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[37523] ブレイク・ユア・ディスティニー!! リローデッド(GS美神)
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/08/14 13:26
ヒーローズ・カムバックで掲載された、GS美神スペシャルリポート「ブレイク・ユア・ディスティニー!!」の設定を加えた原作アフター小説です。セイリュートについては、漫画で不明瞭だった部分(生まれ故郷ほか)は、クロス元である一番湯のカナタの設定に準じています。


上記の部分を含め、話の中でこのSS独自の解釈や設定などが含まれる事があります。また、それについての補足をあとがきなどで説明している場合があります。


舞台設定上、原作のネタバレ等が普通に出てきます。原作を未読、あるいは現在読んでいる方はご注意ください。


8/14 13話の内容を全て書き直したうえ再投下し、以前の内容は削除しました。



※ハーメルンの方でも投稿しています。





[37523] リポート① 再会は突然に
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/06/02 23:18
「実働15分で2000万。バブルの頃よりはショボくなったけど、上々ね」

 明け方。T県某所にある瓦礫が散乱した廃ビルにて、美神は上機嫌に呟いた。手にしていた神通棍を腰のホルスターにしまうと、ん~、と伸びをする。

「思ったより楽勝でござったな」

「帰り際にきつねうどんが食べたいわ」

 背後にいたシロとタマモが気楽そうにやり取りを交わす。まだまだ年若いとはいえ、やはり人狼と妖狐。その実力は確かであり、今回でも除霊した霊の数だけなら美神のそれを上回っていた。
 振り向いた美神がにこりとする。

「お腹も空いたしちょうどいいわね。じゃ、私はクライアントに連絡するから、その間に道具の片付けよろしく」

「はーい」

 美神に携帯電話を差し出したおキヌが、ぱたぱたとした足取りで散らばった除霊道具を片付け始める。先の二人の様な華々しい活躍こそ無かったが、霊の集団を皆まとめてこの部屋に呼びこめたのは、紛れもなく彼女のおかげだった。
 報告を終えた美神が電話を切る。と同時に道具も片付いた様子だった。軽々とリュックを背負ったシロを確認して、引き上げるわよ、彼女が言った、その時――

「ち"ょ"っ"と"お"お"お"お"!!」

 地獄から響いて来る様な声に、全員の足がぴたりと止まった。冷や汗が流れる。そういえばもう一人いたのだ。裏方が。

「お、遅かったじゃない。横島クン」

「ち、ちょうど今から先生を呼びにいこうとしてたでござるよ」

「け、決して忘れてたわけじゃないからね?」

「ご、ごめんなさいー」

 おキヌを除いた全員が口々に言い訳を述べると、さすがの横島も声を荒げた。

「霊が残ってないかビルの上から下まで確認してこい、って言ったの美神さんじゃないですか!! ここ隣県っスよ!? なのに俺だけ歩いて帰れとでも?」

「わ、悪かったわよ……でも、ここんとこあんたの出番全然無いし、いっそのことそうしてもらったら、私も給料の払い甲斐があるかなーって」

「なお悪いわーー!!」

 雇い主からの遠慮呵責ない言葉に、横島が涙を噴き上げて吼える。
 美神の言う通りだった。シロ&タマモの加入からこっち、美神除霊事務所の戦力は大幅に上がった。接近戦はシロの霊波刀と美神の神通棍。後方からはおキヌのネクロマンサーの笛と、タマモの狐火・幻術がある。これだけ重厚な布陣なら、普段の雑魚霊など、物の数にもならない。
 そしてその煽りを一番喰らったのが横島だった。接近戦ではシロに遠く及ばず、後方支援は精々サイキックソーサーを投げつける程度。それとて味方に当たる危険性もあるので、滅多とやらない。残るは文珠だが、このメンツだと普段の雑魚霊レベルでは、使う前に除霊が終わってしまう。
 そういう訳で、彼の霊能力はここ数ヶ月、全く出番が無いのだった。



「ううっ、ちくしょう……」

 数時間後。事務所に戻ってきた横島は、独り除霊道具の片付けを命じられた。殆ど仕事しなかったから、というのが理由だったが、そもそも今日の除霊の割り振りを決めたのは美神だ。
 自身への扱いの低さに軽く涙しながら倉庫へ入ると、リュックを降ろす。

「ゴミ屋敷かここは……」

 久し振りに立ち入った第一声はそれだった。うず高く積まれた荷物の柱の隙間を埋める様に、様々な除霊道具がごった煮している。
 ため息を吐くとリュックを開き、道具を一つ一つ、元あった場所(と思わしきところ)に戻していく。

「せっかく俺だって霊能力が使える様になったのに……これじゃー昔とおんなじじゃねーか」

 一周回って、再びただの荷物持ちに戻りかけてる自分に心が荒む。給料は変わらないので楽といえば楽なのだが……自分がいてもいなくても変わらない様なこの疎外感に慣れる事はない。
 以前は頼られる場面も度々あったのだから尚更だった。

「俺って……もしかしていらない子なのか?」

 最後の道具――未使用の除霊札――を棚に戻すと、ぽつりと自問する。不景気の続くこの世の中。余分な人員はリストラされてもおかしくない。なのに何故。
 横島の額からだらだらと汗が流れる。ひょっとして今の状況は、無理やり辞めさせると法的に色々まずいので、自分から辞めると言い出すのを待っているのではなかろーか。

「まさか……いやでも美神さんなら……」

 美神を含め、誰かしらこの場にいたなら即座に否定しただろう。が、生憎ここには横島一人だけだった。
 すっかり疑心暗鬼に陥り、ううう、と哀しみの涙を流す。かなり精神的に追い込まれている様子だった。
と、その時、

『相変わらずあの女の言いなりになっているのだな。だからあのとき話を聞くなと言ったのに』

 呆れた様な口調の、聞き慣れない声が倉庫に返ってきた。はっとする横島。人工幽霊一号を含め、明らかに事務所メンバーの声では無い。だが、

「だ、誰だ!?」

 横島自身はこの声をどこかで聞いた覚えがあった。妙な感覚。忘れていたというより、まるで『あとから記憶を付け足された』かの様な。
 辺りを見回す横島に、先程の声がふん、と鼻を鳴らした。

『忘れたのか。短い間だったとはいえ、お前とは共に天下を目指した間柄だったのだが』

 そう言われても急には思い出せない。声は女性のものだったが、マイク越しに話し掛けられている様な、どこか機械的なものを感じさせる。
 確かに覚えがあるんだが――そう呟きながら声のした方向に横島が振り向こうとして――トラブルが起こった。肘が荷物の柱に当たってしまったのだ。

「ひーーっ!!」

 脳が超加速にでも入ったのか、幾つもの段ボールがスローモーションで自分に迫って来る。理解はできたが、肝心の身体の方はぴくりとも動いてはくれない。
 そのまま下敷きになった横島が、蛙の様な悲鳴をあげた。

「…………あーくそ。また美神さんにどやされる」

 ものの数秒で起き上がった横島が、うんざりした顔で散らばった荷物を見遣る。
 中身は色々だった。オカルト関係の書物や使用期限が切れていると思わしき破魔札。はたまた領収書の束や買い置きの文房具など、雇い主の性格がこれでもかとばかりに出ていた。
 呻きつつも、とりあえず片付けようと手を伸ばした横島が、ん? と何かに気付いた。

「これって確か……」

 赤い半球形の宝石の様なものを拾い上げて呟く。その瞬間、

『思い出したようだな』

 突然、石が光り出すと、中から掌サイズ程の少女が現れた。びっくりした横島が宝石を取り落としかけるが、何とか立て直す。
 見た目は女子中学生くらいか。黒髪に黒いタイツの様な衣装を着た、なかなかの美人だ。
 ただし、額に大きな石の様なものが嵌め込まれていたり、頭のあちこちに短い蛍光灯っぽいものが刺さっている辺り、明らかに人間ではない。ついでにノイズっぽい電子音が鳴る度、身体がぼやけたりもしている。
 おそらくは宝石が本体で、彼女は霊体、もしくは立体映像か何かだろう。
 その特徴的な姿に、横島の脳がようやく答に行き着いた。

「確か……セイリュート、だったよな。お前確か、美神さんに除霊してもらったんじゃなかったのか?」

 そう言って、彼が自分の記憶をなぞり始めた。


 ――セイリュート。正確な名前はプロトタイプ・セイリュートと呼ぶ。その正体は数百年前に機体の故障で地球に不時着した宇宙船だった。
 母星に帰る手立てを失った彼女だったが、当時の人々に敬られた事がきっかけとなり、土地神として共に生きていく事を決心する。
 だが時代が変わった事で彼女の祀られていた神社は潰れ、彼女自身もまた土地を不法占拠する妖怪として迫害される身となる。
 そして彼女の除霊を請け負ったのが……当時の美神たちだった。



『私もそうしてもらおうと想い休眠していたのだがな。どういうわけか目覚めたらここにいた』

 不機嫌そうに彼女に睨まれた横島が、急いで続きを思い出そうとする。


 ――結局、セイリュートが退治される事はなかった。
 除霊のためにオトリにされかけた横島とウマが合い、二人で神社から退去したのだ……が、何故かそのまま戦国時代にタイムスリップして、横島はハーレムを築くために、彼女は裏切った人間たちに復讐するために、天下統一を目指す事となった。
 彼女のサポートもあって途中までは順調だったのだが、最後は後を追いかけて来た美神たちが横島を説得? した事で、元の時代へ戻る事となった。


 横島がうーんと唸る。セイリュートの処遇の事ではない。何故か現代に戻る直前の記憶がすごくあやふやなのだ。

「何だろう。あのときすごく希少な何かを見た気がするんだが……思い出せん」

『……まああれだけ折檻されればな。恐らく脳が無意識的に思い出す事を拒否しているのだろう。てゆうかそんな事はどうでもいい。さっさと続きを思い出せ』

 事情を知っているらしいセイリュートの口調が気になったが、いい加減先に進まないと本気で怒られそうだった。仕方無く断念して記憶を進める。

(確かあのあと……)


 地獄の折檻が終わった次の日。美神たちは活動エネルギーが切れて休眠状態になった彼女を除霊するか、別の土地に移住してもらうかで意見が別れた。
 美神は除霊側、横島とおキヌは移住側だった。丁稚を連れ戻すために色々と恥ずい思いをした美神の意趣返しを、横島たちが必死に引き留めた形だ。
 渋る美神だったが、おキヌの懇願もあって、何とか移住で話が纏まった。
 
 問題はこの後だった。

「言っとくけど私は手伝わないわよ。あんたたちが言い出したんだし、自分たちの力だけで探しなさい」

 どすん、と、一抱え程度はあろう移住先のリストの束をテーブルに置いて、美神が言った。
 これだけ大量の候補先を調べあげるのも大変だっただろう。素直でない美神の助力に感謝したおキヌは、俄然張り切った。セイリュートにより良い住処を見つけてあげようと、横島と共に自ら現地にまで足を運び、事務所を何日も留守にしたのだ。
 その結果――片付ける人物がいなくなった事務所はたちまち荒れ果てた。おキヌたちが帰って来たときには、ゴミや荷物が床の踏み場も無いほど散乱し、彼女の本体――宝石――は綺麗さっぱり消えてしまっていた。

「へーーん! セイリュートさーーん"!!」

「ま、まあ……除霊したわけじゃないんだし、そのうちひょっこり出てくるわよ……たぶん」

 雑巾を片手に嘆き悲しむおキヌを、冷や汗と愛想笑いを浮かべて宥める美神だった。


『…………』

「なんとゆーか……お前もつくづく浮かばれんやつだな」

 説明を終えた横島が、 流石に落ち込んだ様子のセイリュートに、同情の言葉をかけた。
 瞬間、きっ、と彼女に睨みつけられる。

『ああそうだ。人間たちには裏切られ、復讐も成らず。せめて最期ぐらいは神らしく威厳を保って成仏しようと思えばこの有り様だ!』

 彼女の声に同調して、映像がばちばちと乱れる。相当怒っている様子だった。
 冷や汗を浮かべてビビりまくる横島に、彼女がずいと顔を近づける。

『……ここでお前と再会できたのはちょうど良かった。どうだ? もう一度私と組む気は無いか?』

「く、組むって……?」

『決まっている。約束を違えたあの女に復讐するのだ!』

 復讐という言葉に、横島がうっ、と顔色を変えた。『それは出来ない』という彼の意思表示を素早く汲み取ったセイリュートが、かぶりを振る。

『別に命まで取るつもりはない。悔しいが、今の私の力では、精々あの女を悔しがらせるくらいだろう。てゆうかお前こそ何故あんな女を庇う。あれからかなりの月日が経ったみたいだが、見たところあまり扱いは変わってない様に見えるぞ』

「いや、流石にあの時よりかはマシな扱いになったんだが……」

 それを皮切りに、横島がたどたどしく彼女に話し始める。自身が霊能力を身につけた事。それをきっかけに美神にも少しずつ頼りにされて来た事。シロとタマモがメンバーに入った事。そして――最近再び自分が役立たずになり下がっている事。

「あいつらの修行のためだっていうのは分かってるんだけどな。それでも自分がいる意味が無いって感じるのは……なんてゆーか、正直キツい」

『そうか……』

 横島の話を淡々と聞きながら、セイリュートは内心では感心していた。霊能力を身につけた事もそうだが、以前会った時より遥かに周りの事が見えている。
 何より、あれだけギラついていた煩悩が、今は随分落ち着いたものになっていた。

 ――きっと良き出会いと別れを経験したのだろう。

 この星の土地神として、沢山の人間に接してきた自身の勘が、そう告げていた。



『お前の霊能力を見せてくれないか?』

「え? ここでか?」

 横島が話を終えた後、しばらくの間何かを考えていたセイリュートは、突然そう言った。
 面食らった表情で訊き返す横島に、そうだ、と頷く。

『お前がどうするにせよ、このままでは私は動くことすらできない。お前が霊能力を使える様になったのなら、エネルギーを少しわけて欲しいのだ』

 そう言って、軽く微笑んだセイリュートの頼みを横島が断れるわけもなかった。セイリュートの本体を床に置くと、久しぶりに誰かから頼られた事もあり、ノリノリで右手に霊力を集中する。

『よし、それを私に』

 右手が光るのを見て、身を乗り出しかけたセイリュートに、横島が首を振った。

「どうせならこっちのが良いだろ」

 そう言うと、右手の光が徐々に収束していく。
 一瞬後、掌の上には小さな珠が二個浮かんでいた。出来映えに満足した横島が、キーワードの漢字をどうしようか考える。
 悩んだ末、結局はシンプルにした。

『これは?』

 横島から渡された珠を見つめて、セイリュートが訊ねた。

「文珠って言うんだ。とりあえず握ってみてくれ」

『あ、ああ』

 左右の手に一個ずつ珠を持ったセイリュートが、言われた通りに拳を閉じる。
 瞬間、力が急激に満ち溢れるのを感じた。省エネモードがあっさり解除され、ミニチュアサイズだった自分の身体が、一気に元の大きさに戻る。

「な……!?」

「どうだ? ちょっとは回復したと思うんだが……」

『ちょっとどころではないぞ。さっきの珠は一体何なのだ?』

 目を丸くして詰め寄るセイリュートを、まーまーとなだめる横島。その反応に新鮮な感動を覚えつつ、文珠について――キーワードの漢字に則した効果が表れる事や、二文字同時なら更に効果が上がる事など――簡単に説明する。

「お前は霊力が欲しいって言ってたろ? だからさっきは【霊】と【力】をイメージしたんだ」

 そう結んだ横島に、セイリュートは唖然とした。あの節操無しだったボンクラ男が、まさかこれほどまでにすごい霊能者に育っていようとは。
 何とか顔を取り繕い、彼女が告げる。

『正島驚いたぞ。これまで色んな霊能者に出会ったが、お前ほど強力な術を使う者は初めてだ!』

「そ、そーかな?」

 セイリュートからの賞賛の声に、横島が照れた様に頭を掻く。美神たちがピンチに陥ったときに颯爽と登場して危機を救い、「助かったわ。やっぱり横島クンがいないと私――」としなだれかかる美神をベッドに押し倒す計画用にストックしておいた文珠が、まさかこんな形で役に立つとは。
 頷き返したセイリュートが、ふっと笑う。

『ウソではない。お前がこれ程までに成長していて私も嬉しいぞ……って何故泣く?』

「いや……こうして素直に褒めてもらえた事って、しばらくなかったなーって……」

 正体が宇宙船のためか、セイリュートの言動は良くも悪くもストレートで、余分なものが無い。以前行動を共にしていた横島は、それが分かっているからこそ、彼女の言葉が深く染み込んだのだった。

『…………』

 苦笑いを浮かべて涙を流す横島に、セイリュートが改めて美神に憤る。
 彼女は宇宙船ではあるが、人造された機械ではなく、れっきとした一生物だ。
 彼女の一族はとある星の王族と共生関係にあった。王家に男子が生まれると、彼女の一族にも新たな種が造られ、一心同体となって成長していく。
 だがあくまで共生関係である以上、彼女たちは一方的に力を貸すわけでは無い。時には監視役として、王家の子に試練を与える。正しき力と心を持たぬものに彼女たちが力を貸す事は無かった。
 だが無事に認められた暁には、彼女達はあらゆる危機から王家の子を守る。セイリュート自身は実証試験機として造られた為に、王族と直接関わる事は無かったが、一族としての掟や価値基準などは、しっかりと心に根付いていた。
 そんな彼女の基準からしてみれば、美神は不合格もいいところだった。特に心が。優秀な部下を飼い殺しにし、そのフォローも碌に行わないどころか、未だにこういった丁稚まがいの雑用を押し付けてすらいる。
 給料の方も横島曰く、だいぶ多くなった、との事だが、それが本当ならば、もう少し身なりに気を使っていてもいいのではなかろうか?

 美神に一泡吹かせ、横島の現状を改善するにはどうすればいいか。黙考を重ねたセイリュートが、やがて一つの案にたどり着いた。


『お前……確かヨコシマといったな』

 へ? と返した横島が、そういえばいつも『お前』と呼ばれていた事を思い出す。

「あ、ああ……横島忠夫だ」

『よし。ではヨコシマ、やはりお前は私と来い。このままここにいても、心が病んでいくばかりだぞ』

「そー言われてもな……」

 いきなり話が進み、横島が困惑する。他人にちょこっと言われたくらいで「じゃ辞めるわ」となるのなら苦労は無い。働く原動力が美神の色香のみだった昔とは違うのだ。
 幽霊を卒業したおキヌとの青少年らしい甘酸っぱいイベントの数々や、散歩に付き合わされるのには勘弁とはいえ、常に自分を先生と呼び、慕ってくれるシロ(あと数年もすれば身体の方もドキドキものだろう)、いつもはクールだが、根は情に厚いタマモ。こちらも先が楽しみな逸材だ。
 いくら最近立場が不遇とはいえ、この美女一人と美少女三人に囲まれた今の状況をほっぽり出すなど、馬鹿のする事だろう。

『そうか……残念だな。共に来てくれたのなら、今度こそお前の野望を叶えてやろうと思ったのだが』

 否、前言撤回だった。近況を遥かに上回る好条件を提示されれば迷うのも道理だ。
 エロ本の背表紙によくある、詐偽商品で夢を掴んだおっさんみたいな想像図を思い浮かべた横島が、思わず首を縦に振りかけるが、何とか押し留める。
 そう簡単に振るわけにはいかなかった。なんだかんだで自分は事務所一番の古株なのだ。雇い主への義理や情は、とても報酬なんかでは代えられない。

『迷っているのか……まあ無理もない。あれ程の霊能力を身に付けたのだ。最近はともかく、それ以前はさぞかしあの女に厚遇してもらっていたのだろう?』

「ぐはっ!」

 セイリュートの追撃に、横島の心がハリセンボンと化した。胸を押さえて苦しみながら、何とかこれまでの良き思い出を振り返ってみたが……今に至るまでキス(唇に)の一つすらされた事がなかった事に絶望した。
 頬キス程度ならあったが、美神からしてくれたのは初仕事での一回のみ、そもそも、自分が損をせずに美味しい思いをした事は恐ろしく少ない。99%は自身からアクションを起こし、それすら後に過剰なまでの報復が漏れなく付いてきた。
 そんな心も体も揺れ揺れの横島に、セイリュートが申し訳なさそうな顔で俯く。勿論演技だ。ここまで来ればあと一押しだった。

『お前の気持ちを考えなくて済まない。今回の話は無かった事に――』

 言い切る前にセイリュートが肩に手を乗せられた。顔を上げると、白い歯を見せた横島が目をキラキラとさせている。

「何を言ってるんだ! 人間ってのはずっと一ヶ所に留まっていても成長しないんだぞ! 君に付いていくのはむしろ当然! いや、必然じゃないか!!」

『いや、まあ、私としてはそれでいーのだがな……』

 最後には土下座をし始めた横島のあまりの切り替えの早さに、若干肩をコケさせたセイリュートだった。



「遅いわねー横島のやつ……」

 いつもの広間。仕事終わりのシャワーを済まし、所長用のデスクでビールを喉に流しこんだ美神は、不満そうにぼやいた。

「もしかして倉庫で泣いてるとか?」

「先生、大分しょげていたでござるからな……」

 熱い風呂は苦手なのだろう。デスク向かいのリビングテーブルに、若干のぼせた様子で突っ伏したタマモとシロが、そう言って視線を美神に投げる。

「あんたたちだって忘れてたでしょーが! ったく……心配しなくても、あいつに限ってそれは無いでしょ。大方ミスって倉庫の荷物でもひっくり返したんじゃない?」

 当たりだった。こと横島の行動に関しては恐ろしい程の的中率を誇る美神。だが、今はそういう予測の話をしているのではなかった。

「な、何よ……」

 じろっ、と目を細める二人に美神がたじらいだ。険悪になりかけた空気を察してか、シロたちと同じテーブルの椅子から立ち上がったおキヌが、慌てて声を上げる。

「で、でもほら、美神さんの言う通りだったら、尚更横島さんを手伝いにいかないと。ね? 美神さん」

 笑顔を取り繕いながら問いかけて来る彼女に美神がぐ、と言葉に詰まった。彼女の意図は痛い程に伝わってくる。このまま倉庫に向かい、横島に謝ろうという事だ。
 それでも躊躇を見せる美神に、おキヌの表情が徐々に悲しげなものに変わっていく。これではダメだと直感した彼女は、冷静になろうと、大きく息を吐いた。

 ――そう、確かに最近は、シロとタマモの修業にかまけて、彼を蔑ろにし過ぎている感があった。
 いくら凄まじい霊能力を持っているとはいえ、所詮はまだ高校生。一歩退いた位置から全体を見極め、どんな状況でもフォローに入れる様に、という現在の役割を、きちんと説明したわけではなかったし、あいつに確固たる意志があったわけもないだろう。

(そうね――)

 自分が高校生だった頃を思い出しながら、美神が頷く。あの時の自分が同じ立場だったなら、きっと納得していなかっただろう。プロのGSとして成熟しきった自分を基準に判断するのはいけなかった事だと反省する。

「分かったわ。確かに最近、ちょっと横島クンに冷たかったもんね……いい加減倉庫も整理したいと思ってたとこだったし、行くわよ、おキヌちゃん」

 それでも、いちいち言い訳を作る所が彼女らしい。素直で無い所長にくすっと笑ったおキヌが、元気よく返事をする。

「拙者も手伝うでござる」

「後でおあげ奢ってね」

 席を立ち、当然の様に後ろに付いて来た二人に、美神が小さく微笑む。なんだかんだで皆あいつの事を気にしているのだ。
 ぞろぞろと階段を下りていく四人。 片付けが終わったら、あいつのお詫びも兼ねて、皆でリッチな外食でも――
 そんな事を考えながら、美神たちが倉庫の近くまでやって来た。その時、

『霊気!?』

 倉庫の中から横島のものとは異なる霊気を察知した四人が、瞬時に顔つきをGSのものへと変化させる。
 もしや横島の身に何かが――美神が三人に視線を送る。全員頷いたのを合図に、そのまま口々に横島の名を呼びながら倉庫に飛び込んだ。

『来たか……だが一足遅かった様だな』

「横島クン!? あ、あんたは――」

 散乱した荷物と段ボールの山の向こう側に、涙を流す横島と見知らぬ少女――おそらく妖怪だろう――がこちらを向いていた。
 いや、違った。自分はこいつを知っている。たった今記憶のパッチが最新のものに更新されたところ――もとい、忘れかけていただけだった。

「セイリュート!! あんた横島クンに何をしたの!?」

「え、セイリュートさん!?」

 横島の時よりも数倍早く正体を思い出した美神が叫んだ。ワンテンポ遅れておキヌが続く。
 彼女たちを一瞥したセイリュートは鼻を鳴らすと、淡々と告げた。

『何もしていない。単にこいつが、これ以上お前のそばにいるのは耐えられない、と言ってきただけだ』

 そこでセイリュートが言葉を切った。と同時に、横島の額のバンダナから淡い光が漏れだす。見れば、彼女の本体である宝石がそこに装着されていた。
くっ、と顔色を変える美神。この場から存在が薄れていく様なこの感覚を、彼女は良く知っていた。

「時間移動するつもり!? ちょっと横島クン!!」

「堪忍やーー仕方なかったんやーー!!」

 きっ、と睨み付ける美神に、顔を歪めていつもの謝罪用セリフを口にする横島。もう時間が無かった。舌打ちをして前に進み出るが、荷物の山が行く手を阻む。

「俺……今度こそ幸せになります。美神さんや皆のちちしりふとももは忘れません!」

「横島さん!」

「先生!」

「横島!」

 横島の別れを告げる様な言葉に、はっとした三人も美神に手を貸す。が、間に合わない。必死さと悔しさが同居する美神の表情に、少し溜飲が下がったのだろう。セイリュートの口角が僅かに上がった。そして――

『さらばだ』

 その言葉と共に、ふっ、とセイリュートたちの姿が消えた。
 倉庫が再び静まり返る。残されたのは横島たちがひっくり返したと思われる大量の荷物と段ボールだけだった。
 呆然とする四人。時が止まったかの様な沈黙が続く中、いち早く再起動したタマモが、

「……で、誰が片付けるの? これ?」

『あ!』

 場違いな様で、この場にぴったりな言葉を口にしたのだった。



[37523] リポート② ようこそ過去へ
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/06/02 23:17
「でっ!」
 異界空間を脱出し、横島たちが時間移動を完了した。着地音を立てずにセイリュートが、一拍遅れて横島が頭から派手に着地する。
強打した後頭部をさすりながら立ち上がり、辺りを見回すと、

「……あれ? 戦国時代に来たんじゃないのか?」

 てっきり前回同様に天下統一を目指すと思っていた横島が、呆気にとられる。少し濁った空、立ち並ぶビルやマンション、無数に映える電柱に、たった今、赤に切り替わったばかりの信号機。
 どこをどう見ても、いつもの事務所前の風景だった。それまで目をぱちくりしていた横島が顔を引き吊らせ、いつの間にかトレンチコートとセーターを着込んでいた――これも彼女の能力だろう――セイリュートに振り向く。 

「おい。時間移動したんじゃなかったのか? こんな所にいたら美神さんに殺されるぞ!!」

 血相を変えてセイリュートに詰め寄る横島。その脳内では修羅となった美神が襲いかかって来る光景が、現在無限ループで再生されていた。
 やれやれといった顔のセイリュートが落ち着け、と言った。次いで、ゆっくりと事務所の方を指差す。

『よく見ろ。あそこには誰もいない。ちゃんと時間移動はしている』

「へ?」

 正気に戻った横島が事務所に振り向く。確かに、事務所にはもう何十年も人の手が入っていない様だった。レンガ造りの三階建てのビルは、あちこちの窓がひび割れ、外装にも無数の亀裂が走っている。その建物の外周には鉄条網が張り巡らされており、とてもさっきまで自分たちがいたのと同じ場所とは思えなかった。

「……そ、そうか! そういう事か!!」

 ここがどこなのか、ようやく気付いた横島が声を上げる。説明が省けて助かると思ったセイリュートだったが、

「ここは未来の世界だったのかー! どーりで美神さんたちがいない筈だ」

 全力で勘違いをかました彼に、だああっ、とひっくり返る。

『アホかお前は! 何でそういう発想になる!』

「い、いや、以前に200年先の未来で幽霊になって成仏した夢を見たからつい、そうかと」

 何気にすごい体験を告白して、はははと笑う横島に、もういい、とセイリュートが額に手をやった。

『ここは1991年の東京だ。私たちがいた時代から約8年前になるな』

「え、それって俺が美神さんと出会った年じゃねーか!?」

『正確には出会う少し前の時期だな。以前お前から話を聞いていたのでここに来た』

 セイリュートの言葉を横島が頭で反芻する。自分の身の上については、戦国時代にいた時に一通り話した事があった。だが、

「……いまいちよくわからん。この時代が俺のモテモテ王国建国への道のりに、どう関係があるんだ?」

 この時代を選んだ理由はわかったが、その意図は結局わからなかった。自分で考えるのは諦めて、彼女に訊ねる。
 そうだな、と呟いたセイリュートが、考えをまとめるためか、やや間を置いてから口を開いた。

『強いて言えば、前回と同じ失敗をしないためだな。見ず知らずの女たちを権力でかしづかせても、お前は空しいだけだろう?』

「そりゃまあ……」

 セイリュートの勢いに押されたように同意する横島。彼女が拳を作って続ける。

『だから今回は、お前の知り合いの女たちをターゲットにする。彼女たちの心を掴み、味方に引き入れるのだ』

「こ、心?」

『お膳立ては私がしてやる。協力者を増やし、ゆくゆくはお前がGS業界を牛耳って、あの美神という女から仕事を根こそぎ奪いとるのだ!』

 どーんと、真っ直ぐ横島に指を突きつけて、セイリュートが言い放った。

「…………」

 たっぷり数秒は固まっていただろうか。ようやく再起動した横島が、無言でセイリュートの指先を見つめる……が、突然ぽん、と手を叩くと、その場から体をどかせた。
 ふう、と安堵する。汗を拭い、再び彼女を見遣って――ぎょっとする。指先はまたもこちらを向いていた。

「お、俺がか!?」

『長いな。どれだけ自信がないのだお前は』

 引き吊った表情で自分を差す横島に、セイリュートの後頭部から大きな汗が浮かぶ。

「だって俺だぞ!? 除霊前は大荷物を抱えて歩かされ、除霊時には霊を誘う餌となり、最後は地面に這いつくばって美神さんに命乞いをするのがいつものパターンだとゆうのに?」

『ゆうのに、ではない! 調教され過ぎだお前は!! だいたい、あれ程の霊能力があってそんな事をする必要がどこにある?』

 顔を付き合わせて、全く噛み合わない主張をぶつけ合う二人。知らぬ間に声がでかくなっていたらしく、道行く人の何人かが、こちらに視線を向けていた。
 はっと気付き、二人が離れる。

『とにかく』

 興味を失った野次馬を目で見送ってから、セイリュートがこほん、と咳払いをした。

『今のお前の実力なら何も問題はない。あの文珠とかいう能力に私の力が加われば、お前に敵うGSなど存在しないだろう。協力してくれる仲間さえ揃えれば、必ず覇権を握る事ができる!!』

 流石は元土地神といったところだろうか。きっぱりと言い切ったセイリュートの言葉には、ものすごい頼もしさを感じる。
 それほど自分を高く買ってくれているのか
と、思わず胸を熱くさせた横島だが、とはいえそう簡単にいくものだろうか。

「やる事はわかったが……GSやるには資格がいるんだぞ。俺が持ってるのは未来のものだし、もう一回試験を受けようにも、住所も戸籍もないんじゃ応募すらできん」

 取り合えず思い付くままに挙げていく。とはいえ、あそこまで断言するからにはとっくに対策は考えてあるのだろう。
 案の定、間髪入れずに彼女が口を開いた。

『資格など別にいらん。こういった仕事は昔も今も完全な実力主義だ。結果さえ出せば、モグリだろうが何だろうが関係ない……もっとも、圧力は受けるだろうが。だからこそ、前もって味方を作っておくのだ』

 そういえば友人の一人は、しばらくモグリで活動していた事があった。
 なるほど、と頷き、横島が次の質問に移る。

「知り合いのねーちゃんたちをモノにできるのは嬉しいが、そんなに過去を変えて大丈夫なんか?お前が寝てる間に、かなりでかい事件も起こったんだが……」

 口を動かしながら横島の脳裏によぎったのは、あのアシュタロスとの激戦だった。ここで自分たちが何かしてしまう事で未来に変化が起きないか、それが気がかりだった。

『問題ない。歴史には修正能力があるからな。多少の改竄なら影響は無いし、歴史を揺るがす様な事件なら、どうあがこうと結果が変わる事はない。つまりは好き勝手にできるという事だ』

「そうか……」

 すらすらと告げるセイリュートに納得しながら、横島は胸がちくりと痛むのを感じた。思い出すのは、あの戦いの中で失われた一つの命。ここに来たときに、もしかしたら、とも考えたが……結果が同じになるというのなら、どの道だめなのだろう。彼女の犠牲無しには、あの最凶最悪な魔神は倒せなかったのだから。

『……質問は終わりか?』

 何故か少し哀しげな表情を見せた横島を訝しみながら、セイリュートが言った。

「ああ、大体分かった。要は前みたくお前の指示に従うだけで、関係者全員が俺の魅力にドッカンするって事だな?」

『まあ間違ってはいないが……えらく自分に都合の良い解釈だな』

「わーははは。伊達に長年煩悩に生きとらんわ」

 自信満々といった様子で笑う姿はいつもの横島だった。セイリュートが顔を和らげる。気にはなったが、すぐに切り替えができるなら大丈夫だろう。

『別に褒めたわけではないが……まあいい。私の方もお前に訊きたい事がある』

「ああいいぞ。なんだかんだいって、お前も俺の事が気に……すみません。何なりとお訊ね下さい」

 半殺しどころか全殺しにされそうなほどの圧力を放ったセイリュートに、横島が小動物の如く縮こまる。付き合いこそ浅いが、彼女を怒らせるのはとんでもなくヤバイという事は、何となく理解していた。
 気を取り直したセイリュートがさて、と前置きする。

『バンダナ越しに直接霊力を供給されてわかったのだが……お前の魂は魔族の気配がするな。何かあったのか?』

 無遠慮に、と言うよりは何も知らないからこそ訊けたのだろう。セイリュートの問いかけに、横島が一瞬顔を強張らせると、再びあの哀しみを帯びたものに変わった。そのままゆっくりと俯く。
 これ以上は踏み込んで欲しくないという、暗黙のサインだった。

『答えたくはないのだな?』

「……すまん」

 絞り出す様に、その一言だけを横島が言った。効果はあったのだろう。彼女にしては珍しく、若干申し訳なさそうな顔で、そうか、と呟いた。

『もし不満なら取り除いてやろうかと思っていたのだが、余計な発言だった様だな』

「は?」

 さらっと言ってきたセイリュートに、今度は横島の顔が変わる番だった。ぽかんと口を開ける。

「ちょ、ちょっと待て! お前これを何とかできるのか!?」

『できるが……そのままの方が良いのだろう?』

「場合によるんだよ。た、例えばだぞ……俺の魂にくっついた魔族を生きて外に出してやる、なんて事も可能なのか?」

 切羽詰まった様子で訊いてくる横島に、セイリュートはそうだな、と呟くと、顎に手を当てた。そのまま考え込む。時間にすればおよそ10秒。それでも彼にとっては恐ろしく長く感じられた。
 セイリュートが顎から手を離す。横島の鼓動が一際大きく鳴った。

『できるぞ。多少条件はあるがな』

 あっさりとした回答。だがその一言こそ、彼が心の奥底でずっと求めてやまないものだった。横島がぺたんとへたり込む。

「良かった……良かったんだが、今までの俺の葛藤って一体……」

 ほっとした様な、拍子抜けした様な気分でぽつりと呟く。その目には今日何度目になるかわからない、だが明らかに違う涙が滲んでいた。
 セイリュートが呆れた様に言う。

『そんなに邪魔だったのか? もっと早く私を思い出していれば良かったものを』

「無茶いうな。連載時にいなかった奴にどー頼めと……そうだな。すっかり忘れてた」

 そう言って、ごまかす様な笑いをあげる横島に、セイリュートがうさん臭そうな目を向けた。理由は不明だが、この男はたまに不可解な発言をする。

「で、どうしたらいいんだ? 言っとくが痛いのは嫌だぞ」

 しゃがみ直した横島が、膝に頬杖を付き、見上げながら訊ねる。はあ、とセイリュート。あれだけ望んでおいて痛いもクソもないだろう。
 ひょっとしたら美神のこの男への接し方は正しかったのかもしれない、などと少しだけ思いながら、彼女が告げる。

『まず必要なのはエネルギーだな。さっきの文珠とやらはあとどのくらいある?』

「ちょこちょこ溜め込んでたから……残り六個ってところだな。どのくらい必要なんだ?」

『さっきの回復量からすると……八個は必要だな。それだけあれば、しばらくは【船】の姿に戻れる』

「げ! 結構いるんだな」

『ああ。やるなら今のうちだ。いくらお前でも除霊をしながら文珠を溜め込むのはさすがにきついだろう?』

 セイリュートの言葉に横島が同意する。確かに、これだけ文珠を溜め込めたのは、ここ最近ヒマだった事が大きい。セイリュートについて除霊の前線に立てば、気力、霊力の消耗も大きいだろうし、戦いの中で文珠を使う場面もあるだろう。ならば前もって済ませておいた方が、目算も立てやすい。
 セイリュートが質問を変える。

『文珠を一個作るのにはどのくらいかかるのだ?』

「調子によるけど、まあ数日ってところだな。二個だったら一週間もあれば作れるぞ 」

 その返答にセイリュートがほう、と感心する。思っていたよりはかなり早い。自身の計画に更なるプラス要素が加わった事に内心ほくそ笑む。
 だが、

『一週間か。それはそれで問題があるな』

「何かあるのか?」

『金が無いだろう?』

 さらっと告げてきたセイリュートに、横島があっ!と気付いた。立ち上がると、ジーンズ、ジージャンの順にポケットを手早く探る。が、給料日前ということもあって、出てきたのは合計三百円にも満たない小銭の束だった。
 泣きたくなる程の薄給生活に、セイリュートも憐れみのこもった眼差しを向ける。

「何とかならんのか!? ほら、モグリで除霊の依頼を受けるとか」

『そこまでの交通費はどうするのだ? それに物事には順序というものがある。この世界ではまだ何の実績もないお前に、依頼など受けられるわけがないだろう』

「くそおおお……どうすりゃいいんじゃー!!」

 空に向かって吼える横島。普通のバイトをしようにも未成年なうえ住所すらない自分が即採用されるとはとても思えない。
 何か方法は――焦った様にもう一度体をまさぐる横島の手が、突然何かに触れた。

「なんだ、アパートの鍵か」

 インナーに着込んでいたワイシャツのポケットから出てきたのは、横島の住んでいるアパートの鍵だった。
 横島の首がかくん、と落ちる。こんなもんあっても意味ねー、と思いつつポケットに戻しかけたが――

「……いいことを考えついたぞおーーーっ!!」

 小悪党風味たっぷりの顔で、にやりとする横島だった。


 ――一時間後――

「うわーははは。やはり持つべきものは自分よのう。少ないとはいえこれだけあれば一週間なんぞ余裕だ余裕!」

『お前……やむを得ないとはいえ、人としてこの行いはどうかと思うぞ』

 横島たちが向かったのは自分のアパートだった。もちろんこの時代の、だ。
 到着するとドアノブを回し、鍵が掛かっている事を確認した。GSのバイトを始める前なので、今は学校に行ってるのだろう。
 持っていた鍵を挿すと、当然あっさりと解錠する。そうして現在は部屋の中を絶賛物色中だ。

「いーじゃねーか。他人の金ならともかく自分の金なら盗っても無問題だろ。あ、そこのタンスは二番目の引き出しな」

 横島の指示に従い、セイリュートが引き出しを開ける。乱雑にしまわれた衣類の奥に、現金がはいっていると思わしき封筒が入っていた。
 恐らくは本当に危機に陥った時のものなのだろう。涙を撒き散らした相棒の顔が一瞬浮かぶ。が、容赦無く掴みとる。
 何だかんだで、目的の為にはなりふり構わないところはそっくりな二人だった。


「いやー大漁大漁」

 アパートでの接収行為も無事終わった横島たちは、近くのファミレスで食事を摂っていた。
 料理をがっつきながら上機嫌で呟いた横島を、テーブル越しにセイリュートが睨む。

『お前は艶本ばかり集めていたがな』

 ぎくっ、とした横島がその拍子に食べ物を詰まらせた。慌ててコップを手にとり、水を流し込む。

「い、いーじゃねーかちょっとくらい! あれだって元いた時代なら凄い価格になるんだぞ」

『ほう? 根こそぎ持ち去ろうとしておきながら、ちょっと、とはな』

 セイリュートの眉間がぐっと寄る。空き巣のとき、放っておけば部屋にあったコレクションを全て持っていきそうだった横島を、無理矢理引きずり出した光景が蘇ったのだ。
 不機嫌さを一層溜め込んだ声で、彼女が訪ねる。

『お前……まさか私たちが何のためにここにやって来たのか忘れていないだろうな?』

「そ、そりゃあもちろん。でもせっかくだから、この際失った思い出(コレクション)たちもついでに取り戻せたらなーって……」

 なおも未練を残す横島に、ついにセイリュートもキレた。空き巣に手を染めたのはまだしも、本人は金品そっちのけでエログッズ集めに精を出し、そのうえ祿に反省もしていないとなれば已む無しだ。
席を立ち上がった彼女が、ばん、と両手をテーブルに打ち付けた。

『……目的も果たさずにそんな事にうつつをぬかしてみろ、ヨコシマ』

 様子の変わったセイリュートに、横島がひいっ、と声を洩らす。普段は名前を呼ばないだけに、本気で怒っている事がよく分かった。
 彼女がぐっ、と顔を近づける。そして――

『嫌いになるぞ!』

 きっぱりと告げて、セイリュートがそのまま乱暴に席に座る。その効果は絶大だった。頭の中で、さっきの言葉が何度も繰り返される横島。日頃バカだの変態だの言われ、罵声には慣れている筈なのだが、面と向かって嫌いと言われたのはかなりキツい。ましてやそれが(宇宙船とはいえ)かわいい女の子なら尚更である。

「セ……セイリュートさん?」

 言い様の無い焦燥感に駆られ、滝の様な汗を浮かべた横島が、恐る恐る彼女に問いかける。が、完全に無視だった。半目のまま、つん、とそっぽを向き、目線すら合わせようとしてくれない。
 横島の顔が凍り付く。すがる思いで何度も彼女に呼び掛けるが、全てかわされた。

「お、俺が悪かった。謝る……謝るからこっちを向いてくれえええ!!」

 テーブルから身を乗りだす程の勢いで謝罪をかました横島に、ようやく彼女がこちらを向いた。
 ほっと安堵しかけた横島だったが、

『一週間後には残りの文珠を作っておけ……ではな』

 そう言い捨てて、セイリュートが姿を消した。再び血相の変わった横島が彼女を呼ぶ。バンダナの本体に戻ったのだろうが、当然の如く返事は無かった。

「セ、セイリュートォォォ!!」

 テーブルの上でおがああ~んと泣き叫んだ横島が、店員に追い出されるまで、そう時間は掛からなかった。



[37523] リポート③ 蛍の帰還
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/06/04 15:00
 ――一週間後――


 アパートに戻るわけにもいかない横島はこの数日間、とあるカプセルホテルで宿をとっていた。
 その近所にある小さな公園で、一週間ぶりに出てきたセイリュートは、ベンチに座って横島から受け取った文珠を見ていた。

「ど……どうでせう……」

 もみ手をしながら横島が恐る恐る訊ねた。それには応えず、指の腹で文珠を転がすセイリュート。
 まるでワインを楽しむ様に眺め続けた後、ふむ、と呟いた。

『なるほど、良い出来だ。霊力の凝縮がすごく洗練されている。これなら私も十分な霊力を得られるだろう』

 そう言って顔を和らげたセイリュートに、横島が天にも昇る気持ちになる。
 この一週間、彼は猛烈に頑張った。食事と睡眠以外の時間は、もう脇目もふらずに文珠の精製に集中したのだ。
 おかげで出来映えは上々、作った数も四個に増えた。それもこれも彼女に機嫌を直してもらうため。そしてその思いは今、成就されたのだ。
 ……という、端から見れば軽い洗脳状態に陥りかけている横島に、計算通り、とばかりに微笑むセイリュート。こういった人心掌握の妙は、さすがは元土地神といったところだった。

『とりあえずこれで準備は整ったが……もう一つお前にはやってもらう事がある』

「はい! この横島忠夫、どんなご命令にも、誠心誠意尽くさせていただきます!」

 どこぞの教祖様に拝顔するかの如く、キラキラした目を向ける横島に、セイリュートが呻く。少々仕置きが過ぎたのかもしれない。

『……反省したのはわかったから、普通に話してくれ。で、その内容だが……お前には一度死んでもらう事になる』

「は?」

 いつもの無表情で告げてきたセイリュートに横島が固まった。沈黙する。
 春も近いというのに、やけに風が冷たい。あるいは、風など無かったのかもしれないが。

「……あ、あんまりだあああ!! この一週間、さんざん頑張ったのに、あれでは反省が足りんとゆうのかかああああ!!」

 いつもの口調に戻り、怒涛の勢いで泣き叫んだ横島に、はあ、とセイリュートが息を吐く。案の定だった。

『落ち着けバカ者! これはお前の中にいる魔族を出すために必要な手順なのだ』

「て、手順なのか?」

 取り乱していた横島がその一言で我に返った。そうだ、とセイリュート。

『最初から説明していくぞ。まずはこの文珠でエネルギーを回復した私が元の姿に戻る』

「元の姿って……あのSFみたいな船にか」

『そうだ。そこにお前を収容して――』

「なるほど、中にある設備で何とかしてくれるんだな。悪の秘密組織に捕らえられて改造人間になるように」

『また妙な例えを……だがまあ、その考えはある意味正しい。私はお前の魂を複製するつもりなのだからな』

「ふ、複製?」

 困惑した顔で横島が呟く。GSとして様々な超常現象を経験してきた彼でも、この発言は流石に予想外だった。
 セイリュートが話を続ける。

『そんなに意外な事ではないだろう? 魂といっても、その正体は記憶や人格の集合体だ。私の生まれた星は、この星より遥かに文明が進んでいる。外見はいくらでも変える事ができるし、記憶や人格……いわゆる魂もデータのひとつとして扱っている』

「そ、それじゃ絶世の美女になった俺のコピーを何人も侍らせたりもできるんか?」

『想像したくもない光景だが……まあ、一応は可能だ。増やした魂と同じ数の肉体が必要だがな』

 嫌そうな顔でセイリュートが説明すると、途端に横島がそわそわした顔になる。何を考えているのか、一目でまるわかりだった。

『言っておくが、さすがに肉体は作れないぞ。あれは母星の科学力があってこそだからな』

「そうか……」

 明らかにテンションが下がった横島を、もはや無視しようと決め込んで、セイリュートが話を戻す。

「魂を複製したら、元の方は魔族を復活させるために使用する。一度死んでもらうと言ったのはそういう意味だ。それが済めば――』

「あとはバックアップしておいた予備の魂で俺を生き返らせるって事か」

 説明しながら、話の内容に付いていけてるのか視線を飛ばすセイリュートに気付いたのだろう。横島が後を引き継ぐと、気分良く彼女が頷いた。順応が早いのも、この男の長所の一つだ。
 その横島が、うーん、と腕を組んで考えた後、こちらに向いた。

「それなら使うのはコピーした魂の方が良くないか? 中身は一緒とはいえ、やっぱ元の自分が無くなるってのはあまりいい気分じゃないぞ」

『その辺は意識の差なのだろうな。私も向こうにいた頃は、あまり死というものに関心を払わなかった』

 セイリュートにしては珍しい、微妙にずれた回答だった。
 そうじゃない、と横島が言おうとして――ふと気付く。

「今は……あるのか?」

『多少はな。数百年も土地神をやっていたのだ。親しかった人間が、一人、また一人と亡くなれば、流石に理解できるさ』

 そう言って、少し寂しそうに表情を歪めたセイリュートに、横島は何となくわかった気がした。

「お前……本当はやりたくなかったんじゃ……」

 問いかけに、セイリュートが苦笑を返す。

『……昔、病を患った友人にやろうとしてな。猛烈に怒られたよ。余計な事をするな、と』

「そうか…………すまん」

 生物には寿命があり、それが尽きれば死んでまた生まれ変わる。例え善意からの行動であっても、自然の摂理に反する様な彼女の力は、拒否されても仕方がない。
 言葉少なに謝罪をした横島に、気にするな、とセイリュートが言う。

『私が切り出した話だったからな。それに、今回はお前の方も乗り気だ。その魔族の女をどうしても救いたいのだろう?』

「ああ……って、な、なんで女ってわかる!?」

『お前が男のために何かする様なやつか?』

 即答して、セイリュートが薄く笑みを浮かべた。

『とにかく、その女を復活させるなら、やはり元の魂を使った方が確実だ。魔族の魂はコピーした経験が無いし、複製には多くのエネルギーが必要になる。おそらく、チャンスは一回きりだろう』

「仮に失敗したらどうなるんだ?」

『元の魂には何も影響は無いからな。再び文珠集めからやり直しだ』

 セイリュートの回答に横島がそうか、と口にする。時間をかければ、いずれ彼女は助けられるらしい。

『私はどちらでも構わない。お前の好きにしてくれ』

 考えこんだ横島の心情を思いやってだろう。どちらの選択でも重荷にならぬよう彼女が付け加えた。
 そして――

「わかった。最初の通りにやってくれ」

『いいのだな?』

「ああ。こいつはさ……俺みたいな奴を、自分の命と引換えにしてまで救ってくれたんだ。今度は俺がこいつを助ける番だ!」

 胸に手を当て、真面目な顔で話す横島だったが……シリアスな雰囲気は長続きしないのだろう。

「ま、本当に死ぬ訳じゃないからってのもあるけどな」

 そう続けると、最後は照れくさそうに頭を掻いた。


 ――三日後――


 ぱちっ、と目が覚めたのは久しぶりだった。GSというのはその仕事柄、夜の出動が多い。よって朝――学校へ行かなければならない日なんかは特に――いつも寝不足だ。それがすっかり解消されている。
 リフレッシュされたのは身体だけではなかった。何というべきか。心の奥底でずっと引っかかっていた何かが、ようやく取れた様な感覚だ。
 寝たきりのまま、ぐるんと首を回す。こんな些細な動作も、やはりいつも以上に滑らかだった。そうして布団の横に置いてあった時計を見る。
 見慣れないデジタルの表示は、最後の記憶から三日後になっていた。

「三日後?」

 覚醒した横島が、がばっと布団から跳ね起きた。まだ混乱している事に気付いたのはその数秒後だ。寝ていたのはアパートの煎餅布団ではなく、白一色のパイプベッドだった。
 落ち着かないまま、視線を周囲に向ける。10畳程の広さの部屋だ。床から天井まで、全てベッドと同じ色で統一してある。唯一カーテンだけが、それに抵抗するかの様に薄い水色を主張していた。
 要は病室だ。 横島が結論に達する。 それにしては可愛いナースが一人もいないな……と思ったその時、

「ヨコ……シマ……?」

 奥のドアから私服姿の彼女の姿が現れた瞬間、彼は全てを思い出した。ここが自分の相棒の本体の中である事。この部屋は相棒が作り出した仮想空間である事。三日前、自分はこの船に乗り込み、眠った後に一度死を迎えたらしい事。実感は無いが、今の自分は2号である事。
 そして――

「ルシ――」

 言い終えるより早く、横島の胸に彼女が飛びこんだ。

「ヨコシマ……ずっと! ずっと会いたかった……!!」

 しがみ付く様に横島を抱き締めた彼女――ルシオラ――が、肩を震わせて嗚咽を洩らした。乱れの無い黒髪が、ぐいっと彼の胸元に押し付けられる。
 少しの間そうしてから――横島の反応が気になったのだろう。身体を離すと、ルシオラが涙に濡れた瞳で彼の顔をじっと見つめた。

 そして――

「俺もだ! ルシオラ!!」

 もはや自分を抑えきれず、横島がルシオラの背中に手を回して引き寄せた。 「きゃっ」と言って彼女が舞い込んで来る。どうやら驚かせてしまったらしい。胸元に彼女を預けたまま、どうしようかと考えていたが――そのうちに安心したのだろう。徐々に力が抜け始め、こちらに身体を預けてきた。それを機に、両腕でそっと抱き締める。あっ、と可愛い声が洩れる。確かな彼女の温もり。整った顔も、綺麗な脚線も、控えめな胸も、何もかもが在りし日のままで――

「控えめな胸って誰の事かしら……?」

「しまったああっ!! またいつの間にか声にっ!?」

 身体を離し、さっきまでとは違う理由で肩を震わせはじめたルシオラに、横島が慌てふためいた。一瞬で正座になると、そのままベッドの上で土下座を開始する。
 すんませんと連呼する彼を、すぐ横できょとんとして見ていたルシオラが、くすり、と笑う。あんな別れ方をしたというのに、彼は全然変わっていない。その事が何より嬉しかった。
 だけど――

「ううん。謝るのは私の方よ。ヨコシマ……ごめんね」

「え? 何がだ?」

 横島が訊き返すと、彼女の顔が曇る。

「魂が混じっていたから、大体の事情は知ってるの。私を助けるのに元の魂を……」

 呟き、ルシオラが複雑な表情を浮かべる。自分を救うために、彼はまたもやその身を犠牲にした。そこまで想ってもらえる事が、嬉しくもあり、また悲しくもあった。
 暗い思考に引っ張られ、徐々に頭が俯きかける。
 そんな彼女を、横島がぐっと肩を抱いて引き留めた。

「いーって、気にすんな。コピーっていっても特に変わったところは無いし、俺がやりたくてやったんだしな。それに――」

 彼女が見上げたのを待って、横島がにっ、と笑いかける。

「約束したからな。また一緒に夕日を見よう……って」

 少し照れくさそうに、しかし心からの優しさが伝わってくる横島の言葉に、ルシオラの目から涙が零れ落ちた。

「バカね……そんな約束、いつまでも覚えていたなんて」

「忘れたくても全然モテんしな。でもまー覚えてて良かったよ」

「バカ……」

 軽口を返す横島に、ルシオラが涙を滲ませたまま、くすっ、と笑った。そのままゆっくり瞳を閉じる。入れ替わる様に薄っすらと開いた唇からは、彼女が何を求めているのか、嫌でも理解できた。
 生唾を飲んで横島が目を閉じる。おあつらえ向きに、ここはベッドの上だ。未知の世界への期待に、心臓が痛いほど高鳴っていた。
 徐々に首を進ませていく。 彼女の吐息が、鼻をくすぐった。
 いただきます、か。それとも、男になります、か。
 心の中で宣言を済ませた彼が、顎を傾け、本懐を遂げようとした、その時――

『気持ちはわかるが、船の中で事に及ぶのは止めて欲しいのだが』

 横から飛んできた声に、はっと二人が振り向いた。いつの間にか転移してきたらしいセイリュートが、眉間を低く寄せてこちらを見返している。

「ご、ごめんなさいママ。ヨコシマに会えたのが嬉しくってつい……」

 照れ笑いを浮かべ、慌ててセイリュートに近寄るルシオラに、横島が血の涙を流す。怒涛の勢いでセイリュートに噛みつきそうになったものの、ファミレスでの一件を思い出して、ぎりぎりで踏み留まった。次は一週間で済まないかもしれない。

「ん?」

 リビドーを押さえ込み、冷静さを取り戻した横島が、ルシオラをたちを見て二度驚いた。さっきセイリュートをママと呼んだのもそうだが、何より、

「ルシオラ……お前、触覚はどうしたんだ!?」

 彼女に再会できた喜び諸々で気付かなかったが、彼女の頭には触覚――ホタルの化身である証拠――が無かった。仮想空間にいるためかとも思ったが、特にそんな事をする理由も見当たらない。
 説明するためだろう。ルシオラと入れ替わりに進み出たセイリュートが口を開く。

『すまない。思った以上に魂の癒着が激しくてな。色々と試してはみたのだが、結局元の身体のままで復活させる事はできなかった』

「じゃあ今のルシオラは……」

『魔族ではあるが……限りなく人間に近い。魂の中にあった彼女の人格を目覚めさせ、事情を話してお前の魂を取り込ませたのだ。恐らくはその影響だろう』

「私はこれで良かったわよ。思っていた形とは違ったけど、晴れて人間に転生できたんだもの」

 横合いからそう言ってきてにっこりと笑うルシオラに、思わず横島がどきっとした。若干、声が上ずる。

「あ……じゃ、じゃあママってのは?」

「最初はおまえと誰かの子供になって生まれ変わる予定だったから……この際だし転生させてくれた彼女をママって呼ぶ事にしたの。ね? ママ」

『あ、ああ』

 珍しく困惑した様子のセイリュートにウインクすると、再びルシオラが横島の方を向いた。どこかいたずらっぽい笑みを浮かべると、

「ヨコシマが望むのなら、パパって呼んであげてもいいわよ?」

 そんな衝撃発言をかまし、横島が勢い良く噴き出した。酸欠のためか、ふらふらとよろめく。

「い、いかん……恋人は魔族な美少女でそのうえ娘に転生したらパパだなんて…………! ああっ!! 俺は一体どちらのロマンを選ぶべきなんだああっ!?」

 頭を抱え、意味不明な葛藤を叫ぶ横島を見て、ルシオラがくすくすと笑う。

『……あいつの魂を取り込んで、少し性格が変わったのではないか?』

 半目で睨みながらセイリュート。最初に呼び起こしたときはもう少し真面目な感じがしたのだ。
 少しの間、顎に手を当てて考えたルシオラが、悟った様にそうかも、と言った。

「今の身体は私とヨコシマの魂を混ぜ合わせてできたものだから……ほら、魂は肉体のしもべに過ぎないって言うじゃない?」

『いや、人間ならそうだろうが、お前には当てはまらないだろう?』

 魔族は霊体――魂がそのまま皮をかぶっている様なものだ。ルシオラの言葉は、そのりくつはおかしい、だ。
 ルシオラがふふっと笑う。

「何だっていいわよ。私は私。今はヨコシマの彼女で、あなたの娘よ。それともママと呼ばれるのは……嫌だった?」

 少し不安げな表情を覗かせたルシオラに、セイリュートが首を振った。

『私にも自我や感情はあるからな。最初は面食らったし、今もまだ戸惑っているのだが……』

 つ、と視線を外し、

『…………悪い気はしないよ』

 照れくさそうに、僅かに笑みを浮かべたセイリュートに、ルシオラが顔を明るくさせたのだった。





『さて、これで気掛かりは無くなった。これからは計画に専念していくぞ』

 横島の復活を待って、セイリュートが本題に入り始めた。ちなみに結論は、たまに呼んでくれると嬉しいぞ、だ。
 仮想空間をいじり、美神事務所に似た応接室のテーブルについた三人の前に、突如、本が落ちてくる。それも一冊ではない、どかどかと音が聞こえる程の量だ。
 その内の一冊の角が横島の後頭部に直撃し、慌ててルシオラが介抱する。血を噴き上げながらのけぞる彼を抱くとハンカチで血を拭う。
 そうして床に落ちた血糊のついた本に目を向けて、

「……GS美神……!? こ、これって……」

 本のタイトルを読み上げたルシオラが冷や汗を浮かべて本を拾う。やや分厚めの本の表紙には、GS美神極楽大作戦17と銘打たれ、その下には何故か遠くを物憂げに見つめる戦闘服姿の自分が載っていた。

『魂を複製したときにこいつの記憶を記録しておいたのだ。確実に味方に引き入れるためにも、ターゲットの人となりは詳しく把握しておきたいからな』

 未だ気を失っている――ふりをしてルシオラの胸に顔を擦り付けている――横島に視線を向けて、セイリュートが告げた。

「それがこの本の束?」

 ルシオラが立ち上がり、持っていた本をテーブルに置くと残りを番号順に並べ替える。
 一分もしない内に、計20冊になる本の垣根ができあがった。

「何でまんがなんだか」

 突然、テーブル下から横島がにゅっと出てきた。どうやら立ち上がった際に床に落としてしまったらしい。
傷一つ無い顔で、呆れた様に呟いた横島に、セイリュートがわからない、と返す。

『最初はちゃんと映像で記録されていたのだが……モンタージュとかいう妖怪や新撰組などが出てきた辺りで映らなくなって……どうした?』

 いきなり四つん這いになってすすり泣きを始めた二人にセイリュートが訊ねた。が、

「……っ……放映が続いてさえいればっ……私にも……声が……!」

「視聴率はよかったんや……グッズさえ……! グッズさえ売れていればあああ!!」

 どうも心の傷を抉ってしまったらしい。意味不明な言葉と共に、二人が落ち込み続ける。体勢はおろか顔の歪み方まで同じな辺りは、 さすが同じ魂を持つ者同士といったところだろうか。
 そんなどうでもいい事を感心しながら、セイリュートが二人の回復を待った。


 ――五分後

『落ち着いたのか?』

 泣き声が止み、ふらりと立ち上がった二人にセイリュートが言葉を投げ掛ける。

「ああ、もう平気だ。過去は捨てるもんだと実感したからな」

「今を生きようって二人で決めたの」

 謎の連帯感で互いに見つめ合う二人を、セイリュートが咳払いで引き剥がす。まるで本当に母親になった気分だった。
 気を取り直して、テーブルに並べてある本を一冊掴む。

『これが私たちの最初のターゲットだ』

「彼女って……」

「しょ、小竜姫さま!?」

 02と番号のついた本を広げた中には、小柄な龍神の美少女が載っていた。ついでにいえば、今まさに胴着の帯を引っ張られようとしている。
 その犯人が自分である事に気付いた(思い出した)横島は、渋面を作って呻いた。

「俺……なんでこんなに飢えてたんだろう」

 呟き、気まずい思いでページをめくっていく。そのどれもが、過去の自分が誰かしらにセクハラをかましていた。

「私がいなかったからじゃない?」

 ブラックなヒストリーを垣間見てげんなりする横島に、ルシオラが自信ありげに言いのける。お前はワシが育てたと言わんばかりだ。
 セイリュートも、 記録を全て見た結果、ある意味当たっているとは思ったので何も言わなかった。
 取り合えず先に進める事にする。

「私も小竜姫とは古い知り合いでな。計画を進めるには彼女の力が必要だ。念のためにお前の記録を見たのだが……相変わらずの様で安心したぞ」

「確かに、友人は変わらない方がいいよな」

 うんうんと頷く横島の心に、人気俳優の幼友達の姿が浮かぶ。せめて芸能人にさえなっていなければ、ここまで女関係で水を開けられる事も無かったかもしれない。
 だが、

『これなら倒すのもさほど苦労しないだろう。早速妙神山に向かい、彼女に挑むぞ』

「へ?」

 さっきまでの友を懐かしむ雰囲気はどこにいったのかといった様子で、セイリュートが腹黒い笑みを浮かべている。
 だが今は何よりも重大な事があった。

「あ、あのーセイリュートさん?」

『何だ?』

 今のは聞き間違いだろう。そうに違いない、むしろ違っててくれ、と祈りつつ、横島が訊ねる。

「な、なんか今、小竜姫さまを倒すって幻聴が聞こえた気がしたんスけど……気のせいですよね?」

『大丈夫だ。幻聴ではなどではないし、お前の体調にも問題はないぞ』

 あっさりと潰えた希望に、口を開けたまま固まる横島。解凍後、慌ててルシオラに助けを求めるが、

「ん。頑張ってねヨコシマ」

 セイリュートとは対照的な、邪気の無い笑顔で送り出された。

「ああ……あああ……!」

 逃げ場の無くなった横島に、たちまちプレッシャーが襲いかかる。最初はおキヌや小鳩辺りの楽そうな人物からと思いきや、いきなり最難関の一つで、しかも何故か命懸けのバトルに駆り出されようとしている。

「何でだ!? ふつーあのテの女は組んずほぐれず修行をする内に師弟の枠を越えた仲に進展していくとかがセオリーだろ!?」

 家のビデオデッキに刺さった女教師もののシチュエーションを思い出しながら、 セイリュートに詰め寄る横島。登場人物を自分と小竜姫に置き換えているせいもあって若干鼻息も荒い。
 彼とは対象的な空気で、セイリュートが切り返す。

『そんな方法では時間がかかり過ぎるだろう。てゆうか仲が進むまでの間、お前は一切手を出さないと誓えるのか? あいつはそーいった事には厳しいぞ』

「うっ……」

 泣き所を突かれて、横島が再び呻いた。不甲斐ない有り様に、セイリュートがため息を吐く。

『もう少し私を信用したらどうだ。これでも土地神として多くの人間を導いて来た身なのだが?』

「ちなみにどんな事をしてたんだ?」

『主には豊穣だ』

「豊穣で武神に敵うかあああ!!」

 さらっと答えたセイリュートに再びパニックに陥る横島。 考えてみれば、今までこういった美味しい話には節操無く飛び付けど、いつも最後は痛い目に遭っていた。今回だけはそうならないなんて保証は何処にもない。
 怒らせるとマジ怖い女ランキング上位の小竜姫が、烈火の如く怒っている姿を想像するだけで、

『ええい! 取り乱すな! さっさと腹を括れ!!』

「できるかアホーー!! いやーー!! おうち帰るーー!!」

 いい加減、叱り付けたセイリュートに、横島がテーブルにしがみついて抵抗する。
 いつまでも進まないやりとりに、それまで腕を組んで傍観していたルシオラが、もーー、と言って近付いていった。

「ヨコシマ」

「ひっ」

 背後から声を掛けられた横島が慌てて振り向いた。
 その瞬間、

「――――――!?」

 横島の目が見開かれる。懐かしい、柔らかい感触が口元を覆い被さったのだ。それがルシオラの唇だと気付いたのは、数秒も経ってからだった。
 その隙に、ルシオラがちらりとセイリュートを視る。「これくらいは許してね?」のサインに、母は顎をしゃくって返して来た。『いいからこいつを黙らせろ』

(わかったわ)

 晴れて母からゴーサインも出たので、遠慮はしなかった。離れていた時間を取り戻すべく、じっくり、たっぷり、情熱的に唇を愛撫していく。
 ん、と息継ぎの声が洩れる度に、彼の身体から力みが取れていくのがわかった。

(そろそろかしら)

 目の焦点が戻ってきたのを確認したルシオラが、唇を離し――仕上げとばかりにもう一度軽いキスをした。

「…………はっ!? お、俺は一体……」

「気が付いた?」

 放心状態から回復した横島に、ルシオラがにこりと笑い掛けた。地獄と極楽を両方味わった事で心がリセットされたのかもしれない。その顔はいつものものに戻っていた。
 ぽんと肩を叩いて彼女が言う。

「ヨコシマなら大丈夫よ。今までだって、何だかんだで最後は上手くいったじゃない」

「そ、そうか?」

 訊き返してきた横島に、ルシオラがはっきりと頷いた。

「私のときはどうにもならなかったけど……でも、それすらママのおかげで何とかなったわ。だから二人……ううん。私たち三人が揃えば、きっとどんな事だってできるわよ。」

 ね?と横島とセイリュートを交互に見るルシオラ。その仕草は、ついさっきの情熱的なキスをしてきた彼女とはうってかわった、まるで両親の仲を取り持とうとする娘の様だった。
 そして――

「……わかった。そこまで言われちゃ仕方ねー。もう一度、お前に見る目があったって事を証明してやる!」

 その想いが全く伝わらない程、鈍感な横島ではなかった。すっくと立つと、あらためてセイリュートの方に向き直る。その表情は、再びあのアシュタロス戦で見せた時のものに戻っていた。

「例え相手が竜神だろーと、アイツや美神さんよりかはなんぼかマシだ。敵う気は全くしねーが、やってやる」

『ようやくやる気になったのだな。安心しろ。勝つための策もちゃんと考えてある』

 記録の中で見た彼の顔付きを前にして、セイリュートが微かに笑った。横島も頷く。

「俺が無傷でいられるよーに頼むぞ。それと――」

 ふと、今の雰囲気なら言えるかもしれないと思った。

「……ルシオラを生き返らせてくれて、ありがとな」

 そう言って、横島が照れた様に頬を掻いた。一瞬、呆気にとられていたセイリュートだったが――やがてその心に、久しく忘れていた満足感が蘇る。

『礼はいい。お前が心置きなく動ける様に努めるのも私の役割なのだからな』

 そう言いながらも、照れくさそうにぷいと横を向いた彼女が何だかおかしくて、横島とルシオラが共に笑う。

『……ふん。爆発しろ』

 心安らぐこの雰囲気を、満更でもないと思いつつも、冷やかすセイリュートだった。




 ――その頃の横島(過去)は――


 都内。警察署、取調室にて。

「さっさと吐いたらどうだ?」

「ちがーう!! 俺は無実やーー!!」

「嘘を付け!! 空き巣があったとの通報で来てみりゃ、ドアや窓が破られた形跡もないし、指紋だってお前の物しかない。おまけに盗られたのが厳重に隠しておいた現金と秘蔵のアダルトグッズだって!? どう考えてもお前が自分でやったとしか考えられんだろうが!? もういい……さっさとこいつを連れていけ!!」

「俺が何したっていうのよ! 弁護士を呼んでくれーー!!」

 そんなエンドレスなやりとりが続いていた。


 



 補足


 以下は③話の解説になります。少し超展開な部分や、セイリュートの能力についてフォロー? しています。読み飛ばしていただいても構いません。



 ――魂の複製について

 カナタの話中で、主人公が敵に殺されるものの、セイリュートがあらかじめ保管してあった記憶、人格データを別の身体に移植した事で復活するシーンがあります。
 そこから「これってGS世界で言えば魂をコピペして別の身体に入れるって事だよな」という超解釈をした結果、こうなりました。
 また、記憶と人格を、それぞれ別データとして扱っている場面などもあったため、単なる丸写し以外にも、色々できるんじゃないかと推察しています。


 ――例の本

 ワイド版準拠です。
 同じくカナタの中で、主人公がどの様に敵に殺されたのかの記憶を映像で追体験でき、またそれを第三者の目からも見れる場面があったのと、美神の方でもオキヌちゃんが生き返る話で、氷室家の人たちと一緒に単行本を読み返し、彼女との出会いを振り返るというメタな一コマがあったので、それらの合わせ技になりました。
 とはいえあくまで横島の記憶が基準なので、他キャラの心理なんかはわからない(メタ的にいえばセリフがない)様な感じに受け止めていただけるとありがたいです。


 ――セイリュートと小竜姫さまが知り合いな件

 漫画の中での描写は無かったですが、椎名先生のブログで「セイリュートと小竜姫が知り合いというプロット案もあった」という内容があったため、それを流用してみました。確かに、生真面目な者同士、よく気が合うんじゃないかなーと思います。


 ――ルシオラの復活方法と(ほぼ)人間化について

 アシュタロス編のラストで、横島の中にルシオラの霊体が大量にあったにも関わらず、復活できない理由について、土偶羅が「おまえ(横島)は人間だから、何度も魂をくっつけたりちぎったりすれば魂が原形を維持できなくなる」という台詞があります。
 これは逆に言えば『横島の魂がどうなっても良いなら復活は可能』とも考えられ、魂が複製できるなら無問題じゃないかなと判断しました。
 人間化については……単に娘設定を放り出すのは惜しいなーと思ったのと、ルシオラにセイリュートを何と呼ばせるか迷っためにこうなりました。
 ただ、原作でも魔族のメフィストが(魂の結晶の力を借りてですが)人間になる事を伺わせる描写があったので、死ななくても転生する方法はあるんだと思います。



[37523] リポート④ 再・ドラゴンへの道!!
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/09/01 06:10
 笛を鳴らすかの様に、風が音を立てていた。周囲からだけでは無く、谷底からも吹きつけるそれは、冷たくはなく、寧ろ生温い。
 日本の山である事は間違いないが、それでも植物は草花の一本すら生えておらず、道に至っては獣道どころか、人の横幅大ほどの細道しかない。
 それらが頂上に向けてとぐろを巻いている光景は、異界にでも迷いこんだかの様な違和感を感じる。

 足を踏み出せば、蹴飛ばされた小石が谷底に落ちていく。次の一歩で、自分たちがそうならないとも限らない。不幸にしてそうなった者たちは、あの風に混じって恨みの声を上げているのだろう。

 五感の全てが恐れを抱く場所。人間との交流を遮断し、しかしながら神と人間とを細糸で繋ぐ場所。その名を、妙神山と言った。

「……なんちゃって。俺ってカックイー」

『妙なナレーションはしなくていい。とっとと歩け』

「へいへい」


 バンダナの中心から顔を出して指示してきたセイリュートに急かされて、横島が再び歩き始める。
 現在彼らがいる場所は、妙神山の中腹辺りだ。とは言っても、相変わらず綱渡りの様な細い山道が続いているだけだったが。
 登山経験者すら裸足で逃げ帰りたくなる様なこの山も、何度も来れば余裕もできた。この辺りであれば、後30分も登れば門の前に着くだろう。
 問題は――

「大丈夫か? ルシオラ」

「へ、平気……」

 10メートルほど後ろを、息を切らせてついてくるルシオラに、横島が声を掛けた。返事とは裏腹に、その表情はどう見ても大丈夫とはいえない。

「魔族の頃だったなら……っ……ひとっとびだったけど……っ……人間って大変ね……っ」

 追い付いたルシオラが、立ち止まるやいなや岩肌に手を付いて呟く。麓で判明したのだが、人間となった彼女は、飛ぶ事はおろか、霊力や術の類までほぼ使えなくなっていた。

「…………はぁ。ヨコシマって、すごかったのね。こんな険しい山を、荷物まで担いで、すいすい、登っていくん、だから」

「まあ何度も来てるしなあ。それに最近じゃシロの散歩にも付き合わされていたし。あいつ散歩に朝晩50キロを要求してくるんだぞ」

『お前は色々と規格外過ぎるな』

「同感。でも……確かに体力は、必要かも」

 酸素を求め、深く呼吸をしながら喋るルシオラ。その姿になんだか懐かしいものを感じつつ――あの時は労りの言葉一つ無かったが――横島が再び足を進めた。それに10歩ほど遅れて、ルシオラの足音が交じり出す。
 助けてやりたくはあったが、霊力・体力を温存するために手は出すなと、セイリュートからも本人からも、厳命されていた。
 それでもリュックを背負い直すなどして、時間を稼いではいたのだが。
 と、その時だった――

「あっ!!」

 疲労で注意が削がれたのか、ルシオラが地面の段差に足を取られた。前につんのめり、視界がそれまで見ていた地面から、雲海立ち込める崖下に切り替わる。
 何もかもがスローモーションになった景色の中、無意識に死を覚悟した彼女が目を瞑った。
 その瞬間――

「ルシオラ!!」

 叫びながら、横島が右手を伸ばした。普通なら間に合わない距離。だがそこから飛び出した霊気の鉤爪が、間一髪でルシオラの腕を掴む。

「っっどぉっせええい!!」

 両足を踏ん張り、ルシオラの体重を感じた瞬間、腕をかち上げた。ぐん、としなった霊気の爪が、カジキの一本釣りを思わせる動きで上空に舞う。そのまま爪を手繰り寄せ、最後に両腕で彼女を抱きとめると、大きく息を吐いた。

「はー、危ねー危ねー……大丈夫か?」

「ご、ごめんなさいヨコシマ! 私のせいで無駄に霊力を使わせて……」

 身体を斜めに傾け、足をつけてやると、途端にルシオラが謝ってきた。
 心底申し訳なさそうに俯く彼女に、反射的に慰めの言葉をかけようとするが、

『まったくだ。今回は栄光の手だけで救出できたが、あと一歩遅れていたら文珠を使わざるを得なかったぞ』

「お、おい! そんな言い方は……」

 突き放した様なセイリュートの言動に、思わず突っかかる。だがそれを「待って」とルシオラが引き止めた。

「いいのヨコシマ。完全に私のミスだもの。ママに責められるのは当然だし、かえってその方がすっきりするわ」

「い、いや……でも……いいのか?」

「ええ。庇ってくれてありがとう。ママもごめんなさい」

『ああ』

 言葉少なにセイリュートが返事をする。そこで話が途切れると、笑顔を作ったルシオラが「先に行くわね」と言い残して歩き出す。
 疲労はまだ回復してないだろうが、その足取りは先程よりもはっきりしていた。

 何か言ってやるべきだろうか。彼女の背中を見つめつつ、横島も後を追いかけたが……結局は何もないまま門の前に辿り着いたのだった。


「おー着いた着いた」

 二階建ての家ほどの高さはある巨大な木造の門を、横島が額に手を当てながら見上げる。
 達筆な墨字で【妙神山修行場】と書かれた看板は、 初めて来たときこそ、門を挟む様に控えている鬼門たちの迫力と合わさり、おどろおどろしくも見えたが、今となっては単なる美少女管理人が住む家の表札くらいにしか見えなかった。

 ただし、彼女の機嫌を損ねなければ、だが。


「平気か?」

 横を向くと、先に来ていたルシオラが、岸壁を背にへたり込んでいた。近くに行って声を掛ける。

「平気……ってわけにはいかないわね。足がもうぱんぱん」

「そっか……待ってろ。今冷やすものを……」

 言うが早いかリュックを開ける。来訪の目的が目的だけに、外傷薬の類は――安物ではあるが――念のために準備してあった。
 サイドポケットから湿布を取り出すと……貼ってやりたい気持ちをぐっと抑え込んでルシオラに手渡す(額にセイリュートさえいなければ!!)

「ありがとう」

 礼を言うと、彼女がくるりと後ろを向いた。間を置いてしゅるしゅると聞こえてきた衣擦れの音に、ついつい妄想が掻き立てられる。

(くうううっ! こんな近くにルシオラの……ルシオラの生脚があるとゆうのにっ……!!)

 涙を見せて歯噛みする横島。そんな中、突然、ルシオラがぽつりと言ってきた。

「さっきから……おまえの足を引っ張ってばかりね」

 どうやら湿布は貼り終えたらしい。横島が覗き込むと、三角座りになったルシオラが、膝に顎をくっ付けてしゅんとしていた。

「…………」

 少しの間、何かを考えていた彼が、突然、彼女の手を無言でとり、自分の胸に押し当てた。

「ヨ、ヨコシマ?」

 びっくりしているルシオラに構わず、横島が心臓の音を聞かせる。落ち着いた、規則正しい鼓動は、手を通じて彼女にも届いているだろう。
 ゆっくりと彼女の手を離し、口を開く。

「……な? 全然緊張してないだろ? 普段の除霊だったら、もっとバクバクいってるんだけどな」

 ルシオラが、見上げる様にこちらを向いた。

「ましてやこれから小竜姫さまと戦うってのにさ……やっぱ、お前が励ましてくれたおかげなんだろーな」

 そう告げて、にっ、と笑った横島に、ルシオラの胸がいっぱいになる。思わず彼の胸に飛び込みたくなったのを必死で押し留めると、感謝の言葉を述べた(額のママさえいなければ!!)

『ふん……悪者は私だけか』

 そのママが、バンダナから面白くなさそうな表情で呟いた。どきりとし、やや上ずった声で否定し始める横島たち。
 その顔に、少しだけ機嫌を直すと、続ける。

『だが、確かに、こいつのやる気を引き出せたのはお前のおかげだ。あらためて感謝する』

「ママ……」

 目頭を熱くさせたルシオラに、セイリュートも軽く微笑む。

『それに、お前の霊力は無くなってなどいない。ヨコシマの魂を取り入れた結果、今は人間側の因子が強く出ているだけだ。魔族としての力は、未だお前の奥底で眠っている』

「……! だったら……!!」

『何かきっかけがあれば、再び力を取り戻す事もできるだろう。できればこの場所が助けになると良いのだが』

 セイリュートの言葉に、横島たちが再び門を見遣る。中央には左右二対の鬼の面、その更に外側には首無しの、巨大な石像が控えている。
 見るからに威圧感があるものの、自分たちは今から、あいつらよりも遥かに恐ろしい相手に喧嘩を売りに行くのだ。

『行くぞ』

 バンダナから飛び出したセイリュートが、そう言って先陣を切っていった。


『何者だ!』

 門の正面。少しの狂いもないタイミングぴったりの声で、左右二対の鬼――鬼門――が、制止してきた。横島たちが止まると黒い穴の様なその目で見据え――驚いた様に見開かれる。

『誰かと思えば、星龍斗ではないか!』

『おお。随分と久しぶりだな。元気であったか?』

『ああ。お前たちも変わりはないようだな』

 警戒の色を緩めて挨拶を始めた鬼門に、セイリュートが気軽に応じた。そのまま二言、三言やりとりを交わすと、セイリュートが本題に入る。

『小竜姫はいるのか?』

『もちろんだ。最近は下界に降りる機会もめっきり減ったからな』

『このところ修行を受けにくる者も碌におらん。我らと同様、暇をもて余している事だろう』

『そう言えばこの間、少し目方が増えたと嘆かれておったぞ』

『毎日茶をすするだけの生活だからな。あれではまあ、仕方がない』

『いや、実はそれが違っていてな。増えたといっても――』

 久しぶりなうえ、顔見知りの来客がよほど嬉しいのだろう。鬼門たちが、いつまでも交互に喋り続ける。

「で? 具体的にはどのくらい大きくなったんだ!?」

『そうだな。サラシの長さが基準になるが――』

 いつの間にか会話に加わっていた横島に、セイリュートたちが、だああっと、ひっくり返る。
 チャンスとばかりに、言葉巧みに小竜姫のプライベート情報を聞き出そうとしたところ、門が開いた。

「何を話そうとしているのですか! あなたたちは!!」

 吹き飛ばすほどの勢いで開け放たれた扉から、燃える様な赤髪の少女が現れた。比喩だけでは無く、実際に怒りに燃えている。足早にセイリュートの方に進み出ると、後ろを振り返り、岩に当たって跳ね返って来た鬼門たちを睨み付ける。
 そのすぐ下には、ぺしゃんこに潰れた哀れな死体が転がっていた。

『す、すすすすみません小竜姫さま。ですがこれには訳がありまして』

『そ、そう。懐かしい者がここにやってきたので、つい!』

 目一杯ビビりながら鬼門たちがセイリュートたちの来訪を示唆する。頃合いと見たセイリュートが、未だ背を向けている小竜姫に、後ろから声を掛けた。

『やあ小竜姫、息災で何よりだ』

「……!? 星龍斗、星龍斗ではありませんか!? いつからここに?」

 振り向いた小竜姫が、ようやくセイリュートの存在に気付いて声を上げた。
 セイリュートが苦笑する。

『門から出てくるずっと前からだ。猪突猛進なところは相変わらずの様だな』

「み、見ていたのですか……でもあれは鬼門たちが変な事を言い出すから……」

 そう言って、恥ずかしそうに顔を赤らめた小竜姫が、同時に後ろの鬼門たちにプレッシャーを送った。
 後のお仕置きを想像した鬼門たちの悲鳴を聞き流しながら、セイリュートが和やかな様子で会話を続ける。

『まあ久しぶりに会ったのだ。つい羽目も外れるだろう。最近は修行者も全く来ないと聞いたぞ』

「また余計な事を……」

 額に手を当てて小竜姫が呻く。

「とはいえ、確かにその通りです。最後に誰かが来たのは……いつだったかしら? 確か、唐巣さんという人間の方だった事は覚えているんですけど」

『人間か。確か今はゴーストスイーパーなどと言われているらしいな』

「そう言えばそんな事も言ってましたね。私が最後に下界に降りた時などは、まだ退魔士などと呼んでいましたが」

『かなり世間ずれが激しくなってきているのではないか? 以前私の神社を訪れた時もそうだったからな 』

「……ま、まだ覚えているのですか!? あのときの事を」

『忘れるわけがなかろう。まさか音に聞こえた神剣の小竜姫がああも――』

「い、言わなくてもいいですから! いい加減に忘れて下さいーー!」

 セイリュートの言葉を、小竜姫がわたわたと手を振って遮ろうとする。神としての位であれば、所詮はいち土地神だったセイリュートとは、天と地ほどにも格が違うのだが、普段のやりとりでは明らかに彼女の方が上手だった。

 とはいえ小竜姫の方もそれを邪険には思わない。最後に会ったのは二百年以上も前だったが、土地神としてのセイリュートの公正で実直なふるまいは、非常に優秀かつ好感の持てるものだった。彼女を慕ってやって来る氏子の多さも、それを証明していた。
 何よりも、竜神の一柱として普段は頭を下げられる事が多い自分に、明け透けなく、対等に接してくれる事は、とても嬉しかった。

 一方のセイリュートも、それは同様だ。真っ直ぐで正直。竜神の一族にしては物腰も柔らかい小竜姫の事は決して嫌いではない。
 むくれる彼女に、珍しく楽しげな笑いを浮かべる。

 元土地神と、竜神。立場も身分も違う二人は、久しぶりの再会を心から喜んだのだった。


「どうぞ」

「あ、これはご丁寧に」

 小竜姫手ずから差し出された玉露を、頭の後ろに手をやった横島がお辞儀しながら受け取る。
 普段なら湯呑みごと彼女の手を包んで自己紹介と求愛の言葉を述べるところだったが、セイリュートからは『絶対に何もするな』と事前に厳命されている。もし禁を破れば自分を置いて未来に帰るとまで言われれば、我慢する他なかった。

「美味しい」

 横を見ると、ちょうどルシオラが茶の感想を述べたところだった。畳に囲炉裏、壁には掛け軸という和一色に染められたこの部屋で、艶やかな黒髪の彼女が湯呑みを持ってほっこりする姿は何とも色っぽい。
 思わず飛びかかりそうになったものの、それをすれば、こちらは未来という名の地獄への強制送還が待っていた。彼女とは兄妹という設定の事もあり、湯呑みに手を伸ばして何とか場をしのぐ。

「お、本当だ。おいしい」

 一口飲んだ横島が、驚いた様に口を開ける。茶なんてどれも同じだと思っていたが、たった今口にしたものは、今までにないほどの上品な味わいだった。

 二人からの素直な賛辞に、小竜姫がふふっ、と、顔を綻ばせる。

「良かった。こう見えても、お茶を入れる事には自信があるんですよ?」

 武神の割には、という意味だろう。傍らの神剣をちらり見て、小竜姫が言った。自身も茶を一口含むと、さて、と前置きする。

「落ち着いた事ですし、そろそろここに来た目的を話してもらえませんか?」

『ただ旧交を温めにきたというわけにはいかぬか』

「あなたほど職務に忠実な者が、そんな無用な事をする訳が無いでしょう。それに、それでは彼らを連れてきた理由になりません」

 横島たちを一瞥し、きりっと表情をあらためる小竜姫にセイリュートが苦笑する。正直に話して欲しい。何かあれば力になる。そんな目だ。

(変わらないな)

 そんな彼女を好ましく思いつつ、頷いたセイリュートが『実は――』と話を切り出した。


 ――小一時間後――

「――という事はこの二人は」

『私の最後の氏子だ。見ての通り兄妹なのだが、不慮の事故で両親を亡くし、どこにも行き場が無かったらしい』

 セイリュートが説明すると、小竜姫が横島とルシオラに視線を向けた。見ての通りといっても、もちろん二人に共通した点など無い。とはいえ、今のルシオラは横島の魂の影響を受けており、その気になれば彼のクセや考えなどを読んで、それらしく振る舞う事もできた。

 先の鬼門の如く、ほぼ同じタイミングで頭を下げた二人を見て、小竜姫が納得する。

『困り果てた様子でたまたま境内にいたところ、私が発見した。後で聞けば、小さい頃はよく家族で神社を訪れていた、との事だ』

 いけしゃあしゃあと偽エピソードを披露しきったセイリュートに、横島が冷や汗を浮かべながら苦笑いする。実は――どころか、殆ど嘘だらけの内容だったが、自身が落ちぶれた経緯など、少しは本当の事も混じっているのでタチが悪い。隣りのルシオラも、呆れが混じった顔で感心している。

 そして肝心の小竜姫は、

「そんな事が……知らなかったとはいえ、辛い記憶を掘り返す様な真似をしてしまって、すみません」

 そう言って、沈痛な表情で頭を下げてきた小竜姫に、横島の罪悪感がマッハになる。裏を知っている自分たちですら、セイリュートの話にはまるで不自然が無かった。ましてや久しぶりに会ったうえに、真面目に土地神をしていたイメージしかもっていない彼女には、何一つ疑う余地はなかっただろう。

 『計画通り』といった感じの笑みを、 親友が頭を上げるまで浮かべ続けるセイリュートに、あらためて、彼女だけは敵に回してはならないと悟った。

「大体の話はわかりました。最後の氏子となった彼らを導くために、あなた自らが後見人となった、という事ですね?」

『立ち退かねばそのうち除霊される事になるだろうしな。虚しくはあるが、これも世の定めというものだろう』

 神妙な顔で告げるセイリュートに、小竜姫は感心し、横島たちは半眼になる。復讐するために自分を戦国時代にまで連れて行ったのはどこの誰だったのか。
 潔さに感銘を受けている小竜姫が、何とも気の毒だった。

『そういう訳で、ここには彼らの望みを叶えるために来たのだ。すまんが協力してはくれないか?』

「ええ。私にできる事なら喜んで」

 すっかり情にほだされたのか、小竜姫が快く応じた。
 感謝する、とセイリュート。

『望みは二つある。まず一つ目だが、彼らに妙神山からの紹介状を書いてやってほしい』

「紹介状ですか?」

『ああ。こう見えてもこの二人……特に兄の方は、かなり優秀な霊能力を持っている。自立するためにはGSになるのが手っ取り早いと思ったのだが……』

「今の身の上では門前払いになってしまうという事ですね」

 そうだ、とセイリュートが頷く。

『いくら実力があろうと、どこの馬の骨かもわからない者を雇うほど、今の世の中は甘くはない。霊能者の間でも名高い妙神山の紹介があれば、彼らでも仕事にありつけるだろう。ぶしつけな願いではあるが、頼めるか?』

 控え目に言ってきたセイリュートに、小竜姫が目を閉じて考えた。
 そして――

「……わかりました。こういった事は初めてですが、協力しましょう。ただし、後で実力は見せてもらいますよ?」

『構わない。私も力を貸すつもりだったからな。もしかするとお前の足元を掬う事すらあるかもしれん』

「それは……へえ。楽しみですねえ」

 挑発するかの様なセイリュートの言葉に、笑みを残したまま、小竜姫の瞳が怪しくなる。僅かな期待と、あまり竜神を嘗めるな、といったところだろう。
 雰囲気の変わった彼女を、セイリュートは涼しげに、ルシオラは若干気圧された様に、そして横島は完全にビビった顔で見返す。
 一触、とは言わないまでも、もう二、三くらいで即発しそうな空気の中、セイリュートは構わず先を続けた。

『二つ目だが……実はこの男、女に全く縁が無いらしい。妙齢で美人なら、誰でもいいから付き合いたいとまで言っている』

「…………それで?」

『あまりに必死なものだから何とかしてやりたいとは思うのだが……昔の馴染みは皆亡くなり、かといって氏子も神主もいない私にはどうする事もできん』

「……あなたがいるでしょう?」

 話の先が読めたのか、小竜姫の声から感情が消える。
 セイリュートが平然と首を振った。

『この身体は幽霊みたいなものだからな。流石にそれではまずいだろう。とゆう訳で、人間以外の知り合いで、一番の美人を紹介してやる事になったのだ』

 そこで、横島がセイリュートに手招きされた。俯き、一切の表情が見えなくなった小竜姫に、全身が粟立つが、ここで帰る訳にもいかない。
 もはや往くことも退くこともかなわぬ状況だったが――往くとすれば、幸い次にするべき事は分かっていた。

「ど、ども……横島忠夫っス」

 頭を掻き、全く空気を読まないフリをして立ち上がる。そのまま、へこへことしながら彼女の元へ歩み寄ろうとして――全力で背中を反らした。刹那の差で、鼻先を通り過ぎた神剣が、前髪の何本かを刈り取っていく。

(あ……ああああ……!)

 彼女の性格と、わざと怒らせる様に仕向けたセイリュートの計画を事前に知っていなければ、絶対にかわせなかっただろう。
 安堵と同時に力が抜けて、ブリッジの体勢が崩れた。這う様にその場から後ずさると、彼女に向き直る。

「……よくわかりました。あなたが私の事をどう思っているのかを。ええ、本当に」

 抜き身の剣をだらりと下げて、小竜姫が旧友を見据えた。形の良い唇からは、今や不気味な笑いが洩れ、その背後には、黒い殺気が渦を巻いている。

「いち土地神に過ぎないあなたに、情人を紹介される謂れはありません。即刻お引き取りを。でなければ、次は脅しだけではすみませんよ?」

『生憎だが、私は私の都合でここに来ている。言葉では解決できぬと言うのなら、実力でもぎ取っても良いのだな?』

「……そこまで命が惜しくないと言うのであれば、良いでしょう。全力で相手をします。万一勝ったなら、あなたたちの好きにしなさい!」

 ついに怒りが頂点に達した小竜姫に、セイリュートが真っ向から視線をぶつけた。
 ばちばちと火花を飛ばしながら、さっと、横島に向けて二本の指で輪を作る。

 どうやらお膳立ては整ったらしい。生きるも死ぬも、後は自分次第なのだが、今までに無いほど怒った様子の彼女に、早くも覚悟が萎えそうだった。

 反射的にルシオラの方を向く。

「兄ちゃんは……兄ちゃんは……もうダメかもしれん」

 励ましてもらえるのを期待し、そんな弱気な一言を彼女に投げたが、

「えっと……兄さんなら大丈夫よ…………たぶん」

 微妙にトーンの落ちた彼女の返事に、更なる不安がのしかかるのだった。



[37523] リポート⑤ ドラゴン・バスター
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/08/10 08:47
 平和な日本で、死ぬ思いをした人間というのはどのくらい存在するのだろう。もちろん、言葉通りの意味でだ。
 横島は、あまり多くないとは思っている。学校のクラスメートでそんな目に遭った奴なんてほとんどいないし、遭った少数は、自分と同じ霊能関係者だ。

 要は余所の職業と比べ、GSという仕事が危険極まりないという事なのだが、その中でも自分は突出し過ぎていやしないだろうか。
 やれヤクザの集団に逆さ釣りにされたり、海中の敵を退治するために80メートルもの深さをボンベ無しでで潜水させられたりと、数え挙げればきりがない。

 それでも週をまたげば、その殆どが解決していたが、中にはそれができない程の強大な敵もいた。今から相対する彼女も、恐らくはそのクチだろう。
 そういう時に負った傷というのは簡単には治らないし、下手をすれば死ぬ事もある。壁の向こうで着替えているであろう妹が、現にそうなったのだ。次の極楽行きの切符が知らない内に自分に渡っている可能性は、十分に考えられた。

(あんな殺風景な場所で殺されてたまるかい! 美女の胸の谷間でもみくちゃにされる以外で俺は死なん! 死なんぞーー!!)

 銭湯そっくりな脱衣所で、決意を新たにした横島が、古いカンフー映画なんかに出てきそうな胴着を着込み、横開きの扉を開ける。
 出迎えたのは、富士山とタイル張りの浴槽では無く、360度で地平線が見える、石と土だけの空間だった。正面には、同じ石で作られたと思わしき円形の闘技場があり、その中では、神剣を携えた怒れる武神が、腕を組んで佇んでいた。
 先に着替え、ここに来ていたルシオラが、横島に気付いて手をとった。

「頑張ってね。兄さ……ヨコシマ。恋人らしいキスの一つもしないまま死ぬのは嫌よ」

「お、おう。行ってくる」

 ルシオラのやる気のツボを突いた応援に、少しだけ心が軽くなる。見送られるのは、あの東京タワーの時と同じ。だが、ここにいる彼女は、さっきの言葉も含めて、あの時の様な死の影は微塵も感じない。その事に安心もした。

 一歩、また一歩と、闘技場に歩いていく。ここで豪快に転び、頭から出血でもすればかえって安心できるのだが、全く以てそんな気配はない。煮えたぎるマグマの様な雰囲気を発している竜神さまの様子から見て、笑いに走れば瞬時に極楽に往く事になるだろう。

『私の力の使い方は覚えているな?』

 バンダナに戻っていたセイリュートが訊ねてきた。「ああ」と頷く。

『なら何もいう事は無い。せっかちなあいつの事だ。全力を出してくるまでそう時間は掛からないだろう。それまでの間、何としてでも耐え凌げ』

 セイリュートにはもう勝ちが見えているのだろうか。この期に及んですら、淡々と指示を降す彼女に、恐ろしいまでの頼もしさを感じる。

(敵を三枚目に扱き下ろした時の美神さんと、いー勝負だよな)

 いつの間にか肩の力が抜けていた横島が、そんな事を思いながら闘技場に上がった。


「遅かったですね」

 横島が立ち止まるやいなや、小竜姫が若干苛ついた様子で言った。一瞬びくりとしかけたが、その視線は彼の目線より少し上――額のセイリュートに向いている。

『着替えをよこしてきたのはお前だろう。そんなに短気では、男が苦労するぞ』

「……っ! なら、さっさと彼を連れて帰ったらどうですか!?」

『そうもいかん。土地を守っていくには人も必要だからな。縁結びを成功させるのも、私の大事な役目だ』

「あなたはもう土地神ではないでしょう!!」

 小竜姫の皮肉を、セイリュートが涼しい顔で返していく。斬り合いの方ならいざ知らず、口喧嘩ではセイリュートの圧勝だった。

「話は終わりです。私に無礼を働いた罪、命を以て贖いなさい」

 正眼に剣を構え、その切っ先を横島の喉元に狙い定めると、小竜姫が戦いの始まりを告げた。
 呼吸を徐々に深くしていきながら、横島を鋭く観察する。口では怒り心頭だったものの、ひとり待たされた事もあり、幾分かは冷静さを取り戻していた。
 そのうえで彼を見てみれば、最初の印象とはかなり違う事に気付く。一見すると頼り無さげな感じだが、意外な事に、隙らしい隙は見つからない。強敵を前にした時の様な圧力こそ無いものの、うかつに飛び込めば、何かをしでかしてきそうな怪しさがあった。

(油断は禁物ですね)

 内心で呟いて、小竜姫が視線を一段と鋭くさせる。考えてみればあの切れ者の旧友がわざわざ連れてきたほどの男だ。先ほどの剣もあっさりとかわされた事から、予想以上の実力はあるのだろう。

(ならば!)

 横島に攻めこむ気が無い事がわかった小竜姫が、呼吸を止め、そのまま一足で間合いを詰めた。人間の常識を越えた踏み込みに、横島の対応が一瞬遅れる。碌な霊能力すら出せないまま、神の刃は左上段から襲い掛かってきた。

「くっ!」

 反射的に掲げた左手に、硬い金属音が鳴り響く。いつの間にか左手に握っていた手槍が、彼女の神剣をぎりぎりで受け止めていた。

『ぼさっとするな。次だ!』

 漆黒の鎧武者姿に変身した横島の頭上から、揃いの兜姿になった彼女の声が降ってくる。その通りだった。ふっ、と小竜姫が息を吐いた瞬間、冗談の様な圧力が左手にのし掛かる。圧し負け、腕が内側に折れるやいなや、機と見た彼女が一気に槍を打ち落とした。

「覚悟!!」

 叫び、慣性のまま穂先まで滑っていった刃を、小竜姫が強靭極まりない下半身で切り返した。風切り音をあげて右から戻ってきた神剣を、今度は予測していた横島が、右手に宿していた霊気の盾で防ぐ。

『良し! こらえろ!』

 衝突した霊気が二人を青白く染め上げる中、セイリュートが檄を飛ばす。再び押しきろうとした小竜姫だったが、流石に体内中の霊力を凝縮した盾を撃ち破るには、一筋縄ではいかないらしい。剣を退き、奇襲が失敗した事を悟った彼女が、仕切り直すために後ろに跳んだ――直後だった。突如右手を振りかぶった横島に、表情が変わる。

「っ!!」

 投げつけられた霊気の盾を、間一髪で小竜姫が、足下から振り上げた神剣で切り裂いた。二つに分断された盾の残骸が、それぞれ軌道を変えて地面に着弾する。

 二度の爆発で舞い上がった塵と煙が前方の視界を遮る中、横島は次の一手へと動いていた。槍を両手で握り、意識を集中させながらその場で突き出す。虚空を狙ったかの様な一撃は、瞬き程の暗転の後、ぴたり小竜姫の背中へと向かっていた。

 が――

「甘い!」

 こちらを見ようともせずに、小竜姫が軽く右肘を上げた。鍬を担ぐ様に背中に回された神剣が、死角からの攻撃を受け止める。

「以前に見たことが無ければ、これで決まっていたかもしれませんね」

 ぞっとするほどの涼しい声で、小竜姫が言って来た。先刻とは立場が逆だったが、彼女の方は身じろぎ一つしない。
 なおも霊力を込めようとしたが、それが致命的に判断を誤った事に気付いた。天に向かって剣を跳ね上げた小竜姫に、腕ごと槍を弾かれる。
 当然、その隙を見逃す様な彼女ではなかった。ぐっと沈みこむと、左足を軸に、当たれば膝から下がちぎれ飛びそうな威力の下段斬りを放つ。

 死んだ――と思った横島だったが、次の瞬間には、最初にテレポートした場所へと戻っていた。

「サ、サンキュー……セイリュート」

『礼はいいから前を見ろ。今の攻防で、既に二回は死んでいたぞ!』

「そーはいっても、既にいっぱいいっぱいなんだが……」

 セイリュートの叱責にぼやきながら、横島が小竜姫を見据える。既に霊力や集中力ほか、色んなアラートが鳴り響いている自分たちと違い、彼女は悠然としてこちらに振り返ってきた。

「あなたの手助けがあるとはいえ、人間にしてはスジが良いですね。ですが、この程度で私をどうにかできるとでも?」

『そうやって人間を下に見ているうちは、こいつに敵わないだろうな』

「減らず口を!」

 会話を打ち切り、またも小竜姫が斬り掛かってきた。意識を右手に集中し、作り上げた霊気の盾――サイキックソーサー――で、彼女の攻撃を受け止める。

 先程と似た構図だが、力比べに付き合うつもりはなかった。右半身を引くと、入れ替わる様に左腕の槍を突き出す。
 槍の霊力操作はセイリュートの担当だった。乱れのない三日月槍の形を模した霊気の刃が、小竜姫の首筋を狙う。腕を引っ込めた彼女が、落ち着き払って剣の腹で受け止めた。それを見て、腰裏に回していた右手の盾を密かに霊波刀へと変える。槍を引き、同時に右手を逆手のまま斜め下から斬り上げた。が、これすら身を捻ってかわされる。

「くそ、当たらん!」

 毒づきながら、あらためて彼女の技量の高さに舌を巻く。初めて見せる能力にも難なく対処されてしまうのだ。これで奇襲のレパートリーが尽きてしまえば、たちまちにしてやられてしまうだろう。

 対峙すればそれだけメッキが剥がされる。そう判断した横島が、彼女が反撃してくる前に離脱を試みた。意識を高め、次の瞬間には闘技場の端にまで移動する。

 ほっと、安堵しかけて――

『ヨコシマ!!』

 セイリュートの声が飛んできた瞬間、横島の身体が吹き飛んだ。どん、だん、と地面を跳ね、そのままボウリング球の様に地面を転がる。闘技場を飛び出し、最後に近くの岩に身体を打ち付けて、ようやく止まった。

「…………」

 ゆっくりと身体を起こし、小竜姫がだらりと剣を下げた自然体に戻った。横島が吹き飛んだ方向に振り向くと、靴音を鳴らして歩を進める。闘技場の端まで来ても、眼下の横島は動く気配すら無かった。が、

「咄嗟に防御したのはわかっています。立ちなさい!」

 忌々しげに言ってきた小竜姫の声で、横島がむくりと起き上がる。セイリュートの舌打ちが、兜越しに聞こえた。

『バレてないと思ったのだがな』

「ど、どーすんだ!?」

 騙し討ちが失敗した事を示すセイリュートの呟きに、小声で横島が訊ねた。

『とりあえず転送機能で逃げるのは諦めろ。空気中の霊圧の変化で位置を気取られている』

「マ、マジか……さすが心眼を授けてくれただけの事はあるな」

 命を守り通すための手段が一つ無くなり、途端に気が重くなる横島。だがその時、はっと脳裏にひらめくものがあった。
 攻撃にも回避にも使えない。ならば――

「なら、こういうのはどうだ?」

 言って、思い付いた案を口早に告げた。僅かな沈黙を挟み、相棒の声が返ってくる。

『……なるほど。悪くないプランだ。最後の一手への布石にもちょうどいい』

 思っていた以上の好評価に、鼻を擦って得意げにする横島。その様子を微笑ましく感じるセイリュートだったが、闘技場から眉をしかめている小竜姫に気付き、気を引き締める。

『休憩は終わりだ。タイミングは私が指示するから、それまで何とか凌ぐのだ』

 言うが早いか、ふっ、と視界が途切れ、闘技場に戻ってくる。警戒していたためか、幸い出現位置に小竜姫はいない。すぐさま、盾を出して投げる。

「同じ技は通じません!」

 そう言って避けると、彼女がこちらに向かってくる。間髪入れず、今度は左手の槍を足めがけて投げ――これも避けられた。外れた槍が斜めに突き立つ。

 彼女が剣を振りかぶった。接触まで残り数メートル。これが最後だった。栄光の手と名付けた霊気の鉤爪を右手に作り、命じる。

「くっ!」

 右手から勢いよく伸びた鉤爪に、初めて小竜姫の顔が変わった。身を捩るが、先程までの余裕は無い。
 僅かにできた隙に、つい逃げ出したいという気持ちが頭をもたげたが……無理だというのなら、腹を括るしかなかった。
 そのまま爪を伸ばし続け――先程突き刺した槍に触れた瞬間、横島が叫ぶ。

「今だ!」

 縮めと念じた爪が、槍を掴んだままリールを巻く様に戻ってきた。狙いに気付いた小竜姫が、振り向き、剣を盾にして防ぐ。が、衝撃までは受け止めきれなかった。横島の脇を通り過ぎ、たたらを踏みながら大きく後ずさっていく。

「……っ」

 構えを解き、またも攻めきれなかった事に、小竜姫が歯噛みする。決して強くはない。強くはないが、非常にやりにくい相手だった。攻撃には必ず奇襲が伴い、自分の奇襲は兜の友人に見抜かれる。

 意外性と堅実性。

 それぞれ一人では足りない部分を、もう片方が補っており、結果的には長所だけが残っている。
 間違いなく良いコンビだった。もし修行者として来訪していたら、相当に目をかけていたに違いない。

 だが、

「ここからは本気です!」

 抑えていた竜気を解放した小竜姫が、銃弾の様な勢いで飛び出した。横島の振るった槍を難なくかわすと、あっという間に懐まで潜り込む。そのまま一気呵成に剣を突き上げたが、横島が何とか首を傾けた。ぎりぎりでかわす。

 剣風が首筋を撫でた事にぞくりとしながら、横島が右手でいなそうと試みる。叶いはしなかったが、その後やってきた上段からの一撃を受け止める事には成功した。

「し、死ぬ! 死んでまうーー!!」

 横島の精神力も限界だった。今までとは比較にならない圧力に、がくがくと両足が揺れる。槍で牽制する暇すら無い。ほんの少しでも気を逸らせば、真っ二つになる事必至だ。

 一方の小竜姫も、ここが好機だった。押しとおろうと、更に剣に力を込める。
 そのまま数秒、ついに横島の膝が折れ出した。今――と彼女が集中した、その時――

「のっぴょっぴょーーん!!」

 色んなものが限界に達した横島が、顔をくしゃくしゃにしながら奇声を発した。
 例に洩れず、ずっこけた小竜姫に、ついに機は熟す。『今だ』とセイリュートが叫んだ。

「ひーっ!!」

 許可を得た横島が、生存本能に従うままに盾を地面に叩き付けた。爆発が生まれ、小竜姫の姿が煙に消える。
 向こうでも同じ状況だろう。ピンチを凌いだ事にほっとしたものの、稼いだ時間を無駄にはできなかった。集中し、彼女から離れた位置にテレポートを始める。

(かかった!)

 暗転を経て、横島の視界が突っ込んでくる小竜姫の姿を捉えた。再び発生させた盾で攻撃を防いだ瞬間、自分の姿が違っている事に気付いたのだろう。彼女がはっとする。
 すぐに振り返ろうとして――煙の中から飛び出してきたセイリュートに羽交い締めにされた。

『別に二人一緒でないと転送できない訳ではないからな』

 簡単に種明かしを行い、セイリュートがとどめを差すよう頷いた。横島がやや躊躇いがちな表情で霊波刀を作る。そのまま彼女に斬りかかろうとして――セイリュートが。更には一拍遅れて横島が、まるで磁石が反発し合うかの様に吹き飛んだ。

『ぐ……超加速か……!』

 布一枚を羽織ったマネキンの様な姿の小竜姫に、地面に這いつくばったセイリュートが、悔しげに言った。

「これが私の切り札です。離れたのは仇となりましたね」

『くっ……ヨコシマ……』

 ずるずると霊体を引きずるセイリュートを無視して、小竜姫が横島の方に振り向いた。意識はある様だが、背を向けてふらついている。あと一撃で、確実に仕留められるだろう。
 殺すには惜しい才能だったが、竜神をこれ以上嘗められる訳にはいかなかった。せめて苦しませない様にと、彼女が再び超加速に入る。
 ぶん、と音がして、限り無く時間が遅くなった。何もかもが停止した様な世界を、小竜姫がすたすたと歩いていく。気が付いた時には死んでいるだろう。痛みも無い。
 横島の前に辿り着くと、ゆっくりと剣を掲げた。最後に顔を拝もうと、彼の身体を正面に引き寄せた瞬間――

「っ!?」

 小竜姫の全身に痺れが走った。加速が解け、世界が元の速度に戻る。
 何もかもが意味不明な状況の中、目の前の横島が、そっと左手を開いた。

「それは、まさか文珠!? でも、その文字は……」

「ええ、これだけじゃ意味が無いんです。だからもう一つはあいつに」

 横島の言葉にはっと小竜姫が背後を向く。いつの間にか、どっかと座っていたセイリュートが、無言で文珠を見せてきた。中には【糸】の文字が入っている。

 彼女が首を戻すのを待って、横島が続きを告げる。

「あいつのと、俺の【専】、それに小竜姫さま自身が【、】となる。それらを一直線で結べば【縛】が完成……って感じです」

 友人が何故身体を引きずっていたのか、理由がわかった。口惜しそうに小竜姫が言う。

「さっき分離する前に渡したのですね? 羽交い締めにしたのは……オトリだった……」

『思い付いたのはヨコシマだ。お前に吹っ飛ばされてひらめいたらしい。単に二手に別れて突撃するだけだった当初の計画より、よっぽどうまくいったようだな』

 言って、ふっ、とセイリュートが笑った。

『文珠だけでなく、柔軟な思考ができるのがこいつの強みさ……ヨコシマ』

 セイリュートの合図で、横島が霊波刀を作り出した。手を突き出し、切っ先を彼女の急所である額すれすれで止めると、再び彼女が口を開く。

『これで、打てる手は全て尽くした。お前を殺すわけにはいかないし、文珠の効果もあと僅かだ。形振り構わないのならお前の勝利なのだろうが……どうする?』

 それが、とどめの一言だった。友人がやけになる前に、プライドを盾にする。
 言い返そうとした小竜姫だったが……その選択が首をもたげそうになっていたのも事実だった。心の奥底を見透かされた彼女が、恥ずかしさにがっくりと首を落とす。

 開始とはうってかわった空気の中、戦闘終了の幕は静かに下ろされたのだった。



[37523] リポート⑥ はじめてのちう
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/08/10 08:48
『さて、約束は覚えているな』

 小竜姫の隣りに立ったセイリュートが、ヤミ金の取り立てを思わせる口調で告げた。
 俯き、肩を落とした彼女がびくりとする。

「……な、何のことだったでしょうか。私にはさっぱり」

「こらこら」

 ぷいっとあさっての方を向いてごまかす小竜姫に、横島が汗を浮かべてツッコミを入れる。
 当然、そんな子供じみた態度を許容するセイリュートではなかった。彼女に目線を合わせるやいなや、途端に眼光を鋭くする。

『ほう? 勝てば好きにしろと言っていたのはどこの誰だ? 自身満々に、命を以て贖えとも言っていた様だが?』

 淡々と切り返したセイリュートに、ううう、と小竜姫が萎んでいく。全力どころか、奥の手の超加速まで披露しておきながら、完膚無きまでやり込められては、言い訳のしようも無い。
 そして、この状況こそがセイリュートの狙いだった。逃げ場を奪い、どこまでも追い詰める。

『あいつも私も、後が無い状況で勝負に挑んだのだぞ。それをごまかし、約束を反古にしようなど、竜神のすべき行いでは無いと思うのだが』

 ただの敵ならばともかく、親しくしていた旧友に正論で責められるのは、小竜姫にとって何よりもきつい所業だろう。
 震えながら俯く彼女に、セイリュートの冷徹な口上が、まるで魔女裁判の様に繰り広げられる。
 未熟さと情けなさに、涙を浮かべ始める小竜姫。それら無視して、セイリュートがなおも追求の手を加えようとした、その時――

「も、もうその辺でいいだろ?」

 突如、割って入ってきた声に、小竜姫が顔を上げた。
 横島だった。自分を庇う様にして、セイリュートの前に立ち塞がっている。

「横島……さん?」

 名前を呼ぶと、横島が彼女に首を向けた。真面目にしていれば割と整っているであろう顔からは、ぎこちない笑いが覗いている。セイリュートへのおっかなさと、この場は任せろ、という気持ちが入り混じっているのだろう。
 涙でぼやけた視界の中、頼り無さげな、でもどこかほっとする表情に、小竜姫の胸が思わずどきりとする。

「親友だってのに、いくらなんでも厳し過ぎんだろ。小竜姫さまだって反省してるみたいだし、もう十分じゃねーか?」

『親友だからこそ、礼を失するべきではないだろう。お前の方こそ、あれほど苦労したというのに、全てふいにする気か?』

 腕を組み、セイリュートが苛立った様に告げる。実際に彼女は苛立っていた。横島の出番は、もっと友人を追い詰めてからの予定だったからだ。見るに見かねてつい口を挟んできたのだろうが、甘いという他ない。
 背中に小竜姫を庇ったまま、横島が為す術もなく呻く。分の悪い睨み合いがしばらく続いた後――それまで傍観していたルシオラが、やれやれといった様子で近付いてきた。セイリュートに声をかけると、揃って横島たちから離れた場所に移動する。

『何のつもりだ?』

 不機嫌を隠さずにセイリュートが言った。

「あそこで喧嘩してても意味が無いわよ。そもそも、彼女が落ち込んだところをヨコシマが声をかけるって計画なんだし、上手くいってると思うんだけど……」

『まだ早い。あいつの望みを満たすのなら、もっと追い詰める必要があったのだ』

 あれ以上責める必要があるのだろうか。背中に薄ら寒いものを感じつつ、ルシオラが、ちなみにどのくらい追い詰めるつもりだったのかを訊ねた。
 ふむ、と虚空を見上げ、少しの間考こんでから、セイリュートが答える。

『そうだな……これまでの例だと何を言っても謝罪以外の言葉を口にしなくなった辺りがベストで……どうした?』

 ひっくり返っていたルシオラが、かばっと起き上がるなり「却下よ! 却下!!」と切り捨てた。
 セイリュートが目をぱちくりとさせる。

『何故だ? 心を開かせるにはそれが一番てっとり早いのだぞ?』

「洗脳してどうするのよ! ヨコシマが欲しいのは愛情でしょ! 友人の人格を崩壊させる気!?」

『そんな事はない。時間が経てばちゃんと元に戻るぞ。単にあいつの言葉には無条件でイエスと言うようになるだけだ。そこまで調整するにはなかなか骨が折れるのだが――』

「もういいわ……」

 額を押さえてルシオラが呻く。土地神として人間を率いていたせいか、それとも別の星で生まれたせいかはわからないが、価値観が合わない。思考回路がヨーロッパの魔王と同じだ。
 じゃあどうするのだ? と口を尖らせるセイリュート。

「そうね……」

 応える代わりに、ルシオラが首をそちらの方向に向けた。
 くすりとして、

「とりあえず、そんな事しなくても大丈夫みたいよ」

 促されて、セイリュートが振り向いた。見ると、未だ凹んだ様子の小竜姫を、横島があの手この手で慰めている。彼女を立ち直らせようと必死なあまり、セクハラを実行する余裕もない。
 しばらく見ているうちに、次第に小竜姫の方にも笑顔が見えてきた。二人で小さく笑い合う場面もあり、随分と良い雰囲気になっている。

「ヨコシマならうまくやるわよ。もう少ししたら帰りましょ」

「やれやれ。不可解だな」

 笑いかけるルシオラに、半眼になったセイリュートが、ぽつりと呟いたのだった。


「ど、どうだ……?」

 ルシオラたちが戻ってきた事に気付いた横島が、緊張に顔をひきつらせて言った。
 彼女が口を開くのを、判決を待つ囚人の様な気持ちで見つめる。

「ええ。許してあげるって」

 ね? と言って振り向いたルシオラに代わり、セイリュートが前に進み出る。ふう、と息を吐き出すと、

「私も少し熱くなり過ぎていたみたいだからな。もうこれ以上は言わん」

 いつもの口調でそう告げた。少し不服そうな顔はしているものの、全身が凍り付く様な怒りはすっかり納まっている。
 横島たちの顔が、ぱっと明るくなった。

「ありがとうっ!! 感謝しますううっ!!」

 感極まった様子で小竜姫がルシオラの胸に飛び込んできた。
 よっぽど恐ろしかったのだろう。緊張が解け、感涙にむせび泣く小竜姫を、優しく抱き止めたルシオラが背中をさすってやる。

「いいのよ。それより紹介状の方はお願いね。内容の方も少し脚色してもらえるとありがたいんだけど」

 ちゃっかり要求を上乗せしたルシオラに、あっさり頷く小竜姫。あの恐ろしい友人を宥めてくれたのだ。たやすいご用だった。そんな事くらいでいいのかと、一瞬彼女が天の使い(自身も天界の住人だが)にも思えたほどだ。

 そして――

「良かったっスね。小竜姫さま」

 抱き締め合う美女二人に、眼福といった様子の横島が、横合いから声を掛けてきた。
 あっ、と気付いた小竜姫が、ルシオラから身体を離し、気恥ずかしそうに俯く。

「よ、横島さんも……その、ありがとうございました」

「え? いやでも結局なんとかしてくれたのはル……妹で」

「で、でも最初に庇ってくれたのはあなたですから。だから、その……」

 そのまま口を閉ざしてしまった彼女を、不思議そうに見る横島。その様子を脇から覗いていたセイリュートたちが、呆れ顔で見つめる。

『普段はああなのに、何であんな分かりやすいフラグに気付かんのだ』

「コンプレックスが強過ぎて、自分は女の子に嫌われるキャラなんだって思いこんじゃってるみたいだから……」

 彼の言動の数々を思いだし、苦笑いを浮かべたルシオラに、セイリュートが一層呆れを強めた。
 ふん、と鼻をならす。

『とにかくエンディングは見えた。とっととあのヘタレに攻略してもらおう』

 言うが早いか、セイリュートが、頬を赤らめて俯いている親友の背後に回り込んだ。馴れない空気にまごついている横島へ視線を送る。

(セイリュート?)

 小竜姫の背後の相棒に気付いた横島が、視線をそちらに向けた。一度だけ頷いた彼女が、そのまま小竜姫の方に何度も顎をしゃくる。その意味を数瞬の間、思案していた横島が、突然げっ、と目を見開かせた。
 それは前もって彼女が決めていた合図だった。台本に従うなら、この後自分は――

(無茶いうな!! 今の空気で小竜姫さまにいきなりそんな事したら……!)

 ふるふると首を振る横島。 自分への自信の無さや、自分からのアプローチで『いける』手応えを、これまで感じた事が無いせいもあって、彼は小竜姫の様子を、単にほっとしているだけだと捉えていた。そんな状態でがっつり迫ろうものなら、たちまちにして首から上が飛んでいくに違いない。
 そう考え、必死に拒否の意志を示すのだが、視線の先に佇む悪魔はそれを許してくれなかった。よくよく見れば、口元が僅かに苛立っている様に見える。

(ちくしょーー! もうヤケじゃーー!!)

 再び彼女が怒り出すのを恐れた横島が、がっしと小竜姫の肩を掴んだ。びっくりした様子の彼女を見つめながら、頭の中で必死に理由を捻り出す。

「小竜姫さま!」

「は、はい!」

 突然真剣な目に(当人は命懸けという事もあり)なって自身の名前を呼んできた横島に、小竜姫がどぎまぎとする。

「その……セイリュートとの約束は無しになりましたけど……でも、せっかく勝ったんだから、俺も何か褒美がほしいかなーなんて思っちゃったりしまして」

「は、はあ」

 急に話が見えなくなった小竜姫が、困惑した様子で生返事をした。
 彼女のリアクションを、拒否されかけている、と捉えた横島が、慌てて言葉を重ねる。

「あ、とはいっても何も小竜姫さまを好き放題にしたいとか、心で思ってはいるけどそんなんじゃなくて、とはいえやっぱりやーらかいよなーとかついつい思ったり……ってまた声に出てんじゃねーかあああ!!」

 理由と本音が支離滅裂になり、最後には頭を抱えて自分つっこみを始めた横島に、小竜姫が後頭部に汗を浮かべる。
 やはり付け焼き刃の告白ではダメだったのだ。もはやこれまでと、横島が強行手段に出る。

 ――どうせ死ぬなら最後に良い思い出を。

 そんな打算と共に、彼女の肩をしっかと抱いた。

「小竜姫さま!!」

「は、い――――!?」

 名前を呼んだと同時、横島が唇を小竜姫の口元に押し付けた。返事をしかけた彼女が、一瞬、唖然とし――みるみるうちに顔を赤くしていく。

( やーらかいなー!! 気持ちいーなーー !!)

 小竜姫の唇を、横島が涙を流して味わう。だが幸福な時間は長くは続かない。
 くぐもった声と共に、彼女が胸を拳で叩いてくる。その仕草は、生死の瀬戸際に立たされている彼にとって、まるで心臓を抉り出す予行演習のように思えた。
 決意する。ここまで来ればもう躊躇はしない。冥土の土産を心行くまで堪能すべく、更に奥へと踏み込む。彼女の頭を抱えると、一層深く唇を押し付けた。以前メドーサにもヤられた、いわゆるディープなやつだ。

「――――――――っ!!」

 涙に潤んでいた小竜姫の目が、一際大きく跳ね上がった。まな板に乗せられた魚の如く激しく拳を打ち付けるが、それでも横島は離れない。それどころか、なおも執拗に唇を攻め立てていく。
 そうしているうちに、次第に彼女の拳が弱々しくなっていった。もぞもぞと彼の胸を行き来し――最後にぴくんと震えると、静かに彼のシャツへと収まった。


 そんな、小竜姫が少年誌の枠をはみ出そうとしている少し前――


 キスをしたのを確認すると、セイリュートがルシオラの元に戻ってきた。
 恋人が他の女とそういった事に及んでいるのは良い気分では無いだろう。なればこそフォローしようかと思っていたのだが――意外な事に彼女は落ち着いていた。

『お前は……嫉妬したりしないのか?』

「そう見える?」

 彼女がそう言って、苦笑をよこしてきた。

「ヨコシマと魂を共有した影響かしらね。ヤりたいとかハーレムを作りたいとか……そういう気持ちが何となく理解できる様になっちゃって……もちろん、理解できるだけで、あまりいい気はしないんだけどね」

『……そうか。すまない。無遠慮な質問だった』

「いいのよ。それに――」

 くすり、と笑い、

「理由はどうあれ、この時代に来て、ヨコシマが一番最初に私を選んでくれたのは事実だもの。それだけで今は十分。それに、今の立場なら、誰よりも長く一緒にいられるしね」

 殊勝な言葉と共に、横島への想いの深さを溢れさせるルシオラ。
 セイリュートが、ふっと笑い返した。

『できた娘だな。あいつには勿体無いくらいだ』

「ありがと。あいつといえば……そろそろヨコシマたちも終わった頃かしら?」

 ルシオラの言葉で、セイリュートが再び横島たちに視線を向ける。いつの間にかディープなそれに移行していた横島の愛情表現に、小竜姫は完全に沈黙していた。その顔はすっかり紅に染まり、くたっと力の抜けた身体は、行き所を無くした様に彼にもたれ掛かっている。

「さ、流石にこれは……やっぱり、ちょっと悔しいかも」

 ああいったキスは未経験だった。小竜姫に先を越され、ルシオラが顔をひきつらせる。
 そんな娘の声をしっかりと捉えていたセイリュートが、

『そういえば――』

 ふと思い出したかの様に呟く。

『そろそろ夕方になる。夜の下山は危険だし、今日はここに泊まるぞ。私は小竜姫と話をするから、お前たちは先に休むといい』

 それが何を意味しているかは言わずとも知れただろう。横目で見ると、ルシオラがぱっと顔を輝かせたのがわかった。
 本来であれば、計画に邁進してもらうためにも、横島には常に欲求不満の状態でいてもらうつもりだったのだが……今回は二人が尽力してくれた事もあり、また、娘ならば上手くあいつの手綱を握るだろうとの目算から、多目に見る事にした。

「あ、終わったみたいね」

 ルシオラの声に引き戻されたセイリュートが、再び横島たちを見遣る。拳を握り、思い残す事は無いといった面持ちでじーんとしている彼の胸の中には、顔を茹で蛸の様にして気を失っている小竜姫の姿があった。

『日に二度も竜神を沈めるとは……大したやつだ』

 本気とも冗談ともつかないセイリュートの呟きが、異空間の大地にそっと染み込んでいくのだった。



[37523] リポート⑦ ひとつウエノ男
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/05/07 11:46
「で、では紹介状の方は今から書きます。今日中に下山するんですか?」

 小竜姫悶死事件(命名セイリュート)から数十分。どうにか喋れるほどに回復した小竜姫が、これからの予定について訊ねた。
 セイリュートが横島を見ながら、

『いや、こいつの霊力も残り少ないし、無理はさせられん。すまんが一晩ここに泊めてはくれないか?』

「え、ええ、それはもちろん……」

 横島の方をちらちらと見ながら、小竜姫が応じる。最後に彼と目が合うと、恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いてしまった。

「そ、そんな……あの小竜姫さまが……」

 その当人が顔を引きつらせて呟く。
 あの死の試練(本人談)をどうにか乗りきった後――セイリュートたちの説明もあって、彼女の向ける視線がどういったものなのか、いかに鈍感な彼でも流石に理解できた。
 瞑目し、苦渋に満ちた表情を作りながら、

「小竜姫さまがキス一発で落ちる様なちょろい女やったなんてーー! こんな事なら強引にでも奪っておくんやぶっ!?」

 がに股で、手の指先を折り曲げた奇妙なポーズで嘆く横島。流石に看過できない発言に、ルシオラが拳を以て黙らせた。
 血を噴き上げて地面にうずくまる彼を、青筋を浮かべて見下ろす。

「いくらなんでも失礼でしょ! 何でそーいう答えになるのよ!!」

「今までどんだけ迫ろうと全然相手にされんかった女がこーもあっさりいけば、そんな結論にもなるわーー!」

 殴られた箇所を押さえつつ、横島が涙を噴き上げて訴える。
 本気でわかってない様子に、ルシオラが呆れのこもったため息を吐いた。

「だから前にも言ったじゃない。流れってものがあるのよ」

「ま、また流れか?」

 嫌いな食べ物を前にした様な顔で訊き返す横島に、ルシオラがああ、と思い出す。そう言えば、彼はいつも見境なしに襲いかかってきた事を。
 決して嫌な訳ではなかったが、もう少し分別をわきまえて欲しいとは思っていたのだ。

「……ルシオラ?」

「え? ああ、ご免なさい」

 反応が無くなったのを不審がったのだろう。声をかけた横島に返事をしつつ、よし、とルシオラが決意する。セイリュートの計画にプラスにもなるし、この際彼にはそういった事も学んでもらう事にする。

「そうね。簡単に言えば、今回はママがセクハラしない様に禁止してたでしょ? それで彼女がヨコシマに悪印象を持たなかったんじゃないかしら」

 ぴん、と指を立て、教師を思わせる口調でルシオラが指摘を始めた。

「い、いやでも俺はただ愛情表現を示しているだけで……雑誌にも、出会った時は多少強引なくらいがいいと書いてあったぞ」

「そーいう愛情表現は付き合ってから起こすべきだと思うんだけど……仮にもし、私と最初に出会った時にそれをしていたら、本当に殺していたでしょうね」

 目を細め、さらっと言ってきたルシオラに、横島が背筋を凍らせる。あの時はあまりにも力の差があり過ぎたせいでそんな事をしようとは微塵も思わなかったが、考えてみれば恐ろしい話だ。彼女たちがアシュタロスの遣いだと告白していなければ、迷わず突撃していた可能性もある。
 自分の悪運に密かに感謝した横島だったが――その瞬間、はっと気付いた。天啓といってもいいだろう。
 思い浮かんだ一つの仮説から、彼の脳が未だかつて無いほどに回転する。そうして導き出したある一つの仮説について、彼は訊ねた。訊ねなければならなかった。

「て事はだぞ。もしかして、今までうまくいかなかったのは……出会った瞬間に飛び掛かったりしていたから……?」

「多分ね。急にそんな事されたんじゃ誰だってびっくりするわよ。ナンパ? とかあーいうのはまた別だとは思うけど」

 ルシオラが答えた瞬間、横島がびしりと凍り付いた。ショックで脳が過負荷を起こしたらしく、しばらくの間、時間が止まったかの様に動かなくなる。

 そして――

「そ、そんな……まさか……」

 ぐらり、と頭が揺れる。そーいえば、自分に好意を持ってくれていると感じた四人――おキヌ・シロ・小鳩・ルシオラ――に対しては、確かに、出会ってすぐにセクハラをかましたりはしなかった。
 おキヌについては抱きついた事もあったが、当時は幽霊だったうえに、冬山で遭難しかけたところを暖めてもらう人命救助の一環だったのでノーカンだろう。
 平行感覚を失い、横島が手を付いた。四つん這いになった状態のまま、わなわなと身体を震わせる。そうして衝動の様に沸き上がってきた思いを、彼はあるがまま地面に吐き出した。

「そんな……そんなしょーもない理由で、俺は数々のチャンスを無に帰してきたとゆーのかあああ!!」

 叫び、拳を大地に叩き付ける横島。
 美神をはじめとする女性陣に、何度となく言われてきた事ではあったのだが――彼自身が美神と出会った頃からずいぶん落ち着いた事。一度はルシオラと死別し、その時にヤリたいだけで頭がいっぱいのあまり、相手の気持ちを思いやろうとしなかった自分を激しく後悔した事。そして何より、『うまくいった』彼女に直接言われた事によって、彼は今ようやく理解したのだった。

『その通りだ! やっとわかってくれた様で嬉しいぞ』

「ママ?」

 いつの間にかこちらに来ていたセイリュートにルシオラが応じた。

「彼女……小竜姫さまは?」

『紹介状を書きに戻った。なんでも上司の許可がいるらしい』

 セイリュートの言葉に、ルシオラが小竜姫のいた方を見遣る。自分たちが来た脱衣所とは別に、光でできた四角い扉の様なものが中空に浮いていた。
 納得して、視線を戻す。

『前もそうだったが、お前は余計な事さえしでかさなければ中々優秀なやつなのだ。小竜姫を最終的に陥落させたのは、紛れもなくお前の力だ』

「力はともかく、セクハラを控えて、親身に彼女を励ましたのが決め手になったんでしょうね」

「そうか……」

 二人の分析を聞いて横島がすっくと立ち上がった。今ならわかる。あの親父の息子なのに何故こうもモテなかったのか。思考レベルはまったく同じ。明暗を分けたのは、たった一つの余計なアクションだったのだ。
 横島の口から何かが洩れ出す。徐々に大きくなっていくそれは、歓喜の高笑いだった。

「ついに……ついに俺の時代がきたぞーーーー!! 見ていろクソ親父! 西条! 世の節理を完璧に理解した俺に、もはや死角など無い!! こうなったからには、あのねーちゃんもこのねーちゃんも、全て俺のもんじゃーー!!」

 異空間の大地に高らかに宣言する横島。再び高笑いに転じた彼の後姿を、汗を垂らして見つめていたセイリュートたちだったが、

「……というわけで、どうぞこれからもこのわたくしめをお導きください。セイリュートさま」

 笑いを止め、振り向くやいなや、揉み手をしながらコビを売り始めた横島に、すってんとルシオラがひっくり返る。

「さ、さっきの宣言は一体……」

「いやーセクハラがいかんとゆーのはわかったが、流れとか言われてもまだよくわからんしな。こいつの言う通りに従ってたほうがうまくいくだろ」

「た、たぶんね」

 洗脳、もしくは隷従させようとしていた母の行動が適切とは思えないものの、とりあえず空気を読まない行動は控えてくれるらしかった。
 安堵したルシオラに入れ替わり、セイリュートが口を開く。

『理解してくれた様だな。なら今後もこの調子で協力者を増やしていくぞ』

「了解」

「わかったわ」

 三人の意思がまとまったところで、ちょうど小竜姫が扉から出てきた。入ったときとは正反対に、その表情は固い。
 何かあったのかとセイリュートたちが訝しんだ瞬間、扉から新たな人物が現れた。いや、正確にいえば人ではない。見た目こそ人民服の姿で煙草をくわえ、大きな眼鏡をかけているが、その肉体はどこから見ても猿そのものだった。

「私の上司で、猿神【ハヌマン】こと、斉天大聖老師です」

 小竜姫が紹介すると、斉天大聖――老師――が前に歩み出た。そのまま少しばかり横島たちを見つめると、

「ふむ。中々の霊力じゃな。流石に小竜姫を負かしただけの事はある」

 眼鏡をくいと上げ、感心した様に言ってきた。ただし、対象はまるっきり違ったが。
 視線を向けられたルシオラが、え? と口を開け――慌てて否定する。

「い、いえ私じゃなくて。戦ったのはヨ……兄さんの方です」

 焦ってつい名前を呼びそうになるルシオラ。その兄の方を向けば、案の定落ち込んでいた。ぷるぷると肩を震わせて、

「ちくしょー! そんなにまで俺の活躍が信じられんとゆうのかーー!!」

「ま、まあまあ兄さん」

 癇癪を起こして暴れる横島を、ルシオラが必死に宥めすかす。
そのやり取りで、ようやく言い忘れていた事に気付いた小竜姫が、慌てて老師に説明した。

「なんじゃ、違うのか。てっきりそこの娘がやったのかと思ったわい」

「すみません。説明不足でした。でも、どうして彼女が? 私の見立てでは、取りわけ霊力が高い様には見えませんが……」

「それがわからん様ではまだまだ青いぞ小竜姫よ。人間に遅れをとるのも道理じゃな」

 厳しいダメ出しに、すみませんと小竜姫が頭を下げた。反省を促すためだろう。しゅんとする彼女を尻目に、老師が黙々と煙草をくゆらせる。
 あっさり過ぎず、くど過ぎず。そんな絶妙な間の後、最後に大きく煙を吐き出して、老師が続けた。

「とはいえ、その中でもかなりの変わりダネには違いないがな。文珠使いか。恐らくは相当入念に準備してきたんじゃろう」

『その通りだ。斉天大聖老師どの』

 成り行きを見守っていたセイリュートが、初めて口を開いた。視線がこちらに向いたのを見て、続ける。

『お初にお目にかかる。私の名は星龍斗。元は土地神をやっており、そこの小竜姫とは古い友人でもあります』

 襟を正して自己紹介をしたセイリュートをふむ、と老師が見つめる。そのまま少しずつ視線と霊圧を鋭くしていくが――当の彼女はどこ吹く風といった様子だ。
 納得し、鼻から息を抜く。

「なるほど。大したタマじゃな。素直な小竜姫では、手玉に取られるのも無理はない」

 『神界屈指の実力者と評されるあなたに褒められるとは。光栄の至りだ』

 ふ、とセイリュートが笑う。流石にこのクラスの神族相手に隠し事が通じるとは思っていない。今回の騒動の首謀者である事を、素直に白状した。
 煙を吐き出して、老師がぽつりと告げる。

「という訳じゃ。うまく担がされたな小竜姫よ……目的は紹介状じゃったな?」

『ええ。それもできれば妙神山管理人を打倒したという証明を添えて』

 セイリュートの言葉に、小竜姫がはっとした。そちらに首を向ける。

『すまんな。本当はそれが狙いだったのだ。ああでも言わないと、お前は管理人の枠を越えて本気を出さなかっただろうし、要求に頷きもしなかっただろう?』

「星龍斗……」

 複雑そうな表情を浮かべる小竜姫。
 それに構う事なく、セイリュートが再び老師の方に向き直った。

「仮にそれを得たとして、何に使うつもりじゃ?」

 問われ、セイリュートが横島たちに視線を向ける。

『この二人にGSになってもらいます。色々あって正規の方法では免許を取得できないため、少々型破りな方法をとる事にしました。実力に関してはあなたも知る通り。あとは強力な宣伝文句が必要なのです』

「悪用はしないのじゃな?」

『友人に嫌われたくはないので。うまく波に乗るまでの間だけ使わせてもらいたい』

「ふむ……」

 それを最後に、老師が黙り込む。横島たちの経歴を除けば、概ね正直に話したつもりだった。
 伝え聞く限りでは人格者であり、横島の記録からもそれは確認した。この場に出てくる可能性は低いと思っていたが、出てきたとしても、素直に話せば問題は無い筈だ。
 再び煙を吐き出す老師。先端に溜まった煙草の灰を地面にばらまくと、静かに告げた。
 
「まあ良かろう。元々、小竜姫を破ったやつがどんな連中なのかを見たかっただけだからな。あやつの友人なら悪用もすまい」

『感謝する』

「うむ。後の事は小竜姫に頼め。では」

 言って、踵を返した老師が元来た扉へ戻ろうとした、その時――

「待って下さい!」

 突如上がった声に、その足がぴたりと止まった。振り返ると、声の主であるルシオラが、すっ、と前に進み出た。

「あの……さっき私が小竜姫さまを破ったと間違われたのはどうしてですか?」

 緊張した面持ちで訊ねるルシオラに、ふむ、と老師が顎を撫でる。

「そんな事か。単にお前の中に眠っている力を量ってみただけじゃ」

 さらりと告げた老師に、はっとしたルシオラが、そのまま何かを思案する様に黙りこんだ。
 声をかけようか横島が迷っていると、突然ルシオラがくるりと振り向いた。そのまま彼を見つめ、

「怒らないでね」

「えっ?」

 そう告げて薄く笑うと、再び老師の方に向き直った。表情を固く引き締め、決意する。

「私に……修行を受けさせて下さい!」

「いっ!?」


 頭を下げ、大声で頼み込んだ彼女に、背後の横島が顔をひきつらせる。猿神の修行がどれほど過酷なものか、彼は身を以て理解していた。失敗すれば命が無くなる事も。

「ルシ――」

 彼女を止めようと手を伸ばしかけた横島だったが、その瞬間、先程の彼女の顔が思い浮んだ。はっとして、その意味を想像する。そうして出た結論が、

(信じろ、って事なんだよな。多分)

 心で呟く中、思い出したのは門の前でへたり込み、小さくなったルシオラの姿だった。自身の非力さに嘆き、何とかしたいと願う気持ちは、自身も経験があっただけによくわかる。

 ならば――

 宙ぶらりんになっていた手を横島が下ろす。今すべきは、彼女を止めるのでは無く、見守る事だった。そう決断し、傍らのセイリュートを見る。頷いてきた彼女に、自身の判断が賢明だった事を自覚する。

 老師は黙ったままルシオラを見据えていた。隣にいる小竜姫の方も――本来ならば老師の修行は彼女の出す課題をクリアしてからなのだが――こういった時は上司に委ねるべきだと早々に判断したのだろう。静かに控えている。
 重い空気が漂う中、ルシオラはじっと老師を見返す。並々ならぬ決意が、彼女の中に渦巻いていている様だった。その事を感じとったのだろう。ふう、と息を吐いた老師が、

「やれやれ。今日は何かと騒がしい日じゃな」

 呑気な口調でそう言ってから、ぎらりと目つきを変えた。

「できぬ時は死ぬ事になる。それでも良いのじゃな?」

「はい!!」

 周囲にも自身の決意は伝わったのだろう。力強く返事をしたルシオラを止めるものは、もはや誰もいなかった。



[37523] リポート⑧ それぞれの決意
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/05/31 07:39
「くっ!」

 戦闘が始まって数分。突き出された巨大な棍の一撃をすんでのところでかわしたルシオラが、すぐさま霊波砲を放つ。
 相手にとっても、以前の自分の力と比べても、まさしく蚊の鳴くような一撃だったが、タイミングだけは正確だった。
 だが――

「えっ!?」

 目を瞑っていても当たりそうなほどの巨体が、一瞬にして掻き消えた。呆然としかけた心を何とか押さえ付け、すぐに猿神の姿を探す。結果は――上だった。
 急降下してきた老師が、大上段からの一撃をルシオラに叩き付ける。直撃こそ免れたものの、その攻撃の余波は爆発と化して、彼女の身体を大きく吹き飛ばした。

「くうっ!」

 イメージしたのとは違った派手な音が、痛撃と共に舞い込む。激突したのは脱衣所のガラス戸だった。そこらの岩に当たるよりかは大分ましだったが、それでも背中を強打したのはまずい。ダメージと一時的な酸欠が、うずくまった身体に追い討ちをかける。
 激しい痛みが身体をのたうち回る中――ふと、ひび割れたガラスの向こうから声がした。

(ヨコシマ……?)

 何度となく耳にした声に、ルシオラが視線を向ける。そこにはガラスにへばり付き、必死で自分を呼び掛けている横島の姿があった。

「大丈夫……」

 呟いて、ルシオラがにっこりと笑みを作る。奇しくもそれは、彼女が横島と死に別れる際に口にしたのと同じ言葉だった。
 だが――今度は嘘などではない。この試練を生きて乗り越えるための、決意の声だ。

(そうよ――)

 笑いっぱなしの膝に檄をとばし、ルシオラが再び立ち上がっていく。上にスライドしていく視線は、横島の頭上を追い越し――背後のセイリュートとぶつかった。

『……』

 横島とは正反対に、セイリュートは静かに佇んでいた。それでも、だらりと垂れ下がった腕の先が、固く拳を作っているのを見れば、彼女の本心がどこにあるのかは一目瞭然だ。
 再び笑顔を向けるルシオラ。自分を生き返らせ、横島の心を救ってくれた恩は、まだまだ返しきれていない。
 きっ、と振り返り、

「こんなところで……やられるもんですか!!」

 言い放つと同時、ルシオラが地面を駆ける。そう。戦っているのは自分だけではない。黙って送り出してくれたあの二人も、必死に耐えてくれているのだ。
 雄叫びを上げる。身体はボロボロでも、再び蘇った強い想いが、彼女の心を支えていた。

 ――生きたいと願うこと。

 ――彼の側に並び立つこと。

 どちらも、以前の自分がなし得なかったもの。そして――

(美神さん――)

 自分の一番の恋敵だった彼女に譲り渡したものだ。
 彼女の性格は良くわかっている。横島を取り戻しに、いつか必ずここにやってくるだろう。それまでに自分は選ばなければならない。以前の様に一歩退くのか。それとも――今度こそ正面から対峙するのか。

(そんなの……決まってるわ!)

 『如意金剛』と銘打たれた棍が唸りをあげて迫りくる――
 その瞬間、ルシオラは迷わず後者を選択した。

「恋する女の力! 嘗めるんじゃないわよーーっ!!」

 叫ぶと同時、彼女の身体が爆発の中に消えた。もくもくと煙を吹きあげる現場に、扉を隔てて見ていた横島が息をつまらせる。

 生か死か。

 小竜姫を含めた三人が固唾を飲む中、やがて煙が晴れていく。
 そこには――

「ルシオラーー!!」

 彼女を見るなり、弾ける様に横島が飛び出した。成功かどうかなど、見た瞬間にわかった。
 あのコスプレ衣装も、ぴん、と生えた二対の触角も、そのどれもが、初めて出会った時の姿のままだ。

「心配したんだぞバカ野郎ーー!」

 感極まって横島が飛び付いた瞬間、佇んでいたルシオラが、あん、と悶えた。艶っぽい声に、思わず煩悩が刺激されかかった横島だが、すんでのところで、地鳴りの様な老師のうなり声に阻まれる。

「なるほど。魔装術とはな」

「え?」

 横島と抱き合ったまま、ぽかんとするルシオラ。てっきり元の姿に戻ったものと思っていたのだが……言われてみれば服や額のバイザーまでついて来るのは変だった。

「己の潜在能力を鎧の形に引き出し、コントロールする術じゃ。その外見は人により様々だが……お前の場合は以前の姿が一番イメージしやすかったのだろう」

 告げられ、横島と離れたルシオラが、先程までの姿を思い浮かべる。全身が淡く光り出すと、一瞬後には元の姿に戻っていた。頭を撫でてみたが、触角も見つからない。
 老師が頷いて続ける。

「中途半端な者が使えば身体に負担をかけるうえに、最悪自分自身が魔物と化す恐れがあるのだが……お前なら問題はあるまい」

「はい」

 顔を引き締め、ルシオラが返事をする。先程からの含みある言葉は、彼女の正体が魔族である事をとっくに見抜いている証拠だった。
 その鑑識眼の深さは、流石は小竜姫の上司といったところだろう。

「修行は終いじゃ。やれやれ、この歳になると手加減して戦うのはキツいわい」

 しゅるしゅると縮んでいきながら、そんな事をぼやいてくる老師に、ふとルシオラが思い付く。もしかして格闘ゲームばかりやっているのは、そんな鬱憤を晴らすためなんじゃないだろうか、と。
 そんなとりとめの無い事を考えているうちに、セイリュートもこちらへとやってきた。が、

「どうしたの?」

 心なしか顔色が悪い。珍しいどころか、見た事の無い母の姿に、横島と揃って疑問符を浮かべた。
 じろり、と彼女が横島を睨む。

『さっき脱衣所から飛び出した際に、叫んだ内容を覚えているか?』

「へ? そ、そりゃルシオラーって……あっ!?」

 咄嗟に本来の名で叫んでしまっていた事に気付いた横島が口を開けて固まった。
 セイリュートがはあ、と息を吐く。

『あいつにもしっかり聞かれてしまったからな。おかげでこれから取り調べだぞ。もちろんお前も含めてな』

 告げられ、横島がばっ、と脱衣所の方に振り向く。そこには顔の筋肉だけで笑みを浮かべた小竜姫が、腕を組んで扉に寄り掛かっていた。目が合うと、

「時間はたっぷりありますから。ルシオラさんとはどういう関係なのか、教えて下さいね。うそいつわりなく」

 最後の一言にたっぷり感情を乗せて、告げてくる。
 逆らえばただではすまないであろうその雰囲気に、横島とセイリュートは、揃って首を竦めたのだった。


「流れのGS……ですか?」

 湯呑みを囲炉裏の縁に置いて、小竜姫が言った。

『資格は持っていないがな。祓われるのを待つだけだった私を、すんでのところで救ってくれた。それからの付き合いだ』

 囲炉裏を挟み、彼女の対面に座ったセイリュートが淡々と告げる。
 ――あれから数時間が経った。老師と別れ、小竜姫と共に横島たちが異空間から出てくると、すっかり日が暮れていた。
 思い出したかの様に腹の虫を鳴らした横島に、小竜姫が小さく吹き出すと、とりあえず先に食事を――という事になった。
 そうして横島たちが風呂に入っている間、小竜姫手ずから作った夕食は、素朴ながらも非常に美味なものだった。ルシオラも老師との修行のため、時間の流れが異なる特殊な空間で数ヶ月間を過ごし、その時に自炊もしていたのだが――はっきりいって格が違った。
 映像の早回しの様に横島がお代わりを求め、「こんな美人で強くてそのうえ料理まで完璧な小竜姫さまとキスしたなんてなあ。このくちびるがあの瞬間俺に――」的な心の声を、いつもの様に声に出してしまったため、彼女が再び真っ赤になるという一場面もあった。
 そんなにぎやかな団欒を迎えた後、登山の時から無理を押していた事もあり、ルシオラだけは早々に休む事になった。彼女を床へ案内し 、戻ってきた小竜姫が囲炉裏の一辺を占拠すると、彼女はようやくルシオラとの関係を訊ねてきた。

 そうして話は冒頭に戻る――


「話せば長くなるんスけど――」

 セイリュートの言葉を引き継ぎ、横島が彼女との出会いを語りだす。とはいえ全てを正直に語りはしない。時間がずれ込んだ事もあって、対策は十分整っていた。
 そもそもルシオラを妹役に仕立てたのは、コブ付きでは小竜姫の恋愛対象に入らない可能性があったからだった。無事に好意を持った今なら、正体がバレても問題は無いだろう。ホレた弱みというやつだ。ただし、未来を知っているアドバンテージを崩したくはないため、アシュタロス絡みの話は避ける必要がある。
 その結果、性格上、嘘の下手な横島はこの際正直に喋り、それに似合う設定をセイリュートが随時補足していく事になっていた。


 ――15分後――


「で、それを私が信じるとでも?」

 こめかみをひくつかせて即座に否定する小竜姫に、横島が「だよなあ」と心から同意する。

 曰く、ナルニア共和国で生まれたらしい自分は、幼い頃に両親を無くし、天涯孤独の身となった。その後不幸にして武装ゲリラに捕らえられると、そこで霊能力の素質を見込まれ、エージェントとして活躍する事になる。
 成長し、ザンス王国、香港と戦場を渡り歩いてきた自分は、組織を半ば裏切る様な形で抜けると、自身のルーツを探るべく日本へとやってきた。
 その経緯から敵の多いらしい自分だったが、数々の実戦を経験するうちに歪に磨き抜かれた能力は凄まじく、並大抵の刺客では相手にならない。
 業を煮やした組織は徹底して自分を調べあげた。そうして発見した『女』という弱点に、ついに組織は最強最後の刺客を放つ。
 コードネーム【ファイアフライ】――後にルシオラと呼ばれ、自分と命懸けの逃避行を行った女魔族との、最初の邂逅だった――

 この内容をアドリブで、かつ殆ど齟齬を感じさせずに補足していくセイリュートの話術には、思わず身震いがしたほどだった。あまりにも奇想天外過ぎるのが難点だが。おかげで、自分が話した内容すら、全て嘘だと思われる始末だった。
 ふう、とセイリュートが息を吐く。

『友の言葉を信じられんのか?』

「あの話のどこに信じる要素があるんですか!!」

『確かにな。少しばかり脚色が過ぎたらしい』

「……あ、あなたって人は……」

 噴火ぎりぎりのヤバい笑顔で神剣の鞘に手をかけた小竜姫を、慌てて背中に手をかけて止める横島。旧友とはいえこの竜神をここまでおちょくれるなど、彼女ぐらいのものだった。
 とはいえ長くは持ちそうにない。何とかしろとセイリュートに目で訴えると、どうやら通じたらしい。腰を上げた彼女が、そのままこちらに近寄ってくる。

「自ら来るとは良い心掛けです。今すぐ首を――」

 小竜姫が言いかけて――

『すまない』

 両膝を付いてそう言うと、流麗な所作で頭を下げたセイリュートに、横島も小竜姫も目を丸くする。
 動揺した空気が流れた中、顔を上げた彼女が友人に告げる。

『お前に不義理を働いている事は承知している。だがそれでも、こいつらの事に関しては、何も言う訳にはいかないのだ。勝手な願いなのだが……どうか何も訊かないでもらえないだろうか?』

 そうして再び深々と頭を下げたセイリュートに、横島が何か言おうとして――ふと小竜姫の身体から力が抜けている事に気付いた。絡めていた腕を離す。
 自由になった彼女は神剣を床に置くと、ふう、と息を洩らした。

「まったくあなたは……そんな態度をとられてしまったら、何も訊けなくなってしまうでしょう?」

 すっかり毒気を抜かれた様子で呟く小竜姫に、セイリュートが薄く笑みを浮かべる。

『お前の事はよくわかっているからな。これも信頼の証さ。第一――』

 ちら、と横島の方を向き、

『恋敵の情報を得て一歩リードしようというのは、ずるい考えだと思うが』

「なっ!?」

 小竜姫の顔が羞恥に染まる。訊ねたい理由はいくつかあったが、それも図星の一つに違いない。
 彼女のウブな反応に、笑みの形を友人弄り用のそれに変えたセイリュートが更に続ける。

『今日一日で随分ご執心の様だな。見合いが無事に成功して私も嬉しいぞ』

「見合いとゆーか死合いとゆうべきか……」

 セイリュートに突っかかる小竜姫を眺めながら、横島が昼間の超絶バトルを思い出す。
 今更ながらよくもまあ生き残ったものだと思う。これも相棒の能力と信頼の賜物だろう。
 無茶な要求こそ多いものの、頼られている、必要とされているという充実感は、とても気分が良かった。

(あとはもう少し自由があれば言うことないんだが……)

 腕を組み、胸の内でぼやく。こっちにきてからというもの、セイリュートとはずっと一緒だ。おかげでナンパどころかルシオラといちゃつく暇すら無い。今日のキスはその我慢を上回るほどに価値あるものではあったが……やはり青少年たるもの、常に大志を抱き続けるべきではないか。
 思えば連載が終わるまで、八年も経過している。リアル時空なら25歳だ。結婚式の招待状がぽつぽつ家に届く様な年齢で、未だに何も無いのは非常にまずくはなかろうか。
 とはいえ、今日の成果たる小竜姫は、未だセイリュートと話している。正確にはやり込められていたが……とにかくこれだけびったり張り付かれれば到底期待はできないだろう。
 鬱屈たる思いで、横島の口が開いた。はあ、というため息が、欲求不満の思いと共に吐き出されようとしたその時――はっと気付く。
 あったではないか。現在ノーマークかつノーガードな、大人行きへの階段が。

「お、俺、ちょっとトイレ!」

 言うが早いか、横島が立ち上がった。転がる様な勢いで襖を開け放つと、一目散に廊下を走っていく。その姿はいかにも限界を迎えそうな人のそれだった……走り出したのがトイレとまったく逆方向でなければ。

『まったく……』

 ぼやいたセイリュートが開け放たれたままの襖を閉め直す。あの様子から見てようやくルシオラの事に気付いたのだろう。疲れをおして横島を待っているであろう彼女に、同情の念を送る。

「横島さん大丈夫でしょうか……? トイレは逆方向なんですが……」

『随分慌てていたからな。きっと勘違いしているのだろう。そのうち気付く』

 小竜姫の方は横島の目的に気付いていない様だった。友人のウブさに感謝しつつ、二人だけとなった囲炉裏にセイリュートが座り直す。

(さて)

 と、気組を整えた。あいつがトイレから戻って来ない事を不審がらない様に、友人の注意を引き付けなければならない。

『普段はあんな調子なのだが、面白い男だろう?』

「まあ……色んな意味で引き出しの多い方だとは思いますが」

 横島がいなくなった事で、話題が彼にスイッチしたと思ったのだろう。興味を持った様子で小竜姫がこちらを見てくる。素直な反応についつい応援してやりたくなったが、今日ばかりは娘の方を優先してやらなければならない。
 すまんな、と心で詫びる。

『そうだな。霊能力はもとより、人間的にも、いつの間にか他人の心にするりと入り込んでしまうところがある。本人はいたって気が付かない様だが』

「ああ、わかります」

 修行場での一幕を思い出したのだろう。頷いた小竜姫が苦笑して、

「あなたもそうだったんでしょう? 星龍斗」

『なっ?』

 予期していなかった返しに、思わず声が上ずり――はっとする。
 たまらずに吹き出した友人が「お返しですよ」と言ってきた。

『……』

 小竜姫を軽く睨みつつも、彼女の言葉には同意する。
 思い出すのは戦国時代に行った時の事だ。最初は単なる同情心からだった。女を餌にすればすぐに飛び付く、御しやすい男だとも思った。
 だがあの男の煩悩はこちらの想像を遥かに越えていた。美女とわかれば場の雰囲気や物事の損得など片っ端から無視してしまうあいつに、ひやひやされっぱなしだった。とはいえ悪い事ばかりでもなく、時にはこちらを唸らせる程の発言や行動もあったのだが。

(そうだな――)

 何の事はなかった。たった半年余りの日々だったが、天下盗りのために、あいつと二人三脚で叱咤激励しながら歩いていくのは、思いのほか楽しかったのだ。

『確かにな。あいつといると飽きる事がない。私が力を貸すのも、それが一番大きな理由だろうな』

 そう告白し、セイリュートがふっと笑う。

『だからお前にも紹介したのだ。以前「どこかに素敵な男性がいないでしょうか」とぼやいていただろう?』

「そ、そんな事言ってましたっけ?」

 もちろん嘘だった。会ったのがとんでもない昔だったからこそ使える手だ。

『言ってたぞ。随分遅くなってしまったが、気に入ってくれた様で何よりだ。大事な友人に凡愚を紹介する訳にはいかないからな』

「え、ええ……あ、ありがとう……?」

 どこか釈然としないものを感じつつ、とりあえず律儀に礼を返した小竜姫だった。


「ふっふっふ……」

 一方、横島。あれだけ廊下をどたばたさせていた足音が、ルシオラが寝ている部屋の10メートル手前でぴたりと止まった。不敵なひとり笑いを洩らすと、つま先を立て、忍び足を開始する。

「待ってろ。ルシオラ」

 期待に胸を膨らませつつ、横島が一歩、また一歩と進んでいく。数限りない覗きによって鍛え上げられたその技術は、もはや達人の域だった。
 そうして部屋の前へと到着する。行儀良く正座をすると、中居を思わせる所作で襖を開けていく。礼儀と警戒を兼ねた動作だ。いつものケースなら、そろそろブービートラップやコークスクリューブローが待ち構えているため、当然の配慮だったのだが――意外な事に何も起こらなかった。
 安堵しつつ、どこか物足りなさも感じる。

(いやいやいや! そもそもそれが普通だろーが!)

 いつの間にか対美神用の行動になってしまっている事に気付いた横島が、内心でつっこみを入れた。高笑いをかます雇い主の幻像を、かぶりを振って打ち消すと、臆せず中に踏み込む。
 部屋の中は薄暗かった。旅館の宴会場を思わせる畳だけの部屋の中心に、ぽつんと布団が一組敷かれている。その枕元からは、ルシオラのものと思わしき頭が覗いていた。廊下からの光が差し込んでも反応が無い事から、既に眠りに就いているのだろう。
 好都合だった。目を興奮にたぎらせた横島が、蜘蛛を思わせる動きでしゃかしゃかと近付いていく。

 そして――

(われ、奇襲に成功せり!)

 膝立ちでルシオラの寝顔を見下ろした横島が、歓喜にうち震えた。拳を固め、男泣きに泣く。これでもうゴールデンな同期の中でただ一人、最終回時点で恋人らしい恋人がいないと揶揄される事もない。独身という雪国から国境の長いトンネルを逆走し、いざ春へと赴くのだ。
 ぐいっと涙を拭い、

「ルシオラーッ!!」

 目を見開くと、横島がオペレーションを開始した。布団を剥ぐと同時に腕をルシオラの首裏に滑り込ませ、一気に胸元へと引き寄せる。
 流石に起きるだろうと思ったが、未だ目は閉じられたままだ。意外と眠りが深いタイプなのかもしれない。あどけない寝顔は、いつの間にか着がえていたらしい浴衣姿と相まって、リビドーをびんびんと刺激してきた。
 もはや辛抱たまらんと、彼が浴衣に手を伸ばした、その時――

「ん?」

 ルシオラの胸元から見えた何かに、横島の動きが止まる。目をこらして見れば――打ち身の痕だった。はっと気付いた彼が、すぐに視線を走らせる。
 ――結果、胸だけではなかった。腕も、脚も、よくよく見れば打撲や擦り傷だらけだった。おそらくは浴衣で被われている箇所も。老師との修行で負ったものに違いなかった。

「…………」

 穏やかに胸を上下させるルシオラを見つめ、横島はようやく、彼女が思ったより限界が近かった事を認識した。同時に、またも自身の欲求を満たす事ばかり考えていた自分の馬鹿さ加減に怒りと情けなさが混み上がる。

「……ごめんな」

 顔をしかめてルシオラに詫びた横島が、ゆっくりと彼女を布団に降ろした。そうして拳を握ると――自分を強く諌める。

「流れ……読めって言ってたもんな」

 頬がじんじんと熱を帯びるのを感じながら、横島が右手に意識を向ける。先程までの興奮と反省のおかげだろうか。霊力も集中力も、今は針の様に研ぎ澄まされていた。
 そうして急ごしらえで作った文珠に【治】と入れると、彼女の胸元に当てる。

(これでよし)

 ルシオラの身体から傷痕が消滅した事を確認して、横島が満足げに頷いた。
 問題が解決した事で、再び先程までの情欲が頭を掠めたが――今この時ばかりは理性の方が上回っていた。流れを読め、と心に念じると、提案してきた悪魔――何故か自分の影法師でイメージされた――をフクロにする。

(ま、仕方ねーよな――ヤれると思ったたのに――今日は色々無茶したし――ヤれると思ったのに――もったいないけど――ヤれると思ったのに――)

 そう自分を納得させて、横島が苦笑を浮かべた。なおも茶々を入れてきた悪魔を、蹴りを加えて黙らせる。
 傷の癒えたルシオラは、先程よりもリラックスした様子で眠っている。こうしてみると、本当に娘を持った気分だった。
 満足いくまで慈しんだ後、先ほど剥ぎ取った布団を掴む。娘を起こさない様に、足先からそろりと掛けていこうとして、

「うおっ!」

 突然、身体が引っ張られ、声を上げた。バランスを崩すと、背中から落ちていく。思わず頭を打って苦悶に喘いでいる自分の姿が脳裏をよぎったが――やってきたのは、ぼふんという柔らかい衝撃だった。それが枕だという事は、倒れた位置から何となく判断できた。誰の枕か、という疑問は、首を傾けた事で理解させられた。

(ル……ルシオラ!?)

 目を瞑り、すうすうと寝息を立てる彼女の顔がそこにあった。気付くと同時、横島の顔がさっと赤くなる。
 想定外の事象に、情欲を排除した後に出てきた素の感情は、直ちに待避せよと指令を出す。が、動けない。背中に回された彼女の手が、がっちり自分をホールドしている。

(ああっ!! 蛇の生殺し状態っ!?)

 状況を把握した横島が顔をひきつらせる。自分という男がそういつまでも理性を保てる筈は無かった。既に目には力が宿り、鼻息はまるで蒸気機関の如く噴射され続けている。
 ――それでも、彼はさっきの誓いを破りたくはなかった。溢れ出しそうな煩悩を抑え、流れを読めと念仏の様に唱えて誘惑に対抗する。

 どのくらいそうしていたのかはわからない。だが、やがて情欲を上回るほどの眠気が襲いかかって来た時、横島は「勝った」と心で歓喜の声を上げた。
 そうして意識を手放していき――


「やっぱり、読めてないんだから」


 何かが唇に触れた後、最後にそんな彼女の声が聞こえた気がした。


『世話になったな』

 来た時と同じ門の前で、セイリュートは目の前の小竜姫に告げた。
 昨日と同じ場所。同じ立ち位置。違うのは友人の表情だけだった。

「ええ、本当に……夕べはさぞお楽しみだったでしょうから」

 微笑みながら青筋を浮かべた小竜姫が、そう言って、セイリュートの背後にいた横島たちに視線を向けた。
 びくっとした二人が、おずおずと身を縮める。とはいえ別に彼女が非難した様な事象があった訳では無い。単に二人寄り添って寝こけていただけなのだが、起こしに来たのが小竜姫だったのがまずかった。
 事情を話し、どうにか弁明を試みたものの――今に至るまでヘソを曲げられてしまっている。
 一方のセイリュートは、二人の間に何もなかった事を一目で見抜いていた。
 どうしてわかったのか、と訊ねた横島たちに、

『そういう時は、二人で目配せをし合っていたり、妙に雰囲気が変わっていたりするものだからな』

 と、冷めた口調で根拠を述べた。言外に『自分がいる前ではしてくれるな』とのメッセージを多分に含ませて。
 釘を刺され、苦笑いになった二人だった。


『もう説教はいいだろう。結局何も無かったのだし』

 再び小竜姫の小言が始まりかけた瞬間、セイリュートが横島たちに助け船を出した。「それはそうですが――」と矛先が彼女に移ったのを見て、二人がほっとする。
 だが、

「……なら、私も」

 そう呟いて進み出た小竜姫を、セイリュートは愉快そうに送り出す。ルシオラとの約束は昨夜のみ。その先の事は当人たち次第だった。振り返ると、

「横島さん!」

「は、はい!?」

 すわ説教か、と身構えた横島に、小竜姫が唇を重ねた。彼の後頭部に腕を回し、昨日と同じ内容をやり返す。素直で猪突猛進な、何とも彼女らしいキスだった。あまりの唐突さに、ルシオラも、横島も、目を丸くしたまま硬直している。
 
「必ずまた来てくださいね。待ってますよ」

 名残惜しげに唇を離した小竜姫が、そう言って横島の肩をぽんと叩いた。そのままきびすを返して戻ってくる友人を、セイリュートが笑みを浮かべて出迎える。顔が真っ赤だ。

「……恥ずかしくて死にそうです」

「昨夜も言ったろう? 多少強引なくらいがあいつにはいいのだ」

 言葉を交わしてセイリュートたちがあいつを見遣る。解凍した横島は、ジーンズを下ろし、パンツを丸出しにさせた姿で小竜姫の名を連呼していた。必死に地面を掻いているのは両足首を掴んだルシオラが急いで帰路に就こうとしているからだろう。
 地引網さながらのその光景に、元を含めた二人の神がふふっと笑う。

「本当に面白い方ですね」

「馬鹿もスケベも、あそこまで突き詰めれば見事というほかないな。こうして竜神の心まで奪ってしまったのだ」

「あれだけ炊きつけておいてよくも言えますね。でも――悪い気分じゃありません」

 にっと笑って小竜姫。それが合図だった。互いに別れの挨拶を交わして、セイリュートが歩き出す。

 ――悪い気分じゃない

 友人の言葉を心で繰り返すと、足を止めないまま上を向く。見えたのは、神社や事務所の暗い天井ではなく――どこまでも続く広い青空だった。
 しばらく見とれていたセイリュートが、再び視線を戻す。横島たちの姿は随分小さくなっていた。
 意識すれば瞬時にバンダナに戻る事もできるだろう。だが――今はもう少しだけ、自らの足で歩いていこうと決めたセイリュートだった。



[37523] リポート⑨ 正しい仕事選び
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/08/10 08:49
「ヨコシマ・サイキック・カンパニーってのはどうだ?」

 半分ほど中身を減らした紙コップを持ちながら、横島は自信満々な面持ちで告げた。

「悪くはないけど……この時代のおまえもいるのにそんなにはっきり名字を出しても大丈夫かしら?」

 円形のカフェテーブルを挟み、ルシオラがうーんと考えてから答える。セイリュートの作業が終わるまでの暇潰しに始まった雑談は、現在この三人のチーム名の考案へと話題が移っていた。
 といっても彼女の方は、横島ほど真剣に考えているわけではない。だからこそ冷静な指摘もできたのだが――

「だーいじょーぶだって。こんな便利な機能があるんだし」

 ぺろりと舌を見せた横島が、左手の甲に付着しているボタンの様なものを押した。その瞬間、彼が黒服をまとったやや髪の薄い中年の男性の姿から、いつものものへと戻る。
 簡易式の立体映像発生機だ。この建物をうろついていても怪しまれないようセイリュートが貸し与えたもので、その気になれば顔や性別すらも変えられる優れものだ。

「ダメよ。こんな所で使っちゃ。誰が見てるとも限らないんだから」

 とはいえ、だからこそ外で軽々しく変身すべきではないだろう。そう思い、横島を諌めたルシオラが、念のため辺りを見回す。幸い昼下がりという事もあり、客の類はここに来た時から一人もいなかった。唯一の店員であるレジ係の中年女性も、自分たちの目当てが自販機である事がわかるや、裏の調理室へ引っ込んだままだ。
 つまるところ、この食堂は無人だった。ほっとした後、ルシオラが怒った様に頬を膨らませる。

「わ、悪い。こいつを使うのが楽しすぎて、つい」

 左手をぷらぷらさせて横島。雲行きが怪しくなってきたのを察したのか、若干声が上ずる。
 そんな彼にルシオラがはあ、と息を吐いた。

「昨日散々試したでしょ? 美神さんに化けて服を脱ごうとした事、忘れていないわよ」

 ね? と結び、笑顔で圧力をかける彼女。あくまで立体映像だったため、横島の目論見は外れたのだが、その時の母と娘からの視線は何とも冷たいものだった。とはいえ、それでも「ならば最初から真っ裸を思い浮かべれば解決じゃー!」と突貫するのが彼だったのだが。
 結果――昨日は夕陽が沈む中、東京タワーに逆さ吊りにされる羽目となった。ルシオラにとっては、何とも嫌な約束の果たされ方だ。

「わ、わはは。あ、そろそろ調べ終わった頃なんじゃねーか?」

 露骨に話題を変える横島に、もう、とルシオラ。「何故自分に化けなかったのか?」とか、「やはり胸なのか!?」など、言いたい事が山ほどあったのだが。そこは勝手知ったる仲だった。まあヨコシマだし、の一言で片付ける。
 と――

『ああ、終わったぞ』

 ちょうどルシオラが緊張を解いたタイミングで、横合いから声が飛んできた。見ると、二つ隣のカフェテーブルに腰をかけたセイリュートが、不機嫌そうにこちらを向いている。

『協会誌に載っているここ半年間の依頼を全て網羅した。その中で、ずっと掲載され続けているものが五件あったな』

 テーブルに目を落とし、セイリュートが告げた。ひとり陣取ったテーブルの上には、幾つものぶ厚い冊子がどんと積まれている。彼女が調べ始めた際、試しに横島たちも覗いてみたのだが――あまりの数の多さに早々にギブアップした。こういった作業は彼女の方が手馴れてそうな事もあり、一任する事にしたのだ。

「お、お疲れ様、ママ」

「あ、ずるいぞ。俺一人だけ悪者じゃねーか」

 ぱたぱたと駆け寄って母を労うルシオラに、取り残された横島が不満の声を上げる。こういう要領の良さを発揮するところは、本当に娘っぽい。
 相棒の機嫌を取る事は早々に諦めると、仕方なく話を進める事にした。

「で、何でそんな面倒な事をしてたんだ? フリーの依頼なら協会誌にいくらでも載ってるだろ?」

 それこそ自分たちがげんなりする程の数だ。ふん、とセイリュートが息を洩らす。

『今の私たちは正規のGSでは無いからな。そんな調子で片っ端から依頼をこなせばすぐに目をつけられる。最悪そのままお縄だ』

「ぞっとしねーな」

 実際に何度もお縄にされた事のある横島が、途端に顔を歪めた。ついでに浮かんできた憎い恋敵の顔を、何度も油性マジックで塗り潰してやる。

『だからこそ最初は慎重に事を運ぶのだ。この五件の依頼をお前はどう見る?』

 セイリュートに問われ、横島がうーんと考えこむ。
 そもそも美神の場合は、その依頼の殆どがクライアント側からの持ち込みだった。バイトを始めた頃などは、てっきりそれが普通なのかと思っていたほどだ。
 だが、依頼を持ち込むというのは、クライアント側によほど余裕がないとできない。人件費・交通費・除霊道具などの必要経費ete……それらひとつひとつを事細かに交渉していっては、時間がいくらあっても足りないからだ。『全部まとめてこれで』にした方が迅速に事が進めるし、それがGS側に有利な金額であればなおさらだ。
 実際、彼女が依頼料を受け取るところを何度か見たが、そのどれもが半端無い金額だった。一流のGSに頼むというのはそれ程金のかかるものなのかと実感させられたものだ。もちろん、彼女がめいっぱいアコギにやってる結果でもあるのだろうが。
 ではそこまでの金額が用意できない場合は? それが協会誌に載ってる依頼の数々だった。条件その他で一流どころに断られた依頼人が、希望する条件を明記して、GS協会本部に案件を持ち込むのだ。協会本部はそれらを協会誌という形で発行する事で、未だ日の目を出ないGSたちが仕事にありつく事ができる。実際、美神に断られた依頼のいくつかは、この会誌に掲載されている事もあった。蹴った事を本人はへとも思っていなかったが。

「わからんが……単に誰もやりたがらない除霊って事なんじゃないか?」

 自信無さげに答える横島。完全に当てずっぽうだったが、どうやら正解だったらしい。いつの間にかルシオラに後ろから抱きかかえられていたセイリュートが、うむ、と頷いた。

『その通りだ。こういった依頼形式の仕事は、概ね四つの種類に大別できる。実入りが大きく危険が少ないもの。実入りは少ないが危険も無いもの。実入りはでかいがリスクもでかいもの。最後が――』

「実入りが少ないけど危険な仕事……要は割りに合わない仕事って事ね」

 だんだんと話がわかってきたのだろう。セイリュートの頭上からルシオラも会話に混じって来た。

『その割りに合わない依頼がこの五件という訳だ。半年以上掲載されているという事は、もはや大多数のGSたちに見放されている証拠だろう。一流どころには報酬面でそっぽを向かれ、二流では危険過ぎて手を出せない』

「それ以下ならどーなんだ?」

「安請け合いした結果、返り討ち……ってとこかしら?」

 さらっと答えるルシオラに、横島が顔をひきつらせる。除霊に失敗したGSの末路は、写真や映像で何度となく見ていた。
 セイリュートが頷く。

『そういう事だ。そんな事を繰り返された依頼者にとって、もはやGS免許など何の意味もないだろう。欲しいのは確かな実力だ』

「そのための紹介状……ううん、証明書って事ね」

 言葉を引き継いだルシオラに、なるほどな、と横島が頷く。確かに、入手経緯を考えれば、これほどはっきり実力の高さを証明できるものは他に無いだろう。依頼者が妙神山の存在を知っているかは微妙なところだが、それならそれで鑑定なり何なりしてもらえば問題は無い。もっとも、見た目にもかなり格調高い代物ではあるため、まず問題無いとは思うが。
 と、

「実力を示すなら、依頼者に直接能力を見せるなり何なりすれば良くないか?」

 ふっと思い浮かんだ疑念を、何となく口にした横島だったが、その一言はセイリュートを失望させるものだったらしい。再び口元を固くした彼女が、大きくため息を吐く。

「素人の依頼人に、霊能力の良し悪しがわかる筈がないだろう。そもそも、人前で力をひけらかして仕事を乞うなど、三流のする事だぞ」

「ううっ」

 セイリュートの叱責にたじろぐ横島。彼女の言葉は、裏を返せば『お前は一流なのだから』と言っているに等しい。
 頭を掻きつつ、彼女の信頼を軽く扱った事を謝った。
 
『というわけで、まずはこれらの依頼を全てこなすぞ。割りに合わない除霊を片付けていく事で、依頼人たちの注目を引き付けるのだ。実力は十分、料金も安いとなれば、すぐに一流どころからも客を奪えるだろう』

「えげつないやり方やなー」

 セイリュートの言葉に、横島が腕を組み、しみじみとする。彼自身も美神が一時期不在になった時、代理として事務所を斬新な手法で切り盛りした事があったが……それはあくまで業界のルール内での話だった。今回みたくダンピングも辞さない業界荒らしじみた行動でのしあがっていく方法は、ちょっとダークヒーローっぽい感じで憧れる半面、根が小心者の彼にとっては若干腰が引けるものでもある。
 その一方で、危険な除霊が続く事に対する恐怖は殆ど無かった。本気の小竜姫を倒した事で自信を深めたせいもあったのだが、何より――

「……? どうかした?」

 視線に気付き、ルシオラがこちらを見返して来た。元はアシュタロス直属の部下であり、その気になれば小竜姫と互角以上の実力を持つ彼女が共にいる事は、本当に心強い。
 ふっと笑みを洩らすと、

「ん、いや……お前がいてくれて本当に良かったなーって思ってさ」

「え!?」

 完全に不意打ちだった。横島の言葉と表情に、ルシオラの顔がさっと赤くなる。「戦力的な意味で」と言う肝心な一言が抜けていたため、そのままの意味で受け取ってしまったのだ。

「わたしもよ。ヨコシマ。おまえがいてくれて、今とっても幸せ!」

 とはいえ、それだけでは終わらないのがルシオラという女だった。だてに鈍感な横島をその気にさせてはいない。受けた愛情は更に倍返しするのが彼女のセオリーだ。
 満面の笑みを浮かべると、日頃から抱いている想いを臆面なく言い放つ。どストレートな物言いに、今度は横島が赤くなる番だった。

「え、あ、いや……」

 言葉足らずだった事に横島がようやく気付いたが、もう遅い。にこにこしながら全力で好き好きオーラを振り撒くルシオラに、煩悩が「いいコじゃないか。もうゴールインしたまえ」とひっきりなしに囁く。その声が顔中に落書きの跡を付けた恋敵だったのは癪に触るが、ともあれその提案には賛成だった。

「ルシオラーー!」

 叫び、横島が一息で彼女に飛び掛かった。 ロケットの打ち上げ作業よろしく、靴・ズボン・上着と、空中で衣服をパージしていくと、唇をタコ状に変えていざ着陸体勢へと入る。が、

『誘惑するのは後だ。とっとと依頼人に会いに行くぞ』

「はーい」

セイリュートと連れ立って、ひょいとルシオラがテーブルを離れる。その脇を掠めて、公序良俗に反した男が、無人となった椅子を派手にひっくり返した。

『……無機物にまで手を出すのは流石にいき過ぎではないか?』

 起き上がった横島を、セイリュートが本気とも冗談ともつかない言葉で出迎えた。
 違うわー、と返す。

「どうせこんなこったろーと思ったよ! チクショー!」

 両目に涙のレールを浮かべ、よろよろと服を回収する横島。お約束とはいえ、あちこち身体をぶつけたおかげで猛烈に痛い。ずきずきとした感覚を引きずりつつ、傷が治るよう、さっさとページが進んでくれる事を願う。と、

「ヨコシマ」

 背後からルシオラに呼び止められた。「何だよ」と横島。先ほど求愛をかわされた事もあり、目一杯不機嫌そうな顔で振り向く。
 その瞬間――

「!」

 笑顔を浮かべて待っていたルシオラが、すっと顔を寄せてきた。唇に柔らかな感触が溢れていく。その心地よさに、先程まであった欲求不満は瞬時に鳴りを潜めてしまった。

「ごめんね。今はこれが精一杯」

「そんな宮○アニメみたいな事を言われても」

 唇を離し、苦笑しながら告げるルシオラに横島がツッコむ。今じゃなきゃいいのか。どこまでなら許されるんや。呻きながら、そんな疑問が頭を巡る。と、

「おまえが美神さんの事を吹っ切ってくれるのなら、いつでも構わないんだけどね」

「ん? 何か言ったか?」

 考えに気をとられたせいで、ルシオラの言葉を聞きそびれてしまった。もう一度訊ねたが、何故か彼女は頬を膨らませるだけだ。

「何でもないわ。早く着替えて行きましょ」

 ぷいっと首を背けて、セイリュートのいる方に戻っていくルシオラ。
 もぞもぞと着替えながら――女はよーわからん、と思う横島だった。

 その後、再び唐巣神父に変身して、ここ――GS協会本部――から引き上げた横島たちだったが、どうにも細かいディテールが違っていたらしい。そのせいでしばらくの間、本人の髮に関して、悪い方向への疑惑が流れるのだが。
 後日、その事を知った彼らは、心底すまなそうな顔をしたという。


 ――さぷりめんと的な何か――


「ふうん。協会誌って何も依頼だけじゃないのね」

 セイリュートが作業を始めてからおよそ10分。自分で調べる事は早々に諦め、目まぐるしく瞳を動かして依頼のひとつひとつを確認している彼女の姿にも見飽きた頃、テーブルの向かいで協会誌を読んでいたルシオラから感嘆の声が上がった。

「本部が出してるからな。有名なGSからのメッセージや長者番付。果ては新しい除霊道具の紹介なんかまである。暇潰しに読むと中々面白いぞ」

 GSとしての知識については一日の長がある横島が、ルシオラに解説してやる。
 感心した様子のルシオラが、ぱらりとページをめくった。

「あ、ここ美神さんが載ってるわよ」

「ああ、たまに寄稿を依頼される事があったからな。面倒だけど本部からの要請で断れないって」

 〆切が近付くと手負いの獣になるけどな、と横島。だがそれにルシオラが首を振る。

「違うわよ。ほらここ、スタッフ募集中って」

 言って、ルシオラが電話帳ほどの厚さのある冊子を見せてきた。そこには『除霊スタッフ募集中。業界ナンバーワンの実力を肌で感じてみませんか?』という歌い文句が、美神の顔写真と共に掲載されている。
 確かに、除霊を円滑に進めるならば、単なるバイトよりも同じ霊能者の方が遥かに即戦力だろう。だが他の事務所と違い、給与の項目が要相談となっている辺りは、実に彼女らしいといえた。

「こんな募集してたんだな。美神さん」

「これで誰か来るのかしら?」

「来なかったから一般のバイトに切り替えたんだと思うぞ。で、俺が来た」

「それがきっかけ……か。不思議ね。彼女に出会わなければ、私もヨコシマと出会わなかったんだろうし」

 顔写真を見つめて、ぽつりとルシオラ。手強い恋敵ではあるが、横島との縁を作ってくれた事は感謝だった。笑顔の彼女にそっと礼を言い、ついでに「負けないから」と心で呟くと、再びページをめくる。

「あ、エミさんの事務所も載ってるわよ」

「へー。どれどれ」

 一時期だが小笠原事務所にも在籍した事はある。興味を持ち、身を乗り出した横島に、冊子を回転させたルシオラがここだ、と指差した。
 そこには――ミリタリー仕様の作業服に身を包んだスタッフたちが、笑顔でガッツポーズをとっていた。う、とうめいた横島が、念のため下の文面も読む。

 ――アットホーム・誰にでもできる仕事・現場経験無しでも大丈夫・若い仲間が頑張っています。

 完全にブラック企業のそれだった。よくよく見れば目に生気の無いスタッフの写真に、いたたまれなくなった横島が、そっと冊子を閉じる。そのままルシオラの手をとると、
 
「もし……もし俺が一流になっても、決してお前に苦労はかけさせないからな!」

 小笠原スタッフの、そして自身の境遇を思いだして涙した横島を、ルシオラはよしよしと頭を撫でて慰めるのだった。



[37523] リポート⑩ 始動! LST(上)
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/06/02 17:15
 補足

 今回から依頼人という形でオリキャラが登場する事があります。





「考古学研究者の吉村だ。この大学で教鞭も執っている」

 壮年のそれなりに落ち着いた感じの男から、出会って早々に仏頂面で自己紹介されるというのは新鮮な体験だった。新鮮なだけで、もう一度経験したいとは思わなかったが。

『セイリュートだ。LSTの交渉を担当させていただく』

 相手に合わせようとして、結局は普段通りの無表情になったセイリュートが、自己紹介を終えた。吉村が席に着いたのを確認してから、自身も背後のソファへと腰を下ろす。
 LSTというチーム名を名付けたのはセイリュートだった。単にそれぞれの名前の頭文字をアルファベット順に並べただけのものだったが、シンプルかつ、代表者の名前がそのまま社名になる風潮が一般的なこの業界では、かえって依頼者に覚えてもらいやすいだろうという理由で決定した。
 そんなチーム名にふさわしく、セイリュートの両脇にいたルシオラと横島――この場合は忠夫になるが――が、遅れて席に座る。
 全員が席に着いたタイミングで、セイリュートがさっと視線を巡らせる。自分たちが座ったのと同型のソファとテーブルが、ゆったりとした間隔を空けていくつも設置されている。天井が吹き抜けである事も相まって、かなり開放感のあるロビーだ。遠くでは生徒たちが談笑している姿も見えた。もし交渉の雰囲気が悪くなれば、彼らを味方につけて退去を促される事もあるかもしれない。
 あまり楽観視はできないな。そう結んだところで吉村が口を開く。

「LSTか。電話でも耳にしたが、変わった事務所名だな」

『つい最近旗揚げしたのだ。相談した結果、なまじ個人名を冠に付けるよりも、この方が目立つだろうと思ったので』

「なるほど。若いからこその発想だな。できればそれに見合った実力もあると嬉しいのだが」

 のっけから踏み込んできたあたり、やはり余裕は無いらしい。ふむ、とセイリュートが前置きする。

『その点は心配無い。必ず良い結果を持ち帰ろう』

 自信過剰にとられないためにも、努めて冷静に告げたのだが――吉村の目はそれ以上に冷ややかだった。告げてくる。

「君と同じ事を、今まで引き受けたGSたちも言っていたよ……悪い結果しか持ち帰って来なかったがね」

 皮肉げな口調の吉村に、だろうな、と内心でセイリュート。でなければ自分たちとて、ここを訪れる事は無かっただろう。

「そうして失敗される度に、マスコミや週刊誌なんかが面白がって取材に来る。おかげでこの学校の評判は下がりっぱなしだ。何より、考古学にこの身を捧げた者として、古代の想いが詰まったあの土地がそんな風に取り上げられるのは我慢ならん!」

 拳を握り、悔しげに顔を歪める吉村。ここに来る前に軽く調べてみたところ――霊障が発生したのはおよそ一年前からだった。新校舎建設のために買い取った土地から遺跡が出土し、その調査にあたっていたところを霊に襲われたとの事だった。
 既に何人ものGSが依頼を受けたが全て失敗。除霊料を引き上げて有名なGSを連れて来ようにも、既に土地や校舎、更には発掘調査自体にかなりの金が動いているため、出すに出せないまま今に至っている。マスコミ云々の話は初耳だったが、徐々に悪名が広まっているというのなら、このまま放置しておく訳にもいかないのだろう。何とも悪循環な状況だった。
 不機嫌の原因が判明した事で、セイリュートが安堵する。何とかしなければ、という焦燥感と、GSたちへの不信感が入り混じっているのだろう。同時に、こちらの値踏みも行っているに違いない。
 まさに自分の読み通りの状況だった。そうとなれば話は早い。わざわざ言葉で説得するよりも、よっぽど確かなものが自分たちの手元にはある。
 満を持して紹介状の出番だった。早速吉村に見せるべく、持ち主たる横島の方に振り向いたが――

『ん?』

 肝心の彼の姿が見えない事に疑問符を浮かべたセイリュートが、次の瞬間、ここがどういう場所だったかに気付き、はっとする。すぐさま反対側にいたルシオラに振り向くと、彼女は意図を察した様子で窓の方を指差した。

『こんにちは! ボク横島忠夫。キミはどこの専攻? 良かったら交流を深めるために学食でお茶でも――』

 ガラスを隔てているのに、そんな声が聞こえてきそうだった。キャンパスを歩く女子大生を片っ端からナンパしては断られている横島の姿に、セイリュートが盛大にテーブルへ突っ伏す。

『すまない。すぐに鎮圧するから一分ほど待ってくれないか?』

 顔を上げ、額に筋を浮かべたセイリュートが、窓を向いてぽかんとしている吉村に告げた。そのまま相手のリアクションを待たずに転送を開始する。一瞬のブラックアウトを挟み、眼前の人物が口髭を生やした壮年の男性から、見慣れた相棒の姿へと変わった。

『おい』

 案の定全敗を喫し、四つん這いで世の女性たちに呪詛の声を上げている横島へ声をかける。はっと顔を上げた彼に、まずは一喝、とセイリュートが息を吸い込んだが――

「こんにちわ美しいおねーさん! どこの誰だか存じませんが落ち込んだボクに声をかけて下さるなんてこれはもう運命の赤い糸が二人を繋いだ結果としかーー!」

 確認もせずいきなり抱き締めてきた横島に、思わず息が止まった。予想だにしていなかった行動に、『あ』だの『う』だの、声にならない声が洩れる。
 その反応にようやく我に返ったのだろう。胸に頭を擦り付ける犯罪的な動作を止め、横島がこちらを覗き込む。

「げえっ! セイリュート!」

 顔をひきつらせて固まる横島。その脳内ではジャーンジャーンとでも銅鑼の音が鳴り響いているのだろう。
 その間にいつもの冷静さを取り戻したセイリュートが、氷点下の視線を彼にぶつけた。

『大事な交渉の場で、お前は何をしているのだ?』

「さ、最初は窓の外を見ていただけなんやーー! この未知なる学舎の空気が、俺にいち学徒として知的探究心を満たせと囁きかけてきて――」

『わかった。もういい』

 なおも弁解を続ける横島を、セイリュートが手で制した。そのまま瞑目し、耐えるのだと自らに命じる。
 そう。小竜姫の時はきちんと約束を守れていた。今回は事前に言い含めなかったこちらにも責任の一端がある。そう分析し、深呼吸を繰り返して徐々に感情を抑えていく。思わず目眩を――宇宙船だというのに――感じた彼女だったが、どうにか立て直す事に成功した。

『ともかくまだ交渉が残っている。すぐにロビーに戻るぞ……あと、今回上手くいってもお前の分の報酬は無しだからな』

 そう告げると、悲鳴を上げる横島を連れて、セイリュートが転送を開始したのだった。


『――という訳でこれがその書状なのだが……』

 テーブルに妙神山からの紹介状を広げてセイリュートが説明する。非常に達筆な墨字で書かれたそれは、両脇の二人が修行を受け、横島に至っては本気の手合わせで管理人である竜神から一本とった事が記されていた。ついでに、複製されたり適当にでっちあげたものだと思われない様に、紙自体にも小竜姫の竜気が込められている。ただの書状では無いことは、一般人でも何となくわかるだろう。それが霊能者ならばなおさらだ。
 だが――

「あ、ああ」

 戸惑った様に吉村が頷く。いくら立派な代物でも、それに書かれている当人の一人が自分の横ですんまへん、と連呼していては台無しだった。一応これまでの様な険のある表情は消えているので、何とか話を進める気にはなってくれたのだろう。
 これ以上ボロが出ないうちにと、セイリュートが早速本題に入る。

『まずは概要を教えていただきたい。霊障があったのは新校舎の建設予定地と書いてあったが?』

「その通り。予定地からたまたま大昔の遺跡が出てきたため、大学内でチームを編成して、発掘調査に当たっていたのだ」

 ここまでは協会紙と同じ内容だった。頷くと、セイリュートが質問を続ける。

『問題の霊はいつ頃発生したのだ? おそらく、調査が始まってすぐではないと思われるが?』

 妙な質問だとでも思ったのだろうか。一瞬眉をしかめた吉村が、記憶を探るべく顎に手を当てた。告げてくる。

「……確かに、すぐではなかったな。ある程度調査を進めてからだった」

『なるほど……どう思う?』

 両脇の二人にそれぞれ目を遣って、セイリュートが訊ねた。けろっと立ち直った横島が、んー、と口を開く。

「そ-だな。これが映画とかなら、なんかヤバイもんを堀り当てたのが原因なんだろうが」

「そういったものが出てくれば研究者冥利に尽きるのだがね……残念ながら、これまで発見した出土品に、特に変わったものは無かったよ」

 吉村が答えた。謝罪を繰り返す横島に気が殺がれたのか。彼に対しては幾分柔らかい口調だ。

「たまたま力のある霊や妖怪が、ふらりとやってきたって可能性は……無いかしら?」

 横合いからルシオラ。GSとしての知識はあまり無いため、やや遠慮気味な発言だ。セイリュートが答える。

『そんな気まぐれな存在がGSを返り討ちにしてまで一年も居座るとは考えにくいがな……そういえば、私たちの前に依頼を受けたGSはどうなったのだ?』

「これまで依頼を引き受けたのは四人だ。最初の一人はすぐに逃げ出し、後の三人も、命こそ助かったものの、除霊仕事は二度とできないほどの重傷を負ったそうだ」

 沈痛な表情を浮かべた吉村が、言葉を途切れさせる。協会本部で話していた、二流と三流との違いがまさに起こったのだろう。
 そうか、とセイリュート。

『被害がこの土地に限定されているうえに、四人ものGSを返り討ちにするほどの強さなら、まず間違いなく自縛霊の類だな。問題は、何故このタイミングで暴れ出したかだが……』

「春が近いからか?」

「熊じゃないんだから。あ、でも同じ様に冬眠中のところを無理矢理起こされれば……」

『つまり本来ならばもっと後の時代に目覚める予定だったという事か』

「でもそれなら何のために眠ってたんだ? しかもそのまま地中に埋もれとるし、あんまり意味無いよーな」

「そうね。おキヌちゃんの時みたいに霊的な装置の一つでも見つかれば辻褄が合うんでしょうけど……特に変わったものは見つかってないって話だし」

『初めの話に戻ってきてしまったな。だがおかげで一つ思い付いた。これまでの出土品ではなく、これから――』

 議論を続けようとしたその時、吉村がこちらをぽかんと見つめている事に気付いた。セイリュートが声をかける。

『……どうしたのだ?』

「いや、今まで引き受けたGSたちはさっさと現場へと向かっていったのだが……君たちは違うのか、と思ってな」

 どこか歯切れ悪そうに告げて来た吉村に、セイリュートは半目を、横島は苦笑いを、ルシオラはきょとんとした表情で対応する。共通しているのは『よっぽどレベルの低い業者しかやって来なかったんだな』という同情の心だ。
 セイリュートが口火を切る。

『そいつらは論外だな。どんな相手だろうと、情報を集めるのは基本中の基本だ。霊が暴れる原因がわかれば、単に正面きって除霊するよりも遥かに容易く事を運べるからな』

「中には戦わんと除霊できる事もあるしなー。そーすりゃ痛い思いをせんで済む」

「私はそこまで深くまで考えてなかったけど……でも二人が傷付かないで済む方法があるのなら、それにこしたことはないから」

 口々に思いをぶつけた後、最後にセイリュートが告げた。

『遺物を堀当て、正しい歴史の道を突き止めていくのが考古学だろう。除霊作業とて似た様なものだ。死者の声をかぎ分け、成仏のための最適な道を探す。戦うのはその中の一手段に過ぎん』

「…………」

 口を開けたまま固まってしまった吉村に、セイリュートたちが揃って疑問符を浮かべた。声をかけるべきか悩んでいると――突然彼が席を立つ。少し待っていてくれと言い残し、すぐに走り去ってしまった。

「どうしたんだ? あのおっさん」

「さあ?」

 ルシオラと疑問をぶつけ合う横島を尻目に、セイリュートがふっと笑う。
 吉村が戻ってきたのはおよそ三分ほど経ってからだった。抱えていたファイルをどさりとテーブルに置いて、告げる。

「これまでの調査結果を纏めたファイルだ。霊が発生した日付と照らし合わせれば何かわかるのではないか?」

 よほど急いだのだろう。言い終わるやいなや、吉村がソファへとへたり込んだ。息を荒くさせている彼に、セイリュートがにやりとする。

『少しはこちらを信用する気になってくれたのか?』

 試す様な口調で告げた彼女に、吉村も頬を緩めた。

「そうだな……少なくとも君たちは、力自慢とギャラの事しか頭に無かった今までのGSとは違う様だ。何か協力できる事があれば言ってくれ。なるべく善処しよう」

 そう言って、真摯にこちらを見つめて来た吉村に、

『感謝する』

 交渉の成功を確信したセイリュートは、堂々たる返事で以て返したのだった。



[37523] リポート⑪ 始動! LST(中)
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/05/31 00:29
「うげー、こりゃ酷いな」

 夜もふけた頃、吉村に案内されたセイリュートたちは遺跡の現場へとやって来た。工事作業用のフェンスをくぐると、開口一番に横島が声を上げる。
 月明かりに照らされたキャンパス予定地は、流石に広かった。体育館二つぶんくらいはあろうその土地は、あちこちが発掘によって掘り返され、縦横無尽にブルーシートが敷かれている。とはいっても、その殆どはびりびりに切り裂かれており、その脇を無惨に破壊された重機の残骸が、点々と転がっていた。
 何より、それらの合間を縫って、魚の様に浮遊霊たちが飛び回っているさまは、間違いなくここが霊障の発生現場であると実感させられる。

『例の場所はあそこか?』

 土地の中央から少し奥を指差したセイリュートに、ああ、と吉村が頷く。ちょうど一際大きな重機が――流石に破壊はできなかったのか――横倒しになっている辺りだった。

「あそこに、霊にとって掘り返されたくない何かがあるって事ね」

 セイリュートの言葉を引き取って、ルシオラが呟いた。
 あれから資料を調べたところ、霊が発生した少し前に、あの場所から住居の跡らしきものが見つかっていた。吉村の話によると、古代の家というのは地下に穴を掘り、その上から木材や植物などを被せるといった造りだったらしい。それまでの調査や出土品に特に変わった点が無い事や、本格的な調査を始める前に襲われたため、あの場所だけ未だ手を付けられていない事から、あそこに埋まっている何かがカギだろう、とあたりをつけていた。
 セイリュートが頷く。

『恐らくな。もし仮説が正しいのなら、単なる力押しではやられて当然だろう。発生原因となったものをどうにかしない限り、ほぼ無敵だと思った方がいい』

「発生原因……遺骨とかか?」

 横島がぽつりと言う。美神事務所で過去、実際にあったケースだ。アクシデントで美神に頬キスされた事もあって、猛烈に印象に残っている除霊だった。

「それは蓋を開けてみないとわからないな。昔の人間が何を、どんな理由で守ろうとしているかなど、完全に想像の世界だ』

「そこで私の出番という訳だよ」

 横島の方を向いた吉村が、どんと胸を叩いた。色々と博識なセイリュートだが、この星に不時着したのは僅か数百年前だ。人間にとっては驚嘆に値するだろう年月だが、流石に縦穴式住居が登場するほどの過去の事は専門外だった。
 となれば、餅は餅屋だ。当時の文化や価値観に精通している人間の方が原因を究明できやすいとの事から、彼も除霊に携わる事になった。というか正確には自ら携わってきた。除霊を通じて古代の謎が解明できるかもしれない、という吉村の熱意に、危ないからと引き留めたセイリュートも、結局は折れる事になったのだ。
 ふう、とセイリュートが息を吐く。

『くれぐれも除霊中は近付かない様に願いたい』

「わかっているよ。餅は餅屋だ。霊の事に関しては君たちに一任する。思う存分やってくれたまえ」

「じゃ、まずは私がいくわね。あの浮遊霊たちを何とかしてくるわ」

 手を挙げ、一歩前に進み出たルシオラが意識を集中する。老師との荒行によって、以前の自分の姿は、もはや忘れ様が無いほど脳に焼き付いていた。
 霊気の膜がくまなく彼女の全身を包み――一瞬後にはかつての自分の姿を取り戻す。

「相変わらずエロい衣装やなー」

「確かに。私も年甲斐なく興奮しているよ」

 魔装術が始まるやいなや、その場に屈んだ横島と、成り行きを見守っていた吉村が、変身したルシオラの後ろ姿をまじまじと見つめた。ガーターベルトの合間から覗くすらりとした生足や、蛍の羽根の如く燕尾に別れた服の裾がお尻に乗ってそのラインを浮かび上がらせているさまは、普段はシンプルなカジュアル服ばかり着ているギャップもあって何とも艶かしい。
 そんな男二人からの視線に気付いたルシオラが、恥ずかしそうにお尻を押さえて振り向く。

「じゃ、じゃあ行ってくるわね」

『気を付けるのだぞ。あとそこの二人、ちょっと話がある』

 互いに抱き合い、母の声におののく横島たちに苦笑しつつ、ルシオラがふわりと飛び上がった。速度と高度を少しずつ増しながら前に進んでいく。
 そうして目標地点上空までやって来ると、浮遊霊たちもこちらに気付いた様子だった。息を吸い込んで、高らかに宣言する。

「さあ来なさい! このゴーストスイーパールシオラが、あなたたちを極楽に行かせてあげるわ!」

 モグリだけどね、と最後に付け加えて、拳を握る。恋敵のキメ台詞をつい使ってしまうくらい、彼女は気分が高揚していた。
 それもそうだろう、と思う。何せ自分は今、横島と共に仕事をしている。末妹と元上司のゴタゴタで、結局は果たされなかった望みがようやく叶ったのだ。
 いつもはあの二人の諌め役を務める事が多いものの――今この瞬間だけは違った。

『女が来たあああ! 殺せええ!』

 リーダー格と思わしき悪霊の号令で、浮遊霊たちが一目散にこちらへと向かって来る。何もしなければそのまま身体中を食いちぎられて終わりだ。が、当然そんなつもりはない。
 両手を前に掲げ、掌に意識を傾ける。直後に発射された幾筋もの霊波砲は、リーダーもろとも浮遊霊たちを飲み込んだ。

『俺様が新しいリーダーだああ! 隊長の指示に従えええ!』

 声は背後からだった。晴れて新リーダーへと就任した悪霊2号が、新たな雑霊を引き連れて突撃してくる。身を捩る暇もないほどの見事な不意討ちだったが、あいにくここは空中だ。にっと笑ったルシオラが、重力制御を解除する。かくんと、重さの戻った身体が地面へと引き寄せられるなか、ぎりぎりのタイミングで霊団が頭上を通過していくのが見えた。落下を止め、再び掌に霊力を送る。2号の短い春にほんの少しだけ同情しつつ、跡形も無く消し飛ばした。

「次は誰かしら?」

 にこりと笑みを浮かべたルシオラに、既に肉体の無い霊たちがぞっとした。或いは成仏させてくれる悦びか。
 ともあれ無数の霊たちは、一瞬たじろいだ雰囲気を見せた後、まるで衝動に突き動かされる様に四方八方から襲い掛かってきた。先の反省も踏まえてか、今度は地上からも攻めこんで来る。360度の包囲網が彼女を絶体絶命の窮地に追い込んだ。少なくとも霊たちにとっては、そう確信していただろう。
 だが――

『ギェ!?』

 大口を開けながら一番乗りを果たした霊が、ルシオラの柔肌を堪能すべく食らい付いた。が――これまでの様な肉の感触が無い事に、困惑の鳴き声を上げる。
 次いで二陣、三陣が続いたものの、身体中を食いちぎられているにも関わらず、彼女は苦悶の声一つ上げない。不気味に笑みを張り付かせた姿に、業を煮やしたのだろう。ひときわ大きな霊が彼女の頭をかじりとる。
 その瞬間だった。首の無くなったルシオラの身体が、ふっと虚空に溶ける。一体何が――そんな霊たちの疑問に答えるべく、声は天から降り注いだ。

「残念。幻術よ」

 冥土の土産とばかりに説明を終えたルシオラが、両掌から特大の霊波砲を放った。膨大なエネルギーの帯は、浮遊霊の大半を包み込むと、そのまま地面に突き刺さる。
 閃光が弾け、辺りが地を揺るがす様な爆発と轟音に包まれた。


 ルシオラがひとり奮闘するなか、横島たちは揃って目標地点へと歩いていた。
 彼女が浮游霊を引き付けてくれているかげで、辺りはすっかり静まりかえっている。テレポートが使えれば便利なのだが、霊的に安定しない場所では座標が固定できないため使えないとの事だった。
 目標地点に近付く。空気中には土煙が混じり出し、周囲のブルーシートはあちこちから火の手が上がっている。調査のために掘り返された無数の穴も手伝って、さながら銃弾飛び交う戦場の様な光景だった。

「もうあいつ一人で十分な気がするんだが?」

 冷や汗を浮かべてぽつりと口にした横島に、隣を歩いていたセイリュートが苦笑を洩らす。

『確かに、純粋な力比べなら、あいつに敵う者はそうはおるまい。だがそれだけでは簡単にいかないのが除霊というものだろう? 三人の中で一番除霊経験に疎いのはあいつだ。それを自覚しているからこそ、自ら露払いに徹したのだろう』

「自分の役割を理解してそれに邁進する。意志疎通がよくとれている証拠だよ。良いチームだな。君たちは」

 セイリュートの言葉に吉村も追従する。調査や発表などで、そういったものが重要なのをよく理解しているのだろう。
 二人に諭されて、横島が軽く項垂れる。

(役割……か)

 地面をぼーっと見つめたまま、心中で繰り返す横島。かつて自分にはそれがあった。美神のパートナーとして脇を固め、彼女を支えるといった役割が。
 だがアシュタロスとの戦いも終わり、更にはシロとタマモが正式に加入した事で、それは終わりを告げた。それまで自分が築き上げてきたポジションは、彼女たちの修行のために、あっさり明け渡す形となったのだ。
 除霊が始まれば荷物番として暇をもて余すだけの日々。そんな状態が数ヵ月も続けば、流石に自分が冷遇されてる事にも気付く。
 もしかすれば、自分にも何か役割があったのかもしれない。使えるものはとことん使い倒す美神の性格や、給料の額に別段変化が見られなかった事から、その可能性は十分に考えられる。
 だが、それならそれで問題だろう。今までずっと彼女の指示通りに動くのが常だったのに、何の予告も通告もなしに「私の意図を正しく読み取り実践しろ」など、無茶もいいところだ。ついでに言えば、落ち込む自分へのフォローすら、一度たりとも無かった。

(そーだよな)

 燻った思いを胸に、横島がひとり頷く。これまでさんざん尽くしてきた。なのに未だにあんな扱いをされるのなら、セイリュートの言う通り、やはり飛び出して正解だったのだろう。

『あいつが親玉か』

 長く考えに耽っていた横島が、セイリュートの一声で現実に引き戻された。立ち止まり、彼女の視線を追う。
 土煙の隙間から、男が静かに佇んでいた。全身に毛皮をまとい、こちらを伺っているのであろうその目は、一切の光が失われている。だらんと垂れ下がった左手には、固く弓が握られていた。恐らくはあれが霊の主力武器に違いない。狩猟で生計を立てていた時代の霊が放つ攻撃がどれほどの威力かはわからないものの、身を震わせるほどの悪寒の具合からして、十分に警戒すべき相手だった。
 そして――

「お、おい!?」

 そんな危険極まりない相手に対し、更に近付いていく彼女に、横島が狼狽えた声をあげた。

『お前たちばかりに危険な目をさせる訳にはいかないからな。私も……自分の役目を果たすさ』

 背中を見せたまま、そう告げるセイリュート。すたすたと歩いていく彼女の後ろ姿に、横島は何故だか……在りし日の美神の面影を見た気がした。そうして彼女が立ち止まる。目標との距離は、もはや10メートルも無かった。

『聞け! さ迷える古代の霊よ。私の名は星龍斗。お前の望みを叶えるためにこの地にやって来た者だ!』

 詠う様な口上に、霊がぎろりとセイリュートを見遣った。それを見届けて、彼女が続ける。

『古代の霊よ。なにゆえこの地に執着する!? 未練を残す何かがこの地にあるというのならば、告げるがいい! 最大限の誠意で以て供養する事を約束しよう!』

 力づくで除霊はしない。そんな譲歩の言葉を含んだセイリュートの言葉にも、霊はただただ漆黒の目で見つめるだけだった。提案を受け入れるべく悩んでいるのか。それとも彼女を殺す算段を考えているのか。どちらも可能性はあるだろう。
 ならば――

「セイリュート!」

 それまで佇んでいた霊が何言か呟いた瞬間、横島が駆けた。直後、彼女の喉笛目掛けて飛んで来た矢を、霊気の盾で弾く。小竜姫の打ち込み程ではないものの、かなりの衝撃だ。右手に痺れが走るのを感じつつ、セイリュートの横に立った彼が、ぷはっと息を吐いた。

『すまない。助かった』

「もう一回やれと言われても無理だからな! 頼むから、もーちょっと俺に楽をさせてくれ!」

 セイリュートの謝辞に、恨み節を上げる横島。小竜姫の時といい、戦いの度にこれだけ神経を磨り減らしていては、到底身が持たない。
 ぜいぜいと息を切らせる彼に、彼女が苦笑すると、

『いざとなればバンダナに戻る腹積もりだったのだ……けど、まあ、娘の気持ちが少しだけわかった。こうして守られるのも、悪くないものだな』

「え?」

 ぽつりと呟いた内容は、横島の理解を超えるものだったらしい。確認したかったが、それを言う前に彼女の姿が消える。

『来るぞ!』

 バンダナから聞こえてきたセイリュートの声は、うって変わって緊張を含んだものだった。はっと気付いた横島が再び盾を構え――飛んで来た二本の矢を、勘と経験で弾き落とす。

『デテイケ』

 霊波を含んだ忌々しげな声が、びりびりと鼓膜を刺激する。さっき口を動かしていたのはこれを言いたかったのだろう。
 もはや説得は不可能な事を確信し、二人が戦闘体勢へと入った。漆黒の戦装束へと身を包んだ横島が、そのまま右手を投げ下ろす。僅かにカーブを描いた純白の盾は、またも矢をつがえようとした男の手に、狙い違わず命中した。

「どうだ?」

『いや、ダメだ!』

 セイリュートの言葉通り、爆煙の中から現れた霊は、何事も無かったかの如くけろりとしていた。数千年分の怨念は伊達ではないのか、それともやはり原因となった何かをどうにかしないと無理なのか。いずれにせよ、初仕事からとんでもなくタフな相手だ。ガメた金も残り少ないからと、協会から一番近いところを選んだのは失敗だったらしい。
 そんな泣き言に耽っている間に、男がまたも矢をつがえた。それも今度は一本だけではない。それぞれの指と指の間に矢を挟み込んでいる。普通ならまともに飛びやしないと思うのだが、そこは物理法則を超越した存在だけに、どうとでもなるのだろう。
 男を見据えながら、いつでも文珠を出せる様に右手に意識を集める。男が弦を引きしぼったその瞬間、上空から降り注いだ霊波砲が、男を爆発――それも自分の時より遥かに強力な――の渦に飲み込んだ。

「大丈夫?」

 上空から聞こえてきた声に、ばっと横島が見上げる。ルシオラが手を突き出したままこちらを見ていた。

「雑魚は残らず片付けたわ。あとはあいつ一体のみよ!」

 告げるやいなや、ルシオラが大きく旋回する。瞬間、爆煙を突き抜けて飛び出した矢が、彼女の元いた空間を撃ち抜いた。
 あの攻撃ですら全く通用しなかったらしい。矢の飛んできた方向を一瞥した彼女が、ぐんと速度を上げる。蛍の化身にふさわしく、縦横無尽に夜の空を飛び回る彼女の軌跡を追って、次々と矢が空を切る。それら全てをかわしきった彼女が、矢をつがえるまでの僅かな合間に、再び霊波砲を地上へ放った。

「今よ! 私が注意を引き付けているスキに、何とか原因となった物を掘り返して!」

 再度、爆煙が霊の姿を覆い隠したのを見計らい、ルシオラが言った。そうして再び飛び回り始めた彼女を射止めるべく、絶え間なく矢が浴びせられる。
 ぎりっと奥歯を噛み締める横島。ベスパの時と同じ光景だ。こちらの攻撃が通じない以上、防戦一方ではそう長くは保たない。
 せっかく生き返ったというのに、一人で突っ走ろうとするところは、何ら変わっていなかった。

(冗談じゃねーぞ! もう一回死なせてたまるか!)

 決意と共に、横島が足を踏み出した。「彼女を援護すべきでは?」「やばいしここは逃げよう」そんな優柔不断な選択肢を切って捨て、一心に霊のもとへと走っていく。

「うおおおおお!!」

 雄叫びが、心に溜まっていた何かを吐き出していく。そうだった。彼女を、自分の大事な人を守りたい。この感覚こそが、自分が求めて止まないものだった。ルシオラも、セイリュートも、自らの役割をきっちりと果たした。今度は自分がそれを果たす――いや、取り戻す番だった。
 異変に気付いた男がこちらに振り向く。が、僅かにこちらの方が早い。走りながら溜め込んだ霊気をたっぷりと槍に流し込み――

「往生せいやああ!」

 極道さながらに叫んだ横島が、大上段から槍を地面にぶっ刺した。と同時に、セイリュートが力を解放する。ぐらりと揺れた地面に、男が黒い目を見開かせる。
 それは予兆だった。地中で弾けた霊気の刃は、間も無く、まるで火山が噴火するが如く土を引っ剥がし――

「……あれ?」

 それっきり何も起こらない事に、横島が疑問の声を上げた。脳内スケジュールでは、この後火山の噴火の様に土を吹き飛ばし、穴の底を剥き出しにする予定だったのだが……
 おかしいな、とばかりに、ばんばんと――そんな事で続きが起こるわけが無いのだが――足で地面を踏みつける彼に、セイリュートが兜から冷静に告げる。

『地盤が以外と固かったのではないか? または込める霊力が不足していたかだな』

「あーなるほど。考えてみりゃ人間にそんな凄い事できっこないわな」

 理由がわかって納得顔の横島。すぐ隣にいた男の霊もうんうんと頷いていた。そのままひとしきり笑い合うと、

「じゃ。今日は引き分けって事で」

 和やかな空気の中、踵を返した横島が片手をあげて立ち去ろうとする。男もそれに倣い、笑顔で送り出そうとして――表情が元に戻った。すんでのところで気付かれてしまったらしい。

「だあああっ!!」

 大きく後ろに跳んで――というよりは完全に宙に浮き上がった男から連続で放たれた矢を、横島がサイキックソーサーで叩き落としていく。数々の実戦で鍛え上げられた動物的カンと反射神経は流石というほか無い。とはいえ所詮は我流で身に付けた動きだ。そう長くは持ちそうになかった。頼みの文珠も、敵との距離が近過ぎるために、集中する暇を与えてくれない。
 残る手は――

「ル、ルシオラーー!」

 限界が近付いてきた横島が、無我夢中で恋人の名を叫んだ。瞬間、まるで呼ばれるのを待っていたかの様なタイミングで、男と横島の間を霊波砲がなぎ払う。飛んできた矢が残らず地面に叩き落とされた事に唖然とするなか、不意に足が地面を離れる。

「ごめんね。お待たせ」

 ルシオラだった。ちょうど猫を持ち上げる様な形で、横島のジージャンを掴み上げて言ってきた。そのまま肩越しに男へ霊波砲を見舞うと、一気に空を駆け上がる。

「で、どうすんだ?」

 男がいる場所から遥か上空で、ルシオラとお互い腰に手を回し合う体勢に切り替えた横島が訊ねた。
 セイリュートが兜の中から答える。

『失敗の原因をどうにかして補う必要があるな。要は地盤を柔らかくして、出力を増やしてやるのだ』

「私がヨコシマに霊力を送るわ。それで出力の方は問題無いと思う。地盤の方は……流石に文珠の出番ね。問題はどんな文字を入れるかだけど……」

 そう言って考え込み出したルシオラの合間を縫って、横島が呟く。

「【柔】ならどうだ?」

『それだと地面がクッションになってしまうだろう。意味が無い』

 戦闘中と違い、こういった場での閃きは苦手らしい。容赦無くダメ出しをしたセイリュートに、横島が呻いた。その間にもひとり考えていたルシオラが、突然はっとする。

「【雨】はどうかしら!?」

 言って、二人を見回す。かつて彼女の末妹が美神事務所を襲った時に、美神が眷族の蝶たちを追っ払う為に使った文字だった。
 なるほど、と横島が頷く。


「地面を濡らして柔らかくするって事か。いいんじゃないか?」

『ああ、悪くない。奴に近付かずとも使えるのは大きなメリットだ』

 二人からの高評価を受けて、ルシオラが笑みを浮かべた。

『これで問題は片付いたな。あとはいかに奴の妨害を防ぐかだが……』

 言葉を切ったセイリュートが、霊の様子を伺うべく、ちらりと眼下を覗いた。その瞬間、僅かに表情が変わる。

「どうした?」

 訊ねてきた横島に、セイリュートが口角を上げた。

『ああ。たった今、良い案が浮かんだところだ』



[37523] リポート⑫ 始動! LST(下)
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:7abd429d
Date: 2013/06/05 13:14
 詳細を説明し、それに横島たちが頷いたところで作戦会議は終了した。セイリュートが変身を解いたのを合図に、ぱっと空中で散開する。
 真っ先に動きがあったのはひとり宙に浮いたままのルシオラだった。横島から譲り受けた文珠に【雨】をイメージして、ぽとりと落とす。みるみるうちに見えなくなっていった珠が、遥か下でまぶしく輝いた。直後にざあっという音。文字は雨でも、耳を穿つ水音は、もはや集中豪雨の様な勢いだった。
 はあ、と頬に手をやる彼女。こんな便利なものを簡単に作ってしまえる恋人に、改めて思慕の念を強める。

「あとはヨコシマを手伝わないとね」

 今が仕事中である事を思い出し、かぶりを振ったルシオラは、そう呟いて地上に降りていった。

「だーくそ! 気持ち悪りい!」

 雨上がりの地上で、男の放った矢を盾で捌いた横島が毒づく。敵が、ではない。自分の服がびしょ濡れなのが嫌だった。雰囲気でついセイリュートと一緒に飛び降りてしまったが、考えてみれば別に雨が降り終わってからでも問題は無かったのだ。
 攻撃が止んだ瞬間を見計らって地を蹴る。靴の中から聞こえてきた水音に嫌悪感を覚えつつ、一気に駆け出した。その役目は陽動と誘導。敵の注意を引き付けながら、セイリュートの指示した位置までおびき出すのだ。
 とはいえそれほど困難な事でもない。何しろ敵はそのすぐ近くにいるのだから。

「今だ! セイリュート!」

 自分を追ってきた男が横倒しの重機に近付いた瞬間、横島が叫んだ。はっとする男の頭上に、突如、地面をでんぐり返った重機が降ってくる。
 セイリュートに渡した【倒】の文珠が発動したのだろう。圧倒的な物量は、そのまま男を押し潰すと、辺りに轟音を響かせた。

『ヨコシマ!』

 作戦がはまり、きれいに裏返った重機の脇からひょいと顔を出したセイリュートが、瞬時にバンダナへと帰還する。再び変身し、槍を構えた横島の背中に、とん、と感触があった。はっとし、肩越しに振り向くと、

「しっかりね」

 ルシオラだった。ウインクしながらそう告げてきた瞬間、背中がかっと熱くなる。
 流石は元アシュタロス直属の部下だった。流れ込んでくる霊力、もとい魔力が尋常ではない。ともすればすぐに暴発してしまいそうなそれを、必死に押さえ込む。
 何もかもがぎりぎりだった。初仕事でこれほど大掛かりな除霊になるとは誰も思わなかったろう。
 そんな状況のなか――ふと横島は、自分が笑みを浮かべている事に気付いた。美神と同じ様に自信に満ちた、これまでの除霊では見せた事の無かった笑みだ。
 何故? と思った彼だったが――その答はすぐに見つかった。

『ぐっ……!』

 まさに二人三脚だった。どうにかまとめ上げた霊力を、セイリュートが苦戦しながら、少しずつ槍に流し込んでいく。そして、背後にはルシオラが。霊力を使い切り、息を乱しながらも、自分の右手をぎゅっと掴んで、奮い立たせてくれている。
 ああ、と声をあげる横島。簡単な事だった。自分の隣にはこの二人がいる。今回の除霊だって、こうして二人がいてくれたからこそ、逆転する事ができたのだ。

 ――私たち三人が揃えば、きっとどんな事だってできるわよ。

 ルシオラの言う通りだった。未熟でも、ヘマをしでかそうとも、三人いれば何とかなる。その確信が、自分に美神に負けない程の自信を与えてくれたのだ。
 そうして槍が完成する。三人の結束が詰まった霊槍は、何者にも負けないと思えるほどの強烈な光を放っていた。
 槍を振りかぶった横島の目に、ちらりと男の姿が映る。ようやく重機から這い出てきたのか。あるいは霊らしく、すり抜けでもしたのか。
 ともあれ霊は一目でこちらの意図に気付いた様だった。それまで無表情だったその顔が、初めて焦燥の色に染まる。慌てて矢をつがえようとしたその瞬間、彼が地面に槍を突き立てた。

「これで終わりじゃーー!!」

 中指を突き立てて横島が叫ぶ。宣言通り、突き刺した部分から噴き上げた閃光が、地面をめくり上げて一気に円心状へ広がっていく。そして――

「うわっ!」

ルシオラに引っ張られ、横島たちがその場を飛び退いた瞬間、大爆発が起こった。まるでミサイルでも炸裂したかの様に、轟音が建設予定地に響き渡る。
 爆風に吹っ飛ばされ、きりもみ状態で空中を回転していたルシオラが、ようやく体勢を整えた。三半規管をやられ、目を【の】の字に変えた横島を尻目に、爆発の現場を見遣る。

「あれは?」

 爆煙に混じり、真っ黒いもやの様なものが昇っていくのを見て、ルシオラが訊ねた。

『これまで蓄えられてきた怨念の様なものだろうな。敵が力の源を失った証拠だ』

 横目でセイリュートが告げる。横島がそっぽを向いて(ついでに口を手で押さえてもいる)しまったため、そうせざるを得なかった。
 除霊の成功に、満足げに笑いあった母娘が、ゆっくりと地上に降り立つ。セイリュートが変身を解き、横島が手近な穴に顔を突っ込んだところで、ひょいと吉村が現れた。

「すごいものを見せてもらったよ。で、どうだ? うまくいったのかね?」

 そこいらの穴から除霊の様子を見ていたのだろう。流石は考古学を学んでいるだけあって、恐怖よりも好奇心の方が勝っている様だった。
 きらきらした視線で訊ねてくる吉村に、セイリュートが状況を説明する。

『うむ。とりあえず力の源は断ち切った。あとはあいつが回復したら現場に向かうつもりだ』

 言って、セイリュートが横島がいる方向に振り向く。ちょうど今、古代の思いがつまったこの地に、絶賛嘔吐中だった。

『大丈夫なのかね? 彼は』

 吉村が告げる。気を害したかもと思ったセイリュートだったが、その口調はいたって普通だった。ほっと表情を緩めると、『すぐに直るだろう』と返す。
 事実、三分も経つと彼は起き上がってきた。ルシオラが差し出したハンカチで口元を拭うと、ぽいと穴の中に文珠を投げ入れる。ちらりと見えた【滅】の文字に、思わずセイリュートが肩をコケさせた。あんまりな使われ方だ。かつてその文字で葬られた女竜神も、さぞや草葉の陰で泣いているに違いない。
 全員が揃ったところで、ぞろぞろと現場に向かう。上に積もっていた土が根こそぎ吹っ飛び、きれいな方形状の窪地となった住居跡からは、最初に感じた様な禍々しさは殆ど感じられなかった。あの男の霊の姿も見当たらない。さっきの衝撃で吹き飛んだのだろうか、と思い始めたその時、4、5メートル上空で探索にあたっていたルシオラから声があがった。

「あそこよ。ちょうど角の辺り」

 彼女の視線と指先を追って横島たちがたどり着く。よくよく見れば、その部分だけ土の色が僅かに違っていた。同色に溶け込んだ霊が、目を閉じたまま、じっと地面に張り付いているのだ。
 かくれんぼかよ、と内心で突っ込んだ横島たちが、今や他の雑魚霊同様の姿となった男を半目で見遣る。必死に塞いでいるその下に、見られたくない何かがあるのは明白だった。美神がいれば思いきりドSな笑みを浮かべていたに違いない。おそらく、無理矢理ひっぺ返してでも中を覗き見るのだろうが……
 ふう、とセイリュートが息を吐く。

『そんな事をしても無駄だぞ。さっさとそこをどくのだ。大人しく従うのなら、悪い様にはしない』

 優しさの滲む口調で告げた。同時に、もしも応じないのなら……という脅しも、暗に含んでいる。
 口を閉じ、セイリュートがじっと出方を待つ。そのまま10秒ほど経った辺りで、ふと地面にひびが入る――霊が口を開いたのだった。

『ホントウ、カ……?』

 おずおずと目を開いて言ってきた霊に、セイリュートが頷く。その目をじっと見つめた霊が――とりあえずは信じる事にしたらしい。ゆっくりとその身体、もとい霊体を起き上がらせた。中をあらためさせてもらうぞ、という彼女の言葉にも嫌がる様子はない。
 そうして、ぽっかりと現れた穴をセイリュートが覗き込んだ。横島たちが見つめる中、沈黙を保っていた彼女が、ふむ、と洩らす。そうしておもむろに手を突っ込むと、中から取り出した何かを、全員の前に置いた。

「これは……土偶かね?」

 真っ先に発言した吉村がセイリュートに訊ねた。とはいえこの場で彼以上に詳しいものなど――霊を除いては――いる筈がない。なので、見たままを彼女が伝える。

『穴の中一面にこれと似たようなものがあった。この土人形がお前にとって大事なものなのか?』

前半は全員に、後半は霊に向けてセイリュートが言った。が、訊ねられた霊は何も答えない。ただただ躊躇いがちな表情をこちらに向けてくるのみだ。
 ふむ、と考えた彼女が、顔を戻す。着いてきた吉村の手前、本人に白状させるのは最後にしようと判断した結果だった。ほっとした様子の霊に、今のやり取りを眺めていた横島は、ふと引っ掛かりを覚える。同じ様な状況を、どこかで経験した覚えがあったのだ。
 腕を組んで考え込んだ横島を余所に、吉村が新たに穴の底から土偶を持ってきた。地面に置かれた計三体の土偶を囲んで、一同が――降りてきたルシオラも含めて――議論する。

「ふうん。土偶ってこんなのもあるのね」

 出てきた土偶はどれも胸が突き出ていて、腰にはくびれがあった。おそらくは女性を象ったものだろう。
 彼女? の胸を指でつつきながら呟いたルシオラに、吉村が口を開く。

「殆どの土偶はこういった女性っぽい形をしているのだよ。君が想像しているのはおそらく遮光器土偶の事だろう? ちょうど蛙みたいな顔をしたやつだ 」

 吉村のその喩えに、ルシオラが吹き出しそうになりながら頷いた。蛙呼ばわりされて、かつての自分の上司はどう思うだろうか。

『どういった役割があるのだ?』

 ルシオラに代わって、セイリュートが質問した。ふむ、と前置きする吉村。いよいよ自分の専門分野に話が回ってきたとあって、顔が嬉しそうだ。

「一般的には、装飾品や玩具、あとは女性を象った見た目から、安産のためのお守りなんかに使われた説が主流だな。それ以外だと、何故か破砕した状態で出土するケースが多い事から、災厄を払うための呪術の生け贄として使われたという説もある」

 分かりやすく解説した吉村に、ほうほうと頷く一同。霊まで何故か輪に混じり、同じ様に首? を縦に振っていた。その事に気付いた横島が視線を向けると、慌ててあさっての方を向く。

(……違うって事か?)

 議論の輪から外れ、ひとり横島が訝る。もし吉村の説明通りだったなら、あんな反応はしないだろう。それ以前に、そんな『いかにも』な使い方しかしない物に、あれ程激しく執着するものだろうか? 

(……しないよな)

 自分を当事者に置き換え、しばらく考えてみた横島が、そう結論付けた。おそらく前提からして違うのだ。セイリュートも『古代人の価値観などわからない』という意味合いの事を言っていた。多分、本来はもっと斜め上の使い方をするに違いない。だからこそあれほどまでに抵抗し、挙げ句の果てには土に溶け込んでまで隠し通そうとして――

「あっ!」

 思考を巡らせていた横島がその瞬間、何かに気付く。『隠し通す』という言葉。それに先程見せた霊の表情だ。想像だが、あれはもしかして『羞恥』ではなかっただろうか。もしそうならば、自分は同じ思いを過去に――そう、中学の時に数多く体験している。

「何かわかったのかね?」

 つい声をあげてしまったせいだろう。皆の意見を代表して吉村が言ってくる。だが応えている暇は無かった。真実への糸が脳裏を掠めているうちに、さっと土偶に視線を投げる。やはりそうだった。頷き、更に確信を深めた横島が、セイリュートを呼びつける。

『何だ?』

「その……穴の中にあった土偶ってさ。どれもこんな感じだったか? こう、なんとゆーか女っぽい形」

 慌てているせいで、適切に言葉が出てこない。それでも意味は通じたのだろう。そうだ、と頷いたセイリュートの言葉に、ついに最後のピースもはまる。

「謎は……全て解けた!」

 かっ、と瞼を開いて言い放った横島に、皆が目を瞬かせた。そんな中、ただひとり顔を歪ませた霊に、彼は何もかも納得する。何故あれ程までに抵抗していたのか。その理由が、今は痛いほどに理解できる。ともすれば自分とて同じ行動に走るかもしれない。

 確かに価値観は違っていた。嗜好も同じとは言い難い。だがどれほどの時が経とうとも、男としての習性は何一つ変わってはいなかったのだ。

 皆の注目を浴びながら、横島がゆっくりと穴を指差していく。せめて自分が引導を。そんな決意を込めて、彼が口を開いた。

「ここは……エログッズの隠し場所だったんだよ!」

 ぐわっと顔を強張らせ、横島が告げる。その言葉に反応したのは――誰ひとりとしていなかった。代わりに女性たちから飛んできた冷たい視線に、横島が汗を浮かべる。「な、何だってー」とまではいわないまでも、もう少し暖かみのあるリアクションをしてくれると思っていたのだ。
 救いを求めるかの様に視線をさまよわせた横島が、はっと気付く。ただひとり、異なる反応を見せるものがいた。エログッズという言葉を理解したのかは不明だが、シンパシーは感じのだろう。

『オオオ……オオ……』

 悲しげな雄叫びに、皆がそちらを向く……そこには、全てを白日の下に曝され、がっくりと項垂れる男の霊の姿があった。


 それから、およそ30分が経った。煌々としていた月明かりは、今や薄く白み始めた空に圧倒され、間も無くその役目を終えようとしている。
 そんな中、全てを観念した霊は、これまでの事をぽつりぽつりと話していた。
 曰く、土偶とは自分たちの時代でいうアダルトグッズに相当するものだったらしい。男たちはそれぞれ理想の女を象った土人形をひっそりと製作し、仲間内でいわゆる『オレの嫁自慢』をしていたとの事だった。壊された土偶が多いのは、単に製作途中で気に入らずに投げ出したり、新嫁が気に入ったために前妻と『離婚』したのが主な理由だったらしい。
 ここまで話した後、『何故どれもこれもこんな奇妙な形なのだ?』という問いがセイリュートから挙がった。が、『下手にリアルに作るよりも妄想が捗るだろ?(意訳)』という男らしいコメントを頂き、返す言葉が無かった。
 あとは横島が大体想像した通りだった。この時代では珍しく一人住まいだった男は、誰に憚られる事もなく大量の土偶を自主製作していた。仲間内(もちろん男限定でだ)からも神と崇められていた程だったが、病か事故か、とにかくある日、自宅の中で倒れてしまったらしい。
 意識が薄れゆく中、男はふと考えた。幸いコレクションの殆どは床下に保管していたが、このままではいつ誰に見つかるとも限らない。死後に自身の秘密を暴露され、笑いのタネにされるなど、死んでも嫌だった。

『その執念が、強力極まりない悪霊を作り出してしまったという訳か……』

 長い述懐を終え、最後に涙を溢した霊に、セイリュートが哀れみを湛えた瞳で呟く。断崖絶壁と荒波が欲しくなる様な場面だった。もう死んでいるので飛び降りても意味は無いが。

「わかる、わかるぞ。お前の気持ちが!」

 皆が唖然とする中、ただひとり横島だけがもらい泣きをする。一人暮らしという点まで男と同じだ。想像を巡らせる。もしも自分が急死し、美神やおキヌや親があのアパートを整理しにやってきたなら――

「うああああ! 止めてくれええ! そんな憐れみのこもった目で俺を思い出さないでええ!」

 頭を抱えて呻きつつ、そんな脳内妄想を熱く披露する横島。本人にとっても、それを間近で見せつけられる側にとっても、色々と恐ろしい光景だった。
 もはや収拾がつかなくなってきたなか、女性陣がずっと黙りっぱなしの吉村に目を向ける。今までの諸説を根こそぎくつがえされてしまい、考古学者としてはやるせない思いもあるのだろう。
 そう結論し、そっとしておくのが吉と思ったのだが――

「わかる。わかるぞ! 私も40年前は同じ思いを抱いたものだ! 何という事だ。どれだけの時が経とうとも不変のものが存在する。まさに世紀の大発見だよ!」

 拳を握り、力説し始めた吉村に、二人が静かに視線をフェードアウトしていった。
 そうこうしている間に、共通の思い出を持った三人が、意気投合した様子で肩を組む。世代どころか世紀すら飛び越えた友情? を見つめながら、

『本当に……割りに合わない仕事だったな』

「ええ……」

 完全に置いてけぼりの母娘は、心底疲れた様子でそれだけを口にしたのだった。


 その後――男同士の盟約に従い、土偶の真実はここにいる者たちだけの秘密となった。ただし土偶そのものは古代の貴重な資料として、大学に引き取られる事となる。
 製作者たる霊も、モノ自体が惜しいというよりは、単に真実を知られるのが嫌だっただけなので異存は無かった。

「真実を話したところで誰も信じやせんよ。それに、考古学にはロマンも必要だ。全てを明らかにするのではなく、少しばかり謎が残っていた方がやり甲斐もある」

 吉村が語った言葉だ。研究者としてはどうかという気もしたセイリュートだったが、それをとやかく言う立場でもないので黙って頷いた。人間が無駄や不可解に満ち溢れているのは、嫌というほど理解している。
 とにかく依頼は――思っていたのとはかなり違う形で――達成した。夜が明け、一日ぶりに戻ってきた大学のロビーで、吉村から報酬の入った封筒を受けとる。

「また何かあれば依頼するよ。知り合いにも君たちの事はそれとなく宣伝しておこう」

『感謝する』

 差し出してきた吉村の手を握って、セイリュートが短く告げた。社交辞令を交わしたところで、二人がくるりと振り向き、

『ではあれを回収してくる』

「頼むよ。できれば早いうちに」

 昨日と同じ光景を繰り広げている横島を窓越しに見つめて、二人が息の合った言葉を交わした。頷くセイリュート。もう間もなく、エサ――もとい、立体映像装置で姿を変えたルシオラが、彼の前に現れる事だろう。

『さらばだ』

 吉村と、その後ろに憑いた男の霊に別れを告げたセイリュートが、転送装置を起動した。
 彼女の姿が消えると、吉村がふう、と息を吐く。

「LSTか。最初から最後まで、彼らには驚かされっぱなしだったな」

 窓の外にワープした彼女が再び横島に抱き付かれるのを眺めながら、吉村がぽつりと呟いた。横に並んできた霊が、それに同意する。

『ケッキョク、タイジサレナカッタ』

 自分を指差し、不思議そうに見てくる霊に、ふふ、と吉村が笑う。

「それが一流のやり方だそうだ。君ほど長く存在して、会話ができる霊など滅多にいないらしい。もう害は無さそうだから、考古学の発展のために役立ててくれと言っていたよ。あと、疲れるからやりたくないとも」

『ヘンナヤツラダ』

 その指摘は実に的を獲ていた。はは、と吉村が笑うと、

「だが、気持ちのいい連中だ」

『ソウダナ』

 言葉を交わし、吉村が周りを見遣る。誰もいない朝のロビーは、窓から差し込んだ暖かな光が、春の近付きを訴えている。
 その心地よさにしばし身を委ねて、吉村が決意する。ただ耐えるだけの長い冬は終わった。これからは、自分たちも新たに一歩を踏み出していかねばならない。

「君には色んな事を訊かないとな。これから忙しくなるぞ」

『アア、コンゴトモヨロシク』

 現代人と古代の霊。幾千年もの時を越えた二人の出会いは、一風変わった社名のGSたちによって紡がれたのだった。




 ――さぷりめんと的な何か その2


 もしも美神事務所(三人だけ)が今回の依頼を受けていたら――


「あれが今回のターゲットね」

 男の霊を確認した美神は、そう言うとフェンスに首を引っ込めた。装着していた暗視ゴーグルを外すと、ばさりと髪を一振りする。

「この距離でも霊気を感じるんスけど。めちゃくちゃヤバそーなやつじゃないっスか!?」

 傍にいた横島が顔をひきつらせて美神に語りかけた。霊に気付かれない位置、今いるフェンスの外側からでも、あの霊の発する気配はびんびんと伝わる。
 そーかもね、と気楽そうに、彼女。

「確かにとっても強そう……どうするんですか?」

 美神たちの背後で、ちょうど雑魚霊の処分を終えたおキヌが問い掛けた。ネクロマンサーの笛でかき集めた後、まとめて吸引札に送り込み、最後は横島の文珠【浄】で処理する。吸引札の処分費用を浮かすために美神が考案した方法だが、思いの外役に立っていた。
 はあ、と美神が嘆息する。すぐに自分に答を求めてくるのは、この二人の悪いクセだった。指導方針を少し改めるべきかしらね、と心で呟き、返答する。

「いい。あんなやつとまともにやり合うだけ時間の無駄よ。オカルトに対向できるのはオカルトだけじゃないわ。色んな手段を考えて最善の方法をとる。それが一流のプロってものなの」

『はあ……』

 心構えを説いたつもりの美神だったが、二人から聞こえてきたのは、そんなわかったかわからない様な呟きだった。その顔に浮かんでいるものを察して、彼女が顔を曇らせる。案の定――

「で、結局どーするんスか?」

 気の抜けた顔で結局同じ事を訊いてくる横島に、美神が肩を落とした。

「あんたね……少しは自分の頭で考えたらどーなの?」

「いやーボク考えるのは苦手で……ほら、所詮は美神組の鉄砲玉っスから」

「変な名称を付けるな!」

 お約束をこなし、美神が乱れた髪を掻き上げる。気を取り直し、こちらを見つめてくる二人に、彼女はにやりと笑った。

「今回はあれでいくわよ」

 そう言って、美神がくいと親指で指し示す。それを追った二人の目に飛び込んで来たものは――美神の愛車、65年型、シェルビー・コブラ427だった。

「話は聞いていたわね、人工幽霊一号。今回はお前に任せるわ。この霊波を発している霊を、地面もろとも吹き飛ばしてちょうだい」

 顔付きを仕事モードに変化させた彼女が、車に――正確には車に憑依させた人工幽霊一号に指示を送る。横島たちが顔をひきつらせるなか、了解しました、と返事をした車が、後部ハッチを勢いよく開け放った。

『発射!!』

 機械的な号令と共に放たれたミサイルだかロケット弾だかが、煙を吹き上げながら夜空に昇っていく。そのまま綺麗な放物線を描きながら、真っ逆さまに建設予定地へと落ちていった。

「これが私のやり方よ。本編であんなゴリ押しやってるようじゃ、またまだ私の域には届かないわね」

 爆風と共に吹き飛んでいく男の霊を背後に、にこりとして美神が告げる。
 そんな、一部始終全てが非常識だらけの光景に、

「これを見習えって言われても……」

「こんな解決方法は後にも先にも美神さんくらいだと思うんスけど……」

 ただただ苦笑いを浮かべてその場をやり過ごす横島たちだった。



[37523] リポート⑬ GSの休日(L×T)
Name: タン塩食べたい◆736e2219 ID:3aece3e7
Date: 2013/08/27 11:18
「お待たせしました」

 店員がテーブルに置いたそれを、横島はまるで初恋の相手でも見るような視線で出迎えた。ごくりと喉を鳴らす。
 仕事を終えた後の飯というのは、大抵の場合美味く感じるものだ。それが自分の稼いだ金であれば尚更だろう。金はかかるが、満足感や充実感というトッピングが、自動的に上乗せされている。いわゆる自分へのご褒美というやつだ。
 バイトをしだしてから始まったこの習慣は、今回も粛々と執り行われようとしていた。それも今日は、普段の様なコンビニのパック寿司や卵入りカップラーメン(生麺タイプ)なんかのケチなレベルではない。いわばVIPだった。なればこそ、食べるのにも手順や礼儀というものが必要だろう。
 呼吸を整えると、労る様な手つきで器に触れる。もう一方の手は蓋に。取っ手を摘まみ、軽く捻りを加えて封を解く。
 もわっと湯気が立ち上がると、音を立てずに蓋を置いた。箸を持ち、両手の指と指の間に挟むと、最後は万感の思いをもって合掌する。

 そして――

「こらうまい!! こらうまい!!」

 昼過ぎを迎えた牛丼チェーン店内。ひとりカウンター席に座った横島は、歓喜の言葉と共に、超特盛り牛丼(ネギ+卵乗せ 1480円)を全力で胃にかきこんでいった。


「いやー食った食った」

 満腹になった腹をさすりながら、横島がぶらぶらと町を歩く。初仕事を無事に終えてから数時間。霊力を回復させる目的もあって、今日と明日は完全休養だ。

「次は何にすっかな」

 ジーンズのポケットに入った財布の厚みに気を良くしながら、ひとり呟く。
 除霊の際、何だかんだで一番活躍し、更には原因を突き止めた成果もあって、セイリュートは前言を取り下げた。つまりは横島にもちゃんと報酬を分ける事にしたのだ。
 余分な金を預けるためにやってきた銀行の入口の手前で『で、いくら必要なのだ?』と、訊かれた時は流石に面食らったものの、自分に都合のよい解釈をする事には定評のある横島だ。理由を察したばかりか、「何だかんだでセイリュートも俺の事が……」というツンデレ設定を自らの脳内に構築すると、喜んで金額を告げた――全額を。

「――ちっ、除霊の時の俺の魅力に参って、つい全額差し出してくれると思ったのに」

 当然の如くセイリュートに却下された横島が軽口混じりに呟いた。途端に目を細めた彼女に――これ以上怒らせてはならないという防衛ラインだった――慌てて頭を下げたが。
 ため息を吐き、再度訊ねてきた彼女に、横島は希望する金額を告げた。



「ありがとうこざましたー」

 立ち寄った大手スーパーの衣料品売り場。
 レジ嬢に見送られ、横島は意気揚々と店を後にする。連載時からの悲願でもあったパンツの新調が晴れて叶ったとあっては、当然の気分だった。それも以前の様な三枚いくらのセット品などではない。パッケージには外人のヌードモデルが印刷された、男の色気に溢れた一品だ。
 足を止めた横島が、ぐっと拳を握った。胸の内から溢れ出る喜びが、忍び笑いとなって漏れはじめる。

「こんな高級品を一気に五枚も……! なんて……! なんてゴージャスなんだああっ! GSやって本当によかった!」

 背後に荒波を背負いつつ、目元に光るものを滲ませる横島。ちょうどエスカレーターの降り口付近だったため、迷惑極まりない。いきなりの大声に、周囲にいた買い物客たちが、ひそひそと囁き始めた。が、当人は気付かない。テンションの上がった彼の脳は、既に自意識を自己が構築したユートピアの中へと送り込んでいた。平たく言えば妄想の真っ最中だった。
 ピンク一色に染まった部屋の中、購入したばかりのパンツを身に付けた横島が鏡の前でポーズをとる。その度に、ベッドで待機している女性陣たちは、先を争うかの様に黄色い声援を投げる。その内の何人かは、既に待ちきれない様子だった。思い思いに悩殺ポーズをとって、巧みに彼を誘惑する。
 普通ならば到底ありえない光景。だが絶対にありえないとも限らない。パンツだってこうして新調する事ができたのだ。この妄想とて叶わない道理が無いだろう。夢を追いかけるのは若者の責務でもある。
 そんなモチベーションを新たに、なおも横島のボルテージが上昇していく。それが新たな妄想の糧となり、妄想が生まれれば更にモチベーションは上がっていく。まさに永久機関だった。

「さようなら、貧乏な以前の俺! そしてよろしく、金持ちの俺!! 新たに誕生したこのネオ横島に不可能な事など、もはや無いわー!」

 舞台役者顔負けのジェスチャーと共に、高らかに宣言する横島。もはや誰もが近寄りたくない光景だった。辺りを取り巻く人だかりは、すっかりきれいなドーナツを作りあげている。
 そんななか、不意に彼のもとに歩み寄る人物がいた。ぽんぽんと彼の肩を叩くと、

「あー、ネオ横島くん……だったか? 店内での挙動不審な行動を繰り返している事について、少し話を聞きたいのだが」

 誰かが通報したのだろう。駆けつけた屈強そうな警備員に、ネオ横島は早くも最大の危機を迎えるのだった。



「あーくそ。酷い目にあった」

 一時間後。警備員からたっぷりお説教を食らった横島が、再び街中をぶらぶらと歩く。個室でおっさんと二人きり、という忌まわしい記憶を即座に抹消すると、次はどうしようかと考えを巡らせる。

「牛丼が1480円、パンツが一枚1545円だったから……約9000円ってところか。あと9万円以上は残ってるな」

 歩みを止めないまま、指を折ってさらっと答えを出す横島。貧乏生活が長かったせいか、こういった暗算は意外に素早い。
 結局、彼が貰ったのは10万円だけだった。あの除霊時の働きを見れば、もっと要求してしかるべきなのだが、そこはあの美神の下で極貧生活を耐え抜いた横島だ。この金額ですら自給255円時代だった頃の一ヶ月のバイト代の二倍近くはある。セイリュートは呆れ返っていたものの、まだ高校生という事もあって、彼の規準では十分に大金だった。

「うーん」

 とはいえ、やりたかった事は早くもやり尽くしてしまった感があった。これといって案も浮かばないまま、ふと横のショーウィンドウに飾られている時計をチェックする。各々行きたい場所が違ったために、今は三人とも別行動をとっていた。集合時間まではあと二時間というところだ。
 唸りつつ、ぽりぽりと頭を掻く。残るは本屋でお宝探しに精を出すくらいだったが、あいにく現在は根無し草の身だ。いくら自分でも、エロ本を持ち歩きながら美少女二人と行動する勇気は無い。

「だーくそ。せっかくリッチになったとゆーのに」

 呟いて、ため息を吐く。金も時間もあるのに 、どう使えばいいのかわからないというのは、何とも皮肉な話だった。
 懐とは正反対の、不景気そうな表情を浮かべたまま、角を曲がる。
 とりあえず興味を惹きそうなものがあれば――そんな適当さで周囲を物色し始めた、その時だった。

「こ、これは……!」

 唐突に、横島の足が止まる。その視線は、まるで運命の相手に出会ったかの様に、一点に向けられていた。

『人妻いんらん天国』上映中

 看板にはそう書いてあった。かの竜神さまですら釘付けとなったタイトルは、伊達では無いらしい。
 夢遊病患者の如く、いつの間にか映画館の前までたどり着いていた横島が、ちらりと上映時間を確認する。都合良く、あと15分ほどで次の上映が開始するらしい。
 ごくり、と唾を飲む。今までアパートの小さなブラウン管でしかお目にかかれなかった映像が、映画館の大画面で見れるのだ。その感動たるや、どれほどのものなのか。

「金も時間もあるし、これは千載一遇のチャンスでは……いやでも、今日は変装してないし……」

 心は行く気満々だったが、看板の目立つ位置に貼られた『成人指定』の四文字が行く手を阻む。
 ぶつぶつと呟きながら映画館の前を右往左往する横島。その光景たるや、先のスーパー同様、完全に不審者のそれだった。通りすがった人々が、皆すれ違いざまに、哀れみのこもった視線を送る。
 葛藤する事数分、ようやく横島が覚悟を決めた。映画館の前で立ち止まると、大きく深呼吸をする。前方を見据え、いざ鎌倉とばかりに一歩を踏み出しかけた、その時――

「ヨコシマ?」

 聞き慣れた声がした瞬間、横島の姿がかき消えた。重力その他を完全に無視した動きで、5メートルほど後方に飛び退くと、

「ル、ルシオラか。おおおお驚かすなよ」

「普通に声をかけただけなんだけど……」

 電柱に寄り掛かり、手櫛で髪をかきあげたポーズで動揺しまくる横島に、ルシオラが後頭部に汗を浮かべてつっこむ。

「近道しようと思って角を曲がったら、たまたま見かけたから……ヨコシマの方は、もう買い物は済んだ?」

 と、ルシオラが訊ねる。自身も買い物帰りだったのだろう。胸元に抱き抱えた買い物袋の口からは、溢れそうな程に商品が見え隠れしていた。

「あ、ああ……て言っても、買うものなんて下着くらいだけどな」

 そう言って、袋を見せようとした横島が、あれ? と声をあげる。いつの間にか落としてしまったらしい。
 慌てて辺りを見回したところ――幸いにもすぐに見つかった。人妻いんらん天国の看板の前だ。

「もしかして、これかしら?」

 口を開けたままびしりと固まった横島を尻目に、視線を追ったのだろう。ルシオラが進み出て袋を拾い上げた。そうして目の前の看板を軽く見遣ると、それで大方の事情を察したらしい。ああ、と小さく呟くと、何でもない様子で彼の方に振り向く。

「はい。もう落としちゃだめよ」

「へ? あ、ああ……」

 きょとんとして袋を受け取る横島。てっきり呆れられたり、ケーベツのまなざしを向けられるなど、何らかのリアクションがあると思っていたが、何も起きない。が、

「じゃあ、ちょっと付き合ってくれる?」

「え?」

 続けて言ってきたルシオラの言葉に、横島が訊き返した。

「まだ時間はあるしね。ちょっと行きたい所があるの。あ、でも」

 くすりとルシオラが笑って、

「人妻いんらん天国が見たいなら別に構わない――」

「さ、今すぐ行こう。限りある時間を無駄にはできん!」

 彼女が言い切る前に、横島は即刻了解の意を示した。



「まだ早かったみたいね」

 魔装術を解き、元の姿に戻ったルシオラが、景色を見渡しながらそう言った。
 そーだな、と横島が同意する。

(この前は吊るされに来たよーなもんだったしな)

 しばしの空の散歩の後、彼女に連れて来られた場所は、やはりと言うべきか、例の展望台の屋上だった。
 前回ここに来た経緯を思い出して、ひとり納得する。いくら彼女といえど、あんな形で約束を果たされるのは流石に本意ではないだろう。
 とはいえ、時間帯ではまだ昼下がりといったところだった。彼女の望む夕焼けを見るには、もう少し待つ必要がある。
 ぺたんとその場に腰を降ろした横島の隣を、あの日と同じくルシオラが占領した。

「そーいや何を買ってきたんだ?」

 彼女の腰元に置かれた袋に興味を惹かれ、横島が訊ねた。

「食料……というかエネルギー源ね。砂糖と水。あとは化粧品くらいかしら」

「ああ。そーいえばお前って蛍の魔族だったもんなー」

「それは……いくらなんでも忘れ過ぎだと思うけど……」

 汗を浮かべて苦笑いを浮かべるルシオラ。確かに触覚は無くなったから、見た目は人間そのものなのだが。
 袋を見つめつつ、横島が再度訊ねた。

「じゃあその重そうな中身って、全部そうなのか?」
 
「ええ。服なんかはこないだ揃えてもらったしね。他に使うあても無いし、せっかく貰ったお金だけど、結局、殆ど手をつけてないわ」

「あ、俺もそうだぞ。買ったのなんてこのパンツくらいだしな」

 ぽん、と自分の袋を叩いた横島が「安上がりだよなー、俺たち」と付け足す。
 同意したルシオラと軽く笑い合うと、先程の光景を思い出したのだろう。彼女が、

「それであの映画を見に行こうとしたの?」

 さらっと告げた瞬間、横島が勢いよく吹き出した。

「ち、ちがっ……違うぞ!! あれはたまたま映画館の前を通り掛かっただけでだなっ。そ、そりゃちょっとは見たいと思ったけど決して中に入ろうだなんてそんな事は――」

 目まぐるしく手を動かして、弁解だか自白だかをまくしたてる横島。
 そのあまりの必死さに、くすくすとルシオラが笑った。

「大丈夫よ。そんな事で嫌ったりなんかしないわ」

「え、そうなの?」

「おまえとは魂を共有してたから。そういうものに興味がいってしまう気持ちも、ちゃんと理解してるわよ」

 とるに足らない、といった風に微笑んだルシオラに、横島がじーんと胸を熱くする。生き返ってからこっち、以前にも増して懐が広くなった感がある。
 という事は――

「それじゃ! 魂だけと言わずにぜひ身体の方もーー!」

 いける、と即断した瞬間、横島が地面から姿を消した。あっという間に空中で衣服を脱ぎ捨てると、一気にルシオラに襲い掛かる――が、予想していたのだろう。彼女にあっさりとかわされた。そのまま勢い余って前方の鉄塔に激突すると、鐘の音を思い起こさせるような鈍い金属音が響く。

「なぜだああ! 流れなら精一杯読んだつもりなのにーー!!」

「それ以前に、場所とか時間帯とか、先に気にするべきものがあるでしょ!!」

 血と涙と鼻水をまとめて噴き上げる横島に、ルシオラがハンカチ片手につっこんだ。ダメ出し以前の、ごく当たり前な意見なだけに、さしもの彼も反論できない。ひとしきり呻くと、

「ううっ、モテ男への道は険しいノー」

 踵を返し、そう呟きながら、とぼとぼと服を拾い集めていく。その丸い背中には、同じモテない友人の怨念が宿っているかの様だった。
 うーんとルシオラが腕を組む。

「まあ、掲載紙さえ違っていればアリだったとは思うけど」

「ギリギリの発言やなー」

 ルシオラが視線を向ける。独り言のつもりだったが、見れば既に横島は着替えを済ませていた。脱いだ時ほどではないが、それでも異様な早さだ。

「……変わらないわね。ヨコシマは」

「ちくしょー。進歩が無くて悪かったなー」

 ぽつりと呟いたルシオラに、横島が憮然として言い返す。が、彼女の表情が――最近たまに見せる――からかう類のものではない事に気付いて、

「……それに、あんまりシリアスなのは、俺らしくないしな」

 付け加える。ここが自分たち二人にとってどんな場所だったか。それを思い起こせば、彼女の言葉の意味はあっさりと理解できた。

「ヨコシマ……」

 優しく笑う彼女に、ふ、と笑い返す。今となっては感傷など無意味なのだが……それでも心にこびりついた想いというのは、なかなかすぐには消えないらしい。
 アシュタロスを倒そうと、確固たる意思を持ち得た事。彼女を死なせ、怒りと復讐心に凝り固まっていた事。彼女を生き返らせる方法が無いとわかり、深い悲しみを味わった事。
 どれもこれもが、それまでの人生で経験した事の無い、強い感情だった。危うくそのまま引きずられそうになるほどの。それを踏み留まり、どうにか乗り越える事ができたのは、ひとえに彼女の姉妹たちや、美神たちの言葉があったからだった。
 その事に、今は深く感謝する。もしあのまま激情に身を任せていれば、彼女は今の様な笑顔を向けてくれなかっただろう。
 と――

「そうね。そういうのも含めてこそのヨコシマだもの。年中発情期とゆーか笑いの塊とゆーか 」

「ほっといてくれ!」

 センチメンタルな気分をぶち壊すかの様な彼女の言葉に、思わず横島が口を挟む。生き返ってこっち、どうにもノリが軽い感じでならない。それとも――これが彼女の本来の性格なのかもしれないが。
 何にせよ、やられっぱなしというのは悔しくはある。

「大体、変わらないのはお前もだろうが。昨日の除霊だって色々と無茶しやがって」

「う……」

 どうやら自覚はあったらしい。たちまち顔をひきつらせて呻いたルシオラに、横島が息を吐く。

「せっかく生き返ったんだし、まずは自分の身を優先な。お互いに無茶は控えて、死ぬのは百まで生きてからとゆー事で」

 指を立てながら、冗談混じりにルシオラに言い聞かせる。言い回しが変になってしまったが、特に意味は無い。彼女の寿命が、当初は一年しか無かった事を思い出したので、単に百倍してみたまでだった。が、

「……」

 何故か頬を染めて俯いたルシオラに、首を傾げる。変な事を言ったつもりはないし、ましてやこの反応は全くの予想外だった。
 すると、

「なんか……結婚を申し込まれたみたい」

 頬に手を当てながら、ぽつりと告げたルシオラに、へ? と声が裏返る。そうして先程の発言を思い出してみると……確かに聞こえない事もなかった。要は二人で生き、二人で死ぬぞ、と誓ったようなものだ。

「あ、いや、その……」

 思わぬところから虚を突かれ、しどろもどろになった横島に、ふふっ、とルシオラが笑う。

「ちゃんとわかってるわよ。おまえの元の魂を使ってまで甦ったんだもの。この命、決して粗末にしたりしないわ」

 胸に手を当てて、そう告げたルシオラに、横島がほっと息を洩らした。

「頼むぞ……お?」

 頷いた横島が、いつの間にか辺りの色彩が変わっている事に気付いて振り向く。どうやら話している間に結構な時間が経っていたらしい。すっかりオレンジに染まっていた陽が、東京の空と地上を同じ色に塗り替えていた。

「きれいね。ヨコシマ」

 横から聞こえてきたルシオラの声に、ああ、と頷きを返す。横目で覗き見た彼女の目は、すっかり夕陽にくぎ付けになっていた。

「夢みたいね。おまえとまた……こうしてここに居れる事が」

 呟いたルシオラの目尻には、うっすらと涙が滲んでいた。その満たされた様子の横顔に、横島の方も胸がいっぱいになる。

「俺もだよ。納得はしたけど、やっぱ、あれが最後じゃ悲しいもんな」

「ヨコシマ……」

 振り向いたルシオラの表情に、ここに来て良かった、と実感する。そんな想いが、不意に胸の奥から言葉を湧き上がらせた。

「その……今さらゆーのもなんだけど、さ」

「?」

 首を傾げるルシオラに、僅かな沈黙を挟んで、告げた。

「……お帰り。ルシオラ」

「……ただいま。ヨコシマ」

 ルシオラの目から、とめどなく涙が溢れ出した。あの日を最後に止まっていた二人の思い出は、今ようやく動き始めたのだ。
 見つめ合っていた二人の距離が、どちらからともなく縮まっていく。
 夕焼けが静かに映えるなか、屋上に落とされた二つの影の先は、 互いの気持ちを伝え合うかの様に、一つに寄り添った。


 ――その後、予定時刻をかなり過ぎて戻ってきた二人は、ひとり待ちぼうけを食らったセイリュートから、たっぷりと冷たい視線を浴びせられたのだった。



 ――さぷりめんと(ry その3――


「――なんて、そんな爽やかなラブコメで終わるほど甘い男やないで俺はーー!」

 両手に拳を作って叫んだ横島が、脇を向いて時計を見やった。ナイトテーブル付属のデジタル時計は、日付が変わっておよそ30が経った事を示している。
 頃合いだった。よし、と膝を立てると、寝床から飛び降りる。カプセルホテルの布団ではなく、れっきとしたビジネスホテルのベッドだ。晴れて収入も得られたため、今日からは当面この部屋に滞在する予定だった。昨夜までとは比べ物にならない快適さに、やはり金の力は偉大だとつくづく痛感する。
 だがいくら生活レベルが向上したとはいえ、やはり切り詰めるべきところは切り詰めるべきだろう。そう判断し、受付の際には意気揚々とダブルの部屋を予約しようとしたのだが……すんでのところでセイリュートに気付かれてしまった。
 すったもんだの末、善良たる民の声が恐怖政治に封殺されて、およそ数時間。ついに反逆の機会は訪れたのだった。
 ジージャンのボタンを留め終えた横島が、おもむろに窓の方へと移動する。窓を開け、夜の空気が部屋になだれこむのを感じとりながら、くるりと身体を反転した。そのまま小さく飛び上がると、背中を外に向ける形で窓枠に腰掛ける。
 これで準備は整った。右手に栄光の手――鉤爪――を作ると「伸びろ」と命じる。音も無く、するすると伸びていった鉤爪は、やがて1階上の部屋の窓枠に、がちりとはまった。

「よし」

何度か引っ張り、鉤爪がしっかり掛かっている事を確認して、横島がにやりとする。ビルの外壁は引っ掛かりが無く、素手では登れない。だがルシオラたちの部屋がちょうど真上である事。窓が旧式の横引き戸タイプのものである事に気付いて、今回の計画が実現した。

「待ってろよルシオラ。今すぐ迎えにあがるからな」

 ここまでくれば、あとは上まで登って窓を何とかするだけだった。 舌舐めずりを終えた横島が、霊気の綱を掴み、意気揚々と登っていく。美神相手に覗きを繰り返していた時のことを思えば、楽勝もいいところだった。たちまち登りきると、窓枠に手を掛け、懸垂の要領で身体を持ち上げる。そうして窓に張り付こうとして――

『侵入者は未来に強制送還』

 そんなメモ書きがガラスに貼っているのを発見した。ワープロの様な正確な筆跡は、恐らくセイリュートのものだろう。

「……」

 ひやりとした汗が流れた後、横島が黙って下に降りていった。美神のもとを飛び出した彼にとっては何よりも恐ろしい一文だった。


「チクショー! たかがスキンシップにあんなリーサルウエポンを使いやがって。鬼かあいつは」

 再びベッドにて横島。あぐらを組みながらぶつぶつと愚痴を洩らす。そもそもそんな行為をしなければいい話なのだが、そんな選択肢は彼には存在しない。

「はあ……」

 とはいえあんなバリアを張られたとなっては、流石にお手上げだった。もはやこれまでかと、嘆息したその瞬間――彼の脳裏に煩悩の神が囁く。ならば中に入りさえしなければ? 

「……」

 ふと浮かんだ考えをしばらく反芻する横島。そして――

「ふおおおおお!!」

 ぴんときた瞬間、電光石火の勢いで横島が集中し始めた。速攻で作り上げた文珠に【覗】と入力すると、かっ、と目を凝らす。直接手は出せないまでも、美少女二人のあられもない寝姿は煩悩を刺激するには十分な――

「どちくしょおおお!!」

 血の涙を吹き上げて、横島が床に文珠を叩き付ける。かいま見えた天井の向こうでは、母娘が組んずほぐれずで眠っていた……石と光る蛍の姿で。ご丁寧に枕元には『ママの言い付けで。ごめんね』というルシオラの走り書きまで置いてあった。

「香港の小竜姫さまの時といい、神族も魔族も、ちょっとサービスが足りなさ過ぎなんとちゃうか!?」

 血走った目で、悔しげに拳を床に叩き付ける横島の脳裏に、

「そーゆう話は作者か編集長に訊いてくれる?」

「すみません。ですが私の一存ではちょっと……」

 そんなルシオラと小竜姫の声がどこからか聞こえた様な気がした。


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