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[36707] 【お詫びと】~かみがみ~【お知らせ】
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2014/12/08 11:43
ご無沙汰しております、かみがみの作者、真上犬太です。

アルカディア掲示板で当作品をごらん頂いた皆様にお知らせをさせていただきます。
現在、この作品は「小説家になろう」様でも掲載させていただいておりますが、
実生活の変化によって、定時刻での連続更新と、それに伴うアルカディア掲示板に適応する形での整形投稿が難しくなってきました。
よって、今後は「小説家になろう」様での掲載を中心とし、アルカディアでの掲載を無期限停止させていただきます。
真に勝手ではございますが、ご理解のほどを、お願いいたします。



[36707] 1、勇ましきものと人の言う
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/03/08 22:23
 狩人は、茂みの向こうを透かし見るようにして、獲物を見つめていた。
 緑なす草原に、長耳を揺らして口を動かすウサギ。
 小さな口を小刻みに動かし、柔らかな青物を一心に食んでいる。長い冬枯れの時期はすでに過ぎ、季節は青く萌える春。
 暖かな日差しの中で、心にほんの少しだけ恵みをむさぼるのに集中する。その油断こそが、狩りの絶好のタイミングだ。
 口元を笑みに歪ませると、シェートは素早く腰から短弓を引き抜き、矢筒から粗末な木矢を一本取り出して番えた。
 水平に弓を倒し、左手を押し出しながら右肘を体に沿わせて弦を引く。長いマズルの下に矢柄をあてがい、黒く濡れた鼻先に獲物を収める。
 引き絞り、体を充実させる。
 力がみなぎり、矢の先に己の全てが収束していく。
 異変を感じたのか、ウサギがふらりと耳を動かし、わずかに前傾姿勢をとる。
 その瞬間、ひょう、と風を切る音が鳴り――
「キーッ」
 短い悲鳴を上げ、獲物は草地に転がった。
 駆け寄ると、シェートはウサギの足を掴んだ。獲物は大きく、重かった。毛並みも見事だし、締りのいい肉をしている。
 年を越した若い奴だろう。品定めを済ませると、腰に結わえてあった蔓で素早く縛り上げ、背中に背負う。
「これで、よし」
 これで村の仲間達にも言い訳が立つ。草地の中に立ち、シェートはほっと息をついた。
 今日は一人で狩りに出ると言っていたから、このぐらいの獲物を持って帰れば十分だろう。
 村の誰もが今日の『本当の目的』を知っていたとしても、言い訳ぐらいはさせて欲しかった。
 道らしい道もない草原を、シェートはのんびりと歩き出す。
 吹き渡る風に銀灰色の毛をなびかせ、上機嫌に緩んだ顔は犬に似ていた。服は草で編んだぼろ布のようで、粗末な道具袋と矢筒、短弓と山刀を差している。
 ふと、帯代わりの蔓に引っかかった小袋を取り出し、中身を取り出した。
 摘み上げられ、晴れ渡った空に掲げられたそれは、同じぐらい蒼く透き通った輝石。
 二つ向こうの山の奥、人間達もめったに足を踏み入れない沢。その水底に時々見つかるこの石は、ルーとの番(つがい)の儀式のためにわざわざ取りに行ったものだ。
 儀式と言っても、そんなに難しいことはしない。番となる雄が、雌に対して適当なものを与えるだけ。それを雌が受け取って晴れて番になれる。
 それでもシェートは、一番のものをルーに与えたかった。
 ルーとは長い付き合いだ。それこそ子供のころから知っている。かけっこや、魚撮り、おもちゃの弓で鳥を射る、そんな遊びでいつも一番だったルー。
 彼女が長の娘であり、ゆくゆくは良い雄を選んで、番わされることになると気が付くまで、いや気が付いた後でさえも、シェートは彼女と一緒にいた。
 そして、これからもずっと一緒にいるために、走るのも、狩も、同じかそれ以上になるために励んだ。
 いつの間にか、自分は村一番の狩人と呼ばれるようになり、ルーも自分と一緒になることを望んでくれるようになった。
 大好きなルー。茶色のかわいい、俺の和毛。
「……ん?」
 甘い想像にひたっていたシェートは、いつのまにか姿勢を低くしていた。二つの耳がひくひくと動く。
 音が、聞こえた。
 大きな、何か不吉な気持ちを掻き立てる、巨大な騒音。
 草原の向こうから風が運んでくるのは、きな臭さ。
 黒くたなびく煙が、草原の向こうに雷雲のように沸き立っていた。その根元の方からほとばしるのは、激しく何かが燃え上がる閃き。
「……っ!」
 弾かれたように走り出す。
 広くもない草原を抜け、シェートはその淵に立つ。
 足下の粗い岩肌の斜面、そのはるか下に自分達の村はあった。
「……っ!」
 狭い川を目の前に、切り立つ崖を背にした、狭い土地。そこには粗末な掛け小屋が立ち並び、集会をするために作られた小さな櫓が立っている。
 その全てが、燃えていた。
 距離を隔て、毛皮を通しても分かるほどの熱気と、それに煽られて舞い上がる黒煙。
 麓の村に、長いものがいくつも転がっている。
 それが何であるか気が付くのと同時に、シェートは崖を勢い良く滑り降りていた。
「……ルー!」
 広がっていくシェートの視界に、仲間の骸が嫌になるほどくっきりと映り込んだ。 


1、勇ましきものと人の言う


 まるで鍛冶場のような熱気。全てが燃え盛り、吼え脅すような絶叫を上げている。
 炎が踊り、天へ伸び、辺りを黒い煙で包み込み始めていた。
「ルー! どこだ!」
「シェート? シェートか!」
 声に振り返ると、こちらを見つけたカイが走りよってきた。
「カイ! だれが襲ってきた!? みんなは!? ルーは!」
 茶色の毛並みをあちこち焦がしたカイは、恐怖に顔を歪めて首を振る。
「知らない! いきなり炎が弾けて村が燃えた! みんな逃げた! お前も早く!」
「わかった!」
 走り去る同族を見送る暇もなくシェートも走り出す。
 襲撃があったときの取り決め。
 全ての家財、食料、金品を家の外に放り出す。
 家に火を掛け、混乱にまぎれて女子供を隠れ家に逃がす。
 戦えるものは襲撃者をひきつけ、それを見届けてから自分が逃げる。
 これだけやっておけば、一族が半分以下になることは無い。
 小銭にも貪婪な目を光らせるゴブリンや、食い気の先走るオークの足は止められるし、
 体の大きなオーガや皮膚の厚いトロールにも、火という暴力を背にすればいくらか持ちこたえられる。
 相手が人間なら話はもっと簡単だ。やれることをすべてやったら、別々の方向に逃げ走り、峻険な岩山に入り込めばいい。
 ずんっ、と腹に響く轟音がシェートの物思いを打ち破った。
 何かがおかしい。家が燃えている、それはいい。しかし燃え方が不自然だ。
 逃げる時の取り決めでは家の奥、柱の辺りに火を掛けて、燃え広がるまでの時間を稼ぐようにするはず。
 火はほぼ例外なく、屋根から燃えていた。つまり外の攻撃で行われたということ。
「こっちはだめだ! 燃えて通れない!」
「ふもとの方角がひどい! 川へ!」
 燃え盛る炎の壁のどこからか、避難を導く声がする。だが、隠れ家は山腹の隠し洞窟にある。川に行ったのでは遠くなるばかりだ。
「だめだ! 川には行くな! 火をよけて山へ!」
「山は無理だ! 火で道がふさがってる! いったん川へ……」
 振り返ると、自分が来た方向が真っ赤に燃えていた。家どころか、何もない道にすら壁が出来ている。
「火の……壁?」
 自分で口にした言葉に、灼熱の中にさらされたシェートの背骨が凍える。ずっと昔に聞いた、魔法を使う連中の話。
 水や風を操り、雷を降らせ、炎を自在に躍らせる奴らが来ている。
「川に行くな! 罠だ!」
 逃げ道を塞ぎ、包囲を一箇所だけ緩ませておく。鹿狩りと同じだ、この襲撃はそういうことを考えられる奴の立てた計画だ。
「罠だ! 川はだめだ!」
 叫び、走り出す。
 でもどうすればいい、川はだめだと言っても、この火が魔法の仕業なら、自分達にはどうしようもない。
「だ、だめ……けふっ……川はっ……」
 世界が熱く煮えたぎっている。突き刺すような光の乱舞に目が眩む。
 いつの間にか炎の包囲がそそり立ち、世界を圧倒していた。赤い壁と黒い天幕に覆われて、現実感が喪失されていく。
「みんな……川は……」
 ぼんやりした頭に乱れた思考が浮かぶ。火を越えるには水がいる、でも川はだめだ。
 それならどうすればいい。
 必死にさまよわせた視線に、素焼きの甕が映った。
「み……みず」
 まだ少し残っているかもしれない。あれをかぶって外に出れば。
 そう思い歩み寄った甕には、誰かが取りすがっていた。その周りに溢れかえった水。
「……カイ?」
 たぶん、それが誰だかわかったのは、幼馴染だったからだろう。
 うつぶせに倒れた犬のような姿、その背中は斜めに断ち割られ、背骨どころか内臓すらはみ出るほどに砕けていた。
 一撃を喰らった時の衝撃が大きすぎたのだろう、目玉が飛び出、舌がだらりと垂れ下がっている。水だと思ったのは、流れ出た血。
 肉塊になった幼馴染のすぐ側に、文字通り真っ二つに裂かれた死体が転がっている。
 木炭の塊と化した小屋の側に別の死体。
 なめした皮を掛けておく物干し台が砕け、その下にも転がる死体。
 煮炊きをする共同の釜場に、併設された鍛冶場に、おびただしい量の死体が倒れ伏す。
 皆悉く、殺しの限りを尽くされていた。
 四肢を切り飛ばされた者がいる。口吻を潰された者がいる。
 いちどきにやったのか、首を飛ばされた死体が累々と横たわったところもあり、何かの魔法で焼かれ、穴だらけになった死体も多くあった。
 逃げるところに追いすがられ、無造作に背中を突き通された死体もあった。そういうやり口をされたものは、大抵子供を抱いて逃げようとした女達。
「あ……」
 ぶるり、と体が震えた。
 狭い村の見知った顔の多くが、この場で殺されていた。
 しかし、これだけの惨状を展開しながら、足跡が驚くほど少ない。
 自分達を駆逐するために人間が押し寄せたのなら、魔法使いだけでなく鎧で身を固めたものも連れてきているはず。
 だが、それらしい足跡は、たった四つしかない。
(一体……なんだ、これは)
 混乱して固まったシェートの傍らで、家がめきめきと音を立てて燃え崩れた。
「うあああああっ!」
 柱が砕ける、火の粉が羽虫の波のようにシェートに襲い掛かる。
「うわ、うわあっ」
 とにかく、どこかへ逃げないと。
 必死に火を払い落とし、そのまま駆け出そうとした。
「や、やめろっ、近づくな!」
 炎の幕を貫いた声に、シェートの体が止まった。
 聞き間違えようもないあの声。
「ルー!」
 叫んで走り出した胸の中に、安堵と恐怖がでたらめに流れ込む。
 まだ生きていた。しかし、ルーの叫びの中に満ちていたのは、直面した死への恐怖。
 何かに襲われている、それが何であれルーには勝ち目がないのだ。
 なぜなら自分達は『世界で一番弱い』と定められたものだから。
「ルーッ!」
 壁が自分とルーとを隔て、目の前で盛んに赤い手を振り上げる。
 それでも、シェートは走った。
 火山のように燃え上がる家々、その一部にわずかな隙が見える。自分ひとり通れそうな隘路。顔を腕で守り、体を固めて、シェートは勢い良く飛び込んだ。
「あつうっ!」
 自分の右手に燃え移った火が毛皮を、皮膚を焼き焦がす。赤い舌があっという間に腕に広がり体を舐めようと版図を広げる。
「くううああああああっ!」
 それを無理矢理体に押し付けた。じゅうっ、と嫌な音が耳をいたぶるが、痛みも苦しさもかみ殺して走る。
「ルー!」
 声が聞こえない。何度呼んでも返事がこない。
 それでも方角はあっているはず、そう信じて必死に突き進む。いつ終わるとも知れない炎のトンネルを、毛皮を、尻尾を焦がして走る。
 出し抜けに、世界が冷えた。
「え……?」
 今までの熱さが嘘のように、そこはあらゆる燃焼が遠ざけられていた。炎は周りを取り囲んでいるが、決して一定の距離以上は近づいてこない。
 そしてシェートは、そこが村長の家の前であることに気が付いた。
 他のものより少し立派だが、粗末としか言いようのないそれ。
 その周囲に、弓や山刀を手に倒れた仲間達が転がっていた。
 みんな村ではそれなりに『強い』といわれていた連中。
「う……」
 むせ返るような血の臭いのする場所に立つ、四つの影。その一団で一番背の低いものでも、自分の頭二つ分は大きかった。
 それぞれが手に武器を持ち、何かを囲んでいた。
 彼らの前で倒れ付すの、血まみれの毛皮の塊二つ。
 そのうち一つを見たとき、シェートは絶叫と共に弓を引き絞っていた。
「おまえら! よくもルーを!」
 全ての視線が、こちらを向いた。
「あれ、まだいたのか」 
 そう言ったのは、その中でも一番若そうな『人間』だった。
 蒼い輝石を固めて創ったような鎧。装飾のために小さな宝石がいくつもあしらわれ、金で文様が描かれている。
 手甲もブーツも同じ意匠で、たった今磨き上げられたかのような光沢を放っていた。
 片手に携えているのは一振りの長剣。血溝にあたる部分に象嵌が為されており、白刃には血の曇りすら残っていない。
 短めの髪の毛は黒く、瞳の色もそれに近い。顔は平板で肌は白というより、薄い黄色とでもいうべき色合いだ。
「逃げ遅れた仲間を探しに来た、といったところでしょうな」
 その後ろから、鉄の塊のような鎧が進み出た。兜をかぶっているために表情は分からないが、太い声と紋章を施しただけの装甲から、どこかの騎士だと分かる。
「もっけの幸いです。ここで殺しましょう」
「残ったのはあいつだけみたいだし、どう見ても死に掛けだけど?」
「慈悲をかける必要はありません。あれは魔物です」
 皮鎧にケープのようなもので身を飾った女が、そういい捨てる。
 白金の長髪に細面、鎧の上からでも分かる豊満な胸と、片手に持った銀製らしい法杖。人間の雄の目を惹きつけるだろう容姿のそいつは、嫌そうに眉間に皺を寄せていた。
「一匹でも取り残せば禍根になります。第一、生きていても害悪になるだけの存在、殺すことこそが御心であり、慈悲です」
「魔物に情けなんて、あんた、時々不思議な思考をするよね。それもそっちの世界の常識って奴?」
 結い上げられた赤髪に長いマント、皮の旅行着に長い杖。いかにも旅の魔法使いといった風情の女が付け加える。金髪に比べてこちらの胸は控えめに見えた。
「いや、仮想とはいえモンスター散々狩ってるから、今更そんなこと言うのもなんだけどさ。生きて喋ってるの見ると、ちょっとな」
「では私達で片をつけますか?」
「いや」
 若い男は肩を竦め、剣を構えて、笑った。
「経験値稼ぎはゲームの基本だから」
 弓を引き絞ったまま、シェートはうろたえていた。
 目の前の人間達は、自分のことなど脅威とも思わずに会話をしている。それどころか、青年は防御の構えすらせずに、無造作に歩み寄り始めた。
 確かに自分達は弱い、でもあんな風に兜も付けず、むき出しの頭や首をさらしてくるなんて。
「く、来るな!」
「無駄な抵抗はしない方がいいぜ。苦しむだけだから」
「来るなぁっ!」
 ゆんっ!
 弦が唸り、木矢が唸りを上げる。狙いは間違いなく男の眉間に――
「おっ、あっぶねぇ」
 刺さらなかった。
 何か、堅い何かにに阻まれ、力なく転がる一撃。
「最弱って割には、結構やるよなぁ」
「コボルトといえど魔物は魔物。侮らないのが肝要です」
 世間話の合間に、彼我の距離が詰まる。
 身につけた具足の重さも感じさせない、軽い足取りで。
「お……お前……いったい、なんなんだ!?」
 目の前に立ちふさがる恐怖に、膝がくず折れる。
 尻尾が萎えて地面に伏した。
 男の股の向こうに転がる、血袋になった最愛の者すら目に入れられないまま、コボルト族の青年シェートは絶望を見上げる。
「俺の名前は逸見浩二(いつみこうじ)」
 鳥のように軽やかに、切っ先が舞い上がる。
「世界を滅ぼす魔王を倒すために、この世界に呼ばれた勇者だ」
 そして、刃は振り下ろされた。



[36707] 2、抗うもの
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/03/08 22:26
 背負っていた獲物を肩から外すと、シェートは粗末な小屋の中に声を掛けた。
「母ちゃ、いま帰った」
「ああ、おかえり」
 病のせいで二年ぐらい前から臥せりがちだった母親。
 陰になって表情は見えないが、今日は体調が良いらしい。木の皮をほぐして作った布で、繕い物をしていた。
「寝てなくていいのか」
「ああ。それより、ほれ」
 そう言いながら、こしらえていたものを差し出してくる。
 草や葡萄の汁で染めた晴れ着は、まだ青臭さがかすかに残っている。受け取ると、着てみるように促してきた。
 すっぽりと被るようにしてきたそれ。少し大きいが、着心地は悪くない。
「おお、よう似合う」
「……無理、したんじゃねえか?」
 目を細める老いた犬顔に苦笑すると、深々と息をついて母親は横たわった。
「お前のためだ、無茶もしようさ」
「わああっ! 兄ぃ! 新しいの着てるー!」
「おらも新しいのほしいー!」
「だめだよー、これ兄ぃのとくべつなんだから!」
 戸口から次々と駆け込んでくる小さな兄弟達。裾や尻尾に纏わり付いて、嬉しそうに飛び跳ねてては歓声をあげた。
「ほれ、母ちゃが寝るから、外行くぞ」
「うん!」
 騒がしい一群れを伴いながら、シェートは村を歩いた。
 日差しは穏やかで、めいめいが忙しそうに立ち働いていた。
 虫除けの薬草を干している家がある。新しい矢に使う水鳥の羽を吟味する職人、遠くから新しい山刀を作る槌音が響いてくる。
「狩り、どうだった?」
 通りを行くと、家の前で座り込むカイを見かけた。
 水に浸したどんぐりの皮を剥き、渋皮を取っていく。水にさらしてあくを取った後、粉にしたものを焼き固めて食べるのだ。
「うん。大物取れた」
「そうか。もう一つの獲物もか?」
「……うん」
 袋の中の石を手渡すと、カイは頷き、腰に引っ掛けていた組紐を石に結び付け始める。
 狩りはてんでダメだが、細工物や弓弦を撚ることに掛けては、この幼馴染に敵うものはいない。あっという間に輝石は首飾りに変わっていた。
「早く行け。ルー、待ってるぞ」
「うん」
 いつの間にか、村中の人間が自分の周りに集まっていた。
 体の弱かった母親に代わって、いろいろ世話をしてくれたおばさん。弓を教えてくれた村一番の狩人のおじさん。カイを初めとする幼馴染達、弟や妹。
 広場には、どこかしなびた感じのする村長と、その孫娘が待っていた。
 自分と同じように、草木で染めた晴れ着をつけたルー。
「おかえり、シェート」
「……ただいま」
 シェートはゆっくりとルーに歩み寄り、右手を差し出した。

 ずくっと、手が痛んだ。

「あ…………」
 差し出した手が、虚空で止まる。
 輝石が日の光を浴びて、輝いている。
 いつの間にか、全ての人々が、シェートを見つめていた。
「どうしたの?」
「ルー……」
 手が痛い。
 この石をルーに渡せば、自分は幸せになれる。
 ずっと夢だったんだ、ルーと一緒になるのが、自分の。
「……ルー……」
「なに?」
 受け入れてしまえばいい、何をためらう必要があるんだ。
 この石を彼女の首に掛け、幸せに生きればいい。
「あ……」
 両目から涙がこぼれた。
 とめどなく流れ落ちていく水が止まらない。
「そんなにうれしい? あたしと番うの」
 そうだ、ルーと一緒になる、ひとつになる。
 それが現実のことだったら、どんなにか良かったか。
「違う……」
 ごまかしていた、必死に。
 あんなことは夢で、悪い夢で、これが現実だと。
「何が違うの」
「違うんだ……」
 涙で視界がにじむ、どんなに信じ込もうとしても、シェートには分っていた。
「ルー……お前は……」
 右手が、だらりと下がった。
「もう、死んだんだ……」
 その途端、世界は灼熱した。

 気が付くと、周囲を赤が荒れ狂っていた。
 村人達もルーも、みんな陽炎のように消えた。残されたのは、ちっぽけな自分。
「う……」
 体がひどく冷たい、あんなに近くに炎が燃え盛っているのに。四肢が重く、首すら動かせない。
「ぐ……」
 喉が錆びた鉄を詰め込まれたようで、嫌に生臭い。それが自分の血の臭いだと気が付いた時、シェートの頭の中に最後の一瞬が火花のように飛び散った。
 勇者を名乗る男、異国の不思議な名前、恐ろしいほどに美しい刃が、切っ先が自分を刺し貫く光景。
「あ……」
 震えながら上がった手が、真っ赤に濡れている。火傷を負い、傷だらけになった右手。
 その手の中に、確かにさっきまで、幸せがあったはずだ。
 だが、自分は戻ってきてしまった。
 ルーが殺されたという事実、そのことが忘れられなかったために。
「ああ……」
 夢の涙が、現実に溢れかえった。
「……ああ……ルー」
 もう炎以外は見えない。ルーの物言わぬ体も、道に倒れ伏した仲間の骸も、身動きできずに火と煙に巻かれて死んだであろう母親や、幼い兄弟達も。
「ああ……うあああ……」
 痛みと後悔が、こみ上げる。
 死の忘我が見せた優しい幻を振り切って、自分は何のために、今わの際のむなしい現実に立ち戻ったのか。
 コボルト、呪わしいその生に。
 戯れに魔王が創り、他のあらゆる魔物の隷下、食料、無聊の慰み者としてのみ永らえることを許されたもの。
 人の世においても、組し易く、知性の低い野卑な雑魚と言われ、戦士や騎士、あるいは魔法使いの術の的として用いられる存在。
 魔物の最下層民、哀れな犬っころ。
「あぐ……うう……ああ、ああああああああ」
 誰も悲しまない命、死という役割を担わされた出来損ないの道化だ。
 そのことを思い、悲しみだけが心を支配する。

 悲しみだけ?

 ――否。

「いやだ……」
 シェートは、萎えかけた腕を伸ばした。
 例えそうだったとして、なぜ自分が、自分達が手折られなければならないのか。
「こんなの……いやだ……」
 魔からも人からも遠ざかり、世界の片隅で身を寄せ合い、日々の命を永らえることだけを願って暮らしてきた自分達が。
 それでも、世界は受け入れろというのか。
 弱きものとして搾取される宿業を。魔物として追われ、処理されていく日々を。
 自分達は黙って頭を垂れ、ひたすらすりつぶされていけば良いというのか。
「いやだ……っ」
 枯れかけた命を燃え立たせるように、体を起こす。
 ふらつき、胸からあふれ出す血が増えようとも、小さな魔物は両足で立った。
 こんなことをしても、死ぬのが少し早まるだけだ。
 すでに周囲は劫火に阻まれた。遅かれ早かれ、あそこで焼けている仲間達と、同じ運命を辿るだろう。
 世界にとって、何の意味もない自分。何かを揺るがせるだけの重さなど持たない。
 死に掛けの、最弱の魔物、そんな一匹に何ができるのか。
 それでも、何かせずにはいられなかった。
 甘い死の夢に逃れられないなら、生の尽きる一瞬まで、何かに抗っていたい。 
 悔しさを両目から溢れさせ、それでも小さな吻から牙をむき出して、叫んだ。
「お前を殺してやるぞ、勇者あっ!」
 思っていたほど声は張れなかった。
 勇者が目の前にいたとしても、気づかれないくらいの声量だったろう。

 だが、応えはあった。

『復讐を望むのか、小さな魔物よ』
 頭の中に声がこだまする。
 透き通った声、世の中の美しいものを全て集めて、練り固めたような。
「おまえ……だれだ」
『復讐を望むか、と聞いたのだ』
 声は容赦がない。こちらの疑問などお構いなしに言葉が続く。
『早く応えよ。さもなくば汝の魂は闇に転げ落ち、怨讐の刃を振るうことも叶わぬぞ?』
 相手は決して魔物ではない。魔王は強さを存在の秤としたのだ、弱さゆえに朽ち行くものに差し伸べる手など持っていない。 
 それでも、
「……のぞむ」
 シェートは構わなかった。
 声は、言外に示しているのだ。望みを叶えてやろうと。
「俺は勇者を殺したい……仲間を、母ちゃを、弟達を……」
 消えかけそうになる意識を繋ぎとめ、シェートは絶叫した。
「ルーを殺したあいつを、必ず殺してやる!」
『よかろう』
 その瞬間、シェートの全てを白い光の柱が包みこんだ。
『それでは、お前はこれより私のものだ。その代わり、お前に勇者を殺す力をやろう』
「……おまえは……いったい……なんだ?」
『私はサリアーシェ』
 光のはるか先、想像も付かないところから降る声は、宣言した。
『天に侍る、女神の一つ柱だ』



[36707] 3、命の価値
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/03/08 22:31
 きな臭い煙が未だにたなびく空き地で、動く姿があった。
 昨日までは身を寄せ合うように立ち並んでいた掛け小屋も、そのほとんどが炭屑になるほどに燃やし尽くされている。
 いずれは雨が降り、風が運び去り、この場に小さな魔物が住んでいた痕跡を、世界からきれいさっぱり消し去ってしまうだろう。
 その埋もれかけた廃墟から、シェートは仲間を掘り出していた。
 コボルトの体は小さく脆い。死体は剣と炎の威力に曝され、頭蓋骨すらまともに拾うことができないものも少なくなかった。
 それでも指の骨一本、あばら、焼け残った尻尾の一房も見逃さず、丹念に集めていく。
 村から少し離れた場所、山を背にした崖のふもとが、村のものを葬る場所だ。
 逃げ場所を塞ぐために張られた炎の壁は、村の墓地として使っていたこの場所までは展開しなかったらしい。
 弔いのたびに捧げられ、根付いた小さな野草達が、火事の熱気に当てられたにも関わらず元気に咲き誇っていた。
 木の板を使い、小さく穴を掘っていく。そこに仲間の欠片を埋め、また穴を掘る。
 碑もなく、わずかに残った残骸に土を盛っただけの墓は、それでも五十ほどになった。
 そして、心持深く掘った穴の中、むごい焦げ痕を刻みながらも、奇跡的に無事な形で残った最愛の人を横たえ、シェートはじっと手の中の物を見つめた。
 蒼い輝石。
 空と、愛しい人と、憎い敵を思わせる色。
 握り締めると、素早く蔓で括り、首から掛ける。
「ごめん」
 優しく土をかけながら、語り掛けた。
「いつか、渡しにいくから」
 全てを終えて、シェートはゆっくりと、川へと歩いた。
 服はほとんど焼け、山刀一振りを残して、何もかも失った。
 だが、自分は生きている。胸にひどい傷跡が残ったが、それ以外は全く以前の通りだ。
『弔いは、済んだな』
 川原に立ち、ぼんやりと流れる水を眺めていたシェートに、囁く声。
「いたのか」
『いたのか、ではない! 弔いが終わるまで喋るなといったのは貴様だろう。まったく、なんという倣岸な魔物だ』
「お前、しゃべり方、むずかしい」
 鬱陶しい言い回しに閉口しながら、シェートは彼女の存在を反芻していた。
 自分は確かに生きている。背中まで貫通した刃を受けながら、今ではその痛みどころか火傷すらない。本人がどんな神であれ、その力は本物だろう。
 ただ、分からないことも山のようにある。
「聞きたいこと、ある」
『なんだ? なんでも申してみよ。我は神だからな、なんでも答えてやろう』
「……お前、どうして俺選んだ」
『な……なに?』
「俺、魔物。おまえ神。違うもの。なぜ俺助ける?」
 魔の者とは世界を害する存在であり、神とはその相反者。いくらコボルトの頭が弱いとはいえ、そんな道理が分からないわけではない。
『では聞くが、お前はあのまま死んでよかったというのか?』
「なに?」
『あの瞬間、お前は確かに願った、死を超えて勇者に復讐を望むと。それを私が拾い上げねば、お前は弔うものもない魔物として、火に撒かれて炭と化していたのだぞ?』
 確かにそれはその通りだ。しかし、この女神は自分の質問に答えていない。
「わかってる。でも、それ理由違う」
『いっ……い、いちいちうるさい魔物だな! ならば今すぐここで死ぬか?』
「……死ぬ?」
『折角生き延びさせてやったというのにその物言い。拾った命がいらぬと見える。我のことが気に食わぬなら、即座に殺してやろうといったのだ』
 やけに高圧的な物言いに、シェートはだんだん腹が立ってきた。
 あの炎の中で、自分は生き死にを他人に振り回されることに怒った。だが、今また命を助けられた女神とやらに弄ばれようとしている。
「……じゃあ…………殺せ」
『…………は?』
「俺、勇者殺す。殺したい。でも、おまえにそんなこと言われるの、腹立つ!」
『ば……バカな! そんな理由で死ぬというのか!』
「お前、魔王と同じ! なんでも好き勝手する! コボルトそれに振り回される! でも俺、そんなのもう嫌だ! 勝手な神に振り回される! うんざり!」
『…………あ……』
「殺したければ殺せ! でも、俺もう、命令聞かない!」
 いつの間にか、空を睨んでいた。多分神とやらはあそこにいるだろう、そいつに向かって精一杯、歯をむき出しにしてやる。
 こんなことしかできない自分に腹が立つ。でも何もしないよりはましだ。
「お前、俺生かした。でもそれ、何かに使う思ったから! 違うか!?」
『そ……それは……そう、だが』
「だったら、こんな命いらない! 返す! もって帰れ!」
『で、できる分けなかろう! そもそも奇跡とは不可逆なもので……』
「そんなの知らない! 持って帰れ! 今すぐ!」
 不思議と怖くなかった。自分は一度死んでいるのだ、それに炎の中で感じた怒りが頭の中にまだ残っていて、妙に凶暴な気分がする。
 女神の言葉は止まり、自分以外、誰も居ない川原に風が吹き抜ける。こちらが睨んでいるのを無視しているのだろうか。
 結局、首が疲れてきて、顔を下ろしてその場に座り込んだ。そばにあった野草を口に含み、飲み下す。そういえば、昨日からまともに食べていなかった。
 長いこと続いた沈黙を、おずおずとした女神の言葉が破った。
『な…………なあ……』
「…………」
『おい』
「…………」
『……聞いておるのか?』
「…………」
『そこの! ……ええと……その……』
「…………シェート」
『おい…………シェート』
 言葉だけの存在は、どこか恥じ入ったような、そんな気配を漂わせていた。
『済まなかった』
「お前、神。謝るのおかしい」
『そ、そうか?』
「そうだ」
 変な奴、そう思いながら腰の近くの石を転がし、顔を出した地虫を口に入れる。
 堅い殻を噛み潰すと、泥臭い臭いが鼻を突いた。食べないよりましだが、もう少し腹に溜まるものが欲しい。
「好きにしろ。お前、俺勝手に動かす、できるだろ」
『そういうわけにはいかんのだ。神と言ってもなんでも好きにできるわけではない』
「ふーん」
 適当に返事をし、腰帯をまさぐる。指に感じたわずかな刺激を頼りに、帯にたくし込まれたそれを取り出した。
 何かあったときのために身につけていた釣り糸と鈎(はり)。自分の髪をいくらか継ぎ足し、その辺りに転がっていた枝にくくりつける。
「それで、どうしてお前、俺助けた」
『……そうだな。それは言わねばなるまい。確かに私は、ある目的のためにお前の命を欲したのだ』
「目的? どんな?」
 地虫を鈎につけ、流れに放る。いくら自分の体が小さいとはいえ、地虫くらいでは腹の足しにはならない。女神の言葉を聞き流しつつ、竿に注意を向ける。
『シェート、お前と同じだ。私も勇者を殺したいのだ』
「……変な奴」
『そうか?』
「女神、神だろ。勇者、神に選ばれた奴、それ殺そうとする、おかしい」
 糸も鈎もこれ一組だけだ、新しく作るのは骨が折れる。餌をつつく魚の気配に、神経を集中させる。
 つ、つ、つっ。
 鈎の先の地虫が嬲られている。この辺りの魚は、村の子供らが遊びで釣り上げるのですれている。
 つ、つつっ。
 あわせが肝心、そう思ったシェートの腕が、
 つくんっ。
 魚の引きを感じて跳ね上がった。
「んっ!」
 川面を突き破り、銀色の腹を日に輝かせながら魚が宙に躍った。素早く片手で受け、人差し指を鰓の奥深くえぐりいれる。
『おお! 見事!』
「……こんなの、普通」
『いやいや、浮きもなしで正確に合わせて見せるとは、なかなか出来ることではない』
 妙にうれしそうな声。さっきまでの高圧的な雰囲気がはがれ、別の何かが覗いたような気がした。
「お前、やっぱり変」
 火の準備はすでにできている。夜を明かすことも考え、焼け残った村から、燠を無事な火壷に入れておいたし、枯れ枝も集めてあった。
 山刀で素早く腹を割き、わたを川に捨てると火を起こして魚を焼き始める。内臓は他の魚や川虫にやって、川を肥やすのが村のやり方だった。
『シェートは魚釣りが得意なのか?』
「……そんなこと、聞いてどうする」
『あ、いや……その、興味があったのでな。言いたくなければ、よい』
「俺狩人。魚獲る、鳥撃つ、ウサギ、鹿、みんな狩る」
『そうか……』
 女神は再び押し黙る。
 ただ、今度の沈黙は邪険にされたから、というわけでもないらしい。
 じうじうと魚の皮が焦げていく。少し火から距離を外し、熱で中の肉が熟し固まっていくのを待つ。
 その仕草の全てを、じっと見ている女神、そんな姿が頭の中に浮かんだ。
「お前」
『なんだ?』
「腹減ったのか?」
『は?』
 不意を突かれ、気の抜けた返答。とても女神とは思えないその応えに、シェートはため息をつきつつ火の番を続ける。
『なぜ……そんな話になる?』
「なんか、ずっと見てるから」
『まさか、私が……見えるのか?』
「見えない。でも、なんかそんな気、した」
『ふ…………は、はは、はははははははははははは』
 笑い声が、文字通り弾けた。
 世界の明るさがわずかに増え、空気が潤っていく。どこからか、魚のものとは違う芳しい香りが、辺りに漂っていく。女神の笑い声はいかにも嬉しそうで、朗らかだった。
『は、ははは! そんなに、物欲しそうにしていたか、私は!』
「弟達、よくそんな感じにしてた」
『そうか……ふふ……そうか、弟達がな…………』
 やがて、程よく焼けた魚を手に取ると、シェートはそっと空を見た。
「少しなら……わけてやるぞ」
『変な気を回すな。早く食べてしまえ』
 ちゅうちゅうと身から噴出す脂に惹かれて、勢い良くかぶりつく。
 香ばしく焦げたた皮と甘みのある肉から、じわっと滋味がほとばしる。わずかに残ったわたの苦味を舌先で感じつつ、熱い身を頬張った。
「ほ……っ、ほっ……ふ……はっ……」
 食道を熱い塊が通り、じんわりと中を暖めていく。
 働きづめだった上に、まともな食事にありついたのが一日ぶりだったため、あっという間に魚は骨だけになり、その骨さえ頭と一緒に噛み砕いて飲み込んでしまった。
「ふぅ……」
『満足したか?』
「そうでもない。でも、ちょっとはまし」
『……やはり世界によって違うものだな』
「なにがだ?」
『コボルトというものは、お前達だけではないということだ。大抵は弱く在るように創られるが、世界によっては野獣と変わらない生活を送るものいるのだ』
 少し腹が満たされたせいか、体が自然と横になる。それをとがめることもなく、女神は寝物語でも語るように、話を続けた。
『この世界には、魔王がいる。空を翔る城に住まい、人々の生活を脅かすべく活動する存在だ。その行為のために生み出されたのがお前達魔物だ』
「しってる。でも、俺、いちばん弱い」
『そして、そういう世界を救うために、我々神々は勇者を送る。地に生きる全ての者、人間達を守るためにな』
「それもしってる。あの……あいつが……」
 食後の満ち足りた幸せが、黒い怒りに塗りつぶされる。笑いながら、こともなげに自分の家族を、愛しい人を殺した人間。
『その全てが欺瞞だとしたら、どうする?』
「ぎ……ぎま?」
『全部作り事、はかりごと、全くのでたらめ。つまり嘘、であったなら?』
「やっぱり、お前変。実際、お前言うとおり、勇者、魔王いる」
 こちらの言葉に苦い吐息が漏れ、首を振る女神が見えた気がした。
『全ては、いや、全てではないがな。茶番なのだ。確かに魔王は世界を滅ぼす。だが、滅ぼそうとしているのは人間の世界なのだ。
 世界そのものではない。そして神々も……人間の、その世界の人間のために勇者を遣わすわけでは、ないのだ』
「分からない! もっと分かるように言え!」
『シェート、お前は子供のころ、友人と遊びをしなかったか。川原で拾った珍しい石やうまい木の実を賭けて。勝った方がそれを手に入れる』
「それが……どうした」
 日が、傾きつつあった。焚き火はすでに消え、川面から上がってくる風が冷たさを混じらせつつある。その世界の陰影を、女神の声は一層深くしていく。
『魔王と神とはな、世界を使って遊びをしているのだ。世界には、神々や魔王を満たす霊的な資源に溢れている。それを奪い合う遊び、その駒が勇者と魔物だ』
「遊び、道具……」
『神と魔は、その力を思うままに奮って戦えば、単なる滅ぼし合いにしかならない。
だからこそルールを決めたのだ。痛み分けにならないよう、神と魔の協定を。直接の関わりは持たないものの、我々は裏で繋がっているのだ』
「そう、なのか」
 そのこと事態は、別に不思議とは思わなかった。
 魔王の城は何度か見たことがあるし、世界を滅ぼしたいなら自分達など生み出さず、強大な力を使えばいいのにと、いつも思っていた。
『魔王は自らの配下を増やして世界を覆い、神は自分の代行者を遣わし、その存在を以って人々の信仰を集めて勢力を伸ばす。
 その果てに勝者が決まり、勝ち残った者が世界を支配する』
「それが、どうした。石けり遊び、みんな同じ数だけ石持つようにする。神、魔王、遊びしてるなら、決まりある。おかしくない」
『ではシェート、お前は自分が『一点』だと言われたら、どうする』
「……なんの、ことだ?」
 女神の声は、初めて話した時の様に、強張った音色を伴っていた。
『神と魔は、もう一つ取り決めをした。神の代行者に、最強の力を持たせて送り出したのでは、魔にハンデが出てしまう。
 そこで、送り出す勇者に一つの機能と制限をかけた』
「む、むずかしい言葉使うな! もっと簡単に」
『魔王は配下の個体に点数をつけた。その強さに見合った評価を、数字にしたものをな。
 そして、その個体を【神が選んだただの人間】が殺すたびに、見合った加護を与えることを許したのだ。こうして勇者は力を与えられ、地上に降ろされるのだ』
 日が山の端に落ち、世界が急に暗くなる。瞳孔が細まり、周囲の熱が陽炎のように揺らぎ見えるようになっていく。
『勇者は魔物を殺せば殺すほど、見えない数字が溜まる。ちょうど石けり遊びで、勝った者が石を手に入れるように。
 その数字を溜め、強くなる力を得る。……シェート、さっき私はなんと言った、お前のことを』
「い…………」
 それ以上何も言えず、小さな魔物は拳を握った。
『もちろん、さっきのは例えだ。だが、お前達の持っている数字は、どんな魔物よりも低い。数が多く、弱く、与しやすいからな』
「みんな……そうなのか?」
『違いはあるがな。その違いは、わずかだ』
「…………」
 シェートは、口を閉じた。堪えようとして、それでも体が震える。
 仲間も、家族も、愛しい人も、全てがたった一つの石ころ。知らないうちにつけられていた命の価値を、勝手にやり取りされる。
 この世界は、最初から自分達を搾り取るようにできていたのだ。
 諦めと共にシェートの心は最初の問いに立ち返った。
「それなら、やっぱり、おかしい」
『お前を選んだ理由か』
「なんで……俺なんだ」
『今は明かせない』
 闇と共に気分が暗くなってくる。体を丸めて、シェートは横になった。
 幸い、この辺りはきな臭さが立ち込めているし、魔物も動物も用心して今日は近づかないだろう。
 毛皮と川べりの草があれば、寒さに凍えることもない。
『だが、私がお前の命を必要としているのは本当だ。勇者を滅ぼそうとする意思を持つ魔物。
 そして、私に力を貸してくれる存在であるお前をな』
「…………」
 正直、なんと答えればいいのか分からない。自分はたった一点の存在で、世界に塵芥だと定められた生き物だ。
 暗い気持ちを抱えながら、シェートは浅い忘我の層に自分を落とし込んでいった。



[36707] 4、平和の女神
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/03/09 12:34
 その世界は全てが光に満ち溢れていた。
 もちろん輝くばかりではなく、陰影も存在する。とはいえそれは衣服のようなものだ。
 光を飾り、その輝きをより際立たせるための装いにすぎない。
 そんな光溢れる世界を、歩いていくものがいる。
 大理石のような石材で舗装された一本の白い道を歩くのは、一人の少女。
 人で言えば十代を半ばにするぐらい。ゆったりとした布を体に纏い、静かに進んでいく。
 道の左右には何もなく、ただ空色だけが満ちている。
 天空を貫く遊歩道とでもいえばいいのか、少し離れた場所に緑に覆われた浮島が漂っている。
 薄絹一枚で装い、装具といえば長い金髪を束ねる髪留めとサンダル程度で、いかにも質素だった。
 とはいえ、それは存在の貧しさを示さない。
 意思と緊張に溢れているが卵形のふっくらとした愛らしい顔、無駄な動きを極力抑えた歩みは、
 貴族然とした優雅さが組み合わさることで、完成された美を作り出していた。
 やがて、行く手に黄金に輝く門が現れた。
 その脇に生える緑の木に顔を向けると、彼女は名乗りを上げた。
「サリアーシェ・シュス・スーイーラの名に於いて、合議の間への道を開け」
『美しき"平和なる女神"よ。その御名、御声を承らんことに、我は大いなる寿ぎを以って応えん』
 森の乙女(ドライアード)の口上にわずかに眉間の皺を深めながら、サリアは開け放たれた扉の向こうへと進み出た。 
『美しき御方、御名を寿ぎ言上奉ります。"新緑の美姫""調停者""平和なる女神"、サリアーシェ・シュス・スーイーラ、御奉臨!』
 迎えの乙女の言葉に、合議の間は静まり返った。
 サリアのいる場所は『御出座の階(きざはし)』と呼ばれる、四方に作られた階段の前で、
 目の前には下り階段とその果てに作られた広場が見えた。
 景観のために植えられた木々や、見事な色羽を広げて飛び交う鳴鳥たち。そして芝生や東屋、石造りの座椅子でくつろぐ男女。
 男女とはいっても、全てがサリアのような姿をしているわけではない。
 剛毛に覆われた偉丈夫や四足で寝そべる竜、全身が奇怪な金属で覆われ不気味な蒸気を吐き出すもの、あるいは不定形の肉塊のごとき存在もあった。
 とはいえ、人型がかなりの数を占めており、誰もがサリアを見つめている。
 その全てが、サリアと同じ神だった。
「これはこれは美しき姫よ、ご機嫌麗しゅう」
 ちょうど階段のすぐ側で談笑していた、長い耳を持つ青年が語りかけてくる。
 その身は美しい織物の長衣や見事な細工帯、細身の剣が飾り、甘い恋の調べを歌うための弦楽器が足に寄り添っている。
 気さくそうな笑顔を浮かべたが、その表情には尊崇とは逆のものが浮かんでいた。
「あなたがこの場に現れるとは珍しい。この場は」
「『遊戯』のために開放されているというのだろう? 言われなくとも分っている」
「おお、これは失礼。ただ、長き間『神座(かみくら)』に籠もられておられるようでしたからな、
 世知を損なわれておられるかと愚考いたした次第で」
「ご配慮痛み入る。ではお返しに申し上げておこう」
 サリアは、輝くような笑みを浮かべた。
「我は幾千を越える齢を重ねる者。その我に、高々数百生きた程度のエルフの成り上がりが垂れられる教示など、何一つないと知れ」
「……それは、失礼を」
 侮蔑は青年の顔の上をわずかに撫ただけだった。肩を竦め、同族のものらしい女神に顔を向けてしまう。
 ただ、歩みを進める背中に、小さなとげを投げつけることだけは忘れなかった。
「『廃神(すたれがみ)』風情が、大層な口を」
 それでもサリアは顔を昂然と上げ、階段を進んだ。
 緩やかに作られた石段のそここに、下の間まで降りられない、位の低い神々が座っており、そっと囁きを交わした。
「……サリアーシュ様とはお珍しい」
「また非戦を奏上されるおつもりか……」
「愚かなことを……ここにいる誰一人、あのお方の言葉など聞きますまい」
 階段を降り、柔らかな草原に敷かれた石畳を進む。
 本来、この広場は全ての神に開放されているが、位や力の強い神々が集まるために、自然とその顔ぶれも固まっていた。
「また来おったか、小娘が。あれの小言はうるさくてかなわん」
「面倒な。力づくでねじ伏せてしまおうか」
「やめておけ。一昔前ならいざ知らず、今のあ奴は廃神。相手にするも愚かしい」
 有象無象の林を抜けると、中央に建てられた大きな東屋にたどり着く。
 そこには、きらびやかな一団が、和やかに語らいあっている。
 姿も性別も全く違うが、彼らは一様にある特徴を備えていた。
 威圧感、見たものをひれ伏させずにはおかない気配。
 物理的な圧倒力すら持つ自らの威光を隠しもしない彼らは、あらゆる次元における最高の力を持つ神々だった。
「おお! サリアではないか! 久しいな!」
 華やかな一団の中から、一人の神がサリアに振り返る。短くそろえられた金髪はサリアに良く似ていたが、それ以外は正反対だった。
 若々しい青年の姿で定められた肉体は、みずみずしさと快活さを放散し、見たものをひきつけずにはいられない整った顔には優しげな微笑が湛えられている。
 バランスよく鍛えられた体を見せ付けるようにわずかな薄物だけを纏い、装飾具の代わりなのか、手甲や金細工の施された軍靴を身につけている。
 そこに施された意匠は、地上で見た勇者の鎧に酷似していた。
 屈託のない笑顔を浮かべると、彼は立ち上がり、自分の座っていた場所を示した。
「さぁ、こちらへ! 遠慮はいらぬぞ、口さがない者はそなたを廃神などと言うが、我らの間にそのような」
「兄上」
 歓待の気配を一言で打ち切ると、こちらの態度に顔を曇らせた兄に言い放つ。
「真に申し訳ありませぬが、私はここに歓談に来たのではないのです」
「……サリアーシェ。またその話か」
 わずかに膝を折り、聞き分けのない妹のわがままをたしなめるように、言葉を継ぐ。
「そなたも知っていよう。『神々の遊戯』の意味を。神と魔の間に交わされた約定を」
「存じております」
「そして、この戦いはまた、我ら神々の優劣を決める重要な場でもある。
 魔が侵攻した世界に、勇者を遣わす。そして誰の勇者が先に魔を倒すかで、その世界を統べる神が決まるのだ」
「ええ。そうして神々もお互いに争わず、新たな世界と信者を得、自らの力を真に平和的に伸ばすことが出来るのですから」
 サリアはきつく口を結び、こみ上げる怒りを堪えた。
 同時に、先ほどまで言葉を交わしていた魔物を思い出し、胸に迫る痛みに耐える。
 こんなこと、とても言えるはずがなかった。
 魔を滅ぼし世界を平和に、などというのは単なる口実で、魔王すら神々の権力争いに使われていることなど。
「そなたは、このやり方に文句があるようだがな、これで全てうまくいっておるのだ。
 もし不満があるのであればサリアーシェ、そなたも遊戯に参加すればよいではないか」
 その瞬間、会衆が湧いた。
 笑ったのだ、小さき神も、大いなる神も、皆一様に。
「ゼーファレス殿! それはひどい!」
「そんなことをすればサリアーシュ様は消し飛んでしまいますぞ!」
「治める世界もなく、崇める民とてない方が、遊戯に参加などできようはずがない!」
「ああ。すまぬ、そのことを忘れていた」
 自分の過失に苦い笑みを浮かべると、兄神ゼーファレスはそれを謝るように、そっとサリアに向けて手を差し伸べた。
「だが案ずるな。此度の遊戯はすでに参加できぬとはいえ、まだまだ分つべき世界は無数にある。
 次の遊戯では、我が幾ばかりか力を貸し与え」
「ご安心ください、兄上」
 サリアはやんわりと、だが決然と兄の手を振り払った。
「私は、此度の遊戯に参加いたします」
「……何を、言っておるのだ?」
「審判の女神よ、我の宣誓を受け給え」
 こちらの宣言に驚きうろたえる周囲を尻目に、サリアは大神の中心にいた一人の女神を呼ばわった。
 それは一種異様な存在だった。
 薄絹を纏った集団の中で、恐ろしく浮いて見える衣服――スーツと呼ばれる体にフィットした衣類――と、長大な一振りの杖を持っている。
 ただ長く、武器ではない形状であるがゆえに『杖』としか呼べないものを。
 巨大な砂時計を中心に、柱時計、置時計、デジタル時計、人間程度の知覚では理解できない、超次元を計るために作られた『溶けた時計』など。
 あらゆる『時を計るもの』が、鈴なりになったものを、軽々と手にした女。
 長い黒髪と細面、糸のように細い眼はまなじりが垂れていて、優しげに笑っている風に見えた。
「審判の女神イェスタ、ここに」
「宣言を受けてくれぬか、イェスタ」
「何を言っておるのだサリア!? すでに神々の参加は打ち切られている! 今更それをねじ込むなど、できるわけがない!」
「そうだ! そもそも今のサリアーシェ殿に、異界より勇者を呼ぶ力など、残ってはおられぬはず!」
 兄神の絶叫に周囲の神々がざわめきだす。その何柱かは、今回の遊戯の参加をあきらめたものも含まれていた。 
「万が一できたとて我らの保護を与えなければ、勇者とてひとたまりもあるまい!」
「崇めるものもなく治める世界もないのでは……とても……」
「世界一つを捧げて、ようやく魔法を使う力を勇者に与えられるのだぞ? 無一物の神にいったい何が……」
「皆様、お静まりを」
 口を開いたイェスタは、優しげな笑顔で周囲を沈黙させた。
 全ての遊戯をつかさどる審判者(ゲームマスター)の言葉は、何をおいても優先する。
「以前からサリアーシュ様より、如何にすれば遊戯に参加できるものかと、ご相談を頂いておりました。
 皆様の仰るとおり彼の女神はお力を失っております。それゆえ……差し出せるものは、御身を置いて他にないと申し上げた由」
「まさか……サリアーシェ!?」
「はい」
 再び空間がどよめく。色を失った兄は、かぶりを振ると死にかけの小動物でも見るような目で妹を見た。
「なんと愚かな……それでは、今まで姿を見せなんだは、異世界の勇者を呼び遣わし、必死に声援でも送っていたと申すか」
 確かに、自分の存在を担保にすれば、異世界の勇者を呼ぶことは出来た。
 だが、それ以上の助力、例えばその世界の一国に天啓を授けて協力者に仕立てることや、魔法や神具の類を与えることなど不可能だったろう。
 『異世界の勇者』を呼ぶなど、サリアには最初から選ぶことのできない選択肢だった。
「いいえ。今まで参加の宣言を行わずにあったは、此度の遊戯に参加する『駒』を探すのに手間取りましただけのこと」
「な……ならば、そなたは一体何を、選んだというのだ」
「魔物です」
 辺りは、しんと静まり返った。それから、サリアの発言を飲み込んだものから、うめき声のようなものが漏れていく。
「なんと、愚かな」
「そんなこと許されるのか?」
「馬鹿馬鹿しい、魔に力を貸すなど」
 強烈な拒絶ではなく、選択の愚かさをそしる声が辺りを埋める。
 不満が辺りに充満したのを見計らうように、審判の女神が言葉を繋いだ。
「お若い方々はご存じないかも知れませぬが、魔の者を自らの手ごまとし、勇者を亡き者にし、
 さらには魔王を討ち果たさせることで勝者となることも、許されております」
「確かに勇者を呼びつけるよりは掛ける力も少なくて済む。
 魔を以って魔を制す、例がなかったわけではないがな……だが、その方法はほとんど取られてこなかった」
「はい。魔のものを支配するにはそれなりの力が必要。
 ならばと従順かつ協力的な異世界の者を勇者と選ぶようになったわけで御座います」
 審判の神の言葉に、年嵩の竜神が重々しく頷く。その声で神々は納得の気配を見せたものの、未だに不満げな表情を浮かべている。
「それで、サリアーシュ殿は、いかなる魔を配下におさめたのですかな」
 いつの間にかやってきたエルフの問いかけに、ざわめきが引いていった。
 当然の疑問、この力を失った女神はどんな魔物を配下としたのか。気が付けば、この間にいた全ての神が、取り囲むように集まってくる。
 その光景に、サリアはかすかな不安を覚えていた。
 自分の発言は、必ず波紋を巻き起こすだろう。そのことが自分の不参加に繋がるかもしえない。
 だが、ここでどう取り繕おうといずれは分かる。イェスタもすでに承知していること。
 後には、退けない。
「我ここに宣する、審判の女神よ、我が言霊を受け、そのものに権利と力を与えよ」
「では、そのものの名と、族名を」
「……そのものの名は、シェート」
 一呼吸置き、女神サリアーシェは静かに告げた。
「コボルト族の若者、シェートを、我が配下とする!」
 言葉は、広間に広がった。
 大気を震わせたサリアの言葉が、天地開闢以前の眠れる世界を呼び寄せたかのような、重苦しい沈黙を作り上げていく。
「は」
 死に絶えたかのような世界をやぶったのは、誰の吐息だったか。
「は、はは……」
 それが、卵を割るようにしじまに亀裂を入れていく。
「は、ははは……」
「ふ……はっ、はははっ」
「はははは」
「ひっひひひひひっ!」
「ぐはっふあっふあっふあっ」
「は、はははははははっ」
「ぐぶっ、ぶぶふふふふっぶほほほほっ」
「はあっはひゃ、ひゃひゃひゃ」
 笑いは、流行病のように伝わっていった。誰もが口を開き、牙をむき出し、あるいは本人しか分からない異形の喜色を浮かべて。
「コ、コボルトだとっ!? はははははっ、ははははは!」
「き、気でも狂われたか、ぐはははははは」」
「やるに事欠いて、よもや、そんなくふふふふふふふ」
「な、なにを言い出すのかと思えば、あははは、なんとこれは!」
「いくらなんでも、うおっほほほほほほ、座興が、過ぎるわ、あはははは」
 誰もが笑い、あざけり、あるいは呆れる中で、サリアはただ黙って立ち尽くしていた。
「んっ、んんっ、いや、これは笑い事ではないぞ、サリアーシュよ」
 などと言いつつ、いかつい口に笑みを浮かべたまま、竜神が問いかける。
「今からでも遅くはない、参加を取りやめるが良い。対価が必要なら、儂がいくらか工面してやらんでも」
「サリアーシェ!」
 笑いを、怒気が引き裂いた。さざめいていた神々は一様に沈黙し、鬼面と化した兄神に戦くしかなかった。
「お前は、自分が何をしたのかわかっているのか!?」
「無論です」
「この……この…………痴れ者がぁっ!」
 罵声と共に引き抜かれた細剣が、高々と差し上げられた。
「この私の顔に泥を塗りおって! こんな一堂が集う場所で! 
 落ちぶれた無様な姿をさらし、自らを貶めるような真似までっ、この愚妹めがっ!」
「剣をお納めください……いと貴き方、"美々しき軍神""審美の断剣"ゼーファレス様」
 異形の法杖が二人の神を別つようにかざされ、怒りと共に細剣を封じた。
「これはきわめて、正当な契約でございます。サリアーシュ様は自らの存在を対価とし、かの地に住まうコボルトと盟を結ばれました。
 すでに力は与えられ、他の勇者とも争う資格を持っております」
「下らぬ! そんな詭弁が飲めるものか! ええい、忌々しい!」
 騒ぎが収まったと見たのか、審判の女神が杖をのける。その向こうから現れたのは、侮蔑を含んだ兄神の冷たい視線だった。
「許しを請うても、もはや聞かぬぞ。せいぜいそなたの飼い犬が、我が勇者に当たらぬことを祈っておるのだな!」
 荒々しい靴音を立て、兄神は階の向こうに消える。
 遠巻きにしていた神々も、気まずそうに広間から消えてゆく。
 東屋にいた神々はちらりとサリアを見たようだったが、何も言わずに語らいを続ける様子だった。
「これは私の意志で決めたことです。それでもお心遣い、感謝します」
 案ずるような顔をしていた竜神も、こちらの言葉を受けて黙って退いていく。残された審判の女神は、変わらない笑みでサリアを見ていた。
「兄上への諫言、痛み入る」
「礼には及びません。私は裁定者、お申し出が正当であればこその判断に過ぎませぬ故」
 形ばかりの礼を終えると、サリアも広間に背を向け階を昇った。
 来た時と同じく、きつく口を結んだまま。



[36707] 5、『理想』と『現実』
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/03/20 19:00
 毛の生えた指が弦をつまみ、軽く引きながら具合を確かめる。
 わずかに遅れて左手の弓がたわむ手ごたえを感じて、シェートは軽く頷いた。弓は弦を張りすぎれば折れるし、逆に緩すぎれば威力が落ちる。
 急ごしらえとはいえ、新しく作った弓は具合も良さそうだった。
 本当はもう一晩くらいなじませておきたかったが、道々狩をしていく間に手入れをすればいいだろう。
 旅立ちの準備は驚くほど簡単に済んだ。
 山の隠れ家に残してあった蓄え――干し魚や干し山葡萄などの保存食、弓矢に使う原木など――が、そっくり残されていたからだ。
 荷袋を背負い、弓を腰に収めるとシェートは歩き出した。
 山間のこの土地に来て十年、暮らしは決して楽ではなかった。
 それでも穏やかで、幸せだった。
 川縁に刻まれた一本の道、仲間達と一緒に何度も通ったせいで、草が自然と生えなくなって作り上げられた道。
 ここを辿るのも今日で終わりだ。もう二度と仲間達も、自分も、ここを通らない。
 小さな魔物は、道を歩いて行った。
 決して、後ろを振り返らずに。

「おい、サリア」
『……何度も言っているが』
 村の周囲は、いくつもの深い森と山々が折り重なるようにして点在している。今歩いている部分は、自分もほとんどやってきたことがない。
『これでも私は女神だぞ? それを、まるで隣人でも呼びつけるような気楽さで』
「お前、聞きたいことあったら言え、言った。悪いか」
 村は、人里からかなり離れているため、掃討される可能性は低かったが、野生生物と地所を争いながら生きる必要があった。
 反面、彼らの住処に囲まれることによって、自分達の痕跡は人の目から隠されてきた。
 そのため、小さいながらも村などを築くだけの余裕が生まれたのだ。
『悪くはないが、お前はこう、物言いが朴訥すぎるというか』
「俺の口、人と違う。喋り変になる、ゆるせ」
『………………で?』
 山刀で適当に下生えを払いつつ、周囲を確認する。特に、立派な幹を持つ木には注意を払うようにしていた。
 爪や毛皮をこすりつけた痕などがあれば、そこが何らかの生き物の縄張りになっていることを意味する。
『話しかけておいて無視とはいい度胸だな』
「すまん。ちょっと周り見てた」
『熊や狼の類はおらぬぞ。少なくともお前の二百歩周りにはな』
「……分かるのか?」
『私はお前を中心にした周囲を、ある程度見渡せるのだ。索敵という点に関しては期待してくれてよいぞ』
 妙に嬉しそうな宣言を聞き流しつつ、手近な若木の下に目をやる。枯葉の上に一塊になった"ボロ"を見かけ、深々とため息をついた。
「わかった。もう俺、お前期待しない」
『なぜそうなる!?』
「そこ、鹿の糞ある。多分、俺来るちょっと前。日の出くらいに、ここ通った」
『お……おお!?』
 村で準備をしている間から、シェートは女神と何度かこんな調子で会話をしている。
 だが、すればするほど、不安が湧き上がってくるのを抑えられなかった。
『……すまん……見落としておった……』
「もういい。俺、ちゃんと見る。そんなことより、聞きたいことある」
『な、なんだ?』
「今の俺、どのくらい『強い』?」
 自分を生き返らせた後、女神は何かとこちらを気遣ってくれているようだった。
 村での準備の間も、こちらから話しかけなければ沈黙を保っていたし、意外と気の優しい性格なのだろう。
 だが、その実力がどの程度なのか、いまいち不安なことも事実だった。
「お前、あの勇者強いの『しんき』とか使ったから、言ってた」
『う……うむ。そうだな』
「そういうの、ないのか?」
『す……すまん! 神器は人間用ばかりで、コボルト用のがなかったのだ!』
「神、何でもできるんじゃないのか?」
『神器を創るにはそれなりに手間暇が掛かるのだ! い、いずれ、お前のものも創られようから、その時にな!』
 確かに自分はこの女神に生き返らせてもらったはずだ、と思う。
 しかし、不安は話せば話すほど増してくる。
「じゃあ、強さ、どうだ?」
『強さ、とは?』
「俺、普通のコボルトより、強くなったか」
『あ……あー、その……神々の遊戯にはルールがあってだな?』
「聞いた。みんな、レベルとか言うのある。最初はみんな1。俺も」
 女神は言っていた。そのレベルとやらを上げるために、得点を保有している敵を倒していくことが必要だと。
「でも、勇者達、初めから『しんき』とか、魔法とか、ふしぎな力もってる」
『もちろんお前にもあるぞ! ちゃんとな!』
「……そうなのか?」
『あ、当たり前だ! まさか私が、お前のようなものに何の力も授けず、戦いに出そうはずもなかろう!』
 何か、聞き出すのが恐ろしい気もするが、シェートは無言で空を見上げた。
『ま、まず、お前の体だが、魔法や武器の一撃に対する守りが掛けられている』 
「もしかして、勇者みたいに、できる?」
 あの蒼い鎧の守りが脳裏に浮かぶ。攻撃を完全に防ぐ見えない壁、そんなものがあれば自分もまともに戦えるはずだ。
『……さすがに、あれは神器の効力だからな。まぁ、攻撃を喰らってもいきなり死ぬことはなくなる、とは思う』
「それ、あんまり意味ない気、する」
『次に! お前の体には私の保護によって、傷が治りやすい状態になっておる』
「どのくらい?」
『まぁ、かすり傷程度なら、一時間もあれば』
 うわさに聞く癒しの魔法は、瞬く間に傷が癒えると聞いていた。それに比べると、これはいかにも地味で、頼りない。
「他には?」
『肉体保護の副次産物として、お前の体は疲れにくくなっている。夜通し走り続けても少し休めば、いつも通りに動くことが出来るだろう』
「それ、一番役立ちそう」
『馬鹿者、次の能力が目玉だ。矢を番えて弓を構えよ』
 やけに自身あり気な声に、シェートはしぶしぶ弓を構えた。その途端、尖った木矢のにぼんやりと光が宿り始める。
「おおおおお!?」
『ふふん。驚いたか。私の加護によって、お前の武器の威力が高まっているのだ。
 魔法の障壁や、保護術の掛かった鎧も傷をつけられるようになる』
「すごい! これ勇者の壁、貫けるか!?」
『……さすがに、神器を抜くには、力が不足しておる。だが、レベルを上げればいつかは可能だ!』
「…………で、次は何だ?」
『………………次?』
 こちらの問いかけに、なぜか女神は口ごもる。
「だから、もっと何かないのか?」
『ば、馬鹿者! レベル1のそなたにこれ以上何か与えられると思ってか!』
「でも、使えそうなの、最後の二つだけ」
『レベルさえ上げればどうとでもなる! つべこべ言わずに進むのだ!』
「……お前、ケチ」
『ケチとは何だケチとは! これでも私が……おい聞いておるのか!?』
 サリアの抗議を聞き流しつつ、シェートは暗い森を進む。
 考えてみれば、魔物を配下にするなら自分のようなコボルトではなく、もっと上位のものを選べばいいはずだ。
 余りしたくない想像だが、多分この女神はそれほど強くないのだろう。もしかしたら、一番下っ端なのかもしれない。
 確かに、自分が生き延びられたのも、勇者に復讐する機会を与えられたのも、この女神のおかげには違いない。
 だが、その実力が限りなく怪しい今、自分の命は大嵐の前の焚き火のようなものだった。
「ルー……もうすぐこれ、渡しにいくかもしれないぞ」
 空から見咎められないよう、コボルトはそっと首飾りに囁きかけた。

「あああ……」
 水鏡の辺に座り込み、サリアは頭を抱えていた。
 神々は自ら専用に作らせた『神座(かみくら)』と呼ぶ小次元を持つ。
 サリアの神座はささやかな東屋程度で、望む場所を映し出してくれる水鏡の周囲を、石造りの花壇で囲っただけの質素なものだった。
 水鏡の向こうで、黙々と歩を進めるコボルトの顔は、どこか意気を失っているように見える。
 コボルトの知恵は人間の子供並などというが、神がコボルト用の神具を瞬時に創り出せないなど、子供だって信じない妄言だ。
 大体、狩人より周囲を見渡せるからといって、狩人の注意力が身に付くわけもない、さっきの失言でこちらの評価はかなり下がったろう。
 与えた能力にしても、他の勇者と比べても泣きたくなるほどささやかな代物。これでがっかりしない者がいたら、余程の物好きか被虐趣味の変態だ。
 初めの頃こそ、生き返らせて貰った恩義でこちらを立てていたシェートだが、この数日の間ですっかり信用を引っ込めてしまっていた。
「……何をやってるのだ、私は」
 とはいえ、これがサリアに出来る精一杯だった。
 最初から、自分の神格と存在を全て捧げても、ごく弱い魔物を配下にするのが関の山、加護もわずかしか与えられないと言われていた。
 その加護も、死に掛けのシェートを癒すのに使ってしまい、残った力を必死にやりくりしてでっち上げたのがさっきの能力だった。
 本当に、こんなことでいいのか、そんな疑念が湧き上がる。
 今すぐにでも神々に、許しを請うのがいいのではないか。
 だが、女神はすぐに顔を上げた。
「冗談では、ないぞ」
 そう、冗談ではないのだ。
 自らの存続を掛けてまで、こんな博打を打とうと思ったのは何のためか。そのことを思い出し、水鏡に向き合う。
 油断なく下草を打ち払い、進んでいく小さな魔物はいかにも旅慣れている。
 シェートは決して愚かな魔物ではない。
 話せば筋の通った受け答えをするし、こちらの言葉を追いかけ、想像力を働かせるだけの知恵もあった。
 それに、今やこのコボルトは『成長する魔物』となった。勇者と同じく、敵を倒すことで力を溜め、加護を与えて強化することができる。
 大丈夫、全てはここから始めればいいのだ。
「シェートよ、聞こえておるか?」
『…………聞いてる』
「確かにお前に与えた力は少ない。だが、今後も少ない訳ではない。頼りなく思うかも知れぬが、少しの辛抱だ。こちらも出来うる限りの助力をしよう」
『……わかった』
 向こうにしてみれば益体もない励ましだろう。こんな女神に選ばれた不幸を嘆いているかもしれない。だが、それもすぐに――。
「シェート! そこから右手方向、三十歩ほどに敵がいる!」
『……ん』
 多分、声を掛けるよりもシェートのしゃがむ方が早かった。おそらく臭いで、察知したに違いない。
『これ、嗅いだことある……』
「そうか。一応言っておくが『山海栗』だ。数は三、いや、五か」
 その時、初めてシェートの顔に驚きと尊敬が浮かんだ。
『数、分かるのありがたい。お前、これから敵の数と場所だけ教えろ』
「いまいち引っかかる物言いだが、まぁ、そうしてやろう」
 山海栗、というのは単なる俗称で、正式な名前はない。海にいる海栗を犬ぐらいの大きさにしたようなもので、鋭い棘と毒をもつ触手を使う。
 海栗たちは苔むした岩の周りに集まり、何かの死骸をむさぼっている。棘の谷間に隠された丸い口で、肉を啄ばむ湿った音が聞こえてきそうだ。
「さて、シェートよ。分っておるな」
『ああ』
 そう言うとコボルトは立ち上がり、勢い良く走り出した。
 敵に背を向けて。
「ま、待て待てまてまてまてえええええええっ!」
『なんだ! 大きな声出すな! ヤマウニ耳いい! うるさいと気づく!』
「何をしておるのだ馬鹿者! 戻って戦え!」
『バカはお前! ヤマウニ毒ある! 食ってもまずい! わざわざ戦う奴バカ!』
 光すらほとんど差さない森を、惚れ惚れするような速度で、尻尾をなびかせシェートが駆け抜ける。
 山海栗たちが水鏡の範囲からも消え、コボルトはほっと一息を付いた。
『ウニ、強い毒ある。棘も飛ばしてくる。見つかる前、気が付けてよかった』
「た……」
 美しい顔をすさまじい怒気でゆがめると、サリアは絶叫した。
「戦ってレベルを上げよと言ったのをもう忘れたか、この馬鹿者がぁっ!」
『無茶言うな! 俺一匹! 相手五匹! 囲まれて死ぬ!』
「だったらおびき寄せるなんなりせよ!」
『ヤマウニ仲間呼ぶ! 狩る時沢山で囲わないと無理!』
 シェートの抗議に、サリアは自分の怒りを不承ながらも沈めていった。確かにシェートが言うとおり、山海栗は群れで行動し、数十匹の個体で一つのコロニーを形成している。
 いくら強化したとはいえ、コボルト一人に任せるには酷な相手だ。
「仕方ない、最初の相手はもう少し弱いものをえら……」
『サ、サリア』
「どうした?」
 コボルトはいつの間にか固まっていた。その視線は一点を見つめ、尻尾がだらりと垂れ下がっていく。水鏡の視点を彼の目線に変えたサリアは、思わず息を呑んだ。
 一本の巨木にびっしりと鱗が生えている。だが、その鱗は一枚づつ全く別々な動きで蠢きあっている。
「鎧鱗蟲(がいりんちゅう)!」
『ひ……』
 ぶんっ、と耳を嬲る音。はらりとシェートの頬の毛が吹き散らされ、血が霧になって散った。
「に、逃げよ!」
『うああああああああああっ!』
 ぶんっ、ぶんっ、と立て続けに蟲が空を奔る。
 ひし形の扁平な体は鋼と変わらない外皮に覆われ、目にも止まらない速さで動物の体をえぐり抜き、体液を吸う。
 その在りようから付いた名前が鎧鱗蟲。
 輝くつぶての嵐を背中に喰らいながら、コボルトが走る。
「身を屈めて走れ! かする程度なら我が守りで何とかなる!」
『ひゃあああああああああああっ!』
 淡い光が何度もシェートの周りで弾け、肉に食い入ろうとする蟲から守る。それでも毛が毟られ、かすり傷から血がにじんだ。
 何とか蟲たちの縄張りから出た頃には、まるで下手糞な毛刈りにあった羊のような、無残な有様になっていた。
『はあっ、はぁっ……ぜえぇっ、はぁっ……』
「あ、あぶなかった、な」
『はぁ……はぁ……蟲、怖い。気をつけないと、死ぬ』
「ああ。あんなものにお前が殺されたのでは、こちらも泣くに泣けぬ」
 とはいえ鎧鱗蟲も山海栗も、シェートとほぼ変わらないレベルの存在だ。
 他の勇者達なら多少苦戦はするだろうが、いずれ鼻歌でも歌いながら狩れる程度の相手に過ぎない。
『サ、サリア』
「……なんだ?」
『普通の動物、いっぱい狩って、レベル上がるか?』
「残念ながら、そこらのウサギや鹿を狩っても無駄だ。熊か狼か、剣歯虎でも相手にするならば別だがな」
『そ……そうか』
 しょげ返り、ぐったりと木に背中を持たせかけるシェートを見て、サリアは再び頭を抱えた。狩りの腕前は中々のものだったし、頭も悪くない。
 ただ、彼はどうしようもなく、コボルトなのだ。
 世界最弱の魔物、その事実が圧し掛かってくる。
 想像している以上に、自分の見通しは甘かったのかもしれない。このままでは一体、いつになったらまともに戦えるレベルになるか、分かったものではない。
「冗談ではないぞ……これは」
 水鏡の向こうに声が漏れないよう、女神は小さくうめきを上げた。 
 
 崩れかけた岩の門をくぐりぬけながら、浩二は後ろの三人に声を掛けた。
「それじゃ、行こうぜ」
「何があるか分かりません、くれぐれも油断しないことです」
 そう言いつつ、鎧を纏った男がヘルメットの面当てを下ろしながら隣に付き従う。
 抜けた先にあったのは、ぼうぼうと草が生い茂る中庭。井戸や何かの施設だったらしい小屋の残骸があるが、人の姿は無い。
「それにしても、数ヶ月前に魔族に襲われたと聞いていましたが、かなりの荒れようですね、勇者様」
 皮鎧と聖印を象った杖を持った少女は、整えられた眉を寄せて辺りを見回した。
 その視線に反応したのか、腰の高さまで生えた草を、何かが揺らし始める。
「出る前に畑の被害をみてきたけど、相手は人獣じゃない。多分魔獣の類だね」
 節くれだった木の杖に、マントと旅装を身につけた赤髪の少女が付け加えた。
 敵の姿は見えないが、向こうは自分達を獲物として認識したらしい。草むらだけでなく壁の上にも何かが動く気配がする。
「それじゃ、打ち合わせどおり俺がヘイトを稼ぐ。リィルはアクスルをバフったあとエルカのお守りよろしく」
「お気をつけて、勇者様!」
 声援を受けつつ、浩二は一気に中庭へと躍り出る。同時に、草むらから飛び出した針の塊が飛び掛ってきた。
『ギュウウウウッ!』
「そんなもん効かないんだよ!」
 山海栗たちの体当たりが自分の周囲で弾け、見えない壁に拒絶される。ほとんど知能のないに等しい化け物たちは、それでも群れ固まって毒針を斉射し始めた。
 自分の周りではじける恐ろしい攻撃の音。最初は驚きもしたが、今では絶対の優勢を教えてくれるBGMに変わっていた。
「"我が請願を受けたまえ、美々しき方。御剣にて我らを守り、道行を照らし給え。その威武を同胞の鋼に宿らせたまえ"」
 皮鎧の僧侶、リィルの言葉がその指先に光を生み、手にした騎士の剣と身を護る鎧に、聖句と聖印を刻み込む。
「行けます、アクスルさん!」
「応!」
 光り輝く剣をかざし、アクスルが一気に怪物との間合いを詰める。同時に振るわれた剣が海栗たちを数匹まとめて斬り飛ばした。
「勇者殿! 後は私が!」
「任せたっ!」
 楯を構え、おとり役を買って出たアクスルの脇をすり抜け、浩二が走る。
 海栗たちはすでに中庭一杯に溢れ始め、数十どころか百を越えるほどの大群となりつつあった。
「勇者様! 上を!」
 輝く法陣を組んで守りを固めていたリィルが、上を指差す。砦の壁にへばりつく、長い足を持った蜘蛛のような生物。
 それぞれ前足を高々と差し上げ、尻から吐き出した糸を輪投げの縄のように振り回している。
「首吊り蜘蛛かい!」
「エルカ、あれのタゲ取れそうか!?」
「任せてよ。アンタはそっちの始末をよろしく」
 頼もしい発言に、浩二は剣を両手で構えなおし、
「踊れっ『ゼーファレス』!」
 叫びと共に剣が輝き、世界が加速した。
 まるで剣に導かれるように、切っ先が踊る。地を摺るように振り上げた一太刀が海栗を真っ二つに変え、横一文字になぎ払った一撃で数匹の敵が砕け散っていく。
「"霜月より来たれ怜悧"」
 視界の端に映る魔法使いの杖に輝きが宿る。その瞬間を見るのが、浩二の最近の楽しみの一つだった。
 魔法使いの詠唱が終わるまで時間を稼ぎ、大魔法で一気に敵をなぎ払う。そんなシチュエーションが生み出されるこの一瞬がたまらなかった。
「"凍てつく銀の祝福は万障貫く戒めの一矢なり"」
 光が大きく膨らみ、天に突き上げられる。それを見計らい、浩二とアクスルが同時にその場を飛び退り――。
「打ち払え"凍月箭"!」
 銀光がばらりと無数に砕け、流星となって大気を裂いた。
 その狙いは外れることなく飛び掛ろうとしていた蜘蛛を叩き落し、残っていた海栗たちを貫いていく。
 全ての敵が身動きを止め、その中心で浩二は剣を高々と差し上げた。
「よっしゃ! 勝ちぃっ!」
『まだだ馬鹿者!』
 危険を告げる声と地鳴りが同時、中庭の地面が揺れ、地面に転がった死体がぽっかりと開いた穴に吸い込まれていく。
 そして、開いた穴からどっと溢れる甘い香り、毒ではないはずだが、頭が痺れるような強烈な臭いがする。
「なんだ!?」
「魔香のワームか! こいつが住み着いたせいで海栗どもが集まってきたんだね!」
 大急ぎで陣のある場所に駆け込むと、目の前に巨大なホースのようなものが競りあがってくる。ぎざぎざの口に弛んだ蛇腹を持つ異形。
「うおおおお、でっけぇ! マジでワームだ!」
「なんだ、知ってたのかい?」
「いや、ゲームでは良く見てたけど、実物は初めてだ!」
「勇者様、暢気すぎですわ。でも、そういうところも……」
「ともかく一時退却しましょう、さすがにこれは」
 だが、騒然とした一団を無視するように、浩二の耳を声がくすぐった。
『退却などする必要は無い。吹き飛ばせ、勇者よ!』
「だってさ」
「また、神が何か言われたのですか?」
「ああ」
 巨体をうねらせ、首をこちらに廻らせたワームを見つめ、浩二はニヤリと笑った。
「砕け! 『ゼーファント』!」
 勢い良く突き出す左手、その手甲に嵌った腕輪が黄金に輝く。
 世界が白く染まり、世界すら吹き飛ばすような大爆発が巻き起こった。
「うおおおおっ!?」
「きゃああああっ!」
「うひゃあああああっ!」
 崩れる胸壁、荒れ狂う熱と炎が世界を舐め、一瞬でその威力を収める。後に残ったのは半壊した砦と消し炭になった長虫の死骸だけだった。
「あー、もう。なんて威力だ。こっちがちまちま詠唱してるのが馬鹿らしくなるよ」
 結界のおかげで無傷で済んだエルカは、それでもやっていられないといった風情で肩を竦めた。
「っていっても、これ一日三回までしか使えないし」
「三回も、だろ?」
「それに詠唱ってかっこいいしな。俺もそういう魔法使ってみたいぜ」
「これだよ。やっぱ勇者ってのは頭のネジでも外れてないと出来ないもんなんかね」
「無礼な! 勇者様の場合は度量というか格とか、そういったものが大きいからこそ出る言葉です!」
 いい争いを始めた二人にうんざりしつつ、浩二はふと空を見上げた。
「そういや、さっきのワームでレベル上がったんじゃね?」
『良くわかったな。とりあえず加護の方は温存しておくぞ』
「俺もそれでいいと思うけど、魔法無効化能力はあとどんぐらい?」
『まだ先だ。とはいえ今のままでも十分無敵だがな』
 確かに、この鎧は尋常ではない。大抵の武器攻撃を完全に防ぐ障壁と、毒や麻痺などの状態変化まで無効化する能力を持っている。
 自分の使っている剣も魔法の防御を切り裂き、コマンド一つでいくつかの剣技を放つことが出来、敵の数や戦場に応じて使い分けられる便利な代物だ。
 おまけに強力な大魔法を詠唱なしで使える腕輪まで持っているのだ、これが無敵でなくてなんだというのか。
「やっぱ、ゲームは初期投資が大事だよな」
『ふん。貴様もそう思うか』
「課金でも何でもやって強くしたほうが楽だし、強ければゲームやってても楽しいしさ」
『ははは! その通りだ。圧倒的な力で敵を蹂躙する、これに勝る喜びは無い!』
 異世界に召喚される勇者の話、なんてありきたりなネタだ。それこそゲームでも漫画でもラノベでも、探せばざくざく出てくるだろう。
 その主人公に自分がなるとは思ってなかったし、こうしてカミサマと気さくに話をしながら、レベルアップの計画を練るなんて思ってもみなかった。
『とはいえ、気を引き締めろ。これからはもう少し強い敵を選んで戦ってもらうからな』
「他の勇者とも戦うんだって言ってたけど、いいのか?」
『構わん。神々も勇者も承知の上だ。むしろ、他の勇者と戦うことでより多くの経験点が手に入る。積極に狙わぬ手はない』
「PKオッケーってのは意外だったけど、合意の上ならいいか」
 経験点という単語が平気でやり取りされるのも最初は面食らったが、慣れてしまえばどうということはない。
 毎日パソコン上でやっていた生活が、そのまま画面の外に飛び出してきたようなものだ。
「でも、こんなチートアイテム、使ってて平気なん?」
『神器のことか? それは問題ない。私もそれなりにリスクを負っているからな』
「お金でも払ってんの?」
『似たようなものだ。自分が信仰されている世界や、そこに住む生き物、あるいは霊的な資源を担保にしている。
 負ければそれらを失うことになるから、ここまで思い切りよく賭けられるものは、強大な神に限られるがな』
 自分を召喚したゼーファレスという神は、何かと自分のことを主張してくる。身につけてる武具も自分の名前をもじった銘をつけていた。
 とはいえ、浩二は満足だった。良くある異世界召喚物とは違い、最初から強い仲間と使える武器と、カミサマの導きがある。
 面倒くさい試練とか悩み事もなく、思い切り暴れるだけで勇者ができるのだ。
「んじゃ、そろそろ行くよ」
『うむ。私も神々の祝宴があるので席を外すぞ。何事も無いと思うが、油断はするなよ』
「ああ」
 周囲に感じる気配が消えうせ、浩二は上機嫌に仲間に向き直った。
「悪い、話長くなってさ」
「そうですか……神はなんと?」
 神様の声は自分にしか聞こえない。
 傍から見るとかなり気味の悪い光景だと言われたこともあるが、ケータイを使い慣れた身としてはそれほど違和感は感じない。
「取り合えずこのまま進めって」
「それでは、村長に報告を行ってから、次の目的地を……」
「おおーい、勇者様ぁっ!」
 アクスルの言葉をさえぎるように声が届き、浩二は砦を飛び出す。ふもとの方から数人の男達がこちらに走ってきていた。
「あれは、村のものですな」
「あの様子だと、なんかあったみたいだな」
「勇者様! 大変でございます、村が魔物の群れに襲われて」
 その言葉を聞いて、思わず浩二は口元を歪めていた。
「一体、どこからそんなものが!?」
「山一つ越えたと所にある砦です。百を越える魔物が、時折ふもとに降りて……」
 次から次へと来るイベント、無敵の力を振るう自分。そして、クエストを越えれば越えるほど、自分はさらに強くなれる。
「行くぜ! みんな!」
 仲間達の返事も待たずに、蒼い鎧の勇者は勢い良く駆け出していた。



[36707] 6、過ち
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/03/20 19:52
 扉を抜けると、周囲の視線がまず突き刺さってくる。すでに慣れっこになったものの、サリアとしてはうんざりする状況だ。
 それでも、以前はこちらに話しかけてくるものや、過去の交誼を確かめるようなそぶりぐらいはしたものだが、
 今は腫れ物にでも触るような空気しか送ってこない。
「おお、サリアーシェ殿。今日はどんな見世物を見せていただけるのですかな」
「申し訳ない。こちらの種は付きましたゆえ、此度はそちらが、甘ったるいだけのミンネザンクでも唸っておられればよろしかろう」
 すっぱりと切り捨てて先へ急ぐと、残された方は、これだから廃神はとかなんとか、ぶつぶつこぼしているのが聞こえた。
「余り邪険にしてやるな。あの伊達男、お前に袖にされて、痛くプライドを傷つけられたと見えてな。何かとお前のことをあげつらっておるぞ」
 心地よい芝生の上で寝そべり、日向ぼっこを決め込んでいる竜神に近づくと、開口一番にそんな揶揄を受けた。
「悪いことをしたとは思っております。見た目と浮ついた恋歌ぐらいしかとりえの無い、日陰育ちの苣(ちしゃ)男などと、本当のことを言ってしまいましたから」
「はっはっは、苣か。それはいい。ドレッシングでも掛けて食うと美味かろうな」
「やめておかれたほうが賢明でしょう。女の陰口など叩く性根の男です、湿ったくさびらだらけで、食べられたものではありますまい」
 聞こえよがしの嫌味に青筋を立てている男に笑いかけると、サリアは顔を引き締めて竜神に向き直る。
「少し、お願いしたき儀がございます」
「改めて言うておくが、儂は遊戯には参加しておらぬ。そなたも参加者となった以上、儂の助力は一切受けられぬと心得よ」
「存じております。ですので、此度は御身が蓄えている宝物の一端を、垣間見させていただければと愚考した次第」
 周囲の視線が次第にこちらに集まってくる。どうやら兄はこの場に居ないようだが、見つかれば何を言われるか分ったものではない。
「……ここではなにかと障りがあろう。儂の神座へ行こうか」
 こちらの思いを察したのか、思う以上の軽やかな動きで竜の巨体が宙に舞い、西の扉に降り立つ。
 少し遅れて彼に寄り添ったサリアは、彼の住まう座にたどり着いた。
 そこは、巨大な洞窟。
 壁一面には小さな穴が開き、その向こうにはさらに枝分かれした穴が見えている。
 だが、その穴は空間ではなく、みっしりとあるもので充実していた。
 本、あらゆる世界、あらゆる時代、あらゆる装丁、大きさ、文字、で構成された知識の集大成が所狭しと置かれている。
「相変わらず、すごいものですね」
「うむ。最近はあんなものも導入した」
 といいつつ、竜の長い爪が、奥まった洞窟の一部を指す。竜の住まう洞窟にはいささか不釣合いな、四角い金属の箱たち。
 見るものが見れば、それはコンピュータのサーバマシンだと分ったはずだ。
 サリア自身もそれほど詳しくは無いが、科学技術先行の世界では当たり前に使われている、テクノロジーの一端。
「適当に見繕ってな、情報整理に使っている。最近はああして」
 そのパソコンルームに小さな竜たちが、真剣な表情でパソコンに向かい、冊子を妙な機械にあてがっている。
「記録を取り、増えすぎた情報を圧縮しているのだ。
 紙は味わいがあっていいのだが、場所をとるし、お気に入りの物を手にするまでに洞窟を駆けずり回るはめになる」
「ははは。神となった今でも、収集癖は治まりませぬか」
「竜種の貪婪さは、死んでも変わらぬよ」
 世界の果てを見てきたと噂される竜の神。
 その意欲が金銀財宝や魔法の道具から知識というものに移ったいきさつは知らない。
 ただ、彼は天の神々の中でも高位の知恵者であり、汎世界の情報で知らぬことはないと噂されていた。
「それで、今日はいかなる用事で、我が知恵の洞を訪ねたかな?」
「今回の遊戯の行われている世界に入り込んだ、魔物についての情報を」
「見せろというか」
「違反にはなりますまい。遊戯に参加する神々にはすでに開示されている事柄に過ぎませんし、
 大抵の勇者達は下っ端の魔物など、情報すら必要とせず倒せるはず」
 竜は、長い鼻面からため息を搾り出した。
「サリアよ。なぜこんな愚かなまねをした」
「申し訳ありませぬが、諌めごとなれば、後ほど拝聴させていただきますゆえ」
「儂の申し出は、不服であったか」
「いえ、廃神の身に余る光栄でした」
「それでも……あのような魔物と組んでまで、遊戯に出る気になったのは、なぜだ」
 度重なる問いかけに、それでもサリアは唇をかみ締め、黙して質問を封じた。
「やれやれ、まぁよい」
 こちらの態度にため息をつきつつ、彼はサリアに一枚の板を手渡してきた。
「遊戯の攻略法というには少々頼りないが、適当に見ておけ。終わったらそこら辺に居る者に渡しておけばよい」
「あ、ありがとう、ございます?」
 透明な板にはすでに画像が投影されている。やや遅れて、これが画面を操作して情報を得る端末だと悟った。
「なるほど。これが竜神の"タブラ・スラマグディーナ”というわけですか」
「まぁ、そんなところだ」
 そういいつつ、彼もかなり大きな――とはいえ、そのごつい指にはいささか小さすぎる――端末を手に、真剣な表情で向かい合い始める。
 サリアもまた端末を叩き、魔物一覧と書かれたページを表示する。
 そこには、数値化された魔物たちのデータが並び、姿形や簡単な性質の情報が書かれていた。
 その中に、コボルトという項目を見つけて、表示する。

【コボルト】
 ・獣人族に位置づけられる最弱の魔物。世界によって容姿はまちまちだが、
  犬のような顔でデザインされることが多い。
  力、知能も弱く、大抵上位の魔物の奉仕種族として使われる。
  とても臆病で人間だけでなく、魔物からも隠れ住む。
  魔法を使うものは極まれ。平均寿命は30年ほどだが、天命を全うするものは
  ほとんどない。

 数値化された大まかなデータを見たが、正直他の魔物よりも秀でているところは逃げ足の速さ、素早さ程度で、生命力も低い。
 それから、サリアは丁寧に魔物たちのデータを追った。上位を省いているとはいえ、中々お目当ての魔物は見つからない。
 眉間に皺を寄せて端末に向き合うサリアとは裏腹に、少し上の方から嬉しそうな声が振ってくる。
「おおー、レアドロップぞ! これでようやく全種類コンプリートできたわ!」
「……なにやら分かりませんが、おめでとうございます」
「ところで、そちらはどうだ? 探し物は見つかったか?」
「やはり、私は機械というのは苦手なようです」
 目を細めると、見かねた竜神が自分の端末を操作してデータを表示する。
「要するに、そなたはあのコボルトにも退治できる魔物を検索したいのだろう? 
 そういう時は漠然と見るのではなく【コボルト】という単語と【レベル】とか【弱点属性】というデータを一緒に検索するのだ」
「ふむふむ、なるほど」
 小さな画面に竜神の手ほどきでデータが表示されていく。そして、二人は一匹の魔物に目を留めた。
「これならどうだ。危険性も低いし、そなたの配下でも何とかなろう」
「……なるほど」
 まるで宝の山でも見つけたような気分で、サリアはがっしりと端末を握る。
 早速、サリアはコボルトを導くための道順を調べることにした。
「いやいや、そのページではなく、そちらのアプリを使うといい」
「いえ、私は」
「遠慮をすることは無い。それ、ここを押して」
「あ……ありがとう、ございます」
 意外と世話好きな竜の指南に、サリアは苦笑しつつ従うことにした。

「錆喰い?」
 故郷の土地を離れて数日、シェートの旅は一旦の終わりを告げた。
 自分にも倒せる魔物を探し、心当たりがあるとの言葉を受けて、いくつもの山を越えてきたのだ。
 その間にも幾度か魔獣の類と接触した。そう、あくまでも接触。
 なんとか数匹の山海栗を倒すことが出来たものの、危うく毒で死にそうになった。
 広葉樹の立ち並ぶ森は、すでに自分の知っている匂いは無い。
 人間やその他の人魔にとっては大差無く思えるだろうが、森で生活する自分にとっては重要な要素だ。
 どれが危険でどれが安全かの判別をつけるのは匂いであり、その存在が何であるかを雄弁に語ってくれる証拠なのだから。
『そうだ。この近くに廃棄された鉱山があってな、そこに湧いているのだ』
「錆喰い、聞いたことある。でも見たことない」
『お前の使っている武器は全て木製だ。やつらと当たっても問題はあるまい』
「でもあいつら、俺の山刀食うぞ?」
 山刀は自分の生命線であり、形見の品だ。
 胸元の輝石がルーを思い出すよすがなら、腰の刀は死んだ父から受け取ったもの、そう簡単に手放したくは無い。
『どこかに隠しておくより無いだろうな。宿営地になりそうな場所に埋めておこう。それに弓も置いていくがいい』
「なんで!? これないと戦えない!」
『お前は遠距離は得意だろうが、近づいての戦いが苦手だ。適当な木槍を作って慣れておくのが良かろう』
 抵抗はしたかったが、しぶしぶ納得する。それからすぐに宿営地に出来そうな場所を探しつつ、辺りの匂いを嗅いでいく。
 生い茂ったブナの木立ちからは、芳しいしい水気が臭ってくる。梢には最近雛がかえったばかりの巣が掛かっているようだ。
 下生えの低木のいくつかには、赤や紫のかわいらしい実がついていた。
 魔物の影響が低く、普通の生き物たちの住む生態系が残っているようだ。
 もう少しうろつけば鹿やウサギ、キツネなどの獲物の足跡も辿れるだろう。
「ここ、いい森。でも、あんまりいたくない」
『なぜだ? 鉱山は廃棄されたのだぞ? 人間が来ることは』
「多分、たまに来る。取りこぼした鉱石、拾いにくるの、結構いる」
『なるほど、物の解った山師なら来ることは無いが、何か拾えればもうけもの、と言う連中か』
「それと……」
 斜面に生えて、なおかつ岩や溜まった土砂によって、小高い部分ができたような木を探していく。
「鉱山に、魔物、来る」
『なるほどな。そういえば暗く湿ったところは奴らの住処になりやすいか。とはいえ安心せよ、連中も錆喰いと事を構える愚かさは知っていよう』
「俺、その錆喰いと戦う」
『ははは……』
 こちらの皮肉に女神の苦笑いが見えるようだ。
 少し前に水面を通して見た女神の顔は、思ったとおり人間的なものだった。
 それが美しいかどうかは判断する気は無いし、人間に欲情するような変態趣味も持ち合わせていなかった。 
 少し探った後、シェートは苔で覆われた岩を破るように生えた木の根方に、自分の装備を置くことにした。
 自分が入り込めるくらいの小さな洞があり、茂みと土で偽装すればいざと言うときの隠れ家にもなりそうだ。
『しかし、ほとんど土地勘も無かろうに、良くそんなものを見つけられるものだ』
「そんなことない。ここ一番良かっただけ。無ければ二本前の木の下にした」
『ああ。あれで決めるのか思っていたぞ』
「あれ、洞大きすぎ。外から見つかる。それより少し前、倒れた木、あれも空洞」
『アレには虫がおったではないか……』
 気味悪そうに呟く女神に、コボルトは槍にする木の枝払いをしつつ笑った。
「お前達、みんなそうか」
『私は大抵のものは大丈夫だが、虫はその……苦手だ』
「お前そうなら人間もそう。俺、うまい飯と隠れ家手に入る。最高」
 汁気たっぷりの地虫のいたあの手の倒木は、実際隠れるのにいい。
 よほどのことが無い限り、人間は気味悪がってあの中を覗こうとはしないからだ。
「サリア、お前、好きな食べ物あるか?」
『神はお前達と違って、常に食物をとる必要は無い。飲食は存続する上でのアクセントにすぎんのだ』
「ふーん?」
『とはいえ、地のものを食べることはやぶさかではない。山葡萄や苔桃などは好きだぞ』
「後でおそなえするか?」
『それはありがたい。この戦いが終わったら、お前に廟でも建立してもらおうか』
 そう言って、サリアは笑う。
 正直役立たずな女神だし、この先が不安になることも多い。
 でも、この笑いを聞くのは好きだった。
 自然と会話を交わす機会が増え、サリアに色々と聞かせるのが日課になっていた。
「できた」
 小さな木を削って作っただけの粗末な代物だ。本当は材木から削り出し、切っ先の根元に返しの一つもつけたいところだが、贅沢は言っていられない。
『ではいこうか』
「うん」
 女神の導きよりも自分の鼻に従って行くと、斜面をかなり降りたところで、大気の感触が変わった。
 どこかでどうどうと流れ落ちる滝の音。茂みを抜けた先にあったのは、一本の河と、それによって出来た峡谷だった。
「うん。鉄臭い匂い、する」
『この辺りは鉄鉱石の産地でな。元々下流で砂鉄を使った鍛冶が主流だったのだが、ちょうどその崖の部分に』
 言われるままに岸の岸壁に目をやると、木組みで補強された入り口があった。
『ああして鉱山が作られたのだ。とはいえ、水辺の近くでな、地下に掘れば水が染み出すし、上に掘ってもそれほど鉄鉱が出なかった。
 結局この鉱山は閉鎖された』
「そうか」
『だが、この世界の人間も、いつかあの下に眠る大鉱脈を掘る技術を手に入れるだろう』
「鉱石、掘りつくした、違うか?」
『テクノロジーレベルの限界と言うやつだ。
 この世界の魔法文明は科学的な使い方をされることはなかろうから、いずれ来る蒸気機関時代、石油時代を経て、やっとだろうな』
 不思議な言葉を並べられ、内容はまったく理解できない。ただ、その言葉の端々に寂しさのようなものが臭う気がしていた。
「それで、俺の敵、どこだ?」
『ああ、すまん。洞窟の中は明かりは無いが、問題ないな?』
「見えるから平気。……中で戦うか?」
 話に聞く錆喰いの姿というのは、あまりぞっとしないものだ。粘着質の体に触手を使って周囲を嗅ぐという。
『怖気づいたか?』
「へ、平気! 行くぞ!」
 大股で洞窟に近づくと、そっと中を覗きこむ。奥まで続く湿った暗がり、思わず鼻筋にしわが寄る。
「カビと、苔と、錆臭い」
『そういえば、お前はこういう暗がりはどうだ?』
「好き違う、嫌い違う、どうでもいい」
 魔物は暗がりを好み光を嫌うなどと言われているようだが、別に自分にそんなものは無い。
 暗いところは身を隠すにはいいが、待ち伏せされたら危険、ぐらいだ。
 自分にとっては広い空間を奥に進んで行くと、足元に跳ねる水の量が増えていく。足首が濡れて冷たく、脳が痺れるようだ。
「足、拵えすればよかった。ここ水多い」
『すまん。どうやら何度か大水があったようだ、無理なようなら引き返』
 ぬるりと、錆臭い何かが鼻面を撫でた。
「うわあっ!」
『足元だシェート!』
 飛び退った目の前に、ざぶりと立ち上がるそれ。
 くぼ地に溜まった水の中から、ゆらゆらと触手を揺らして出てくるのは、魚の卵を覆ったあれような半透明な代物だ。
 自分の肩ぐらいまであるそれが、こちらに迫ってくる。
「で、でかい!」
『怯むな! 図体はでかいがお前の害になる攻撃はほとんどせん!』
「ほとんど!?」
『触手が時々熱くなるのだ。奴らは酸化によって対象となる鉄の』
 ひゅうっ、と触手が唸り自分の体を掠める。その刺激は思っていた以上に強い、女神の護りと毛皮を抜けて衝撃が伝わる。
『……意外とやるな!』
「もうお前黙ってろ!」
 駄女神を一喝すると、そのまま槍を構えた。先端に加護が宿り、シェートは勢い良くそれを突き出そうとした。
「あっ!?」
 透明な体がうねり、激しい破裂音と共に木の槍が叩き落された。
『いかん、早く槍を!』
「そ、そんなこと、むり!」
 槍を体に飲み込みながら近づく体、中に生物を丸ごと取り込み、金属だけを溶かすこともあるという。
 猛然と触手を振り回し、威嚇をしながらこちらに近づいてくる。
「ど、どうする!」
『仕方ない、一時退却だ!』
 サリアの声に、コボルトの体がさっと退却を始める。
『なんだその足の速さは! さては最初から逃げるつもりだったな!?』
「悪いか! 俺弱い! 無茶絶対しない!」
 あっという間に洞窟を抜け、元来た道を通り過ぎて、さらに上流へと走る。
『ま、まて! お前の野営地は』
「普通に戻るしない! 足跡つく! 匂い残る! べたべた枝につく!」
『……ほんっとうにお前は、逃げることに関しては天才的だな』
 多分嫌味なんだろうが、自分にしてみれば勝つことよりも、逃げて生き残る方が大事だと散々教わってきた。
 女神に見込まれようが、それを直すつもりは無い。
『とはいえ、その性根は直してもらわないとならんな』
 体を洗い、山を半周りくらいして夕暮れ頃に宿営地に戻ると、それまで無言だった女神は早速お説教を開始した。
『確かに、危を見て難を避ける勘は重要だ。しかし、そのままではいつまでもレベルは上がらんぞ』
「……俺、コボルト。無茶言うな」
 洞の近くに茂った枝を、取ってきた蔓で括って引き寄せる。出来上がった即席のひさしの下で、シェートは小さな炉を組んだ。
『明日からはもう少し積極的に……って、そんなことをしたら枝が燃えるぞ?』
「火、小さく起すから平気。物焼いた煙、葉っぱ通ってすぐ消える。見えないよう、火使うやりかた」
『それが狩人のやり方か』
「俺たちのやり方。追われてるとき、雨降ってるとき、色々役立つ」
 沢蟹や小魚を焼いた石の上に載せると、途中で取ってきた木の実を口にする。
 辺りに香ばしい匂いが漂い、カリカリとしたカニの殻を、そのまま噛み砕く。
『ともかく、多少は気持ち悪かろうが、しばらくあれを相手にしてもらうぞ』
「やだ、臭い。足冷たい」
『文句を言える立場か! 毒性も無く凶暴な性質も無い、打撃を喰らっても一大事にならない、そういう相手なのだぞ!』
「……なら、お前来て戦え」
 ほんの軽い気持ちだった。水は冷たいし、体はべとべとする。おまけに女神は役に立たない、そんな愚痴をこぼすつもりで。 
『出来るなら……最初からそうしている!』
 思いがけない語気に世界の大気が濃く重くなり、コボルトに圧し掛かった。
『私だって! 私だって……適うなら自分の手で……っ!』
「サ……サリア……」
『あ……』
 自分の声の強さに気が付いたのか、女神は決まり悪そうに口をつぐんだ。
『……すまん。お前が戦うのだものな、あんなものを相手にするのは気持ち悪かろう。だが、少し我慢してもらえぬか……な?』
「……わかった」
 辺りの空気が普通に戻った代わりに、気まずい雰囲気が流れていく。土を掛けて火を始末すると、シェートは洞で横になる。
「明日、蔓で足、拵えるか」
 冷たい水とぬるぬるする敵のことを考えて、シェートは眠りに沈み込んでいった。

 水鏡に寄り添いながら、ふっとサリアはため息をついた。
 さっきの言葉の余りの強さに、我ながら驚きながら。
「私は……無力だな」
 神座は夜の藍色に沈み、星々の輝きが周囲を彩っている。
 水鏡の向こうでは、小さく丸まって寝息を立てるコボルトが見えた。
 復讐という重いものを背負って生きるには、小さすぎる背中だ。その体に自分は、己の怨讐を重ね積みしている。
『サリアよ。なぜこんな愚かなまねをした』
 竜神の言葉が蘇る。確かに、自分は愚かなのだろう。
 彼にはもう何度も言われている。最初にその言葉を掛けられたのは――

 そこでは、絶えず風が鳴っていた。
 どこまでも広がる荒涼とした赤い砂漠、砂塵が渦巻き、幾度も大地を研磨して行く。
 空の青もくすみ、太陽も鈍い黄鉄鉱の色となって天空に掛かっていた。
 生きるものとて無い広漠とした土地。そこに一人、足跡を刻んでいくものがいた。
 金色の髪と衣服を嵐のような風になぶらせるのは、白い素足も顕にしたサリアーシェ。
 やがて彼女は小高い岩山の前にたどり着き、そこに腰を下ろした。
 目の前に広がるのは、やはり砂漠。赤錆びた大地が止むことの無い風に、ひたすら削られていくだけの光景に過ぎない。
 それでも彼女は、ただ黙ってそこに座り続ける。
 衣服を土埃が汚し、髪もその輝きを失っていく。その一切に頓着せず、過ぎ行くままに任せる姿は、どこか苦行者のようにも見えた。
「サリア」
 風の向こうから声がする。光を失った目が、虚空に何かを探してさまよう。
「サリア」
 呼びかけが耳朶を打ち、彼女は立ち上がった。
「どこだ?」
 辺りを見回す顔には、どこか哀切な色。
「誰だ!? どこにいる!?」
「儂だ」
 砂塵の中から、顔を突き出したのは巨竜のいかめしい顔。ほっとため息をつくと、サリアは何とか笑顔を向けた。
「このようなところまで散策ですか? "斯界の彷徨者"よ」
「……そなたは、ここで己の身を削っているのか」
「ここは、私の世界です。そこに戻ることに、なんの不思議がありましょうや」
「悔悟に身を晒すだけの存続など、愚かなことだぞ」
 それが限界だった。笑顔が崩れ、思わず彼我の大きさを考えず、叫んでいた。
「今更我が愚かさを笑いにきたか! 己の世界を守れなかった廃神よと! この地に眠るあまたの民草の前で!」
「そのような下らぬことに、時を浪費する趣味は無い」
 竜は、こちらの昂ぶりが落ち着くのを待って、切り出した。
「この地を、我が血に連なるものに与えてくれんか」
「……どういう、ことでしょう」
「知っての通り、竜種はそれほど繁殖の力も強くなく、その巨体を生かす場所も多くは無い。
 さりとて、若く生命力に溢れた種族に混じり、遊戯に参加しようという竜を見出すにも一苦労でな」
「残った資源を、骨までしゃぶろうというわけですか」
 自虐的な返答に、竜は嵐の音に負けないほどのため息を見せた。
「そなたはすでに治める民の無い王のようなものだ。
 だが、この地に住まう竜種の守護者となれば、その力をいかばかりか取り戻し、いずれはそなたの望む世界を産む足がかりとすることも出来よう」
「……こんな廃神の私に、なぜ、そこまで?」
「己がさっき言ったであろう。残った資源を骨までしゃぶるか、と」
 荒涼とした世界の中、竜の声は、驚くほど穏やかに響いた。
「儂はただ、同じしゃぶるなら、少しでもうまみが増すほうが良いと思っただけだ。
 そなたに恩を売れば、いずれはそなたの創る世界に、竜種を受け入れる余地を作ることも出来ようとな。違うかな? "平和の女神"よ」
「あ……」 
 欲得、損益の感情、だがそれだけではない言葉。そして、竜は不器用に笑った。
「過去ばかりを見て過ごすのは愚かなことだ。そろそろそなたも、先を見ることをはじめてはどうだ? 
 まぁ、古を溜め込むばかりの竜が、言えた事ではないがな」
「……ありがとう、ございます」

 ――だが、自分はこうして自分の小さな配下を見つめている。
『それでも……あのような魔物と組んでまで、遊戯に出る気になったのは、なぜだ』
 彼の問いかけが、心の中で木霊する。
『復讐を望むのか、小さな魔物よ』
 あれは本当にシェートにのみ掛けた言葉だったか。
 サリアは苦笑し、膝を抱えた。自分の小さな魔物が目覚めるその時まで。

 重く鈍い衝撃と共に、じゅうっと肉の焼ける音。女神の加護が魔性と反発した効果。
『効いているぞ! 一気に畳み掛けろ!』
「うんっ!」
 洞窟に来てから三日、何度も繰り返し戦ったおかげで、錆喰いの動きにもすっかり慣れたし、近距離の戦いにも及び腰にならなくなりつつあった。
 槍などまともに使ったことは無いが、イノシシや熊を狩るときの要領で、腰だめにして体ごとぶつかる。
 そのたび、肉の焼ける音がして、熱と錆び臭さが辺りに漂う。
 苦しそうに体を蠢かせた錆喰いが、体を振り回して周囲をなぎ払う。
「おっと!」
 鞭のように風を切る触手、だが動きは緩慢でなんとでも対処できる。
『そこだ! やれシェート!』
「うがあああああっ!」
 何度か身を翻して逃げようとした錆喰いに回り込みを掛け、何度も滅多刺しに槍を突き出す。そして、錆喰いはその体を崩れさせた。
「はぁ……はぁ……や、やった……ぞ……」
『とうとうやったな! どうやら、レベルも上がったようだぞ』
 うれしそうな女神の声だが、別段自分に変わったところは無い。
 せいぜい足が冷たい水で凍えそうで、べたべたの粘液塗れの毛皮が気持ち悪い程度だ。
「で、レベル上がるとどうなる?」
『新たな加護をつけられるようになるのだが……まぁ、それは外に出てから話そう。お前が凍えてしまうからな』
「槍、ぼろぼろ。今日ここまで、それでいいか?」
『うむ……まぁ、あせっても仕方ないからな』
 残念そうな声に、こちらまですまない気持ちになる。
 それでもこれ以上の無茶はできそうも無い。すこしづつ明るくなる先に目を細めながら、シェートは鼻をふんふんいわせて鼻腔に溜まった悪臭を外に出そうとした。
「それにしても、こいつら臭い。鼻、バカになる」
『ははは。では次に来るときは鼻に覆いでも……シェートっ!』
 耳に痛い絶叫、闇の中から光の中に出るときの一瞬の切り替わり、そして効かなくなった鼻。
 その全てがコボルトから危機を覆い隠してしまった。
 ずんっ、と衝撃が肩を射抜き、後ろに吹き飛ばす。
「あぐううっ!」
「あたりー! あたりあたりあたりー!」
「うるさいちょっとだまれ」
「いぬっころしんだ、しんだか?」
 冷たい地面に体が投げ出され、痛烈に打ち付けた背中と左肩が猛烈に痛む。
「あ、あっ、ぐあっ」
「コボルトコボルト、あたらしいおもちゃ」
 耳障りでたどたどしい言葉、軽い足音、そして鼻の曲がりそうな獣めいた悪臭。
 その全てにシェートの毛皮が逆立った。
『バカな、ゴブリンだと!?』
「う……」
「ひひひ、こいつ、からだべちゃべちゃ」
「こうせきひろいか、さびくいたべにきたか」
「こいつらばか、さびくい、くえないのきっとしらない」
 牙がぞろりとはえそろった不恰好な口、尖った耳、毛の一切無い灰色の皮膚。
 やせぎすの体に汚い毛皮を身につけ、片手には錆びた手槍や小剣、弓を手にしている。
「う、ぐ……」
『逃げよシェート!』
 何とか体を動かそうとするが、矢から伝わる痛みがさらに不愉快な刺激に変化して、全身の動きを奪っていく。
『ええい、毒か! このままでは!』
「サ……リ……ア」
 必死に助けを求めるが、天からの助力は無い。さっき上がったレベルの分でどうにかなる程度では無いのか。
「お、こいつ! いいものもってる!」
 そう言っていやらしい手が、胸元の石を毟り取る。
「か、え、せ!」
 毒に蝕まれ、それでも片手は奪われたものに手を伸ばした。
「こいつまだうごける、しぶとい」
「おまえ、なまいき」
 手槍の石突が手を払い飛ばし、地面に転がった体につきこまれる。
「がふっ! がっ、あっ、ああっ」
「コボルトのくせに、なまいき」
「ころす? ここでころす?」
「だめ、こいつおれたちのどれいにする」
 次第に視界が暗くなる。嗜虐心に顔を歪めた小鬼達が笑い、転がった自分をどこかに連れて行こうとしていた。
「サ……」
 それ以上何を言うことも出来ず、コボルトの体は力無く、されるがままとなった。

「――――っ!」
 水鏡の淵を叩き、サリアは声にならない叫びを上げた。
「馬鹿! 馬鹿者! 何と私は……っ」
 呪いの言葉が後から溢れてくる。それでも自分の不注意を取り消すことは出来ない。
 洞窟の中の状況を把握するために、シェートの周りにのみ全神経を割いていたこと、
 レベルアップの快挙を成し遂げたこと、その全てが油断を生じさせた元だ。
 しかし、シェートをここに導く前、辺りの地形や魔物の分布については調べておいたはず。
 確かに魔物の駐留している砦はあったが、街と砦を結ぶルートからは外れていることは確認しておいた。
 何らかの理由が無ければ、彼らも野生生物同様、縄張りを出ることはそうない。さっきのゴブリンたちは軍装を身に着けていた、ということは。
「他の勇者に動きがあったのか!」
 勇者に対抗したか、あるいは追い散らされた残党か。いずれにせよ縄張りが乱され、そこからはみ出たものが、この鉱山付近にねぐらを求めたのだろう。
 コボルトは引きずられ、虜囚を得た魔物たちは他愛の無い会話に興じている。やがて彼らは川べりを下り、
「思ったとおりか……」
 川のほとり、広くなった場所に、無数の魔物がたむろしていた。
 ゴブリンを中心に、オークやオーガなど、魔王の軍の雑兵が百ほど群れている。
 統制を取るものは無く、とりあえず日が暮れる前に宿営地を形成した、そんな程度の連中だった。
 粗末な天幕がいくつか張られ、鳥獣を焼く煙が上がっている。
 村から奪い去ってきたのか酒樽も数多く置かれ、荷駄を引くために連れてこられたロバが、役目を終えたとばかりにオーガの手によって股割きにされていく。
「く……」
 下卑た笑いを撒き、あるいは自分の気に入らぬものに切りかかり、少し体の大きな存在に殴られては騒ぎが引ける。
 統制よりは個人の自由、知性らしいものは存在するが、獣性が優先された連中だ。
『おい! おれ、いいものみつけた!』
 引きずられ放題で、ぼろきれのようになったシェートを、ゴブリンが仲間の前に放り出す。
 毒と粗雑な扱いで虫の息に見えるが、それでも自分の与えた加護が、首の皮一枚で生かし続けていた。
『おお! あたらしいどれい!』
『ここらにコボルトのいるばしょ、あるか?』
『しらない。こいつさびくいのどうくつにいた。おきたらごうもんしてはかせる』
『ごうもん! ごうもんごうもん!』
 ゴブリンの性質は、大抵残忍に構成される。戦闘能力もそこそこ高く、何の力もない人間に恐怖心を抱かせるのに格好の存在だからだ。
 悪知恵が働き、相手を痛めつけるのに抵抗感を覚えない、生まれついてのサディスト。
 悪としてのロールプレイに疑問を抱かないもの、彼らこそが魔物の本質であり、有るべき姿なのだろう。
 そんな彼らは、おもむろに本領を発揮し始めた。
『これ、まえのどれいつけてたやつ!』
『おお! はやくつけてやれ!』
「……や……やめろ!」
 うれしそうに笑うゴブリンの手に光る鉄の輪。赤い錆と、以前の『持ち主』によってこびりついた、どす黒い痕跡が残る鎖と繋がったそれ。
「そんなものつけるな! この馬鹿ども! そやつは!」
 女神の声は届かない。意識を失ったコボルトに、虜囚の戒めが刻み込まれる。
「そやつは……」
 首輪が首に食い込み、手近な地面に打たれた杭に鎖が撒きつけられた。
「私の……」
 無能の女神が、水のほとりにうなだれる。
 何の手出しも出来ない光景が、ゆっくりと夕暮れに染まっていった。



[36707] 7、この世の理
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/03/20 20:00
 うつろな視線で、シェートは目の前で揺れるそれを見つめていた。
 自分の首下から垂れ下がり、地面を摺るもの。
「おい!」
「ぎゃふっ!」
 猛烈な勢いで首が引っ張られ、激しく地面に転倒する。あごが打ち付けられ、首がぎゅっと締まる。
「もたもたするな。はやくあるけ!」
 のろのろと立ち上がり、歩こうと一歩踏み出した。
 じゃっ!
「ぎゃううっ!」
 勢い良く振るわれた鎖がしなり、強かに顔を打つ。肉が裂け、鉄さび臭い鎖に新たな赤い染みをつける。
「おれ、もたもたするないった! はやくしろ!」
「は……はい……」
 なんとか歩き出すと、自分の手綱を引くゴブリンは満足そうに笑い、グイグイと手にした鎖を引いた。よろけそうになった体が背筋を伸ばし、周囲の光景が目に入る。
 山林を貫く街道を、だらしの無い列を作って歩く魔物たち。
 みな手に武器を持ち、錆の浮いた鉄の防具やぼろぼろの皮鎧を身につけている。
 その群れの中に、わずかに見える小さく弱りきった姿。
 首輪を掛けられ、鎖につながれたコボルトたち。シェートもまたその群れを構成する存在となっていた。
 すでに、捕まってから三日目、その間に心も体も、痛めつけられていた。
「う、が……」
 傍らを歩いていた同族の一匹が、膝から崩れ落ちた。
 途端に鎖が鞭に変わり、ピクリとも動かない背中を、何度も、何度も、何度も打ち据える。
 はげてぼろぼろになった毛皮が毟られ、皮が破れて血がどろりとこぼれ、むき出しになった肉が崩れて飛び散り、黄色み掛かった骨がむき出しになった。
「あー、しんだしんだー」
「ちぇー、こいつよわっちい。このまえのやつよりはやくしんだ」
 そんな仲間の惨状に、誰一人として反応しない。そんなそぶりを見せれば、自分を縛る戒めが理不尽な嗜虐の一撃に変わるだろう。
 急速に光を失っていく目の光、みすぼらしい肉塊になったそれが、傍らの斜面に無造作に投げ捨てられる。
「いぇー!」
「やふー!」
「いっひいー!」
 無様に転げていく死体に投げつけられる石。
 命中させたゴブリンの何匹が、即席の賭けでもやったのか、金貨らしいものをやり取りしている。
 弱い魔物が死んだことなど気にも留めず、列は進む。
 視界の端に消えていく死体を目で追っていたシェートは、見なければ良かったと後悔した。
 貪婪に目を光らせたオークたちが、先を争うように列から離れていった。
 
 隊伍は粗野な連中なりに列を守って進み、昼前に石造りの砦らしい場所についた。
 どうやら駐屯地的なものなのだろう。それぞれは自分達の居場所に引っ込み、あるいは中庭でだらだらと座り込んでいる。
「ひまだぁ」
「ああ、ひまだぁ」
 無造作につきたてられた一本の杭に鎖を掛けられ、シェートたちは捨て置かれた。
 それほど日の光が得意ではないものたちは、胸壁にもたれかかりながら、自分達の雑な装備を整える真似事をしていた。
 めいめいが酒を飲み、奪ってきた干し肉や、得体の知れない腐りかけの食事をむさぼる。
 だが、自分達には何も無い。
「……み、みず、ください!」
 顔の半分崩れかけたコボルトが、悲鳴を上げる。
 その顔を嬉しそうに眺めるもの、まったく知らん振りを決め込むもの、誰一人何かをするつもりは無いようだった。
「み、みんな、もう、なにも、のんでない、たべてない」
「あひゃっひゃっひゃっひゃ、おもしろい! こいつ、おもしろいこえでなく!」
「み、み、みんな、なにもたべてない! けひゃひゃ、おもしろい!」
 ゴブリンたちの目つきは完全に濁りきっている。
 鼻腔に感じる強い火酒の臭い、奪ってきた上物で酔いしれ、ためらいも無く心の欲望に従う準備を完成させていた。
「よーし。おれさまやさしい! おまえにのみものやる!」
「あ、ああ……」
「そのかわり、そいつなぐれ」
 傲慢な指先が、シェートの眉間に合わされる。隣のコボルトは、こちらを見た。
 ためらいは、たった一瞬。
「う、うああああああっ!」
 握りこぶしが振り下ろされる。それほど強くない一撃、だが相手はためらわず、頭を何度も殴りつける。
「おいおまえ! ていこうしないのか!」
「そいつなぐったら、おまえにものむものやるぞ!」
 野卑な一言に、殴っていたコボルトの手が止まる。シェートは一瞬彼を見上げ、黙ってうなだれた。
「ひゃははは、よわむしよわむし!」
「ほら、そいつなぐられたいっていってる! はやくやれ!」
「うう……ああああ!」
 まるで自分が殴られているような悲鳴をあげ、彼が幾度も自分を殴る。それでも、シェートは耐えた。
『ここ、ぜったい、さからったら、だめ』 
 つながれたその日、彼はそう言って、小さな木の実をくれた。
 一緒にいた誰よりも目端が利いて、道端に倒れるふりをして、食べられる草や実を、みんなにこっそり分けてくれていた。
 少しでも生き残るために、この気まぐれな支配者を満足させ、自分達から興味を失わせるために、自ら進んで注目を引く真似もしていた。
「はぁっ、はあっ、あ……ああっ」
「あー、おもしろかったぁ。それじゃ、おまえらにめしやる」
 そう言うと、おもむろにゴブリンは手にした短剣を、投げた。
「が……っ!」
 シェートの頭の上で、湿った音がした。
 狙い過たず、脳天を短剣が貫き、気のいい男が肉塊に変わる。
「あ……ああ……あああ……」
「ぎゃははははははは」
「おら! しめたてだ! はやくくえ!」
 つながれたコボルトの、誰一人として動かなかった。
 血を噴出し、崩れた顔を痙攣させてひざまづく仲間を、這いつくばりながら見上げるしかなかった。

 騒動が、夜の帳と酒の力によって収められるころ、コボルトたちはようやくつかの間の自由な時を手にしていた。
 とはいえ、鎖につながれ、まともに動くことも出来ない身分では、すきっ腹を満たすために手の届く範囲にある野草や、
 ゴブリンたちが捨てていった残飯をかき集めるくらいが関の山だった。
 誰も言葉を交わさない、うかつに声を立てれば目を覚ました何者かにいたぶられる。
 昼に死んだ仲間の死体は、数人の仲間が捨てに行かされていて、その死を悼む顔はあったものの、誰もそのことを口にしなかった。
 やがて、その惨めな食事も終わり、それそれが思い思いに寝床を作る。
 固まって寝た方が暖かいが、そうすることで誰かの被害を皆で受けることにもなりかねない。
 身が納まる穴を掘りあげると、シェートも底に沈み込んだ。
 冷えた地面の感触に、少しだけ心を落ち着かせる。だが、そうして冷静になってしまえば、思い知るのは自分の力のなさだった。
 女神の加護があるとはいえ、それで無敵になるわけではない。
 ほんの少しだけ他の者よりも死ににくく、長生きできるだけ。
 一体、これから自分はどうなるのか、そんなことを考えながら空を見上げる。
『……聞こえておるか』
 耳元に、囁きが訪れた。
「聞こえてる」
『どうやら、まだ無事なようだな』
 案じてくる声、だがその言葉もどこか疎ましい。
「無事、違う。また、仲間、死んだ」
『そう……か……』
「俺、いつまで、このまま?」
『すまん。今、何とか策を練っておる……もう少し、待ってくれ』
「もう少しって、どのくらい」
 力なくなじった言葉に、返ってきたのは沈黙。
「俺たち、もうすぐみんな死ぬ」
 自分が来たときには、同族は十を超えていた。三日経った今、自分を含めて四人しかいない。
 連中にとっては自分達は消耗品で、死んだら調達すればいい存在だ。
 そして、明日には二匹になり、最後には自分が残って責め殺されるだろう。
「お前……神様。だったら……」
 そこまで口にして、言葉が詰まった。続けようとした言葉が、むなしく胸の奥で砕け散っていく。
 神なのだから、自分達を救ってくれ。
 どれほどむなしい言葉か、シェートは身に染みてわかっていた。
 彼女は神であり、自分は魔であり、こうして彼女と言葉を交わせるのは、自分が契約を交わした存在であるからに過ぎず、
 その他の魔物を救う義理などない。
 そもそも、たった一匹の配下すら、この危難から救い出す力を持たない女神に、何を言っても無駄だった。
『シェート……』
「もういい。話しかけるな」
『……すまぬ……』
 気配が離れていくのを感じ、シェートは身震いをした。
 本当は、話しかけて欲しかった。この悪夢のような状況に、何かが奇跡が生み出せるなら、それは彼女の力以外には無い。
 そんなことが出来なくても、敵とよそよそしい仲間しかいない世界に、自分を案じてくれるものがいる事実を、抱きしめていたかった。
 だが、この状況を作り出したのも、間違いなくサリアなのだ。
「う……く……う……うう」
 地面に体を押し付け、コボルトはすすり泣くしかなかった。 

 金髪をかきむしり、サリアはきつく唇をかみ締めた。実際、シェートがここまで生きられたのは自分の能力強化のためだ。
 しかし、そんなものがあったところで、少々死が先送りになっただけに過ぎない。
 武器も無く、首輪も鎖もコボルトの非力な手で壊せる代物ではない。
 せめて武器があれば強化を掛けて断ち切ることも出来たろうが、看視者達はそんな隙を見せなかった。
 一体自分に何が出来る。彼を救うのは、益体も無い励ましではない。
「……行くか」
 荒々しく扉を抜けると、サリアは神々の集う広間に入った。
 こちらを見る視線はどれも冷たい。
 コボルトを配下として使うという、愚かなことをした女神。
 今度はどんな面白い物を見せてくれるのか、それぞれの視線がそう言っている。
 おそらく、この場にいるほとんどの神は、自分の言葉に耳など貸さない。
 だが、自分の力ではもう、どうすることも出来ない。
 命を張って助けられるものなら、いくらでもそうしただろう。とはいえ、その賭けるべき物はすでに抵当に入れていた。
 では、自分にはもう売れるものは無いのか?
「"斯界の彷徨者""万涯の瞥見者"エルム・オゥドよ」
 ほぼ唯一、と言っていい、好奇と蔑視を向けない竜神の前に、サリアは跪く。
 残っている神の立場を、売りつけられるものに売り払う。そのくらいしか出すものは残っていない。
「お願いが御座います」
「……聞けぬ」
 小さな肩が震え、それでも跪いた姿勢をゆっくりと額づく形に変えていく。その姿を見て、周囲の神々から隠しようも無い失笑が漏れた。
「なんと……無様な」
「あのような大言を吐いておきながら、窮すれば竜神のお心にすがろうとは」
「廃神とは、かくも浅ましきものか……」
 そんな神々の中、竜だけは悲しげに瞳を伏せるばかりだった。
「止めよ。そのような真似をしても、儂はなにもせぬ。いや、してやれぬのだ」
「……兄上、でしょうか」
「その通りだ。サリアーシェには一切、力を用立てることままかりならん、とな」
 唇をかみ締め、それでもサリアは言葉を継いだ。
「此度のお願いは、私のためではありません。我配下の、コボルトのことでございます」
「コボルト、だと?」
「私の力及ばず、彼は今魔軍の虜囚となっております」
 サリアの告白に、神々は隠しもしない爆笑をもらした。それでも、告白は止めない。
「彼の者の命を救い出すべく、お力を、ご助力をお願いしたく」
「それは結局、そなたの命を救うということではないか?」
「いいえ。この願い聞き届け下されば私の命など……いえ、わが存在を隷下にでもお組み入れくださいませ」
「何を言っておるのだ!? そなたにとって彼の者は単なる手ごま、それをわざわざ自分の存在を抵当に入れてまで救おうというのか!?」
 さすがの竜神も、訳が分からないという顔のようだった。
 もちろん、自分のやっていることがどれほど支離滅裂なものかは、わかっているつもりだ。
 しかし、事の発端が自分の愚かさであり、破れかぶれ同然の賭けでしかない以上、彼には何の咎も責も無い。
「どうか、お願いいたします」
「……まったく、貴様はどこまで愚かなのだ、我が妹よ」
 神々の群れを割って現れた兄神は、耐えられないといった顔で、竜神との間に割って入った。
「愚かな選択の上に、更なる醜態を重ねるというのか」
「そのように言われても何の申し開きも出来ませぬ。ですが、これは私の為した行いの、いわば後始末」
「そのような始末、するに及ばぬ。即刻遊戯を辞退し、場を乱した愚かさを謝罪せよ。さすれば、お前の命は助けてやろう」
 高圧的に言い放った兄に、サリアの眦がきつくなる。
「そのような謝罪、する気はありません!」
「する気が無いだと!? 兄の顔に泥を塗り、今また竜神の慈悲にすがって、何をするのかと思えば塵芥の命をのばせという! 
 そのようなあつかましい願いを、礼を失した行為を謝罪せぬというか! 神としての矜持はどこにやった!」
「神の、矜持?」
 兄の言葉が、心の深奥に隠されたものを呼び覚ます。
 真っ赤にさびた星の、荒涼とした光景。その向こう側に確かにあった、自らの楽園。
「そのようなもの! 我が世界の命が滅び去ったあの時、共に散じ果てました!」
「サ……サリア……っ」
 その時、初めて兄の顔に快不快以外の感情が、わずかに通り過ぎた。
 だが、そんなことはどうでもいい。女神は、溜まっていた言葉を、思いをぶちまける。
「自らの世界を守れず、廃神よ、神族の面汚しよと蔑まれたこの私だ!
 今更己の命を、体裁を捨てることに、何のためらいがあろうや!? 
 神々よ! いと尊き世界の、責務無き傍観者たちよ! その目でしっかと見るがいい! 
 愚かに狂い、あなた方が塵芥と蔑む小さき命を拾おうとする、汚れた私の手と振る舞いを!」
 荒々しい侮蔑に、神々の瞳が獰猛な輝きを宿す。それでもサリアは、今度こそ両手を突いて額を擦り付けた。
「なれど、我が無様なる狂い舞いを哀れと感じられますならば、この廃神に憐憫を垂れられんことを、伏して願い奉る。
 見苦しいというならこの命、直ちに取り給え。しかる後、我が存在の消失を以って、彼の者の命を、どうか」
 場は静まり返っていた。
 サリアの言葉に打たれたのではなく、完全にあきれ果てて。痛々しい者を見る視線が周囲から突き刺さる。
「全く、なんと見苦しいことか」
 その言葉がこぼれたのは、兄の唇から。驚き顔を上げた先にあったのは、うかつな者を見て笑う、あからさまな侮蔑。
「大方、最も弱い存在でも、力を溜めれば何とかなると、愚かなことを考えたのだろう。
 そなたのみの考えではあるまい。誰に入れ知恵をされたのだ?」
「……それは」
「ああ、言わずとも良い。遊戯を司る女神は、全ての神に等しく訪うのだからな」
 皮肉げな言葉に、それでも呼ばわれたイェスタは笑う。
 あの時、自分の耳に闇を囁いた時と同じ笑顔で。

 吹きすさぶ風の中、一人歩む。
 心の中に一滴零れ落ちた慈悲の心をかみ締めつつ。竜神の言葉は利己的ではあるが、今の自分には破格だ。
 すがってしまえばよい、そう囁く心が在る。
 だが、目の前の荒廃から、目を逸らすことは出来なかった。
「こちらにおられましたか」
 その逍遥に、唐突に道連れは現れた。異形の杖を携えた女神。
「……審判の女神殿か。このような荒蕪地によくもおいでくださった。
 そなたらの差配により、見事な死の土地となった我が世界を、篤とご覧じ候えよ」
「ああ。そのような慰撫など、わが身はもとより望みはしておりませぬ故。此度は御身にも遊戯の先触れを言上仕るべく参上した次第」
「遊戯に参加せよ、と?」
「はい。神々の庭は、あらゆる方に門戸を開いております故」
 胃の腑の空になった酩酊者のように、サリアは枯れた毒を吐いた。
「そして残ったわが身さえも引き毟っていかれるか。生憎と、そのような物狂いじみた博打を打つつもりは無い」
「しかし、死に絶えた地を流離うより、まだ何事かを為し得る術ではありましょう哉」
「そして、哀れな廃神を晒し者にし、決まり切った遊戯の結末に一花添えようという趣向であろう? そのような繰言、耳に入れる気も無いわ」
「繰言」
 笑う女神。虚ろで、いかにも楽しそうな、楽しくてたまらないといった笑顔。
「彷徨せし方より、芳情を頂戴したのでありましょう哉?」
「在りて無く、無くして在りたる者。その力、下世話な詮索に奮うか」
「我が司りし"時"の業、故に御座いますれば。それより……宜しいので?」
 囁く声。染み入ってくる、魂にまで。
「此度の遊戯、サリアーシェ様にも、縁無き地では御座りませぬが」
「……だから、どうしたというのだ」
「また、世界が一つ、消えましょう」
「そうと決まったわけではない」
 言いながら、サリアは視線を逸らす。
 あの世界には、それほどの価値は無い。
 霊的資源にしても格下の神々なら少しでも欲しい地ではあろうが、上位の存在であれば省みる必要はない程度にすぎない。
 遊戯の盤面として割り切り、勇者達に強大な力を持たせ、他の神から世界を奪い取る場として使われることになる。
「それに、私が加わったところで、どうということも起こらぬであろう。凍った湖面に砂粒を投げ入れるようなものだ」
「漣すら立たぬ、と。ふふふ……そう思われるなら、そうでありましょう哉」
 そうだ、何の意味も無いことだ。波紋すら立たずに、笑われるだけ。
「ただ、握り締めた砂は、未だ御身の魂に抱かれたまま、そう見えました由」
「何のことか、私には全く」
「復讐」
 刺すような冷たさが、胸の内に染み入る。秘められた思いが、イェスタの言葉によって開かれた傷口からあふれ出す。
「この地を荒れ果てさせた者を、弑することを願っておられたのでは?」
「……何が言いたい」
 その言葉には答えず、彼女はさらに言い募る。
「遊戯は、公平で御座います。どれほど弱く、もろいものでも加護を与え、力を蓄えさせさえすれば、高みにも届きうると」
「そんなものは建前であろう! 神器を与え、さまざまな加護を与え、始まりし時すでに優位が作られた遊戯に公平など無い!」
 そこで初めて、審判の女神は笑顔を崩し、落胆したような風情になった。
「勝つべき者のみが勝つ、実につまらない座興。ご指摘の通りで御座いますれば」
「そして、そなたはその座を盛り上げるべく、この枯れた廃神を焚きつけようとする幇間というわけだ!」
「ですが、御身の中に宿りし瑕は、新たな地を得たとて、癒える事は在りますまい」
 忘れていた、忘れようとした思い。
「こうして幾度も滅びた地に赴くは、怨を忘れぬためでは?」
「違う」
「例え情けに縋り、再び栄華を取り戻せたとて、御心に吹くのは疑念と怨嗟では?」
「違う!」
 掻き毟られたかさぶたから、思いがあふれ出す。吹きすさぶ風が、死に絶えていったものたちの泣く声のように響く。
 だが、それでもサリアはかぶりを振る。
「そうだとしても! そんなことで己を滅ぼすことなどできはしない!
 でなければ生きながらえてなどおらぬ! 私は、私は生きねばならないのだ!」
「世界の遺言」
 言い当てられた願いに戦くサリアに、驚くほど厳しい言葉で、審判の女神は続けた。
「それに縛られ生きることも死ぬこともならぬ廃神よ。貴方はそこで見ているがいい」
 不思議な色合いに染まった瞳、誰も永きに渡って見つめ続けることの出来ないと言われた神の瞳が、向けられた。
「ただ座して、また滅んでいく世界を」

 あの時と同じ目が、こちらを射抜く。
 しかし、その表情はほんの瞬きの間。誰にも悟られぬほどの素早さで消え去った。
「まぁ、それも所詮は遊戯の幕間に過ぎぬ。面白い見世物であったぞ、褒めて遣わす」
「在り難き幸せに御座います」
 全く興味を感じさせない、醒めた顔で労をねぎらうと、兄神は打って変わったような、この上ない喜びを顔に浮かべた。
「……サリアよ、わが愛しの愚妹よ。そなたは何も知らぬようだな」
「なにが、でございますか?」
「そなたの配下がとらわれておるのは、百名足らずの魔物が徒党を組んだ砦、それに間違いなかろうな?」
 目の前の獲物を嬲る光が、兄の目にはあった。
 その輝きの底にあるどろりとした、嗜虐の感情にはゴブリンの醜さがあった。
「…………まさか!」
「そのまさかよ!」
 いかにも楽しげな哄笑を上げると、ゼーファレスは大きく両腕を振るった。
 途端に、広場の上空が、巨大な水鏡に変わる。
 そこに映し出されたのは、蒼い勇者の左腕が高々と差し上げられる場面だった。
「兄上っ!」
「さぁ! やるがいい我が勇者よ!」
 腕輪に秘められた魔力が、真夜中の闇を焼き尽くす太陽の輝きを現出させる。
「砦に巣食う邪悪な魔物を皆殺しにせよ!」 
 神の布告が、劫火と共に降された。



[36707] 8、忘れざるもの
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/03/20 20:11
 全く、カミサマというのは勝手なもんだ。暗く静まり返った砦の前に立ちながら、浩二は苦笑いをした。
 村を襲った魔物を取り逃がした時は、バカだ無様だと罵り、
 夜通し歩かせて魔物の掃討に当たらせたというのに、今度は唐突にこんなことを言ったのだ。
『貴様は十分な働きをした、褒めて遣わすぞ』
「一体何のことか、さっぱりわかんねーんだけど」
『なに、貴様の失態が、すばらしい余興を産んだのだ。これを褒めずにいられようか』
 言っていることはさっぱり分からなかったが、一つだけ確かなことがある。
 目の前の砦には百近い魔物がいて、その全てを狩れば念願の魔法無効化能力が手に入るということ。
「本当にお一人で行かれるのですか?」
「ああ。みんなは砦から出てくる残党の処理だけ頼むわ」
「こいつなら大丈夫さ。無敵の鎧に最強の剣、おまけに魔法の腕輪だろ」
「それに神のご加護もあります。問題など起ころうはずがありません!」
 仲間達の顔には不安は無い。アクスルの心配性は職業病のようなもので、すでに見慣れた光景の一部だ。
「まぁ、俺も引き際ぐらいはわかってるよ。疲れたら戻ってリィルの魔法で回復してもらうからさ」
「……くれぐれも油断なさらないように」
「ああ! それじゃ、そろそろ行くぜ」
 剣を鞘から引き抜き、左腕を掲げる。これから始まるのは乱戦、しかも自分の力を思う存分振るう、無双の戦いだ。
 自分の剣が舞い、魔法がはじけ飛び、敵を殲滅する。その光景を思うだけで、背筋がぞくぞくして、悦びがこみ上げてくる。
『準備は良いか?』
「いつでも!」
『さぁ! やるがいい我が勇者よ!』
 解き放たれた魔力が自分の頭上で輝く。その波動に酔いしれながら、浩二は爛と瞳を輝かせた。
『砦に巣食う邪悪な魔物を皆殺しにせよ!』
「砕け『ゼーファント』!」 
 炎の輝きに、堅牢な門扉が粉々に吹き飛ぶ。
 そして、勇者は未だ立ち上る劫火に突っこんでいった。

 腹の中から吹き飛ばすような振動と爆音が大気を振るわせる。次いで、シェートの首をへし折る勢いで首輪が引かれた。
「げぶうっ!!」
 くぼ地から引きずれ出された途端、辺りに強い熱気が溢れていることに気が付いた。
「ご……ごほっ……」
 今まで自分を戒めていた木の杭がへし折れている。そして、その原因を作った巨大な木の門扉が、煙を上げながら燃え上がりつつあった。
「な……んだ、これ」
 そう言いながら、コボルトの顔に恐怖が浮かぶ。辺りに立ちこめるきな臭い煙、砦のあちこちから吹き上げる火。
 すさまじい騒音と門の前で燃え上がる火に、魔物たちが半狂乱になって走り回り、怒号が鼓膜を貫く。
 明かりに弱いオークの一群れが悲鳴を上げ、その巨体に押さえられて、火元を確認しようとするゴブリンの一団と押し合っている。
「うろたえるな! お前ら! 静かにしろ!」
 リーダー格のオーガが絶叫するが、それぞれが自分勝手なことを言っているばかりで、消火作業に移るなど考えられない事態だった。
「う……あ……」
 ひどい混乱の中、シェートは小さなうめきを聞きつけた。自分の背中、杭のあった辺りのくぼ地に、仲間が倒れている。
「大丈夫か!?」
「い、いたい……いたい、よぉ」
 吹き飛ばされる前の寝方が悪かったのか、自分の鎖に片腕を引きちぎられたコボルトが涙を流して訴える。
 見る見る血が溢れ、抱き起こした腕の中で、力を失っていく。
「しっかりしろ! 死ぬな!」
「とうちゃぁ……かあちゃ……」
 かすかに震えていた犬のような体が、永遠に動きを止める。
 そっと亡骸を横たえると、シェートは眠っていたはずの仲間達がいた場所を見回した。
「あ……ああ……」
 皆、一様に物言わぬ骸になっていた。鎖に体を半分にされたもの、扉の木材に刺し貫かれたもの。
 あるいは、杭の勢いに引きずられ、首をへし折られたもの。
 首元に感じる首輪の痛みと、杭から抜けたものの、未だに自分を戒める鎖。
 どうして自分だけが助かったのか、呆然としていた頭が勢い良く殴り飛ばされた。
「ぎゃうっ!」
「おまえ、なにしてる! てきだ、はやくたたかえ!」
 槍でこちらを打ちすえたゴブリンの顔は、驚きと恐怖で歪んでいた。
「おまえさきいけ! おれあとからいく!」
 そう言いつつ、ぼろぼろにさびた小刀を投げてよこす。
「で……でも……」
「くちごたえするな! はやくいかないとおまえころ」
「貫け『ゼーファント』!」
 若い男の声を合図に、鏑矢の鳴るような甲高い音が響き渡る。
 とっさに振り向いたそこに居たのは、銀色の尾を引く魔法の輝きを解き放つ人影。
「ぎゃぶっ!」
 柔らかい果物のようにゴブリンの顔がはじけ飛び、わずかに遅れて自分へ飛来する光が殺到する。
『よけろシェートぉっ!』
「――――っ!!」 
 間に合わない、混乱した思考が溢れ、思わず両腕で顔を守る。
 激烈な衝撃が腕の骨をへし折り、小さな体を強かに打ち据えて吹き飛ばした。
「がああああああっ!」
『シェートっ!』
 両腕が炎でも押し付けられたように熱く痛む。
 ピクリとも動かない手、かろうじて顔は守ったものの、痛みが激しすぎて息を吸うことすら出来ない。
「あ……あがっ……あっ……あ、ああ……あっ」
『イェスタ! シェートの治癒力を上げてくれ! 早く!』
 サリアの絶叫に導かれるように、痛みがわずかに引いていく。腕の火が少し落ち着き、痛みが痺れに変わる。
『シェート! そこから逃げよ!』
「サ……サ、リア……?」
 何とかよろめきながら身を起こす。先ほどの魔法の威力で、それまで騒いでいた魔物たちの多くが、単なる肉塊と化していた。
「これ……お前、やったのか?」
『違う! それは……』
 それ以上の答えは必要なかった。魔法を放った暴威の源は、剣を構えてこちらに歩んできていた。
「へへへ、まだまだ一杯いるみたいだな」
 薄笑いを浮かべる蒼い鎧の勇者は、五十匹近い魔物に取り囲まれてもなお、余裕の顔を崩していなかった。
「お前が魔王さまが言ってた勇者か!」
 巨大な戦斧を構えたオーガが言い放つと、青年は手にした剣を突きつけて頷いた。
「異世界から召喚された勇者、逸見浩二だ。冥土の土産に覚えておくんだな」
 そう言いながら軽く顔を逸らし、戦いの構えを取る。その時、熱気に煽られた顔に、煙が吹き付けた。
「ぶはっ! な、なんだこれ、げふっ! げほっ!」
「ぐははは、何が勇者だこの間抜けめ! お前ら全員でかかれ!」
 派手に咳き込み、隙だらけの勇者。その情けない格好を見て魔物たちが、得物を片手に襲い掛かる。
 勝利を確信した連中の姿に、思わず警告の絶叫がほとばしる。
「だめだ! そいつ、武器効かない!」
 シェートの声など届くはずも無く、煙の向こうに武器が殺到し、
「おおっと!」
 甲高い反響音に数匹の魔物が吹き飛ばされ、同時に煙が晴れた。
「おおー、魔物君たち、間合い詰めてくれてありがとう!」
 強く輝く障壁で数十本の武器を完璧にさえぎり、余裕の姿で勇者が軽口を叩いた。
「でも……ちょっとかっこ悪いところ見せちゃった、なっと!」
 シェートの身長ほどもある剣が軽々と振り回され、一息で二匹のゴブリンが体を上下に寸断されて転がる。
「な、なんだ、こいつ!」
「ふふん。最近の勇者は課金、チート、何でもありなんだよ。今の俺はインチキなぐらい強いぜ?」
 血を振るい落とし、喜びに上気した顔で、勇者は剣を天に掲げた。
「踊れ『ゼーファレス』!」
 独楽のように体が回転、振られた切っ先が周囲の魔物を吹き飛ばす。
 勢いを殺さないまま、勇者は逃げようとするオークの群れに突進、立て続けに三匹を背開きにしてみせた。
「な……なんだ……あれ」
『あれが勇者だ! お前も一度見ただろう!?』
「あ……」
 まるで水鳥の羽でも振り回して遊ぶように、勇者の剣が魔物をなで斬りにする。
 必死に槍を構えたゴブリンの首が穂先と一緒に吹き飛び、一拍遅れて血飛沫を吹き上げる。
 その脇で、斬られたことにも気づいていないオークの胴体が、よたよたと歩き続けていた。
「か、囲め! とにかく囲め!」
 必死に絶叫するオーガの周囲を廻って、刃の竜巻になった勇者が全てを斬り飛ばす。
 無駄と知りつつ切りかかったゴブリンの攻撃が障壁で弾かれ、その隙を突くように剣が振るわれる。
 遠距離から降る弓も全く功を奏さず、かすり傷すら与えることが出来ない。
「た、たすけぇ、ぎゃああああああっ!」
「しにたくながああああっ!」
 自分たちを打ち据えていたゴブリンの『飼育係』達が、涙と悲鳴を漏らしながら屑肉になっていく。
 それでも、シェートの心は何も感じなかった。
 息をするのも忘れて、その全てに見入っていた。
 神に祝福されし者の力。
 魔物を殺す暴力装置、聖なる化物の姿に惹き付けられて。
「さて、後はアンタだけだな」
「あ、あひっ、あっ、あああっ!」
 自分達を越える圧倒的な暴力を前に、オーガの将はおびえていた。
 必死に戦斧を構えるが、その足はまるで、コボルトのように震えていた。
「かっこ悪いとこ見せちゃったんで、こいつはカミサマのリクエストに合うやり方で倒すよ。どんなのがいい?」
 凄惨な殺戮をやったにもかかわらず、その青い姿は一滴の血にも汚されていない。
 白刃は曇り一つ無く、一度も生き物を害したことが無い様な無垢を宿していた。
「……OK。んじゃ派手にぶちかますか!」
 震えるオーガの前で、勇者は両腕を天に突き上げた。
「降れよ雷! 宿れよ聖剣!」
 腕輪が輝き、雷が迸る。その光は剣に宿って、長大な光の刃に変わる。
「絶滅剣っ、ライトニング・インパクトぉっ!」
 叫び、轟音、閃光、全てが勇者と一体となり、落雷と化した剣がオーガの体に叩きつけられた。 
「うああああああっ!」
 シェートの叫びを爆発がかき消し、万物の陰影を消去する。
 開放された威力に突風が荒れ狂い、世界を削りつくす。
 そして、全てが納まった時、辺りにはきつい毒のような臭いが立ちこめ、巨大なすり鉢状の焦げた穴だけが残されていた。
「う、ああ……」
『逃げるのだ……早く!』
 巨大なクレーターを前に、息を整えてる勇者の背中。サリアの声にもかかわらず、シェートは動けなかった。
 逃げるしかない、そんなことは分っている。
 刃に傷つかず、巨大な魔物を跡形も無く消し去る存在。
 自分の加護など比べ物にならない、圧倒的な能力。
 あんなものに敵うわけが無い、分っているはずなのに。
「あ……ああ……うあ……」
 足が竦んで動けない。
 はじめて会った時に覚えた感情、あれはまだ正体不明の敵に対する恐れだった。
 しかし今、自分をその場に縫いとめるのは、圧倒的な全能者への畏怖。
 首輪から下がった鎖が、自らの立場を示すように、ざらりと鳴る。
「え? ああ、ホントだ。一匹残ってら」
 勇者がこちらを向いた。片手の剣の具合を確かめながら、こちらに歩いてくる。
『早く逃げてくれ! シェートっ!』
 
「良かったなぁ、サリアよ。お前の配下は虜囚の身を脱したようだぞ?」
 水鏡の向こうの景色を見つめ、拳を握り締める。
「逃げるのだ! 聞こえないのか!?」
「無駄だ。あれはもう死ぬ。見ろ、あの情けない体たらくを」
 兄の指差す先、シェートの腰に下がっていた尾は、すっかり尻の間に縮こまっていた。
 体を震わせ、目の前の絶対的な力におびえる小さな魔物。
「全く、お前も残酷なことをするな、妹よ」
 立ち尽くすしかない自分を笑いながら見やると、兄は適当な石に腰を下ろす。
「どこから探し出したのかは知らんが、あんな脆弱な魔物一匹で、事態がどうかできると考えていたのか?」
 ゼーファレスの言葉に失笑が沸き立つ。それに気を良くしたのか、彼は水鏡の勇者に声をかけた。
「おい勇者よ。お前の後ろにまだいるぞ」
『え? ああ、ホントだ。一匹残ってら』
「や……やめろ!」
「やめろだと? いずれは、あの魔物を他の勇者に当てるつもりだったのであろう? それが今になったというだけではないか」
「だ、だめだ! 逃げろシェート!」
 画像の向こうの魔物は動かない。勇者が歩み寄りながら不思議そうに首をかしげる。
『あれ? このコボルト、前も見たことある気がするんだけど?』
「それは我が妹の配下よ。まぁ、殺せばいくらか多めの経験値は入る。ちょっとしたボーナスとでも思えばよい」
『へぇ。でもいいのか? あんたの妹なんだろ?』
 思わず振り返ったサリアは、ゼーファレスの笑みを見た。嬲ることへの悦びを顔一杯に満たした、忌まわしい顔。
「さて、妹よ。ここで提案だ。ここで私と神々に謝罪し、二度と遊戯に加わることも、
 抗議を申し立てることもせぬと誓うなら、あのものの命、考えてやらぬことも無い」
「な……」
「先ほど言っていたではないか、お前の命を差し出し、彼の者を救いたいとな? それに比べれば安すぎる対価であろう」
 何も言えなかった。もちろんシェートの命は救いたい、しかし――。
「わ、私は……」
 内に秘めた毒が、心を乱す。
 なぜ今になって自分が、避け続けたこの戦いに身を投じる気になったのか。
 その理由と意味が、兄の前にひれ伏そうとする行為を押しとどめてしまう。
 シェートを救えば、もう二度と思いを果たせなくなる。しかし、シェートを殺されれば同じこと。
 どうする、どうすればいい。
「シェート! 頼む! 動け! 動いてくれ!」
 その絶叫に、兄は顔を仰け反らせて大笑いを浴びせた。
「全く、どれだけ愚かなのだ。力無き者にはそれなりの生き方というものがある。それを弁えたものに、さらに鞭打つというのか」
「違う! シェートはそんなものではない!」
「なにが違うというのだ! あの様を見ろ!」
 指差した先、水鏡に映る姿。
 炎に照り返され、その青を畏怖の輝きで満たしながら歩み進む、祝福された勇者。
 その眼前には、首輪に繋がれ、鎖を打たれ、ボロ布を纏って立ちすくむ小さな魔物。
「この世には勝者と敗者が在る。力在るものと無き者がある。それは差別ではない、役割としての生が厳然と在るのだ」
「そんなものが、世界の全てではない!」
「……そなたはまだ分からなんだか? 神としての判断を誤り、己が為すべきことを為さなかったがゆえに、
 自らの世界を失ったことを、何の糧にもしておらぬではないか」
 そうだ。あの時の自分には、何も救えなかった。
 治める神でありながら策を失し、自らの世界を遊戯の贄とされた。
「世界を変えるのは力だ。そのことを学んだからこそ、こうして遊戯に己が身を投じたのではないのか?」
「わ……私は……」
「だが、そなたはまた過ちを犯したのだな。あのような魔物を拾い上げ、何をするつもりだったのやら。
 すでにそなたは狂っておるのやも知れぬ」
 兄の言葉が心に刺さる。
 あの時、自分はシェートに何を為したのか。ただの感傷か、破れかぶれの狂奔か。
 その全ての疑念の先に映った光景、炎の中に立ち上がった姿。
 私は――。
『なぁ? なんかあったのか? やっぱりやめる?』
 地上から届く、何も知らない暢気な声が逡巡を破る。
 その声にため息をつき、兄神は頷いた。
「よかろう……やれ」
「兄上!」
「そなたの愚かな行為はもう見飽きた。ここで幕を下ろす」
『なんかリクエストは?』
「一太刀でやれ。未練も何もかも、きれいさっぱりなくなるように」
『了解』
 気軽な語らいを続けながら、勇者は剣を震える魔物に向けた。
 
「運が無いな、お前」
 醒めた眼差しで勇者は自分を見ていた。自分に語りかけてきているようだが、どこか哀れんでいるようにも聞こえた。
「そっちも事情があるみたいだけど、俺も仕事だからさ」
 いつか聞いたような言葉だ。こちらの命に価値どころか、同じ存在とすら見ていないのがありありと分かる。
「まぁ、カミサマ同士の話だし、恨みっこなしってことで」
『だめだ! あきらめるな! 動け! 逃げてくれシェート!』
 サリアの言葉が分からない。何を言っているのか理解できない。
 たった一匹の弱い魔物に、何を期待すると言うんだろう。
『お前は……誓ったんじゃなかったのか! 仲間の墓の前で! 仲間を、母を、兄弟を、殺したものに復讐の刃を突き立てると!』
「そんなの、無理……」
 喉から諦めが零れ落ちる。
 こんな圧倒的な存在を前にして、自分の決意など無価値に過ぎない。相手を知らなかったから言えた無謀だ。
「勇者、強い。俺、弱い。こんなの、勝てない」
『……そんなことは、最初から百も承知だ! この馬鹿者!』
 振り絞った声が降ってくる
 向こうで、サリアが泣いている、ふとそんな想像が湧いた。
『だが、それでも私は手を差し伸べた! なぜか分かるか!』
 いつかと同じ状況。燃えていく世界、周囲には死体、そして、目の前に立ちふさがる圧倒的な存在。
『安らかな死の淵から、絶望の現し世に、お前は帰ってきた! なぜだ!』
「なぜ……」
『その心に惹かれたのだ! あの時、お前を立たせた想い!』
 勇者は剣を振り上げる。
 切っ先が、あの日と同じように振り上げられる。
『己の運命に憤った心! 失われていくものを守りたいという願い!』
 時が薄く引き延ばされ、死が目前に降ってくる。
 シェートは、死を覚悟――
『お前はあの子を! ルーを忘れたく無かったんじゃないのか! シェートぉっ!』
 ルー。
 俺の大好きな、大切な、和毛。 
「うあああああああああああああああああああっ!」
 まるで降りかかる世界の重さを吹き飛ばすように、コボルトの体が切っ先を避けて大きく振るわれる。
 その勢いが、首に掛かっていた鎖を勇者の体に叩き付けた。
 がぎゅううっっ!
「うおおおっ!?」
 展開した障壁に鎖が砕け、勇者の剣が弾き飛ばされる。自らの防衛機構に武器の衝撃を弾かれ、その体がよろめく。
『は、走れぇっ、シェートぉっ!』
 わき目も降らず、コボルトは駆けた。
「逃がすかよっ!」
 驚くほどの速さで突進する青い影。その姿を後ろに見ながら、シェートの手が半ば反射的に石を拾い上げる。
「奔れ『ゼーファレ……』」 
「うわあっ!」
 振り上げた切っ先が振るわれる瞬間、勇者の顔に投げつけられる石。途端に障壁が展開し、切っ先がまた弾かれる。
「くそっ! なんだよこれっ!?」
『わ、分ったぞ! その鎧の弱点! 石を持って門へ走れ!』
 立て続けに石を手に入れ、そのまま燃え盛る門へと走る。
「なんだって!? それ、欠陥商品じゃ……くそ、逃げるな!」
 自分の神を罵りながら追いすがる勇者に、追い討ちの石を投げる。切りかかろうとした刃は、再び自らの壁によって弾かれた。
『完璧であるがゆえに融通の利かない守り! 
 いや、攻撃する部位のみ守りを開けようとするなら、そこに付け入る隙が出る! なればこその欠陥なのだな!』
 興奮したサリアの声を聞き流し、目の前で燃え盛る炎の壁に勢い良く飛び込む。
「畜生っ! 逃げんなこのぉっ!」
 あっという間に毛皮が燃え、肉がこげる音が耳に染み入る。
 それでも、シェートは必死に走る。燃え盛る道は一瞬で終わり、砦の向こうに広がる闇の世界に飛び出した。
『そのまま行っては勇者の仲間に鉢合わせする! 私の命じるままに走れ!』
「わかった!」
 燃えかけ、焦げ付いた体に鞭打ち、魔物が走る。
 やがてその姿は、夜の闇の中へと消えていった。



[36707] 9、狩人の心
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/02/27 20:03
 人気のない静かな森の中、シェートは木の根方で目を覚ました。
 いつかの時に荷物を置いておいたその場所には、確かに弓と山刀が残っていた。
『……起きたか』
「うん……」
 勇者から逃れるために夜通し走り、何とかこの場所までたどり着いたものの、それから先は全く覚えていなかった。
 裸同然の体に弓と矢筒を身につけ、山刀を手に洞から出る。
『何とか、生き延びたな』
「……うん」
 すでに日は高く昇っているのだろう。生い茂った枝の間からも、中天の日差しが差し込んでいるのが分かる。
『すまなかった』
「なにがだ」
『お前の恋人を、思い出を、利用してしまった』
 ふと、昨日の光景が頭に浮かんできた。燃え盛る世界で、最後に掛けられた言葉が鮮烈に蘇る。
「ルーを、忘れたくなかった」
『いや……その、本当に……』
「怒ってる違う。俺、わかった」
 あの時、死の淵から蘇ってきてしまった理由。
「死んだら、全部無くなる。つらいこと、くるしいこと、たのしいこと、うれしいこと、思い出、みんな」
『……そうだ。我々も、失われた命や魂を蘇らせることはできない。せいぜい手綱をつけておいて、引っ張り戻すのが関の山だ』
 あそこで死んでしまえば楽だったろう。でも、大切な思い出も消える。
「だから、死にたくなかった」
『そうだな』
「お前、こんなことも言ってた。俺の心、見て選んだ。どういう意味だ」
 女神は笑い、自嘲をもらした。
『気づいていると思うが、私は神々の中で最も弱い存在だ。私が配下に加えられるものといえば、最下級の魔物たち、ゴブリン、オーク、そしてコボルトぐらいしかいなかった』
 力や即物的な戦闘力なら、コボルトは他の種族に遠く及ばない。そもそも選択の範囲に入れることも無い存在。
『だが、コボルトたちには、他の者が持っていなかったものがある』
「そんなもの、あったのか?」
『お前が両親や家族、仲間達、ルーに感じていた感情だ。連帯感、仲間意識、愛情……他者とのコミュニケートが生み出す力だよ』
 また難しい言い回しをはじめた女神に呆れたように腰を下ろすと、笑い声が大気に甘い香を漂わせ始めた。
『粗暴なだけの存在では、より強い暴力を前にすればたやすく砕け、私との信頼など最初から結ぶことも出来ぬ。この遊戯は初めの強さなど重要ではないという『余地』がある。弱いものも強くすれば、いつか高みに届く可能性がな』
 女神の言葉に、今度こそコボルトはため息をついた。
「俺たち、こんな言葉ある。『高い鳥落とせる矢、鳥にはならない』」
『飛べることと高みに届くことは別物、か。お前達は本当に現実的だな』
「俺たち弱い。無茶しない、戦わない。お前、選ぶ魔物、間違った」
『だが、お前はあの時、立ったではないか。そして、勇者から逃げ遂せた』
 サリアの言葉に、心がかすかにざわめき、慌てて首を降る。
「お、おだてても無理! 勇者強い! もう、あんなの、二度と出来ない!」
『分っている。昨日のことで思い知った。私はまた愚かさを重ねるところだった』
 サリアはまた笑う。
 ただ、大気の匂いは冬の夕暮れのように、冷たく澄んで香った。
『遊戯を降りよう。シェート』
 犬のような口をぽかりと開け、呆然と空を見上げた。
「お前、それでいいのか」
『元々無茶な行為だったのだ。お前にこれ以上、つらい思いをさせるのは心苦しい』
「俺、どうなる?」
『案ずるな。とりあえず、遊戯に参加した勇者が一人に絞られた時点で、辞退を宣言すればいい。それまで私がお前を生かそう』
 自分としては破格の申し出だった。遊戯を降りるのだから、やった命を返してもらうと言われると言われてもおかしくはない。
 だが、心が即座にその可能性を否定する。この女神は、そんなことは全く考えることは無いだろうと。
「サリア、聞いていいか」
『最後に残る勇者のことか? 安心しろ。おそらく兄上は途中で敗退する。上位の神というものは決まっておるようなものでな。私が心から謝罪すれば、温情ぐらいは掛けてくださる方たちだよ』
「それ聞きたかった。けど、今聞きたいこと、違う」
 ずっと気になっていたこと、今なら聞き出せそうなことを口にする。
「お前、なんで遊び、参加する、思った?」
『……そのことも、私がお前に謝罪したいことなんだ』
「なんでだ?」
『私が遊戯に参加したきっかけは、復讐と贖罪の気持ちからなんだ』
 サリアは、そこから淡々と語った。

 彼女の治める世界は、それほど大きくは無かったが生命力に溢れ、豊かな霊的資源に溢れていた。彼女自身もさまざまに手を尽くし、世界を慈しんでいた。
『だが、神々の間では争いが絶えなくてな。その上、魔物たちの侵攻もあり、私にも累が及ぶことがあった。私は神々の調停を行い、あるいは自らの力を奮って外敵を討った』
 戦いは世界そのものを傷つけ、いくつもの星が荒廃の末、捨てられてゆく。
 そんな時、魔族の長からのある提案が起こり、神々はそれを真剣に考え始めた。
『それが代理戦争たる、勇者を使った神の遊戯だ。遊戯で起こる戦乱は確かに大きいが、歯止めが効かないまま振るわれる、神魔の暴威よりははるかに被害が少なかった』
「でも、お前、それに参加しなかった?」
『ああ。被害が小さい、などと言っても結局は世界の力を削る。戦など無い方が良いからな。ちょうどその頃だ、私が『平和の女神』などと言われていたのは』
 下らぬ称号さ、そう言って笑うサリアの匂いは、乾いた木枯らしだった。
『ある時、私の世界に魔物の一団が紛れ込んだ。とはいっても、ごく小さく、弱いものではあったし、特に害は無いということで、捨て置いた』
「いいのか?」
『魔の者、というのも万別でな。真に邪悪なものもあれば、そうではないものもある。魔とは神の反転にすぎんしな。当時の私は、彼らを受け入れるということが、どんな意味を持つか、考えもしなかったのだ』
 無論、それなりの目論見もあった。
 魔族を部分的に受け入れ、最終的には自分の世界を中立の区域として開放する。魔の高位者の中には、元々神族として在ったものも少なくない。そうした存在にも打診を行い、少しずつ影響を大きくするつもりだった。
『だが、その魔物には、ある性質があった。世界を喰うのだ』
「世界……喰えるのか?」
『たとえだ。そいつがそこに居る限り、あらゆるものが喰われる。生命力、地の霊力、その世界が呼吸するマナ、そういうあらゆる物がな』
 その性質を、サリアは知らされなかった。
 その魔物を紹介した神はいつの間にか神界から姿を消し、他の神たちはこれを魔の者の邪悪な侵攻だといきり立った。
『とはいえ、その魔物が喰う量はたかが知れていたし、その体に蓄えた世界は濃縮され、死して後はその世界をさらに豊かにするのだという』
「悪い奴じゃ、ない?」
『それどころか、魔の世界ではその希少な力ゆえに狩られ、姿を消しつつあった』
 魔の側は反対に、自分達の益獣を神が奪い去り、独り占めにしていると言い募った。
 あとは、お決まりの騒乱が巻き起こるばかりだった。
『神々も魔も、私の星を、遊戯の場として開放しろと言ってきた。私は拒否し、なんとか争いをやめるよう、働きかけた』
 そう言うと、サリアは黙り込んだ。
 大気からは神の匂いが薄れ、静まり返った森に、時折こずえが揺れる音だけが響く。
 鳴き鳥が呼び交わし、遠くの沢のせせらぎが流れていく。
『私はな、シェート。自分の世界を守れなかったのだ』
 声は平板で、抑揚が無い。それ以上のものを極力込めないように、そっと吐き出されていく言葉。
『それから、長い時間が過ぎた。私の世界は壊れ、錆びていった。私は何をすることもなく、無為に過ごした。そんなときだ、お前のいる、この世界に出会ったのは』
 若く、命に溢れた世界。
 いくつかの神の手が触れはしたが、それでも無垢な、赤子のような世界。
『私はこの世界を廻った。そして、その健やかさを楽しんだ。だが、この世界にも、争いの種は蒔かれていった』
「それ、俺たち、か?」
『ああ。魔物達がこの世界に根を下ろし、着実に準備が整えられていくのを、私は気が狂いそうな思いで見ていた。何も出来ない自分にいらだちながらな』
 魔族たちの貪欲な争いを、やがて来る勇者達の到来を予感しながら、サリアは神々の間に舞い戻った。これ以上無益な戦いを広げて何になるのかと。
『神と魔の騒乱を産み、自らの世界を守れなかった者の言葉など、誰も聞くものはなかった。ただ、昔から懇意であった竜神と、審判の女神は、少し違ったが』
 そして、二つの助言を受けた。
 一つは自らの世界を再生するために、神々の力を借り受け、一からやり直すこと。
『もう一つが、復讐の道だ』
「復讐?」
『私の世界を汚し、貶めた神を探るためだ。遊戯に勝利した暁には、その神は願いを一つかなえることができる。それを使ってな』
 審判の女神は言った、勝つ可能性は在ると。
 万に一つだが、弱い魔物から始めて能力を稼ぎ、その末に他の勇者を凌ぐほどの力を手に入れられる可能性が。
『そして私は復讐を選んだ。とはいえ、それだけが理由ではないがな』
「しょく、なんとか、か?」
『罪滅ぼし、悪いことをしてしまったことを、赦してもらいたい、そういうことだ』
 守れなかった自分の世界の代わりに、この世界を守ることは出来ないか。
 身勝手なことだし、無意味だと謗られもするだろう。
 その思いに苛まれながらも、結局その道を選んだのは、
『私が、身勝手で醜いからだろうな。私は最後まで非戦を訴えたが、結局自分の手を汚すことを嫌っただけではないのか? あの時、もし遊戯に参加していれば、まだ何かが変わったのではないか? そういう気持ちが、頭から離れなかった』
「それで、俺、使ったのか」
『そうだ』
 長い話の大半は分からなかったが、最後だけは理解できた気がした。多分、女神の気持ちを創った一部は共感できる。
「俺も同じ。勇者殺したい、自分のため。復讐しても、みんな、生き返らない」
『そうだな……そして、ゲームは終わったのだ』
 それが、長いやり取りの結論だった。
 もう戦わなくていい、始まりもしないうちから、復讐の旅は終わる。
 その時、コボルトの二つの耳は、小さな音を聞いた。
 きゅううううっ。
「ああ……」
『どうした?』
「話長い、腹減ったの、忘れてた」
『は……はははははは、そうか、そうだな! 長々とすまなかった!』
 空気が緩んでいく、その中に漂うのは、サリアの上機嫌の匂い。
「お前、いつもこんな匂いなのか」
『あ、ああ。私の性質でな。感情を発露させると、そのようになってしまうのだ……気に入らんか?』
「いや。俺、この匂い、結構好き」
『そうか。ありがとう』
「お前の世界の奴ら、たぶん、きっと、お前の匂い、好きだった」
 それきり、女神は沈黙した。
 こういう雌の沈黙が、昔からシェートは苦手だった。ふと、ルーも同じような状態になったことを思い出す。
 そんな時は、自分も黙って弓や狩りの道具を手入れをするのが常だった。
 だから、今回もシェートはそうした。
 女神の沈黙は、中々終わらなかった。

 あれほどの傷と、恐ろしい経験をした上、まともに食事も取っていないというのに、シェートは山の斜面をすいすいと昇っていく。
「とても、数日食べていない者の動きとは思えんな」
『でも、今すごいはらぺこ。サリアの力、なかったら動けない、思う』
「過信はするなよ? あれはお前の体の力を助けはしても、飲まず食わずで生きられるようにするものではないのだから」
『ん』
 受け答えしつつ、シェートは手近な木に軽く山刀を当て、皮を少し削って口に入れる。
「それは?」
『この皮、甘い。腹減った時、よく噛む』
 さらに進むと、今度は樹液を滴らせた大木の前で立ち止まり、山刀の柄で幹を勢い良く打った。ぽそっという音共に、甲虫の何匹かが転がり落ち、逃げ損ねた一匹があっという間に腹部を残してばらばらになる。
「だから虫はやめろと言うのに」
『こいつ、汁気一杯、うまいぞ?』
「や、やめろ! こちらに見せようとするな!」
 こちらの狼狽をからからと笑い飛ばす彼の姿は、さっきまでの屈託などまったく見えない。その姿に、この生き物は根っからの狩人なのだと、改めて気づかされる。
『狩りするとき、森の中、何日も歩く。ちゃんとした飯、作る暇ない。だから、こうしてなんでも口入れる。食べられるもの知る、とても大事』
「なるほど、狩人の仕事は知識が重要なのだな」
『そう。獲物探しながら、危険探す。そういうこと、みんな「ガナリ」から教わる』
「ガナリ?」
『狩りの全部、考える奴。一番えらい』
「村長とは違うのか?」
 こちらの質問に、シェートは丁寧に教えてくれる。まるで新しい後輩に、狩りの仕方を教えるように。
『ガナリ、村長すること多い。でも普通、ガナリと村長違う。狩りと村の仕事、考えること違う』
「職能区分か。全く、お前達には驚かされる。とても愚かな魔物の筆頭に数えられるとは思えんよ」
『俺たち、魔法使えない。剣使って戦えない。狩り、誰でもできる、みんな思う。だから弱い、頭弱い思う。でも他の魔物、誰かから奪うだけ、森から貰う方法、何も知らない』
 シェートは厳かに語り、ほんの少し立ち止まって森の空気を吸った。
『森、俺たちにも何かくれる。弱い、力ない俺たち、ここで生きられる。だから、俺たちも森、大切にする』
 そのままゆっくりと膝を曲げ、地面に手を当てる。下生えにさえぎられた地面には肥えた黒土が敷き詰められ、小さな蟻や甲虫が這っている。
「どうした?」
『少し黙れ。足跡追う』
 見た目には全く異常が分からないが、シェートはそこから何かを読み取り、腰を沈めて這うように歩き始めた。
 低木やひょろりと伸びた青草を、わずかに揺らすだけで進む歩き方は、まるで風のようで、そこに付いた昆虫達に身じろぎすらさせない。
 やがて、密生した茂みの前で膝を突くと、腰から弓を引き抜く。
『見ろ』
 矢を番え、狩人が新米に声を掛ける。視線の先で、新芽を食むのは一頭の大鹿。
 崖下の開けた土地で、低木が群れ生えている。他の鹿は居ないらしく、ただ一頭だけがご馳走を独り占めする形になっていた。
「大きいな……」
『二年越えた奴、あのくらい大きい』
 多分、シェートの三倍の体格はあるだろう。すでに大きくなりかけた角が、立派なだけでなく、外敵を殺せる凶悪な武器になることはサリアも知っている。
「大丈夫なのか?」
『平気。それより、黙って見てろ』
 きり、と弦を引き絞る。その途端、鹿は耳を動かし、食んでいた口を上げた。
『鹿、警戒心強い。でもそれ、隙になる』
 そろそろと腰を上げ、中腰の姿勢になる。鹿は異変に気が付き、脚に力を溜める。
 シェートの弓が限界まで引き絞られ、同時に鹿が左へ跳ねた。
 ひょう、と風を切る音。矢が大気を渡って鹿の顔へと殺到する。
『ヒュィッ!』
 だが、矢は鼻先をかすめ、鹿は驚いて体を反転させた。
「外した!?」
 だが、シェートは無言で茂みを飛び出し、素早く矢を番える。そのまま狩人はさっきまで鹿の居た場所に立ち、素早く追い討ちを掛ける。
 再び矢が外れ、鹿が森の奥へ逃げ去るが、一切気にせずシェートは駆けた。
「このままでは逃げられるぞ!」
『大丈夫。あいつ、逃げられない』
 そう言って、シェートは最後の矢を番えてさらに走る。
 走った先、鹿は立ち往生していた。角に蔓で出来た網を絡ませて。
「罠!?」
 その言葉に答えを返すように、最後の矢が鹿の眉間深くに突き刺さった。
『サリア、お前もう少し俺のこと、見てる思ったぞ』
 獲物が死んでいることを確認したシェートは、少し馬鹿にしたように笑った。
「いつの間にあんな罠を?」
『錆喰い狩り、長くなる思った。鹿肉あれば助かる。毛皮、温かい靴、作れる。ここ来た次の日、夜明けの時、見回って掛けた』
「まさか、鹿の逃げる先もわかっていたというのか?」
『鹿、角あるから通る道、限られる。最初の弓、逃げ道塞ぐため撃った。二発目、網の罠動かすのに使った』
 説明を終えたシェートは、罠の蔓を解体して鹿の足を縛ると、呆れと関心で何もいえないこちらを気にすることも無く、満足そうに頷いた。
『今日、ご馳走』
 
 驚くほど手早く済んだ解体を経て、魔物は焼けた鹿肉をもりもりと頬張っていた。
「あまり急に食べ過ぎるな、腹を壊すぞ」
『……おれ、ずっと……むぐっ、食ってなかった。はぐっ……食えるとき……食う』
 一心に腿肉に喰らい付く姿は必死で、それで居てどこか愛くるしいと思える仕草だ。汲んでおいた水と肉を交互に口に入れ、次第にその動きが緩やかになっていく。
「もう、腹はいっぱいか?」
『ん……』
 自分の手元に残った肉に目を落とすと、小さくかじった。
 それを何度も繰り返し、少しずつ肉を平らげていく。
「……それは?」
『食い送り。みんなのこと、考えて、ちょっとずつ、食う』
「砦の、仲間達の分、か」
『ほんとは、居なくなった奴の分……みんなで分けて食べる』
 祈ることも、祈る神もない魔物が出来る葬送。目の前に灯る焚き火が荼毘の炎のように揺れている。
『……母ちゃ、鹿、好きだった』
 小さくかじる口が、少し歪む。
『でも、歯、弱ってた。だから、稗と一緒、小さく切って煮る。弟達、いつも腹減らしてた。鍋に山菜、肉、一杯入れて作ったの、すぐ無くなった』
 愛しいものを語る口は、いつしか食べるのをやめていた。
『カイ、鹿取りの罠、作るの上手。いつも一番いいとこ、持ってった。代わりに、どんぐりとか、山葡萄とか……酒とかもくれた』
 焼け出されたあの日から、ほとんど語られなかった村のことを、ぽつり、ぽつりと漏らしていく。火にくべられた枝が燃えるように、思い出が咲いていく。
『ルー、鹿、そんなに好きじゃなかった。あいつのこと、みんな好き。だから、みんな鹿持ってく。でも、ほんとは山の魚と、ウサギ、好き』
「たいそう持てたのだな、ルーは。他の男達とはケンカにならなかったのか?」
『いっぱいした。でも、最後にはルーがみんな、黙らせた』
 手にした鹿肉をちぎっておいた青葉に包むと、寝床の奥へと放り込む。そのまま寝るのだろう、そう思っていたが、シェートはそのまま火の前に座っていた。
『サリア、お前の世界、どんなだった』
「いきなり……なんだ?」
『俺のこと、一杯話した。今度はお前、何か話せ』
「そうだな……お前の居る所とあまり変わらない、小さな世界だった」
 水鏡を見つめながら、サリアは懸命に思い出そうとした。
 青く輝く、自分の星のことを。
「その頃は私も、下界に干渉する肉体があったからな。しょっちゅう出向いては、皆に困られていた」
『お前、ドジででしゃばり。きっとみんな、苦笑いしてた』
「ああ。神としての威厳とか、そういうものを持つようにいつも言われていたよ」
 それでも楽しく、すばらしい毎日だった。天界では浮いていたかもしれないし、兄からもいい顔はされなかったが、幸せだった。
「そういえば、お前のようなコボルトにも何度かあったことがある。ひどくおびえていたが、慣れれば気のいい連中だった」
『俺の仲間、お前のとこも居たか』
「というか、何らかの形で『逃げて』来るのだ。次元の綻びを抜けたり、世界を渡る船に密航するものも居る。コボルトの逃げ足は全世界共通らしいぞ」
『……そいつら、幸せだったか』
 それに答えるのは、難しかった。あの騒乱の中で全ての命は灰燼に帰した。おそらくコボルトなどひとたまりも無かったろう。
「分からない。ただ、笑ってはいたよ。私たちと一緒に。そういう一瞬があったことは、覚えている」
『ならいい。一生、笑えない奴、いる。笑えたなら、きっと幸せ』
 シェートの言葉には、優しさとささくれた感情が一緒くたになって溢れていた。
「砦で死んだ者のことを、考えていたのか」
『コボルト殺すの、勇者じゃない、もっと沢山のもの』
「そうだな……勇者など、その一部に過ぎん。神と魔王、それが元凶だ」
『神様もか』
「そうだ」
 炎に新しい燃えさしがくべられた。
『勇者殺しても、魔王居れば、コボルト死ぬ。魔王倒しても、勇者いれば、結局コボルト死ぬ』
「その通りだ。どちらかが残っても同じこと……それが、忌々しい今の世界の在り様だ」
 苦味が自然に言葉に混じる。その吐息を感じて、コボルトは口を開いた。
『サリア……最初俺に、遊戯で勇者殺したい、言ったな』
「ああ……」
『でも、ほんとは、そうじゃない』
 指摘に心が揺らぐ、その隙を射抜くように言葉は放たれた。
『勇者だけじゃなく、みんな殺したい。違うか?』
「――――ああ」
 シェートの言葉に、サリアはあの時の想いを、もう一度感じた。
 燃え落ちる村を見た、その時の感情を。

 優しげな笑みで、イェスタは目の前に浮かばせた水鏡を示した。
 向こう側の世界で、惨い虐殺が映し出されていく。死に行く魔物の群れ、その集団には覚えがあった。
「御覧なさい。平和の女神よ」
 サリアは必死に目を逸らそうととしたが、それでも顔は惨状から背けられなかった。
 死んでいく、たった一人の勇者に、コボルトが蹂躙されていく。
 そこは一度か二度、自分もさすらった場所だ。小さな村は穏やかで幸せそうで、いつか壊れるものだとしても、それでもいとおしさを感じていた。
 紅蓮に染まった村は、以前と同じ場所とは思えない地獄に変わっていた。
「やめさせてくれ! 彼らは何もしていない! 魔物と言っても、何の力もない存在なのだ!」
「言葉で、何が変わりましょう哉?」
 審判の女神の言葉は、冴え冴えと甘えを切り裂いた。
「あの暴力をやめさせることが出来るのは、より大きな力のみ。勇者を倒すには勇者を以ってするしか御座いません」
「だからと言って私になにができる! この身一つを捧げたとて、非力な者を呼び出して死地に追いやるが関の山だ!」
「そう仰られるのであれば、そのようなことで御座いましょうね」
 女神は笑う。
 笑いながらサリアを切り裂いてゆく。
「貴方は今まで何をしてこられたので? 自らの世界を守れなかった悲嘆ゆえ、あまたの世界を遍歴した挙句、今またこの世界を見捨てようとしている」
「だから、竜神の力を借りて!」
「別の天地に楽園を作り、こう仰らればよろしいでしょう『ああ、あの世界も滅んでしまったが、私も良い経験を得て、今度こそ過ち無く歩んでゆける』と」
「――――っ!!」
 炎が踊り、村を焼いていく。コボルトたちは勇者と騎士の剣によって殺され、逃げようとしたものも魔法使いの劫火に消し炭となっていく。
「ああ、どうやらあれが、最後の犠牲者でしょうね」
「……馬鹿者! なぜ行くのだ! お前だけでも逃げろ!」
 小さな体を火にあぶられながら進む、コボルトの狩人。弓を引き絞り、惨状を引き起こしたものに果敢に挑もうとする。
「ダメだ! そやつにそんなものは効かぬ!」
「何を叫んでおられるのです。貴方の声など彼には届きませぬのに」
「うるさい!」
 水鏡をコボルトの若者に合わせる。矢が弾かれ、がっくりと膝を突く。
「逃げるのだ、逃げてくれ!」
 だが、恐怖に震えた体はピクリとも動かない。
 そして、白刃が命を断った。
 あっけない命の終わり、刺し貫いたコボルトを振り向くことなく、勇者の一団は笑いあいながら去っていく。
「……ふざけるな! 何が勇者だ! 無抵抗のものを殺して! 自らの糧にすることのどこに正しさがある!」
「これは異なことを。遊戯の取り決めは神と魔とが作り上げた約定。そして、魔は世界に仇なすもの。それを殺すのは正義であり法では?」
「それが正義なら私は正義など要らぬ! それが法ならそれを敷くものを憎む!」
「そのように仰られることもまた自由で…………おや?」
 審判の女神の眉根が寄る。彼女の視線の先で、変化は起こっていた。
 死んでいたはずの魔物の手が上がる。傷を庇いながら、ゆっくりと立ち上がる。
『いやだ……』
 うつろに、だがはっきりと言葉を口にする。
 消えかけた命が見える。それでも、彼の中で心は燃えていた。
『こんなの……いやだ……』
 自らの身に降りかかる理不尽に、抗い立つ両足。こぼれる血を抑えながら、必死に前を見据える。
『いやだ……っ』
 怒りが、周囲の炎にも負けない怒りが燃え立っていた。肩を寄せ合い、ささやかな幸せを享受することだけを願い続けていた命。それが残酷な世界の約定に引きちぎられることに、心から怒っていた。
 頬を悲しみの涙で濡らしながら、それでも魔物は咆哮を上げた。
『お前を殺してやる、勇者あっ!』
 叫びと呼ぶには余りに小さな声。
 だが、強く強く、世界を磨するほどの想いが、水鏡を震わせていく。
「……復讐を望むのか、小さき魔物よ」
 言葉は、気が付けば自然と口を突いていた。
『おまえ……だれだ』
「復讐を望むか、と聞いたのだ」
 もう時間が無い。今すぐに約定を結ばなければ、あの魔物は死ぬだろう。
「早く応えよ。さもなくば汝の魂は闇に転げ落ち、怨讐の刃を振るうことも叶わぬぞ?」
 答えるかどうかは相手次第だった。自分がどんな存在であるか、鈍い魔物でも分かるだろう。
 だが、不思議と拒絶は無いと分っていた。
 きっとあの魔物は、自分と同じだと。
『……のぞむ』
 深い安堵、そして自分の頬に何かが伝っていく。
『俺……勇者を殺したい……仲間を、母ちゃを、弟達を……』
 本当に自分は愚かだ、心のどこかで己を呪う声がする。こんなことをして何になる、たった一粒の命を拾い上げ、自分を滅ぼすのかと。
 同時に、目の前の魔物を救えることを、消えていく命を拾うことが出来る、どうしようもない喜びを、感じずにはいられない自分も居た。 
 そして、彼の抗う姿に、果たせなかった思いを重ねていく。
『ルーを殺したあいつを、必ず殺してやる!』
「よかろう」
 その瞬間、サリアの力と存在がコボルトの体に流れ込んだ。
「それでは、お前はこれより私のものだ。その代わり、お前に勇者を殺す力をやろう」
『……おまえは……いったい……なんだ?』
「私はサリアーシェ」
 光の届く先、炎の中で新生した命に、サリアは優しく語りかけた。
「天に侍る、女神の一つ柱だ」

 そこまで思い出したとき、言霊は零れ落ちた。
「私は、みんな殺したいのだ」
 勇者とか魔物などではなく、その全てを含むものを。
 それが、本当に為したいこと。
『お前、怖い女神』
「そうだな。私は恐ろしい、醜い女神だ」
『でも俺、気持ち分かる。俺も、みんな、殺したい』
「なら、お前も怖い魔物だ。私と同じでな」
『……うん』
 地上と天界に分かれた二つの魂は、同じ思いを抱いて笑いあった。
 大気は潤い、夜の闇の中、暖かな気配が満ちる。
『サリア』
「シェートよ」
 呼び合うだけで、全てが分かり合う。そうしてから、女神は切り出した。
「それで、どうする?」
『……俺、怖い魔物なった。でもやっぱり弱い、コボルト』
「私も同じだ。恐ろしい女神だが、何の力もない」
『また、レベル、上げるか?』
「さすがに錆喰い程度屠ったところで、最下級の勇者にも追いつけまい。ましてや兄上の勇者は更なる格上となったはず」
『結局俺たち、弱いままか!』
 そういう彼の声には、暗さは無い。食べるものを食べ、言うべきを言ったからこそ、無一物の明るさを手にしていた。
「そういうことだ。私たちにあるのは、やけくその反抗心と、お前の狩りの腕だけだな」
『狩りで勇者、殺せない。どうしようもない』
「そうか? 所詮奴もただの人間、存外簡単に狩れるかもしれんぞ?」
『やっぱりお前、変な女神。相手、鹿狩るのと、話違う』
「お前は以前、熊を狩ったといったろう? 人間など熊より弱いぞ」
 我ながら、根拠の無い言葉遊びだ、と思う。
 神が力を与えたからこそ、人が人ならざるものへと変わるのだ。いくらなんでも熊より弱い勇者など居るはずが無い。
 こちらの無責任な言葉に、コボルトはむくれて反論を返す。
『お前気楽。熊狩るの大変。それに勇者、熊より強い。熊、火吐かない。雷降らせない』
「あんなもの、本人がやっているわけではない。一日たった三回の奇跡だ」
『鎧すごい。熊の毛皮、毒矢でなんとか貫く。勇者の見えない壁、俺の弓、貫けない』
「だが熊と違って勇者は鎧を脱ぐ。年中あの堅い殻に覆われているわけではない」
『剣、どうする? あれ何でも切れる』
「お前の得物は弓だろう。間合いにすら入らないで済むな」
 言い切った言葉にシェートは、虚を突かれたようになり、視線を地面に落とした。
『サリア。人間、鎧脱ぐ、剣置く、どういうときだ』
「食事、風呂、睡眠、いくらでもあるぞ。あるいは若い女を掻き口説いている時か。色恋に血刀を持ち込む愚か者は、そうおらぬだろうよ」
『……それ、みんな、多分町中、宿とか家の話。俺、行けない』
「もっと柔軟に考えよ! 野宿の最中でも、鎧を脱いで寝る場合もあろう!」
 いつの間にか手にしていた枝で、魔物が何かをぐりぐりと書き綴る。勇者らしい姿と自分の姿、それから――。
『やっぱりダメ! 勇者仲間いる! 熊群れない!』
「投げ出すな! 群れたなら引き剥がせばよかろう!」
『どうやって!?』
「あー……それではあれだ! 狼と思えばよい!」
『今度狼か……。狼、あれも狩るの大変』
 書き掛けた勇者達の仲間が、新たに地面に加えられる。剣を持った騎士、魔法使い、僧侶と、それに相対するコボルト一匹。
 その姿を見てサリアは、息を飲んだ。
「な……なぁ、シェートよ。狼狩りのコツとはなんだ?」
『群れの頭探す。そいつの鼻、効かなくする。仲間、散る』
「こう考えてみよ。勇者は群れた狼の性質を持つ熊だと。最後の一匹になれば、熊として扱えるが、群れている間は狼」
『めんどくさい。……けど、やってみる』
 狩りに例えた途端、コボルトの知性が緩やかに、しかし確かに回り始めていた。仲間達としていたであろう打ち合わせの時のように、言葉があふれ出てくる。
『勇者、剣強い。魔法使える。でも、騎士、魔法使い、あと神様の下っ端。一緒に居る。……勇者強い、一人で十分。なぜ群れる?』
「簡単だ。奴には戦う力しかないからだ」
『勇者、戦うだけ? 他にできること、ない?』
「おそらくな。強力な神器は、獲得するのに莫大な対価を必要とする。おそらく、危険の探知や他者への治癒能力を持つ余裕など無かっただろう」
『だから、仲間いる、か』
 言葉を交わしていくうちに、サリアにもおぼろげながらに分ってきた。
 相対すればとても敵う相手ではない。だが、それが絶対の真理ではなく、単なる前提条件に過ぎないとすれば。
「勇者とて一人で完璧にこなせるわけではない。所詮は人間だからな、それゆえに群れを作り、不完全さを補っているのだ。その群れを乱し、ただ一匹にしてしまえば」
『……勇者、狩れる……か?』
「断定は出来ん。奴自身のポテンシャルを、私たちはまるで知らないのだ。だが」
 それ以上、言う必要はなかった。
 おそらく本人ですら気づいていない光が、彼の目に灯っている。
 コボルトは弱い。戦士にはなれない。
 だが、狩人にはなれる。
『サリア、もっと教えろ。勇者のこと、仲間のこと、全部』
「分った。私の知りうる全てを、教えよう」

 自らの神座に落ち着きながら、ゼーファレスは不機嫌そうな顔をやめなかった。
 周囲に侍る小神たちは、その様子におびえて近づこうともしない。
 もちろん不機嫌の源は自分の妹のことだ。突然遊戯に参加すると言い出し、さらには周囲を巻き込んでの狼藉の数々を尽くしている。
「あの、愚妹めが」
 口元を引き締めると、水鏡に下界を映し出す。そこにはどこかの町にある、牧場の隅で鍛錬にいそしんでいる勇者の姿があった。
「……励んでいるようだな」
『なんだよ、機嫌悪そうじゃん』
「誰のせいでこのような顔をしていると思っている! あんな獣を取り逃がしおって!」
『もう二週間前の話だろ!? カミサマの癖にいちいち根に持つんじゃねー!』
 この下品極まりない勇者の物言いも、ゼーファレスには耐えられなかった。要領はいいし、それなりに使えはするが所詮は俗人であり、上位の存在に対する畏敬が無い。
「それで、今は何をやっているのだ」
『アンタの欠陥商品を使えるようにしてたところだよ』
「言うに事欠いて、私の神器を欠陥品だとぉ!?」
『自分で張ったバリアで攻撃できないとか! どう考えても欠陥品だろ!』
 最もな話ではあるが、別にそれは自分のせいではない。遊戯の全てを司り、神器の創り手でもある審判の女神が、あれをよこしたのだ。
「絶対防御の障壁は全ての攻撃に反応し、その瞬間にお前の周囲を遮蔽することで成り立っている。時間差の攻撃や範囲攻撃、毒や麻痺の雲に対抗するための仕様だ」
『……まぁ、なんとなく分かるけどさ。自分の武器だけ通すって出来ないの?』
「"完璧なものを創ってはならぬ"というのが遊戯のルールにある。もし、お前の言う融通性を効かせたら、剣どころか腕輪すら返還しなくては追いつかない対価を払うことになるのだ」
『確かに、一方的に攻撃できるなんてインチキアイテム、バランスブレイカーか。クソゲーだって苦情殺到するよな』
 忌々しい話だが『公平性』が、この遊戯には求められている。そのために、己の持つ資源に物を言わせて神器を買い、無理矢理勝者になる、ということが難しいのだ。
「ところで、その欠陥を補うというのは、どういうことだ?」
『まあ、見てみなって』
 自信たっぷりに言う勇者に、ゼーファレスは寝そべりながらその見世物を眺め、
「お……!」
 驚きと喜びで、自然と立ち上がっていた。
「おおおおおお!」
『どうだい?』
「な、なるほど! そういう手があったか! すばらしい!」
 この前の煮え切らない結末から、なんとなく重苦しかった神座が、一瞬のうちに晴れやかな空気に変わる。
『むしろ、これを使えばかなり戦術の幅が広がるんじゃね?』
「うんうん! すばらしいぞ! それでは絶対魔法防御、獲得しようではないか!」
『マジで!? でもそれ、ちょっとやばいんじゃねぇ? ルールとか制限とか?』
「すでに審判の女神には確認済みだ。その鎧の障壁に、魔法防御の属性をつけるだけで済むゆえ、問題は無いとな!」
 物理攻撃に魔法を遮蔽する障壁を入れれば、おおよそ勇者の鎧は無敵の要塞と化す。
「ふふふ……ようやく、ここまでこぎつけたぞ!」
 今までまともに終盤まで勇者を残すことが出来なかったが、ここまでの能力を初回のうちに神器で与えておけば、後は有象無象を蹴散らすだけで勇者のレベルは上がる。
 これで、自分を見下していた、さらに上の神々にもでかい顔をさせなくて済む。
「よし! 審判の女神を! イェスタをこれに!」
「すでに参上しております」
「ぬを!?」
 にこやかな顔で勝手に神座に入り込んだイェスタに、それでもゼーファレスは尊大な顔で、彼女にあごをしゃくって見せた。
「かねてよりのあれを、我が勇者に」
「よろしいので?」
「構わぬ、やれ!」
 命令に、審判の女神は晴れやかな笑みを浮かべた。そして、手にした杖を、水鏡に映る勇者の像に当てる。
「我が命を以って、汝にあらゆる魔力をさえぎる力を与える」
 儀式はあっけないほど簡単に済み、勇者の鎧には神気がみなぎった。
『今、なんかしたか?』
「絶対魔法防御、掛かったぞ」
『マジで!? じゃあ、早速試していいか!?』
「仲間の魔法使いにやらせるがいい。全力で、殺す気でやれとな!」
 これで勇者の力は完璧に近づいただろう。
 まだ弱点となる部分もあるだろうが、それも無敵の力で、本来格上であるはずの魔物を倒し続けて経験値を稼げば、全く気にする必要も無い話だ。
「出てくるぞ」
『いってらっしゃいませ』
 イェスタを含めた小神たちの挨拶を受け、ゼーファレスは上機嫌で外に出た。
 自分の姿を見た神々が、口々に声を掛けてくるのに鷹揚に手を降る。久しぶりに実に晴れやかな気分で、庭園へと降りていく。
 その気分を吹き消すような存在が、そこに待っていた。
「……一体、何をしに出てきた」
 不機嫌なこちらに向き直ると、妹はその場に跪き、頭を垂れた。
「兄上の、お赦しを頂きに参上仕りました」



[36707] 10、ガナリとナガユビ
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/02/27 20:28
 思ったとおり、兄の顔は毒虫でも見るような顔で自分を出迎えた。もちろん、そんなことはどうでもいい。
「……一体、何をしに出てきた」
「兄上の、お赦しを頂きに参上仕りました」
「赦し、だと!?」
 つかつかとこちらに歩み寄る影。うつむいているこちらには見えないが、鬼神も逃げ出すような形相をしているに違いない。
「今更どの面を下げてそのようなことを!」
「はい。その通りでございます。全く、愚劣極まりなきことをしたと、心より恥じ入るばかりでございます」
「口先だけならいくらでも述べられようぞ! それでは今すぐ遊戯を退き、我と他の神々に謝罪をするがよい!」
「仰せのままに」
 そっけない返答に、相手の怒りが瞬間消え去る。そのタイミングを見計らい、サリアは顔を上げた。
「……お赦しください! 兄上!」
 溢れる涙が頬を伝い、その足に取りすがる。今までに無い展開に兄も、周囲も凝然とこちらを見つめていた。
「私は、愚かでした。自らの世界を失い、その悲しみと悔しさゆえに、正しきものを見誤り、世界を呪っておりました。あのような魔物に心を動かしたのも、ひとえに我が心と不徳のいたすところと……」
「ま……まぁ、分ったのであれば、よい」
 若干居心地の悪そうな顔をしていた兄は、それでも思う以上の上機嫌でこちらの手を取った。
「わかってくれるのなら、それでよいのだ。……そうだな、このままでは遊戯の約定により、そなたは世界から消失してしまう。どうだろう、サリアよ」
 まるで、この世の全てが自分に賛同してくれる、そういわんばかりの倣岸な笑顔で、ゼーファレスは妹である自分を見つめてきた。
「そなたを我が半神に迎え、夫婦として新たな神性を得るというのは? 見目も麗しく、心根も優しいそなただ。兄妹神が新たなる創生の神となる世界も少なくないのだし」
「……もったいない、お言葉、ありがとう、ございます」
 顔を伏せ、肩を震わせて、サリアは答えた。
 内心を表に出さぬまま。
「そうと決まればイェスタ!」
「すでにここに」
 いつの間にか背後に立っていた審判の女神に、さすがの兄も色を失っていた。
「ええい! 少しは間というものを考えよ!」
「ですが、お二方の寿ぎには、何をおいてもはせ参じませぬと考えた故」
「んっ、よ、よき心がけであるな。ではイェスタよ、サリアの遊戯参加を取り消し、代わって我が伴侶と為す儀式を」
「ああ。その前に、一つお願いしたきことが」
 伏せていた顔を挙げ、輝くような笑顔で、サリアは兄にしなだれかかった。その仕草に上機嫌の神は、妹を抱きとめる。
「なんだ? 早速婚前のねだりごとか?」
「はい。例の、汚らわしい魔物のことでございます」
「ふん?」
「あの者を、我らの婚前の出し物に、屠っていただきたいのです」
 こちらの言葉を受けて兄は、大きな笑い声を上げた。
「一体どうしたのだ! あれほどの大見得を切って守ろうとしたというに!」
「私の不明でございました。もう少し骨のあるものと思いましたが、兄上の勇者を見て、敵わぬ相手と戦うなど愚の骨頂と、私に三行半を突きつけようとしたのです」
「なるほど。最後の立ち回りには見るべきところもあるようだったが、所詮はゴミか」
「その姿を見たゆえ、私は、心を決めたのです」
 サリアは、兄の顔を見つめた。
 愉悦に溢れ、我が世の春を謳歌する、喜色満面の、傲慢な神を。
「そこで、兄上。御身の勇者と彼の魔物とで、決闘を行っていただけないでしょうか」
「なぜ……そのような真似をせねばならん?」
 兄の顔は、笑っていた。
 ただその目は、探るような鋭い視線で、こちらを見据えている。
「ただ屠るのであれば、汝の加護を断つだけでよいではないか?」
 そうだ、彼もまた神。
 こんな美人局のような手で騙し果せるようなら、苦労は無い。
 サリアは、それまでの華やかな顔を、峻厳に引き締めた。
「……兄上、私は、ただ御身を飾る花になるつもりは無いのでございます」
「ふむ?」
「偉大なる御方、諸世界に美しき軍神ありと語られ、美なるものの判断者、勇ましき者の庇護者たる兄上の妻であるならば、私はまず、自らを鍛えねばなりませぬ」
 その腰に吊られた細剣を手に取ると、素早く引き抜いた。
「何の真似だ」
「これは決意でございます」
 切っ先を喉元に突きつけ、兄を見据える。対する兄は無言で、こちらを睨んでいた。
「愚かなこととはいえ、私は自らの意思で戦を始めました。いわば一軍の将、その将が命惜しさに敵軍に尾を振りたてるなど、あってよいものでしょうか? ましてや、それが軍神の妻となるものの在り様でございましょうか?」
「つまり、我に死に水を取れと?」
「ただの敗北、死ではなく、栄光在る御身の刃に掛かり、愚かな生を終える。それこそ我らが婚儀の祝いにふさわしい宴かと」
 再び跪き、剣を捧げる。まるで、騎士の叙勲を待つもののように。
「愚かな私の過去と未練を、兄上のお慈悲で、断ち切っていただきたいのです。せめて、自らの意思で戦ったという証を、くださいませ」
「天晴れな決意である。だが、彼の魔物はどう言うであろうな」
「所詮は我が力で命を永らえた塵芥。命を返せと脅せば、たやすく泣きつく事でしょう。その上で、一太刀でも勇者に傷を負わせれば、放免するとでも言えば」
 兄は、沈黙した。
 じりじりとした時が過ぎる。神となったものが、普段は意識することの無い刹那とも言うべき時が。
「……よかろう」
 言葉と共に、剣は受け取られた。
 一瞬、喉から安堵がこぼれそうになる。それを必死に押しとどめ、代わりに、新たな涙と嗚咽を漏らしてやる。
「あ……ありがとう、ございます……」
「では、善は急げだ。早速……」
「その前に、皆様の前でお誓いくださいませ。兄上の勇者と、我が魔物との決闘を約定すると。兄上の勝利の暁には、わが身を妻に娶られことを」
 こちらの一言で、兄は自分の性急さを恥じ入るように、一つ咳払いをした。
「では……我はここに宣言しよう。これより、我が妹、サリアーシェの魔物と、我が勇者との決闘を行う儀を結ぶ! 我が勝ちし時には、妹を我が妻とする!」
 その場に居た、全ての神々が湧き上がった。広間の輝きはさらに増して、目も眩むような情景に変わって行く。
「これでよかろうな?」
「ありがとうございます。兄上」
「お待ちください、ゼーファレス様」
 喜びに溢れた兄に水を差したのは、黒いスーツの女神。その杖で廻り踊る時計に目をやりつつ、笑顔を向ける。
「天秤には片方の重みしか乗っておりませぬ」
「そなたは何を言っておるのだ? 決闘の宣言は済ませたではないか」
「決闘を宣した以上、サリアーシェ様が勝たれました時の約定をお決めくださらないと」
「馬鹿馬鹿しい。あのような魔物に我が勇者が負ける道理が無い」
「そうですよ、イェスタ。兄上を困らせないように」
 あえて、サリアは審判の女神をたしなめる。イェスタの顔は、嬉しくてたまらない、とでもいうような笑顔をしていた。
「それではだめなのです。私は公平なる審判を任された身。天秤のもう片方にも、同じく重みを掛けなければ」
「面倒な……。ならば、我が負けた暁には、普段の取り決めどおり、我が勇者に掛けた対価の全てをサリアーシェに引き渡そう、これでよいか?」
「ありがとうございます。お手間をとらせまして」
 きりきりとネジが巻き上がり、はと時計がやかましく時を刻む。騒々しい音と共に、イェスタが下がると、サリアは最後の言葉を切り出した。
「ところで兄上、あまりに一方的では勝負は面白くない、そう思われませぬか?」
「私はそのような戦が好きだがな」
「まぁ、そのようなことを!」
 鈴を転がすような声で笑うというのは昔から苦手だった。そういうのは、強い男神の側で侍ることしか興味のない、鳴き鳥のような能無しがやればいいのだ。
 そんな苦い気分を押し隠し、いかにも頭が悪そうに聞こえるように、笑ってみせた。 
「これは余興、ここにおわします神々の目を楽しませるものでございますのに! 勇ましき者の戦を、その働きを、思う存分見ていただこうではありませんか!」
「その相手があの犬っころか?」
「ですので、駒落ちなどされてはいかがでしょう」
 盤面を戦場に見立てる遊戯で良くあるハンデ戦。その提案を受けると、兄はむっとした顔をして見せた。
「神器を封ぜよと?」
「いいえ滅相な。あれを使わずして勇者の美々しさは成り立ちませぬ」
「仲間を下げよと?」
「友との絆は勇者の華。それを下げるなど、お話にもならぬかと」
「では、何を落とす?」
「御身を」
 呆けたような顔をした兄は、気の抜けた顔で言葉を吐き出した。
「私をか?」
「はい。この時より、我が配下との決闘についての情報提供、決闘の間の助言、さらに新たな神力の付与、一切を封じていただきたい」
「は……」
 口を開け、兄はこちらを見つめた。
 驚きから苦笑、失笑へと表情が変わっていく。
「は……ははは! まさか、サリアよ! 我さえ封じれば、彼の勇者にあの魔物が勝ちうるなどと、考えておるのではあるまいな!」
 だが、その顔は本人が言うほど、確信には満ちていない。
 軍神としての面が、彼に何かの不安を告げたのだろう。
「少し考えさせよ。座興なのだ、我にも何事か提案を」
「考えることなどありますまい! 兄上の仕込んだ勇者殿なのです。お言葉が無くとも必ずやあの程度の魔物を討ち果たせるはず。そう思われませぬか? "万緑の貴人"よ」
 それまで面白そうに事態を見つめていたエルフが、ぎょっとした顔で体を浮かせた。
「あ、ああ、その通りですとも。ゼーファレス様の勇者殿ですからな、は、はは」
 その顔が見る見るうちに蒼白になる。自分の背後に『余計なことを言いやがって』と睨みつける顔の兄でも見出したのだろう。
「皆様もそう思われましょう!? 我が兄は見事な勇者を仕上げられ、その御言葉無くとも、試練を果たされる力を持っておられると!」
 サリアの言葉に、神々が胡乱な顔で賛同の声を上げる。
 これは一体どんな茶番なのか、誰も理解できていないといった風情で。
 その賛同に、同じく気の抜けた笑みで片手を挙げる兄。だが、こちらの意見を翻すつもりは無いのは明らかだった。
 もし、ここで不満でも述べようものなら、まるでサリアの配下、最弱の魔物に臆したように見えてしまう。見栄っ張りの兄には、その一言は切り出せない。
「では兄上、誓いを」
「う、うむ。我はこの時より、勇者に対する力の行使、助言をサリアーシェの魔物との決闘の間、封じる」
 どこかで時計杖が新たな時を刻み、約定が絶対的な掟となって世界に満ちた。
「……ふうっ」
 女神は美しい金髪を掻き揚げ、安堵の息を漏らす。
 そして、兄の側からつかつかと離れ去った。
「お、おい、サリア?」
「気安く話しかけられますな、兄上」
 そして広間の中央、石造りの東屋にしつられられた石の一つに、どっかと腰を下ろす。
「今より御身と我は敵同士なれば。さぁ、対手として腰掛けられよ」
 驚き、疑念、かすかな苛立ちを浮かべながら、石の座卓を前に、対面に座る兄。
 そしてサリアは、片手を掲げて水鏡を浮かび上がらせた。
「聞こえておるか、シェート」
『……うまくいったか?』
「ああ。獲物はまんまと罠に掛かったぞ」
 ざわつく周囲と、怒りをあらわにした兄を完全に無視し、女神は森の中を進む小さな、しかし恐るべき魔物を見た。
「"ナガユビ"は立派に勤めを果たした。あとは任せたぞ"ガナリ"よ!」
『まかせろ!』



[36707] 11、勇者を狩るものたち
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/10/07 10:38
 明星が天に耀く未明の頃。シェートは荒廃した砦に入り込んでいた。
 焼け落ちた建物は、薄闇の中でもわかるほどの破壊の傷痕を、そのまま残していた。長い間魔物に支配されていた場所だけに、近くの町から人が来るのも少し後になるだろう。
 無数の魔物の骸の間から、何とか仲間の遺骸を見つけると、袋の中に収める。
「終わった。後は、山に墓作る」
『見晴らしのいいところに作ってやるが良い。そこで、我らを見守ってもらおう』
「死んだら魂消える、違うか?」
『詩心を解さぬ奴め。……それでも、皆に見せてやりたいと思わぬか? 我らが勇者を狩りこめるところを』
 シェートは女神の言葉に笑い、頷いた。それから、昇る朝日で陰影を際立たせる谷の光景に目を向ける。
「もう時間ない。準備、すぐやりたい」
『分っておる。そなたの仕込みが大事だからな。その前に、そこから門の方へ、十歩進んでみよ』
 不思議な指示に、一歩一歩、確かめながら歩く。
『下を見て、地面を掘ってみよ、軽くでよいぞ』
 焦げた土を少し掘ると、小さな蒼い石が転がり出た。蔓は焼けて燃え落ちたが、石だけは変わらず、輝きを放っていた。
『もう二度と、無くさぬようにな』
「……うん」
 握り締めた石の感触に、口元を引き締める。
「行くぞ、サリア」
『ああ』

 川を左手に眺めながら、四頭の馬が進んでいく。
 右手には馬上の目線ほどの高い崖があり、鬱蒼と広葉樹の茂る森が広がっているが、この辺りの道幅は広く取られている上、近隣の町を結ぶ重要な街道だけに、地面も乾いた土がむき出しになったままだ。
 先頭には、蒼い鎧をつけた勇者と、くつわを並べる僧侶の娘。それをその後ろに着く形で魔術師の娘。その全てを、アクスルは見つめていた。
「それで兄貴に起してもらったんだけど、もうサービス時間終わっててさ。レア狩り逃したって、みんなにすげー怒られたよ」
「それにしても、勇者様は本当に経験豊富なのですね。あちこちで魔物狩りをなさっているなんて」
「ま、ライフワークみたいなもんですよ、わはは」
 長い間、小国の騎士団で活動してきたアクスルにとって、正直勇者の言動や思考には付いていける気がしなかった。『あちら』では、勇者ではなく『こうこうせい』とかいう身分だったらしいが、説明を受けたところでピンとこなかった。
 こちらでは、騎士身分の子弟と生を受ければ十の歳から高名な騎士の従者として、見習い生活に明け暮れる。
 それから剣を賜り、団の一員として生活するまで十余年。習ったことといえば剣に槍、戦の教練ぐらいだ。
 リィルの方は、神との対話に明け暮れた浮世離れの娘だし、傭兵魔術師として世間を渡り歩いたエルカも、すんなりコウジという青年の発言に慣れてしまっている。
 だが、自分は未だに、彼の存在に違和感を感じ続けていた。
 勇者とは、一体なんなのか。
 ある日突然、彼の住まう辺境の小国に天啓が降り、彼は現れた。
 その身に纏った武具は、おおよそ人の手に成るものとは思えず、剣も、最近ではエルカの魔術さえ、完全に打ち消してしまう。
 この前も、付近の集落を荒らす魔物の砦を、たった一人で退治してのけてみせた。まさしく勇者の所業であり、人々は彼に感謝した。
 それでも消えない思いが在る。
 本当に、それでよいのか? そう囁く声がする。
『愚か者。神意を量るとは何事か』
 年老いた父は自分の疑念を一喝し、魔物によって荒廃に瀕する世界に新たな光を見出したと、涙を流して喜んでいた。
 すばらしい力だ、神よりの賜り物だ。そう国は沸き立ち、リィルなどは目を輝かせ、神の使いを上にも置かぬ扱いをする。
 その熱狂の全てが、恐ろしかった。
 それでも、正しいはずなのだ。そもそも彼は、自らに関係のないこの世界のために戦っている。
 立派な献身、神の使いたるべき見本――。
「シケた顔してるね、おっさん」
 いつの間にか横に並んだ魔術師の娘に、苦笑いを返す。そういえば、最初は胡散臭いと思っていた彼女と、今では何かと話をするようになっていた。
「すまんな。この山に入ってより、どうもな」
「へぇ……あんたもか」
 いい加減でとても素性のいい人間ではないが、あまたの戦場を渡ってきたという彼女の感覚は、自分に合い通じるものがある。その目が、自分と同じ思いを宿している。
「嫌な感じだよ。ずっと、首筋にちりちりくる。まるで」
「切っ先が突きつけられるような感覚、か」
「……全く、のんきなもんだよな」
 あえて声を低め、辺りの野花でも見る風で、エルカが吐き捨てる。
 前を行く仲睦まじい二人の姿に向けて。
 その顔には、苛立ちがあった。
「恋の鞘当には敗北といったところか」
「唐変木の田舎騎士に言われる筋合いはないね。そもそも、あたしはガキは嫌いだ」
「神に選ばれし勇者殿だぞ、そのような暴言は」
「おや、あたしは一言も勇者様だ、なんて言ってないよ。リィルだって十分ガキだ」
 にひひ、といやらしく笑う。だが、その笑いはやはり苛立ちに塗り込められた。
「昔、仕事を一つ受けてね。ここからもう少し東にある、カイタルの首都さ」
「白嶺の都か。大口だったのだろうな」
「ある大貴族からね。自分の息子に付いてちょいと領地を行幸してくれ、って話だった」
 ひどい仕事だったよ、今にも唾でも吐きたいといった顔で、言い捨てる
「こっちの話は聞きやしない。危ないからやるなということはやるわ、戦いの最中に使えもしない宝剣を振り回して、危うくこっちの仲間が死に掛けた。それでも雇い主さ、文句は言えない。んで、どうにか敵を追い払ったらあいつ、なんて言ったと思う?」
「想像は付く。大方、この私を見習ってしっかり戦え、とでも言ったのであろう」
「あんたもそういうのにあった口か! お互い、苦労してるねぇ」
 こちらも似た様な経験をしたと知って少し溜飲が下がったのか、エルカは笑い、それからまた、前を行く二人を見る。
「彼は口先だけのボンボンではないぞ。少なくとも、戦い方は心得ている」
「同じさ。あいつの戦いは、まるで遊びだ」
 言葉が、喉の奥までこみ上げたのを、何とか飲み込む。
「吐き出しちまいな、お互い辛い仕事を分かち合う仲間だろ?」
「それが出来れば、騎士などやっておらぬわ」
「まじめだねぇ……じゃあ、ちょっと独り言でも言わせて貰おうか」
 魔術師は鋭い視線で周囲を見回し、口を開く。こうして軽口を叩きながらも、油断は一切無い。
「あいつの戦いは、神様からの賜り物頼みだ。何一つ自分で得たものを持っていない。それをどこで覚えたのか知らない、妙な戦術でここまでやってきた。確かに、おとり役を立てて敵をひきつけるのは戦の常道だけど、それはあくまで、複数人でやるもんだ」
 それは、今でも自分の中に引っかかっていることだ。自分の身を危険に晒すことを厭わない、勇者らしい献身、では済まない。
 まるで、自分が傷つくことを考えたことすらない……狂人のような振る舞いだと。
「それが勇者様の戦いだってのは分かる。だがもし、どこかであの力が消えたら?」
「神の力が消えるなど、ありえるのか?」
「知らないね。でも、あたしは戦場で見てきた。絶対に死なないと思った奴が死ぬ、それが現実なんだ。それを、あいつは全く考えたことがない、ように見える」
「嘘か真か知らぬが、勇者殿は死ぬことは無い、らしいぞ」
 以前、どこかで聞いた言葉を思い出す。
『え? ああ俺、死なないらしいよ。例外は在るみたいだけど、デスペナ付くくらいで神様が生き返らせてくれるんだってさ』
 そうだ、あの稚気じみた言葉が、俺の心に疑惑を湧かせたのだ。
 死すらも軽々しく語れる彼は、一体なんなのか。
「そいつはすごいね。あたしも勇者様になってみたいもんだよ」
「ああ。実にすごいものだ」
 感心からの言葉ではない、寒心からのものだ。
 薄ら寒い、異常な奇跡の塊に対する、戦場を知る者の反発。
「……まぁ、いいさ。少なくとも、あいつが強いのは事実だ。後はあいつが気が付かないところを、こっちでお守りしてやればいい」
「そういうこと――」
 上げていた面当てを降ろし、剣を引き抜く。軽く横腹に蹴りを当てると、馬は歩調を速めて勇者との距離を詰める。ほぼ同時に魔法使いもその動きに習った。
「来ているぞ」
「分ってる」
「どうした?」
 きょとんとした顔でこちらを見つめる勇者の目に、肌が粟立つような気持ちが湧く。
 木陰が差し掛かり、光の弱まった道の途中、森の奥からひしひしと感じる圧迫感。
 その痛いほどの感覚を、目の前の勇者は感じていないのだ。
「な、なんだよ、敵か?」
 覚束なげに引き抜かれる剣にも、こちらの動きをまねる、見習い従者の頼りなさしか感じられない。
 それでも、あの武器は神の賜り物なのだ、そう言い聞かせる。
「とにかく、勇者殿はリィルの護衛を。馬は道の中程に、手綱は放さぬよう!」
「なんだ!? 敵は何匹だ!?」
「うるさいね! ちょっと静かにしてな!」
 苛立った魔術師が森の奥を透かし見る。
 そして、絶叫した。
「罠だ! 山の方へ轡を向けろ! 早く!」
 地面を打ち鳴らすような激しい音を立てて、それは降り注いだ。

 樽、暗い斜面を、転がり落ちる無数のそれに、魔術師の勘が警鐘を鳴らす。
「待ち伏せだ! 馬を落ち着かせて、落ちてくるものの動きを見るんだ! リィルは勇者の後ろに隠れてな!」
 行軍に何度も馬を使っていたせいで、魔術師としては異例なほど馬の扱いには慣れている。上から落とされた樽は、およそ十ほど。
「そらっ! いい子だからいうこと、ききなっ!」
 手綱を絞り、暴れる馬を御しきる。最初の樽が、すさまじい音を立てて地面で砕けた。
「きゃあっ! 勇者様ぁっ!」 
「大丈夫だ! 俺の後ろにいろっ!」
 騒ぐ役立たずたちの周りで、次々と樽がぶつかり砕けていく。勇者の鎧の守りは、接触したものの全てを保護する力が在る、そのため馬も、抱き寄せられたリィルも無事だ。
「で、なんっだ、これっ、くっせえええええええっ!」
「ひどい臭いですわぁっ!」
「こ、これは糞かっ!?」
「あ、あと、生ゴミだね。こりゃ」
 辺りを汚した汚物は、ひどい悪臭を放っていた。臭いで馬達が興奮し、苛立たしげに足を踏み鳴らす。
「これが襲撃かよっ! くっせぇえええ!」
「これはたまらん、早く移動しよう」
「ちょっと待て!」
「なんですか!? こんな臭いところから早く移動を!」
 きつい悪臭だが、エルカはその中で一層臭い立つ、策略を嗅いだ。
「落ちつけ! これで後先考えずに移動したら、確実に罠に嵌るよ!」
「罠だと?」
「相手はあたしら移動させたい、しかもわき目も振らずにね。だから、樽の中にこんなものを仕込んだんだ。襲撃するなら、油でも詰めて火を掛けるさ」
「じゃあどうするんだよ! くっせぇー!」
 少し考え、魔法使いは答えを出す。
「元来た道を戻るよ」
「なんだよ、進まないのか!?」
「上からの襲撃を受けて、算を乱した連中は、間違いなく先を急ぐ。目的地に早く着こうって気になるからね。ここは一旦下がるべきだ」
 こちらの提案に騎士も頷いてくる。
「少なくとも、先に進めば罠が在ることは確実だろうしな。落ち着いたら斥候として私が行くことにしよう」
「何でもいいですけど早く移動しましょうよー」
 臭くてたまらない、といった顔でリィルがさっさと馬を出し、その後に送れて勇者が続く。馬の足が臭いのせいで速くなり、互いの間隔が心持ち広くなる。
「ちょっと待ちな! 隊列を」
 その瞬間、うなじの毛が逆立った。森の木陰、自分よりも目線の高い、小高くなったところから、こちらを見つめる双瞳の輝き。
「敵襲だ! 山から……」
 そうだ、自分は間違っていなかったはずだ。
 罠による隊伍のかく乱、その直後の襲撃、みんな読んでいた。だから仲間に危険を知らせるため、声を上げて山に注意を向けさせる。
 だがそれは、仲間全てが何をするべきか、瞬時に判断できる勘か経験を備えていた場合のみ有効な行動。
 素人に、とっさの反応など出来るはずが無い。
 呆然と山を見上げた勇者のすぐ前、同じくぽかんと森に顔を向けたリィルが、
「きゃあああああっ!」
 二本の矢に貫かれ、馬から叩き落された。

 衝撃がいきなり脳天を揺さぶり、周囲の景色が吹き飛ぶ。
「ぎゃうっ!」
 同時に気が遠くなりそうな痛み、次いで頭が揺さぶられて目の前が真っ暗になった。
「リィル!」
 勇者の声が聞こえる。その声に目を開くと、そっと抱き起こしてくれる腕を感じた。
「あ、わたし……どうなって……うっ……」
「だ、大丈夫、だからな! しっかりしろ!」
「バカ! いきなり起す奴があるか! そのままにしてろ!」
 エルカの叱責が飛ぶ。そこでようやく、自分が襲撃を受けて落馬したのに気が付いた。
「ああ、どうすんだこれっ、確か、こういうのって抜いちゃだめなんだよな!? どうしよう、俺、回復魔法とか持ってないし……」
「だ、だいじょうぶ、ですよ」
 まだ頭は痛むが、それでも何とか目を開けて自分を確認する。右の肩と太腿に、矢が刺さっている。木からそのまま削りだしたような粗末な代物で、おそらく短弓から繰り出されたもの。
「このぐらい、自分で治療、できます。それより、敵を」
「で、でも」
「大丈夫ですから、行ってください」
 不安がる青年に何とか笑顔を向けると、彼は自分を横たえて敵に向かって走っていく。
 そこでようやく、戦場の状況が見えてきた。
 三人は森の木陰にいる何かに向かって、武器を構えていた。襲撃者は慎重に身を隠し、次の一撃を繰り出す瞬間を待っているようだ。
 なんて自分は無力なんだろう、思わず後悔が溢れる。
 勇者直々のお達しにより、お仕えする機会を得、ここまでやってきたのはいいが、ほとんど僧侶らしい仕事も出来なかった。
 初めの頃は、旅慣れない勇者の世話や他の仲間の防御、治療などもしていたが、最近では彼の力が上がりすぎていて、自分が活躍できる場面がどんどん減っている。
 野営や周囲の警戒は、僧院に篭っていた自分には荷が勝ちすぎ、騎士や魔法使いにまかせっきりになっている。
 そのせいか、アクスルもエルカも、どこか自分にはよそよそしかった。だからこそ一層勇者に甘え、その言葉を聞くことで不安を紛らわせていた。
 僧侶は治療者であり、戦場の守り手だ。戦うものに祝福を与え、傷ついたものを癒す要だ、そう教わってきた。
 だが、勇者は傷つくことが無かった、敵の剣にも魔法にも。
 最も支えるべき勇者は、自分の存在を、本当には必要としていない。
 傍目には、熱狂的に勇者を崇める自分が見えているだろう。
 でも、それは、自分が役立たずではないと、認めて欲しい気持ちが見せた虚像。まるで王にすがる妾姫のようだと、自嘲することさえある。
 彼に対する思慕も、今では本当の気持ちだったのか、単なる依存心なのか、分からなくなってきていた。
 あの人に、自分は甘えている。側にいさせてもらっている、そんな気持ちが溢れて止まらない。
「あ、ああ……」
 なんだろう、傷が痛くて、熱い。
 このぐらいの怪我など、自己治癒力でいくらでも治せるはずだ。だが、その力はわずかに働くばかりで、じわじわと心魂を削られていく。
「これは……毒……」
 胸に下がった聖印を掴み、毒消しの祈りを上げようとする。
 その時、リィルは気が付いた。
 自分は勇者ほどでないにしろ、神の加護を受けている。魔法使いなどと違い、詠唱なしである程度の防御が可能であり、こんな金属の鏃すら付いていない武器に傷つけられるはずが無いのだ。
 つまり、今の襲撃者は、それを貫くだけの力を持っているということになる。
「ゆ、ゆう……しゃ、さま……」
 薄れていく意識の中で、リィルは始めて、勇者の先にかかる暗雲を見た気がした。

「畜生! どこのどいつだ! とっとと降りて来い!」
 剣を構えて威嚇するが、相手は姿を見せなかった。両脇にいる二人の仲間も、茂みを見つめて身動き一つしない。
「出てこないなら森ごとぶっ飛ばすぞ!」
「やめときな。相手がどんな奴だか分からないんだ。うかつなことをするんじゃない」
「しかし、これ以上にらみ合ってもまずい。いっそ仕掛けるか?」
「俺が行く」
 進み出た浩二の前に、二人が立ちはだかった。こちらを見る顔には、今までに無い感情が見える。ただ、それが何であるかを読み取ることができない。
「こいつは今までの敵とは違う。あんたは下がっておきな」
「でも、俺なら大丈夫で」
「たまには従者らしいことの一つもさせてください」
 やけに強硬な態度と言葉に、思いがけない苛立ちがこみ上げる。
「ふざけんなよ! 仲間を傷つけられて怒ってんのはお前らだけじゃないんだぞ!? ここは俺が」
「そういうことを言っているのではないのだ!」
 怒号が、浩二の耳を打った。
 今までに聴いたことも無い声、両親からも、兄からも受けたことの無いような、まじりっけなしの叱責に、思わず腰が引ける。
「ア、アクスル?」
「ちょっと、あたしらはアンタを甘やかしすぎちまったみたいだね。これが終わったら色々言わせて貰うよ。とはいえ、今はこいつを何とかするのが先だけどな」
「エルカ?」
 二人が何を言っているのかが分からない。明らかに自分は二人よりも強いはずで、自分が前に出れば話が済むはずだ、なのに。
「怖いな」
 森の奥から声がする。子供のものにも聞こえる、少し高い声。
「お前達、勇者頼み、する思ってた」
「舐められたもんだね。あたしらはこいつのお飾りってか」
 姿を現したそいつに、浩二はあっけに取られた。
 何かの動物の皮で作った衣服を身につけ、短弓を携えて出てきたのは、あの時砦で倒しそこなったコボルト。
「違う。お前達、頭良い。勘働く。だから怖い、そう思う」
「そなたか。勇者殿が言っておられた、妹神の従者とは」
 軽やかな身のこなしで飛び降りると、小さな魔物は弓を構えた。
「名はなんと言う」
「……シェート」
 一切の怯えも無く、こちらを見据える瞳。
 まるで別の生き物だった。あの時、愕然とした顔でこちらを見つめ、震えるだけだった存在とは。
 だが、所詮はコボルトだ。にらみ合う二人の間に入り込み、声を掛ける。
「お前、他に仲間は?」
「いない。お前が殺した」
「ほらみろ。俺がやれば済むことだろ」
 場にいた全ての者の視線が、いきなり浩二に集中する。
 敵も味方も無く、そこには等しく一つの感情がこもっていた。
 場違いな人間の愚かさを哀れむ目。
「お前、邪魔。下がれ」
「……はぁ!? 何言ってんだ、この」
「お下がりください。こやつは我らが止めます」
「ア、アクスル!」
「いい加減に気が付きなよ。愛しのお姫様が、死にそうな顔でぶっ倒れてること」
 指摘を受けて思わず振り返る。地面に突っ伏したリィルは、ピクリとも動いていない。
「リ……」
 がきゅんっ!
 不快な音が後頭部に突き刺さった。
 無防備に晒した頭に向けて、シェートと名乗るコボルトの放った矢が、障壁によって受け止められ、地面に転がる。
「俺、さっきの矢、毒仕込んだ」
「なんだと!?」
「早く助けないと、女、死ぬぞ」
 次の矢を番え、魔物が告げる。
 その姿をけん制しながら、二人は背中で指示を飛ばした。
「リィルの右の鞍袋に、赤い小袋が入ってる。その中身を酒に混ぜて口に流し込みな」
「矢傷はそのままに、平らな場所に寝かせ、できれば毛布で包んでください」
 あまりに急な展開に、脳が付いていかない。それでも、浩二はリィルに向かって走るしかなかった。
「リィルが何とかなったらすぐ来るからな! えっと、だから……」
 何を言えばいい? 
 相手はたかが一匹のコボルトで、にもかかわらず二人はいつに無く真剣で。
「がんばれ!」
 ひどく間抜けな言葉に、それでも二人は笑って頷く。
「何なんだよ、一体……」
 奇妙な無力感を感じながら、勇者は倒れ付す僧侶に駆け寄った。

『案外こやつらも、バカではなかったということか』
「そうだ。こいつら、強い」
 サリアは意外だったようだが、シェートにしてみれば何の不思議も無い。
 襲撃のチャンスを覗った瞬間から、二人はずっとこちらを探り当てようとしていた。必死に気配を消し、存在を悟られないよう、内心冷や冷やしていたほどだ。
「そういうアンタも、ただのコボルトとは訳が違うんだろ? 神器とかいうのも、持ってるんじゃないのかい」
「持ってない。俺、弱い魔物、それだけ」
「やめてくれよ。そんなおっそろしい目で睨みすえて、韜晦だなんて」
「と、とう、か?」
『とうかい。実力を隠して、自分を低く言うことだ……』
 人間のめんどくさい言葉にうんざりしながら、それでも矢を番えたまま二人を睨む。
 あと、距離にすれば二十歩足らず、それまで二人を釘付けにする。
 馬上の存在は、乗らないものに対して圧倒的に有利だが、こちらは射程こそ短いものの弓がある。
「槍でも持ってくるのであったな。そうすれば一突きであったろうに」
「無いものねだってもしょうがないさ。仕掛けはあんたに任せる」
「心得た」
「サリア」
『了解だ』
 騎士が馬の腹を蹴り、軽やかな駆けで突進。馬手側の剣が無造作に下げられ、
「ふんっ!」
 軽やかな刺突が襲い掛かる。
 地に伏せやり過ごしたシェートの上を銀光がかすめ、はらりと毛が飛び散った。
 素早く起き上がり、飛び下がると、いつの間にか騎士と魔法使いが、自分を挟み込む形で位置していた。
 山道は広いが、そこを馬を横にする形で壁を作り、行くことも戻ることも出来ないように陣形を組む。
「アンタはここで殺すよ。感じるんだ、不吉なもんを」
 素早く弓を魔術師に向けるが、絶妙に間合いを外し、弓の射程を狂わせる。
「もう少し我らと遊んでもらおう。リィルの手当てさえ終われば、勇者殿も加勢に現れようからな。さすればそなたは終わりだ」
 逆に騎士はじりじりとこちらとの間合いを詰める。馬には軍衣と腹の辺りを帷子によって守り、魔術師の馬も厚手の皮で防護を施してある。
 だがあと十歩。仕掛けを悟られないよう、シェートは声を上げた。
「俺、殺したいの勇者だけ! お前ら関係ない! どけ!」
「はいそうですかって、退くわけ無いだろ」
「目的がそれである以上、余計通すわけには行かぬな」
 言うなり、騎士の鐙(あぶみ)にぐっと力が入る。同時にシェートの矢が面当て向かって飛んだ。
「うぬっ!」
 恐ろしい速さで持ち上げられた楯が矢を弾き、
『シェート、雲雀が鳴くぞ!』
 女神の警戒にコボルトの体が流れるように反転、矢番え、魔法使いへと放たれた。
「"戒めの鎖よ西風の――"ちぃっ!」
 いつの間にか印相を組んでいた魔術師が慌てて体をそらし、手綱を握りなおす。
 構え続けていた手が痛む。それ以上に張り詰めた神経が、今すぐにここから逃げ出したいと悲鳴を上げていた。鎧騎士に、いつ魔法を打つか分からない魔術師、サリアの「目」がなければ、とても同時には捌ききれない。
 だが、援軍の影は、すぐそこにある。
 あとは、それに出来るだけ気づかせないようにすること。
「お前達、なんで勇者、一緒に居る」
 近づこうとした騎士に、鏃を合わせ動きを鈍らせる。
「知れたこと、共に魔王を倒し、世界に平和を求める」
「俺たち殺してか」
「……そうだな」
 体はそのままに、顔をわずかに傾けて、魔術師を見る。その目が自分に集中し、こちらの動きを盗もうと躍起になる光が輝いた。
「殺し殺されはこの世の理さ。アンタだって魔物だろう? そのお約束の上で生きている以上、勇者に恨み言を言うのは筋違いってもんじゃないのかい」
 手綱と言葉に意識が集中している。自分の言葉が魔術以上に、目の前の魔物を拘束できると、できていると信じている。
 その上で、騎士に隙を与えて勝つ、勝利の構想。
 それこそが隙だと、気が付いていない。
「俺たち、別に人、殺す思わない! 魔王、魔物の軍、知ったことか! 俺たち弱い! 静かに暮らす! 欲しいのそれだけ!」
「それを許さぬ世界が在る。そなたもその苦界の一員、願いがどうあれ、魔物で在る以上看過はできぬのだ」
「なら、お前達殺して、みんな守る!」
 じんと脳が痺れる。血液に凶暴が駆け巡り、信じられない言葉が口をついた。
「そのためなら、勇者も魔王も、神も殺す! みんな殺す!」
「は……こいつはまた」
「恐ろしき決意よな」
 二人は苦笑いし、一瞬だけ場の空気に『間』が入りこむ。長く続いた緊張を、わずかばかりこじ開けて、意識を緩ませる楔。
「殺す気がないといったり、仲間のためにみんな殺すといったり、アンタ思考が矛盾してるよ」
「そんな言葉知らない! 俺、自分のやること、やる!」
「それならば、私も己のなすべきことを、むうっ!?」
 するり、と伸びた触手が、騎士の剣に絡みつく。
 騎士の乗る軍馬が、現れたおぞましいそれに悲鳴を上げ、前足を高々と空に向けた。
「むおおおおおおおおおおっ!」
「な!? そいつは……」
 それでも瞬時に状況を判断し、印相を組んで魔法を放とうとする魔術師。
「"刹火灼熱、彼の肉を撃――"」
「させない!」
 一気に走りこみ、シェートの弓が黒々と輝く木矢を放つ。
「――て!"」
 小さな火がシェートの目の前で破裂、魔術師の馬がいなないて仰け反る。
「くそっ!」
「な、なんだこいつはっ!」
 絶え間ない馬の悲鳴と、絡みつくそれに必死に応戦する騎士。だが、明らかに劣勢なのは鎧を着けた偉丈夫。一太刀ごとに剣の色が赤く変わり、鎧も軍馬の鎖帷子も、あっという間に劣化していく。
「さ、錆喰いが何でこんなところに……まさか!」
 安堵と作戦成功の喜びに、シェートは口を歪めた。
「あいつ、樽詰めるの苦労した。気づかれなくする、大変だった」
「汚物で錆臭いのを消して、あいつが近づいて馬が興奮するのも隠したってのかい!」
 印を組んで術を発動させようとする魔術師に、弓を突きつける。
「お前、魔法打て。錆喰い死んであいつ助かる。その代わりお前死ぬ」
「冗談。錆喰いは生き物を殺さない。あんたに魔法を使えばいいだけさ」
「そうか。それなら」
 毒矢を番えると、シェートはサリアを思った。その意識によって、矢の先に光の祝福が宿り、腐りかけた鎧などやすやすと貫く、無防備な騎士を殺す一撃に変わる。
「それは!?」
「騎士が矢で死ぬ」
「や、やめ――」
 冷静なはずの魔法使いが、思考を手放した一瞬、シェートの矢は正確に彼女の肩を撃ち砕いていた。

『うあああああああああっ!』
 鮮血が娘の肩から飛び散り、その光景に神々のほとんどが感嘆の声を上げた。
 ただ一人を除いて。
「馬鹿者がぁっ! そのような手に引っかかりおって、この愚物めが!!」
 怒りと憤りで今にも周囲のものを砕いて回りそうな顔で、兄が叫ぶ。その姿に哀れみと滑稽さを感じつつ、サリアは平然と声を掛けた。
「お座りを、兄上」
「うるさい黙れ! なんだあのジメジメとした嫌らしい戦いは! 汚物で道を塞いで下劣な魔物をけしかけ、その上毒だと!?」
「だが、こんな謂もあるぞ? "兵は詭道なり"。配下は寡兵で弱卒、将も新米だが、よくやっているではないか」
 手元のタブレットに目を落としつつ、さも興味なさそうに解説を入れる竜神。その態度にいらだちつつも、憮然と座り込んだ。
「認めん! 認めんからな! こんな卑怯臭いやり方!」
「兄上のお気には召さないでしょうが、これも格下の戦い方ゆえ、許されよ。シェート」
『なんだ』
 水鏡の向こう、コボルトは油断なく矢傷を受けた魔法使いを見つめている。
「そろそろ熊が起きる、気を抜くな」
『わかった。雲雀の見張り、任せた』
「うむ、安心して狩りに励んでくれ、ガナリよ」
『やっぱり、ガナリ言われるの、照れる』
 容赦なく弓が弦を鳴らし、矢を避けた魔法使いがふらつきながら後ろに下がる。シェートの背後からは猛然と半透明な魔物と組み合う騎士の絶望的な声。
「良いではないか。この狩りはお前のもの、我を率いて存分にやれ」
『分った。お前いいナガユビ』
 そのやり取りに周囲の神々が怪訝な顔で囁きあい、幾人かが竜に視線を流す。
「ガナリというのはあの地方のコボルトどもの方言でな。狩りの統率者、時には群れの長を指すこともある。ナガユビというのは、狩りの雑用を行う下っ端のことだ」
「では、このたびのサリアーシェ殿は、あのコボルトの指示で動いた、と?」
 名も知らぬ小神の言葉に、目の前の兄が柳眉を逆立てる。威圧だけで周囲は沈黙したがサリアは笑顔のまま頷いた。
「私も軍略にはわずかばかりの見識がございますが、狩りは無作法ゆえ。経験豊かなものを頂いたまでのこと」
「貴様は! どこまでそのようなことを! よりによって神が最下級の魔物の、文字通り走狗と成り果てるか!」
 実際にはどちらが上で下という区別は無い。作戦立脚は自分だが、それを狩りという形に翻訳し、罠を仕掛けたのはシェート。どちらが欠けても成り立たない一策。
「問題は手段ではなく結果、でございますれば。そもそも御身の盤面には、未だ最強の駒が残っておられましょう」
 指摘に合わせるように、少し離れた場所で治療らしきものを施していた勇者が、こちらへ駆けて来るのが見えた。
「来たぞ、熊だ」
『分った』
 自分の勇者を熊呼ばわりされ、怒りながらも兄は水鏡に眼を向ける。
 サリアも同様に、盤面へと意識を戻した。

 遠くから走ってくる蒼い鎧姿を見て、さすがにシェートの胃がきゅっと縮こまる。尻尾が震えて股の間にもぐりこみ、今すぐ走り去りたい気持ちが湧き上がった。
『落ちつけ。状況を確認せよ。今、騎士はどうなっている?』
 魔術師から目を離さず、顔だけを傾ける。いつ間にか地上に降りていた騎士が、半ばその中に飲み込まれながら、必死にぶよぶよとした生物を振りほどこうともがいている。剣は体内に取り込まれて消化され続け、鎧も半分以上が赤錆びていた。
 少し離れた場所に捨てられた楯は錆びかかっていたが、まだ原型を保っていた。
「武器、ぼろぼろ。多分戦えない」
『目の前の魔術師はどうだ』
 必死に体勢を立て直しこちらを睨みすえているが、毒の影響が見る見る強まって、まともに動けないのは明らかだ。
「目、曇ってる。魔法使うの、難しい、思う」
『すでに作戦の半分は終わったも同然だ。冷静に、心を乱すな』
「ん」
「アクスル! エルカ!」
 駆け寄ってきた勇者は、状況を見て顔を青ざめさせた。
「い、一体、どうなってんだ!?」
「ドジこいたよ。大見得切っといて、すまない」
「そんなことより、あのスライムみたいなのはなんだ!? それに、お前……その肩」
「話は後だ! あんたの力で二匹ともぶっ飛ばしてくれ!」
「え、そんなこと言ってもアクスルが」
 素早く弓を収め、腰を落とす。こちらの反応に歯噛みをした魔術師は、それでも冷静に勇者を叱咤した。
「"凍月箭"だよ! もたもたするな!」
「そ、そうか!『貫け、ゼーファント』!」
 腕輪への命令が完成する寸前、シェートは一気に騎士へ向かって走った。
 勇者の頭上で光が破裂し、小さな魔物に追いすがる。
「そこ、どけええええええっ!」
「な、何!?」
 立ちふさがる騎士を押しのけ走りこんだ先は、錆喰いの柔らかな体内。
『ヴギュウウウウウウッ』 
 放たれた魔法の威力が水のような肉体に殺到、刺し貫き、沸騰させる。だが、錆喰いの肉体が完全消失した後に残ったのは、いくらかの余波があったものの、致命的な傷一つ無いシェートの体。
「嘘だろ!?」
「あんな方法で……」
「なんて、出鱈目だよ……」
「ぶあっ……はあっ……くはあっ!」
 息継ぎしながらシェートは腰に手を伸ばし、ぶら下がった山刀の感触を確かめる。
「……良かった、錆びてない」
『勇者の魔法が早かったおかげだ。消化もされずに済んだようだな』
 矢を番えなおし、驚きの眼差しで見つめる勇者達に、照準を合わせる。
「これで、お前の魔法、後二回」
「てめぇっ!」
「あ……焦るんじゃない……もう一度……」
 その言葉を最後に、魔術師の娘が馬にぐったりともたれかかった。
「エルカ!」
「エルカ殿!」
「動くな」
 シェートは静かに告げた。動こうとした丸腰同然の騎士と、倒れた娘を気遣いながら、それでもこちらから目を逸らせない勇者。
「そいつにも、さっきのと同じ毒、使った」
「ど、毒消しとかはあんのかよ!」
「普通の毒。多分、魔術師、薬知ってる」
 こちらの言葉に一瞬ほっとする勇者。だが、言葉の罠は緩める気はない。
「でも、薬使う、遅くなれば、死ぬ」
「ああ。そうかよ! お前を殺してすぐ治療してやる!」
「じゃあ俺、その騎士、魔術師、道連れする」
 名指しされた騎士が身構え、同時に丸腰の自分を見て、僅かにおののく。魔術師の娘も虚ろになりかける意思の中、体をゆすったようだった。
 同時にシェートは、別のものを見ていた。地面に転がる、この後で起こるはずの事態に対処できるものを。
「お前達、毒消す時、神の下っ端、使う。でもそいつ今、死に掛け」
「く……」
「後一本、この毒矢、魔術師刺せば、死ぬ、早くなる。騎士に刺せば、お前以外、みんな倒れる」
 蒼い鎧の勇者は、唐突に突きつけられた選択肢に顔を白くさせていた。
「勇者、お前毒消しできない。違うか」
「それは……」
「聞く必要などありませぬ! こやつの毒は確かに強い、それでも私ならいくらかは耐えられましょう! 今すぐ魔法で止めを!」
「それに、魔術師、苦しんでる」
 馬の上で必死に体勢を立て直しながら、それでも今にもずり落ちそうな姿。
「薬、飲ませなくていいのか」
「魔法はまだあるでしょう! さっきの化物は死にました! もうこやつを守るものは何も無いのです!」
「俺、ただのコボルト。死んでも悲しむ奴、いない」
 木の矢に光が灯る。その先を、ぴたりと魔術師の娘に合わせる。
「だから、死ぬ、怖くない。その代わり、お前の仲間、道連れ」
「や、やめろ!」
「勇者殿! あんなものははったりです! 耳を貸さず魔法を!」
 そうだ。こんな局面で迷う必要など無い。どんなに弱いコボルトでも、目の前の危難をより分けて、少しでも生存する方を考え行動できる。
 だが、目の前の勇者を名乗る人間は、迷っていた。
 いきなり仲間を傷つけられ、その死を意識させられて。
 今まで考えたことも無い選択肢を突きつけられた思考が、完全に停止している。
 勇者の足は止まった。この場で動くものがいるとすれば。
「勇者殿!」
 巨大な岩のような体が、こちらに襲い掛かる。分厚い肉でよろわれた、それ自体が鎧のような騎士の体躯。
 猪のような突進、あっという間に距離が詰まり腕が伸ばされる、回避が間に合わない。
「今ですっ!」
 激突する寸前、シェートは真後ろへ倒れた。
 つま先で自分の体を押し、弓を構えたまま。自分の上に騎士が覆いかぶさる動きが、急にゆっくりと動いて見える。
 つかみ掛かった手が目標を見失い、交差するように伸ばされたシェートの手が、冷静に弓弦を解き放つ。
「うぐおおおおおおおおおおっ!」
 深々と左目に矢が突き刺さり、痛みで巨体が仰け反った。同時にシェートの背中を襲う地面からの打撃。
「ぐはあっ!」
「畜生っ! 『貫け」
 分っている、あの魔法の対処法は『壁』だ。砦で射掛けられた時も、自分の腕が楯になったから死なずに済んだ。
『凍月箭は魔法の力で生み出した矢を、術者が認識した『敵』へ自動で追尾させる術だ。味方を射抜かず、遮蔽物をある程度超えるため、乱戦で重宝する』
 サリアの言葉が蘇る。
 騎士は楯にならない、勇者が味方と認識せず、自分を守れる大きな『楯』がいる。
「ゼーファント』!」
 光が集まり、弾ける。恐ろしい威力の魔法の乱舞。騎士の楯は転がっているが、今からでは間に合わない距離の物。
 その時、脇をすり抜ける形で倒れこむ騎士の背中に、シェートの視線が吸い込まれた。
「死ねこのクソモンスター!」
 絶叫を追うように流星が殺到、甲高い金属音がいくつも炸裂した。
「……え?」
 コボルトは、山の崖にぴったりと体をくっつけ、守りの『楯』を構えていた。
 比較的錆の被害を受けていない、騎士鎧の背当ての部分を。
「な……あ! ああ……!」
「ぶはぁっ!」
 魔法で焼けた背当てを腕から引き剥がし、勇者に向き直る。痛みにのた打ち回る騎士を横目で確認しつつ。
「な、なんで、なんで死なないんだ! この魔法は」
「普通の鎧、楯、ぶち抜く。そんなの知ってる」
「じゃあ何で!」
「俺、女神の守りある。それと、武器強くする力、楯に使った」
 二つの力で必死に支えた結果、背当てはその原型をとどめ、シェートにも傷一つ無い。
「これで、あと、一発」
「く……くそおおっ!」
 勇者の視線が周囲をさまよう。馬にもたれかかる魔術師、捨て身で襲い掛かり、手傷を負った丸腰の騎士。少し離れたところで意識を失う僧侶。
「あ……か、カミサマ! 来てくれ! 早く!」 
 シェートの眉間に皺が寄り、事態に備えるように身構える。
「仲間が! 毒で! とにかく早く!」
 その絶叫が、はるか空の彼方にこだました。

「馬鹿者おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 羞恥、激憤、赫怒、その全てで顔を紅潮させたゼーファレス、美しき神が絶叫する。
「何を腑抜けたことをやっているのだ! そのようなことで、だらしなく取り乱すなこの馬鹿者! 迂闊者! 慮外者! 恥を知れ恥をををををををををっ!」
 対面の妹は静かな顔で、こちらを見つめる。こうなった以上、事態は忌々しいあの女の思惑通りに動いていると言って過言ではない。
「サリアーシェェェェェェェ!」
「何でございましょう、兄上」
「貴様、貴様という奴はああああっ!」
『おいカミサマ! 聞いてるんだろ!? 大変なんだよ! 女神とかナンパしてる場合じゃないんだっての!』
 勇者の一言に、耐え切れなくなった神々が爆笑した。
「わ、笑うなああああああっ!」
 だが、いくらかのさざめきは失せたものの、大笑いは中々消えない。その一団に混じる竜神は、大きな顎をぱくりと開けて遠慮の無い破顔を見せていた。
「ふあははははははは、これは愉快な、ははははは!」
「何がおかしいっ」
「お仕着せのおもちゃを与えて何をしているのかと思えば、そなた、勇者ではなく道化を育てていたと見える」
『畜生っ、使えねぇっ! クソネトゲのカスタマーレベルかよ!』
「おうおう。あの勇者も色々と苦労しておるようだな。そういえば、儂の方もメンテ時間がそろそろ終わるころか」
 妙な親近感を覚えたらしい竜神は、手元の板切れ相手に何かをし始める。
 完全にバカにされている。皆で自分を晒し者にし、その醜態を笑おうという魂胆だ。
「こ……これで満足か、我が不貞の妹よ」
「はて、何のことでございましょうか」
「私を笑いものにして、満足かと言ったのだ! ならばこの座興、今すぐに閉じよ!」
「何か、お心得違いをなさっておられるようですね」
 それまで晴れやかな笑顔を浮かべていた妹は、その顔を凪いだ無表情に変えた。
「私は兄上を笑いものや晒し者にするために、この場を設けたわけではありませぬ」
「ではなんだというのだ! こんなものが我らが婚約の儀だとでも!?」
「今、我々は何をしているのでしょうか。確かに、おわします神々には、単なる座興でありましょう。ですが」
 睨むでなく、見つめるでなく、ちらりとだけ。
 サリアはこちらに視線を投げた。
「我らが行いしは決闘。己の世界と、命をやり取りする場、そうではありませぬか?」
「まさか……そなた、そなたは……」
 本気で自分に勝つ気でいるのか。
「バカな、そんな……」
 愕然とするゼーファレスの目に、地上の姿が映る。狼狽した勇者は、それでも剣を引き抜き、コボルトとの間合いを詰めようとしていた。
「そ、そうだ! そのような魔物! 早く斬れ! 斬り殺せ!」
 だが、声は届かない。
 約定という縛りは、水鏡の向こうへの干渉を完全にさえぎっていた。

 浩二はもう一度、状況を反芻していた。
 目の前にいるのはコボルト、この世界でも最弱に位置する、ゲームで良く見るモンスターだ。弓を武器に相手を毒状態にする攻撃と、武器と防具の力を上げる特殊能力を使う。
 こんなに簡単にまとまる話だ、ゲームであっても序盤で苦戦する程度の強さ。それが、いつの間にか仲間達がやられ、自分ひとりになっていた。
「ま、まさか、負けイベントとか、そういうんじゃないよな」
 それは二重の意味で考えにくい。目の前にいるのは女神の配下だというし、あの見栄っ張りのカミサマがそんなイベントを飲むはずが無かった。
「どうした勇者、俺、怖いか」
「そんなわけあるか!」
 とはいえ、侮れない相手ではある。さっきの戦法を維持するために、コボルトは崖から離れず、足元に鎧の背当てを置いている。
「なら早く掛かって来い。でないと、仲間死ぬ」
「く……」
 これが普通のゲームなら、他のパーティメンバーが死んでもリスポーンで済む。しかしカミサマは言っていた。仲間の補充など、いくらでもできると。
「俺の弓、遠くまで届く。騎士、魔術師、あと一発で死ぬか」
 コボルトの一言に、浩二はようやく悟った。相手が自分を脅迫していることを。
「お、お前の狙いは俺だけだろ! なら、俺を撃て」
「嫌だ。お前に俺の弓、効かない。その代わり、お前の仲間、殺す」
「こ、この……!」
 相手の物言いに、怒りがこみ上げる。自分に敵わないからといって、他のメンバーを執拗に攻撃し、殺しに掛かってくるなんて。
 それまで、魔物を倒すのはただの仕事だと思っていた。
 だが、こんな風に人の命を奪おうとする卑怯な存在が魔物だというなら、絶対に許すことはできない。
「なんか、今更だけど、お前らを倒さなきゃいけないって訳が、わかった気がするぜ」
 剣を構えなおし、間合いを詰める。
 魔法はこの状態では避けられる、となれば剣で斬るか。
 だが、魔物は弓も構えてこちらを警戒する。
「あれ、やってみるか」
 剣を構え、腰を落とす。一応練習だけはしてきたが、実戦で使うのはこれが最初だ。
 コボルトは剣に集中している、この前の砦の時と同じ方法で避けるつもりに違いない。
 これが決まれば一撃で終わる。
「いくぜ!」
 勇者は走り出した。
 その視界になぜか弓をしまうコボルトの姿。
 何かがおかしい、だが止めようと思った足は急には止まらない。
 その時にはもう、相手が投げつけた何かが、自分の壁に激しくぶち当たっていた。

 障壁に当たった袋が、ばふっと音を立てて中身を飛び散らせる。もうもうと上がる白い煙の中で、勇者は激しく咳き込んでいた。
「がはっ! げへっ、な、なんだこれ……ぶはあっ!」
「それ小麦粉。毒違う、お前の壁、さえぎらない!」
「く、くそっ、目潰しかよ!」
 小麦粉の霧はあっという間に晴れる。だが、その時には、シェートは崖の上に登りきっていた。
「勇者、おまえよわっちい! 怖がって損した!」
「なにぃ!?」
「俺、お前の仲間苦しめた。お前、自分の仲間守れない、弱い勇者、殺す価値ない!」
「て、てめぇっ! 『貫け、ゼーファント』!」
 怒り狂った勇者が魔法を放つ。それにあわせて大木を背に、楯を構えた。
 再び金属音が木霊し、魔法が完全にさえぎられる。
「そ、それはっ」
「騎士の楯。錆びてる、けど使えた」
 とはいえ、外張りのかなりが錆落ち、内側の木もずたずたに裂けている。ガラクタを放り出すと、シェートはぺろりと舌を出した。
「悔しい思うなら、追って来い、間抜け勇者」
 背を向けると茂みに身を隠す。その下で、完全に頭にきたらしい勇者の絶叫が辺りを震わせた。
「ぶっ殺してやる! 待ちやがれこのクソモンスター!」
『昇ってくるぞ』
 サリアの声に頷き、耳を澄ませる。
 下から崖をよじ登る音、それが次第に近づいてくる。ゆっくりと後ずさり、いつでも逃げられる構えを取った。
「どこ行った!?」
「ここだ! インチキ勇者!」
 わざと全身を見せ、それから斜面を走り出す。すでに魔法は打ち止めになった、剣の間合いにさえ入らなければ、攻撃を喰らう心配は無い。
「くそっ! 待ちやがれ!」
 斜面をジグザグに動きながら、勇者を引き離さないよう速度を落として走る。殺気立った目で追う蒼い鎧は、まっすぐ最短距離を通って追ってくる。
 その様子に、シェートは心から安堵した。
「サリア、これでわかった。あいつ、山知らない」
『ならば、計画通りにできるな』
 山を知っているものなら、目的地を目指して一直線に昇ったりはしない。体力の損耗が激しく、長時間獲物を追うのには向かないからだ。
 一番の心配事だった『勇者の素質』も、これで見極めた。コボルトは確信を胸に、木々の合間を抜けて岩を駆け上る。
 後を追う勇者もかなりの速度で追ってくるが、息を切らし、疲労の色を濃くしている。
 尾根を回り、斜面を登り、森の下生えを抜ける。
 街道が遠ざかる、勇者が仲間から遠ざかる。
 そして、シェートは足を止めた。
「はぁ、はぁ……どうした、鬼ごっこはもうおしまいか!」
 汗びっしょりの顔で、それでも剣を引き抜いて威嚇する。対してこちらは軽く息継ぎをすると、いつもと変わらない調子になり、向き直った。
「ああ。おにごっこ、もうおしまい」
「なら観念しやがれ。この剣でお前をばらばらに切り刻んでやる」
「その前、一つ言いたいこと、ある」
「死ぬ前に念仏でも唱えたいのか?」
 相変わらず勇者の言うことは訳が分からない。とはいえ、自分は自分のやるべきことをするだけだ。
 シェートは、教えられた言葉を間違いなく復唱した。
「『女神サリアーシェ、の、名に、おいて、お前に、決闘、申し込む』」
「お、おまえ、なに言って……」
 たどたどしい発音。だが効果は発揮された。
 全身の毛が総毛立つような、巨大な力が世界を覆っていく。枝に止まった鳥達が一斉に飛び立ち、どこかで地の獣が異常に鳴き声を上げる。
 同時に世界にまばゆい光が降り注いだ。それは白く輝く光の壁になって、日暮れかけた山々を駆け抜けていく。壁は見える限りの全てを、ぐるりと囲んだ。
 そしてシェートは感じた。自分と勇者が、異質な世界に放り込まれたことを。
『良くやった。これで檻は完成したぞ』
 サリアの言葉は力強い。
 彼女の後押しに頷き、最弱の魔物は最強の勇者に言い放った。
「俺、これからお前、狩る」



[36707] 12、見えざる罠
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/02/28 20:24
「宣言は行われました。これより、この場を決闘の間と定めます」
 イェスタの高らかな声が、神々の意識に刻み込まれる。従うように、東屋が音も無く競り上がり、サリアとゼーファレスのみを中空へと押し上げた。
 何もなくなった空間には、さらに巨大な水鏡が投影され、東屋の周囲にも透明な壁が発生する。
「遊戯の定めにより、決闘の間より出ること叶うは一名のみ。神々よ、選ばれし勇者よ」
 口上を少し溜め、それから不思議な笑みを浮かべたイェスタは宣言した。
「そして、小さき魔物よ、己の全てをかけて、存分に戦うが良い」
 東屋の中も、全く先ほどと違う様相を見せていた。座っていた石造りの座卓が別の形に変わり、石のテーブルであったものは、美しく飾られた枠を持つ、水鏡の鏡台を乗せた物に変わっている。
 兄の座っているのは、豪奢な黄金製の玉座。自分のものは、神座にあった小さな石の長椅子だった。
「なんだ、この事態は……」
 全く不本意といった顔で、兄がかぶりを振る。
「サリアよ。まさかお前は、あの魔物が我が勇者を倒せると、本気で思って」
「おりますよ。我が魔物……いいえ、コボルトのシェートが貴方の勇者を打ち倒すと」
「ありえぬ!」
『お、おい! これ、一体何なんだよ!』
 兄と同じぐらいうろたえた勇者が、水鏡の向こうで絶叫する。その似たもの同士の姿に苦笑すると、サリアはいつの間にか中空に立っていたイェスタに声を掛けた。
「制限を一時解き、兄と勇者殿に会話を。ただし、助言のようなものをすれば」
「心得ております。では、ゼーファレス様」
「く……ゆ……勇者よ、聞こえるか」
『あ、やっとつながった! なにやってんだよアンタ! こっちは大変で』
「黙れ! 今、事情を説明する」
 そして、彼は物語った。妹の魔物と勇者を決闘させることになり、その間の助言、助力を封じられていることを。
『なにやってんだよ! なんでそんな大事なこと、俺がいないとこで進めてんだ!』
「うるさい! 神がわざわざ貴様ごときの状況を斟酌などするものか! そもそもなんださっきの無様な戦いは!」
『ふざけんなよ! そっちが勝手な約束してなかったら今頃』
「黙れ黙れ! とにかく必ず勝て! 分ったな!」
 自己主張のぶつけ合いでまともな会話にならなかったことに、サリアは苦笑した。
「それでは、少しだけ私も勇者殿に説明を……お初にお耳に掛かる勇者殿」
 水鏡の向こうで勇者はきょろきょろと周囲を見回し、ともかく空を見上げた。
「私はサリアーシェ。そのコボルトの主を務めている」
『アンタがこいつをけしかけた奴か! 何なんだよ、さっきの』
「仲間のことならば心配は無い。毒は痺れや疲労は濃く出るが、命に別状は無いものだ。現に僧侶の娘も回復し、他の者の治療も済んでおる」
『そ……そうか……』
 心から安堵した姿に、ほんの少しだけ胸が痛む。だが、同情はしない。
「これから勇者殿には、我が配下と戦ってもらう。その空間は今、神々の定めた勇者同士が戦うために、俗世より閉ざされた」
『結界って奴か。で、こいつを倒せば出られるんだろ』
「理解が早くて助かる。勝負が付くか期限が来るまで世界の封鎖は続く、期限は今日より三日目の夕刻まで。付け加えるが、そこにはそなたと我が配下以外、何人も存在しておらぬ」
 本来、この結界には勇者とその仲間達を入れることができる。しかし、決闘の宣言が行われ、視界の届く範囲に仲間がいない場合、それらは除外されることになっていた。
『……まさか、こいつ……そのためにあんなことを!?』
「説明はこれで終わりだ。勇者殿、一つ言っておく」
 ようやく事態が飲み込めたらしい勇者に、サリアは最後の慈悲をかけた。
「我が配下は強い。決して侮らないことだ」
 それきり会話を打ち切ると、サリアは対手の前に座りなおす。
「あのような魔物が、強いだと?」
「そうは見えませぬか」
「……だが、お前の配下に奴は倒せん!」
 否定しきれない可能性を見ながら、それでも兄は必死で自らを鼓舞するように大声を張り上げた。
「事実、貴様の配下の弓は勇者まで届かぬ! 今日は使い果たしたが、夜明けと共に魔法は充填されよう! あのような曲芸じみた回避がいつまで続く!? 打撃を与えずして、いかに決闘に勝利するつもりだ!」
 サリアは答える気は無かった。これ以上は何もいえない、最後の一手は自分ではなく、彼が打つのだから。
「シェートよ」
『ああ。聞こえる』
「我らの狩りは、あと少しで成る」
『俺、勇者、必ず狩る』
 神である自分には幸運を祈るべき者はない、力ない存在である自分には、幸運を授けてやることもできない。
 だが、見守り、共に戦うことができる。
「やろう、我がガナリよ」
『頼りにしてるぞ、ナガユビ』
 水鏡の向こうで、シェートが力強く弓を手に取った。 

 弓を手に取り、矢を番える。
 呼吸が落ち着いている、驚くほど冷静に勇者を見つめていられる自分が居る。森の夜は早い、目に分かるほどの速度で光が絶えていく。
 それなのに勇者は、剣を構えたまま呆然とこちらを見ていた。
 いや、あの目を見れば必死にこちらの隙を覗う、真似事をしているのだと分った。
 まるで目配りがなっていない、視線はこちらの顔や矢にひきつけられていて、もっと大事なところ、いつでも逃げ去れるように溜めた下半身や、弓手の返し具合に全く気づいていない。
 もし、あの壁が無かったら、勇者はただの一発で眉間を抜かれ死んでいるだろう。
 強大な力でよろわれ、危険を意識せず、遊びでこの場に踏み込んだ、羊のような子供。
「ああ……お前、子供か」
「い、いきなりなんだよ!」
 どれだけ自分が、恐ろしさで何も見えなくなっていたかが分かる。
 顔立ちは平たく、幼くて、肌にはなんの皺も刻まれていない。この辺りの農家に生まれたなら、十を越えたものには少なからず、日差しや労働の皺が刻まれるものだ。
 見たことは無いが、多分これが貴族というものなのだろう。手仕事を知らず、柔弱に育てられた、乳母日傘の生き物。
「お前、なぜここ、来た」
「……そんなこと、話してる余裕、あるのかよ」
 剣をちらつかせ、自分の力を誇示する姿。だが、それは蟷螂の威嚇と同じだ。虫同士であれば恐ろしい威圧だが、狼や熊からしてみれば滑稽な踊りすぎない。
 そして、シェートはその剣の間合いを、完璧に外した場所に立っている。
「そうだな。俺、お前狩るだけ、お前、獲物」
「ふざけるな! お前なんかにやられるか!」
 言葉が軽い。魔術師との会話は、常に緊張を強いられた、うっかり話に釣り込まれれば自分の隙を作るし、こちらも言葉を投げて相手の隙を覗わなければならなかった。
 だが、勇者のそれはただの会話だ。
 目配りもできない、間合いも計れない、そんな状態でする会話は隙を作るだけ。
「俺、怖いか」
「怖くなんか無いってんだろ!」
「違う。お前、俺何してくるか、分からない、それ怖がってる」
 まともに動揺が顔に浮かぶ。とても狩人には向かない性根の弱さ。
「そ、そんなこと……」
「じゃあ、すぐ斬れ。その剣、俺簡単に斬れる。女神の守り、そこまで強くない」
「……や、やってやるよ!」
 激昂し身構える、たやすく挑発に乗る薄い心が透けて見える。
「でも、お前、いいのか」
「今度はなんだよ!?」
「もう、夜だ」
 残光が完全に絶えた。
 その瞬間シェートの瞳孔が薄くすぼまり、勇者の姿を昼間とほとんど変わりなく映し出してゆく。同時に、相手の全身からきつく立ち上る汗の臭いを嗅いだ。
「うおっ!? くそっ、もうこんな……」
 汗の臭いが、緊張から驚き、怯えの冷や汗に変わっていく。勇者の心が、手に取るように分っていく。
 剥がれていく、剥がされていく。
「お前、俺、見えるか」
 足音を殺し、素早く下がる。勇者が顔をしかめてこちらを見ようと必死になる。だが、人間の目は急激な光の変化に耐えられはしない。
「く、くそっ! 時間稼ぎに話をしてたってのか」
 コボルトは苦笑した。もたもたと攻撃をためらい、こちらの会話に気の抜けた応対をしたのはお前だ。
 引き剥がしていく、一枚、一枚。
 勇者という虚飾を、彼の強さを形作るものを。 
 シェートは、最初の一撃を解き放った。

 目の前でいきなり光がはじける。
「うおっ!?」
 気が付くとあたりは真っ暗になっていた。いや、一応暗くなるのには気が付いていた。
 それでも目の前のコボルトから目が逸らせなかった。
 こちらを覗う視線は、何を考えているのか分からない。人型の体に犬の頭の小さな魔物は確かに奇妙な造詣で、あまり強そうではなかった
 だが弓を構え、こちらを見る目は、底冷えのする迫力があった。
 今まで、漫画やラノベにあるような敵同士にらみ合いは、創作上の都合で作り出される間の表現、ぐらいに考えていた。
 ぱしっ。
「くそっ!? なんだってんだよ!」
 障壁とコボルトの矢がぶつかってほとばしる閃光。そのたびに一瞬森の光景が浮かび上がって、自分の目が焼けつく。
 あのコボルトには何かの確信があり、自分を倒そうと行動していた。そして、実際に仲間が倒され、魔法は打ち破られている。
 うっかり行動したら、自分もやられるかもしれない。それを避けなければならない、未知の事態に対する葛藤が生まれた。
 つまり、にらみ合いとは、お互いの行動で相手を凌駕したいと、せめぐ人の心が作り出す、必然に発生するものなのだと。
 ぱしぃっ。
「い、一体何のまねだ!」
 光が弾け、再び世界が闇に包まれる。相変わらず辺りの光景は良く見えず、目が全く闇に慣れない。
「何回やっても同じだぞ! 大魔法を連続で打たれたって破れない障壁なんだからな!」
 返事代わりの三度目の閃光、瞬きが目を焼いて視界が闇に包まれる。これでもこちらの世界に来て、夜を見透かす力が上がっているはずなのに。
「あ……!」
 目が潰されている。人間の目の暗順応を阻害するために放たれる矢。障壁と女神の力がぶつかって、カメラのフラッシュのように瞬いて。
 女神。
 そうだ、相手はただのコボルトではない。神の力を背負った自分の対手。
「こ、このっ!」
 闇雲に剣を振り回すが、何も当たりはしない。いくつかの枝が切れ、がさがさと下生えを踏み荒らすだけ。
 ぱしいっ。
「うわっ!」
 また目が潰れる。闇が物理的な圧力さえ持って、目を塞ぎに掛かる。
「ひ、卑怯だぞ! こんなうああああっ!!?」
 いきなり体が地面に吸い込まれ、落下する時の気持ち悪い感覚が走る。障壁が展開し、自分の居る場所を輝きで照らし出した。
「お、落とし穴!?」
 自分の腰ぐらいまで埋まりそうな穴。底には木を削った槍が敷かれ、障壁がそれをさえぎっていた。
「残念。壁なかったら、お前串刺し」
 声は、ぞっとするほど近く、すぐ背後で聞こえた。
「う、うわあっ!」
 必死に剣を振るが、障壁に弾かれる。
「おお! 危ない!」
 ざっと茂みを鳴らしてコボルトが闇に消える。必死に穴の淵に手を掛けて這い登ると、すでに周囲は闇の中。
「ひ、卑怯だぞ! 隠れてないで出て」
 ぱんっ。
 閃光が弾けて目が眩む。足元がふらつくのを必死に堪え、一瞬だけ照らし出された世界の端に、逃げていく姿を見出した。
「そこかっ」
 反射的に走り出した足が、何かの反発に引っかかる。
「うわあっ!?」
 まっしぐらに地面に倒れる寸前、障壁が展開して地面への追突を免れる。だが、急な制動で体に衝撃だけが伝わった。
「な、なんだよこりゃ!」
 壁の消失と共に、急速に暗くなる世界。その時一瞬見えた、ロープのようなもの。
「足元お留守だぞ、勇者」
「――っ、このおっ!」
 落とし穴に足を引っ掛ける蔦の罠、まるで子供のいたずらだ。怪我は全く無いが、苛立ちがこみ上げてくる。
「なんなんださっきから! お前、真面目にやってんのか!?」
「でもお前、罠、全然避けられない」
 はじける閃光が障壁を浮き上がらせ、再び視界を闇に包む。
「こうするとお前、動けない。穴落ちる、足引っ掛かる、次、崖落とすか?」
「う……」
「でも俺、お前はっきり見える、臭い分かる。弱虫、意気地なしの勇者、分かる」
 明らかに馬鹿にした口調。しかし、相手の居る位置が分からないのは事実だ。
 そういえば、夜に冒険をしたことはほとんど無い。もしやったとしても、エルカの明かりの魔法や、松明、ランタンを使ってもらっていたし、町の中でもこれほど暗くなることは無かった。
 周囲を押し包むのは、光一つ差さない真の暗黒。魔法も明かりも無く、剣だけで戦うのは自殺行為だ。
 腰をかがめると、浩二は剣を使って地面を探り始めた。穴が無いか叩いて確かめ、蔓が張られていないかを感触を頼りに探る。すぐに、堅い手ごたえと共に大きな木の根元にたどり着いた。
「朝になればあいつも見えるようになる。魔法さえ使えるようになれば、あいつだって迂闊に近づいてこないだろ」
 明日になれば、朝になれば事態は好転する、漠然とそう思っていた。
 剣を構えつつ、その場に腰を下ろした。夜の森は意外と暖かい、今が冬でなくて良かった、そんな考えが浮かぶ。
 ほっと息をついた途端、腹の中から唸るような音が聞こえてきた。
「くそっ、昼からなんにも食べてないもんなぁ」
 多分、今日は飯抜きだろう。明日あの魔物を倒したらみんなと合流して、食えなかった分を取り戻してやる。
「覚えてろよ、食い物の恨みは恐ろしいんだぜ」
 いつの間にか静かになった周囲に気を配りながら、勇者はすきっ腹を感じながら呪いの言葉を吐き出した。

 腰の袋から細く裂いた皮を取り出し、口に放り込む。甘い樹皮を噛みながら、シェートは、すぐ真下に居る勇者を、高い梢から見下ろしていた。
 すでに自分が居ない地上を、必死に目を凝らして見つめている背中。白いうなじがこずえからもくっきりと分かる。
 コボルトは小さな皮袋を取り出すと、その中に一本の棒を差し、取り出して勇者のうなじのちょうど上にかざした。
 先端から、ぽたり、と水滴が落ちる。
「つめてっ!」
 慌てて首に手をやり、その感触を確かめる勇者。臭いを嗅ぎ、それがただの水だと理解して、また座りなおす。
 それからしばらく時間を置き、また垂らす。
「うわっ!」
 水の感触に、今度は梢を見上げた。空模様を確かめようとしたのか、結局あきらめ、根方に戻る。
 そうしてシェートは、その皮袋の中に良く噛んだ樹皮を入れ、時間を置いて同じように水滴を垂らした。
「ん……っ」
 その動きは、冷たさを嫌がってはいたが、もう水滴には感心を払っていないのが明らかだった。シェートは樹皮を噛み、水袋に入れては少しずつ、落とす間隔と位置をばらばらにして水滴をこぼす。
 頭、鎧の肩当て、首筋、気づかれないように、ごくごく僅かづつ。
 水は甘くなり、濃くなり、反対に勇者の水に対する感心は薄まっていく。
 やがて、見張りの緊張に耐えられなくなったのか、下の頭がふらふらと揺れ始めた。
「起きろ、勇者」
 薄く笑い、首筋に水滴を落とす。
「ううっ!」
 嫌な感触に無理矢理起された不平を漏らし、それでも周囲の警戒を続けようとするが、水滴落としをやめると、また舟をこぎ始める。
 染みていく。
 甘い水が染みていく。
 彼の体に、服に染みていく。
 水袋の中身がほとんどなくなると、シェートはゆっくり身を起し、幹を伝って勇者の上から離れた。
 太い別の木の幹に、わずかなさやぎだけを残して飛び移る。その音にも、彼は反応しなかった。
『さすがだな。まるで気が付いていなかったぞ』
「あいつ、夜番慣れてない、それ助かった」
『大方、仲間に全て任せていたのであろうな』
 サリアの声は笑っている。自分も口元をゆがめた。
「これで仕掛け、終わった。あとは明日」
『そうだな。そなたも良く頑張った。こちらの見張りは任せよ』
 頷き、新たな梢に飛び移る。残してきた勇者のことを思いながら、小さな姿が夜に消えていく。

 違和感は、最初は水滴のせいで起こったのだと思った。首や背中に、じわじわと蠢く感覚がする。
 そして、それは唐突に差すような痛みに変わった。
「つっ!?」
 目を開くと、すでに辺りは薄ぼんやりと明るくなっている。朝が来た、そのことを感じるのと同時に首筋にざわめく違和感。
「な、あっ!?」
 首筋に手をやった途端、ぶちゅっ、っと何かを潰す感触。
「うあっ! あっ! ああっ! うひゃああっ!」
 視界の端に何かが蠢いている。鎧の肩当に群がるのは、つぶつぶとしたこまかな蟻の黒い帯。
「うぎゃあああああああっ! な、なんだ! これっ!」
 首にも鎧の中にも、何かが這い回っている。
「ひいいいっ! あっ、ああっ! うわああっ!」
 慌てて脇の金具に手をやり、鎧を脱ごうと手を掛ける。早くこれを外して――。
「で、できるわけないだろ、くそおおっ!」
 無理矢理首筋をこすって虫をこそぎ落とし、手で肩から叩き落とす。それでも服の中を這い回る虫は、中々出て行かない。
「畜生っ、なんてことするんだよあいつっ!」
 一体どうしてこんなことが出来たのか、全く理解できない。それでも何分か格闘し、必死に背中を木にこすり付けていると、ようやく虫の這い回る感じは無くなった。
 だが、
「……う……く……」
 痒みが、体中に襲い掛かる。虫の体液や蟻の顎の噛み痕が、むずむずとした感覚を伝えてくるようになっていた。鎧の上からその部分を掻こうとしてみるが、もちろん指は届くはずも無い。
「こ、こんな……こんなことで、脱いでたまる、かよぉっ」
 そうだ、これさえ脱がなければ、あいつには絶対に負けない。歯を食いしばり、剣を引き抜いて周囲を睨む。
「畜生! 早く出て来い! 俺はここだぁ!」
 白い朝もやが、薄明かりの中に流れていく。鳥が茂みから飛び立ち、どこかで小さな動物が走り抜けていく音がする。
 それでも、小さな魔物は現れない。
「早くでてこいよぉっ……」
 背中を木にこすりつけながら、浩二はじれた表情で辺りを見回し続けた。

 すでに怒る気力も湧かず、玉座に体を埋めるようにしてゼーファレスは頭を抱えた。
 下では絶え間なく神々の笑い声が響き、一秒もこの状況に耐えられそうに無い。もし勇者がこの場を切り抜けられたとしても、自分の権威は完璧に失墜しているだろう。
 唯一の救いは、妹の小ざかしい策を見抜き、勇者が鎧を脱がなかったこと。あれで無防備な体を晒していれば、今も虎視眈々と隙を覗っている卑怯な魔物に、射抜かれて死んでいたはずだ。
「中々状況判断が出来るようですね、勇者殿も」
「嫌味のつもりか! いくら我が神器頼みとて、あの者も戦を潜り抜けてきた者! 自分の優位が何によってもたらされているか、理解しておるわ!」
「鎧を脱ぎさえしなければ勝てる、ですか」
 妹の言葉には、強い確信が乗っている。鎧を脱ぎさえしなければ勝てる、裏を返せば鎧を脱がせさえすれば打ち負かせるということ。
「あ、生憎だったな。おそらく勇者も、あの小ざかしい虫寄せがいかなる手業によるものか気づくであろう。痒みはいずれおさまる、同じ手は二度とは」
「シェートよ。体の方は大丈夫か?」
『うん。良く寝た、体調子いい』
 こちらの指摘を無視して、妹は魔物と楽しげに語らっている。
「そうやって強がっていられるのも今のうち」
 こちらの発言をさえぎるように、コボルトの矢が茂みから飛ぶ。はじける障壁と、熊のように背中をこすり付けるのをやめて身構える勇者。
『起きたか、お前。どうした、背中、痒いか』
『何が痒いかだ! これ、お前がやったんだろ!?』
『ああ。俺、やった。上から、甘い水、いっぱい垂らした。虫、お前殺す力ない。だから壁、通れた』
「な……に?」
 あっさりと種明かしをした魔物は、嬉しそうに自分の所業を語った。
『俺、お前の上、ずっといた。知らなかったか?』
『じゃあ、あの水が垂れてきたのは!』
『お前バカ、鈍い、目玉、足の裏付いてる』
『て、てめぇっ!』
 無様に癇癪を起す勇者を見ながら、それでもゼーファレスは失笑を漏らしていた。
「愚かな奴よ、自分で策をばらしてしまうとはな。これで勇者に同じ手は通用すまい」
「でしょうな」
「それで、次はどうする? 直接樹液でも掛けて虫を寄せてみるか? また姑息に逃げ回り、落とし穴にでも落とすか?」
 妹は何も語らず、まっすぐ結晶の向こうに映る景色を見つめている。
 その景色が乳色に染まり始めた。
「な……なに!?」
『う、うそだろ……』
 単なる靄、そう思っていたはずの水蒸気の塊が、次第にその濃さを増していく。吹き付ける風に乗って、木々の間を白い霧が包んでいく。
『昨日、森、温かかった。次の日、霧になる。朝、虫動くの、霧出る時、分かるから』
 あっという間に木は黒い陰になり、小さな魔物の姿が消えていく。
『ま、またかくれんぼかよ!』
『違う。今度、かくれんぼ、違う』
 かさかさと地面を走りまわる音だけが、白い世界に響く。勇者は完全に相手を見失い、必死に周囲を見回した。
『どこ見てる。俺、ここ』
『そんな手に乗るかよ! お前の力は俺には効かない! こうして霧が晴れるまで待ってればいいんだ!』
『そうか。それなら』
 コボルトの言葉と同時に、いきなり勇者の体が地面に打ち倒される。一瞬障壁で霧が散らされ、その足元に蔓でできた仕掛け罠が見えた。
『またかよっ』
 そうぼやく勇者のほんのすぐ脇に、うずくまる銀色の毛皮。
「剣を振れ! そなたの右に居るぞ!」
 だが、勇者は全く気づく様子もなく、剣を支えにして立ち上がる。コボルトの手が、何者も害することない速度で伸ばされ、鞘に伸びた。
 だが、何も起きない。そのまま霧の中に魔物が消えていく。
「何をしたいのだあやつは!」
『何がしたいんだよあいつは!』
 奇しくもお互いの言葉がシンクロし、それでもコボルトは霧の中に消えたまま、森を動き回る。
『俺、どうやってお前倒すか、聞いたな』
『それがどうした! お前の力でこの鎧を貫けるってのか!』
『無理。女神、弱い。この力、役立たない』
 はっきりとした物言いに、思わず笑みが浮かんだ。あの魔物も、自分の妹の能力は把握しているらしい。
「ずいぶん正直なことだな」
「それが事実ですので」
『でも、お前倒す方法、ある』
『一体なにうおおおおっ!?』
 いきなり強烈な引っ張りを感じて勇者が前のめりになる。何とか踏ん張った瞬間、鈍く何かが千切れる音が響いた。
『うわあっ!?』
『俺の弓、女神の力、それ以外のもの使う』
『それ以外って……』
 その時、あれほど濃かった霧が晴れ始めた。立ち込めたときと同じぐらい唐突に。
 陰が幹になり、小岩だと思っていたものがコボルトに変わる。
 その手に握られていたのは、鞘。
『それ俺の!』
『じゃあな』
 勇者が腕輪を突きつけるより早く、木に隠れてコボルトが走り去る。山の斜面を不規則に駆け抜けていく背中に、勇者は叫んでいた。
『くそおおっ! この泥棒! 俺の鞘返しやがれ!』
 下でひとしきり起こる笑いも、ゼーファレスは耳に入らなくなっていた。
 障壁に引っかからない虫を使っての鎧封じ。
 霧の中で鞘を奪った行為。
 そのどれもが、一つの可能性を示唆していた。
「私の勇者の力を奪って勝つ、そういうことか」
「はい。今回の狩りは『わたぬすみ』ですので」
「また下賎な魔物の言葉か! 一体なんなのだそれは!」
「そのうち、お分かりになるでしょう」
 勿体つけてはいるが結局は勇者の油断を突き、装備を奪って反撃するつもりだろう。
 だが、生憎だったな、ゼーファレスは心の中で笑う。
 勇者の装備は彼専用の物。たとえ剣や腕輪を奪っても、その力を引き出すことはできない。虫の一件で勇者も、自分の鎧の重要性を嫌が上でも理解したはずだ。
 最悪、攻撃手段を失っても鎧さえあれば勝てる。無様ではあるが、負けるよりは遥かにいい。
「……な……なに……?」
 霧の晴れた世界で、ようやく行動を開始した勇者を見ることもなく、ゼーファレスは自分の内側から出た思考に愕然とした。
 負けるよりは遥かにいい、だと?
 何を考えている。
 負けるはずが無い、勇者が負けるはずが無い。
 それを証拠に見ろ、自分の勇者はあのコボルトの一撃を受けても、傷らしいものは負わされてなど。
『くそっ、かいいなぁ……』
 違う、あれは姑息な手段、虫の体液にかぶれただけで、傷にも入らない。
「どうされた、兄上」
「な、なんでもない!」
 その無様な姿を見ながら、それでも必死に言い聞かせる。
 勇者が負けるなど、絶対にないのだ。

 霧が晴れてから、襲撃はぴたりと止んだ。
 静かな森の中には鳥の声、茂みのざわめきくらいしか音が無い。
 後は自分の歩く足音と、腹の虫。
「く……そぉ……腹減ったなぁ」
 緊張している間は感じなかったが、こうして何も無い時間が続くと、途端に意識してしまう。こちらの食事は向こうとは全く違うし、時には死ぬほどまずいものもあるが、それでもなんとかやってこれた。
 そういえば、自分の荷物は全て鞍袋にしまったままだ。こちらに来て驚いたのは、いわゆる背負い袋のようなものではなく、鞍袋が荷物を運ぶ時の主流だったこと。
 馬の背中にまたがるように掛かった袋は取り外し、肩に掛けて持ち運ぶ。
 確かに、背中に荷物を背負うのは鎧を着る人間には難しいから、自分も便利なものだと思っていた。
「でも、背負い袋だったら、飯とか持ってこれたろうなぁ」
 堅くて不味い焼き締めたパン、塩辛い豚肉、酸っぱいワイン、旅のお供は大体こればかりだったが、リィルやエルカが手を加えてくれて、そこそこうまいサンドイッチになったり、焼きたての魚を食べることもあった。
「魚かぁ……川に行けば食えるかなぁ……」
 そう言いながら、火を起こす用意が何も無いことを思い出し、顔をしかめる。
 火を起こす係はいつも他の三人だった。というのは自分でまともに火口箱を使って火を起こせたことが無いからだ。
 石英と鉄片を打ち合わせ、細く裂いた繊維に火をつける。一番不器用なリィルでも、簡単に火をつけてみせたし、エルカは魔法を使って、アクスルに至っては脛当てと剣を使った横着までやっていた。
「しょうがねーじゃんよ……今やIHの時代で、ガスだって使わなくなってきてんのに」
 現代文明の恩恵に浴した高校生に、石器時代のサバイバビリティを要求する方が間違っているのだ。そんなことを考え斜面を下っていくと、小さな茂みが目に付いた。
 紫の木の実が、びっしりと付いた低木がある。粒は小指の先ほどしかないが、枝に固まって付いている。
「おおお! 食い物発見、か?」
 とっさに駆け寄ろうとして、立ち止まる。ここにもあのコボルトが仕掛けた罠があるかもしれない。剣を使い、周囲の地面を叩き、上を見て、さらに周囲の木々を見回す。
 何も無い、どうにかその低木までたどり着く。
 枝の一本を折り取り、さらに周囲を確認。何も動くものは無い。
 紫の木の実は少し堅そうで、それでもつやつやとした光沢を放っている。
 もしかしたら、毒かもしれない。
「いや、物は試しだ。一個だけ、食ってみて、だめなら……」
 そっと木の実に口を近づけ、一粒だけ口に含む。そして、舌と上あごで潰してみた。
「…………ぐ!」
 途端に口の中に苦酸っぱい味が、ぶわっと広がる。
「ぐあああああっ! ぺえっ! ぺっ、な、なんじゃごりゃ、にがすっぺぇえっ!」
 その渋みは口全体に広がり、吐き出した今も味覚をおかしくしている。
「ちくしょうっ。毒じゃないみたいだけど……うげええええっ!」
 腹立ち紛れに枝を叩きつけ、ブーツのそこでぐりぐりと潰す。一緒に白い花の咲いた草を踏み潰してしまうが、ついでに踏みにじっておいた。
「そうだよな、もし食えるなら、あいつが残しておくわけ無いもんなぁ……」
 散々こちら嫌がらせをしてきたのだ、食べられるものを全て引っこ抜いたり隠しておくくらいやりかねないだろう。
「じゃあ、あいつの行ってなさそうなところに行くしか……ん?」
 どこからか、香ばしい匂いが漂ってきた。
 焚き火であぶられた肉が、じうじうと脂を滴らせる。そこから立ち上った香りが、風に乗って浩二の鼻腔をくすぐった。
「……ここには、あいつと俺しか居ない、んだよな」
 もちろん、この匂いの源にはコボルトが居るだろう。罠かもしれない、だが今は昼で、魔法も充填されている。飯を食っている最中に襲い掛かって倒す、そしてあわよくば食料を奪う。
「……山賊かよ、俺は」
 とはいえ、背に腹は変えられないし、コボルトを倒せばこの封鎖は解ける。そう考えながら匂いを辿り、山道を進む。
 次第に水の流れる音が大きくなり、唐突に森が開けた。
 どうやら崖になっているらしい地面と、その向こうでぷつりと途切れている大地。どうどうと水の流れる音が聞こえるから、川はすぐ側らしい。
 そして、コボルトは崖の端で火を起こし、肉を焼いていた。
 何の肉は分からないが、ひどくうまそうな匂いがする。焼き加減を見る横顔は真剣で、どこか嬉しそうだ。
 浩二は周囲を見回した。コボルトの周りには遮蔽物になる岩などは無い。楯になるようなものも置いていない。しかも、弓も持たないまま、腰に小さな剣を刺しただけの姿。
「罠かよ……くそっ」
 そうだ、あんなあからさまな罠に引っかかる奴は居ない。だが、肉は、どうしようも無く美味そうで。
「魔法でぶっ飛ばす……それで、終わりだ」
 もし気づかれたとしても、今なら肉を奪えるだろう。そうすれば、こちらにかなり有利になる。
「……『貫け、ゼー」
 小声で囁き、腕輪をそっと向ける。こちらの姿は木陰に隠れて完璧に見えないはず。
「ファント』っ」
 次の瞬間、コボルトの姿が消えた。
「な、に!?」
 魔法の矢が今までコボルトの居た場所に突き刺さり、焚き火と地面を削り取る。だが、死体も血の跡も一切残らない。
「ま、まさか、なんかの魔法か!?」
 隠れていた茂みから飛び出すと、浩二は焚き火のあった場所に走りより、逃げ去っていく銀色の背中を見た。
 焚き火のすぐ近く、確かに崖はあった。川原までの高さはせいぜい二メートル、いくつもの岩が張り出し、多少急だがスロープのような斜面まで付いていた。
「くっそっ!」
 最初からこちらのことなど気が付いていたのか、そこまで考えて浩二は空を見上げた。
「ま、まさか、見てるのか!?」
 考えてみれば、自分のカミサマの助言は封じられたが、向こうも同じ条件になるとは一言も言われていない。
「……なんだよそりゃ! インチキじゃねーか!」
 絶叫してみるが今更遅い。自分の意見すら無視し、勝手に決めたバカガミに頭がくらくらするほどの怒りがこみ上げる。
「バカじゃねーの!? いやマジでバカだろ! なんでそんな条件飲んでんだ! マジクソガミが!」
 叫ぶと同時にこみ上げるのはむなしさと、それを上回る空腹。
 さっきの肉は跡形も無い、吹き飛んだかコボルトが持ち去ったか。
『おい勇者!』
 どこか遠くから自分を呼ばわる声、それは逃げ去ったはずの魔物。
「どこ行ったんだこのクソモンスター! 出てきて戦え!」
『嫌だ。俺飯食う。鹿肉、うまい』
 多分、峡谷になった川の壁に、自分の声を木霊させているんだろう。どこに居るか分からない相手に、浩二は叫ぶことしか出来ない自分を呪った。
『お前、俺の肉、食おうとした。ずる、よくない』
「お前の方がインチキだろうが! こんな風に罠に掛けやがって!」
『じゃあ、お前、その鎧脱げ。お前、インチキやめたら、俺もやめる』
「くっそがああああっ!」
 むなしく響く声と、黙り込む魔物。多分、あの美味そうな鹿肉を食っているんだろう。握り締めた剣がぶるぶると振るえた。
『でも、俺、お前狩するの、止めない』
「な、なに!?」
『山、獲物いる。川、魚居る、獲れるなら獲れ』
 まるでやれるものならやってみろ、と言わんばかりの声。浩二は崖を見つめ、高さを確かめなおす。
「や、やってやろうじゃねーか!」
 相手の挑発に乗るのは癪だが、確かに食料は必要だ。魚なら何度か食べているし、川魚に毒をもつものは居なかったはず。それに、食事と同じぐらい切実な問題もある。
 足がかりを確かめ、少しずつ降りる。すでに逃げたのか、コボルトの声は聞こえない。
「……まさか、水攻めとかするんじゃないだろうな」
 一瞬、川の水に目をやるが、水量はかなりのものに見えた。不自然な減り方はしていないようだし、そもそもコボルトは一匹だけだ。山の落とし穴や蔓の足掛け罠だけで精一杯のはず。
 それにしても動きにくい。片手の剣がひどく邪魔で、いつ落とすかとひやひやしてしまう。そうでなくても、ずっと手に持って歩くしかないので手が疲れていた。
 なんとか崖を降りると、ほっと息をつく。同時に、強い喉の渇きを覚える。
 昨日から食べていないだけでなく、何も飲んでいなかった。口の中にねばねばした唾が湧いて気持ち悪い。
「でも、川の水、なんだよな」
 生水は飲むなというのは現代人でも知っている知識。しかも、仲間達からも川の水はどんなにきれいでもやめておけと言われている。
「それに……魚獲るにしても、道具もないし」
 確かに川岸には大きな岩や石がごろごろして、その先は川と接する浅瀬になっていた。
 流れは速いし、そもそも魚を釣る道具も、火を起こすこともできない。
「しょうがない……」
 浩二は川岸に近づき、籠手だけを外して手と顔を洗った。水は冷たくて気持ちいい。
「口すすぐくらいなら、大丈夫だよな」
 もう一度流れに手を入れ、水を掬う。
 その中に、大きな虫が入り込んだ。
「うわっ! キモっ!」
 思わず振り飛ばし、そこで異常に気が付いた。
「な、なんだ、これっ!」
 目の前の川を、虫が流れていく。おそらく川の虫だと思うが、ピクリとも動かないまま何匹も下流に流れ去る。
 そして、白い腹を見せて、川魚さえも喘ぎながら水流に浮かんでいた。
「う、うわあああああああああっ!」
『勘違いするな。俺、狩りするの止めない。でも、邪魔する』
 毒。その単語に気が付き、慌てて籠手を着けて剣を構える。
『お前、毒効かない。でも、魚、虫、毒で死ぬ』
「なんてことしやがるんだよ!」
『欲しかったら獲れ。でも、お前の鎧、毒魚、食わせてくれるか?』
 流れていく、魚が白い腹を見せて流れていく。手に取れば鎧の効果で毒魚を食っても問題が無かったかもしれない。でも、みんな急流に押し流されていってしまう。
『俺、お前見てる。お前、動く時、食べるとき、寝るとき、みんな見てる』
「う……」
『忘れるな』
 それきり声が途絶える。だが、今の浩二にそれを安全だと考えることはできなくなっていた。
「く……」
 川原を見回し、大きな岩の陰を探る。崖を見上げ、張り出した木の枝に目を凝らす。
 岩陰には誰も居ない、鳥の小さな影がまばらに枝を揺らすばかり。
「ちくしょおおおおっ!」
 浩二の絶叫が谷川に木霊した。

 絶叫を耳にしながらシェートは川に突き出た岩の上に立ち、網を引いていた。中には白い腹を見せて浮かんでいた魚が大量に入っている。
『まさか、"根流し"までやるとはな』
「知ってたか」
 川漁の一つであり、シェートもめったなことではしてはならないと、ガナリから戒められた毒撒き漁法。
「これで川、汚れた。少なくとも三月、根流しできない」
『大量に獲物は取れるが、漁場が荒れるゆえな。無軌道な根流しで集落が潰れたのを見たことがある』
 毒自体は人間やコボルトには猛毒というわけではない。しかし、川魚だけでなく、その餌になる虫や小魚まで殺すことになるため、川の環境が荒れてしまう。村を開く時に一度だけやったきりで、シェートたちも根流しは禁じ手にしていた。
『しかしこれで、また勇者から一つ奪ったな。これで奴は川で魚を獲ろうとは思わないだろう』
「一つ違う、多分、三つ」
『三つ? ……川の水が飲めぬことを入れても二つだと思うが』
 編んでおいた粗製の魚篭に魚を入れ、そのまま岩を飛び歩く。鎧を着けた人間ではとてもたどり着けない早瀬の岩を、シェートは軽々と飛んだ。
「あいつ、もう食べ物探すの、怖い思ってる」
『どこにお前の手があるか分からないから、か』
 頷くと崖近くの岩に飛び移り、崖を登る。
『ところでその魚は?』
「食う。根流し、漁だ。食べられなくする方法違う」
『そうではない。とても食べきれないのではといったのだ』
 宝の山を背負い直し、コボルトは笑った。
「勇者来れない岩山、そこで干す。俺、食い物困らない」
『なるほど。では勇者の方は』
「しばらくほっとく。あの辺り、あいつ食えるもの、食える分かるもの、何も無い」
 そうだ、そのことを自分は知っている。そして敵は知らない、知ることができない。その視線が岸辺の近くに咲く、小さな花を見た。
「知ってるか。あの花、根っこ食える」
『ああ、塊根の部分だな』
「焚き火入れて焼く、すごくうまい」
 それを知らずに踏みにじっていた姿を思い出し、狩人は苦笑した。
『どうした?』
「なんでもない」
 川の流れる音を背に、コボルトは再び森の奥に姿を消した。

 再び世界が夜に包まれていくのを、ゼーファレスは暗澹たる眼差しで見つめていた。
 結局、コボルトは時折勇者の様子を確認するのに忍び寄ったきりで、一切姿を見せていなかった。本来ならそこで息をつき、気持ちと体を休めることができただろう。
 しかし、勇者は全く落ち着かな気に周囲を見回し、小さな物音にも驚いて剣を構える。
『く、くそっ……どこに行ったんだよ、あいつ……』
 薄暗くなりかけた森の中、不安に顔を曇らせている子供。握り締めた神剣が、まるで棒切れのように見えた。
「だ、大丈夫だ! 今は休め! あの魔物はお前の側にはおらん!」
 その時、茂みの中から何かが飛び出す。振り向いた勇者の目の前に居たのは、一匹のウサギ。
『あ……っ』
 剣を握り、一歩踏み出した途端、小さな獣は一瞬で姿を隠した。
『くそっ! くそっ! くそおおっ!』
 手に取るように分かる、あのウサギを仕留め、何とか口にすることができればという思いが。だが、手持ちの魔法では小動物など粉々に砕けるし、剣を振り回して当たる間合いに居続けてくれるわけもない。
「ば、馬鹿者、そんなことをせずとも、ほれ、その右手にある木が」
 コボルトが皮を剥ぎ、口にしていたのと同じ木が立っている。それさえ教えられれば、そう思いながらも伝える術が無い。
「くそおおおおっ!」
 まるで役に立たない。千の軍を前にしてもひるまない鎧、万の敵を切っても刃こぼれ一つしない剣、瞬時に大魔法を扱える腕輪。
 そのどれもが、緑の地獄に抗う力を持ち合わせない。
 なにより自分の声が、一つとして届かない。目の前に居る妹は配下と言葉を交わし、森の秘密を隠すことなく自分に教えているというのに。
『サリア、勇者、どうだ?』
「さまよっている。大分参ってきているようだ。今も叫びながら下生えを刈っているぞ」
『そうか。俺、水汲んでから行く。そろそろ次の仕掛け、やる』
 森には恵みが満ちている。それを余すところ無くコボルトは使いこなす。食料、水、武器、罠の材料として。
 そして、天からは妹の目。冷徹に、確かに下界の状況を配下に知らせていく。
「いつからだ……」
「……なんのことでしょう」
「とぼけるな! この山に陣を引き、我が勇者を捕らえる罠と変えたは、いつからだと聞いておるのだ!」
「勇者に破れ、逃れし次の日、辺りかと」
 こともなげに言い放つ妹に、ゼーファレスは叫喚した。
「ありえぬ! それでもせいぜい二週間だぞ! 我が勇者の行方を捜し、その上で罠を張る場所を選び、仕掛けを施すなど!」
「シェートにはただ、勇者の進む方向だけを調べて貰いました。その後は差配は不詳ながらこの私が」
「……まさか」
 思い出していた。妹は地のものと交わることを好み、世界の上を経巡ることを楽しみにしていたことを。
「とはいえ、私はただ、陣を引くにかなう場所を配下に教えたまで。季節や星の巡りでいささか変わりはありますが、あの世界の地勢は悉く、我が頭に入っておりますゆえ」
「お……おのれ……」
 たった一日と半、それだけの時間が過ぎた時点で、勇者の優位は剥ぎ取られていた。
 頼るべき仲間から離され、自由な思考と行動を奪われ、食料を得る術を失った。
 叫ぶのに疲れ果て、ぐったりと背を大木にもたせかける姿は、まるで。
「だが! 所詮はそこまでだ! 鎧を貫く一撃は生み出せておらぬ!」
「ですが、勇者殿を」
 剣を地面に置き、片手のこりをほぐすように手を振っている。鞘の代わりになるものを見つけられず、何度かあんな動きをしているのを見ていた。
「我が神剣は勇者専用! 確かに鋭く強い剣ではあるが、貴様の配下では真の力は引き出せぬ!」
「ですが、棒切れよりはましな武器になりましょう」
「サリアアアアアアアアアア!」
 向こうの世界には闇の帳が下りていた。勇者は怯え、辺りを見回している。
「何をやっているこの馬鹿者! 奴は何か仕掛けるつもりなのだ! 頼む、頼むから気づいてくれえええええっ!」
 叫ぶ自分の視界に、コボルトの姿が見える。それを伝える術を持たないまま、敵の新たな策が始まった。

 また、森は闇に包まれた。
 周囲でざわめく梢の音も、下生えの風に鳴る音も、浩二の神経を逆なでしてくる。どこに行っても木が視界を塞ぎ、見晴らしのいい場所がほとんどない。
 森なんて、こちらに来るまで意識したことも無かった。小学生の時に林間学校で夜の森を歩いた記憶もあるが、あれだって引率に連れられただけだし、こんな風に圧倒的な闇の中に放り出されるなんてなかった。
 一応、梢の薄いところを探して、夜空が見えるところに居るが、月明かりすらない状態であまり意味は無い。
「……くそ……」
 片手がだるい、ずっと握っていた剣のせいで手首が熱を持っている。鞘が無いことがここまで響いてくるなんて思わなかった。
 それに、あの昼間のことが、忘れられなかった。
『俺、お前見てる』
 思わず空を見上げる。あまり枝振りの良くない木の上には、何の姿も居ない、ように見えた。周囲の茂みも、ここに落ち着くまでに、何度か見回しておいた。
 落とし穴も、蔓の罠も無い、それでもあの木の陰に、あるいは少し離れたところに転がった岩に、何かが潜んでいる気がする。
「大丈夫、大丈夫なんだ」
 そっと鎧を撫でる。これさえあれば、自分は大丈夫だ、罠を喰らっても傷一つ負わないし、あいつの攻撃は自分には通らない。
 何とか気分を落ち着けようとするのに、腹がぐるぐると鳴った。
 喉も渇いている、何か飲みたい。
「あいつ、水とかどうしてるんだ」
 自分で川に毒を流した以上、毒消しを使えるか別の水場を確保してあるんだろう。
 それを見つければ、だがどうやって?
 腹が減って、喉が渇いて、仲間もいない一人ぼっちで。
「こんなの、おかしいだろ……」
 一体どこで間違ったんだ。昨日まで、自分は無敵の英雄だったはずなのに。

 ほーう……

「な、なんだ?」

 ほーう…………ほーう……

 遠くから、何かの鳴く声がする。
 最初はそう思った。
『ほーう……ほーう……ほーう』
 暗い森に、声が響きだす。それは間違いなく、あのコボルトの声。
「き、きやがったな!」
 身構えた途端、近くの茂みが揺れる。薄暗がりに目を凝らし、剣を構えてそこへ一気に走った。
「ぶった切れ『ゼーファレス!』」
 熟達の剣士の一撃が茂みを両断し、茂みを打ち払う。だが、そこには何も無い。
「く、くそっ!」
『ほーう! ほーう!』
 声が遠ざかり、同時に別の茂みが音を鳴らす。これもブラフだ、ということは敵はまたこちらをいらだたせるだけで、直接攻撃するつもりは無いに違いない。
「もうその手は喰うかよ! 勝手に好きなだけ吼えてやがれ!」
 木の下に陣取り、剣を地面に突き刺す。近づいてくれば魔法をお見舞いすればいいし、近づいてこないならゆっくり休ませて貰うだけだ。
『ほーう、ほーう、ほーう』
「ちっ……」
『ほーう……ほーう、ほーう!』
「……っ」
『ほーう……ほう、ほーう、ほーう!』
「うるせぇってんだよ……」
 声は遠く、あるいはすぐ近くで響いてくる。あるときはほんのすぐ側、と思えば森の外れの方で声がすることもある。茂みや木の枝もがさがさと音を立て、どこからどこへ動いたのかすらつかめない。
『ほーう! ほーう! ほーう!』
「だまれえええええっ!」
 敵は確かにそこにいる。しかし、声ばかりを上げて一行に近づかない。その上、渇きと空腹が嫌が上でも意識されて、気分が滅入ってきた。
「畜生、こんなの、こんなの勇者とか関係ねぇじゃんよ……」
 頭を抱え、その場にうずくまる。それでも視線だけは辺りに気を配る。相手は自分の気の緩みを突いて、剣を奪いに来るはず。
「早く、早く来い……」
 じりじりとした時間が続く。
「……なにやってんだ……早く……?」
 声が止まっている。森には静けさが戻っていた。
「な、なんだよ、あいつ帰っ」

 ガンッガンッガンッ!

「うわあああっ!?」
 金物を打ち合わせる激しい音、吼え声に入れ替わるように打撃音が夜を震わせた。
「うるせええええっ!」
 多分、鍋か何かを打ち合わせているのか、今度は自分を遠巻きにめぐりながら、コボルトは騒音を撒き散らし続ける。
 ただでさえイライラしているところへ甲高い金属音は神経に堪える。耳を塞ぎ、相手の位置を探ろうと闇に目を凝らす。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
 今すぐ走り寄ってぶった切ってやりたい。しかし、今出て行けばきっと何かの罠に掛かってしまう。その隙に何が起こるか、次こそ剣を盗まれるかもしれない。
 頭を押さえつけるような金属音が、ぱたりと止んだ。
「う……?」
 耳から手をどけ、剣を手に取る。ようやく静かになったか、そう思った途端。
『ほーう!』
「またかよ!」
 魔物が夜を駆け、吼え声が辺りを満たす。決して位置を気取らせない歩行で、浩二の世界をかきむしって行く。
『ほーう!』
「や、やめろ……」
 吼え声が耳の奥に染み入る。
『ほーう!』
「やめろ……っ」
 そしてぱたりと止んだ声。
「う……?」
 再び、脳を突き刺す金属音が森のしじまを裂いた。
「やめろおおおおおおおっ!」
 鳴り響く音の向こうに、深い闇の向こうに、浩二は腕を突き出した。
「砕け『ゼーファント』ぉぉぉぉおおおおおお!」
 爆裂が騒音を吹き飛ばし、森中がわめき騒いだ。鳥が鳴き声を上げて飛び立ち、動物や虫たちが大気をゆるがせて逃げていく。
「畜生っ、ちくしょうっ!」
 魔法の明かりが消え、騒音が失われる。
 吼え声も金属音も消え、ようやく世界が落ち着きを取り戻す。浩二はほっと地面にへたり込んだ。
 これで休める、とにかく今日のところは。
「ほーう」
 その声は、すぐ後ろから届いた。
「――っ!?」
 自分のもたれていた木の陰に、輝く双眸。
「つ、貫け『ゼーファント』!」
 言霊に従い、集った魔法の銀光が照らし出したのは、コボルトの体を包む木の板、はじける防御の閃光と砕けていく木片。
 だが、傷一つ無い毛皮の姿はニヤリと笑い、闇に消えていく。
「あ……!」
 使わされた、魔法のストックが一瞬のうちに使い切らされた。
 明日になれば、またチャージはされる。だが、今日はもう使えない。
 夜明けと共に力は戻る、だが今は何時だ?
「あ、ああ……!」
 抜き身の剣を引っつかみ、必死に抱きかかえた。これは奪われるわけにはいかない、そんなことになれば、一体どうなる?
 もう虫のことなど構っていられない、ピッタリと背中を木につけ、身を固める。
 ガンッガンッガンッ!
 金属音が鳴る。
 音が鼓膜を刺し、意識に痛みすら感じさせる。浩二はそれでも、必死に体を固めて、剣を守ろうと目を見開いていた。

 手にしていた錆びた鍋と剣であった代物を収めると、シェートは場から離れる。勇者は強張った形相で闇を見つめたままだ。
『なるほど。これが熊狩りのやり方か』
「熊、そのまま戦ったら、死人出る。だから、色々やる」
 シェートの隠れ家は勇者の居る森から少し離れた場所、川岸の岩山の上にある。人の足ではまず登れないし、茂みが周囲を隠してくれていた。
「まず、巣穴見つけて潰す。そいつ以外の臭いつける。縄張り、うろつく」
『帰る場所を無くし、熊のテリトリーを壊す。その上で、近づかずに声や音で精神を参らせるのだな』
「うん。大きな音、俺たちの声、熊追い立てる。熊、食べること、飲むこと許さない。それ、長い間続ける」
『なるほど、狩りの時にはろくに食べられない、と言っていたのはこういう意味か』
「熊狩り特別、気持ち、特に疲れる」
 枝を組んで作った掛け小屋にもぐりこむと、用意しておいた木の実や干し肉を頬張り、水で流し込む。鹿の毛皮に包まると、目を閉じた。
「少し寝る。北の星、山のてっぺん掛かる頃、起きる」
『起してやる必要もないのだものなぁ。私の立つ瀬が無い』
「見張り、頼んだ、ナガユビ」
 別にサリアが役に立たないわけではない。不眠不休で文句も言わず、見張りを続けてくれるものが居るのはありがたい。
 これで二日目、最後の日まで気は抜けない。
 狩りはいつだってそうだ、今までと同じく、食べられるときに食べ、眠れる時に眠ればいい。
 シェートの視界は、すぐに安らぎの暗闇に落ちていく。

 いつのまにか夜は明けていた。視界が白く縁取られていて、目の下に痛みを感じる筋が入っている感じだ。
 浩二はあくびをして、それから剣を握りなおした。
 結局コボルトは夜通し騒ぎ、うろついていた。気が付くと叫び、甲高い音を鳴らして自分をいらだたせてくれた。
 一体、あいつはいつ寝たんだろう、もしかすると向こうは、全く眠っていないのかもしれない。
「くそ……夜更かしには、慣れてるはずなんだけどなぁ」
 剣を引きずるようにして持ちながら、木の根方から歩き出す。今日は霧は出ていないから、昨日のようには襲撃されない、かもしれない。
 下手すれば二日ぐらいは寝ずにゲームをやることもあった。廃人寸前までネトゲをやり続け、いくつかのゲームではかなり有名人にもなっていた。
 そんな時、声が聞こえてきたのだ。あの忌々しいカミサマの声が。
「やっぱり、こんなのクソゲーじゃねぇかよ」
 確かに無敵の能力を使えば、敵に勝てた。大軍だって、巨大な化物だって怖くない。
 それが今、たった一匹のコボルトに振り回されている。
 ぐるるるるる。
 腹の虫が、空腹を訴えてきた。それでも、何も無い。
「あー、ラーメン喰いたいなー、醤油とんこつでニンニクたっぷりの奴!」
 うっかり口にしてしまった言葉に、激しい後悔が湧いた。
 頭の中に湯気がもうもうと立つラーメンのイメージで汚染される。しかも、想像の中のどんぶりには、脂がてらてらと光ったロースのチャーシューまで敷き詰められていた。
「畜生! 米喰いたいよ米! もう固いパンはうんざりだっての!」
 やめようと思うのに、後から後から妄想が湧いてくる。腹の虫は鳴りっぱなしで、イライラがさらに募る。
「……あー……のど、かわいたなぁ」
 空腹もそうだが、こっちも切実だ。確か、青草でもかじるといいと何かで聞いた気がするが、それもさすがにやる気が起きない。
 あいつが、どこかで自分を見ている。
 もしかすると、その辺りの木や草に、毒でも撒いているのかもしれない。そんなことはありえないと分っている。それでも、手が出せない。
 浩二の足は、自然とふもとの方へ向いていた。次第に川の流れる音が近づいてくる。
「あー、くそ……」
 昨日コボルトを見失った崖の上には、焚き火の跡以外何も無い。今日は一度も姿を見せていないのは、夜の騒ぎで疲れて眠っているのかもしれない。
「まてよ」
 素早く辺りを見回すと、浩二は崖の上に近づいた。そのまま、昨日と同じように、必死にバランスを取りながら降りていく。昨日と同じ場所に立ちながら、川を見つめた。
 どうやら、ここまでは問題ない。もし見ているのなら、自分が川辺にうずくまった途端に毒を流すつもりだろう。
 水は比較的澄んでいた。かなり山奥だし、民家もあるようには思えない。多分、汚染という点は心配ない気がする。
 飲んだら、どうなるだろう。
 川の水は流れている、ならば毒はすぐに下流に行くはずだ。第一この鎧を着けていれば毒は排除されるはず。
 生水ではあるし、沸かして飲むわけには行かない。でも、ほんの一口くらいなら。
「そうだよな。腹が痛くなっても、ちょっとなら」
 籠手を外し、流れに手を突っ込む。相変わらずの冷たさで、顔を洗うと眠気が少し飛んだ気がした。
 昨日と同じように手に掬い、そっと口をつける
「…………っ」
 冷たい、そしてどことなく、金属っぽい香りがする。舌にはなんとなく苦い味が広がる気がした。
 大丈夫か、ダメなのか。もう一掬い、そして飲み下す。
 体には何も起こらない。
「っし」
 今度は両手で掬い、ぐいっと飲み込む。水だ、紛れもなく水。
「……っはぁ……」
 喉越しの冷たさに、ほっと息をつく。それから、もう一掬い飲んだ。
「へ、へへへ、ざまーみろ。飲んでやったぞ」
 ようやく、敵の監視をすり抜けた。その思いで笑みがこぼれる。
 とにかく水は確保できた。これで当面の問題は。
「……う……っ」
 変化は唐突で、コボルトの進撃のように素早かった。腹の中にぐるぐると廻る何か、そして鈍い痛み。
「う、嘘だろ、おい……」
 胸がむかむかとしてくる。どうしようもない気持ち悪さがこみ上げてきた。
「う……うぐっ!」
 毒ならば鎧が弾くはず、ということは、これは毒ではないのか。
「うげ……」
 気持ち悪い、どうしようもなく気持ち悪さがこみ上げる。
「ぐぶっ……ぐ、ぐえええええええええっ」
 びしゃびしゃと川原が吐瀉物で汚れ、ブーツに胃液交じりの水が掛かる。
「げえっ、ぐえっ、ぐええええええええっ」
 吐き出しても気持ち悪さが止まらない。もう吐くものなんて何も無いのに、筋肉が引きつれて、無理矢理胃壁まで吐かせようとしてくる。
「な、なんだごれっ、どぐ……じゃだいどに……げええええっ」

「一体どういうことだ、あれは!?」
 あっという間に目の前で衰弱していく勇者、なす術もなく見守るしかない兄を、サリアはただ冷静に見つめていた。
『勇者、川行ったか』
 そのことを知らせた時、シェートは平然と頷き、こう言っていた。
『好きなだけ飲め。その後、地獄、待ってる』
「我が鎧の効果で毒など退けられるはず!」
「ええ。ですが、あれは毒でありません」
 勇者の体で何が起こっているのか、シェートも断片的にしか分からないようだったが、それが何をもたらすのかは知っていた。
『金臭い水、飲むと腹壊す。きれいでも俺たち、絶対飲まない』
「おそらく、あの水はミネラル分が高すぎるのでしょう」
「ミネラルだと!?」
「単なる経口摂取では直接の毒にはならない。ただ、胃内部に入ると胃酸と化合するか、あるいはミネラル自体が胃壁を刺激し、強い痛みを感じさせるのです」
『それだけではないぞ』
 階下で全てを見ていた竜神が、注釈を加えた。
『あの水の中にはおそらく、バクテリアなどの微生物が棲んでおるのだろう。それ自体は無害であるし、毒でもない。ただ、そうした生物は環境の変化に対して、毒素を発生させて身を守ろうとするものがある』
「ならばそれは鎧の効果で!」
『もちろん毒は消えようさ。だが、胃酸は常に分泌され、微生物達はそれに対して反抗し続けるだろう。そうすればどうなる?』
 無様に胃袋の中身を吐き散らす勇者、いや、ただの子供。地面にうずくまり、瞳に涙さえ浮かべている。
 もう、誰も彼を勝者とも英雄とも見ないだろう。顔を体液でべとべとにし、泣きながら腹痛を訴える姿。兄はその姿を呆然と見据え、か細い声を絞り出した。
「イェスタよ、我が勇者の腹痛を止めてやれ」
「できませぬ」
「我が力は残っておるのだ。できぬはずがない」
「約定をお忘れでありましょうや?」
 その時、兄は眼を見開き、こちらを見た。
 ようやく全てを悟った、そういう顔で。
 だが――まだまだ。
「シェート、勇者は水を飲んだぞ」
『そうか。なら、俺の狩り、もうすぐ終わる』
 コボルトの声は冷静で力強い。彼は勇者もまだ踏み入ったことの無い、広葉樹の深い森にたたずんでいた。
 そこには岩とコケに包まれた柔らかな場所で、彼は一塊の岩の前に立ち、コケの生えた割れ目に細い枝を突き刺していた。
 つぅっと、その枝を透明な液体が流れていく。それに皮袋をあてがい、満たしてゆく。
「あんなところから、水が……」
「広葉樹の森は水を蓄える力が強く、どんな乾季でも耐え抜く力を持っております。そして、その近隣に在る岩とコケばかりの場所は、木々の蓄えた恵みが溢れる場所」
 もちろん女神は見知っていた、狩人は常からそうした場所で喉を潤していた。
「樹木を通した湧き水は甘く、滋味に溢れ、生き物を害することも在りませぬ」
 しかし戦に明け暮れ、美々しく飾ることだけを好み、神の力で全てをごり押してきた者たちは、隠された神秘に気が付かない。
 最後にシェートは草の葉で作った器で清水を汲み、飲み干した。
『うまい』
 準備は終わった。
 あとは、最後の仕上げを行うだけだ。
「いよいよだな」
『ああ。でも、もう少し勇者、締め上げる』
 兄の喉が、コボルトの言葉にうめきを上げた。
「明日は決戦だ。無理はするな」
『大丈夫。俺とても、楽に、勇者踊らせる』
 そういう彼の背中には、丸々と太ったウサギが背負われている。肩をゆすり、こちらにいたずらな笑みを向けた。
『俺、あいつに匂い、たっぷりご馳走する』
「ひどい奴だ。今の彼には一番堪える拷問だぞ」
『そうだな。俺、ひどい魔物』
 ひとしきり笑い合うと、シェートは歩き出した。
 神々の集う広間から声が絶えていた。兄ですら、玉座にしがみ付き、声もなく体をわななかせている。
 水鏡に映るのは、川辺で反吐まみれになった勇者と、悠々と森を歩く狩人。
 見えざる罠は、もう首元まで掛かっていた。



[36707] 13、わたぬすみ
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/03/01 21:32
 朝が来た。
 いくつも連なる緑の山を染め、漏れ出した白い靄を、暖かな日差しが打ち払っていく。
 風はさやぎ、梢には新たな日を感じて鳴き交わす鳥達。草むらをウサギや地ネズミがせかせかと走り回り、その音に驚いた虫たちが散り去っていく。
 いつも通りの、何気ない光景。
 普段と違うところが一つだけある。
 それは、己の命運をかけ、歩くものが居ることだった。

 弓を手に、黙々と歩く小さな魔物。
 その目は意思に輝き、鹿の毛皮で作った衣で身支度を整えていた。肩にしょった魚にはすでに串が打ってあり、火さえあればいつでも食べられるようになっている。
 やがて、彼は森の中、朽ち倒れた木によって生まれた広場にたどり着いた。
 すでに炉が組まれ、薪も側に置かれている。遅滞無く小枝と薪を組み合わせ、火壷から移した燠で火を点す。
 熱で乾いた木が燃え爆ぜ、周囲に暖かな空気を振りまくと、シェートは用意してあった魚を炉の周りに刺した。
 後はひたすら待つ、それだけだ。
『しかし、大丈夫なのか。そのように体をさらして』
「多分あいつ、一番、警戒する。俺、命かけるしかない」
 早いうちに魔法を吐き出させる、それがこの狩りを成功させるための必須条件。
 そのためには、相手が撃ちたくてしょうがない状況を作ってやるしかない。
『……シェート』
「そんな声、出すな。俺、必ず勇者狩る」
 納得したのか、あるいはそれ以上言うべきことが見つからないのか、女神が黙る。
 やがて、その気配は自分の後ろにやってきた。

 浩二は、なんと言っていいか分からない感情で、目の前の光景を見た。
 倒れた木に腰掛け、コボルトが魚を食っている。
 昨日散々美味そうな匂いを漂わせ、いらだたせてくれた敵。それ以降、こいつは姿も見せなかった。こちらは空腹と渇きと腹痛と不信で、一睡もできなかったというのに。
 おそらく、二本あったのだろう。最後の一本を喰いきると、すでに脂汚れだけになった串の隣に差し、火に水を掛けた。
「遅かったな。俺、もう飯食ったぞ」
 立ち上がりこちらに振り向く。近づくまで見えなかったが、足元には木の板が転がっていた。
 怒りと空腹で頭がくらくらするが、腹の虫は治まっている。あまりに空っぽになりすぎて、鳴ることすらできないのかもしれない。
「どうせ、俺がこうなるのを待ってたんだろ?」
 空腹で動けなくする、考えてみれば陳腐な作戦。だが、まんまと嵌ってみればこれほど効果的で、弱者が強者を倒す手段も無かった。
「そうだ。これ、熊狩り。でも、今日の獲物、勇者」
「俺をケダモノみたいに狩れっと思うなよ!」
 怒りで疲労感が吹き飛んでいく。確かに体はだるいし腹は減っている。だが、このぐらいで倒されるなんて冗談じゃない。
 それでも、コボルトは冷たい視線で言い放った。
「お前、熊以下。ウサギより楽」
「――っ!!」
 思わず魔法をぶちかましそうになり、危うく自分を押しとどめる。足元の楯があればこちらの魔法は多分無効化されるだろう。完全な無効、というわけじゃないが、致命傷にはならない。
 そうなればまた不毛な追いかけっこが始まる。そして、今日は必ず別の何かを仕掛けてくるはずだ。
 だが、簡単に策に嵌るつもりも無い。夜通し起きていたせいで考える時間はたっぷりあったし、こいつの行動の癖も読めてきた。
 素早く身を隠し、剣と魔法の両方から間合いを外すのが基本の戦い方。身を守る楯を用意して魔法を誤射させ、後は罠を仕掛けてのかく乱。
 ここで待っていたということは、魔法を無効化する楯もその辺りに散らばして置いてあるのだろう。罠だってどこにあるか分からない。
 こいつにとって一番怖いのは魔法だろう。だからあんな楯を常に用意しているんだ。
 なら、勝負は一瞬で付く。
「そうやって俺のこと、挑発してんだろ。もうひっかからねーよ」
「お前、意外と頭良いな。見直した」
「……何とでも言ってろ」
 あえて剣を前に出し、間合いを詰めてやる。こいつにとって、自分の動きなんて丸見えなんだろう。
 だが、だからこそこいつは引っかかる。俺がアイテムに振り回された間抜けな勇者と侮っているこの一瞬が、大事なんだ。
「でも、認めてやるよ。お前、多分強いぜ。俺なんかより」
「……なに?」
 こちらの言葉に、犬の無表情が驚きに開く。
 その時、浩二の頭の中に今まで感じたことの無い、冴えた思考が満ち渡った。自分の言葉が相手を動かしたと感じる。コボルトの表情が、こちらの賞賛に驚き、強張る。
 痺れるような快感、回転する思考、駆け引きの快感が滑らかに口を開かせた。
「最弱なんて侮って悪かったよ。俺の負けだ」
「な、なに、言ってる、お前」
「だが、これで終わりだ! 貫け『ゼー」
 コボルトが反射的に楯を構える。視線が奴のすぐ脇、背を庇える大樹に逸れる。
 この三日間で、初めて見せた狩人の隙。
 浩二はありったけの気力をつぎ込んだ。
「――砕け『ゼーファント』!」
 爆光が炸裂する。
 目の前に鎧の障壁が展開、同時に楯を構えたコボルトが炎の中に飲み込まれた。
「うがあああああああっ!」
 盾が砕け散り、毛皮の塊が吹き飛ぶ。その先には身を守る物も無い空き地。
 重い袋でも叩きつけたような浅いバウンドで銀色の毛皮が地面に転がる。その無防備にさらされた躯体に、浩二は歓喜を込めて追い討ちを掛けた。
「貫け!『ゼーファント』ぉっ!」
 爆発はあくまで範囲の攻撃、吹き飛ばしてしまえば致命傷を避けられる可能性がある。
 しかし魔法の矢は剥き出しの体を追いつづけ、細切れにする。
「これで終わりだぁっ!」
 頭上に灯った光が雨になってコボルトに降り注いだ。
 腹に響くこもった衝撃音、そして、耳障りな金属音。
「……え?」
「うっくおおおっ!」
 腕と足をしっかり抱えて縮こまる姿。破れた鹿皮の下から出たのは、籠手と脛当て。
「うそだろおっ!?」
「……べ、別に、背中守る、木でなくていい。地面、堅くて、強い」
 ところどころから血を流しながら、それでもコボルトは立ち上がる。その体に纏っていたのは、いつか砦で見た魔物の装備品。
「そんなの、いつの間に!?」
「最初から持ってた。サリア、きっと役立つ言ってた。でも俺、重くて嫌い」
 防具の役割を終えた籠手と脛当てを払い捨て、身軽になったコボルトが飛び退る。
「お前、これで作戦、終わりか」
 そういわれた瞬間、脳裏に後悔が駆け巡る。後一発打ち込んでいれば勝ったか、あるいは相手に深手を負わせられたはず。魔法二発使って得たのは、コボルトが保険に身につけていた鎧を剥がしただけ。
「つら――」
「おっと!」
 コボルトの姿が木の陰に消える。
「お前、全然ダメ。やっぱり、ウサギより簡単」
 嘲笑し、木に潜む姿。
 思わず歯噛みをした浩二は、何気なく地面に目を落とした。
 魔物の寝ていた辺りに、どろりと溜まる血。明らかに軽症ではない量。
 それに気が付き、勇者は笑う。
 まだ終わっていない。

「……くっ」
 わき腹から激痛が走る。服を濡らす血の量が意外に多い。シェートは軽く息をつき、痛みに顔をしかめた。
 侮っていたわけではない、いや本当は心のどこかで侮っていたのだ。あれは他愛の無い子供だと。
 だが、猛獣の子はやはり猛獣。勇者を名乗るのであれば、それなりのものを持っていると考えるべきだった。
『大丈夫か! 動けるか!?』
「痛み、少し治まった」
 だが、流血と痛みが体から力を奪う。再生力が高まったと言っても、たちどころに直るわけではない。
 とにかく少しでも距離を、そう考えた瞬間。
「ぶった切れ」
 怖気がうなじをなぶる。体が痛みを越えてしゃがみこみ、
「『ゼーファレス』っ!」
 今まで自分があった場所に、輝きが奔った。勇者の刃が大木を両断し、こちらにめりめりと倒れてくる。
「うああああああああああっ!」
 必死に飛び出した先にあったのは、凶悪な笑顔に歪んだ男の顔。
「おらあっ!」
 真っ向から打ち下ろされる刃、横っ飛びにかわした肩が傷つき、血が流れ出る。
「ぐうっ!」
「おらおらあっ!」
 打ち下ろされる一刀、その切っ先が頬を裂き毛皮を濡らす。
「くあああっ!」
「ぶった切れ」
 魔法の言葉が勇者の口を突いた。繰り返し思い描いてきた反射のタイミング、弓が引き絞られ、刹那の一瞬に体が備え――。
「うらああああっ!」
「ぐはあっ!」
 横薙ぎに一閃、服と共に腹の皮が浅く裂け血が吹き出す。
「お前の作戦なんて、もう見切ってんだよぉおおおっ!」
 返す刀が斜めに走り、避けそこなった口元に更なる傷を生み出す。
 振り方は素人そのもの。力任せで荒っぽい、それでも手傷を負った体で交わし続けるのは至難。
「ほらほらどうした! ウサギより、楽じゃ、なかったのかあっ!?」
 銀の光が空を切り、必死に飛び退った体を浅く傷つける。勇者の顔が怒りと狂奔な嗜虐に歪み、
「うっ!?」
 いつの間にか、背中に倒木の気配があった。
「避けんので精一杯だったか? コボルトさんよ」
 倒れた木の幹、その太さは自分の膝ぐらいはある。飛び越えるには体勢が悪すぎ、目の前には刃を構える勇者。
「さぁ、今度は俺の番だ。当ててみな、剣か、魔法か、どっちでお前を殺すか」
「う……」
 痛いほどの殺気。三日前、こっちの動きをまったく予測も出来なかった人間とは思えない、鋭い眼光。勇者の体が一回り大きく見える。
「貫け」
 抑揚の無い声がほとばしる喉。だがその右肩に、ぴりっとした緊張が浮き上がるのを狩人の目は見逃さなかった。
「なんてなあああっ!」
 瞬間的に振り上げられた剣、シェートの思考が恐怖よりも生存に手を伸ばす。
「くおおおおおおっ!」
 輝きを纏わせた弓が必死に剣を受けた。その間で力が爆ぜあい、視界を焼く。
「くっ、あ、ああっ!」
 ぶあっと、脇から血が噴出し、力が抜けていく。押し込む男の顔はどこまで残酷に輝いていた。
「さんっざんいたぶってくれたよなぁ! どうだ? ずっと馬鹿にしてた勇者様の力はよおおおおおおっ!」
「ぐああああああああっ!」
 力比べでは勝ち目は無い、押し込まれた状態では何もできない。痛みが脳を焼き、白刃が眉間に迫る。
『前に倒れろシェートおおおおおおっ!』
 天啓に、体がぎゅっと縮こまる。
「うおおっ!?」
 勇者の剣は自分の背丈よりも長い。その切っ先が振り下ろした勢いのまま、自分を断つことなく突き刺さる。
 そして、コボルトは跳ねる。
「うがああああああっ!」
 身体中の力を振り絞り、弓ごと腕を突き込む。鎧の障壁が攻撃に反応して、シェートを激しく吹き飛ばした。
「うおっ!」
「あああああっ」
 弓が砕け矢筒が吹き飛ぶ、それでも勇者との距離は取った。だるさが意識を泥沼の中に引きずり込もうとするが、それでも魔物の体は後ろに飛んだ。
「ま、待ちやがれ!」
 こちらに向けて猛然と走る勇者。視線を逸らさず、シェートはそのままの勢いを殺さずに地面を転がる。
 森はなだらかに傾斜し、それを利用して必死に転がる。枯れ枝がいくつもわき腹を裂くが、それでも転倒をやめる気は無い。
「くそおっ、まてぇっ!」
『シェート! 後ろに木だ!』
 回転する視界の向こうでそびえる大樹。
『そのままではまずい、右に飛べっ』
 サリアの声にしたがって体が跳ね、行く手に立ちふさがっていた木をかわした。
『早く起きよ! そのままでは傷口が!』
「転がった方早い! このまま引き離す!」
 痛みと回転で頭の中がかき混ぜられる。それでもシェートは斜面に身を預けた。転がり落ちるこちらに引き離された勇者は、顔を引きつらせながら絶叫した。
「こ、こうなりゃやけだっ!」
 その体が木に体当たりし、大きく吹き飛んだ。
「な!」
『なんだとっ!?』
 自分の障壁を頼みに、勇者も斜面を滑り落ちてくる。向こうは傷一つ負わず、多少方向を誤りながら、それでもすさまじい勢いで突進してきた。
『ど、どうするのだシェートっ!?』
「このまま目的地に行くっ!」
 わき腹は始終地面に削られ、痛みが全く引かない。それでも、何とか片膝を立てると、一気に通り過ぎる木に飛びついた。
「うっくっ」
『シェート!?』
「もう平気! このまま走るっ!」
 その脇を勇者が転がりすぎ、同じく膝を立てて起き上がる。
『おいつかれる!』
「まぁちやがれええええええっ!」
 息を吸い込み、シェートは走った。その影を勇者の蒼い籠手が引っかく。
「くそおっ!」
「はあっ、はあっ、はあっ!」
 一歩ごとに脇腹が痛む、少しでも気を抜くと意識が飛びそうだ。それでも、背後に勇者の気配を感じつつ走る。
 森の景色が変わっていく、目の前にはざわめく川の音。勇者の息が乱れているのが分かる、向こうは飲まず食わずだが、こっちは手負い。
「つ、貫けっ『ゼー」
「うわああああああああああっ!」
 力を振り絞り、シェートは跳んだ。森の端を抜け、茂みを破り、固い崖上の地面を感じる。そのまま、さらにもう一歩跳ぶ。
「おま、そっちは崖……」
 間抜けな勇者の声を後に引き、シェートの体はまっすぐに落下し、
「うっくあっ!」
 石の張り出しに両足をしっかりと乗せていた。勇者のような人間にとってはただの岩の出っ張り、だがコボルトには十分すぎる足場。
「まじかよっ! 貫け」
 それでも動きを止めず、下に飛び降り川原に転がり込む。同時に、岩陰に隠しておいた板を天にかざした。
「畜生っ! まだあんなもん!」
「はあっ! くはっ、はあっ、はああっ」
 岩と板に隠れ、息を整える。このままこうして時間を稼いでいれば、
「砕け『ゼーファント』!」
 打ち下ろされる爆圧。楯がへし折られシェートの体が石の地面に叩きつけられる。
「ぎゃううううっ!」
「いつまでもそんな手に乗ってられっかよぉっ!」
 あちこちの毛が焦げ、きな臭い匂いが漂う。それでも、何とか四肢は無事で、同時に脇腹の出血が深まっていく。
『起きよシェート! 勇者が来るぞ!』
 女神の警告と同時に、風の塊が唸りを上げて飛来した。
「このまま押しつぶして終わりだああああああっ!」
「くそおおおおっ!」
 勇者の障壁と魔物の脱出がほぼ同時に発露し、辺りに石の散弾が飛び散る。
「がふうっ!」
「うぐおおおおっ!」
 一部の石が腹を打ち、殺しきれなかった衝撃に、勇者の体がふらつく。
 そして、シェートは勇者と同時に立ち上がり、にらみ合った。

 さすがに衝撃は壁でも吸収し切れなかったのか、まだ脳が痺れている。
 それでも、浩二は手ごたえを感じていた。
 素早く動いていた姿は見る影も無い。脇腹の傷に気が付いたとき、何が何でも回復させてはならないと悟った。かなり無茶なまねもしたし、魔法も使いきっている、それでも圧倒的にこっちに分がある。
 コボルトは今、武器を持っていない。弓も矢も無いし、腰の刀ではこちらのリーチに届かない。つまり、こちらの壁を使って防御が出来ないのだ。
 素早く周囲を確認し、相手の立っている場所を確認する。隠れる物陰も無ければ、武器を隠していそうなところも無い。
 いや、違う。こいつに油断は厳禁だ。
「さすがだな。俺をここまで誘い込んだってところか?」
 あてずっぽうの一言。だが、確かにコボルトは動揺を走らせた。
 そうだ、こいつにしてみれば俺は格下に見えたろう。山で右往左往し、罠に掛かり、川の水を飲んでゲロまで吐いた。こいつの思惑通りに。
 そして、うまく行き過ぎた作戦に、油断したんだ。
「多分、ここに誘い込んで、さっきの楯で魔法を使わせる気だったんだな」
 浩二は無造作に間合いを詰める。コボルトはこちらを見つめ、じりじりと下がった。
「で、川原の石でも使って、弓が無くなった後でも俺の剣を避けられる、ってとこだろ」
 コボルトの顔に、焦りを感じた。多分図星、こちらの思考が相手の作戦を上回りつつあると感じる。
「今まで獲物だと思ってた相手に、追い詰められる気分はどうだ?」
 そうだ、こうやって相手を支配する。ゲームのようなごり押しではなく、本当の意味での戦い。コボルトの動きをけん制し、川の方へと回りこむのを防ぐ。逃げられればまた何をされるか分からない。
「でも、本当にお前には感謝してるよ。確かに俺は、勇者としてはヘタレだったかもしれない」
 腰を低く保ち、脇腹を押さえている。でも、その血は今は止まっているように見えた。
 おそらく、こちらの一撃をかわすための石か何かを持っている。
「お前を倒して、俺は強くなる。今度こそ本当の勇者になってやるぜ」
 その全てを粉砕して勝つ方法が、まだ残っている。
 あれだけよどんでいた思考が冴えている。空腹も眠気も疲れも、アドレナリンか何かで吹き飛んでいる感じだ。
「いくぜっ!」
 浩二は必殺の一刀を構え、一気に間合いを詰めた。

 鈍い痛みを発する脇を抑え、シェートは勇者の猛進を見つめていた。血は止まった、それでも動きはいつも通りには行かない。
 確かにこいつの言うとおりだろう。今まで全く敵わないと思っていた敵を追い詰める喜びに、狩人の本分を忘れていた。
 最後の最後まで、獲物が末期の吐息を漏らし、身動き一つしない血袋に変わるまで、決して油断してはならないと。
 だが、魔法は使い果たさせた。神の支援はすでに無い。こいつに出来ることは、今持っている能力の全てを使って、自分を凌駕すること。
 その、敵の切実さに気が付き、シェートは小さく口元を歪めた。
 神のごとき力を持ち、自分の仲間を、家族を、愛する人を、容易く踏みにじった男が、たった一匹の魔物、最弱の存在、コボルトを『越えようとしている』。
 静かに片手を下ろし、地に触れる。
 そして、シェートは勢い良く腕を振り上げた。

 風すら切り裂く速度で、銀色の毛皮が川原の礫を放ち、結界が勇者を守る。
 だが剣は振られない、突進が圧力になり、コボルトの体が弾ける。
 何者の敵も許さぬ否定の障壁が、木っ端のように最弱の魔物を吹き飛ばし、その体を身動き一つ取れない空中に放り出した。
「ぶった切れ『ゼーファレス』っ!」
 結界が消失し、剣が勇者の声に従って神力を輝かせる。
 その時、浩二は見た。
 コボルトの片手に握られた石と、そこに繋がる一本の蔓。その導線は自分のわき腹辺りから伸び、魔物の体と一緒に猛烈な勢いで引っ張られていく。
「な」
 そして、背後からの強烈な衝撃が勇者の結界を励起し、神剣が吹き飛ばされた。

「うわあああっ!」
「ぐあああっ!」
 激しく地面に叩きつけられたが、すばやく体を起こしシェートは勇者を見た。
 結界の反射によって、限界を迎えていた握力から剣が逃れ去る。
 そして、聞く者の胃の腑を貫くような鈍い音と共に、背後の大岩に突き立った。
「はぁっ……はぁ……はぁっ……」
 息は苦しいが、それも次第に軽くなっていく。脇腹の痛みはかなり引いてきた。血の流れも止まり、動くのに支障は無い。
 勇者は自分の手から失われた勝機を、呆然と立ち尽くしたまま見つめていた。
「なんで……だよ……」
 身に纏う一両の鎧を残し、奇跡は失われた。依然と立ちふさがる壁を感じながら、それでもシェートは立ち上がり、臆さず歩み寄る。
「なんで、あんな」
「最初から、知ってた」
 こちらの返答に、信じられないものを見る目つきが投げられた。無敵の守りを持つはずの勇者が下がる。
「お前達襲った時、お前、動き違った」
「え……」
 小麦粉を浴びせる一瞬。斬るのではなく、間合いを詰めることを最優先にした前傾。そして、さっきも見せた姿勢。
「サリアにも聞いた。お前の壁、自分からぶつかっても出る。さっきの山、転がる時、お前、迷わなかった」
 地面に仕掛けておいた蔓の罠は、この川原にいくつも敷設されている。相手の間合いを図りながら、その直線状におびき寄せる。ただ、そのことを気づかれないようにするための演技が、一番難しかった。
 勇者の顔から生気が失われていく、せめぎ合い、読み合いをしていた、そう思っていた思惑が最初から打ち砕かれていたのを知って。
「俺、お前、ずっと見てた。サリアに聞いた。ずっと、ずっと、ずっと、一杯、考えた」
「あ……あああ」
「お前狩る、そのために」
「うああああああああああっ!」
 でたらめに繰り出された拳、それを容易く避けると、シェートはすり抜けざまに勇者の背をそっと、押した。
「うわああああっ!」
 転び、地面を舐める。もちろん擦り傷など無いだろう、だが、こんな羽のような一触れで、容易く勇者は転がった。
「立て」
 這いつくばり、それでも必死に立ち上がり、勇者は拳を固めた。
 徒手になろうと、自分には無敵の鎧がある。
 その信仰だけをよりどころにして。

「ふ……ふざけんなよ……」
 コボルトの視線は、もう自分に怯えていない。一瞬前に見せた動揺もすっかりなくなっている。さっきは一体何をされた? どうして自分は地面に倒れた?
 だがまだ戦える、この鎧さえあれば、こいつの攻撃が当たることは無い。
 そうだ、剣を、剣を取り戻そう。
 日の光を浴びて、伝説の武器のように岩に突き立った一振り。
 あれさえ引き抜けば、もう一度戦える。こいつを殺せる。
「い……いくぞっ!」
 両足に力を込め、浩二はコボルトめがけて走り出した。
 
 確かに、走り出そうと、した。

「あ?」
 ぐにゃり、と足から力が抜ける。
 地面が急に近づいてくる。
「なん、で」
 鈍い衝撃と共に、浩二は地面に倒れ伏していた。

「な、なぜだあああああああああっ!」
 もう何度目の絶叫だろうか、美しき神と呼ばれた兄は、顔をゆがめて声を振り絞る。
「なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだああああああああっ!」
 悲鳴が水鏡を揺らし、彼の動揺と一緒に震えていく。倒れ付した勇者は、冷や汗を流しながら地面に転がっている。
「なぜ、勇者が倒れたのだ!? なぜ!」
「兄上。貴方はいつも勝ちに行く勝負を用意し、負ける戦を見ようとはなさらなかった」
 常勝の神とも呼ばれる彼の存在、その裏側にあるもの。それは、敗北を恥として、決してそこから生まれるものを見ようとしない狭量さ。
「それがどうしたのだ!?」
「貴方が汎世界で信仰されるのは、御身の加護により、負け戦や厭戦が起こらぬゆえ。そのため貴方も、あることを気にする必要が無かった」
「な、何のことだ!?」
『糧秣、輜重、補給線、つまり戦を「維持する」という行為に関わるもの、だな』
 竜神の言葉に、兄は首を振る。
「そんなものいちいち考えることなど無駄だ! 常に勝ち、あらゆる勝負において力が勝れば」
「それが叶わぬとき、貴方は戦場を去った。だからこそ、『飢え』の恐ろしさを知らなかったのです」
「飢えだと!? ふざけるな! たった三日で人が飢え死ぬというか!」
「確かに、飢えて死ぬ、ということは考えにくいでしょう。ですが」
 勇者は体を震わせ、ひたすら脂汗を流している。顔は蒼白で、ひどくやつれて見えた。
「シェート、どう見る」
『うん。ようやく、こいつのわた、盗めた』
「わたを、盗む、だと?」
「そうです。私たちが狙っていたのが、これです」
 熊狩りの話をした時、シェートは言っていた。熊を狩る時にはわたを盗まれないようにする、と。
「熊が何を盗むのだ?」
『熊違う。山にわたを盗まれる』
「山が、盗む?」
『飲まず食わず、山で狩りする。時々、動けなくなる奴、出る。それ、わたぬすみ』
 激しい運動と狩りのストレス、それによって発生する過度の消費状態。
 やがてそれは急性の栄養失調を呼び、唐突に生き物の動きを止める。低血糖とカロリー不足による全身虚脱は、時に生き物を死にすら追いやることがある。
「それを彼らは、山にわたを盗まれる、と言っています」
「あ……ああ……」
「加えて、嘔吐による脱水、塩分を初めとする必須ミネラル分の欠如、睡眠不足に異常状態に置かれたストレス、その全てのダメージが今、彼を襲っているものの正体です」
 同じ光景を、戦場で見ることもあったろう。絶望的な篭城戦や、補給物資の届かない激戦区の兵士達に。
 時として病気のネズミすら奪い合い、一粒の麦のために他者の胃袋を切り裂いてでも生き延びようとする、飢えの極限状態の中に。
 いずれも華々しい勝利のみを追い求める神には、無縁の世界だ。
 ゆえに、この状態になるまで、気づくことができなかった。
「最初から、私たちは彼自身を攻めていたのですよ」
「ああ……ああああああ……」
 どんなに堅牢な鎧であろうと、中に入っているものはただの人間だ。神の力を付与したところでそれは変わらないし、本来の生理現象を改ざんすることは禁じられている。
 食事、睡眠、排泄、こうした営みを無視することはできない。
『こんな手に気づけという方が残酷であろうよ。勇者同士の戦いはあくまで力比べ、こうした手を使うのは魔物ぐらいのもの……と、こやつは魔物であったか』
「ええ。彼は魔物ですゆえ、このような外連の技も使うということです」
 そうしている間に、シェートは勇者に歩み寄っていく。
「な……何をする気だ」
「シェート、彼の鎧の首元が見えるか」
『ああ、見える』
 水鏡の向こう、荒い息で仰向けに転がる勇者の鎧に、輝く星のような宝石。
「それがその鎧の核、それを破壊すれば」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 勇者と同じぐらいの虚脱した顔で、兄神が叫ぶ。
 それに構わず、サリアは指示を飛ばした。
「そっと刃を当て、刻まれた紋様の一部を削れ、我が加護で」
「やめろ! やめてくれ! やめさせてくれサリア!」 
『削ればいいのか』
 苦しげにうめいた勇者が、事態に気がつき瞠目する。
『な、なにやってんだ! や、やめろ!』
「やめろ! そのようなことをすればあの鎧に掛けた加護があああああああ!」
 がちりと、山刀が押し当てられ、
「『やめろおおおおおおおおおおおおおっ!』」
 閃光が弾けた。

 自分の山刀が光った瞬間、シェートは辺りに満ちていた圧力が消えたのを感じた。
 勇者は、呆然と鎧の胸元を見詰める。そこにはくすんだ色の汚い石と、その周囲が焼け焦げた痕。
『……鎧をはがせ』
 冷たい命令を耳に入れ、刀を納めて片手を鎧の脇に突っ込む。
「お、おい、何、するんだ!?」
 留め金に爪を引っ掛け、加護の力と共に一気にむしりとる。
「うあああああああああああっ!」
 引きちぎられた鎧と一緒に勇者の絶叫がほとばしり、その下から彼本来の体が現れた。
 見たことも無い材質の服と、その下にある貧相な体。いや、騎士の体に比べればといった程度で、多少は筋肉もあるようには見える。
 だが、天下無双の力を生み出す原動力など、欠片も感じなかった。薄い胸板が必死に上下を繰り返しているのみ。なんの力も神秘もない、痩せた体だけがあった。
「や、やめろおっ」
「お前……まるで沢蟹」
 ようやく、搾り出せたのはそれだけだった。
 大きなハサミと、固い殻を持ち、川の中で王様を気取っていたという、沢蟹の話を思い出す。小魚や蛙を従え有頂天になっていた蟹は、高い岩山の天辺に昇ったところで鳶にさらわれ、その命を終わらせる。
 母親に聞いた昔話、その沢蟹の化身のような存在。
「な、何が蟹だ! 俺は勇者だぞ!」
 必死に叫ぶ姿、汗を掻き、涙を浮かべ、身じろぎする子供。
「だ、だいたい……こんなの、おかしいだろ……!」
 わたを盗まれ、息をするのも苦しい中、子供が叫ぶ。
「こんなの、こんなゲームありえないだろ! なんで、なんで、お前みたいな、コボルトに、俺が……勇者が……まけるんだよ……!」
「ゲーム……」
「そうだよ! だ、だいたい、負けるにしたって、もっとあるだろ! おまえなんかじゃなくて、魔王の、腹心とか! ……それが、こんな、こんなのおかしい、おかしいじゃないか!」
「おかしいか」
「そうだよ。こんなの、おかしいんだ! こんなクソゲー、やってられるかよ!」
 シェートは高く拳を上げ――振り下ろした。
「いぎゃああっ!?」
「おかしいか」
「あ、あぐっおま、なぎゃあっ!」
「おかしいか。俺の家族、殺したの、そんなにおかしいか」
 さらに拳を、振り下ろす。
「俺の、友達、殺したの、おかしいか!」
「ややめぐああああっ!」
「お前には、ゲームか! 俺の、大事な人の命、ゲームか!」
 振り下ろす。
 振り下ろす。
 振り下ろす。
「やがあっ、やっ、ばべっ、ああっ、ああっ、やべでえあがっえっ」
「お前! お前! お前! 俺のっ、俺のっ、俺のっ、俺の大切なもの! 奪って!」
 自分の拳が裂ける。子供の歯が砕ける。
 それでも、振り下ろす、振り下ろす、振り下ろす。
「やってられないか! ありえないか! 納得いかないか!」
 白い顔が赤く、青く、どす黒いまだらになり、高々と振り上げた両拳に、コボルトは絶叫した。
「お前に奪われた俺! 一番納得、いかないんんだああああああああああっ!」
 ぐしゃり、と音がした。
 鈍い音と一緒に、鼻梁が粉々に砕ける感触。
 それでも、まだ勇者は、息を漏らしている。
『もう止めよ、シェート』
「止めるな!」
『……何をやっているのだ、ガナリよ』
 女神の言葉が、荒れ狂った自分の心を、ぐっと引き戻す。
 コボルトは手を下ろし、いつの間にか馬乗りになっていた体を、勇者の胸からどけた。
『我らは今、狩りの途中であろうが。獲物を私怨で痛めつけるが、狩人の技か』
「あ……」
『見て分かろう。そやつは子供だ。甘言で踊らされ、舞い上がった存在にすぎん。勇者でもなんでもない……ただの人の子だ』
「……すまん」
 沸騰したのと同じぐらいの速度で、心が冷えていく。そして腰の山刀に手が伸びる。
「終わりにする。いいな」
『ああ』
 息も絶え絶えになった獲物の首に、刃があてがわれた。

「やめさせよ! サリア!」
 何もかもが悪い夢のようで、未だに信じられない。
 自分の加護が打ち破られ、血だるまになった勇者が悲鳴を上げた。そして今、あの最弱の魔物に殺されようとしている。
「こんなこと、あってはならぬ! あれは英雄、勇者なのだ! 散るならば栄誉ある死こそがふさわしい! それをなんだ! この醜い様は!」
 こんなものは認められない、あってはならない。
「どこの世界にこんな物語を好むものがある! 神に選ばれし勇者が、卑劣な魔物の姦計に掛かって死ぬなど、あってはならぬのだ!」
「……いと貴き方、"美しく気高き刃""審美の断剣"、我が兄上、ゼーファレス・レッサ・レーイードよ」
 サリアは、真正面から兄の無様な顔を見据えた。
「これは戦です。物語の結末は幸福のうちに終わるもの。ですが、これは紛う方無き、現実の戦い」
「サ、サリアーシェ……」
「勇者が死に、魔物が勝つ」
 水鏡の向こうで、シェートが高々と山刀を振り上げる。
「それが、この戦の結末です」
「やめろおおおおおおおおっ!」
 滑らかに振り下ろされた一刃が、白い弧を描く。
 三日月のごとき軌跡が、勇者の喉を断然と裂き斬った。

 ぷっ、と赤い霧が吹き上がる。
 毛皮を塗らしたコボルトの姿が、いくらか遠ざかった気がした。
 殴られて歪んだ視界と、喉に感じた違和感。痛みは無い、不思議と顔よりも喉の方はいたいと思わなかった。
 何か暖かいものが体に降りかかり、じわじわと広がっていく。
 肺が動くたびに、ひゅうひゅう、ごぼごぼという音。
 ああ、自分は死ぬのか、漠然とそう思う。
 一応そういう危険があるのは聞かされていたし、それでも身の安全は保障してくれるとかなんとか言っていた。
 でも、あんなカミサマじゃ期待できそうも無い。そういえば、決闘に負けた勇者は、どうなるんだっけ。
 空腹と打撃で痛んだ頭が、少しづつ楽になっていく。視界も塞がっていく。
 そういえば、一番最初のクエストは、山奥のコボルトの村を潰すことだった。特に悪さをしているわけではなかったが、魔物は害になるからという、村人の言葉とカミサマの命令に従ったんだっけ。
 あの時、違和感はあった。みんなほとんど抵抗もしないで死んでいったから。
 そういえば、一番最後に殺したあのコボルトと、こいつは似ている気がする。
 きっと恨んでいるんだろう、俺を殺せて、嬉しいのかな、それとも悲しいのかな。
 ふと、浩二は傍らの魔物に顔を向けた。
「あ……」
 確かに魔物はこちらを見つめていた。
 何の感情もうかがわせない瞳で。
 恨みも憎しみも、さっきの怒りすらない。悲しいとも嬉しいとも思っていない。
 視線を自分の喉辺りにあわせたまま、黙っている。
「かり……か」
 こいつはずっと言っていた。自分を、勇者を狩ると。
 だから待っているんだ、自分が死ぬのを。
 血泡の吹き出る様子を、流れていく命の量を、瞳から輝きが失われていくのを、ずっと見つめながら。自分の獲物が死ぬのを、待っている。
 多分、自分の間違いは、こいつがいた村を襲ったことだったんだろう。
 痛みはすでに薄らいでいる。その代わり、場違いなくらいの空腹感を感じ取った。
 真っ黒になっていく世界の中、浩二は奇妙にほっとした気分で、呟いた。
「……チャーシュー麺、食いてぇなぁ」
 それが、この世界に勇者として降りた彼の、最後の言葉になった。

 玉座から、どすっと体がずり落ちる。水鏡の向こうの勇者は、大きな血泡を吐き、動かなくなった。
「……イェスタ」
 審判の神は答えない。時計を見つめ、頷く。
「勝敗は決されました」
「イェスタ」
「此度の決闘、勝者は」
「イェスタアアアアアアアアアアア!」
 声を上げるが体に力が入らない。時の法杖を手にした女神は、朗らかに笑っていた。
「今すぐ勇者を蘇らせよ! 我が治めし、全ての世界、信者を捧げて構わん!」
「それはできませぬ」
「そんな答えは聞いておらん! やれと言っているのだ! この私が!」
「できませぬ」
 笑顔、まったき笑顔。
「此度の勝者は女神サリアーシェ様の配下、コボルト族のシェート殿と決まりました故」
「ふあっ、あ、あああああああああああああああああああああ!」
 世界が暗くなる。目の前が暗くなっていく。何もかも仕組まれ、叩き落されるために設えられた舞台、こんなものを認めるわけにはいかない。
「サ、サリア! サリア! 頼む! そなたからも何か、何か言ってくれ!」
「何を、でございましょう?」
 妹は笑っていた。
「これは婚儀のための余興なのであろう!? いくらなんでも、未来の夫にこのような真似! 悪戯が過ぎる!」
「できませぬ」
 笑顔、まったき笑顔。
「決闘の儀を結ぶ際、兄上が宣言なされたではありませぬか。御身が勝たれた時、婚姻を結ぶと。そして、負けたときには、通常の決闘と同じに扱うと」
「あひっ、は、あああああああああああああああああああああ!」
 こんなものは無効だ、仕組まれた罠だ。なんとしてもこの場は逃れ、申し開きを。
 そう思い、身を翻そうとした。
「なんだこれは!」
「ご存知のはずですが。決闘に敗北した神は、遊戯の終わるまで、その身を敗北者の像として飾られるしきたりを」
 足が、どす黒い石炭のような色に変わっていく。その変化は見る見るうちに足を這い登り、腰を固めていく。
「はっ! あっ! はあっ! は、サリア! サリア! サリアアアアアア!」
「はい」
「たっ、頼む! このような辱めだけは、断じて、断じて認められぬ! 後生だ! そなたの奏上で、この虜囚の扱いを解いてくれ! あのような魔物に負けて石像と化したとあれば、我が神性に拭い去れぬ穢れがあああああああああ!」
「承りました」
 途端に、山のような重荷が下りる気分がする。ゼーファレスは声を甘く甘く変え、妹に囁いた。
「そ、そうか、それならばよいのだ!」
「ただし、兄上にお願いがございます」
「なんだ! 何でも申してみよ! 早く!」
 黒炭化は胸まで競りあがっている。それを知らぬ気に、サリアは耳元で囁いた。
「我が世界を貶めた、神々の名を、お教えください」
「な、なに……?」
「実は、世界喰らいの秘密を伏せ、我が世界の結界を破り、魔軍を引き入れた神がいるとあるものから聞き及んでいるのです」
 サリアの言葉に、喉が詰まる。
 目が笑っていない、顔は華やかな笑顔、だが笑っていない。
「あの結界は、私が丹精込めて創ったもの。そして、その秘密、製法を知るものは極わずか……そのことも、ご存知でしたな」
「あっ、はっ、あ、あっ」
「私の世界が最初の遊戯が行われた地であり、そこから強大な力を振るい始めた神々が、幾柱かおありでしたな。例えば……兄上とか」
 すでに顔も笑っていない。黒炭化が、じわじわと喉まで這い登る。
「その全ての神の名をお教えいただければ、兄上を虜囚の身から解き放つことも、やぶさかではございません」
「そ、その、神の名を知って、なんとする」
「鏖殺」
「ひ……」
 まるでその意思が乗り移ったように、サリアの意思が黒と一緒に顎を這い登る。
「兄上」
「う……」
「お答えを」
「……ゆ」
 首を一杯に伸ばして、ゼーファレスは絶叫した。
「許してくれサリアーシェェェェェェェェッ!」

 ようやく、煩かった空間が静かになった。
 審判の女神に一切顔も向けず、サリアは水鏡の向こうで立ち尽くす姿に声を掛けた。
「終わったぞ、シェート。我がガナリよ」
『そうか』
「とにかく、今は休め。少し用事を済ませたら呼ぶ。その時、ゆっくり話そう」
『わかった』
 ほっとしたように座り込むコボルトを見て、サリアは立ち上がった。
「おめでとうございます、サリアーシェ様」
「別に、御身に寿がれる謂れは無い」
 兄に向けたか、それ以上の冷気を、目の前の神に叩きつける。
「先の話、聞いていたのであろうが」
「はて、何のことでしょう」
「遊戯が始まりし後、力を得た神々、その中に我が求める仇の奴腹が在る」
 彼女の背後には、無様さと見苦しさを煮固めて作ったような、黒き像が立っている。
「そなたもその一つ柱であろうや? "刻を揺蕩う者"よ」
「……滅相な。そのような企みに、私が加わっていると?」
「いずれ明らかになることもあろう。とはいえ、今は――」
 東屋が地に降り、神々の顔が見えてくる。険を収めると、サリアは輝くような笑みで会衆を見回した。
「勝利の余韻を、味わうのもよかろうか」



[36707] 14、神を咬むもの(最終話)
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/03/01 21:36

 東屋からサリアが進み出ると、ざっと道が開いた。
 それぞれの顔に浮かぶのは、好奇、嫌悪、畏怖、あるいは侮蔑。そのどれも無視して、歩み進む。
「すばらしい戦いでしたな」
 エルフの青年は、心持ち顔を緩めて近づいてきた。
「そのように見えられたか? 見苦しいばかりの戦であったと思うが」
「ご謙遜を。ただ、斯様な戦いを為される御積りであったなら、我が眷属に一声掛けていただければよろしかったものを」
「……なるほど、森の民であれば、確かに我が配下と同じか、それ以上の狩りを行うことが出来たでしょうな」
 こちらの言葉に軽く顔をそびやかすと、彼は耳打ちをするように顔を寄せてきた。
「如何でしょう。此度の戦い、我が眷属に配下を切り替えられては」
「ほう?」
「確かにあの魔物も見所は在るかと思われますが、なにぶん下賎で下位の蛮族。御身にはそぐわぬかと、その点我が眷属であれば」
「見た目美々しく、弓の腕も森での狩りも一流と、そう仰られたいか」
「差し出がましいかとは存知ますが、御一考をと」
 分かりやすい売名、そして下心。その全てを見透かして、サリアは頷いた。
「だが、そなたの配下に、あの勇者に面と向かって戦う勇がおありか?」
「なんとなれば、あのような張子を恐れるものなど」
「では一つ、お教え願いたい、"万緑の貴人"よ。なぜ我が遊戯に名を連ねたる折、その眷属を貸し与えては下さらなかった?」
「いや! それは……その……」
「言葉は選ばれよ。そして身の程を弁えられるが宜しかろう、"木陰の蒿苣"よ」
 ある意味かわいらしいやり取りを終えると、サリアは神々の列の末尾に控えた、竜神に歩み寄った。
「此度は、多大なるご助力を頂き、感謝のしようもありませぬ」
「構わんぞ。儂はただ、面白いものが見れた、それだけで満足だ」
「それと、お申し出をお断りして、申し訳なく」
「ふ。まぁ、いずれな。それより、もう行くが良い。この場にあってもつまらぬことにしかならぬだろう」
 そう言う竜神の視線の先、東屋に集う神々が見える。常に遊戯の上位に在り、場にいる全ての神々に強い影響を与えるもの。
 そして――
「どうした?」
「いいえ。それでは、私はこれにて」
 挨拶を残し、背を向ける。背中に突き刺さる視線、その中に混じる仇の物であろう意識を粟立つ肌に感じながら。

『傷は大丈夫か、シェートよ』
 何をするでもなく、大岩の傍らで川面を眺めていたシェートの耳に、女神の声が届く。
「もう平気」
『待たせてすまなかったな』
「ああ。それと、一つ聞きたいこと、ある」
 コボルトはさっきまで死体のあった場所を指差した。そこには血溜まりと鎧の残骸だけが残り、勇者の体は跡形もなくなっていた。
『異世界から召喚された勇者は、遊戯に負けると元の世界に送還されるのだ。ひところは単なる使い捨てだったのだが、色々と障りがあるとわかってな。ゲームが終われば何事も無かったように、来た世界に還ることになっている』
「そうか」
 なんて馬鹿馬鹿しい話だろう。殺されるこっちにとっては紛れも無い現実なのに、勇者達にとっては、どこまで行ってもゲームなのだ。
「結局、俺たち、遊びの駒か」
『そうだな。こちらにしてみれば、実にいい迷惑だ』
「ホントだ」
 ぽかっと口をあけて、シェートは空を見上げた。
「それで、話、なんだ?」
『ああ。遊戯のことだ』
「……俺、あの勇者殺した。この遊び、続ける意味、もうない」
『その通りだ。実は先ほど、ある神から打診があってな』
 サリアの言葉に、コボルトはそっと鼻を鳴らす。風の中に濡れた鼻先を突き出し、彼女の心を待った。
『自分の眷属を貸しても良いと、言ってくれるものがあったのだ。もしそなたが、これ以上の戦いを望まぬのなら』
「お前、嘘も下手」
『な……何を』
「匂い、湿っぽい。お前、そいつのこと嫌い、違うか」
 かび臭い、きのこのような匂い、風の中に漏れた不満を嗅ぎ取ったこちらに、やがて女神は笑い出した。
 日向の、暖かい匂いが辺りを包んでいく。
「俺、言ったぞ。勇者、魔王、神、みんな殺す」
『辛い戦いになる。道半ばで倒れるかもしれん』
「そうだな。でも、今は、それでいい」
 そのまま、背後の岩に背を持たせかけた。
「俺、疲れた。少し寝る」
『見張りは任せよ、ガナリよ』
「それ、もうやめろ。狩り終わった。俺、ただのシェート」
『なんの、狩りはまだ続くのだぞ? 起きれば、また次がある』
 なんてコボルト使いの荒い女神だろう。シェートは苦笑すると、目を閉じる。
 そのはるか上、主を失った一振りの剣が日に輝く中、英雄殺しの小さな魔物は、その偉業を顧みることもなく、静かに安らいだ。



[36707] かみがみReBirth 1、世界の敵
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/07 17:14
プロローグ

 その日は、しっとりと雨の降る日だった。
 土のむき出しになった街道は濡れ、わだちの跡や、くぼんだところに泥混じりの水が溜まっている。
 両脇は森に挟まれ、木々が枝を差し掛けているが、道を覆うほどに生えているわけではなく、あまり雨しのぎにはなっていない。
「ったく、嫌になるな、雨って奴はよ」
 荷駄を載せたロバの反対側を歩く影が、ぶちぶちと文句を言い始める。
 皮の鎧に長剣を下げ、その背をフード付きのマントで覆った、いかにも傭兵然としたそいつは、街道を歩く時の護衛として雇った男だ。
「天気読みの奴、いい加減なこと言いやがって。何がシリーエンの方は風の湿りも無いから大丈夫だ、だよ」
「はぁ、あいつらも、天気の全部、知ってるわけじゃないすけぇ」
 この男の口数の多いことと来たら、こちらが文字通り閉口する域だった。
 何か思いつくと言葉にしなければ気がすまない性質らしく、こちらにもそれなりの相槌を要求する。
「だとしてもだよ? 銅貨十枚もふんだくっといて、こりゃねぇだろ。
 こんな天気になると分ってりゃ、あと一日は、あいつとしっぽり――」
 その天気読みの料金も、男の泊まり賃もこちらが出しているのだが、さも自分の懐が痛んだかのように嘆いてみせる。
 腕利きの傭兵は口数が少ないとはよく言われるが、
 多分それはこんな煩い奴と一緒に居ることが耐えられなくなるから、ということなのだろう。
 次の商いは別の隊商に混じって動こう、そんなことをぼんやりと考えた時、傭兵がいきなり剣を構えた。
「おい、ありゃなんだ!」
「へ? ああ、あれすけぇ、心配いらねえらす」
 男の示した先に、一匹の獣が立っていた。 
 雨に煙る街道の真ん中、霧のように立つ、白い犬のような生き物。その額には銀に光る星のような毛が生え、首周りをたてがみが飾る。
 とはいえ、その姿も今は雨にぬれ、どこか疲れたような印象を与えていた。
「こっち睨んでるぞ?」
「あらぁ、最近この辺りさ住み着いた、星狼(ほしのがみ)らす」
「ほしのがみ?」
「ああ。人さくると道に出て、こっちさじぃっと見つめてくるら。
 ですけ、ちっとも悪さしねぇでらすけぇ、誰もとがめねえんでらす」
 それどころか星狼が出て以来、この辺りには魔物や人を害する獣、盗賊の類も寄り付かないので、街道の守り神のように扱われていた。
「手さ出さねば、なんもしねえらすけ、剣さおさめてくれら」
「……でも、何かおちつかねぇなぁ」
 文句を言いながらも剣を収めると、星狼は緊張を解き、そのまま道の脇に下がる。
 その様子を見て、懐から干し肉を取り出し、放ってやった。
「餌付けしてんのかよ」
「ほしのがみ、たいそう頭いい生き物ら。ですけ、街道守の礼、みてえなもんらす」
 吼えもせず、肉を口にくわえて星狼が茂みに消えていく。
「はぁー。あんな獣が街道の守り神さんねぇ」
 少なくとも、どこかの犬と違って無駄吠えしない分、相当優秀だろう。
 そんな内心も知らず、傭兵は冷たい雨に文句を言い、ふと思い出したように告げた。
「そういや、この辺りに勇者は出たかい?」
「ゆうしゃ……はあ、そういや、おかしなカッコさした子供、よう見るらすな」
「天から使わされた神の使徒、この大陸だけじゃなく、西のエファレアでも魔族相手に大立ち回りしてるって話だぜ」
 自分も商人の端くれ、その程度のことは知っている。
 数十年前に現れた魔族と、その王を名乗る者を倒すべく使わされた少年少女たち。
 その誰もがこの世のものとは思えない力や、奇妙ないでたちをしている。自分も何度かそんな人間を目にしたことがあった。
「さっきのほしのがみ、だっけ、見て思い出したんだよ。面白い話」
「なんら? 面白い話って」
「その勇者たちが、躍起になって狙ってる魔物の話だ、聞いたこと無いか?」
「はぁ、ゆうしゃが狙う、たら、ドラゴンとか?」
「それが傑作なんだ! そいつらが狙ってるってのがな」
 こちらは大して興味も無い話を、傭兵は嬉しそうに口にした。
「一匹のコボルトなんだとさ」


1、世界の敵

 柔らかい腐葉土を踏みしめながら、三上修斗(みかみしゅうと)は走っていた。
 広葉樹の茂る森は下生えもほとんどなく、意外と見晴らしがいい。
 森の中といえばどこでもでたらめに木があると思いがちだが、極相になった場所では、
意外に草も生えないものだということを学校の授業で言っていた。
 学校、そういえばもう一月以上思い出していなかった言葉だ。異世界から召喚された勇者として、この世界に来てから大分経つ。
「ぼっとするなシュウト! もっと急げ、追いつかねぇぞ!」
 自分と並んで走る、浅黒い肌をした長身痩躯の男。
 皮鎧とショートソードという格好は戦士というより、盗賊と言った方がしっくり来る。
 現に、ちょっとした手わざも使えると言っていた。
「わ、分ってるよ!」
 一応、神器として与えられた鎧と剣は、通常の装備よりも軽くしてもらっている。
 とはいえ現代社会の恩恵を受けてきた中学生の自分が、体力のお化けのような傭兵と並んで走れるわけが無い。
「こりゃ、明日から走りこみ追加だね、お先にっ!」
 自分よりもはるかに背の高いところから降る深みのある声。
 重そうな鎧を身につけた女戦士が、さらにダッシュを掛けて目標を追っていく。
「あまり先行するな、アミ!」
「もたもたすんな男ども! グリンド、あんたもついといで!」
 軽口を叩く鎧姿に、さらにマントを翻して同じような鎧を着けた男が追いすがる。
 この世界に来て驚いたことの一つが、『鎧騎士はダッシュなど朝飯前』ということだ。
『あたりまえだろ? 鎧なんてあたしらにとっては服みたいなもん。鎧着て泳ぐぐらいやって一人前だ』
『さすがにそれはお前だけだぞ、アミュール』
 南方海浜の出だというアミュールはパーティ一の重戦士で、リーダー格のグリンドにも劣らない戦闘能力を持っている。
「あまり距離を離さなければ多少遅くてもいい! 無理はするなよシュウト!」
 以前はどこかの教会に詰めていたという、正真正銘の騎士であるグリンドは、勇者である自分に力を貸そうと言ってくれた最初の人間だ。
 それ以来、鎧や剣の加護に頼りがちな自分に色々と教えてくれていた。
「とはいえ、狩りの主役はうちの勇者様だからな。ちょっと待ってろ」
 手にしていた剣を収め、自分と併走していた男、ノイエスが虚空に指を走らせる。
「声なき声、意思なき意思、我が声に答え唱和せよ、鳴れよ来たれよ手弱女(たおやめ)よ」
 言葉として聞こえたのはそこまで。そのあとはまるで鳴くような、
 か細い音だけが喉から漏れ、いきなり修斗の体が風をまとって軽くなる。
「これでちったぁマシだろ? とっとと追いつくぞ!」
「うん!」
 全く息も切らせず、走ったまま唱えられる魔法。精霊の力を使うというノイエスは、実のところ修斗が一番好きな『先輩』だ。
 最後まで自分の仲間になることに反対し、今では最も仲良くなった彼。
 生真面目なグリンドをたしなめ、みんなを危険から護る影のリーダー。
「……ノルディア、大丈夫かな?」
 いくらか楽になった息を整えつつ、声だけを脇の先輩に掛ける。
「ああ見えてあいつも頑丈だ。毒もきっちり飛ばしたし、そんなに心配ならお前だけ帰るか?」
「冗談でしょ!」
 今はこの場に居ない、魔法使いのノルディア。この狩りの最初に毒矢を受けて、今は近くの町で休んでいるはずだ。
 それをやったのが、目の前を走っていく、一匹のコボルト。
 草か何かで作ったぼろぼろの服を身につけて、背中に弓矢を背負ったそいつは、風のような速さで森を駆け抜ける。
 そんな追跡行を続ける修斗の耳に、見えざる神の声が届いた。
『あと少しで森が切れる! そこまで行けば奴が罠を仕掛けられそうな場所は無い!』
「分った! ノイエス! 森が切れるって!」
「誰に物を言ってんだって、神さんに言ってやれ!」
 ノイエスを初めとして、仲間の傭兵達はそろいもそろって、神というものに恐れを抱かないらしい。
 グリンドにしたところで、信徒として神は崇めるが、
 全ての行動は自分の選んだ結果に過ぎず、見守ってくれるだけでいいという現実主義者だ。
 数歩のダッシュでいきなり視界が開け、目の前に石ころだらけのなだらかな斜面が広がった。
「アノシュタット平原。水はけがよすぎるんで、畑にもできない荒地が延々続いてる」
 何かと教えたがりのノイエスが、呼吸でもするように薀蓄(うんちく)を口にする。
 先に出ていた二人の鎧騎士が、それ以上の逃亡を許さないといった姿で、コボルトの進路を塞いでいた。
「奴は森の生き物、この平原に追い詰めれば、得意の罠戦法は使えないってわけだ」
「うん」
「っと、お前はまだ出番じゃない。いいって言うまで動くなよ」
 神剣を鞘払ったこちらに注意を飛ばし、ノイエスが剣を抜き放つ。
 コボルトは弓を構え、中腰の姿勢で油断なく仲間達に視線を移し、最後に自分を見た。
「そこか、勇者」
 思ったより高い、子供のような声。
 毛皮の生えた低い背丈とふわっとした尻尾、犬のような顔立ち、
 眉間に刻まれた皺と目じりの鋭ささえなければ、かわいらしいとさえ思えただろう。
 だが、瞳の奥に宿るのは驚くほどに強い意思。手練の傭兵に取り囲まれてもなお、怯えた様子すら見せない。
「散々走り回らせてくれて、ありがとよ」
 その視線をさえぎるように、ノイエスが前に立つ。その体の端から見える魔物は、動じた様子なく隙を覗っている。
「神さんの話じゃ、お前を倒せばすごい量の"けいけんち"とやらが手に入るらしいな」
「お前ら、勇者のため、俺狩るか」
「ああ。こんなんでも一応、雇い主でね。仕事はきっちり果たさせてもらう」
 言いながらノイエスの開いている手が背中に回る。その指が虚空に描く言葉を見て、修斗は剣を握りなおした。
「それじゃ、"レアモンスター狩り"……始めるとするか。グリンド! アミ!」
 仲間の叫びに二人が魔物から飛び離れ、軽戦士がすばやく脇に退く。
 そして修斗はコボルトに向け、構えた剣を一気に振り下ろした。
「行けっ! エクスカリバーっ!」
 神剣から黄金の光が迸り、輝く三日月になってコボルトに突き進む。番えを解いた魔物が左に飛んだ。
「囲めっ!」
 斬光を避けた先を塞ぐ鎧。幅広の剣をかざしたアミュールがコボルトに迫る。
「喰らいなっ!」
 横薙ぎに振るわれる剣、コボルトの頭が一瞬早く軌跡から逃れ、素早い動作で弓を打ち出す。
 その威力が鎧に施された守りの術で弾け、力なく地面に転がる。
「そんなひょろい矢なんざ効くかぁっ!」
 アミュールは立て続けに剣を振り、矢に手を伸ばす暇を与えない。
 それでも必死に身をかわし、低い姿勢で脇をすり抜けようとするコボルト。
「逃がすかっ!」
 退路に今度は薪割りのような一撃、慌てて飛び退った犬の背後を、もう一両の鎧が塞ぎに掛かる。
 グリンドの得物は棘の付いたメイス、それを中腰で構え、同時に楯を前面に押し立てる。
「はっ!」
 楯が魔物の視界を塞ぐように振るわれ、その突風で犬顔がわずかにぶれる、その後を追うように追撃するメイス。
 体を投げ出して、転がりながらコボルトが避ける。
「ふうんっ!」
 再び構えなおされた楯を前に、グリンドが体ごとコボルトに突進する。
 薄いものなら壁でも粉砕する強烈な体当たりが、犬のような体を軽々と吹き飛ばした。
「ぐはああっ!」
 小さな体が地面に叩きつけられ、軽くバウンドし、倒れ付す。
 それでも体をわななかせながら、必死に立ち上がろうとしていた。
「意外に丈夫だな、助かった」
「ちょっとは手加減しな! 死んじまったらどうするんだ!」
「すまん。だが、時間稼ぎはこれでいいだろう」
 そう言いながらグリンドは仲間の軽戦士を見た。すでにノイエスは地面に手を当て、唸るような声を漏らしている。
「力強き手よ、敵を縛れ」
 言葉が結ばれ、立ち上がろうとしたコボルトを、無数の土で出来た手が一気に引きずり倒した。
「ぐあああっ!」
「よしっと、これでもう安心だ。シュウト」
 呆然と事態を見ていた修斗は、ようやく事態の推移を飲み込んだ。
 いきなり『神剣をコボルトに使え』という指示が来たのには驚いたが、何とか対応できた。
「お前も大分勘がよくなってきたな?」
「師匠が良いおかげだよ」
「ハッ、抜かせ」
 まぜっかえすノイエスの顔には、皮肉げな笑み。それが自分に対する親愛の情であることも、すっかり分かるようになった。
「無駄話してないで、さっさとやりな」
 アミュールが示す先、地面に縛り付けられたコボルトは、それでもこちらを睨む。
「やっぱ、レア物って言うだけあって、なんか顔つきが違うよね」
「そうだな。とはいえ、殺しちまえば同じことさ」
「……そうだね」
 神様からは『別の勇者を殺して力を奪った、邪悪な女神の配下』だと聞かされていた。
 でも、ここに来るまでの間、こいつは森に罠を仕掛けたり弓で闇討ちをするぐらいで、
魔物らしい攻撃方法というか、邪悪っぽい技は使っていなかった。
 こいつは、一体なんなのだろう。どうやって強力な力を持っていたという、勇者を殺せたんだろうか。
「サリア」
 突然、コボルトは口を開いた。
 その動きにあわせて仲間達が構え、自分も剣を握りなおす。
「これで勇者、仲間、何するかわかったか? ……ああ。気をつける」
 サリアというのは魔物を守護している女神の名前のはず。雰囲気の変わった魔物に神が叫ぶ。
『シュウト! 奴は何かするつもりだ! 早く止めを!』
「う、うん! 行けっ! エクスカリバーっ!」
 渾身の力を込めて振り下ろす剣。斬光が奔り、大地を削りながら敵に殺到する。
 その光の向こうで、コボルトは確かに、こう言っていた。
「勇者、お前に決闘、申し込む!」

 決闘宣言をさえぎるように飛び来る光。
 だが、地に縛り付けられたコボルト族の青年、シェートは全身に真紅の燐光をまとわせて、それを掴んで一気に押し剥がす。
「うおおおおおおおおっ!」
 まるで壁のようにそそり立つ土の塊、そこに一気に白の光がまといつき、黄金の光を完全に弾き散らせた。
「"地縛"を引きちぎっただと!?」
「ノイエス! 周りに光が!」
 自分にとってはもうお馴染みの光景。光の壁が広い荒地を封鎖し、勇者と自分の決闘場を作り出していく。
 その光景に驚く勇者一行を距離を取って冷静に見つめつつ、シェートは自分の相棒である女神、サリアーシェに語りかける。
「サリア、相手の神、どうだ?」
『ああ、こちらが加護の追加を行わないと宣言して、決闘宣言を拒否しないよう言っておいたおかげだ。
 向こうも油断していたのだろうが……内心肝を冷やしたぞ』
「お前ら作る勇者、ほんとズルイ。だから、全部知りたい、やること、やれないこと」
 軍神ゼーファレスの配下、絶対防御の力を持つ勇者を倒して以来、シェートを狙う勇者は日を追うごとに増えていた。
 そのほとんどはゼーファレスほどの力を持たない、小神の生み出した勇者だが、それでも能力は侮れない。
 だからこそ、身を挺して能力を見極め、戦わなければならない。それが小さく、仲間もいない魔物の取れる最善の策。
「さすが邪悪な女神の配下、だな。俺たちの実力を知るためにわざとやってたってか」
 浅黒い肌の男が軽口を飛ばす、この手合いが一番厄介だ。素早い剣と精霊を操り、仲間を護る力に長けている。
「さっきの傷も治ってるようだ。やはり一筋縄ではいかないな」
 楯と鎧で身を護る騎士風の男。こいつが仲間の治療を引き受けていることは、魔法使いの毒を消している姿から了解済みだ。
「しかも妙な力を使うよ。シュウトの剣の光が、土くれなんかで防げるわけが無い」
 荒っぽい動きをする女の戦士。勝負勘が鋭く、続けて剣の間合いに入り続けるのは自分の死を意味する。
「神様が言ってる。この空間で負けると、元の世界に送り返されちゃうって」
 不安一杯の表情で剣を握る勇者。光を飛ばす剣と、魔法や攻撃に強い胸当てをつけている、
 何よりゼーファレスの勇者のように神器頼みではなく、仲間と連携して動く機転を身につけていた。
『いきなり将は討てないな。切り崩しが必要だ』
「サリア、この辺り、隠れるとこ、あるか」
『アノシュタット平原は岩と砂が積もる荒蕪地、万歩逃げても洞窟などありはしないぞ』
「分った」
 言いながらシェートは深く腰を沈める。同時に隊列の一番後ろの精霊使いを、ほんの一瞬だけ見た。
 その視線がこちらと絡み、男が叫ぶ。
「逃がすな! グリンド! アミ!」
 楯を構えた鎧が猛然と突き進む。その横に並んだ女も一気に間合いを詰める。右にも左にも避けられない事態。
 だが、シェートはその場から動くことなく、弓を構え引き絞る。
 番えた矢の先、灯る光は白い閃光。
「しっ!」
 鳴った弓弦に弾かれた鏃が、騎士のかざした楯に殺到。
「うぐっ!?」
 ばぢぃっ、と激しい火花を散らせ、その守りが弾かれる。間髪入れず番えた矢が重戦士の鎧で大きく爆ぜる。
「くあああっ!」
 思う以上の威力に二人がたじろぐ。楯には黒い焦げ、鎧には深く突き刺さった木の矢、敵の視線が警戒に強く輝いた。
「手ぇ抜きすぎだろグリンド、ちゃんと神様にお祈りしたのかい」
「そういう口が叩けるなら、まだ大丈夫そうだな」
 あの戦い以来、それぞれの加護の力は高めてある。
 敵の攻撃を受けて見切る無茶な行動も、攻撃と守りの加護を重ね、自己治癒の力を上乗せしたから出来る行為だ。
『シェート、鷹が動くぞ!』
「二人とも一旦引け! 守りを高めてもう一度押し包むんだ!」 
「逃がさない!」
 素早く下がる鎧に向けて木矢が追いすがる、その威力を横殴りの風が吹き飛ばす。
 風の精霊の力を解放した精霊使いが、鎧の二人を大気の壁で包み込んだ。
『"矢来封殺"か! 好機だシェート!』
「ああ!」
 普通の矢では貫けない精霊の護り、風壁に包まれた騎士が女戦士に神の加護を与えていく、この時こそが絶対の隙。
 引き絞った弓の先、守りの青、攻撃の白が宿り、最後に赤い光が包み込む。
「いけえっ!」
 弦打ちが大気を震わせ、獲物へ飛ぶ。
 光を宿した矢はまっしぐらに風の壁に突進、その護りを容易く引き裂いた。
「アミ!」
 異常に気が付いた男が女を突き飛ばす。
「うがあっ!」
 木矢が楯の騎士の肩口深く突き刺さり、その体がもんどりうって地面に転がった。
「てめえええええっ!」
「やめろアミ!」
 精霊使いの言葉を振り切り、一気にこちらへ突進する女戦士。
 動じずシェートは矢を番え、三つの加護を重ねた矢を膝頭に叩き込む。
「ぐうおおっ!」
 ぐしゃりと音を立てて鎧が地面に倒れ付す。その脇を抜け、コボルトは勇者に向けて走り出した。
「逃げろ! シュウト! こいつはまずい!」
「でも、二人が!」
 言い争いを立ちふさがる動作で打ち切り、剣を構えた精霊使いがこちらに牙をむく。
「風壁を破るってこた、魔法使いかよ、お前!」
「俺、魔法使わない。サリアの加護」
「神様謹製の術破りか、とんでもない隠し玉だぜ、ったく!」
 どれほど武器への耐性をつけても、眠りや麻痺、捕縛などの魔法に掛かればコボルトなど一瞬で無力化される。
 その弱点を補うために、サリアがレベルアップの加護の大半を使って付けてくれた『破術』の力。
 身にまとえば掛けられた術の効果を打ち消し、武器に与えれば魔法の防りを打ち破る力になる。
 その赤い光が再び鏃を輝かせる。
「こいつの力はまずい! とりあえずお前だけでも逃げろ!」
 ためらいなく距離を詰め、精霊使いが切りかかる。
 その小剣を覆う濃い褐色に気づき、シェートは力いっぱい背後に飛び退った。
 空を切った剣から液体がしぶいて玉と散り、鼻腔にきつい匂いを残す。
「毒か。ヤブカガミとカズラダマ」
「嫌になるな、そんなことまでお見通しかよ」
「俺、狩人。毒罠も使う」
 毒蛇と毒草の混合毒、たっぷり塗った矢を喰らえば、熊も昏倒する代物。
『おそらく、そやつは盗賊か暗殺者上がりだ。何をするか分からん、油断するな!』
 右手の小剣を前に、片手は背に隠す。腰を低く屈め、それで居て絶妙に勇者を庇う位置取り。
 進むも戻るも、討つも護るも、自在に対応できる中庸の構えで睨んでくる。
 中庸? いや、違う。
「どうした勇者! 逃げないのか!」
 精霊使いの背後に居た影が、一瞬たじろぐ。
「魔王倒す勇者、聞いて呆れる! 弱いコボルト一匹、お前一人で狩れ!」
「聞くんじゃねぇ! こいつは強い! 今のお前じゃ絶対勝てない!」
 これがただの傭兵なら、自分は死んでいるかもしれない。
 だが、こいつは『勇者』の仲間。その事が最大の隙になる。
「卑怯者! 意気地なし勇者! さっさと家帰れ! 母ちゃのおっぱい飲んでろ!」
「この……っ」
「安い挑発に乗るな! いいから黙って――」
 精霊使いの言葉が途切れ、シェートの全身が危機と勝機に弾けた。
 振り向きもせずに地面に身を捨て、背後からの騎士の一撃を横っ飛びに避ける。
 その視界に精霊使いが後ろ手に構えた短剣と、肉の壁から外れた勇者の姿が焼きついた。
 絞った手から弓弦が離れ、唸りと共に木矢が勇者に襲い掛かる。
「シュウトぉおっ!!」
 精霊使いが一瞬で射線を封じ、胸板に矢が突き刺さる。
 地面に体を打ちつけながら、それでもシェートの右手が矢筒に伸びる。
「うおおおおおおっ!」
 覆いかぶさるようにメイスを振りかざす騎士、突き上げられるシェートの右手。
 その交錯が一瞬で絶叫に変わった。
「ぐうあああっ!」
 木の鏃に込めた加護が鎧を貫き、みぞおち辺りを深々と抉りぬく。それを確かめる間もなく騎士の脇に転がり出た。
「よくもみんなをっ!」
 叫びが光の刃に乗り、片膝をついたシェートに飛ぶ。
 その一撃を、抜き放った破術の山刀が完全に打ち砕いた。
「このぉおっ!」
 勇者の刃が連続で放たれる。縦に、真横に、斜めに振られる斬撃。その全てを避け、飛び、払って突き進む。
「来るな! 来るなぁっ!」
 遮る者一つなく、シェートは歳若い人間の子供の前にたどり着き、
「お前の世界、帰れ、勇者」
 すり抜けざま、山刀で深々と、勇者の腹を切り裂いた。 

 ノイエスの目の前で、金色の光が砕けていく。
 腹を割かれ、内臓をはみ出させた痛々しい姿のままで、少年が消えて行く。
 多分、自分が戦場で見た中で、もっとも奇妙で、ある意味美しいともいえる死者。
 木矢の刺さった胸は深手ではあるが、重要な器官は傷つけないでいたため、そのまま抜くことが出来た。
 その一撃を射たコボルトは矢を番えたまま、こちらを見ている。
「シュウトは、どうなるんだ」
「……そいつ死んでない、らしい」
 コボルトは敵意の失せた目でこちらを見ている。
 その間で砕けていく光がやがて小さくなり、彼の身につけていた鎧や剣だけを残して、
 シュウトという少年が居たという痕跡は完全に消え去った。
「死ぬか役目終わる時、勇者、元の世界帰る。サリア、そう言ってた」
「そう、か」
 ごまかしの類ではないだろう、シュウトは神から力を与えられ、地上に降りたという勇者なのだから。
 治療を終えたアミュールとグリンドが自分の後ろに立ち、だが何もせずに立ち尽くす。
「お前達、勇者の仇、討つか?」
「仇……か」
 コボルトの言葉は、なぜか弔意に聞こえた。その言葉の甘やかな熱と痛みを味わいながら、それでも首を横に振る。
「やめとくよ。雇い主がいなくなれば、それ以上の仕事はしない。
 傭兵にとって、命は金や名誉以上に大事だからな」
「ノイエス……ッ」
 武器に手を伸ばしかけたアミュールを、片手でさえぎる。
「本当のことを言えば、今ここでこいつを殺したい。
 殺せないまでも、シュウトのために一矢報いたい。
 だが、俺たちがここで死んだとしたら、ノルディアはどうなる?」
 自分達の帰りを待つ魔法使い、彼女のことを口にすると、女戦士は息を殺して嗚咽を漏らし始めた。
「聞かせてくれ……どうしてお前は、勇者を殺したんだ」
「決まってるだろ! そいつが魔物だからだよっ!」
 泣きながら怒り狂う彼女を支えながら、それでもグリンドは問いかけた。
「お前は、俺たちを殺さなかった。何度でもその機会はあったはずなのに。
 コボルトのお前が、なぜそんな風に戦える、お前の仕える女神とは、どんな存在なんだ」
「俺の村、勇者、滅ぼした。家族、仲間……大好きだった人、みんな、殺された」
 コボルトの瞳に、暗い炎が宿る。
 搾り出す深い怨恨の言葉が、小さな体を数倍にも大きく見せた。
「俺、殺した勇者、そういう奴。サリア、力、貸してくれた」
「復讐を後押す女神……だからこそ、邪神と呼ばれるのか」
「邪神?」
 暗い輝きが一瞬で消える。
 そして、コボルトは驚くほど優しく笑った。
「……うん。そうだ。あいつ、怖い女神。優しい邪神」
 魔物は構えを解き、背を向けた。
「俺、勇者殺す。それ以外、無理に殺す気、ない。それだけ」
 そして、振り返りもせず、荒野へと消えていく。
「優しい邪神、か」
 乾いた風が吹き始めた。すでに日は西に傾き、覆うもののない荒れた大地が、しんとした底冷えを伝えてくる。
「……帰ろう」
 グリンドの言葉にのろのろと頷き、アミュールが残された遺骸を抱えた。
「剣だけにしろ。鎧なんて邪魔になるだけだ」
「だって……だってさぁ……っ」
 普段は決して見せることのない、女の顔をむき出しにして、アミュールが恋人の胸にもたれる。
 栗色の髪を優しく撫でながら、グリンドは呟いた。
「なぁ、ノイエス」
「なんだよ」
「一体……なんだったんだろうな」
 要領を得ない言葉、だが、言いたいことは分かった。
 勇者を名乗る少年と旅をした日々、その物語の幕を降ろした小さな魔物。
 どんな三流吟遊詩人でも歌わないだろう、あっけない物語の終わり。
「俺たちは、何を間違ったのかな」
 声は虚ろで、本当に答えを探しあぐねているように聞こえた。
 敵をただのコボルトと思ったことか、シュウトの実力を高く見積もりすぎたことか、それとも神の言葉に踊らされたことか。

『すみません、おじさんたちって、傭兵ですか?』
『おじさんって言うな。それからなクソガキ、俺たちはガキのお守はしない主義だ』
『あの……勇者なんです、俺』
『なに?』
『これから魔王を退治しに行くんですけど……俺の仲間になってもらえませんか?』

「……多分」
「多分?」
「……いや」
 言いかけた一言を飲み込み、空を見上げる。
「俺にも、わからねぇよ」
 傭兵は雇われて戦う商売。
 そこに夢想も理想も入り込まない、入り込ませない。
 そのはずだったのに。
 宵闇のびろうどに美しく散る白い星を見つめて、暗殺者上がりの傭兵は、誰にも悟られぬよう、言葉を漏らした。
「お前に雇われたこと、間違いなんて思っちゃいねぇよ、シュウト」



[36707] 2、貧する勝者
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/06 18:20
2、貧する勝者

 暁光が浄闇を打ち払い、空が白々と明けるころ、シェートは野営地のくぼ地から歩きだした。
『おはよう、シェート』
「ああ、おはよう」
 目の前に広がるのは、ほとんど生命の無い大地。
岩と砂の間で、乾燥と暑気に強い低木や小さくこごまった草だけが、薄暗い影に包まれて、静かに息づいている。
『今日は大分早いな』
「……もう、食料少ない。この辺り、水も飲めない」
 戦闘の間に失ったもの、保存食や水袋、猟の道具などを思い出し、ため息をつく。
勇者との戦いはいつもギリギリで、命を以外を護ることなど不可能に近い。
 胸元に下がる恋人との思い出の石と、父親の形見である山刀が、今でも残っているのは奇跡に等しかった。
『ここから少し行った所に川がある。あまりきれいとはいえないが、何とか飲用にはなるだろう。
その川岸に食べられる果樹もいくらかあったはずだ』
 腰につけた無事な小袋から干し肉を取り出し、噛みながら歩く。昨日戦った勇者達とは二日近く追いかけっこをしていたはずだ。
 精霊の魔法は探知や、気配を消す特殊なものが多く、少しでも気を抜くと隙を突かれるという状況だった。
戦いの中で矢筒の中身は減り、十本足らずに落ち込んでいる。
「矢、少ない。狩り、戦い、どっちも難しい」
『その上こんな平原に追い込まれてはな。だが、この辺りは人の足もほとんど入らない土地柄だ。
追っ手を撒くのにはちょうどいい』
「けど、もっと準備、したかった」
『……だからすまんと言っているだろう。だが、予想以上に勇者達の行動が素早くて』
 すっかりしょげ返ったサリアの香りが、辺りに湿っぽい空気を漂わせる。
 見えないはずの女神の顔が思い浮かび、シェートは笑った。
「別にいい。俺、お前、期待しない言ったぞ?」
『さすがにそれは聞き捨てならん! それならこの瓦礫の荒野を、私の案内なしに通り抜けてみよ!』
「ああ、それ困る。勘弁しろ、サリア」
 こちらの降参に、女神は意地悪な笑いを漏らした。
『さてさて、どうしてくれよう。何しろ私は邪神らしいからな?』
「……そう、だな」
 あの時は思わず笑ってしまったが、冷静になると、彼らの言葉は胸に痛かった。
 彼らにとって、自分は勇者を殺した邪悪な魔物であり、それを使うサリアは、復讐を司る邪神なのだ。
 自分は間違ったことをしたつもりは無い。
 魔物と魔王と勇者を使った神の遊戯、その定めに対する怒りを、体現者たる勇者にぶつけたことも。
 世界で最も弱く、人からも魔からも蔑まれ狩り立てられる自分達、その声を世界に響かせたことも。
 だが――。
「あいつ、仲間、いたな」
『……昨日の勇者のことか』
「女、泣いてた。精霊使う男、俺、殺したい、言ってた」
 彼らは心から悲しんでいた、そう思える。
 あの勇者にしたところで、実際には世界のためになることをする過程で、
自分という魔物、"レアモンスター"を狩って、その行動の足しにしたいと思っていただけだ。
 その行為を許せはしないが、自分も結局はその定め、神々の遊戯に参加している身であり、全てを責める事はできない。
昨日の勇者達を打ち倒せたのも、サリアの兄の勇者を殺し、その力を奪ったからできたことだから。
「俺、やっぱりひどい魔物」
 自分は何なのだろう。魔物でありながら女神の加護を受け、定めに抗うという名目で世界を救うという勇者を殺す。
「俺、もう恨みない。あの勇者、死んだ。でも俺、沢山、勇者惹きつける。レアモンスターだから」
『……そうだな。すでにこの大陸、モラニア中から、あまたの勇者が集まりつつある。
そなたはすでに36というレベルを身につけ、私も兄上の世界をはじめ、数々の世界を手中にした神となった』
「……俺、逃げられない、そうだな?」
 空の向こう、自分の想像も付かない世界から、女神は悲しみのため息を降らせた。
『これが、小さな所領を得ただけなら、まだ途中退場も出来たであろう。
だが、兄上の世界は多く、そうした所領を手に入れた神に、辞退の権利は与えられない』
「そうか……」
 答えは聞く前から予想はできていた。幸運で大金を得たにわかの博徒を、胴元がやすやすと逃がすわけはない。
「そういえば俺、レベルどうなった?」
『……経験点に変化はほとんどない。そもそも、昨日の勇者はレベル6、そなたの六分の一程度の存在だ』
 これまでシェートは五組、昨日の連中を入れれば六組の勇者パーティと戦っている。
それでも、レベルアップの声は聞かない。
『イェスタ……審判の女神に尋ねたのだが、この大陸中にいる勇者のほとんどが、お前以下のレベルしか持たないそうなのだ』
「そうなのか?」
『兄上の勇者は、比較的魔物の侵攻が穏やかで、かつ自身の勇者を暴れまわらせることが出来るこの地を"狩場"と定めた。
強力な神器で身を固め、本来は不可能な大物食いをさせるべく……それを、我らが道半ばで砕いたのだ』
 本来なら絶対にありえない、大番狂わせ。しかも、倒したのは最弱の魔物。
 その相乗効果から、自分はありえないほどの大レベルアップを果たしてしまった。
『後は、この大陸を治める魔王の配下を倒すより他はないだろう。
だが、それとて、推定レベルでは、そなたよりも少々高い程度、なのだそうだ』
「でも俺……強くなってない」
『コボルトという種族の、限界だ』
 元々強くない存在を戦えるようにすることは、それなりに強いものに力を上乗せをするよりも難しい。
 不足分を補填する手間が掛かるゆえに。
 あれほどの戦績を上げたにもかかわらず、シェートにできたことといえば、持っていた能力の底上げと、
 破術を使えるようにしたことだけだった。
『後は、兄上のしたように、世界を担保に加護を与える方法だが』
「サリア」
 シェートは立ち止まり、空を見上げた。
 眉間に深い皺を寄せ、首を振る。
「俺、それ、やりたくない」
『シェート』
「それやったら俺、勇者と同じ、なる」
 世界を担保にする、それはつまり、世界を数字として見ること。
『それが……どれほど困難な選択か、分っているのか』
「遊び参加してる奴、仕方ない。俺、狙われる、しょうがない。
 でも、関係ない奴捧げる……それ、仲間たち、母ちゃ、ルー殺した勇者、同じだ」
 とんでもない欺瞞だ、自分だって結局、相手を殺してその抱えた数字を得ることで、新しい力を手に入れるのだから。
 それでも、言わずにはいられない。
 何の関係もない者を、その命を勝手にやり取りする、それは自分達の種族に『一点』をつけた者と、同じことをするということ。
 それをしてしまえば、自分があの時憤った思いに背くことになる。
『……そうだな』
 肯定しながら、それでもサリアは言葉を継いだ。
『だが、そなたが死に瀕するようなことがあれば、容赦なく加護を発動させるからな』
「サリア」
『そうならぬよう、必死で戦え、ということだ』
 最後の言葉は笑いを含んで放たれる。その内側に潜むいくつもの感情を風に嗅ぎ取り、シェートはそっと頭を下げた。
「ごめん。俺、サリア困らせた」
『かまわん。どうせそう言うと思っていたよ、この頑固者め』
 サリアの笑いにつられて、自分も笑う。それと共に、日がゆっくりと自分の背を暖めながら、天空に昇っていくのを感じた。
 世界が明るく輝き始め、地平線の彼方まで見渡せるようになっていく。
『とにかく目の前に見えるあの山、ノビレ山脈を目指そう』
「そうだな。森行って、勇者見つかる前、いろいろやりたい」
 どうにもならないことを悩むよりも、目的に歩く方が性に合っている。
 行く手に煙る緑なす山々の稜線を目指して、シェートは再び歩き出した。

「少し出てくる。何かあったら呼ぶようにな」
『分った』
 水鏡の向こうに声を掛けるとサリアは顔を上げ、ほっと息をついた。
 肩に流れる金髪が、物憂げな吐息と共に重く揺れる。
「……さて、どうしてくれよう」
 自分以外誰もいない神座は、今も石造りの庭園を切り取ったような質素さで、とても十数余の世界を手にした大神の住まう場所とは思えない。
 とはいえ、自分としてもそうした余計な飾り付けをする気は無かったし、せいぜい新しい花木でも植えてやろうか、程度の心算がある程度だ。
 そんなことより、今は遊戯のことだ。
 シェートの言った『世界を捧げない』という答えは、自分の思いでもある。
 もし彼が、世界を捧げて加護を得ようなどといったら、それこそこっちが驚いただろう。
 だが、その選択が厳しいものである、というのも事実。
「世界を捧げた加護を使えない、となれば……今後はもっと厳しくなろうな」
 しかもレベルは頭打ちで、力を得たければさらに上位の敵を狙う必要がある。
 もちろん、このまま勇者達から隠れ住み、遊戯の終わるまでひっそりと生き続ける、という選択肢も無いわけではない。
 それでも、いつかは狩り出され、殺されてしまうことは確実だろう。生き延びるためには戦って勝つしかない。
 重い息を吐き出すと、サリアは神座の扉を抜け、広間へと入った。
 一歩踏み出した時、誰かが息を詰めるのを聞いた気がした。それから、驚くほどに奇妙な静寂。
 自分が出てきた扉の周囲には誰もいない。かなり離れた場所に、三々五々と固まった姿が見えるが、
 とても声を掛けられるような距離ではなかった。
 目の前にある階(きざはし)にも、誰一人座っていない。
 その向こうに広がる緑なす庭にはいくらか影が見えるものの、神々の姿は少なかった。
「やれやれ……」
 兄神ゼーファレスを討ち果たして後、サリアの周囲から神の姿は激減した。
 遊戯に参加している小神たちはもとより、単なる観客に過ぎないものまで。自分を避けようという意思が、明確に感じられる距離を取っている。
 エルフの神は、割と最後まで周囲に居残っていたが、その影も絶えて久しい。
 決定的だったのは、この前の勇者達が口にした『邪神サリア』という呼称。
 対手となった神は最後までこちらと目を合わせようとせず、勇者が滅び去った後、慈悲を請いながら、体を丸めて石になっていった。
 実際、他の神々も自分の存在を説明する時に言っているのだろう。自分の兄を倒し、その力を奪った、邪悪な魔物使いの女神と。
 自分の選択は、間違ったことなのだろうか。
 後悔することを止め、新たな世界を創生せよという竜神の言葉を振り切り、
 魔物と契約を結んで、あまつさえ計略によって兄神の配下を討ち果たした。
 遊戯が結局は神々の権力闘争の場であり、魔族と創りあう茶番であるにせよ、それ自体は世界に善を敷衍(ふえん)する行為。
 だが、それを理由に弱き物を一方的に殺戮し、意に染まぬ世界を滅ぼしていい理由にはならない。
 その思いが正しいと思うからこそ、自分はシェートと共に歩んできた。
 その結果、自分はたった一人、誰にも寄り添われることなく、この場に立っている。
「それに……完全に善、というわけでもないしな」
 自分の世界を遊戯の場と定めた神の存在、それに復讐するという目的も、心のどこかに根を張り、今もくすぶり続けている。
 怨恨のために勇者を討ち果たさせた女神。邪神の誹りを受けるに足る理由だ。
「やはり、私もまたひどい女神ということか」
「なにやら物憂げで御座います事」
 涼やかな声が耳をなぶる。いつの間にか傍らに立っていた審判の女神、
 "刻を揺蕩う"イェスタはいつもながらの笑顔でこちらを見ていた。
「何か用かな。またどこぞの神が、決闘を申し込みに来たか」
「ふふ、殺伐とした心はご尊顔を曇らす故、お止めになられた方が宜しいかと」
 巨大な"時計杖"を苦もなく手にしながら、漆黒のスーツ姿をまとった女神は笑う。
「与太話なら他のものとすればよかろう。私は少々考え事に忙しいのでな」
「配下のコボルトを、いかに強化するべきか、で御座いますね」
「……ああ、そのことなら、もう済んだ」
「では、早速わたくしに何事かご注文をいただけるので?」
 サリアは周囲を見回す、こういうときには、近くに誰もいないことを感謝したくなる。
「その予定はない。おそらく、今後もな」
「……まさか、何の加護も持たせず、かのコボルトを戦わせようと?」
「とりあえず、私からは何もない。いずれレベルが上がった時にでも呼ばわろう。
 それまで用がなければ出てこないでくれぬか」
 すげない答えに、イェスタは笑った。
「ふふふ。そのようなことを仰られるとは、思ってもおりませんでした。ですが、宜しいので?」
「何がだ」
「彼のコボルト討ち果たされし時、御身もまた消失の憂き目にあう事で御座います」
 確かに、サリアはシェートに能力を付与するため、自分の存在を担保にしている。
 もしシェートが死んだ場合、同時にサリア自身も消滅するか、他の神に吸収、隷属する可能性もあった。
「他の神々は、すでに"買戻し"を行っております。そろそろサリアーシェ様も、その時期かと思われたのですが」
「兄から奪った世界を使い、自分の存在を買い戻せというのか」
 神々が遊戯の際、勇者に与える加護として捧げる世界や信仰心。それらは一度負けてしまえば、その対戦相手に奪われることになる。
 しかし、勇者のレベルアップや対戦相手の撃破によって増えた支配地や信仰、レベルアップボーナスを使って"買い戻す"ことができる。
 これにより、勝った者は勇者の強化だけでなく、自分の世界や信仰心を確保し、
 遊戯に負けた際にも被害が少なくて済むようにしていた。
「配下が命を掛けて戦っているのだ、自分だけ安全な場所に下がるつもりはない。そもそも、負けてしまえば全てを失うのだ。
 私のような無一物の存在に、そんな心配をする必要はないだろうな」
「無一物」
 イェスタは、薄く薄く、口の端を引き延ばした。
「そう思われるなら、そのような事でありましょう哉」
「何が言いたい」
「さぁ」
 それ以上何も答えず、審判の女神は去っていく。
 彼女は不思議な存在だ。
 時を司る神、悠久を生きる神にとってはほとんど意味を成さない『小神』であり、
 定命の存在にとっては生と死を司る絶対の『大神』。
 遊戯を司るようになる前は、誰にもその姿も、存在も知られることがなかった。
 それが今では、神々の間でああして囀り、心をそぞろにする言霊を投げ、皆を駆り立てていく。
 おそらく、遊戯において最も『力』を伸ばした者。
「"斯界の彷徨者"エルム・オゥド様、御奉臨!」
 物思いを覚ましたのは、ドライアドが放った呼び出しの声。
 扉を抜けて現れた巨躯をゆったりと地に落ち着け、いつものように緑の草地に体を横たえている。
 おそらくこの空間で、唯一自分と普通に会話ができる存在に、サリアは安堵を覚えつつも近づこうとした。
「おお、これは竜神殿、ご機嫌は如何かな」
 それをさえぎるように、どこからか神々が集まってきた。
「いきなり出迎えとは……喧しいことだ」
「実は、兼ねてより尋ねたき儀が御座いまして」
「いやいや、こちらを先にしていただこう。先だってお借りした書物の件で」
 そうして彼を取り巻く神の幾人かには、見覚えがあった。
 そろいもそろって遊戯の参加者として名を連ねているものばかりであり、その視線は隠しようもなく、こちらを盗み見ている。
 いじましい離間策。自分の唯一ともいえる協力者に会わせない腹積もりだろう。
 神とは思えない行動、いや神だからこその稚気溢れる振る舞いだろうか。
「やれやれ……」
 心の疲れを感じ、サリアは広場を囲む回廊を歩き始めた。その動きを敏感に察知し、回廊から影が絶える。
 彼らの行為を責めようという気は、あまり起きなかった。
 汎世界で力ある種族として知られる竜種や、自然を生かし護る力に長けた妖精の一族。
 その彼らを治める竜神やエルフの神は、争いに加わらずとも勢力を維持し続けることが出来るが、そうした背景を持たない小神は、自らの消失を防ぐ働きを強いられる。
 遊戯への参加は、自らの存続と栄達を掛けた一大事、皆必死なのだ。
 とはいえ、何も持たない者として長い年月存続してきた自分には、その事実もどこか遠いもののように思えた。
 いつ滅びてもいい、そう考えていた時期さえある。廃神(すたれがみ)と言われても、
 慈しんだ世界を滅ぼされたこと以上に胸が痛むこともなかった。
 ただ、今は。
「シェート……」
 自分の小さな魔物。たった一匹の仲間。
 彼だけは、どうしても守り抜きたい。
 だが、どうすればいい。彼の信義と、これまでの献身と、意思を保ったまま。
「いっそ……」
 別のものを選ぶこともできようか、使役者の変更は認められるだろうか、それもやはり世界を加護に変えることが必要か。
 世界を捧げない、それは守りたい矜持。
 しかし、矜持を守って負ければ、所領どころか大切なものの命さえ奪われる。
「くそ……っ」
 回廊の欄干に手を突き、うつむく。どうにもならないことを、どうにかしようと考えるうちに、両肩に重荷がのしかかる。
「どうかされましたかな? 女神よ」
 届いた声が耳に障る。苛立ちを抱えたまま、唸るような声を背中越しに返した。
「……呼ばわるまで来るなと言ったはずだが」
「そ、それは失礼を。ただ、大変申し上げにくいのですが、どうやら私を、どなたかとお間違えでは?」
 済まなさそうに掛けられるのは、聞いたことのない声。サリアは慌てて振り返った。
 そこに居たのは、自分の腰くらいの背丈をした、二足歩行のネズミが一匹。
 身につけているのはボロ布のような衣で、茶色の毛皮も少々すすけた色をしている。
「も、申し訳ない。少々込み入ったことを考えておったので……」
「いえいえ。私こそ、いきなりお声掛けなどいたしまして」
「ところで、御身は?」
 ネズミはにっこりと笑い、名乗りを上げた。
「イヴーカスと申します。以後お見知りおきを"平和の女神"よ」



[36707] 3、小さき神
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/07 17:12
3、小さき神

「とにかく、どこかの"洞(うろ)"にでも腰でも落ち着けましょう」 
 そう言って、イヴーカスと名乗った小神は、ちょこちょこと回廊を歩き、脇道に入り込んだ。
合議の間には見えない無数の枝道が接合されていて、見出そうと思った者の前にだけ姿を現す。
 合議の間ではやりにくいが、自らの神座に招いてまでするような話でなければ、神々はこうした"洞(うろ)"に赴くのが常だった。
「御身のような大神をお迎えするには、少々野趣が過ぎましょうが……」
 ネズミが見出したのは、涼しげな緑の森の空間。石の座卓にいくらかの木の実や飲み物が並ぶ。
「いえ、このような場である方が落ち着きます。お心遣いに感謝を」
「それはよかった」
 イヴーカス、という名前には聞き覚えがあった。彼も、自らの勇者を遊戯に参加させている者の一柱のはずだ。
「それと、大神と呼ぶのは、どうか。所詮、勝負の綾で勝ちを拾ったものです」
「ご謙遜も過ぎれば嫌味というものですよ? 
 そもそも、あれだけの戦いを制したことを綾のもつれだけでは済ませられますまい」
 そう言いながらイヴーカスは飲み物を注ぎ、かいがいしく給仕を行ってくれる。
「そのようなことはお止めください。私もなにかお手伝いを……」
「いえいえ。お招きしたのはこちらですからな。小神の身の上、給仕も自分で行う見苦しさをお許しいただきたい」
 座を整えると、彼は自分の前の席に腰かけ、杯を掲げた。
「美しき女神の勝利に……大分遅くなりましたがね」
「……御身の栄光と繁栄に」
 儀礼的に飲み物に口をつけると、サリアはイヴーカスに視線を合わせた。
「失礼ながら、お尋ねしたい。この座はいかなる仕儀のものでしょうか」
「仕儀、とは?」
「御身は遊戯に参加しておられるはず。つまり」
「私とサリアーシェ様は敵同士、というわけですな」
 自分の猜疑心にうんざりしながら、サリアは先を口にした。
「御身もご存知でしょう。先だっての決闘の折、ムロアーブ殿の勇者達は、私を邪神と呼んでいた。
 ……いまや神々の間で、私は完璧な鼻つまみ者だ。そして、もっともうまみのある、蹴り落し甲斐のある対手でもある」
「この饗応も、そのための謀(はかりごと)と……なるほどなるほど」
 ネズミは相変わらずニコニコと笑い、それから飲み物を口にし、間を繋いだ。
「まぁ、謀といえば、いえなくもありませんな。こうしてお話をさせていただいている事自体、私には有意義ですから」
「……なにか、我が配下を誅する策でも思い付かれましたか」
「いえいえ滅相な! 私のようなネズミには、周囲の変化に敏感であることが要求されるのですよ」
 ひくひくと動かされる、とがった鼻面に皺を寄せると、イヴーカスは指を立て自分を指差した。
「この私めは、世界を一つ持つばかりの、正真正銘小さき神。
 そのような者が遊戯に参加するとなれば、他の皆様方の働きはすぐさまこの身に降りかかります。
 ですので、あらゆる事物に目を凝らし、耳をそばだてるのが生き残りの秘訣なのです」
「仰られていることは分かりますが、それと私との会話に何の意味が?」
「サリアーシェ様は、いまや神々の敵と目されたお方。しかし、そうなれば不都合も出てくるものです。
 例えば、御身が何を思い、誰を敵と考え、いかなる願いを持っておられるのかが、全く分からなくなる」
「つまり、それを知るために、私との会話を?」
「その通りでございます」
 彼は何を考えているのだろう。サリアは改めて目の前の神を見た。
 自分が何を考えているかを知りたいと、彼は言った、その目的は自分と勇者を生き残らせること。
「貴方は、私との会話で得られた何かを、他の神に流すおつもりですか」
「はい。そうなります」
「……それは索敵、諜報の類という意味、でしょうな」
「それ以外に何がありますか?」
 相変わらず、イヴーカスはニコニコと笑っている。自分の言ったことの意味を理解しているのか、あるいはしていないのか。
「それを安々と私が話すとでも?」
「いいえ。それはないでしょうな。こうして私がぺらぺらと話してしまった以上」
「つまりこの饗応は、失敗に終わったということになる」
「いいえ。大成功でございますよ」
 そこでイヴーカスは心持、態度を崩し、小さな赤い実を口に含んだ。
「御身がこうして私の前に座っていただけたこと、これでこの度の饗応は成功理に終わったことになります」
「……つまり、会話の内容ではなく『私と会話した』という事実が」
「はい。これは他の神々が持たぬ、強力な切り札、となるのです」
 サリアは彼とは逆に、居住まいを正し、その姿を見た。
 みすぼらしい乞食のような格好、風采の上がらないネズミの顔、物柔らかな口調、だが視線だけは、何者をも見逃さない鋭さに輝いている。
「とはいえ、そこまで話してしまってよいのですか。そのことを聞いた私が、今後の会話を拒絶することもありうる」
「聡明な貴方はそうはなさらないでしょう。竜神殿と話す機会は、今後ますます失われることになるはず。
 他の神々と交誼を結ぶこともできない現状、いかなる伝であろうと捨てようとはなさりますまい」
「なるほど」
 全てお見通しといった風情のイヴーカス。いや、現状を考えれば、彼のような行動に出る者はいずれ現れただろう。
 そしてサリアは考える、決裂するか、交誼を結ぶか。
「いかがでしょう。今後も私とお話していただけますかな」
「……分かりました。お受けしましょう」
 背に腹は変えられない。だが、相手の言うとおりに動くのも癪なので、少しばかりの抵抗を口にする。
「ただ、何の実りもない会話となるでしょうが、それでもよろしければ」
「ネズミの目を侮れれませんよう。小さな穴から入り込み、床に落ちた麦粒一つとて、残さずさらい取るのが我らですからな」
 そう言って笑うイヴーカスは、まるで腹蔵無く、全てを話してしまっているように見えた。
 無論それも演技ではあるのだろう、陰謀が張り巡らされたこの世界で、むしろ自分のようなものこそがバカみたいに無防備すぎるのだ。
 とはいえ、サリアはそっと、心の中で付け加える。
「ご忠告感謝を。せいぜい私も貴方を利用させていただこう。よろしく、イヴーカス殿」
「それでよろしいのです。どうぞよろしく、サリアーシェ様」
 この神は嫌いにはなれないだろう、その思いを込めて、差し出された手を握り返した。



[36707] 4、神々の『きょうそう』
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/08 17:13
4、神々の『きょうそう』

 目の前で語らっていた竜神が、ふと何かに気が付いたように視線を上げる。
 嵐の神ガルデキエは、自然と彼の見ているものを目にした。
 南の扉に去っていく女神と、その足元でこそこそと動き回る獣の姿に、思わず笑みが浮かんだ。
「どうかしたか"覇者の威風"よ」
「いえ、なにやら御方様が眺めておられたようなので、つい」
「さて……もうそろそろよいな」
 いかにもうんざりした、という口調で竜神が腰を上げる。
 そのいかつい口吻に、かすかに焔が香り立っているように感じられて、思わず身が引き締まる。
「別にそなたらが何をしようと、儂には関係ない。好きなように騒ぎ、己の身を削っておればいい。だが……」
 黄色い竜眼が、きつく鋭く、周囲の神々を睨みすえた。
「この儂を、何度もさえぎられると考えるな。稚気じみた振る舞いを赦すは此度のみ。そう心得よ」
 全身が永久凍土の氷にでもなったかのような怖気が走る。
 目の前の巨竜は、星を砕くといわれたその怒りを、隠すことなく発散させていた。
「……まったく、ゆっくり鱗を干すこともできんとは、面倒な事だ」
 ふわりと中空に舞い上がると、彼はそのまま自らの神座に姿を消した。
「老いぼれの古蜥蜴めが……」
 思わず悪態が口を突く。生まれながらにして強力な力を統べ、その眷属もあまたの世界で畏れ敬われる竜神。
 遊戯の最上に座する神格と肩を並べる有力者にしてみれば、自分達の振る舞いなど見苦しいばかりだろう。
 とはいえ、彼もまた今の神界を変える力は持たない。
 遊戯が開かれて以降、神々の直接的対立は禁じられており、ああやって部外者を気取るのが関の山だ。
「そうやって大神の身に驕っているがいい。いずれは貴様も、あの見栄っ張りのゼーファレスのように落ちぶれさせてくれるわ」
 確かに遊戯は、一歩間違えば自らの存在をも失う危険なものだが、その勝者となれば限りない栄達を手にすることができる。
 大神は大神として、小神はいつまでも小神のままでという時代はすでに過ぎた。
 名を知られた神が一瞬で消滅し、最前まで名も知らぬものであった神が、あまたの世界で尊崇されることもありうるのだ。
 そして、皮肉なことに、その夢物語を体現した女神、サリアーシェを狩るのが目下の小神たちの目標だった。
「イヴーカス」
 蓄えた美髯を揺らし、ガルデキエは視界の端に映ったネズミに無造作に言い放つ。
「何か掴めたか」
「申し訳ございません。
 サリアーシェ様も中々に警戒なされている様子で、次にまたお話していただけることをお約束していただいたのみでして」
 そこでようやく、嵐の神はちっぽけなネズミをにらみつけた。
「"陰なる指"が聞いて呆れる。盗賊の守護者だのと吹聴しているが、所詮はその程度か」
「いや、これは手厳しい。ですが、何とか食い下がれはしましたので、今後は何事か耳寄りなお話をお伝えできましょう」
「疫風が耳元に囁くなど、ぞっとせんがな」
 この小さな神は、自分の周りをうろちょろしている屑拾いの類だ。神格は低いが、名だけはそれなりに通っている。
「そうそう、そろそろ我が所領でも、我が神意を示す時期が来たようだ」
「また、お仕事を頂戴できますか」
「痴れ者」
 言い捨てると、ガルデキエはネズミに近づき、その体を蹴り倒す。
「――――っ」
「そろそろ"穢闇(えやみ)の運び手"が、我が所領を荒らしに来る。我の申したきことはそれだけぞ」
「し、失礼を……いたしまして」
 ネズミに触れた衣の裾を引き、軽く手で打ち払う。相手は立ち上がり、畏まった姿勢で突っ立った。
「追って沙汰を申し伝える。もう下がってよいぞ」
「は、はいっ」
 転がるようにその場を退散するイヴーカス、その背中が別の神の足元に這いつくばったのを見て、思わず口元が緩んだ。
 魔族との暫定的な休戦が結ばれたことにより、世界は一応の平穏を見せた。
 しかし、その結果として『悪に対抗する至善』という、神の役割を演じる機会もまた激減していた。
 その問題を解決するべく行われたのが『疫神(えきがみ)』という慣例。
 神々の間で取り決めを行い、別の世界で悪の役割を演じる。その悪神を祓う姿を見せることにより、信仰を強く太くする。
 神同士での取り決めであるから、その被害は限りなく小さく、穏健に勢力を強めることができた。
 もちろん、疫神などという役割は誰もやりたがるものがおらず、イヴーカスのような位も低く、取り立てて力無い存在が行うような流れができあがっている。
 そうした疫神を崇める愚かな人間もあり、それなりに信仰も集めるようだが、結局は汚名でしかない。
「こそこそと、いじましい事よな」
「ガルデキエ殿、こちらにおられましたか」
「シディア殿か」
 同輩の一つ柱、海洋神である青い肌の神は、隣に立つと同じくネズミを見て笑った。
「なるほど、確かにいじましい」
「ああ。何かと使えるが、所詮は廃神一歩手前の浅ましいごみ漁り、そばにも置きたくないものよ」
「聞きましたぞ、彼の邪神めにあれを近づけたとか」
 あごひげを扱きつつ、ガルデキエは頷いた。
「かたや神界のごみ漁り、かたや兄神をその手に掛けた嫌われ者の邪神。よい組み合わせであろうが」
「まことに。ですが、もし彼の女神と結託するようなことがあれば」
「その時はその時よ。あやつの勇者など、一息に捻り潰せよう。
 そもそも奴は疫神として我らに仕えるもの、裏切れようはずも無い」
「確かに。先だって我の元に参じた折には、いずれの時にもお呼びくだされと、平伏して訴えてきましてな」
「節操なしか。全く、かわいいものよ」
 喉の奥を鳴らして笑い、それからガルデキエは顔を引き締めて同輩を見やった。
「ムロアーブは功を焦りすぎたな」
「脇を固める傭兵は、どうにかよいものをそろえたようですが、勇者があれでは」
「とはいえ、あの小ざかしい女神と魔物も、なんともうまく立ち回るものだ」
「破術とは驚きました。ちと厄介ですな」
 うっかりと重要な話を漏らす『同輩』に、あごひげの奥の口が緩む。厄介、つまり彼の勇者は魔法か神器中心で構成されているのだろう。
「だが、あの女神め。贄の加護は使っておらぬ様子」
「おそらく蘇生のために残しておるのでしょう。あるいは、どうしても切り抜けられぬ敵を打ち倒すために」
「下手に追い詰め、加護を絞りだされては厄介だ。なるべく早いうちに吐き出させたいものだがな」
「いっそのこと、イヴーカスめをけしかけては?」
 まるで自分の配下でも使うように言い放つシディアに、少しばかり苛立ちが募る。この口の軽い海洋神も、機会を見て吹き散らすことにしよう。
「その判断はまたいずれな。さて、そろそろ勇者を見に行かねば」
「はい。ではまた後ほど」
 海洋神を後に残し、嵐の神は自らの神座へと歩き出す。最後にちらとネズミの姿を眼の端に止め、ゆっくりとあごひげを扱いた。
「せいぜい働くがよい、俺のためにな」

 肩をいからせて嵐の神が歩み去ると、シディアは衣の内側でそっと、忌まわしい者を弾く印を指で結び上げた。
「せいぜい舞い上がるがいい。頭の中まで空気で一杯の嵐の神よ」
 一応、自分と同輩であり、小神では上位に位置する者ではあるが、いかにも武辺者な格好と、自らを省みない大言壮語にはうんざりさせられていた。
 海洋神は周囲を見回し、ちょうど別の神と話を終えたイヴーカスに近づいた。
「これはこれは。"波濤の織り手"シディア様」
「精が出るな"爛れ呼びの東風"よ」
 すでにイヴーカスには、自分のところでも疫神に就いてもらっている。
 自分の一族でもない彼を使うのは抵抗感もあったが、見事に嫌われ役を演じてくれるため、幾度と無く疫神として招いていた。
「ガルデキエ殿から聞いたぞ。彼の女神と交誼を結んだとか」
「はい。とはいえ、毒にも薬にもならぬことを、お話できるのがせいぜいと申し上げたところ、だらしのない奴めとお叱りを受けた次第で」
「くくく。まぁ、あのお方ならば、言いそうなことではあるな」
 実に愚かな存在だ。イヴーカスの腹芸の巧緻を見抜けない分際で、自らは大神に上りつめるなどと駄法螺を吐くのだから、
 まったくもって度し難い。
 そろそろ追い落とす潮目か、そう心の中に刻み込む。
「そのことだがな、ガルデキエ殿の後でよいゆえ、我にも少しばかり、話を聞かせぬか」
「ですが、ガルデキエ様には常からご温情を賜っており」
「田舎芝居は止せ。あのような風船頭に付いたところで、そなたの未来は無いぞ。
 我の所領は奴より少ないかもしれんが、我ならそなたを使いこなしてやれる」
 イヴーカスはその顔を少し引き締め、小さな顎を押さえた。
「申し訳ございません。疫神とて矜持がございます」
「ふん……」
 王様気取りの嵐の神なら、ここで大声を上げて怒り狂っただろう。だが、シディアは顔をしかめたまま、イヴーカスを見下ろした。
「……ですが、私は少々、うっかりしたところがございます。
 それゆえ何かの折に、何かよからぬことを、うっかり漏らしてしまうこともありましょうな」
「うっかりか、んふふふ。うっかりな」
「はい。できればそのような粗相をしたこと、他の神々には、ご内密に」
 海洋神は黙って頷き、イヴーカスは暇乞いをして立ち去っていく。
 小ざかしいネズミだ。ああやって数多(あまた)の神に媚を売り、いずれかの陣営について自らを生かそうと考えているのだろう。
 だが、所詮はその程度、嵐の神のような力ばかりが先行する愚神ならともかく、
 イヴーカスを使っている神々なら、その程度の二つ心など見抜いているはず。
「そろそろネズミ臭さも鼻についてきた。彼の女神を討ち果たせし後には、そなたのちっぽけな所領も、我が喰らってくれよう」
 そう独りごちると、シディアは歩き出した。

 扉を抜け、自らの神座に入ると、イヴーカスは長く深いため息をついた。
「ああ、忌々しい」
 言った端からぼろぼろだった服が見事な法衣に変わり、薄汚れた毛並みも清潔そうな小麦色に戻っていく。
 神座の中は、部屋というよりはどこかの蔵のように見えた。
 足元にはいくつもの財宝や宝飾品、壁際にはうずたかく積みあがった食料や酒の樽、あらゆる富と栄光を象徴する品々が収められていた。
 まるでドラゴンの住まう洞窟のように見える世界の奥、そこに作られた玉座に腰掛けると、彼は虚空に水鏡を浮かばせた。
「どうだい悟(さとる)、調子の方は」
『うん。言われた通り、みんなには戻って来てもらったよ』
 まだ幼さの残る声は淀みなく、こちらの言葉に答えてくれる。
『もう、あのコボルトの見張りはいいの?』
「後はガルデキエ様の勇者殿に任せよう。そう遠くないところにいるんだろう?」
『そうだね。なんか、近くの村がモンスターに襲われて大変だからって、まずはそっちにいくみたい』
 勇者の報告に頭の中に地図を思い描き、それぞれの動きを確認する。事態は遅滞無く進んでいる、そのことを頷くと言葉を継ぐ。
「そうか。また力を貸してあげることになると思うから、その時はよろしくね」
『でもいいのかな、僕、手伝わなくて』
「君のレベルはまだ高くない。かえって足手まといになるなら、行かないほうが良いさ」
 水鏡の向こうを見つめながら、イヴーカスは口元を歪めて、笑った。
『そうだね。じゃあ、これからどうする?』
「そこから西の方に良さそうなダンジョンがある。そこでトレーニングするといいよ」
『分った。ありがとう』
「それじゃ、私は仕事があるから、何かあったら呼んでくれ」
 勇者と繋がった水鏡を消し、ネズミは玉座に背を預けた。
「さて……」
 腹の上で指を組んで瞑目する。今までのこと、そして今後の行動、その一つ一つにどのような対応を取るべきか。
 しばらくの間、そのままの姿勢を保っていた体が、不意に崩れる。
「ふ……」
 喉の奥から吐息が漏れた。
「くふふ……」
 今までに無い興奮、先を思うだけでこれほど心躍ることが、ついぞあったろうか。
「ふは……ふはははははははは」
 イヴーカスは、湧き上がる思いをとどめられず、遠慮ない笑いを上げた。
 その顔には、誰も見せたことのない剥き出しの感情が、ありありと表れている。
 自らの野望を為そうとする、つややかとも言える輝きが。
「……さて、それでは大仕事に取り掛かろうか」
 顔を厳かなものに改め、目の前に小さな水鏡を浮かばせる。それは、彼の小さな目にあてがえるぐらいの、遠眼鏡のような代物。
 映し出されたものを見て、満足した吐息を漏らす。
 そこは、文字通りの雲壌の世界だった。



[36707] 5、雲の上の合議
Name: 犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/09 17:46
5、雲の上の合議

 敷物のように、雲が敷き詰められていた。
 文字通りの雲の大地、歩けば足に柔らかく、転べば全てをやさしく包みこんでくれる、真綿のような塊。
 天にはさわやかな青がどこまでも伸びているが、本来在るべき太陽というものは存在しなかった。
 なぜなら、そこは大神の御座であり、そこに集うものこそが太陽そのものと言うべき者であったから。
 だが、そこには誰も居ない。何も存在しない。風もなく、草木もなく、石も建造物の類もありはしなかった。
「……やれやれ、また私が先か」
 何の前触れもなくそれは現れる。
 神々が好むゆったりとしたローブではなく、計算された直線で構成された服と、色付きのめがねを掛けた赤髪の神。
 片手には書籍らしきものを携えていた。
「無骨者の闘神や、奔放な道化などに場を設えられるのは我慢ならんが、
 自らが率先して座を設けるという殊勝さを身につけて欲しいものだ」
 そんな愚痴をこぼしている間に、彼の周囲で世界が劇的な変化を始めていた。
 雲の地面は磨きぬかれた黒曜石と大理石のモザイクで作られた床となり、神々の歴史や偉大な武勲を示すレリーフが刻まれた壁が現れる。
 それらが一瞬で緑の蔓や色とりどりの花々で覆われた庭園に囲われ、
 小高い岩山と流れ落ちる滝、その水際に憩いの東屋などが作り上げられていく。
 その間もその神は顔色一つ変えず、神殿の中を歩き回って仔細にモザイクや床のできばえを検分し、いまや雲の地平の彼方まで広がっていく庭園の遠景を測っていた。
「うひゃー! なになに、どーしたのこれー!?」
 ぱたぱたと軽い足取りでモザイクの床を走る姿。背は小さく、どう見ても十四、五歳の人間の少女にしか見えない。
「見たよ見たよルカっち! なにこれ宴会場!? みんなで宴会するの!?」
「"万世諸王の美姫""声無く踊る影""掴みえぬ者""愛乱の君"マクマトゥーナよ」
 完全に苦りきった表情で、男はめがねを直し、目の前の女神を睨む。
「いくら我らの時が限りなしとはいえ、遅参とは感心しませんな」
「えへへー、ごめんねー。そんなことより、なんで宴会場なんて作ったの?」
「この建築様式を見てそんな発想が出るとは、やはり貴方はどうかしている」
「あれー、怒られちゃった。あはははは」
 女神の方はひらひらとした薄桃色のドレス、のようなものを身につけ、笑いながらくるくると回ってみせる。
 髪の色も同じような色で、神格の威厳などひとかけらも感じない。
「そもそもこの壁のレリーフを見て、これが上古の神魔騒乱の図絵であり、今回の会議に合わせたものであると理解できれば、そのような感想は」
「おお、これは見事な宴会場だ!」
 眉間に皺を寄せた神の後ろに、巨大な壁がそそり立つ。
「だが、ちと凝りすぎだな。相も変わらず堅苦しいことだ、なぁフルカムトよ」
「"天地開闢の拳""大乱の嚆矢""絶破の戦鎚""神鳴る黒剣""覇業の体現者""闘神"ルシャーバ殿」
 定命のものなら、見ただけで魂が消えるほどの異形。
 まるで火山岩を彫りぬいて作ったようなごつごつとした顔に、頭からは髪とも角とも見えるものが生えている。
 赤黒い肌と分厚い胸板、太い腕、両手両足には引き裂く爪が備わり、竜を思わせる長大な尻尾がゆるゆると揺れていた。
「そのように申されるのであれば、貴方が先に来て、場を設えるがよろしいでしょう」
「とはいえなぁ、俺はこのような場を作るのは苦手ゆえ、全面的にそなたに任せているのだ、なぁ?」
「そうそう! 
 第一あたしたちが作ったときは、あれがダメだとかこれが気に食わないって、散々文句付けたじゃない! 
 だから、ルカっちに全部お任せしてるんだよ!」
「それならば! 決められた刻限を守り、この場で待っているのが礼というものではありますまいか!?」
「申し訳ありません、"才知を見出す方""青き書の守護者""測りえざる者""万略の主""知見者"フルカムト・ゲウド・ネーリカ」
 怒り狂う神に声を掛けたのは、その三柱から比べればほとんど地味と言ってよかった。
 白の長衣で身を包んだ、短い黒髪の青年。
 優しげに細められている栗色の瞳や、整った顔立ちは、確かに衆目を集めるだろうが、人の世にまぎれれば一瞬で消える程度の美だ。
「今後は僕もお手伝いさせていただきますので、収めていただけないでしょうか」
「"英傑神"シアルカ殿」
 フルカムトは吐息をつき、肩を竦めた。
「皆が皆、貴方のように礼を失することが無ければ、私とてこのようなことで怒る必要もないのですが」
「でもシー君も遅刻だよね?」
「彼の神はきちんと遅参の報を届けてくださいましたからな。どなたらかと違って」
「ほうほう。それはなんとも礼を失した話だ、なあマクマトゥーナ」
「そうだねーシャー君ー」
 むっとした顔のフルカムトは、それでも神殿の中に出来上がった、正方形の卓の一辺についた。
 他の者もそれに習い、本を手にした知恵の神が口を開く。
「それでは、此度の遊戯における、割譲の会議を始める。おのおの、己の心に腹蔵なく、真実のみを述べるべし」
「誓おう」
「あたしもいいよー」
「宣誓を捧げます」
 同時に、卓の上には巨大な地図が広がる。その上に無数の黒い駒が散り、妖しげな気配を漂わせる洞窟や砦、城などが浮き上がる。
 さらに、その上を飛ぶ巨大な岩の塊が浮かび上がったところで、知恵の神は満足そうに頷いた。
「では、誰から?」
「俺から行こう」
 闘神が声をあげ、地図の上に視線を落とす。世界は北半球に三つの大陸、南にもう一つの大陸、その東に接する群島で構成されていた。
「知っての通り、俺の勇者は西大陸ヘデキアスの、ここから出立している」
 小ぶりの白い駒、徒手の青年らしい彫塑が施された駒を、西の大陸のさらに西端にどかっと置いた。
 その駒の周囲、すべての地形がどす黒く汚れている。その汚れの向こうに見えるのは現実の世界、荒れ果てた農地や毒で汚染された湖沼、人一人居ない暗黒の世界に見えた。
「現在はここまで到達し、さらに侵攻中だ」
 下弦の月を思わせる大陸を、白い駒はじりじりと北東に向けて進んでいく。
 その前に立ち塞がるダンジョンや砦などが跡形も無く砕かれていく。
「この大陸を支配する吸血王の攻略には、どのくらいかかりますか」
「まぁ、一月は見てくれ。何しろうちの勇者は一人、それなりに時間が掛かる」
「ならば、私の報告をした方がいいでしょうね」
 フルカムトは眼鏡を直し、手をテーブルの上に振るう。
 途端に無数の白い駒と、その中央で光り輝く大きな駒が、ゆるい円錐型の中央大陸、東側を埋め尽くした。
「うわぁー、すごーい!」
「我が『聖光の兵団(レイディアント・ミリテース)』は約十万となりました。
 いささか小規模ですが、この辺りを治めていた諸王との約定も取り付け、勢力も拡大中です」
 その辺りにあったあらゆる黒い軍勢は、圧倒的な数の暴力に粉々になり、踏み荒らされて消失した。
「現在は拡大した戦線の収拾と、軍の再編を行っていますが、近々中央大陸を掌握の予定です。
 無論西大陸への遠征も視野に入れております」
「尻を叩きに来たな。よかろう、遊びはやめて将を射るよう、勇者に伝えるか」
「じゃあ、次はあたしだね」
 彼女は手に一枚のカードを取り、中央大陸の南部、いくつもの島々からなる場所に鋭く投げつけた。
 深々と紙片が刺さった場所には、海から突き建つ巨大な城があったが、それが崩れ去って残骸と成り果てていく。
「南の海魔将はやっつけといたからねー。今はざんてきそーとー? って感じ」
「それはありがたい。私の軍勢でも海を越えさせるのは一苦労でしたからね。これで移動も侵攻も楽になります」
「いかんなぁ、これではフルカムトに一人勝ちされてしまうぞ」
 いかにも嬉しそうにルシャーバが笑う。だが、知恵の神は奢るそぶりすら見せず、黙していた最後に残った神に視線を投げた。
「僕のほうは、いつもと変わらずです」
 彼の駒は握り拳のような形をした南大陸、ケデナに置かれた。
 そこは北の大陸のいずれよりもどす黒く、彼の置いた小さな白い駒だけが唯一の汚れないものとなった。
 その侵攻は闘神のものより遅く、知恵の神の輝きにも劣り、未だに小さな砦一つ落とせないままに居るように見える。
「なるほど。大分難渋しているようだ」
「シアルカ殿のやり方では、今回の遊戯は荷が勝ちすぎたようですね」
「ですが、まだ始まったばかりです。この後どうなるかは分かりませんよ」
「うわー怖い怖い。あたしもヒミちゃんに、もっとがんばれーって言っとかないと」
 お互いの実績を交換し合うと、神々は杯を手に地図の様子を追っていく。
「軍勢を指揮する利点は、やはり多方面の戦場から経験点を得られることですね。
 収穫効率で言えば、我が勇者は他の追随を許さぬものかと」
「だが、薄く広げた加護など、束ねた力の前には紙の楯同然、俺はそう見るが」
「忠言痛み入ります。一匹狼の勇者には気をつけることにしましょう」
「それはいーんだけど、東大陸はどうするの?」
 繊細な女神の指が歪んだ三角形の形をした東大陸、モラニアを突付く。
「ああ、しばらく放置してもいいでしょう。そこは空白地です」
「そこは確か、ゼーファレスが平定すると息巻いていたではないか」
「そういえばゼーちゃん、負けちゃったんだって?」
 そっけなく放り出された言葉に、ルシャーバは眼を細めて東の大陸に太い指を添える。
「大した敵もおらず、治める魔将も並程度と、鼻息荒く突っこんでそのざまとはな。
 で、奴の勇者を倒したのは誰だ、嵐の神あたりか」
「女神サリアーシェ」
 黒髪の青年神の言葉に、女神と闘神は面食らったように、顔を地図から上げた。
「サリアーシェ……久しく聞かん名だ。まだ存続していたとは」
「へー、サーちゃん、お兄ちゃん倒しちゃったんだ。でも元気でよかったよ」
 それなりに思うところがあったのか、二人の神はほんの一瞬、過去の記憶を手繰る。
「しかし、いくら増長が過ぎた見栄坊の神とはいえ、廃神に過ぎぬものに倒されるとは。
 あの小娘め、どんな魔技を使ったものやら」
「見事な戦いでした。彼の女神が使役したのはコボルトの若者、確かシェートという名であったはずです」
 シアルカの言葉は、天界でその話題を聞き及んだものなら、誰でもする反応を生んだ。
 当惑、そして、爆笑。
「ふ……は、はははははは、コボルト!? あの小さな魔物がか!?」
「あはははははっ、やだ、そんないくらなんでも、あはははははは!」
「ですから、空白地だと申したのです」
 つまらなそうに告げると、フルカムトは申し訳程度の小さな犬の駒を置き、その周囲に別の白い駒を置いていく。
 その数は次第に増え、十を越え、五十を過ぎ、そして百に届くほどとなった。
「東大陸の勇者達は、一匹の畜生を狙って群れ集まりつつあります。いずれ、その力を奪い合う醜い争いが始まるは必定。
 そのころには、サリアーシェなどという女神のいた痕跡など、完璧に消失しているはず」
「ゼーファレスに勝っただけでも金星であろうよ。あれも哀れな身の上、小神くらいには所領を手にできればよいがな」
「……そう、ですね」
「なにか、気になることでも?」
 問いかけに英傑神は首を振り、地図から視線を上げた。
「会議はここまでにして、そろそろ宴席に移りませんか」
「提案を容れましょう。これ以上はお互いの目標を完遂して後に、ということで」
 英傑神と知恵の神の言葉に、闘神と愛乱の女神は相好を崩した。
「やっぱり宴会じゃない! じゃあ、うちの舞子たち呼んでくるね!」
「フルカムトよ、この前の宴で出た火酒を所望したいのだが」
「そこまで面倒を見るつもりはありません。ご用命なら御身が差配をなされますよう」
「僕は少々席を外します。勇者の動向を確認した後、戻ってまいりますので」
 それぞれの理由で三柱の神がその場から消え、フルカムトだけがその場に残る。
「それで」
 その眼に冷たい光を宿し、彼はこちらに近づいてきた。
 神殿の柱の影、そこでうずくまる手のひらに収まるほどの、小さなネズミのほうへ。
「薄汚い本性を晒し、光為す神々の前にまろび出た罪、承知しているのだろうな」
『重々承知しておりますれば』
 分け身越しでも分かる圧倒的な神意に震えながら、それでもイヴーカスは口を開いた。
『お願いしたき儀があり、罷(まか)り越しました。"銘すら呼び給い得ぬ方"よ』



[36707] 6、ほしのがみ
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/10 18:13
6、ほしのがみ

 両手に持った草の塊を、シェートは目の前に上げてみた。
細い繊維を織って作られたそれは、自分が身につけていた上着だったもの。
 元々は縦横に糸目が走った、しっかりとした布地だったのだが、ほつれちぎれて、まともな衣類としては着られそうも無かった。
「だめ。ほぐして使える、思ったけど……」
『そうか……』
 あきらめて地面に投げ捨てる。
 ごろごろと大振りの石が転がる川原、水浴びをするついでに確かめてみたのだが、結局自分の持ち物が、
 また一つ無くなったことを理解したに留まった。
「しばらく、上着ない。時間あれば、蔦、木の皮で服作る」
『……その上、矢を初めとした生活の道具も作らねばならんのだろうが』
 サリアの指摘にシェートは力なく、その場に座り込んだ。
「サリア、他の勇者、どこいるか分かるか」
『分からぬのだ。聞けば教えてくれるというわけでもなし、そなたに探知の能力を授けようにも、必要な加護が不足している』
「それ分からない、すごく困る」
 自分の使っているものはすべて森から取れる。
 とはいえ、取ってすぐ使えるわけではなく、材料の選別、乾燥や煮沸などの下ごしらえを経て、ようやくといった具合だ。
 本来なら集落で仲間と分担し、時間を掛けてやるべきこと。それをすべて自分だけで賄わなければならない。
 その上、日々の食料集めも切実な問題だ。いざという時に保存食の類も持っておきたいし、それだって作るのには時間が掛かる。
「鍋、壷、篭、なめし台、砥石、そういうの、何もかも足りない」
『あったとしても、持ち歩くわけにもいかんしな……』
 旅に出たとき、仲間たちとの別離は感傷的な意味のみだった。しかし今は、生活の面で仲間が居ない辛さが身に染みていた。
『拠点でも作れればまた違うのだろうが、そこに定住していると分かれば、また勇者が襲い掛かってこようからな』
「サリア、勇者、あと何人いる?」
『聞きたいか?』
 疲れたような、半笑いの声。その中にこもった疲労感を嗅ぎ取ってうんざりするが、それでも手を振って、その先を続けてもらう。
『百人を越える勇者が、今回の遊戯に参加している』
「……え?」
『大半は兄上の勇者ほどの力も持っておらぬがな。そして、このモラニアでそのほとんどが行動している』
「ちょっと待て! 勇者そんな居て、なんで散らばらない!」
『弱いからだ』
 すでにあきらめの境地に達したのか、サリアは淡々と解説をつけてくれる。
『小神の使う勇者は、ろくに加護も与えられず、レベルアップ後の増強を頼みに行動している。
 だからこそ、魔物の侵攻が比較的緩やかな場所に投入されていく。そして、その魔物の弱い地域が』
「俺、居るところか」
『いくら強くなったとはいえ、味方もないコボルトのお前だ。うまくすれば討ち取れる、そう考えても不思議ではないのだ』
 そこでようやく、シェートにも事態が飲み込めた。なぜ勇者達が躍起になって自分を狙おうとするのかを。
 要するに、どこも台所は火の車、ということなのだ。
『とはいえ、その全てを一度に相手取ることは無いのが、唯一の救いだ』
「……ああ。獲物取り合うからか」
 そう口にしてから、コボルトの口が事態の皮肉さに歪む。
 いつの間にか自分は狩りの獲物になっていた、森を我が物顔でのし歩く、凶暴な熊か何かのように、目の敵にされて。
『誰かが先に我らを討ち果たすのは困るが、迂闊に手を出すこともできんというわけだ。
 我々は逃げ回り、居場所を悟られぬようにする。そして、襲い掛かるものだけを狩ればいいのだ』
「そうだな……」
 だが、それは長期戦を強いられるということでもある。長く、厳しい、待つ戦いが。
 不毛な事実を確認したところで、シェートの腹の虫が、食事を催促し始めた。
「飯、取ってくる」
『今日は魚ではないのか?』
「気、変わった。肉食って、精つける」
 矢筒と弓を腰につけ、歩き出す。上着が無いせいで胸元の石と、その下の無毛の部分がはっきり見える。
 勇者の剣で裂かれた傷痕は、再生の力を持った今でも消えていない。
 それだけではなく、割と大きな怪我を負った部分はひっつれた肉の盛り上がりになり、腕や太股にも、毛の生えない部分ができていた。
 進めば進むほど傷は増え、生きれば生きるほど、それが難しくなっていく。
 自分もいつか、脱ぎ捨てた上着のように擦り切れ、大地に打ち捨てられる時が来るのだろうか。
 暗い考えを振り払うように、緩やかな丘を登り、そのまま森の中に踏み込んでいく。
 初夏の風に揺れる梢に青い葉の匂いをかぐと、少しだけ気分が落ち着いてきた。
 狩人として森に入る、そのことが無性に嬉しかった。
 数日前に降った雨のせいか、地面の土にはきのこが群れ固まって生えている。
 胞子も大分撒き散らしているせいか、匂いで獲物の足跡を辿るのは少し難しそうだった。
 反対に、こういう柔らかくなった地面に足跡はくっきりと残る。
 腐りかけた枯葉を踏みしめたウサギの足跡を見つけて、シェートはほくそえんだ。
「サリア、ちょっと黙ってろ」
 一応声を掛け、獲物を辿る。弓を引き抜き、矢を番え、じりじりと足を進める。
 密生した枝で日もほとんど差さない森、その中で耳をそばだて、歩み進む。
 無意識のうちに、弓が引き絞られた。
 走れば二十歩の距離、前足を上げ、鼻をひくひくと落ちつかなげに動かすウサギ。
 鏃が頭から首筋へ、それから腰と足の付け根辺りにぴたりと合わさる。
 何を警戒しているのか、ちらりとそんな思いが頭を掠めた瞬間、獲物がバネを溜める。
 ふつ、と矢が空を切り、獲物に喰らいついた。
「なに!?」
 喰らいついた、その言葉を思い浮かべたのは、文字通り"それ"がウサギの首筋に深々と牙を突きたてたから。
『狼だと!?』
 自分の弓とほぼ同時に飛び出したそいつは、がっぶりと獲物を銜え、黄色に輝く瞳でこちらをにらんだ。
「まて! それ俺仕留めた獲物!」
「……ぐる……るる……」
 狼はすぐには立ち去ろうとせず、不満そうな顔で見つめてくる。
 毛に纏わりついた枝葉から、自分の正面にある茂みからウサギを狙っていたらしい。
「矢、刺さってる! 俺、それ仕留めた!」
「るるる……るる……」
『見たところ、彼も同じ気分らしいぞ。追い詰めたのは自分だ、といったところか』
「ぐ……」
 とはいえ、自分の矢もウサギの足を完全に殺している。狼の牙が間に合ったのは、多分自分の弓のおかげだ。
「分けっこ、するか」
「ぐる……るる……」
 全部取られるわけではないと分ったのか、狼は地面に獲物を横たえ、それでも不満そうな顔を崩さない。
「半身、どうだ?」
「…………」
「わたもつける」
「…………」
「皮と片腿くれ! これ以上、ダメ!」
 それで満足したらしい狼は、獲物の前に座り込み、緊張を解いた。
「……お前、がめつい」
「うぉふっ」
 当然だ、といわんばかりの顔で吼えると、あくびを一つ。
 そこでシェートは、狼の額に銀に輝く星のような毛が生えていることに気がついた。
『星狼(ほしのがみ)か』
「こいつら、頭いい。昔、村の猟師、飼ってたことある」
 そろそろと獲物に近づくと、山刀で身を裂いていく。
 その様子を真剣な顔で見つめる星狼に、シェートは皮と片腿を除く部位を、折り取った木の枝に載せて差し出した。
「これでいいか」
「うぉん」
「狩り、邪魔して悪かった」
 一つの獲物を取り合った場合、狩人は互いの落としどころを決め、その後互いの非礼を詫びる。
 どちらかの権利のみを主張することはしない、それが山の取り決めだ。
 それを理解しているかのように、星狼は鼻面を近づけ、こちらの手の甲を舐めた。
「俺、もう行く。肉ありがとな」
「うふぅっ」
 言いながらシェートは立ち上がり、
「避けろ!」
 絶叫よりも早く狼が飛び、シェートの体が地面を転がる。その影を焼くように銀光が虚空を走った。
「勇者か!? サリア!」
『すまん! ここからは"見えぬ"!』
 素早く弓を構えたものの、どうすることも出来ない。
 周囲には木々が立ち並び、見通しは余り良くない。
 だが、そういう遮蔽物に隠れての狙撃、というわけではないこともシェートには分っていた。
「また姿消しか!」
『多分、完全透明化だろうな。足跡は見えるか?』
 姿を見えなくする透明化の能力を持つ勇者、あるいはそうした魔法を使える仲間に頼った奇襲は、すでに経験している。
 自然に溶け込んで見えにくくするものや、本当に姿が見えなくなるものまで、その手段は千差万別。
「周り、それらしいの無い」
 そう言った途端、森の奥が光る。
「くっ!」
 ギリギリでかわした顔が燃えるように熱くなり、きな臭さが鼻を突く。
 高い熱量を持った魔力光の攻撃は、凍月箭のように見てからは防御できない。
『木を背にしてやり過ごせ!』
「だめだ! こいつ、多分位置変えてくる!」
『遠距離攻撃特化か……厄介な』
 身を低く、木の間を縫うようにして走る。自分と相手の位置を固定せず、相手がぼろを出す瞬間を待つしかない。
「どこだ、どこに居る!」
『もう一度撃ってくれば、そこから位置を割り出せる! おそらく敵は透明化と攻撃魔法で加護を使い果たしているはずだ!』
「分った! もう一度だな!」
 弓をしまい、両腕で顔を守ると、シェートは一気に走り出した。
『無茶だ! いくら守りを重ねても腕が壊れるぞ! それに、側面から狙われたら』
「いいから敵探せ!」
 こちらの突進に驚いた射手が正面の虚空から光を放つ。
 真紅の光が魔力とぶつかり、すさまじい反発がコボルトの体を吹き飛ばした。
「くあああっ!」
『シェート!』
 素早く起き上がり、焼け焦げた腕を顔の前に重ね、全神経を耳に集中する。
 隠れ撃つのを主眼とする敵なら位置を気取られるのを嫌い、正面から二度目の射撃は避けるはず。
 右か左、どちらからに移動して撃つ可能性が高い。
 足音さえ聞こえれば、衣摺れだけでもいい、みぞおちに冷たいしこりが積もる。
 辺りに静寂が満ち、シェートが、そろりと息を吐いた瞬間。
「うがうううううっ!」
「うおおおおっ!?」
 左の茂みからすさまじい絶叫が響き渡り、中から転がり出てくるそれ。
 真っ白な塊に絡みつかれた狙撃手は、長い杖を放り出して悲鳴を上げた。
「ぎゃあああああっ! いぎゃああっ! あああああああっ!」
「ごるるるるるるるうっ!」
 めきめきと鎖骨が噛み砕かれ、肩口の肉が引きむしられる。
 びくり、と体を緊張させたそいつは、大量の血を溢れかえらせて、身動き一つしなくなった。
「お、お前……」
「ぐるるるるるるるる」
 未だに興奮が収まらない顔で、星狼は倒れ伏した勇者を睨んだ。
 軽い旅装だけを身につけた体にはマントが掛かり、それが当たっている場所だけ地面が透けて見えていた。
『透明化を掛けた神器。それと、"陽穿衝"の魔法を込めた杖といったところか』
「……助けてくれた、のか」
「うふぅ……」
 名も知らない異世界の勇者が、光の粒子になって消えていく。
 その光景を見て狼は少し驚いたようだったが、気遣うようにこちらの腕に鼻面を近づけた。
「うるる……」
「大丈夫だ。すぐ治る」
 焦げた腕もどうにか動かせるようになってきた。軽い痛みを吐息と共に吐き出し、シェートは腰に下げた腿肉を地面に置いた。
「うふっ」
「いいんだ。これ、礼な」
 少し迷うそぶりを見せた後、狼は興味を失ったように背を向けて去っていく。
『勝手に助けただけだから、気にするな。といったところか』
「ああ」
 余りに人間臭い行動に口元が緩む。もしかしたら、以前誰かに飼われていたのかもしれない。
 そんな感慨にふけっていたシェートに、女神が笑いを含んだ声を掛けた。
『折角だ、勇者殿の残していったものも使わせてもらおう』
「え、神器、つかえるのか?」
『いや、すでにそのマントはただの布切れに過ぎん。だが、上着の代わりに使うことはできよう。それに、水袋と保存食もな』
 たしかに、血で汚れている部分を切ってしまえば、服としても利用できるだろう。
 山刀で真ん中辺りに穴を開け、貫頭衣のようにして被る。
 近くに転がっていた背負い袋には、サリアの指摘どおり、水と食料がいくらか入っている。中身をあらため、焼き締めたパンや干し肉に毒が無いのを確かめる。
「これで、少し楽だ」
『この調子なら、勇者の持ち物を奪って生き抜けるかもしれんな』
「勘弁しろ、そのうち俺、全身黒焦げだ」
 軽口を叩きながらも、シェートはさっきの戦いを思い返していた。
 単なる透明化だけなら対処のしようもあるが、ああした遠距離からの攻撃を組み合わされては、こっちには手の出しようが無い。
 状況は、徐々に不利になっている。武器が欠乏し、食料が欠乏し、反対に敵には自分達の情報が蓄積されていく。
 もし、星狼の不意打ちが無かったら。 
「……サリア」
「どうした?」
 喉まで出かかった言葉を飲み込み、シェートは勤めて明るく振舞った。
「腹減った、そろそろ飯にするぞ」
 自分の誓いを、自ら破らないために。

 森に囲まれた街道に、夕日が生み出す濃い影が差す頃。
 いつものように脇の茂みに座りながら、星狼は落ち着かない気分を味わっていた。
 理由は、多分さっきの狩人だ。いや、厳密にはそうではない。
 す、と立ち上がり、もう一度さっきの場所に走っていく。
 さっき食い殺した不思議な人間の匂いと、ちぎられた布切れの残骸、それから長い棒っきれが転がっていた。
 丹念に棒を嗅ぎ、それから地面を、そして布地を嗅ぐ。
 何かに気がついたように、狼は執拗に布を確かめた。何度も、何度も。
「……うおおおおおおおおおぉおおおお」
 気がつくと、長い吼え声を上げていた。湧き上がる気持ちを抑えられず、森の中に自分の想いを迸らせる。
 やがて、星狼は街道を背に、森の奥へと歩んでいく。
 この日を境に、街道を守る星狼は永久に姿を消した。



[36707] 7、奢りと誤り
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/11 18:40
7、奢りと誤り

 シェートが夜更けの世界に安らいだのを見ると、サリアは素早く神座から出た。
 基本的に勇者は夜は行動しない。
 無論奇襲を掛けてくる場合は別だが、兄神との一戦以来、夜の森で狩人に戦いを仕掛ける愚を避けているのだ。
 竜神の神座への扉を目指しながら、サリアは勇者が持っていた物のことを思い出し、暗い気持ちになっていた。
 異世界から呼び出された彼らは、そのほとんどが野外の生活経験を持たない。
 神に召喚され、勇者として異世界で戦うという非常識。
 それを受け入れられる思考を持つ者という条件を満たすために、ある程度の文明を持つ世界から呼ばれるためだ。
 さらに、神に対する『信心の薄さ』も重要な選定理由だった。
 下手に特定の信仰を持っているとコミュニケーションに齟齬が出るし、場合によってはこちらが悪魔呼ばわりされかねない。
 そのためか、彼らのほとんどが"日本"と呼ばれるエリア、あるいはそれに近似した世界から呼びつけられるようになっていた。
 彼らには少ない加護でも意外な能力を設定する知的柔軟性があり、
 それによって小神でも勝ち抜く可能性が上がるという面も、彼らが受けている理由の一つだった。
 だが、その優位は自分の狩人の行動によって揺らいでしまった。
 泥臭く、地味で、人間の生理に訴える方法は、手間を厭わなければ見た目のレベル差を埋め得る。
 眠らなければ判断は鈍り、食べなければ人は死ぬ、その当たり前こそが力となるのだと。
 だからこそ、この前のような手は二度と通用しないだろう。
 熱心な神などは、食べられる野草や簡単な狩猟罠の作り方を教え、
 あるいは仲間にエルフや地元の狩人を引き入れるなどの徹底した『対策』を練っていた。
 たった一度の勝利で、シェートの能力の大半が見切られた。
 破術についても何らかの手で防ぐか、あるいは無視できる方法を講じるだろう。
「案内を請いたい!」
 内心の苦渋を押し殺し、サリアは扉に声を掛ける。両脇に侍るドライアドは、こちらの言葉を待って沈黙している。
「"万涯の瞥見者"にお目通りを!」
『暫しお待ちを』
 周囲から、抗議と敵意の視線が突き刺さる。
 構うものか、無言の背中でその全てを跳ね返し、目の前の扉を睨んだ。
『お通しせよと、承りました』
 扉は開かれ、足早に中へと入り込む。世界は一瞬で暖かな火の灯る、居心地の良さそうな洞窟へと姿を変えた。
「ずいぶんと思いつめた顔をしているな、サリアよ」
「……ええ。恥ずかしながら」
 巨大な書見台に顔を落としたまま、竜神はページを手繰りつつ声を掛けた。
「この前はすまなかったな。煩い小童どもをあしらうので手一杯であった」
「いえ、こちらこそ、私のためにお手をわずらわせてしまいました」
「そのような詰まらぬことを謝罪するために来たのではあるまい。早く用件を済ませよ」
 驚くほどに不機嫌な声、とはいえ本来この竜神は気難しいことで有名であり、こんな対応は日常のことだった。
「お知恵をお借りしに参りました。いかにして我が配下を生かすべきか、そのための手管を探すために」
「儂に何か意見せよと?」
「いえ。書庫の瞥見をお許し願いたいのです。特に、過去の遊戯について分かるものがありましたら、それを重点的に」
 現状は八方塞りだが、それに足を止めている暇はない。加護を使わないのなら、それ以外のことでシェートを補佐すればいい。
「確かに、儂の個人的趣味として、過去の遊戯についての資料は作らせてある」
「では……」
「だが、以前にも申したと思うが、儂は遊戯には参加しておらぬ。それを弁えた上で言っておるのだろうな」
「それでも恥を忍んで、ご教授をと」
 ようやく書見台から顔を上げると、竜神は鼻の上の眼鏡を置いて、顔を向けた。
「そなたと配下のコボルトの状況はわかっておる。だが、思い悩む意味はあるのか?」
「意味、ですか?」
「そなたは大神の身の上となった。現状を打開するならば加護を使って、新たな力を授ければ済むことではないか」
「できぬのです」
「なぜだ」
 そう問う声は硬く、冷たい。
 鋭い視線を浴びながら、それでもサリアは昂然と顔を上げた。
「星と世界を贄とする加護は、使いたくないのです」
「使いたくない、だと?」
「あれは、見ず知らずの者の命を、勝手に扱う行為」
 竜神は何も答えない、静かに喉を鳴らす音だけが空間に響いていく。
「私は、そしてシェートも、そうした遊戯を許せないからこそ、兄上の勇者と争ったのです。
 それを、ここで翻すようなまねはできませぬ」
 それ以上、口にすることが出来なかった。
 自分の周囲に、強烈な圧力を持った、何かが爆ぜる。
 それは燐火、触れた全てを焼灼せずにはおれない、竜の怒りの欠片。
 そして、目の前の竜は、ぱくりと口を開けた。
「この……馬鹿者が!」
 竜神の体が、声と共に巨大に膨れ上がる。
 その瞳には劫火が燃え、周囲で作業していた小竜たちが必死に、弾ける主の怒りから本を守った。
「何を奢っておるのだ、そなたは!」
「わ、私は奢ってなど」
「自らの使役したものの力量も省みず、星の加護を使わずに勝てるなどと、増長以外の何がある!」
「それでも押し通さねば、我らの義が通りませぬ!」
「それで、あのコボルトが死んだとしてもか」
 烈火から反転、極北の冷たい怒りが、竜の喉から迸る。
 その指摘に、それ以上の反論が急速に萎えていった。
「いくら加護を与えたとて、種族本来の力を飛び越えることなど、容易いことではない。
 それに、あやつには仲間の一人もおらぬはず。その穴を埋めるためには加護を以って当たる以外に何がある」
「それでも……私は……シェートの心を汲みたいと」
「そして高みから知識だけを降らせて、後は己で何とかせよと言うつもりか」
 竜神の言葉は、事実だった。
 側にいられない自分が配下にしてやれることといえば、結局加護という形をもってするほかない。今日の戦いを見ても、彼一人でこれ以上、何かをさせるのは限界だった。
「泥を被れ、サリア」
 竜神の声には、もう怒りは無かった。ただ、乾いた事実だけが洞窟を振るわせる。
「あのコボルトがなんと言おうと、そなたが選んで加護をつけてやるがいい。
 そなたとてあの者が疲れ果て、ぼろくずのようになって死ぬのを見るは辛かろう」
「あやつは……受け取らぬ、でしょう」
「なにを腑抜けたことを言っているのだ、そなたは! それならば神として強制せよ!」
 何も答えられなくなったサリアに、大きくかぶりを振り、竜神は深くため息をつく。
「廃神としてさすらう間に、地の者と交わり方すら忘れたか。
 力を持ち、それを振るう我らは彼らの友ではない。
 時として、その意思を曲げてでも、良き方へと導くことを求められるのだ」
 頭では理解している、意地など命より軽い。何かを為すために犠牲にしなくてはならないものがあるのも分かる。
 それでも、サリアはつかえを吐き出さずにはいられなかった。
「私は、簒奪者です。その私に彼らを、兄上の世界を捧げる資格など」
「もうゼーファレスの物ではない、あれは"そなたの世界"なのだ」
 実感の湧かない事実。
 イェスタにもそのように告げられていた、ゼーファレスの世界では、すでに『パラダイムシフト』が行われていると。
 遊戯によって奪い取った世界では、その支配者の神が変わると同時に、信仰の対象が書き換わっていく。
 それは長い間を経てなじみ、完全に入れ替わった時点でその神の支配地と化す。
「だから嫌なのです! そんな風に奪って、奪われて、手玉に取られていく者のことを考えると!」
「そして、そなたが負ければ、今度はその世界の人間達にとって、更なるシフトが強制されることになる。
 それがどういう意味を持つか、分っておるのか」
 竜神は虚空に水鏡を浮かばせ、そこに映像を結ぶ。
「これはゼーファレスの治めていた星の一つだ。その様子では、実際に見るのは初めてであろうな」
「こ……これは……」
 大地は、争いに満ちていた。
 とはいえ、血で血を洗う争いではない。聖堂の中、幾人もの聖職者達が意見を交わし、お互いの存在を糾弾していく。
 片や軍神である兄神を指示するもの、その存在を否定し、世界に平和を敷こうとする女神である自分を掲げて。
「そなたの神性に接合したものが、主神としてサリアーシェを祭り、ゼーファレスを異端として排斥しているのだ」
 水鏡の向こうの景色は、刻々と変わっていく。
 いくつかの聖堂が緩やかに、また別の聖堂では主神の像の破却という形で、ゼーファレスの威光が朽ち果て、
 サリアーシェという神への信仰へ塗り換わっていく。
「こんな……こんなことが……」
「そなたがもう少し名の知れた神性であれば、シフトは緩やかになったろうが、それでもこうした『変化』はどこでも起きうる」
 分裂の火種はやがて世界に広がるだろう。
 そして、もっと実際的な「戦」になることも。そう思うとやるせない気分になってくる。
「やはり、私は反対です。こんなことを続けていけば民は疲弊し、結局は誰も我らを省みなくなる。
 崇敬は尊信から生まれるもの、地の塩を軽んじれば、いつか我らもこの世界から消え果ましょう!」
「だからこそ、一つの神が長く世界を治めるのが肝要なのであろうが」
 水鏡を消し、竜神は大分表情を和らげてサリアを見た。
「彼らを使うことに抵抗があるなら、こう考えるがよい。自らの支配が長く続くことで、彼らも安寧を得られると。
 そなたが遊戯に勝つということは、庇護に入った人々の安らぎにも繋がるのだと」
「それを、痛み止めとしろと?」
「どうしてそう頑固なのだ、そなたは」
 書見台を脇にのけると、竜神はふてくされたようにその場に丸くなった。
「ここまで言って分からぬようなら、もう知らぬ。後は好きにせよ」
「申し訳……ございませぬ」
 暇乞いを告げてサリアは扉に歩き出す。その背中へ、竜神は付け加えの言葉を投げた。
「そなたはもう無一物ではない。それを良く考えてみることだ」

 広場に出ると、サリアはそのまま回廊を歩き始めた。自分の神座へではなく、そこから遠ざかるように。
 竜神の言葉は正しい。
 自分の考えの間違いを正そうとしてくれるのも分かる。だからといって、そう簡単に首を縦に振る気にはなれなかった。
 遊戯の全てに正当性を求めることができるなら、なぜ、私の世界は滅び去ったのか。
 遊び場として自らの世界を開放され、自分は手出しすら許されず軟禁され、
 ようやく帰りつけたときには、何もかもが死に絶えた後だった。
 あの時の無念を思い、死んでいったものの事を考えるたびに、遊戯のもたらす破壊と欺瞞が、そのルールに乗ることをためらわせる。
 それでも、自分はその遊戯に参加しているのだ。
 ただでさえ難易度の高いところへ、それ以上の縛りを入れることに何の意味もない。
 それでも、なお。
「シェートのことは言えんな」
 皮肉を一杯に込めて、サリアは自らを嘲笑った。
「自分も相当な頑固者だ」
「それがサリアーシェ様の強さの源、と言うわけですな」
 いつの間にか傍らを歩いていたネズミは、突然の登場の非礼を詫びつつ顎をしごいた。
「困難に対して一歩も引かぬと言うのは、中々できることではありませんからな」
「根が意固地なだけです。その挙句、目の前の問題に立ち往生してしまう」
「……竜神殿とのお話は、うまく行かなかったようですな」
 何も答えないこちらに頷くと、彼は"洞"を探し当て、その奥へと入っていく。
 今度は小さな入り口と奥まった広い空間を持つ、地下聖堂のような空間にたどり着いた。
「密会する場所としては、こんなところでしょうかな」
「接合されている"洞"は、汎世界の景色を素材に作られているそうですが、イヴーカス殿は、こうした事物にお詳しいようですね」
「さまざまな世界の神々と懇意にさせていただいておりますからね。こうした見識が身につくのですよ」
 少しばかり誇らしそうな表情をしたネズミは、この前と同じように饗応の支度を済ませて、同じように対面に座った。
「それで、一体竜神殿とはどのような?」
「こうした場を設けていただいた上に、このようなことを申すのは心苦しいのですが」
「なるほど、言えぬと。ただ、そのような申されようでは、答えを言ってしまっているのと同じですがね」
 遊戯に関することであると知れることは初めからわかっていた。
 ただ、自分が『加護を使いたくない』と考えていることは、知られないようにするべきだろう。
「選択肢が多すぎたので、何かお知恵をお借りしようと考えたのですが、
 遊戯の参加者で無いものに聞くことではないと、お叱りを受けまして」
「なるほど。唐突に大神の身となられれば、そのような悩みもおありでしょう。それで、今後はどのように?」
「……それをお尋ねになりますか」
 イヴーカスは笑っている。こちらがうっかり口を滑らせるようならよし、と言ったところだろう。
「残念残念、このような手には乗られませぬか」
「いくら猪のごとき頭でも、その程度の罠には気が付きます」
「ですが、もう悠長なことは言ってられますまい。
 加護が決まらぬままでは、あのコボルトの若者も、いつか擦り切れてしまうでしょうな」
「それは……」
 イヴーカスの口調には、こちらの窮状を理解している口ぶりがありありと見て取れた。
 実際、この前の決闘の様子を見れば、誰の眼にも明らかだったろうが。
「とりあえず、仲間でしょうな。それか、何か武器を与えてやるのがよいでしょう」
「イヴーカス殿?」
「ああ、これはネズミの浅知恵ですゆえ、お聞き流しになられればよろしい」
 出入り口を閉じると、イヴーカスは飲み物を口にしつつ、いくらかの知識を開陳して見せた。
「神々は、勇者を仕立てるとき、加護のいくらかを仲間に振り分けるのが常です。
 腕のよい傭兵や魔術師などに天啓を与え、あるいは国全体に預言を示し、好意的な者を勇者の側に置くのです」
「ですが、シェートは魔物。そのような通例は使えませぬ」
「ならば同じ種族の者を使い、協力させればよいでしょう」
「それは……」
 そのやり方では、確実にシェートは受け取らないだろう。それどころか、烈火のごとく怒るに違いない。
 こちらの沈黙を軽く流し、イヴーカスは続けた。
「では、いっそのこと神器を与えては。ゼーファレス殿がしたような無敵の鎧と武器さえあれば、戦いも楽になりましょう」
「それも考えましたが……あれはシェートには向きませぬ」
「それはどうして?」
「コボルトは体も小さく、膂力も多くありません。強力な障壁で身を守っても、それを支えて押し返す力が足りない。
 それに、衆を頼みに押し包まれれば、結局我々が勇者にしたことを逆に返されるばかりです」
 魔法の腕輪にしたところで、シェート自身に魔法の素養がないため、使いこなすのは難しいだろう。
 異界の勇者達はさまざまな娯楽で『魔法を使う自分』というものをイメージしているから、ああした行動が取れるのだ。
「彼の動きに合った道具を与える、理にかなっておりますな。それで……その具体的な形は見えておられるので?」
 その問いに対し、何も答えられない自分に気が付いた。
 竜神への相談と今の会話をつづり合わせれば、シェートに与える神器のアイデアなどないと分かるはず。
 否定したところで無駄なことだ。
「どうやら一つ、他の神々に報告できることができたようですね」
「そのようですな。これは実にありがたいことです」
 こちらの苦笑にイヴーカスは笑って頷く。
 ここで気の効いた神なら、自分の持っているものを割き与えて、口止めでもするところだろう。
 もちろん『無い袖は振れない』が。
 このままではただ奪われるばかり、サリアは半ば捨て鉢な気分で、一歩踏み込んだ。
「では、イヴーカス殿はこの話を手土産に、どの陣営へ売り込まれるのでしょうか?」
「それではただの質問、私めが答えたいと思うようには仕向けられておりませんな」
 ネズミは肩を竦め、それから卓の上に置かれた果物からブドウを一房取った。
「僭越ながら、交渉事の基本とはなんであるか、お考えになったことは?」
「さぁ。私は直線的に、信頼のやり取りばかりを考えておりますから」
「その通り。信頼のやり取り、それが交渉の第一義です。
 信頼が無ければ交渉は成り立ちませんからな」
「……これは驚いた。てっきり如何に抜け目無く振舞うかを説かれると」
 イヴーカスは手にしたブドウの粒を房から外し、赤紫の実を卓に並べていく。
「交渉における信頼とは、交渉に立つもの全てがブドウを『独り占めしない』と約束することを指します。
 でなければ、最初から暴力ですべて奪えばいいのです」
「交渉事にも暴力はありましょう。詐称や欺瞞が」
「無論のことです。しかし、そうした暴力も、一度振るわれれば相手は警戒し、次がなくなります。
 やがてはその存在は孤立し、結局より低次な暴力に頼らざるを得なくなる」
 低次な暴力、という言葉が耳に痛い。確かに、自分がやってきたのは、交渉とは程遠いレベルの行動だったろう。
 しかし、それ以上に低次な暴力を振るったものは、自分よりも高みに座しているのだという矛盾も、また事実だった。
「とはいえ、低次な暴力にも効果はありますな。
 交渉するべき相手を滅ぼし、全てを剥ぎ取ってしまえば、次など考える必要はありませんからね」
「その好例が私、と言うわけですか」
「譴責(けんせき)する意図はございませんでしたが、失礼をお詫び申し上げます。
 ですが、それもやり方の一つと言うわけです。私を、切られますか?」
「それを今、する気は無い……いや、できないと言うべきでしょうか」
 こちらの言葉にネズミは笑顔で頷いた。
「ええ、そうでしょうとも。私がそのように仕向けたのですから。
 孤立したサリアーシェ様に自分を売り込み、他の神々とを繋ぐ窓口になった。その時から、私は貴方にとって切れない札となったのです」
「ふふ、貴方のように賢しい頭を持っていれば、私もこのようなはめに陥らずに済んだかもしれませんね」
「"狡猾は武に勝る力なり"、私の身上です。そうでなければ木っ端のようなこの身など、すぐに吹き飛びましょう。おっと、それよりも」
 ネズミはさっきのブドウを大きいものと小さいものにより分け、小さい方を自分に、大きな方をサリアの方へと置いた。
「交渉の第二義は、相手の欲しがっているものを見極める目です」
「……神々の欲しがる物と言えば、新たな所領と信仰でしょうね」
「それは根本的な理由です。が、それを即座にやったり取ったりはできません。
 なぜならサリアーシェ様の持っているブドウは大きく、私の持っているのは小さいからです」
 小さなネズミは仔細らしく顎をこすり、まるで出来の悪い生徒を教える教師のように、丁寧に言葉を重ねていく。
「一粒づつでは対等の取引にはなり得ないし、こちらが二粒出して大きいもの一つと取り替えては、こちらの損になります」
「では、小さい粒を持つ方は、それ以外のもので取引をするのですね」
「その通り。では、そこで出せるものとは、何だと思われますか?」
 ブドウであれば別の果物でと言いたいところだが、これはあくまで物の例え。
 世界や信徒に匹敵するものとなると、そこまで考えて、サリアは顔を曇らせた。
「その……お気を悪くされたら申し訳ないのだが……御身は、疫神の役割をなさっておられるとか」
「はい。恥ずかしながら」
「疫神の役割をすることで、他の神々と繋がり、遊戯に参加しても協力や休戦を結ぶこともできる。
 そして、私に接触してその情報を流すことも」
「その上、疫神とはいえ信仰を集める神格。たとえ遊戯で破れたとて、その一部を捧げれば廃れずに済みましょう。
 そして、疫神は誰もが嫌う役どころ、ということです」
 驚くほどに練られた仕組み。
 確かにイヴーカスのような手を使えば、位の低い小神でも遊戯に参加し、それなりの成果を残すことも出来るだろう。
 そして、万が一敗れても疫神の名であれば簡単に取り戻せる。
「今のところ、他の神々はサリアーシェ様の持つ所領を奪うことに躍起になっておられます。
 しかし、正面からぶつかっては勝てない。
 つまり、皆様が欲しているのは『所領』そのものではなく『サリアーシェ様から所領を奪う方法』です」
「貴方はそれを神々に売れる、所領というブドウを奪うための別の果実を、他の神々に提供できるのですね」
「交渉の第三義は、損得を勘定することです。
 第一義の『信頼』で作り上げた情報の命脈を元に、第二義の『眼』で他者の欲を見極める。
 そして、自分にとって何が『損得』であるかを考えること。この単純な方法を重ねるのが、交渉なのですよ」
「貴方にとって、疫神の名は損ではなく得なのですね」
「無論、忌々しいとは思いますがね」
 サリアは、イヴーカスのどこか誇らしげな顔を見つめた。
 多分、この神は自分の想像も付かない泥を被り続けてきたのだろう。
 それでも、こうしてひとかどの物を積み上げ、自分よりも位の高いものと渡り合おうとしている。
「貴方を見ていると、形ばかり大身になった己が恥ずかしくなります」
「私などは、こうするしか術が無かっただけのこと。
 それにサリアーシェ様とても、兄上との交渉は見事であったではありませんか」
「あれは……その……」
「兄上の恋情と、譲れない矜持を餌に釣り上げ、対等の場に引きずり出す。
 私の言葉などなくとも、貴方は見事にやり遂げておられましたよ」
 あの時の必死さを思い返し、自分を省みる。
 確かに奢っていたかも知れない、余りに多くの加護を得たこと、その意味も考えなかったことを。
 そして、まだやれることは数多くあるはずだ。
「イヴーカス殿。よろしければ、御銘(みな)を頂戴したいのですが」
「"穢闇(えやみ)の運び手" "陰なる指""爛れ呼びの東風"いくらでもありますよ」
「いえ」
 彼は言った。交渉の第一義は信頼だと。
 ならば、今それを示せるものが一つある。
「できれば、疫神のものではない、御銘を」
 その言葉にネズミは少し言葉を詰まらせ、それから笑顔で頷く。
「"黄金(こがね)の蔵守"、絶えて久しく呼ばれない銘ですが」
「ご教授感謝します"黄金の蔵守"よ」
「このようなことでよろしければ、いくらでもお話いたしましょう。おお、そうだ」
 イヴーカスは席を立ち、洞の入り口を開け放った。
「折角ですので、サリアーシェ様とも盟を結ばせていただけませんか」
「私の信頼を得たとなれば、情報の重要度は一層高まる。神々に売れる品も増えるということですね」
「それだけではありません。もし、御身が勝ち続けるのであれば、いつでもサリアーシェ様に鞍替えできるようにしたいのですよ」
 相変わらず狡猾なのだか、腹蔵が無いのだか分からない言葉。
 とはいえ、それが額面どおりではなく、自分の歓心を引くための対価であることも承知していた。
「では、その盟を結ぶにあたり、神々がいかなる動きをなさっているのか、お教えいただきたいものですね」
「そうそう。交渉は相手が欲しいと言った時に札を切るのです。
 言わなければ言わせるように仕向けるのも一つの手でございますよ」
 去り際、狡猾なネズミの神は、神妙な顔でこちらに振り向いた。
「近々、"知見者"の御印が東征を行う由。
 それを受け、"覇者の威風"並びに"波濤の織り手"の二つ柱を頭目に頂き、
 遊戯に参じたる神々が邪神討伐に乗り出す機運が盛り上がっております。
 御注進までに」
「"知見者"の動きまでご存知とは……貴方は、一体」
「さて、ネズミというものはどこでも入り込むものですゆえ。それでは」
 そして彼は去り、沈黙が洞の中を支配する。
 残されたサリアは、言葉の意味を反芻した。
 遊戯において絶対の権威を持ち、その勝敗を分け合うという高位の四柱神。
 その内の一柱である"知見者"フルカムトは、強大な勇者の軍を率いて遊戯に臨んでいると聞く。
 ゼーファレスが居なくなった空白の地を併呑し、さらに力を伸ばそうとすることは十分に考えられた。
 そして、サリアの持つ所領を飲み込もうとするのも至極当然のことであり、
 小神たちにしてみればその前に、シェートを討ち果たしたいと思うだろう。
「状況は一層厳しく、というわけか」
 猶予の無さを実感しつつ、それでも迷い無い足取りでサリアは洞を抜けた。
「狡猾は武の力に勝る、か」
 あの神のようには振舞えないだろうが、今の自分にもっとも必要な言葉だろう。
 具体的にどうすればいいとは分からないが、
 頭を働かせ、奸智を扱うくらいでなければこれからの戦いに勝ち残ることは難しい。
 だが、サリアはその言葉の響きに、不思議なものを感じていた。
 初めて聞いたとは思えない、それでいて記憶に違和感を生じさせる諫言。
 何かが間違っている、正しいと感じるはずの言葉なのに。
「いや、今は目の前のことだ」
 疑問をしまい込むと、女神は自らの神座へと向かおうとした。
『サリア』
 虚空に届くかすかな呼び声に、サリアは一瞬足を止め、小走りに門へと向かう。
「どうしたシェート? 何があった!」
 返事は無い、というより別の何かに気を取られている雰囲気が漂う。
 嫌な予感を抱えながら神座に飛び込んだサリアは、水鏡に映る姿を見て絶句した。
 薄暗い街道の真ん中、ゴブリンの死体を挟み、傷だらけの人間を前にうな垂れるコボルトの姿に。
「何があったのだ! シェート!」



[36707] 8、宿命の重さ
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/16 10:21
8、宿命の重さ

 夜明け少し前、空がようやく濃い藍色に変わり始めた頃、シェートは自然と目を覚ましていた。
 地面につけていた耳に、遠くからの地鳴りが響いている。大きなものではないが、荒々しく地面を踏みつける馬蹄の振動。
「サリア?」
 声を掛けるが、反応は無い。おそらく神座という場所から離れているのだろう、暗い森の中で周囲の匂いをかぎ、直接自分への脅威が無いことを確かめる。
 弓を手に隠れ場所から抜け出す。街道から少し離れたこの場所に届くほどの蹄の音、その事実が胸を不安にさせる。
 そして、森の梢を透かして西の方に、ちらりと立ち上る火明かりが見えた。
「あれ……」
 それに気を取られた瞬間、いななきが大気を震わせた。
 蹄と車輪が街道を削り、今にもバラバラになりそうな振動を撒き散らして馬車が走っていくのを感じる。
 そして、もう一つ。
「ひゃあっ! にげろにげろおおっ!」
「おおおおおっ! いけいけいけー!」
 はやし立てる下卑ただみ声。荒々しくなる車輪と、それを引く駄獣の叫びが馬車に追いすがっていく。
「た、助けてくれっ! だれかぁっ!」
 明け方の森に悲鳴が木霊する。明らかに魔物に誰かが、人間が追われている。
 どうする、弓を握り締めたまま、シェートは自問した。
 自分にとって、人間など特に思い入れの無い存在。むしろ自分達を狩ってきた、因縁浅からぬ相手だ。
 助ける義理など、ない。
 矢のたくわえも少ないし、相手が多勢であれば自分の身を危険にさらすことになるだけだろう。
「うわあああっ!」
「ぎゃはははは! おれのゆみ、めいちゅうっ!」
「にんげんはいっぴきもにがすな、まおうさまのめいれいだ!」
 だが、勘に障る。
 あの独特の、しわがれた、嗜虐心に満ちた声と、追い詰められた悲鳴が。
 気がつけばシェートは矢を番え、音も無く森を走り始めていた。

 粉々に砕けた荷台の残骸が、自分の命を救ってくれた。
 だが、自分の傍らに身を投げ出している馬は、耳の裏を射抜かれ、ひどい形相のまま泡を吹いて息絶えている。
 しかも、肩口がひどく痛んでいる。
 多分、投げ出された時に傷ついたのだろう、暖かい流れと疼きが、次第に大きくなる気がした。
「けけけ、おにごっこ、たのしいなぁ」
「ひひ、ほら、はやくにげろ」
 無毛の顔にいやらしい笑みを浮かべ、意外にきれいに磨かれた小剣を手に、小鬼達が迫ってくる。
 昔、村の老人に聞いたことがある、ゴブリンは鎧の手入れは苦手だが、武器は大層ぴかぴかに磨き上げることができると。
「く、くるなっ!」
 腰のベルトにつけた小刀を抜き、必死に構える。それでも連中は歪んだ笑みのまま、じりじりと距離を詰めた。
「ほら、もっとにげろ」
「にげたらおまえのせなか、これでさす」
「おれもさす」
「おれも」
「おれはゆみだ」
 武器は相手を痛めつける道具。
 だからゴブリンは、武器の手入れだけは心を込めて行うと。
「や、やめろっ!」
 以前、魔王の侵攻があった土地を通り抜ける時、街道脇の木に吊るされていた死体を思い出す。
 皮をむかれ、内臓をむき出しにされ、残酷に痛めつけられた死体。その作り手たちが、満面の笑みを浮かべて、武器を振りかざした。
 どっ。
 重く、鈍い音が、突然耳朶を打った。
「が……ぁ?」
 一番後ろに控えていた弓持ちのゴブリンが、膝を突いて地面に伏す。
 ひうっ、という風鳴りが響き、
「あがっ!」
 次いでもう一匹が、
「ごっ!」
 さらにもう一匹、
「だ、だれぐっ」
 振り向いた一匹の眉間に、一本の矢が深々と刺さる。
 あっという間に五匹の追っ手は一匹を残し、物言わぬ死体になって転がった。
 薄暗い街道の先に、誰かが立っている。
 背がひどく小さいが、弓の腕から子供ではないことは分かる。
 村の傭兵はみんな死んだはずだ、それならこうして自分を救うために現れた、この影は?
 答えは、ひどくあっけなく顔を出した。
 薄紫に染まっていく薄明の世界の中、犬そっくりの面立ちをした魔物が、影の中から浮かび上がってきた。
「な、なにをする! おまえ!」
 一匹のコボルトは再び矢を番え、無言でゴブリンに敵意を示す。
「おまえ、こいつひとりじめするきか!?」
 苦々しげに言い放ち、それでもゴブリンは、下卑た笑いを浮かべた。
「へ、へ、わかったよ。こいつ、おまえにやる。にげたにんげん、まだまだいっぱい、むらにもいっぱい、こいつぐらい、おまえにやる!」
 相手が強いと分かれば即座に下手に出る、
 話に聞いていたゴブリンの本性に胸がむかつく思いだが、痛みと恐怖で動くこともままならない。
 だが、コボルトのほうは奇妙な顔でこちらを見て、それからゴブリンを見た。
「……そいつ、俺、くれるのか」
「そ、そうだ! にんげんいたつめるけるの、たのしいからなぁ。おまえに、こいつをやるよ」
「そいつ、お前のものか?」
「そ、そうだ! こいつはおれのもの!」
 コボルトの問いかけに、ゴブリンは嬉しげに叫んだ。
「こいつはにんげん、しかものうみん! とってもよわい! 
 つよいおれたち、こいつらをてにいれる! こいつらよわい、だからおれのもの!」
「……そうか」
 それは、深い、腹の奥底から搾り出された言葉だった。
「「ひっ」」
 期せずして、自分とゴブリンの喉が、同じ悲鳴を搾り出す。
 コボルトの顔は、怒形に変じていた。
 歯を食いしばり、犬歯をむき出しにし、目に殺意を漲らせて。
 番えた弓の先、目が痛くなりそうな白光が結集する。
「なら、弱いお前、命、俺のものか!」
「や、やめろ! おれたちはなかま」
 ばぢゅんっ。
 そんな風に聞こえる鈍い音が、厭らしい魔物の顔を完全に吹き飛ばす。
 何も言わなくなったゴブリンの体ががっくりと膝をつき、地面へと汚らしい体液をぶちまけた。
 コボルトがこちらに近づいてくる。弓を収め、魔物の死体を蹴り退けて。
 その顔は未だに険しく、自分を値踏みするように見つめている。
「大丈夫か」
 かけられた言葉に、自分の喉は、正しい言葉を放った。
「よ……よるな! 化物!」

 伸ばそうとしたシェートの手が、途中で止まる。目の前の人間は怯え、震えていた。
「ま、まて、俺」
「ちくしょう! どいつもこいつも、俺らをバカにしやがって! 
 な、なにがよわっちいだ!? だから俺のものだって!? ふざけるな!」
 手にした短刀を付きつけ、罠にかかって死に掛けたキツネのように、男は涙を流しながら叫んでいた。
「この化物め! クソッタレの魔物め! 誰がお前のものなんかになるか!」
「あ……」
 分っていたことだ。人間にしてみれば、結局自分も魔物に過ぎない。
 この一幕も、目の前の獲物を勝手に取り合っただけの、仲間割れとしか映らないだろう。
『何があったのだ! シェート!』
 かけられた女神の声に、ふと顔を上げる。男はそんな動作にすら驚き、こちらを見つめていた。
「なんでもない」
『なんでもないではない! 一体その男はどうしたのだ! それに、その魔物の死体は』
 問いかけに答えず、男に背を向ける。
 歩み去って数歩、男が刀を取り落とし、すすり泣くのが聞こえた。
『……この付近にある村が、侵攻を受けたようだな。彼はそこの住民だろう』
「そうか」
『彼を、助けたのか』
「違う」
 言い知れない憤りが、胸を疼かせる。
 続けた言葉は、泥沼のシチューのように、黒く煮えたものになった。
「俺、ゴブリンの声、聞いた。それ、気に入らなかった。だから、ゴブリン殺した。それだけ」
『……そうでは、ないのだろう?』
「違う。それだけ」
 本当にそれだけだ。それ以上の意味も価値も無い行為。
『だが、それでも、結果的にお前は彼を救っている。それは、良いことだと思う』
「……そうか」
 辺りに、寂しげないたわりの薫りが漂う。透き通った花のようなそれを嗅ぎ、シェートは少しだけ顔を緩めた。
『それで、逃げたものは彼だけか?』
「ゴブリン、言ってた。村に捕まった人間、まだいる」
『……シェートよ。少々酷なことを願うが、よいか?』
「村、救え、か?」
 サリアは深々とため息を付き、言葉を続けた。
『さすがに、そなただけではそれは無理だ。
 だが、情勢を見て、魔物の軍を混乱させるくらいはできるかもしれん。
 せめて様子だけでも確認したい』
「そうか。分った」
『すまない』
 気は重かったが、足を無理矢理に早め、森に入って村のほうを目指す。その間も、さっきの男の顔が、頭から離れない。
 それでも進むことだけを考え、シェートは森の端にたどり着き、瞠目した。
「う……っ」
 朝凪が終わり、風が渡るこの時間。
 さわやかな冷たさに混じるように、物の焼ける臭いが交じり合って吹き付けてくる。
 元は小さな集落だったその場所は、破壊の限りを尽くされていた。
 村を囲う、石造りの胸壁は粉々に砕かれ、手近な家が巨大な質量に押しつぶされ、半壊していた。
 木造の家には例外なく火が放たれ、黒く焼けた残骸となって朝日に照らされている。
 そして、その惨状を飾るように、いや、飾るためだけに人間達の死体がデコレートされていた。
 焼け残った木々に吊るされた死体。
 井戸のつるべに桶の代わりとして掛けられた生首。
 壁に貼り付けられ、射的の的になった傭兵。
 食いちぎられ、踏み荒らされた子供の群れ。
 真っ先に火を放たれたらしい畑には、消し炭になった麦の穂の上に、案山子として貼り付けになった農夫たちがいる。
 自分の立つ場所のすぐ近く、村を貫く通りにも、無数の人間が転がされていた。
「あ……あ……」
 それまでの苦い気持ちが、ずるりとシェートの中で剥がれ落ちる。
 この惨状は、まるで。
「俺の……村、同じ」
『魔王の軍は、容赦などしない』
 サリアの声は平板で、だからこそ周囲に爆ぜるきな臭い怒りの匂いが際立っていた。
『彼らは、殺し、壊し、飲み込んでいくだけだ。そうすることに何の抵抗も無い。それが役割なのだから』
「……役割……」
 化物の役割。それは、人を殺し、恐れられること。
「俺も、そうか?」
『う……』
 サリアは、何も言わないまま、ただ悲しげな香りで語った。それでも、その慰めもむなしく感じてしまう。
 シェートの視線の先、人間の死体に混じって転がる、コボルトの死体。
 追い立てられたか、あるいは自分の意思か。
 片手に錆びた剣を握ったまま、鍬や鍬などの農具で頭を割られた者がいる。
 それでも背中を斬られた死体が圧倒的に多い、あるいは無造作に断たれたものも。
「俺達の、役割、あれか」
『シェート……』
 再び風が吹き、肉のこげる不快な臭気が漂う。
 それは、弱者の臭い。
 追いやられ、押しつぶされ、楽しみのために絞られたものの放つ臭い。
『……シェート! 気をつけろ!』
「どうした」
 鋭い叱責に、腰を低く落とす。目の前の光景に囚われていた心が、村はずれの喧騒を捉えた。
 剣戟と、魔法の解き放たれる脈動が大気を震わせた。
「だれか、戦ってる!?」
『勇者だ』
 サリアの緊張がこちらに伝染する。
 とはいえ、自分以外のものと戦っているなら、こちらには気がついていないのだろう。
 音は次第に激しくなり、その片鱗が突如として小屋の一つを吹き飛ばした。
「っ!?」
 それは、巨大な剣。その切っ先に吹き飛ばされて、鎧を身に着けたオーガがなすすべも無く崩れ折れた。
 ありえないほどの長大な刃渡りを持つそれを、軽々と振り回すのは、黒を基調にした鎧をつけた青年。
『彼は見たことがある。"覇者の威風"ガルデキエ殿の勇者だ』
「強いのか?」
 その問いかけが白々しく感じるほどの光景が展開されていく。
 巨躯を誇るオーガとトロールを数体向こうに回しても、まったく威力の衰えない一振り。
 他の仲間も精強で、魔術師が二人と神聖騎士を一人という、攻撃を重視した布陣になっていた。
 周囲の被害を一切省みず、爆炎がはじけ、大剣が一切をなぎ倒していく。
 それでも、こんな崩壊した世界の上で繰り広げられる闘争の図絵は、
 悪逆の限りを尽くした魔が討ち滅ぼされていく英雄譚の一ページのようだった。
 あっという間に敵が駆逐され、囚われていた人々が解放されていく。
「……勇者様」
「ありがとうございます、勇者様」
「勇者様ぁっ!」
「我らの救い主! 勇者に栄光あれ!」
 仲間を従え、生き残った人々を前に賞賛を浴びる青年は、どこか誇らしげで。
 シェートはそれを、ただ物陰から見つめ続けるしかなかった。
 足下に累々と横たわる、魔物と人間の死体を。
 それを隠すように生み出された人垣を。
 そして、朝の光を浴び、青空を背景に立つ勇者たちを。

 気がつけば、シェートは森の中を歩いていた。
 頭の中には今朝見た光景の全てが、ぐるぐるとめぐっている。
 魔物の侵攻につぶされていく人間達の世界と、生み出されていく憎悪。
 その一切を打ち払う勇者の存在。
「サリア」
 ふと立ち止まり、シェートは空を見上げた。
『どうした』
「俺、一体、なんだ?」
 唐突な問いかけに、返す言葉も無い女神に、コボルトは続けた。
「俺、魔物。でも、女神の力、持ってる」
『そなたは、そなただシェート』
「でも俺、化物!」
 言葉が響き渡り、静かな森に吸い込まれていく。鳥が僅かに騒ぎ、小さな獣達が散り去っていく。
「人間、俺のこと魔物言う。勇者、俺のことレアモンスター言う。おまえの力あっても、それ変わらない!」
 言葉にするたびに、事実が食い込んでいく。
 自分のした行動など、世界にとっては何の意味も無いと。
 それは死に掛けで村に転がっていたときと、少しも変わらない事実。
 コボルトという、世界にとって取るに足らない、弱い魔物であるという事実。
「それに俺、魔物殺しても、仲間割れ、それだけ」
 ただの殺害、野の獣が争う程度の意味しか持たない。
 だが、勇者は讃えられ、崇められる。
 その一方で、自分はレアモンスターとして狙われ、追い詰められて擦り切れていく。
「勇者、魔物殺す、人間喜ぶ。魔物、コボルト、殺されて喜ばれる」
『シェート……』
「サリア」
 食いしばった歯の間から、シェートは苦鳴をしぼり出した。
「俺……死ぬほうが、いいのか」
『そんなことある訳がなかろう! そなたはあの時』
「そうだ! 俺、生きたい思った! でもそれ、間違い!」
 その叫びに、心の中がぱくりと裂け、声があふれ出す。

『慈悲をかける必要はありません。あれは魔物です』
『殺し殺されはこの世の理さ。アンタだって魔物だろう?』
『そなたもその苦界の一員、願いがどうあれ、魔物で在る以上看過はできぬのだ』
『今ここでこいつを殺したい。殺せないまでも、シュウトのために一矢報いたい』
『どうしてお前は、勇者を殺したんだ』
『決まってるだろ! そいつが魔物だからだよっ!』
『よるな、化物!』

「みんな、俺に、死ね、言ってる」
 ただのコボルトでいたときには感じなかった、世界の声。必死に、追い払おうとしたそれが、あふれ出していく。
『だからなんだ! 私はそなたを生かしたい思ったのだ! シェートというお前に、生きるななどと誰にも言わせるものか!』
「それ、サリアだけ! 俺、もう誰も居ない! 
 母ちゃ! 弟達! 仲間! ルー! 誰も! 誰も居ない!」
 死者への弔いは、勇者の死で幕を閉じた。その先に待っていたのは、誰も共に居ない世界だけ。
 仲間は皆死んだ、そして今日も仲間になれたかもしれないものが、騒乱の中で何の意味も無く死んでいった。
「どうして、俺、生かした」
 うずくまり、コボルトはしぼり出した。
「どうして俺、生きてる」
 しぼり出しながら、心のどこかで自分をあざ笑う。
『それは、お前がひどい魔物だからだ』
 体を丸め、心に浮かぶ言葉に押さえつけられながら、それでもシェートは自問した。
 どうして、自分は生きるのかと。



[36707] 9、たくらみごと、たばかりごと
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/13 18:00
9、たくらみごと、たばかりごと

「良くやった」
 蓄えた髭を満足そうにうごめかし、ガルデキエは水鏡の向こうに労いを掛けていた。
「なに? ……まぁ、よかろう。
 だがあまり救護などに時間を掛けるな、貴様の使命はあくまで魔王の討伐、それなくして民の安寧は無いのだからな」
 水鏡の向こうから、荒れた村落を背景に彼の勇者が報告を行っている。
 彼らが勲しを立てる様子は全てここで見ることができた。
 というより、この神は自らの勇者の武勲を、他者に見せびらかす癖がある。
 事あるごとに、ゼーファレスのことを見栄坊と言っていた本人がこれでは、
 そう思うたびに浮かんでくる笑いをかみ殺すのも一苦労だった。
 報告を終え、水鏡を消し去ると、ようやく嵐の神は背後に向きなおる。
「くだくだしく述べるつもりは無いが、斯様な戦いこそが、我らの勇者に求められておるのだ。
 魔を滅ぼし、悪を討つという戦いがな」
 そこ居並ぶ神々の顔は、いくらかうんざりした顔もあった。
 他の神の勇者が戦功を立てる姿など、見ていて面白いものではない。
 とはいえ、風船頭の方はそんなことに頓着するような性質ではなかった。
「聞け! 我が言の葉に集いし神々よ!」
 豊かな顎鬚を揺らしながら、壇上の嵐の神は、一堂を見回して声を上げた。
 彼の神座は巨大な円形闘技場を模しており、会合にはもってこいの場所だった。
「時は一刻の猶予もならなくなった。
 彼の"知見者"は軍馬をまとめ、海を渡りてモラニアの地を平定するとの心積もりだ!」
 身の詰まった体は押し出しも良く、こうした集まりではひときわ映える。自分では決してこうはいかない。
「その折、邪神めを征伐に掛かるは、当然の仕儀となろう! 
 しかし、彼の神の手を煩わせることは無い。我らの手によって兄神を弑逆せし、邪なる女神を誅するのだ!」
 嵐の神の言葉に、一堂は盛大な歓声を上げた。
 その数は百には届かないが、おおよそモラニアに勇者を使わした神々の、ほとんどが会していた。
「魔を滅ぼし、邪を罰し、過ちを犯したものを誅するのだ! 大義は我らにある!」
 この戦に大義などはない。
 そもそもゼーファレスは、神々にとっていつかは蹴落とすべき敵でしかなく、
 その傲慢な物言いに反感を持っていた者も少なくなかった。
 だが、あえて彼の復讐という錦旗を立てるのは、後ろめたいからだ。
 たった一匹のコボルトを、衆を頼んで押し包む。
 その理由はただ一つ、サリアーシェがどのような加護を以って相対するか分からないから。
 迂闊に手を出せば返り討ちにあうのが落ち、だが勇者が一団となればその脅威は分散するだろう。
 みな必死に自分の利益を守り、最大限に儲けを引き出そうとする。
 だが、それを露にするには、あまりにも敵が小さすぎた。
 故に立てられたのだ、邪神討滅という御旗が。
「それはいいのだが、ガルデキエよ。彼の女神の配下は行方をくらませ、所在も分からぬと聞くが」
「アノシュタット平原を抜けたところまでは分っておる。その後は、まぁ俺に任せよ」
 優越感に目じりを緩ませ、尊大に言い放つ嵐の神。
 この男は、見ていて本当に滑稽極まりない。
 こちらがもたらすサリアーシェと勇者の情報、それの使い方をまるで理解していないのだ。
 神々に協力を申し出ている以上、この場で居場所の情報を自分だけが所有しているという状況は避けなければならない。
 それぞれが対等の立場である、という建前があるのに、ことさら自分が優位であると誇れば、それが反感となって関係に亀裂を生じさせる。
 現に、彼を見る視線は不満と苛立ちに濡れていた。
 あれが憎しみや裏切りに変わるのもそう遠い話ではないだろう。
「まぁ、ガルデキエ殿に任せておいて損はあるまい。
 自らの勇者にのみ功を与えるなど、二つ名に恥じるような真似は決してなさらない方よ」
 青い肌の海洋神がいいタイミングで口火を切る。
 その通りだと、笑って頷くひげ面に一瞬浮かんだ怒りを、自分だけは見逃さなかった。
 実質、この集まりのとりまとめをしているのは彼で間違いない。
 食えない男だが周囲の雰囲気を敏感に察知し、嵐の神の緩い足をすくっては、自分を印象付けている。
「それよりも、此度の戦は勇者のみで戦わせる、というのは如何なものかと思われるが」
 ただ、自分の利益のことになると、途端に脇が甘くなるのがこの男の難点だ。
 これさえなければ、もう少し信を置いてもよかったろう。
「その話はもう済んだではないか! "波濤の織り手"よ!」
 神々の中から不満の声が上がり、さらに別の神が言い募る。
「元々、勇者の仲間に仕留めさせた場合、魔物から得られる経験点は少なく算定されるのだ。
 その上、討伐に参加したものに等しく所領を割譲するとなれば、
 仲間を入れずに勇者のみに参加させるというのが実際的というもの」
「しかし、勇者の中には仲間を支援して戦う技を得手としているものもおり」
「だからこそ、こうして集ってるのであろう! 早めにそなたの勇者にも通達し、他の者と連携を取られればよいではないか!」
 結局、海洋神はそのまま押し切られる形で沈黙していった。
 おそらくこの場は引いてみせて、協力関係を取り付けた神とで抜け駆けでも画策するのだろう。
 最終的には、その神の勇者すら出し抜いて。
 その感情が透けて見えるからこそ、この神とは誰もが距離を置く。
 嵐の神ほど嫌われているわけではないが、最終的にはその側に誰もいなくなっていくのだ。
「それで、具体的な仕掛けはいつ頃に?」
「魔物は森を拠点に動いておる。それさえ考えれば居場所はおのずから絞れよう。
 分かり次第即座に通達するが、できれば大陸中央の各都市に勇者を進めて貰いたい」
「しかし、これほどの大所帯、連絡はどうする? 
 合議の間で角を突き合わせては、サリアーシェにも我らの動きを知られよう」
「お許しいただければ、それがしにお任せを」
 途端に神々の眼に嫌悪が宿る。それでも、イヴーカスは影から躍り出て、舞台の衆目を集めた。
「何をしにきた、疫神ごときが」
「皆様の仲立ちをさせていただくべく、参上仕りました」
「貴様がか?」
「私の分け身をお使いいただき、それを通して連絡を取り合っていただければ、
 彼の女神にも知られぬように、それぞれの神座にあって策を進められましょう」
 神々の眼が一瞬だけ色を変えたのを、ネズミの目は見逃さなかった。
 自らの神座で他の神に悟られぬよう状況を判断できる、そのことを喜色をもって受け入れたことを。
「だが、貴様はサリアーシェとも懇意にしていると聞く。
 よもやあやつにも我らの策を流し、裏切りを企ているのではあるまいな」
「もし、サリアーシェ様に御味方が一柱でもおありであれば、そのようなことも考えたでしょうな。
 ですが御身を、そしてその傍らにおられる神々をご覧ください」
 小さな体は常に不利だ、武においても知においても。
 だが、それはあくまでまっとうに生かした場合のこと。
「大きく、凛々しく、そして力ある神々です。
 そのような衆に、小さく、弱く、頼りないこの身が、何を好き好んで逆らいましょうか」
「口ばかり達者な奴め」
 だが、疑念を口にした神の眼にも安堵が匂っていた。
 どんなに油断しないと考えているものでも、小さいというただそれだけで『脅威ではない』と判断する。
 それが『油断』なのだとも知らず。
「この分け身をお持ちください。
 何事か見せられぬものがあれば、覆い付きの籠にでも入れられれば宜しい。
 お言葉をおかけくだされば、即座にお役に立ちましょう」
 自分の小さなネズミ達が、神々の懐に入っていく。
「それでは、今日の集いはこれまでとする。皆、これ以降は神座から、イヴーカスを通して連絡を取るのだ、よいな」
 嵐の神の宣言に、神々が散っていく。そして、自分と神座の主だけが残った。
「良くやったな」
「はい。これですべての情報はガルデキエ様がお手に握られます」
「なるほど。こんなことでもなければ、遊戯を行っている神の下に、配下など忍ばせようもないということか」
 神座は、外部からの侵入を防ぐために、完全な封印が施されているため、容易に連絡を繋ぐことは出来ない。
 気を許した間柄であれば、配下や分け身を通して会話が可能だが、大抵は合議の間を使って会話を行うのが常だった。
「貴様の位の低さも幸いしたか。俺の栄達ももう少しといったところだな」
 すでにこの神の頭の中では、『自分の策』によって優位に立ったことになっているのだろう。
 "知見者"の動きが誰によってもたらされ、策が誰によって献じられたのかもすっかり忘れて。
「何か分かれば逐一知らせよ、よいな」
「はい。ところで、策が成りました後の割譲の件は」
「分った分った、そう煩くねだらなくとも忘れておらぬわ」
 それだけ聞き終えると、イヴーカスは神座を辞する。
 どうせ口約束。
 例え、百億に一つの間違いが起こり、あの風船頭が全てを手にしたとしても、
 自分には鐚銭(びたせん)一枚とて払う気はないのは明らかだ。
 扉から出たところで、青い姿がすっと近づいてきた。
「イヴーカスよ、少しいいか?」
「何でございましょう」
 何気ない振りをして歩いていく海の神。
 しかし、こんな待ち伏せ同然で話しかけてくるようでは、何も隠せていないも同然だ。
 だが、彼は嵐の神ほど容易い存在でもなかった。
「そなたの勇者のことだ」
「私の、ですか?」
「ああ。今のところ、そなたの配下は名も成さず、モラニアにいると言うだけしか分からぬ。それがちと気になってな」
 ごまかせば不信を生み、それがあだになるだろう。だが、これは一つの好機でもある。
 イヴーカスは、隠し持っていた言葉の刃を、そっと抜き放った。
「ガルデキエ様は、そのことを存じておられます」
 ぽつりともらした言葉が、青い顔に雷のごとく轟き渡る。
 彼の神の後塵を拝することを、どうにも我慢なら無いという心が、浮き上がる。
「魔物の居場所を奴が知っているというのは、そなたの勇者の働きによるものか」
「先ほど彼の神に、我が働きに対する戦後の割譲のことをお伺いしました」
 返事にならない言葉。
 だが、雷鳴はもう一度轟き、海洋神は薄く笑いを浮かべた。
「あのお方の事だ、そなたの働きに痛く感じ入り、上にも置かぬ感謝であったろうな」
「はい。真に良きお言葉を頂きまして」
「そうか……そうか……ふふふ」
 含み笑いを漏らしつつ、シディアは何事かを思案し、こちらの耳に口を寄せた。
「奴を見限れ」
「仰る意味が分かりませぬが」
「先の合議を見たであろう、奴には誰もついてこぬ。ここが潮時、そなたらネズミは沈む船にその身を置かぬはずだ」
 たっぷりと意味ありげな間を置き、イヴーカスはこくりと頷いた。
「我が勇者の力は動物や魔物を操るもの。
 翼を持つもの、地を駆けるのが得意なものを使い、彼の魔物の後をつけているのです」
「その力、我にも貸し与えよ」
「では、後ほど配下に伝え、差配を行いましょう」
 歓喜を抑えようともせず、彼は満足に体を震わせる。嵐の神に対して差をつけたという想いから。
「では、私からも一つお願いが」
「なんだ、申してみよ」
「ガルデキエ殿の情報が、我が勇者からもたらされたものであることを、他の神にもお流しいただきたいのです」
「隠しておくわけにはいかぬのか?」
 あからさまに不満な表情、イヴーカスは首を振って先を続けた。
「今後はシディア様の下で、その力を振るうと御付け加えください。そうすれば」
「なるほど。こちらが公明正大に情報を流すとなれば、あやつの発言力も激減すると」
「お伝えする神々の方は」
「任せておけ。ガルデキエと懇意のものを除いて知らせてやる」
 そして、満足げに去っていく海洋神を見送ると、イヴーカスは神座へと戻り、玉座に腰を下ろす。
『帰っておるか、疫神よ』
「お、これはホルベアス様、どうなされたので?」
 分け身を通して届く声に愛想よく応じてみせる。
 向こうの様子は『見えない』が、それでも相手の表情は手に取るように分かった。
『どうせあの風船頭の参謀役を務めておるのは貴様だろう。
 この際だ、あんな吹き上がった奴など見限って俺につけ!』
「これは切り口上な。ですが私は」
『腹芸など受けるか! 
 もし背くものなら貴様の勇者を打ち倒し、疫神としての銘も取り上げてくれようぞ!』
 お話にならない、これならまだガルデキエの方が百倍はましだ。
「分かりました。しかし、即座にお返事は出来ませぬゆえ、しばしお待ちを」
『ふん! ネズミの分際で駆け引きとは!』
 それきり途絶える声。
 しかし――
『"膿み腐れる妖蛆"よ、聞こえるかや?』
「これはこれはミジブーニ様」
『おるか、"病み枯らす黒禍"』
「はい、聞こえております、ディーザ殿」
 引きも切らず、神々の声が届けられる。その一つ一つを丁寧に応対し、重要なものとそうでないものをとりわけていく。
「はい。ですがいきなりそのようなことは――」
「ええ、分っております。その暁にはぜひとも――」
「もちろんでございます。それで私はどのように――」
 そのどれもがガルデキエ、あるいはシディアとの縁を切り、自分の下に来るようにとの誘い。
 常からすべての神々と懇意にし、あるいは疫神として仕えてきた結果が、目の前で花開いていく。
 もちろん、その全てが自分を利用し、上位の神を蹴落とそうとしてのこと。
 やがて、騒々しい陳情の全てを捌き切ると、ネズミは玉座の中に沈み込んだ。
「やはりな。誰一人、俺のことなど信用しておらんか」
 当然だろう、八方に愛想を振りまき、誰の尻にでもついて回るネズミに好意など抱くものはない。
 だが、『どの神にもついて回る』という性質から、敵の弱点が知れればという望みを掛けて、この身にぶら下がり続けるのだ。
 思案から明け、玉座から降りると、イヴーカスは捧げ持つように水鏡を生み出した。
「"銘すら呼び給い得ぬ方"よ」
『どうした"百の忌み名の王"よ』
 水鏡を隔てた向こうかも伝わる威圧、それでも身を奮い立たせて言葉を搾り出す。
「御威光を下賜頂けた事、深き謝意を示させていただきます」
『別にそなたのためではない。元々東の大陸は併呑するつもりであった。
 あのやかましい女神が海魔将を打ち滅ぼしたと聞いたときよりな』
「そ、それでも、御力なかりせば、此度のような振る舞いは思うにも叶うまいと」
『世辞はよい。せいぜい楽しませよ』
 雲壌での邂逅で、イヴーカスは一か八かの賭けに出ていた。
 それは、"知見者"に対するモラニア東征の奏上。

『我が軍に、モラニアへ侵攻せよと?』
『モラニアはゼーファレス様無き後、空漠の狩場となっておりますれば。御身におかれましても更なる勢力の拡大が』
『……小神の疫神風情が、上位なる我に意見をするなどという愚を冒すには、それなりの目論見と覚悟があってのことであろうな?』
『そのお眼には、我が小ざかしき策など、掌を見るより明らかでございましょう。ですから、もしこの道化の跳ね回りがお気に召しますれば、なにとぞ、なにとぞっ』

『少なくとも、サリアーシェの無様な振る舞いよりは、貴様の小ざかしき策のほうが面白みがある。
 あれは所詮、勝負の綾を拾った凡愚、貴様は……少しはましな部類だ』
「は、ははっ、ありがたきお言葉」
『だが、そなたには後一つ駒が足りておらぬ。違うか?』
 見抜かれている、そのことを恥とは思わない。
 相手が上位であれば素直に自分の弱さを認める、それが生き延びる秘訣だ。
「はい。我が勇者に与えられるものはすべて与えましたが、確かに駒が」
『そなたの勇者に、今居る地点より東に10キロのところへ向かえ、と伝えろ』
「そこには、何が?」
『強き魔物の住み着く迷宮が一つ』
 思いもよらぬ助言に、水鏡の向こうを凝視する。赤髪の男は薄く笑い、頷いた。
「あ、ありがとうございますっ」
『正式な侵攻は一月後、先遣隊は二週間後にはつくと心得よ。
 戦が始まりし折には、我も見物させてもらうとしよう。励めよ』
 それきり会談は終わる。
 だが、小神たちの言葉より、はるかに大きな成果が残った。
「悟、聞こえるかい」
『ん? なに……?』
「ああ、まだ寝ていたのか、ごめんよ」
 寝ぼけまなこの勇者に、イヴーカスは優しく語り掛ける。
「起きて早々悪いんだけど、そこから東に10キロ行ったところに、一つダンジョンがあるんだ」
『今度はそこの攻略?』
「ああ。多分、強いモンスターがいるから、それを仲間にするといいよ」
『分った。でも、クリスタルがそろそろ無くなりそうなんだ』
「そうか……それなら、ちょっと待っててね」
 勇者とのつながりを一旦絶ち、イヴーカスは虚空に視線を投げた。
「イェスタ殿」
「ご機嫌麗しゅう、"百の忌み名の王"」
「……それは"知見者"様に頂いた銘。今はまだ呼ばわるには早い、控えられ給え」
「失礼を。それで、如何なる御用で御座いましょう哉」
 イヴーカスは低く笑い、それから目的のものを告げた。
「確かにご用意できますが。対価は、如何なされます」
「我が"持てる物"を全て」
「よろしいので?」
 相変わらず笑ってばかりの審判者に、ネズミの神は頷いた。
「ちっぽけなネズミでも、このような賭けに出ることはあるのですよ」
「左様で御座いますか。では、私も楽しみに拝見させていただきます」
 黒い姿が去り、つかの間、イヴーカスはその顔から表情を消した。これまでのことを思い返し、冷静に評価を下していく。
 気ばかり大きい小神どものあしらいも、緊張を強いられた大神との謁見も済んだ。勇者への指示も滞り無く済んでいる。
 残るは、ただ一つ。
「サリアーシェ様」
 廃神と嘲られ、それでも小さな配下と共に奇跡を為した者。
 兄を弑して大神となり、その勲しから邪神とそしられる者。
 そしてただ一柱、自分を古き銘で呼んだ神。
 息を一つ吐き、そして水鏡を一つ浮かばせた。
「ガルデキエ様」
 虚空に結んだ鏡に呼びかける。その時には、イヴーカスの顔には虚無の欠片も無く、いつもの気の良さそうな笑顔だけがあった。
『どうした』
「"知見者"の兵団の侵攻、一月後とのこと。先遣隊は二週間後には到着の予定の由」
『……でかした。それではその旨、皆に伝えよ。そなたの勇者に魔物の位置を割り出させるのだ』
「はい。正確な割り出しのため、サリアーシェ様に接触を図りますが」
『構わぬ。他の者にもそのように言っておけ』
 ガルデキエへの水鏡を消すと、イヴーカスは百の水鏡を一斉に浮かび上がらせ、分け身の向こうへと語りかける。
「御身にお伝えしたき儀がございます。我が新たなる主よ」
 そこから覗く神々の顔は、どれも欲に浮かされた、満足そうな顔をしていた。



[36707] 10、再誕
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/14 18:41
10、再誕

『"知見者"の侵攻は、一月後のことと決まりました』
 イヴーカスの報告は淡々としたものだった。
『それにあわせ、おおよそ現地の日時で一週間ほど後、神々はサリアーシェ様の勇者を討ち果たす心積もりです』
 その時自分が何を答えたのかは覚えていない。多分彼は、他の神々に自分の憔悴しきった様子を嬉々として伝えたろう。
 とはいえ、それにあまり意味があるとは思えない。
『どうして、俺、生かした』
 血の滲むような言葉達を、シェートは吐き出した。それは積もりに積もった自分という存在への疑念。
 走り続け、目的を果たすためには見えなくてもいい事実。
 復讐者として刃を振っている間には、気がつかない現実。
 コボルトは魔物であるという、そのことを。
「なぁ、シェートよ」
 階の中段に腰掛けながら、サリアは呟いた。
「私は、お前から何もかも、奪ってしまったのだなぁ」
 確かにあの時、命を救いはしただろう。
 だが、そのことは彼をコボルトという役割から、引き剥がしてしまった。
 弱者であるという役割、弱いままで生きて、死んでいける世界から。
 そしてその弱さのままに、強者の世界へと放り込んでしまった。
 仲間も無く、力も無く、それでも必死に抗い続ける、その辛さの中に。
 あの時、炎の中に没すれば、死の忘我の中で仲間たちの腕に抱かれたかもしれない。
 あの時、勇者の刃にかかって死ねば、勇者と魔物の無慈悲な闘争の渦にもまれずに済んだだろう。
「それでも、そなたは願っていた、私にはそう見えたのだ」
 生きたいと、そう願っていると。
 だが、それは自分の勝手な思い込みだったのかもしれない。
 炎の中に朽ちていく際に、草木が身を捻りながら天へと身を伸ばす動きを、生の躍動と思い違えるような。
「イェスタ」
「はい」
 すっと傍らに差した影に、サリアは生気を失った声で問いかける。
「遊戯の辞退をすることは、出来なかろうか」
「それは禁じられております。
 一度他者を喰らえば、その身が滅ぼされるか、たった一つ柱になるまで、遊戯に興じていただきます故。
 決闘中であれば、不戦敗という形で処理させていただきますが」
「登録した勇者を変えることは」
「それも禁じられております。それを許せば加増された加護を以って、強き者を自在に呼びつけられます故」
 光差す庭の光景を、サリアは眺めた。
 そこに群れ集う神々は、先ほどからこちらに視線を向けこそすれ、それ以上の関心を向けようとはしない。
 そのことに、サリアは意地の悪い喜びを感じていた。
 自分もシェートと同じになっていると。
「今、持てる全ての加護を使い、シェートに人間の味方を作ることは、出来るだろうか」
「考え違いをなさっておいでですので、修正を。神々の布告は天啓という形で降らせなくてはなりません。
 それが人々にたやすく受け入れられるものであれば、実現も可能でありましょうが」
 語っていく時の女神の声は、とてもとても、優しかった。
「コボルトを勇者として認め、それに群れ参じよ。
 そう命ずることがいかなる困難か、御身は考えたことがありましょう哉?」
「信頼は、あらゆる攻撃を凌ぐ防御の鎧よりも、高くつくという訳か」
「むしろ、同族に布告を与え、かのコボルトに力を貸せと述べる方が、まだしも」
 同族、その言葉にかすかに心が揺れ動く。
「今ある星の加護を使い、それを成すことは? そして、シェートについてゆける力を身に着けさせることは?」
「呼びつけることは可能でありましょう。力に関しては、どうにも」
「どうにも、とは?」
「コボルトは心根の弱い生き物。
 それに強力な武器を持たせたところで、どこまであの過酷な旅程に耐えられましょう哉?」
 そうだ、たとえ一時の熱情とはいえ、シェートは自ら過酷を選んだ。
 それを何も知らない一介の弱い魔物に、同じような心を期待することはできない。
 考えれば考えるほど、加護の力が頼りなく思えてくる。
 結局、コボルトというのは穴の開いた木桶のようなものだ。
 必死に補修したところで、それよりも良いものと比べれば、最初から選ぶ価値の無い代物に過ぎない。
「心身をいじる付与も、禁じられているのだったな」
「恐怖心を払い、勇気を与える程度は認められておりますが、記憶の操作や感情・行動の完全な制御は、
 結局のところ神の操り人形を作り出してしまうだけですので」
「思う以上に融通がきかぬのだな」
「ですから遊戯なのです。ルールの隙を突き、自らを有利に進めることで勝利を得る」
 そなたには分かるまい、口に出さずにサリアは毒を吐く。
 その楽しいゲームのコマにされ、身を切るような痛みに耐え、それでも自分を否定されるものがいることなど。
「よく分かった。もう行って良いぞ」
「それでは」
 辞して消えていくゲームマスターを省みもせず、サリアは立ち上がる。そのまま西面の扉へと向かい、案内を乞う。
「"万涯の瞥見者"にお目通りを」
『……あー、もうしわけありません、サリアーシェ様』
 声はドライアドではなく、小竜のものだった。どこかすまなさそうというか、困り果てているといった風情で返事が来る。
『我が主はただいま現界中ですので、お入れすることができかねます』
「……いつごろ戻りに?」
『あの調子ですと、それなりに掛かるかと。
 なんでも新しいパーツを購入されるとか……最近神々との折衝も多かったので……ストレス溜まってるみたいです』
 竜神の放浪癖は有名で、最近では人の身に混じって世界を彷徨しているらしい。
 それでなくてもサリアの関係者と目され、やらなくてもいい交渉をする羽目になっているのだ。
「ありがとう。お帰りなられたらまた参じることにしよう。竜神殿には、ご迷惑をおかけしたと伝えてくれ」
『いえいえ。
 あれはもう、サリアーシェ様とは関係ないっていうか、
 ちょっとは最高神の一つ柱であるという自覚を持っていただきたいというか……』
 愚痴り始めた小竜に暇を告げ、苦笑しながら自らの神座を目指す。
 神座へ繋ぐよう声を掛けようとして、サリアはふと、思い直す。
 今、シェートに何かを言おうとしても無駄だろう。
 それに、自分も気の利いたことを言える自信も無い。
「幾星霜、神域を守る美しき緑の乙女よ、我が意を聞き届け、愛しき地への門を開け」
 開いていく扉の向こう、赤錆びた自らの星が見えていく。
 皮肉な話だ、以前は絶望を象徴するはずだったその赤さを、
 今では自分の配下となったコボルトの苦しみを分かち合うためのよすがにしようとしている。
 心根の身勝手さにあきれながらも、サリアはその光景の中へと進んでいった。

 いつの間にか、朝が来ていた。
 シェートはそっと手を顔に当て、それからごしごしと擦る。
 毛皮には濡れた跡は無い、泣いているかと思った一瞬もあったが、そんなものはあの日に枯れ果ててしまったのだろう。
 胸の痛みは一晩たって、鈍いものに変わっている。
 それでも、やはり変わらないものはあった。
「どうして、俺、生きてる」
 起き上がり、背を幹の持たせかけ、ふっとため息をついた。
 森は今日も穏やかで、風がこずえを揺らしていく。ことさら耳や鼻を使わなくても、周囲の様子がわかっていく。
 枝に掛かった巣の小鳥達は、もうそろそろ巣立ちだろう。鳴き交わす声は親鳥とそれほど変わらない。
 こちらに興味があるのか、リスたちが巣穴を行ったり来たり、頭の上にある枝を何匹かが駆け抜けていく。
 風に乗ってやってくるのは、そろそろ盛りの時期を迎えた鹿の体臭。
 それと、ウサギが地面をぱたぱたと叩いて掛けていく振動が腰に伝わっていた。
 このまま弓を手に歩き出せば、狩りは始まり、日の落ちるまで山野を駆けるだろう。
 ただ、そうしているだけで、良かったのに。
 何の悩みもなく、穏やかに日々を暮らせたら。
「どうして、生きられない?」
 それは自分が、コボルトだからだ。
 魔物であり、人類の敵対者であり、そして最弱の存在だから。
 結局、答えはそこに戻ってきてしまう。
「どうして俺、コボルト、なんだ」
 そのように作られたから、そう作ったものがいるから、もちろんそんなことはわかっている。
 でも、なぜ、自分は自分なのか。そんな定めに誰が乗せたのか。
 望んでもいないものに、そんな役割をつけるものは誰なのか。
『お前、むつかしいこと、考えたな?』
 忘れかけていた、遠い声が蘇る。腰に手をやり、引き抜いた山刀を目の前にかざした。
「父っちゃ」
 鋼は木漏れ日を跳ね返し、表面に浮き立った粗い粒子が鈍く耀いている。
 この刀を貰うほんの少し前、父親は狩りの負傷がもとで床に伏せっていた。
 その時に同じことを聞いたことを思い出す。

『どうして、俺達、弱い。魔王、そんな俺達作った』
『そうだな。俺もそれ、思ってた』
 口数は多くなかった。
 昔のこともあまり語ろうとせず、元々群れにいたわけではなく、どこか別の土地からさすらってきて、母親と出会ったと聞いた。
『俺達、食い物か、みんなの』
『……そうだろう。俺、確かにそう思った。魔王の軍、いたとき』
 自分以外、誰も入らないよう言い渡された天幕の中、語られた言葉。
 力も弱く、魔法もつかえないコボルトの父が、それでも軍の中で生きられた理由。
 山野草の知識、山の動物の知識を使い、ゴブリンの魔術師に仕え、さまざまな所業に加担してきたことを。
『毒、作った。拷問道具、作った。
 どうすれば、生き物、長く苦しむか、あっけなく殺せるか、知った。
 そして、分った』
 実験の末に殺されていく同族たち、人間達。そんな自分達の弱さ、命の脆さを。
 その果てに、父親は逃げた。ゴブリンの魔術師を、毒で殺して。
『俺達、そうあるよう、作られた。弱いもの作って、それ、いじめる。
 そのことで、軍の乱れ、少なくなる』
『じゃあ、俺達、殺されるため、生きてるか』
 その時の父親は、その言葉の重さから逃れるように、天を仰いでいた。
『でもな、シェート。俺、生きたかった』

 山刀を収め、シェートは立ち上がる。
 記憶の中の父親は、どうしようもない感情を抑えられないまま、涙を浮かべて笑っていた。
 生きたい、生きていたい、お前達と一緒に。
 そう語りながら、結局父親は、あっけなく死んだ。
 狩人よりは薬師として名を知られていた父親のことを、誰もが悼んでくれた。
『生きてくれ、シェート』
 自らの一振りを手渡し、今わの際に父親はそう言った。
『俺、生きたい、思う、それより強く、お前達、生きていて欲しい、思う。イルシャ、弟達、頼んだぞ』
 その約束は果たせなかった。母親も弟達も、恋人も守れなかった。
 それでも、自分は、生きている。
「父っちゃ……俺、どうして、生きてる?」
 どこへというわけもなく、歩き出す。
 その一歩ごとに湧き上がる、昔の記憶と共に。

 赤く色づいた星に降り立ち、サリアは天を仰いだ。
 照り輝く太陽は白く、世界を暖かく包み込んでいる。止むことのなかった風は、すっかりと凪いでしまっていた。
「な、なんだ……これは……?」
 苛烈な大気はすっかりと和らぎ、潤いすら漂っている。
 そして、サリアは感じていた。
「水の匂い……だと」
 気がつけば、むき出しの岩肌にも、錆びて崩れた大地にも、赤以外の色合いが混じりこみ始めていた。
 呆然と歩き出したサリアの前に、それは姿を現した。
 満々と水を湛えた、大海原。
 門による転移に間違いは無い、それに、世界は確かに自分の神威に満ちていて――。
「まさか……」
 遊戯の勝利者が獲得するのは、世界を統括する権利と、信者の信仰心。
 その二つこそが神に力を与え、治める世界へ、神威となって世界に放たれる。
 それは神の、消すことの出来ない、切っても切れない本性。
「兄上の所領から流れ込んだ信仰心が……私の世界を、潤したというのか!?」
 呆然と呟いたサリアの心に浮かび上がる一言。
『無一物』
 あの時、イェスタは笑っていた。
『そう思われるなら、そのような事でありましょう哉』
 このことを知っていたからこそ、笑っていたのだ。
「は……」
 サリアは両手を、知覚を大きく広げた。まるで世界を抱きとめるように。
 その感覚が伝えてくる、死に絶えたはずの世界が蘇る、無垢の産声を。
「はは……」
 まだ生命と呼ぶにはか弱く、頼りない者達が、少しずつ芽生えていくのが分かる。
 暖かな海の中に抱かれ、繰り返す波の中にたゆたいながら。
「はは、はははは、ははははははははは!」
 それら全てが鳴動し、自分に伝えてくる。
 生まれたと。
 私達は今、生まれたと。
「……まったく、なんてひどい女神だ、私は!」
 ひざまずき、空を仰ぎながら、サリアは泣き笑った。
「無辜(むこ)の命を使いたくないと嘯(うそぶ)きながら、こうして自らの世界を潤しているとは!」
 その声を聞いた世界が、主の帰還を寿ぎ、ふつふつと沸き立った。
 私達は生まれた、主よ、と。
「ああ、そうだとも。お前達は、生まれたのだな」
 自分の浅ましさを嘆きながら、それでもサリアは喜びを押さえられなかった。
 死と無意味が拭われ、生と意味とが生まれ始めた星の上で。
「どうしてくれような、シェート。こんな罪深い私を」
 気がつけば、何一つ失いたくないと思っていた。こうして新生した世界も、それをもたらしてくれた小さな魔物も。
 潤った地面に大の字に寝そべり、女神はさらに大きく知覚を伸ばした。
 その意識ははるか彼方、兄神が治めていた星々にまで届いていく。
 人々が、祈っていた。
 朝に、夕づつに、昼のさなかに。
 聖堂で、社で、街中で、野原で、家々で。
 あるものは敬虔に、あるものは邪に、またあるものは有るか無きかの希望を求めて。
 兄神の神性によって、長く戦の絶えない世界であったかの地が、
 自らの神性によって平和と平穏を取り戻し、緩やかに傷を癒していこうとしている。
 日々の暮らしと、安らかな生を求める人々が、祈りを上げていく。
 女神よ祝福を、と。
「ああ……皆に、祝福を」
 それは久しく忘れていた感覚だ。
 世界を想い、世界に想われる事。そのつながりこそが、神を神たらしめる要素。
 崇め、祈る者の無い神など、存続する価値は無い。
 同時に、その祈りを掛けられるだけの神威を、世界への愛を与え続けることが神の存在意義。
「イェスタ」
「ここに」
 黒の女神は、いつの間にか傍らに座っていた。その姿に目をやり、そっと笑う。
「一言あっても良さそうなものだと思うがな」
「御身は自ら気が付かれました。差し出がましい諫言など不要でしたでしょう」
 笑顔を崩さない女神に、サリアは空を見上げ、言葉を継いだ。
「そなたに仕事を頼もう」
「ありがとうございます。して、それは如何なる?」
「簡単なことだ」
 サリアは立ち上がり、笑った。
「私の存在を買い戻してくれ」

 涼しい木陰を歩きながら、シェートは思い出していた。ただの立ち木一本からも思い出せる、父親の声を。
『木、良く見ろ。それでその森、何が取れる、分かる』
 差し掛かる梢達には、幅の広い葉が生い茂っている。
 こういう木々で出来た森は、動物も多い。尖った葉を持つ木々ばかりの森は、命の数も少ない。
 その代わり尖った葉の木は、加工すれば家を建てる資材や、丈夫な道具を使う材料に使うことができる。
 森を歩きながら、父親は色々と教えてくれた。
 実のところ、村のガナリよりも森のことを良く知っているくらいで、何度かガナリに推挙されたこともある。
『森、良く知る。それ、生きるコツ』
 そう言って、父親の幻が幹を指差す。そこにあったのは、木の皮が何かに擦られて出来た擦過だ。
『この時期、鹿、気立ってる。雌と番うのに、縄張り、広くする』
 狩るべき獲物であっても、気を抜けばこちらが狩られる。そのことを教えてくれたのも父親だった。
 経験の浅い若い狩人をかばい、鹿の角に掛けられたのが、死の原因だった。
 繰り返し繰り返し、教え込まれた生きるための力。
 考えてみれば、自分が勇者を倒せたのも、父親が仕込んでくれたからだ。
『シェート、狩人、必要なこと、なんだかわかるか』
 初めて弓でウサギをしとめたとき、そんなことを問いかけられた。

『いい弓か?』
『いや、道具より大事』
『仲間か?』
『もちろん、仲間大事。でも、同じくらい、大事』
『……分からない。一体、なんだ?』
『ここだ』

 笑いながら、父親はシェートの頭を突付いた。
『考えること。どうやったら狩れる、どうやったら生きられる、そうやって考える』
 言葉が蘇って、シェートは呟いた。
「分った」
 どうして自分がずっと考えていたのか。自分の生きる意味を。
「俺、生きたい。だから、考えてた」
 自分に死ねという世界に、抗うために。
「俺、生きたいんだ」
 考えてみれば、いや、難しく考える必要など、無かったのかもしれない。
 狩られるウサギですら、最後の一瞬まで駆け抜けるのだ。狩られるのを良しとせずに。
 理屈ではなく、ただそう在りたいから、そう在る。
 弱くても、定めでも、それでもそう在りたいと願って抗うことは、どんなものにも許されている。
 罪であろうと、悪であろうと、コボルトであろうと。
「じゃあ、どうする?」
 それでも自分がコボルトで、狩人でしかないのも事実。
『シェートよ。狼狩りのコツとはなんだ?』
 ふと、サリアの言葉を思い出す。
 あの時まで、自分はただの狩人で、弱い生き物だった。
 だが、弱い生き物であることが、弱い狩人であることの裏づけにはならない。
 自分の中にある力を使い、それを生かし続けようと考えたからこそ、あの勝ちが拾えたのだ。
 あの時まで、自分は考えるのを止めていたのかも知れない。
 でも、自分の技は、生きる力になると、もう分っている。
「父っちゃ」
 シェートの心が、思い出よりも深くに秘められた、それに手を伸ばす。
「俺、使うぞ」
 それは父親から授けられた、もう一つの知識。
 使うことなく朽ち果てていくはずだった、父親の秘伝に。

「シェート」
 神座に戻ると、水鏡の向こうでシェートは何事かをやっていた。太い蔓や小石などを集め、それを結んだりしている。
『ああ、サリアか』
「しばらく留守にしてすまなかった……大丈夫か?」
『うん。もう、大丈夫だ』
 その姿を見て安堵したものの、抱えてきた二つの報告をどう伝えたものか、さすがに迷ってしまう。
『何かあったか。すごく、不安、匂うぞ』
「まったく、隠し事が出来んというのも厄介だな……。
 率直に言おう、そなたを狙って勇者達が一気に攻めてくる」
 こちらの言葉に、さすがにシェートは色を失った。それでも、その顔はすぐに真剣なものに変わる。
『山狩り。狂い熊、狩るみたいに。俺狩るか』
「だが、安心せよ。何とかそなたを守れる算段はついた」
『加護……使うのか』
 その声は不満よりも、意外そうな雰囲気をかもし出している。
「少し考え方を変えてな。そなたを失うよりは、積極的に使うことにした」
『生きるために、みんな、捧げるか』
 言葉に非難は無い。どこか達観したような、それでいて諦めよりも意思が先に立つような語気。
「シェート、何かあったのか?」
『ない。でも、お前、そう決めたなら、俺、何も言わない』
「……勘違いするな。私は人など捧げない。世界もな」
 そこで初めて、コボルトは空を見上げた。
『俺、レベルアップ、まだだ。それなら』
「案ずるな。空手形など切らん。
 ただ、少し準備に時間が掛かるから、可能になった時点でそなたにも教えよう。
 とはいえ、勇者達との対決には間に合うはずだ」
『そうか。ならいい』
 黙々とコボルトが作り上げたそれは、蔓に小石や木片をいくつも挟み込んで作った一本の綱。
 下手に握れば使用者を傷つけかねない代物だ。
 とても狩りの道具とは思えない、異様な形状。
「な……何を作っているのだ?」
『サリア、やっぱり、俺、ちょっと何かあった』
 どこと無く凄みを増した気がするコボルトは、訥々(とつとつ)と思いを漏らし始める。
『俺、考えてた。どうして生きるか、みんな、俺に死ね、言う、そんな世界で』
 綱の具合を確かめ、先端に大き目の石を結びこむと、ゆっくりと振り回し始める。
『でも、そういうの、関係ない、わかった。俺、生きたい、だから、生きる』
 回転が速く鋭くなり、顔が険しくなる。
『ふっ!』
 呼気と共に綱が放たれ、目の前の木の枝に結びつく。
 小石や木片が枝に食い込み、小さな体が渾身の力を込めて綱を引いた。
 耳に痛い擦過音が水鏡越しに伝わり、撒きついた綱がシェートの足元に戻る。
 そして、枝にはずたずたに裂けた傷跡が、深々と刻み込まれていた。
『生きるため、俺の全部、使う』
「シェート、それは……」
『父っちゃ、教えてくれた。本当に、使うべき時だけ、使え、言われてたやつ』
「そんなこと、今まで一言も……」
『これ、狩人の技、違う。父っちゃ、絶対、誰も教えるな、言ってた』
 考えてみれば、先のゼーファレスの勇者の時、武器や罠の類はほとんど無意味なものになっていた。
 しかし、今回の戦いに絶対の障壁は入り込まない。そして、シェートは自らの意思で、どう戦うかを考え始めている。
 全てを見て、サリアは思い秘めていたことを口にした。
「シェートよ。そなたに一つ提案がある」
『なんだ?』
「この戦い、勝とう」
 一瞬、コボルトの顔が不審に傾けられ、こちらの言葉の意味にぽかんと口を開けた。
「今まで私はどこか自分を捨てていた。
 廃れ、省みられなくなった神として、いじけておったのかもしれん。
 だが、私には守るものができた。
 私の世界と、お前だ」
『サリア……』
「重ねて願う。シェートよ、我と共に全ての勇者と魔王を降し、この戦いに勝利しよう」
『……先、言われたな』
 苦笑しながら、コボルトは照れくさそうにマズルを掻いた。
『俺、前も、そんなこと言った。あのとき、勢いだけ。でも……今、違う』
 目の前の小さな魔物は、すでに弱さを捨て去っていた。
 言い訳なしの自分の力で、立とうとしている。
『俺、この戦い、勝つ。全ての勇者、そして魔王、狩り尽くす』
「そうか。それなら、もう一つ教えておこう」
『もう一つ?』
「勝者の権利についてだ」
 以前なら思いもよらなかった、そのことが容易く口に出来る。
「戦いに勝利した勇者は自らの望みを一つ、叶えることができるのだ。
 世界の王でも、使いきれぬほどの財貨でも、絶世の美女でも……
 例外は、あるがな」
『死人、生き返らない、か』
「すまん」
『……なら、俺が欲しい、一つだけ』
 コボルトはそっと囁くように願いを口にした。
『俺達、仲間達、誰も殺されない森、ひとつ、欲しい』
 それは小さな、切なる願い。
 胸に刻み込むと、サリアは頷いた。
「分った。それでは行こう、我がガナリよ。全ての敵を狩るために」
『ああ。一緒にやろう、ナガユビ』
 こちらに触れるように、小さな手がのばされる。
 サリアは水鏡に同じように手を伸ばす。
 二つの手は、時と世界の隔てを超えて、誓いを乗せて触れ合った。



[36707] 11、結集
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/10/17 11:35
11、結集

 新たな朝が来て、シェートは洞の出来た根方から起き上がり、歩き出した。
 そのまま森の中を歩き、その一角で足を止める。そこには蔓罠に引っ掛けられ、逆さづりになったウサギが一頭。
 まだ息があるらしく弱々しくもがいているが、すでに虫の息に近い。その頭蓋を軽く持つと、手早く頚骨を捻り折る。
 蔓を外し、獲物を手に、コボルトは歩く。その鼻腔に、目的の地の臭いをかぎながら。
 濃く、淀んだ、鼻を突く臭い。
 歩み進んだ先にあったのは、くすんだ灰色で満たされた沼だった。
 その成分の半分ほどは泥で出来ていて、異臭はそこから放たれている。
「サリア」
 ウサギの死骸を逆手に持ち、腰の山刀で首筋を断ち切る。そのまま、沼の中へと血を注ぎいれていく。
「仕込み終えたら、もう一つ、禁、犯しにいく」
『それ以外に、まだ何かあるのか?』
「勇者、もうすぐ来る。準備、省略したい」
 さらに腹を割き、皮をはぐと、もも肉を残し、わたと残りの身を沼にほうり捨てる。
 さらに、頭蓋を砕いて、脳髄すらも沼に投じる。
「この辺り、コボルト村、あるか?」
『無いだろう。やってくる勇者達の動きもある、付近の魔物は掃討されているはずだ』
「分った」
 悲しみと一緒に、シェートは沼の近くに盛ってあった土を、さらに投じる。
 そして大きな枝を使い、ゆっくりと練った。
 すでに澱みと変わらなくなった沼から、いくつかの骨が浮かび上がる。
 ウサギだけでなく、ネズミの骨もいくつかあった。
「これでいい。後、一日か二日、置く」
 かき混ぜられた沼から、腐った卵のような悪臭が解き放たれる。その臭いに閉口しながらも、コボルトは頷いた。
「そっちの準備、どうだ?」
『これからだ。何かあったらすぐに知らせよ』
「分った。そっちも、何かあったら、頼む」
 腰の山刀を確かめると、シェートは走り出した。すでに目的地の目星はつけてある、あとはいかにすばやく動くかだ。
 一切の迷いを捨て去り、コボルトは駆け抜けていく。

 神座を出るとサリアは周囲を見回し、それから西の扉を目指した。
 庭園にいる神の数は極端に少ない。遊戯に参加している神々は、討伐の準備に追われているのだろう。
『サリアーシェ様』
 回廊の欄干に隠れるようにして、小さなネズミが小走りこちらに追いついてくる。
 それを視界の端に留め、それでも顔を向けずに答えた。
「イヴーカス殿、神々の動きは?」
『申し訳ございません、これ以上お話することは』
「我らは大陸中央、エレファス山脈の南端に陣を張ります。
 山脈北部に陣取った勇者達にその情報をお流しください」
 ぎょっとしたようにネズミの動きが止まり、あわてて追いすがってくる。
『そ、そのようなことを申されてもよろしいので!?』
「構いませぬ。所詮逃げても逃げ切れぬ身、それならばいっそのこと、陣を張って迎え撃ちます。
 ……しばしお待ちを」
 西の扉に立ち、サリアは声を高らかに名乗りを上げた。
「"万涯の瞥見者"にお目通りを!」
『サリアーシェ様……もうしわけありません、まだ主は戻られておりませぬ』
「ならば、お帰りになり次第、伝言を。以前の盟を結ぶ一件、申し出をお受けするとお伝えください」
 扉の向こうの小竜は一瞬言葉を失い、それからあわてた口調で声を上げた。
『そ、そのようなことを、こんな場所で』
「隠し立てしてもいずれは分かること。
 ただ、近々大きな戦がありますゆえ、それまでにお戻りにならなければ、
 お手数ですがそちらで急使を立て、即刻お伝えくださいますか」
『わ、わかりました!』
 多分、かわいそうな小竜に気苦労を積み増ししてしまったろう。
 そのことを心で謝りつつ、サリアはイヴーカスの分け身に向き直る。
 彼の考えも行動も、これまでのことを思い巡らせれば容易に想像が付いた。
 だからこそ、ここからは彼を存分に利用し、同時に利用されることが重要になる。
 彼のような狡猾さが、少しでも身に備わるように、そう願いながら言葉を紡ぐ。
「どうされました? お顔の色が優れないように見えますが」
「は、はは、貴方も冗談がお好きなようだ。それで、この後はどうされます?」
「密談とまいりましょう、"黄金の蔵守"よ」
 完全に色を失ったネズミに向けて、サリアは嫣然と微笑みかけた。

 まるで別の神格だ、イヴーカスは目の前で座を整える女神を見つめた。
 ただの意地だけではなく、強い意思を感じる視線。ついぞお目にかかったことの無い、静かな覇気さえ感じる。
 すでに彼女は、綾で勝ちを拾った迷える廃神ではない。
 自分が交渉するべき大神の一つ柱であり、覇を争うべき対手となったのだ。
「驚きましたな。あのような振る舞いに出られるとは」
 古き神殿を模した洞の中、あえて分け身ではなく本体で相対する。
 他の神々の目が厳しくなるだろうが、そんなことは瑣末(さまつ)ごとだ。
「それは良かった。貴方には飲まれっぱなしでしたからね、ささやかな意趣返しが出来ました」
「ま、まさか、それだけのために?」
「ご冗談を。あれも貴方と交渉するための布石です」
 さすがに驚いてばかりもいられない、用意された飲み物を口にし、さっきの振る舞いを思い返す。
「あれほどの情報を大盤振舞い、しかも交渉材料として使わずにあえて公開してみせる……
 即ち、他の神々への牽制、ですな」
「ご明察。私としては一刻も早く、貴方が他の神に報を持って馳せ参じて欲しいとすら思っておりますよ」
「やれやれ、薬が効き過ぎましたな。とうとう、貴方も私を使い走りに使うようになられましたか」
「薬、ですか」
 こちらの言葉に、サリアーシェはうれしげに笑う。
「その言葉を聞きたかったのです、"黄金の蔵守"よ」
「何のことでしょうな、こちらには分かりかねますが」
 曖昧な言葉で確信を語り、こちらの想像力を刺激する話法。
 賢しらな話術の穂先を見極め、イヴーカスはあえて確証を誘うべく、暗愚を装う。
「腹蔵はやめにしましょう。貴方は私を神々の餌とするべく肥やそうとしてきた。
 私という存在を高め、貴方の助力なしでは簡単に討ち取れないものとして。
 そうすれば貴方にはあらゆるチャンスが転がり込んでくる」
「……なるほど。貴方への評価を改めねばならないようだ」
 混じりっけなしの賞賛をこめて、あえて笑顔を引っ込める。
 同時に、ようやくそこまで読みきってくれたかという、安堵も沸いてきていた。
「して、そこまでこちらの真意を読んだ貴方は、私に何を望まれますか?」
「分け身を一つ」
 短いその一言に、イヴーカスは、えもいわれぬ快感を感じた。
 最後のピースが嵌り、最高の絵図が描き上がるという強い確信も。
 自分の手から差し出された分け身を、美しい手がそっと受け取るのを見て、ネズミは微笑んだ。
「これで、貴方と私は一蓮托生、といったところですか」
「沈み行く船に乗るネズミはいない。"狡猾は武に勝る力なり"……でしたね?」
 自分が裏切ることを明言しながら、それでも女神は、屈託無い笑顔を向けてくる。
 腹芸ではなく、こちらへの賞賛すらこめて。
 その表情に、ほんのつかの間、思考が白くかすむ。
「……然様です」
 短く答えると、イヴーカスは席を立ち、すばやく背を向けた。
「もう行かれますか」
「情報は鮮度が命ですからな。それでは」
 普段なら決してしない、そそくさとした振る舞いで場を離れた。
 なんと無様な、そう心の中で己を叱咤するが、それでも、この場にいたくないという気持ちが勝ってしまう。
 いや、本当はその逆だ。
 今までにない心地よさに、この場にとどまりたいと思ってしまう自分を否定するために、足を速める。
 これ以上、彼女と話をするのはやめよう、そう刻みこむ。
 心に、余計なものを抱え込まぬために。

「女神が竜神と密約だと!?」
 役立たずのネズミは、平身低頭して目の前に控える。
 その仕草も腹立たしいが、この段になって、女神がそんな札を切ってくるとは、思いも寄らなかった。
「まだ、確たることは何も分かりませぬが、広場にいた神々は、しかと聞き届けました様子で……
 おそらく彼らと懇意の神々は皆、ご存知かと」
「内容は!?」
「そこまでは。ただ、少なくとも討伐の際には明かされるものとぐふっ!」
 軽々と疫神の体が宙を舞い、石の床に叩きつけられる。
「役立たずが! 何のために貴様をあの邪神と近づけたと思っている! 愚図めが!」
 いらいらと神座を歩き、髭を撫で付けながら、ガルデキエは考えを巡らせた。
 少なくとも女神が陣を張り、こちらと完全に敵対することはわかっている。
 ならばその誘いに乗り、一気に押し包めばいい。
 それに、いくら罠を張り、地の利を生かしたとて、所詮相手は一人だ。
「シディアに伝えよ。我が勇者と汝の勇者を組ませ、討伐隊の頭目にせよとな」
「……シディア様は、首を立てに振られますかな」
「そうさせるのが貴様の役割だ。それとな」
 弱々しげに笑うネズミに顔を近づけ、ガルデキエは獰猛に歯をむき出しにした。
「奴に何を吹き込まれたか知らんが、俺を裏切るような真似はするな?」
「め、滅相な、そんな、うぐっ」
「あの魚臭い水溜り野郎ごときに何が出来よう! 俺はな、知っておるのだ!」
 踏みつけ、ぎりぎりと神威をこめて『圧する』。
 本来なら決して行ってはならない、神格への攻撃行為も、こんな相手なら思う存分振える。
「風船頭を見限って自分に付けとは! まったくあの磯臭いフジツボごときが! 
 それで貴様は、我の情報を売りつけ、したたかに振舞っておるつもりか!」
「そ、そんなことは……ぐうっ」
「挙句、情報源を明かし、俺と他の神々の離間を行うか!? まったく、始末に終えん疫病神だな!」
「ぐあああああっ!」
 苦しみ悶えるイヴーカスを蹴り捨て、床に転がす。
 それから玉座に腰を下ろし、惨めなネズミを見下ろした。
「これまで通り、俺に仕えよ。
 シディアとその勇者には、我と我が勇者が力を貸すゆえ、存分に力を振るえと言え。
 そして、こう付け加えよ。ただし、配下のネズミは貴様にはやらんとな」
「は……はい」
「きっとだぞ。次、シディアに相対した折、その言葉を聞いたか問いただす」
 まあ、そんなことはどうでも良いがな、そう心の中で付け足す。
 事ここに至って、あの神は完全な敵となった。
 小賢しく動き回り、陰口を吹聴して回るならまだしも、こちらの手駒を引き入れるなど以ての外だ。
 そして、もうネズミに用は無い。魔物使いの勇者の実力はすでに測ってある。あの程度なら簡単に打ち負かせよう。
 神座から臭いネズミを追い払うと、ガルデキエは水鏡を虚空に浮かべた。

『そちらの準備はどうだ、我が勇者よ』
 遠山文則(とおやまふみのり)は、このだみ声が嫌いだった。
 一応、この異世界に召喚してくれた神で、今まで夢に見ていたファンタジー世界で、
 思う存分戦い、勇者生活を送らせてくれるのには感謝している。
 ただ、自分のところに来たのが、なぜこんなオッサンの神様なのか、それだけがぜんぜん納得がいかなかった。
「あー、うん。準備って言うか、みんな集まってきてるよ」
 そう言って周囲を見渡す。対して大きくも無い町の、一軒の宿屋。その一階にある酒場は、まるでコスプレ会場だった。
 現地住民の鎧は、大抵鈍色の鉄やアースカラーの皮鎧が中心だが、ここにいるのはみんな神器持ちの勇者ばかり。
 赤や青、緑やピンク、さらには金ぴかの鎧まで、とにかくバリエーションが豊かだ。
 自分の方はごついプレートメイルに幅広の両手剣、どちらも黒でまとめてあるので、この中では、却って異様に目立つ。
 時々"黒い剣士"とか呼ばれることもあるので、ちょっと恥ずかしい思いもしていた。
『この後、正式な布告があろうが、申し伝えておく。
 今回の討伐は汝と、"波濤の織り手"シディアの勇者とで頭目を張るのだ』
「頭目って……俺リーダーやんの!? マジで!?」
『まあ、そうだな。励むがいいぞ』
 いきなりリーダーとか、そう思いながらも、文則は少しドキドキした。
 伝説の勇者の集団の、さらにリーダーをやる。やろうと思っても絶対にできない経験だし、すごくカッコイイ。
「うっわ、なんかこう、中二心をくすぐられるっつーか、いいねいいね!」
『無様はするなよ? ゼーファレスの勇者は、コボルト風情に遅れを取り、ひどい有様で首を取られた。
 ゆめ、油断はするな』
「っていうか……ほんとにそれ、ただのコボルトなの? 話に聞く感じじゃ、かなりヤバそうなんだけど」
 ここに来るまでの間、ガルデキエは散々ゼーファレスとか言う神様の悪口を言いまくりだった。
 それ以上にサリアという神様と、コボルトのことはぼろくそだった。
 だが、他の勇者達と合流し、もう少し冷静な評価を聞くうちに、気分はすっかり改まっていた。
 森の中での戦いを熟知し、相手のリソースを徹底的に叩くやり方。
 そういえば、日本のRPGではあまり重視されないが、
 海外のゲームだとリアルにファンタジー世界を再現したものが多く、
 食料や呼吸、重力を考慮に入れたものが多かったことを思い出す。
 そのコボルトも、そっちのデータで考えたほうがよさそうだ。
 多分、そのコウジとかいう奴は、そっちの知識が無かったんだろう。ご愁傷様、としか言いようが無いが。
『まあ、レベルは貴様らよりは上だが、所詮一匹のコボルト、数で押し包めば倒せないとことはあるまい』
「追加の神器とか、加護の情報は?」
『入り次第伝えよう。
 ただ、かの邪神は竜神と盟を結び、なにやら隠し玉を手に入れたと聞く、容易ならざる事態だ』
 クエストに入る前に仕様変更かよ、思わず毒づきたくなるのを押さえる。
 どうも、この神様達は脇が甘い感じがする。
 ゲームに参加していながら、そのゲームのルールを深く学ばないというか、
 結局は力押しや、お互いの権力闘争に明け暮れてる感じに見えた。
「まぁ、死んでも家に帰してもらえる分だけ、普通のデスゲーム物よりはましかぁ」
『何か言ったか?』
「いいえ。誠心誠意、勇者としてがんばりますって言ったんですよ」
『良かろう。ではな』
 そう言って、神威が周囲から薄れていく。この調子なら、会議か何かでしばらく帰ってこないだろう。
 考えてみれば、神様のゲームの駒なんて、不吉以外のなんでもない。
 どんな創作物でもそういう立場になった奴は、運命に翻弄されて死んだり、悲惨な状態になったりするのが相場だ。
「だからさぁ、せめてそういうときは、美少女女神さんが来るもんだろ! なんであんなオッサンなんだよ!」
「あ、あの……」
 思わず絶叫した文則の前に、ローブに白銀の篭手やブーツを身に付けた、ショートカットの少女が立つ。
「……えっと、君は?」
「私、シディア様の勇者で、篠原綾乃(しのはらあやの)です。
 えっと、ガルデキエ様の勇者さん、ですよね?」
 小顔で、細身だけど、割と胸はしっかりある。
 何より優しそうで、両手で抱えるようにして杖を持つ仕草に、思わずドキッとする。
「あ、うん。俺、遠山文則、です。よろしく」
「こちらこそ。ちょっとの間ですけど、一緒にがんばりましょう」
 そう言って、ふわっと笑う顔に、文則は崩れそうになる顔を必死で抑えた。
 うっわー、やっべー、どうしよー、マジでかわいいよこの子。
 ナイスモジャ髭、こんなかわいい子を勇者に選んだ神様と知り合いとか、グッジョブすぎて言葉も無い。
「神様ありがとうっ! 俺やる気出てきたよっ!」
「え? あ、よ、良かったですね?」
 握りこぶしでガッツポーズをとると、さすがにテンションを下げて、綾乃に向き直る。
「と、ところで、あや……篠原さんて」
「綾乃で良いですよ、遠山さん」
「こっちも名前でおねがいしますっ! って、その、綾乃さんて、あんまり勇者っぽくない感じだよね?」
「はい。私、支援特化型なんです。防御とか付与とか回復が中心で」
 それを聞いて、さすがに文則は頭を切り替える。
 自分に彼女をつけたということは、補い合って攻略目標を落とせということだ。
 勝ちに行く布陣、誰よりも早く前線に出て、コボルトを倒すことを期待されている。
「そっか。見た感じ、君みたいなタイプは多く無いから、今回の作戦の要になると思う。
 普通勇者って攻撃偏重になるしね」
「みたいですね……文則さんも、そんな感じですもんね」
「あ、あははは! いや、男はこう、ガツンとやるのが仕事で、綾乃さんみたいな人にサポートされたら元気百倍っていうか! 
 な、なに言ってんだ俺、あははは!」
 考えてみれば、ガルデキエがつけてくれた騎士も魔法使いもどっちもオッサン。
 神様の趣味かと思って正直げんなりする夜もあった。
 しかし、この瞬間、俺は充実している!
「ゼーファレスって神様の勇者がいきなりいなくなって、あちこちの魔物も結構調子こいてたみたいだし。
 んで、俺も必死であちこち回ってたんですよねー」
「そうなんですか?」
「はい! ここに来る前も、街道でばったり魔物とあったりして! 
 結構大変だったんですよ! あ、なんか飲みます!?」
 どこか舞い上がってしまっている自分を感じながら、それでも文則は必死に、綾乃に自分の武勇伝を聞かせ始めた。

 惨めな気分で、ゴブリンのキィールは夜の森を進んでいた。出発したときにはたくさん居た道連れも、今はたった三匹だ。
「おい、なにか、くいものあるか」
「うるせえ、すこしだまれ」
 背中から掛かる仲間の声すら鬱陶しい。肩口から背中にかけて、焼け爛れた傷が痛んでしかたない。
「うるせえとはなんだ。だいたいおまえ、かいどういくっていったのがわるい!」
「おまえもいいっていった! いちいちおれのせいにするな!」
「だまれ! しずかにしろ!」
 先頭を歩くネリギはもっとひどい。敵の勇者に片手を吹き飛ばされ、それでも何とかここまでやってきた。
 巨大な剣を振り回す勇者は、まったく容赦なくこちらを切り滅ぼしていった。
 生きているだけ見っけものだ。
 このまま誰にも見られないよう、夜の闇にまぎれて移動すれば、いつか仲間の住む場所にもたどり着けるだろう。
 そう思った矢先だった。
「が……ぁっ」
 突然、ネリギが地面に崩れ落ちる。
「どうした……ネリギ?」
 恐る恐る近づくと、仲間はこめかみに矢を喰らい、息絶えていた。
「て、てき!?」
「ど、どこに、ごっ」
 サリの口に深々と矢が突き刺さり、仰向けに倒れていく。
「だ、だれだぁ! すがたをみせろ!」
 そんなことを言っても無駄だと分っている。
 今すぐにでも、どこかの物陰から矢が飛んで、自分も仲間と同じように死ぬだろう。
 それでも、必死に武器を抜き放ち、周囲を見回す。
 茂みが、がさりと鳴った。
「え……」
 キィールは目の前に現れたそいつに、呆然とするほか無かった。
 一匹のコボルト、弓を収め、暗がりの中で自分を待ち構えていた。
「な、なんだおまえ、どうしておれのなかまころした!」
 どうしてコボルトが俺達を襲うのか、その理由がまったく分からない。
 いじめられた腹いせ? このチビどもにそんな気概があるわけが無い。
 だが、犬の顔をした魔物は、底冷えのするような声で言い放った。
「お前、持ってる物、欲しい」
 そいつは、片手から縄のようなものをだらりと垂らし、振り回し始める。
「は!? わけわかんねえ! おれたちなにももってない! 
 それとも、おれたちのよろいほしいのか!?」
「それもある。でも、俺欲しいの、命」
 無造作に振われた右腕、それは真横に振られ、
「あぐううっ!?」
 一瞬で縄が首を縛めた。
「いぎいっ! いっ、ぐあああっ!」
 縄に仕掛けられた尖った何かが、首に食い込んで血を流させる。
 爪を立て、何とか引き剥がそうとするが、それでも縄はしっかり食い込んでいた。
「や、やべろ! おれ、おれ、おまえ、なかまっ!」
「仲間?」
 コボルトの手に白い光が宿り、それが縄に伝わり、首筋に巡っていく。
 同時に、焼き鏝でも押し付けられたような灼熱が肌を焼いた。
「あっ! がっ! ああああああああ!」
「俺、お前たち、仲間思ったこと、一度も無い!」
 渾身の力を込め、コボルトが綱を引いた瞬間。
「ごえあああああああああっ!」
 キィールの視界は、絶叫と激痛の中で、永遠に回転した。

 この日のために作っておいた掛け小屋にシェートが戻ったとき、すでに太陽は中天に掛かりつつあった。
『大分、大荷物だな』
「ああ」
 背負ってきた物を地面に下ろし、同時に小屋の中にしまっておいたものを持ち出した。
 ゴブリンたちの使っていた鎧や脛当て、篭手に兜。
 掘りたての草の根や木の実の付いた枝。
 きれいに削られた数十本の矢軸の束に、膠で固められた強靭な弓弦。
 なめされた鹿や猪の皮、皮ひもの束、それから麻の布がいくらか。
 小屋の影に立てかけておいた木の枝も持ち出して、それぞれをつぶさに確認する。
「サリア、勇者達、どうだ?」
『ありがたいことに山脈北部に配置された勇者の数が思いのほか多くてな、足並みをそろえるのに二日は稼げそうだ』
 黙って頷き、保存食の固いパンと干し肉を齧り、水で流し込む。
 それから、準備に取り掛かった。
 兜を逆さにして水を入れ、石組みの炉に乗せ、火を付ける。
 沸くまでに草の根の土を払い、水洗いし、荒く削りながら兜の中へ。
 木の実は枝から摘み取り、皮袋の中に入れると、口をしっかりと縛り、上から石で丁寧に叩いて中身を砕いていく。
 炉に掛けた火を気遣いながら、鎧の検分を始める。
 染み付いたにおいに閉口しながら、汚れを取り、ゆがみを見て、それから自分の体にあてがう。
 鎧の修繕などはしたことが無かったが、熊狩りの時に胸当てや篭手をつけることはあったから、それほど苦労は無い。
 辺りにきつい香りが漂い始め、麻布で鼻を覆うと、木の枝で中身をかき混ぜる。
 とろみが出るほどに水がなくなってきたのを確認し、少しだけ水を足す。
 どうにか身に着けられる篭手と脛当てを探し出し、他は脇へのける。
 それから、目の細かい川砂と鹿皮を使い、表面を磨いていく。
 錆を落とすと同時に、地金がどこまで腐食しているかを確認するこの作業は、おろそかにするわけにはいかない。
 同時に石を使って自分の体に合うよう、形を調整していく。
「おっと」
 煮詰まった臭いのする兜にもう一度水を継ぎ足し、火を少し弱めてから、磨きの作業に戻る。
 やがて、篭手と脛当ては美しい光沢を取り戻し、どうにか形にすることが出来た。
 見繕っておいた猪革とまとめて、一旦小屋に戻す。
 兜の中身は、暗い緑と黒の混合物となり、まともに蒸気を浴びればそのまま昏倒しそうな臭気を放っている。
 火から降ろし、上に枝の覆いを掛けて小屋の脇に置く。
 そこで一度、背を伸ばし、肉と干しブドウを口にすると、今度は地面に座って矢軸を手に取った。
『シェートよ、その矢軸は、人里から取ってきたものか?』
「猟師小屋」
 人間の使う矢なら先端に鏃が付くが、自分はそんな持ち合わせも無いので、いつもどおりの裸矢を使う。
 山刀で軸先を尖らせ、かえしを入れていく。
 ただ、今回の矢には無数の返しを入れていく。本来なら、獲物の肌を傷つけるので、返しは最低限で抑えていた。
『もう一つ犯すといっていた禁とは、そのことか』
「俺達、絶対、人の物取らない。猟師小屋、狩り道具、たくさんある。でも、しない」
 山には人間の猟師たちが、狩りときの休憩に使用する小屋がいくつかある。
 そこには、狩りの消耗品である弓弦や矢軸、暖を取るための毛皮や保存食などが置かれていた。
「一度、手、出したら、警戒される。人、俺たち、知られる」
『……だから聞いたのだな、近くにコボルトの集落が無いかと』
「ああ」
 手早く作業したつもりだったが、すでに日暮れが森に影を落とし始めている。
 仕上がった矢を紐でくくると、それを手にして歩き出す。
 やがて、行く手から激烈な臭気が漂ってきた。森の中に現れた異臭の正体は、自分が仕込んだ『沼』だ。
 夕影の中でも分かるぐらい表面が泡立った泥沼。
 その周囲には地ネズミや小鳥の死骸、それを狙ってやってきた狐が転がっている。
「……ごめん」
『これが、秘伝か』
「屍(かばね)の毒」
 それぞれの動物の皮膚は、爛れて水泡が出来上がっている。
 苦悶を浮かべて血泡を吹いているものも居る。話には聞いていたが、正視に耐えないむごい光景に、胸が締め付けられた。
「父っちゃ、言ってた。これ、使うとき、自分死ぬ、考えろって」
『動物の死骸と、わざわざ混ぜ込んだ血によって、沼をさまざまな病毒を養う培地に変えたのか……』
「悪い土も、一杯入れた。そこで怪我する、傷膿んで、苦しむ土」
 狩りの技ではない、ただ相手を、殺すための知識。
 それでも父親がそれを自分に仕込んだのは、結局コボルトが世界の悪意に飲まれて、死ぬ定めだと知っていたから。
 死なないために、殺す知識。
 毒をかき混ぜるのに使った枝で、動物達の亡骸を端に避けると、沼に溜まった泥を、掻きだして行く。
 そして、持ってきた矢を解き、泥に、先端を浸す。
「これ刺さった敵、半日で苦しむ。普通、病気なるの、一日、それ以上掛かる」
『そういえば、沼を作るときに色々投げ込んでおったな……』
「ゴブリンの魔術師、見つけた。屍の毒、強くするやり方」
 皮肉な話だ、自分にとって仇敵とも言える存在の知識で、自分が生きる道を模索するなんて。
 それでも、今はこれを使うより他は無い。
「後、明日まで浸す。屍の毒、光浴びる、薄まる言ってた。明け方、すぐ矢筒しまう」
『この沼は、どうするのだ?』
「安心しろ。ちゃんと、毒消す」
 翌朝、まだ空も白まないうちに、シェートは起き出した。
 残った保存食を腹に収め、冷えた兜の中身を毒の実を入れた皮袋にいくらか注ぎ入れると、
 小屋の奥にしまっておいた小樽を引きずりつつ一緒に沼へ向かった。
 泥から矢を引き抜き、慎重に矢筒に収める。全てを収め終えると、泥を沼に戻し、兜の中身を沼に注ぎいれた。
『敵に使うのではなく、消毒のための毒だったのか』
「毒沼、敵使う、困るからな」
 ある程度沼をかき混ぜ終えると、今度は小樽の中身を沼に流し込んだ。
「それは?」
「油」
 そう言って、火壷から燠を取り出し、放り入れた。
 どうっ、と音がして沼が燃え上がる。ところどころ泡だった部分が、火柱を上げて燃えていく。
『死骸から上がるガスと油を燃料にした炎、火による浄化か』
「火、使う。毒の始末、良くなる。父っちゃ、調べた」
 ある程度火が燃え広がったのを見て、すばやく下がる。
 この火から昇る煙にも毒があると教えられていたからだ。
『山火事にならないか?』
「今、若芽の季節、森、水気多い。あと、沼の周り、草刈っておいた」
『……"狡猾は武に勝る力なり"、か』
「なに?」
 難しいが、不思議と腑に落ちる一言。サリアは笑って言葉を継いだ。
『ある方から教えられたのだ、頭を使い、力を尽くせと』
「……父っちゃ、言ってた、生きる、生きたい、なら、頭使えって」
『弱いからこそ、な』
 荷物をまとめ、そのまま宿営地に戻ると、僅かに残った干しブドウを口にして、それから篭手と脛当てを取り出す。
『シェート』
「なんだ」
 膠と革を使い、防具に補強を施す。手を休めないまま、緊張した女神の言葉を聞いた。
『侵攻が開始された。おそらく明日には、包囲が行われよう』
「……なんとか、間に合った、か」
『いま少し時間が稼げれば、森に罠の一つでも掛けられたのだがな、すまん』
 黙って首を振ると篭手と脛当てを付け、具合を確かめる。
 補修と当て物のおかげで、驚くほど体にしっくり来る。
「いい。後、細かい仕事だけ」
 やれるだけはやった。後は、生きるためにあがくのみ。
 黙々と、狩人は準備を続ける。
 やがて来る、狩りの時に向けて。



[36707] 12、大乱戦
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/16 18:57
12、大乱戦

 行商を終えた後の同定というのは、身も心も軽く感じるものだ。
 それでいて懐は重たいし、家路を辿る脚も自然と早くなる。
 なだらかな斜面になった森の街道を下りながら、初夏の風に目を細める。
 だが、今日の街道は雰囲気がおかしかった。
 エレファス山脈の辺りは比較的魔物の侵攻も少なく、近くの村から山菜取りに来る人間や猟師ともすれ違うことが多いのに。
 未だに誰の姿も見ていない。
「……なんら?」
 視界に入り込む、ふもとからこちら向かってくる影。
 それも一つや二つではない、鎧やローブに身を包んだ、派手な格好をした数十人の群れ。
「あらぁ……まさか……」
 先頭に立つのは巨大な剣を背負った少年と、それに付き従うローブに杖の少女。
 勇者の、集団。
「こんにちは……この辺りの方ですか?」
 少女は微笑み、挨拶をしてくれる。こちらも会釈を返すと、そのかわいらしい顔に陰りを作り、ふもとを指差した。
「もうしわけありません。この辺りは戦場になります。早く避難して下さい」
「せ、戦場!? な、なんら、魔物の軍でもくるらか!?」
「違うよオッサン。魔物討伐やるんだ、俺達」
 砕けた口調で少年は言うと、背後の隊列を確かめ、片手を挙げる。
 付き従っていた集団はいくつかの塊を作り、道を外れて森に入っていく。
「討伐……て、この辺りさ、そったら恐ろしげな魔物、いたらすか?」
「どうだろうな。少なくとも油断は出来ない相手、らしいぜ」
 真剣な表情でそう言うと大剣を背中から外し、準備を始める。
 その傍らに居る少女も杖を構え、付き従った他の勇者達と一言二言、声を交わした。
「反対の人たちも、準備できたそうです」
「分った。それじゃ……行こうか」
 少年の号令に、全員が街道を登っていく。その姿を呆然と見送りながら、商人はふと思い出していた。
『それが傑作なんだ! そいつらが狙ってるってのがな、一匹のコボルトなんだとさ』
 まさか、そんなバカな。
 コボルト一匹を狩るのにこんな大所帯で、しかも神の遣わした勇者が。
「はぁ、世の中、わけ分からんことばかりらすなぁ……」
 ため息をつき、山道を下る。
 確かに世の中は魔王だ勇者だと騒がしいが、自分達のような人間には、直接被害が無ければ遠い世界の話だ。
「んえ?」
 そんなことを考えていた彼の目は、もう一つおかしなモノを捉えた。
 勇者達の後を追うように、斜面を駆け抜けて森に入っていく白い毛皮。長く太い尾を振りたてたそれ。
「あれ、ほしのがみ、けぇ?」
 おそらく間違いない、街道守の星狼は何かを求めるように茂みに消えていく。
 すっかりついていけなくなった事態に首を振りつつ、商人は道を下った。
 その後に起こる、戦禍の果てにある結末を、知ることもなく。

「さすがに、これからコボルト狩りですよ、なんていえねーよなぁ」
 文則のぼやきに、隣を進む綾乃も苦笑しつつ頷く。
「そのコボルトさんて、どんな人なんでしょうね」
「え? あ、いや、人っつーか、コボルトですよ?」
「……そう、ですよね」
 綾乃は結構不思議な感じの子だった。もちろん言動はちゃんとしているし、かわいくて頭も良くて、いつも笑顔で。
 ただ、なぜか自分の倒した魔物のこととか、これから対峙するはずのコボルトについて気に掛けている雰囲気があった。
「聞いた話なんですけど、そのコボルトさんって、家族を殺された恨みを果たすために、勇者さんと戦ったらしいんです」
「……マジで?」
「詳しくは分からないですけど……」
 モジャ髭はその辺りのことを一切語らず、単に兄神の勇者を倒した魔物、とだけしか説明しなかった。
 詳しい事情を聞いてこっちの気勢がそがれるのを嫌ったのか、それとも単に興味がなかったか。
「それって、そのコウジとか言うのがコボルトの村を突付かなきゃ、こんなことにはならなかったってこと?」
「どうでしょう……コボルトさんたちは、魔物からもいじめられる存在みたいですから」
「もしかして、綾乃さんて、こういうの苦手?」
 言いにくそうにしながら、彼女はこくりと頷いた。
「その、私、ゲーム的なっていうか、そういうファンタジーって、苦手で」
「……あ、もしかして『指輪』とかあっち系好きな人?」
「シディアさまに誘われたときは、『はてしない物語』とか、想像してたんですけど」
 なるほど、彼女はファンタジーはファンタジーでも、俗っぽくない方が好きだったらしい。
 多分、イメージと違うことが多すぎて戸惑ったに違いない。
 思わず文則は天を仰ぎ、それから何とか笑顔を作った。
「嫌だったら、下がっちゃってもいいと思うよ。そういう拒否権とか、あるわけだし」
「でも、ちゃんと傷を治したり出来るの、私くらいしか居ないみたいですし」
 パーティのメンバーをチェックしたとき、そのことがはっきりと分った。
 自己再生や簡単な治療は出来る人間はいたが、毒消しや状態異常回復を完璧にこなせるのは彼女だけしかいない。
 誰にも聞こえないよう、文則は吐き捨てた。
「せめて僧侶系の仲間ぐらい認めろってんだよ! クソが!」
 実際、そのバランスの悪さを指摘されたガルデキエは、そっけなくこう言っただけだった。
 他の勇者の回復役には戦闘能力を持つものも少なくない、うっかり助太刀などされては経験点の分配に齟齬が生じると。
 要するに、天界の権力闘争で、現場の混乱が生じているわけだ。
 コボルトの持つ大量の経験点と女神の持つ加護、それをあわよくば独り占めするために。
 独り占め、その言葉に背筋がぞくっと凍る。
 考えてみれば、この寄せ集めの勇者の集団は、いつかはお互いを倒し、ただ一人の存在になるように定められている。
 この戦いも、いつコボルトが倒れ、そのままバトルロワイヤルになだれ込むか分からない。
 もし、もしもこの戦闘の最中に、あのモジャ髭から、綾乃を殺せと言われたら。
「綾乃さん」
「はい?」
「綾乃さんは俺は守ります。何があっても、絶対」
 きょとんとした綾乃は、少し悲しそうな顔をして、それから笑った。
「分かりました。私も文則さんを、皆さんを、全力で支えますね」
 正直、嘘みたいだ。こんな会って間もない、いつかは敵同士になるかもしれない女の子に、こんな気持ちになるなんて。
 こういうのを、なんていうんだっけ。ストックホルム症候群だっけ? フィラデルフィア・エクスペリメントだっけ? 
「おいリーダー、爆発しちまえ的リア充中に申し訳ないんですがね」
 背中から掛けられる余計者の声に苦笑いしつつ、片手を挙げる。
「爆発させるのはマジ勘弁。で?」
「ちゃんと前見てますかー」
「ああ……見えてるよ」
 剣を構えなおし、街道の先を見る。
 そこに、そいつは居た。
 木漏れ日を浴びてたたずむ、小さな犬めいた姿。
 額には幅広の布を巻き、肩から腰辺りまでを覆うマントをつけている。
 両腕と両足には毛皮で補強された篭手と脛当て、背中にくくりつけられた矢筒と左手の弓。
 腰にちらっと見えるのは多分ショートソードくらいの刃物。そしてロープのようなものを結わえて下げている。
 口を結び、意思に耀く瞳でこちらを見下ろす姿は、旅の途中で倒してきたコボルトとは規格が完全に違っていることを示していた。
「お前が、例のコボルトか」
「そうだ」
 子供のようにも聞こえる声、それでも篭った力強さは隠しようが無い。
 最初は、どこかで侮っていた。あの神様連中じゃないけど、コボルト一匹になにを大げさな、と。
 そういう気分が完全に消し飛んだ。
「こういうときは、ちゃんと筋を通すべきだよな」
 大剣を構え、腹に力を込めて、名乗る。
「"覇者の威風"ガルデキエの勇者、遠山文則。推して参る」
「女神サリアの"ガナリ"、シェート」
 矢を番えると、コボルトは宣戦を布告した。
「勇者、狩る!」
 
 三段重ねの加護の矢を、シェートは名乗りを上げた勇者に叩き込んだ。
「んなもん喰らうかっ!」
 構えていた剣が正面に立てられ、幅広の刀身に当たって火花を散らす。その音を合図に勇者達が動き始めた。
『これからは絶対に足を止めるな! 少しでも動きが鈍れば押し包まれて殺されるぞ!』
「ああ!」
 背を向けて一気に走り出す。サリアの目を信じて、一切後ろは振り返らない。
 なだらかな街道は脇にいくつか茂みがあるが、身を隠すには頼りない。
『シェート! 大剣の一撃が来る!』
 警告と一緒に背筋が凍り、同時に勢いよく体を右に飛ばす。
「くらえっ!」
 腹に響く破裂音と共に衝撃が今まで自分の居た場所を深々とえぐった。
 むき出しになった黒土を見れば、下手な防御なとがまったく無意味だと分かる。
『ガルデキエ殿の勇者は大剣より衝撃波を飛ばし、鎧にも強力な防御を掛けてある。単純だが相対しにくい存在だ』
「衝撃、どこまで届く!?」
 斜面を駆け上がりながら視線を走らせる、山の上からの増援は無い。
 斜面から人の帯を作りながら、ジグザグに駆け上がってくる色とりどりの勇者の群れ。
『距離は刀身の三倍程度、下がれば下がるほど威力も抑えられる! 
 それに密集した隊形では使いにくい能力だ!』
「ああ!」
 下から迫る一団の中から一歩下がっていく姿。
 その片手に握られたモノを見て、シェートはすばやく弓をしまいマントのすそを掴む。
「いけっ! 【梓弓】!」
 射手の身長ほどもある長弓から放たれた光の矢。全身の加護をマントに集約、勢い良く射線に振り立てる。
 ぎうんっ。
 甲高い音ともにマントが矢を叩き落し、二射目を撃とうとするそいつに向けてお返しの一矢を叩き込む。
「うがあっ!」
『ミジブーニ殿の勇者は絶対必中の弓の持ち主。
 それ以外の能力は無いが、矢に特殊な効果を持たせ、遠距離の狙撃で敵を倒すそうだ!』
「楽しすぎだ勇者! 道具頼るやつ、道具、裏切られるぞ!」
 こちらの矢を喰らってもんどりうっている姿。その脇を抜けて杖を構える魔法使い。構わずさらに走り、森を駆け抜ける。
「"凍月箭"バースト!」
 魔法使いの周囲に踊る光の球、それが十、二十、百と恐ろしい勢いで増え、一気に解き放たれる。
「くっ!」
『シェート! どんぐり!』
 空気を引き裂いて飛来する銀の流星群、その威力が自分に殺到する瞬間。
 シェートの右手が放った、一掴みの加護付きどんぐりが全ての威力を叩き落す。
「な、なんだよあれっ!? 木の実!?」
『フェリマイナ殿の勇者は小さな魔法を強化できる。
 だが、凍月箭ごとき、こうして加護を付与した礫で当たる寸前に迎撃してしまえば問題ない!』
「やる俺大変! すごく怖い! マント使わせろ!」
『マントも篭手も消耗させるわけにはいかん! 度胸を見せろ!』
 手厳しいサリアの声に閉口しながら、それでも斜面を駆け上がる。
 次第に勇者の隊伍が乱れ、あからさまに疲れて動きが鈍っているものも見えた。
『自動回復持ちと、そうではないものの差が出たな。
 スタミナの減少を止める方法としては有効だが、加護を食うので余裕が出たときにつける神々も多いと聞く』
「どうする!? 反撃するか!?」
『まだだ! 隙を見て射掛ける場合のみ、後はひたすら逃げよ!』
「分った!」
 流れるように一矢を放ち、上がってきた炎の剣を手にした勇者を転倒させると、
 シェートは山腹を横切る軌道を描きながら駆け抜けた。

「おのれ、ちょこまかと!」
 水鏡の向こうで繰り広げられる戦いに、ガルデキエはぎりぎりと歯噛みをするしかなかった。
 こちらの勇者側にたいした損耗は無いが、コボルトの方はいまだに健在で、傷一つ負っていない。
「イヴーカス! これはどういうことだ!」
 神座の中を見せぬように、蓋付きのつぼに入れておいた小ネズミをつまみあげる。
『どういうこと、と申されますと?』
「奴の動きだ! ああも正鵠を射るが如く、勇者の攻撃を見切れるものか!? 
 よもや貴様、サリアーシェに我らの情報を流したのではあるまいな!」
『はい。そのとおりでございます』
 あっけなく言い放たれた裏切りに、一瞬、二の句が告げなくなる。
「き、貴様ぁっ!」
『勘違いなさらないでくださいませ。これも策でございます』
「なんだと!? 我らの勇者の能力をあやつに明かして、何が策だ!」
『ではもう一度、水鏡をご覧ください』
 水鏡の中では斜面を必死に登り、やや平坦な森の中に入ったコボルトの姿。
 相変わらず必死に勇者の攻撃をかわし、打ち落とし、また逃げていく。
「これがどうした! 奴は我らの攻撃を完全に……」
 防いでいる、しかし、そこから反撃の一矢が入ることは極まれだ。しかも、森の中には得意の罠の様子も無い。
「まさかこやつ」
『はい。こちらの情報に基づき、逃げ、攻撃をかわす算段をしているのみです』
「なるほど。こちらの勝負を受けると見せて、何らかの方法で包囲を抜ける腹積もりか」
『正確には、そう仕向けたのですがね。おそらくころあいを見て、西の滝の辺りから逃れるつもりでしょう』
 イヴーカスの指摘に、改めて山の地形を確認する。
 中央を貫く街道を挟み、現在コボルトが逃げている側には複雑な地形になった山肌、
 下栄えも少なく、見通しは比較的良い。
 反対に街道から西には、崖や岩肌が多いエリアが広がり、
 その先には山腹から流れ落ちる滝と、それを源にするエレイン川の急流がある。
「夜半まで、この下らぬ鬼ごっこを続け、闇の中を一気に西まで行く腹積もりか」
『いかなサリアーシェ様とて、これだけの勇者を討ち滅ぼすは至難。
 いまだ使われざる加護も、おそらくこちらの勇者の力を防ぐために温存なされるでしょう。
 生き延びれば勇者の力を理解したコボルトが一層有利になるかと』
「……竜神はまだ戻らぬか?」
 現在唯一の懸念を口にすると、ネズミの分け身は首を横に降った。
『いまだお戻りになったという報は。ですが、すでに急使は立ったでしょう。あまり時間もありませぬ』
「イヴーカス、神々に触れを。他の勇者をこの場に集めよ。奴の足を止めさせるのだ」
『かしこまりました』
 ネズミを壷に戻し、ガルデキエは髭を撫でながら戦況を見守る。
 確実にイヴーカスは自分を裏切っているだろう。
 サリアーシェに肩入れをしているそぶりも感じた。
 だが、戦況を見れば、確かにコボルトの行動は防戦一方で、手にした装備を徒に消費しているようにも見える。
「読めた」
 この討伐に、イヴーカスの勇者の姿は無かった。
 そして、サリアーシェに最大限利するような動きをしつつ、こちらへの決定的な誤報は行わない。
 つまり、二つの勢力の疲弊した時点で、どちらも喰らおうというのだ。
「くっくっくっ。浅い浅い、ネズミごときが俺を出し抜こうとするとは」
 モンスター召喚の能力を持つ勇者は、本体の勇者が脆弱であることが多い。
 無論、それなりの強さを持つ者もあるが、所詮はちっぽけな疫神の使役する勇者だ。
「しかし、どうする?」
 こうなってはイヴーカスの存在も常に認識しておかなくてはならない。
 乱戦のさなかに勇者を狙われれば万が一の可能性もある。
「ふん」
 ガルデキエは立ち上がり、神座を出る。
 そして、少々の驚きをもって、シディアを初めとする神々が広場に出ているのを眺めた。
「"覇者の威風"よ、貴方もネズミ臭さに嫌気が差した口か」
「"波濤の織り手"よ、そなたはもう少し、頭の回転が鈍いと思っておったぞ」
 こちらのやり取りに、気持ちを同じくした神々が笑いあう。
 考えることは皆同じ、いやこの場に現れぬものこそ、愚か者の証拠だ。
「これより我らで盟を結ぼう。かの邪神と、無知蒙昧な疫神を叩きのめしてくれん」
 ガルデキエの言葉に、他の神も納得づくといった風情で頷く。
「よかろう。我が勇者に"覇者""波濤"の勇者に従うよう申し伝える」
「我もそうしよう」
「勝利の暁には、平等な割譲を願いたいものだな」
 ちらりと周囲を見回し、ネズミの視線が無いのを確かめる。
 とはいえ、知られていたとて、これだけの神々が盟に参ずるなら、レベルの低い魔物使い程度どうとでもなろう。
 憂いの無くなったガルデキエは、どっかりと腰を下ろし、水鏡を映し出す。周囲に車座になった神々も、それを眺め始めた。
 コボルトは必死に攻撃を避けながら、幾人かの剣士系勇者に矢をいかけ、矢傷を負わせただけで下がっていく。
 その無様な逃げ振りを見て、ガルデキエは満足そうに髭をしごいた。
「さて、ネズミよ、どう出るかな?」

 薄暗い神蔵の中、玉座に背をもたせたイヴーカスは、
 音を伝えなくなった水鏡のいくつかに視線を向け、そっと肩をすくめた。
「なるほど、意外に早かったな」
 ガルデキエ、シディアの両名はもとより、何柱かの神がつながりを絶ってくるのは分っていた。
 こちらの動きがあからさま過ぎるのだ、当然といえば当然だ。
 しかも、水鏡を通して声を掛けてくる神々の数も激減している。
 おそらく、こちらの意図に気がついたは良いものの、外に出て他の神との直接交渉まで踏み切れないか、
 あるいは独自で何とかできると考えているものだろう。
「ここまでは計画通り」
 元々、自分の分け身による通信など、どこまで信用されるかは分からない代物だったのだ。
 本来狙っていた効果は、すでに達成されている。
 権益の拡大を狙いコボルトを追う神々に、共同戦線など張り切れるわけは無い。
 ガルデキエを旗印に、一瞬でも全ての小神を一つところに集める、それさえ済めばいい。
 しかも、自分の分け身を使うことで、情報のコントロールと寸断が一瞬でも行えた事が大きい。
 もし、これ以前に自分のたくらみに誰かが気づき、神々に流布していたら、自分はこの場に無かったろう。
「バカどもめ。すでに計画は八割方終わっているとも知らずに」
 サリアーシェが他の神との交流を断ち、肥え太った羊のようなその身をさらしていたときから、この計画は始まっていた。
 いや、本来の計画を更に大きなものにする餌として、彼女の存在はうってつけだった。
 その時、水鏡が浮かび上がり、勇者の不安そうな顔が映し出される。
『ねえ、僕、まだ出ちゃいけないの?』
「……ごめんね。出番はまだ先なんだ、もう少し待っててくれるかな?」
 絶対にお前を出すわけには行かないんだ、
 なぜならこの仕掛けは、たった一度見られただけで終わってしまうから。
 しかし、一度でも大きな成果を上げたなら、あとはもう誰も自分を止められない。
『分ったよ……』
「ごめんね。でも、この戦いが終わったら、必ず君はスゴイ勇者になるよ」
『うん』
 それきり黙った勇者に満足すると、たった一つ繋がったままの水鏡に顔を向けた。
「サリアーシェ様、もうしわけありません。どうやら、繋がりは気づかれたようです」

 ネズミの口から語られる言葉を聞き、それでもサリアは水鏡から目を逸らさない。
 無数の銀光をどんぐりで叩き落し、弓で勇者達をけん制し、マントを翻して攻撃を避け続けていくシェート。
「そうですか。それなら思う存分、他の勇者の能力と弱点をお教えいただけますね」
『たいした胆ですな。ようやく百の神を捌く労から放たれたと思えば、恐ろしい女神殿の補佐役とは』
「存分に働いていただきますよ。というより、そろそろ本当の指示をお出しください」
 逃げ続けているシェートの顔には、疲労が漂っている。
 歯噛みを抑えきれず、それでも声だけは不敵に平静を保つ。
『そのようなお言葉をいただけるとは、ですが、よろしいのですか?』
 分っている、これを告げるということは、獅子身中の虫にどうぞ内臓を食い荒らしてくださいと頼むようなものだ。
 それでもこれが唯一の、そして絶対の突破口。
「貴方の勇者の害になる者をお教えください、"黄金の蔵守"イヴーカスよ」
『ならば……イェスタ!』
 その声に従い、時の女神が現れる。
 おそらく同じようにかの神の元にも彼女は現れているだろう。
 その瞳は静かにこちらを見つめ続けている。
『宣言を。我が勇者と決闘を行うとき、新たな加護を与えぬことを。
 その代わり、それが始まるまで、偽り無く力を貸しましょう』
「ではこちらも同じ誓いと、決闘を行う前に半時の休息をお約束ください」
『イェスタ、宣言を受けてもらいましょうか』
「承りました」
 時が刻まれ、約定が結ばれる。
 これでこちらの勝ち目はせいぜい三割、準備万端の罠を仕掛けている相手は、
 これで九割方準備を終えたというところだろうか。
 シェートの動きはまだ衰えていない、それでも勇者の数は増え、すでに麓への道は完全に絶たれている。
「ここからは伸るか反るかです。
 少しでも楽をして勝利したいのなら、使いこなして御覧なさい、この愚かな女神を」
『貴方はこれまで見たどんな神よりも聡明で、気の狂ったお方ですよ。サリアーシェ様』
 賞賛を受け、サリアは水鏡の向こうのシェートを見つめた。
 考えてみればひどい話だ、いくら相談しているとはいえ、こちらの都合で彼を動かしているのだから。
 結局自分はシェートを手玉に取り、楽しい遊戯に興じているだけなのかもしれない。
 それでも、百人の勇者を相手にする労より、たった一人と戦うほうが、まだしも生き抜く可能性はある。
「もうよいぞ、シェート」
『やっていいのか』
「守りの時間は終わりだ。ここからは、攻める!」

 サリアの宣言にシェートは息をついた。
 この辺りは背の高い木々が生えた土地で、岩や低木樹などの遮蔽物もほとんど無い。
「仕掛けどうする!?」
『そなたに任せる。ただ、こちらが指定するものを優先で頼む!』
「分った!」
 打ち合わせはすでに済んでいる。
 協力者を得るまで時間を稼ぎ、それが完了したら一気に攻勢に転じる。
 しかも、協力者の望む標的を中心にだ。
 これは罠であり、こちらに不利になるともサリアは話していた。
 だが、それでも構わない、自分はそう言った。

『いいのか』
『サリア、それで俺、生きられる思った。そう考えた、ならいい』

 攻勢、コボルトの脳裏にその言葉が閃いた途端、全てが別の意味を持って、立ち現れてゆく。
 包囲は狭まっている、下から上がってきた勇者達は半円に自分を囲い、
 前線に近接型の武装を持った者を、その壁で魔法や弓を使うものを守りつつ、攻撃する構えだ。
 陣が形成され、こちらを包囲する網が出来つつある。
 大剣を持った勇者はあえて後ろに下がってこちら見ている。
 隣の杖を持った女を守るように。
 自分の周囲にある地形を確認し、すばやく弓を収め、逃げ足を遅める。
「サリア、山から勇者は?」
『まだだ。だがそう遠く無い位置に居るはず……ああ、もうすぐ山を越えるそうだ』
「それ、協力者が?」
『そうだ。心強い敵からの助言だ』
 サリアの笑いは炭火のような熱い香りを伴っていた。焦燥と高揚の臭い。
 彼女の熱を感じ、シェートも笑う。その顔に、囲みを狭めようとしていた勇者達の動きが一瞬止まる。
 シェートは右手を伸ばし、綱の結び目を解いた。
「っおおおおおおおおおっ!」
 先端を地に垂らして一気に反転、勇者へ接近する。
「なんだ!? 武器を変えてきた!?」
 驚く勇者たちを一瞥、狙うは大剣使い、ではなくその手前に居る火の剣を携えた剣士。
「しっ!」
 綱を肩に担ぎ、急ブレーキを掛けた勢いで、肩掛けの袋を振り落とすようにして一気に引き抜く。
「があああああっ!?」
 頬を掠めた先端の石が風を切り、剣士の顔面に赤い花が咲く。
 そのまま体を旋回させ、綱の先端で、隣に立っていた勇者の群れに向けて振う。
「うわあああっ!」
「ひあああっ!」
「いいでええっ!」
 先端に仕込まれた石に顔を切り裂かれ、肉をむしられた者がもんどりうって尻餅をつく。
 更に一歩踏み込み、一人の勇者の首に綱を撒きつけた。
「がああっ!」
 こちらの引く力に抵抗して無意識に突っ張った脚が、綱を更に首に食い込ませる。
 同時に、こちらも力を込めて、ぐいと引きつけた。
「がっ、げうっ!」
「ば……バカ! やめろおおっ!」
 事態の恐ろしさに気がついた大剣使いが、綱を切ろうと駆け寄り、剣を振り上げる。
 だが、二つの加護とシェートの反応が一瞬だけ早い。
 びんっ、と綱が引かれ、
「おげえええあああああああっ!」
 攻撃と防御の加護で鋼の硬さと焼き鏝の灼熱が加わった綱が、
 勇者の細い首をずたずたに裂き切り、その体が回りながら大地に叩きつけられる。
 血にまみれ、仕込んだ石や木片に肉をこびりつかせた綱を手元に戻す。
 地面へ投げ出され、全身をわななかせたまま失禁する勇者。
 それを見た一団の動きが完全に硬直した。
「て……めええっ! なんてことするんだよ!」
「勘違いするな」
 血煙を上げて大きく綱を振り回し、シェートは得物の威力を高めていく。
「お前たち、これ、遊び思ってる。でも、俺、やってるの、遊び違う」
 宣言と共に、シェートは綱で大気を切り裂いた。
 大ぶりで誰に当てる気も無い一撃、
 それでも目の前の仲間が半死半生で転がる姿に、完全に腰が引けた一団が大きく間合いを取る。
『たくさん、敵いる。自分達、少ない。そういうとき、どう戦うか、わかるか?』
 すばやく綱を手に戻すと、そのまま背を向けて走り出す。
 脳裏に浮かぶ父親の言葉と、峻厳な顔。
『おびえさせる。こちら、手を出す。恐ろしい目、合う。そう思わせる』
 さっきと変わらない速度で走るが、勇者達の動きは心なしか鈍い。
 右手でが大きく動かされるたびに、ぎゅっと身を縮こまらせる者さえいる。
「畜生っ! これでもくらえっ!」
 再び降って来る矢、マントを掴み、同時に縄を地面に垂らす。
「うおおおおっ!」
 全身を大きく回転させ、竜巻となったシェートの体が加護付きのマントで必中の一矢を叩き落し、
 引き裂きの縄が走りこんできた勇者の顔を抉る。
「うぎゃあああああっ!」
「うかつに近づくな! 全員顔と手を守れ! 長距離攻撃と魔法で釘付けにしろ!」
 元は相手の肉を裂き、治りにくい傷を与える【荊】と呼ばれる拷問具。その弧を描く動きと忌まわしい威力に勇者達の動きが鈍る。
 それでも血気に逸った勇者達が、武器を振りかざして迫る。
『次、敵、最後まで、殺さない、大事』
 矢筒に仕込んでおいた一本の皮ひもを引き抜き、軽く揺さぶる。
 とぷり、と液体が中に染みていくのを感じ、一気に三本引き抜いて虚空に放る。
 くるくると舞い上がる矢に数人の勇者の視線がひきつけられ、呼気を吐き出し弓の威力を解き放つ。
「ふっ!」
 手の中に残した矢が剣士勇者の膝頭を、
「うあああっ!」
 瞼の上辺りに上がった矢筈を掴んで打ち放った矢が、斧を構えた勇者の肩口を、
「いぐっ!」
 落ちてきた一本が滑らかに装填され、ローブ姿の魔術師の杖を持った手を射抜いた。
「うわああっ!」
 普段の狩りなら絶対に必要の無い、曲芸じみた射撃。
 弟達を楽しませるために磨いた技が、勇者達に叩き込まれる。
「くそおっ! 囲め囲めっ!」
 誰かがそう叫び、一瞬のうちにシェートの周りに生まれる人垣。
 手にしたのは炎を纏い、あるいは雷、はたまた光をほとばしらせた聖剣。
 胸当てに神器の武器を身に着けた、標準的な小神の勇者たち。
「くらえっ」
 鋭く振り下ろされる一太刀をかわし、その体を盾にするようにコボルトが立ち回る。
「くそっ! 邪魔だよっ!」
「バカ、俺が先だっ!」
 連携のおぼつかない群れを横目に、地面に落ちた小石でも拾うように、取り落としておいた綱に手を伸ばし、
「しぃっ!」
『わああああああああああっ!?』
 シェートを起点に生み出された加護付き【荊】の暴力圏が、装甲の薄い勇者達の太ももやわき腹を切り裂いた。
「気をつけてください! コボルトさんの攻撃に毒が! それに傷も治りにくい形状になっています!」
 ちらりと発言者に目を留め、崩れた囲みを背に逃げ出す。
「サリア、あれ傷治す奴だな!」
『イヴーカス殿によれば、完全に防御に特化したタイプだそうだ。
 我らが早めに落としておきたい存在でもある』
 とはいえ、その女も一人の治療に掛かりきりになっているのが分かる。
 刺さった矢には返しがたっぷり付き、無理に引き抜こうとすれば肉がえぐれる。
 さっき塗ったばかりのシブガミネとカズラダマの混合毒は、そう簡単には消すことは出来ないはずだ。
『傷負わせる、毒使う、でも、絶対殺さない。敵、弱らせる。殺すの、その後』
 恐怖と、傷と、毒。
 徹底的に敵の気力をくじき、抵抗しようとする動きを奪う。
 死者に必要なのは墓だけだが、傷病者には薬と、安静と、看護者が要る。
 それが魔の者の、心を砕く戦。
 長い疾走と恐怖による鈍足、そしてこちらの攻撃で、整然とした包囲が崩れていく。
 これでまた距離を稼ぐ、コボルトは綱を引き戻し、再び駆け抜けようとした。
『シェート! 上に大鷲!』
 声と同時に両腕を振り上げる。
 次の瞬間、木々の間を抜いて、一条の魔力光がコボルトの陰影を完全に焼き尽くした。

「よっし! あったりぃ!」
 閃光が収まり、文則の視界が戻ると同時に、光の翼をはためかせた勇者が、梢の辺りに下りてくる。
 普通のローブと長い杖のそいつは、足元に転がるコボルトの姿を見て、軽く舌打ちした。
「く……ぅっ」
「さすがにバリアが硬いなぁ。一撃じゃ無理か」
 さすがにマントは全て焼け落ちたが、コボルトの装備に欠けたところは無い。
「おいおいリーダーさん、かなりやばそうなんじゃないの?」
「……悪かったな。そいつ意外と強いぞ」
「だろうねー。でもさ」
 すうっとそいつは空に舞い上がる。銀色の翼を広げて、杖を構えた。
「こうしちゃえば攻撃も届か、っとお!?」
 そいつの頬を切り裂いて矢が虚空を貫く。その硬直を狙ってコボルトは走り出した。
「ってぇ! もうちょっと高度取らないとダメか」
 ふわっとした動きで体が上昇していく。
 始めは驚いた飛行能力持ちの勇者だが、自由自在に飛ぶにはレベルが足りないらしい。
 それでも加速は効くので、山という地形を無視して移動できる数少ないユニットだ。
「綾乃さん、治療の方は?」
「……とりあえず、応急処置は終わりました」
「応急処置って……」
「矢傷が深すぎるんです。返しもすごく付いているし、無理に抜くと、その……肉が……」
「うわ! ごめんっ、変なこと言わせて」
 通常、魔法を使った治療では聞けない言葉。
 確かに綾乃の能力は高位の僧侶と遜色ない力があるが、それでも治すべき人間が多すぎる。
 ここまで来る間に死人はゼロ、だが負傷者は多数だった。
 あの、痛そうな鞭で首を切り裂かれた勇者も加護を使って回復したが、すっかりおびえて木陰にうずくまっている。
「おいリーダー、どうするんだよ、追うのか?」
 そういうメンバーの一人も、あまり乗り気な顔ではない。その頬には醜くくひっつれた傷が残っている。
「決まってるだろ! このままだと他の連中に出し抜かれて終わるぞ!」
「傷を負った方はどうするんですか?」
「じゃあ、綾乃さんは残って……」
『ならんぞ』
 モジャ髭の一言にいらっとくるが、なるべく冷静に言葉を返す。
「怪我してんのをほっておけないだろ!?」
『そやつらも勇者よ。
 一応、自己治癒や他者を癒せる人間も混じっているから、そのままおいても問題は無かろう。
 何か異常が起こっても加護を使えばすむことだ』
「……綾乃さん?」
 綾乃の方はいくらか強く言い争いをしていたが、結局うなだれた。
「すみません、皆さん。終わったらすぐに戻ってきますから」
「……行こう。怪我してない奴は俺の後ろへ。あと装甲に自信のある奴は綾乃さんを囲ってやってくれ」
「文則さん?」
 口を結び、文則は走り出す。去り際に見せたコボルトの視線、綾乃を見る底冷えするような酷薄さを思い出して。
「冗談じゃねぇぞ、クソ犬」
 治療者を狙うのはRPGの常識で基本戦略。汚いとはいえないだろう、だが。
「俺の綾乃を傷つけたら、ばらばらに引き裂いてやっからな!」
 凶暴になる心をむき出しにして、文則は走る。
 その視界の向こうで、無数の爆発が花開いた。

「うああああああっ!」
 篭手を構えて体をかわすが、更なる爆圧がシェートの体を大きく吹き飛ばす。
「ひゃはははははっ! ほらほら逃げネーとどんどん爆破しちゃうよォ~」
 勇者の様相が変わっている。
 さっきまでの真っ当な加護の掛け方ではない、自分には想像も付かない発想を源にした加護が。
『ディーザ殿の勇者かっ! 彼は自動人形を使い、それを爆破する加護を使う!』
「なんだそれ!? 意味分からない!」
 茂みの中からひょいひょいと飛んでくるのは、
 たっぷりとした衣装をつけさせた人形達、甲高い声を上げて襲い掛かってくる。
「アソボ、アソボウ」
「くうっ!」
 加護付きの【茨】が振われ、同時に爆発が花開く。
「うがあっ!」
「バーカバーカ、俺の人形は、攻撃されてもバ・ク・ハ・ツ、だぜェ~」
「よっしゃ、そこだああっ!」
 爆発の空隙を縫い、空を切って何かが飛来する音が響く。
 射掛けられる矢を意識したシェートは大きく背面に飛び、絶叫した。
「なんだあれっ!?」
 無数の剣が、自分のいた場所を貫く。
 意匠も長さも形状もまちまちのそれが、雨の後のきのこのように大地に突き立った。
『ホルベアス殿の勇者、その加護は無数の剣を生み出し、相手に投射する力だ!』
「なんで!? なんでわざわざ剣飛ばす!」
『知らん! 勇者殿のこだわりだそうだ! ちなみにお前と同じ"射手"だそうだぞ!』
「矢の代わり、剣飛ばすバカ狩人! どこにいる!」
 とはいえ当たれば致命傷になるのは間違いない、岩と背の高い樹木の間を必死に逃げ出した先に立ちふさがる影。
「くっ!」
 すばやく射掛けた矢に、革鎧をつけた少女は、笑って巨大な布の塊を突き出す。
 それは、極端にデフォルメされた何かの動物のぬいぐるみ。
「はいっ、お返しだよっ!」
 その表面に光の幕が展開、射た筈の矢が、まっすぐシェートに跳ね返る。
「うわああああっ!」
 何とか傷を負わずに避けられたが、ぬいぐるみを持った少女は、笑いながら木陰を逃げていく。
「な、な、な」
『エンザルテ殿の勇者だ……相手から掛けられた攻撃を完璧に防ぎ、
 それを同じ威力で相手に返すぬいぐるみを使う……そうだ』
「う……うがあああああっ!」
 絶叫しながら追いすがる人形をかわし、降り注ぐ剣を避けまくる。
 意味が分からない。というか分かりたくない。
 こっちが必死で生き抜こうとしている反対側で、こんなバカみたいな加護を願った勇者が、それを授けている神がいる。
 しかも、そのどれもが決して侮れないレベルなのが余計に腹立たしい。
『もう一つ言うておこう、彼ら特殊な加護を持つものを、真っ先に落として欲しいというのがイヴーカス殿の申し出だ』
「いい加減にしろ!」
 どいつもこいつも勝手なことばかり、こっちの気持ちなんてお構いなしだ。
 自分が弱い魔物だからといって、この仕打ちはあんまりすぎる。
 激情に任せて【荊】を握り締め、大きく頭上の枝に振う。
「おおおおおおっ!」
 撒きついた【荊】にぐっと引き寄せ大地を蹴る。
 枝のしなりが体重を受け止め、大きくしなって振り子の要領で自分をはるか前方へとはじき出した。
「うわっ! なんだあれっ!」
 こちらの動きに驚くおかしな加護の連中を一気に引き離すと、
 さっき戦っていた一団が数を減らしながらも右手から迫るのを確認する。
 シェートは加護で【荊】の掛かった枝を焼ききり、体を虚空へ放り出した。
 飛び降りた先にあった森は再びならだかな土地に変わる、背の高い立ち木と見晴らしのいい空間。
『人数が減っている、どうやらこちらの足止めが効いているな』
「でなきゃ困る!」
 距離が開いたことによる一瞬の空白。その間に、シェートは必死に頭をめぐらせる。
「バカ加護勇者、後回ししたい! 普通勇者、まだ楽!」
『……とはいえ、あの変則的な加護をどうにかせんと、
 うっかり射た矢が返されたり、足元で人形が爆発するはめになるな』
「人形、爆発?」
 癇に障る笑い声と、勇者の操る人形。そのイメージが、なぜか大剣使いの存在と重なり合う。
 どちらも威力が高いが、決して同じ隊にはおらず、片方は徒党を組まずにいるその理由。
「あ……」
 爆発も剣投射も攻撃範囲が広すぎ、乱戦状態になったときの被害が大きすぎるのだ。
 あれを何とか利用できれば。
『シェート! 大鷲!』
 梢のはるか彼方から降り注ぐ銀光を、飛んでかわす。
 傍らの木が黒焦げになり、あたりにきな臭さが立ち込める。
「あれすごく邪魔!」
『しかも弓の射程を外して――シェート!』
 ありえないものが木々を縫って来る。
 それは金属片を連ねた平べったい蛇、とっさに繰り出した【荊】が、その鎌首に絡み合う。
「同キャラ対戦かよ。せっかく俺だけだと思ったんだけどな、こういう武器」
 小柄な体に革鎧、そして右手に構えた剣の柄。
 そこから伸びるのは、剣を輪切りにして小さな鉄片にしたものを繋いだ代物。
『ウリウナイ殿の勇者か! 蛇咬剣という武器を使い手足のように扱う!』
「鞭、剣、どっちかにしろ!」
『とにかく何とか引き剥がせ! 足を止めてはならん!』
 設計思想はおそらく【荊】と同じ、敵を絡めて酷い手傷を負わせるもの。
 ただ、材質が金属である以上、こちらより強度は上になる。
 しかも自由に操作が可能で、遠距離から相手を絡めて動きを止める。
 それは他者の攻撃範囲に巻き込まれず、遠く離れて敵を束縛できるということ。
 つまり――
『シェート! 足元!』
 サリアの絶叫に視線が落ち、
「アソボウ?」
 足に取り付いた人形が、爆発四散した。



[36707] 13、逆転
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/18 10:41
13、逆転

「ぐああああああああああっ! あっ、あぐううっ!」
 大地に転がったシェートの脳天を激痛が貫く。
 ゆがむ視界の向こう側、それでもしっかり脚は残っている。脛当ては完全に壊れたが、全ての加護を結集したおかげだ。
「ナイスボム、やっぱこのコンボ完璧だな」
「ヘヘヘッ。これ終わったあとも共闘するかァ?」
 人形使いと蛇咬剣の勇者は、笑顔で健闘をたたえあい、こちらに近づいてくる。
「おっと、動くなって」
 蛇のような切っ先が喉に突きたてられ、シェートの手が矢筒に届く前に止まる。
「しっかし驚いたゼェ。矢でクイックドロウって、お前やるねェ」
「あれ、結構かっこいいよな、喰らいたく無いけどさ」
 人形使いの意思により、また小さな人形が作られていく。その数は十ほどで、こちらの周りをぐるりと取り囲む。
「おい! コボルトは!?」
「やっつけちゃったよーォオオんっと」
「で、これ、どうすりゃいいわけ? 山分けってわけにも行かないでしょ?」
 ようやく追いついた大剣の勇者はいくらか悔しそうにしながら、それでもほっと息をついた。
『シェート、傷は』
 口には出さず問題ないと指示を出す。すでに自動回復が働いて、痛みもすっかり引けている。
 だが、切っ先は喉元に食い込んだままだ。
「止めを刺した奴が、一番多く経験点をゲットする。で、その次にそれをアシストした奴がって感じだそうだぞ」
「え!? マジで! じゃあ、俺がとどめさして良いの!?」
「ア? ちょっと待てよ。この状態で止めなんてさせんのか?」
 人形使いはいらいらとした顔で、人形の包囲を狭める。
「コイツ、まだ加護残してんだよなァ。だから俺らがガンクビ揃えてんだろォ? 
 殺しても死にそうにネェからってよォ」
 なんとも形容しがたい奇抜な格好をした人形使いは、値踏みするようにこちらへ顔を近づけた。
「……何が言いたいんだよ」
「けっとぉ、申し込んじまおうかなって、サ」
「お前!? それはダメだって言われてんだろ! 独り占めする気か!?」
「……だよなァ」
 詰まらなそうに言い捨て、それから体を起こす少年。
 この戦いの間、全ての勇者は自分に対する決闘行動を封印している。
 なぜなら、厳密には彼らは『仲間』では無いため、誰かが抜け駆けした時点で、シェートとその人物の一対一が成立してしまうからだ。
 同時に、こちらを追い詰め、サリアの持っている加護を浪費させる、
 つまりシェートを『何度も殺す』ことを優先にするという意図もあった。
「俺、良いぞ」
 刃が食い込まないよう、そっと息を押し出すように声を絞る。
「あン?」
「俺、お前と」
「おーっと、ダメダメェ、俺ってば、超クレバーだから、サ。
 そんなことして、こいつらにボッコにされんの、カンベンなんだよネェ~」
「だよな。さすがに大量の加護がゲットできるっても、"敵"が多すぎるし」
 上位の勇者から下位の勇者に対する決闘宣言は『拒絶』できると聞かされていた。
 シェートからの決闘は基本的に成立しない、相手が望む以外は。
 これを主催している神はともかく、参加している勇者達は自分の置かれている立場をしっかり理解している。
 自分達が抜き差しなら無い、危うい協力関係にあり、そのバランスを取っているのが一匹のコボルトであると。
「さて、ワンコチャン、わりぃンだけど武装解除、してもらえッかなァ」
「武器、捨てる、か」
「そうそう。スッパダカになってもらってよ、ボッコって、ワ・ケ」
「で、みんなで加護を削って、一番削った奴が優勝?」
「いいねェ~」
 うれしげに話す二人の勇者。
 その声に、シェートの奥底に火が灯る。
 それは心の燎原を焼き尽くし、天を焦がす怒気になって燃え上がった。
「あれェ? なんかその目、こっちに抵抗する気満々て奴?」
「爆弾は待った。俺が一回殺すから、動き止ったら引っぺがしちゃって」
「オッケェイ」
「待て、分った。捨てる」
 弓を引き抜き、彼らの背後に放る。
 更に山刀を引き抜き、反対の地面に放る。その様子を見て勇者達の包囲が、少し狭まる。
 腰の矢筒に手を当て、僅かに喉元に掛かる切っ先が深く潜るのを感じ、
 それも弓とも刀とも別の方向へ放った。
「脇の下の袋もだよ、マヌケ。ドングリなんかで目潰しされたらかなわねえからなァ」
「腰の袋と、篭手と脛当、あとその鉢巻もね」
 言われたとおりに全て捨て、服だけになったシェートに、いまだ視線を外さない人形使いが指示を重ねる。
「上着と下もだゼェ。こういうときは、スッパダカにすんのが基本だからナァ」
「お前、俺の裸、見たいか」
「ケッ、どこでそんなセリフ覚えたんだか、生憎、そういう趣味はネェよ」
 シェートは上着に手を掛け、一瞬で場を観察し終えた。
 ようやっと、全員の気分が人形使いに乗った、そう感じる。
 今まで勇者と争ってきた中で、分かったことがある。
 どんな戦闘でも、絶対に全ての人間が自分の意思『だけ』を押し通すことは無いと。
 自分の安全を守りながら敵を倒すなら、仲間の呼吸を読み、状況を読み、敵の動きを読んでいくものだ。
 その結果、誰かが主導権を握っている状況が生み出されるとき、
 そいつの行動に全てのものが無意識に従ってしまう。
 今、人形使いは場を操っている。そして、勇者達はこちらが武装を解除し、意のままに操られている様子を『見物』している。
 切っ先を突きつけている蛇咬剣使いでさえも。
 戦闘のプロであるなら、こんなマヌケはしないに違いない。
 だが、彼らは勇者である前に、ただの子供だった。
 シェートは上着の肩紐に両手を伸ばし、勢い良く体を前に倒した。
「な!?」
「やめっ」
「ぐうううっ!」
 中心は避けたものの、切っ先が頚動脈を傷つけ血がほとばしる。
 それでも動きを止めず、背中から足首に通された『肩紐』を引き抜き、勢い良く蛇咬剣使いに叩き付けた。
「いぎゃああああああああああっ!」
 先端に木矢を短く切ったものをくくりつけた、二本の【荊】の変形が彼の両目を縦に切り裂き、両腕に絡みつく。
「うおおおおおおっ!」
 全力の加護をかけた二本の紐、本来は弓弦に使うはずのそれが、絡みついた勇者の腕を骨まで断裂させた。
「あがあああああっ! おおおおおおおっ! めがっ、てがああっ、あがあああっ!」
「てめええっ!」
 人形使いが大きく跳び退り、自分の武器の威力圏から遠ざかる。
 それに追いすがるようにシェートが地面を摺るように動き、
「はああああああっ!」
 掴み取った蛇咬剣を大きく打ち振った。
「いでええええっ!」
 鉄片が人形使いの腕に食い入り、同時にシェートの加護が無慈悲に表面を伝う。
 めきめきと音を立てて骨がへし折れ、ひきつけた剣と一緒に少年の右腕がこちらに吹き飛んだ。
「ぎゃあああああっ! ごッ、ごのやろううううううっ!」
「畜生っ! みんな撃てッ!」
 大剣の勇者の声に空と陸に殺気が満ち渡る。
 全ては自分を貫く射撃、蛇咬剣の軌道では守り切れない、防具は間に合わない。
 次の瞬間、シェートの体は矢筒へ飛び、両手で矢を引き抜く。
 その全てを、包囲を続けていた爆発人形へ向かって叩き付けた。
「うわああっ!」
「ぎゃあああああっ!」
「ひいいっ!」
 立て続けに上がる勇者の悲鳴と、爆炎に飲まれ威力を失う矢の一撃と凍月箭の耀き、
 それに目もくれず、降り注ぐ一条の魔力光を切り裂くように蛇咬剣を振う。
 鮮やかな光の華が散り、神器と加護の威力が完全に魔法を打ち砕いた。
「みんなどけえええっ!」
 その声の先、林の中で片手を突き出した勇者の姿。
『剣が来るぞ!』
 サリアの警告に、シェートの世界が冷える。
 生き延びたければ考えろ、全てを殺すために。
 その視線が、片手の再生を終えて呆然とした人形使いに吸い寄せられ、
「や、やめろ! こっちに来るなァアアアアアッ!」
 体を丸めて転がり込む勇者という名の大樹、その上から降り注ぐ刃の雨。
 鈍く重い音を立て、人形使いの少年が無数の剣に貫かれて絶命する。
 その体が、黄金の粒子になって吹き散れた。
「まず、一人」
 剣の林に無傷で立ちながら、コボルトは勇者達をにらみつけた。

「なんだ……なんなのだ、この事態は」
 ぱくりと口をあけ、ガルデキエは呻いた。
 目の前には車座になった神の一人が、愕然とした顔で物言わぬ石と化している。
「落ち着けガルデキエ。あのような協調性の足りぬものが一人掛けたとて、どうということは無い!」
「そなたの勇者も我らの勇者もいまだ健在、しかも奴は武器と防具を大半失った!」
 奪った蛇咬剣と拾い上げた山刀だけを手に、コボルトは逃げる。
 そうだ、すでに奴はジリ貧、徐々に不利になっていく中であがき続けていくだけだ。
「だが、奴は加護を使っておらん」
 自分の指摘に黙り込む一同。嫌な空気が場に流れ、周囲で状況を見ていた野次馬達の視線が気になりだす。
「ええい! どいつもこいつも! 遊戯に参加する気概もない木っ端どもが! 散れ!」
 一喝され、散っていく野次馬達。
 だが、その中で唯一、長身痩躯の青年だけは面白そうに事態を見つめ続けていた。
「"万緑の貴人"! 貴様もとっとと女神の尻でも追いかけに行け!」
「やはり、サリアーシェ様の勇者は面白い」
 エルフの青年は、こちらの顔をしげしげと眺め、肩をすくめる。
「今の貴殿らは、まるであの時のゼーファレス殿のようですな」
「なっ! 何を言う!」
「マリジアル、貴様っ!」
 こちらの言葉もどこ吹く風と、彼は手にしたリュートを一音爪弾き、水鏡の光景を見やる。
「あなた方には分からぬかもしれませぬが、あのコボルト、巧みに勇者の足並みを乱しておりますよ」
「なんだと?」
「木陰や茂みを通り、あるいは利用せずに走りすぎる。
 わざと小高い岩山を登り、くぼ地に身を沈め、視線を定めさせないのです」
「だからどうした! そのようなことは今までも」
 くすり、と笑うと、エルフの神は水鏡を指差した。
「この戦いが始まりし時、コボルトは全身に荷物を負っていました。
 ですが、今はまったくの身軽。この意味が分かりますか」
 ぎょっとした顔で集まる視線、コボルトと勇者の距離は追走が始まった時点と比べて、更に開いている。
「射線を外し、武器の間合いを外し、徹底的に逃げの一手を打つ。
 しかも、すでに日は傾きかけております。山の夜は早いものですよ」
 森の日差しは、いつの間にか中天から落日の方へと傾きつつある。
 そうなれば、どうなるか。
「夜闇のあのコボルトの恐ろしさ、ご存知でしょうな」
 その言葉だけを残し、マリジアルは去っていく。
「かび臭いキノコ野郎が! 言いたい放題言いおって!」
「だが、奴の指摘も一理ある。このまま夜になるのはまずい」
「わしの勇者に先行させ、足止めをかける。奴の持ち物で、空の勇者を落とすのは至難のはず!」
「分った。こちらもすぐに追いつかせよう!」
 相手の提案を容れ、ガルデキエは水鏡を浮かび上がらせた。
「勇者よ聞こえるか!」

 大分体に来ている疲れを感じながら、うっとうしいだみ声に、
 文則は何とか平静に口を開くだけの余裕を掘り起こした。
「はいはい! こちらふがいない勇者!」
『カレイニア殿の勇者が先んじて攻撃を仕掛ける。
 それに追随して、貴様も奴をけん制しろ!』
「誰だよそいつ! ってあれか!」
 上を見上げると飛行勇者が加速して、コボルトの頭上に陣取った。
「タイミングとかはどうすんの!」
『貴様の能力で釘付けにすれば命中率も上がろう! 
 とにかく今は何でもいい、奴を押し包んで倒せ!』
「はいはい!」
 上司がアホだと部下が苦労する典型だ。
 実際、このクエストの前に自分が『使えそう』と思った勇者と打ち合わせをしようと思ったのだが、
 相手の神の横槍とか、モジャ髭の交流関係でそれもうまく行かなかった。
 どうせ、コボルトを倒した後にどの神が自分にとって厄介か、どうやったら出し抜いて倒せるかとか、
 そんなことばっかり考えていたんだろう。
「そう言うのを、取らぬタヌキのなんとやらって言うんだよっ」
「文則さん、それ"皮算用"です」
 律儀に突っ込んでくれる綾乃に笑い返し、追走している二人のメンバーを見る。
 その面子を見て、文則は笑った。これなら行けるかもしれない。
「えっと、こういうのって、ひょうたんから馬だっけ、人間バンバンジーだっけ?」
「"瓢箪から駒"、"人間万事塞翁が馬"ですね」
 なんて戯言を言っている間に、魔力光がコボルトを釘付けにする。
 背後からやってくる勇者の一団は自分達より少し距離がある。
「おっし、あのコボルト、ここにいる面子でやろうっ! 
 経験点の分配とかは後で話し合おうぜ。
 ガルデキエのオッサン、それでいいよな!」
『良かろう。貴様に任せる』
 ようやくぼんくら上司から出たお墨付き。
 気力を充実させると、文則は地面をえぐるように大剣を振った。

 山津波を思わせる怒涛の衝撃波が横を駆け抜け、全身を痺れさせる。
 大剣使いの剣士はこちらを睨みすえ、その背後に回復役の女を守っていた。
 弓があれば一発で射抜ける距離。しかし、手の中にあるのは慣れない武器と、山刀一本のみ。
 そして、上空でこちらの隙をうかがう魔術師。
「う……っ、く……」
 目の前がかすみ、蛇咬剣を握る手の握力が次第に失せていく。
『シェート……』
「大丈夫、だ」
 もう、何時間追いかけっこをしているのか。
 一瞬の隙を突いて、小さなどんぐりの焼き菓子を口にして以来、水の一滴も口にしていない。
 疲労と空腹、渇きが自分を締め付ける。
「やっぱな」
 大剣使いが、ずいっと前に出る。
 その動きをけん制するように剣を突き出すが、元々自分の者ではない神器、
 意思に従うことも、一本の剣になることも無い。
「お前、疲れてんだろ」
 剣士の背後で、仲間の三人が腰の皮袋から水を飲む。同様に上の魔法使いも。
 ごくりと、シェートの喉が鳴る。
「んで、のども渇いてると。そうだよな、あんだけ動いて、飲まず食わずじゃな。
 っていうか、これ、お前がやった状況の逆転だな」
 さらに補給を終えた二人の仲間が進み出て、大剣の勇者も同じように水を飲む。
「『わたぬすみ』するまで、時間掛からないけどな」
「さすがだ、勇者。俺、やったこと、全部知ってるか」
 こちらの言葉に、勇者の少年はにやりと笑う。
「敵を知り己を知れば百戦危うからずってね」
「……あ。合ってます。大丈夫です」
「綾乃さーん、俺どっちかって言うと日本史得意だからさー」
「すみません。それ孫子ですから……。どちらかというと中国史です」
 会話で必死に時間を稼ぎ、疲れた体を休める。
 それでも欠乏した水分や栄養を補わなければ、本当の回復は望めない。
「で、悪いんだけど、ここでお前のこと、俺らがしとめるから」
「……やれるなら、やれ」
「省吾君、頼むわ」
 すいっと進み出る、全身黒尽くめの、ぴっちりとした姿の少年。
 その両手には奇妙な形をした小剣が逆手に握られて、
「"瞬裂斬"」
 とっさに緊張させた蛇咬剣が火花を散らし、刃を握った片手が血を噴出す。
「ぐううっ!」
「"瞬裂斬・乱刃"」
 黒装束の少年が振う刃が見えない。いや、見えはするが反応が間に合わない。
 体の中心を守るように張った蛇咬剣を避け、腕が、脚が、頬が切り裂かれていく。
「くああああっ!」
「正樹君、よろしく」
「うん」
 飛び散る火花と血煙の向こう、杖を持った少年が、とん、と地面を突く。
「うぐっ!?」
 するりと伸びた少年の影が、がっちりとシェートの足元を掴む。
「やってもいいぜ、破術で解除を」
「その代わり」
 ぎぎぎんっ。
 一層速度を増した剣がこちらの守りを削っていく。
「うがあああっ!」
「俺の"堕天の双翼"が、お前の体を切り裂く」
 意識を刈り取るように振われる双剣。
 急所に当たらないように張った剣に、薄い亀裂が入る。
 相手の神剣の威力が、こちらの神器の能力を上回っている証拠。
 三段重ねの力でなければ抑えきれない。
『シェート!』
 降って来る声に、シェートは歯を食いしばって首を振る。
「やめろ!」
『だが!』
「絶対ダメだ! 最後まで、俺見てろ!」
 加護は使わせない、自分が良いというまで。
 それがこの戦いの始まる前、自分に課した制約。

『バカなことを言うな! 今回の戦いは加護を使わねば!』
『じゃあ、ここで生き残る、次何かある、それでまた加護使うか!?』

 そうだ、サリアが加護を使うかで悩むのは、自分が弱いせいだ。
 弱い自分を越えられなければ、勇者に、魔王に、世界になど勝てるはずが無い。
 加護は必要だろう、だが加護に頼るマネだけはしたくない。
 考えろ。
 考えて、考えて、考え抜け!
「省吾君、カウントスリーでバック。正樹君、威力増強よろしく、信也君は俺に合わせて全力砲撃な!」
「任務了解」
「分ったよ」
「こ、こっちも、オッケー」
 大剣使いが振りかぶり、双剣使いが嵐のように斬撃を放ち、腰の影が自分の動きを束縛していく。
 天に耀くは巨大な魔力光、自分にあるのは壊れかけの神器と腰の山刀。 
「三っ」
 弾ける火花の音に紛れ、それでも耳に残る一言。
「二っ」
 刃の嵐の中、研ぎ澄まされた神経に伝わる双剣使いの体重移動。
 僅かに斬撃が威力を鈍らせる。
「一っ!」
 それはほんの僅かの隙。二つの攻撃が降り注ぐ寸前、双剣使いの攻撃が止み、一瞬生じた空白。
「うあああああああああっ!」
 絶叫と共に破術を展開、影を打ち消し、蛇咬剣の竜巻で黒装束の体を巻き取り、一気にひきつける。
「しま――」
 そして、衝撃波と魔力光が、等しく黒装束とシェートを打ち貫いた。
「が、は……」
 全身を焼く痛みと、粉々になりそうな一撃、それでも生きている。でも。
 目の前で黒装束が金の光を撒き散らして消えていく。
 棒立ちのまま動けない。蛇咬剣は砕けたが、山刀は残っている。
 それでも、動けない。
「あ、ぐっ……」
「どんだけしぶといんだよ。お前」
 大剣の勇者は、哀れみと悲しみを込めて、こちらを見た。
「そんなに俺達が憎いか、殺したいか、勇者が嫌いなのか」
「……生きたい」
 こげた手を必死に腰に伸ばし、柄を握り締める。
「生きたいから、だ」
 その言葉に、勇者がたじろぐ。ゆっくりと山刀を引き抜き、構える。
 それでも、膝がくず折れる。
「あ……」
 だめだ、自分はここで倒れられない。
 強くならなければ、世界を超えていけない。
 それでも、手が力を失っていく。
「ちくしょう……っ」
 加護という言葉と世界という言葉が、頭の中で一つに重なっていく。

 お前は弱い存在で、世界の重さなど除ける力など無い。
 だから弱い魔物として世界に殺される。
 だから弱い存在として加護に縋(すが)る。
 そう囁く聲(こえ)がする。

 だからこそ負けたくない、世界にも、加護にも。

「俺……はっ」
 剣士が、自分の命を絶つべく、大剣を振り上げる。
 それでも、コボルトの手が、剣士に向けて突き出された。
 その時、

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおんっ!」

 咆哮が辺りの空気を切り裂いた。
 唐突で場違いな声に、全てのものが一瞬我を忘れて周囲を見回す。
「おま、え」
 シェートの呟きに、幻のように現れた星狼は、その濡れた鼻面を押し付けた。
「なんで、ここ、いる?」
 そんな問いかけに耳も貸さず、あっという間に鼻面を使い、背中に放り乗せる。
「え!? なんだそいつ!?」
 大剣使いがうろたえ、そんなことも頓着せずに星狼は駆け出していく。
「あ、まて! 正樹君、影!」
「ダメだ、向こうの方が早い!」
 とてもいい乗り心地とはいえない状況だが、必死に首のたてがみにしがみつき、囁くように礼を言う。
「あ、ありがとな、また、助けられた」
 匂い立つ気配が、気にするなと言っている感じがする。
 あっという間に勇者の喧騒が遠ざかり、少しずつ体が癒えていくのが分かる。
『……馬鹿者!』
 その全てを見ていたサリアは、悲しみの声を降らせた。
『バカ、バカバカ! この大馬鹿者!』
「ご……ごめん……」
『何を意地を張っているのだ! 馬鹿者! 
 私がどんな気持ちで見ていたと思っているんだ、この大馬鹿者!』
 ほとんど泣き出しそうな声で、サリアが叫ぶ。
『気持ちは分かる! 分かるがバカだ! お前は! 
 なぜに私を頼らない! そんなに神の力が嫌いか! 私が頼りないか!』
「ちがう……おれ、よわい、だから、たよりっぱなし、なるの、いやだ」
『そんなことあるか! お前は十分強い! だから頼む! 私にも何かさせよ!』
「だいじょうぶ、サリア、こいつ、連れてきてくれた、ちがうか?」
 問いかけに、サリアはため息で否定した。
『私にも分からぬのだ。おそらく、あの時出会った星狼だろうが、なぜこんなところにおるのだ?』
 言葉が届いたのか、星狼は走るのを止め、シェートをその場に下ろす。そこには山の斜面を流れる小さな沢があった。
「あ……」
 礼を言うことも忘れ、その流れに顔を突っ込む。
 口いっぱいに広がった甘い水を飲んでいくと、疲れきった体に活力が注がれていく気がした。
『やはり、通りすがりらしい』
 ようやく顔を上げたシェートに、サリアはあくまで要約に過ぎないが、と但し書きをつけて会話の中身を語った。
『始めは関わるつもりはなかったようだが、見ていられなかったのだそうだ』
「お前……変な奴」
「うおうっ!」
「あ、ご、ごめん」
 気分を害したのか、星狼は尾を振りたて、その場に座り込む。
 それをとりなすように、サリアが注釈をつける。
『獲物を分け合った仲が、一人で敵の群れと戦っているのを見るのは、忍びないとな』
「そうか。それでお前、ここへ何……」
 閃光が打ち込まれ、一瞬早くシェートと星狼が飛び退る。
 飛行勇者の一撃を見た勇者達が、こちらに向かって来る。
「お、鬼ごっこは、もう、終わりだぜ」
 なぜか胡乱な表情をしたまま、空から勇者が声を掛けてきた。その声に、シェートはそっと口元を緩めた。
「なあ、お前、もう少し、付き合えるか?」
「……うふぅっ」
『仕方ないから付き合ってやる、だそうだ』
「ありがとな」
 傷によってリタイアしていた勇者達も復帰し、まだまだその数は多い。
 腰には山刀一振り、味方は得体の知れない狼一頭。
 それでもシェートは武器を構えて身構える。
 まるでその仕草にあわせるように、高みにあったはずの勇者がふらつき、
「あ、れ?」
 ぐしゃりと地面に叩きつけられた。

 水鏡の向こうで、地に落ちた勇者が金の光を撒きながら砕けていく。
「な、なぜだあっ!? あのコボルトの毒はきちんと加護で消して、あっ、そんな、ばかな、あ……」
 あっという間に石と化した同輩に、他の神々が声を失う。ガルデキエは震える声で、虚空に呼ばわった。
「イェスタ、これはどういうことだ」
「はい。あれは病毒です」
 朗らかに言い放つ黒い女神は、水鏡の中の勇者達を指差した。
 矢傷を受けた者達が、悪寒や体の痛みを訴え、皮膚を赤く腫らし、水泡を沸き立たせて苦しんでいく。
「ば、バカな! こんな短時間に病毒だと!?」
「魔物の中には屍毒を強め、強力な病毒を作り出すものがいるとか。
 かのコボルトも、その知恵を持っていたのでしょう」
「だが! 確かに毒は消えたと!」
「毒と病毒は別のもの。加護を『一切の異常を消す』ではなく『毒を消す』でお願いされましたので」
「ならば、毒ではないと願いが却下され……」
 そこまで言って、ガルデキエはコボルトの矢を思い出していた。
 最初は乾いた矢、その後に放たれた矢には、あからさまな毒の塗布。
「病毒は遅く効き、草木や獣の毒は早く効く、
 おそらくあの矢には元々、病毒をなじませておいたのでしょうね」
「おのれえええええっ!」
「シディア殿! そなたの勇者で、わ、私の勇者の病毒を! 
 もう加護を使いきっておるのだ!」
「あわてるな! とにかく体制を……!?」
 そこまで言ったところで、ガルデキエの声が詰まる。
 森の中は次第に暗くなりつつあった。その木々の陰を縫うように、何かが唐突に立ち現れていた。
 まるで鐘楼のような、天へ伸びるその姿は、巨大な人型。
「バカな、こんなところに、巨人だと!?」
「違う……あれは……」
 のっぺりとした無表情は肉ではなく、不思議な色合いを湛えた銀で造られている。
 デフォルメされた筋肉質の体に腰布を巻いた姿を彫られた、金属の巨像。
「それだけでは無いぞ! あれを!」
 更にその上、木々を押しのけるようにして飛ぶのは、幅広の皮翼を持つ巨大な爬虫類。
 棘の生えた尾を持ち、獰猛な牙が涎と毒液を垂らし、貪欲な悪相が勇者を睨む。
「バカな、なぜ、こんなものがここに現れるのだ!」
『それは、私の勇者が呼んだからですよ』
「イヴーカス!?」
 いつの間にか車座の中央に立った小ネズミは、その口元をにぃいっと、捻り上げた。



[36707] 14、魔物使いの少年
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/19 10:32
14、魔物使いの少年

 その場にいる全ての者が、自らに視線を合わせているのを感じ、イヴーカスは全身の毛を膨らませた。
『貴様の勇者だと!? バカな、あれは、あの魔物は!』
「お分かりになりませんか? いや、信じたくない、といったところですな」
 ガルデキエの戦く顔が見える、シディアの青白い顔も見える。口元が、狂気に近い笑みに歪む。
「大空の雄、竜族の末席に連なりし者、ワイバーン。そして今ひとつは神秘の魔道鉱石、ミスリルで拵えれられた魔道巨像、ミスリルゴーレム」
『ありえぬ! なぜ貴様の勇者がそのような! そもそもあんなものを二体同時に使役するだと!?』
 ミスリルゴーレムのすぐ後ろに立つのは、まだ十を少し越えたばかりの少年。
 旅人のまとう、ゆったりとした服とマント、片手には杖を持っている。
『だ、大体貴様、何をしに出てきた! 討伐に名も連ねず、この場にあのような魔物を』
「田舎芝居は、もうやめにしませぬか? ガルデキエ様」
『……ふん。そうだな。最初から、貴様はこうなることを狙っておったのだよな』
「ご明察。
 だが、それにいつ気が付かれました? 私との連絡を絶った時? 
 神座で私を踏み抜いたとき? あるいは"知見者"様侵攻の報をお持ちしたときですかなぁ?」
 嘲りに塗れた言葉に、見る見る相手の顔が殺意に満ちていく。
『このドブネズミが! その賢しらに回る舌を今すぐ引きちぎってくれん!』
「どうぞご自由に。それでは、サリアーシェ様」
 その声は、あえて全ての水鏡に乗せた。
「先ほど我らの間で結ばれた、決闘の契りを果たしましょうか」
『……このタイミングで、ですか。
 竜神殿も今だ戻られず、我が策も半ば、ですが貴方の計画はこうであったはずだ』
 サリアーシェもあえてこちらの水鏡の全てに己の声を乗せてくる。
 その行為に、イヴーカズは尻尾の先まで痺れるような、狂奔を味わった。
 その声が全ての水鏡に伝わり、自分たちの会話を、固唾を呑んで神々が聞き入る。
『我が配下、シェートにより、貴方の勇者の枷となる全ての敵を打ち滅ぼして後、
 貴方の勇者によって、残敵を狩ると』
『ふ、ふざけるなこの邪神! 我らが勇者を残敵などと』
『ああ、聞き耳を立てられておりましたか、ガルデキエ殿。これは我らの間の盟、あなた方には何の縁も無いこと』
『こ、こ、この……』
 慌てふためいている、自分に繋がる全ての神が、想像した裏切りを、それ以上の裏切りを目の当たりにして。
「とはいえ、思ったよりコボルト殿も苦戦しておられるようですし、
 なにやら仕掛けのおかげで勇者達も戦えぬものが増えた様子、この辺りが潮時と思った次第で」
『いつからだ! いつからこのような密約を!』
「密約も何も、我らはただ信用を取り交わしただけのこと。
 弱い者同士が知恵を絞り、強きものに打ち勝つために」
『弱きものだと!? サリアーシェ、貴様は大神の身でありながら、こんな下種の疫神と結びおったのか!』
『言葉を改められよ。かの神は確かに狡猾にして卑俗やも知れませぬ。
 ですが、集を頼みに与し易い者を襲い、あまつさえ邪神よ悪辣なものよと、言い募るような真似はなさりませなんだ。
 下種は貴方だ、"覇者の威風"が聞いて呆れる』
 決然と言い募る言葉に心のどこかがしくりと痛む。
 その甘やかな感覚を鉄の無感情で捨て去ると、ネズミは全ての神を煽る言葉を紡ぐ。
「まあ、全ての神はすでに我らの蚊帳の外。正々堂々我らの決闘を始めましょう」
『我が勇者の困憊(こんぱい)を見て、よくもぬけぬけと言われますな"黄金の蔵守"よ。
 とはいえ致し方ありません、受けて立ちましょう』
『ま、まて貴様ら!』
「待つ義理はありませぬな。悟、あのコボルト、シェート君に決闘を申し込んで」
『え? いいの?』
 悟には詳しい事情は聞かせていない。ただ、二体のモンスターを外に出して待機しろと言っただけだ。
「うん。長いこと待たせたね、他の勇者との初バトルだよ」
『分った! それじゃ、コボルトのシェート君に』
『やめろおおおおおっ!』
 その声はどの水鏡から聞こえたものか。
 だが、日の翳り始めた森の中、確かに勇者達からの一撃が、空を飛ぶ魔物に痛撃を与えていた。

 あまりに唐突な展開に、文則は呆然としていた。
 コボルトを追いかけていたと思ったら、目の前に現れたのはミスリルゴーレムとワイバーン。
 しかも耳元でがなるガルデキエの声は混乱し、裏切りがどうとか叫び続けている。
「あの、シディアさま!? だから何がなんだか、え!? イヴーカス!? 裏切りって一体!?」
「綾乃さん! そっちもか!?」
「な、なんだか天界が大変なことに……文則さん、あの子」
 さっきからゴーレムの足元辺りにいた男の子。どこかで見た覚えのあるそいつが、いきなり口を開く。
「分った! それじゃ、コボルトのシェート君に――」
「やめろおおおおおっ!」
 勇者の集団から放たれたのは、蛇のように唸る一本の剣。その一撃がワイバーンの首筋に喰らい付く。
「ギィエエアアアアアアアアッ」
「ざっけんじゃねえええええええっ! このクソガキいいいいっ!」
 ずたずたに裂かれた腕と顔の再生痕も生々しく、何とか復活させた武器を手に、蛇咬剣使いの少年が絶叫する。
「いきなり横から出てきて何が決闘だあああああっ!」
「うわあっ!」
 いきなり叱責されて驚く魔物使いの少年に、蛇咬剣の勇者は怒りも顕に吐き捨てる。
「そいつは俺の顔と手をぶった切って、せっかく貯めた加護台無しにてくれたんだ! 
 そいつを倒すのは俺なんだよおおおおっ!」
「なんだあいつっ、切れちまってるっ!?」
『勇者よ! お前も戦に加われ! あの増長慢のイヴーカスをぶちのめしてやるのだ!』
 耳元でがなるモジャ髭は完全に我を忘れている。
 そもそも、イヴーカスなんて神の名前はこれまで一度も聞いていない。
「ぶちのめせって、まさかあのゴーレムとワイバーンをやれってのか!?」
『何のために神器を与えたと思っている! 
 あの勇者もろとも、ネズミの姦計を打ち砕いてしまうのだ!』
「勇者もろともって、あいつ、コボルト探しを手伝ってくれた奴だろ!? 
 それにまだ子供じゃねーか!」
『この場にあれば子供も大人も関係ない! 全ての勇者は納得ずくで臨んでいるのだ!』
 やっぱりむちゃくちゃだ、神様なんかにホイホイ付いてくるんじゃなかった。
 そう思いつつも、視線が脇の綾乃に向かう。
「私、そんなこと無理です! こんなの、もう!」
「クソッたれ! 綾乃! 茶番に付き合うのはもうやめだ! 逃げるぞ!」
「文則、さん?」
「言っただろ! 必ず守るって!」
 呆然とした彼女の肩を掴み、その場を離れようとする。
 だが、周囲の勇者の動きは自分の予想とはずれた動きを見せた。
 それぞれが得物を構えて、一斉に子供に向けて解き放った。
「バ、バカ!」
「やめてえええっ!」
 弓や魔法、剣圧や雷撃、炎が弧を描いて虚空を飛ぶ。
 その一撃は、まったく子供とは関係ない、あさっての方向へ着弾し、消えた。
「な、なんだ……?」
「外れた……じゃなくて、外した、の?」
「ふ、ふざけんなああああっ!」
 絶叫と共に振われた蛇咬剣があさっての方向に飛び、大木に大穴を開ける。
「な、なんだ!? 狙えねぇ! あいつが、見えなくなっちまう!?」
「見えないって、あそこにいるだろ!」
「そうだよ! そう思って"狙う"と、途端に見えなくなっちまうんだよおっ!」
 まったくわけの分からない言葉に混乱する頭。だが、それを悠長に解き明かす暇はなくなった。
 目の前のワイバーンが大きく口を開いていく。
「全員退避! 逃げろぉおおっ!」
 綾乃を抱いて横っ飛びに飛んだその背後で、
「うぎゃああああああああっ!」
 ワイバーンのブレスに焼き尽くされた蛇咬剣の勇者が、今度こそ金の光を撒き散らしながら消滅した。

 矢上悟(やがみさとる)の目の前で、暗くなり始めた森がワイバーンの炎によって明るく耀く。
 それと一緒に、何人かの勇者達が金の光になって消えていった。
『ほらね? 大丈夫だったろう』
 いつものようにイヴーカスが優しく囁く。 
『たとえ勝負に負けても、絶対に彼らは死なないし、元の世界に帰れるんだよ』
「……そうか……よかったぁ」
 今までモンスターとは戦ってきたけど、こうして人間の勇者と戦うのは初めてだった。
 もしかしたら、人殺しをしてしまうかもと思っていたし、怪我をさせたら嫌だとも思っていた。
 でも、あんなふうに光って消えるなら大丈夫。
「でも、なんでみんな僕に攻撃してきたんだろう?」
『ごめんね。私の方でちょっとした手違いがあったんだ。でも、もう大丈夫だよ』
 とても優しく、イヴーカスは囁いた。
『この場でみんなで闘いあって、シェート君と戦う権利を持つものを決めようって"決まった"からね』
「そうなの?」
『それに、モンスター使いと、パーティを組んだ人間のキャラクターが戦う時だってあるだろ? あれと同じことさ』
「……そっか」
 ちょっと想像していたのとは違うけど、確かにパーティを組んでいるようだし、
 みんなこちらと戦う構えになっている。
 それに、僕のワイバーンが怪我をしてしまったのはちょっと腹が立つ。何も言わずに先制攻撃なんて、ずるいよな。
『次はミスリルゴーレムを使ってごらんよ。ほら、タックル技とかあったよね。集団攻撃用の』
「"ロケットタックル"のこと? 分った!」
 悟は全体を見回し、ちょうど勇者達が固まっているところを見つけた。
 あのぐらいたくさんいるなら、技ポイントの消費と釣り合いそうだ。
「よーし! ミスリルゴーレム、あそこに"ロケットタックル"!」
 命令に従って大きな体がぐっと縮まり、
「オッ!」
 風を置いていくぐらいの速度で、ゴーレムの巨体が勇者の群れへ殺到した。

 たった二発の攻撃で、今まで文則の目の前にいた勇者の大半が吹き散れて行った。
 抱き寄せた綾乃は、顔面を蒼白にして自分にもたれかかっている。
「じょ、冗談だろ……」
「うそ……こんなの……」
 ゴーレムは突進命令を受けたあと、戦えるものも病気で鈍っていたものも、関係なく轢き殺して行った。
 無論、死んでも死なないことになっているが、最後の一瞬こっちを見ていた連中の顔が忘れられない。
 残った連中は必死に子供に攻撃しようとしているが、それでも一発もかすらなかった。
「一体どうなってんだよ! 絶対防御使う勇者はゼーファレスしか作ってないんじゃねぇのかよ!?」
「……もんころ……」
「へ? 綾乃さん、なんて?」
 愕然とした顔で、綾乃は呟いた。
「"モンスターコロッセウム"……さっき、あの子が叫んだ技、"モンコロ"の技です」
 携帯ゲーム機で長いこと遊ばれている、ファンタジー世界をモチーフにしたゲームの名前を、
 彼女の口が信じられないと言った感じでしぼり出す。
「え!? って、言われてみりゃそうだけど、綾乃さんゲーム系嫌いなんじゃ……」
「弟がはまってて、ちょっとモンスターを集めるのとか、手伝ったことがあるんです」
 再びワイバーンがブレスを吐き、残った勇者を焼却していく。
 勇者とモンスターの戦いではない、一方的な殺戮。
 ただ、子供のほうはまったくそんなことを気にしているようには見えない。
 もしあいつが、ただモンスター育成バトルで遊んでいるだけだとしたら、この振る舞いにも納得がいく。
 とはいえ、問題は扱っているモンスターだ。
「冗談じゃねーぞ! だとしたらワイバーンは42、ミスリルゴーレムにいたっては53レベルじゃねぇか! 
 平均レベル15前後の俺達に当てて来るか普通!?」
「それにワイバーンは回避力を上昇させる"飛行"と炎のブレス、
 ミスリルゴーレムは魔法無効と物理耐性、でしたっけ」
 悲しげに笑いながら、綾乃はすらすらと敵データを口にした。
 ああ、この人はものすごく頭も記憶力もいいんだっけ。
 だから、弟に付き合ったゲームでも、これだけ覚えているんだ。
 自分たちにとって、絶望的な敵のステータスでさえ。
「攻撃が当たらないわけだよ。モンコロって、モンスター同士を戦わせるゲームからな。
 プレイヤーキャラクターには『攻撃できない』んだ」
 場に集まったほとんどの勇者を狩りつくし、それでもワイバーンは貪欲に獲物を探していく。
 そして、タックルで崩れた体勢を戻し、背後でゴーレムが起き上がる。
「聞いてるかモジャ髭! お前が文句つけてる神様はな! このゲームを知り尽くしてるぞ! 
 俺達に勝ち目は無い! そいつは、はなっから俺達をハメ殺すために、この場を作り上げたんだ!」
 聞こえていようといまいと、文則は絶叫するしかなかった。
 権力争いに腐心して、自分の足元すらまともに見れていない、まるでテンプレートなバカ神様に。

 水鏡の向こう、下界で絶叫するガルデキエの勇者に、イヴーカスはこみ上げる笑いを遠慮なく発散させた。
「ふは、ふははははははは! なるほどなるほど! 
 ガルデキエ様、かの勇者は貴方には過ぎた存在のようだ!」
『う、おのれぇ……っ』
『イヴーカスよ! 貴様が、なぜ貴様が【神規】を扱っている!』
 シディアの叫びに、ネズミはうっとりと笑った。
 ようやくそこにたどり着き、自分に問いかけてくれたことに喜んで。
『【神規】は勇者にさまざまな"神の法則"を与え、遊戯を有利に進めることが出来る。
 だが、神器よりもより多量の贄を要求するはず! 
 あの勇者に纏わせている「ゲーム世界の法則を当てはめる」神規など、疫神の貴様に贖えるはずが』
「そこまで言って、まだ、お分かりになりませんか?」
 まったく事態を理解していない、磯臭い水溜りの神に心からの侮蔑が湧く。
 それと同時に、自分の身の内に快感がわきあがっている。
 快感だけではない、言葉に出来ない充実感が、全身に満ちていく。
「たった今、疫神の私が、と仰られたではありませんか、シディア様」
『……ま、まさか、そんな……』
「貴方のような高貴なご身分の方には、私のごとき疫神が、
 一体何十、何百、何千柱の神々の元で、嫌われ者を演じているかなど、
 存じ上げられないことでしょうなぁあ」
 しぼり出した怨嗟が、相手の絶望の傷に痛烈に塗りこまれ、海洋神の心を締め上げる。
「疫神とて信者はおります。汚名とはいえ崇めるものも。
 そして、私ほどあらゆる世界で知れ渡ってるいるものもおりますまい」
 始めは忌まわしいとしか思わなかった。誰もが自分を蔑み、唾棄し、笑いものにする。
 だが、その塵芥の銘も、積み上げれば全てを圧する高みに成ると気付いた。
「その信仰! 信者! そして二つ名と疫神の身の全てを捧げ、
 今ここに神の規を与えた勇者を降ろしているというわけですよぉ!」
『お前の勇者が、高位の魔物を従えている理由も……』
「我が勇者の遊んでいる"モンコロ"には、モンスターを『絶対に捕獲できるアイテム』というものが有るのですよ。
 それを使えば、高位の古代竜とて一瞬で勇者の下僕です」
 ここまでうまく行くとは思わなかった。あの時、"知見者"の助力がなければ、こうも大胆な一手は打てなかったろう。
「……悟、そこに二人残っているよ」
 声をなるべく押さえ、感情を表に出さないようにする。
 彼は自分の最高の勇者で、糸を繰らずに操れる人形でなくてはならない。
 楽しいモンスター育成ゲームで遊んでいる子供。その立場であるほうが、こちらも誘導しやすいのだから。
『いいの? なんか、戦う気がないっぽいけど』
「大丈夫だよ。それに、最後の一人になるためには、その人たちを倒さなくちゃ」
『でも……』
「じゃあ、攻撃してみて、逃げちゃったらそれでいいよ」
 最後の一言は、ガルデキエとシディアの二人の耳にもしっかりと刻む。
 分け身が一瞬で叩き潰され、彼らの姿が視界から消えた。
 だが、痛みは無い。
 それどころか、体に力が溢れてくる。
「あ、お、おお、おおおおおおおお」
 その源が何であるかを気が付き、イヴーカスは随喜の涙を流した。
 尊敬と、畏怖を源にした、信仰心。
「ああ、ああ、ああああ、す、すばら、しい……」
 名も知らぬ星にいる者達が、自分の名に祈りを上げている。
 疫神としてではなく、全てを治める最高神として。
 イヴーカス、我らが神よ。
 その歓呼が、どくどくと体に満たされていく。
「ううう、あああ、ああああああああ!」
 満ちていくその声を、ネズミの神は一片たりとも逃さぬよう、しっかりと抱きとめる。
 渡さない、誰にも渡さない、これは私のものだ。
 それは熱く膨れ上がり、自分の体を押し広げていく。
「ふは、あはは、はははははははは!」
 その快楽に酔い、イヴーカスは玉座を降り、そのまま神座を抜けた。

 勇者の絶望とイヴーカスの嘲りに、ガルデキエの思考は焼ききれる寸前になっていた。
 それでも、目の前の事態を何とかするべく、夜闇に包まれていく森に檄を飛ばす。
「何を腑抜けたことを言っている! レベルなど関係有るか! 奴を、奴を倒すのだ!」
『ざけたこといってんじゃねえ! そっちの不始末棚に上げて言ってんなよ!』
「だ、だが、あのコボルトめも、レベルの差など物ともしなかったでは無いか!」
 口にして自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。そして、勇者はその愚かさを見逃さなかった。
『あいつはしっかり準備して、相手を理解したから出来たんだろ! 
 相手を侮って! 見下して! 
 そんな人間に、そんな神様にジャイアントキリングなんざ出来るかぁ!』
 それでも、そう叫びながら勇者は大剣を構えてゴーレムに向き直る。
『もうこっからは神様も何も関係ない! 俺は綾乃を守る!』
「な、なにを言っているのだ、お前は!?」
「あ、綾乃を守るのか!? そ、そうだ、やれ! やってくれ勇者よ!」
『やめてください! シディアさま、私、もう貴方の声も聞きたくありません!』
 唐突な拒絶に、青かったはずの海洋神は紙のような白さに顔色を変えていた。
「あ、あやの?」
『私、こんな戦いとか、そういうのが嫌だったんです! 
 私の想像してた世界は、こんなんじゃなくて……でも!』
 杖を掲げ、大剣の勇者に付き添う少女は、目の前のゴーレムを決然と睨みすえる。
『文則さんが……文則が私を守るといってくれるなら、私も彼を守ります! 
 貴方のことなんてもう知らない! 私は、彼と一緒に行きます!』
『あ、綾乃……うおおおおおおおおおっ!』
 一体、こいつらは何を言っているのだ。
 この世界に召喚し、力を与えた我らを無視して、それでも目の前の敵と戦おうとしているとは。
 だが、連中が戦うというなら、それに賭けるしか無い。
「す、好きなようにするがいい。残った貴様の加護は、せいぜい蘇り一つ分だ」
『力が抜けてるぜ神様。ここでコイツをぶっ飛ばせば、あんただって損しなくて済むんだろ? 
 せいぜい応援してくれよ、俺らのラブラブパワーをな!』
 もう、勝手にしてくれ。
 ガルデキエは熱に浮かされたような視線で、事態を見守るしかなかった。

 やっべーな。勢いでいろいろ言っちまった。
 そう考えながらも、文則は燃えていた。
 かわいい女の子と一緒に絶望的な戦いに挑む、こんな燃えるシュチュエーションは、普通に生きてたら一生なかったはずだ。
 ワイバーンが夜空に舞い上がり、ゴーレムが木々をなぎ倒してじりじりと近づく。
「綾乃、こういうの嫌いじゃなかったのか?」
「はい。でも、こうなったら話は別。このまま勝ち進んで、私、神様に文句を言ってやろうと思います!」
 意外と強気な発言に、文則はにやりと笑った。
「いいね! 俺もこの闘いに勝って、あのモジャ髭を思いっきり引っ張ってやりたくなったぜ!」
「文則!」
 綾乃の声で二手に散開、彼女の杖が金色に耀く。
「神威よ来たれ、熱き吐息より我らの身を守れ!」
 全身に魔力の防壁がかかり、遅れて届いたブレスの炎が遮断される。
 だが、
「くっ! あつううっ!」
 地を舐めた炎が魔法の壁を穿って肌を焼く。
「ごめんなさい! ちゃんと力が!」
「違うっ、レベル差がありすぎて焼け石に水なんだ!」
 熱遮断の障壁がまともに働かない。それでも生身で喰らっていたら今頃黒焦げだったろう。
 続けて防御力と攻撃力の上昇がかけられる。
「私に出来る強化はここまでです! 後はお願い!」
「上等!」
 最初からワイバーンなんか相手にする気は無い。
 衝撃波で叩き落そうと思っても、逃げられれば無駄に力を使うだけ。
 それなら、当てやすい的に行く。
「くらええっ! このデカブツっ!」
 渾身の力を込めた大剣の一撃、同時に秘められた衝撃波の力も上乗せして叩きつける。
「ガ……」
 巨体が軽くよろめき、その表面に深い傷をつける。
「い、いけるっ!」
「ゴーレム系には衝撃とかハンマーとかのダメージが入りやすいんです! 
 ミスリルゴーレムもそこだけは相性適用無しだったと!」
「綾乃って意外とオタクなんかもね! でも助かった!」
 もう一発、そう思い振りかぶる背後から、
「ワイバーン! "テイルニードル"!」
 命令を受けて、枝を震わせた何かが背中に降り注ぐ。
 振り返った先にあったのは、ワイバーンの尻尾から撃たれた針と、その射線に割り込む綾乃。
「綾乃ぉっ!」
 その体にびっしりと針を浴びて、細い体が倒れ伏す。 
「てめええっ!」
「ゴーレム、"ハンマースイング"!」
 よどみない命令の言葉に、完全に文則の頭が怒りで沸騰した。
「こんの、クソガキがアアアアアアっ!」
 振りかぶられるゴーレムの腕に、腰だめにした渾身の一撃をい思い切りたたきつける。
 ずんっ、と衝撃が体を貫き、それでも腹に力を込めて押し返す。
「俺の、綾乃に、なにしてくれんだよおおおおおおおっ!」
 ぶつかり合った拳と剣、お互いに激しく亀裂が入っていく、それでも文則は神剣に命令を放った。
「しょうげきっ、ぜんっっかああああいいっ!」
 意識がほとばしり、同時に剣と拳が粉々に砕けていく。
 その視界の端、固められるゴーレムの左拳に気が付き、希望が絶望に塗り換わる。
「忘れてた」
 モンコロなんて小坊のころ以来だもんな、自分のうかつさを呪いながら、文則は苦笑を浮かべて嘆息した。
「"ハンマースイング"って、二回攻撃だっけ」
 その呟きを最後に、文則の意識は激痛と共に吹き飛んだ。

 起こっている全てを目にしながら、シェートは動けなかった。
 金属の巨像と空飛ぶ翼竜の姿に圧倒されて。
 自分を散々苦しめた勇者達が蹂躙されていく光景を、黙ってみているしかなかった。
 そして最後の二人が吹き飛び、モンスターたちが少年の元に帰っていく。
「大丈夫! すぐ治るからね!」
 少年が腰の袋からビンを取り出し、金属の体に掛ける。
 その途端、完全に砕けていた腕が痕跡も残さずに再生する。
 更に虚空に浮かぶ飛竜にも同じ物を投げ渡すと、一瞬で傷が消滅した。
「サリア……」
『すまぬ。完全に、私の落ち度だ』
 今までありえない神の加護をいくつも目にしてきた。
 しかし、あんな強力な魔物を容易く使役し、たった一つのビンで傷も破損も治してしまうとは、考えもしなかった。
『神器ではなく神規……私とて、かの神を侮っていたわけではないが、いや……認めよう……私の狡猾など、あの方には遠く及ばなかったと』
「く……」
 絶望感が身に染みていく。
 それでも傍らの星狼は、こちらに向かってくる魔物に牙をむき出し、静かに唸る。
 首筋にそっと手を掛けると、シェートは笑った。
「お前、もういいぞ。あとは、俺、やる」
「ううっ」
 少し迷った後、それでも狼は向かってくる者たちを睨みすえた。
「お前……」
 その姿に、声が湧き上がる。
 考えろ。
 吐息をつくと、コボルトは同じように敵を見た。
「ありがとな。俺、また弱くなる、とこだった」
 それは自分の声だ。
 生きるために、生き抜くために、考えろと。
『すまん。私も危うく下がってしまうところだった。
 そもそも、そなたにはまだ加護が残されておる。それによって、あの魔物を打ち砕く方法もあろう』
「サリア、それ……もう少し、待つ、できないか」
『…………こ』
 こちらの言葉に、今度こそ完璧に、サリアは激発した。
『こんのおおばかものおおおおおおおおおおっ!』
「うわあっ!?」
「ぎゃんっ!」
『あんなものクソ意地だけでどうにかなるか! いい加減そう言うのはやめろ! 
 大体そなた、さっきまで尻尾を巻いて逃げ出そうとしていたではないか! 
 潔く負けを認めて私の加護を受けよ!』
 耳に痛いこだま、怒りと心配で塗れた匂い、その全てを押しのけて、シェートも負けずに叫ぶ。
「それ、さっき! いま、俺、もう平気!」
『だからそんな無根拠な意地でどうとかなるレベルではなかろう! 
 気持ちで勝っても根本的な自力が無ければ勝つものも勝てん!』
「加護頼み! 絶対嫌だ! 俺、いい言うまで使うな!」
『馬鹿者! 今度は決闘! しかも約定で決闘中に加護を追加することはできんのだ!』
「い……いらない! なら加護絶対いらない!」
『バカバカバカ! そなた一瞬迷ったであろう! 良いから私にも何か』
『ずいぶんと、楽しそうですなぁ、サリアーシェ様』
 聞きなれない、太い声が届く。飛竜の吐息の残り火に照らされた世界に、そいつはうれしそうに声を上げた。
『そろそろ神座からおいでください。我らの決闘を始めようではないですか』

 神座の先にあった合議の間の光景を見たとき、サリアは思わず眉をしかめた。
 階に、緑の草原に、あるいは扉のすぐそばで。
 無数の神の黒像が乱立していた。
 自分が出た扉の傍らには、非難と苦悶に指を突きつけた神像が立っている。
 そしてその指の先、車座になって石と化した神々が見える。
「おお、待ちかねましたぞ、サリアーシェ様」
 中央の四阿に座して、イヴーカスがこちらを見上げている。
 だが、その姿はこれまでの彼とはまったく異なっていた。
 体が異様に膨れ上がり、肥満している。
 巨大な太鼓腹を抱え、すわりの悪い大きな尻を座席に何とか乗せている有様。
 顔や頬にも肉がつき、浮かべている笑いも、どこかいやらしいものに見える。
 身に着けているのは豪奢な法衣、頭に小さな冠を載せ、ゆったりと息をつきながら全身を揺らせている。
 そしてその背後、四阿に何とか這い登ろうとしたまま石と化したガルデキエの、苦悶に満ちた顔があった。
「イヴーカス殿……その、姿は」
「ああ、これはお見苦しいところを、少々、身にもてあましておりましてな」
 うっとりと、愉悦に満ちた笑顔を浮かべ、わが身をさするネズミ。
 金色の毛皮に包まれた巨体を生み出したのが、あまたの世界の信仰であることは疑うべくも無い。
「ですが、この戦が終わり次第、整えて見せましょう」
 のっそりと立ち上がると、イヴーカスは這いつくばった嵐の神を見下し、神威を込めて蹴り飛ばした。
「こいつらから手に入れた世界によってね」
 石像の端が砕け、抵抗も出来なくなった神が緑の草地に投げ出される。
「おやめください……そのような、振る舞いは」
「やめる? なぜです。こうできるからこそ、良いのではないですか、この遊戯は」
 にたり、と笑う。
 そうしてネズミは、ゆっくりと周囲を見回した。
 そこにあるのは、たった今行われていた狡猾な策の先にあった、大簒奪の結末。
 苦痛と屈辱を刻んだ漆黒の像と、それをおびえた目で見つめる神々。
「すばらしいですなぁ。小神の、しかも疫神の身に過ぎぬこの私が! 
 いまや、その辺りをうろちょろしている、自分を汚す度胸も他者の前に額づく気概も無く、
 ただ神であることを頼みに高慢に振舞うだけの、小さき神々の上に立てるのですからなぁ!」
「イヴーカス殿!」
 それ以上言わせないための叱責。
 見ていられなかった、今の彼の、何もかもを。
「まさか、お止めになるのですか? この私を」
「……いいえ。私には、その資格はありませぬ」
「ええ。そうでしょうとも、貴方も感じたのでしょう? 
 兄神様より奪い取った世界から流れ込む信仰を! その心地よさを!
 あらゆる美酒、芳しき美味し果実よりも甘い、この流れを!」
 不思議な話だ、あれほど裏切りと策謀の話を続け、お互いを利用しあうと言い続けていたのに。
 いつかは裏切ると、裏切られると、そう言い聞かせていたのに。
 己が策の成功を誇示し、簒奪した世界から与えられる信仰に酔い痴れ、他者を踏みにじる彼の姿が、
 自分に対する一番の裏切りに見えた。
「そうか……」
「何か?」
「貴方は、間違っておられます」
 思い当たったことがある、彼の行動とその信念に見つけた、たった一つの擦過。
「私が、間違っている? これは異なことを。遊戯による簒奪が間違っているというなら確かのその通り。
 ですが貴方も私も、その流れに乗っているのです。それは無用な」
「そうではありません。ですが、今の貴方に何を言っても無駄でしょう」
 考えてみれば、彼にはさまざまなことを教わった。
 彼がいなければ、自分の愚直さを美徳と思い、シェートを徒に苦しめ、いつか共に倒れ伏していただろう。
 多分、この方に自分の想いなど不要だろう。
 彼は自分を売り払い、十分苦しみ、こうなることを望み続けてきたのだから。
 それが彼の夢、彼の正義、それを正すことなど出来はしない。
「ですから、この決闘に勝ち、我が言の葉に意味を持たせましょう」
「言葉は不要です。所詮我らは己の正しさを言い張り続けるだけの存在。
 信頼だ、交渉だなどといっても、決定的に道を違えれば、後に残るのは遺恨、怨恨だけだ」
 違う。
 私はこんな状態になっても、貴方に恩を感じているのだ。
 ここまで連れてきてくれたことに。
「それでは、決闘を始めましょう」
「……盟では半時、そちらに差し上げることになっておりましたが?」
「ありがとうございます。ではその時を存分に使わせていただきましょう」
「イェスタ、計測を頼む」
 黒い女神が傍らにはべり、杖の砂時計を倒した。
 サリアは目を閉じ、それから考える。
 二体の強大な魔物、傷はいえたが決定的に武器の足りないシェート。傍らの星狼はどこまで信用に足る?
 武器としての神器を与えたとして、あのゴーレムやワイバーンにどこまで通じる? 
 そもそも彼の掛けた【神規】にどこまで対抗しうる?
 たとえ打撃を与えたとて、勇者の使う道具が完璧に傷を治してしまう。
 それを用いる勇者には絶対攻撃が出来ない。
 足りない、知識が、経験が、情報が足りない。
 それでも振り絞れ、自らの想像力の及ぶ限り。
 目の前のイヴーカスを出し抜き、自分が勝つ方法を。
「いかがされましたかな? すでに半時に近づいておりますが」
「く……」
 実力を完全に伏せてきたイヴーカスの、手札を読みきることが出来ない。
 それでも、もう決闘は始まっている。ここで決定的な一打を打てなければ、シェートが蹂躙される。
「さて、そろそろ、時間ですな」
 神にとっての刹那、その尽きていく時間を惜しむまもなく、イヴーカスの言葉が無常の一言を告げる。
「では、どうされます? いかなる加護を与えますかな?」
「か、加護は……」
「ずいぶんと楽しそうなことをやっておるな? サリアよ」
 場にそぐわない、朗らかで深みのある声。
「そなたは、本当に危難を引き寄せるのが好きと見えるな」
「あ……」
 四阿を見下ろすようにして顔を向けた竜神は、思いのほかの上機嫌でこちらを見つめた。
「では、我らの盟を果たそうか"平和の女神"よ」



[36707] 15、モンスターバトル
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/19 18:12
15、モンスターバトル

 巌のような竜神の巨躯に対して、それでも目の前のイヴーカスは、怯んだ様子も無かく不満の声を上げた。
「余計な繰言を述べるのは止めていただけますか、"万涯の瞥見者"よ。
 その銘にふさわしく、貴方はただ座して見ておればよろしいのです。
 いつもどおり、その高みで」
「……嫌われたものだな、"黄金の蔵守"よ。そなたとは相通ずるものを感じておったのだがな? 
 お互い捨てられぬものを溜め込むもの同士」
「ご冗談を。生まれながら、その身を強大たるべく定められた竜種と、
 木っ端のごときネズミに、いかなる共感もあるはずが無い」
 にべも無い言葉に嘆息し、竜神はサリアを見て、告げた。
「ところで、盟と言うのは何のことだったかな?」
「な……!?」
 意外な一言にサリアを除く周囲のものが声を上げる。
 泰然としていたはずのイヴーカスでさえ、肉を揺らしてたじろいでいる。 
「もうお忘れですか。あの時、我が星の上でご芳情を賜ったではありませぬか」
「おお。あのことか! すまぬすまぬ、すっかり忘れておった!」
「な……何を言っているのですか!? お二方には何らかの密盟があったのでは!?」
「別段、密盟というほどではないのです。
 ただ、我が廃れ果てた星を竜神殿にお譲りし、竜種の住まう星と為し、
 私が守護者となるという統治の盟です」
 ぽかっと口を開けたイヴーカスは、あきれたという感じに相好を崩した。
「なるほど……無きものを有るが如く見せる。すっかり、その手に騙されたということですか。
 では、盟でも何でも結んでいただきましょうか。それでお気が済むのであれば」
「これはありがたい、ではイェスタ」
「はい」
 時の神が場に立ち入り、その杖をかざす。
「我、"平和の女神"サリアーシェは、
 ここに"斯界の彷徨者""万涯の瞥見者"たる竜の神、エルム・オゥド殿の同胞(はらから)を受け、
 その身を我が星にて安んじるものとならんことを宣誓す」
「"斯界の彷徨者""万涯の瞥見者"たる我は、女神の温情を容れ、我が同胞の守護者たることを認める」
 言葉に従い、盟が交わされる。それと同時に新たな力が満ちるのを感じ、言葉を継ぐ。
「続けて、履行を停止していた儀を続けてもらおうか、イェスタ」
「……履行を停止!? 一体貴方は何を!」
「承りまして。
 それでは、サリアーシェ様よりお願いが御座いました、存在の買戻しを、
 先ほどの盟を贄として執り行わせていただきます」
 自分の中に打ち込まれた楔が、かけらも残さず消えていく感覚。サリアはこの瞬間に十全と成った自分を感じていた。
「ま、まさか、竜神殿の盟とは、そのために!」
「無論です。そして、私の存在は再び、シェートのために使えるようになった」
「バ、バカな! そもそもこんな取引が成立するのがおかしい! 
 貴方はいまや押しも押されぬ大神の身! 
 それを高々一つの盟を捧げた程度で存在を買い戻すなど!」
「勘違いなされますな。
 我が存在を捧げ、シェートに加護を与えたとき、私は一体どんな存在でありましたかな?」
 完全に色を失ったイヴーカスは事実に気がつき、うめくように吐き出した。
「なるほど……廃神であったときの値であれば、十分すぎるほど、というわけですか」
「いかにも。そして今後は、我が存在をそのまま加護として与えられる」
「バカな! 貴方は何を考えているのです! せっかく取り戻した大神の身を」
「貴方が仰られたのですよ、私は貴方が見た中で、最も気の狂った存在だと」
 うろたえ、全身の毛をおぞましさに逆立てた肥満ネズミは、目の前の自分を燃え盛る炎を見るような目で盗み見た。
「それで、貴方はその加護で、何を成すと言うのですか!」
「……問題はそこなのですよ」
 サリアはそっと肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
「半時頂きましたが、結局良い知恵は浮かばなかったのです。
 せいぜいあのゴーレムを貫く弓でも与えようかと」
「は、ははは、そ、そうでしょうとも! そもそも加護は直接対手の勇者を傷つけるためには使えぬもの! 
 膨大な加護を持ったとて使い道が無いのでは!」
「そこで儂の出番というわけか」
 苦々しそうに、そしていかにもうれしそうに、竜神は続ける。
「あ、貴方は! この戦いには不干渉のはず!」
「だが、そうした立場を取る神でも、知識を教え、裁定者の許す範囲での神威を貸与することも認めてられておるはずだ。
 なあ? "刻を揺蕩う者"よ」
「無論で御座います。
 そして、貸与する神威は、受け取る側の神が払いきれる範囲であれば、いかなるものでも可能です」
 ぐびり、とイヴーカスの喉が鳴る。竜神の力を、余りある大神の加護で引き出す。
 そんなことをされたら、そう焦るイヴーカスを見つつ竜は朗らかに声を掛けた。
「だがな、儂はそういう下品な振る舞いは好かんのだ。
 どうかな? サリアーシェ、そなたの加護で、うちの若いのをいくらか貸し出してやろうものかな?」
「ご冗談を。我が勇者の出番を奪う古代竜の方々など、元より呼ぶ気もありませぬ」
「で、あろうな。そもそもそのような振る舞いを行えば、上の者達が黙ってはおるまい」
 真摯な輝きを瞳に宿し、竜神はサリアをまっすぐ見据えた。
「こちらに戻る道中、そなたを見た。そして、あのコボルト……シェートをな」
「はい」
「そして考えた。そなたらには力任せの加護など不要だと。
 己の意思で抗い続ける者に、安易な奇跡など枷にしかならぬ」
 そして、その大きな掌に載せたそれを差し出す。
「それは、仔竜?」
「名をフィアクゥルという。ほれ、挨拶をせんか、フィー」
 きょとんとした顔の青い仔竜。
 翼は体を覆うほどに大きく、尻尾も長いが、それでも全体的に小さく、背丈も一メートルをようやく越す程度だろう。
「え? あ、あんたが、サリア、って奴か」
「馬鹿者、きちんと挨拶せよ。
 こんな愛らしい顔をしているが、すでに十数余の世界を治める大神ぞ? 
 そなたも、よく知っているだろう」
「あ、ああ……えっと、フィ、フィァクゥル、です」
 挨拶もおぼつかないような、おそらく最若の竜。それを受け取ると、サリアはわけも分からず二つの竜の顔を見比べた。
「まさか、これが竜神殿の、助力ですか?」
「おお、忘れておった、ほれ、これを首から提げよ」
 ごつい指にぶら下がった、ひも付きの四角く薄い物体。
 それを受け取った仔竜は、半笑いを浮かべて尋ねた。
「これってスマホ?」
「いかにも。ただ、基本的に天界との通話のみだがな、アドレスは儂とサリアのものを入れてある。
 サリアへは掛け放題だが、我がアドレスに対する通話は一日三分、メール送信は三通までだ」
 ニコニコと笑う竜神に対して、仔竜は物怖じもせずに体を伸び上げた。
「なんだよそのクソ仕様! プリペイドケータイだってもう少し通話時間あるぞ!?」
「仕方なかろう。簡単にヒントを出すわけにはいかんし。
 その代わり充電は一切不要で耐水耐火、対衝撃に対魔法防御付きで絶対に壊れん。
 ゲームアプリも多めに入れておいたからな、喜ぶがいい」
「いらんトコでサービス心出すなぁっ!」
 どうやらこの仔竜は筋金入りの竜神の配下のようだ。彼の"趣味"も十分理解しているらしい。
 類は友を呼ぶ? 親は子に似る? そんな感慨が湧いた。
「ふ、ふはは、ははははははは」
 その全てを見ていたイヴーカスは、太鼓腹を抱えて大笑いをぶちまけた。
「ま、まさか、竜神殿、此度の大げさな助力は、そのような非力な仔竜と、携帯端末を渡すだけで終わりですかな?」
「儂はそのつもりだ」
「り、竜神殿?」
 面食らったこちらに、竜神は居住まいを正し、サリアとイヴーカスを見た。
「見たところサリアよ、そなたに足らぬのは知識のみ。それ以外は立派に備わっているようなのでな。
 儂が託した"加護"を使いこなせば、切り抜けられぬ窮地でもないであろう」
「……我が神規を侮られますか、竜神よ」
「侮ってはおらん。
 ただ、どんなゲームにも攻略法があり、ゲームとなった以上クリアできぬものは存在しないものだ。
 もし"解法"がないのであれば、それは"ゲーム"ではない」
 竜神の言葉が閃き、形になっていく。サリアは手ごたえを感じ、目の前に水鏡を生み出した。
「イェスタ、このフィアクゥルをシェートの元に送り届けることは」
「問題御座いません。そもそも魔法どころか精霊の力すら持たない仔竜を投じるのに、加護など必要もないかと」
「では、今ひとつ、この戦いにおいて、あの星狼を我が配下にくわえることは?」
 不安そうな仔竜を撫でてやりながら、事態を見守っているシェートと星狼を見る。
「狼の意向はお聞きにならないので?」
「すでに聞いた。とりあえず、この場は協力するとのことだ」
「ではやはり問題ないかと。それも今回の買戻しのおまけで支払えましょう。
 レベルにすればどちらもコボルト以下、ですから」
 腹は決まった。後は信じて行動するのみ。
「イェスタ、加護を頼む」
「お任せを」
「我が配下に竜の仔フィアクゥルとその持ち物、そして星狼をくわえ、庇護の下に置くこととする。以上だ」
 時計杖が時を刻み、目の前の水鏡がまるで本当にあの世界と繋がったように、全てを飲み込む気流を発生し始める。
「頼んだぞ、フィアクゥル!」
「え、な、なに!? ちょっと、いや、俺、心の準備が」
 水鏡の前に仔竜を差し上げ、ぱっと手を放す。
「うひゃあああああああああああっ!」
 遠ざかる絶叫を残し、仔竜の姿は夜の世界へと吸い込まれていった。

 シェートは顔を上げた、傍らの星狼も。
 空に瞬く星が見え、その中から何かが落ちてくる。
『なんですって!? いかんシェート! 彼を受け止めろ! フィーは飛べないんだ!』
「え、ああっ!」
 思わず落ちてくるそれに手を差し伸べ、
「ぎゃううううん!」
「んぎゃあああああっ!」
 られなかった体が、狼の毛皮にぶち当たり、大きく跳ね上がる。
 そして投げ出されたずた袋のように目の前に転がり出た。
 夜目にも鮮やかな空色の皮膚を持つ仔どもの竜、そいつは頭を押さえ、ふらふらと起き上がって、こちらを見た。
「うわあああああああああああっ!」
「えっ!? あっ、な、なんだ!? どうした!」
 腰を抜かしてあとずさった仔竜の胸元が、突然耀いた。
『馬鹿者、落ち着け、誇り高い竜の一族が、この程度でうろたえるな』
 おびえる仔竜の首元から、深い声がする。さっきとはまた別の、新しい声の主。
『聞こえておるかな、コボルトの若者、シェートよ』
「あ、ああ、聞こえてる。お前、誰だ」
『我は竜神、その仔竜の後見人だ。此度の戦に助力をさせてもらうと思っておる。
 こやつはフィアクゥル、汝の仲間にと思って送り届けた』
 フィアクゥルと呼ばれた竜は、おどおどしながら立ち上がり、軽く会釈をした。
「……なんで、こいつ、ここに来た?」
『元々そちらの生活に興味があったようでな。
 ちょうど良いとそなたに紹介をしようと思ったわけだ。
 少々顔見知りがひどいところがあるが、おいおい慣れよう』
「ふざけんなよ! いくらなんでもこんな唐突なやり方無いだろ!? それに……」
 仔竜の視線がこちらの顔、ではなく背後に控える二体の魔物に向けられる。
「今、決闘の真っ最中なんだろうが!」
『まあ、それはそれだ。あとはがんばれ、ではな』
 それっきり胸元の耀きが消え、声が途絶える。
「ちょ、おい! それだけかよ! もう少し優しい言葉かなんかが」
「お前」
「ひいっ!?」
「びくびくするな、俺、何もしない」
 人見知りの竜なんて聞いたことも無いし、コボルトの顔を見ておびえるなんて、相当重症だ。
 おどおどした姿に一番下の弟がこんなだったと思い出す。
「サリア、こいつほんと、仲間にするか?」
『あ、あー、うん。もう登録してしまったし』
「なんだよ! そのいかにも仕方なさそうって感じの会話!」
 身内には大きな口を叩くところもそっくり。
 気心が知れるまで苦労しそうだ、そんなことを考えつつ、シェートは改めて挨拶を交わす。
「コボルトのシェート、よろしくな」
「フィ、フィアクゥル、です」
 おずおずと差し出される片手、そっと握ってやると、びくりと体を震わせたものの、割と強く握ってくる。
『では、そろそろよろしいですかな? 決闘を始めても』
 竜神のものではない太い声が響き、シェートは身構える。おびえるフィアクゥルを背後に守り、星狼と視線を交わす。
『お待ちいただこう、イヴーカス殿』
『まだ何かおありで? サリアーシェ様』
『ああ、というより、御身の勇者殿にな』
 いつの間にか、片手に煌々と光るランプのような物を持った勇者は、はたから見ても分かるくらい、眠そうだった。
『彼は大分、お疲れのようだが?』
『……前座が長すぎましたな。出来ればこの場で終わりにしておきたかったのですが』
『では、明朝に決闘を伸ばす、ということでいかがか』
『致し方ない』
 その言葉を最後に、イヴーカスと呼ばれた神は自分の勇者との会話に入ってしまう。
 そして勇者は、背負い袋の中から小さな箱のようなものを取り出し、巨大な家に変えた。
「んなあっ!?」
「"セーブハウス"か! すげー、リアルに再現するとああなるんだなぁ」
「あれ、勇者の神器か!?」
「た、たぶんな」
 微妙な距離をとりつつ、それでもフィアクゥルは勇者の持ち物に注釈を加える。
「あの家には水とか食料完備で、アイテム購入できる店まで入ってる。
 町じゃ無いとできないモンスターの入れ替えとかもやれるんだ。
 ゲーム後半の必須アイテムだな」
『やはり。そなた知っておるな、彼の【神規】の元になったゲームを』
「一通りやったよ。最近は飽きてやめてたけど」
 仔竜の言葉に満足すると、サリアは喜びの香りを漂わせて告げた。
『では、早速だが吐き出してもらおうか、その知識の全てを』

 ベッドの中に潜り込むと、悟は薄暗い天井を見つめた。
 自分の部屋そっくりに造られたセーブハウス、天井の電燈には長い紐が付いている。
「イヴーカス、良いかな」
『……どうしたんだい』
 相手の声が少しおかしい。太く、低い感じになっていて、クラス担任の怖い先生を思い出す。
 風邪でも引いたのかな、神様も風邪を引くのかな。
 そんな想像をしてから、言いたかったことを切り出す。
「あの、コボルトの隣にいたの、星狼だったよね」
『そうだけど、どうかしたの?』
「あれ、シロじゃないのかな」
『シロ?』
「ほら、僕が最初にゲットしたモンスター」
 こちらの問いかけに長い沈黙を投げた後、ああ、とだけ神様は答えた。
「……覚えてないの?」
『ごめんね。色々忙しかったからさ』
「そっか」
 最初にこの世界に来たときは、不安な気持ちで一杯で、うまくやっていけるか心配だった。
 モンコロの世界とは違って、出てくるモンスターも怖い感じで。
 でも、森の中で出会ったシロは、そういうのとは違っていた。

『はぐれ狼?』
『そうだよ。狼は群れが大きくなると、その中から新しい群れを作るために出て行くものがいる。
 彼もそう言う一匹さ』

 罠に掛かっていたところを助けて、僕が投げた餌を取って食べたシロ。
 そうして、すぐ仲良くなって、しばらく旅をしていた。

『シロを君のモンスターにしたらどうかな』
『……でも、シロ、なんて言うかな』

 もちろんシロは喋らない。頭は良いけどただの狼だから。
 でも、自分が差し出した捕獲用のクリスタルに、自分から入ってくれた。
 それからずっと、いろんなダンジョンにもぐったり、
 村でクエストをクリアしたりしてだんだんレベルが上がって、でも。

『嫌だよ! なんで、なんでシロを!』
『でも、君のモンスター枠は一杯だろう? 
 それに、これ以上一緒に連れて行っても、どこかで強いモンスターに殺されるかもしれない。
 ここで放してあげた方が彼のためだよ』

 結局、シロとはある街道の脇でさよならした。解き放った後も、シロは中々僕から離れようとしなかった。

『それなら、もう少しレベルが上がって枠が増えたら、もう一度仲間にしてあげたら良いじゃないか』
『……分った。じゃあ、シロ、後で迎えに来るから、待っててね』

 それが、どのくらい前のことだったんだろうか。
 僕はそれから、他の勇者さんに自分のモンスターを貸すようになって、あのコボルトを見張るようなこともして。
 だんだん、モンコロっぽいことをしなくなっていった気がする。
「イヴーカス」
『なんだい?』
「もし、あれがシロだったとしたら、僕のこと、覚えてるかな」
『……モンコロとおんなじさ。一度"バイバイ"したら、同じ個体はゲットできない。
 それにあれからかなり時間も経っている、君のことも忘れているだろうね』
「そう……だよね」
 なんだか、急に胸が痛くなってきた。自分の部屋なのに、自分の部屋じゃないベッドに潜り込んで布団を被る。
『さみしいのかい?』
「……わかんない」
『大丈夫。もうすぐ君の好きなように冒険できる。
 好きなモンスターを手に入れて、強い相手と戦って。
 そうだ、前に言ってたろ、ドラゴンが欲しいって。ワイバーンの次はドラゴンを捕まえようか』
「うん。ありがと」
 ドラゴン、そうだな、次はドラゴンをゲットしよう。
 でも、もしあの星狼がゲットできるなら……あいつを……シロの……かわり、に。

 フィアクゥルが目を覚ました時、コボルトはすでに身支度を終えていた。
 寝ぼけ眼を擦りながら起き上がると、無言で朝摘みの木の実と水入り皮袋を差し出してくれる。
「……タフだな、昨日、散々走り回ってただろ?」
 その上、夜の間もさまざまな準備を狼と一緒にしていた。
 山菜を敷き詰めて寝床にした木の下の洞に、寝た後は無かった。
「狩り、一日中やる、あたりまえ。さっきちょっと寝た、ぜんぜん平気」
 無くしていた弓、篭手、矢筒を取り戻し、それなりに武装は回復している。
 それでもどこか頼りない感じに見えるのは、やっぱりコボルトだからだろうか。
「頼むぞ、フィー。今回、お前の力、いる」
「…………なぁ」
「どうした?」
 戦う前にこんなことを聞いてどうする、こいつの気勢をそぐだけだ。
 でも、聞かずにはいられなかった。
「怖く……無いのか?」
「怖い」
「じゃあ、なんで?」
「怖い言って、下がる。そしたら俺、死ぬ」
 諦めでもやけくそでもなく、静かに事実をつげる声。
 その瞬間、目の前のコボルトの体が、一回り大きくなった気がした。
「俺、生きたい。世界、俺死ね、言う。だから、生きるため、戦う」
「……だから、最初の勇者とも、戦えたのか?」
 その質問の答えは、聞けなかった。
 朝霧の煙る森を抜けて届く大きな羽ばたきが、コボルトの顔を狩人の顔に変えたから。
「行くぞ、フィー」
 その顔に引っ張られて、フィアクゥルは頷いた。

 こうしてみると本当に大きい、そうシェートは思った。
 立ち並ぶ木とほぼ同じ高さの頭、その顔にあるのは人間の形をした無表情。
 朝日を照り返して耀く体は、鋼以上の強さを持つ。
 その頭上を守るように羽ばたくのは、皮膜を持つ翼竜。
 この生き物の吐く炎で、たくさんの勇者が燃え散っていったのを覚えている。
 どちらも、ちっぽけなコボルトなど歯牙にもかけない存在だ。
 普通に考えれば相対することすら不可能な、魔物の高みの一角。
 その後ろに隠れるようにして勇者の少年が立ち、こちらをじっと見詰めている。
「女神サリアーシェの"ガナリ"シェート」
「モンスターテイマー、矢上悟、です」
 お互いの緊張が高まり、一触即発の雰囲気に変わっていく。
 だが、シェートは後ろに控える仔竜に目を向け、そのがちがちに固まった顔にため息をついた。
「フィー、お前、名乗れ。それから、作戦忘れるな」
「え!? あ、ああ、わりぃ」
 咳払いを一つすると、仔竜はずいっと進み出た。
「えっと……"万涯の瞥見者"エルム・オゥドの仔竜、フィアクゥル。
 テイマーとしてお前にバトルを申し込むぜ!」
「え!? テ、テイマーって、モンスターテイマーってこと!?」
「ほかに何があるんだよ。それと、今回のバトル形式、こっちで決めて良いよな?」
 なぜかうれしそうな顔をした少年は、フィーの発言に面食らったようになり、ややあって頷いた。
「そうだね。多分、こっちのモンスターの方がレベル高いし」
「ああ。こっちはコボルトのシェートと星狼のグートでエントリーする。
 形式はタッグバトル、モンスターの交換はなし、蘇生も禁止、先に二体落としたほうが負けだ」
「う……うん! 分ったよ!」
 それまで、なんとなく悲しげだった顔が、すっかり喜色満面になっている。
 勇者の考えていることは分からないが、フィーの発言で気分が良くなったらしい。
「お前言ったルール、あいつ、有利か?」
「ただの大会用フォーマットだよ。でも、あいつはその方がうれしいみたいだな」
『それでも、計画通りの土俵に引っ張り出したのは確かだ、あとはイヴーカス殿がどう動くかだが』
 自分達の見ている前で軽く言葉を交わした後、勇者は相変わらず笑顔のままでこちらを見た。
「僕はもう準備できてるよ! 早くやろう!」
「……のんきな、もんだな」
「勇者、そんなもんだ。俺、あいつら、うらやましい」
 軽口を叩きながら、改めて場を確認する。
 ゴーレムが暴れたせいですっかり見晴らしのよくなった森。
 身を隠すような場所も無くなり、倒木やゴーレムの足跡で移動しにくい場所がいくつもできている。
 空も開けていてワイバーンも自在に飛びまわれる環境、おあつらえ向きの決闘場といったところだ。
「グート!」
「わふっ」
 昨日の晩名づけた星狼は、それでも問題なく返事をしてくれる。
 一度慣れてしまえば、まるで十年来の付き合いのように馴染んだ。
 その視線が、一瞬無邪気な勇者の顔に向けられ、ちらりとこちらを向く。
「どうした、グート」
「……ふぅっ」
 これからの戦いに緊張しているのか、不思議な吐息をはきだし、
 それから問題ない、とでも言うようにこちらの手の甲を舐める。
「……こっち、準備できた! 決闘、宣言しろ!」
「うん。それじゃ、シェート君たちに決闘を申し込むよ!」
 おなじみの感覚が広がり、自分達が世界から隔絶されていく。
 考えてみれば、誰かから決闘を宣言されるのは始めてだ。
 身に着けた武器を感知し尽くし、シェートはひらりとグートにまたがり、呆然としているフィーの首根っこを掴む。
「うげっ!? も、もっどやざじぐっ!」
「行くぞ! フィー! グート!」
「うおんっ!」
 そして、三匹は駆け出した。
 決戦の地へ向かって。



[36707] 16、生きるために
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/06/02 09:14
16、生きるために

「俺、別に加護いらない、思ってない」
 深夜。
 小さな焚き火の前で行われた作戦会議の締めくくりに、シェートは切り出した。
「つったって、お前の話聞いてると『俺は加護なしで戦いたい』って言ってるように聞こえるんだけど?」
「……かもな。でも神器、壊される、取られる、無くなるもの頼る、無くした時、弱い」
『確かにな。始めは苦肉の策だったが、防御や攻撃、破術の付与は物を選ばず、
 柔軟に使用でき、しかも奪われない。最悪、木の枝でも、肉体でも、付与すれば戦える』
 シェートは頷く。
 すこしずつ分ってきた、自分が生き残るために何が必要なのか。
「俺、欲しい、生き残る力。誰も奪えない、取られない、そういう力」
『生き抜く力、か』
「だから、神器、加護、頼らない」 
 弱いからこそ、そして弱いものが、強いもの達に勝つために。
「なしで戦う、考える」
 考えるのをやめない、それが自分の進むための標。
『やれやれ、これでは何のために私が加護を使えるようにしたか、分からんではないか』
「ごめんな。でも、ありがとう、サリア」
「で、その無茶な作戦に、いきなり加わってくれとか……」
「来た早々すまん、フィー」
「わふっ」
「ありがとな、グート」
 火明かりの下、それぞれの顔を見回し、シェートは頭を下げる。
「すまん、みんな、力、貸してくれ」
『それは構わんがシェートよ、フィーもグートも、私の"加護"なのだがな?』
「え!?」
「しかも、"無くなるかもしれないもの"なんだけど」
「いや……その……」
 気まずい沈黙、その雰囲気を破ったのは、女神の喜びと労わりの香り。
『いいのだ、何を言いたいのかは分った。だから、そなたは思うようにせよ』
 何も言えなくなってしまったシェートに、サリアは優しく笑った。
『生きるために、な』

 星狼の体が風を切り、シェートの視界が輪郭を失う。
 自分とフィーの体が軽いとはいえ防具や矢筒を持った状態でも、試し乗りした時と速度が変わらないことに驚く。
 あっという間に目の前に目的地が見えてくる。
 地形的にはさっきとあまり変わらない、なぎ倒されていない木々が高く伸びているだけだ。
 だが、その立ち木の間に群れて刺さるもう一つの物が、異質を生み出している。
 勇者達が遺していった無数の愛剣が、突き立てられていた。
「フィー! 頼むぞ!」
「うおおおおっ! 降ろすのもやさしむぎゅうっ!」
 転がされ剣の林にぶつかって止まった仔竜を確認して、グートに乗ったまま一振り引き抜く。
「グート、転進!」
 飾り気もほとんど無い質素な一振り。
 急反転した視界に、こちらに走ってくるゴーレムと枝を折りながら飛来する翼竜が大写しになる。
「いけえっ!」
 左手でたてがみを掴み、右手で剣を肩に担ぎ、全身で星狼にしがみつく。
 その疾走速度は剣一本乗せたところで衰えはしない。
「ワイバーン! "テイルニードル"!」
 ホバリングしながら突き出される尻尾、そこから放たれる針の雨をものともせず、斜め走りする狼。 
 ゴーレムの太い左足が大写しになり、
「うおおおおおっ!」
 掴んでいたたてがみを離すと同時に、狼の背を押して体を跳ね上げ、担いでいた剣を両腕で一気に振り下ろした。
 ぎゅううんっ!
「ぐうううっ!」
 手に伝わる強い痺れ、狼の突進力と全身の膂力、そして三重の加護が、ゴーレムの表面に楔形の傷痕を刻む。
 そのまま地面に着地した体を回転、
「おおおおおっ!」
 大きく振りかぶった一刀が、くるぶしに当たって粉々に砕ける。
 同時にミスリルの細かい欠片が爆発するように飛び散った。
「ゴーレム! 足元にパンチ!」
 力の解放で体勢が整わないシェートに、股の下に向けたゴーレムのパンチが降る。
「うおんっ!」
 首筋をくわえて素早く狼がさらい取り、一瞬でコボルトが騎乗の存在となった。
「よし! いけ!」
 一気にゴーレムの威力圏内から遠ざかり、再び剣の林を目指す。
 フィーの情報と、サリアの助言を得て立てられた作戦。それはあきれるほど単純な策。

『おそらく、破術はゴーレムにも有効だ。
 掛けられた魔法を打ち消し、攻撃と防御の力を叩きつけることで破壊もできよう』
『でも、こいつの体じゃ魔法防御を貫けても、たいしたダメージ与えられないんじゃ?』
『そこで、グートの出番というわけだ。やれるな?』
『……わふっ』
『犬に乗ってチャージアタック、機動力を生かしてのヒットアンドアウェイか。
 いくら的が小さいからって、一発でも喰らったら、アウトだぞ?』
『でも、それしかない。なら俺、やる』

 破術で付与されたゴーレムの魔力を削り、ひたすら攻防の加護をかけた武器で打撃を与え続ける。
 自分の渾身の力に星狼の突進力を上乗せして。
「ワイバーン! "テイルニードル"!」
 銀の雨が降り、それを必死にかわしながら走る星狼。
 針の乱舞を避けながらシェートは矢を一本引き抜き、しがみついていた上体を立てた。
「っく!」
 思うより太ももに負担が掛かる、それでもそのままの姿勢で上空へと矢を放った。
「グアアッ!」
 加護付きの矢がワイバーンの首筋をかすめ、嫌そうに首を振る。
 矢の命中率は高くない、それでもしっかり下半身さえ固定しておけば、
「うわっ!?」
 グートが横っ飛びに針を避け、体がたてがみに突っ伏す。
「乗射(のりうち)、いきなり無理か!」
 その昔、村にいた変り種の狩人がやっていた、星狼を使った弓技。
 彼には専用の鞍と鐙があったが、今日乗っているのは裸のグートだ。
「シェート! 使え!」
 小さな体を必死に使って、新しい剣をフィーが放る。
 今度は幅広の重い一刀、掛かる負担が大きくなるが、それでもグートの勢いは衰えない。
 反転した視界に大写しになるまで接近したゴーレム、いくら動きが鈍いとはいえ歩幅が違いすぎる。
 それでも白い獣が走り、シェートが剣を担ぐ。
「もう一発っ!」
 今度は大きく開いた股の間、一気に駆け込み、同時にグートの背を蹴って大きく飛び上がる。
「うおああああっ!」
 大きく振られた一撃に、左の内太ももが削られ、打撃の力でゴーレムが僅かに揺らぐ。
「そこだワイバーン! "ファイヤーブレス"!」
 ゴーレムの防御力を信用した仲間を巻き込んでの攻撃、シェートの目の前で大顎がぱくりと口を開ける。
 それでも狩人は考える、殺し、生き残るために。
 左手が弓に、剣を手放した右手が矢を番える。
 体が落下、弓を引き絞り、竜の顎に劫火が溢れ、加護の矢が一瞬早く天を貫く。
「グギャアアッ!」
 落ちながらの射撃。しかし、弩のように射形を維持した上体から放たれた一撃が、大顎の脇を深く傷つける。
 爆炎が中空に撒き散らされ、蒼空を紅に染めた。
 そして、落下地点に感じる土の大地以外の存在。
「グート!」
 落ちた腰から落下の衝撃が伝わるが、それでもたくましい狼の筋肉がしっかりと騎手を受け止める。
「引き返せ! 股の下!」
 シェートの視界に映るのは取り落とした幅広剣。
 グートが走り、背から飛び降りたシェートがそれを掴み、勢いを殺さず大きく振りかぶる。
 ぎぎゅうううんっ!
 大樹に打ち込んだ斧のように、右のふくらはぎに深く食い込む剣。
 それを見届ける間もなく三本目の剣に疾走する。
「シェート、剣!」
 今度は美しいそりの入った薄刃の長刀、それを手にすると同時に、ゴーレムの巨大な影が自分達に向けてそそり立った。
「ゴーレム! "メテオストライク"で剣を壊せ!」
 ゴーレムの両手が頭上で構えられ、大地を粉砕する勢いで振り下ろされる。
「さ、させっかああああっ!」
 叫びと共にフィーの体が大きくジャンプし、剣の林の上の躍り出る。
 そんなむなしい妨害をものともせず、巨大な質量の前が仔竜に振り下ろされる、
「うそっ!?」
 はずの軌道半ばで、ゴーレムの腕が止まっていた。
「モ、"モンコロ"ルールは、テ、テイマー、攻撃、できないんだろ!?」
 泣きそうな顔で笑いながら、フィーが叫ぶ。
「うおおおおおおおおおっ!」
 渡された白刃を、自分の目線で止まった手首に斬りつる。
 美しく細(ささめ)に砕けていく鋼を撒き散らしながら、もう一振り、大ぶりの斧を担ぐ。
 めしりっ、と不快な音を立てて腕に鋼が食い込み、ミスリルの巨人に新たなアクセサリが追加された。
「さ、下がれゴーレム! ワイバーン"ブレス"!」
 だが、ぱくりと口を開けたワイバーンが空中で凍りつく。
 ゴーレムが退いた先、効果範囲の先にあるのは、モンスターのコボルトとテイマーの仔竜。
「グートおおおおっ!」
 ひときわ大きな剣を担ぎ、シェートが走る。その左脇に星狼が追走、すばやく騎乗が完成し、更に加速する。
 よろめくように下がったゴーレムの右足、その脛の裏側に食い込んだ大剣に視線が吸い込まれ、シェートの体が左に倒される。
 意図を理解したグートが風になり、瞬く間に右の脛が大写しになる。
 背を蹴って飛翔、全身を左巻きの大竜巻と変えたシェートが、担いだ三重加護剣を大きく振りかぶり、
「くらえええええええええっ!」
 めぎゅうううううっ!
 今までで一番大きな衝撃、自分の脳天すら砕けそうな一撃に視界が痺れ、
「オ、オオオッ」
 ゴーレムの足が耳障りな擦過音を立てて砕け、巨体が膝を突いた。
「うそおおおっ!?」
「よっしゃああああっ! 部位破壊成功っ!」
 フィーの快哉を耳に入れながらシェートは油断無く周囲を睨む。
 空の脅威、目の前の勇者の動きを神経を集中する。
「喜ぶ早い! 剣よこせ!」
 投げ渡された一振りを手に、殺気の塊になったコボルトは、目の前の巨像に突進した。
 
「ま……まさか……そんな」
 イヴーカスの口から、力ない言葉が漏れる。
 決闘場としてしつらえられた四阿、そこに呼び出した玉座にすっぽりと嵌りながら。
 逃げ出した先の剣の林、それを見た瞬間、何をする気なのかは分った。
 まるで樵が大木を切り倒すように、加護を掛けた武器を振るい続けるつもりなのだと。
 それが低レベルのゴーレムであればまだ分かる。
 しかし、最上位のミスリルゴーレムがそれほど容易く砕けるものか、そう考えていた。
 水鏡の向こうでコボルトが突進し、膝を突いたゴーレムめがけて大刀を振り下ろす。
 鎖骨辺りに鉄片が潜り込み、空の彼方から吹き降ろしたブレスを、ゴーレムという壁の下に潜り込んで避ける。
「くっ!」
 コボルトの実力は知っているつもりだった。
 すばやい動きと敵を罠でかく乱する戦法、だからこそ、障害物やトラップをものともしないゴーレムと、
 短弓の届かない高空からの攻撃を行えるワイバーンを選択させたんだ。
 それなのに、あの戦い方は。
「さ、悟! 早く"エリクサー"だ!」
 まだ回復がある、イェスタに発注したのは魔物を絶対捕獲できる"けんじゃの石"だけではない、
 モンスターを完全回復させるアイテムも持たせてあるのだ。
『ゴ、ゴーレム!』 
 道具袋から取り出されたビンがゴーレムに向かって放り投げられ、その放物線の軌道半ばで白い影が回復手段をさらい取る。
『ナイススティール! "敵のモンスターがアイテムをうばった"ってな!』
 星狼に指示を与え、作戦成功を喜ぶ青い仔竜。
 魔法どころか空も飛べない、能力的に何も見るべきところの無い、役立たずの存在ではなかったのか。
 いや、あの時の会話と竜神の配下であることを考えに入れるべきだった。
 "モンコロ"を調べたとはいえ、こっちは悟との会話に合わせる程度の基本的知識しかなく、
 同レベルのプレイ経験を持つものに対しては完全な部外者だ。
 しかも『同じルールにあわせる』ことで、司令塔の仔竜がテイマーと化してしまった以上、助言と助力を排除することは不可能。
 【神規】は勇者に特殊なルールを付与するものであって、一方的に有利な状況を作らせるためのものではない。
 だが、誰も悟の"モンコロ"と同じルールで戦わない以上、そのことが有利に働く、はずだった。
 相手がこちらの土俵で戦うことで、かえってこちらが不利になっていく。
『もういっちょ行けえっ!』
 仔竜がコボルトに剣を投げ与え、その一振りがゴーレムの腕に打ち込まれる。
「や……めろ……」
『うおおんっ!』
 再び放られた回復薬が狼によって奪い去られる。
「……やめろ」
『フィーっ!』
 投げ上げられた長刀を掴み、コボルトが大地に手を突いたゴーレムの腕を駆け上がる。
「やめろおおおおっ!」
 全身全霊の力を使ってコボルトが、ゴーレムの頭めがけ飛び上がり、
『ワイバーン! "ファイヤーブレス"っ!』
 悟の必死の声が響く。
 ホバリングしたワイバーンの口が開き、コボルトに向けられる。
 避けられない一撃、宙に足場は無い。
 鉄をも溶かす灼熱を喰らえば、あの魔物もひとたまりも無い。
「やった……」
 肥えた体を波打たせ、イヴーカスが立ち上がった。
 
 考えろ。
 魔物使いの少年の言葉に従い、翼竜が自分に向けてぱくりと口を開ける。
 目の前で世界が緩やかに流れ、空気がぬるりと動く。
 考えろ。
 勇者を一瞬で灰にする劫火。喰らえばひとたまりもない。
 手にした長刀、ゴーレムの頭上にまで駆け上がった自分、かわせなければ、死。
 考えろ!
 足場が欲しい、一撃を避けて、あの魔物を殺すための足場。
 両手が下がる、振り下ろされず股下に向けた切っ先。
 その先端が月桂樹を頂いたゴーレムの無表情、その頭頂に切っ先が突き当てられる。
 シェートの足が柄を踏んだ。
「う」
 炎がほとばしる寸前、筋肉がたわみ、全身の力が小さな魔物、コボルトのシェートを更に高みへを押し上げた。
 飛竜の視線がこちらを射抜き、奥を赤く染めた大顎が向けられる。
 膨れ上がる、全てを焼き尽くす灼炎。
「お」
 その殺意を真っ向から受けとめ、意識すら超えて体が動いた。
 矢を番え、引き絞り、女神の加護を重ねる。
 弓手(ゆんで)に意思を、馬手(めて)に貫く力を込めて。
「お」
 引き絞られた力が、圧倒的な意思が、大空の勇に叩きつけられたとき、その貪婪な瞳が浮かべた表情。
 弱さを超克し、万障を喰らい尽くさんとする、最弱の魔物への、絶対的恐怖。
「おおおおおおおおああああああっ!」
 絶叫と共に放たれた必殺の一矢が、大顎に吸い込まれ、ワイバーンの頭蓋が爆炎と共に砕け散った。

「うわあああああっ、ワイバーン!」
 悟の目の前で、ワイバーンの巨体が地面に落ちていく。
 あの時、コボルトを"ファイヤーブレス"で焼くことが出来たはずだ。
 それなのに、ワイバーンは動かなかった。
 まるで、あの小さな魔物に怯えたように。
「そんなあっ」
 悟の視界の先、翼も無いコボルトの体がまっしぐらに落ちていく。
 あのまま地面に叩きつけられる、そんな考えを否定するように更にコボルトが動く。
「くうううううっ!」
 差し伸べた右手、その先にはゴーレムの頭に突き刺さった長刀。
「や、め」
 まるで磁石でもついているかのように吸い付いた右手が、弓を捨てた左手が、
「ぬうおおおおおああああああああああっ!」
 落下と全身の力を込めて剣を引き落としていく。
「やめてええええっ!」
 剣が光り輝き、冠をつけた顔の半分を引き裂いていく。
 裂けた部分がひび割れ、崩壊が広がっていく。
 涙で視界が潤む。首なしになったワイバーンが地響きを立てて地に倒れ付し、
 その振動でコボルトが吹き飛ばされ、ゴーレムの顔が深く傷ついたまま残された。
「あ、ああ……」
 ぼろぼろになったゴーレム、顔が吹き飛んでしまったワイバーン。
「うそだよ……こんなの……」
 腰の袋に手を伸ばし、"エリクサー"を取り出す。
 いや、取り出そうと、した。
「グート」
 地面の深いところから響くような声に、手が止まってしまう。
 砕けたゴーレムの破片の中から、コボルトが立ち上がる。
「ひ……」
 犬そっくりの顔が、こっちを睨んでいた。 
 背丈は僕とおなじか、少し小さいぐらいだろう。
 その顔から感じるのは、胸が痛くなるほどの圧力だけ。
「う、あ……」
「勇者、薬、使わせるな」
 落ちたときに怪我をしたんだろう、右肩からも顔からも血が流れている。
 それでも、辺りを見回し、それから地面に転がった剣を拾い上げる。
「や、やめてよ! そんなことしたらゴーレムが!」
「何言ってる、勇者」
 怪我なんて全く気にしない、そんな顔で、肩に剣を担いで。
「これ、決闘。どっちか勝つまで、やる」
 こんな顔は、見たことが無かった。お父さんやお母さんに怒られたときも。
 怖くて、とても立っていられない。体が芯から震えて、喉がからからになる。
『悟! あいつのことなんて構うな! 早く"エリクサー"を!』
「あ、うあ……」
『このままじゃゴーレムが死んじゃうぞ! 早く!』
「……う、ああ」
 必死に震える手で袋に手を伸ばす。伸ばしたいのに。
 コボルトの顔が、怖い。
「やりたければ、やれ」
「あ……っ」
「そしたら、今度、もっと強く壊す」
 コボルトは、静かに、言った。
「俺、生きたい。だから、お前の魔物、全部殺す」
「うぁ……」
『そんなのハッタリだ! 頼むから悟……』
「怖い……怖いよ!」
 こんなの"モンコロ"じゃない、こんな、怖いゲームなんて!
『悟!』
「やだ、もう、やだよぉ……っ」
 コボルトは僕から顔を背け、剣を振り上げる。
「やめてぇ……お願い、だよ」
「すまない」
 そして、剣が――
「うおおおおおおおおおおおおおおんっ!」

 鼓膜深く入り込んだ咆哮が、脳を揺さぶった。
 ワイバーンを討ち果たしてから、ずっと膜が張ったようだった世界が、急に音を、色を取り戻していく。
「あ……」
 シェートはのろのろと構えていた剣を降ろし、周囲を見回した。
 子供が泣いている、少し離れた場所で、呆然とフィーがこっちを見ている。
 そして、グートが子供に向かって歩み寄っていく。
「お、おまえ……シロ……なの?」
「……くぅん」
 子供の頬を舐め、労わるようにして頬を擦り付けている。
 その仕草に、シェートは呆然と言葉を口にしていた。
「きっと、そいつ、お前、探してた」
「……え?」
「そいつ、街道近い森、いた。そこで、助けてもらった。
 その後、こいつ、ここ来た、用事のついで、俺の戦い、助けてくれた」
「シ、シロ……」
「そいつ、お前、探してたんだ」
 心が褪せて、高揚感が消えていく。目の前の子供の嘆きが胸に刺さって、力がすっかり抜けていく。
「……うそつき」
 子供が、ぽつりと呟いた。

『イヴーカスの、うそつき』
 今度はきっぱりと、悟が口にする。
「な、なにが……」
『シロは僕のこと覚えてないって! バイバイしたら二度と同じモンスターは来ないって言ったくせに!』
 一体、これは何の冗談だ。イヴーカスは巨体を揺らして水鏡から遠ざかろうとする。
 それでも、玉座にすっぽり挟まった体は、子供の糾弾から逃れられない。
『"モンコロ"と同じだって! 怖いことなんて無いって! 全部、全部嘘じゃないか!』
「さ、悟……っ」
『イヴーカスのウソツキ! イヴーカスなんて大ッ嫌いだ! 
 こんなの! こんなところいたくない! 家に帰りたい! 勇者なんて、勇者なんて』
「や、やめろ!」
 決して言ってはいけない一言、言わせてはいけない一言。 
 必死にこのゲームの穢れたところから遠ざけてきた企みが瓦解してしまう。
 だが、子供の心は完全に、弾けてしまっていた。
『勇者なんてやめてやる!』
「さとるうううううううううっ!」
 絶叫と同時に、冷酷な時計杖が、がちりと、新たな時を刻んだ。

 叫んだ途端、悟の心から、何かが転げ落ちた気がした。
「シロ……シロ……」
 そのふさふさした毛に伸ばした右手が、金の光を撒き散らして消えていく。
「え!? な、なんで!? どうして!」
 叫んでいる間に、足が、体が吹き散れていく。
「お前、勇者やめるっつったろ」
 仔竜が、悲しそうにうつむいていた。
「勇者は死ぬか、使命を果たすか、"辞めたい"ってお願いすると、
 元の世界に帰るようになってる、んだってさ」
「や、やだよ! せっかくもう一度会えたのに! シロ、シロ!」
「くぉん」
 必死に鼻面を伸ばして、僕の顔に舌を伸ばそうとする。
 でも、もう体も首も無くなって、言いたいことを言うための口も消えていく。
「シロ! ご……」
 ごめんなさい、待っていてくれたのに、ごめんなさい。
 そう言いたかったのに。
 そして、矢上悟の目の前は、真っ暗になった。



[36707] 17、森の中で(最終話)
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/05/21 17:56
17、森の中で

「やめろ! やめてくれええええっ!」
 神の遊ぶ庭に、悲嘆が響き渡っていた。
 すでに四阿は地に降り、黒き裁定者が静かに笑う。
 その目の前で、イヴーカスの威容が急速に萎えしぼんでいく。
「行くな! 行くんじゃない! 私の信仰! 私のもの! 私の、私のおおおお!」
 玉座が消え、王冠が消え、法衣が消え、みすぼらしいネズミの姿に還って行く。
「サ、サリアーシェ様! 我らには盟があったはずです! お互いの勝利に貢献し、助け合うという盟が!」
 すっかり以前の姿に戻ったイヴーカスは、その瞳にただ憐憫を引きたいという感情だけをのぼせて叫んでいた。
「イヴーカス殿……」
「せめて、せめて私の所領だけでも! 奪わずにお返しください! どうか、どうか!」
 そっと胸を押さえ、サリアは無駄と知りつつ、黒き女神に顔を向ける。
「……イェスタ」
「なりませぬ」
 笑顔、まったき笑顔がそこにはあった。
「この際はっきりと申し上げましょう。
 この遊戯において、敗者の戯言など、裁定者として一切聞くことはありませぬ」
 よく通る声が、イヴーカスだけでなく、この場ですべてを見ていた神々の心に、深く深く突き刺さっていく。
「敗者に情けを掛ければ裁定が緩み、勝負が湿りましょう。
 そのような茶番は誰も望みませぬ故」
 神々が、姿を消していく。
 大簒奪を行い、専横し、一瞬にして破産していった、愚かな神の姿に満足して。
「敗者は自らの定めを受け、粛々と消え行けば宜しい。それが私の裁定で御座います」
「この……この売女! ただ見ることしか出来ぬ傍観者め! 永遠に呪われろ!」
 イヴーカスの足元が固まっていく、その感覚を愕然と感じ取り、サリアに顔を向ける。
「私とて廃神同然の身でありながら、それでも地をはいずりながらやってきた! 
 そして貴方は奇跡を勝ち得て大神に成り上がった! 
 私もそれを望んで何が悪い! 貴方と私のどこが違うというんだ!」
「……全く、実に見るに耐えぬ茶番であります事」
 本当に視線を外し、時の女神は侮言を吐いた。
「志、振る舞い、全てが違っておるではありませぬか。
 何より、この期に及んで自らの敗北を勝者に誰何(すいか)し、
 自らの正当性を求める、ねじくれた卑俗な心根」
「やめよ、イェスタ」
 サリアは彼の前に腰を下ろし、強い感情を込めて、彼女を叱責した。
「このお方を愚弄することは断じて許さん。たとえ、遊戯の裁定者であってもだ」
「サ、サリアーシェ……様?」
 ネズミは呆然と顔を上げて、サリアを見た。
「私が勝てたのは、貴方が本当の言葉を知らなかったからです。
 いいえ、お忘れになっていたから、でしょう」
「本当の、言葉?」
「"狡猾は武の技に勝る力なり"、それが貴方の信条でしたな」
「そうですとも……だから、私は……」
「その後、こう続くのではありませんか? "ゆえに無道に謀ること無かれ"、と」
 イヴーカスは、穴の開くほどこちらを見つめ、その瞳から一筋の流れを生み出した。
「あ」
「今はもう居られない、古き神の言葉です。遊戯の始まりし頃、その御方も消えられたと聞く」
「あ、ああ……」
「"黄金の蔵守"、その銘は、その御方から頂いた物なのでしょう?」
「うあ……あ、あああ、ああああああああああああああああああああ!」
 滂沱の涙滴が両目から溢れ、イヴーカスが泣く。
 頭を抱え、溜め込んでいた全てを吐き出すように。
「ああああああああああああああああああああああ!」
 体が固まり、腕が固まり、声をしぼり出す喉さえ固まって。
 大神に成る事を夢見た、小さな疫神は、
 そうして慟哭の相を成したまま、物言わぬ石像と成り果てていった。

 茶番を見終えると、赤髪の大神は卓上のネズミ像を、塵も残さず消し去る。
 代わりに、犬の像を手の中に納め、仔細に観察した後、それをモラニア大陸の中央部に置いた。
「久しぶりに大神が生まれ、我らが集いに参入しようとするものが現れた、ということですな」
「の、ようだな」
「それにしても、この仔、かわいいね~」
 "闘神"は犬の像を興味深そうに見つめ、"愛乱の君"は指でその耳を辿ってご満悦の顔をしている。
「しかし、最後にあのコボルトが見せた動き……」
 "英傑神"は犬の顔を見つめ、何かを思案するように黙り、首を降った。
「どうかされましたか、シアルカ殿」
「いえ。もし私が彼の主であれば、などと、他愛のないことを考えたのですよ」
「……穏やかではないな。アレは魔性の者だぞ」
「でも、シー君好きそうだもんね、ああいう仔」
「いずれにせよ、サリアーシェの進撃も、ここまでです」
 "知見者"フルカムトは物憂げに言い、それから大陸の東岸に兵士の駒を置いていく。
 それは瞬く間に増殖し、中央の犬を圧殺するほどの量となって大陸を覆いつくす。
「せいぜい楽しませてもらいましょうか、女神よ」

 再び、山は夜を迎えた。
 三匹は黙ったまま座り、とろとろと燃える焚き火がその影を揺らす。
「ありがとな」
 沈黙を破り、シェートは感謝を述べる。
 グートはぴくりと耳を動かし、フィアクゥルはうつむいたまま胸に下がった板をいじっている。
「……たいしたこと、して無いから。礼なんて言うなよ」
 仔竜は手元を見たまま応えを返し、それから問いかけた。
「これから、お前、どうするんだ」
「これから?」
 その問いかけに、答えるのは難しかった。
 もちろん目的はある、こうして勇者との戦いを終え、冷静になっても、消えない思い。
「全ての勇者と、魔王、殺す」
「……そうか」
「でも、もうちょっと、考えたい」
 あの時、自分の何かが変わった気がする。ワイバーンを貫き、ゴーレムを切り伏した瞬間に。
 上手くは言えないが、自分の決定的な何かが。
 それが分かるまで、何かをするのは難しいと思った。
「フィー、お前、どうする?」
「……わかんねぇ。俺も、ちょっと考えたい」
「グートは?」
 星狼は目を細め、僅かな吐息を漏らすだけで答えに代えた。
『シェートよ』
「……終わったか」
『ああ、終わった。終わってしまった』
 大気に香るのは、どこまでも悲しげな彼女の気持ちだった。
「協力者、か?」
『こんなことを思うのは、おかしいかもしれんがな。私はあのお方を……』
「……そいつを?」
『師だと思っていたよ。大恩ある方だと』
 サリアの言葉もどこか迷子になっている、そんな気がした。
 自分の中にある、本当の心のありかを探しあぐねて。
「好きだった、か?」
『そう、かもしれん。交誼を結ぶことも、できたやもしれん。それが、悔しいのだ』
 考えることが多すぎる、自分のことも、これからのことも、この戦いの意味も。
 だからシェートは、言った。
「……もう、寝よう」
『そうだな。私は眠らぬゆえ、見張りを勤めよう。よく休むがいい』
「お前も寝ろ、サリア」
 その場に丸くなると、シェートは囁く。
「俺達、みんな、休み、いる」
 囁きながら、ゆるゆると、眠りに落ちていく。
 火明かりは相変わらずとろとろと燃え、闇の帳を深くしていった。

 全てが寝静まり、焚き火が燠火に変わるころ、フィアクゥルは歩き出した。
 そして、野営をした場所から程遠くないところで、
 未だに黒々とした残骸をさらすミスリルの塊の前で立ち止まった。
 たった一匹の、コボルトの狩人がしとめた、巨大な獲物。
 爪の生えた指がスマートフォンをつまみ上げ、メーラーを立ち上げる。
 彼は黙って、一通のメールを仕上げ、送信する。

 件名:どうしたらいいと思う
 本文:俺、これからどうしたらいいかな。

 どうしようも無く端的で、自分の心情を言い表したメール。
 返信は程なく着いた。

 件名:RE:どうしたらいいと思う
 本文:何をするのもそなたの自由だ。
    成したいことを、成せばいい。
    全てを見て、よく考えて、答えを出すがいい。
    良き旅を、勇者殿。

 つくづくとため息をつき、彼はゴーレムの残骸を見上げ、そっと自分の喉をさする。
 胸元で、メール画面が煌々と光を放っている。
 その受信者アドレスは、こういう文字列で始まっていた。
 『kouji_itumi』と。


<了>



[36707] 【全て】異世界の勇者やってたんだけど質問ある【実体験】(「かみがみ」外伝)
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/06/15 12:30

____________________________________________
【全て】異世界の勇者やってたんだけど質問ある【実体験】
1 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 22:21:02.00 ID:iAyDxcyY

ぜってー信じてもらえないのを承知で書く。
家族とか友達とかにも言えなかったし。
でも、誰かに聞いて欲しかったんで。

俺の体験したことをだらだら書くから、質問あったらよろしく。
別に嘘乙とか厨二病ウゼーでもいい。

2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:23:44.11 ID:Pr3mPGr4

はい、クソスレ終了。

3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:24:51.19 ID:lkT0MNo/

春休み延長中?それともニートか?
ともあれクソスレ乙

4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:27:02.27 ID:swIB90b3

SS書きたいなら専用スレかなろうでもいけよカス

5 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 22:30:14.18 ID:iAyDxcyY

やっぱそういう反応だよな。
そのぐらいがちょうど良いと思う。俺も夢だったんじゃないかと思うし。
でも、どうしても忘れられないんだ。

あの世界のことも、俺が死んだ理由も。

6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:30:11.27 ID:vUwenTBc

>>1

異世界の勇者ってなに?ゼロ魔とかああいうの?
死んだって何よ、帰れないん?

7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:30:19.43 ID:RH8XjJZM

>>1

ざんねん! わたしのぼうけんは ここでおわってしまった! って奴か

8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:32:54.28 ID:Pr3mPGr4

うわ、本格的に語り始めたよコイツ。

9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:33:47.36 ID:lkT0MNo/

おくすりちゃんと飲んでるか?あと親に迷惑かけんな。

10 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 22:35:17.39 ID:iAyDxcyY0

質問サンキュー。正直どこから話したらいいか迷ってた。

>>6

俺を呼んだのは、なんか偉い神様っぽい奴。名前はゼーファレスとかって言った。
長い本名もあったけど覚えらんなかった。
あと、帰れないのは確定、死んだらそこで終わりだってさ。

>>7

なんだっけそれ、聞いたことはあるけど元ネタ分からん。

11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:36:13.49 ID:FeeSSBD+

なにこれ?神様転生SSとか?

12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:37:38.13 ID:lkT0MNo/

俺tueeee系とか神様転生SS書くやつってキモオタデブってイメージ。

13 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 22:39:59.33 ID:iAyDxcyY

一応言っとくけど、オタだけどデブではない。あと学校は行ってるからな。

>>11

うん。その感じに近い。神様に呼ばれて、世界を救う勇者になれって言われた。
ネトゲしてたら呼ばれた、いきなり目の前が白くなって、気が付いたらって感じ。

14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:40:00.00 ID:vUwenTBc

何それ面白そう。ってか、神様ってどんな感じだった?
あと死亡した理由もkwsk

15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:41:02.35 ID:swIB90b3

>>14

はい一名釣れましたー。

16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:42:04.59 ID:Pr3mPGr4

>>14

餌やんなよ、キモオタが調子付くだろ。

17 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 22:44:14.02 ID:iAyDxcyY

>>14

俺を呼んだのは金髪のチャラ男っぽい感じ。
ひらひらした服とか、小手とかブーツとかつけてて。
なんか、自分はすごい神様だとかすげー自慢された。正直ウザかったけどなw

で、そいつと会って「お前に最強の力をやるから、魔王を倒して来い」って言われた。

18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:46:44.00 ID:INoIOg0r

僕と契約して、異世界の勇者になってよ!

19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:46:50.17 ID:wdtiVtoM

出たな害獣。魂まで焼き捨てんぞ。

20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:49:54.29 ID:swIB90b3

>>1

チャラ男www
なにそれホストみたいなん?
そんな神様にホイホイついてって、大丈夫だったのかよそれ。

21 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 22:51:34.25 ID:iAyDxcyY

>>18
>>20

実は俺もそれが心配だったから細かく聞いたw
なんか最近召喚された勇者候補はみんな、契約についてうるさかったらしいwww
害獣さんマジ害獣w

んで、その後、神様から貰った武器とか防具とかを貰って、モラニアって大陸の
リミリスって国に送り出されたんだわ。

22 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:53:59.59 ID:Pr3mPGr4

ほうほうそれでそれで(AA略

23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:54:03.31 ID:vUwenTBc

>>1

なんか気になったんだけど、勇者ってお前一人じゃないの?
それと貰った武器とかの性能は?
あと契約ってどんなだった?

24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 22:56:18.00 ID:lkT0MNo/

>>23

食いつきすぎw

25 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 22:57:06.02 ID:iAyDxcyY

いや、食いついてもらってマジで助かってる。俺そういう説明とか苦手だし。

>>23

なんか、勇者は俺一人じゃなかったみたい。
いろんな神様が自分の勇者を呼んで、その世界に送りこんでたっぽい。
でも俺は見たことないよ。
・・・あいつは、なんかそういうんじゃなかったし。

契約っていうか、細かいチュートリアルみたいなもんがあった。
俺たちみたいな勇者はみんな神様の加護を貰って勇者をやる。
で、死ぬかリタイヤするか、魔王を倒したら元の世界に戻れる。

加護の形は色々あって、武器や魔法を使う能力とか仲間とかに変換される。
面白いのが勇者にはレベルがあって、敵倒すとレベルアップするってシステムがあるんだよ。
弱い神様でも遊戯に参加できるようにするためだって言ってた。

俺のほうはコマンド言うと色々な剣技が使える剣と、
絶対防御結界が張れる鎧と、詠唱なしで大魔法が三回まで使える腕輪だった。
あと、何回か死んでもOKだったみたいだな。

26 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:00:28.51 ID:Gv/vlkS2

何このスレ、厨二小説の設定でも書いてんの?
誰か産業。

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:01:34.44 ID:Pr3mPGr4

神様召喚の勇者やってた厨二が経験談()を語る

って一行だよw

28 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:01:48.26 ID:INoIOg0r

レベルwww
絶対防御の鎧www

厨二妄想爆発だなw

29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:02:11.32 ID:vUwenTBc

>>1

話だけ聞いてるとそれ無敵じゃね?
なんで負けてんの? 
てか死んでも平気なんじゃないの?

30 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:03:43.33 ID:RH8XjJZM

>>29

意外な理由で死んだのかもしれないぞ。腹痛とかw

31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:04:16.07 ID:swIB90b3

腹痛www
てか、こっちの人間がファンタジー(でいいんだよな?)な世界に行って平気なのか?
食い物とか

32 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 23:05:28.51 ID:iAyDxcyY

>>29

俺もはじめはそう思ってた。すげーでかいワームとか、魔法の腕輪で一発だし、
ゴブリンとかオーガとかに群がられても傷一つ付かなかったしな。
仲間とか要らないぐらいだった。

>>30

・・・まぁ、腹痛っていうか、それに近い。

>>31

あー、食い物はマジできつかった。しょっぱいか味がないかのどっちかで。
パンはごりごりで変な味がするし、水で薄めたワインとかはじめて飲んだよ。
それと寝床にしらみとか湧いてんの見てマジでうぇってなった。

33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:06:10.45 ID:Pr3mPGr4

>>1

しらみw
でも、結構リアルっぽいな。中世ベースなファンタジー物だと飯とかまずいって書かれるし
風呂入らないとかあるみたいだし。

34 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:07:44.09 ID:lkT0MNo/

>>1

仲間とか言ってたけどおっさんか?それとも美少女ハーレム?

35 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:08:12.12 ID:swIB90b3

>>1

レベルアップの時に音とかした?
あと、仲間の女の子かわいかったか?

36 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 23:10:49.04 ID:iAyDxcyY

なんで女の子確定なんだよw

答えから言っちゃうと、うちのパーティは俺以外は男の騎士と女魔法使いと女僧侶ね。
神様の啓示を受けて俺に付くように言われたっぽい。

で、そいつらといっしょに魔物倒したりして冒険してた。

レベルアップの時は音とかしなくて、神様が教えてくれる形式。
でも、ネトゲの感覚で敵倒してたら大体のレベルアップタイミングはわかったかな。

男騎士はアクスルって名前で頼りになるおっさん。
女魔法使いは傭兵をやってたエルカ。
最後にリィルっていう女僧侶。

エルカもリィルもどっちもかわいかったよw

37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:11:00.05 ID:Pr3mPGr4

リア充爆発しろ

38 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:11:13.42 ID:lkT0MNo/

おっさんがパーティに入ってんのは評価するが爆発

39 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:11:49.38 ID:swIB90b3

死ねばいいのに。って死んだから書き込みしてんのか、ざまあwww

40 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:13:11.40 ID:RH8XjJZM

>>1

それで、実際の旅はどんな感じだったんだ?
冒険した時間は短かったのか?

41 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 23:15:00.28 ID:iAyDxcyY

>>40

短いか長いかはそっちで判断してくれ。
大体三ヶ月ぐらいはいた気がする。

リミリスって国に降りてから、俺はリィルたちに引き合わされた。
なんか王様とかも俺のこと知ってて、ゼーファレスがそういうお膳立てを
みんなやっててくれたらしい。

壮行会ってんだっけ?そういうのをやってくれてさ、勇者万歳みたいなそういうの。
ごちそうとか出て、あれは結構うまかった。

それからカミサマの誘導にしたがって、クエストクリアしたりランダムエンカウンター
倒したりして。

レベルアップするとボーナスが付くらしくてさ、最終的に俺の鎧はどんな魔法も跳ね返す
絶対防御の鎧になったんだ。

42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:17:21.22 ID:Pr3mPGr4

>>1

割と順調っぽいけど、それで何で死んだんだ?
毒とかそういうのでやられたとか?

43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:18:21.59 ID:FeeSSBD+

>>1

ゲームとかで「絶対防御」とかは死亡フラグだろw
防御効果無視の敵が出たとか。

44 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:19:44.22 ID:swIB90b3

>>1

それに復活出来るとか言ってなかったっけ?
神様召喚の勇者で加護まで貰ってるなら、一度ぐらい死んでも問題なさそう。

45 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 23:20:39.05 ID:iAyDxcyY

>>42
>>43
>>44

俺の鎧、毒とか麻痺とかも無効にするようになってた、つけてる限りは。

やられた理由はこれから話す。
ていうか、俺が一番話したかったことが、どうして俺が死んでこっちに帰ってきたか、だから。




・・・俺さ、村の人から一個クエストを受けたんだわ。
内容は、山奥に集落を作ってるコボルトを全滅させて欲しいっての。
カミサマのほうもレベルアップの経験点が入るし、ちょうどいいって言ってて。
俺もまあコボルトだしって思って引き受けた。

46 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 23:26:01.00 ID:iAyDxcyY

狩りはすごい楽だった。
エルカが炎の壁で集落を囲って、逃げ道ふさいで。リィルの魔法で火傷しないように
防御してくれてたし。
俺はアクスルと二人で切りまくった。多分一レベルぐらいは上がったと思う。

その狩りの最後に、生き残ったコボルトが一匹出てきて、そいつと戦った。
っていうか、やっぱり一方的に俺が殺した。
弓撃ってきたけどぜんぜん効かないからさ、そのまま刺し殺した。

47 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:27:29.06 ID:Pr3mPGr4

なにそれこわい。
ていうか大虐殺じゃん。

48 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:29:31.57 ID:Gv/vlkS2

>>1

そこだけ聞いてると>>1が悪人に見える。

49 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:30:43.33 ID:lkT0MNo/

なんで?コボルトなら敵だろ。そもそも魔王の手下なんだろ?
それとも原住民扱い?

50 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:32:51.23 ID:FeeSSBD+

そのコボルトって村に被害とか出してたの?
姿とかはどんな感じだった?

51 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 23:33:00.37 ID:iAyDxcyY

>>50

村人は「コボルトがいると、あいつらを奴隷にしたがるゴブリンとかが来て村に被害が出る」
って言ってた。

それと、コボルトは魔王の手下ってのは確定。ただ、すげーよわっちくて、魔物からも人間からも
ザコ扱いなのは変わんないみたい。

見た目はちっちゃい犬人間かな、ふさふさした毛皮とか尻尾とか、顔も雑種犬ぽい。

52 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 23:38:32.54 ID:iAyDxcyY

何日かして、俺らはカミサマの誘導で魔物が制圧してる砦を叩きに行った。
レベルアップボーナスで、そろそろ絶対魔法防御がつけられるようになるからって、
その経験値稼ぎのために。

・・・そしたらさ、そこにいたんだ。
俺が殺したはずのコボルトが。

53 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:40:14.35 ID:Pr3mPGr4

>>1

なんでそこでコボルト?
復讐のために出てきたとか?

54 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:40:32.47 ID:vUwenTBc

なんか面白くなってきた。
そのコボルトが>>1の死亡原因?

55 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:41:58.54 ID:wdtiVtoM

小さいと思って侮ると、痛い目を見るってことだな。うん。

56 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 23:45:00.10 ID:iAyDxcyY

>>53

そういうんじゃなかった。生き延びて、それで奴隷としてつかまったらしい。

>>54

そういうことになる。でも、そこで会ったときは本当にそんな雰囲気とかなくてさ。
その時もすぐ殺せるとか思ってた。

57 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 23:50:22.30 ID:iAyDxcyY

なんか、そのコボルトはゼーファレスの妹でサリアって女神が生き返らせたらしい。
俺はいつもみたいに、そいつを斬りつけて殺そうって思った。

でも、その時そいつが思い切り抵抗して、その拍子に鎧の防御が発動しちゃったんだよな。
鎧の防御は完全に敵の攻撃を遮断する代わりに、そのシールドが出ている間
こっちの攻撃も出来なくなるんだよ。
ほんの数秒ぐらいなんだけど、偶然その隙を突かれて。
そいつは逃げ出して、それっきりになった。はずだった。

それから少し後、二週間ぐらいかな、今度はそいつが襲ってきたんだ。

58 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:51:11.40 ID:Pr3mPGr4

>>1

コボルトの逆襲?

59 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:53:17.42 ID:lkT0MNo/

>>1

リア充爆発クルー?

60 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:54:01.02 ID:FeeSSBD+

>>1

てかそれ絶対防御じゃなくね? シールド越しに攻撃とかできないの?

61 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:55:20.57 ID:RH8XjJZM

>>60

絶対防御は死亡フラグだって >>43が言ってたw

62 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 23:56:01.23 ID:iAyDxcyY

鎧については俺も文句言ったけど、なんかそういう決まりらしい。
完璧なものを作ると、上位のカミサマに下位の奴が勝てないからとか。

話もどすな。

その時俺たちは山沿いの街道を馬で移動してた。俺も結構乗馬とかうまくなってて、
リィルと喋りながら移動中だった。

その時崖の上から樽が転がってきて、俺たちはそれを避けた。ぶつかってきたのは
全部鎧の効果でダメージすら入らなかったし。

樽の中には汚物って言うか汚くて臭いものが一杯詰まってて、エルカが待ち伏せだから
一旦戻ろうって話になった。

俺とリィルが先頭に立って、ほんの少しリィルが先に行き過ぎた、んだと思う。
そこで、あいつが山の中から矢を撃ってきて・・・リィルが落馬した。

63 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:58:29.32 ID:AEOIm2KA

>>1は、助けなかったん?てかリィルちゃんしぼん?

64 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 23:59:59.59 ID:Pr3mPGr4

自分専用の鎧だから他人は無理じゃね?てか、襲撃してきたのはコボルトか。
結構頭いいのか?

65 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:00:00.00 ID:lkT0MNo/

女神様の力とか。
ていうかその女神さまってどんなん?顔見た?

66 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 00:01:26.24 ID:iAyDxcyY

落馬したリィルは生きてて、自分は大丈夫だからって言われて
俺もそのまま襲ってきた奴を迎え撃ちに行った。そしたら森から出てきたのがコボルト一匹で。

今思えば、その時から目つきとか雰囲気とかぜんぜん違ってたんだけどさ。
俺のほうはぜんぜん気にしてなくて、アクスルとエルカに油断するなって感じで叱られたよ。
・・・正直、ちゃんと注意聞いておけばよかったって、今でも後悔してる。

そのコボルトは、矢に毒を塗ったって言ってて、振り返ってみるとリィルは気絶してた。
二人は俺にリィルの治療に行けって・・・それで、言われたとおりに行くことにした。

治療を終えて加勢に戻ったら、今度はエルカがやられてて、
アクスルは鎧も武器もなくなってたんだ・・・。

67 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:03:37.12 ID:Gv/vlkS2

>>1

なんか展開早くね?てかいきなりパーティ半壊とか。

68 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:05:01.11 ID:FeeSSBD+

>>1

それコボルト一匹でやったの?他に仲間は?


69 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 00:06:17.19 ID:iAyDxcyY

>>63

もっと近かったら一緒に守れたんだけどな、リィルが匂いを嫌がって先に出たから・・・間に合わなかった。

>>65

声だけは聞いた。きつめだけどいい声だった。
コボルトの方はよく分からない。女神の力はそんなに強くないって本人は言ってたけど。

>>67
>>68

俺もマジでびっくりした。
俺みたいなアイテム補正がなくてもみんなそれぞれ強かったり魔法使えたりしたからさ。
気が付いたらあっという間だった。

コボルトに仲間がいるか聞いたけど「みんな死んだ」って言ってた。
あれってさ・・・俺が殺したからもういない、ってことだったんだろうな。

70 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 00:12:24.00 ID:iAyDxcyY

コボルトは一匹で俺たちを追い詰めた。
アクスルはそいつが連れてきた錆喰いとかってモンスターに鎧と剣を溶かされて、
エルカは毒矢を喰らって死に掛けで。
そいつが「俺を殺せないから、お前の仲間を殺す」って言ってきた時、
ものすごく頭にきたけど、同時に怖かった。

なんか、いきなり自分の仲間が死ぬかもしれないってピンチになって、頭が真っ白になって。
エルカが指示飛ばしてくれたけど、うまく動けなくて・・・。
結局、二人とも、コボルトの毒矢で動けなくなったんだ。

その後、俺はそいつを追っかけて、山の中に入った。
仲間を傷つけられて頭にきてたし、コボルトの攻撃は俺の防御を抜けないからさ。

71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:13:58.27 ID:RH8XjJZM

>>1

その時点で気が付くべきだったな。
それはどう考えても>>1から仲間を引き剥がして、倒すための罠だ。

72 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:14:14.48 ID:wdtiVtoM

>>1

女神かコボルトか、どっちが考えたにしろ、その後のことも考えて動いてたんだろうな。
頭いいぞそいつら。

73 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:15:03.31 ID:vUwenTBc

>>1

そういや腕輪の魔法とかはどうしたん?内容とか聞いてないけど。

74 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 00:17:26.49 ID:iAyDxcyY

>>73

腕輪は三種類の魔法、絶対命中する魔法の矢と、爆発の魔法と、雷撃が使えた。
それを三回までなら好きなように使える。

その時は錆喰いを倒すのに一回、コボルトに向かって二回撃った。
でも、コボルトは壁になるもので矢の威力を防いだから、ほぼノーダメだった。
始めから破り方は考えてたみたいだ。アクスルの鎧のパーツとか、
楯とかを自分の加護で強化して使ってたみたい。

追いかけてったらそのコボルト、シェートとか言ったんだけど、
そいつが俺に決闘を申し込んできた。

決闘って言うのは勇者同士で優劣を決める時にやるもので、宣言した周囲の空間に
フィールドを張って、勇者とその仲間しかいられない場所を作るもの、らしい。

俺はその決闘宣言を受けたせいで、そいつと三日の間、闘うことになったんだ・・・。

75 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:18:16.18 ID:AEOIm2KA

雲行きが怪しくなってまいりましたって感じか。
結果としちゃ、その決闘のための結界に入った時点で死亡確定だってことだよな。

76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:19:01.09 ID:Pr3mPGr4

三日って三日目に決着がついたから?それとも三日限定の結界?

77 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:20:12.49 ID:INoIOg0r

コボルトの能力とかは分からなかったのか?
てかお前の神様何してたんだよwww

78 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 00:22:14.14 ID:iAyDxcyY

>>77

それに関しちゃ俺も言いたいことがあるんだよ。
あいつ、俺の知らないところで決闘に余計なルールをつけてたんだ。
決闘に入る前から決闘中ずっと助言と追加の加護を禁止するってやつ。
その説明を受けたっきりで、俺はそれっきりあいつとは話しもできなかった。

あいつがそんな約束してなかったら・・・いや、しててもダメだったかもな。
結構バカっぽかったし。

>>76

結界は三日限定。で、三日目の昼ぐらいまで掛かった。
コボルトは時間一杯まで粘る気だったみたいだ。
俺の調子しだいじゃ、もっと早く決着ついてたかもな。

コボルトの能力については、正直良く分からん。
ていうか、矢にエンチャントしてダメージを上げるのと、防御力強化、位だと思う。
あとは毒を使って敵を攻撃するくらい。
でも、俺の防御を貫くような攻撃はできないって本人も言ってたし、実際あいつの矢は
一発も喰らってないよ。

ただ、そういう能力以上に、あいつが狩人だったってことが大きかったんだと思う。

79 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:23:34.07 ID:RH8XjJZM

>>1

バカっぽいw
本人が聞いたら青筋を立てて怒るぞwww
とはいえ、最強の力などを与えて俺tueeeしたい神など、侮られても仕方ないと思うがな。

80 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:24:50.34 ID:vUwenTBc

なにそれひでぇなwまぁ、カミサマなんて勝手なもんだし、諦めろw

話長くなってきたから整理するな。

>>1は神様に召喚されて勇者になった
最強の剣と絶対防御の鎧、魔法が使える腕輪を持ってる
レベルも結構上げて装備とかも強化済み
仲間もそこそこ有能だったけどコボルトの攻撃でリタイアした
神様は女神との約束で、決闘中の助言と加護を封じられている。

コボルトは>>1に殺された魔物で女神の力で復活した
その後、>>1に復讐するために色々な罠をはって襲い掛かってきた
能力は攻撃強化と防御強化、あと矢に毒をつけて攻撃。
コボルトの攻撃は>>1には通用しない。

・・・狩人が使うのって罠とかそういうのだろ?
神様の助言が無いとはいえ>>1の負けるのがちょっと想像できないんだが。
まさか、絶対防御は攻撃意思の無い攻撃(要するにトラップ)とかに反応しないって
間抜けなオチじゃないよな?

81 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 00:28:52.58 ID:iAyDxcyY

>>80

防御の結界は球状で、俺に直接害がありそうなものは何でも防いでくれたよ。
あいつのトラップの大半は効かなかった。
ただ、足を引っ掛けるロープみたいに、直接打撃にならないものには反応しなかった。
あと言い忘れてたけど腕輪の魔法は夜明けになるとチャージされる仕組み。

ここからは三日間の動きを書いてく。
正直、思い返すと結構悔しい気持ちにもなる。もうちょっと冷静だったらって。
それと・・・あの暗闇の中で体験したことは、一生忘れられないと思う。

82 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 00:33:49.02 ID:iAyDxcyY

一日目の夜は、頭に血が上ってたってのもあるけど、全然冷静じゃなかった。
まず、あいつに決闘宣言されて「お前を狩ってやる」って言われてさ。
なんとか隙を突いて斬りかかろうと思ってたんだけど隙が無くて。

それで、気がついたらすっかり辺りが暗くなってた。
電灯とか全然無い暗闇って、すげーのな。目玉に膜が張ったみたいになって
本当に何も見えないんだよ。

それから、あいつは矢を撃ってきた。効かないのを分ってるはずなのに。
何回も何回も。
でも、途中で気がついたんだ。あいつの強化された矢が障壁に当たるたびに光が弾けて
その度に俺の目が利かなくなってるのが。

なんとかやめさせようと思って剣を振り回していったんだけど、掘ってあった穴に落ちちまった。
その後も、張ってあった木のつるとかに引っかかって転がされたりして・・・。
もちろん鎧のおかげで傷なんてつかなかったけど、正直きつかった。

83 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:34:11.58 ID:Pr3mPGr4

なにそれこわい。
コボルトっていうよりベトコンめいている。モッチャム!

84 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:36:44.32 ID:lkT0MNo/

心理戦かぁ。コボルトとか夜目効きそうだもんな。
ダークゾーン歩くたびにトラップとか、ダメージ無くてもうぜーし。

85 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:37:00.51 ID:swIB90b3

魔法とか使えばよかったのにって思ったけど>>1は使い切ってたんだっけ。
コボルトにしてみれば間抜け勇者m9(^Д^)プギャーって感じだったろうな。

86 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 00:38:29.22 ID:iAyDxcyY

>>84
>>85

俺もそんな気分だったから、その後は下手に動かないで朝になるのを待とうと思った。
朝になれば魔法も回復するし、その時に倒せばいいって。
ただ、飯とか水とか持ってきてないせいで、飲まず喰わずで野宿ってのがきつかった。

俺が大きな木の下で野宿した時には、コボルトの襲撃も一旦止んでて、俺は安心してた。
上から夜露が垂れてきて、びくっとしたこともあったんだけど、その後はぐっすりねちまって。
・・・でも、その時にはもうコボルトの次の攻撃は始まってたんだよ。

87 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 00:43:02.52 ID:iAyDxcyY

二日目の朝、俺はなんか気持ち悪い感触で目を覚ました。
首の辺りにもぞもぞ動くものがあって・・・確かめようとしてこすったら
こうぷちって感じの感触が広がって、小手ごしからでも、沢山の虫がうごいてるのが分った。

俺が水滴だと思ってたのは、コボルトが一晩中、俺に気づかれないように垂らしていた
虫寄せの樹液だったんだ。

それが首筋から背中にかけて、ぞわぞわってはいまわってて、しかも俺の皮膚に噛み付いたり
潰した体液でかぶれたりして・・・すげー気持ち悪かった。

88 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:43:55.01 ID:FeeSSBD+

うげええええええええきもちわりぃいいいいっ。

89 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:44:29.36 ID:swIB90b3

虫で攻撃とかえぐすぎる。
てか障壁がはじかなかったんか?

90 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:46:17.23 ID:Pr3mPGr4

俺虫とかダメ。てか触れない。そんな状況にあっただけで死ぬわ。

91 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:48:55.52 ID:vUwenTBc

あ、もしかしてその障壁って、直接害が無いものは弾かないから
「樹液に集まってきた虫」は害が無いって弾かなかったんじゃ?

92 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 00:55:47.32 ID:iAyDxcyY

>>91

そうっぽい。
コボルトの作戦は、初めから俺を直接攻撃で倒すって気は無かったんだと思う。
もし俺が、かゆみに負けて鎧を外してたら、あの時点で死んでたんじゃないかな。

・・・正直、そうして置けばよかったってちょっとだけ思ってる。

93 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:56:19.32 ID:wdtiVtoM

死ぬより辛い目に会ったってことか……。鎧をはがされて拷問とか?

94 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 00:57:33.07 ID:AEOIm2KA

>>93

発想が怖すぎる。でも話の流れからいうとそれも否定できない。

95 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 01:00:03.49 ID:iAyDxcyY

そんで、俺が背中とかこすり付けて、何とか虫を潰し終えた辺りで、またコボルトが来た。
魔法はもうチャージできてたし、そのままぶっ放してやろうかと思ってたけど・・・
あいつと少し喋っている間に、いきなり森の中に霧が立ち込め始めたんだ。

あいつはそれも見越して、俺の前に姿を現したんだと思う。
その後、あいつは霧の中で俺に近づいて、鞘をかっぱらっていった。
それから、昼ぐらいまではあいつの姿を見なかったよ。

その代わり、俺はめちゃくちゃ腹が減ってることに気がついた。
昨日の晩から何も食べてないし、飲んでない。
森の中には変な木の実があったけど、食べてみたらにが酸っぱくて食べられたもんじゃなくて。
そんな時、川のある辺りから肉の焼ける匂いがしてきたんだ。

96 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:01:26.08 ID:lkT0MNo/

>>1

何で鞘?癒しの力でもついてたの?

97 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:02:46.32 ID:wdtiVtoM

>>96

なにそのエクスカリバー。

98 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:03:13.07 ID:FeeSSBD+

ちょっとずつ剥ぎ取っていく戦法かもな。
最後に>>1は素っ裸になるw

99 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:05:13.00 ID:swIB90b3

肉の焼ける匂い、新たなトラップの予感。

100 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 01:07:23.00 ID:iAyDxcyY

>>96
>>97

鞘は頑丈って以外特に効力は無い。
多分、俺の手を疲れさせるために奪ったんだと思う。実際鞘に収めてないと剣って邪魔だし。
そういや、勇者が持ってる武器を神器って言うんだけど、他の勇者がやたらと神器に
エクスカリバーって付けたがったらしいw
あとゲイボルクとか草薙剣とか、名前が被りまくって恥ずかしい思いをした連中もいたってさw
ちなみに俺の剣はゼーファレスって名前で、それはそれでどうよって、今でも思ってるw

>>98

当たってる。あいつは結局、俺を身包み剥いだんだよ。

101 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:08:33.11 ID:FeeSSBD+

マジで?割と冗談で言ったつもりだったんだが・・・
そういや>>1は男?女?
その当たりをちょっと詳しく聞かせてくれないか(身包みはがされた的な意味で)

102 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:09:01.40 ID:Pr3mPGr4

どう考えても男だが、口が悪くてかわいい女の子である可能性も微レ存

・・・いや、ねーな。

103 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 01:12:33.47 ID:iAyDxcyY

俺男だから、夢壊してごめんw

俺が匂いに誘われて行ってみると、コボルトはなんかの肉を焼いてるところだった。
腹減ってたし、ちょうどいいって思って、魔法の矢を撃ったんだけど、たぶん女神が
見てたんだろうな、当たる前に逃げられた。
あいつ川に面した崖近くで肉焼いてたんだ・・・ちょっと注意すればわかったはずなのにな。

それで、俺はそのままコボルトを追いかけて川に降りた。岩とかがごろごろしてる岸でさ。
あいつは逃げてくと「俺の食い物を取ろうとするな、ずるは良くないって」言ってきた。
俺も頭にきて「お前だってこそこそ罠つかって卑怯なことしてんだろ」って言い返して。
コボルトは、俺が獲物をとって食うのは止めないって言って消えた。

俺のほうは、正直喉も渇いてたし、魚ならすぐ取れるだろうって思って、川に行った。
結構きれいだったし、口も洗いたかったから、俺は水に口を付けようとしたんだ。

そしたら・・・虫が流れてきた。それから沢山の魚も。
コボルトが上流から毒を流したんだ。
あいつは「飲めるもんなら飲んでみろ」って、見えないところから言ってきたよ。

104 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:13:24.04 ID:Gv/vlkS2

なんという策士。ていうか川に毒とかコボルトさんマジ怖い。

105 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:14:00.18 ID:lkT0MNo/

なんか本格的にベトコンっていうかゲリラじみてきたな
食料と水を攻めてくるとか怖すぎる

106 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:16:01.33 ID:vUwenTBc

>>1

生水は体に毒だぜ?きれいそうな奴でも寄生虫とかバクテリアとか居るからな
上流の沢とかなら割と安全だが。

107 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:17:43.39 ID:FeeSSBD+

コボルトが食う肉とか、俺はちょっと手が出ないなぁ。
なんかやばそう。

108 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 01:18:58.17 ID:iAyDxcyY

>>106

それは俺も知ってた。アクスルにも生水はせめて沸かして飲めって言われてたし。

>>107

今思うとぞっとするんだけど、そんときは腹へったってことしか頭に無かったからな。
あいつの食ってるものを奪ってやろうってだけ考えてたんだ。

109 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 01:22:01.38 ID:iAyDxcyY

その後、あいつは夜になるまでこなかった。
俺のほうは、水も飲めないし何か狩ろうとしても狩りのやり方だってしらない。
魔法でウサギとか取ろうと思ったけど、魔法の矢の呪文だってウサギに使ったらミンチ肉に
なるだけだって思ったしな。第一焼くための火も無かった。

・・・恥ずかしい話なんだけど、そういう身の回りのことはみんな仲間に任せてて。
最初はなんかやろうと思ったんだけど、火打石とか使ったことも無いわけで。
あれ、もし雪山とかで同じ目にあってたら・・・俺、どうなってたんだろうな。

結局火も起こせないし獲物も取れないから、そのまま木の下で休むことにした。
前の晩に寝たのとは違う、上に誰もこられないような立ち木を選んで。

森が真っ暗になったころ、あいつは来た。
闇の中で、吼え声を出しながら。
ほーう、ほーうって。
こっちをいらつかせて、罠にかけるとかそういうもんだと思ってた。
俺は近くの隠れられそうな茂みとかをぶった切って、でも・・・正直怖かった。
暗い闇の中で、がさがさ動き回りながら、叫び声だけ上げていくんだよ。
次に何をするか分からないし、うっかり罠にはまるかもしれない、そう思って。

それで、吼え声が止まったと思ったら、今度は何か金属を打ち合わせるような音がして。
すげーうるさくなった。
どのぐらい聞いてたのかわかんないけど、吼えるのと金属音が交互に来るんだよ。

それで・・・たまらなくなって、一発爆発の魔法を撃った。
全然当たらなかったけど。それっきりあいつの声が止まった。
ようやくこれで静かになるって、思った。

その途端、俺のすぐ後ろから声が聞こえたんだよ。
「ほーう」って声と、俺を見つめる目が、そこにあった。

110 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:23:11.02 ID:Pr3mPGr4

・・・おっかねぇな。
そんな目に会ったらションベンちびる自信がある。

111 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:24:31.15 ID:lkT0MNo/

SANチェックもんだな。1D3/1D10くらいかな。

112 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:25:51.59 ID:vUwenTBc

なにそのホラー。っていうか完全に精神攻撃してきてるじゃねーか。
それマジでコボルト?

113 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 01:26:59.59 ID:iAyDxcyY

多分SANチェックは失敗してるw;
その後すぐに魔法を撃って、ばっちり木の板で防がれたしな。
あいつ、自分をさえぎる楯を使って、そこに攻撃と防御の力をかければ、俺の魔法を
打ち消せるって分ってたんだよな。
だから、あんなギリギリまで近づいて、無駄打ちさせようとした。

俺はその手に引っかかって、もうその日は魔法が撃てなくなった。
あいつは一晩中、俺のことを金属音と吼え声で眠らせてくれなかった。

それで、三日目。
決闘はおとといの晩から始まったから、次の日の昼位に終わるはずだった。
俺のほうは体もちょっとは痒かったし、飯なんて二日もまともに食ってない。
水も飲めなかったからかなり参ってた。

あいつはずっと姿を見せなくて・・・昼近くになって、俺は昨日の川岸に降りた。
一晩中騒いでたから、あいつも多分寝てたんじゃないかなって。
川だからもうすっかり毒も流れてるだろうし、せめて水ぐらいは、そう思ってた。

114 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:28:37.59 ID:lkT0MNo/

>>せめて水ぐらいは、そう思ってた。

あっ(察し)

115 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:29:00.13 ID:Pr3mPGr4

ダメー、それ飲んだらダメだってー(棒)

116 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:30:04.37 ID:vUwenTBc

せめて水ぐらい、その思考がすでに罠・・・っ

はまっている・・・泥中、首まで・・・っ。

117 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:31:34.00 ID:wdtiVtoM

>>116

今>>1の顔が福本顔で再生されているwww
森の中でも相当グニャってたんだろうなぁw

118 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 01:36:25.01 ID:iAyDxcyY

福本www
そう思われても仕方ないかな、冷静になった今なら、あれも全部罠だって分かるけど。
人間、せっぱつまるとそういう考えが全部飛んじゃうんだな。



川に降りた俺は、水をひとすくい飲んでみた。
ちょっと変な味だったけど、毒だったら鎧ではじけるし何とかなると思った。
・・・結果は、ひどいもんだった。飲んですぐ気持ち悪くなって吐きまくったよ。
夕方ぐらいまで気分が悪くて、まともに動けなくなった。
なぜか鎧の守りは効かなかったんだけど、なんでだろうな、未だに謎。

それで、その日はおしまい。コボルトは・・・ぐったりしてる俺に匂いだけ俺に浴びせてきた。
うまそうな肉の匂いを。
本気でぶっ殺したくなった。

119 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:37:15.21 ID:lkT0MNo/

>>1

なんかその鎧マジで欠陥商品だな。
生水とかは人間も飲めるし、直接の毒じゃないから弾かないってこと?
なんかおかしくね?

120 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:38:33.51 ID:INoIOg0r

実は神様がケチって毒消しの効果を入れなかったとかw

121 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:40:01.22 ID:RH8XjJZM

>>1

人間の食べ物には、食べて問題ないものでも微量の「毒成分」が含まれているものがある。
そんなものまで鎧が感知して弾いていたら、>>1が栄養失調になりかねないからだろう。
いわゆるファンタジー世界には>>1みたいな現代人が思う以上に、毒っぽいものがあふれているのだ。

川の水に居る原生生物(アメーバとかバクテリア)も、それ自体は毒ではない。
胃酸に反応して、防御反応を起した結果毒素を撒くのだ。
多分、その毒自体は鎧で消えていたと思うぞ。

あと水中のミネラル分も胃酸に反応する場合がある。海外の硬水は炭酸水素カルシウムや
マグネシウムなどが多く含まれているから、慣れていない日本人はそれで腹を壊すというしな。

122 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:42:58.03 ID:vUwenTBc

>>121

なるほどねー。なんかそれっぽい解説だ。
そうか、生水が良くないってそういう理由だったんだなー。勉強になったわ。

123 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:43:41.41 ID:Pr3mPGr4

しかし、飯が食えない勇者に対して匂いでメシトーチャリングとか、
そのコボルトさんは間違いなくゲイのサディスト。

124 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 01:44:14.29 ID:iAyDxcyY

>>121

あんたすげーな。そんなこと考えても見なかった。
確かに言われてみるとそうかも。ワインなんかも毒みたいな味がするのもあったし
物によっては、体に悪いからってエルカに止められてた。

それで、最後の日。
俺は魚の焼ける匂いで目を覚ましたんだ。

125 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:45:04.03 ID:Pr3mPGr4

・・ドキドキ。

126 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:45:07.14 ID:lkT0MNo/

これってつまり>>1がコボルトに負けたってことだよな?

127 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:47:34.08 ID:swIB90b3

厨二っぽい妄想話かと思ったスレがこんなことになるとは。

128 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:48:26.58 ID:FeeSSBD+

最終日まで飯の匂いでいたぶるとかコボルトさんマジサディスト。

129 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:49:00.33 ID:wdtiVtoM

なんかオチが見えた気がする。
っていうか、たびたび言われてるけど、ほんとにそいつコボルトなのかな?
普通……ゲームなんかだと、弱くてあんまり知能も無いって感じで表現されるじゃん。

130 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:50:27.55 ID:RH8XjJZM

>>129

そうでもないぞ? TRPGでは人間とほとんど変わらない種族として設定されているものもあるし
古いライトノベルではドラゴンの従者にもなっているしなw

131 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 01:51:04.37 ID:AEOIm2KA

>>130

JBさんかwナツカシスw
昔読んでたよ。

132 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 01:55:36.20 ID:iAyDxcyY

>>130

TRPGか、俺はやったこと無いけどそうなってんのか。
こっちはMMOとかばっかだからな、昔クラスで好きな奴がいて
誘われたことあったんだけどな。やっとけばちょっとは違ったのかも・・・。

>>131

ラノベもあんまり読んでないからなぁ。視野が狭すぎんのかもしんないな、俺。

133 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 02:01:44.36 ID:iAyDxcyY

魚の匂いの先にあいつはいた。
足元には俺の魔法を防ぐ用に木の板とか置いてあって、準備万端って感じで。

でも、俺も眠れない間に必死に考えてたんだ。
あいつの木の板は一回使えば粉々に砕ける。だから二連射すれば、多分大丈夫だろうって。
でも、いきなり爆発を叩きつけても、その反動とかで逃げられるかもって思ったから。
俺はすごく単純なフェイントをかけた。

魔法の腕輪はゼーファントって名前なんだけど、そいつを呼ぶ前で「貫け」って言うと魔法の矢
「砕け」って言うと爆発が起きるんだ。
だから、魔法の矢を撃つと見せかけて爆発を使った。
魔法の矢って相手の体に命中するように飛ぶから、真正面で受けようとしても回り込んで
ダメージが与えられるんだ。
だからあいつは板を構えながら木を背にしようとした。だから、爆発をモロに喰らったんだ。
そして地面に寝転がったところを、魔法の矢で追い討ちした。

134 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:10:55.27 ID:INoIOg0r

で、それから?

135 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:12:04.41 ID:lkT0MNo/

あれ?>>1居なくなった?

136 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:15:11.54 ID:swIB90b3

まさかコボルトに殺されちゃったんじゃ?

137 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:16:07.13 ID:AEOIm2KA

私コボちゃん、あなたの後ろにいるのw

138 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:18:16.32 ID:Pr3mPGr4

>>137

それだと意味が違っちゃうだろw

139 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:22:03.00 ID:wdtiVtoM

今度は植田まさし絵で再生w

140 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 02:25:13.13 ID:iAyDxcyY

わりぃ、トイレ行ったら腹減ってんのに気がついて、カップめん作ってたw
味噌ラーメンウマーw

141 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:26:43.43 ID:swIB90b3

万死に値するてかレねw

142 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:27:29.55 ID:INoIOg0r

話の途中でラーメンとか・・・最近の元勇者はやんちゃで困る。

143 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:27:59.06 ID:Pr3mPGr4

とっとと話を進めろよksg

144 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:28:33.07 ID:vUwenTBc

>>143

食いつきすぎwラーメンだけにw

145 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:29:00.00 ID:wdtiVtoM

審議拒否(AA略

146 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 02:30:47.24 ID:iAyDxcyY

悪いwここからはノンストップで行く。

で、二発目の魔法を食らわせたんだけど、あいつは地面に背中をつけて、両手両足に仕込んだ
手甲と脛当てでブロックしてた。
完全に読まれてたんだって思ってるうちに、さっと隠れられて。
正直もうやばいって考えたんだけど、コボルトの寝てたところに血が残っててさ。

俺はあいつの逃げた木に走り寄って、木ごとぶった切った。
そのまま倒れた木にあいつを押し付けるみたいにして、思い切り斬りつけた。
あいつはずっと俺が剣技を使う瞬間を狙って、石とか投げつけようとしてたから、
俺は自分の腕だけで追い詰めた。
あいつの脇からは血が流れっぱなしだし、もう少しで切り殺せるって思った。
今まで舐めてた俺に追い詰められる気分はどうだって、言った気がする。

147 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:31:23.56 ID:swIB90b3

野郎ぶっ殺してやる!

148 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:32:33.12 ID:INoIOg0r

来いよ異世界の勇者、武器なんて捨ててかかってこい!

149 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:33:52.37 ID:AEOIm2KA

お前らw
それじゃ>>1が蒸気抜きされちゃうだろw

150 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:34:44.24 ID:wdtiVtoM

コマンドーwww

151 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 02:36:18.38 ID:iAyDxcyY

言われてみると、俺まるっきり悪役ポジだよなぁw;
でもあんときは頭に血が上ってて、それにようやく手の届くところにコボルトが来たからさ。

でも、あいつは持ってた弓で俺の武器を受けて、それで体当たりをかましてきた。
俺の防御が発動して弾き飛ばされる反動を利用して逃げたんだ。
そのまま坂を転がりながら逃げてったから、俺も必死になって追いかけた。

あいつは俺が水に当たった川の方へ逃げて、岩陰でやり過ごそうとしてた。
だから上から最後の魔法を叩きつけて、俺も障壁頼みで体当たりをかました。
なんとかあいつは逃げて、俺たちは川原で向き合う形になった。

152 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:38:04.01 ID:vUwenTBc

ごくり・・・

153 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:38:38.04 ID:Pr3mPGr4

>>1は魔法使い切ってるけど剣も鎧も無事。
対してコボルトは武器も無し、あと怪我もしてるんだよな。

どうやってここから勝つのか・・・。

154 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:39:35.07 ID:swIB90b3

すでに>>1よりもコボルトの動きに興味がある件。
一日目の罠に始まって、森の中での追いかけっこに、川に毒流したり夜眠れないようにしたり
全部一匹でやってんだろ?ここまでよくやるよなぁ。

155 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:40:57.43 ID:RH8XjJZM

>>154

コボルトにしてみれば仲間を殺した相手への復讐だ。
それを考えれば、命を懸けてやるだけの価値はあるだろうさ。

156 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:42:34.39 ID:wdtiVtoM

憎しみの連鎖かぁ……なんかやるせないなぁ。

157 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:43:58.11 ID:Pr3mPGr4

勇者殺すべし、慈悲は無いって奴だな。

158 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 02:44:00.14 ID:iAyDxcyY

・・・コボルトは正直もうぼろぼろで、腰に差した小刀ぐらいしか武器が無かった。
もちろん川原の石を投げるって方法もあったろうけどな。
俺さ、このとき正直勝ったって思ってた。
あいつが何をやってくるのかはわかったようなもんだし、あいつの動きを封じる方法も
思いついてたからさ。

俺の障壁は自分から当たりに行っても展開する。つまり始めっからあいつに体当たりを仕掛けて
よけようが無い空中に吹き飛ばしたところで、ぶった切ろうって思ってたんだ。

だから、俺はあいつに向かって突進した。
同時にあいつは俺に石を投げつけて壁を作らせた。
俺は剣を振らずに突進して、障壁は間違いなくあいつを吹き飛ばした。
障壁が消えた一瞬を狙って俺は剣にコマンドを言った、ぶった切れって。
次の瞬間、剣は俺の手から跳ね飛んで、後ろにあった大岩に突き刺さってたよ。

159 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:45:45.45 ID:vUwenTBc

吹き飛ばされたと同時に石が投げつけられた?

160 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:47:30.28 ID:Gv/vlkS2

飛ばされながら石とか投げつけられるか?
それに牽制で一発投げてるだろ?

161 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 02:49:56.13 ID:iAyDxcyY

あいつは石を投げるのと同時に、地面に埋めておいた、ひも付きの石を持ってたんだ。
多分こういうことだったんだと思う。

俺に石を投げつけて、障壁を展開させる。同時にひも付きの石を握ってそのまま吹き飛ばされる。
それで俺の障壁が消えると同時に、後ろに飛ぶ勢いでひもが引っ張られて、反対にあった石が
俺の後ろから襲い掛かる。
あとは俺を守るために発生した障壁が、あいつの仕込んだ石と剣を同時に吹き飛ばした。

後で色々考えた結果だけど、間違ってるかもしれん。

162 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:50:03.23 ID:Gv/vlkS2

なんという策士。

163 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:51:58.44 ID:swIB90b3

どう考えても全てが罠です。本当にありがとうございました。

164 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:52:07.00 ID:Pr3mPGr4

きっちり罠にはまってんなぁ・・・。
これで残るは鎧だけだけど、それもはがされたんだろ?

165 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 02:55:46.21 ID:iAyDxcyY

手から剣が吹き飛んで、俺は呆然としてたと思う。
コボルトのほうはもう全然焦ってなくて
俺が殴りかかっても平然といなして俺を地面に転がしたりした。

それでもまだ、剣さえ取り戻せば戦える、そう思ってた。
だから俺は、立ち上がって剣を取りに行こうと思ったんだけど・・・できなかった。

立った瞬間、ぶっ倒れて動けなくなった。
手も足も全然動かなくて、全身からすごい冷や汗が流れて、痺れたみたいになってた。

166 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:56:22.37 ID:Pr3mPGr4

また毒?いやガチ毒は効かないんだよな?

167 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:57:12.21 ID:wdtiVtoM

その症状……低血糖か!
水も飲んでない上に、ゲロ吐いたから脱水症状にもなってたはずだし。

168 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 02:58:00.45 ID:vUwenTBc

いわゆる「ひだる」ってやつだな。
山に行くとき行動食とか持ってないやつが、いきなりぶっ倒れたりすることがあるんだよ。
昔の猟師とか峠道を越える旅人は、ちっこいおにぎりとか持ってくようにしてたらしい。
途中で食って、そういう行動不能になるのを防いでたとか。

169 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 03:01:01.00 ID:iAyDxcyY

レスくれる人間の知識がすごすぎワロエナイ。
俺にもそういうのがあればなぁ・・・。

身動き一つできなくなった俺は、何もできないまま地面に転がってた。
コボルトは自分の小刀を抜いて俺の鎧についている宝石を、静かに壊した。
障壁が出ないようにそっと押し当てて、攻撃の強化の威力だけで。

それでとうとう、俺には剣も魔法も、無敵の鎧もなくなっちまった。
あいつは俺の鎧をはがして「沢蟹みたいだ」って言ってた。
多分・・・見掛けだけ良くて、中身は何も無いって意味なんだと思う・・・。

俺のほうはもう何がなんだからわからなくて、叫んでた。
こんなのクソゲーだって。
なんでお前みたいなコボルトに俺が狩られなきゃいけないんだって・・・。

170 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:03:24.46 ID:Pr3mPGr4

うわぁ・・・なんという痛い発言。

171 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:04:23.09 ID:lkT0MNo/

撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけだって名言を知らにいのかよ?

172 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:04:39.27 ID:swIB90b3

完璧にキ○ガイの顔ですわ、これ。

173 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:06:11.40 ID:vUwenTBc

さすがにその発言は擁護出来ないな・・・。
コボルトに殺されても文句は言えないレベル、って殺されてんのか。

174 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:06:32.46 ID:FeeSSBD+

「あなたって最低のクズだわ!」

175 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:07:51.54 ID:INoIOg0r

これもゆとり教育の弊害・・・ゲームと現実は区別しなさいって、おばあちゃんが言ってた。

176 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:07:21.33 ID:wdtiVtoM

さすがに責め過ぎだろ。
この中で、>>1の立場に立った時に同じことをしないと言える者だけ、
石を投げなさいって奴だと思う。

177 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:09:22.49 ID:RH8XjJZM

>>176

まぁ、それもその立場にならなければ分からんことさ。
>>1がもし、このスレを立てた人間を見ている側だった時、>>176のように書き込んだか、
それとも非難する書き込みをしたかは、永遠に分からんことだし。

それに>>1も、自分の行動や発言にもやもやしてたから、こんなスレを立てたのではないかな?

178 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 03:12:51.50 ID:iAyDxcyY

>>176

ありがとうな。でも、みんなの言ってるのも最もだと思う。

実はさ、そのコボルトの集落を見たとき、違和感はあったんだよ。
今まで見てきた人間の村と、あんまり変わんないなって。
それに、ほとんどみんな無抵抗でさ・・・ちょっときついと思った部分もあった。

召喚された時に、これはゲームだって、ゲームと同じだって言われてて。
もちろん本当にヤバイ魔物は一杯いたし、現実に魔物に襲われて殺された人とかも見た。
それを倒すのは必要だって、理解もしてた。

でも、本当にそれだけだったのかなって、今でも思ってる。

>>177

うん。だからちょっと最後まで書かせてくれ。

179 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 03:17:33.07 ID:iAyDxcyY

俺の言葉で、あいつは完全に切れて、俺を何度も殴った。
自分の大切な人を殺しておいて、こんなゲーム納得がいかないなんて、
お前みたいな奴に家族を仲間を殺された自分が・・・一番納得いかないって。

その後、そいつは俺の首に山刀を当てて、一気に切り裂いた。
血が出て、どんどん殴られた痛みが遠ざかって。
目の前が真っ暗になった。

よく走馬灯って言うじゃん、死ぬ間際に見るってやつ。
そういうの全然浮かんでこなくてさ、
最後に考えたのが・・・ラーメン食いたいって、それだけだった。

気がついたら俺はベッドに寝てて、向こうへ移動した時から同じぐらい時間が経ってた。
なんか、両親も兄貴も俺が居なくなってたことには気がついてなかったらしい。
カミサマがなんかしてたんだろうな。

それから、どうしようもなく納得がいかなくなって、ここにスレ立てしたんだ。

俺の話はこれでおしまい。なんか質問があったら聞く。
一応釣りとかそういうんじゃないから・・・信じてもらえないだろうけど。

180 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:19:14.46 ID:Pr3mPGr4

普通に考えれば妄想乙、なんだけどな。
でも、結構面白かった。
っていうかちょっとゲームがしにくくなる話だよな。
コボルトの言いたいことも分かる気がするし。

181 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:20:12.37 ID:vUwenTBc

俺がこのスレに食いついたのって、そういう神様転生ものとか異世界の勇者になるとか
MMOに閉じ込められて~みたいな話が好きだったからなんだけど・・・。
そうだよなぁ、アニメとか小説の主人公ならともかく
そうやって魔物に殺されて終わることもあるんだよなぁ・・・。

182 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:21:42.55 ID:lkT0MNo/

>>1はバカじゃね?とは思う。
その話が本当だとして、神様に勇者になれって送り込まれる時点でヤバイだろ。
そういうのって、大抵の話で「無知な人間を利用して神様が自分の目的を果たす」
ってパターンじゃん。

・・・せめて自分を呼んだ神様を疑うぐらいはしろよ。

183 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:23:49.47 ID:swIB90b3

>>182

なんでそんな上から目線なんだよキメエ。
自分ならうまく出来てたとか無いわ。お前もコボルトに殺されて終了だろ。

184 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:24:53.54 ID:INoIOg0r

おいおいw
思いっきり釣られてんぞwこのままこのスレも荒れて終了ですねw

185 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:26:38.16 ID:AEOIm2KA

でも、確かに自分がそうやって神様に呼ばれて勇者やれって言われたらどうするかなって
考えたりするな。
俺なら・・・やっぱかわいい女の子と冒険させてくれって要求するw

186 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:27:05.17 ID:wdtiVtoM

与えられた力を自分の力と錯覚するのが問題なんだろ。
その力で何をするのか、何をすべきなのかは自分でもちゃんと考えないと。
そうしないと落とし穴に落ちるから……。

与える側にも責任があるけどな。
自分が与える側だからって、なんでもしていいわけじゃないし、
それを笠に着て、自分が正しいとか言う奴って、ほんっとうに腹立つわ。

187 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:32:17.29 ID:RH8XjJZM

>>186

何を熱くなっているんだかwもしかしてそっちも異世界の勇者の経験者か?

それにしても>>1の反応が無いな。またラーメンでも喰ってるのか?

188 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 03:34:01.00 ID:iAyDxcyY

ラーメンはもう食った。ちょっとみんなの発言見てて考えてたから。

あれから二週間ぐらい経ってんだけどさ・・・気になってんだよな。
残してきた仲間のこととか、あの世界がどうなったのかとかも。
俺以外にも勇者が行ってるそうだけど、ほんとに魔王倒せんのかなって。

あと・・・あのコボルトがなんだったのかってのが、一番気になってる。
あいつはどうして生き返ったのか。
あいつを生き返らせた女神は、どうしてそんなことをしたのか。

そして、俺ってなんだったのかなって。

189 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:35:33.29 ID:lkT0MNo/

脇役だろ。
最強の力とか言って、結局中の人間の弱いところを突かれて終わってるし。
そういう能力ってバトル物だと確実にかませ犬の立場じゃん。

190 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:36:41.57 ID:vUwenTBc

じゃあ、コボルトが主役ってこと?

191 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:39:31.59 ID:Pr3mPGr4

それは無いだろ。多分どっかに本当の主役が居て、そいつに倒されるか仲間になるフラグ。

192 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:42:14.18 ID:swIB90b3

復讐する人間が居なくなって、目的を見失ったコボルトが主人公に諭されるか。
結構ありそうな感じだな。

193 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:44:00.56 ID:AEOIm2KA

勇者が一杯居るなら、誰か一人は魔王を倒せそうだしな。
それがダメでも神様が何とかするんでしょ?
戻れないなら気にしてもしょうがねーよ。

194 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 03:45:32.23 ID:iAyDxcyY

・・・そうだよな。気にしたってしょうがないよな。
戻ろうにも神様に連絡を付ける方法なんてないわけだし。

こんなわけの分からんスレにレス付けてありがとうな。
書いてちょっとすっきりした。
このスレはこのままdat落ちに任せるつもりだから、適当に書き込むなり放置するなりしてくれ。

それじゃ、こんな遅くまで読んでくれて感謝。
お前らはカミサマに誘われてもうまくやれよw

そんじゃ、おやすみ。

195 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:46:58.11 ID:AEOIm2KA

乙。結構面白かったぞ。

196 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:47:21.10 ID:lkT0MNo/

クソスレにしては良くやったw
ちゃんと学校行けよw

197 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:47:52.44 ID:swIB90b3

乙。
>>1先生の次回作にご期待くださいw

198 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:48:40.11 ID:Pr3mPGr4

いい暇つぶしになったぞ。
>>1=サン、カラダニキヲツケテネー

199 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:49:01.01 ID:vUwenTBc

俺も色々考えるかなぁ。
いや、神様に呼ばれた時のことじゃなく、この話SSのネタにしようかなって。
でもあれか、スレが残ってるもんなぁ。
とりあえず乙でした。

200 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:50:27.01 ID:wdtiVtoM

>>1乙

気を落とすなよ。生きて帰ってこれただけ見っけもんだからな。

201 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 03:51:44.07 ID:INoIOg0r

>>200

こんなクソスレ マジになって どうすんのw
とはいえ乙、夢をありがとうwww
厨二妄想もほどほどにな

202 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 04:10:41.36 ID:g3urQVpn

何か香ばしいスレが立っていると聞いて飛んできました。

203 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 04:12:03.56 ID:1wr4ett6

祭りの会場はここですか?
って、どうやら遅かったみたいだな・・・つまらん。

204 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 04:13:57.34 ID:vvvW1cEz

クソスレ終了。
ってか、レス付けてる人間全員キモオタで終了だろ。

205 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 04:16:20.22 ID:g3urQVpn

クソスレsage

206 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 04:17:37.10 ID:1wr4ett6

そしてage

207 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 04:20:02.16 ID:vvvW1cEz

ageんなks

208 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 04:49:49.49 ID:RH8XjJZM

>>1

まだこのスレを見てるか?

209 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 04:50:07.13 ID:RH8XjJZM

>>1

見ているなら、一つ問おう。

そなたは、もう一度あの世界に戻りたくないか?

210 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 04:51:23.42 ID:iAyDxcyY

>>209

見てる。
戻りたいかって・・・そりゃ戻りたいけど。

211 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 04:57:00.00 ID:RH8XjJZM

メ欄に書き込んだ文字列の末尾に、そなたの名前を半角英数にしたものを足したもので
skypeアドレスを新規登録した。
パスワードは苗字と生年月日を半角英数にしたものだ、そのアドレスでアクセスしろ。

212 :異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/05/10(日) 04:58:23.01 ID:iAyDxcyY

・・・なんだよそれ。
お前一体誰だ?

213 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 05:00:00.00 ID:RH8XjJZM

入るか入らないかはそなたの自由だ。
真実を知りたければやってみるがいい。
アドレスが使えるのは一日限り、それ以降になったらこちらで消去する。

では、あちらで会おう。

214 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 09:21:47.13 ID:vUwenTBc

・・・なにこれ?
なにがどうなっての?

>>1の釣り?

215 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 10:05:16.29 ID:lkT0MNo/

うわ・・・なにこのやり取り、引くわ・・・。

216 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 10:17:00.37 ID:INoIOg0r

>>1の釣り宣言クルー?

217 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 11:23:56.15 ID:g3urQVpn

そして、新たな伝説のクソスレが誕生したのであった。

218 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 13:24:07.00 ID:vvvW1cEz

いやただのクソスレだろ、つまらん。

219 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/10(日) 18:00:00.00 ID:1wr4ett6

はいクソスレ終了。



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[36707] 【かみがみ】竜神奇譚【外伝2】
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/07/31 04:13
 その日の昼。
 逸見浩二は落ち着かない気分で、電車に揺られていた。
 車窓の向こう、宝石や金を取引する店の看板を乗せたビルが通り過ぎる。
『次は神田、神田です』
 車内アナウンスが耳に入り、座席から立つ。
 待ち合わせの駅はここではないが、これ以上落ち着いて座っていられそうもなかった。
 携帯を取り出し、時間を確認する。
 待ち合わせは十時半、相手はそう言っていた。
「どんな奴、なんだろうな」
 気がつくと、喉が渇いていた。
 手にしていた水のペットボトルから一口飲み、それから深呼吸をする。
 そして、思い返していた。
 どうして自分が、こんな緊張を抱えて電車に乗っているのかを。

 昨日の晩、浩二は匿名掲示板に一つのスレッドを立てた。
 自分がゼーファレスという神に召喚され、異世界の勇者として行動したこと、その顛末について書くために。
 帰ってきてから二週間、浩二の中にはさまざまな思いが渦巻いていた。
 志半ばで殺されてしまった無念、残してきた仲間のこと。
 そして、自分を殺したコボルトについての、やりきれない思い。
 体験した出来事と感情の吐露を、名も知らないオーディエンスはからかい混じりに、
 時には真剣なレスで応じてくれた。
 結果に満足し、それでもなんとなく寝付かれないまま、スレッドを眺めていた時、そいつはやってきた。

『もう一度あの世界に戻りたくないか?』

 そんな一文で話を始めた人物は、自分と直接対話をするためにチャット用のアドレスを用意していた。
 しかもアドレスやパスワードに、浩二の本名や生年月日を混ぜ込むという徹底振りで。
 もし、自分をからかっているのだとすれば、これほど手の込んだ、しかも悪趣味なことはない。
 何しろ、コンタクトを取ってきた相手のIDは、スレッドの七番目から書き込み始めていたのだ。
 匿名掲示板という性質上、本人の氏名や生年月日は基本的に伏せられるし、
 スレッドを立てるために行った手続きは、部外者には秘匿されているはず。
 それが漏れていると言う事は、明らかに異常事態だ。
「待ち合わせ場所に行った途端……暗殺とかされたりして」
 色々な思考が頭の中をぐるぐると回る。
 これが盛大な釣りで、夢と現実の区別がつかなくなった、アホな高校生を騙すための手かもしれないとも考えた。
 でも――。
「これは、アレだよな。リタイアしてからが、本当のシナリオの始まりって奴」
 もう一つの可能性。
 異世界に飛ばされたもの同士のコミュニティ、もしくは、神の存在に対抗する組織からの招待。

『逸見浩二か。こうして話すのは初めてだな』
『あんた一体誰だ。どうやって俺の本名とか調べたんだよ』
『そなたの動静はこちらでもマークしていた。
 ……まさかあんな行動に出るとはな』
『やっぱり、俺ってハッキングでもされてんのか?』
『それを含めて、実際に会って話さぬか。
 実は明日、用事を片付けるため、そちらに行くことになっているのだ』

 チャットのやり取りは短時間で終わった。
 ネット上に分かりやすい痕跡は残したくない、相手はそれを理由に自らのアドレスを消去してしまった。
 捨てアカによる通信や、こちらの動向を把握した手腕、何もかもが妖しく、
 同時にぞくぞくするほど刺激的だった。
「やべ……すっげー、心臓痛てぇ」
 高鳴る胸を押さえる浩二を気遣うことも無く、電車は進む。
 やがて、流れすぎていくビルの看板が、有名な電気店の集団へと変わった。
 緑色の高架を渡り、電車がホームへと滑り込む。
 ドアが開き、すぐに発車前のベル音が鳴り始める。
 体に僅かな震えを感じながら、浩二は同じぐらいの歳の少年達と電車を降りた。
 柱に貼られた駅名表示板にある『秋葉原』の文字。
 総武線ホームへ向かう階段の裏、見えにくい場所にある降り口へ進み、一階の改札を目指す。
 待ち合わせは電気街口の改札、広告のある柱前。
 詳しい容姿は説明されなかった。こっちの姿を見たら、すぐに声を掛けるからとも言っていた。
「秋葉で待ち合わせか」
 始めは奇妙に感じたが、考えてみればこれほどベストの場所も無い気がする。
 これから話すのは、知らない人間が聞けばゲームやラノベの話としか思われない内容、
 木を隠すなら森ってことだろう。
 エスカレーターで一階に下りると、深呼吸して改札を目指す。
 広いエントランスフロアの先に、自動改札が並んでいる。
 脇を過ぎるチェック柄のシャツやパーカー姿の連中に混じり、浩二はスマホをかざして改札を通り抜けた。
 どんな奴が来るだろう。
 ここに来るまで妄想した、さまざまなことが頭を巡る。
 サングラスに黒服の厳ついオッサン? 
 同年代の美少年? 
 それとも――かわいい女の子とか。
「おお、よく来た」
 その声を聞いた時、浮かんだのは落胆。
 残念、女の子じゃない。
 そして浩二は、自分に近づいてきた相手を見て、拍子抜けした。
「寝不足の身でご苦労だったな」
 丸々と肥えた顔になつっこい笑み、生成りの麻で作られたジャケットとパンツは、内側からの圧力で膨れ上がっている。
 短く整えた黒髪と細いフレームのメガネ、肩に下げているのはノートパソコンの入ったバッグだろう。
 秋葉原では珍しくも無い、ちょっと歳の行ったオタクのオッサンが、そこにいた。
「えっと……その、誰かと間違えてないっすか?」
「察しが悪いぞ元勇者。いや、儂の見た目にがっくり来た、といったところか」
 そう言うと、男はさっさと街路に出て、ゲーセンや電気屋が立ち並ぶとおりに出て行ってしまう。
「ちょ、ちょっと!」
「立ち話もなんだから、そこらで一服しよう。
 とはいえ、この辺りは落ち着ける所が少ないし……どうしたものか」
 鈍重そうな体の割には、すいすいと歩いていく男。その背中にようやく追いつくと、浩二は不平をもらした。
「あんたが待ち人だってのは分ったけど、とりあえず名前ぐらい教えてよ」
「すまんな。久しぶりにこっちに出てきたので、礼儀を欠いていかん。
 では、これを」
 男の太い指がポケットの中に消えて、安っぽいアルミの名刺入れが取り出される。
 そこから一枚の紙片を取り出すと浩二に向き直り、丁寧に両手持ちで差し出してきた。
「経営コンサルタントをやっている山海佳肴(やまみかこう)と申します。
 以後お見知りおきを」
 一体何なんだ、コイツ。
 生まれて始めての名刺を受け取りながら、浩二はひたすら困惑するしかなかった。

「しかし、あんな誘いでよく来る気になったな」
 大通りに出てながら山海は、開口一番そんなことを言い放った。
「っざけんな! あんたが来いって言ったんだろ!?」
「だからといって、怪しんだりしなかったのか? これが何かの詐欺とか、罠の類ではないかと」
「怪しんだに決まってんだろ! 正直……やめようかとも思ったよ」
 山海は笑い、高架下の横断歩道前で止まる。
 こうして立っている姿を見ても、同じように並んで青信号を待っている、オタクの一人にしか思えない。
「それでも、ここに来たのはなぜだ?」
「教えてくれるんだろ、俺が知りたいことを」
 群集が一斉に動き、その流れと一緒に通りを渡る。
 男は頷き、こちらを横目で見た。
「好奇心は旺盛といったところか」
「……でなきゃ、カミサマにほいほいついて行ったりしねーよ」
「なるほど、その思い切りの良さが、勇者に選ばれた要因なのだろうな」
 どこから見ても、普通の人間でしかない男。
 でも、こいつは掲示板に、こう書き込んでいた。
 もう一度あの世界に戻りたくないか、と。
「何が聞きたい」
「え?」
「何が聞きたいのか、と言ったのだ」
 通り過ぎる電気屋の前で流される、新作ゲームのPV。
 その音量に発言をかき消されたと思ったのか、山海は丁寧に言い直した。
「……それは……その……」
「あの世界に戻る方法、か」
 胸の内を言い当てたというよりは、改めて確認したといった風情。
 山海は肥えた体で、器用に人ごみを縫いながら先を歩く。
「教えてやらんでもないぞ」
「……マジで?」
「マジで」
 信じられないほど簡単に、肯定が返ってくる。
 浩二は呆然と男の顔を見つめた。
「その代わり、いくつか条件がある」
「……まぁ、そうなるよな」
 この辺りは想定の範囲内だった。
 向こうに行く方法を知っている人間が、何の思惑も無しに自分に近づいてくるわけが無い。
「命をよこせ……とか?」
「いくつかと言ったろう」
 山海はそっけなくそう言うと、一棟の雑居ビルの前で立ち止まる。
 そこには、オレンジ色のひさしに店名が書かれたゲームセンターが入っていた。
「物には順序というものがあるし、儂の方にもそれなりの事情というものがある。
 それを満たすことから始めようというのだ」
「何をすればいいんだ?」
 狭い入り口に苦労しながら、山海の体が奥へと向かう。
 プライズゲーム筐体が並ぶ通路をすり抜け、地階に向かう階段の前で立ち止まると、男はにっこりと笑った。
「まずは、儂の買い物に付き合ってもらおう」
 山海の背後、階段の近くに、いかにもな感じの萌え系キャラが描かれた看板がある。
 オタクグッズ、特に同人誌を中心に置いているマンガ専門店。
「……買い物って、まさか……」
「最近ひいきのサークルが新刊を出したのでな。
 それと、ここにしか置いていない限定マンガ本を少々」
「ちょっとまてええええええええっ!」
 気がつけば、浩二は力いっぱい突っ込んでいた。
「いきなり大声を出すな。他の客に迷惑であろうが」
「いやいやいやいや! さすがに突っ込むしかねーだろ! 
 なんでさっきの流れで、同人誌買うってことになるんだよ!」
「言っておいたであろうが。今日は用事を片付けるためにこっちへ来ると」
 確かにそんなことを言われた気がするが、なんか違わないか!?
 大体今日は異世界の話とか、カミサマのゲームの真実とか、
 そういうもろもろの話が解き明かされる展開じゃないのか!?
 いくつもの思いが嵐のように駆け巡り、浩二は何とか二の句を接いだ。
「まさかとは思うけど、用事ってこれだけ?」
「そんなわけあるまい。こう見えて儂は忙しいのだぞ」
 えっへんと胸を張り、山海はスマホを取り出して確認を始める。
「ゲーム用PCに使うグラボと、自炊した書籍を放り込んでおく安いサーバマシンを買う予定がある。
 身内から頼まれていた古いゲーム基盤をいくつか探さんといかんし、
 そろそろこのスマホも新しいのに変えようと」
「ただのオタクの日常じゃねーか!」
「馬鹿者。更にその後カードゲームショップに寄って、時間があれば神保町で古本を見て回るつもりだ」
 なんだか急に頭が痛くなってきた。寝不足の疲れがどっと肩に乗り、目眩すら感じる。
「ほれ、行くぞ」
 こちらの葛藤など知りもせず、狭い階段を降りていく山海。
 浩二に出来たのはため息をつきつつ、その後を追うことだけだった。

 宣言どおりに、山海はさまざまな店を回っていった。
 裏通りに面したパーツショップやパソコンの専門店を回って、仔細らしくスペックを調べたり、
 浩二が入ったことも無い、地階にある基盤屋の店舗へと足を踏み入れていく。
「……あんた、この辺りにはよく来るの?」
 その真剣な様子に声を掛けそびれ、結局話を再開できたのは、
 これも狭い雑居ビルに入ったカードゲームショップに来た時だった。
「仕事が忙しいから、頻繁にというわけではないがな。
 このところ余計な折衝も増えてしまったので、気晴らしもかねておる」
「ふーん?」
 ガラスケースの向こうに飾られているさまざまな種類のカード。
 その内の一枚の名前を確かめると、山海は単品買いの注文をするべく、申し込み用紙に記入していく。
「カードゲームもやるんだ」
「ゲーム全般に手を出しておるがな。これは知り合いに見せる用だ」
 大きなえりまきのようなヒレが付いた、ドラゴンのカードを太い指が示す。
「そなたの顔によく似たイラストがある、と言ったら、是非見たいと言われてな」
「ひでーな、怒るぞそいつ」
「かもしれん。自尊心の高い奴だからな"自分はもっと知的で神々しい"とでも言うだろうよ」
 楽しそうに笑うと、山海は目的の物を手に入れ、ほっと一息をついた。
「さて、そろそろ昼時だな。何か食いたいものはあるか?」
「特には」
「ラーメンでも構わんぞ」
「夜食で食ったからいい。それに秋葉だと高いし」
「そうか。では、ちょっと場所を変えよう」
 たっぷりと戦利品を抱えて、山海はもと来た道を辿りなおし、駅へと戻っていく。
「どこ行くんだ?」
「儂のホームグラウンドだ」
 浩二は導かれるまま、総武線のホームへと向かい、再び電車へと乗り込む。
 山海の方はスマホとにらめっこを始めていた。
「なあ……あんたってさ、何者なんだ?」
 盗み見るように、メールチェックをしているらしい姿を視界に入れる。
「……そなたは、どう思う?」
「俺?」
「そなたの目に、儂はどんな風に映る?」
 元々、霊感とかはない方だし、あんな異常な体験をしたからといって、特別な力に目覚めたという感覚もない。
 そんな凡人の目から見えるのは、単なる太ったオッサンでしかない。
 貰った名刺どおりの仕事をしているといわれれば、それまでだ。
「ただのオッサン、かな」
「ふ。それはすばらしい」
 タップ一つで作業を終えると、山海はドアへと歩み寄る。
 つられて浩二もホームに降り立ち、駅名を認めた。
「水道橋……って、初めて来たよ」
「では、行こう」
 長いホームの端から降りると、改札口はすぐそこだった。
 駅の外、高架で陰になった歩道に出ると、山海が左を指差す。
「あちら側に行くと遊園地とドーム球場がある」
「え!? マジで! こんな近かったんだ」
「そして、儂らの行くのはその反対」
 太い指が右を示し、
「親子連れやカップルの群れに背を向けて、向かうは醤油で煮しめたような、古本の群れ集う町だ」
 おかしそうに笑うと、さっきよりも軽い足取りで太った体が進んでいく。
「ホームグラウンドって言ったけど、どういう意味?」
「そのままさ。儂は本の方が好きでな。こちらへ来る時は必ず立ち寄る」
 車道の脇に通る歩道は、日差しをさえぎる並木のおかげで、かなり過ごしやすい。
 歩いていくうちに、レストランやコンビニに混じって、小さな古書店が目に付き始めた。
 軒先に並ぶ本には、少し古くなった背表紙や大学入試のための赤い参考書が目立つ。
「元々は、大学生の書籍を商っていた店が集まって出来上がった場所だ。
 海外でもこの規模の古書店街は例が無いと言うぞ」
「へぇ……」
 そんなことを言っていると、山海は白い暖簾にガラスの引き戸の店を見つけ、ふらりと中に入ってしまう。
「お、おい!?」
「昼飯を食いに来たのだろうが。ああ、ここは儂がおごってやるから、好きなものを食うといい」
 店の中には煮立った油が漂わせる熱気があり、白木のカウンターに座って黙々と、とんかつを食べる人間たちがいる。
「ロースかつ定食」
「お……俺もそれで」
 やがて、出された定食を目の前に、山海は箸を動かして食べ始めた。
「……これも、あんたが言う条件か?」
「腹は減っていないのか?」
「そういうわけじゃ、ないけど」
 少し舌に熱いしじみ汁をすすると、浩二は投げやり気味に言葉を継いだ。
「あんたは、あのゲームのことを教えてくれるために、俺を呼んだんだろ」
「まあな。それと、そなたにも興味があった」
「……俺に?」
「実はな、異世界の勇者と、こうやって話すのは初めてなのだ」
 一瞬言葉の意味を掴みかね、それから浩二は、すりゴマとソースの入った小さな鉢にトンカツの切れ端を置いた。
「……それなら、どうやって俺のことを知ったんだ?」
「どうしてだと思う?」
「はぐらかすなよ!」
 荒げた声に、一瞬店内の視線がこちらに集まる。山海の手が、少し大げさな動作で浩二の背中に置かれた。
「とにかく今は飯を喰え。腹が減っては戦が出来んのは、あの山で体験済みだろう?」
「……ああ」
 浩二はソースがたっぷりついた肉を口に運び、そのまま白米を手を出そうとした。
「トンカツで思い出したが、あのコボルトの食べていたのは鹿肉だ」
「――え?」
 掛けられた言葉に、すべての動作が止まる。
「良く肥えた雌鹿だ。奪えれば話は違っていたかもな」
 胃袋がきゅっと縮こまり、背筋に怖気が走る。
 昨日、コボルトの食べていた肉の種類は、分からないとだけ書き込んだはずだ。
 想像力で言ったにしては確信がありすぎる。
 それともこれはペテンで、自分をだまそうとしているだけなのか。
「なあ……一つ聞いていいか」
「なにかな」
「あのゲームって、観客は居たのか?」
 山海は一口茶をすする。すでに彼の皿は空になっていた。
「遊戯の参加者にはさまざまなリスクが課せられる。
 その中で最も大きなものは、賭けに使った所領と信仰の剥奪。
 そして、永きに渡り、敗北者の黒き像として飾られることだ」
 答えにならない返答。
 だが、その話は聞いていた。敗者の末路を、あの金ぴかが嬉しそうに語ってくれたから。
 浩二は箸を置きながら、目の前の人間を、いや人の形をしたものを見つめた。
 最初に出会ったときの印象そのままだ。どんなに目を凝らしたって、太った体に丸い顔は変わらない。
 足元に置かれたオタクグッズも、電車の中でスマホを弄っていた姿も、全てが見たままだと告げている。

『ただのオッサン、かな』
『ふ。それはすばらしい』

 それはすばらしい、山海はそう言った。
 つまり、それは、そう見えることが、
 そう"見せかけられていること"が、すばらしいと言ったのか。
「出ようか。ここは食べ終わったら出るのがルールだ」
 穏やかな声でそう言うと、山海は荷物を持って店を出て行く。
 払いを済ませていたらしいことに、遅まきながらに気がついた。
「……あんた、何者、なんだよ」
 やけにまぶしく感じる光の中、浩二はようやくそれだけ搾り出す。
「そなたには、どう見える?」
「あんたは…………」
 喉が思うとおりに動いてくれない。
 たった一言、尋ねればいいだけなのに。
 ゼーファレスに呼ばれたとき、緊張もあったが、こんな風にはならなかった。
 あまりにも唐突で、現実離れしていたから。
 でも、この日曜の昼下がり、トンカツ屋から漏れ出す油の香りを背景に、
 ただ立ち尽くす太った男へ、その一言を投げることが、ひどく難しい。
 ややあって、錆びた声帯がようやく言葉を紡ぎだした。
「……カミサマ、なのか?」
「いかにも」
 背筋を伸ばし、顔を心持引き締めると、厚い唇が真実を口に上せた。
「我が名はエルム・オゥド。"斯界の彷徨者"にして"万涯の瞥見者"。
 先の戦い、楽しませてもらったぞ、"審美の断剣"ゼーファレス・レッサ・レーイードの勇者よ」
 体が震えている、疲れが押し寄せてくる。信じられない思いで、浩二は名乗りを上げた神を見た。
「少し歩こうか」
 神秘の欠片もない、丸い体が先に立つ。
 まるでぬるい水の中でも泳ぐように、浩二は薄らいだ意識のまま、その背中を追った。

「そもそも、私が神様ですという格好で、人の世を出歩けるわけもなかろう」
 浩二の意識が現実に戻ってきたのは、山海と一緒に古本屋を廻り、地階の喫茶店に入ったときだった。
「ゼーファレス辺りであれば、自分の体に魅力だの光輝だのを引っ付けて、
 人間どもの目を釘付けに、代官山か青山辺りを闊歩してもおかしくはないがな」
「ま、まあね」
 いつの間に頼まれていたのか、目の前のテーブルにはお茶の入ったポットと抹茶のシフォンケーキが置かれている。
「そういう見栄っ張りは、若いうちは楽しいのだがな。トラブルの種になるし、何より他の神がうるさくて敵わぬ」
「やっぱ、カミサマって一杯いんのか。って、あんた何歳なんだ?」
「人の齢で言えば、一万を越えた辺りか。
 ただ、神界と人間の世界は相対時間が違う。観察者の場所によっては、
 十万とも百万とも捉えられるだろうな」
 ホラ話もここまで吹ければ大したものだろう。
 とはいえ、自分の妄想に過ぎないはずの神の名前と、その銘すら口にして見せたとすれば、信じるより他はない。
「カミサマの癖にスマホとかパソコンとか使ってんの?」
「こういう工芸品の類は、そなたらの感覚で言えばアンティークに近いものだ。
 別の世界に行けば、もっといい記憶媒体もあるのだが、儂はこのぐらいの技術レベルの品が好きなのでな」
「……あんたは、ゲームに参加しないのか」
 浩二の質問に、山海は曖昧な笑みを浮かべた。
「半ば禁じられている、といったところか。
 遊戯に参加する神格によっては、その強さに枷が掛けられる。
 儂にとってその枷は大きすぎるのだ」
「つまりあんたは、ものすごく強いカミサマ、なんだな」
「……役に立たぬ強ささ」
 初めて、その丸顔に曇りが掛かった。
「そなたらの感覚で言えば、儂の強さは核兵器と同義だ。威力はあるが、使えば反目と、徹底の抗戦だけしか呼ばぬ」
「チートキャラなわけね……俺も人のことは言えなかったけどさ」
「チートか。確かに、そうかもな」
 山海は紅茶をすすり、自分用に頼んでおいたマフィンを手で割った。
「確かに、チートを使えば、その瞬間はすべてのプレイヤーの上に立てるだろう。
 だが、ゲームというのは参加者が等しく楽しめることを前提にしたもの。
 そのグランドルールを破るものの末路は、哀れなものだ」
「垢BANか。そんで出禁になる、と」
「はは。まぁ、そんなところだ」
 薄いベージュがかったバラのジャムを塗りつけ、マフィンを口に運んでいる男は、どこか寂しそうな表情だった。
 ネットゲームでやんちゃをした人間の末路、そんなものを語ることの意味を推し量る。
「なんか、やったの?」
「やる前に、チートと言われたのさ。だから、まともにゲームへ参加することすら、できんのだ」
「ふーん……」
 自分の能力も相当なチートと思ったが、それを授けたゼーファレスを超えた強さを持ち、そのせいで参加できないという存在。
 その彼が自分に接触した理由とは、なんだろうか。
「俺を利用して、何かする気なのか?」
「少なくとも、目的の一つは果たした。そなたと会話することだ」
「……俺と?」
「勇者になった少年がどういう存在なのか、この目で確かめたかったのさ」
「一つ、っていうことは、まだあるんだよな?」
 質問に答える代わりに、大きな口の中にマフィンを消し去ると、
 山海はバッグの中から一枚のタブレット端末を取り出した。
「実は、先ほどから呼び出しが掛かっていてな。どうやらサリアの奴め、儂を引っ張り出す気らしい」
 見たこともないブラウザが立ち上がり、どこかで見たような動画サイトに繋がる。
 太い指が"生放送"をタップ、映像が映し出され始めた。
 その向こうに見えるのは光差す庭と、異形の姿をした、どう見ても神としか見えない連中の様子。
「うちの若いのに命じてな、生で映像を送らせている」
「なんでこんなとこに投稿してんだよ! 他の人間に見られたらどうするんだ!」
「心配するな。儂と、関係者のアカウント以外は弾かせておるから」
 向こうの景色は、かなり慌しい感じだった。
 屋根のついた休憩所のようなところを中心に、カミサマが寄り集まって騒いでいる。
「"今北産業"っと」
「古っ」
 打ち込んだコメントが画面を流れすぎた途端、どっと返信コメントがあふれ出す。

"メール読んだでしょ!すぐ帰ッテ!"
"サリア様が何回も来ましたよ!取次ぎする身にもなってください!"
"うちの主様は働かなくて困る"
"もうオタクの神様になっちまえ!"

「なんか、怒られてるぞ」
「……ちょっとの間、現場のあれこれを部下に任せていただけなのだがなぁ」
「任せたってどのくらい?」
「ほんの百年くらい」
 神の世界は相対時間が何とか言っていたが、コメントの流れ方からすれば、かなりの事態だったんだろう。
「ちゃんと謝っとけば?」
「むう。あの程度で文句とは……"おこなの?"っと」
 その後しばらく、画面上は真っ赤に染まった。怒りと抗議の文言で。
「おこらしいな」
「いや、そりゃ怒るだろ。てか、オッサンがおことか無いから、キモイから」
「激おこー」
 などと言っている間に視点は草地の上に下り、休憩所の中心に浮かんだ水の板のようなものに向けられる。
"現在、サリア様の勇者、シェート殿は、エレファス山脈の南端にて交戦中。敵は百余名の勇者です"
「ちょ、ちょっと待て、シェートってあのコボルトだよな……百名ってどういうことだよ」
「そなたに勝って後、あのものは大陸中の勇者達に狙われることになった」
 水の向こうにはさらにもう一つの映像、森林の中を駆け抜けていく、マント姿のコボルトが居た。
「コボルトは大レベルアップを果たし、経験点を蓄積した。
 サリアはゼーファレスの所領を手に入れた。
 その全てを奪うために、神々が共闘して襲い掛かっているのだ」
「それが……これ、なのか?」
 光り輝く魔法の矢をマントで叩き落し、追いすがる敵に矢を射掛ける。
 映像は音までは伝えないが、その場の空気は痛いほどに分かった。
 逃げながら隙を探り、何かを待つようにひた走る小さな魔物に、勇者が追いすがっていく。
「なるほど。イヴーカスと共闘をしておるのか……サリアもよくよく、危ない橋を渡るのが好きと見えるな」
「誰、そいつ?」
「目下のところの台風の目だ。
 この場に居るすべての神、サリアも含めた一切の存在を、まとめて喰らおうとしている」
 注釈の最中、コボルトは逃げるのを止め、棘の生えた鞭のような武器を振りかざし、勇者の群れへと踊りかかる。
 無茶だ、そう呟くよりも早く。
 残酷な武器が振るわれ、首を裂かれた勇者が無造作にうち捨てられた。
 一切のためらい無く敵を滅ぼす姿に、包囲がひるむ。
「……こいつ、強くなってないか?」
「それはそうだろう。お前がいなくなった後も、こやつは戦い続けたのだからな」
 浩二は、改めて画面を見つめた。
 元はただの弱い魔物だったはずだ。一度はこの手で殺して、何度も打ち払った。
 なのに自分は追い詰められ、殺された。
 そして今、こいつは百人の勇者と渡り合っている。
「コボルトを勇者にした女神って、どんなやつなんだ」
「サリアーシェ・シュス・スーイーラ。"平和の女神"と称されている」
「ゼーファレスの妹ってことは、ものすごく強いのか?」
「あやつは廃神、消滅寸前の最弱の神よ。
 ただ、ゼーファレスの所領を得た今、廃れは免れたがな」
 山海の言葉をかみ締めて、浩二は言葉を搾り出した。
「俺は……そんな奴らに負けたのか」
「そうなるな」
 コボルトの目の前で爆発が花開く。
 奇妙な人形をけしかける勇者の力にひるみながら、それでも一歩も引かずに戦い続けていく。
「なんで、こいつは……こんなに、戦えるんだ」
「なぜだと思う?」
 コボルトの戦う理由なんて、分かるわけが無い。
 自分と戦った時は、仲間の敵討ちという目的があったはずだ。だからこそ、あんな動きができたんだと思う。
 だが、モチベーションの源である自分は、もういない。こいつに戦う理由があるとすれば、身を守るためだ。
 それでも、周囲は敵ばかりで、空も陸も、勇者の力が覆いつくしている現状。
 いつ投げ出してもおかしくないのに。
 それでも立って、戦っている理由は、なんなんだろう。
「お……おいお前っ! 足元っ!」
 剣と鞭をあわせたような武器に押さえ込まれたコボルトの足元、忍び寄った人形が爆発した。
「あ……ああ……」
「やはり、一人では無理か」
 足を押さえて地面に転がるコボルトを、勇者達が取り囲んでいく。
「なにやってんだよサリアってのは! こいつに何の加護もやってないのかよ!」
「一応、レベルアップ分で魔法封じの破術と、全体的な能力の向上は行ったがな。それ以外は、なにも」
「ゼーファレスの持ってた物を手に入れたなら、色々できんだろ!」
「あやつは頑固でな。世界を生贄として捧げる加護は使いたくないと抜かしたのだ」
 いつの間に頼んだのか、山海はサンドイッチとミルクティーを楽しみながら、平然と言ってのけた。
「世界を……生贄に?」
「知らなかったのか。
 そなたの鎧や剣、魔法の腕輪はな、他の世界、その地に住む人間の、
 血と、肉と、魂を抵当に創られたのだ」
「……なんだよ……それ」
 カップの向こう側から、神は魂すら透徹する視線でこちらを見やった。
「捧げられた存在は、遊戯における結果の影響を受ける。
 その勇者が盛況であればその存在は隆盛するが、道半ばで倒れれば……大きな不利益を被る」
「なんで、そんな……」
「力を得るための対価だ。それだけのものを払うからこそ、あれだけの力を奮える」
 そんなことは、一言も告げられなかった。
 むしろゼーファレス自身、捧げるものがなんであるかなど、一切気にしていなかったのだろう。
「……俺の、壊された鎧に、捧げられてた奴らは?」
「知らぬ。不利益が一極集中せぬよう、抵当に捧げる範囲が広く取られておるからな。
 だが、決して幸せな生活は送ってはおらぬだろうよ」
「なんで……そんなことまでして、あんなゲームやってんだよ……」
 画面の向こうで、コボルトが武装を捨てさせられていた。
 武器を手にそれを眺める勇者は、誰も彼も、面白そうな顔で、様子をうかがっている。
「神話が必要だからだ」
「神話?」
「神を崇める物語。信仰を集め、自らの力を高めるためのプロパガンダ。
 そのために、勇者が魔を滅ぼす物語が創り上げられる」
 コボルトの腰から、山刀が引き抜かれ、地面に捨てられる。
 自分の首を断ち切り、元の世界に戻した一振りが。
「じゃあ、魔族ってのは、あんたらがでっち上げたのか?」
「魔族は実存の存在だ。
 しかし、彼らとまっとうに戦えば、手に入れるべき世界が砕けてしまう。
 そうならぬために、神と魔が協定を結んだ結果でもあるのだ」
 完全に武装を取り除かれ、服だけになったコボルト。
 脅すように突きつけられた剣が動き、その手がのろのろと肩に掛かる。
「なんなんだよ、それ」
 浩二は、ようやくそれだけを口にした。
「それが真実だ。ただ一人の勇者を決め、その者が魔王を滅ぼす、そう定められたゲーム」
「ふざけんな」
 その言葉に、目の前で繰り広げられている事態に、言葉が自然と湧いて出た。
 勇者と名のつく連中が、一匹のコボルトを囲んで殺そうとする姿が目に焼きつく。
 そして、小さな魔物は、動いた。
「な……っ?」
 一瞬、体が九の字に折れ、黒い影が目の前の蛇腹剣を構えた少年に襲い掛かる。
 首から血を流しながら、それでもコボルトは手にした紐で相手を切り裂き、
 飛来した魔法の力を、包囲していた人形の爆発で吹き飛ばす。
 奪い取った蛇腹剣が魔法の光を打ち砕き、打ち出された無数の剣を、自らの体をおとりに、人形遣いへ誘導。
 包囲した勇者達が呆然とする中、味方の剣に貫かれた一人の少年が、金色の光と共に送還されていく。
 コボルトは剣の林に立ち尽くし、周囲を睨みつけた。
「さて、いつまでここにいても始まらぬな」
 そう言って、山海はタブレットをしまう。
「な、なんだよ!? まだ終わってないぞ!」
「その通りだ。ゆえに、もう時間が無い」
 払いを済ませると、足早に男が地上へと戻っていく。さっきまでとは違い、本当に焦ったような調子で。
「サリアの奴は、儂の助力を当てにしている」
 路地を抜け、大通りへと向かいながら話を続ける。 
「どういうことだ?」
「おそらく、イヴーカスの勇者は、百人の勇者を倒せる秘策を持っているのだろう。サリアはそれを見越し、自らをおとりとした」
「そのイヴーカスってのに他の勇者を倒させて、一対一になるようにするつもりなのか」
「その上で、儂の助力を得て、勝つ気でいるようだな」
 山海はこちらに振り返った。
 その背には、駅からの道と靖国通りが交差する十字路が見える。
 行きかう無数の車と、歩道を歩く人々の群れを暮れてゆく日の光が照らし、濃い陰影をまとわせていた。
「逸見浩二よ、そなたに問おう」
「な、なんだよ……改まって」
「そなたは、なぜ向こうに戻りたいのだ?」
 その顔はすでに笑っていなかった。
 急速に、山海の雰囲気が変わっていく。
 柔和で、どこにでもいそうな男は消えて、肌を刺すような威圧感が漏れ出していく。
 重い空気の中で、それでも口を開いた。
「最初は、できれば戻れたらいいなって感じだった。
 途中でリタイヤしたのが悔しかったし……向こうの生活は、こっちと違って面白かったからさ」
 だが、今日という日の終わりに、浩二は知った。
 楽しいゲームの裏側にある現実を。 
「あんたの言ったのが本当なら、誰かを犠牲にしてまで、
 俺が勇者をやる意味なんて……あるのかなって」
「では、もう戻りたくないと?」
「……わかんねぇよ。いきなり色々言われて、頭の中ぐちゃぐちゃで……でも」
 思い出す顔がある。
 一匹の魔物の、怒りをむき出しにした表情。
「この二週間ずっと、あのコボルトのことばっか、考えてた」
「憎んでいるのか?」
「……違う、と思う」
 最初は憎しみがあった。
 傷つけられたことへの怒りもあった。
 でも、最後に自分の心を占めた感情は。
「わからなかった。何であいつは、俺に怒ったのかって」
「そなたはあやつの仲間を、家族を、恋人を殺したのだぞ」
「それが、分からなかったんだよ」
 ああ、そうだ。
「俺は、あいつを魔物だって思ってたから、そう聞かされてたから……だから」
「情愛なども持たない、人間を滅ぼすだけのシステム、倒すべき相手、ゲームの駒だと」
 そう思っていたんだ。
 だから、最後まで、自分は当惑しかできなかった。
 どうしてこのゲームは、こんな理不尽で終わるのかと。
「今は、そう思えないか?」
「……うん」
「言っておくが、たとえ情愛をもつ存在であれ、コボルトは魔物だ。
 殺し、滅ぼし、糧とするべきゲームの駒であり、『勇者』という肩書きがそれを肯定している」
 山海の言葉は厳しく、同時に労わるような声音さえ含んでいた。
「勇者とは神の代言者だ。彼の者の為すこと、一切が神の意思なりと」
「無力な相手を、一方的に殺すこともかよ」
「魔物は悪だ。それを滅ぼすことに、何の問題がある」
 確かに、それはそうだろう。
 事実、魔物は虐殺を行い、大地を汚染して人々を苦しめていたし、浩二もそれを知っている。
 勇者は正義の味方であり、魔物は敵役。
 それがあの世界の約束事のはずだ。
「中途で終わりはしたが、そなたの成した事は、世界を平和に導く行為であることに変わりは無いのだぞ?」
「じゃあ、何で! 俺はこんなに、もやもやしてるんだよ!」
 山海の言葉に、胸のざわめきが強まっていく。
「そんなこと言われなくても分ってんだよ! 
 魔物を殺すのが勇者の目的で、そうすれば世界が平和になるってのも! 
 でも……」

『お前に奪われた俺! 一番納得、いかないんだ!』

 あの時の声が、その思い込みを打ち砕いてしまう。
 考えに疲れ果て、浩二は地面に視線を落とした。
「……聞いてもいいかな」
「なんだ?」
「勇者が魔王を倒してさ……本当に、世界に平和が来るのか?」
 山海は瞑目し、おもむろに口を開いた。
「そなたはどう思う」
「……またそれかよ」
「では、儂にどうしろというのだ?」
 見上げた山海の顔は、穏やかに凪いでいた。感情の波が失せ、ただ純粋に、浩二に問いかけていた。
「ずっと言ってきたではないか。
 神は善で魔物は悪、魔物を滅ぼす勇者の行動は、全てが肯定されると」
「あ……」
「それで納得できぬと言うお前に、何を言えると思う?」
 そう言うと、山海は何気ない様子で車道へと歩き出す。
 警告しようと思った浩二の感覚が、ようやく異常に気がついた。
 周囲から、人が消えていた。
 人だけではない、大きな交差点には一台の車も走っていない。
 世界には色があり、夕日は赤々と、ビルの間から差し込んでいる。
 だが、いつの間にか、世界は無音になっていた。
「さて、ここらで、儂の立場についても話しておこうか」
 山海は、無人の交差点の真ん中に立ち、声を上げた。
「先ほども言ったとおり、儂は遊戯に参加することを半ば禁じられておる。
 我が神格と所領、そして信者を捧げた時に与えられる加護が、あまりにも多いがゆえに」
 その声にあったのは、自嘲。
 持てる者であるがゆえに、何も出来ない者であることへの。
 ごく軽い調子で語る言葉には、かすかな憤りすら漂っていた。
「そして、儂の助力を得んとすることも、他の神々は考えてこなかった。
 なぜなら、それもまた衆目を集め、遊戯における不利にしか働かぬからだ」
「……それが、俺とどう関係があるんだ?」
「儂とそなたには、契約の余地がある、といっているのだ」
 神は、力強く笑った。
「そなたには、あちらの世界へ戻る動機がある。
 自分の成したことの意味、勇者という存在の意味、
 そしてあのコボルトの存在の意味を知りたいという、欲求が」
「それを叶えてくれるとして、あんたは俺に何を期待してるんだ?」
「これから始まる事態のために、そなたを利用したい。儂の楽しみを満たし、願いをかなえるために」
「ずいぶん、きっぱり言うんだな」
 山海は笑い、頷く。
「儂は詐術は好かぬ。多くを語ることは出来ぬが、明かせるだけの真実くらいは提示するつもりだ」
「"聞かれなかったから答えなかった"なんて言いださないだろうな」
「それは、そちらの質問次第だな。
 契約を結ぶという行為には、それなりの知恵と狡猾さを要求されるのさ」
 つまり、この場で質問できることは、質問しておけということ。
 浩二は考えながら、口を開く。
「俺はあんたの勇者になって、ゲームに参加するのか?」
「まあ、そんなものだ。
 しかし、そなたは一度リタイアしているし、遊戯の途中参加は認められぬ。
 よって、裏技を使うことになるがな」
「あんたの楽しみってのは?」
「儂はな……部外者で居ることに、飽きたのだよ」
 飽きた、という言葉が、重さを持って吐き出される。
 考えてみれば、このカミサマは自分でもゲームをやるといっていた。
 仲間はずれにされたという気持ちが、こちらでの徘徊という形で発散されているのかもしれない。
「それじゃ、あんたの願いって?」
「友を助けることだ」
 端的で、意外なほどな真摯さを込めた言葉。
 さっきの一言と同じか、それ以上の意味を持つ響きに、浩二は瞠目した。
「カミサマが、そんなこと言うなんてな」
「神とて朋輩はあるものさ。むしろ、そなたらよりも多くの、しがらみを抱えているやもしれん」
 会話の流れから言って、友というのはサリアという神のことだろう。
 女神といっていたが、何か関係があるんだろうか。
「そいつって、あんたの恋人?」
「世の中が、万事そのような関係で動いていると思うのか? とすれば、そなたはまだまだ青臭いということだな」
「ちょっと聞いてみたかっただけだろ。
 そんなにムキになってるところを見ると、意外にまんざらでもなかったりする?」
「あやつと儂は元の種族からして違う。
 そんな感情、起こす方がどうかしているわ……質問はそれだけか?」
 どうやら、はぐらかしの時間は終わりらしい。
 浩二はためらいながら、一番重要な質問を口にした。 
「……俺は、こっちに帰ってこれるのか?」
「そなた次第だな」
 言葉は穏やかで、それでも厳しい響きを含んで流れる。
「儂には参加権がない。つまり直接の加護で助けることはできぬ。
 そして、出立前に強力な力を持たせてやることもできんのだ」
「前みたいなチートは期待するな。レベル一の"こんぼう"と"ぬののふく"で頑張れ、ってことか」 
「しかも、残機もコンティニューも無い状態でな」
「死んだら、俺はどうなる?」
「なんとしても生きて帰って来い。儂に言えるのは、それだけだ」
 ため息をつき、投げられた事実を反芻する。
 あの時はゲーム感覚だった。死ですら遠い事象でしかなかった。
 でも、今度は本当に、命をかけた冒険になる。
「最後に、今ひとたび問おう」
 こちらの心を察したように、山海は口を開く。
「逸見浩二よ、あの世界に、もう一度行く気はあるか?」

 交差点の真ん中に、神が立っている。

 ずっと悩んでいた。
 あの異常な体験を、その結末を、どう扱えばいいのか。
 自分が何をしたのかを。

 目の前の神と契り結べば、真実がわかるかもしれない。
 そのために払う対価は、命。
 もちろん、下がることはできる。
 その代わり、このもやもやを解消する機会は一生無いだろう。

 神はただ立ち尽くし、答えを待っている。

「行くよ」
 浩二は、答えを口にした。
「よかろう」
 その言葉を最後に、山海の体が溶けるように消える。
 そして、それは姿を現した。
「あ……!」
 音も無く、風も起こらず、それでも圧倒的な存在感と共に顕現したもの。
 力強く大地を咬む四肢、引き締まった長い胴体としなやかな尾、
 その体をみっしりと鎧う黄金の鱗、優美な曲線を描いて背から生える一対の翼。
 長い口吻を備えたいかつい顔に白い髪、その間から伸びる黒く太い双角。
 その全てが巨大だった。
 交差点をその全身で覆いつくし、ビルの三階くらいの高さになった視線で、こちらを見下ろしてくる。
「ドラゴン……だったのか」
「驚いたか?」
「ああ……」
 山海というかりそめを捨て、竜神となったエルム・オゥドは、まなじりを優しげに緩めた。
「では、そなたに裏技を施すとしようか」
 鋭い牙の生えそろった大顎が、ぱくりと開いていく。
「ちょっと……何するつもりだよ」
「少し痛いが、我慢せよ」
「え!? バカッ、やめ――」
 ドラゴンの顎の奥が、白熱する。
 ほとばしる奔流が、浩二の体を飲み込んだ。
「うああああああああああああああああっ」
 熱があらゆる細胞に染み渡り、痛みが自分の意識を白濁させる。
 骨がきしみ、肉が歪む。逸見浩二という存在の一切が、巨大な手でこねくり回されて行く。
「あがあああああっ、あっ、あくうああああああっ」
 まともに立っていることも出来ず、跪こうとした足に、強烈な違和感を感じる。
「な、なんだ、これ」
 クリーム色のごつい爪が、三本生えた足は青い。
 靴どころかズボンすらはいていないのは、ブレスに焼かれたからとしても、自分の体はこんなじゃなかったはず。
 光が収まるにつれて分っていく変化。
 足どころか体も腕も青い、手指は五本だが、爪は硬くて長かった。
 そして、背中に獲得した新たな感覚が、より一層気分を混乱させる。
 自分の意思で動く器官の一つは、おそらく尻尾。アスファルトをこする感覚が肌に気持ち悪い。
 もう一つは、想像だにしなかった部位。人間には絶対に備わるはずの無い、翼だ。
 新たな腕のように、左右の関節が自分の意思で動き、伸ばしたと同時に、
 折りたたみ傘でも開いたような、皮膜の張る感触が伝わった。
「お、俺に、何したんだよ!」
「逸見浩二という存在を、そのまま連れて行くわけには行かぬからな。そこで、そなたを我が眷属の末、一匹の仔竜へと転生させたのだ」
「元に戻れるんだろうな!?」
「安心せよ。生きて帰ってくれば、ちゃんと戻してやる」
 生きて帰ってくれば、その一言に気分を重くしながら、浩二は自分を見直す。
 まるで変わってしまった自分の体が、意外にしっくりなじんでくる。これも竜神の力によるものなんだろうか。
「さて。そろそろ行くぞ、フィアクゥルよ」
「……なにそれ?」
「そなたの新たな名前だ。人間の名など名乗れるわけはあるまい」
「何か、意味とかあるのか?」
 前肢を差し出しながら、竜神は笑う。
「"空を統べるもの"あるいは"光と闇を孕むもの"、無理に人の言葉に訳せばそうなる」
「む、無駄に壮大な名前だな」
「親心と思って受け取っておくが良い。さ、しっかり掴まっていろ」
 暖かい体に引き寄せられ、仔竜は竜神にしがみ付く。
 黄金の竜は喉を反らし、天に向け、
「v――――――――――――」
 高らかに啼いた。
 言葉でも咆哮でもなく、純粋な音。
 その波は大気を、大地を、建物を磨して広がり充ちていく。
「v――――――――――――m――――――――――」
 聲(こえ)にあわせ、するりと巨体が天へと舞い上がる。
 翼を広げ、自らを囲む全てが群れ集い、竜神の体を空の高みへ押し上げていく。
「あ……ああ……」
 染みてくる、新しい体を通じて、音が染みていく。
 竜神の聲が角に染み入り、骨が震えていく。
 浩二の心の中に、風が吹き込んでくる。
 見る間に大地が離れ、視界が高みへ昇る。
 ビルがあっという間に下になり、交差点が黒い線の交わり程になっていく。
『鳴唱(めいしょう)』
 まるで大気そのものが喋っているように、竜神の聲が心に響いてくる。
『万物の発する聲を用いて行う業だ。精霊たちの言葉にして竜の息吹。
 そして、自然と心を通わせる術者が、覚束なくも操る諸元の音色』
「ああ……」
 体が透き通って、軽くなっていく気がする。
 吐き出す息、吸い込む働きすら、風の一部になるような、心地よい開放感。
 生まれた場所が遠くなっていく。
 夕暮れに照らされた町並み、巨大な竜が飛び去ったことも知らぬまま、これまでと同じ営みを続ける世界が。
『ああ。しまった』
 陶然としていた仔竜の心に、残念そうな竜神の聲が届く。
「どうかしたのか?」
 竜神の爪が地上を指差す。すでに豆粒ほどになった電気屋街の外れにある、橋向こうのビルを。
『うちの連中が、あそこのカツサンドが好きでな。せっかくだから買っておけばよかった』
「……ふ……」
 仔竜は口元を緩め、弾けたように笑い出した。
「あはははははは、カツサンドって、ドラゴンがカツサンドかよ!」
『はははは、そう言うな。竜種は万事に貪婪なもの。人の世の奢侈(しゃし)は何でも好きなのさ』
「そんなに好きなら、秋葉に住んじまえよ! ったく、くだらねー!」
『そうだな! いっそのこと、そうするのも良かろうな!』
 雷鳴のような笑いを立てて、竜神が空へと昇る。
 藍で染まり始めた天蓋の先を、新生した仔竜が見晴るかそうと首を伸ばす。
 そして、彼らは天のはるか高みへと、消えた。



[36707] かみがみnameless プロローグ「癲狂(てんきょう)の王」
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/10/10 01:24

 その場所に訪れる時、感じるのはいつもめまいからだった。
 転移の魔方陣に足を踏み入れるたび、襲ってくる現実感の喪失。
 次いで、降り注ぐ日の光のまぶしさに脳を揺さぶられる思いがする。

「ベルガンダ様、お加減は」
「ぼちぼちといったところだ、なんとかな」

 傍らに侍るのは、自分よりもはるかに背の低いホブゴブリン。
 自分の参謀であり、相談役でもあるコモスはローブの裾を軽く直し、
 自分の先に立って歩き出す。

「やはり、転移というのは、今だ慣れぬものですな」
「それもあるが、見ろ、この景色を」

 ため息とも失笑ともつかない吐息が、牛のような顔から漏れる。
 二メートルを超す分厚い体躯と、身に着けた無骨な鉄鎧。
 緋色のマントをはためかせたミノタウロスは、おどけた口調で周囲を指し示した。

「我ら牛頭魔の一族が、一生掛かっても思い描かぬ世界だ。めまいを感じぬ方がどうかしている」

 頭上に広がるのは雲一つ無い青空。その中を点々と通り過ぎる黒い影は、周囲を警戒している飛行魔族の類だろう。
 目の前に延々と広がるのは、大理石で作り上げられた宮殿。
 緑の芝生が敷かれた庭園や噴水も作られたその様子は、人間達の王が住む都城とも遜色が無い。
 そして、二人が立っている転移陣の背後。
 台座のすぐ向こうにあるのは、虚空だった。
 まるで、何処かの土地から掘り取られたように、地面がふっつりと途切れている。
 その下に広がるのは緑為す大地。小高い山や森林、良く肥えた草原、そして人間達の住む村が垣間見えた。

「天空に浮かぶ城」

 ミノタウロスの見ている前で、一塊の群雲が眼下の景色を覆い、一瞬のうちに城の周囲に雲の大地ができあがる。

「魔の王が統べる城としては、申し分ないのだろうがな」
「岩山の懐を住処とし、迷いの宮に群れ集う我らには、居心地の悪いことこの上ない場所……
 なぜこのような場所に、居城を建てられたのでしょうなぁ」
「……行くぞ。お待たせしては、我らが王にくびり殺される」

 愚痴はここまでだ、そう心に刻み、歩き出す。


 今代の魔王は癲狂(てんきょう)である。
 魔界でもまことしやかに言われていたことだ。
 その出自は定かならず、ただ、こう言ってのけることで、今の地位を獲得した。

『我は神魔の遊戯にて、必ずや魔の者に勝利をもたらすだろう』

 神と魔との遊戯は、すでに百を超える回数に渡って続けられていた。
 だが、魔の側の勝利は驚くほどに少ない。
 初めの頃は互いの手の内が分からず、負け勝ちを繰り返していたのだが、
 神の側が打った一手によって状況は激変した。
 それこそが、異世界の勇者という存在。
 遊戯に敷設されたレベルという概念を使いこなし、奇妙奇天烈な加護を編み出し、
 魔の者の度肝を抜く戦略で、神々に勝利をもたらす者たち。
 単なる力比べや魔法合戦ならば、魔の者の勝利は揺るがない。加護を与えたからといっても所詮は人間だからだ。
 しかし、異世界の勇者は、その力量差を技と工夫であっけなく覆す。
 いかに力ある魔物が王に立ち、彼らの前に立ちふさがろうとも、結局は彼らに打ち倒されてしまう。
 魔に勝利をもたらせば、その者には大いなる栄誉と栄達が与えられる。
 そんな餌がぶら下げられている状況であっても、魔王への立候補者が少ない理由が、異世界の勇者だ。
 その誰もがやりたがらない役割に進んで就いたこと。
 暗い闇を好むはずの魔の者でありながら、空に浮かぶ城を住処とする思考。
 魔王の癲狂ぶりは、側に仕えれば仕えるほどに感じられた。

『魔将、ベルガンダ殿、到着されました!』

 気がつけば、巨大な木の扉の前に立っていた。
 物思いに耽っている間に、通いなれた道を歩み終えていたらしい。
 濃紫に染められた絨毯が敷かれた回廊。蝋燭の灯る薄暗い空間が、瞑想のような雰囲気を呼んだのだろうか。
 牛頭が瞑想とは。苦笑いを浮かべつつ、扉をくぐる。

「遅参か。牛ごときの分際で」

 巨大な燭台を天井に掲げ、それ以外の光を一切拒絶した大広間。その中央にすえられた円卓から、叱責は届いた。
 ベルガンダと向き合う位置に座った男。青白い肌と輝く黄金の長髪を垂らした人間は、口元から鋭く犬歯を覗かせ、冷笑する。

「我らが王の招集には、真っ先に馳せ参じるべきであろうが。この駄獣」
「申し訳ない"不死魔将"殿」
「私に詫びを入れてどうする。まぁ、貴様の牛頭では、その程度の知恵も回らぬか」
「……遅参、申し訳なく。我が主よ」

 ミノタウロスの視線は円卓ではなく、奥の壁際に向けられる。
 そこに在る人影は鷹揚に手を振り、無言で問題ない事を示す。

「とっとと座れ若輩! 戸口に立たれると牛臭くてかなわん!」

 怒声の主は不死魔将の右手側、かなり離れた位置に腰掛けていた。
 細面の青年の数倍はある巨体、座っていてさえベルガンダと同じ位置に顔があった。

「おおかた、いじましい弱卒どもの稽古でもして遅れたのだろうが、
 それなら遅参ではなく、欠席でもすればよかったものを」

 巨躯の魔物は百本の腕を複雑に絡ませあい、腕組みの肉壁で席に座った牛頭魔を圧迫する。

「悪いが"闘魔将"殿、我が主の召集に参じるのは魔将の務めゆえ。遅れはあっても、席を欠くことはありえぬ」
「口先だけは一丁前か。どうだ? ベルガンダよ、遅参の無礼を雪ぐため、俺とお前の一騎打ちを、王にお見せするというのは」
「それこそ時間の無駄というもの。勝負の決まった戦いには何の意味も無いですな」

 百手巨人(ヘカトンケイル)の向かい、イスにちょこんと座ったのは、枯れ木のような老人。
 その手に杖を弄びながら、ひび割れた口を笑いにゆがめる。

「さて、我が主よ。どうやらすべての魔将がそっ首そろえたようですから、軍議と参りませぬか? 
 そろそろ、この老いぼれの尻が、硬いイスに悲鳴を上げ始めましたので」
「……良かろう」

 影の中に居た人物は円卓ではなく、壁際に設えられた玉座に腰をすえた。
 薄闇の中に浮かび上がる、漆黒の衣を纏ったエルフか人間の青年を思わせる存在。
 痩せた肩と繊細な指先、尖った顎から感じるのは、恐ろしさよりもたおやかさと弱さだ。
 青い髪に銀色の目を持つ、魔界ではそう珍しいものでもない、人妖の一族。
 ただ。

「これより、軍議を執り行う」

 その声には、強さがあった。
 己の為すべきことを、一切の揺ぎ無き信念として持つ存在のみが発する令。
 ベルガンダは自然と席を立ち、跪いていた。
 剛直な百手の巨人も、枯れた老爺も、皮肉めいた笑みを浮かべていた不死の魔さえも、膝を屈し、首を垂れる。

「もうよい。席に着き。我に戦功を告げよ」

 魔王の言葉に、それぞれがようやく自律を取り戻し、一瞬視線を通わせる。
 誰から口を開くべきか、そんな逡巡を新たな声が破った。

「"不死魔将"コクトゥス殿、我らが王に報告を」

 黒い肌を持つ女性型の魔、体を絞るような皮の鎧に身を包んだ"参謀"が、玉座の裏から進み出る。

 金色の竜眼に銀色の髪、細身ではあるが豊満な胸と腰周りが、本人の蠱惑的な雰囲気を一層強めていた。
 その名前も種族すらも明らかではない彼女は、自分達魔将に魔王の声を伝えるものとして、常にその側に侍っている。

「済まぬな、参謀殿。良く聞こえなかった」
「……コクトゥス殿」
「勘違いしてもらっては困るが、私はあくまで協力者として、この軍に参画している。
 魔王殿に言われるならともかく、貴様ごときに敬称を略される謂れはないぞ」

 その瞳を真紅に染め、不死魔将が女怪を睨む。
 魔界にあって高位の貴族たる彼にとり、自分や彼女は下等な存在でしかない。
 完全な侮蔑に対して、美麗な顔に皺一つ刻まず、"参謀"は薄い唇から言の葉を紡いだ。

「ぬばたまの帳、銀円の煌々たる宵闇の御座より出で、久遠にして永劫たる、連綿なりし漏刻のしわぶきより歩み去る方。
 真にして一つである尊き者、古き夜の血を引きし、万命を狩る貴人よ」
「礼に適ってはいるが、訂正しておこう。私は第三位の血族であり、その場合は、"古き夜の血に清められ"とするのだ」

 ――下らん。
 牛口の奥でベルガンダは嘆息する。
 軍議の度に繰り返される、似たような茶番。
 本来なら自分が魔王の座に着くべきであり、自分は対等なのだと示さずには居られない見栄坊は、
 手を変え品を変え、魔王とその側近に綾をつけていた。
 その行為自体、魔界における吸血鬼の存在が地に落ちていると、証明しているとも気付かずに。
 凋落は、彼らの王たる"真祖"が遊戯において討ち果たされたことにより始まった。
 ただの敗北ではない。
 遊戯開始より三ヶ月という、異例の速度での敗退。
 勇者達は真祖たる吸血の王を畏れなかった。むしろ、その存在が発覚した時点で、喜びさえしたという。
 なぜなら、彼らにとって吸血鬼など、分かりやすい弱点を持つ討伐可能な魔物の一体に過ぎなかったからだ。
 その不死を約束するあらゆる約定――自らが生まれた汚れた土を欲すること、
 真の名によって本性を縛られること、神の印によってのみ傷つく呪い、流水を渡れぬ体、
 血を吸うことでのみ永らえる生命――を徹底的に攻撃された。
 魔王の居城は、変更された川の流れによって囲われて封鎖され、厳重な監視砦が敷設された。
 彼の配下となった人間はことごとく浄化、あるいは廃滅され、
 主力となっていた不死者のほとんどが、神の加護によって祓われていく。
 その上、勇者達は真祖の使うであろう力を、完全に無効化していた。
 最後には十数名による集団攻撃により、吸血の王は何も出来ないまま、虚しく散滅したという。
 その城は暴かれ、木材の切れ端、石材の一片に至るまで太陽に晒された。
 汚れた土は浄化された上、大海原の真ん中で破却、彼の真の名はいくつもの世界語によって発音記号付きで翻訳され、
 書籍や口伝にて伝えられることになった。
 その後、復讐に燃えた第二位の吸血鬼達が、幾度となく再戦を試みたが、結末は同じだった。
 そして、吸血鬼たちは遊戯への直接の関与を止めた。
 現在では第二位の存在が仮の真祖として一族を治め、コクトゥスもまた、
 魔王に呼ばれることがなければ、一族の定めに従い不干渉を貫くはずだった。

「まぁ、いい。そのぐらいの態度で居れば、このようなつまらぬ時間を取ることもないのだ。よく覚えておくがいい」

 吸血の道化は肩を竦め、円卓の上に大陸の地図を投影する。
 その北西に位置する島大陸は、すでに毒々しい紫で染め上げられていた。

「ヘデキアスは完全に私の手に落ちた。海浜の港湾都市がいくつか抵抗を示しているが……滅するのも時間の問題だろう」
「その他に、何か報告は?」
「私からはそれだけだ……ああ、一名ほど勇者らしいものが居るようだが、一つの迷宮を攻略するのにも時間が掛かる有様。
 それほど気にすることもあるまい」

 言うだけ言うと、興味をなくしたらしい不死の王は、ぞんざいに応答を打ち切り、深く腰掛けた。

「次は儂に報告させて貰おうかのう」
「"操魔将"エメユギル、指名は私から」
「まぁまぁ、堅いことを言いなさるな。儂の報告も重ねれば、魔王様のご機嫌も少しは和らごうて」

 枯れた老人は目を細め、勝手に話を始めてしまう。
 見た目にはただの老人だが、その中身には粘菌をベースにした魔物がぎっしりと詰まっているという。

「ケデナも同じく、我が手に掌握したも同然じゃ。
 今は付近の生き物や人間、亜人どもを集めてな、ちょっとした改良を施しておる。
 いずれは魔王様にも献上仕りましょう」
「そうか……楽しみにしていよう」

 そっけない答辞に、それでも老人は笑顔で平伏する。
 南西の大陸は、彼の支配を示す黒い色で染め上げられていた。
 魔術や妖しげな技術を用いて生物を操り、改造する能力を持つ彼は、魔将の中でもっとも魔の名を冠するにふさわしい存在だ。

「こちらの大陸にも一名、勇者がおりますが、うまく立ち回るのは難しいでしょうなぁ。
 我が配下による欺瞞作戦で、大陸中の王家は疑心暗鬼ですし。
 確実に勇者の足を引っ張っておるようです」
「……なるほど。ほかには?」

 根っからの策謀家である彼は、魔王の興味を惹いたことを知って、喜々として報告を続けていく。

「大陸中央のエルフ領内に、落ち延びたドワーフの氏族を追い立ててあります。
 祖先の霊を祭った霊木をドワーフが伐ったの伐らないのと、一触即発の状態とか……さらには山岳に住む竜の一族も、
 最近人間に卵を奪われたといって、縄張りに踏み込むのを拒んでいるそうで」
「それで、その竜の卵は?」
「現在、こちらで有効に活用しております。いずれお見せできることもありましょう」
「まだるっこしいマネを。
 そもそも、貴様が作ったおもちゃなど奉じずとも、魔王様自身に魔物を生む力が備わっておるではないか」

 二人の報告を耳に入れていた巨人が、唸るように声を上げる。

「好調なのであれば、そのことだけ言っておけ! 貴様の猫なで声を聞いていると、首筋が痒くなるわ!」
「ならば……"闘魔将"ゾノ、貴様の報告を聞こうか」
「は、ははっ」

 それまでと打って変わって、"闘魔将"は顔を真剣なものに改める。

「我が魔獣の軍団は再編を終え、ふたたび各城砦に侵攻。勇者の兵団を掃討し、領土を奪還つつある状況です」

 地図に映し出された中央大陸は、彼の支配を示す赤色が端に追いやられていた。
 じわじわと勢力を広げているようではあるが、彼自身が言うほど盛り返して居るとは思えない。

「つ……つきましては、その……」
「用件は手短にしろ。何を何体必要か、それだけ言えばよい」
「は、はい。では後ほど"参謀"殿に」
「今この場で言えばいいではないか、ええ? "闘魔将"殿よ」

 嬉しげに目を細めた吸血鬼は、百手巨人のうろたえぶりに鮮やかな蔑笑を投げた。
「勇者によって、ずたずたに引き裂かれたぶざまな敗軍に、起死回生を約束する兵をお与えください、とな」
「…………っ!」

 音もなく立ち上がったゾノが、その全ての手に得物を握り締める。
 槍、剣、斧、棒など、あらゆる兵器がその身に備わり、不死の魔物を威嚇する。
 反対にコクトゥスは優雅に立ち上がり、真紅の魔眼を巨怪にむけた。

「やめろ」

 魔王は、その座から立ち上がることもなく二人を制した。
 武装を解いた巨人が腰を下ろし、吸血鬼が優雅に一礼、座席に身をゆだねる。

「下らぬことで軍議を止めるな。まだ最後の報告が残っている」
「そうだったかな? 我らの状況は報告し終えたはずだが」
「いや、戦功は終わったが、戦禍はまだだろう。なぁ? "魔将"よ」

 それまで完全に自分を無視する形で進んでいた場の空気が、一気に押し寄せた。
 あれほど争いあい、憎しみあっていた二人の魔将が、犠牲の牛に楽しげな視線を投げつけてくる。

「"魔将"ベルガンダ、報告を聞こう」

 魔王自らの声に、ミノタウロスは腰を上げ、報告を始めた。

「中央大陸より渡り来た勇者の軍、"光輝なる兵団(レイディアント・ミリテース)"は、大陸北西部の港、ザネジに到着。
 軍馬をまとめ、侵攻を開始しました。すでに付近の砦が破壊され、依然侵攻は止まらない状況です」
「仕方あるまい。俺の魔獣どもでも、苦戦を強いられたのだ。
 貴様のところに居るのはゴブリンだのオークだの、良くてオーガかワーム程度だろう? 負けるのは当然よ」
「とはいえ、もう少し努力して欲しいものだな。こんなざまでは、死んだ"海魔将"殿も浮かばれぬわ」
「まぁまぁお二方、"魔将"殿も立派に勤めを果たしているではありませんか。
 勇者の目を引き付けるおとりが、彼の方の役割であったはず」

 老人の言葉に、二人は声をそろえて笑いだした。

「なるほど! そういえばそうだったな! いやあ、すまんすまん!」
「同輩に貴君のようなものが居て、非常に嬉しく思うぞ。家畜として、今後も相応の働きをしてくれよ」
 降って来る揶揄に、ベルガンダは感情を押し殺して耐えた。
 少なくとも、それは紛れもない事実なのだから。


 最初の軍議のとき、魔王はこう尋ねた。

『もし、あらゆる地域に油断なく強力な魔物を配した場合、勇者達はどう動くだろうな』

 こちらの答えを待たず、魔王は答えを述べた。

『共闘行動を取り、少しでも生き延びる算段を講じようとするだろう。
 彼らには、レベルという縛りがあるからな。現地で徴兵する傭兵などより、
 奇跡を分かち合える神々同士で盟を組むだろう』

 過去の遊戯の中で、神々の勇者が共闘する例は幾度となくあった。
 その最も手痛い事例が、吸血鬼真祖の敗北。
『だが、比較的強い魔物がおらず、レベルアップが容易な土地を作った場合、彼らはどう動くと思う?』


 共闘は生存の可能性も上げるが、交わされた約定により、景品を分け合わなくてはならないという不利益も生じる。
 レベルアップすれば強くなるという制約がある以上、狩場があれば大抵の神はそこに勇者を置き、他者を出し抜こうとするだろう。
 結果、魔王の読みは当たり、モラニアに百人を超える勇者が集まった。
 他の大陸はいくらかの例外を除いて、ほとんど勇者の侵攻を受けず、魔王軍の勢力は拡大していくことになった。

「しかし、なぜ勇者の軍はモラニアへの侵攻を開始したのだろうな? 
 もしや、貴様の軍に手ごたえを感じず、余興代わりに大陸を一つ落とすつもりでは?」

 "不死魔将"の揶揄に"闘魔将"は怒りを露にしつつ、それでも平静に答えを返す。

「あそこに居る勇者を平らげ、一気に加護を集めるつもりだろう。
 このまま我が軍を打ち破るのには、力不足であると感じてな」
「いずれにしても、モラニア陥落は時間の問題。場合によっては中央大陸にて、我らの力をあわせ、
 全力で勇者の兵団を叩き潰す算段をした方がよろしいかと」

 エメユギルの提案に嫌そうな顔をしたものの、ゾノもコクトゥスもそれなりの合意を見せた。

「では、今日の軍議はここまでということで、よろしいな」
「儂も実験体の調整が佳境でしてな。魔王様には無礼を働きますが、ご容赦を」
「次こそは戦勝のご報告をさせていただきますゆえ。これにて」

 三様に暇乞いが告げられ、会議場から魔将たちが消えていく。
 たった一人、残されたベルガンダも、重い腰を上げようとした。

「待て」
「は……」

 玉座に座った魔王の顔には、朗らかな笑みがあった。
 それまでのそっけない、いかにも無聊(ぶりょう)に倦(う)んだ顔をしていた者とは思えないほどに。

「貴様の報告がまだだ。我が魔将よ」
「し、しかし」
「勝利の報告など、大根役者でも演じられる安い座興。
 負け戦の語りほど、役者の力量を問われる出し物はない、そうは思わないか?」

 まったく、このお方は。
 魔王の酔狂への苦悩を隠しつつ、ベルガンダは中央の地図をモラニアのものに変換し、自分の知りうる情報を提示し始めた。

「まず、"知見者"の軍ですが、現在港湾都市ザネジを接収。
 軍船による隊商護衛を行い、エファレアより物資の輸送を行っております。
 これにより、付近海域の魔物はかなりの数が掃討され……海魔将殿の残した影響は、ほぼ消された形になりました」
「ベルガンダ、なぜ勇者の軍は現地から物資の徴発を行わず、
 わざわざ大陸からの輸送を行っているのだろうな?」

 ベルガンダにとって、軍議の後に行われる魔王との対話は苦行だった。
 軍議を行うようになってから、幾度となくこんな質問を重ねられている。
 初めの頃は何も答えられず、脂汗と胃痛で気がおかしくなるかと思ったほど。
 こうして受け答えのようなことが出来るのも、側近のコモスから軍略を学んでいるおかげだ。

「……モラニア現地よりの戦時徴発を行わないのは、今後の軍事行動への軋轢(あつれき)を減らすため……であると思われます」
「軍事行動による軋轢とは?」
「モラニアには現在、三つの王家があります。
 いかな勇者の軍とはいえ、中央大陸の支援を受けたもの。
 戦時徴発が侵略行為と映るのを避け、モラニア平定後の協力関係を取り付けやすくするため……でしょうか」

 必死に答えたこちらに、魔王は薄く笑って首を振る。

「貴様自身が報告しただろう? 隊商護衛を軍船に行わせ、海域の魔物を掃討したと。
 物資の輸送と同時に通商の回復を行い、モラニアとエファレアの経済復興を促進させるためだ。
 貴様の指摘も、理由の一つだろうがな」
「は、ないっ」
「続けろ。知見者の軍の動きは、それだけか?」

 錆付きがちな牛頭を必死に磨き、ベルガンダは手に入れていた情報を開示していく。 

「現在のところ、表立った動きはしておりませんが……各地に斥候を向かわせ、
 地形の確認と、我が軍の勢力を推し量っている模様です」
「それに対する貴様の対応は」
「か、各員を砦、ダンジョン、洞窟などに分散して配置、できる限り戦力の秘匿を行っています。
 そ、それと、ゴブリン、ホブゴブリン、インプなどを中心として斥候部隊を編成……勇者の軍の戦力を調査中です」
「それでは合格はやれんな。
 遊撃部隊を組織し、勇者の斥候が"前日に"投宿した集落に焼き討ちをかけろ。
 また、山岳部の街道の要所に対して侵攻を行え。理由は分かるな?」

 斥候を直接討伐するのではなく、その道筋を潰す理由。

「補給路と連絡経路を断ち、勇者たちの進軍速度を遅くすること」
「そうだ。戻り次第、全員に通達しろ。各部隊の情報共有は?」
「行っております。とはいえ、インプどもが中心では、信頼性も低くなりますが……」
「ふん……まぁ、いいだろう」

 ようやく魔王は質問の手を緩め、満足そうに玉座に身を預ける。
 これで今回の報告も終わるだろう。ミノタウロスの魔将は、ほっと一息をついた。
 正直、他の魔将に罵られることより、魔王の鋭い一言に答える方が何倍も苦しい。
 戦場以外でこんな厳しい気分を味わうとは思ってもみなかった。
 だが、こうした謁見も、おそらくこれが最後だ。
 知見者は神々の中でも屈指の実力者だという。
 そんな神の勇者が自分の所に来れば、自分の命など風前の灯火に過ぎない。
 散るならば、何かを残すべきだろう。
 他の者はどうかは知らないが、魔王に知見者の軍の情報を渡せれば、後々役立つに違いない。
 それが、位も低く魔力もろくに持たない、下級魔上がりの魔将にできること。
 決心すると、ベルガンダは席を立った。

「魔王様、俺もそろそろ暇乞いを……」
「待て」

 玉座から降りた魔王が、歩み寄ってくる。

「貴様にはまだ……聞きたいことがある」

 その顔から、表情が消えていた。
 冷たく、射るような視線が向けられている。
 こちらの皮膚の内側、筋骨は元より魂の芯の部分まで見透かすような、怜悧(れいり)を込めて。

「なぜ、知見者の軍は、モラニアに侵攻してきたのだろうな」
「……なぜ、ですか?」
「質問しているのはこちらだ。早く答えろ」

 知見者の勇者が侵攻してくる理由。
 これが領土拡大の侵略戦争なら話は分かる。だが、あれは勇者の軍であり、魔物と魔王から世界を開放するための存在だ。

「お、俺を、討ちに来た、のではないでしょうか。組し易い相手であるからと」
「知見者の軍はゾノの魔獣の軍団にも十分対抗できていた。
 あの調子なら、二月も掛ければ、奴の席を空にできていたろうな。
 つまり勇者は、あと少しで勝てる戦を捨て、わざわざ貴様のところへやってきた。その理由を問うているのだ」
「……わ、わかりませんっ」

 苦し紛れの言葉に、魔王はぐっと顔を近づけ、ベルガンダの鼻面を優しく撫でる。

「その言葉は、使うなと言ったはずだ」
「は、ははっ」
「分からないのは考えないからだ。
 考えられないのは問題に目を開いていないから。
 目を開けないのは問題そのものに怯えているから。
 そして、その問題に怯えるのは、それが未知ものであるからだ」

 子供をあやすように、魔王は言葉を重ねる。

「知見者の行動は理に適わぬ行動、すなわち未知のものだ。
 だが、神も人も、動機なくして行動は起さない。
 つまり、我らの知らない動機があるということだ。
 貴様の治める大陸に、知見者を惹きつけた『何か』があるのだ」
「そ……それは……」
「思い浮かばないか? その『何か』を」

 魔王の問いかけが、悩み疲れた頭に染み込み、ベルガンダを揺さぶる。
 自分の治める大陸に、起こった異変。

「あ……あります…………ですが」
「言い訳はいらぬ。言え、何があった」
「あ、ありえぬことですっ! 何もかも、俺ごときの頭では、推し量れぬ何かが、起こったとしかっ!」
「ならば、私の頭に注げ。貴様の知りえたことを」

 冗談ではない、心の中でうめきが上がる。
 今回の軍議が召集されるまでの三ヶ月の間に、モラニアの情勢は激変していた。
 その変事があったからこそ、ベルガンダの軍はほとんど損耗もなく、勇者の軍に対応できている。
 しかし、その原因の源にある『噂』が、報告の言葉を押し留めてしまう。
 確証を持ちたかった。事実を洗い出し、それが全く根も葉もない噂であるという報告が欲しかった。

「早くしろ、時間が惜しい」

 そんな逡巡すら引き裂いて、魔王の言葉が突きつけられる。
 ベルガンダは、意を決して語った。

「モ、モラニアに、"審美の断剣"の加護を受けた勇者が降臨したことは、すでにご報告したとおりです」
「それで?」
「ですが、今より二月ほど前、その勇者が……姿を消したのです」
「どういうことだ?」

 不確かな報告に魔王の顔が不快に歪む。それでも気持ちを奮い起こして報告を続けた。

「貴様の配下が倒したのか? それとも他の勇者によるものか?」
「……そればかりは、分からないというほかありません。
 しかし、この世界から消えたのは、確かなようです」

 勇者の足取りは、ある山道を境に途絶えてしまう。どうやっても辿ることの出来ない消滅の理由。
 その代わりに残された、信じられない噂。

「そ、そして、一月ほど前、大陸にいた百名近くの勇者……そのほとんどが、消えた……のです」
「貴様……私をからかっているのか?」
「滅相もありません! モラニア大陸南部エレファス山中! 
 そこに魔物討伐に向かうといったまま、現地で徴用した傭兵らを残し……そのまま……」

 忽然と、勇者達は姿を消した。

「ふ、付近の住民の話では、山中より恐ろしい音が、半日続いて後、
 次の日の早朝に……一層激しく争う音が聞こえ……途絶えたと」
「貴様は、それを確かめなかったのか?」
「お、折りしも、知見者の軍による侵攻が開始されたもので……
 また、ゴブリンやインプでは収集できる情報も、たかが知れておりますし……」
「なるほど」

 何かを納得したように、魔王は玉座に戻っていく。
 薄く笑みを浮かべたまま。

「では、その百人の勇者を屠ったという魔物が、
 "審美の断剣"の遣わした勇者をも倒滅せしめた……と考えるのが妥当だろうな?」
「で、ですが……その……そのような……魔物は、我が配下にはおりません」
「無論、私がお前に何も言わず、魔物を降ろすこともない。分っているはずだ」

 魔王の言葉が、やけに虚ろに響く。
 できればこれが自分の主の座興であり、部下をからかうために魔王が仕組んだ茶番である、そう思いたかったのに。

「では……それらを倒したのは、何なのだろうな、ええ?」
「わ、分かりませぬ!」
「目を開け、我が魔将ベルガンダよ」

 楽しくて仕方がないといった顔で、魔王はこちらを見下ろした。
 知っているのだ、俺が隠していることを。
 おそらく、あの噂のことも。

「未知のものに目を閉じるな。見開き、確かめよ。お前は知っているんだろう? そのことを、話してみろ」
「お…………畏れながら……申し上げます」

 ありえない、そんなことがあってたまるか。
 いつの間にか地面に平伏していたベルガンダは、祈るように声を絞り出していた。

「"審美の断剣"の遣わせし、絶対無敵の鎧持つ勇者を倒し、
 百余名の勇者を、エレファス山中で、倒滅せしめたのは……」
「せしめたのは?」
「一匹のっ……コボルト、であると、言われておりますっ!」

 声が、広い場内に染み渡っていった。
 自分と魔王、そして物も言わずに付き従う"参謀"以外、誰も居ない空間。
 静寂が降り、自分の息づかいだけが、静かに響き――。 

「く……」

 絞り出すような声が、何者かの喉から漏れる。

「くく……くくく……」

 牛の太く、たくましい首筋に寒気が走る。

「くっふ、くふふふふふ」

 声がしじまを乱し、薄暗い部屋が笑いに磨かれていく。
 そして、

「く……くっは、ははははは、ふははははははははははははははははははははははははははは、
 あーっはっははははははははははははははははははははははははははははははは」

 玉座から、爆笑が迸った。
 顔を引きつらせ、美麗な面をくしゃくしゃに歪め、魔王が笑う。

「あははははははははははははははははははっ、コボルト、コボルトか!」
「ま……魔王様っ! これは、これは何かの間違いです! 全てはあくまで噂、噂に過ぎず……」
「ははははははははははははははははは、勇者を殺したのが、コボルトだというのか!?
 ふははははははは、あーっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」

 癲狂と呼ばれた魔王が、笑う。

 誰もが敬遠する負け戦の将に自ら名乗りを上げ、
 燦然と太陽輝く天空に城を浮かばせ、
 魔族の中で地位を凋落させた吸血鬼を配下に入れ、
 あまつさえ、ただ力が強いだけの牛頭の魔物を魔将とせしめた男が、

 乱れ、態を崩し、感情を奔らせながら、笑っていた。

「そうか! コボルト、そうなのだな! ははははははは」
「魔王様! お止めください! あんなものは根も葉もない噂ですっ!」
「ならば」

 突然、笑いが止んだ。
 凪いだ海の顔で、魔王は命を発する。

「それを確かめよ」
「は……?」
「根も葉もない噂なら、それでよい。何処かの神の勇者か、貴様も俺も知らぬ魔物が、それを為したのかもしれんしな。だが」

 魔王の顔が歪む。
 狂笑に歪む。

「もしそれが、噂ではないなら」
「ない、なら?」
「つれて来い。その、コボルトを!」

 魔王が立ち上がる。その両腕を天に突き上げて。

「そうだ! 必ず! 生きたまま! 私の前につれて来い! 
 いいか、必ず、必ずそのコボルトをつれてくるのだ、あはははははははははははははは!」
「あ……ああ……」
「いいか我が魔将よ! 一刻も早くだ! いや、今すぐにでも! 
 つれて来い! 早く行け! さぁ! ふはっ、ふははははははははははははは!」

 それ以上、何も言えないまま、ベルガンダは広間を後にする。
 分厚い扉が音もなく閉まり、魔王の狂気と自分とを隔てると、全身からどっと冷や汗が流れ出した。

「……一体、何が起こったのですか?」

 戸口近くで自分を待っていたホブゴブリンに、ミノタウロスは虚ろな顔で、言うしかなかった。

「魔王様からの、ご命令だ」
「その命令とは?」
「コボルトを探せ」
「……は?」

 自分でも信じられない思いで、ベルガンダは復唱した。

「勇者を殺したコボルトを、探し出すんだ」



[36707] 1、BRAND NEW DAYS
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/10/31 10:08
 あったかいなぁ。
 まどろみから覚めたフィアクゥルの意識に、最初に上ったのが、その言葉だった。
 カーペット代わりに敷き詰められた山菜は使い込むごとになじんで、今ではちょっとした毛布と比べても良いぐらいに肌触りがいい。
 こうして尻尾に顎を乗っけて、翼の下に顔を突っ込んでいると、
 体全体が程よく温められ、布団に潜り込んでいるような錯覚を覚える。
 ドラゴンといえば、たけり狂う猛獣のイメージがあるが、反面、日がな一日洞窟で眠っているという側面もあったはず。

「そりゃ、こんだけ……気持ち、よければなぁ……」

 うとうとと、眠りの忘我に還っていこうとする意識。
 その心地よさを、呼び声が破った。

「フィー、そろそろ起きろ、飯だぞ」
「ん…………あと、五分……」
「もう二回、五分待った。起きろ、でないと水、掛ける」

 割と本気の声音に、フィーは観念した。
 体を起こすと、薄暗い掛け小屋からのろのろと這い出す。背の高い木が生い茂る林は意外と明るかった。
 ようやく山の端から差した光が世界を輝かせ、青い肌を持つドラゴンの子供を、空と同じ色合いに変えていく。

「ふぁあああ……おはよう」
「早くない。もう、大分朝、過ぎた」

 声の主は木漏れ日の差す林の中、アッシュグレーの毛皮を朝の風になびかせた犬型の獣人は、こちらを見て苦笑いしていた。

「俺、朝の仕事やったぞ、お前、起きる遅すぎ」
「お前が早すぎるんだって……あふぅううあ」
「ドラゴン、寝ぼすけなの知ってる。でも、もう少し、早く起きろ」
「分ってんなら、もう少し寝かせろよ。狩人時間なんて……とても付き合えないって」

 言葉の終わりに盛大なあくびを漏らすと、コボルトの狩人、シェートは軽い笑い声を上げた。

「腹減ったろ、飯あるぞ」
「んー。ありがとな」

 石囲いの焚き火の前には、串打たれた焼き魚と緑の葉に乗せた木苺、そして楕円形の白っぽい植物が置かれている。

「なにこれ?」
「にが菜。今朝、生えてるところ見つけた。この辺り、いろいろあっていい」

 シェートの解説を聞きつつ、首から下がったスマートフォンを摘み上げた。
 カメラ機能を起動させ、にが菜を大写しで撮影すると、映し出された映像を指で押さえつつ、声を上げる。

「えっと、『名前、にが菜、山菜』……味は…………」

 にが菜の名の通り、口に入れるとほろ苦いそれは、火に通してあったせいか、ホクホクとして滋味のある汁を染み渡らせてきた。

「『苦い。歯ざわりはいいけど』」
『登録されました。龍(ろん)サイクロペディアにて確認可能です』

 画面に表示されたメッセージに、フィーの指がメニューから『龍』と書かれたアイコンをタップする。

「また、それやってるか?」

 かまどの面倒を見終わったらしいシェートがこちらにやってくる。手にした木の皮の束から、もうもうと湯気が立っていた。

「めんどくさいけど、こうしないと実績開放できないから……お、これは普通に全データ見られるみたいだな」

 画面に映し出されたのは、さっき撮影したにが菜の映像と、この植物についての細かな紹介文。

「にが菜、汎世界において繁茂する山野草の一種。薬用、食用であり、サラダなどに使われる……根っこは代用コーヒーにもなるのか、へぇ~」
「こひ?」
「あー、うん、そういう飲み物があるんだよ、苦いやつ」
「そうか」

 分ったような分からないような顔で、コボルトは小屋の近くに立てた物干し台に木の皮を掛けていく。

「それ、後何回やるんだ?」
「今日で終わり。これ、明日乾く、フィー、その時頼むぞ」
「それはいいけど、あの作業ってどんな意味があるんだ?」
「材料作りだ。糸撚る、服作る材料」

 自然とカメラが木の皮に向けられ、撮影され、登録される。
 そして分ったのは、木の皮は服の素材として珍しいものではなく、
 草や動物の毛の代用品として、使うところもあるということだった。

「フィー、早く飯食え。お前にも仕事ある」
「うん」

 とりあえずスマホから意識を戻すと、川魚を手にコボルトに尋ねた。

「ところで、今日の仕事って?」
「色々ある。保存食、材料取り。山葡萄、木苺、かご一杯。
 魚、キノコ、草の根、なんでも欲しい。燻製する薪、そういうの、全部あつめる。
 薬草摘み。虫除け、毒消し、元気出る薬湯、そういうの。あと、矢羽集め。毛皮、もう少し欲しい。それから……」

 ちょっとどころではない作業量に、フィーは骨だけになった魚に弱音を吐いた。

「……それ、今日中にやるのか?」
「まさか。みんな、手分けして、何日もかける。フィー、グートと一緒、山入る。かご一杯、木の実集めてくれ」

 その呼びかけに答えるように、白い狼の体がシェートの背後に立つ。

「おはようグート、お前も仕事、手伝ってくれ」
「んふぅっ」

 短く吼え、星狼がその広い背をコボルトに晒す。胴の両脇に、つる草で編み上げた袋を括りつけると、シェートはその頭を撫でた。

「いい子だ。フィーのこと頼むぞ」
「……ううっ」

 不満そうに唸る狼は、それでもこちらを催促するように鼻面を押し付けた。

「分ったよ。じゃあ、行ってくる」
「これ、水とおやつ。途中で食え」

 草で編まれた袋を受け取り、首から下げる。背中に回ったシェートが具合を確かめ、体に合うように調整してくれた。

「昼なったら、戻れ。飯作っとく」
「分った」
「それじゃ、気をつけてな」

 シェートは肩から小さな袋を背負い、弓矢を手に森に歩き出していく。

「さて、俺らも行……って、まてって! 置いてくなよ!」

 こっちのことなどお構い無しに先に立って走り出す狼。その勝手さに呆れながらも、青い仔竜はその後を追った。


 キャンプ地から歩き出してすぐに、植生は広葉樹中心の雑木林へと変わった。
 朝を大分過ぎた今の時刻でも、大地に直接日は差さず、木漏れ日だけが世界をぼんやりと照らし出すばかりだ。

「おーい、クソイヌー、どこいったー」

 棒で地面を叩きながら、フィーは気の無い声で姿の見えない狼を呼ばわった。
 行きがけに拾った棒きれは、言われた通り、先端が二股に分かれた形に折ってある。

『林、この時期入る、時々、毒蛇いる』
『マジかよ! そんなもん、会ったらどうするんだ?』
『適当な棒、拾って地面叩いて歩け。蛇、音嫌って逃げる。あと先っぽ二股にして、出くわしたら、首押さえろ』

 教えられたとおりに行動しているせいか、未だにこの棒をもう一つの用途で使ったことは無い。
 もちろん、出来れば一生使わないに越したことは無いが。
 時々、棒の音に驚いた小鳥が藪から飛び去り、地面にこぼれた木の実を探す小さな獣が木の上へ駆け上っていく。
 最初はその一つ一つに驚いていたが、今ではのんびりとその姿を眺められるようになっていた。
 梢の上で、こちらを興味深そうに銀色の鳥が見つめている。
 シャッターを切ろうとすると、小さな鳴き声を上げて飛び去っていった。

「ほんと……のどかだよなぁ」

 ふと、喉の渇きを覚えたフィーは、適当な根方に腰を下ろし、袋から皮袋と葉包みを取り出した。

『疲れた思ったらすぐ休め。あと、喉渇いたら、すぐ水飲む。でも、一度にたくさん、ダメ。ちょっとずつ、口湿らす』

 葉包みの中には干しブドウと、名も知らない木の実の干したものが入っている。
 一粒ずつつまんで味を確かめ、水を舐めるように飲む。
 野外活動のスペシャリストは、活動する時に必要な知識をそのつど授けてくれた。
 最初は二人一緒に行動していたが、ある程度の知識を授けたと判断したのか、
 キャンプ地周辺のなだらかな林であれば、自由に動き回っても良いと言われている。
 考えてみれば、こうした野外活動の知識を教えてもらうのは、生まれて初めてだ。
 日本ではもちろんのこと、勇者として活動していた時も、基本的に野外活動は避ける形で旅程を組んでいた。
 野宿をする時も仲間が率先して仕事をしてくれたから、身に着けようという考えさえ起こらなかった。

「さて……と」

 短い休憩を終えると、棒を手に立ち上がる。

『腰落ち着けすぎる、よくない。気持ち切れる、怪我の元』

 狩人の言葉を思い出し、再びフィーは歩き出した。

「おーい、グートー、どこだー」

 一応、呼びかけてはいるが、あの狼がどこにいるかは察しが付いている。
 こうして声を上げるのも、蛇以外の動物を避けるために出すよう言われているからだ。
 やがて、行く手に低木樹と草原でできた空き地が見えてきた。
 鳥や小動物達が餌場にした結果、さまざまな実の生る木が集まった、天然の果樹園。
 すっぱくて硬いスグリや、青く染まる前のブルーベリー、破れやすく収穫に向かないグミを横目に木苺のある茂みに行くと、
 狼は退屈そうな顔でその前に寝そべっていた。

「お前なぁ、一緒に行けって頼まれたんだろ?」

 グートは片耳をぴくりと動かしただけで、こちらに見向きもしない。

「ったく、かごに入れるから、じっとしてろよ」

 自分よりも背の高い枝に手を伸ばし木苺を摘んでいく。
 ドラゴンの爪は以外に器用なもので、小さな粒でも茎の部分をねじ切り、壊れやすい木の実を楽々と収穫できた。

「そういや、この体もすっかりなじんだなぁ」

 他人事のように呟いたことに、思わず苦笑いがこぼれる。
 以前、自分は異世界の勇者としてこの世界に来ていた。魔物を、それを率いる魔王を倒すために。
 しかし、自分は敗北し、一度はありきたりの日常に戻ったはずだった。
 それが今やドラゴンの姿となり、緑の森の中で木の実採りをしている。

「ほんと、どうしてこうなった、って感じだよ」

 朝起きてから眠りに就くまで、食料集めや雑用品作りに駆りだされる日々。
 山の幸を中心にした質素な食事、粗末な掛け小屋での寝泊り。
 勇者という身分で、上にも置かない歓待を受けていたときとは全く逆の事態だ。
 とはいえ、ドラゴンの体は頑丈に出来ているらしく、未だに病気らしいものをした覚えが無い。
 せいぜい、あまりに早い時間に起きて仕事を始めるコボルトに、安眠を妨害されて寝不足気味になる程度だ。

「……こんなもんか。そろそろ次に……ってはえーよ! 先行くなってんだろ!?」

 出会いが最悪だったせいか、自分に対するグートの態度は、万事こんな調子だ。
 一応、シェートの指示に従う気はあるらしいが、こっちの言うことなどお構いなしで勝手に動き回る。

「しょーがねーなぁ」

 スマホを手に取ると、示されたアイコンの一つをタップする。
 画面に周囲の地図が表示され、白い狼のアイコンが自分を示す青いドラゴンのアイコンから遠ざかっていった。

「次は山葡萄のところかよ……ったくもー」

 一応、仕事を手伝う気はある狼に愚痴をこぼし、スマホを片手にのんびり歩き出す。
 その途端、画面に"通話着信"の表示が割り込んだ。

「はい、もしもし」
『うむ。今日も繋がったな。どうだ、生きておるか』

 電話口の声は、いかにも楽しそうな声で語りかけてくる。
 自分をここに送り出した張本人、いや張本竜からの直接通話。

「死んだら電話なんて出らんねーだろ。ってか仕事は大丈夫なのか?」
『大丈夫だ、問題ない』
「この前、小竜たちから文句のメールが来たぞ。俺の方にかまけて仕事してないって」
『そういえば、儂の作ったアプリの調子はどうだ?』

 流れるように話題のすり替えをする相手――天界では最高神の一つ柱らしい竜神――に思わずため息が漏れる。

「ああ、役に立ってるよ。今は、勝手に先行く狼の追跡に使ってる」
『龍サイクロペディアの方も、大分使い込んでいるようだな。関心関心』
「あのさぁ、いろいろサポートしてくれんのはありがたいんだけど、いちいちゲーム風味にするのはどうなんだよ?」

 こちらにやってきてから、フィーのスマホにはさまざまな機能が、アップデートという形で送りつけられていた。
 自分の見聞や体験を元に、さまざまな事柄を百科事典化して検索できる『龍サイクロペディア』。
 スマホに内蔵された観測機器により、自分の位置を正確に測定、歩いた範囲を自動測量して地図化する『ただたかくん』。
 登録した仲間のステータスを確認できる『ステータスチェッカー』。
 そのどれもが竜神のお手製であり、そこはかとなくゲーム的な機能を持っていた。

『しかたあるまい。地図一つにしたところで、完璧な情報を送るのでは審判殿のチェックに引っかかる。
 しかし、そなたが自らマッピングするのであれば、ノーコストで機能追加が出来るというわけだ』
「……助かってるのは事実だけどさ、こんなもん作ってるから怒られるんだぞ?」
『せっかく身に着けたプログラムの技能、生かさぬ手はあるまい。洋ゲーのMOD制作に費やすより、はるかに有意義であろうが』
「どっちにしたって道楽みたいなもんだろうが!」

 オタク趣味丸出しの竜神は、こちらの突っ込みに喉を鳴らして笑った。

『そういえば、そろそろ新しいアプリが出来るから楽しみに待って……
 あ……いや、これは……フィーの様子をだな……送り出した手前、儂にも責任というものが……
 そ、それはいかんっ! そんなことをしたら今までの苦労が……わ、儂が悪かったっ! 悪かったからっ、それだけはやめてええ!』

 唐突に途切れる通話。
 画面に表示された通話時間は、十分を越えている。こちらからの通話は三分で終わりだが、向こうからの連絡はこの調子で無制限に伸びることもしばしばだ。
 しょっぱい笑みを浮かべて、フィーはため息をついた。

「ホント、どうしようもねーな、あのオッサンは」


 収穫物で一杯になったかごと共に戻ると、シェートは金床に向かって鏃を削っていた。

「おかえり、昼飯あるぞ」
「ああ」

 石組みのかまどの近くに葉で包まれた塊が一つ。中を開くと、山芋と山鳥の蒸し焼きが入っていた。
 グートの背籠を取り除けながら、収穫を確認するコボルトを見つつ、まだ暖かいもも肉にかぶりつく。
 塩味は薄いが、脂の乗った山鳥は舌と歯に心地良い。夢中で食べるこちらを見て、シェートは笑った。

「一杯採れたな。大変だったろ」
「……案内が良かったからな。そんなでもなかったよ」

 こちらの嫌味を気にすることもなく、身軽になった狼が再び姿を消す。
 釜場の近くに荷物をまとめると、シェートは再び金床の作業に没頭し始めた。
 両足が青い輝きを宿し、支えている金床に防御の力を与えると、手にした金属片をあてがい、やすっていく。
 その金床も鏃も、どちらもただの金属ではない。魔法に感応しその性質を自在に変えるといわれるミスリル銀だ。

「ホント器用だよなぁ。足でエンチャントとか」
「触れたもの、強く出来る。なら、足もできる、そう思った」

 こともなげに言い放つ狩人は、削り終えた物を確かめ、別の金属片に手を伸ばす。
 シェートが残骸となったミスリルゴーレムから、鏃を削りだすようになったのは、この山に野営地を作ってすぐのことだ。

『これ、壊れた奴、何か使えないか?』
『使うって、何に?』
『削る、形整える、鏃にする』
『調べてみないと分からんけど、お前、金属加工なんてできるのか?』
『できるぞ』
『……え?』

 ミスリルは『銀』と呼ばれているが、実際には銀とは異なる物質だ。
 魔力による鍛造によって性質が変化し、その結果、銀のような光沢を持つためそう呼ばれる。
 ゴーレムには性質の違う二種類のミスリル
 ――柔軟性を持ち、稼動部と魔力回路形成用に使用される軟銀と、装甲や武器に使われる硬銀――
 が使われていた。
 一度、魔力による呪鍛(じゅたん)を受けたミスリルは、その力を除去しない限り、
 別の用途を持つものに変成することは出来ない。
 こうした知識を、龍サイクロペディアやサリアが懇意にした神から仕入れ、
 シェートはゴーレムの装甲である、硬銀の部分を削り出すという作業を始めた。
 最初はかなり苦労していたものの、エンチャントによって金床の硬度を高める方法を編み出した結果、
 軽くて丈夫なミスリル製鏃を作り出せるようになっていた。

「すまん、フィー。飯食ったら、砧(きぬた)頼む」
「え? ああ、うん」

 作業に見とれていたこちらに声を掛けると、シェートは出来上がった鏃をまとめ、袋に詰めた。

「鏃って、そうやって作るんだな」
「いろいろだ。石の奴、砕いて作る。鉄の奴、剣とか壊して削りだしする。本当時々、溶かして地金作る、こともある」

 話を聞きつつ、寝泊りしている掛け小屋の奥から、丸太で作った台と乾燥した木の皮、
 パンをこねる時に使う麺棒のようなものを引っ張り出す。
 ずっしりと重いそれを手に取ると、フィーは台に数枚の木の皮を乗せて、叩き始めた。
 木の皮を叩いて繊維にするこの作業が、最近の日課になっていた。

「なぁ、思ってたんだけどさ」
「なんだ?」

 木の皮は砧を打ちつけるごとに細かな繊維へとほぐれていく。
 それを一塊の綿のようにしてくしゃくしゃに丸めると、脇にのけて新しい皮を叩いた。

「これってどういう意味があるんだ?」
「砧、使うことか?」
「普通に細く裂いた皮を、糸にするんじゃダメなのか?」

 かまどに鍋代わりの兜をすえつけつつ、シェートは考えながら答えを口にした。

「木の皮、そのまま裂いて使う。切れやすい。鈍(なま)して煮る、その後、乾かして叩く。
 ほぐれて細かくなったの、撚る。切れにくい、良い糸できる」
「鈍す?」
「温泉の湯、なければ灰入れた水、漬ける、ほぐして糸、しやすくなる」
「へぇ……」

 新しい繊維の塊が出来上がったところで、再び新しい皮を叩く。
 その間にシェートは、汚れたボロクズの塊のようなものを取りだし、割り始めた。

「なんだそれ?」
「蜂の巣」

 めりめりと音を立てて割られたそれには、六角形の小部屋がいくつも見え、ぽろぽろと白い塊が飛び出してきた。

「うぇっ!」
「どうした? 蜂の子珍しいか?」
「いや、その……」

 話には聞いていたが、その蛆虫のようなフォルムに、ちょっと腰が引ける。
 コボルトの方は気にする様子もなく、器用に巣の中から白い幼虫や、成虫になりかけのさなぎをほじくりかえしていった。

「フィー、ちょっとこっち持て」

 広げた麻布に巣を包むと、両端に棒に結わえ、片方をこちらに渡してくる。

「ねじるから、そのまましっかり持ってろ」
「わかった……って、おおっ、ちょっ、強いってっ!」

 思う以上に強い力が布をひねり上げ、巣の入った膨らみから、とろりとした蜜が置かれた兜へと滴り始めた。

「おおー、蜂蜜ってこうやって取るのかぁ」
「たまった蜜、あらかた出した。今絞ってるの、残りだ。巣、もう少し大きい時、輪切りして、分ける。ちょっとづつ絞る」

 小さな兜にたまった蜜はくすんだ琥珀色で、巣の欠片やゴミなどが浮いている。

「なんか、微妙に汚いなぁ」
「あと何度か漉す。ちゃんときれいする、半年くらい食べられる」
「これって、今舐めても甘いのか?」

 シェートは口元を緩めると、細枝の先に蜜を着けて差し出した。

「なめてみろ」

 絞りたての蜂蜜、とても衛生的とはいえないそれに、フィーは恐る恐る口をつけた。

「……甘っ! 甘いぞこれっ!」
「ははは、そうか。甘いか」
「うわぁ……天然の蜂蜜とか、初めて食ったよ!」

 口の中に感じる濃厚な蜜は、久しぶりに感じた甘味。
 こっちの喜びようにシェートは笑い、燃えているかまどから灰を掻き出し、こちらに差し出した。

「ほら、これも食うか?」
「いきなり何……ってほわああああっ!」

 灰の中にぽつぽつと見えるそれは、さっきまで地面でうねっていた蜂の幼虫達。

「熱い灰に入れて蒸す、とろとろで美味いぞ」
「や、やめろおおっ! 俺がそういうのダメだって知ってんだろ!」
「だらしない。ドラゴン、何でも食う、違うか?」
「そういうもんだけどっ、虫だけは勘弁してくれええええっ!」

 悲鳴を上げてあとずさるこちらに、おかしそうにシェートが笑う。
 手にした蜂の子をあっという間に平らげると、布から巣の残骸を取り出し、かまどに掛けた兜の中へ放り入れた。

「今度は何してるんだ?」
「巣から蜜蝋取る。後で蝋、獣の脂肪、松脂、一緒に煮る。良い弓弦、作るのに使う」

 煮られた巣から甘い香が立つのを確認すると、シェートは火の番をしながら、山刀で木の棒のようなものを削り始めた。
 こっちの視線に気がついたのか、手にした円筒形の棒を削りながらシェートが尋ねる。

「……これ、何かわかるか?」
「矢……にしちゃ太すぎるな。鍋をかき混ぜるのに使うとか?」
「はずれだ」
「組み立てて棚でも作るとか」
「それも違う」

 一本目を削り終えたシェートは、同じような棒を削り、口元に面白がるような笑みを浮かべている。 

「……ダメだ。分からん。降参」
「機だ」
「はた……って?」
「布織る道具。今、フィー叩いてる、撚って糸、作る。出来たら、これ使って織る」
「そんな棒切れで……布が?」
「面白いぞ、あとで教えてやる」

 木を削り終えると、コボルトは煮ていた蝋をザルで漉してゴミを取り、火に掛けた。

「蝋、何度か、水足して煮る。ゴミとって、煮て、繰り返す。最後、きれいな蝋できる」
「蝋作るのって、手間掛かるんだなぁ。ろうそくが貴重品なわけだよ」
「人間、ろうそく作る時、獣脂使う。蜜蝋、すごく上物、聞いた」
「お前……ホント、何でも知ってるんだな」

 こちらの言葉に照れくさそうな笑いを浮かべると、火から兜を下ろし、代わりに別の兜を置いた。

「知ってるの、教えられたことだけ。お前下げてるそれ、俺より何でも知ってる」
「これだって、俺が見たり体験したことじゃないと調べられないし、検索も手間だしな。そもそも、俺が知ってるわけじゃないから」
「でも、色々役立つ。便利」

 気がつくと、かまどに掛けた兜からさっきとは別の匂いが漂っていた。
 香草と鳥の骨が煮える美味そうな香り。そこに、茶色い岩塩の塊を削り入れながら、シェートは背中越しに指示を飛ばした。

「そろそろ日、暮れる。仕事終わりだ。綿、濡れないよう、小屋入れてくれ」

 気がつくと、日差しが翳り始めていた。あと一時間もすれば太陽は山向こうへ沈み、夜がやってくるだろう。

「今日の晩飯は?」
「昼の残り。鳥と山菜の鍋」
「おー、結構豪勢だな」

 こちらの喜ぶ声に、コボルトはまた笑った。
 その笑顔に険はなく、どこまでも穏やかに凪いでいて。

「どうした?」
「い……いや……なんでも、ない」

 その視線から逃れるように、そそくさと小屋に入ったフィーに声が掛かる。

「そうだ。フィー、明日、早起きしろ」
「なんでだよ?」
「山のこと、新しいこと、教える。寝坊するな」

 厳しく、それでいて優しく響くコボルトの声。
 振り返り、鍋を前に料理をする背中を見る。
 思えばあいつは、ずっと笑っていた。
 こちらに対しての気遣いもあるのだろう。それでも、その笑顔に屈託はなかった。
 自分を殺す時に見せた激情など、一度も見せたことが無い。

「だから……こんなに馴染んじまったのかな……」

 面倒見が良くて、気のいい生き物に。

「フィー! 飯出来たぞ!」
「……今行くよ!」

 物思いを荷物と一緒に置くと、フィーは小屋の外に出て行った。



[36707] 2、YOUTHFUL DAYS
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/01 10:04
 朝霧が匂うと、それだけでシェートの体は目覚めた。
 小屋の入り口から見える空からは、すでに闇色が剥ぎ取られつつある。
 フィーを起こさないよう足音を殺して外に出ると、体を伸ばし、深く息をした。
 夜明けの森が放つ息吹は、それだけで一日の行動を左右する情報に溢れている。
 湿り気から昼までは雨の心配が無いことを嗅ぎ取り、茂みや立ち木の匂いに、危険な動物が近寄った形跡の無いことを読み取る。
 一日の仕事を始めようと、石と粘土で作った釜場に近づくと、茂みから白い狼が姿を現した。

「おはようグート」
「わふ……っ」

 星狼のふさふさとした毛皮を撫でてやると、お返しに顔を舐め返してくれた。

「見張り、ありがとな。今日も頼む」
「くふんっ」

 自分たちの居留地が、残飯や備蓄した食料を狙う小動物、熊の類に脅かされないのは、この頭の良い相棒が居るおかげだ。
 狼の匂いの着いた場所に好んで入る動物は居ない。
 山に慣れないフィーに、一人で食料を集めさせられる理由も、グートの存在があればこそだった。
 残った骨をごほうびに手渡すと、火壷に残しておいた炭火を使い、火を起こす。

『おはよう、シェート』

 耳に届く声に、口元をほころばせ、シェートは鍋に香草を入れた。

「おはようサリア。そっち、どうだ」
『まあ、ぼちぼちといったところだ。留守にしてすまなかったな』
「いい。こっち、ずっと何も無い。人間、勇者、誰も来ない」

 百人の勇者を屠ったエレファス山中に、シェートが住み始めてから一月が経っていた。
 あの戦いの後、山の中には勇者はおろか人間や、魔物さえ入った形跡が無い。
 この場で起こったことが何であるか分からないうちは、誰もやってこないだろう、サリアはそう言っていた。

『天界でもその辺りは確認した。モラニアには、侵攻してくる"知見者"の軍を除き、一人の勇者も居ないそうだ』

 どことなく皮肉な口調で語る女神の声に、シェートも鍋の様子を見ながら肩を竦める。

「やっぱり俺、勇者違うか」
『私もそう言ってやったら、言った本人が平謝りでな。宥めるのに苦労したよ』

 百人の勇者と、モンスター使いの勇者を倒して以降、サリアの環境はめまぐるしく変わったらしい。
 それまでの距離を置く付き合い方から一転、外に出れば引きも切らず、神々が集まってくると聞かされていた。
 サリアも思うところがあったのか、神々と交流を深めることに重点を置いている。
 フィーとの付き合いが深まる代わりに、サリアと喋る時間は減りつつあった。

『一応、そちらの様子は竜神殿を通して聞いているが、何か変わったことは無いか?』
「大丈夫だ。フィーとグート、よく働く。すごく助かる」
『……そうか。それは、良かったな』

 朝の空気が華やかな香りに彩られ、女神が静かに喜んでいるのを感じる。その匂いを呼吸すると、シェートの気分も自然と安らいだ。

「今日、フィーに山のこと、少し仕込む。それと、準備、色々できた」
『ちょうど良かった。私もそのことで話がある。夜にでも話そう』
「また神様と話か?」
『いや、次は神格の固定化だ。竜神殿の所に入り浸る予定だから、何かあったらフィーを通して連絡をしてくれ』

 サリア不在のもう一つの理由、それは新しい神格を『馴染ませる』ための時間だ。
 神々の持っていた所領だけでなく、その神格が司っていた神性。
 海の神や風の神、あるいはさまざまな職能の神の権能を、いまやサリア一人が担っている状態だった。
 通常なら時間を掛け、そうした神格を我が物とするそうだが、なるべく早めにそれらを吸収することにしたらしい。

「無理するな、体、壊すぞ」
『心配は要らぬ。神に壊すべき体はないからな。それに、そなたに比べればこのぐらいのこと、苦労のうちに入らぬよ』
「……わかった。ありがとう」
『ではな』

 女神の気配が去ると、シェートは煮立ったお湯に野草や干し魚を放り入れ、かき混ぜていく。
 これに軽く塩で味付けしたものが今朝の食事だ。

「フィー、朝飯、出来たぞ。早く起きろ」

 鍋を地面の炉に下ろしつつ声を掛ける。ドラゴンの翼がぴくりと動いたが、それでも起きてくる気配は無い。

「グート、フィー起してやれ」
「わふっ」

 とことこと白い毛皮が小屋の中に入り、

「ひやあああああっ!」
「うふううっ」
「バカ、やめろおっ! いきなり舐めるな食いつくな! あっ! やーめーてーぇっ!」

 尻尾を咥えられ、背中を擦りながら引っ張り出された仔竜が、涙目で訴える。

「こ、こんなサディスティックな起こし方があるかぁっ! 仔竜虐待だぁっ!」
「今日、朝早い言った。ちゃんと起きろ」
「分ったから! こいつに尻尾離すようにっ――ひぎゃふっ!」

 青い体が宙を舞い、シェートの足元に投げ出される。ぞんざいに役目を終えると、白い狼はさっさと茂みに消えていった。

「あいつ、俺に恨みでもあんのか!?」
「狼、気難しい。ちゃんと礼儀、考えて付き合え」
「それはこっちのセリフだぁっ! お前からも言ってくれよ!」
「分った。もう少し、優しくするよう、言う」

 とはいえ、グートもそれなりにフィーに気を使っているのは確かだ。
 採取作業の時は必ず行く手の安全を確保しているし、さっきの扱いも、群れの長であるシェートに従わないのをとがめたに過ぎない。
 狼流の荒っぽいやり方だが、仔竜に群れの作法を教えようとしたわけだ。
 顔を引き締めると、グートに習って仔竜に戒めをかけることにした。

「でもお前、起きろ言ったら、ちゃんと起きろ」
「寝坊したのは悪かったけど……何も、あんな風に起さなくたって」
「狩、何起こるか分からない。寝過ごして死ぬ、そういうこと、ある」
「あ…………」

 何か思うところがあったのか、仔竜は神妙に頷いた。

「……分ったよ。ガナリの言うことはちゃんと聞く、だよな」
「そうだ……さ、食え」

 椀を手渡すと、仔竜は無心で食事を頬張り始めた。
 最初の頃はおっかなびっくり手を出していたものだが、最近はコボルト式の料理にも慣れてきたらしい。

「味、どうだ」
「まあまあ。もうちょっと塩っ気があるといいんだけど」
「すまん。塩貴重、簡単に使えない」
「分ってるよ……お代わり」

 文句を言いながらも食べるフィーを見つつ、自分も食事を始める。
 考えてみれば、こうして誰かに料理を振舞うのも久しぶりだ。一人の時は間に合わせの物で済ませるか、保存食が中心だった。
 誰かと食卓を囲む、そんな当たり前のことを営むのは、いつ以来だったろうか。

「……なんだよ、その顔」
「顔? 俺、顔どうかしたか?」
「さっきから俺のこと見て、ニヤニヤしてるだろ」

 そこで、ようやくシェートは気がついた。
 自分の表情の変化に。

「俺、笑ってるか」
「……そうだよ。なんだ、思い出し笑いか?」
「なんでもない」

 椀で口元を隠して、シェートは表情を緩ませたままにしておいた。


 朝食が終わった後、シェートは仔竜をつれてエレファス山を登っていた。

「山、歩くとき一番大事なこと、なんだか分かるか?」

 山頂付近に近づくにつれ、山肌は岩と砂だらけの急な勾配になっていく。フィーは杖にすがりつき、肩で息をしつつ首を振った。

「確かめる、それ一番大事だ」
「……た、確かめるって?」
「なんでも。太陽、天気、森の木、地面の様子、鳥の声、自分の体、そういうの、全部」

 荒れ果てた大地のせいで、普段以上にフィーの歩く速度は遅くなっていた。
 コボルトの足と違い、ドラゴンのそれは歩くのには向いていないから、こちらが思う以上に大変だろう。
 シェートは足を止め、小休止をかねつつ説明を始めた。

「こ、この辺りは、あんまり確かめられそうなもの、ないよな」
「そんなこと無い。辺りにある岩、ちゃんと見る。でないと死ぬぞ」
「ぶはっ!? な、何でいきなりそうなるんだよ!?」

 口にした水を吐き出しながら驚く仔竜に、コボルトは周囲の荒れた斜面を指し示す。

「岩だらけ、乾いた土地、地面、もろい所ある。狩人に驚いたネズミ、蹴りだした石、時々大岩、動かす時ある」
「……じょ、冗談だろ?」
「本当。石降り、意外によくある。だから、岩場近づく、用事あるときだけ」
「わ、分った」
「自分、蹴り落とした石、山の岩、動かす時ある。下、仲間いるとき、気をつけろ」

 それなりに息が戻ったらしい仔竜を促すと、そのまま斜面をゆっくりと歩き出す。

「じゃあ、なんで今日はこんなところに来たんだ?」
「山、危険ある、教えるため。あと、欲しいものあった」
「欲しいもの?」

 辺りを見回し、岩場の影に目的の物を見つけると、シェートはそっと歩み寄った。

「これだ」
「この草、薬草か?」
「根っこ、乾かして使う。お湯、煎じて飲む、熱さまし」
「これだけのために、ここに来たのか?」
「まず、これ欲しかった。ほかにも一杯、探すものある」

 丁寧に掘り取り、腰の袋に薬草を収める。不思議そうな顔で、仔竜は薬草を自分の道具に"収めた"。

「それ、すごい道具。"しゃしん"、本物そっくり、絵、取っておける」
「カメラか。確かにそうかもな」

 フィーはふと笑みを浮かべ、小さな板切れを操作して、手渡してきた。

「それ、覗きながら、ふもとの方を見てみな」
「…………おお……?」

 板に映し出されていたのは、山の麓にある林だ。視線をずらすと針葉樹の茂みが見え、そこの奥にある野営地が見えた。

「ここから小屋、すごく遠い! "しゃしん"、こんな見えるか!?」
「写真じゃなくてカメラな。竜のおっさんお話では、一眼レフレベルのズームと、五千万画素で記録が可能なんだとさ」

 カメラの中の野営地は、普段自分が目にしているのと同じくらいか、それ以上の鮮明さで全てを映し出している。
 小屋の近くで眠るグートの腹の動きさえ見て取れた。

「これ、絵、取るだけ違う、地図見れる、話できる」
「っても、これで狩りが出来るわけじゃないしな。便利っちゃ便利だけど」
「ほんとすごい。これ、ドラゴンの宝か」
「……どうなんだろうなぁ……多分……違うと思うぜ」

 なぜか虚ろに目をさ迷わせたフィーに板切れを返すと、岩だらけの斜面を進む。

「なー、今日はどこまで行くんだー」
「天辺まで登る。そしたら、帰り道、別のところ通る。それで今日、仕事おしまいだ」
「要するに薬草採りかよ……あんなに早く起きる意味あったのかぁ?」

 ものすごく不満そうな仔竜に、コボルトは丁寧に答えを返した。

「山、天気すぐ変わる。夜、暗くて危ない。だから朝、光ある内仕事済ます。あと薬草、朝摘み、一番効き目ある奴多い」
「なるほど。全部早いうちに済ましておくのがいいのか……」
「だからフィー、ちゃんと起きろ。朝起きられない、夜、板いじってるから」
「……分ったよ」

 ふくれ面をして、仔竜が歩き出す。その仕草に、シェートはふと、思っていたことを口にした。

「フィー」
「なんだ?」
「ドラゴン、みんな、お前みたいか?」

 突然の話題に驚いたのか、フィーが顔をしかめる。

「俺みたいって……どういう意味だよ」
「ドラゴン、見る、初めて。話す、お前が最初。他のドラゴン、どんなだ?」

 百人の勇者と戦ったあの時、この仔竜は空から落ちてきた。
 竜神の紹介でなし崩し的に仲間になり、こうして一緒に生活しているが、フィーのことは知らないも同然だ。

「えっと……俺、他の仲間とか、ほとんど知らないんだ。でも、人それぞれっつーか、ドラゴンもそれぞれだと思うぜ」
「そうか……」
「……なんでそんなこと……聞くんだよ?」

 あまり触れられたくないことなのか、仔竜が顔を曇らせる。その表情に少し後悔を覚えながら、シェートは言い足した。

「昔話のドラゴン、強い、大きい。賢い。お前、全然違う、だから」
「わ、わるかったなぁっ! 俺はまだ生まれたばっかだから、仕方ないだろっ!」
「生まれたばかり? それで、こっち来たか?」
「か……勘違いすんなよ! これでも十七だからな! ドラゴンの中じゃ、生まれたばっかりだってこと!」
「そうか、すまん」

 すっかり機嫌を悪くした仔竜は、山道をどんどん先に行ってしまう。その仕草に思わず笑みがこぼれた。
 神秘さの欠片もない、本当の子供。妙に大人びているかと思えば、意外なほど常識を知らない仔竜。
 まるで、手のかかる――。

「あ…………」
「……なんだよ?」
「い、いや、足元見ろ。怒っても、ちゃんと、気つけろ」
「おう」

 バカな想像だ。
 歳も背格好も、種族すら違う。
 こんなことにならなければ、存在すら知らなかったはずの相手。
 それなのに。

「おい、天辺て、あそこじゃないか?」

 気がつくと、目の前に丸みを帯びた頂上が見えていた。その向こうに輝く青空には、白く盛り上がった群雲が積みあがっている。

「そうだ。よく頑張った」
「ふあー、きつかったぁ」

 ちょうどいい大岩に素早く腰掛けると、仔竜は皮袋をとおやつの包みを取り出した。

「ここ、すげーいい眺めだな」
「……ああ」

 その隣に座り、シェートは周囲を見渡した。
 この山を頂点とし、いくつも連なる山々は緑に包まれている。
 どこまでも続く命に溢れた世界。その谷間を川が流れ、自分達の住む居留地の脇を抜けていく。
 流れの先に目を向ければ、はるか遠くに霞む岩だらけの荒野。そこを指差しながら、仔竜に話しかける。

「アノシュタット平原」
「そういう名前なのか……それが?」
「俺、あそこ歩いた。すごい岩だらけ。食べ物少ない、岩ネズミ、いっぱい食った」

 ネズミという言葉に顔をしかめる仔竜に、コボルトは笑った。

「……絶対食べないからな」
「意外とうまいぞ?」
「だからやめろって! 俺をいじめて楽しんでるだろお前!」

 軽く干した木苺を食みながら、山の風を感じる。傍らの仔竜は、板切れを使ってさまざまなものを"しゃしん"にしていた。
 何事も無い、穏やかな日。
 たゆたうような心地よさに、コボルトが吐息を吐き出した。
 その時。

「……なぁ、シェート」
「どうした?」
「あれ、なんだ」

 仔竜の青い指が指差す雲の片隅。
 そこに、黒々とした影が差していた。

「なんか雲しちゃ……形…………が?」
「フィー、見るの初めてか」

 自然と顔が険しくなる。腰に差した山刀に自然と手が伸び、身構える。
 そして、雲を掻き分け、姿を現したもの。

「や……山!? いや、あれって、まさか……」
「そうだ」

 二人が居る山頂のはるか彼方、雲すら縋りつくことがやっとの高みを、悠々と進んでいく巨大な城。

「魔王の、城だ」

 大気の全てが怯えたように聲(こえ)を上げる。あれほどの高さを飛びながら、まるで身近に感じられるような圧迫感。

「う……くっ……」
「どうした、フィー?」

 唐突に、うめきながら仔竜が頭を抱えた。
 その全身がおこりのように震え、苦しみの脂汗が流れていく。

「大丈夫か!?」
「あ……頭がっ……なんか、いてぇ……っ」

 地面に落ちる影に、森の中の鳥達がざわめき騒ぎ、怯えたように逃げ散る。
 喧騒に同調するようにフィーが地面にうずくまり、うめき続ける。

「フィー! しっかりしろ!」
「あ……う……あ……たま……が……」

 やがて、黒々とした城は飛び去り、辺りに静寂が戻っていく。同時に、仔竜がよろめきつつ顔を上げた。

「っくぅ……いったかったぁ……」
「どうした!? 何あった!?」
「いや、なんか、耳……いや、角鳴りっつうか、角が、はじけそうなぐらいに、パンパンになった感じがして……」

 本人の言葉とは裏腹に、フィーの黒い角に異常は見えない。それでも、シェートはその頭にそっと手を置いた。

「帰ろう。魔王の城、良くない力、出してる言われてた」
「それに当てられたってことか?」
「早く帰ろう。お前、体心配」
「あー、いや、大丈夫だって。もうなんとも」
「ダメだ!」

 思いもよらない強さで、叫んでいた。
 その両肩を掴み、声を絞り出す。

「夜、サリア話できる。その時、ちゃんと話す。お前、体壊す、絶対ダメだ!」 
「え、ちょ、シェート……」
「口答えするな! 今すぐ、山降りるぞ!」
「い……いてぇって! 肩がっ!」

 悲鳴を上げて身をよじるフィーに、ようやくシェートは自分の行為に気がついた。

「ご……ごめん! 痛かったな…………ごめん」
「お……大げさなんだよ、なんともないってんのに」
「うん。分った。だから……帰ろう」

 青い手を引いて歩き出しながら、シェートは実感していた。
 驚くほど、この仔竜に思い入れている自分を。


『それはおそらく、精霊の聲(こえ)に酔ったのだろう』

 夜半、夕食を整えている頃に、サリアはふたたび神座からこちらに話掛けてきた。

「精霊に……酔う?」
『竜族は角で周囲の音を聞き、さらには幽冥の聲を聴く。魔王の城が持つ魔力によって大気が引き裂かれ、かき乱された精霊達の聲に感応したのだ』 
「それ、体、平気か?」

 こちらの狼狽に、サリアは深い豊かな笑いで答えた。

『幼い竜の感応力は強く、ちょっとした聲にも影響されるが、問題はないだろう。あまり調子が悪いようなら、静かな場所で安静にするといい』

「いやぁ、アレはやばかった。目の前くらくらしたよ……」

 そんなことを言いつつ、フィーはけろっとした顔で食い物を口にしていた。

「これ、結構うまいな。団子なんて食えると思ってなかったよ」

 手にした白い団子を嬉しそうに食べる仔竜。
 今日の料理は魚の山菜汁に鳥の丸焼き、百合根の団子。
 一応、フィーの体調も悪くなさそうだったので、予定通りのものを出していた。

「それにしても、今日はやけに美味いものばっかりでてくるなぁ。何かお祝いか?」
「フィー、仕事、良く頑張った。だから、ごほうび」
「……お……おう。あ、ありがとうな」
「それと、そろそろ俺達、ここ出る。日持ちしない食い物、始末する」

 呆然とした顔でこちらを見る仔竜に、コボルトは苦く笑った。

「準備、大分出来た。出発、もうすぐ」
「そう……か」
『もうよいのか?』

 サリアの声に、シェートは少し考え、頷く。

「武器、防具、できる限り作った。身の回りのもの、取り戻した。それに、フィー、山のこと、結構覚えた」
「そ……そんなにはっきり覚えてるわけじゃ……ないんだけど、いいのか?」
「手伝いしてくれる、すごくありがたい。フィー、ほんと、ありがとな」

 あまり礼を言われなれていないのか、仔竜は聞こえないふりで料理をむさぼっている。

『ならば、発つ方がいいだろうな。知見者の軍も、本格的に侵攻を開始するようだ』
「勇者、次は軍か」
『ああ。おそらく、前回の百人の勇者など、比べ物にならぬだろう』

 サリアの言葉にも、不思議と絶望感は湧かなかった。
 というより絶望し疲れた、とでも言えばいいのだろうか。
 何をどうやっても、不利で勝つ見込みのない戦いを強いられているなら、絶望など時間の無駄だ。

「それで、どうやって、勝つ?」
『ふっ。そうだな……やはり暗殺が早かろう』
「おぅい?」

 がっついていた椀から顔を上げ、仔竜が渋い顔をする。

「いきなり暗殺って、どんだけだよ」
『仕方あるまい。今回は本当に孤立無援の戦いを強いられるのだ。そんな我らにできることといえば、敵将を一撃で倒すことのみだ』
「勇者、きっと軍隊、一番奥いる。どうやってたどり着く?」
『妥当なのは、この地に居る魔将と事を構えている時の混乱に乗じて、であろうな。最良のタイミングは、勇者が魔将を倒した瞬間か』
「うわぁ……汚ねぇ」

 フィーはつくづくとため息をつき、鳥ももと団子を平らげる。満足したらしい彼は、呆れたように空を見上げた。

「漁夫の利狙って勇者を暗殺とか、女神の提案することか?」
『魔物を使う邪神と呼ばれ、百余名の神の所領をことごとく奪い、汎世界の疫神の銘を継いだ私だぞ? 今更汚名が増えたところで、どうということもない』
「開き直っちゃったよこの女神……天界、もうダメかもわからんね」

 二人が笑いあい、その様子を見ていたシェートは、表情を真面目なものに変えた。

「サリア、フィーとグート、加護掛けたか?」
『ああ。そちらの手配は済んだ。そうだ、フィーよ、そなたの"アプリ"で確認してみるといい』
「あいよ。って、あれ? アプデのお知らせが来てる」

 仔竜がなにやら板切れをいじると、軽快な音色が鳴り響いた。

「『ステータスチェッカー』のバージョンアップか……敵を撮影することで、
 ステータスを抜けるようになったのか……って"ロンサイ"と連動かよぉ……」

 そんなことを言いつつ、フィーは自分の手に赤い光を宿してみせる。

「おお、これが破術かぁ。なんか不思議な感じだ……」
『グートとフィーに防御と破術の加護を追加しておいた。さすがに自動回復までには手が回らなかったが、いずれ何とかしよう』
「これ、グートのはどっちも常時発動なんだな。俺のも任意エンチャントできるのは破術だけか」
『今のそなたでは戦うことは無理だろうしな。フィーは参謀役に徹してもらうほうがいいだろう』
「……そうだな」

 どこか不満そうに言うフィーに笑いかけると、シェートは鍋をどけて焚き火の火を掻き分けた。

「何してんだ?」
「今日、風呂あるぞ。入って寝る、すごく疲れ取れる」
「この辺りに温泉なんてあったっけ?」

 素焼きの壷に焼けた石を放り込み、歩き出す。

「今から作る。ついてこい」


 川岸の側、水を引き込んだ水溜りに焼き石を放り込むと、湯気が立ち上っていく。

「おおー。こういう風呂かぁ、ってなんか変な匂いがしないか?」
「色々薬草入れた。疲れ取れる、虫除け、打ち身、中気、いろいろ効く」

 水底に沈んでいる薬草の束が、お湯に反応して香気を振りまく。
 風呂の周囲をうろうろしていたグートが、嫌そうに顔をしかめてくしゃみをした。

「中気って?」
『大抵は脳卒中のことを差す俗語だ。とはいえ、若いお前達には関係なかろうな』
「できたぞ。入れ」

 ためらいなくお湯に浸かったフィーは、その暖かさに顔を緩め、深々と息をつく。

「っはー……しみるぅ……」
「ん? フィー、傷あるか?」
「そうじゃなくって、お湯が気持ちいいっつったの」

 仔竜の不思議な物言いに口元を緩めると、シェートも服を脱ぎ、湯に身を沈める。

「うん。しみるな」
「その言い方じゃ、ホントに傷が痛いみたいに聞こえるぞ?」
「そうか? 別に今、痛いところないぞ。あるの、古傷だけだ」

 ゆっくりとお湯を掬い、顔を洗う。温みと香草の匂いが鼻の奥に染み込んで、体のこわばりが溶けていく。
 水浴びなどは適当にしていたが、こうして全身を洗うのも久しぶりだ。

「風呂、気持ちいい。フィー、よく浸かれ」
「なぁ……」
「どうした? 変な顔して」

 気がつくと、フィーはこちらを凝視していた。その視線の先にあるものを、目を落として確認する。

「気になるの、石か? それとも、傷か?」
「……どっちも」

 指先で胸を辿る。
 刻まれた傷、再生の力をもってしても元には戻らず、むき出しの醜い痕が残った。
 全ての始まりの証。

「これ、俺、勇者、付けられた。それで、一度死んだ」
「……死んだ、のか?」
『正確には、死に掛けたところを救い上げたのだ。
 その頃は私には加護と呼べるだけの力もなかったのでな。己の存在のほとんどを掛けて、ようやっとだ』

 そして、組紐で止まった青い輝石をそっとつまみ上げる。

「形見だ。俺の、好きだった子。やるつもりだった石」
「……形見…………」
「いつか、全部終わったら、供え行く」

 短い告白に、仔竜は湯に顔を俯けていた。

「どうした? フィー」
「お……おれ……その……」
「大丈夫だ。俺、気にしてないから」

 それでも顔を上げない仔竜の肩をそっと叩く。

「っ!?」

 弾かれたように顔を上げたフィーは、どこか怯えたような、すまなさそうな顔でこちらを見つめた。

「……ちょっと待ってろ」

 風呂のすぐ側に置いてあった素焼きの瓶と、木のコップを引き寄せ、中身を注ぐ。 

「これ、飲むか?」
「……なんだよ、これ」
「酒だ」

 甘い木苺の香りのするそれを、自分の分も注いで口に含む。

「うん。ちゃんと出来てる」
「……これ飲んで……忘れろ、っていうのか」
「この傷、昔の奴、もう終わったこと。お前、気にすること、ない」

 コップを握り締めたまま、仔竜は奇妙に静かな顔で尋ねてきた。

「お前……それでいいのか?」
「……なにがだ?」
「憎く、ないのか? お前を殺した、勇者の、こと」

 フィーの問いかけに、心の中で小さな疼きが走る。
 自分の運命を変えたあの勇者のことが、奇妙に遠く感じられた。

「……多分、そういうの、もうない」 
「どうして?」
「あいつ……俺が殺した。もう、居ない」

 それが事実だ。
 自らの手で喉を裂き切った勇者は、光と共に消えた。

「俺……あいつ見て、百人の勇者見て、思った。勇者たち、みんな、子供」
「……子供?」
「あいつら、面白いゲーム、遊び来た子供。あいつら、コボルト殺す、魔物殺す、全部遊びだ」

 心の内を明かしながら、シェートは気付く。
 思えば、彼を殺した時にはもう、わだかまりは消えていたのだろう。
 訳も分からず、ただ楽しむことしか考えない子供の暴虐に、怒りや憎しみを掛けることの虚しさを知って。

「あいつら、コボルト、敵、駒、経験値、そうとしか見ない。憎んでも、同じ、見られない。心ある、思わない」

 対等な存在と見たなら、復讐に怯え、あるいは悔悟することもしたかもしれない。
 しかし、勇者の見せたのは、理不尽に対する戸惑いでしかなかった。

「そんな相手、どうやって、憎んだらいい?」
「あ…………」

 シェートは淡く笑い、言葉を失った仔竜の肩をさする。

「あいつら、俺、経験値、そう見る。なら……憎まない」
「……憎まない?」
「そうだ。俺、勇者、狩る。それだけ」

 殺すのではなく、狩る。
 それが多分、自分にできる唯一のこと。

「俺、この戦い、勝つ。そして、コボルト、殺されない森、創る」

 恨みを晴らすためではなく、悲しみを無くすために。

「だから、俺、なんでもする。卑怯、言われてもいい、全ての勇者、魔王、狩る」

 その誓いを飲み干すように、酒を呷る。
 いつしか、フィーはこちらを見上げていた。その瞳の中に、うかがい知れない感情を宿して。

「どうした?」
「お前……強いんだな」
「そんなことない、俺、弱い魔物。サリアの加護、無かったら、死んでた」
「違うよ……お前は…………」

 それ以上何も言わずに、仔竜はコップの中身を口に含んだ。

「うまいか?」
「…………うん」
「そうか」

 弱めに発酵させた木苺の酒は、追加した蜂蜜のおかげで甘めに仕上がっている。
 飲みすぎて、足腰が立たなくなることもないだろう。
 仔竜のコップに新たに継ぎ足すと、自分の分を満たす。

「飲め、それで、ゆっくり休め」
「……うん」
『では、私はそろそろ行くとしよう。竜種は酒に弱いと聞く、あまり飲ませて酔い潰すなよ?』

 あえて口を挟んでこなかった女神に、軽くコップを挙げて無言の感謝を示すと、コボルトは静かに中身を干していく。
 しんと更け行く夜の中、傍らの仔竜を気遣いながら。

 
 夜の闇の中、フィーはうずくまったまま、傍らで寝息を立てる存在を見ていた。
 シェートの吐露を思い出し、胸が痛む。

『あいつら、コボルト、敵、駒、経験値、そうとしか見ない。憎んでも、同じ、見られない。心ある、思わない』

 結局、自分は何も知らなかったのだ。この世界のことも、勇者という立場のことも、その都合で殺されていくもののことも。

『形見だ。俺の、好きだった子。やるつもりだった石』

 胸が痛む。
 あの時、自分がしたのはなんだったのか。
 これはゲームなんだと、世界を救うために必要な行為だと、無邪気に信じて疑わず、尽くした暴力の数々を、思い出す。
 そして、この生活で見た、本当の彼の姿。

『一杯採れたな。大変だったろ』
 籠一杯の木の実を受け取り微笑む顔。
『でもお前、起きろ言ったら、ちゃんと起きろ』
 厳しく山のことを教える指導者の顔。
『口答えするな! 今すぐ、山降りるぞ!』
 こちらを気づかい声を荒げる顔。

 いくつもの欠片が一つになって現れたのは、自分のコボルトに対するイメージとは遠くかけ離れた実像。
 そんなものがあるなど想像もしなかった、生活と思い。

「俺は……」

 今まで見ないようにしていた物が、くっきりと浮かび上がっていく。

『俺、この戦い、勝つ。そして、コボルト、殺されない森、創る』

 そして、苦しみの果てに見出した、願いを誓う顔。
 愛するものを理不尽に殺され、行き場をなくした怒りと憎しみを抱えたシェートが、導き出した結論。

「勇者を……狩る、か」

 憎しみを放棄し、目的のためだけに、勇者を狩るということ。
 その決心を語る顔に、迷いは無かった。
 燃え盛る砦の中で、渾身の力を振り絞った抵抗を思い出す。
 自分の一撃を全力で避け、炎の中に消えていった背中。その後に出合ったシェートは、まるで別人だった。

「俺は……何をしたんだよ……」

 湧き上がってくる悔悟の痛みに、胸が痛くなる。
 その思いから逃れるように、寝床から起き上がり、外に歩き出そうとした。

「どうした、フィー」
「っ!?」

 背中越しに掛かる、少し眠そうな、それでもはっきりとした声。

「な、なんでも、ない。ちょっと、目が覚めて」
「……酒、なれない、そうなる。飲ませすぎた、すまん」
「あ……うん」
「気持ち悪い、頭痛い、そういうの、ないか」

 その声はどうしようもなく優しく、深い。

「だ、大丈夫だって! ぜんぜん平気だから!」
「そうか……それなら、早く、寝ろ……」

 再び眠ってしまったらしいコボルトをそのままに、表に出た。
 針葉樹の林は、思ったよりも明るかった。枝の間を通して降り注ぐ月明かりが、世界をほの明るく浮かび上がらせている。
 仔竜は空を見上げた。
 分ったことがたくさんある、分からないことも、同じぐらい浮かび上がってくる。
 自分が何をしたのか。
 自分は何をすればいいのか。
 ふと、指がスマホに触れ、力なく垂れ下がる。
 きっと、問いかけても、竜神はこう言うだけだろう。
 "為したい事をなせばいい"と。

「それが分からない時は、どうすればいいんだよ……」

 声は誰にも届かず、地に転げ落ちていく。
 月明かりにその身を晒しながら、フィーは湧き上がる感情に、ただ立ち尽くしていた。



[36707] 3、サリアの世界
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/02 09:59
 名残惜しさを感じながら、サリアは映る水鏡を離れた。
 最近、あちらの世界を覗く機会が格段と減っていた。シェートと毎日毎夜を過ごしていた日々を懐かしく感じるほどに。

「さて、行くか」

 だが、感傷に浸っている場合ではない、彼らが自分の役割を果たし続けている今、神の己が安穏とするなど許されぬことだ。
 扉を抜けて広間へ入ると、耳慣れた声が掛かった。

「サリアーシェ様、ご機嫌麗しゅう」

 すでに扉の近くに陣取っていたエルフの青年が、側に寄り添うようにして並び、歩き始める。
 その先導をあえて受け付けると、サリアはいつものように笑んで見せた。

「マリジアル殿、今日も我が出座を出迎えくださるとは。その調子では、他の姫君との逢瀬の暇も無いでしょうに」
「なんの。今や貴方は天界に咲き誇った大輪の花。それを愛でずは、我がまなこの不明でありましょう」
「さすが、山川草木に造詣の深い妖精神。花の命の短さを悟り、その盛りを楽しもうというわけですね」

 言葉に秘めた毒に肩を竦めると、それでもエルフの神は笑顔で頷いた。

「これは手厳しい。ですが、貴方はその身に知恵と武勇の棘纏う大輪のバラ。
 それゆえ、先ごろまで近づくことすら許されなかった悲しきわが身。
 こうして執心する哀れな恋情も察していただきたいものですな」
「今やその棘に、狡猾すら塗した毒花でよろしければ、お好きなだけ」
「騙し騙され恋焦がれ、恋とは駆け引き、男女の戦。智謀に機略、あるいは権謀、死に至る甘き毒すらも、飲み干して見せましょう」

 謳うように語られる睦言(むつごと)を聞き流し、合議の間をゆったりと歩く。
 この軽薄な神の存在は、ちょうどいい隠れ蓑のような役割を果たしてくれた。
 こうして彼と懇意にしているように見せておけば、恋情を楯に自らを売り込んでくる無粋なやからを遠ざけておけるからだ。
 信じられないことに、マリジアルは本当に自分を「落とそう」としているらしい。
 会話を繰り返すうちに、この神の欲しているのが所領でも、今や大神となった自分の後ろ盾でもなく、
 サリアーシェという"女"だと気がついた。
 その瞬間、彼はこの天界において二柱目の、心安い存在となったのだ。
 もちろん、どんな対価を払われようと、世界の終わるときまで、彼を恋人として好くことは無いだろうが。

「おいおい"万緑の貴人"よ。どんなにさえずった所で、その方は高嶺の花だぞ」

 ごつごつとした岩の塊のような神が、行く手に沿うように現れ、はやし立てる。
 その影にわずかに遅れて、極彩色の羽を身につけた鳥型の神人が同道する。

「あなた、恋歌の才能ないですね。そもそも、みすぼらしい姿、女性の気、引くの難しいですよ」
「失礼な。美々しく飾り立てるばかりが能ではない。女性を引き立てるのもまた手管の一つよ。
 歌にしたところで、大切なのは心を溶かすほどの熱情を込めることであろうが」
「ならばなおのこと、貴殿には無理だろうな。大理石のごとき白皙(はくせき)の下に、熱く通う溶鉄の地脈が見て取れんか?」
「溶鉄の地脈、ですか。中々当を得た評価をありがとうございます、"峰鎚の細石"(ほうついのさざれいし)殿」

 古山の神霊由来の男神は、その表面にわずかな変化を表し、謙遜を漂わせる。

「とはいえ、その性が知れたのも、鍛え上げられた霊石を砕く小さき配下の働きあったればこそだがな。彼のものは息災か」
「ありがとうございます。今は次の戦の準備を行っているところです。
 そういえば、ミスリル研磨についてのお知恵をお貸し頂き、助かりました」
「あのようなことであれば、いくらでも」
「思い出した。あのコボルト、ちゃんとワイバーン革、なめせたですか?」

 首をかしげて尋ねる鳥の神に、感謝を込めて頷く。

「問題なく。どうやら、星狼に着ける鞍や鐙に使ったようです。
 毒腺の処理も教えていただいたので、あの山を汚さずに染みました。
 ご教授感謝します、"虹の瑞翼"(にじのずいよく)殿」
「ワイバーン革、癖強い革ですよ。でも、強い武具できます。鞍、鐙、すごく長持ちすると思うですね」

 シェートたちが身につけていた装備のいくらかは、この二柱の神の知恵を借りて整えたものだ。
 フィーの使っている知識検索アプリにはいくつもの制約があり、ただ画像を撮ったりするだけでは専門的な事柄までは調べられない。
 ゴーレムの再利用法と処理に困っていたワイバーンの死体、二つの問題に解答をもたらしてくれたのが彼らだった。

「やれやれ、お二方がうらやましい。そうやってサリアーシェ様の覚えもめでたく、最近はいくつかの星の神格を任されたとか」
「男のひがみ、みっともないです。だからあなた、サリア様の気、惹けないですね」
「風に舞い散る砂の上に、城を建てるものはおらぬ。吹けば飛ぶよな口も腰も軽い男に、体を預ける娘はおらぬということだ、諦めよ」

 仏頂面になった青年を肴に、笑いが巻き起こる。その華やかさに惹かれてか、神々が三々五々とやってきた。

「サリアーシェ様、ごきげんよう」
「此度はいかがされましたか?」
「すみません、いささかお耳に入れたき事が」

 その誰もが、天界においては未だに所領も少なく、小さな星を持つばかりの神々。
 親しげな面の裏に、かすかに臭う打算。
 だが、そんなものは、もう気にならなかった。

「それでは、あちらに席でも設けましょうか」

 不思議なものだ、心の中で呟く。
 はるか昔、ここには絶対座ることも無いと思っていた草原に腰掛け、神々の声に耳を傾けている自分。
 ここで語られる策謀、駆け引き、そねみやねたみの密やかな応酬。
 何より、遊戯にかかずらい、互いの権勢を削りあうことを何より嫌っていたのに。
 その行動も、必死に己の世界を守ろうという心から出たものとわかった今、サリアから彼らを遠ざける意思はなくなっていた。
 誰しも己の願いを掛け、叶えるために己の才覚を尽くしてゆくのだ。
 そのことを教えてくれたのは――。

「そういえばサリアーシェ様、近頃は良く此方においでになられますな……差し出がましいようですが、遊戯のほうはよろしいので?」

 神の群れの一角から届く疑問、その問いかけに女神は物思いから覚めた。

「だからこそですよ。今後は一層他の神……いえ、もう四柱の神と言った方がいいでしょうが……彼らとの対決が焦点になりますから」
「るしゃーば殿ノ勇者ハ、今ダ大陸ノ魔将ニスラ、届カナイト、伝エ聞キキマシタナ」

 神々の中でもひときわ異彩を放つ、金属の体を持つ機械神が言い差す。
 実力は竜神・四柱神にも比肩する彼だが、その出自の性で勇者を選定できないまま、無為に日々を過ごしていた。
 選定できる勇者の種族は自分の出自に近いもの、もしくは血族の必要があり、その世界にいない種族を投入することも出来ない。
 彼のような存在にとって圧倒的に不利なルール、そのことが腹立たしいと漏らされたのを覚えている。

「先日、彼ノ神ト比武ヲシタ折ニ聞マシタユエ、間違イアリマセン……ソレト、さりあーしぇ様ノこぼるとニモ興味ヲ持タレタヨウデス」
「なるほど。それで、此度の勇者は如何なる存在かは?」
「流石ニソレヲ漏ラサレル程、無用心ナ方デハアリマセンヨ、残念デスガ」
「ガードが固いといえば、マクマトゥーナ様も似たりよったりですぅ」

 背の低い、毛玉の塊のような獣身の女神が声を上げる。
 享楽と舞曲を司る彼女もまた、その神格の低さと治める星の小ささゆえ、遊戯に参加できないことをぼやいていた。

「最近は、私達踊り女も神座に近寄れないありさま。ただ、今度の勇者は女の子だってきいたですよ?」
「分からんといえば、シアルカ殿も姿を見せられんな」

 神々の誰かがそう言った途端、皆が一様に視線を交わす。

「あの方は、遊戯の折もこちらにお顔をお見せになるというのに……」
「不思議ですぅ、何か勇者に良くないことでもあったんですかねぇ?」
「……さりあーしぇ様ヲ、警戒シテノコト、トカ?」

 機械神の指摘に、座が静まり返る。
 いつもと違う神々の動き、その焦点となっている自分に視線が集まる。
 動揺などひとかけらも見せることなく、サリアは平明に答えを口にした。

「シアルカ殿は聡明なお方、この沈黙にも何か故あってのことでしょう。
 それが私に対する動きであるというなら、ある意味光栄なことです」
「確かに、幾度と無く遊戯の勝者となっている彼の方であれば、此度のことで慎重になられるのも無理からぬこと」
「そも、かの神の勇者は、常に最も過酷な道を歩まれるよう定められておる。
 その歩みを眺め愛でることも、あのお方の好むところでありましたからな」
「やっぱりシアルカ様は最高ですぅ~」

 口々に英傑神を褒め称える神々。四柱神の中でも別格といわれるのは、単に力があるというだけではない証左だろう。
 なんとなく場の空気が緩み、神々がそれぞれ懇意の神と交誼を結び始める。
 そろそろ暇乞いをしよう、そう思った時、

「ところで」

 冷えた言葉が、投げ入れられた。

「四柱神といいながら、私の銘を誰も上げぬというのは、どういうことかな」

 真紅の髪を揺らし、こちらに歩み寄ってくる一つ柱。
 制服のような衣装は皺一つ無い、冷たい笑いに自然と神々が場所を開け、サリアに向かって道を作る形になる。

「まぁ、ここに居られるのは"闘神"や"愛乱の君"縁の方々。媚を売り、胡麻をする一手間は惜しまぬといったところか。ご苦労なことだ」
「これはこれは"知見者"どの。このようなかまびすしき市井に、ようこそ」
「兄を弑(しい)し、百の神を平らげた程度で、もう同輩の気分か? "平和の女神"よ」
「まさか。貴君が打ち立てられた勲しに比べれば、誇ることもおこがましいものですよ。ですが」

 サリアは物柔らかに笑みを浮かべ、侮蔑を受け流す。二柱の神の雰囲気に気おされて、周囲から一斉に神の姿が引いていく。

「遊戯の座に着けば全ての神は等しい存在のはず。そも、四柱神とは貴君らに与えられた尊称。
 よもや、それを嵩(かさ)に、王でも僭(せん)するつもりではありますまいな」
「愚かなことを。とはいえ、真に優れたる者が高みに立つ時、力及ばぬものが憧れと羨望によってそれを仰ぎ見る。
 それもまた、自然の働きではないか?」
「確かにそうかもしれませぬ。ですが、その働きに従うなら、私はいささか困った立場に立たされることになりますな」
「……何?」

 不審に眉をひそめたフルカムトに、サリアはまったき笑みを向けた。

「なぜなら、広間に居る間、私はここにおわします皆様のご尊顔を、顎と鼻の形でのみで見分けることになりましょうから」
「サリアーシェ…………貴様……」
「お会いするたび、見上げた美しい顎や鼻梁の形ばかり褒めるのでは、物の例えも早晩尽きるかと。
 新たな雅称をひねり出すのは、非才の身には中々の難題ですね」

 周囲に広がるかすかな笑い。その気配を感じ取った"知見者"は、それでも尊大な態度を崩さずに罵言を吐いた。

「嘆くなら、玉と石との区別もつかぬその了見だろう。
 不朽不壊(ふきゅうふえ)の完璧さゆえに、金剛石は宝石の王と呼ばれると言うに」
「人の世にて、緑玉(エメラルド)は、身の内に傷を秘めたるを真なる物と申すとか。
 磨きぬかれた玉にのみ至高を見出されるようでは、知恵の神と名高き"知見者"殿のお目も、いささか偏狭に過ぎるかと」
「美は乱調にあり、とも言うしな」

 開きかけた"知見者"の口を遮るように、黒い影が降り来る。
 いたずらっぽく目を細めた黄金の竜神は、サリアと同じ高さに目線を合わせて座り込んだ。

「残念ながら、竜の顎は眺めていて面白い物ではないからな。儂としても、そなたの知恵をつまらないことに絞らせる気は無い」
「お心遣い感謝します。そもそも、その慧眼で私の不明を見抜いていただかないと、何をしでかしてしまうか分かりませぬので」
「……"斯界の彷徨者"にして"万涯の瞥見者"よ」

 不愉快を隠しもせず、フルカムトは竜神に向き直る。その顔には、サリアに対していたものとは違う不快感が匂っていた。

「どうやら貴方も、この遊戯に手を染める気になったようだな」
「仕方あるまい。儂とサリアは盟を結んだ仲、あっさり負けられては、新たな竜族の地が泡と消えてしまうからな」

 互いの視線が絡み合い、金色の竜眼と深い藍色の瞳が、互いの内側までも探り出そうという気配に満ち渡る。

「なるほど、心労お察し申し上げよう。
 とはいえ、その盟の証に送りつけたのが乳飲み子と他愛ない玩具とは……音に聞こえた竜神殿のお力も、いささか錆び付かれたご様子」
「最良の手を、最高のタイミングで打つのが遊戯の醍醐味さ。
 強い力や、高く付く加護を与えるばかりが能ではないといことだ、なぁ? "知見者"殿」
「……確かに。賎しい疫神風情が編んだ浅薄な神規など、あの程度のお粗末な機略で十分すぎたでしょうな」

 恩義を感じる二柱をあからさまに侮蔑され、さすがにこめかみに力が入る。
 そんなこちらの動きを制し、竜神は笑顔で"知見者"に頷いた。

「ところで、大慌てで雲壌の地より来られたのはいかなる仕儀かな? 
 よもや、陰口にやりきれなくなり、うるさい小雀どもを追い散らしにこられたとか?」
「今やサリアーシェも数多くの所領を得た身、このまま遊戯を続ければ地の塩にも影響が出よう。
 それゆえ、我らが神の集いに含めるべく出向いたまでのこと」

 フルカムトの言葉に、神々から呻きのような声が漏れる。
 遊戯の全てを照覧し、その手に握る雲壌の集い。
 天界にあって、あまたの神々がその末席に着くことを夢見る至高の座へのいざない。

「すでに貴様も大神の身、角を突き合わせ、いじましい陣取り合戦に付き合う意味は失ったはず……
 我らと共に来い、"平和の女神"よ」

 おそらく、この場にいるほとんどの神が二つ返事で彼に従うだろうその申し出に、サリアは、華やぐ毒花の笑みで応じた。

「腹芸事はもう終いにしましょう、"知見者"フルカムト」
「……腹芸事、だと?」

 全く見え透いたことだ、彼のこれまでの言動と今の申し出を考え合わせれば、彼が何を考えているのかはおおよそ見当がつく。

「この場におわす神々を腐(くさ)し、我が恩義の方々を蔑した上でのその申し出。
 要すれば、私に否と言わせるためのお言葉でしょう?」
「……ほう?」
「私が貴方の侮蔑に恭順とへつらいで応じたなら、その誘いには言葉通りの意味が宿る。
 しかし、私は貴方に反駁し、不快を示した。その時点で、貴方の申し出は私にとっての宣戦布告となるわけだ」

 こちらの言葉に、"知見者"は面白そうに目を細めた。

「そして、この場で売り言葉に買い言葉と私に戦を申し出させ、地歩の固まらぬうちに我が配下を誅する、と言ったところでしょうか?」
「その手には乗らぬ、と? その程度の読みで、我が言葉の真意を推し量ったつもりか」
「お受けしましょう、雲壌へのお誘い」

 フルカムトの目が僅かに開き、笑みがひそめられる。

「どうされました? 誘いを受けると、申し上げたのですが」
「よかろう。ただし条件がある」
「『貴様の使う汚らわしい配下の魔物を、直ちに切り捨てるならば』ですか」

 サリアの一言に周囲の空気が冷える。その目に鋭い敵意を宿し、"知見者"は不機嫌そうに口を開いた。

「……それは、決裂の言葉と見ていいのか?」
「ただの確認ですよ。貴方の深謀遠慮とやらが、如何なるものかを見るための……存外つまらぬお答えでしたが」
「勘違いしているようだが」

 不快感を顕にした"知見者"は、虚空に水鏡を浮かべて映像を映し出す。
 そこに在ったのは、磨かれた鎧を身に纏った美々しい軍団の姿。一糸乱れぬ行軍で、荒野に刻まれた道を進んでいく。

「貴様の言葉は、互いに手にした駒の実力が、伯仲の状態にあるという仮定の下にあるようだが……
 これを見て、まだそんな思い違いが出来るか?」

 その行軍の先に現れたのは、小山のようにそびえる魔獣の巨体。
 歪んだ老爺のような悪相でにらみつけるマンティコア、多くの蛇頭を持つヒドラ、群れ飛ぶワイバーンが軍団へと押し寄せていく。
 だが、魔獣の進軍は、先陣を受け持つ大盾の一段にがっちりと受け止められた。
 足の止まった敵軍にめがけ魔法と矢弾が飛び、総崩れになった隊伍の横から、長槍をかざした騎兵が突進する。

「我が"光輝なる兵団 (レイディアント・ミリテース)"は一騎当千の兵。
 一兵卒でさえ、小神の使役する異世界の勇者に匹敵する実力がある」

 映像の中の魔獣たちが、あっという間に蹂躙され、引き裂かれていく。
 中央大陸エファレアにおいて常勝を誇る彼らの勇姿に、サリアは僅かに唇を噛み締めた。

「この後、我が勇者の兵団はモラニア北部より南征を行い、かの地の魔物を鏖殺(おうさつ)、
 後に北の魔将を打ち滅ぼすことになっている。
 そういえば、貴様の配下はまだエレファス山中に居るようだな」
「……よく、ご存知で」
「近々、その辺りを我が軍が通ることにもなろう。その折には、ついでに百の神の無念も晴らしてくれよう。
 天界の面汚しを叩き潰してな」

 自信に溢れた挑発の言葉に、しかし全く反論の糸口が見出せない。
 精強な軍隊に対してたった一匹のコボルトが立ち向かう、その先にあるのは確実な死だ。

「これを見て、まだ思うのか? 貴様のいじましいコボルトごときが、我が勇者に伍することが出来ると?」
「く……っ」
「んん? こいつはちと妙だな」

 それまで場を静観していた竜神が、水鏡を覗き込む。

「"知見者"よ。この軍勢には肝心なものが映っておらぬようだが?」
「……何のことかな」
「そなたは"兵団"を見せたに過ぎぬ。
 なぜこの軍を指揮し、そなたの意向をしろしめす、偉大な勇者の姿を映さぬのかと聞いておるのだよ」

 そうだ、この映像の中には映っていない。
 全てが同じ姿かたちの兵ばかりで、将と思しき飾りをつけたものも、勇者然とした者も居ない。
 その指摘に、"知見者"は不敵に笑った。

「我が軍ではな、指揮官が叫び、角笛がうるさく響き渡るような、非効率な方式は採らせておらぬのだよ、竜神殿」
「……ほう。なるほど、そうきたか。ならばこの軍が無敵を誇るからくりは」
「神規、ですか」

 苦いサリアの呟きに満足するように、水鏡は消え去った。
 神の法則を遊戯の中に敷衍(ふえん)させ、勇者にさまざまな恩恵を与える力。
 四柱神ともなれば、それを自在に使うことも可能だろう。

「では、交渉の席は蹴られたと見て構わないな? "平和の女神"よ」
「それは……」
「"知見者"よ、今ひとつ質問をしても良いかな」

 優越を貼り付けていた知恵の神が、僅かに眉をひそめる。そんなこと構いもせず、竜神は朗らかな声で問いかけた。

「そなたの勇者は、モラニアに来ているのだろうな?」
「…………その通りだ」
「なるほど。よく分かった」

 何事か納得すると黄金の竜は体を起こし、ふわりと舞い上がる。

「では、そろそろ行こうか、サリアよ」
「い、行くとはどこへ?」
「儂の神座だ。"知見者"殿の手も読めたのでな。作戦会議といこう」

 意外な一言に驚く群集を尻目に、竜の体が扉の向こうに消える。共に神座に入ろうとしたサリアは、ふと背後を振り返り、そこにあったものに体を戦かせた。
 何かを見定めるように、こちらを射抜く"知見者"の視線。
 扉が世界を遮ったあとも、その印象はしばらくサリアの中から消えなかった。



[36707] 4、旅立ち
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/03 09:43
「まだまだ修行が足らんな」

 岩屋の中に落ち着いた途端、竜神はため息交じりで言い放った。傍らに引き寄せた巨大なキーボードを叩きつつ。

「対手の面前で、露骨に動揺してどうする。あのまま行けば"知見者"殿に付け入られるばかりだったぞ?」
「面目次第もありません」
「まぁ、途中まではうまく出来ていたと思うがな。
 如才なく振舞うすべは、今後の課題といったところだろう……っと、またエラーを吐きおったか」

 冷たい視線を飛ばしてくる小竜たちなど気にも留めず、楽しげに作業を続ける竜神。
 表立って手助けできない、フィアクゥルへのささやかな支援。
 という口実の下に行われるアプリ作成は、最近の彼の楽しみであり、小竜達の頭痛の種でもある。

「やはり、狡猾というものは難しいものですね。彼の神のようには行かぬようです」
「別にあやつのようにやり通すことが、最良であるというわけではあるまいよ。そなたはそなたらしく、ということだ」

 それきり、竜神はひたすらにキーを叩き、サリアは座席の傍らに置かれた書物を開き、見るとはなしに眺めていた。
 竜神の所有している書物のいくつかは神のために創られたもので、
 触れるだけで知識を読み手に与え、必要な経験さえも習得するとができる。
 新たに得た神格を『降ろす』ために、サリアはそうして時を過ごすことが増えていた。

「そういえば、フィーとグートへの加護は、うまく掛けられたか?」
「他の神と盟を結び、それを使って整えました。
 星そのものを捧げるほどではありませんが、有事に加護を使えるというのは心強い限りです」
「自らの得た世界の管理を他の神に任せ、その盟を持って加護の購いとする。
 もし自らが敗れても、神格交代による混乱は小さく済む、か」
「敗れるつもりは毛頭ありませぬが、天の乱れを地の塩に及ぼすことは、本意ではありませんので」

 前回の竜神との盟をヒントに、自らの得た星々の管理を委譲、その盟を持って加護を買うという行動は、確実に状況を明るくしている。
 なにより、シェートだけに苦労をさせずに済む事が嬉しかった。

「そういえば。改めて、フィアクゥルの件、ありがとうございました」

 地上にいるシェートの顔を、目に見えて明るくさせた青い仔竜。
 加護では埋めることのできないものを満たしてくれる彼の存在は、欠くことのできない物になりつつある。

「あれはまぁ、儂なりの戯事よ。礼など不要だ」
「それでも……これ以上、シェートを一人にすることは、彼のためにも良くないと思っていたので……助かりました」
「まるで、あやつの親のような口ぶりだな?」

 竜神はモニターから顔を外し、面白そうに目を細めている。その中に含まれた感情を受け止めると、サリアは苦笑した。

「そうですね。こうも長く、一つの存在を見つめることが久しくなかったからでしょうか……入れ込みすぎて、いるのでしょうね」
「神にとって、定命の存在は泡沫の夢のようなものだ。
 長く関わることはきわめて珍しいものだしな……そういえば、異世界の勇者を自らの配下に加える者も少なくないと聞く」
「魔王を討伐した勇者であれば、神格化して信仰を集めさせることもできるというわけですね」
「それだけではないぞ? 中には自らの夫君や細君、愛妾にする者もいるとか」
 話が艶笑談(えんしょうたん)の色合いを帯びところで、咳払いを一つ。竜神はくすくすと笑いつつ、自分の作業に戻ってしまう。

「"知見者"殿は、どう出られるでしょうね」

 背中を丸めた竜に、さりげなく声を掛ける。軽快なタッチタイプを繰り返しつつ、彼は言葉を選んで考えを広げ始めた。

「おそらく、シェートを完全に包囲、殲滅することを考えていよう。そなた、彼の神の神規は見切れたか?」
「いえ……。ただ、伝え聞くところによれば、"知見者"は武勇ではなく知略で勝利を収めることを好むとか……
 あの軍隊を見る限り、そのような神規を展開されているとしか」
「RTS、というものを知っておるか?」

 聞いたことも無い単語に首を振ると、竜神はモニターに何かのゲーム画面を表示して見せた。

「リアルタイムストラテジー、仮想の世界や国家を設定・再現し、定められた勝利条件を満たすことで勝利する、シミュレーションゲームの一形態だ」
「戦略や戦術を学ぶための模擬戦、というわけですか?」
「それだけではない。国家間の商業流通や外交、技術開発や交換など、あらゆる要素をやりとりする。
 しかも、全てがゲーム内時間によって進行し、移動や戦闘行動と同時に、生産や開発なども行われる複雑なものだ」

 ゲーム画面には多数の数値が示され、どことも知れない緑成す大地の上を、小さな駒が蠢きまわっている。
 戦闘状態を示す騒乱の表示と同時に、港町から帆船が別の港へと出向していくのが見えた。

「まさか……"知見者"殿は、こんなものを世界全てに!?」
「いや、おそらくは勇者を"本丸"と設定し、ある程度効果範囲を限定しているだろう。
 だからこそ、彼の勇者はエファレアから、はるばるモラニアまでやってきたのだ」

 神規の恐ろしさと複雑さは、イヴーカスの勇者と戦ったことで身に染みている。相手のルールを理解しないまま戦えば、負けるのは必定だ。

「このゲームに、なにか弱点は?」
「そのような言い方は適切ではないが、察しは付く。おそらく、"知見者"の勇者は一切の戦闘力を持たんだろう」
「そ……そんなことで、大丈夫なのですか!?」
「RTSは、国家やコミュニティの指導者を仮想体験するゲームだからな。
 そこが、前線指揮官となって遊ぶウォーシミュレーションと違うところだ」

 竜神は旗のマークが付いた都市をクリック、彼の本丸を表示してみせる。

「このゲームでは、儂のプレイヤーキャラクターが住む都市を攻め落とされれば、敗北が確定する。
 おそらく彼の神も、似たような敗北条件を設けているだろう。
 神規はあくまでルールを作るものであり、絶対無敵の力を与えるわけではない」
「逆に言えば、本丸にいる勇者を落とせぬ限り敗北はない、ということですね」
「百人の勇者はあくまで烏合の百人にしか過ぎん。
 だが、彼の神の兵団は、無限に近い数を繰り出せるぞ。
 しかも、一糸乱れぬ統率の下、精兵をえりすぐってな」

 竜神の説明を聞くごとに気分が重くなってくる。
 無敵の軍隊すら生み出す神規のインチキ振りは、あからさま過ぎるほどだ。

「ちなみに……竜神殿がなさっているゲームで、暗殺者が本丸を落とす可能性は?」
「大抵のRTSにおいて、暗殺を勝利条件に含めているものは少ない。
 対策を講じられるものなら、九分九厘無駄に終わるぞ」
「現実の歴史では謀殺、弑逆の類は枚挙に暇がないでしょうに。その辺りはシミュレートされていないのですか?」
「物騒なことを言うな! というか、戦略を競うゲームで、そんな一撃死をぽこぽこ決められてたまるか!」

 なにやら思い当たる節があるのか、竜神の顔が渋くしかめられる。
 彼の言う物騒なことが、実際に禁じられているかは分からないが、"知見者"は確実に暗殺を封じる手立てを講じているだろう。

「では、私達に勝つ目は無い、と?」
「早合点するでない。暗殺では無いが、そなたらにも神規を破る方法があるだろう。
 決闘の空間に封じてしまえば、援軍や復活蘇生を阻止できる」
「そのためには、少なくとも視認できる範囲に入る必要がありますし、そこまで近づく算段をどうするかという問題もあります」
「……儂らにはもう少し情報が必要、ということだな」

 そう竜神が締めくくったところで、洞内に電子音が響く。モニターに表示されたものを確認すると、彼は喉の奥を鳴らして笑った。

「フィーからの連絡だ、そなたも見てみるか?」
「ええ。拝見します」

 "乙。ちゃんと真面目に仕事してるか?
 今日は糸紡ぎってのを習った。布織るって初めて見たけど結構面白いな。
 また連絡入れる。"

「ずいぶん、ざっくばらんな連絡ですね」
「まったくだ。あやつめ、毎度この調子だからな」

 彼は笑いながら"めーる"と一緒に送られた画像を表示する。そこには、木に掛けた機で布を織るシェートの姿が映っていた。
 何か口ずさんでいるのだろうか、うっすらと目を細め、軽快な調子で布を織っているコボルトの姿は、日々の生活を楽しむ様子に溢れている。

「しかし、不思議なものだな」
「どうかされましたか?」
「いや、このシェートの持っている知識がな、少し気になったのだ」

 二本の棒と紐を組み合わせた原始的な織機。人間達が文明が黎明に当たる時期に発明されるレベルのものだ。

「コボルトたちは人間や他の魔物の技術を盗み見、それを自らに合うように守り育ててきたようです。
 そして、群れの誰かが欠けても良いように、男女の区別なく、さまざまな技術を身に付けると聞きました」
「他の魔物に比べて弱く、なんら特殊な力も持たぬ彼らの、生きながらえる手管……それ自体は素晴らしいと思うのだ……だが」

 何かを掴もうとするように、竜神は目を閉じて思考をめぐらせていく。シェートという存在の何かを探るように。

「サリアよ、この世界のコボルトたち、そなたの印象では、どう見る?」
「……そうですね。気弱で臆病。日々の生活を営むこと以外には執心せず……
 正直、シェートのような猛々しさは、他のものに望むべくもないでしょう」
「その他には?」
「大分牧歌的、といったところでしょうか? 狩猟や簡単な農業などを営むことを中心に生活しています。
 おそらく今代の魔王は、コボルトを完全な奉仕種族として設定したのでしょう。
 支配者に逆らわず、物資を生産し、それらと労働力を供出する……」

 実際、コボルトの集落は小さなコミュニティを形成し、そこで生産や蓄積を行っているのが常だった。
 生産ということを行わない他の魔物が、楽に補給を行える拠点として使うことも多い。

「なるほど……RTS、か」
「……え?」

 意外な単語にサリアは驚き、同時に苦笑いを浮かべる。

「しかし、魔物側にはレベルシステムも神規も存在せぬはず。
 その代わり、無制限に魔物を生み出し、神の目の届かぬ居城を持つなどの、異なった優遇措置が」
「別に、パラメータなど振られている必要は無いのだ。RTSのように考え、魔物の特性を把握し、戦略的に配置しているのでは、とな」
「戦略的……モラニアを初めとする魔物の配置を見れば、頷けるところもあります」

 他の大陸よりも低く抑えられた魔物の強さ、緩やかな侵攻。ほとんどの神々がそれを利用しようとモラニアに群がった。
 罠の可能性に不安を抱えながら。

「豚は餌に喰らい付いた。もし、"知見者"の軍がエファレアに現れなかったら、かの大陸は瞬く間に蹂躙されつくしたろう」
「同時に、モラニアという餌箱の餌は早晩尽きていたでしょうね。我が兄と、そこに居る勇者たちによって……その後は」
「中央の強力な魔物に匹敵できぬレベルを抱えた小神の勇者たちは、共食いを始めただろう……
 強力だがたった一人の勇者と、中堅の力を持つ多数の勇者、どちらを相手取るのが楽か……魔王は前者と踏んだわけだな」

 どれほど強力な相手であれ、たった一人なら力を見極め、対策を取ることで倒せないことは無い。
 そのことはシェートと自分が証明して見せたことだ。
 図らずも、現状は魔王の描いたであろう盤面に近くなっている。
 一匹のコボルトの手で。
 そのことに気がついた時、サリアは苦い笑みを浮かべた。

「竜神殿……よもやとは思いますが、魔王は私の動きさえ読んでいたという可能性は?」
「バカを言うな。もしそのようなことがあれば、魔王は天界までも見通す力を持っているということになる。
 そんな力を持った者がいるのなら、なぜもっと早く出してこない?」

 その言葉に安堵と、不安が沸き起こる。
 このまま行けば、シェートは確実に"知見者"と事を構えることになる。中央大陸平定の要となっている神の軍隊と。
 その結果、シェートを勝たせてしまったら?

「どうやら思考を飛躍させたようだが、やめておけ」

 不安に顔を曇らせたサリアに、竜神は首を振った。

「ですが……」
「彼の神に対抗する術も見出せぬというのに、その後の心配か?」

 竜神の指摘は最もだが、それでも考えずには居られない。
 シェートの願いは結局コボルトのためのもので、人間を救うという目的に向かうことは無い。
 彼の立場からすれば、"知見者"を打ち破った後のことなどは、どうでもいいということになる。
 それは彼の本質である『魔物』の振る舞いに相違ない。

「……私のしていることは……正しいことなのでしょうか?」
「では、ここでやめるか? "知見者"殿に頭を垂れれば、全ては丸く収まるぞ」

 厳しい問い直しに、サリアは瞑目する。
 最も弱き魔物を助け、共に走り、切り開いた先に見えたもの。
 彼の願いを叶えたいという気持ちもまた、自分の中では等しく強い。

「ここで辞めてしまえば、シェートの思いを、行動を無にすることになります」
「ならば、どうする?」
「……二つながら叶えるほか無いでしょう。魔王を討ち滅ぼし地を安らげ、同時に我が配下の願いを成就させるのです」
「なるほど。そなたを竜種の守護者にと、推挙した儂の目に狂いは無かったな」 

 くつくつと笑いながら、竜神は思いもよらないほどに表情を和らげた。

「相反するものを共に欲するその強欲、我らが血脈にも中々見出せぬものよ」
「では、我が同盟者よ。非才にして無謀、そして欲深き女神に、御力を」

 サリアは片手を差し出し、真正面から竜眼を見つめる。
 その深い黄金の瞳は、いくつもの複雑な輝きを湛え、やがて目礼と、鉤爪を手と繋ぐことで肯(うべな)った。

「このような古蜥蜴などでよければ、喜んで」


 水鏡の淵に座ると、サリアは朝の準備に忙しいシェートたちに声を掛けた。

「おはよう、今日も早いな」
『ああ、サリアか。おはよう』

 すでにかまどは壊され、鍋代わりに使っていた兜なども地面に埋めてしまっている。
 掛け小屋もすでにつぶされて、ここで暮した痕跡が全て消されていく。

「何も、全て壊していく必要はないのではないか?」
『住んでたとこ、去る時、必ず全て壊す。気持ち、残さないように』

 厳しい言葉にサリアはあえて何も言わず、つぶした小屋の材料をまとめている仔竜に声を掛けた。

「おはよう、フィー。調子はどうだ?」
『ぼちぼち。今日も朝早くてだるいよ』

 シェートの告白を聞いた後、気を落としていた仔竜は、目に見えるほどに調子を戻していた。
 竜族とはいえまだまだ子供、感受性の強さがあだになることもあるのだろう。

「"知見者"の軍は、どうやら南征を行うつもりらしい。そのついでに、我々も滅ぼす算段をされているそうだ」
『……俺、ついでか』
「彼の神とは地力も違うしな。まあ、こちらのすることはいつもと変わらぬ。
 弱点を探って、討ち果たす術を見出すしかない」

 暗殺成功の可能性が、極端に低くなっているという事実はあえて伏せる。これ以上、不安要素を教えても意味はない。

『なんなんだよ、その"知見者"って……そいつ、いわゆる勝ち組なんだろ? 
 なんでいまさら、あんたの持ってる領土なんて欲しがるんだ?』

 朝食の焼き魚の前に座り込みつつ、文句を言うフィーに、サリアは苦笑をもらした。

「神というものは、そういうものさ。
 こうした遊戯がまかり通っているのも、結局は領土拡大のため、戦をする口実が欲しいのだ……
 それがたとえ、遊戯において常に上位に君臨する者だとしても」

 そのことに関して、すでに怒りも呆れも湧いてこなかった。
 あの晩、シェートが言った言葉を借りれば、奪われるものの気持ちを想像もしないものに、憤りや憎しみを抱いても無駄なのだから。

『あんたは……どうなんだ? これだけ勝っちゃったら、やっぱりそういうカミサマの一員ってことになるだろ』
「手厳しいな。そのことも織り込み済みさ。私もただ、流されるつもりは無い」

 シェートとが決心を語ったように、サリア自身も期するものをすでに持っていた。
 いや、一度は諦めたものを、再び主張する機会を得たのだ。

「この戦いに勝利した暁には、神々の遊戯というシステムを、終了させるつもりだ」
『……そんなこと、できるのか?』
「分からぬ。だが、少なくとも一時的に凍結、あるいはシステムやルールの改訂をすることは可能だろう。
 例えば、どこかに闘技場でも作って、神と魔とで直接殴り合いでもするとかな」
『今度は対戦格ゲーか! それならいろんな奴に迷惑掛からなくていいな!』

 楽しそうに笑う仔竜に、サリアは少しだけ苦笑まじりで言い添えた。

「とはいえ、格ゲーとやらは私の手に余るがな。元々私は争いを好まないし……まず竜神殿に勝てる目が全く無い」
『え? オッサンとやったの? 格ゲー』
「ああ。何がなにやら分からぬうちにやられてしまった……本当に……あの方は大人気ないな」
『分った。帰ったら俺が仇とってやるからな』
「ああ、よろしく頼む」

 とはいえ、自分との対戦の後、竜神は小竜たちに集団で"しばかれた"ので溜飲は下がっているのだが、
 気づかいはありがたく受け取ることにする。

『……そろそろ、行くぞ』

 すでに朝食をしたためたシェートは、グートに旅装を施していた。
 専用の鞍と手綱、鐙をかけて、鞍袋を括りつける。
 野生の生き物にとっては異物であるにも関わらず、星狼は文句一つ言わず、おとなしくしたがっていた。

「グート、そなたには苦労をかけるが、よろしく頼む」
『……わふっ』
「とはいえ、そのまま背負わせる気も無いがな。イェスタ」
「はい」

 差し出された時計杖が水鏡に触れ、狼に白い輝きが一瞬宿る。

『お、リジェネ付いたのか。こっちでも確認したぞ』
『良かったな、グート』
『うふぅっ』

 そうしている間にも、一行はそれぞれの準備を済ませていく。
 シェートは、新造したミスリル製の手甲と脚甲の具合を確かめ、織り上げた旅装に袖を通す。
 使い慣れた弓に新しい弓弦を張り、矢の詰まった矢筒を背負うと、ワイバーンの皮をなめして作ったマントを羽織る。
 フィーがおぼつかなげに胴回りに括りつけた袋をいじり、中に入った物を調べ、内容をスマホに記録させていく。
 二人の準備を眺めていたグートはあくびを一つ。その身に着けた品々のわずらわしさなど気にも留めていない。

『そうだ、フィー。俺、渡すもの、忘れてた』
『これ以外に何かあるのか?』

 コボルトが皮の鞘に包まれた、一振りの山刀を差し出す。

『これ、どうしたんだ?』
『山入る男、みんな山刀持つ、枝打ち、薪集め、小物作り、色々使う』
『こんなもん、いつの間に……』

 青い仔竜の手で抜き放たれたそれは、ミスリル銀の光沢を持つ片刃と、中空になった柄を持っていた。

『なんでここ、空っぽなんだ?』
『そこ、長い棒、差す。即席の槍、なる』
『それで俺も戦えって?』

 シェートは笑顔で首を振った。

『そうやって使う、最後の手段。普通、大魚取る、銛代わり』

 収めた山刀を身に着けてやりながら、シェートは思いもよらないほどの、優しい顔で言った。

『お前のだ、大事にしろ』
『うん……』

 鏃を削る合間に、造っていたであろうそれ。
 狩人にとって狩猟道具は命を守るものであり、魂に等しいという。
 それを年長者や群れの長から手渡されるということは、相手を同輩として認めた証拠だ。
 おそらく、フィーはその意味に気付かないだろう。
 それを手渡したシェートの気持ちにも。

『行くぞ』

 全ての準備を終え、シェートが騎上の人となり、片手を仔竜に差し出す。

『……ああ』

 不安と恐れを湛えたフィーの顔が、決意に結ばれる。
 そして、二人を乗せたグートは、走り出した。
 木々の生い茂る、安らぎの住処から。



[36707] 5、聖と魔のタピスリ
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/04 09:56
 その日も、天気は穏やかだった。
 桟橋から見る海原には大きな波も無く、ただ海鳥達だけがかすかに鳴き交わすのみ。

「市長、ここにおいででしたか」

 補佐役の青年を見やり、サコスタは頷く。それからまた、海に向き直った。
 潮風が身に纏った濃緑の長衣を揺らす。
 公式行事や貴人を迎える時に身に着ける、市長としての礼装だが、肩に掛かる布の重さに感じるのはむなしさばかりだ。

「帰って、こられましたね」
「ああ……」

 青黒く沈んだ海の彼方、すばらしい速度で大きくなっていく船影が見える。
 白く輝く帆に描かれたのは一冊の本と羽ペンで構成された紋章。
 その後に粛々(しゅくしゅく)とつき従う、十数隻の軍船もまた、同じ意匠の帆を張っていた。

「不思議なものですね。彼の勇者様が来られるたび、海は穏やかになり、天気が続く」
「不思議なものか。あれが神の奇跡とやらだ」

 蓄えたひげの間から漏れる声が、つい苦くなる。その調子に気がついたのか、青年は頭を下げた。

「それで、今後の予定は」
「いつもと変わらんようにしておけ。出迎えも宴席も要らん。見物に来た者は皆下げろ」
「……分かりました」

 命令を聞き、青年が下がる。
 彼の行く手には、勇者の軍船を一目見ようと集まってきた野次馬達があり、兵たちがその連中を散らし始めている。
 そんな光景を眺めている間に、帆のはためきと波を掻き分ける潮騒が耳に届く。
 この港湾都市ザネジ、モラニア大陸随一の巨大な港を持つ町に勇者の一団がやってきたのが二月前か。
 その時から、この町は変わった。
 "知見者"の銘を持つ神、フルカムトのしろしめす土地となり、その神が遣わした勇者の町となった。

「市長、係留の準備だ。ちょっと場所を空けてくれ」

 焼けた肌に苦い笑みを浮かべた船着場の頭が、済まなさそうに肩を竦める。
 彼の後ろに居る水夫達に片手を上げると、桟橋に横付けされていく船を眺めつつ下がった。
 巨大な船だった。三つの帆と五層に分かれた船倉を持つ、前代未聞の巨船。
 一度、あの船を見学に行った船大工達は、その構造の複雑さと異常な精緻さで作られた船体に舌を巻き、
 百年掛かっても再現は出来ないだろうと音を上げた。

「投錨、よーういっ!」

 高らかに上げられる宣言に目を上げれば、すでに舷側に近づいている影が見えた。逆光になって見えないが、おそらく彼だろう。
 やがて船は静かにその身を桟橋に預け、階段が下ろされる。
 そして、彼らは降りてきた。

「お帰りなさいませ、勇者様」

 サコスタの声に、彼は冷めた目でこちらを見た。
 短く切りそろえられた黒髪、薄い茶色の瞳、白と薄い青に染められ、
 直線ばかりで構成された長衣に身を包んだ体は、華奢と言っても過言ではない。

「何か御用ですか」
「……いいえ。お帰りになった勇者をお出迎えしないというのは、わたくしの沽券(こけん)に関わりますので」
「そうですか。ご苦労様です」

 ならば用は無い、そう言わんばかりの態度で、顔色一つ変えず勇者が歩み去る。

「以前申し上げたとおり、市の運営や、技術供与の件に関しては、我々にお願いします」

 その後ろにつきしたがっていたローブ姿の魔術師が、わずかに気の毒そうな顔を向けて言い添える。

「アンタも大変だろうけど、アレがうちの勇者なんだ。気を悪くしないでくれ」

 豪奢(ごうしゃ)な鎧に身を包んだ金髪の騎士は、その軽薄そうな顔に、同輩と変わらない表情を浮かべていた。
 その後に、勇者の近衛を勤める者達が続き、宿舎へ向かって移動していく。
 その姿に歓声が上がったようだが、その騒ぎすら無視して、彼らは消えてゆく。

「いけ好かない奴だな」

 まるで自分の胸の内が飛び出たような一言。
 顔を青くして振り返ると、頭(かしら)がいたずらっぽい笑顔を浮かべて立っていた。

「脅かすな。一瞬、肝を潰したぞ」
「いやね。ダンナの顔に書いてあることを、そのまま読み上げただけなんで、気にしないでくれよ」
「そうか……そんなことが書いてあったか」
「その他にも色々な。もっと読んでやろうか?」

 市長となってすでに二十年近く、何かと苦楽を共にしてきた彼の一言に頬を緩めると、サコスタは歩き出す。
 勇者のあの態度は今に始まったことではない。
 それこそ、最初にこの都市に来た時からだった。

『貴方がザネジの統括者、サコスタ市長ですね』
『は、はい! 勇者様には、海を超え、遠路はるばるおいでくださり』
『これから、この都市は"知見者"フルカムトの勇者、葉沼康晴(はぬまやすはる)に従ってもらいます』
『は? ……し、しかし、いきなりそのようなことは……この都市はモラニア三国とも中立の立場を保った港湾都市として』
『都市機能も貴方の市長としての権限も、そのまま残します。その代わり、この都市を神の軍の駐屯地として使わせること、要請があれば無条件で徴発に応じてください』
『そ、そんな横暴な!』
『ここに必要になる軍事物資、駐屯する兵の数と必要な宿舎、軍馬にあてがう糧秣などのデータが載っています。
 それ以上の徴発は、この都市からは行いません。
 また、我々を受け入れれば、直ちに軍船による商船の護衛を行い、エファレア大陸との交易を回復させます。
 それによって起こる流通回復と経済への影響、およびこの港の全体収益の推移予想をまとめた書類も用意してあります。
 内容に納得したなら、了承の使者を送ってください』

 歓待も宴席も一切無視し、執務室で行われた交渉、いや、一方的な取り決め。
 淡々と必要なことだけを告げ、まとめた書類を突きつけてしまうと、勇者は後は勝手にしろと言わんばかりに宿舎に戻った。
 書類に書かれていた数字は、金貨一枚、麦粒一つさえ漏らさぬほどに収支を計算されていた。
 今までに見た、どんな帳簿よりも整然とした、気味の悪いぐらいの完璧さ。
 都市を治めるギルドの長達も集め、会議は三日三晩続いた。
 モラニアの三王家にも、エファレア大陸のギルドにも、魔王の軍勢に対しても、頑強に自分達の利権を守りぬいた都市の自治。
 それを揺るがしかねない勇者兵団の駐屯に都市は割れ、一時は殺し合いに発展するとさえ思われた。
 結局、都市機能と自治制を残すという勇者の言葉を信じ、港湾都市ザネジは勇者の軍を受け入れた。
 その結果を伝えるべく、使者として赴いた自分に掛けられた一言。

『そうですか』

 あてがわれた一室で執務を続けながら、勇者はそう言っただけだった。

『そ、それだけ……ですか?』
『……ああ。ありがとうございます、決断に感謝します』

 全く感情を感じない、乾ききった感謝の言葉。

『……その口ぶりでは、我々の手をお貸ししなくても、良かったようですな』

 堪えきれず、怒りを向けたサコスタに、青年はこう告げただけだった。

『はい。そうなっても、別に手はあったので』

 それ以来、サコスタにとって勇者の存在は嫌悪と、畏怖の存在となった。
 別に手はあったので、そう言った彼の顔には何も無かった。
 こちらの質問に事実を返しただけ。
 その発言を証明するように、彼らの船は決断を受け入れてから初めて、船員達を下船させてきたのだ。
 あの出納帳や請求書類と同じく、自分達との協力関係すらもきっちりと計算し、必要以上の対価を、交わりを求めない。
 確かに都市は活気を取り戻した。
 エファレアから送られてくる穀類や綿花が市場に流れ始め、こちらの鉄鉱や木材が再び海を渡り、商人達も職人達も、民も潤った。
 勇者の軍によって近隣の魔族は駆逐され、都市の犯罪数すら激減した。
 民は歓呼で彼らを讃えた。以前は海洋の神と、その勇者を讃えたその口で。

「……アヤノ様……」

 ふと、居なくなった少女のことを思い出す。
 儚く頼りなげな、それでいて勇敢であった彼女の顔を。

「どうやら、勇者とは、あなたのような方ばかりではないようですな……」

 忙しく立ち働く水夫達を眺めやりながら、サコスタは慨嘆した。


 手にしたタブレットを指で触れながら、康晴は映し出された情報を検分した。
 表示されたのはザネジを中心にした付近の地図。
 自軍を示すアイコンを中心に、近くの都市に進軍しているいくつかのユニットが、じりじりと移動していく。
 いくつかの兵団が敵と接触、数度の小競り合いを経て追い散らされていく。
 命令が無い限り威嚇のみにとどめる、それが彼らに与えた命令だ。

「ヤスハル、伝令が着いたぞ」

 戸口辺りに控えていた鎧騎士の声に目を上げると、ローブ姿の魔法使いに伴われて、薄汚れた旅装の男が入ってくる。

「申し上げます。大陸南部へと向かわせた偵察隊の一部が、魔王軍の急襲により被害を受けました」
「……隊番で被害状況を報告してください」
「し、失礼しました。一番と二番が全滅、三番は兵士一名を残して、四番は何とか負傷のみで済みましたが……」
「五から八番までの隊に出発準備をさせてください。
 三番は生き残った人の名前を至急確認、四番は治療が終了次第、入手した情報についての報告書を出すようにお願いします」
「……その、勇者様」

 言いにくそうにしながら、旅装の男は口を開く。

「三番隊の生き残りは、私です。シルト・ラック」
「ご苦労様でした、シルトさん。それでは、他の人に伝令をお願いします」

 何か言いたそうな顔をしていた男は、そのまま退出していく。
 進軍状況のマップを一端閉じ、斥候の管理画面へと移行する。

「斥候の被害が増えてきたなぁ……今まで砦や穴倉にこもってたくせに、やけに積極的じゃねーか」
「それだけじゃありませんよ。街道沿いの宿場町や集落にも被害が出ていると報告がありました……これはおそらく」

 二人の会話を聞き流しつつ、斥候の一番と二番を丸ごとゴミ箱のアイコンに放り入れ、
 三番の隊から一人を拾い上げその他を廃棄、四番に休養のアイコンをつける。

「エクバートさん、今侵攻中の一隊が戻り次第、本格的に進軍を開始します。全ての将軍に通達、掃討戦になりますので、連係を怠らないようにしてください」
「はいはい。砦の制圧状況はどんな感じですかね?」
「……今、終わったようです」

 ポップアップした戦況のウィンドウを叩くと、瓦礫の山になった砦と、そこで歓声を上げている兵士や魔法使い達が映し出される。
 その脇には死傷者の数を初めとするさまざまなデータが出力された。

「負傷者十二名、死傷者なし。進軍速度を考えて、一日野営を行って帰還させます」
「相変わらず、嫌味なぐらい見事な手際だな」
「ヴェングラスさんは、部隊を率いて南部へ向かってください」

 騎士の揶揄を気にすることもなく、康晴は画面をモラニアの全体マップに切り替え、必要なルートを表示する。

「ここからテメリエア、カイタル両国の境を通り、南部のリミリス王国まで向かってください。その途中で"徴兵"をお願いします」

 モラニアの北半分を分け合う形で存在する二つの国、その国境になっている山脈を縫うように赤い線が刻まれる。

「……わかりました。具体的には?」
「三国の国境にリンドルという村があります。後は追って指示をだしますから、定時連絡を密にしてください。
 魔軍の軍勢が動き出しているとの情報もありますので、無理な交戦は避けること。それと、注意点が二つあります」

 康晴の言葉に、二人が顔を向けた。普段から必要なことだけを告げるようにしているせいか、こうした強調にはすぐに反応してくる。

「リンドル村に、勇者が一名居ることが分かりました。現地での信任もそれなりにあるようです」
「ふーん? この大陸には、もう勇者は居ないんじゃなかったのか?」
「百人の勇者部隊に入らず、遊戯に参加していない神との交流も断っていたようです。
 そのために情報収集が遅れたようですね。それと、もう一つ」
「例のコボルト、ですか」

 魔法使いの言葉に頷くと、一枚の画像を大写しにする。

「リンドル村から更に南、エレファス山中で生息中。こちらが動くのと同時に北上を開始すると聞いています」

 渾身の力を込めてミスリルゴーレムを切り伏せていくコボルトの姿に、騎士が大げさに身を震わせて見せた。
「しかし、未だに信じられねぇな……これが、現実の光景だなんてよ……」
「信じないわけには行かないでしょう。神の加護を受けさえすれば、誰でも強力な力を得ることができる。
 そのことは、私達が一番良く知っているはず」

 特に感慨も無く、康晴はその画像を消し、二人に向き直る。

「リンドル村の勇者の方は、特に対処の必要はありません」
「対処の必要は、ない?」

 怪訝そうにした魔法使いは、それでも納得したように頷いた。

「全ては"知見者"のご意思どおり、と言うことですか」
「勇者についての情報伝達も、現場に混乱を招かないための配慮です」
「コボルトの方はどうするんだい?」

 騎士の問いかけにわずかに逡巡した後、康晴は頷いた。

「獣はすでに罠の中に入った。それが"知見者"の託宣です」


 薄暗い大広間に座り込み、ベルガンダは太い吐息を絞り出した。
 その場に並ぶのは、コモス以下、参謀や補佐として重用したホブゴブリンやゴブリンの術師たち。
 それぞれが緊張した面持ちでこちらを見ている。

「状況を報告しろ」
「はっ」

 巨大な木の板に描かれた地図に、いくつもの駒が置かれていく。
 魔王の城では魔力による画像投影が出来ていたが、魔法の素養の無い自分にとってはこれが精一杯だ。

「焼き討ちは今のところ成功といったところです。いくつかの隊が返り討ちに合いましたが……街道沿いの町もかなりの数被害を……」
「コモス!」

 駒を並べていたホブゴブリンに、苦みばしった顔を向ける。

「状況はきちんと報告させろ! いくつかだの、かなりだの、そんな報告で魔王様が満足すると思っているのかぁっ!」
「申し訳ありません。何とか、徹底させようとはしているのですが……」
「……カイネスに送ったケッシュの隊はどうした」

 ザネジの港町から伸びる太い街道、その途中の町を指差す。

「ああ、それなら昨晩に戻ってきましたな。十匹ほどに数が減っていましたが、隊長以下割と元気なようで」
「プロポネ砦に行った、ゴールの隊は」
「どうやらゴールの暴走を抑え切れなかったらしく、部隊はゴールの弟を残して全滅、結局砦は落とせなかったようです」
「残ったのはガイデだけか。あいつはケッシュと気が合う、組ませて隊を再編しろ。ついでに、今日は酒でも振舞っておいてやれ」

 本当に面倒な作業だ。 
 自分の扱う部下を把握し、隊を編成し、どの任務に充てるのが適当かと知恵を絞る。
 将軍などというものは、ふんぞり返って部下の言うことに耳を傾けていれば良いものと聞いていたのに。

「ベルガンダ様、ツォークの隊がまた倉庫に忍び込んだんですが……どうしますか」
「いい加減目に余る。ツォークは降格、隊を解散させて荷物持ちにしてやれ」
「イリビンの隊から武器の補充申請が」
「最近槍隊の報告が多いな。あとで鍛冶場に見に行くから、工房の連中に言っておけ。サボりを入れたら首をねじ切ってやると」
「ベルガンダ様、調毒部隊が全員腹痛で……」
「またあいつらか! しばらく全員兵卒に降格! 城外の見回りに回せ!」

 これが闘魔将の魔獣たち、マンティコアやヒドラなら一体を送るだけで話が済むし、
 不死魔将の死人であれば、侵攻するほどに兵力が増強するだろう。操魔将はこうした作戦自体を喜々として考えるに違いない。
 雑兵を束ね、必死に戦線を維持する、これが銘を持たない無様な魔将の実像だった。

「伝令! 伝令! ロイスの砦が勇者の軍によって陥落!」

 慌てた様子で駆け込んできたホブゴブリンの伝令士が、顔を歪ませながら叫ぶ。
 とはいえ、その未来を予想していなかったわけではない。勇者兵団の力量はザネジ近くの砦が落ちたときに理解していたからだ。

「……分かった。連中の様子は?」
「砦を陥落の後、その場で野営を……伏せておいた兵はどうされますか?」
「そのまま撤退させろ。近くにコボルトの集落があったな。それと防備の甘い村が一つ」

 砦から帰る兵団に、野戦を仕掛けようとする試みは失敗に終わった。
 こうなったら被害を受けた分の補填を考えた方がいいだろう。素早く砦付近の情報を思い出すと、ベルガンダは伝令士に指令を与える。

「村の一部に火を掛け、その隙に食料を奪え。それが済んだらコボルトの村へ向かい、雑役の者を獲得しておけ」
「了解しました」

 全ての軍令処理を終了させると、ミノタウロスは疲れた体をイスにもたせかけて、小樽の酒をあおった。

「お疲れ様です、ベルガンダ様」
「ああ、全くだ……もう少し、貴様も部下を見るようにしろ」
「そうですな。これは人間どもにならい、台帳でもつけるようにいたしますか」
「そうしろ。ところで各ダンジョンの掘削拡充はどうなっている」

 自分でもうんざりするが、続けざまに指示を飛ばす。
 地上の魔将は各地域に散らばり、その世界にある魔力を吸い上げて魔王に献上するという役目も持っていた。
 そのためにダンジョンを掘削し、中枢に魔力吸収用の核を設置、機能を維持しなくてはならない。
 こちらの問いかけに、術師たちはあっけらかんと言い放った。

「順調です、ベルガンダ様」
「……もう一度聞くぞ、作業がどの程度進んでいるのか、各人担当の地域の報告を、事細かに行えといっているんだ!」

 怒声に張り飛ばされた術師たちが、あわてて報告を開始、それを聞きながらコモスに書き取りを行わせる。
 実を言えば、魔物たちの知性は、決して低くない。
 実際、ホブゴブリンはかなり自制も効き、部隊長に任命できるほどの判断力もあるし、ゴブリンやオークも享楽的なところを除けば、こちらの命令を聞き分ける頭もある。
 ただ、その全てを把握して指示をするのが、酷く面倒くさいというだけで。

「以上が各ダンジョンの状況になります。何か他に指示しておくことはございますか」
「特には無いな。これまで通り、勇者の軍がどう動いたかは逐一報告を入れろ」
「……"魔将"ベルガンダ様、本当に、もう指示しておくことは、無いのですか?」

 珍しくコモスが渋い顔でこちらを見つめる。
 その顔色に、ベルガンダは深々とため息をついた。

「シェルバン、お前は残れ。他のものは下がっていい」

 なぜ自分が呼ばれたのか分からない、不安そうなゴブリンの術師を残し、他のものが退出していく。
 ベルガンダは、苦々しい思いで目の前の部下に声を掛けた。

「お前は確か、リンドル村近くのダンジョンを任せていたな」
「は、はいっ。申し訳ありません! 
 あそこの勇者の奴は、思いのほか手ごわく、ダンジョンを守りつつ制圧するのは至難でして……」
「責めているんじゃない。お前は良くやっている。ただ、これから少々、面倒くさい仕事を頼むことになるのだ」

 叱責を受けると思っていたらしいゴブリンは、きょとんとした顔でこちらを見た。

「これから数十名ほど、お前のダンジョンに送る。そいつらを手助けし、ある任務を果たしてもらいたい」
「ある……任務、ですか?」
「リンドルから南に行った所に、山脈があるのは知っているな、そこの一番高い山、エレファス方面に向かわせろ」
「はぁ、そこで、何をすれば良いので?」

 本心を言ってしまえば、こんな命令を部下にするのは気が引ける。
 そもそも、このシェルバンは自分の部下の中でもかなり使える存在だし、いずれは城に引き上げてコモスの補佐にでもつけようと思っていたのだ。
 とはいえ、魔王の命令は絶対、逆らうことも無視することもできない。

「コボルトを、探してこい」
「コボルト……なんでまた?」
「それもただのコボルトではない、勇者を屠るほどに、強いコボルトだ」

 さすがに、シェルバンは笑いはしなかった。例の噂を報告してきた一人だし、百人の勇者の進軍も目にしている。

「ですが、本当にそんなものが?」
「その真偽を確かめろ、といわれているのだ。魔王様じきじきに」

 魔王の名前を出した途端、シェルバンは青ざめ、小刻みに震え始める。

「心配するな。お前は見たままを報告すればいい。万が一、そのコボルトを見かけたとしても、見張りをつけるだけで何もするな」
「み、見張りをつけた後は、どうすれば?」

 真偽のほどは分からないが、噂が本当なら、雑兵など当てても無駄だろう。
 生け捕りにしろと言われて、冷静に行動できる知恵も部下は持ち合わせていない。
 だから。

「俺が行く。この手で、そのコボルトを捕まえてくれる」


 水鏡の前に立ち、カニラ・ファラーダはもう一度わが身を見返した。
 青い髪の結い上げを直し、長衣のドレープを整える。
 顔の造作はそれほどひどくは無いと思うが、目を見張るほどでもないのは分かっているから、
 ことさら装いはせずに普段通りにすることにする。
 人間達や心ある種族にとって、神とは超然とした、なんの憂いも無い存在のように思われているが、蓋を開ければこんなものだ。
 これからの謁見を前に、魂の締め付けられる思いを感じているのだから。
 足音を忍ばせるように神座を抜けると、誰の目にも触れぬように合議の間を後にする。
 目指す場所は雲壌の間の更に上、四柱神の座する世界だ。
 元々は数々の大神が座したといわれるその場所には、今や星空に屹立する巨大な扉があるばかり。
 その前に立つと、カニラは声を震わせながら呼びかけた。

「"知見者"様に、お目通りを」

 扉は下の神座と違い、ドライアドの呼び出しは無い。それぞれの神が置いた門番が受け答えるか、全く無視されるかだ。

『……入れ』

 まさか、"知見者"自身の声が届くと思っていなかったせいか、一瞬このまま帰ってしまおうかとも思ってしまう。
 だが、彼の軍が本格的にモラニアに来てしまった以上、こうするより手は無い。
 意を決して神座に入った途端、カニラは自らの存在を、一瞬で圧搾尽くすほどの威圧を感じた。
 磨きぬかれた大理石で構成された巨大な神殿は、完全な直線と正方形とで構成されていた。
 柱も、回廊の手すりも、廊下も、明かり代わりに開け放たれた空の形さえも。
 見上げれば、無限に続くかと思われる回廊が積載され、天から降り注ぐ光と、廊下の屋根が作り出す陰影が、白と黒の立体構成を生み出す。
 敷かれた深い赤の絨毯とは左右に伸び、その果てはやはり影になって見えない。
 目の前は、合議の間を模したように降りの階段が刻まれているが、床は白々とした石畳で、
 中央に設えられた執務机まで誘導するように、赤い道が伸びていた。

「何をしている。目通りを願った者が、呆けて立ち尽くすのか?」

 神座の主は冷たく言い放ち、手繰っていた書物から目を上げた。彼の視線にさらされると同時にカニラは跪いて詫びを述べる。

「も、申し訳ありません。"知見者"様」
「"病葉(わくらば)を摘む指"よ。貴様も上位の者に無礼を働く女神の類か」

 "知見者"は、とかく礼に対する事柄に敏感だった。
 神々の間でも、大抵は最上の銘を呼ぶだけで事を済ませるが、彼の神は古式に則ることを良しとする。
 実際、その堅苦しさゆえに、彼を遠ざける神も少なくなかった。

「し、失礼しました。"才知を見出す者""青き書の守護者""測りえざる者""万略の主"……万物を知悉さる"知見者"よ」
「やれやれ。どこぞの疫神の方が、まだ儀礼に通じていようとはな」
「な、なにか私に落ち度が……」

 結い上げた青い髪を揺らし、緊張した顔を上げると、"知見者"はあからさまな侮蔑を込めてこちらを見ていた。

「貴様くらいの小神が我らを呼ぶ場合、"銘(な)すら呼び給い得ぬ"と付ければ事が足りるのだ。
 そのように銘を連ねるのは、相手が同輩か典礼の時のみと心得よ」
「は……はいっ」
「それとも貴様、彼の"平和の女神"と同じく、遊戯の場に立つ神は等しき存在であるからと、戯事を繰るつもりではなかろうな」
「め……滅相も、ございません」

 まるで、猛禽に睨まれた小鳥だ。心の中にそんな自嘲が湧く。
 それでもこうして頭を下げ、ひたすらに大いなるものの、慈悲と憐憫を請わなければ、生きていくことさえできない。

「お、畏れながら、申し上げます。この度……」
「随分、来るのが遅かったな。貴様の下らない逡巡も加味したつもりだったが……やはり小神風情は、身の処し方も愚図ということか」

 まるで噛み合わない返答に、カニラは呆然となり、わずかな時を置いて理解した。
 彼の神は自分がここに来た理由を、完全に把握しているのだと。

「で……では……私の願いを……」
「聞き届けるいわれはない。答えは初めから出ているだろう」

 尊大に言い放ち、それ以上の議論など無用とばかりに、"知見者"は書物に目を落とす。
 覚悟はしていたが、ここまで話にならないとは、思ってもみなかった。
 四柱神ともなれば神威は限りなく、小神ごときの働きなど歯牙にも掛けないもの。
 それでも、一縷の望みを託して、ここまでやってきたのに。

「だが、貴様に吉報がある」

 意外な一言が耳をなぶる。
 沈みかけた気持ちを、"知見者"の冷たい声が引きずり上げた。

「吉報、ですか?」
「エレファス山中より、サリアーシェの配下であるコボルトが、北進を開始した」
「……そ……そうですか」
「なんだ、嬉しくないのか? 確か貴様、彼の女神を懇意であったのであろうが」

 知識と見識を司る神は、こちらの胸の内を見透かすように、言葉を投げた。

「今やあの女神も、押しも押されぬ大神と成った。貴様も他の者と同じく、交誼を結べばよいではないか。古きよしみとして」
「ですが、我らは共に勇者を扱うもの……それに、こんな小神の身では……」
「そのことについてだが、どうやらサリアーシェは雲壌の集いが気に食わぬらしい。小神の美点を称揚し、我を侮蔑するほどにな」

 その言葉を聞き、カニラは苦笑する。
 どうやら彼女の性格は、未だに変わっていないらしい。昔から、権威や強権を振るうものをたしなめ、弱気を助けてきたものだ。

「だが、所詮は下賎な魔物を扱う愚かな女だ。
 人と交われぬ配下を使う以上、魔王を倒すなどと気を吐いたところで、世の道理に押しつぶされるであろうな」
「世の道理、ですか」
「この世界は人のためのもの、そして魔物は狩られるものだ。それを救い、助けるものが無ければな」

 "知見者"の発言に、カニラは不穏を感じ取った。
 彼の振る舞いは、まるで自分にサリアと協力関係を結べ、と言わんばかりだ。
 もちろん、大神の身であれば、自分のような小さな神や、サリアのような孤立無援の存在など、歯牙にかける必要も無いのだろうが。

「話は終わりだ、下がれ」
「……失礼、いたします」

 退出を促され、カニラは神座を後にした。
 重い荷物を降ろした時のような深い脱力感に、足元がふらつく。
 格の違う神格に晒されたためでもあったが、それ以上にさっきの会話が心を締め付けた。

「サリア……」

 それは、とてつもなく苦い名前だ。
 コボルトを自らの配下とすると宣言したあの時、よほど出て行こうかと思った。
 次第に神々の中で孤立を深め、百人の勇者による討伐を聞かされたときも、何か手助けが出来ればと考えた。
 でも、自分は一切、手を出さなかった。
 単なる小神に過ぎない自分が、力ない勇者しか持たない自分などが、出て行ってなんになるというのか。
 否、それは単なる言い訳だ。
 何もしなかったのは、彼女と再び顔を合わせるのが、辛かったからだ。

「どうして……貴方は……出てきてしまったの」

 意気地の無い自分が、嫌でたまらない。それを、どうすることが出来ない自分も。
 それでも、カニラは自分の神座へと歩き出す。
 "知見者"の神座に使われた、全ての石材を呑んでしまったような、重い気持ちを抱え込んだまま。 



[36707] 6、交錯
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/05 09:33
 揺れる荷台の縁につかまりながら、ポローは呆然と周囲の景色を眺めていた。
 天高くに伸びる木々、左手には小高くなった岩壁。
 馬車が進む街道は比較的広いが、先は山肌にあわせて蛇行し、視界もそれほどよくない。

「なぁ、ポローよう、本当に大丈夫かなぁ?」
「ああ……?」

 一緒に乗り合わせた同郷の男が、不安そうに声を上げる。
 その姿は垢染みと土ぼこりに汚れているが、自分もご同様の格好をしている今、そんなことを指摘する気も起きない。
 食料や日用品の箱と一緒に揺られながら、見たことも無い土地を目指して荷馬車に揺られていく身だ。

「おらたち、ちゃんとそこに住めるだかなぁ……」
「ああ……」
「おめぇ……さっきからそればかりでねぇか」
「ああ……」

 ため息をつき、男は後部に乗った別の者と何か喋り始める。彼らの背後には同じような馬車が三台並んで追走していた。
 街道を行く荷馬車と、それに満載された人と物。一応、隊伍の前と後ろには傭兵が二人ずつ詰めているが、護衛としては心もとない。

「あんたぁ、だいじょうぶらすけ?」

 御者をしている商人が、こちらに視線を投げてくる。
 どこのなまりとも知れない不思議な喋りをする男は、なにかと自分たちに気を配ってくれていた。
 ただ、それを素直に受け入れる気には、どうしてもなれなかった。

「気にするな、大丈夫だ」
「……ここらの街道さ、整備したんは、これから行くリンドルの連中ら。
 それまで、ここさ荒れ放題の獣道だったらす。この道できて、みんなほんと感謝してるら」

 言われて見れば、街道のあちこちはきれいにならされ、山道脇にも崩れないようにするための補強が見えた。

「その、リンドルって村はもうすぐなのか?」
「へ? ああ、まだもちょっと先ら。この調子なら夕前にゃつくらすけ。その前に昼飯でも食いながら、一休みさ入れるら」

 恐ろしくのんきな一言に、ポローもさすがに不安になる。辺りを見回し、茂みや森の奥を見晴るかそうとした。

「心配らすか? 魔物さくるんではねえかって」
「この近くにあるんだろ? 魔物の迷宮が」

 ポローの手が腰の短剣に伸びる。柄をぐっと握り締め、何とか気を落ち着かせようと試みるが、それでも体の震えは止まらない。

「……メネラの村は…………気の毒だったらすな」

 何かを言おうと口を開きかけ、結局ポローは、ぐったりと大きな箱にもたれかかり、ため息をつくことしかできなかった。
 自分の村が焼かれた日のことは、今でも夢に見る。
 嬌声を上げて踊りこんでくる魔物たちの群れ。
 巨躯のオーガたちが、やすやすと防御柵を引きちぎり、その後を追う様になだれ込んでくるゴブリンたち。
 荷馬車を用意し、逃げる算段をした自分。
 玄関から届く三つの悲鳴。
 妻と、二人の子供の、絶叫。
 あっという間に見つかり、気がつけば追っ手のゴブリンを振り切るように、馬車を走らせていた。
 最愛の者の姿を、確認することさえできずに。
 追われ、追いつかれ、それでも何とか命を拾った自分に、待っていた現実。
 焼け落ちた村と、踏みにじられた畑。
 そして、妻と子の、吊り下げられ、変わり果てた――。

「あんたぁ、これ、飲んでみるらすか?」

 気がつくと、商人は振り返りもせずに、小さなビンを荷台に置いた。

「なんだ、これは」
「リンドルの名産ら。ちっとは気休めになるかもしれんらすけ」

 抜栓すると、鼻に甘い香りが伝わってくる。中の液体はかすかな呟きを漏らしながら泡立っていた。

「酒か」
「りんごの酒ら。ワインよりも口当たりもいいらす。それに、香りさ嗅ぐと、気持ちおちつくちゅうて、寝酒にもされるらすけ」

 口に含むと花のような香りに混じって、口を刺激する薬草の香味も感じる。口当たりのよさからすると、結構な上物なのだろう。

「魔物のことさ、心配いらねえらす。リンドル村には、勇者がいるらすけ。この辺りの魔物も騒ぎ立てねえらす」
「はっ、勇者か」

 甘みのある酒をあおりながら、ポローは吐き捨てる。
 勇者、なんて心躍る、益体も無い言葉だろう。

『悪いけど、これ以上ここに居られないんだよ……使命が、あるからさ』

 身の丈ほどもある大剣を背負った青年は、村に居た魔物を打ち払った後、自分たちを残して去っていった。
 確かに、村の人間は救われた。だが、失われたものはそれ以上に大きかった。
 家も畑も、備蓄しておいた食糧も、家族の命も、一つとして戻らない。
 胸のすくような英雄譚の後に取り残されたのは、惨めに現実を生きなければならない自分たちだけだった。
 結局、村は死んだ。
 家畜も種籾も、住む家さえない状態から立て直すほどの体力など、たいした名産もない寒村にあるはずがなかった。
 墓石代わりに積まれた石が、畑であった場所に無数に建てられ、弔いはしめやかに行われた。
 それは同時に、自分が子供の頃から慣れ親しんだ現実の全てが、共に葬られたことを意味していた。

「その勇者、本当に信用できるんだろうなぁ」

 体の中から伝わってくる酔いの熱さに、ポローの心が崩れていく。皮肉な笑いを止められず、りんごの香りのする息を吐き出した。

「この前、百人近い連中が皆殺しになったそうじゃねぇか。そいつの実力も、妖しいもんだよ」
「百人の勇者、おらの見たところじゃ、相当厄介な魔物さ、相手にしようとしてたみてえらすな」
「……あんた、見たのか? その、魔物を」

 御者を務める商人が、百人の勇者を最後に見た、唯一の人物である事はみんな知っていた。
 そして、彼のもたらした奇妙な情報も。

「さぁ、おらの見たのさ、ほしのがみだけらす……勇者さ、倒した魔物のこと、みたこともねえらすけ」
「……本当に……コボルトだと思うか?」
「さぁ? あんたは、どう思うらす?」 

 目を閉じたポローの脳裏に浮かぶ光景がある。
 追っ手のゴブリンを瞬く間に屠り、近づいてくる影。とても弱い魔物とは思えない、恐ろしい形相のそいつ。
 バカな、という思いと、あるいは、というかすかな確信。

「さぁな……知ったことじゃ、ない……」 

 いつの間にかビンはほとんど空になっていた。強い酔いが全身を弛緩させ、久しく訪れなかった深い眠気が、温かな湯のように全身を覆っていく。

「その箱の間さ、毛皮入ってるらすけ、包まっとけばええらす」

 無意識にそれを手に取り、狭い荷台に挟まるようにして目を閉じる。
 何も考えたくなかった。失った家族のことも、住み慣れた土地を追われたことも、この先に待っている新しい生活のことも。
 今はただひたすら眠りたい。床から伝わる心地よい振動を感じながら、ポローは意識を手放した。


「おい、先に行くなよ、このデカブツ」

 うんざりした気分で、ホブゴブリンのケッシュは、先を行くオーガの背に呼びかけた。
 筋肉の塊のような背中がぴくりと反応する。
 それでも行軍をやめる気は無いらしく、やぶにらみの目で、辺りの森を見回しながら歩き続けた。

「この隊の頭は俺だってんだろ! 聞けよ!」
「うるせぇチビ! ガチャガチャ抜かすと食うぞ!」

 この行軍に参加して以来、ガイデは万事この調子だった。
 砦攻めから帰ってきたオーガ隊の唯一の生き残りは、握り締めた棍棒から恐ろしい軋みを立てる。

「なぁ、相棒? 何をそんなにカリカリしてんだよ」
「ああ!? 何がだって!? これがカリカリせずにいられるか!」

 昼でも暗い森の中に、オーガの怒声が響き渡る。ケッシュの後ろについた十数匹のゴブリンたちが、その声にすくみあがった。

「一体うちの大将は何考えてんだぁ!? よりにもよって、俺たちにコボルトを探させるってのはどういうことだよ!?」
「だから声がデカイって言ってんだろこのスッタコ! ちっとはその耳ざわりなだみ声を絞れってんだよ!」
「これが黙っていられるか! 
 勇者どもの軍が押し寄せてきて、兄貴や仲間の仇も討たなきゃならねぇって時に! なんであんなチビどもを!」

 これじゃ、わざわざ街道を避けて通っている意味が無い。
 コイツの叫びで鳥達もうるさく飛び回ってるし、ここに魔物の一団がいますと触れ回っているようなものだ。

「いいか、よく聞けよ!? この脳みそまで筋肉で出来たウスラトンカチ! この命令はな、魔王様じきじきのご命令なんだよ!」
「………………はぁ?」

 ベルガンダの大将には、ダンジョンに着くまでは言うなと言われていたが、そろそろ限界だ。
 案の定、オーガは突然の魔王命令に目を白黒させた。

「ま、魔王様って、あの魔王様? 俺たちの大将の、も一つ上の?」
「ああそうだよ。分ったら、少しでいいからその口を閉じてろ」

 ようやく落ち着いた相棒にほっとため息をつくと、ケッシュは隊の連中を指で集めた。

「なんでもな、人間どもの間で噂になってるらしいんだよ。
 神の降した勇者を殺す、恐ろしく強いコボルトの話がな。そいつを探すんだ、俺たちは」
「……人間どもの考えるこたぁ、よくわからねぇなぁ。あんなクソチビども、朝飯前にもなりゃしねぇってのに」

 人食い巨人ともあだ名されるガイデたちは、オークほどではないにしろ、胃袋で相手を判断する。
 確かに腕っ節は強いし、戦いになれば頼りになるが、こういう繊細な任務には全く向いていない。
 多分、ガイデと自分がよくつるんでいる事を見越しての人事だとは思うが、体のいい厄介払いという意味合いも含んでいるんだろう。

「ったく、押し付けられる身にもなってくれよ、大将」
「なんか言ったか?」
「うっかりそのコボルトと出会っても、食っちまうんじゃねーぞって言ったんだよ」
「がはは、そいつあ無理だなぁ。ちょうどさっきから腹が減っててよぅ。おやつが欲しかったところなんだよ」

 おやつというオーガの言葉に、子分たちが震え上がる。
 空腹の時なら味方も食い殺すというオーガの話は、魔王軍の中でも有名だった。

「そのくらいでやめとけよ。うちの子分どもが使いもんにならなくなったら、その目ン玉ほじくりかえすぞ?」
「おほっ、こわいこわい。"鉤裂き"ケッシュにゃ逆らうなってな。よっしゃ、そろそろ行こうぜ」

 どうにか機嫌を直したオーガが先に立ち、ケッシュはため息をついてその後を追う。

「ケッシュ! ケッシュ! おいケッシュ!」

 突然、頭上からきしんだ声が掛かる。森の木陰をひらひらと舞うように飛ぶ、インプの姿に、ホブゴブリンは目をすがめた。

「どうした?」
「近く! 近く! 人間、隊商通る! 人間、物資、たんまり!」
「おお、そいつぁいいな! よし! いっちょやるか!」

 斥候の言葉にオーガが色めき立ち、背後の部下たちが歓声を上げた。
 長い行軍で、どいつもこいつも苛立ちが募っている。この辺りで気晴らしでもしてやらないと持たないだろう。
 それに、物資や人間の奴隷も捕まえられるなら、迷宮の拡張にも役立つ。

「よし……わかった。その前に、隊商の配置を教えろ。
 ……おいガイデ! この隊の頭は俺だって何度言えば分かるんだ! とにかくこっちで話を聞け!」


 さくさくと、星狼の足が腐葉土を踏みしめる音を聞きながら、フィーは鞍上で手元のスマホを眺めていた。
 刻一刻と描かれていく周囲の地図。範囲は限定されるものの、自分の視界が届く範囲内の物が自動的に記録されていくのはありがたい。

「どうだフィー、何か見つかったか?」

 手綱を取りながら、傍らをシェートが歩く。
 自動回復が付いたとはいえ、二人乗りに荷物搭載はグートに負担が掛かる。そのため、シェートが降りて徒歩で移動するようにしていた。

「特には。ずっと雑木林ばっか……。街道はここから五百メー……じゃなかった、あの右にあるブナから俺の足で六十歩……ぐらいか?」

 かなり距離のあるところに立った、大きな木を指差す。
 こっちの答えを聞くと、コボルトは目印にした木を見つめ、頷いた。

「多分、あと二十歩要る。でもフィー、目検討、大分うまくなった」

 山歩きをするようになって、シェートから真っ先に仕込まれたのが、自分の位置と目標までの距離を割り出す方法だった。
 自分の歩幅で、目標まで何歩あるかを当てる遊び。山に入るたびに繰り返されたオリエンテーリングの結果、地図に表示されたメートルではなく、自分やシェートの歩幅で距離を測れるようになっていた。

「って、道のある場所分かるのか?」
「ああ。林通る風、音違う。道ある所、枝よくさやぐ。それに、山すその道、山沿って造る。だから、斜面、形見る。どのくらい離れた、分かる」

 シェートの言葉につられて、目を閉じ意識を角に集中すると、途端に周囲の音が強烈に意識され始める。
 人間の耳と違い、ドラゴンの角は周囲の大気全てから音を拾う。
 それが骨の髄を包むように存在する中空の空間で反響し、神経を伝うのだと聞いた。
 普段はあまりに『うるさい』ので意識しないようにしているが、こうしていると、世界全体の音が聞こえて来るようだ。

「あー……これか? このさわわーっていうか、さざわーって感じの」
「多分それ。お前、ほんと耳いいな。いや、角か」
「この前の魔王の城の聲……だっけ? あれ聞いてから、敏感になったみてぇ」

 それだけじゃない、日々の山暮らしやシェートの教えを受けるたびに、自分の体が別のものに作り変わっているような気がしていた。
 最初にそれに気が付いたのは、料理からだ。

『なー、これ、ウサギの肉入ってないか?』
『よく分かったな。干したの、ちっちゃい塊、それだけだ』

 あっさりした魚の汁に紛れ込んだ違和を、敏感に察知する舌。
 それ以来、薄いかしょっぱいしかなかった味の判別に、それぞれの動物や植物の持つうまみが加わるようになっていた。
 音に関しても急激に敏感になり、周囲で鳴いている鳥の鳴き声や、
 グートの遠吠えの細かい調子――獲物を見つけたときの合図や警戒の声――まで聞き分けられる。
 最近では、寒暖差や肌に伝わる湿り気の多寡を意識できるようになり、夜明けがもたらす空気の変化で、自然に目が覚めるようになった。
 人間だったときには考えもしなかった、認識の変化。最初は自分がおかしくなったのかと思って、メールに不安を書き込んだくらいだ。

『そういった感覚はドラゴンだけでなく、動物もコボルトも、人間だって持っているものだ。
 そなたの変化は、それが磨かれた結果に過ぎんよ。我らのそれは、少々鋭敏だがな』

 とはいえ、竜神の言葉は控えめだろうと思う。何の修行もしていない自分が、狩人のシェートと同じぐらいの精度で、ウサギの足音を聞き分けられる時点でおかしいのだ。

「そういや、腹減ったなぁ」

 ウサギのことを考えた途端、胃袋が敏感に反応する。
 人間としてこっちに来た時は、米が食いたくてしょうがなかったのに、これも一つの変化だろう。

「ん。そろそろ飯、食うか」

 シェートの言葉にグートが腰を下ろし、フィー自身も地面に降りようとした。

「ん?」

 角に感じる違和感、風に乗ってやってくる何かの異音が、神経を引っかく。

「シェート、なんか聞こえないか?」
「……ああ」

 いつになくコボルトが緊張した面持ちで、雑木林の奥を見つめる。厳しい表情をしたシェートは、グートに腰を上げさせた。

「だれか、戦ってる音」
「……もしかして、これって剣を打ち合わせてる音か?」

 巨大な質量が地面に叩きつけられ、大気がポップコーンのように弾ける。
 甲高い金属音がその後に続き、神経に突き刺さってくる。
 怒声や悲鳴らしいものは、大気のせいで減速しているのか、ひどくぼやけた振動として感じた。

「フィー、グート掴まれ。手綱放すな」
「どうするんだ?」
「相手、何か調べる。勇者の軍、見つかったらまずい」

 腰を低くしたコボルトが滑るように走り出し、星狼がその後に続く。フィーも手綱を握り締め、姿勢を低くする。
 音が次第に大きくなり、ぼやけていた輪郭が鮮やかに、そして残酷に変わっていく。

「お、おい!? これって」

 質問を封じるように、シェートは片手を挙げた。
 街道まではおおよそ百メートル、目の前の林がふっつり途切れている。
 山の間を削って作られた切通しの道に、悲鳴と絶叫がこだまする。

「な……なんだよ、これ」
「多分、魔族、人間襲ってる」

 争う姿こそ見えないが、下で起こっていることは容易に想像できた。
 いななく馬、上がる悲鳴、必死に敵を押し返そうとする怒声。
 下卑た歓声と、怖気を催すような大絶叫、そして剣戟の響き。
 だが、シェートは周囲を隙無く観察した後、腰を上げた。

「……どう、するんだ?」
「行こう。ここ離れる」

 短く告げ、手綱を取って歩き出す。

「ちょ、ちょっと待てよ! 下で人が襲われてるんだぞ!?」
「それがどうした」

 コボルトの顔は、冷たく凍て付いていた。

「ここいたら、俺たち、魔物襲われる」
「だ、だからって! このまま見殺しに」
「フィー、俺たちの目的、なんだ?」

 自分たちの目的。
 その言葉にフィーは、絶句した。

「俺、武器作った、勇者、魔王狩るため。人間助けるため、違う」
「そりゃ、そうだけど!」

 そうだ、何も間違っていない。
 シェートにしてみれば見ず知らずの存在。しかも人間は、コボルトなど刈るべき雑草か害虫としか思っていない。
 そんな相手を、危険を冒してでも助けなきゃいけない義理など無い。
 でも。

『やめろぉ! くるな、くるなぁっ!』
『ぎひひひひひ! にんげんにんげん、いいこえでなく!』
『オオオオオオオオッ、てめぇらどけえええええええっ!』
『畜生ッ! 崖を背にして身を守るんだ! 荷馬車を盾に……うがぁああっ!』
『キシシシ、人間人間、頭弱い! 空から刺されるすごく弱い!』

 なだれ込んでくる、怒涛のように。
 声が、聲が押し寄せる。
 無数の感情が入り乱れ、フィアクゥルという仔竜の奥に潜んだ魂を貫いていく。

「お、お前だってサリアの勇者なんだろ!? だったら」
「天の神、俺、勇者思ってない。経験点、一杯ある魔物。狩る相手、それだけ」
「お…………お前はどうなんだよ!」

 混乱するフィーの脳が、苦し紛れの悲鳴をしぼり出した。

「お前は、自分のこと、どう思ってるんだよ!」
「お……俺?」
「カミサマが何言ったか知らないけど、お前は自分のことどう思ってるんだ!? ただの魔物なのか!? それとも勇者なのか!?」

 反抗する人間の声が、急速に消えていく。
 魔物たちの声が、興奮の叫びから嗜虐の笑いに変わっていく。

「ま、魔物だからって決め付けられたから、魔物みたいに振舞うのか!? そんなのおかしいだろ!」
「お……落ち着け! 奴ら、俺達気付く!」
「あの声! 聞こえてんだろ! あいつらもうすぐみんな死ぬぞ!」

 一体、何を言っているんだ。心のどこかで叫ぶ自分が居る。
 それでも言葉が止まらない。

「あいつらを助けられるのは、お前だけななのに! このまま、皆殺しになるのを黙って見てるのかよ! シェート!」
「…………っ!」

 コボルトの顔が一瞬苦痛にゆがみ、ほっと息を吐き出した。

「フィー……グートといろ。グート、俺、いい言うまで近づくな」
「わふっ」
「シェ……」

 何か声を掛ける暇もなく、あっという間にコボルトが遠ざかる。
 騒音が輪郭をなくし、同時に頭の中が冷えていく。

「何言ってんだよ……俺は……」

 わけも分からず、自分は言っていた。見ず知らずの、仇かもしれない人間を、何の見返りも無いままに助けろと。
 自分がシェートに、一体何をしたのかも忘れて。
 穏やかな生活で、忘れそうになっていた事実。仔竜の体に入ってから薄れていた真実。

「なんで……俺は……あんなこと……」

 それは自分が人間だからだ。
 見た目は変わっても、中身はどうしようもなく人間で、だから放っておけなかった。
 それを、シェートに押し付けてしまった。
 本当は自分がどうにかするべきことなのに。

「くそぉっ!」

 何でも聞こえるようになっても、さまざまな感覚を知覚出来るようになっても、結局今の自分は弱い仔竜に過ぎない。
 火も吐けず、魔法も使えず、空すら飛べない、役立たずの生き物。

「ちくしょう……ちくしょうっ……」

 手綱を握り締めながら、仔竜はただうめき続けるしかなかった。


 切通しに近づくごとに、シェートの鼻が血の臭いを鋭敏に感じ始めた。
 同時に、汗染みと腐った動物の死骸を半日掛けて煮出したような悪臭も伝わってくる。
 歩調を緩め、腰を低く保ち、ゆっくりと弓を引き抜き、矢を番える。
 そうしながらも、シェートは心の痛みに顔が歪むのを止められなかった。

『お前は、自分のこと、どう思ってるんだよ!』
 
 フィーの言葉が胸を刺してくる。
 あの場で、自分はずっと分っていた。音を聞きなれていないフィーには分からない、事態の切迫を。
 三台の馬車に付いた護衛は四人、しかも狭い切通しで前後に分断され、敵に対処するのは常に二人組だ。
 しかも、オーガが魔物の集団に混じり、その圧倒的な力と分厚い筋肉の鎧で、護衛たちを抑えてしまった。
 劣勢などではない、初めから決まっていた死だ。
 どういうつもりか知らないが、護衛の数が少なすぎる。
 荷馬車に乗っている声も聞こえたが、悲鳴ばかりでどう考えても戦う者では無いと分かる。
 今から自分が行ったところで、それは覆らない。
 慎重に節約して使わなければならない矢を、戦う必要の無い相手に使う意味などない。

「違う……」

 騒乱の音源に近づくごとに、心が乱れていく。
 あの喧騒を聞きつけたとき、真っ先に思い浮かべたもの。
 焼かれて朽ちたコボルトの集落。
 そして、同じように焼かれた人間の村。

「く…………」

 あの時、村に転がっていた無数の死体。人間もコボルトも、区別無く打ち捨てられていたその光景。
 フィーと暮した穏やかな日々に、埋もれていたはずの記憶が、"しゃしん"のように鮮やかに蘇る。
 助けたい、心のどこかで鈍く疼いた感情。
 だが、それを押さえつけたのは、もう一つの記憶。

『よるな! 化物!』

 逃げ疲れておびえた男が、震えながら切っ先を突きつける。
 自分がなんであるかを、思い知らせる一言。
 だからこそ自分は、コボルトのためだけに全ての勇者と魔王を狩ると決めたはずだ。

『魔物だからって決め付けられたから、魔物みたいに振舞うのか!?』

 それでも、フィーの声が突き刺さる。
 まっすぐに自分を見つめる顔には、真剣さがあった。目の前で死んでいくもの、弱いものに対する同情があった。
 その顔が、見ていられなかった。
 違う、見ていられなかったのは自分だ。
 恨みも憎しみも無いと、そう嘯いていた自分だ。
 わきあがった感情を、私怨で塗りつぶそうとした自分だ。
 何よりそれを、弟のように感じていたフィーに、見られるのが嫌だった。

「よーし! こいつらは捕虜にして奴隷にする! お前ら、そこらの荷馬車から縄もってこい!」

 明瞭な指示が、シェートの脳をゆすぶる。
 すでに戦闘は終わり、魔物たちが荷馬車に乗っていた連中を捕獲しに掛かろうとしている。

『カミサマが何言ったか知らないけど、お前は自分のことどう思ってるんだ!? ただの魔物なのか!? それとも勇者なのか!?』

 自分は何者なのか。
 シェートは、握り締めていた得物に視線を落とした。

「俺は」

 そのことを意識した途端、荒れていた感情が穏やかに凪いでいく。
 いや、凪ではない。
 それは己の意識を覆い、何もかもを閉じ込めていく、厚い氷。

「狩人だ」

 シェートは、弓を引き絞った。


 ケッシュの目の前で、ゴブリンの頭がはじけた。
 綱を握り締めたまま吹き飛ぶ姿が、やけにはっきり見えた。
 柔らかい果物がつぶれた時のように、中身をどろりとはみ出させながら、地面にだらしなく転がる。

「て……敵襲っ! 右の崖の上!」

 腰に差した得物を引き抜き、すばやく荷馬車に隠れる。
 遅れてゴブリンたちが自分の真似をし、逃げ遅れた二匹が悲鳴を上げて倒れ伏す。

「だれだぁっ! こいつらの仲間かあっ!」

 棍棒をかざして顔を守りながら、ガイデが叫ぶ。だが、切通しの上の襲撃者は姿さえ見せない。

「……ガイデ、上にいる奴が見えるか?」
「わからねぇっ! だが、まだこそこそ隠れて俺達を伺ってるぞ!」

 さっきの襲撃で、十五匹いたゴブリンは三匹がやられている。
 そして、見えない狙撃手のおかげで更に三匹。手勢は自分を入れれば十一だ。

「……気はすすまねぇが……」

 ケッシュは二本の指をくわえ、甲高く指笛を吹き鳴らす。
 合図に気が付いたインプが、これで周囲の茂みを捜索するはず。
 貴重な斥候役を危険に晒すことになるが、敵を探り出さなければ隊全体が危ない。

「ケッシュ! ここだケッシュ、ここに一匹――ぎゃっ!?」

 一つの茂みから銀色の輝きが天に向かって飛ぶ。あわてて避けたインプの体を掠めたそれを見て、ホブゴブリンは声を上げた。

「全員! あの茂みに突っ込め!」

 こちらの数が相手より勝れば的を絞りにくくなる、そう踏んでの突撃命令。
 身軽なゴブリンたちが一斉に緩い崖に取り付き、するすると登っていく。
 上から二発の射ち下ろしの一撃が飛び、一匹が地面に叩き落とされた。

「畜生っ! 俺もっ、くそおおおっ!」
「道を潰す気かバカヤロウっ! お前は下に残ってインプと人間を見張れ!」

 自分の重さに悔しがるオーガを尻目に、ケッシュも崖を駆け上がった。
 ゴブリンどもは弱くは無いが、状況判断が下手だ。
 絶えず声を掛け、状況にあわせて指示を出さないと、あっという間に統制の無い烏合の衆になる。

「ナラー、スダ、カンガは右から! エモリ、チャー、センギは左!
 ムーエ、ベルケ、お前らは馬車に戻れ! ガイデだけじゃ人間を食い殺しかねん!」

 マントをはためかせながら、雑木林を疾走していく背中は小さい。
 まるで人間の子供のようだが、足取りは力強く迷いが無かった。

「……まさか、そんな……」

 風に乗って漂う相手の体臭に、ホブゴブリンの厳つい顔にしわが寄る。
 なめされた皮のマントは不思議な材質で、荒い仕立てだが決して粗末じゃない。地面に転がった矢には金属の鏃が付いていた。
 自分の知っている"それ"とは何もかもが違う、だから、コイツで間違いは無いだろう。

「旦那には、見つけたら監視だけしろって言われたけどな……こうなったら仕方がねぇ」

 逃走を諦めたのか、歩調を緩めたそいつがこちらに向き直る。
 犬のような顔をした小さな魔物は、黙ってこちらをにらみつけてきた。
「全員、コイツを囲め! 今からこのコボルトを生け捕りにするぞ!」



[36707] 6、狩り込める
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/06 10:11
 群れの統率者らしいホブゴブリンの言葉に、シェートは眉根を寄せた。
 殺すのではなく生け捕る、普通ならコボルトが逆らっていると言う時点で、感情に任せて殺しに掛かるだろう。
 いや、そんなことはどうでもいい、今は狩ることだけを考えろ。
 相手の装備は剣に皮鎧、内数匹が手槍と丸盾を使っている。飛び道具は無く、魔法を使いそうなそぶりを見せるものも居ない。
 この連中の統率者がホブゴブリンであるとも分っている。
 あれを落としてしまえば、蜘蛛の子を散らすように、残りは逃げ出すはずだ。
 だが、そんな気配を見せれば、たちまち周囲のゴブリンが動き出すに決まっている。
 一応、こっちを囲むように動きはとっているが、立ち木が邪魔をするせいで整然と動くことは出来てない。
 こっちの弓を警戒してか、立ち木に半身を隠しながら近づいてくる。
 逃げながら弓を使えば、危険を冒さずに戦うことはできるだろう。その代わり命中率が下がって、無駄に矢を消費してしまう。
 相手は七匹、こちらは一匹。接近すれば押し包まれて殺される。
 無駄な消耗を避け、剣の攻撃範囲に入らずに戦う方法は?
 シェートは弓をしまい、一気に"それ"を引き抜いた。
 ざらりと金属が不快な音を立て、長い物が地面に垂らされる。

「む、鞭!?」

 驚いた声を上げたホブゴブリンに目もくれず、シェートは背後から距離を詰めつつあった一匹にそれを思い切りたたきつけた。

「ひぎあああっ!?」

 浅い、だがしっかりと肩の肉をむしりとった一撃。
 手にした【荊】の手ごたえを確かめ、シェートは傷ついた相手めがけて走り出す。

「おおおおおおおおっ!」

 駆け出した体を一気に制動、踏ん張った勢いを【荊】に伝えて解き放った。

「うぎゃあああああああああっ!」

 先端に括られた鏃のような分銅がゴブリンの鼻っ柱を叩き潰し、かえしの部分が引き戻した勢いで相手を地面に引きずり倒した。

「な、なんだあのぶき!?」
「むちか!? でも、すごいぎざぎざついてる!」

 驚く連中を尻目に一気に駆け抜ける。あわてて追いすがって来た相手に、振り向きざまの一閃を見舞う。

「いぎゃあああああっ!」

 強くしなり、こちらの掛けた力に敏感に反応する【荊】は、加護を掛けていない状態でも、容易に相手の皮鎧の一部と肉をむしり取った。
 解体したワイバーンの足と翼の腱を束ね、ミスリル片を組み込んだ改良版の【荊】は、
 素材となった魔獣の貪欲さを宿したかのように、敵に喰らいついていく。

「ちっ――ゼス・カーナ・ロス・アン・ズァル――"硬くなれ"!」

 ホブゴブリンが歌うように呪を唱え、皮鎧を一撫でする。白い輝きが表面に宿り、何かの強化が掛かったと分かった。

「お前らもやっとけ! こいつ、中々やるぞ!」

 リーダーに習い、ゴブリンたちが自分の鎧に呪を掛けていく。
 魔物の中には"まじない"を使えるものがいるのは知っていたいた。
 魔法ほど強力ではないが、簡単で素養のあるものなら誰でも使うことが出来るため、下っ端の魔物が好んで使うという。
 強化のために乱れた隊列をホブゴブリンがすばやく当て直し、囲い込むようにこっちに走り寄ってくる。
 驚くほどに統制が取れた部隊。以前、自分が捕まった烏合の集とは、まるで練度が違っている。
 それでも、馬車を襲った手勢のほとんどはこっちにおびき寄せられた。
 オーガはあの崖を上れないし、雑木林の森を自在に飛行できるほど、インプは飛行が得意ではない。
 走っていく先、自分の背丈の二倍ほどの高さにある枝に目をつけ、シェートは勢いよく【荊】を振った。

「うおおおおおおっ!」
「なにっ!?」
「とんだあっ!?」

 体をぐっと引き付け、【荊】につかまって一気に地面を蹴る。
 あっという間にシェートの軽い体が宙を舞い、枝に巻きつくようにして梢に飛び乗った。

「なんだ!? あの動きはっ!」

 百人の勇者と戦った時に身に着けた、枝と【荊】を利用した移動法。
 走るよりも早く、うまく行けばこうして木の上に逃げることも出来る。
 そして、これで"距離"は稼げた。

「しまった!? お前ら上に注意しろ!」

 木の枝を飛び移りながら、シェートは再び弓を引き抜いた。
 自分を見失っているゴブリンの首筋がくっきりと目に映り、番えたミスリルの鏃に、防御、攻撃、破術の力を宿す。

「しっ!」
「ごぱうっ」

 貧弱なまじないが破術で引き裂かれ、鋼より堅いミスリルの鏃が、攻撃の焦熱と共にゴブリンの胸板を易々と貫き通した。

「あ、あの木の上だ! 盾持ってる奴は木を背にして構えろ! 持ってない奴は射線に入らないように木の裏へ!」

 焦ったホブゴブリンの指示を背に受け、別の枝に飛び移る。同時に、拾っておいた小ぶりの石を、渡れそうな枝に思い切り投げつけた。

「っ!? 騙されるな! あいつはまだあそこの枝に」

 油断無く盾を構えるホブゴブリンの声に、それでも視線をずらしてしまったゴブリンの脳天を必殺の一矢が貫く。
 引き倒されたゴブリンがよろめきながら起き上がり、頚椎にとどめの一撃を見舞う。
 これで残るは四匹。

「くそっ!? こ、ここは一旦引くぞ! ガイデたちと合流するっ!」

 こちらの矢を警戒しながらホブゴブリンたちがじりじりと下がり、一気に駆け出した。

「お前ら後ろに気をつけろ! 相手が木の上にいることを忘れるな! 一直線に走らず、木の幹で射線をさえぎるんだ!」

 分ってる、こんな風に狙われたら、自分だってそうする。
 でも、お前達、気付いているのか?
 そんな風に振り返りながら走っていたら、まっしぐらに追っている俺を引き離せないことに。

「ち、ちくしょうっ! あいつっ、いったいなんがおっ!?」

 悲鳴と断末魔と脳漿(のうしょう)を撒き散らして、ゴブリンがまた一匹血袋と化す。

「喋ってる暇があったら崖まで走れ! いちいち後ろなんて見るな!」

 林の中を逃げていくゴブリンたちの背中が、なぜかウサギに見えていく。
 ウサギを狩るコツは、獲物に逃げる以外のことを考えさせないことだ。
 そして、動きの先を予測して、撃つ。

「で、でもたいしょうっ! あいつっ、おれたちよりはや――ひいいっ!」

 進行方向に打ち込んだ一発でゴブリンがたたらを踏み、その上を飛び越えるようにして頭頂部に打ち下ろす。

「ごべっ」
「ナラーっ! ち、ちくしょうっ!」

 最後に残った一匹が、手にした槍を思い切り投げつけてくる。首を振って交わし、体勢を崩すことなく、ミスリルの矢を打ち込んだ。

「ごっ! お……おお……」
「スダッ!? く、くそぉっ」

 残るは一匹、群れの統率を取っていたホブゴブリンのみ。

「く、くそ……なんなんだ! お前は!」

 枝の下で立ち尽くす獲物の顔は、明らかに狼狽し、恐怖していた。
 それでも必死に今いる場所を確認しているのは、それなりの強さを持つからだろう。
 切通しの崖まで、あのホブゴブリンの歩幅なら三十歩と言ったところ。
 走り始めの溜めを考えれば、三十三歩分ぐらいの時間が掛かる。
 自分と相手の距離もほぼ同じ、矢の届く範囲のちょうどギリギリだ。撃って当たるかは五分五分だろう。
 だが、それじゃダメだ。
 それでは確実にしとめられない、構えを見られた瞬間にかわされる可能性もある。
 狩るためには、矢の一撃から逃げられない場所まで近づくことだ。
 その方法も、もう知っている。

「お前、どうして、俺捕まえる?」

 突然掛けられた言葉に、相手は明らかに動揺した。
 その隙に、足一歩分、距離を盗む。

「そんなこと聞いてどうする!? お前、俺達を殺す気だろう!」
「それ、お前、俺捕まえる言ったから。コボルト捕まる、奴隷される」

 こちらの言葉に何か勘違いでもしたのか、ホブゴブリンの腕から一瞬力が抜けた。
 その気の緩みに、また一歩、盗む。

「ど、奴隷なんてとんでもねぇ。俺は、お前を丁重に迎えるように言われてたんだよ」
「うそつき。なら、どうして俺、捕まえようとした」
「そ、そりゃおめえ、そっちが先に仕掛けてきたんだろうが! 仲間に向かって撃ちやがるとはどういう了見だ!」
「仲間? お前、俺、仲間言うか」

 そう言って、矢を外し、矢筒に戻す。
 その仕草だけで相手は目に見えて安堵を浮かべた。
 こちらが、また一歩、盗んだのも知らずに。

「そ、そうだよ! とにかく誤解を解いておきたいんだ! 頼むから、そんなところにいねぇで下に降りてくれ」
「わかった」

 頷きながら、シェートは体を狩りの姿勢へと導いた。
 馬手(めて)が矢筒に伸び、油断しているふりをしていたホブゴブリンが、大きく跳び退るべく足に力を入れる。

(三十一)

 不安定な枝の上、矢を番え弓を構え、相手の体が強くバネを利かせる。

(三十二)

 引き絞り、鏃が誰も居ない木の根方に照準を合わせ、そこに醜悪な顔が割り込む。
 その瞬間――

「三十三っ!」

 きっかり三歩、削り込んだ距離の分、無防備な体を晒したホブゴブリンの顔は、焦熱と弓の威力によって粉々に砕け散った。


「な、なんだありゃああっ!?」

 退屈そうにしていたゴブリンの一匹が、腹の底からの絶叫を上げる。崖を転がり落ちてきたそれを見て、ガイデの体が震えた。

「ケッシュ!? おい! おまえ……っ」

 変わり果てた相棒の顔は、ハンマーにでも殴られたように砕けて潰れていた。
 しかも、肉から焦げた臭いが立ち上り、完全に息絶えているのが分かる。

「う…………うォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 腹の底からこみ上げる吼え声が、その辺りにいたチビどもを一人残らず叩きのめす。
 ゴブリンも人間も、皆ションベンを漏らし、尻からきつい臭いを放ち出した。
 普段なら、相手のそういう怖気づいた臭いで気持ちが昂ぶり、激しい興奮を感じるものだが、今はそれ以上に怒りが勝っている。

「誰だぁああああっ! この俺のダチをぶっ殺したやつぁああああああああっ!」

 チビの癖に気が強く、何かと俺とつるむことが多かったケッシュ。
 兄達を失い、怒りで張り裂けそうになっていた自分を、宥めてくれた唯一無二の友。

「出てきやがれ、今すぐここに! ばらばらに引き裂いてケッシュの前に供えてやる!」

 オーガに涙は無い、悲しみも無い、あるのは怒りと騒音と、敵を打ち破った後の大笑いだけだ。

「お前、うるさいな。鳥、すごい逃げた」

 やけに小さい声が崖の上から届く。
 ひらひらした皮をつけて、こっちを見下ろしてくるのは、一匹のコボルト。

「ま…………まさか、お前が、ケッシュを……」
「そいつだけ違う。森の中、生きてる奴、居ない」

 コボルトの声に一瞬怒りが引っ込む。
 一体何の冗談だ、こんなチビスケに、指で弾かれれば泣き叫んで逃げ惑うはずの犬っころに、ケッシュだけでなく全員がやられた?

「よ、よくもうちのたいしょうを!」
「しねっ、いぬころっ!」

 止めるまもなく崖を駆け上がろうとしたゴブリンたちが、

「あぎいいっ!?」
「ぎゃあああっ!」

 コボルトが振った鞭で叩き落されていく。
 落ちどころの悪かった一匹が首の骨を折り、もう一匹は両目を押さえてのた打ち回るところへ、とどめの一撃を受けて絶命した。

「これで、残ってるお前、それと、あれだけ」

 コボルトの視線を受けたインプが、軋るような声を上げて逃げ去る。
 番えた矢で狙いを付けたコボルトは、諦めたように照準をこちらに合わせた。

「これで、お前、一匹」
「は……はあああああああっ!? なにが俺一匹だぁああああああっ!?」

 頭に血が昇り、一気に崖に走りよる。脆そうな足場など関係あるものか、崩れる前に駆け上がってしまえば、

「うぐううっ!」

 肩で何かが激しく爆ぜる。痛みなど気にはならないが、そこに刺さったものを見て、さすがにガイデも驚いた。

「矢、だと?」
「昇って来い。その前、俺、これ撃つ」

 どう見てもこちらの筋肉を貫けそうも無い、貧相な短弓。
 コボルトの引き絞ったその先に、まぶしいほどの白い光が宿る。

「ちっ! なにかの"まじない"か! それならっ!」

 ガイデは大きく棍棒を振りかぶり、一気に崖に叩きつけた。

「うわあああっ!」

 岩壁の一部が崩れ、コボルトがあわてて姿を隠す。
 馬がいななき、馬車が砕け散り、生き残っていた人間どもが悲鳴を上げて逃げ惑う。
 その喧騒に目もくれず、手ごろな岩を抱え上げた。

「これなら、どうだぁああああっ!」

 ガイデの腰ほどもある大岩が宙を舞い、雑木林に投げ込まれた。

「くそっ!」
「がはははははは! このクソチビが! こんな矢一本打ち込んだところで、俺を殺せると思うなぁっ!」

 刺さった矢を引き抜き、手の中で粉々に砕け散らす。
 どうせあいつは、俺の目の前に降りてこれない臆病者だ。
 こうして崖をぶったたき、岩を砕いて弾さえ作れば、矢にだって十分対抗できる。

「待ってろよケッシュ、お前の墓にコボルトの胆をくれてやる!」

 その時、怒りで鈍ったガイデの脳裏に、ケッシュの言葉が蘇る。

『魔王様じきじきのご命令なんだよ!』

 確かコボルトを探して連れてくる、そう言っていた。
 だが、そんなことはどうでもいい。あいつは俺の友達を殺したクソだ。

「必ず、ぶ……ぶっ殺、して……」

 どうしたんだろう、ものすごく体が熱い。
 今まで意識もしていなかった肩が、なぜかずくずくと脈打っている。

「ち、ちくしょう……いったい、なに、が……」

 がくり、と片膝が地面に落ちる。視界がぼやけ、崖を飛び降りてくるコボルトがやけに遠く感じた。

「まさ、か、毒……?」

 ありえない、オーガに並みの毒など効くはずが無い。
 コボルトの使う草の実や根っこの毒など、受けたところで多少動きが鈍るだけのはず。
 信じられない思いで、ガイデは肩口を見た。

「う……あ?」

 赤黒かったはずの自分の皮膚が、汚らしい暗紫色に変化している。
 傷口がぐずぐずに溶け出し、おびただしい血が流れ出していた。

「おまえ……これ……なに……を」
「それ、ワイバーンの毒」

 虚ろになりかけた頭の中に、言葉だけが響き渡る。
 ワイバーンの毒? なぜこいつがそんなものを? 
 捕らえるのも難しく、うかつな者が扱えば、たちまち肉を溶かす毒だというのに。

「使う相手、大きいのだけ、言われてた。効き過ぎるから」
「な……なんだ、おまえ」

 肩がもげ落ちそうに痛む、毒の回った全身が炎になったように燃え上がっている。
 そんな自分を、コボルトは冷たい視線で眺め続ける。

「そうか……ワイバーンの毒、そういう風、なるか」
「……ひ……っ……」

 油断無く弓を構えながら、こいつはもう俺を見ていない。
 腐りかけた傷口を見つめ、自分の使った毒の効果を検分しているに過ぎない。
 まるで、凶暴な獣を狩り終えた者のような冷静さで。

「お、おまえは、いったい……なんなんだぁ!?」

 それでも必死に、ガイデは棍棒を振り上げた。
 こんな奴に、絶対に負けるわけには行かない。こんな弱虫のコボルトなんかに。
 そのコボルトが突然マントを振りかざし――

「ガハアアッ」

 予期しない横殴りの灼熱が、完全にガイデの意識を刈り取った。


「なにっ!?」

 突然オーガの顔が吹き飛び、加護を重ねたマントが空を切る。
 辺りに漂う焦げ臭い煙に顔をしかめ、魔法が飛来した方向をにらんだ。
 武装した集団を背後に控えさせこちらを見る少年がいる。
 長い木の杖を持ち、マントと皮鎧で身を包んだ平板な顔立ちは、シェートにとってなじみのあるものだった。

「……お前! "知見者"の勇者か!」

 声を掛けながら、すばやく周囲を見回す。
 切通しはオーガが粉砕した岩が転がり、馬車の残骸もあってかなり動きは制限される。
 しかし、勇者もそれは同じこと。一旦瓦礫を乗り越えれば、相手も簡単には追ってこられないはずだ。

「俺、ここいる、どうやって知った!」

 とにかく今は時間を、少しずつ下がりながら、シェートは相手の隙を伺おうとした。

「ちょ……ちょっと待って!」
「……なに?」

 いきなり勇者は杖を地面に置くと、害意が無いことを示すように諸手を上げた。

「何のつもりだ!」
「いや、その、君と戦うつもりは無いんだ! 武器を収めてよ!」
「そうか」

 思い切り弓を引き絞り、相手の喉元にあわせる。三つの加護を重ね、相手の一挙手一投足を、射る様に観察していく。

「や、やめてよ! 本当に何もする気は無いんだってば!」
「ああ。そうだな」

 着けている手袋には高価な宝石と呪紋が施してある。
 履いているブーツにも何か呪文が掛けてあるだろう。皮鎧にも、何かの守りがあると見て間違いない。
 一撃では仕留められないだろう。毒は厳重に封じて小分けにしてあるから、使うのに時間が掛かる。
 反撃を許すわけにはいかないが、殺気立った後ろの取り巻きも厄介だ。

「僕は君の経験値も、サリアさんの領地も欲しくないんだ! 信じてよ!」
「お前、そう言う。でも、お前の神、"知見者"同じ考えか?」
「何言ってるの!? 僕の神様は」
『シェートっ!』

 悲鳴に近い天からの声が、耳朶を打った。

『早く矢を収めろ! その勇者は違うのだ!』
「で、でも、こいつ、"知見者"とかいう」
『大馬鹿者! 彼は"知見者"殿の勇者ではない!』
「…………へ?」

 サリアはため息交じりで、シェートに説明した。

『彼の名は三枝圭太(さえぐさけいた)。"病葉(わくらば)を摘む指"、カニラ・ファラーダの勇者だ』

 呆然と弓を下ろしたシェートに、少年が近づいてくる。
 その、どこか頼りなさそうな顔に笑みを浮かべると、勇者は口を開いた。

「始めまして、シェート君。三枝圭太です」



[36707] 8、村の勇者
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/07 10:04
 水鏡の向こうを急ぎ足で進む一団を、カニラはやきもきした気持ちで見つめた。
 先頭を行くローブ姿の少年は、農具や斧で武装した村人を率いているために、どうしても足が遅くなってしまう。

『カニラ、そこから何か見える?』

 圭太の声もどこか焦りがちなのは、山に入った猟師の報告のせいだ。
 ゴブリンだけならまだしも、オーガの足跡まで見たとなっては、隊商が無事で済むわけが無い。

「ごめんなさい、もう少し圭太さんが移動してくれれば分かるんだけど……」

 水鏡の索敵範囲は、勇者を中心にして一キロ程度が限界だ。
 神の目は勇者に当てられる無償の加護の一つだが、世界の全てを見通せるほどではない。

『すみません! みなさん、もっと急いでください!』

 心持ち集団の移動速度が上がり、水鏡の光景が切通しに差し掛かっていく。
 最近、この辺りの街道を整備し、定期的にリンドルからの見回りが出ているせいもあって、魔物の被害は激減していた。
 そのせいだろうか、一部の隊商は経費削減のために護衛の数を少なく見積もることも増えているらしい。
 今回は荷物だけでなく難民の移送もかねた便、何かあっては困る。

「……ちょっと待って圭太さん! 何かがおかしいわ!」
『みんな! ストップ!』

 ようやく視界の端に入った光景に、カニラは全員の制止を指示した。
 切通しの途中、崖ががめちゃめちゃに崩れ、激しい戦いが起こったことが見て取れる。
 その中心に巨大なオーガが立っていた。だが、様子がおかしい。

「そこから二百メートルのところにオーガが一匹、それ以外は……皆死んでるわ。荷車の陰に生きてる人が見えるけど……」
『それだけなら、何とかなるかな。今から僕が行って』

 言い差した圭太の声はカニラの耳には入らなかった。
 崩れかけた崖の上から、何かが降りてくる。マントを身につけた小柄な姿、犬のような風貌は険しい表情を浮かべていた。

『どうしたの? カニラ』
「圭太さん、すぐに行ってオーガを倒して! その代わり、近くに居るコボルトには一切攻撃を仕掛けないように!」
『コボルトって……もしかして、それ!』
「後はお願い、私は出てくるわ」

 簡単に指示を与えるとそのまま神座を出る。

「まさか」

 広間に神々が驚いたような顔でこちらを見るが、そんなものに頓着している場合ではない。

「どうして、こんな」

 何かのきっかけで、出会うことになるかも知れないとは考えていた。それでも、こちらが身を潜めている限り、可能性は限りなく低いとも。

「案内(あない)を請います!」

 南面の扉に向き合い、声を張り上げる。

「"病葉を摘む指"たるカニラ・ファラーダの名において、"平和の女神"、サリアーシェ・レッサ・スーイーラにお目通りを!」
「申し訳ありませんが、彼の神は神座にはおられません」

 ドライアドからの返事に、カニラは周囲を見回した。
 周囲の神々の目は、珍しいものでも見かけたような表情をしている。その群れを縫うようにして、一柱の神が進み出た。

「おや、女神カニラ……これはお珍しい」
「……あ、ど、どうも……」

 気安い感じで語りかけてくるエルフの神の視線を避けるように、顔をうつむける。

「そういえば、貴方も遊戯に参加されておられたはずですが……その、まだ居られたとは……実に、意外ですな」
「え……ええ」

 軽薄さが売りの彼も、今まで姿を見せなかった自分に言葉をにごらせる。
 例の一件でモラニアへ勇者を送っていた神々はみな、黒石の像と成り果てた。
 ほぼ全ての参加者が蹴落とされたあの惨状の中、自分のように目立たないものが一緒に敗退したと考えられても不思議はない。

「その様子では、サリアーシェ様を尋ねられたようですな?」
「あ……はい。その、貴殿は、なにかご存知では?」
「おそらく竜神殿のところでしょう。このところ、入り浸っておいでですから」
「そ……そうなのですか!? ありがとうございます!」

 頭を下げると、挨拶もそこそこに西の扉へと向かう。無礼は承知だが、今は優先するべきことがある。

「案内を! "病葉を摘む指"、カニラ・ファラーダの名において」
『え? カ、カニラ様!? どうして我が主に?』

 うろたえる小竜にも構わず、カニラは叫ぶように声を上げた。

「サリア、サリアがここに来ているのでしょう!? どうかお目通りを!」
『あ……主様! なんだかカニラ様がおいでになってます! サリア様に御用があるとかで……』

 扉が開き、岩屋への道が開かれる。その向こうに驚いたような顔で自分を見つめる二つの顔があった。

「カ……カニラ!? お前……本当にカニラなのか!?」
「久しぶりね、サリア」

 うろたえ顔の旧友に向けて、カニラは精一杯の笑顔を浮かべた。


「まずはお礼を言わせてよ。隊商の人たちを助けてくれて、ありがとう」

 そう言って、勇者は頭を下げた。

「え…………あ?」
「山に入った猟師の人が、魔物の通った後を見つけて報告してくれたんだけど、手遅れになるかもって思ってたんだ。
 あの人たちが助かったのは、君のおかげだよ」
「あ……ああ」

 なんだろう、こいつは。
 シェートはまじまじと、目の前の少年を見つめた。

「えっと、僕の言ってること、分からなかった?」
「……いや、分かる」
「おい勇者さま! こっちにけが人だ! ちょっと頼むよ!」
「はい! 今行きます! じゃあ、悪いけど少し待っててもらえるかな?」

 答えも聞かず、瓦礫から引き出された人間に駆け寄っていく背中を、シェートは呆然と見送るしかなかった。

『どうした?』
「いや……その……」

 なんと言っていいのか分からない、一体さっき、自分は何を言われたんだろう。
 救助にやってきたらしい人間たちが、敵意と懐疑に満ちた目でこちらをにらむが、そちらの方がまだ理解できる。
 でも、あの勇者の視線は、全く違っていた。

『驚いたのか? 彼に礼を言われて』
「…………ああ」
『彼に加護を授けているのは、私の旧知だ。その彼女が直々に宣言してくれた。
 そなたと敵対しないことをな。無論、彼も合意の上だ』
「なんだ、それ」

 そう言うのがようやっとだった。
 自分と敵対しない、それは一体どういう意味なんだろう。

「シェートぉっ!」

 崩れかけた崖などものともせず、軽やかな足取りでグートが駆け下り、その背中から転がり落ちるようにフィーが駆け寄ってきた。

「大丈夫だったか!? ケガは!?」
「ああ、心配ない。大体俺、ケガすぐ治る」
「…………シェートっ……その……俺っ」

 縋りつくような、後悔が一杯に溢れた瞳。青い仔竜の声に、シェートは笑顔で頷いた。

「俺、サリアの手下。ときどき、こういうことする、悪くない」
「シェート……」
「あいつら、死ぬ、見捨てなかった。フィー、お前、優しい奴」

 その頭にそっと手を載せ、髪をかき混ぜるようにして撫でてやる。嫌がるでもなく、仔竜はうつむいて、されるがままになっていた。

「……そ、そうだ! 一応、拾っといたぞ! 使った矢!」

 こちらの手から逃れるように、フィーは鞍袋に差し込んであった矢を取り出す。血の始末もしてあるし、矢軸のゆがみも見えない。

「よくやった。これから、こういうことある。その時、頼むな」
「食い込んだまま抜けなかったのがあったから、何本か置いてきたけど……」
「いい。鏃、まだある、後で作ろう。……グート!」

 座り込んでいた星狼が腰を浮かし、鞍に飛び乗る。

「行くぞ、乗れ、フィー」
「あ……うん」
『いや、待てシェート、まだ行くな』

 サリアが声を掛けるのと同時に、救護を終えたらしい勇者がこちらに走ってくる。

「ちょっと待ってよ! どこに行くつもり!?」
「魔物、全部死んだ。俺、もう行く」
「まだお礼も済んでないんだよ!? もう少し」
「俺、礼言われるため、やった違う」

 勇者への言葉が心持ち、きつくなってしまう。その言葉に勇者の付き人も、助け出された連中も視線を鋭くした。

「俺、あいつら狩った。経験値欲しいから。用済んだ。俺、もう行く」
『……シェートよ』

 大気が悲しみに潤い、サリアの思いが匂う。
 分っている、こんな風に反応している自分が、どうしようも無くみっともないことも。

『お前の気持ちも分かる。だが、彼がお前に感謝しているのは、おそらく本当だ』
「……それ、あいつの勝手。俺、関係ない」
『あの……少し、よろしいでしょうか』

 耳慣れない声が届き、シェートは顔を上げた。

「お前、誰だ」
『カニラ・ファラーダ。圭太さんと一緒に遊戯に参加している女神です。シェートさん……私の話を聞いていただけますか?』

 やけに腰の低い、サリアや竜神とも違う雰囲気に、不承ながらも頷く。

『貴方のお話は伺っています。お仲間や家族を殺されたことも、次々に勇者に襲われ、大変な目に会われたことも……』
「それがどうした。お前ら、やってる遊び、そういう決まり。俺、もう気にしない」
『……そうですね。今更、私達が何を言ったところで、貴方にとってはお笑い種にもならないでしょう。でも……』

 精一杯の謝意を込めるように、カニラという女神は言葉を継いだ。

『貴方は私たちの仲間を、死に掛けた人々を救ってくださいました。
 そのことだけは、疑いようも無い事実です。だから……ありがとうございます』
「……う……うん」

 カニラの言葉に、シェートは強い疲労感を覚えていた。
 敵として見ていた者からの、全く予想外の言葉に。

「どうした? シェート?」

 おそらくカニラの言葉も聞いていたであろうフィーは、不思議そうな顔でこちらを見つめていた。
 きっとこの仔竜なら、女神の言葉を額面通りに受け入れるだろう。
 フィーへのうらやましさと、自分への嫌悪がかすかに心に渦巻く。

「やっぱり、無茶しすぎたんじゃないか? 自動回復ったって、疲れを先送りしてるようなもんだし」
「いや……だいじょぶだ」
『戸惑う気持ちも分かる。だが、彼は今まで見てきた勇者とは違うんだ。
 カニラもまた、他の神々と違った思惑で、この遊戯に参加していると聞いた』

 サリアの言葉に促されるように、シェートは側に立っている少年を見た。
 グートの背に乗っているおかげで目線はちょうど合っている。
 黒い瞳に黒い髪、色の薄い平板な顔立ちと鼻の頭には、うっすらとそばかす。
 こちらの気持ちをとりなすように、顔は緩められている。
 本当に子供だ、今まで見てきた異世界の勇者と同じだ。
 それなのに、こいつは敵じゃないという。

「……こんな時になんだけど、なんだか感動するよ」
「いきなり、なんだ?」
「この世界だと、獣人って、魔物の側にしかいないみたいでさ。間近で見れるとは思ってなかったんだ」

 警戒心などまるで無く、勇者は笑顔を向けてくる。腰の山刀を抜き放って、こいつの喉を裂けば、一瞬の内に元の世界へ送り返せるだろう。

「わかった。もういい」

 苛立ちを隠しきれず、言い捨てた。
 こいつが何を考えているのかなど、どうでもいい。敵でないというなら無駄な労力を払わずに済むだけだ。

「お前ら、感謝する。勝手にしろ。俺、もう行く」
「今日寝るところはどうするの?」

 その声で、シェートは太陽が大分かげっていることに気が付いた。
 この調子だと野営地を探すだけであっという間に日が落ちるだろう。

「今から探す。時間ない。もう止めるな」
「それなら、僕の住んでる村に来てくれないかな」

 勇者の言葉に、シェートだけでなく周囲の人間が瞠目した。

「ちょ、ちょっと待ってくれケイタ! ほんとにそいつを村に入れる気か!?」
「そうでですよ。うちの村に来る人たちを救ってくれたんだから、そのぐらいはするべきだと思います」
「いくらなんでもそんなこと! コボルトなんて村に入れたら!」
「彼はただのコボルトじゃない! 僕と同じ神の勇者なんです!」

 くだらない言い争いがしばらく続き、シェートは黙ってそれを眺めていた。
 自分を村に入れるなどと言い出したら、こうなることは予想できただろうに、
 それとも異世界の勇者と言うのは、その程度のことも分からないんだろうか。

「フィー、今日、寝床探す、難しい思う。ごめんな」
「あー……別にいいよ。屋根無い生活も慣れたし」

 呆れたフィーの言葉にグートがあくびで続く。
 だが、議論は唐突に打ち切られた。

『皆さん、私の話を聞いてください』

 勇者の周りに詰め掛けていた人間たちが、ぎょっとしたように辺りを見回す。

『その方を村に入れてあげてください。彼の潔白と安全は、女神カニラ・ファラーダの名において保障します』

 どうやら、彼女の声は勇者に従うものには聞こえているらしい。
 それまで文句を言っていた連中も、勇者の言い分をしぶしぶ認めたらしかった。

「ごめんね。これでもう、村に入れるから」
「お前、立場悪くなる、違うか」
「そうかもしれないけど……」

 勇者は苦笑しつつ、肩をすくめた。

「君に興味があったから、このままさよならするの、もったいなくてさ」

 百人の勇者のときも思ったが、こいつらの考えていることは、本当に分からない。
 厄介ごとを引き受けて、神の名前まで出して、コボルトを村に入れるなんて。

「わかった。行ってやる」

 本人は親切のつもりなんだろうが、こっちにしてみればいい迷惑だ。
 その証拠に、勇者の住む村の人間も、荷馬車に乗っていた連中も、こちらを胡散臭そうな顔で見ている。

「それじゃ、行こうか。……皆さんも移動を開始してください! 細かい隊分けは……」

 列の先に立ち、てきぱきと指示を飛ばす勇者を横目に、シェートは囁いた。

「フィー、村行っても、油断するな。出られる準備、忘れるな」
「……ああ」

 仔竜を抱き寄せるようにして手綱を握ると、シェートは勇者の後を追った。


 酷く居心地の悪い思いをしつつ、フィーは黙って狼に揺られていた。
 すでに日の暮れた村が闇の中に沈んでいるが、避難民達のいるらしい大き目の家屋からは、かすかに騒ぎ笑う人々の声が聞こえてくる。

「今日は僕の家に泊まってもらうけど、いいかな?」

 一軒の家の前に立つと、圭太はそう言ってこちらを振り返った。
 不安に駆られながら、フィーはシェートを見上げた。コボルトは辺りを見回し、黙って頷く。
 この世界で建てられる、極一般的な木造の平屋建て。
 勇者が住む家としては、かなり安っぽい感じではあったが、本人は気にしていないようだった。

「その狼の、グート君だっけ? 彼も中でいいから」
「そうか。助かる」

 ここに来てから、シェートの声は緊張で強張っていた。
 村に入る門で一悶着があり、ここに来るまでの間、厳つい顔をした自警団の連中がずっとつきしたがっていたから無理も無い。

「"甘やかなる望月、蜜が季節に滴る光輝の欠片よ、夜闇の憂いを掃い散らせ"」

 詩歌が少年の口から紡がれ、部屋の中に暖かな光が灯る。
 明かりの魔法は天井に電灯のように輝き、木造の内装に柔らかな印象を与えた。

「あれ? 明かりの魔法って、"青く磨かれ"……とか何とかってんじゃなかったっけ?」
「"青く磨かれし、凍土を照らす銀円よ、夜の帳に照り映えよ"だね。そっちは強い光が出るんだけど、あんまり照明向きじゃないから」
「……そうなのか……」

 勇者として冒険していた頃は気にも留めなかったが、考えてみれば状況に応じて明かりの色が違っていた気もする。
 無意識に手がスマホに伸びて、蜜色の光を撮影した。

「なにそれ!? 何でそんなもの持ってるの!?」
「これ? こっちにくるとき、竜神のオッサンに貰ったんだ」
「え……ああ、そう」

 こちらが扱う文明の利器に驚いた圭太は、それでも気を取り直して自分達に席を勧めてくる。

「とにかく、ご飯が来るまでゆっくりしててよ」
「ああ……って、シェート!?」

 コボルトは狭い部屋を歩き回り、木戸が閉じられた窓に近づいて外を見、ドアの開きを確かめ、さらに奥へと続く扉を確認していく。

「い、いくらなんでも人んちを」
「いいんだよ。いくら僕が大丈夫って言ったって、ここは……敵地みたいなものだし」

 圭太の言葉にシェートは無遠慮なくらいの視線で見返し、テーブルに戻ってきた。

「すまん」
「いいよ。なんなら、この村から出る道も教えておこうか?」
「助かる。すぐ、教えろ」
「……シェート!」

 さすがにたまらなくなって、フィーはシェートの袖口を掴んだ。

「どうした」
「気持ちは分かるけど、ケンカ売りすぎだろ! ちょっとは落ち着けよ!」
「フィー、俺、油断するな、言ったぞ」
「分かってる! でもっ!」

 硬く険しい顔をしていたシェートは、ほっと息をついて、席に着いた。

「この家は村の大通りに面してる。出てから左手へ行ったら後は畑だよ。
 村の壁は全部木で出来てるけど、裏山は天然の崖でほとんど手は加えてない」
「……いいのか。そんなこと言って」
「無理を言って来てもらったのはこっちだからね。
 でも、村の門や防壁には防御用に魔法が掛けてあるから、いじらないでくれると嬉しいよ」
「お前、バカか」

 嫌そうに顔をしかめながら、シェートが絞り出すように声を出した。

「村の守り、大切。それ、教える、村、危険さらすぞ」
「でも、君なら、秘密を悪用しないよね?」

 ため息をつくと、コボルトはうんざりしたとでも言うように首を振り、黙りこくった。
 グートは戸口の側に座り、神経質に耳を震わせている。
 言葉を掛けそびれた少年は、曖昧な表情でシェートの真向かいに座っている。

(く、空気が……重いっ)

 昔から能天気だとか、空気が読めないとか、ずぼらだとか言われてきた自分だが、さすがにこの状況で世間話を切り出す勇気は無い。 
 シェートが勇者に対して抱いている感情は、嫌悪以外の何物でもない。
 それを平然とかき乱してくる圭太という少年は、頭がおかしいとしかいえないレベルだ。
 この様子を見ているはずの女神たちは、さっきから何も言わない。事情を察して黙っているか、あるいは地雷を踏むのを恐れたか。

(日和るんじゃねーよっ、駄女神どもっ!)

 どうにもならない状況の中、仔竜が身じろぎした、その時。
 突然、気の抜けるような着信音が空気を裂いた。

「なに!? 電話!? どこから着信してるの!?」
「フィー! それ鳴ってる!」
「え! あ、ちょ、も、もしもし!?」
『おお。繋がったな。というか、何をやっとるんだ、お前達は』

 呆れ顔が目に浮かぶような深いため息と共に、竜神は勝手にスピーカーモードに音声を切り替えてしまった。

『お初にお耳に掛かるな、カニラの勇者殿。儂はエルム・オゥド。竜神とかをやらせてもらっておる。
 あと、そこの仔竜の保護者っぽい感じ?』
「え? あ、ど、どうも」
「"とか"とか"ぽい"ってなんだよ! なんだよそのふわっとした自己紹介!」

 とても威厳の無い自己紹介に、思わず突っ込みを入れてしまう。
 こっちの反応に、竜神は拗ねたような声で愚痴り始めた。

『んー。なんか最近部下が冷たくてなー、いまいち上司として扱ってもらえないっていうかー。
 正直、竜神やってく自信がないので、いっそのこと辞めてしまおうかと』
「ちゃんと仕事してないからだろそれ! そもそも辞めてどうするんだよ!」
『秋葉原と神保町の狭間をたゆたう、自由な存在になりたい』
「おもいっきり遊び人じゃねーか! おかしなクラスチェンジ望んでんじゃねぇっ!」

 力いっぱい突っこんだところで、机に突っ伏し肩を震わせている圭太に気がついた。
 シェートも軽く頭を抑えて失笑し、いつの間にか寝そべっていたグートは大あくびをしていた。

「……頼むから、身内の恥をさらすのはやめてくれよ。小竜たち、すすり泣いてんぞ」
『しかし、場は和んだと見た、キリッ』
「口で言うな! あと、リアルでネットスラング使うな! キモい!」

 堪えきれなくなった圭太が爆笑し、ようやく固まった空気が和らいでいく。
 そのタイミングを見計らったように村人達がテーブルの上に料理を並べ、退出していった。

「……すまん。俺、悪かったな」

 険の取れた顔で、コボルトはそっと頭を下げる。納得はしていないだろうが、それでも気持ちは大分切り替わっているように見えた。

「僕の方こそごめんね。君にとって、勇者は敵だって事を、軽く見すぎてた」
「あ、あのさ、それ以上、あやまりっこすんの、なしにしようせ?」

 言えた義理ではないのを承知で、フィーは意思を振り絞った。

「せっかく屋根の下で、あったかい飯が食えるんだしさ。暗い顔つき合わせたってしょうがないだろ?」
『うちの仔竜の言うとおりだ。仲良くせよとは言わぬが、気を抜くところは抜いてよかろう。
 この村にいる間、役に立たん女神どもが、そなたらを守ってくれようからな』

 竜神の叱責に女神達が恐縮したところで、食事は笑いと共に始まった。
 焼きたてのパンや猟師が取ってきた猪のあぶり、山鳥のシチューやこの村の名産だというリンゴの酒が並ぶ。
 村にやってきた難民を歓待する料理のおすそ分けらしいが、それでも量も味も文句なしだった。

「そういえば、フィー君も勇者なの?」
「フィーでいいよ。俺は、オッサンに言われて……シェートの手伝いしてる」
『そういえばケイタよ、そなたはどうしてこの村におるのだ?』

 一応貴賓ということで上座に置いたスマホに問いかけられ、はにかみながら圭太は答えた。

「……僕はカニラにお願いされて、ここで"村の勇者"をすることにしたんです」
「"村の勇者"?」

 耳慣れない言葉にシェートが顔を上げる。空になったコボルトのカップにリンゴ酒を注ぎながら、少年は頷いた。

「世界を救うんじゃなく、この村の人たちを守ることを選んだ、って言えばいいのかな」
「そんなこと、できるか?」
「できるって言うか、それが僕が勇者になる条件、みたいなものだったから」
『ええ。圭太さんには、感謝しています』

 他の勇者と同じく、圭太はカニラの接触を受け、遊戯への参加を持ちかけられた。
 しかし、カニラ自身の思惑は、遊戯の勝利でも所領を増やすことでもなかった。

『私の目的は、遊戯の間、見捨てられ、蔑(ないがし)ろにされる人々の保護です』
「神の勇者、魔物倒す。蔑ろ、してるわけじゃない、違うか?」
『……彼らの欲しがっているのは、遊戯での勝利と、それに伴う名声です。
 ゼーファレス様やガルデキエ様のような武辺な方は、魔物を征伐すれば民を安んじられると思っておられます』
『ああ。そうだな。兄上達は、その後に残されたものを見ない。
 荒れ果てた畑や打ち壊された家屋、そして仲間を、家族を、愛する者を失って悲嘆にくれる民たちをな』

 苦いサリアに言葉に、一時部屋の中が暗く沈みこむ。
 同時にフィーは、自分のしてきた過去の重みが、ずっしりとのしかかるように感じていた。

『私は、そうした人達に、何かをしてあげたかったのです。遊戯の華々しい勝利の影で見過ごされていく人々のために』
『……そのためにわざわざ、遊戯に参加したのか?』
『もちろん、遊戯に参加して、少しでも神格の健在を知らせなければならないという理由もあるのよ。
 そうしなければ、廃れてしまうから』

 カニラの司るのは医薬と癒しだという。
 だが、他の似たような神格が強さを増せば、存在をかき消されてしまうことにもなりかねない。
 現在の天界で己を示すためには、信徒の数や権能よりも、遊戯に参加していることの方が重要、そう言って彼女は寂しそうに笑った。

「……カミサマも大変だな。その点、うちのオッサンは悪目立ちしてるみたいだし、心配なさそうだけど」
『誰が悪目立ちだ。儂だってやるときはやるのだぞ?』
「万年ニートみたいな生活してるくせに。ダベってないで仕事にもどれよ」
『しかし、カニラの思惑はともかく、ケイタはそれでよいのか?』

 その質問に、なぜか圭太は少し赤くなった。

「僕は、その……こういう話のほうが、好きなんで」
「こういう話?」
「いや、その……戦闘しないっていうか……本筋から離れるっていうか……ちまちまやるのがいいって言うか」
『ああ、なるほど。内政系というやつだな』

 一人で勝手に納得した竜神は、赤くなっている村の勇者を構いもせずに説明を始めた。

『ケイタたちの世界で読まれる異世界冒険譚は、武力で覇業や偉業を為す物と、その世界の文明が持ち得ない、
 知識や技術によって革新をもたらす物の二種類に大別される』
「知識や技術って……どうやるんだ?」
『メジャーなものは農政改革と産業技術革命だな。
 生産性に優れた作物や画期的農法を、貧困に喘ぐ村や国に施したり、
 産業の育たない地域に特産物や特殊な技術、例えば冶金や窯業、
 織機技術などを伝えて、経済問題を解決したりする』
『なるほど。通常の勇者達が武力によって地上の平和をもたらそうとするのに対し、
 民の生活を守り、その水準を上げることで安んじるのが、ケイタ殿の目的というわけですね』

 サリアの結びに、やっぱり顔を赤くしたままの圭太が頷く。

「何でそんなに恥ずかしがってんだよ」
「それは……その……」
『最近の異世界物は、内政系の主人公が流行りだしな? 
 大方、それを見ていたから、カニラの誘いにも二つ返事だった、と言ったところか』
「う……うう~……」
『竜神様! あ、あまり圭太さんを、いじめないであげてください!』

 カニラの言葉に竜神が笑う。そんな周囲の騒ぎを理解できなかったのか、
 空になったテーブルを前に、シェートはうつらうつらとしていた。

「やっぱ、分かんなかったか」
「……勇者、話すこと……むつかしい。俺、もう寝たい」
「それじゃ、悪いんだけど、そこにわら布団を持ってきてあるから……」
 そう言って、部屋の隅に積んであった布の山を圭太が指差す。
 わたの代わりにわらが入った寝具は、こっちでは割と良くある寝床だ。
 眠そうな顔で頷くと、シェートは旅装のまま、弓と武器だけを外して枕元に置き、床に伏して寝息を立て始めた。

『……では、我らも退散するとするか。何かあったら知らせよ。今日だけは掛け放題にしておいてやろう』
「いっそ無料通話にしてくれよ」

 笑いながら神々の気配が遠ざかり、辺りが静かになっていく。
 適当に食卓を片付けていく圭太を無言で手伝い、フィーはほっと一息ついた。

「なんか、どっと疲れる一日だったな」
「そういえば、フィーはどこで寝る?」
「え? ……あー、そうだなぁ」

 自分以上に疲れたであろうシェートは、寝床を完全に占拠していた。側で丸くなってもいいが、シェートはあまり寝相が良くない。

「それじゃ、隣で寝たら? 良かったら僕のベッド貸すよ」
「さすがにそれはいいよ。適当な布とか貸してくれたら、それ敷いて寝るわ」

 頷くと、圭太は隣の部屋にフィーを招いて大きな毛皮を渡してきた。

「うわ、でけぇな。これ猪か」
「僕がこの家に住むようになった時に、猟師の人から貰ったんだ」

 明かりの魔法を消し、部屋を暗くすると、圭太はベッドの上に腰掛ける。それに習うように、フィーも猪の毛皮に包まった。

「そういえば、フィーって僕らの世界のこと、色々知ってるんだね」
「え? あ、ああ。保護者があれだからな、自然と覚えちゃって」
「まさか、神様から自分のこと、内政系とか言われるとは思わなかったよ」

 よほど気にしてるのか、夜目の効く竜眼に圭太のほてりが感じられる。
 仔竜は、わずかに痛みを感じながら、口を開いた。

「お前は……すごいと思うよ」
「……そうかな……」
「だってさ、他の勇者が……殺すとか殺されるとか、そんなことばっかりやってる間に、この村で、役に立つ仕事をしてたんだろ?」

 そういえば、自分が"助けた"村は、あの後どうしたんだろうか。自分が死んだ後、リミリスの人たちはどう思っただろう。
 そして、仲間達は、今頃どうしているんだろうか。
 物思いに耽るフィーに、圭太は少し苦いものを含んだ声で言い差した。

「僕だって、下心が無いわけじゃないんだよ?」
「下心って?」
「一応、魔法も使えるし、戦うこともできるけどさ……正直、怖いんだ、そういうの」

 自嘲気味に呟くと圭太はベッドに横になり、毛皮をかぶった。

「だから、異世界で色々やってみたいとは思ってたけど、魔王を倒して世界を救う、なんてやりたくなかった。
 それに……内政系の主人公って、頭良くみえるから、さ」
「俺tueeの代わりに、頭いいのをアピールするってわけかぁ……へぇー?」

 意地悪に口を歪めてやると、それ以上の質問を遮るように、圭太は毛皮の中にもぐりこんでいってしまう。

「明日も早いから、もう寝るね。そっちはゆっくりしてていいから、おやすみ」
「うん。おやすみ」

 思いのほか早く、圭太は寝息を立てて眠ってしまった。寝たふりかもしれないが、あえて突っこむ必要も無いだろう。
 足音を忍ばせて部屋を出ると、あっという間に二匹が顔を上げてきた。

「ちょっと用足しだよ。何かあったら大声で叫ぶから、寝てろって」
「ん……すまん」

 思う以上にシェートがぐったりしているのは、飲みなれない酒のせいだけでなく、圭太の存在に当てられたからだろう。
 戦うことではなく、守ることを選択した勇者に。
 外に出ると、満天の星空と涼しい夜気が出迎えてくれた。角に感じる音には風のさやぎや小さな動物達の足音に混じって、勇者の小屋を警戒している夜番の吐息が聞こえる。
 小屋の裏手に回ると、一本のリンゴの木が立っていた。すでに花の季節は終わり、まだ熟していない青い実がぽつぽつと生りはじめている。
 その根方に座ると、通話を始めた。

『どうした、儂の声が恋しくなったか?』
「そんなわけあるかよ……って、いいたいところだけどさ、ちょっとな」
『ケイタのことか』

 ずばりと言い当てられ、ため息をつく。

「あんなやり方があるなんて、考えたことも無かったよ」
『仕方あるまい。そなたを呼んだゼーファレスにも、そんな発想を汲む頭は無かったからな。
 そのような提案をしたところで、絶対に聞き入れなかったであろうよ』
「そう……だよな」
『それにな。あのやり方とて、最良というわけではない』

 意外な一言に空を見上げると、竜神は少しためらいがちに言葉を継いだ。

『確かに、その時代や世界に無い、優れた技術や知識を知っている者がそれらを導入し、苦しむものを救うことはできよう。
 だが、それは本来、その世界の者が発展させるはずの"権利"を奪うことで成り立っているとも言える』
「権利を、奪う……?」
『確かに、技術というものには飛躍の一瞬がある。
 優れた天才により、それまでの技術を飛び越えるような、驚くべき革新がなされることによってな。
 だが、その革新も"その世界の天才"によってなされるべきではないか、とな』

 フィーは少し考え、頭を振った。

「苦しんでる人間を救えるなら、誰が考えてもいいんじゃないか?」
『では、その優れた技術や知識を持つ人間が、突然その世界から消えたらどうなる?』
「それは……残った奴らが、何とかやっていくんじゃないのか?」
『そうかもしれん。そうではないかもしれん』
「なんなんだよ……それ」

 それ以上答える気は無いらしく、竜神は喉の奥で笑いをかき混ぜるばかりになった。
 これも、自分で考えろということなんだろう。

「オッサンは、圭太が間違ってると思ってるのか?」
『そなたはどう思う?』
「質問を質問で返すなよ。俺はあんたの意見を聞いてるんだぜ」
『儂には、人の行為に是非を言える資格など無い』

 竜神の声が、夜気よりも冷たく、沈み込んだ。

『儂は、ただ"観る"だけだ。全ての傍観者、あらゆる事象の瞥見者に過ぎん。
 何かを生み出し、育てることもない。ゆえに、何かを為すもの、為そうとするものの是非など、言えるわけが無いのだ』
「カミサマなのにか?」
『カミサマだから、さ』

 カミサマ、という言葉に含まれた盛大な皮肉を、フィーは聞かなかったふりをした。
 その代わり体をさすり、冷えた肌を温める。

「ちょっと寒くなってきたなー、さすがにドラゴンの体でもきついか」
『風邪を引かぬよう、暖かくしてぐっすり眠れ。明日への憂いも感じぬほどにな』
「ありがと。オッサンも仕事がんばれよ」
『どうしてそなたらは、そうやって儂に仕事させたがるのだ……ちょっとぐらいお休みしても罰は当たらんと思』

 通話を切って愚痴を封じると、フィーは小屋に戻っていく。
 村の夜は、ただ静まり返っていた。



[36707] 9、新しき村
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/08 10:04
「しかし……お前までこの遊戯に参加しているとはな」

 水鏡の向こうの景色を一度閉じ、サリアは友人の女神を見やった。
 自分と同じような長い衣に身を包んだ、青い髪のカニラは、目を伏せて淡く微笑んだ。

「理由はさっきも言った通りよ……今の天界で、遊戯を行わない神に待っているのは、ただ座して廃れていく道だけ」
「責めているのではないんだ。ただ、意外であったというだけで。
 それに、他の神にも聞いたが、モラニアには"知見者"の勇者以外はいないという話だったのでな」
「あの討伐が行われた後は、ほとんど神座の中で暮していたし、そう思われても仕方なかったかもね」
 医薬の神格であるカニラは、その性質もあって何度も付き合いを重ねていた。
 こちらの星に彼女の神殿や廟が建ったこともある。
 しかし、サリアが廃神になったと同時に彼女も姿を消し、廃れたか消滅したかと思っていた。

「それにしても酷いではないか。息災なのであれば、一言あっても良かろうに」
「……私のような小さな神が、勇者の行動を直接サポートする必要があるのは分かっているでしょう? 
 シェートさんに付きっ切りで、ほとんど外に出てこなかったあなたも、私のことは言えないのではなくて?」

 肩を竦めるとサリアは酒盃を取り、カニラに手渡した。彼女は黙ってそれを口にし、自分もまた、それを干した。

「圭太殿は、良い勇者のようだな」
「ええ……私には過ぎた子よ」
「しかし、あのような行動を望む者が居ようとは、意外だったぞ」

 異世界での冒険や英雄となる道を選ぶのではなく、知に働いて名を成そうとするものなど、想像もしていなかった。
 とはいえ、遊戯に対して悪感情しか抱いていなかった自分に、
 そんなものを見せられて納得する気持ちなど、生まれようはずも無かったろうが。

「異世界の勇者と言っても、その存在は様々よ。みんながみんな闘争を好んだり、魔物を経験値としか見ない者ばかりではないわ」
「……耳に痛いな。伝え聞くところによれば、シディア殿の勇者も、心根の優しい少女であったとか」
「ええ。討伐前に村に寄ってくれて、少し話をしたわ。できれば、私の村に留まりたいと言ってくれたけど」

 ぽつりぽつりと交わされていく言葉と一緒に、降り積もっていく物がある。
 長く姿を見なかった友への親愛の情。

「しかし、世界を救うのではなく、人々の幸せを守るか。お前らしい」
「言わないで……私はただ……意気地が無いだけよ」
「いや、敗北すれば失うものも多かろう遊戯に、自らの危難を負って参加しているんだ。
 どれほどささやかに見えても、それを笑うことなどできないさ」

 言い差して、サリアはそっと目を閉じた。

「どうかした?」
「いや、怒りや憎しみは、本当に目を曇らせるものなのだなとな、お前を見て、つくづく思ったよ。
 お前のようなやり方は、私には想像することもできなかったのだしな」
「サリア……」

 自分がこうして大神などと呼ばれ、新たに自らの主張を始められたのは、
 過去に対する恨みを越えて、動き出すきっかけが与えられたからだ。
 シェートや竜神の存在、認めたくは無いが、イェスタのいざないが無ければ、自らの過去に溺れ、腐っていただけだったろう。

「ひとつ……聞かせて」
「どうした?」
「貴方はまだ、貴方の世界を貶めた神を弑(しい)することを、願っているの?」

 こちらの物思いを誤解したか、ためらいがちにカニラが問う。
 その視線に浮かぶのは、不安と悲しみ。

「私に、貴方の怨讐を止める権利は無い。でも、大神と成った貴方が、思いのままに動けば、きっと天は割れるわ」
「正直、その願いが無いといえば、嘘になる。だが……」

 絶叫とともに石と化した兄の顔を思い浮かべ、その醜態の影にあるだろう事実に思いを馳せた。
 交誼を取り戻した後も、神々はサリア凋落の原因となった最初の遊戯の話について、口をつぐんでいた。
 いくら神々同士の争いが遊戯の発足と同時に禁じられたとはいえ、
 サリアの世界を貶めた手口は明らかにその埒外であり、首謀者の名が挙がれば、サリアの側から告発することも可能になる。
 だからこそ、現在上座に在るいずれかの神が厳重に口止めを、あるいは制約を絡めた盟を結ばせていることは想像に難くない。

「今、いたずらに動いたところで、きちんとした証拠や証言を取ることは難しかろうな。
 それはこの戦いに勝ち、最後の一つ柱になった後の話さ」
「……それ、本気で言っているの?」
「いけないか?」

 カニラは呆然とこちらを見つめ、それから深いため息と、苦い笑いを浮かべた。

「叶えてしまいそうね、貴方なら」
「まあ、それも今となっては瑣末な話だ。私のことより、優先するべきことがある」
「シェートさんの事ね?」

 問いかけの言葉はどこか甘く、面白がるような音色を含んでいる。
 その意味に気付かない振りをして、サリアは真面目くさって頷いた。

「あの者は、もはやただの配下ではない。我が分身と言い換えても良いほどだ」
「命を共にした者仲、ですものね」
「……お前も知っているだろう。私の神格に恋情の加護は無い。そういうのは"愛乱の君"にでも任せて置けばいいのだ」
「そんな台詞が出るということは、存外、思い当たらないわけでもないというわけ?」
「……竜神殿といいお前といい、どうしてそういう話に結び付けようとするんだ……」

 うんざりしたため息を漏らすと、カニラは楽しげな笑いを上げ、何気ない調子で言葉を継いだ。

「ねぇ……明日、シェートさんに、村を見て回ってもらわない?」
「どうしたんだ……急に」
「いくら彼が思う以上に強靭だからといって、休息は必要だわ。
 それに、勇者の仕事の良い側面も、知っておいて貰いたいと思ったの」

 サリアは口をつぐみ、ゆっくりと杯を干す。
 それから、頷いた。
「確かに、そうかもな。私も圭太殿のありようを見てみたかったところだ」
「あ……ありがとう、サリア!」

 どこか大げさな感のする礼を述べて、カニラは立ち上がった。

「帰るのか? 別に、このまま皆が起きるのを待っていても良いのでは?」
「その頃にまた来るわ。私も、自分の星を見なくてはならないし」
「……そうだな。では、またな」

 カニラの姿が神座から去り、残されたサリアは、水鏡の面を撫でた。
 映り込んだ自らの顔が揺らいで、苦しみに歪んだ顔をかき消す。
 そして、つと、ため息を吐いた。

「変わらぬものなど、無いということか」

 苦渋に満ちた言葉は、誰に聞きとがめられることも無く、消えていった。


 自分の神座に戻ると、カニラは緑の森の中を歩き始めた。小さな空間を一杯に満たした木々は、今も緑の香りを大気に振りまいている。

『しかし、世界を救うのではなく、人々の幸せを守るか。お前らしい』

 サリアの言葉には屈託はなかった。自分の言葉を額面どおりに受け入れ、心からそれを受け入れている風だった。
 図らずも、事態は"知見者"が示唆したとおりになった。
 いや、心のどこかで、彼の言葉を受け入れたいと考えていたから、サリアとの旧交を温めようという気になったのだ。
 ああして話すのは、サリアが廃神となったあのとき以来だろう。遊戯が神々の間に広がると同時に、彼女の姿は世界から消えた。
 
『正直、その願いが無いといえば、嘘になる』

 そう言ったサリアの目には、暗い翳が宿っていた。
 本人すら気が付かないほどの、それでも確かな怨嗟。
 分かっている。自ら慈しみ育てた世界を、謀略に潰えさせられた者の恨みが、そう簡単に晴れることは無いのだと。
 そのことを思うと、身の内が震えてくる。
 
『今、いたずらに動いたところで、きちんとした証拠や証言を取ることは難しかろうな』

 サリアは気が付いている。天界の裏側にある謀略の、おぼろげな輪郭に。
 でも、それが意味するところを、彼女が知ることはないだろう。
 なぜなら、首謀者達がそれを語ることは、"永遠に"無いからだ。

「……ごめんなさい」

 それ以上の心の働きの何もかもを封じ込めるように、カニラは膝を抱え、木の根方にうずくまるしかなかった。


 物音に気がつくと、すでに圭太は服装を整えて、表に出て行こうとするところだった。

「おはようシェート君。良く眠れた?」
「ああ」

 屈託の無い少年に返事をすると、自分も旅装をまとめ始める。

「もう行くの?」
「ああ。俺、早いうち、居なくなる方、いい」

 この勇者の少年にもう含むところは無いが、自分が村で歓迎されないのは明らかだ。騒ぎにならないうちに出るほうがいい。

「そのことなんだけどね」
「ちょっと出発、遅らせられないか?」

 気がつくと、圭太の足元に居たフィーが声を上げた。

「お前、夜遅かった。今日、寝坊する思ったぞ」
「いつまでもバカワンコに食いつかれたらたまんねーからな。俺も毎日進歩してんだよ」

 軽口を叩きつつ、先に玄関を抜けた圭太を追うようにフィーが出て行く。

「ちょ、お前!」
「来いよ。せっかくだから、勇者さまの仕事を見せてもらおうぜ」

 止める暇も無く出て行った仔竜を慌てて追いかけると、その後にグートも続く。

「何考えてる! 俺達、すぐここ出る!」
「これから圭太は村の見回りなんだってさ。俺達の飯もそれが終わったらになる。
 ってことで、良かったら一緒に村を見ないかって」
「俺、飯すぐ食わせてやる! だから」
「そんなに時間は掛からないよ。それと、フィーも色々自分のスマホに情報を入れておきたいんだって」

 反論する間も与えられず、のこのこと歩いていく二人に、結局シェートは従うしかなかった。

『大丈夫ですよ。昨日の約束はちゃんと効いていますから』
『律儀なことに、カニラは盟まで結んで不戦を協定してくれたからな。名実共に、ケイタ殿は我らと敵対せぬ』

 女神達の言葉に、シェートはため息で応じた。

『不満か?』
「お前達、俺、ケイタ見せる。あいつ、他の勇者、違う。そう言いたいか」
『……だから言ったであろうが。シェートにそのような手は通じぬと』

 フィーの板から伝わる竜神の言葉に、前を歩く圭太がこちらを振り返り、ばつが悪そうに頭を下げた。

『この遊戯において、こやつは例外中の例外。"知見者"殿や"闘神"の勇者辺りは、問答無用で襲い掛かってくるのだぞ?』
『分かっています。でも圭太さんの……勇者の所業の全てが、権力闘争の出汁でしかないなどと、思って欲しくなかったんです』

 カニラの言葉に、その場に居た全ての者が、苦く笑うしかなかった。

『あ……あの……私、何かまずいこと、言ってしまいました?』
『言わずが花という言葉を知らんのか、そなたは』
「気持ちは分かるけど、オブラートに包むとかしようよ……」
『カニラ……お前は昔から、そういう奴だったな』
「いいんじゃね? 変に取り繕われるよりは」
「わふっ」

 異口同音の揶揄にしょげ返った女神に、シェートはそっと笑った。

『やはり、貴方にとって、こんなことは戯事でしかないですよね』 
「そうだ。勇者、俺の敵。それ以外、どうでもいい」
『シェート……』
「でも」

 朝焼けに照らし出されていく村は、すでに人々が動き始めていた。
 村を貫く通りの中心には井戸があり、そこに近所から女達が集まって来ている。
 往来を足早に歩くのは、籠を背負い、あるいは荷駄を乗せた馬を引く男達。
 早起きの子供らが、少し離れたところに建てられた、煙突のある小屋へ駆けて行くのが見える。
 村のはずれにはなだらかな丘陵があり、無数のリンゴが植えられていた。すでに花の盛りが終わり、青い実が鈴生りになっていた。

「ここ、良い村」
「……分かるの?」

 圭太の問いかけに、コボルトは頷く。
 姿形は違っても、ここには日々を暮らす者の、穏やかな暮らしがある。
 自分の失ったものを幻視するように、シェートは目を細め、煙突のある棟を指差した。

「あそこ、釜場か」
「うん。この村は共同で使うところが多いんだ。あの煙突のあるところで、炊事と農機具の鍛冶とかをやってるよ。
 そろそろ朝のパンが焼き上がるんだと思う」
「なにそれ! 俺、そこ見てみたい!」

 フィーの言葉に従って一同は歩き出す。その道すがら、圭太の姿を見かけた人々が声を掛けてきた。

「おはよう、勇者様」
「レジナスさん、おはようございます。昨日はご苦労様でした。今日は山へは?」
「例の魔物連中が通ったせいで、獣がみんな逃げちまってな。しばらくは監視役でもやっていようさ」

 どうやら猟師らしいその男は、こちらに視線を軽く向けただけで去っていく。

「ああ、勇者様。おはようさん」

 ちょうど小屋の一つから出てきた初老の男が、笑顔で挨拶を掛けてくる。

「おはようございます、セリックさん。腰の具合はどうですか?」

 短く刈ったごま塩頭の男は、ぽんと腰を叩いて健在を示した。

「おかげさんで、もうすっかり。明日には現場に戻れるだろうよ」
「無理はしないでくださいね。開墾の陣頭指揮は、セリックさんでないと捗らないんで」
「わかっとるって! それじゃあな」

 それから引きもきらず、村人が圭太に声を掛け、その全てに律儀に答えていた。

「ケイタ、お前、村長か」

 村人達を捌ききったところで、シェートが尋ねる。少年は村人という言葉に、恥ずかしそうに首を降った。

「そういうわけじゃないよ。でも、顔役みたいなことにはなってるかな」
「おはよう、ケイタさん!」
「にいちゃんおはよー!」

 お使い物らしい、小さな籠や鍋を持った子供たちが、声を上げて圭太にまとわりついていく。
 そのうちの一人が、いきなりこっちを指差して叫んだ。

「なんでこんなとこにコボルトがいるのー!」
「にいちゃんおっぱらってよー!」
「狼と変なトカゲー!」
「変なトカゲじゃねぇっ! これでもドラゴンだぞ!」

 一緒になって騒ぎ出すフィーを引き剥がすと同時に、圭太は小さな子供達に目線を合わせるようにしゃがみこむ。

「昨日、うちの村に来る人たちが襲われたのは知ってる?」
「うん! 兄ちゃんと父ちゃんたちが、魔物を追っ払ったんだよね!」
「その時、このコボルトさんにも手伝ってもらったんだよ」
「うそだぁ!」
「なんでコボルトがそんなことするのー」

 黄色い声を口々に上げる子供の群れは、それでも興味深々といった感じでこっちを見つめてくる。

「シェート君は、いろいろ訳があって、カニラさまのお友達の手伝いをしているんだよ」
「ふーん?」
「こら、あんた達! あんまりケイタを困らせるんじゃないよ!」

 釜場の中から顔を出した年嵩(としかさ)の大柄な女に一喝され、子供らが嬌声を上げて逃げ散っていく。

「まったくあの子らときたら……いつも悪いね。ちゃんと言って聞かせとくから」
「大丈夫ですよ。もうパンは焼きあがりました?」
「ああ。今は片付けしてる…………って、これが例のコボルトかい」

 無遠慮にこっちを見た女は、圭太に向かって呆れたように笑った。

「アンタのお人よしには困ったもんだよ。いくら開墾に人手が要るからって、よその村だけじゃなく、魔物まで引き込もうってかい?」
「違うんですよ。彼は」
「まぁ、いいさ。男どもはぶつくさ言ってるが、あたしゃアンタの味方だからね!」

 豪快に圭太の背中を引っ叩くと、女は一行をいざなって釜場に招き入れた。
 むっとするような熱気が押し寄せ、奥の壁際にしつられられた大きな石釜から、何人かの女達が焼きたてのパンを引き出していた。

「うわぁ……すげぇなぁ」

 物珍しさに感嘆したフィーが釜場の光景を写し取り、不思議そうに呟いた。

「でも、なんでこんなとこで飯作ってんだ? 家の暖炉ととか使わねーの?」
「一つの火、皆使う、使う薪、少なくなる。煮炊き一緒する、食い物分けたりできる」
「それに、パンを焼くのには大きな火力がいるからね。みんな一斉にやった方が節約になるんだよ」
「なるほどなぁ……」

 釜場にはいくつかの炉もあり、赤々と燃える焚き火の上で鍋が煮立っている。
 忙しく働く主婦達の間に混ざり、招き入れてくれた女が何かが入った鍋とパン、皮袋を持って戻ってきた。

「ほら、今朝の分」
「ありがとうございます、いつもすみません」
「今日の昼はどうするんだい? 良かったらうちで食べてかないかい?」
「山の見回りがあるんで、お弁当はジェマさんにお願いしてありますから」
「やれやれ、勇者様も大変だねぇ。それじゃ、晩御飯にでもおいでな」
「わかりました、それじゃ」

 ずっしりと重そうな朝食を手に、圭太がよろよろと歩き出す。
 そのいくらかを肩代わりしてやると、少年は笑顔で頷きつつ、元来た道を戻り始めた。

「持ったままじゃ見回りも無いからね。まずは朝ごはんからにしようか」
「やったー! 早く食おうぜー!」

 その後、道すがらにチーズや絞りたての牛乳なども貰ったおかげで、朝食のテーブルはかなり豪華な状態になっていた。

「慕われてんなぁ、勇者様は」
「……そんなに大したことはできて無いんだけどね。
 村の壁に守りの結界を施したり、自警団と一緒に魔物を撃退したりが主な仕事。
 あとは病気とか怪我の治療と、薬草園を作ったくらいかな」
『見たところ、この村はリンゴが名産らしいな。人工授粉や品種改良はやってみたか?』
「品種改良は時間的に無理ですけど、人工授粉のやり方くらいは。今年は実になる花が多いって、みんな喜んでました」

 自分の成果を語る圭太の顔は、昨日とは違って生き生きとしていた。
 竜神との会話の内容は良く分からないが、それでも圭太がこの村に深い思い入れを抱いていることが分かる。
 だから、シェートはそれを口にした。

「ケイタ」
「どうしたの?」
「お前、このまま、遊戯、負ける気か?」

 彼は村の発展には尽くしているが、積極的に魔物を倒したりすることは無い。
 裏を返せばそれは、レベルアップという作業を放棄しているということ。
 遊戯に勝利するための力を得ていないことに他ならない。
 指摘に勇者の少年は黙り込み、少し悲しげに笑った。

「"知見者"の勇者が来るのは知ってるよ。
 っていうか、いずれ誰かが、僕よりもレベルが上の強い勇者が来て、倒されることは分かってた」
『それでも、敵意も害意も無く、時が来れば不戦敗を宣言する予定の私達を、無理矢理弑するような神は、居ないはずです』

 主従共に同じ思いを口にすると、サリアの悲しげな香りが漂う。

『お前はそれでいいのか? カニラ』
『ええ。圭太さんに掛けた加護の分は、全て取り戻しているわ』
「僕は、世界を救う勇者にはなれない。だけど、村のみんなを幸せにする勇者には、なれると思うから」

 全てを割り切り、自らのなすべきことを見据えた言葉。
 シェートは、つくづくと、深いため息をついた。

「俺、お前、うらやましい」
「シェート君?」
「俺、遊戯負ければ、死ぬ。それだけだ」

 朝の光景を見て、思ったことがある。
 あれは多分、自分が願った未来の形だ。いつか、自分の仲間が、コボルトたちがああして安らげる世界。
 しかし、自分と圭太には決定的な違いがある。

「お前負けても、きっと村、残る。村の奴、お前思い出す。でも俺、死ねば、終わり」
「あ……」
「コボルト、結局魔物。俺死んだら、コボルトの事、考える奴、いない」

 朝食の席が、冷えた沈黙に支配される。
 それでも、何か救いを求めるように、圭太は口を開いた。

「そ、それなら」
『やめておけ。その提案は、決して口にしてはならん』

 いかめしく、竜神は言葉で勇者を押しとめた。

『それをすれば、そなたは最大の厄介ごとを抱えることになる。こんな村など、一瞬で消し飛ばしてしまう災厄をな』
「そんな……」
『物事を軽く考えるな。昨日の村人の反応を思い出せ。
 異種族を受け入れるということはな、そなたら異世界の者が考える以上に、根深い抵抗を受けるのだ』

 そこまで聞いて、シェートは圭太がしょげ返っている理由に気が付き、呆然とした。
 彼は、コボルトをこの村で受け入れようと言おうとしたのだ。

『重ねて問おうか。もし、この村にコボルトという「魔物」を受け入れれば、確実に近隣の村からも、各国からも目の敵にされる。
 そんな状態で、そなたはこの村を守り、発展させることができると思うか?』

 完全に逃げ道を封じられ、圭太は黙り込む。
 本当に不思議だ、シェートは幾度も彼らに思ってきたことを、再び感じていた。
 異世界の勇者。
 彼らの行為は、本当に子供のそれだった。
 悪意や善意を推し量ることすらバカバカしくなるような、感情の生き物。

「ごめん……僕は……その……」
「いい。俺言った、ただの愚痴。気にするな」

 本当は、愚痴というよりは嫌味のつもりだった。
 こちらが生死を掛けて戦っている裏で、何の憂いも無く、
 善行を布(し)くことだけ考えていればいい、気楽な勇者への当てこすりとして。
 でも、自分は気付いていたはずだ、異世界の勇者は『子供』だと。
 感情のままに振る舞い、わがままの限りを尽くすのが子供。
 同時に、何のしがらみも無く、己の心に従い善を為そうとするのも、また子供なのだ。

「な……なんだよ?」

 こちらの視線に気がついた青い仔竜が、居心地悪そうに顔をそらす。

「俺、勇者、魔王、全て狩る。そして、コボルト、害されない森、作る。お前の助け、必要ない」
「それ……本気で言ってるの?」

 驚きと戸惑いの顔で見つめてくる勇者に、シェートは頷いた。

「シェート……君」
「でも俺、戦う気無い奴、狩るつもり、無い」

 こちらの言葉に、勇者は目を伏せて、それから頭を下げた。

「ありがとう」

 その時、小屋の扉が荒々しく叩かれた。

「ケイタ! ちょっと来てくれ!」 
「……どうしました!?」
「村に魔物が入った!」

 一堂が腰を浮かし、緊張が走る。
 だが、その次に語られた言葉に、シェートの顔は苦痛に歪んだ。

「……コボルトが、村の外れの罠に掛かってる。すぐに来てくれ!」



[36707] 10、駆け引きと取り引き
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/09 11:44
 薄暗い森の中に、いくつもの影がうずくまっている。針葉樹ばかりの森は視界が通りやすく、隠れるのには適さない。
 それに、夜露を避ける掛け小屋も間に合わず、女子供に優先的に使わせている状況だ。

『……アダラ、皆、もう限界』

 長い逃避行で、毛皮もすっかり薄汚れてしまったコボルトの同族は、こちらに不安そうな顔を向けた。

『ソルデ……何、考えてる』
『この近く、人間の村、ある』

 こちらの言葉に、アダラは首を振る。

『掟、破るな。皆、危険さらす』
『じゃあどうする! 狩りする道具、保存食、ほとんど無い! 
 女達、乳の出悪くなってる! このまま、何もしない。子供ら……死ぬぞ』

 ソルデの声に群れの視線が集まった。悲嘆と苦痛にまみれた表情は、
 どうにもなら無い現実を、何とかしてくれという、祈りにも似たものだった。

『俺、行く』
『ソルデ……』

 立ち上がったソルデに掛けられる言葉は弱い。
 彼も理解しているのだ。それ以外の選択肢が、自分達に残されていないことに。

『食べ物、少しでも、手に入れる。もし、俺、帰らなかったら、皆、ここ離れろ』
『ソルデ、俺も行く』
『俺も』

 数人の若いコボルトが腰を上げるが、首を振った。

『数、少ない方、いい。お前達、群れ守れ』

 身支度を整えて、ソルデは歩き出した。
 この身を危険に晒してでも、この事態を何とかしなくてはならないのだから。
 そして――。


 気がつくと、目の前には鉄格子があった。
 どうやら罠に捕らえられた衝撃で気を失っていたらしい。薄暗いその空間で目を上げると、自分を睨みつけてくる人間達が見えた。
 そうか、自分は捕まったのか。ソルデはそっとため息をついた。
 覚悟はしていたが、こうしてみると、いかに自分が無謀なことをしたのかが分かる。
 それでも、こんな危険を冒さなければならないほど、事態は切迫していた。
 突然現れた魔王の軍から逃れ、着の身着のままでここまで流れてきた。
 すでに食料も底を尽き、狩をすることもままなら無かった。

「ったく、あんな犬コロ入れるから……こんな奴が」

 ふと、ソルデは見張りの人間の声に視線を上げた。

「やめろ。ケイタさんの決定だぞ?」
「でもよぉ……やっぱりコボルトなんて……」

 一体、こいつらは何を話しているんだ。
 もしかして、俺以外に誰か仲間が捕まっているのだろうか。
 ついてくるなと言ってはいたが、我慢できずに来てしまったのかも知れない。
 このままだと、群れを危険にさらしてしまう。

「みんな……すまん」
「皆さん、下がってください。彼とは、僕らが話します」

 声に顔を上げると、人垣を抜けてやたらひらひらした服を着た奴が近づいてくる。
 おそらく魔法使いか何かだろうが、その顔立ちは幼く見える。
 だが、ソルデの視線は、その後ろについてくる姿に釘付けになった。

「あ……?」

 粗末な織物の服に身を包んだ、一匹のコボルト。
 周囲の人間の視線など物ともせず、しっかりとした足取りでこちらにやってくる。

「君、大丈夫かい?」

 腰を下ろして、話しかけてくる人間。だが、こんな奴はどうでもいい。
 気遣わしげな視線で、自分を見つめてくる犬顔。その後ろには星狼と、トカゲのようなものが付き従っていた。

「僕は君を害する気は無いんだ。ちょっと、話をさせてもらえないかな」

 うかつに喋るわけには行かない。自分の群れがいる場所を話す事にでもなれば、待っているのは絶望の運命しかない。

「……ごめん、やっぱり僕より、君にお願いした方がいいみたいだ」
「いいのか?」
「同族同士で話したほうが、彼も安心するだろうしね」
「ケイタ!? そんなことしたら!」
「こんな魔物にどうして情けをかけるんだ!」

 村の者の騒ぎを少年は片手を上げて制する。
 相当地位の高い人間なのだろうか、そいつに促されてコボルトが前に進み出る。

「大丈夫か。痛いとこ、ないか」
「あ……ああ」

 思う以上に優しい笑顔で、彼はこっちを見た。村の雰囲気からすると、こいつもそれほど歓迎はされていないらしい。
 それでも、少年はこいつに便宜を図っているし、腰に山刀を吊っている様子からも、独立した身分にあることが分かった。

「お前、罠掛かった。どうして、人間の村、盗み入った?」

 聞きたいことが山のようにある。
 どうしてこいつは平然と人間の中を歩くのか、どうしてこんなにも、自信に溢れた目をしているのか。
 そして何より、

「お前……名前、なんて言う」

 問いかけに、彼は口を開いた。

「シェート。お前は?」
「……ソルデ……」

 名乗りながら、ソルデは無意識に叫んでいた。

「助けてくれ……!」
「な、なに?」
「俺……仲間、助けたい! 村の仲間、みんな死にかけ! 頼む!」

 いきなり会ったばかりの同族にこんなことを言うなんて、どうかしている。
 でも、こいつなら。そんな気持ちが湧き上がる。

「頼む! シェート! 俺達、助けてくれ!」


 村の集会所に集められた村人は、シェートを睨みつけていた。
 不信と疑念、そして敵意。

「皆さん、とにかく落ち着いてください」
「いくらケイタの……勇者の言うことだからって、こればかりは聞くわけにはいかねぇ」

 朝方に見かけた猟師の男は、いらだった顔でシェートに指を突きつける。

「こんな奴入れたから、あのコボルトも入ってきちまったんだ。今すぐ追い出して、山狩りするしかねぇ!」
「彼とあのコボルトには関係は無いんです! これはあくまでただの偶然で」
「大体、ケイタはどうしてそいつの肩を持つんだ!? そいつが他の神の勇者だって言うなら、アンタにとっても敵だろう!」

 シェートは黙ったまま、騒ぎを見つめていた。
 結局、彼らにとって自分はただの魔物なのだ。
 竜神の言うとおり、圭太がコボルトを受け入れなどしたら、確実にこれ以上の騒ぎが起こるだろう。

「早いとこそいつを殺すか追い払って、山のコボルトも皆殺しにしちまえ!」
「そ……それは……」
「そいつらは、例の魔物の巣に行くつもりなんだろう。
 昨日の街道のこともある。これ以上、厄介ごとを増やすのはごめんだぜ」

 村人の言葉は、思い切り見当外れだ。
 コボルトたちが、わざわざ魔軍などに参画することはない。こき使われ、嬲られ、殺されるために行くようなものだ。
 事実、ソルデも近くにある迷宮の話など知らないと言っていた。

『俺達、もう、食べ物無い。体弱い奴、年寄り、子供、もう持たない』

 同族の若者の、苦々しげな言葉が蘇る。
 なんとしても助けたい、そう思う。
 とはいえ、この場で自分に何かを言えるはずも無い。うかつに動けば、ソルデの命も危うくなるだけだ。

「アンタには感謝してる。勇者の力と、カニラ様の加護は、確実に村を良くしてくれているからな。
 だが、なんでもアンタが好き勝手していい、と言うわけじゃない」

 圭太よりも一回り背の高い男が、いかめしく告げる。このリンドルを治める長である彼は、冷たくシェートを見つめた。

「今なら、見逃してやる。あいつを連れてとっとと出て行け」

 彼にしてみれば最大限の譲歩だろう。本当なら自分もろとも、ソルデと群れの仲間を狩りつくしておきたいはずだ。
 シェートは頷き、口を開く。

「わか――」
『しばし待て、シェート』

 サリアの声が、冷たい石の香りと共に降る。
 集会所が沸き立ったところを見ると、この場の人間達にも声を聞かせているのだろう。

『驚かせてすまぬ。我が名はサリアーシェ。そのコボルトに加護を与えているものだ。
 カニラ・ファラーダの勇者、三枝圭太殿と、その恩寵を受けしリンドルの村の者に、提案がある』

 自分の言葉が浸透したのを確認すると、サリアは続けた。

『この近隣に一つ、魔物の住む迷宮があると聞いたが、それは本当か?』
「え……ええ。半日位歩いた山奥に、一つあります。結構深いダンジョンなんで、何も手を打てていない状況ですけど」
『その迷宮、我が配下が落とそう』

 女神の言葉に、村の人間が驚きの声を上げた。
 シェートを見る視線が、敵意から驚愕と困惑に満ちたものに変わっていく。

「そ、そんな! いくら彼が、僕よりレベルが高いからって……」
『落とせるな。シェート』

 空気に匂うかすかな熱に、コボルトは力強く頷いた。

「ああ。俺、その迷宮、落とす」
『聞いての通りだ。その働きを対価に、そなたらと契約を結びたい。
 我らが望むは、コボルトたちへの、食料と必需品の援助』

 その条件を聞いた途端、村の集会所に悲鳴と絶叫が満ち溢れた。

「バカな! そんなことできるわけがない!」
「いい加減なこと言って、俺たちを騙すつもりだろう!」
「コボルトを配下にする女神なんて、どう考えてもまともじゃない!」

 村人の言葉に、思わずシェートは吹き出していた。
 そして、サリアが立てた朗らかな笑いに、村人達が怯えたように沈黙する。

『まともではない……か。やはりそう見えるか』
「そうだな。お前、まともじゃない」
『そこは世辞でもよいから、私をかばわぬか。真面目に言われると中々に堪えるぞ』
「すまん。次から、ちゃんとお世辞言う」

 軽口を叩きながら、シェートは深く安堵していた。
 サリアの言葉は以前よりもはるかに力強く、こちらの心と体に確信を満たしてくれる。

『援助と言っても、食料はせいぜい二日程度の備蓄で事が足りるし、必需品も毛皮や布などでよい。
 たったそれだけの対価でこの村は安堵され、魔物の侵攻が避けられるだろう。それに……』

 なぜかサリアは言葉を響かせるのを止め、沈黙が辺りを支配する。

『今、カニラ・ファラーダとの契約も済んだ。
 後はそなたらが決断する番だ。それさえ済めば今すぐにでも、契約を履行しよう』
「か……神様同士の話が済んだら……俺達には、関係ないんじゃ?」
『馬鹿なことを。私は言ったはずだが? リンドル村の者と契約を結ぶと。
 カニラとの約定はその埒外、そなたらが断ればこの話は無しだ』

 神との契約という意外な事態に、村人は皆困惑している。うろたえたままの圭太は、不安そうに場を見回していた。

「あ、あんたの言葉が信頼できるって証拠は?」
『たとえ私がそれを示したとて、そなたらは信じるまい。
 だからこそ契約を結ぼうと言っているのだ。断る権利はそちらにある、
 気に食わぬというなら、それでもよい。だが』

 畳み掛けるように、サリアは言葉を継いだ。

『迷宮は魔物の砦のようなもの、このまま捨て置けば勢力が拡大し、いずれ村に大きな災いを及ぼすだろう。
 とはいえ、そなたらの勇者は村を守るのが手一杯で、迷宮の攻略には手を尽くせまい』
「そ……それは……そうだが」
『その点、我が配下はそなたらとは何のゆかりも無い。
 失敗して死んだところで、たかがコボルト、何の損失にもならぬだろうよ』

 サリアの言葉に自分達の利得を嗅ぎ取った村長は、それでも慎重に切り出していく。

「もし、アンタのコボルトが死んで、その仕返しに俺達の村が襲われたりでもしたら、その時は……どう責任とるんだ?」
『それこそバカな話だな。コボルトが人間と通じていると考える魔物がどこにある。
 そなたらとて、我が配下を勇者と認めておらぬのに』

 たっぷりと嫌味をまぶした言葉に、シェートは苦笑した。
 断る権利があると言いながら相手の弱いところを突き、巧みにこちらの思惑に誘導していく。
 どうやらサリアは名実共に、怖い女神になりつつあるらしい。

『もし、シェートが死に、迷宮の攻略が成らなかった場合、我が加護を以ってこの村に強固な結界を施させてもらおう。
 すでに手配は済んである。我が存在により、リンドルは王城にも勝る堅牢さで守られることとなるだろう』
「な……なんで、アンタはそこまで、コボルトに肩入れするんだよ」
『そなたらには関係あるまい。
 重要なのは、この契約を受ければ、リンドルには繁栄が約束される、ということだけだ』

 それから、長い議論があった。
 村のものは皆、角を突き合わせ意見を戦わせていく。その間にサリアが条件を明確にして、意見を集約させていった。

「分かった。あんたの契約を、受けよう」
『感謝する。では、我が配下、コボルトのシェートが魔物の迷宮を落とした暁に、
 コボルトの群れに援助を与えるという契約を、結ばせてもらおう』

 女神サリアーシェの声は、まさしく大神の威厳をもって、響き渡った。


 目の前で旅装を調えていくコボルトを、圭太は複雑な気持ちで見つめていた。
 村人とサリアの間で結ばれた契約は、村の勇者である自分を置き去りに進んだ。
 もちろん、カニラたちに何も言うなと言われていたせいでもある。シェートを入れたために悪くなった自分の立場、それを守るために必要だと。
 でも――。

「全く、無茶するよなぁ」

 手元のスマホをいじりながら、呆れたように声を出す青い仔竜。それでも、不安そうな表情は見えない。

「すまん。でも、仲間助ける、これしかない」
「……いいんじゃないか。俺も、出来る限り手伝うよ」
「わうっ!」
「ありがとな、フィー、グート」

 シェートの顔には意思しか無い。これから為すべき事を如何に為すか、それだけをまっすぐに見つめている。

『俺、勇者、魔王、全て狩る。そして、コボルト、害されない森、作る。お前の助け、必要ない』

 絶対無敵の勇者と、百人の勇者の集団。
 その全てを討ち果たし、さらには魔王を狩って遊戯に勝利すると言ってみせた小さな魔物。

『コボルトが勇者に?』
『ええ。私の……古い友達が、加護を授けてね』

 何かの間違いか、冗談の類かと思っていた。
 だが、その話をカニラから聞いて一月ほど経った頃、村に何人もの勇者が訪れた。そのコボルトを倒すためだといって。

『君も来てくれないか。今回の討伐、回復役が少なくて困ってんだよ』
『ごめん……僕には、ここを守る役目があるから』

 大剣を背負った少年は、少し残念そうにしながら、それでも笑顔で出て行った。

『それなら、もしできたらで良いんだけど、俺の助けた村の連中、ここで受け入れてもらえないかな』
『村の人と相談しなきゃだけど、多分できると思う』
『そっか。それじゃ、よろしく頼むよ。モジャ髭のせいで、まともな援助もできなくて気になってたんだ』

 それが、彼と話した最後だった。
 結局、モラニアからほとんどの勇者が消え、その代わり目の前のコボルトが残った。
 その時から、圭太の中にそのコボルトへの興味が湧いてきたのだと思う。

「ケイタ、そろそろ行くぞ」

 身支度を整えたシェートは立ち上がり、こちらをいざなった。

「う……うん……」
『要らぬ手間を強いることになるが、監視役の方、よろしく頼む』 
「はい……」

 自分も杖を手に取り、シェートの後に続く。
 外には、村人達が控えていた。

「しっかり見張ってくれよ、ケイタ」
 そういう村長の顔は厳しい。
 そういえば、村に来たころ、自分のやることなすことに、こんな表情で受け答えをしていたはずだ。

「もし、裏切るようなそぶりがあったら」
「……さっきの契約があるから、大丈夫ですよ」
「今じゃお前はこの村の要だ。絶対に生きて帰って来い」
「ありがとう……ございます」

 長が下がると、村人の何人かが自分にねぎらいの言葉を掛けてくる。
 その一つ一つに胡乱な返事をしながら、目はシェートの動きを追っていた。
 村人の垣根の向こう、大きな木の枝に下げられたコボルトの檻を、彼は見つめていた。
 自警団に阻まれ、近づくことさえ許されない状態で、片手を上げて心配するなと声を掛けている。

「せめて、降ろしてあげることはできないんですか」
「アレは人質で、盗みに入った魔物だぞ。向こうの女神もそれでいいと言ったろうが」

 自らを洗う嫌悪と不信の視線を気にも留めず、シェートが歩み進む。
 その行く手に、誰かが立ちはだかった。

「俺は反対だ! こいつは、俺の村を襲った連中の仲間だぞ!」

 昨日やってきた難民の一人。そういえば、彼だけは執拗に、シェートを村へ入れるのに抵抗していた。

「やめれ! ポロー! 新参のおらたちが……」
「こいつはゴブリンどもと俺を取り合ったんだぞ! 
 弱い農民は、魔物の好き勝手にされるのが似合いだって、言いやがったんだっ!」
「……やめてください」

 圭太はその男の前に立ち、シェートと彼を別った。

「おい勇者様よ! お前、何でこんな魔物を村にいれてんだよ!」
「ポロー!」
「……彼はただの魔物じゃないからです。僕と同じ神の勇者で」
「じゃあ、その神は邪神かなにかか! そうでなきゃ、こんな犬コロっ、使う気になるもんか!」

 彼の目は血走り、憎しみに濁った目でコボルトを睨んでいる。その視線を、シェートは悲しげに見つめるだけだった。

「……この人の言ったことは、本当なの?」
「俺、ゴブリン見かけて殺した。この人間、その場居た」
「それでっ、お前は俺を」
「この男、俺、化物言った。おびえてた。
 だから、そのまま、いなくなった。その時、おれもう、サリアの手下。魔物、仲間違う」
「う……嘘だ! なんかの間違いだ! コイツは俺をっ! くそ、放せっ!」

 なおも食い下がるポローを、同郷の人間が羽交い絞めにして下がらせた。
 その全てを無視して、シェートは村の門へと歩いていく。

「なんで……」

 言葉が自然と溢れた。

「なんで、そんな風に、できるの」
「ケイタ?」
「どうしてそんなに、強いんだよ……」

 その言葉に、コボルトはゆっくりと首を振った。

「俺、強くない。ただのコボルト」
「そんなわけ無いだろ……。だって君は、僕なんかよりずっとレベルも上で」
『そなたも聞き及んでいるだろう。我々には、約束された強さなどは無かったことを。
 シェートはただのコボルトでしかなく、兄上の勇者殿のように、
 絶対無敵の防御を掛けてやることもできなかった』
「それなら、どうして」

 門がゆっくりと開き、シェートたちが歩き出す。慌ててその後を追った圭太に、サリアの声が掛かった。

『選ぶ道など無かったからだ。
 負ければ死ぬ、ただそれだけを、己の拠り所にして。
 そして、生き抜く手段を講じ続けた結果、力を手にした。それだけだ』

 女神の言葉が、集会場で聞いたときと同じく力強く、耳朶を打つ。
 物思いに沈もうとした意識を、コボルトの声が現実に引き戻した。

「ケイタ、もう時間ない。すぐ迷宮、行きたい」
「あ……うん。分かった」
「ところでお前、馬とか乗らなくても大丈夫なのか? こっちはバカイヌに乗っていけるけど……」

 青い仔竜の気遣いに、軽くつま先で地を蹴って応える。

「村に来る前に、ちょっと冒険していた頃があってさ、このブーツはその時に手に入れたんだけど。
 半日ぐらい走りどおしでも疲れないんだ」
「ちょっと待った。今からお前もパーティメンバーに入れるから、カメラで写真とってもいいか?」
「え? い、いいけど……」

 手にしたスマホでこちらを撮影したフィーは、妙に嬉しそうな顔で画面を見せてきた。

「これって……僕のステータス?」
「竜神特製のアプリケーションだよ。
 仲間のならほとんどのデータを表示できるし、モンスターも交戦回数なんかで、
 細かいデータを抜けるようになるんだってさ」
「へぇー……」

 スマホに表示された自分の顔と、数値化されたデータ。
 ヒットポイントやマジックポイントという形で能力が見せ付けられると、
 まるで自分がゲームのキャラクターになったような気持ちがする。

「なんか、こういう風に自分のことを表示されると、ちょっと不気味だね」
「不気味って……まぁ、確かに、自分の命や能力をこうして数値化されっと、微妙な気持ちにはなるけどな」

 そういえば、良く見ていた小説サイトでは、MMOの世界に入って冒険する話が流行っていたのを思い出す。
 大抵は、主人公達が慣れ親しんだゲーム世界へ意識を移すタイプで、
 みんな当たり前のように受け入れていたけど、こっちは現実の体のせいか、違和感が拭えない。

「それで、このままだと全部のステータスが分からないんだ。
 もし嫌じゃなかったら開示できるデータの範囲、指定してもらえっかな?」
「いいよ。僕の能力って、そんなに大したこと無いし。全部見ても」
「じゃ、これに指当てて」

 言われたとおりにすると、短いチャイムと共に画面表示が変わる。
 青い仔竜の指がスライドすると、自分の細かいステータスや装備している武器防具、覚えている魔法のデータが映し出される。

「凍月箭に陽穿衝……織光網縛っと、他にも色々覚えてるんだな。
 お、大呪文なんてのもあるのか……詠唱時間もそこそこ早そうだし……なるほどなるほど」
「そ、そんなことまで表示できるの?」
「データはあくまで目安らしいけどな。
 『人間の能力を数値化なんぞできるか。ゲーム脳も程ほどにせんと、己を見失うぞ』だってさ」

 呆れた高性能の端末にため息をつく。どうやら、本人の能力よりもスマホの方が役に立つようだ。

「シェート、こいつの履いてるブーツはグートと同じぐらいに走れる魔法が掛かってる。俺達と一緒に移動しても問題ないぞ」
「分かった。案内頼む、ケイタ」

 シェートに促されて、圭太は目的地を見据える。
 村の前から続く街道の先、大きな山腹に遮られた向こうにあるはずの迷宮を。

「行こう。ここから走れば、多分二時間ぐらいで着けるよ」



[36707] 11、侵攻
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/10 10:12
 街道を進みながら、ヴェングラスは空を見上げた。
 雲ひとつ無い青空に、銀色の鳥が舞っている。あれこそが我らの勇者の加護、全ての者に等しく力を与えるものだ。
 そこから降ってくるものを受け取り、吟味すると、視線を地の光景に戻す。
 辺りにはまだ青い麦の畑が広がり、行く手には二つの山が生み出す谷が、次第に大きくなっていく。

「魔術師殿、なにか、勇者殿からの指令がありましたかな?」

 くつわを並べていた鎧騎士から掛けられた声に、魔術師にして勇者軍の参謀たる彼は、穏やかな笑みを浮かべた。

「進行速度はこのままに、極力戦闘は避けるように……いつもの通りです」

 騎士は頷き、後列のものにそれを伝えるべく馬首をめぐらせた。
 後ろに控える隊伍は、完全武装した騎士が二十名ほど。
 そして、装備の全く統一されていない歩兵達。槍を持っているものは極わずかで、鎧など身につけているものは稀だ。
 数にすればせいぜい十数名、どう見ても田舎から出てきて、徴兵に従ったという風情。
 それでも皆真剣な顔で、行軍を続けていく。

「そろそろ、彼らにも実戦経験を積ませねばならないでしょうな」
「そうですね。そのことについても、指示は下されています。ただ、思ったより魔物の姿を見ないのが気にかかりますね」
「モラニアの魔物は弱小にして、統率も取れていないとも聞きますが?」
「……多分、それは違うでしょう」

 確かに、モラニアに入ってから、戦闘らしい戦闘は起こらなかった。
 ザネジ近くの砦にしろ、それを落とすまで魔物の影すら見なかったという。

「誰かに……おそらくこの地を治める魔将に、指示を受けていたということでしょう」
「ですが、魔将の支配地域であるカイタルはともかく、リミリス、テメリエアには、
 自らを魔将と名乗るものが立ち、身内争いに終始していたとか……。
 とてもそのような指示を聞くとは思えません」
「そう……なんですが」

 入ってくる情報と現地で見る景色に、違和感を感じる。
 モラニアの魔物に統率などは無く、互いに覇を競うばかりの烏合の衆という触れ込み。
 しかし、斥候部隊の件といい、異常なまでに少ない戦闘回数といい、何者かの作為が無ければありえないことだ。

「本当に、我らだけで大丈夫なのですか?」
「……ええ。勇者殿が、そうご判断されたのです。我々は、従うだけです」

 こちらの言葉に、騎士は苦笑しつつも頷いた。

「我々は盤上の駒かも知れませんが、決められた働きしかできぬわけではありません。
 その結果、勇者殿の思惑を超えて、動くことも許されましょう」
「……その働きさえも、彼の……計算かもしれませんがね」
「魔術師殿!」

 道の先、次第に濃くなっていく森のほうから、馬に乗った男が駆けて来る。

「シルトさん、何かありましたか?」
「はい。行く手の森の中に、数多くの魔物の足跡が……かなりの数が侵攻しているものと思われます」

 この隊の斥候になった元偵察隊の人間は、緊張した面持ちで手にした羊皮紙を手渡してくる。

「この辺りの地形と、魔物の侵攻方向をまとめておきました。
 足跡の大半はゴブリンなどの下級魔ですが……オーガやトロルなども混ざっているようです」
「大分、大所帯ですね……おそらくこれは……」

 木墨で描かれた付近の地形と、魔物たちの侵攻予測図を見つめ、大体の目算をつける。
 ここまで来る間に、リンドルの情報は聞いていた。
 勇者の存在により村は頑強に守られており、付近の村との交易も密になっているという。
 とはいえ、斥候が伝えてきたのは二百を越える軍勢だ。よほどの力を持つもので無い限り、たった一人で抑えられる状況ではない。

「この方角……おそらく、リンドル村に向かっていると見ますが」
「ええ。そうでしょうね」
「本当に、我々はこのまま行軍して、構わないのですか?」

 騎士の言葉に、ヴェングラスは再び空を見上げる。銀の鳥を通して降ってくる指示に、変わりは無かった。

「進路はこのまま、ただし、斥候を増やして魔物に不意を打たれないよう、警戒を行います。
 行軍速度は多少遅くなっても構わないそうです」
「このままでは、確実に村は……落とされるでしょうな」
「彼の言葉は絶対。同時にそれは"知見者"の神託に他なりません」
「……そう、でしたな」

 苦い感情と共に口元を引き締め、騎士が黙りこくる。
 納得はしていないが、命令には従う、そんな空気を放ちながら。

 "知見者"フルカムトの神威の下、勇者の軍は無敵を誇っていた。
 康晴の言葉は神の言葉であり、それに従っていればどんな強敵も、どんな大軍も、必ず打ち破ってこれた。
 だからこそ、自分達は彼の命令に従う。
 それが例え、どんな理不尽なものであろうとも。
 騎士が示したのは、そうした行為に対する甲斐の無い反論だ。叶う当ても無い、自身の心情を示すだけのジェスチャーに過ぎない。
 憐憫(れんびん)。
 それは、勇者の軍には必要の無いものだ。
 それを切り捨てることができるから、これまで常勝の軍でいられたのだから。

「ただ……」

 ヴェングラスは、不満そのものとなった騎士の顔に、淡い笑みを向けた。

「勇者殿の指令には、斥候を増やして警戒を怠るな、とあります。
 我々の途上にあるリンドルは、大切な補給点です……シルトさん」

 控えていた斥候は、力強く頷く。

「分かりました。私が先行して、リンドルと魔物の侵攻を調査してきます」
「必ず生きて帰ってください。貴方の存在は、我が軍に必要ですから」
「……優秀な斥候として、ですね」

 わずかな皮肉を残してシルトが去っていく。
 彼もまた、この軍はそこそこに長い。取り交わされる指令に込められた冷徹さと、それが生み出す実利も実感している。
 それでもなお反駁してしまう、それこそが人の心の働きなのだろう。

「参りましょう、魔術師殿」
「……ええ」

 再びヴェングラスは空を見上げた。
 銀色の鳥は自分達の所作を、何の感慨も無く見下ろしていた。


 周囲に広がる魔物たちとともに進みながら、ベルガンダは深い森の奥に顔を向けた。
 行く手は薄暗く、夕闇と共にかすかな靄が立ち込め始めていた。

「しかし、どのようなつもりなのでしょうな、そのコボルトは」

 二足歩行のトカゲ騎獣に乗ったコモスが、小枝に止まった鳥を、見るともなしに眺めてつつ問いかけてくる。

「魔物と言っても、コボルトたちは我らとも距離を置いている。
 人間と同じぐらいに、魔軍を憎んでいる……のかもしれん」
「しかし……未だに信じられません。ケッシュの隊が、全滅したとは」
「シェルバンたちにも確認させただろうが。ガイデの死因は勇者の力ではない、ワイバーンの毒によるものだと」
「それに、ゴブリンどもに刺さった鏃と……エレファスの山の中で見つかったという、ミスリルゴーレムの残骸……ですな」

 聞けば聞くほど、怖気を誘う話だ。
 コボルトとて、鍛え上げればそれなりは使えるようになる。
 最近は気まぐれなインプや不真面目なゴブリンに代わり、コボルトを偵察役に使うよう指導を重ねてきた。
 だが、そんなレベルの話ではない。
 ミスリルの鏃は、ゴーレムから削りだされたものだろう。
 付近を調査したゴブリンたちが、きれいに解体・始末されたワイバーンを発見していた。

「本当にそれはコボルト……なのでしょうかなぁ」

 コモスのほうも同じものを感じ取ったらしく、顔に険を浮かべていた。
 事実だけが降り積もり、それでも実像は全く分からない。

「一応、此度の遠征は、手を焼いていたリンドルの陥落ということになっておりますが」
「真意を知られれば、また『我こそが魔将なり』と言い出す奴も出てくるだろうな」

 苦々しくミノタウロスは笑みを刻む。
 自分の配下になることを良しとしない魔物たちに、あえて魔将を名乗らせていたのは、魔王の指示があったからだ。
 モラニアの魔物には統制など無い、そのように思わせるために、好き勝手にさせるようにと。

『その間、貴様は自らの部下を鍛え、指示に従う精鋭の軍を育てろ。
 吠えたい犬には吠えさせておくのだ。それが、いい目くらましになる』

 魔王の的確な指示によって、自分の部下は着実に育っていた。
 各ダンジョンから送られてくる情報により、勇者達の動向を把握。
 被害を低減させることに成功し、同時に各地の村や町を陥落させていた。
 その名声が魔将志願者を焦らせ、各地で活発に活動した彼らが、結局は勇者に倒されていく。
 統制という『力』の有用性を、実地に示して見せたベルガンダは、魔将としての地位を安定させていた。

「コボルトで思い出しましたが、例の集落から徴発は行わなかったのですか?」
「伝令を聞かなかったのか。我らの動きを察知して、南に移動を開始したらしい。
 すでに集落はもぬけの殻だった、そうだ」
「相変わらず、逃げ足だけは速い連中ですな」
「その通り。逃げ足だけがとりえの、そんな連中だ」

 では、自分が追いかけている者は、一体なんだというのか。
 コボルトという常識と、かけ離れたモノ。

「――怪物」
「は?」

 魔界には、一つの伝説がある。
 通常、魔物の序列は生まれによって決定される。
 それは絶対的なヒエラルキー。
 ゴブリンやオークなどの人魔は、キマイラなどの魔獣に敵う事は決してなく、
 吸血鬼や巨人はその力ゆえに、自然と上位の存在となる。
 だが、その枠を飛び越えるものが、極稀に現れるという。
 その種族に見合わぬ異常な力を持ち、上位存在すら打倒しうる者。
 魔物の常識にとらわれない、怪しきモノ。
 それが、怪物。

「ベルガンダ様は、例のコボルトが"怪物"であるとお考えで?」
「……馬鹿馬鹿しい」

 魔界に神は無い、奇跡も無い。
 怪物などというのは、自らの惨めさに耐えられなくなった弱者が、なぐさめにする類のおとぎ話に過ぎない。

「……埒(らち)も無い戯言だ。忘れろ」
「はい」

 そうコモスに言い渡しながらも、ミノタウロスは湧き上がる記憶を反芻していた。

『そうか! コボルト、そうなのだな!』

 木霊する狂気の笑いに体が震える。

「あれは……まさか……」

 魔の王たる主が、そんなことを信じているのか。
 己の力と才覚で、侵略を進め続けてきた彼の方が。

「ありえぬ」

 だが、今代の魔王は、癲狂。
 ありえぬというほうが、ありえぬのかもしれない。

『目を開け、我が魔将ベルガンダよ』

「俺には……無理です、我が主よ」

 誰にも悟られぬように、魔将は弱音を吐いた。

「貴方のそのお心を、見透かすことなど。このような牛頭に、できようがありません」

 ベルガンダの気持ちも知らぬまま、隊列は進む。
 その一部が、ざわめきと共に崩れた。

「ベルガンダ様っ!」
「どうした?」
「シェルバンからの通信ですっ! 迷宮が、何者かの手によって襲撃を受けていると!」

 連絡係を担当していたゴブリンの術師が顔色を変えて近づいてくる。

「敵は何名だ。もしやリンドルの勇者か?」
「……そ、それが……」

 言いにくそうにしていた連絡係を呼び寄せ、その耳だけに声を放つ。

「コボルト、か」
「なぜ、それを」
「……いいか、そのことは誰にも漏らすな。もし、お前の口からそれが漏れたなら、分かっているな?」

 青くなったゴブリンの術師を下がらせると、ベルガンダは大声で隊に指示を飛ばした。

「全隊! これより駆足! シェルバンの迷宮へ向かう! 
 列を乱すな、人里に知られぬよう、街道よりそれて行軍せよ!」

 わずかに魔物の群れが身じろぎし、少しの遅滞も無く走り出す。
 小枝に止まっていた銀色の鳥が、舌打ちするような声を上げて飛び去っていく。
 群れと共に走り出した牛頭の魔人は、担いだ大斧の柄を握り締めた。

「これは、いよいよ本物かも知れんな」



[36707] 12、共闘
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/11 11:37
 フィーから借りた板を通して、シェートは森の向こうに見える迷宮の入り口を見た。
 山の斜面にうがたれた洞窟と、それを守るように築かれた石垣。数匹のゴブリンやオークが見回りに立っている。
 周囲には背の低い草だけが生え、身を隠せそうなところも無い。

「まさか……望遠鏡代わりにも使えるなんてね」
「案外高性能なんだよな、これって。
 多分、俺を降ろした時の加護、ほとんどこのスマホに充てたんだと思うぜ」

 苦笑いをする仔竜を横目に見ながら、シェートは敵陣を観察する。今いる場所は山一つ分向こうの森の中、どれほど鋭い感覚を持っている狩人でも、この距離にいる者を察知することはできないだろう。

「ケイタ、あの迷宮、どのくらい深さある?」
「僕が前に探った時には、三階層ぐらいだったと思うけど……時間が経ってるから、結構深くに掘られてるかもしれないね」
「ダンジョンの増設かぁ。掘れば掘るほど機能が上がるんだっけ? 一日で攻略なんて……無理じゃないか?」

 ケイタやフィーの話によると、魔物の迷宮は日々深くなり、世界を征服するための力を生み出すという。
 その過程でさまざまな魔獣の召喚や使役、魔法道具などの生産が行われているらしい。

「ダンジョンの最深部には、魔力を生成する部屋がある、らしいよ。僕もまだ入ったこと無いんだけどね」
「最深部の部屋には魔力集積の魔方陣と、コアになる魔石が設置されてる。
 そいつを破壊することで、ダンジョンは機能を失うんだ。
 魔王の力をそぐためにも、経験値を稼ぐためにも、ダンジョン攻略は勇者にとって重要なクエストなのさ」
「そっか……俺、勇者、魔王、何もしらない、な」

 コボルトにとって二つの勢力の争いなど、嫌悪と忌避の対象でしかない。
 こんなことでもなければ、シェートにとって縁遠い世界のままだったろう。

『今回は、その最深部にある部屋を破壊するのが目的だ。
 他の勇者達なら、魔物の生み出したアイテムや、収奪してきた財宝も漁るのだろうが……我らには無用の長物だ。
 無視してしまうのが良いだろう』
「結構、いいアイテムが落ちているみたいですよ? 
 使えそうも無かったら、街の好事家や魔法の研究機関に売っても良いですし」
「それ、もしかして嫌味かぁ? どの面下げてコボルトや仔竜が街に入れるんだよ」
「僕がそういう窓口になっても良いけど?」

 勇者の申し出に、シェートは画面から視線を外して問いかけた。

「ケイタ、お前、俺利用するか?」
「え?」
「俺のこと、村、呼んだ。そういう気持ちあった、違うか」
「いや、僕は……そんな……」
『でも、あなた達に、人間の協力者が必要なのは、事実だと思います』

 割り込んできたカニラの声は、どこか強張っていた。緊張と、申し訳の無いという気持ちがにじむような。

『あなた達の活躍は、いろいろな神々から聞いていました。そして、いずれ必ず、困窮する時が来るとも』
『……確かにな。とはいえ、加護による神託では、コボルトに従う人間を作るのは無理に近いといわれていた』
『全ての勇者と魔王を倒そうとするなら、人と係わり合いを持たないわけには行かないでしょうから。
 その時、私達がシェートさんたちと人間の世界の橋渡しとなり、あわよくばこちらの味方に引き入れる』
「なんだよ……それ」

 フィーの顔が嫌悪に歪み、空に向かって非難が放たれる。

「最初っから俺達を利用する気だったのかよ! もしかして、あのコボルトも!?」
『それは……違うと言っても、信じてはもらえないでしょうね。
 あなた達を動かす、絶好の機会だと思ったのも、事実ですから』
「ふざけんな! 何がすまないと思ってますだよ! 結局アンタも、身勝手なカミサマの一人だってことじゃないか!」
『よせ、フィー。そんなこと、最初から分かっていたことだ』

 追求を止めたサリアの声は、静かだった。
 辺りに漂う香りにも、いたわりと悲しみだけしかなかった。

「最初からって……どういう意味だよ!?」
『カニラは今まで私に接触することも無かった。その理由は明白だ。
 我が兄に勝利した直後では今だモラニアはきな臭いままだったし、百人の勇者と戦う時に手助けなどすれば、圭太殿を危険にさらしただろうからな。
 今この時が、ちょうどいい折と言うわけさ』
『サリア……私……』
『気にするな。むしろ私は、この出会いに感謝さえしているんだ』

 相棒たる女神の声は、どこまでも澄み渡り、強い意志を感じた。

『お前の言うとおり、シェートには人間の協力者が必要だ。
 魔王を倒すためには、いつまでも孤立した魔物と女神でいるわけには行かぬからな。
 カニラ、お前の存在はな、私にとっても、十分な利用価値があるんだよ』
「……うっわー、えっげつねぇ~。うちの女神様は、ほんっとうに底意地悪いよなぁ」
『それは、褒め言葉として受け取っておこうか』

 フィーの失笑をサリアが笑いで受ける。反対に、圭太たちは完全にしおれて、打ちひしがれているように見えた。

「俺達、弱い。だから、何でもやる。それ、お前達と一緒。だから、俺、責めない。サリアも」
『シェートさん……』
『少なくともお前は、私達と利害を分け合うつもりがある。それなら、拒む理由は何も無いということさ』

 サリアの言葉に、カニラが深いため息を漏らす。

『敵わないわね……いいえ、最初から、敵わないのは分かっていたのだけど』
『済まぬが、悔悟は後回しにしてもらおう。我らにとって時間は有限なのだから』

 村に捕まっている仲間のことを思い出し、シェートは地面に迷宮の概要を書く。
 石積みの壁に山腹にあいた洞穴。見張りの魔物の数を書き、圭太の指示で洞窟の奥が広い空間になっていることを書き添えた。

「どうする……正面、結構魔物多い。倒している間、奥から仲間出るぞ」
「他に入り口は無いのか、圭太」
「多分……あるとしても隠されてるだろうから、見つけるのには時間が足りないと思う」
『人間同士の戦なら夜討ちも効果があろうが、連中は魔物、なるべくなら昼の内に勝負をつけるべきだろうな』

 シェートは空を見、それから迷宮の入り口に意識を戻す。山を越えて近くへ行く間に、日は傾いてしまうだろう。

「俺、あの中、ある程度知りたい。どれだけ魔物いるか、罠、どんなもの、あるか」
「ごめん……僕もそんなに正確なマップを作ったわけじゃないんだ。
 一応、遠くを見る魔法があるから、入り口を入ってすぐの部屋ぐらいは見れるけど」
「地図なら、俺の『ただたかくん』で書けるぞ。
 圭太の魔法に透明化でもあれば、こっそり入って確かめるって手も使えたんだけどなぁ」
「……カニラ、透明化の魔法習得は、できる?」

 短い沈黙があり、カニラの答えが返った。

『できるわ。ただ、長い時間のものは、無理だそうよ』
『特殊な魔法は加護を食うと聞いたぞ。透明化なら私がシェートの装具に加護を掛けて』
『そのぐらいのことは、させてちょうだい。あなたを利用することでしか生きていけない女神の、罪滅ぼしだと思って』

 女神達の相談が終わり、それぞれが意見を出し合い、計画が練られていく。
「……よし」

 それぞれの役割を確認し、シェートは立ち上がる。
 緊張した面持ちで呪文の詠唱を確かめる圭太。
 鞍袋を外し、身軽になったグートの上で、板を操作するフィー。

「行くぞ」

 全員の意思を確認すると、コボルトは迷宮へと走り出した。


 ドーム状の天蓋は、中央の魔石から放たれる燐光で、複雑な陰影を生み出していた。
 天然の洞窟を掘削して作り上げた部屋に立ち、シェルバンは魔方陣の周囲に立つ術師を見回しつつ、手にした杖をもてあそぶ。

「掘削作業はどこまで進んでいる?」
「あな、だいぶおおきくなった。もうすこししたに、ほってもいいとおもう」

 工事を受け持っているゴブリンは、手元の羊皮紙に書きつくった迷宮の拡張計画を手渡してきた。
 自分がここに赴任してきたころは、いい加減極まりない掘削と増設で、勇者が来る前に倒壊しそうな状態だった。
 それを必死に建て直し、なんとかここまでやってきたのだ。
 魔王の城と魔王に限りない力を与えるための迷宮、その運営には細心の注意を払う必要がある。

「シェルバン様、魔王城への魔力送信、完了しました」
「ご苦労。休憩を挟みつつ、残余魔力を利用して術具の作成を……」

 突然、魔石の輝きに陰りが現れる。迷宮に張り巡らされた探査の網に、異常が感知された証だ。

「迷宮の外に襲撃者が現れた模様、現在入り口にて交戦中です!」
「相手の数と構成は?」

 シェルバンの問いに、術師の一人が魔石の力を使って映像を投影する。そこに映し出されたものを見て、彼は瞠目した。
「なんだ、これは!」


 三段重ねの加護矢が空を切り、迷宮から飛び出てきたオークを吹き飛ばす。
 それでも仲間の死体を蹴りのけ、新たな魔物たちが外に躍り出た。

「サリア! 後どのぐらい、奴ら湧く!?」

 迷宮の防御として積み上げられた石壁に身を隠しつつ、シェートは問いかける。
 見張りを打ち倒したと同時に連絡が回ったらしい、
 油断無く武器を構える魔物たちが、肉の壁になって迷宮への道を閉ざしていた。

『少し待て……今連絡が入った、そちらにあと十匹ほど行くそうだ』

 たった一匹の襲撃に驚いていた混乱もすでに消え、大声の指示が飛んで大楯や防御用の板が持ち出されてくる。

「フィー、まだ見つかってないか?」
『……すでに透明化は切れたと言っていたが、そちらに目を引き付けられているから、大丈夫だそうだ』

 新たな矢を番え、シェートは魔物の群れを見回す。
 力自慢の連中が、盾を押し立てて石垣へと迫ってくる。
 今のところ飛び道具を持っているものは見えないが、こちらが寡兵なのを悟られれば、一気に押しつぶされるだろう。

「サリア、そろそろ釣るぞ!」
『了解だ。カニラ、圭太殿へ打ち合わせどおりにと』
『ええ。分かったわ』

 天で交わされる言葉を耳に入れると、【荊】を引き抜いて一気に石垣を駆け上り、飛び越えた。

「うおああああああああっ!」

 振り下ろしの一閃が向かってきたオークを、盾ごと斜めに裂き断つ。
 腕と胸をずたずたに斬られたブタ顔が悲鳴を上げて転がった。

「なんだこいつっ!?」
「コボルトなんで!?」

【荊】を大きく振り、槍で押し包もうとした集団を押し返す。
 見えるだけで敵の数は十体ほど。更に迷宮の奥から湧き出してくる気配を感じる。

「どうした! もっとこい!」

 あえて挑発を繰り返し、手にした得物を振りかざす。加護付きの【荊】は刀剣の鋭さを持ち、魔物の粗末な木盾で防ぎきることは出来ない。
 それでも一度に相手できる数には限りがある。
 シェートの周囲を盾を構えたゴブリンたちが押し包み、身動きを封じようとする。

『シェート! フィーから、そちらにトロルが……』
「おっ、おおぉ、お前ら、どけぇ」

 サリアの警告と共に現れたそれ。奇妙にすべらかな皮膚を持つ禿頭の巨体が、メイスを手に洞窟を抜けてきた。

「んん。シェルバン、こいつ、俺が相手しろ言った。お前らさがって弓、持って来い」

 指示を受けて盾持ちの何体かが下がっていく。トロルはやぶ睨みの目を細めつつシェートに近づき、肩を揺すり上げた。

「お前、ガイデ殺したやつだな」

 聞き覚えの無い名前だが、あえてシェートは頷く。

「お前ら、コボルト、とって食う。敵だし仇。だから狩る」
「おおおっ、おおおっ、おおおおおっ」

 感情の起伏に乏しい遠吠え、それでもそこに込められているのは間違いなく怒り。

「なら、お前狩り返すっ」
「できるなら……やってみろ!」

 勢い良く振るった【荊】がトロルの脛の肉を貪欲にむさぼり、引き裂く。
 だが、

「おああああああああああああっ」

 痛撃をものともしないトロルのメイスが地面を砕き、岩や土砂がシェートめがけて襲い掛かった。

「くっ!」

 飛び退り、必死にかわした体をつぶてがかすめる。
 体勢を立て直したトロルがメイスを再び構えた時には、脛の傷はほぼふさがりかけていた。

「やっぱり、トロル厄介。傷、すぐ治る」
『シェートさん、こちらの準備完了しました! いつでもいけます!』
「じゃあ頼む!」

 素早く武器を収め、弓を引き抜く。途端にトロルの体が下がり、メイスの頭をこちらに向けるように構えた。

「お前、ワイバーン毒、使うの知ってる。一応毒消し飲んだ。でも、油断しない」
『……オーガの死体を残したのがまずかったか。それにしても、そんな情報まで共有しているとは』

 サリアの苦渋を聞き流し、矢筒から矢を数本引き抜いて宙に放った。
 立て続けの矢弾がトロルの胸で弾け、近づきつつあった盾持ちのゴブリンを下がらせ、槍を構えたオークの腹に突き刺さる。 
 それでも魔物の群れは怯まない。
 自分達の体を頼みに、石壁へとシェートを追い詰める。
 じわりと焦りをにじませたコボルトに、声が届いた。

『"万物に宿りし諸法諸元の源。光芒にて刻まれたる、祖たる韻を我は紡ぐ"』

 カニラの神威を通して聞こえる圭太の詠唱。それを耳に入れつつシェートは身構える。 

『"汝(なれ)、小さくかそけき燐火、されど集いて諸手を挙ぐるば、天をも焦がす劫火と成らん"』

 毛皮を穿つ、痺れのような刺激を感じると同時に、魔法使いの声に従って、大気に黄金の光が散り始めた。

「ま、魔法!? このコボルトが!?」
「ちがう! どっかにまほうつかい、かくれてる!」

 慌てた連中が一気に引き下がり、迷宮の中へと逃げ出そうとする。

『"我が声に寄り来たれ。その身を以ちて、千騎万軍、皆悉く焼灼(しょうしゃく)なさせしめ"』

「逃がすか!」

 解き放った矢の一撃が、真っ先に逃げていたゴブリンの後頭部を砕き、仲間の死体につまづいた連中が雪崩を打って地面に転がった。
 
『"怨陣に我らが頌歌(しょうか)を響かせよ"』

「こんちくしょうううううっ!」

 焦ったトロルが振るうメイスをすり抜け、シェートは一気に石垣を駆け上る。

『"秘められし、熱の威力を解き放て"』

「てめえも、みちずれに……っ!」

 伸ばされた巨人の手よりも早く、コボルトの小さな体が壁を飛び越え、加護付きのマントで身を包んだ瞬間、

『――"烈火繚乱"』

 巨大な火柱が、迷宮前の広場を焼き尽つくした。


 地を揺るがす音を聞きながら、フィーはほっと息をついた。
 サリアからの連絡がメールの形で届き、二人の無事と魔物の群れを討ったことが知らされる。

「作戦成功か。行くぞ、グート」
「うふぅっ」

 天然の洞窟を改装した迷宮は湿っぽくかび臭く、どこからか汚物の饐(す)えた臭いまでしてくる。
 その代わり身を隠す物陰も多く、グートの鼻と自分の聴覚のおかげで、敵に見つからずに済んでいた。
 隠れていた岩陰から出ると、辺りを見回す。
 大きく掘りぬかれたホールは分岐した三つの道と繋がっている。うち一つは出口への道だ。

「右と左、どっちがいいと思う?」

 無言で狼が右を目指し、その背に揺られて進む。ダンジョンの中に入ってから、自分の神経がピリピリと逆立っていくのを感じた。
 音をしっかり聞き、周囲を警戒する。ただそれだけで、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。

「前に来た時は、こんなこと、無かったよなぁ」

 勇者としてきた時は完全な防御に守られ、どちらかといえば観光気分だった。
 剣を振るだけで敵が倒れ、魔法を使えばどんな障害も吹き飛ばせた。
 反対に精神は緩み、危険に大して鈍感になって行った気がする。

「ほんと、俺って神器頼りだったんだなぁ……って、隠れろグー……とぉっ!?」

 こちらの指示よりも早く、狼が小さな脇道にそれた。
 立っていても腹まで浸かりそうな臭い水が溜まった袋小路に、グートは顔をしかめつつ身を潜めた。

「うえぇえ、きたねぇ……俺、下にいなくてよかったぁ」
「ぐるるるるるる」
「あっ、ほんと感謝してますって……えへへ」

 こそこそ話している間に、鎧をまとったゴブリンの一団が目の前を通り過ぎていく。
 複雑な紋様や象形が描かれていて、錆びた様子も無いところをみると、魔法の掛かったアイテムに違いない。
 こちらを見向きもしないのは焦っているからか、自分達のいる場所が連中の汚物捨て場か、トイレの類だからだろうか。
 やがて、物音が遠ざかり、グートがもとの通路に戻る。
 角に神経を集中するが、魔物が立てる音は聞こえない。
 上のシェートたちを迎え撃つべく、かなりの魔物が出向いているんだろう。

「よし、このまま奥の方まで……え、ちょっと!?」

 いきなりこちらの首筋に食いついた狼が、ぽいっとフィーを放り捨てた。

「い、いきなりなにぶええええええっ! やっ、やめろおおおおっ!」

 全身に付いた汚物を払い飛ばし、やっと落ち着いたとでも言うように狼が鼻を鳴らす。
 そして、その飛沫は青い仔竜の体を臭いまだらに染めていた。

「な、な、なにしやがんだよこのバカイヌ! うわっ、くせっ、くせえええっ! きたねぇよこれえええっ!」
「うふっ」
「ちっくしょうっ! 後で覚えてろよ!」

 ざまあみろとでも言いたげな狼が、先を目指して小走りに駆けて行く。
 涙目になりながら、それでもフィーは手元のスマホでメールを送りつけた。

「"マジックアイテムっぽい鎧のゴブリンが、四匹ぐらいそっちへ向かった。俺らはもう少し奥の"」

 そこまで打って、目の前に現れた階段に目を見張る。

「"見つけた階段の下まで降りてみる。マップを送るから、みんなの誘導はよろしくな"」


 水鏡の端に映し出されたフィーからの"めーる"を開くと、サリアは送りつけられた地図を表示する。
 通路のつながりや部屋の構造などが事細かに表示されたそれは、フィーの所有している携帯端末の能力の賜物だ。

「すごいものね」
「これを作るために、竜神殿は小竜たちの冷たい視線に耐えているそうだからな」
「……それもあるけど、私の言いたいのは」

 傍らに座ったカニラは、地上で立ち回りを続けるシェートを指差した。
 圭太の大魔法によってかなりの魔物が倒されたものの、湧き出てくる敵の数は未だに多い。
 それでも【荊】を振るい、弓矢を使って敵を寄せ付けないシェートの動きは、
 久しぶりに見たサリアにとっても、目を見張るものがあった。

「これでも、数々の死線を潜り抜けてきた者だからな。この程度の動きができなくて、魔王を倒すなどとは言えまいよ」
「そうね……」

 相槌を打つカニラの顔に、わずかな陰りが差し、その視線がこちらに向けられた。

「ねえ、サリア……さっきの事だけど」
「お前を利用するといった話か?」

 あえて視線を返さず、サリアは水鏡を可能な限り望遠化、周囲の様子を精査する。
 他の迷宮や付近を通りがかった魔物に応援が要請されている可能性を考慮したためだ。
 その映像の中で、シェートを援護しようと物陰から出てきた圭太が見えた。

「この戦いでは誰しもが腹に一物を抱えている。私も、それを非難するつもりはない。
 騙したり、卑怯な振る舞いをしない限りは、だがな」
「ごめんなさい……私……」
「今の天界には遊戯の毒が回りすぎて、誰を悪と言うこともできぬ状況だ。
 お前の振る舞いも、故あればこそだと、分かっているさ」

 本当は、こんな形で会話を交わすような真似はしたくなかった。できれば腹蔵なく、昔のように語らいたいと思う。
 だが、自分以上に争いを好まないカニラが遊戯に参加し、しのぎを削っている。
 それを責めることも、労わることも、カニラを傷つけるだろう。だから、利用し利用される、対等な立場として振舞う。

「シェート、フィーからの連絡だ。魔法の鎧をまとった集団が四匹ほどそちらに着く。
 それと、大分深部に潜ったともな。適当に片付けて後を追ってくれ」
『分かった。任せろ』
「圭太さんはシェートさんの援護をお願いします」
『うん』

 指示を済ませると、サリアは息をつく暇もなく水鏡を二つに分けた。

「カニラ、お前は圭太殿について、迷宮の中を補足してくれ。フィーの地図はそちらに送っておく。
 私はこのまま外を見張って、増援の有無を確認し続けよう」
「貴方の方が、迷宮で指示をした方がいいんじゃなくて?」
「敵陣周囲の警戒は、経験が無いものができるものでは無いからな……うっかり見落としをすれば、味方を危険にさらすことになる」

 過去の苦い記憶を思い出しつつ、それでも油断無く索敵を続ける。こういう時のために要点は学んできたつもりだ。

「……見事な采配ね」
「戦場に慣れれば、この程度の判断は自然とできるものさ。皮肉な話だがな」

 そんな言葉を交わしている間に、迷宮の入り口に新たな敵の姿が現れる。
 フィーの報告にあった敵を認めると、サリアは更なる指示を伝えた。

「攻撃よりも破術による鎧の破壊を優先しろ! 圭太殿の攻撃を通りやすくするんだ!」


 久しぶりに撃った大魔法の余韻に浸る暇も無く、圭太は隠れていた茂みから、迷宮の防壁の内側へ走りこんだ。

「ケイタ! 俺、押さえてる間、魔法頼む!」

 奇妙な光沢の鎧を身に包んだ四匹のゴブリンたちが、シェートを取り囲んでいる。そのいくつかの視線が、こちらに突き刺さった。

「やっぱり、なかまいたか!」
「あれ、まほうつかい! さきにころせ!」

 その叫びを切り裂いて、鞭がゴブリンたちの鎧に火花を散らせる。

「させないっ!」
「うおっ!? あぶねぇっ!」
「くそっ! こいつから、かたづけろっ!」

 それぞれの攻撃をよけながら、右に左に鞭を振るって相手を打ち払うシェート。
 体の回転を利用して威力を高めると同時に、その軌道で前後左右の敵を牽制していく。

『圭太殿! 後退しつつ凍月箭!』
「は、はいっ!」

 叱責に近い指示に意識を取り戻すと、緩やかな歩調で下がりつつ呪文を紡ぐ。

「……"霜月より来たれ怜悧、凍てつく銀の祝福は、万障貫く戒めの一矢なり"」

 凍月箭が生み出す光の矢は、術者の力量に応じてその数を増す。
 それほど冒険を重ねていない自分が生み出せるのは三発が限度だ。

『気を散らさずに聞け! そなたから見て右手の一匹に二発、残りを正面へ! 威力開放後、即座に"陽穿衝"の詠唱を開始!』

 サリアの言葉に意識が絞られ、目の前の光景がゆっくりと動いていく感覚に陥る。焦点を右と正面のゴブリンにあわせ、呪を結する。

「"打ち払え、凍月箭"!」
『シェート! 足元を狙え!』

 圭太の呪文に連動して、コボルトの体が地面すれすれに沈む。同時に、手にした鞭が周囲の敵の脛を一気に痛撃した。

「ぎああああっ!」
「あぎゃあああああっ!」

 体勢を崩した右手の敵が二発の光で吹き飛び、正面の一匹が肩を打ちぬかれて地面に転がる。

「"烈日の穂槍は我が手の中に"……っ!?」

 呪文の威力に脅威を感じた二匹が、こちらに向けて走りこんでくる。緊張と恐怖で胃が竦みあがり、集中が途切れそうになる。

『怖じけるな! 術の標的は背後の一体に!』
「行かせるかっ!」

 シェートの鞭が鎧に絡みつき、その場に縛り付けた。
 もう一匹の視線が圭太とシェートのどちらを排除すべきかで揺れ、動きが固まる。

「"連ねて鍛えし光韻のまがね、尖裂の威力と凝りて虚空を駆けよ"」

 かざした杖の先に宿った黄金の光、その力をシェートの背後に迫る一匹に解き放つ。

「"貫け――陽穿衝"っ!」

 光の帯が正確にゴブリンの顔を打ち砕き、シェートが敵を縛めていた鞭を離す。

「くあああっ!?」
「しっ!」

 抜き放たれた山刀が、よろめいた敵の喉を鮮やかに裂き、起き上がろうとしていたもう一匹の眉間に突き刺さった。

「うぁっ……はっ……はあぁ……」

 途端に、世界の速度が通常に戻ったような気分が押し寄せ、圭太は杖に寄りかかるようにして肩で息をついた。

「だいじょぶか、ケイタ」
「う……うん……ごめん……こんな風に、敵の目の前で魔法を使ったことなんて、ほとんどなかったから……」

 いつもなら、傭兵や腕に自信のある村人に前衛を勤めてもらい、その間に魔法で援護する形だった。
 魔法偏重の自分が、ほとんど武器の届きそうなエリアで戦うなんて想像もしていなかったことだ。

「シェート君は……怖くないの? あんな、ものすごく近づいて」
「怖い。でも、狩り、同じぐらい怖い。向かってくる猪、すれすれ通る。心臓、踊る」

 あれほどの立ち回りを演じていながら、シェートはこっちを気遣うように笑った。

「狩り、みんな怖い。でも、ちゃんと自分の仕事する、怖い、少なくなる」
「……そう、なんだ」
『案ずるな。うちのガナリは優秀だ。指示を守っていれば、恐れることなど無い』 
「ガナリって?」

 問いかけになぜか照れくさそうな顔をすると、シェートは武器の血糊を払い、ダンジョンに向き直った。

「気にするな。それより、フィー達、心配」
『この先、私は迷宮周囲の警戒を中心に行う。中の事はカニラに見ていてもらうが、何かあったらすぐに呼んでくれ』
「分かった。行くぞ、ケイタ」
「う……うん!」

 駆け出したシェートの後を追いながら、圭太は今までにない、高揚感が湧き上がるのを覚えていた。
 この世界に来てから始めての、パーティを組んでのダンジョン攻略。仲間は少し変わっているけど、それでも自分は一つの役割を受け持って、一緒に冒険している。

「……カニラ」
『どうしたの?』

 青い月光にも似た明かりを中空に浮かべながら、圭太は女神にそっと打ち明けた。

「不謹慎かもしれないけどさ……僕、ちょっと今……わくわくしてるんだ」
『……貴方も、やっぱり男の子、なのね』

 どこか寂しそうな声で告げたカニラは、かすかな笑いを漏らした。

「どういう意味?」
『シェートさんを助けて、しっかり迷宮攻略をしてきなさいということよ。私の勇者様』

 耳元をなぶる、甘い囁き。
 その艶かしさに思わず顔が熱くなってしまう。

「ケイタ! この辺り、敵いない! 行くぞ!」
「わ、わかった!」

 コボルトの声に顔を上げると、圭太は体の芯に残る熱を振り払うように、走り出した。


 魔石の間に集まっていく配下を見つめつつ、シェルバンは歯噛みをしていた。
 この迷宮に駐留している魔物の数は約五十ほど。その内十は外で活動中だ。
 その上、一部の魔物は罠と連動させた、自律移動できないゴーレムなどが中心で、実質動かせる兵は三十にも満たない。

「迷宮上部に向かわせた連中も討たれたようです。しかも、迷宮内の罠や宝物庫などには目もくれず、こちらに向かっている様子」

 魔石に残った魔力を利用し、探査を掛けていた術師が報告を入れてくる。
 どうやら先行して内部構造を把握していく者と、制圧目的の本隊がいるらしい。

「迷宮入り口で膨大な魔力の放出を感じました。術式から見て"光韻"の使い手がいると見て間違いありません」
「リンドルの勇者か! まさか、例のコボルトを従えているというのか!?」

 ベルガンダにコボルトの捜索を命じられて以来、どうにも不可解できな臭い状況に放り込まれている気がする。
 一体、自分の周りで何が起こっているのか、それが全く見えてこない。
 とはいえ、やるべきことは決まっている、この迷宮を死守することだ。

「術師は防御結界を展開後、召喚に全力を注げ! 
 防御組は広間中央より後方に大盾で陣を形成、残りは弓で迎え撃て!
 儀式が終わるまで、絶対にこの部屋に近づけるな!」

 準備を終えて配置につく連中を見送ると、シェルバンは手にした杖を握り締める。
 こっちに向かっている本隊が来るまで時間を稼げれば、そんな、祈りにも似た気持ちを込めて。


「おっせーよ。こっちはいつ見つかるかと思って、ドキドキもんだったぜ」

 階段を降りてすぐの小部屋に着くと、物陰から狼と仔竜が顔を出した。
 壷や棚などが整然と置かれた空間には薬草や油の香りに混じって、生ゴミのような臭いが漂っている。

「……フィー、グート、なんでお前達、ちょっと臭い?」
「どーでもいいだろ。文句はこのクソイヌに言ってくれ」
「ううぅっ」

 何があったのかは察しが付いたので、それ以上触れずに、奥の戸口の方に近づく。

「結構な数の連中が向こうの大部屋に集まりだして、今じゃあんな感じだ」

 整然と並べられた盾に隠れるようにして、弓を構えたゴブリンたちが見える。
 完全な防御体勢を敷いて、一歩も通さない構えをとっている。

「すごいね……二十匹くらいは居るんじゃないかな?」
「いや、さっき数えたけど、あそこに居るのは十六匹だ。
 もう一つ奥が魔石の部屋だと思うけど、扉が閉まっててカメラじゃ分からなかった」
「僕が見てみようか?」

 圭太がそう言って杖を掲げようとした途端、仔竜の体がぐらりと揺れた。

「う……ぐ……っ、な、なんだ……これっ」
「え!? フィーっ、ちょっと、どうしたのっ」 

 苦しげに角を押さえて、仔竜がうめき声を上げる。その姿に、魔王の城を見たときのことが重なる。

「つのが……い、いてぇっ……それにっ、なんか……ザラッとした、感じが……あぐっ」
「フィー苦しがってる! 魔王の城、あの時、同じ!」
『バカな! こんな狭い空間で、あんな精霊の動きが起こりようはずが……』
『おそらく、それは召喚によるものよ』

 カニラの言葉に合わせるように、シェートの肌に寒気が忍び込む。掲げられた圭太の明かりが不安定に揺れ始めた。

『異界との門を繋げた時に生じる魔素の流れに、彼の体が反応しているんだわ』
「し、しょうかん……って、悪魔でも、呼んでんの……かよっ」
『まさか、我らの迎撃のためだけに、そんなものを呼びつけようとは』

 シェートは無言で仔竜の体を抱き上げると、そのまま部屋の隅にそっと横たえた。

「ちょっと待ってろ。うるさいの、すぐ黙らせる」
「む……むり、すんなよ……俺なんかの、ために」

 重い苦痛に耐えるフィーをそっと撫でると、シェートは弓を手に立ち上がった。

『フィーの体のこともあるし、召喚が完了されても厄介だ。迅速に攻めよう』
「ケイタ、さっきやった、でかい火、いけるか」
「ごめん。外ならいいんだけど……隣の部屋に撃ったとしても、ここまで熱が逆流すると思う」
『透明化でシェートさんを先行させるのはどうかしら』
『姿を消したところで、あの盾の列をすり抜けることはできん。
 そもそも一分しか持たないのでは、あの列を抜けたところで見つかってしまうぞ』

 可能性が咲いては散り、時間だけが過ぎる。不安そうに見下ろすグートを撫でるシェートに、サリアの声が掛かった。

『シェート、近くに木盾はあるか?』
「……ああ。ここ倉庫、なってる、でかい板、たくさん」
『分かった。圭太殿、頼みがある』
「……なに?」

 サリアの固い口調に何かを感じたのか、圭太の顔が心なしか青ざめている。
 それでも女神は、必要なことを口にした。

『済まぬが、囮になってくれ』


 外への出口の前に陣取りながら、シェルバンは儀式を見守っていく。
 魔石を中心に術師たちが祈りを上げ、天井に描かれた魔法陣に力が集っていく。
 魔王城に送った後の残りかすとはいえ、本来ならゴブリン程度には扱い得ない量の魔力で異界への穴が開いていく。

「この具合なら、あと少しで……っ!?」

 隣の部屋のざわめきを感じ、そのまま戸を抜けた。
 防備を任されていたホブゴブリンたちが、一様に戸惑った顔でこちらに向き直る。

「何があった!」
「シェルバン様、あれを!」

 儀式用の道具が置いてある部屋から、一枚の大盾が現れていた。
 その背後に何者かが居るのは確実で、こちらに向かってじりじりと進んでくる。

「何をしている、さっさと撃たんか!」
「し、しかし、あれはどう見てもおとりで……」
「だからこそだ! さっさと叩き潰して懸念を減らせ! 陣の両端に居るものは警戒を怠るな!」

 この迷宮に入ってきたものはコボルトと勇者、そして狼と小さな竜が一匹。
 おそらく盾に意識を引き付け、コボルトを狼に乗せて突進、陣を破る気だ。

「弓隊、構え――射て!」

 長弓から放たれた十本あまりの矢が、唸りを上げて飛ぶ。
 いかに盾で守ったとて、これだけの数の一撃を受ければひとたまりも無いはず。

「なっ!?」

 まるで鋼の壁にでもぶち当たったような音を立てて、矢が完全に防がれた。
 それどころか盾の表面には傷一つ付いていない。

「ひ、怯むな! 魔法で支えているに違いない! こちらもまじないで対抗しろ!」

 射手たちが鏃にまじないを掛け、一気に弓を引き絞る。すでに盾は広間の中央、これ以上近づけては射程が合わない。

「今だ、射て!」

 まじないの掛かった矢が一気に襲来し、盾が粉々に砕け散る。

「やった……っ!?」

 崩れた盾の向こうには、誰も居ない。何も無い虚空だけが広がっている。
 その意味するところを悟って、シェルバンは絶叫した。

「姿消しか! 全員盾を支えろ! 扉を背に密集形態!」

 指示を受けたゴブリンたちが、自分を中心にするように近づく。
 その肉壁の向こう、獣の荒々しい息づかいが突進してくる音がする。

「狼を狙え! 足音と息のする方へ盾を押し出すんだ!」
「"烈日の穂槍は我が手の中に"」

 呪文の詠唱とともに、盾の砕けた辺りから杖を構えた勇者が姿を現す。
 狼に集中していた連中が驚きに視線を外し、守りに乱れが生まれる。

「"連ねて鍛えし光韻のまがね、尖裂の威力と凝りて虚空を駆けよ"」

 弓兵たちはすでに盾に持ち替え、防御の姿勢を取っている。盾持ちに突進させるには距離がありすぎる。

「"刹火灼熱"っ」

 盾の壁をすり抜けつつ、シェルバンは短呪の掌相を結んで勇者に迫った。
 狼に意識が行っている盾持ちを魔法で撃ち抜き、無傷でコボルトを通す策謀だ。
 その一撃さえ防いでしまえば、奴らは抑えられる。

「"彼の肉を撃て"!」

 突き出した右手の先、突然現れたコボルトが輝くマントを振りかざす。

「なんだと!?」

 解き放たれた火炎が虚しく砕け散り、

「"貫け、陽穿衝"!」

 シェルバンの胸板を金の光が撃ち貫いた。

「ぐっ……あああっ」
「頼むぞ! グート!」

 指示の叫びを受け、盾持ちの上を飛び越えて狼が扉へと消える。
 崩れていく世界の向こうでコボルトが鞭を引き抜き、盾持ち達に襲い掛かる。
 魔法使いの方も、残った敵へ詠唱を始めている。
 その全てを見やりながら、シェルバンは笑った。
 おそらく自分は死ぬだろう。だが、こいつらの攻撃は凌ぎきった。
 たかが一匹の狼を通したところで、儀式は止まりはしない。
 コボルトのまじない弓か、魔法使いの力でもなければ、術者を守る結界を越えることはできない。
 後は、召喚された魔物が時間を稼いでくれるはず。

「ぎゃああああああああああっ!」

 その思いを術師の断末魔が打ち砕いた。
 信じられない思いで魔法使いの勇者を見やる。
 あの短時間で大盾に防御力を与え、自分を含めた三体を透明化し、狼に結界を破る力を与えたというのか。

「もうしわけ……ありません、ベルガンダ、さま」

 戦闘指揮官である自分を失い、部下たちが次々に撃破されていく。

「勇者の、力、あなどって……おりました」

 喪失されていく召喚の力を感じながら、ゴブリンの術師は無念を抱えたまま、崩れ落ちていった。


 目が覚めると、巨大な水晶のような石柱が見えた。
 頭は今だに痺れた感じだが、痛みはもう消えている。ゆっくり顔を上げると、フィーは深く息をついた。

「起きたか、フィー」

 自分の側に座っていたシェートが、気遣わしげな顔で覗き込んできた。

「体、もう平気か」
「ああ。何とか。その様子だと、召喚前に倒せたみたいだな」
「グート、ケイタ、一杯がんばった」
「……また、俺は役立たずか」

 自嘲気味に吐き出すと、ちょうど部屋の中を見回り終わったらしい圭太が、こちらにやってくる。
 そこでようやく、自分が魔石の安置された迷宮最深部の部屋に寝かされていたことに気が付いた。

「フィーも色々がんばったでしょ。ダンジョンの構造を調べてくれたわけだし」
「まぁ、そうなんだけど……ところで魔石、まだ壊してなかったのかよ」
「お前起きてから、そうする決めてた」
「悠長すぎんだろ。早くしないと、仲間がコボルト鍋になっちまうぞ」

 二人に漂う余裕を見てあえて軽口を叩くと、シェートは笑顔で弓を手に取る。

「もう村、連絡した。迷宮、落として俺達、帰る」
「フィーも無事目を覚ましたし、これでクエスト終了だね」

 圭太の顔に、どこか誇らしげな色が見えるのは気のせいじゃ無いだろう。
 グートは興味なさそうに戸口近くに寝そべり、大きなあくびをしている。
 その全てを見やって、フィーは笑った。

「どうした?」
「なんでもないよ。さっさとやってくれ」

 勇者としてダンジョンを落としていた頃、自分の中にあったのは、どこか冷めた気持ちだった。
 自分が強くなるにつれ、どんどん攻略は楽になったけど、全てはゲームの延長線、ルーチンワークのように思えていた。
 でも、今こうして、不思議な縁で出会った皆と目標を達成しようとするこの時。

「いけえっ!」

 二人の手で魔石が打ち砕かれ、欠片が水飛沫のように散っていくのを見ながら、仔竜の中の少年は、実感していた。

「これが……冒険ってやつなんだなぁ」

 ダンジョンの機能が停止し、周囲に漂っていた疼くような感覚が消えていく。
 コボルトと少年が差し伸べた手を握り、フィーは立ち上がった。

「さ、帰るぞ」
「おう!」


 白く冷たい大理石の沈黙が、辺りを支配する空間。
 その中央に座したフルカムトは、目を閉じてそれを堪能し続けていた。
 正確を期せば、この空間の奥に小さなせせらぎが設けられ、
 わずかな音が大気を揺らすように仕向けてあるため、全く音が無いわけではない。
 無音は虚無で心をやするが、清音をかすかに含んだ静寂は、魂を潤してくれるものだ。
 その、研ぎ澄まされた知覚に、雑音が混入した。

「……無粋な」

 目を開き、執務卓に水鏡を展開すると、そこに映し出されたものを眺めやる。
 迷宮から脱出してくる小さな影は、コボルトを先頭にした一行だ。
 入ったときと同じ頭数を確認し、水面を一撫ですると光景が移り変わった。
 山間を進む魔物たちの群れ、先頭にいる牛頭の人魔がせわしなく命令を下し、必死に迷宮を目指して走っているのが見える。
 更に水面の景色を変化させると、森の木陰に身を寄せ合う魔物の姿が見えた。
 犬頭のそれらは息をひそめ、必死に己の存在を消そうとしているようだ。
 実に愚かしい、そんなことをしたところで、この神の目からは一切逃れることが出来ぬというのに。
 全ては我が手の中、少し掌を傾けただけで転がり落ちていく小石の類だ。

「康晴」

 今度は直に勇者の端末につなぎ、声を掛ける。

『はい』
「予定通りか」
『エクバート隊に半日の遅れがあります』
「問題ない。ヴェングラス隊に伝令、針路変更、今から指示する地点へ全隊を率いて急行させよ」
『了解しました』

 水鏡に投影した周囲を山に囲まれた盆地、その中央辺りにリンドル村が表示され、コボルトを示す駒が重ねられた。
 村の東側に南北に伸びる一本の街道が通っている。
 その先に点った自軍の駒に指を置くと、"知見者"は駒をリンドルの北西にある森林へと導いた。

「コボルトの群れがこの地点付近に居る。発見し次第交戦、殲滅せよ。
 ただし、ヴェングラスに累が及ぶか、隊の損耗率が五%を超えたなら即時撤退、『目』を残してエクバートと合流させろ」
『……分かりました』

 こちらの指示を完全に飲み込んで、勇者は短く返答する。
 交感を終了すると、フルカムトは水鏡を消し、再びかすかな水音に瞑目した。

「では、サリアーシェよ」

 聞こえるはずも無い言葉を、彼は喜色を込めて口にした。

「踊ってもらおうか、我が意のままに」



[36707] 13、群れの仲間
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/12 10:19
 村人達が見つめる前で、木に吊り下げられた檻が下ろされていく。
 かけられていた錠前が外され、中からよろめきながら出てきたソルデを、シェートはそっと抱きとめた。

「大丈夫か。体、辛いとこ無いか」
「……ああ」

 茶色の同族は、信じられないといった顔で見つめてきた。

「シェート君、準備できたよ」

 圭太と一緒にやってきたのは、小ぶりな荷車とそれを引くロバだ。
御者台が無いため、手綱を取っているフィーは、荷物の上に腰掛けている。

「それじゃ、すまん。これ貰ってく」
「うん」

 彼の背後に立つ村人は、誰も彼も不審な顔を向けるばかりだった。
とはいえ、昨日ほど不満の声が上がらないのは、迷宮から持ち出された財宝を、攻略の証として全て渡したからだろう。
 ただ、ポローという男は、最後まで自分を睨むのをやめなかったが。

「途中まで送るよ」
「村、いいのか?」
「街道に出るまでね。後は、ついていかない方が良いだろうし」

 フィーが無言で手綱をさばき、ロバが歩き出した。自然と人々が道を開け、そのまま門を抜けていく。

「ソルデ、荷台乗ってろ。少し休め」
「……ああ」

 居心地悪そうに荷台へと乗り込んだソルデの向こうで、大急ぎで門が閉じていく。
ようやく厄介払いができた、とでも言うように。

「なんか、あそこまで嫌われっと、かえって清々しいよなぁ」
「……ごめんね。結局、竜神様の言う通りになっちゃった」
「いい。嫌われる、慣れてる」

 そんなことを言いながらも、シェートは隣を歩く少年に笑った。

「ケイタ、いろいろありがとな」
「え!? いや、その……僕は……」
『私からも礼を言わせて貰おう。そなたのような勇者が居て、良かった』

 唐突に礼を言われたせいか、少年は顔を赤くして首を振る。

「感謝するのはこっちなのに。それに、結局君達を利用することになっちゃったし」
「お前、悪い奴、違う。言ってること、正直」
『この世にある誰もが、いや、天の神ですら、お互いの利得を勘定する。
だが、そこに誠実が入るなら、それは信頼を結んだと言えるのではないか?』
「いいじゃん。俺らも得したし、そっちも得したし、それで納得しとけば」

 身も蓋も無いフィーの言葉に、それでも圭太は笑って頷いた。

「僕も、ありがとう。ダンジョン攻略のこともそうだけど……一緒に冒険できて、楽しかったよ」

 少年は手袋を取り、右手を差し出してきた。
 コボルトは少しためらい、掌を拭ってから、同じように差し出す。

「がんばれ。村のみんな、幸せ、してやれ」
「僕も……君の願いが、叶う事を、祈ってるよ」

 握り合った手は、暖かかった。
 自分の毛皮の生えた手と、勇者の無毛の手が繋がりあって、奇妙な落差を生み出している。

「どうしたの?」
「……お前、暖かいな」
「え? いや、僕、生きてるんだし……そんなの」
『ああ。すまない。シェートは、今まで勇者達が消えていくところを何度も見ているのでな。
そうして相手の肉体を確かめるのが初めてなのさ』

 神の力で生み出された仮初の肉体だと聞いていた。
本来の肉体が失われることで、還るべき世界との繋がりを無くさないための措置だと。

『彼らの体は、レベルシステムや神規などに対応できるよう、本来のものより"緩く"造られている。
だが、それを除けば、普通の生物となんら変わりがないんだ』

 普通の生き物と変わりないという存在。
 繋がりを解くと、シェートは自分の手を見つめた。

「そろそろ行こうぜ」

 気遣わしそうにフィーが言い、その後ろに居たソルデが縋るような顔で見つめてくる。

「それじゃ、ケイタ」
「また……会えると良いね」

 ロバが再び街道にひづめの音を響かせ始め、少年の姿が遠ざかっていく。
 手を振って見送ってくれる圭太に一度だけ手を振り返すと、シェートは背を向けて歩き出した。


 真っ黒に焦げた大地を踏みしめながら、ベルガンダは完全に破壊の限りを尽くされた迷宮をにらみつけた。
 術師たちによる透視で、施設のほとんどが復元不能なまでにされている事が分かり、本隊はここから少し離れた谷間に待機させている。

「リンドルの勇者の実力、まさかここまでとは」
「それだけではない。これを見ろ」

 付き従って現場の検分に当たっていたコモスに、小さな木の矢を突きつける。

「やはり、見間違いではなかったのですな」
「理由は分からんがリンドルの勇者とコボルトは共闘したらしい。その結果が、これだ」

 迷宮の規模としては小ぶりだが、シェルバンとその部下は決して弱くは無かった。
リンドルの勇者を初めとして、付近の傭兵達の攻略も頑なに拒んできたのだ。

「いかがされますか」
「……当初の目的を、果たすほか無かろう。リンドルを攻め落とす」
「しかし、そのコボルトの方は……」

 牛頭の魔将は瞑目した。
 魔王の命令は絶対であり、コボルトを連れ帰るのは至上の命令だ。
 しかし、いかなる力によるものか、相手は尋常ではない戦闘力を備えている。
ただ、普通に攻略しただけでは、こちらの戦力をいたずらに減らすだろう。

「――攻城戦の準備をさせろ」
「は?」
「聞こえなかったのか! 攻城戦準備!」
「は……はいっ!」

 ローブの裾をからげて走り去っていくホブゴブリンに見向きもせず、ベルガンダは膝をついて戦いの痕跡を指でたどる。
 爆炎の呪文、おそらくは"烈火繚乱"だろう。
焼け残った死体はトロルを含めて六体、斧を石壁に立てかけると、ナイフを引き抜いて死体を検め始める。

「矢傷、だけでは無いな。鎧の表面に引っかいたような跡……金属を束ねたものか、あるいは金属片を埋め込んだ鞭……か」

 死んだゴブリンの眉間に開いた穴へと、手にしたナイフを差し入れる。
焦げて穴の形は歪んでしまっているが、切っ先がどの程度もぐりこんだのかは分かった。

「これよりは少し長いか……短剣……いや、山刀の類だな」

 立ち上がると、今度は壁際に積まれた死体に歩み寄る。
 強烈な熱で焦がされ、乾燥した土の上に、いくつもの足跡が残っている。形状や歩幅から、人間の物であることを確かめていく。

「リンドルの連中だな。借り出されてきた農夫と……この歩幅と靴跡は猟師か……これがおそらく勇者と……」

 他のものよりも小さな靴と、そこから距離を置いて続く独特の足型。

「ベルガンダ様! 手配が終了しました! 準備完了は明後日の昼頃と」
「気取られんようにするには、それが限界だろうな。完了と同時に侵攻を開始すると伝えておけ」
「はい。その様子では、検分は終わられましたか?」
「まだだ。次はこれを調べる」

 遺骸を一つ一つ、丁寧に並べ、その状態を確認する。
 その様子をコモスが興味深そうに見つめ、仕事の手を休めていた連中が集まってきた。

「分かるか、このオークの顔」
「焦げて……砕けておりますな。おそらく魔法によるものでしょう」
「違う。火で焼け潰れて見えにくいが、眉間の部分に穿孔がある。これは矢傷だ」

 手早くナイフで死骸の顔を裂き、筋肉と脂肪の奥にある、頭蓋まで到達した鏃をむき出しにして見せた。

「おそらく、鏃に掛けた力が弾けて、顔を砕いたのだ。
 "凍月箭"であれば着弾と同時に顔が奥へと潰れていく。
 しかし、これは鏃を起点に、外へと威力が広がっている」
「普通、まじないの掛かった武器は鋭さや貫通力が上がるものですが、これは……」
「コボルトの矢には、"凍月箭"のような力が込められ、
 当たると同時に熱と衝撃を撒き散らす効果がある、ということだ」

 いくつかの死体を検分した結果、コボルトのつけたと思しき傷には、似たような傷痕が刻まれていることが分かった。

「ガイデの肉を貫いたのもこの力だろう。油断すれば、この俺もワイバーンの毒にやられかねんな」
「まさか……それだけの懸念で、攻城戦の準備を?」
「この不思議な力に加えて、リンドルの勇者も相手取るのだ。用心に越したことは無い」

 死体を事細かに調べ、その事実を頭の中に叩き込む。
 傍らに付き従うコモスにも書き取らせ、コボルトと勇者の立ち回りを想像していく。

「まあ、ここで分かるのはこの程度だろう」

 大分日が傾き始め、周囲が闇に閉ざされ始めた。
 いくら闇を見通す目があるとはいえ、正確な分析にはそれなりの光が必要だし、手に入る証拠も調べ尽くしている。

「後は実地で見なければな」
「しかし、このような検分法、どこで学ばれたのですか?」
「なに、別に俺とて、生まれたときから魔将をやっていたわけではない、ということだ」

 あいまいな返答で追求を封じると、ベルガンダは野営地へと向かう。
 闇が濃くなり、全てを飲み込むように夜が深まっていった。


 ロバの手綱を握りながら、フィーは流れていく薄暗い森の道を眺めていた。
 馬よりも足は遅いが、後ろに詰まれた荷を引いた状態でも、駄獣は疲れた様子も無く足を進めている。
 ただ、その脇を歩くグートの存在に、時々神経質な鼻息を漏らしていた。

「グート、ロバが嫌がるからあっち行けよ」
「……ふぅっ」

 不満そうな太い息で答えると、そのまま狼は姿を消す。
 荷台の後ろでは、シェートが久しぶりに会った同族と話し込んでいるのが聞こえていた。

「そうか。魔軍、こっち来てるか」
「あと、人間、軍隊たくさん。俺達、ずっと流れてきた」
「苦労したな……早く、群れ、合流しよう」

 暗い顔で話すソルデは疲れ切り、重い苦労を顔から滲み出させている。それを励ますシェートとは、全く対照的だ。
 考えてみれば、シェート以外のコボルトをまともに見るのは、これが初めてだ。
 勇者として行動していたとき、彼らは動く標的であり、経験値の塊でしかなかった。

「シェート、食べ物、毒、大丈夫か」
「ケイタ、カニラ、ちゃんと保障した。俺も味見た、心配ない」
「村人、俺達、つけてないか」
「グート、目、光らせてる。サリア、ちゃんと見てる。フィー、音、何か分かるか」

 突然話題を振られ、慌てて周囲を確かめる。

「俺の……三百……いや二百歩周りにはなんも居ないと思う。
 鳥とかリスとかネズミぐらいかな。あ……グートが飯食ってる……」

 かなり生々しい咀嚼音に慌てて感覚をぼかすと、シェートは笑いながら荷物の中から食料を取り出した。

「飯、食うぞ。時間惜しい、ロバ止めずに食え」

 切り分けられた塩漬け肉と硬パン、水袋を受け取ると、そのまま食い始める。
 シェートに保障されたのに、ソルデは肉とパンの匂いを嗅ぎ、用心しながら口に入れた。

「そ……そんなに神経質になるなよ。同じもの、俺も食ってるだろ」

 声を掛けた途端、コボルトはこちらを凝視し、それから居心地悪そうに食事に戻る。
 村を出てからもソルデはこっちに対して、ずっとこんな態度を取っていた。
 まるで、世界の全てが、自分達を傷つけるとでも思っているように。
 シェートの方も、ソルデをなんとか安心させようとしていたが、頑なな相手に諦めてしまったらしい。
 済まなさそうな目で、こっちを見るだけになっていた。

「ソルデ、俺達、どこまで、荷物持って行く?」

 食事が一段落付いたところで切り出された話題に、ソルデは辺りを見回しながら、小声で話し始める。

「群れ、この森、奥いる。近くに滝、茂み多いところ」
「音からすると、結構遠そうだな。荷車は入れなさそうだけど?」

 意見を口にした途端、ソルデはなんとも言えない苦い顔を向けた。

「あ……あのさぁ! そんな位の小声じゃ、意識してなくても聞こえるんだよ!」
「フィー!」

 珍しく弱った顔でシェートが割って入る。それ以上言う気が失せて、そのままロバの背中に視線を戻した。

「ソルデ……フィー、俺の仲間。悪い奴、違う」

 何度目かの説得に、コボルトは呻くように絞り出した。

「……シェート、お前……なんだ?」
「え?」
「お前、神様、力貰った、言った。ドラゴン、仲間言う。俺、そんなコボルト、いたの、知らない」

 角に、ソルデの聲が聞こえたような気がした。
 それは震えて、怯えていた。

「俺、感謝してる。それ、本当。俺、逃げられた。食料、毛皮、布、
 薬、手に入った。でも、それやったシェート、お前……一体なんだ?」
「お……俺……?」

 振り返った先にあったソルデの顔は、疑念と恐れに歪んでいた。
 思いがけない問いかけに、シェートは驚きと苦痛を浮かべている。

「俺、コボルト。お前と、同じ……」
「同じ、違う」

 明らかな否定に、二匹のコボルトは言葉を詰まらせた。異様な雰囲気に、鈍感なロバさえもが足を止めてしまう。

『……シェート、今は成すべき事だけ考えよ』

 サリアの声にシェートの耳が、かすかに動いた。苦痛を顔から消し去り、同族に笑顔を向ける。

「今、そのこと話す時、違う。群れ、皆待ってる、そうだろ?」
「……すまん。俺……こんなこと、言うつもり、なかった」
「ふざ――」
『やめよ、フィー』

 女神の言葉は、こちらの肩を掴むように響いた。

『お前には分からぬだろうが、コボルトたちは本当に弱いのだ。
 それゆえ、得体の知れぬ力を持ったシェートを、恐れてしまう。
 たとえ、同族であったとしてもな』
「なんだよ……それ」

 サリアの放つ香気は、苦く沈んでいた。自分の与えた力が、同族の間に生み出した溝を見て。
 そして、フィー自身も、重く圧し掛かるものを感じていた。
 瞳に悲しみを宿しながら、それでも明るく振舞おうとするシェートの姿に。


 日が傾きかけ、森が闇に閉ざされる頃、シェートは茂みの奥にざわめきを聞いた。

「ソルデ、仲間、来たか」
「ああ……ちょっと待て」

 素早く荷台から降りると、ソルデはか細く通る鳴き声を森の奥へと放った。
 おそらく安全を示す合図だろう、茂みの音が大きく強くなる。
 そして、馴染み深い犬面が、いくつも顔を出した。

「無事だったか! ソルデ!」
「心配した! 生きてて良かった!」

 仲間達に抱擁を受ける姿を見て、胸が少し痛む。
 身につけた衣服や山刀から見て、おそらく狩人の連中だろう。
 やがて彼らは、不思議なものでも見るように、こっちに視線を投げてきた。

「あれ、誰だ? 見ない顔」
「あいつ……シェート。人間の村、捕まった時、助けられた」

 その言葉だけでは説明が付かない荷物や、フィーの存在を眺める男達に、シェートも荷台から降りて挨拶をする。

「シェートだ。灰影ハナンの尻尾、薬師メルガとイルシャの初仔。木陰、草陰、くぐって獲物追う友、挨拶する」
「アダラ。山追ジウルの尻尾、弓取オンボとセイの二腹目。山川越える友、挨拶返す」

 半ば忘れかけていた古い挨拶の言葉を交わすと、アダラと名乗った男はすっかり打ち解けた顔になった。

「ソルデ、助けた、感謝する」
「……ああ。それより、これ運ぶ、手伝ってくれ」

 荷台を示すとコボルトたちは喜びながらも、不思議そうに荷物を確かめていく。

「これ、盗って来たか?」
「気にするな。これ、全部お前らの。人間、追ってこない」
「追ってこない? ……まぁ、それなら、いい」

 さすがにアダラは深い追求を避け、ただやるべきことを指示していく。
 荷物がコボルトたちに背負われると、ロバが不安そうにいなないた。

「これ、どうする?」
「どうしてもいい、言われた。潰して肉、食うか」
「え……ちょっ、このロバ殺しちゃうのか!?」

 それまで黙っていたフィーが嫌そうに声を上げる。途端にコボルトの群れが仔竜に不安そうな顔を向けた。

「そいつ、俺の仲間。気にするな。それとフィー、ロバ、山奥つれてけない。
 このまま放す、他の獣、餌食なる。それ、もったいない」
「分かる、けど……なんかこう、もにょっとするなぁ……ここまで一緒に来たのに……」

 情でも移ってしまったのか、フィーがロバの腰を優しく撫でている。その様子にアダラが言い添えてきた。

「足萎えた年寄り、居る。そいつ乗せる、いいか」
「ああ。荷車、ばらす。後で何か使え」

 話がまとまったことで安堵した仔竜を降ろし、シェートは一行と森へ入った。
 先導するアダラの立ち居は落ち着いていて、おそらく群れの中心になっている者だと分かる。
 その雰囲気に後押しされ、ソルデから聞き出せなかった質問を口にする。

「アダラ、群れ、どのぐらい仲間、いる?」
「……今朝、何人か弔った。それでも、六十は居る」
「多いな……多分、食料、もたないぞ」

 ソルデは村に居る間、頑なに群れのことを話そうとしなかった。
 仲間を危険にさらすのを嫌ったのは分かるが、言ってくれていたら、もう少し圭太から引き出せたろう。

「でも、これ、みんな上等。麦粉、あるの助かる。乳出ない女、赤ん坊、食わせる」
「飯食わせた後、別の土地、移りながら狩り、か」
「……そろそろ、青葉、盛りなる。しばらく、どんぐり、食えない」

 渋い顔でアダラは首を振る。狩りをすると言っても必ず獲物が居るわけではない。
 そういう時のために秋のどんぐりを備蓄するのだが、着の身着のままの彼らに、そんなものがあるわけはなかった。

「なぁ、シェート、お前知らないか、コボルト住める森」

 暗くなった森の中でも、同族の男の瞳が期待に輝いているのが分かった。
 おそらくこちらを、どこかの群れから出て、狩猟の旅をしている者だと思ったのだろう。

「すまん。俺、住んでた村、もう無い」
「……そうか。お前、生き残りか。身なりいい、無事な里、ある思った。許せ」
「気にするな。それより、俺、少しだけいた山、結構良い。木の実良く生る茂み、茸、山鳥、たくさん」

 さすがに、自分が残した影響は消え始めているだろうが、ふもとの人間達も簡単には入り込まないだろう。
 一冬でも越せれば、もっと南の人の手が入っていない土地にも行けるかもしれない。
 エレファス山の話を聞かせると、アダラの顔は目に見えて明るくなった。

「ありがとう。お前、俺達の恩人」
「困ってる時、助ける当たり前……ガナリ、苦労、たくさんだな」

 シェートの言葉に相手は一瞬驚き、微笑んで頷いた。 

「村長、落ち延びる時、死んだ。今、俺がみんな、守る役」
「そうか……」

 疲れてはいるが、どこか誇らしげな表情を見て、シェートは目を細めた。ここにも、何かを守るために働いているものが居る。

「……どうした?」
「いや、何でもない」
「おおっ、アダラ! ソルデ!」

 気が付けば、行く手の森の中からいくつもの顔が現れた。
 小さな茂みや大樹の影から転げ出るようにして走ってくるコボルトたち。

「ああ……」

 出迎えの仲間達に抱きつかれ、すっかり緊張の取れたソルデ。素早く荷を解かせて、食料の配分を始めるアダラ。

「おい! みんな! こいつ、シェート! 俺達の恩人!」

 思いがけず集団の中に引き出され、あっという間に注目の的になってしまう。

「捕まったソルデ、助けた! あと、この荷物、全部シェート、持ってきた!」
「あ……いや……その……」

 アダラの言葉に、何か言う暇もなくコボルトたちが抱きついてくる。
 その歓迎を受けていく間に、シェートは自分の心が解れていくのに気が付いた。
 久しぶりにめぐり合った、群れの暖かさに。


 深い森の木陰に、いくつもの火が焚かれている。
 その一つ一つにコボルトたちがうずくまって暖を取り、食事を口にするのを、フィーはぼんやりと見つめていた。
 シェートは群れのリーダーらしいアダラと一緒に、奥まった場所でもてなしを受けている。
 その顔は今まで見たことの無い、安らぎに満ちた表情を浮かべていた。

「仲間……か」

 自分の前に用意された小さな火に当たりながら、ぽつりと呟く。
 シェートにとっては久しぶりに出会った仲間、喜ばないわけは無いだろう。
 でも、自分にとって心安い場所には思えなかった。

「おい」
「え? あ、ああ、ソルデか」

 小さな椀と薄く焼いた小麦粉のパンのようなものを手に、ソルデが傍らに座った。

「これ、お前の分。食え」
「……俺のこと、嫌ってたんじゃないのか」
「嫌い、違う。得体知れない、それだけ」

 敵意というよりは不信。それを顕にしてコボルトが腰を上げる。

「ちょっと待てよ」
「なんだ」
「さっき、来る途中に言ったことって」

 その問いかけに、ソルデは苦い顔でため息をついた。

「俺……悪いこと、言った。あいつ、恩人……分かってる」
「だったら!」
「でも、俺、あいつ……怖い」

 答えは端的で、分かりやすかった。何かを見透かすように、視線は上手に座っているシェートに向けられている。

「シェート、なぜ、神と話せる?」
「え?」
「あいつ、神、選ばれて、力貰った、言った。なぜ、そんなことできた?」

 ソルデの問いかけに、フィーの肌が粟立つ。
 シェートがあの力を手に入れた理由。

「なんで……そんなこと……俺に、聞くんだよ」
「お前、あいつの仲間、だから」
「仲間……」

 その言葉が、冷水のように背筋に染みた。
 シェートとの関係は、見た目にはそうだろう。自分だって、そう思い込んでいたくらいだから。
 でも、本当はそうじゃない。

「ごめん……俺も、良く……知らない」
「そうか」

 それきり、ソルデはその場を去っていく。残されたフィーは、深くため息をついた。
 いったい自分は、どうしてここに居るんだろう。
 竜神と契約したことで、再びこの世界にやってきた。その理由は、勇者と魔物の遊戯の真実を見ること。
 そして、自分がしたことの意味を知ることだった。

「……ん?」

 気が付くと、焚き火の近くに小さな影があった。こちらの顎の下くらいしかない、子供のコボルトがじっと見つめていた。

「なんだよ?」
「っ!」

 声をかけられた途端、すっと木の幹に体を隠してしまう。
 それでも、じっとこっちを見るのは止めず、そいつ以外にも小さな姿がいくつも見えた。

「……大丈夫だ。何もしないよ」

 興味津々といった感じでコボルトたちはじりじりと近づき、年長らしい子供が話しかけてきた。

「お前、ドラゴン、本物か?」
「あ、うん。一応、な」
「ほら! 言ったとおりだ!」

 きゃあきゃあ騒ぎながら、子供達が一気に距離を詰めてくる。顔立ちは丸っこくて子犬そのものだ。

「お前、火吹けるか!?」
「えっと、俺、そういうの、まだできなくて」
「空飛べるか!?」
「……それも、無理なんだ。ごめん」
「魔法、使えないか?」

 最後の問いかけは、微妙に失望したような声になっていた。
 確かにブレスも吐けない、空も飛べないドラゴンなんて、がっかりされて当然だろう。
 とはいえ、何の力も無い自分にできることなんて――。

「ま、魔法ぐらいなら、余裕で使えるぞ!」
「ほんとか!? やってみろ!」
「よ……よーし、これでどうだ!」

 スマホの表面をタップすると、画面表示とともに煌々とライトが点る。

「おおおお!」
「しかも、これを見ろ!」

 さらに指を画面に滑らせ画像をスライドさせると、コボルトの子供達はこっちを押しつぶしかねない勢いで詰め寄ってくる。

「すごい! 魔法の板!」
「もっと見たい! もっとなんかやれ!」
「ば、バカッ! そんなに押すなって……うわあああっ!」

 それから、子供らの母親が来るまで、フィーはひたすら子供らにもみくちゃにされることになった。

「じゃーなー! フィー!」
「おう……またなぁ……」

 ようやく開放され、疲れきった肩をぐるぐると回す。
 そういえば、正月に親戚のチビどもと遊んだ時も、こんな風にされた記憶がある。

「コボルトも……人間も変わらない、か」

 そして、目の前に置かれた、干した木の実。

『うちの子、遊んでくれた礼』

 母親の幾人かが、去り際にくれたものだ。長い放浪生活で多少くたびれていたが、口に含むと程よく甘かった。

「大丈夫か、フィー」

 その瞳を酔いで潤ませて、シェートがやってくる。今まで見た中で、一番緩んだ顔をしている気がした。

「子供ら、元気なった、良かった」
「そりゃ、元気なのに越したことはないけどさ……ちょっとテンション高すぎだろ」
「みんな久しぶり、腹いっぱい食った。子供ら、ずっと元気なかった、言ってた」

 それから、シェートは群れの現状を教えてくれた。
 元々は、ここからかなり北に行った場所に村を作っていた彼らが、魔物の侵攻に気がつき、逃げ始めたことを。
 それとほぼ同時に、人間の軍があちこちの街道に現れるようになり、ひたすらに逃げるだけの生活が続いた。

「食べるもの、どんどん、無くなった。逃げる、精一杯、狩りする時間、飯作る時間、無い……」
「そんな……それじゃ……」
「たくさん、死んだ、聞いた。群れ、今、半分くらい、なった」

 小さな火のほとりで、コボルトたちが身を寄せ合っていた。
 子供と身を寄せ合って眠る母親、それを見ながら山刀で何かを削っている父親。
 時折、アダラとその部下らしいコボルトが、群れの様子を見回っているのが見えた。

「でも、皆ちゃんと食べた。元気、取り戻した。これから、俺達いた、エレファス行く」
「ああ……あそこなら良いかもな。うまいもの、一杯あったし」
「山で一冬、過ごせたら、もっと南行く、勧める」

 消えかけた焚き火に小枝をくべ、シェートはポツリと漏らす。

「フィー」
「ん?」
「俺、あいつら、誘われた」
「一緒に……来いって?」

 頷いて、それからコボルトは首を振った。

「どうして、行かないんだ?」
「俺の旅、目的ある。忘れたか?」
「ああ……」

 コボルトの暮らせる森を創るために、シェートは安らぎを捨てることを選んだ。
 そうさせたのは、自分だ。

「シェート……」
「それに、俺、あいつらと居る。きっと、迷惑かかる」
「そう……だよな」

 "知見者"はサリアに対して、宣戦布告に近い形で接してきたという。
 それに、魔王を倒したとしても、競争者である勇者が一人でも残っていれば、遊戯は続けられる。
 騒乱の種となるシェートが一緒では、群れはいずれ全滅するだろう。
 沈み込んでしまったこちらに向けて、コボルトは安心させるように頷いた。

「でも、あいつら、山着くまで、一緒、行く」
「いいのか?」
「ああ。サリア、良い、言った。エレファスの山、色々教える奴、いるしな」
「分かった。お前が良いなら、俺もそれでいいよ」

 伝えるべきことを伝えてしまうと、シェートはその場に横になる。

「寝とけ。明日、必要なもの揃える。明後日、出発」

 黙って頷き、フィーも自分の翼に首を突っ込んだ。
 それでも、中々眠気はやってこなかった。反対に、シェートはあっという間に寝息を立て始めている。

「なぁ……シェート……」

 本当に、誰にも聞こえないくらいの小さな声で、フィーは漏らした。

「俺の……本当のことを知ったら、お前は、どんな顔、するんだろうな」



[36707] 14、戻れない道
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/13 19:47
 まだ夜も明け切た無いうちから、コボルトの群れは動き始めていた。
 自分の体内感覚よりも早い彼らの動きに、フィーはしぶしぶ体を起す。

「ほれ、朝飯」

 薄暗い中からぬっと突き出された、見知らぬコボルトの手から椀を受け取り、そのまま舌をつけて口に入れる。
本当に犬のような食べ方だが、最近はあまり違和感を覚えなくなっていた。

「あ、塩効いてんなぁ……」

 麦の粉と山菜と塩漬け肉の粥は結構味が深くて、粗野な料理にしてはうまいと思えた。
 食事をすすりながら辺りを見回すと、群れの人数が大分減っていた。残っている大半は女子供に年寄りばかりだ。

「フィー! おはよー!」

 昨日遊んでやった子供連中が、歓声を上げて抱きついてくる。
どうやらコボルトは、大人も子供も抱きついて親愛の情を示すらしい。毛皮の塊のような体からは、かすかに犬の毛のような匂いがした。

「ちょっと待てって、まだ俺、飯の途中だぞ」
「僕達、もう食った! フィー、遊ぼう!」
「ダメだ! 遊ぶの後! 仕事する!」

 年長らしい一人に言われ、チビどもが不満そうに離れていく。
一回り背の高いそいつはそれぞれに草のつるを編んだ縄を手渡し、最後にフィーにも同じものを突きつけた。

「これ、渡すよう、言われた。薪(たきぎ)集め、手伝え」
「シェートは山に行ったのか?」
「大人たち、皆と。貰った食料、減らさないため。山一つ、越える、言ってた」

 残りの粥を飲んでしまうと、フィーは頷いてつるを受け取った。

「分かったよ……えっと」
「ウラク、お前、フィー」
「うん。よろしくな」

 年長のコボルトの指示で、子供達がそれぞれに固まって森に消えていく。
 それに習って歩き出そうとすると、ウラクは自分の方に手招きをした。

「お前、まだこの山慣れない。俺と来い」
「あ、うん」

 朝霧の薄く立ちこめる森は、冷えた大気を漂わせている。そんな中でも、一緒に歩く子供達は元気一杯だった。

「フィー! 尻尾、触らせろ!」
「うわっ!? ちょ、いきなりひっぱるなって!」
「この羽、鳥と違う。どうやって空飛ぶ?」
「そりゃ、魔法とか精霊の力とかでって……そこは、あっ! あああっ! 
 くすぐった、ああっ!? ふあああああんっ!」

 昨日と同じかそれ以上の手荒い歓迎に、思わず変な声が漏れてしまう。

「こらっ、お前ら! フィーいじめるな!」

 見かねたウラクが子供らを引き離すと、フィーは深くため息をついた。

「ったく、俺の体はおもちゃじゃないっつーの……」
「すまん。みんな、お前珍しい。ドラゴン、近くで見る、初めて」
「気持ちは分かるけど、もうちょっと早く止めてくれよ」

 こちらのぼやきにウラクは笑い、それから辺りを見回した。

「この辺り、薪取って無い。みんな、俺、見えるところで拾え」

 年上の指示に、子供達が歓声を上げて四方に散っていく。
 木切れを真面目に集めている子や、虫を掘り出している子、あるいは何も考えずに走り回っている子。
 その姿は、どこかの幼稚園の遠足を思わせた。

「やっぱり、子守、嫌か」
「え? いや、確かにあのテンションはちょっと辛いけど、嫌ってほどじゃないぞ」
「あいつら、ずっとおとなしくする、言われてた。それに飯、ちゃんと食えなかった。それでも、ちょっと、はしゃぎすぎ」

 昨日のソルデと違い、思い切り打ち解けているウラクに、少し意外な気持ちがした。
 やはりコボルトと言っても、それぞれ違うんだろうか。

「お前、俺のこと、怖くないのか?」
「なんでだ? お前、俺と同じくらい。子供ドラゴン、そんな怖くない」
「はいはい、どうせ俺は、チビで火も吹けない、できそこないですよ」
「でも、シェート、頼りしてる、言ってた」

 何気ない一言を口にして、コボルトの少年は足元の小枝を拾い上げる。
 それに習いながらも、フィーは問いかけずにはいられなかった。

「ほんとにあいつ、そんなこと言ったのか?」
「ああ。優しくて、気の付く奴。山のこと、ちゃんと仕込んだ、だから手伝いできる、言ってた」

 ふと、昨日の夜の光景が頭に浮かんだ。
 焚き火を囲んで、仲間達と語らっているシェート。その嬉しそうな口元から、自分のことも皆に語って聞かせたんだろうか。 

「……そんなんじゃ、ねーよ」
「フィー?」
「なんでもない」

 それ以上の追求を避けるように、枝を拾っていく。それを束にしてくくる頃には、森の中はかなり明るくなっていた。

「……よし、そろそろ、みんなのとこ、戻る……」
「にいちゃ! きのこ! こっち、きのこ、いっぱい生えてる!」

 さっきから駆けずり回っていた一人が、赤い茸を手に歓声を上げた。
 朽ちた倒木に集まった子供が、嬉しそうにそれを突付きまわしている。

「だめだ。それ、食えない。捨てろ」
「えー? なんでー!」
「毒キノコだからだよ。さわってっと、胞子が鼻に入って体が痺れるぞ」

 その色と形を見たとき、自然と教えられたことが口を突いて出た。
 アカマダラ、矢毒には使えないが、乾かして粉末にしたものは根流しに使える。

「そういや……近くに川があるって言ったけど、これ使わなかったのか?」
「毒漁、ここ来る前、一度やった。あまりやりすぎる、人間、俺達見つけやすくなる」

 そんなことを話しながら、ウラクと一緒に子供らをまとめて群れへと戻っていく。
 その間も、子供達は食べられない木の実を拾ってきたり、木の皮をはいで味を見たりしては、楽しそうに声を上げていた。

「ああやって、色々勉強してくんだな」
「山入る、何でもやらせる。草、木、いろんなの、目、鼻、口使って覚える」
「ウラクは、それを見てやる役なんだな」
「これ、狩りと同じ。仲間、声かける。面倒見る、そうやって学ぶ」

 野営地に戻ると、あちこちから煮炊きの煙が上がっていた。
 一匹のコボルトが数人の男達に指示を出し、開けた場所に布が敷かれ、山刀が研がれていく。

「なにやってんだ、あれ?」
「山からトバシ来た! ガナリたち、大物獲ってくる!」

 興奮した様子のウラクが作業の指示を出しているコボルトに駆け寄り、興奮した調子で話している。
 遅れて、子供らと一緒にフィーが布の敷かれた辺りに着いたところで、群れから歓声が上がった。

「帰ったぞ!」

 先頭に立ったアダラが大声で知らせ、その後を二頭の猪が引きずられてくる。
 そのうち一頭の猪を引いているのは、嬉しそうな顔のシェートだ。

「今、トバシ、色々聞いた! シェート、一人で、猪しとめた!」
「ま、マジで!? てか、トバシって?」
「先触れ! 一番足はやい奴、村、狩り隊、連絡結ぶ!」

 興奮気味に叫ぶウラクの後ろで、獲物が敷物に寝かせられた。
 運び込まれてきた猪は、寝かせた状態でも大人のコボルトの鼻先ぐらいはあった。
 すでに首元が断ち割られ、血抜きは済んだ後だと分かる。

「みんな! 仕事、掛かれ!」

 それからの作業は、まるで夢のような速度で進んだ。
 ガナリであるアダラと、猪をしとめたシェートが共に皮をはぐと、あっという間に群れのものが分担で解体に入る。
 赤剥けた猪の後ろ足に綱がかけられ、腹が断たれた後、股先にされていく。
 めりめりと生木を裂くような音と一緒に、まだ湯気の立つ内臓がこぼれだす。

「……ウサギとかは慣れたけど、これだけでかいと、やっぱ来るなぁ……」

 そんな呻きなど知らぬげに、それぞれの部位がきれいに切り取られていった。
 太股の大きな肉がいくつかの塊に分けられて火に炙られ、脇腹や背の部分も小分けにされて運ばれていく。
 その中で、コボルトの子供達が長い腸を手に持ち、水洗いしている。

「おい、それなにやってんだ?」
「きれいしてる! これ、腸詰作る!」
「ちょ、腸詰って、まさかソーセージか!?」
「しらなーい! 腸詰は腸詰!」

 何か手伝うとか思うまもなく、解体は瞬く間に終わり、辺りに肉の焼けるうまそうな匂いが漂い始めた。

「はぁ……なんか、すげーなー……」
「どうした、疲れたか?」

 振り返ると、そこには上機嫌のシェートが立っていた。
 マントもなく、腰の山刀と服だけの姿は、その辺に居るコボルトたちと、まるで変わらなかった。

「いや、あんなでかいの、あっという間にバラバラにするからさ……」
「猪狩り、ほんとはもう少し後。夏から秋、子作りの季節、普通、手出さない。でも、いい獲物、居てよかった」
「みんな……うれしそうだな」

 自分達が持ち込んだ食料に加えて、山で取れた獲物のおかげで群れの雰囲気も明るくなっている。
 その様子を眺めながら、コボルトは目を細めていた。

「おい! フィー! 肉焼けた! こっち来い!」

 呼びかけてきたウラクの姿を見て、シェートの手がそっとこっちの背を押す。

「ほら、行って来い」
「え? いや、あの」
「友達、待たせるな」

 笑顔で押し出したシェートは、そのまま別のコボルトたちと合流して、何事か話しながら去って行ってしまう。

「どうした? 早くしろ! 肉なくなるぞ!」
「あ……ああ! 今行く!」

 シェートの押した掌の感触が、妙にくっきりと感じられた。それと一緒に、友達という言葉が、じわりと染みとおっていく。
 やってきた子供らに手を引かれながら、フィーは去っていったコボルトの背中をただ見送った。


 吹き渡る風に、青い麦が揺れる。
 あぜを歩くポローの手を、伸び始めた穂が優しくくすぐった。

「ほれ、ぼーっとしてねぇで、草取りやっちまうべ」

 同郷の男はこっちの肩を叩き、そのまま自分の持ち場へと歩き去っていく。
 見渡す限り、麦が揺れている。周囲を木の壁で囲まれた村は、その守りの近くまで畑を広げていた。
 山に程近い斜面の方にはリンゴの果樹園が広がり、そこで作業をしている人々の姿が見える。
 ポローは地面にしゃがみこみ、小さく伸びた雑草を摘まんで抜いた。
 苦い土の香りと青臭い葉の臭いに、心が緩んでいく。
 麦を痛めないよう、気をつけながら歩き、草を抜いていく。一本、また一本と抜くうちに、頭の中にあった重さが消えていく。
 迷宮は落とされたと聞いた。
 村の男達が総出で、迷宮の中に残された宝を持ち帰り、勇者は讃えられた。その中にコボルトの姿はなかった。
 朝早く、逃げるようにして去って行った魔物の背を、ずっと睨んでいた気がする。
 自分の中にある思いは誰にいさめられても、止めようがなかった。
 それなのに、こうして草を取り、麦の間を歩いている間に、全ては溶けていた。
 あれほど激情し、憎んでいたはずなのに。
 緑の実りが、心をなだめてくれていた。
 足の裏に感じる畑のやわ土と、耳元で鳴り続ける麦の穂のさやぎが、昔を思い出させてくれる。
 自分は、こうして地を耕すものなのだと。

「ふぅ……」

 少し、腰が痛くなっていた。長いこと農作業などしていなかったから、体の方も鈍っていたのだろう。
 ゆっくりと立ち上がり、ポローは緑の上に顔を出した。

「とうちゃーん!」

 その瞬間、首筋の産毛が逆立った。
 あぜの向こう、粗末な家々の並ぶ村からこっちへ手を振る小さな影が見える。

「おひるー! おひるだよぉ!」

 その傍らに見える少女は、兄の手にぶら下がるようにして歩いてくる。
 その二人に向けて、片手を上げようとした。

「おおい! こっちだこっち!」

 その兄妹を呼ぶ声が、自分の背中越しに届く。
 子供らの目がそちらに吸い寄せられ、ポローに何の関心も払うことなく、通り過ぎた。

「父ちゃん! これみんなで食べろって!」
「とうちゃんっ、とうちゃんっ!」
「よし、お前らみんなを呼んで来い!」

 振り返らなくても分かる、仲睦まじい様子。親子の声を背中に受けながら、ポローはゆっくりと麦畑にひざまずいた。

「お……」

 土で汚れた指で顔を覆う。埃まみれのたなごころで、口元を塞ぐ。

「おお……」

 それでも、頬をつたい落ちるものも、漏れ出す声も、止められない。

「お……おお……おおお……」

 誰にも見られないよう、小さく、小さく体を丸め、うずくまる。

「ああ……あああ……おおおおおおおおおおお……」

 どうしようもなかった。
 村を焼かれて以来、一滴もこぼさなかったものが、溢れて地面に染みていく。

「あああ……ああ……ああああああああぁあ」 

 安らいだと、そう思っていた。この緑の中で、自分の何かがほぐれたと思った。
 そうではなかった。ただ、かさぶたが剥がれただけだ。
 失ったものがあることを、二度と戻らないものがあることを、思い知らされただけだ。

「ああああああああああああああ」

 指できつく額を掴み、唇をかみ締める。
 そうやって自分を押さえつけながら、それでもポローは止めることができなかった。
 嘆きも、悲しみも、浮かんでは消えていく思い出も。
 その中心に暗く脈打つ、怨嗟の星の耀きも。


 開け放たれた窓の外を見つめながら、手にした羽ペンを手でもてあそぶ。
 緑の畑は今も風に揺れて、潮騒のような音をかすかに届けてきた。
 机に座りながら、圭太は何も書かれていない本を前に、呆然と時間を過ごしていた。

『進んで無いようね』
「ん……」
『やっぱり、シェートさんたちのことが気になる?』
「……ごめん。仕事に戻るよ」

 思い出したようにペンを握り、覚書にしておいたリンゴの育成状況や、人工授粉についての情報を書き連ね始めた。
 それでも、ほんの少し書いた辺りで、手が止まってしまう。

『その調子じゃ、何時間座っていても同じことよ。外の空気でも吸いに行ったら?』
「……そういう気分じゃない」

 カニラは諦めた様にため息をつき、黙り込んでしまう。ふと立ち上がると、圭太はテーブルの傍らに置かれた杖を手に取った。

「"巻いて重ね、光韻よ来たれ"」

 杖の先にわずかに点る光に視線を合わせ、気持ちをそこに集中させる。

「"遊べ、遊べ、水鳥の羽の如く"」

 言葉に従い、光の欠片が大きなこぶのようになった杖の先を巡っていく。
 自分の使う魔法、光韻の力を身につけるのに覚えた鍛錬法の一つだ。
 カニラの導きで知り合った魔法使いの老人は、気持ちの迷いを沈めるのにも良いと言っていた。

「"舞い降り、舞い上がり、我が心のままに"」

 その輝きを見つめるうちに、閃く記憶がある。

「"寄りて引き、引きて寄る、光輝の漣"」

 この輝きが集まって、敵を撃つ感覚。目の前に敵が迫る緊張感と、それを乗り越えた時の高揚感を思い出し、胸が熱くなる。

「"地に降り、天に帰――あっ!?」

 突然、光が爆竹のような音と一緒に爆ぜ、杖の先に黒い焦げが付く。
 大げさなくらいに深いため息を吐き出すと、圭太は席に座って天井を見上げた。

「だめだね、なんか、調子出ないよ」
『……シェートさんたちと、一緒に行きたいの?』

 そう言うカニラの声は、怒っているのでも、悲しんでいるのでもなかった。 
 こわばり、緊張していた。もしかすると、怯えているのかとすら思えた。

「カニラ?」
『いいのよ。貴方の思うとおりにして』
「で……でも、この村は……」
『あの迷宮にあった財宝で、村は潤ったわ。
 後は、どこからか神官を呼んで来て、私の信徒になってもらえば、貴方ほどではなくても、私の神威で守ることもできる』

 言葉を重ねていく女神の声は、次第に落ち着いていくようだった。反対に、村のことをはっきりといわれて、圭太の気持ちが乱れていく。

「でも、皆、僕を頼りにしてるんだ。今居なくなったら、みんな困ると思うよ」
『そうね』
「それに、カニラとも約束したでしょ? 遊戯に巻き込まれて、迷惑している人を助けるって」
『ええ、そうだったわね』

 まるでそっけない言葉は、圭太の神経にやすりを掛けるようだった。カニラの態度は、今までとまるで違っていた。

「一体どうしたんだよ! もしかして、僕が皆と一緒に行けばいいと思ってたの!?」
『それは私の気持ちでは無いわ。圭太さん、貴方の気持ちよ』
「そんな!」 

 反射的に声を上げ、立ち上がる。
 自分は村の勇者になると決めた。だから、カニラの誘いに従った。

「そんな……こと……」

 それでも、何かがずれてしまっている。心の中にあった欲求に、ひずみが生まれているのが目に見えるようだった。 

『もちろん私は、このまま貴方に村に残って欲しいと思っている。迷宮は落とされたけどそれで全てが解決したわけではないし』

 窓からの光が、急激に少なくなっていく。山の端に太陽が隠れて、そろそろ宵闇に世界が没しようとしている。

『でも圭太さんは、昨日からずっと、心をどこかに置いてきたみたいな顔をしてる。村の人たちだって、もう気付いているのよ?』
「え……?」

 そう言われてから、圭太は改めて今日一日のことを思い返していた。
 朝の見回りのときもそうだったし、昼頃になって遊びに来るはずの子供達の姿も、今日はなかった。
 そんな、彼らとのどこかギクシャクした感じは、シェートの一件の後遺症だと、ぼんやり考えていた。

「もしかして……僕、嫌われた?」
『そうではないと思うわ。ただ、貴方の態度がこれまでと違うのを、察しているのよ』

 いすに腰掛け、杖を額に押し当てると、圭太は自分に問いかけた。
 このまま、シェートを追いかけようか。
 あのダンジョンでの冒険は、本当にうまくいった。サリアの指示や、シェートの度胸のよさと実力、フィーの探査能力、グートの奇襲、全てがかみ合った。

『やっぱり、魔法使いがパーティに居ると違うよな。戦術の幅が広がるし』

 戦利品を得てからの帰り道、フィーはそう言っていた。あれほど敵意を持っていたシェートも、最後には手を握り返してくれた。
 もしかしたら、あそこには、僕の居場所があるかもしれない。
 人間とは違う、普通じゃない者たちの中なら。

『やめてくんねーかな、勝手にトモダチヅラすんの』
 錐のように、胸を刺す言葉。
『俺、別にそんなもん興味ねーから。ちょっと気になっただけなのに……しつこくすんなよ』
 もう、あんな思いは、ごめんだ。

「大丈夫だよ、カニラ」

 圭太は勤めて明るく、言い切った。

「僕はこの村の勇者だ。それ以外はありえない」
『それで、いいのね?』
「そういう契約だったでしょ? 神様から契約破りを勧めるなんて、どうかしてるよ」

 笑いを含んで言い足すと、女神も淡く笑いを漏らした。

『それなら、もう少し仕事に集中してね? 明日から通常業務に戻ってもらうわよ』
「分かったよ。それじゃ、そろそろ晩御飯でも貰いに行こうか」

 杖を置くと、圭太はそのまま扉を抜けて小屋を後にする。
 その間も、心の中に浮かんで来る思い。

『本当に、それでいいのか?』

 そのたびに、圭太はそっと拳を握った。
 自分は村の勇者である以外、ありえない。そう刻み込むように。


 日が完全に暮れても、コボルトの群れは働き続けていた。
 昼にさばいた猪肉は保存用の処理が施され、余った分は全て鍋物や腸詰に使われた。
 当面の食料が心配なくなり、次に彼らが手をつけたのは、服や狩りの道具の整備だった。
 明日の出発に備えて荷物がまとめられたものの、女達は頼りない焚き火の明かりで、繕い物や、身の回りのものを作っている。
 フィーは焚き火の側に座り、ウラクの母親が綿を紡ぐのを見ていた。
 エレファス山でシェートがやっていたのよりも精巧に、もこもことした綿から細い糸が引っ張り出されて、細かく撚(よ)られていく。
 複雑に絡み合った植物の繊維を綿玉から引っ張り、それをねじって糸にする。
 見ていると簡単そうだが、自分がやったときは、あっという間に千切れたり、太くて不恰好なものしかできなかった。

「……うまいもんだな」
「母っちゃ、村で一番、糸作るのうまい」

 太股に寄りかかって眠る弟を撫でながら、ウラクが答える。
 あまり喋るのが得意では無いらしい彼の母親がそっと笑って、紡ぐ様子を見えやすいようにしてくれた。
 薄明かりの中でよられていく糸と、それを手繰る母親。
 子供達がその隣でくつろいで船をこぎ始めると、そばに置いてあった毛皮を持ち出して、包んでやっていた。

「フィー、ここ、くるか」

 そう言う彼女の声は、思う以上に優しかった。

「夜冷える。固まって寝る、あったかい」
「お……俺、まだ眠く無いんだ! だから、ちょっと散歩!」

 焚き火から身を引き剥がすと、群れを避けるように森の暗がりへ歩き出す。
 コボルトたちの声が遠ざかり、小さくなったところで、フィーは息をついた。

「なんなんだよ……これ」

 シェートと暮らしたことで、分かったつもりではいた。コボルトは粗野で知性の低い魔物というわけではないと。
 でも、ここでたった一日暮らしただけで、理解してしまった。
 山で働き、日々の糧を得て、家族を養い、子を産み育てる。
 彼らは魔物という『異種族』なのだということを。

『なにそれこわい、ていうか大虐殺じゃん』

 掲示板に書き込まれた言葉を思い出す。

『そこだけ聞いてると>>1が悪人に見える』

「だって……しょうがないだろ……」

 ぎゅっと目をつぶり、フィーは呻いた。

「こんなの、分かるわけないじゃないかよ! こんな……こんなの……っ!」

 魔物は悪で勇者は善。
 それを滅ぼし世界を救う、呆れるほど単純で陳腐な三文芝居。
 再演され、再演され、再演されて、そのたびに拍手喝采を浴びるロングランヒットだ。
 その舞台裏で、消費され、消費され、消費されつくしていく、誰も見向きもしない世界が、ここにあった。
 自分はその芝居の片棒を担いだ、いや担ぎかけたのだ。

「おい、フィー!」

 軽い足音と一緒に、今一番聞きたくない声が近づいてくる。そいつは後ろから抱きすくめるようにして、頭に触れてきた。

「――っ!!」
「お、おい! どうした!?」

 振りほどくように離れたこちらに、うろたえたシェートが立ち尽くす。

「お前、また、頭痛いか?」
「……ち、違うよ……そういうんじゃない」
「そうか……ならいい」

 ほっとした表情で頷くと、コボルトは手にしたコップを差し出した。

「飲もう。明日出発、しばらく、ゆっくりできない」
「……ああ」

 断ることもできず、シェートに習ってその場に座る。
 リンドルから持ってきたらしいリンゴの酒を注いでよこすと、コボルトはコップに口をつけた。

「うまいな。これ」
「あそこの名産らしいからな。今度の収穫でカルヴァドスとか造るって言ってたぞ」
「……なんだ、それ?」
「要するに、これを使って、もっときつい酒を造るんだってさ」

 他愛も無い話をしながら、舐めるように甘くて苦い液体を飲んでいく。
 その味と酒の酩酊物質が、心のどこかでせき止めていたものを、溶かし崩した。

「なあ……お前の、村も、こんなだったのか」
「どうした? 急に」

 それ以上、何も言わずに黙り込むと、シェートはぽつりと漏らし始めた。

「俺の村、もう少し、小さい。でも、ここと同じ」

 目を閉じ、消えていきそうな思い出をそっと拾い上げるように、コボルトが語る。

「俺、朝早く、皆と山入る。獲物追って、狩り終えて帰る。
 いつも弟達、俺見つけて抱きついてくる。一度、毒矢、触れそうなって、すごく怒った」
「弟……いたのか?」
「ロク、ムエリ、シュレハ、オッド、みんな、元気だった」

 だった、という言葉に体がすくむ。

「大きい獲物、みんなで分ける。猪、熊、鹿、潰すの大仕事。しとめた狩人、一番いいとこ、もらえる」
「……お前も、一匹しとめたって言ってたな」
「あれ、運良かった。みんな助けてくれた。ここ、狩人、皆いい腕」

 獲物の矢傷に加護の跡はなかった。鏃もコボルトたちに習って使わなかったのだろう。
 久しぶりに本業に戻ったシェートが、とても嬉しそうに、狩りを語る。

「俺、最初、ナガユビやる言った。でも、トメ役やれ、言ってくれた」
「とどめをしても良いってこと、か?」
「ああ。それで、一頭、しとめた」

 それからシェートは、山のことを事細かに語った。猪狩りの恐ろしさと、その対処の仕方や、山での獲物の追い方を。

「猪、みんな好き。使うところ、たくさん。肉、モツ、毛皮、筋、腱、牙、ひづめ、使わないとこ、ない」
「そういや、脳みそまでほじくってたけど、あれも食うのか?」
「脳、潰したの、毛皮なめす、使う。毛皮、質よくなる」
「本当に全部使うんだな。骨だって、焼いて粉にして薬にするとか言ってたし」

 その作業を受け持った女達が、大きな骨を軽々と担ぎ上げて炊事場に持って行ったのを伝えると、シェートは笑って頷いた。

「女達、良く働く。男手足りない時、山、別々、入る事ある」
「あれ? なんだっけ、山のカミサマって、女の人を嫌がるとかって」
「俺達、神様知らない。女、一緒行かない、狩り、途中でまぐわう、疲れるから」

 その言葉を反芻し、思わずフィーは顔を紅潮させた。

「え!? ちょ、ま、ま、ま、まぐわうって、そ、その……」
「山、入る前、男、女、別々寝る。山行く前、やってると疲れやすくなる」
「ストーオオオップッ! その話題禁止! 禁止だ禁止!」

 シェートは不思議そうな顔をするが、こっちはそういう経験も無い青少年、生々しい話は刺激が強すぎる。
 いくら相手がコボルトで、自分とは生物学的に違っているとはいえ――。

「……あー、あのさ?」
「なんだ?」
「シェートはその…………そういう、こと、致したことは?」

 とはいえ、興味が無いわけでもない。もちろん、純粋な興味だが。
 男として、その辺りをはっきりさせたいという気持ちが湧いてしまう。
 シェートは、少し笑って首を振った。

「できなかった」
「――え?」
「俺、最初、絶対ルー、決めてた」

 胸元に下がった青い石を、いとおしむように撫でる。

「この石、ルー、番うため、拾った。俺達、番う相手、一番良いもの、贈る決まり。あの日……俺、これ取り行ってた」

 突然、自分の周りが極限まで冷えた気がした。
 シェートの囁くような告白が、自分の体に染み込んで、小刻みに震えていく。

「いっぱい、大事する、言った。これ、あげて、ずっと、幸せ、するって」
「……もう、いいよ……」

 絞り出した声に、コボルトは悲しげに頷いた。

「そうだな……もうやめる」

 ぎゅっと目をつぶると、フィーは喉の奥から声を絞り出した。

「ごめん……これから、竜神のオッサンと……話があるからさ」
「ん。俺、向こう行ってるな」

 足音が去っていくのを聞きながら、もう少し森の奥へと歩み進む。暗く沈んだ木陰にうずくまり、リダイアルを押す。

『どうした? いきなり電話とは。もう掛け放題は終わって』
「なぁ、生き返りの加護って、コボルトにも効くのか」

 こっちの言葉に全てを察したのか、竜神は滴るような苦さのため息を漏らした。

『勘違いするな。加護による蘇生には、あらかじめ"手綱"を掛けておく必要があるのだ。
 一度肉体を離れれば、魂はあっという間に雲散霧消して』
「あんたらカミサマなんだろ!? そんなもん、お得意の奇跡でどうにでも!」
『神と言えど"摂理"は曲げられん。
 少なくとも、この世界の法則には"死ねばそれで終わり"という事実が、厳然と焼き付けられているのだ』
「……アンタのところに、時間のカミサマが居るって聞いたぞ。そいつなら!」
『もうやめよ』

 普段の軽さからは想像も付かない、厳しさと怒りに満ちた声で、竜神は断じた。

『時の流れは絶対であり、不可逆だ。たとえ時間分枝を越え、別の世界線を辿ろうとも……そなたの為した事が、消えることは無い』

 全てが重く圧し掛かる。
 言葉が、事実が降り積もっていく。

「じゃあ、俺は……どうしたらいいんだよ」
『なぜそれを儂に聞く』
「カミサマだからだろ! こんなの、こんなの俺に、どうしろってんだよ!」
『儂は、見物人だといったろう。そなたを舞台に押し上げはしたが、それ以降は、何もできぬのだ』

 フィーは硬く、手の中の端末を握り締めた。完全な防御で守られたそれは、きしみもせずに圧力に耐えている。

「なあ……もし、俺が、今すぐ、帰りたいって言ったら、どうする」
『受け入れよう』

 その言葉は、半ば予想していた。
 竜神は決して強要しない、ただ選択肢を出すだけだ。そして、やるといえば必ずやってくれるだろう。

「俺は――」

 いきなり、竜神の声が着信音に変わる。けたたましく鳴るメロディを止めると、焦りきった声が静寂を破った。

『フィーさん! シェートさんは、そこに居ますか!?』
「い、いきなりなんだ! なにかあったのか!?」

 受話器の向こうのカニラは、絶望そのものを吐き出すように叫んだ。

『村を、村を助けてください! お願いします!』



[36707] 15、襲撃
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/14 11:57
「シェート!」

 いきなり走りこんできたフィーは、焦った様子で首に下げた板を突きつけてきた。

『シェートさん! お願いします! 村を、村を助けてください!』
「……村!? ケイタ、どうかしたのか!」
『リンドルが魔物の攻撃を受けているんです! 圭太さんもそれに対処しているんですが……ものすごい大軍で……っ』

 すでに寝支度を始めていたコボルトたちが、何事かと集まってくる。

「サリア」
『分かった。とにかく私はカニラの補佐に回る。シェート……お前は……』

 そこまで言って、サリアの言葉が止まった。
 自分を見る群れの目が、不審と不安に揺れている。このまま村に走れば、これからの出発にも影響が出るだろう。
村を襲っている魔王の軍が、ここのコボルトたちに気付いてしまうかもしれない。

「俺……」

 リンドルとの契約はすでに終わっている。迷宮を攻略し、財宝も全て引き渡した。
 人間なんて自分達には関係ない、むしろこの混乱に乗じて移動してしまえば、侵攻している魔王軍を欺くことだってできる。
 息を吐き出すと、シェートは叫んだ。

「グートぉっ!」
「うぉおおおおおんっ!」

 仲間達の間をすり抜け、星狼が現れる。その口元にくわえられた袋を手にし、中身を取り出していく。

『あ……ありがとう、ございます』
「カニラ、俺、今から村行く! サリア、そっち頼む!」
『シェート……すまん』

 防具で身を固め、マントをつける。封じていた矢筒から戒めを解き、ミスリル矢の具合を確かめ、腰に【荊】を吊る。

「シェート、お前、どこ行く?」
「アダラ……」

 グートに鞍を置き、腹帯で締めると、またがりながら同族に苦い笑いを向けた。

「やっぱり俺、ケイタ見捨てられない。あいつ、今、困ってる」
「……そいつ、人間。世話なっても、関係ない。それに、お前だけ、行ってどうなる?」
「うん。俺もそう思う」

 そう言いながら手綱を握り、鐙に力を入れる。

「シェート! 俺も……一緒に」
「フィー、お前、皆といろ。アダラ、すぐ群れ、動かせ。俺、後で追いつく」

 馬鹿なことをしているのは百も承知だ。こんなこと、コボルトのすることじゃない。
 それでも自分は、見捨てる気にはなれなかった。

「行けっ! グート!」

 風をまいて、星狼が闇へ向けて走り出す。
 あっという間に仲間の顔が、フィーの不安そうな顔が視界から消えていく。手綱を握り締めた右手に、視線が落ちる。

「ケイタ……」

 グートの俊足があっという間に森を抜け、街道へと躍り出た。
 行く手の道の先、暗いはずの森の外れが真っ赤に焼けていた。月の無い夜が、紅蓮の炎に赤々と照らし出されている。

「待ってろ、ケイタっ」

 暴力の予感に、冷えていく心を抱えながら、シェートは相棒と共に夜を駆けた。


 闇の中を駆けて行く白い姿を、銀の目を通して見ながら、康晴は虚空に語りかける。

「コボルトが動きました」
『分かった。作戦の変更は申し伝えたとおりだ。細かい調整はそちらで行え』
「分かりました」

 執務室は蝋燭の灯火だけ、目の前にしたタブレット端末の方が明るいぐらいだ。

「ヴェングラスさん。指示が届きました。打ち合わせどおり、隊を差し向けてください」
『……よろしいのですか? こちらでも状況を把握していますが、リンドルは』
「指示しておいたポイントへ向かってください。命令は以上です」

 何か言いたげな息を漏らし、それでも魔術師の声は途絶える。無言の抗議を払い散らすように画面をスライドさせ、別の画面を表示する。

「エクバートさん。作戦開始です。隊をそのままリンドル方面へ侵攻させて下さい。速度は並足、斥候の数を増やしてください」
『本当に、並足で良いんだな? 駆けじゃなくて』
「並足でお願いします」

 騎士よろいに身を包んだ伊達男も、どこか苦い顔で命令を請け負う。その顔さえスライドさせて消し去ると、康晴はほっと息をついた。

「……まったく」

 執務卓の端に置かれた、一本の棒のようなものを手に取り、指で押し開く。
 ぱちり、と音がして、内側に張られた紙があらわになった。

「早く、終わらせてくれ」

 ぱちり、と再びそれが閉じられ、また開かれる。
 あちらから持ち込んだ扇子、こうして弄んでいると、苛立ちが少しは収まった。

「僕はこんなこと、いつまでも付き合う気は無いんだ」

 タブレットが待機モードになり、画面が闇に包まれる。康晴は黙って、それを見つめ続けた。


「投擲隊! 第四陣、構え!」

 目の前にそそり立つ木の壁を睨み、ベルガンダが吠えた。
 その堅牢な守りに張り合うようにそそり立つ、オーガの分厚い背中。
 片手には巨大なひしゃくのようなものを持ち、そこにオークたちが数人掛りで丸いものを乗せていく。
 それは一匹の山海栗、特殊な薬を嗅がせているせいで動きは鈍いが、薬物に耐性のある魔物は、すでにその棘を神経質に動かし始めていた。

「放て!」

 数十体のオーガたちが、一斉にひしゃくを振り、乗せられた山海栗を放つ。
 高々と放り投げられたそれは壁を越えて、火事の炎で照らされた村へと飛び込んでいく。

「ベルガンダ様! 山海栗二百! 全て投擲完了です!」
「よし! オーガ隊に破城鎚を装備させろ! インプどもの索敵は!?」
「弓による攻撃は散発化、おそらく敵の射手はほぼ封じました! リンドルの勇者は現在避難民の誘導を行っている模様!」

 目を閉じ、現状を把握すると、牛頭魔人は再び指示を放つ。

「引き続き上空からの監視を続けろ! オーガ隊は直ちに村門へ攻撃!
 破壊終了と同時に槍兵百を押し立て、弓兵二十を後方に配置して進軍! 勇者の大魔法に注意しろ!」
「オーガ隊は進攻させないので!?」
「村門破壊と同時に胸壁を迂回、北面の扉前に詰めさせろ! 村裏手の山に兵は配置してあるな!」
「ゴブリンの遊撃隊、五十を置いてあります。街道に配置した者達は?」
「そのまま待機。異常があればすぐ知らせろ」

 指示を受けた部下が転がるように走っていく。傍らに立つコモスは、その動きを見ながら顎をしごいた。

「大分、練度が上がってきましたな」
「飛行魔の数が足らん。インプでは矢弾を避ける程の高度を飛べんし、今後の課題だな」
「それにしても、例のコボルトは居らぬようですな」
「何があったかは分からぬが、それならそれでもよい。いい教練になる」

 動いていく趨勢を見つめながら、ベルガンダはじっと山の方を見つめていた。
 街道が封鎖され、多数の部隊を展開しているリンドル周辺に、例のコボルトが来るとすればあの山の中だろう。

「来ると、思われますか?」
「ただのコボルトであるならば、決して来ることはあるまい」
「ただのコボルトなら、ですな」

 傍らに突き立てた大斧に目をやり、何かを占うように確かめていく。

「ベルガンダ様! 全隊、準備完了しました!」

 山奥から切り出した丸太を抱え、オーガたちが整列した。
 その後ろに詰めるように、槍の穂先を揃えたゴブリンやオークたちが並んでいく。

「……破城槌! 構え!」

 槌を構え、縦列に並んだ巨人の傍らに、ローブ姿のゴブリンたちが素早く近づく。

「メリ・デーナ・エフェ・モール、"穂先よ鋭くあれ"」

 まじないが掛けられると同時に、オーガ達は背の筋肉を怒張させる。
 ベルガンダは片手を差し挙げ、大きく口を開いた。

「オーガ隊……吶喊!」

 そして、大地をどよもすオーガたちの突進が、闇夜に響き渡った。


 腹の底に響くほどの巨大な音が、空気を震わせる。燃え盛る村の通りで、ポローは音源に振り返る。

「門にオーガどもが突進してる!」
「皆早く! 北門の方へ!」

 男達が絶叫しながら村人を誘導しているが、家財を抱え、自分達の家族をまとめて逃げようとする者達が、道にあふれ出している。

「ポロー! なにぼーっとしてるだ!」

 袖を引かれながら下がる目の前で、めきめきと音を立てて扉がひしゃげていく。
 再び突進が行われ、門の上に掛けてあった見張り櫓が、ずるりと傾いた。

「ああ……」
「何見てるだ! 早くにげれ!」

 同郷の男が叫び、異常に気が付いた人々が一気に走り出す。その波にもまれながら、なぜかポローは目を離せなかった。
 崩れていく、何もかもが。炎と轟音の中で。
 そして、扉が最後の一撃を受けて、粉々に砕け散り、

「う、うわああああああっ!」
「櫓がああっ!」
「扉が破られた! 魔物が、魔物が入ってくるぞ!」

 堅固な守りの要から材木の残骸に成り果てた門を抜けて、入り込んでくる影がある。

「あ……ああ……」

 見覚えのあるそれら、手にした槍を構えたゴブリンの一群が、整然と進んでくる。
 村が滅んだあの時のように、奴らがやってくる。

「うあ……ああ……」

 きびすを返すと、ポローは走り出した。
 魔物とは思えない、刻むような正確な足音が、背後から迫ってくる。
 怖い、ひたすらに怖い。
 そのことだけで頭が一杯になり、やけに明るい通りを駆けていく。

「や、やめろっ、くるな……ああああああっ!」

 家と家の間で、武器代わりの鋤(すき)を構えた男が一瞬体を硬直させ、地面にくずおれていく。
 肉の壁がとり払われた向こうから現れたのは、無数の山海栗たち。

「あ……ひ……」

 あっという間に死体に群がり、湿った音を立てて肉をむさぼっていく。

「ダメだ! こっちにもウニどもがっ!」
「奴ら、こんなものまで中に……うわあああああああっ!」

 毒針を浴びせられ、病毒にまみれた触手が村人の命を狩って行く。

「ちくしょう、ちくしょうっ!」

 頭を抱え、呻きながらポローは走る。

「なんだよこれは! ここは勇者に守られた村じゃねぇのかよぉっ!」

 その叫びをあざ笑うように、侵入してきたゴブリンが、大声で吠えた。

「行けっ! 村の奴らを、皆殺しにしろ!」

 そして、通り雨のような音を立てて、矢が降り注いだ。


「みんな! 落ち着いて! 荷物は最小限に! 火事には構わず、すぐに北門へ!」

 声を枯らして叫び、皆を駆り立てながら、圭太は歯噛みをした。
 夜遅く、村に降り注いだ魔法の火を皮切りに、侵攻が開始された。櫓から見た外の景色が頭から離れない。
 数十体のオーガが並び立ち、巨大な投石器を使って、壁をはるかに超えるような弧を描いて何かを投げ入れ始めた。
 それが無数の山海栗であることに気が付いた時には、事態は最悪の方向へ傾いていた。
 村の壁には防御用の魔法を掛けてあるが、高高度を飛ぶ物体には反応できない。
 ドーム状の結界は最高位の魔法に当たり、構築と維持に膨大な魔力を使うため、敷設はできなかったのだ。

『圭太殿!』
「さ、サリアさん!? どうして!」
『私が呼んだの。シェートさんも、来てくれるそうよ』
「そ……そんな、いくら、シェート君でも……」
『案ずるな。戦術は我が、戦力は我が配下が、いや、我が勇者が受け持つ。圭太殿は今しばらく、状況を持たせてくれ!』

 力強い激励が耳に染み込む。
 不安しかなかった戦場に、光が差した気がした。

「すみません。お願いします!」
『カニラ、村人への指示は?』
『完了しているのだけど、村に山海栗が入ってしまって、伝達系統が混乱しているの』 

 わずかな沈黙があり、サリアの声が緊張と決意を込めて降る。

『村人の避難状況は確認した。圭太殿、辛い行動をそなたに強いるが、覚悟してくれ』
「覚悟って……なにを」
『村中央、集会所辺りに移動し、南門へ向けて"烈火繚乱"を使用してくれ』
「そ、そんなことしたら! 村が!」
『こちらは寡兵だ、命以外を守ることなどはできん。今ならそなたの行動は気付かれておらん。
 姿を消して指定位置に移動の上、効果消散二十秒前に詠唱を開始せよ』

 考えている暇は無い、圭太は意を決して呪文を紡ぐ。

「"虚ろなる者、見えざる者、移ろう者よ。其は揺らめく水霧(みぎり)の露影(ろえい)、我が現せ身に空蝉を纏わしめよ"」

 複雑な掌相を組み上げると、自分の体を虚空に溶かす。準備を終えると、燃え盛る村に走り出した。

「……っ!?」

 その視界の端に映る、倒れ伏した村人の姿。血を流し、肉をむさぼられ、ピクリとも動かない、見知った人間達。

「こんな……こんなのって……」
『足を止めるな! ここでそなたがためらえば、もっと多くの民が死ぬ! 進め!』
「……っ!」

 通いなれた通りを抜け、左へと折れる。木造の集会場は、悲鳴を上げながら燃え狂っていた。

『圭太殿! 詠唱を!』
「――"万物に宿りし諸法諸元の源。光芒にて刻まれたる、祖たる韻を我は紡ぐっ"!」

 杖を地面に突き立て、合掌して呪文を唱じる。

「"汝(な)れ、小さくかそけき燐火……されど集いて諸手を挙ぐるば……天をも焦がす劫火と……成らん"」

 目の前で燃え上がっているのは、この村の象徴だ。
 この土地を最初に開墾した人々が建て、お祭りや大事なことを決める場として使われてきた。
 そして、自分が初めて村に来た時、ここで誓ったんだ。
 村の勇者として、皆を守り、幸せにすることを。

「"我が声に寄り来たれ……その身を以って……"」

 遠くから悲鳴が聞こえてくる。そのいくつかが末期の絶叫である事実が、圭太の中に荒れ狂う炎を燃え立たせた。

「"千騎万軍、皆悉く焼灼(しょうしゃく)なさせしめ、怨陣に我らが頌歌(しょうか)を響かせよっ"」

 歯を食いしばり、集った力をまとめ上げると、圭太は怒りと共に叫んだ。

「"秘められし熱の威力を解き放て――烈火繚乱"!」


 暗い森に、真昼のような閃光が差し込んだ。爆音と共に、森の端にうっすら見えていた建物が火柱に変わって焼けていく。

「ひぇえええ、こりゃ、あっちいなくて、よかったなぁ」

 隣に居たオーク兵の一匹も恐ろしさに震えながら、苦笑いをした。

「でも、どうしておれっち、こんなとこたたされてる?」
「そりゃおめぇ、どくやくつくるの、しっぱいしたからだろ」

 調毒部隊のゴブリンとして配属されたのは良いものの、
 食い気や不真面目さが災いしたせいで配置換えになり、こんな見張り役しかやらせてもらえない。
 とはいえ、あんな恐ろしい魔法に焼かれる危険を考えれば、つまらない役でもかえってありがたいってものだ。
 わずかに時間を置いて、再び火柱が上がる。
 村の勇者は魔法使いだと聞いたが、あんな能力を持つ魔法使いはうちの軍にはそうそういないだろう。

「おお、おっかねぇ。さぁ、そろそろみはり、こうたいのじかんだ」

 そう言って、傍らの同僚に声を掛けたつもりだった。

「あれ?」

 さっきまでそこに居たオークがいない。
 いや、少し離れた木の幹に寄りかかり、居眠りをしている。

「おまえ、まじめにやらないと、またおやぶんに」

 それ以上言うことができなかった。
 背後から口をふさがれ、左のあばら奥深くを、激しい痛みが貫く。

「んっ!? ぐっ、う……ぐ……う……」

 深々と突き刺さった小刀、流れていく血と一緒に、視界が暗くなっていく。体が地に投げられ、自分を殺した犬顔が嫌にくっきり見えた。

「お……まえ」
 驚くほど冷たい目をしたコボルトが、興味を失ったように背を向け、闇に消える。

「お……おやぶん……に、しらせ……」

 その意思は誰に伝わることもなく、死骸とともにうち捨てられた。


 群れの準備を手伝いながら、フィーは手元のスマホをちらちらと眺めていた。
 サリア達の見ている映像が動画として流れている。
 一面火に包まれる村、そのいくらかは圭太とサリアの策によるものだそうだが、正直見ていて辛い。

「あ……っ」

 三度目の火柱が画面内で上がり、森の向こうの空がうっすらと白くなる。こんなに大魔法を連発しても大丈夫なんだろうか。
 ステータスチェッカーの効果範囲を出ているから、リアルタイムの状態はモニターできないが、
 MP換算された圭太の精神力で言えば、そろそろ限界のはずだ。

「フィー! 準備できた! そろそろ出る!」
「あ、ああ! 分かった!」
 
 ウラクが気遣わしげに近づいてきて、一緒にスマホを見つめる。
 この世界ではありえない道具に驚きながらも、コボルトの少年は顔をしかめた。

「魔王軍、村、焼いてる。すごい、ひどい」
「違うよ。こうやって逃げる時間を稼いでるんだ」
「……ああ。俺達、同じか」

 荷物を詰めた袋を担ぎながら、ウラクは苦笑いを浮かべた。

「俺達、村、逃げる。家、火点ける。魔物、驚く、強い光嫌がる。その間、逃げる」
「そんなことしたら……村に住めなくなるだろ?」
「一度捨てた村、俺達、帰らない」

 何か声を掛けようとする間もなく、ウラクは子供らをまとめるべく走り去ってく。

「子供ら、あっち集める! 大きなブナ! フィーもそこ行け!」
「お、俺も手伝うよ!」
「助かる! 森外れ、探してくれ!」

 動画を一端切ると、フィーも走り出す。コボルトたちの群れは整然と、足音さえひそめて逃げる準備を進めていく。

「おーい! 誰か残ってるかー!?」

 すでに焚き火は消され、荷物もまとめられて、食べ残しすら残っていない。
 コボルトの逃げ足の素早さを見せ付けるような、見事な撤退ぶりに感心する。

「……にぃちゃぁ……」

 どこからかか細い声が聞こえた。寝起きの悪い子供が、みんなの移動したのにも気付かずに取り残されたんだろう。
 辺りを見回すが、姿は見えない。竜眼があるとはいえ暗い森の中は簡単には見通せなかった。

「ったく、しょうがねぇなぁ」
 フィーは目を閉じ、角に意識を集中させた。

 がしゃり、かつっ、がしゃり、じゃりっ。

 異音が、大気を渡って届いた。

「な、なんだよ……これ」

 鋭敏になった感覚に、差し込んでくる金属音。それは遠い昔、どこかで聞いた音だ。
 刻むような金属ブーツの足音、金属鎧と鎖帷子がこすれあった時に出る、独特の音色。

「にいちゃ……どこぉ……」

 その音は、かつては頼もしい仲間が立てていたものだ。それが、森の奥から、いくつも連なって聞こえてくる。

「……あー、フィー……にいちゃ、どこ?」

 近くの茂みを揺らして、子供のコボルトが寝ぼけまなこで転がり出てきた。

「おい……こっちこい」
「どうして?」
「いいから!」

 何の疑いもなく近づいてきた子供の手を取ると、フィーは一目散に駆け出した。

「フィーっ!? いたいっ! 手、いたいよぉっ!」
「いいから走れ! 早く!」

 鍔鳴りが、鞘走りが、間をおかず一斉に響く。一人や二人ではない、数十人の人間の軍隊が迫っている。
 そして、

「全員突撃! コボルトどもを一掃しろ!」

 抜剣した騎士達が、鬨(とき)の声を上げた。



[36707] 16、崩れる世界
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/15 16:07
 軽い疲労を息と一緒に吐き出すと、シェートは茂みの中から崖下を見下ろした。
 すでに村の半分が燃え上がっている。あらゆる家屋を燃料にした盛大なかがり火が、辺りを真昼のような明るさに変えていた。

「……うぅっ」

 その傍らに、グートが顔を突き出してくる。口元が、まだ新しい犠牲者の血に濡れ、目が殺戮の興奮に血走っていた。

「サリア、すまん。囲み抜ける、手間取った」
『まさか、そんなところにまで兵を配置しているとは。魔王軍はこの地に居る人間を皆殺しにする気か!』

 いらだつサリアに、シェートの心が強い怒りと共に合意する。
 崖上の森の中にはいたるところに巡回のゴブリンやオークがうろついていて、グートに陽動してもらって、ようやくここまでたどり着けた。

「ケイタ、今どこ居る?」
『魔法による家屋への点火と、雑兵の打ち払いは完了した。今は北門の避難民達に合流するために移動中だ』
『抜け道はそこから左に行った所です。草やツタで隠してありますから、簡単には……』

 シェートは茂みから腹ばい進み、不自然に植えられたツタの一本を握って壁を降り始めた。
 人一人通るのも難しい崖の道も、コボルトと身軽な星狼には舗装された街道だ。

『シェートさんにとっては、人の手で隠したものなんて、意味なかったみたいね』
『言ってる場合か。シェート、ここから私が誘導する。大通りに出たら北門方面へ駆け抜けろ。万が一敵と会っても交戦するな』
「わかった」

 燃え上がる村の熱気が、毛皮を炙る。その熱に、忘れかけていた記憶が蘇った。
 あの日、自分の運命を変えた、燃え落ちていく村のイメージ。

『シェート……大丈夫か』
「……平気。行くぞ、グート!」

 相棒にまたがり、一気に駆け出す。
 大通りは、黄金に燃え盛る劫火の森と化していた。きな臭さと一緒に、いやにくっきり見える死骸たち。
 応戦した村人だけでなく、ゴブリンやオーク、山海栗の汚らしい体さえ転がっていた。

「な、なんで、ヤマウニ、こんな所いる!?」
『先制攻撃に投げ込んできたのだそうだ。
 村の結界を越え、内部に侵入した山海栗が村人を襲い始め、その混乱に乗じて門を破壊したのだ』

 サリアの苦鳴を聞く間にも、景色が流れすぎていく。つい数日前、圭太と通った通りが破壊の炎と共に燃え落ちていく。
 民家も、釜場も、集会場も、圭太自身の家さえも、一切の分け隔てなく。

「シェート君!」
「ケイタ!」

 道の向こうから影が大きな声で叫ぶ。顔を汗と煤で汚しながら、圭太は安心とわずかな緊張を浮かべて走り寄ってきた。

「……来てくれて、ありがとう」
「礼言う、後だ。これからどうする」
『状況を整理しよう。まずは二人とも、北門に向かった村人達と合流を目指せ』

 頷き合うと、シェートは圭太と一緒に走り始める。その上から、サリアが全てを見通しながら指示を放った。

『圭太殿のに撃ってもらった、三発の"烈火繚乱"のおかげで、先発隊の槍兵、弓兵の侵攻は停止した。
 ただ、先ほどからオーガの動きが無いのが気になる。おそらく北門に回って待ち構えているだろう』

「……正直、少しは回復しましたけど、これ以上連発は難しいです」
「ワイバーン毒、あと十個ある。オーガ倒す、それでいけるか?」
『村の門を破壊したオーガは、三十はいたはずです。それだけじゃ、とても……』

 議論の冷えと同時に炎に包まれる家屋の数が少なくなり、広い麦畑に通された農道に出た。
 左手奥側にはリンゴの林があり、ここだけは村の異常から免れているように見える。

『カニラ、お前の加護はどうなっている?』
『私は、この前の透明化でほとんど使い切ってしまって……貴方は?』
『そうだな……いくらかは余裕がある』

 女神はそう宣言すると同時に、シェートにだけ声を放った。

『我らの誓い……残念だが破ることになりそうだ。村の者を救うには、大きな加護を使うのも止むを得まい』
『それ、一番最後、しろ』

 拳を握ると、シェートは強い思いを胸に、ゆっくりと首を振る。

『俺、精一杯やる。村の人間、助ける。よその奴、捧げない。どっちもやる』
『まったく……どうしてそなたは、そんなことが言えるのだか』
『俺、お前の勇者。なら、おかしい、当たり前』
『馬鹿者め』

 サリアは笑い、そして声を引き締めた。

『カニラ、この村にはさっきの抜け道以外に出る場所はあるか?』
『いいえ。緊急時の脱出路はあそこだけよ』
『分かった……それならシェート、圭太殿。これよりそなた達には、相当に厳しい戦をやってもらう』
「そうか。任せろ」

 こちらのあっさりした返答に、圭太は目を丸くし、それから笑った。

「そっか……君にはこんなこと、慣れっこなんだよね」
「楽だったこと、一度も無い。サリア、いい加減、楽な戦、させろ」
『善処しよう。では……作戦を説明する』


 暗い森の奥から、怒号が響いてくる。その荒々しい騒音に耐えて、フィーは角の感覚を展開しながら必死に走り続けた。

「やだぁっ、なにあれっ!」
「良いから黙って走れ!」

 叫ぶ仔竜の目に前に、緊張に身構えた群れの連中が現れた。すでに異常を理解した彼らは、手に弓や山刀を構えて事態に備えていた。

「ウラク! 敵だ! 森の外れから騎士が来たぞ!」
「っ!? ガナリ! フィーが敵、来た言ってる!」

 こちらの焦る顔にアダラが一瞬顔をしかめ、すぐに全員を見回す。

「みんな、火壷、油、何でもまけ! 弓使える男、用意しろ! ウラク、子供ら、女達と一緒、遠く逃がせ!」

 その間にも足音は増え、森の中に広がっていく。その音の中に、フィーは妙な異音を感じていた。

「なんだこれ? 足音が違う……なんか、騎士以外の連中がいるんじゃないのか!?」

 フィーの叫びに何人かのコボルトが地面に伏せ、大地の震動を確かめ始める。

「……ガナリ! 多分、騎士、二十ぐらい、そのほか、足音軽い。三十はいる!」
「分かった。フィー、他、何か感じたか?」

 群れのリーダーからの質問に驚きながら、それでも角に意識を集中させて答える。

「多分、それ以外は……無いと……あ、あれ?」

 突然、脳の芯に何かの刺激が差し込まれていく感覚がした。
 これに良く似た物を知っている。もっと集中して音を聞けば、

『"――土を照らす銀円よ、夜の帳に照り映えよ"』

 良く通る男の声で唱じられたそれは、見晴らしをよくするための光源を生み出す魔法。

「明かりの魔法だ! 魔法使いが混じってるぞ!」

 フィーの警告の声と同時に、暗い森を冷たい青の光が照らし出した。

「みんな! 木の陰、しげみ隠れろ! 火は消せ! 音しない方、別々に散れ!」

 アダラの声に、皆が姿勢を低くして逃げ散っていく。どの群れに付くか、一瞬さまよった視線を、ウラクの手が掴んだ。

「こっちだ!」
「あ、ああ!」

 再び走り出したフィーの背中越しに、新たな呪文の詠唱が響き渡る。

『"烈日の穂槍は我が手の中に"』

「後ろに気をつけろ! 狙われないように木を背にして走れ!」

 声の届く範囲にいた者達が一斉にフィーの声に従い、わずかに遅れた一匹の背中に、金色の光芒が突き刺さる。

「があ……ぁ……っ」
「とっちゃぁあっ!」
「振り返るな! 走れ!」

 押し合いながら必死に逃げていくコボルトたちを、足音が追い詰めていく。青い光の向こうで、抜き放った刃が無数に輝いた。

『"霜月より来たれ怜悧、凍てつく銀の祝福は、万障貫く戒めの一矢なり"』

 男の声が死刑宣告のように大気に満ちる。振り返った仔竜の視線の先、浮かび上がった銀色の光は、五十を越えていた。

「みんな、にげろおおおおおおおおおおっ!」

 フィーの絶叫を押しつぶすように、銀の軌跡を描いた光の矢が大気を引き裂き、逃げ惑うコボルトの体めがけ殺到する。
 その一本が、大きく起動を変えて自分に飛来した。

「あ……」

 狙ったものを必ず打ち砕く"凍月箭"、その威力は自分が良く知っていた。
 目の前で青い死が膨れ上がる。
 絶望が体を縛り付け、フィーの口が、すがるようにその名を呼んだ。

「シェート……」
 
 その言葉が、心の奥底から全てを引き出す。
 今まで自分が積み上げた全て、逸見浩二としての半生、勇者としての日常、
 そしてこの地に舞い戻り、仔竜として生きた全ての日々が吹き荒れる。

『お前のだ、大事にしろ』

 思い出した一言、無意識に伸ばした手がそれを引き抜き、

「うわあああああああああああああああっ!」

 突き出したミスリルの山刀が、破術の真紅に輝き、銀光を弾き飛ばした。
「……はあっ、はあっ、あっ、ふああっ!」

 痺れる手と、締め付けられるような胃袋の痛みを感じながら、それでも生きていることを思い知る。
 闇の向こう、近づいてきた影達が目の前の出来事に怯んで動きを止め、遠巻きに自分を取り囲んでいく。
 その全てに、フィーの魂が沸騰した。

「……なんだんだよ……お前ら!」

 両手で山刀を握り、真紅の光で全身を覆うと、仔竜は絶叫した。

「こんなところで、何やってんだ、お前らはぁっ!」


 目の前で起こったことが信じられないまま、手にした杖を握りなおす。
 真紅の光に包まれた仔竜は、怒りをあらわにして、ヴェングラスと騎士達に絶叫を叩き付けた。 

「お前らっ、こんなところでコボルトなんて追ってる場合かよぉっ!」

 その一言に、騎士達がうろたえたように構えを崩した。
 唐突に現れた仔竜と、その口から語られた『正論』に、同輩達の動揺が高まっていく。
 有無を言わせず殺すべきか、その考えを即座に否定する。
 全身を覆うあの光は、伝え聞いた神の破術だろう。
 この仔竜が勇者から示唆されていたコボルトの仲間だとすれば、こちらの術を相殺されかねない。
 それに、彼の発言を封殺するような真似をすれば、より一層部下達を迷わせる。
 感情を込めないまま、そっけなく言い放った。

「我々は魔物討伐を遂行しているだけです。貴方に糾弾されるいわれは」
「この近くの村が! 魔物の軍隊に襲われたんだよ! 
 村中火の海になって、皆殺しにあってるんだ! それを無視するのかよ!」
「……彼のリンドル村には、勇者が一人居たはず。彼に任せれば」
「いくら強いからって、たった二人で何が守れるってんだよ!」

 二人、つまりこの場には例のコボルトは居ないということだ。
 それならば、仕事はたやすい。杖を構え、周囲の騎士達に目配せをする。

「申し訳ありません。我々に、彼らを救う義理はありません。今回の命令はこの場にいるコボルトを討ち滅ぼすこと」
「……それでも、それでも勇者の軍団かよ!」

 振り絞られた声が、従卒していた騎士の足を止めた。

「知ってんだよ、あんたらがシェートを追っかけて来てたのは! 
 どうせ、ここにコボルトたちと一緒にいるのを、神規かなんかで嗅ぎつけたんだろ!」
「でしたら、我々が引く気が無いのもお分かりでしょう?」
「だからふざけんなって言ってんだ! このクソ魔法使い!」

 赤い光を炎のように燃え立たせて、青い仔竜が吼える。

「アンタのそのご大層な魔法は! 住みかを追われて、死に掛けてるコボルトを追い散らすためのものか!?」
「……っ」
「そこのナリばっかり立派な騎士のオッサン! 
 アンタだって、人を守るために剣を捧げたんじゃないのか!? その誓いはどこにやったんだよ!」

 戦意を失っていく同僚が目に映り、ヴェングラスは自分の失策を悟った。
 目の前の事態に驚き、釣り込まれるようにこの仔竜と喋ってしまった時点で、目的の一つは失敗に終わったのだ。
 それでも内心を悟られぬように、傍らの騎士に向き直った。

「引きます。撤退命令を」
「……分かりました。全員に撤退命令! 馬まで駆け足! 
 これより目標を、リンドルに変更する! 徒歩組は隊伍を整え、街道へ向かえ!」

 こちらが命じた以上の伝令を述べると、騎士は鎧姿で器用に肩をすくめて見せた。

「軍令違反、申し訳ない」
「いえ。問題ありませんよ……勇者殿」
『何ですか』

 相変わらずの無感動な声に、ヴェングラスはできる限り、すまなさそうな声で詫びを述べた。

「思わぬ妨害工作により、少々痛手を負いました。ご命令どおり、エクバート隊と合流を行いますが、よろしいですね」
『エクバート隊はリンドルの北門方面に移動中です。街道を迂回し、指定の山間より敵に見つからないよう合流をお願いします』
「了解しました」

 命令伝達を終了させると、杖を収める。それに習って騎士たちも、森の中にいた歩兵も戦いの構えを解いていく。
 それでも、全身をいからせている仔竜に、軽く頭を下げた。

「な……何の真似だよ!」
「我々は行きます。せいぜい遠くに逃げるといいでしょう」

 こちらの態度を測りかねている仔竜を残し、背を向ける。隣にいた騎士もまた、同じく頭を下げると、共に歩き出した。

「まったく、嫌になりますな」

 降ろされた面頬の隙間から、同輩が苦りきった声を漏らす。

「あんな仔竜に、騎士のありようを説かれるとは」

 ぐったりと地面にうずくまった仔竜に背を向けると、魔法使いは嘆息した。

「私だって、同じ気持ちですよ」


 騎士たちの姿が完全に消えて、フィーはどっと安堵を吐き出した。
 身体中が酷く重く感じる、破術の展開はそれなりに力を消費すると聞いていたが、
 自動回復をつけていない自分には、酷く負担になるらしい。

「いつも、こんなことやってたのかよ、あいつ」

 三つの加護を使い分け、相手の隙を突き、一撃を叩き込むことの難しさ。
 度重なる戦いの中で、シェートが身につけてきたものを思い知った気がする。

「フィー……大丈夫か?」
「ウラク! お前、無事だったのか!」

 その後ろから、コボルトたちが顔を出す。

「……ありがとう。フィー。お前、いたおかげ、群れ、助かった」
「ア……アダラ……」

 群れのリーダーに習い、群れのコボルトたちが頭を下げる。
 魔法で酷い怪我を負ったものも、敵に切りつけられたものも、痛みを堪えながら、自分に笑顔と感謝を向けていた。

「れ、礼なんて後にしろよ! それより、早く逃げるぞ!」
「ああ。フィー、言うとおりだ」

 群れが再び一つの方向を目指し、歩き始める。死んでしまった仲間達を置いて。

「ウラク……やっぱり、みんな……あのままなのか」
「埋める時間、無い。フィー、お前、正しい。気にするな」

 追い立てられていた時のことを思い出し、体が震えてくる。
 絶対的な実力差を前に、弱いもののできること言えば、結局逃げることだけだ。
 さっきのあれだって、魔法使いがこっちの話に聞く耳を持たなかったら、自分は死んでいたはず。
 目に見えるほどの死に、胃袋がぎゅっと痛みを感じた。

「フィー……ありがと」

 いつの間にか、さっき一緒に走っていた子供が、体をすり寄せてきた。その暖かさを感じて、体の震えが和らいでいく気がする。

「か、狩人は、ちゃんと起きろって言った時に、起きれなきゃダメなんだからな! ちゃんとガナリの言うことは聞くんだぞ!」
「うん!」

 すっかり懐かれてしまった子供を優しく撫でながら、フィーはスマホを手にサリアに連絡を入れた。

「もしもし、そっち、どうなってる?」


 全ての準備を完了させたところで、サリアの耳にフィーの声が飛び込んできた。

「どうした、何かあったのか?」
『ああ、ちょっと"知見者"の軍団に殺されかけた』
「な!? ……それで、無事なのか!?」

 こちらの動揺に、見えない場所にいるフィーの声が苦笑いに彩られた。

『アンタもオッサンと同じこと言うんだな。死んでたら電話なんてできないって。
 こっちは……ちょっと被害が出たけど、だいたい無事だよ。あいつら、こっちにシェートが来てると勘違いしてたみたいだ』
「そうか……で、"知見者"の軍団はどこへ?」
『これからリンドルの北門方面に向かうとか言ってた。うまくやれば、そっちのピンチも何とかなるんじゃないか?』

 この土壇場に来て、新たな不確定要素が入り込んだ。
 とはいえ、村に軍隊がやってくるとなれば、魔物たちへの牽制にもなるだろう。

「情報助かった、気をつけて逃げるのだぞ」
『そっちもな』

 通話を終えると、カニラの不安そうな顔があった。軽く頷き、水鏡に映るシェートたちの方を見ながら注釈をつける。

「フィーからだ。どうやら"知見者"の軍がリンドル付近に来ているらしい。コボルトの群れが襲われたが、大事無いそうだ」
「"知見者"さまの……」
「この戦いにどういう影響があるのかは分からぬが、今は我らができることをやろう……シェート! 圭太殿!」

 二人は再び、燃える村に戻ってきていた。シェートはすでにグートに騎乗し、圭太も準備を完了させている。

「聞け、二人とも。どうやら"知見者"の軍が北門の方に近づいているらしい」
『……そうか。もしかして、すぐ来る?』
「どう動くかは分からん。だが、うまくすれば村人達の保護を願えるかも知れんな」
「その役目、私にやらせてちょうだい」
「カニラ?」

 すでに友人は立ち上がり、神座を出て行こうとしていた。思いつめた表情を苦い笑いで緩めて言い添える。

「後はお願い。それと……圭太さん」
『……なに?』
「この村のことは、私達の問題よ。だから、これ以上サリアの加護は、期待しないで」
「そんな、私なら」
「ダメよ」

 カニラはこちらに背を向け、硬く厳しい声で言葉を継いだ。

「村の人たちに掛けてくれた"保護"だけでも破格なのよ。それ以上、貴方の加護を使わせるわけには行かないわ」
「しかし……」
「貴方はこの先も戦い続けるのでしょう? だとすれば、これ以上の助力は望めないわ」

 沈黙するしかないこちらを残し、カニラが姿を消す。
 少しためらった後、水鏡の圭太に声を掛ける。

「圭太殿。カニラはああ言ったが、私は」
『すみません。僕もカニラの意見に賛成です。本来なら僕達がやるべきことを、無償で手伝ってもらってるんですから』

 村の勇者の言葉に迷いはなかった。二人の態度を思い返し、サリアはため息をつく。
 彼らも勇者と庇護者である神、本来なら自分の対手であり、対等な存在だ。

「分かった。これ以上何も言うまい。その代わり、必ず生きて切り抜けよう」
『はい!』
『サリア、頼むぞ』

 村に掛けられた火が少しずつ弱まっていく。水鏡の端に映る北門には、破城槌を構えたオーガが整列しつつある。

「行くぞ、二人とも――作戦開始!」

 サリアの声に弾かれるように、シェートと圭太は一斉に行動を開始した。



[36707] 17、魔の王
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/16 13:44
 目の前の村の門が焼け崩れていく。
 施された防御の魔法のせいか、村の壁は延焼していない。
 その向こうでは未だに天を焦がす炎が踊り狂い、この距離からでも牛頭を炙ってくる。

「部隊の建て直し、完了いたしました」
「被害状況は?」

 顔をしかめて、コモスは首を振る。

「一応、弓兵のほとんどは生き残っておりますが、槍兵の方は三十を残すくらいかと。戦える者にいたっては十名かそこらで」
「村を捨てる覚悟だったのだろうな、俺の見通しが甘すぎたようだ。北門の配置は?」
「すでに完了しております。ご命令を」

 勇者の動きと判断は相当なものだ。避難誘導が完了した時点で、
 進攻ルートとなる南門付近を魔法で焼き払い、家屋を延焼させて炎の壁と変えて妨害を行う。
 その後、北面に集中したオーガたちに対処し、一人でも多くの村人を逃がすつもりだろう。
 大魔法を連発した後ではあるが、勇者の持つ加護の力を考えれば、オーガたちを再び魔法で焼くことも可能かもしれない。

「北門を破壊後、オーガ隊は各自散開。村人は見つけ次第、食って構わんと伝えろ」
「的を絞らせず、救援に気を取らせるわけですな」
「後続部隊は合図があるまで待機。森に展開した遊撃隊をここへ呼び戻し、残存兵と合流させろ」
「……森は、もう見張らなくて良いので?」

 不思議そうに問うコモスを制し、ベルガンダは斧を手に取った。

「ああ。もう必要ない」

 まるで幻のように、それが目の前に現れる。
 星狼にまたがった一匹のコボルトが、未だに立ち上る炎を背に、こちらをにらみ付けていた。


 シェートは、こちらを見つめる巨大な魔物に気おされないよう、歯を食いしばる。
 背丈はオーガよりも一つ分上だろうか、牛の頭と筋骨逞しい体つき、
 明らかに魔法で防御力を高めているらしい鎧や籠手、脛当てが見える。
 それどころか、人間の騎士のように鎖帷子をその下に当てていて、むき出しの部分は顔以外にはなさそうだ。

「サリア、あれ、なんだ」
『ミノタウロス……それなりに特殊な魔物で、一部の世界にしか生息しておらん人魔の一種だ。
 力が強く、斧を好んで用いる、魔法は特殊な職能にあるもの以外、得手としないそうだ……
 この部隊を統括しているのは、あのもので間違いないだろう』

 その長身と同じぐらいの長さを持つ戦斧を構え、背後に控えた弓兵や槍兵の生き残りが身構え始める。
 シェートも、右手に携えた武器を視界の端で確認した。長い棒の先に、フィーに渡した物のと同じ山刀がくくりつけてある。
 ナガユビ、山狩りの下働きの名を冠した、狩人が最後に頼りにする武器。

『だが、直接相手をする必要は無い。ひたすらかき回せ!』
「行くぞ、グート!」

 掛け声を共に鐙を踏み込み、星狼が目の前の敵めがけて一気に走り出す。
 その動きを察知して牛頭魔人が列の後ろに下がり、弓隊が弦を引き絞った。

「グート! 左!」

 体を倒し、狼の体がほとんど直角に左折、急激な針路変更に弓隊の姿勢が崩れ、何人かの射手が矢を取りこぼす。
 弓を撃つ時は、胸を張り、肘を引くという形を取って姿勢を固定する必要がある。
 そのため、背中側に抜けようとする相手には素早く対応できるが、腹側に回り込もうとする相手は狙いにくい。
 左回りの円を描きながら高速で走るグートに、ほとんどの射手が矢を取りこぼすか、明後日の方向へ狙いを外してしまう。

「慌てるな! 無理に狙おうとせず、先読みして退路を塞げ!」

 それでもミノタウロスの叱責が弓兵に活を入れ、鋭さを増した矢弾が体を掠める。
 視界の端に映る弓兵たちが、中央の司令役を中心に円の陣形を取っていく。
 こちらの動きにあわせて陣形が変わる。群れを作る動物は、そうやって外敵の存在から身を守りやすくする形をつくるものだ。
 そうさせることこそが『ナガユビ』の役割。

「コボルトを近づけるな! 魔術師は詠唱を開始!」

 円の中心に居た数匹のホブゴブリンが杖を掲げる。その口に詠唱が上せられた瞬間、

『今だ! 圭太殿!』

 サリアの声と共に、闇の中から銀光が迸った。

「伏兵だと!?」

 炎に焼かれた門の左手、濃い影になった壁から放たれた"凍月箭"で、二人の魔術師が打ち砕かれ、

「はぁっっ!」

 すり抜けざまに振るったナガユビで、一人の射手を切り飛ばし、すばやく隊列の脇を駆け抜けた。

「こちらに勇者を寄せているだと!? バカな、それでは村の守りは!?」

 驚くミノタウロスを尻目にナガユビを収め、素早く弓を引き抜く。

「ケイタ! 魔法使う奴、頼む!」
「分かった!」

 体を起し、弓を引き絞る。鐙が下半身を支え、上半身が背骨を軸に立ち上がる。
 射形を律したシェートの手が、よどみなく弓弦を解き放った。

「しっ!」
「ぐああっ!?」

 一人の肩を打ち抜き、素早く矢を番える。その間に流れるような詠唱が闇から届き、ミノタウロスが圭太のいる場所を指差した。

「弓隊、勇者を狙え、槍隊! 盾を押し立てコボルトの射線を封じろ!」
「グート!」

 太股を緩め、鐙を蹴るようにしてグートの後方へ飛び降り、

「ゴアアアアアアッ!」
「ぎゃああああっ!」

 身軽になった狼が、射手の足首を咬み裂きながら引きずり倒し、その開いた隙から槍兵の眉間へ一撃を打ち込んだ。

「こいつうっ! くるなぁっ! うがあああああっ!」
 新たな犠牲者を求めた狼の顎が、鋭い猟師罠のように槍兵の足に喰らい付く。
 その白い体に槍を振るおうとした兵士が、銀の光に貫かれて絶命する。

「コモス! 今すぐ下がれ!」

 劣勢を見て取ったミノタウロスが叫び、グートが素早く兵士の囲みから抜け出す。
 斧を構えなおした人魔は、油断なく周囲を見回しつつ指示を飛ばした。

「残った弓兵は威嚇を行いつつ後方退避、槍兵はコモスを守れ!」
「ベルガンダ様!?」
「命令だ! 下がれ!」

 ローブをつけたホブゴブリンとともに兵士達が引いていく。残ったのは、斧を手にした牛頭の魔物だけだ。

「良くぞ殺しも殺したり、だな」

 弓を構えたこちらに注目しながら、それでもミノタウロスは上機嫌に笑っていた。

「見ろ、こいつらを。長いこと手を掛けて、面倒を見てきた兵が、貴様らのせいで台無しになってしまったぞ」
「それがどうした」

 目配せでグートを呼び戻し、視線を外さずに魔物を睨む。

「お前、村攻めた。そういう魔物、殺されること、考える当たり前、違うか?」
「……なるほどな」
「なに?」

 牛は頷き、斧を構えたまま一歩近づいてくる。肌を刺す威圧感に、足がわずかながら震えた。

「貴様、本当にコボルトか?」
「え……?」

 突然の言葉が胸を刺す。
 あの時、同族に言われたのと全く同じ言葉を、ミノタウロスは口にしていた。

「巧みな射撃の腕、狼を使っての機動攻撃、あまつさえ勇者と連携を取って俺達を撃退しようなど、ただのコボルトであるはずが無い」
「お……俺! ただのコボルト! 神の力貰っただけ! それ以外、無い!」
「神の力……だと?」

 シェートの言葉に、牛頭が驚きに目を開く。
 その顔が次第に緩み、大きく口を開いて、爆笑の形と取った。

「は、はは、はははははは、ふははははははははははははは
 そうか、そうなのか! 我が主の言ったのは、こういうことか!」

 いかにも愉快そうに、どこまでも心地よいといった風情で、目の前の巨躯が笑いで体を揺すっていく。

「なるほど、目を見開かねば分からぬとは、よく言ったものよ」

 何かを勝手に納得したミノタウロスは、その顔を真面目なものに改めて、構えを取る。

「名乗らせてもらおう、俺はベルガンダ。このモラニアの魔軍を従える魔将」
「……え?」
『なんだと!?』

 驚いたシェートをおかしそうに眺めやり、ベルガンダと名乗った魔将は、恐ろしい一言を放った。

「魔王様がお待ちだ。俺と共に来い、変り種のコボルトよ」


「なるほど。これは面白い」

 執務卓に座った"知見者"フルカムトが、その冷たい顔を、かつて無いほどの喜色に変えていく。

「貴様もそう思わないか? "病葉を摘む指"よ」

 水鏡の中に映っているのは、リンドル村郊外の情景と、そこで魔将を名乗るミノタウロスと相対するシェートたちだ。

『な、なんで……俺、魔王……待ってる?』

 さっきまでの強い表情はすっかり鳴りを潜め、見ても分かるほどにコボルトがうろたえている。
 壁の方に立った圭太も、事態の推移にあっけを取られて見つめていた。

『なぜだと? 貴様だろう、"審美の断剣"の遣わした勇者を殺し、エレファスで百人の勇者をことごとく平らげた魔物というのは』
『そ……それは……』
『隠さなくていい。貴様のことは、すでに魔王様もご存知だ。そして、その噂を、この俺に確かめて来いと仰った』
「なるほど。どうやらあのコボルトは、我らだけではなく、魔の者にも注目されていたということだな」

 面白い見世物を見物するように感想を述べる。いや、この大神にとっては自分以外の営為など、全てが見世物なのだろう。

「ち……"知見者"様! なぜ、貴方がこのような映像を」
「だまれ、今良いところだ」

 彼の注目を知らないまま、ベルガンダは少し間を置き、告げた。

『魔王様が、貴様を所望している』
『……え?』

 ミノタウロスは、まるで子供が菓子でもねだるように片手を突き出した。

『俺と共に来い。貴様も魔の者の端くれ、我が主に忠誠を誓うのに、なんの迷いもあるまい?』
『ふざけるな! 俺っ、サリアの……サリアのガナリだ!』
「ふ……ふはははははっ!」

 苦しみを吐き出すように叫んだコボルトに、"知見者"遠慮ない嘲笑を浴びせた。

「聞いたか? あのコボルトめ、自分を称するのに下賎な狩人の役名を使ったぞ」

 カニラは、あざ笑う"知見者"をにらみつけた。

「おやめください。彼の者をそのように悪し様に言われるのは」
「……なんだと?」

 あの場でシェートがためらったのは、自分の立場をどう言っていいか分からなかったからだ。魔物に追われ、勇者に滅ぼされる。
 その運命を変えるために、全てを狩ると誓ったなら、勇者を公言することはできない。

「彼は、彼の思いからあのように言ったのです。それを笑うなど」
「くだらん。そんな辛気臭い叙情の類を、我が聖域に撒き散らすな、屑が」
『サリア……聞かん名だな。まぁ、魔物を使う女神など、人間の世界に社を建てるどころではあるまいが』
「言われておるわ。所詮、浅ましく勝ちを拾い、他の者の世界を奪い去った女神など、魔物に侮られるが似合いか」

 水鏡の向こうのシェートが弓を立て、弓弦を引き絞る。
 だが、その姿には、最前までの力強さも、意志の力も見えなかった。

『お、俺、すべての勇者、魔王、狩る決めた! だから、お前ら、仲間、ならない!』
『ほう? それは……聞き捨てならんな』

 鏡越しでも分かるぐらいに、牛頭魔人の威圧感が変わって行く。
 手にした斧を折れよとばかりに握り、腰を深く沈め、目の前の小さな魔物を殺意の視線で射抜く。

『実力は申し分なし、神と契る奇妙な縁を持ち、意気も軒昂。だが……』

 怒りで煮えたぎった息を吐き出すと、ミノタウロスは驀進(ばくしん)した。

『我が主に逆らうことは、許さん!』


 まるで、鋼の津波だ。
 斧を腰だめに構え、肩口からまっしぐらに襲い掛かってくる牛頭。
 全身を覆う鎧の重さなど忘れたように、突風の速度でやってくる。
 弓では止まらない、よけても間に合わない、体が完全に固まって、動くことさえできない。
 シェートの全てが真っ黒な絶望に塗りつぶされ――

「ぎゃううううううううんっ!」

 一瞬、何が起こったか分からなくなった。自分の体が弾き飛ばされ、鼻先をかすかに擦ってミノタウロスが通り過ぎていく。
 その黒い影の向こうに、投げ出されていく星狼の白い姿。

「グートぉっ!」

 遅れて大地に投げ出される衝撃と共に、時間の動きが元に戻る。 
 さっきまで生き生きと動いていたグートの体が、血を吐き出しながら地面に横たわっている。

「なるほど、いい動きだ。良く仕込んである。だが、無駄に命を散らしたな」

 急制動の土ぼこりを巻き上げながら、ミノタウロスは居丈高に言い放った。

「死の数刻にあがけない、弱虫の主をかばって命を落とすとは」
「う……うわああああああっ」

 三段重ねの神威を鏃に乗せ、引き絞った弓から必殺の一撃が飛ぶ。
 途端にミノタウロスの斧が跳ね上がり、たった一振りで矢が地面に叩き落された。

「なんだ、この気の抜けた一発は……仲間を殺されて臆したか?」
「く……」
『シェート! 冷静になれ! グートは大丈夫だ!』

 サリアの声と共に狼の体が輝き、よろめきながらも起き上がってくる。

「……これが神威という奴か。まさか本当に、神と契約を結んだ魔物がいようとはな」

 目の前の奇跡を物珍しそうに見やると、いよいよもって嬉しくてたまらないといった顔で、魔将は笑った。

「貴様がただのコボルトだと? 笑わせるな。神を篭絡し、奇跡をその身に降ろし、勇者を狩りこめる。そんなことができる者が、ただの魔物であるはずが無い!」
『聞くなシェート! 我らの間には契約と信頼があるのみ! こやつの言葉は事情を知らぬがゆえの邪推に過ぎん!』
「重ねて言おう、コボルトよ。我が主の物となれ!」
「いやだ! 俺……俺、魔王狩る!」

 大声を出して必死に自分を鼓舞する。確かにこいつは強いが、いつかは狩らなくてはならない相手だったはず。
 どうやって狩ればいいのか、それだけを考えろ。

「なるほど、あくまで逆らう気か……いたしかたあるまい」

 牛頭が再び腰を落とす。斧の柄を腰に当て、再び力を溜めていく。

「手加減はせんが、なるべく死ぬな。俺が魔王様に叱られる」

 弓を収めてナガユビを引き抜き、赤と白の加護を纏わせる。これは猪狩りと同じだ、自分ひとりの弓で狩れるものじゃない。

「グート、ケイタ! 俺、囮なる! 隙見て攻撃頼む!」
「わ、分かった!」
『全員、よけることを前提に考えろ! 誰が狙われるか分からん!』

 身構えたこちらにミノタウロスが口を歪め、その足が勢い良く大地を踏みしめようとした。

『さすがに、これ以上は任せておけんか』

 唐突に、魔将の口が場違いな言葉を放った。

『忠誠心が高いのは結構だが、せっかくの貴重な存在を潰させるわけにはいくまい』

 いきなり構えを崩し、その場に立ち尽くす。完全に戦意は失われ、まるで初めてこの状況を目にしたように、周囲を見回していく。

「な……なに、言ってる……お前」
『報告は受けていたが、こうして実物を見ると、また違った感慨があるものだ……いや、まだ私が見たというわけではないか』

 自分の行為を他人事のように語った人魔は、ありえないぐらいに穏やかな顔でシェートを見つめていた。

『改めて言わせて貰おう、"私"のものになれ、コボルトよ』

 語りかけてくる声の調子が、野太く粗野なものから、しなやかで良く通る美声に転じていく。
 凄烈としか言いようのない武人の気勢が凪ぎ、ただひたすらに、甘く、魂に染みるような呼びかけに変わる。

『私は奇貨を求めるてきた。神の勇者を全て殺し、魔に勝利をもたらす為には、ただ力があるだけでは足りぬがゆえに』

 すでにミノタウロスは構えを解いている。無防備に素顔を晒し、斧の存在すら忘れたように、散歩でもするような調子で歩み寄ってくる。
 それなのに、怖くて、何もできない。

『そんな時だ、お前のことを知ったのは……自らの分をはるかに超えた、まさしく奇跡を為した者を!』
「く……来るな! こっち来るな!」
『幾千の機略と幾万の奇策を用いても、決して届かぬ彼岸……お前の存在が、そこに届く鍵になりうると!』

 目の前に居るのは、牛頭の魔人ではなかった。そう見えるだけの、まったく別の何かへと変わって行く。
 身に纏った影がその濃さを増し、妖しく、寒気のするような気配を、遠慮なく放散していく。
 そして、狂った笑いを浮かべたそれは、手を差し伸べた。

『私と来い、我が愛しき、最も弱き怪物(ばけもの)よ!』
「ひ……っ」
「やめろおっ!」

 絶叫と共にミノタウロスの背中で光が爆ぜた。
 影から躍り出た圭太が杖を突き出し、必死に次の魔法を唱えに入る。グートが歯をむき出しにして身構えている。

『……リンドルの勇者よ。私の邪魔をするのか』
「シェート君から離れろ!」
『そういえば、貴様には借りがあったな。
 我が配下を殺し、大事な迷宮まで破壊してくれた……その怨恨はきっちり晴らしておかぬとな』

 戦場に、新たな気配が宿り始める。強い寒気がミノタウロスを中心に集まり、歯ががちがちと鳴り出していく。

『この愛しき魔物を見出してくれた礼もある。少々力を使うが、まあよかろう』

 そう言うと、それは跪き、命じた。

『"我が声を聞け。仮初の息吹を漏らし、偽りの光を取り戻せ"』

 声に、それらは即座に応じた。
 倒れ付していたはずの魔物たちが、操り人形の唐突さで起き上がる。すでに命の光を失った目が、不気味にうごめいた。

『屍霊術だと!? まさか、そのものは!』
「き……"清らなる恩威、病の労苦を取り去り、傷痕の憂いを払うもの、病葉を摘む指の銘(な)において、我は命ずる"!」

 叫ぶように呪文を唱える圭太の周囲に、白い光が集まっていく。その輝きに照らされて死者の体に宿った黒いもやが薄らいでいく。

「"死してなお起き上がりたるものよ、使徒にして征伐者、神威を顕す三枝圭太の声により、再び忘我の眠りへと還れ"!」

 一瞬、圭太そのものが光の塊になったように輝き、全ての死体がぐらり、と揺れて倒れ付す。

『魔術師にして神の使徒か。こんな村に閉じこもり、己を腐らせている者にしては、中々の手際だが…………
 いつまで寝ている、"起きろ"』

 たった一言で、死者たちが起き上がる。
 あまりの事態に圭太はおろか、グートさえ尻尾をたらし、怯えたようにあとずさる。

『に、逃げろ、シェート』

 天から降ってくるサリアの声は、完全に動揺していた。
 今まで培ってきた全ての自信が崩れ落ち、目の前の事態に驚愕していた。

『そやつは……その魔物の中に宿っているものは!』
「ま……魔王……」

 絞り出した声に、牛顔が優しく笑う。
 ようやく答えにたどり着いた者をねぎらうように。
 そして、彼は紡ぎだした。

『"共に寿(ことほ)がん、闇に堕ちゆく夕づつを"』

 広がっていた冷気がぞっと深くなる。強く深まり、死者たちの黒い影を一層濃くする。

『"汝が息吹は夜露の如く、意気は落日の残光の如く、肉叢(ししむら)は、熟れ崩れし香菓(かくのみ)の如く成れ"』

 怖気を催す詠唱が闇の敷布を広げていく。それはグートの毛皮をも脅かし、圭太のまとった光を貪っていく。

『逃げろ! グート! 圭太殿!』
『"払暁の輝星(かがほし)は絶え、冥なる理を我は請ず"』
「くっ、そおおっ!」

 渾身の破術を込めた矢が、放たれた瞬間から力を弱めていく。
 強烈な魔力がちっぽけなコボルトの抗いを飲み込み、魔王に届く前に砕け散る。

『"膿爛れ、腐れ堕つる遺屍(いし)の苦涯(くがい)も泡沫(うたかた)の夢"』

 圭太の魔法がことごとく死者の体に阻まれ、中央に立った敵に届きさえしない。
 狼の牙が死者の闇を一瞬だけ払うが、あっという間に力を取り戻し、何事も無かったように立ち上がっていく。

『"導かん寂莫(じゃくまく)の囚獄(ひとや)、集わしめん喪裾(もすそ)湿(しと)りし泣女(なきめ)"』

 禍々しい言葉に従って、死者たちが泣き声を上げる。
 大気が死臭と瘴気に満ち、命亡き者たちがシェートたちの体に掴みかかる。

『イェスタ! あの場にある全ての魔力を打ち消せ!』
『できませぬ』

 やけにはっきり、審判の女神の声が響き渡る。

『魔王の為すことに、神は一切手を出さぬこと。それが遊戯を敷く上で、魔族と取り交わした盟ですので』

 無常のいらえを耳にしたように魔王は笑い、

『"命の篝(かがり)の終わりしに、挽歌を謳え――屍霊狂餐"』

 結された唱呪と共に、腐った沼地のような闇が、溢れかえった。


 一瞬、水鏡がどす黒く塗りつぶされ、次いで向こうの景色が明らかになる。

「あ……」

 牛頭の魔物以外、立っているものは誰も居なくなっていた。コボルトも、狼も、自分の勇者さえも。

「……お、お願いです!」

 事態を上機嫌で眺める"知見者"に向け、地に頭を擦り付けてカニラは叫んだ。

「彼らを、お助けください! どうか!」
「貴様はあの場に我が兵団を差し向け、魔王の分け身と戦えというのか?」
「そ……それは……」
「そのために貴様は何を捧げるつもりだ? 壊れかけた村か? 
 ろくに鍛たわってもいない勇者の腕か? いずれにせよ、もう遅かろう」

 牛頭は倒れ付したコボルトに目もくれず、勇者へと歩んでいく。

「だめ……やめて!」
「貴様ごとき小神は知らぬだろうから、教えてやろう。
 魔王、もしくは魔王の分け身の周囲ではな、魔族に利する規約が適応される」

 必死に顔を上げた圭太が、何もできないまま恐怖に目を見開いた。

「その規約の働くところでは、神の力による新たな加護の追加、復活や回復の類が一切禁じられるのだ」
「そ、そんな!」
「ゆえに、魔王は簡単に地上に降りることは敵わず、その代償に膨大な魔力を消費するのだがな……」

 "知見者"の解説など耳に入らないまま、水鏡にすがりつく。
 その向こうで、漆黒の闇に彩られた牛頭が晴れやかに笑った。

『貴様はベルガンダを鍛える上で、良い対手だったぞ』

 恐怖に眼を見開いた圭太が、顔を蒼白にして絶望を見上げる。
『さらばだ』

 白刃が、断罪の証のように勇者の上に振り下ろされ――

「やめ、ろぉおっ!」

 ――半ばで軌道を変化させて斧が、自らに飛来する真紅の矢を打ち払った。 

「シェート……さん?」

 鏡の向こうで、震える足を堪えながらコボルトが弓を構えている。すでに二本目の矢を番えてはいるが、今にも倒れ伏す寸前だ。

「やめろ……っ……そいつ、殺す、な」
『その状態で、まだ抗うと言うのか!』

 魔王の声は驚嘆と賞賛に満ちていた。
 自分の行為を邪魔されたことに、悦楽すら感じているような顔で、斧を下ろす。

『殺さぬように手を抜いたとはいえ……素晴らしいぞ、その不屈! 全く、どういう存在なのだ、お前は!』

 シェートの顔が苦痛に歪み、片膝を突いて崩れ落ちる。
 それでも、戦う姿勢を解くことは無い。

『……それ以上無理をしてもらっては、お前の命が尽きてしまうか……このままでは我が魔将の身も危なかろう』

 魔王の視線が村の北門の方へ投げられる。その様子を眺めやりながら、"知見者"は皮肉に口元をゆがめた。

「なるほど、今代の魔王は策謀と奸智を用いるか……喜べ"病葉を摘む指"よ。貴様らの勇者は、十分我らに益してくれたようだぞ」
「あ……貴方は、一体何を……!」
「敗北の慰めに聞かせてやる。私が、貴様らを使い、何を為そうとしたか」

 フルカムトは立ち上がり、カニラの耳元に囁いた。

「戦力分析だ」
「……え?」
「奴らの戦力、戦術、戦略の分析をな。貴様とサリアーシェのコボルトを使い、行っていたのだ」

 そう言うと、"知見者"は水鏡の画像を望遠にしていく。
 おおよそ、通常の神の加護では得られない範囲に広がった視野の端に、鎧で身を固めた集団が見えた。

「我が軍団の動きに応じ、連中は戦力の秘匿を始めた。おそらくこちらの神規の情報を、魔王を通じて手に入れていたのだろう」

 兵士達は動かない。目の前で燃え盛る村を見ても、北門前に展開していくオーガの集団を見ても、微動だにしない。

「力で押し潰すこともできたのだが、それではこちらの被害も少なくないものとなる。
 ゆえに、いぶりだす策を練っていたのだがな。ちょうどその頃だ、魔軍の動きに変化が現れたのは」

 水鏡の映像を再び動かし、"知見者"は画面をコボルトに集中させる。黒い気をまとわせたミノタウロスがシェートに近づいた。

『我が配下となれ、コボルトよ。それが勇者を救う条件だ』
『う……』
「なるほど、自らの手を下すことなく消えていく勇者……
 その理由を、魔王自らが知りたがったというわけか。魔将自らが前線に出向いて来るとは、何事かと思ったが……」

 大神の言葉を耳に入れながら、それでもカニラは何もできないまま、事態を見るしかなかった。
 圭太の意識はすでに無く、味方は誰も居ない。サリアの奇跡は封じられ、誰も逃げる術など持ち合わせていない。

『答えを聞こう』
『俺、神、加護受けてる。裏切る、加護無くなる、そしたら、死ぬ』

 サリアと結んだ命の契約を盾に食い下がるシェートに、魔王はしばしの思案を置き、頷いた。

『では、我が城に賓客として招こう。その後、審判の神の名の下に、契約の更改を行えばよい。それでいいか?』

 今度は、シェートが黙る番だった。サリアとの相談を感じさせる沈黙の後、コボルトは頷いた。

『分った。俺、客、なる』
『よかろう』

 魔王が頷くと同時に、シェートの体が地に崩れ落ちる。緊張と体への負担で、小さな魔物は完全に意識を失っていた。
 手に入れた宝物をあやすように、シェートを手に入れた牛頭魔は魔物たちと合流していく。
 その全てを見つめながら、カニラは絶望が這い上がってくるのを黙って見ているしかなかった。

「なるほど。いよいよ面白くなってきたな。神の配下となったコボルト、主を裏切り魔王の物となる、か」
「違います! シェートさんは……圭太さんを……救うために」
「ああ。そうだな。実に麗しい友情だ」

 口元に冷たい笑みを浮かべると"知見者"は席に戻り、水鏡の向こうを眺めやる。
 それを待っていたかのように、魔王を宿したミノタウロスは空を見上げ、滅殺の号令を放った。

『我が配下たちよ! 自らの蛮意を以って、全てを食い破れ!』

 北のオーガたちが門に突撃し、村の中になだれ込んでいく。伏せられていた兵が崖の上から軽やかに飛び降り、村へと襲い掛かる。
 奇声を上げ、暴れまわる黒い津波が、瞬く間に村を蹂躙し始めた。

「そ……そんな……」
「どうやら、この村の利用価値も、ここまでのようだな」

 冷めた目で状況を分析していた神は、手元の情報端末を操りながら、こちらをなぶるように解説を続ける。

「リンドルの村は貴様の勇者も含め、小規模の砦程度の防御力があった。
 それを連中がどう落とすか、用兵を知りたくてな。
 あっさり落ちてもらっても困るので、貴様とサリアーシェを引き合わせるように仕向けたわけだ。
 とはいえ、無いよりはましの情報だったな」
「そ……そんな! では、私のしたことは!」
「全て、我が掌の上で踊っただけのこと。サリアーシェのコボルトをエサに、魔将の用兵を確かめるために」
「お……おのれぇっ!」

 自分の浅はかさに腹が立つ。
 それ以上に、目の前に居る倣岸な力の主に対して。

「よくも、よくも私達を謀って、そんな真似を!」
「それを貴様が言うか? "病葉を摘む指"よ。ゼーファレスと共謀し、サリアーシェの星の守りを破ったのは、貴様であろうが」

 その一言で、声が途切れてしまう。何もいえないまま全身が、冷たい石の牢獄へと落とし込まれていく。

「過去の罪を購うつもりだったのか? あの程度の協力で。真実を知れば、サリアーシェは決して貴様を許すことは無いだろうに」
「それを言うなら、あなた方も同じではありませんか!」

 ずっと押さえつけていた気持ちが溢れかえる。目の前の倣岸な者を前に、もっと早く叩きつけるべきだった激情が。

「貴方とて、四柱神などと持てはやされる以前は、ただの小さき神であったはず! その功を為せたのは!」
「愚かなことを。私が今の地位に居るのは、機を見て敏に動いたからこそ。
 貴様が何ゆえ"遊戯の立役者"に名を連ねたかは知らぬが、今のざまを見れば、せっかくの好機に何一つ得るものがなかったのは明白だな」

「あ……ああ……」

 何も反論できないまま唇を結び、頬を涙が伝う。
 全く、自分は何一つ変わっていないのだ。彼の神たちにそそのかされ、友を裏切った日から。
 ずっと後悔を抱え、それでも遊戯に参加していたことの意味。あの時、大切な人を裏切ってしまったことへの罪滅ぼしのつもりで。
 そして、願わくば今回の交誼を以って、償いに変える気だった。

「案ずるな。これで連中の動きも見終わった。ぼちぼち村を救ってやるとしよう。我が兵団の力でな」

 それきり、興味をなくしたかのようにフルカムトは水鏡に顔を向け、地上の様子に集中してしまう。
 そして、短く告げた。

「イェスタ、我が加護を消費し、この遊戯の間、我が神座への小神の出入りを禁じろ。ついでにそのゴミを、下に廃棄しておけ」
「畏まりました」

 酷薄な笑みを浮かべた時の神が巨大な杖をかざし、何もかもが絶望に沈む。

「ごめんなさい……サリア……シェートさん……圭太さん……っ」

 その詫び言と共に、カニラの意識は闇の中へ閉ざされた。


 静まり返った森の中を、フィーはコボルトたちと進んでいた。背後に聞こえていた騒音も、今は遠く彼方のものに思えるほどだ。
 すでに夜は明け始め、辺りが白々と明けていく。
 気が付くと、胸元に下がったスマホが振動していた。何気なく手に取り、何気ない調子で問いかけた。

「なんだよオッサン、こっちは今、すげー大変で」
『落ち着いて聞け。シェートが魔王軍に捕らえられた』

 その言葉が頭に染みた途端、フィーは絶叫していた。

「い、一体、何がどうなってんだよ!? 圭太は!? 村はどうなったんだ!?」
『勇者は、床に伏せっている。まだ意識は戻らぬようだ』

 淡々と語る竜神の声にかぶさるように、コボルトの群れがざわめいていく。その間を抜けるようにして星狼が現れた。

「グ……グート……?」

 傷こそ無いものの、悄然と首を垂れたグートがこちらに近づき、そっと顔を舐める。
 その鞍には誰も乗っていない。

「あいつは……シェートはどうなったんだ?」
『サリアが見ている。だが、予断を許さぬ状況だ』

 様々な感情が入り乱れ、何かを言おうと必死になる。
 それでも、口に出せたのはたった一言だった。

「説明してくれ。最初から、全部」



[36707] エピローグ なまえのないかいぶつたち
Name: 真上犬太◆93ceb70e ID:3d6118f7
Date: 2013/11/17 10:08
 朝焼けに照らされた村は、完全な焼け野原になっていた。
 辺りに焦げ付いた臭いが漂い、青い煙の漏れているところでは、鼻に突く金属めいた香りが漂う。
 焼尽の中心となった村の集会場は、土台を残して跡形もなくなっている。
 その周囲にあった家や倉庫、釜場も、徹底的に破壊の限りを尽くされている。
 死体は、数限りなくあった。人間のものも、魔物のものも、ほとんと原型が分からないほどに黒く焦げ付き、
 それが何であったのかを判別することさえ難しい。
 その全てを見やりながら、ポローは、何の感慨も抱いていない自分に気が付いていた。
 同じだ、どこもかしこも。
 結局、この世界において、自分達はこうして責められ、焼かれ、何もかもむしりとられていくだけの存在なんだ。
 大通りに立ち尽くしながら、傍らを過ぎていく村人を眺める。
 あの女神が掛けた加護のおかげで、ほとんどの村人が生き残った。
 リンゴの林に身を潜めたものを、魔物から見えなくするという力のおかげで、村に入った魔物の全てが、自分達を見出さなかった。
 その代わり、醸造所は砕かれ、備蓄の食糧も酒も取られ、迷宮から持ち出した財宝さえ奪われた。

「なんだ……こりゃあ」

 もう、自分には何も無い。
 生まれ故郷を捨て、新たに求めた新天地も、こうして灰になった。
 ここもおそらく、立て直すのは難しいだろう。
 いくら勇者の発案で、リンゴの収穫が増えたところで、生のリンゴなんて二束三文にしかならない。

「なにが……勇者だ、クソが」

 そう吠えたところで、こみ上げるのは虚しさだけだ。
 ケイタとか言う村の勇者は、村の外れで気絶していたところを発見された。必死に魔物に抵抗したらしいが、結果はこのザマだ。
 だが、村の連中は、何かあるたびに勇者のことを口にしていた。被害が小さく済んだのも、勇者がいてくれたからだと。

「くだらねぇ……」

 何もかもが、いやったらしくてたまらなかった。
 勇者は讃えられ、自分達は地をはいずる。
 俺とあいつらのどこが違うんだ、年端も行かないガキが、神の力を授かっただけで、英雄気取りで振舞いやがる。

 なぜ、あいつらが、あいつらだけがそんな風にできる?
 なぜカミサマとやらは、自分達を選ばずにあんな奴らを選ぶんだ。

「おい……ありゃ、なんだ!?」

 誰かの叫びに、ポローは目を上げた。
 粉々になった村の北門から、大きな旗を翻して入ってくる隊列が見える。
 白地に青い本と羽ペンを象った紋章が、朝焼けていく空にはためき、列を作った鉄鎧の集団が騎馬をこちらへと進めてくる。
 その先頭、黒地に金の装飾を施した騎士らしい金髪の男と、
 青く染められたローブを身に纏った魔法使いらしい男が、村人を別つようにして進み出る。

「聞け! リンドルの村のものよ!」

 魔法使いが、声高らかに呼ばわった。

「我らはこの地を開放するために使わされた神の勇者、葉沼康晴に従うものである! 
 魔王の軍に攻められ、故郷を汚された諸君の無念、想像するに余りある」

 またか、ポローの心の中に黒い反発心がこみ上げる。
 どうせ自分たちを救うとか何とか、そんなおためごかしを述べに来たんだろう。
 足元に転がっていた石を手に取ると、偉そうに口上を叫ぶ魔法使いを睨みつけた。

「だが! 我らは貴君らに、弔意を述べるつもりは無い!」

 その一言で、村の者の顔が険しくなる。
 ポローの心が暗い喜びに歪み、思い切り腕を振りかぶろうとした。

「我らは貴君らに、復讐の刃を手渡すためにきたのだ!」

 魔術師の言葉に腕が、落ちた。 

「今、このとき、魔王の軍は世界を蹂躙し、あらゆる人々の穏やかな日々を脅かさんとしている! 
 我らは中央大陸にて、その暴虐を制し、あらゆる魔を打ち破ってきた!」

 それに応えるように、控えていた騎士たちが腰の剣を抜き、目の前に掲げる。
 朝日に照らされ、銀に輝くその姿は、清冽さそのもの。
 一糸乱れぬその動きに、誰もが息を飲んだ。

「だが、我らには力が足りぬ。正義を為し、民を守り、邪悪な魔王を打ち払うための、意志の力が!」

 魔法使いは平然と、非力を述べて見せた。それでも、その言葉は揺ぎ無く響き、ポローの心に染み渡っていく。

「貴君らに問おう。この中に、悪の為す暴虐を憎み、全ての民を救う力が欲しいと、願うものはあるか!」

 全てを救う力。

「天を駆ける魔の城を地に叩き落し、虐げられた人々の嘆きを、正義の白刃を、悪逆の魔王に突きつけたいと願うものはあるか!」

 俺の嘆きを、苦しみを、魔王に叩きつける力。

「殺戮と略奪の限りを尽くし、貴君らの村を、隣人を、家族を、愛するもの全てを奪ったものに、
 その報いを受けさせたいと願うものはあるか!」

 俺の、この憎しみを、魔物を殺したいという願いを、叶えてくれる力。

「もしそう願うなら、今すぐ前に進み出よ! 光輝なる我が兵団はそのものに神の力と、復讐の刃を授けるだろう!」

 魔法使いの宣言に、誰もが視線をさまよわせる。
 お互いを見回し、相手の真意を測るように。

「ほしい」

 その中から、ポローは進み出ていた。

「力が、ほしい」

 まるで、その顔が魔王その人であるかのように、魔術師を睨みつける。

「俺に……力をくれ。魔王を、魔物どもを、一匹残らず殺しつくす力を!」

 馬上の男は一瞬たじろぎ、頷いた。

「よかろう。ならば、我らが勇者と、我らを見守る神"知見者"フルカムトに忠誠を誓え」

 両膝を突き、地面に額を擦りつけながら、ポローは魂を絞るような声で叫んだ。

「俺は勇者に、それを使わした神に、忠誠を誓う!」

 叫びながら、ポローは大地を睨んだ。
 大地を通して、全てを睨みつけた。
 家族を殺し、村を焼いた魔物を、それを操る魔王を。
 そして、力を与えると言った、神と勇者さえも。
 何もかも殺しつくしてやる。そう、心に誓いながら。


 暗い気持ちを抱えながら、フィーはコボルトたちと森を歩いていた。

『シェートの方はサリアが見ている。魔王との契約など、あやつが飲むはずは無い。隙を見て逃げ出すための算段だ。安心しろ』 

 聞かされた事実は、想像をはるかに超えた状況だった。
 いくらなんでも無茶苦茶だ。
 魔王の城から本体の意思だけが飛んできて、魔将の体に宿るなんて。しかも、シェートに仲間になれと言ってきた。
 これがゲームの話だったら、良くある陳腐な展開だと鼻で笑えたろう。
 現実として直面した人間にとっては、陳腐どころか大ピンチだ。

『とにかくそなたは、コボルトたちとエレファスに戻ることだ。ことによっては、そなただけでも元の世界に帰すかもしれん』

 竜神の声はこわばり、普段の軽い調子は全くなかった。
 サリアの方はシェートに付きっ切りだし、カニラは"知見者"のところに行ったきり、姿を見せないという。

「圭太……お前……何やってんだよ……」

 ステータス画面にあったはずの圭太の情報は、まだそこにある。
 とはいえ、村が完全に崩壊している以上、シェートの救出に力を貸してもらうのは難しいだろう。

「フィー? だいじょぶか?」

 子犬のようにしがみ付いて離れないコボルトの子供を、優しく撫でてやる。
 一緒に歩いていくグートの表情は、どこか寂しげに見えた。

「どうすんだよ……これから」

 途方にくれたフィーは、ふと空を見上げた。

「ん?」

 銀色の鳥が、じっとこちらを見つめていた。
 以前、どこかで目にしたことがあるそれ。だが、今の自分には、それがただの鳥には見えなくなっていた。
 角に感じる違和感、それに導かれるように開かれていく竜眼の感覚が、教えている。
 心音が無い、生き物の暖かさが無い、生存を示すあらゆる反応が無い。

「あ……あれ、ただの鳥じゃない!」
「どうした、フィー?」

 側に居たウラクが不思議そうに問いかける。それでも、フィーはその異常な鳥から目が離せなかった。
 がらんどうで、それでいてみっしりと、異常な力が詰まったそれの向こうから、見つめてくる目。
 冷たく、無慈悲に、これから捧げられる生贄を観察する視線。

「みんな……にげろ……」

 何も聞こえなかった。鍔鳴りも、足音も、動物達の立ち去る音さえ。
 だがそれは、確実に自分達を取り囲んでいた。

「みんな、早く逃げろぉっ!」

 フィーの声を合図にするように、何も無い空間から人が躍り出た。
 鎧もつけず、武器だって剣や槍じゃなく、鍬や鋤、先を尖らせた丸太を腰に抱えて突進してくる。

「死ねぇっ、このクソコボルトどもぉっ!」

 血走った目の男達が、津波のように襲い掛かってくる。怒りに満ちた形相に、足がすくんで動かない。

「よけろっ!」

 強い衝撃が視界を一瞬ぶれさせ、すぐにクリアになる。

「あ……」

 視界に入ったのは、背中まで貫通した丸太を抱えるソルデの姿。
 こっちを突き飛ばした姿勢のまま、口から血をこぼし、それでもこっちに視線を向ける。

「にげ……」

 丸太の男が手にした得物をぐりっと押し込む。一度体を震わせたソルデは、そのまま単なる肉と化した。
 その途端、軽快な音と共に、男の胸に下がっていた透明な板が輝いた。

「お、おおおおっ!? こ、これが、レベルアップ、ちゅうやつか!?」

 男の驚きに続くように、森のあちこちで同じような音が鳴る。

「お、オラも鳴ったぞ!」
「こっちもだ!」
「ああ、なんだよっ、ガキじゃ一ポイントしか入らねえじゃぁねえか!」

 男達の嬌声に、頭がぐらりと揺れた。
 理解の追いつかない事態の中で、唯一つだけ理解したこと。
 この連中は、勇者と同じくレベルアップすることで、力を手に入れることができるのだという事実。

「何を止まっているのですか。まだ、獲物は狩りつくされてはいないですよ」 

 群集の背後、目の覚めるような青いローブをつけた魔法使いが、指を突きつけてくる。

「喰らいなさい、自らの力とするために」

 その指摘に、森が沸いた。
 魔法使いの言葉に、男達の顔が狂った笑みに歪む。

「おらああっ! しねええええっ!」
「おまえらなんざ、もうこわかねぇぞおっ!」
「むすめの、かたきだぁあっ!」

 何を言っているんだ、こいつらは。
 今お前らが殺しているのは、村を襲った魔物とは何の関係も無い。
 ただ、普通に生きていたいだけの――。

「たすけてぇっ、フィーっ!」

 地響きを上げて縦横に走り回る暴徒の足の向こうに、子供の声が飲み込まれていく。

「やめろおっ! こいつらは! こいつらはそんなんじゃ……」
「おいっ! ここにおかしなのが居るぞ!」

 指摘の声に、フィーの周囲が肉壁でふさがれる。それぞれの目が、怪しく狂おしく見つめてくる。

「こりゃあ、あの女神のコボルトのつれてたやつじゃねぇか」
「どうするよ。あれにも、なんだかんだで世話に」
「殺せ」

 人垣を分けて、斧を手にした男が現れる。そいつの顔には見覚えがあった。
 ずっとシェートを、自分達を憎しみの目で見つめていた男だ。

「こんなもんでも、ドラゴンだそうだからな。それこそたっぷりと、経験値って奴を持ってるんだろうぜ」

 経験値、その一言に集団から、ためらいの匂いが消える。

「おい、ポロー、独り占めする気か」
「当てるだけでも経験値は入るんだ。全員で一斉にやればいいだろ」
「それじゃ、せーので」

 まるで狩場にPOPしてきたレアモンスターのように、自分の命が扱われていく。
 森の中に悲鳴と狂笑が木霊し、男達が得物を振り上げる。
 自分は、こんなところで死ぬのか。

「うがああううっ!」

 星狼の白い体が、肉壁を貫いて飛び込んできた。

「グートぉっ!」

 その首に抱き付くと同時に、逞しい狼の体が一気に囲みを飛び越える。

「逃がすな! 狼と一緒にぶっ殺せ!」

 追いすがる男達の声が遠ざかる。必死にグートに捕まりながら、フィーは遠ざかっていく光景に振り返った。

「あ……ああ……」

 逃げ惑う一匹のコボルトに、無数の人間が群がっていく。
 何とか逃げ出した者も、近くに伏せられていた鎧姿の騎士達に行く手をふさがれ、虐殺の森へと追い返されていく。

「みんなっ! 武器かまえろっ! 固まって押し返せ!」

 それでもアダラが必死に叫び、持っていた武器で人間の津波を押し返す。
 体当たりで村人をよろめかせ、騎士たちの体にむしゃぶりついて、群れの仲間の退路を生み出す。

「たすけてっ! にいちゃっ! フィーっ!」

 鋤や大鎌を振り上げて、一匹の子供に村人が群がっていく。
 その瞬間、仔竜は絶叫した。

「あいつを助けろ! グートぉっ!」
「うわぅっ!」

 白い体が一気に反転し、村人に猛進する。短い両足で必死に狼の胴体を締め付け、歯で手綱に食いついて大きく手を広げる。

「つかまれぇえっ!」
「フィーっ!」

 伸ばした手が子供の手を掴み、ぐっと引き上げる。その勢いのまま鞍に乗せ上げると、フィーは体を倒して叫んだ。

「全速力で逃げろっ!」

 コボルトと自分を乗せたまま、すさまじい速力でグートが駆ける。
 それでも何人かの村人がこちらに気がつき、武器を手に襲い掛かった。

「お前らっ、おまえらあああっ!」

 無意識に抜き放った山刀をでたらめに振う。

「ぎゃあっ!」
「うあっ! くそおおっ!」

 刃が肉を切り裂き、鮮血があたりに舞い散る。その全てを無視してグートが走り、みるみる喧騒が遠ざかっていく。

「フィーっ、にいちゃは? かあちゃはっ?」
「黙ってろっ!」

 グートの背に押し付けるようにして、フィーはコボルトをきつく抱きしめる。
 絶え間なく響く、悲鳴と、怒号と、レベルアップを示す華やかな音。
 耐え切れなくなり、何も見えないように、グートの毛皮に顔を埋める。
 それでも、殺戮の交響曲は、小さな仔竜の頭の中を、満たし続けた。


 楽しい。

「ぎゃああああっ!」

 楽しい。

「ひいいいっ!」

 とても楽しい。

「やめっ、いあああああああっ!」

 振るった斧の感触が、目の前の魔物に食い込んでいく。
 あっという間に敵が血袋に変わり、胸元の板が光り輝く。
 ポローが斧を振るう。

「たすけ……」

 おめでとう、板が祝福する。

「ゆるし、ごっ」

 おめでとう、また板が祝福する。

「おれたち、わるいこと、しなあぎいっ」
「たしゅけ、あぼっ」
「やめてやめてやめぐっ」

 おめでとう、おめでとう、おめでとう。

 気が付くと、敵はいなくなっていた。
 胡乱な視線で見回すと、同じように血まみれの男達が、何かを求めるように顔を周囲に振っている。

「た……たすけて……」

 気が付くと、足元に小さな敵がいた。
 子犬のような丸い顔を引きつらせて、何か言っている。

「おい、ポロー、それ」
「ダメだ」

 胸元の板を、血まみれの指先で差し上げると、ポローは笑顔で首を振った。

「見ろよ。後一ポイントで、レベルが上がるんだ。俺にくれ」
「しかたねぇ。さっさとやっちまえ」

 視線を落とし、狙いを定める。

「たすけて……しにたく……ない」

 無言で、振り下ろす。
 鈍い音と共に、斧が柄から折れた。
 元々適当に拾い上げた薪割用の奴だ、後で別の物を手に入れよう。

「終わりましたか」
「ああ。見ろよ、これ」

 突きつけた板を見て、魔術師は大した感慨も無く頷く。

「その調子でレベルを上げれば、いずれ騎士に昇格することもできるでしょう」
「田舎農夫の俺が……騎士様かよ?」
「それも、そのプレートのおかげ。神の力のしろしめすところです」

 透明な板切れは、汚いコボルトの血でも汚れていない。そこに書かれた文字は、学の無い自分にも、なぜか読み取れた。
 兵士、レベル八。

「くく……」

 腹の底から、笑いがこみ上げてくる。

「くは、ははは」

 あの日、村を焼かれて以来、一度もなかったこと。

「あは、あはははははははははは」

 おかしくてたまらない、何もかも。

「はははははははははははははハハハハハハハハハハハ」

 楽しい。楽しすぎる。

「アーッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 湧き上がる思いを抑えることもなく、ポローは笑い続けた。
 ただ、ひたすらに。


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