「マシン・オブ・デス」という”100%の死を告げる予言機械”がもしもあったらという話をまとめた本を読んで書いてみました。……なんかこうポエムめいてますが。
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僕の人生は終わってしまった。享年十五歳。
これまでの人生は順風満帆だった。親も優しいし、お金持ちだと思う。
友達もいたし、好きな子だって。
でも終わってしまった。それは僕の家がお金持ちで、親が優しすぎたからだ。
「生きてくれ。そして、きっと運命を覆してくれ」
父が泣きながら言う。僕は一人息子で、跡取りだからだ。
父はとても誇り高い人で、家を護る事や血筋というものを心から重んじていた。
母の遺した形見、昔から続く家を継ぐに相応しい男子。僕。
その僕を守るために、コールドスリープに参加する事になった。
研究機関の参加枠に入る事になったのだ。
こんな事になったのは『死に方』が分かるからだ。
僕のではない、誰のでもだ。
血を採って検査するだけで、ありとあらゆる人のどんな死に方も100%的中させる。
魔法みたいだけど統計学で証明されている魔法「みたいな」機械のせいだ。
原理は分からないけど、轢殺と書かれれば必ず何かに轢かれる。車じゃなくてサーカスの象って事もあるけど。
原理不明だけど的中率は完璧なので疑われる事はない。
理屈は不確かでも利用されている現象なんか珍しくはないしね。
重力の根源が分からなくてもスイングバイは出来るし、プールに飛び込みだって出来る。
この機械で、僕は「癌」で死ぬと診断された。
そして十二歳の頃、癌が見つかった。
適切な治療をすれば二十五歳まで生きられると言われていた。
最近の医療では副作用の少ない薬はどんどん作られているし、僕の癌は珍しいけど進行は遅いものだった。
けれど父は、僕のその運命を許さなかった。
珍しい癌で治療手段の開発は遅く、家はお金持ちと言っても世界最大の財閥じゃない。
二十五になるまでに特効薬ができるかと言えば怪しかったし、僕だって若死には嫌だった。
でも……冷凍睡眠は天秤の片側としては微妙なものだ。
治療手段が開発されるまで、眠るのだから。
つまりは死んでるのと同じだ。
手段としては研究機関に依頼して、十年くらい様子を見る手も無くはなかったはずだ。
どんな癌でも「体内の栄養を得て増える」みたいな共通点はあるのだから、場合によれば共通の特効薬すらありうるのだし。
けれど父は家を継ぐという事に対して、強い固定観念があった。
家は絶対に正当な血筋と教育で継がれるべきだ、という考えが。
僕は知能テストの方は合格点を貰っている。
けれど、孫への教育はと言えば。
十八で結婚しても二十五で死んだら子どもは七歳……確かに僕も七歳で家を継ぐとか言われても理解は出来なかったろう。
だから僕は、確実に子どもが家を継げるくらいになるまで生きなければいけない。
十年も経てば延命治療も進歩するから、上手くすればその位で目覚めるかも知れないというわけだ。
けれど……十年。
好きな人は大学を出て働いているだろう。
友達もみんな離れてしまう。
そして僕だけ子どものままだ。十年一昔。でも僕は眠る。つまり一瞬だけを過ごすんだから。
父の事は心から好きだし、家の事も好きだ。
十年でその先の数十年が買えるなら、年老いて「老衰で死ぬ」父に寄り添う事も出来る。
けれど……人間関係は全部死ぬ。
つまり僕は、一度死ぬつもりで眠らなきゃいけない。
父との十年も共有不可能。
ビデオや日記では臨場感も情報量も全く少ないし、十年といえば子どもだって物心がつくだけの時間だ。
……僕は、癌で死ぬ。
だが人生として、十年の眠りは生きていると言えるのだろうか?
つれづれと考えているうちに、冷凍睡眠装置の調整が終わったようだ。
これから体温が徐々に下がって、意識が薄れて。次に気づいた時は寿命ある未来なわけだ。
死を告げる機械の確度は100%。技術的ミスで凍死などはあり得ない。だから僕の生存は絶対で、また死も絶対なのだ。
おやすみ、僕の意識。次の瞬間まで。
おやすみ、僕の前の人生。永遠に。