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[37866] 二つのガンダールヴ、一人は隷属を願い、一人は自由を愛した【ゼロ魔】【才人+オリ生物】
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:7cbef0dd
Date: 2016/05/05 15:17
読者の皆様おはようございます、裸足の王者です。
HDDトラブルのため、プロットを含むすべてを消失してしまいました。

幸運にも読者の方のおかげで、データを取り戻す事が出来ましたので
改良を加えつつ、のんびりと投稿を続けさせていただきたいと思います。

前回と文章の違う部分が散見されると思いますが、どうかご容赦ください。

今までと変わらぬご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2014/6/22 幕間を挿入し忘れていたため、追加しました。

2016/5/5 追加投稿



[37866] プロローグ
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:7cbef0dd
Date: 2013/06/18 00:06
二つのガンダールヴ一人は隷属を願い、一人は自由を愛した


 プロローグ


トリスタニアは白の国アルビオン、空に浮かぶ白の国
内戦が勃発し、国が割れ、王党派と貴族派とに別れた戦いは比較的短時間で終わりを告げた

また、横槍を入れてきたトリステインの敗戦

そして、ここでもう一つの小さくて巨大な闘いも、ここで終焉を迎えようとしていた。




主を守る盾となる。




ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔、平賀 才人
伝説の虚無の使い魔ガンダールヴ
1名で1000の軍勢に匹敵すると言われたその力も、7万という数の前には無力であった。


否、無力ではなかった。
才人の活躍のため、アルビオン軍7万の前線は崩壊し、混乱し、同士討ちまでさせられる羽目になった。
そして、あと1歩、いや半歩踏み込めば敵軍司令官の首をとれたかもしれない


しかし、どこの世界にも「かもしれない」は存在せず、そこにある結果が現実なのである。
戦場から少し離れた森の中で、野太い男の声が響く

「おい!相棒!起きろよ!目を覚ませよ!」

平賀才人に意識はすでになく、魂の残り火がかすみゆくように消えていく
手に張り付くほどに握りしめられていた柄がゆっくりと手のひらから離れ、こつりと音をたてて地に落ちた。

「ちぇっ、もう聞こえてねぇか…、俺ぁ寂しいぜ相棒。」

トリステイン軍撤退の殿を任された主を助け、その身代わりとなった語られることのなき英雄
平賀才人のすべてをかけた闘いは、ここで幕を閉じたかに見えた
だが、虚無は運命をすら捻じ曲げる。



■■■



東京都某所某マンション


「うわああああああああああっ!」


布団を跳ね上げて飛び起きた少年は、年に似合わぬ鋭い眼光であたりを見回し
続いてその目は、理解しがたいという色を浮かべて大きく揺れる
事態を把握しようとするものの、広がるのは混乱ばかりであった。


ふと目にとまったアニメキャラクターのカレンダー
机の上に置かれた幼稚園用の黄色いバッグ
名札には《あじさい組 ひらが さいと》とマジックでかかれている。


玉のように浮いた脂汗をぬぐった才人は、自分の手を見てさらにその混乱を深めた
剣だこで硬くなり、節くれ立った戦士の手ではなく
ぷにぷにとした柔らかい子供の手だったからだ。


事態の変化に思考が付いて行かず、ノイズ混じりの空白が頭を埋める
徐々にではあるが、落ち着きを取り戻し始めた才人の耳が、近づいてくる足音を聞きつけた

瞬時にその目は戦士のものに置き換わるものの、またすぐにその色は消えうせる
なぜなら、近づいてくる足音は、どう聞いても何も訓練されていない人間が、ただ、どたどたと慌てて走る音だったからだ


「才人!」


息せき切って扉を開けて入ってきたのは、見間違えようもない、才人の母親であった。
だが、ずいぶんと若く見える。


「かあさん!?」


その言葉に母親は柔らかな笑みを浮かべ、口を開いた

「そうよ、大丈夫?気分はどう?幼稚園の発表会で倒れたって聞いて、慌てて迎えにいったのよ」


母親は 熱はないみたいね とつぶやきながら才人の額に手を当てる。
そのぬくもりと柔らかさに、ひどく懐かしい感じを覚え、才人は思わず目頭が熱くなった。


「ありがとう、もう大丈夫だよ、かあさん」


その"大きな"手に両手でそっと触れると、邪魔に感じたと勘違いしたのか
母親はゆっくりと手をどけながら才人に語りかける

「さて、今晩のご飯はなににしましょ、才人の元気がでるメニューがいいわね、何が食べたい?おうどん?スパゲティー?それとも、ハンバーグやステーキがいいかしら」


だが、帰ってきた言葉は母親にとっては意外だった


「俺、かあさんの味噌汁が飲みたい、あとばあちゃんのお漬物も、でも、てりやきバーガーもいいな」


母親は目をぱちくりさせたが、すぐにやさしい微笑みを浮かべる。

「意外な取り合わせね、誰に似たのかしら、じゃあお父さんが帰ってきたら、みんなで一緒に食べましょ」

スリッパの音をパタパタさせながら母親が退室すると
才人はベッドを抜け出し、状況の把握に努める

カレンダーの日付は12年前のもの、幼稚園のバッグも、気の早い祖父が買ってくれた、戦隊もののプリントがされた学習机も
何もかも見覚えがあり、手で触れると、確かにそこに存在していた。


敵の幻術で惑わされているのだろうか
ナンセンス、自分はすでに瀕死だった。
惑わして捕獲し、利用する価値もない。


トリステインで過ごしたあの日々が夢の世界での出来事だったのか
ナンセンス、あれは確かに現実だった
ルイズの笑顔、ルイズの声、柔らかなルイズの手のひら、絹糸のような髪の毛、優しい香り、そして鞭でシバかれた時の痛み
すべてが本物だった。


「時間が、まき戻った…のか?」


平賀才人という人間は、突如異世界に呼び出されても正気を保ち、順応する恐るべき適応力の持ち主である
今自分に起こっている事も、また現実として素直に受け入れた。



「なら俺の取るべき行動は一つ」



ルイズの前に立つ時まで、修行を積み、少しはまともな働きができるようになろう

決意を新たに右こぶしを握り締める才人
だが、その姿はどこからどうみても完全無欠の幼稚園児であった。


その夜、一家団欒の時、いつもの姿からは想像もできないような、まっすぐな眼差しで両親への頼みごとを告げた才人を見て
両親はあんぐりと口をあけて固まってしまった。



「俺、剣術を習いたい、ダンスも礼儀作法も。」



■■■



剣術、と一口に言っても、現代の日本である。
大体は剣道、スポーツチャンバラ、まさかこの時代に本物の殺人術を教えてくれる道場など、そうそうありはしない。


射撃の場合はまた話が違ってくる。お金を積めば"動いて喋るターゲット"を撃たせてくれる、そういった稼業を行っている連中も外国には存在している。
むろんそんな場所に行けば、リコイルスプリングを極端にゆるくした.45オートや、フルオートに違法改造されたAR、銃身を極端に切り詰めた散弾銃等を手渡されるであろうが。


現在の才人はあくまで普通の日本人である、まさかそんな場所に顔を出すわけにはいかない。
翌日から母親と額に汗して探し回るものの、見つかるのは剣道道場ばかりである。


へとへとに疲れた二人が、最後に近所で見つけたのは、一見普通の民家であり、古めかしい玄関に、"剣、教えます"とだけ書かれた古びた木札のかかった一軒の道場であった。
中から出てきたのは80近い男性で、好々爺然とした笑みをうかべ、上がるように勧めてきた。


才人はハルケギニアで、さまざまな"つはもの"を見てきた。フーケ、ワルド、アニエス、ド・ゼッサール、そしてルイズの母親、ヴァリエール公爵夫人。
これらの人たちは、一種独特の空気を、"気"とも呼べるものを纏っていた。その眼光は貫くが如く鋭く、油断をすると身も心もすくみあがるほどであった。


だが、眼前の老人にはそのような気配は微塵も感じられず、才人は内心あきらめにも似た思いを抱いていた。
その様子を見た老人の口の端が、わずかに下がったが、母親はおろか才人も全く気付かなかった。


中に通された才人と母親は、道場へと案内された。
弟子の名を記した札は、壁に1枚もかけられておらず、そこだけが空虚な雰囲気をかもしだし、道場と呼ぶにはいささか気が引けるほどこじんまりとしているものの
床はつややかに輝いており、調度品も埃まみれな物は一つもなかった。


「ワシの名前は、緒方定兼、この道場の主じゃ」


「平賀才人と申します。」


緒方定兼と名乗った老人は、その顔をさらに皺くちゃにし、才人に笑いかけた

「ほほう、ずいぶんと礼儀正しい、親御さんのよい教育の賜物じゃな、まあお茶菓子でももってこようかの、子供の好みには合わんかもしれんが」


淀みを感じさせない動きで茶と茶菓子を取りに行く老人を見送り、才人と母親は目配せをした
才人はゆっくりと首を横に振り、母親は微笑みを浮かべる。だが、その様子はどこか疲れた様子であった。


「して、御用向きをうかがおうかの?」


その問いに、才人はまっすぐ相手を見て応える


「俺に、いや私に剣を教えてほしいのです。」


「私に、ときたか、こりゃ1本取られたわい」

定兼はそういうと、茶を一口すすり、細めた眼をさらに細くした

「わしの教えておる事は、学校でならう剣道等ではクソの役にも立たんぞ?」


「そうですか、ではせめて緒方先生の剣を拝見いたしたく存じます。」


才人は演武を求めた、何件も回った道場の中には、師範と高弟が演武をしてくれた事もあった


「ふ~む、修練を見せてあげればいいのか、あるいは演武かのう」

だが、定兼から帰ってきた答えは曖昧なものであった



刹那



才人の肌が総毛だった、そして耳に届く、何かが木の板を刺し貫く乾いた音
振り向いた才人の目に映ったのは、自分の後ろの壁に深々と突き刺さった棒手裏剣


そして顔を正面に戻した時、そこには悪鬼羅刹がいた。


ワルドですら怯みそうな鬼面、三日月を傾けたような目
そして、肌をちりちりと焼き焦がすようなあの感触
正気と狂気の間を一瞬で行き来する存在、とても一人の人間の前に立っているとは思えない。

「ひっ」

思わず才人の口をついて悲鳴が漏れ、母親は口をぱくぱくさせ腰を抜かしていた。


そして、その肌を焼き焦がすような感触は、定兼が顔に微笑みを浮かべるまで続いた。


演武など必要ない、365日24時間すべての時に臨戦態勢であり、全地球上がリングであり、刹那が攻撃のタイミングだと
眼前の老人の一刀はそれを物語っていた。

「これで分かってもらえたじゃろうか、わしの教えるのはこういった類の事じゃ、日常とはかけ離れておる、おぼっちゃんには必要ない事じゃ。 む?」


才人は震える足を自ら叱咤激励し、定兼と母親の射線上に立ち、両手を広げる
だが、手も足も体も震え、まっすぐ前を見据えるので精いっぱいだった。


その様子を見た定兼は、右眉を吊り上げ、口の端に笑みを浮かべる

「体は動かず、絶対に勝てぬ武器持ちの相手、そばには守るべき人、ゆえに自らを盾とする、か?しかし、下策じゃ、君が死んだら母上を誰が守るのかね?」


「はい、時間稼ぎですが、これしかできませんから」


「ふ~む、おぼ…、いや、才人君と言ったね?入門は認めよう、月謝などいらぬ、ただし、色々と聞きたいことがある」


その日より、才人の弟子入りは認められた。
当然の事だが、母親と父親は反対した、こんな危険な人物に自分たちの息子を預けるわけには行かないからだ。
しかし、定兼が突如凶行に及んだのは、一種のフィルターだったのである。


だが、両親の予想に反して才人の決意は固く、結局は期限付きで
音を上げるなら即中止させるとの条件を付けた上で弟子入りを許可した。
その翌日から、才人のレッスンと特訓の日々が始まった。


ダンス、作法、剣術、それに、小学校に入ってからはそこに勉強も加わった
だが、一度経験した内容にそうそう遅れを取ることもなく、才人は順調に修練を積み上げていった。


緒方定兼から教えられたのは、紛うことなき殺人術、それも貴族たちの嫌いそうな、ド汚い戦い方
戦場の混乱の中でいかに生き残るか、という術だった。


いかに相手の油断を誘うか、どのような時間帯、どのような状態のときに相手が一番油断をしているのか
剣術、槍術、棒術、馬術、体術、隠密術、手裏剣術、各種暗器の扱い方、果ては毒や爆発物の扱い方など
そして、最初に教えられたのが、それら傷の手当の方法であった。


剣は真剣、短刀に始まり、小太刀、才人が中学生になるころには大刀を握らされた。
無論、才人の骨格や体を壊すことのないように、修練には細心の注意が払われた。
かといって生ぬるい内容などでは到底なく、才人の吐いた反吐で床にはいくつかの染みが出来上がっていた。


師匠は寸止め、才人は木刀を全力で打ち込んだが、いくら振り回そうが何をしようが、師の体にはかすりもしなかった。
また、紙一重の見切りを獲得するため、師匠が眼前で真剣を振り回した時など、才人は文字通り走馬灯を見た。


時折道場には、凍りつくような青い目をした金髪の筋骨隆々とした大男たちが顔を出し
地に平伏し小さくなって師匠と話をしていた。


それが黒人の大男であったり、仕立ての良いスーツを着た日本人の初老の男であったりもしたが
彼らの共通点は、剃刀のようなその目だった。


そんな修練を毎日続けているため、上級生などから喧嘩をふっかけられたとしても、才人は決して手を出さなかった。
からまれようがすごまれようが、師匠の鬼気や、時折ふらりと現れる連中の目に比べたら赤ん坊の地団太と大差はない。
そして、殴ろうが蹴ろうが、バットを振り回そうがチェーンを振り回そうが、師匠の剣に比べるとハエが止まるようなとろくさい攻撃だったのだ。
チェーンの先端は見えないほどの速度であっても、素人なら必ず自分の体を叩かないように振り回す、ゆえに単調な軌道になるため、決して慢心せず、回避に専念すれば何時間でも避けられる。
不良たちの面子をかけた死闘も、才人にとっては、せいぜい1対多数の実践の場でしかなかった。


ある時など、狂ったように振り回したチェーンが、自分の股間をしたたかにぶっ叩き、喧嘩以前に白目をむいて気絶した大バカ者まで出た始末である。
そのため、周辺の学校の不良たちまでも才人には一目置いており、喧嘩を吹っ掛けるような事は決してしなかった。
身の程知らずにも才人に喧嘩をふっかけた連中は、ヘロンヘロンになるまで素振りを続けさせられるか、自分自身を攻撃して悶絶するかのどちらかだったからである。


そして、小さな修練も積み重ねれば日常となり、己の血肉となる。
才人が高校生になった、秋の夕方、いつものように学校帰りに道場に行くと、いつものように師匠がにこやかに迎えてくれた。


「おう、才人君上がりなさい」


「失礼いたします。」


師匠は座しており、お茶と茶菓子が並べられていた。
今日は扉が開いたとたんに訓練が始まるといった訳ではないようだ。
才人は瞬時にお茶の色と香りを精査し、ゆっくりと口に含んだ
玉露の深い味わいが口を満たし、喉は糖蜜をなめたように甘く、鼻には柔らかな香りがのぼってきた。


「ほっほ、今日は何も変なものは混ぜておらんよ」


そう、"今日は"である。このいたずらっ子のような師匠相手には油断など絶対厳禁である。
やがて師匠は表情を引き締め、しかし穏やかな口調で語りかけてきた。


「才人君、今さらながらに思うが、ようも飽きもせずわしの指導についてきてくれるなぁ」


「値千金の師匠の教えを、飽きるなどと、とんでもありません」

高校生らしからぬ礼儀正しさ、凛とした振る舞いで才人が答えると、師匠の目の端に少しだけ笑みが浮かぶ。

「わしは最初に言ったな、"色々と聞きたい事がある"と」


「はい」


師匠は道場の縁側に行き、外を眺める。才人はその師匠の背中にすら隙を見いだせないかと目を凝らしてみたが、やはりどうにもならなかった。
寺の鐘が遠く響き、茜色の空には巣へと急ぐ鳥たちのシルエットが浮かんでいる。


「もうかれこれ10年以上か…」


「はい、いまだに師匠から1本も取れぬ駄目弟子ですが」


「ほっ、100年早いわ」

しばしの沈黙の後、師匠はゆっくりと振り向き、才人の真正面に座りなおす。

「さて、そろそろ君がなぜこれほどに修業を重ねるのか、それを教えてもらえんかね」


才人は話した。今まで両親にすら明かさなかった秘密を
召喚、ハルケギニア、自らの死、時間の逆行。
師匠たる緒方定兼は、決して嘲笑うことなく、真剣な表情でそれを聞いていた。


「つまるところ、君は大切な人を守りたい訳じゃな?」


「はい」


「で、そのるいずちゃんってのはどんな娘じゃ?」


才人の正座ががくりとずれ動き、思わず前のめりにコケそうになる。
構わず師匠はまくしたてる。


「ボインボインか?ふほっほほ、小さいのも悪くないの、…まさか、今流行りの男の娘とか言いださんじゃろうな」


「ぶーーーーうっ!」

気を取り直そうと口に含んだ玉露が、水鉄砲のように師匠に吹きかけられる。


「きったないのう、上等な玉露を」


「げほっ!げほっ、しっ師匠!なんでそんなオタクっぽい言葉をご存じなんですか?」


「う~ん?いかんぞ才人君、非生産的なのは、生物学的に間違っている禁断の関係じゃ」


「だから違いますって!!」

しかし、全力で否定しながらも才人は心の中で、ルイズの容姿で男だったら、それはそれで危険な香りがするな、と考えていた。
要するに似たもの師弟である。


「ほっほ、ぱそこんといんたーねっとは便利じゃからのう」


からからと笑い続ける師匠を見ながら、頼むから見る内容を選んでくれと、才人は切に願った。


「で、"前回"はいつごろ召喚されたのじゃ?」


「はい、恐らくですが近々に…」


師匠は才人の心の揺らぎを敏感に感じ取り、今回のように話を持ちかけてくれたのであろう
才人は心の中で師匠に感謝した。


「はっきり言って君はまだまだ修行の途中じゃ、免許皆伝なんぞ到底できん。当り前じゃ、10年そこそこで免許皆伝なんぞしたら先達に申し訳がたたんわ」


「はい、心得ております」


「よし、わしからの餞別じゃ、まっておれ」

師匠はそういうと、ごそごそと奥のほうへ引っ込んでしまい、何やら布に包まれた棒のようなものを手にして戻ってきた。


「これは?」

問うまでもない、漆塗りの立派な鞘に包まれ、金象嵌の鍔をはめられた小太刀である。


「知らん、銘なんぞ忘れた、切れて折れず、曲がらなければいいんじゃよ、なにせ人切り包丁じゃからの」


才人は師匠に許可を得てから刀を拝見する
小太刀ながら十分に厚い身幅、長さ2尺、反りは浅く、刃文は三本杉
すらりと優美な刀身は、どことなく女性的な香りが漂っている。
その美しさもさることながら、実用十分な強度を誇り、まさしく人切り包丁であった。


「こんな高価なものを…」


「うん?恐らくわしがその刀じゃったらこう言うじゃろうな"眺めるだけではなく、本来の使い方をしてほしい"とな」


「…はい」


すこし顔色が曇った才人を見て師匠は助け船を出す。

「才人君、わしは君に殺人を楽しむ男になってほしいと思って剣を教えておるわけではない」


「おっしゃる通りです。」


「じゃが、戦場とは甘い場所ではない、殺らなければ、こちらが殺られる。大切なるいずちゃんを本気で守りたいのなら、どの瞬間にでも己の手を汚す覚悟だけはしておけよ」


「肝に銘じておきます。」


才人と師匠が話し込んでいる間に外は宵闇に包まれ、虫の鳴く声がかすかに響いていた。

「さあ、今日はもう遅い、どれ、たくすぃー代を出してやるから急いで帰りなさい。」


「いえ、走って帰りますので、大丈夫です。」


その言葉に、定兼は呵々と笑い声をあげる

「そうかそうか、まあご両親にも今のように丁寧に説明すれば分かってもらえるじゃろう!」


「はい、ではこれで失礼いたします。」


「才人君!」


道場を出ようとした才人の背中に師匠が声をかける
浮かんでいるのはいつものいたずらっ子のような笑みだった。


「職質を食らうとマズいぞ」


才人は歯をむき出しにし、野性的な笑みを浮かべる
八重歯がまるで獣の犬歯のようにすら見える


「師匠の弟子で、その程度の穏形ができない人間っていましたっけ?」


近所にも響き渡るような定兼の大笑いが響き渡り、才人も腹の底から笑った。


「おお?今日は満月かの?」


「そのようですね」


外には"一つしかない"月が輝き、ススキの穂が揺れる。


「達者での」


「お師匠様もお元気で」


深々と礼をし、走り去っていく才人の後ろ姿が見えなくなるまで、師匠は見送り続けた
孫を見る祖父の目で、ゆっくりと手を振りながら。



■■■



さて、本当に才人にとって大変だったのは、家族にどう打ち明けるかという事だった。

「ぬぁ~っ、もう、絶対信じてもらえねーだろうな。」

ばりばりと髪の毛を掻きむしりながら身もだえしてみても、フケが落ちるだけで全く埒はあかない。
その夜、いつにもまして真剣な表情の才人が、ついに両親に秘密をうちあけた。


父親はビールを一瓶全部床に飲ませ、さすがの母親も開いた口がふさがらなかった。
当り前である、そこらの一般人に召喚がどうのこうのとか、ハルケギニアがどうのこうのと言ったところで
休みを取り、精神科医にかかるように必死に説得されるのがオチである。


父親は、熱でもあるのかと才人の額に触れてみるが、平熱である。
あまりにハードな毎日に、ついにプッツンしたのかと母親もおろおろしていた。


しかし、才人の目には狂気の色など微塵も見えず、ただただ固い決意がきらめいていた。
父親ははたと膝を叩き、こう言った。

「才人、俺はな、お前に恋人が居たからといって決して驚かん、たとえそれが外国人の綺麗な娘さんだったとしてもだ。だから正直に言いなさい、そうすればそのルイズちゃんという娘と付き合っても俺は文句は言わない!!」


「お父さん、信じてくれと言ってもそりゃ無理なのは分かる、だが全部本当の事なんだ!」


「馬鹿も休み休み言いなさい!」


「でもあなた、それにしては全部筋が通りすぎていると思わない?」

母親が疑問をさしはさむが、すでにビールである程度酔っていた父親は止まらない

「お前もそうやって才人の肩を持つ!大体がだな」


「あなた、少し静かにしててくださる?」


「はい…」

才人は何となくその情景に、既婚男性の悲哀と、ヴァリエール公爵の苦労を垣間見た気がした。


「さて、才人、こちらを向きなさい」

母親が静かにこう言った場合、素直に従うのが最善だ
才人はそれを"前回"の記憶から確信していた。
もっとも、このセリフを聞いたのは"今回"ではこれが初めてだが


「才人、お父さんと私はね、才人が私たちの目の届くところにいて、健康で普通の生活を送って、いっぱい恋愛して、幸せに生きてほしいのよ
 異世界へ行って戦争に巻き込まれてほしいなんて、微塵も思わない」

母親は続ける、意を決したかのように

「でもね、それはあくまで私たちの希望、それであなたを縛ろうとは思わないわ」


才人はうなずく、この言葉にどれほどの重さがあるのかを、何となくだが分かるのだ。


「才人の覚悟を教えて、でも命を捨ててその娘を助けるなんて、安っぽい台詞を言おうものなら、絶対許しませんからね」

母親の目が赤い、それを見て才人は少し胸が痛んだ
だが、決意が揺らぐことは決してなかった。
才人は座っていた座布団を下り、手を顔の下につき、しっかりと頭を下げた。

「俺は、ルイズと共に生きる、たとえ何があろうとも二人で生き抜く、だから、お父さんお母さん、俺を行かせてください!」


沈黙と、すすり泣く声、異様に長く感じたその時間を終わらせたのは、父親の落ち着いた声であった。


「顔をあげなさい、才人、本音を言えばお父さんも反対だ、だがな、これまでの才人のひたむきな努力を無視することは男としてできない」


その時ほど威厳に満ちた目をした父を才人は知らない。手は母親を優しく抱き、家のことは心配ないから思いっきりやってこい
父親の目は、そう語りかけているかのように見えた。


「どうせなら、とことんやってこい!」


「はい!」


一度話しが決まってしまえば平賀家の行動は極めて迅速だった。
なにせ、一世一代の息子の旅立ちである。
召喚されなかったら、などということは微塵も頭になかった。


母親はのりのりで才人の服をあれこれと選び、さらには、ルイズちゃんへ、とアロマチックなシャンプーとリンスを買った。
父親は何かの役に立つだろうと、トランシーバー一式をプレゼント。
最低限のサバイバルキット、そして、師匠から餞別にと譲り受けた小太刀、手入れ道具。
暗器一式、稽古用の鉄芯入り木刀。

そして、師匠から、命を捨てる必要がある時以外開けるなと、渡された桐の小箱。
全部を大振りな背嚢に収めると、これはまた大変な重量である。
だが、全身を鋼のように鍛え上げた才人には大して苦にはならなった。


そして、運命の朝は訪れる


大きな背嚢をしょって玄関を出て行く才人を両親が見送る。


「いってきます!」


「いってらっしゃい」

「しっかりやるんだぞ才人!」


あまりにも日常的なので、だれもこれが親子の今生の別れとは思わないだろう。
そして、才人は、予定通り現れた銀色の鏡を見つけ、嬉々としてそれに飛び込んだ。


■■■



時を同じくした、東京都某所、一人の草臥れた男が、自室で虚空を見つめていた。
男の名前は津神翔兵、30代前半だというのに、初老と言われてもうなずけるようなその容姿


働いていた会社は倒産し、身寄りも無し、妻もおらず、仕事が忙しいと恋愛を避けていた自分を罵っていた。
だが、結果としては良かったのかもしれない、妻と子共々に路頭に迷わせるよりは、あるいは良かったのかも知れない。


しかし、会社が倒産しただけならばまだ良い、務めていた会社は、社員に自社株を購入させ
会社が倒産寸前になっても、株の売却を許可しなかった。


ほぼ全ての財産を一度の事件で失ってから、職を転々とし、食いつないできたものの、翔兵の心はすでに限界に来ていたのだろう。
壁に貼ってあるアルバイトの勤務表は、今日が翔兵の出勤日であることを語るものの、通話料未払いの携帯はかすかな音すら立てない。
支出は容赦なく収入を上回っていき、明日にもネットは止まってしまうだろう。


そして、そう遠くない未来にライフラインも


そんな男の部屋に突然、銀色の鏡のようなものが現れる。

「なんだろう」

ぼそりと呟いた男は銀色の鏡が完全に空中に浮いていることに気き
手を触れようと手を伸ばすものの、考えられる危険性に、思わず手をひっこめる
そして、試しにポータブル音楽プレイヤーを放り込んでみる、だが、反対側には何も存在しない。
今度はタブ譜の本を数冊投げ込んで見るが、やはり反対側には、なにも見つからなった。


すこし興味をそそられた男は、手近にある物を適当に放り込んでみる。
あまりの安値に手放すことをためらった、ギターのアンプ、古いエレキギター、エフェクター
だが、いずれも戻ってくることは無かった。


「うそだろう、これは嘘だ、多分俺は夢を見ているんだ」


だが、男の目には、かつての光が徐々に戻って来ていた、そうだ、俺はこの鏡、いやゲートを知っている、
それに、俺にもある程度の科学技術や知識はある、この日本よりも、まだ異界で何かできる事があるのではないだろうか。
そこでふと、鏡に映る自分の姿を目に止め、男の目元に哀愁が漂い、自嘲気味なつぶやきが漏れる。

「ゼロのおっさんの使い魔、か…」


だが、ここで座して死を待つよりは良いだろう、男は意を決して、鏡に飛び込んだ。



■■■


「あんた誰?」


才人の目の前にいる美少女が怪訝な顔を浮かべている、そして間違いなくこの顔は不機嫌な時の表情だ。
才人は召喚される前から考えていた、杖でも持って、ローブでも着て現れてやろうか
それとも、何かもっと派手な登場の仕方をして、ルイズを馬鹿にしている連中を黙らせてやろうか


だが、”前回”と違うポイントと言えば、服のセンスが少し良くなり、シルバーのアクセサリーをつけ
首には男物のプラチナネックレスを下げている事ぐらいだった。
才人は荷物を地面に下ろし、ルイズの前に進み出ると片膝を着き、右手を胸に当ててこういった。


「お初にお目にかかります、私の名は平賀才人、トリステイン風に呼べばサイト・ヒラガとなりますか。改めてお聞きします。貴女が私の主ですね?」


ほぼ全員が口をあけたまま固まってしまう、召喚しました、礼儀をわきまえた人間が出てきました。
これを異常事態と言わずしてなんというのか。
”前回”は大いにヤジが飛び、ルイズは真っ赤になって反論していた。
だが、今回は違う、あまりの事態の進展に、タバサを除くほぼ全員が、固唾を呑んで事の成り行きを見守っていた。

「えっと、あの、そ、そうよ!」

ルイズは思い出したかのように胸を張り、精一杯の威厳を保とうとするものの、動揺は隠せなかった。
一体なんだってのよ、ドラゴンやマンティコアとまで贅沢は言わない、猫でも犬でも良かったのに
なんで人間が出てくるのよ!

そこへ、引率のコルベールが歩み出てくる

「驚いたね、まさか人間を召喚するなど、前代未聞だ」


才人は危うく、ご無沙汰しております先生、と言いそうになるのを堪える。


「しかし、いかなるものが召喚されようとも、それが君の使い魔だ、ミス・ヴァリエール」


「しかし…!」


「これは伝統なんだ、例外は認められない」


「そんな」


コルベールは、才人の方に振り向くと、やや警戒の色を含んだ目で観察をしている。

「君は、どこかの国の貴族かね?なかなか仕立てのよい服を着ているね」


「いいえ、私は貴族ではありません。ただ、剣を左右に動かす事を覚えたばかりの者です。」

コルベールは警戒する一方、内心感心していた、自分が教えている生徒などよりも、余程身のこなしが洗練されており
礼儀正しい、何よりも目の輝きが違う、明確な目的を持ち、それに向かって邁進する人間の目は、男女の別なく美しいと呼べるものだ。

「ふむ、剣士か」

ならば、ある程度富裕などこかの平民を召喚してしまったのだろう、コルベールも必要以上に心配することをやめた。
仮に貴族を召喚してしまったとしても、オスマン学院長の手練手管の一つ、政治的な手段を講じればよいだけのことだ。


「さて、ミス・ヴァリエール、知っての通り、春の使い魔召喚の儀式のルールとは、すべてに優先されます。彼を使い魔としなさい。いいですね」


ルイズの頬がぴくぴくと動き、片目は見開かれ、口がへの字に曲がっている、言葉で表すならば”うげぇ”といったところか


「えー、彼を?」


だが、困惑と否定と怒りとのないまぜになったルイズの抗議も虚しく、コルベールの表情はまったく変わらない

「そうです、儀式を続けなさい。まったく、早くしないと次の授業が始まってしまいますぞ、君は一体どれだけ召喚に時間を費やしたか理解していないのかね」

コルベールのその言葉を待っていたかのように、今まで沈黙していた同級生たちが口々にはやし立てた。

「はやくしろよゼロのルイズ!」

「平民の旅人を召還してどうすんだよ!」

「早くうがいをしたいのよ!あんたのせいで口の中にまで砂がはいっちゃったじゃない!」

才人は思い出す、ルイズの魔法は失敗すると爆発する事を、いや、1つの例外もなく、とにかく爆発するのだ
そして、爆発が発生する場所は完全にランダム、地面が爆発すれば砂塵が巻き上がり、被害者は否応なしに文字通り砂を噛む思いをさせられる。
さらに、もしも、もしもコルベールの後頭部が爆心地になってしまえば、その結果は考えるまでもない、哀歌と慟哭が響き渡るだろう。

ゆえに、ルイズが召喚を行うために使った魔法により、少なからぬ犠牲が出ていたのだ
だが、さりとて本人といえども、どうしようもない事なのである。

「ねえ」

昔を思い出していた才人にルイズが声をかける。
そうだ、11年ぶりになるのだ。

「あんた、感謝しなさいよね、普通は貴族にこんな事されるなんて、一生ありえないんだから」

ルイズが杖を振りながら近くに歩み寄ってくる、才人の心臓が跳ねた。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。」

制服とマントの擦れる微かな音すら聞こえる。

「五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

細い指が才人の頭を持ち、その濡れた宝石のような唇が近づいてくる。


(ああ、俺は帰ってきた)


思わずその手でルイズの肩を抱きしめそうになり、必死の思いで自制する、以前の才人ならば考えられない事だ。


「終わりました」


ルイズは平静を装っているが、顔が耳まで真っ赤だ。
そんなルイズに平然とコルベールが声をかける、さすが先生、スルーするのも大人の優しさか
と、思いかけて才人は思い出す。コルベール先生にそういった類のものを期待するのは酷かもしれない。

「サモン・サーヴァントは失敗続きだったが、コントラクト・サーヴァンとは成功したようだね、おめでとう、ミス・ヴァリエール」

笑みを浮かべたコルベール先生は本当にうれしそうな表情だ。

「そいつがただの平民だから、契約できたん…」

「そうそう、そいつが高位の幻獣だった、ら…」

口々にはやし立てようとした生徒の口が止まる
才人の目を直視してしまったためだ。


底冷えのする、据わった目。温室育ちの貴族は、修羅場をくぐった喧嘩自慢にガン飛ばされてビビってしまったのだ。
気合の入った喧嘩師相手では、単なるおぼっちゃんでは目を合わせる事すらできない。
屈辱と悔しさに歯を食いしばるが、顔を上げることもできない。


だが、そこは才人、彼がずっとかっこいいままなわけがない。
フンと鼻息を吐き出した才人は、次の瞬間、左手の甲に走る痛みに顔を引きつらせる

「ぐあっ、結構いてぇなやっぱ!」


「我慢なさい、使い魔のルーンが刻まれてるだけよ」

腰に手を当てたルイズが眉をしかめる、この程度で騒ぐなといった所だろうが
ルーンを刻まれる方は結構な痛みに耐えなければならないのである。

そして、才人の左手に再び隷属の印が刻まれた。


ガンダールヴ


一騎当千の神の盾


(そうとも、俺は帰ってきた)


アルビオンの貴族派7万を前に1歩もひるむことなく戦った、その力の源


(このルーンは俺のものだ、そしてルイズの使い魔とは、ゼロの使い魔とは俺の事だ!!誰にも譲らねぇ!)


才人は感慨にふけりながら、背中の小太刀に手を伸ばす
即座にルーンが光り輝き、小太刀の最も効果的な使用法を教えてくれる。
だが、才人はさらに深く、深く集中し、目を瞑る。周囲から音が消える。


そして、闇の中の灯火のように、わずかな情報が送られてくる。この無名の業物がいかにして作られたか、その想いとも呼べるものを
稀代の名工が、己の娘を守るために作った守り刀、その想いは、ルイズを守るためにこの地に帰ってきた自らにも通じるものがある。


だが、その静寂はコルベールの警戒を促す声によって破られた。


「ミス・ヴァリエール!」


「なんでしょう、ミスタ」


「見たまえ!召喚のゲートがまだ閉じていない!これは一体」


確かにおかしい、才人が出てきたゲートは未だその場所にありつづけている。
そして、突如ゲートが学院の壁を越えるほどに広がり、異様な気配が辺りを支配した。


銀色の表面から、黒く染まった闇が滲み出してきた、いや、それは黒い鱗に被われた巨大な、あまりに巨大な、6つの赤く燃え盛る目を備えた頭だった。
さらに、その頭部の巨大さを裏付けるかのようにして長い長い首がゆっくりと、召喚ゲートから現れてくる。
蛇のような頭は、その顎を大きく上下に開き、ついでその外顎は左右に別れ。


そして、世界から音が消え去った


外側に面した学院のガラスは木っ端微塵に打ち砕かれ、雪のように地面に降り注ぐ
その場にいたものは、今何が起こったのかを全く理解できなかった。
突如衝撃波のようなものが襲いかかって来て、耳が完全にバカになってしまったからだ。


そして、朦朧とした頭でその蛇を見たものは、ぼんやりと理解する。
ああ、さきほどの衝撃波はこの蛇が放った怒りの咆哮だと。


爬虫類独特の縦に割れた虹彩が、光を検知して細く狭められる。
そして、ギョロリと動いた瞳をのぞき込んだものは、心臓を握られるがごとき恐怖に動きを束縛された。


サーペントの類かと思えるほど長い首の後に、巨大な前足と、折りたたまれた翼の先端が姿を表す
それはその巨大な存在が、食物連鎖の頂点に君臨する王である事を雄弁に物語っていた。


ズシン


腹に響く重低音を轟かせ、前足が地面を踏みしめる
前足のサイズは優に5メイルはあるだろう、そして、先端には2メイルほどの大鎌のような爪がついており、舗装された地面を粘土のように引き裂いていた。


現存する竜種に、このような巨大な存在はおらず、また目が6つもある竜など、聞いたこともない。


不幸なことにその竜が進む先にはキュルケとタバサがいた。
全身は未だにゲートから抜け切っておらず、方向を転換してくれと、この巨大な存在に頼むことなど考えられない。
人間が歩くときに、靴の下にアリがいないかと気を使わないのと同じく、この古代竜が人間ごときを気にかけて歩いてくれるとはとても思えないからだ。


コルベール身振り手振りでキュルケとタバサに、落ち着いて退避しろというジェスチャーをしている。
だが、その額には玉のような脂汗が浮いており、その心の中を物語っていた。


一方、竜が向かってくる方向にいたタバサとキュルケは、絶体絶命の状況に置かれていた。
キュルケは先程の咆哮で腰を抜かしており、思うように動けない。


キュルケを庇うように前に踏み出したタバサも、腰こそ抜かしていないものの、そのほっそりとした足は、子鹿のように震え、マントの下の制服は
冷や汗によって、肌が透けるほど濡れていた。


「タバサ、逃げて!」


親友の叫ぶような声が後ろから叩きつけられる。それは一時的難聴になっているタバサの耳にも十分届いた。
タバサは後ろを振り返らず、ゆっくりと後退し、キュルケの手を肩に回す。
だが、反対側の手はしっかりと杖を構えていた。


「一体なんなのよ…」


「恐らくは古代竜、見た事もない大きさ、ここから逃げなきゃ」


シルフィードに乗って急速離脱したいものの、シルフィードも、キュルケのサラマンダーも地面に伏せてただガタガタと震えているばかり
タバサは内心舌打ちをしながらゆっくりと後退する、もしこの竜が空腹で、下手に動く事によって自分たちに興味を持ってしまったら命はない。


竜はゆっくりと歩いているが、1歩1歩の歩幅が半端な広さではない、地面を揺るがす地震の震源地が少しづつ近くなっていった。
地面は足の形に4メイルほどの深さに踏みしめられており、もし踏まれたら、確実に命を失うであろう事は、容易に想像がついた。


だが、目をつむって寄り添う二人の上には、いつまで待っても衝撃は襲って来なかった。
古代竜が、あろうことか二人を避けて歩いたのだ。


「え?」


タバサの小さな唇から、驚きの声が漏れる。
そして、依然として古代竜の巨大な腹は頭上にある
竜は頭を傾けて下を確認し、わざわざうずくまっている2人を避けるようにして歩いたのだ。

そのうち、ついに古代竜の全貌が明らかになる。


全長80メイル前後
全高25メイル前後


爛々と輝く紅玉のごとき6つの目、2つは他の4つより大きく、縦に割れた虹彩はまさしく爬虫類のそれ。
はちきれんばかりの筋肉を覆い尽くす黒黒とした鱗の重厚さは、重装歩兵のプレートメイルが紙細工に見えるほどだ。
そして、頭部はまるで古代の恐魚を思わせるさらに分厚い装甲に覆われており
4つに分かれる大あごは、獲物を噛み切る巨大な鋏の役割を果たす。
内側にも上下に開く顎があり、比較的"小さな"牙がゾロリと並び、その口に一度捕らえられた獲物に逃れる術は無い。


300トンを優に上回る総重量を受けて、地面が頼り無さげに沈み込む。
折りたたまれた6つの巨大な翼は、古代竜がただ大地を這いずり回るだけの存在ではない事を示していた。


やがて古代竜は頭を巡らし、その巨大な瞳が才人を捕らえ、一瞬その目が大きく見開かれる。


「やべぇ、こっちに来るぞ!」

才人は尻もちをついてしまったルイズの前に出、小太刀を抜き放つ
だが、巨大すぎる敵に対して、業物の刃とガンダールヴのルーンの力強い輝きは、あまりにもちっぽけに感じられた。
コルベールも己の生徒を護るため、杖を構え才人と並び立つ、だがその顔色は悪い。


春の使い魔召喚の儀式は危険な側面を持つ、だからこそオスマン学院長は、最も戦闘能力の高いコルベールにのみ引率を任せているのだ。
だが、此度の出来事は、下手をすれば学院の危機どころか、トリステインそのものの存亡の危機であった。


強者が持つ圧倒的な威圧感、それに加え、生物そのものがもつ存在感、氣とも言うべき気配に、才人は押しつぶされそうな錯覚を覚える。
こんなところで終わるわけにはいかない、才人は、ルイズを護るために即座に己の命をチップに変えた。
だが、全部賭けてなお足りぬ、そんな思いから才人は歯噛みする


隙を見て、全力で退避する
だがまずはルイズからこの巨大竜を遠ざける必要がある。
才人とコルベールの目が合い、同時に力強く頷く。


目の前には大鎌のような爪のついた前足がゆっくりと、地響きを立てて確実に迫ってくる。
ただ走って逃げるのはバカの所業だ、おそらく数歩で追いつかれ、確実に息の根を止められるだろう。


コルベールは杖を風車のように振り回し、吠え猛る

「はああああーーっ!!!」

そして、大げさな動作で左右にステップを踏み、ルイズと才人から離れた方角へダッシュした。
だが、古代竜はそちらには目もくれず、まっすぐにルイズと才人の方角へ歩いてくる。


「ウオオオッ!!」


才人もまた、獣のような咆哮を放ち、ルイズやコルベールと離れた位置にダッシュする。
すると古代竜は一瞬歩みを止め、ルイズと才人との間で視線を迷わせた。
だがそれも一瞬で、古代竜はたったの半歩で、才人との間合いを詰める。


「いかん!」

コルベールは叫ぶと、全身が陽炎のように歪んで見えるほどの膨大な魔力を練り上げ始める。


「フレイムボール!」


直径3メイルはあろうかという巨大な青い火球が、古代竜の足に炸裂する
本来なら鉄すら融解させるほどの一撃にもかかわらず、その黒黒とした鱗には、傷一つつけられない。


「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース」


氷でできた鈴を転がすような、澄んだ声が響き、あたりの気温が急激に低下する。


「いかん、やめたまえ!危険だ!」

鬼気迫る表情で制止するコルベール、彼は自分の生徒が傷つく事を決して許さない。
だが、思惑は外れ、タバサの魔法は完成する。

「ジャベリン!」


極限の集中を持って放たれ、鉄の鎧にすら穴を開ける氷の槍は、やはり虚しく弾かれ、砕けた欠片が粉雪のごとく降り積もるのみ。
自らの渾身の一撃をもってして一瞥だにされないという状況に、わずかにタバサのプライドに傷が入った。


そしてついに、古代竜は才人を巨大な前足の射程圏内に捉える、だが予想に反して伸ばされた前足の動きはのろく、引き裂くというよりは掴もうとしているように見える。
だが、才人は目一杯飛び退き、古代竜の前足を回避する、確かに遅いが、そのあまりの大きさのため、のんびりしていたら捕捉されてしまう。


竜が前足を伸ばす、才人が躱す、そういった攻防を幾度か繰り返した後、やがて古代竜がじれたのか、才人の近くの地面に前足を叩きつける。
大地は波打ちめくれ上がり、バランス感覚を鍛え上げた才人をしてよろめかせる。
やがて土煙が晴れた時、才人は古代竜の巨大な前足に捕らえられていた。


「くうっ!」


腸が口から出るのではないかと思わせるほどの圧迫感に、思わず才人の口から苦悶の声が漏れる。すると不思議なことに、圧迫は弱まった。
だが、両手を万歳した形になっており、もはや逃げることはおろか身動き一つ取れない。


「このぉお!!」


いつもの温厚なコルベールからは考えられないような怒号があたりに響き渡り
青い炎の槍がコルベールの前に現れ、それは少しづつ巨大化していく。


フレイム・ランス


範囲攻撃が多い火メイジの中にあって1点特化型の貫通魔法

火×火×火

火の三乗


そして、呪文は完成する。


「くらえ!フレイム・ランス!!」


鉄をも容易に溶解させる炎の槍は、狙い過たずに古代竜の後足を捉え
それも鱗がもっとも薄く見える場所に命中し、爆音が轟き、大気が震えた。


だが、それほどの魔法をもってしても、古代竜の黒光りする鱗には、焦げ跡すら付いていない
当然だが、古代竜はコルベールのほうを一瞥だにすることはなかった。


「くそっ!一体どうすれば!むっ?!」


空を見上げたコルベールの表情が曇る
なぜなら、夜の帳を切り取ったかのような巨大な翼膜が空を覆い隠し始めていたからだ。


「いかん!みんな外壁の内側へ避難したまえ!急げ!!!」


切迫したコルベールの声が生徒の耳朶を叩き、我に返ったかのように生徒たちが避難し始める。
タバサはキュルケを抱えたままフライで飛び、コルベールもまたルイズをその腕で抱えて飛ぶ。


「先生!まだコントラクトサーバントが!」


コルベールの腕の中でルイズがもがき、降りようとするが、まるで万力にはさまれたかのようにルイズは動けなかった。


「気持ちは分かるが、今はおとなしくしたまえ!あれほどの存在、あれは君の手に余る!」


「しかし」


「私には全生徒の安全を確保する義務がある、今はこらえなさい!」

普段のコルベールからは想像もつかないほどの覇気が吹き付けてくる。
これにはさすがのルイズもおとなしくならざるを得なかった。


そして、コルベールのローブの裾がまだ城壁の内側に入らないうちに、辺りを暴風が支配した。


人の頭ほどの岩がまるで木の実のようにあちこち転げ周り
植林されていた樹木は折れ、千切れ、バラバラになりつつ飛来する。


それはまるで散弾、仮に2秒でも避難が遅れていれば全員の命はなかっただろう。
荒れ狂う突風と、小規模の竜巻は、蒼空の覇者が自らの縄張りに戻るまで続いた。



[37866] 第1話 対話
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:f49f5373
Date: 2013/08/19 07:22
二つのガンダールヴ - 一人は隷属を願い、一人は自由を愛した -


第1話 対話


平賀才人は現在、空の散歩を満喫していた。
もっとも、楽しんでいるかと問われれば、その答えは否だろう。
耳元で風が流れるびゅうびゅうという音が聞こえ、同時にリズミカルな轟音が混じる。
6つの強烈な風切音が聞こえると同時に、体が浮かび上がるふわりとした感触が体を駆け抜ける。


そう、才人は現在、古代竜の爪に捕われ、強制的に連行されている最中だった。
見えるものといえば黒く、艶やかな鱗、感じられるのはゆっくりとした鼓動の音のみ。
行き先は古代竜の巣で、そこには竜の幼生が待ち受けており、自分はご馳走にされてしまうのだろう。
才人が悔しさに唇をかみ締めたその時、体中のセンサーが、現在地面へ向かって降下していることを感じ取る。


才人は細くゆっくりと息を吐き、精神を極限まで集中する。


-巣に降ろされた瞬間に、竜の幼生を叩き斬ってでも逃げ切る、俺はルイズの元へ帰る!-


そして、予想以上に凄まじい着地の衝撃が、竜の手のひら越しに伝わってきた。
辺りにはもうもうとした土煙が立ち込め、森の土の腐敗臭がかすかにただよい、才人の鋭敏な鼻はそれを感じ取る。
だが、古代竜の手のひらは微塵も緩まず、才人は盛大に舌打ちをした。


グルルル…


唸り声とともに締め付けが弱まり、才人は初めて外の景色を目にする
土煙が晴れ、視界が開けたそこは、地上40メートルの地点であり、飛び下りれば間違いなく即死するだろう。


才人は無駄だと思いつつも、この巨大な生物とコミュニケーションを取ろうと試みた。
しかし、懸命に話しかけるも、帰ってくるのは唸り声のような溜息のような音
一方、古代竜も何やら才人に伝えようと試みるのだが、両者の間の言語の壁は非常に分厚かった。


だが、顎の鱗をじゃらじゃらと鳴らして頷く古代竜を見て、"YES" or "NO" という単純な意思の疎通は可能だという事が判明する
かといって、複雑な言葉など交わしようがない。


双方が共に落胆し、意思の疎通に難渋する。


古代竜は長大な首をぐるりとひねり、グルグルと喉を鳴らし
才人は才人で、眉間にしわを寄せて腕組みをしてうんうん唸るが、事態は一向に改善しない。
その首が突如まっすぐに伸び、才人は風圧で落ちそうになる。
器用にも後足と尻尾で地面に立っていた竜は地面に向かって右腕を伸ばし、2メイルを超えるそのかぎ爪で地面を引き裂き始めた


「・・・だから、お遊びはいいから、さっきの場所に帰してくれよ、頼むよ」


才人は半泣きになりながら、ふと下の地面を見、あまりの驚きに文字通り落ちそうになった



  平賀 才人



地面には楷書でそう書かれていた。



「はあっ?・・・ああ、だから俺が平賀才人だよ!って違う違う違う、なんでお前が俺の名前を知ってるんだよ」


竜は無視して地面にまだ何かを描いている


「ジュガ・・・ジャガ・・ジャガーノート、ジャガンナート?」



Juggernaut



圧倒的な腕力に物を言わせる古代インドの神々の1柱
決して抗えぬ巨大な力の象徴。


だが、その巨大な爪で自らを指差している姿はコミカルですらあり
どこか人間臭い、そんな印象を才人に与えた。


才人が話しかけ、古代竜が地面に日本語を描く。
しかしその方法での意思疎通はもどかしく、思うように進まない。


不機嫌そうに喉を鳴らしたジャガナートは、その巨大な外顎を開く。

重厚な装甲を兼ねた切断用の外顎が大きく開き、内側の顎も開いた。
巨大なピンク色の舌と、サメの顎のように小さな歯が並んだ喉を開き、発音練習をはじめてしまった。


最初は単なる雑音が響くのみ
だが、その雑音は徐々に声としての体裁を整えていく
そう、日本語のあいうえお、つまり母音を発音しようと呻吟しているのだ。
人間の口ならば、比較的容易な事であろうが、生物として根本が異なっているため、難易度は非常に高い。

古代竜の発声練習は30分程度続けられ、その結果
かなり聞き取り辛いものの、なんとか日本語の体をなすまでになった。

「イきなり攫って悪カッタ、オレのなまエはジャガナート、オ前は平ガサイ人で間違いないな?」

「ああ、間違いねえよ」

「7万のグンゼイ、雲霞のごトキ敵にたったのヒとりで立ち向かった英雄」

その言葉に、才人は呆けたように口を開けるも、すぐにその表情を引き締めた
右手に握られた刀を音もなくさやに収める、このような物はもはや不要だ。

「”まだ”立ち向かってねえよ、てか、そんな事にならないように今度はなんとか小細工したいもんだ、けど、なんでアンタがそんな事を知ってるんだ?」

対する古代竜の返答は、全く持って肩透かしな内容であった。

「わからヌ、全く持ってわからヌが、オレはお前を知っていル」

膨大な量の空気が古代竜の肺腑へ吸い込まれ、ゆっくりと吐き出される。

「オレはニンゲンだった」
「はあっ?」
「ニンゲンであったような気がスる」

まさしく荒唐無稽、信じろというのが無理なストーリーである
だが、才人の心は、その話しを完全に否定し切れなかった。

日本語を書く古代竜
同じ召喚ゲートから出てきた存在
自分を知っている

この3つから類推するに、この巨大な存在が、人間かどうかを別にして、日本とのつながりを完全に否定するには至らない。

「じゃあさ、お互いの知識を交換してよ、ここからは協力プレイと行かねぇか?」
「協力プレい?イイだろう」

二人、いや、1人と1匹は更けていく月夜を背景に、寝食も忘れて語り合う

ルイズの未来、ルイズの名誉、ルイズの運命
そして、才人の運命

語り合ううちに夜は更け、寒さを訴えた才人のためにジャガナートがドラゴンブレスを放ち
しかも最初は失敗して辺りを亜硫酸ガスで汚染したり
成功したはいいが、大規模な森林火災を引き起こしかけたり

些細なハプニングはあったが、話し合いは順調に進んでいった。
轟々と火柱を上げる巨大なキャンプファイアの側で、二人は倒すべき敵の攻略を話し合う

フーケ、ワルド、タルブに侵略してきたアルビオンの艦艇
そして、アルビオン本土の数万の軍勢
さらに、その後ろに控えている本軍

以前の才人が一人で立ち向かうならば、これほど心細いことは無い
だが、今の才人には力があり、さらに、億の軍をしのぐ力強い味方がいる。

「あのロリコンヒゲ野郎!あの裏切り者野郎だけは絶対に許さねぇ!」
「ワルド子爵の事か?才人は知らぬであろうが、かの者もまた被害者、運命に翻弄された哀れなピエロよ」

低く、深い響きを持つジャガナートの声が響く
しゃべり方がひどく古風なのは、才人が注文を出したからだ



曰く、威厳が感じられないと



「知って居るか?この地、ハルケギニアの地下には莫大な量の風石が埋蔵されている。数百年に一度、その風石が大暴走を起こし、この地は空へと浮かぶ」
「なんだって!」

才人にしては初耳であり、看過できない事態である。

「人々は残り少ない大地をめぐって争い、文明は滅び、数多くの命が露と消えるであろう」
「そんな…」
「事実だ、が、十分に検証し、確かめる必要がある」

沈黙してしまった才人を横目に、ジャガナートの言葉は続く

「ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドの母親は、幸か不幸かそれを知ってしまったのだ」
「だったらみんなで対策を考えればいいじゃねえか」
「皆が皆、其の方のようにお人好しであれば…な、手と手を取り合い、一致団結することも可能であっただろう」
「なんでやらねえんだよ」

ジャガナートの巨大な口腔から、硫黄の煙混じりのため息が漏れる

「皆我が身が可愛いゆえに、己のみが残された大地に立とうとするのだ」
「醜いな」
「ああ、血みどろの殺し合いであろうな、真に醜い」
「話を戻すぞ、事実の発覚を恐れた貴族、あるいはロマリアの手の者によって、ワルドの母親は心を破壊する毒を盛られ、若くしてその命を散らしたのだ、子である子爵の落胆たるや、いかばかりか」

しばらく腕組みをして考えていた才人が結論を出す

「つまり、マザコンロリコン野郎って事だな?」
「どうやっても彼奴を認めようとせぬ其の方の気持ちも分かるが…奴は決して殺すな、利用価値がある」
「じゃあフーケは?」
「あの者もまた、己の力ではどうしようもない流れに翻弄された哀れな被害者だ、殺すな、それにフーケの裏社会でのコネクションは、後々必ず必要になる」
「たとえば?」
「そうだな、あのモット伯にひと泡吹かせてやるとしよう」
「んなもん、ジャガナートが一発喰らわしたら終わるんじゃね?」

不意に才人にジャガナートの巨大な顔が近付く

「な、なんだよ」
「全く、暗愚めが、貴様はモットの屋敷にシエスタを救出しに行った時、白刃を閃かせて事態を好転させる事ができたのか?」
「う…」
「生兵法は怪我の元というが、貴様は師匠のもとでもう少し学ぶべきであったのだろうな、下手に力のみを身に付けた者はチンピラと大差ない」

ジャガナートの巨大な顔はさらに才人に接近し、才人は思わず後ずさった。

「良いか?心して聞くがよい、我が体に眠る力は未知数であり、咆哮と1発のブレスから推察するに、それは巨大なものなのであろう、しかし、大義とは無縁の力技を1度でも使えば、我は止まる事はできぬ。この世界を力と恐怖で縛らねばならぬ、そして、貴様の元にはあきれるほどの金銀財宝、美食、美酒、美女、おおよそ快楽と呼べる物はすべて集まるだろう。その数と同じだけの力なき物たちの涙と苦痛を糧としてな。」
「悪かったよ…」
「良い、誰であろうと事態を早急に解決し、自分の思い通りにしたいものだ、人間であれば当り前の事だ」

そして、話し合いは深夜に及び、ついには山のようなキャンプファイアも炭火となる
暖められた地面に寝転び、のんきに寝息を立てる才人を見守る巨大な黒い影

2つの月は、そんな異形の盟友達をいつまでも見守り続けていた。


■■■



トリステイン魔法学院女子寮


ルイズは自室にこもり、あふれる涙を拭く事もせず、ただベッドに入って丸くなっていた。



古代竜が飛び去った後、そこに残されたのは、使い魔をすべて奪われたルイズと、破壊の爪痕であった。
あまりの恐怖に漏らしてしまったふとっちょの男子はそそくさと退散したが、その他の生徒は口々にルイズに野次を飛ばしている
だが、ルイズにはそのいずれも耳に入ってこなかった。


コルベール先生が訴えるような眼で何かしきりに語りかけてくれている
だが、それを聞くことすらおっくうだ。
適当に生返事をしたルイズは、鉛のように重く思える体を引きずり、ようやく自室のベッドに入ったのであった。
部屋のロックをかける事は忘れない、誰にも会いたくないからだ。


「ルイズ~?いるの?居るなら返事なさいな」


子供らしからぬ艶を帯びた声で、誰かが部屋の外から呼びかけてくる。
大方隣の部屋のキュルケだろう、ルイズは返事をしなかった。

しばらく扉のノブがガチャガチャと音を立てていたかと思うと
突如カチリという音とともに扉が開き
どかどかと人の歩く音が聞こえてくる。


「相変わらず殺風景な部屋ね~」


無遠慮な言葉とともに部屋の空気がゆるりと動き、魅惑的な香りが鼻をくすぐる
だが、普段にもましてそれが煩わしく思えたルイズは布団をかぶり、さらに心の奥へと引き籠った。


「全く、居るなら居るで返事なさい。」


キュルケは異変を感じていた、いつものルイズならアンロックでドアを開けたりしたら烈火のごとく怒りだす。
自分がいつも付けているゲルマニア産の香水も、臭いだのなんだのと難癖をつけてくる、それが今日はどうした事か。
キュルケはあえて無遠慮に部屋に入ると、どさりと大きな音を立て、才人の荷物を床に置いた

「あなたの使い魔の平民の荷物よ、まったく」


気だるげな、退屈そうな声、それが神経を逆なでし、ルイズの怒りを倍加させる。


「帰って」


キュルケの作戦は的中し、ルイズのかすかな反応が返ってくる。


「帰ってよ!!」


怒鳴り声と共に、枕が飛んでくる
キュルケはひらりと身を交わし、枕はキュルケの後ろで弾んで軽い音を立てた。


「あら、情けない、あたしにやつあたりしても事態は変わらないわよ、貴女の使い魔、どちらか片方でも取り返す方法を考えたほうが良くってよ?」


「・・・」


ルイズは答えず、ただ赤くなった目でキュルケを睨むだけだ
キュルケは自分の後ろにいる小柄な人影をルイズの見える位置にそっと押し出す。


「この子はタバサ、あたしの親友よ、この子は風竜の幼生を召喚したのよ」


「あの巨大な竜と会話でもさせるつもり?」


「なかなか鋭いじゃない。」


我が意を得たりと笑うキュルケに対し、ルイズの更なる怒りの声が飛んだ

「あんたバカじゃないの!殺されるわよ!」

ルイズの指摘ももっともである、ハルケギニアには幾つかの種類の竜が存在している。

水竜
火竜
風竜

そして、それらの上位種である韻竜


中でも、ひときわ強力なブレスを吐き出す火竜は気も荒く、野生の火竜を相手にする場合、相当の戦力が必要になる。
今回ルイズが召喚してしまったのは、見たこともないようなサイズの竜であり、特徴から判断するにどの種類にも該当しない。
戦闘力を含め、すべてが未知数、そもそもコミュニケーションが取れる保証は無い。


しかし、キュルケの返答はルイズを呆れさせるに十分な物であった。

「面白そうじゃない!」

ルイズが、呆れを人の形に切り取って、ピンクブロンドの髪の毛をつけたような状態になったとき、部屋の扉がノックされた。
秘書のミス・ロングビルである。

「ミス・ヴァリエール、オスマン学院長がお呼びです。」

学院長秘書であるロングビルに連れられて、ルイズ、そして2歩ほど遅れてキュルケとタバサがついてくる。


「なんであんたも付いてくるのよ!」


「小さな事ばかり気にしてたら、老けるわよヴァリエール」


やがて3人は、学院長室の扉に到達する、ロングビルが軽く扉をノックし、ルイズの来訪を告げた。
当然だが、オスマン学院長は扉を開けるよう許可を出す。

オールド・オスマン
トリステイン魔法学院の総責任者であり、その年齢は200とも300とも言われている。
飄々としたスケベジジイだが、切れ者であり、老獪な手腕と、確かな魔法の腕を持ち合わせている。

「さ、おはいりなさい、ミス・ヴァリエール」

4人が中に入ると、すでにコルベール先生が椅子に座っており、視線をこちらに向けている。
ルイズは心中で、すぐに件の使い魔召喚に関する事であろうと憶測を立てた。

6人は優に座れそうな柔らかなソファーの前には机があり、反対側には大きめのゆったりした椅子が2つ置かれている。
一つはすでにコルベールが座っており、一つは空いている。

ルイズ、キュルケ、タバサが促されるとおりに椅子に腰かけると、ロングビルが紅茶を用意し
そして自分の仕事机に戻って行った。

オスマン学院長がゆっくりとした動きで椅子から立ち上がり、杖をつきながらルイズたちの方へ歩み寄ってくる
だが、その様子は弱弱しい老人の動きではなく、しっかりとした足取りであった。

オスマンはルイズたちの正面の椅子に腰かけ、柔和な笑みを浮かべ、こう切り出した。

「さて、わざわざ来てもらって悪かったの、まあ茶でも飲んでゆっくりと話そうではないか」

オスマンはちらりとキュルケやタバサを見やり、笑みを崩さずこう言った。

「仲が良いのは良い事じゃの、友達が心配かの?」

キュルケは萌えるような赤い髪を優雅にかき上げ、胸元を強調する。

「その通りですわ、オスマン学院長、親友を放っては置けませんもの」

「ほっほほ、ツェルプストー家とヴァリエール家の確執も、この代で解消されたという訳か、めでたいことじゃ」

ルイズは凍てつく視線をキュルケへと送り、こう答える。

「オスマン学院長、誤解なさらないでください、今でもこいつは我がヴァリエール家の敵です。そして、今も呼ばれもしないのに興味本位でここまで着いてきているだけです!」


「ほ?そうか?ふぉほほほ」


「あらヴァリエール、ご挨拶ね、あたしはあなたのためを思って」
「余計なお世話よ!」


「それくらいにしておきなさい」

温和な、しかし毅然としたコルベールの言葉に、2人はしぶしぶ鉾を納める。
それを好機と見たオスマンは、紅茶で唇を湿らせ、ゆっくりと話しかけた。

「今日ミス・ヴァリエールを呼び出したのは他でもない、君が召喚した使い魔をどうするか、その相談だったんじゃよ」

ルイズはその飛び色の瞳に決意をひらめかせ、毅然とした口調で答えた。

「決まっています!たとえ末席といえどもヴァリエール家の者が使い魔に逃げられたとあっては恥です、父上にお願いし、軍を動かします!」

オスマンはひげをゆっくりとなでながら諭すように話しかけた。

「ふうむ、悪くない手じゃ、君の御父上の力なら可能じゃろう、しかし、かの竜を屈服させるのに一体どれほどの兵力が必要なのじゃろうなぁ・・万か、はたまた数十万か」


そう、単に討伐するだけでもどれほどの兵力が必要か分からない相手を、"屈服"させなくてはならないのだ
その予想被害は一体いかほどであろうか。
いくら辺境公であるヴァリエール公爵であろうとも、それほどの規模の派兵は無理だ
唇を噛み、うつむいてしまったルイズに変わり、コルベールが言葉を発した。


「これほどの一大事、宮廷に上申するのはいかがでしょう」
「同じ事じゃよ、ミスタ・ゴルベール、下手をすればトリステインが滅ぶか、いずれにしても出費で首が回らなくなるわい」
「失礼ですが、コルベールです。学院長」


仮に捕獲に失敗し、トリステインが、いや人類が敵認定された場合
一体幾つの国が滅びを免れる事ができるだろうか。

オスマンはゆっくりと椅子を立ち、窓際から外に視線を移す。窓は真新しく、曇り一つなかった。

「かの竜が一吠えしただけで、これほどの被害が出た。下手に行動して逆鱗に触れるのは愚策、そう思わんかね?」
「それは・・」

ルイズは言葉に詰まり、声は震えている、目の端に涙さえ浮かんでいる。
仇敵であるキュルケの隣だというのにこの有様である。

「そこでじゃ!」

振り向いたオスマンが明るい声を出す。

「なにも屈服させる必要はなかろう、敬意を持ってお願いしてみてはどうじゃな!」

ルイズから返答はない、当然だ、どこのだれが自分の使い魔に頭を下げてお願いするというのか、前代未聞である。


「かの竜の大きさや特徴から判断するに、数千年の時を生きているであろう。韻竜やもしれん。はたまた先住魔法すら使いこなすやもしれん。そのような未知数の相手に正面から挑むは愚かな行為とは思わんかね?」


先住魔法と聞き、ルイズも頭が冷える、当然である。
一騎当千のエルフたちが使いこなすといわれている先住魔法、それをかの竜が使うとしたら、一体どれほどの破壊力を有するのだろう。
かの竜が全力でブレスを放ったとしたら、一体だれが防ぎえよう。


「我々教員も、腕の立つ者をすべて動員し、バックアップしよう、当然、このワシも同行する。」


オスマン学院長の力強い言葉を受け、ルイズの顔に少しの希望がさす。


「あす、捜索隊を指揮する。ん?なんじゃ?ミス・ツェルプストー」


「私とタバサも同行します。」


オスマンの目がきらりと光る。

「やめておきなさい、物見遊山で命を失ったでは笑い話にもならんぞ」

ルイズも力強く何度も頷く、本心としては、あまり首を突っ込んで欲しくないからだ。
だが、学院長であるオスマンが話をしている以上、会話に横槍を入れるのは失礼千万というものだ。


「学院長、私の親友は風竜の幼生を召喚しました。同種ではありませんが、同族として、コンタクトをとれる可能性がありますわ」


「ふうむ・・・」


オスマンの脳内で素早く最悪の状況が想定され、いかにしてその状況に対処できるかがはじき出される
具体的には、いかにしてルイズ、キュルケ、タバサの3名を逃がすことができるか、である。
だが、キュルケの言葉はそんなオスマンの迷いに止めを刺すのに十分な内容であった。

「それに、私たちが退避する場合も、最速の風竜は有効な移動手段ではなくて?」

オスマンはコルベールにちらりと視線を飛ばす。
教師が囮となり、時間を数秒でも稼ぐ、その間に生徒たちを乗せた風竜は離脱できるであろう。
よしんば追跡されたとしても、あれほどの巨体が加速するには相当の時間がかかるはずだ。
事実、すさまじい重量を空に浮かべるため、古代竜といえど苦心していた。
視線の意味を理解したコルベールは力強く頷いた、己の命を捨てる覚悟を込めて。

「あいわかった、そこまで言うなら3名はミス・タバサの使い魔に騎乗の上同行し、意思疎通を図り、不可能なら全速離脱!何があろうとも生還する事を最優先とせよ!」


かくして、古代竜捜索隊は組織され、早朝の学院は大きく揺れ動く。
オスマンを筆頭に、コルベール、ギトー、メディックの役として保険医の水メイジ、マリアエレナ
ルイズ、キュルケ、タバサ、そして使い魔のシルフィードといったメンバーである。
朝もやがまだ立ち込める中、嗄れたオスマンの声が響く


「さて諸君、よく集まってくれた、教師達は当然理解しているだろうが、これは極めて危険な任務じゃ、何があろうとも”生徒”の生存を最優先とする」

オスマンのその言葉に、コルベール、マリアエレナは強い光を目に湛え、ギトーはいつもの薄笑いを浮かべていた。

「囮の役ならお任せください。風は偏在する、見事竜の目を逸らしてご覧に入れましょう。」

オスマンはすっと目を細め、ギトーをたしなめる。

「これこれ、君はせっかちでいかんな、我々がこれから行うのはあくまで交渉じゃ、まかりまちがっても挑発するような言動は慎むのじゃぞ! おほん!では詳細を説明する!」



■■■



魔法学院で捜索隊が組織されている一方、才人とジャガナートも移動を開始していた。

オスマンやコルベールは知らぬ事であったが、ジャガナートは百戦錬磨の魔獣ではなかった。
どうにか無理やり飛ぶ事を覚え、ようやっと硫黄を触媒としたドラゴンブレスを覚えた。
そして今は、そのあまりの巨体と超重量を支えるため、飛行補助として風の精霊力を使用していた。


才人を背中に乗せ、空を飛ぶジャガナートの翼端や尾端からは、青い煌めきが飛行機雲のように尾を引いていた。


「見えたぞ、恐らくはあの建物であろう」
「ああ、5角形の建物の中央に尖塔、たぶん間違いねえ」


ジャガナートは学院の上空を旋回し、翼のピッチ角を調整し、下降する。
差し渡し120メイルを上回る6枚の翼は、的確に空気を捕え、莫大な浮力を生みだす。


一方、上空を何度も旋回された魔法学院は、パニックに陥っていた。
自信満々だったギトーですら、すさまじい圧迫感から脂汗を垂らす。


学院から少し離れた森に、すさまじい轟音と竜巻を巻き起こし、ジャガナートが着陸する。
木々はちぎれ飛び、大地は捲れ上がり、もうもうと砂煙が立ち込め、その衝撃のすさまじさを物語っていた。


捜索隊として出発しようとしていたメンバーは、インパクトの瞬間、自らの体が地面から浮いたのを感じた。


「ミス・ロングビル!生徒たちに部屋から出ないように通達を!」


普段のエロ爺顔からは想像もできない気迫でオスマンが叫ぶ、フライの魔法で学院へ急行するロングビルを見届けたオスマンは表情を引き締める。
退路は完全に断たれた、こちらから捜索するならまだしも、向こうから来られた場合、生徒全員の生命の安全を確保するのは不可能だ。
是が非でもこの交渉は成功させなければならない、オスマンは数ある奥の手をすべて使ってでも交渉を纏める覚悟を決めた。
求めるのは学院の"無事"、だがそれだけで終わるつもりはない、オスマンは久しぶりに感じる高揚感をかみしめていた。


腹にズシリと響く足音と共に、捕食者の王が近づいてくる。
高速回転する脳内と裏腹に、温和な笑みを浮かべたオスマンは杖を前に置き、片膝をつく。
他のメンバーもそれにならった。


「ようこそトリステイン魔法学院へ、空の王よ、我々は貴方を心から歓迎いたしますぞ」

当然ながら竜から返答はなく、その巨大な顔が徐々に近付けられる。
濃厚な硫黄の匂いと、押し寄せる生命の気配、齢300を超える老人も冷や汗を止める事はできなかった。

「よいしょっと」

だが、オスマンのそんな心境を知ってか知らずか、どこか呑気な掛け声とともに、一人の少年が竜の首から地面に降り立つ。

オスマンの目からみて、凡庸な少年にしか見えないその存在を前に、オスマンはさらに神経を研ぎ澄ます。
ゆっくりと立ち上がり、両手を広げ、好々爺然とした笑みを浮かべ、才人に話しかける

「ようこそ竜騎士様、ワシがここの学院長をしておるオスマンじゃ、しかし立派な騎竜をお持ちじゃな!ワシは長く生きておるが、これ程の竜は見た事も聞いた事もない」

才人は地面に寝そべっているジャガナートの下あごに手を当て、応えた

「いえ、私の大切な"友人"ですよ、オスマン学院長、そして、はじめまして、サイト・ヒラガと申します。」


「なるほど、高名な竜騎士と騎竜はお互いに盟友となり、竜は主を守る為にその命を差し出すとすら言われておる。その服装、立ち居振る舞い、どこかの王宮付きの竜騎士様とお見受けするが」

竜の頭から才人が下りた時点でオスマンの腹は決まっている、表向きはあくまで学院への賓客として迎える。
この少年を使い魔として召喚してしまったが、他国の近衛竜騎士を召喚してしまい、学院の賓客であるとするならば話は別だ。
存在としてはフリーであり、上手くすれば学院の協力者として申し分なく、王宮のうるさい雀や、我がままな親どもへの牽制ともなる。
中にはは、ぜひとも自分の戦力下に加えようと画策する阿呆がいるであろうが、これ程の存在の怒りを買うならば
自分の領地が更地になるであろうことは、世界一の阿呆であっても理解できることだろう。

問題は、召喚元の国との国交だ。

オスマンの問いかけに才人が応えるより早く、ジャガナートがその巨大な首を持ち上げ、爪で地面に文字を書く。

『適当にでっち上げておけ、とある東の皇国の専属傭兵をしていたが、基本はフリーランスだとな』

才人は首を縦に振る。

『そして自らの意思でこの学院に滞在すると、特別な歓待は一切無用と告げておけ。さもなくば王宮に召抱えられるか、有象無象に神輿にかつがれ、満足にルイズに会う事もままならぬようになるぞ』

才人は首を縦に振った。

「えっと、私はとある東の皇国にて専属傭兵をしておりました。ですが、基本的にはフリーランスです。」
「ほっほっほ、その年で専属とはのう、ふむ、今はフリーランスか」

オスマンは内心胸をなで下ろす、今のところは自分の思惑通りだ。
単なる"剣士"と"王宮付きの専属傭兵"では全く違う意味合いを持つ。しかし、フリーランスならまだやりようはある。
傭兵を動かすのは報酬、そしてそれは雇われる側が決める。


コルベールはそんなオスマンの心を知ってか知らずか、全く別の場所に興味を引かれていた。

「君はこの文字が理解できるのか、これは竜語かなのかね?それとも古代文字かね?う~む!見た事のない文字だ!」


オスマンはまた冷や汗が止まらなくなる、コルベールが召喚当時の事をペラペラと喋り始めたら事だ
事態を聞いていたオスマンは、この古代竜と目前の少年に面識が無かった事を悟っていた、だが今は既成事実のでっち上げの方が先決だ。


「これ、コルベール君、控えておりなさい!」


「はい、失礼いたしました。」


「全く君は、少しは場の雰囲気を読みなさい。」


「申し訳ございません。」


元の位置に戻ったコルベールを確認し、オスマンはにっこりと微笑んだ、だがそのローブの下は冷や汗でいっぱいだった。


「すまんなサイト君、ワシの部下が失礼をした、心より謝罪するよ」


軽くではあるが頭を下げる学院長を見て、他のメンバーは息を飲む。
この時点で、才人の扱いは、少なくとも学院の教師より上となったからだ。


「さて、可能であればワシは君を客人として歓迎したいのじゃが、受けてくれるかの?」


「ええ、喜んで、しかし、ただで飲み食いするのは性に合いません、身分不相応な待遇も遠慮します。何かお手伝いできることがあれば遠慮なくおっしゃってください、オスマン学院長」


オスマンは心の中でこぶしを天空に突き上げる、浮かべる笑みは裏表のない本当の笑顔だ。

再び地面に文字を書き始めたジャガナートを見て、才人は、オスマンに尋ねる。


「早速ですが、オスマン学院長、オーク鬼やトロール鬼、オグル鬼の被害で困っている領主を知りませんか?相棒が腹を減らしていて」
「無論知っておるよ、そういった情報を手に入れるコネも持っておるとも。」
「俺の親友で無ければ被害が大きくなるような、そういった規模の事案を紹介してほしいのです。報酬は格安で構いません。」

オスマンは瞬時に自分の中で、学院に子女を通わせている人間の中でも、特にクレーマー的な傾向のある貴族から順に
リストアップしていき、

「今後ともよろしく頼むぞサイト君!」

二人はがっちりと握手を交わす
こうしてここに、ヴァリエール公爵家三女によって召喚され、"オスマンの頼み"は聞き入れる異国の竜騎士が"学院の賓客"として滞在することとなった。

だが、ここで声を上げる人物が一人、そう、召喚主であるルイズである。

「あの、学院長…」


「ん?なんじゃな?ミス・ヴァリエール、言ってみなさい」


「あの…、その…、ミスタ・ヒラガ?」

才人の脳髄に稲妻が走り、体中をめぐる血液が音を立てて加速したのが自覚できる。
ルイズがほほを少し染め、上目遣いで訴えていたからだ。

だが、当のルイズは、なにも惚れた腫れたの騒ぎではなく、ただ、恐らく平民の、それも自らの使い魔に様付でお願いするという屈辱に耐えながらの会話だっただけだ
それが証拠に、徐々に言葉がどもって来ていた。

「わわ私とコントラクトサーヴァントを交わして下さるよう、あああの古代竜に頼んでもらえないかしら」

その言葉を聞き終わるか終わらないかの時点で、ジャガナートはまた地面に文字を書く


 すなわち 『汝に資格なし』 と


文字を読んだ才人は、ゆっくりと首を横に振る

さらにジャガナートは続けて文字を書く

『そなたの内に眠る大いなる力を我は知っている、その力にふさわしき存在となった時に、我はそなたと契約を交わそう』


才人の読み聞かせる言葉を聞き、ルイズはうつむく

「そんな…」


才人は憐憫の気持ちに囚われるが、あえて心を鬼とし、言葉をそのまま伝える。
成長したルイズならば、その言葉を受け止め、糧とし、日々邁進するだろう
だが、今のルイズは、ただジャガナートに拒否されたという事実のみしか見えていないのだろう。
ルイズが落ち着いたときに、ジャガナートの言葉の意味をもう一度言い聞かせよう、才人はそう決意した。

そして、場はオスマンの言葉で締めくくられた

「さて、解散して朝食じゃ!事はすべて丸く収まった!」


■■■


時は過ぎ、ロングビルに案内されてきた場所は、別世界だった。


「広すぎだろこれ…」


当然である、元より、魔法学院の生徒の親や、場合によっては王宮からの使者を宿泊させる部屋の1室である。
中でも一番質素な部屋を所望した才人だったが、地球で暮らしていた部屋の何倍もの広さであった


部屋の中で剣の訓練すらできそうな気がしたが、天井から下がっている魔法のシャンデリアを打ち砕いては不味いため自重した。


部屋の広さは目測で20畳前後、巨大な天蓋付きのベッドに、金で縁どりを施された深い紫のカーテン。
調度品も品の良い物が揃えられており、極めつけは照明がすべて魔法である事だ。
衣服を納める家具は全部で3つもあり、才人の背丈より高い鏡が備え付けられた化粧台まである。
しかもその鏡は、ほとんど歪みの無いものであり、高位のメイジによって練成されたものであることが分かる。

公爵や侯爵、もしくは伯爵が滞在する部屋である、それらは当然なのかもしれない。


そして、机の上にあるベル

才人はため息をつきながら、ベルを手にとって鳴らす。
予想は的中し、黒髪のショートカットを揺らし、緊張の面持ちで一人の少女が現れる。

整った顔立ち、ショートカットのブルネットに黒い瞳、そしてその、素朴な可愛らしさをほんのすこし和らげている目元のそばかす

「お呼びでございましょうか、ヒラガ様」
「ああ、あまり物で良いので、軽い食事と、飲み物を頼む。すでに朝食の時間は過ぎているからな」
「かしこまりました、すぐにお持ちいたします。」

行った事はねえが、高級ホテルのスィートルームみたいなもんか
才人は一人納得し、荷物の整理整頓を開始した。

程なくして、扉がノックされる、才人の、入っていいよの声と同時に先ほどの少女が姿を見せた。
恐ろしく緊張している様子で、お盆を持つ手は微妙に震えている。
才人は再び内心ため息をつき、軽く礼を言ってからメイドを退出させた。

出された食事は、シチューに白パン、そして鶏もも肉のようなものに、香辛料をまぶして焼き上げたもの
恐らくハチミツを塗って丁寧に焼き上げたものなのだろう、パリっとした皮の食感と、香ばしい香りが食欲をそそる。

「やっぱマルトーさんの食事は最高だよな」


一口口に含めば、期待通りの旨味と、ハーブの香ばしい香りが立ち上る
シチューを口に含めば、極上のしぼりたてミルクのようなチーズの香り、感じられる落ち着いた深みのあるコク、それでいてしつこい味ではない、何回でも口に運びたくなる味だ。
パンはふわりと柔らかく、ほんのりと甘い、それが作り置きなどではなく、正真正銘の焼き立てである事は間違いない


じっくりと味わう才人の顔に最高の笑顔が浮かんだ。


食事も終わりにさしかかった頃、再び部屋の扉がノックされる。
入ってきたのはミス・ロングビル、オスマンの秘書だ、だが、才人もジャガナートも、この大人の女性が単なる秘書などではない事を知っている。


「お食事中失礼いたしますミスタ、オスマン学院長からの伝言をお伝えいたします。ぜひ、学院長室まで来てほしいとの事です。」


「分かった、すぐに伺うと、学院長に伝えてくれ」

ナプキンで口元を拭いながら、やや鷹揚に応えた才人であったが、内心は落ち着かない
VIP待遇されているという事は、分かっている、だから堂々としていればよいのだ、だが、こんなシチュエーションに慣れている訳ではない。


一礼して退室するロングビルを見送りながら、才人は内心またため息をついた。


■■■


学院長室では、ルイズとオスマンが待っていた、ルイズの鳶色の瞳には、不機嫌さが見え隠れしている。


オスマンはくるりと振り返ると、にこやかに語りかけた

「よく来たね、サイト君、まあそこへ座りなされ」


才人が座るのと同時にロングビルが紅茶を才人の前に用意する。

きしりと皮が擦れる音とともに、オスマンが才人とルイズの正面に腰かける
ルイズは表情の引きしまったオスマンがなぜか何倍も大きくなったように感じた。

「さて、ミス・ヴァリエール、そしてその使い魔となった異国の傭兵、ミスタ・ヒラガ、悪だくみの時間としゃれこむかのう」

冗談のようなオスマンの口調に反して、その目は真剣そのものだ


「今日二人に来てもらったのは、ほかでもない、二人の未来、そしてこの魔法学院の未来、ひいてはトリステインの未来を考えるためじゃ、悪いが隠し事は一切無しにしてもらうぞい、なにせ、今のトリステインの内情は、お世辞にも落ち着いているとは言えん、私腹を肥やさんとする輩がゴロゴロとしておる。」


「可哀そうなアン、いえ、姫様…、さぞお辛いでしょう」

幼馴染のルイズにとっても、他人事ではない。


「そうじゃのう、それに、アンリエッタ姫殿下はまだお若い、その双肩に国を一つ乗せるというのは、いささか酷な話じゃ。しかし、かといって、才人君が宮廷に召抱えられたりしたら、宮廷の雀共や、その他もろもろが黙っておらんじゃろう、宮廷内はますますゴタゴタし、姫様や王妃様、マザリーニのやつもますます痩せこけるじゃろう」

オスマンの目に、憂いの色が浮かぶが、すぐにそれは薄れる。

「だからこそ、サイト君の立場を、出来る限りフリーにしておく必要があるわけじゃ」

ルイズは眉根を寄せ、不安げな声でオスマンに問い尋ねる。

「オスマン学院長、それはつまり、私は自分の使い魔に命令できないという事ですか?」

オスマンはそれにあえて答えず、才人の方に質問を投げる。

「サイト君、君はミス・ヴァリエールの頼みを聞きたくないかね?」


才人は即答する。

「いえ、可能な限り彼女の願いを聞いてあげたいと思います。理不尽な命令は無理ですが。」


オスマンはルイズの方を向き、にっこりとほほ笑んだ。

「だそうじゃ」


聡明なルイズは即座に理解する、これはオスマンのデモンストレーションだと
才人を他の使い魔と同様にペット扱いすることはできないと

そう、才人は自分の意思で学院に滞在し、見返りとしてオスマンの頼みごとを聞く
そして、ルイズの頼みを聞くのも、あくまで才人の意思なのだ。


「ところで、オスマン学院長、お願いしたい事があるのですが」


「サイト君から逆に頼みごととは、ワシに出来る事ならなんでもさせてもらうぞ」


「例の仕事を、それも出来るだけ規模の大きいヤツを。」

オスマンの口が笑みの形を作るが、目は笑っていない


「そんな…、私の使い魔」


「ご心配なく、ミス・ヴァリエール、貴女の頼みをすっぽかして出かけたりしませんよ。実は、俺の親友が早く飯を食わせろと急かしておりまして」


■■■


話し合いを終えて、部屋に戻った才人は、食器を返し忘れていた事を思い出す。
本来なら、ここでベルを鳴らし、メイドを呼びつけ、食器を片づけさせ、行きがけの駄賃とばかりにケツを触るのが一般的な貴族のやり方なのだろう。


だが、才人は日本人だった。
重い金属のお盆を鍛え上げられた片腕で軽く持ち上げ、研ぎ澄まされたバランス感覚で軽やかに歩いて行く。
学院の配置はすでに頭の中に叩き込まれており、どこに何があるかは知っている。
食堂を通り過ぎ、厨房に顔を出すと、メイドたちが才人の手にあるお盆を目にし、顔面蒼白になりつつマルトーを呼びに行く。


「これはお貴族様、うちのメイドが大変な粗相をいたしまして、申し訳ございません。当学院のコック長をしております、マルトーと申します。責任は私にありますので、どうぞおっしゃってください。」


才人は戦慄する、マルトーの丁寧な言葉とは裏腹に、氷のように冷え切ったその目に
ああそうだ、ここはハルケギニア、貴族と平民の間には大きな壁があった、そして俺は今貴賓室に宿泊している、当然自分も貴族と思われていても仕方のないことだ。


「いや、何も粗相なんて、俺の国では自分の食べた物は自分で片付けるのが当り前なんですよ」


「そうですか、ではぜひ次からはベルを鳴らしてメイドに言いつけて下さい。貴方様の手を煩わせる訳には参りませんので」


才人は心の中で両手を空にむけて大きく上げる


「俺の名前はサイト・ヒラガ、貴族じゃなくて傭兵だよ、あんまり堅苦しいのは性に合わねえ、仲良くやろうや」

マルトーが一瞬いぶかしげな表情を浮かべる

「貴族じゃない?またまたご冗談を、山のような竜を乗りこなし、学院から歓待され、貴賓室に居られるのに?」


「ああ、俺はフリーの傭兵だ、ルイズに…じゃなくて、ミス・ヴァリエールに召喚されちまったから、しばらくここに世話になるぜ」


にっかりと笑いを浮かべた才人の顔を見て、MAXだったマルトーの警戒心も少しだけ下がる。

「それより、この飯マルトーさんの料理だよな、死ぬほど旨かったぜ、いつもこれくらいのが喰えたら最高だよ」


それを聞いて厨房の面々が徐々に吹き出し始める。

「ミスタ・ヒラガ、こりゃまかない飯ってやつですぜ」

あきれ顔のマルトーが、ぼそりと告げる
そう、あの食事は当てつけだったのだ、時間外の、それも昼飯の仕込みに忙しい時間に注文を出しやがってと
本来なら貴族にまかない飯なんぞ出したら、大変な事になるかもしれないのに
だが、それをさらに味で黙らせるだけの事をして出していた。

イライラ顔の貴族が、それでもフォークとナイフを止められずにまかない飯をがっつく姿を想像して、少しだけ溜飲を下げていた。
だが、才人はその飯を「死ぬほど旨い」と評した。

どんな職人でも、己の仕事をきっちり評価されて、嫌な者はいない。


「ミスタとやらの呼び方もやめてくれよ、マルトーさん、ケツが痒くなる、それと、食後の腹ごなしに少し運動したいんだが、何か手伝わせてくれよ」


「分かった、もうすぐ昼だから、昼飯が終わってデザートを運ぶのを頼まぁ、そこにレシピがあるから、一応質問されたら答えられるだけにしといてくれ」


「いや、それがよ…」

なにやら言い出しにくそうにする才人に、マルトーが再度振り返る。


「俺、字が読めねえんだわ」


厨房が爆笑に包まれ、目じりに涙を浮かべたマルトーが、その太い腕でばしばしと才人の背中をたたく。

「いやいや、疑って悪かったよサイト、傭兵ってのは本当らしいな!」


こうして無事に才人は、"以前"と同じように厨房のメンバーと仲良くなり、ほっと胸をなで下ろすのであった。


■■■



[37866] 第2話 授業
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:f49f5373
Date: 2013/08/23 09:53
二つのガンダールヴ - 一人は隷属を願い、一人は自由を愛した -


第2話 授業


その後、昼飯にも極上のまかない飯を出してもらい、さらに腹が満腹になってしまった才人は、ピンクのハートが書かれたエプロンを身につけ
危なげのない足取りでケーキを配っていた。

「おい君、デザートを」


「かしこまりました」


「それだ、それ、その赤いのを」

地球で作法を学んできた才人に隙はない、優雅に一礼すると、ケーキの乗ったカートを移動させ、手早く貴族の皿に盛りつけていく。


「こちらは特別に肥育された乳牛からのみ取られるクリームとチーズを、アルビオン産のフリーズベリーのソースで飾り付けたチーズケーキでございます。よく冷えている間に召し上がってください。」


「ちょっとあんた、何やってるの?」

比較的抑えられたトーンで、氷で作られたベルが鳴るような、澄んだかわいい声がかけられる。

「これはミス・ヴァリエール、たった今給仕の最中でして、ああ、そうそう、これをどうぞ召し上がってください。」

そう言って才人はルイズの前に焼き立てクックベリーパイをホールで用意する。

「う…」


「こちらのパイも、特別に肥育された乳牛の乳から作ったバターを、パイ生地と共に何層にも折り重ね、旬の完熟ベリーをたっぷりと使った一品で御座います。」


「そんな事より!なんであんたが給仕の真似事をしてるのよ、学院のお客なのに。」


にっこりと笑いながら才人は再度告げる。

「どうぞ召し上がってください」


「旨い飯を食わせてもらったんだ、お礼をするのは当然だろ」


「ずいぶんと律儀なのね」

食事を置いておいてパイをもぐもぐやりながら、ルイズは応える
才人もまた、"前回"ここに来た時には、塩スープと黒パン、そして鳥の皮の切れっ端しかもらえなかった事を思い出した、それに比べれば雲泥の差だ。


そして、才人の視界に懐かしい光景が映る、フリルのついたやや悪趣味なシャツを着て、バラの造花を固定化させた杖を振るい、恋の話に花を咲かせる男。
懐かしいな、ギーシュとモンモランシーのやり取りは、いつ見ても飽きなかった。最も、イライラしている時にあれをやられると面倒くさいが。
オーバーな身振り手振りを続けるので、マントのポケットから紫色の香水が入った瓶が転がりおち、ギーシュの足元で危なっかしげに揺れていた。
ふと、才人は悪戯心を起こす、あの香水はどんな香りがするんだろうな、モンモランシー謹製の特別な香りとは。


「ミスタ、これは貴方様の持ち物ですか?」


「これは僕のじゃない」

ギーシュは不快気に眉間にしわを寄せると、香水瓶を手で押しのける。

「承知しました。では私が処分しておきましょう。」

才人はそれを懐にしまうと、可能な限り素早く、自然にその場を立ち去ろうとした。
なぜなら、強烈な気を放ちながら接近する金色のクロワッサンのような物体が2つ、接近しているのを感知したからだ。
縦ロールは才人とすれ違うと、ギーシュの背後に仁王立ちしていた。

歴戦の剣士である才人も、その気に当てられて、流れる冷や汗を止められなかった。


「ギーシュ」


「ん?おお、これは僕のモンモランシー、君はいつも美しい、バラのような優雅さとバラの可憐さを兼ね備えている」


「ういぐじじじ!」
その気障な台詞を背中に聞いていた才人は、奇声を発し、足の先からアホ毛のてっぺんまでジジジジと痺れて身震いする。
歯という歯が全部浮いて総入れ歯にされちまうぜ、例えが全部バラってのもどうなんだよ。


「私が特別にあなたのためだけに調合した香水の香りは、お気に召したかしら?」


「あ…ああ、もちろんさ!まさにこの世で最も芳しい香りだよ!特にバラのエッセンスのアクセントが素晴らしい!」


「もちろんよ!あなたのためだけに特別に調合したんですもの、使い手の趣味趣向にどれだけ合わせられるかが、調香士の腕の見せ所なのよ」

妙に明るい声を出し、さらにいつもの2倍の身振りで話すギーシュ、しかしその背後のモンモランシーの目は笑っていない。

「ええ、それに貴方の好みに合わせた色合いにするのも中々難しい事なのよ」


「あ、ああ…、美しい、君の瞳のような透き通るブルーだったね!」


「ええ、そうねギーシュ、私が作った香水は、それはそれは美しい紫色ですのよ、そう、ちょうど先ほど貴方が給仕にあげちゃったのと全く同じ、不思議ですわね~」

「あは…あは…あははは」

「ふふ、ほほほ」

だんだんと高まる戦気を尻目に、才人は笑顔で給仕を続ける。だがその耳はダ○ボのようになっていたが。
ギーシュの取り巻き達も、冷や汗を垂らしながら、デザートの盛られた食器を持ってゆっくりと避難する。

そして、そこにさらに、栗色の髪の毛と、ややほんわかとした優しい目つきの女の子が接近する。
最も、今はその優しい目元には涙が湛えられ、やわらかなカーブを描く眉毛は八の字を描いている。

「ギーシュさま」

声は震えており、口を開いた拍子に大粒の涙がほほを伝う。

「やはり、ミス・モンモランシーと…」


「うっ…いっ…うっ…おっ」

ギーシュは前から迫るケティの涙を見て動揺し、後ろを振り返ってはモンモランシーの額に浮かぶ青筋に恐怖しを交互に繰り返し、世の中の浮気男の結末のお手本のようになっていた。
才人は思い出す、"前回"は確か時間差で二人の女の子が来たため、一人ひとりに歯の浮くような言い訳をしてたっけな。

ただ、"今回"は何の拍子か二人同時に現れたため、さすがのギーシュも対応しかねている様子だった。


「「うそつき!!」」


「へぼっ!」


モンモランシーの右ビンタフルスイングが後方からギーシュを襲い、ケティの右ビンタフルスイングが正面からギーシュを襲う。
哀れサンドイッチされたギーシュの首は、妙な音を立て、口から意図せず漏れた空気で間抜けな声が上がる。
才人は、全身全霊で表情筋を押さえつけ、鋼の精神で笑いをこらえる。


「あのレディ達は、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

ギーシュは首をさすりながら足を組替え、杖の香りを嗅ぐ。
だが、その両頬には大きなモミジが張り付いており、しまらない事この上ない
そして、ギーシュはさらにそのやり場のない怒りを、平民の給仕らしき男にぶつける事に決めたようだ、それがさらなる地獄の入り口とも知らず。

「君、そこの給仕、こっちへ来たまえ」


「お呼びでしょうか?」


「君が軽率に香水の瓶を拾い上げたせいで、二人のレディの名誉が傷ついた、どうしてくれるんだね?」

才人はそれに答えず、よく冷えたピッチャーからおいしそうな香りの漂う液体をグラスに注ぎ、ギーシュに差し出す。

「新鮮なメーロのしぼり汁をよく冷やしたものです、心が落ち着きますよ」


「ふざけるな!」

ギーシュの怒声と共に、グラスがその中身ごと床に落ち、澄んだ音を立てて粉々になった。

「あ~あ、貴重な飲み物を粗末にしやがって、グラスだって安くないんだぜ」

騒ぎを聞きつけ、ルイズもやってくる。

「ミスタ・グラモン、いくらなんでもあんまりよ、それぐらいにしておきなさい」

「おや、誰かと思えばゼロのルイズ、ああ…君はそういえばゼロのルイズに召喚された粗野な傭兵か」

瞬間、そこにいた人間たちは空気の温度が数度下がったような感覚を覚える。

「取り消せ」

「なんだと!? う…」

ギーシュの背中を嫌な汗が伝う、だが、もはや止められない、止まらない

「ふん、粗野で教養のない下品な傭兵風情が、貴族に説教をするのかね?」


「俺の事をいくら貶そうが馬鹿にしようがかまわねえ、だがな、ゼロだのなんだのと、俺の召喚主を馬鹿にするのだけは我慢ならねえ、もう一度だけ言うぞ、取り消せ」

そばに立っていたルイズは、才人の放つ気に当てられてびっくりしつつ、まだ会って間もないこの男が、自分のためになぜこれほどの怒気を放つのか、不思議に思ってもいた。

「やめなさいよ!あんた、殺されるわよ」

才人は一瞬だけルイズの方を振り向き、右目のみ素早く閉じる。


「ゼロをゼロと呼んで何が悪い?下品な者を下品と評して何が悪いのかね?」

ギーシュは椅子から立ち上がり、才人と真っ向から睨み合う
だが、足元をよく見ると小刻みに震えており、額には玉のような汗が光っていた。

「どうやら取り消す気はねえらしいな…」

さらに威圧を強める才人の左手が、白いものを受け止める。
それは投げつけられた手袋だった。

「決闘だ!」


「ふん、おもしれえ!ただし、びびって逃げやがったら、てめえの領地まるごとケツの毛1本残さず灰にしてやるからな!」

その言葉に、再度ギーシュの体がびくりと動く

「逃げるものか!やれやれ、粗野で下品で、救いようのない男だ、教育を施してあげよう、ヴェ」

「ヴェストリの広場に来い、だろ?今なら詫び入れたら許してやるぞ?」


「ふざけるな!」

薔薇の杖を抜いたギーシュに、才人はなだめるように声をかける

「おいおい、慌てるな、銀のお盆にのったケーキまでめちゃめちゃにする気か?」


「ふん!いいだろう、さっさと来い、貴族を待たせるなよ!」


「てめえこそ、びびってチビらないように、小便を済ませとけ、おぼっちゃま」


食堂はにわかにざわつき始め、面白い見世物が見れるという期待から、多くの生徒が雪崩を打って移動を始める。

だが、才人は動けない、目の前にルイズが立ちふさがっていたからだ

「一体どういうつもり?あなたがどれだけ強いか知らないけど、魔法は使えるの?」


「いや、使えない」


「あ、あなた殺されちゃう…」

騒ぎを聞きつけた厨房のメイドたちも、集まってきている。

「まさか貴方あのドラゴンに乗って戦うつもり?そんなことしたら学院がめちゃめちゃになっちゃうじゃない!」


「ジャガナートか、あいつには何も頼まねえよ?安心しなって」

ルイズに応える才人は、あくまで軽い感じだ。

「なあ」


「なによ!」


「ゼロだのなんだのと、馬鹿にされて悔しくないのかよ」


「悔しいわよ!けど…」

怒りにつりあがっていたルイズの目元に影が差す。

「…もう慣れてるから」


「なら今日から、そんな慣れなんぞ俺が丸めて屑かごに捨ててやるよ」

才人は厨房に顔を出し、マルトーに古い火かき棒を借りる、すべて鉄で出来ており、先端には火のついた炭をかき集める金具がついている。
学院用の大きなかまどにあつらえてつくられたため、長さもちょっとしたポールアームと言った所だ。


「諸君!決闘だ!」


「ギーシュが決闘するぞ!相手はゼロのルイズが呼び出した傭兵だ!」


ヴェストリの広場には食後の余興と、数多くの生徒が集まっており、熱気は最高潮になっていた。
どちらかが勝つかで、トトカルチョが始まり、胴元となった生徒がメモ片手に金袋を持って走り回る。


やがて広場に現れた才人は、火かき棒を肩に担ぎ、コキコキと首を鳴らしながら悠々と歩を進める。

「とりあえず、逃げずに来た事だけは褒めてやろう」

才人はそれには応えず、左手に火かき棒を持ちかえ、左足を少し引き、右手を胸に、頭を相手の目線より下げる。
その仕草を見たギャラリーは、いきり立ち、ギーシュの顔にも朱が差す。

「ギーシュ、その生意気な傭兵風情をギタギタにしてやれ!」


このまま決闘がスタートしそうな熱気を感じ、才人は少し水を差す

「おいおい、決闘ってのは何かを賭けて闘うんじゃないのか?」


「ふん、意地汚い傭兵風情め、いいだろう」


「俺が勝ったら、てめえは俺の主と、さっきてめえが二股かけていた女の子2名に頭下げて謝りやがれ」


「なんだ、そんな事か、さてはゼロのルイズに惚れたね、容姿だけは美しいからね」

それを聞いた才人の目がさらに据わる、ギーシュは首筋にチリチリと焼けるような感触を味わったが、努めて無視していた。

「では、僕が勝ったら、そうだな…、君の乗っていた騎竜を譲ってもらおう!」


「いいぜ、ただし、ジャガナートは極めて気が荒い、せいぜいぺしゃんこにされないように頑張りな」

売り言葉に買い言葉、会場の熱気ももはやこれ以上ないほどに燃え上がる。
ギーシュが杖を振り、花弁から青銅のゴーレムを1体精製する。
いざ生意気な平民をたたきつぶそうと正面に目線を移動させるが、そこに才人はいなかった。

「ぼさっとしてんじゃねえよ」

思わず振り向くと、すでに打撃の体制に入った才人がギーシュの横に居た。
轟!
唸りをあげて鉄の塊がギーシュの側頭部に迫る、ギーシュはどうにかこうにかその一撃を回避すると、足をもつれさせながらバックステップで退避する。

「くっ、貴様!卑怯者め!」


「ふん」

鼻で笑う才人に、ギーシュはさらに怒りを強め、3体のゴーレムを自分を守るように配置する。
さらに1体のゴーレムは才人に向けてその青銅の拳を振るう。

「けいぃぃぃっッ!!」

裂帛の気合と共に、先ほどとは比べ物にならない速度で振るわれた火かき棒が、青銅のゴーレムをバラバラに打ち砕き、その破片を地面と平行に吹き飛ばす。
その様子に、観客はどよめきを上げ、ギーシュは苦虫を噛んだような表情を浮かべる。

その闘いを冷静に観察している者もいた、キュルケとタバサだ。

「手加減満開」
「やっぱり?だって、さっきギーシュを狙った攻撃とは何もかもが段違いですものね」
「桁が違う、生徒ではだれも勝てない」
「貴女でも?」
「正面から戦うのは愚者」
「なるほどね~」

コルベールもまた、同様の感想を持っていた

「速い…、全盛期の私よりもはるかに、やはりあのルーンは」
「それほどかね」

2つの光り輝く頭部が仲良く並んで鏡をのぞきこんでいる。

「やはりあれはガンダールヴ、伝説の虚無の使い魔、王宮に報告を」
「まちなさいコルベール君、君はどうもせっかちでいかん、厄介事の種はもはや沢山じゃ」

鏡の中の、火かき棒を肩に担いだ才人がギーシュに声をかける

「おいおい、俺は武器を持ってるんだぜ?無手のゴーレムじゃ攻撃範囲に差が出てるだろ」

盛大に舌打ちをしたギーシュは、剣や槍を練成し、それぞれのゴーレムに持たせる

ディフェンスを残し、2体のゴーレムで挟撃を仕掛ける。

「疾っッ!!」

ゴーレムが攻撃の間合いに入った瞬間、鋭い気合の声と共に、才人の姿がぶれて見え、武器の転がる乾いた音があたりに響く。
ギーシュは転がった武器を拾わせようとゴーレムを操作するが、ゴーレムは何度も武器を取り落とした。

「貴様…一体何を」


「うん?そこからじゃ見えないか?この木偶人形の親指をブチ折った」


「くそっ」

ギーシュの口を突いて悪態が飛び出すが、どうにもならない

「ミスタ・グラモン、なんでゴーレムの武器と腕を一体化させないんだ?さらに言うと、なんで2足歩行なんだ?、最後に、俺は鉄の棒を持っている、青銅と鉄で勝負する気か?」


「ふん、物を知らない傭兵め、僕はドットメイジだ、鉄など精製できる訳がないだろう」


「エバって言える事かよ…」


「それに、2足歩行なのも、何もかも、美しさを追求するために決まっているだろう、これだから学のない者は困る」


「だが、このままじゃじり貧だぜ?」

その言葉が終るか終らないかで、また才人がギーシュの横に現れる。
空気を切り裂いて襲ってくる棒を、ギーシュは冷や汗を流しながらどうにか避ける。
しかも、今度は連撃だ。

だが、さすがのギーシュも悟る、自分はこの傭兵風情に手加減されている事を。
どうにかギーシュが避けられるギリギリ限界のスピードで攻撃されているのだ。

「おのれ…傭兵風情がっ!」

練成していた最後のゴーレムで時間を稼いだギーシュが、大きく間合いを離す。
その最後の青銅のゴーレムも、すべて足をヘシ曲げられ、地面を這うだけのガラクタになっていた。

「ワルキューレェ!!!」


「おお、こりゃすげえ!やりゃできるじゃねえか」


「はぁ、はぁっ、…か、覚悟しろ平民!」

そこには脂汗を流しながらも大地に足を踏ん張り、ともすれば気を失いそうになるのを気力で繋ぎ止めているギーシュの姿があった
そして、そこには鋼鉄の戦乙女、それも馬の下半身にすらりと優美な女性型の上半身を持ったゴーレムが立っていた。

「OK!さあ、やろうぜ!」


「行け!ワルキューレ!」

馬のスピードで突進して剣を振り下ろすワルキューレを才人は紙一重の距離で避ける
驚いた事にギーシュは、ワルキューレをその場に停止させて剣を振り回す愚を犯さず、一撃離脱戦法を取る

そのため、才人はワルキューレに決定打を入れる事ができない

ブゥンという空気を切り裂く重い音と共に、ワルキューレがすれ違いざまの横薙ぎを繰り出す

才人は、ゴーレムの腕と一体成形された剣の腹を下から打ち上げて軌道をそらす
もろに受け止めたらこの鉄の棒といえど、長くは持たないであろう

何合かの切り結びの後

今度はターンしてきたワルキューレがシールドを前面に押し出し、才人の視界と逃走経路を封じる
仕方なく才人は武器の無い方向、右側に退避する

左にかわしたら武器で一突きにしてやろうと考えていたギーシュは小さく舌打ち一つ
さらに、驚いたことにワルキューレを急停止させ、あろう事か馬の後ろ足で蹴りを入れてきた

これには才人も驚き、攻撃を中止し、バックステップで回避する


「なかなかやるじゃねえか!」


「貴様もな!平民!」


息をもつかせぬ短時間の攻防の後、割れんばかりの歓声が辺りを包む


「あら?どこへ行くの?タバサ」


「決闘じゃない…これは授業」

群集から離れて行こうとしたタバサにキュルケが声を掛ける

「でも、これから面白くなりそうよ~?」


「もう勝負はついてる」

キュルケは小さく肩をすくめてタバサの後を追いかけ、振り向き才人に熱い視線を送る
それは獲物を見つけた肉食獣のような、それでいて妖艶な視線だった

「見つけた…、新しいダーリン」

その間も決闘は続いていた

才人はあれほど高速で動いているにもかかわらず息一つ切らしていない
無駄な動きを徹底的に省いている成果である。

対するギーシュは、ますます顔色が悪くなり、脂汗の量も増えていた
彼を支えるのは何だろうか

ラインになれたという達成感と高揚感であろうか
ライバルと全力で激突する楽しさであろうか

しかしその楽しげな試合も唐突に終わりを迎える
ギーシュの精神力が限界を突破したのだ

前のめりにゆっくりと地面に向かって倒れるギーシュを、瞬時に移動したサイトが支える

「こんなになってもまだ杖を離しやがらねえ、たいしたヤツだよお前は」


「この勝負、引き分けだ!!」

才人の宣言に、さらに歓声が大きくなる

そして、ひとしきり騒いで楽しんだ連中は、さあ余興は終わったとばかりに散っていく
後には心配そうな顔をしたモンモランシーとルイズ、そして、徐々に崩れゆく鋼鉄の乙女が残った。


「ミス・モンモランシ、ミスタ・グラモンを医務室へ連れて行ってくれないか?」


「イヤよ!なんで私が!」


「ったく、素直じゃねえな…、散々闘って気絶して、目が覚めて1番目に野郎の面見たらさらにヘコむだろう?」


そこでニヤっと笑った才人が言葉を続ける

「恋人の顔が見れたら元気もでるってもんだろ!」


真っ赤になったモンモランシーが言い訳を並べ立てる

「だっ誰が!こんな浮気者が好きなものですか!こんな!1年に手を出すような…」


「どうでもいいけどよ、重いんだよコレ、はい、よろしく」

業を煮やした才人がモンモランシーの肩にギーシュの手をひょいとまわす


「きゃっ!ちょっちょっと!」


「それから、こいつをこの色男に返してやってくれないか」

才人が懐から取り出した香水瓶を見たモンモランシーは、首を横に振る

「それは貴方がギーシュに貰ったものではなくて」

「けど、これって特別に…」

才人の言葉を強引に遮ったモンモランシーが頬を赤くし、早口でまくしたてる

「ふん!傭兵の手あかのついたような香水は、私のギーシュにふさわしくありませんことよ!!ギーシュには、さらに良い香りを用意して見せますわ!」

よろよろと校舎に戻っていくモンモランシーの背中を見送りながら、才人は脱力感に襲われていた。

「なんつーか、その、何なんだ、この虚脱感は…」

意味わからんし、とぼやく才人にルイズが声をかける。

「あなた、けっこうやるじゃない」
「ミス・ヴァリエールの護衛としては合格ラインかな?」
「ルイズでいいわ、ミスタ・ヒラガ」
「じゃあ、俺の事もサイトって呼んでくれよ」

才人は両手で何かを丸めて、放り捨てるポーズをして見せる。

「主人の実力を見るには、まず使い魔を見ろ、だったよな?」

対するルイズの顔にも、笑みが浮かぶ

「夜に貴方の部屋に行くわ、ゆっくりと話したい事があるの」

才人の全身に電流が走り、鼻息がぷひーと荒くなった。

「すげえ、うん、大胆だなルイズ、うん、分かった」

だが、次の瞬間、あれほどの動きを見せていた才人が、ぴくぴくと痙攣しつつ地面に這いつくばっていた。

「ふざけないで!何を変な想像してるの!汚らわしい!!」

どれほどファッションに気を使っても、強くなっても、やっぱり才人は才人であった。



「勝ってしまいましたね、オスマン学院長」


「うむ、ミスタ・コルベール、この事は口外無用とする。全教師にワシの名前で通達するように」


「分かりました、そのように取り計らいます。」


「うむ」

礼をして退出したコルベール、その扉をぼんやりと見つめながら水ギセルをふかすオスマン
その顔には複雑な感情が渦巻いていた



一方、エネルギーを消費し、腹がぐうぐうと抗議の声を上げ始めた才人は、厨房に顔を出す
配膳室に足を踏み入れたとたんに「我らの棒が来たぞ!!」と大歓迎されるはめになる。

聞き様によってはひどく卑猥なニュアンスになってしまうその新たな呼称を聞き、才人は自分の顎を閉じるのにずいぶん時間を費やした。


■■■



その日、授業が終わり、食後の自由時間、才人は自室で寛いでいた。
激しい運動を行ったため、飲むのはワインではなく、よく冷えた水である。


部屋の扉がノックされ、寝巻姿のルイズが現れる。
ほんの少し水分の残ったピンクブロンドの髪に、化粧などかけらも必要のない肌
そして、持ってきた毛布を頭から被るルイズ。


目はやや警戒の色を残しているものの、やはりすべてを超越した可愛さを発散している。


「どうぞ椅子にかけて、お茶も入れておいたぞ、ただし、飲み過ぎると眠れなくなるぞ」


ベッドに腰掛け、寛いで水を飲む才人に、ルイズが質問を投げる。

「ところであんた、どこから来たの?」


「地球、日本の大都市、東京から」


「チキュー?トーキョー?」


「ああ、こちらで言うなればロバ・アル・カリイエか?」


「ふ~ん」


「ところでご主人様?」


「なによ」


「俺はいつ家族の下へ帰れる?」

その言葉を聞いた瞬間に、ルイズの目が少し曇る
無論才人は覚悟を決めて再度ゲートをくぐった身である、だがあえて主人に問うて見た

常識的に考えれば当然である、家族、知り合いから突如切り離し隷属を要求する
北○鮮も真っ青の所業であることに変わりはない

ルイズは少し俯き
「…悪かったとは思ってるわ、でも召喚の呪文はあっても送り返す呪文なんて知らないもの」


「では、帰ることが不可能であった時には?」


「それはもちろん、衣食住の保障はヴァリエールの名にかけて、させてもらうわ」


「私が老人になってボケた時は?」


「我がヴァリエール家には使用人やメイドも沢山いるわ、例えそうなったとしても世話するわ」


「分かった」


安心した才人はいつもの態度に戻る

「ああ~っ!肩こった、やっぱこういうのは性に合わね」

突如態度を変化させた才人にルイズはポカンとしている

「俺実はさ、ここに来る前は貴族に仕えてたんだ」

突然の才人の態度の変化に驚きながら問うた
「へえ?どんなご主人様だったの?」


「それはそれはもう酷くてさ、乗馬鞭で叩きまくられるわ、メシはパン一つだわ、掃除洗濯、雑用は押し付けられるわ、寝床は藁だし、終いには首輪付けられて鎖につながれて、公衆の面前に連れて行かれたんだぜ?」

大げさに身振り手振りを交えて話すサイトの言葉を聞き
さしものルイズも顔を顰めた

「う…それはちょっとやりすぎじゃない?」


「だろ?掃除洗濯、雑用は学院付きのメイドがいるわけだし、わざわざ素人にやらせる意味がないよな」

お前だよお前!と、心の中で突っ込みを入れながら才人はそれを表情には出さない

「そもそもあんたは護衛や移動にもってこいの使い魔じゃないの、それを生かさないなんて」

ルイズも話に乗ってくる

「ただ」


「ただ?」


「以前にどんな方に仕えてたか知らないけど、貴族の事を悪く言うのはやめなさい」


「ああ、悪口言ってるわけじゃねえよ?悪口言いたいなら名指しにするしよ、ただ、心優しいルイズ様はそんなことしないだろうな~って」


「見くびらないで!私はヴァリエールよ、自分の使い魔の世話をきちんと行うのは貴族の義務よ!虐げると世話するとの違いが分からないのは愚か者でしかないわ」


「よかった、安心したよ、俺は秘薬の材料を見つける事はできないが、護衛はバッチリこなしてみせるよ」

ほほえみを浮かべるサイトにほんの少しだけルイズも微笑を浮かべる
その様子は、現時点ではカトレアには及ばないものの、ルイズが柔和な性格を手に入れたら、どれ程魅力的な女性になるかを如実に示していた


その後、少しトロンとした目付きになったルイズが才人に告げる

「もう夜遅いわ、後のことは明日ね」


「おい、ちょっと待て、それ俺のベッド!ここ俺の部屋!わかる?!」


返事の代わりに飛んできたのは、ルイズが被っていた毛布だった。

ベッドに眠る主人の可愛い顔を見ながら才人は考える、以前より確実に未来は変化してきている、もっとよい未来を、ルイズのために、そして自分のためにも
また、ひそかに決意をする、今度は主人を怒らすような、具体的には女性に対するだらしなさを直そうと
だが才人は知らない、すでにこの時点でキュルケとシエスタにロックオンされていた事を


「くそったれ、結局俺は床で寝るのかよ…」


ぶつくさ言いながら床に寝ころぶ才人は、くるまった毛布から香る甘い香りに、思わずどぎまぎするが
やがてその顔は安息に満ちた寝顔へと変わった。





[37866] 第3話:フーケの雇用条件
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:ac825d3c
Date: 2013/08/19 06:43
二つのガンダールヴ 一人は隷属を望み 一人は自由を願った

第3話:フーケの雇用条件


翌朝、体の痛みとこわばりのせいで目が覚めた才人は、現在が大体朝の5時ごろである事を悟る。
素早く起き、毛布を畳むと、日々の日課である鍛錬に出ようと動き出す、だが、滑るような足取りは、足音一つ立てない。


鍛練用の鉄芯の入った木刀を手に、才人は音もなく中庭へと向かう。

鋭く吐き出される呼気、才人は手になじむ黒光りする木刀を正眼、横構え、上段、八双、様々な確度に持ち替え、鋭く振り下ろす。
鉄芯の入った木刀を持ってして風を切り裂く鋭い音を立てるのは、才人が修練を怠らなかった証だろう。


やがて才人の目が、朝日の中に黒い点を見出す。黒い点はやがて視界を覆わんばかりに大きくなり、先日のジャガナートの着陸で出来た広場へと降りていく。
6枚の巨大な翼が打ち振るわれると、400トン近い巨体がふわりと減速する。

化け物なりに気を使ったのだが、インパクトの瞬間の轟音と、地鳴りは消すことができなかった。

森の中を走る才人に、突風が襲いかかるが、才人は木の幹にしがみついてなんとか踏ん張る
そして、さらにダッシュで獣道を抜け、木々の間を縫って行く。

森の木々に視界を遮られてなお、その向こうから感じる押しつぶすような圧倒的な気配は、隠しきれるものではない。


「おはよう、ジャガナート」

「うむ、おはよう」


ビリビリ下腹部に響くような低音とともに、挨拶が返ってくる、威圧感すら感じる声とは裏腹に、そこには優しさが込められていた。


「剣の鍛錬か?まるで流れるような動きであった」
「あの上空から俺の姿が見えたのか?」
「無論だ」


夜の間に何をしていたんだと聞こうとした才人は、ジャガナートの顔と前足が赤黒く染まっており、鉄の濃厚な匂いが漂っている事を感じ取った。
宵闇がその黒塗りの巨体を隠してくれる夜間に、オスマンから得た情報を元に、害獣退治兼食事を済ませてきたのであろう。

「食事はどうだった?」
「悪くない」
「そうか」
「害獣共の大きな群れに夜襲を掛け、全て喰らい尽くしたが、満腹には程遠い」
「一体何匹食べたんだよ」
「百から先は数えておらぬ」


スケールのあまりの大きさに、掌を天に向ける才人を尻目に、ジャガナートは手近な岩を咥え上げ、その巨大な外顎でバリバリと噛み砕く


「案ずるな、人を喰いはしない、子鬼共を喰らい尽くしても心にさざ波すら起こらぬというのは、新鮮だったがな」


どんな人間でも、ネズミより大きな動物を殺した時には、少しでも心が動揺するものだ、だが、姿と共に魂まで竜となったジャガナートには、五メイル近くの身長を誇る"子鬼"達を惨殺しても、その心に小さな揺らぎすら起こらなかったのだろう。


「さて、我はこれより、地下風石大鉱脈の調査を行うため、掘削を開始する。その前にフーケとのコネクションを確保しておきたい、頼めるか?」

才人は親指を挙げて応える

「ああ、俺もその事を相談しようとしてたんだ、何かいい手はないかな」
「小細工は面倒だ、直接雇うのはどうだ?無論、フーケとしての手腕をだが」
「報酬はどうする?俺は今金を持っていないよ」
「シャルトル、ブルタイユ、ベルネー近辺にあった巣は尽く壊滅させた、それをオスマンに伝えるがよい、多少の報酬となろう、それと、何を言ってもロングビルとしての仮面をかぶり続けるなら『ティファニアは元気か』と聞け」
「ティファニア?」
「そのうち会う事になる、其の方が気にかける事ではない、もしくは、破壊の杖の正体を教えるのも良いかもしれぬ」

了承の意を告げた才人は、早速学院へと走る、だが、時間を考えた才人は、もう少し鍛錬に打ち込む事にする。


■■■


一方、学院の廊下に取り付けられた窓からは、ロングビルが外を眺めていた
その視線の先にあるのは、森へと降り立った巨大な黒い古代竜である。

「ちくしょう、あいつが居付いたおかげで商売があがったりだよ!」

そう、現在ジャガナートが居るのは、学院の宝物庫の壁に面した森であり、フーケの逃走経路を知ってか知らずか塞いでしまっている。
再度大きく舌打ちをし、眉間にはしわを寄せ、歯は食いしばられる、だが、いかに怒りを表したところでごまめの歯ぎしりに等しい

「あのガキを籠絡し、なんとかできないもんかね」

フーケは学院の外側の広場で木剣を振り回している才人の姿を目をやる。

「確か異国の傭兵だとか言ってたが、男ならちょろいもんだろう、あっちの趣味をお持ちでなけりゃね」

その顔には打って変り、妖艶な笑みが浮かべられていた。


■■■


「おはようございます、ミスタ・ヒラガ、剣の鍛錬ですか?」


気配を悟り、鍛錬を中断した才人に声がかけられる、ミス・ロングビル、確かオスマン学院長の秘書をしていた女性だ。

「ええ、あなたも、朝早くからお仕事お疲れ様です、ミス・ロングビル」

ロングビルは、どうぞと言いながらタオルを差し出した。

「ああ、ありがとうございます。」

タオルからは、ふわりと甘やかな香りが立ち上り、汗を拭きとる才人の嗅覚と脳を刺激する、才人は必死に動揺を抑え込む。


「ふふ、どういたしまして、それよりも、見事な騎竜でございますね、私は後にも先にもあのような竜は見たことがございません」
「ジャガナートは騎竜ではなく、俺の親友なんですよ、どの種類の竜かは俺も知りません。」

ロングビルは目を細め、よく冷えた水のコップを差し出す
才人が受け取るその瞬間に、そっとその手を添える。

「例えそうだとしても、ご立派ですわ、まるでお伽噺の英雄のよう」

穏やかな笑みを浮かべたロングビルは、内心で確信した、これならいけると
だが、次の才人の言葉によって、その表情は豹変せざるをえなくなる。

「ああ、そうそう、ミス・ロングビルに改めてお願いしたい事があるんですよ」
「なんですの?」

才人の目が瞬時に鋭い光を帯びる

「簡単な話だ、あんたの裏の顔、その人脈と情報網を、その力を貸してほしい」
「一体…」

ミス・ロングビルの目が儚げに揺れる、その顔は、人間社会の裏を知っているとは思えない

「しらばっくれるなよ、土くれのフーケ、あんたを雇いたい」
「え?…」

軽く舌打ちをした才人は、早々に切り札を切る、彼はこう言った駆け引きはまだまだ苦手のようだ

「ティファニアは元気か?」

ロングビルの目が、研ぎ磨かれた刃のように冷たい光を湛え、声は相手を恫喝する低いものへと変わる

「へえ、いい度胸してるじゃないか、事と次第によっちゃ生かして帰さないよ」
「そう怖い顔をすんなよ、俺は金を払う、あんたは俺に手を貸してくれる、悪いようにはしないぜ?それに…」

鳥の声さえ消え去った、痛いほどの静寂に、カチリという音が響く、才人が左親指で、鯉口をきったのだ

「この間合いで、剣士に喧嘩を売るのは、賢いやり方じゃねえと思うんだがな」
「ほざいてな、小僧」

見れば、フーケの右手にはいつのまにか杖が握られている。

「大した殺気だ、フーケ、だがな、いい事を教えてやろう、お前の手腕を買いたいのは、ジャガナートだ」
「もうすこしましな嘘を考えな、ぼうや」
「話を聞く気はねえか、なら聞いてもらうまでだ」

言うが早いか、才人は右足の力を抜き、左足で体を前に滑りださせる、いわゆる"抜き"の動作で鋭く加速し、居合抜きの要領で小太刀を鞘走らせる。
空気を鋭く切り裂く音と共に、銀色の閃きがフーケの杖を襲うが、一瞬早くフーケはフライで空中に退避し、素早く間合いを離し、着地した。
才人とフーケは二人同時に舌打ちし、表情を引き締める、フーケは才人の野獣のような素早さに、才人はフーケの熟練度と詠唱の速さに

「コオオオッ」

才人の息吹の音と共にその目がタカのように鋭くなり、左手のルーンが煌煌と輝きを増す
刹那、才人の姿がかき消える。

背中にヒヤリとした感触を味わったフーケは、思わず体を沈ませ、サイドステップを踏む
その眼前を、銀色の冷たい軌跡が通り抜ける、前髪が少し短くなったフーケは怒りの表情で呪文を詠唱すると、散弾のような鋭い石つぶてが才人を襲う。

「シイッ」

鋭い呼吸音と共に、また才人の姿が消え、フーケが空中へと退避する。

「くそったれ、なんて速度だ、見えやしない」
「土くれのフーケってのは伊達じゃねえな、てっきりでかいゴーレムを作るしか能がないと思ってたぜ」
「ふん、お生憎様だったね、あたしゃそれほど馬鹿じゃないよ」

単なるジャンプなら、その着地点を狙えばよい、だが、フーケはフライの呪文を短く詠唱し、その着地点を自在にコントロールするため、才人は攻めあぐねていた
だが、フーケも、フライの呪文を維持している間は、他の呪文を詠唱し、才人を攻撃することができない。
地面に降り立ち、素早く呪文を切り替えるフーケ、しかし、才人も黙ってはいない

「甘いよ、ぼうや」

あろうことかフーケは、自ら地面を蹴り、才人が刀を振りぬく前に才人に接近し、左掌で柄頭を押さえ、鋭い蹴りを繰り出す。
一瞬驚きに目を見開いた才人は、体を捻り、フーケの蹴りを逸らせた。
だが、目前には突き出された杖と、素早く動くフーケの口、そして杖が振り下ろされた。

地面が素早く隆起し、鋭い刃となって才人に襲いかかるも、すでに才人はバックステップで回避していた。
だが、体を支えるその足が、ぬたっとした軟い感触に包みこまれる。

「なにっ!」

フーケは、確信の笑みを浮かべ、さらに素早く呪文を詠唱する。

「喰らいな!」

だが、鋭い岩のつぶては、甲高い音と共に幾つもの欠片に切り裂かれ、意味なく地面に落ちる。

「チッ」

鋭く舌打ちしたフーケは、すぐさま次の呪文詠唱にかかるも、その効果が発動する事は無かった
なぜなら、わずかに右手の指に残る痺れが、そこに愛用の杖が存在しない事を伝えてきたからだ
直前に聞いた、金属が擦れるような音、才人の服の袖から伸びる細い鎖と分銅が、フーケの手から杖を奪っていた。

「くそっ!!」

形勢不利と見るや素早く身を翻したフーケの背中に、鋭く気が叩きつけられた

「動くなっ!」

フーケがふと前方の木を見れば、そこに1本の棒のようなものが突き刺さっているのが見えた。
そして、振り向けば才人の手に握られた鋭い短剣のようなもの、その刃はぬらりと妖しい色に輝いていた。

「毒だね」
「ご名答」

もはや打つ手なし、とフーケは両手を挙げ、口を開く

「わかったよ、あたしの負けだ、降参だよ、煮るなり焼くなり好きにしな」
「さっきも言ったように、まずは雇い主と面談しようぜ、話はそれからだ」



木々の間を縫い、光の糸が地面に降り注ぐ、時にそれは太陽の色であり、自然の恵みの新緑色
鳥たちが枝の間からさえずり、虫や爬虫類がかすかな音を立てて森の生活を営む


そして、そこに場違いな重低音が響き渡る、王の息吹だ


バラバラと岩や砂を体から落とし、地に空いた巨大な穴からその主が姿を現す
フーケはその存在と直接相対し、戦慄を止める事が出来なかった。


--なんて威圧感だい、少しでも気を抜いたら押しつぶされちまうよ--

フーケはその自らの考えをすら叱咤し、逃げだしそうになる足を精神力でつなぎとめる
燃え盛る6つの赤い目が、フーケを捉える、その巨大な外顎は剃刀のように研がれており、隙間から漏れ出る硫黄の匂いに思わずフーケは口元を覆った
そして、さらにその竜が口を開いたとき、フーケは心の動揺を押さえつける事ができなかった。

「久しいな、人の子よ、マチルダ・オブ・サウスゴータ、我が名はジャガナート、そなたを雇いたい」
「なぜ、なぜその名を知っている…貴様は一体!」

フーケの声は、もはや動揺を隠す事は出来ず、その声は震えていた

「案ずる事は無い、我はそなたを知っておる、だが、人の子が如何様に生きようと、何を盗ろうと、我の預かり知る所ではない」


ジャガナートはフーケの罪を告発するつもりで呼び寄せた訳ではない、その盗賊としての手腕、そしてそのコネクションを期待している


「もし、断ったら?どうなるんだい?」
「元より強制などせぬ、好きにするが良い、餞別をくれてやろう、だが…」

ジャガナートの巨体から、氣が押し寄せる、森から鳥たちが飛び立ち、蛇蠍は我先にと岩陰に身を隠す

「我と我が盟友の前に立ち塞がるなら、汝と汝の近しき者たち全てに、何よりも確実なる死を与えてやろう!!水の深みも、空の高みも、大地の奥深かさも、我を阻む物など無いと知れ!!!」

その巨大な顎が開き、音の壁が襲いかかる


竜の咆哮


それは単なるハッタリだ、こけおどしだ、だが、それを鼻で笑う事の出来る者など、誰もいなかった
巨大な口腔の中ではコバルトブルーの炎が踊り、十重二十重に並ぶ牙は見る者の心を恐怖で縛りつける。


完全なる隔絶か、完全なる服従か、フーケの前に与えられた選択肢は少ない


前髪は汗で顔に張り付き、口の中は渇き、舌を動かすのも一苦労だ、だが、フーケの心は決して折れなかった。

「条件を聞こうじゃないか、それくらいはいいだろう?」
「無論だ、我はそなたに決められた量の金銀を与えよう、そなたは我の手足として働け、この話を拒むとしても、金銀を与えよう、だが、その後我が目的を少しでも阻む事になれば、そしてそれを知りつつなお我が前に立ちはだかるのならば、そなたの命は無論の事、ティファニア・オブ・モードの命も保障しない」

フーケは心の中で、結論を出すための時間を稼ぐ事を考えた、だが、この竜の気が少しでも変われば、自らの命は無い
そして、土くれのフーケとして活動をこれから続けていく上で、何がこの存在の逆鱗に触れる事になるのか、想像すら付かない
この話を受け入れても、断っても金を貰える、それはつまり口止め料という事なのだろう


逆らった場合の事を考える、現状、この古代竜に少しでも対抗できるとしたら、国軍規模の戦力意外にない
だが、貴族に対し盗賊行為を行っている自分を庇う酔狂な貴族など、この地には存在しない
ましてや自分は裏にも表にも名が売れすぎている。


「いいだろう、雇われてやるよ、竜の旦那、だが金額の提示と、こちらからの条件を聞いてもらえるのかどうか、それが問題だねえ」
「現状、学院でどれほどの金子を受け取っている?」
「年500といった所だね」
「ふむ、新金貨で750枚と言った所か」

フーケの背をさらに冷たいものが滑り下りる、一体どれほどの年月、この古代竜は人を観察し続けてきたのか、人間の文化にすら精通しているのみならず、積・商の算術すら披露してみせた。

「ならば、エキュー金貨で1500、それがそなたの報酬となる」
「さらに条件を上乗せしてもいいかい?」
「ふん、先に条件を述べぬとは、女狐め、よかろう、話すが良い」


1500エキューとは、上級貴族の年収に近い金額だ、これなら危険を冒し、態々盗みを働く必要もない、最も、盗みの仕事は復讐の意味でもあったのだが


「あたしが保護している子たちの安全を保障しとくれ」
「よかろう、白の国の動乱がより深くなる前に、この森へと移住するが良い、我が手筈を整えよう」
「交渉成立だね、竜の旦那、あたしの事はマチルダと呼んどくれ」

右手を差し出すマチルダに対し、ジャガナートはその人差し指を持ち上げる事で応えた
マチルダはジャガナートの足元に歩み寄り、爪の先を握る
それはあまりにも歪な握手だった、だが、その光景を見て才人は微笑む

だが、フーケの内心は穏やかではない、この新たな主人が、アルビオンがきな臭くなっている事すら見抜いていたからだ。
この瞬間より、土くれのフーケはジャガナートの配下となり、その手腕をいかんなく発揮する事になった。


一方、自室へと戻った才人は、まだ夢の中に居るルイズ姿を発見する
夜の月の光と、ランプの柔らかな光を浴び、月の女神とも言える神秘的な美しさを醸し出していたルイズが
今度は明るい日の光を浴びて、陽光の寵児とも言える健康的な美しさを発揮している。

才人は思わずその光景に心打たれ、どくどくと早鐘のように鼓動する心臓を意識しながら立ちつくした。
だが、いつまでも観賞している訳にはいかない、早く主人を起こして自分の部屋に帰らせなくては、噂をたてられても厄介だ

「おはよう、ルイズ、ご主人さま、起きてくれよ」
「ん、んう」
「お~~い、ご主人さま!」

ゆっくりと磁器のような瞼が持ち上がり、それと共に形の良い長い睫毛が持ち上がる、鳶色の瞳が光を浴びて眩しそうに細められ
やがて才人の顔に焦点を結ぶ。

「おはよう…あんた誰」
「まだ半分以上夢の中だなこりゃ、俺は才人、ルイズの使い魔だよ、早く起きて部屋に戻らないとあらぬ噂を立てられるぞ」

才人が差し出したタライには、井戸から汲んだ水が入っており、朝に弱いルイズの意識をほんの少し浮上させる
椅子に座って顔を洗ったままの姿のルイズを見て才人は苦笑し、タオルを差し出した後、櫛でそのピンクブロンドの髪をとかしてやる
髪の毛は驚くほどの櫛通りで、素直にその寝癖を解消した。

「ねえ…」
「はい、なんでしょう?」
「あんた、なんでそんなに手慣れてるのよ」
「以前お話したように、それはそれはひどい貴族様に仕えていたからですよ」
「そうなの…」

朝のルイズは終始こんな感じである。低血圧なのか何なのか、明晰な頭脳は全く回転しないようだ

「さて、ご主人さま、最低限の身だしなみは終わりましたが、制服に着替える必要がありますよ、部屋に戻る事を勧めるぜ」

才人の言葉を聞いたルイズはこくりと頷くと、ずるずると毛布を引きずりながら、早朝の学院を自分の部屋に向けて歩き出した。


その後、アルヴィーズの食堂前でルイズと合流した才人は、ルイズを食堂にエスコートし、椅子を引いて座らせ、自分は厨房に移動する。


手伝うと申し出る才人を強いて椅子に座らせ、厨房から食事を運んでくる少女の頬は赤い
才人が何気なく周りに気を巡らせば、メイド姿の女の子ほとんどから熱い視線が刺さるのを感じる
だが、才人が顔を上げればすぐに目は逸らされる


そして、運ばれてくる食事は、まるで王の食卓だ


「え~と…これは…一体?」
「おう、サイト!言っとくがこれは余り物で、まかない食だからな!」

厨房からひょいと顔を出したマルトーが、満面の笑みで応える、白い歯が眩しい


マルトーお前もか、どう見てもコレだけの食材が余るわけが無い


毎朝の鍛錬を欠かさぬため、少しでも血と肉の補給はしたいところだ、ところだが…
どう考えてもこれほどの量を食い尽くすことは不可能だろう


「マルトーさん!これ、食えなかったら少しジャガナートに持って行ってやってもいいっすか~?」
「おう!かまわんぞ!古代竜にメシを作った伝説の料理人たぁ俺の事よってなぁ!シエスタ!今年の新酒、一番良いやつをサイトに飲ませてやれ」
「分かりました!」
「いや、いいよマルトーさん!朝っぱらから酒なんて」
「英雄とは色を好む、英雄とは良い酒を好むもんだ、なあシエスタ」

シエスタと呼ばれた少女は下を向いて真っ赤になっている

「それはそうと才人、お前一体どこでどんな修行を積めばああなるんだ?」

料理をもぐもぐやりながら才人が応える

「俺の剣は師匠がいてさ、あの人の下で修行すればだれだってこうなるよ、半分は逃げ出すかもしれないけど」


「そうかそうか!がはははははは」

ギーシュとの決闘に勝って以来ずーっとこの調子である
厨房に顔を出すたびに褒められ奉られ、正直少々落ち着かない


■■■


医務室
ベッドの上では金髪の少年が安らかな寝息を立てており、その掛け布団のところには同じく金髪で縦ロールの女の子が目の下に隈を作り、眠っている。

さわやかな風が窓から入り、白いレースのカーテンを揺らす
やわらかい日差しが部屋の中に差し込み、少年の顔を優しく照らしていた

すると、少年の瞼がピクリと動き、ゆっくりと目を開ける
目を開いたとたんに差し込む光にまぶしそうに目を細め、うつぶせに寝ている女の子に気がつく


「ここは…?僕は確かあの平民と決闘して、ってモンモランシー?」
「う…う~ん、なによ~」


呼びかけには不機嫌な声色の返事が返ってくる

「モンモランシー、起きておくれ」
「う~~ん、ギーシュ~?」
「そうだよ、君の恋人のギーシュだよ」
「へ~~~、ふ~~~~ん?恋人だったんだ?」


ジト目でにらむモンモランシーにギーシュは思わず冷や汗を流す


「た…頼むよモンモランシー、そんな不機嫌な顔をしないでおくれよ」

だが、モンモランシーの機嫌は戻らない、その青い瞳は瞼によって上側が隠され、眉はつりあがっている
その目元の隈も相まって、なかなかの迫力をかもしだしていた。


「ごめんなさい!始祖に誓ってもう浮気はしません!この薔薇と始祖にかけて誓う、モンモランシーを1番に愛すると」
「1番~~~?、って事は2番や3番がある訳ね、4番や5番も!」
「ご…誤解だよモンモランシー!」


そのときドアが開き、肉感的な体つきをした女性が入ってくる


「あらあら、賑やかだ事、ここは体調の悪い生徒が来る場所よ?元気な生徒は帰ってね~」


医務室の主、マリアエレナ医師である


「ギーシュ君は目が覚めたみたいね、魔力を限界を超えて搾り出したために気を失ったのよでもおめでとう、これで君もラインメイジね」


語りかけながらベッドの方に歩み寄ってくる、ギーシュの目はある1点に釘付けである
それを敏感に察知したモンモランシーの額に青筋が踊る


「ギイィシュ~~~ウ!!」
「ん?なんだねモンモランシーそんなこわ ぶべら」


ギーシュの顔面にショートアッパーが炸裂し、再び意識は頭の外に叩き出された


「天国がたゆんたゆん」
「あらあらあら」
「マリアエレナ先生!この超バカをお願いいたします!もう知らないっ!」


寝ずに看病してあげたというのにこれはないだろう、堪忍袋の緒が爆薬の導火線と化したモンモランシーは、足音も高く医務室を出て行った
ギーシュはさらに3時間ほど惰眠をむさぼる事となる


ギーシュはやっぱりラインメイジになってもバカギーシュであった。


■■■


トリステイン魔法学院外周部の森

「ほらよ、マルトーさんが余り物だって、山ほど作ってくれたんだが、俺じゃ食えないんだよ」

才人が手押し車に満載した料理を運んでくる

「ほう…マルトー氏の、これが…ふむ…、ほう…、これは…」

山ほどあった料理を1分足らずで全部食べ終え、ジャガナートが言葉を発さなくなった

「……」
「どうしたよ?急に黙りこくって」
「今はもはや叶わぬが、この料理を人間として味わいたかった、だが、今や例え数百人分の胃を満たすほどの美食であろうとも、我には足りぬ
 我はもはや元の名前すら思い出せぬ、そして、いかに心動かされようとも、涙する事もない
 人とは、真、素晴らしきモノであったと、いまさらながらに思う」
「そうだな…」
「人であった時の記憶を探ろうと、いくら心の深淵に手を伸ばそうとも、そこにはもはや何もない、あるのは虚無だけだ」


「すまぬな、愚痴を聞かせた。忘れてくれ」

空気がしんみりしてしまったため、才人が無理に笑顔を作り、話題を変える

「いや、俺も、アンタにおんぶにだっこじゃ不味いからな、早く強くなりたい、しかし強さってのぁ一朝一夕に身につくものじゃねえ、もどかしっくてしょうがねぇよ、今だってそうだ、フーケを圧倒する事はできた
 だが、全ての闘いが1対1な訳じゃないよな、それにフーケより強いヤツなんざゴロゴロいる、正直俺は不安で仕方がねえよ」
「力、強さ、か… 才人よ」
「なんだ?」
「一つの可能性に賭けて見るつもりはないか?」


ジャガナートは空を見上げ、ゆっくりと語り始める、ドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の主人公ジークフリートの事を
悪竜を斃し、その血を全身に浴びることによって不死身の存在となった事、菩提樹の葉のせいで背中の1点だけが弱点であった事


「まさか…、俺にジャガナートの生き血を浴びろって?」
「悪い賭けではない、例え失敗したとしても、失うものは何もない、菩提樹の葉はここには無く、大釜か風呂桶でも用意すれば、全身を浴する事が出来よう」

風呂桶1杯分の血など、ジャガナートの体格からすると微々たる量である。

「あんたには何のメリットも無いが、いいのかよ、それで…」
「かまわぬ、我らはもはや運命を共にする盟友、一つでも良い可能性に賭けるべきだ、だが…」

ジャガナートは言葉を切り、才人の目を見る

「人ならざる者になってしまう可能性もあるのだぞ?」
「かまわねえ……」

ジャガナートの目を見返す才人の瞳は、一瞬の揺れもない


「俺は好き好んでルイズのために、愛する女のためにこのハルケギニアに戻ってきた、もう何が起こっても、俺がどうなろうとも、ルイズを守りたいという決意が揺らぐ事はねえよ、俺はルイズを愛してる」
「よかろう、ルイズのみを愛するというその言葉を信じよう、我が盟友よ、我は其の方と喜んで血の盟約を交わそう、その時より、我等は文字通りの兄弟となるであろう」


■■■


学院長室

春の柔らかな日差しが差し込む中、学院長室の高級椅子の上でオスマンは鼻くそをほじっていた
秘書のロングビルから非難の声が上がる
「オスマン学院長、仕事をなさっていただけません?何もかも、決済まで私にまかせっきりではありませんか」


「なあに、なに、優秀な秘書に任せておいたほうがはるかに効率が良かろうて、ほっほ」

その瞬間、ロングビルの足がすばやく動き、足元に来ていた何かを捕らえる

「学院長…!使い魔を使って私のスカートの中を覗こうとするのはやめていただけませんか?」

ロングビルの足には、オスマンの使い魔モートソグニルが押さえ込まれ、苦しそうにチィチィと声を上げていた


「か~っ!下着ぐらいでカッカしなさんな!そんなだから婚期を逃すのじゃ」

それを聞いて一瞬、ロングビルの顔色が変わりかけるが、一瞬の後には元に戻っていた。
サウスゴータ家が取り潰しにならなければ、普通の生活を、もしかしたら幸せな結婚生活を送れていたかもしれない
貴様ら貴族の身勝手なプライドさえなければ…


まあいい、それももうすぐ終わる、辞表を叩きつけてやったらこのスケベジジイはどんな顔をするだろう
ちょうどその時、学院長室の扉がノックされる


「誰じゃね?」
「失礼致します、ラ・ヴァリエールが使い魔、才人です。」
「おお、サイト君か、入りなされ、鍵はかけておらん」
「では、失礼致します。」


前回と違い、礼儀作法を学んだ才人の動きは、貴族の中で生活していてもあまり違和感を感じさせない


「で、用は何かの?」
「はい、オールド・オスマン学院長、実はこちらのミス・ロングビルに少々手伝って頂きたい事がございまして」
「ふむ、そうか。」
「それと、ジャガナートがシャルトル、ブルタイユ、ベルネー近辺の巣はすでに無い、と申しておりました。」


ガタリと音を立ててオスマンが立ち上がり、その顔は驚愕に彩られていた

「なんと、一夜の内にか…」

すぐに再起動したオスマンは、討伐依頼の書かれた用紙に素早く目を走らせ、金庫から金貨2100枚を取り出す。
持ち上げようとして断念し、杖を振ってレビテーションで移動させた
この金は、一時的にオスマンの個人資産から支払われるものだ、後ほど依頼を掛けていた貴族へと話を通し、"オスマンの力"で討伐された事を通達し
破格の安値である金貨2100枚を受け取るのだ。
そもそもこんなはした金で、オーク鬼やオグル鬼、トロル鬼の犇めく巣穴に突撃しようなどという阿呆は居ない、3か所合わせてたったの2100エキューなど、馬鹿にしているにも程がある


その愚かな依頼は、無言で事実を語る。依頼を出した貴族が愚かな事、そしてその財政がひっ迫しているという事だ。


例えこの金額が即座に回収できず、分割になったとしても、その貴族たちはオスマンに頭が上がらなくなり、さらには利息、もしくは延滞金を支払う羽目になる。
万一、踏み倒されたら、その貴族の子供は魔法学院に通う事は出来なくなり、社交界、ひいては貴族社会からドロップアウトする事になる。

付け加えると、同様の境遇の貴族など、掃いて捨てるほどいる。
どっちにどのように転んだとしても、オスマンの腹は痛まないのである。


レビテーションが解除され、目の前に下りた金貨袋の、どさりという重い音を聞いた才人は顔をしかめる

「…う、かなり重そうですね」
「私がお運びしますわ」
「助かります、ミス・ロングビル」


才人がさわやかな笑顔を浮かべて礼をする


2人そろって、オスマンに礼をし、部屋を退室する。
急に表情が変わり、ロングビルの口調がフーケのものへと変化する。

「あたしに何か用かい?呼び出すって事は仕事の話かい?全く、人使いの荒い旦那だ」
「いや、そうじゃない、大釜を森の近くまで運ぶのを手伝って欲しいんだ」


マチルダが怪訝な表情をする
「大釜?なんだいそりゃ?」


「ああ、風呂を作ろうと思ってね、俺の国じゃ平民の家にも当たり前に湯船が付いてる」


マチルダは普通の人間サイズのゴーレムを4体錬金し、古い大釜を運ぶ、金貨は釜の中でジャラジャラと音を立てていた


「ずいぶんと景気のよさそうな音がしてるじゃないか」
「ああ、ほとんどはあんたの給料だよ」
「全部パクッて逃げてやろうか」


才人はにやりと笑い、犬歯が顔をのぞかせる


「逃げ切れると、本気で思ってるのか?」
「ふん」


やがて森のはずれに着き、再び地面から顔を出したジャガナートにより、金貨1500枚の前払いが決定され、マチルダはその口をあんぐりと開けたまま固まる
どこの世界に盗人に金を先払いする愚か物がいるだろうか、だが、ジャガナートの目は鷹のそれを軽く凌駕し、なおかつ闇すら見通せる
闇を己の衣服とする盗人ですら、ジャガナートの追跡を振り切る事は出来ない。


■■■


深い森の中の、100メイルほどの広場に巨大な影と1つの人影、才人とジャガナートだ
首から少量血を釜に流しながらジャガナートが話しかける
といっても、竜にとって少量、人間からすれば入浴ができるほどである。

「ルイズはどうしておる?」
「ああ、今1時限…って言うのかな?とりあえず一つ目の授業が終わって休憩時間らしい、次はラビリンスだかファブリーズだか、先生の実技みたいだ」
「…ミセス・シュブルーズだ」
「そうそう、たしか"前回"は俺がそこでルイズをからかってさ、んで飯抜かれたんだよね」
「暗愚め。努力している人間に追い打ちをかけるとは…」
「分かってるよ、今と違って"前回"はほとんどペット以下の扱いだったからな、普通は納得できんだろ」
「ふむ」

自らの巨大な爪によって付けた傷が見る間に修復し、元の状態に戻る
大釜には十分な量の血が溜まっていた


「なんか光ってるぞ?」


才人の言葉通り、血は黒く、その中に赤、白、青といった光が流れるように煌いていた。


「じゃあ早速漬からせてもらうとするよ」


才人はさっさと服を脱いで大釜に飛び込む
しばらくの後、空気中を黒い微粒子が漂い始める


「なんだこりゃ?」


その微粒子は徐々に加速を始め、才人の周りを8の字に、螺旋を描いて回り始める


「かっはっ!!」
「才人!」


黒い微粒子は、才人の鼻孔を通し、体内に侵入し、さらに水面から多くの血が巻き上がる


「いかん!そこから出よ!」


慌てるジャガナートに対し、才人は掌を向けて、制止する


「ぐ、げぼっ!」


黒い微粒子は黒い流れとなり、青や白、赤と、妖しく輝きながら才人の鼻孔、目、口腔から体内へ侵入していく
だが、それらは才人を窒息させる事は無く、素早く才人の体内へと突き進む

そしてついに、流れは激流となり、渦巻く竜の血によって才人の姿は覆い隠される。
流れが収まった時、釜の底に倒れこみ、荒い息をしつづける。

「無事か?返事をせよ!才人!」
「ハアッハアッ、ああ、大丈夫だ!心配ない」

先ほどまであれほどに空気中を荒れ狂っていた血は、全く残されていない。


「ふむ、吸収はされたようだが…何か変化を感じるか?力が湧き出るとか」


ようやく息を少し整えたが、まだ荒い息を繰り返す、才人は手を握ったり開いたりするが、その表情は訝しげだ


「正直、わかんねぇ」

才人は釜から飛び出し、近くの木を殴りつける
ゴンと鈍い音がし、右手を押さえた才人がそこにうずくまる

「ふむ…何も変化無し…か」

才人はステップバックやサイドステップ、ダッシュ等を次々試すが、首を傾げる
ちょうどその時、学院から爆音が轟き、一筋の煙が空に立ち上る

「お?」
「む?」

一人と1匹がそろってその方角を向き、顔を見合わせる

「主に何かあったようだな、魔法の暴発か?才人、様子を見て来い」
「おう!」


手早く服を着込んだ才人がダッシュで学院へ向かって行った
その背中を見送ったジャガナートの目には、わずかな不安が揺らめいていた


■■■


時は2時限目までさかのぼる

教室には、召喚されたばかりの使い魔がいたるところにひしめいていた
バグベア、スキュラ、バジリスク、サラマンダー

大きすぎて教室に入りきらない使い魔は学院の中庭で待機していた
最も、その中庭にすら収まりきらない物も今回は存在していたのだが…

ルイズは不機嫌であった
才人が自分を置いてさっさとどこかに行ってしまったからである。

「全く!主人を置いてどこいったのかしらサイトは!」


しかし、授業開始寸前になっても才人は現れず、そのまま授業が始まった

紫のローブを纏い、とんがりぼうしを頭に載せたいかにも魔女といった格好のミセス・シュブルーズが
教壇に現れる。

「新2年生の皆様、ごきげんよう、私が今日の授業を受け持つ、シュブルーズです。さて、私はこうして皆様の使い魔を見るのが非常に楽しみなのですよ」

ぐるりと生徒を見回し、ルイズの所で視線が止まる
「ミス・ヴァリエールの使い魔は中庭にすら収まりませんね、立派な使い魔を召喚しましたねぇ」

ルイズの口の端が少しだけあがり、気持ち誇らしげな表情になる
そこに水を差す者が現れる、まるで懲りぬマリコルヌこと風上のマリコルヌである

「はい!ミセス・シュブルーズ!ゼロのルイズは結局巨竜に逃げられたままです!」

ジャガナートは帰ってきて、学院外周部の森に住み着いているのは周知の事実である
他の生徒の冷ややかな視線が集中し、マリコルヌを指差したタバサが止めを刺す

「…おもらし」

途端に教室は大爆笑の渦になる

マリコルヌは意外にも、恍惚とした表情を浮かべていた

「タバサ、あなたたまに口を開くと言うわね」

目じりの涙を拭きながらキュルケがタバサの頭を撫でる

「お静かに、お静かになさい、そしてミスタ・グランドプレ、他の人を罵れば、結果は自分に返ってきますよ」

そして、授業は始まり、錬金の講義となる


しかし、虚無の扱い方を知らぬルイズは"前回"と同じく失敗し、授業は中止
ルイズ一人が教室の片付けを命ぜられる事となる。

小さなほうきで床を掃くものの、上手く塵が集まらない、コツを知らないからだ
その時、扉がガチャリと開き、才人が現れる


「お待たせ、ご主人様」


「…」


ルイズは何も答えず、うつむいたままほうきをただ動かしている
才人も無言で片づけを行い、重いものや割れたガラスを外に運び出す


「…なさいよ」

小さい、本当に小さな声でルイズが呟く、気を付けていなければ絶対に聞こえない

「笑いなさいよ!」

次の瞬間、突然ルイズの堰を切ったような怒声が、二人しか居ない講堂に響き渡る

「ねえ、アンタも笑いなさいよ!メイジを知るならその使い魔を見ろ?ふざけないで!あんな立派な竜を召喚できても、私は何一つ変わらないじゃない!」
 
怒鳴っている内に、徐々にルイズの目に涙が溢れ出す

「錬金一つまともに使えないなんて…私は、ラ・ヴァリエールなのよ…!トリステイン有数の大貴族!ラ・ヴァリエール家の三女…」
 
ついに、ルイズの目から大粒の涙がこぼれ出す
才人は黙って、ただ見ている

「ねえ…あなたも笑いなさいよ、私には何もない!!あなたは剣が使えるけど私には何もないのよ…!あるのはただ失敗して爆発する魔法だけ…」

才人は叫びたかった、お前は伝説の虚無の使い手で、俺はガンダールヴだと
だが、理性の最後のかけらがそれを押しとどめた、それが無意味な行動だと分かったから


証明する物が無い


始祖の祈祷書を貸してくれ?国宝を傭兵に?


水のルビーを貸してくれ?姫殿下の指にいつも彩りを添えている国宝を外国の傭兵に?


不可能だ


だから才人は、ただ黙って聞いていた、ルイズの感情の爆発を黙って受け止めていた


「何とか言ったらどうなの!」


「俺は…、頭も良くねえし、女の子の気持ちには鈍感だっていっつも言われてる、難しいことはよく分からねぇし、前のご主人様にもいつも怒鳴られてた。けど、一つ分かることがある、俺と、ジャガナートはなんでここに居るんだ?」
 
その言葉に、ルイズの顔から怒りが消え、はっとした表情になる、そう、召喚は成功し、コントラクトサーヴァントは成功している。
才人は言葉を続けた

「なんでジャガナートは召喚されてすぐ、ルイズを見限らなかったんだ?なんでわざわざ俺を連れて学院まで戻ってくれたんだ?なぜまだここを去らないんだ?」

ルイズの頭の中を才人の言葉がぐるぐると渦巻き、答えを求めてせめぎ合う
才人は、そっとルイズを抱きしめる

「あいつは言っていた『そなたの内に眠る大いなる力を我は知っている、その力にふさわしき存在となった時に、我はそなたと契約を交わそう』と」
 ルイズに可能性が見えたからだろ?こいつには絶対何かあるって、よく分からねぇけど、あの六つの目は節穴じゃないと思うぜ?」

ルイズの身体の震えが、才人に伝わる

「俺さ、師匠の下で剣の修行してた時に、頑張っても頑張っても、"技の組み立て"が下手で下手で、一生懸命努力してもなかなかできなかったんだ
 その時、師匠が"才人君は大器晩成型じゃな"って言ってくれた、必ず後でできるようになるって絶対あきらめずに何度でも教えてくれた、あれは最高に嬉しかった
 そんな俺が、努力してる人を、まして俺のご主人様を、笑うわけねえだろ」

そして、ルイズが落ち着くまで、才人はずっとそのままの姿勢で居た

数分後、才人の鳩尾にパンチが入る

「いつまで抱きしめてんのよ」
「うぼっ!」

そして、自分の涙と鼻水で、でろでろになってしまった才人の服を見て、気まずそうに目を擦る

「その、悪いと思ってるわ、そうだ、感謝しなさい!今度の虚無の曜日に街に行って、服を買ってあげるわ、あと何か欲しいものを言いなさい」

まだ目が赤いものの、いつもの調子に戻ったルイズを見て、才人はほっとしたような表情を浮かべた



[37866] 第4話:トリスタニアの休日
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:8e844aa3
Date: 2013/08/25 22:57
二つのガンダールヴ 一人は隷属を望み 一人は自由を願った

第4話:トリスタニアの休日


トリステイン魔法学院外周部、はずれの森


鳥や虫の鳴き声に混じり、地面を掘削するゴリゴリという音や、土砂を積み重ねる音が響く
その巨体に宿された圧倒的なパワーと、切れ味鋭い爪で、どんどんと地面を掘って穴を深くしていくジャガナート
それを荷物に座ってぼうっと見ているマチルダ

そう、彼女はオスマンに辞表を提出し、ここに来ている、今はもうフリーの身分であり、彼女が腰かけているトランクには、大量の金貨が詰まっていた。
マチルダの隣には人間大のゴーレムが立ち、日傘を持っている
隣の空き地ではゴーレム達がせっせと土木作業を行い、フーケの住まいを作っていく、ちょっとしたログハウスだ。

「さっきから熱心に、何を掘ってるんだい?」
「この地下には風石の大鉱脈が眠っておる」
「へぇ」
「情報収集に向かわなくて良いのか?」
「連中が真昼間っからウロウロしてると思うかい?」
「ふむ、愚問であったな」


突然穴を掘っていたジャガナートが停止し、前足をしげしげと見つめる


「どうかしたかい?」
「爪が折れた」


穴を掘りすぎて爪が折れてしまった様だ
しかし、しゃべっている間に下から新しい爪が生え出て来る

地面には黒光りする1メイル30サントほどの爪が残された


「マチルダよ、この爪を錬金と固定化を駆使して1本の剣に仕立ててはもらえぬか?」
「別にかまわないけど、代金はもらうよ、でも、これだと反りの内側が刃になっちまうだろうね」
「構わぬ、ショーテルと呼ばれる剣の一つの形だ、できれば外側にも刃を付けて欲しい」
「へぇ…物知りなんだね」

だがこの後、フーケはこの仕事を引き受けたことを心から後悔する
恐ろしく硬いのだ、素材が、そのため、少しの加工を施すにも莫大な魔力が必要となり、作業は難航する
剣は何日かして完成したが、マチルダは頭から湯気を出しながらジャガナートに追加料金を請求した


■■■


虚無の曜日 トリステイン魔法学院 貴賓室

やわらかな日差しが窓から差し込み、朝の訪れを告げる。
レースのカーテンを通り抜けた光が、床にモザイク模様を形作る

鳥たちのさえずりが小さく遠く響き
まさしく、最高の朝の訪れである

「サイト、起きて、サイト、起きなさい」

春眠暁を覚えず

「う~ん、あと5分…」


珍しく寝起きの順番が逆転している、何時もなら才人がルイズを起こしている
あいも変わらずルイズは才人のキングサイズベッドを占領し、才人は床にマットを敷いて寝ている、オスマンに追加のベッドを申請したが、すぐには納品されないのだ。


「今日は王都へ買い物に行くのよ、起きなさい、早く出ないと帰りが遅くなるから」
「むにゃ…」


いつものクセで日曜日はスイッチが完全にオフになるようだ、剣の修行をしててもやはり日本人である
最初は優しく起こしていたルイズであったが、だんだんと頭に血が昇ってくる

ベッドから降り、サイトの両足を掴み、引っ張る
ずるずると頭がマットからズレて行き、ゴンと音がして頭が床に落ちる
恨めしそうな顔でようやく目を覚ました才人は、寝ぼけ眼で辺りを見回す


「目は覚めたかしら?」
「あ、ああ、おはようルイズ」
「トリスタニアに行くわよ、あなたの服を買わないと」
「武器も頼むよ」
「あなたの剣があるじゃない」
「あれは小太刀と言ってな、いわば予備の装備なんだ」


才人はデルフリンガーとの再会を心待ちにしていた
口は悪く、遠慮会釈の無い、空気の読めない

だけど、最高の相棒
命を失う直前まで、共に闘った相棒


"前回"と違い乗馬も習っていた才人は、馬具を調整し、多少の違いに戸惑いこそすれ
尻や腰を痛める事も無かった

「よし、じゃあ、使い魔の俺が先行する、ルイズに何かあったら困るからな」
「へえ、なかなか気が利くじゃない、見直したわ」

高慢なセリフを吐いてはいるものの、ルイズの顔は嬉しそうだ

「いくぞ!はあっ!それっ!」

才人が馬に鞭を入れ、馬は勢いよく走りだす。

「やるじゃない!」

その後ろ姿を見たルイズは、ちょっとした悪戯心をもたげる、自分の馬に鞭を入れ、フル加速状態へ移行する。
先行する才人の馬との差は徐々に縮まり、ついに馬首と馬体が重なる、後ろを振り向いて驚いた才人はさらに鞭を入れる
いつの間にか、競争状態へなってしまった。

2頭の馬がトリスタニアへの舗装された道を駆け抜ける、才人もルイズも体重が軽いため、馬は楽々とトップスピードに達する
才人の乗馬フォームは、及第点をもらえる程度だが、ルイズのそれは一流の騎手のそれだ。
鐙にかけた足と、体重移動、馬の揺れに合わせた体の動きで、見事にバランスを取り、馬の負担を軽減している。


「ルイズは乗馬上手いよなあ」
「当たり前よ、年季が違うわ」


才人がさらに鞭を入れて追いすがるが、体重が軽く、さらに技量も上なルイズの馬はさらに速い
2頭の馬がギャロップで駆ける軽快な音を辺りに響かせながら、2頭の差はじわり…じわりと広がって行く


2つの風が街道を疾駆する、才人は頬をなでる春の風を感じ、風にほのかに混じる甘い香りを感じ、その口の端を心持持ち上げた。
だが、馬を全力疾走させていられる時間は短い、二人は休憩も交えて、2時間程度でトリスタニアに到着する。


"前回"見て知っている事だが、改めてブルドンネ街は狭い
狭い道の両側にさらに露天が軒を連ね、狭い道をさらに狭くしていた
そこに大量の人間が歩き回るのである、もはや混沌であった


才人は、行きかう人々の目をよく見ながら行動していく
よからぬ事を考えている人間の目は口ほどに物を言う
最も、それすら感じさせないほどの猛者もいるわけだが


懐に手を伸ばしてくる不心得者には、麻痺毒を塗布した手裏剣でチクリとお見舞いしてやる
その器用な手は当分麻痺し、仕事にならないだろう。


サイトはルイズの手を引き、人ごみから抜け出し、ひとつの露天に寄った
威勢のいい露店のおばさんは目の前の色とりどりの香辛料を指して商売用の笑みを浮かべている

「ゲルマニアからいい香辛料が入ってきたよ!」

それを聞いた才人は顎に手をやり、にやりと犬歯を覗かせる。

「オバちゃん、この中で一番辛いのはどれ?」

一握りの白い唐辛子 …のようなものを手に入れた才人はほくほく顔だ


「ねえ、才人、香辛料なんて何に使うの?」
「へへ、小うるさいメイジを黙らせるために使う」

何の事かさっぱり理解できないルイズは頭上に?をたくさん浮かべていた


そして二人は服屋で服を買い、"前回"と同じように武器屋に入る事になる
ただし、"前回"と違い、貴族用の服を才人に買い与えた


「恩に報いるのは当然よ」


素直になれないのは、今回も"前回"も変わらない
最も、才人が変な勘違いする事が少なくなった分だけ、二人の関係はマシになるのかもしれない


■■■


トリスタニア裏路地


「きったねえ、くっせえ、洪水のモンモランシーに洗い流してもらえよ」
「あはっ、それいいかも」


冗談を言い合いながら二人が武器屋へと向かう
衛生観念のあまり進んでいないハルケギニアでは、細菌感染の事など知られているはずも無く
汚物やごみが普通に路地に放置されていた


「確かピエモンの秘薬屋の隣に…」
「あれじゃねえか?」


"前回"の記憶がある才人は、すぐに看板を見つけ、中に入る
昼間だというのに店内は薄暗く、パイプを片手にカウンターに肘を付いた店主がジロリと睨む


「貴族様がた、あっしの店になにか御用で?ウチは何もお上に逆らうような事をした覚えはありやせんぜ」
「客よ」
「ほっ、こりゃおったまげた、昨今は貴族様も剣を使われるんで?」
「いや、俺が使う」
「なるほど、従者に持たせる訳ですな」


先ほどとは打って変わって商売用の笑みを貼り付けた主人が、店の奥から美麗なレイピアを持ってくる
今にも揉み手を始めんばかりの表情だ


「最近はトリステインに、かの有名な盗賊"土くれのフーケが"出没するそうですなあ」
「土くれのフーケ?」
「おや、お嬢様、ご存知無いんで?何でも相当な使い手のメイジで、貴族から専門に盗みを働いているそうでさぁ」
「これなんかこちらの従者様にお似合いだと思いますぜ」


ファッションのために武器を身に着けるわけではないのにと才人は思わず苦笑する
苦笑いを浮かべたまま腰にレイピアを装着する

鞘から抜くと、シャランという澄んだ音が響く
ルーンが反応し、その剣の最適な構えを教えてくれる。


「綺麗な剣ね、うん!これなら私の隣に居ても恥ずかしくないわ、これいくら?」
「へえ、こちらなら金貨で…」
「待った待った!待ってくれよ」


すぐに商談を始めたルイズに才人が待ったを掛ける


「どうしたの?もっと綺麗なのがいい?」
「いやいやいや、違うんだ。確かにこの剣は綺麗だ、けど、武器として役に立つのか?」
「う~ん」
「それでしたら、ウチ一番の業物がありまさあ!」


店主が心得たとばかりに店の奥に飛び込み、1.5メイルはあろうかという装飾過剰な大剣を持ってきた


「こちらはかの有名なゲルマニアのシュペー卿が鍛えた名剣でさあ!鉄でも切れるって評判ですぜ」


才人はその剣を見て微かに眉をひそめる、"前回"フーケのゴーレムを切ろうとした時、1発で折れてしまった剣
キュルケが買い、ルイズとひと悶着起こした原因の剣
モットの屋敷に乗り込んだものの、武器ではなく、装飾品であったため、全くルーンが反応しなかった剣
こんなゴミは、さっさとブチ折っておくに限る

才人が右の眉を持ち上げ、口の端に微かに笑みを浮かべる

「じゃあさ、親父、なんか斬って見せてくれよ、そしたら多分ご主人様も納得するぜ?」

笑顔満面の主人が店の奥から太さ5サントほどの木切れを持ってきて えいっとばかりに振り下ろす
いくら装飾用の剣といえども、この程度の木切れは切れる
どや顔のおっさんに向けて才人が言い放つ

「アホかオッサン、んなもんマルトーさんの料理包丁の方が良く切れらぁ!」


そう言った才人は、一山いくらの叩き売り品の山に向かい、1本の錆びた剣を掴み上げカウンターに置く


「このボロ剣を斬って見ろよ」
「おい!ボウズ!ボロとは言ってくれるじゃねえか、もやし見たいな身体しくさって!」
「うお?剣が喋った!?」


実際は知っていてやっているのだが、さも知らなかったかのように芝居を打つ

「お前ぇみたいなもやしは、棒でも振ってやがれ」

その悪口雑言を耳にした店主は怒りで顔を真っ赤にし、怒鳴り散らす

「やいデル公!お客様に向かってなんて口の聞き方しやがる!貴族様に頼んで溶かしてもらうぞ」


「おうともさ!やれるものならやってみやがれ!」


店主と剣がまともに喧嘩をしているその様子に、呆気に取られていたルイズが口を開く

「インテリジェンス…ソード?それにしてもえらく口が悪いのね」

ルイズが呆れている間にも、剣と店主の言い争いはどんどんとヒートアップしている。

「おうやってやる、すぐやってやる!今からてめえは真っ二つだ!」


店主が頭からピーと湯気を出しながらシュペー卿の大剣を頭上に振りかぶり、力いっぱい振り下ろした
そして、大剣の刃がカウンターに転がった


「どうだ!この野郎!ざまあみやがれってんだ!」
「見事ね…」
「おっさんおっさん…」
「へえ、なんでしょう」
「それ…」
「へえ、この剣ですか?」
「…ああ、カウンター良く見てみろよ」
「…へえ、ですからデル公が真っ二つに… のああああああああああああああああああ!!」

デル公と呼ばれた剣は、鍔の金具をカチカチと鳴らしながら、言い放つ

「今頃なにほざきゃがる!ボケが」

「おっさんおっさん、こんなナマクラを俺のご主人様に売りつけようとしてたのかよ」

デルフリンガーと才人のダブルツッコミが容赦なく店主を追い詰める


「うえええ、あああああ、うううう、どうかご容赦おおお!!!」


店主は鼻汁やら目汁やら、いろんな汁をたらしながらご容赦をとすがりつく
大枚をはたいて購入した剣はナマクラだし、貴族から無礼討ちをされそうだし、史上最悪の厄日である


結局才人は、デルフリンガーと、レイピアを手に入れる事となった


タダで


しかし、その後、時間差で店を訪れたキュルケとタバサが、店で2番目の業物を買っていったため、武器屋倒産の危機は免れたようである
さらにタバサは、装飾剣の柄が金やプラチナであることや、埋め込まれている宝石の価値を指摘した
店の親父はまた、様々な汁を顔中から流しながらタバサに感謝し、"本日閉店"のカードを扉にかけ、引き出しから取り出した酒瓶を直接呷った。


■■■


自分と才人の服を買い、帰り道、才人とルイズが談笑している


「それにしても、その剣、もう少し何とかならないのかしら?サビサビでかっこ悪いじゃないの」


「やかましい、小娘、まな板!」


「おまけに口は悪いし、…なんですって!!」


「はは、まあまあルイズ、剣と喧嘩してもしょうがないだろ」

才人は笑いながら、意識して左手でデルフリンガーの柄を握り、口を開く。

「なあ、相棒よう、俺が何だか分かるよな」

突然真剣に語り始めた才人をルイズは眉根を寄せて見つめるも、沈黙を守る。

「おでれーた…、てめ、使い手か!」
「ああ、これからよろしく頼むぜ」


トリスタニアの大通りを、2人と1本が賑やかに歩いていく
傾きかけた日差しが、二人をやさしく照らしていた


■■■


その日の夕刻、トリステイン魔法学院はにわかに活気付き、華やかな雰囲気がかもし出されていた

フリッグの舞踏会である
準備のため、貴族の女子たちは湯浴み、着飾り、メイクを入念に行っていた
男子も同様で、いつになく上等の服を張り込み、香水などふりかけてみたりする

好きなあの子をダンスに誘おうと、必死なのだ

ただ、表向きは華やかな舞踏会の準備も、一歩裏方に入れば修羅場であった

「マルトーさん、芋むき終わったぜ!」
「おう!すまねえなサイト! おい、グラタン用のチーズが足りねえぞ!」
「サイト、すまんがこの皿洗っておいてくれよ!」
「あいよ~」
「サイト、この鍋も頼むぜ。」
「おう」
「サイト~、オーブン用の薪が足らねえ、悪いがまき小屋までひとっ走り行ってくれねえか?」
「おっけ!」
「おい貴様ら!サイトが居るからといってサボってんじゃねえだろうな!」
「「そりゃないですよ親方!俺らサイト君のお陰で大助かりなんですから
  まあ、普通なら終わったら死ぬところが半殺しで済むって所ですかね」」

厨房のコックたちの声が見事にハモる


「そろそろ豚の丸焼きを蒸し焼き釜から出しておけよ!次は熱油かけてサクサクに仕上げるんだからな!」

そして、薪を大量に抱えて往復していたサイトにマルトーから声が掛けられる

「サイト!ここはもういい、お前は舞踏会の準備をしろ!バッチリ決めろよ!」
「ああ、ありがと!じゃ!おっさき~!おつっした~!」


部屋に帰ったサイトは、手早くルイズに買ってもらった服を着込み、櫛で髪を梳かし、ワックスで整える

すると、部屋の隅から声が掛けられる

「おお?相棒、何事だ?えらく念入りにめかしこむじゃねえか」
「デルフも行くか?フリッグの舞踏会だよ」
「ふん、俺ぁ剣だ、誰かに振ってもらわなきゃ価値はねえ、舞踏会にゃ用事はねえよ、それよりも、俺はガンダールヴの左腕だ、だからえーと」
「なんだよ、何が言いたいんだ?」
「……忘れた」
「やっぱ置いて行くか?」

才人がレイピアを腰のベルトに固定しながら、半目で睨む

「そう言うなよ相棒、俺はこれでも6000年存在してるんだぜ?細かい事ぁ忘れちまってもしょうがねえだろ」
「…?まあよく分かんねえけど、行くべ」

才人がデルフを掴み上げ、背中に掛ける

背中に大剣、腰にレイピア、服は盛装という、とてつもなくちぐはぐな格好である


会場では、真正面のゲートから着飾った貴族たちがちらほらと現れ始めていた
ダンスの相手を獲得した組である

才人はそれを後目に、裏の使用人口から入り込む

その際、厨房から口笛が飛び、シエスタが黄色い歓声を上げる
マルトーは忙しい合間にワインセラーから取っておきを引っ張り出し、才人に持たせてくれた。

才人は礼を述べて厨房から出、例のバルコニーに陣取る
ちゃっかりと、食べ物は用意済みである。"以前"と違うのは、そこにグラスが2個あること

壁に寄りかかり、二つの月を眺めながら微笑む才人を見て、デルフが茶々を入れる

「へへへぇ、なかなか様になっとるがな、相棒」
「ふん」

そして、主役たちの登場するころには会場はすっかり賑わい、楽師たちが奏でる音楽が流れていた
そして、入り口の蝶ネクタイ、赤タキシード男が登場する人間を紹介していたのだが……


「ゲルマニアから来た微熱の太陽!ボーイズキラー!キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー嬢のおな~り~!」


"前回"と違い、何かノリノリな様子である


「ガリアから来たクールビューティ!真紅のドレスがその白き肌を引き立たせる!タバサ嬢のおな~り~!」


「彼女いない暦16年!自称ぽっちゃり系!スマイリングマスコット!マリコルヌ・ド・グランドプレ様のおな~り~!」


「顔は良いがオツムはカラッポ、最近"鉄騎"の二つ名で呼ばれ、ますます調子に乗る、武だけで名をはせる脳筋グラモン家が三男!ギーシュ・ド・グラモン様のおな~り~!」

途端に会場に笑いが広がり、顔を真っ赤にしたギーシュが男の胸倉を掴み上げる。過去にギーシュと何かあったのかという勢いの紹介だ。


「香り高き香水の調香師、その縦ロールをセットするのに20エキュー!モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ嬢のおな~り~!」

そんなに使ってないわよ!と、今度はモンモランシーが男に詰め寄っていく

「ラ・ヴァリエール家が三女、シルクの美髪と、女神の美貌、おお…始祖よ!美の女神よ!願わくば彼女に胸を与えたまえ!ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおな~り~!」

途端に爆発音が轟き、悲鳴が上がり、それっきり紹介の言葉は聞こえなくなる
まるでそれが開始の合図であったかのように、楽師たちが踊りの音楽を奏で始める


沢山の花がダンスフロアに咲き乱れ、そしていくばくかの壁の花ができあがった


そしてその光景を酒の肴に、酌み交わす大人たち

見ると、ルイズの美しさに惹きよせられた男が数名、ダンスを申し込んでいる
ルイズは丁寧にそれを辞退し、壁の花をいくつも作り出す

今までは、蔑みの視線で見られていた彼女が、好意の視線を向けられる
ジャガナートと才人の召喚によって彼女も少し変ってきたのかもしれない
才人はそんなルイズを上から見守り、微笑む
そんな才人を見てデルフがいらぬ茶々を入れる

「おい、相棒!見てないでおめーも踊れよ」
「馬鹿言え、相手が居なきゃ踊れねぇだろ」


そこに、額に少し汗が光り、初夏の向日葵のような明るい笑顔を浮かべたルイズがテラスに上がってきた

「今年は3人もダンスに誘ってくださったわ!こんなの初めて!その…半分はサイトのお陰…だから…その」
「は~はは、馬子にも衣装言うんじゃ」
「うるさい!」

途端にルイズの蹴りが飛び、柄が足と壁に挟まれたデルフが呻く

「痛ってぇなあ!」

そんなデルフを無視し、ルイズがスカートの端をつまみ、優雅に一礼する

「サイト…じゃなくて、ジェントルメン…一曲お付き合いいただけますか?」

才人が満面の笑顔で応える
「ああ、喜んで!」

ホールの中央に進み出て、クローズドポジションでダンスを始める二人
密着度も高く、お互いの表情を見ることのできる体勢だ
そして、ルイズはサイトのステップの巧みさと、リードの上手さに驚く

「驚いた、サイトってダンス踊れたの?」
「ああ、以前少し習っていてな」

本当はなかなか覚えられずに猛練習をした才人であったが、それは言わなかった
身体が変に傾く度に耳元でブーブー爆音を立てるあの忌々しい機械を思い出し、心の中で盛大にしかめっ面をした。

そして、ややうつむき加減でルイズがぽつりぽつりと話し始める

「その……、ありがとう」
「ん?何が」
「魔法失敗して落ち込んでる時に……慰めてくれて」
「ああ、その事か、使い魔が主人を気遣うのは当然だろ?」

才人が"自分で思いつく最高にかっこいい微笑み"を浮かべる
ハルケギニアに来る前に鏡の前で何度も練習し、小学校で実践し、何人かの女の子を落とした笑みだ
俺ってかっこいい、状態である

「そうね、サイトは立派な使い魔よ、私の大事な使い魔…」

一方、テラスに置き去りにされたデルフは、特に文句を言うでもなく、静かにしていた

「おでれーた、使い魔が主人のダンスの相手を務めるたぁ、おでれーた」

そのつぶやきは、音楽に乗って夜の風に乗り、消えていった。


踊りを終え、才人とルイズはテラスでワインを楽しむ、ルイズはワインのラベルを見て驚き
才人はその味の良さに驚いた


宴も終わりをむかえ、部屋に戻った才人はごそごそと自分の荷物をまさぐっていた
最近は当然のように貴賓室に上り込み、さも自分専用という様子で才人のベッドを占拠しているルイズが声を掛ける、

「あんたなにやってんの?」
「ん?ああ、そういや俺のお母さんからルイズへのプレゼントって言ってたのを思い出してな」
「なんであんたのお母様が私の事を知ってんのよ」
「細かい事は気にすんな、ジャーン!」

そういって才人はシャンプーとリンスのセットを取り出す。一方のルイズは怪訝な表情を浮かべたままだ

「なによそれは?」
「これはな、シャンプーとリンスって言ってだな」

そう言いながら才人はディスペンサーを左に回してロックを解除し、シュコシュコと何度か押す
すると、ほんの少しだけシャンプーが出てくる、それを指に取り、ルイズに見せる


「何これ!すごく良い香り!何の香りかしら?果物みたいだけど」

香りをかいできゃあきゃあとはしゃぎだすルイズ
コスメ用品に目が無いのは、どこの年頃の女の子も変らないという訳である、才人の説明は続く


「でだ、これで髪の毛を洗う、それからこっちのリンスを付けて、しばらく待つ、そして洗い流す、すると、あら不思議、髪の毛がきらきらサラサラになります。といってもルイズには必要ないか」


と言い終わるか終わらないかの所で、ルイズは着替え一式と洗髪セットを持って部屋から飛び出して行ってしまった
帰ってきてからも、髪の毛のサラサラ加減と、その香りの良さに至極ご満悦だった
パーティーが終わってから風呂に入っていた女の子達に質問攻めにされたと言っている


「ねえサイト、あなたの母上はこんな高級な品物毎日使ってるの?一体どこの豪商なのよ」
「ははは、豪商って、そんなんじゃねーよ、俺の住んでた所ではみんなそれを当たり前に使ってるのさ、ちなみに、男用もあるぜ?」
「ふうん、ロバ・アル・カリイエって凄く豊かな国なのね」


ルイズの中でロバ・アル・カリイエについて誤解が一つ深まった
その想像図の中では、男も女もみんな髪の毛がさらさらきらきらで、良い香りを振りまき、満面の笑顔で歩き回っていた


■■■


翌日、早めに目を覚ました才人は、ぼんやりと天井を見ながら考える
ようやくオスマンから、比較的質素なベッドの入荷を告げられ、先日部屋に運び込んだものだ
なんという皮肉だろう、"前回"よりもルイズに好かれているため、ベッドに寝させてもらう事にはなりそうにない

(そういえば、"前回"はここでルイズに襲い掛かったんだっけな…、しかもルイズの部屋で、そりゃ嫌われるよな)

どんな女の子でも、夜這いされて喜ぶ子はごく稀だ、よほどのMか、よほどの色狂いか
ましてや知り合ったばかりで、ようやく友情が芽生えようかというその時に……どうみてもトラウマ物である

腕枕をしたサイトが、ベッドの端から少しだけ見えているルイズの顔に目をやる

(かわいいよなぁ…、何してても可愛いんだから、犯罪だよな)

そして、元気になりかけた自分に気付き、慌てて飛び起き、頭を振り振り朝の鍛錬に向かう
重さと使い勝手を再確認するため、今日はデルフリンガーが鍛錬の友だ。


学院の外れの森では、巨大な竜が寝そべっている、その横で鍛錬を始める才人、その裂帛の気合が朝もやの中に木霊する
何とはなしにそれを眺めていたジャガナートが声を掛ける

「我は剣術は知らぬが、巧妙に組み立てられた剣であるな」

そこへ、振り回されているデルフリンガーが相槌を入れる

「ああ、今度の相棒は強ええ、それにこれほど基礎ができとる相棒も珍しい」

振られながらしゃべるため、ますます聞き取りにくい


「それはそうと、才人、恐らく本日アンリエッタが学院に来る、そしてワルドもな」
「ああ……忘れもしねえ!あの野郎!」


犬歯を剥き出しにして唸る才人をみてジャガナートがたしなめる

「落ち着け、才人、アルビオンの潜入には我は同行できぬ、ゆえに、綿密な打ち合わせが必要だ」
「なんでだよ…」
「たわけ、このような巨体で何が潜入だ、アルビオン人の目が全て節穴であるのなら話は別だが、今回、我は別行動だ、恐らく最後の最後で合流する事になろう」
「マジかよ…」

少し不安げな表情を浮かべる才人に、ジャガナートがからかう様な声色で話しかける

「どうした?我がおらぬと不安か?童よ」
「うるせえよ…そうじゃねえよ、ただ……」
「ただ、何だ?」
「今の俺の腕で勝てるのかと、いつも自分に問いかけてるんだけど、分からねえ、不安なんだ、"前回"は夢中だった、気がついたらアイツの腕を切り落としてた」
「才人よ、むしろ我は、其の方が不安だとこぼした事に安堵しておる」
「どういう意味だよ」
「自信に満ちておったならば、此度のアルビオン行きは腕づくででも止める所であった。不安なのは、己とよく向き合っている証拠、己を知っておると言う事だ、其の方に一つだけアドバイスがある」
 
才人は真剣なまなざしで、ジャガナートの言葉を待つ

「他人の受け売りだが、"切り札は見せるな、見せるならもう一つ奥の手を持て"最も、誰の言葉であったか、とんと思い出せないが…な」
「分かった」
「最初の広場での決闘、それからワルドの偏在の出現、いずれも彼奴のしたいようにさせておけ、其の方は実力を隠し、虎視眈々とチャンスを狙え、誰かを守ろうなどと自惚れるなよ、ワルドを無効化することに全力を傾けろ」
「分かった!俺の師匠が言ってた、"能ある鷹は爪を隠す" あれと一緒だな?」
「ああ、その通りだ」

その後、ジャガナートはウェールズを説得するための言葉を、才人と共に考え、アイデアを練り上げていく


■■■


一方そのころ、ゲルマニアへの外遊から帰還途中のアンリエッタ姫は、トリステイン魔法学院へ向かっていた
マザリーニの情報網によると、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールが見たことも無いほどの巨竜を召喚したとの話だ

ぜひともルイズの協力を得て、竜の力を使い、上手くすればゲルマニアと同盟しなくても良いかもしれない
あるいはあのアルビオンを覆う不吉な影を払拭できるかもしれない、そう、安易に考えていた

マザリーニ枢機卿は、そんな姫の様子を見て怪訝に思い、話しかける

「姫殿下、本日はご機嫌がよろしいようで、何よりでございますな」
「ええ、古くからの親友に会えますもの、それに…」
「それに、何ですかな?」
「何でもありませんわ」

マザリーニは、姫に聞くまでも無く、全て把握していた、恐らく、アンリエッタ姫はラ・ヴァリエール嬢の協力を取り付け、アルビオンの革命派を滅ぼし、結婚の話を白紙に戻そうと考えていると
しかし、そう簡単に行くのだろうか?そもそも、コントラクトサーバントが行われているのか?確かめなくてはならない点が多くあった


■■■


トリステイン魔法学院講堂

いつものようにルイズをエスコートし、朝食を取り終えた才人は講堂に付いて来ていた
鎖と首輪でつながれることも無く、鞭でしばきまわされる事も無い、平穏な日常である

能ある鷹は爪を隠す、などと言ってはみたものの、才人もまだ17歳、遊び盛りである
じっと自重している事など難しい。確かこの後キュルケが吹き飛ばされて…と考え始める

そうしているうちに授業開始の鐘が響き、教壇へ教師が進み出てくる


"疾風"のギトー


黒いローブとマントに身を包み、長髪の隙間から辺りを見回す視線は刃のように鋭い、実力はスクウェアクラス
しかしながら生徒からの人気は低い、その風体を見て(こやつ出切る…)などと思う子供はいないのである

「では授業を始める、知っての通り、私の二つ名は"疾風"疾風のギトーだ」

生徒全員が、ギトーの威圧的な雰囲気に飲まれ、しーんと静まり返る
それを満足そうに眺めたギトーは言葉を続ける

「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」
「虚無ですわ」
「伝説の話をしているのではない、現実的な答えを聞いている」

その言葉にキュルケは一瞬不快な表情を浮かべたが、すぐにそれは不敵な笑みへと変る

「火に決まってますわ、ミスタ・ギトー」
「ほほう、どうしてそう思うのかね?」
「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱、そうじゃございませんこと?」
「残念ながらそうではない」

ギトーは腰に差した杖をすばやく抜き、右半身に構えてこう言った

「試しに、この私に君の得意な火の魔法をぶつけてきたまえ、その高名なツェルプストー家の赤毛が飾りでは無いことを証明するよい機会だ」
「火傷じゃすみませんわよ?」

キュルケの挑発的な笑みが顔から消え去り、表情が消え去る、極限の集中をしている証拠だ
胸の谷間から杖を抜き、呪文の詠唱を開始する、周りの空気が陽炎のように揺らめき、その赤毛が炎のように踊る
杖の先に発生した小さな火の玉は膨張を続け、ついには直径1メイルを超える火球へと成長する
教室の中で魔法を撃ち合うなど正気の沙汰ではない、余波を恐れた生徒たちが慌てて机の下に隠れ、風メイジの生徒はエアシールドを展開する

そして、キュルケの呪文が完成する、轟々と唸りを上げて直進する火球がギトーに迫る
しかしギトーはその顔に薄笑いを浮かべたまま、避けようともしない、その口は小さく呪文を詠唱し続ける
そしてあわや激突という瞬間に、ギトーは杖を振り、完成した呪文を解き放つ
烈風が巻き起こり、魔力量の多く込められた風はキュルケの火球をかき消し、さらにその余波がキュルケを吹き飛ばす、講堂の階段にしりもちをつかされたキュルケは、不満げに両手のひらを空に向ける

だが、それを無視したギトーは自分の講義を開始する

「諸君、風が最強たる所以を教えよう、簡単だ、風は全てをなぎ払う、火も水も土も、風の前では立つことすらできない……、なんだ?貴様は?使い魔風情が私の講義を遮るとは、何を考えている」

才人はギトーの講義の途中で、手をまっすぐに挙げ、起立する

「これはミスタ・ギトー、"使い魔風情"がお言葉を遮ることをお許し下さい」

才人は優雅に一礼し、言葉を続ける

「これより、私は、我が友、ジャガナートをここに呼びます、彼の岩をも溶かすブレスを、ぜひその最強の風にて吹き飛ばして見せてください、"最強"の風使いミスタ・ギトー」

それを聞いたギトーはジャガナートの威容を思い出す、山脈のような身体、赤く炯炯と輝く6つの目
2メイル近い爪、そしてその恐るべき顎を

ギトーは青くなったり白くなったりを繰り返し、塩をされた魚の切り身のように汗を垂れ流す
その膝は震えて打ち合い、コツコツという音を響かせる

それを見た生徒達は、クスクス笑いを始める

「魔法の系統最強論なんて不毛ですよ、んなもんパワーがあるほうが勝つに決まってるでしょ」

その言葉を皮切りに、教室中が爆笑する

「ちょっ…ちょっと!サイト!やりすぎよ」

そういいながらもルイズの口元も、笑いを隠しきれないでいびつにゆがんでいる

ちょうどその時、講堂の扉が再度開き、頭に金髪ロールの馬鹿でかいカツラを載せたコルベールが現れる

「あややや、ミスタ・ギトー、失礼しますぞ、ん……?何事ですかな?これは?」

コルベールは教壇まで歩いてゆき、ギトーの目の前に手をかざし、反応が無いので肩を叩く



突如



「うわああああああああああああああああ!」
「ぬおおおおおおおおおおおおおおお!」

ギトーの絶叫が響き渡り、それにびっくりしたコルベールが飛び上がり、その拍子にカツラが転げ落ちる
その様子が余りにおかしかったので、生徒達がさらに爆笑する

それを見たコルベールは眉を吊り上げ、生徒達を叱責する

「静かにしなさい!静まらんかこわっぱども!ええい、大口を開けて笑うとははしたない、貴族とはいかに可笑しくとも、下を向いて口元を隠して笑うものですぞ!これでは王室に日頃の教育が疑われる!」

いつもは温厚なコルベールの一喝に、生徒達も静まり返る

「え~、おほん!本日はこの学院始まって以来のよき日になります、恐れ多くも先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」

そしてコルベールが一呼吸置き、さらに話し始める

「したがって、粗相があってはなりません、これより学院を挙げて歓迎式典の準備を行います。よって、本日の授業はこれ以降全て中止、生徒諸君は正装し、正門前に整列すること」

生徒達の歓声が上がり、コルベールが慌てて静止する

「お静かに!ただし、姫殿下が、皆様の使い魔達をご覧になりたいとの事です、御覚えがよろしくなるように、しっかりと杖を磨き!また使い魔たちの毛並みを整えておくように!では、解散!」

その一言でほぼ全員が真顔に戻り、自分の使い魔達を呼び寄せる
中には言う事を聞かない使い魔に、涙目になる生徒もいたが

そして、時は過ぎ、正装し終った生徒達が正門前に整列する
皆一様に使い魔の手入れを行い、やけに毛並みが良くなった使い魔達はつやつやしていた

才人も例外ではなく、貴族用の服を着せられ、レイピアを腰に差し、ルイズの後ろに控えていた
ただし、その腕にはキュルケが纏わりついていたが

なにせ才人の行動範囲が、貴賓室、厨房、早朝鍛錬、講堂程度しか無く、訪ねていってもことごとく空振りだったため
キュルケが誘惑しようにもチャンスが無かったのである

「サイトから離れなさいよ!はしたない!ツェルプストー!」
「い・や・よ、サイトにだって意思はあるのよ?選択の自由があるのよ?」
「場をわきまえなさいよ!全く、ゲルマニア人って下品なんだから」

いつまでもぎゃいぎゃいと続きそうな言い争いに才人が割って入る

「まあまあ、とりあえず整列しようぜ、キュルケも、学院のゲルマニアの代表なんだからな」
「あら、言うじゃないダーリン、ますますスキになったわ~」

甘い言葉を囁きながら、そのメロンのような胸を才人の腕にぐいぐい押し付けてくる
才人は心の中で般若心経を唱えて対抗する、ルイズがまた抗議の声を上げる
そんなどたばた劇をよそに、アンリエッタ姫殿下は到着し、衛士が王女の登場を告げる

「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおなーーーーりーーーーっ!」

さすがのキュルケも才人の腕を放し、姿勢を正す
最初に出てきたのが姫ではなく、マザリーニであったという手違いがあったものの
続いて出てきたアンリエッタ姫の美しさに、生徒達から歓声が上がる

アンリエッタ姫はにっこりとよそ行きの笑みを浮かべ、白い手袋に包まれた可憐な手を振る

「あれがトリステインの王女?私の方が美人だし、スタイルもいいじゃない」

キュルケがつまらなそうに呟く
そして再度才人の腕を取り、才人の煩悩を刺激する行為を再開する、才人は般若心経を再開する
タバサは、周りの喧騒を無視し、一人座り込んで本を読んでいた


「ねえ、ダーリンはどっちが美人だと思う?」
「どっちって、そうだな、アンリエッタ姫は白百合、キュルケはハイビスカス、ルイズは桜って所か?そもそも比べるもんじゃねーし、ああ、3つとも俺のいた国にあるお花な」

才人はそういいながらルイズの横顔を見る、その頬は桜色に染まり、一人の貴族を目で追っていた
立派な羽飾りのついた帽子、漆黒の魔法衛士隊のマント、凛々しい顔立ち、鷹のような鋭い目付き


ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵である


分かっていた事とはいえ、才人はちくりとした嫉妬を心の中に覚えた

「ねぇねぇ、ダーリンそれってどんなお花なの? ねぇってば、サイト?…サイト?」

ますます纏わり付いてくるキュルケ、しかし才人の眼は氷のように冷え切り、心の中で青い炎が燃え盛る
その視線は、グリフォンに乗ったワルド子爵を正確に捉える
肌が火にあぶられるような、それでいて背筋に氷を押し付けられたような感触を味わったキュルケが黙る

「あぁ~ん、その目付き、そんな目をするダーリンも素敵!」

黙ったのもつかの間、キュルケは才人の腕を離し、思い切り抱きついてくる
そのため、才人はワルド子爵に向けていた、焼け付くような憎悪の放射を中断させられる
キュルケに邪魔される数瞬前、才人の視界にオレンジ色の炎のようなものが見えた
その炎は、眼に映る全ての人に纏わりついて見えた

「おかしいな……、今なにか赤い陽炎の様なものが見えたんだが…」



一方、アンリエッタを警護していたワルドは、凶悪な魔獣が自分に狙いを定めているような錯覚を覚えた
慌てて辺りを見回し、嫌な気配を感じた方向に眼を向けるも、そこにはスタイルの良い赤毛の女に抱き付かれ
困惑の表情を浮かべる冴えない男と、きらきらした眼差しを向けてくる婚約者の姿しか無かった
仕方なく、婚約者に笑顔で手を振っておく、今のは一体何だったのだという疑問を残したまま

時刻は昼近く、生徒達は再度正門前に整列し、それぞれ自分の使い魔を近くに置いている
アンリエッタ姫は、目前に並んだ使い魔と跪いた主に、それぞれ祝福の言葉を述べ、使い魔たちに触れていく
そして、ついにルイズの番が訪れる

「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」
「お久しゅうございます、アンリエッタ姫殿下」

ルイズは跪き、後ろに控えたサイトも同じように跪く、そんな二人にアンリエッタの不思議そうな声がかけられる

「あら、ルイズ、あなたは何を召喚したの?聞く所によるとそれはそれは立派な使い魔を召喚したとか」
「お恥ずかしながら…召喚したは良いのですが、主と認められず、まだコントラクトサーヴァントはできておりません」
「まあ、そうだったの、私もその強情な使い魔さんを一目見てみたいわ」
「姫殿下の仰せの通りに致します」

ルイズより深々と頭を下げ、サイトに小声で命令する
なんとしてでもジャガナートをここに連れてきなさい、しかし命令しても聞いてはくれないぞと会話していると
アンリエッタ姫から声を掛けられる

「ルイズ、こちらの殿方は?」
「これも使い魔です、私の」
「え?」

アンリエッタの目が点になり、手で口を覆ったまま止まってしまう
そんなアンリエッタに、才人が自己紹介をした


「お初にお目にかかります、アンリエッタ王女殿下、ラ・ヴァリエールが使い魔、サイト・ヒラガと申します、以後お見知りおきを」
「殿下、この者は気もききませんし、冴えない風貌ですが、剣を少々使い、おまけに竜の言葉を解するのです」
「竜の言葉を?」
「はい、その通りです、サイト、ジャガナートをここへ、姫殿下の仰せよ」


才人がジャガナートを呼びに行っている間、トリステインのVIP達が椅子に腰掛けて待つ
机が用意され、紅茶と茶菓子が並べられる、そして周りを魔法衛士隊が警戒していた

やがて、遠く、地響きのような音が聞こえ、それがだんだんと大きくなってくる
遠くの森から鳥達が慌てて飛び立ち、我先にと逃げ惑う
ついには、グリフォン隊のグリフォンまでもが騒ぎ始め、さおだちになる幻獣を魔法衛士隊が必死でなだめる

ルイズはジャガナートが言う事を聞いてくれた事に心底安堵した

そして、ついに激しい地響きは大きな縦ゆれに変り、アンリエッタのために用意されていた紅茶のカップまでも
ひっくり返ってしまい、召使達が拭き布を持って右往左往する
身体の軽いマザリーニは、振動するたびに尻が椅子から浮いていた


やがて城壁の切れ目に、ジャガナートの巨大な頭が見え始める
首の後ろに乗っているサイトがまるで小人の人形のように見えた


グリフォンたちは震えながら地にべったりと伏せ、全く役に立たなくなってしまった
マザリーニ枢機卿でさえ、口を大きく開けたまま空を見上げるばかりであった

現れたジャガナートは輝く6つの目で辺りを睥睨する
ワルドと目が合ったジャガナートは、さらに視線に力を込める

ワルドはというと、氷柱を背中に押し込まれたような感触を味わっていた、先ほどの殺気とは桁が違う
目を逸らしたい、けれど身体が言う事を聞かない、口の中に鉄の味が広がるのを感じた
軍人の常で、彼我戦力差を分析していたのだが、結論は死、それも一瞬で殺される映像しか思い浮かばなかった

ワルドをたっぷりと威圧し、脂汗を搾り取ったジャガナートはゆっくりと首を地面に下ろし、才人が下りやすくする
やがて、硬直状態からようやく脱したアンリエッタが、ルイズと才人を前に呼ぶ

「お…驚きましたわ、まさかこれほどとは、すばらしい使い魔を召喚しましたわね、ルイズ」

アンリエッタの前に跪き、ルイズが応える

「もったいないお言葉でございます、姫殿下」
「ルイズ・フランソワーズ、私のおともだち、貴女ならきっとできるわ、この竜を従え、あのアルビオンの恥知らず共を焼き払ってくれることでしょう」

それを聞いていたマザリーニがはっとした表情を浮かべ、アンリエッタを制止した

「お待ちくだされ!殿下!そう軽々しく…」

そう言いかけたマザリーニの声を遮ったのは、腹に響く重低音の、怒りに満ちた声だった。



[37866] 第5話:それぞれの思惑と
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:b9dddeb4
Date: 2013/08/25 22:57
二つのガンダールヴ 一人は隷属を望み 一人は自由を願った

第5話:それぞれの思惑と


所はトリステイン魔法学院、突如決まったアンリエッタ姫殿下の行幸のため、歓迎式典が催される
屋外の広場に特設された貴賓席、アンリエッタとマザリーニが座り、次々に連れてこられる使い魔を祝福していた

そして、ルイズ・フランソワーズの番である、召喚はしたものの、コントラクトサーバントは出来ていない

全長80メイル前後、全高25メイル前後、6枚の翼を広げたら、その幅は優に100メイルを超えるであろう
重なり合った鱗は黒光りし、重装歩兵のプレートメイルなど紙細工の如し
頭部は古代の恐魚のように、さらに重厚な装甲を施され、ぴったりかみ合わされた5枚の歯は、隙間も無い
まっすぐに伸びた3本の角、1本は他の2本より長く、残りの2本は長い角に比べて短い
6つの、赤く爛々と輝く目が辺りを睥睨し、一歩踏み出すごとに大地が揺れ動く

異変は、才人がジャガナートを呼び、その威容に感動したアンリエッタがある言葉を口走った事から始まる

おともだちに、使い魔を使役し、レコン・キスタを焼き払うよう"お願い"した事である

「お待ちくだされ!殿下!そう軽々しく…」

事の次第を予測し、最悪の結果を想定していたマザリーニが絶叫する
だが、事は最悪の事態へと、黙々と歩を進めていた

先ほどと打って変わって荒々しい、激しい揺れと、空気の振動が辺りを覆い尽くす
生徒達は悲鳴を上げ、頭を抱えてその場に座り込む

使い魔たちは暴れだすかと思いきや、上を見上げたまま瘧のように震え、身じろぎ一つしない
前足を腹立たしげに地面に叩き付けたジャガナートが立ち上がり、辺りには硫黄の異臭が漂った。


「才人!ジャガナートを抑えて!」
「分かった!」


必死のルイズの訴えに、才人が弾かれたように飛び出し、アンリエッタの前に立つ、遅れてルイズも才人の後ろに立った。
だが、二人は燃え盛る真紅の瞳を見て、心の底から震え上がる事になった。


明確な敵意、むき出しの殺意、煮えたぎる憤怒、それら全てが混然一体となったものが叩き付けられる
師匠ほどの鋭い鬼気ではない、だが、生物としての次元の違う存在のため、それは何百倍にも増幅されていた。


--グルロロゴロッゴロゴロロォッ! ゴシュッ!


岩塊を擦り合わせるような不快な音が轟く、ジャガナートの不機嫌な唸り声だ。
そして、幾多の爬虫類がするように噴気音を発してみせた。

大軋鋏(くびかりばさみ)のような外装甲は目いっぱい4つに開かれ、内顎も上下に大きく開かれ、整然と並んだ牙の間には薄黄色の毒液が光る
そして、すさまじい揺れとともに突進してくるのだ、後ろに守ったアンリエッタが後ずさりしようとして倒れるのも無理からぬことだ
グリフォン隊の隊員たちも、何とかアンリエッタを守ろうとするが、ジャガナートのあまりの動きの速さにタイミングを計れない。

--カロロ… グルロロロロロロ…


才人の顔に硫黄混じりの吐息がかかるほどにその口が近付き、その6つの目は才人の後ろにいるアンリエッタを射抜く、その口を閉じれば、才人とルイズ、およびアンリエッタ、そしてその後ろの地面は全てジャガナートの口に収まってしまうだろう。


「ひいっ」


か細く、息を飲む音が、脂汗を浮かべた才人の耳に届く、それはアンリエッタが上げた悲鳴か、はたまたルイズのか
才人は両手を目いっぱい広げ、ジャガナートに向かって叫ぶ

「何なんだ!いったいどうした!ジャガナート!落ち着けよ、落ち着くんだ!!」

だが、その言葉への返答は、野生の獣としか思えない唸り声であった。

--カロロ…

才人は、何らかの理由でジャガナートの理性が完全に失われている事を疑った。
だが、次のジャガナートの行動を見て、ほんの少し安心する。才人に近付けていた顔を引くと、地面に日本語で文字を書いたのだ。


『不遜なり、定命の者よ』


その字を読んだ才人は、アンリエッタに叫ぶように話しかける。


「非常事態ゆえ、無礼をお許しください!私の親友が、あなたの言葉に激怒しております、アンリエッタ姫殿下!」


だがアンリエッタは、歯の根も合わぬほど震え上がっており、才人の言葉を聞く余裕はない。


『小娘、対価も払わずに我を従えるつもりか』

「ジャガナートは、対価を払えと言っております!」


その言葉を聞き、腰を抜かして倒れていたマザリーニが、歯を食いしばり、地面を這いながらジャガナートとアンリエッタの間に入る

「ならば私の命をお取り下され!私の願いもまた殿下の願いと同じ!私の命と引き換えに殿下の願いを聞き入れてくだされ!!」

『ならん』

「ジャガナートは、拒否しております。」

『其の方に免じて、ここは牙を引こう、だが次はない』

「マザリーニ枢機卿猊下に免じて、牙を引くと申しております。」


才人の通訳に、言いがかりをつけてきた連中もいた、ようやく再起動したグリフォン隊のメンバーだ


「ふざけるな貴様!そのような無礼な物言い、許されると思うのか!」


だが、才人が口を開く前に、外野はひっこんでいろとばかりに、大気を軋ませる程の音の壁が襲いかかり、近衛兵たちは大地に倒れ、起き上がろうと焦点の合わぬ目で這いまわる羽目になった。
その恐るべき咆哮の余波で、紅茶の入ったカップはみじんに砕かれ、菓子皿やティーポットもまた砕け散る。


『その願いを聞き入れて欲しくば、その小娘の命を差し出せ』


才人はその言葉を見て、通訳して良いものかとためらいをみせる
マザリーニはその様子に気づき、震える声で才人に問いかけた。


「少年、この竜は何と?」
「…先ほどの願いを聞き入れてほしくば、アンリエッタ姫自ら命を差し出せと」


マザリーニは、苦み走った顔をしつつも、それ以上言葉を発する事はなかった。
学院の大混乱を尻目に、地響きを立ててジャガナートがその場を離れる、その背中は、もはや語る言葉も無しと、拒絶しているかのように見えた。


■■■


トリステイン魔法学院女子寮 夜

極度の緊張を強いられたルイズと才人はお互いベッドとマットにひっくり返っていた


「あ~、チビるかと思ったぜ、怖かった!、つかルイズもよくあそこで飛び出せたな」
「姫殿下をお守りしなくて、何が貴族よ…飛び出したのは貴族の誇りと義務よ!…それにしてもあの迫力、領地のお母様と同じくらい怖かった、どうなるかと思ったわ…あ~怖かった」


そういやルイズの母さんも怖かったよな、と才人が思い出す


「でも、ジャガナートの言い分も分かる気がするわ…それにしてもサイト、あなたには貴族の義務は無いのよ?」
「ああ…つか、勝手に身体が動いてた」
「……そうなの?」


姫を守ったんじゃねえ、お前を守ったんだと言いたかった才人だが、気恥ずかしくて言い出せなかった


そうしてだらりと過ごす内に、静まり返った室内にノックの音が響く
最初に長めに2回、そして短く3回
それを聞いたルイズははっとしたような表情になり、才人に扉を開けるよう促す


誰が入ってくるのか知っている才人は、どうぞお入り下さいと一言告げ、静かに扉を開く


入ってきたのは、アンリエッタ姫殿下その人であった
辺りにすばやくディテクトマジックをかける
黒いフードを取り去ると、目は赤く、まぶたは腫れ、頬には涙の跡がついている


ルイズと才人はすぐに跪き、頭を垂れる、そしてルイズが口を開く


「アンリエッタ姫殿下!先ほどは私の使い魔が大変な無礼をいたしまして、大変申し訳ございません。如何なる罰もお受けする所存にございます」
「面をお挙げなさい、ルイズ・フランソワーズ、そして使い魔さん、私はあなた方を罰するつもりはありません」


ルイズと才人が顔を挙げる、そこには、泣き腫らした顔ながらも、凛とした表情のアンリエッタ姫が居た
才人はアンリエッタ姫に椅子を勧め、茶の用意を整える
自分達は床に跪いたまま居ようとしたのだが、アンリエッタ姫がそれを許さなかった


結局、王女と家来、その使い魔が同じテーブルに着き、茶を飲んでいるという、ありえない構図が出来上がった
そして、茶を一口飲み、アンリエッタ姫がゆっくりとした口調で話し始める


「ルイズ、私は、貴女に、そして貴女の使い魔達に教えられました。あなたは今日、命を懸けてわたくしをかばってくれましたね、心より礼を述べます」
「もったいなきお言葉にございます、姫殿下、貴族として当然の義務であり、この事は私の誇りです」
「わたくしは間違っておりました、ですが、王族にはそれを認める事ができないそうです。そこで、私は拙いながらも、王族としての勤めを果たして行こうと思うのです、私の言葉は"命令"であり、その結果もたらされるどんな事からも目を逸らしません」


そしてアンリエッタは目を伏せ、一呼吸置き、ルイズの目を真直ぐに見、話し始めた


「私は、これからトリステインの全ての人々を守るため、ゲルマニアとの同盟を行います」
「ゲルマニア!?あの成り上がりの野蛮人の国ですか?」
「私も、好き好んでゲルマニアに嫁ぐ訳ではありません、アルビオンでは"共和制"とやらをまことしやかに語る蒙昧な連中が、頭上に頂くべき王を弑逆せんと企み、いずれはこのトリステインにも攻めて来る事は間違いありません。」


ルイズもその言葉に真剣に聞き入る。


「はい、そのための同盟でございますね…しかし姫殿下、お気の毒に…」
「ええ、私も気が進みません、しかし、同盟の障害が一つだけあります」
「それはなんでございましょうか?姫殿下、何なりと私にお申し付け下さい、いかなる障害であろうと取り除いて見せます」


アンリエッタはその言葉にゆっくりと頷くと


「私、トリステイン王国王女、アンリエッタ・ド・トリステインの名において、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに極秘任務を言い渡します」


ルイズと才人はその言葉を聞き、姿勢を正す


「ひとつ、達成困難な場合は任務を放棄し、手段を選ばず生還せよ、これを最優先事項と致します。
 ひとつ、アルビオンへ赴き、アルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダー殿下から、ある手紙を受け取って来ること
 以上が、あなたの忠誠を見込んでの頼みです」
「私ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、謹んで拝命いたします」


その言葉を聞いたアンリエッタは、満足そうに頷き、こう答えた


「あのような竜を前にして一歩も怯む事の無かった、あなた方の勇気に期待しますわ、なお、あなた方が例え捕虜になったとしても、私が身代わりとなってでもあなた方を釈放しましょう、責任は全て私が取ります」


それを聞いた才人は微笑を浮かべ、ルイズは心配そうな表情を浮かべる


「では、明日早朝に出発致します」


それを聞いたアンリエッタは真剣な表情を崩し、花が咲き出でる時の輝きのような笑みを浮かべた
そして、こきこきと首を鳴らし、う~んと伸びをする


「さて、ルイズ?ここからは私に敬語を使うことを禁ずるわ、命令よ もちろん使い魔さんも」
「へ?」
「はぁ?」


二人そろってハトに豆鉄砲を食らわしたような表情になる
それを見てアンリエッタは可笑しそうに笑う、憑き物の取れたような、明るい笑顔だった

「全く、あんな怖い思いをしたのはお父様が生きておられた時以来かしら、でも古代竜の言葉にも一理はあります、頼みごとをしたければ報酬を出せと、当然の事ですわね、そして、この問題は私自身が責任を持って解決すべきだと気付かされました。」

可笑しそうに話すアンリエッタに、才人が言う

「ルイズも、マザリーニ枢機卿猊下も、俺も、姫様を守りたいと、自分の意思で行動しましたからね」

アンリエッタは、やや下に視線を落とし、ポツリと言う

「そう…、その通りです。こういった大変な時に、本当に私の事を思ってくださる人が分かるのかもしれないわね、もう…、それにしても大変だったのよ、ワルド子爵は汚名を返上する機会をって泣きついてくるし、マザリーニは、「よくぞご無事で」しか言わないんですもの、殿方が二人も泣きついてこられて、私どうしようかと思いましたわよ」

才人とルイズはそれを聞いて笑い声を上げる


「まだありますわよ、マザリーニに今後の対策について教えを乞いましたの」
「どうなったの?」
「また、姫殿下~ とか言って泣き出して」


3人が可笑しそうに笑う

「怖かったと、泣きたいのは私のほうですわ、一人で泣く時間ぐらいお与えくださいまし!お陰でルイズの部屋を訪ねるのがこんなにも遅くなりましたの」

楽しそうに話すアンリエッタ、才人は正直今の今までハラハラしていた
ジャガナートのもたらした恐怖が、アンリエッタの心を壊すのではないかと、だがそれは杞憂だったようだ
アンリエッタは、自分の境遇を嘆く悲劇のヒロインから、堂々たる女王としての一歩を踏み出した

「では姫様、親友でもある忠臣と心行くまで語り合っていただくために、ラ・ヴァリエール秘蔵の菓子をお出ししましょう」

そういって才人は戸棚をごそごそやりはじめる
それをみたルイズの笑顔が消え、形の良い眉がつり上がった


「ちょっと!アンタ何勝手な事してんのよ!それに、なんでそこを知ってるのよ!」
「ん~っと、この裏にたしか… あだっ!いてっ!蹴るな蹴るな!」


その二人の様子を見て、アンリエッタはルイズとクリーム菓子を取り合いした時の事を思い出す
古き良き、そして甘い思い出だった

しばし回想にふけっていたアンリエッタは、ここに来たもう一つの用事を思い出す

「そうそう、大事な用事を忘れる所でしたわ」

そう言って立ち上がったアンリエッタは、才人に左手の甲を向け、言葉を続ける

「あなたはルイズを、そして私を命を懸けて守ってくださいました、わたくしの親友を、これからもよろしくお願いしますね」

才人は考えた、どうする?作法にのっとってその手の甲に軽くくちづけるか、ボケ倒して唇を奪うか
その間にルイズが慌てた様子でアンリエッタに話しかけている


「いけません!姫様!使い魔にお手を許すなんて」
「いいのですよ、この方は私達のために、その命を投げ出してくださいました、忠誠には、報いるところがなくてはいけません」


ルイズは渋々納得する

「姫様がそうおっしゃるのなら…」

才人はアンリエッタの前に歩み寄り、その手を取ってぐっと引き寄せる

「え?」

アンリエッタが驚きの表情を浮かべているスキに、すばやくその唇を奪った
アンリエッタは目を真ん丸に見開き、その目が徐々に白目に……






変らなかった



「無礼者ッ!」

アンリエッタの強烈なビンタが才人の頬に炸裂し、才人の脳裏に火花が飛ぶ、空中で見事に1回転した才人は、後頭部から着地する

「ぐげっ!」

後頭部をさすりながら目を開けた才人が見たのは、女神のようなその顔を、微笑みで彩ったルイズだった


「ねえサイト」
「はい?」
「あなた、私の前にも貴族に仕えてたって言ってたわよね?」
「…はい」
「礼儀もわきまえてるし、作法も知ってるわよね」
「…いえ、作法のさの字も知らないもので…」
「私と一緒にダンスも踊れたし、ステップも軽やかでリードも上手かったわ、ねえ」
「お褒めに預かり、光栄です」
「ねえサイト」
「はい」
「私の目は節穴なのかしら?」
「いいえ、滅相もありません」








「わざとやったでしょうがっッ!!!!」


「あぷぱ!」

ルイズのフルパワーの踵落としが、地面に寝たままのサイトの顔面に直撃する
スカートがふわりと舞い上がり、シルクの可愛いパンティが一瞬だけ見えた


そして次に、同じく微笑を浮かべたアンリエッタの顔が映る


「ねえ、ルイズ?何か鞭のような物はなくって?殿方の顔を叩いたのは生まれて初めてでしたのよ、手が痛くって痛くって」
「こちらにございます」
「ちょっ」


抗議の声を上げる才人を無視して、ルイズが超スピードで乗馬用の立派な鞭をアンリエッタに手渡す


前門のアンリエッタ 後門のルイズであった


「無礼者ー、無礼者ー、無礼者ー、あら、これ結構楽しいですわね、無礼者ー」

「このっ!このっ!このっ!このっ!このっ!」


「えぎっ!ひぎっ!ひたい!いたい!えひゃい!」

アンリエッタに鞭でしばき回され、ルイズに蹴りまくられる才人が悲鳴を上げる

「いれえ~……ほんろにいれぇ~…」

そこにさらに闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れた

「きさまーーーっ!姫殿下にーっ!何をしてるかあぁ!!」

最近めっきり影の薄いギーシュであった

才人を散々に痛めつけていたアンリエッタとルイズが振り向く


「あら」
「ギーシュ!あんた!立ち聞きしてたの!?」


だが、そんなルイズの声を無視して、ギーシュは夢中になってまくしたてる

「薔薇のように見目麗しい姫君の跡をつけてみればこんな所へ…、それでドアの鍵穴から中を覗いて見たら…」

ギーシュはわなわなと震え、薔薇の杖を振りかざして叫ぶ

「決闘だ!バカチ……?……グハッ!」

セリフを最後まで言う事はできなかった、飛び起きた才人がすばやくギーシュの杖を握った手を掴み
胸倉を右手で掴む、重心がずれて不安定になったギーシュの身体をすばやく右の腰に乗せ、そのまま地面に落とす
ギーシュが目を開けた時にはすでに首筋に手裏剣が突きつけられていた

顔がボコボコに腫れあがった才人がアンリエッタに問い尋ねる


「決闘とやらは俺の勝ちだ、…で、どうしましょう?姫殿下 こいつ、話を立ち聞きしていたみたいですが」
「そうね…、今の話を聞かれたのは、まずいわね……とりあえず、無礼者ー、無礼者ー」


いきなりアンリエッタに鞭で叩かれたギーシュは悲鳴を上げる

「はぐが!ひぎゃべ! な… なんで…、痛いけど嬉し……くない!何を言ってるんだ僕は!」

そこに、真顔に戻ったアンリエッタが鞭を手にしてギーシュに話しかける


「名を名乗りなさい、こんな夜に女子寮にいる理由は?」
「は、ひゃい!」


鞭を持ったアンリエッタの余りの迫力にギーシュが神速で土下座する

「私めは、ギーシュ・ド・グラモン、アンリエッタ姫殿下の忠実な下僕でございます!女子寮にいる理由は…その…」

まさかアンリエッタ姫に見惚れて跡をつけてきたなどとは言えないギーシュが言いよどむ


「任務の内容を立ち聞きしていましたね?では、内容を復唱なさい」
「はい!ひとつ、達成困難な場合は任務を放棄し、何事にも優先し生還せよ
 ひとつ、アルビオンへ赴き、アルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダー殿下から、ある手紙を受け取って来ること、以上であります!」
「よろしい!この極秘任務を達成した暁には、女子寮で覗きを働いていた事は不問と致しますわ、ただし…」
「ただし…?」

アンリエッタはそれに答えず、にっこりと微笑む


「は、ひゃい!このような真似は二度と致しません、始祖に誓って!そして、必ず生きて戻ります!」
「よろしい」


アンリエッタは再びにっこりと微笑むと、ルイズの机に座り、羊皮紙と羽ペンを取り、密書をしたため始める
そして、書き終えた手紙を再度見つめ、静かに目を閉じる

停止してしまったアンリエッタを心配し、ルイズが声を掛けた


「姫様、どうなさいましたか?」
「なんでもありませんわ、少し考え事をしていました」


アンリエッタはそう答えると、目を開き、決意の色を浮かべた目で手紙を見つめ、最後の一文を書き加える
そして、手紙を巻き、杖を振ると、手紙に封がされ、花押が押される
アンリエッタはその手紙を取り、右手の薬指から"水のルビー"を抜き取り、ルイズの手に渡す

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに(くだん)の手紙を返してくれるでしょう、それから、こちらは"水のルビー"です。せめてものお守りです。本来ならこのような任務、近衛の精鋭に行かせたいのですが…残念ながら信用の置ける貴族はおりません、あなた方だけが頼りなのです」


■■■


朝もやの中、3人が馬に鞍をつけ、旅支度をしている
才人はデルフリンガーを背負っている、なにせ長すぎるため、腰に下げると引きずってしまう
馬上戦闘なら問題ないかもしれないが、常に騎乗しているわけにはいかない

オープンフィンガーグローブのバンドを締めている才人に、ギーシュが申し訳なさそうに話しかける


「実は、僕の使い魔を連れて行きたいのだが……」
「使い魔?別に好きにすりゃいいだろ」
「ギーシュの使い魔ってなによ」


ルイズのその言葉に応えて、ギーシュが自分の足元を足でとんとんと叩く
すると、もこもこと地面が盛り上がり、茶色の毛をした大きな生き物が顔を出す
"ふわもこ"の毛並み、つぶらな黒い瞳、愛嬌のある顔をしたジャイアントモールであった

ギーシュはすさっと地面に座り、早速その顔に頬ずりしている

「あきれた、アルビオンに行くのにモグラなんて連れて行けるわけないじゃない」

その時、ヴェルダンデが鼻をひくつかせ、ルイズに近寄る


「な…なによ、このモグラ」
「ああ、そういやジャイアントモールは宝石が好物らしいな、多分その指輪に反応してるんだろ」


それを聞いたギーシュが片側の眉を少しだけ上げる


「確かにその通りだが、なんで君はそんな事を知っているのかね?」
「ああ、以前貴族に仕えていた時に知った」
「どうでもいいけど!早く助けなさいよ!」


すでにルイズの右手はヴェルダンデの鼻水でねとねとになっていた
そして、才人はヴェルダンデの首根っこを掴むと、ルイズから引き離した


「どうどうどう、落ち着けよ、大丈夫か?ルイズ」
「ふ、ふん!ちょっと良い事したからって、姫様にキスした罪は消えないんだからね!」


まだそれを持ち出すか、と才人ががっくりうなだれる

「あんたなんか、犬、そう犬よ!」

生き返ってやり直してきた、そこでも結局犬かと、今度は才人は地面に"の"の字を描き始める

「そうだそうだ!実にけしからん!うん!」

ギーシュも迎合し、ますます才人を責め立てる
才人は心の中で思っていた、今まで精一杯頑張ってきたんだからあれぐらいご褒美だろ

そして、朝もやの中からもう一人のメンバーが現れる


「やあ、おはよう諸君、姫殿下から、君達に協力するよう命じられてね、女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長のワルド子爵だ」
「ワルド様…」


ワルドはルイズに近寄ると、その身体をひょいと抱き上げる

「久しぶりだな!ルイズ!僕のルイズ!」

ルイズは頬を桜色に染め、ワルドに抱きかかえられて嬉しそうにしている
分かりきっていた事であるはずなのに、才人の心がまたちくりと痛んだ

「ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のサイトです…」

見れば、ルイズがこちらを指差し、自分達をワルドに紹介している
ギーシュと才人は深々と頭を下げ、敬意を表した

ワルドはサイトに近寄ると気さくに声を掛ける


「君は…たしかあのとき、身を挺して姫殿下を守っていた、勇敢な剣士だね?…しかしまさか人が使い魔とは思わなかったな、僕は正直あの時逃げ出したかったくらいだよ、それにひきかえ君は大したもんだ、実に頼もしい、はっはっは」

そしてサイトの肩を叩き

「これからも僕の婚約者をよろしくたのむよ」

と告げた

そこへ、聞いたことも無いような声が掛けられる

「盛り上がっている所悪いが…、邪魔するぜ」

朝もやの中からまた一人、新たな人物が現れる、フードを目深に被り、その声は岩をすり合わせたような雑音が混じっている
男なのか女なのか分からない、独特の不気味さをかもし出していた

その風体を見たワルドが眉間にシワを寄せ、剣杖を引き抜く

「貴様…何者だ?」


すると、ワルドに対抗するように、フードの人物も杖をちらつかせ、さらに声を低くする

「おっと、ドンパチは御免だ、俺は"土くれ" 今は竜の旦那に仕える身でな、あの方を怒らせる覚悟があるならかかってこい」

その言葉を聞いたギーシュが震え上がる

「土くれのフーケ…」

震えるギーシュを無視し、"土くれ"は布の包みをサイトに渡す

「ジャガナートの旦那から届け物だ、サイト・ヒラガに届けろと仰せつかっている」


「ジャガナートから?なんだろう」

才人は布の包みをゆっくりと外し、中身を確かめる
布がゆっくりと取り払われ、その全貌があらわになる

長さ1メイル20サントほどの反身の長剣だった
才人は鞘を払う、オープンフィンガーグローブに隠されたルーンが輝き、その剣の効果的な使い方を伝えてくる
漆黒の刀身、竜の顎を模した漆黒の鍔、漆黒の柄、日の光すら反射しない、まるで闇をそのまま切り取ったかのような剣だ
その刃は諸刃、外側にも内側にも刃がついている、撫で斬る事も、引っ掛けて斬る事も自由自在
そして、その材質は、ルーンにも解析不能であった

「ジャガナートの旦那の折れた爪を、俺が加工し、旦那のブレスで熱し、唾液で冷やした、それに俺が固定化をかけた、銘はジャハンナム 魔剣ジャハンナム、だそうだ、なかなか素敵なデザインだろう?」

そして、用は済んだとばかりにその人物はいずこかへと歩き去った

ワルドが言葉少なげに語る


「いやはや…なんとも…恐ろしい剣を賜たまわったものだね、使い魔君」
「どうしてですか?」
「君はメイジではないので、分からないかもしれないが、なにやら恐るべき力がその刀身からあふれている、それに斬られた相手がどのようになるのか、僕には全く想像もつかないよ」

なるほど、その切っ先が自分に向かう可能性のある裏切り者からしたら、気が気ではないだろう事は才人にも理解できた

結局才人は、背中に長剣をバツの字に2本背負い、馬に乗るハメになる
気を取り直したワルドの号令が早朝の学院に響いた

「では、諸君!出撃だ!」




[37866] 幕間:フーケとジャガナートの作戦名”Gray Fox”
Name: 裸足の王者◆8a58fa97 ID:80e88935
Date: 2014/06/22 09:39
二つのガンダールヴ 一人は隷属を望み 一人は自由を願った

幕間:フーケとジャガナートの作戦名(オペレーション)"Gray Fox"

ジャガナートに雇われた日の夜、フーケは自分の情報網を活用するべく、真っ当な人間が一人も居ない裏路地を歩く


--腕利きの水メイジを必要としている組織を探してほしい--


雇い主からの初めて言いつけられたお使いだ、きちんとこなさなければ土くれのフーケの沽券にかかわる。


ふと目を路傍にやれば、ケバケバしい化粧をした娼婦、飲みすぎて酒瓶抱えてひっくり返っている男
3つのビンから同時に酒を飲み、馬鹿笑いをしている大男
明らかに何らかの薬物を摂取しているのであろう、にごった眼の人間たち
そして、スキあらば財布をすろうとする子供たち

華やかな貴族たちの都市、一筋裏路地には、このような光景が広がっていた

今も2、3人の目付きの悪い男たちが、フーケの進路を防ぐように歩いて道に出てきている
だが、フーケが杖を見せると、すごすごと退散していった。

沢山の、お世辞にも綺麗とはいえない店が並び、背景に似合った人間が通りをぶらついていた
フーケはそのうちの一つ、下卑た笑い声を外まで響かせている酒場の扉を押す

扉が開くと、中からムッとするようなタバコの臭いと汗の臭い、酒の臭いが漂ってくる
右奥のテーブルでは、酒瓶を持った男達が殴りあいの喧嘩を始めているが
周りの客は止めようともせず、周りでやんやとはやし立てる

バーテンもそれを見て止めるどころか、涼しい顔でグラスを磨いている
時折ビンやグラスが空を飛んでくるが、バーテンはそれをひょいひょいとキャッチし、洗って磨く
フーケにイスが一つ飛んできたが、フーケが杖を一振りすると、イスは投擲者の顔面に正確に返却された


酒、喧嘩、麻薬、町のなかでも、最低の部類のゴロツキ共がたむろする酒場であった
奥に進むにつれ、ただ野卑な男たちばかりであった客層が若干の変化を見せ、油断ならぬ目つきをした連中が増え始める

その一角に、不自然に誰も使っていない机があり、椅子が二つあった
フーケは、さも当然であるかのようにそこに腰掛ける

すると、奥から、場にそぐわぬ普通の風貌の男が現れ、フーケの反対側のイスに腰掛けた
男は親しげにフーケに話しかける


「よう、土くれの旦那、景気はどうだい?」
「悪くない、まあまあだ」


フードを目深に被り、中から岩の擦れるような雑音の混じった声を出し、男なのか女なのか、全く区別が付かない


「そうかい、で?今日は何の情報が欲しいんだ?」
「貴族絡みだ、腕利きの水メイジの永久雇用先はないか?」


貴族絡みと聞き、情報屋の男は眉を顰める


「そいつぁ俺の手には余る、"忘却"酒場を訪ねてみな …おっと、こいつを忘れんな、あ、途中で食うなよ!」

男はそういって、布袋に入った幾つかのりんごをフーケに渡してくる

「10枚な」
「馬鹿言うな!りんご一袋で10エキューだって?」
「まあそう言うな」

フーケは渋々金貨10枚を数えて男に渡す

「まいどっ」

そう言って男は金貨をひっつかみ、店の奥へ消える
フーケはため息一つ、りんごの袋を持ったまま店内を歩く
店に入った時に始まっていた喧嘩はようやく収まり、勝利者の男が血まみれで雄たけびを上げていた

その横では、すぐに次の喧嘩が始まり、今度は太った女が2名、キャットファイトを繰り広げていた
またもやフーケに向かって、素焼きの大きなつぼが飛んでくるが、フーケが杖を一振りすると
つぼは一直線に投擲者の顔面に返却される。


つぼを顔面レシーブした男は、視界を奪われ、よろけた拍子に隣の男に頭突きを食らわす
怒った隣の男がつぼ男にパンチを食らわし、さらにそこからここへと喧嘩の火の粉が振りまかれた。

フーケはそれを見ても笑い一つ浮かべず、店の扉を開け外に出る、外には、壊れた机や椅子が乱雑に積み上げられており、良く見ると柱に、「壊したヤツは実費弁償!」と大きく書かれていた。

フーケはりんごの袋に入っていた地図を頼りに裏路地を歩く
地図の終着点にはこのように書かれていた
"金貨一枚"

フーケは地図の終着点まで来たものの、周りは似たような民家ばかりで酒場があるようには見えない
しばらくすると、一人の乞食がフーケに歩み寄ってくる

「お優しい旦那様、後金貨1枚で靴を買うことができるのです」

これの事かと、フーケは1枚のエキュー金貨を乞食に渡す
するとその乞食は1件の民家を指し、どこへとも無く歩き去って行った

民家の扉を開けるも、中は廃墟であり、下へ階段が付いているのみ
仕方なくフーケは階段を降り、終着点の扉を開ける

外側の廃墟とは打って変わって、中はこざっぱりとした酒場であった
だが、そこに居並ぶ客たちは、一目でまともな商売をやっていないと分かる連中ばかり
その中に、一人だけ異質な人物が居た


皮と金属の組み合わされたシンプルな鎧

まるで魔法衛士隊のような羽飾りの付いた帽子

黒いマント

そして机に立てかけられた反りのある細身の長剣

いずれも、ディテクトマジックを使わずとも肌で感じるほどの魔力を放出していた


そして極めつけはその美貌である
若い、男装の麗人、そしてその人物は、皿からりんごを一つ取るとおもむろにかじりつく
カシュと気味の良い音を立て、飛沫が飛ぶ
少し灰色がかった長い髪が、絹織物のように滑らかに輝き、流れる

反対側の手は錠前をいじっていた、まるで耳かきのような細い金属製のピックを使い
机の上に置かれた錠前をつついている、すると、カチリと音がして、錠前は簡単に開いた

その女性はフーケの姿を見ると、にこりと人好きのする笑みを浮かべ、手招きする

「ああ、どうぞお掛けください、女同士、別に気兼ねする必要もありませんしね」
「…」

その言葉に、フーケは少し警戒の色を強めながらも、言葉通りイスに腰掛ける、この姿をみて、女だと見抜いたその目に。

「で、どんな情報がお望みですか?」
「腕利きの水メイジを雇っている組織を捜している」
「それなら、耳寄りな情報があります。クルデンホルフ大公国の姫君が、とある家庭教師をクビにしたらしいですよ
 しかし、後任の優秀な水メイジがおらず、教師を派遣して欲しいとトリステインに打診しているそうです
 トリステインはクルデンホルフに頭が上がらないですからね、向こうの家庭教師とこちらの教師、交換という事でしょう」

確かに、借金大王の展示即売会のようなトリステインは、貸主のクルデンホルフに頭が上がらないのは道理だ


「…そんな情報をぺらぺらしゃべっていいのか?」


りんごを食べ終えたその人物は、フーケに向かって人差し指を立てる

「これだけでは、何の価値も無い情報でしょう?アフターケア込みで500エキューでいかがですか?」

その言葉に、フーケは一瞬びくりとする。ちょうど残りの金貨が500枚だったからだ
ジャガナートから預かった金と、自分の手持ち金合わせてちょうど500枚

しばらくの逡巡の後、フーケがドサリと金貨の袋を机に置く
それを見た男装の麗人はにっこりと笑い、今度はフーケにもりんごを勧めてくる

「明日、配下の物を使いに出します ああ、マスター、こちらの女性にタミカの399年物をお土産に」

フーケは釈然とせぬまま席を立つ、ただ、自分が古くから使ってきた情報屋のツテだ、間違いはないだろう
土産を受け取り、店を出ようとするフーケに、女性が声を掛けてくる


影と共にあれ(Shadow Hide You)


■■■


翌日、寝袋で睡眠をとっていたフーケは、ジャガナートの土木作業の音で目を覚ます
そして、近くに男が立っていたことにようやく気付き、仰天する

杖を抜きかけるフーケを制し、みすぼらしい格好の男は、ずだ袋を手渡し、またどこへとも無く歩き出す
中には紙の束、幾つかの錠前、そしてあの男装の麗人が使っていたロックピックが数十本、そしてなぜかりんごが1個入っていた

紙を読んだフーケは仰天し、ジャガナートの元へ走っていった


「おい!竜のダンナ!これ見てみな!」
「なんだ?騒々しい」
「ダンナにだけは言われたかぁないね!」
「ふむ」


フーケの近くまで頭を近づけ、書類に目を通す
地面に頭を付けても、まだ距離があるため、フーケは片手で書類を持ち、読み終わったものから天に掲げていた

実はジャガナートはトリスタニア語は読めない、だが、その図面を見、同梱されている錠前を見
一つの結論を出すことはできた。

それは、クルデンホルフ大公国からトリステインへの親書の経路、誰の屋敷にいつどのように保管されるか
どのような経路を通って、誰が手紙を届けるのか、屋敷にはどのような仕掛けがあるのか、また屋敷の見取り図
見張りの配置、交代の時間、錠前のタイプ、すべてが精細に書かれていた

そして、はらりと一枚の紙切れが落ち、その紙切れには贋作屋の住所
そして符合としてりんごを使えと書かれていた

手紙は、外務卿を経て、高等法院長、マザリーニ枢機卿、そして形だけではあるがアンリエッタへと通される
それを見たフーケは、小刻みに震え始める

「一体…あの女は何者なんだい…」
「それは我が問い尋ねたい、やはりそなたのツテは間違い無かった、だが、これほどまでとは…
 しかし、民間の組織にこれほど把握されているとは…トリステインの防諜体制は一体どうなっておるのだ」

ジャガナートが呆れたような声を出す。

「これじゃ…500でも安すぎるぐらいだよ…」

さらにフーケが書類を読み進める、そのうちフーケの額に極太の青筋が現れ、顔が真っ赤になり、終いにはぷるぷると震え始める


「どうした?」
「書類のすり替えに失敗した場合、書き換えて欲しい内容を書いた紙とりんごをこれこれの場所に置いておけだとさ!!
 これだけお膳立てされて盗めなかったら、末代までの恥さね!昼間にでも盗って来てみせるよ!」
「保険込の金額という訳だな、まあよい、ではトリスタニアへと二人で空の旅と洒落込もうではないか、上は冷えるぞ、着込んで行け」


「ところで、贋作屋に手紙をどのように書き換えてもらうんだい?」
「ああ、クルデンホルフへ届けられる手紙で、波濤のモットを目一杯持ち上げておけ、そうだな…(欲が無く、寛容で、平民にも好かれ、魔法も優秀、思いやり深く、清貧、未だに結婚せず、純潔の誓いを守っている聖人のような人物)とでも書いてもらえ」
「…どんだけ皮肉なんだい」


フーケ事マチルダでも、モットの噂は知っている、先ほどジャガナートが述べた言葉を鏡に映し、黒い顔料を塗りたくったら、モットという人物が出来上がるだろう、それでいて優秀なのだから、なおの事始末が悪い。


さて、ジャガナートの場合、王都に接近するだけで大騒ぎになる事は間違いないので、高高度からフーケを投下する作戦を説明し、その作戦はすぐに決行された。


■■■


トリステイン領空、高度8000フィート(約2.5リーグ)


「寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い」
「…だからしっかり着込んでおけと言ったではないか」
「寒い寒い寒い寒い」
「上空を哨戒飛行中の風竜に見つからぬぎりぎりの距離だ、もう少し我慢しろ、雲の上に出れば良いが、もっと寒くなるぞ」
「寒い寒い寒い寒い寒い寒い」

流石に可愛そうに思ったのか、ジャガナートは重厚な音声で呪をつむぐ

「風よ、我が衣よ我が友よ、盟友たる我ジャガナートがここに願い奉る、見えざる盾を我らに与え給え」


とたんに、ジャガナートの周辺の空気の流れは止まり、寒さに震えていたフーケは一息つく
さらに、背中の装甲板が音を立てて逆立ち、中から熱気が立ち上る。
フーケの周りはさながら春の陽気に包まれたようになった。

「帰りは虚無の曜日の夜だ、夜の帳が下りると同時に上昇を開始、できるだけ高度を稼いでおけ、よいな?」


「ああ、わかったよ」

ジャガナートは頷くと、さらに風の精霊の力を借りるために意識を集中する、精霊魔法の利点は、術者の腕によって幾つもの魔法を同時に行使できる点にある。
最も、エルフ程度の使い手では難しいかもしれない、原初の存在に最も近いジャガナートならではの芸当なのかもしれない。

「風よ、我が衣よ我が友よ、盟友たる我ジャガナートがここに願い奉る、見えざる8対の翼を我に与え給え、星々の海を押し渡り、久遠の彼方へと共に歩まん」

途端に周りの空気が変化し、小さくガラスの鐘を鳴らしたような音が響く
加速に備え、ジャガナートは翼の折りたたみ角度を鋭角にし、手足を目一杯身体にくっつける

……リィ……ィン

ジャガナートの翼から、身体から、尻尾から、青く小さな光の粒子のようなものが流れ始める
そして、全長80メイルもの巨体が、爆発的な加速を見せる、トリスタニア上空を矢のように通過し
フーケを投下する、投下する際、自分の尻尾でフーケをはたき殺さぬよう細心の注意を払う

その後、ジャガナートはインメルマンターンを行い、35000フィート(約10リーグ)まで上昇し
そのまま来た道を学院へ向けて帰っていった


「流石に調子に乗りすぎたか…」

学院付近の森に着陸したジャガナートは、だれに言うでもなくボヤく
その全身はびっしりと氷にまみれ、灼熱の権化である巨体が動くたびに氷がバラバラと散らばる
そして、内部からの放射熱で溶けた氷が湯気になっていた


■■■


数日後、シエスタを連れて上機嫌で帰宅したモット伯は、自分の屋敷の前に止まっている車列を見て仰天する
クルデンホルフ大公国の紋章が燦然と輝く巨大な馬車、その前には儀仗兵が並び、モットの到着を今か今かと待ち構えていた
大公の名代として使わされた貴族が、モットの前に平伏し、言葉を述べる

「お待ち申し上げておりました、ジュール・ド・モット伯爵閣下、大公殿下もお嬢様も大層お待ちかねでございますぞ」


「なんの…」

一体何の事かと言い掛けたモットの前に、クルデンホルフ大公国への推薦状が広げられる
そこには、外務卿、高等法院長、枢機卿、王女の署名が書かれており、自分の事はロマリアで列聖でもされるのかという勢いで褒めちぎってあった

事態が飲み込めず、ついにモット伯はぷるぷると震えだす

「さあ、閣下!どうぞお乗りください、屋敷の管理および国務は、後任のものをわが国からよこしますゆえ
 ご心配なさらずとも、何一つご不自由はさせませんぞ!」
 
言われるがままに、儀仗兵が整列する間を歩き、最高級の赤じゅうたんを踏みしめ馬車に乗る
その後ろ姿を、手を胸の前で組んだシエスタが見送る


それが、絶倫として知られた、ジュール・ド・モット伯爵の最後の姿であった。


モット伯はクルデンホルフ大公国についてからも盛大な歓待を受ける
平民が道に列を作り、平民たちが投げ出した服が道路にしかれ、紙ふぶきが宙を舞う、大公の城まで平民の列は続いた
平民の列全てが、トリステインからきた"聖者"を一目見ようと集まってきた人々である、中には胸の前で手を組み、始祖に祈りをささげている老人の姿もあった


完全に頭の中が真っ白になってしまったモット伯は、されるがままに城の謁見室に通される
思考は停止していても、染み付いた礼儀作法だけは自動的に身体を動かす

「よくぞ参られた、ジュール・ド・モット殿!我が国はあなたを心から歓迎する!」

50半ばであろうかという大公のよく通る力強い声が響き、あろうことか大公はモットのほうへ自ら歩み寄ってくる

「元はと言えば、娘が男の家庭教師を付けろとせがんだ事が始まりであったのだが、卿のような人物が我が国へ来られるとは思わなんだ」

そこへ、衛兵の一人が入室し、こう告げる

「コレリオーネ大司教猊下がお見えになりました!」


「お通ししろ!失礼の無いように!」


「はっ!!」

衛兵は礼をして退室し、そこに6名の男に担がれた輿に乗って、枯れ木のような老人が現れる
輿が地面に下ろされると、大公すらも膝を付き頭を垂れ、敬意を表する

「コレリオーネ大司教猊下におかれましては、本日もご機嫌麗しゅう…」


「堅苦しい挨拶は良いのです、…それより、そこの若者が…?」


「はっ!トリステインより我が国へ参られたジュール・ド・モット殿です」

ぷるぷると震える手でモットに手招きをし、ゆっくりと話を始める

「…おお、…おお、若き力に満ち溢れておられる、なれど貴方はその欲望を制し、始祖の御心のままに歩んでおられる
 私は…、貴方より5つほど年若いときに、己の欲望に負け…始祖の御名を汚したのです
 その事を今の今まで後悔し、ただ…生き永らえています。ですが、きっとあなたなら私の踏破できなかった道を歩めるでしょう」

そこで大司教は聖具を振り、モット伯を祝福する
そして、大公に向き直り、驚きの一言を述べる

「…この気高き若者に、助祭の地位を与えたいと思うのですが、聖別の儀は明日執り行いましょう、異論はありますか?」


「いいえ!始祖の御心のままに!」


「あなたも…引き受けてくださいますか?」

"いいえ"とは決して言えない空気と呼べるものがある、今まさにその空気が全てを支配していた
モット伯は、観念したように頭を垂れ、口を開く

「はい…全ては始祖の御心のままに、全身全霊でお受けいたします…」

未来の大司教、聖職者ジュール・ド・モット誕生の瞬間であった


それからと言うもの、モットの周囲は一変する事となる
午前中の礼拝が終わった後、ベアトリスの家庭教師として水の魔法を教え、その後は教会に来る平民の相手をし
水魔法での癒しを行う、それがますます人気を呼び、モットの名声は否応無しに高まる

そんな忙しい毎日を送り、自分の趣味を再開したいモットだが
立場がそうさせてくれなかった、"終身助祭"ならともかく"助祭"は、一生純潔の誓いを守る必要があるのである

そして、悶々とした毎日を過ごす中、またしてもモットを不幸が襲う


高齢であったコレリオーネ大司教の死である


教会を上げての大々的な弔いが行われ、喪の期間が過ぎた後は
当然の如くモットの大司教着座式が大々的に執り行われる

式典には聖エイジス・32世、ヴィットーリオ・セレヴァレ聖下も訪れ、目覚しい活躍をするモットに聖ギベリニウスの聖号を賜与する

異例のスピード出世を遂げ、ついにはクルデンホルフ大公国の宗教組織のトップに上り詰めてしまった
もはやクルデンホルフ大公といえども、モットに指図はできない

だが、ギベリニウス大司教猊下にも、精神的な限界が訪れる

人間誰しも、何もかも捨てて逃げ出したい そんな気持ちになる事はある
そして、教会の出口から飛び出したモットの目に入ったものは

教会の広場を埋め尽くした、純白の鎧であった

「聖ステパノ修道会付き聖堂騎士団!1250名!ギベリニウス大司教猊下にお目通りを願うため、推参仕りました!」

「聖エステル修道会付き聖堂騎士団!1250名!ギベリニウス大司教猊下にお目通りを願うため、推参仕りました!」

2500名の聖堂騎士が一糸乱れぬ動作でいっせいに跪き、兜を取る

「我ら総勢2500名!!唯の一兵と言えども死を恐れる臆病者はおりませぬ!!猊下のご命令とあらば、今すぐにでも聖地へと向かう所存にございます!!」

狂信的なまでの忠実さを、ギラギラとしたその眼に浮かべた5000の眼光に射抜かれ、モットはその場に立ち尽くす


その頬を濡らす一筋の涙


それを見て、2500名の聖堂騎士たちはますます感銘を受け、中には感動して男泣きするものまで出る始末


そんな四面楚歌なモットにも転機が訪れる

教会に来る平民の子供たちが余りにもみすぼらしい格好をしているため、服を買い与えたのだ
女の子たちが、"げいかがかってくれたふくなの"と喜んではしゃぎ、満面の笑顔を振りまく

それを見たモットの心に、言いようの無い感情が芽生える


"萌え"である


環境により形成された新たな人格により、女性を欲望に満ちた目で見ることが無くなり
ストレスで髪は綺麗な銀髪と変わる、そして、深い憂いをたたえた目元と相まって文字通り"聖別"されたかのような印象を受ける

平民、貴族両方から愛され、説法で時々"萌え"を説く、"聖ギベリニウス大司教猊下"は今日も人々に囲まれ、その優しい笑顔と水の魔法で人々を癒し続けている

_________________________________________________


一方、トリステイン郊外、元モット伯爵邸には代わりの人物が到着していた
クルデンホルフ大公の一人娘ベアトリスの家庭教師をクビになり、モットの代わりにトリステインに派遣されてきた人物である
神経質そうな顔にキラリと光るメガネ

年の頃30代、5年前であれば、かなりの美貌を誇っていたであろう整った顔立ちは
ストレスと怒りに彩られ、見る影も無くなっていた。一言で表すなら年増版エレオノール

家柄、職業、スタイル(胸以外)、容姿、共に恵まれていたのだが、その潔癖症が災いして、結婚には至らなかった
そして今や、クルデンホルフのわがまま娘にクビにされ、トリステインに派遣されてきたのである

嗚呼、栄光の落日

新しい主人の到着と言う事で、屋敷の全員が整列し、主人を歓迎する
しかし、不運な事に、モットのメイド達はスタイルの良い女たちで統一されていた

ここでまず女主人の機嫌は悪化する

そして、メイド達は全員揃ってきわどい服を着ている、女主人の機嫌はますます悪化する

そして屋敷の中に入り、裸婦画や裸体像を見るに至り、不機嫌ゲージはレッドゾーンへ
全てモット伯の持ち物であったため、使用人はどうすることもできなかったのである

さらに性具やSM道具の並んだ地下室を見るに至り、何かが文字通りプツンと音を立てて切れた

モット邸に暴風が吹き荒れた、魔法の風ではなく、怒りの暴風雨

今まで潔癖を旨として彼女を制御してきた良心は、怒りにどす黒く染まり、完全に焼き切れてしまった

「そうね…、そうよ!手に入らなければ、手に入るようにすればいいのよ!
 なんでこんな簡単な事に今まで気付かなかったのかしら おほほほほほほほほほほほ」

スタイルの良いメイドは全員解雇され、代わりに美少年の執事や使用人たちが雇い入れられた
屋敷の裸婦画や裸体像は全て売り払われ、上品なゴシック調の調度品が並べられる
部下の貴族たちも、顔の良い者は残され、それ以外は全て左遷された

それほど無茶をしても、有能な彼女の仕事ぶりは、文句をつけるスキを一切与えなかった

しかし、その屋敷の地下室からは、夜な夜な男の悲鳴が響き続けたという


■■■


トリステイン魔竜の森


その日、ジャガナートは、アルビオン王国ニューカッスル城に向かう前準備に追われていた、と言っても、巨大な鉤爪のついた巨大な手では何もできず、己の配下を使うのだが


「マチルダ、マチルダはおらぬか」
「はいはい、旦那、あたしゃここだよ」


森の小路を通り抜け、マチルダが面倒くさそうに現れる。


「このロープを我の背にある棘に結んでほしい」

そこには、数えるのもうんざりするような数のロープの山があった。

「はいはい、人使いの荒い旦那だね」
「ところでマチルダよ、その腰に大量に纏わりついている者はなんだ?」

見れば、マチルダの後ろには幾人もの男の子が隠れるようにして付いてきており、ジャガナートを見て真っ青な顔をしている、さらには、見た目18歳ほどの男も2名、マチルダの後ろに付き従い
こちらもまたジャガナートをみて驚愕に目を見開いている。

マチルダは眉間を右手でもみながら、不機嫌の色を隠そうともせずに応えた。


「あたしに聞かれてもね、森で倒れていたのを助けて、服と喰い物を出したらこうなっただけさね」


改めてジャガナートは、その紅玉の瞳で、男の子たちを精査する
その視線にさらされた者たちは例外なく怯え、マチルダの後ろに隠れようとする。


「しゃんとしな!この旦那はあんたらを取って喰いやしないよ!」

全て見渡したジャガナートに、誰が言うまでもなく一つのポイントだけが浮かぶ
全員が非常に整った顔立ちをしており、肌もきめ細かく、髪の毛もまた、その顔立ちを引きたてている。中性的な顔立ちをした者もおり、精悍な顔の者もいる、いずれの例外もなく、美という言葉がふさわしい
ジャガナートは、手前の男を選び、話しかける。

「其の方、そう、お前だ、名はなんという?」

選ばれた男の子は震える声で応える、年の頃は18、9。緩やかなウェーブがかかった髪が左目を覆い隠し、どことなく庇護欲をかきたてる、線の細い男だ


「レ、レアンと申します。」
「レアンか、良く来た、恐れずとも良い、我が名はジャガナート、この森には其の方らを害する者はおらぬ、そもそも何故この森に倒れておったのかを話せ」


レアンと名乗った男は語り始める、自分は平民であり、貴族に買われ、屋敷に住み込みで働いていた事。
そこの屋敷は女主人である貴族が治めており、自分たちはそこで、屋敷の管理兼夜の相手役としてそこに居た事。
初めの内は女主人も、自分たちを順番に部屋に呼びつけ、普通の男女の営みを行っていた事。

やがてそのうちに、複数の男を呼び寄せるようになり、跪かせた頭に足を乗せ、奉仕するよう求められ
挙句の果てには地下室に連れて行かれ、縛られ、徐々にそれがエスカレートしていった事。

そしてついに、一番気に入られていた者たちが一斉に脱走した事。
追手も、魔竜の森までは決して追ってこなかった事。


「そうか、ここは身を隠すのに最適な場所だ、寛ぐと良い、マチルダに協力し、出来る事を行うが良い」


こうして、魔竜の森のマチルダの小屋は、必然的に建て増しを行う事になった。
男が女の子を囲い、虐待する例は良く聞くが、その逆もまた然り


人間とは実に欲深い生き物だ、というジャガナートのつぶやきが風に乗って消えた。
その根本原因を誰が作ったのかまで、彼は思い至らなかったようだ。



[37866] 第6話:潜入・アルビオン(前編)
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:b9dddeb4
Date: 2013/08/25 23:01
二つのガンダールヴ 一人は隷属を望み 一人は自由を願った

第6話:潜入・アルビオン(前編)



港町であるラ・ロシェールは、人口300人程度の小さな港町である
しかし、アルビオン・トリステイン間を結ぶ玄関口であるため、常に大量の人々が行き交っていた

やはりこの町も、フーケが利用しているスラム街と同じで、1本裏通りに入ればそこは別世界であった
傭兵崩れのならず者や、浮浪者、チンピラ、そういった連中が集まり、まさしく掃き溜めの様相を呈していた

その掃き溜めの一角に、金の酒樽邸と看板の掛かった安酒場がある
名前こそ大層立派だが、外見は今にも倒れそうなボロ屋であった

入り口の外側には、飲みすぎた連中が吐き出した吐瀉物が放置され、異臭を放っている
そしてまた一人飲みすぎた男が出てきて、その場所を通る、そのあまりの臭さに思わずゲロを吐く
負の連鎖反応である

その掃き溜めは、本日満員御礼であった
アルビオンの王党派についていた傭兵達が、主人を見限り、トリステインへと逃れてきたのである

口々に「共和制」万歳と述べて次々に杯を煽る、連中の半分以上安酒で溶けた脳味噌では、「共和制」と「貴族制」の違いすら説明できないであろう

その酒場のはね扉が開き、一人の長身の男が入店する
ブーツに付けられた拍車が、カチャリ… カチャリ…と独特の音を奏でる
黒いマント、白い仮面、腰に装備した剣杖、一見して貴族と分かる格好であるが、どう見てもまともな貴族には見えない

酒をガブ飲みしながらバカ騒ぎしていた連中も静まり返り、何事が始まるのかと注目する
男は店の真ん中に立ち止まると、辺りを見回す

「ここの傭兵頭はだれだ?」

まるで氷のような声であった、暖かさがまるで感じられない
やがて、傭兵達の中から一人、年かさの男が手を挙げる


「あっしでさぁ」
「今すぐ動ける人数を教えろ、仕事だ、金は言い値を払う」


そういって、懐から出した金貨の袋を机の上に放り投げる
すぐに中身を確認した傭兵の一人が声を上げた

「エキュー金貨だぞ!」

言い値を払う、という事はそれだけ危険な任務である
幾人かがしり込みし、酒の入ったグラスを持って奥へと引っ込む
残りの全ては、目を欲望にギラギラとさせ、男の言葉を待っていた

「弓兵、20名前後、ラ・ロシェールを出て、崖の上で待機、メイジ3人、剣士1名が旅をしている、こいつらを襲え、残りは"女神の杵"亭を強襲する、俺について来い」

女神の杵亭が貴族専門の宿であることは誰でも知っている、傭兵達は危険な任務を前にして、気を引き締めた


■■■


一方、魔法学院を出発したルイズたち一行は、全く休みを取ることなく、ラ・ロシェールへと向かっていた
流石に、魔法衛士隊のグリフォンはタフで、半日以上ぶっ通しで空を飛んでも疲れた様子は無い

ギーシュは馬の首にもたれかかったまま恨めしそうに空を見上げ、疲れを吐き出すかのように叫んだ


「もう半日以上走りっぱなしだ! どうなってるんだ?魔法衛士隊の連中は化け物か?」
「さあな?鍛え上げた者ならあれぐらいは何とかなるだろうよ」


才人は涼しげな顔である


「君も大概化け物だね…一体どういう鍛え方をしているのかね」
「どうって…、剣士の基本鍛錬しかやってねえよ?」


しかし才人は異変を感じていた、おかしい、いつもならこんなにぶっ通しで移動したら多少なりと疲れを感じるはずである
しかし、才人の身体は活力が漲り、はちきれんばかりだ、ほとんど疲労を感じない
ガンダールヴのルーンを発動させているわけではないのに、である

試しに背中のジャハンナムの柄を握って見る
グローブに隠されたガンダールヴのルーンが光り輝き、さらに体が軽くなるのを実感する

日々の鍛錬の結果が実ったのかと、楽天的に考え、才人はそれ以上考えるのをやめた
それより、"前回"は黄昏時にラ・ロシェールに近づき、そして傭兵達の奇襲を受けた
そちらの対策のほうが先決であった

才人は、ちらりと横のギーシュを見る、もうすでに、かなり疲労し、馬に乗っているというよりは、しがみついている
といった表現のほうがしっくりくる、そんな様子であった

上空では相変わらずワルドとルイズが楽しそうに話をしている
だが、才人は知っている、ワルドの積極的なアプローチは、ただルイズの力を欲しての事
いずれボロを出し、元の鞘に収まる

しかし、ルイズの気持ちをもてあそんだのだけは許せない、そう思い上空を見上げる
その時だった、視界が極彩色に染まる、空がオレンジに、森が緑や青に
そして、ルイズとワルドの乗ったグリフォンは、赤い影に見えた

才人は慌て、目を瞑り頭を振る

ゆっくりと目を開けると、周りは元に戻っていた

才人の様子に気付き、ギーシュが声を掛ける


「どうかしたかね?やっぱり君も疲れているんだろう、できれば休憩を取りたい所だ…が」
「ああ、そうだな…」


才人は馬の足を速めさせ、上空に向かって大声を上げる

「おーいっ!そろそろ休憩しませんかー?」


上空では、ルイズが後ろを振り返り、頬をぷぅと膨らませた

「ふんだ!姫様に無礼を働く使い魔は、一生走り続ければいいわ!」

そんなルイズの様子を見たワルドが笑う

「ははは、さすがにそれでは使い魔君がかわいそうだよ、…しかし彼も相当鍛えてるね、あの顔を見たまえ、全く疲れが見えない」

涼しい顔の才人に対して、ギーシュは死にそうな顔で馬にしがみ付いていた
それを見たワルドは、休憩を取ることにする

「よし!少しだけ休憩だ」

その言葉に、ギーシュが心底ほっとした表情を浮かべ、馬を止め、地面に下りた

「なんかまだ揺れている気がするよ…」




才人たちの直上20000フィート(約6リーグ)

雲の隙間を下目に、巨大な黒竜が雲上を優雅に飛翔している、もしこの黒竜をさらに上空から観察した人物がいたなら、小首を傾げている事だろう
その身体には、沢山のロープが垂れ下がっていたからである

吹流しのように、沢山のロープを揺らしながら、黒い影はアルビオンの方角へ飛行する
その6枚の巨大な翼はゆっくりと羽ばたき、莫大な浮力を生み出し、その巨体を空中にとどめる

その6つの目を何度かまばたきし、地上を見ると、すぐにいくつかのオレンジの点が見つかる
続いてまぶたを閉じ、再び目を開く
視界はモノクロに変り、7つの動く物体が、すぐ近くにいるかのように鮮明に目に映る
一つは地面に大の字に横たわり、残りは腰を下ろしている
馬2頭と、グリフォンがそばに立っている


それを確認したジャガナートは満足げに頷く


そして、翼の角度を変え、大きくロールを始める
そしてその目は、雲の下を飛行する影を捉えていた

ジャガナートが再びまぶたを閉じ、再度目を開く
視界は青く染まり、雲の下を飛行する影だけがオレンジ色に輝いて見えた

「彼女らも現れたか、予定通りといったところか」

誰に言うでも無く呟いたジャガナートは、再度アルビオンへ首を向ける

そして、ガラスの鈴が鳴るような音が辺りに響き
その漆黒の巨体は、放たれた矢のような勢いでアルビオンへと向かった


うっすらと青い、輝きの軌跡を残して


■■■


時はすでに夕暮れ、移動を再開した才人たちに、容赦なく制限時間が迫ってくる
このままいけば、下手をすれば野宿になりかねない

すでに夕日は地平線の彼方に沈み、辺りを夕闇が包み始める
先ほどから才人はずっと、山賊への対抗手段を考えていたが、全く思いつかない



脳裏に巨大な、あまりにも巨大な相棒の姿が思い浮かぶ、山賊の類なぞやつの姿を見ただけで命乞いを始めるだろう



その考えを頭を振って払拭する、だめだ、やつに頼りっきりじゃあ俺はいずれ死ぬ
そして、時間は無常に過ぎ、何度も馬を換えて強行軍を行ってきたサイト達は夜中にラ・ロシェールの町に入ることができた


「あいも変わらず、せまっくるしい道路だな、待ち伏せされたらひとたまりもねえじゃんか」

その言葉にギーシュが眉根を寄せる


「…君は、ラ・ロシェールに来たことがあるのか?」
「ああ、以前ちょっとな…」


そして、タイムリミットが訪れる、才人たちの足元に投げ松明が何本も投擲され、2名の姿が闇の中からあぶりだされる
そして、二人の乗っていた馬が驚いてさおだちになり、ギーシュは地面に放り出される。
才人は小さく舌打ち一つ、訓練された軍馬を手に入れられなかった事を悔やんだ
そして、ギーシュを庇うため、才人は馬を飛び降り、背中から2本の長剣を抜き放った。



左手に魔剣デルフリンガー



右手に魔剣ジャハンナム


そして、才人の耳は、暗闇の中から飛び来る矢の音を聞いていた
両手に持った剣で、そのことごとくを叩き落す


「どうした相棒!」
「ああ、奇襲だ、また頼むぜデルフ」
「よっしゃ!」


鞘から解放されたデルフが嬉しそうに才人に話しかける、才人はギーシュに的確な指示を出す


「ギーシュ!ワルキューレだ!」
「任せたまえ!」


ギーシュは精神を集中し、鋼鉄の戦乙女を呼び出すために呪文を唱え始める
ギーシュの前に立ちふさがり、矢を打ち落とし続けている才人も神経を研ぎ澄ます

その時であった


また、あの現象が起こったのである


まず、視界が青く染まる


松明は白く、がけの上の傭兵どもはオレンジに、空中のワルドとルイズ、それを乗せたグリフォンもオレンジに
慌てて瞬きをした才人の視界はモノクロームに切り替わり、夜だというのに全ての映像が鮮明に目に映った

一体何なんだと頭を振っている隙に、1本の矢が才人の足をかすめる

「ぐうっ!」


才人はバックステップですばやく後退し、弓兵の照準をずらす
才人が数秒前に居た場所に何本もの矢が突き立った

そして、その矢はギーシュにも降り注いでいた

「まずい!」

だが、矢はギーシュに当たることなく、次々に空中ではじかれて地面に落ちる
ワルドの風の魔法であった、上空のワルドから声が掛けられる


「大丈夫か!」
「はい、大丈夫です!」


才人が上空へむかって大声で伝える
そして、ギーシュの詠唱が終わり、薔薇の杖を振りかざす、数枚の花びらが宙に舞う

「ワルキューレェ!」

ギーシュの魔法が完成し、鋼の戦乙女が大地を踏みしめる
下半身は、多少の攻撃には揺らぐことすらない鋼鉄の軍馬、そして上半身は、冷たい死の抱擁をもたらす鋼の乙女であった
腕と一体化した盾と大剣を備え、優美な造形と相まって神々しいまでの雰囲気を醸し出している

才人とギーシュは戦乙女の背後に隠れ、矢をやり過ごす

「大丈夫かね!」
「ああ、かすっただけだ、すまねえ」

しかし、どうにも手詰まりである、ワルドはルイズを守るため防御に徹し、ギーシュ、および才人は崖を上れない
そのときである、崖の上に小さな竜巻が起こり、哀れな被害者を次々と崖下へと追いやった

「ほう、あれは風の魔法じゃないか」

ワルドが興味深そうに呟く

タバサの魔法に巻き上げられ、崖からゴミのように転がり落ちてくる傭兵達
身体をしたたかに地面に打ちつけ、うめき声を上げている

ギーシュが尋問に向かっていくのを尻目に、才人は剣を収めた

夜空に、きゅ~いという鳴き声が響き渡り、タバサのシルフィードが着地する
ジャガナートと比べると多少見劣りがするものの、立派な風竜の幼生だ
全長6メイルという、堂々たる体格である

着地と同時にキュルケが飛び出す、目的は才人だ

「ダ~リ~ンッ!」

情熱の色の髪の毛を振りかざし、才人を抱きしめようと駆け寄ったが
直前で、才人がすっと身を引いたため、空気を抱きしめるような格好になってしまった


「あら」
「すまねえ、俺は好きな人が他に居るんだ」


真顔で答える才人、実はキュルケの本心を試すためにカマをかけたのである



案の定



キュルケはしなを作り、グリフォンから降りてきたワルドの方へと歩み寄る

「おひげが素敵よ、あなた、情熱はご存知?」

ワルドはそんなキュルケに一瞥をくれると、左手で彼女を押しやった

「助けはありがたいが、それ以上近づかないでくれたまえ、婚約者に誤解を与えたくない」

求愛を拒否されたキュルケが当惑の表情を浮かべる

「なんで?どうして?あたしがスキって言ってるのに!」

その様子を後ろから観察していた才人は、キュルケの余りの変わり身の早さに苦笑いを浮かべる
そんな才人に後ろから、悲しげな声で話しかける人物がいた



ルイズである


「サイト…」
「あ、ル…ルイズ、その!あの!好きな人って言うのはだな」
「サイト…諦めなさい、絶対に叶わぬ恋よ?」
「あ?」

一体何の事だと、才人が怪訝な表情をする
だが、ルイズは言葉を続ける

「犬が幾ら姫様を想っても、姫様は振り向いてくれないわ」

ギーシュが迎合し、拳を振り上げる

「そうだそうだ!」
「ち…ちちちが~~う!」

才人の誤解がまた一つ深まった


そして、つまらなそうに足で地面を蹴るキュルケ、その隣で地面に"の"を幾つも幾つも書く才人が出来上がった


才人の現在の二つ名
姫様に恋する犬




■■■


そして、ラ・ロシェール一番の宿にたどり着いたルイズ達一行は、"女神の杵"亭の酒場でくつろいでいた
酒を飲み、料理を食べながら談笑する

若干1名、クタクタになって机に突っ伏しているのも居たが

そこへ、桟橋へ交渉に行っていたルイズとワルドが帰ってくる

「参ったね、アルビオンに渡る船は明後日にならないと出ないそうだ」
「急ぎの任務なのに……」

ワルドは苦笑いしながら、ルイズは口を尖らせて、それぞれ席に着く
机の上に突っ伏しているギーシュは内心ほっとしていた

「さて、今日はもう寝よう、部屋を取った」

ワルドはそう言い、カギの束を机に置く

「キュルケとタバサは相部屋、ギーシュとサイトが相部屋だ、僕とルイズは同室だ」

当然、才人はこうなることは知っている、特に慌てた様子もなく、追加の料理とワインを注文する
大事な話があるからと、ワルドは真剣な目つきでルイズに告げ、連れ立って上階への階段を上っていった

「あら、サイト、食事の後は私を誘ってくださるのかしら?」

キュルケがそう言いながら、才人に腕を回し、熱のこもった視線で誘惑をしかける
才人は苦笑いを浮かべながら答えた


「キュルケは誰でもいいんだろ?」


キュルケの顔から艶やかな笑みが消え、目元が悲しげに揺れる、だがそれもつかの間、元の妖艶な笑みが顔を彩る
本当に注意していないと分からないほどの、わずかな時間に見せたキュルケの表情であった。
そして、ごんという重い音と共に、才人の目の裏に星が飛んだ

「~~~~~ッ!!」

頭を押さえた才人が椅子から転げ落ち、のた打ち回る

タバサが、読んでいた本を閉じ、その大きな杖で才人を叩いたのだ
その顔を見ると、わずかに眉がつりあがり、才人を見つめている

「あら、タバサ、私のために怒ってくれたのかしら?嬉しいわ~」

そういいながらキュルケはタバサを抱きしめ、嬉しそうに笑う
だが、抱きしめられているタバサの目は、氷点下の湖のような、そんな光を放っていた

「あやまって」
「なんだよいきなり!」

頭の痛みから回復した才人が食ってかかる

「キュルケにあやまって」

だが、タバサは頑として応じず、ただ一つの言葉を繰り返した

「……わかったよ、ごめんなキュルケ」

キュルケは別に気にしてないわよと手を振りながら、階段を上っていく
タバサがその後をとことこと追いかけた
去り際に、再度氷点下の視線を才人に向けながら

理不尽さを感じた才人は口を尖らせながら呟いた

「…事実じゃんかよ」

そんな才人に、机から少しだけ顔を上げたギーシュが言葉をかける

「君は案外容赦がないな、あれでは流石のキュルケも傷つくさ」

タバサのみならず、ギーシュからも責められた才人は、ふてくされてワインを煽った



その夜、入浴を済ませたタバサとキュルケは、宿の部屋で寝支度を整えていた

髪の毛を梳くしけずるキュルケに向かってタバサが声を掛ける

「大丈夫?」

初対面の人間が見たら分からないほどだが、わずかに眉をハの字にし、タバサが聞いた

「大丈夫よ、だっていつもの事ですもの」

そう返したキュルケは、すでにいつもの調子に戻っている
タバサはそれを聞き、こくりと頷き、いつもの読書を再開する

だが、髪をとかす手を止め、こうもつぶやいた

「あ~あ、なんでだろう、あたしっていっつもこうなのよね、本気で好きになっても、これじゃ相手に伝わらないものね、照れくさいからすぐにごまかしちゃうし……」

そういったキュルケは、少し寂しげに微笑む

「もう寝るわ、睡眠不足は乙女の大敵ですもの」

あくびなどしながらキュルケがベッドに入る
するとタバサは読書をやめ、ベッドに入っているキュルケの頭の近くに座り、キュルケの頭を優しくなでた

なでられているキュルケの頬には、ひとすじの涙の跡がついていた


■■■


翌日、才人は妙な気配を感じて目を覚ます
ゆっくりを目を開くと、隣のベッドではギーシュが幸せそうな顔で寝ている
そして、妙な気配の方向に意識を集中する、すると、視界がまた例のカラフルな色に染まった

オレンジ色の塊が、ゆっくりと動き、部屋のドアの方向へ向かっている
ここに来て、才人もようやく自分に起きている現象を理解する

ああ、俺の目は温度が見えるようになっているのだと

オレンジ色は、扉のところでしばらく立ち止まり、それから扉をノックした
才人は目を閉じ、腹式呼吸し、神経をリラックスさせながら再度目を開く

視界は、いつもの状態に戻っていた

そして、扉が再度ノックされる

才人は扉へ向かい、ロックを外して開けた

案の定、ワルドが羽帽子を被り、才人を見下ろしている

「おはよう、使い魔君」
「おはようございます、子爵閣下、何か御用ですか?」

営業スマイルを貼り付けた才人がワルドに挨拶する

「君は伝説の使い魔ガンダールヴなんだろう?」
「さあ、何の事でしょう?女の子の気持ちを読み取れない鈍さは伝説級だと、自負しておりますが」

それを聞いたワルドが、にやりと笑みを浮かべる

「隠さなくてもいいよ、姫殿下を守っていたときの君の手に輝いていたルーン、悪いが調べさせてもらった、王立図書館の文献でようやく見つけることができたよ」

才人は心の中で思った、うそだ、俺のことはすでにレコン・キスタの情報網で知っていたに違いない

「僕は歴史とつわものに興味があってね、勇猛を誇る君と少し手合わせがしたい」

やはりそうくるか、どうあっても俺の無様な姿をルイズに見せ付けたいらしいな 才人は心の中で考えた

「かまいませんよ」

そう答えながら才人の頭はフル回転を始める、"前回"はここで派手にやられた
当然だ、格の違う相手に挑んで"前回"の素人同然の腕では勝てるはずがない

だが、今ならどうだろう?才人体内で、獰猛な野獣がむくりとその身を起こす

しかし、そこでジャガナートの言葉が脳裏に蘇る"切り札は見せるな"
才人は心の中で鋼の鎖をたぐり、危険な野獣を宥めた。

だが、計算を終えた才人の口の端は、かすかにつりあがっていた

「この宿の中庭には、練兵場があってね、そこでやろう、介添え人も呼んである」

才人を後ろに従え、歩きながらワルドは語り始める

「昔……といっても、君には分からないだろうが、かのフィリップ三世の治下には、ここでよく貴族が決闘したものさ、古きよき時代、王がまだ力を持ち、貴族達がそれに従った時代……、貴族が貴族らしかった時代……」

そこまで言ってワルドは少し言葉を切る、その顔には、寂しさとも怒りとも取れない、なんともいえない表情が浮かんでいた

「名誉と、誇りをかけて……、僕達貴族は魔法を唱えあった、だが、実際は下らない事で杖を抜きあったものさ、そう、例えば女を取り合ったりね」

女を取り合う…か、なんとも安い挑発だ"前回"は見事にはめられたが、と才人は自嘲する

「…さて、立会いにはそれなりの作法が必要だ、介添え人が居なくてはね」
「戦いを見届ける人間ですか?」
「ご名答」

ワルドが手を上げると、物陰からルイズがひょっこり顔を出す
ルイズは二人を見ると、心配そうな表情になった

「ワルド、来いって言うから来て見たら、何をする気なの?」
「彼の実力をちょっと試したくなってね」
「もう、そんなバカなことはやめて!今はそんなことしているときじゃないでしょう?」
「そうだね、でも貴族というものは厄介でね、強いか弱いか、一度気になり始めると、いてもたってもいられなくなるものさ」

ワルドの説得を諦めたルイズは、ため息を一つつき、才人に向き直り、命令する

「サイト、やめなさい、これは命令よ」

デルフリンガーとジャハンナムの柄を握っていた手を離し、才人が自然体に戻る

「やれやれ、困ったな、なんとも忠実な使い魔君だ」

手を空に向けたワルドは才人を挑発しはじめる

「あの竜を前にして一歩も退かなかった君の勇気は、その程度だったのか?」

才人は思った"必死だな"
この必死さの裏には、ジャガナートが言っていた例の件があるのだろう
才人は安い挑発にあえて乗ることにした

オープンフィンガーグローブをした手で、二振りの魔剣の柄を握り、それを抜き放つ

それを見たルイズは、抗議の声を上げる

「何なのよ!もう!」

そして、久しぶりに鞘から解き放たれたデルフが才人に話しかける

「お?相棒、何事よ?」
「ああ、魔法衛士隊の隊長様と決闘するハメになった」
「そいつはご苦労様なこって」
「何を呑気な、お前も一緒に闘うんだっつーの」
「へっ、俺は剣、振るうのはお前さんだ」

やり取りを聞いていたワルドが頃合いを見て声を掛ける

「では、始めよう」

才人は、最短距離を一直線に飛び込み、両方の剣を大上段から振り下ろす
ガキーンと、金属と金属の打ち合う音が響き、ワルドが歯を食いしばる
思っていたよりもずっと鋭く、重い一撃だったからだ

ワルドはすぐにバックステップし、フェンシングの剣のような杖を構えなおす
その手は微かに震えていた
このままでは後5合ほども斬り合えば、腕が馬鹿になりそうだった

気を取り直したワルドが鋭く間合いを詰め、突きを繰り出す
才人はサイドステップで攻撃をかわし、さらに横薙ぎの一撃を繰り出す

非常に鋭い一撃にも関わらず、それはワルドに読まれていた
あっさりと回避され、さらに追撃の突きが襲い掛かる

才人はそれを剣ではじこうとせず、後退して回避する
そして、突きが伸びきったところに、再度突撃し、また大上段から振り下ろす

まともに受け止めるのを嫌ったワルドが、その攻撃を回避する
グリフォンの刺繍が施されたマントをなびかせ、優雅に着地したワルドが再度構える

「なんだ?魔法衛士隊なのに魔法を使わねえのか?」

デルフリンガーの声が響く

「お前が錆びまみれだから、舐められてんだよ」

才人は必死で、全力精一杯な様子を演出する
攻撃は直線的に、フェイントも糞もない、最速、最強
読みやすい、素人の攻撃を思い出し、その動きをトレースする

結果、全力で突っ込んでは両剣を振り下ろし、バックする、また突撃し、振り下ろすという、単調なパターンが出来上がった
ワルドも、最初の一撃の重さには呻吟したものの、後は余裕で回避していた、どんなに早く、鋭い攻撃でも、来ると分かっているなら対処は余裕である
さらに、才人は全力の半分も発揮していなかった

そこに、得意になったワルドが話しかける

「君は確かに素早い、ただの平民とは思えない、流石は伝説の使い魔だ」

バカのひとつ覚えよろしく、直線的な攻撃を繰り出した才人の横に回りこんだワルドが、才人の後頭部を剣杖で攻撃する
インパクトの瞬間、歯を食いしばり、衝撃を受け止めた才人であったが、脳裏に火花が飛んだ

「しかし、隙だらけだ、攻撃も単調ですぐに読める、それでは本物のメイジには勝てない」

なんとか立ち上がった才人の単調な攻撃を、ワルドは華麗に回避する

そして、回避一点張りだった動きを切り替え、攻撃に転ずる

閃光のような突きを連続して繰り出し、さらにその口元が微かに動いていた

「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ」
「いかん!相棒!魔法が来るぞ!」

デルフリンガーが叫ぶ

そして、才人の左側に素早く移動したワルドが魔法を解き放つ

才人は、両手の剣を交差させ、さらに両手をクロスさせ、インパクトの瞬間思いっきり地面を蹴った
エアハンマーは才人10メイル程度吹き飛ばす

才人は樽の山に激突し、派手な音を立てた

樽の山に突っ込んだ才人はピクリとも動かず、大の字になっている
額から一筋の血が流れ、それを見たルイズが息を飲み、両手で口を覆う

無用心にもワルドが歩いて近寄ってきているのが分かる
ワルドから死角になっているほうの右手が、服に隠した手裏剣を確認する

だが、その手裏剣が打剣される事はなかった

才人は、今回の手合わせで、何回ワルドを殺せたかをカウントしていたのだった
そうとも知らず、ワルドは目を瞑ったまま動かない才人に剣杖を突き付ける、その足はデルフリンガーを踏みしめていた

「勝負あり、だ」
「この野郎、その薄汚ねぇ足をどけやがれ!」


ルイズが恐る恐る才人に近寄ってくる

「わかったろうルイズ、彼では君を守れない」

泣きそうな顔をしたルイズが答える

「……だって、だってあなたはあの魔法衛士隊の隊長じゃない!姫殿下を守る護衛隊、強くて当たり前じゃないの!」
「そうだよ、でも、アルビオンに行っても敵を選ぶつもりなのかい? 強力な敵に囲まれたとき、君はこう言うつもりかい?わたしたちは弱いです、だから杖を収めてください、と」

ルイズは返答に詰まってしまう

そして、未だにピクリとも動かない才人のほうに歩み寄り、ハンカチでそっと額をぬぐう
そんなルイズを見たワルドは、ルイズの手を取り促す

「行こう、ルイズ」

ルイズはその手を振り払った

「いやよ!離して! 気絶している使い魔を放っていけるほど私は薄情じゃないわ!」

気絶した振りをしている才人は、そのルイズの優しさを嬉しく思った
いっそのこと、このまま気絶した振りをずっと続けようかと思うほど

振り払われたワルドは、両手を空に向け、苦笑いを浮かべて歩き去って行った
だが、その目は全く笑っていなかった


ルイズは、とりあえず才人を運ぼうと、才人の手を取り、肩に回し引き起こそうと試みる
だが、いかんせん貴族育ちのお嬢様の筋力、高校生といえども男を一人担いで運べるほどの力は無かった

しばらくうんうんと唸りながら四苦八苦していたが、やがて諦め、人を呼ぼうと才人に背中を向けた
その背中に才人の声が掛けられる

「…ルイズ?」
「サイト!気がついた?」
「ああ、何とかな、イテテテテ」

才人は樽の山をがろんがろんと崩しながら起き上がる

「いや~、負けちまった」
「お~お~、派手に後ろに飛んだな、背中がどろどろじゃねえか、つーか早う俺を拾え」

才人は、デルフとジャハンナムを拾い、ジャハンナムを鞘に収める

「まあ、気にすんな、相手はあの魔法衛士隊隊長だ、勝てたら奇跡みたいなもんだ、そりゃそうと……、さっき相棒に握られてた時のあの感覚…」
「そうよ?才人、別に気にしなくていいのよ?」

デルフとルイズが必死になって才人を慰める
そりゃそうだ、普通の男ならプライドがずたずたになってしまい、しばらく立ち直れないだろう

才人はびっこを引く振りをする
するとルイズはすぐに才人の右側に回り、手を肩に回す

「ありがとう、ルイズ」

才人のその言葉に、ルイズはぱっと顔を赤くし、慌てて取り繕った

「いいい…犬でも怪我したら可哀想だからよ」

才人の作戦は見事に成功した、勝負に負けて、戦いに勝利したのである


その夜、才人はキュルケやギーシュ達と1階の酒場で騒いでいた
明日はスヴェルの月夜、いよいよ明日がアルビオンに渡る日だからだ

だが、才人は果汁を頼み、酒を口にしなかった

ギーシュとキュルケは飲んで大いに盛り上がり、タバサはハシバミ草のサラダを摘みながら本を読んでいる
ルイズとワルドは部屋にいるようだ

ギーシュが、なぜ酒を飲まないのかねと尋ねたが、油断しないためと答えた
だが、宴もずいぶん盛り上がった頃、才人は酒場の親父のところに行き、ある注文を出した

「親父、上等の赤ワインに砂糖と、こんな感じのスパイスを入れて、暖めてくれないか?それと、ブランケットを1枚出してくれ」

才人はカウンター裏に並べてあった香辛料の中からシナモンとクローブに似た香りの物を選んで親父に注文を出す
寒い夜に、お師匠が手ずから作って飲ませてくれた物だった、これを飲むと、道場から家までの道のりが楽になったものだ

マグカップとブランケットを持った才人を見て、ギーシュが問いかけた

「なんだね、結局飲むんじゃないか、僕にもくれないか?」

しかし、2つのマグカップを見て察したキュルケがギーシュの頭にチョップを入れる

「バカね、ちょっとは察しなさいな、そんなだから女の子に振られるのよ?」

ギーシュの目から涙が溢れ出し、さめざめと泣き始めた

「モンモランシ~、うぅう…」

どうやら泣き上戸のようであった



ワルドとルイズが泊まっている最上階まで上った才人は、目当ての相手を見つけて、心の中でガッツポーズする

最上階のバルコニーには、妖精が佇んでいた
ピンクのブロンドに月の明かりが降り注ぎ、神秘的な色合いを見せている
華奢な体つきが、そのまま月の明かりに溶けてしまいそうな、そんな儚げな印象を見るものに与えていた
手すりに肘をつき、まるで透き通るような、シミ一つない顔に浮かぶは物憂げな表情、名匠の絵画のような、そんな風情であった

後ろから近づいたサイトは、まずブランケットをルイズの肩にかけた

「…ありがとう」

そして、湯気を立てているカップをルイズに渡す

「飲みなよ、あったまるぜ」
「なに?これ」
「ああ、それはホットワインっていってな、寒い日にお師匠様がよく俺に飲ませてくれたんだ、酒気は熱で飛んどるから、とか言ってな、バリバリ残ってるっつーの」

陶器のカップをそっと口に運ぶルイズ

「…おいしい」

ルイズはホットワインの味を気に入ったらしく、微笑んでいる
才人もそれをみて微笑む

「あんたって、時々妙に気が利くのよね、かと思えば姫様にキスしたり、わけが分かんない」
「悪かったな、わけが分からなくて」

才人は口を尖らせて抗議する

「それにしても、大丈夫なの?」
「何が?」
「あんた、その…ワルドにこてんぱんにやられちゃったじゃない…」
「ああ、それか、だって平民の剣士が魔法衛士隊の隊長に勝てたらおかしいだろ?」

それに、俺の作戦はすでに成功しているしな、と才人は心の中で追加する

「あんたって、結構強いのね…心が」
「そうでもねえよ」
「あのねサイト…実は…」

ルイズはぽつりぽつりと才人に語り始める、ワルドに求婚されたこと、迷っていること
ワルドが憧れの存在であったこと、結婚したら才人はどうなるんだろう、才人はそれを黙って聞いていた

「ねえ…、サイトはどう思う?あたしどうしたらいんだろう…」
「そうだな…、ルイズのしたいようにしたら良いと思うぜ?そりゃ俺はルイズの使い魔だし、ずっとルイズを守って居たい、けど、俺がお払い箱になったら、そうだな、ジャガナートと一緒にどこか旅にでも出るかな」
「そうよね…、あたしと一緒に居たほうが姫様に近づくチャンスが多いものね」

才人は思わずずっこけた



そのときだった、階下からものの壊れる音、怒声と罵声の入り混じった喧騒が聞こえてきた

ルイズは狼狽し、才人を不安げな目で見る

「え…なに、なによ」
「たぶん敵襲だ、いそげ!」

そこに部屋から飛び出してきたワルドも合流する

「なにやら下が騒がしいな、きみの学友たちが心配だ、急ごう!」


3人が酒場に下りて目にしたものは、入り口にひしめく傭兵達であった
だが、決して魔法の射程に入ろうとはしない、矢で牽制し、魔力をそぐ算段のようだ
つまるところ、歴戦の傭兵達のようである
キュルケ達は石造りの机の足を折り、それを盾にして矢を防いでいた

才人は土くれのフーケが敵側にいないことに心底感謝した

才人たち3人は、姿勢を低くし、バリケードに隠れているキュルケの所へ這い寄っていく
ワルドが低い声で全員に話しかける

「いいか諸君、このような任務は、半数が目的地にたどり着けば成功とされる、キュルケ君、ギーシュ君、タバサ君、すまないがここで敵の傭兵を足止めしてくれないか?」

その言葉に、ギーシュは目を輝かせ、タバサとキュルケは普通に頷く
ワルドが低く号令した

「では、散開!」

ルイズを先頭に、ワルド、才人の順で裏口を目指す
飛んできた矢は才人が全て切り払った

厨房を通じ、外に出た才人たちが振り向くと、建物から爆音が響き、煙が上がっていた

「おー、派手にやってるな」

才人が呑気な声でつぶやいた


外に出た三人は、順番を入れ替え、ワルド、ルイズ、才人の順番で駆けて行く

今のところ、何も問題は見当たらなかった、ただ、才人は胸中でウェールズ殿下と遭遇できるかを心配していた






[37866] 第7話:潜入・アルビオン(後編)
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:b9dddeb4
Date: 2013/10/01 10:50
二つのガンダールヴ 一人は隷属を望み 一人は自由を願った

第7話:潜入・アルビオン(後編)


才人たちが無事に脱出したのを確認したキュルケはタバサを促す

「ねえタバサ、台所に油の入った大なべがあるのが見えるかしら?」

パジャマにナイトキャップ姿のタバサはこくこく頷く

「あれをレビテーションで、傭兵さんたちの所へ届けていただけるかしら?」

手鏡を出して化粧を直しながらキュルケがタバサに依頼する
ギーシュはというと、目を瞑って集中し、鋼のゴーレムを生成する呪文を一心不乱に唱えている

タバサは小さく杖を振り、油の入った大きななべが、たぷんたぷんと揺れながら出入り口へと近づく
全身鎧を纏った兵たちは、自分達の目の前に来たなべを見て一瞬立ち止まる

「な…なんだ?」

途端になべの中身が傭兵達にぶちまけられ、立ち上がったキュルケの杖の先から小さな火の玉が放たれた
たちまちのうちにあたりは一面炎に包まれ、火に巻かれた傭兵たちが悲鳴を上げながら逃げ惑う

さらにそこに、火を煽るかのような絶妙な量の風が吹き、火の勢いは増すばかり
ついには火は轟々と音を立てて燃え盛る、キュルケとタバサの阿吽の呼吸が織りなす技だ。

ギーシュの呪文も完成し、優美な鋼のゴーレムが1体現れる
今回のゴーレムは、両手がトゲトゲのメイスになっており、プレートメイルを着た相手であろうとも、そのすさまじい衝撃は内部へ浸透する。

そして、ゴーレムの後ろに隠れるようにキュルケが立ち上がる
たちまち数本の矢がキュルケに向かって飛んでくるが、鋼のゴーレムに当たって跳ね返る

「名も無き傭兵の皆様がた、あなたがたがどうして、あたしたちを襲うのか、まったくこちとら存じませんけども、あなた方の不運を、心から嘆かせていただきますわ、恋に破れて傷心の私に出会った不運をね!」

キュルケの髪の毛が炎のように逆立ち、揺れる、まるでキュルケが熱気の塊にでもなったかのように



傭兵達の後ろには、白い仮面をつけた男が陣取っていた
すこし高くなっている場所から、傭兵達の大騒ぎを冷静に観察している
見れば、炎の壁が立ち上がり、身体に火の付いた男達が地面を転げ回っている
炎はまるで生き物のように伸びて、傭兵達をあぶり、焼き焦がしていく

そして、炎の壁を突き抜けて突進してきた半人半馬のゴーレムが、腕と一体化した鋼のメイスで、当たるを幸いに傭兵の頭を叩きまくった
後ろからゴーレムに近づこうとしていた傭兵は、鋼鉄の馬の足で蹴飛ばされて気絶している

さらに、小さな竜巻が発生し、逃げ惑う傭兵達を巻き込んでいた

辺りには、金属兜をベコベコにされて痙攣する傭兵と、所々コゲてピクリとも動かない傭兵
胸に馬の蹄鉄型のへこみをつけ、同じくピクリとも動かない傭兵が地面を占領し
逃げようとして互いにぶつかる傭兵達の怒声と悲鳴で溢れていた

「……金で雇った連中など、所詮こんなものか」

白い仮面の男は、自分の雇った傭兵達の阿鼻叫喚を尻目に、ラ・ロシェールの町に向かってすべるように移動していった

そして、女神の杵亭の1階には、キュルケの哄笑が響き渡る

「おっほっほ!おほ!おっほっほ!さあさあ、火傷したくなかったらさっさとお家へおかえりなさい!」

ギーシュがその後を続ける

「もっとも……帰れたらの話だがね!!」

ギーシュのゴーレムの下半身は鋼の馬、当然スピードも人間より遥かに速い
弓を放り投げて逃げようとした弓兵に肉薄し、猛悪なトゲトゲメイスで思う存分にぶん殴る。
傭兵達も応戦するものの、いかんせん相手は鋼で出来ている、まさしく刃が立たない

何とか酒場内の物陰に隠れて、魔法の猛威をやり過ごそうと震えていた傭兵達は、自分に近づいてくるパジャマ姿の女の子を見つける
傭兵達は、愛想笑いを浮かべながら、その女の子に手を振った、対する女の子は、小さく首をかしげて傭兵達を見る
だが、その手に握られている大きな杖を見て、傭兵達の顔がいっせいに引きつった
かわいらしい桜色の唇が動き、ルーンをつむぐ、傭兵達に次々と竜巻が襲い掛かった

傭兵達は空中をきりもみ回転させられながら上下に激しくシェイクされ、反吐を吐き散らしながら連続脳天杭打ちを強制される
中には、樽や大理石の柱を相手に、強制的に回し蹴りの修行をさせられている者もいた

そして、炎と旋風と鉄馬はひとしきり暴れまくり、辺りに動くものが無くなったとき、ようやく活動をやめた


キュルケとタバサ、ギーシュが協力して傭兵達をボコボコにしている頃、才人たちは桟橋へと急いでいた
ラ・ロシェールの桟橋は、大樹をくりぬいて作られ、枝の先には船がまるで果実のようにぶら下がっていた

ワルドはそのうちの一つの階段を駆け上がる

才人は、目に意識を集中し、時々後ろを振り返りながら警戒を怠らない
視界にオレンジ色の影は見当たらない

しかし、階段の踊り場に差し掛かってきた時に、後ろから追いすがる足音を聞いた
才人は狼狽し、影がルイズの後ろに降り立つのを許してしまった
当然の事だが、偏在に温度は無い、才人はそれを知らなかったのである


「ルイズ!」
「きゃあ!」


ルイズは反応する暇も無く、仮面の男に抱え上げられてしまう
才人は歯噛みした、未来を知っていたのに、対処できなかった自分の不甲斐なさに

そして、隠された毒手裏剣に手をやるものの、手札を何も見せたくない才人は、尻込みしてしまう
なにせ相手はワルドの偏在、手札を見せれば当然本体もそれを知ることになる

そうしている間に、ワルド本体が、偏在からルイズを奪い返し、再び才人と偏在が対峙し合う

才人は雄たけびを上げながらデルフで切りかかるも、偏在はフライを上手に使い、階段の手すり等の足場を自由に飛び回る
そして、一定の距離が開いたその瞬間、例の現象が起こる

「くそっ!」

才人の周りの空気が冷え始めたのである

「やべぇ、でかいのが来るぞ!相棒!構えろ!」

デルフの警告を聞いたサイトは、デルフを地面に突きたて、ジャハンナムを両手で構える


瞬間


空気が弾けた


偏在の周辺から稲妻が伸び、才人を焼き尽くさんと迫る
しかし、稲妻も電気であることに変わりは無い、魔力による誘導が切れた後は、最も手近な所から地面へ帰ろうとする


ライトニング・クラウドは轟音を立ててデルフに落雷した


「うべべべべべべべ!」


デルフの柄の辺りから白い煙が一筋立ち上り、つんとオゾン臭が鼻をつく
意識(?)を取り戻したデルフが才人に猛烈に抗議した

「なにすんだ!相棒!コゲたじゃねぇか!……だが、この感触……何か懐かしいような」

だが、実際にはデルフはコゲておらず、その魔力のほとんどは吸収されていた

デルフが感電している間に、才人は間合いを詰め、ジャハンナムで偏在の喉元に突きを入れる
しかし、手ごたえを感じなかった、まるで、熱したナイフでバターを切るような、そんな感触であった
そして致命傷を負った偏在は掻き消える

それを見たワルドは唸る

「むうっ…偏在か!」

懐に抱かれているルイズが聞き返す


「偏在?」
「ああ、高位の風の使い手は、偏在を操れる、いわば分身のようなものだ、どこかに本体が潜んでいて、いずれまた襲ってくるぞ」


本体ならそこにいるだろうがと突っ込みたい才人は、黙ってジャハンナムを鞘に収める
そして、熱くなったデルフの柄を上着で包み、どうにか鞘に収めた


そして、ルイズを下ろしたワルドが才人に声を掛ける


「使い魔君、大丈夫かい?」
「ええ、なんとか」
「しかし、咄嗟とはいえ大した機転の効きようだ、是非とも君のような優秀な人間をわが隊に迎えたいものだな!君が貴族なら、うーむ、実に惜しい…」


そう告げながら、ワルドは才人の背中をばしばしと叩く
才人は営業スマイルを浮かべて対応していた

"前回"は、才人は本当に悔しい思いをさせられた、ルイズの前で、徹底的に無様な姿をさらけ出すハメになったからだ
だが、それらが全てワルドの仕組んだ舞台だと言う事が分かったため、実力を隠しつつ、あえてその舞台上で役を演じていた

その後、ワルドと船乗り達の交渉が続き、船は無事に出港する

その船の甲板上で、才人は頭を抱えて座り込んでいた
なんせ、大任である、ジャガナートと合流するまでの間に、ウェールズ王子を説得し、ワルドを退けなければならない
心は千々ちぢに乱れ、プレッシャーが才人の心にのしかかる
頼れる親友は今はそばに居ない、ワルドにはもちろんの事、ルイズにも相談できない

その状況が、才人から余裕を奪っていた
そんな時、師匠の言葉を思い出す

(身体は火の如く、心は澄み切った水面みなもの如く)

才人は結跏趺坐けっかふざを組み、静かに目を閉じ、心を一度リセットした
次に、するべき事、それも取り組みやすい事を1番に思い浮かべ、その対策を思い浮かべる、そして徐々に困難な事に切り替えて行く

そんな才人の様子を心配してか、ルイズが声を掛ける

「ねえサイト、大丈夫?」

その声に応え、才人は徐々に思考の深淵から浮上する
ゆっくりと目を開いた才人は、少し前までの取り乱した様子が消え、泰然としていた

「大丈夫だ、問題ない」


■■■


航海は順調に進み、翌日の昼過ぎにスカボローの港へ着いた
これは、才人にしてみれば想定外の事である

下船した3人は、近くの宿屋の1階で昼飯を取りながら相談を開始する

1番年長のワルドが話を取りまとめる


「さて、ここからニューカッスルまでは馬で約1日の道のりだ、全速で飛ばして半日だね」
「ワルドのグリフォンを使えば?」


ルイズが無邪気な意見を出すが、すぐにワルドに否定される


「いや、目立ちすぎる、何より2名以上の騎乗は難しいだろう」
「と言う事は、やはり陸路になりますね」


才人がマグカップから果汁を飲みながら会話に加わる


「情報によれば、王党派はすでに追い詰められ、周りで出くわす連中は全て貴族派と考えていいだろう、となれば、街道は使えないな、夜の移動も危険だ、場合によっては火も炊けないだろう」
「でしたら、商人に変装しましょう、3人とも馬に乗り、グリフォンを引き、商売用の品だと言えば良いのでは?」
「そんな!平民の格好をするなんて!いやよそんなの」


ルイズは嫌がっているが、才人の意見にワルドは頷き、補足を加える


「ああ、良いアイデアだね、だが、略奪を働こうとする傭兵達などもいるだろう、僕のグリフォンは僕以外に懐かないので特に心配は無いが、どうしてもいざこざが起きてしまうだろう、そして、ルイズ、僕のルイズ、これは姫殿下から賜った任務だ、あまり我侭を言ってはいけないよ」

ワルドに諭されたルイズは渋々といった表情で引き下がる

そして、ワルドは全員平民名を名乗ることを提案する、ワルドは本名のジャン、才人はシモン、ルイズは男性名のルイ
咄嗟に名乗るときに貴族名を名乗るわけには行かないからだ

そして、ワルドは言葉を一旦切り、才人の目を真直ぐに見据えて尋ねた

「使い魔君、君は必要な時に相手の命を奪う覚悟はあるかね?」

才人は突然の事で狼狽する、剣の訓練はしてきたし、師匠から人を切ったときの事も聞き及んでいた
だが、自らの手で人を屠ほふったことは一度も無かった、平和な日本にいたのだから当然といえば当然である

再度ワルドが聞いてくる

「君は、君の主人の命を守るために、これから先出会う敵を確実に殺す覚悟はあるかね?君にその覚悟が無ければ、ルイズは危険に曝されてしまうかもしれない」

しばしの逡巡の後、才人は答えた

「あります……」

ワルドはその答えに微笑み、期待しているよ と付け加えた


それから3人は、グリフォンの胸の紋章、ワルドとルイズのマント、羽帽子、貴族の服を荷物としてグリフォンにくくり
ワルドは剣の鞘を購入し、それに剣杖を入れる、これで杖とは分からない

2人は平民の服を着込み、ルイズは髪の毛を服の背中に隠し、頭にバンダナを巻かされた

ぱっと見、子連れの商人が護衛を連れて歩いているように見えた


そして、3人はニューカッスルへ向けて出発した
途中でルイズに男言葉を使わせようと試みたが、ぎこちないので、しゃべらないようにとワルドは言い渡した

街道を避け、可能な限り全力疾走である。しかし、路面は悪く、思ったほど速度は上がらない

そして、さらに悪いことに、戦乱にかこつけて荒稼ぎを企む悪党共が、道で検問を行っている場所にさしかかる
貴族派について傭兵を行っていたものの、この方が手っ取り早く甘い汁を吸えると思ったのであろう

10人程度の傭兵崩れがたむろし、戦乱から逃げ惑う人々から金品を巻き上げていた


ワルドと才人、ルイズは互いに目配せをし、にわかに緊張感がただよう


槍を構えた3人ほどの男が、才人たちの進路を塞ぐように立ちふさがる、道の両側には木で出来た粗末な柵があり
物見櫓のような物も設置されていた、勝手にこしらえた関所といった所だろう

「止まれ!」

才人たちは、指示通りに停止する

「おめえらは何者だ?何を運んでる?」

ワルドが答える


「ああ、俺はジャン、商人でね、こいつはシモン、小さいのがルイ、3人で儲からない商売をやってんだ」
「そうかい、荷を改めさせてもらうぜ?それと、通りたきゃ通行税を払いな、といっても、俺達が欲しいと思うものを支払ってもらうがな」


男達はゲラゲラと下品な笑い声を上げながら荷物を突きまわす


「なんだこりゃ?貴族様の帽子じゃねえか」
「ああ、見ての通りだ、貴族の旦那にグリフォンと服を届けなくちゃならなくなってね、こちらは言われたものを届ける、御代をもらう、まいどありってな」
「ハハハ、ちげぇねえ、じゃあ売上げの幾らかを貰うぜ?先払いでな」


ワルドが男に何枚かの金貨を支払う、才人たち3人は、無事に抜けられそうだと安堵していた


だが、物見櫓の奥から、でっぷりと太った男が現れる、手には大きな酒ビンを持ち、目は酒で濁っている

「待ちな、俺はそこのボウズが欲しくなった、カワイイお口をしてやがる、下の穴はまだ使えねえだろうが、口は使えるからな、こいつを置いていけ、さも無きゃお前ら永遠に商売できなくなるぜ?」

周りの男たちがゲラゲラと下卑た笑い声をあげ、似たような卑猥な言葉を口走る。
ルイズがその言葉を聞き、柳眉がつりあがり、形の良い口がへの字に曲がる、何かを言おうとするのを才人が手を出して制した
そして、ワルドが、さも困ったという顔を作り、両手を空に向ける

「いやいや、ルイは俺達の帳簿係だ、シモンも俺も計算ができないからな、置いていったら商売あがったりだ、それは勘弁してもらえないか」

太った男がニヤニヤと下卑た笑いを浮かべて告げる

「だめだ」

ワルドが真顔になる


「どうしてもか?」
「どうしてもだ」
「わかったよ」


ワルドはそういいながら才人に目配せし、ひらりと馬から下りる

「なら、代わりにお前らの商売も今日限りだな」

そして、目にも留まらぬ速さで杖を抜き、エア・ニードルの呪文が完成する
ショタ趣味の太った傭兵は、声を上げる暇も無く額を貫かれて絶命する

隣では才人が2つの魔剣を抜き放ち、馬から飛び降りざまに漆黒の魔剣を横薙ぎになぎ払う
刃は澄んだ音を立て、2人の男の胴体を、その構えていた槍と、鎧もろとも真っ二つに両断した

才人は、相手の武器を切り裂いて、無効化しようと考えていたのだが、あては外れ、2名の人間の命を瞬時に刈り取った
そして、その事に戸惑っていた才人にワルドが檄を飛ばす


「シモン!ぼさっとするな!ルイを守りながら全部片付けるぞ!」
「分かった…」


才人のガンダールヴのルーンが力強く輝き、心を高揚感が包む、ルイズを守る、それだけで才人は強くなれた

異変を感じて飛び出してきた男達に向けて、ワルドがエア・ハンマーを放つ
手加減無用のフルパワーで放たれた魔法が、男達を壁のシミに変える

才人はデルフで傭兵の剣をなぎ払い、ジャハンナムの内側の刃で首を刈り取る
その様子はまるで、死神がその鎌で魂を刈り取っているかのようだった

ワルドが閃光のように突進し、呆然と立っている男の胸を貫く
そのワルドに切りかかろうとしていた男の背中に、才人が斬り付ける
だが、その傷は浅かった

「ぐぎゃああああああああ!」

才人が傭兵の悲鳴に驚いて見れば、ジャハンナムで斬られた傷口から、異臭を放つ煙が一筋立ち上っていた
傷口は酸で焼いたかのように焼け爛れ、一滴の血も漏れていなかったが、徐々に青紫に変色していき、それが広がっていった
そして、斬られた男は、気を狂わさんばかりの激痛に、泡を吹きながら地面をのたうち回る

"苦痛地獄" それがジャハンナムの銘の所以である

ジャハンナムは、斬った相手の出血を瞬時に止め、延命する
そして毒が切れるまで、数時間もの間相手に苦痛地獄を味わわせる、だが、その余りの切れ味の為、よほど浅く斬らなければ相手は瞬時に絶命してしまう

生き地獄か、安らかなる死か、漆黒の魔剣は2つの選択肢を相手に与える
才人は、その剣の効能を初めて知り、顔が青ざめ、2歩ほどよろよろと後ずさった

「シモン!敵を全滅させるまで気を抜くな!」

最後の一人をウィンド・ブレイクで仕留めたワルドが現れ、のた打ち回っていた男に止めを刺す

見れば、傭兵達は全員死体になり、あたりに動くものは何も居なかった
凄惨な光景だった、これが火メイジによる攻撃であれば、黒焦げになった死体のたんぱくの焼ける臭いが充満していたであろう。
だが、現在才人の目の前にあるのは、圧殺され、内臓や目が飛び出した死体、半分に切り裂かれた死体
それらからこぼれ出た血や内臓で、辺りには言い得ぬ不快な臭いが漂っていた。
才人は内心動揺しつつも、鋼の精神力を持ってそれを抑え込む。
その顔は、能面のように無表情に塗り固められていた。


ふと眼を上げればルイズは木陰に隠れて吐いていた

「娘っ子は、まあしょうがねえだろうな…」
デルフの呑気な声が風に乗って消えた


ワルドが、嘔吐を続けるルイズの隣に行って背をさすり、大丈夫かと声を掛けていた

「さあ、急げ!さらに面倒なことになる前にここを離れるぞ!」


■■■


3人は必死に馬を走らせ、余計なことで費やした時間を取り戻そうと走っていたが、すでに日は暮れ、その日の到着は絶望的であった
しばらく走る内に、視界に小さな村が見えてくる、3人は仕方なく、そこに留まる事にした


村にはヘレンという名の一人の老婆しかおらず、泊まるための部屋を貸してくれという才人達を快く歓迎してくれた

こんなものしかありませんがと、薄いスープが出された、その味は、胃の荒れた二人には優しかった
うつむいて言葉の無い二人に代わり、ワルドが口を開く

「ところで、若者達はどこへ?この村には貴女しかいないようだが?」

その言葉を聞いて、ヘレンの顔が曇る

「レコン・キスタじゃ」

その言葉を聞き、ワルド、才人、ルイズの顔が真剣なものになる

「レコン・キスタが全部持っていってしもうた、食い物も、男達も、女達も、後に残ったんは役に立たん私と、荒れ果てたぶどう園だけ」

そういって寂しそうな笑顔を浮かべる
その言葉に、ワルドは思うところがあったのか、真剣な表情で考え込んでいた

その夜、外で月を眺めていた才人にワルドが声を掛ける


「気分は良くなったか?使い魔君」
「おかげさまで、子爵閣下、それに俺は才人という名前がありますから」
「それは失礼した、サイト君、僕の事は気軽にジャンと呼べばよい、もちろん、公の場所ではワルド子爵と呼んで欲しいが」


ルイズも堅苦しくワルドとしか呼んでくれないしなと言いながら、地面に座り込んでいる才人の横に、ワルドも腰を下ろす
そんなワルドに才人が話しかける


「ご主人はどうしてますか?」
「ルイズなら、先ほどようやく寝ついたよ」
「そうですか」


二人の間にしばしの沈黙が訪れ、虫の声だけが静かに夜空に流れる
沈黙を破ったのは、ワルドの方だった


「先ほど、村の中を見回って来たよ、酷い物だった、ヘレンさんの話では、放置した田畑は再度使い物にするためには倍の努力が必要らしい」
「……」
「貴族とは、平民とは、何なんだろうとね、考えさせられたよ、では、貴族が無くなればそれも解決するのか、そうとは思えないしな」
「レコン・キスタは共和制を掲げていますよ?」
「だが、現実はこうだ」
「そうですね…」


才人はこの時、ウェールズ以下、アルビオンの貴族を説得するための、パズルの最後のピースを手に入れた、そんな気がした
人間誰しも、これだ!という閃きを得る瞬間というのはあるものである

ワルドの声に、才人は現実へと戻ってくる


「そうだ、君は今回始めて人を殺めたようだね、最悪の気分だろう」
「ええ…」
「だが、僕一人ではルイズを守りきれなかっただろう、君の行動はルイズの命を救った、婚約者として改めて礼を言うよ、ありがとう」
「どう致しまして」


それからワルドは夜空を見上げ、静かに語り始めた


「僕も初めて人を殺した時は、最悪の気分だったよ……今もそれを引き摺っている」


視線は下を向き、思わずその手は胸のペンダントを押さえる
そして、微笑みを浮かべ、こう告げた

「必要なら、殺すことをためらってはいけない、でなければ、君の周りの誰かが、代わりに死ぬことになる。だが人殺しに慣れてはいけない、殺しを楽しむようなものたちはすでに人じゃない」

その言葉にハッとする才人、"前回"コルベール先生が教えてくれた言葉と似通っていたからだ

「分かりました、肝に銘じておきます」

その様子を見てワルドは満足げに頷く

「さあ、もう寝たまえ、明日は早いぞ」



家に入っていく才人の背中を見送ったワルドは、誰に言うでもなく呟いた

「これから殺すかもしれない相手に…つくづく甘いな……俺も」

そして、目を瞑り、再度目を開いたワルドの顔には、固い決意と、氷のように冷たい表情が貼り付けられていた


■■■


翌日、ヘレン婆さんに多額のお礼をしてびっくりさせた才人たち一行は、レコン・キスタの監視を掻い潜ってニューカッスルにたどり着いた
兵士達に信じてもらえず苦労したもののルイズの指にはまった水のルビーが証明となり、無事に城に入ることができたのであった
最も、監視の目を掻い潜れたのはワルドの差し金であったわけだが…


応接室に通された才人達は、その質素な雰囲気に驚く
高価な調度品などは全て軍資金になってしまっていたのである

そういった事からも、この戦が勝ち目の無いものであることが読み取れ、才人は少し悲しくなった

やがて、3人の目の前に、金髪碧眼の美男子が現れる

「やあ、始めまして大使殿、僕がアルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」

3人は礼を行い、頭を垂れる
そして、3人の中で最も位の高いワルドが口を開いた


「私は、トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長 ワルド子爵と申します。アンリエッタ姫殿下より密書を言付かって参りました」

続いて、ルイズ達をウェールズに紹介した


「そしてこちらが、姫殿下より直々に大使の大任をおおせつかった、ラ・ヴァリエール嬢と、その使い魔の少年にございます、殿下」
「なるほど!君のようにりっぱな貴族が、私の親衛隊にあと10人ばかりいたら、このように惨めな今日を迎えることもなかったろうに!して、その密書とやらは?」


その言葉に応え、ルイズが恭しくウェールズに近づく
そして、胸ポケットから手紙を取り出すと、それをウェールズに渡した

ウェールズは愛おしそうにその手紙を見つめ、花押に接吻すると、封を解き、手紙を読み始めた

やがて顔を上げ、寂しそうにこう言った

「姫は結婚するのか? あの、愛らしいアンリエッタが。私の可愛い……、従妹は」

ワルドは無言で頭を下げ、それを肯定する

そして、最後の一行を読んだ時、ウェールズに少しの変化が見られた
横っ面をいきなり張り飛ばされたような顔をし、その口は少し開いている

しかし、再び真顔に戻り、ワルド達に向かって微笑んだ

「了解した、姫は、あの手紙を返して欲しいと、この私に告げている。何より大切な、姫から貰った手紙だが、姫の望みは私の望みでもある、そのようにしよう、ついてきたまえ」


ルイズ達は、ウェールズに付き従い、城内の一番高い塔にある彼の部屋へと向かう
道中才人は、周りに目を配り、観察する

しかし、どの通路も綺麗に整えられてはいるものの、ほとんど何も無く、殺風景であった
そして、それはウェールズの部屋も同じであった

とても王族とは思えぬ、粗末な木のベッド、椅子とテーブルが一組
家具はそれだけであった

椅子に腰掛けたウェールズが、宝箱を取り出し、中から手紙を取り出す
すでに擦り切れてぼろぼろになっている手紙に愛しそうに口付けをした後、その手紙に再度目を通しはじめた

そして、それを封筒に入れ、ルイズに手渡す

「これが姫から頂いた手紙だ、このとおり、確かに返却したぞ」

ルイズが頭を下げ、恭しくその手紙を受け取る


「ありがとうございます」
「さて、大使殿、明日の朝、非戦闘員を乗せたイーグル号がここを出港する、君達はそれに乗って、トリステインへ帰りなさい」


ルイズはそれを聞き、わずかに目を見開く

勝ち戦に、非戦闘員を脱出させる必要など無い、それはすなわち、負け戦の準備、それはルイズにも理解できた

「では……殿下、王軍に勝ち目は…」

ためらいがちに問うルイズに、ウェールズははっきりとこう答えた

「ないよ、わが軍は三百、敵軍は五万、万に一つの可能性もない、我々に出来ることは、はてさて、勇敢な死に様を連中に見せる事だけだ」

才人はその言葉を聞いて思う、"前回"と全く同じだと、そして、更なる決意を心に固めた

そうしているうちに、ルイズがウェールズに熱烈に亡命を薦め始める
そして、アンリエッタから亡命を薦められていないかとも問うが

ウェールズは答える、始祖に誓ってそのような文は書かれていないと
事実である、アンリエッタはマザリーニに国の現状を聞かされ、今レコン・キスタに攻められればトリステインも落ちる事も知った
そのため、"必ず生き延びて下さい、アルビオンの民全ては、貴方の帰還を待ちわびているはずです"と記した
まず間違いなく、亡命を薦めてくるであろうと予想していたウェールズは、アンリエッタの成長に驚き、同時に嬉しく思った

そして、ウェールズはルイズ達にパーティへの出席を勧め、ワルドを残して、二人は退出した


「まだ何か、御用がおありかな?子爵殿」
「恐れながら、殿下にお願いしたき儀がございます」
「なんなりとうかがおう」
「勇敢なるアルビオンの皇太子、ウェールズ殿下に、私とラ・ヴァリエール嬢の婚姻の媒酌をお願いしたく存じます」


ウェールズはにっこりと微笑み、こう述べた

「なんともめでたい話ではないか、喜んでそのお役目を引き受けよう」


才人は、部屋の外から、熱源が二つ、部屋の中でうごめく様子を観察していた
"前回"ワルドが、不自然にウェールズの部屋に残っていた、恐らくこのときに結婚式の件を頼んだのであろうと思っていた
そこで、ルイズを会場にエスコートし、自分はウェールズの部屋付近へ戻っていたのだ

そして、ワルドが退出するのを、気配を殺してやり過ごし、部屋のドアをノックした


「誰かね?」
「はっ、ラ・ヴァリエールが使い魔、サイト・ヒラガにございます。使い魔に過ぎぬ身で、殿下にお願い申し上げる無礼をお許しください」
「はは、そう畏まらずともよい、入りなさい」
「はい、失礼致します」


部屋に入った才人は、ウェールズに一礼する

「で、願いとは何か?」


才人は結婚式でウェールズの安全を最優先して欲しいことと、自分の願いとを告げた


「願いを聞き届けてくださり、ありがたき幸せに存じます」

作戦の第一段階が成功した才人は、ひとまず安堵のため息を漏らした


■■■


その夜、アルビオン王国最後の晩餐が盛大に行われていた
ホールの上座には、簡易の玉座が据えられ、現アルビオン王、ジェームズ一世が座し、王侯貴族達を見守っていた

全ての紳士、淑女達は例外なく着飾り、明日滅びる国のパーティーとは思えぬほどの華やかさであった
才人はその中にあって、大仕事を前に今までで一番緊張していた

そんな才人の様子を見て、ワルドが声を掛ける


「どうした、サイト君、疲れて気分でも悪くなったか?」
「いえ、ただ…明日で終わりだと言うのに、ずいぶん派手だなと思って」
「明日終わりだからこそ、ああも明るく振舞っているのだ」


そして、ウェールズが登場すると、黄色い歓声が辺りを包む
美形の王子様は、どこへ行っても人気者のようだ

ウェールズは玉座に近づくと、父王に何か耳打ちした
ジェームズ一世は、威厳のある態度で屹立しようとしたものの、よろけて倒れそうになってしまう
それを見た貴族達から、失笑が漏れる


「陛下!お倒れになるのはまだ早いですぞ!」
「そうですとも!せめて明日までは、お立ちになってもらわねば我々が困る!」


ジェームズ一世は、それに応えて人好きのする笑みを浮かべる

「あいやおのおのがた、長く座っていて、ちと足がしびれただけじゃ」

ウェールズがすぐさま父王をフォローし、その身体を支えて立たせる
その姿を見たホールの全ての貴族がいっせいに静まり、直立不動の姿勢で王の言葉を待つ

「諸君、忠勇なる臣下の諸君に告げる、いよいよ明日、このニューカッスルの城に立てこもった我ら王軍に
 反乱軍であるレコン・キスタが総攻撃を行うと通達してきた、この無能な王に、諸君らは良く従い、よく戦ってくれた
 しかしながら、あすの戦いは戦いとは呼べぬだろう、恐らく、一方的な虐殺となるであろう
 朕は、諸君らが傷つき、斃れるのを見るに忍びない、したがって、朕は諸君らに暇を与える
 長年、よくぞこの王に付き従ってくれた。厚く礼を述べるぞ
 明日の朝、わが軍最後の船イーグル号が、女子供を乗せてここを離れる。
 諸君らも、この船に乗り、この忌まわしき大陸を離れるが良い」

ホールは静まり返り、誰も応えるものは居ない
その瞬間を狙い、才人が声を張り上げる

「アルビオン王ジェームズ1世陛下、ウェールズ皇太子殿下、ならびにアルビオンの真の貴族の方々、どうか私の言葉をお聞きください!」

いきなりの言葉に、一体何事かと、出席者達の視線が集まる
そして、才人に王の言葉がかけられる


「そのほうは?」
「私は、トリステイン王国大使、ラ・ヴァリエールの使い魔、サイト・ヒラガにございます」


そう言って才人は左手のグローブを外し、ルーンを見せる
貴族達にどよめきが走る、トリステインでは人を使い魔にするのかと、にわかにざわつき始める

「今宵…このアルビオンには、そのほうの無礼をとがめる者は居らぬ、何なりと申してみよ」

王の許可を得たサイトは礼を述べ、考え、考え続けた言葉をつむぐ
ルイズも、才人をとがめようと近くに歩み寄ってきたが、王の許可を得てしまったので、それを止めることは出来ない

「アルビオン王ジェームズ一世陛下、ウェールズ皇太子殿下、そして真のアルビオン貴族の皆様方、あなた方は、自分の仕事を果たさぬまま、始祖の御許へ旅立とうとなさるおつもりですか?」

この才人の言葉に、ますますざわめきが強くなる
だが、王が手を挙げ、皆を制し、才人の質問に応える


「我々は、明日、その仕事を果たすつもりなのだ、少年よ」
「恐れながら申し上げます、レコン・キスタと戦い、討ち死にをなさったのでは、何も果たされぬのと変わりはありません」


再度ざわめき始めた貴族を王が制し、再び問いかける

「では少年よ、そのほうの述べる我らの果たすべき仕事とは何か?」

才人は、その言葉に直接応えず、近くの器から果物を取り、すぐそばに居た老貴族に問いかける


「閣下、この果物は閣下が自ら育て、収穫なさった物ですか?」
「いや、違う」


老貴族から期待通りの答えを聞いたサイトは王に向き直る

「そうです、これらの食物は全て、陛下を愛するアルビオンの民、平民が心血を注いで育てた物です、この鳥も、そこのパイもです」

そして、いったん言葉を切り、注目を集めてから再度話し始める

「今、民草はレコン・キスタのせいであえぎ、苦しみ、悲しんでおります。私はここに来る途中、村に泊まりました
 そこには老婆一人しか居らず、他のものは全てレコン・キスタに徴収されたと言っておりました
 畑は荒れ果て、家は朽ち、やがて村は跡形も無く消え去るでしょう
 陛下、ならびにここに居られる真の貴族の方々、あなた方は、これらの心血を注いだ作物を献上した民に対し
 死と、奪略と、暴虐をもって報いるおつもりですか?」

会場は静まり返り、誰も声を上げようとしない

「先ほどの村で、ヘレン婆さんがスープを飲ませてくれました、何も具の無い塩味のスープです
 ぜひとも、皆様もあのスープを飲んでください、そしてその苦味をかみ締め、必ずこの地に返り咲くと誓ってください
 レコン・キスタを放置し、愛する民に暴虐と死をもって報いるようなことはなさらないで下さい!
 例え飲むものがスープではなく泥水となろうとも、生き延びて下さい!!」

目を瞑って才人の言葉を聞いていたジェームズ一世が、ゆっくりと目を開く


「実に耳の痛い話だ…少年よ、だが朕にはもはや力無く、退路も無く、忠勇の臣に暇を与える事もできぬのだ」
「まだ手はあります!ぜひとも、わが友!竜の王、ジャガナートの背に乗り、その巣穴へと避難なさって下さい!
 何人たりとも許可無く、その巣に立ち入ることは許されません、家具も無く、日の光も当たらぬあなぐらですが、潜むには最適です!」


そして、好機と見たルイズがその後をフォローする

「陛下!私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、この者の主です、始祖に誓って申し上げますが
 この者の述べる言葉は真実です!」


その言葉が終わらぬうちに、突如として突風が吹き荒れ、ホールの窓を揺らす、窓がいくつか壊れ、風が中に吹き込み、燭台の火を揺らす
ついで、地震の無いはずのアルビオンの王城、ニューカッスルに激震が走った

ジャガナートがタイミングを見て、城の裏庭に強行着陸したのだ

机が倒れ、グラスが割れ、料理はひっくり返り、貴婦人達は悲鳴を上げる
ホールの端にあったシャンデリアが落下し、けたたましい音を立てて砕け散った

そして、扉を蹴破るようにして、見張りの兵士が部屋に文字通り転がり込んでくる


「こここここっこここっこここここここここおっこおまおまおま!」
「落ち着かんか!馬鹿者!」


ウェールズがその兵士を叱咤するも、兵士はがくがくと震え、まるで言葉が口から出てこない
見かねたウェールズがワインの並々と入ったグラスを手渡すと、兵士はそれを一気に飲み干し、しゃっくりを一つする


「申し上げます!裏庭に!裏庭に!みみみ見たことも無いような大きさの韻竜が!」

それを聞いた才人は、心の中で喝采を上げる

(ドンピシャだぜ!ナイスタイミングだジャガナート!)

鬱々と沈んでいたルイズの顔色は、今や花でも咲かんばかりになっている、対して、ワルドの顔には焦りの色が浮かんでいた


辺りは騒然とし、もはや収拾がつかぬほどになった


ジェームズ一世が咳をしながら貴族達に呼びかける

「静まれ!皆のもの!静まらんか!パリー!パリーは居らぬか?」

すると、侍従長の老貴族が現れ、王の前に跪く


「御前におります!陛下」
「裏庭に行き、事の真偽を確かめてこい」
「かしこまりました!」


勢い良く出て行ったパリーは、しばらくして、腰を抜かし、部下に担がれて帰ってきた

パリーはぜいぜいと肩で息をし、言葉がなかなか出てこない


「どうした、報告せぬか」
「すべて、真にございます!恐ろしい!恐ろしい六つの目を爛々と光らせた竜が、穏やかな声で話しかけて来ました!
 六つの翼を持ち、その大きさたるや、イーグル号をも上回っております!」


またもや一同にどよめきが走る、そして、水を一杯飲み干したパリーが言葉を続ける

「明日、イーグル号の出港を見届けた後、ここを立つと、それまでの間、闘いたければ好きに闘うが良いと
 そのように申しております」


ジェームズ一世はその言葉に深く頷き、拳を握り締め、号令を下す

「おのおの方!聞いたとおりだ!始祖は我らを見捨てなかった!
 草を食らい、泥をすすろうとも!必ずや生き延びて、必ずや!逆徒共に鉄槌を下そうぞ!!」

その言葉に、貴族達全員が口々に気勢を上げる、中には号泣し言葉になっていないものもいた


「アルビオン万歳!!」
「ジェームズ一世陛下!万歳!!」
「始祖に栄光あれ!!」
「うおおおおおおおおーーーっ!!」
「急げ!イーグル号にありったけの風石を積み込め!財宝を、物資を全て積み込め!レコン・キスタの連中には紅茶一杯たりとも残すな!
 場所が無いなら大砲など外せ!どうせ避難船だ!」


空軍大将であるウェールズが大声で指示を飛ばし、貴族達があわただしく動き始める
と、その近くにワルドが近寄り、一礼する

「ワルド子爵、心配せずともよい、式は予定通り執り行う」

その言葉を聞き、再度ワルドは優雅に一礼する
その口元は、三日月のように歪んでいた


才人は、夜の間に、ジャガナートの所へ来ていた


「よう、親友!」
「全ては手筈通りか?」
「ああ、たぶん大丈夫だ」


しばらくの間、親友同士は話し込む、その目に決意の光を秘めて


■■■


イーグル号への積み込みは夜を徹して行われ、貴族達は疲れきっていたが、新たに沸いて出た希望に
その目は輝いていた

翌朝、朝早く起きた才人は、用意された儀仗兵の鎧兜を着込み、マントの下に双剣を帯びる
そして、盆に紫の布を敷き、その上に祈祷書を乗せたものを持ち、ウェールズに付き従っていた

そして、二人は礼拝堂に付き、ウェールズは始祖の像の前に立ち、才人はその横に控える
ウェールズは皇太子の礼装に身を包んでいた

しばらくの後、礼拝堂の扉が開き、ワルドとルイズが現れる
ルイズはしぶしぶといった様子でワルドに付き従っているものの、その顔は不満そうだ

その顔には"なぜこんな大変な時に"と書いてあるかのようであった

「では、式を始める」

その声に応え、才人が進みでて跪き、祈祷書の乗った盆を恭しく差し出す
ウェールズがそれを受け取ると、才人は元の場所に下がり、儀式用の杖を掲げて直立不動の姿勢を取った

「手の空いている者が一人しかいなくてね」

ウェールズが微笑みを浮かべる

そして、真剣な表情に戻ったウェールズは、祈祷書を開き、朗々たる声で詔を読み上げた

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド、汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして妻とする ことを誓うか」

ワルドは重々しく頷き、杖を握った左手を胸の前に置き、口を開く

「誓います」

ウェールズはニコリと笑い、次にルイズのほうを向き、再度詔を読み上げる

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、汝は始祖ブリミルの名において このものを敬い、愛し、そして夫とすることを誓うか」

だが、ルイズはうつむき、唇をきゅっと結び、下を向いている


「新婦……?」
「どうしたね?ルイズ、気分でも悪いのかい?」
「違うの、ごめんなさい……ワルド、わたし、あなたとは結婚できない。わたし、あなたと釣り合うメイジじゃない」


その言葉に、ウェールズは首をかしげる


「新婦は、この結婚を望まぬのか?」
「そのとおりでございます。お二方には、大変失礼をいたすことになりますが、わたくしはこの結婚を望みません」


ウェールズは残念そうに、ワルドに告げる

「子爵、誠にお気の毒だが、花嫁が望まぬ式をこれ以上続けるわけにはいかぬ」

しかし、ワルドはウェールズに見向きもせず、ルイズの手を取り、語りかける


「…緊張してるんだ、そうだろルイズ、きみが僕との結婚を拒むわけがない」
「ごめんなさい、ワルド、わたし、あなたに憧れていた、恋してたかもしれない、けどこの旅でさらに実感したの
 私は貴方のような立派なメイジには釣り合わない、いつもサイトと貴方に護られっぱなしのゼロのルイズよ」


その言葉に、ますますワルドの剣幕は激しくなり、今度はルイズに掴みかかる勢いだ

「ルイズ!いつか僕が言ったことを忘れたか!きみは始祖ブリミルに劣らぬ、優秀なメイジに成長するだろう!きみは気付いていないだけだ!その才能に!」
「痛い!離して!ワルド」

そして、その時ワルドはようやく気付く、自分の喉元に突きつけられた漆黒の曲刀に
そして、その刀身からは、黒い霧のようなオーラが立ち上っていた

そこには先ほどの儀仗兵が立っていた
そして、その兵士は剣を構えながら、静かに話す

「そこまで聞きゃ、もう十分だよな?」

そして、左手でゆっくりと兜を掴み、外す
ガランガランと金属製の兜が地面を転がる音が響き、中の人間の顔があらわになる

「サイト!!」

礼拝堂のステンドグラスから朝日が差し込み、その人物の精悍な顔を照らし出す
白銀の鎧に身を包み、マントを身に付け、後光を背負い、右手に握るは漆黒の曲刀、その姿は、何かの物語に登場する英雄のような
そんな錯覚すら覚える

飛び退って逃げようとしたワルドの左肩を、ジャハンナムの切っ先が掠める

「ぐうあっ!!!」

ほんの少しのかすり傷であるが、左肩を押さえたワルドが膝を付く
押さえた手指の隙間から煙が一筋立ち上る、苦痛に顔をゆがめ、脂汗を浮かべたワルドが才人を下から睨みつける
そんなワルドに、才人が言葉をかける

「そこから先は、俺が代わりに話すよ、ジャンさん」

才人は指を三つ立て、ゆっくりと折りたたむ

「あんたには三つの目的…いや、任務があった」

人差し指を立て

「一つ、ルイズを手に入れること」

中指を立て

「二つ、ウェールズ殿下から回収したアンリエッタ姫殿下の手紙を手に入れること」

薬指を立て

「三つ、ウェールズ殿下を暗殺すること」

そしてその三本指を前に差し出し

「そうだろ?アルビオン貴族派のスパイ、レコン・キスタのワルド子爵閣下?」

それを聞いたウェールズが声を上げる

「なんだと!真か?」

そして、それに応えるかのように、乾いた笑い声が響く


「くく、くくく、はは、貴様!ガンダールヴ!そこまで知っていて、なぜ?
 そうか…そうだったのか!俺は!泳がされていたというのか!くく、くはははは
 たかだか17のガキと侮っていた俺が、くく、まるで道化ではないか!」
「そうとも、涙ぐましい努力だったぜ、全部無駄に終わるがな」


そして、才人はデルフリンガーを左手で抜き放つ
デルフリンガーは、早速抗議を始めた


「ひっでえ相棒!俺を最初に抜いてくれよお」
「デルフ、サビサビのお前じゃ格好つかねえだろ」
「ひっでぇ、でも許す、相棒だからな」

そして、才人は背後のウェールズ殿下とルイズに声を掛ける


「ウェールズ殿下、お願いがございます、ルイズを連れて、ジャガナートの元へお逃げください」
「分かった!武運を!」


だが、ルイズは従わなかった


「いやよ!私も闘うわ!」
「ルイズ……、頼むよ」
「いやよ!才人、あなたを戦わせて私だけ尻尾を巻いて逃げるなんて、そんなのこと、できるわけないじゃない!」


才人はため息をついたが、ルイズの言葉を聞くと、ルイズを背後に守っていると力が倍化することも知っていた
ウェールズは、立場をわきまえ、すぐに撤退したものの、ルイズは杖を抜き、ワルドを睨みつける

そんなルイズに、ワルドが再度声を掛ける


「おいで、ルイズ、僕と一緒に世界を手に入れよう」
「死んでもいやよ、わたし、世界なんていらない!」
「交渉決裂だ、子爵様」


その言葉に、ワルドの顔が悪鬼のように歪む、対する才人は無表情、だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった


「11年間だ……」
「何?」
「11年間、待ち続けた…、…今までの借りを、ここで兆倍にして返してやらぁ!!!」


才人が咆哮し、ワルドの鋭敏なセンサーが、周りの空気の変わったことを感じ取る
背中に冷や汗が伝い、肌がぴりぴりとしびれるような錯覚を覚える
才人は己の体内で、漆黒の狼が、鋼鉄の鎖を砂糖菓子のように噛みちぎるのを確かに感じた。

「この殺気…、なるほど、あの時の視線は貴様だったか!ガンダールヴ!
 童貞をようやく捨てたぐらいで調子に乗るなよ!!」

ワルドが顔に狂的な笑みを貼り付け、人差し指を立てる

「さて、調子に乗るのもここまでだ、ガンダールヴ、『閃光』の本気を見せてやろう」

そして、ワルドは精神を集中し、ルーンを紡ぐ

「ユビキタス・デル・ハガラーーーーーーーーーーーーッ!!」

その言葉にデルフが茶々を入れる

「ふがはははは、子爵さんよ、俺様が呪文を教えたらぁ、ユビキタス・デル・ウィンデ、と、ラグーズ ウォータル イス イーサ ハガラースだぜ、混ぜたら発動しやしねえよ!!」

咳き込むワルドに向けて才人がさらに言葉をかける

「ゲルマニア産の香辛料の味はどうよ?」

見れば、ジャハンナムを地面に突き刺した才人が、右手に持った小さな袋をもてあそんでいる、ルイズと一緒に屋台で買ったあれだ
ワルドがせっかく搾り出した魔力は、先ほどのスペルミスで露と消える

幼さの残る澄んだ声が教会の壁に反響し、響く

「イン・エクス・ベット・フレイム!ファイアボール!」

だが、火の玉は飛ばず、代わりに才人とワルドの間の空間が大爆発を起こし、ステンドグラスが木っ端みじんに吹っ飛ぶ
その余りのパワーに、二人とももんどりうってひっくり返る

二人が同時に起き上がり、爆風を突き抜ける形で伸びてきたデルフリンガーの一撃を、エア・ニードルを纏わせた杖で迎撃するワルド

「ふん、性懲りも無く、突進しか脳の無い猪武者が!」

だが、才人の剣は思わぬ方向から伸び、ワルドはそれを必死で迎撃する

デルフの一撃は余裕を持って受け止めるものの、ジャハンナムの一撃は、回避しようとする
人間は本能的に痛みを避ける、それはいかに訓練をした人間でも同じであった

だが、回避するには余計な動きが必要になる、ついに、切っ先を回避しきれずに、むこうずねにかすり傷を作る

「ぐあああっ!」

訓練された軍人が思わず叫び声を上げるとは、一体どれ程の苦痛なのだろう
だが、ワルドは苦痛をこらえ、ウィンド・ブレイクを詠唱する

才人はインパクトの瞬間、両手と剣を交差させて受け止めるも、パワーを殺しきれず、吹っ飛ばされる

さらに、起き上がり際に、エア・ハンマーが才人を打ち据える

瓦礫を押しのけて立ち上がった才人の額から、一筋の血が流れた
歯を食いしばり、揺れる視界を納めようと呻吟するも、すぐには立て直せない

「そうだ、思い出した!俺もこんな格好しとる場合じゃねぇ!」

そのとき、デルフリンガーが光り輝き、今まさに研ぎ上げられたかのような、鋭い光を放つ剣に姿を変える


「遅ぇよ、相棒!」
「すまねぇ、完全に忘れてた!」
「おかえり、デルフ」
「ああ、ただいま相棒」


二人(?)が会話している隙にワルドはあろう事かルイズに向かってエア・ハンマーをぶっ放す
だが、空を切り裂いて現れた才人がデルフリンガーをかざすと、ワルドのエア・ハンマーは吸い込まれ、消えうせた

「バカな!?」

ワルドがルイズを狙ったのを見て、才人の胸の中に青い焔が灯る


「てめぇ……やっぱりてめえの心は理解できねぇ、ルイズはお前の婚約者だろうが!」
「ふん、言う事を聞かぬ小鳥は、首をひねるしかないだろう?」
「そうかよ……目的のためには手段を選ばないってか?」
「その通り、サイト君、君とは気が合うね?もうすぐお別れなのが残念だが」
「ああ……俺もそのつもりだ」


才人が右手に握ったジャハンナムを、背の刃で撫で斬る方向に持ち替える
ガンダールヴのルーンは今までに無く煌々と光り輝き、ジャハンナムはそれに呼応するようにどす黒いオーラを纏う

瞬間、二人の姿が礼拝堂から掻き消えた

しかし、時々金属の打ち合う音が響き、柱や床、椅子が木っ端微塵に吹き飛ぶ

『閃光』と『伝説』の手加減抜きの一騎打ちであった


才人の目が赤く輝き、薄闇と月光の中に赤い軌跡を描き、その体は野生の狼のように疾駆する
才人の視界はモノクロームになり、昼間のように全てが見通され、閃光は鈍重な牛のようにスローモーションに見えていた。
そして、いかに激しく動こうとも、その身体には活力が漲り溢れ、息が切れる事すらない。


そのため、当初、互角に思えたその戦いも、徐々にワルドが押され始める
ワルドの口を突いて呪詛の言葉が流れる

「これでもまだ疲れを見せないだと……化け物め!!」

ワルドの唇は紫色に変わり、チアノーゼの様相を呈している、酸素不足である
だが、才人が再度構えを取り、その姿が掻き消えると、同じようにワルドも掻き消える

それを何度か繰り返した後、ついにワルドの杖が、主より先に限界を超えた
キィンと澄んだ音を立て、高級な剣杖の切っ先が転がり、青く輝いていた魔力が霧散する


そして、神速で突き出されたジャハンナムの切っ先が、ワルドの右肩を貫く
ワルドの肩から一際盛大に煙が上がり、悲痛な叫びが響き渡った

「ぐぎゃああああああっ!!」

今までに味わったことの無いような激痛が走り、ついに『閃光』はその動きを止める
才人はデルフをワルドの眼前に突きつけ、悠々と告げる

「勝負ありだな」

ワルドは、失いそうな意識を無理やりつなぎ止め、下から才人を睨みつける

「……殺せ!」

だが、才人はそれに応えず、双剣を鞘に収める


「…何のつもりだ?俺を生かしておけば、何度でも貴様らの命を狙うぞ?」
「ジャガナートからてめぇに伝言がある」
「なに!」
「『レコン・キスタに踊らされている、哀れで愚かなピエロよ、聖地の真実を知りたくば、我が元へ来い、だが、このまま我に楯突くならば、虫ケラの如く踏み潰してやろう』だそうだ」


それを聞いたワルドは、ギリと奥歯をかみ締める、だが、それも長くは続かず、意識を失った身体はそのまま前のめりに倒れた


■■■


余談


その日、レコン・キスタの軍勢は、三千名という少なくない大損害を被った
対する王軍の被害はゼロ、反乱軍が城内に突入した時には、すでにニューカッスルはもぬけの殻になっていた

文字通り金貨一枚、絵画一枚残されていなかったのである

事の経緯はこうである、連絡員として残っていたワルドの偏在が掻き消え、異変を感じた反乱軍が突撃を開始する
密集隊形で押し迫る反乱軍に、王軍からの猛烈な砲撃と魔法による攻撃が行われた
精神力や弾薬の残量などまるで考慮に入れていないかのような、猛烈な攻撃であった
しかし、数で勝る反乱軍は、そのまま進軍し、城門を破城槌で攻撃する
すると、それを合図にでもしていたかのように、王軍からの攻撃が途絶えた

堅牢なニューカッスルの城門も、ついにはその道を反乱軍に明け渡す、しかし、城内には人っ子一人居らず
金貨一枚たりとも残されては居なかった

裏庭に回ると、そこは散々に踏み砕かれ、ジェームズ一世の銅像がパンケーキのようになっていた
反乱軍の首脳陣は、しきりに首をかしげ、また与えられた被害の余りの大きさに頭を抱える事となった

そして、スパイとして送り込んでおいたワルド子爵は、礼拝堂で倒れていたところを発見された
任務は全て失敗に終わり、王党派の行方はまるきり分かっていなかった

そして、現在、ワルド子爵はというと





トイレに篭っていた





貴族用のトイレが遠かったため、野営地の仮設トイレを使ったのだが、これが運のつきであった
朝からずっとトイレを占領しているワルドを珍しく思ったのか、傭兵の幾人かが集まり、ワルドのトイレがいつ終わるかで賭けを始めていた

今も、トイレからは異臭が漂い、完全無欠の下痢サウンドがサラウンドで流されていた
それを聞いた傭兵達は声を殺して笑い、ひそひそ話しを行う


「…おい、例の旦那、まだ篭ってんのかよ」
「…ああ、さっき出てきたがな、3秒と立たない間にもどっちまったぜ」


その会話が終わるか終わらないかの内に、扉が開き、憔悴しきったワルドが顔を見せる
しかし、よろよろと歩き出した3秒後には、うほ~と奇声を上げて尻を押さえ、トイレに戻る

そして、ぶびっ、びちょるるるる、といった様な、聞くだけで臭ってきそうなサウンドが響き渡る

流石に耐えられなくなったのか、一人の傭兵が口を押さえて陣の外れまで走り、腹を抱えて笑い転げる
他の連中は、顔を真っ赤に染め、青筋を立て、その場で口を押さえひくひくと痙攣する

なぜこんな事になったのか、原因はジャハンナムの毒にあった

哀れな犠牲者の自由神経終末、およびルフィニ小体とクラウゼ小体を散々に狂わせ、熱感、冷感を逆転させ、散々な激痛を味わわせた毒素は
体内を駆け巡り、自律神経をも狂わせる
犠牲者の腸は蠕動をはじめ、糞便を出来るだけ早く排泄しようとする
そして、それは、毒素が完全に代謝されるまで続くのである

その日一日、ワルドはトイレで生活する事を強いられた


レコン・キスタ陣地では、ワルドを捜し歩くクロムウェルの姿がたびたび目撃されたという



[37866] 第8話:それぞれの脱出
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:b9dddeb4
Date: 2013/08/25 23:07
二つのガンダールヴ 一人は隷属を望み 一人は自由を願った

第8話:それぞれの脱出


所はアルビオン、ニューカッスル城内に設けられた礼拝堂、ステンドグラスを通した柔らかな日差しが差し込み
空気中の微粒子がキラキラと輝く

遠く、遠雷のように大砲の音や、軍勢の鬨の声が響く
今までここで、死闘が行われていたとは到底思えないほど静かな空間

「ルイズ、大丈夫だったか?」

鉄鋲が打たれた軍靴で石の床を踏みしめる、カチャリカチャリという規則正しい音を立て、才人がルイズに近寄っていく
縁が金で彩られた白銀の鎧に身を包み、こちらに手を差し伸べている

対するルイズは、花嫁の純白のマント、頭には消して枯れぬ永遠の花をあしらった王家のティアラ
ルイズは、まるで自分がとらわれの姫君に、そしてそれを助けるための勇者が、目の前に現れたかのような錯覚を覚えた

そして、安心の余り気を失った

「うわっとと…」

才人は慌てて駆け寄り、その身体をしっかりと抱きとめた

腕の中で気を失っているルイズもまた、格段に美しかった。ピンクブロンドの髪の毛がサラサラと流れる
この腕の中の存在は、日の光に当てれば溶けて消え去ってしまうのではないだろうか
そんな思いさえ頭をよぎるほど、ルイズの姿は可憐だった
純白のマントと、枯れぬ花をあしらった王家のティアラがそれを引き立てていた


"前回"と違い、激しい戦いの中にあっても、ルイズは傷一つ負わなかった
才人が間断なくワルドを攻め続けたため、ワルドは才人の相手をするだけで精一杯だったのだ


「ルイズ…」


才人がルイズの顔にかかった前髪をやさしく横にはらう
だが、才人はふと背中にむず痒いような感触を感じ、思わずその方向を見た


「のわあっ!!」
「……さっさと乗らんか……このたわけが……」


3つの巨大な眼と、そして好奇心で輝くいくつもの小さな眼が二人を見つめていた


いつまで待っても現れない才人に、ジャガナートが業を煮やし、その長い首を伸ばして来ていたのである
割れた窓の隙間から好奇心に輝く目が多数光っている、ウェールズの顔にはニヤニヤ笑いすら浮かんでいた


「いつから見てたんだよ…」


ジャガナートが答える


「さて、何の事か、我は何も見ておらぬ、のうジェームズ殿」
「うむ、ワシもなにも見ておらぬ、なかなかすばらしい見物であったな、勇者が悪を倒し姫を助ける、まるで歌劇の一場面のようであったわ」


それを聞いて才人が不機嫌顔に変わる

「全部見てんじゃねぇか……」

辺りに笑声が響いた

「さて、さっさと乗れ、貴様らが最後だ」


ジャガナートに促され、才人がルイズを抱えたままジャガナートの背に乗ろうとするも、高すぎて届かない
すると、二人の体がふわりと浮き、ウェールズの近くに下ろされた

視線で問いかける才人にウェールズはウィンク一つ、熱いシーンを見せてもらったお礼さ、と気さくに答えた
そして、ゆっくりと崖に向かって歩くジャガナートに、ジェームズ一世が上から声をかける


「のう、ジャガナート殿…」
「なんだ」
「一度…城を飛び去る前に、一度だけ城の上空を回ってくれんか?」
「だめだ、我らのこの姿を見られる訳にはゆかぬ、その苦き思いも胸に秘め、決意の足しにするがよい」


この事件より、アルビオン王ジェームズ一世は、自らを朕と呼ばなくなった。
そんなジェームズ一世を上目に見ながらジャガナートは考える

このような事態をガリアが見逃すはずが無い…

ニューカッスルの城はアルビオン大陸突端に存在している、離陸するにしてもなにも助走する必要はない
めいっぱい翼を広げて下に飛び降りればよいのである


「ゆくぞ、振り落とされぬようしっかりと綱を掴んでおけ」

ジャガナートがその巨大すぎる6枚の翼を少しだけ展開する、背に一列に並んだ、まるで枝の無い大木のような棘に綱が結ばれ
そこに多数の人間がぶら下がっている、そして、王族たち高位の貴族がジャガナートの頭部に乗っていた

刹那、全ての体重が重力から開放され、ふわりと浮かぶような不気味な感触が全員を襲う
しかし、ここは風のアルビオン、精強の竜騎士隊と、最強の空軍の国である
空を飛ぶことを恐れる人間は一人も居なかった、男たちは歓声すら上げている


しばらく滑空し、十分速度が乗ったのを確認したジャガナートは翼を最大に展開する、同時に襲い掛かるGに、乗員は踏ん張って耐える
その巨大な6枚の翼が空気をがっちりと掴み、ジャガナートに自由を約束する
威風堂々たる空の覇者の轟臨である

そのままジャガナートは海面に向かってゆっくり降下し、海面すれすれの高度200メイルを飛行し始める
そして、ガラスの鈴が鳴るような音が響き、その速度は風竜の倍、時速400リーグを叩き出す


「全く、大したものだ、このような巨竜が友とはね…しかもこれほどの速度で飛行しているにもかかわらず、空気が全く動かないとは、いやはや…」

ウェールズが、感心しきりといった様子で才人に話しかける

「サイト君、眠り姫はまだお目覚めにならないのかな?きっと君のキスで目を覚ますよ」

ウェールズが少し気障なしぐさで自分の唇をなぞる
下手な男連中がやると気持ちが悪くなるようなジェスチャーであったが
なかなかどうして"本物"がやると様になるものである

「お戯れを、殿下、そのような事をしようものなら目を覚ましたルイズにボコボコにされてしまいますよ」

唇を尖らせて抗議するサイトの顔を見て、ウェールズははははと楽しそうに笑う
だが、それも長くは続かず、すぐに沈痛な表情がウェールズを支配する

すると、重厚な低音が響き、珍妙な言葉を並べたてる

「本日は、トリステイン魔竜の森、穴倉行き、1680便にご搭乗いただき、誠にありがとうございます
 なお、当機はトリスタニア上空をフライパスし、そのまま目的地へと向かいます
 到着予定時刻は、午後7時を予定しております。現地の天気は快晴……」

とつぜんべらべらとしゃべくり始めたジャガナートに驚き、ウェールズの目が点になる


「一体彼は、何を言っているのかね?」
「さあ…、殿下が沈んだお顔色でいらっしゃるので、気を紛らわそうとしたのではないでしょうか?」
「才人の言うとおりだ、ウェールズよ、必ずやレコン・キスタは滅び、アルビオンの血筋は守られる、今はただ伏し、心と体を休め、戦いに備える時だ」
「…ああ、そうだね、全てはこれからだ」
「なお、現在はキャンペーン期間中につき、当機の進路を妨害した輩には、"始祖の御許への片道切符"もしくは
 "地面とキス(回数券)"をお配りさせていただいております、合わせてご利用ご検討のほど、お願い申し上げます」


ウェールズと才人が、さもうんざりといった表情で応えた


「うわぁ、受け取りたくねぇ」
「全く持って同感だ」


才人と談笑するウェールズの顔から、少しだけ陰りが消えている、その様子をジャガナートは6つの目の内1つを動かして観察していた。


ジャガナート謹製のプレゼントは、上空を警戒していたマンティコア隊が、受け取るハメになった
報告を受けたアンリエッタは、"巨大な何かにぶつかった"という内容に、しきりに首を傾げていたが
その後に飛び込んできたニューカッスル陥落と、王党派全滅の悲報に、全ては吹き飛んだ


■■■


一方そのころギーシュたちは、地中で立ち往生していた
今まで超スピードで地面を掘り続けていたジャイアントモールのヴェルダンデが、突然ピタリと止まってしまったからだ

しきりに鼻をひくひくさせ、何かの香りを捜している様子であるが、未だに見つかった様子はない
そして、ギーシュはその事を、使い魔との意思疎通で知ることになる

「まいったね、どうやらヴェルダンデが目標を見失ったらしい」


キュルケが杖の先に小さな魔法の火を作り、灯り代わりにする


「ねえ、そのモグラの鼻は確かなのかしら?」
「失敬な、ヴェルダンデの鼻は確かだよ」


せっかくの綺麗な顔が台無しになっているキュルケは不満顔、タバサは相変わらずの無表情だ
ギーシュはヴェルダンデに頬ずりしながら、会話をしている


「ふむ、ふむ、今まで嗅いだなかで最高の宝石の香りを追っていたが、香りが途切れてしまったようだ」
「…というと?」


ひょいと顔を上げたギーシュの顔に、べったりと泥がついている


「ああ、君たちは知らないだろうが、ルイズが姫殿下から預かった指輪をはめていたからね、おそらくあれの事だろう」
「ならすでにルイズは脱出したわけね?な~んだ、つまんないの。でも、どうやって?」


タバサがポツリと答える


「恐らく古代竜…」
「僕がサイトであったら、間違いなく竜を呼び寄せるだろうね、ならば僕らも長居は無用だ
 ヴェルダンデ、下に向かって掘ってくれないか、そこからタバサのシルフィードで脱出しよう」

もぐもぐぐもぐも、とくぐもった声が響き
全員が一斉にうなずいた


■■■


某国 某所

蒼を基調とした、高価な石材が敷き詰められた廊下が続く
一つ一つが正確に真四角に切断され、縁取りに光沢のある貝殻がはめ込まれている石材である

通路の端には、10メイル置きに調度品を展示する台が設置され
見事な絵の描かれた大きな壷や香炉が並べられている。
そして、それらは周りをガラス製のケースに囲まれており、手が直接触れられぬように配慮されていた
蒼い髪の毛の偉丈夫の肖像画が並び、その下をたくさんの重装兵や、正装した下僕たちが行き来している

その内の一室、そこは荘厳な雰囲気の通路と打って変わって、室内は雑然とし、遊戯のための玩具がところ狭しと並べられていた
一人の男がチェス盤の前に座り、グラスを左手で弄びながらチェスに興じている
室内には、コトリコトリコトリと、規則正しい音が鳴り止まなかった

もしも誰かが、この男を観察していたのであれば、おそらく眉をひそめ、首をかしげていただろう
男が自分の側の駒を手に取り、コトリと子気味の良い音を立てて盤に置く

そしてすかさず反対側の駒を手に取り、また盤に置く
恐るべきはそのスピードである、その手は決して止まる事が無かった

そして、ブツブツと独り言のような言葉を呟き、時々グラスをあおる
しかし、その左手は淀みなく流れ、盤上では刻一刻と戦況が変わり、一進一退の攻防を繰り広げる


『そうか、ついにアレが動き出したか』
『そうだ、見えているとも、すばらしい体躯の竜だな』

片目を瞑った男の目に尋常ではない光景が広がっている
戦列艦サイズの竜が、その背に大量の人間を乗せ、今まさに崖から離陸しようとしていた


『うむ、始祖の秘宝を得られないのは痛いが、なに、集まってから全ていただけば良い』
『愛しのミューズ、今の手駒ではアレはいかんともし難い、可能な限り追跡し、行き先を突き止めよ』


カッと鋭い音が室内に木霊する
男が左手に持った駒を、自陣のキングの前に置いたのだ


男は流れるような動作で立ち上がり、手を叩いた
すると、どこからともなく執事が現れ、男の前に跪く

男が二言三言執事に告げると、執事は下がり、代わりに数人の屈強な男たちが現れる
男たちは3メイルはあろうかという巨大な彫刻を部屋に運び込み始めた

その彫刻は黒曜石で作られ、ルビーで作られた目が、6つはめ込まれていた
6つの巨大な翼が伸び、大きく開かれた口にはズラリと牙が並ぶ

「そこに降ろせ」

男は、先ほどまで自分がチェスに興じていた机の反対側に、その巨大な彫刻像を配置させた
彫刻像は、チェステーブルの反対側においてあった椅子をべしゃりと踏み潰し、そこに居座る
男は下僕たちを早々に追い払い、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のような目で彫刻像を見上げ
自分の側にだけチェスの駒を並べ始める

「さあ…、滾ってきたぞ!」

そこに、音もなく一人の男が現れる
若草色の服を纏い、帽子を目深にかぶっているため、どのような人物なのか全く分からない
その男が帽子を指で少し上げ、訝しげな表情で問いかける


「なんだ?これは」
「ビダーシャル卿か、見て分からんか?余の新たな遊び相手だ」
「ふむ、エルフの地に伝わる伝承に間違いが無ければ、こいつは"滅びの君"だ
 またの名を"荒野の王"、決して出会ってはならない相手だ」
「エルフともあろうものが、それほど恐れるとはな、ますます興味深い」
「我々とて万能ではない、自然災害は恐れる」


なおも顎に手をやり、彫刻像を見上げるエルフを奇妙に思った男が再度声をかける


「どうした?欲しくなったのか?」
「いや…、鱗の色が金色でないのが妙だと思ってな、伝承と違うようだ」
「カビ臭い伝承などに興味は無い、エルフの地にはこれを倒しうる武器は無いのか?」


その言葉を聴いた男が、いつもの無表情を不快そうに歪め、問いかける


「貴様正気か?…いや、それを問うのも愚かであったな、はっきり言おう"無い"とな
 貴様はエルルの月からティシュリの月の間に襲ってくる大風にどのように対処する?
 まさか大風を消し去るなどとは言うまい?それと同じことだ」
「なら、余が世界で初めてその偉業を成し遂げると言うわけだ」
「…一言忠告しておく、ロバ・アル・カリイエのさらに東に、栄華を誇った帝国があった。
 今そこにあるのはなんだ?…ただの焼き尽くされた瓦礫の山だ
 そもそも意思疎通のできる相手ではない、ただ喰らい、無慈悲に殺し、轢き潰し、焼き尽くす。ゆえに滅びの君と呼ばれた
 かの帝国の滅んだ理由は何か?ただ滅びの君の進路にその国が存在した、ただそれだけの理由だ。
 我々は手を引かせてもらう、貴様の巻き添えを食らってネフテスそのものが灰にされた、では話にならん
 シャイターンやヴァリヤーグどころの騒ぎではないからな」


帽子の男はすたすたと部屋から出て行こうとする、それを面白そうに眺めながら男は声をかける


「エルフともあろうものが、契約を破るのか?」

振り向きもせず男は告げる

「契約とは、生きている者と交わすものだ、今まさに死のうとしている者と交わすものではない
 滅びの君と戦い、なおかつ勝者となったのなら、そのときに改めてここに現れよう」

その言葉を聞き、実に愉快そうな、しかしどこか狂的な笑い声が響く
帽子の男はよどみない動作で部屋を去っていくが、その背中に向けてぼそりと言葉が投げられる
その帽子がピクリと動いたのを男は見逃さなかった
男が去り、部屋の主が一人だけ残された一室に、楽しそうな笑い声が響く

「ふん、カビ臭い伝承など、いつまで当てになると思っているのか、世界は刻一刻と変化している。チェス盤のようにな」

そして、男は椅子から立ち上がり、背後にあった巨大な遊戯盤へと歩み寄っていく
戦略ゲームのように駒たちが並べられ、海、山、陸、さまざまな状況が再現されたミニチュアだ

「さあ、何人の兵を戦わせようか!何隻の戦艦で対峙すれば貴様を倒せる?
 ロマリアの新型砲はどうだ?さあ、さあ、まずは雑魚で小手調べといこうか!」


巨大な竜の彫像の前にひとつのビショップといくつかのポーンが置かれた


■■■


トリステイン魔法学院外れ 通称魔竜の森


辺りに轟々と突風が吹き荒れ、小規模の竜巻が木々を揺らす
小さな石ころが空に舞い上がり、砂埃が視界をさえぎる

そして、地面を激しい揺れが襲い、地割れの出来た地面から岩がめくれ上がる

魔竜の森の王がそのねぐらへと帰ってきた合図である
すでに日は落ち、辺りには闇の帳が下りていた

「ったく、もうちょっと静かに着陸できないもんかね」

スープの鍋を掻き混ぜているマチルダが家の中でぼやいた、ジャガナートの巣穴から離れた場所に家を建てて正解だったのである


そんな事など何処吹く風か、ズシン、ズシンと重量を感じさせる音が辺りに響き渡り、スケイルメイルを来た軍隊が一斉に行進するような音が混じる
ジャガナートの体から順次離脱していくアルビオン貴族たちは、まるで菓子の山に群がる蟻のように小さく見えた

「ここが我のねぐらだ、向こうにある小屋にこの穴倉の管理人が住んでいる。挨拶を忘れるな」

それだけ告げたジャガナートは、地面に寝そべり、魔力切れになった貴族たちが地面に下りやすいように配慮する
ちょうどそのころ、才人の腕の中では、ルイズが目を覚ましていた

「ここは?」

才人に抱きかかえられたまま、目を開けたルイズが一番に見たものは、亡国アルビオン王国の王、ジェームズ一世のドアップであった


「きゃっ」
「おお、すまんすまん、あんまり可愛い寝顔であったのでつい」


まるで孫を見る祖父のような優しい笑顔でジェームズ一世は応えた

「すでにここはトリステインですよ、眠り姫」

隣にはお約束のようにウェールズが居て、気障な台詞を吐く
その顔はニヤニヤと笑っていたが、気品の高い佇まいのせいでいやらしく見えないのが不思議だ
その顔をしばらく見、そして自分が才人に抱きかかえられているのにようやく気づく

「ちょっ、ちょっと、いつまで抱いてるの、よっ!」

ルイズは才人を突き飛ばし、バランスを崩した才人がしりもちをつく
それをみた近衛隊長が豪快に笑う

「スクウェアメイジを軽くあしらう、我らのアルビオン王国救国の英雄殿にも、勝てぬ相手がいたというわけだ!」

その言葉を皮切りに、爆笑が響き渡る
王が、王子が、将軍が、心から楽しそうに笑っていた
ルイズは顔を真っ赤にして不満顔だったが、相手が相手だけに、抗議も出来ずにただうつむいていた

それを勘違いしたのか、ジェームズ一世がさらに囃し立てる

「ささ、英雄殿、彼女に熱い接吻を、どうした、はようせぬか、何ならワシが代わってしんぜよう」

さすがに見かねたのか、頭上から重低音が響く


「はしゃぐのはそれぐらいにしておけ、さっさと挨拶に行って来い、するべき事は山積みなのだぞ
 それと、主らはここではいわば居候の身、管理人に逆らうことは我に逆らう事と同意義と心得よ」

「しゃべった!!」

場違いな声が上がる、ルイズはその鳶色の目を目いっぱい見開き、可愛らしい口はポカンと空いていた

「ああ、そうか、ルイズは知らなかったっけ、ジャガナートは喋れるんだよ」


懸命に説明する才人を尻目に、面白くなさそうに口を尖らせていた亡国の王であったが、すぐに真顔に戻り、将軍たちと王子を連れ、管理人の丸太小屋目指して歩き出した



ちょうどその頃、スープを味わっていたマチルダは、扉をノックする音に気付く

「はいはい、空いてるよ」

しかし、扉は一向に開かない、しかたなく扉を開き、その先で頭を下げている男たちを見、そのまま固まってしまった

「お初にお目にかかる、私はジェームズ、これは息子のウェールズ、こちらの土地の主にご挨拶に参った、以後お見知りおきを」

マチルダの胸中でさまざまな感情が夏季の激流のように渦巻く
言葉は口を突いて出てこず、今取るべき行動も思いつかない

楽しかった思い出、怒り、悲しみ、恨み、疑問、疑問、疑問

問い詰めたい、問いただしたいのに言葉が出てこない
あれほど悩み、考えていたはずの言葉が出てこない
怒鳴り散らしたい、ぐうの音も出ぬほどに論破してやりたい、……でも、言葉が出てこない

不審に思ったジェームズ達が顔を上げ、声を掛ける

「…卿?」

それを迎え撃ったのは、魂から搾り出したかのような、言葉にならない叫びだった

「~~~~~~~~~~~ッ!」

髪の毛を振り乱し、獣のように突進したマチルダは、魔法も使わず、その拳をジェームズに向かって突き出す
だが、その拳は届かず、とっさに立ちはだかったウェールズの左頬を捉えた

そしてそのままウェールズは、木偶の様にただ殴られ続ける
その様子を見て目の色を変えた貴族たちが杖を抜きかけるも、ジェームズ一世が手をかざして制止する


「控えておれ」
「王陛下!しかしっ!」
「しかし……何じゃ?」


そう言いながら、ジェームズ一世がゆっくりと振り返る
その目を見た貴族は、あわてて膝を付き、控える

「いえ!何でもございません、仰せのとおりに」


それを見届けたジェームズ一世は、ゆっくりと歩を進め、ウェールズの肩に手を掛けて、横にのかせた

「ご苦労であった、もうよいぞ、…誰か、水魔法の使えるものをこれへ」

その言葉を聞き、2~3名の将軍が前に進み出、ウェールズに治癒を掛け始める
それを見たジェームズ一世が厳しい言葉をかけた


「誰がせがれの顔を治療せよと言った!この方を癒してさしあげよ!」
「は?ははっ!仰せのとおりに」


命令を受けた将軍たちはしぶしぶマチルダの拳に治癒を掛け始める
ジェームズ一世の目の前で荒い息を吐き、目に涙を一杯にためたマチルダがおとなしく治癒を受けていた
人の顔など殴ったことのない女の拳で、腰をいれず、感情の赴くままに拳を振り回したため
ウェールズの顔よりも拳のダメージのほうが大きかったのである

治療が終わり、ジェームズ一世が再度マチルダに声を掛ける
にっこりと微笑み、まるでお茶にでも誘うかのような気さくな口調で語りかけた

「さあさ、次はこの爺の顔じゃ、思う存分殴るがよい」

いつも纏っている色香が消えうせ、まるで少女のようにしゃくりあげているマチルダに向かってゆっくりと歩み寄り
手を後ろに組んで立ち止まる。それを見たマチルダはしばしの逡巡の後、右の拳を思いっきり振りかぶった

「うわああああああああああああ」

ごつ と鈍い音がし、ジェームズ一世が1歩後ずさるも、決して倒れない
その口の端から赤い筋が引かれる

「こりゃ効くのぅ!!」

軽口を言った後、すぐに将軍たちに目配せをし、拳に治癒を掛けさせる
下手な向きだったのだろう、拳の骨が折れ、殴ったマチルダの方が地面にうずくまっていた

「さあ、再開じゃ、ワシにはこのような事しかできぬが、思う存分やるがよい
 それとも、こちらのほうが良いか?」

あろう事かジェームズ一世は、懐から王家の紋章の入った短刀を取り出し、柄をマチルダに向けて差し出す
貴族、王族にとって、魔法以外で殺されることは、この上ない不名誉であることは周知の事実だ
だが、どれほど待っても、拳も、刃も、再び振るわれることは無かった
そして、拳の代わりに、か細い、しかし重い疑問の言葉がかけられた


「なんで…」
「なんで…か、難しい問いじゃ、あの時、弟を見逃してしまえば、今度はアルビオンそのものが二つに割れていたであろう
 もしくは、国自体が異端認定されていたやもしれん。いま、後ろにいる者たちが、みな冷たい屍になっていたかも知れんのじゃ
 ワシに付き従っておる忠勇の臣たちの信頼を、裏切ることなどできようはずがない」
「なら…あたしの家族なら死んでも良かったってのかい!!」


その言葉に、ジェームズ一世の顔に深いしわが刻まれる


「ワシがどんな思いで……と、語った所で何も伝わることはないじゃろう、全ての人間を救えなかったのはワシの無能さよ
 ゆえに、せめてもの償いじゃ、こんな抜け殻ですまぬが、お主の気が済むようにするがよい」


すると、少し落ち着いて来たのか、マチルダの口を突いて言葉が怒涛のように発せられた


「勝手なんだよ、あんたらはね!!あんたらは責任を取って死んで、はいおしまい!
 あたしらはずっと苦労し続けて、泣き続けて生きていく!そんなのってないじゃないか!」


座り込んでいたマチルダが目元をぬぐって立ち上がり、言葉を続ける


「だから、あんたら王侯貴族にも刻み込んでやるよ!!生き続ける事の辛さをね!!
 覚悟おしよ!もうあんたらの国は無い!もはや王でも貴族でもない!ここでは!あたしが!法律だ!!」
「すまんな、こんな抜け殻にまた機会を与えてくれるとは、心より感謝する
 なにせ、ここでの王はマチルダ、そなたなのじゃからな、ワシらは殺されても文句は言えぬ、…いや、もう死んでおるのか」
「どちらにせよ、今までのような生活ができるなどと思わないことだね!」


そう吐き捨て、マチルダは家に引っ込んでしまった
そして、それを見届けていたジャガナートが頭上から声を掛ける


「ふむ…、それぞれに思うところがあるであろうが、今はこれからの事を考えねばならぬ
 300人分の食料、寝床、そして働き口だ、残念ながら我らの資金は限られている
 イーグル号に搭載されている資金を使わねば、何も出来ぬ」


それを聞いていたジェームズがあごひげに手をやり、ぼやく

「…しかし、ワシらが行って、ほいほい荷物を受け取ると言う訳にもいかんの」

すると、まだ少し顔が腫れたままのウェールズが口を開いた


「だったら変装して強奪すればいい」


■■■


そのころアルビオンの地下では

「あぁ、僕のヴェルダンデ、ここは一体どこなんだい?」

さすがのギーシュも疲れきった様子で、自分の使い魔をなでる

「……」

「……」

キュルケはもはや悟りの境地か、言葉すらない
タバサはもともと無口である

ぐもぐもと鳴いていたヴェルダンデが、さらに土を押しのけると、光がその穴から差し込んだ
それを見たキュルケは急に元気になり、泥にまみれた顔を輝かせてヴェルダンデに続いた

「…なによ…これ」


…………………コォ………………ォ………………オン


………………………………………リィ…………ィ……………ィ………………ィン


静寂の支配する空間に、光がまるで鼓動のように明滅し、時折澄んだ音が辺りに木霊する
眼前には、巨大な蒼い鉱石が壁のようにそそり立ち、ぼんやりと青い光を放っている
相当な高さがあるため、上部はかすんで見えない

「なに…これ」

キュルケのそばに歩み寄ったタバサが答える

「おそらく風石、アルビオンを浮かべている」

何万年もの間に、風石が少しづつ消費されてきた跡なのだろう、岸壁と風石との間に10メイル程度の溝が出来ており
3人と1匹は、そこに立ち、阿呆のように口を開け、眼前の青い壁をただただ見上げるばかりであった


■■■


トリステイン魔竜の森

辺りはにわかに慌しくなり、アルビオン空軍の精鋭たちが、ウェールズの指揮の下慌しく動き回っていた
全員服の手持ちが無かったため、変装することは適わなかったが、勲章や装飾品をはずし、顔に泥や墨を塗りたくったため
とてもこれが空軍士官たちとは思えぬほどのみすぼらしい部隊が出来上がっていた

「いそげ!装備は最低限で良い、服の間に紙を入れろ、ないよりはマシだ!」

事のあらましはこうである、イーグル号は反乱軍の哨戒艇を避けるため、大きくアルビオンを迂回し低高度でトリステインへ向かっている
その船を海上で捕捉し、ジャガナートから乗り移る、残りの風石を全て消費しイーグル号を海面すれすれから上昇させる
限界まで速度を落としたジャガナートが船の下に入り、イーグル号に乗り移ったチームが投下する物資を
ジャガナートの背中に残ったチームがレビテーションで受け取る
その後、舵を固定したイーグル号をトリステインの山肌へ激突させ、爆発炎上、事故を演出するというわけだ

「いそげ!明日の未明までにイーグル号を捕捉する、時間は極めて限られている!」

足元で怒声を上げながら準備を手伝っているウェールズを見ながら、ジャガナートは考えていた
先手を打たれたガリアの狂王が、次に何をしでかすだろうかと、例え彼我戦力差が圧倒的に開いていようとも
あのジョゼフならば、あの狂王ならば、嬉々として立ち向かってくるであろうと

思考の淵から浮上し、ふと目をやると、荷物のそばでルイズと才人が所存なさげに佇んでいる
マチルダは関係ないとばかりに家にさっさと引っ込んでいた


「ルイズ、才人、もう夜も更けた、其の方らは学園に戻れ、明日の朝一番に馬車で王宮へ赴き、顛末を報告する仕事もある」
「でも、どう報告したらいいのよ」
「うむ、ありのままを報告する訳にはいかぬな、主らはシルフィードに乗せてもらって脱出したとでも言っておけ
 裏切り者に関しては我に考えがある、ありのままを報告しておけ、せいぜい追及されて詰まらない様に、今から筋書きを考えよ」

才人はうなずき、それを見たジャガナートも器用にうなずいた


「では、行ってくる」
「ああ、気ィ付けてな!」


その言葉を背に、ウェールズたちアルビオン空軍の少数最精鋭のみを乗せ、ゆっくりと立ち上がるジャガナート
翼を開き、離陸の準備を開始する、だが、人間が居る場所からは距離をおく
それはなぜか、言わずもがなだが、そのまま離陸すると大惨事になるからだ

重低音の足音と振動を響かせ、離陸のため移動しながら頭上のウェールズに話しかける


「イーグル号が陸地に入ってしまえばもはやチャンスは無い、そこで速度を最優先する
 おのおのが風の盾を展開せよ、我は全ての精霊力を速度に回す、振り落とされないようにしっかり掴まっていろ!」
「了解!でも心配無用さ、そんなヤワな男たちはアルビオン空軍にはいないよ」
「頼もしいな、期待している!」


……………リィ…………………ィィ………………ィン…………


詠唱を始めたジャガナートが、その巨大な六枚の翼から、身体から蒼い光の粒子を放ちながら離陸を開始する
出し惜しみ無しの最大戦速である、離陸の際にも風の精霊力をフル活用する

鋼線をよじり合わせたような筋肉が脈動し、後ろ足が力強く地面を蹴り、推進力を倍加する
戦艦の装甲板のような厚みを持った胸筋がうねり、巨大な翼を交互に打ち振るう
ついにその荒々しい力が重力に打ち勝ち、400t近い巨体が空に浮かぶ

地上は大惨事である、巨大な爪によって大地は抉られ、巻き起こる突風と竜巻によって様々な物が宙を舞う
一方、上に乗っている連中も大変だった、ひどい揺れに辟易し、フライで平行して飛んでいる者もいたほどであった


ジャガナートは人目を避けるため、そのまま高度6リーグ付近まで上昇し、海岸線へと到達
そのままの高度を維持し、宵闇の中を6つの目を赤く輝かせて飛行する

最大戦速で飛行することしばし、視界に熱源を発見する

「…捉えた!上方より接近する、船影を確認せよ」

その言葉に答え、全員が目を皿のようにしてジャガナートの進路、やや左下を見つめる
空軍兵士たちは目もよく、夜目が効く、自分たちの乗っていた艦船の船影を見誤ることなど無かった

そしてついに、黒い巨大な影が、船の上空を通り過ぎる


「…あのマストの数、形、船体の色、間違いない!イーグル号だ!」
「うむ!陸地までは約50リーグはある、手はず通り行くぞ!」


アルビオンの兵士たちが拳を空に突上げてその声に応える、そもそも大声を張り上げなければ意思の疎通すら出来ない
ジャガナートは、背にのったウェールズ達に極端なGがかからないように配慮しながら、左に大きくロールし、ターンを行う
同時に翼の角度を調整することによって左に横滑りを起こし、高度を下げる、また角度の付け過ぎによるダッチロールにも注意する

そしてそのままイーグル号の上空で螺旋を描くような機動を行う、スピードを殺さずに高度を下げるためである
落下予測地点を考え、イーグル号の前に出たジャガナートは、ウェールズ達に合図する

「我が尾の先端に切り裂かれぬよう注意せよ!今だ、行けっ!!」

ウェールズを筆頭にアルビオン空軍の精鋭たちが、次々にジャガナートの背から離脱する

だが、ここで予想外の事態が発生する

イーグル号を躁艦している兵士たちが、ジャガナートの巨体と次々に降下してくる兵士たちを発見してしまい
イーグル号はジグザグ航路の回避運動を開始する
それを見たウェールズはフライの魔法を発動し、素早く甲板に降り立った。

「落ち着けっ!私だ、ウェールズだ!回避運動をやめさせろ!」

躁舵手がウェールズの声をよく覚えていたため、程なくして回避運動は止まったものの
着艦に手間取り、フライで進路修正するため予想以上の魔力を消耗させられることとなった
そして、甲板に降り立ったウェールズが矢継ぎ早に命令を下す

「詳しい説明は後だ、総員退艦用意!フライ、またはレビテーションの使える物は私の右へ、
 使えぬものは左へ移動しろ、もたもたするな!」

ウェールズは指示を飛ばしながら彼方へと目をこらす
予定よりも着艦に手間取ったため、水平線にかすかにトリステインが見え始めていた、タイムリミットが近い!

そして、イーグル号は残り少ない風石を振り絞るようにして緩やかに上昇を開始する
精霊力による推進をカットし、上空で旋回していたジャガナートはさらに降下を続け、イーグル号の下に回る
そして、翼面積を限界まで広くし、崩れやすくなったバランスを保とうと呻吟する

上甲板の兵士たちが、ジャガナートの背に居る兵士たちに向けて物資を次々投下し
下の人間はレビテーションを使って物資を受け取る

全ては順調に進んでいるように見えた
だが、運命の女神は、こんな楽しそうなイベントを見逃してはくれなかった

物資がをあらかた投下し終わり、人間の移動も終わりかけたその頃
風石に蓄えられていた魔力が限界をむかえ始めた

船は少しづつ高度を下げ、ついにはジャガナートの背に並ぶ棘と船底が接触を始めたのだ
さびた鉄板をすり合わせるような不快な音が辺りに響き、ジャガナートが一瞬バランスを崩しかける

「グオオオオオッッ!!」

辺りに巨竜の咆哮が轟く、ジャガナートは翼のみの浮力に頼る事をあきらめ
身体から、翼から蒼い粒子を放ち始める

「いかん!ジャガナート殿!加速しては」
「分かっておる!案ずるな!」

ジャガナートは風の精霊による推進力を下に向けて放射し、垂直離着陸機のような芸当をやってのけていた

「……長くは……持たぬぞっ!!」

それを見ていたアルビオン兵たち、それも風メイジの精鋭たちが風石のコントロール室へ飛び込み
ありったけの魔力を風石に叩き込む

船はガクンと大きく揺れ、姿勢が水平に戻るが高度を回復するには至らない
それまでの間に高度は下がり続け、ついにはジャガナートの尾が水面に接触するほどになった

再度怒りの咆哮が響き渡る、ジャガナートが長大な尾を振りたくり、魚のテールウォークの要領で水面をかき回し、浮力を稼ぐ
水面は吹き付けられる精霊力と、ジャガナートの尾で混ぜくり返され、真っ白な泡に覆われ、霧すら発生していた
ついには勇敢な一部の貴婦人までがコントロール室に入り込み、風石に魔力をぶつけ続ける


全員の叫びが重なる


「上がれえええぇ!」


そして、トリステインの岸壁が、誰の目にも見え始める頃、イーグル号は浮力を取り戻し、全員の避難が終わる
残された船内には蓋の開いた火薬の樽が並べられ、全体が満遍なく燃えるように油も撒かれている、当然照明のランタンはつけっ放しだ
そして、舵の固定されたイーグル号が、誰の目にも明らかな衝突コースに入っていく
ジャガナートが身体を最低限ロールさせ、イーグル号から離れてゆく、竜の背の人々はかつての乗艦が消え行く様を見守っていた
あるものは呆然と、あるものは目頭をぬぐい、あるものは船に向かって敬礼し…

ジャガナートは6つの目線を辺りに走らせ、温度をすばやく走査しながら海へ向かって加速を開始する、敵影無し、全速離脱

………………リィ…………ィィ…………

ガラスの鈴を鳴らしたような音と、蒼い軌跡を空に残し、最大戦速で離脱する巨竜
その背には、大量の金銀財宝と、王党派の貴婦人と子供たちが乗せられていた
陸から離れ行く巨竜の燃える目には、山に咲いた小さな火の花が映っていた



[37866] 9話:おとずれる日常、変わりゆくもの
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:b9dddeb4
Date: 2013/08/25 23:08
二つのガンダールヴ 一人は隷属を望み 一人は自由を願った

9話:おとずれる日常、変わりゆくもの

魔竜の住まう森として恐れられているうっそうと茂った森は、にわかに活気付いていた
最後まで王に固く付いた300名の勇敢なる男たち、そしてその家族である
それら、総勢700名近い人間がひしめき合い、難民キャンプの様相を呈していた


そして、その多くの人々の中心にウェールズとジェームズが居た
イーグル号からいくらかの非常食料が見つかったため、子供や女性たちを最優先として分配が行われていた

「残念ながら数はあまり無い、女子供が最優先だ」

だが、忠臣ばかり残された状況で、文句を言うものは唯の一人も居なかった

そして、子供たちが、ひとかたまりになり、ジャガナートの巣穴出口付近の焚き火を囲んで、非常食料をかじっていた
だが、当然のことながら乾燥させた非常食料は、あまり味の良いものではなかった

しかしながら年少の者は、なぜこのような事態になっているのか分かる訳も無く
控えめながらも不満を口にする

「ねえさま、おいしくない…」

「がまんするのよ、とおさまも、かあさまも何も口にしておられないのよ」

少し年かさの姉が、弟の頭をなで、気丈にも笑顔を浮かべて弟をなだめる
そこへ、人影が現れた、手に大きなスープ鍋を手に持ち、にこやかに話しかける

「お前たち、お腹が空いてるだろう?」

玉ねぎをバターで炒め、牛肉、鳥ガラと鳥肉、魚、野菜で出汁を取り、香辛料と塩で味付けされたスープは、えもいわれぬ芳香を湯気とともに辺りに漂わせている

子供たちは、大きな目をまばたきするだけで何も答えない
だが、子供たちのお腹の音が何よりも雄弁に現状を物語った

「ははは、ほら見な、子供は素直が一番だよ」

笑いながら子供たちのカップに暖かいスープを注いでゆく

「硬いパンもさ、スープに浸して食べるとおいしいんだよ?試してみな」

子供たちは一様に頷くと、言われたとおりにして目を輝かせる

「おいしい…」

そして、口々にお礼の言葉を、述べた

「ありがとう、お姉さま」
「ありとう、おねえたま」

マチルダはそれに答えず、にっこりと笑いながら子供たちの頭を優しくなでた
子供たちは嬉しそうに目を細め、されるがままになっていた
そこへ、後ろから声が掛けられる

「過分の施し、心より感謝いたします。ミス・サウスゴータ」

マチルダは立ち上がり、大人たちの方へ向き直る
その表情は先ほどの優しげな女性の顔から打って変わって、まるで豹のような鋭さを漂わせていた


「ふん、子供たちに罪は無いからね。それとあたしをその名で呼ぶってのは
 喧嘩でも売ってんのかい?」
「いえ、滅相も無い!では、なんとお呼びすればよろしいか?」
「管理人とでも呼びな、それとも"土くれのフーケ様"の方が気が利いてるかい?」
「つっ…土くれ!あの…」


冷汗をたらし、敬礼を続ける貴族たちを尻目に、マチルダはさっさとその場を立ち去る
理屈では分かっていても、人間そうそう割り切れるものではない
はいそうですかとすぐに態度を変えられる人間がいたとしたら、そいつの血管には血の代わりにオイルが流れている事だろう



その夜、歩哨を除く全員が寝静まった頃、ジャガナートの巣穴へと向かうひとつの影があった


「ったく、寒くって寒くって、眠れやしないよ…」

いわずと知れた、土くれのフーケことマチルダである
なぜ春先に、家具を完備した家でこれほど寒いのか、理由は簡単である
薪も、寝具も、暖炉も、全て子供たちが寒くないようにと、貸し出してしまったからである
マチルダの家の暖炉は、優しいオレンジ色の光を放ち、その前には、特に年の小さい子供たちが寄り添うようにして眠っている
そして、その子供たちをあやす様に背をなで続ける美少年たち、年上の者たちはアランを筆頭に徹夜を予感し、すでに飲食物の準備を始め、交代制のローテーションを考え始める。


マチルダはぶつぶつ呟きながら巣穴の最深部へと歩いていく
最深部にはかすかな硫黄の匂いが漂い、規則正しい呼吸音が響いていた

すぅ…と闇の中に3つの赤い光点が現れ、縦に割れた黒い瞳孔が赤い光の中に幽幻のように浮かび上がる
そして、聞く者に畏怖の念を起こさせる重低音が響く


「眠れぬのか?」
「ああ、寒くって寒くって」


そう言ったマチルダは、薄手のブランケット一枚をはおり、寒そうに身体をブルリと震わせる

「我が顔の傍におれば、多少は暖かいだろう、硫黄臭いがな」

それを聞いたマチルダはきょとんと目を見開いて何も言わなくなる
不可解に思ったジャガナートが再度声をかけた


「どうした?」
「いや、旦那でも冗談を言うんだと思ってね」
「ふん」


マチルダは、地面に寝そべっているジャガナートの前足にちょこんと座り、その巨大な顔に背中をあずけた
手で両足を抱え込み、その上からブランケットをかぶる

しばしの間沈黙があり、静寂の中に虫の鳴き声だけが流れていた

ふいに、その沈黙は、重厚な音声によって破られる


「そなたには済まぬ事をした、ウェールズ達を救い出せば、こうなることは分かっていた
 そなたなら、なんとかしてくれる、そう思ってもいた、我にも甘えがあったのであろう
 生殺与奪の権利を与えたのは、せめてもの謝意だ、許せ」

「…やだ」

それを聞いたジャガナートは歯をむき出しにし、苦い口調でこうつぶやいた

「…なら致し方あるまい、我がこの見かけどおりの存在となる、ただそれだけの事だ
 流される血によって、そなたの気が済むことを願おう」

マチルダがけらけらと笑う、ひとしきり笑い終わったあと、黒い鱗に頭を預け、こう言った


「旦那ってさ、思っていたよりも優しいね」
「出し抜けになんの話だ、そなたの目に、我はどのように映っておったのか」
「テファの命をたてに命令する大魔王」
「ふん」


ジャガナートが不機嫌そうに鼻を鳴らし、それを見たマチルダがまた笑う

「あたしは以前に思ってたよ、絶対に復讐してやるってね、今もその考えは残ってる」

ジャガナートはマチルダの独白に、黙って耳を傾けていた

「でもさ、皮肉なもんだよ、こうして立場が完全に逆転してみると、思うんだよ
 今あたしが復讐をしたら、あの子供たちは大きくなったらどうなるんだろうって
 やっぱりあたしと同じように苦しんでさ、生きるために…
 したくも無いような仕事をしてさ……でなきゃ、おまんま食い上げになって…
 それでますます恨みを強めて、あたしを殺そうとするのかなって」

「……それは我にも分からぬ、そうなるかも知れぬし、ならぬかも知れぬ
 ただ、ひとつだけ言える事がある、その鍵を、今はそなたが握っているという事だ」

「…ふん、あたしには分かってる、旦那は全部分かっててやっただろ?」

「否定はせぬ、我は、そなたに復讐などという暗い闇を抱え続ける人生ではなく
 一人の女としてやりたいことをやって生きてほしい、そう願っている」

これはジャガナートの偽らざる本音であった、それは古代竜としての慈悲か
それとも人間であった名残、優しさのカケラか…

「女……か」

そう言ったマチルダは、自分の手を、巣穴にかすかに差し込む星明りにすかし、見つめる


「あたしはもう汚れてる、色々とね…」
「だれがそう決めた?」
「…誰がって、あたしがそう思うのさ、それに周りはきっとそう思ってる」

その考えを、力強い声で、しかし穏やかに否定する


「それは誤りだ、そなたは汚れてなどいない」
「そうかねえ」
「異論は認めぬ、汚れとは、人の心の奥底より湧き出てくるもの、即座に命を取ろうとしなかったそなたの心は清い」
「分かったよ、そういう事にしておくさ、それはそうと、アルビオンの連中を認めるなんてのはあたしにゃ無理だよ、少なくとも今はね」
「認めずともよい、が…すまぬな、愚痴ならいくらでも聞こう…もっともそれぐらいしか我に出来ることは無いが」


それから、しばしの沈黙が続く
か細い星明りの差し込む洞窟に、小さな寝息が聞こえ始めたのは、それからしばらくたっての事であった
そして、マチルダが朝目覚めるまで、彼女を寝返りなどで踏み潰さぬように徹夜したジャガナートがいた



翌朝、ジャガナートの前に、ウェールズ以下主たるメンバーが招集され、青空会議が開かれていた
朝もやを切り裂き、肌まで振動させるような声が響く

「現状を確認する、ウェールズよ、残りの食料は?」

ウェールズが両手を空に向け、首を振りながら答える

「節約して3日、たらふく食えば1日で底をつくね」

その後をジェームズが補足する


「金銀宝石はそれなりにあるんじゃが、金では腹は膨れんからの」
「ふむ、衣食住の完備が急務だ、しかし…魔法学院も王宮も、あてにはならぬ
 大人数を潜伏させる準備を行う時間も金もなかった、泥縄だが、なんとかするしかない」


そこに、あくびをかみ殺しながらマチルダが現れる

「大の男どもが雁首並べてなにやってんだい?頭の固い連中だねえ全く」

続いてマチルダは、傍に置いてあった荷物の中から黒髪のかつらをつまみ出し、ウェールズの頭にぽんと載せた

「なにも合法的な組織である必要はないだろ?あんたらすでに船を襲った空賊なんだしさ
 裏の話ならあたしがいくらか口を利いてやるよ、後は自分たちでなんとかしな」

ジャガナートが口を少し開け、楽しそうに言った


「名案だな」


この日より、トリステインの裏町に、総勢700名を数える新興暴力団、"ナルド一家(いっか)"が誕生することとなる


「で、旦那、"ナルド"ってのはどんな意味があるんだい?竜の鼻くそとかそんな意味かい?」

意地悪に笑いながらマチルダが尋ねる

「いや、"ナルド"とは香油の名だ」

それを聞いていたジェームズが吹き出す


「ほっほ、なんという皮肉か」
「これから掃き溜めを作ろうって時に、香油たあ、旦那もよく分からないお人だね」


そして、貴族全員を呼び寄せ、全員の偽名を考えていく
だが、そこで全員がある事に思い至る、姓を名乗らず、そのまま名を名乗ればよいのではないかと
薄汚い恰好をしたゴロツキが、俺はウェールズだ、ワシはジェームズだなどと名乗ったところで、悪質な冗談にしか思えない
すでに王国は無いと言え、下町のゴロツキごときが名乗ってよい名前ではないからだ
しかし、姓を名乗って居ない以上、それ以上追及する事もできない。



ルイズと才人がトリステイン王宮へ出向いている間、土くれのフーケことマチルダによる
しぐさ、しゃべり方講座が開かれていた
ジャガナートはと言えば、風石掘削用の坑道を掘る作業に専念していた

「こらパリ―!何度言ったら分かるんだい!"はい"じゃなくて"へい"だよ」

挙動が常に上品過ぎて怒られ続ける元侍従長パリー、当然である、王宮において、数十年にわたって礼節の見本となり続けてきたのだから

その隣ではジェームズ一世が椅子に座り、汗を拭きながらぼやく
派手な色の服に身を包み、手の指には、これでもかときらびやかな指輪をはめ、嫌味なほどギラギラしている

「いやはや、まさかこの年になって愚連隊の真似事をするとはおもわなんだ…」

目ざとく見つけたマチルダが檄を飛ばす

「ジェームズ!あんたはこの一家の大老なんだからね!たらたらしてたら他のに舐められちまうよ
 おい、そこのあんた、えーと、フレデリック!その頭剃りな、未練たらしい!」


すでに全員の変装は終わり、何処からどう見ても王侯貴族ご一行様とは見えない、町のごろつきといった風情だ
なぜかウェールズとその指揮下の近衛隊は手馴れていて、言葉遣いも非常に"上手"なため、レッスンは免除されていた
そして、マチルダによるレッスンは続くものの、全員飲み込みが非常に悪いため、業を煮やしたマチルダがこう言い出した

「ええい!もう!直接現地へ勉強に行かすよ、あんたら」

マチルダは足音も高くジャガナートの巣穴に向かって歩き出す
そして、穴の淵から中に向かって大声で怒鳴る

「お~い!旦那!」

その声を聞きつけ、砂利や石ころをバラバラと落としながらジャガナートがバックしてくる

「旦那!夜にこいつらを裏町の近くまで連れて行っておくれよ!」
「承知」

巣穴から完全に抜け出たジャガナートが首をめぐらし、ジェームズ達に話しかけた


「そなたらに頼みたい事がある」
「へえ、あっしらにお任せください…せえ」


マチルダは必死にこめかみを揉みほぐしている
ジャガナートは噴出しそうになりながらも、依頼を告げる


「……ヤクザ者というより、"出来の悪い劇団一座"といったところだな
 まあよい、我が身体から3~4サント程度の鱗、および10サント程度の棘を取り
 それをこれから言うように加工して欲しい」


それを聞いたマチルダは顔を青くし、自分はごめんだと言わんばかりにその場を立ち去る
またスッカラカンになって眩暈がするなんてのはごめんだよ……

いくつもの小さな鱗をつなぎ合わせ、そして先端部に湾曲した鋭い棘を備えるその武器は鞭のように見えた

銘はジャンナ、才人のジャハンナムと同じように、ジャガナートの炎によって真っ赤に熱せられる
違いと言えば、毒牙から垂らした毒液によって、先端部分に焼入れがなされている事であった
そして、直接叩き斬るジャハンナムとは毛色の異なる武器が、ここに新たに誕生したのである
完成したときには既に辺りは茜色に染まっており、アルビオン名うてのメイジたちが、地面に死んだように転がっていた

恐る恐る様子を見に来たマチルダにジャガナートが話しかける

「マチルダ、ウェールズ達の世話が一段落したら、休暇を取り、一度ティファニア達の元へ行くが良かろう
 そして、この鞭、ジャンナを酒と共にワルドに届けよ」

それを聞いたマチルダがさも疲れたといった様子で盛大にため息をつく

「はぁ~、素直に休暇だけくれるおやさしい旦那はどこかにいないのかね」


■■■


その夜、マチルダがいつも利用している酒場に、どこか毛色の違うごろつきが大量に出現していた
格好は薄汚く、なるほど確かにそこらをうろついているくず共と大差がないのだが、なにか雰囲気が異質な者たちである
ホンモノのごろつき達も、その空気を悟ってか、近づこうとはせず、横目でちらちらとみつつも我関せずで酒を飲んでいた

アイパッチを付け、かつらを被ったウェールズたちは雰囲気に溶け込み、馬鹿笑いをしながらカウンターで安酒をあおっている
ジェームズはカウンターでちびちびとグラスから火酒を飲み、その味に時折眉をしかめる
マチルダは少し離れた場所でフードを目深にかぶり、どうやって飲んでいるのか、ワインとサラダを味わっていた
フードの中にフォークで器用にサラダを運び、軽い音を立てて咀嚼する


そして、インスタントごろつきの連中は周りの本物のごろつきの言動を見て、それを覚えようと必死になっている
だが、育ちの良さが災いし、ジャガナートの言ったように"出来の悪い劇団一座"状態になっていた

やがて、日が完全に落ち、闇があたりを覆うと、酒場も人の出入りが激しくなり
すでにべろんべろんに酔っぱらったアル中達も、恒例の梯子酒をしに入ってくる

連中は日銭の大半を安酒に費やし、くだを巻き、喧嘩をし、また明日の労働に出ていく
そんな連中がたくさん出入りしている場所である、平和が続くことは無い
些細なことがきっかけで、殴り合いの喧嘩が始まる
やれ俺の酒が飲めないのかだの、やれ目付きが気に入らないだの、お決まりのパターンである


「てめぇ!この俺様にガン垂れやがったな?俺様を棒頭のゴルド様と知ってんだろうなぁ!」

言うが早いか手が早いか、すでに"棒頭のゴルド様"とやらは相手の顔面にパンチを見舞っている
すぐにあちこちで皿や椅子が飛び交い、下品極まりない罵声と拳の応酬が始まる

ここの男たちが口々に叫んでいる事を実演したならば、いったい何が生まれてくるのやら

ウェールズたちは手慣れたもので、良い酒の肴だとばかりに笑顔で酒を飲み、拳を突き上げて応援している
ジェームズも、元はと言えば一国の王、度胸は据わっている。我関せずと火酒を飲み、チーズをつつく

だが、ついに身内であるフレデリックのテーブルにも喧嘩が飛び火する
へべれけに酔っぱらった男がフレデリックに絡み、喧嘩を売るも、無視され激昂する
男はあろうことか目の前にあったスパゲッティをフレデリックの輝かしい頭に被せ、どうだふさふさになっただろうと囃し立てた

フレデリックの輝かしい額に極太の青筋が浮かび、椅子から立ち上がる
そしてジェームズの方に目配せする、こいつ殺っていいですか?といった所だ

だがすでにウェールズがその男の背後に移動しており、男の髪の毛をつかんで思いきり後ろに引っ張った
ぬちゃぁ…と手に脂っこい感触が残るものの、ウェールズは無視して恫喝する

「コラおっさん、だれに断ってウチのモンに喧嘩売ってんだ、あ?」

引き倒され、尻もちをついた酔っぱらいは立ち上がる事もできず、下から濁った眼で睨み、こちらもドスを聞かせる

「ああ?てめぇはどこの誰様よ!人の喧嘩に手を出すたぁ、ナメてんのかクサレ野郎!」

ウェールズは尊大に胸を反らし、上から言い放つ

「いいか?てめぇのその頭の左右に付いている薄汚ねぇケツの穴かっぽじってよく聞きやがれ!
 俺様はナルド一家(いっか)の若頭、ウェールズ様よ!そこで飲んでるのが俺のオヤジ、ジェームズだ
 そこのフレデリックに喧嘩売るってことは、俺らと喧嘩したいのかって聞いてんだよ、理解できたか?」

そのころには岡目八目も手を止め、何事が始まったのかと見守る

「ウェールズぅ?ジェームズぁ?ふざけてんのかてめえ!それにナルド一家(いっか)だぁ?聞いた事もねえ」

ウェールズが得意げに笑顔で答える

「あたりめえよ、今日からカンバンあげるんだからな」

その言葉に周りから大爆笑が上がる

「ガキが、ここら一帯はジェド親分が仕切ってるって知らねえらしいな、野郎ども、このマヌケどもをたたんじまえ!」


「ジェドだかキャドだかなんだか知らねえが、上等だ!、まとめてかかってきやがれ!」

ウェールズの啖呵と同時に、場に居合わせたナルド一家(いっか)全員がすらりと杖を抜く
今にも飛びかかろうと身構えていたごろつきどもは一斉に、"しまった"という表情を浮かべたものの、後の祭りである


トリステインの裏町、それも最低のゴロツキが集う掃き溜めに、アルビオンの猛き風が吹き荒れた


ウィンドスピアーやフレイムボール、ウィンディアイシクルなどの殺傷力の高いスペルこそ使われなかったが
レビテーション、ウィンド・ブレイク等であっても、平民相手にはイジメに等しかった

ジャックのウィンドブレイクが唸りを上げ、4,5人の男たちを纏めて店の壁に叩きつける

フレデリックは、頭の事に言及したチンピラの脂っこい頭に向かって"ウル・カーノ"と短く唱える
何日も風呂に入っていないであろう脂っこい長髪は、景気のいい音を立てて燃え盛った

パリーは、丁寧に一人ひとりスリープクラウドを掛けて眠らせていく

幾人かがマチルダにも喧嘩を売ろうと近づくも、床の砂を油に錬金され、仲良くそろって後頭部を痛打、白目をひん剥いて痙攣する
ジェームズに喧嘩を売ったごろつきはレビテーションを掛けられ、宙に浮かんでくるくる回転していた

ジェームズ達王族、上級貴族の入った場所のチンピラはまだ幸せ者である
アルビオン陸軍の連中が入った酒場は文字通りの修羅場と化していた

アラン・メイトリクス中佐は、その獰猛な獣のような表情をゴロツキに向ける、向けられた連中は怯えるように1歩下がらざるを得なかった
その身体を守る筋肉はまさしく鋼、丸太のような腕、顔と区別のつかない猪首、樽のような足、とても人間が素手で勝てる相手ではない
当然のように武器を持ちだした連中は、地面にひっくり返って白目を剥いており、その手足はあらぬ方向に曲がっていた。

「どうした!かかってこい!お楽しみはこれからだぞ!」

周りはグロッキーになったごろつきが山のように折り重なっている
炎のトライアングルであるため、魔法は使えない、焼き肉を大量生産してしまうからだ
隣では同じくアランに負けず劣らずの体格をしたマーク・スタローン大尉が別の犠牲者を抱え上げていた

「ウオオオッ!」

獣のような声を発しながら、パワースラムで手近な机に相手を叩きつける
机は真ん中からヘシ折れ、叩きつけられた相手は苦悶の表情のまま大の字に伸びてしまう

ベネット中尉はサディスティックな笑みを浮かべ、一人の男の首を締めあげるが、腕の位置をずらし、血管をあまり締め付けないように器用に相手の気道を締めあげる


周りを見れば、木の壁から人間の頭や尻が生えている、陸軍では、喧嘩など日常茶飯事らしい
さらに言うと、若干の八つ当たりも含まれているのだろう
レコン・キスタの連中に苦渋を飲まされ続け、フラストレーションは天を衝かんばかり
そこへ、都合よくごろつきどもが喧嘩を売って来てくれた、願ったりかなったりとはこの事であろう


"ナルド一家(いっか)"はその日以来、売られた喧嘩は必ず買う暴れん坊、危険極まりないメイジ崩れ集団として裏町に知れ渡る事となった
顛末を聞いて頭痛を覚えたジャガナートは、今後面倒な相手が来たら穏やかに"話し合い"を行うから連れてこいと言い渡したそうな
その結果、裏町の顔役たちが雁首並べて股間を黒々と濡らす事になるのはまた別のお話だ

酒場や賭場から妙にすっきりした表情で出てきた"ナルド一家(いっか)"の連中だったが、半刻ほど後には魚の干物のような顔になっていた

「さあ、ここがお前らの新しいやさだ、なかなか素敵だろう?」

土くれのフーケことマチルダが指差した先には、いくつかの土に還ろうとしているかのようなボロ屋があった
元は酒場、賭場、そして娼館であったのであろう、建物があった、大きさも数も申し分ないが…
屋根は穴があき、壁も穴だらけ、中は砂と埃にまみれ、とどめとばかりに裏手のどぶ川が異臭を撒き散らしていた
とてもではないがすぐに人が住める状態ではなかった。


新興暴力団"ナルド一家(いっか)"の拠点、それは裏町の一角にあり、誰も住まなくなったスラム街の打ち捨てられたボロ屋
王侯貴族が住まうには最も適さない場所であった


■■■


翌日、学院に戻ってきた才人は、ルイズと共にジャガナートの巣穴に向かっていた
事の顛末を報告するためである。
二人の脳裏に、アンリエッタの疲れ切った顔がよぎる
ニューカッスルの陥落、王党派の全滅、そしてイーグル号の墜落爆散という最悪の情報はアンリエッタを打ちのめすのに十分だった

普段は、宝石と絹で着飾った白百合のように、清楚かつ美しい姫君が、しおれた花のようになっていた
その様子を思い浮かべるだけで、ルイズの顔色は沈み、ため息が自然と口をつく


「元気出せよ、ルイズ」
「でも、でも、ウェールズ殿下はすぐそこにいらっしゃるのに……二人を合わせてあげられないなんて」
「ああ、けど、考えてみろよ、今ウェールズ殿下がトリステインにいるってことがバレたら
 体制の整っていないトリステインに、あの連中が攻め込んでくるぜ」
「それはそうだけど……」


そして、また一つ、生命の息吹がさみしげにルイズの唇から吐き出される


「これで25回目だぜ?元気だせよ、二人はいずれ戦争が終わったら、会って抱き合えるんだからよ」
「私は今!二人を会わせて差し上げたいのよ、姫殿下の御顔をサイトも見たでしょう?」
「ああ……」


サイトはアンリエッタの顔を思い出していた、せっかく前向きにひたむきに努力を始めていたのに、あれでは不憫すぎる
そして望まぬ結婚か……例えばルイズが、俺以外の人間を好きになって、そいつと結婚するとしたら、俺は何を思うだろう


才人はふとそんな思いに駆られ、思わずルイズの肩にそっと手を回す
ルイズは最初こそびくっとしたものの、その手を振り払う事はしなかった


「元気出せよ、とりあえず三人で考えようぜ、なにか俺たちに出来ることがあるはずだ」
「うん……」


そして、森の小道は開け、やがて巨大な広場に出る、広場は二つあり、その一つには巨大な穴がぽっかりと口をあけている

「お~いっ!ジャガナート~~ッ!」

ト~ッ!ト~ッ!と穴の中をこだまが響き、やがて赤い6つの輝きが徐々に二人に近づいてくる
その振動と音に、ルイズは自分の肩に回された手に、思わずぎゅっとしがみつく

「大丈夫だって」

そして、高さ5メイルはあろうかという巨大な頭が二人の近くに寄せられ、その恐ろしげな口が開かれる


「ルイズに才人か、我に何用か?」
「ああ、姫様に報告してきたぜ」
「御苦労」


ジャガナートの目は、才人の後ろに隠れているルイズをちらりと見る

「才人、ルイズ、大空へと、雲の上へ共に行かぬか、さすれば気も少しは紛れるであろう」

雲の上、その言葉に、ルイズの顔に好奇心がわき起こる。
子供のころ、窓の外を見て思った事がある
"ふわふわしてて、気持ち良さそうね、食べたら美味しいのかな"

そして、その無邪気な願いは、すぐにかなえられる事になった。


「すごいすごい、見て!才人、町があんなにも小さく!」
「ああ、それにこの速度、最高だよな!」


子供のようにはしゃぐ二人を背に乗せ、青い軌跡を引いたジャガナートはぐんぐんと高度を上げていく、無論の事ながら、才人とルイズの周りの空気は微動だにしていない
そしてついには、濃密な霧の中に突入してしまう。

そう、雲の中だ

「わぷっ」
「はは、大丈夫だってルイズ、見ろよ、俺達には何も影響がないだろ」
「本当だ…」

霧の塊が迫ってくるように見えたので、慌てて顔を押さえ目をつむるルイズに、才人が笑いかけた

「今我々は雲の中を突っ切っている、視界が晴れるまでもう少し待つが良い」
「ええっ?これが雲?私もっともこもこしてて、柔らかくて、手で触れるのかと思ってたわ」

笑い声が響くと、ルイズの顔が不機嫌そうに膨れる
なによ二人して!私の事馬鹿にして

「まあ知らぬのも無理からぬ事だ、雲とは、今そなたらが見ているように、濃い霧や、小さな氷の粒の集まりだ、そろそろ抜けるぞ」


ルイズと才人の視界に、いまだかつて見た事の無い風景が広がる
空は限りなく青く澄み渡り、雲は海原のごとくたゆたい、日の光はまるでぴんと張られた薄絹のようにそこにあり、確度の変化と共に様々な色合いを見せていた

「…ふわぁ」

ルイズの口から、思わずつぶやきが漏れ、目尻にわずかに光る物が浮かび、それは小さなしずくとなって舞い落ちる
そして、風の精霊の防護幕を出たとたんに、氷の粒となって転がる。

才人は思わずその美しさに、氷の粒に手を伸ばしかけて止めた、その先に待ち受けているものを悟ったからだ。


やがて、ルイズがマントをかき抱き、ぶるりと身を震わせる
その様子を1つの眼で観察していたジャガナートは、ルイズのそばの鱗を逆立て
直径が60サントはあろうかという鱗が逆立つと、ルイズと才人の周辺は熱気に満たされた。

元来、竜は火の精霊力を極めて強く宿している、鱗の内側は高温を宿している。


しばらくの沈黙の後、ルイズがふと口を開いた。


「ねえ、ジャガナート、ウェールズ殿下を、姫様に一目会わせてあげられないかしら…」
「ルイズ・フランソワーズ、そなたの二人を思う優しい心は分かる、だが、今はまだその時ではない」
「けどよ……お姫様、相当参ってたぜ?」
「サイト?」

ルイズは驚いていた、否定的な意見を言っていたサイトがこのような意見を言うとは思っていなかったからだ

「ふむ……、だがウェールズとて馬鹿ではない、首を縦に振るとは思えぬ」
「あなたが、その力で戦争を終結させてくれればいいじゃない」
「確かに、何人であろうとも、我が進撃を阻む事の出来る者はおらぬ、2人、いや3人の人の子を除いて…な
 だが心せよ、我が力は諸刃の剣、下手に振り下ろせば全ては塵芥と消えよう」

「あなたを倒せる人間がこの世にいるなんて、信じられないわ」

「信じられぬであろうが、その一人はそなただ、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール
 そして、ガリア王ジョゼフ、モード大公の忘れ形見、ティファニア・オブ・モード、この3人だ」

そんな馬鹿な…、驚愕に彩られていたルイズの顔は、やがて怒りに染まり、声が震え始める

「あなたまで私をからかうの?私は魔法成功率ゼロのルイズよ!どうやって貴方を倒せるというのよ!」

「無論、今この場でそなたを屠る事など、我にとっては息をするより容易い事、才人が黙っていないだろうがな
 そなたはいずれ我をも倒し得るメイジへと成長するであろう、それは遠い未来ではない、いずれ…な」

「…本当なの?」
「フ、では問おうルイズ・フランソワーズ、我が嘘を述べる意味はどこにある?」
「だとしたら、あの時なんで私を殺さなかったの?」

「我らが反目しあった処で、ガリア王ジョゼフを喜ばせるのみ、我はそれを望まぬ
 此度のアルビオンの動乱も、彼奴が背後で糸を引いている、彼奴の思惑通りに事が運ぶというのは、…真に興が削がれる!」

「なんだっ(ですっ)て!!」

思わず身を乗り出す二人に、ジャガナートはその目をすぅっと細め、語り始める

「レコン・キスタの首領、オリヴァー・クロムウェルはただの夢見る坊主だ、奴には何の力もない
その坊主に力を与えたシェフィールドという女こそが、ガリア王ジョゼフの使い魔、ミョズニトニルン
レコン・キスタとやらはその操り人形、舞台で決められた踊りを踊り、そして霞のごとく消えうせる哀れな道化
この地に起こっている戦は、ジョゼフの盤上の駒遊びに過ぎぬ、戯れに消え行く命は、実に哀れだ」

「だからウェールズ殿下達を助けたのか」
「然り」
「……許せない、人の命を弄ぶなんて」

「然り…然り、さらに、この全土は地下に眠る風石によって白き国と化す、エルフ達も含め、我らは無駄に争っている場合ではない
ましてや、それが狂人の駒遊びであるならばなおのことだ、奴を消し去り、全てをあるべき姿に…」

ここに至り、ジャガナートの爆弾発言の連発のせいで、ルイズと才人は思考停止寸前だった

「一度に多くを語りすぎた、…許せ、いずれ確たる証拠を見せよう
 さて、ルイズ・フランソワーズよ、ウェールズ達を逢わせる事は、今は出来ぬ
 聡明なそなたなら、その理由が分かるであろう?」

「ええ、あなたの言葉全部を信じる訳ではないけど、でも事実だとしたら…」
「然り、まずはアルビオンをジョゼフから取り上げ、然るべき者の手に」

そして、ほとんど頭の中が真っ白になっているルイズにジャガナートが告げる

「ルイズ・フランソワーズ、そなたの手元に、"始祖の祈祷書"がいずれ届くであろう
 "水のルビー"と共に、肌身離さず持ち歩くが良い、それはそなたにとって、一つの里程標となろう
 勇気を持ち、強くあれ、"力"に振り回されるような弱き者となるなかれ」

その言葉に、ルイズははっとなり、右手の中指を左手で包む、そこにはアンリエッタから賜った"水のルビー"が確かに輝いている
そして、ジャガナートの言葉は、上質の紙にインクがしみ込んでいくように、確実にルイズの心に刻み込まれた



トリステイン魔法学院女子寮

タバサは心配していた、アルビオンから帰還してからというもの、友人のキュルケの様子がおかしいのだ
いつも元気に妖艶に、その周りには必ず男たち、それも顔立ちの整った男たちが囲んでいた

それが、何人の男が愛をささやこうとも、応えようとせず、その顔は決して明るく笑う事は無かった
ぼうっと考え事をしているかのようにも見える、時々ぽってりとした艶やかな唇からため息が漏れる

原因はあれ、ルイズの使い魔、珍しい人間の使い魔
その類まれなる戦闘能力と、人柄によって、惚れっぽいキュルケの心を掴んだ

だけど、あの使い魔は主一筋

決してキュルケのアプローチになびかなかった…

恐らく、今私の親友のプライドは粉々に打ち砕かれている

さらに、あの鋭いナイフのような心無い言葉、あれはひど過ぎる

私は知っている、キュルケは、見かけほどガサツな女じゃない
自由奔放に見える内側に包まっているのは、普通の感じやすい女の子のハート


なんとかしてあげたい


どうやって?


キュルケは心から愛せる男を探している、だから上っ面だけの男はせいぜい遊ばれているだけ
そんな本物の男は知り合いに居ない、いや、そもそも私には、男友達すらいない
一時しのぎでもいい、なにか元気にするきっかけさえ作れれば……


そうだ、自分が見た中で理想的な男性を思い浮かべ



自分がその存在になればいい



タバサは学院の倉庫に忍び込み、一つの鏡の前に立つ


「お願い…、力を貸して下さい、お父様」



[37866] 第10話:鋼鉄の翼、もうひとつのジャガーノート
Name: 裸足の王者◆bf78caa6 ID:b41f5015
Date: 2013/10/01 10:37
二つのガンダールヴ 一人は隷属を望み 一人は自由を願った

第10話:鋼鉄の翼、もうひとつのジャガーノート


その日、トリステイン魔法学院女子寮は、にわかに騒がしくなり、誰もかれもが部屋の扉を開けて物珍しそうに首を出し、そこを闊歩する人物を眺めて口をあけっぱなしにしていた。

青く輝く美麗な頭髪、女性のそれのように艶やかであり、また力強い、頭頂部には天使の輪と呼ばれる輝きを宿し、その長さは腰まで達していた。
その人物が歩くたびに髪と衣がかすかな音を立て、それを見た生徒たちはため息をそっともらす。

輝く瞳、そしてそれを強調するような、しっかりと立ち上がった鼻梁、そしてその目元にりりしさを添えるまっすぐに整えられた眉
背はすらりと高く、手に節くれだった長い杖を持ち、確かな足取りで女子寮を闊歩する。

警備の者が居れば、間違いなく大声で止める所だが、その人物があまりにも堂々としていたため、誰も警備を呼びに行こうともしない。
そして、生徒たちが漏らす桃色の吐息は、麗人がキュルケの部屋をノックするまで続いた。


「どなた?鍵はかけておりませんわ」


ガチャリと錠前が音を立て、幾つもの嫉妬の視線を引き連れた男が意にも介せず部屋へと無遠慮に踏み込む、そして、その口から思いもよらない言葉が飛び出す。


「お初にお目にかかる、私はクリストフ、キュルケ、妹のタバサがいつも世話になっている、今日はその礼をしに来た。」


その人物の顔を見たキュルケの目が一瞬見開かれるが、その表情はすぐに消えた。
キュルケの口の端に笑みが浮かぶ。


「タバサの兄上?素敵なジェントルメン、微熱はご存じ?」


やがて、二人を乗せたひときわ大きな馬は、一路トリスタニアへと向かって疾走していった。


だが、一見非常にあっさりとしたこの状況になるまでに、タバサがどれほどの苦労をしたのだろう。

タバサは、どうすれば理想の男性を演じられるかなんて知らない、当然だ、彼女は女の子だ、それもキュルケのように恋愛経験豊富なわけではない
闘いと復讐に全てを捧げてきた、でも、親友のピンチにただ手をこまねいているなんてできない。



サントス・マリオッティ著

女の子との出会いから告白まで

--初級編:さあ、おしゃれをして町へ出よう!これで君も今からモテモテに--



予習はばっちりだ、タバサは「真実の鏡」を使い、父の姿を真似る事はできた。だが、王族が着るような豪奢な服まで生成されてしまい
これではまずいと、慌てて裸の姿へと変身する事にした、そして、この恋愛指南本に書かれていたように、コーディネイトを考えてみた。

男性用の服を買い求め、いざ裸身を思い浮かべて変身してみたものの、彼女の知らない秘密の部分は再現しようがなく、のっぺりとした造形になっていた。


さらに、予習のために買った本には、こう書かれていた


「愛しの彼女を射止めたいかい?じゃあその不躾で欲望丸出しの視線は止めることだ、胸、ふともも、おしり、うなじ、二の腕、女の子は君が思っている以上に視線を敏感に察知しているものだよっ!!分かってないなあ、チラ見はガン見、これを良く覚えておくと良い」


確かにキュルケの胸は大きい、だが、それを見てタバサがどうにか感じる事もない
それに、一生懸命練習したスマイルは、思わずタバサ自身が引き込まれそうになるほど魅力的な微笑みだった。


だから、今、こうしてキュルケと腕を組んで、街を歩く事が出来ている、キュルケには笑顔が戻っている。

これで、いい



クリストフことタバサと、キュルケは仲良く腕を組み、街を散策する、貴族御用達のスイーツに舌鼓を打ち、露天に並んだ異国の珍しい雑貨に目を丸くし
衣服やアクセサリ、本、その他の店を冷やかし、時には買い、郊外の木陰で語らい、時はまさに矢のごとく過ぎて行った。

鏡の有効時間は、約8時間

念のために、少し早く学院に戻らなくては



馬を厩舎につないだ二人は、夕日の降り注ぐ中で見つめあう

「今日は本当に楽しかったわ、またお会いできるかしら?クリストフ」
「ああ、明日も必ず会いに来よう」

だが、事態はタバサの予測だにしなかった方向に移り変わる

「クリストフ、ああ、素敵な殿方、ぜひ夜の貴方も見て見たいわ、その衣服の下にはどんな素敵な秘密が隠されているのかしら」
「いずれ、な」


微笑みを浮かべているタバサの背中には、真珠のような汗がたっぷりと浮いていた。



翌日、コルベールの授業、いつものようにタバサは教科書の裏側に堂々と本を隠し、最後尾の席で堂々と読みふけっていた。
だが、キュルケから見るに、いつもと様子が違うようだ。
いつも悠々としていつつ、隙の見当たらないタバサとは違い、隙だらけである。
さらに言うと、夢中になって読みふけるあまりに教科書がずれ、キュルケの位置からほんの少し表紙が見えていた。

タバサの白磁のような肌は上気し、うっすらと桜色を浮かべている、目はせわしなく文面を追い、頬を汗が伝う
キュルケはタバサが教科書の裏側に隠している本をそっと盗み見る、立派な皮で装丁された分厚い本



ヴァレリー夫人の恋人
第3巻:若騎士マクシミリアン



それを見たとき、キュルケは頭を抱えて机に突っ伏した
一体どこであんなの見つけたのかしら


それは金箔で文字を打ち込まれた立派な表紙で、タイトルを凝視しなければ、これが百科事典と言われても誰も疑わない。
当然、中身も実物と見まがうほど精緻な絵と、巧みな文章で、ハルケギニアのカーマ・スートラと呼ばれるにふさわしい仕上がりとなっており
貴族の書斎に堂々と置かれていても、全く不自然さを感じさせないほどの逸品である。

授業では、コルベールが何やら奇妙な機械を引っ張り出し、才人がそれをみて感嘆の声を上げていたが、キュルケの耳には届いていなかった。



翌日現れたクリストフのズボンが、やたらと"こんもり"しているのを見たキュルケの頬を一筋の汗が滑り落ちていった。



時は流れ、キュルケとクリストフの街中デートも回数を重ね、もはやトリスタニアに残された名所は無かった。
そこで、親友の危機を感じたキュルケは、街中の雑貨屋や本屋から宝の地図をかき集め、翌日学院に現れたクリストフに血沸き肉躍る冒険を提案する。


「でも、あれね、いくら私が炎のトライアングルと言っても、万が一の時には戦力不足ね、それに冒険に出てもおいしい食事は食べたいし」


微笑みながら頷くクリストフ、わかったと一言告げて歩き去り、しばらくの後に、一人の人物の服を捕まえて戻ってくる。


その男性は、純白の服、純白の帽子を身につけており、まくりあげられた袖から覗く腕は太く、たくましい、下腹は力強く突き出しており
数多くの美食を味見した事を物語っていた。


「お貴族様、一体こりゃ何事なんで?」


仕込みの途中に引っ張り出され、不機嫌さと困惑をその顔に浮かべたマルトーであった。
さすがに学院の厨房が全てストップするのは避けたいため、代役としてシエスタが立てられ、ようやく事態は収拾した。


「前衛と、回復役もいるわね」


またも笑顔を浮かべて立ち去るクリストフ、問題ない、と一言だけ口にする。


数分後、クリストフが連れてきたのは、癖っ毛の金髪に、フリルのついたシャツ、とどめに薔薇をポケットに差し、困惑した顔のギーシュであった。


「キュルケ?あの、彼は一体なんなんだね?なんかもっこりしてるし…」


そして、もれなく縦ロールの金髪少女もついてくる。


「ちょっと!ギーシュを離しなさいよ!こんもり!キュルケ、これは一体どういう事かしら!?」


顎に手を当てたキュルケはその言葉を無視し、続ける。


「決定打に欠けるのよね…」


またしても風のようにクリストフはいなくなり、残されたメンバーはキュルケに抗議をする。
キュルケは宝の地図を見せ、事情を説明する。
ギーシュの家は従軍費用が家計を猛烈に圧迫しており、モンモランシーの家は水の精霊の怒りを買い、干拓に失敗
赤貧とまではいかないものの、経済的にかなり困窮している
一か八かの賭けだが、秘宝を手にできるかもしれないとのキュルケの言葉にあっさりと同意してしまった。


「それにしても、遅いわね」


キュルケの口から独り言が漏れ、それが風に紛れて消えるか消えないかの時に、森の鳥たちが騒々しい声を上げて逃げ惑った。
地面は上下に激しく揺れ、ギーシュとモンモランシーはバランスを崩しかける。

厩舎にいた馬たちが狂乱状態になり、あるものは横木を引きちぎって逃走し
あるものはつながれていた馬車の部品を引きずってけたたましい音を立て、口から泡を吹き散らしながら、狂ったように逃げまどう。

キュルケ達3人に柔らかな日光を降り注いでいた太陽が覆い隠された時、3人は何が起こっているのかを悟った


ギーシュとシエスタは馬と同じように口から泡を吹き、白目をむいてひっくり返り、モンモランシーは真っ青な顔で上空を見上げるばかり
豪胆不敵なキュルケも、今回ばかりはぽかんと口を開けたまま空を見上げた。


グルルルル


大気すら震える唸り声が響く


「決定打、戦力として最強」


「確かに最強ね……」


その後、「予備戦力、妹から借りた」というクリストフの声に伴い、タバサのシルフィードまでもがパーティーに加わり、これ以上ないほどに戦力が充実しまくった宝探しパーティが出撃した。

大地と森にすさまじい破壊の爪痕を残して


■■■


一方その頃、ニューカッスルとその周辺を占領したレコン・キスタは、戒厳令を解除し、城下町にはわずかながら活気が戻っていた。
だが、かつて"閃光"と恐れられた男には、およそ活気と呼べる物など残されていなかった。


与えられた任務をことごとく失敗した裏切り者に、周囲は冷ややかな目を向ける。
重営倉入りを命じられ、さらには裏切り者という事で、処分の行方が決まらない。
"前回"はウェールズの命を奪う事に成功していたが、"今回"はそれすらままならなかった。


尽くすべての任務を失敗した裏切り者などに、次の任務などあるわけがない。
また裏切られるのがオチだからだ
一度祖国を裏切ったワルドに残された道は、全ての任務を成功させ、恩賞を得続ける事。
自らが有能である事を示し続け、与えられる恩賞で十分に満足している事を示し、雇い主を安心させ続ける事。


しかし、その計画は最初から頓挫した。
今彼に残された自由は、20サント四方の鉄格子入りの窓から、空をたゆたう雲を眺める事、ただそれだけであった。

だが、そこに影が差す、唯一の自由すら奪われた男の眉根にかすかなしわが寄る。


「"閃光"、だな?」
「ふん、過去の話さ、もはや僕には何も残されていない」


ワルド子爵に話しかけてきた人物は、あからさまな舌打ちをすると、岩を擦り合わせるような雑音の混じった声で不機嫌に言い放つ


「ぐじぐじと、腐った魚のような目をした貴様の愚痴を聞きに来たわけではない!我々と来るのか?来ねぇのか?」
「僕たちの間には分厚い扉がある、手を取りあう事すらできない」


その言葉が終るか終らないかのタイミングで、扉の錠前の部分がぐずぐずと崩れて土くれとなり果てる。
そして、こわばった身体の動きを確かめながら外に出るワルドに布に包まれた何かと、酒が渡された。
フードを目深にかぶった3人の人物、性別も、人種も分からない。


「これはこれは、お気遣い痛み入るよ」
「無駄口を叩いていないでさっさと付いてこい、もう一度営倉に戻りたいのか?」


子爵がふと目をやれば、要所要所に気絶して転がっている衛兵の姿が見える。
フードを被った連中は、ずいぶんと手練の様子だ。


見張りが全員気絶した建物を抜け、街へと4人が繰り出す、行先は場末の酒場
危険地帯から脱したワルドは早速コルクを咥えて瓶を開ける、ポンという子気味良い音が響き、コルクを吐き捨てる音が続く


「おいおい、話が終わる前に酔いつぶれるなよ?」

先ほど魔法で錠前を破壊した人物が、あきれたように警告するが、ワルドの耳には届いていない。
赤いしずくがひげを伝い、服に垂れるが、本人はまるで気にしていない。


「で、こんな辺鄙な場所まで、負け犬を訪ねて来てくれた君たちの意図をそろそろ聞かせて欲しいのだが?」
「酒場に付くまで待て、ここで話す内容ではない。」
「まあそう固い事を言うなよ」

ワルドはその人物のフードを払いのけようと手を伸ばすが、途中でピタリと止める

「マチルダ様に気易く手を触れるんじゃない」


自らの喉元に、鋭く光るナイフが突きつけられていたからだ、伸ばしていた左手はそのままに、右手を腰にやるも、そこに愛杖の感触が無い事を思い出し自嘲した。


「風のスクウェア、トリステイン近衛隊、グリフォン隊隊長のワルド子爵も、落ちたものだね」
「何とでも言うがいいさ」


両手を上に上げ、抵抗の意思がない事を示したワルドに対して、ナイフこそ下げられたものの、警戒の目線は向け続けられた。

酒場につき、バーテンダーに金貨を握らせ、4名は2階の個室へと移動する。


「さて、話を始めようじゃないか」


フードを取り払ったマチルダ、レアン、フィルの3名がワルドに対し、鋭い視線を投げかける


「単刀直入に言うよ、あたしらは古代竜ジャガナートの旦那の配下だ、サイト・ヒラガからの伝言は受け取ってんだろう?」
「ああ、聖地を見せてくれるという話だね」
「答えを聞こうじゃないか」


しばしの沈黙が辺りを支配し、床板を超えて聞こえてくる階下の喧騒だけが空気を支配する。


「断ると言ったら?」


周囲を見渡したワルドの眼に映ったのは、断たれた退路、レアンが入り口を、フィルが窓の位置へ移動し、マチルダが杖を抜く


「ここで死ぬだけさね」
「つまり、選択の余地は無いということだね、いいだろう、君たちに協力するよ、ただし、聖地の真実を教えるという約束は当然守ってもらう」
「それは旦那に直接言う事だね」
「そうさせてもらう」


言うが早いかワルドの姿がかき消え、レアンの前に現れる
右掌でレアンの手首を、左手のひらでレアンの握ったナイフの横腹を挟むように撃ちすえた、地面にナイフが落ちる澄んだ音が聞こえた時には
レアンはすでにワルドに取り押さえられていた。


「レディを護る騎士様がこれでは、少々心許ないな、僕が教育してやろうか?」

だが、それに応えたのはマチルダではなかった。

「ぜひともお願いしたいものです、ワルド様」

キリリという異音にふと目をやれば、フィルの手から伸びた細い糸がワルドの首に軽く触れている。

「やめな、フィル」
「ははっ」

杖をしまったマチルダが、ワルドの前に歩み寄る


「営倉で腕まで腐らせちまったかと思ったが、その様子なら大丈夫なようだねぇ」
「ふん、僕を誰だと思っている?」
「その意気で、こいつも使いこなしてもらうよ、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド"元"子爵」


"元"という言葉にぴくりと眉を動かすが、沈黙を守るワルド
マチルダがゆっくりと包みを解き、中におさめられた物の全貌を明らかにする。

それは一言で言うならば、黒い鞭
サソリの尾のように、先端に湾曲した鋭い棘がつけられた長い鞭


「旦那の所で働く前に、こいつを使いこなしてもらうよ、最も、使いこなせればの話だがね」

ワルドの目に鷹のような鋭さが戻り、その口がゆっくりと笑みの形に歪められた。


■■■


トリステイン魔法学院女子寮、ルイズの私室では、オスマンを通じて届けられた始祖の祈祷書を前にして、ルイズと才人が真剣に話し合いをしていた。


「信じられない…、ジャガナートはこの事を知っていたの?」
「ああ、そうみたいだな」


古い皮の装丁を施されたこれまた古びた本、机に置くと、埃が舞い散る
ほんの少し顔をしかめたルイズは、ゆっくりとその本を開く。


「何も書かれていないじゃない」
「ルイズ、水のルビーだ、あれを指にはめてみて」
「わかったわ」


だが、始祖の祈祷書は、何も書かれていない白紙の本のままだった
いや、何も書かれていないのは変わらないが、うっすらと光る文字が浮かんでくる。


「うそ…、なによこれ」
「ルイズ、集中するんだ、魔法を使うときみたいに」


周囲からは音が消え、いや、音は消えていない、ただルイズの耳に一切の音は届いていないだけだ、ただ己の鼓動の音が耳に響き、それは徐々に高鳴っていく


「初歩の初歩の初歩…エクスプロージョン、エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ…読める、私読めるわ!始祖の祈祷書が!!」
「おめでとう、ルイズ」
「ねえ、サイト!あなたここに書かれた文字が読める?」
「いや、俺には白紙の本にしか見えねぇよ?」


才人は部屋の隅に立てかけてあったデルフリンガーを取り、鞘から抜く
金属のすれ合う澄んだ音が響き、デルフリンガーの輝く刀身が光を反射しキラリと光った。


「お、相棒久しぶりに抜いてくれたねぇ、うれしいじゃねえか!」
「ああ、6000年の伝説の裏付けを頼みたくてな」


才人は目を閉じ、深く集中する
ガンダールヴのルーンが力強く輝き、その光が部屋を照らす


「デルフ」
「なんだ相棒」
「虚無ってのは、エクスプロージョンだけじゃねえよな」
「ああ、そういや思い出したぜ、他の呪文は必要とあれば始祖の祈祷書に記される、だったっけ」
「ああ」


才人はさらに深く集中し、体内の気を高め、それに応じてルーンはさらに輝きを増す。


「虚無の魔法、それはいくつかのスペルを含む、一つは攻撃を担うエクスプロージョン、そして防御を担うディスペル・マジック、敵を幻惑するイリュージョン。我が主よ、心と目を研ぎ澄まし、刮目せよ」


その言葉と、ルーンの輝きに導かれるように、ルイズはさらに深く集中し、始祖の祈祷書のページをめくる
そして、その口が驚きに形に小さく開かれた。


「ディスペル・マジック…イリュージョン」

才人は万感の思いを込めて、ルイズに語りかける

「やったな、ルイズ、ルイズの属性は、伝説の"虚無"だ」

デルフリンガーがカタカタと鍔を鳴らし、からかうような声音で語る


「娘っ子、間違ってもエクスプロージョンの試し打ちなんてここでやるんじゃねえぞ、なにせ、この建物もろとも吹き飛ばしちまうからな!」
「そうだ、ルイズ、森に出て実演してみようぜ」


才人はデルフリンガーと鞘をひっつかみ、ルイズは祈祷書のみを手にして外へと走る。
学院外周部の森の中、人目につかない小路にて実験は行われた

「娘っ子、気をつけな、初めて試す魔法の場合、全ての詠唱をしちゃいけねえ、そういうのは、ここぞという時までとっときな」
「ルイズ、呪文を全て詠唱するんじゃなくて、1小節程度で杖を振って発動させてみろよ」
「うん、やってみる」

ルイズが詠唱したのはイリュージョン、ごくごく短い詠唱の後に杖を振り下ろすと、手のひらサイズのジャガナートが現れた
ジャガナートの幻影は、小さな翼でパタパタと辺りを飛び回り、そして消えた。


ルイズの頬を、大粒の涙が伝う

「う…」

もはや言葉は無い、言葉にできない

ルイズの脳裏に、苦しかった時代の出来事が、鮮明に蘇る。
魔法が使えないので、使用人にすら馬鹿にされていた。
いつもの小舟の中で丸まって泣いていた。

自分を強く保つために、強く見せるために、虚勢を張る事を覚えた。
だが、それは同時に孤立を意味した。

しかし、もう虚勢など張らずとも良い、なぜなら、自分はメイジの中のメイジ
伝説の"虚無"の使い手なのだから。

手で目を覆っても、涙はとどまる所を知らない。
その情景を見て、才人の目尻にも光る物が浮かぶ

「はっはー、相棒、泣いてんじゃねえよ!おめえさんはこれからは虚無の騎士様なんだぜ?」
「泣いてねえよ!」
「ほら行け!騎士様は姫様を護るモンだぜ!」


デルフの言葉を待たずして、ルイズが才人の胸に飛び込んでくる。

「…とう、…りがとう」
「どういたしまして、てか、俺は何もしてねえよ、今までめげずにルイズが頑張り続けてきた、その成果がようやく出ただけだって」
「ありがとう、ありがとう」

ルイズの感謝の言葉は途切れることなく、その涙も途切れる事はなかった。


■■■


そのころ、上空では、巨大な古代竜の背中で、作戦会議が開かれていた。
ギーシュはおっかなびっくりと言った様子で、自分の足元ばかり気にし、視線はウロウロとジャガナートの頭部と、広げられた宝の地図とを往復していた。

「僕のモンモランシー、本当に大丈夫かな、食べられないかな」
「そそそうですよ、皆様、早く降りましょうよよよ」

シエスタもシエスタで、気が気ではない、震えながらギーシュの意見に賛成していた。
それを見たキュルケが半眼でギーシュを見て言い放つ

「全く、トリステインの男はどうしてこんなに度胸が無いのかしら、モンモランシー、付き合う相手を考えた方がよくてよ」

キュルケはというと、ジャガナートの背から突き出た棘に背を預け、泰然自若としている。
カチンときたモンモランシーがすかさず言い返す。

「はっ、ゲルマニアの猪のような男よりはましでしてよ!」
「あら、ゲルマニアの男たちを良く知りもしないくせに」
「あんたほど奔放な女が逃げ出して来たんですもの、野蛮人共に決まっていますわよ」

ぎゃいぎゃいと、収まりそうにもない争いを見かねたジャガナートが、その巨大な口を開き、畏怖を呼び起こす声で語りかけた。

「騒々しい、定命の者の子らよ、静かにせぬか」

静寂が訪れ、翼が打ちおろされる音と風の音だけが辺りを支配する。


「「「「喋った!!!」」」」


全員が同じタイミングで素っ頓狂な声を上げ、それを聞いたジャガナートが再び不愉快そうに声を上げる。

「騒がしいぞ!うぬらの声は耳に突き刺さる、うぬらが貴族を名乗るのならば、それにふさわしく振る舞え」


やかましい連中に叱責を加えたジャガナートは、首をめぐらし、かなりの距離を置いて飛んでいるシルフィードに語りかける

「イルククゥよ、恐れずとも、我はそなたを喰いはせぬ、我が背に降り立ち、翼を休めよ」

きゅ~いと一声高らかに鳴いたシルフィードが、恐る恐ると言った様子で距離を縮め
普通ならば竜の頭の方からアプローチし、徐々に速度を落として着陸するのがセオリーだが
巨大なジャガナートの顎が恐ろしいのか、逆側から接近を試みる。

巨大な空気の渦に巻き込まれ、バランスを崩したりしながらようやくその背に着陸する。
ホッとして思わず気が緩んだのか、シルフィードもまた口を開いた。


「あ~怖かったのね!オジサン本当にお腹すいてないのね?きゅい?ガジガジ食べないのね?」


再び辺りを沈黙と風の音が支配し、クリストフは額を掌で覆ってがっくりと項垂れる。


「「「「喋った!!!」」」」


「喧しい!!」


「あだっ!痛い!いたいのね!叩かないで!もう喋っちゃったから仕方ないのね!こうなったら全員ガジガジするといいのね!おにく!」


「うぬら…放り出すぞ」


もはや事態は混沌の様相を呈している、クリストフはその長大な杖でシルフィードの頭を叩きまくり
シルフィードは口止めのため全員食べる事を提案し
人間たちは右往左往、ジャガナートは不機嫌な声で抗議する。


「もうよい!イルククゥも、我も、人の言葉を解する。この事は他言無用、漏らせば死を持って償う事になる、よいな?」

クリストフとシルフィードを除く全員が、張り子の虎のように何度も首を縦に振り、了承の意を示した。
その様子に満足したジャガナートは、先ほどから脱線しまくり、全く進んでいない作戦について苦言を呈した。


「愚か物どもめが、宝探しといえども、そのような浮ついた調子では何が起こっても不自然ではないぞ!人の住まなくなった遺跡や洞窟などには、怪物どもが住み着いている可能性が高いのだからな」


ジャガナートに一喝され、キュルケが仕切りを開始する、言いだしっぺは彼女だからだ。

「え~、じゃあこの"炎の黄金ブリーシンガメル"から行ってみない?見る限りここから一番近い場所よ?」

眉根を寄せたギーシュが一言感想を述べた。

「なんとも胡散臭そうな名前だね」


クリストフはジャガナートの頭の近くに移動し、ナビゲーションを務め、それらしき建物を発見するも、問題も同時に発生する。
ジャガナートの眼が、幾つもの生き物の存在を捉えたからだ。

「数17、大きさは3~4メイル、でっぷりと太っている、臭いから察するにオーク鬼共だろう」


ジャガナートは翼の確度を変え旋回し、影がオーク鬼達にかからぬように注意し、再び口を開く。

「まず我が上空から1撃加える、ギーシュ、ワルキューレで前衛を務めよ、呪文は降下中に完成させておけ、キュルケとクリストフは援護を、モンモランシーは、我が背からギーシュにレビテーションを、シエスタは我が背で待機、覚悟は良いか?」


誰もがゴクリと唾を飲む、これから始まるのは正真正銘の闘い、一歩間違えば命を落とす。
全員が真剣な眼差しで頷いたのを確認し、ジャガナートは降下を始める。

「行くぞ!」


オーク鬼達ははるか上空に居るキュルケ達を発見できる事も無く、いつもと変わらぬ様子で巣の近くを警戒していた。
しかし、静寂は、バチバチという何かが弾ける音と、轟々と燃え盛る青い焔によって破られた。

気付いた時にはもうすでに遅い、外顎を4つに展開し、内顎を上下に大きく開いたジャガナートの口腔内に、青い焔の塊が形成されてゆく
その巨大な肺腑には、すさまじい量の空気が蓄えられ、はちきれんばかり
口腔の青い焔は硫黄を燃やした爆炎、燃焼温度こそさほど高くないものの、莫大な量の硫黄を燃焼させる熱量は生半可ではない。

「ぎっ?」

何気なく空を見上げ、驚きの声を発したその声が、豚の生涯最後の台詞となった。
轟音を伴い、濁流のように押し寄せる青い焔、それはまさしく焔によってつくられた壁であった。

周りの木々をなぎ倒し、あまりの熱量に生木すら炎上する。
辺りは亜硫酸ガスにより汚染され、その煙はオーク鬼が住処としている廃寺院をも覆い尽くした。

「んぎいいいっ!ゲホゲホッ!」

激しく咳き込みながら飛び出してきたオーク鬼の目が捉えたものは、青い猛火に包まれた仲間たちの物言わぬ躯と
翼を打ち振るい、急上昇する絶対者の姿、そして、その背からバラバラと地面に降り立つ3つの影であった。

「ヒキイイイイッ!ピギイイイイッ!」

悲鳴を上げて仲間を呼ぶオーク鬼の前に、足元の土が形を成し、鉄の乙女が現れる。
その右腕は鋭い突撃槍、左腕はかなりの重量を秘めた大斧であり、それはゆっくりと振りかぶられ、オーク鬼の固い頭蓋を容易く叩き割った。

仲間の悲鳴を聞きつけて、巨大な棍棒を手に現れたオーク鬼達の先頭に、巨大な火球が炸裂する。
一瞬で黒焼きになり、地面に倒れた死骸を踏み越え、怒りの形相を浮かべた次のオーク鬼を襲ったのは、無数の氷の刃
声を上げる暇もなく、全身をズタズタに貫かれ、またしても地面に倒れ伏す。

しかしオーク鬼達は怯まない、仲間たちの死骸を踏みつけ踏み越え、巣を襲った愚かな連中に一撃加えようと、その顔を怒りに歪ませ突進する。
だが、森の空気を切り裂き、鉄の乙女もまたオーク鬼に向かって突撃を敢行していた。

強靭な脚が地面をえぐり、十分に重量を秘めた鉄の身体を前へ前へと押し進める、乙女の右腕は恐るべき突撃槍、それは狙い過たずにオーク鬼の胴体を直撃する。

「ぶぎごっ!」

槍はオーク鬼のだぶついた胴体を前から後ろまで貫き、その勢いはさらに後ろのオーク鬼を仰向けに張り倒してようやく停止する。
ギーシュは器用にワルキューレの前足で、オーク鬼を蹴飛ばし、突撃槍をフリーにする。

一撃離脱による攻撃のため、一度退避したワルキューレの横を、さらに火球と氷の矢が通り過ぎ、旋回の終わったワルキューレが再度突撃した後は、地面に動くものは残っていなかった。

だが、3人が気を緩めた一瞬のすきを突き、腹に穴のあいたオーク鬼が脱兎のごとく駆け出す
だぶだぶと腹を揺らしながら走るオーク鬼が最後に見たのは、鋭い牙の間から見えた青い空であった。


3人の頭上から、メキリ、ゴキッ、グギと、固い何かがつぶされる音が響き、ゴクリと喉のなる巨大な音が響く

「ギーシュ!完全に止めを刺すまで気を抜くな!」
「はっはいい!!」

上空から叱責されたギーシュが直立不動の姿勢になる、風上から地上に降り立った3人は、ガスが晴れるのを待ち、油断なく見張りながら廃寺院へと接近してゆく
ジャガナートが着陸した轟音を背に聞きながら、注意深く廃寺院の中を観察するが、辺りには動くものは一つも見当たらなかった。


戦いが終わった後、ギーシュは自分の手が震えている事に気付く、それは彼の手にしがみついているモンモランシーも同じだった。
キュルケは特に何か気にした様子は無く、廃寺院の入り口に折り重なっているオーク鬼を踏みつけて中に入り、宝箱を持ち出して来ている。


怖いのは僕たちだけなのか、ふと目を向けると、ジャガナートがオーク鬼達の死骸を片端から丸のみしている、気分が悪くなったギーシュは目を背けた。
クリストフはそんなギーシュの肩をぽんと叩き、すぐに慣れる、と告げた。


その日の夕方、焚き火を囲んだ一行は、宝箱を全員で開け、そしてその中身に失望することとなる。

「で、これがブリーシンガメル?これはどう見ても真鍮だよ、土のラインメイジである僕が言うのだから間違いない」
「はずれだったみたいね、じゃあ次はどれにする?」
「はずれだったみたいねって」
「だってそうでしょう?お宝の地図が全て本物だったら、今頃世界は冒険家で溢れてるわ」
「それもそうか」

キュルケの説得に応じ、引き下がったギーシュに、モンモランシーが寄り添い、クリストフは火を絶やさないように調整する。
その火の上には、鉄板がかけられており、薄い生地のパンが焼かれる香ばしい香りが辺りに漂っていた。

「皆さん、もう少しお待ちくださいね、沢山焼き上げますから」

シエスタは、こげてしまわないように手早くパンを焼き上げ、野菜や肉を包み、赤いソースと、緑のソースを用意する。

興味を示したキュルケがシエスタに尋ねた。

「珍しい料理ね、このパンはなんて言うの?」
「はい、ミス・ツェルプストー、これはトルティッヤと言って、トウモロコシの粉で出来ています。」
「へ~、美味しそうじゃない」

そこへ、香ばしい香りを嗅ぎつけたジャガナートが地響きを立てて現れた。

「シエスタ、そなた今トルティーヤと言わなかったか?」
「ひいっ、ええ、トルティッヤです、こ、これで肉や野菜を挟んでトァコッスになります、私の村に、私のひいおじいちゃんが伝えた料理で、おじいちゃんが作った地酒のテキッラと共に、今や村の隠れた名物なんですよ」

シエスタはやや怯えながら、ジャガナートと会話する。

おかしい、タケオ・ササキがゼロ戦と共に漂着し、よせ鍋を作っていたのではなかったのか
いや、そもそもここに才人が居ない時点で、またタバサが変身している時点で何もかも、違ってきている

そして、最大の違いは自分自身だ


気を取り直したジャガナートは、シエスタに注文を出す。

「良ければ我に、その緑のソースを塗った物を一つくれぬか」
「は、はい喜んで!」

ジャガナートの巨大な洞のような口に対し、タコスはあまりにも小さく見えた
シエスタが慌ててしまい、包み紙もろともジャガナートの口に放り込んでしまったが、ジャガナートにとっては些細な事だ。
ジャガナートは、己の口の中に広がるハラペーニョの香りを感じ、まさしくそれがタコスであると確信する。

ふと目をやると、他のメンバーも我先にとタコスを頬張り、ギーシュに至っては反対側から具とソースをはみ出させている。


細かい事は、考えるだけ無駄か


ジャガナートは思考を停止し、再び大きな揺れと共に森の中へと移動する。
やがてジャガナートは自分のミスに気付く、シエスタの祖父の名を聞いておけばよかった。
全ては後の祭りであった。


食後に、愛を語らおうとクリストフとキュルケがキャンプを離れていく

タバサは内心気が気ではなかった、鏡の効力は8時間、もうそろそろタイムリミットだ

だが、キュルケはいつものように"クリストフ"に話しかける

「ねえ、あの時もこんな夜だったわね、おバカな連中にはめられて、あたしはドレスを、あなたは大切な本を焼かれた、そして決闘した」
「…いつから分かってた?」
「最初から」
「そう」

しばしの沈黙が辺りを支配した後、キュルケは立ち上がり、"クリストフ"の背中に優しく手を回す

「ありがとう、やっぱりあなたは、私の心の友ね」
「キュルケが元気になって良かった、私には男友達はいなかったから」

その時、ボフンと音がして、"クリストフ"の姿が消え、ダボダボのシャツだけを羽織ったタバサが現れる。

「時間切れ」
「そうね」

大人の男性用のズボン、ベルト、シャツだったので、ズボンや靴は脱げ落ち、シャツのみが残り、その裾からすらりとしたタバサの足が覗く

「ありがとう、タバサ」

再度キュルケがタバサを優しく抱きしめる。

「ほんとうに、ありがとう」

そして、キュルケはタバサの背中と足の下に両腕を入れ、抱き上げる
靴が履けなくなったので、土の上を歩かせるわけにはいかないという事だろう。

「本当に軽いのね、あなた」

タバサはそれに答えず、人差し指をキュルケの顔の前に持っていく

「1個借り、これで2個目の借り」

その言葉に、キュルケは優しい笑みを浮かべ、ゆっくりと顔を横に振る

「いいえ、今度は私が借り1よ、これでおあいこね、納得がいかないなら、お互い借り1と言う事にしておきましょう」


■■■


焚き火に戻ってきたキュルケとタバサを見て、ギーシュは仰天する

「あれ?僕の目がおかしくなったのかね、ねえモンモランシー」
「いいえ、安心なさって、わたくしの目にも同じものが見えておりますわよ」
「キュルケ、一体これはどういう事なんだい?」

だが、キュルケはそれに答えようとせず、妖艶に微笑むのみ

「いい女達には、多くの秘密があるものですわ、それを掘り下げるのは無粋でしてよ」

そして、ギーシュは姫のように抱っこされているタバサの生足に視線が釘付けになる
白いシャツの隙間からすらりと優美な白い足が伸びており、脳幹に痺れるような感触を抱かせる。

だが、次の瞬間に、モンモランシーからの強烈なビンタを喰らい、現実へと引き戻されるはめになる

「あいたぁ!何をするんだね、僕のモンモランシー!」
「視線がねちっこく嫌らしいわ!」

騒ぎ始めた2名を尻目に、シエスタがおずおずとキュルケに申し出る

「あの、私の実家のタルブ村なら、タバサ様の服が御用意できると思いますよ、いつまでもそのままというのは…」
「そうね、あら…タルブ村?ねえ、あなたの実家ってタルブ村にあるの?」
「ええ、そうなんです」

キュルケは、地面に転がっている宝の地図の中から1枚を拾い上げる

「この"竜の羽衣"という宝物が、タルブ村の近くにあるって書かれているわよ」

それを聞いたシエスタは、恥ずかしそうにうつむき加減になる

「それ、インチキなんです。どこにでもある名ばかりの秘宝、ただ、地元のみんなはそれでもありがたがって、大きな倉庫に飾ってありますし、拝んでるおばあちゃんとかもいます」
「"竜の羽衣"を纏ったものは、自由に空を舞う事が出来るらしいわよ、風系のマジックアイテムかしら?」
「いえ、そんなたいそうなものじゃないです。見れば分かります。」


次の目標地点はタルブ、結局その日は早く休むこととなり、翌朝準備を終えた5人は、再び空へと舞い上がった。


当然の事だが、村は上を下への大騒ぎとなり、事態を収拾させるのに全員東奔西走させられるはめになった。
村を覆い尽くさんばかりの巨大な竜が草原に着陸を行ったのだ、パニックにならない方がおかしい

しまいには、アストン伯が脂汗を流し、決死の覚悟を目に閃かせて緊急出動したり
それを宥めるのにシエスタの証言だけでは足らず、グラモン家のギーシュ、モンモランシ家のモンモランシー、他国の貴族であるキュルケ、タバサ総員の説得でようやく事態の収拾を行った。


そして、シエスタに案内され、格納庫で"竜の羽衣"を見たジャガナートは、驚愕に目を見開き、絶句する。
だが、もともと表情の読みにくい竜の顔であったため、誰もその様子に気付かない。


「これが"竜の羽衣"?ヘンな形ね」


果たして、格納庫に鎮座していたのは、リパブリックP-47であった。
ジャガナートは、WW2時代の航空機に関する高度な知識など持ち合わせていない
だが、そのあまりの巨体と、巨大なプロペラ、翼から伸びている計8丁のブローニングM2重機関銃を見れば
それが何であるかを判断するのは容易であった。

ジャガナートは知らない事であったが
キャノピーが涙滴型であることや、"背びれ"のように見えるドーサルフィンを装備していることから
かなり後期に作られた改良型である事が分かる。

プラット&ホイットニー社製R-2800 星型複列18気筒 4万5000cc 通称ダブルワスプエンジンを搭載し
スーパーチャージャーとターボチャージャーを組み合わせたその出力は2000馬力を優に上回る
緊急最大出力2800馬力
M2重機関銃装弾数3400発
最大爆装重量1トン

最悪の燃費を燃料搭載量で補う、まさに怪物と呼ぶにふさわしい航空機であった。


「なんだねこの鉄の船は、これはカヌーかなにかだろう、どう見ても羽ばたけるようにはなっていない」
「そうね、とてもではないけど、これが空を飛ぶなんて信じられないわね」

キュルケとギーシュが口々に感想を述べている。
だが、ジャガナートは沈黙を守っていた。

リパブリックP-47サンダーボルト?
確か、通称ジャガーノート、jugと呼ばれていた航空機
おかしい、なにもかもがおかしい

「シエスタよ、そなたの曽祖父の名前を教えてくれぬか?」
「はい、ロナルド・カーロです、でも、私たちは貴族ではないので、姓は名乗りません。」
「ふうむ……」

タケオ・ササキではない、ゼロ戦の影も形もない
名前からメキシコ系アメリカンではないかという推察しかできない

「おじいちゃんは生前、テキッラというお酒を飲んでご機嫌になると、周りの人にこんな話をしていたそうです。この機械に乗って敵に襲いかかり、敵の機械を沢山撃ち落としたと、それに、沢山の弾を撃って地面にいる敵の足元を耕したので、"耕しロニー"と呼ばれていたと、そして決まって最後に、また空を飛びたいと涙を流したそうです」
「そうか、シエスタよ、そなたの曽祖父の言葉はまぎれもなく真実である、この機械は空を飛べる」
「なんだって!」

全員が驚きの表情を浮かべるも、誰もジャガナートを疑おうとはしない。

「この機械の名前はP-47、通称ジャガーノート」
「ジャガーノート?」
「手入れと、適切な油を供給してやることが必要だが、この機械は空を飛べる、良ければ我に譲ってほしい、必要な対価を支払おう」
「はい、ただ私の一存では決められないため、家族に相談させてください。」

ジャガナートはその6つの目でシエスタを注意深く観察する
小説では、黒髪黒目にそばかすが特徴で、日系トリステイン人であるため、日本人の特徴を色濃く残していたはずであった。


だが、目の前のシエスタは、確かに黒髪だが、緩やかなウェーブが掛かっており、瞳は黒というより、やや緑色がかった色をしていた。
彫は深く、どちらかというとラテン系の顔立ちである。


ジャガナートは、深く考えても無駄であると結論し、思考を打ち切り、帰って才人に相談する事を心に決めた。



[37866] 第11話:狂獣たちの唄
Name: 裸足の王者◆02eb8771 ID:a2db06b6
Date: 2016/05/05 15:33
二つのガンダールヴ 一人は隷属を望み 一人は自由を願った

第11話:狂獣たちの唄



トリスタニアにおいて、重量物を空輸する方法はいくつかある
ひとつ、フネによって運ぶ方法
ひとつ、複数の竜騎士たちがバランスを取りあい、重量物にロープをかけて運ぶ方法
運搬する竜が大きければ大きいほど、運搬可能な重量は当然増えていく。
では、その運搬者が戦列艦ほどのサイズであった場合はどうだろうか。

今、ジャガナートは5トン近い重量を持った航空機を、トリステイン魔法学院へ向けて運搬していた。
頭の中では、今後の戦略をいかにするか、ただそれを考え続けている


ジャガナートがこれ程の重量物を吊り下げつつも、全く危なげなく飛行しているのは、訳があった
戦略や戦闘等の小難しい事を押しのけ、ジャガナートの脳裏に、ふとタルブでの出来事が去来する。

「きゅい!おじさまは本当に飛ぶのが下っ手クソなのね」
「そうか」
「たぶんおじさまは陸棲ドラゴンの一種なのね!立派な翼を持っていても、私たち風韻竜の一族には到底及ばないのね」
「そこまで言うのならば、其の方が空の飛び方の見本とやらを見せてみよ」
「望むところなのね!」

シルフィードが提案したのは追いかけっこ
単純に相手をドッグファイトで追いまわし、相手の尻尾の先端にタッチしたら勝ち、攻守交替するというものだ
ジャガナートは全身から青い燐光を放ち、轟然と加速するが、シルフィードは翼で風を掴み、独特の軌道を描いてジャガナートの攻撃をかわす。

「きゅ~い!きゅい!すごい突進力なのね、でも当たらなければどうという事はないのね!」

ジャガナートは、鍛え上げた鋼のような筋肉を波打たせ、力任せに翼を打ち振るうが、シルフィードの動きは極めて滑らかで優雅だ
あくまでも風に逆らわず、空気を翼で最大限に捕え、たいして力を使わずに滑るように空を舞う


ジャガナートはシルフィードを後方から追撃しつつ、その動きに注意を払った
そして、いつも追いまわすばかりだったジャガナートが、7対3の割合で徐々に追撃される方に回り始める。
つまり、触れる事すらかなわなかったシルフィードの尻尾を、捕えられるようになったのだ。


今やジャガナートの巨大な3対の翼は、力強さに加えて優雅さを持って空を駆ける
ただ力任せに無理やり空気を掴むのではなく、極力無駄を省き、エネルギー効率を高め、さらに高速高機動で移動できるようになった。


ジャガナートは己の思いが彷徨っている事に気付き、無理やりに考えを戻す。


タルブ領主、アストン伯には厳重に忠告を行って来た
近々必ずアルビオンのならず者どもが攻めてくると

しかし、現存する兵力でこれを迎撃するのは不可能
さらに言えば、アストン伯は竜騎士隊を所持していない

制空権を持たぬものが、空から襲ってくる大艦隊を迎撃出来ようはずがない

ゆえに、ジャガナートがアストン伯に進言したのは、速やかなる撤退


しかし、トリステイン貴族の常で、プライドを傷つけられたアストン伯はそれを聞き入れる様子は無かった。
だが、ジャガナートの、王家より預かりし領民と兵を、無駄に死地に追いやるのかという言葉に対し
アストン伯は真剣な眼差しで虚空をにらみ、考え込んでいた。


進言は決して無駄にならないであろう、ジャガナートはそれを心から願った。
さらに、今後才人が運用するであろう、今自らが爪にぶら下げている、P-47の事も考えていた。


この世界の科学において、天才とも言える才能を発揮しているコルベール
そのコルベールを持ってしても、このJugの胃袋を満たすだけの燃料を生みだす事など、到底できない


だが、効率よく生産出来ぬのであれば、数で補えばよいだけの話だ。




■■■


一方、その頃学院に取り残された才人は、ルイズと共にアンリエッタがゲルマニアに嫁ぐ時の詔を考え
それが終わった後に、ゼロ戦の事を思い出す、だが、"前回"とは違い、ルイズと喧嘩をしておらず、むしろ親密な仲になってしまったため
キュルケが宝探しに誘ってくる事もなく、また異国の竜騎士として優遇されているため、己の住処がボロボロのテントになる事も無かった。


自室で一人、才人は自らの荷物を整理する。
心の中は不安で満たされ、思わずため息が口を突く
学院中を探し回ったが、キュルケも、タバサも、おまけにギーシュとモンモランシー、あげくのはてにはシエスタまで居ない
魔竜の森の穴倉は、しんと静まり返り、主の不在を物語っていた。
単独でタルブへ行く事を思案するも、ジャガナートという高速移動手段が無いため、かなりの日数を要する
"前回"のアルビオン侵攻を考慮するに、もはや時間的余裕は無いはずであった。
まさに万事休す。


突如タルブへ行こうと提案する才人にルイズは眉をひそめ、即座にそれを却下した。

ならばと、陸路で単身タルブへ向かい、侵攻してくるアルビオンと闘おうかと考える才人だが
空の飛べない今の自分は無力であると考え、苦い顔をしつつも思いとどまる。


結局今の自分は、相棒であるジャガナートの圧倒的な戦闘力に頼りきりであり
彼の存在なくしては、何もできない事が悔しい。


ならば、今自分にできることは、と、せめてコルベールとコンタクトを取り、今後の段取りを良くしておこうと画策する
才人はリュックサックにトランシーバーがあった事を思い出し、荷物の底にあったそれを手に取った
スイッチを捻ると液晶に文字が表示され、バックライトが点灯

2つの機械のバンドを合わせ、通話スイッチを押しこむと、軽いノイズと共に相手側の機械から音声が聞こえる。
才人は小さく、よし、とつぶやくとトランシーバーのスイッチを切り、コルベールの研究室を目指した。


コルベールの研究室は、他の教員と違って、学院の庭に設置されている
なんでも、実験に熱が入りすぎ、周囲に騒音と悪臭を撒き散らしたため、追い出されたとの事らしい。

才人は研究室の扉をノックする。

「コルベール先生、こんにちは」
「おお、サイト君、ちょうどいい所へ来た、あれから私の発明を改良してみたんだが、見てくれないかね!」

コルベールはその目を子供のように輝かせ、机の上に改良した「ゆかいなヘビ君」をどんと乗せる

それは以前の授業の時に、才人が「エンジン」の原型であると指摘した、いわば「コルベール機関」とも言うべき画期的な機械であった
機械には、新たなプーリーが取りつけられ、そのプーリーの回転によって点火タイミングと、燃料噴射タイミングを決定し
極低速で、不安定ではあるものの、自立回転が可能になっていた。
言わば、カムシャフトと、ポンププーリーである。
才人は、改めてコルベール先生の熱意と、その発想力、天才的な頭脳に舌を巻いた。


「コルベール先生、あなたのその発想力と、それを実現できる技術力には驚かされてばかりです。」
「いやあ、ははは、ありがとう、君の国の技術からするとまだまだお遊戯の段階かもしれないが、君の国では、これはすでに実用化されているのだろう?」
「はい、陸、海、空の移動手段、その他諸々の分野で利用されています。」
「はは、やはりそうか!まあ、立ち話もなんだ、かけたまえ」


コルベールは照れたように頭をかくと、机の上に乗せられた様々な器具や本、書類を横に押しやり、茶を入れるべく悪戦苦闘し始める。
しばらくして才人の前には良い香りを漂わせるお茶が用意されたものの、その容器はビーカーであった。

「いやあ、すまないね、気のきいた茶器がなくて、何せ茶器など買う金は全て研究費になっているのだよ」
「いえいえ、お気遣いなく」

才人は手に持っていたトランシーバーをコルベールの前に置くと、茶を飲んでいたコルベールの手が止まり
その目はさらなる好奇心に輝く。

「サイト君、これはなんだね?」
「これはトランシーバーと言って、僕たちの国の簡易通信機械なんです」
「簡単なツウシンキカイ?」
「ええ、かなり離れていても、お互いの声を聞きとる事が出来る道具なんです、実際に試して見ませんか?」

二人は研究室を出て
才人はコルベールにトランシーバーの使い方を説明し、コルベールから離れた位置に立つ

「こちら才人、コルベール先生聞こえますか?どうぞ」

次の瞬間、トランシーバーなど通さなくても良いほどのコルベールの絶叫が辺りにこだました。

「なんだこれは!なんとも素晴らしい!この機械を介して君の声が聞こえたぞ!」

目を知的好奇心でギラギラに燃え立たせたコルベールが、息も荒く突撃してくる。
その運足は無駄がなく、その速度を見て、鍛えてんなあコルベール先生、と呑気なことを考える才人。

「これがきみの国の技術かね!なんとも素晴らしい!我々の国では、使い魔とメイジの絆以外の通信手段は無いのだよ」

コルベールは矢継ぎ早にまくし立て、全身で感動を表していたが、突如険しい顔をして立ち止まる。

「メイジと使い魔、感覚の共有…、魔力波の同調…。」
「コルベール先生?」
「すまないが、サイト君、これを私に譲ってくれないか?いくら君に支払えばいい?」
「いえ、先生、お金はいりません。代わりに、燃料油を作っていただければ」
「お安い御用だ!まかせたまえ!」
「それが、特殊な油でして」
「ならば見本を渡してくれないかね」
「分かりました、今すぐにというわけにはいきませんが、お願いします。」
「ああ、この杖にかけて、必ず約束を果たさせてもらうよ!」

言うが早いかコルベールは机にかじりつき、トランシーバーをこねくり回し始める
才人はビーカーに残っていたお茶を飲み干すと、一礼して研究室を辞した。

空には太陽が高く登り、才人は手でひさしを作り空を見上げる。
そして、そこに黒い点を見つけて笑みを浮かべる。

頼りになる親友が帰ってきた!早速タルブヘ連れて行ってもらおう!
だが、シルエットが変だ、まるで、胴体が二つあるようにも見える。

この日、コルベール先生は同時に2つの研究対象を手に入れ
狂喜のあまり文字通り躍り上がり、連日徹夜で研究をしたせいで、以降授業の殆どを自習にしてしまった。


だが、ここで大きな問題が発生する、P-47の内臓燃料タンクは驚きの456ガロンであり、リットル換算で1700リットル以上の燃料を飲みこむ大食漢なのである。
さすがのコルベールにも、通信機を研究しつつ、樽11個分もの燃料を生産するのは、彼の健康にも、毛根にも決して優しいとは言えない


ジャガナートは、才人にナルド一家の手を借りるようにとの指示を出す。


「ジャガナート、ナルド一家ってのは?」
「行けば分かるであろう」

訝しげな才人の顔を見て、ジャガナートの顔に裂け目のような笑みが浮かんだ。


■■■


その日の夕方、ルイズと共にトリスタニアに到着した才人は、ナルド一家の情報を集めて回るのだが
その名を聞いた表通りの連中は誰一人として良い顔をしなかった。

以前香辛料を売ってくれたおばちゃんにいたっては、才人たちを案じて説教まで始めたほどである。

「あんたらみたいな子供が、あんなやくざな連中とかかわりあいになっちゃいけないよ!」
「一体どんな連中なんですか?」
「そりゃもう!とにかく腕が立つ上に、喧嘩っぱやい事で有名な連中さね、おまけに全員メイジって話だよ、ああ恐ろしい」

このように、才人たちの身を案じる声か、かかわり合いになりたくない、というあからさまな拒絶しか聞かれなかったのである。


ただ、街で聞き込みを続けていくうちに、アジトの場所は知ることができた。
裏通りの一角にあったのは、修復の跡の目立つボロボロの建物群である。
目つきの悪いみすぼらしい格好の男達がぶらついており、非常に近寄り難い。


排水路の流れも淀み、サイトは鼻に進入してきた汚泥の腐敗した独特のにおいに眉をひそめ
小さく鼻から息を噴出す。

高貴な身分のルイズはすでに涙目だ


意を決して扉をノックすると、がたがたと外れそうな音と共に埃が舞う
やがて内側から扉が開き、鋼の肉体を持ったゴリラのような男が現れる。
その視線は貫くがごとく力強く、才人は思わず唾を飲む。


だが、次の瞬間ゴリラは破顔一笑し、先生のご到着だ!若頭を呼べ!との大音声を発した。
奥からボサボサ頭に黒いアイパッチを付けた男がのそりと顔を出すと


見覚えのあるその姿に、サイトの顔にも笑みが浮かぶ。

「ウェールズ殿下!」

すぐに才人の後頭部に鋭い突込みが入り、サイトはつんのめった。

「あんた馬鹿じゃないの!?このチンピラのどこがウェールズ殿下よ!」

爆笑したウェールズが変装を外すと、今度はルイズの顔が蒼白になった。
亡国とはいえ、他国の王族をチンピラ呼ばわりしたからだ。


「殿下!もうしわけございません、御無礼をお許しください。当然罰はお受けいたしますゆえ…」

平身低頭し、まくしたてるルイズに、変装を戻しながらウェールズが話しかける。

「ミス・ヴァリエール、貴族様が俺達みたいなチンピラにペコペコしてちゃいけねえ」

ドスの効いたその口調は、その出立ちも相まって、とても王子の口調とは思えない。
あんぐりと口を開けたままのルイズに、ウェールズがニヤリと笑い、なかなか堂にいっているだろうと問いかけてくる。
才人は苦笑いを浮かべていた。


中に通されると、そこにも異世界が広がっていた。
そこかしこに鋭い目をした、明らかに真っ当な商売をしていない男女がたむろしている。

ふと、目線を動かせば、妖艶な笑みを浮かべて男にしなだれかかる美女がルイズの目に映る、そしてその隣の、剃りあげた頭も眩しい侠

なんと、ダモルト伯爵夫妻である。

社交界にて彼らの顔を覚えているルイズには、目に映る全てのチンピラが、各々全て名のある貴族
それも古くからアルビオン王家を支え続けていた人々である事が理解でき、その美しい顔は驚愕一色に塗られていた。

そして、建物の一番奥の、みすぼらしい椅子に腰掛け、古い木の机に頬杖をつき、笑顔でひらひらと手を振る、下品なまでにきんきらきんの老人を見て、ルイズは思わず卒倒しかかった。

「ジェームズ王陛下!」
「どうじゃな?なかなかかっこいいじゃろう。ほっほほ」

サイトの顔にも、苦笑いが浮かびっぱなしだ。
その姿は、王族としてはあるまじきものであっても、暴力団ナルド一家の元締めであれば問題ない。
王族は本音を滅多に口にできないが、今は違う。ジェームズ1世はもはやただのジェームズであり、せいぜい300人程度の暴力団を纏めている男に過ぎない
その表情は穏やかになり、少しホッとしたような、安らいだ笑顔を浮かべていた。


彼はもはや自由であり、来たるべき再起の時に向けて
そして、若き風にその道をゆずるために
今はただその翼を休める時なのだ。


ジェームズは気さくにも、自分と同じテーブルに着くように才人たちに勧める。


「なぁに、なにも遠慮する事はない、さあさ、かけなされ」


才人とルイズは椅子に腰かけ、才人が燃料の生成を手伝ってほしいと切り出す。
心に余裕のある彼らは、恩人である才人からの依頼に、一も二もなく応じ
我先にと競って手伝いを申し入れる。

その結果、学院はずれの魔竜の森には、総勢200名もの名うてのメイジ達が集結し
助手として彼らを紹介されたコルベールはあんぐりと口を開けて固まってしまった。

なにせ、全員どっからどうみても100%純粋のやくざたちだったからだ。

集まった200名ものやくざを前にして、ややへっぴり腰だったコルベールも
やがて打ち解け、熱心に燃料精製の指導を行った。

その努力が実り、才人の新たな相棒を満腹にすることが出来た。
いよいよテスト飛行のその日、新たな問題が発生する。

Jugに乗り込んだ才人は、理解する。
こいつは、地面が大好きな恐竜だと。
滑走距離が圧倒的に足りない

だが、目の前に解決策がある、ジャガナートという生きた土木作業機械が。
400t近い重量、どんな固い岩盤もバターのように切り裂く掘削コア。
6000万馬力の生体エンジン、エンスト無縁の鬼トルクと、四脚駆動による圧倒的なトラクション。

加えて土のエキスパートである、土くれのフーケとその配下の美少年たち
それに、ナルド一家の構成員である200名のメイジ達。

その総力を上げるのである。魔竜の森には、1時間足らずで、綺麗に舗装された滑走路が設置された。

整地作業の真似事をしていた才人は、コックピットに飛び込み、発進シーケンスを開始した。

色々と装備を目視で点検する才人、それを覗きこむようにしているルイズ

「ねえ、本当にこんなものが空を飛ぶの?こんな鉄の塊が?」
「ああ、飛ぶさ!確実に飛べる」
「ふうん」
「御主人さま、危ないので梯子を下りて見学してください。」


急に真顔に戻った才人にそう告げられ、ルイズは素直にわかったと告げて梯子を下りていく。
そしてルイズは、素直に才人の言葉に従ったことを、ちょっぴり後悔する。


ラダ― 離陸位置
エレベーター ニュートラル
緊急用油圧ポンプ テストOK
フラップ 離陸位置
カウルフラップ 開
メインバッテリースイッチ オフ
エンジンキルスイッチ オン
エルロン ニュートラル
プロペラピッチ 最低角
ブレーキ オン
キャブレターミクスチャー エンジンスタート
水メタノールインジェクター オフ
スロットル 2.5センチオープン
インタークーラーインテーク クローズ
ターボコントロール オフ

メインバッテリースイッチ オン
セルモーター スタート

プロペラが4回転したのを見計らって、エンジンキルスイッチをオフにすると、ズバラバラッと音がして、排気管から白煙が漏れる。

才人は、その音を慎重に聞き取りながら、ミクスチャーレバーを操作する。
やがて2800馬力の怪物が、空気とハイオク燃料という朝食をモリモリと平らげ、だるそうに目を覚ます

大気は震え、辺りは18気筒のエンジンが奏でる凶暴なオーケストラによって支配された。
あまりの騒音に思わずキャノピーを閉じる才人。

サイトの目は、熟練パイロットのように素早く計器をチェックし、Jugが極めて健康体であることを知る。

しばしの暖気の後、ブレーキをリリースすると、5トンの恐竜がのっそりと動き出す。

透明な電気式ガンサイト越しに、陽炎の立ち上る鏡のような滑走路が見えている。
才人は手早く再ブレーキをかけ、プロペラピッチとスロットルレバーをゆっくりと前に倒す

エアインテークが開かれ、インタークーラーが圧縮した空気をクールダウンし、エンジンは更なるパワーを吐き出す。

まだかまだかと急かす様な機体に褒美をくれてやるようにブレーキをリリースすると
Jugは矢のように加速した。


プロペラピッチ 離昇
フルスロットル、ブースト圧最大
水メタノールインジェクターオン
WEP(ウォーエマージェンシーパワー)緊急最大出力

2800馬力を発揮する近代の怪物が、再び空に舞い戻れると狂喜し、多数の排気管から猛然と火を吐き散らす

すこしの浮遊感とともに、大飯ぐらいの化け物は、再び空へと舞い戻る。

キャノピー越しに地上を見ると、興奮を抑えきれないコルベールが、子供のように跳ね回り、徹夜の疲れなどまるで無いかのように踊り回っている。

才人は、プロペラピッチとブースト圧、エンジンスロットルを調整し、油温計の温度が正常範囲であることを確認する。
当然、全て英語で表記されているにもかかわらず、ルーンの影響により、何をどう操作すべきかが、手に取るように分かるのだ。

才人は、アメリカサイズのバスタブのように広々としたコックピットで、苦笑しつつエアコンのスイッチを入れる、この辺りが随分とアメリカ的だ。
"前回"乗ったゼロ戦とはコンセプトからして全く違う。

防御力と搭載量、快適性を考慮して設計された機体

攻撃力も欲しい

M2ヘビーマシンガンが8丁搭載され、限界まで装薬が詰め込まれたホットロード弾が各々400発、計3000発以上の弾薬が用意された

重くなった

2000馬力級のエンジンを積んだ

燃費が悪い

燃料をこれでもかと積んだ

更に重くなった

ターボを搭載し、緊急出力2800馬力というクソ力で無理やり補った

結果、離陸距離は長いものの、燃費は最悪、低空、低速域での機動性の悪化を招いた。
だが、恐るべき攻撃力と防御力、1tもの搭載量
素晴らしい降下速度と上昇率、高高度性能を併せ持った化け物のような戦闘爆撃機が出来上がったのである。
相手より常に高い位置から、相手より常に優速で、そして8連装された重機関銃から雨のような弾幕を降らせるのだ。


才人は、衰えることなく回り続ける高度計の針をちらと見やる。
操縦桿を倒し、機体を水平に保った。


戦闘機動開始!


操縦桿を倒し、機体を大きくロールさせる、恐竜はその見かけからは想像できないほど素早くロールした。

操縦桿を引き起こすと、翼が空を切り裂くかすかな振動が操縦桿越しに感じられ、旋回によって生じる強烈なGがサイトの身体をシートに押し付ける。

才人は、"前回"相手をした竜騎士達の動きを脳内でシミュレートする、こいつの前では、竜騎士隊などただの動く的だ
小回りの効く風竜とわざわざドッグファイトを演じる必要など、全く無い。


一撃離脱
強いて言うなら乱撃離脱

遥かに高高度から、相手より優速で、鉛のシャワーを浴びせて離脱する。
上空が何か光ったと思ったら、相手は死んでいる。


K14ガンサイトに捉えられた哀れな犠牲者は、8連装された重機関銃の射撃により
文字通り蜂の巣のように穴だらけにされるか、もしくは血煙りとなり、跡形も無く吹き飛ばされるだろう。

途中、才人を追うように上昇してきていたジャガナートの隣を、爆音を轟かせてすれ違う
確かにジャガナートも速い、だが、才人のJugはもっと速い

高度計の針が狂ったように回転し、大地が迫ってくる、ビリビリとした振動が才人の掌に感じられる。
そして、ガンダールヴのルーンがひときわ強く輝き、才人は即座に操縦桿を目いっぱい引き起こす。


「くうっ!!」


Jugの巨大な翼が空気を捕え、才人は急激に加わったGにうめき声を漏らす。

ルーンが告げてくる、低空にとどまるなと

才人は先ほどと打って変って反応の鈍くなったJugの操縦桿を倒し、機体をゆっくりと滑走路へと侵入させていった。

短時間の飛行の後、才人がスムーズに帰還すると
地上は歓声に包まれた。


キャノピーを押しあけた才人は、胸の中に燃える興奮と共に拳を天に突き上げた。
爆発するように上がる歓声

見ていろ、神聖アルビオン軍、タルブまでの長旅大変御苦労
ぜひともその疲れた体に熱い鉛のシャワーをおみまいしてやる。


やがて、才人は視線を感じ、ふとそちらへ目をやれば、白い仮面を被った美丈夫の視線とかち合った。
タラップを伝い地面に降りた才人の耳に、聞き覚えのある声が届く。


「久しぶりだな、サイト君」
「ここにのこのこと顔を出すって事は、聞くまでもねえか」

まるで獰猛な獣のように歯を剥こうとする才人に、男は落ち着けといわんばかりに手の平を上に向ける。

「君の想像通りだ、僕は今日から君の同僚だ」
「これだけははっきりと言っておく」
「なんだい?」

才人の周囲の空気が凍ったように冷えつき、そばに寄ろうとしたコルベールが喉の奥で小さく悲鳴をもらす。

「俺の周りの人間にかすり傷でもおわせてみやがれ、生まれてきた事を心から後悔させてやる」

だが、ワルドは平然としており、柳に風と、吹き荒れる殺気を受け流していた。
しかし、へらへらとしている訳ではない、その目には真剣な光が宿っている

「僕は君の親友、古代竜ジャガナートの配下だ、君と君の周りの人たちに危害など加えるものか、誓うよ」


誓う


その言葉を口にした途端、白い仮面の下から自嘲の笑いが漏れる
裏切り者が口にする誓いの言葉など、どれほどの信用があろうか


「行動で示すさ、気に入らなければ首を切るなりなんなりとするといい」
「はいそうですか、とすぐさまあんたを信用できるほど、俺は人間ができちゃいない、だがあんたが俺の周りの人間にとって味方である限り、俺はあんたに味方するよ」
「ああ、これからよろしく、けど、その甘さ、今後命取りになるかもしれないよ」

才人の口の端に笑みが浮かぶ

「だったら、あんたが"裏切り者"の心理で、俺が裏切られないように先読みすればいい、おおかた裏切るヤツは分かるんだろう?同類の匂いがするだろうからな」


一瞬呆けたような表情を浮かべたワルドは、次の瞬間大きな声を上げて笑い始める

「はっはっは、確かにな!」

ひとしきり大笑いしたワルドは、やがてその瞳に獣の光を宿す

「ひとつ頼みたい事がある、サイト・ヒラガ、ガンダールヴ」
「なんだ?」
「僕ともう一度立ち会ってくれないか?今度は介添え人など必要ない、思惑も必要無い、ただの雄と雄の真っ向勝負だ」

研ぎ澄まされた矢じりのような視線が飛び交い、交錯する

「ああ、いいぜ」


■■■


魔竜の森の空気がきりきりと音を立てて張りつめ、武器を持って向かい合う、2人の男を煽るように風が吹きすさぶ

2人の男、いや、2頭の野獣は、その瞳に野性を漲らせ、互いに睨み合う

魔竜の森は即席のコロシアム

だが、観客は身じろぎひとつせず、咳払いの音すら聞こえない。

2頭の獣の間の空気は歪み、きしきしときしむ音が聞こえてきそうなほどだ
その空気をさらりと受け流し、ぼさぼさ頭のアイパッチを付けた男が間に歩いて立った
そして、その口から、風体に似合ったドスの効いた音声が放たれる。

「分かってんだろうが、お互い、何が起ころうが恨みっこなしだぜ?後からピーピー泣くんじゃねえぞ?」
「無論だ」
「ああ、分かってる」


視線を微動だにさせずにワルドと才人が同意すると、ウェールズはさらに言葉を続ける


「この喧嘩ぁ俺たちナルド一家が見届けさせてもらう、決着はどっちかが意識を失うか、降参するかだ
 金的、眼つぶし、魔法、武器、なんでもあり、男と男のガチンコ勝負だ、当然異論はねえよな?」


「無論だ」
「あろうはずがねえ」


「じゃあとっとと始めるぜ」


ウェールズは懐から金貨を1枚取り出し、2人に背を向けて歩き去りながらその金貨を天高く弾き上げる

キィンという澄んだ音が響き、金貨は2人の間の上空から真下へと落下を開始した。


風は止まり、2人の目には金貨の落下がスローモーションに写り、4つの瞳は、その間をゆっくりと通過する王家の紋章をはっきりと捕える。
チィンという落下音が聞こえるのと、武器と武器が激突するすさまじい音が辺りに響くのはほぼ同時だった。

才人が居合の要領で抜き放ったジャハンナムを、両手で握り締めたジャンナで防御するワルド
素早く転身し、ジャンナでその刀身をからめ取ろうとするが、才人は素早く手首を返し、剣を引き戻す。

目にもとまらぬ5連突きを繰り出す才人、だがワルドもそれをギリギリのところで回避する。
リーチで勝るデルフリンガーを抜き放ち、台風のような連撃を繰り出す才人から、ワルドは空中に身を躍らせ、レビテーションを詠唱する。


ワルドの新たな武器、ジャンナは杖であり、よくしなる鞭、そして敵の武器をからめ捕る鎖


今ジャンナはサソリの尾のように空中をうねり、その先端の棘は妖しい輝きを宿している。
接近戦は不利と見てとったワルドが空中に退避し、レビテーションを駆使しつつ才人に攻撃を加える。


「僕も君の親友からギフトを貰ってね」

ジャンナがうねり、才人の後頭部に襲いかかる
才人の毛髪が数本地面に落ちた。

「僕の名にかけて、どんな武器でも使いこなして見せるさ」

パン!という乾いた音と共に、才人の眼前に突如ジャンナの先端が現れる
金属の激突音が響き、才人がワルドの攻撃を見事に防御した。

だが、次の瞬間に才人は驚愕の表情を浮かべる、弾いて軌道をそらしたはずのジャンナが、再度、才人の死角から襲いかかってきたからだ
獣じみた勘で上体を傾ける才人の頬に、うっすらと赤い線が引かれた。

そして、才人は慌ててバックステップを踏み、ワルドのはるか射程外まで退避する。

「気付いたかな、僕の武器も、君の武器も、兄弟なんだ」

才人は己の顔の左半分の皮膚から、痛覚を含む全ての感覚が無くなっていく事に気付いたのだ、同様に湧き上がる多幸感にも。


「くそったれが!」

才人は罵りながら、鉄の意志で意味不明な幸福感を抑え込む
かすっただけでこれだ、もし、直撃を食らえば、視覚、聴覚を含む全てを奪われ、幸福感の海に沈められるだろう
そして、血はとめどなく流れ続ける、それはすなわち、生命の危機である。

ヤツを空で自由にさせていればそれだけ不利になる
才人は素早く懐から大量の千本を取りだし、流麗なフォームで次々と投擲した。

慌てたのはワルドだ、なにせ千本は、投げられる側からすると非常に視認しにくく、武器ではじいたつもりでも、すり抜けてくる事があるからだ。
このままではいい的だ、急降下したワルドは地面で、強力なつむじ風を作り千本を逸らす。


それを黙って見ている才人ではない、才人の姿が霞み、視認できるのは地面に掘れた跡のみ、
黒い尾を引き、迫る黒い刃を見てワルドの顔色が変わった。

しかし、才人の後頭部にも、快楽の猛毒を含む棘が迫ってくる
トップギア、最高速度、もはや視認すら難しい速度まで才人はさらに加速し、迫る鞭を回避した。

「オオオオオオッ!!」

「アアアアアアッ!!」

大気を震わせる2頭の狂獣の咆哮がとどろき、獣たちは常人の視界の外へと移動する。
もはや2頭の姿は見えず、時折巻き添えを食らった木や地面がはじけ飛び、木片や土がバラバラと降り注ぐ

耳を聾する金属の激突音が間断なく響き渡り、そのあまりの迫力にルイズは思わず1歩下がる。
眉は八の字になり、ルイズは思わずウェールズに話しかけた。

「あの、ウェールズ様、止めなくて大丈夫でしょうか」

ウェールズはおもむろに懐から杖を抜く
あまりの早業に何が起こったのかルイズには見えていなかったが、風の盾によって逸らされた千本がルイズの手前の地面に突き刺さっていた

「二人とも、せいぜい七割か八割程度って所か?まあ死にゃあしねえだろうよ」
「うそ…、どこからどう見ても本気の殺し合いにしか見えませんわ」

ウェールズのグリスで黒く汚れた横顔に、ふと笑みが浮かぶ

「本気だったら、初撃の時点でどっちかがおっ死んでらぁ」


あたりに響く激突音が減少するにつれ、ウェールズは決着が近い事を知る
なにせあれだけ大暴れし始めてすでに五分が経とうとしている。
いかに二人が人間というカテゴリに存在しないとしても、そのスタミナが無尽蔵というわけではない。


「決着を着けるぞ!!ガンダアルヴウウウウッ!!」


轟ッ!!


風が巻き起こる、ワルドはジャンナを縦横無尽に振り回す、その攻撃範囲はまさに結界
腕力だけでなく、風の魔法でブーストされた鞭が、ワルドの周りにある物を球形に削り取っていく
それは、立ち入る物に超絶の快楽死を与える円形の絶対領域



「ワルドオオオォッ!!」



だが、才人はその恐るべき攻撃を、極限の集中力と、獣じみた反応を持って1つ1つ丁寧にかわしていく


そして。


二人の勝敗を分けた物は、やはり、スタミナの差であった。
黒い霞みが立ち上る艶消しの刃が、今やワルドの首に添えられている。


「まいった、降参だ」
「なあ、一つ聞いていいか」
「…なんだ」


その肩は激しく上下し、息も絶え絶えといった様子で応えるワルド


「あんたらスクエアクラスのメイジってのは、巨大な竜巻も作れるんだろう?なんでそれをぶっ放さなかったんだ?」
「僕がちんたら詠唱しているのを黙って見ててくれたのか?ガンダールヴ?」
「いや、そりゃねえな」
「だろう?もう口に香辛料を投げ込まれるのはまっぴらごめんだ、無理やり呼吸したせいであの後は大変な目にあった、おまけに腹を壊してたっぷりと恥までかかされた」

下痢便垂れ流しになったのは、ジャハンナムの毒のせいなのだが、そこまでは才人も知らない
才人は双剣を鞘に納め、それを見たワルドは疲労で思わず地面に座り込む


「僕としては、その対策として極短い詠唱しか必要としない魔法と、このジャンナで戦術を組み立てたつもりだったのだがね」


お手上げだという風情で肩をすくめるワルド


「破壊力の高い魔法は、比較的長い詠唱と、言ってみればタメを必要とする、かなりの量の魔力を練り上げる必要があるからね」
「なるほど、ただ早口で詠唱すれば良いというわけではないんだな」
「ご名答」

ぱんぱん、と軽快な音を立ててズボンを払い、立ち上がりつつワルドは才人に話しかける。
その視線はちらりと隣に佇む桜色の妖精にも注がれた。


「今、この瞬間に、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは死んだ、これからは1平民として(   )とでも名乗るとするさ、さて、ミス・ヴァリエール」
「なに?」
「今の今まで、婚約だの、愛しているだのと、若い君を惑わすような事を言ってすまなかった。」

ルイズの顔に、複雑な色が浮かんで、そして消える。
怒り、戸惑い、不信、悲しみ

そして、次の瞬間、淡く桜色を宿した白磁のような手がふるわれる。

ぱん

辺りに小さな打音が響く
(   )は決してその手を避けようとしなかった。


「愛情の欠片すらなかったの?」
「いや、少なくとも親愛の情はあったよ、だが、それ以上に野心の方が勝っていた」
「私は貴方に少なくとも憧れていたわ」
「すまない、ひどい事をした。いくら言葉を重ねてもどうなるという物ではないが、本当に申し訳なく思っている」

頭を下げる(   )に対し、ルイズはそれ以上なにも言わなかった。
だが、その手は、かすかに震え、何かを求めるように彷徨う


無意識の行動だったのかも知れない、揺れる心を抑えるための


その手は、隣に居る才人の手の中に落ち着いた。
才人は最初、自分の手を強く握り締めるその温かみに戸惑ったが
"前回"のようにルイズを冷やかすこともなく、ただ手を握られるままにしていた。

無論、しばらくたってからその手は振り払われたが、その動作は照れ隠しのようにしか見えなかった。
事実、振り払った少女の頬は真っ赤に染まっていたのだから。


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読者の皆様で (  )に入る名前を考えてあげてください。
あ、あと厨二病なトリステイン人につき物の二つ名もお願いします。


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