怪物たちが溢れている。見回せば僚機は無く、戦車級が操縦する戦術機に齧りつく。曰く絶体絶命のピンチという奴なのだが、心はむしろ冷たい程に落ち着いている。
通信機から流れてくるのは僚友たちの怒号や悲鳴といったものばかりで、まあ、阿鼻叫喚という奴だ。今更それが俺の心を騒がす事は無いのだけれど。
俺は同じ部隊や友軍を巻き込まないように戦術機を動かす。
ガリガリと戦車級が齧りつく音がうるさい。そんなに焦らなくてももっとイイモノを喰らわせてやるから少しは我慢しろ。
周囲にはクソッタレな地球外からわざわざおいでなすった怪物どもが溢れている。まあ、今回はそれなりに保った方だろう。そして俺はS-11の起爆を行い…
◆
いつからだろう、こんなワケの分からない夢を見るようになったのは。
「……朝か」
いつもどおり目覚めは最悪だ。最初の頃は起きるたびに悲鳴を上げて飛び起きて、家族を心配させていたものだが、今ではそういうこともなくなった。
ようは慣れだ。こう何百回何千回と繰り返せば人間なにごとにも慣れてしまうモノなのである。まあ、家族への配慮でもあるわけだが。
カーテンを開けて太陽の光を取り入れる。眩いその光だけは何処にいても変わらない。小鳥がさえずり、ベランダ越しに街並が見える。
さて、これは夢だろうか現実だろうか、陽の光を浴びてもなおいまだ定かにならない。胡蝶の夢というには鉄と油にまみれ過ぎていて、風情というものが無いのだけれど。
今日は何月何日何曜日だったか、平日だったか、休日だったか。そもそも今が西暦何年なのかも定かではない。まるで記憶喪失だ。
カレンダーを見れば今日は2007年7月10日の火曜日の平日らしい。カレンダーには油性マーカーによってつけられたバツ印が並んでいて、7月の1日から9日までバッテンがなされている。
10日には赤マルがされていて、はてこれは何だろうと考える。上手く思い出せない。ならば重要ではないのだろう。その余分を思考から排除する。
俺の記憶が正しいのなら、この身体は14歳のクソガキの身体に違いない。小学生の身体でも、壮年の大人の身体でも無い。
天然素材の寝巻を着ているところからして、ここは元の世界に違いない。いや、元の世界などという表現もおかしいのだけれども。
部屋には特に目立つものは置いていない。音楽にも興味は無いし、ゲームもあまりしない。本は比較的良く読むようになったので、本棚には統一感のない表題の書籍が雑多に並ぶ。
俺の部屋にはパソコンとその周辺機器、デスクとベッドと件の本棚ぐらいしか置かれていない。本棚に並ぶ雑多な書籍は学校の先輩に勧められた小説や、あるいは物理・化学・工学系の専門書。
残念ながらエロ本は無い。この肉体的はいまだ性欲も強くなく、それにそういった品物を買うようなバイタリティも俺には無い。
欠伸を噛み殺し部屋を出て洗面台で顔を洗う。そうすると母親が現れた。あまりの懐かしさに涙が出てきた。いつもの事だ。
おはようと言った後、涙を隠すためにもう一度顔を洗う。出来るだけ不自然さを見せないようにする。彼女にとってこの再会は昨日の今日であり、時間にして7時間ぐらいの時間経過でしかないのだから。
日課とか習慣というものはなかなか身体から抜けないもので、俺はいつものようにジャージに着替えると、筋トレを一通りこなし、早朝のランニングを行う。
時間的な制約によりあまり長くは走れないので、10kmほどで切り上げ、家に戻ってシャワーを浴びる。
そして再び部屋に戻り着替えを済ませてデスクの上におかれている日記を読み返す。これは俺にとってとても重要な作業で『毎日』欠かせない重要な作業だ。
担当医に勧められるままに始めてから、7年近く継続するこの習慣のおかげで、俺はかなりのレベルで日常に溶け込めるようになった。
日記を読み返した後、リビングへと向かう。そこには新聞を広げて顔の見えない父親の姿があり、いつのまにかキッチンに戻っている母親がいる。
俺は父さんにおはようと言ってテーブルにつく。また涙があふれそうになるが我慢する。人間らしい感情はまだ残っているらしい。
嗅覚をくすぐるのは香ばしい卵とベーコンが焼けた臭いだ。主観においてまともな食事にありつけなかった俺の脳は現金に反応して胃袋を鳴らせる。
対面式キッチンから母親が身を乗り出すようにして、目玉焼きと焼いたベーコンがのった皿をカウンターに置く。計四枚。俺は自然に配膳を手伝うためにキッチンへと足を向ける。
「おはよう京平、鈴はまだ?」
「みたいだ。起こしてこようか?」
「頼まれてくれる?」
「了解」
俺は母にそう答えると妹の部屋に向かう。我が家はマンションで、それ程広い間取りでは無いので、俺でも迷うような事は無い。
妹の鈴の部屋のドアには可愛らしい木製のプレートが飾られていて、平仮名で《すずの部屋》と下手な字で書かれている。
ノックをするのにも心の準備が必要だ。
馬鹿らしいと他者は思うかもしれないが、彼女とは何度も死に別れている。彼女にとっては毎日の事でも、俺にとってはそうじゃない。俺は心を落ち着かせて、妹の部屋のドアをノックした。
「おい、鈴、起きてるか? 朝だぞ」
数回のノック、呼びかけにも反応は無し。
我が妹はいまだに甘い夢の中にいるものとして、俺は無理やり彼女をこの世界に呼び戻すべく彼女の了解を得ないで部屋へと押し入ることにする。
案の定、扉を開けると妹と思われる物体がベッドの上、布団を被ってうごめいているのが確認できた。いつものことだ。それが無性に懐かしい。
「さて…」
また泣きかけた俺は目を擦り、そして気合を入れる。俺は彼女を保護していただろう布団をひっぺがし、その本体を露わにさせる。
鈴はそうすることでようやくむにゃむにゃ言いながら身体を起こす。いまだ脳が覚醒していないようなので、俺は軽く鈴の頭にチョップをくれてやった。
「ふにゃっ!? ふぁれ?」
「起きたか?」
「ん…、あ、お兄ちゃん?」
「朝だぞ。さっさと起きてこい」
「ふぁーい」
なんとも頼りになる返事をして妹はベッドから起き上がった。二度寝などする場合は母さんによる正式な制裁が加えられるだろうが、それは俺には何の関係もない。
鈴が這うようにして洗面台に向かうのを見送り、リビングに戻ると、父さんは既に朝食を食べ始めていた。俺の忍耐強さの足りない胃袋が補給を切に求めるので、俺は妹を待たずにテーブルにつく。
トーストにマーガリンを塗る。本当は白米が希望なのだけれども、ウチは昔から朝はパン食と決まっている。
半熟に焼かれた目玉焼きをトーストに乗せて齧りつく。天然の食材で作られた朝食はとても美味しくて、まあ家族には理解できないだろうが、俺は貪るようにそれを食う。
そうしている内に中学の制服に着替えた鈴がリビングに現れた。貪るようにパンに齧りつく俺を見て若干彼女は顔をしかめるが、これは毎日の事なので彼女はテーブル、俺の隣についた。
すると母さんもテーブルについて食事を取り始める。いつものように母さんが鈴に小言を言い、鈴がそれを適当に聞き流す日常。しばらく女二人の会話が続いたが、ふと母さんが俺の方を向いた。
「京平、今日は病院の日でしょ」
「ん、ああ、日記で確認した」
「そう…」
母さんは躊躇するように、腫物を触る様な表情を浮かべ、そして意を決して問うてきた。
「京平、その、まだ…、あの夢をみているの?」
「……ああ」
俺はいつもの夢を思い出し、少しばかり憂鬱になりながらその問いに答えた。俺の返事に母は「そう…」と呟き、そしてそれ以上は何も言わなくなった。
家族がなにか痛ましいモノを見るかのように俺の顔を見る。出来うる限り家族には迷惑をかけないようにしているが、これも全て夢のせいだ。
夢を見る。夢を見るのだ。長い長い悪夢を、地獄のような悪夢を。
◆
学校での友人は少ない。
数少ない話し相手によるならば、雰囲気が、目が怖いのだと言う。なるほど、彼らは平和な日本という国に生まれた幸運な子供たちだ。
彼らは戦争なんて知らないし、宇宙人と戦うなんて言うバカげた事もしていない。他にも理由はあるが、まあイジメをうけていないだけマシといったところだ。
だから俺は周囲とは馴染めなくて、小難しい物理や工学の専門書、小説などを読むか、あるいは日記を書いたり、論文を書いたりして大半を過ごす。
ちょっとした理由で、俺は授業に出る事を免除されている。まあ、悪目立ちしたくないので、あからさまにさぼったりはしないけれども。
学校側も俺にいくらか配慮しているらしく、そのことは教諭たちにある程度知らされている。
彼らは俺の問題についてほとんどを知らされていないが、それでも前日の記憶がほとんどないというぐらいの認識は共有されている。
彼らは俺が特殊な記憶障害に類する病気を患っていると考えているらしい。面倒なのでクラスメイトたちにも同じように説明している。
そうして今日も粛々と授業が行われる。教師が時折生徒に問いを出し答えさせる。生徒は「分かりません」などと答えたり、間違った答えを口にしたり、あるいは正答を答える。
とはいえ、俺には当てられない。学校側が配慮しているのだ。記憶の連続性が無い以上、授業を受ける意味はほとんどない。
今日何度目かのチャイムが鳴り響き、教室がざわつき出し、数人の男子学生が教室から足早に出ていく。昼休みである。幾らかの学生同様に、学校で一番何が楽しみなのかと問われれば、俺は昼食と答えるだろう。
生徒は購買で何かを買うか、弁当を持参するかで別れるが、俺は母さんの作ってくれる弁当を食べる派である。冷めているが、本物の食材で作られた料理たちだ。俺は無心にそれを食う。
昼が終われば、また同じ繰り返しだ。ただし、体育などは肉体の運用に齟齬をきたすので失敗が多い。そうして午後の授業が終わったところで生徒たちの大半は部活動に勤しむ事になる。
この学校では生徒はいずれかの部活あるいは同好会に参加しなければならないという事で、俺もまた部活動に参加している。
野球などの運動系の部活には入らない。記憶の連続性が無い以上、いくら打ち込もうが上達するはずがない。
なので、俺は文芸部なるものに入っている。具体的な活動は本を読む事、文章を書くことなので俺には適していると言えるだろう。
もっとも俺は幽霊部員で、そして顧問の先生も俺の事を知っているので、あまり口を出してこない。
しかし、まあそれだけでは何なので、文芸部が月に一回発刊する文集に短編小説のようなものを一度だけ投稿した事もある。
その内容が何か部長の琴線に触れたのか、俺は部長のお気に入りになることになった。部長というのは3年生の女生徒で、艶のある長い黒髪の、ある種の鋭さを感じさせる美人だ。
美人であるが、どこか変わった雰囲気を持っており、口調も女らしい言葉遣いとは言えず、しかしそれが逆に人気があるのだと言う。主に女性に。
「やぁ、天才君。珍しいね、君がここにいるのは」
「ああ、部長。今日は用事があって大学にはいかないんです。あと、天才君ってやめてください」
「ああ、悪かった高島君。しかし、ここで会えたのも縁だろう。頼みたい事があってね。今度の学園祭に出す文集に君の小説を載せたいんだけれど」
「短編ですか?」
「そう。前、君が書いた短編は結構人気があってね。私もファンになってしまったよ」
「まあ、覚えていたら」
「ああ、そうか。まあ、毎日言い続ければ記憶の片隅にでも残るかもしれないね」
「…日記にでも書いておきます」
「そうか、助かる」
「いえ」
「しかし君は…、うん、なんというか危うい空気を纏っているね」
「そうですか?」
「ああ、なんとも危うい。そうでもなければ、あんなモノを書けるわけないだろうからね」
なんとも勘の鋭い先輩である。
危ういというのなら、そうなのだろう。俺はきっと半死人のようなものなのだから。それこそ何度も死んでいる。死んで、生き返って、眠って、また死んで、また生き返る。
どれぐらい繰り返しただろう。自殺を試みた事もある。大怪我を負って、妹に泣きつかれて、結局、今も生きているのだけれど。
「部長」
「なんだね?」
「実は病院の予約がありまして、少し早めに帰らなければならないんです」
「ああ、それが用事か。分かった」
そういうことで俺は帰るための仕度を始める。雑誌を鞄につめるだけだ。そうして立ち上がり、皆に一礼して文芸部の部屋を出ようとした時、部長が後ろから声をかけてきた。
「しかし、君のそれは本当に病気なのかい?」
◆
病院、心療内科・精神科・神経内科を含む俺の通っている病院、ようは精神病院という奴で、うつ病だとかそういうのを視てくれる病院に俺は通っている。
初めてこの病院に訪れたのは小学1年生の頃だっただろうか。当時は俺もこのわけの分からない状況に混乱していたので良くは覚えていないが。
診察券と保険証を受付に出して、俺は順番を待つ。待合室は12畳ほどの広さで、ソファが配置され、雑誌などが置かれている。
俺は置かれている雑誌には目もくれず、持ち込んだ工学系の雑誌を読む。今日中に読んでおきたい論文が載っているからだ。
そうしている内に俺の順番が回ってきて、いつもの壮年の男の医師、名前は…岡本だったか? のいる部屋に入る。
彼は小学生のころからの付き合いで、その頃からずっと俺のことを視てくれている人だ。このヒトには夢の内容についても話しており、内容をまとめてくれている。
「こんにちは岡本先生」
「こんにちは高島君。2週間ぶりかな。ああ、それと、僕は岡崎だよ。で、調子はどうかな?」
「変わりないです。いつもどおり、何も変わりません」
「そうか。昨日はどこまで保ったんだい?」
「そうですね。2013年の6月の中頃ぐらいだったんで…、23年ぐらいですかね」
「今回はどうしたんだい」
「基本的には技術畑に進んだんですけど、衛士…ロボットのパイロットの腕があったんで途中からは部隊率いてましたね」
そして最後には自爆である。まあ、痛みが伴わないだけマシというもので、戦車級のディナーになったり、光線級に丸焼きにされるよりは遥かに幸福な死に方である。
自分の衛士としての腕は一級と考えているが、何分、戦術機の稼働率も下がり、人員も減る中、相手は雲霞のごとく増えるのでやってられないというのが本音だ。
そんな感じでこの2週間で試した事、向こうで学んだ事の概略を伝える。
基本的に個人で出来る事は少なく、そして巨大な組織や大きな流れを思うように動かす事は難しい。やれる事は技術発展の促進ぐらいで、しかし多少の技術的革新が圧倒的物量に対抗できるかといえば、また別問題である。
「ああ、それと高島君。君が4年前に書いた論文が学会で話題になっている。iPS細胞とは全く異なる視点からの擬似生体技術だったね。他の大学でも追試が行われて、動物実験でその有用性が確認されたらしい」
「こっちの世界でも使えましたか。まあ既存の技術なんですけどね」
「いや、こちらでは世界初だ。数学の分野でもいくつか論文を発表しているだろう。それにも注目が集まっている。今、君の書く論文に脚光が集まっている」
「俺としては、さっさとこの状況から抜け出したいんですけど」
いくつかの科学分野で夢の世界のそれは現実のそれを上回っている。夢の世界というには語弊がありそうだが、それ以外の表現を思いつくことは出来ない。
とはいえ、戦争が技術発展を促すのだとしたら、40年近く宇宙人なんてものと戦争をしている世界の技術はさぞ発展しているだろう。
専門は戦術機とか呼ばれる二足歩行の有人兵器開発なので、二足歩行の巨大ロボットの設計をしろと言われればいますぐ出来る。
とはいえ、結局のところ、他者から見ればそれは夢の中の話だ。どれだけ苦しくとも、それを他人と共有することは出来ない。
だから、俺にとってそれがどれだけリアルで、俺の人生においてどれだけの比重を持とうが、俺以外の人間にとってみれば、俺の言う事は全て夢の中の話で戯言に過ぎない。
だが、ここに科学技術という存在が紛れ込めば話は別だ。
俺の夢の中に出てくるSFじみた科学技術の全てがこの現実世界でも再現可能だとすれば、俺の話を夢だと一笑に付す事はできなくなる。
俺の夢の中の世界に現実ではまだ研究開発されていない先進科学が用いられていて、それらが現実世界において無視できなくなるなら、俺の夢もまた戯言だと言えなくなる。
そして、それは俺自身があの地獄のような世界で過ごした体験と経験の証明でもある。自分が狂人で、この苦しみには意味など無いという虚無を否定してくれる。
だから俺はそれを証明するために、夢の中の世界で戦い続けている。藁をもつかむ思いで学び、研究し、探求し、そして最後には戦って死ぬ。
そうすれば、多くの人が、誰かがきっと、俺の夢に興味を持ってくれるはずだ。そしてこの夢を、この夢の秘密を暴いてくれるヒトが出てくるかもしれない。
「今日、学校で書き終えた論文です」
「そうか。受け取ろう」
数学についての論文だ。他にも擬似生体やマグネシウム電池や電磁伸縮炭素帯、スーパーカーボン等各種の新素材などもあるが、それらは大学の研究室で好き勝手にやっている。
炭素系素材は工学分野に、擬似生体は再生医療に、他の研究も様々な方面で革命をもたらすだろう。名前が売る事が目標だから、社会的インパクトの大きい擬似生体技術をメインに置いているが。
「それで話の続きだが、いくつかの海外の大学が君に興味を持っている。そろそろ良い頃合になって来たんじゃないかい?」
「そうですね。数学や擬似生体技術の論文が認められて、俺の名前が広く露見すればその事も発表しようとおもいます」
「そうか。なら僕の役割ももう終わりに近づいているようだね」
「いえ、そんな事は…」
岡崎先生は俺にとって恩師とでも呼ぶべき存在だろう。
俺が6歳の頃、1999年の8月6日から俺が見始めた夢は俺の全てを根底から覆した。全てが変わったのだ。
気がつけば俺は何故か9年前の世界、1990年8月7日に目覚めた。そこは同じ日本でも日本帝国と呼ばれる国で、ニュースによるならBETAとかいう宇宙人と戦っている世界だった。
冗談のような話だったけれども、それ以外の要素は変わらず、俺は当時6歳の小学1年生で、事の重大性など欠片も理解していなかった。
それが最初だ。
横浜に住む俺はそのまま成長していった。周囲の日本人としてのメンタリティの違いにも、子供だった俺はすぐに適応して、1年もしない内に誰も、俺自身も違和感を持つことはなくなった。
しかし大陸の戦線は押され始め、日本にもBETAの直接的な脅威が差し迫って来た、そんな頃であった。俺は中学生で、周りでは学徒動員などがなされていているのも耳にしていて、しかし現実感は無かった。
そして1998年、横浜はBETAによって蹂躙され、俺は死んだ。
そして気がつけば1999年の8月7日の朝だった。俺の身体は再び6歳の頃に戻っていて、両親も妹の鈴も生きていて、横浜の街はちゃんと存在していた。
俺は混乱した。兵士級に生きながらにして食い殺された事もあり、俺は深刻なPTSDを発症していて、錯乱状態になって病院に運ばれた。
鎮静剤を打たれて眠らされ、次に起きた時には1990年8月6日だった。精神を病んだ俺はその世界の病院で治療を受けてある程度の回復をみた。
しかし、周りの大人たちは俺の話す事をまったく信じてくれず、そのまま精神病棟に軟禁されるようになる。そして1998年、BETAは再び日本を蹂躙し、横浜に住んでいた家族は全滅した。
幸運かどうか知らないが、俺はその災禍を免れた。しかし、俺の予言じみた発言がなんらかの研究機関の注目をうけたのか、転院させられた。
その後、様々なわけのわからない人体実験に供され、そして最終的にはロボットのパイロット、夢の世界では衛士と呼ばれる操縦者として戦場に放り出され、大した活躍もなく初陣で死んだ。
そして次に目覚めると、世界は宇宙人の侵略に遭っていない1999年の8月7日の世界、病院のベッドの上だった。
20年近い時間を経た俺の精神は6歳の身体には全く相応しくないものになっていて、俺の身に起きている事がなんとなくだが察するようになったが、俺は強迫観念に駆られたかのようにそれを否定した。
その日は医者の質問に正直に答え、藁にもすがる思いで医者に尋ねた。
「もう、こんな夢みないですよね!?」と。俺は医者に俺が経験した事を話し、助けを求めた。もうあんな世界に行きたくなかった。
すると、俺の担当医は別の人に変わった。彼は俺の言葉を妄言だと思っていたようで、いくつかの検査と試験をやった後、何かの薬を出してくれて、それで終わった。
そして夜が来て、俺は怖くて眠れなくて、その日から俺は恐怖から眠れなくなってしまった。死ぬのが怖かった。あの怪物どもが怖かった。誰にも頼れなくて怖かった。何もかもが怖かった。
そうして眠れない日々が続いて、医師に眠薬を投与され、気がつけば1990年8月7日だった。
そんなことを俺は繰り返した。
夢の世界で俺は生き残る方法を求めて様々な手段を取った。現実と夢が逆転した。
俺にとって夢の世界で死なないことこそが重要となり、現実の世界ではただぼーっと一日を過ごす、あるいは向こうで生き残る術を考えるだけの日々が続いた。
そうして二カ月ほど経って、俺は相変わらず何も変わらなかった。理解したのは、人間はBETAに敗北する、それだけだった。
生き残る手段など始めから存在しなかったのだ。俺は絶望し自殺を試みた。車道に身を投げうって車に撥ねられたのだ。重傷だった。でも、死ななかった。俺は精神病棟に拘束されるようになった。
現実世界では投薬とカウンセリングが繰り返された。俺は既に摩耗していて彼らも匙を投げていた事だろう。月日がたつにつれて俺の現実の時間と、夢の中の時間は齟齬をきたす様になった。
当然だ。10年以上もの長い期間を夢の世界で過ごすくせに、現実世界では8時間程度しか経っていない。俺にとっての10年が他の人にとっての8時間でしかない。
10年もあれば、多くの事を忘れてしまう。俺は現実世界での過去の記憶について曖昧になり始め、それを医者たちは記憶障害として捉えるようになった。
そうして、俺は現実世界の物事に注意を払わなくなっていった
夢の世界では俺は進んで衛士になった。自暴自棄でもあったが、それを繰り返すごとに俺は衛士として強くなり、生存率も高くなっていった。
皮肉にも、衛士となることで俺は夢の世界の家族より長生きするようになった。それに、BETAをぶっ殺す事にある種の快感を覚えるようになった。
もし、それがもう少し長く続いていたら、きっと俺は壊れてしまったかもしれない。
現実世界で六カ月が過ぎた頃だろうか。俺は岡崎先生と出会った。彼は本当の意味で俺の話を真剣に聞いてくれた。
俺が7歳の子供にもかかわらず、高等な数学や物理科学を理解しているらしいということが彼の耳に入ったからだそうだ。何日も何日も、彼は俺の話や悩みを聞いてくれた。
そして彼は別の可能性を俺に示してくれた。
彼は言う。
君の言う事が本当だとすれば、人型のロボット兵器が活躍する世界の科学技術はこの世界のそれを凌駕している可能性がある。
もし君がその事を証明できれば、つまり夢の世界の技術がこの現実でも再現できるならば、君の言う事を信じる者は増えるだろうと。
また、それが証明されれば、学者たちは君の夢に強い興味を持つに違いない。そうすれば、学者たちは君の夢を解明しようとするだろう。
そうすれば、君が夢から解放される方法を見つけられるかもしれない。だから君は、夢の世界で科学者や技術者になってみないかと。彼は俺に言った。
それがきっかけだった。俺は夢の世界で猛勉強をしはじめた。なに、何度も繰り返せるのだから時間だけは腐るほどある。
俺は様々なことを貪欲に学び、戦術機については乗り手の気持ちが良く分かる分、最初はその戦術機開発の分野に足を踏み入れた。研究に研究を重ねた。多くを学んだ。
そして俺は現実世界において一本の数学の論文を書いた。それは現実世界ではまだ証明されていない数学の問題に関するもので、いくつかの変遷を経てそれが正しい事が認められた。
一時は新聞にさえ名前が載ったほどだ。そしてそれが俺の現実世界での精神状態に良い影響を与えた。
俺は再び現実世界に光を見出した。俺の精神状態は劇的に良好になり、俺は退院することさえ出来るようになった。
記憶障害については日記をつけることで対応することにし、俺は現実世界でも勉学に励んだり、身体を鍛えることを始めるようになった。
数学の論文が認められたことで、俺は私立の学校に特待生として迎えられるようになった。記憶障害も多くの人間が天才ゆえの欠点として前向きにとらえてくれるようになった。
家族にも迎え入れてもらえた。久しぶりに話す家族は愛おしくて、夢の世界では何度も見捨ててしまった事を心の中で謝罪しながら再び家族を始める事が出来るようになった。
そうして俺は今に至る。
「次からはどうするんだい?」
「変わりませんよ。ただ少し面白そうな研究がされていたって情報がありまして」
「面白い?」
「なんでも超能力に関する研究らしくて」
「超能力?」
「はい。テレパシーに類するESPだそうです。BETAへの諜報や和平交渉を行うために研究されていたとか。今度はそっちの方を探ってみようかなと」
そうして俺は定期の通院を終えて家路に戻る。もうすぐ一日が終わるのだ。
そうすれば、また夢の世界へと俺は行くだろう。あの救いようのない、クソったれな世界へ。
今度のターゲットはESPだ。きっとえぐい人体実験をやっているのだろう。あの世界に神様なんていないのだ。
◆
「ただいま」
「京平? おかえりなさい」
母さんが出迎えてくれる。家族は俺の特殊な事情を、全てではないが受け入れてくれている。
もっとも、夢の世界の話は両親を心配させてしまうのでしていない。何度も弔った家族だから、だからこそ俺はこの人たちを大切にしたい。
そうして夕食、一家団欒の時間が始まる。基本的に聞き手にまわることが多いが、我が家の雰囲気は温かいものだと思う。
妹が思春期真っ盛りなので、少しばかり心配していたが、それほど強烈な反抗期は来ていない。親父殿には合掌するが。
家族の俺に対する評価は定まっている。若くして数学や物理・化学・生物学に通じる天才。そしてその才能の代償として特殊な記憶障害を背負う事になった、そんなところだ。
両親は俺を一度見捨てたという負い目があるようだが、その事については仕方がないと判っているし許している。だから誰も過去を掘り返そうとはしない。
食後、妹が英文の翻訳に戸惑っているので手伝ってほしい、ていうか手伝えという要請を受けて、一緒に英文を翻訳する。
英語なんてもうネイティヴとほとんど変わらないぐらい出来るようになっているので、英文については頭の中で和訳しないでも意味が見て取れる。簡単なお仕事である。
そして妹の相手も終わり自室に戻る。パソコンに電源を入れてニュースなどを目にすると、とある巨大電子掲示板のことが話題になっていた。
そういうことにはとんと疎く、インターネットも論文を見たりすることにしか使っていなかったが、しかしと思う。俺に起こっているこの現象は、俺だけに起きている事なのだろうかと。
巨大な電子掲示板には一種のコミュニティに近いものが形成されている。もしかしたら、俺と同じような症状で苦しんでいる人がいるかもしれない。そんな、ちょっとした思考実験めいた遊びの感覚。
だから、俺はなんとなしにその電子掲示板を利用する事にした。
スレッドのタイトルは【SOS】毎日変な夢をみる件について【誰か助けて】。安直過ぎるがこんなところか。そして俺は電子掲示板に書き込みを行う。
なに、ちょっとした戯れだ。馬鹿だと罵られて終わる確率が高いだろう。