると振りかえって、フシギそうな声色で「風呂だけど……さっき入るって言ってたじゃん」
「え? あっ、そうね、云ってたわね。うん、云ってた」
「……なんか、おかしいですね、紫さん?」
「そう? 全然普通だと思うけど……あと、田中君。今日だけは『紫』って呼び捨てにして」
「ごめん、そうだった」田中はゆるりと立ち上がって「でも……まぁ、俺の取り越し苦労みたいだし、普通だったみたいだ」
「そうそう、私は全然普通だし、杞憂よ。ほら、お風呂入るんでしょ? でもアレよ? 混浴じゃないから期待しないでね?」
「わかってる。そこまでスケベじゃないし、でも、夜は同じ部屋で寝るんだろ?」
「うん。同衾はできないけどね。……あと、お酒もダメよ。酒色におぼれられて襲われでもしたら、たぶん、抵抗できないもの。なし崩し的に抱かれそうだし……」
「んじゃあ……今度、付き合ってくださいよ?」
「田中君ほど飲めないけどね」
 二人は、他愛のない話を交わしつつ、湯船へつかる準備を整える。さきに田中が一通り準備を済ませたので、自分の準備に待たせるのは悪いからと紫は、さきに湯船へ向かわせた。
 それから数分後、紫も用意を済まし、浴場へ向かった。階下の一間が、美肌効果が望めるというお湯を吐き出す、広めの浴場であった。
 ……紫は、女湯の赤いのれんをくぐる。彼女が思っていたより、脱衣所は広々として、開放感がある。麗々しい飾りのない、質素なヒノキ作りも、紫の好感を得た。
微かに匂えるヒノキの香を感じつつ、壁面を巡る棚の一つに近寄る。ふっとなにがなしに横を見ると……どうやらすでに、先客がいるようである。ぞんざいに丸めた衣服が、籠の中に納まっており、紫は失礼ながら『これじゃあ結婚できないわね』と、お節介に思うのであった。
 紫は服をぬぎぬぎ、ちょっぴり自信のある胸元を見下げる。美貌では輝夜に敵わず、等身においてははたてに適わない。が、胸の大きさになれば絶対に負けない。負けない自信がある。
「ふふっ……張り合ってどうするのよ、いまさら」
 と、自嘲めいた声色でひとりごちり、しっかり畳んだ衣服を籠の中へ納める。そうして、髪の毛を縛るピンクのヘアゴムを、細い手首に通して、前身をタオルに隠しつつ、浴場へと向かう。浴場の引き戸越しに、子どもの燥ぐ声が聞こえる。三つの籠が使われていたのを考慮すると、子連れだろうか? きっと泳いでいるに違いないわ。紫は、世間話用の、当たり障りのない話題を考えつつ、その引き戸を開くと……子連れ?の女が黒髪と金髪の――――
「――――って、なんでいるの、アナタたちっ?」



「遅いなぁ……紫さん」田中は座敷に横になり、ぼぉーと天井を見つめていた。本当にやることがなかった。久々の平穏であろうが、友人を囲う愉楽を知り得た田中にとって、これは単なる退屈である。しかし……『あの時』と、まったく同じ経過をたどっている。それはやはり、少女たちの目を見れば顕著に表れている。わけても、紫と霊夢は『彼女』と同じ、同じ目をして、自分の傍に立っている。それは危険だ。あまりに危険だ。この距離感は、必ずや彼女たちに万難の雨を降らせて、追いつめることになるだろう。ならば『あの時』のようにまた……結局、妖怪でも意味が無いんだな。
 唐突に――――数回戸を叩く音が、彼の思案を破った。
「はいっ」
勢いよく身体を起こし、引き戸を見ると、がぁーとひらいて……
「た、田中さんっ」
 浴衣姿の霊夢である。その横には魔理沙、耳を生やした女性は彼女らの後ろに立つ。その女性の右側に、申し訳のなさそうに紫が立っていた。
「なんで、なんでお前らいるの?」
「もちろん運命ですよ」
 臆面もなく霊夢らが部屋に入ってくる。田中は、紫檀の卓子に肘をつき、掌に右頬を乗せる。つまり、不遜な代名詞――頬杖である。
「平然と言うな。っで、本当の話は?」
「……私たちのことを追ってきたみたいなのよ」
 紫は呆れたように言って、田中の隣りに座を占めた。すると、わざわざその合間に霊夢が割って入り、ゆかしく膝を折った。ほのかに赤らんだ肌は、酒気を帯びたようにどことなく扇情的である。と言ってもくっ付いているのは狭苦しいので、ずりずり右の方へ田中はずれる。紫も、煙たそうな顔をして気だるげにずれた。
 そうして田中は、腕を組んで「追ってきたって、どういうことだよ」
 その問いに対して、田中の対面に腰を下ろした魔理沙が、
「主思いの式神が、一計を案じたってこと。もちろん、その主のためだよ。まぁ、簡単に具体化すると、大切なご主人様が色男に寝取られないようにと、コソコソ監視しようってわけで。もし手を出せば、黒豚をミキシングしたコンクリみたいなお汁をぶっかけるか、お熱い熔鉄の海に沈ませるか、って……そんな感じ。んで、そのマスターとやらが紫で、お仕えする式神とやらが、八雲藍その人ってわけよ。なっ?」
「…………」その、八雲藍は不機嫌である。冷たい
「ホント勝手についてきて。藍、あとでお仕置きね」
「お、お仕置き? え? お仕置きですかっ!? お仕置きって――――」
「――――ええ。小遣いをガクッて減らそうと思って」
「そ、それは……困ります」
「じゃあ、今度のときはこういうことをしないでよ」
「今度?」霊夢が神速の反応を見せる。「今度って?」
「え、ああ、ほらまだ一人残ってるじゃない。婚活部のマドンナが」
「紫ぃ~。なんか白々しいぜ、願望がひょこって洩れたんだろ?」
「違うわよ、本当にそう思ったの。邪推するのはよくないわよ」
「紫様、お優しいですね」
「いやいや、ゼッテェーウソだから。もしかして、田中に恋しちゃったのかなぁ~」
「ちょっとやめなさいって、魔理沙っ。そんなわけ――――」
「――――た、田中さんは渡さないからっ」
 紫の方を、不倶戴天の敵とばかりに睨んで、田中の腕をぎゅぅ~と抱(いだ)く。しかし、当の田中はよろこぶわけでもなく、曖昧な顔をして、
「明日、どうするんですか、紫さん?」と、話を逸らした。
「明日? 明日は……」視線を右上へやり「仕方ないから、みんなで回ろうかっ」
「……たしかに、それしかありませんね。博麗もそれでいいか?」
「うんっ。田中さんと一緒に、すこし寄ってみたいお店があるんですよ?」
「ふ~ん、どこら辺?」
 霊夢は嬉しげに、『行きたい場所』を教える。それに対してやさしげに耳を傾ける田中の姿は、まるで番の鳥ののように微笑ましい。一方、それを横目で見やる紫は、必要以上に唇をかたく結んでいた。
 本当は明日も、二人きりでデートの筈だった。しかし、三人があらわれて賑やかになって、二人だけの貴重な時間が減った。つまり今の自分は、田中を除いた三人を邪魔者と思っており、かつ、いなくなればと考えている。そんな考えを巡らす紫は、かるい自己嫌悪を覚えた。覚えていたが、その思案はグルグルと脳内を巡り続け、胸に覚える嫌悪さえグチャグチャに撹拌する。陋劣な思考も次第に正当化され、由のない自信を紫の胸に芽吹かせた。
「――――そうだっ!!」紫の黙考に中断を与えたのは、魔理沙の声だった。「ババ抜きやろうぜっ!!」



「じゃあ、女子組はこっちで寝るから。夜這いなんてかけるなよ、田中」
「そっちこそな、特に博麗っ。夜這いはダメだぞ」
「……どうしてもですか?」
「責任取れないし。じゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
 田中は角部屋に戻り、霊夢たちは隣室に入ってゆく。二部屋取ってあるのだから、わざわざ男女同室で寝ることはないと、特に霊夢が主張したので、このようになっているが、実際部屋に戻り、たった一人になると、すこし淋しい感じがした。……田中は窓際に寄って、赤提灯を鏤める街の、にぎやかな景観を眺めた。
 生温い風に家々の瓦はつねに湿って、丹塗りの灯篭は朦朧な火を燃やす。幾条かの狭い路は人の流れを絶ち、踏み均された地面を夜風に晒す。一筋の川の両岸に植わった、青々と茂った並木の柳は、ゆるやかに地を這う風に、細い梢をユラユラ揺らすのであった。
 すると前触れもなく一つの提灯が光りを失う。そうすると、その提灯から波紋が広がるようにオレンジ色の燈火(ともしび)が、夜半の海のような闇の中へ段々と沈んでゆく。結局、月影も差さないこの街に残ったのは、点々と突き立つ灯篭だけ、かすかにおぼめいて見えるのは、路を歩く人影であろう。
「……寝るか、潔く」
 がさがさ後ろ髪を掻いて、田中は寝室へ向かう。
 すでに一組の布団が敷かれて、枕が二つ並んでいる。御膳立てをしておいたと言いたげに、一つの布団に二つの枕と設えてある。闇の中にぼんやりと浮かぶそれへと崩れるように寝転んで、枕の一つに顔をうずめた。そうして心地よい眠気を、足音のない睡魔の歩みを、じっくり待つだけであった。



 …………いくら経ったかわからない。ただ、辺りも寝静まったようで、物音もせず、部屋の中に闇が重たく鬱積していた。まだ夜であった。田中は両目を見開き、試すようにまばたきを繰り返す。…………と、田中の耳にちいさな寝息が忍び入った。空耳かと思われたが、しつこい眠気が現実の世界に溶けてゆくにつれて、次第に寝息だと明瞭となる。それに合わせて、背中の布ごしに人肌めいた温度を感じられ、夜這いを仕掛けられたことを知った。
 田中は胸の中で息を吐く。……あんなに言ったのに、なんでいるんだよ。
「…………」
 音を立てないように上体を起こして、ゆったり振りかえると……彼は自分の眼を訝った。
 そこにいたのは、魔理沙でも藍でも霊夢でもなく、紫であった。彼女は、行儀よく寝息を立て、彫刻のように眼瞼を結び、呼吸のたびに小鼻を膨らませていた。いまだ夢寐の内かと疑うような、儚さ…………その、美しさ。幻想的な麗人が、そこに横たわっていた。
 彼女の印象的なブロンドは、絹のような柔らかさで頬に流れている。「……紫」人差し指でその髪の毛を動かし、血汐の色を沈ませる右の頬を、和毛を扱うようにやさしさで触れる。顎から耳朶(じた)までの輪郭を中指で撫でたあと、瀬戸物のくすみを拭うように頬骨のあたりを親指で……
「……起きてるよ」
「えっ」
 紫は目蓋をひらく。紺碧の瞳は熱っぽい光りを宿して、蕩けている。闇の中でも赤い唇が、ひどく優婉に歪んで、「ふふっ。びっくりした?」
「え? いや、なんで紫さ――――」
「――――えいっ」
 紫は飛び上がって、田中に抱き付く。その勢いに押されて、二人は重なるように倒れた。オロオロする田中であったが、ほのかに酒の香を感じ……なるほどと納得した。そんな風に納得しつつも、その一方で、淫猥に変形する二つの乳房に、田中は至福のとば口に足を踏み入れ――――かけたが、そこはグッと堪え、
「ちょっと紫さん? なんで酔っぱらてるんですか」
「もちろん、お酒を飲んでるからよぉ」
「マジか……俺も飲みたかった」
「みんな寝ちゃったわよ? 紫も眠くなっちゃった。このまま寝ちゃおうかなぁ」
「それは誘ってるんですか?」
「冗談っ。ちょっと、外にいかない?」
 熱っぽく耳元でささやかれると、まるで操られるように「は、はい」と肯くのであった。



 灯篭の揺らめく火に合わせて、橋の欄干の翳も揺らいでいた。
 タールのような滑らかな川面を、二人して見下ろし、あたかも恋人のような親密さで、二人は肩を並べていた。奇妙なほどに紫は酒に酔っていた。一歩一歩の足取りも危うく、田中の介助が必須だった。
「涼しいね」
「紫さんが飲み……」
 人差し指で制し、「呼び捨て」
「はいはい。っで、紫が飲み過ぎなんだよ、なんでそんなに飲んでるんだ?」
「飲みたいから、飲んだの」
「嫌なことがあったのか?」
「昔のことを思い出して」
「昔?」
「聞きたいの? 昔の彼氏について。なんか嬉しいかも」
「……はぁ、聞いてほしいんだろ?」
「もちろん。じゃあ、話すよ。ちょっと……」紫は田中から離れ、欄干にもたれる。「最初の彼氏は……人間だったわ。人間だけど、すっごく強かったの。私なんて足元に及ばないくらい、すごくね。そんなところに憧れたのかしら……好きって告白したのよ。そうしたら、うん、付き合うことになったの。私は駆け落ち覚悟だったから、嬉しかった」
「よかったじゃん」
「うん、嬉しくて嬉しくて、イッパイ尽くしたわ。そしたら、付き合ってちょうど一年ぐらいかしら。彼が、違う女に子供を孕ませて……私、悔しくて、逃げた。たぶん、全部家事をやっちゃうからダメなんだと思った。だから、次の人に対しては」
「冷たくしたのか?」
「ええ。そしたら、本当に好きなのかって問い詰められて。私、逃げちゃった」
「そっか。次は?」
「次はいないわ。こんなに長生きしてるのに、たった二人しか付き合ったことないのよ。哀れよね…………私って」
「んなら、輝夜は死ねるな」
「ちょっとぉ、また他の女の話? 嫉妬しちゃうなぁ―私」紫は顔を伏せて、ジィーと水面を見つめる。「あのさ、田中君って、付き合ったことがあるって言ったじゃない? その子ってどういう子なの?」
「え? ああ、それ嘘だって言ったじゃん」
「田中君ってウソっ、ヘタだよね」
「じゃあ、知ってどうするんだよ」
「……未だにその子が好きだから、霊夢に応えないんでしょ?」
 田中は吐き捨てるように「とんだ、お為ごかしだな」
「だって、私だって、田中君に告白されたら肯くもの。みんな多分そうよ。部長も、会計ちゃんも、他のみんなだって田中君に好きって言われれば――――」
「―――そんなことを言う為に、ここに誘ったのか?」
「…………」紫は口を噤み、黙り込んだ。
 田中は追いつめるように言葉を続ける。
「博麗に頼まれたのか? アイツに俺の好みを聞いてほしいって、頼まれたんだろ?」
 そんな折柄、ふっと最寄りの灯篭が消えた。途端に暗闇が増し、田中の目から紫の表情を隠し、紫の目からも彼のおもてを奪った。ぼんやりと互いの存在を脇に感じるだけで、他の存在は、ひどく不確かな世界へ落ちてしまった。しかし、紫は好機を得たように思えた。暗闇に潜むやさしい悪魔が、自分の背中を押すように思えた。震える唇を微かに開けて、紫は、
「違う」と、心細げに否んだ。
 田中からは声は返ってこない。息を飲んだ風に、じっと黙っていた。
「違うの。そもそもなんで……そう思うの? 私が、聞いてるのよ? なんで?」
「…………」
「田中君はもし、『仮に』私が」これ以上言ったら、すべてが崩れてしまう。霊夢と作り上げた関係も、彼との友人関係も、全部、雪崩に流されるようになくなってしまう。だが、止まらなかった。溢れる想いが堰を切ったように、口から洩れ出した。
「好きって言ったら、付き合ってくれるの?」
「紫さん……」
「ねぇ? 答えてよ、田中君」
「帰りましょう」
「いやよっ、答えてよ、田中君っ。私の事をどう思ってるの?」
 紫は田中の手を掴む。が、それを振り払って、「俺は博麗が好きだ」彼は投げやりに言い放った。左胸に弓矢を立てられたような、するどい痛みを感じた。紫は目を剥いて、「ウソよ、そんなの。好きな訳ないっ。田中君は霊夢を好きじゃないのよっ」と、頑是ない子どものように首を振る。
「だとしても、少なくとも今のアンタよりは好きだ。だって……」
 そこまで言いかけて、田中は踵を返す。そうして、怒ったように去ってゆく。闇に浮かぶ彼の輪郭が、嚇怒の様相を浮かべていた。
 すぐに追おうと思ったが、「――――紫」という少女の声が彼女の足を止めた。すると突然、色とりどりの光りの玉が浮かび上がり、辺り一帯の暗闇を吹き払った。……おそるおそる振りかえると、霊夢だった。そこに立っているのは、無感情の表情を浮かべた、博麗霊夢であった。
「なんで、霊夢が?」
「なんでって……私が聞きたいわ。そもそも夜這いをしかけた奴に、そんなこと言われる筋合いはないわ。そうでしょ? この淫乱っ」
「よ、夜這いじゃない。ただ話をしようと……」
「―――-ふざけないでっ!! お酒を飲もうって言いだしたのアナタじゃない。もとから寝かすつもりだったんでしょ? ホント、酔ったフリして正解だったわ」
「違うわっ。本当にみんなで飲もうとして……」
「そんなのズルイ、」
 霊夢は歯を噛んだ。紫は最初、その歯噛みを、怒りを殺すモノだと思っていたが、フシギな光りを宿す目頭を見て……己の失敗を悟った。そして悔いた。
「ズルいわよ。言い訳までして、それに、『仮に』って、そんなのあまりにズルイわっ……」
「違う……私は、違うのよ」言い訳がましい。そう思って紫は、洩れる言葉を留めようとするが、ガタガタ口元が震えて、歯の合間から零れてゆく。「本当に違うの、霊夢。これは、違うのよ。私は、私は――――」
「――――好きなら好きって、はっきり言ってよ!! そんな曖昧にするなんて、ズルイっ!!」
「だから霊夢、聞いてっ、私は、」
「なにを? なにを聞くのよっ? 田中さんの好きだった人の話っ? 私だってわかるわよっ!! まだ田中さんが、その人のことが好きなのは!! だから、いつもふざけて真剣にならないのも、私だってわかるわよ!! バカにしないでよ、卑怯者!!」
「だから私はアナタのため――――」
 パチンっと、乾いた音が、水面に落ちた。
「もういいっ。ずっと言ってればいいじゃないっ、そうやって言い訳を……」
 茫然とする紫の脇を、小走りに抜けてゆく。そうすると、色鮮やかな光りの玉は、途端に力を失って、落体の法則に従うように地面へ落ちる。そうして、いとも簡単に砕け散って、当然のごとく夜の中へ融け込んでゆく。




[35704] 地獄の沙汰も顔次第≪輝夜とのデート≫
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:6073e750
Date: 2013/06/14 21:29
【花菓子念報 コラムの欄を抜粋】
 幻想郷を湧かせる大人気アイドルを、君たちは知っているだろうか?
 今日はそのアイドル 六歌星をクローズアップしたい。≪死神の憂鬱質を吹き飛ばす≫をコンセプトにオーガナイズされたアイドルグループだが、いまやそんなコンセプトなんて、熱狂的な人気に地球の果てまでぶっ飛んでしまった。それほどまでに、大注目の6人組グループだ。
 まずメンバーの6人を紹介しよう。

クレバーな笑みが刺激的――――遍昭(へんじょう)

みんなの愛する王子さま――――業平(なりひら) 

舞台に飛び散る康秀汁は、女のジュエリー―――――康秀(やすひで) 

メロディアスな剣舞に、瞳がトロリ―――――喜撰(きせん) 

男なのにお嬢様、コケティッシュなその横顔―――――小町 

みんなの弟、悩殺ウィンクお見舞いするぜ――――黒主(くろぬし)

 この六人合わせて『六歌星』

 このグループ名については、直属の上司(四季映姫・ヤマザナドゥ)へのインタビューによると、≪古今に類を見ない六歌仙をもじったことは明らかだ。しかし、歌に輝く六つの星という意味も、その字面から認められる。死神に付随する暗いイメージからの脱却を狙ったものとしては、大成功を収めている≫これについては、疑問を差し挟む余地はないだろう。また、熱烈なファンの一人(犬走 椛)曰く≪意味のない哨戒に飽きあきしていた私を心から震該させ、これから歩むべき人生のヨスガを作ってくれた。業平様、私はアナタのためなら死ねます≫このように熱病的なファンが各地に多数存在し、今や幻想郷は史上空前の盛り上がりを見せている。この六歌星フィーバーによる、経済効果のほどはまだまだ知りえないが、見込みとしては「3億はくだらない」と、里の長は欣喜雀躍のてい。空から紙幣が降ってくるという戯言を大真面目に言っていたのも、筆者として印象的であった。
 気概高らかに立ち上がったこの六歌星は、上記のように、幻想郷をことごとく席巻し、行住坐臥淀んだ耳目を覚醒させた。そうしてグループ名に込められた『歌に輝く六つの星』は、もはや歌の世界を超えて、幻想郷の深空に輝く綺羅星となっているのである。ほらっ、空を見上げればそこに、彼らは笑っているのだ。
 ほんのすこしここで余談となるが、筆者のおすすめするメンバーを紹介したい。それは――――文屋康秀その人である。フォービズムを思わせるはっきりした顔立ち、腹の腑を揺らす野太い声もさることながら、わけても筆者が雄渾と書き記したいものは、見ていて惚れ惚れする筋肉隆々しい肉体である。あの腕に抱かれようものならば……いや、なにも言うまい。会ってもらえばわかる筈だ(姫海棠はたて)

――――――――――――――――――――――――――――――――

 四季映姫・ヤマザナドゥは待ち遠しかった。
 六歌星がライブを終えて、この楽屋に戻ってくる。そのときに、洗い立てのタオルを業平に渡して『ありがとう』と言ってもらうことを想像し、気持ちが逸っていた。

 直属の部下なのだが、この閻魔さま、みんなの王子さま――業平に首ったけである。もう一度記すが“部下なのに”ぞっこんで、「業平」を様付けで呼ぶのである。

(はやく業平様、こないかなぁ……ああ、もしもカワイイって言われてしまったらどうしよう。本当にどうしましょう。ならば、職権を使って業平様を……いや、それはダメです。そのようなことしたら、業平様に嫌われてしまいます。しかし、頭をナデナデ……あ~されたいっ)

 座敷の上を右往左往、あれやこれや考えていることおよそ十五分。予定より三分遅れで、楽屋の襖がひらかれる。咄嗟におもてを上げると、六歌星のメンバーである。

 六人分のタオルを大変そうに抱えて、彼らに近寄る映姫。先頭の黒主が「ありがとございますっ」と、あおいタオルを手取り、そのあと続いた遍昭、喜撰も、感謝と交換にタオルを取ってゆく。そうして待ちに待った業平が、鴨居に頭をぶつけないようにと、狭そうに襖の合間を潜ってくる。

 汗みずくの彼の身体に、映姫は顔を真っ赤にする。なまじっか裸を見るより、汗にまみれた姿の方が想像力を掻きたてられるのだ。たとえば、暑苦しい熱帯夜に息を絶え絶えにして、彼の腕に抱かれている自分……

(な、なにを考えてるのですか、私はっ!! 不純です、そんな……不純ですっ!!)

「ああ、映姫さま、有難うございます」業平が長い腕を伸ばす。と、従順なメイドのように、「え、あっ、はいっ。これを使ってください」と、洗い立てのタオルを手渡す。

「いつも申し訳ありません」

「な、業平様の為ならこの位」

「様付けはやめてくださいよ。上司なんですから」

「その、業平様が敬語をやめたら……やめます」

「じゃあ、やめてくれるかな?」

「は、はい!! 業平様!!」

「直ってないぞ、映姫っ」
「…………」卒倒寸前、双眸は朦朧とし、焦点も定かではない。しかし、無反応は悪いと「は、はい、業平」と、形式的な返事をする。それはとってもぎこちなかったが……業平はイケメンスマイルを湛えたまま、清々しいほど爽やかな声で「よくできたね」

「わ、わわわわ私、業平様のためならば死ねますっ」

「大げさだよ。というか、こまっちゃんの方を見てくれないかな? なんか吐きそうだってさ。康秀が肩を貸してるから、本当はボクも看たいけど疲れちゃって」

 そう言いやった折柄に、襖から康秀と小町があらわれる。ガタイの良い康秀にほとんど寄りかかった形の小町は、血の気の引いた青い顔をしている。口に手を当てているのを見るに、嘔吐の感を催していることはホントウらしい。ちょっと面倒であるが、業平の期待を裏切るわけにはいかない――――と、頑強な身体を持つ康秀から小町を受け取り、

「大丈夫ですか?」と背中を撫で撫で、大事そうに小町を座らせる。

「苦しい、胸」

「サラシですか、しかし今は外すわけにはいきません。あとで手伝いましょう」

「え、映姫様……あたいのために」

「いえ、業平様の……」両手の食指を突き合わせて、「ためですから」

「…………えっと、じゃあ、いいです、もういいです」

「え? あっ、小町?」

「なんかいいです」

 小野小町もとい小野塚小町は、男性六人組グループ――六歌星のメンバーであった。要するに、男装の麗人というやつである。



 田中が原因で紫と霊夢が喧嘩したという事実は、婚活部にかかわる者たち全員に、またたく間に知れ渡った。魔理沙は言うまでもなく、彼女の友人のアリスも、魔理沙から相談されたはたても、それをたまさか聞いていた文も、それを知り、二人の関係性を危ぶんだ。当然輝夜も知っていた。田中と霊夢とを共に考えれば、色恋沙汰が事件の発端であるということは疑う余地もなく、それと同時に、紫が田中へアプローチをかけたことは明明白白のうちだった。

 いくら色事に疎くとも田中を好いていることは輝夜にもわかる。紫の顔つきを見ていれば、否が応にもわかってしまうし、いつの日か尋ねてやろうと思っていた所存であった。
 だけれども前回のデートでなにかしらの事が起き、田中へほれ込む霊夢と、真っ向からごっつんこ。問いただす手間も省けて、ほしい情報が自ずから飛び込んできたのは嬉しかったけど……とはいえ実のところは、田中と親しくする紫への、子供らしい当てこすりかもしれない。そこらへんはよくわからない。わからないけど、ある一人を真ん中において何か起こったことは、動かしがたい事実であった。

 やっと自分の番に回ってきた模擬のデート。向かう先はもう決めていた。場所は、ライブハウスという大きな建物。そこで田中と一緒に肩を並べてアイドルのステージングをたのしむ筈だった。しかし、知り合いの間に諍いができ、田中と二人きりになることがとても怖いことに思われたので、気の置けない友達だと考えるはたてに「一緒に行ってほしい」と頼み込んだのだった。そうして甘いデートのはずが、結局、男一人に女二人の単なる外遊びになってしまった。

 ああ、いつも通りだ。いつもとおんなじだ……と、無自覚な口惜しさに襲われた輝夜は、足取りの遅い春を待つ、冬の空を振り仰いだ。目今の空は退屈なほどに平凡であった。書くのも忍びない絹雲が横にたなびいて、淡いレモン色の太陽をすこし隠す。だけど全然隠せてなくて、他人(ひと)を責めるような鋭い日差しが、輝夜の双眸を射抜く。彼女は眼を細める。しかし、無粋な光りは執拗に視神経を刺激し、網膜を焼き尽くすようだった。輝夜は目の力で空を押しつぶし、ちいさな息を吐いてうつむいた。

「――――どうした?」と、案外気楽な田中の声が降ってくる。

「べつにぃ……」

「緊張してるのか?」

「ライブは何回も行ってるもん」

「…………ふ~ん、そっか」

≪ここから一人称になります。言い訳もございません、筆者の気分です≫

「うん」

 到底私らしいものとは思えない、奥ゆかしい返事だと思った。といってもべつに自分をガサツだと思ってるわけじゃない。女性的な一面はあるだろうし、ちょっとした母性も持ってると思う。だけども最近の自分だったら、こんなに従順な、バカな犬のような返事は絶対しないはずだ。

 ちょっと前の自分に戻ったような気がした。川の流れのような時の移ろいに一石を投じるわけでもなく、ボォーと川岸に座っていた自分に、タイムマシンに乗り込んで戻ったような気がした。なら、水切りみたいな退屈凌ぎを始めたのはいつからだろう? たぶん、婚活部を設立したときから、それか……田中と出会ったときかしら。たぶんそのときから、私たちは水を掛け合ったり、淡々と流れる川面に石を投げ込んだり、意味もない戯れに時を費やした。その中で、この、ウドの大木に、あの二人は恋をしたんだろう。
 こんな木偶の坊に恋をするなんて憐れんであげたいけど、私だって多分好きだと思う。……多分ね。だって俗説に従えば、異性間の友情は芽生えないって言うし、そう考えたらさ。ずっと一緒にいたい――――っていう友情めいた感情は、恋慕の想いだと思うのよ。 

「すみませんっ!! おくれました!!」

 遅れて登場の会計は、なんか……ユルフワのかわいい服を着ていた。レトロな文様を織り込むクラシカルスカートに、ニットのドルマンを上に着て、その下にはカットソーだと思う、首元に黒いやつが見えていた。それに、高級そうなピアスも片耳にちゃんと付けて、降りしきる日差しにキラキラと輝かせてる。でもなにより……幼いツインテールがない。その代わりに低めに作ったポニーテールを、女らしい首元に垂らして、フェミニン全開。
 地面を踏むたびに花やかな香りが広がって、足元にパンジーでも咲かせそうな女らしさに、バカどもの視線を一身に集めている。

 一方の自分は…………ここでは、説明を省くわ。でも、あれよ? クールビューティー顔負けのあでやかなポニーテールよ。一応おしゃれしてるからね? ブレスレットなんかしちゃってるし、チークも刷いちゃったし、パヒュームだって……わ、私だってスタイルが良ければね、いろんな服着るのよ!! でも、その、会計と並んだら……ううぅ。それに、田中だって掃除箱みたいな身体を持ってるし…………どうせ私は幼児体型だもん。寸胴だもん。
 でも、あれよ。こーゆー寸胴体型も、需要があると思うんだよね。ほら、グラマーなプロポーションが性文化を専らとしているけど、幼児体型の尤物となってしまえば話は別よ。その方面に一家言のある大家どもがこぞって私をほめたたえ、あたかもビーナスのように崇め奉るのよ。
 そして私は、巨乳礼賛主義のステレオタイプを根底からひっくり返し、洗練された寸胴体型を、美貌の精華として書き換える。おそらく過去の遺産となった爆乳の美女どもは、もの狂わしい思いに駆られて反目するであろう。だがしかし天啓に打たれた私は、没義道的な精神、心を鬼に、身体を鋼鉄に変えて、バッタバッタと女どもを斬り伏せる。そうして私は声高らかにこうのたまうわ。

 ≪この世に安寧は訪れた。ロリは正義だっ!!≫と。

 のちの史実には、私の名とともに――――文武両道、気骨にとんだ傑物――――眉目秀麗、独立不羈の一麗人―――――立身伝中の美少女―――――という麗々しい飾りが添えられるに違いない。ああ、待ち遠し。一日千秋の想いとはまさしくこのこと。千古不磨の大偉業をこの手に成さんと逸る気持ちをなだめて、私は顔を上げた。

 田中たちはいなかった。私は置き去りにされた。ちょっと探すと、楽しげに歩いていた。イチャイチャしてた。死ねって思った。嫉妬じゃないよ。ただ死ねって思った。



 私、似合ってるよね……ビッ――――じゃなくて文も大丈夫って言ってたし、きっと大丈夫。一応文は男関係に明るいし……なんだかんだ言っても優しいし、取るに足らない相談にも親身になってくれるし。あれ? 結構良いやつかもしれない。でもまぁ、ともかく自信を持ってぶつかるのみっ。
 持って回った戦法じゃダメ、正面から当たって砕けろよっ。って言っても緊張するし、どうすればいいだろう。どうやって、どうやって田中さんを励まそうかな……

 魔理沙が言うには、前回のデートの雰囲気は最悪だったらしい。笑顔もなければ会話もなくて、たとえば魔理沙が話し出してもほとんど聞いてる人はいなくて。田中さんも、紫さんも、紅白も、同じ極性の磁石のように全然近づこうとしなかった。辛そうに語った魔理沙を見ると、彼女の重荷を肩代わりしてあげたいって思うけど……それはできない。
 なら私が、田中さんを励まして、この事件を解決しようって……考えたけど、男の子を慰めるためにはどうすればいいんだろうか?

 顔を上げると、ライブハウスまであとすこしのところまで来ていた。六歌星のクルーたちも多くなってきたし、たしかこういうときは「手をつなげ」って文が言ってたよね。

 でも、隣の田中さんはとても無表情に人の流れを見ていて、手をつなぐことをどう切り出せばいいのかわからない。しかし、ここで引いたらダメよっ、はたて。自信を持つんだ、姫海棠はたてっ。よしっ―――――

「――――た、田中さんっ」

「ん?」

「え? あ……その、なんでもないです」

 うあぁ~ダメだっ、はたてぇ~。なんでここでグッと踏み込めないんだよぉ、臆病者。そ、そうだ、手をつないだあとに理由を言えばいいんだよ。後付けみたいになるけれど、鈍感な田中さんならきっと疑らないはず。よし――――手を伸ばして、

「た、田中さんっ」ギュッと。

「え? あ? はたてちゃん?」

「その、はぐれたらいけませんから、深い意味とかありませんよっ。べつに他意はなくてですね、つなぐだけですよ? つなぐだけですからほかに意味なんてありませんっ」

 よ、よし言えた。これで大丈夫だよね、文。念を押したほうが勘違いされずに済むって言ってたしね……やっぱりビッチは違うなぁ、尊敬する。

「――――ちょっと、なにイチャついてんのよ、バカ二人っ!!」

 田中さんと一緒に振り返ると、部長が眉を吊り上げて、顔をしかめてる。怖いぐらいにすっごく怒っている。なんで怒って――――

「――――私はのけ者ってわけ? 大体今日は私のデートじゃないっ。主役を置いてくなんて信じられない!! 手なんてつないでさっ」

「じゃあ、はい」田中さんが片手を差し出して、「つなぐかお前も?」

「え? は?」

「いや、はぐれないように」

「なにその言い訳」

「言い訳じゃない」

「言い訳よ。大体そんなゴツゴツした手を握るくらいなら、会計のやつを握るもんっ」

 私の空いた手をとって、「ふふっ」と部長は満足げに笑った。ここは、田中さんを慰めるために女二人でサンドイッチ、のほうがよかったけど……今更、反対側に回れとは言えないし……いいよね。

 今日の部長のコーデは、ハード&ガーリーなガールズパンク。花柄のワンピースの上に黒のレザージャケットを羽織って、細い両足に黒色のレギンスをはかせた、男たちの視線をいざなう小悪魔風。手首のブレスレットもアクセントを加えて、まとめあげた黒髪もアダルティー。おおきな瞳にあわせた薄味メイク、大人っぽいビビットな口紅も、バッチグーであるっ。ミニマムな身体に大人の色香をタップリ含ませたそのギャップに、私的にはハナマルを上げたいところだ。

「なに? 会計?」

「似合ってますね、ジャケット」

「と、当然よ。というか行こうっ!! 遅れちゃうよっ?」




≪ここから三人称に戻ります≫

 もやい船のごとく横に連なった輝夜たちは、鬱蒼とする青人草の中をわけ入って、事前に買っておいたチケットの、狭苦しいベンチの席にまで足を進める。席は前から三つ目、端の通路に接するところで、そこからだと、明かりに照らされるステージはしっかり見える。現在そんなステージの上では、あくせくと働くスタッフの後ろ姿があり、蒸しあがるような人いきれに汗ばんで、ときおり明滅するライトに身体の汗を輝かせていた。ライブハウスは陰気なほどに暗く、息苦しいものであった。

「ここだ……よな?」

「うん、どうして?」

「狭くないか?」

 輝夜は首をめぐらしてフシギそうな顔をこちらに向ける。それにつられて後ろを向いたはたても、こくんっと首をかしげた。恋人握りの掌はすでに汗ばんで、融け合った二人の体液が滴るばかり。考えただけで興奮を催すがそればかりではなく、熱気に混ざった女の香りが田中の鼻孔を責めるのである。もっと嗅げえ~、女の薫香を味わえ~と。

 この空間は、女に満ちていた。野暮ったい女もある、粋人的な女もある、色香をまとう遊妓の姿もある。吐かれる息は大気に混ざり、ほかの女に使われる。そしてその女も吐き出して、またぞろ隣の女がそれを吸う。そうやって能率的に肉の循環を終えた空気は、熱っぽい女の色に染め上げられ、田中の肺をおかすのである。つまり、空気を媒介にした濃密な間接キスである。彼は陶然として、虚空に視線をやっていた。

「ちょっと田中?」

「え? ああ、人数に比べて多くないか?」

「いつもこのくらいよ」

 まるで常連のような口ぶりでそう言って、鷹揚に輝夜は腰を下ろした。それに続いてはたても席に座って、残った田中もゆったりと腰を下ろす。そうすると気づくことがある。このライブハウス、観客のために作られたのではないと。大方、六歌星の人気に押されてなくなく行政が建築したのであろう。ところどころに杜撰な工事の痕を残しているし、なによりもこのイスがボロッちい。

「あの、田中さん?」

「なに?」

「その、手」

「あっ――――ごめん」

「ち、違いますよ。その、大きいなぁ~って思って」

「あっ、そっか」

「はいっ」

 離れかけた田中の手をふとももにおくと、はたてはその掌をやさしく撫でる。田中は驚きつつも、なにも言わずに待っていると、まるで彼女はカラクリ人形をいじるように、爪の先で生命線をなぞってみたり、節ばった中指をしごいてみたり、何回も益体のないことを繰りかえした。

「はたてちゃん?」

「男の人っておおきいんですね」

「それは、女に比べれば」

「気づいてます? 私、男の人に触れられるんですよ?」

 その言い方も、いつもと違う髪型も、人が変わったように淑やかなものだった。田中は沈思黙考を数秒つづけ、やけに慎重そうに「……俺だからじゃないか?」と訊きかえす。

 はたては目をふせる。つややかな自分の爪先を見ているようだった。そうしておもむろに顔を上げて、「ふふっ、たぶんそうですよね」切なげな笑みをうかべる。自分のセリフが彼女の情感になにか及ぼしたのだろうか? 田中がなにも言えずに口をつぐんでいると、矢庭にはたては「じゃあ、がんばらないとっ」わずかにもの憂げな響きがある、明るい声でそう言った。

 田中は言外のうちに責められているような気がした。だからすぐに、

「でも、それでいいんじゃないか? どんな男にふれられるようだったら、それこそビッチだろ」と否定の言葉を吐く。

 はたてはなにか言いたげに唇を割る。しかし、ライブ開始のサイレンが、ちいさな箱に押し込められた女たちのどよめきを破ると、何事もなかったように唇は閉じられた。そうしてルージュの唇は、海底にひそむ二枚貝のような堅硬さで、健やかな白い歯を守るのだった。

「…………」

 今日のはたてはすこぶる愛らしかった。少なくとも田中の目にはそう映り、移り気な自分の心を軽蔑せざるを得なかった。

 蹴飛ばすように紫を突っぱねておいて、どうして自分は……この子をかわいいなんて思えるのだろう。つくづく俺は薄情なやつだ。


暗闇は七色の彩光にやぶられる。
 耳をつんざくばかりの歓声にむかえられたのは、もちろん六歌星の六人。キャッチーなリズムにステップを決めながら、弾みをふくんだ明るい歌声を曲にのせる。それの傍ら余裕さえあれば目配せなんかして、瞳をかがやかせる少女たちの、黄色い声を巻き起こした。
輝夜もはたても熱狂的にキャーキャー言っているし、手振り身振りで贔屓のメンバーの視線を求めようとする。予てからその人気は伝え聞いていたが、ここまで輝夜たちに血道を上げられると、六歌星のスターぶりにははなはだ感嘆の域を超えて辟易してしまう。

「愛してるっ」
「愛してるっ」
「いつか未来でぇ~ボクがキミに誓うから」
「――――GET YOU!!」
「行こうっ!! さあ行けるっ!!」
「どんな今日でもぉ~ふたりならば恋を始めよぉ」

 一曲目が終わり、小休憩をはさむ。忙しなくステージを彩った七色のライトは、乳白色のやさしい光にとって代わられ、興奮のるつぼと化したライブハウスを鎮めてゆく。輝夜とはたては手を取り合い、存分に女の子女の子している。こんな彼女たちを見るのははじめてだった。さぞやこのライブを待ち望んだのであろう。田中は自然に頬をゆるませた。
 するとステージのほうでは、身なりを正した六人が自己紹介を始めるらしく、光りが輪を描くところに立ち、「六歌星ですっ」と息のあった挨拶。それだけで女たちは、パブロフの犬のようにキャァーと。輝夜もはたても例外でない。
「さてっ、」と言ったのは、一番人気のメンバー業平である。田中に及ばぬがなかなかの長身、身体の線は女性のように細いが、ピンッと芯が通ったものがあり、しゃんとする立ち姿は男の田中でも見とれるものがある。面立ちのほうは言わずもがな美しく、幻想郷きっての美男子であるのは明らかだった。そんな彼は、乱れた髪の毛を正しつつ「今回で七回目のライブ、なかなか新曲は増えないけど、俺たちは毎回本気を出して――――」

「――――おいおいおい、なんで最初からそんな真面目なんだよっ」

 ツッコんだのは、はたて一押しの筋肉男子――康秀である。ジャケット越しでも、筋骨逞しい肉体は透いて見え、田中はかるい敗北感を覚えるが、その一方、精悍な顔付きとは違って思いのほか声色は明るいもので、それに対してだけは優越感に浸れた。とはいえそれは、一人で相撲をして、一人で軍配を上げて、一人で祝杯を挙げて……空しい、勝利の味である。

「俺たちのライブのコンセプトは、真面目だからさっ」
 声も表情も固く業平はそう答える。
 しかし、ツッコミの担当らしい康秀は、間髪を入れずに「そんなの聞いてないぞっ!!」
「え? 明日の朝言ったんだけど」
「明日じゃダメだろっ」

 なんだか、背中がムズムズする拙いやり取りである。だが会場は、溢れんばかりの笑いに包まれ、笑声のブリザードが、真顔の田中を容赦なく襲いかかるっ!! 効果バツグンだっ!!
 …………もちろん横を見ると、はたてたちも笑っている。それだけではない、どことなく乙女式に恥じらう風がある。『婚活部では、おおきな口をあけて笑うのにな』と、胸の中で不平をかこつ田中。
 それに加えて、「あれくらい普通だ、俺ならもっと巧妙な……」と悪態をつく始末。蓋しく狭量な、偏屈な男である。
 まぁ、そんな彼なぞつゆ知らず、ステージに立つ六人方々は、憧憬のまなざしを浴びながらそれぞれの自己紹介に入ってゆく。
 最初は遍照、次は喜撰。そうして、歓声が一段と膨れ上がった業平の挨拶。それが終わるとかしましい女の声のなかで、照明にきらめく銀色のマイクは、横でかまえる黒主へと渡る。彼もこなれたように挨拶し、子供らしいまぶしい笑顔を見せた。言うまでもなく、バカの一つ覚えよろしくの反応、鼓膜を破らんばかりのキャーキャーである。こんな風に、めいめい個性的なパフォーマンスで会場を沸かせつつ、テンポのいい自己紹介は、とうとう赤毛の美少年――小町に入った。
「ありがとう、黒主君っ」
 彼は、ハスキーな女性の声を持っていた。女性的な輪郭を持っていた。生えそろう睫は遠目でも黒く見え、弾力に富んだ唇は扇情的だった。あたたかな母親のそれを思わせるように、胸元はかすかに膨らみ、腰から腿にかけての稜線は、天性のものがあった。およそ同性とは思えぬ彼女の面容、一線を越えることを求める、その、唇……田中はごくりと、つめたい唾をのみ込む。咽喉元をスゥーととおって、心の底の、広大無辺な情欲の湖に、ちいさなちいさな波紋を広げた。
 かねがね噂は聞いていた(実はさっき教えてもらった)が、あのように女性的でありながら、完成されているモノだとは到底思わなかった。てっきりもっと女々しい感じかと思ったし、どうせメイクで女っぽくしているだけだろう、と考えていたのだが…………良い方向に期待を裏切られた。
「――――小町には男性ファンが多いんですよ?」
 小町の形式ばった挨拶をしり目に、こともなげにはたてがそう言った。
「なんでも、ホルモン?っていうやつの異常分泌らしいんですって。胸もふくらんでますよね?」
「ああ。輝夜より……言わないでおこう」
「それに噂だと、」はたては俗っぽく親指を立てる。「こっちが対象みたいです。でも、小町と男の人だと、それこそ普通の恋人にしか見ませんよね。手をつないでも全然興味はひかれません」
 なぜかはたては、口惜しそうな口ぶりである。大人気アイドルのラブラブデートに興味が惹かれないとは、記者として恥ずべき言動である。まるで、もっと雄々しく凛々しく男らしく、小町があるべきで、その……男とアベックになるべきだと……いや、掘り進めるのはやめよう。田中の自衛心がそう言い聞かせ、この話に決着をつけるために、
「まぁ、普通にかわいいしな」と。
 すると、
「浮気な男ですね、田中さんは。男の子までも手を出すなんて」
 サラッと紫や霊夢のことをほのめかすはたて。表情に悪意はなく、声にも非難する響きは聞けない。これで揶揄しているのならば、手練手管に長じた名俳優だが、男性を苦手とするような少女が演技なぞできるわけがない。たとえ暗示しようとしても焦りまくって、カミカミがいいところであろう。……田中は、ふっと笑った。
「なんかバカにしてるでしょ?」
「だって、博麗たちのこと……って、俺が言ってどうするんだよ」
「あっ……」はたては失敗を思い知り、「す、すいません。気分悪いですよね?」
「いや。まぁ、これが終わったらすこし話すよ」
「終わったら握手会ですよ?」
「握手会?」
「はいっ」



 いわゆるA〇B商法である。
 グッズを買えば握手会の券がもらえて、利鞘を稼ぐという、幻想郷においては画期的なメカニズムである。この手法を見れば、一世を空しゅうするアイドルグループ――――六歌星の、草案を冥府に投げかけたのは現代人だと認められる。つまり、膏血を汲々とする暴君のごときこの手法は、狡知のはたらく現代人によって行われたことだ。おおかた私腹を肥やして、それで得た金力を元手に、少女を買いあさったり、土地をふんだくったり、いろいろやらかすのであろう。幻想郷で最も力があるモノはやっぱり金で、拝金主義が大手をふるって目抜き通りを歩くのは、尋常なことなのである。意気盛んな慷慨家の出現まで、すべからく我々は、専心私用にはげむべきだ。ビバ他人任せッ!! お金は怖いっ!!
 ……と、田中はたった一人で思案にふけっていた。
 ご苦労千万に蜿蜒とつらなる少女たち、それのしんがりに努める田中からは、急場しのぎでしつらえたテントは遥か遠く、かしましく展開されるアイドル話は鳴りをひそめない。永遠無窮のごとき退屈さで、ずぅーと続いている。田中はあきれた。あきれて、家に帰りたくなった。
 前の二人も亢奮をするようにして、ごくちいさな足踏みをしている。それに加えて、いつもと顔つきが全然違うし、なによりかわす言葉に弾みがある。そんな乙女めいた声色は、岡目からだとちょっとウザい。壁を隔てられたような疎外感もあって、アイドルたちへの子供らしいやっかみがわいてくる。
「あ~はやく握手したいなぁ」
「ですねっ。顔覚えてますかね?」
「たぶん、絶対覚えてるわよっ」
「たぶんと絶対って……どっちだよ」
 ぼそっと悪態をつくと、輝夜は思い出したように瞳の色を冷たく変えて、
「もしかして嫉妬? 豚が獅子に嫉妬するみたいね」
「おいっ、豚って俺か?」
「業平と田中をくらべてるのよ?当然中の当然。咫尺の的を射るがごとしよ」
 なんだ、その、憐みの視線。まるで醜い子豚の子を見るような……
田中は頬をひきらせつつ、
「ぶ、豚だって美味しんですぅ~。百獣の王(笑)よりマシですよ」
「弱肉強食を受け入れたのね。カンシンカンシン」
 うんうんとうなずく輝夜。ピクピクと田中は額に青筋を走らせて、
「……貧乳が。てめぇは赤子にあげる乳もねぇーくせに、百曼陀羅に慢罵を垂れやがって」
「妊娠すれば出るのよっ、バーカ」
「ふんっ。骨格の関係でできるか怪しいがな。幼児体型だし、傲慢だし、コウノトリだってとんぼ返りを打つだろうな。あんなつむじ曲がりのへそ曲がりのところなんて、こっちがゴメンだってなっ」
「はっ? できるしっ。楽勝だしっ!! 何人でも孕みますっ!!」
 恥ずかしげもなく大声でそんなことを言ったので、周りが一斉にざわつき、物見高な視線を振り向ける。田中はチクチク視線の痛みを感じるが、一方のバカもとおい輝夜は鼻息があらくして、まったく気付いておられない。こいつは不感症らしい。
 そのように荒ぶる輝夜をなだめ賺すように、彼女の隣りのはたてが、
「ぶ、部長落ち着いて。豚はひど過ぎますから、その、キリンで勘弁してくれませんか?」
 勘弁って……俺がお願いしたみたいじゃん、と田中は思ったが、そこは留めて輝夜の顔を見てみると、顔面に広がっていた怒りの色は段々とほぐされてゆき、無地に戻ると一転、冷淡で狡猾な嘲笑の色をなした。
「たしかにね。キリンならばいいかもしれない。バカの一つ覚えみたいにむしゃむしゃ枝葉を食って……くっ。お似合いだわ、ほんとっ。キリン君ぅ?」
「ならお前はフェレットだな。そこらじゅうをチョコチョコ走り回って、益体のないことばかりする。やることと言えば、クソと飯と寝るだけだよ。ものぐさ太郎そこのけのニートだもんな」
「なっ、またバカにしてっ!! 私はニートじゃないし!! ちゃんと家から出てるしっ!!」
「それは部長……引きこもりから脱しただけで」
「うるさいっ。それなら会計は……カラスねっ!!」
「そのままじゃね?」
「うぅ……そ、それはぁ」
 輝夜は弱ったようにはたてを見る。はたても戸惑って田中を見る。
 日の目を取り込みキラキラ輝くはたての瞳に、ヘンな責任感を覚えた田中は「ムササビ系女子だよっ!!」と意味不明なことをのたまう。そうすると女子二人は、豈はからんやとなんとも言えぬ顔をして……
 咄嗟に田中は失敗をつくろうように、
「いや、ほらっ、ムササビってかわいいじゃん? だからムササビ系女子っ」
「私と全然違うじゃないっ!! なにそれ!!」
「待つんだ、マグマっ。フェレットだって十分かわいいぞ。ほら、想像してみろよ。チョコチョコ周りを走り回ってる姿を……うわっ。震い付きたくなるな」
「べ、べつにかわいいって言われたいわけじゃないし…………」
 一度はそう言って目を伏せたが、矢庭に顔を上げて、
「だ、だいたいっ、田中が全部悪いんだからっ!!」と唾きを飛ばすように言い放った。そして「もう知らないっ!!」と言い捨てて、くるんっと踵を返した。
 はたては爪立って、田中に耳打ちをしようとする。しかし全然身長が足らず、はたては困ったように眉をひそめた。これを見てもどうか……飛べばいいのに、と無粋なことを思わないでほしい。
 はたてが、頑張って耳打ちをしようとすればするほど、意外と豊かなDカップのお肉が、むにゅうと彼の体に触れるのである。それにはたての面上で一番映える表情は、すこぶる困ったときの、両の眉を情けなく八の字にして、黒目がちな瞳をそれこそムササビのようにウルウルとさせた、その表情なのだ。心もとなげに唇をいささかすぼめるところも……えもいわれぬモノがある。唐突に唇を奪いたい。そして、ポカンっと口をあける彼女を眺めたい。のぼせ上がるように段々と顔は紅潮してゆき、はたてがアタフタとあわて始めるのを眺めたい。だがしかし、彼女がなにかを言うであろう。「い、いきなりなんて」とか「ひどいです」とか。もしかしたら甲高い声かもしれないし、泣き出しそうな震えた声かもしれない。だが、なんであろうとも、そこで彼女をギュッと抱きしめて、なだめるように耳元でこうつぶやく。
≪あいしてる≫と。そうしてはたては「実は私も前から……」
 田中の中でのはたての存在は、お嫁さんにしたいランキング一位の女子であり、お帰りのチューグランプリの優勝者でもある。この他にも、お弁当を作ってもらたいコンベンション栄えある第一位、いっしょに縄跳びをして汗を流したい相手大会、審査員特別賞(優勝は紫)、その他もろもろ……なかでも、もっとも紹介したいのは―――――
 ―――――ちょっと要領が得ないので、お楽しみのところ悪いが田中君の妄想をここで割愛させてもらって、つまり現在、妄想大臣ならびに変態官僚の田中君の身を、おっぱいの接触とはたての困り顔との連携攻撃が襲っているのである。さすれば、これを逃すバカがどこにあるだろうか? すべてを受け止めてこそ、ホンモノの漢になれる。なので田中は膝を折ったりせず、素知らぬ顔で長蛇の列を眺めていた。
 するとはたてはあきらめたようにしょんぼりとして、輝夜同様くるっと向き直った。が、バネ仕掛けのようにすばやく振り返り、
「田中さんはだれと握手するんですか? この先で6つに分岐するので、決めとかないとダメですよ?」
「俺? 俺は――――べつにホモじゃなけど――――小町とだな」
「そうよね、小町よね」
 ちょっと不機嫌そうなものの、好意が隠見する声で輝夜はそう言った。
ほんとうに輝夜はこのグループが好きなのだろう。田中はちょっと口の端を緩ませた。
 それを認めた輝夜の方は、憤りに似た羞恥心を、「べ、べつにお前が誰と握手してもいいからっ」と、知らず知らずのうちに強気な言葉に押し込めて、バシッと田中へぶつける。
 しかし受け取った方は、尚もおだやかな笑みを浮かべていた。一種、不気味とさえ思えるのだが、当人は気づいていない。それが田中である。
「な、なによっ」
「いやぁ~なんでもっ」
「じゃあ、いいわ」そう言って、もったいぶったように「いいこと教えようと思ってたのに」
「いいこと?」
「ええ。小町には君付けのほうが良いってことよ」
「え? ああ、ありがとう」
「あっ……」ハッとして輝夜は口を押える。「……言っちゃった」
「部長、かわいいです」
「か、かわいくないっ!! 全然かわいくないしっ!!」
「なんかマグマってズルい。なにをやってもかわいいし」
「田中っ!! ゆかりんみたなかわいい責めはやめて!!」
「いや、でもかわいいし。いやマジでかわいい。やっべぇ~惚れ惚れするほ――――」
 ――――ドスッと重たいメリケンが、レバーにフックで。
「やめろ。マジでやめろ」
「てめぇ……えぐり込んだぞ、マジで」


 さて、右フックによる暴力沙汰はあったものの、無事に三人おのおの方は列に並べることとなった。プレゼントを事前に買っておいた輝夜とはたては、安っぽい段ボールのプレゼントボックスにやさしくそれを置き、銘々の推しているアイドルの行列、つまり輝夜は業平へ、はたては康秀へ、あたかも玄人のごとき凛々しい面持ちでならんだ。
 一方の田中というと、下腹部にじんわりと違和を感じつつ、男ばっかしの小町の列に並んだ。最後尾なのでまだまだ時間がかかりそうだったが、暇つぶしの小説を持ってきたから、遅々として前進しない行列も、言うほどに苦ではなかった。ただ、輝夜のレバーフックがちょっと……アレだ。
 そうして、Sっ気たっぷりな官能小説に読みふけっていると、ちょうど凌辱のシーンの『オラオラ感じてうんじゃねぇーのか』の段で、やっと田中に握手の番が回ってきた。
 はたて曰く「一番最後だと長い時間、話せます」らしいが、今の田中にはうれしくない。だって、『オラオラ感じてるんじゃねぇーのか』のシーンのあとは、やっと強気なヒロインが闇に堕ち、淫乱な言葉を吐きまくるのに……そんな、亢奮の最高潮の場面で「待てっ」されたのである。とっとと握手を済ませて、小説の続きを……と思ったが、熱病的な男性ファンの背中が滑るように横へ動くと、小町のきれいな顔があらわれ、不純きわまる炎のような亢奮は、風にさらわれたロウソクの火のように、ふっとかき消された。
 近くで見ると、猶々同性とは思えなかった。
 キメの細かい肌もそうだし、ワインレットの双眸もそうだ。姉御肌の女性を思わせるさっぱりとしたもので、男性では持ちえない色香がひそんでいる。その一方、色味の薄い唇には幼っぽさも残っており、すこし長めの門歯がかすかに見えていた。肉の滴りのような耳朶には、輪型のピアスが飾られており、西に下がった太陽にキラキラ輝いている。
「あれ? 新顔さんだね」
「え? ああ、友達に連れられてライブに来たから、一応握手をしようと思って」
「なんか仕方なくって感じだね」
 小町はスッと手を差し伸べた。心のうちでは躊躇しつつも、なおざりに付すのは良くないと思って、田中はその手を取った。彼の右手は異様に熱かった。が、それ以上に、握ったときのふくよかな柔らかさが、田中の情感に訴えた。
「でも、友達って女の子?」
「まぁ」
「業平でしょ?」
「一人は」
「え? 一人はってことは、女の子は二人以上いるんだ?」
「いや、ふたりだけ」
「へ~意外とやるんだね、君っ」
 彼は関心げな態度を見せたが、うまい具合に握手の手を引き抜く――――それと同時に、茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべて、「でも今度からはボク一筋でね?」とあかるい声で言った。
 しかし、田中はさえない表情をうかべた。小町の言葉が、作り物のような含蓄のない音色で聞こえたからである。何十回、何百回と繰り返されたが故に、最初の子音から最後の母音まで、舌の筋肉が空に覚えてしまい、主人の詔を受けずとも反射的に吐かれた言葉に思えた。
 彼はほんとうに、自ずからこの位置をえらんだのだろうか?


 小町だって好きでアイドルをやってるわけではない。
 上司からの命令をうけて仕方なくやっているだけで、べつだん男装趣味があるわけでも、アイドルに憧れていた――――たしかに女性アイドルへの憧憬はあるが――――わけでもない。船頭に収まっていた方が数倍楽だし、サボれるタイミングがふんだんにあるのだ。だけど、死神系アイドル『六歌星』なんというバカげたモノをお偉いさんが打ち出したせいで、組織を支える末端が馬車馬のように働かなければならず、こうして不幸を蒙っている次第だが、そもそもの話、自分を選出すること自体、門外漢を選ぶがごとしのお門違いではなかろうか?
 だって、自分は女だ。紛うことなき女だ。恋愛対象もマジョリティーだし、それに、結構かわいいはずなのだ。それの証拠に、船頭時代には口説かれたこともたびたびあった、くわえて、同僚からもアプローチをかけらたこともあったし、一回付き合ったこともある。
 なのになぜ、女性の自分が、男性アイドルに選ばれてしまったのだろうか?
 おそらく、名前がたまたま同じ、ってだけで選ばれたのだろう。それに加えて、異様にクローズアップされるサボり癖にかこつけて、どっかのバカが自分に押し付けたのだ。
 ようやく今日の仕事を終えた六歌星は、八畳間の楽屋に戻ってくる。皆が皆、どんよりとした面持ち。鮮やかな光彩に彩られた舞台上での溌剌とした表情は一切なく、押しなべてふかい憔悴を浮かべていた。とはいえなまじいに容貌が整っているためか、一種の哀愁を帯びており、一応画にはなっている……
しつらえられた座敷の上に当の小町は崩れるように腰を下ろし、すぐ横の康秀の右肩にもたれかかった。
「ちょっと、こまっちゃんっ」
 戸惑ったように康秀は言うが、いっつものことなので、顔の方にはあんまり真剣みはない。完全に緩み切って、大人気アイドルの風体とは思えぬアホ面である。おっぴろげな鼻の穴に、指先を突っ込みたい心持……淑女と誇負する小町は、グッと思いとどまる。
「……ヤスさんの肩を借りるよ」
「つーか、こまっちゃんも物好きだねぇ。男装なんて」
「あたいはやりたくてやってるんじゃないんでね。どっかの閻魔さまが無理やり、だよ」
小町はチラリと、隅でくつろぐリーダーの方へ、気だるげな視線を投げた。
 業平はいつなんどきもカッコいい。どんなに疲れているときも、高らかに歌っているときも、ダンスを間違えて恥じるときも、なにがあっても様になり、どんな失敗も成功に見せてしまう。おまけに、戦闘力も全死神の中でトップクラスに入るらしく、噂では、上司の閻魔様でさえも裸足で逃げ出す強さらしい。ぞっとするほどの、完ぺきな男である。
 たしかに完全無欠の超人、業平をもってすれば、頑迷固陋の代名詞≪四季映姫・ヤマザナドゥ≫に、身を焦がすような恋心を錬金することは、指先を動かすように至極簡単なことなのかもしれない。だから映姫が己の分際をわきまえず、恋愛しても気にはならないし、況やおだやかなまなざしを送って、心ひそかに応援してやってもいいぐらいだ。だって、恋する少女は可憐ではないか。
 だけど……ちょっと今の映姫はいただけない。
彼女の贔屓は著(しる)く、業平にだけ手作り弁当を作ってきたり、私費のプレゼントをしたり、もうアレだ、貢ぐ女である。とはいえ、べつに貢ごうが当人の勝手、本質的にこちらに関係はない。まことに結構千万なことなのだが、所構わずそんなことをやられたら堪ったものではない。いつの日か、滅法界に無法をはたらく天狗にすっぱ抜かれて、鼻を明かされることは火を見るより明らかで、ちょっと怖い心持ち。
 現に今だって…………
「業平、このあと空いてますか?」
「え? ああ、空いてますよ」
「ほ、ほんとですかっ!? なら、すこし寄ってみたい服屋があるのですが、」
「そういえば、俺も服がほしいなぁ」
「え? そ、そうですか。ならば、その序でに」
「いや、いいですよ。映姫様のショッピングに付き合いますから」
「付き合う……ですか」
「ええ。嫌でした?」
「いえいえいえ。うれしいですよ……二人だけなら、込み入った話ができますし」
「じゃあ、今日の夕飯はどこかで一緒に外食でもどうです? 個室でもとって」
「個室……業平と私……」

「また映姫様の病気だよ、こまっちゃん」
 康秀が首を振って、呆れたように言った。当然、同じように小町も呆れていた。というか呆れるほかに為す術がなく、間違っても容喙するようなことがあれば、社会的な刎頸にあって、路頭に迷って道塗に飢凍する、その序でに女子供からは軽蔑のまなざしを投げかけられ、男どもから手厚い暴力が……考えただけで、背中が寒い。
「ホント、業平、どうなの? アレ?」
「まぁーほおっておくのが一番だよ、ヤスさん。触らぬ神にたたりなしってね」
 洒脱ないいぶりの小町に、康秀は関心げな声をあげる。
「へ~慣れてるね」
「それはサボタージュをするたび、叱られてたからね。人間万事学習ってやつさ。孔子先生もそんなこと言ってたような、言ってなかったような」
「かわいい顔して、あくどいねぇ。札付きの悪党だよ」
「お互い様。ムダな筋肉の使えてうれしいんじゃない?」
「ムダって言うなや。意外と好評なんだぜ」
「なにそれ? あたいは知らないよ、そんな話。口を開くたんびに、与太るのはほどほどにね。俗諺に、ウソをつくと舌を抜かれるってあるじゃないか」
「舌を抜く閻羅もとい映姫さまがへべれけじゃ、抜けるものも抜けないと思うけど。まぁ、その話はおいといて、今日も来てたよ。あの……はたてちゃん」
「ああ、えらい別嬪って言ってたねっ」
 緩んだ声に張りがもどる。なんと言っても小町も女子の端くれ、恋バナには興味津々、胸を沸かせるものがある。
「うん。すっげーかわいいんだもん。天狗なのに清純っぽいところがね、なんとも言えない。あ~デートしたい。でも、彼氏がいるみたいなんだよっ。はぁ~心狂いなぁ」
「ならあたいだって、珍しい男が来てたよ。……べらぼうに背が高い奴さんがいてね、声もよくてびっくりしちゃったよ。女連れって聞いてなおさらだった」
「背が高い、女連れ……あれ、それってはたてちゃんの隣りにいた男……じゃない?」
「え? そうだとしたら、あの奴さんが言ってた女友達って、はたてって子なんだ」
「うおっ。これってチャンスじゃね? 人事を尽くして天命を待てって、これのことなんだよっ。というか、こまっちゃんがキューピットになって、はたてちゃんと俺との間を取り持ってくれれば……いいんじゃん、いいじゃん。ヤバいじゃん」
「取り持つって、どうやってさっ? あたいにはとんと思いつかないねぇ。アイドル活動で手一杯っていうのに、そのうえキューピットなんて。……縁結びの神様じゃないだよ、あたいたち? 一応、死を司る神なんだっ。エジプトじゃ、死人の心臓と女神の羽根を天秤にかけて、亡き魂(なきだま)の行く先を決めるっていうじゃないか。なら、エジプトに行ってハートでも、頭の中でも見てもらいなよっ。そんなら羽化登仙の気持ちで、ヒラヒラ天国行きさっ」
「なんだよぉ~いけずなことを言うなよぉ~。その男と仲良くなればいいんだよ。小野塚小町としてさ。見た目はいいんだからさぁ~頼むってっ」
「そんなの絶対ごめんだよ。あたいは一途な女でとおってるからね。そん な風にヤクザなことはやらない。慧眼をもって鳴る一大女子なんでね」
「よく言うよ。腐女子のくせに」
「それは関係ないだろっ!! 腐ってても鯛って言うしいいんだよっ!!」
「自分のことを鯛か……」
「……そんなこと言うんなら、やんない。はたてでもほたてでも好きなだけ食えばいいさっ」
「なっ、ちょっ。いやマジで頼むよ? ほら、あとでなにか奢るからさ」
「本当かい? なら考えてやらないこともないが……」
「じゃあ、頼むよ。俺は憚りに行ってくるから」
「え? あっ、ちょっと…………って行っちゃったよ」



 というわけで、当たって砕けろの猛烈アタックである。
(これって……ナンパってやつだよね。小町、こまっちんぐ)
 ライブの熱冷めやらぬ大通り、それの四ツ路の大きな建物の陰、そこからそぉーと顔を覗かせ、あの男がいないかうかがう小町。上背のある彼だからすぐに見つかると思ったら意想外、ちょっと気骨が折れそうだ。この通りには居ない模様だし、もしかしたら帰ったかもしれない。
(付き添いってことは、グッズ店かなぁ……)
 思慮派ではなく、断然行動派の小町は、その予想に従って、そこから南下し五分の、こじんまりとしたグッズ店へ向かった。
 ライブ終わりのファンたちを吸収し、その小柄な腹腔にたらふく貯め込む。そして人いきれに雲が出来そうなほどの熱気、人もなげに飛び交う黄色い俗談、鼻をつく濃やかな少女臭…………桃色の肉の壁がふりふりと小尻を振って入り口を守り、半間な考えのウスノロさんには介入を許さぬ修羅の巷と化している。ライブ終わりのグッズ店は、汗ばんだ無法地帯である。
(さすがにここにはいないかなぁ……)
 小町は顎をナデナデ次の推測を立てていると、端無くも、目の端に高塔のごとき男を発見。アレは、例のアレだ。それが、民家のぐるりを巡る木製の塀の、薄汚れたベンチの上で、黙々と本を読んでいる。
(……これは、話しかけ難い)
 小町はあれこれ手立てを考えていると、或る少女がいかにも嬉しげに、スキップを踏みながら男のもとへ向かう。両手にグッズをイッパイ持って、ながい黒髪を歩調に合わせて揺らしている。ちらりと横顔をながめただけでも、目見うるわしき美少女ということが知れた。しかし……はたてと名が付く少女は割かし背が高く、髪色も色素のうすい感じで……どうやらアレは、あの男が言った「もうひとり」らしい。小町は塀の壁にスッと隠れ、ピンッと聞き耳を立てる。それから、ゆっくり顔を覗かせ、ふたりの様子をながめていると、長身の男が文庫本を閉じ、
「はやいな、お前」
「ほしいものは決まってたし。見たい?」
「べつに」
 男のすげないセリフに、あどけない面立ちの黒髪は唇を衝きだし、
「見たいって言ってよね、一応デートなんだしさぁ。彼女を楽しませないとさっ」
 当然小町はこの言葉に、ハッと息をのんだ。友人と来ていると説明が有ったはずなのに、その実は恋人。友人でありながらデートをするという不埒な輩でない限り、ベンチの上で睦びあう恋人同士なのだ、あのふたりは。では、はたての存在は?
 長身に反感を抱きつつ、一種の好奇心に中てられた小町は、いっそう耳を澄まし目を澄まし、ふたりの会話、一挙一足、目の使い方までしっかりと、脳みそフル回転で推理してゆく。
…………少女の言葉に、男はちょっぴり笑う。口の端に皮肉めいたものが浮かんでいる。
「抱きしめてやろうか?」
「どうぞ?」
 と言った少女は、肉感の乏しい左の耳に小鬢をかけ、男同様大人っぽい冷笑的なものを、口の端に浮かべる。男は、背表紙を指で打ってリズムを取りながら、
「今日は強気だな?」
「だって彼女なんでしょ?」
「そうだけど、はたてちゃんに見つかったら指を差されるぞ?」
「もともと、ふたりだけなのよ? なら、ほらっ? 抱きしめないの?」
「……俺の扱いがこなれてきたな。自分で言うのはなんだけど」
「そうそう、田中の習性って、いちど要求を呑んでしまえば後ろめたさか何かを感じて、ソレを実行しないのよねぇ」
「俺をキリンみたく言うな。習性ってなんだよ」
「習性は習性じゃない。いっつもエッチなちょっかい出す癖も、コノ例にもれず習性よ?」
 と質問系の語尾。それから付け加えるように「そうじゃない?」と、挑発的な笑みを口に食む。それは、得てして妖婦のやりがちな熱っぽい諂いのようなものだった。
「……ハア、何やっても絵になるな、お前は」
「ソレってほめてるの? バカにしてるの?」
「ほめてるつもりだが」
「ふ~ん、なんかウソっぽいなぁ」と、胡乱な男を見るように目を眇める。
「……モウ少し自覚を持とうぜ? お前、結構かわいい方だぞ?」
「女の子に会う度に言ってない、それぇー」
 頬を膨らせ、少女は足元の石を蹴る。行き掛かりの人にぶつかった。ぶつかって、また足元に帰ってくる。ちょっとした偶然に少女は嬉々として、
「さっきのスゴクない?」
「すごいかも」
「なんか無愛想っ。そういうの嫌いだぞ~私ぃ~」
「じゃースゴイよ。ほんとスゴイよ、輝夜さんは」
「投げやり。モットちゃんとほめてよ」と、
冗談半分に膨れっ面を作った少女の、その肩に男の雄々しい右手が伸びて、人目をはばからずにギュッと、彼女は抱き寄せる。少女は逆上(のぼ)せたように顔を真っ赤にして反抗するが、男はニヒルな微笑を口の端をゆがませつつ、なにか、一言二言囁くと、彼女は赤面しつつも悄然(しょんぼり)とし、力なく項垂れた。しかしソノ指先は、コワばったように洋服をギュウと掴んで、かすかだがワナワナ震えているように見えた。
小町の距離からでは、これが精イッパイの説明である。コレ以上の情報は更に接近を試みない限り手に入らないが、黒髪の反応を以て推すに、どうやら男の発した言葉と言うのは、蜜月の夫婦が夜な夜な語り合うヒミツのような、赤面必至の甘ったるいモノだったのだろう。頭にナゴリを残すやさしい男の声に、小町も独りよがりに恥じ入った。
 するとそのお二人さん、黙然としたまま、地を這う小さな蜘蛛が絡みつくように、お互いのたなごころを合わせた。男はサモサモ余裕そうに、女はドキドキ緊張したまま。小町も自分の手を見て、またまた恥ずかしくなってきた。
 ……あのおおきな手が、自分のこの手を…………胸の中で臆病に轟く心臓…………腋窩を垂れるつめたい汗…………彼女一流の洒落っ気も、今になっては鳴りをひそめていた。
「――――なにをしてるんですか?」
「え?」
 振り返ると、ターゲットのはたてである。目元には大人っぽい色香が漂うが、巨視的にみると、天狗に見えぬ清純さがあるのは確実(たしか)。康秀が惚れるのもうなずけるが、しかし現在、彼女の連れ合いは良いムード……もしそれを、彼女が目にしたら?
「なにかソッチに――――」
「――――い、いけないっ!!」
「え? あ、え?」
「通りすがりの者だけど、ここは通せないよっ。うん」
 江戸っ子の情けブカサが禍して、小町にはどうにも見殺しにできなかった。たとえ漁色趣味のある男だってはたてが惚れれば、だれがなんと言おうと、立派な美丈夫なのである。
「チョット、意味が分からないんですけど。ホントどいてよ」
「通せない。あたいの一生の悔いとなるから」
「ハア?」
「ここはとお――――」
「――――ああ、はたてちゃんっ」
 小町の聞き間違えでなければ……男の声。恐る恐る振り返ると、例の男と黒髪の少女が、こちらに向かって、ゆったりと……しかも女の方は、ひそやかな交合のアトの神妙な態度に近しい、オズオズとした歩調で近寄ってくる。
「田中さん、ソッチで何かあったんですか?」
「え? 何が? 何かあったの?」
「いえ、なんかこの人が……ってアレ? いない?」
 小町の姿は風の前のチリと同じく、コツゼンと消え去った。
むろん、能力を使って逃亡を図ったのである。しかし幸い、それを知らぬ、そもそも誰だかわからぬその人を、イチイチ骨を折って探しだす三人ではない。
 


「はぁ、はぁ、はぁ」
 小町の顔はゾォーと青ざめている。しとどに掻いた汗は雨のように冷たかった。
「おっ、帰ってたんだ」
「あたいは降りるよ、この話。ムリ、ドロドロ三角関係なんかに関わりたくないね」
「エッ? イヤ、こまっちゃん?」
「じゃあ、あたい帰るから」




……それから三日後。
(また握手会かー。ハア……面倒)
 そんなことを思い思いしている内に、今回の握手会もしんがりまで回ってきた。
小町が、スッと手を差し出すと、
「ひさしぶり」
聞き覚えのある声が降ってくる。顔をあげると、あの、変哲のない平凡な顔が見下していた。しかし、西空の魔法に、彼の顔は真っ赤に燃えており、モノスゴイ様相を呈している。小町は血の引く音を聞いた。そうして鼻のあたりがズォーと腥くなり、ドロッと……鼻溝にヌルくて気味の悪い液体が伝わってゆく。業風が撫でたように総身の毛がよだち、白い夢のごとく、半端で不愉快な眩惑に襲われる。
「は、鼻血が」
「ハハハ、だ、大丈夫。うん」
「いや、でもっ」
「大丈夫。だから、うん、じゃあ」



「心配ね、なんか」
「ああ、後味が悪いな」
「……そんなこと思うんだぁ~」
 輝夜はやけに思わせぶりにそう嘯く。
 本日、彼女ら二人は、正式なデートをしようと二人だけでライブに着ていた。とはいえ会場には、はたてが前線で頑張っており、心安立ての二人の笑いを誘ったことには間違いはなかった。
 けれども、今日の二人は先日、つまり三日前の時とはすこし違う、生ぬるい恋愛ゴッコに手をつないだり、親しげに話したり、色々とやっていた。むろん輝夜は恥ずかしかったが、耳元でささやかれた『はたてが来るまで手をつなごう』と言われた時より、随分とマシだった。アノ時は生殺しにあっているような気分で、胸が張り裂けんばかりに鼓動していたのを覚えている。
 今になって考えると、なぜにアンナうら恥ずかしく…………すこしだけ嬉しかったのだろう? 今になってはこの二つ、無邪気な羞恥とちょっぴりの歓喜は、紫や霊夢にたいしての、深い罪悪感に還元されている。あの二人はきっと自室の隅で、想いを募らせ胸を痛め、日の光りをも嫌って……この手、田中のこの大きな手を夢想していることであろう。
 輝夜はなぜとなく振り仰いだ。夕焼けに燃える切ない空が、間もなく、夜の闇に飲まれてゆくのを知った。夕闇の極端な階調(グラデーション)が、空の涯に追いやられて、山間に堕ちる赤い球体に、今にも空の世界は焼け付きそうだった。
「あっ、一番星」と、輝夜の口が、そんな言葉を漏らしていた。
「子供っぽいな、年増なくせに」
「そういうの女子に言わないでよ」
「どんな気分なんだ、その、長生きするって」
「べつに。馬齢を重ねたようなモノだし」
手をつないだまま、輝夜はわざとらしく不機嫌を装ってみる。
「そっか。俺は体験できないけどな」
 田中は空へ向かって、少なくても自分ではない誰かに向かって、言ったようだった。しかし、その言葉を聞いたのは輝夜だけである。他のだれも、騒がしい書き入れ時の雑踏や、煩多な心の悩み事に、耳をふさぎ心をふさぎ、彼の声を聞かなかった。
 仮に聞かなかったことにすれば、その言葉はこの世界の音に融け込んでゆくだろう。それは残酷なほどに正確に、跡形も残さず、不老不死の自分とは違う果敢ない人間どもが、この大地に帰ってゆくように……………
 輝夜にはわかっていた。それが決して後悔や物惜しみの感情ではなく、たんなる感想もしくは皮肉だということを。そうわかっているのに、彼女はどうしても、そんな風に思いたくなかった。
「体験したいの?」
「え? ああ、べつに。そう思ったことはないけど」
「……そうよね」
「あのな……もしも誰かがそう望むんなら、俺も薄情じゃねぇーよ。無敵にでも、不死にでも、不老にでもなってやるよ」
 事もなげにそう言いのけた彼は、ちいさく笑っていたが、それがいかにも自分を嘲っているように思われて、輝夜はかみつくように、
「簡単に言わないでよ。そうやって、何も知らないくせに」
「知るわけねぇーだろ。俺は不老不死じゃないだ。お前がどんな気分で生きてたなんて、知らない」
「そんな、そんな適当だから…………人が傷つくのよ。アンタがもっとしっかりしていれば」
「俺は、一人に大きな傷を負わせるより、二人で分け合った方がいいと思うぜ……俺はな」
「なに言ってるの?」
「いや、世界は案外平和ってことだよ。お前が思ってるよりずっとさ―――――そうだ、なにか買ってやるよ、ほらっ、あそこの小物屋でさ」
「いいわよ、べつに」
「なんだ、ビビッてるのか?」
「そんなこと――――」
「――――じゃあ、いこうぜ?」
 田中は力ずくに、輝夜を引っ張ってゆく。この手を振り払えば、すぐにでも逃げ出せるのに……輝夜は離そうとしない。むしろ、もっとつよく握り返す。思いもよらない不慮のことが降りかかっても、彼の手が自分を離さないようにと。



 小物屋に入り、二人は行儀正しく横に並んで、ネックレスやその他等を順繰りに見ていった。そうして一周して田中が「決まったか?」と訊いてくる。が、輝夜は頭を振って「決まってない」と。
「じゃあ、もう一周……」
「田中が決めて。その、私待ってるから」
「え? いいのか?」
「うんっ、待ってる」
「じゃあ、買ってくるよ」
 そう言い置き、店内へ戻ってゆく田中。輝夜はさみしげに手を振ってみたが、彼は気づかなかった。単純に恥ずかしくなった。咄嗟に確かめ、周りに人がいなかったことに輝夜はフゥーと安堵しつつ、なんだか自分の滑稽さが笑えたので気兼ねなく笑った。すると、仲睦まじい通りがかりの親子が「お母さん」「見ちゃだめよ」とやってるのを見て、今度は本当に恥ずかしくなって俯いた。
 漸う田中が出てくると、輝夜は遭難から助かったような気持ちとなった。ふと彼の右手をみると、ファンシーな包み紙が握られており、武骨な指には似合わず、また笑えた。
「早かったわね」
「決めてたしな」
「ふ~ん。でもアリガト」
 輝夜が手を差し出すと、田中はジェスチャーとともに、
「後ろを向け」
「なんで?」
「いいから」
 輝夜は彼へ背を向け、胸のうちに不快な思いを感じつついたが…………スゥーと水が流れるような潔さで、男の腕が彼女を抱きしめようと前へ回った。それを見た輝夜は――――後々でも不明だったが――――ギュッと目をつむった。…………が、抱きしめられない。なぜだか抱きしめられない。たしかめようと彼女はゆっくり片目を開けると、それと同時に頭上から、
「ちょっと髪の毛上げてくれないか?」と。
「え?」
「開運のネックレス。つけてやろうと思ってさ。だから頼むわ」
「う、うん」
 言われるがまま髪の毛を上げると、彼の腕がゆっくりと回ってくる。
 鉄の冷たい感触や、田中の指頭の圧力、そして人肌のあたたかさ、それらを薄い皮の首元に感じつつ、輝夜はいろいろと思いを巡らせていた。
 このネックレスは開運のモノ、しかし、その開運する運とははたしてなんだろう?
 当然、彼女の中ではこの問いについての答えは、とっくに決まっていた。いや、この答えを否定するためだけに、この問いは作り出されたのである。
 ――――その思考を中断させるように、まるでつたないキスでもするように、彼女と田中の指先が一瞬触れあう。
 輝夜は咄嗟に「……ゴメン」と言ったつもりだが、それが本当に言葉になったのか怪しかった。咽喉のあたりでつっかえたか、それとも心の中だけで唱えたか、ともかく田中の反応がなかったのでわからなかった。
「よし、できた」
「…………」
 しかしコレは、自分でもわかる。顔が真っ赤になってることくらい、自分自身でわかる。耳も頬も頭の中まで燃え立ったように熱いし、吸う息もなんだか重たくなったような気がする。それに気づけば、里のこの道からは人影がすっかり消えていた。確実(たしか)に人の声は朧々と聞こえるが、地を蹴る足音は聞こえなかった。
そうなると、輝夜の目には、暮色に染まるこの里まるごと、夢で見た幻想の都のように、覚束ない輪郭で描かれて…………
 声に呼ばれて彼女は振り返る。
 きっと彼は「似合ってる」とか「さすが俺だな」とか在り来りな言葉を並べるであろう。そうして一言二言、自分をからかった後、また手を引き、夢の中を二人で歩いてゆく。前途遼遠な砂漠を歩き続ける旅人のような気概もなく、爛れたように見える太陽を目指して。
「似合ってるな、やっぱり」
 輝夜は、胸のネックレスを見る。
 そして強情にも、『次』の願いを、その心に唱えるのだった。
 この、二人を照らす夕焼けの光りが、顔に現れた自分の羞恥心を、隠してくれますように、と。



 この三日後、ネックレスが効力を発揮し、輝夜に幸運をもたらした。
 それはなんとなく、本当になんとなく天狗の新聞を見ていた時である。
「ん~~~~――――ん?」
 ガバッと起き上がる。服のかくしをゴソゴソかき回しつつ、その新聞の右隅をしっかりと見つめること、凡そ十秒。
「当たった…………当たったわ、富くじ!! ねぇ、えーりんっ!! 当たったわ!!」
 かくしから取り出した富くじをもう一回見て、
「当たったわ!!」



[35704] 妖夢の仲直り大作戦 part1
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:6073e750
Date: 2013/12/06 07:58
 …………エエ。まぁ、アナタ次第じゃないかしら? ええ、ソウよ………
 …………そうよ。ソウ、私には、容喙する権利はありませんもの。ハイ、ハイ。ソウよ。自由勝手に決めて下さいまし。アナタ方のご決断、紫は楽しみに待っております……

紫は嫣然と笑う。
そうして突如として月白(つきしろ)の薄ら闇には、ス――ゥと和紙を裂いたようなスキマが現れる。その内に潜む闇……それのモノスゴイこと……今にもモレ出しそうな、濃密な暗黒(あんこく)……深淵……
紫は、貴族めいた、じれったい動きで、小褄を上げながらそのスキマに入り込む。

 …………では。のちほど…………

 ゆったりと時間をとって振り返って、ちいさく目礼をする。
ソレの序でとばかりに、高い頬桁のうえの藍色の瞳を、一宇の大伽藍の闇の中へと投げかけた。……反応はなかった。それでも紫は意味ありげに笑い、芳烈な肉の香(こう)を漂わす豊麗なその姿を、スキマの中の闇の中へ溶かし込んだ。まるで、沼沢に沈みゆく白蓮のごとく……



 女の子っぽくピョンと飛びだした先は、紫の自宅ではなく、西行幽々子が邸宅、白玉楼の開けた庭先だった。

(これこそ白玉楼中の人ね……)

 と、適当なことを思い思い、こんもりとした喬木のしたを抜けて、鉄鋲を並べる玄関へと回り込んだ。ちょっと開いて覗き見、幽々子のいることを確認し、慎ましく玄関の戸をあける。そうすると来客を知った西行の庭師が、奥の方から廊下を足早に。紫の存在を知った見えて、逆蜻蛉を打ち、己が主人を呼びに行った。ほんの少しすると、その幽々子が妖夢に伴われてやって来て、ユラユラほろ酔い状態の――――いつもなのだが――――ぼんやりとした眼差しで、紫のさえない顔を見た。

「今日も、言えなかったの?」
「……もう諦めようかしら」
「まぁ、話を聞いてあげるから、ほらっ。上がって」
「……ありがと」

 紫は居間に通され、かえたばかりの青々しい畳の上に、肉付きのよい豊満な尻を落とす。まめまめしく妖夢が座布団を用意したので、尻と畳の間にそれをさし挟んだ。なんとなく心の休ますのを感じ、そういう呼吸法のように紫は「フーゥ」と長大な息をはく。
大卓子の向こう側の幽々子は感じの良い、柔和な笑いを食みつつ、

「お疲れ様。大妖怪は大変ね」
「……言っちゃ悪いけど、今回の相手は格下ばっかりだからよかったけどね」
「こないだの時は、イビれたって悪態ついてたじゃない?」
「あれはぁ……外の世界の重鎮、というかお偉いさんばっかりだったからね。私のほうが格下だったから仕方ないのよ。でもホント権力って、人を強情にするのね。酌をしろだの、俺の義娘(むすめ)になれだの、媒酌してやろうだの、なんでアンナに上から目線なのかしら」
「でも婚活できてるじゃなぁ~い。不老不死のお姫さまに一歩リードよ」
「バカにして……こないだも言ったけど、良い人見つかったって」

 紫はそこで言いさす。妖夢が持ってきた煎茶を受け取るためだった。

「ありがと」

 月並みな感謝の言葉に、ウブな処女らしく、妖夢の青白い頬はボンヤリと染まり、「イエッ……当然のことです」それから幽々子にも茶を置いて、その隣りに腰を下ろした。
 幽々子は茶をすする。そのお茶の熱気に、病人めいた薄弱そうな白無垢のはだえが、魅力的にほんのりと赤く染まる。紫はそんな彼女を見るたび、私も幽霊になってしまおうかしら、と案外真面目に考えるのであった。
 コツンと、なにかの合図をするようにお茶の底を鳴らして、

「でも、ケンカ中なんでしょう? 手塩にかけた小娘と」
「まぁ……きっかけがつかめなくて」
「親子同然の二人がさぁ、男をめくって鎬を削るのねぇ」
「鎬を削るなって物騒なこと言わないでよ。もっと穏やかよ」
「ドロドロだけど」
「それは……そうだけどさぁ。それに、田中君に嫌われてるし」
「田中君?」
「え? あ、ああ。ち、違うのよ? 田中君っていうのは、その~ほらっ、アレよ」
「ふ~ん。田中君って言うんだぁ~」

 熱を帯びた瞳を細めて、幽々子は頬杖をついた。
 やってしまったと言い条、最後のヒミツだった良人の名前が図らずも伝わったので、かすかに胸に抱いていた気兼ねが、霞(かすみ)が流れるように消えていった。しかし一応紫も、揚げ足を取られてばっかりじゃ酌に触ったので、女学生っぽく剝きになって膝を詰めて、「違うわっ。それは、男トモダチよ」と言ってみる。
 幽々子は耳も貸さずに、

「背が高くて、声が良くて、それに意外とやさしくて……妖夢はどう思う? 田中君のこと?」
「わ、私ですか? 私はまだそういうのは……わかりません。申し訳ありませんが……」
「べつに責めてるわけじゃないわよ? でもホラ? 好きなタイプあるでしょ? なんなら好きなタイプを答えてもいいわよ?」
「……言わないといけませんか?」
「もちろんッ。これは命令よぉ~。もしも逆らったら、妖夢の恥ずかしいヒミツしゃべっちゃうから。夜な夜な――――」
「――――や、やさしい人です!! やさしい人です!!」
「在り来たりねぇ」
「そんなこと言うんなら、幽々子はどうなのよ?」
「私はねぇ~。まず背が高くて、それに声が良くて、意外にやさしい人ッ」
「ちょっとはぐらかさないで」
「はぐらかしてないわよ? 女の子だったら誰でもそんな人望まない?」
「それは……」

 紫は言葉に窮する。今更ながら、「実は顔の方はふつう」とは言えなかった。言ってしまったら、幽々子の描く田中象をブチ壊すことになるし、なんとなく田中に悪い気がしたのである。だから口をつぐんで待っていると、

「でも、いつかは想いを伝えないとねェ、しっかりとさァ」
「わかってるけど。わかってるけどさァ……私だって、怖いのよ。拒絶されたら、怖いの。モシこれで拒絶なんてされたら、ミジメな女の噴飯話じゃない」
「でも、のんべんだらりのものぐさ婆さんじゃ、田中さんをゲットできないじゃないのぉ?」
「他人(ひと)事だからそんなこと言えるのよ…………」
「とはいえ本当のことだと思うけど」
「……そう言うんなら、どうすればいいの?」
「乙女なら当たって砕けろよっ」

 ガッツポーズを決める幽々子に呆れて、紫は深い深いため息を吐く。

「ハァー。簡単に言ってくれるわね。……相手はモテる人なのよ? 霊夢はまだしも、かの有名なかぐや姫もちょっと怪しいし、女子力マックスの天狗ちゃんも。それに、スタイル抜群のきれいな女史に、根がやさしい不良少女。人形みたいな人形師に、幼く明るい魔法使い。しかも、そろいもそろって粒よりの女の子だし、スタイルだって私より良い子がいるんだからっ。……ライバルが多くて嫌になるわよ、ホント」
「ライバルって、他の子たちは名乗りを上げてないんでしょ? なら、今のうちに仲間に引き入れちゃないさいよ。ホラッ、紫を応援するってことは、田中さん争奪レースに参加しないってことでしょ? それならば、今すぐにも四方八方津々浦々に奔走してさ、私を応援してって言いなよぉ。みんな応援するって絶対」
「そう……かしら?」
「ねぇ? 妖夢?」
「はい。天下分け目と名高い、かの関ヶ原の戦いでも、小早川の寝返りが勝着でしたし。根回しは重要かと」
「でしょ?」

 ソウは言われても……紫は、名状できぬ表情を浮かべる。仮に根回しが成功して、それで田中を手に入れたとしても、霊夢との関係は修復されない。却って、このことを知った霊夢が鬼気迫る怒りの形相で、髪の毛や玉ぐしフリ乱し、鵜の目鷹の目見つけた妖怪、片影残さず消し去るだろう……コノ、平穏にみちみちた幻想郷を、憤怒の炎を以て滅ぼしかねない。そうして田中とともに、何食わぬ顔でアダムとイブさながらの甘い生活を、骨の朽ちた幻想郷の大地で行うに違いない。
 荒廃した楽園を幻視した紫は、ボソボソと言いにくそうに、

「でも……あれじゃない? もしも霊夢にバレでもしたら、それは……冷酷無残に殺戮だわ。アナタも共犯として、首(こうべ)を獄門にかけられるわよ? 幽霊とか云々言う前に、消滅よ?」
「そんな権謀術数を巡らすってわけじゃないってッ。先だって自分が好きだって宣言しておけば、助けてくれるかもでしょお? きっと紫の言うライバルの中にも、八雲の旗を掲げる味方もいるし、当然博麗派もいると思うの。なら紫はアナタを支持する紫派の人間に、なんとなく仄めかせばいいのよ。つまり、種をまいておくって感じねぇ」

 昨日の食事を語るように、楽天的な口調で、幽々子はそう言い言い、お茶を一杯すすって、

「私たちはもちろん紫派よ? 大妖怪と人間の恋なんて美談じゃない? おまけに大妖怪がパラノイアにかかったみたいに恋焦がれてるわけだし。もしアレだったらさ、第二夫人に収まったらいいんじゃないかしら? 幻想郷の法律はアナタなんだし、べつにだれも咎めないわよ? まぁ~でも、援軍を集うことは大切だと思うわ」
「……援軍」
「そんな御大層なモノじゃないけどねぇ」

 幽々子はニコニコして、またお茶をススった。
 紫は自分の湯飲みをのぞき、ソコに映る己の黒い顔を眺めた。顔色はほとんどわからなかったが、すこしだけ表情が和らいだように思えた。くわえて不思議だったが、ムクムクと自信がわいてきて、田中の笑顔を独り占めできるような、そんな気が次第にしてくるのだった。

「じゃあ、思い立ったが吉日ね」
「え?」
「うん、いきましょッ。仲間探しの旅へ」



 と言いつつ、ぐうたらな幽々子が外出するわけもなく、自分の代わりに妖夢を連れてけと言って、白玉楼から二人を追い出した。紫の方は気おくれしてオロオロしていたが、妖夢がまず……と副詞を使って、「もっとも仲間がいそうな場所へ、参じましょう」と提案したので、紫はあの甘味処、ほとんど部室状態の団子屋へ行こうと決め、お得意のスキマをひらいた。そうして妖夢を先に進ませ…………にぎわしい人里の往来の中へ、ピョンと一緒に飛びだす。
そこはもう……くだんの団子屋である。
 緑青だらけの四角い看板……切妻型の屋根の傾斜……日の目を浴びた青磁の瓦……豊旗雲(とよはたぐも)のたなびく空の下で見ると、ナオナオ古代式の建造物に思われてくる。おだやかな詩歌でも一つ、吟じてみたくなるぐらいの、庶民的な甘味処である。
 紫はなじみの店員に話かえると、すぐに、
「皆さんなら奥の座敷にいますよ」と言ったので、紫はイソイソとした足取りで奥へと向かった。妖夢の方は、緊張の面持ちであった。
 奥の座敷は、「毎度ご贔屓にしてくれる御礼」と言って、ここの店長が、貸してくれた六畳間である。本来、予約やなにかが事前に必要なのだが、祭日以外ほとんど空いているというので、紫たち婚活部は後ろめたさもなく使わせてもらっているのであった。
 靴を脱ぎ脱ぎ、上がり端に上って、紫は深呼吸をした。耳もフシギに冴えわたって、ふすまの向こうの会話が聞き取れた。自分のことについて話しているようだった。
 紫は轟く胸に手を置く。ゾクンゾクンと首筋を流れる血液で、逆上せてしまいそうになった。妖夢の心配そうな視線を横顔に浴びつつ、彼女はふすまをスーゥと開く。この時ばかりは、異様にふすまが重たく感じた。極度の緊張のため、まったく力が入らなかったのだ。

「いや、まだ会計は……って」

 劈頭一番に声を上げたのは、魔理沙だった。そのとなりの輝夜は、目を真ん丸にして、こちらを向いていた。そんな二人の様子を眺めて、背中を向けていた慧音も、湯飲みを片手に振り返った。

「……ひさしぶり」

 まず紫はそう言った。声が震えていたように思えたが、確かめる術はなかった。
 輝夜はパチクリ、大きな瞳を二度三度まばたかせ、

「ど、どうしたの今日? その、いきなりだからビックリしちゃったというか、なんというか……うん」
「えっと」

 紫はよそよそしく畳に上がり、等しく皆(みな)の顔が見れる位置に端坐した。妖夢は戸惑っているようだったが、魔理沙が「こっちに座れ」と手招きをしたので、示された場所に腰を下ろし、行儀よく足をたたんだ。
 部屋いっぱいに厳めしい緊張感が張りつめる。妖夢を含む四人の注目が、紫の口へと注がれる。そのためか、我慢しがたい口の渇きを覚え、慧音のお茶を一口もらった。味はよく分からなかった。とにかく紫も緊張していた。
 紫はおおきく息をはく。やめておけばよかった……と、今更ながらにムクムクと後悔の念が湧いてきて、意気地なしの遁走を図りたかった。しかし彼女はおびえる心に鞭を打ち、簡にして要を得るこの言葉を、口にする。

「私、田中君が好きなの」



 いっそう森閑になった六畳間に、今度はホントの店員がふすまをあけて、その隙間からズイッと顔を出した。心安立てからの不作法であるが、だれも咎めはしなかった。……皆、項垂れていたのだ。一様に口を結んで、紫の言葉を吟味していたのである。
とはいえ調子のいい店員は、そんなことさえ気づきもせず、

「今日もお揃いですねっ。あっ、新人さんもいらっしゃるようで。若しや歓迎会か何かですかい? ならちょうど誂え向きなモノがありやして、へぇ。実はうちも先週からパーチーセットってぇーのを始めまして、もしよければ、頼んでみ……いやいや、もちろん割引しますぜぇ。ご贔屓のみなさんですし、それに、婚活部の清栄を祝したいと言っちゃあ~大げさですが、へぇ。なんなら、団子を二串でも」

 と、ここまで言い終わったところで、面々の押し黙った姿に、なにか感じ取ったのか、

「あっ……と、もし何かありやしたら教えてくされ、へぇ」と言い言い、それから矢庭にふすまを引っ立てた。

 …………紫は、口をムギュウと噤んで、膝にある自分の手を見つめていた。

(やっぱりそうよね。私なんかが田中君を好きになっちゃいけないのよ。ホントバカね、私。……今までだってそうじゃない。つくづく見損なったわ、私)

 頭の中で、過去の苦々しい恋愛経験が、走馬灯のように過ぎてゆく。
 ……どうせ結果が分かっている恋を、今回も続けようとしているのだ。なんて情けないことだろうか。これは恥ずべき行為、妖怪の賢者らしからぬ不始末に違いない。……結局自分には、真っ当な恋愛なんか出来っこないのだ。そんな詰まらない代物は、夢の中で十分なのである。

「――――ふ~ん、なんかズルい」

 紫は顔を上げた。向いた方は、そう嘯いた、輝夜の方だった。そして彼女は、首にかかるネックレスを退屈そうにいじりつつ、言葉を続ける。

「なんかズルいと思うわ、私。たしかに、田中のことが好きなのはわかるわ。それもスッゴク好きで、だから悩んで、だれにも相談できないこともね。でもゆかりん、勘違いしてると思うわ。まるで、自分一人が好きみたいな言い方じゃない」
「え? なにそれ?」思わず紫はギョロッとして、はしたない声を上げてしまった。

 が、輝夜の表情は無表情、却って見る見るうちに不機嫌になってゆく。

「私だって好きよ、田中のこと。というか、ミンナ好きなの」
「ど、どういうこと?」

 するとはす向かいの魔理沙は、非道く面食らった紫に、

「つまり、出会いがないってこと」
「ちょっと要領が得ないんだけど」

 めずらしくオロオロする紫を、慧音は大人っぽくフッと笑い、

「ほかに男がいないから恋をするということだ。考えてみろ。田中の他にこれと言った男と話してるか? まぁー聞くまでもないが、皆無だろう? なら、恋をするのは当然、生物的に、真理の理ということだ」 
「そもそも婚活部と旗揚げしておきながら、男性との接触が絶無という時点で、問題があるのよねぇ」
「だよなぁー。絶対、そこがいけないよ。出会いがあれば、紫だってきっと、田中なんて好きにならなかった筈だしなぁ」
「それは……」

 なんだか、自分の気持ちが真っ赤なウソだとコケにされてる気がした。
 それがとても許せなかった。なぜかわからないが、とても許せそうになかったのだ。
 だから紫は、今まで発したことのないぐらいのトテモつよい口調で、

「バカにしないでッ。私は本当に好きなのッ。田中君が本当に好きなのよッ。べつに私のことはなんて言ってもいいけど、田中君のことを悪く言うのは……って」

 図らずも、途中で言葉が途切れてしまう。
 頬を赤らめる妖夢以外、皆がニヤニヤと笑っていたからだ。

(は、ハメられた……)

 紫はガクリッと項垂れる。

「そこまでお熱とは……ゆかりん、純情ね」

 輝夜はニヤニヤそう言って、甘そうなみたらし団子を頬張った。うまそうにモグモグして、一飲み。手元の番茶をズズ――ゥとすすって熱い息をふく。

「やっぱり一仕事後の団子はうまい」
「一仕事って……前もって考えてたの?」
「ゆかりんが来たらカマを掛けようってね。ちょうどその話をしてたときに、来たんだから、驚いちゃったわ。噂をすれば影が差すって、バカにできなわねぇ」
「でもホント、紫って純情だよなぁ。見た目からは全然想像できないのに」
「しかし、これで一件落着とはいかないぞ。博麗霊夢と和解しないとな」
「そうだよなぁ……霊夢との和解も重要だよなぁ」

 魔理沙はかったるそうに足を崩して、フ――ゥと息をふく。そうして、いかにも疲れ切ったような声色で「そうだ、なんで妖夢はいるんだ?」真横の妖夢に尋ねた。
 妖夢はわざわざ居住まいを直し、

「我が主と懇意の紫さまがひどく懊悩しているということで助太刀をいたそうと思った次第だけれども……とはいえなにも……」
「でも、妖夢のおかげじゃないか? 私はそう思うけど――――アッ、そうだッ」

 魔理沙は身を乗り出し、

「いっそのこと妖夢に、今後の方針決めてもらおうぜ? 成功者は語る的な感じでさッ?」
「それは……」

 妖夢の赤みを帯びた顔が、ゾゾゾ……と青くなってゆく。そうして見る見るうちに凡そ白蝋病めいた顔色なってしまい、唇も紫色をたたえてしまう。とはいえお気楽極楽婚活部は、忖度(そんたく)、斟酌(しんしゃく)、思いやり、其処らへんがどーにも薄いので、彼女の色なぞ気づかない。気づこうともしないのである。だからモテないし、友人が……これはやめておこう。

「そうだな。鳩首凝議に時間を割こうとも、成果を上げなければ意味がないしな」
「……そうねぇ。じゃあ、外部顧問として雇おうかしら」
「そ、それは出来ぬ相談というやつで。私にも用事というモノが……」
「そんなに謙遜するなよぉ。私が補佐するからさぁ」
「だからやるとは言って――――」
「――――じゃあ、成功させるわよ!! 世紀の仲直り大作戦をッ!!」

 いかにも誇らしく声高らかに、輝夜はそう宣言する。言うまでもなく、心のドン底まで悲劇的な妖夢のことなぞ、朝方の露ほども酌量せずに。
 
 そんなこんなで、猫も杓子もお断りする仲直り大作戦を一任された西行の庭師は、なかば自暴自棄になっていた。
(なにゆえ私が……)
 己を蔑める気はないが、自分はこれといった成果を上げていない。たしかに「友人へ会いに行こう」と提案したが、元をただすと幽々子が言いだしたことだし、又、あの団子屋をチョイスしたのも、自分ではなく紫である。やったことと言えば、横に座っていただけだ。他は何もしていない。
 だが、断ることもできない。断れば彼女らの失望の表情が自分を取り囲む。無言の圧力で自分を拉ぎ、尋常ならざる謝罪を求める。「えい、ままよ」と反抗しようが、辛辣な仕返しに、しっぽを丸めて逃げ出す羽目になるのは請け合いだった。
しかし妖夢はこれ以前に、金科玉条と呼ぶべき一つの信念があった。
それは誠実さ…………つよい義務感である。つまり、一任された最後、結果の如何を問わず貫徹させたい、というおかしな性情が、心のどん底まで根をはっていた。
失望を恐れた打算的な承認より、カビの生えた貫徹主義が、彼女に首肯せしめたのは言うまでもない。仮に天狗のような計算高さが貫徹主義に先んじて、彼女を引きずるモノならば、大方の場合、うなづくことはしなかったろう。慧眼をもってなる風見鶏は、常に利潤に目をむけ、就中有益を愛し、それに資する行為に汲々とする。どれほど不埒だろうと、どれほど笑止千万、不敬千万だろうと、彼女らは金策に腐心し、機械のように実行する。
しかし今回の事件、どこに利益が潜むだろうか?
たしかに幻想郷的に見れば、異変のひとつであろう。たしかに生さぬ仲ではあるが、親子同然に過ごしてきたあの二人が同じ男を巡って、熾烈な争いを起こすか起こさぬか、導火線の燻るような状態を続けている。おまけにどちらも多情の気のない、一途な恋心というのである。
それに応えぬ男も男だが、今回はそれをおいといて、目下の問題、私腹を肥やす可能性を見てみよう。と言っても当節のアイドルブーム、そこに波旬が謀った奸計と呼ぶべき、親子の仲たがいを、だれが面白がって喧伝し、見ものにし、金を払うだろうか? 況や大枚をはたいてその模様を観覧しようなぞ、世の趨勢に乗り遅れたこと甚だしい。
このように頑固一徹な妖夢の性格から、天狗非難にうつったのはむろん、理由のないことではない。その天狗とやらが―――――加えてすこぶる嫌われているらしい天狗が、この作戦に密着しようとしたのである。
その天狗の名は、射命丸文。
妖夢も好くところは彼女に抱かぬが、しかし、射命丸文の仕事への姿勢を見て、それを見直さないわけには行かなくなった。
彼女は、輝夜からの手厳しい論難も、ニコニコと愛想よくやり過ごし、慧音の「よく鼻の利く天狗だな」という皮肉も、彼女の心を打ち砕くには至らなかったのである。穏健派の二人、如才ない魔理沙は、彼女と仲良くやっており、紫の方も、そこまで厳しくはやらない。とはいえ二人の舌鋒を真正面から受け、にこやかでいられるのは矢張り、感服せざるを得ないところではなかろうか?
それゆえ、妖夢は彼女を見直した。
彼女のデマも、職責を果たすべきに必要なモノなのだろう。彼女の笑顔も、仕事上張り付いたモノなのだろう。おそらく、印刷料もバカにならないだろうし、払ったモノに見合う記事――――デマが往々だが――――を、粉骨砕身の気概で書きあげねばならぬのだ。そう思うと妖夢は、この天狗への同情を禁じ得なかった。
 なかば議場と化した団子屋も、天狗の襲来によって、肌にピリリと感じる険悪なムードに変わっていた。変わっていたと言っても天狗が来たのは一刻前で、この雰囲気は、論議が袋小路に入ったことも少なからず因縁を持っていた。仮に文が来なくとも、こうなっていた可能性は十二分にあり得る。この、生煮えのよどんだ空気感は。
「あややや。困りましたね、私も」
 部屋の隅で正座をする文は、そう言って、アクションを起こしてみるが、反応する者はなかった。とはいえこの程度のことでへこたれたら記者の名折れ。文は自分にそう言い聞かせ、寝転んだ魔理沙にイザり寄った。
「どうです?」
 最初の内機嫌がよかった魔理沙は、寝返りを打って彼女を無視する。今にも屁をひりそうだったから、文は離れた。今度は紫に寄ろうとしたが、彼女の面持ちは深刻で、どうにも近寄りがたい。他の二人は言わずもがな、自分を邪険に扱うだろう。ならば残りは…………そう思って妖夢に寄る。
「なにか思いつきましたか?」
「え? ああ、なにも」
 妖夢はすこし疲れたように首を振った。
文は内心よろこんだ。飛び上がりたい気持だった。やっと相手にしてくれるっ、と。しかし、記者としての習慣が染みつき、それを体外に出すことは出来ない。彼女は愛想のいい笑いを保ったまま、
「そうですかぁ……私も経験が少なくて」と言う。
「ふんっ、経験ねぇ」
 中空をボンヤリ眺めていた輝夜は、ガクンと頭を垂れて、ヘビのように文を睨め上げた。
 ここで何か言い返せばいいのだろう。しかしまたしても、習慣が彼女の行動を抑制した。脊髄反射のように、文の顔には、人好きのしそうな作り笑いが浮かぶ。それを見ると輝夜は満足したようにちいさな嗤笑を含み、又、何もない空間を眺め始めた。妖夢の方もなぜか深く項垂れ、薄い唇をきつく結んだ。話してくれそうになかった。
 ……文は、ゴクンと唾をのむ。なんだか咽喉が乾いてきた。
 長い机の湯飲みに手を伸ばすと、腕をくむ慧音がフッと顔を上げた。文の指先は電気が走ったようにビクンッと一度はねるが、慧音の視線が下がると再び、ソロソロと湯飲みの口へと向かった。しかし持ってみると不思議に重みがない。覗くと茶がなかった。
キョロキョロと周りを確かめた後、「お茶、もらってきます」と座敷からコッソリ御免蒙る。そうして背中でふすまを締めると、口から自然と重たい息が洩れた。あの場所は、鉛の煙の中にいるようなものである。あとすこしあの場にいたら押しつぶされ窒息していたろう。
……お茶がなくなったのは勿怪の幸いね。
文は、誰にも見せぬ女らしい笑みを口に食みつつ、上がり端の下足の内、天狗特有のやけに歯が長い一本下駄を、白くしなやかな両足の先にひっかけた。それから指圧で鼻緒をギュッと締め、器用にヒョイッと固い地面に立つ。なんとなれば、天稟と呼ぶべき並はずれたバランス感覚をお蔭である。
 コツコツと歩きながら文はこう考えていた。
 いつから自分は、二人の自分を見つけてしまったのだろうか。
 ――――これは決して、解離性同一性障害と呼ばれる二重人格の話をしているわけではない。……人と応ずる己と、それを白眼視する自分、それについて彼女は思っているのである――――
 その自分はいつも心に存在する。まるで大鷲の双翼のごとく、常に対となって心の中で坐する。そして誰かに応ずる場合、それらの自分は別行動をとるのだ。一人は、どんなに冷酷な仕打ちを受けてもヘラヘラ笑っている自分、片やもう一方は、媚を売る自分の背中を軽蔑する冷たい自分。たった一人、他人と交わらない時分は、優雅に風を切る両翼のように二は仲良しで、肩を組んでいるが、いざ人が来ると怖いぐらいに豹変する。
このときの文はまだ気づいていないのだが、その二人を軽蔑する三人目が、ちゃんと彼女の胸の奥に座っていた。しかしその存在は、彼女の念慮ではまだ至らない深淵に、堂々と座っており、今この時さえ彼女の自己嫌悪の感情を司り、雑念の莨を美味そうにふかしていた。
「――――すみませんっ。お客さんっ」
 文はハッと振り返る。なにかやってしまったか、と。
「あややや、すみま…………って、アレ?」
 文はてっきり店員かと思ったのだが、眼前には妖夢と魔理沙が立っていた。
「ちょっと外に出ようぜ。ほらっ、気分転換」



 魔理沙は、霊夢を妬んだことがある。
 まぁそれは、人の言う妬むの範囲に入るのか定かではない。けれども魔理沙は妬ましいと感じたことを、今でも後悔して、胸の底に封じていた。その封印は解くまいと自分を戒め、堅実な関係を築いてきた。
けれども今、その戒めが切って落とされそうだった。そんな兆しがあった。
アノ空間、あの座敷のうちで延々と霊夢のことを考えていたら、なんとなく自分が情けなくなったのである。そしてそれが、自然と霊夢への嫉妬に変わりそうだった。しかもその変化は、融けた雪が川に注ぐように静謐で、けれども運命的で…………抗う術は一切なかったのである。若しも闇雲にその雪を掬ってしまえば、殊更自分の体温で融けてしまい、こぼれてゆく。
その上、この妬ましさが、彼女の能力や才能に向かってではない。彼女の一途な姿勢や、迷いのない恋心に、妬心が生まれたのだった。
元来むら気の多い魔理沙は、己も愛を貫くのは難しいと自覚していた。きっといつか違う男に目移りして、旦那を異性として見なくなるだろうな、と考えていた。当然、霊夢も紫も他の全員も、同じだと考えていた。けれどもその実は違っていた。いや、ハッキリ言えば『違うかもしれない』そうは言っても、霊夢たちはキットそうなる。霊夢は死ぬまで田中を愛するし、紫だってそのつもりだろう。しかし、自分が霊夢の立場だったら? そう考えると途端に、己がちびたモノに思える。おそらく自分は、田中を一生かけて愛し抜くなんて、絶対に出来ないし、どうぜ道の途中で息を切らし、形の良い男に食いつく。そもそも、その愛する覚悟さえ端から無かった、魔理沙は諦めていた。けれども彼女はそんな自分があまりに醜いと思う。その反面、醜いのはゼッタイに嫌だった。霊夢と同じでありたいと願った。だから、妬む。しかし又そう思う自分が…………
三人は勝手に茶店を抜け出し、すっかり夜になった街を歩いている。珍しい組み合わせであるが、とくに隔たりはなかった。うちに残った三人は霊夢との氷解を眼目に考えるが、こちらはそれを受けて我が振り直すような、自己回顧や省察をしていたのである。目先が己にむくため、人の視線と錯綜せぬ、論鋒もぶつからぬ、競争も出来ぬ。肩の凝らぬ開放的な雰囲気であった。又あの座敷のこじんまりした作りに圧迫されず、目抜き通りの道幅の広さもれを手伝ったのは確かだった。
と、黙っていた妖夢が「あっ」と頓狂な声を出した。
「どうした?」
石を蹴飛ばし遊んでいた魔理沙は気のない、冷淡な声で尋ねる。
「刀……わすれた」
 両の空拳をあらわす妖夢は、すがるように文を見た。
 文も困る。今更どうしようもない。……頬を掻き掻き、己のカメラを衒って一言。
「代わりに持ちます? 貴方にとっての刀のようなモノですし」
「……いえ、大丈夫です」と、落胆に息を吐く妖夢をしり目に、魔理沙がキラリと目を光らせ、剽悍にカメラを奪い取る。
 文は咄嗟に手を伸ばすが、すばしっこい魔理沙は妖夢の背に隠れ、「ちょっと見せてくれっ」カチカチやる。新型に変え液晶に現れるのである、撮った写真が。
文はため息をつくも、頬にはゆるい笑みがある。これが喜色かと問われれば明言できぬが、決して負の感情ではない。しいて言えば、胸に染み入る快い諦念である。
人間の実直な妖夢も、女子特有のゴシップ好きの神経作用に負けて、平身低頭を施しつつも背中を文に向けた。身の丈のない少女が二人、顔を近づけ真剣になるのは見ていて愛らしい。仮に今、手元にカメラがあれば、シャッターを切っているところである。……文は軽やかに二人へ近づく。
と、そのときである。魔理沙がバッと顔を上げ、「意外と胸あるんだな」と不満そうに言った。むろん文には要領が得ない。何を見てそんなこと……記憶を洗いざらいしていると、お次は妖夢が言いにくそうに「きれいな形だったから別に」と。
そこで雷(らい)に打たれたが如く文の脳髄が震えた。身震いである。
「か、返してッ!!」
 詰め寄り奪おうとするが、にやつく魔理沙が飛びのき、ヒョイッとカメラを掲げる。妖夢はアタフタとする。どちらに与すべきかわからぬのだ。そして文は、怒りと羞恥がごちゃ混ぜの赤い顔をして、彼女らしからぬ言葉を吐きつける。
「返せッ!! はやく返せ!!」
「この写真の理由を教えてもらおうか」
 魔理沙が示す写真は、鏡に映った半裸の射命丸文である。部屋に満ちる電光によく撮れてないが、しかし、毛先を遊ばし顎にホクロがあるのは、たしかに文その人である。
「それは……それは、形を見ただけよ」
 文は拗ねるように言った。しかし実際は恥ずかしさ――――自分らしからぬ言葉を放った恥ずかしさ――――が湧いて、拗ねる態を取ったのである。燃えるように赤かった顔の色がおさまったのも、記者の経験から得た一技量が故である。けれども目は口ほどに物を言うとの通り、チラチラ魔理沙と妖夢とを渡り歩いていた。
「形って、胸の?」
「そう。……公衆浴場で、ある天狗の――――」
「会計のだろ」
 図星の文は口惜しげに、又捨て鉢に、
「は、はたての見た時にッ…………私よりおっきいなぁ、形がいいなって思って、体操をしてたのよ。それで経過を写真に撮って見てたの。一か月前まではね」
「へぇ~成果は?」
「なかった。あったら続けてるから」
「もしかして、射命丸文も『ない乳同盟』に加入か?」
「なにそれ。聞くからに非道い名は」
「乳がない。つまりない乳」
「わかるわよ、その位」
「っで、会員は、私、部長、アリス、霊夢。それにメイド長、妖夢、文」
「なんで私が入ってるのっ?」
「それはなぁ、妖夢?」
 魔理沙はとなりの妖夢に視線をやると、
「ない乳、ない乳か……」
 己が胸をパンパン叩く妖夢さん。それに覚えがある魔理沙、左に同じ文は、己の過去を顧みて、図らずも切なさを覚える。そしておのずとカメラの返却も行われる。それはない乳をよすがに…………
穏やかなる夜の渺茫たる天蓋には、露の凍てついたような星々がきらめき、今にも溶け出し滴りそうに見える。するとその比喩に合わせるように、青白い彗星が尾を引いて、日没の暗幕のうえを辷った。思わず天狗はカメラを手にし、ファインダーの先の夜空を撮る。もちろん彗星は収められない。ただ、文の胸は、名状のできぬ温かさをたたえたのだった。



 三人の頭にはもう、霊夢のこと、紫のこと、二人のことについてのかかる思いは、ほとんど影をひそめていた。尾っぽさえ見あたらぬほどに、彼女らは里の散策に熱中した。まず初めに、例の団子屋の面する大きな通りを練り歩く。夜でも灯篭の橙に道は明るく、それでなくとも店から洩れる白色光に、灰褐色の道端はなお明るかった。月の見えぬ夜だが、常に里は明るくにぎやかだ。文は陰気な我が山を思って、少しばかり妬みを覚えた。
 冷やかし半分で店を歩きわたり、さて、朱雀大路がごとき人里の道が尽きると、里の出口に龍神の像がある。見ると灰鼠のつよい粗目の石材で彫られ、目玉に澄んだ水晶が一顆、象嵌されている。それが間近の灯篭の火を吸って、冷たく橙に輝いている。今にも人を食らうと見える躍動的な咢は、暴雨、烈風、あらゆる天災に不動の美髯を蓄えていた。
これは、東に坐する青龍を敬うモノや、天にまします最高神の像と、さまざまな説が唱えられている。文も、龍神を恭しくする一人だが、それの実態は知らない。というより固より知れると思っていない。青竜にしても彼女にすればほとんど夢物語で、自身の存在を同一次元におけないし、又、天理教のような絶対的な力を持つようにも思えない。ただ、隔絶した世界を泳ぐ『何か』としか表現できぬ。ならばそれを、どう説明できようか? 況やそれに伝説の龍を当て嵌め偶像化するのは、尚早も甚だしい。たしかに浪漫はわかるが。
龍神の鼻先に触れた魔理沙は振り返って、「霊夢ん家いかね」と言った。
 妖夢は顔をしかめた。文も言うまでもなかった。
 すると魔理沙は照れ臭そうにこう語り出す。
「この龍の像の前で、私、霊夢とケンカしたんだよね。三年前だけど。っで、毎回、この顔を見るとそれを思い出して、霊夢の泣き顔をさ……あの時、結局謝れなくてそのままで。今になっちゃ、何が原因なのか忘れちゃったけど……でもたしか、霊夢が誰かになんか言われたんだよ。そん時何を言われたかぁ…………やっぱり駄目だ。思い出せない。でもまぁーこんな感じ」
「今、行くべきじゃないと思いますが」
 妖夢はいやに神妙に魔理沙へ言った。かるく文へ一瞥を与えながら。それは大方、後方援護を貰おうとのことであろう。文もそんな視線を貰わずとも賛成であったが、しかし、魔理沙の言い分もわかることにはわかる。彼女はかかる問題に埒が明かず、一度紫から霊夢へ視線を移し凝り固まった議論に新風を寄越そうと考えたのである。つまり、押してダメなら引いてみろという至極簡単なブレイクスルーだ。
 だが今の情勢で彼女の言う『霊夢ん家』へ突撃したら、はたして鬼が出るやら蛇が出るやら。そうは言っても、今のどん詰まりに甘んじているわけにもいかない。いつかは打開せねばならぬのだ。では自分は進展を願って身を擲つか、将又(はたまた)、鬼を恐れて安きを取るか……
「じゃあ、ほら、行かこうぜ? しけた顔してないで私に任せろって」
 文は妖夢を見た。妖夢も彼女を見て目があった。互いに相手の逡巡を認めるが、この後案の定、魔理沙の手に強いられて飛び立つのだった。むろん成功の確証も掴めぬまま、深い闇の中を行くように。



 夜寒を肌に感じつつ、魔理沙一行は博麗神社門前に降り立った。『すでに寝ていたら』という懸念もあったが、魔理沙曰く「萃香がいるからどうせ起きてる。だから心配いらない」と言ったので、文は安堵と不安を同時に覚えた。このアンビバレンスな作用が、いつもの聡明な彼女を惑わせ、深い夜霧に包まれるように判断力を著しく損なった。降り立った時にはもう、魔理沙について行くより外、残された選択肢はなかった。
 一行は丹塗りの鳥居を抜け、棺桶みたいな賽銭箱へ続く敷石道を進んだ。神社を持ち上げる小高い山は、夜の闇に浸って森閑とし、鳥の一声さえしない。振り返れば、赤い鳥居に切り取られた夜空が見えるばかりであった。俄然文の脈は早まり、それは緊張という形で顔色にも表れた。
 と、そのときである。
「魔理沙ッ!! 魔理沙ぁぁぁぁぁぁ」と走り寄ってくる子鬼を見つけたのは。
 それを見ると魔理沙はニヤリと笑って「ほらな?」と言った。
「なぁなぁ魔理沙ッ。田中はッ? 田中はッ?」
 星よりもまぶしく目を輝かせる子鬼は魔理沙の手を取って、物をねだるように大きく振る。スラリとした文や固より、平均的な妖夢、背の低い魔理沙より低いので、なんとなくその燥いだ声も姦しい感じもなく、却って微笑ましい。無垢な少女を見ているようで、文の顔もにわかに和らぐ。
 威容な一双の角の間に、魔理沙はポンと手を置いて、ナデナデとする。
「また今度」
「……また今度かぁ。あ~早く会いたいな」
 子鬼は夢見る少女のように空を見た。いや、空というより、頭に描く空想の何かを見たようだった。
 こんな彼女の陶然のわけを、文も妖夢も知らない。知っているのは幻想郷を探しても、おそらく魔理沙だけであろう。
 伊吹萃香は、博麗神社に寄生している。寝食も、霊夢と共にしている。
 ならば当然田中のことを知り得るし、霊夢の言葉から彼の姿を描くであろう。しかし霊夢から与えられる道具はすべて偏った色をしている。骨子をなす田中の容貌、それへ肉をつける性格、そして画中の人物を動かすに足る挙措……霊夢のフィルターを通るとこれ等すべてが、世にも稀な素晴らしきモノに変質して、萃香の手元に落ちるのである。他に画材がないので、仕方ないから萃香はコレで描く。必然的に彩色のすばらしい田中が出来る。となると、萃香は憧れ、次第に懸想が生まれ出す。もちろん、田中に会いたくなる。田中に会って、話してみたくなる。そして霊夢と同じように好きだと言いたくなる。
 だから、空想の田中に恋をした萃香は、恋敵(ライバル)である霊夢ではなく、頻々遊びにくる魔理沙に想いを打ち明けることにした。どうしたらいいのかと? 魔理沙はそれを面白がって、田中の素晴らしさを美辞麗句を尽くして語りつつ、こうアドバイスするのである。
「まだ会うのは早いぜ。私は田中に萃香のこと言っておくから」と。
 こうなったらもう、萃香は空想の田中に心酔し、女妾でいいからと一緒に居たいとなる。が、魔理沙が言うので自ずからは会いにゆかない。霊夢と遊ぶことになっても、自分はついていかない。
ただ霊夢と結婚すれば、自分を愛妾にしてもらい、自分と契りを結べば、霊夢を女中にする。それだけを思って萃香は――――彼女曰くだが――――女を磨いている。
「ねぇねぇ、そっちの二人も田中……さんを知ってるのっ?」
 萃香は無邪気に訊いてくる。
妖夢は知らないから首を振る。けれども、文は見知っているのでうなずき、「知ってますよ。背が高くて声もよくて。でも、顔は――――」
「――――顔もいいんだぜっ!!」
 魔理沙が邪魔をする。文は怪しみを成し眉をしかめると、魔理沙が近寄ってコソコソと「私に合わせてくれ」と言った。魔理沙も魔理沙で、萃香の暴走に手を焼いているのである。彼女が原因であるのに。
「だよねっ、カッコいいよねっ」
「え? 田中さんってカッコいいんですか? でも紫さまはそんなこと……」
 妖夢も感化されて、魔理沙へ問う。
「もちろん。超カッコいい、カッコよすぎて鼻血が出そうだぜ。なっ?」
「え? あ、はいっ。カッコいいですよ、すごく」
「そ、そんなにカッコいいんですか……田中さんって」
「そりゃーもう。言葉じゃ言い表せないくらいッ」
 妖夢にヘンな芽を植え付けてしまったようだが、魔理沙は難を乗り切ったと、話題を移す。
「なぁ、萃香。霊夢は? 霊夢、いるか?」
「霊夢? うんっ、いるぞっ。よんでこようか?」
「いいや、私たちもソッチに向かう」
 歩き出す一行。先行する萃香は後ろ歩きである。
「でもなんで来たんだ?」
「紫と霊夢の仲直りだよ」
「なんで?」
「なんでって紫が田中を好きだから」
「え?」
 萃香はストンとうしろへ転ぶ。が、起き上がろうともせず、呆然と魔理沙を見つめている。
「ど、どうした?」
「だって紫が田中を……って」
「知らなかったのか?」
「し、知らないよっ。私、そんなこと知らないっ。紫と付き合ってるなんて……知らないっ」
 萃香は首を横に振る。俄かに信じ難いように首を振って、泣きそうになっている。というか、「私、私……」と目頭を吹き拭き、泣き出している。思い込みが激しいため、紫と田中を勝手に添わせているのだ。
 するとそんなところに、中々帰ってこない萃香を心配してか、奥の方から霊夢が現れる。言うまでもなく、第一に彼女が目にするのは、涙する萃香。耳には、静かな森に伝わる、引きつった哀しい声。
 それを聞くと、霊夢は訳も分からずカッとなって、ボンヤリする三人へ詰め寄る。
「ちょっと、何泣かせてるのよッ!! 寄ってたかってッ!! ねぇ、大丈夫?」
「霊夢、霊夢ぅ……うぅ」
 霊夢の腕に抱かれる萃香は、彼女の胸へと顔をうずめる。しかし嗚咽の声は洩れる。涙は頬を伝う。震える体をギュッと抱きしめ、霊夢はキッと魔理沙を睨んで、「何したの?」と。
「こ、これはだな」
 魔理沙は言い訳しようとするが、その前に、
「ゆかりと、付きあって、るんだって…………」
「え? ゆかり……が?」
 霊夢の顔はサ――ァと青くなる。しかし石膏のようになったと思ったらすぐに、火がついたように顔を真っ赤にし、そして大きな瞳から冷たい涙がほろりとこぼれた。



[35704] 妖夢の仲直り大作戦 part2
Name: 骨なしチキン◆db1f58fc ID:6073e750
Date: 2013/12/06 08:00
 もはや業腹である。月の姫はお冠である。いますぐ飛びだしたい位である。
 けれども輝夜にも、辛抱というモノがある。だからジッと黙って紫と向き合っていたのだが、とうとう堪忍袋の緒が切れた。
 傲然と立ち上がって襖をあける。あの三人の下履きがないのを見ると、尚のこと怒りを覚える。ひっ捕らえて小一時間、罵倒しようと思う。もしも楽しく騒いでいたら三時間に変更だ。そこにもって来て男と遊んでいたら、ぶん殴ってやる。コノワタみたいになるまでパンチしてやる。
 そんな風にプリプリしながら外に出ようとする輝夜を、むろん残った二人が見逃すはずもなく、項垂れていた紫が顔をあげて「どうしたの?」と尋ねる。
 当然輝夜は振り返るが、その顔のスゴイこと。怒りと困惑とが渾然一体となって、もはや、なにがなんだかわからない状況である。これには紫も、頬を引きつらせずにはいられない。
一方、子どもの扱いになれた慧音は、至極平然に「どうしたんだ?」と問いかけた。
 すると輝夜の形相が怒りから一転、安堵にかわった。それこそ子どものように、己が憤懣を人に話せるのが嬉しいのである。とはいえ一応怒った態なので、ドスンドスンと畳を踏み鳴らし、元居た場所におもたく腰を下ろす。
「っで、どうしたんだ、いきなり?」
「どうしたもこうしたもないわよっ。私たちを置いて、どっかに遊びに行ったのよ? これで怒るなって言う方がおかしいじゃない。だから探しにいくのよ」
「遊びに行ったわけじゃないだろ? ずっと缶詰だったんだから、ちょっとした息抜きだ」
「ちょっとじゃないっ。外はとっくに暗くなってるもんっ」
「アイツらが出て行った時だって、とっくに暗かったぞ」
「もっと明るくあったしっ。だから探すのっ」
「……でも、どこを探すの?」
と、はじめて口を入れた紫。勢い、前のめりになっていた輝夜は、突然容喙した紫の言葉にその体がちょっと手持無沙汰になったのか、ゆっくりと元の場所へからだを戻す。そして言いにくそうに「まだ、決まってない」と答えた。
「そうか……」
慧音は微笑み、思わず紫も相好を崩した。
輝夜はバカにされと思い、躍起になって面詰するが、それがまた、子供っぽい。決して人擦れした子どもではなく、年長者の姉にはむかうヤンチャな妹みたいな感じで、刺々しい言葉の中にも、幼く、愛らしいところが感じられるのだ。これにはわざわざ二人も顔を見合わせて好意的な笑みをうかべるのである。けれども輝夜の目には、それがどうしても、嘲笑の類にしか思えない。
「バカにスンナっ。私は本気で怒ってるんだっ!!」
「まぁまぁ、落ち着け。そのうち戻って来るさ」
「そのうちじゃ意味ないのよっ!! 今すぐここに引っぱって来て怒ってやんないと、とにかくダメなのっ!!」
「怒った部長、最高にかわいいわ」
「田中なんかに惚れた女に、かわいいって言われても全然うれしくないから!!」
「ふふっ、照れるなよ」
「照れてないっ!! というか、もう知らないっ!!」
 煮え立ったお湯のように勢いよく立ち上がる輝夜だが、その拍子に、己が服の褄を踏みつけ、スッテンコロリンうしろへ転げる。だるまさんみたいに体を元に戻すと、クスクス笑っている二人が目に入った。輝夜は赤いペンキでぬったように顔を真っ赤にして、耳をつんざくほどの大喝を放つのだった。
「笑うなっ!!!!!!」



 さて、団子屋での一騒動はさておき、博麗神社のほうへ目線を転じると、なにやらワイワイやっているようだ。おまけに風呂場でワイワイである。見てみるに、ちいさい湯壺にみんなで入ろうとなっているらしい。発案者は魔理沙に決まっているが、いくらなんでも無謀すぎる。とはいえちょっと覗いてみよう。
「ちょっと……きつくない?」
 湯船の突端に追い詰められた霊夢は、魔理沙に問いかける。魔理沙は超然として、からだを洗う文を見つめている。正確に言えば、形の良い文のお尻を見つめている。なんだかバカらしくもあったが、霊夢も魔理沙に合わせてそのお尻を見ていると、
「足、長くね?」
 魔理沙がそんなことを耳打ちする。
 霊夢も思うところがあったので
「そうね」と丁寧に返すと、
「そうだよなっ。尻デカいくせに、足長いよなっ!!」と大声である。
 狭い風呂場をどよもした声は、文の耳に届かぬわけはなく、彼女は咄嗟に思い当たってお尻を隠した。
「おい、見てみろよ、霊夢っ。アイツ、尻を隠してるぜ」
「ちょっと聞こえるわよ」
「聞こえてますよっ!!」
 文はお尻を隠したまま一回転、小ぶりなおっぱいがプルンと震える。
 Bカップと言えども、風呂場に集まる貧乳の只中においては、もっとも威容で母性的である。立て板のごとき霊夢の貧乳より、幾数倍も吸い甲斐がありそうだ。けれども一つ欠点として、なんだか左右の大きさがそれぞれ違う。湯気に曇った風呂場の中でも、その違いが著るく現れており、指摘せぬわけにはいかなかった。が、そこはマナーである。見るからにコンプレックスとわかっているものを、そう簡単に……
「―――――あれ、大きさ違うな」
 ためらいもなくズケズケと聞くのは、むろん魔理沙だった。
彼女の立派なところは決して後悔しないことだ。あとあと咎め立てをうけても、開き直る気概さえある。そんなところを男らしいと勘違いする女子どももいるようだが、彼女に向かって心置きなく罵倒できる霊夢に言わせると「たんなるバカ、無鉄砲」らしい。実際、魔理沙の向う見ずに、何度泣かされて来たことか。
 今回も、そんな無鉄砲なことを言って、人を困らせるのだろう。
 霊夢はにわかに重たい気持ちになったが、意外や意外、いかにも深刻そうな面持ちをして、文はこんなことを言い出した。
「……モテませんよね」
 そんな突拍子もないひと言に、霊夢も魔理沙も顔を見合わせ、一度に文の顔を見た。
 文は「そっち言っていいですか?」と尋ねる。
「狭いけど、いいわよ」
「はい……」
 そう言って文が湯壺に入ると、少しばかり残されていたお湯たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。浸っているのは、もう、下半身ばかりである。つまり、お湯がなくなり肉だけになった、湯壺は、肉壺になったわけだ。このことについて筆者の方で禿筆を阿し、すこし委細をつづると……霊夢も、魔理沙も、妖夢も、萃香も、そこに加えて文さえも、進んで肉壺となり、触れてはならぬ秘境の部分――――各々方に想像を託すが――――を、だれかの指先や、足の先にくっ付けているということだ。なんと素晴らしい肉壺だろうか。
これは――――要するに、『×湯壺 〇肉壺』というのは、魔理沙の頭の中でのことであり、筆者には関係ない。総じて彼女に責任があるので、「風紀を乱すな」とのご意見は、彼女に向かって発せられたらよろしい。
 まぁ、そんな言葉遊びはひとまず置いて、天狗の語る悩みに、耳を傾けよう。
「わたし、ずっと以前に、お付き合いをしていた方があったんです。そのときは、わたしも初めてで、勝手も分からなかったのですが、それ故に純一無雑のお付き合いで過ごしていたのです。だって名前を呼ばれるだけで赤面ですもの、あの頃のわたしも若かったと思います。けれども段々相手がわかってくるうちに、言葉だけの対話じゃ、なんだか物足りなくなってしまいました。そうしてわたしたちは、人目を盗んで、接吻をはじめました」
「キャァー!! 接吻だって、接吻っ!!」
興奮した様子の魔理沙が、霊夢の肩を揺らす。
「わかったから。わかった。っで、次は?」
「その、あの時代は……」と文は、続ける。

 このあとの話の内容はXXXのほうに映ります。
 未成年の方には申し訳ありません。


 左右の胸の大きさが違うが故に、それ以後の性生活が破綻したという、あまり明け透けな告白に、肉壺のメンバーは呆然としていた。とくに魔理沙は、となりの霊夢の肩の辺りに顔をうずめて、なにも見ていないようだった。なんだかんだ言ってもっとも乙女なのは魔理沙なのである。その次に恥ずかしがっているのは、霊夢のようだった。以外にも妖夢は、平生通りである。いや、よぉ~く見ると、彼女の眸はどこか遠いモノになっており、心ここにあらずといった具合である。そして最後の萃香は、なんだかひとりで始めちゃっているようだった。
 文は、そんな面々の表情を満足そうにながめて、ネタばらしをしようとする。
 彼女が告白したのは、ある官能小説家から批評を頼まれた作品の冒頭を、いろいろ潤色しつつ、語って聞かせたモノである。彼女の実体験でもなんでもない。彼女は至って普通の恋愛をしているのである。胸のおおきさだって、たまたまこの小説の主人公と一致しただけで、特段ふかい意味もなかった。
「あやや、みなさん、すごい顔してますよ」
「だ、だって、それは……ねぇ? 魔理沙?」
「……ダメ、ダメだぜ、それは。いや、想像すると……ううぅ」
「ふぅ~む。なかなか好評のようですね。それで、そちらの子鬼さんは。……ちょっと触れない方がいいですね。規制がかかりそうです。いや、これはもうアウトでしょうか。それにこっちに庭師さんも」
「―――――――」
「……なんか、わたし、あまりにスゴイことを言ってしまったようですね」
 下世話な話にしたたかと酔ってしまった魔理沙を、霊夢はやさしく介抱しつつ、「酒の勢いって怖いわね」と答えた。
「酒? わたしたちは飲んでませんよね」
「ええ。深夜のテンションと酒の力を借りて、なんだか暴走を始めたらしい婚活録が、きっとどこかで有名になっていると、ひそかに心待ちにしているヘンタイがどこかにいるのよ」
「へぇ~、意外です。もはやヤケクソですね」
「野となれ山となれよ。人生がどうでもよくなったのよ、多分」
「大方、そんなところでしょう」
「じゃあ、そろそろでましょ」
「そうですね」
 文は快く立ち上がって、風呂場を出ようとする。彼女の中ではすっかり、事の次第を、ネタばらしした気でいるのだった。
お下劣な閑話的なモノを差し込んだところで、さて、そろそろ本題へ向かおうと思う。

 それはまず、輝夜たちの行動を叙述するほかあるまいと思うので、叙述させてもらう。

 現在、彼女らは、空を飛んでいる。向かう先はなんと、博麗神社である。とはいえ確証があるのではない。どうやら魔理沙一行が博麗神社のほうへ飛んで行ったらしく、独善的に輝夜がそう憶断したのであった。奇しくも当たっているところがなんとも彼女らしいのだが、霊夢とケンカ中の紫にしてみると、はなはだ迷惑な憶断であった。確証もないのに、何がうれしくて博麗神社に行くのかと、わざわざケンカを売りに行くようなモノではないかと、そう憤ったのだが、一度こう決めた以上輝夜に聞く耳なんてなく、慧音を伴って飛んで行ってしまったのである。

(もう知らないわっ。あんな人っ)

 紫はプリプリと怒って、元の座敷に戻って来たのだが、どうにも居心地が悪い。勃然と湧いた怒りのせいもあるが、それよりも、ちょっと心細いのだ。年波を重ねてきた彼女であるが、一人ぼっりになることは怖いことなのである。そこにもって来て、現在、気を病んで神経の過敏になっていることもある。今すこし人の温かみに触れていたい筈なのだが、今はたった一人ぼっちで正座を組んでいる。紫は不安に駆られて店を飛びだした。

 上下四方の大天蓋のうちに、二人のすがたを探し出すのは至難の業である。向かう先は決まっているとはいえ、果たしてどういう順路で向かうのか知らないし、気まぐれな輝夜のことだ、気散じに寄り道するかもしれない。

 薄情なほどに暗い空の下で、紫は、ビクビクとさまよっていた。、

(……だ、大丈夫よね。いきなり暴漢なんて現れないわよね。でも、弱り目に祟り目って言うし。――――ああ、ダメダメ。そんなこと考えちゃダメよ。でももし誰か出てきたら、)

 考えれば考えるほど、怪奇譚とか、凄愴な悲劇とか、救われないラストが脳裏をよぎる。

(薄い本みたいな、そんなことなんてイヤよ。闇堕ちなんて絶対……)

 そう思うと段々、紫の目元に涙がにじんでくる。天地神明に拝むごとく両手を合わせて、キョロキョロとまわりを見回し、鳥が飛び立っても大きくビクついた。スキマじゃなくて、普段から飛んで移動していればよかったと、紫はつよく後悔しつつ、とにかく飛び続ける。

 と、露を結んだ夜空の裏に、ふたつの黒い影が、あきらかに他の物体と違う感じで浮かんでいた。こちらが近づくにつれ大きくなることを以て推すに、どうやら人間のようである(この人間は人類一般ではない。人型の謂いである)。紫は怖れをなし、覚えずその場に留まった。咄嗟に振り返って我が来た道を見てみるが、陰森な森の上にある夜の闇は、なんだかトテモ怖い。

(……す、すんでみよう。わたしは賢者なんだから、きっと大丈夫よ。うん)

 意を決した紫は怯えつつも、その二つの影へ近づいて行く。
次第にその距離が縮まってゆくにつれ、その影の形がはっきりとし、そうしてその影が、あの二人と知るや否や恥や外聞もなく、紫は猛然と飛んで行った。

 輝夜たちも、背後から迫る猛烈な気配に気が付いて振り返る。慧音なんか身構えて気迫十分だったが、しかし、実は、その物体が紫だと知るに及ぶと、半笑いをうかべて輝夜のほうを見た。

 しかし輝夜はいかにも不思議そうに、八の字を寄せている。紫の怯懦の意味がよく分からないのである。常日頃夜の散歩を習慣とする彼女が、そもそも夜への畏怖というモノを持っている筈もなく、くわえて、恋の病の切なさへの理解が欠けていることもあって、同情という選択肢がなかったのである。

「やっと見つかった……」

「やっと見つかったって、さっき発ったばかりじゃない」

「でも、やっと見つかった」

 息を切らしつつ屈託なく笑った紫に、輝夜の声は急かすように答えて言った。

「は、はやく行くわよ」

 その声にはもちろん、照れ臭さのあったのは言うまでもない。ただ紫も輝夜もそれにはまるで気づいていない。当の本人が気づいていないのだから、絶えて傍観者に知られる筈がなかろうと思われると思うが、慧音は、しかし、それを感じ取っていた。あえて声にしないまでも彼女の表情のほころんだ様子は、それを物語っていたのである。



 輝夜たちは無事、博麗神社に到着、いざ対面の時を迎えようとしていたが、その前に、この物語にもっとも重要な人物を書きださねばならぬため、すこし視線を転じさせてもらう。

 場所はボロクソの長屋である。そこの住人は久しく物語に不在だった田中である。そして、そんな田中とひとつ屋根の下にいるのは、藤原妹紅だった。田中の万年床に横たわって、忙しなく白い両足をバタつかせている。夕べからこの調子で、ひとつの山のごとくそこから動こうとしない。田中もうちゃって置いた。

 と、その態勢が遂に崩れる。ゴロンと身をころがし、仰向けになってウーンと両手を伸ばす。そうして憚りもなく大きく欠伸をし、涙にぬれた両目を手でこする。

「読み終わったか?」

「まぁ、半分くらい」

 田中に起こしてもらい、またもや大きな欠伸をした。

「のどちんこ見えたぞ」

「女子の前でふつうそんなことを言うかね。ホントっ」

「なに言ってるんだよ、お前だから言うんだ」

「ふ~ん、輝夜には言ったことないの?」

 胡坐をかいた妹紅は、心もち唇を尖らせる。

 田中はパチンっと額につまはじきを打ち、「張り合うな」と答える。妹紅は額を押さえて不服そうな顔をするが、それを見かねた田中の「お前だけだよ」という言葉に満足して、もう一度煎餅布団の上に横になった。
布団も、枕も、全部田中のモノで、奥の奥まで彼のニオイが染みついている。ただ、寝床の湛えた温度だけは、妹紅のものである。彼女は田中のニオイに包まれながら、おもたげに目蓋を閉じた。昨晩の田中の狼狽ぶりを思い出して、それをひそかに楽しみながら。

(……昨日の田中、なんかかわいかったなぁ。いっつもわたし等をバカにしてるけど、あんな顔もするんだなぁ。……あとで慧音に教えてやろう)

 妹紅がそんな事を思っていると、

「妹紅」という真剣な声が飛んでくる。

 なにかと思って目をあけると、意想外に近い位置に田中の顔があって、妹紅は柄にもなくドキリとしてしまう。それに、精悍そうな顔とは言えぬまでも、どちらかと言えば男らしい田中の顔は、とっても真剣そうである。にわかに妹紅のからだは固くなる。ちょうど、犬が飼い主に腹ばいになるように、彼女は両手を胸の前でギュッと握って、反抗の色のないことを示す。というより動けなかった。彼女は、彼女のからだの所有権を田中に譲渡する。不思議と不安はなかった。

 そうして妹紅は、背中に、太い指先を感じつつ、かつ又、かすかに香る酸っぱい男の汗を感じつつ、田中の逞しい腕の為すままになった。抱き寄せられるようにからだが起こされると、彼の両手は、自分の肩にかかる。一心に見つめる田中の眸に、妹紅は頬を赤らめた。目を伏せて絡み合う自分の両手を見、そうして、ほとんど声にならない声で、

「だ、ダメだって」と。

 しかし田中は無言だった。妹紅が恐る恐る顔を上げると、その瞬間にはじめて、

「……だれにも言うなよ、このことは」

「…………」

 またもや妹紅の視線は下に落ちる。が、頬に、息のようなモノを感じて前に向き直ると、田中の……男の鼻先が迫っていた。唇は端然と閉じられ、夜になって生えてきた口髭も見受けられる。妹紅はゴクンと息をのんだ。自分の唇は渇いていたが、田中のそれは、とても潤っている。するとその唇が半分にわかれ、白くつややかな前の歯が、妹紅の目に映り込む。

「わかったか、妹紅?」

「……わ、わたし」

「どうした?」

「こ、こんなに、こんなに田中のことを好きだと思わなかった……」

「だから、俺とおまえの秘密だ。絶対言うなよ? 慧音さんにも、輝夜にも」

「もしも言ったら?」

「言わないくせに。そんな冗談はやめろ」

「だって、だって……」

 枕元を振り返った妹紅は、そこにある手紙を荒々しくつかみ上げた。そして……


「キュンキュンするじゃん!! なにこれ、もう、ヤバいっ!! 絶対わたし、巫女派だよっ。このラブレターを呼んでるだけで、……わたしも恋したくなるってっ」


「……頼まれても、読ませなければ良かった」

 田中は今更ながらに後悔する。昨晩、唐突に妹紅が訪ねてきて開口一番に「ラブレターが読みたい」と言い出したのである。その理由を聞くと、どうやら妹紅が近々それを書く予定があるらしく、手本として霊夢のモノが見たいのだという。それならばと田中は至極純粋な気持ちで、恋する乙女に閲覧の許可を出したのだが、今思うと、おそらく、ラブレターを書くなどというのは単なる口実で、その実は、卑しい好奇心がためであろう。

「なぁ田中。ここは男らしく、博麗家の婿になるべきじゃない? 冗談じゃなくてさ」

「はあ、俺が好きでもないのに結婚ってなったら、アッチ側に失礼だろ」

「好きじゃないの?」

「いや、だからさぁ、そういうことじゃないって。好きだけど恋人としては首を傾げるってことだ」

「……優柔不断め。そうやってのらくらしてるから、女を傷つけるんだよ」

 と、拗ね込んでしまった妹紅は自分の膝を抱いて目を伏せる。

「はぁ……俺にはこう、色々あるだろ?」

「『アレ』のことか?」

「ああ。おなじ過ちはしたくない」

「あの巫女なら大丈夫だと思うけど」

「違うって。たしかにアイツは大丈夫だと思う。だけどな、もしも『アレ』が誰かにばれたら、俺、殺されるぞ?」

「不老不死の薬を舐めれば万事オッケー」

「オッケーじゃないっ。だからとにかく、あんまり有名な相手とは付き合えないの」

「有名じゃないね。わたしみたいな奴?」

「ああ。お前みたいな奴」

 あまりに冷淡な田中の声に、思わず妹紅は長大息をつかされる。

「はぁ~。でもなぁ……なんとしても添い遂げたいんだよ」

「勝手にやってろ」

「それじゃあ、勝手にやる。今から博麗神社いこうぜっ」

「は?」

「決まったからには行こうっ!!」

「イヤ、待て。その、俺はいか――――」




 こうして博麗神社へこぞって集まってくる演者諸君、皆が皆、それぞれの思惑を抱きつつ…………

 まぁ、こんな御大層な冒頭はおいといて、現在の博麗神社の狭い居間は最早どんちゃん騒ぎと言うべき、賑々しい宴が行われていた。文が「はたてを連れてくる」と言って外へ出てゆき、言辞通りはたてを連れてきたのだが、その手に酒瓶。話を訊くと、道すがらに買ってきたと言う。そうして、それが許になって、今のような喧しい酒宴にまで発展した訳である。

 田中に恋してから努めて酒を飲まないようにしていた霊夢も、今日ばかりは、酒を飲む。どんどん飲む。魔理沙が驚くぐらいに酒を呷る。萃香でさえ心配したぐらいであった。

「おい、霊夢? 大丈夫か?」

「大丈夫よぉ~。全然大丈夫っ」

「……相当ストレスたまってたみたいね」

 呼ばれて参上したはたては、となりの文にそう耳打ちをした。

 文は微苦笑をうかべ、「それはまぁ、色々あるでしょう?」と。それから盃をちいさく掲げて「でも、飲みまないと損じゃない」と言った。不承不承はたてはそれに納得し、手元の盃を飲み干した。咽喉を焼くような感じがする。あまり度の強いモノは飲まないので、正直にはたてはマズイと思った。

 そんな事を思うはたての対面、そこに坐る妖夢は、天の美禄を味わわずグビグビ飲んでゆく霊夢に向かって、

「でもでもわたしっ、ホント恋してみたいですよっ!! もう、運命の人なんてロマンですよねっ!? でも幽霊やってると中々出会いがないんですよね……」

 と訴える。けれども霊夢は聞いていない。胃の中に酒を流し込んでいる。普段の妖夢ならばここで話をやめて口を噤んでしまうが、酒が入り上機嫌の彼女にとって、聴衆の有無は関係しない。とにもかくにも日ごとに募ってゆく鬱憤を晴らせれば、それでいいのである。

「でも、わたしも頑張りますっ!! わたし、ハネームンで外の世界に行きたいんですよっ!! ねぇ、そう思いません!? 思いますよね!? ロンドンとかスイスとかオーストリアとか行きたいですよねっ!?」

「……よ、妖夢、落ち着けよ」

 割かしまともな魔理沙は、一人昂る妖夢の肩を持つ。しかし妖夢はのべつ幕なしに語り続け、魔理沙の言うことを一切聞かない。そもそも魔理沙の言葉が耳に入っているか、それ自体がフシギであった。潔く魔理沙は諦めて、すこしだけ頬を火照らすはたてへいざり寄る。

 つまみをつまんでいた彼女は、絶えずモグモグする口元を隠しつつ、

「どうしたの?」と。

「どうしたもこうしたも、みんなのテンションがおかしいからさ。まぁ先刻のエロトークもあったせいかもしれないけど」

「エロ?」

「いや、なんでもない。忘れてくれ。そうだ、萃香っ」

「んっ?」

 声に応じて、ズイッと萃香が立つ。そうして机のぐるりをおおきく回って魔理沙のもとにやって来る。しかし魔理沙は何も答えない。声には出さず、胡坐をかいた自分の足の上を叩く。その合図にはたてには見当もつかなかったが、萃香の方は合点したらしく嬉々として……その足の上に坐った。ちょうど二人羽織の形である。

「萃香の体温ってさ、普通の人より高いから気持ちいいんだよねぇ」

 魔理沙は萃香を後ろからぎゅう~とする。一方、萃香はそれに無頓着に、机に並ぶ肴をつまんでいた。前々からやられていたのだろうと、はたては思いつつも、自分も魔理沙みたいにやりたいという感情が擡げてくる。

「あと萃香のニオイって、酒を飲んでもいいニオイなんだよ。乳の香りっていうかさ、なんかいいニオイするんだよね。――――そうだ。抱きしめてみる?」

「え? いいよ、わたしは」

「遠慮するなって、ほら、萃香っ」

 随順な犬のように、萃香は魔理沙の言葉に従った。すっと立ち上がってはたてに寄ってくるのである。はたては遠慮に遠慮を重ねて両手を振っていたが、萃香は、しかし、正座を組んだはたての腿の上に腰を下ろす。

「ちょっと、これは、」

 はたては赤面する。なんだか非常に滑稽に思えたのだ。けれども萃香に退く料簡はないらしく、黙々として裂きイカを食らっている。そこに加えて魔理沙のニヤついた視線もあるし……はたては観念して抱きしめることにした。

「失礼します」

「うん」

 毒を食わらば皿までもの精神で、ギュウと萃香を抱きしめたその途端に、その萃香が、電撃に打たれた猿ようにビクンと飛び跳ねた。はたてもびっくりして身を離したその矢庭に、スッと立ち上がってこちらを向き、何かすさまじい眼光を目に宿しながらこう言った。

「おっぱいアル」

「へ?」

 一瞬彼女が何を言っているのか、はたてには理解できなかった。が、おもむろに伸びてきた萃香の手が自分の胸に触った時、流石のはたても気がついた。

「ちょっとやめてくださいっ!! そんな、いきなり――――」

「――――霊夢ぅ、おっぱいあるぅ……」

「聞き捨てならないわね」

「え? ちょ、ちょっとみなさん?」

「たしかDカップだったよなぁ?」

 昂然として魔理沙が立ち上がり、怖がるはたてへ、接近を試みる。くわえてそこに文も加勢し、うしろから抱きついて動きを止める。半ば涙目のはたては首をブンブン振るが、Dカップの魅力に取りつかれた女たちにはそんなことは関係ない。ただ進撃するのみである。


「――――アンタ達、何やってるの?」


 この声の主は輝夜だった。正面の方で挨拶して見ても誰も出なかったので、賑やかな声のする庭の方へ回ってみたら、この、酸鼻をきわめる集団暴行の現状が、眼前に示されたのである。

「ねぇ? イジメなの? これってイジメなのかな?」

「ぶ、部長っ!!」

 文の拘束を振り切って走ってくるはたてを、輝夜はギュッと抱きしめる。

「大丈夫?」

「みんなが、みんなが、わたしをっ!!」

 はたてを追って縁側まで来ていた魔理沙は、「え? ちょっと、え?」と、混乱の態である。まぁ、態というか、本当に混乱しているのだが、事情を知らない輝夜の目からすると、白々しく自分の責任から逃れようとする卑怯者のように思える。

「ちょっと正座しなさい」

「いや、待ってくれよっ。こっちにも言い分があるんだ。こうなった原因はな、会計の胸が……」

 魔理沙の口がピタリと止まった。その彼女の視線を追って見てみると、渦中の人物である紫が、怯懦とも恐怖ともつかぬ弱々しい表情で、その場に立っていた。

 今の今まで、姦しいとさえ思われた賑やかな空気が、一瞬にして静まり返り、天の美禄に燃える少女の頬から赤みが消えるのだった。その中でも就中、博麗霊夢の顔色の変化は甚だしいものである。それを、雪の色と言えばあまりに純すぎる。乳のごときモノと言えば、どうにも野獣的に精力的だ。名状できぬ白さと言うのが一番であるが、しかし、敢えて何かに例えてみると、それは、紙の白さだった。何の表情のない紙の白さだったのだ。




[35704] 妖夢の仲直り大作戦 part3
Name: 骨なしチキン◆f21fa94a ID:6073e750
Date: 2013/12/06 08:00
 紫は自分の想いを、率直に告げた。

 田中のことが好きなこと。卑怯な手を使って、彼の気持ちを確かめようとしたこと。自分が悪いのに、霊夢に謝れずに済ましていたこと。そして何より今、返答の有無は問わず、兎にも角にも今までの不義理を謝ってしまいたいこと。

 拙い語調でそれらを語り終わった後、紫はおもむろに顔を上げて、真正面に坐る霊夢に向かい、「ごめんなさい」と頭を下げた。彼女の声が潤んでいることは誰にでも気づかれるところだったが、殊更それを指摘するような野暮な輩はこの場にいなかった。

「……わかった」

 と、霊夢は努めて声を低くし、これを返事とした。それ以上彼女は何も言わず、たちまち立ち上がると、広い座敷の部屋から襖の向こうへ消えてしまった。するとまた一座に、沈黙の雲がかかり、重苦しいというか狭苦しいというか、言うに言われぬ沈痛な時間が流れた。

 しばらくすると、霊夢が、ある一枚の紙を携えてこの居間に戻ってきた。紫は意味もなく目を伏せた。すると、そんな彼女を気遣ってか、突然、霊夢の方が目元をやさしくして「ごめんなさいね」とつぶやいた。そして独白のつもりか、か細い声がこう続けた。

「わたし、我がままだった。……いいえ、きっと怖かったのよ。田中さんが独り占めにされちゃうって思って。だからといって、紫に当たっていいわけないのに。ホント、ライバルを蹴落とすことに気を取られて、アタックをやめてしまうなんて、本末転倒だわ」

「霊夢……」

「だから一筆書いてちょうだい。これから私の恋敵になるってことを、ね」
 



 妹紅の作戦はこうだった。

 まず最初に、博麗神社に行きます。そして田中と霊夢を二人にします。するとそれを目敏く見つけた八雲紫が、頭に角を生やして現れます。このとき上手いことを言って彼女を連れ出し、田中の凄惨な過去を彼女の耳に打ち明けて、失望と言うか諦めてもらいます。成功すれば霊夢と田中は天下晴れてのカップルで、人目をはばからず道々を歩けるようになります。

 これを思うと妹紅は、微笑を禁じ得ない。水面下で霊夢のことを助けるという、そのスパイ的活動もなんだか亢奮を感じるし、多少の罪悪感がまた、なんともつかない卑小な誇りを、彼女に与えるのである。

 田中宅を発ってからしばらく、二人は神社についた。すでに先客があるらしく、宴会のにぎやかさが社殿を洩れて、境内にまで響いていた。
田中と妹紅は顔をあわせた。紫のことが考えにあったのは、確かにそうだが、しかし妹紅と違って田中の場合、彼の考えたことは、いわゆる修羅場についてだった。彼にとっても他人同様、紫と霊夢のマッチアップは絶対に避けたいことだった。

「だれ来てると思う、田中?」

「え? 魔理沙あたりじゃね?」

「そうかなぁ」

「そうだよ。というか帰ろうぜ、邪魔しちゃ悪いし」

「邪魔な訳ないじゃん。博麗霊夢は、わたしに泣いて謝るぜ?」

「だけどさ」

「物は試しだ、行ってみるに越したことは無いって」

 田中にはフシギだった。なぜ妹紅はそこまで、果敢に攻められるのだろうか、と。やはり不老不死の身体をもつと生への安心感が芽生えて、射幸心や捨て身の心、とんちんかんな向上心が萌してくるのだろうか。とはいえ輝夜の場合は、まったく保身的で、ギャンブルなぞ毛嫌いしているぐらいである。

「ほら、いこうぜ」

「……仕方ない」

 田中はちいさな息をつき、妹紅の背中を追った。




 輝夜はこれでいいのかと思った。

 こんな簡単に終わってしまって、はたしていいのだろうか。二人の溝はこんなに浅いものだったのだろうか。はたして自分は何に対して心を砕き、心労を募らせたのだろうか。わからない、わからない。
彼女は顔をもたげて、楽しげに話す紫と霊夢を見た。話題は当然田中だった。田中の良いところや、田中のイヤなところ、その他もろもろ下らないこと。恋する二人にとっては何も憚るような話題ではないが、しかし、輝夜にとってその話柄はあまりに耳障りに聞こえた。

 次第しだいに、輝夜は不機嫌になっていった。

 誰の目にも分かるくらいだった。が、どうして彼女が腹を立てているのか、また誰に対して怒っているのか分からないので、誰しも彼女の情緒に話頭を及ぼそうとは考えなかった。いわゆる藪蛇というやつだった。

 一方、萃香は無邪気なものだ。紫と霊夢のあいだに挟まって、二人の話に一々うなずいている。田中と会ったことのない彼女も、出来るだけ情報を集めて、アタックする準備を腹の底で練っているのである。そう、たとえば……自分の長所は、この幼児体型。かりに田中がロリコンならば、絶対に自分を選ぶはず。霊夢はまだしも、フェロモンたっぷりな紫は必ずレースから脱落する。これは神に誓ってもいい……とか。心に疾しいところがないだけに、奸計ではなく堂々たる正攻法から攻めようと、彼女は単純に考えていた。

「あのさぁ、霊夢?」

「なに、萃香?」

「田中のタイプって、どんな感じかなぁ?」

「清純な子って聞いたわ」

 霊夢は得意満面の笑みをうかべた。紫も負けん気を働かせて「でも、大人っぽいのも良いって言ってたような」と呟く。どうやら二人も知らないようだ。萃香は裂きイカを口に食んで、向かいの輝夜に声をかけた。

「部長さんは知ってる?」

「知らない」

 酒も飲まないで一人、頬杖をついている輝夜は、屋根のひさしに半分呑まれた丸い明月を見ていた。憂いを帯びたみずみずしい瞳は、懐旧の念に浸っている感じがあった。萃香もちょっとドキッとした。
 事実、彼女の横顔はあくまで美しかった。しかし、その美しさは決して安気して見られるものではなく、なにか、果敢無い結晶で出来ているように彼女の顔貌は壊れやすそうだった。

「――――えっと、みんな」

 と、いきなり女の声がかかった。ふすまからオズオズ入ってきたのは、はたてである。ベロンベロンに酔った妖夢を介抱していたために、さっきまで隣室に居たのである。が、ふとした拍子に尿意を催し、この家の奥まったところにある、厠へ行った帰りのことである。玄関先でなにやら人の声がする。鍵穴から覗いてみると、なんと田中と妹紅である。どうやら訪ねてきたらしいが、うだうだやって入ってこない。いっそ自分が応対しようかと彼女は悩んだが、ひとまず家主の告げた方が良い、果断はよくないと思って、このように駆け戻った次第であった。

「……その、すっごく言い辛いんだけど」

「今日は無礼講だぜ」

 魔理沙はゴクリと一口で、手元の杯を飲み干した。

「えっと、そういうことじゃなくて……」

 と、はたては霊夢を見た。しかし、彼女はこちらを見ていない。縁側の方を向いていた。魔理沙も周りの空気が一変したことに気づいたらしく、月明かりの照らす庭先へ、視線を投げた。はたてもそちらへ向こうとした。が、突然輝夜が立ち上がってこちらに向かって来たので、はたては、道を開けなければならなかった。その際、ちいさく、まるで涙をこらえるような声が、彼女の耳元に「風に当たってくる」という言葉だけを残して、消えていった。



 妹紅にはなぜ、輝夜が出て行ったのか分からなかった。しかしそれは、自分だけでないことがすぐに分かった。田中も霊夢も、紫でさえ困惑の表情を浮かべていた。ことにその二人は、文などに比べて非常に濃やかな不安の色を漂わせていた。きっと輝夜も田中の事が……と危ぶんでいるのだろう。

 ならば、と妹紅は思った。

 ならば、いっそのこと輝夜を連れ戻して、紫といっしょに田中の秘密を教えよう。そうすれば彼女に芽生えた恋心も、簡単に挫けて散ってゆくだろうし、上手く行けば田中の周りから離れるかもしれない。こうなれば殆ど田中は霊夢のものになる。部外者の自分でさえ、二人のあかるい未来を昨日のようにはっきりと想像できる。

 だが……そう、だが、妹紅の足は動かなかった。しかしそれは、輝夜を想ってのことではない。かといってまた自分のためでもなかった。きっとこれは田中のためだろうと思う。彼女自身はっきりとした答えは出せなかったが、しかし、曖昧模糊としていながらも彼女が追えなかった理由は、確かなことに、田中という男に存していた。

 妹紅はチラリと田中を見た。彼は目を伏せて何か考えている様子だった。が、突然、顔を上げると、「……俺、ちょっと行ってくる」という言葉だけを残して、駆け出して行った。

 その背中めがけて霊夢の声が飛んだ。しかし、田中は振り返らなかった。霊夢は一瞬つよく奥歯を噛んだ。悔しさをかみ殺すような表情だった。そして彼女は、矢も楯もたまらずと言った風に、田中の後を追っていった。その間紫は黙然として、なみなみと注いだ杯の表面を、じぃーと見つめていた。


シリアスな感傷に浸っておきたい紫だったが、真実を知った萃香はそれを許さなかった。田中が全然イケメンでなかったことを知って、やけ酒をしているのである。酌婦は妹紅であるが、酒のツマミは田中への不満。ためにせっかくのシリアスが台無しで、紫もさすがに輝夜を追う気を無くしてしまったのだ。だって考えてみれば、輝夜と田中が付き合うことなんて有り得ないんだから。
「だいたいね、わたし思うだけどっ。霊夢みたいなカワイイ子が猛烈アタックすれば、人間に限らず草木さえ靡くよ? なのに田中はなに? アレ、ホモなの?」
「それはぁ……ないと思うけど」
 妹紅はチラリと慧音を見た。助け舟が欲しかったのだが、品行方正な女史とは言い条、慧音も人間、わが身がカワイイものである。紫と白々しく会話をはじめて、酒臭い萃香から目をそらしている。他のやつらも同様に、三十六計逃げるに如かずと言わんばかりの態度で目を逸らし、断じて妹紅を助けようとしない。憤懣を感じないではないが、元をただすと田中を連れてきた自分が悪いので、妹紅は辛抱づよく酒臭い不平不満に、相槌を打っていた。
 すると次第に萃香の話頭が、日頃霊夢がしたためる日記について自然に移って行った。それには紫も耳ざとく心付き、慧音との会話を早々と切りあげて、ほのかに赤い聞き耳を立てた。
「霊夢の日記になんて書いてあるか知ってる?」
「それは知らないけど」
「ホント、健気だよぉ……」
「そうなんだ」
「うん。おまけに小説形式で、田中との出会いが書いてるんだから」
 紫は「ん?」と思った。もし自分の考えどうりだったら、それは寧ろ私小説や、自分を主人公に置いた、単なる妄想ではなかろうか? 
どうやら妹紅もそう思ったらしく、酔いどれの子鬼に向かってこんな風に尋ねた。
「それって妄想じゃない?」
 しかし子鬼は染まった顔を怪訝そうにしかめて、
「なにバカなこと言ってるだよぉ」と言い、「だってあの日記には、田中が買った服とか食材とか、それに週刊誌まで書き込んであるんだよ? そんな細かく妄想できると思うの?」
 と、まるで正論を突き付けるように言った。まぁ、正論なのだが、妹紅は思わず「……ん?」と首をかしげざるを得なかった。彼女の頭の中には、見目うるわしい巫女服姿の霊夢がいる。いや、それしか存在しない。だから彼女は、萃香の言っている意味がよく飲み込めないのである。まるでそれではストーカーじゃないか、とマジメくさって疑っているのである。
 けれども萃香は、妹紅の霊夢像をさんざんにぶっ壊す、決定的なことを言うのであった。
「もしかして知らないの? 日に5時間は、田中ん家の周りを巡回してるんだから。田中のことをすっかり知ってるんだからね。もちろん紫よりっ。しかも、田中が出すゴミさえ、確かめてるんだからね。いいお嫁さんになるよぉ」
 ホラーである。もはやホラーサスペンスである。紫自身、今の今まで刺されずに済んだことを不思議に思いつつ、その幸運に、天上にまします運命の女神に感謝せずにはいられなかった。そのついでに戦いの神へ祈ろうとしたのだが、その戦いという単語でふと気が付いた。
 ……霊夢はたしか、輝夜を追って出て行った田中を追って行った。婚活部の中でも輝夜と田中は極端に仲がいいので、霊夢はきっと前々から輝夜を敵対視していた筈だ。その内実を知っている紫の場合、二人の間に築かれた仲睦まじい関係性は、相愛関係に発展しないとは否定しきれないものの、そこには自分や霊夢の見せる、見返りを求めようとするものはない。言えば輝夜は、無償の愛を田中に注いでいるのである。お兄ちゃんを好くような感じで。
 しかし、霊夢はそれを見誤って――――
「――――部長があぶないわ」
「……さようなら、輝夜」
 と妹紅はしみじみと呟いた。長年の仇敵として自分を悩まし続けた彼女だが、もう死んだと分かると、なんとも言えないさみしさが込み上げてくる。おまけに他の女の手によって落命するなんて、さんざん人のことを煩わせておきながら、なんという不義理だろう。ああ、輝夜。なんで君は死んでしまったのか。わたしだけを残して…………(婚活部・完)
「ちょっと終わらせないでっ!! とにかく止めましょ!!」
 紫はズイッと立ち上がる。しかし妹紅は見るからに億劫そうな顔をして「アイツはしにゃ~しないよ」と言った。それはそうだろう。蓬莱山輝夜は不死身の女なんだから。だがそれはそれ、これはこれなのだ。というか作者的にも、妹紅さんには是非ご尽力をいただきたい所存なのです。そうならないと物語が進まないし、紫さんの失恋が書けませんので。
「えっ? わたし失恋するの?」
「そっかぁ。でもわたし、面倒だな。それに作者って、輝夜びいきだもん。どうせ田中と輝夜をつっけるきなんだろ。後日談とか作って、輝夜の子どもを出す気なんだろ」
 …………藤原妹紅は、ことにうつくしい少女である。彼女の麗容を説明するには、じつに千言万語のことばを費やさなくてはならないだろう。ならば作者も己が脳を絞って、あらん限りの贅言を尽くそうと思う。いや、思うでは気概が足らない。わたしは尽くす。
……読者諸賢には申し訳ないが、これもこの小説の味だと思って見逃してもらいたい。キャラクターと話してるなんてマジきもいと思ってもらって構わない。実際わたし自身、ビクビクしながら書いている次第なのだ。だが今さら書いた文章を消して、新たな文字を打つことを思うと、書き続けるペンを止めるわけにはいかない。鬱勃たる我が創作意欲に任せて、一気呵成に、藤原妹紅の顔、身体、お尻、それを形容しようと思う。
まず何より目を引くのは、花顔雪膚たるその面差しである。きよらかな雪原に二つ、赤瑪瑙の玉を落としたような瞳、気高さと幼さを兼ねた美しい鼻筋、唇は薔薇より赤く情熱的に、白髪は絹の手触り。愁いによりて斯くの如き長しの侘しさはない。そして頬はほんのりと、赤子のような肉感に富み、笑むと出来るえくぼには、だれもが吸い込まれそうな……ほとんど危機感と言っていいものを感じ得る。入神の彫刻師であろうとも、これほどの美を作り出せるだろうか? 僭越ながらわたしはそう思わない。彼女の存在こそ神の存在証明、神でなければ彼女ほどの美しい人間を、作り出せるはずがない。多分。
「っで?」
っで、胸の説明は省いて。
「……おい。胸は巨乳として描けよっ。どうせ作者のさじ加減でどうにでも――――」
よし。お世辞はこれぐらいにして次の場面へ行こう。
「横暴だ、こんなの横暴だぞ!!」



「ちょ、ちょっと博麗?」
「愛してます」
「わ、分かったけどさ。ほらっ、部長様を……」
「わたしとあの子、どっちが大事なんですか?」
「イーブン」
「じゃあ、あの子のどこが私並に愛らしいですか?」
「まず自分のことを愛らしいと思うなよ。というか、マジで離してくれ」
 田中は現在、博麗霊夢に捉えられている。それもギューと抱きつかれて。
 じつは飛びだした直後、後ろから猪のように走って来た霊夢に捕まったのである。だから場所も境内で、泣いている筈の輝夜に慰めの言葉もかけられず、いたずらな問答を繰り返していたのだ。
「いやです。わたしの……わたしの唇を奪ってくれるまではっ!!」
「じゃあ奪うから、奪うから離れてくれ」
「いえ。もう離れません」
「だって……」
 胸に顔をうずめる霊夢のつむじを見下ろし、田中は「はぁ……」とため息をついた。もしやその息が、聞こえたのかもしれない。潤んだ瞳を月光に輝かせて、白面の健気な少女は、哀切な響きで問いかける。
「なんで……なんで、わたしを奪ってくれないんですか?」
「…………」
「こんなに恋しいのに」
 霊夢の耳には、田中の心音が聞こえる。心臓の形が――――グロテスクさはなく、生物の神秘に充ち満ちた光景で、ドクンドクンと脈を打つさまが、涙にぬれる睫の中に浮かんだ。
「こんなに近いのに……」
「それは……傷つけたくないからだよ」
「…………田中さん?」
「俺だって苦しい。俺だって恋しくなることがある。だけど、俺が博麗を愛せない理由は……傷つけたくないからだ。もちろんお前だけじゃない。紫さんだって、はたてちゃんだって、魔理沙だって、それに輝夜だって……恋しいと思うことがあるんだ。だけど……」
「田中さん……」
 霊夢は一歩、うしろに退いた。それにつられるようにもう片足も、つめたい石畳を踏んだ。足袋が包んだ柔らかな蹠(あしうら)は、鉱物的な堅さを霊夢に教えた。
「分からないだろうけど、俺には秘密がある。誰にも明かせない秘密が」
「じゃあそれを――――」
「――――ダメだ。俺は、この秘密の所為で、恋人を失った」
 その言葉を聞き、霊夢はハッとした。
 なぜ彼が、あの月の姫を選ぶのか。どうして、この自分を選んでくれないのか。
 それは、死だ。一切衆生須らく死に向かうものとして、自分を選ぶことを能わず、その大道を紊して金剛不壊の霊肉を宿した・清浄(しょうじょう)な月の姫を、彼の過去が選んだのだ。
「…………あの人が、そんなに」
「博麗……」

「――――ねぇ。わたしのことを慰めにきたの? それとも、バカにしてきたの?」



 実のところ、輝夜は泣いていなかった。
 というより、悔しかったのだ。最近わたしと付き合いが悪い癖に、妹紅といっしょに遊んでいたなんてありえないっ!! と。けれどもあそこで怒鳴ってしまったら余りにみっともないので、ワァーと沸き起こった怒りを癒すため、森を渡る夜風を浴びに出たのだ。そして、「もういいかな」と階段を上がってくると…………この、痴話げんか。
「か、輝夜……」
「なに?」
「泣いてたんじゃないのか?」
「は?」
「だって――――」
「――――蓬莱山輝夜っ!!」
 と、星をも落とすような大音で、霊夢が叫んだ。潤み声ではあるが、丈夫な芯のある・凛々しい声色だ。
「あなたは、田中さんを愛する覚悟があるっ!?」
「……え?」
「いいえっ!! 無いなんて言わないでっ!!」
「ちょっと……」
「田中さんを……苦しめないで……これ以上」
 霊夢はそう言い終えると、突然膝節を崩した――――いいや、崩されたと言った方が正確かもしれない。現に輝夜の目には、そう映った。そして、さやかに白い石畳の上に、滴々と涙を落とすその風情は、あたかも天上人の涕するがごとし。理由は知らねども、哀憫の情につられることは人の自然。輝夜の面にも、月明かりを暈かすばかりの叢雲のような影が、サッと動いた。
 ――――と、思いもよらぬ大音が霹靂の如く、蕭やかな沈黙を貫いた。

「――――田中っ!!」

 見ると妹紅である。酒瓶片手に怒った姿は、さながら名物おやじの感がある。ゾロゾロと続いた女子連も、なんだかおかしい。侮蔑の光りを目に集め、あたかもレーザー光線のごとくに田中の顔へ一点集中、穴が開くばかりに照射する。
紫でさえ、なぜか余所余所しい。
「ど、どうした、妹紅?」
「婚活録において不遇の立場を訴えようとしての行動だ。すべての関係を、ここで断つッ」
「……えっと、なにを言ってるんだ?」
「――――た、田中さん。聞きました」
 と、文が言った。それに続いてはたても「見損ないました」と。すると、初対面の子鬼でさえ「霊夢を返せっ!!」魔理沙に至っては「まぁ、人間万事塞翁が馬だぜ」と、悟った風なことを言う。
 そして最後に慧音が「秘密、教えてもらったぞ」と。
「……おい。妹紅?」
「作者への反逆だ。そして同時に読者への問いかけだ」
「メタ発言はよくないぞ」
 と言ってみる田中だが、怒りに燃える妹紅の顔に、まったくの躊躇はない。
「はたして、こんなクソ野郎がモテていいのか? わたしは、そう訴えかけたいっ!!」
「……落ち着け。えっと、マジで落ち着いて」
 と、ジェスチャーでなだめようとするが叶わず、霊夢の泣きじゃくる声が響くまま、声も話も続いてゆく。それも話を引き取ったのは、余所余所しい紫。
「田中君……わたし、田中君のお嫁さんになれないわ」
「……た、たぶん聞いた秘密というのは、じょ、冗談ですよ、冗談。ハハハハ」
「ねぇ、もったいぶらないで教えないさいよ、その秘密」
「バカっ!! 秘密なんてねぇーよ!!」
「だって、あるって言ってるじゃない」
 と、輝夜は頬を膨らませる。
「それはだなぁ……」

「――――それは、田中がドSだということだ!!」

 田中は(ああ、終わった)と思った。
 しかし案外輝夜は平然として、「まぁ、そうよね」と言っている。
 妹紅はニヤリと笑った。
「それも普通のドSじゃない。支配的な・絶対君主制を敷く・極まり切ったドSだっ。裸になれと言ったら裸にならないといけないし、外で糞しろと言われたらそうしないといけないっ。ほら、田中。教えてやれよ、彼女を失った理由を」
(ここまで来たら、毒皿主義だ)と、彼はもはや捨て鉢になって「……首輪をつけて、街中を引っ張り回した」と、絶望しながら答える。輝夜は俄かに言葉を疑って、一時にして老い果てた男の顔を覗き込む。
「ほ、ほんと?」
「ああ。裸にして、引きずり回した」
「うそ……でしょ?」
「だって仕方ないだろっ。一回ハメを外すと、ブレーキが利かなくなるんだよっ。だから、博麗とも付き合えないし、紫さんとも付き合えないっ。その所為で、前の彼女にもフラれちまったしっ」
「…………えっと、これって、慰めればいいの?」
「ああ……」
「……その、ウチに来ない? 永琳も、多少なら精神医学に通じているし」
 


それから数日後。
 場所は白玉楼である。
 紫がいつもの明るさを取り戻したと聞いて、幽々子が彼女を招いたのである。
 そんな理由なので、横長の卓上には、快気祝いとばかりに、豪勢な料理が数々並んでいる。一流の料理人を呼んだこともあって、見てくれも確かなら、味も素晴らしいものばかりだった。せっせと什器を並べる妖夢でさえ、あやうく涎が垂れそうである。
 そんな料理に、紫と幽々子は舌鼓を打ちながら、その後の恋模様を話している。
「でも、紫があきらめるとは思わなかった」
「なんで?」
「意外と強情じゃない」
「ガンコって言ってよ」
「ふふっ。でも、本当に良かったわけ?」
「なにが?」
「田中君っ。巫女ちゃんと出来ちゃうじゃない?」
「それは……どうかしら」
「どうして?」
「だって……田中君が、その、精神を病んでるから」
「じゃあ、なおさら所帯を持つべきじゃない? 」
「あ……うん。でもね、霊夢ってこの幻想郷の象徴みたいなものでしょ。だから、大事があってからでは遅いのよ」
「なんか……含みがあるわね」
「な、ないわよ、そんなのっ」
「ふ~ん。でも……妖夢が一役買ったんでしょ?」
「え? あ、うん。酒の勢いに任せて、わたしに叱咤したのよ。『生半可な気持ちで人を愛するな』って」
 紫は色気もなく里芋の甘煮をぱくりと頬張る。
「ホント?」
「ホントよ。まぁ、本人は覚えてないみたいだけれど」
 せわしなく働く妖夢の耳には聞こえていないらしい。
 とはいえ耳に入ったところで、彼女はまったく覚えていない。
 そもそも彼女はなにもしていないのだ。
 ただ、妹紅が、血気に逸って田中のヒミツを残らず語ってしまったが故に、この恋を紫は諦めたのだった。
「じゃあ、すごいわね」
「ええ、すごいわ。ご褒美でもあげたらどう?」
 と、紫は今までにないほど晴れ々々とした笑みをたたえた。




[35704] 額に肉
Name: 骨なしチキン◆f21fa94a ID:d962be91
Date: 2013/12/01 17:39
 永琳だって断れなかった。
 ハッキリ言えば心理学においては門外漢(?)だし、そもそも田中との面識だってそれほどある訳でもない。自分の主がどうしてもッと言うので、渋々引き受けたのである。それが如何やら何処かで洩れたらしい、精神に問題を抱える(と自称する)患者たちが続々とやってくるようになって、永遠亭はてんわやんわの大忙し。見習いのうどんげまで駆り出して、患者の相談に当たっている。その上、あばら家同然の納屋を改築して、急拵えの待合室を作り、そこから母屋に作った診療室(これは元うどんげの部屋)への渡り廊下を掛けたのであった。
 賢い永琳のことなので、リフォームするいい機会だったと諦めの言葉を自分に言い聞かせ、また、人の不安を取り除けるんだから善行じゃないと思い込んでいたが、やっぱり彼女も骨を折るより休んでいたいし、人の悩みを聞くより自分の悩みを打ち明けたかった。
 今回はそんな彼女の診療のうち、とある一日の業務の様子――――それもその中の三つだけを紹介することにしよう。

Case1 聖白蓮の場合
 泣きそうな顔をしてやってきたのは、聖白蓮である。聞くと、片思いが実らず終わって、いまだ立ち直ることが出来ないそうな。それも相当執心したらしく、あの霊夢にも劣らないストーカー行為に及んで、それが発覚、面と向かって難詰され、泣く泣く白状すると、「俺も好きだったのに」と捨て台詞を放たれたという。
 かく語りながらも白蓮は涙をボロボロと流し、屡々付添いのナズーリンの手巾に顔をぐちゃぐちゃ拭かれている。
「……うぅぅぅう」
「……その」
「……わたし、死にたい。あの人がいない世界なんて……」
「仏教徒がそんなこと言っちゃ……」
「あの人さえいればッ、三途無量の苦しみだろうがッ、銅の柱を抱こうがッ、構いはしないッ!!」
 目を瞋らせて、憤然と食って掛かる白蓮に、永琳はなんとも言えない表情をして黙ってしまう。ナズーリンも無表情な顔をかすかに動かして、呆れたような・疲れたような色を見せた。その間も白蓮は、南京玉のような涙の玉をボロボロとこぼして、付添い人の手巾に顔中を撫でまわされていた。
(恋愛相談なんて、内輪でやりなさいよ)
 と、永琳は思いつつも、事前に取ったアンケートをチラリと見た。が、そこに書かれていることは余りに不穏で、「わたしが悪い」とか「わたしは死ぬべき」とか、極めつけに「あの人を抱いて焼身自殺する」とか。
 けれども永琳はそれを見て、ひそめた眉を快げに延べた。確信とは言わぬまでも、一つの光明が見えたような気がした。焦らすようにたっぷり時間を取って視線を上げ、涙にぬれた患者の面を見ると、白蓮は口の端を引き締め、比丘尼らしい荘厳さをかすかに表した。それを見て永琳は(やっぱり)と思った。
「あなた」と永琳は言った。「失恋するのはじめてじゃない?」
「?」
「きっとそうでしょう? 相手からフラれたことがないんでしょう? だから今の自分の姿がみじめで、痛ましくて哀切でお涙ちょうだいの三文芝居をしてるんじゃないの?」
「なにを言ってるんだッ!!」と、柄にもなくナズーリンが怒鳴る。が、フッと自分の怒りを悟ったように目を伏せて、かたく唇を噛み、それから少し極まりが悪そうに「ホントに、そう思って言っているのか?」と尋ねた。
「自己愛が滲み出てるじゃない。この文句。わたし、わたしって。結局わたしだけで見返りを求めていないのよ。自分から与えるだけで満足してしまっている。まぁ、エゴイズムよりはいいけど、ナルシストもほどほどにしてほしいわ」
 自分でもイヤになるほどにイジワルを言ってみた永琳は、手に取ったアンケートを事務机に置き、ふと意味ありげに――――ほんとうは意味はないのだが――――窓の外の晩秋の陽射しを眺めた。掃き清めたようにスッカラカンな青い空も、風のない午後の竹林の無言も、庭に輝く真っ白な割栗石も、秋のやさしい光の中では、コローの風景画めいた朦々たる叙情性を感じさせる。
 暫くあって漸く白蓮は「そうかもしれない……」とつぶやいた。
「ならいいわ。あとは自分次第ね」
「……わたしは納得できない」
「あまり説明すると、みじめになるけど、いいの?」
「かまわない」とナズーリンは昂然と言い放つ。チラリと白蓮を見ると、彼女は項垂れているだけで、うんともすんとも言わなかった。永琳は「じゃあ」と言い、「エゴイズムは他人に諒解してもらうことで満足する」
「そんなことは分かっているっ」
「じゃあナルシズムは……いわゆる自己満足ね」
「回りくどいぞ」
「だから結局、自分の非を認めたくないのよ。べつに他人に認められなくても構わない。けれども自分は――――自分の中のじぶんには、どうあっても認めてもらいたい。だからこんな大袈裟に、わたしが悪いって言うんじゃない?」
「矛盾しているな。それではまるで、自分自身に自分の非を説いているじゃないか」
「ほんとうに反省している人間は、わざわざ口に出してまで、『わたしが悪い』なんて言うかしら? だれに否定して欲しくて、わんわんと泣いてまで喚いているんじゃない? もちろん、嗜虐性の亢奮に動かされて罵詈雑言を吹きかける人もいるかもしれないけど、ナルシズムは、外部の情報の取捨選択が上手だし、そこは問題ではないわ」
「……しかし、傷心にムチ打つような真似をするなんて」ナズーリンはキッと永琳を見据える。「この藪医者め」
 ……去り際に、白蓮は律儀に頭を下げていったが、ナズーリンはふてぶてしく目を据えた儘、何も言わず、何処も絶対に動かさず、もみじのような小さな右手で、古い引き戸を勢いよく閉めた。


Case2 ある悩める詩人(自称)
 お次にやってきたのは、ある山小屋に一人で住まうという若い男であった。それも、風月を友に、秋の沈黙の中で詩集を編んでいるという・なんとも如何わしい輩だ。こういう手合いは、ちょっと常人には窺い知れない悩みを吐露するので、慈悲広大な永琳にしても、御免蒙りたい次第なのだが、どうやら彼の悩みというのは創作上の悩みや、ヒューマニズムへの反感とか、ロマンチックの限界とか、そういうものではないらしい。もっと即物的な・現実的な――――悪く言えば俗物的なものである。
「じつはですね」男はチラチラと永琳の顔を窺いつつ、「その、この家の鈴仙・優曇華院・イナバへの仲人を頼みたい訳で」と言った。言った後で少女みたいに頬を染めて俯いてしまう。
「……ここ最近、送られてくる不気味な詩はもしかして」
「わ、わたしのですが……ご賞味して下さいましたか?」
「では、その詩とセットのプレゼントも?」
「ええ。親が残してくれた金でッ!!」
 目をキラキラ輝かしてそう言った白皙の詩人は、ガサゴソかくしから高価な指輪を取り出し、永琳の細く長い指に、ゆっくりと、その指輪を嵌める。それから照れ臭そうに鼻の下をこすりながら「ちょっと、気障すぎますか?」と言うが、ちょっと永琳にはこの指輪の意味がよく呑み込めないので当惑顔をしてみせると、白皙の詩人は恭しく頭を下げて、「御近づきのしるしに」と。
「そ、そう。ありがとう」と永琳は言った。そうして心の中で(詩じゃないんだ)と呟き、惜しいような・しかし大体においてホッと助かったような・なんとも言えない気持ちになった。
「それで、ボクのマフラーを使ってくれていますかっ? あれは手編みなんですよっ」
 永琳はギクリとした。
「使っていないんですか?」
「使ってると……思う」
 永琳の苦しそうな言葉を聞くや、白皙の詩人は「ホントですかッ!?」と円く目を瞠って、美しい黒瞳は夢見るように輝いた。亢奮のために頬も真っ赤に燃え、彼の身内で滾る・熱い血潮の音が、永琳の耳にも聞こえそうだった。むろんこうなっては、今更捨てたなど言える訳がない。
「え、ええ。見たこと、あるし」
「そっかぁ……夜なべして良かったぁ」
 と、感動が胸に沁み入ると言った風にウットリする美しい男の顔から、永琳は視線をそらし、固く瞼を瞑った。
(今更、プレゼントを売ってしまったなんて言えない)
 それも、そのプレゼントを買った金が親の遺産だと聞いては、尚更言えなかった。とはいえ永琳にも、言い分が全然ないではない。差出人が不明だということも不吉ではあったが、プレゼントに送付された例の詩がみな、なんとも奇怪な・エログロな・自然豊かな幻想郷が育んだ詩人らしからぬ・不気味なものだったのだ。
その一節。
(骨鎖(ほねぐさり)朽ちんとし、蛆もくちなわも息つく広漠な荒れ野原、
 君の腕の炎の爪は、我が白色に静かに冷める。
 噫々、歓喜、尨犬の震え!!
 ああ、北海の魔手。男波よ、尨犬よ、我らを呑みこみ死の淵へ!!)
……この類のものが、毎日毎日送られてくるのである。初めのうち、うどんげも苦笑いしながら「貰ってしまいましたっ」と言っていたが、ここ最近、封を開かずにゴミ箱にぶち込むようになってしまった。迷惑というより寧ろ、うどんげはこのデカダン風な詩を怖がっているようだった。てゐはそれを知っていて、捨てられている詩を取り出しファイリングしているらしいが、ともかく、うどんげはこの詩をとにかく嫌っていた。
(仲を取り持つか……断る訳にはいかないし。かといって、あの子は嫌ってるし。どうするか……)
 長い事、堂々巡りするような虚しい思案を繰返した後、永琳は、このままでは永遠の泥濘に深まるだけだと思いなし、(とにかく思いの丈を聞こう)と顔を上げると、そこには、あの白皙の詩人の姿はなかった。忽然と消えてしまった。永琳は一瞬、連日の疲れの為に夢を見ていたのでは、と疑ってみた。患者用の丸イスに触れると、黒い皮の冷たさが掌に心地よかった。
 居なかったのかしら、と永琳は眉をひそめて、自分のぐるりを見回す。いつも通りの病室だが、妙にうそ寒く、広く、さびしく思われた。永琳はやっぱり夢だったのかしらと思った。では何処から何処まで夢なのかしら、と考えてみたが、現と夢との境界があまり判然としなかった。ついさっき聖白蓮と話したことも、現実味のない・フワフワしたことのように感じるし、昨晩見た夢の有様も、考えようによれば、現実のような気がした。
 ト、その時、何処で犬が悲しげな遠吠えがあげた。戸外へ視線をうつすと、同じ声でまた泣いた。それは西の方だった。いつの間にか風が出てきて、窓の硝子をガタガタと震わせていた。空も蓋をするように黒雲が広がっていた。その黒い面には、山間の入り日の赤い影が斑に散って、見ているうちにモゾモゾ動き出しそうな気配があった。
 するとまた同じ犬が泣いた。今度は東だった。また泣く。今度は北で、次泣いた時には南にいた。物凄い速度で幻想郷の大地を駆けながら、一匹の犬が悲しく泣いていた。永琳は恐ろしい思いがして、立ち上がった。その直後、うどんげの悲鳴が永遠亭の屋根を貫いた。



Case3 風見幽香の場合
 お手伝いと駆り出さている蓬莱山輝夜は、受付口でべったり涎を垂らして睡眠中である。ほんの暇つぶしとして引受けた受付業務だが、なかなかこれはこれで重労働、(どうせ来ても四、五人だろう)と高を括っていたが、その実際は日に何十人という盛況ぶりである。怠け者の多い幻想郷のこととて、ここまで立ち働くお医者も珍しいというものだ。
 まぁそんな訳で、身も心も疲れ切って腕枕に安眠中であったが、不意の絶叫に穏やかな夢は破られる。フッと顔を上げると、目の前を疾風の如く疾走するうどんげの姿、そのうしろから「ボクの詩おぉ!!」と叫んで追いかける男の姿が、朦朧たる彼女の寝惚け眼に映った。が、しかし、彼女の眼にはそれも夢のワンシーンだと思われて、彼女の頭の覚醒には足りず、またムニャムニャと、心地よい夢の境に落ち込んでゆく。
 それからどれ程経っただろうか、遽しく玄関の戸を開く者がある。その音に輝夜は背筋をピーンとさせ、ミーアキャットのように周りをキョロキョロする。しかし、何もない。『なべて世は事も無し』である。そうして彼女はもう一度……と、受付台にうつ伏せるが、キャキャする姦しい声に、険しい皺を眉に刻み、頭をもたげると、ぼやける視界に真っ白な影が映っていた。
 目を凝らしてそれを確かめようとするが、元が寝惚け眼なので、矯めつ眇めつ眺めてみようが、朦々としていることに変わりはない。そうしてそれが目の前に来た時に初めて、ナース服姿の紫と、同じくナース服のはたてと気が付いた。彼女等も、なんだか楽しそうだからという理由で、この受付業務を手伝っているのである。
「寝てたの?」
「……うん」
「涎凄いわよ」
 そう言われて輝夜は、口のまわりを子供みたいにグリグリやり、常々思っていたこと、「なんかソープランドみたい」というセリフをポツリとつぶやいてしまう。
 紫はギョッとして、はたてと顔を見合す。
「部長、どんな夢見てたの?」
「ん?」輝夜はフラフラしつつ、モゴモゴと答える。「なんかウサギがね、走っててぇ。それから男がボクの塩ぉ~って。そんでバタバタぁ~って」
「ソープランドって?」
「それはぁ~ゆかりんの恰好」
「わ、わたしの」
 カッと真っ赤になった紫は、肩にかかる紺のカーディガンを掻き合わせて胸を隠す。はたての方も短い丈を無理に引いて、艶やかな太ももを隠そうと努める。それらをボォーと見ていた輝夜は、突然「ニヒヒ」と歯を剝きだしにして笑ったが、彼女たちの困惑を認めるでもなく無闇に目を広げると、まるでゼンマイでも切れたようにガックリと倒れた。それから暫くすると、健やかな寝息が彼女の口から漏れ始めた。
 それを聞いた二人は顔を見合わせ、そうして、受付台の裏に回って、ちいさなテーブルに腰を下ろした。
「ソープランドってそんなに安っぽいかしら?」
「人のこと言えないのに」と、はたては輝夜の背中をチラリと見た。彼女ももちろんナース服である。
「よっぽどアッチの方が、似合ってないのにね」
 紫は頬杖をついて、物憂げに笑う。
「そうだ、落書きしません?」
「ちょっと、怒られるわよ?」
 と言いつつも、紫は笑っている。するとはたては、胸を張るように背筋を伸ばして「田中さんへの業務をサボった罰ですっ」と言った。
 田中のヒミツがばれて以来、彼は、まったくの引籠りになってしまい、仕事先の慧音の寺子屋はおろか、食料品や生活雑貨を買いに出ることもなくなってしまった。このままでは餓死してしまう――――ということで、診療旁々食べ物等を送りに出ることになり、多忙な永琳、うどんげに代わって今日は、紫とはたてと輝夜が行くことになったのだが、その輝夜は「メンドウ」と愚図って動かないので、仕方なく二人きりで行くことになったのである。互いに数日前、久しぶりに田中と会っているので、極度の緊張ということはなかったが、しかし、心頼みの永琳やうどんげがいないとなるとどうにも不安で、互いに互いのソワソワするものを感じつつも、それを指摘できず、田中の家の前に立ったのであった。そうして二人は、固唾をのんで、コンコンと数回ノックした。
 現れた田中は、顔色も悪くやつれていた。とはいえ数日前よりは、随分と調子がよさそうだった。紫はホッと胸をなで下ろした。もう一度顔を見上げると、彼はやさしく笑った。
 それを見た途端、紫の顔は点火されたようにポッと燃え立った。そうして、他人眼にも不審に思えるほどキビキビと、手に持った荷物を持ち上げ、田中の胸に付きつけると、踵を返し、足早に去って行った。一方はたてはオドオドとして、田中と紫の姿を見比べていたものの、「また今度来ます」とお辞儀をし、急いで紫のあとを追った。そして横に付くと、彼女はすぐさま問うた。どうしたのか、と。
 紫は火照った頬に手の甲を当てながら、答える。「わたし、まだ好きかも」と。はたては一瞬驚いたものの、すぐさま(まぁ仕方ないか)と思い直した。そう簡単に振りきれるほど、紫は理性的ではなく、また一方、「好きじゃない」と放った言葉を無視するほど、彼女は感情的ではない。大妖怪と言われているものの、その内実は、ごく普通の悩みを持つ女性なのだ。
 はたてはそんな彼女を可愛らしく思った。が、彼女もそんな言葉を口にするほど、感情的ではなく、かと言って、冷然と澄まし返れるほど、理性的ではなかった。ちいさく笑って紫の顔を覗き込み、「まぁ、婚活部なんですから、恋をしなくちゃ」と知ったような口を利いた。紫は訳もなくムッとして、「なによ、それ」と頬を膨らませる。
 そんな風にじゃれ合っているところに、折しも秋の雨が降り始めた。はじめは、ネコの毛をパラパラと撒いたような弱い雨だったが、灰色の空も堪えかねたと見えて、しばらくすると、雨脚が繁くなり、道路一帯を黒く染め上げた。
 庇の下からそれを眺めていた紫は、ふと童心を動かされ、また駆け込んだ家が雑貨屋だったので、顔の長い店主から安い傘を一本求めて、嬉しげに雨中へ出た。そうしてそこにはたても加わって、しとしとと雨の降りしきる中を嬉しい沈黙を守りながら、永遠亭に戻ったのだった。
 するとどうだろう、受付係は怠慢にも寝ていたではないか。おまけに小憎らしい顔には涎がだらぁ~と垂れて、おでこは朱色に染まっている。よほど穏やかに寝ていたのだろう。
 ならばこのイタズラも、許されるはず。
「やっぱり肉よね」
「眉つなげましょ」
「じゃあ額の皺は? 口の周りにひげを書きましょうよ」
「なら頬はぐるぐるで」
「それなら……」
ト、輝夜の顔をオモチャにして遊んでいた二人だったが、そんな折に、突然、ガラリと障子が開いたので、飛び上がってしまい、あわあわとしたが、しかし、戸口に立っていた人物を認めたとなると、また違った意味で二人は慌てたのであった。
 紫ははたてと顔を見合わせ、おずおずと慎重深くその人物に問いかける。
「今日はどうしたの?」
「診断を……受けに来たのよ」
 二人はもう一度面を合わせて、驚きの声を洩らしたのだった。



 診療室に移された風見幽香は、まず自分の欠点を偽りを交えず小さな声で語って行った。
それを簡単に要約すると、次のような文句になる。
『自分はカッとなると己を見失い、思わず手を上げてしまうのだ』
永琳は眉を顰めつつ、淡々と語る幽香の表情を観察していた。
口角に緊張の傾向あり、伏目に指先を凝視、時折固く瞳を閉じ、沈思の態。言葉足らずに気付くも狼狽えず、慎み深く付言または訂正す。
 『風見幽香』のパブリック・イメージをそのまま描いたような女性である。己が領域に絶対に固執し、外敵を排斥することにおいては容赦ないが、大体において慎ましく・上品で・目元の静かな・美しい妖怪だ。
 永琳は、彼女が『嗜虐性変態性欲者』という噂をよく耳にする。それはきっと噂好きな人間たちの身勝手な推測であろう、と、彼女は心密かに笑殺しており、実際こうやって対面し話し合ってみると、異常性欲者らしい気振りもなく、至って普通の精神状態だ。
永琳は手をつかねて、不思議そうに問う。
「でも、怒ってしまうのは、言われのない悪意とか、そういうものにたいしてじゃないの?」
「……まぁそれは色々あるけど、問題はそうじゃないの」
「?」
「わたしは、自分の暴力の中に何か、愉快なものを感じているのよ」
「……つまり、アレかしら」
「ええ。わたしサディストみたい。だからこの性癖を矯正したいのよ」
 永琳は、(なんでこうなんだろう)と思った。なんでウチに来る人は、恋とか性癖とか親子関係とか、そんなものばっかりなんだろう。ワーカーホリックや、躁鬱病関連の人は何故いないのだろう。
 それはもちろん、幻想郷に勤勉な人が少ないからで、永琳自身もそれを承知しているが、その上で、仰山やって来る恋愛病患者に閉口しているのである。人ある所に恋あり、恋ある所に悩みがありで、どんな世にも恋煩いはあるものだが、ここ最近の浮かれ模様には異常なものがある。
 なんだかイライラしてきた永琳は、意地悪く「男は嫌うわね」とつぶやいた。すると幽香はハッとして、目を剝き、何かただならぬ様子で「ホント?」と、一膝詰める。
「……アナタ、好きな男いるの?」
「す、好きってほどじゃないわ。すこし気になるだけで……ほ、ほんとうよっ!?」
「……そう」
「っで、その、やっぱり嫌われるのかしら?」
「知らない」
「ちょっと、相談を聞いてくれるんでしょッ?」
「恋愛相談なんか知らないわ」
「れ、恋愛相談なんか……」
 幽香は耳まで真っ赤にして小さくうつむく。それを見た瞬間、永琳の何かがプチッと音を立てた。それを合図に胸の底から熱い感情が怒涛のように湧き上がって、脳裏に様々な怒りの言葉を走らせる。
 なにが、恋だ。この色ボケの蓮っ葉が。なんで私が他人の恋愛相談なんて受けないといけないんだ。そもそもこれは全部、得体の知れない婚活部とやらがいけないんだよ。婚活部って名乗ってるくせに、全然婚活してないじゃないか。その癖、部活内で色恋沙汰を起こして、どんだけ人に気を遣わせる気だ。それもその中心にいた男が、あのドS変態野郎だ。ウチのニートもぞっこんで現を抜かして、布団も畳まなかったじゃないか。それを片付けたのは誰だと思ってるんだよ、あのクソニート。わたしだって、わたしだってな、出会いが欲しいんだよッ。だいたいわたしが婚活すべきじゃないか。なのになんで人の悩みばかり聞いているだ。……この女も、SだのMだの細かいことを気にしてウジウジしやがって、ほんもののサディストも知らないくせに。
「――――き、聞いてるかしら?」
「ああ」
「どうしたの?」
「ホンモノのドSを見せてやる。ちょっとついてこい」
 永琳はスッと立ち上がる。
「は?」
「これも治療の一環よ」と言い、「うどんげッ!!」と叫ぶ。が、返答はない。永琳は(じゃあいいや)と思い、幽香の腕を取って、診療室を出る。幽香は当惑そうに腕を引っ張られるばかり。そうして改築した納屋へと入り、呆然とする紫たちの目の前を猛然と過ぎ去ったと思ったら、すぐさま引き返し、紫の顔を指さして「スキマ」と言った。まだ外ではザアザアと雨が降っているのである。



 寝ている輝夜を置いて(というよりも、誰も気付かなかった)、幽香をくわえた三人は田中の家のその門前へ降り立った。地面はぬかるみ、雨は依然強いが、永琳はせっかく持ってきた傘も開かず、幽香を引きずって田中の家に連れ込んだ。
 当然、出抜けの訪問に家主の田中はポカンとして、阿呆っぽく口をあけた儘、怒れる永琳の顔を見ていた。ト、奥の扉が開いた。そこには厠に続く廊下がある。
「雨すごいですね、田中さん」
 と言って入って来たのは、なにを隠そう博麗霊夢だった。奥ゆかしく純白のエプロンまで付けて、すっかり新妻が板に付いたような・幸せな面持ちで。恥じらいに頬を染めているところなど、愛々しいこと極まりない。ト、霊夢も突然の訪問客に気付いたようでピクンと眉を跳ね上げ、戸口の人影へ視線を移す――――
――――ト、「ひぃッ」と霊夢は息を引き、田中の袖に取りすがった。永琳の形相がそれほどまでに凄まじかったのである。怒れる老女……ではなく、怒れる乙女畏るべしである。

 いわゆる霊夢は炊事係として、田中の家に出入りしているだけだと(霊夢が)言う。それにしてはやけに二人の距離が近い。解せぬ。全く解せぬ。永琳には全くもって解せぬ。
 手ずから夕飯の膳を下げて、田中はドカリと平胡坐をかいた。霊夢がまめまめしく食器を洗おうと立ち上がると、田中が横柄な声で「いいよ、あとで」と言った。霊夢はそれにイヤな顔をもせず、却って嬉しげに「そうですね」と笑って、田中の影に寄りそうように膝を折った。
「それで、今日は?」と田中は一同を見回した。「どうしたんですか?」
「……この人を紹介しようと思って」
 永琳は肘で幽香を突く。幽香は無論ムッとしたが、(これも自分ためなのよ)と言い聞かせて、背筋をスッと伸ばし、男の不安げな面持ちに目を据えつつ、毅然として名乗る。
「わたしは風見幽香よ」
「おれは――――」
「田中さんでしょ? 聞いているわ」
「そうですか。っで、その……」チラリとはたて達の方を見て、「昼間に食料品は貰ったし。なにか悪いこととか起こったんですか? 輝夜がいないみたいだし」
「あれは寝ている」と永琳は言った。「わたしが来た理由は、アナタの性癖についてよ」
「え?」
「ああ、大丈夫よ。同種だから」
 永琳はそう言って、目顔で幽香を示す。幽香は眉をしかめて永琳を見たが、その尻目に、心配そうな霊夢の顔が過って、開けかけた口をグッと結び、「といっても、わたしは克服したいのよ」と、大きく腕を組んだ。なぜこんな弁解じみたことを、と嗤いながら。
「えっと、よく分からないんですが」
「アナタの過去の話を拝聴したいということ」
「拝聴って……」
「もちろん、その子に聞かせたくなかったら、後日でもいいわ」
 と永琳は霊夢を見た。しかし霊夢は眉一つ動かさず「わたしはもう聞いてるわ。その上で、ここにこうして居るんです」と答えた。
 ……雨は勢いを増し、外で吹き荒れる風の叫喚に、ちいさな電燈がユラユラと揺れる。六つの影は花が咲くように円座になって、電燈が揺らぐたび、その花も揺らいだ。夜が更けるにつれ、男の頬には脂が浮かび始める。酒も入った為でもあろう。次第に声も大きくなり、口調のどこかに誇示的なものもあらわれて、それが吹き募る風のようにはたてや紫、永琳を脅かした。けれども幽香の眼にはそれとは違った光が燃え始めた。
 そうして東の空が白み始めた頃、目を覚ましていたのは、幽香と田中と永琳だけであった。はたてと紫はもつれ合うように眠りこけ、霊夢も頑張っていたが寝てしまった。田中は霊夢の黒髪を弄びつつ、懺悔のようなことをポツリポツリと洩らし始めた。永琳も気付いたら過去の恋愛の失敗談を語っており、自ら苦笑したぐらいだった。
 朝鳥の鳴く音に目を覚ましたのは、はたてだった。けれども最初しばらくはボォーとして、ぼやけた視界に動く人影を、目で追っていただけであった。次第に頭も覚醒してくると、それが朝餉を用意する霊夢の姿だと知った。
(寝ちゃったのか……)
 ボサボサの頭を掻き掻きしながら、はたては自分のぐるりを確かめる。紫がいない。永琳も幽香もいない。田中が部屋の隅で本を読んでいたので、ペタペタと這ってゆき、「他の人は?」と尋ねた。
「他? ああ、永琳さん達は散歩に行って、紫さんは霊夢を手伝ってるよ」
「じゃあわたしも、」
「その前に、そのカラス頭をどうにかしようぜ」
「そんなひどいですか?」
「大分」
「そっかぁ。今度は気を付けよう」
「あと、鼾も」
「鼾っ? 掻いてましたっ?」
「時々、思い出したようにな」
「……起こしてくださいよ」はたてはムスッとした。「やさしさが足りませんね」
「今度から気を付ける。だから、鏡を見てこい」
 はたてはそう言われて、部屋の一隅の姿見に自分を映した。たしかに頭が凄かった。そしてそれをキョトンと見ている自分の顔もまた、意味もなく面白かった。



「……いない」
 輝夜は空腹も忘れて、永遠亭を歩き回っていた。座敷から座敷へ、廊下から廊下へ、この広い邸の隅々まで人影を捜しまわった。不意に人影を見つけると、それはすべて自分の影だったり、庭の木立ちだったりした。
 たった一眠りの間に何があったのだろか? 輝夜は考えた。おそらく寝ている自分を起こさないように、こっそりと出かけたのだろう。だから誰も居ないのだ、と。けれどもそうしたら、この邸の荒れっぷりはおかしい。神経質な永琳が物をそのままにして出てゆく訳がない。じゃあ、なんでいないの? 
 輝夜は半ば泣きそうに、「えーりん」と広い居間で呼びかけた。しかしその声は、朝の竹林の沈黙に呑まれて消えた。うどんげやてゐの名を呼びかけたが同じだった。そうすると次第に輝夜の中で、ある一つの確信が育ち始めた。
 自分はほんとうに一晩だけ、寝ていたのだろうか?
 実はもっと寝ていて、うどんげや永琳も、自分を残して何処か違う場所へ移住ってしまったのではないか? あるいは、みんなが老いて死ぬほどの長い時間、自分はずっと寝ていたのではないのか?
 輝夜はカレンダーの前に立って、月日を確かめてみたが、しかし、それが時間の経過を説明したところで、輝夜の不安が去る訳がなく、却って一層怖くなった。カレンダーの文字を見ていると次第に、目頭が熱くなった。
 輝夜は目を擦って涙を堪え、とにかく捜そうと心に決めた。上着を取って彼女は玄関を出る。ト、空はぽっかりと晴れていたが、大地は濡れていた。雨が降ったようだった。
ふと輝夜は庭先に白い紙が落ちていることに気が付いた。取って見るとそれは、あの不吉な詩だった。水を浴びた様な気持ちになって、輝夜はすぐに飛び立った。
(と、とにかく人のところに)
 彼女は人里に向かった。向かうと、人がいて、彼女はホッと胸をなで下ろした。けれども地面に降り立つと、みんなこっちを見て嗤っている。馴染みの団子屋の知った顔に会っても、矢っ張りこっちを見て嗤っている。輝夜は恐ろしくなって軒下を飛び出し、人里を無茶苦茶に走った。その間もずっと、自分を見て嗤っている。
 暗い横町を通って、大きな通りに出た時、輝夜は先の道に見覚えのある一団を見た。その中で特に際立って丈の高い田中の姿を認め得た時、彼女は込み上げてくる涙を抑えきれず、ボロボロ涙をこぼしながら、その一団に追い縋った。
 そうしてはたての袖を引いた。彼女はびっくりして振り返る。涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げると、また、彼女も嗤った。他の面子も嗤った。
「……なんで」
「ひ、姫様、その顔を――――クッ、プッ」
 と、永琳が言って口を隠した。
 輝夜は不思議に思って、水溜りを水鏡にして覗くと、ヒドイ落書きをされた自分の顔。
(なにこれ……)
 ジロリと紫たちを見ると、二人は顔を反らしている。
「ふ、ふざけんな。ふざけんなッ!!!!!!」
蒼い秋の空に、輝夜の怒号が響き渡った。



[35704] 会話文は少ない
Name: 骨なしチキン◆6badd53b ID:812a97c2
Date: 2014/03/17 12:49
 魔理沙の一声によって集められた婚活部のメンバーが、てんでに不平の表情を見せながら壇上に上がる魔理沙のすがたを眺めていた。場所はめずらしくも寺子屋の一室である。
「え~今回集まってもらったのは他ではありません。不肖、霧雨魔理沙、この婚活部にてある大発見をしてしまったのです。それというのが――――」
「――――ゆかりんが太ったことでしょ?」
 輝夜は頬杖を突きながら詰まらなそうに答える。で、それに反問したのはもちろん紫で、「太ってないわよ」という尋常なる言葉を放った。
 しかし、そんなことを言ったところで紫が太ったことは自明の事実であり、また、本人の知らぬところでは話種になっていたりする。もはやむっちりというより、最近はぽっちゃりだ。特にこのことについてはたての反応が著しく、事に寄せて説き聞かせるが「太ってない」の一点張り。却って、そんなことを言ったはたてを咎めるように「そうやって私をいじめるんでしょ」という始末。心ひそかに尊敬していたはたては、わがままに変わった紫を見て幻滅し、もはや一切口を出さないようになってしまった。
 それを見兼ねてようやく魔理沙が動き出したのだが、万事「太ってない」で押し通すので、説得・説教以前の問題である。太ってゆくという自覚さえあれば何とかなるのだが、それさえないとなると、「牛のように飯を食うな」と説破したところで意味がない。
 それに……と、魔理沙は思う。それに、福与かになる紫の体躯を見ても、誰一人として心配するものが、この婚活部のメンバーにはいなかった。無論、はたては例外的に気を病んでいたが、輝夜も慧音も、このごろ幸せそうな田中に関して言っても、日増しに増えてゆく紫の体重についてはまったく無頓着だった。
 ために、魔理沙の集った緊急集会は何らの効を成さず、時をいたずらに費やしただけであった。その日は夕食をいっしょに取らず、暮れなずむ空を見て散会となった。



 ……朝からの花曇りは、昼近くになってようやく堪えきれなくなった。しとしととさびしい雨を降らし、数日来続いていた乾いた街を潤わせた。ただ、四時を告げる鐘の音が響いた辺りから、窓外の雨の音が俄かに高くなり、街は一面灰色にけぶり始めた。
 今日の夕餉を認めるために買い出しに出た霊夢は、軒下から覗くように春雨の空を見上げていた。空は模糊とした灰色で、容易に止みそうな気色はなかった。さいわい唐傘を持って来たので帰れぬことはないが、雨粒を蹴って帰るとなると折角の白足袋が汚れてしまう。しかし、ここで待ちぼうけることは、お腹を空かせて待ってるあの人に悪い。
 短い思案の末、霊夢は気を奮って濡れた大地に駆けだした。春の習いで風も強いため、冷たい春の雨は横にしぶいて霊夢の庇髪を濡らした。着物の唐紅も染め抜いたように椿の赤色を呈した。
 家の戸口に立って、霊夢はすぐにノックをする。自ら進んで開けてもいいのだが、愛する夫(と彼女は思っている)に、手ずから出迎えてもらいたかったのである。
 戸口の向こうでは慌てる気配がうかがわれ、霊夢はちいさく微笑んだ。そしてふと彼女は、幸せというものをちいさく味わった。花冷えの季節だというのに、肉のよろこびに似た熱いものを身内に感じた。それが一度溶け出すと、満身に電気を孕んだように身体中が疼き、あの人の固い抱擁を求めるようになる。この戸が開くあいだも、霊夢はまだるっこく感じてならなかった。はやくあの人に会いたかった。
 ――――しかし、戸が開かれた瞬間、霊夢は愕然とした。
「あ……え……な、なんで」
 現れたのは田中ではなく、八雲紫だったのである。霊夢は豆鉄砲を食らったように呆然としたが、すぐにまだ我に返り、どもり気味に尋ねた。
「なんでここに居るの?」
「…………」
「ちょっと答えてくれないと……」
 霊夢はそこで、言い差した。ある事に気付いたからだ。彼女は巣穴をのぞく蛇のような気持ちで、うつむいた紫の顔をのぞいた。白くなおやかな面差しには寂しい涙痕が見え、金色の長いまつ毛には大粒の白露が結んでいた。彼女は泣いていた。
「紫?」
「れ、霊夢……」定かならぬ声で、紫は答えた。「わたし、太っちゃった」



 つまり、こうだ。
 八雲紫は、自らの食欲に任せて食を進めて行ったため、ぶくぶくと太ってしまい、もはや女性としての尊厳を失いかけているというのである。それの相談のために、まず田中の家に来たらしい。
 霊夢の「なんでこの家が最初なの?」という質問には、紫はこう答えた。
「他の家だとバカにされるから」
 何故この家だとバカにされないのか甚だ疑問だったが、不用意に言葉を返して相手の気を損じるのは得策ではない。霊夢はそう考えて、さしあたり今は黙っておくことにした。田中との甘い時間を邪魔されたことは少々腹立たしいが、所詮紫のぐずつきは夏の夕立のようなもの。一度降り出せば最後まで雨脚を強めるが、一旦降り終わってしまえばからりと晴れた雲間を見せる。そうすれば、清々しい気持ちでこの家を出てゆくだろう。
 自らもこのタイプの人間だと自覚していた霊夢は、ちょっと大人っぽい笑みを含みながら、田中家の台所へ立った。板戸一枚隔てた簡素な造りなので、詮無い紫のなげきがよく聞こえた。まったくバカらしいことだと思いながらも、自らの太った姿を想像してみると、なんだか骨の髄から震えるような恐ろしい気持ちをおぼえた。やっぱり肥満はイヤだった。
 肥満を託つ紫の存在を気にしつつも、霊夢は手際よく夕餉の支度を終えて行った。酒においては上戸の田中のために、夕食の量は大の男一人分である。彼は大食漢であった。
 だいたいの品を作り上げた頃に、戸口が叩かれる音を霊夢は耳にした。誰が来たのかと板戸の隙から覗いてみると、紫の式神であり九尾の尾っぽを持った女性――――八雲藍がおずおずとした態度で、式台にも上がらず沓脱のうえに立っていた。そうして何かポツリポツリ打ち明けていくらしかったが、生憎声が低くて何を言っているのか、霊夢の耳には分からなかった。ただ、藍が話を続けてゆくにつれて、悲壮がっていた紫の顔に段々と怒りの表情がにじんでくるのを、霊夢の目は捉えた。癇癪玉がはじけるのも時間の問題だった。
 霊夢は止めようかと考えたが、あまり差し出口をして事を面倒にするのも徒だとも思い、台所口に据えた籐の一脚に腰をおろした。じきに雨が上がるらしく、夜の雲間に真白い月が浮かんでいた。大層風情があって、霊夢は微笑んだ。田中にも見せてやりたかった。
 ややあって、火を吹くような紫の怒号がひびいた。藍も二三反抗めいた言葉を返したらしいが、結局主の憤怒に押されて黙ってしまった。潮垂れる藍の姿を想像して、霊夢は一人笑っていた。
 しばらくして、雷雨のような紫の怒号がぱったり止んだ。スキマを使って逃げたな、と霊夢は思い、田中たちがいる一室にもどると、案の定田中に慰められる藍とその田中だけが残っており、豊満な白い体は何処にも見られなかった。
「帰ったの」
 霊夢はそう言って、頬を涙にしめらす藍の傍へ寄った。凛々しい顔立ちの藍は、一見美少年風の美しさがあったが、涙にぬれた彼女の顔は、女の霊夢でさえ何かゾクッとするものを感じた。性欲的なものだった。
 藍はエナメル質の白歯を悔しそうに噛んで、しかし侍女らしく律儀な声で答えた。
「……わからない。しかし、ここにはもういない」
「行く先に思い当たりはないの?」
「ない」
「そう……。なら放っておくのが一番じゃない」
「それは出来ない」藍は首を振った。「きっと悲しんでおられるから」
「でも、どうすることも出来ないじゃない」
「…………」
 藍は下唇を噛んで重たく項垂れた。なおやかな彼女の白い甲には、大粒の涙が滴々と零れ落ち、甲の形に沿って流れて行った。すると、今まで黙然と口を開かずいた田中が、明るい調子の声で話し出した。
「まぁ、ダイエットをさせればいいんだろ? ならそんな難しいことじゃない。こんな時こそ弾幕をばらまいて戦えばいいじゃないか。俺も少々腕に自信があるし、よかったら参加させてもらうぜ? そうだ。今度婚活部で、大会でも開くか」
「大会?」
「ああ。リーグ戦で。それにスペルカードなしでさ。己のカロリーを弾幕に換えて戦うんだよ」
「しかし紫さまが果たして……」
 気弱な藍に、霊夢は苛立たしそうに言った。
「それでいいじゃない」
「……しかし」
「しかしも何もないッ。あんまりしつこいと怒るわよ、私?」
「……では、それでいいのか?」
「良いも悪いももう決まったの。だから早く家に帰って、泣き虫の主でも待ってなさい」
 そう言った霊夢は、項垂れる藍を立たせて下駄をはかせてやり、甲斐甲斐しく裾の乱れを正してやった。そうして門口まで彼女を送り出し、さて踵を返して家にもどろうとした時、霊夢は無性に感じた。田中さんに抱きつきたいと。
 そこにちょうど心配そうな面持ちで田中がやって来たので、霊夢はもう堪らず、ありったけの愛情で以て男を抱きしめた。男も一瞬当惑したが、すぐに彼女の意に答えるような熱い力を腕に込め、梔子色の月がほほ笑むのも知らず、清らかな肉の反発をたのしんだ。


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