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[38387] 【艦隊これくしょん】新人提督と電の日々【重要なおしらせ】
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2018/05/19 11:29


 二十世紀が過去へと移り変わり、表面上とはいえ、数百年の平和を教授していた時代。
 暗き水底から現れた敵性勢力によって、人類は海と空を奪われ、大地へしがみつくことを余儀なくされた。
 しかし、突如として始まった戦いは、今までに類を見ない、新たな存在をも生み出す。

 ――傀儡能力者。

 彼らが呼び起こす古き船たち。そして、それに宿る統制人格たち。
 新しき力と古き力。
 二つをたずさえた人類は、失ったものを取り戻すため、海へと向かっていく。

 これは、争いの時代を生きた、とある青年の物語である。





 ※この作品は、ハーメルン様でも投稿しています。
  第三章完結に際し、作品タイトルと第一話サブタイトルを統一。前書きも追加しました。





 2018年春のミニイベントの内容を知り、自分でも驚くほどモチベーションが下がりました。
 艦これを嫌いになりたくはないので、しばらく離れます。
 創作活動自体は続けますが、当作品の更新は当分ないと思ってください。









[38387] 新人提督と電の初出撃
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2016/01/16 12:45




「いただきます」

「どうぞなのです」


 漆塗りの箸を持つ手を合わせると、律儀に言葉が返される。
 こうして「いただきます」を言うのは、もう何度目だろうか。なのに未だ慣れず、少しむず痒い。
 しかも目前には、セーラー服の上から割烹着(もちろん頭には三角巾)を着るという個人的に“ど”ストライクな格好の女の子。
 可愛すぎて直視できん。嘘です本当はガン見した上で押し倒したい。
 そんな劣情を誤魔化すため、自分はちゃぶ台(前任者が残していった物。他にもいろいろある。布団は流石に買い替えたけど)に乗った味噌汁の椀を。


「ん、相変わらず美味い。というかいつもより美味い? 出汁でも変えた?」

「分かりますか? 書記さんからいい鰹節をいただいたので、さっそく使ってみました。気に入ってもらえて良かったのです」

「なるほど。だけど、いい素材を使ってもダメにする人はしちゃうしね。やっぱり腕が良いんだよ」

「えへへ。どうも、なのです」


 少女は照れ臭そうに、もみあげを指でくるくる。
 あぁ、可愛い……。本当にこの娘は艦船なのだろうか。
 白いご飯、油揚げとネギの味噌汁、アジの開き、お新香。
 彼女が作ってくれた朝食は、このご時世、かなり豪勢な食事だ。女の子の手料理にあやかれるだけで、もうこれ以上ない贅沢だけど。
 ほんの一ヶ月前までは女の子と手を繋いだことすら、小学生まで遡らなければいけないほど昔だったのに。うん、本当に幸せだ……って、和んでどうする自分。


「ごめんな、今日は初めての実戦訓練だっていうのに、いつもみたく朝からこんなことさせちゃって……」

「あ、いえっ。気にしないで欲しいのです。司令官さんのお役に立つのが、呼び出していただいたいなづまの役目なのですから! それに、普段通りにしていた方が落ち着くので……」


 いなづまと名乗る少女は、両手を顔の前で振ったあと、誇らしげな笑顔を見せる。
 しがない新人少佐なのに、ただ呼び起こしただけでこうも信頼してくれるのだから、何というか……。
 嬉しいのは確かなんだけど、なんて言えばいいんだろうか、このモヤっとした感情。


「何で自分は、君一人しか呼べないんだろう」

「……? 司令官さん?」

「他の提督は最初から何人も呼び起こしてるんだろう? しかも空母とか戦艦とかまで」

「……らしい、ですね。噂では」

「でも、自分は何度試しても呼び出せなかった。偶然適性が見つかっただけの元一般人な提督じゃ、これが限界なのかな……」


 提督。
 艦隊総司令官、または海軍将官を意味する単語には、現在、もう一つの意味が付け加えられている。
 軍艦などの無機物に宿る魂を励起し、乗組員を必要としない無人艦隊を指揮する、傀儡能力者。
 数十年前、海と空の支配権を奪われた頃から出現し始めたこの能力者は、安全な航路を取り戻すため、ほぼ強制的に軍へと徴兵されるのだ(当然、見返りはある)。
 現状、日本にいる提督はようやく三桁を越す程度。自分は当然、その序列の中で最下位だ。実力、使役艦船数、双方で。
 訓練を始めて早三週間。用意されていた建造済みの艦を励起しようとしても、一向に統制人格は現れてくれず、こうして単艦での実戦訓練を迎えてしまった。
 本当なら艦隊を組めるようになるまで待って欲しいところだが、うまい飯を食わせてもらっている上に給金までとんでもない額が出ている。上のごり押しを退けられるはずもない。


「やはり、電では……駆逐艦一隻だけではご不満、ですよね」


 白米を咀嚼しながら天井のシミを見つめていると、先と打って変わり、寂しそうな声が。
 電は、その声と同じ表情でこちらを見つめていた。
 阿呆か。初陣前の子を不安がらせてどうすんだ自分は。


「違う、そうじゃないんだ。思い出すだけでムカつくけど、先輩方との演習で小突き回されて、電も分かってるだろう。
 基本、戦いは数だ。せめてもう一人仲間が居てくれれば、被弾する確率を大幅に下げられるし、取れる行動の選択肢だって増えるのに……。
 自分が不甲斐ないせいで、電には余計な負担を強いてる。強いることになる。それが申し訳なくてさ」


 ……そうか。自分で自分が情けなかったんだ。
 彼女の向けてくれる信頼に応えられる自信がないから。相応しい実績がないから、後ろめたく感じてるんだ。
 幸いというか、自分の受けた訓練は通常の艦艇戦と違うものだし、短い訓練期間でもそれなりになっていると思う。
 けど、確信は持てない。
 ミスをして、この子を砲弾の雨にさらしてしまうのが怖いと、そう考えてる。
 必要があるなら艦を使い捨てるという選択も必要な提督としては、致命的だろう。


「大丈夫なのです!」


 けれど、そんなどうしようもない男へ、電はまた笑いかけてくれる。
 まっすぐに、見つめてくれる。


「電は、司令官さんのことを信じています。いつかきっと、貴方は有賀中将のような立派な方になれるって。
 なるべくなら、戦いたくはないですけど。でも、司令官さんが望むのなら頑張れます。
 敵さんには誰も乗っていないのですし、いざとなったら艦首をぶつけてでも! 電の本気を見るのです!」


 胸の前で拳をグッとにぎり、彼女は前のめりに意気込む。
 有賀中将。かの戦艦大和、最後の艦長。確か彼も、電の艦長を務めたことがあった。でも、あんな偉人と並び立てるようになるだなんて、過大評価も甚だしい。絶対無理だ。
 と、頭の中では反論しているのに、自分の顔は勝手に緩んでしまう。
 この子は、いろいろと反則だ。そうまで言われて、奮い立たぬ男が居ようものか。


「……ありがとう、電。なら、頑張らなくちゃな。一緒に」

「はいっ。あ、でもでも、タバコはダメですよ? 悪いところまで真似てはいけないのです」

「はいはい、分かってる。憧れはするけど、二階級特進も勘弁だ。……な、電」

「なんでしょう。お代わりですか?」

「ん、それもあるんだけど……」


 ついでとばかりに言葉を付け加えようとしたのだが、無垢な気づかいに出鼻をくじかれる。
 しかし、いい機会が次にいつ巡ってくるのか分からないのだから、ここで止まってしまってはダメだ。
 ちゃんと自分の気持ちを伝えておこう。


「やっぱりさ、一緒にご飯、食べないか?」

「え?」


 おひつからご飯をよそっていた電は、その言葉に目をクリッとさせて動きを止める。


「あの、でも……電達は、基本的に艦の状態さえ維持していただければ、食べる必要は……」

「けど、食事自体はできるんだろう。毎朝隠れて牛乳飲んでるみたいだし」

「はうっ!? そ、そそそそんなことはぁぁ……」


 今度はしゃもじでご飯をペチペチ。泳いだ視線がまた可愛い。
 電は背がだいぶ低い。常日頃から、鎮守府に務めている背の高い女性職員をキラキラした眼差しで見ているあたり、憧れでもあるんだと思う。
 よく「足長いなぁ」とか「背高いなぁ」とか呟いてるし。成長とかできるのか? まぁ、してもしなくても電なのは変わらないか。
 それはさておき、ご飯が山のようになってるからそろそろよしなさい。


「必要があるかないかじゃなくて、そうしたいと思うか思わないか、で考えて欲しいんだ。自分は、電と一緒にご飯が食べたい。
 今日から文字通り、運命を共にするんだ。共に戦い、共に傷つく。敗北の痛みを分け合い、勝利の喜びを分かち合う。
 だから、美味しいものを食べたり、誰かと一緒に食事する楽しさも、君に感じて欲しいんだよ。……ダメか?」

「………………」


 最初の一週間は、引越しやら着任やらで、もうとにかく目まぐるしく、電のことを気にかける余裕がなかった。
 次の一週間は、慣れない訓練で体力的に気を回せず、彼女が食事らしい食事をしていないのに気づいたのはつい最近だ。
 周囲の人たちもそれを当然とし、本人にも「もう済ませました」などと誤魔化されてしまったため、ずいぶんと放ったらかしにしてしまった。それを謝っても、「食事する必要はありませんから」と、世話だけを焼いてくれる。
 しかし、美味しいものを美味しいと感じることができるのなら、勿体無いではないか。
 せっかく人に似た心と身体を得られたのだから、もっと生を謳歌して欲しい。少なくとも、自分はそう思うのである。


「司令官さんは、本当に変わった人、なのです」


 ふと、ため息。
 差し出される大盛り茶碗の向こうには、はにかんだような微笑みが。


「分かりました。司令官さんがそういうなら、次から電の分も用意させて貰います。今日の夕飯、一緒に食べましょう」

「ああ、そうしよう。明日の朝は自分も一品作るからさ。卵焼きには自信があるんだぞ?」

「はい。楽しみなのです」


 漬物と一緒にご飯をかき込みながら、自分達は約束を交わす。
 これで、無事に訓練を終えなければならない理由が一つ増えた。
 訓練と称されているだけあって、今回は目視できる範囲に先輩の艦が居てくれるが、手助けはしてくれない。
 運が悪ければそのまま撃沈。残骸は回収されて次艦のための物資に回されてしまう。

 ――絶対に、そうはさせるものか。

 胸の内で、静かに決意を改める。
 必ずこの子を。電を、無事に帰らせるんだ。


「あ。司令官さん、ご飯粒ついてるのです」

「お、おう……。あり、がとう……」


 ひょい、ぱく。
 と、こんな擬音がピッタリな、自然な動作。照れ臭くて思わず顔を背けてしまう。電は不思議そうに小首をかしげ口をもにゅもにゅ。
 もうなんなんだこの著しく男心をくすぐる存在。嫁にするぞ。
 本当に、どこまで行っても締まらないというか……。
 けど、この方が自分達らしいのかも……だなんて、思うのであった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 潮風が肌を撫でていく。
 降り注ぐ陽光の暖かさ、爆ぜる水飛沫。
 大海原を邁進する喜びは、しかし、自分の身体が直接感じているものではない。


『やっぱり、海はいいな。これだけでも提督になった甲斐があると思えるよ』

「なのです。鎮守府の訓練海域も嫌いじゃないですけど、正面海域に出ると水平線がよく見えます。視界良好、なのです」


 視界を細い腕が移動し、日の光を遮るように額へ添えられた。
 これは、電を介して感じているもの。
 増幅機器に繋がれた自分の身体は今も鎮守府にあり、本体である艦と同化、霊体として具現する彼女を通じ、航海しているのだ。
 傀儡能力者が持つ、同調技能の賜物である。


『兵装の状態は』

「はい。五十口径十二・七cm連装砲三基六門、十三mm単装機銃二挺、六十一cm三連装魚雷発射管三基、全て問題ありません」


 言いながら、電は腕を伸ばしたり自身の体を確かめたりしている。
 いつものセーラー服には、奇妙な部品が新たに付属していた。
 胴の両脇に、ミニチュアサイズの魚雷発射管を模した物体。背中には同じサイズの機関部と連装砲らしきもの。
 電の体についたそれが動くたび、本体の連装砲やら何やらが駆動する。視界には映っていないのだが、確かに動いていると分かる。
 やはり奇妙だ。自分が兵器と一体化している感覚は。


『自分が生まれる前までは、海も空も平和だったんだよな……』


 今までは訓練弾が装填されていた砲には、実弾が込められている。その事実がやけに重く感じる。
 目の前にある穏やかな海からは想像もつかないが、この水面の遥か下方。潜水艦ですら圧壊するほどの深さから、奴等はやってくるらしい。
 条理を超えた敵性勢力――ツクモ。
 軍艦などに似ていながら乗員はおらず、まるで船自体が意思を持ったかのように振る舞う彼等は、長い時間をかけて魂を宿した器物“付喪神”からその名を取った。
 外見的に、いっそ宇宙人とでも言った方が分かりやすいのでは、と自分は思うが、あまり明確に定義すると色々な問題(どんな時代も迷惑な団体は居るのである)が出てくるようで、宗教的にまずい神を取り除いた“ツクモ”という仮呼称が、いつの間にやら正式名称に格上げされたのだ。……と聞いた。


『でもまぁ、そのおかげで自分は就職できたし、電とも出会えたんだから、悪いことばかりじゃないか』

「あ……。ダメですよ司令官さん、そんな言い方。誰かに聞かれたりしたら、反逆罪で捕まっちゃうのです」

『っと、そうだった』


 いつまでも学生気分じゃダメだ。今の自分は曲がりなりにも軍人。
 敵を侮ることも、恐れることもしてはならない。ましてやその功罪を量るなど、越権行為だ。
 そういうことを考えるのは、内地のお偉方に任せよう。
 今は、いつ遭遇するかも分からない敵に気を配らなければ。


「はぁ~。お日様と風が気持ちいいのです~」


 ――と、思うのだけども。
 やけにご機嫌な電の声で、緊張感は綿飴みたいに溶けていく 。
 普段は人の姿をしているから忘れがちだが、彼女も艦船。海に出て航海するのが本領なのだろう。嬉しいという気持ちが強く伝わってくる。
 それにしては、いつもより喜んでいる気もするけど。……いやいやダメだってぇの。気を引き締めろっ!


『ええと、このあとの巡回航路はどうなってるんだっけ』

「確か、もうしばらく進むと、大きな島と岩場が見えてくるはずです。そこをぐるっと迂回しながら手前の沿岸を進みつつ回頭、鎮守府へ帰投する予定なのです」

『そうか……。何事もなければ……訓練としては失敗でも、有難いんだが』


 完全同調をしてからは間もないが、海に出てからはだいぶ時間が経っているため、安全領域である五十海里はとうに超えている。
 敵は排他的経済水域を大きく蝕んでいるのだが、なぜか陸地には一切近づこうとせず、戦闘行動中に逃げ込むような場合でない限り、ある程度の大きさを持つ陸地から九二六○○メートルは基本的に安全なのだ。漁業や魚の養殖なども、この海域内で行われている。
 しかし、以前と比べれば規模の大幅縮小はやむおえず、生活のために安全領域を出てしまう漁船も多い。他の産業も、海外からの輸入に頼ることが出来なくなり、発展の停滞を強いられていた。
 もともと国内自給率を高めようとする世論が大きくなっていたためか、食糧事情については飢えることなく済んでいるのだが、やはり質素になっているらしい。
 この時代に生まれた人間としては、話に聞く以前の贅沢ぶりの方が異常に思えるけれど。
 それにしても……。


『あれが岩場か……。いやな感じだな』


 十分と経たないうちに島影が見えてきた。が、その手前にポツリポツリと隆起した岩礁が多くあるのだ。
 それぞれの間隔はかなり離れていて、無理をすれば電でも通過できそうだが、まぁ、する必要はないか。
 それより、何カ所かに見える、船体が隠れてしまいそうなほど岩が密集している地帯が嫌だ。
 あの大きさの島だと、安全領域は無いに等しい。こんな場所で不意打ちでもされたら厄介にもほどがあ――


『――ってさっそく来たぞおい!?』

「え。あっ、敵艦発見、十一時の方向なのです!」


 岩陰から、ヌルリと這い出てくる艦影。歯を剥いてこちらを睨む、緑の単眼。
 本当に生きているみたいだ。艦首だけを切り取って見れば、まさしく地球外生命体である。いや、紛れもなく地球産なのだが。残骸の成分的に。
 多分あれは、駆逐艦。等級は……ダメだ、分からない。
 とりあえずT字にはなっていないし、待ち伏せされていたわけではないようだ。


『電、戦闘準備。並びに面舵四十』

「はいです」


 砲塔を回しつつ、岩場を離れるように進路を右へ。
 こちらを追ってか、敵艦は同航戦の構えを見せている。
 怒音。
 単装砲が向けられ、闇雲に放たれた。
 記憶にある資料を頼るなら、敵駆逐艦砲塔は五インチ相当。有効射程には程遠いが、時折、かすめるように上がる水柱が、精神に重圧を課す。


「……っ」

『怖いか、電』

「……ちょっと、だけ」


 かすかな震え。ぎゅう、となる胸の痛み。無理もない。自分もそうなのだから。
 直接相対して分かったことが一つある。あれは、おぞましいものだ。
 冷たい鋼鉄から放たれる、混じりっ気のない敵意。色んなものが混ざりすぎて、混沌とした怨念の吐息。
 相手が単艦で助かったのかもしれない。慣れない内にこんなものを浴びせられては、心が凍ってしまったことだろう。
 戦地に赴かないはずの提督に戦死者が出るのには、これが関わっているのか。「気をしっかり持て」と言われるわけだ。
 とにかく、これでハッキリした。自分はあれを倒さなければいけない。そうすることが人としての責務だと、実感した。
 けれど――


『大丈夫だ、電』


 ――そんなの、後回しだ。
 自分が今したいのは、この身に代わり単身で戦場へ赴いている少女に、寄り添うこと。
 戦意を奮い立たせるのなんて、その後でいい。


『その場に居ない人間が言っても説得力はないかもしれないけど、自分達は心で繋がってる。
 君の痛みも、恐れも、ちゃんと感じてる。一緒に乗り越えよう。心だけでも、側にいるから』

「司令官さん……」


 なかなかに小っ恥ずかしいセリフだが、戦場というシチュエーションが手伝ってか、すんなり口にすることができた。
 電の身体からも、適度に緊張が抜けていく。


「ありがとうございます。ちょっと、身体が軽くなったみたい」

『なら良かった。……さぁ、行くぞ』

「はいっ」


 そうこうしている内に、敵艦との距離が詰まってきていた。
 初めての実戦。絶対勝てる自信なんて無いが、この子を無事に帰投させるのだけは確定している。
 最悪、逃げるという選択肢もあるが……ここは一つ、完全勝利を目指そう。そのくらい出来なくては、提督の名がすたる。
 有効射程まであと少し。
 電本体の連装砲が微妙に角度を調整。必中のために合図を待つ。
 まだだ、もっと引きつけろ。
 もっと、もっと、もっと――今。


『砲撃開始!』

「なのです!」


 轟音、轟音、轟音。三基の連装砲が火を吹く。
 ――戦闘、開始だ。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「その後、電は見事な砲雷撃戦を繰り広げ、最終的に無傷で敵駆逐艦を撃沈せしめました。
 ……と、ここまでは良かったものの、勝利に浮かれて前方に飛び石の岩礁があることに気づかず、速度を緩めるのを忘れ衝突。
 小破となり、完全勝利とは言えない結果で終わりました」


 忙しなく羽ペンを動かしながら、メガネをかけた少女が、古臭い黒電話に報告をあげる。
 思考分割を駆使しているため、言葉の内容と筆記内容はまるで別物だ。


『締まらんな。だが、初陣にしては上出来か。解放された艦船は回収できたのだろう』

「はい。整備を終えれば、正式に彼の部隊へ配されます」


 受話器から聞こえる、壮年の男性と思しき厳つい声へ、少女は流暢に用意していた答えを発する。
 今回、敵が依り代としていたのは、電と同じ型の駆逐艦の模倣であった。
 通例として、依り代から解放された艦船は、模していた艦船への改装・整備が行われ、解放した艦隊の司令官の元へ配属される。
 とはいえ、船体自体は無傷で解放されることがほとんどのため、実際に行うのは正規兵装の追加と、内部の掃除くらいである。

 そこから先は、その司令官の自由。
 新たに統制人格を励起するか、解体して資材に回すか。はたまた、内地への支援物資とするか。
 鉱物資源に乏しく、強制的な半鎖国状態に置かれ、物資の輸出入が難しい状態にあるこの国では、どこからともなく現れ、貴重な鉄資源を供給してくれる敵が、工業の生命線でもあった。

 もっとも、彼等――もしくは彼女等がどこからやって来るのか、正確には分かっていない。
 海底山脈の資源を利用し、人の兵器を模倣しているのだと学者達は唱えているが、どこまで当たっているやら。
 深海から無傷で浮上してくる技術など、こちらが模倣したいくらいなのに、一度浮上すれば普通の艦船と同じになってしまうあたり、なんとも。


『……で、今は』

「高速修復剤で電の状態は良好です。その後彼は、何やら『コツを掴んだ』と、連れ立って艦の励起に向かいました。まだ整備は終わっていないと申したのですが、聞こえていなかったようで」


 呆れ果てたような口ぶりと、刻まれる表情とはやはり裏腹だ。
 それもそのはず、確信を得たような凛々しい表情をする彼と、おでこに大きなバッテン印をつけた電は、傍から見れば兄の後をついて回る妹のようにしか見えなかったのだから。
 経験に勝る信仰はない。数値の上では問題ないのに励起できなかったのも、おそらくは自分の能力を信じきれていなかったのが原因。
 自らが呼び起こした船で、その統制人格とともに戦い、痛みを共有した今であれば、今度こそ上手くいくだろう。そうして、彼も数多の船をあやつり、この国のために戦い始めるのである。
 ……まぁ、ようやく頼り甲斐の出てきた背中を見つめる電の姿に、微妙な嫉妬を伺わせるあたり、今後は別の意味で苦労しそうではあるのだが。
 そんなことを思いつつ、バレないように苦笑していたら、電話口からは変わらず冷淡な声。


『やはり、事実なのか』

「と、言いますと」

『傀儡のことだ。奴の電、励起当初から感情を有していた上、今までの統制人格とは見た目にも違うらしいな』

「……はい。私自身が直接確認しました。彼女――あの電は、間違いなく感情を宿しています」


 本来、艦艇から呼び起こされた統制人格――傀儡は、まさしく人形なのだ。
 知性はあっても知恵がない。精神はあっても感情がない。唯々諾々と命令に従い、散って行くヒトカタ。
 そんな彼女達が感情を宿し得るのは、幾つもの死線をくぐり抜け、長く旗艦を勤め上げられるような大型艦船――最低でも軽巡洋艦などに限られる。
 駆逐艦などはそれ以前に撃沈されてしまうことがほとんどであるから、必然的にこうなるのだ。
 しかし、着任したばかりの、名ばかりと思われていた提督が励起した駆逐艦には、最初から感情が宿っていた。
 前代未聞、である。


『全く、惜しいものだ。傀儡に主従制限さえなければ、無理やりにでも励起させて艦隊を作り上げられるというに』

「そう、ですね」


 感情を宿した統制人格は、あらゆる意味で通常の傀儡と一線を画す。
 彼女達は戦況に応じて自ら判断し、司令官の意図を汲み取り、人馬一体の如き動きを見せる。
 例えば、感情のない傀儡空母の操る無人戦闘機などは、よほど司令官が“上手く”ない限り、一糸乱れぬ一斉攻撃しかできない。
 一方、感情を宿した傀儡空母であれば、例え命令がなくとも戦闘機を効果的に配し、最大効率で攻撃を行うことができる。
 使役艦船が増えれば増えるほど負担の増す傀儡能力者にとって、これほど役に立つ存在はないだろう。
 とはいえ、声の主が言うとおり、それは夢物語だ。一度励起された統制人格は、励起した当人にしか従わない。貸し借りなど出来ないのである。


(ある意味、それが救いよね……)


 もしもこの主従制限が無ければ、彼は魂が枯れるまで空母や戦艦を励起させられることになっていただろう。
 彼のことだ。
 ただ使い捨ての駒にさせるために統制人格を励起し続けるだなんて、きっと耐えられない。
 彼は、そういう人なのだ。


『理由はさだかでないが、しかし有用であるのは確か。せいぜい期待させてもらうとしよう。今後も注意深く、な』

「はい。お休みなさいませ。……兄様」


 言い終える前に、通話は切れてしまった。むしろ、聞こえないように言ったのか。
 どちらにせよ、手にしている意味のなくなった受話器をもどし、少女は立ち上がる。
 ずいぶんと話し込んでしまっていたようで、窓の外に見える空は、白み始めていた。

 戦争は――戦いというものは、優しい人をこそ、大きく歪ませる。
 傷つき、傷つけ。
 奪い、奪われ。
 殺し、殺され。
 終わりのない連鎖に絡め取られた心は、自分を守ろうと強固な殻を身に纏う。


(あの人は、変わってしまった。もう戻れないまでに。だけど)


 ――私だけは、見捨てるわけにはいかない。

 光。
 遥か彼方の水平線から、また太陽が登ってくる。また、戦いの日々が始まる。
 始まりは何だったのか。終わりはいつ訪れるのか。闘争の末に待つ未来は。
 何も知らない、知ることを許されない身。それでも、祈らずにはいられなかった。
 どうか。
 どうか今日も――





「暁の水平線に、勝利が刻まれんことを」




















 鎮守府に着任してからようやく一週間くらいの新人提督ですが、なぜかこんなものを書いてしまいました。
 猛烈スランプの息抜きに書いたものなので、色々と適当です。戦闘シーン? 無理っす。
 艦の見た目が分からない方は、「艦これ」で画像検索すると幸せになれます。ただしネタバレ画像も出るのでご注意を。
 それでは、失礼いたします。

 電ちゃんマジ新妻。





 2013/08/31 初投稿
 2013/09/07 その他板へ移動
 2013/10/19 ご指摘にともない、一文を追加
 2013/11/03 ハーメルン様とマルチ投稿を開始させていただきました。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
 2016/01/16 タイトルを別サイトの物と統一しました







[38387] 新人提督と第六駆逐隊の朝
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2013/09/07 12:30





「――官さん、朝――よ」


 まどろみの中、ふと、柔らかい感触が鼓膜をくすぐった。
 聞き慣れた少女の声。
 含まれる優しさは、しかし、逆に精神を覚醒から遠ざける。


「もう――飯、作り――よ? このま――とみ――、暴動を起こしちゃうのです」


 怒っている……ようにも聞こえる子守唄は、身体をゆする心地よい振動が加えられたせいで、まさしく夢見心地。
 ああ、あと五分。いや十分。いやいや、むしろずっと眠っていたい。
 心の底からそう思えてしまう。


「……えい」

「んご」


 鼻に奇妙な感触。同時に呼吸も苦しくなった。
 またたく間に眠気が収まっていき、ゔあぁ、なんて呻きながら口で呼吸。
 仕方ないのでまぶたも開ける。


「おはようございます、司令官さん」

「……おはよう、電」


 にっこり。春の日差しを思わせる笑みを浮かべて鼻をつまむ少女と、挨拶を交わす。
 そこにいたのはもちろん、自分が初めて魂を分けた存在――いなづまだ。


「あれ……何時……?」

「八時ですよ。今日はお寝坊さんなのです」


 布団を抜け出しながら大きく背伸び。
 言われて壁の時計を確かめてみると、確かに八時。いつもより一時間ほど遅い。
 ……のわりに、妙な気だるさが残っているというか……。


「大丈夫ですか? なんだか、まだお疲れみたいなのです……」

「ん……。いや、平気。もう起きるよ」

「はい。それじゃあ、電は台所に戻っているのです。みんな待ってますから、早く来てくださいね?」


 パタパタ、と忙しそうに割烹着をひるがえし、電がふすまの向こうへ戻って行く。
 その背に「ああ」と返事をしながら立ち上がり、もう一度背伸び。
 息を吐いて視線を窓に向ければ、海へ面した軍港が遠目に入る。
 横須賀鎮守府。
 第二次世界大戦時にも旧日本軍が軍港を置いたこの場所は、今また、最前線の基地となっていた。
 自分のいるここは、その中に作られた提督専用の宿舎である。ほぼ一軒家に近く、前に住んでいたアパートよりだいぶ広い。快適だ。


「さて、早く顔洗って着替えなくちゃな」


 寝巻きからシャツへ着替え、廊下に出て洗面所へ。
 顔を洗って口をゆすぎ、あとはちょいっとヒゲを剃って髪をとかせば、男の身だしなみは完成だ。さっさと居間に行こう。


「おはよう、みんな」

「あ、おっはよ~司令官! でも遅い~」


 居間へ続くふすまを開けると、さっそく元気のいい声が返る。
 ちゃぶ台を囲んでいるのは、電と同じデザインのセーラー服を着た、三人の少女達。


「ご機嫌ようです、司令官。レディーを待たせるなんて、いいご身分じゃない?」

「ごめんごめん、なんだかぐっすり眠っちゃってさ。疲れが抜け切ってないのかな」

доброе утроおはよう、司令官。仕方ないさ。実戦の疲れというものは意外に長引く。きちんと休むのも仕事のうちだよ」

「ま、暁は早く司令官の卵焼き食べたくてイライラしてるだけだよね~。気持ちはよ~く分かるわ。うんうん」

「んなっ!?  ち、ちが……!」


 ワタワタと顔を真っ赤にする黒髪の少女に、ちょっと意地悪な笑みを浮かべる電とそっくりな少女。そして、静かに茶をすするロシア語で挨拶した白髪の少女。
 名を、あかつきいかづちひびきという。
 この三人は、つい二日ほど前に励起したばかりの、新しい統制人格達だった。


「そこまで期待されちゃ、待たせるわけにもいかないか。すぐ作るからな、暁」

「べ、別に期待なんかしてないけど、作ってくれるなら……って、頭なでなでしないでって言ってるでしょ!?」


 行儀良く、ちょこんと正座する暁を一撫でし、台所へ。
 高さを調節する台に乗って、漬物らしきものを刻む電の後ろ姿は、幼妻という他にない。


「今日の献立は?」

「お豆腐とわかめのお味噌汁に、イワシのみりん干し、白瓜の味噌漬けなのです」

「美味そうだ。んで、あとは自分が卵焼き作る、と」

「はい。お願いできますか?」


 見上げる視線に「もちろん」と頷き、出汁の残された鍋を手に取る。
 そこへ多めの卵と、薄口醤油に砂糖を適量つっこみ、切るようにかき混ぜて……。


「電」

「はいです」


 すい、と差し出される菜箸に四角いフライパン。
 以心伝心、二人そろって(電は台ごと)コンロの前へ。
 じゅううう、という音と一緒に、香ばしい匂いが広がった。


「はぁ~、いい匂い~。電ったら、よくこんなのを何日も我慢できたわよね、ほんと」

「なに言ってるのよ。暁達は別に食べる必要なんか無いんだから、食欲なんてそもそも――」

「暁、よだれ」

「ウソ!? ……あれ、着いてない」

「うん。嘘だからね」

「ひーびーきー」

「ご~はん~、ご~はん~♪」


 素知らぬ顔の響を睨みつける暁に、頬杖をついて歌を口ずさむ雷。
 背中に目なんてついてないはずだが、その光景がありありと浮かぶ。
 少しは手伝おうとしてくれてもいいんじゃないか? まぁ、二人でこうしてるのも乙だから良いんだけどさ。


「全く、ずいぶんと賑やかになったなぁ」

「あはは……。騒がしくて、ごめんなさいなのです……」

「ううん。実家にいた頃みたいで、楽しいよ」


 イワシの身をひっくり返しながら、電は恐縮しきり。
 けれど、困ったような顔は、言葉にしなくても伝わってしまう嬉しさをにじませていた。
 こうしていると、本当に家族になったみたいだ。あぁ、電みたいな子が嫁になってくれたなら、いったいどれだけ幸せか。
 可愛いし、健気に尽くしてくれるし、気が利いて、ちょっと見栄っ張りで、可愛くて(二回目)、料理もうまいし、頑張り屋で、慌てんぼうなところもあるけど、やっぱ可愛いし(三回目)。
 あれ? なんだこの妄想と願望を具現したみたいな完璧女子。結婚したい。


「ほっ。よし、一本完成」


 ――と、煩悩を全開にしている間も、長年繰り返した動作は淀みなく。
 焼きあがった卵焼きを皿に移し、油を引き直して残った半分の卵を流し込む。


「……司令官さん。ありがとうございます」

「ん? なんだ、どうした急に」


 唐突に、お礼を言われてしまった。
 やましいことを考えている最中だったから内心ビクってしたけど、なんとか顔には出さずにすんだ。あっぶねぇ……。


「みんなのことを呼んでくれて、なのです」

「ああ……。どういたしまして。けど、もう何回も言ってもらったし、そんな気にしないでいいんだぞ」

「何回でも言いたいのです。
 こうしてみんなと再会して一緒にご飯を食べられるだなんて、想像もしてなかったから……だから。
 電達を呼んでくれて、ありがとうございました」
 

 ほんわか。心が満たされていくような、そんな笑顔。
 実戦訓練からは、すでに三日が経過している。
 あの日、整備主任の少女に「気が散るからあっち行ってて下さい!」と蹴り出されて断念せざるを得なかった励起は、その翌日、以前から発注していた暁型の駆逐艦二隻と同時に行われることになった。
 曳航してきた艦が同じく同型艦であり、しかもそれ等と被らなかったのは、もはや運命だったとも思える。
 そして二日前。戦場で散ってしまった姉妹艦が――第六駆逐隊が邂逅を果たしたのだ。ちなみに、建造しているのが暁型なのは電に内緒にしていたため、三隻を目の前にした彼女に泣かれてしまい、超焦ったのだが。
 気の遠くなる時間を越えて姉妹が揃ったのだから、当然だろう。


「あぅ」


 くしゃ、と頭を撫でる。
 ただそれだけで、自分は何も言わない。言う必要はないと思えた。


「さて、出来た。そっちは?」

「こちらも焼けました。先に行って、色々よそっておきますね」

「おう、頼むよ」


 五人分の焼き魚の皿を盆に乗せ、電が居間へ。
 その間に熱々の卵焼きを切り分けて、こっちは一つの皿に盛り付ける。
 ちゃぶ台へ戻ると、すでに炊きたてのご飯や味噌汁が並べられていた。その中央に卵焼きの長皿を置き、昨日と同じ位置――電と雷の間に。


「では……。いただきます」

『いただきます』


 自分が手を合わせると、皆もそれぞれに挨拶を。響だけは何やらロシア語っぽいのだが、またしても聞き取れなかった。
 晩年はロシアに――じゃなくてソ連に、か。賠償艦として引き渡されたそうだけど、それが影響しているらしく、彼女の口からはよくロシア語の単語が出る。
 おかげで簡単な挨拶を覚えてしまった。ちなみに、おはようの挨拶は「どーぶらえうーとら」、である。……だよな?


「はむっ……ん~、美味しい~! やっぱ司令官の卵焼きと電のご飯は最っ高だわ!」

「……っん。Хорошо素晴らしい。食事がこんなに良いものだとは露にも思わなかったよ。いつか、ロシアの料理も食べてみたいな……」

「ロシア料理、ですか。分かりました、今度調べてみるのです」

「あ、すまない。催促したわけじゃなかったんだけど……でも、嬉しいな」

「はいは~い、私も手伝う! 電に出来たんだもの、きっと出来るはずだわ!」


 思うように箸を伸ばしつつ、少女達は団欒する。
 唯一無言な暁だが、響の言葉には「こくこく」頷き、雷の宣言には「えー」的なジト目だ。
 なんでも、「口にものを入れたまましゃべるなんて、はしたないじゃない」だとか。
 否定はしないけど、それならリスみたいになるまで頬張らなければ良いのに。


「それにしてもさ、司令官って料理上手だよね。電が上手なのはイメージ通りなんだけど、どこで習ったの?」

「ん? いや、上手ったって、卵料理限定だぞ自分は。卵が入ってないと普通の野菜炒めですら失敗するし」

「そうなんだ。それはまた珍しい。何か理由でも?」

「理由ってほど大したもんじゃないよ。実家が養鶏場やってただけ。そのせいで卵だけは小さい頃からいっぱい食べててさ。
 いつの間にか、美味しく食べられるようにって自分で作るようになったんだ。懐かしいなー。久しぶりにプリンでも作るかな」


 雷、響の疑問によって、昔の記憶が掘り起こされる。
 男女が逆転したような父と母。姉が二人に弟二人の五人兄弟で、自分はその中間だった。
 弟の世話を焼いたり、姉の世話を焼かされたりで大変だったが、そのおかげでこの子達に喜んでもらえるのだから、苦労はしておくべきってことか。
 今度から卵焼きだけじゃなくて他にも作ろう。チャーハンとか、オムライスとか、煮卵、カニ玉、ニラ玉、茶碗蒸しに親子丼に他人丼……。うん、今の給料ならなんでも作れそうだ。


「あの、司令官さん。プリンって何ですか?」

「……え? あれ、知らない? 酒保にも置いてなかったっけ」

「棚に札はあるんですけど、いつも売り切れで……。どんな食べ物なのか、よく分からないのです」

「あ~……」


 こういったお菓子などはかなりの高級嗜好品だ。しかも、艦艇戦というのはかなり頭を使う。
 疲れた脳を癒すため、買い占めに走る女性提督とかが居てもおかしくはない。にしたってちょっと迷惑だけども。
 と、そんなことを思っていたら、自分の代わりに響が電へ答える。


「洋菓子の一種だね。向こうで作り方を聞いた覚えがあるけど、確か、茶碗蒸しにそっくりだったような」

「ということは、甘い茶碗蒸し? 本当に美味しいの~それ~?」

「……あちっ」


 いぶかしげな雷に暁が「うんうん」と同意するも、味噌汁が熱かったようで舌をべぇと出して冷ます。
 レディーという割に、いちいち動きが子供っぽい。ま、それはともかく。


「美味しいぞぉ? カラメルソースをかけたり、生クリームを乗っけたり。誕生日とかに無理やり作らされてたっけ……。
 ああ、ダメだ。思い出したら食べたくなってきた。どうせ今日も休養だし、作るか! バニラエッセンス、ここだといくらだろうな。高くないと良いんだけど」

「なら、電もお手伝いするのです。作り方、教えて欲しいです」

「ん、分かった。助かるよ」


 提督は、よほどの激戦でない限り、一回出撃した後に数日~一週間の休養を義務付けられている。
 その間も書類仕事などは出来るのだが、今回は初出撃ということで、いつもお世話になっている書記さんが片付けてくれるとのこと。まだ高校生くらいらしいが、いやはや、頭が上がらなくなりそうだ。


「……お?」


 ――と、そんな時、玄関の方から《ビー》とブザーの音が。
 誰だろう、こんな朝早くに。


「あ、電が……」

「いや、自分が出るよ。電はご飯食べてて」

「でも」

「いいからいいから。暁ー、一人三切れまでだからなー。レディーは欲張っちゃダメだぞー」

「へぅ!?」


 こっそり卵焼きを摘もうとしていた小さな淑女に釘を刺しつつ、自分は立ち上がって玄関へ。
 引き戸を開ける前にいちおう髪を撫でつけて、と……。


「どちら様ですか……って、書記さん?」

「あ、おはようございます、提督」


 噂をすればなんとやら。戸の向こうに立っていたのは、長い黒髪を緑のカチューシャでまとめる、メガネをかけた文学少女。
 つい先程まで、書類にうもれているとばかり思っていた少女だった。電達とはまた違ったセーラー服を着ている。
 どうしたんだろう、こんな場所に一人で……ん? あ、違った。よく見ればその背後にもう一人。
 長い赤毛に赤いリボンが特徴の、書記さんと同じ制服を着た少女。彼女は整備主任の……。


「申し訳ありません!!」

「うおっ」

「な、何ですかっ、司令官さんっ?」

「なになに~」

「何事だい」

「ふぁ?」


 ガバッと腰を九十度に曲げ、リボンを揺らす彼女。
 その声があまりにハキハキとし過ぎていて、書記さんは耳を両手でふさぎ、何事かと四人も顔をのぞかせる。
 あ、結局食いやがったな暁。


「高速建造剤をいただき、発注を受けていた二隻の軽巡なんですが……。う、うちの子達が荒ぶってしまいました!!」

「……は?」





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「………………」


 言葉が出ない。口をあんぐりと開き、ただただ唖然とするしかない。


「あの。自分が発注したの、天龍型の軽巡二隻、でしたよね」

「……はい。おっしゃる通りです」


 天龍型。
 水雷戦隊の旗艦を務めることを期待された艦であり、天龍、龍田の二隻が存在する。
 実践訓練を終え、名実ともに艦隊司令官としての任を拝命した自分は、正式に戦隊と呼べるだけの艦船を揃えることを優先した。
 戦隊とは、二隻以上の軍艦で編成された部隊のこと。駆逐艦は一隻だと軍艦とはみなされず、複数艦が集まって駆逐隊になると、初めて軍艦一隻と数えられる。
 そして、艦隊とは複数の戦隊を編成した部隊であり、実戦を通じて実力を確かめた今、はっきり言うなら、艦隊はまだ手に余ると思ったのだ。
 過ぎたるはなお及ばざるが如し。任官と共に配給された物質も、艦隊を組めるほどの艦船を揃えるには到底足りず、ある意味ではちょうど良かったのかも知れない。

 なぜ天龍型を選んだのか。
 名前が格好良かったからである。一ヶ月前まで養鶏家の長男だった奴にまともな軍艦知識を期待してはいけない。もちろんスペックとかは調べたけど。
 しかし、統制人格との同調などは、精神的な思い入れがあるほど強く繋がることができる(らしい)。傀儡能力者にとってバカに出来ない条項の一つなのだ。だから自分は悪くない。
 ともあれ、次の出撃までに数を揃える必要があったため、配給の中にあった高速建造剤を使い、短時間での軽巡二隻建造を発注したのである。
 ……が。


「じゃあ、自分の目の前に今あるのは何でしょう」

「重巡と駆逐艦、一隻ずつ、ですね」

「……どうしてこうなった」


 思わずドックの地面に膝を落とし、手をついてうな垂れる。
 何故に軽巡二隻が重巡と駆逐艦になるんだ。確かに戦隊は組めるけど、いろいろと予定が……。


「本当にすみませんっ! 時々あるんです……。機嫌が良いのか悪いのか、予定のものとは違う艦を勝手に作っちゃうことって」


 赤毛が視界をチラチラ上下しているあたり、主任さんは何度も頭を下げているらしい。
 実は、彼女も傀儡能力者だ。
 一概に能力者といっても、力の強度には大きな個人差があり、軍艦ほどの大きさ、複雑さを持つ器物を傀儡化できる能力者は稀だ。だからこそ徴兵されるのである。
 しかし、軍艦よりも比較的単純な器物――工作機械などなら魂を励起させらせる者もまた、存在する。
 現れるのは、統制人格のような受け答えのできる知性を持たない……靴を勝手に作ってくれる妖精さん、といった程度の存在なのだが、彼等は不眠不休で活動できるという特性を活かし、人間が作るよりもはるかに早いスピードでの建造を行うのだ。
 高速建造剤などは彼等をやる気にさせる霊的触媒であり、その速度といえば、暁達(建造したのは暁と響で、実戦訓練で解放したのが雷)が竣工してからたったの二日でこの通り、である。
 個人的には「ご覧の有様だよ」と言いたいけども。


「まぁ、出来ちゃったもんは仕方ないか……。で、どういう船なんですか?」

「それはですねー……」

「私からご説明しましょう」


 立ち上がった自分のそばに、スッと現れる書記さん。
 メガネがキラリと光った。


「まずは重巡洋艦の方から。妙高型三番艦、足柄。
 一九三七年のジョージ六世戴冠記念観艦式に、日本代表として参加した艦です。
 開戦後は主に東南アジアで活躍し、スラバヤ沖海戦では、姉妹艦とともに三隻の敵艦を撃沈せしめたんですよ。
 雷さん達が人命救助を行ったのもこの時ですね」

「はい。懐かしいのです」

「だね~。いやぁ、こうしてみると大っきいわ」


 背後にいた雷電姉妹は、感慨深そうに足柄を眺めていた。
 あれだけ玄関で騒いでいたら気になるのも当然。結局、大急ぎで朝食を片付け、みんな揃ってドックに来ているのだ。自分は白の詰襟に着替え済みである。


「あ、あの、書記さん。アタシにも説明させて……」

「これは竣工時のものですので、最大速は三十五・五ノット。航続距離は十四ノットで七○○○海里。
 二十・三cm連装砲五基十門、十二cm単装高角砲六基六門、七・七mm単装機銃二挺、魚雷発射管は六基です。
 本来、主砲は二十・三cmではなく二十cmなのですが、主砲のみ改装後仕様のようです。頼りになる火力ですね」

「く……。本当は水上偵察機も載せられるんだけどー! 今回は据え置きですよー!」

「はー、凄いな……」


 書記さんと、やや強引に参加した主任さんの解説を聞き、自分は改めて足柄を見つめる。
 想定外な経緯だが、これまた電に関連深い艦が現れてくれた。これが縁か。
 驚きはしたけど、かえっていい結果に落ち着いたな。


「ふっふっふ、なんのなんの。凄いのはここからですよ?」


 ――なんて思っていたら、主任さん達が駆逐艦の方へと向きなおる。
 つられて視線を移動すると、船体の中ほどに艦名らしき文字が描かれているのが分かった。
 これは……。


「ぜかまし?」

「し・ま・か・ぜ、です! うちの子達が勝手にペイントしちゃいました」

「女の子の名前を間違えちゃダメよ、司令官。結構そういうので傷付いちゃうんですから」

「う。ごめん、つい……」

「謝るなら暁にじゃなくて島風に、です」

「ん、了解。ごめんな島風」

「まぁ、そこまで気にすることはないさ。昔とは文字の読み書きが逆になっているんだし。仕方ない」


 響がそう言ってくれるけど、やはり失礼には違いない。
 自分は島風にキチンと身体を向かい合わせ、頭を下げる。
 

「で、どんな風に凄いんですか? この子は」

「凄い、というよりは珍しい、と言った方がいいかも知れませんね。もちろん、凄いのですけど」


 再びメガネがキラリ。
 クリップボードに挟まれた紙をめくり、スペックを読み上げてくれる。


「島風型一番艦、島風。最大船速四十ノットを記録する快速船です。
 大人の都合で一隻しか建造されませんでしたが、この速度は日本の艦船の中でも随一なんですよ」

「あんまり早すぎて他の艦と足並みが揃わないから、発注受けたこと無いんですけどね。アタシは」

「四十ノット……一ノットはざっと一・八kmだから、八十の引く八で、時速でも七十二km以上か」


 自分は電達のおかげで、細かい速度調整や砲塔の角度合わせなど、かなり楽をさせてもらっているが、普通の提督だとそうはいかない。
 全てをこなした上で島風のスピードを活かすのは、至難の技だろう。
 それが分かっているからこそ、手を出しにくいのかもしれない。


「だけど、速いだけが島風の特徴じゃありませんよ。なんといっても凄いのが、零式五連装魚雷発射管三基です!
 これは島風のために開発された物で、駆逐艦の魚雷装備としては最大なんですから! 次発装填装置が無いのが玉に瑕ですけど、傀儡艦なら関係なし!」

「他にも、十二・七cm連装砲三基、連装機銃が三基。今回は無いようですが、本来は爆雷投射基も備えており、水雷戦において真価を発揮する艦です」

「なるほど……」


 これは、本当にいい結果になったのかも……。
 二隻とも即戦力になってくれるだけの性能は有している。文句のつけようなどあるはずがない。
 問題は、自分が彼女達の力を引き出せるか、だ。


「どうですか? ちょっと予定は狂っちゃいましたけど、じゅーぶん実用に耐えるでしょ?」

「ええ。これなら次の出撃、いい戦果が期待できそうです」

「ですよね、ですよねっ!? だったらお願いします! 発注書のゴマカシ手伝って下さい!!」

「ぅおぁ」


 ぐゎばっ、と地べたにひれ伏す主任さん。
 それがあまりにも見事な動きで、変な声が出てしまった。
 四人姉妹もびっくりしてこちらを見ている。書記さんだけは「はぁ……」とため息だ。


「どうぞ、よろしくお願いいたしますー!! またやっちゃったって上に知られたら困るんです、これ以上お給料下がったら生活できません、なにとぞ、なにとぞぉーっ!!!!!!」

「えぇぇぇ」


 なに、この状況。もしかして主任さん、わりと高確率で妖精さんを荒ぶらせてるのか? でも、高速建造にかけては右に出るものが無いほど優秀だって……。
 チラ、と書記さんを見てみれば、困ったような、諦めているような顔つき。
 しまいにはクリップボードをめくり、あとは自分が判子を押すだけの発注書を示す。
 ……苦労してるんですね。


「分かった、分かりましたから、とにかく頭をあげて下さい。これからもお世話になるんですし、ちゃんと判子は押しますから、ね?」

「ホントですかっ? ありがとうございます、助かります提督さん!」


 安心した、という様子で主任さんは立ち上がり、朗らかな笑み。
 なんというか、憎めない人だ。
 見守ってくれていたみんなも同じ印象なのか、それぞれに苦笑いしている。


「さて。提督、このあとのご予定はありますか?」

「あ、いえ。特には。書記さんのおかげで時間がありますし、ちょっとお菓子でも作ろうとしてたくらいで」

「お菓子、ですか」

「ええ、カスタードプリンを」

「……ぷりん」


 彼女にしては珍しく、ぽけぇ、とした呟き。
 何かを思い返すようにしばらく天井を見上げ、かと思ったら、パアァと溶ける頬。
 ……やばい。ちょっと可愛いとか思っちゃった。


「食べたい、ですか?」

「……はっ。い、いえいえいえいえいえ、そういうわけでは……。おっほん」


 明らかに取り繕うための咳払い。
 好きだ。ぜったい好きなんだ、プリン。
 うん、おすそ分けしてあげよう。


「それはさておき。励起の方は如何します? こちらの準備はできていますので、なんでしたら今すぐにでも可能ですが」


 励起、か。
 どうせなら早いに越したことはない。造船用のドックも空くし、少しでも長く接する時間を取ることが、戦隊の練度を引き上げる事にもつながる。
 でも……。


「みんなはどうだ? 自分は、出来るだけ早く呼んであげたいんだけど……」


 自分一人で決めていいものかと、気にかかってしまう。
 ようやく四人姉妹がそろったのに、こちらの勝手な都合で水をさしてもいいんだろうか、と。


「ん~? なんでそんなこといちいち聞くの? 大歓迎に決まってるじゃない」


 しかし、返ってくるのは、楽しそうな雷の笑顔。


「暁も賑やかなのは嫌いじゃないし、いいと思うわ」

「戦力の増強という意味でも、するべきだと思う。司令官の思うままに」


 同じく、暁と響。
 そして――


「電もです、司令官さん。早く他のみんなにも、一緒にご飯を食べたり、お話する楽しさ、知って欲しいのです」


 ――いつの間にか、となりへ並んでいた電。
 どうやら、余計な気を回しすぎていたらしい。全く、自分にはもったいない子達だ。


「なら決まりだ。書記さん、お願いします」

「承りました。主任」

「了解です! みんなー、お仕事だよー!」


 たおやかに頷いた書記さんは、何処からともなく専用のノートパソコン(ICチップの材料などが貴重になってしまったため、今では安くても三桁万円)を取り出し、しゃがみ込んだひざの上へ置いてキーボードをタイプ。アンテナを立て、表示されているだろう情報を処理していく。
 同時に、主任さんは自らの傀儡に指示を飛ばし、クレーンで足柄と島風へ増震機を取り付ける。
 

「増震機、起動確認しました。霊子浸透圧、励起可能領域まで上昇中。提督」


 無言でうなずき返し、自分はちょうど二隻を視界に収められる場所へ移動。
 その存在をしっかと感じながら、まぶたを下ろす。
 大事なのはイマジネーション。
 魂とは、あらゆる物質が宿す存在し続けるための力。自分のすることは、まだ意思を宿すに至っていない魂の階梯を、人と同じレベルまで高めること。
 存在をつなぎ、魂を重ね、彼女達に人の形を真似させるのだ。


「可能領域到達まで、あと二十。十九、十八、十七――」


 目で見るな。肌で触るな。耳で聞くな。
 心をむき出しに、あるがままを晒し、受け入れろ。
 そうすれば、きっと応えてくれる……!


「――四、三、二、一。どうぞ」

「……っ。来い、足柄、島風!」


 双眸を見開き、両手を二隻へ――二人へと差し伸べる。
 空間の揺らめき。
 わずかな燐光を放つそれは、やがて、二つの人影へと変化し――


「固定波長の放射開始。増震機、正常に作動中……固着を確認。成功です、提督」

「やったね司令官! どんな子どんな子~?」

「落ち着きなさいよ、雷。先輩としての威厳を見せなきゃなんだから」

「笑顔で迎えてあげよう。電がそうしてくれたように」

「なのです! ……って、あれ……?」


 ――差し出す手の平へ、確かな重さが加わった。
 ふわり。
 まるで天女の舞い降りるが如く、彼女達は地面を優しく踏みしめる。


「……ふう。貴方が私を呼んだ人ね。私の名前は足柄。砲雷撃戦が得意な、重巡洋艦の現し身よ。ふふ、よろしくね?」


 右手を取るのは、体のラインがハッキリとする紫のスーツと、黒のタイトスカートで決めた妙齢の美女。
 手足は白のタイツと長手袋に包まれ、ゆるくウェーブのかかった黒髪をたなびかせている。
 そして、左手を取るのは――


「同じく、駆逐艦、島風の現し身です! スピードなら誰にも負けませんっ。速きこと、島風の如し、です!」


 ――ロリ痴女?


「は、はわわわわっ……。み、見ちゃダメなのですぅううっ!!」

「ぬわぁ!?」


 突然、首と背中へ重みが掛かり、小さな手がペチッと視界をふさぐ。
 な、なんだっ、重――くはないけど首が、首がもげる!


「……あら? もしかして貴方、電? やだっ、久しぶりじゃな――」

「ちょ、ちょっと島風っ、なんて格好をしてるの!? は、はしたないじゃない!」

「え? どこかおかしい? 動きやすいと思うんだけど……」

「やっ、み、見えてるでしょお尻!?」


 なにっ、見えてるのかっ?
 確か島風の格好は、脇が全開になるほどザックリえぐられて、ヘソが見えるくらい服の裾は短く、ローライズなスカートも「それ穿いてる意味ないのでは」と言いたい膝上ウン十センチだった気がする。
 くびれに引っかかったパンツの黒い紐も丸見えだったけど、見えてるのかお尻っ? まさかのTバックぅ!?
 というか、さっきから背中に感じるこのプニュプニュした柔らかさ。これって絶対……!?


「あ、あの、聞こえてる? ほら覚えてない? スラバヤ沖で――」

「い、電、離してくれっ、当たってる、当たってるからっ」

「ダメなのです、とにかくダメなのですぅううっ!!」

「そうよ、とにかく隠さなきゃダメなのっ。ほらこっちに!」

「えー。うむぅ……やだ。これ以上着たら遅くなっちゃう。どうしてもって言うなら、私のこと捕まえてみてよっ。それー!」

「あっ、待ちなさいったらぁ!」

「あらら、元気な子だこと……ってそっちはダメ!? あっ、工具箱ひっくり返さないでー!」

「書記さん。巻き込まれないうちに離れようか」

「……ですね。お茶でもいかがですか、響さん」

Спасибоありがとう、頂くよ」


 ばびゅん、と横を通り過ぎて行く風圧。それを追いかけて行ったのだろう、暁の声も遠ざかる。
 が、すぐさまガッシャンゴットン騒がしい音がして、主任さんのこの叫び。
 書記さんと響はさっさか茶をしばきに行ってしまわれたようだ。
 なんというカオス。たった二人を仲間に迎えただけでこれか。先が思いやられるぞ……とか、思いつつも。
 背中に感じる暖かさと、耳へ届く明るい声は。
 慌ただしくも楽しい未来を、自分に予感させるのだった。





「……あ、足柄さんも居るわよぉおおっ!
 十門の主砲を備えたすっごい重巡なんだからねぇええっ!!
 ……何よっ、私なにか悪いことしたぁ!? うわぁぁあああああんっ!!!!!!」

「ま~、アレよ。タイミング悪かっただけだから、元気だして? ドンマイ、ドンマ~イ」










《こぼれ話 イカヅチとイナヅマ》





「それにしても、二人は本当にそっくりだな」


 ちゃぶ台に居を構え、湯飲みを傾ける自分は、少女二人を前にそんな感想を口走ってしまう。
 雷と電。
 彼女達は双子と言っても違和感がないくらい、顔立ちが似ているのだ。


「ま~、名前からして似てるもんね~。でも、竣工時期は微妙に違うから、私の方がお姉さんなのよ?」

「暁、響に続いて建造されました。電は末っ子なのです」


 えっへん。ドヤ顔でせんべいを咥えながら胸をはる雷と、茶のお代わりを淹れながら補足する電。
 雰囲気こそだいぶ違うが、やっぱそっくりだ。まぁ、可愛い女の子が増えてくれたのだから、純粋に嬉しいけど。


「あ、そうだ。ねぇねぇ電」

「何ですか?」


 ふと、コソコソ話を始める二人。
 何やら確かめるように頷き合ったあと、彼女達は立ち上がる。


「司令官さん、ちょっと後ろを向いてもらっていいですか?」

「ん? いいけど……」


 何だろう、と思ったが、とりあえず座ったまま身体を反転。
 すると、背後から畳の上をパタパタ歩く音が。


「もういいわよ、司令官」


 しばらくして、雷から振り向く許可がおりた。
 流石に聞かずにはおれず、「どうしたんだ?」と言いながら振り返ると――


『どっちが雷で、どっちが電でしょうか?』


 ――なんて、ハモる声。
 雷電姉妹は、こちらへ手を差し伸べるポーズで、全く同じ笑顔を浮かべている。
 ちゃぶ台の上に二人の付けていた髪留めとヘアピン、暁型であることを示すⅢの徽章(暁型は特Ⅲ型とも呼ばれるのだ)が置かれていた。
 なるほど、試そうというわけか。だが甘い。生クリームを乗っけてさくらんぼを飾ったプリンよりも甘い。


「左が電で、右が雷だな」

「あれっ、即答!?」

「しかも当たってるのです……!」


 よほど自信があったのか、二人は目をまん丸にしている。
 そんな驚くようなことだろうか。


「確かに似てはいるけど、二人とも特徴があるからな。雷は髪の色が明るいし、電は目尻が少し丸いんだ。他にも違うところ結構あるし、ちょっと見比べればすぐに分かるぞ?」

「………………電。司令官っていつもこうなの?」

「え? えっと、だいたいこんな感じ、ですけど……?」

「そうなんだ~……」


 あれ、なにさその微妙な顔つき。「ちょっとヤバイかも」ってなんだ。
 え、ここは引っかかって間違えるべきだったのか? いやでも間違いようがないし……。


「あの、なんか気に障ったか? ごめん、そういうつもりじゃ……」

「ううん、違うの。気にしないで? その、ね。嬉しかったというか……あはは、私なに言ってるんだろ」


 照れくさそうに、雷は苦笑い。
 けれどそれも一瞬。
 電の手を取り、彼女はまた大きく微笑むのだった。





「ま~とにかく。電ともども、これからよろしく頼むわね? 司令官!」




















 那珂ちゃんのファンを減らすわけにはいかないので続きを書きました。
 嘘です。建造のデイリー回してたらぜかましちゃんが来てくれたので滾りました。一発ネタが続きネタに近代化改修したっていいじゃない。
 とりあえずその他版へ移りましたが、思いついてるネタはあと二~三話分。そこから先はノープランです。いつエタっても泣かない強い心でお読み頂ければ、幸いです。
 あ、雷と電の区別が付きにくいという方は、キーボードのCtrl+マウスのホイールで拡大してみて下さい。文字がでっかくなりますので。
 でも小さいままの方が、旧日本軍の「紛らわしいわぁ!」という気分を味わえて楽しいかもしれません。
 そして、もしかしたら見てくれているかもしれない他作を知っている方々、超ごめんなさい。浮気します。艦むす達が可愛いのがいけないのですよ……。
 それでは、失礼いたします。

 目隠ししながら「当ててるのです」とか、電ちゃんマジあざとい。





 2013/09/07 初投稿







[38387] 新人提督と第一戦隊の戦果
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2013/09/14 12:30





 西陽の入りこむ執務室で、椅子に腰掛ける一人の男がいた。
 年の頃は壮年。偉丈夫でありながら顔立ちは整い、俳優と言われても納得ができる眉目秀麗な男。
 しかし、眉間に刻まれる深いシワと鋭利な目つきが、異様な迫力を持って、こう印象付ける。
 ――まるで抜き身の刀。
 触れるもの全てを血塗れにし、なお鞘に納まらぬ妖刀である、と。


「……ふん」


 そんな男が実につまらなそうに、持っていた書類を机へ放り投げる。
 けれど直後、男を知るものが見ていれば驚くだろうほど、明確に口角を釣り上げた。


「励起した統制人格、全てが感情を宿す、か。異常だな」


 記されていたのは、とある新人提督と、その使役艦船の情報。
 彼が励起・使役している船は六隻。通常、新しく統制人格を励起した提督は、“それ”の使い勝手を確かめるのに数日以上を必要とする。
 慣れれば時間を短縮することも可能だが、それでも三日は様子を見た方が良い。
 でなければ、いざ戦場に出た時、思いもよらぬ不具合への対処で思考を妨げられ、轟沈の憂き目を見るやもしれないのだから。
 だが――


(己が意志を持つというだけで、この戦果)


 ――その新人は、励起したてと言っていい状態の艦を五隻も追加した状態で、鎮守府正面海域における近海警備の任務中、遭遇戦二回を完全勝利で治めた。
 快挙とまではいかないものの、目に付く戦果だ。
 横須賀、呉、佐世保、舞鶴、その他を含む鎮守府にも、いわゆるエース級――主戦力である艦隊を指揮する提督が存在する。
 尋常ではない数の艦船を同時使役する者、逆に少数の高速船を縦横無尽に操る者、多数の戦艦を並べての狙撃をやってのける者、艦上爆撃機による命中率が九割五分を越える者……。
 彼らほどの才覚があるのなら、納得できる。事実、その者達は最初から絵物語のごとき戦果を上げた。
 しかし、そうは思えない。


「トンビが鷹を生む……いいや、金の卵を産むニワトリか」


 基礎訓練を受けただけの一般人。軍人とは呼べない軍人。褒められるところなど人柄程度。
 そんな評判が絶えず、“あれ”からの報告もまた同じ。あの新人を助けているのは間違いなく、心宿さぬはずの傀儡達だ。
 人ならざるモノに愛され、また、愛する者。その様はまるで――


「――第二の、桐竹源十郎」


 ごく一部の者しか、本当の意味を知り得ない名を呟き、男は椅子を軋ませる。
 ゆるり、回転した背中の向こうには、ガラス越しの赤い水平線。
 その先で例の新人は、精神を統制人格とつなぎ、今日も南西諸島沖警備の任に就いているはず。


「私達は、何だ。お前達は、何だ」


 問いかけに答えるものはなく、男は己が影を見つめ、無意識の内に首元を探る。
 古びた真鍮のロケットが下げられていた。
 所々が傷つき、薬剤を使っても落ちないだろう汚れが染み付いたそれの中で、時を留めているのは――





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『……よし、あれで最後だ、食い尽くせ足柄!』

「了解よ! 全砲塔、弾幕を張りなさいな! 撃て、撃てぇええっ!!」


 夕闇の中、白い長手袋に包まれた腕が、タクトに代わって振るわれた。
 轟音の多重奏。
 すでに単艦となっていた敵、重雷装巡洋艦へ、二十・三cmと十二cm、計十六門から砲火の雨が降りそそぐ。
 空白が数秒。
 そして、雷火のごとき閃光を見る。


《うっわー、発射管にでも直撃しちゃったみたい。ひさーん》

《重雷装巡洋艦、撃破確認、なのです》


 聴覚に流れこむ、島風と電の声。
 視点をザッピングしてみると、煙をあげて沈む敵艦の様子が見てとれた。


『あっちゃあ……。これじゃ、解放されても資材行き確定だなぁ……。ま、今はそっちの方がありがたいか』

「ちょっとやり過ぎちゃったかしら」


 淑やかな口調と裏腹に、足柄はふん反りかえっている。
 口へ手を添えたりしたら、「おーっほっほっほ!」という幻聴が聞こえてきそうだ。
 実際にしてるのは見たことないけど、それに見合うだけの活躍はしてくれたし、何より似合いそうでもあった。


『必要ないとは思うけど、確認しておこう。各艦、被害を報告せよ』


 同調深度を浅く、分割画面のような状態でみんなに語りかける。
 見る限りでは、誰も大きな傷を負ってはいない。それを、次々にあがる報告が裏付けてくれた。


《こちら暁。目立った被害はないわ》

《同じく雷、大丈夫よ。でも、響がちょっとだけ貰っちゃったみたい》

《うん、不覚だよ。小破にもなってないけど、どうせなら、また無傷で勝利を飾りたかったな》

《だけど、無事で良かったのです。司令官さん、帰ったら治してあげてもらえますか?》

『ああ、もちろん』


 響への同調を深くしてみると、確かに痛みの信号があった。
 しかしこの程度なら、高速修復剤なしでも今日中に治してもらえそうだ。
 本当に、大きな被害が出なくて助かった。


《島風、かすり傷一つありませーん! 全弾かわしちゃったの、見てくれてたよね?》

『ああ、島風を信じて良かった。ありがとう』

《えへへ、でしょでしょ? どーいたしまして、提督!》


 それというのも、彼女、島風が囮を買って出てくれたおかげだ。最初は反対してしまったが、任せて正解だった。まさか、攻撃を全て回避してみせるとは……恐れ入る。人が乗っていたら、とっくに胃の中身は空っぽだったろう。
 チェックも兼ねてまた同調してみれば、ぴょんぴょん飛び跳ねる視界に、同じく跳ねて喜ぶ連装砲ちゃんがいた。なぜか島風の兵装は、独立した変な生物(ナマモノ?)として顕現するのだ。……わりと可愛い。


「旗艦なんだから把握してると思うけど、足柄、被害なんてこれっぽっちも無いわ」


 最後に、自信満々な足柄。
 旗艦とは、艦隊司令官が乗りこみ、その階級を示す旗を掲げた船のことだが、傀儡能力者の場合、またしても意味合いが変わってくる。
 鎮守府の増幅機器は、あくまで距離を拡大するもの。しかし、複数艦を使役する場合、これだけを使って同調を切り替えようとすると、かなりのタイムラグが生じてしまう。
 それを回避するため、中継器を搭載した艦を旗艦と呼ぶのだ。他艦への同調はこれを通して行われるので、都合、旗艦とは常時同調しているのである。
 ちなみに、一つの中継器で使役できるのは、旗艦をふくめ六隻まで。
 普通の艦隊と違い、負荷が命に関わる場合もある能力者にとって、船の数は重要な項目であり、また、六隻で艦隊と呼べる戦力を揃えることが、損耗を未然に防ぐための編成指針になっているのだ(そう言った意味で自分は少し危ない)。


《周囲に艦影なし。敵ツクモ艦、掃討完了なのです!》

『終わったか……。やっと安定してきた感じだな』

「でも、ある意味では当然の結果よねっ。だって私、足柄が居るんだもの!」


 電の報告に、足柄は「大勝利ぃ!!」とダブルピース。
 中継器を使っているからか、自分の視点は少し上を俯瞰しており、その笑顔がよく見える。
 見た目こそ電達よりも年上な彼女(自分とは同年代かちょい上くらい)だったが、何というか……いろんな意味でテンションが高いのが特徴だった。すでに一戦していたというのに、全く衰えないあたり凄い。
 今日の戦果は、駆逐艦イ級二隻、ロ級一隻、ハ級二隻。軽巡洋艦ホ級、ヘ級。重雷装巡洋艦チ級の計八隻(ツクモ艦はいろは歌になぞらえて等級分けされている)。
 雷や足柄達で運を使いきったからか、先日の出撃に続いて、無傷で解放された艦は無し。けれど、先に言ったように問題はなかった。
 なぜなら……。


「ねぇ司令。この前の出撃と合わせて、これだけの資材があればいけるかしら?」

『ん……。配給も加えれば、かなり余裕がでる。新しく造船用ドックも解放されたし、君の姉妹もまとめて呼べるぞ』


 足柄の姉妹艦である、残りの妙高型三隻を建造するための資材を集めていたからだ。
 正直、運用する側としては、重巡四隻に駆逐艦五隻はちょっとバランスが悪いとも思う。
 けれど、このまま艦船が増えていったなら、新たに第二艦隊を編成し、同時出撃する可能性も出てくる。先を見据えて戦力を用意しておくのも、重要だ。
 現在建造中の二隻(今度こそ天龍・龍田……だと嬉しい)はもうすぐ竣工。今回も高速建造剤は使わない予定だし、妙高達を呼ぶまでに新しく解放艦を励起できれば、いうことないんだが。


「ごめんなさいね、新参者がこんなワガママ……。無理、させちゃってない?」


 ――と、そんな風に考え込んでいたら、珍しくしおらしい声。
 さすがの彼女も思うところがあるらしく、毛先をいじりながら神妙な顔だ。
 こうしていると普通に美人だから困る。そうじゃなくたって、自分の言うことは変わらないと思うけど。……多分。


『気にしないで。家族と一緒にいたいと思うのは当然なんだから。女の子のお願いに応えるのも、男の甲斐性さ』

「……ありがと、司令。なら、それに見合った活躍しないとねっ。次の出撃も、戦果と勝利の報告を期待しててね!」

『ああ。頼りにしてるよ』


 赤い光に静かな微笑みを消して、はしゃいで見せる足柄。
 まだ仲間となって日は浅いが、この明るさは彼女の大きな魅力と言えるだろう。


《お~、言うわね司令官。なら私もワガママ言っちゃおうかな~?》

《……暁、新しいまくらが欲しいです。今のは柔らかすぎて寝づらいわ》

《さっそくかい。確かに、そろそろ来客用のじゃなくて専用の湯飲みとかあれば嬉しいけど》

《あっ、みんなズルいー! 私も連装砲ちゃんにさすグリスとか欲しいー!》

『え』


 ……あれ。格好つけてたらなんか雲行きが怪しくなってきたぞ。
 いや、まだ階級上がってないし、給料据え置きだからあんまり余裕はないんですよ。
 ああでも、見栄を張った手前、訂正するのも……。


《もう、ダメなのです、司令官さんを困らせちゃ。ご褒美が無くなっちゃいますよ?》


 こちらの顔が見えないのをいいことに、酷く情けない顔をしてアワアワしていたら、何とも頼もしい天の助け。まるで子供達を優しく叱るお母さんである。
 途端、お子様たちは「それは困る!」と声を揃えて大慌てだ。


《せっかく頑張ったのにご褒美なしなんて、司令官はそんなヒドいことしないよね!?》

《そうよ! 暁達には司令官からのご褒美を受けとる権利が……! むしろ独り占めしたいのに……!》

《それは欲張りすぎだよ。でも、今回は諦めるから、ご褒美無しだけは勘弁してほしいな……》

《うぅぅ、ごめんね連装砲ちゃん、私のためにグリスは諦めて……。ご褒美欲しいの……》

「あ、あのぉ、私もいいのよね? 今回も最多撃破だし、MVPってやつなんだし、ね? ね? ね?」


 ……何なんだろう。肝心なご褒美の内容が隠れているというだけで、このいかがわしさ。
 まぁ、それだけ気に入ってもらえたという証拠か? 元は艦船でも、やっぱり女の子なんだなぁ。


『安心しろみんな。ちゃんと全員分の準備はしておくから……お』


 なだめるように声をかけていたら、視界の端に柔らかな光源を見取る。
 中継器で繋がっている皆は、得た情報を能力者を介して共有するため、ほぼ同じ光景が目に焼きつく。
 夕陽に輝く水面から浮き上がる、光の粒。その位置は、自分達が撃破した敵艦の沈んだ場所。
 ブクブクと気泡が湧き立ち、やがて、潜水艦が浮上するように、浮かんでいるのがやっとな状態の船が姿を現した。
 ……煙突が四本。あれは……。


『もしかして、川内せんだい型か? でも……どれだ?』


 川内型。
 排水量五五○○t級の軽巡洋艦、最終タイプとして設計された船で、他の五五○○t級と違い、煙突が四本あるのが特徴だ。
 昔の条約絡みで、建造は川内・神通じんつう那珂なかの三隻まで。
 さらに、その三隻を見分けられる特徴が艦首にあるのだが、見る影も無いほどボッコボコ。おまけに、逆光になってるからディテールも潰れてよく分からない。


『う~ん……? 川内……いや、神通かな。それとも……』

《あの、司令官さん。多分ですけど、あれは神通さんか那珂さんだと思うのです》

「あら、どうして分かるの?」

《なんというか、ものすごくシンパシーを感じるのです。こう、ごっつんこ的に》

《あ~……そういえば電もやってたわよね……。まぁ私もやってるんだけどさ。若葉に会えたら謝らないと》

《……美保関、か。難儀だね》

《なにそのシンパシー。物騒にもほどがあるわ》


 本当に縁起でもないよおい。思わず無言で暁に同意してしまう。


《え? なになにどういうこと? ねぇ提督ぅ!》

『はいはい、すぐ教えるから。――っん』

《――おぉお、なるほどー》


 一人だけキョロキョロし、むすっとした顔の島風。
 なんか、島風だけ分かってないみたいだな。統制人格の持つ知識はかなりマチマチっぽい(電が料理を得意とするのもそのせいらしい)し、情報を送っておこう。
 美保関事件とは、島根県美保関沖での夜間無灯火訓練中におきた、四隻が絡む壮絶な衝突事故である。大勢の死者が出たとも聞く。
 というか、旧日本海軍の船は結構な確率でごっつんこしているのだ。勉強して驚いた。今とは環境が全然違うし、仕方ない部分も多いのだろうけど。
 ちなみに、雷、電がごっつんこした事件と、美保関事件は全て別物である。


『ま、それはさておき。待機してる曳航部隊に回収してもらおう。こっちから連絡しておく。
 みんなも補給が必要だろうし、交代の班が来たら補給艦隊へ向かってくれ』

「了解よ。今日で任務も終わり、やっと帰れるわぁ!」

《なのです。あ、そういえば司令官さん、今日のお夕飯は?》

『ん? まだだけど……』

《ちゃんと食べないとダメなのですよ? お野菜も食べて、バランスよく……》

『分かってる分かってる、ちゃんと合間を縫って食べに戻ってるから。心配しないで』


 こういった任務の性質上、終了までにはかなりの時間が掛かる。
 その間、自分は一人暮らしをすることになるわけだが、電はとにかく心配しどおしなのだ。「ちゃんと朝ごはんも食べてくださいね」とか、「夜更かししてはダメなのですよ」とか。
 気分は単身赴任で離ればなれになっている夫婦である。置いてかれるのが自分なのはアレだけど、堪能した。


《相変わらず、電は甲斐甲斐しいわね~。はぁ、私も早く帰って料理の練習したいな~》

《うん。書記さんと一緒にでも、お茶が飲みたいよ》

《お腹は空かないけど、味覚への刺激が恋しいわ。甘いものが欲しいです》

《あ、分かる! いっぱい動いたあとに甘いもの食べると、元気出るよねっ》

「そうそうっ。一度あの満足感を知ってしまったら、もう戻れないわよね? あぁ、思い出すだけでもう……! 焦れったいわ……!」


 しかし、遠出している皆としては、食事できないという事実の方が重いらしい。
 確かに、燃料を補給すれば空腹を感じずに済んでも、食べられないのは辛いだろう。もし自分がそうなったらと思うだけで辛い。
 帰って来たら、ご馳走で迎えてあげることにするか。と言っても卵料理限定だけど。
 だから足柄さん。変な言い方しながらクネクネするのやめて下さい。目がギラついてて怖いです。


《あ、ねぇねぇ、交代の船来たよー》


 そんなことを思っていたら、いつの間にか一人で哨戒していたらしい島風から報告が。
 視点を移せば、遠目に艦影が見える。見慣れた編隊……夜間警備の班だ。


『それじゃあ、自分もそろそろ休憩させてもらうよ。みんな、ご苦労だった』

《はいです。司令官さん、ゆっくり休んでください》


 代表して電が返事をし、他の子も笑顔を見せてくれた。
 見えないだろうけど、それでも自然に微笑み返しながら、自分は彼女達との繋がりを薄くして行く。
 世界が細くなり、閉じる――。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……ふぅ」


 頭部を覆っていた装具が油圧によって上昇し、腕を籠手から引き抜く。
 久方ぶりの開放感だ。汗をかいたわけではないけど、肌が空気に触れること自体が心地いい。
 しばらく使っていなかったせいか、視界がボヤけ、身体もずいぶんと強張っていた。最先端の低反発素材で作られているとはいえ、半日近く身を預けていれば、無理もないか。
 何度か目をしばたいて確かめると、むき出しのコンクリートで四方を塞がれた室内が見えた。地面には無数のケーブルが走っており、それは自分の座る増幅機器へつながっている。


「お疲れ様です」


 ふと、手拭いが差し出された。書記さんだ。
 彼女は増幅機器の出力調整士も兼任しているのである。


「ありがとうございます。……あ゛~、冷たくて気持ちいい~」


 湿った感触。わざわざ濡らしておいてくれたらしい。
 あまりに気持ち良くて顔まで拭ってしまうと、クスリ、小さく笑われてしまう。


「やっぱり、みなさん同じ反応をなされるんですね。お加減はいかがですか?」

「ええ、大丈夫です。ちょっと身体が固まっちゃってますけど、少し動けばなんとか」

「そうですか」


 ホッと、安心したような顔。
 仕事だからであろうが、可愛らしい女の子に気遣われるのは嬉しいもの。勝手に笑顔を作ってしまう。
 連れ立って地下にある調整室を抜ければ、長い廊下の窓に、暗がりへ落ちた鎮守府の景色が見えた。


「みんなの帰りは、いつぐらいになるでしょうか」

「そうですね……。今日一日は沖で待機を続けるはずですから、明朝に向こうを出発して、早くとも明日の夕方以降になるかと思われます」

「ふむ、そうなりますか……」


 傀儡能力者は、統制人格に指示を出す必要性から、任務中は不足の事態に即応できるよう、付近の仮眠室で待機していなければならない。
 もちろん、食事やら何やらの生理現象は止められないので、その時ばかりは例外(最悪の場合はゼリーとオムツ)だが、基本的に能力者というお仕事は、時間的拘束がブラックを通り越してダークネスなのだ。
 けれど、それももうすぐ終わり。明日の朝、後任へ引きついだら解放されるし……あれの準備は明日の昼前だな。
 材料は用意してあるし、あとは作るだけ。みんなの喜ぶ顔が目に浮かぶ。


「あの、提督? 一つお聞きしたいのですが、先ほど仰っていたご褒美って……」

「え? あぁ、プリンですよ。あれ以来、みんなハマっちゃったみたいです」


 そう、あの妙にいかがわしい会話で乱舞していたご褒美とは、プリンのこと。
 一週間以上前になってしまうが、初めて足柄と島風を呼んだ日、すっかり拗ねてしまった足柄へのご機嫌取りも兼ねて作ったプリンは、その場にいた女子八人(書記さんと主任さん含む)に大好評だったのである。
 大きめのバットに流し込んで加熱し、焼きあがったら好きな分だけを取り分けるあったかいプリンだったのだが、甘味とはこれすなわち、女性の活力源。あっという間になくなってしまった。自分が食べる分まで。……食べたかったなぁ……。


「え、ぇぇと、ですね。提督……。そ、の……」

「はい? ……おぉ、そっか。書記さんもどうですか? みんなが帰ってきたら、ご一緒に」

「よろしいんですか!?」


 ちょっと俯き加減に、人差し指同士をツンツンしていた書記さんは、自分の誘いを聞いたとたん満面の笑みを咲かせる。
 年頃の少女らしい屈託のなさだ。微笑ましい。妹がいれば、こんな感じなのだろうか。
 姉達にこの十分の一でも愛らしさがあれば……。剛毅だもんなぁ、あの二人……。


「もちろん。日頃からお世話になってますしね。ご遠慮なく」

「はいっ、ぜひ! あ、着きましたね。中へどうぞ、すぐに軽食をお持ちしますので」

「ああ、お願いします」


 仮眠室の前に差し掛かると、そう言って彼女は小走り。揺らめくスカートに上機嫌さが伺えた。
 これは気合を入れて作らねばなるまい。時間もあるし、冷やして生クリームでも用意しておこう。ついでに量も。


「よっこいせ、っと」


 扉を開け、上着を脱ぎながらベッドに腰掛ける。こちらも高級品らしいが、布団で育った人間には少し違和感がある。
 しかし、まくらへ頭を乗せると、簡単にリラックスできてしまう。椅子に座るのとでは雲泥の差だ。


「次は、どうするかな」


 天龍達が来てくれれば、晴れて艦隊を組むことになる。さらに妙高型の三人が加われば、二つの艦隊に分ける必要もある、か。
 実戦へ出る前に、可能なら演習をしておきたいところだ。
 普通の提督なら、全ての行動を決めなければいけない代わりに、全てを決められる。
 対して自分は、多くのことを彼女達に任せられる代わり、その性格を考慮して編成・指揮を執らなければいけない。


「足柄はトリガーハッピー気味だけど、砲撃の精度は確かだ……。島風は速過ぎるから単独行動を前提にして、周囲がフォローした方のが活きるか……?」


 天龍達のデータはあるが、それで全部が分かるわけではない。妙高姉妹も同様。
 実際に相対して、初めて理解できることがこの世には多い。全ては実際に同調し、海に出てからだ。
 だが、考えておいて損もないだろうと、自分は思考を続ける。


「新しい駆逐艦も居てくれれば、助かる、な……。でも、あんまり、多すぎても……燃料と、弾薬と……食費……が……」


 そうこうしている内に、まぶたが重くなってきた。やはり、疲れているらしい。
 でもダメだ。もうすぐ書記さんがおにぎりでも持ってきてくれる。


「……そうだよ……少しでも、食べとか、ないと……。いなづまが、しんぱい……」


 ――と、頭では分かっているのに、視界はどんどん狭まって。
 柔らかく身体が沈んでいき、呼吸は深く、脳にも霞が掛かりだす。
 眠い。このまどろみが心地よくて仕方ない。
 けど、起きていなきゃ。書記さんを待ってないとダメだ。
 たべたら、ふろにも、はいって。
 それから。それから――





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「提督、お待たせしまし――あ」


 少女が仮眠室のドアを開けた時、彼はすでに眠りへと落ちていた。
 だらしなく片腕がこぼれ、床には上着まで。


「ふふ」


 しょうがない、といった様子の苦笑い。
 近くのテーブルへ盆を置き、少女はベッドに近づく。
 穏やかな寝息。
 ときおり、「天……ぷら」やら「龍田……揚げ」など、寝言まで言っている。


「揚げ物……? お腹空いてたのに、寝ちゃったんですか……?」


 堪えきれず、しかし、起こさないよう微かな声でつぶやく。
 まずは、シワになる前に上着を回収。軽くホコリを払ってハンガーへ。それから、はみ出していた腕をちゃんと乗せる。
 寝顔は穏やか。こうしてみると、まだあどけなさが残っているようにも。
 何の気なしに、彼の前髪を整えてみる。
 くすぐったいのか、わずかに身じろぎ。
 その仕草が“あの人”にそっくりで、少女は意識せず、泣き笑いのような表情を浮かべてしまった。


「ぜんぜん、似てないのに」


 顔立ちはもとより、背格好も、年齢も。
 共通点なんて、傀儡能力者であることを除けば、どれだけ残っているだろうか。
 ……いや、あった。
 まだ、似ていた部分がある。あの人も、昔は――


「……っ」


 不意に胸を締めつける思い出。
 苦しくて、少女は胸元に手を置く。服の下には、古くも隅々まで手入れの行き届いたロケット。
 その中で、笑っている。
 彼と、彼の統制人格と、同じように。
 互いを思いやり、支え合い、戦い抜いた、“あの子”がいる。


「私は、どうすればよかったの……。これが、貴方の望んでいたことだったの……?」


 答えを求めてはいなかった。自分のすべき事も分かっている。そして、行きつく結末も。
 けれど、そのことが無性に寂しくて。
 安らかに眠る彼へ、少女はおずおずと手を伸ばし――


「……――ちゃん……」


 ――ただそれだけで、何も、しない。
 夜が、静かに更けていく。










《こぼれ話 露出“強”な女の子が近辺をうろつくことによる弊害》





 最近、女性職員の目が痛い。
 敷地内を歩けばヒソヒソ話が聞こえ、物陰からいかがわしい存在でも見るかのごとく鋭い視線が投げかけられる。
 心当たりはあった。ほぼ間違いなく「原因はこれだ」と言い切れる自信もあった。
 それは――


「提督ぅー! 提督宛てに連絡が来てたよー!」


 ――今、手紙片手に勢いよく執務室へ入ってきた、こやつのせいである。
 ハレンチな改造セーラー。頭にはウサ耳っぽく立っている黒くて大きなリボン。スラッとした脚を包む紅白の縞々オーバーニーソックス。
 今日も元気ハツラツな露出“強”少女、島風だ。


「ありがとう、島風」

「どーいたしまして。ねぇねぇ提督、ちょっと執務室に居てもいいですか?」

「ん? そりゃあ構わないけど、何でだ?」


 現在、ここには自分と島風しかいない。
 電は雷と買い物に行ってくれてるし、足柄は書記さんのところ。他の子達もそれぞれに余暇を過ごしているはず。
 なのに、何でわざわざ仕事場に……?


「だってぇ、暁がまた服を着せようとするんだもん。ここなら、お仕事の邪魔になるからって入って来ないかなーと」

「あぁ、なるほど……。またやってるのか……」


 もはや恒例である。
 暁の「隠しなさいったら!」から始まって、島風の「やだよー!」で逃げ切られる追いかけっこ。
 最近では横須賀鎮守府の名物になりつつある。なぜかと言えば、それは彼女の服装が原因だ。
 いろいろと無防備な少女が所狭しと走り回り、スカートをヒラッヒラさせる。名もなき一般男性職員には、良い目の保養になっているらしい。
 気持ちは分からなくもないが……。


「なぁ島風。どうして普通の服を着ようとしないんだ? 別にその衣装、肌と同化してるわけじゃないんだろう」

「え、そうだけど。普通に脱げるし、別の服にも着替えられるよ?」

「ならどうして? 個人的にはもうちょっと厚着して欲しいんだけど……」


 少し前の自分は、「もっと見たい」「ガン見したい」と思いながら直視できずに悶々していたが、今は心から「お願い隠して」と思っていた。
 美人は三日で飽き、不細工には三日で慣れる。
 そして、無駄にドキドキさせられた肌色成分も、三日あれば日常になるのだ。ちょっと寂しい。
 んが、そのせいで詳しい事情を知らない女性達から「小さい子にあんな格好させて……」とか「ほら、いつも周りに若い女の子をはべらせてる……」なんて侮蔑の視線を向けられるのはひっじょーに辛いのである。
 あと、脱げるのは分かったから裾をめくるの止めなさい。お腹丸見えだぞ。……元々か?


「んー、でも、破けたりしてもすぐに直るし、便利だよ? 他の服だと破れたままだもん」

「まぁ、そうなんだろうけどさ。なんていうか……こう……」

「それに、私達が呼ばれた時に着てる服は、呼んだ人のしんそーしんりに影響されるって、こないだ書記さんが言ってたでしょ?
 提督が選んでくれたってことだし、私、気に入ってるよっ。それとも似合ってない?」

「うぐ」


 それを言われると、もう反論できない。
 艦を励起した際に顕現する統制人格の容姿・衣装などは、傀儡能力者の嗜好や原体験に基づいて構成されると言われている。
 電のドンピシャっぷりもそのせいだと思えば大いに納得できるが、こんな露出“強”な願望があるだなんて、にわかに認めたくない。書記さんちょっと困った顔で距離を取ろうとしてたんだぞ? 傷ついたわ。
 というこちらの苦悩を知ってか知らずか、島風はその場でクルリと一回転。
 ……確かに可愛いんだよなぁクッソ重力仕事休めよ!これ以上、この子に似合う格好はないと思えるもうちょっと、あと一声、吹けよカミカゼェ!


「……いや、似合ってるよ、凄く」

「えへへー。だよねっ」


 すこぶる上機嫌に、島風は他の机から椅子を引っ張り、そばへ座り込む。
 どこからともなく連装砲ちゃんも現れ、彼女の腕の中に。
 ……はぁ。性癖に対しての偏見は、甘んじて受けるしかないようだ。
 あれだ、いざという時に女性の肌を見ても、あんまり動揺せずに済みそうだしな。予行演習だと思っておこう。


「司令、失礼します。申請とか片付けてきたわよ……って、あら、島風」

「あ。やっほー」


 ようやく落ち着いたかと思いきや、今度は足柄が入室。彼女も手に書類を持っている。
 驚くなかれ、何と足柄さん、書類仕事がメッチャ早いのだ。字もすごく綺麗だし。
 遠目からみるとOLさんっぽいなーとは思っていたけど、これは嬉しい誤算だった。


「姿が見えない思ったら、ここに居たのね。書記さんと響が心配してたわよ? また逃げ回った先で何かひっくり返すんじゃないかって」

「むぅ、私だって好きで逃げてるわけじゃないもん」

「まぁまぁ。ご苦労様、足柄。冷蔵庫にプリ――」

「プリンよね!? 食べていいのよねっ!?」

「あ、はい、どうぞ」


 やや食い気味に反応した足柄は、一目散に備え付けの小型冷蔵庫へ飛びつく。さすがは飢えた狼。貪欲である。
 英国での観艦式の際、無駄を省いた日本的設計から彼女はこう称されたのだ。向こうの人の感覚では、皮肉っていたらしい。
 こんな風に冷蔵庫をあさる姿を見せられると、なまじ当たっているような気がして空しい。


「あっ、ズルいー! 私もプリン食べたいー!」

「こぉら、ダメ。あれは仕事を手伝ってくれたお礼なんだから」

「そうよ? むしろこのために書類仕事してるようなものなんだし。頑張った自分へのご・ほ・う・び♪
 あむ……ん~♪ この滑らかな舌触り、ほどよい甘さと芳醇な香り! 素晴らしいわ、みなぎって来たわ!
 ねぇ、お代わりしても良いかしらっ?」

「いや、遠慮してもらえると助かるかなぁ……」

「う~……! プリン……!」


 足柄さん、マイスプーンを片手に、小分けされたプリンを構えて晴れやかスマイル。
 どうしよう。微妙に言動がうっとうしい。
 無言で文字書いてる時とかすっごく様になってるのに、なんでしゃべると残念なのさ。


「ねーぇー、てーいーとーくぅー」

「はいはい。何を言ってもダメなものはダメだぉう゛!?」


 駄々をこねる島風へ振り向いたら、潤んだ瞳がどアップに。
 ち、近い、近いよ島風さんっ。というかなんで艦船のはずなのにフローラルな香りがするんですかっ?


「だ、だから、ダメだって。見境なくご褒美あげてたら、示しがつかない……」


 じー。
 と、見つめる島風。……喉が乾く。


「材料買うのだって、お金が掛かるんだし……。砂糖とかバニラエッセンス、メチャクチャ高かったし……」


 じぃー。
 と、見つめる島風+連装砲ちゃん。汗が、出てきた。


「く、うぅ……」


 じぃぃぃー。
 と、見つめる島風+連装砲ちゃん(x3)。
 ……もう無理だっ。つぶらな瞳で見つめないでくれ連装砲ちゃんっ!!


「分かった、分かったから! 一個だけだからな……」

「ホント!? やたっ、提督大好きー!」


 耳元で告白されたと思ったら、もうその姿は冷蔵庫の前に。
 速い。速すぎる。どんだけ好きになったんだプリンのこと。
 ……あ。女の子に大好きって言われたの、何年ぶりだろう。いや、下手すれば何十年? 電にも言ってもらったことないな、そういえば。
 なぜだ。嬉しいのに悲しい、悲しいのに嬉しい。愛って何だ。

 ……なんて、微妙に錯乱しつつも、自分は舌鼓を打つ二人を眺める。
 その楽しげな笑顔は、きっと、お金を出しても買えっこない物なのだろう。
 戦いのために生み出された彼女達が、ひと時とはいえ、自分の作ったお菓子に喜び、はしゃいでくれる。
 こう思えば、女の武器に屈してしまったことすら誇らしい。誇らしいとも、本当に。

 だけど。
 あぁ、だけど――





「また、作らないとな……。給料日は、まだか……っ」




















 前話を投稿したとたん、建造やらボスドロやらで、扶桑型姉妹と金剛型四姉妹が揃いました。ついでに加賀さん、伊勢さんまで。まだ2-2だったのに。え? 俺、来週あたり死ぬん?
 個人的に、山城さんの自己紹介が迷子っぽくて気に入ってます。MVP取らせてあげたくなります。よく脱げるけど。
 さて、次回はいよいよ、あの姉妹が登場する予定です。お楽しみに。
 それでは、失礼いたします。

 潮風に煽られようがジャンプしようが、見えそうで見えない。島風ちゃんのスカートは鉄壁です。でも、中破以上は勘弁な!





 2013/09/14 初投稿







[38387] 新人提督と休日の姉妹艦
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2013/09/21 17:30




 張りつめた空気が漂っていた。
 潮風が頬を撫で、照りつける太陽の熱を奪い、汗を乾かす。
 声を発するものはなく、聞こえるのはただ潮騒のみ。


「………………」


 そんな中、自分はひたすら待っている。
 一瞬の変化を。まばたきの間に逃してしまう、絶好の機会を。
 じっと。じっと。じっと――来た!


「ぬおりゃあぁぁあああ!! ……ってあれぇ!?」


 勢いよく引いた竿の先には、何もついていなかった。
 手ずから針に通した餌すらも。くそ……また逃げられた……。


「あーあ、何やってんだよ。エサだってタダじゃねぇんだぞ――っと、きたきたぁ!」

「あら~、天龍ちゃんこれで五匹目ね~」


 横を見やれば、同じく折りたたみ椅子に座って竿をあやつる、左目に眼帯をつけた、黒のサマーセーターっぽい制服少女。
 その後ろには、同系色の、ミッション系スクールとかで見かけそうな制服少女。
 天龍、龍田姉妹である。


「なんで自分だけボウズなんだよ……。もう二時間くらい経つのに……」

「力が入りすぎなんじゃよ、お若いの。もっと気楽にせんと、あっちの嬢ちゃんに負けたまんまじゃぞ?」

「そうは言ってもですね、吉田さん……」


 今度は反対側に顔を向け、いかにも「釣り人です」と教えてくれる格好をした、軍関係者らしいお爺さんに泣き言を。
 現在地は、横須賀鎮守府の外れにある防波堤。
 何をしているのかというと、もちろん、釣りである。
 総勢十一名の家計を支える大黒柱となった今、自分は悟ったのだ。このままだと、せっかく迎えいれた子達に満足な食事すら与えられない、と。
 そんなことになれば、ひもじさから非行に走り、最終的にお縄を頂戴するような事態が待ち受けて……!

 ……というのは冗談だけれど、中佐になって給料が上がったにも関わらず、食費がカツカツなのも事実。
 幸いみんなの方から、「食事は出撃する前と帰ってきたあとに、ご褒美として」という決まりを作ってくれたのだが、「ただし、オヤツのプリンは一日一つを所望する」なんていらん一文もあった。けっきょく、節約せねばならないのである。
 こんな理由があって、自分は「なんか出来そうだからオレも行く」という天龍を連れ、釣り場に来たのだ。
 ちなみに道具は借り物。なんでも、横須賀鎮守府の一番偉い人が釣り好きらしく、個人で貸し出しているとのこと。会ったことも、会うこともまだないだろうが、感謝せねば。


「いやー、大漁大漁。こんだけ釣れりゃあ、今日の晩飯は全員に行き渡りそうだな」

「本当~。天龍ちゃんが釣りできて良かったわ~。捌くのが楽しみね~」


 実にうっとりとした表情で、龍田はピチピチ跳ねる魚を眺めている。
 美味しい食事を楽しみにしている……と思いたいのだが、それにしては雰囲気が病んでいた。
 なぜだか彼女は、こう、殺伐とした……違うな。攻撃的……でもない。うーん……サドっ気? を言葉の端々に見え隠れさせているのだ。ちょっと怖い。
 ま、雷電姉妹に続いて、料理技能を持ってくれてるのは助かるけど。


「しっかし、なんで釣れないかな……。初めてなのは天龍と一緒なのに」

「爺さんの言ったとおり、気張り過ぎなんだよ。こんなの、何も考えずに糸を垂らしてりゃ……ほら来たっ」

「六匹目~。何作ろうかしら~? 頭を飾った豪華なお造り? はらわたをとって煮物? 三枚におろして焼いちゃうのも良いわよね~」

「なんか物騒に聞こえるのは何でじゃろな、お若いの」

「聞かんでください……」


 密かに戦慄する男二人をよそに、天龍は「どうだ!」と得意気だ。
 先ほどから男勝りな言動が目立つ彼女も、その笑顔からは快活な少女らしさが伺える。
 少々交戦的な一面もあるのだが、根が良い子なのは実証済み。
 なにせ、励起直後の挨拶時――


『……っと。オレを呼んだな? オレの名は天龍。幾度となく氾濫を繰り返した暴れ川の名を持つ、水雷戦隊旗艦の現し身だ。……フフ、怖いか?』

『いや、普通に格好良いと思うけど』

『……へ? あ、え? そ、そうか。そうだよな。分かってるじゃねぇか!』


 ――なんて、照れ臭そうにつないでいた手をほどき、肩をバンバン叩いてごまかすくらいだ。
 さらには、その後に励起された龍田と顔を合わせ、「今度はオレの方が就役早かったな!」とドヤ顔まで。
 見た目は十代後半なのに、無理して悪ぶってる中学生にしか見えなくてもう……。
 ちなみに龍田も、電達とすぐに仲良くなった。ごっつんこシンパシーである。


「……はぁ。にしたって悔しいな……。せめて一匹だけでも釣らないと、大黒柱としての威厳が……」

「気負うのは分かるんじゃがの、そういうもんは竿に直接伝わる。気楽にの。あの嬢ちゃんみたく、純粋に楽しんでおればすぐじゃて」

「ですかねぇ……」


 好々爺な笑みにうながされ、自分は水面に視線を落とす。
 引いては寄せ、キラキラと光る水面。合わせて、気持ち良さそうに浮きが上下する。
 穏やかだ。
 つい昨日、海の上へ精神を飛ばしていたときに比べると、戦争をしているのが嘘のように。
 ……けれど。


「なんぞ、悩みごとかの。いや、まだ気掛かりっちゅうとこか」


 吉田さんが胸の内を言い当てる。
 そう、平和を享受しているはずの心には、否応無くさざなみを立てる“しこり”があった。


「分かりますか」

「なぁに、だてに半世紀も竿を握っとりゃせんよ。なんなら話してみるかの?」

「……いえ。これは、自分一人で解決すべきことだと思いますんで。お気遣い、ありがとうございます」

「……そうか」


 ――というより、話せる段階ではないのだ。
 自分の勘違いかもしれない。むしろ、勘違いであって欲しいと思ってすらいる。
 そのくらいに戸惑い、困惑していた。


「……あの~、あまり気になさらない方が良いと思いますよ~?」

「だな。どうあれ、オレ達のやることは変わんねぇ。上に立つならもっとドッシリ構えてろよ」


 あえて具体的にせず、姉妹は言葉をかけてくれる。
 苦笑いを返すも、脳裏によぎる光景。それは、南一号作戦の一環である、海上護衛作戦中の出来事だ。

 かつての日本軍が実施した資源輸送作戦、南号なんごう作戦から名を取った(そのままだと縁起が悪いため一を付け足している。結果はお察しだ)これ等は、南西諸島沖にある油田から採掘し、精製した石油などを、本州へ運ぶ目的で行われる。
 ツクモ艦の資源採掘によって新たに出現したらしいこの油田、今の日本にどれほど重要なものかは言うまでもないだろう。幸い、技術的に掘れないほど深くはなく、近くには無人島群も存在し、軍は死に物狂いでこの海域を確保した。
 が、せっかくの島も本格的な基地を敷くには小さく、製油所を作るのがやっと。しかも敵艦は定期的に現れ、小規模とはいえ、常時戦闘が繰り返される激戦区でもあった。

 他の提督との共同作戦でもあったその最中、自分は、製油所地帯沿岸へ進む輸送船団の護衛を任される。
 そして、向かった海域にて――





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 黒く染まる水面が爆発した。
 その衝撃は、大時化の波とあいまって軽巡洋艦を揺らし、暗闇を見通す視界もブレる。
 ツクモ戦艦から放たれる十六inch相当の呪詛。直撃すればひとたまりもない。


「おい司令官! 命令はまだなのかよっ!?」

『分かってる! 分かってるけど……!』


 甲板を叩く水音に紛れて発せられる、艤装ぎそうを身につけた天龍の声。
 三半規管を乱される感覚に襲われながら、自分は迷っていた。
 本当にいいのか? このまま撃っても。だって、あれには……。


《あの~、そろそろマズいと思いますよ~? もう挟叉に入ってますから、直撃弾くるかも~?》


 今度は龍田が、緊張感のない声で恐ろしい事実を伝えてくる。
 艦を挟むように着弾するのが挟叉。つまり、このまま打ち続けられれば、いつか当てられてしまうということ。
 考える時間もないのか、くそ……!


『本当に、みんなには何も見えないのか』

《ごめんなさい、司令官さん……。電には……》

《そうよ、戦艦を相手にするのは初めてだけど、いつものツクモ艦じゃない。しっかりしてよ司令官!》


 ……そうだ。確かに見た目は普通のツクモ艦。灰色の分厚い装甲で覆われた、人類の敵対者。
 けど、問題なのは見た目じゃない。問題なのは……。


「チッ、さっさと決めろ! 追撃すんのか、しねぇのか! モタモタしてっとオレ等がヤられるぞ!」

『く……っ』


 残りはたかが戦艦一隻。されど戦艦一隻。
 一発もらえば、装甲の薄い軽巡洋艦や駆逐艦なんて、大破必至。
 もう、時間がない……!


『……追撃だ。魚雷装填せよ! 単横陣で距離を詰めてから左右への単縦陣! 仕損じたら前翼単梯陣でダメ押しだ!』

Да了解、司令官》

《やっと暁の出番ね。見てなさい!》

「っしゃあ、オレに続けぇ! 遅れんなよオマエ等ぁ!!」

《うふふ、天龍ちゃん元気いっぱいね~》


 目の前で、天龍の拳が打ち鳴らされる。
 途端、タービンの回転数は上昇。三隻が縦に二列並んだ複縦陣から、横一直線に並んで被弾面積を減らす。一番左が天龍。右へ順に、暁・響・電・雷、そして龍田だ。
 命令の内容は、距離を詰めて敵前で天龍・龍田がそれぞれ左右に回頭。残る四隻も半数ずつ同様に。そして雷撃後、仕留められなければ包囲するようV字に展開、追加の砲雷撃戦というもの。
 こんな芸当、この海では熟練した船乗りでも出来っこないが、それぞれが意思を持ち、なおかつ中継器を通して他艦の情報を得られる自分達にはお手の物である。


「よくも好き放題撃ってくれたなぁ……? タップリと礼はするぜぇ?」


 天龍達が有効射程へと近づく。
 探照灯をつけていないにも関わらず、位置は明瞭。甲板には漁り火のごとく、緑光が揺らめいていた。それに、統制人格の視界は夜目もきく。
 横っ腹を見せる戦艦は回避運動を始めようとしない。それどころか、新たな砲弾も降ってこない。発射速度を考えればいくらでも撃てるのに。
 ……どうなってる。罠か? それとも……。


「おっし、全艦一斉回頭っ、司令官!」

『……っ。雷撃開始!』


 反射的な号令とともに、水上発射管から魚雷が放たれる。
 雷撃の軌跡が、放射状に収束。

 ――くぐもった轟音。水柱。


「どうだ! 天龍様の一撃は!」

《凄いわ~、珍しく全弾命中~?》


 敵戦艦が、かなりの勢いで傾いて行く。これは、本当に全弾命中したのか。
 珍しいってレベルじゃない。固定目標を狙ったのでない限り、自分は初めて見る。


『………………』


 沈んでいく。
 鋼のきしむ音は、まるで悲鳴のよう。
 おそらく、竜骨がダメになった。立て直すのは不可能だろう。
 甲板にあった漁り火も、徐々に。徐々に弱まっていく。

 緑色の小さな双眸が、霞のように消えていく――。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





(あれは……。あの子は、何だったんだ)


 初遭遇したツクモ戦艦、ル級の上には――少女が居たのだ。
 灰色の、生物めいた艦の上に人影があった。まるで統制人格のごとく、小型化された砲塔を構えて。
 けれど、あの目は。あの緑の光は悪い意味で見覚えがあった。
 錯覚かと思い皆に訪ねてみたが、やはり彼女達にはまるで見えていなかったらしい。自分の視覚情報を記録しているはずの書記さんにすら。
 でも、その影は異様な存在感で記憶に焼きつき……。


(戦闘自体はいつもと変わらなかった。あの戦力を相手にするのは初めてだったけど、特に問題はなかった)


 自分達が相手にしたのは、戦艦ル級、雷巡チ級、軽巡ヘ級、駆逐イ級二隻の計五隻。
 その前に前衛部隊も相手にしていたが、数で勝り、演習で練度を高めた天龍・龍田姉妹に、第六駆逐隊を加える水雷戦隊で相手どれば、攻略は容易かった。
 撃破できた。思っていた以上に、簡単に。


(あの子も、“生きていた”かもしれないのに?)


 ……あまりに、簡単すぎた。呆気なく撃沈し、呆気なく終わってしまった。命を奪ってしまったかもしれないという、暗い実感をともなって。
 あれは何だ? 確かに、統制人格や傀儡能力だって解明されていないことの方が多いけれど、ツクモ艦にあんな少女が乗っているだなんて、一言たりとも聞いた覚えがない。
 おまけに数日後。今度は、突如として多数出現した敵艦隊から輸送船団を守るため、妙高みょうこう四姉妹と天龍型姉妹に編成しなおし、南西諸島防衛戦へ出撃した際。
 以前はただの無人艦だった重雷装巡洋艦にまで、あの人影は現れ始めた。

 ――自分は、どうにかなってしまったのだろうか。

 この仕事についた時から、命を奪われる覚悟はしていたつもりだ。けれど、命を奪う覚悟なんて、していなかった。
 相手はただの鉄の塊。意思を持ったように動くだけの、敵。そう教えられ、そう思ってきたから、意識していなかったのかもしれない。
 自分が振るっている力は、容易く命を奪える物なのだ、ということを。


「……まぁ、お前さんに何があったのかは聞かん。だがの、あんまり根を詰めんようにした方がええぞ」


 暗く沈みこむ思考へ、知り合ったばかりの耳慣れない声。
 淡々としていながら、どこか優しく思えるそれが、波の音に重なる。


「世の中のすべてには、なんかしらの意味が宿る。
 しかし、それに囚われちゃいかん。遠くを見ることばかりに躍起になっちゃあ、転んじまうぞい?
 まぁ、あんまり近くを見すぎても、目の前の壁にぶつかってしまうがの」


 パシャリ、水が跳ねる。
 次の瞬間、吉田さんの手には新しい海の恵みが握られていた。
 ……考えすぎ、なのだろうか。
 それとなく聞いてみても、軍の記録を調べてみても、ツクモ艦に統制人格が宿っているという記述はなかった。
 戦闘のストレスによる幻覚。そう片付けてしまえば楽だ。
 だが、意味があるというのなら、自分が彼女達を見たことにも意味があるのでは。
 本当に、ここで思考を停止してしまっていいのか。……どうすればいい。


「……ぁああ、ったくよぉ! いつまでもウダウダしてんじゃねぇ! それでも司令官かよ?」


 ――と、没入しかける自分を呼び戻す怒声。
 竿を龍田に任せてこちらを向く天龍は、高く眉を釣り上げ、眼前に仁王立つ。


「オレ等と違って、アンタは考えるのが仕事かもしれねぇ。でもな、戦闘中にまで悩まれちゃ困んだよ。そんな奴にオレの舵輪を握らせるわけにはいかねぇぞ」


 見下ろす視線には怒りが見えた。
 不甲斐ない。このままではお前を信頼できない、と。面と向かって不信をあらわにされるのは、久しぶりだ。
 まぁ、そう言われても仕方ないのは分かってる。戦いの最中で妙なことを口走り、危うく損害を被るところだったのだから。
 けど……。


「……んぁああ、クソッ。だから、そうやってすぐ悩むんじゃねぇよ! 別に考えるなって言ってるわけじゃない。ただ、優先すべきもんを見極めろっつってんだ」

「優先すべきもの……?」


 頭をかきむしる天龍に言われ、自分は改めて思考する。
 あの場で優先するべき事柄。それは何だ。
 任務を遂行すること? それとも、人影の正体を確かめることか?
 ……いや、違う。
 普段、自分が考えていることと順位が違っている。海へ彼女達を送り出す際、いつも自分が思っているのは。


(みんなを無事に、帰還させること)


 そうだ。こんな簡単で、なおかつ一番大切なことを、あの時の自分は忘れていたのか。
 存在し得ない人影に衝撃を受けたのは確か。でも、だからってみんなを危険にさらして良いわけがない。
 敵は敵。どんな状況にあろうと任務を確実に遂行し、無事に帰らせるのが自分の役目。
 人としての“自分”と、提督としての“自分”を切り離せていなかったのだ。……未熟にもほどがある。


「……天龍」

「んだよ。撤回なんてしねぇからな。これがオレの率直な――」

「ありがとう。一度に沢山のことを考え過ぎてたみたいだな」

「は?」


 不意をつかれたのか、腕組みをしたままポカンと口を開ける天龍。
 その表情がおかしくて、でも、向かい合ったまま告げるのはなんだか気恥ずかしく、自分は水面を見つめながら続ける。


「天龍の言ってくれたとおり、自分の仕事は考えることだ。けどそれは、みんなの力を引き出すためにすることだよな。
 思考を止めることはできないけど、戦いの中で迷うのは止める。自分にとって一番優先すべきは、みんなの無事。まずはそれだけを考えてみるよ」


 あれは幻なんかじゃない。あれを見たことには、多分、意味があるんだと思える。
 しかし、戦いの中でそんなことを考えられるほど、自分は強くない。
 だったらまずは、みんなを生き延びさせることに集中しよう。
 もっともっと強くなって、少しだけ周りを見る余裕ができたら。その時もう一度、あの子のことを考えよう。
 きっとそれも、大事なことだと思うから。


「……ったく、なんだよ。ころころ顔付きを変えやがって。調子狂うぜ……」


 ふっ、と肩から力を抜いた天龍は、満足そうな顔で腰に手を当て、「やれやれ」なんて聞こえてきそうな仕草。
 どうやら、彼女のお眼鏡には適ったらしい。一安心だ。


「ふふふ、良かったわね~、天龍ちゃん。帰ってきてからずっと心配してたものね~? 『あんなんじゃいつか折れちまいそうだ』って」

「ぬぁ!? お、おいこら龍田っ!?」


 ――と思っていたら、同じく満足そうな微笑みをたたえる龍田からの声に、天龍が大慌て。
 心配していた……。やっぱりさっきのあれは、発破をかけるためのものだったのか。
 本当に、自分は恵まれている。


「……そっか。優しいな、天龍は」

「でしょ~? 不安そうにしてた駆逐隊のみんなにも、『オレに任せろ』って言っちゃうくらいなんだから~」

「ぉ、お前等ぁ……!」


 誉め殺しに弱いのか、隠しておきたかったのか。彼女は顔を真っ赤にして拳をプルプル。
 妙に可愛らしくて、自分も龍田と同じように笑ってしまう。さらには吉田さんまで「若いのぉ」としみじみした一言。
 電達にも心配をかけてたみたいだし、後でちゃんと「大丈夫だ」って言っておかなくちゃならないな。
 ……って、何だ、さっきから腕が引っ張られ――


「――ずぉ!? ちょ、な、き、来たぁ!?」

「ん? ようやくアタリかよっ?」


 グイッと身体を持って行かれそうになり、慌てて立ち上がりバランスをとる。
 うわ、なんだ、なんだこれ、あり得ないくらい重いぞ!?


「凄い引き~。もしかして大物~?」

「おぉぉ、こりゃあデカイ。ほれ、頑張れお若いの」

「いやあの、ムリムリムリ、て、天龍、手伝ってくれぇ!」

「はぁ? ったく、メンドクセェなぁ」


 口では素っ気ない天龍だったが、すかさず竿に手を添えてくれる。
 んがしかし、その瞬間、肘の辺りにプニュリとした感触。
 ……え。これ、あれですよね。え? 腕が完全に埋まってるんですけど。なんという、圧倒的な……!


「おい、ちゃんと引けって。逃げられるぞ?」

「い、いや、あのな、その、で、デッカいのが当たって……」

「アタリがデカイのは分かってるっての。ほら、タイミング合わせろっ」

「ぉ、おう……」

「うふふ。天龍ちゃん、後で教えてあげたらどんな反応するかしら~」


 何をホクホク顔してやがるんですか龍田さん。お願いします秘密にしといて下さい。
 という祈りが届いているのかを確かめる間も無く、天龍が「せぇの!」と掛け声。
 仕方なく、柔らかさを堪能しながら全力で竿を引き上げると――


「ぉお! や、やっと釣れた!!」


 ――大きな影が、水しぶきを上げながら姿を現す。
 ビチビチと大暴れするその体躯は……六十センチ以上あるだろうか?


「うわ、すっげぇな! 今日一番じゃねぇか?」

「本当~、捌き甲斐がありそうね~」

「いやはや、まいった。最後にいいとこ持ってかれたのう」

「あはは、すみません。ビギナーズラックですかね?」

「謙遜するこたぁない。見事なもんだぞ、お若いの。どれ、今日は終いにするか。締めてやろう」

「はい、お願いします」


 手早く道具を片付け始める吉田さんにお願いして、釣った魚を締めてもらう。即死させるのにはコツがいるらしく、素人がやるよりは確実だ。
 まぁ、龍田が目を皿のようにして観察してたから、次はお願いできそうだけども。
 日暮れも近かったので、自分達も合わせて撤収。四人、談笑しながら鎮守府敷地内へと戻ってくる。
 ……ん? 四人で?


「あの、吉田さん。そういえばまだ聞いてませんでしたけど、どんなお仕事されてるんですか? 軍属の方なんですよね?」

「うん? なんじゃ、まだ気付いとらんかったか。ま、すぐ分かる。ほれ、まずは道具を置かんとな」

「はぁ……」


 天龍、龍田と顔を見合わせるも、やはりよく分かっていないみたいだ。
 悪い人ではないし、大丈夫だとは思うけど……とりあえずついていくしかないか。
 そう思い、黙って足を動かし続けていたら、少し先に見覚えのある後姿が見えた。
 制服に長い黒髪を揺らし、辺りをキョロキョロ伺っている彼女は……。


「書記さん。どうしたんですか、こんなところで」

「あ、提督。こんにちは。実は人を探し――って居たぁ!?」

「へ?」


 書記さんにしては珍しい、大きな声。その視線の先に居るのは吉田さん。
 どういうことだ? 何で彼女が吉田さんを? 軍属の彼女が探しているんだから、やはりこの人も軍の――


「もう! また仕事を放り出して釣りですかっ。いい加減になさって下さい長官!」

「はっはっは。すまんの、こればっかりはやめられんでな」


 ――長官?
 ええと……聞き間違いじゃなければ今、長官って言ったよな書記さん。……司令長官?
 司令長官って、鎮守府を統率するひとだよな。つまりは一番偉い人。そういえば、釣り具貸してくれてるのって司令長官じゃ。
 もしかして、目の前で孫くらいな年の女の子に怒られてるこの人が、横須賀鎮守府の? 最初期から現在までを戦いぬく歴戦の海軍中将であり、傀儡能力者“最初の五人”である吉田豪志……?
 自分、雲の上の存在みたいな人を一般人と勘違いして、ついでに魚締めさせたりしてたってこと?
 ………………人生終わった。


「どっどおっどどどどどどうしようううっぅっぅぅ」

「だ、大丈夫ですよ~。きっと、無礼千万・切り捨て御免なんてことには~……」

「おおぉぉお落ち着けお前等、まだだ、まだあわわてる事態じゃ……」


 ことを理解した瞬間、天龍達と車座になって顔を突っつき合わせる。
 ヤバい、ヤバいなんてもんじゃない。不敬罪なんて廃止されてるしそもそも皇族じゃないけど、司令長官をぞんざいな扱いしてたなんて周囲に知られたら、本当に人生が終わる。天龍達だってあわや解体とか……!
 ああもうなんで忘れてたんだよ!? いくら軍事に興味なかったとはいえ、顔写真くらいは見たことあったじゃないかぁ!?


「さて、お若いの」

「はいっ! なんでありましょうかっ!!」


 直立不動、肩ひじ張った敬礼が反射的に。
 しかし振り返ってみると、待っていたのは防波堤で見た好々爺な笑顔。


「そう畏まらんでくれ。ワシの方が隠してたんじゃからの。知名度が低くてちょいと落ち込みはしたが」

「も、申し訳ありません! 自分は、あまり記憶力が良くありませんで!」

「よいよい。そんなもんじゃろうて。で、話を戻すが、こっちの嬢ちゃんから報告は聞いておる。……ワシも見た」

「……は?」


 唐突に思える「見た」という単語。
 つかの間、困惑。意味がしみ込むにつれ、驚きがこみ上げる。


「あ、あのっ! それって――」

「すまんが、今言えるのはそれだけじゃ。箝口令を敷かせてもらう。気付かぬ者の方が多いからの。ちなみに、あの場で話しておったら、かなりマズいことになっておったぞ」


 ――けれど、まばたきの間に空気が変わった。
 重いとか、苦しいとかじゃない。ただひたすら、“大きい”。
 自分より頭一つは背の低い吉田中将に、見下ろされているような感覚。
 これが、本物の軍人。まるで、違う。


「はっはっは。若いのぉ、本当に。ところでおヌシ、まだ艦隊名は変えとらんのか? ほれ、第何期何番艦隊なままかの」

「え? あ、はい。そう、ですが」

「そうかそうか。ならおヌシ、今度から――桐林の艦隊を名乗れ。手続きはこちらでしておこう」

「……っ!? 長官!?」

「なんじゃ? 被っとったかの?」

「い、いえ、それは大丈夫ですが、こんな形で……!?」


 書記さんが驚愕に目を見開く。対して自分は、何も返せない。
 桐林……? “桐”を名乗るって、まさかそんな。


「あの……冗談、ですよね?」

「まさか。不服かの?」

「い、いいえっ、自分には……自分では、力不足にもほどが……」

「ワシはそう思わん。そも、これは将来を期待するという意味合いで行われるもんじゃ。その権限はあるし、問題なかろう」

「それは……そうでありましょうが……」


 一体これは、どういうことなんだ?
 ツクモ艦には女の子が乗ってて、釣り好きなお爺さんが司令長官で、おまけに渾名まで押し付けられて。
 わ、訳がわからない……。ドッキリか? むしろそっちの方が納得できるぞ? 誰かプラカードを持って出てきてくれ……!


「さてさて、色々あって驚き疲れたじゃろ。釣り具はワシが預かる。クーラーボックスは明日でも構わんからな。
 またの。桐林提督と、龍の嬢ちゃん姉妹。ワシの言ったこと、よく考えるといい。さ、いくぞい。書類作るの手伝っとくれ」

「……あ、お、お待ち下さい長官! えっと、失礼します!」
 

 呆然とする自分から竿などを回収し、吉田中将はスタスタ歩き去る。
 書記さんはこちらに頭を下げ、その背中を追って小走り。


「……っはぁ、うぁぁぁ、なんだったんだよもう……」


 二人の後ろ姿が見えなくなったころ、ようやく身体から力を抜く。というか勝手に抜ける。
 背後からも天龍達のため息が聞こえてきた。


「人がワリィな、あの爺さん……。なんかドッと疲れたぞ……」

「厳しい軍人さんだったらどうなってたかしら~……」

「考えたくもないよ……。とにかく、帰ろう。今日はもう帰ってご飯食べて風呂入ったら寝る……」

「だな……」

「私も、ちょっと疲れちゃった~……。晩ご飯、電ちゃん達に手伝ってもらうわ~……」


 中身のギッシリ詰まったクーラーボックスを肩にかけ、三人で宿舎へ歩き出す。
 本当に疲れた……。今なら臆面もなく、電へ膝枕とか要求できそうだ。しないけど。
 でも……。


「これから、どうなるんだ……?」


 つぶやきは、暮れなずむ空に消えていく。対象的に、胸の内はかつてない困惑で埋め尽くされていた。
 緑眼の人影。優先すべきこと。“桐”の渾名。

 ……今夜は、眠れそうにない。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……あの、長官。なぜ、“桐”をお与えに?」


 場所を変え、広々とした執務室にて。
 少女はたまらず、椅子に腰掛けようとしていた老人へ問いかける。


「おヌシに知る権利はない……というのはさすがに酷じゃな。単なる牽制じゃて」

「牽制……?」

「ワシが名付けをしたのであれば、否が応にも噂は広まるからの。周知させるのにはちょうど良かろう」


 そこにいたのは、先ほどまで釣り人然としていた好々爺ではなく、白の軍服に着替えた厳めしい人物。
 別人、と称しても疑われないほど、身にまとう空気の密度が変化していた。


「彼に注目を集めたい、ということでしょうか。しかしそれでは……」

「もはや隠しきれんところにきているんじゃよ。あまりに特異すぎる。人の口に戸は立てられんしの」

「……他の方々が黙っていないのでは」

「抑え込む。問題にはさせん」


 海軍将校――特に傀儡能力者にとって、“桐”の名は特別以上の価値を持つ。
 “梵鐘”の桐谷、“人馬”の桐生、“千里”の間桐、“飛燕”の桐ヶ森……。
 統制人格やら魂やら、曖昧な概念を扱わなければならない傀儡能力者は、十年前の大侵攻を防いだ英雄・桐竹源十郎の名前から“桐”の一文字を得ることで、その力にあやかるのだ。高名な人形浄瑠璃の傀儡師である、桐竹家の血筋であった影響もあるだろう。
 もっとも、順序としては逆であり、目覚しい戦果を挙げた者に“桐”の名を与えることで、桐竹源十郎を象徴化しようとしているだけ、という考えもある。
 ……それに、英雄とされるのは、あくまで表向きの話でもあった。知り得ない情報なので、少女が顔に出すことはなかったが。


「全く、どんな時代にも愚物は居るもんじゃよ。肉体的な素養に能力が左右されぬと、今までの積み重ねで分かっておろうに。
 とにかくこれで、迂闊には手を出せんじゃろう。無駄に生き延びただけあって、ワシの名にもそれなりに力はあるからの」

「……ですが、前例がありません。こんなこと……」

「それを言うなら、彼奴の存在そのものが前代未聞ではないかの?
 もうそろそろ、大きな転機が必要なんじゃ。この際、良い悪いは問わぬ」


 突き放すような物言いには、わずかばかりの慚愧の念と、必要であれば骨、屍まで利用し尽くす冷徹さが同居している。
 ある程度を越えた傀儡能力者特有の、諦観。いや、命を数で考え、より有効に殺す必要のある軍人なら、誰もが望まずとも達してしまう領域。
 少女にとって、どうしようもなく憐れとしか思えない、悲しい人の姿であった。


「のう。おヌシはこの戦い、どう見る」

「……え」

「ワシはな、このままではいかんと考えとる。十年経っても、ワシ等は何も変わっとらん。
 生きるため、人類のためとお為ごかした戦いを、孫の代に残したくないんじゃ」


 老人は、机に伏していた写真立てを見やる。
 その中にいる人物を、少女は見たことがない。
 けれど、それを見るたび、深いシワの刻まれた顔が歪んでしまうことは、知っている。


「聞かなかったことにします。問題発言ですから」

「老い先短いジジイの弱音じゃ。そうしておくれ」


 背もたれに体重を預け、老人は大きなため息をつく。閉じたまぶたの裏で、何を描いているのか。
 推しはかることのできない少女をよそに、くたびれた手が胸ポケットから葉巻入れを取り出す。
 止めても無駄なことを知っている彼女は、無言のまま壁際に向かい、とあるスイッチを。


「早く、終わらせなければ、のう……」


 ゆらり。
 立ち登る紫煙が、天井に据えられた空気清浄機の中へ、吸い込まれていった。










《こぼれ話 オフィスレディー四姉妹》





「……うむ。読みやすく、簡潔にまとまっている。これなら合格だ」

「本当に!? やっと終わったぁ……」


 三度目の正直とはよく言ったもの。思わず諸手をあげて机に突っ伏してしまった。
 書き上げたばかりの報告書を手に満足げなのは、妙高型四姉妹の次女。美しい黒髪をサイドポニーにまとめる、那智なちさんだ。


「ご苦労様でした、提督。それと、申し訳ありませんでした。那智の完璧主義に付き合わせてしまいまして……」

「何を言う妙高。どんな技能だろうと、習得しておいて損はあるまい」

「だからって、二時間も机にかじり付かせるのはやり過ぎですわ」


 那智さんの隣で書類をトントン整えるのは、おかっぱ髪の長女、妙高。
 現在この執務室では、なぜか事務技能を持ち合わせる妙高四姉妹の机が新たに設置され、資材配給の申請や、その他書類仕事を手伝って貰っている。
 が、自分の立ち位置はご覧の通り、入社したての新入社員。
 おっかしいなぁ……。自分が就職したの、一般企業じゃなくて軍隊だよなぁ……?


「あ、あの……。司令官さん、お疲れさまでした……。お茶、どうですか……?」

「おぉ、ありがとう羽黒はぐろ。助かるよ」


 おずおずと差し出されたお茶を一口。ほう、と安心する味だ。
 この子が妙高姉妹の末っ子、羽黒。髪の長さはミディアムで、髪飾りが特徴的である。
 ちなみに三女の足柄さん、ずいぶん前から「ああでもない」「こうでもない」と一人で机に向かっており、とっても静か。
 ま、触らぬ神になんとやら。放っておこうと思います。めんどいし。


「それにしても、長いこと文字を書いてたから、少し手が痛いな」

「まぁ。でしたら、ハンドマッサージなどはいかがでしょう? 疲れがとれますよ」

「え、そんなことまで出来るの?」

「はい。なんだか、年頃の婦女子の方々が興味を示しそうなことは、一通りできそうな気がいたします」

「グリーンカレーだけ上手く作れそうだったり、フラワーアレンジメントができそうだったり、編みぐるみを作れたりな。しかし、腕は中途半端だ。精進せねば」


 編みぐるみだけ「~そう」じゃないあたり、試したんですか。
 なにもそこまで極めようとしなくったっていいんじゃないですかね。
 という感想はさておき、ホントに疲れてるからマッサージは助かる。お願いしよう。


「いやいや、頼もしいよ。なら、さっそく頼もうかな」

「かしこまりました。那智、左手をお願いしますね」

「心得た」


 椅子をちょこっと回転させて手を差し出すと、机を回り込み、妙高と那智さんが近くにしゃがみ込む。
 ……って、両手同時?


「あれ、那智さんもやってくれるんですか?」

「当然だろう。さんざん働かせて褒美も無しでは、気勢に関わる。これは貴様がいつもしていることだぞ」

「そうですかね……? 大したことしてるつもりはないんですけど」


 もしかして、プリンのことだろうか。
 確かに休日は毎日のようにプリン作ってるけど、もう半分趣味みたいなもんだしなぁ。
 専用の冷蔵庫も新しく買ったし、材料も問屋さんからまとめて仕入れて割安になった(主任さんのコネである)から、そんなに負担でもなくなったんだけど。


「嬉しいものなんですよ、そういうことが。日頃の感謝も込めて、真剣にやらせて頂きます。さ、提督。お手を」

「あの……わ、私もした方が、いいですよね? 肩とか……」


 返事をする間もなく両手を取られ、ついでに肩へ手が置かれる。
 ……なんだろうこれ。美女(羽黒はまだ美少女だろうか?)三人にかしずかれてマッサージって、ハーレムみたいだ。
 自分がモテてるって勘違いしそうで怖いな……。


「ところで、司令官さん……。どうして那智姉さんにだけ、敬語で話すんですか……?」

「確かにそうですね。那智、あなた提督に何かしたの?」

「心当たりはないな。むしろ私自身、気になっていた。何故だ。わりと壁を感じていたりするのだが……」


 無表情に手をコシコシしながら、那智さんが寂しそうに言う。
 参ったな、変に勘ぐらせちゃってたか。


「ごめん、そういうつもりじゃないんだ。ただ、那智さんってうちの姉に言動が似てるから……」

「お姉様に、ですか」

「うん。喋り方なんてもうウリ二つなんだ。そのせいなのか、弟の性なのか……どうしても呼び捨てに抵抗があって」

「なるほど、そういうわけか。理解した。隔意がないのであれば、問題ない」

「私も、分かります……。お姉さんって、大事な存在……ですよね」

「あ~……ウン、ソウダネ……」


 頭の上から降ってくる羽黒の声に、自分は虚ろな笑い。
 大事なこたぁ大事だけど、むしろ怖いんだよあの二人。昔はヤンチャしてたし。
 嫁に行った先でも、旦那さんを尻に敷いて圧縮布団みたくしてるっぽいから、会う機会の減ってしまうこの仕事、実は天国だったり。
 というより――


「あぁ……。なんだこれ、すっごい気持ちいい……。あ、もうちょっと強く……」

「はい、提督」

「このくらいか」

「んっしょ……」


 ――現在進行形で昇天しそうだ。
 妙高と那智さん。二人の手が、女性特有の柔らかさと熱を持って、指の筋肉を解してくれる。
 羽黒の肩揉みなんて、弱過ぎて単にさすられている程度なのに、なぜだか心地いい。
 提督やってて良かった……! 危ないお店で諭吉さん何十枚出しても、なかなか経験できないぞこれ……!


「それにしても、不思議なものだ。ここからあのような味が作られるとは。あのほろ苦いトロトロ。癖になる」

「ええ。それに殿方のって、とても大きいんですね。ゴツゴツしていますし……」

「んっ……本当、カチカチ……です……」

「そうかな。平均的なサイズだと思うんだけど」


 こちらの手のひらを眺めながら、姉妹は物珍しそうな顔つき。羽黒は力がないだけだと思うけども。
 女性のそれと比べれば、そりゃあデカイしゴツゴツもしているだろう。体力を落とさないよう、最低限のトレーニングも提督には必須だし。
 しかし、よくよく考えれば、彼女達に共感もできる。
 人間の手は色んなものを作り出す。料理、お菓子、編みぐるみ、道具、武器、そして艦船。
 よくもまぁ、こんなにたくさん作り上げたものだ。そのおかげで楽ができるんだし、自分だけに限っていえばマッサージ天国である。先人には頭が上がらない。
 ありがとう。心からありがとう。自分は今、とっても幸せです。


「うぁあ……それにしても気持ち良す――」

「ちょっと! 何してるのよ司令官っ!!!!!!」

「――ぎ?」

「きゃう!?」


 バダンッ、と壊すような勢いで開かれる扉。
 ビックリして反射的に顔を向ける(悲鳴は羽黒)と、そこには頬を真っ赤に染める、雷と電が。手には封筒が握られている。


「い、電というものがありながら、しかもこんな真っ昼間から妙高たちに、そんな……。ここ、このエッチぃ!」

「へ……? あっ、いや違う。違うぞ、誤解だ! ちょっとマッサージしてもらってただけで……!」

「なんだ、どうした」

「あら、雷さんに電さん。どうしたのですか?」


 ひょっこり、机の影から頭を出すのんきな二人とうって変わり、自分は焦っていた。
 殿方、大きい、ゴツゴツ、カチカチ、サイズ。
 思い返してみれば、会話の内容が怪しいったらありゃしない。おそらく、連絡を届けにきたけど変な声が聞こえてきて、図らずも盗み聞きしてしまったのだろう。
 っていうかこのタイミングじゃ、マッサージだっていかがわしい意味にしか聞こえねぇよっ。バカか自分っ。


「い、いいのです。司令官さんも、お、男の人、ですから……。電は……き、気にしてないの、です……。っ、失礼しますです!」


 案の定、勘違いを加速させた電がその場から逃げ出す。しかも涙目で。
 よくない。よくないぞこれは……っ。
 早急に誤解をとかなければ、今後の任務と生活に支障が出るうえ、社会的地位がストップ安だ!


「待ってくれ電ぁ! 誤解なんだぁぁあああっ!!」

「あっ! こら、逃げちゃダメでしょ司令か~ん! お説教~!」

「……ああ。まずいですわね。雷さん、お待ちにっ」

「なぁ羽黒。エッチとはなんだ。なぜ唐突にアルファベットが? 何かの隠語か?」

「えっ!? ぁ、あの、それは……み、妙高姉さん、待ってぇ!」

「おい、その反応は知っているな。なぜ逃げる。エッチとはなんだ。おい羽黒」


 追いかける自分に続き、みんなも部屋を飛び出してくる。
 が、頭の中は電への言い訳で満載であり、そのことに全く気づいてはいなかった。
 のちに、また追いかけっこをしていた島風達が「提督も追いかけっこですか? 負けませんよ!」と参加し、「おいテメェ、なに電を泣かせてやがんだ!」と怒る天龍田姉妹に追いかけられ、騒々しさを注意するために出てきた響と書記さん、ついでに「なんか面白そう」とほざいた主任さんまでをも巻き込む、長い長い、逃・追走劇の、始まりだ。





「……よし、書けた! 私の考えた最高の近代化改修案っ。これでもっと派手に撃ちまくれるわよぉ! ねぇ司令、これ読んで――って誰もいない!? あれぇ!?」




















 2-4突破! ……したけど金剛・赤城・加賀さんが一発で大破させられ、扶桑型姉妹も中破。リアルで悲鳴あげました(なんでか榛名ちゃんだけ無傷)。もう二度と行かない……。
 文中の海戦もどきですが、あまり良い資料が見つかりませんで、「こんな感じにしたら良いんでないか」という想像です。詳しい人が居らっしゃったら、ホントに指摘してください。
 また次週も更新したいところですが、某変態企業のせいで遅れるかと思われますので、あらかじめご了承ください。武器腕超楽しみ。
 それでは、失礼いたします。

「次回! 満を待して、艦隊のアイドルが登場だよ~! みんな、待っててね~☆」
「せっかくの夜戦だったのにどうして呼んでくれないの!? 夜戦夜戦夜戦夜戦や~せ~ん~!!」
「あの……二人とも、落ち着いて……?」





 2013/09/21 初投稿+誤字修正。瓶様、ありがとうございました。







[38387] 目指せ、アイドルの☆(スタァ)! 那珂ちゃん、汗と涙(と笑い)の地方巡業記! その一「見せスパッツとはなかなかの選択……。でも、那珂ちゃん生足だからお色気的には勝って……あ、そっち方面に路線変更なんてしな(略)」
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2013/10/09 22:18



 この日、海は平穏だった。
 本州に大きくかかっていた梅雨前線が消え、陸の上は雲一つないのが容易に想像できる。
 風は強くなく、波が少々あるものの、この程度なら航海の醍醐味と言えるだろう。
 甲板にベンチでも置き、日傘をさして水着でも着れば、まさしく気分はリゾートクルージングだ。
 が、そんな中で――


「いーよいーよ。どーせ那珂ちゃんにセンターは似合わないもん。地方巡業がお似合いだもん。
 延々ドサ回りを続けて、場末の居酒屋でお客さんのリクに答えながら演歌を歌ってればいいんだよ……。ふ、ぐすっ……」


 ――局所的に暗雲が立ち込めている海域があった。より正確にいうなら、とある船の真上にだけ。
 海を進む六隻の編隊。美しい輪陣形の右方である。
 オレンジ色の衣装をまとい、甲板で膝を抱え座りこむお団子頭な少女は、その船の統制人格、那珂。
 何の気なしに始めてしまった、次の旗艦(センター)には誰がふさわしいか投票。立候補したものの全く票を得られなかった彼女は、盛大にダメージを食らっていた。


「もう、暗いなぁ。ほんまエエ加減にしてや? せっかくの初遠征やのに、気ぃ滅入ってまうわ」

「ホントよ。そりゃあ、私達だって実戦で活躍とかしたいけど、こういう任務だって大事でしょ? ね、不知火しらぬい?」

「……司令のご判断ですから。不知火はただ従うのみです」

「あかん、ちゃう意味でこっちも暗いわぁ……」


 艤装着用時のみに使用でき、統制人格と同調状態の傀儡能力者にだけ聞こえる、短距離念波通信。
 右前方から発せられるその面倒臭いイジケっぷりに、額へ手を当て、思いっきりため息をつくエセ大阪弁少女、黒潮くろしお
 彼女に続いたのは、同型艦である陽炎かげろう型駆逐艦ネームシップ・陽炎と、二番艦・不知火。黒潮は三番艦である。
 彼女達は黒いベストと半袖の学生服を着ており、首元のリボンの色が、それぞれ緑・赤・青と違っている。艤装は同じだが、他にも髪型などで個性が表われているようだ。


「あの……そんなに落ち込まないで……? 次は、あなたを旗艦にしてもらえるように、提督へお願いしてみるから……」

「……ずびっ。本当? 神通ちゃん」

「本当。……だから、お願い。ジワジワと内側に入って来ないで……。陣形が崩れちゃう……」

「あ、ごめん。無意識につい」


 さりげなくセンターを狙う貪欲な那珂を慰めるのは、数奇な運命によって川内型二番艦へ繰り上げられた、神通。
 長い黒髪が、内気な性格を表現するように揺らめいていた。今回の遠征において、旗艦を務めているのは彼女である。


「はふぅ。まっ、落ち込んでたってしょうがないよね! 今回は神通ちゃんに取られちゃったけど、次こそは那珂ちゃんがセンターになってみせるんだから!」

「うん……がんばって……」

「一件落着やな。……あれ。さっきから静かやけど、川内はん、どないしたん?」


 落ち込みやすい代わりに立ち直りも早いのか、那珂はあっさり笑顔を取り戻す。
 それを見て黒潮達もホッと一息。しかし、だいぶ前から声が聞こえなくなった存在に気づき、そちらへ話を振る。
 残る一隻は川内型ネームシップ、川内であるのだが――


「………………夜が、恋しい。太陽が憎いぃ」

「ん? ああちょっと、川内さんまで距離つめちゃだめ! 日陰になんてならないから! 私より川内さんの方が大きいからー! 新・美保関とかいやーーー!!!!!!」

「あの……だから、陣形が……」


 ――こっちもこっちでダメだった。
 那珂の反対側に位置どる、ぼんやりした顔のツインテール少女は軽巡洋艦の統制人格。間で挟まれそうになっている駆逐艦・陽炎とは比べるべくもない。
 ちなみに、ここは横須賀鎮守府の正面海域であるため、ぶつかったとしても新・美保関にはならないだろう。いい笑い者にはなれるだろうが。


「ねぇねぇ川内ちゃん。どうしてそんなに眠そうなの?」

「ふぁ~……ぁう。いやぁ、昨日は遅くまで提督と一緒だったから、ほとんど寝てなくて……」

「……えっ!? し、司令と一緒で寝てない……それって!?」

「嘘やろ!? まさか川内はん、もう手篭めにされてしもたん!?」


 川内の何気ない一言に、陽炎と黒潮が色めき立つ。
 建造された年代から換算すれば、とっくにお婆ちゃん以上の年齢な彼女達であるが、こうして顕現された今、その精神性は十代女子と同じである。目を輝かせて興味津々だ。


「あー、違うと思うなぁー。川内ちゃんそういうのに興味ないもん」

「同意します。司令にもそのような甲斐性はないかと」

「あの……そんなにハッキリ言ったら、可哀想……」


 けれど、キャピキャピする二人の意見を否定する他三人。
 統制人格といえど乙女。そういう話題に興味を示すこともあろうが、しかし、川内に限ってそれはないと言い切れる。
 なぜなら――


「え? 夜戦と軽巡洋艦の魅力について語り合ってただけだよ? やっぱいいよねぇ、夜戦!」

「ほら、那珂ちゃんの言ったとおり」

「……なんやろな。この安心したような、拍子抜けしたみたいな感じ」


 ――こいつは夜戦Loveなのだから。
 日中は昼行灯のごとくテンションが低いのに、日が落ちるにつれ活力をみなぎらせ、午後十時ともなれば絶好調。「夜戦はいいね……。艦艇戦の極みだよ……」などと窓辺に腰かけ、月を見上げる超夜型統制人格。それが川内だ。
 事実、昨晩の彼女と提督が過ごした時間は、九割が川内の夜戦・軽巡洋艦講座であり、なんとか執務室を逃げ出そうと試みる彼をことごとく妨害。夜中の――いや、朝の四時まで地獄は続いた。色気もへったくれもないのである。


「なぁんだ……。あれ? でも私、司令ってものすごい女たらしだって噂を聞いたんだけど……」

「あ、ウチもウチも。なんや、駆逐艦のちっこい五人を餌付けしたとか、妙高はん四姉妹に執務室でご奉仕させたとか、天龍はんの胸に顔をうずめたとか……」

「え? 那珂ちゃんが聞いたのは、特Ⅲ型の四人をU-15アイドルとしてデビューさせようとしてるとか、月刊・艦娘のインタビュー受けたとか、そんなのだったけど?
 もうっ、なんで呼んでくれなかったんだろ? 那珂ちゃんが雑誌デビューすれば売り上げ倍増間違いなしなのにぃ!」


 その自信はどこから来るんだというツッコミはさておき、陽炎達の口から零れるいかがわしい噂の数々。
 もしも本人が聞いていたなら、「違う! 餌付け……っぽいことはしたけど、ご奉仕……っぽいこともさせたことはあるけども、とにかく微妙に違う! 足柄は参加してなかったし、うずめたのは肘だ!」などと、拳を握って力説するだろう。
 一般的な倫理観からみれば五十歩百歩にすぎないのだが。もげるがいい。
 補足すると、隔月刊(那珂は間違って覚えている)・艦娘とは、海軍省が発行するプロパガンダ雑誌であり、感情を宿すまでに成長した統制人格を、その活躍と共に紹介するものである。
 毎号ついてくる艦娘特大ピンナップが目玉。税込み九百八十円なり。お得な定期購読の申し込みは、海軍広報部までお電話を。


「まぁ、それがなくても、ただ海の上を進んでるだけじゃ眠くもなるよね。敵出ないし。夜だったら警戒を厳にしなきゃいけないから張り切れるんだけどなぁ」

「でも……何も起きないなら、そっちの方が、わたしは……」

「無駄な消費は避けるべきです。が、必要とあらば作戦行動も必要かと。そのための遠征、そのための警備任務なのですから」

「それは……そうなんだけど……」


 神通の気弱な発言を、不知火がたしなめる。
 この時代における遠征とは、所属外鎮守府への支援や、輸送任務に就く通常艦の護衛任務などのことであるが、人口が一億を割った今、純粋な人手不足を理由に、感情を宿して指揮能力を得た統制人格へも任せられる仕事であった。
 ごく稀に、高度な思考ルーチンを組み上げ、未成長の統制人格に単純な輸送任務をこなさせる提督もいるが、それはオートパイロットだけで飛行機に離着陸をさせるようなもの。事故率は極めて高い。
 いつ、どこから現れるのか分からないツクモ艦を相手にするには、柔軟な思考が必要不可欠なのである。
 輸送任務を専門にこなす提督も居ることは居るが、やはり人手不足に違いはないのだ。

 “桐”の渾名を与えられ、その特異性を周知された神通達の主人は当然、遠征へ参加を要求された。主力艦でなくとも、自己判断能力を有しているなら問題ないであろう、との理由で。
 自分の目が届かない場所へ、実戦経験の乏しい艦を送ることに大きな懸念を示していた彼だが、正式な任務を断れるわけもなく、「せめてこれだけは」と準備時間を求め、二度の練習航海と演習ののち、今日へ至っている。
 思わず苦笑いが出る過保護ぶりは、抜錨寸前まで彼女達に声をかけ、姿が見えなくなるまで皆と一緒にハンカチをふるほどであった。見えなくなった途端に倒れこんで爆睡したが。


「あ~、ダメだよ不知火ちゃん、神通ちゃんのことイジメちゃ。だいじょぶだいじょぶ、たまたまハグレ湧きするツクモちゃんを、六隻でフルボッコするだけの簡単なお仕事だもん。那珂ちゃんにドーンと任せて!」

「……うん。ありがとう……」

「別に、責めていたわけでは……。不知火の所感を提示しただけで……」

「あ、へ、平気、だから。ちゃんと分かってるから、ね……?」


 少々言い方がキツい自覚でもあったのか、不知火の弁明にはあまり覇気がない。
 だが、それは他に対してだけでなく、自分にも厳しい性格の現れ。神通も理解していたらしく、すぐさまフォローに入る。
 このように周囲へ気を配れることが、なかなかにアクの強いメンバーの中から旗艦に選ばれた一因かもしれない。史実において、日本海軍の第二水雷戦隊・旗艦を務めたことも大きいだろう。


「ところで、司令の話で思い出したんだけどさ。この格好って司令のイメージから出来てるんだよね?」


 ふと、陽炎はスカートの端をつまみ上げる。
 男性陣が居れば大喜びしそうな魅惑の三角地帯も覗けそうだったが、しかし残念。
 陽炎型の三人はスパッツをはいていた。……逆に喜ぶ人も多そうだけれど。


「せやろ。ウチらの性格も反映されとるらしいけど、基本は司令はんの趣味やて、書記はん言うとったやん」

「わりとセンスいいよね~。那珂ちゃん、この衣装可愛いと思うな! ときどき別な服も着たくなるけど、やっぱり一番しっくりくるし!」

「わたしには……ちょっと派手、かも……」

「そんなことないんじゃない? 姉妹でお揃いの服とか着れるの、結構ワタシは嬉しいけど。ついでに夜戦もできたら最高だよねっ」

「不知火も特に不満は。夜戦については断固拒否しますが」

「えぇー、なんでよぉー。楽しいでしょ夜戦ー。敵よりも先に索敵成功した高揚感とか、息を殺して有効射程まで近づく緊張感とか、砲火で位置を知られちゃった時の――」

「ああはいはい、夜戦談義はもういいですから。ま、私もこの服は好きよ。でも……」


 いったん言葉を区切り、溜めを作る陽炎。
 そして――


「……島風ちゃんのアレは、どう思う?」

『あぁ……』


 ――次に放たれた疑問は、皆をユニゾンさせるに相応しいものだった。


「いや、似合ってるとは思うのよ。けどさ、同じ女の子としては、ちょっとね……」

「確かに……。本人は喜んどるからええけど、せやなかったら普通に犯罪やん。なんでこないな人に呼ばれたんかってお天道さん呪うレベルやわ」

「な、那珂ちゃんは……お、お仕事なら、頑張れば……やっぱりダメぇ! センターになれないからってお色気路線に走ったら、全国一千万の那珂ちゃんファンを裏切ることになっちゃうよぅ!」

「そもそもファンなんて居たっけ? まぁワタシも無理だけど。流石にアレはないなぁ。不知火はどう?」

「死ねと?」

「あ、あの、その言い方は、ひどいんじゃ……」

「ほんなら、あの服着てみぃ言われたら神通はん、どないする?」

「無理です……」


 庇ったものの、即答する神通。よっぽど嫌なのだろう。
 島風なら「えー。動きやすいし涼しくて気持ちいいよー?」と言えるあの格好。
 人並みの羞恥心を持っているとキツいのかもしれない。いや、キツい。


「あ、あーっと、でも、それがあっても良い人だよねっ、司令ってさ?」


 思っていた以上に場の空気を重くしてしまったのを察してか、陽炎は慌ててフォローを開始。
 どんよりした雰囲気を払拭しようと、皆もそれに続いて語り出す。


「……そうやな。なんやかやと、いっつもウチらのことを大事にしてくれとるし」

「そうそう! 他のところの事情なんて話に聞く程度だけど、今の私達、かなり恵まれてると思うわ」

「あぁ、分かるかも。ワタシ達って基本“物”だし、そう扱われても大丈夫だけど、普通の一個人として扱ってもらえるのは、やっぱ嬉しいよね」


 とってつけたような褒め言葉であったが、しみじみとしたつぶやきには、温かい実感が込められていた。
 統制人格という存在は、人の形をした道具である。
 ゆえに、主人の命令へ背くことはなく、死を命じられてもためらいなく散ることができる。感情を宿していようとも、それは変わらない。それが傀儡の本質。
 似てはいるが、やはり人間でない存在なのだ。


「そうでしょうか。不知火達はあくまで艦船です。
 整備を絶やさぬのは戦果をあげるために必要ですが、丁重に扱いすぎれば単なる無駄。
 司令はもっと冷酷に、効率を考えるべきかと」

「あれ? もしかして不知火ちゃん、提督のこと心配してる?」

「………………なぜ、そうなるんですか。不知火は事実を申したまでです。心配など」

「だって~。ね、神通ちゃん?」

「うん……。不知火は、本当は優しい、から……」

「……知りません」


 けれど、この場にいる六人の主人は、その上で彼女達の個性を尊重しようと心を砕いている。
 繰り返しになるが、これは異端染みた行い――手塩にかけて育てた子供を、銃弾飛び交う戦場へ送り出すような、矛盾に満ちた行為であった。
 今はまだ大丈夫でも、いつか必ず別れは経験する。彼のように愛情を注いでしまったがため、耐えられず運命を共にしたり、精神に変調をきたす能力者も多い。
 だからこそ、彼等は初期の訓練過程でこう教えられるのだ。――傀儡は人に非ず、と。その真意を理解できるものが、少なくても。


「まぁ、心配なのも分かるけどさ。そこは私達が頑張ればいいじゃない。しっかり経験つんで、練度もあげて、どんどん強くなっちゃおうよ!」

「だね。そうしたら、いつか実戦に連れてってもらって、あわよくば夜戦にもつれ込み……。ぬふふ……」

「ホンマけったいな趣味やな~。ま、司令はんの役に立つんがウチ等の役目やし、いっちょ気張るか!」

「期待には、応えてみせます」

「アイドルは下積み時代の努力がものを言うもんね! 目指せ、艦娘人気第一位!!」

「みんなで、頑張りましょう……!」


 人と同じ姿で、心があって、言葉も交わせるなら、違うところなんてないじゃないか。
 それに、女の子を邪険に扱うなんて無理だよ。嫌われるのイヤだし。……できれば、仲良くなりたいしさ。

 こんな正直すぎる理由で、統制人格を人と同格に扱い、今ではそちらの方へ重きを置いてすらいる、ある意味で正しく、ある意味で間違っている青年。
 だが、彼に報いようとする彼女達もまた、普通の統制人格とは違っているのだ。
 自分が傀儡だからではない。そうすべきだからではくて、そうしたいと“思える”。ただそれだけで、与えられた“似せ物”の魂を、震わせることが出来るのだから。


「それに、出撃組はデザートのプリンお代わり出来るんだもの! これで頑張らなきゃ嘘だわ!」

「お~、せやったせやった。いつもは一日一個やもんなぁ。……うっし、メッチャやる気出てきたでぇ! まっててや、胡麻プリン!!」

「あ! 那珂ちゃん豆乳プリンがいいなっ。ヘルシーだし、お肌にもいいもんっ。アイドルは食事から気をつけなきゃね!」

「わ、わたしは……かぼちゃプリン、が……」

「ワタシはなんでもいいけど……月見をしながらプリンとか、いいと思わない?」

「……ミルクプリン」


 訂正しよう。食欲に勝る原動力はこの世にないようだ。
 不知火にまで不敵な笑みを浮かべさせるあたり、さすがは三大欲求である。


「……ん。敵艦発見。二時の方向、数は一。戦闘準備を」


 ――と、盛り上がっているところに水をさす闖入者。
 発見した不知火はまたたく間に鉄面皮へ戻り、那珂も不機嫌そうな顔に。


「もうっ、ツクモちゃんったらKYなんだからぁ。そんなんじゃ友達できないぞっ☆ 神通ちゃん、パパッと片付けちゃお?」

「う、うん……」


 促され、神通は頷く。緊張をほぐすために目を閉じ、深呼吸。
 演習の時と違い、中継機は積んでいない。皆の様子は伝わってこず、位置関係も視覚と念波通信を併用して把握するしかない。
 しかし、意外なほど彼女はすんなり落ち着つけた。
 数で勝るから……違う。敵艦がもっとも弱いとされる駆逐艦イ級だから……違う。この仲間達が一緒なら、たとえどんな相手とでも戦えると、確信できるから。
 そんな暖かさをゆっくりと噛み締め、もう一度まぶたを開いた、その瞬間――


「桐林第二水雷戦隊旗艦、神通。これより、提督に代わり艦隊の指揮をとります……! 各艦、砲撃戦用意……!」


 ――神通は高らかに、戦線の火蓋を切って落とすのだった。









《こぼれ話 響・イン・ザ・スニーキングミッション》





 昼下がりの横須賀鎮守府。食事を終え、人々が再び活動を始めるころ。
 夏の始まりを告げる強い日差しの中を歩く、少女が二人。
 一人は、やけに周囲をうかがいながら、敷地の端にある雑木林へ向かう黒髪の少女、暁。
 もう一人は――


「……何をしてるんだろう、暁」


 ――小さな背中を、物陰に隠れて追跡する白髪の少女、響だった。
 赤レンガの壁へ身を隠すその動きは、なかなか堂に入ったものである。
 ここ数日、彼女には気になることがあった。姉妹艦、暁の行動だ。


(やはりおかしい。これじゃまるで――)


 発端は、唐突なお小遣いの申請である。
 統制人格には給料が支払われない。食事はおろか、人間的な精神活動をしないため、そもそも必要ないのだ。
 しかし響達はそうもいかない。人と同じように、何かを欲しくなる場合もあった。酒保で売っている駄菓子だったり、可愛らしい小物であったり。
 が、無い袖は振れないのが悲しい世の定め。そこで彼女達のお小遣いは、欲しいものができたら提督へおねだりする申告制となったのである。
 遠征任務での特別報酬を受給し始めたため、大抵の場合はこころよく出してくれる(足柄の美顔マッサージ機や、那珂のカラオケ機能付き高級マイクなどは即却下した)彼だが、暁は今回、その用途を秘密にしたままなのだ。それでも出してしまうあたり、甘すぎる。


(――誰かと、密会してるみたいじゃないか)


 別に、秘密にするだけなら気にならない。
 常日頃から一人前のレディーを自称する暁のこと。子供っぽいお菓子やリボンを買っているのを隠したくなるのは理解できる。
 けれども、ここ数日の彼女は、いつもこっそり食べているミニヨーグルトも我慢しているらしかった。
 それどころか、唐突にお湯を沸かして水筒へ入れたり、買い物に行っては、普段寄り付かない棚を見て回っている。おまけにこの単独行動。明らかにおかしく、一貫性も見られない。


(まさか、暁を普通の女の子と勘違いしたヘンタイにたぶらかされて……。丁寧に扱えば喜んじゃう暁ちょろ可愛い、って司令官いってたし……。もしそうだったら……)


 ――ежовщина粛清してやる。

 と、響は鋭い眼光を見せる(ちなみに、このロシア語は本来エジョフシチナと読む)。
 さすがに暁もそのくらいの危機管理能力はあろうが、わりと過保護な響は止まらない。
 姉妹の中でただ一人、かつての大戦を生き残った経験を宿す彼女。しかも最初に沈んでしまったのは暁だ。心配してしまうのも無理はない。


(……あ。止まった?)


 ふと、暁の足がとまった。響もサッと壁に隠れる。


「いるんでしょ、出てきて?」


 一瞬、自分のことかと思った響だが、暁の顔は林へ向いていた。
 出て来てということは、やはり待ち合わせだったらしい。こんな鎮守府の外れの外れで、人目をはばかるように。……決定的だ。
 ガサリ、茂みの動く音。
 響は目をこらす。人を見かけで判断してはいけないとよく言うが、そんなの知ったことじゃない。
 一目見て怪しい男なら、すぐさま暁をさらって逃げる。そのために、いつでも飛び出せるよう両脚に力を込め――


「……って、子犬?」


 ――ワン。という鳴き声に脱力してしまう。
 手を広げてしゃがむ暁へ駆け寄ったのは、小さな小さな柴犬だった。
 微妙に汚れているところを見るに、野良のようだ。


「だ、誰っ!? 誰かそこに――へ? ひ、響?」

「やぁ」


 うっかり物陰から乗り出してしまった響は、子犬を抱える暁へ手を振る。
 暁はといえば、「なんでこんなとこに?」というような表情を。
 近づいて同じくしゃがみ込んでみると、子犬は響に向かってワン。構って欲しそうに尻尾が揺れた。


「最近一人でどこかへ行くことが多いと思ったら、こういうことだったんだね。この子、名前は?」

「……まだ、ないの。名前をつけると、愛着が湧いちゃうもの」


 子犬を響に預け、暁が帽子を脱ぐ。すると、その中からは犬用の粉ミルクやら、お湯が入っているらしい水筒やら、小皿やらビーフジャーキーやらオモチャの骨やら、色々なものが取り出された。
 どう考えても容量が四次元的なことになっているが、おそらく艤装を出し入れする時の応用なのだろう。響はそう自分を納得させる。深く考えてはいけない。というか既に愛着湧きまくりである。


「どうしてこんな場所で秘密にしているんだい? 飼うにしても、環境は良くないと思うけど」

「だって……司令官、わんこ――じゃなくて、犬は嫌いなんでしょ。ただでさえ多めにお小遣い貰っちゃってるのに、これ以上は……」

「……そうか。あの時の質問は、そういう意味だったんだ」


 響が暁を気にかけ始める前、彼女は唐突に、「司令官って、わん――犬は好きですか?」と尋ねた事があった。
 曰く、「小さい頃、大型犬に追いかけられたことがあるから苦手」、らしい。
 単なる世間話の延長にしか思えなくてスルーしていたが、思い出してみれば、その後の反応は落ち込んで見えた。
 宿舎はペット可であるが、嫌いな生き物を飼ってはくれないと思ったのだろう。


「それなら大丈夫さ」


 しかし、響はそんなことかと笑い、髪の毛にじゃれつかせていた子犬を返す。
 あの日はそのまま終わってしまったが、実はこの話、続きがあるのだ。


「司令官がダメなのは大型犬で、中型犬までなら平気らしいよ。それに、柴犬ならそんなに大きくならないだろうし、きちんとしつけを出来るなら、きっと分かってくれる」

「ほ、本当っ!? それなら大丈夫っ、この子はそんなに吠えないし、噛みついたりもしないわ! 良かったわね、これでダンボールハウスじゃない、ちゃんとした場所で寝られるわねっ」

「二人で、司令官にお願いしてみよう。世話とかも手伝うから」

「うんっ。……ありがと、響」


 ワン、と返事をする子犬を抱きしめ、はにかむ暁。それを見ている響も、また。
 過去に船としての一生を終え、今、統制人格として再び戦場へ舞い戻った彼女達。少女を形どる現し身を得ても、その役目は変わらない。
 けれど、こうして過ごす日常は。
 小さな胸に、確かな想いを積み重ねていくのだった。かつては感じることのなかった、ささいな幸福を。




「そうだ。名前も決めてあげないとね。ウラジミールとか、ヨシフとか、ニキータとかはどうかな? 個人的にはヨシフがいいと思うんだけど」

「……ねぇ響。気持ちは嬉しいんだけど、ロシアから離れられない? 柴犬よこの子」



















 3-2、突破しました。宣言通り、雪風・島風+第六駆逐隊で。本当に運ですねあのマップ……。
 雷ちゃんが大破進軍しても落ちないで頑張ってくれたし。さすが、頼りになるわ。あ、ちゃんとキラキラにしてダメコンも積んでましたよ? 慢心、ダメ、絶対。
 さてさて。今回は、本編でしばらく出番がなさそうな艦娘の救済企画&最近影の薄い暁+響のテコ入れ話でした。
 いや~、那珂ちゃんには出オチが似合いますね。けっきょく神通ちゃんに食われてるし。
 今後も本編で登場させづらい艦娘達が、那珂ちゃんと共に登場します。誰が出るかはその時の気分次第ということで。
 それでは、失礼いたします。

「次回。初の正規空母としてお目見えいたします。ご期待ください」





 2013/10/05 初投稿+誤字修正。「真に上」ってなにさ……。
 2013/10/09 誤字修正。hige様、ありがとうございました。






[38387] 新人提督と空母機動艦隊
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2013/12/09 22:55





「……デッカいなぁ……」

「……大きいのです……」


 機械の駆動音がそこかしこから聞こえる、整備用ドックにて。電とふたり、“彼女”を眺めながらつぶやく。
 史実での近代化改修後を再現したその姿は、全長二百六十・六七m、全幅三十一・三二m。排水量こそ三分の二程度だが、戦艦大和に匹敵する大きさ。
 圧巻だ……。


「こらこら二人ともー。女の子に向かってデッカいとか大きいとか、ダメですよー」

「はわっ、ご、ごめんなさいなのです」

「すみません。空母を間近で見るのは、初めてだったから」


 振り返りながら頭を下げる。
 そこにいたのは、腰に手を当てて胸を張る主任さんだ。


「ま、何と言っても空母ですからねー。整備のしがいもありますよ、艦載機も準備しなきゃいけませんし。いやー、忙しくなりそうです」


 楽しげな様子に、しかし、若干の疲労が見てとれる。艦自体は“向こう”が用意してくれたけれど、航空戦の主役である戦闘機などは空。
 七十機近いそれを用意するのは、大変なんて一言で済ませられない大仕事なのだろう。
 どうせなら完璧に準備しておいてくれれば良いのに……。嫌がらせか?


「いつもありがとうございます。無理はしないで下さいね、主任さん」

「なんのなんの。半分趣味とはいえ、たまには真面目にお仕事しないと査定に響きますからー」

「そんな理由ですか……? ま、それはそうと、電」

「はいです。主任さん、これ、差し入れなのです。後で食べてください」

「おー! プリンですよねっ? 助かりますー。この包みの大きさ、もしかして全種類? うわー、何から食べよっかなー」


 電の提げていた風呂敷を受け取ると、彼女は大きく顔をほころばせる。
 中身は当然、プリンだ。遠征のおかげで懐が潤うようになり、少し前から色んな味を作り始め、現在レパートリーは六種類。最近では酒保のおばちゃんに「うちへも卸してくれない?」と打診されていた。
 もっと種類を増やす予定だし、調理技能持ちのみんなもレシピは習得済み。パッケージに彼女達の写真でも使えば、商品展開すら可能な気がする。艦娘お手製プリンが横須賀を席巻する日も近い。
 ……とか調子に乗ってみる。


「にしても遅いな、あの人。どうしても会いたいっていうから電を連れてきたのに。通常航法の士官は全員もう降りてるんですよね?」

「そのはずですよ。提督さんの先輩なんでしたっけ、この子を護送したの。ちょっと前から佐世保の方に出向してるっていう。
 アタシはその頃まだ主任じゃなかったし、直接会ったことないんですよねー。噂に聞くくらいで」

「ええ……。自分としては、あんまり面と向かいたくないんですけど」

「どうしてですか? 先輩さん、とっても格好良い人なのに」

「だからだよ……」


 小首をかしげる電へ、聞こえない程度の声でつぶやく。
 うん、確かにあの人は格好良い。格好良いけども、それが問題なのだ。
 あぁぁぁ、今から鬱になる……。またアレの相手をしなくちゃいけないか……。


「はぁ……。面倒だなぁ……」

「なんだい? 愛しの先輩がわざわざプレゼントを運んできたっていうのに、ひどい言い草だね」


 ――凛、と。その一言で空気が引き締まる。
 耳に心地よい声にまた振り返れば、件の人物がタラップを降りてきていた。
 大佐の証である肩章が映える、白い軍服。
 軍帽からこぼれる髪は後ろで一括りにされ、眼差しが優美な丸みを帯びてこちらを見つめる。
 名は体を表すのか、身体つきは引き締まり、身のこなしも無駄がない。


「お久しぶりです、兵藤大佐っ」

「ああ、敬礼はいいよ。私と君の仲だし、面倒なのも同じく嫌いさ」

「……そういう訳にはまいりません。上官なのですから」

「真面目だなぁ、相変わらず。君の良いところだけどね。それはそうと新人君――」


 敬礼するも、返ってくるのは人懐っこい笑み。スッと通った鼻梁にあいまって、ともすれば見惚れてしまうことだろう。
 が、自分は予想できる。その潤った唇から放たれるであろう言葉を。
 耐えろ。頑張れ表情筋。しかめっ面は思う壺だ。来るぞ、来るぞ、来るぞ……!


「――今日の君のパンツはどんなだい? ブリーフ? トランクス? それともまさかのブーメランかい?」

「……普通に無地のトランクスです。締め付けられるのは嫌いでして」

「なるほどなるほど。自慢の四十六cm砲はそんなのでは収められないと。そいつを使って電ちゃんを毎晩のごとく啼かせているんだろう、羨ましい。どうだい今晩、私とも」

「申し訳ありません、執務が溜まっておりまして。それと、自分は童貞であります」

「奇遇だね、私も処女だ。上下・前後ともに。優しくしてね?」

「だ・か・ら……!」

「あ、あの、司令官さん? どうして耳を塞ぐんですか? 電もお話したいですっ」

「うわぁー。噂通り、どギツイなぁ……」


 ヤらねぇっつってんだろ処女なのも知ってるよこの……! という言葉を必死に飲み込み、上目遣いで疑問顔をしている電の耳をふさぎ続ける。
 こんなセクハラ発言、彼女の格好良いところしか見ていないこの子に聞かせられるもんか。
 兵藤ひょうどうりん
 日本海軍大佐にして、かつて自分の教導官も務めたこの人は、海軍きってのセクハラ魔人だった。
 俗称は、「軍人と呼びたくない軍人」「高等技能を修めているから切るに切れない変態」「訴えんぞこの残念美人」、である。
 というか四十六cmって馬かよ。自分の息子はその半分もありません。具体的な数字は勘弁してください。


「ようやく表情が柔らかくなった。そっちの方がお姉さん好みで大変よろしい。さて、こんにちは電ちゃん。元気にしてたかい?」

「あ、はいっ、こんにちはです、先輩さん! 今日も元気いっぱいなのです!」

「そうかそうか。電ちゃんは可愛いねぇ、本当に。うちの子達はまだみんな無愛想で……。そちらのお嬢さんも、初めまして」

「そ、そんなこと、ないのです……。えへへ……」

「あー、どもー」


 やんわりと腕を外され、和やかな挨拶が交わされてしまう。しゃがみ込んだ先輩と電は満面の笑みだ(主任さんは苦笑い)。
 っんとに外面だけはいいな。セクハラする相手を選んでくれるのは助かるけど。
 まぁ、流石に純真無垢な憧れを穢すのは憚られるんだろう。見た目だけは本当に大人の女性だし。
 心の底では「白無垢を自分の色で汚し尽くす。それもまた良し」とか思ってそうだが。……自分が守らねば。


「ささ、挨拶もすんだことだし。旧交を温める前にまずは、受領のサインを貰えるかな」

「あ、はい」


 小脇に抱えていたクリップボードを差し出され、言われるがままペンを動かす。
 わざわざ佐世保から、このためだけに来てくれたのだ。いくらセクハラが酷くても、このくらいはちゃんとしよう。


「確かに。これで“彼女”は君の元へ正式に配された。存分に奮って欲しい」

「……はいっ。全力を尽くします!」


 先輩の顔つきは穏やかだが、その言葉には力があった。
 反射的に敬礼してしまうと、仕方ないといった風に破顔。直後、答礼がなされる。
 その名の通り、凛々しい姿。普段からこうしてくれていれば、素直に尊敬できるのに。
 演習中だって、多重人格かと思うくらい厳しかった。けれど公私の区別はしっかりあって、訓練を離れれば真摯に相談も受けてくれる。それこそ、電が憧れてしまうのも当然だと言えるほどに、いい先輩なのだ。
 ……人目をかいくぐって行われるセクハラさえなければ。なんでこうもギャップが激しいのさ……。

 と、そんなことを考えつつ、自分の視線はまた“彼女”を向いていた。
 ミッドウェー海戦で沈むまで、高名な南雲機動部隊と共にあった存在。名は赤城あかぎ
 栄光ある第一航空戦隊の旗艦を務めた、航空母艦である。


「そうそう、言うのが遅れてしまったね。“桐”の襲名、ならびに昇進おめでとう。これからは新人君なんて呼べないかな」

「いいえ、自分なんてまだまだですから。それに、いきなり別の名前で呼ばれても実感が湧きませんし。できれば、今まで通りで」

「了解したよ。私としてもその方が嬉しいからね。……にしても、たまには上も粋な計らいをしてくれる。向こうの連中はかなり引き渡しを渋っていたけれど」

「まだ提督の任を拝命して半年も経っていないド新人が、いきなり正規空母ですからね。正直なところ、使いこなせる自信がありません……」


 傀儡能力者は、条件さえ整えればどんな艦船でも励起できる(一部例外・制限はある)。
 が、それと使いこなせるかは別次元の問題。いきなり大きすぎる力を与えられても、持て余してしまうのは道理だ。
 そのため、戦艦などの大型艦船を励起しても、通常は巡洋艦や軽空母でならし、しかるべき実力を備えてから正式に運用開始となる。実際、自分も軽空母と水上機母艦を複数準備してあった。
 しかし、“桐”の襲名をしてしまった自分に対し、軍本部は、佐世保で建造中だった赤城の譲渡を通達してきた。これまた異例のことである。


「期待の表れさ。だから私が呼び戻されたのだしね。桐ヶ森の姫君には負けるが、艦載機の制御には心得がある」

「……ということは?」

「そう、訓練演習だよ。君へ航空機運用のイロハを叩き込めと、吉田のお爺様からお達しさ。すぐにという訳にはいかないけど、数日中に予定が組まれると思う」

「本当ですかっ?」


 驚いて一歩を踏み出してしまうが、先輩は力強くうなずき返してくれる。これは、心からありがたい。
 ネームバリューにも困ったもので、桐林を名乗るようになってからというもの、演習相手に事欠いていたのだ。最悪、実践でノウハウを積み重ねるしかないと考えていた。
 けれど、先輩が指導してくれるのなら間違いはないだろう。厳しくなりそうだけど、初心に帰るという意味でも気が引き締まる。


「あのー、割り込むようで申し訳ないんですけど、いいですか?」

「ん、なんだい? そこの可愛らしいお嬢さん」

「あはは、どもです。実はですね、まだこちらの艦載機が全部用意出来てないんです。ひとまず、九七艦攻に九九艦爆、零式艦戦の二十一型を今も作ってるんですけど、数が……」

「ああ、なら問題ない。それはこちらで用意してある」

「どういうことなのですか? 先輩さん」

「私個人からのプレゼントさ」


 そう言うと、彼女はどこからかもう一つのクリップボードを差し出す。
 書面に書かれているのは艦載機の名前だ。しかもこれは……!


「流星と烈風、それに彗星……。ほ、本当にいいんですかっ?」

「もちろん。私が運用していたものの一部だけれど、昇進祝いに進呈するよ」

「うそっ、アタシにもちょっと……うわホントだ」

「……あの、主任さん。流星っていう子達は、どんな?」

「とんでもないわよー電ちゃん。全部、クグツ艦に載せられるなかで上位クラスの航空機なんだからっ!」

「わぁ……凄いのです……!」


 空母とは航空母艦の略であり、内部に航空機を載せ、それらを運用することで偵察・戦闘を行う。
 かなりの種類があるが、その中でも、ツクモ艦との戦いで主に空母へ載せられるのは三種類。
 敵の航空機(っぽいもの)を直接叩き、制空権を確保する艦上戦闘機。魚雷を搭載し、雷撃・水平爆撃を行う艦上攻撃機。急降下爆撃で真上からのダメージを狙う艦上爆撃機だ。
 烈風は日本戦闘機の代名詞、零式艦上戦闘機の後継。流星は艦攻と艦爆、両種の役割を兼ね備えた多任務艦上攻撃機。彗星は当時の最新技術の粋を集めた艦爆であり、のちに開発される機へ大きな影響を与えた。
 ありていに言えば、そろいもそろってレア物である。


「これだけの艦載機があれば、ひょっとして……」

「喜んでくれて何より。しかしまさか、それだけで私に勝てるとは思ってないだろうね」

「え」


 夢にまでみた初勝利を脳裏で思い描いていたら、先輩は意地悪に笑う。
 そして、こちらの頬へ手をさしのばし、つん、と人差し指で突く。


「ふふふ。性能の差が戦力の差ではないということ、じっくり教え込んであげよう。明日が楽しみだ」


 獲物を前に舌なめずりするような、蠱惑的な表情。鼓動が勝手に早くなった。
 こうしていると、先輩がとんでもない美人なのだと思い知らされる。しかも、実際に触れようとすれば、蜃気楼のごとく離れてしまうのだから性質が悪い。本当にこれで男性経験ないんだろうか。
 あと電。「格好良いのです……!」とか言ってるけどこの人、君に見えないようにセクハラしてるからね。今、ものすごくイヤラシイ手つきで耳をくすぐられてる……って首筋はダメっすよ!?


「っ、じ、自分だって成長してるんですから、あの頃のようには行きませんよ? 勝てはしなくても、一方的に負けるつもりはありませんっ」


 魔性の手から一歩で逃れ、自分は彼女に宣戦布告する。
 装備開発もしたし、練度だって比べ物にならないくらい上がっている。もう小突き回されていた頃とは違うのだ。
 航空戦のセオリーだって予習済み。絶対に一矢報いて、認めさせてやるぞ……!


「もちろん。日本男児たるもの、そうこなくては。期待しているよ。とはいえ、今回は私も主戦力を連れてきているから……どうしよう。ハンデはいるかい」

「無用ですっ………………ちなみに、どんな編成で?」

「とうぜん、空母機動部隊さ。この子と同じ、赤城に加賀かがの一航戦組、重巡の利根とね筑摩ちくま長良ながら型の軽巡四隻に、綾波あやなみ型駆逐艦が四隻かな。あ、戦艦は連れてきてないから安心したまえ新人君」

「どこが安心!? 十分ガチ編成じゃないですかぁ!?」


 嘘だろ、十二隻も相手にしなくちゃいけないのかよ……。
 確かにうちもそのくらい居るけど、同時出撃なんてまだ……。


「……あのー、たびたびすみません。質問いいですか?」

「はいどうぞ、お嬢さん」

「アタシはあくまで技術屋ですし、本業の提督さんのことはあんまり詳しくないんですけど、能力者が同時使役できる艦船って六隻までじゃありませんでした?」

「電も、そう聞いた覚えが……」

「ああ、なるほど。ま、意味もないのに秘密にされていることが多いからね」


 主任さんの質問に先輩が何度も頷き、こちらへ向けて視線を投げる。
 確認も兼ねて説明してみせろ、ってとこか。ええと……。


「確かに、能力者への負担を最低限にするという名目で、同時使役数は六隻に限定されてますけど、それは中継機にそなえられた制限装置の上限でもあって、実際は個人差が大きいんです」

「ってことはつまり、リミッターを外すか中継機さえ増やせば、もっとたくさんの船を操れる?」

「はい。でも、増えれば増えるほど脳を行きかう情報量も増えて、限界を越えたら頭が《ボン》らしいですから、制限するのも間違ってはいないんですよ。
 それに、中継機って一台で一億ぐらいするみたいですし、使いこなせなければ的を増やすだけです」

「“梵鐘”の御曹司があれだけ使役できるのは、実家のサポートあってこそだからね。
 もっとも、五十を越える艦船に命令を出し続けられるセンスは、到底マネできるものじゃない。そう言った意味では間違いなく傑物だよ」

「……あー、なるほどー。……ぅそ、アレそんなに高かったの……? 通りでよく分かんなかったわけだ……」


 サァーっと主任さんの顔が青くなる。このぶんだと、結構ぞんざいに扱ってたな?
 ちょっとやそっとじゃ壊れないよう頑丈にできてるはずだから、大丈夫だとは思うけど。


「まぁ、金銭的な問題だけじゃなくて、政治的な理由も絡んでるみたいですけどね」

「政治、ですかー」

「文民統制……シビリアンコントロールって分かりますよね? 戦時中だっていうのに、平和だった時代の決まりごとを持ち出して、軍の力を制限しようとする人がまだ居るらしくて」

「……電ちゃんヘルプ! アタシ社会の成績最悪だったのよぅ!」

「ふぇ!? あああのえっと……ぐ、軍隊の一番偉い人でも、政治家さんの指揮には従わなきゃいけないって決まりじゃ……多分ですけど……」

「だいたいその認識であっているよ。よく勉強しているね、電ちゃん」

「あ……えへへ、褒められちゃいました」


 先輩に頭を撫でてもらい、ご機嫌な電。
 ……ちょっと悔しいな。後で自分も撫でまくろう。


「人間とは度し難い生き物だよ。こんなご時世でも、お花畑で生きているような連中が上に立てるんだから。おかげで前線の人間がどれだけ口惜しい思いをしているか……」


 ――なんて対抗心を燃やしていたら、先輩の笑顔が不意に歪む。
 彼女にしては珍しい直接的な皮肉。よほど腹に据えかねているのか……。だが、自分としても同意見だ。
 前回の南西諸島防衛戦。相手の戦力が強大だったこともあり、妙高達は中破まで追い込まれてしまっていた。
 あの損害、もっと大勢で出撃していたなら、確実に防ぐことができた自信がある。無用な被害を被ってしまう制限など、迷惑でしかない。
 ああ、本当に迷惑だ。艦船の損傷具合に合わせて服が剥けるだなんて、あんな素晴らしいごっほんごっほん気の毒な格好、提督として、いいや男として見逃せん……あ、違う。これじゃダメだ。紳士として目が離せない……だから違うっ。ええいとにかく看過できないのだ!


「人間の最大の敵は、いつでも人間ってことですかー。……やるせないですねー」

「ま、そんな人達でも守るのが私達、軍人の務めさ。戦果と階級さえ上げれば、段階的に制限も解除されるしね。人事を尽くして天命を待つ。昔の人はいいことを言うよ」


 物悲しい表情の主任さんへ、先輩は笑いかける。
 たまにグチりたくもなるけど、やるべきことは変わらない。与えられた環境の中で才能を発揮し、全力を尽くす。
 全ては、命を守るために。あと布面積も。


「さてさて、暗い話題になっちゃったね。ここは流れを変えるためにも、どうだろう。新人君、赤城の励起をしてみないかい?」

「は? 今、ですか」

「うん。君の励起する統制人格は、普通の子達とだいぶ違うんだろう? 私はけっきょく電ちゃんとしか会えてないし、君の呼び出す赤城をぜひ見てみたいんだ。ダメかな?」

「そんなことはないですけど……」


 ちょっといきなり過ぎる気が……。
 前持って準備とかしておかなきゃいけないんじゃなかったっけ。PC借りたりとか。
 そう思って主任さんをチラリと見れば、なぜか彼女はしたり顔でサムズアップ。


「ふっふっふ、こんな事もあろうかと、用意だけはしてありますよー? いやー、一度言ってみたかったんですよねこのセリフ。ちょっと待ってて下さい」


 プリンの包みを近くの小型コンテナへ置き、物陰から専用PCを取り出す主任さん。同時にクレーンが慣れた様子で増震機を取り付ける。
 ……用意がいいのは助かるけど、不用心だ。それだってウン百万ですよ。うっかりフォークリフトとかで轢いちゃったらどうすんですか。


「んじゃー、ちゃっちゃと起動しましょう。……おー、さすがは佐世保。浸透圧高いなぁー」


 こちらの心配をよそに、彼女はそのままコンテナの上でPCを開き、軽やかにタイプ。
 電、先輩と頷き合い、自分は赤城へと歩み寄る。すでに何度も経験している励起だけれど、やはり緊張してしまう。
 どんな姿をしているのか。どんな性格をしているのか。どんなことが好きで、どんなことが嫌いなのか。
 考えは尽きないが、しかし、ひとつだけ確信できることもあった。
 それは――


「……うん、OKですよー!」

「ふぅ……。来い――赤城」


 ――自分が手を差し出し、信頼すれば、彼女は絶対に応えてくれる。
 今までだってそうだった。だから、これからもそうしよう。
 先輩が連れてきてくれた赤城を仲間に加えて、自分達はもっと強くなる。そしていつか、この国に。世界に海を取り戻すのだ。


「よーし、固着完了! 見えてきますよー」

「いよいよだね……!」

「ワクワク、なのですっ」


 光が揺らめく。
 ごくわずかに感知しえる、高周波と似た音の中、それは人の形を成した。
 背中にかかる艶やかな黒髪。
 巫女を思わせる紅白衣装だが、胸元が弓道で使うような胸当てに覆われ、袴はスカートのように短く、白のオーバーニーソックスが足を包む。
 ザッ――と、草履が地面を踏みしめた。


「お初にお目にかかります。航空母艦、赤城の現し身です。空母機動部隊を編成するなら、私にお任せ下さいませ」


 伸ばした右手に、しなやかな指の細さを感じる。
 強く力を込めれば、それだけで折れてしまいそうな儚さ。
 ……やった。やった、やったぞ! 信じて良かった、肌色が少ないよ!!
 天龍や妙高達は大丈夫だったけど、やっぱり島風の時みたく肌色成分過多だったらどうしようって心配だったんだ……でもこれなら!
 スカートの短さがコスプレっぽい風味を醸し出さないこともないけど、パッと見が普通ならなんでもいいや!!


「あの……。どうなされたのですか? そのように微笑まれて……。私、どこかおかしいでしょうか?」

「ううん、違うんだ。よく似合ってる。ただ、君に会えて嬉しかったんだよ。ようこそ、我が艦隊へ。心から歓迎する」

「……もったいない、お言葉です。ご期待に応えられるよう、粉骨砕身の覚悟で臨ませて頂きますね」


 握りあう手を確かめ、自分達は笑みを交わす。
 やばいやばい、顔に出てたか。こんなこと考えてるって知られたらドン引きだろうし、気を引き締めろー。
 ……っていうか、どうしたんだ赤城は。なんだか微妙にソワソワしてる……?


「いやはや、なんとも。実に素晴らしい!」


 ――と、唐突に叩かれる肩。
 嫌な予感を感じつつ、確かめないのも怖いので振り返ってみれば、そこには目を爛々と輝かせる先輩が。


「新人君、君は分かっている、よぉく分かっているね! 私と吉田のお爺様が見込んだだけのことはある! 流石だ、感服した、感動した!!」


 一体、このハイテンションはどうしたことか。
 例えるなら……そう、獲物を発見したような変質者みたいな?


「な、なんですか先輩。地が出かかってますよ、せめて電の前では取り繕って……」

「これが昂ぶらずにいられようか! 美形さんなのは同じだけど、やっぱり造形が全然違うなぁ~。表情がイキイキしてるっ。
 この改造和服も可愛いっ。たすき掛けと胸当てがいい味出してるね~。ミニ袴スカートなんてもう、もうっ!
 よし、うちの子にも着させよう! というわけで、採寸いいかないいよねいくよ赤城君っ?」

「ちょ、ホントに何してんだアンタはぁ!?」

「きゃ!? あ、あの……!?」


 ポケットからメジャーを取り出し(なんでそんなの持ってる)、今にも飛びかからんとする先輩から赤城をかばう。
 図らずも抱きとめるような形になってしまい、腕の中に収まる彼女は大いに混乱中。
 これもある意味セクハラっぽいが、先輩に襲われたら採寸しているうちに服を剥かれるかもしれない。我慢してもらうしか……。


「邪魔をしないでくれたまえ桐林提督。これは必要なことなんだよ。
 うちの子にも可愛らしい服を着せれば、それに萌える魂の震えが伝わり感情に目覚めてくれるかもしれない。
 これ即ち戦力強化のための観測行為である。さぁ、この国のために色んな場所を測らせておくれ! ハァ、ハァ……!」

「屁理屈こねながらにじり寄らないでくださいよ! くっ……逃げるぞ赤城!」

「は、はい……? あっ」

「ははは。逃げても無駄さ、どこまでも追いかけるぞぅ。さながら浜辺を追いかけっこする恋人達のごとくにね! フゥハハァーッ!!」

「こっちは逃避行してる気分ですよぉおおっ!!」

「て、提督? あの、手……」


 あの形相。どんなに美人であっても――いや、むしろ美人だからこそ、おぞましい欲望が顕著に表れていた。
 ダメだ。アレに捕まったら、赤城だけじゃなく自分までひん剥かれ色んなサイズを測られかねないっ。絶対に、ずぇったいにヤられてたまるかぁ!

 ……と、そんな、戦場へおもむく心境に似た覚悟を抱きながら、自分はまごまごしている赤城の手を引き、あぜんとする電達の周囲を駆けまわる。
 こうしてドタバタ騒ぐことで。
 未だ届かぬ、大きな壁に挑むことへの緊張を、ごまかすように。





「……いいなぁ、赤城さん……電も……」

「電ちゃん、現実から逃げちゃダメだよー。……いや、素の場合もあるか。あーあ、アタシにもいい人とか現れないかなー」










《こぼれ話 艦これ・空母あるある話》





「さて、集まってもらったのは他でもない。今後の出撃予定についてだ」


 執務室。
 机の向こうで並ぶ四人の和装少女へ、自分は真剣な眼差しを向ける。
 固唾を呑む彼女達の立ち姿には、大きな緊張と同時に、戦いへの気概が見て取れた。
 となりを見やると、神妙な顔をした赤城が頷く。それに対してしっかと頷き返し――


「先輩との演習により艦載機をまるっと落とされ、その補填で念のために備蓄しといたボーキサイトが尽きました! よって君達の出番はしばらくありませんっ!!」

「……ぇええっ!?」

「んな殺生なぁ!?」

「そりゃあそうですよねぇ……」

「観戦してたけど、ボロ負けだったもんねぇ……」

「いやホントごめんっ。今、他のみんなが総出でボーキ運んでるから。それが終わったら資材分けてもらえるはずだから、もうちょっと待って?」


 ――重たく感じる唇で、残酷な現実を告げた。
 悲痛な叫びを上げる少女達の名は、順に、祥鳳しょうほう龍驤りゅうじょう千歳ちとせ千代田ちよだ
 赤城に続いて励起した軽空母二人に、水上機母艦姉妹である。


「申し訳ありません……。まさか、ああも見事に七面鳥撃ちされるとは……。五航戦の方々の気持ちがようやく分かりました……」

「ホントだよ。演習だからてっきり模擬弾かと思ってたのに、対空砲火だけは実弾使うなんて聞いてないよ。何が伝統的な洗礼だチクショウ」


 まだ記憶に新しい、初の空母機動部隊による演習。その結果は、見るも無残な完敗だった。
 流石に十二対六では勝負にならないからと、先輩の方から数を合わせてくれたのだが、数の大小なんて意味がないほど一方的に嬲られた。いや、嫐られた。
 なんでも、空母を励起した提督は高確率で「のぼせる」ようで、事前にそれをいさめるため、わざわざ格上と演習を組みフルボッコさせるらしい。
 アルミの原料であるボーキサイトの無駄とも思えるこの習慣、しかし、実戦に出て空母ごと落とされるよりはマシ。なので、残骸の回収も比較的楽に可能な演習海域にて、マリアナ沖海戦の七面鳥撃ちを再現するのである。
 これを突破できたのは唯一、“飛燕”の桐ヶ森女史(女子と言った方が年齢的には合うか)のみ。難易度が推しはかれるだろう。


「ということは、兵藤提督から贈られた艦載機、全滅してしまったんですか?」

「うん。可哀想だからってまた瑞雲を何機かくれたけど、今のままじゃ後が続かないし、備蓄ができてもしばらくは九七艦攻とかで我慢しろって。甘いんだか厳しいんだか分かんないよもう……」

「あぁ、そんな……。私、さっそく提督のお役に立てると、張り切ってたのに……」


 はらり。祥鳳の着物の肩がはだける。
 黒のミニスカートに白い着物を合わせる彼女のそれは、なぜだか非常に脱げやすかった。
 ゆったりと着ているわけでもないし、なで肩でもない。それなのに、左右のどちらかが何かの拍子で脱げ、中に着たチューブトップや、おヘソや首筋から鎖骨にかけてのラインが丸見え。
 正直な感想を言えば嬉しいに決まってるんですが、こうも脱げやすいと君が中破した時の格好が心配楽しみでなりません。羽黒とか犯罪チックだったもんなぁ……。


「だけど、瑞雲があるということは、わたし達も爆撃とかできるってことですよね? なら、いくらでも待ちますよ」

「そうそう。偵察だけが水母の役目じゃないもん! 絶対に活躍してみせるから、期待しててよね提督!」


 自分達用の艦載機は残っていると知ったからか、わりと余裕な水母姉妹。
 膝上でカットされた朱色の袴に、刺繍の入った上着と鉢巻きという、そろいの衣装で身を包んでいる。後ろでまとめているのが千歳、セミロングが千代田だ。
 もっと詳しく分けるなら、オーバーニーによる絶対領域が形成されているのが千代田で、おそらくはパンティーストッキングを履いているのが千歳である。言い忘れていたが、赤城も絶対領域の持ち主。どっちにしても深層心理グッジョブ。

 そして瑞雲とは、日本海軍が発注した水上偵察機の一つ。
 機体下部にフロートを持ち、水面を滑走することのできる航空機を水上機と呼ぶが、瑞雲は急降下爆撃も可能な傑作。今の自分にはありがたい戦力となってくれるだろう。
 しっかし、どうせなら解放した時に艦載機も全部載せといて欲しい。いちいち用意するのはやっぱり手間だ(千歳と千代田、龍驤は建造ではなく、解放した艦船なのである。祥鳳も建造時に一悶着あったのだが、それは別の機会にしよう)。


「とりあえず、ボーキサイトが入ってきたら瑞雲の数をそろえて、千歳達に出てもらおうと考えてる。期待してるぞ?」

「やったね、千歳お姉っ。一緒に頑張ろ!」

「あら、本当ですか? 嬉しいですっ。今日はいいのを開けちゃいましょうっ」

「いやそれは……まぁいいか……」

「ほどほどになさって下さいね、提督。電さんからも、『飲み過ぎに注意せよ、なのです』と、言伝を受けておりますので。千歳さんもお願いします」

「分かってますよ赤城さん。ほどほどに、ですよね」

「ほんならその手に持っとる一升瓶はなんやねん。ホンマに分かっとんのかいな」


 龍驤のツッコミを受けながらも、千歳は笑みを絶やさない。これは、しこたま飲まされそうだ。
 彼女はやけに自分と同じ名のついた日本酒に凝っており、赤城を呼んだ翌日、また先輩におねだりされて励起してからというもの、一○○%晩酌してしまっていた。お酌がまた上手で、断るに断れないのである。どっかのお店じゃなくてホントによかった。
 ちなみに、あの変態淑女はもう佐世保へ戻っていらっしゃるので、横須賀鎮守府は平穏そのものです。半年くらい帰ってこないでいただきたい。


「そや、うち気になっとったんやけど。凄い艦載機が作れるんなら、なんで最初っからみんなそれ使わへんの? 船やってそうやん。ぶっちゃけ性能差はあるんやしー」

「……それもそうですね。私は赤城さんと一緒で建造された身ですけど、その資材で正規空母の皆さんを呼んだ方が良かったのでは……?」


 ちょこちょこ机へ歩み寄り、肘をついて覗きこんでくる龍驤(鋼鉄製みたいな色合いのバイザーとツインテ、真っ赤な上着が特徴)と、着崩れを直す祥鳳。
 なんか、不貞腐れてるっぽい雰囲気だな。気持ちは分からないでもないけど……。


「そういう訳にもいかないんだよ。性能がいい艤装や船ほど、作るのには時間が掛かる。
 艦載機は消耗品みたいなものだし、船体だってメンテや修理が必要不可欠。限られた資源で戦線を維持して、そのうえ数を揃えるのは難しいさ。高速建造剤も無限じゃないんだから。
 ……ああそれと、さっきみたいな言い方は良くないぞ、二人とも」

「はい?」

「うちら、なんか変なこというた?」


 背筋をただし、二人に向けてまっすぐ言うと、彼女達は不思議そうに首を傾げる。
 ……ちょっと恥ずかしいけど、提督として、ちゃんと示しておかねば。


「性能だけで全てが決まるなら、この戦いも、イージス艦とかが残ってた最初期に終わってる。演習だってマシな結果になってたはずだ。
 自分達が手を取り合ってるのは、数字なんかじゃ測れない、もっと別の力で戦うため。
 向き不向きの判断くらいは必要だけど、その上で出来ることを探すの、やめないで欲しい。自分も手伝うからさ」

『………………』

「……な、なんだよ」


 ポカン、と口を開いたままの龍驤と、ビックリした顔の三人。
 似合わないのは分かってるけど、そんなあっけに取られなくたっていいじゃないかっ。
 くっそぅ、言わなきゃよかったか……?


「もしかしてキミ、けっこう熱い人やったりする? ちょっとビックリや」

「ええ。ですけど私、感動しましたっ。そうですよねっ、軽空母は軽空母なりに、最大限の努力をすればいいんですよね!」

「うんうん。その代わり、活躍したらちゃんと褒めてくれんとイヤやで?」

「ワタシ達だって今は水母ですけど、改造さえしてもらえば甲標的母艦とか、航空母艦になれますから。なんでもこなして見せますよ?」

「いつかはお姉と一緒に、烈風や流星を飛ばせられたらいいなぁ。提督、お願いしますねっ」


 ――なんて思っていたら、みんなが一斉に破顔。
 視線は全部が全部こちらを向いており、その優しくもむず痒い暖かさに、自分は机へ置いてあった帽子を目深にかぶる。
 それでも照れ臭く、逃げ場所を探せば赤城まで。


「みなさん、同じ気持ちのようですね。私も、今回の演習では良いところなんてありませんでしたが、次こそは足手まといにならぬよう、全霊を打ちこむ所存です」

「あ、そんな。この間のは自分がまるでダメだっただけで、赤城に悪いところは……。むしろ、申し訳ないよ。自分はどう足掻いても、第一航空戦隊と同等には……」

「さきほど仰ったこと、もうお忘れですか? どうか、ご自分に合う戦法を模索なさってください。
 確かに私は過去、南雲機動部隊におりました。ですがそれは、あくまで昔のこと。
 今は提督の――貴方のためにある、ただの空母です。過去の誰かになろうとするのではなく、貴方自身のまま、ご成長なさいませ」


 慎ましくも、たおやかに。赤城のまぶたが緩められる。
 ……あぁ、全く。女って生き物は、どうしてこうも、男をその気にさせるのが上手いのか。
 頑張ろう。頑張ってやろうじゃないか。自分にできることを、精一杯。でもまずは、このこそばゆい状況から逃げ出さなければっ。


「そ、そういえば、みんなはどうやって艦載機を制御してるんだ? 演習では余裕がなかったから、あんまり覚えてなくて……。
 赤城の艤装は弓だったけど、龍驤や千歳達は違うんだよな。先輩もかなり珍しいって言ってたし」


 赤城を旗艦として、天龍・龍田姉妹と島風、それに妙高と那智さんで輪陣形を組み、艦載機を飛ばし始めたところまでは覚えている。なんというか、身体の外に目ができて、それだけ別の景色を見ているようだった。
 しかし、その数が増えるにつれ、どれがどれだか分からなくなって混乱。まともに指揮すら出来なくなってしまったのである。脳がフリーズするとは、ああいうことなのだろう。
 先輩いわく、「慣れればブラインドタッチのように簡単になるさ」とのことだが、そもそも一本指打法しかできないんで無理っぽい。


「ワタシ達は銃……というか、なんでしょうねこれ。カタパルト?」

「だよね、たぶん。ここから小さな機を飛ばすみたい。先導でもするのかな」

「私は赤城さんと同じ弓ですね。でも、弓自体がちょっと変わってるでしょうか」

「うちのは巻き物を飛行甲板に見たてて、そっから式神を飛ばす感じやね。軽空母同士でもぜんぜん違うねんなー? ちょっち陰陽師っぽいやろー」


 みんなが艤装を出現させ、おもいおもいにいじり出す。
 水上機模型(っぽいもの)が乗る小銃サイズのカタパルト、前面に甲板を模したと思われる板の付いた和弓、“航空式鬼神召喚法陣 龍驤 大符”と中に記された大きな巻き物。どれも、奇妙な存在感を放っている。
 赤城は和弓と、右肩に大きな飛行甲板。着艦識別文字の「ア」が書かれた前かけだ。


「私の場合、弓を引くと艦載機の発動機が始動して、放つと同時に発艦。その後は必要に応じて、念矢で指示を飛ばす、といったところでしょうか。数が増えると忙しいですね」

「あ、そんな感じだと思います。私、まだ実際には飛ばしたことありませんけど、何なく分かります」

「なるほど……。龍驤は?」

「うちも感覚的なもんやけど、おんなじような感じやね。式を艦載機と同期させて、ババーッと飛ばす感じかな? あとは……口ではよう説明できへんけど、どうにかなるんちゃう?」


 ボウ、と指先に青い光を宿し、龍驤は自信ありげな顔だ。ちとちよ姉妹もコクコク同意。
 まだ演習すらしたことのない彼女達だが、おそらく本能的にやり方は知っているのだろう。
 いちいち技能を習得しなければならない身としては、羨ましい。


「う~ん、どうすればあれだけの情報量をいっぺんに処理できるんだ? 先が思いやられる……。まぁ、なんだ。かなり頼ることになると思うけど、みんな、よろしく頼む」

「はい、千歳にお任せくださいっ」

「そうですよ。そのためにワタシ達が居るんだから、遠慮しないで!」

「……ああ。ありがとう」


 情けなくも聞こえるだろうに、返ってきたのは頼もしい声。二人だけでなく、他の三人もまた頷いてくれる。
 そうだ。なにも、一人で一から十までこなす必要はない。
 自分には頼れる彼女達がいてくれる。それが一番大きな武器だ。なら、とことんまでそれを突き詰めよう。
 頼れるところはちゃんと頼って、その上で自分も頼ってもらえるようになろう。今はまだ無理でも、近いうちに必ず。


「……と、電話か」


 不意に、《ジリリリ》と黒電話がなった。
 ちょうど会話も途切れたので、もう一度なるのを待ってから受話器をあげる。


「はい、執務室――あ、書記さん。ええ、おはようございます。はい……はい………………そうですか。……分かりました。いえ、ありがとうございました。失礼します」

「書記さんからですか。内容をうかがっても……?」

「うん、遠征組のみんなから連絡があったみたいだ」

「ということは、任務報告ですね。そのご様子ですと、首尾は上々でしょうか」

「……ああ」


 赤城が口元に手をそえ、上品に笑う。どうやら自然と笑っていたらしい。
 それに対し、今度は意図して大きく笑い返し。
 自分はまた、重い口を開いた。





「ボーキサイト輸送任務……失敗しちゃったって。なんでか急にコンパスが荒ぶって、納期に間に合いそうもないんだってさ。ははっ」

『……ぇええぇぇえええっっっ!?』




















 さぁ、次は赤城給食だ……。その次も、そのまた次もな……。
 というわけで、おそらくみんなの初空母、赤城さんご登場でした。
 何やら、電ちゃんを差し置いてヒロインっぽくなってしまった気がします。まぁ、そこかしこでネタキャラ扱いされてるし、この作品でくらいはいいですよね?
 次回はとある戦艦姉妹+αが登場です。お楽しみに。
 それでは、失礼いたします。

「いい天気ですね……」
「はい。よい風ですね」
「……はっ!? 茶柱――じゃなくて飛んできたゴミか……。不幸だわ……」






 2013/10/19 初投稿
 2013/11/02 主任さんの台詞を微修正
 2013/12/09 削り忘れ修正







[38387] 新人提督と特別任務
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2013/12/19 22:40





「……お?」


 ふと、いい匂いがした。
 宿舎への帰宅途中。闇に浮かんだ月を眺め、しんみりしていた意識をひき戻す、醤油の匂い。
 時間的に考えれば夕飯の準備だろう。食欲をそそられる。さらに言えば、発生源は自分の行く先だと思われた。


「今日はなんだろうな、晩めし」


 自然、顔には笑みが浮かぶ。
 わざわざ旬のものを選んでくれているらしく、昨日の晩も最高の味だった。
 期待ばかりがあっという間にふくらんで、今にもスキップしてしまいそうな気分になる。実際やったら不審者扱いされそうなのでしませんが。


「ただいま~」


 声をかけながら引き戸を開けると、奥の方から「はい」と返事。パタパタ足音が近寄ってくる。
 台所の方から姿を現したのは――


「お帰りなさいませ。今日も一日、お疲れさまです。お風呂にしますか? ご飯にしますか? それとも……ふふっ。なんて、じょうだ――」

「じゃあ、鳳翔ほうしょうさん」

「え?」

「鳳翔さんで」

「提督? あの……」

「鳳翔さんがいいなー」

「……も、もうっ、いじめないで下さいっ。電ちゃんに言いつけますよ?」

「あはは、すみません。それは勘弁してください」


 ――着物の上に割烹着をつける、ちょっとすねた顔をした和服美女だった。
 黒髪をポニーテールに結う彼女は、鳳翔。累計四人目の、空母の統制人格である。


「それで、どうしましょう。お風呂の準備は大丈夫ですし、もう少しでお夕飯もできますが……?」

「んー。腹も減ってますし、ご飯で。今日はどんな?」

「カレイの煮付けに、オクラとミョウガの和え物、おみおつけです。暑くなってきましたから、ネバネバ食材で持久力を、と思いまして。筑摩ちゃんが手伝ってくれているんですよ」

「お~、うまそうだ。家に帰れば出迎えてくれる人がいて、オマケにおいしいご飯も用意してあるとか、こんな贅沢していいんだろうか……」

「うふふ。提督は好き嫌いがなくて助かります。手を洗って、居間で待っていてくださいね。さ、上着を」

「あぁ、どうも」


 帽子と上着を鳳翔さんに預けると、そのまま部屋の方へ小走り。
 なんだか夫婦みたいなやりとりだが、自分としてはちょっと感じ方が違う。美人は美人でも、柔和な雰囲気を持つ彼女には、お母さんっぽさが漂うのだ。
 統制人格はできるだけ呼び捨てにするよう心掛けている(そうしないと立場的にもまずい)んだけど、鳳翔さん……と那智さんもか。とにかく無理だった。現に他のみんなも“さん”付けで呼んでいる。
 料理の腕とあいまって、名実ともに精神的お袋さんなのだ。横に太いうちのオカンと取っ替えてしまいたい。


「ただいま、みんな」

「あら、お帰りなさい、提督……」

「うむ! よくぞ戻った。ご苦労であったな!」


 ササっと手を洗って居間に入れば、これまた美女と美少女が迎えてくれる。
 正座していると畳へ届きそうな長い黒髪。儚げな印象と裏腹に、肩を大きく出し、真っ赤なミニスカートから艶かしい太ももを覗かせる改造巫女服の美女は、扶桑ふそう型戦艦一番艦・扶桑。
 グリーンのミニワンピをまとい、偉そうに正座でふんぞり返っているツインテ少女が、利根型重巡洋艦の長女・利根である。


「って、そこ上座。自分の席なんだけど一応」

「ぬ? 別に良いではないか。吾輩もつい昨日遠征から帰って来たばかりで、疲れが抜けぬのだ。席順くらい大目に見よ」

「鳳翔さんを手伝ってる筑摩も、君と同じ戦隊だったはずなんだけどな」

「私としては、それも羨ましいですね……。まだ一度も出撃できていませんし……」

「う。ごめんな、扶桑。もうちょっとだけ待っててくれ、な? ……あれ。筑摩は台所として、山城やましろは? 先に帰らせたはずなんだけど」

「そうなんですか。まだ姿が見えませんね……」


 注意はしてもこだわりがあるわけでなく、利根の右隣へさっさと座るのだが、この場にいるはずの姿が見えない。
 ……まさか、またなのか? もう腰を落ち着けちゃったし、立つの面倒なんだけど……。


「どうせまた迷っておるのだろう。この前も家から執務室へ行くまで一時間かけていたではないか」

「いや、もう呼び出して一週間以上だし、帰らせたのは二時間以上前だぞ。さすがにあり得ないだろ」

「悪かったですね、あり得ないほど方向音痴で……」

「あ。お、おかえり山城」


 背後から落ちてくるジトーっとした声に振り返ると、そこには扶桑と同じ衣装を着る少女がいた。
 服装だけでなく顔立ちもよく似ていて、髪は肩より少し上で綺麗に切りそろえられている。
 扶桑型の二番艦、山城。それが彼女の名前だ。


「あらあら、お帰りなさい、山城」

「ただいまです、姉さま。あぁ、疲れた……」

「遅かったな山城。というかお主、なぜにボロボロなのだ?」

「ホントだよ。歩いて二十分もない道で何があったんだ……」

「別に何もありませんでしたよ。時間はかかりましたけど、ちゃんと一時間前には帰ってました。
 ただ、うちへ上がろうとした途端にヨシフが飛びかかってきて、それで逃げてたんです。もうなんなんですかあの犬……」

「やっぱり迷ったんじゃないか。しかし、どうりで迎えにも来なかったわけだ……。気に入られてるんじゃないか? ほら、遊んで欲しかったんだろう。今は他に誰もいないし」

「あんな気に入られ方イヤですよ……。体よじ登って髪飾りをガジガジするし、袂にじゃれついて爪跡つけちゃうし。せっかく姉さまとお揃いなのに」


 ヨシフというのは、数週間前に暁と響が拾ってきたミックスの子犬だ。見た目は完璧に柴犬なのだが、病院で調べてもらったら、他の犬種と混ざっているらしい。
 名付け親は響である。他のみんなはもっと可愛らしい名前をつけようとしていたのだが、うちに来た時にはもうヨシフでしか反応しなかった。意外に策士だ。
 なんだか、でっかくなりそうで怖くもある。イメージ的に。


「そうだったの……。ほら、こっちにいらっしゃい。顔が汚れているわ」

「ふむ。あやつもなかなかヤンチャだな! 元気が良いのはいいことだ!」

「こっちはいい迷惑よ。表につなぐ時も離れようとしなくて。まったく……」


 ぶつくさ文句を言いながら、山城は扶桑の隣(利根の反対側)へ座る。汚れをぬぐってもらい、満更でもないご様子。
 それはいいんだけど、こうも迷子率が高いとは。海の上でも迷ったりしないかちょっと不安だな……。
 と、そんなことを思っていると、台所へつづく扉口から、利根と同じ格好にエプロンをつける黒髪ロングの少女が顔を出す。


「あ、お帰りなさい提督。それに山城さんも。ごめんなさい、お出迎えできなくて」

「おう、筑摩。ただいま。気にしなくていいさ、鳳翔さんの手伝いなんだから。いつもありがとうな」

「いいえ、このくらい当然です。遠征中のみなさんの代わりに、頑張りますね」

「うむうむ。さすがは我が妹! よく気が利くであろう提督。お主は幸せものだぞ? このような美少女にかしずかれておるのだからな!」

「もう、利根姉さん。あんまり褒めないでください。姉バカですよ?」


 利根型の次女・筑摩が、ちょっとだけ困ったように笑う。
 彼女の言ったとおり、ヨシフの飼い主であるはずの暁たちだけでなく、横須賀鎮守府には今、この場にいる五隻しか自分の船は残っていなかった。
 なぜかと言えば、自分が励起した統制人格たちは現在、遠征任務の真っ最中だからである。
 駆逐艦八隻、軽巡洋艦五隻、重巡洋艦四隻、航空母艦三隻、水上機母艦二隻。総勢二十二隻を振り分けた複数の編隊による、大遠征祭りだ。
 目的は……なんとも情けないが、金策だった。


「ご飯できましたよ。筑摩ちゃん、運ぶのを手伝ってもらえますか?」

「あ、はいっ。ほら、姉さんもこのくらいは、ね?」

「仕方ない。長女たるもの、率先して動かねばな! ご飯は大盛りにしても良いかっ?」

「現金ね……。私も行きます。姉さまと提督は座っててください」

「あら、いいの? それじゃあ、お願いしようかしら……」

「頼むよ、山城」


 自分を含め、総勢二十八名+一匹。生活費がどんだけかかるか、ご想像いただけるだろうか。
 とてもじゃないけど足りない。特別技能職でもある提督は、国民の平均収入に比べるとかなり多めの額が懐に入る。が、だからってこんなビッグファミリーを養えるほどじゃない。
 さらに、大きめの一軒家並みだったはずの宿舎も、三十人近くが住むには狭すぎ、増改築の必要まで出てきた。……加えて、精神衛生上の問題も。

 年頃の女の子と同じ家に住む。普通に考えればワクワクドキドキしまくりな、人生における一大イベント。
 しかし、実際そういう状況が続くとなると、ものすっごく気を遣うのだ。特にお風呂。
 統制人格は、食べたものを完全に消化分解できるらしく、トイレにはいかない。そう言った意味で、那珂は完璧なアイドル体質である。
 けれど、入浴でリラックスはできるのか、うちの子たちはみんな風呂好き。ひっきりなしに出入りが繰り返され、誰かが入浴中と気づかず、脱衣所へ入りそうになってしまったり、湯上り卵肌にムラっとしたりすることが多々あった。
 ……別に、身体が勝手にお風呂を覗こうと動いたりはしていない。 決 し て 。

 ともあれ、好きな時に湯へつかることができないのも結構なストレスで、早急に解決する必要があったのだ。
 が、そんなことのために新しく宿舎を建てるなど、国から補助金が降りるわけもなく、「やるんなら自費でやれやこのリア充が(意訳)」と冷たいお達し。
 破産の足音が近づいていた。


「もうすぐ、このお家ともお別れなんですね……。短い間でしたけれど、名残惜しい気がします」

「かなり人数が多くなっちゃったからなぁ。普通の統制人格は、必要ない時は本体の中に閉じこもってるらしいし。
 でも、利根が言ったように、扶桑みたいな美人達と暮らすためなんだ。贅沢な悩みだと思っておくさ」

「まぁ、提督ったら。冗談でも、嬉しいです……。たしか、建築は始まっているのですよね……? これも主任さんのお仕事だとか」

「そうなる。みんなが帰ってくる頃には完成だって。いや~、高速建造剤さまさまだ。主任さんも、まさか家まで建てられるとか、多才で羨ましいよ」


 そこで考えたのが、遠征によって得られる副収入だ。ハッキリ言ってうまい。うますぎる。桁が一つ二つ多くありません? なんて言いたくなるくらいに。
 敵艦の存在によって、大規模な海上輸送が不可能になった今、その任務は重要性を増し続けている。けれども、実行するためには輸送船を動かす人員のほか、護衛する艦隊も要するため、なかなかに手間が掛かる。
 結果、小規模な輸送をちょくちょく繰り返すしかなかった。

 しかしその点、自分の持つ艦隊は違う。
 空母へ艦載機の代わりに資材を載せ、歴戦とまでは行かないまでも、練度の高い巡洋艦・駆逐艦で護衛。高速給油艦としての役割も持つ水上機母艦は燃料なども運べ、偵察機によって交戦を避けることも可能。我ながら完璧な布陣だ。
 ……赤城と龍驤にはちょっと渋い顔をされたけど。祥鳳はもともと輸送任務に就いた経験があってか、特に異存もないようで助かった。
 おかげで、一時期は制限していたみんなの食事回数も戻せたし、本当に感謝だ。まぁ、これらはオマケみたいなものだけれども。


「さ、お待たせしました。提督」

「うん、ありがとう鳳翔さん。それでは……いただきます」


 思い返している間に配膳が終わり、筑摩は利根と扶桑の間、鳳翔さんが自分の右隣に。
 家主として挨拶すれば『いただきます』と声が続き、賑やかな夕食が始まった。


「……はぁ、うまい。味噌汁も煮付けも、最っ高だ。幸せだあ……」

「それだけ美味しそうに食べてもらえると、作り甲斐があります。おみおつけは筑摩ちゃんが作ったんですよ」

「お、そうなんですか。上達したな、筑摩」

「はい。頑張りました」

「う~む。確かにうまい。まぁ、吾輩も本気を出せばこのくらいチョチョイと出来るがな! なにせ姉だからな!」

「ふふ、そうですね。じゃあ今度は一緒に作りましょうか?」

「おうとも、任せるがいい!」

「何もしていなくても出てくる美味しいご飯。幸せだわ……。特にこの和え物が……」

「ええ。何か反動がありそうなくらい幸せですね、姉さま……んぐ、小骨が……」


 全く臭みを感じず、甘辛い身がホロホロほぐれるカレイに、いい塩梅の出汁が効いた味噌汁。具は焼いてあるナスと刻んだ白ネギだ。
 和え物もミョウガの風味がいい。ご飯に乗せればオクラのネバネバが絡みつき、たまらずかき込んでしまう。
 今も海の上にいる遠征組のみんなを思うと、こんな風に食事しているのが少し後ろめたい。
 ……うん。きっと色んな意味で飢えてるだろうし、豪勢な食事で迎えてあげるか。しばらくは一緒に食べられなくなるんだし。


「そういえば、提督。私が帰るまえ、司令長官に呼び出されていましたけど、どんな話だったんですか。差し支えなければ、知っておきたいんですけど」

「ん? ああ、あれか」


 ふと、思い出したように山城が問いかけてくる。
 主力艦隊が遠征に出ているため、自分は訓練と通常任務のかたわら、主に書類仕事などを片付けている。その際、彼女たちには持ち回りで秘書官(というよりは秘書艦か?)を務めてもらっていた。
 今日は山城の番だったのだが、昼を過ぎておやつ時になった頃、書記さんから司令長官室へ来るよう連絡があったのだ。統制人格をともなわず、という条件付きで。


「実は……特務を受けた。近いうちに出撃することになる」

「特務? 本当ですか……!?」

「ほれあ、なにやらふふぉい感じひゃのー」

「こら、ダメですよ利根ちゃん。口にものを入れたまま喋ったら。暁ちゃんに笑われちゃいます」

「っくん。すまぬ、うま過ぎてついな」

「ははは。まぁ、実際はそうでもなさそうなんだけど」

「……? どういうことですか……?」

「うん。実はな――」

「ちょっと、嫌な予感がするわ……」


 驚きながらも目を輝かせる筑摩に、鳳翔さんに怒られても堪えない利根。
 親子のようなやりとりに微笑ましくなりつつ、自分は首をひねる扶桑たちへ、吉田中将に告げられた任務を語り出す――。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「謎の通信信号……で、ありますか」

「うむ」


 傾き始めた陽光を背に、吉田中将は重々しくうなずいてみせる。
 おそらくは葉巻の匂いなのだろう、独特なそれを感じさせる司令長官室には、自分と長官。そして書記さんの三人がいた。


「数日前のことです。ロシアから、微弱な暗号化通信を傍受したという電文が入りました。唯一解読できた様式は旧日本軍のものであり、発信源は、奇跡の撤退作戦で知られる、キスカ島」

「キスカ……。アリューシャン列島ですよね」


 海路を封鎖されてしまってから、日本は他国との交流をほとんど遮られていた。しかし、通信網が封鎖されているわけではないので、情報の交換などは頻繁に行われている。
 特に、数少ない貿易相手となってしまったロシア・中国とは、情報だけでなく、危険を押してまで物資のやりとりを続けていた。
 こちらは貴重なレアメタル・レアアースなど。向こうは、相変わらず変態的な精度を誇る工業部品や化学薬品などを求めて。かつての同盟国とは距離的に疎遠だ。

 情勢は膠着している。
 輸送経路を絶たれても、国力が高かった大国のほとんどは、文明レベルの後退を引き換えとして、自国の民をなんとか賄っていた。そして、他国からの支援で成り立っていた小国はあらかた消滅している。人同士の争いで自滅してしまった国すら……。
 さまざまな事情が絡みあい、もつれ合い。人類の足並みは、未だそろっていなかった。


「内容としては支離滅裂で、意味を見出すことは不可能じゃった。しかし、場所が場所なうえ、今も定期的に発信されておるらしい。衛星までもが、なぜかそこだけを映さぬ。イタズラと断じるには、の」

「……それでは調査を? ですが、今の海をキスカまで進むのは……」


 アリューシャン列島とは、アメリカ・アラスカ半島からロシア・カムチャツカ半島に向けてのびる火山列島であり、キスカ島はその西部に位置。さらに西にはアッツ島が存在する。
 良好な漁場でもあったが、ツクモ艦が出現して真っ先に放棄されたのは、ああいった離島だ。
 日本も、東京の大島、新潟の佐渡、鹿児島の屋久島など、安全領域を介して渡航できる島以外に、もう人は住んでいない。隠岐諸島や対馬、沖縄も無人である。
 それほど、海とは危険なものになっていた。


「上層部もおおかた同じ意見じゃ。今の日本に調査船団を送る余力はない、とな。
 ロシア政府も義務として知らせただけで、援助には消極的だしのう。……じゃからこれは、ワシ個人からの特務として扱う。
 桐林提督。おヌシにも、キスカ島強行上陸作戦に加わってもらいたい」

「……っ」


 思わず、息を飲む。
 かつて奇跡の作戦とまで呼ばれた、キスカ島撤退作戦。圧倒的な数の敵軍に囲まれながら、様々な幸運に恵まれ、ほぼ無傷で去ることができた地。そこへ今度は無理やり上陸しようというのか。
 あまりに、無謀すぎる。
 どれだけ警戒を強め、交戦を最小限に抑えたとしても、北方海域へ到達するまでに五割は損耗するはず。燃料だって、往復するには補給が不可欠。
 操艦数をしぼり、増幅強度を上げて同調距離を稼いでも、キスカ島に届かないだろう。南西諸島沖へだって、屋久島でリレーさせているから可能なのだ。傀儡能力者自身が船に乗りこみでもしない限り、これは覆せない。
 それでも、この作戦を成功させたいのであれば――


「意志を宿した統制人格を、送るおつもりですか」


 ――人ではない存在に、委ねるしかない。
 帰還を考えない片道切符の航海であれば、燃料の問題はなんとかなるだろう。情報も、多少同調率は下がるが、最新鋭の通信機器を載せれば得られる。
 無事に――いいや、たとえ中破・大破していたとしても、沈まずに辿り着きさえすれば、彼女達は人と同じく活動できるのだ。
 船は、また作れるから。失っても、問題、ない。


「不服、かのう?」

「……ご命令と、あらば」


 自分は今、どんな顔をしているだろう。せめて、無表情でいたい。
 声の震えも、指の痙攣も、制御できそうに無いから。
 せめて、表情だけは。


「……っはっはっは! いやぁ、すまんすまん。悪趣味じゃったな。そんな顔をするでない。悪かった」

「へ?」


 いきなり吉田中将が笑い出す。
 困惑し、その隣にいる書記さんを見れば、なんとも申し訳なさそうな様子で。
 え。あれ。どういうことですか?


「いくらなんでも、まだそこまでの任務は与えんよ。実戦を経験して一年もせぬ若人には荷が重かろう」

「……え、ええっと?」

「今回の桐林提督の主な役割は、桐生提督の船が越境するまでの護衛なんです」


 桐生……。“人馬”の桐生。
 極限まで近代化改修を施した高速戦艦・金剛こんごう型の四隻を巧みにあやつり、砲撃を回避しつつ肉薄。大火力による殴り合いを得意とする、“桐”の一柱。
 つまり、送りこむのは自分の船では、ない?


「桐林提督には、面通しもかねて大湊おおみなと警備府に出向いていただき、そこで詳細な打ち合わせを行ったのち、桐生提督が使用する船を、択捉エトロフから千島列島と経由。カムチャツカ半島の安全領域最南端・パラムシル島まで護送していただきます。
 操艦自体は桐生提督も厚岸あっけし要港部で行いますが、弾薬などの消耗を避けるため、基本的に戦闘へ参加いたしません。ロシアの安全領域まで、船を無傷で送り届ける。これが桐林提督の任務となります」

「カムチャツカに……。あ、でも、ロシアの協力は得られないんじゃ……」

「政府としては、じゃよ。ワシ個人のツテで、向こうのリレー装置を使わせてもらう。
 “桐”を使うのにこちらの上も難色を示したが、その穴はワシの四航戦が埋める。調査に向かうものワシが手配した新造艦。問題はない。
 ようは、南一号作戦を、おヌシ一人でやってもらおうというだけの事じゃよ。そのくらいの力量は得たと見込んでいるんだが、どうかの」

「……は、はいっ。問題ありません!」


 ほうけていたであろう顔を引き締め、背筋を正す。
 一度に情報が入ってきてビックリしたが、結局はいつもの任務と変わらない。危険はあるが、注意さえすれば最悪の事態は回避できる。
 全ては力量次第。これならどうにかなる。みんなと力を合わせれば、乗り越えられるはず。
 確証もないまま、命がけの任務にうちの子達を出さずにすむ。本当に、良かった……。


(ちょっと待て。自分は今、安心したのか?)


 死地に赴くのが自分の知るものではないというだけで、決死隊には変わりない。
 この作戦、必ず船が沈む。それだけの価値があるかも分からぬまま、統制人格が……死ぬ。
 それを、喜んでしまった。ただ、死ぬためだけに生まれた存在を。なんて恥知らずな……っ。


「納得できん、という顔じゃな」


 胸の内を悟られたか、吉田中将は難しい顔でこちらを見つめる。
 瞳に宿るものは……懐旧と、憐憫。そして、冷徹な温度。


「人はどんなことにも慣れる――適応する生き物じゃ。
 納得できなくとも、理解できなくとも、繰り返せば『そういうものだ』と学んでしまう。
 ……そうでなければ、守れぬものもあるでの」


 背もたれをきしませる中将の声からは、どうしようもない諦めを感じた。
 犠牲を許容しなければ守れないもの。
 それはこの国だろうか。それとも、自分自身の心だろうか。
 きっと両方だ。慣れてしまわなければ、いつか、両方とも壊れてしまうから。
 これが、この世界の現実。


「詳しい日程は嬢ちゃんから聞くといい。二人とも、下がって良いぞ」

「はっ」

「失礼します」


 自分は敬礼を。書記さんは頭を下げて退室する。
 ドアが閉まる直前。
 その向こうに見えたのは、偉大な傀儡能力者の姿では、なかった。


「生き腐れる、か。……向こうに行っても会えないと分かっておるのは、寂しいの」





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「――というわけで、詳しい事情は秘密なんだけど、自分は青森に短期出張。みんなは北海道からロシア近くまで出撃してもらう事になったんだ」

「北海道か! 吾輩、まだカニは食したことがなくてだな……」

「おいおい、仕事で行くんだぞ? 遊んでる暇はないって」

「確かに、お仕事だと自由な時間はなさそうですね。残念です。……あ、姉さん、ご飯つぶが」

「外れちゃったわね、予感……。でも、いい事かしら?」

「……ですね。今までは悪い予感、九割当たってましたから。むしろ嬉しいかも……」


 今にもヨダレを垂らしそうな利根に、自分は呆れた顔を努力して作る。
 言えなかった。
 君達と同じ存在を、死地に送り出すためだなんて。
 今回はこういう形になったが、いつかは自分も、あんな事をしなければならないのだろうか。
 彼女達に、「死ね」と命じなければならない時が、来るのだろうか。

 痛い。


「……そういえば、提督。編成の方はもうお決まりなんですか? わたしのような古い船では、お手伝いできそうもありませんけれど……」


 鳳翔さんがすかさず話をついでくれる。けれど、こちらを見る視線に隠れた気遣いが感じられた。またしても、表情の変化を悟られてしまったようだ。
 しっかりしろ自分。隠すと決めたんだ。なら隠し通せ。
 この子達を不安にはさせたくない。……笑っていて欲しいんだ。だから、切り替えろ。


「そんな風に言わないでください。艦載機制御の練習に付き合ってもらってるうえ、一人で何人分も家事をこなしてくれて、すごく助かってるんですから」

「本当ですか? お役にたてているなら、嬉しいです」


 ふんわりとした笑顔が染み入り、今度は心からの笑みで返す。大人な配慮をしてくれる彼女の存在は、本当にありがたい。
 これは秘密にしていることだが、実は鳳翔さん、自分が一番最初に発注した空母だった。
 世界初の正規空母として完成し、のちに練習艦としての役割を担った彼女。なかば意地で建造してしまったが、その補正があるのか、鳳翔さんに完全同調しての訓練はとてもやりやすく、下手ながらにコツも掴めてきている。
 もっと早くに呼べていれば、先輩へも一太刀浴びせられたであろうに、それがどうして四番目の空母になってしまったのか。
 原因は、鳳翔さんを建造しようとしていたのに、祥鳳を作ってしまった荒ぶる妖精さん方である。確かに名前は似てますがね。祥鳳が知ったらショックでまた脱げるよ。


「編成の方はひとまず、赤城と扶桑、山城には出てもらうのが確定してる。急な任務だからぶっつけ本番になるけど、それまでには改造も終わるはずだ。頼めるか?」

「もちろんです。史実では実現しなかった航空戦艦としての扶桑。伊勢や日向にだって、負けません……!」

「近代化改修だって済ませてますし。護衛任務くらい、姉さまと一緒ならわけないです」


 珍しくやる気に満ち満ちた、頼もしい限りの戦艦姉妹。
 遠征で稼いだ資材や報酬をつぎ込んで、戦争中は無理だった大規模改修や、防御面の強化(そのまんまだと、徹甲弾が五割の確率で機関部や弾薬庫に直撃する)もしたのだ。当然だろう。
 ……実は君らも、妖精さんが荒ぶった結果なんですけどね。「本当は伊勢さんと日向さんを呼ぼうとしてたんだよー」なんてとても言えません。
 改造にかかった費用と資材だけで戦艦もう一隻作れそうだったなんて、みんなが遠征に行ってる理由もそれを補填するためだなんて、とてもとても。
 赤城も来てくれたし、「そろそろ自分も戦艦を」とか思ってたんだけど、やっぱ早かったかなぁ……。


「のう提督。残りの三枠はどうなっておるのだ? そろそろ吾輩も実戦に出たいのだが」

「う~ん……。実はまだ悩んでるんだよな……。赤城たちも実戦は初めてだし、手堅く固めるか、それとも新しい戦法を試すか。どうするか……」

「んぬ……。わ、吾輩達の対空装備は充実しておるぞっ。水偵を飛ばすのだって十八番であるし、赤城が出るのに出ぬわけにはいかぬ! な? 良いではないか、良いではないかぁ~!」

「ちょ、おいこら揺らすな、味噌汁がこぼれるっ」


 ちょうど椀をすすろうとしていた時に縋りつかれ、慌ててバランスをとる。
 戦時中は南雲機動部隊の一員として、その索敵能力を発揮した利根達。張りきる気持ちも分かるが、どうしよう。六隻の制限がなければ、どうとでもなるのだが……。
 正直なところ、自分の統制人格は中継器を載せなくたって出撃できる。しかし、常に他艦の情報を把握できる艦とそうでない艦とでは、連携に乱れが生じてしまうだろう。悩みどころだ。


「駄目ですよ利根姉さん、わがままを言っては。提督にもお考えがあるんですから」

「ええい止めるな筑摩っ。それに吾輩達が出れば、お主の大好きな先輩とやらの布陣にも近づくのだぞ。良い事づくめではないか。何をためらうっ」

「……はぁ?」


 大好きって、自分が?
 つい一週間ほど前、例の赤城の服を自作したあげく、どうしてだか自分で着て写真に撮り、A4サイズに引き伸ばして送りつけてきやがったあの先輩を?
 ……はっ。


「何を言い出すのCARと思えBAR、そんなことあるわけないジャマイカ」

「ぐふっ!?」

「あら、大丈夫? 山城?」

「だ、だいじょうぶ、で……くっ、じ、ジャマイ……ふっ……」


 何やら唐突に吹き出して痙攣する山城と、彼女の背をさする扶桑。
 とりあえず大丈夫そうなので放っておくとして、自分は変なことを言い出す利根と向き合う。こんな不名誉な言いがかり、絶対に撤回さねばなるまい。
 すると彼女、「してやったり」的な顔で二の句を継ぐ。


「トボけても無駄じゃ。主任殿から聞いておるぞ。お主、今後は綾波型と長良型を作ろうとしておるらしいではないか。話に聞く先輩とやらの布陣の再現としか思えん」

「ただの偶然だYO? 遠征には小回りのきく駆逐艦とか軽巡が向いてるみたいだから、回転率を上げるために必要なだけSA! 出ずっぱりじゃあ可哀想だからNE!」

「よく言うわい。何かにつけて『先輩は~・先輩だったら~』と比べるうえ、もらった手紙も綺麗に開封して、大事に大事に保存しておるではないか。潔く認めるがいい!」

「ちょおいっ、なんで!? 電にも秘密にしてたのにっ!?」

「ぬぁっはっは! 吾輩の目に見通せぬものはぬぁい!! ……とかいいつつ、実は当てずっぽうだったのだがな」

「え?」


 ぽそっと付け加えられた一言に、目が点となる。
 カマかけられたの自分?
 思いっきり引っかかっちゃったんですけど。鳳翔さんと筑摩がこっち見て優し~く微笑んでるんですけど。
 なんたる、なんたる失態……!


「提督、そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。ワタシも姉さんのこと大好きですし、誰かを大切に想えるのって、素敵なことですよ?」

「い、いいや違うぞ。確かに尊敬はしてる。してるけどそれは人として――じゃねぇな。傀儡能力者の先達としてで、異性として慕っているわけでは……」

「かーっ! 往生際の悪いっ。片意地はらず、吾輩と筑摩のように仲良くすればよかろう?」

「そうですよ。はい姉さん、お魚どうぞ。アーン」

「あ~……ん。うむ、うまい!」

「だから違う……おい聞いてんのか。聞けよそこの姉妹。おいっ、おーいっ」


 必死に弁明を続けるも、仲睦まじい二人へはまったく届かない。
 なにやら彼女達のなかで、自分が先輩に懸想しているという、とんでもない誤解が定着してしまったように感じた。
 それが、どうしても認め難く。


「ち、違う。違うからな。自分は先輩のことなんか、なんとも思ってないんだからなぁああっ!!!!!!」


 ――と、居間の中心で、ツンデレっぽいセリフを叫んでしまうのだった。
 イヤ本当に勘弁してください電一筋なんで自分。





「ジャ、ジャマイカ……じゃないかと、ジャマイカ……お、おかし……ふ、ふくっ……おなか痛いぃ……」

「……どうしましょう、鳳翔さん。私、妹の笑いのツボが分からない……。あ、おかわりお願いします……」

「無理に理解しようとしなくてもいいと思いますよ。はいどうぞ」










《こぼれ話 提督のいない横須賀鎮守府》





「さぁてと……。それじゃあみんな、作るわよ!」

『おー!』


 時刻は、おやつ時を過ぎた午後四時。
 腕まくりをし、セーラー服の上から黄色いエプロンをつける少女――雷が勢いよく拳をつき上げると、それに続いて大勢の声が返った。
 彼女の眼前にいるのは、総勢十名の統制人格たち。そしてここは、落成して間もない新築の大型宿舎。その厨房である。


「まずは役割分担を決めよっか。この中でお料理の経験ある子、どれくらい居る?」

「わたしはいつもやってるから大丈夫よ~。龍田揚げとか大得意だもの~。お肉切るのだったら任せて~」

「名前がついているほどだしな。私も少々心得があるぞ。特に、今日作るのはアレなのだろう? 腕を振るわせてもらうさ」

「那智と同じく、お手伝い程度でしたら」


 手を上げたのは三人――龍田、那智、妙高。
 日頃から、時間が空いた時には家事を手伝ってくれていた彼女たち。腕は確かだ。
 自前のエプロンもすでに着用しており、その姿は様になっていた。
 ちなみに、龍田のエプロンには平仮名で「たつた」と刺繍してあり、妙高たちの物は、縫いつけられた名札に達筆な文字が書かれていた。書道教室へでも通ったのかと思えるくらいである。


「私たちはぜんぜん経験なんてないけど、なんかできそうな感じするよね?」

「刃物の扱いでしたら熟知しています。問題ないかと」

「不知火が言うと変に聞こえるんはウチだけやろか……。こう、包丁やなくてサバイバルナイフ的な?」

「え、えっと……どう、なんでしょうか……?」


 言いながら顔を見合わせるのは、陽炎型三姉妹と、妙高型の末っ子・羽黒。
 この四人もエプロン姿であり、羽黒は妙高たちとお揃いで、陽炎たちは首元のリボンと同じ色。女子らしい丸文字で名前が書かれていた。


「……おい」

「ん。どうしたの天龍。怖い顔して」


 不意に発せられた低音に、雷が首をひねる。
 残るは龍田の姉である天龍、妙高型の三女・足柄と、一人っ子な島風なのだが――


「どうしてオレのだけ“ど”ピンクなフリフリエプロンなんだよっ! せめて普通のなかったのかぁ!?」

「あら、似合ってるじゃない。可愛いわよ、自信持って天龍っ。それで迫れば司令だってイチコロよ!」

「そうだよ。私のは地味だし、ちょっと羨ましい。どうせ着るならそっちが良かったなぁ」

「だったらとっかえようぜ! なんかゾワゾワすんだよコレ……。あと、オレはアイツに興味なんてねぇからな」


 ――天龍の身につけるそれは、とても、とっっっても可愛らしいデザインだった。
 新婚生活真っ只中のお嫁さんがつけそうな代物であり、しかも胸元の名札には、カラフルな平仮名で「うゅりんて」(右からお読み頂きたい。雷のエプロンも同様である)と。
 またも姉たちとお揃いの足柄、普通の白いエプロンに名札をつけただけの島風に比べると、自己主張がやたら激しい。


「ったく、誰だよこんなの作ったヤツは? オレに似合うわけねえだろ、よく考えろよ……」

「――んなさい」

「あ?」

「ごめんなさい、なのです。それを作ったの、電です」

「えっ」


 しかめっ面で文句をこぼす天龍に、離れた位置からの声。
 食堂の三割を占める、くつろぎスペースをかねた座敷(この宿舎は洋間と日本間が混在しているのである)。その中で厨房にもっとも近い場所には、うつむきながら落ち込む少女と、そんな彼女の背中を心配そうに撫でる女性がいた。
 普段、宿舎周りの家事を仕切っている電、鳳翔だ。


「いつも『エプロンがないから手伝えない』って言ってましたから、可愛いのを作れば喜んでくれるかなって……。そのせいで、島風ちゃんのも間に合いませんでしたし……。ダメですね、電は……」

「あっ、わ、私のことは気にしなくてもいいよっ? いつかは作ってくれるんでしょ? 楽しみにしてるからっ!」

「そうですよ、電ちゃん。天龍ちゃんも、少し恥ずかしがってるだけですから、ね?」

「……本当、ですか?」

「うっ」


 いつの間にか座敷へ移動した島風と、鳳翔、電。三対の瞳が天龍へ向けられただけでなく、背後からも八人分の視線が突き刺さる。特に雷がいた辺りからのものが痛い。
 手伝えないというのは「手伝いたくない」という本音の言い訳だったが、鳳翔の言い分、実はあながち間違ってもいなかったりする。
 一人称が“オレ”だったり、乱暴な言葉遣いが目立つ彼女だが、やはり根は乙女なのだ。しかし、常からの言動が認めることを良しとしない。
 実は可愛いもの(連装砲ちゃんとか)が大好きだとか、隠れてヨシフをワシャワシャするのが日課だとか、眼帯つけてるけど普通に左目は見えるとか。
 たとえ、小さな身体でいつも頑張ってくれている少女を悲しませようと、決して認められなかった。


「……い、いやっ、やっぱオレには無理――」

「天・龍・ちゃん♪」

「わーいウレシイなぁー。ありがとな電ー」


 ――はずが、妹の声によって対応はひるがえる。姉の威厳なぞ木っ端微塵だ(元からないとか言ってはダメ)。
 皆に秘密としているはずの上記の事がらも、龍田には全部ばれていた。逆らえるはずがないのである。


「……良かったのです、喜んでもらえて。島風ちゃんのも、可愛く作りますねっ」

「うんっ、お願いね!」


 暗い顔に笑顔が戻り、周りの空気も明るさを取り戻す。
 約一名が疲れきったように背中を丸め、その片割れが何かを吸い取ったかのごとくキラキラしていたが、誰も問題とは思わない。
 彼女たちにとっては見慣れた、いつも通りな光景であった。


「でも、本当に電はお手伝いしなくて大丈夫ですか?」

「そうですね……。せめて下拵えだけでも……」

「いいからいいから、電と鳳翔さんは座ってて! 二人とも、こうしないと頑張りすぎちゃうんだもん。特に電は、もーっとお姉ちゃんに頼ることを覚えなさい!」

「あはは……。はい。これからはそうするのです」

「ありがとう、雷ちゃん。頼りにさせてもらいますね」


 胸をポンと叩く雷に、電たちは笑みを隠しきれない。
 励起された統制人格も当初にくらべてかなり増え、その負担は大きくなっていた。最近では、統制人格としての仕事よりも、家事をしている時間の方が長いくらいである。
 手伝ってくれる者もいるのだが、芋づる式に増えていく人員に比べて割合は少なく、厨房にいる十一名と出撃中の六名――赤城、扶桑、山城、千歳、千代田、龍驤以外のメンバーは、今日も思い思いに休日を過ごしていた。

 川内はいつものごとく夕飯まで起きてこないだろうし、那珂はアイドルDVDを見て研究に余念がない(神通はその巻きぞえ)。
 おいてけぼりを食らってしまい、地面にのの字を書いていた軽空母・祥鳳も、彼女を慰めていたヨシフ、暁、響と散歩中。
 直近に加わった利根などは、「なんで吾輩ではダメなのだぁ!? カニーッ!!」と不満を零しながら、妹の筑摩に膝枕をしてもらってゴロゴロしている。
 休養も仕事のうち。そして、それを支えるのも重要なことだと分かっているが、こうして手助けしてくれようという親切は、やはり嬉しいのだ。


「さぁさぁ、司令官が帰ってくるまでに作って寝かせなきゃいけないんだから、急ぐわよ!
 天龍たちはお肉とタマネギ、妙高たちはニンジン、陽炎たちはジャガイモを頼むわねっ。
 島風は私と一緒にご飯炊いて、終わったらみんなのサポートよ。いい?」

「はーい! 島風、頑張りまーす!」


 雷の声を合図に、少女たちが厨房内を動き始める。
 十人近くがひしめいても苦にならない広さは、家主である提督が、先を見据えてこの宿舎を発注したからだ。
 相部屋を基本として、五十人以上(つめれば百人はいける)が住めるだけの部屋数。一堂に会するための食堂。さらには統制人格専用の大浴場までをも完備していた。
 設計から建築までを一人でこなしてしまった整備主任の少女いわく、「アタシが住みたいと思う理想の女子寮を元に再構築しました!」とのこと。趣味全開らしい。
 完成してから自分が住めないことに気づき、流した涙は滝のようでもあったのだが。


「じゃ、まずはお米の量を計らなきゃ。二十八人分だから、お代わりも考えて……三十合くらいかな。余ったら冷凍しちゃいましょ。お米の研ぎ方は分かる?」

「大丈夫っ。さすがにそのくらいは知ってるよっ」

「ん。なら手分けしてやっちゃおう!」


 島風をともない、雷が米びつを覗きこんでそらんじる。
 肉、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、米。
 この材料を並べられれば、メニュー何かは想像に難くない。そう、カレーライスである。
 かつて、人がまだ海の上で夜を越すことができた時代。海上での曜日感覚を保つために、金曜日にはカレーを作るという習慣があった。それぞれの船で隠し味や具が違ったり、個性的なレシピがいくつも誕生したという。
 しかし、海に出る行為が自殺に等しい危険度を持つようになってからというもの、これはすたれようとしていた。

 ……わけがない。

 海に出ないから曜日感覚は保てる? だからなんだ。食べたいから食べる。作りたいから作る。何が悪いのか。
 朝カレー、昼カレー、おやつカレー、夜カレー、夜食カレー。ビーフカレーにチキンカレー、シーフードにキーマ、トマトカレーと、一日五食はいけるはず。
 昨日はカレーだったから今日もカレー。今日がカレーだから明日もカレー。いやさ、三日目からこそカレーの真髄。
 時代が移り変わろうが、世界情勢が変化しようが、そこに材料のある限り、カレーライスは作られ続けるのだ。
 むしろ、材料がなくなってもどうにかして作り出してしまいそうなのが、この国の怖いところである。


「ぃよ……いしょっと。ふう、これで五合終わりっと。次の五合を……」

「え? 終わったよ。もう全部」

「あ、そう。ありがとぅええっ!? ちょっ、ホントっ!?」


 日本の食事情を語っている間に米を研ぎ終えたらしい雷。次を計ろうとするのだが、島風の答えに思わず二度見してしまう。
 キチンとザルへとられ、水気を切ってある白米。それが五つ。雷の分と合わせてピッタリ三十合だ。


「す、すご……。速いってレベルじゃないわ……。しかもちゃんと出来てる」

「えへへ。だって島風だもん! 速くて当たり前だよっ」


 それにしたって速過ぎである。
 が、ザルを揺すってしたたる水を確認しても、濁りはほとんど無かった。
 速さに関連させさえすれば、意外となんでもこなす才能があるのかもしれない。


「まぁ、それに越したことないわよね。他のみんなを手伝えるんだし」

「そうそう。速いが一番。もう炊いちゃお? ほっ」

「ああ、ダメダメ。三十分はお水吸わせないと。量を計って……と、よし。タイマーセットして、ご飯は完了!」


 島風が業務用の大型炊飯器へ米を移し、雷は大量の水を入れてスイッチをポン。
 あとは炊き上がりを待つだけである。


「それじゃ、他のサポートに回りますかっ。とりあえず、陽炎たちの様子見に行こっ」

「りょーかーい」


 テキパキとした指示に軽い敬礼が返り、二人は広い厨房を進む。
 向かう先には、三人横並びになって大量のジャガイモに挑んでいる、陽炎型姉妹。


「そっちはどう? ちゃんとできてる~?」

「あ、雷ちゃん。大丈夫よ。私たち、けっこう料理できるみたい」

「そのようで。作業は順調です」

「形が不揃いやからちょっと手間取っとるけど、もうすぐ終わりそうやね」


 黒潮の言うとおり、目の前のカゴには皮を剥かれたジャガイモが鎮座していた。
 少し多めな三十六個だったが、三人で分担すればこれまた早いものである。


「ホントだ。これなら、陽炎たちにも家事当番に入ってもらった方が良さそうかも」

「そう? 遠征とかで疲れてない時なら、私は問題ないわよ」

「うん、お願いするね。それにしても、皮の剥き方にも特徴って出るんだね~。ちょっと面白い」

「不知火んはちょいもったいない思うんやけどなぁ。もっと薄くせぇへんと、食べるとこのぅなってしまうで?」

「変色している部分もあったし、効率重視です。不知火たちに毒は効きませんが、司令は違いますから」


 雷がジャガイモを確かめるのだが、それには三種類の特徴があった。
 ごく普通に剥かれたもの。剥いたというより削ったようなもの。できるだけ皮を薄く、芽の部分も最小限にくり抜いてあるもの。
 順に、陽炎・不知火・黒潮の前にあるカゴの中身だ。三者三様である。


「こちらも終わったぞ」

「あ、那智」


 ふと、近づいてくる数人の気配。
 雷が振り返ると、そこにはボウルを二つ、両手に持った那智と、その姉妹たちが。


「む、けっこう速いんだ、那智って……。負けられないかも……!」

「いいや、私は今回なにもしていないぞ、島風。切ったのは足柄と羽黒さ」

「そうなんだ。ご苦労さま、二人とも」


 背後を示され、雷はねぎらいの言葉をかける。
 足柄は「どういたしまして」とドヤ顔。羽黒は逆に、恐縮したように肩を狭めた。


「ごめんなさい……。包丁を握るの、初めてで。不恰好になっちゃいました……」

「あ~。確かにちょっと大きさが揃ってないわね~。でも大丈夫よ。じっくり煮込むんだから、多少大きくても関係ないし」

「ええ。煮込み番などは私がやりますので。ちょうど良いですし、大きさによってどのくらい火の通りに違いが出るのか、しっかり勉強いたしましょう」

「よろしくお願いします、妙高姉さん」


 見れば、こちらのニンジンも切られ方に特徴があった。
 綺麗に切りそろえられたものと、大きさがバラバラになってしまっているもの。
 話を聞くに、前者が足柄。後者が羽黒の手によるものらしい。


「へぇ、意外。私、足柄さんって食べる専門かと思ってた」

「ちょっとぉ、どういう意味よ陽炎? 女の子なんだから、このくらいできて当然よ。羽黒だってすぐに上達するわっ。お姉ちゃんが保証したげる!」

「ありがとう、足柄姉さん。頑張るね……!」

「……女の子?」

「アカン、アカンわ不知火。そこに突っ込んだら血ぃ見るで。やめとき、な」

「聞こえてるわよ」


 ツカツカ歩み寄る足柄。無言で逃げ出す不知火&黒潮。
 雷が「走っちゃダメよ!」と声をかけたからか、三人は食堂の方で競歩による追いかけっこを始めてしまった。
 そしていつの間にか参加してトップを独走する島風。見守る鳳翔と電はクスクス笑っている。


「まったく、結局は遊んじゃうんだから。ごめんね雷ちゃん、後で怒っておくから」

「ううん。もうほとんど終わってるし、十分よ。じゃあ、私は天龍たちのとこに行ってるから」

「はい。では、不知火さんたちの残りは私たちがやりましょうか、那智」

「心得た」


 申し訳なさそうな陽炎と、慣れた様子で包丁を持つ妙高たち。羽黒は見学らしい。
 雷は手を振りながら「お願いね~」と言い残し、彼女たちに背を向ける。
 向かう先では、鳥肉(今日はチキンカレーである)とタマネギを処理している後ろ姿。


「天龍、龍田。どのくらい進んだ?」

「ん゛あ゛?」

「うひゃうっ」


 気軽に声をかけたのだが、しかし、振り向いた天龍に雷はビックリしてしまう。
 なぜなら、その顔は涙でグシャグシャだったからである。


「ど、どうしたのよっ……って、タマネギか~。おどかさないでよ~」

「知るがよ、ぐぞっ。ぢくじょう、んだよこれぇ……。だづだぁ~」

「はぁい天龍ちゃ~ん。今拭いてあげるから~」


 泣きつく姉の顔を、ティッシュで優しく整える妹。
 はたから見れば仲睦まじいだけなのだが、龍田の顔には「泣いてる天龍ちゃん可愛い」と書いてある。
 全部が全部、彼女の思い通りに運んでいるのだろう。呆れていた雷も、さすがに可哀想になってしまった。


「まだ大分残ってるわね……。どうする? 代わってあげよっか?」

「ぐしゅっ……。いや、やる。こんな事で負けてられるかってんだ」

「なら、お肉の方は終わってるし、わたしも手伝うわ~。雷ちゃんもお願いできる~?」

「んっ。まっかせといて! あ、天龍。鼻にティッシュ詰めると沁みないらしいわ。試してみたら?」

「ホントかよ? でも……ん~、しかたねぇ、よな……」


 格好悪さと涙腺への攻撃を天秤にかけ、天龍はしぶしぶティッシュを丸める。
 龍田も世話を焼いて気が済んだのか、先ほど以上にツヤツヤした表情でタマネギを手に取り、雷がそれに続く。
 といっても、頭と尻を落とし、芯をくり抜いて刻むだけ。手慣れた二人が加わって、またたく間にタマネギの山が出来上がる。


「よし、タマネギも完了っと」

「だぁあ、やっとか……。オレ、鳳翔さんとこで休んでていいか……?」

「もう疲れちゃった? しょうがないわね。でもありがと、助かったわ」

「天龍ちゃん、あとは任せて~。手と顔、洗っておいた方がいいわよ~? それとティッシュも~」

「おーう。ん……うわっ、手がタマネギくせぇ」

「鳳翔さんに落とし方をお聞きになってみたらいかがですか? こういうこと、よく知っておられるようですし」

「お、妙高。だな、ちょっと行ってくる」

「そうするといい。雷、こちらの用意はできているぞ」


 天龍と入れ替わりに、また妙高たちがやってくる。
 近くのコンロにはフライパンと具材の入ったボウルが並べられていて、次の準備も万端だ。


「うん。それじゃ、炒めに入りましょっか。私がタマネギ炒めるから、龍田はお肉の方お願いね」

「分かったわ~」

「あ、はいはい! 私もやっていい? ほら、名前的に火とか得意そうだし」

「いいんじゃない? コンロも沢山あるし。ん~、こっちもちょっと量が多いかなぁ。那智、タマネギ手伝って。
 妙高たちは、お鍋に水をはって火をつけといてくれる? 沸騰するのに時間かかっちゃうだろうし」

「承った」

「はい」

「分かりました」


 雷の指示のもと、ふたたび各人が作業へ入る。
 ほどなく、肉に焼き色がつく香ばしい匂いと、バターで炒められるタマネギの匂いが厨房へ広がった。誰もが食欲をそそられること請け合いだ。
 当然、それは座敷へも届いており、夏みかんと麦茶をお供にくつろいでいた電の嗅覚を刺激する。


「はぁ~。いい匂いなのです~」

「そうですね。これなら、今後も任せて大丈夫そう。提督と一緒にいられる時間も増えますね?」

「ふぇ!? い、電はそんな……」

「……おぉ、マジだっ。本当にニオイ消えた! スゲェな鳳翔さん!」

「うふふ。良かったですね」

「みかんの皮剥きだって、島風が一番なんだから!」

「負けないわよぉ? はいっ、スタート!」

「中身の消費はウチらに任せろー。あむ」

「……ん。まぁまぁね」


 いつの間にやら、ちゃぶ台の周りには脱落組まで集まっていた。
 ひたすら夏みかんの皮を剥く島風に足柄、それを横から食べる不知火と黒潮、鳳翔に教えてもらい、余った皮の汁でタマネギ臭を消す天龍。
 他にもスペースはあるというのに、結局こじんまりと集結してしまう。なんだかんだで、かつての狭い居間が気に入っていたのかもしれない。


「もう。すっかりこっちのこと忘れてる……」

「仕方ないさ。無理にやらせても美味しくなるわけがないしな」

「それもそっか。……さて、タマネギはこのくらいかな。那智、ニンジンとジャガイモとって」

「うむ」


 今まで描写を省いていたが、実はいちいち、持ち運べる台に乗ったり降りたりしていた雷。
 炒めながらでは野菜の入ったボウルに手が届かず、代わりに那智がそれをフライパンに追加する。
 しばらく無言で炒め続け、ある程度火が通ったら場所を移動し、妙高たちが受け持つ寸胴鍋の中へ。少しだけお玉でお湯を取り、フライパンに残った野菜の旨味も無駄なく。
 陽炎、龍田も同じように鳥肉を投入し、あとは沸騰したらアクを取って煮込むだけ。


「これで一段落ね。ちょっと疲れちゃったかも。妙高、羽黒。少し任せても大丈夫?」

「ええ、構いませんわ」

「みなさん、どうぞ休憩していて下さい。妙高姉さんといっしょなら、私でも大丈夫そうですから……」

「では、そうさせてもらおうか」

「陽炎、休憩入りま~す」

「じゃあわたしも~。おミカン食べたいわ~」


 先の約束どおり、妙高たちが番につき、残る四人が食堂の方へ。
 しかし、何かあればすぐに助けに入れるよう、雷だけはカウンター席に腰を下ろす。
 何となく東の窓を見上げれば、晴れ渡る午後の空に、白い雲が浮かんでいた。庭でシーツなどが踊っていることだろう。


(ん~。もう取りこんだのがいいかな)


 午前中は小雨がパラついていたため、洗濯物をしたのは昼食を済ませてからだ。
 だが、この時期は天気が崩れやすい。乾いているなら早めに取りこんでしまう方が――


「皆さん、大変です!」

「え、祥鳳? どうしたの、そんな慌てて」


 ――と、思案していたところへ、テラス席から駆け込んでくる少女。
 散歩に出ていたはずの祥鳳である。他二人の姿は見えない。


「西の方、黒い雲が凄いことにっ。今、暁さんと響さんが庭に行ってますけど、手伝ってあげて下さい!」

「……ええっ!? 東の方はあんなに晴れて……っていうか、司令官の布団も出しっ放しなのに!?」

「はわわっ、た、大変なのです!」

「夕立ちですか。致し方ありませんね。さ、みんな立ってください。行きましょう」

「私、二階の方に行くねっ。電たちはそっちをっ。妙高はそのまま、いい?」

「了解しましたわ!」


 鳳翔が立ち上がって手を叩くと、だらけていた脱落組に活が入る。
 いの一番に駆け出す島風や、「しょうがねぇなぁ」とブツクサ言いながらも、エプロンが濡れないようキチンとたたむ天龍。龍田と陽炎型姉妹に足柄、那智も庭へ。祥鳳も舞い戻った。
 忙しそうな彼女たちを横目で通り過ぎ、雷も廊下に出て階段を駆け上がる。そして、左手の一番近く――提督の私室に。


「ほっ、はっ、とゎあ!」


 スリッパを脱ぎすて畳の上へ。
 ベランダに面した窓を開けると、つっかけを履くのも惜しんで、掛け布団、マットレスと大急ぎで部屋の中に投げこんで行く。
 最後の敷布団とは一緒にダイブだ。


「はぁ、はぁ……。間に合ったぁ……」


 息を整えながら、首だけを動かして外を確認。
 ポツリ、ポツリ――と、雨粒が落ち始める。


「………………」


 静寂。
 雨音のせいか、距離があるか。
 下階の喧騒は嘘のように聞こえてこない。


(……なんだろ。この感じ)


 仰向けに寝返りをうつ雷。
 太陽の光を存分に吸った布団が、じんわり熱い。
 今年“も”異常気象が続いているらしく、夏という割に、気温は春とさほど変わらないため、不快ではなかった。


「う~ん……」


 視界に映る内装は、あえて前と同じくしてある。
 間取り自体はかなり大きくなっており、統制人格たちと鉢合わせしないよう、内風呂やトイレ、冷蔵庫も完備。その気になれば閉じこもれる作りだ。
 しかし、直後に大湊への出立が控えていたため、この部屋で彼が過ごしたのはたった一日。
 人のいた気配も乏しく、見慣れた家具と広くなってしまった室内とが、奇妙なギャップをもたらしていた。


(でも、妙に落ち着く……。あ)


 また寝返り、うつぶせに。
 深呼吸すると、干した布団特有の匂い。
 けれど雷は、それに隠れたあるものを感じ取る。


「そっか……。これって……」


 ――司令官の、匂い。

 特に覚えようとしていたわけではないし、好きな匂いというわけでもなかった。
 毎日会っていた頃は気にも留めなかったのに、しばらく離れてみると、やけに懐かしい。


(なんでかな。少しだけ、寂しいよ)


 心地よい熱に顔をうずめながら、ゆっくり目を閉じる。
 あと数時間もすれば帰ってくるというのに。どうしてか、今はこの匂いから離れたくなくて。
 静かな雨音に、柔らかい布団。
 家事の程よい疲労が意識を混濁させ、そうして、彼女は――


「しれ……か……」


 ――優しいまどろみの中へと、落ちていくのだった。
 数分後。
 様子を確かめにきた電までもが「ちょっとだけなら……」と隣へ寝転がり、ミイラ取りがミイラとなってしまった事実も、ここに付け加えておこう。
 最後に、その布団で眠らなければならない提督がどうなったのかは……。





「やばい。なぜか布団から、女の子のかぐわしい匂いがして眠れない」




















 ヒャッハー! 昨日はE-1しかクリアできなかったし、今日から本格的にイベント参加だー! と思ってたのにラバウルは朝から猫りまくって安定しないよチィクショオォオオッ!! 猫めぇええっ!!!!!!
 ……仕方ないので猫っても問題ない低燃費艦隊でデイリー出撃します……。
 それはさておき、今回はオリ展開の前座と、雷ちゃん匂いフェチ疑惑なこぼれ話でした。
 次の更新は、筆者初参加のイベント進み具合によって、やる気と執筆速度が変わります。もし遅れたとしても許してつかぁさい。
 それでは、失礼いたします。暁ちゃんを連れてアイアンボトムサウンドへ、いざ、抜錨! ……レベル50以上あればいけるやろー(慢心)。

「千歳です。次回は少し時間を遡って、本編に登場しますよ」
「水上機母艦のままだけど、だからこそできることだってあるんだからね?」
「うちらの銀幕デビュー、見逃したらあかんでぇ!」





 2013/11/02 初投稿
 2013/12/19 誤字修正







[38387] 新人提督とキスカ島強行上陸作戦・前編
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2015/03/29 21:19





「あれね」


 屋上から双眼鏡で見下ろす視界に、とある車が入ってくる。
 周囲を何台もの装甲車によって護衛された、黒塗りのリムジン。旧式だが、現代において乗れる者の少ない高級車。金に輝く桐紋が付けられていた。
 古くは菊花紋と同じく“やんごとなき”方々の紋章であり、豊臣の紋としても知られている。今でも一般にこの家紋を持つ家庭が存在するが、軍内部においてはごく限られた用途でしか用いられない。
 この場合、それに該当するだけの存在が乗っていることを示していた。


「本人は……まだ見えるわけないか」


 チ、と大きな舌打ち。厳つい双眼鏡が外されると、その人物の顔立ちが白日にさらされる。
 ありていに言えば、美少女であった。
 整えられた美麗な眉。大きな瞳は日本人らしくない碧色をしており、丸みを帯びた軍帽から金糸のごとき細さが溢れている。
 未だ成長過程と思われる身体を包むのは、軍帽と同じく白の軍服。誂えたのであろうそれは、下が短いプリーツスカートに変更されており、細かな部分にも少女らしい美的感覚が見て取れた。


「……時間のムダか。冴えない顔してるのは資料で知ってるんだし、帰ろ」


 リムジンが厳重な警備のゲートをくぐり近寄ってくるも、少女はためらいなくその場を後にする。
 もとより、皆に秘密で来ているのだ。ことがバレれば、あの“偉人マニア”にお小言をもらってしまうだろう。
 しかし――


「きゃっ」


 ――不意をつく強風がスカートをはためかせ、軍帽をさらっていく。
 慌てて追うも、あとわずかといった所で手をすり抜け、はるか下のコンクリートへ。
 運が悪いことに、延長線上には例のリムジン。


「ちょっと、ダメ――あぁぁ!?」


 ぐしゃり。
 ふかふかだった白さは、タイヤ痕と土にまみれて無残なありさま。
 呆気にとられる少女の顔が伏せられ、やがて、烈火のごとき怒りへと染まる。


「……桐、林……。よくも……」


 八つ当たりだと分かっていても、煮えたぎる感情は収まることがない。拳が握りしめられ、つり上がったまなじりには涙まで浮かぶ。
 お気に入りだった。素材選びからデザインまで自分でこなした一品。被り心地はもちろん、乗せていないと落ち着かないのだ。それを、踏みにじられた。


「絶対に、許さない……!」


 勢いよくきびすを返す。
 後に残るのは、吐き捨てた言葉の残滓と、かすかな花の香りだけ。
 こうして、少女から車に乗る人物――桐林提督への第一印象は、本人のあずかり知らぬまま、最悪なものとなってしまった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「では、こちらでお待ちください。失礼いたします」


 案内してくれた下士官の青年が敬礼し、格調高い家具が備え付けられる、特別応接室を出て行く。
 答礼を解いた自分は、「はぁぁ」と大きなため息をついて、本革張りのソファへと寄りかかる。


「偉くなるって、面倒だ」


 思い返すのは、横須賀を出てから大湊へたどり着くまでの道のり。
 共に出撃してくれる統制人格たち――赤城、扶桑、山城、千歳、千代田、龍驤の六人を見送った翌日。自分は陸路で大湊警備府のある青森に向かったのだが、その警備は恐ろしいほど厳重だった。
 専用列車に乗り、屈強な兵士たちに囲まれて、朝から六時間の汗くさい旅。
 駅へ着いてからも、たった十数分の道路なのに九三式装甲自動車を使い、一部道路を封鎖まで。
 国賓でも歓待するかのような扱いは、かつて、幼い自分も見たことのある光景だったが、その中へ放り込まれるなど夢にも思っていなかった。


「横鎮が異常だった、のか……?」


 構内を歩けば、相変わらず女性陣からの冷たい視線。男性陣からは嫉妬の嵐。とても良いとは言えない環境に思えたが、ぜんぜん違った。
 胡散臭い詐欺師を見るような目に、比べたら。値踏みする声に比べたら、ずっと。
 警備を担っていたはずの彼らの銃は、外敵に対してだけ向けられるもの……で、あったのだろうか。


「……自分も、昔はああだったんだよな」


 市井の人間にとって、傀儡能力者は憧れの存在であると同時に、受け入れがたい突然変異体でもあった。
 機械を思うがままに操り、魂を宿らせ、さらには人の形まで与える。
 一昔前は物語やアニメの中にしかいなかった者たちが、現実に出現し始めたのだ。その混乱は、ツクモ艦の攻勢と重なって大きなものになってしまった。
 訳も分からぬうちに、魔女狩りのごとく狩り出されてしまった能力者までいたという。


「世は悪意に満ち、陰る善意も幾ばくか……」

「されど、この手に明日への手綱あり。桐竹源十郎氏の言葉ですね」


 唐突にドアが開き、こぼれた言葉の先を紡がれる。
 顔を向けると、そこには車椅子に乗る青年。まとう軍服が、彼の立場を教えてくれた。


「もしかして、あなたが……?」

「はい。ノックもせずに失礼しました。僕が、“人馬”の桐生です。お見知り置きを」

「こちらこそ、初めまして。桐林です」


 急いで立ち上がり、伸ばされた桐生提督の手をとる。
 噂には聞いていたけれど、目の当たりにすると少し戸惑う。
 生まれながらに下半身へ障害を負い、それを取り戻すかのように、海の上を駆け回る駿馬。
 自分と同い年のはずが、穏やかな笑みには自信が満ち溢れていた。


「長旅でお疲れでしょう。お掛けになってください。今、お茶を用意させていますから」

「あぁ、いえ。おかまいなく……」


 愛想笑いでその場をしのぎつつ、再びソファに。
 モーター音が移動し、彼は三方を囲まれたテーブルの、唯一椅子が置かれていなかった面へ。


「時に、お好きなんですか? 桐竹氏の著書の言葉でしたが」

「は? ……あ、いえいえ、その。頭に浮かんだ言葉を、つい漏らしてしまっただけで。お恥ずかしいんですが、あれが桐竹氏の言葉だということも……」

「そうですか。有名ですからね、きっとどこかで聞いたことがあったんでしょう。あまりにメジャー過ぎるせいか、僕自身、興味を抱いたのは能力に目覚めてからでした」


 調子を合わせてくれているのか、桐生提督の顔にも恥ずかしそうな苦笑いが浮かぶ。
 桐竹源十郎。
 吉田豪志中将と同じ、傀儡能力者、最初の五人――護国五本指の一人。彼が国民的英雄になったのは、その生涯を終えた戦いに起因する。

 今をさかのぼること十年。
 突如として、ツクモ艦が舞鶴鎮守府・正面海域の安全領域内へ、数百の大艦隊で侵攻するという事件が起きた。
 まるで謀ったかのごとく、大規模公開演習による主戦力の留守をついたそれは、四半世紀におよぶ戦史においてただ一度、本土への爆撃を許した、最悪の事態でもあった。
 不意打ちによる混乱のさなか、体調不良を理由に待機していた桐竹氏(彼は京都の出身である)は残っていた予備戦力を率い、単身船に乗り込んでまで戦場へ赴く。
 なぜ増幅機器を使わなかったのかは謎のままだが、おそらくは建物ごと破壊されたのだと見られている。

 結果は惨々たるありさまだった。
 とって返した主戦力が見たものは、重油で燃え上がる紅い海と、無数に浮かぶ残骸のみ。
 桐竹氏の遺体は確認できなかったが、主戦力へ同行していた感情持ちの統制人格が消滅したらしい事実から、戦死したものと判断されているようだ。
 こんな言い方しかできないのは、当時の資料がまるで残っていないのが理由である。映像だけでなく、間違いなく発しただろう救難信号の記録までも。混乱ぶりが伺えるだろう。


「ですが、やはり傀儡能力者であれば、一度はお読みになることをお勧めしますよ。桐竹随想録なんて特に。彼の人となりや、能力者としての在り方を学ぶには最適です」

「はい。時間を見つけて、読んでみようと」


 不幸中の幸いと言うべきか、攻撃は鎮守府のみに留まり、民間での被害は皆無だった。だが、その立て直しには多大な時間を要している。
 施設的な面だけでなく、今までの定説……ツクモ艦は安全領域内へ決して侵入できないという、民間向けのそれが覆されたこと、並びに、護国五本指が欠けてしまったことで、当時の国民感情は揺れに揺れた。
 それを収めるために陣頭指揮をとったのが吉田中将――当時の少将であり、現在では傀儡能力者の元締めのような立場となっている。
 この事件を境に、哨戒任務の重要性が大きく見直され、増幅機器が堅牢な地下に置かれるようになった。また、そこへの出入り口も複数確保されるなど、戦いに慣れ始めていた軍が正されたと言えるだろう。
 桐竹源十郎とは、この国に多大な影響をもたらした人物なのである。


「あぁ、他にもオススメできる著書がありますよ。入門としては随想録が一番ですが、もっと深く知りたければですね――」

「え? あ、あの、え?」


 ……だから、車椅子の荷物入れを探り、解説しながらポンポン書籍を取り出す、桐生提督の心酔ぶりも理解できるのだが……。
 いや、もう十冊くらい出てきてるんですけど。いっつもそんなに持ち歩いてんですか?


「まずはお近づきの印に、一冊どうぞ。さ」

「それは、ありがたいんです、けど……でも……」

「あ、お気になさらず。これは全部布教用でして。僕の分は愛蔵版と読み返し用、複数持ってますので。ささ」

「……どうも」


 半ば押し付けられるようにして、分厚いハードカバーの随想録を受け取る。
 なんというか、不思議な人だな。見た目は爽やかなのにオタっぽいというか。自分が言っちゃいけない気もするけど。


「あ~……ところで、自分の船はもう到着しているんですよね?」

「ええ。桐林提督の六隻は、すでに入港を済ませています。現在は燃料の補給中ですね」

「そうでしたか。よかった」


 桐生提督の返事で、やっと心配事が一つ消えてくれた。
 安全領域内を巡航速度で進むだけとはいえ、先の通り、絶対ではない。うっかり領外へ出て操業していた漁船が、敵艦を引き連れて逃げ戻ってくる場合もある(例の大侵攻もこれが原因とされている)。
 もちろん、通常の哨戒任務を受ける艦がそれを出迎えてくれるだろう。けれど、心配なものは心配なのだ。


「羨ましい限りです。失礼ながら艦を拝見させて頂きましたが、噂どおり、全ての統制人格が意思を宿しているようで。動きで分かりました。自立行動も可能な傀儡艦。実に頼もしい」

「はい、自分は特に恵まれているようです。もうお会いになられたので?」

「入港の際に、遠目で観察しただけです。今は下船し、来賓用の客室でくつろいでいるはずですよ。こんなに大勢の“感情持ち”を歓待するとは、思ってもみませんでしたが」

「はは……御手数をおかけします」


 置かれている環境のせいで忘れがちだが、通常の傀儡艦とは、指示を下さなければ一mmたりとも動かない鉄の塊。
 際限なく、絶え間なく現れるツクモ艦に比べて、人間はあまりに脆い。
 戦えるだけの肉体・技能を獲得するまでに時間が掛かるうえ、失われるのは一瞬。傀儡能力が発現しなければ、人類は大地の上で慎ましやかに生きるしかなかっただろう。
 おまけに、駆逐艦でも数百人、戦艦ならゆうに四桁を要する乗員も、能力者なら一人で動かせる。実に都合良く、“リーズナブル”な能力なのである。


「己が本体である艦船の統制に特化するうえ、人間と同じく推論する力……理性を与える。嫉妬してしまいますよ。僕なんか五年も戦っていますが、意思を宿したのは未だに霧島一隻で」

「なかなか、難しいようですね。自分は最初からこうでしたから、ズルをしている気分にもなります」

「気になさり過ぎでは? この能力自体、まだまだ未解明のものですし、僕は僕で努力してみますよ。
 それにしても、噂ではかなりの美女たちに囲まれて暮らしておられるようで。羨ましいです。ええ、本当に羨ましいです。一個人として妬ましいです。ちっ」

「うちの子を褒めていただけるのは嬉しいんですけど、舌打ちしませんでした今?」

「とんでもない。モーターのスパークでしょうきっと」

「それはそれで危なくありませんかね」


 だんだんと素の出てきた桐生提督を、自分は半眼で見つめる。やっぱ、傀儡能力者には変人が多いな(棚上げ)。
 能力者の意思を船へと伝達し、無機物と有機物をつなぐ人型インターフェースが、統制人格。
 彼女たちもまた、通常は命令しなければ何一つ、人間らしい行動を行わない。外見だって、自分の励起した子たちと違いまさしく人形だ。
 髪型やその色、顔の造形には多少変化があるものの、生気に乏しく、悪い言い方をすれば――マネキン。意識して覚えようとしなければ記憶に留まらない、“薄い”存在なのである。
 もしも彼の立場に居たなら、恨み言の一つや二つ……三つか四つ言っていたかもしれない。うん、妬ましい。


「まぁ、ふざけるのはこのくらいにしますか。桐林提督。軽く段取りの確認をしておきましょう」

「……はい」


 気がつけば、大分リラックスしてしまっていた。
 侮れない話術……というより、単純なんだろう、自分が。
 ともかく背筋をただし、意識を切り替える。


「まず、僕は今日の夜までには大湊を発ち、厚岸に向かいます。函館への護衛は別のものが行いますので、桐林提督はここに逗留し、ゆっくりお休みください」

「はい。そして、桐生提督が厚岸に到着した翌日、自分は赤城たち、あなたは新造艦五隻へ同調。その日のうちにエトロフを目指す、と」

「エトロフへはすでに補給部隊が派遣されています。そこで最後の補給とともに一夜を明かし、夜明けを待って作戦開始です」


 頷きあい、概要を改めて脳に叩きこむ。
 函館への航路は完全に安全領域内なので、いつも通りの警戒以上に気をつけるべき点はない。エトロフへも同様だ。
 かつては色々な問題で曖昧とされていた部分が、安全領域という区切りでハッキリし、現在の日本の領土はエトロフ、ロシアはパラムシル島までとなっている。千島列島は完全に放棄された。
 本番は越境してから。
 偵察機による索敵・警戒を厳とし、できうる限り戦闘は回避。避けようのない場合は、艦載機によるアウトレンジ攻撃で数を減らして、残りは扶桑・山城の主砲である、四十五口径三十五・六cm連装砲四基八門(本来は六基あったが、格納庫や後部甲板設置のために撤去した)の先制攻撃で黙らせる。
 航空戦艦二隻の足は遅く、敵艦に追いつかれる可能性もあるが、ツクモに諦めるという概念はない。発見されればロシアまで類が及ぶため、殲滅を優先。
 徹底的な遠距離攻撃をもって、損害を未然に防ぐというのが今回の戦法だ。


「無事にパラムシル島まで到着したのち、高速給油艦でもある千歳・千代田から補給をうけ、桐生提督はさらに北上。ウスク・カムチャツク沖で一日停泊し、そこからコマンドルスキー諸島、アッツ島と渡り、キスカヘ」

「時間をかけるわけには参りませんから、ウスクからは一気に攻略する予定です」

「体調の方はどうでしょう。かなりの長丁場になると思いますが……」

「もたせます。投薬の準備もありますので」


 馴染みのない単語にギョッとなるが、彼はいたって落ち着いていた。
 艦艇戦闘は時間が掛かるため、どうしても集中力を欠いてしまったり、不調をきたすことも。そんな緊急事態へ備えるために、増幅機器には薬物投与を行う機能までつけられている。
 もちろん中毒性はない……らしいけど、負担にならないはずがない。それをさも当然と。
 これが、戦いに生きる者の矜恃、か。


「それにしても、数奇な運命です。まさかこのような形で、西村艦隊がそろうとは」

「……ですね。しかも、自分の扶桑・山城が見送る側ですから。どんな思い、なんでしょうか」


 西村艦隊。
 戦艦・山城を旗艦として、同じく戦艦・扶桑、航空巡洋艦・最上、駆逐艦の時雨・満潮・山雲・朝雲を配する、西村祥治中将の指揮した部隊である。のちに武勲艦と称される時雨を除いて、彼女たちはスリガオ海峡に沈んでいる。
 吉田中将が用意したのは、戦艦以外の五隻。おそらくは、験を担ぐ意味で用意された艦隊だ。
 進む海は違えども、たった一隻生きてたどり着けば良いと、それだけを期待された捨て駒。それを、山城たちが見送るのだ。何も知らないままに。


「詮無いことですよ。あまり思い詰めないことです。分からなくはありませんが、どうも、貴方は統制人格へ感情移入しすぎるきらいがあるようだ」

「……っ」


 痛いところをつかれた。
 自分だって、理解はしている。そんなことをしていれば、戦えなくなってしまう。
 戦いを指揮するものに必要な冷徹さが、自分には致命的に足りていない。
 でも――。


(それを感じられなくなってしまったら。自分は、自分で居られなくなるんじゃないだろうか)


 ――と、こうも思うのである。
 心を殺し、勝つためだけに生きていく。
 何の価値があるというのだ。そんな生き方に。……何を、残せるというのか。


「……ん?」


 そんな時、ふと気配を感じた。
 いや、気配だけではなく、おぼつかない六感を伝わってくる高揚感。距離でいうなら、まさに応接室のドアの向こう。
 これは……。


「どうしました」

「あぁ、と、その。どうやらうちの統制人格が、ドアの前で待ち構えているようでして……」


 傀儡能力者と統制人格は、精神的なつながりを持っている。
 同調状態でなくてもこれは機能し、ごく稀に、こうして彼女たちの強い感情が流れこむことがあるのだ。
 より近いほど感じ取りやすく、明瞭になるため、誰がいるのかも調べられる。たぶん、千歳だろう。


「ふむ。なにか緊急の伝達でしょうか。ちょうど一段落ついたところですし、呼んであげて下さい。僕としても、美女にお会いできるのなら願ったり叶ったりです」

「ありがとうございます。千歳、入っておいで」

「……失礼しまぁす」


 許しを得られたので、さっそく呼びかけてみる。すると、おずおずといった感じでドアが開かれ、千歳が顔を覗かせる。
 その後ろには千代田が続き、龍驤、赤城、扶桑……って、勢ぞろいかよ。


「お初にお目にかかります、桐生提督。水上機母艦、千歳の現し身です。水を差すような真似をして、申し訳ありません」

「……あ、い、いえいえ。桐林提督に用なのでしょう? 僕のことは気にせず、どうぞ」


 何かの冊子を抱えたまま頭を下げる千歳と、一緒に「ごめんなさい」する千代田。
 桐生提督は面食らったそぶりを見せるものの、すぐに気を取り直して笑顔を浮かべた。
 女の子ばかりがぞろぞろ入ってきたし、驚いたんだろうか。服装が個性的なのもあるけど、何よりみんな美人だからなぁ。
 あれ。これって親バカ……じゃなくて自画自賛か? この子らは自分の無意識から生まれたんだし。……んん? それに、なにか足らないような……。


「それでは、失礼しまして。提督提督っ、これ見てくださいっ」


 思わず考えこみそうになったが、隣へ腰を下ろして、身を寄せてくる千歳の重みに中断される。
 近い、近いってばだからっ。刷り込みがあるとはいえ、なんで君らはこう、距離感が妙に寄ってるんだよ。ペタってくっつくな、勘違いしちゃうからっ。


「ええと……ミュージアムのパンフ?」

「はいっ、千歳鶴です!」


 そんな気分をごまかすため、とりあえず差し出されたものを覗きこむ。
 北海道にある酒造元がひらく、工場見学のパンフレットだった。千歳がハマっている、例の老舗日本酒メーカーだ。
 ……あ、そういうことですか。接待的なボディタッチですか。本当に勘違いだったのね。


「今回の任務、帰りの日程には余裕を見ているんですよね? だったら一日くらい――いいえ、半日だけでも自由な時間とれますよねっ?」

「そりゃあ取れるけどさ。これが任務だって分かってるのか?」

「もちろんですっ! あくまで帰りにですよ、帰り。ね、行きましょうよ提督~」

「はぁ……。公私の区別はしっかりしなさい。いい加減にしないと怒――」

「まぁまぁ、そうカッカせんと。実は、うちもお願いがあるんやけど」

「んあ?」


 肩を叩かれ、降ってくる声に顔を上げれば、龍驤が逆さまの顔でニカッと笑っている。……嫌な予感。


「あんな、タコうて欲しいんよ」

「タコ? なんで?」

「そらもちろん、食べるために決まっとるやん。ほら、佐島のタコってやっぱ高いやろ。
 こっちならぎょうさん漁れるみたいやから、きっと安いでっ。ほんで、横須賀に帰ったら黒潮とたこ焼きパーティーするんや! みんなにも食べさしたるから、な?
 ちょっち調べたんやけど、根室の落石漁港なら帰りに寄れるし、ついでにカニとかウニとかもお土産にしてさ。な、な?」

「……二人とも。本気で怒るぞ。自分たちは重要な任務を託されてここに来てるんだ。出発したのが横須賀なら、そこへ無事に帰るまでが任務。遊ぶのはまた今度だ」

「んなケチくさい、ええやんかちょっとくらい~」

「そうですよ~。こんなに遠出する機会なんて、次また巡ってくるのはいつか分からないんですから。ね?」

「うっ」


 重要なことかと思えば、実際はただのおねだり。
 さすがに叱るべきだと声を固くするが、二の腕のあたりにそれと反比例するような柔らかさ。いつの間にやら、腕を抱え込まれていた。
 やばい。やっこい。あったかい。天龍と並ぶか、それ以上の逸材だぞ、これ……!
 だがしかし! 桐生提督の見ている前でだらしない顔はダメだ。自分だって、二つ名こそないけど“桐”の一柱。色仕掛けなんぞに屈するものかよっ。


「だ、ダメだって言ってるだろうっ。それに、ミュージアムの方は団体で予約しなきゃ無理って書いてあるじゃないか。諦めなさい」

「そこはほら、提督のお力でなんとか。横須賀では手に入らない、限定の大吟醸とか売ってますよ。炙ってお醤油かけたタコ足をツマミに、きゅーっと。どうですか? お酌もしますから~」

「く、ぅ……っ、それ、は……っ」


 待て待て待て。考えるな、想像するな、思い描くな。
 七輪の上で丸くちぢれた、タコの焼ける匂いを。
 熱さにハフハフ言いながら、キンキンに冷やした日本酒でそれを鎮める快感を。
 あぁぁ、なんて効果的な精神攻撃……! 職権濫用とかいけないのに、屈してしまいそうだ……!
 そして身体を揺らすのもやめてお願い。さっきから腕が気持ち良くて変な気分になりそうなんです。


「……だ、ダメ、もう我慢できない! ちょっと提督っ、いくらなんでもお姉とくっつき過ぎよっ、離れなさいー!」

「千代田? おわっ」


 突然な千代田の声に、「そういえば妙に大人しかったな」などと思っていたら、千歳の反対側へドスンと座り、空いていた腕を引っ張る彼女。
 顔には嫉妬の表情がありありと浮かんで、掴まれた部分は痛いくらいに握られている。どんだけ姉のことが好きなんだ。
 が、向かう先に待っているのは、やはりポユンとした柔らかさ。
 どうしよう、ほどくにほどけない。というかほどきたくない。あぁ、ごめんな電。自分は弱い男だよ……。


「提督には電ちゃんが居るんだから、他の女の子にデレデレしちゃダメでしょ? お姉も油断しちゃダメ! 男は狼なんだからっ。
 それと、お姉のお願いは聞いてあげて下さいっ。なんだったらワタシたち二人で行ってきますから!」

「い、いや、あのな千代田。離れろって言っても、やってることが千歳と同じ……」

「それもいいけど、せっかくなんだから、みんなで一緒するのも楽しいんじゃないかしら。
 提督、千代田も行きたがってるみたいですし、本当にお願いします。千歳、一生のお願いですっ!」

「うちのお願いも忘れたらあかんで~? うりうり~。どや、後頭部が幸せやろ~」

「は? ただ頭を抱えてるだけじゃないか。というか、なんか硬いものが当たって痛いんだけど」

「よぉし、ええ度胸や。昇天さしたる」

「ぎゅぐ!? ぢょ、り゛ゅうじょ……!?」


 頬に添えられていた手が首へとすべり、流れるような動きでスリーパーホールド。
 マズい、綺麗に入ったっ。本気で苦しい、早く振りほどかないと……!
 あ。だけど、そうしたら両腕のパラダイス状態まで解除されて……。ちくしょうっ、天国と地獄を同時に味わうとはこのことかっ。


「提督~。お願いですから~」

「だからお姉、ダメだってばっ。仲良くするだけならいいけど、くっつくのはダメなのー!」

「硬いとかなんとかほざいとったけど、うちの聞き間違いやよね? ほれ、なんか言うてみい」


 左右から引っ張られ、首には腕を巻きつけられ。
 絶妙な心地よさと息苦しさの間で、自分は苦悩する。
 生きるべきか、死ぬべきか酸素か、ぷにゅぷにゅか。それが問題だ、と。

 ……っていうか、首しまってるから何か言いたくても言えへんわい!





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





(何の冗談だ、これは)


 繰り広げられる寸劇を前に、桐生はぎこちない笑みで動揺を隠す。
 絶対服従を是とし、ただ機械的に命令をこなすはずの統制人格。彼女たちが意思を宿したとしても、その大前提は覆らない。人間を傷つけるなどもってのほか。
 それがどうだ。戯れとはいえ、統制人格が主である能力者を攻撃している。
 衝撃的だった。


(そもそも、本当にクグツなのか? これじゃあまるで――)


 ――人間にしか、見えない。

 桐生自身、一隻のみだが感情持ちを有している。が、どこそこへ行きたい、欲しいものがあるなど、一度たりとも言われたことがない。これほど表情豊かな存在でもなかった。
 言葉をかければ返事をする。見つめれば微笑むし、被弾すれば痛みにゆがむこともある。普通の統制人格は返事すらしないのだから、絶大な進歩だ。
 しかし、これらはあくまで附属的な機能だと思っていた。人間の思考をエミュレートする上で発生した副産物であると。
 人間と統制人格との見えない違いは、それを当然と思わせるほど大きかった。彼女たちと初めて対面した瞬間、目を奪われてしまうくらいには。


「申し訳ありません、桐生提督。騒がしくしてしまいまして」

「……いつも、このような……?」

「流石にこのような無礼は。今日はとりわけて、でしょうか。いつにも増して大げさな気がしますね」

「きっと、みなさん緊張しているんですよ……。無理にはしゃいで、不安を紛らわしているのかと。どうか、あまり強くお叱りにならなずに……」

「そ、そんな大仰な。僕が許したのですから、頭を上げてください」


 赤城に扶桑。
 桐林提督とじゃれついている三人から離れ、こうして桐生の相手をしてくれる彼女たちも、やはり違う。
 表情や仕草はもちろん、それから伝わる気遣いの念など、霧島からは感じたことが。


(……いや、そうじゃない。霧島も確かに心を持っている。ただ、“この”統制人格に比べると分かりづらいだけで。……確かに)


 気づかれないよう、わずかに拳を握る。嫉妬していた。
 冗談半分のつもりだったが、あれは存外、桐生自身の心境を的確にあらわしていたようだ。
 能力に目覚め、わずか半年足らずで“桐”を与えられた異端児。
 演習での戦績こそ悪いものの、実戦では未だ大破すら出したことがない。使役艦船数も尋常ではない速度で増え続け、今では序列の中盤にまで食い込んでいる。
 桐生が五年かけて歩んだ道程を、彼はまばたきの間に駆け抜けていた。それこそ、反則でも犯しているように。


(意外だな。僕の中にこんな、子供染みた感情が残っていたなんて)


 苦笑。
 捨てられたと思っていた。いいや、思い込んでいたのだろう。
 動かない脚のせいで強いられた、苦渋と屈辱の日々を。あの、薄汚い泥を。


「桐生提督……? どうか、なさいましたか……?」

「なんでもありませんよ、扶桑さん。いやはや、賑やかで本当に羨ましい。僕も負けていられませんね」


 だが、これも悪くない。人の原動力が清らかなものでないといけないだなんて、そんなこと誰が決めた。
 悪意からでも、嫉妬からでも。
 何かを求めて奮起する理由になれば、それで構わない。


(きっとそれが、僕にこの力を与えたのだから)


 特異性で負けようと、培った技術は比べるべくもないはず。
 生まれたてのひよっこに負けるわけにはいけないのだ。今までに沈めてしまった船たちと、苦心して育て上げた霧島のために。そしてなにより、動かない足でも一人で立っているために。
 己が歪みを自覚しつつ、桐生は笑う。
 結局のところ、ただ、海の上を駆けるだけ。それだけだ。……それしか、能がないのだから。


「ところで、山城さんの姿が見えませんが、彼女はどこに? 姉妹艦ですし、貴方と似ているのでしょうね」

『……あ』

「え?」


 何の気なしにつぶやいた桐生だったが、それに対する反応は妙なもの。
 赤城はハッと周囲を見渡し、扶桑は急にオロオロしだす。


「ど、どうしましょう、赤城さん。私のすぐ後ろを歩いていたはずなのに……」

「また迷子になってしまったんですね。困りました……」

「はい? 迷子?」


 これまた、統制人格には似つかわしくない単語に、桐生が大口を開ける。
 迷うはずがないのだ。なにせ、船はコンパスが基本装備。その機能を利用できるはずなのだから。
 が、それを問おうとしても、赤城は沈痛な面持ちで額をおさえ、扶桑も右往左往するばかり。
 頼りの桐林提督はといえば、顔色を茹でダコのごとく。案外余裕そうなのが桐生の呆れを加速させる。


「何の冗談だ、これは……」


 思わず頬が引きつり、今度は口に出してしまう。
 出撃を控えているとは思えない間抜けな空気が、応接室に漂っていた。





「ここ、どこぉ……? 扶桑姉さまぁ……。もう提督でもいいから出てきてよぉ……」










《こぼれ話 紅蓮の刃?》(時系列ガン無視注意)





「なぁ、天龍。前から聞きたかったことがあるんだけど、いいか?」

「ん? なんだよ突然」


 ちゃぶ台の上に湯呑みをコトリと置きながら、自分は少し離れた位置であぐらをかく少女へ問いかける。
 手には長大な剣(っぽいもの)が握られており、目を細めてその刃を確かめていた。


「それ、艤装の一部だよな。なんでそんなのが出てくるんだ? 船に剣なんてついてないだろう」

「オレが知るかよ。なんか出てくるから持ってるだけだしなー」

「私もそうね~。意外と便利よ~。草刈りしたり、庭木の剪定したり。もうちょっと小さければ、他にも色んなことに使えるんだけど~」


 適当に答えながら鞘へおさめる天龍を見て、「そんなもんか」とお手製かりんとうをつまむ。
 隣には龍田が座っており、満足そうに甘さを堪能していた。彼女が使うのは薙刀(っぽいもの)である。
 双方とも、刃の部分が真っ赤という特徴があり、人間が振るうには重すぎる代物だった。ギックリ腰になるかと思ったよ……。


「剪定バサミ代わり……まぁいいか。けど、持ってるってことは、剣術の心得はあるんだよな」

「ッたり前だろ。斬鉄くらい余裕でできるぜ?」

「本当か? それは凄いな」

「天龍ちゃんスゴイのよ~。このまえ釣りに行った時なんか、フナムシに驚いてテトラポッド真っ二つにしちゃったんだから~」

「あっ!? おい龍田、それは秘密って!」

「天龍の仕業だったのかあれ。噂になってたぞ……」


 いつものように吉田中将が釣りに出た際、恐ろしく鋭利な切り口のそれが発見され、一時期話題になっていたのだ。
 下手人も分からないまま……というか、ろくに捜査すらせず置き換えてしまったらしいが、ひょっとするとバレていたのかもしれない。後で差し入れでもしなきゃ。


「だってよぉ。あのワサワサ動く足……うがぁああっ! 思い出しただけで気持ち悪りぃいいっ!」

「こ、こらこら、分かったから室内で剣を振り回すなっ」

「やっぱりそうよね~。大抵の生き物は大丈夫だけど、アレ系はちょっと~。絶滅させちゃいたいわ~」


 なにか、目に見えないものと戦う天龍に、苦笑いを浮かべながら恐ろしいことを口走る龍田。
 天龍の乙女チックな弱点はいいとして、龍田も虫は苦手か。そういえば、釣りの時もエサは練り餌だったっけ。何があるか分からないし、覚えておこう。
 ……イタズラなんてしませんよ。そんな事したら殺されるし。


「ところで、銘はあるのか。その剣」

「は? 銘って?」

「ほら、あるだろう。正宗とか来国俊とか。天龍のことだから、絶対につけてると思ってたんだけど」

「……お、おうっ。当然だろっ!」


 嘘だ。間違いなく嘘だ。
 だって、頭についてる耳……アンテナ? っぽい奴がめっちゃソワソワしてるし(彼女のそれは艤装を解除しても付いたままなのだ。龍田の輪っかも同じ)。
 分っかりやすいなぁ。けど、ここはもちろん気づかない振りを。


「へぇ、どんなだ? ぜひ教えてくれ」

「い、いや、それは……」

「あら~。私も聞きたいわ~。名前つけてたなんて初耳だもの~」

「う、え、と……」


 さすが龍田さん。分かってらっしゃる。
 すがるように助けを求める視線もなんのその。一瞬で意図をくみ、追い打ちをかけた。これなら逃げられないだろう。
 案の定、右のまぶたをピッチリ閉じ、悩み始める天龍。数分後、ようやく開かれた彼女の口からこぼれたのは――


「と、刀身が赤いから……紅蓮、とか?」


 ――という、実に適当で中二的なお名前だった。
 どう考えても今つけただろそれ。とかって言っちゃってるじゃん。
 なんて感想を飲みこみ、自分は優しく微笑む。


「そうか。紅蓮っていうのか。そうかそうか」

「……なんだよ。言いたいことがあんならはっきり言えよ。変な顔すんな気味悪りぃ」

「いやいや、格好いいじゃないか、紅蓮。な、龍田?」

「私もそう思うわ~。なんと言っても紅蓮だもの、紅蓮。ね~」

「ぐ、む……」


 それに龍田が続き、二人そろって何度も頷きあう。天龍はといえば、口をモニョモニョさせて顔も真っ赤だ。
 ちょっと可哀想な気もするけど……ダメだ、天龍をイジるの楽しい。自分で格好つけてるくせに、軽くつついただけで照れちゃうところとか、もう可愛いです。


「か、帰るっ。オレ部屋に戻る! 司令官のばーか、あほー! 釣ってきた鯛、食わしてやんねぇからなー!」

「鯛!? え、待ってごめん、謝るからっ、天龍ー!? ……っちゃあ、やり過ぎたか」


 まさかの獲物に追いすがろうとするも、彼女はあっという間に姿を消してしまった。
 惜しいことしたなぁ……。刺身とかお茶漬けにして食べたかった……。


「大丈夫ですよ、あとでフォローしておきますから~。でも、ちゃんと謝ってあげてくださいね~」

「うん、そうする」


 悲嘆にくれていると、隣からありがたい助け舟がもたらされた。
 ホント頼りになる妹さんだこと。この前の遠征――海上護衛任務も大成功だったし、懐と資材がうるおって大助かりだ。
 う~ん。感謝の意味もこめて、二人にご褒美でもあげとこうか。なにがいいだろ……。


「なぁ龍田。欲しいものってあるか? 天龍のご機嫌取りのついで……って言ったら聞こえが悪いけど、いつも頑張ってくれてるお礼にさ」

「あら、いいんですか~? だったら私、紫陽花の苗が欲しいわ~」

「紫陽花か。もうそろそろ梅雨だし、風流でいいなぁ」

「でしょ~。お庭の彩りがちょっとさびしいかな~と思って」

「分かった、用意しておくよ」


 花の苗か。普段の言動からは意外にも思えるけど、女の子なんだな、やっぱり。
 天龍には……そうだな。ぬいぐるみでも買ってあげるか。なんでか知らないけど酒保に悲しげなペンギンのやつ置いてあったし。相変わらず品揃えがカオスだ。


「ところで、知ってますか~。紫陽花からは毒が作れるんですよ~」

「へぇ、知らなかった。毒があったのか………………なんでこのタイミング言うの?」

「あ、ポットが空だわ~。お水入れてきますね~」

「それは助かるけど、なんで。ねぇなんで。ホントになんで?」

「うふふ~」


 台所へ消えようとする背中に呼びかけるが、返ってくるのは微笑のみ。……空恐ろしい気分に襲われた。

 なんなんだよさっきのブラックトリビア。
 毒? 花を愛でる美少女のイメージが、一瞬で夫をくびり殺す毒婦に変わっちゃったぞ。
 いや、まさかそのために欲しがったんじゃないよな。ただの雑学、だよな。使用対象は自分だったりしないよな? そうだと言ってくださいお願いします……!

 と、そんな思いを込めて、自分は声を張り上げる。
 祈るような気持ちで、虚空に問いかけ続けるのだった。





「龍田さん? どうして答えてくれないんですか? 製造法どうやって調べたんですか? 近々、暗殺のご予定でもあるんですかー? ……龍田さぁああんっ!?」




















 十時間近い激闘の末、武蔵さんを無事にお迎えしました。それからというもの、資材回復させつつレア艦掘っているんですが、阿賀野さんが一向に来てくれません。
 くっそぅ……。運命力使い果たしたのか……? 明後日には先行配信艦が追加されるし、どうするか迷うわぁ……(初風ちゃんと翔鶴姉のスカートをいじりつつ)。
 それはさておき、今回は“人馬”の桐生登場回でした。次回が本番。この任務“には”決着をつけます。お楽しみに。
 あ、最後にもう一つ。ハム◯ットさん超ごめんなさい。あの世に行ったら土下座しますんで。
 それでは、失礼いたします。

「一航戦、赤城。出ます!」
「山城、遅れないで……? 出撃よ……!」
「はいっ、姉さまっ。でも、この中で一番足が遅いの、私たちです……」
「それは言わないでちょうだい……。あぁ、防御力と速力が欲しいわ……」





 2013/11/18 初投稿+今日は一回だけと思ってE-3行ってみたら阿賀野さん来ました。嬉しかったので思わず追記。ありがてぇ、ありがてぇ……!
 2013/11/21 主砲の数を間違っていたので修正しました
 2013/11/30 ちょっと修正
 2015/03/29 こっそり誤字修正






[38387] 新人提督とキスカ島強行上陸作戦・後編
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2013/12/06 22:29





 胸中にあった感情は、驚きでも、恐怖でもなかった。
 動くならばと徴発された、趣味人たちの道楽の結晶。その甲板上で、光から出でる彼女を見た瞬間、悟ったのである。
 ああ、わたしは。
 このために生まれてきたのだ、と。


 桐竹随想録、第三部 困窮する国より抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





《敵艦隊発見っ。二時の方向、数は六。距離はだいだい……二十五km。護衛空母群と思われます! ……だめ、こっちも見つかっちゃった。まっすぐ来るっ》

『近いな。新しく湧いたか……確認した。全艦戦闘用意。赤城、頼む!』

「はいっ」


 さえぎる物のない青の世界で、念となった千代田の音声が飛び交う。
 偵察機へと視点を動かせば、はるかな鳥たちの高みから、いびつな形状をした灰色が見えた。ツクモ艦だ。
 見た限りの編成は、軽空母ヌ級二隻、重巡洋艦リ級一隻、軽巡洋艦ホ級一隻、駆逐艦ニ級二隻。
 視点を追加。並行する画面のようなその中で、下された命令を受け、飛行甲板の端へ仁王立つ赤城。
 足踏み、胴造り、弓構え、打起こし――射法八節を順に。すると、同時にエレベーターが稼働。零式艦上戦闘機五十二型が姿をあらわす。発動機エンジンが唸りを上げていた。


「………………」


 静かな呼吸。
 高く持ち上げられた拳が、引分けによって下ろされる。弦はキリキリと音を立て、無人であるはずの零戦が発艦位置へ移動。
 騒々しい音の中、赤城は一心に水平線を見つめ、そして――


「第一次攻撃隊、発艦開始!」


 ――放たれた矢が、光の粒となって消えた。
 瞬間、零戦は一気に加速。粒子を道しるべとし、空へ。
 その数はまたたく間に増えてゆき、九九式艦爆・九七式艦攻も加わって、艦攻・艦爆十二機、艦戦十六機、総数四十機の攻撃隊が編隊を組み始める。


《提督、私たちも……》

『ああ。扶桑、千代田も瑞雲を順次発艦させよ。千歳は引きつづき左舷を警戒。龍驤、山城は現状を維持』

《了解ですっ。お姉、先にやっちゃうよ!》

《こちら千歳、索敵警戒を続行します。……油断しちゃだめよ、千代田》

《扶桑姉さまも、お気をつけて》

《うちもりょ~か~い。あ~、はよう飛ばしたいわぁ》


 千代田、扶桑の船体から、それぞれ十二機、十機の水上爆撃機が火薬式カタパルトによって射出された。
 自分はあえて情報を受け取っていないが、彼女たちの頭にはとんでもない数の、フライトシミュレータのような画面が映し出されていることだろう。
 こちらの陣形は変則的な輪陣形。
 中央に、上向きの矢印のような形を組む桐生提督の五隻。左右に山城・龍驤、扶桑・赤城。後方に千歳・千代田で固めている。もしもの時には突出できるよう、前方は開いていた。
 現在、右前方から敵艦が近づこうとしている。早々に迎撃しなければならない。


『攻撃に関しては君たちに任せる。できることなら平らげてくれ』

「お任せください。無敵艦隊とも称された一航戦の実力。その鱗片をお見せしましょう」


 自信ありげな赤城の微笑みに、わずかながら緊張がとけた。
 確実性を上げるなら、龍驤たちの艦載機も出せばいいだけの話だが、まだ作戦は序盤。ここは様子を見よう。
 彼女に刻まれている記憶は、あの大戦で培われたもの。自分なんかが制御するより、よほど上手くやってくれるはず。


《機影が見えた。提督、集中するから話しかけないでねっ》

《主砲と副砲の優先順位をさげて……。三機と四機のグループに……》


 対して、構えた小型カタパルトの手元――ラジコンのコントローラーに似たスイッチを忙しく操作する千代田と、目を完全に閉じ、祈るように左腕のミニチュア後部甲板へ手をかざす扶桑。瑞雲組みの顔つきはこわばって見えた。
 実戦での艦載機制御が初めてであることも理由だろうが、史実において彼女たちは、瑞雲を運用した記録がない。
 つまり、まったくの初体験。しかし、そんな言い訳が通用しないのが戦場である。大きなプレッシャーとなっているようだった。
 試しに先行している機体の情報を引き出してみれば、同じ高さへ登ってくる影を捉えられる。


(あれが、敵の艦載機か……)


 個人的な印象で表現すると……やはり、異星人の不思議戦闘機と言うしかない。
 敵空母は飛行甲板を持っていない。奴らの艦載機は、半円球状のドーム天井が備えられた格納庫から垂直離陸するのだ(まるで大口を開けたカエルにも見える)。
 幸い、発艦以外で物理法則を無視するような機動をしたりはしないが、役割に合わせて複数の機体を運用しなければならないこちらと違い、向こうは一種で機動戦・爆撃・雷撃の全てをこなす。
 見た目にも兵装の区別はつきづらく、とにかく全部を潰す勢いでいかねば、爆装・雷装の矛先が向けられる。気負うなという方が無理な話だ。
 言葉をかけてあげたいが、それで本当に集中を乱されては仕方がない。信じよう。


「一番槍は私が。格闘戦に持ち込みます。千代田さん、扶桑さんは高さを稼いで、足並みの乱れた艦載機を上から仕留めてくださいますか」

《う、うんっ。やってみせる!》

《お任せを……!》


 二人の返事に、赤城は小さく頬を緩ませながら新しい矢をつがえる。小指と薬指には次の矢。
 微笑みが消えた瞬間、また空へ向かう念矢。立て続けに放たれた二本は、中空で四本、八本、十六本と倍増し、ある一点で光へと。
 距離を無視するそれが零戦へ指示を伝達。戦闘機群は速度を上げる。
 やがて、敵機レーダーの放つ緑光が近づき、一斉に散開。ドッグファイトが始まった。


『お手並み拝見ですね、桐林提督』

『はい。彼女たちならやってくれます』


 桐生提督の声に答えながら、自分は空を舞う鳥たちを見つめ続ける。
 彼との会話は、それぞれの旗艦に載せられた中継器が、文字通り中継してくれている。こちらは赤城、あちらは一番大きな艦である重巡・最上ではなく、駆逐艦・時雨にそれを載せていた。
 彼女を中心として、後方に最上。前方を左から、山雲・満潮・朝雲が囲んでいる。
 日の出を待ってエトロフを抜錨し、おおよそ五時間。扶桑型戦艦の最高速度に近い二十ノットで海を進み、全行程の四分の一ほどを消化した。左手に、小さくチルポイ島を望める。
 ここに来るまで、三度は戦闘を回避できていた。この調子なら、会敵せずにパラムシル島まで……などと希望的観測をしていたが、そんなに甘くはないらしい。


『美しい機動だ。さすがは一航戦というところですか』

『ええ。自分の出る幕がないのは、ちょっと寂しいですけどね』


 手に汗を握る自分と違い、彼は落ち着きはらっている。茶飲み話でもしているような気安さが、羨ましい。
 練度の問題で手は出せないし、増幅機器の出力調整士も、書記さんとは別の女性。妙な据わりの悪さを感じていた。


(そういえば、初めての同調の時もこんなだったか)


 あの頃はまだ書記さんと打ち解けておらず、電とも距離を置いて接していた。
 今でこそ気軽に食事へ誘ったり、頼み事したり、頭を撫でたり(これは電オンリー)できる間柄だが……不思議なものだ。
 恋人なんて、幼稚園でのおままごとくらいでしか作れなかった自分が、今や半分ハーレム状態。手を出せないのが残念無念である。
 ……ん? なんか鼻で笑われたような気が――


「提督、申し訳ありません! 敵巡洋艦リ級・ホ級、抜けられました!」

『――と、マズいっ』


 赤城の切迫した声で現実へ引き戻される。昔を懐かしんでいる間に、戦況は動いてしまったようだ。
 大急ぎで情報を引き出してみると、こちらに向かい、おそらくは全速を出す二隻のツクモ艦が。
 制空権を確保した攻撃隊はすでに爆撃準備に入っており、どうすることもできない。そもそも、対空装備のある船を後ろから追いかけるなんて下の下だ。
 で、あれば。


『扶桑、砲撃戦用意。いけるな』

《了解いたしました。一番から四番砲塔、回します》


 長射程の大艦巨砲による先制攻撃が定石である。
 艦艇戦には時間が掛かることもあり、先ほどより距離が詰まっている。戦艦としては異常に高い、五十mの位置にある扶桑の艦橋から敵影が見えた。
 敵主砲もこちらを射程に捉えているが、効力射とするにはまだ遠い。しかし、扶桑型戦艦の主砲であれば。
 これもまた、アウトレンジ戦法の一つだ。できうる限り早く、砲撃を開始しないと……!


《ええと……。爆撃はいったん中止して、上空に……それから仰角を……》


 そう思っているのだが、砲塔の動きは精彩を欠く。
 航空機運用と、多数の主砲・副砲制御。経験の浅さが、処理速度の遅延となって現れているようだ。
 仕方ない、しゃしゃり出ますか。


『扶桑、瑞雲の制御権をこちらに回せ。旋回軌道の維持くらいなら自分にもできる。君は砲撃に集中するんだ』

《……申し訳ありません。私が、不甲斐ないばかりに……》

『こういう時のために自分がいるんだし、気にするな。それより、上手く仕留めてくれたら、帰ってからのご褒美が豪華になるぞ? だから頑張れ』

《まぁまぁ。でしたら、張り切らないといけませんね……!》


 クスリ。小さくふき出す扶桑。
 彼女の好みは抹茶プリンだったか。小倉餡と生クリームもサービスしてあげることにしよう。
 そんなことを考えながら自分も笑っていると、《お渡しします》という声。一気に脳へ負荷が掛かる。


(く……。九機、一機落とされてたか。でも、この場合は怪我の功名だな。数がそろってるならやり易い)


 若干体勢を崩す瑞雲たちだったが、すぐさま立て直す。三機毎のグループに分け、一定の旋回軌道を設定。あとはこれを維持するだけ。
 同時に扶桑の本体、艦首方面にある一番・二番砲塔。中心にある煙突を挟むようにして据えられた三番・四番砲塔が、ツクモ艦へ照準を合わせる。駄目押しに、右舷六門の十五・二mm単装砲も。


《初弾も無駄にはしません。確実に仕留めます》


 扶桑はゆっくりと右手をさし伸ばし、均等に振り分けられた砲が艤装に合わせて微調整を繰り返す。
 向きを変え、仰角を変え、そして止まる。
 重なる意識に、問いかけるような意思を感じた。無論、頷く。見えていないはずのそれも、魂を通じて過不足なく伝わり――


《主砲、副砲、撃てぇええっ!!》


 ――億分の誤差のうちに、巨砲が硝煙の吐息を吐き出す。一番から四番。わずかな時差を置いて、十一kgもの炸薬が破裂した。次いで、副砲が連発。
 砲火に反応したか、手に隠れそうなほどの敵艦は回避運動を見せる。
 十秒をこえる長い空白。
 やがて、音よりも先に、水柱と黒煙が目に届く。


『お見事! この距離で初撃命中、しかも二隻同時とは。流石ですね』

《恐れ入ります、桐生提督》

《凄いです扶桑姉さまっ。カッコイイです!》


 上出来すぎる戦果に、山城が歓声をあげる。
 褒め称えられた扶桑も、表面上は楚々としているが、小さくガッツポーズを。やはり嬉しさは隠せないらしい。
 重巡の方は、わずかに逸らした一撃目を囮に、回避方向を誘導し二撃目で命中。軽巡にはそれも避けられてしまったものの、間を縫うように放った副砲が、射程ギリギリにもかかわらず運良く直撃。双方とも撃沈せしめた。
 本当にこれで欠陥戦艦なのかと思いたくなるほどだ。


『よくやってくれた、扶桑。制御を戻すぞ。赤城、そっちは』

「はい。駆逐艦二隻は艦橋相当部位を爆破、動きを止めました。軽空母も上部兵装は全て排除、これから雷撃を行います」


 瑞雲の制御を扶桑へ返し、航空戦隊の様子を確認。黒煙を上げる駆逐艦と、ドームに穴の空いた軽空母が見えた。
 艦載機によるアウトレンジ攻撃は、第一に制空権確保、第二に急降下爆撃での対空砲兵装排除。水面スレスレを飛ばなければならない艦攻の出番は基本的に最後となる。
 赤城が弓を弾く。
 一本が三本、三本が六本、十二本となり、九七艦攻は水平飛行へ移行。もはや浮いているだけの敵艦に向かって近づき、魚雷を……切り離す。

 ――爆音。
 空へひるがえる艦攻たちの背後で、それが響いた。


「命中を確認。敵軽空母、ならびに駆逐艦、合わせて四隻。撃破いたしました。こちらの被害は、零戦が二機、艦爆が一機です」

《ワタシの瑞雲も三機落とされちゃった。無傷で叩ければ良かったんだけど》

『ん、把握した。気にするな、船がダメージを受けるより何倍もマシさ。周囲の安全を確認でき次第、艦載機を帰投させよ』

「了解しました、提督。この勝利で慢心しては駄目、ですね」

《千代田、了解です。……はうぅ、終わったぁ》


 緊張の糸が切れたのだろう、千代田はため息をつきながら甲板にへたり込む。


『大丈夫か千代田。悪いが、まだ気は抜かないでくれよ? 赤城の言ったように、油断大敵だ』

《あ、うん、そうだね。けど……ただ飛ばすのと爆撃させるのとじゃ、やっぱり違うんだね》

『だろうな……。どうする? 疲れたなら、山城にでも偵察を代わってもらうか?』

《ううん、頑張る。砲撃戦ではほとんど役に立てないし、空母の二人は航空戦の要だもん。これは水上機母艦の役目だから》

『……そうか。頼らせてもらうぞ』

《頑張りましょう、千代田。ワタシも一緒だから、ね?》

《うん!》


 余計な心配だったか、大切な人からの励ましのおかげか。彼女は立ち上がって息を巻く。
 普段は千歳と遊んで……というより、姉にまとわり付いているだけにも見えていたけど、案外真面目らしい。
 例のミュージアム、考えてあげるべきか。見学は無理でも、少し寄って買い物するくらいなら……。あとでお金降ろしとこう。


《うぅ~、こんなこと言ったらあかんのやろうけど、ちょっち退屈や~。活躍したい~!》

《気持ちは分かるけど、ダメよ龍驤。……私も姉さまと並んで主砲を撃ちたいけど。凄く分かるけど、我慢しなきゃ》


 厚みの心許ない財布を思い出していると、焦れたような声が二人分。ウズウズした気分が中継器を伝わり、戦意の高まりが感じられた。
 こういった戦闘での精神的高揚は、同調によるつながりで皆へ伝達する。不安や恐怖まで伝わってしまう場合もあるらしいが、今回はいい方向に作用しているようだ。
 とはいえ、ここで爆発させてしまっては意味がない。


『二人とも、作戦は始まったばかりなんだぞ? これから否が応でも出番がくる。気力は温存しておかなきゃな』

《はぁ~い。大人しくしとればええんやろ~》

《分かってますってば……。艦隊に居られるだけでも十分に嬉しいですし》


 ぼぅ、と空を見上げる山城の姿は、境目のない青が飾り立て、恐ろしく美しい。
 初の日本独自設計による超弩級戦艦、扶桑型。しかし、その構造には幾つもの欠陥があり、彼女は海に出ていた時間よりも、ドックへ入渠していた時間の方が長い始末だった。
 ここにいる山城がそうだったわけではないのだが、人を模した人形へ魂が宿るとされるよう、当時を再現して作られた船には、歴史の一部が刻まれる。人と同じ形と心を得た今、それが影響しているのだ。


『切実だな……。まぁとにかく、今は先に進もう。ボイラーやタービンの調子はどうだ? かなり飛ばしてるはずだけど』

《今のところ問題は。調子が良すぎて怖いです。ここらへんで、ボイラーが一つくらい不調になってくれれば、これから先も少しは安心なのに》

《さすがにその安心のしかたはどうかと思うわ、山城……》


 妹のあんまりな言い分に、同じく不遇な戦艦だった姉がつっこむ。
 不幸が起きるのを前提として考えるのはどうなんだ? この状況でそういうことになったら笑えないし、勘弁してほしい。
 君が言うと本当に起きそうで怖いんだって……。


『ははは。いやはや、作戦中でも余裕を崩さない。頼もしいですよ』

『う。す、すみません。緊張感が足りませんね、自分たちは』

『あぁ、違うんです。嫌味で言ったわけでは。素直にそう思っただけですから』


 桐生提督の笑い声で、山城たちとのやりとりが筒抜けなのを思い出す。
 言い訳にも一応フォローを入れてくれるけれど、褒められたことじゃないのは確か。軍人としての先輩でもある。気を引き締めねば。
 そう思って顔を作るのだが、彼は『本当ですよ』と続ける。


『作戦中にこんな……穏やかな気分でいられたのは初めてです。もちろん気を抜いているわけではありませんが、いい意味で緊張していないというか』

『そう、なんですか。自分たちは、いつもだいたいこんな感じなんですけど』

『きっと桐林提督が――いいえ。あなた方がそろっているから、でしょう。……羨ましい。霧島に会いたくなってしまいました』


 見えないはずの笑顔が、声を通して脳裏に浮かぶ。
 一瞬、お世辞だろうと勘ぐった自分を恥ずかしく思うほど、それには実感が込もっていた。
 基本的に、傀儡能力者は孤独な存在だ。
 日常生活では、その特異性から一般と明確に区別されてしまう。
 他の能力者と協働することはあっても、言葉を交わす余裕なんてない。戦いともなれば、自分と違いひっきりなしに指示を送らねばならず、どだい無理なのである。
 感情持ちとなら会話くらいできそうと思われるかもしれないが、指揮能力を得た時点で、彼女たちは貴重な戦力となる。大抵の場合は別の作戦行動で引き離されてしまうのだ。
 誰かと言葉を交わせるようになっても、それゆえに孤独を強いられる。何のせいとは言わないが、矛盾を感じた。


『今はどうなさっているんですか?』

『霧島ですか。僕の代わりに遠征へ出ているはずです。振り返ってみると、ここの所すれ違ってばかりでした。
 もともと、この任務を終えたら休暇をもらう予定でしたから、ゆっくり話してみるのもいいかも知れません』

『きっと喜びますよ。いつか、自分もお会いしてみたいものです』

『でしたら、今度はこちらから横須賀に伺いましょう。霧島を連れて。たまには、そのくらいのワガママも許してもらわないと』


 割りに合いませんね……なんて、同時に苦笑い。久しぶりだ、男同士で語らうのも。
 この能力に目覚めてから、過去の友人は離れ、見覚えのない親類・知人は増えていくばかり。
 同じ力、同じ年、同じ立場。結構、安心できる。


《なんや、すっかり仲良しさんやね。キミのお友達なら、うんと歓迎せんと。ん~、たこ焼きはもう決まっとるし……なぁなぁ桐生提督、お好み焼きとか好き?》

『好きですよ。もしかして……』

《もち、作ったるでぇ! 本場の味をご堪能あれ、や!》

『それはそれは。楽しみですね。……桐林提督。あの、龍驤さんの作られた場所は……』

『触れないであげてください。お願いします』

『はぁ……』


 他の子たちに聞こえない秘匿通信へ、自分は静かな面持ちでつぶやく。
 コテコテな関西風少女である彼女だが、その大元である軽空母が作られたのは、なんと横浜。つまり関東人なのである。
 同じ属性の黒潮は、ちゃんと大坂にある藤永田造船所で作られ、そんな気配のない電も大阪生まれだったり。この差はなんだろう。
 全く関係ないが、ちとちよvs龍驤。この差はなんなんだろう。涙が出てきたよ。


《――きゃあっ!?》

『うぉ、ど、どうした千歳っ?』


 おバカな考えに割り込む甲高い悲鳴。
 驚きつつも視点を移せば、その主はふらつきながら眉をひそめていた。


《ご、めんなさい、ビックリしちゃって。偵察に出してた瑞雲の一機が、いきなり落とされました!》

『っ。場所は』

《七時の方向、おおよそ四百kmです。高度は取っていましたから、多分、敵機じゃないかと……やられました……》

『もう発見されてると考えた方がいいですね。さっきの軽空母と繋がっていた……?』

『おそらくは。みんな気を引き締めろ! 戦闘用意!』


 ふざけていた意識がカチリと切り替わる。
 号令を受ける統制人格たちも、まとう雰囲気をガラリと。


『千歳、撃墜された海域へ瑞雲をもう一度送れるか』

《そうおっしゃると思って、すでに向かわせています》

『よし。赤城、扶桑、千代田は攻撃隊の収容を急げ。同時に、第二次攻撃隊の発艦用意。龍驤、山城、千歳も攻撃隊を編成、こちらは発艦。上空で待機だ』

「了解いたしました」

《ぃよっしゃ! やっとこ、うちらの出番やね!》


 赤城たち三人が小さく頷き、龍驤たちは気合十分、己が艤装を改める。
 敵艦はこちらに向けて航行を続けているだろう。そして、それよりも先に機動部隊が。
 さっきみたいに近距離でもない場合、あらかじめ航空機を飛ばしておき、いつでも差し向けられるよう準備しておかねばならない。


《艦載機のみんな、お仕事お仕事っ!》


 ばさり、宙に広がる巻物。龍驤の名が記された内側から、飛行機の形に切り抜かれた紙片が舞った。
 意思を持つような動きをするそれは、エレベーターによって甲板へ移された戦闘機に張り付く。
 両翼に、零式艦上戦闘“鬼”の印が浮かんだ。


《水上爆撃機隊、発艦よっ》

《扶桑姉さまみたいには出来ないかもしれないけど……ううんっ、頑張るのよ私……!》


 山城、千歳からも、先の姉、妹と同じく瑞雲が飛び立つ。
 龍驤は艦爆を載せていないため、艦戦・艦攻・水上機の三種、八機・十二機・二十二機で、総数四十二機による編成である。
 赤城と比べて数は少ないが、戦歴に関してなら負けず劣らず。格闘戦可能な瑞雲も入るし、上手くやってくれるだろう。


《こちら千歳、敵機を確認しました! すごい数です、ざっと見積もって……七十、いえ、八十はいます!》

『ちっ……今度は軽空母じゃないな。第二次攻撃隊も出すぞ!』


 ――と、思っていたのだが、しばらくして上がってきた報告に目算が狂う。
 流石に倍近い戦力差をひっくり返せるとは思えない。
 損耗は避けたかったが、出し惜しみをして負けるなど愚の骨頂。全力をあげるべきだ。


「了解っ。みなさん、用意はいい?」

《もちろん! お姉と一緒ならきっと、さっきよりも上手く飛ばせるよっ》

《私も、だんだん慣れてきました。航空戦艦の真価、今こそ……!》


 連戦だというのに、士気は下がるどころか逆に高まるばかり。桐生提督の言葉は当たっていたらしい。
 もし自分一人だったらと、そう考えるだけで押しつぶされそうな重圧も、共に立つ仲間がいれば受け流せる。どこ吹く風と、笑っていられる。
 ややあって、第二次攻撃隊が合流。百を超える航空機が空にひしめいた。


『場合によっては三次攻撃もある、用意は怠るな。先鋒は龍驤だ。格好いいところを見せてくれ』

《お? もしかしてうち、期待されとるん? それはちょっち嬉しいなぁ》


 バイザーをクイっと直し、《ほんなら気張るか!》と、大きく笑う。
 次の瞬間、彼女はかかとを鳴らして腕を開き、二本指の手刀へ青い炎を宿す。
 わずかに伏せられた表情も、歴戦を思わせる勇姿へ。


《さぁ、仕切るでぇ! 攻撃隊、発進!》


 ――かと思いきや、ニカっと擬音をつけたくなる、再びの笑み。
 縦に切られた勅令により、攻撃隊は加速。敵機の待つ宙域へ向かって行く。
 群れをなす、我が機動部隊。
 自分は、それを誇らしい気持ちで見送るのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『やっと、着いた……』

『着きましたね……』


 思わずこぼれた二つのため息に、東の空を見やる。すでに日が昇っていた。
 あれから十九時間後。
 幾度か短い休憩を挟みつつ、調整士も三度交代させ、ほぼ丸一日の時間をかけて、自分たちはようやくロシアの安全領域へと入ることに成功した。
 こんなに長く同調を維持したのは初めてだ。本当に疲れた……っと、自分だけが疲れているわけじゃないだろう。


『みんな、よく頑張って――ごほっ』

「どうしました、提督? もしや、お身体の具合でも……」

『い、いや、違うんだ赤城。ちょっと、な』


 順繰りに顔を見ようと思ったのだが、途中で視界が肌色一杯になり、むせ返る。
 それはちょうど、山城に意識を向けた時だった。


《……見ましたか》

『見てないよ』

《……見ましたよね》

『だから見てないって』

《……嘘だったら鳳翔さんに言いつけますよ》

『ごめんなさい見ましたそれだけはやめておかず減っちゃう』


 半裸の涙目少女へ、自分は心持ち内股になりながら懇願する。
 二十四時間におよぶ長い航海の間、この艦隊は何度もツクモ艦の攻勢を受けた。時に迂回し、時に強行突破し、撃破数は間違いなく二桁後半を越えただろう。
 思い返すのも大変な戦闘の最中、砲撃がかすめたり、夜戦で魚雷を受けたりと、様々な要因が積み重なった結果、山城は中破(作戦遂行は可能だが、その能力が低下している状態)となってしまったのだ。
 統制人格とその船とは、密接な繋がりをもつ。船体が損傷した場合、その度合いによって彼女たちも傷を負うのだが……時として、衣服までも奪い取ってしまうことがある。
 かつて、妙高型四姉妹の末っ子である羽黒を中破させてしまった経験から、それは承知していた。……いたのだが。


《うぅぅ、こんな格好を男の人に見られるなんて、もうお嫁にいけない……。不幸だわ……》


 羽黒が【{スカート全損+上着の胸から上が剥げる+白いタイツもボロボロ+服を引っ張り下着を隠すも眩しい肩と太もも}x羞恥にまみれた表情=エロ可愛い】という状態だったのに対し、山城の剥け具合は、【{上着ほぼ全損+スカートもほぼ全損+なんで下着が見えないのですか}x残った切れ端と艤装で大事なところをなんとか隠しています=見せられないよ!】な感じだった。
 服にのみダメージが集中しているのは、破損したのがバルジ(水面下の防御力や、傾きの復元力を向上させる出っ張り)などの追加した部分だったからだろうか。……いかん。鼻血でそう。


『いや~、あっはっは。絶景……ではなくて眼福……でもなくて災難だったね山城』

《何を笑ってるんですか……! 見ないでって何度も言ってるのに……!》

『そうは言ってもだな。機関部が無事でも中破してるんだし、危なくないように艦の情報はしっかり把握しておかないといけないだろ? でもそうすると絶対に目に入っちゃうしさ。不可抗力だよこれは。うん。ねぇ桐生提督?』

『僕に振らないでもらえませんか。必死に誘惑を断ち切っているところなんですから』


 やや硬い声からは、男としての欲望と、紳士としての理性。二つのせめぎ合いが感じられた。
 中継器はリンクしてあるし、その気になれば覗き見れるというのに、意外とウブなのだろうか。
 ま、実際は外部にもれないよう本気で視覚情報を囲っているんで、自分とその仲間たちしか見れないんですけどね。
 うちの子の艶姿を見たけりゃ金払え。……やっぱ訂正、金もらったって絶対に見せません。
 なんて考えていると、距離も方向も無視して突き刺さる、冷たい視線を感じた。


「提督。戦闘用意も収めたことですし、しばらく同調を切ってもいいでしょうか。というか、切らせていただきます」

『え? 赤城……さん?』

《あ、ワタシもちょっと切らせてもらいますね。何度か至近弾もらって、結構ダメージ受けてますし。見られるの恥ずかしいです》

《ワタシも。提督、最っ低》

《うちもそうするわ。ちょっち一人で黄昏たい。……くっそぅ、見せつけよってぇ……》

《提督。乙女の柔肌を暴いた責任、とってあげて下さいね……。でないと、酷いですよ……》

『あれ、ちょ、みんなぁ!?』


 あれよあれよという間に感覚が閉ざされて行く。ついには全員との同調がはじかれ、ブラックアウトしてしまった。
 おいおいおいおいおい。統制人格が主との繋がりを否定するってどういうことさ。扶桑さん笑顔が怖いよ。責任とれったって結婚できませんよ法的に。
 そりゃあ、少し悪ふざけが過ぎたかもしれないけど……。いや普通にセクハラか。は、早めに謝っておいた方がいいよな?


「調整士さん。ちょっと同調強度をあげて、無理やりつなげて貰えます?」

「申し訳ありません桐林提督。現在、増幅機器が不調でして。各種数値のモニタリングは続けておりますから、状況が変化し次第、お知らせします」

「そ、そうですか」


 あなたも山城たちの味方ですか。まぁそうですよね女性ですもんね。
 ヤバい、ホントに調子乗りすぎた。くそ、どうにかして繋がないと……。
 そうだっ。桐生提督のに便乗すればいいんだ!


『あのぅ、桐生提督? 指示出しとかしなきゃいけませんし、ちょっと辿らせていただいても……?』

『それなら問題ありませんよ。赤城さんが指揮をとって、給油を始めてくれています。ほら』


 暗い世界に一つの光明。
 手を触れるように感覚を伸ばして行くと、それは上陸部隊の旗艦・時雨に繋がった。桐生提督の見ている光景だ。
 赤城の監督のもと、他の船たちは千歳・千代田と曳航給油中。高速給油艦としての面目躍如である。
 航空戦艦組みは偵察機で哨戒をしているようだ。龍驤は……放っておこう。フルフラットって悲しい。
 ……それはそれとして。


『ようやく半分、ですね』

『ええ。僕は進んで、貴方は戻る。ここからが本番です』


 まだ、白よりも赤に近い太陽を眺め、次の作戦行動を確認する。
 一日続けての強行軍により、キスカ島強行上陸作戦は、その半分を終えたと言ってよい。
 護衛部隊である自分の艦隊は少々被害をこうむったけれど、肝心の五隻は無傷。消費した燃料も、合わせて五千五百tの重油補給が可能な水上機母艦二隻が補う。役目は果たせた。
 航行能力的に考えれば、本来、この補給は必要ない。
 エトロフからキスカ島までの航路はおよそ千五百六十五海里。駆逐艦でも五千海里は航続距離があるのだから、数字だけで考えれば無補給で構わないのだ。
 しかし、常に巡航速度を維持できるわけではない。速度があげれば消費は大きくなるし、燃料を満載すればそれだけ重くなる。俊敏さを武器とする彼には、こういった些細な重量が影響するらしいのである。
 ゆえに補給するのは最低限。戦闘行動を行っても、余裕を持ってキスカへたどり着ける分だけ。


(……ダメだ、考えるな。それはただの同情。心を守るための感傷)


 千歳たちに、ロシア側がまた補給をしてくれると、嘘までついて。
 自分は“彼女たち”の片道切符を切ったのだ。


(哀れむ資格なんて、ない)


 知らず、唇をかみしめる。
 どんなことがあろうと、優先順位は変えられない。出会ったばかりの統制人格よりも、寝食を共にし、笑い合った仲間の方が大切だ。あの時、そうすると決めた。
 だから見捨てる。切り捨てる。意識の外へ彼女たちを追いやり、見ないように苦心する。
 そうしないと、自分の心すら守れない。……悔しかった。


『世は悪意に満ち、陰る善意も幾ばくか』


 静かな声。
 唐突にも思えるそれは、凪いだ海面のように。


『されど、この手に明日への手綱あり。目に見えねども、人の奥底に眠るものである』

『……それは?』

『あの言葉の全文です。色々な解釈がなされていますが、僕はこう考えます。それは記憶。忘れてはならない、悲しみではないかと』


 胸がざわめく。
 驚きと、寂しさと。
 二つが混じり合って、不規則な波紋を立てる。


『無為に進軍を続け、沈めてしまった経験があります。長く使役したせいで愛着が湧いてしまったことも、思わず丁重に扱ってしまったことも。
 ああは言いましたけれど、僕だって、まったく感情移入せずに済むわけではないんですよ』


 切なく笑う顔を見せられている気がした。
 声が届くだけで、彼の状態などは一切把握できない。
 それでも、その双眸が、きらめく海と船たちを見つめているように感じた。


『忘れてはいけないと思うのです。たとえ、痛みを無視できるようになったとしても。心の奥底に沈められるようになったとしても、無かったことにしてはいけない。立ち止まらないために』

『辛く、ないんですか』

『辛いですよ。傀儡能力者の宿命です』

『逃げることは、許されないんですね』

『………………』


 桐生提督は答えない。答えのない問題であるとも思う。
 人間は未練を残す。
 もしもあの時、別の選択をしていたら。別の道を見つけられていれば。現状に満足していたとしても、そんな“たられば”を夢想してしまうもの。目を背けたい現実が立ちふさがっているなら尚更だ。
 逃げたところで後悔がついてまわる。立ち向かっても苦しみに喘ぐ。
 戦争なんて、ロクなもんじゃない。


『……桐生提督。広島風と関西風、どっちが好きですか?』

『は? ……そうですね。どちらかと言えば関西風ですけど、可愛い女の子の手料理ならどちらでも』

『あっはは、それもそうだ。なら、楽しみにしてて下さい。うちには料理上手な可愛い子がいっぱい居ますから』

『ええ、楽しみです。楽しみなんですが、明らかに自慢ですよね。買いましょうかその喧嘩』

『高いですよ。お土産、期待してます。三十人分』

『三十……!? て、手料理の代金としては高すぎませんか?』


 けれど。
 そんな繰り返しの中でだって、新しく生まれるものがある。
 皆や彼との出会いも、きっとその一つ。


『約束ですからね。いや~、電たち喜ぶだろうな~』

『く、女性をダシに使うとは卑怯な……。い、いいですよ。みなさんが群がるようなものを持って行きましょう。覚悟しておいてください!』

『望むところです。こっちだって、うちの子たちの料理で舌鼓を打たせてみせますとも!』


 大事にしよう。
 逃げる覚悟も、立ち向かう勇気も、今は不確かだけれど。
 人の奥底に眠るものは、悲しい記憶だけではないと思いたいから。

 遥かな距離を越え、自分たちは他愛ないことを語らい続ける。
 友と見つめる来光に、万感の想いを重ねて。










《追想 桐生提督と西村艦隊の最後》





『なん……だ……これ、は』


 ようやっと桐生の口から出た言葉らしい言葉は、酷い困惑を匂わせていた。
 あり得ない。見間違いだ。航路を間違えたのかもしれない。
 ロシア領海へ入ってから丸二日以上、航海と戦闘を繰り返した。最上・山雲・朝雲はすでに落後している。桐林提督に感化されてしまったせいか、そのために用意されたのだと分かっていても、実際に沈めてしまうのは大きなストレスだった。だから、幻覚を見ているのだ。
 そんな考えばかりが彼の頭をよぎる。しかし、目の前にある光景が、否応なく現実を突きつけてくる。


『キスカ島が、無い』


 まだ明けきらないものの、光を湛え始めた水平線。
 誰も異論を差し挟まないだろう美しさこそが、異常であった。
 年は若くとも、桐生は幾多の戦線をくぐり抜けた戦士。座標を読み間違うなど。
 だからこそ、その視界にはキスカ島がなくてはならないのだ。けれど、目を凝らして見えてくるのは異物のみ。


『……繭、なのか』


 ポッカリと、浮いていた。
 繭、卵、サナギ、幼生、雛、胎児。
 どんな表現をしても当てはまりそうで、致命的な相違を思わせる、赤。それが脈動している。
 薄い膜の向こう側に、距離を考えれば、巨人のごとき大きさであろう影が。


「調整士、見えていますか」

「……あっ、は、はいっ。映像、記録しています!」


 正気に戻ったばかりのような、青年調整士の声。
 無理もない。桐生ですら、背筋が泡立ってしょうがないのだから。
 生理的な嫌悪とは違う。恐怖ともまた違う。


(これは、敵意)


 決して相容れないものへと抱く、純粋な隔意。
 一目見ただけで、桐生たちは本能的に理解したのだ。あれは、“天敵”であると。
 だが、おかしい。まるで溶岩のごとくグツグツと湧き出るこれ悪意は、明らかに尋常ではない。
 何らかの汚染を受けている可能性も――。


『――っ! 動く!?』


 不意に、影が胎動した。
 今にも産まれようとするかのごとく、膜を破らんともがいている何か。
 弾力があるのか、一瞬だけ拮抗。けれど、そんな時間は有って無いようなもの。


“――――――!!!!!!”

「くっ!?」

「づぁ!? な、なんだよこのノイズ……っ!?」


 悲鳴のような音と共に、世界に乱れが生じた。その中で、薄桃色に見える腕が空気にさらされる。
 真っ赤な羊水が海へ。
 途端、一面が――桐生が同調する時雨の視界に写る、全ての海域が赤く染まっていく。


『うっ……。こんな、馬鹿な』


 この世のものとは思えない光景に桐生は狼狽するも、異変はまだ続いていた。
 ポツリ、ポツリ、と。何か浮かび上がってくる。
 ツクモ艦。
 恐ろしい数の、敵。赤い妖気をまとう、選良種エリート


「き、桐生提督、なんなんですかあれ。なんで、なんでツクモ艦、敵に、と、統制人格がっ」

「落ち着きなさい。今は何も考えず、記録に集中しなさい。大本営へも送信を」

「りょ、了解しました。あぁ、くそ、ホントになんだよこれ……っ」


 奮闘する青年の様子が、桐生にも気配で伝わる。
 こうして組むのは初めてであったが、悪態をつくだけで済ませられるあたり、優秀である。
 そして、より重大な事実も判明した。


(彼にも見えているとは、どういうことだ。実体化した……どうやって? 訳が分からない)


 傀儡能力者の中でも、限られた人間にしか目視できないはずの人影を、一般人である調整士が見ていた。
 過去に例をみない珍事である。多くの人間が笑って切り捨てた、“あり得ないこと”である。
 それが現実に起きていた。今まで大多数の目に映らなかったものが、見え始めていた。


「……あっ! 緊急入電、吉田中将からの直通です!」

「中将? 回しなさい」


 桐生が考えこもうとしていたところへ、不意をつく連絡。
 取り急ぎ受け取れば、直に聴覚を刺激する低音が響く。


『久しぶりじゃな、“人馬”の。息災か』

『ええ、すこぶる。賦活剤で目が冴えているうえに、世紀の大発見をしてしまいました』

『大収穫だのう。……本題に入るぞい。今すぐ同調を切れ。作戦は終了じゃ』

『交戦は避けろと? なぜですか』

『なぜもなにも無かろうが。オヌシの置かれている状況は不確定要素が多すぎる。何が起きても不思議ではない。自分がどんな存在かは、オヌシ自身が分かっておるはずじゃぞ』

『僕がどんな存在か、ですか』


 “人馬”の桐生。“桐”の一柱。未来を嘱望される、若き海軍大佐。
 それが世間一般の彼への認識である。影響力は大きく、万が一にも、その存在が損なわれる可能性は排除すべき。
 しかし、当人の中には別の、捨てきれない見方があった。


『出来損ない、ですよ。僕は。少なくとも、あの人たちにとっては』

『……どうした? オヌシいったい……』


 らしくない物言いに吉田中将はいぶかしむが、桐生は顔を歪めるだけ。
 努めて胸にしまい込んでいたものが、輪郭を覗かせていた。
 両親から面と向かって吐かれた言葉。冷たいしこり。煮えるはらわた。苦い胃液。
 ぶちまける相手が欲しい。
 殴り、叩き、突き、撃ち、砕き、潰すことの許される存在が。勝手に捨てて、勝手に死んでしまった――アイツらの代わりに。


『僕には分かります。あれは、生まれてならないものだ。産声を許してはならないものだ。ここで――討ちます。御免下さい、中将』

『待て、ならん、ならんぞ桐生! オヌシにはまだ――』


 強引に通信を遮断。桐生は敵へと意識を向けた。
 それを感じ取ったか、一様に沈黙を保っていたツクモ艦が編隊を組み始める。


(守ろうとしている。やはり、重要な存在なのか)


 激情に身を任せた選択にも思えたが、その実、冷静さを失ってはいなかった。
 残る戦力は時雨、満潮のたった二隻。
 囮とするべきはどちらか、接敵するための進路はどうするかなど、彼はまたたく間に戦術を組み上げて行く。


(結局は、物扱いか。丁重に扱ってしまうだなんて、どの口が)


 自嘲。
 感傷主義を気取っておいて、いざとなればそんなもの投げ捨てられる。憎しみは捨てられないくせに。
 あまりに身勝手な矛盾を自覚し、思考は重みを増す。そんな中、「あの」という調整士からの問いかけが。


「桐生提督。本当に戦うおつもり、なのですか?」

「そのつもりです。無理に付き合えとは言いませんよ。ご苦労様でした」

「……っ。ぃ、いや、私もお付き合いします! 共に、戦わせてください!」

「貴方は……」


 意外な答えだった。
 吉田中将の命令に背いてまで、桐生は戦おうとしている。それに付き従うということはどういうことか、余程の馬鹿でないかぎり理解できるだろう。
 なのにこの調整士は、返事を聞く前に作業を開始した。
 同調強度が正しく補正され、主副のバランス(この場合は時雨・満潮の使役精度)を整える。視界はより鮮明に、赤の世界を映し出した。


「物好きな人だ。軍法会議にかけられますよ」

「構いませんっ。桐生提督と一緒に戦えるなら、それだけで本望です! それに、調整士無しでの遠距離同調はキツいです。私が必要なはずです」

「……本当に、物好きですね。感謝します。行きましょう」

「はい!」


 顔も見合わせず、二人は同時に笑った。


(こうして戦えるのも、おそらくは十数分。それまでにカタをつけなければならない)


 吉田中将から厚岸に連絡が届けば、おそらく電源ごとシャットダウンされるだろう。時間との勝負である。
 大きく深呼吸。
 溜め込んだ空気を出しきったところで、桐生の六感が活性化。カミソリのような鋭さに。
 この状態で船がダメージを受ければ、フィードバックによる痛みでショック死する可能性もある。けれど、そうしないと勝てないことは分かっていた。
 数多の砲弾をくぐり抜け、同士討ちを誘い、肉薄して、打ち砕く。“あれ”がなんなのかは理解できなかったが、放っておけば、戦艦タ級を優に超える脅威となるだろうことだけは、直感していた。
 だが、まだ生まれていないのなら。当てさえすれば、駆逐艦でも勝てる……かもしれない。


(許しは請いません。ただ、忘れもしません。最上、山雲、朝雲、満潮、そして時雨。貴方たちを、存分に使います)


 誰に聞かせるつもりのない言葉を、心でつぶやく。ただ、己へのケジメとして。
 しかし、普通なら反応しないはずの彼女たちが、頷いてくれた気がした。
 どうしようもなく、救われた気がして。……どうしようもなく、やるせなくて。


『もうお土産は発注しちゃいましたからね。こんな所で、終われないんですよ』


 振り切るように、桐生は波をかき分ける。
 潮の香りを感じながら、絶望へ向かって行く。
 明日にある約束を、守るために。





『“人馬”と言わしめた妙技、とくと御覧うじろ』










 結果的に、桐生は見事、正体不明の繭を撃破した。
 代償として、その意識を闇へ没しながらも。
 “桐”の一柱が倒れたという事実と、彼が残した視覚情報は、密かに、速やかに世界を震撼させる――。




















 雰囲気を損なわないため、いつものあとがきや次回予告などは感想返しにて。
 よろしければお目を通してください。
 それでは、失礼いたします。





 2013/11/30 初投稿
 2013/12/06 脱字修正







[38387] 目指せ、アイドル(略)! 那珂ちゃん(略)地方巡業記! その二「特徴的な語尾って、キャラ付けとしてはやっぱり鉄板だよね。……よし。艦隊のアイドル、那珂ちゃんだナカー! ……あれ!? なんだか方言っぽ(略)」
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2013/12/14 12:33





「那珂ちゃん、提督が落ち込んじゃってるような気がするんだよね、最近!」


 不意に、空へ向かって声がひびく。
 相変わらず晴天の続く夏。洋上を進む六隻の船たちが、その発生源だった。
 爆雷投射機と水中聴音機を装備した軽巡洋艦によって編成される陣形は、全艦が横一列に並ぶ単横陣。
 現在遂行中の、敵潜水艦を警戒する任務に最適なものだ。


「指揮官が、か? ……気のせいじゃないのか。俺にはいつもと同じように見えたがな」


 腕組みをし、「むんすっ」と難しい顔をする那珂に異を唱えたのは、新たに桐林艦隊へ加わった球磨くま型軽巡洋艦・五番艦の統制人格、木曾きそである。
 右目を眼帯でおおい、訝しげに帽子をなおす彼女は、真っ赤なタイで前をとめる白のセーラー服に、緑色の二本ラインで裾を飾るスカートと、言葉遣いとは裏腹な可愛らしい格好をしていた。


「そんなことないもん! 木曾ちゃんは来たばかりだから分からないかも知れないけど、ゼッタイ変だよ! ね、神通ちゃん?」

「実は、わたしも気になってて……。ここのところ、宿舎が静かすぎるような……。それに、笑ってるところもあまり見なくなった気が……」

「そうクマ? 出迎えはいつも満面の笑みだったクマー」

「にゃあ。頭クシャクシャされるにゃ。本当に嬉しそうだから、断るに断れなくて大変にゃ」


 神通は同意するが、またもそれに納得しない声。木曾の姉、一番艦・球磨と二番艦・多摩たまだ。
 妹と似た服装をしている二人だが、履いているのはスカートではなく半ズボンで、セミロングの木曾に対し球磨はロングヘアー、多摩はショートカットである。残念ながらケモミミ・尻尾などはつけていないが、特徴的な語尾が強烈な印象を放っていた。
 なお、残る一隻である川内は、一番端っこで器用に寝ながら航行しているため、誰も話を振ろうとはしない。


「む。それを言われちゃうと反論できない。アイドルはみんなのものだから、あんまり触られるのは困っちゃうんだよね~」

「まったくクマ。球磨はぬいぐるみじゃないクマー」

「でも、いやらしい感じはしないし……。わたしは、そんなに嫌じゃない、です……」

「スキンシップは信頼関係を築く上で大切だからな。俺としても歓迎だ。……どうせなら、対応を統一してくれるとありがたいんだが」

「統一? どういうことにゃ?」

「いや、なんでもない。なんでもないぞ姉二番」


 一瞬、遠い目をする木曾だったが、帽子をおさえたまま首をふる。
 彼女たち、球磨型軽巡洋艦姉妹のうち三名が、荒ぶる妖精さんの御技により配備され、およそ二週間。数回の演習と通常任務を経て、すでに遠征を任されるようになっている。その帰還の際、桐林提督は入港に合わせて足を運び、必ず出迎えをするのだ。
 また、労いの言葉とともに軽く触れ合う(握手だったり、相手によっては頭を撫でたりする)のも習慣になっている。ここにいる姉妹も例外ではないのだが、木曾には少し気になることがあった。


(う~む。姉たちは頭を撫で回されるのに、なんで俺は肩を叩かれるだけなんだ)


 それは、姉妹内におけるスキンシップ格差。
 初めての遠征から帰還した時、球磨、多摩と微笑みながらじゃれあった提督は、それが木曾になると手を迷わせ、最終的に肩を叩くだけに終わった。
 考えた結果、帽子をかぶっていたからだと思い至り、次は帽子を脱いで待った。けれど、スルーされてまた肩を叩かれたのだ。
 別に、撫でて欲しいわけではない。撫でられて喜ぶほど子供ではない。しかし、しかし何かが引っかかる。
 言動は武人然としていた木曾であるが、意外に細かいことを気にしてしまう、センシティブな乙女でもあった。


「けどけど、やっぱり普段の雰囲気が硬いというか重いというか、そんな気がするよ……」

「真面目なだけかと思っていたが……。いつ頃からそんな感じなんだ?」

「うんとね~。確か、提督が初出張から帰ってきた日は、みんなで楽しくカレーパーティーしたし……。うん、その次の日くらいだと思う!」

「ってことは、球磨たちが呼ばれる前だクマ。理由に心当たりはないクマ?」


 みょいん、と揺れる球磨のアホ毛。
 隣へ並ぶ(右から順に川内、球磨、神通、多摩、那珂、木曾。今回は木曾が旗艦である。一悶着あったのは言うまでもない)神通は難しい顔だ。


「わたしたちも、四六時中みているわけじゃないから……。けど、秘書官をしていた子なら……」

「なるほど。それならなにか知ってるかもしれないにゃ」

「だね~。ええっと、提督が帰ってきた次の次の日が那珂ちゃんだったはずだから~」

「ワタシだよ。あの日、秘書官やってたの。くぁ……ぅう」

「ん、起きたのか」


 おそらく半分は目が覚めていたのだろう。対潜警戒そっちのけな五人へ、あくび混じりの川内が口を挟む。


「よく寝ながら舵取りできるクマ。というか、任務前はキチンと寝ておかないとだめクマ」

「それがさ。昨日は提督に寝かせてもらえなかったんだよねー。久々だったからワタシもつい張り切っちゃって。楽しかったなー」

「お、おい!? お前、こ、こんな真っ昼間から何を……!?」

「いちいちうろたえすぎにゃ。どうせまた、夜戦話で提督“を”寝かせなかったっていうオチにゃ」

「ワンパターンだクマ。そんな餌には釣られないクマー」


 どこをどう聞いても不埒な想像しかできない言い回しだが、やはり純情な木曾以外は慣れたもの。
 それもそのはず。新しい統制人格を迎えるたび、川内のいろいろ足りない言葉による誤解は発生しているのだ。当人の行動でその日のうちに解けるまでがセットである。
 もちろん球磨たちもそうだった。


「あ、違う違う。誘ってきたのは提督の方だし。いつの間にか朝になってて、二人でビックリしたよ」

「……クマ?」

「にゃん、だと……?」


 ――のだが、雲行きが怪しい。
 いつもなら、ちょっと声をかけただけで「なに? 夜戦?」と目を輝かせ、仕事をしながら「夜はまだかなー」なんてつぶやき、いざ日が落ちれば「さぁ、今からワタシと夜戦しに行こ!」だなどと、男が聞けば意味深長に取りたくなるおねだりまでかます。
 そんな彼女の被害を一番多く受けているだろう提督が、自分から誘った。一体どういうことなのか。皆へ戦慄が走る。


「ま、一緒にDVD見てただけなんだけどさ。いやぁ、盛り上がる盛り上がる」

「だよね。川内ちゃんだもんね。那珂ちゃん信じてた、うん」


 しかし、あっという間に霧散する緊張感。
 男と二人きりになろうと、夜通し盛り上がろうと、決して良い雰囲気になることがない。
 なぜならその胸の内は、すでに夜戦への愛で占められているから。ここまでくれば才能である。
 ともあれ、那珂は「おっほん」と気をとりなおす。


「それで、なんのDVD見てたの? KGBカーゲーベー24とか? 響ちゃんにも前に見せたんだけど、『巻き舌がなってないね』って評判悪いんだよ~。ハーフの子とかが頑張ってるのに~」

「いや聞いたことないんだけどそんなグループ。普通に戦闘記録よ、夜戦とかの。眠れなくて夜中に徘徊してたら、提督の部屋から音が聞こえてね。顔を出してみたらこっちおいでー、って」

「徘徊……。あの、もうちょっと、別の言い方した方が。せめて巡回とか……」

「間違ってない気もするがな。つまり、指揮官と二人で戦術研究をしていたということか。紛らわしい……。話を戻すが、心当たりはあるのか?」

「う~ん。あると言えばあるんだけどなぁ……」


 普段、水雷戦の美しさを詠う場合とくらべ、歯切れの悪い川内。
 眉毛をハの字に、ツインテールをクルクルもてあそぶ彼女は、いつになく落ち着いた口調で語る。


「あの日は朝早くに叩き起こされてボーッとしてたから、あんまりハッキリとは覚えてないんだけど。まず、提督におぶさって出勤したんだ。けっこう寝心地よかったよ?」

「出勤って言わないにゃそれ。まだ夢のなかにゃ」

「それから、業務確認しつつ二度寝かな。なんかこう、校長先生の話に通じるものがあるよね。学校なんて行ったことないけどさ」

「確認できてないクマ。右から左に受け流してるクマー」

「そしたら『いい加減にしないと今度の夜戦演習に出さないぞ』なんて酷いこというから、仕方なくうつらうつら書類を……」

「どおりで妙にやり直しが多いと……。提督、いろいろごめんなさい……」

「……んもぅ、なにさっきから! 人がせっかく真剣に話してるのに、神通までっ」


 怒る川内だが、突っ込みを入れたくなって当然だろう。
 提督の背中で眠りながら首筋によだれを垂らし、執務室で立ったままカックンカックン船を漕ぎ、席へついてもミミズがのたくったような文字を書く。話に聞くだけで、その様がありありと浮かんだのだから。
 だが、このままでは話も進まないので、一番遠くにいる木曾が声で間へ立つ。


「まぁ落ち着け。ちゃんと聞いているから。それでどうしたんだ?」

「ん……。動けば目も覚めると思って書記さんのとこへ報告書を取りに行ったんだけど、戻ってきたら提督が受話器を置くところだったの。
 けど、何の連絡か聞いても上の空で。流石に怒らせちゃったのかなー、と午後から張り切っても、やっぱり……」

「ということは、その連絡が原因か。しかし、内容までは調べようがないな」

「う~ん。アイドルに盗聴騒ぎは付き物だけど、提督にそんなことしたら捕まっちゃうもんね~」

「捕まるというか、もっと酷いことになるんじゃないかと……」

「スパイ容疑で拷問されそうにゃ。通話記録も残ってなさそうだし、やめといた方が無難にゃ」


 多摩の意見もこれまた当然だ。
 最近では、傀儡能力者そのものに悪意を持つ集団が複数確認されている。
 様々な主義主張をもつ彼らであるが、中にはテロ行為に及ぶケースまであり、警戒を余儀無くされていた。
 そんな中で執務室の盗聴や諜報活動など仕出かしてしまえば、鎮守府をひっくり返す大事件に発展してしまう。手詰まり感は否めない。


「ともかく。あの電話から、取り繕うみたいな笑いが多くなった気がする。
 昨日の戦術研究だって、いつもなら変な方面へ脱線するのをワタシが軌道修正するのに、まったくブレなかった。
 思う存分語り合えて堪能できたのは確かだけど、ちょーっと違和感が拭えないのよ」

「多分、その脱線は逃げたかったから……ううん、なんでもないです……」

「けっきょく理由わかんなかったね~。那珂ちゃんガックシ」


 六人が思い思いにため息をつく。
 球磨などは「クマったクマー」なんて気温の下がりそうなつぶやきまで発したが、誰も反応しない。
 川内たちにとって彼は、おちゃらけた部分が目立つものの、常に笑顔を絶やさず、気の置けない人物という印象である。
 ここ数週間でそれが変化してしまい、三人は戸惑いを隠せないでいた。


「そこまで言われると、指揮官の前の様子が気になるな。どんな感じだったんだ?」

「おぉ、そうクマ。それを聞かないことには、今がおかしいのかどうかも分からんクマー」

「にゃあ。悪い人じゃないのはなんとなく分かるけど、それ以外はまだあんまり知らないにゃ」


 けれど、木曾たちにとっては、この騒ぎようこそが戸惑いの元である。
 まだ出会って間もないせいもあって、彼女たちにとっては折り目正しく、大したことのない任務からの帰還でも、心から喜んでくれる好青年でしかなかった。
 今でも十分に良い評価を着けられるのに、それがダメとは何故なのか。頭へ疑問符が浮かぶ。


「わたしも、普通に良い人じゃないかな、と。暇をみては、手料理をご馳走してくれるし……。今でも、一番美味しくプリン作れるの、提督だから……」

「そうだったクマ? てっきり鳳翔さんが一人で作ってるのかと思ってたクマ」

「ほう、料理ができたのか。まぁこの時代だ、できた方が評価は高いな」

「確かに美味しかったにゃ。できればマタタビ味が欲しいにゃ」

「ちょっと無理があるクマ。食べる人が限定されすぎるクマ。むしろ鮭味を……」

「俺は両方遠慮したいぞ、姉たちよ。オーソドックスなカスタードが一番だろう」


 それに答えるのは、優しく微笑む神通。
 今まで口にしていたものが彼の手製であったと知り、球磨たちは意外そうな顔を見せつつ話を膨らませた。
 厨房の専用冷蔵庫に常備されている、多種多様なプリン。
 まれに取り合いの喧嘩まで起こるそれは、手作りならではの口溶けと、卵本来の甘みで、統制人格の皆を虜にしていた。この姉妹の好物にも追加されているようだ。


「でもでも、時々すっごくイジワルするんだよ提督!」


 ――が、いきなりのふてくされた声。
 ついさっきまでうなだれていた那珂が、ぐゎばっ、と顔を上げていた。


「出張のちょっと前だけどね、みんなが集まるスペースできたんだから、カラオケのセット買おうよっておねだりしたのに、あっさり却下しちゃうし!」

「それはさ、『カラオケセットだけなら』ってOK出そうとした提督に、スポットライトとか円台とか大型ディスプレイを追加しようとした那珂が悪いんじゃないの?」

「あ、ひどいっ。川内ちゃんは提督の味方なの!? だって、筑摩ちゃんには『似合いそうだから』って可愛い浴衣買ってあげたんだよ? ヒイキだよ~! ぶ~☆」


 怒っています~と、ぷんすか頬を膨らませる彼女。
 自分のお願いは聞いてもらえなかったのに、他の子には進んでプレゼントを用意した。
 不公平さを感じて当たり前だが、しかし、川内は呆れ顔で続ける。


「あー、あれ? 気持ちは分かるけど、後で鳳翔さんにこっぴどく叱られたみたいだし、許してあげなよ」

「叱られた? つまみ食いしても笑って許してくれる、あの鳳翔さんにクマ?」

「うん。なんでも、浴衣の帯を使って悪代官ごっこしてたんだってさ。三人かわりばんこにクルクル回って遊んでるうちに気持ち悪くなっちゃって、『帯で遊んじゃいけません!!』とか怒られてたみたい」

「アホにゃ。アホだにゃ。本物のアホがいるにゃ」

「おいやめろ。やめてくれっ。イメージが崩れるっ! 俺の指揮官がそんなにアホなわけがないぃ!!」


 悲痛な叫びをあげる木曾の脳裏に、「一度やってみたかったんだぁああ!」と笑みを輝かせる男性が描かれた。おまけに、グロッキー状態になり怒られつつ、利根と並んで介抱される情けない姿も。
 勤勉で、部下想いで、指揮においては覇気をみなぎらせる若き士官が、その実とんでもないアホだった。想像なのに一mmも間違ってないあたり、世は無情である(ちなみにこの際、「他の子へも何か、プレゼントを用意してあげて下さいませんか?」と筑摩に頼まれ、見栄を張りたい提督は浴衣選びに悩むこととなる)。
 まぁ、己が理想の上司像を投影し、そうであって欲しかったと頭を抱えてしまうところを見るに、彼女の思考回路は確実に乙女なようだ。
 と、そんな風にドタバタしている少女たちを見守る川内が、思いついたように手を鳴らす。


「そうそう、この感じ。このちょっと騒がしい感じが、今の提督に足りないものの気がするな、ワタシ」

「……お~! 川内ちゃんスゴイ、那珂ちゃんそういうことが言いたかったの!」

「わたしも、しっくり来る……。大変だけど、楽しくて……」

「これが、か? なんだか俺は、サンタさんが実はお父さんだったと知ってしまった子供の気分だぞ」

「第一印象なんてそういうものクマ。むしろとっつき易くなった気がするクマ。これなら、もう少しハメを外しても大丈夫そうクマー♪」


 ぐむむ、と腕組む妹に対して、お気楽な姉一番。
 木曾にとっては残念な変化のようだが、心とは移りゆくもの。その連続が、他者との関係を構築していく。
 他人から知人。知人から友人。そして、もっと大切な仲間へ。
 時間はかかるかもしれないが、無理に自分を押し付けようとでもしない限り、これ以上悪化もしないだろう。
 なにより、彼らは魂で繋がっているのだから。


「でも、これからどうするにゃ? 借りてきた猫みたいに大人しくなっちゃってる提督を、どうやって元に戻すにゃ」

「それが問題だよねー。ワタシならどんなにショックなことがあっても、夜戦一発で復活できるんだけどなー」

「普通は夜戦なんてしたらいつも以上に疲れるクマ……。む~、悩ましいクマー」


 和やかになりかけた雰囲気だったが、多摩の指摘でまた思案顔に戻ってしまう。
 三人寄れば文殊の知恵と、昔から言われる。であれば、六人寄らばどうなるのか。
 うなり声しか聞こえてこないのを考慮すると、時間短縮にはならないらしい。


「ショックか~。提督にとっては川内ちゃんの言ってた電話がそうだったんだよね~」

「たぶん……。お叱りの電話とか、身内の方に不幸があったり、とかでしょうか……」

「神通。言霊というのもあるし、滅多なことを言わない方がいいぞ。ましてや、俺たちはそういうオカルトな存在だ。用心に越したことはない」

「あ。そう、ですね……。気をつけないと……」

「んー、なんだか知恵熱でもでそうにゃー。古いテレビみたいにチョップで治れば楽にゃのに」

「ショック……言霊……チョップ……衝撃……はっ!? 閃いたクマー!!」


 球磨のアホ毛がピコンと立った。
 船同士の間隔があまり広くないためか、その表情まで読み取った川内が彼女に問いかける。


「どうしたのよ球磨。そんな大声だして。何か思いついたの?」

「ショック療法だクマ、ショック療法! 衝撃的なことがあって落ち込んでるなら、同じくらい衝撃的なことをぶつければいいクマ!」

「ショック療法か~。確かにそれなら……と思ったけど、うまく行くかな~? 那珂ちゃんちょっとふあ~ん」


 一旦は目を輝かせるものの、斜めに傾いて「むー」と目を細める那珂。
 逆に、自信ありげな態度を崩さない球磨は、胸を張って言いはなつ。


「大丈夫クマ! 何が原因かは知らないけど、川内が『夜戦行きたくない』とか、那珂が『普通の女の子に戻ります!』とか、神通がヤンキー座りして『タバコありません?』とか、多摩が『わん』とか木曾が『キソー』って言えば、ビックリ仰天間違いなしクマー!!」

「なっ、なんてヒドイ! ワタシ、そんなこと言うくらいなら舌噛んで死ぬ!!」

「ま、まだデビューもしてないのにやめないもん! 那珂ちゃんは永遠に不滅だもぉん!!」

「そんな不良みたいな事、絶対イヤです……!」

「アイデンティティの崩壊にゃ! 天地がひっくり返ってもゴメンだにゃー!!」

「落ち着けお前たち! あぶっ、こら、陣形を乱すなぁ!」


 その瞬間、一糸乱れぬ隊列が、珍走団のごとくフラフラと。
 危うく接触するところだった木曾は、冷や汗をかきながら声を張り上げるけれど、一切聞こえていないようだ。
 似すぎな声真似を披露した原因はいたってのん気。ケラケラ笑っていた。


「みんな嫌がっちゃだめクマ? いつもと少し違うことするだけなんだから、気楽に考えるクマ~」

「だったら自分でやってみるにゃ。語尾をクマからバイとかにしてみるにゃ!」

「なんでそんな肥後もっこすみたいな喋り方しなきゃいけないクマ!? 球磨の名前は川由来で県名じゃないクマ! ダサすぎるバイ! ……ほら変な空気になったクマー!!」

「いい加減にしろ! 姉二番、自分が嫌なことは他人に強制しちゃいけないだろう! そして姉一番、ダブスタにもほどがあるぞっ、熊本県民に謝れ! 第一、その川も熊本を通ってるじゃないか、全く……」


 けれども、いざ矛先を向けられると、彼女まで珍走へ加わってしまう。
 一応は九州方面に向かい「ごめんクマー」なんて付け足したが、嫌なのは変わらないらしく、あっちへフラフラこっちへウロウロ、警笛を鳴らしてパラリラ騒がしい。
 六人の中でも最年少(だと思われる)木曾へ、ツッコミの全てが掛かっていた。頭に軽い痛みが走る。


「仕方ないクマ……。こうなったら間をとって、木曾にキソーって言ってもらうしかないクマ!」

「 な ん で そ う な る 」


 頭痛が激しくなった。
 何をどう判断すればそれが折衷案になるのか。間じゃなくてきわっきわの端っこで切ろうとしていないか。ああ、頭痛が痛い。
 と誤用してしまうほど、木曾は疲れ始めていた。


「それは名案にゃ。多摩も前々から、木曾ちゃんのキャラ付けは弱いと思っていたにゃ。眼帯とか天龍ちゃんとかぶってるし、改善のいい機会にゃ」

「よ、弱い? 俺が弱いだとっ? 違う、姉たちの語尾が痛々しいだけで、俺は十分に個性的だっ」

「痛……!? 木曾ちゃんはお姉ちゃんたちをそんな風に思ってたにゃ? ヒドいにゃ、傷ついたにゃ!」

「クマー。賠償として、この遠征から帰った時に『ただいま帰投したキソ。頑張ったから頭撫でて欲しいキソ』って提督へ甘えることを要求するクマ」

「だから、なんでそうな――」

「それがいいよ! 木曾ちゃん、お願いねっ。那珂ちゃんまだみんなのアイドルでいたいの☆」

「――は?」


 反論する間もなく、那珂がウィンクと一緒に星を飛ばす。
 そもそもアイドルじゃないだろうが、とさらに突っ込もうとする木曾であったが、後には神通、川内も続いて。


「どうか、よろしくお願いします……。木曾さんだけが頼りです……!」

「うん。この中で一番お堅い木曾がやれば、かなりのインパクト出るよ。うまく行くんじゃない?」

「決まりにゃ。お姉ちゃん期待してるにゃー」

「木曾ならやってくれるクマ。なにせ球磨の妹、新参なのに旗艦を任せられるくらいだクマ。提督もそのギャップでメロメロになるクマー♪」

「え。えっ。えぇえっ!?」


 自分がやりたくないからか、こぞって外堀を埋めにくる五人。
 このままでは本当にやらされてしまいそうで、木曾は大いに焦る。
 が、一瞬だけ、こう思ってしまった。


(旗艦……。そうだ。これは信頼されている証、でもあるんだよな。艦隊に加わって間もない、俺を)


 真に尊い上司と部下の関係は、ただ仕事を任せられるというだけでなく、お互いに支え合い、苦楽を共にできる間柄。これが木曾にとっての理想だ。
 アホな一面を知って若干好感度は下がっていたが、それでも信頼を向けてくれて、信頼できる人物なのは同じ。
 そんな彼が落ち込んでいるという。できることなら、助けになりたい。
 少しばかり……なかなかどうして……正直に言えばこのまま逃げ出したいレベルのことでも、指揮官のためになるなら。


(だが語尾にキソ……。けど指揮官のため。しかし痛々しい。ああだけど……)


 思考が堂々巡りをし、仲間と姉たちからの期待は重く。
 さんざん悩み抜いたすえ、彼女は――


「……てやる。やってやろうじゃないかっ。俺の本気を見せてやる! め、メロメロにしてやる……き、キソー!!」

「おお~。その意気クマ、頑張るクマー!」

「木曾ちゃん可愛いにゃ。骨は拾ってあげるにゃー♪」


 ――破れかぶれに、大見得を切る。
 湧きたつ拍手に後押しされ、木曾は決意を固めてしまった。
 恥なんて所詮かき捨て。この身が役に立つならば、喜んで差し出そうではないか、と。期待に応えずはいられない、義理堅い性格が仇となったようだ。
 帰還後。
 恥ずかしさをこらえ、真っ赤な顔でプルプルしながら例の台詞を口にした結果がどうなったのか。
 お察しいただきたい。





「お、おい。その生暖かい対応はなんだ指揮官。違うぞ、俺は疲れてなんか……。
 本当にちが、これは姉たちが……待て、頼む待ってくれ……待つキソォォオオオッ!!!!!!」










《こぼれ話 艦隊規模が大きくなりすぎました!》





 コチ、コチ、コチ――と、壁掛け時計の秒針だけが、ただひたすらに動き続ける。
 言葉を発するのもはばかられる沈黙の中、立ちすくむ赤毛の少女と、書類の山となった机につくメガネをかけた少女。
 その間で、電はオロオロ足を迷わせていた。


(あうぅ……。司令官さんへのお手紙をもらいに来ただけなのに、どうしてこんな事になってるんですかぁ……?)


 彼女がこの部屋――書記 兼 調整士を務める少女のところへ出向いたのは、数分前のこと。
 きちんとノックをし、返事を待ってから入室したのだが、中には先客が。整備主任を任される少女である。
 ただならぬ雰囲気に尻込みしつつ、電は勇気を振り絞って要件を伝えた。けれど、返ってきたのは「少しだけお待ちいただけますか? すぐに済みますから」という朗らかな書記の声。一瞬だけ微笑み、すぐさま能面へ戻ったのがまた怖い。
 早く帰りたい。でも気になる。相反する感情に「あゎあゎ」しながら、電は右往左往を続ける。


「……さて、主任さん。返答は?」


 そんな中、やっと時計以外が口を開く。普段とはまるで違う重低音である。
 直接向けられてはいない電も畏縮してしまいそうだったが、整備主任は頑として立ち向かう。


「イヤです! アタシは、アタシに課せられた職務をまっとうします!」

「ですからっ、それは受理できないと言っているんですっ。あまりに無茶が過ぎます!」

「そんなこと言われたって、こっちも正式な発注受けてますし、今さら取り消しなんて困りますー!」

「あ、あのっ、喧嘩はダメなのですっ。お二人とも、冷静になってくださいっ!」


 いきなり始まった攻防に、慌てて割って入る電。にも関わらず、二人の少女は顔をつき合わせて睨みあう。


(はわわ、ど、どうすれば……。書記さんと主任さんが喧嘩なんて、初めてなのです……!)


 仕事に対して少々ラフな考え方を持つ整備主任と、何事にも真剣に取り組む書記。
 一見、水と油にも思える性格であったが、仲違いする姿など想像できないくらい、良い友人関係でもあったのだ。
 それが現在進行形で火花を散らしている。よほど深刻な事態に陥っているのだと察しがつき、電は意を決して渦中に飛びこむ。


「いったい何があったんですか? もしよかったら、電にも聞かせてほしいのです。ひょっとしたら、力になれるかも知れませんし」

「……そうですね。よくよく考えれば、電さんにも関係する事柄ですか」

「というより、元凶の一番近くにいるじゃないかと思うんですけど、アタシ」

「えっ。どういう、ことですか?」


 首を突っ込んだだけなはずが、揉め事の核心に関係しているという二人。顔は真剣そのもので、嘘を言っているようには見えない。
 不思議そうにする電へ、メガネを正した書記は問いかけた。


「電さん。ここ最近の、桐林提督の艦隊規模拡大について、どう思われますか」

「艦隊規模、ですか。ええと……お仲間が増えるのは、素直に嬉しいのです。そのぶん家事は大変になりますけど、賑やかになって」

「……質問を変えましょう。傀儡能力者の平均保有艦艇数はご存知ですか」

「ふぇ、えと、えっと……」

「ダメですよ書記さん。そんな聞き方したら、誰でも怖がっちゃいますってば」

「あなたのせいでも……っ。いえ、少し気が立ってますね。ごめんなさい」

「あ、いえ、大丈夫なのですっ。そんなに気にしないでください」


 思わず立ち上がりそうになる書記だったが、一つ大きな息をついて、頭を下げた。
 ワタワタと手を振る電を見て、微笑ましさにようやく笑みが浮かぶ。
 肩の力も抜けたらしく、いつもの静かな声が解説を始める。


「答えは、控えも含めて二十~三十隻です。序列上位の方々はもっと増える傾向にありますが、大体この範囲へ収まります。
 横須賀に在籍している能力者の方々は十名ほどですので、この鎮守府には多く見積もって約三百の軍艦がひしめいている事になりますね」

「日本にいる能力者さんは全部で百人ちょっとですから、全国だと三千隻です。大戦中の保有数はとっくに超えてますねー。ちなみに、横須賀にある船の半分はアタシが建造したんですよ? スゴイでしょ?」

「わぁ……凄いのですっ。そんなにたくさんの船がいたんですねっ。ぜんぜん知りませんでした」

「ま、敵襲に備えて宿舎もドックも分散してますから。他の能力者さんの船なんて、わざわざ出向かないかぎり見れません。じみーに不便なんですよこれが。移動が手間で……」

「確かにそうなんですよね……。いえ、ひとまず置いておきましょう。電さん、この事実をふまえた上で、こちらを」


 音もなく差し出される書類。
 そこには、様々な数字と一緒に、いくつもの船の名前が記されていた。


「これ……。もしかして、今後の建造計画ですか?」

「ですよー。提督さんからの発注を、アタシが届けに来たんです。……けど、その結果がアレで」

「当たり前です。こんなメチャクチャな計画は、計画なんて呼べません。以前から予定していた長良型と綾波型まではいいでしょう。誰かさんの手違いで球磨型が作られてしまいましたが、それもこのさい問いません」

「うぐ……。あ、謝ってるじゃないですか何度も。なんでか分からないんですけど、あの提督さんからの依頼になると、ウチの子たち妙に張り切っちゃうんですよ。
 組み始めたらもう止められませんし、アタシ自身どうしたらいいのか……。他の提督さんは逆に安定してるのに、ホントなんででしょーね?」

「電には、ちょっと……。でも、この計画って……」


 これっぽっちも思い当たる節がありません。などと言いたげな顔へ苦笑いを返しつつ、電が書類を見つめる。
 長良型軽巡の一番艦から四番艦。綾波型駆逐艦を順不同に四隻。計八隻の名前が、間違いなく載っていた。
 けれど――


「しかし、その後の建造予定はなんですか。残る球磨型軽巡の三番艦・北上きたかみ、四番艦・大井おおい。最上型重巡四隻に、白露しらつゆ型駆逐艦と朝潮あさしお型駆逐艦だなんて、あまりに多すぎます!」

「ええと……。最上さんに、三隈みくまさん、鈴谷すずやさんと熊野くまのさん。白露さん、時雨さん、村雨むらさめさん。
 それから、朝潮さん、大潮おおしおさん、満潮さんに荒潮あらしおさん、朝雲さん……。す、すごい沢山なのです……」


 ――その下には、まだまだ艦名が続いていた。
 読み上げた十二隻にしても、かなり省略した結果なのである。
 球磨型・最上型は上記が全てであるが、白露型は全十隻。朝潮型も同じだけ存在し、それが網羅されていた。しかも長良型・綾波型の残る二隻・六隻まで。
 戦時中をはるかに凌駕するスピードでの、総数四十二隻にのぼる軍備拡張計画であった。
 右肩上がりなエンゲル係数を想像し、電の頬を冷や汗がつたう。同時に、書記も胡乱な顔を。


「桐林提督は、何を焦っておられるんでしょうか。遠征目的……にしても、戦力が偏ってしまうのは分かっているはず。……気になります」

「たぶん、歯抜けが嫌なタイプなんじゃないですか? 他のところでは性能重視の建造しかさせてもらえませんし、いろんな船を作れて楽しいですけど。……あ、そっか。だから張り切ってたのかも……」

「そんな理由で建造計画を立てられても困ります。彼に割り当てられた係留施設も、平均数を基準にしているんです。今でもギリギリなんですからっ」

「ん? 昔からずーっと拡張を続けてて、縮小されちゃった他所の国の基地も整備し直したはずですし、常に余裕はあるんじゃ?」


 アゴに指をあて、整備主任は首をひねる。
 二十年前に始まったこの戦い。最初の数カ月で、この国に存在していた船は壊滅的な打撃を受けた。在日していた他国の船も含めて、である。
 それにより、資産家たちの出資により発足した、旧型艦船の再現計画による成果まで徴発する事態となり、それが傀儡能力発現のきっかけになったと言われている。
 以後、政府は国をあげて一世紀近く前の技術を掘り起こし、試行錯誤を重ね、彼女たちをこの時代へ呼び戻すことに成功した。そして、その砲撃による敵の撃破は、沈んでいくだけだったはずの敵艦に、なぜか旧き船としての姿を取り戻させるという、不可思議な現象まで引き起こす。
 限りなくゼロに近かった艦艇数は加速度的に回復。合わせて、操業停止を強いられ、空きの出た各地の港も、併合・軍備を進めた。
 このような事情があるため、各鎮守府はかつてのそれよりも広大な敷地を有しており、船を保持するための施設も同様である。余裕はあるはずだった。


「いいえ、それも励起待ちや解体待ちの船で埋まっています。この勢いで艦艇数を増やされては、他の方にしわ寄せが行ってしまいます」

「あー、なーるほど。アタシは作ってばっかりだから、失念してました。解体は材質ごとに仕分けしなきゃいけないから、余計に時間かかるんでしたね……」

「それに、最上型を作ろうとして高雄たかお型ができたり、白露型や朝潮型の代わりに睦月むつき型とか吹雪ふぶき型が建造されてしまう未来が見えるんです。そうしたらもう、芋づる式に……」

「穿ちすぎですよー流石に。アタシが本気を出せば、せいぜい万に……せ、千に? うーん……。百回に一回くらいですよきっと。だいじょぶだいじょぶ!」

「やる気満々で、私も嬉しいです……はぁぁぁ……」

「何その深いため息。ちゃんと真面目にやりますってばぁ!」


 ビシッ! と親指を立てる整備主任に、書記は頭を抱えた。事はそう簡単でもないのである。
 状況によって回収できない場合などもあるが、基本的に、傀儡艦は出撃するたび新たな船を連れて帰る。しかしそれらのほとんどは、国民の生活維持のために、鋼材として解体されてしまう。
 また、損傷を受けた既存艦の修復や、二十年の歴史でも数えられるほどしか解放されていない、戦艦・正規空母などの建造にも当てられる。艦載機や兵装の開発まで考えれば、励起された駆逐艦などで係留施設を埋められてしまうのは避けるべきなのだ。


「解体待ち……。やっぱり、電たちみたいになれる船は少ないんですね……」


 そして、分かっていても目を逸らしていたかった事実に、意気消沈する電。
 未励起とはいえ、自身や仲間たちと同じ名前を持つ船が、本来の役目と違う形で一生を終える。寂しさが胸に去来した。
 彼女の落ちこみようを見て、二人は「しまった」と顔を見合わせる。


「も、申しわけありません。電さんの気持ちも考えず、こんな……」

「ごめん、ごめんね。つい、普通の女の子と一緒にいるつもりになっちゃって……。アタシ、最悪だ」


 気まずい沈黙が広がった。これが電でなければ、彼女たちも罪悪感を覚えなかっただろう。
 例えるなら、映りの悪くなったテレビや、音がひび割れるスピーカーに悪態をつくような、その程度の感覚だったのだ。
 常日頃から接していても、それは会話であったり、業務であったり。人として活動している状態だった。船であることをすっかり忘れさせる、愛らしい少女なのである。
 それを傷つけてしまったと、苦味に耐える表情が二つ。


「ありがとうございます、なのです」


 しかし、その場に似つかわしくない笑顔を向けられ、呆気にとられる。
 一方、電はまた笑みを深く。


「大丈夫なのです。自分たちの役割は、きちんと理解しているつもりです。どんな形に変わっても、それで誰かのお役に立てるなら。……それに」

『それに?』


 言葉を区切り、書記と整備主任の顔を順に見つめる電へ、二人は意図せず声を重ねた。
 くすり。小さく吹き出して、もう一度。


「こうしてお二人と出会えて、お話できて。電はとっても嬉しいんです。
 少しだけ、後ろめたい気持ちもあります。けど、皆さんと同じになれたことの方が、嬉しくて。
 だから、そんな顔をしないで下さい。書記さんとも、主任さんとも、一緒に笑っていたいです。“みんな”の分まで。……だめですか?」


 その微笑みは。
 まるで、沢山の想いを集めて出来ているように。
 ただただ、まぶしかった。


「……母港の拡張」

「え?」

「上に、掛け合ってみます。建造計画はいくつか先延ばしになりますけど、これだけの船を作れる資材のアテがあるなら、予算を組んでもらえるかもしれません。“桐”の名前、有効活用しないといけませんね」

「あ……! で、でも、大丈夫ですか? 無理をして書記さんの立場が悪くなったりしたら、司令官さんだって……」


 喜びそうになる電だったが、はたと考えがいたり、心配そうに顔を曇らせる。
 幼い頃からこの仕事をこなしていたようで、かなりの発言力と強力なパイプを持っているらしいが、あまり強権を振るえば煙たがられてしまうだろう。
 が、逆に書記はやる気で満ちた顔つき。さっそく左手が羽ペンをつかむ。


「備えあれば憂いなし、とも言います。確保できる船の数は多くて良いに決まっているんですから、やりましょう。桐林提督にも、多少の実費は負担していただくことになりますが、遠征で溜め込んでるようですし、なんとかなる――いえ、します」

「……はい、よろしくお願いしますっ。あと、できれば、あんまり絞らないであげて欲しいのです」

「ご安心を。今後の遠征予定や配給資材、お給金も全て把握して、無理なく月賦でお支払いできる額に納めます。こういうの得意なんです。任せてくださいっ」

「あはは……」


 とても楽しそうな書記に、電はタジタジである。瞳の奥で、炎が燃え盛っていた。
 頼もしい限りだが、この分だと、桐林一家の家計は底の底まで覗きこまれ、ありとあらゆる無駄が省かれそうだ。
 お酌の回数を減らすように要求される千歳。アイドルグッズを制限される那珂。カニカマを一日半パックまでにされる利根。そして始まる提督のおこづかい制。ストライキが発生しないことを祈ろう。


「……あれ、主任さん? どうかしましたか?」

「………………っ」

「も、もしかして気分でも悪く――はわわわっ!?」


 ふと、黙り込んでしまった整備主任が背を向け、体を震わせていることに気づいた電。
 低い身長を活かして様子を伺うのだが、その顔を確かめると大慌て。
 なぜなら、両の瞳からは大粒の涙が零れていたからだ。こんなところまで書記と正反対である。


「ああああのっ、電、何か余計なこと言っちゃいましたか!? な、泣かないでぇ!?」

「ゔっ……な、泣いてな゛んかっ……な゛いでずよ? 泣いてな゛い、泣いてな゛いもーん……ゔぅぅ……」

「気にしない方が良いですよ。彼女、感動屋なんです。喜んでるだけですから」

「そう、なんですか? ……ひにゃあ!?」

「電ちゃん、アタシ頑張るっ!」


 納得したような、微妙に腑に落ちないような。
 そんな気持ちで小首をかしげる電を、整備主任が突然に抱きすくめた。


「一隻一隻、魂を込めてアナタたちを組み上げる。どんな酷い状態からでも絶対に直してあげるっ。
 だからもっと一緒に、楽しいこととか、嬉しいことを感じよう! 他の子たちの、ぶん、までぇぇぇ! うあぁぁあああんっ!!」

「く、苦しいですよぅ。……えへへ。一緒にですね。顔、拭いてください。ハンカチ、どうぞなのです」

「あ゛りがとうぅぅ。電ちゃんはホントに優しいねぇぇ。ズビーッ!」

「あっ」

「あ。ごっ、ごめ、ごめんついっ。か、返す、新しいの買って返すから! あぁもう、アタシってばなんでこうなのぉー!?」

「い、いえ、洗ってもらえれば大丈夫なのです! 主任さん、落ち着いて、落ち着いてくださーい!」

「まったくもう、騒がしいですね。集中できないじゃないですか」


 うっかり鼻までかみ、にょーんと伸びる鼻水まみれになったハンカチ。
 気遣いを汚してしまったことで、整備主任は感情を高ぶらせ、なだめようとする電もだんだん身振りが大きく。
 そんな彼女たちに、書記は仕方ないと笑いながら、思う。


(私は、貴方の分まで笑えてる……の、かな)


 そもそも、そんな資格は――と考えそうになったところで、彼女は軽く首をふった。
 分からない。分かるわけがない。もう、“あの子”は答えてくれないのだから。
 けれど、今は。
 胸を張って友達だと言える、この子たちの前では。


「ふふ」


 あふれ出る暖かさを。
 どうにも、堪えきれなかった。




















 やっとこさ、5-3をクリアできました。熊野んの「トゥオオ⤴オォォウ⤵」だけを癒しに、E-4やE-5を突破した子たちが一戦目で剥かれて帰ってくるのを待つのはもう終わりです。足柄さんスナイプ最高。
 さぁて次は三隈ん・夕雲・秋雲・長波を掘り掘りしなくちゃ……。艦これはやること一杯あって楽しいなぁ(白目)。
 それはさておき、今回は那珂休み(誤字にあらず)なお話と、全力で電ちゃんの株を上げるお話でした。
 今後登場する艦娘の名前もいくつか出てきましたが、いつになるかはまだ秘密。新登場だけでなく再登場もしっかりさせますので、色んな組み合わせをお楽しみに。
 それでは、失礼いたします。

「……ねぇ響。電がいないんだけど、何か知らない?」
「暁。電なら、司令官と街へ出かけているよ」
「あ、そうなんだ。……ぇえ!? そそそそれってまさか、ででっで、デートなんじゃ……!?」
「さぁ、どうなんだろう。ヨシフ、お手。……ん、хорошоいい子」(島風も一緒なんだけど、面白そうだから教えないでおこうっと)





 2013/12/14 初投稿







[38387] 新人提督と既にあった脅威
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2014/01/11 18:40





 公表すべきか。秘するべきか。そもそも彼女は何者なのか。会議は紛糾した。
 大の大人が子供のように声を張りあげ、最後に殴った側でいるため、気に入らない相手を罵り続ける。
 何も進展せぬまま、時間だけが過ぎて行く。
 けれどわたしは、そんなことなど、どうでも良くなっていた。
 まるで従者のように――いいや、奴隷のようにはべる彼女。その美しすぎる立ち姿に、懐かしい感情を刺激されていたからだ。
 それは、誰もが一度は経験する、青い春。

 端的に言おう。
 彼女は初恋の女性に、よく似ていた。とても、よく似ていた。


 桐竹随想録、第四部 ヒトカタより抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ぅうぅ、やっぱり変な感じ……」


 モジモジと、テラス席に座る少女が身体をゆすった。
 日の光をさえぎるパラソルの下でも、輝いて見えるプラチナブロンド。エメラルドグリーンのワンピースがほっそりした四肢を隠し、同系色のリボンが髪を飾る。
 普段と違い、露出度を極端におさえた島風である。
 着慣れない服にとまどう彼女は、違和感をごまかすため、注文してもらったサイダーを一口。弾ける炭酸が爽快感をもたらしてくれた。
 コトリ。音を立てる氷と、コップの置かれるテーブル。ボリュームをおさえた流行りの歌が耳へ届く。
 喫茶 間宮。
 それが、島風のいるカフェの名前だ。
 旧日本海軍が重用した給糧艦と同じ名を持つ店であるが、提供される甘味はその名に負けず劣らずと広く知られる。しかし、有名店のわりにテーブルは少なく、利用客もまばらであった。原因は、その立地条件にある。


「いつまで待ってればいいんだろ……?」


 島風が振り返った先に見える、店舗部分とつながった白亜の壁。
 周囲の高層ビルに比べると、こじんまりして見える五階建てのそれは、軍関係者のみが利用可能な医療施設だ。
 かつての最新技術を維持しているのに、恩恵を受けられるのが軍属だけとあって、市民団体からは、しばしばバッシングの対象として取り上げられる施設でもあった。
 もともと福利厚生の一部として設けられたためか、間宮が開店しているのは、各地の軍病院敷地内だけ。一般人は立ち入り禁止である。
 そんな店にいるのだから、楽しまなければ損なのは分かっている。追加注文の許しだって得ている。にも関わらず、彼女はスイーツを楽しむ気分になれずいた。


「友達のお見舞いだもんね。時間、かかるよね」


 つい数時間前のことである。
 島風の主人である桐林提督は、彼女と、秘書官を務めていた電へ、自らの警護任務を言い渡した。目的は、軍病院のなかでも有数の設備を誇るここに移送された、とある人物の見舞い。
 か弱い婦女子の見た目をしている彼女たちは、艤装召喚時に、その存在を艦船へと近づける。銃弾や環境変化を物ともせず、成人男性数十人分の怪力を発揮し、時には尋常でない特性まで引き継ぐのである。
 島風の場合、それは速度。人の身体でも、全力疾走で時速七十kmへ達することが可能なのだ。
 人間は害せないが、投げ飛ばしたり、高速で体当たりするだけで無力化できる島風と、庇うのに適したデザインの艤装――魚雷発射管についた防盾で護衛を担当する電。訓練を受けた兵士数人分の働きを期待されていた。
 では、彼女は何故こんなところに一人で居るのか。


「私、どうしちゃったのかな……」


 実のところ、島風自身も理解できていなかった。
 テーブルへうつぶせになり、汗をかいたコップに映る顔を見つめても、不機嫌さが気泡とはぜるだけ。
 二人が病院の中へ姿を消して、まだ十分もたっていない。なのに、驚くほど孤独を感じている。
 彼からプレゼントされたワンピースに、初めて袖を通した時の高揚感は、完全に消え去っていた。


「はぁ……」


 水滴を指ですくい、意味のない落書きをしながら、島風は原因を探ろうと記憶を振り返る。
 まずは昨日の夜の出来事。
 不意に、提督が島風の私室を訪ねてきた。カートにたくさんの箱を積んで運ぶ彼は、統制人格の皆へ服をプレゼントして回っているという。
 先んじてそれを受け取っていた筑摩と同じく、最初は浴衣縛りであったが、途中で洋服となってしまう無計画さに、少しだけ呆れてしまった。
 けれど、苦心して選んでくれただろう物が嬉しくないわけもなく、風をイメージした細かいフリルのあしらわれるそれは、着飾ることにあまり興味を示さない彼女でも、着てみたいと思わせる一品だった。
 そんな時に、「明日はその服を着て、いっしょに出かけてくれるか」と真顔で言われれば、誰だって“そういう意味”と考えてしまうに決まっている。


(ビックリ、しちゃったな)


 予想もしなかった言葉に、島風は反射的に頷いてしまった。すると、彼も一つ頷き返し、「明日、部屋に迎えに来るから」と言い残して、他の子へプレゼントを渡すため退室。
 慌て始めたのは、ノロノロと空き箱を片付け、型崩れしないようワンピースをクローゼットへしまい、ベッドに腰掛けてからである。声も出ないほど驚いて、部屋の中をグルグル歩きまわり、最終的にシーツへダイブした。
 彼女は困った。まさか、自分が“そういう対象”と見られているなんて、思いもよらなかった。うまく言葉にはできなかったが、誰かに悪い気がしてとにかく困った。OKしたのに今さら断ることも気が引けて、本当に困った。
 明日からどんな顔をして会えばいいのか、今までどんな顔をしていたのか、分からなくなっていく。
 姉妹艦がいないため、広々とした個室を堪能していたが、それをこんなにありがたく、こんなに心細く感じるとは。


(でも、結局は勘違いだったんだよね……)


 眠れぬ夜を過ごし、緊張状態のまま身だしなみを整え、島風は提督を待つ。そして、いざ部屋へ迎えにきた彼の隣には、電がいた。
 三人で出かけるのだと教えられ、島風は少し落胆すると同時に、安堵した。お供が二人ということは、ただ遊びにいくだけ。それなら変な気を遣うこともない。存分に楽しめばいいだけなのだから。
 しかし、彼が運転する車の向かう先は病院であり、自分と電が単なる警護に過ぎないと分かった瞬間、期待は失望に変わってしまう。
 それを感じ取ったのか、もしくは、言葉足らずな説明しかしていなかったことを思い出したのだろう。彼は何度も謝るのだが、心に生えたトゲは一向に抜けてくれない。間を取り持とうとしてくれる電にも素っ気ない態度をとり、気まずい雰囲気が漂った。
 目的地へ着いても島風の機嫌は変わらず、結果、こうして一人ぼっち。指定された面会時間は限られているのだから、仕方ない。……仕方ない。


「……ばか」


 うつうつとした気分で、己に向けてつぶやく。
 ここ最近の、なんとなく話しかけづらい雰囲気のせいで、提督と接する機会も減っていた。だから、単純に嬉しかったのだと彼女は思う。今まで通り、気兼ねなしに言葉を交わせるようになったのだと、早とちりして。
 だが、その問題が未だ解決していないことは、状況から判断できた。
 彼を悩ませていたのは友人の凶報。わざわざ移送されたことを考えると、容体は芳しくないと分かる。気が滅入ったり、笑う余裕をなくしてしまうのは当然だ。
 こんな時に一人で盛り上がり、勝手に裏切られたと思うなんて、まるで子供である。自己嫌悪を感じていた。


「提督の、ばか」


 けれど、自分だけが悪いとは島風も思わない。
 あんなタイミングで真剣な顔をする彼だって悪い。
 明らかに悩んでいるのに、隠せていると思っている彼も悪い。
 話してくれれば励ませたのに、そうさせてくれなかった彼が悪い。

 ――ちゃんと心配させてくれなかった、提督が悪いんだから。


「提督の……っ、ば――」

「んきゃあ!? またなのぉ!?」

「――へ? わぷっ」


 身を起こし、叫び出しそうになった島風の顔へ、何かが被さる。直前に聞こえたのは、少女の声か。
 わずかに良い香りのするそれは、つば広の白いフェルトハットだった。薄紅のコサージュ(小さな花飾り)がついている。


「ごめんなさいっ、大丈夫だった?」

「うん、大丈夫、です」


 駆け寄ってくる帽子の主は、やはり少女だった。
 年恰好は島風より一つか二つ上。帽子と同じ色のワンピースを着ており、印象的な碧い瞳をしていた。髪は金髪で、外国人かとも思われたが、生え際が茶色になっているところを見ると、どうやら染めているようだ。
 それを隠したいのか、少女は受け取ったフェルト帽をそそくさかぶり直す。


「ホントごめんなさい。なんでかワタシ、よく帽子を飛ばされちゃうのよね。気をつけてるんだけどなぁ」

「えっと……。大変、だね?」

「大変よ、もう。この間なんかお気に入りを泥まみれにされちゃうし。貴方、一人なの? 誰かのつきそい?」

「あ、私、は……」


 フレンドリーに語りかけてくる少女に対し、島風は若干うろたえていた。
 外では統制人格であることを秘密にしておかねばならないと、車内で言い含められていたからだ。理解のある人でもない限り、芳しい反応は決して得られない。良くても畏怖の念を与えるか、悪くて路肩の石扱いである。
 そのためのカバーストーリーも用意してあったのに、いろんな意味でタイミングが悪く、口は回ってくれない。
 どうしようかと悩み始める彼女だったが、答えも待たず、少女は「ここ、失礼するわ」と空いていた椅子へ腰を下ろす。
 優雅な所作で和装ウェイトレスを呼び、あっという間に注文も終えて、お冷で口を湿らせた。


「自己紹介がまだだったわね。ワタシの名前はアイリ。まぁ偽名なんだけど、こういう場所だし、あんまり気にしないで」

「最初からバラしちゃうの? じゃあ私は……風。風子ふうこ。アイリちゃんと同じ、偽名だけど」

「あら、古風な名前。いいわね、そのセンス好きよ」

「えへへ。ありがと」


 本名をもじっただけの簡単な偽名だったが、思いのほか好評で、少し嬉しくなる島風。
 小さく笑いあうと、アイリと名乗る少女は興味深そうに身を乗り出す。


「貴方の髪、すごく綺麗な色しているけど、地毛?」

「うん。そうだよ」

「羨ましいわ。ワタシなんて、自前なのはこの眼だけよ。おかげでよくイジメられた」


 少女が自身の眼を指さし、あっけらかんと重い過去を匂わせる。
 どうやら、島風を自分と同じ境遇――ハーフか何かと勘違いしているようだ。嘘をつくようで心苦しいけれど、これも仕方ない。
 ついで、「そんな経験ない?」と話を振られるが、それに対してはハッキリ否定を返した。


「私は、特にイジメられたりとかは。みんな、すごく良くしてくれるもん」


 彼女の意識が生まれて、早くも一つ季節が過ぎた。
 その間に経験した出来事は、どれもこれも楽しい思い出ばかりで、嫌な記憶など見当たらない。
 だからこそ、今日が最初のそれになってしまいそうなのが、気を重くする。


「いい環境に恵まれたのね。でも、ならどうして、こんなところに一人で居るのかしら?」

「そ、れは……えっと……」


 微妙な仕草からそれを気取る少女が、痛いところをつく。
 まさか全てを説明するわけにもいかず、島風は口ごもってしまった。
 すると、目の前にピンと立てられる人差し指。


「言わなくていいわ、当ててあげる。そうねぇ、気合いの入れ具合から見て……。
 遊びに連れて行ってもらえるかと思ってたのに、行く先は病院だった。
 ふてくされてたら、ご機嫌とろうと『なんでも注文していいから』みたいなことを言われて絶賛放ったらかし中。……どう?」

「す、すごい、だいたい当たってる! 何でわかったの!?」

「ふふふ~ん。当然よ、ワタシ天才だもの。……なんてね、似たようなことされた経験があるだけ」


 得意げに胸を張ったかとおもいきや、小さくはにかんでネタばらし。
 椅子へもたれ、軽く伸びをする姿勢のまま、少女は病院の方を見やる。


「ワタシもね、今日はお見舞い。といっても、ぐーすか寝てるだけのバカの様子を見るだけだから、三分で終わっちゃったけど」

「そうなんだ。大したことないみたいで、良かったね」

「ええ。このワタシが見舞いに来たっていうのに寝てるんだもの。次も寝てたら蹴っ飛ばしてでも起こしてやるわ」


 勝気な笑みに、島風は「かわいそうだよ」と苦笑いしながらサイダーを。氷が溶け始め、味が薄くなってきていた。
 それに気を取られてしまったからだろう、彼女は気づけない。少女の瞳の奥に、わずかな陰りがあったことを。
 自身も見せまいとしているのか、テーブルが音を立てた時点で、全ては元通りになっている。


「貴方の方はどんな? もしかしてご家族……って、ごめんなさい。詮索するつもりはなかったの。ただ、少し落ち込んでるみたいだったから、気になって」

「………………」


 だが、そんな少女から発せられる話題で、今度は島風の顔が陰ってしまう。
 ついさっきまでの、暗い気分を思い出してしまった。
 気遣う視線を向けてくれる存在に、それは言葉となってこぼれ落ちていく。


「私ね、何も知らなかった。お友達が怪我しちゃってたことも、ふさぎ込んでた理由も」


 誰が……とは言えなかったが、察してくれたのだろう。静かな相づちが打たれる。


「みんなで決めてたんだ。無理に話させるなんて嫌だから、しばらくはそっとしておこう。私たちを信じてくれてるなら、いつか必ず話してくれるって。けど……」


 肩を落とし、うつむく島風。
 膝の上に両手を置き、髪を乱すそよ風すら気にも留めない。


「実際に聞いた時、どうして教えてくれなかったのって、最初にそう思っちゃった。ずっと我慢してた方が辛いに決まってるのに、私、自分の気持ちを優先しちゃったの」


 ぎゅ、とワンピースが握られる。今の島風は、車内で説明を受けていた時の彼女と、全く同じだった。
 言葉にしてしまうのを、必死に我慢している時と、全く。


「なんで私、すぐに元気づけてあげられなかったのかな。なんで、怒っちゃったのかな……」


 かすかな呟きに、答えはない。ぬるい風だけが過ぎて、肌に湿気をまとわり付かせる。
 そんな中、「お待たせいたしました」とウェイトレスが盆を手にやって来た。手際良く並べられる和皿には、涼しげな色を宿す、小さな水羊羹。水出し緑茶とのセットのようだ。
 しかも、なぜだか島風にまで配膳されて。


「え。私、何も頼んでないよ?」

「オゴリよ。勝手に相席したんだもの、このくらいはね。美味しいのよ、間宮の水羊羹」


 何事もなかったかのごとく、少女は竹製の黒文字を使って水羊羹を切り分け、口に運ぶ。
 強い日差しの中、お茶請けに和菓子を頬張る、ワンピース姿の女の子。奇妙な取り合わせは、しかし、堂に入った作法によって違和感がない。
 甘い口どけを味わい、冷たいほろ苦さを飲み下した碧い瞳が、島風へ向き直る。


「質問。風子さんは、どうしてその人を元気づけてあげたかったの」

「……ふ、ふさぎ込んでた、から?」

「質問その二。どうしてふさぎ込んでたら嫌なの」

「だって、嫌に決まってるよ。話しかけても返事は少ないし……あんまり、笑ってくれない……」

「質問その三。どうして、笑っていて欲しいの」

「……それは」


 何かを探り、導き出すように重ねられる問いかけ。
 答えにたどり着くには、まだ少しだけ足りないのだろう。応答は途絶えてしまった。
 そんな彼女へ今一度、別のアプローチをかける少女。


「人の心なんて、些細なことで追い詰められたり、救われたりするものよ。
 きっとその人も傷ついてたんでしょうけど、悩んでる姿を見せられるのだって、たまったもんじゃないわ。
 風子さんみたいな子がそばにいるのに、さっさと打ち明けなかったその人が悪い」

「で、でもっ、心配かけたくなかったから話せなかったのかも――」

「そして風子さんたちも悪い」


 とっさに庇いだてる島風の言葉は、ピシャリと断ち切られた。
 もう三分の一にまで減った水羊羹から目が離され、黒文字まで突きつける。


「貴方とその人がどんな関係かは知らないけれど、本当に大切な存在なら、楽しい気持ちだけじゃなくて、辛い気持ちも分け合わなきゃ。相手から何かしてくれるなんて、期待しちゃダメ。自分から動くのよ」

「……自分から、動く」

「そ。ただ待ってるより、よっぽど手っ取り早いと思わない? 待つ女なんて、今どき流行らないわ」

「手っ取り、早い……」


 自信満々に言い放ち、少女は最後の一切れをもてあそぶ。
 逆に、一切手をつけていないはずの島風は、何かを噛みしめるよう頷き、その度に表情を輝かせていく。


「……うん。うん、うんっ、そうだねっ。待つだけなんて私らしくない!」


 ――だって私は、島風なんだから!

 歓声を上げて、今にも走り出したい気分だった。
 互いに気を遣い、本当の気持ちを押し込めるなど、本末転倒。
 風は、閉じ込められればただの空気へ変わってしまう。
 そうなる前に。動けなくなってしまう前に、この想いを、風に乗せなければ。


「ふふっ、いい笑顔よ。……そろそろ行かなくちゃ。羊羹、食べてね? そしたらもっと素敵な笑顔になれる。みんなが釣られちゃうくらいに」

「うん。アイリちゃん、ありがと!」


 緑茶を飲み干して、席を立つ少女に満開の笑顔を向ける島風。受け取る背中は、ひらひらと伝票をゆらし、無言で答えてくれた。
 島風は思う。
 まずは、この水羊羹を食べてみよう。
 美味しいものを食べて、嬉しい気持ちを胸に貯めて。そして、彼にも分けてあげよう。
 そうすればきっと、素直に笑えるはずだから。
 小さくなるワンピースを見つめ、彼女はようやく黒文字を手に取る。


「あのー、お客様ー! お会計がまだでーす! レジはそっちにありませんよーっ!!」

「へ? や、あの、違うの! ここは颯爽とたち去るべき場面じゃないっ? 決して食い逃げとかじゃないから!?」

「……ぷ。あははははっ!」

「ちょっと、笑わないでよぉ!! ……ぁはは」


 ――のだが、店員の声に、見当違いな方向へ歩いていたらしい少女が舞い戻ってきた。
 島風は黒文字を取り落とし、お腹を抱えて大笑い。やがて、少女もつられて笑い出す。
 夏の日差しに負けない、明るい笑顔が。
 さんさんと、降り注いでいた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 そこは、全くと言っていいほど音のない、静かな空間だった。
 分厚いガラスの向こう側なら、心電図の発する電子音と、人工呼吸器の作動音が聞こえるはずだが、自分は立ち入る権利を持ち合わせていない。
 様々なチューブに繋がれた彼を、やるせのない気持ちで見続けることしか、できないでいた。


「司令官さん。この人が……?」

「ああ。桐生提督だよ」


 となりに並び立つ電へ、小さく頷く。
 まぶしい位の白さを放つICUで、自発呼吸もままならない身体を横たえているのは、ほんの数週間前、意識を隣り合わせて戦った、戦友だ。
 ……少なくとも、自分は友だと思っている。


「どんな、状態なんですか」

「植物状態と判別するにはまだ早いらしいけど、科学的な見地では、手の施しようがないって」

「そんな……」


 桐生提督と別れた次の日、赤城たちを無事に港へ帰還させた自分は、半日ほど泥のように眠った。その間に、運び込んでおいた資材と高速修復剤で、まずは山城と扶桑(帰りの道すがら、彼女も中破したのだ。疲労による不注意だった)を入渠にゅうきょさせ、他のみんなも、程度の軽い子から修復を済ませた。
 目を覚ましたら、船の状態確認を兼ねて同調。せっつくような意思を飛ばしてくる千歳にうながされ、北海道へ。例のミュージアムに足を運んだり、お土産を買ったりと忙しい時間を過ごす。
 そうして存分に余暇を楽しんだ後、ようやく横須賀への帰路についたのだ。
 桐生提督が、死闘を演じているとも知らずに。


「シンカイセイカン」

「……え?」

「記録映像で、彼が意識を失う直前に発した言葉だ。聞き覚えは?」

「えっと……ごめんなさい。覚えがないのです」

「そうか」


 予想通りの返答に、少しだけ残念だと思ってしまう。
 申し訳なさそうな気配にも、どう声をかければいいのか……。

 中将から悪い知らせを直接受け取った自分は、彼の残した視覚情報を取り寄せ、何度も、何度も、何度も見返した。
 的確な艦の運びや砲撃。時には片舷のみ投錨し、鎖への抵抗を利用した急速回頭という曲芸まで駆使する、獅子奮迅と評すべき戦いだった。
 至近弾で装甲がひしゃげ、爆撃により武装をもがれ、それでも彼は諦めない。赤い“繭”にトドメを刺せたのは、そんな、命を賭した決断の証。

 だが、決死の十二・七cm砲が“繭”を貫いた瞬間、何の前触れもなく世界はチラつき、キスカ島の存在した座標を中心として、巨大な渦潮が発生する。
 分析班が解析したところ、その直径はおよそ四十km。天変地異という言葉が子供騙しに思える、終末の光景だった。満身創痍の駆逐艦が逃れられるわけもなく、船体が渦に飲み込まれていく。
 この時点で同調を断てば助かっただろうが、調整士の焦る声を無視して、桐生提督は赤い奈落を覗き続ける。そして、映像が途切れるまでの数秒間、彼は人外の言葉を残した。
 単なるノイズとしか思えないそれの最後。唯一、日本語へ変換可能な言葉が、“シンカイセイカン”だった。この単語を遺言とし、“人馬”は魂を囚われてしまったのだ。


「……あ。もしかしたら、シンカイセイカンって、ツクモ艦の……?」

「自分もそう考えた。情報部も、最終的にはその結論に至ったみたいだ」

「敵さんにも、ちゃんとした名前があったんですね」


 “桐”の一柱が倒れたこと。残された視覚情報に映る、ツクモ艦の統制人格。そして謎の言葉。大本営は混沌の坩堝と化したらしい。
 ひとまず、桐生提督は緊急搬送され、なんとか一命を取り留めた。同時刻、母港で帰りを待っていた統制人格――霧島も昏睡状態におちいり、情報収集のため同じ病院へと運ばれる。今も横には、黒いベリーショートの女性が並んでいた。
 国民へ不安を与えぬよう、情報は秘匿されている。自分が見舞いに来られたのは、ひとえに吉田中将の温情だ。
 映像の分析も進み、それまでは幻覚とされていた、敵 統制人格の存在も認められた。合わせて、謎の言葉の変換も、様々な候補から一つに絞られる。


「深き海に棲まう艦……。これ以上ない、似合いの名前だよ」


 どうしてこの組み合わせを思いつかなかったのか、不思議でならない。
 ツクモの呼び名を定着させた頃は、まだ詳細が判別していないこともあったのだろうが……恐ろしいほどしっくりくる。
 加えて、判明したことがもうひとつ。


(奴らには自己を認識するだけの知性がある。もしくは、知性を有する司令塔が存在する)


 名称とは、他者と己を区別するための言葉。
 もしも奴らが、動物的な本能で人類と敵対しているなら、こんなもの必要ないだろう。
 逆に、理性的な思考の元で敵対することを選んでいるなら、テロリストが声高に自己主張するよう、自らを称する必要があるのかも知れない。
 これでまた、敵への認識がくつがえった。
 戦闘的には意味があっても、戦術的には無意味な行動を取ることが多かった深海棲艦。だからこそ、人類は精神的な余裕を持って対処できていた。ただ、数の多い害獣と対しているようなものだ。
 それが、明確に下された命令の結果だとしたら。不利益はないと捨て置いた行動に、戦略的な意味があるとしたら。


(自分たちは、致命的な過ちを犯していた)


 ガラスへ手をつき、悔しさにまぶたを閉じる。自然と力が入り、指のこすれる音。
 桐生提督の犠牲がなければ、人類は思考停止に陥ったまま戦争を続け、緩慢に滅びゆくだけだっただろう。
 各国上層部も重い腰をあげつつある。自分たちは今また、大きな転換期を迎えようとしているのだ。
 ……無駄になど、してはならない。


「司令官さん……。あ……」


 気遣う声に、しかめっ面をしていたのを自覚する。ごまかすために小さく苦笑。電をともない、背後にある長椅子へ。


「ごめんな。わざわざこんなところまで付き合わせて。退屈だろう? 島風にも、変な勘違いさせちゃったみたいだし」

「そんなことないのです。お話できないのは残念ですけど、司令官さんの友達にお会いできたのは、素直に嬉しいです。島風ちゃんだって、分かってくれてると思います」

「だと、いいんだけどな」


 らしくないのは理解している。いつもならキチンと説明し、それから警護を頼んだろうに。それが出来ないくらい、余裕をなくしているのか。
 自分は今まで、身内の不幸というものを味わったことがない。祖父母は物心つく前に他界しているし、葬式へ参加したことはあっても、言葉を交わした記憶すらない親戚のだ。
 友人が目を覚まさない。
 言葉にすれば二秒で終わるこの事実が、意外なほど重くのしかかっていた。


「……あの敵は」

「はい?」

「桐生提督を道連れにした、あの巨大な深海棲艦は、また出現するはずなんだ」


 壁にもたれ、頭を冷たさに押しつけながら、考えを整理する。
 楽観主義に囚われている一部の官僚は、桐生提督の犠牲によって脅威は取り除かれたのだと言っていた。そんな都合のいい話、あるはずがない。
 なぜ奴らはキスカを選んだ。あんな中途半端な位置でなく、太平洋やインド洋、北極海のど真ん中を孵化する場所に選んだなら、問題なくアレは生まれていたはず。
 もしかすれば、陸地でなければならない理由があるのかもしれない。だが、それならまた別の疑問が出る。キスカ島よりも大きく、大陸から離れた無人島だってあるはずなのに、今までこのような存在が発生したという記録はない。
 いつでも生み出せたのか。準備が整ったから生み出したのか。どちらにせよ、これは始まりだ。深海棲艦による、宣戦布告だ。


「……司令官さん」


 それに、あの大きさ。もし、あの縮尺が本体である船体にも適応されるとしたら。
 距離と光源・影から割り出した体長は、約六・六m。普通の統制人格は平均して百六十くらいなはずだから、およそ四倍。
 仮に戦艦だったとして、全長は八百~千m。全幅も百mはくだらない化け物になる。主砲のサイズや装甲の厚みまで倍化していたら。……無いと思いたいけど、どうなるか。

 どう戦う。
 どうやって倒す。

 戦艦主砲で装甲を貫けるか? 扶桑たちの三十六cm砲じゃ、おそらくダメだ。最低でも長門ながと級……ビッグセブンの四十一cm砲、それに九一式徹甲弾もあった方が良い。
 しかし、実際に建造・開発を進めるにしても時間はかかる。なら、比較的簡単に用意できる駆逐艦・酸素魚雷を配備した、水雷戦隊による雷撃が重要となってくる。
 重雷装巡洋艦として発展が可能な北上、大井はもうすぐ竣工。すぐには無理だが、実装されなかった木曾の雷巡化も実現したい。
 後はとにかく、数を揃えなければ。暁や陽炎たち、新しく呼んだ白露型に、建造予定を立てた朝潮型。彼女たちを軽巡や重巡の子に率いてもらう。
 またアレが出てくるとなったら、出撃数制限なんてバカ正直に守っている余裕もなくなるだろうし、いざという時に出てもらえるよう、急いで練度をあげないと――


「司令官さんっ!」

「――あ」


 唐突に身体を揺さぶられ、没入していた意識が、小さな手を感じとる。


「怖い顔、してたのです。とっても暗くて、深い……」

「……ごめん。……ごめん」


 謝って、言い訳をしようとしたけれど。何も出てこず、もう一度謝る。
 こんなに不安そうな顔をさせたのは、初めてだ。初出撃の時だって、ここまでじゃなかった。
 情けないな、本当に。


「“桐”が欠けた今、同じ状況になったら、必ず戦闘に参加することになる。きっと総力戦になるだろう」

「はい。覚悟は出来てます」

「……けどな。自分はやっぱり、君たちを失いたくない。他の能力者からすれば、現実を甘く見ているとしか思われないだろうけど。一人たりとも、死なせたくないんだ」


 手のひらを見つめる。
 少しだけペンだこのでき始めた、ごく普通の手だ。幾人もの命を拾うには、小さすぎる手だ。
 ……しかし、譲れないものがある。


「そのためには、思いつく限りの事態を想定して、対処する手札を用意しておくしかない。自分にできるのはこれくらいだ。……それでも。絶対に守ってみせるよ」


 己へ言い聞かせるよう、静かに表明する決意。
 傀儡能力者と統制人格の関係は、一方的な運命共同体だ。能力者が死ねば彼女たちは消滅するが、逆は成り立たない。数少ない例外は、過同調状態時に直撃弾などを受け、致命傷のフィードバックが発生した場合などに限られる。
 つまり、よほどのことがない限り、自分は残される側なのだ。
 今でさえ辛く感じるのに、さらに電たちを失うだなんて、想像しただけで吐き気がする。
 魂を分けて生み出した、家族同然と言える少女たち。その笑顔は、自分にとってかけがえの無い物。

 ――誰一人として、沈ませるものか。

 そう心に決め。
 硬く、拳を握る。


「守れなかった桐生さんと、時雨さんたちの分まで、ですか?」


 だが、隣から発せられた声は、聞きなれない……硬い響きを宿していた。
 驚いて顔を向けると、逃げるように席を立つ電。そして、ついさっき自分がそうしたのと同じく、ガラスへ手を伸ばす。


「司令官さんは、間違えてるのです。桐生さんは多分、そんな風に思って欲しくないはずです」

「……そんな風にって、自分はただ」

「桐生さんがこうなったのは、自分のせい。途中で引き返さないで、最後までお供していれば。そうやって、全部を自分のせいにしようとしてませんか」


 矢継ぎ早に問いかけられ、何も言えなくなってしまう。
 間違っていることが、一つもない。
 誰にも話さなかった胸の内を、言い当てられてしまった。
 小さな背中から向けられる言葉が、チクリ、と心を刺す。


「……たとえば、お二人の立場が逆だったとして。ついて来てくれなかった桐生さんのせいだ、桐生さんが戦えば良かったんだと、思えますか?」

「そんなこと!」


 感謝こそすれ、恨むわけがない。
 未知の敵に恐怖を抱くことはあるだろうけど、誰かのせいになんて。
 思わず立ち上がってしまうが、同時に振り返った彼女の表情で、また口をつぐむ。


「だからなのです。お話したことのない電が言うのは、少し変かもしれませんけど。
 でも、司令官さんがお友達になりたいと思えた人なら、きっと同じように思ってくれます。
 必要以上に、責任を感じないでください。悪いのは司令官さんじゃありません」


 怒りでも、慈しみでも、悲しみでもない。
 とても静かで、強い意志をたたえた瞳。


「ただ守られるだけなんて嫌です。そんな風に言ってくれる人だからこそ、頑張って戦えるんです。
 一人で、全部を背負おうとしないで。電にも、司令官さんのこと、守らせてください」


 白い部屋を背後にする電は、逆光の中でおごそかに佇む。
 ……なんだろう。この気持ちは。
 言葉にしようとすると、消えてしまいそうで。
 例えてみようとしても、捉えどころがなくて。
 それなのに、確かに触れられたような感触をもたらす、これは。


「もしかして、みんなにもバレてたのか?」

「バレバレなのです。司令官さんはよく嘘をつきますけど、隠し通すのはあんまり上手じゃないです」

「そんなに嘘なんてついてたかなぁ」

「ついてました。お酒の量とか、内緒で妙高さんにお仕事を手伝ってもらった時とか。他にもたくさん」

「分かった、悪かった、もう勘弁してくれ」


 バツが悪くて苦笑い。
 自然と浮かべてしまったそれに、なぜか彼女は嬉しそうに微笑み返す。
 隣に並べば、また桐生提督の姿が目に入る。けれど、最初に見た時のやるせなさは、感じなかった。


「でも。やっぱり自分は、君たちを守りたい。代償行動とかじゃなくて、みんなを大切に思う気持ちは、本物だから」

「電だって変わりません。電は、司令官さんの最初の船です。最後まで、お守りします。みんなも、きっと」

「可愛い女の子に守ってもらうなんて、男としては複雑だけどね。……頼んだ」

「はい」


 互いの顔を見ることなく、二人、約束を交わす。
 何もかもが儘ならないこの世界。自分の願いは、がむしゃらに力を求めなければ実現不可能な、夢物語に近かった。
 しかし、自分だけで叶えようとしているわけじゃない。同じものを見つめてくれる子が隣にいる。見守ってくれた仲間がいる。
 一人では取りこぼしてしまう、沢山のことを。みんなで一緒に、拾い集めていくんだ。


「そういえば、素早く動ける島風ちゃんはともかく、なんで電を警護に選んだんですか? もっと戦いの上手な、足柄さんとかの方が良かったんじゃ?」

「なんでかな。秘書当番だったのもあるんだろうけど……。一番最初に浮かんだのが、君だったから、かな」

「そう、ですか」


 しばしの沈黙。
 不意に、手の甲へ柔らかい感触が。なんなのかは、確かめなくても理解できた。
 人差し指をからめてみる。おずおずと、握り返してくれる。
 少しだけ、そのままでいて。どちらからともなく、手をつないだ。
 はぐれないように。不安に負けないように。


「帰ろう。電」

「はいです」


 ゆっくりと歩き出す。
 これからも自分は、迷ったり、道を間違えそうになるだろう。でもその都度、手を引いてくれたり、背中を押してくれる存在がいる。
 自分のことはあまり信頼できないけれど、彼女たちのことなら信じていける。
 ためらわずに行こう。きっと、どうにかなるさ。

 白いリノリウムの床をしばらく進むと、見ようによってはホテルのロビーにも見える受付へたどり着く。
 微笑ましいものでも見るような人たちを華麗にスルーし、待ち人がいるはずの喫茶店フロアへ。その頃には自然と手も離れ、ちょっとだけ寂しい気もしたが、とにかく店内に。
 寄ってくる店員さんは、先ほど寄ったことを覚えているらしく、軽い会釈。それにならってから、入り口へ背を向ける若草色の少女に近づくと、声をかけるより先に彼女は振り向いた。


「提督。もういいの?」

「ああ、終わったよ。ゴメンな、一人にして」

「ううん、平気ですっ。病院に来てた女の子とお話ししてたから」


 放っておいたことを怒っているかと思いきや、意外にも島風は上機嫌だった。
 みれば、テーブルの上に高そうな小皿が乗っている。
 ふむ。和菓子とガールズトークのおかげか。どこの誰だか知らないけど、ありがたい。


「にしても羊羹か。渋いチョイスだな」

「あ、私が選んだんじゃないの。それはアイリちゃんが注文してくれて」

「……ってことは、奢ってもらったのか? ダメじゃないか、知らない人に物をもらっちゃダメって言っただろう」

「う~。でも、悪い人じゃなかったですっ。とっても優しい子だったよ!」

「そうかもしれないけどな」


 露出度的には重武装でも、心は逆に警戒心を解いちゃってるんだろうか。
 不注意……というよりは無防備な島風に、思わず口酸っぱくお説教してしまいそうになった。
 すると、三歩後ろに控えていた電が、分かっていたようなタイミングで間へ割って入る。


「ダメなのです、二人とも! 喧嘩なんてしちゃったら、美味しそうな羊羹が台無しなのですっ」

「……そう、だな。ごめん、せっかく機嫌直してくれてたのに。許してくれ」

「ん……。じゃあ、私の言うこと聞いてくれたら、許してあげる」


 ようやく、一人で悩み続ける悪循環を脱出できたと思ったら、さっそく怒られてしまう自分。ダメさ加減に呆れてしまうけれど、その分、真剣に頭を下げた。
 それを見た島風は、皿を取り、小さくなった水羊羹を楊枝に刺して、なぜかこちらへ。


「半分こ、しよ。すごく美味しかったから、残しといたの」

「……いいのか、そんなことで」

「うん。それから別のも頼んで、提督と、電ちゃんと、私。三人で分けっこして食べたいです。いいよね?」

「電も、ですか?」

「当たり前だよ。みんなで一緒がいい。ねっ」


 今日、初めて見る彼女の笑顔。まるでヒマワリのような、まぶしい笑顔。
 電が言っていたこと。どうやら全部、当たっているようだ。チラリ、様子をうかがえば、また一輪。本当に敵わない。自分の完敗だ。
 嬉しくもある敗北感を味わいつつ、差し出された羊羹を頬張る。口の中に、和三盆の上品な甘さが広がった。
 これは――!


「ホントだ、めちゃくちゃ美味い!」

「でしょでしょ?」


 どうだ、と言わんばかりの島風。誇らしげなそれが、とても愛らしく感じた。
 ……うん。せっかくここまで来たんだ。どれが美味しいのかを調べて、お土産にしよう。言葉にはしなくても、確かに心配してくれていた、彼女たちへのお礼として。
 そう決めた自分は、電と島風を椅子に座らせ、三人でメニューを開く。
 ああでもない、こうでもないと言い合いながら、洋菓子まで網羅する品数に頭をひねる時間は。
 久方ぶりの、戦いを忘れられるひと時だった。





「……このプリンを作ったのは誰だぁ!? 弟子にしてくださいお願いします!!」

「え、そんなに美味しいの? 一口ちょうだいっ」

「島風ちゃんズルいですっ。司令官さん、電にも欲しいのです!」





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『……やはりこうなると、桐生を失ったのは痛手でしたね』


 分割されたディスプレイの中、右半分を占める男がため息をつく。
 精悍な顔が歪められ、さながらドラマのワンシーンにも思えたが、しかし、鋭利すぎる目つきは見たものを威圧してしまう。
 それを受ける老人――吉田は、普段のひょうひょうとした態度を隠し、重苦しい声で返す。


「ワシの采配ミスじゃ。言い訳のしようもない。償いはきっとしよう』

『今は責任を取るよりも先にすることがあるはずです。だからこそ、貴方はこうしていられるのですから』

「そう言ってもらえれば助かる。あの若いのが使えると良いんじゃが」

『例の調整士ですか。如何様な理屈で能力が発現するのか、また分からなくなりました』

「うむ。まぁ、使い物にしなければならぬのは変わらん。よろしく頼むぞい、兵藤」

『お任せを、中将』


 左半分に映る女性、兵藤凛も淡々とうなずく。
 桐生提督の最後を看取った、青年調整士。なんの因果か、彼には傀儡能力が目覚めていた。
 “桐”の穴埋めには小さいが、新たな戦力であることも確かであり、その身柄は、幾人もの能力者を育て上げた実績をもつ、彼女へ預けられることになっている。


『ところで、桐林はどうですか』

「どう、とは?」

『噂ではかなり参っているようですが。たかが同僚の一人が倒れたくらいでそうなると、いささか疑問も湧きまして、ね。いざという時、戦力として数えて良いものか』


 男は冷たく言い放つ。
 精神だけとはいえ、戦場に身を置くものとしては、桐林提督はあまりに脆く見えた。
 砲弾が飛び交う中で死者が出るのは当然。むしろ、失ったのが意識だけなら僥倖なのだ。回復の見込みはほとんど無いが、それでも幸運な部類である。涙と糞尿にまみれ、痛みに狂い死ぬよりは。
 だというのに、彼は桐生提督の現状を気に病んでいるという。無駄が過ぎる。
 しかし、男と違う観点をもつ吉田は、信頼を込めて懸念を否定した。


「問題なかろう。この程度で折れるような鍛え方はしておらんはずじゃ。そうじゃの」

『はい。なにぶん初めてのこと。今は戸惑っているだけかと。すぐに立ち直るはずです』

『だといいのですが。彼のおかげで、そちらの通常任務は捗っているのでしょう。手の空いた能力者が支援に回り、こちらも助かっております。失うのは惜しい』


 言外に、それ以外で今は役に立ちそうもない、とつけ加える表情。
 兵藤の眉がピクリと動く。あと一言追加されれば、階級差も無視して反論を辞さないという気勢が伺える。
 吉田は矛先を変えることで話をついだ。


「なぁに。真に危急存亡の事態となれば、おヌシも出ざるを得んのじゃ。どうにかなろうよ。腕は鈍っておらぬよな、桐城よ」

『その名は辞退したはずです。おやめ下さい』


 思った以上の効果を持っていたか、男の顔が倦怠をしめす。
 男もまた、“桐”を冠するにふさわしい才覚をもち、相応の戦果を挙げた人物であった。が、男はそれを受け取るのを良しとせず、少将に留まることを選んだ。
 でなければ、今ごろ吉田と同じ階級に収まっていただろう。残念でならなかった。


「なぜ、そうまで頑なになる。それではおヌシの妹君も……」

『は? ……中将。私に妹などおりませんが』


 とぼけているとも思えない、至って自然な返答。吉田は哀れみを覚えた。
 未だ、その真価を目覚めさせた悲劇と、時勢に翻弄され続ける二人へ。


「そうじゃったの。いかんいかん、ボケが始まったか?」

『まさか。しかし、タバコはお控えください。貴方自身も、まだ失われるべきではないのですから。どうかご自愛を』

「タバコではないと言っておろうに。これは葉巻じゃ」

『何が違うのか理解できませんね。……では、私はこれで』


 肩をすくめて語り、男の姿が消える。
 すると、画面いっぱいに表示された兵藤が、息づきをするように『ぶはぁ!』と息を吐いた。


『あぁぁぁもうぅぅぅ! なんなんですかあの鉄面皮ぃ!? 息が詰まる! 重苦しい! ちくしょうあんのイケメンめぇ!』

「最後のは褒めとりゃせんかの」


 軍人の仮面を突き破り、騒々しい一面が現れた。
 重厚な雰囲気も爆散。遠距離通信で対面する家族のような、気楽な空気に。


「おヌシもおヌシで相変わらずじゃのう。そんなに奴が嫌いか?」

『ええ。ええっ。もちろん大っ嫌いですとも。格好良さ余ってウザさ百万倍ですともっ。
 男はですね、顔だけじゃダメなのです。内からにじみ出るフェロモンと、心の温かさがなくっちゃ!
 あんな仕事が恋人みたいなイケメン、一億もらったって相手はゴメンですよっ。でも二億くらいなら揺らぐかも?』


 拳を握りしめたと思ったら、何か匂いを嗅ぐように鼻を動かし、自分の身体を抱きしめ、ずいっと画面(カメラ)へ急接近。最後に首をかしげる兵藤。
 このような態度、普通なら鉄拳制裁だが、吉田はまるで孫を見守るように優しく笑う。


「おヌシと同じじゃよ。奴も、自分を演じねばならんほどには、削れておるだけじゃ。分かるじゃろ?」

『いいえサッパリ。私のこれは地ですから。自分に正直に生きてるだけです』

「そうか。まぁ、操を立てるのもいいが、せめてワシの送っとる見合い相手の写真に、いかがわしいイタズラして送り返すのはやめてもらえんかの? ワシゃそっちの気はないんじゃが」


 思い出したくもない、薔薇の香りただよう写真がまぶたの裏をかすめ、吉田は吐き気をもよおした。
 イタズラして楽しむだけならまだしも、鎮守府へ送られてきた物は全て検閲を受ける。こうも頻繁に送られては、この年で独り身なのはそういう趣味だからと誤解を受けかねない。
 事実、普段から頼りにしている書記の少女にも、最近それを見られてしまった。距離を取りつつメガネを輝かせたのが不安だ。
 ひどく情けない気分にため息をつく吉田だが、対する兵藤はアヒル口で文句を。


『だってぇ、純粋にタイプじゃないんですもん。それに毎週送られたって困りますよぅ。
 なぁんで能力者は能力者と結婚しなきゃいけないんでしょーねぇ。その子供が能力者だった試しなんか無いじゃないですか。
 これだからお花畑な連中は嫌いなんですよ。第一、妊娠したら戦場に出れなくなります。今は腰振ってる場面じゃありません』


 法的に定められているわけではないが、傀儡能力に目覚めた女性は、今まで全員が能力者と婚姻を交わしている。生まれてくる子に、能力が引き継がれることを期待して、だ。
 男の場合は特にそういった慣習はないものの、早いうちに子を儲けることが推奨されている。彼らに対し、過剰な広さをもつ宿舎が充てがわれるのは、言ってしまえば女を囲うためなのである。
 鎮守府で働く女性職員の何割かは、そういった玉の輿を狙っていた。あらぬ噂がたつのを嫌い、性欲を抑える薬を服用する能力者までいる。
 ちなみに桐林提督の場合、周囲を見目麗しい統制人格に囲まれているため、彼女たちがいろんな意味で防壁代わりとなっていた。


「官僚嫌いも変わらずか。あまりそう責めるでない。彼らが居らねばワシらもこうして戦えんのじゃ。持ちつ持たれつ、じゃよ」

『はぁ~い先生。ああ、そういえば。最近、豪勢なエサを使って“釣り”をしているみたいですけど、大丈夫なんですか?』

「うん? 何のことじゃ」

『とぼけないで下さい。私にも筒抜けだったんですよ。本当に食いつかれたらどうするおつもりです』

「はっはっは、無用な心配じゃよ。こちらでも安全は十二分に確保しとる。それで食いついたなら……潮の流れを読む、いい機会になろう」

『……怖い人です。代わりは“いない”んですから、本当にお願いしますよ』


 直接、何をとは示さないが、明確に魚釣りでないことを含ませる、安易な言葉遊び。
 調子外れな口調を正して、真摯な眼差しを向ける兵藤の姿から、その重要性、危険性が予想できる。
 だが、数秒と待たず崩れた表情に戻り、彼女は話を切り上げた。


『じゃ、私もそろそろ。“梵鐘”の御曹司と“千里”の引きこもりには、私から呼びかけますので。新人君に愛してるって伝えといて下さいね。でわでわ』

「うむ。“飛燕”はワシが。あのジャジャ馬に会うのが今から楽しみじゃわい。またの」


 映像が切れ、ディスプレイは闇に落ちた。
 無音となった執務室に椅子の回る音が響き、吉田が手元にある書類を改める。
 数枚の衛星写真が添えられていた。


「地震も、津波も発生させず、か」


 特筆すべきことのない一面の海。突き出た岩礁。大きな島。
 別々の物を写したように思えるそれは、全く同じ地点を、数日おきに撮影したもの。
 北緯十五度、東経百三十五度。沖縄本島、パラオ、グアムを結んだ三角形の中央付近に、新たな島が出現していた。
 本物と比べれば十分の一程度の大きさだが、スリランカの主要領土と非常によく似た形状から、その島はこう仮称されている。
 ――セイロン偽島ぎとう、と。


「ワシらは一体、何と戦っておるのかのう」


 地変すら自在に引き起こすツクモ艦――いやさ、深海棲艦。
 作りしは、神か、悪魔か。それとも第三の、知ることのあたわざる者か。
 今はまだ、誰も答えを得られずにいた。










《こぼれ話 暁型残り三人の新規絵・追加ボイス・改二はまだですか?(願望)》





 ただ、赤があった。燃え盛る炎のような、赤が。
 何もかもがそれに侵され、色を変える。本来の自分らしさをかき消される。
 世界の全ては今、とある存在を除いて、赤く塗りつぶされていた。


「……ふ……あは……」


 少女。
 瞳へ世界を宿す彼女は、唯一、染め切らない濃紺のセーラー服を身にまとっている。
 襟元に星型の勲章。機関部と連動する艤装を背負い、両腿へ魚雷発射管、右手は連装砲を握っていた。
 ゆらり、ゆらり。長い金髪とスカート、白いマフラーがはためく。


「さぁ……」


 砲が夜空へ掲げられた。
 緩慢に、それでいてよどみなく、それは標的に向けられる。
 今にも火を吹かんと鈍く輝き、合わせて少女が、天使のように愛らしく微笑んだ。
 弧を描く唇の裏に、薄暗い暴威を隠しながら。


「ステキなパーティー、しましょ……!」


 風はより強く。
 闘争の旋律が、最高潮に達した。


「……何してるんだい、君たち」

「あ、響ちゃんっぽい? こんにちは~」


 しかし、いきなりな質問者の登場により、ぽん、と音を立てて少女の艤装が消え、緊迫感はしぼんでいく。
 沈黙を保っていた観衆も、それを合図に動きだした。


「響だけじゃなくて私も居るわよ! で、こんな所にたむろって何してたの?」

「いらっしゃい、雷。改二ごっこ、だってさ。僕はあまり興味なかったんだけど、感想が欲しいからって」

「撮影は私がやってるんだよ? 何を隠そう白露は、みんなの中で一番に動画を撮るのが上手いんです!」


 手を上げて自己主張する雷を出迎えたのは、黒髪を三つ編みにした少女と、デジタルカメラを構える茶髪にヘアバンドの少女。白露型駆逐艦二番艦・時雨と、一番艦・白露である。
 彼女の背後で、その姉妹たちがライトや扇風機、海洋SFアニメ主題歌の流れるカラオケを切ったりしていた。
 ここは、桐林艦隊の宿舎一階にある、食堂の一角。つい最近、ゴネにゴネる那珂に提督が折れ、仕方なく購入されたカラオケステージである。
 注文通り、スポットライト、円台、壁に面する大型ディスプレイ(現在は夜の海を映している)も完備した、超豪華セットだ。


「う~、マフラー暑い~。カラコンも目がしょぼしょぼするし、夕立には合わないっぽい~。提督さんにもらったお小遣い、使わなければよかったかも~」

「あらあら、大丈夫? はい、コンタクトとって、目薬さしましょ」

「でも、すっごく格好良かったですっ。なんかこう、ソロモンの悪夢を見せてやる~、って感じで」

「あっ! 五月雨ちゃん、そのセリフ良いっぽい! もし改二になれたら使わせてもらうねー?」

「はいはい。動いちゃダメよー。ステイ!」

「村雨ちゃん、私、犬じゃないっぽい~。……ちべたっ」


 近くにあった椅子へ腰掛け、カラーコンタクトと勲章(プラスチック製)を外す四番艦・夕立。彼女に目薬を指してあげているのは、長い茶髪をツインテールに結ぶ村雨。姉の三番艦である。
 パチパチと拍手をする、色を反転させたような白いセーラー服の少女が、六番艦・五月雨だ。村雨以上に長い、目の覚めるような青い髪をストレートにしていた。


「ま、あたいが演出したんだから、カッチョいいのは当然だねっ。その連装砲、十二・七cmB型改も、実際に撃てる代物さ!」

「へぇー、凄いじゃないっ。……あれ? だけど司令官、いつの間にそんな新装備開発したんだろ?」

「や、撃てるのは撃てるんだけど、それがパチンコ玉なんだー。主任さんにちょちょいと作ってもらってさ」

「要するにオモチャなのね……。でもちょっと撃ってみたいような……」


 最後に、セットの壁へ寄りかかる、江戸っ子もどきな言葉遣いの少女が、十番艦・涼風だ。服装は五月雨と同じく白セーラー。長めの黒髪を肩上で二つに縛っていた。
 彼女だけ名前が「雨」ではなく「風」に因んでいるのは、第四艦隊事件(台風による大規模海難事故。龍驤、妙高もこの事件で被害を受けている)で発覚した耐久性の問題を改善された、改白露型、もしくは海風型とも呼ばれる駆逐艦だからである。番号が飛び飛びな理由はいつも通りなので、ここでは省かせていただく。
 ともあれ、急な客人に撮影を中断して、白露が問いかける。


「それで、二人は私たちに何か御用なの? 珍しい組み合わせだよね。響ちゃんって暁ちゃんと一番仲が良くて、いつも一緒みたいだったのに」

「姉妹仲については否定しないけど、いつも一緒にいるわけじゃないよ。暁は今、帰ってきた司令官に、どこへ行ってたのか根掘り葉掘り聞いてるんだ」

「なんだか、ダブルデートしに行ったって勘違いしちゃったみたい。で、島風も電も動けなくなっちゃったから、代わりにお土産を配って歩いてるの。部屋に居なかったからこっちかなって。はいこれ、間宮のドーナツよ」

「ドーナツ!? わーい、食べる食べるー!」

「提督、けっこう気が利く人なのね。こういうの嬉しいわ~。お皿とってこないと」


 雷が小脇に抱えていた紙箱を差し出すと、夕立は歓喜の声をあげて飛びついた。
 他の仲間たちにも、羊羹や饅頭、最中、どら焼き、プリン、アイスにケーキなど、和洋折衷な土産が渡されていたが、どうやら好みのお菓子が残ったようだ。
 せっかくの土産物。行儀良く食べたい村雨は、全員分の取り皿を用意しに行き、五月雨も後に続く。


「私はジュースをもらって来ます。お二人も飲みますよね?」

「そうね。ちょうど配り終えたところだし、ゆっくりしようかな。いいわよね、響」

「異論はないよ」

「じゃあ八人分ですね。ちょっと待ってて下さい」


 駆けていく二人を見送った六人は、近くのテーブル席へ陣取る。
 そして、待ちきれないといった様子でドーナツの箱を開封。どれを選ぼうかと迷い始めた。


「んー、美味しそー。じゃあまずは、一番艦である私が先遣隊として……」

「あ、白露ちゃんズルいっぽいー! 私も選ぶー!」

「ほうほう。あたい、こういうの初めてなんだけど、甘い匂いがタマンないねぇ」

один、два、триいち、に、さん……。ピッタリ八個あるから、ちょうどいいね。どれにしようか」

「もう、響まで。村雨と五月雨が戻ってくるまで待ってましょうよ」

「僕は最後でいいかな。残り物には福があるって言うしね」


 一つ一つ、口の開いた包装紙に収められるカラフルなそれを、少女たちは吟味し続ける。
 オーソドックスなドーナツ、間に生クリームを挟んだもの、チョコやシロップを纏うもの。アップルパイなどもあり、乙女の瞳を輝かせるには十分なラインナップだ。
 ややあって、重ねた小皿を持つ村雨と、トレイにコップを乗せる五月雨が戻ってきた。


「はいはぁーい。噂の村雨さん、ご到着よー」

「ジュース、オレンジを持ってきたんですけど、みなさん大丈夫で――あ!?」


 ――が、五月雨は唐突にバランスを崩してしまい、身体が前傾していく。
 スローモーションになる世界。
 息を飲む七人。
 トレイも前のめりに、コップの中身がふちへ迫る。


「……う。あれ? な、なんで? 転んでない……」

「ふ、ふっふーん。何を隠そう白露は、サポートも一番、と、得意なんです……! でもお願い、腕つっちゃいそうだからそろそろ自分で立ってぇ……?」


 けれど、いつまで経っても落下音は聞こえてこず、不思議に思った五月雨が目を開くと、その下で、つっかえ棒となる白露が震えていた。片手は妹のお腹を、もう片方はトレイの底を支えている。
 艤装を召喚していれば、駆逐艦でも数百kgを運べる統制人格だが、そうでない時は普通の女の子。顔がやせ我慢で引きつっていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい! 私ってば、何もないところでつまずくなんてっ」

「あ、危なかったわね。お盆とるわよ? はい、リフトアーップ」


 村雨が小皿を時雨にまかせ、振動するトレイを回収。安全な状態へ移行してから、五月雨がペコペコ頭を下げる。
 体重から解放された白露はといえば、「間に合ってよかった……」とため息をつきながらも、にこやかな顔つきだ。


「五月雨ちゃん、気にしない気にしない! 今回はセーフだったんだし。それに、こういう時一番うれしいのは、ごめんよりありがとう、だよ?」

「はぃ……。陸の上でまで、何度もごめ――ううん、ありがとう」


 申し訳なさそうな顔から一転、五月雨は感謝の笑顔で答えた。
 かつてまだ、船の身体しか持たなかった頃。彼女は白露と衝突、かなりの損害を与えてしてしまう経歴があった。戦闘の混乱で仕方ない部分も多いが、ごっつんこ組の一人(実は妙高・那智なども)である。陸の上、と付け加えたのはこのことだろう。
 傀儡艦になった現在、それを繰り返してしまうかは、本人の注意力にかかっている。
 頑張ろう、と密かに心で決意する五月雨であった。


「話もまとまったことだし、そろそろ食べようよ~。私、もう我慢できないっぽい~」

「そうそう、早いとこ座んなよ五月雨。ほら、こっちこっち」


 そうこうしている間に、皆の手でコップなどが配膳され、オヤツの準備は万端になっていた。
 ドーナツの箱を中心として、片側に白セーラーの雷、響、五月雨と涼風。反対側に黒セーラーの白露から夕立が座った……のだが、白露はすぐさま立ち上がり、注目を集めるように手を上げる。


「ではっ、ここは私が音頭を取りまして……。いただ――」

「いただきま〜すっ。夕立これ~! 生クリーム挟んであるやつ~」

「わたしも先に選んじゃうからね? よし、ショコラ味ゲッツ!」

「んじゃ、あたいはアップルパイにしよっかなー。五月雨は?」

「う~んと……。シナモン、がいいかな。ありがとう、涼風ちゃん」

「私はハニーシロップもらうわ。……あれ。響、いつの間に取ったの?」

「早い者勝ちだからね、こういうのは。前から食べてみたかったんだ。……うん、もちもち感がХорошо素晴らしい

「そんなっ!? わ、私が、この白露が一番遅いだなんて……!?」


 しかし、それを無視して甘味へ群がる少女たち。
 何故かやたらと一番にこだわる白露。挨拶を終えた瞬間、一番先に手を伸ばそうという目論見が外れ、彼女は悲しみにくれる。
 おかしな姉を慰めるのは、静かに福を待つ時雨だ。


「あの、僕はまだ取ってないから。先に選ぶ?」

「あ、ここまで来たらむしろ一番最後がいいかも」

「そう? なら、遠慮なく」


 とにかく一番とつけばなんでもいいのだろう、白露は妹へ先をゆずる。最終的に、時雨の手にはカスタードパイ、白露にはストロベリードーナツが渡った。
 思い思いに頬張り、皆が舌鼓を打つ。夕立や村雨などは、「ん~♪ い~じゃないですか~、このお味♪」「あぁー、いい仕事してますねぇー」と妙なかけ合いまで。
 そんな時、ふと何かを思い出した雷が、向かいの席へ視線を投げる。


「あ、そうそう。ねぇ時雨、改二ごっこって何? そんな言葉、聞いた覚えがないんだけど」

「さぁ。僕は夕立に誘われただけだから、詳しくは。涼風は知らないかい?」

「はぐ、んぐ……。あたいもよくは知んないね。面白そうだから手伝ってただけだし。あの銀玉鉄砲だって、たまたま作ってもらってたもんさ」


 カチャリ。重厚な厚みを見せる連装砲を構え、「ほら、射的とか好きじゃん? あたい」と、おそらく初出の情報を口にした。
 片目を閉じ、開いた窓へ狙いを定める姿は様になっており、口元も楽しげだ。縁日などで射的に興じる彼女が、皆の脳裏に浮かぶ。
 当てて喜び、外して悔しがるお転婆な少女は、客寄せにピッタリだろう。


「やっぱり、言い出しっぺに聞くのが確実じゃない? ほら」

「んむ? なに村雨ちゃん。あ、私の出番っぽい?」


 可愛らしい想像に微笑む村雨が、発起人へと話をつなげる。
 べったり付いたクリームを指で舐めとった後、夕立は「おっほん」と立ち上がり、解説を始めた。


「えっとね。昔の夕立って、第三次ソロモン海戦で大活躍したっぽいでしょ?
 今の私じゃ無理っぽいけど、もっともっと鍛えて、改修を重ねてもらったら、あんな戦果を出せるんじゃないかな~と思ったの。
 さっきのはイメージトレーニングも兼ねてるっぽい?」

「凄いわよねー。たしか、巡洋艦二隻と駆逐艦一隻を大破させちゃったのよね?」

「おぉー、やるねぇ夕立。ぃよっ、ニクいねっ」

「敵味方が入り乱れる混戦だったから、正確な情報は残っていないらしいけど、それでも、駆逐艦一隻の戦果としては凄まじい」


 過去の自分とはいえ、村雨、涼風、響にまで褒められれば嬉しいのも当然。「けっこう頑張ったっぽい?」と、夕立が照れ臭そうに髪をすく。
 彼女が活躍した、ソロモン諸島沖・サボ島周辺は、アイアンボトム・サウンド鉄底海峡とも呼ばれる激戦地である。
 多くの海戦が繰り広げられる中、第三次ソロモン海戦と名付けられた夜戦において、駆逐艦・夕立は自らを沈めながら、凄まじい戦果をあげたのだ。
 この他に、夜戦第二夜では、敵 駆逐艦四隻を単騎で叩いてみせた驚異の武勲艦も存在するのだが、それはまた別の話である。


「だけど、私たちの大規模近代化改修って、普通は一回までじゃありませんでしたっけ?」

「そのはずよ。資材に余裕があれば司令官が改修してくれるけど、それ以上は装備の改装くらいしか、してもらってないわ」

「でも、調べてもらったらなんか出来るっぽい? かなり練度をあげないとダメっぽいんだけどね、どうせなら目指してみようかな~って」


 唇に指を当てて疑問顔の五月雨へ、雷たちが補足を。
 時間を超え蘇った軍艦である彼女たちは、その改善すべき点や、資材的な問題などで実装されなかった改造、新たな発展の方向性がすでに研究され尽くしていた。特に事情でもない限り、戦力向上のため、即時改修を行うのが常である。
 ここで言う改修と改装、改造の違いは、改修が性能向上のために船体などへ手を加えることであり、改装は砲や機銃、魚雷など、艤装の変更にあたる。そして、艦種の変更をともなうほど大きな改修・改装(扶桑型戦艦の航空戦艦化など)が改造と呼ばれるのである。
 駆逐艦の夕立へ施せるのは、改修・改装のみ。これを行った艦は、便宜上「◯◯改」と名称をあらためるが、しかし、あまりに改良しすぎれば、古き船の統制人格と、新しくなった船体との間で認識のズレが生じ、傀儡艦としての役割を果たせなくなるため、限界はあった。
 ゆえに、二度目の大規模近代化改修を施せる船は、ズレを自らの意思で補正しうる、感情持ちだけである。今はまだ練度の関係で無理だろうが、経験を積み重ねれば、日本初の改二駆逐艦・夕立改二も夢ではないだろう。


「私も憧れるなぁ、白露改二……。名前はちょっとアレだけど、一番になれそう!」

「そういった意味でなら、僕も強くなれるのかな。一応は、佐世保の時雨、なんて呼ばれていたわけだし」

「かもしれませんねっ。夕立ちゃんや時雨ちゃんなら、きっとすごく強くなれるのかも!」

「えへへ~。夕立、ニューバージョン目指して鍛えるっぽい!」

「うん。僕も、自分がどこまで行けるのか、興味がある。酸素魚雷とか積んでみたいな」

「はぁ。いいわねぇ、活躍した過去がある子って。わたしなんか、出番が多かったのは輸送任務だけよ? そもそも改修してもらえるかなぁ。うぁあん……」

「てやんでぃ! そんなんじゃあ、本当にしてもらえなくなっちまうよっ? シャキッとしなって!」


 だが、上を目指す心意気には、長い道のりも些細なこと。五月雨の応援を受け、自らの進む先を夢想する二人だった。
 時雨もまた、夕立とは違う形で讃えられた駆逐艦だ。珊瑚海海戦やミッドウェー海戦、夕立の活躍した第三次ソロモン海戦にも参加。以降も数々の作戦へ加わった船なのである。残念ながら、終戦までは残れなかったが、激戦を長く生き抜いた事実は称賛に値する。
 それにひきかえ、彼女たちほど華々しい逸話を持たない村雨は、べたー、とつっぷして落ち込んでしまう。男らしく(というのも変だが)足を組む涼風が発破をかけても、全く効果なし。
 気持ちは分かるが、どう声をかけていいものか……と皆が悩む中、不意に響は、雷に見つめられていることに気づく。


「なんだい、雷。さっきから見てるみたいだけど」

「うん、ちょっと。ひょっとしたら、響もなれるかもしれないわね、改二。なにせ、昔の大戦を生き残った、数少ない船なんだし。そうなったら私も鼻が高いわ!」

「……どうだろう。ワタシはただ、生き残っただけだから。あの頃は、暁が先に逝って、電も助けられなくて、君も……。不死鳥の通り名、誰かに恩恵を与えられれば、もっと良かったのに」


 期待の眼差しに、しかし、響は小さくなったドーナツを置く。
 損傷を受ける機会は多かったものの、乗組員の奮闘や、修理のタイミングなどが功を奏し、終戦まで沈没をまぬがれた彼女だが、こうして意思を持った今、「生き残ってしまった」という後ろめたさを感じていた。
 上記のソロモン海戦に暁が沈み、雷は別日、敵潜水艦から雷撃され、看取られることもなく闇に消えた。そして終戦間際、電までをも目前で失う。この孤独を真に理解できるのは、同様に生き残った幸運艦であり、時雨と並び立つ存在――呉の雪風くらいであろうか。
 今度こそかける言葉は見失なわれ、しんみりとした空気が食堂にただよう。


「だったらさ、与えられるようになっちゃえばいいんじゃない?」


 それをいの一番に打ち破る声。
 すっかりドーナツを食べ終えた白露だ。


「昔のことは昔のこと。今はこうして、お菓子まで食べられるようにもなったんだもん。
 きっと何だってできる、何にだってなれるよ! そして、艦隊一の駆逐艦に、私はなるんです!!」


 立ち上がり、勢い良く天を指差す彼女の眼には、臆する気持ちなど微塵もなかった。
 純粋に自分の未来を信じ、疑うことを知らないような、一直線の宣誓。
 それは、目覚ましい効果をもって周囲に作用する。


「だって。負けてられないわよ、響?」

「うん、そうみたいだ。不死鳥の名は伊達じゃない、やれるさ」

「頼もしいね。僕も特訓とかしてみようかな」

「なら私もっ。一人でやるより、二人でやった方がずっと楽しいっぽい!」

「むむ……。わたしだけ仲間はずれも嫌ね……。よぉし、今度の出撃では、村雨のちょっといいとこ、みんなに見せたげるっ」

「おぅおぅ、その意気だよ! あたいたちが力を合わせりゃあ、それこそ千人力さ!」

「みんながんばって! 五月雨、影ながら応援しますっ。もちろん私も、一生懸命がんばりますから!」


 勢いづく七人の顔を確かめ、満足そうに白露はうなずく。
 どうやら彼女、ムードメーカーとしてもトップを目指しているようだ。結果も良好。先行きは明るいのかもしれない。
 食べるスピードまで加速させた夕立など、おまけにジュースを一気飲みしてしまうほどである。


「ぷはぁ。お腹いっぱい――ではないけど、大満足っぽい! じゃあ私、さっそくセットの準備してくるね~」

「よぉーし、私もとことん付き合っちゃうよー!」

「へ。まだやるの? 改二ごっこ」


 気合十分、再びステージへ向かう背中二つに、雷が声をかける。
 白露はそのまま、スキップしていた夕立がピタッと足を止め、後ろ歩きで時雨の背後に戻り、肩へ手を置いた。


「当然! だって時雨ちゃん言ってたでしょ、特訓したいって。今度は夕立がお手伝いっぽい?」

「………………え? いや、僕が言ったのはそれの事じゃなくてね。普通に演習とか、砲撃訓練とか……」

「いいからいいからっ。カラコンの色は? 背景は? 決めゼリフはカッコイイ系がいいっぽい? それとも可愛い系?」

「えぇえぇぇ」


 すでに食べ終えているのを確認すると、しぶる姉を無理やり立たせて背中を押す。妹の無垢な好意を拒めないのか、時雨は抵抗すらしていない。
 残る六人は顔を見合わせ、「しょうがないか」と苦笑い。フォローをするためにおやつタイムを切り上げ、全員で後を追う。
 ステージのそばでは、ズラリとカートに並んだコンタクトやアクセサリー類を、次の主役が訝しげに見つめていた。


「うーん……。こんなので眼の色を変えても、意味あるのかな……。これ、鎖……?」

「形から入るっていうのも良いんじゃないかしら。ほら、先に錨がついてるし、ちょっと悪女みたいに。どぉう? 村雨、アダルティに――あれ。ちょ、ま、絡まって取れないっ」

「あーあー、なにやってんだい、ったくもー」

「だ、大丈夫ですか!?」


 アクセサリーというよりは、小道具類だろうか。先ほど夕立が巻いていたマフラーやら、オープンフィンガーの革手袋やら、ゴツい鎖分銅(錨型)やら。他にも帽子やマントなどが揃っていた。
 そのうち一つを振り回してみた村雨だったが、うっかり身体へ巻きつけてしまい、網にかかった魚のよう。涼風、五月雨が救助に入る。
 姉妹たちの面白おかしい様子を眺めていた時雨は、付いたままの値札から、供給元が酒舗であると知り、どんな基準で商品を置いているのかを疑問に思ってしまうのだった。


「あ、そうだ。少し思い出したんだけど、僕たちって、本当に個性的な外見してるみたいだね」

「んえ? どういうこと時雨ちゃん?」


 唐突な発言に首をかしげる、デジカメを構えた白露。
 向けられた時雨は「恥ずかしいから」と顔を隠しつつ、理由をその話しだす。


「僕が提督に呼ばれた時、彼は驚いていた……というか、意外そうな顔をしていた気がして、後で理由を聞いたんだ。
 そうしたら、『自分が知っている時雨とは、見た目的に違ったから』と言っていたんだよ」

「あぁ。そういえば司令官から聞いたことあるわ。他のところにも私と同じ子はいるけど、顔立ちも違って、みんな黒髪みたい」

「白髪の響も、他にはいないようだね。少し、寂しい気がするかな……」


 雷たちの言に、それぞれが自分の髪をつまんだ。
 統制人格は、その肉体を構成する霊子を固着する際、主である能力者の影響を多大に受ける。
 万物に宿るとされた、不可視の架空物質・霊子。傀儡能力発現まで眉唾とされてきたが、長年の研究成果により、特定の波動――いわゆる、音で増幅・物理的性質を得ることが確認されていた。古来より、祭事において神楽や祝詞などが用いられたのは、このことを経験則的に学んでいたからではないか、とされている。
 しかし統制人格とは、鉄の塊である軍艦を動かすほどの、強大な干渉能力をもつ存在。実体化するには大掛かりな機械装置に加え、“呼び水”となる分御霊が必要なのだ。
 もちろん能力者から分かたれたものであり、そこから生まれ出でる彼女たちは、日本人然とした外見がほとんどなのである。夕立などの金髪ならまだ例はあるが、五月雨のような、人間に現れない髪色を持つ統制人格まで属する桐林艦隊は、ある意味、異常であった。


「それってつまり、夕立たちは2Pカラーっぽいってこと?」

「というより、オンリーワンだよ、オンリーワン! 一番とはちょっと違うけど、格好良いよね! いいなー。私、普通の茶髪だし。いっそピンクとか、赤とかに染めてみようかな」

「五月雨の髪とか、すげー綺麗だしねー。あたいと服も揃いで、嬉しいよ。こんなみば見栄えのいい制服、一人でなんか着られっこないしさ」

「そんなこと、涼風ちゃんも似合ってますよ? でも、ありがとう。嬉しいです」


 ゆらゆら。上機嫌に揺れる青い髪。
 よほど嬉しかったのか、五月雨は満面の笑みで準備に加わる。
 すると、両手に扇風機とスポットライトを持つ夕立が、うずうずした表情で時雨を急かす。


「ねぇねぇ時雨ちゃん。それはいいんだけど、どんなポーズ取るかとか決めた? 私、早く見てみたいっぽい?」

「撮影班・白露、とっくに準備はできてるよー!」

「背景画像も、スタンバイOKよ」

「BGMはお任せください!」

「う……。わ、分かった、やるよ……」


 レンズを覗く白露。いつの間にかキャッチ&リリースされ、ディスプレイの操作を担当する村雨。リモコン片手に選曲カタログを開く五月雨。
 あまり乗り気ではない時雨であったが、ここまでお膳立てされてはどうしようもなく、ため息をつきながら艤装を召喚した。


「あれ。コンタクトも、小道具も使わないのかい?」

「うん、このままで。早く終わらせたいし。注目を浴びるのは、苦手だよ……」


 響からの問いかけに、顔を赤らめる時雨。
 見ている分には良かったが、実際にこの場へ立ち、しかも決めゼリフを言わなければならないなんて、恥ずかしすぎた。
 戦闘中であればいざ知らず、特に気分も高揚していない状態では、罰ゲームと変わらない。
 そんな彼女を励まそうと、手の空いている涼風や雷が声援を送る。


「元気ないわね~。そんなんじゃダメよ? せっかく可愛いんだから、笑顔笑顔っ」

「そーそー……って言いたいとこだけど、夕立と違って落ち着いた雰囲気のがいいかもねー。
 背景は雨で、風無しのライト弱め。んで、しっとりした感じの曲でも流せば……。うんっ、これならいけるいけるぅー!」

「そう、かな。……ちょっとだけ、頑張ってみよう、かな」

「しっとりした曲ですね? ちょっと待ってください。えっと、えっと……」

「雨かぁ、確かにいい感じかも。ポチッとな!」


 村雨の操作で、ディスプレイに雨が降り始めた。スピーカーからは環境音も流れ出す。
 ほだされかけていた心へ雨音が沁み、時雨は徐々にスイッチを入れる。
 浮ついていた表情も落ち着き、やがて女優の顔へと。


「時雨ちゃん、心の準備はできたっぽい? それじゃあ、撮影開始っぽい!」

「さぁー、はりきって行きましょー!」


 それを感じ取った夕立が、どこから取り出したのかカチンコを構えて、白露の声でうち合わされる。
 しとやかなイントロが奏でられ、デジタルカメラも録画を開始。楽しい楽しい撮影会は、こうして始まった。
 近い将来。
 この映像が原因で羞恥に悶え苦しむとは、露にも思わないまま。
 そして――


「決めゼリフ、か……。本当の戦闘って奴を教えてやるよ、とか……」

「おっ? 木曾、いいじゃねぇかソレ。今度使えよ!」

「ぬぉあ!? て、天龍っ? いつからそこに居た!?」

「んなことはどうでもいいだろ。なぁなぁ、オレたちの改二ってどんなだろうな? オレはやっぱ防空巡洋艦か? けどそうなると打撃力がなぁ」

「む。難しいところだな。まぁ、俺は順当に雷巡だろう。どんな姿になれるか……」

「あら~。二人とも仲良しね~。こういうのも類友って言うのかしら~」


 ――密かに様子を見守っていた三人の少女まで、土産のチュロスをかじりながら「オマエも剣持てよ」「いや使い所がないだろう」と、改二予想図談義に花を咲かせるのだった。
 どんとはらい。




















 紳士のたしなみ、大型艦建造。貯めに貯めた物資All五万と開発資材六百をつぎ込んでの結果を、以下に記します。
 瑞鶴、霧島、まるゆ、扶桑、金剛、矢矧、飛鷹、陸奥、伊勢、榛名、比叡。
 ………………まるゆたん可愛いよ! 白スクとか大好物だよ! ステが全部一桁でも、兵装載せられなくても使うよ!
 それに、イオナとかタカオとかハルハルとか、ドロップ時からクリスマス仕様だった那珂ちゃんとか、剥いても肩しか出してくれない401ちゃんが居てくれるし、悲しくないよ!! ……ないよ!!!!!!
 あ、もし大和や大鳳、あきつ丸を出した人がいたら名乗り出てください。祝ってやる。侵食魚雷でな。
 というわけで、今回はデートに行くよ詐欺&死んだかもしれない詐欺な話と、白露型姉妹+αの話でした。妙に長くなっちゃいました。
 次回からしばらく、誰もが認める艦これのラスボスへ挑む話となります。お楽しみに。
 それでは、今年はこれにて失礼いたします。皆様、良いお年を。

「……なぁ、暁? そろそろ機嫌直してくれないか」
「別に、怒ってなんかないし。これが普通だし。お出掛けしたかったわけじゃないし。司令官しつこいです」
「あ~……。こ、困ったな~。次の任務では、君を旗艦に指名したかったんだけどな~。
 来る予定の新人軽巡たちを、“先輩”として指導してあげて欲しかったんだけどな~。暁にしか頼めないんだけどな~」
「……っ! しょ、しょうがないわねっ。そこまで言うなら、特別に行ってあげてもいいけど?
 まったくもう。こんなに頼りにされちゃうなんて、困っちゃうわ。……ぇへへ。先輩。ぅふふ」
(喜んでる。めっちゃ喜んでる。頭なでくりまわしたい)





 2013/12/30 初投稿+誤字修正。とおりすがり様、ありがとうございました。
 2014/01/11 誤字修正







[38387] 新人提督と“桐”の集結・前編
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2014/01/25 12:33





 冬。
 わたしの得た力に傀儡能力という名がつけられ、一ヶ月が経とうとしている。
 同僚は五人となり、彼女と同じ存在――統制人格もその三倍に。
 彼女たちを通じて操る傀儡艦は、驚異的な性能によって敵を打ち砕いていく。
 当時と比べ物にならないほど進化した護衛艦に並ぶ戦果を、旧世代の遺物があげるのだ。誰もが感嘆し、恐れた。
 数の暴利で人類を閉じ込める敵性勢力――ツクモ。条理にそぐわない存在として、根源を同じくするモノではないか、という意見が多かったからだ。

 けれど、わたしたちはこの力を頼るしかない。
 若い命が散って行った。宇宙そらへの足がかりは途絶え、自殺者も後を絶たない。希望が必要だ。明るい道行きが。
 “人”の身代わりとして挺身する“人形”。
 知らしめるか、議論はまだ続いている。物言わぬヒトカタたちを無視して。

 そんなある日。
 わたしは執務をこなすため、与えられた一室へおもむく。
 扉を開ければ、整然とした室内で彼女が立ち尽くしていた。挨拶もせず、細い背中へ名を呼びかける。
 返事は得られないと知りながら。呼び留めるように。


「……あ、はい。なんでしょうか。何か御用ですか?」


 腰が抜けた。
 振り向いていた。
 小首をかしげる“あの子”が、そこに居た。


 桐竹随想録、第五部 雪に萌ゆる、冒頭より抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「うっわぁ、すごっ。司令、ねぇ司令っ、凄く速いわね!」


 カタン、カタン――と、わずかに感じる揺れの中、窓へ背を向けたソファーで少女が膝立ちとなり、ガラスにへばり付いてはしゃいでいる。
 黄色いリボンでくくられたツインテールを弾ませる彼女は、年恰好と合わさって、修学旅行中の女子学生にも見えた。


「そうだな。興奮するのも分かるんだけど、ちょっと行儀が悪いぞ?」

「いいじゃない、電車に乗るのなんて生まれて初めてなんだからっ。景色も綺麗……」


 一瞬だけブーたれた顔をするも、すぐに笑顔を振りまく少女――陽炎。思わず隣で微笑んでしまう。
 自分たち二人は今、大湊警備府へ向かう時にも使用した、専用列車に乗っている。六両編成の中央前部、広々としたラウンジカーが現在位置だ。
 丸ごと一車両を改装してあるここは、分厚い防弾ガラスと並列した長い座席を片側に、対面は回転椅子とテーブルの据えられる、豪奢な造りだった。
 前は楽しむ余裕なんてなかったが、こうしていると旅行気分である。


「でも、けっこう静かな物なのね、電車って。もっと揺れるかと思ってたから、なんだか拍子抜け」

「そりゃあ高級車だからな。普通のと比べたら乗り心地は段違いさ。自分が初めて乗った時なんか感動したよ。椅子なんてほら、ふっかふかだし」

「へぇー。普通のはこうじゃないんだ。長く乗ったらお尻痛くなっちゃいそう……。はー。にしても楽しみだなー。どんなとこなんだろう、舞鶴って」


 しみじみとため息をついた陽炎は、キチンと座り直して目を閉じる。どうやら、旅の終着駅に思いを馳せているようだ。


「里帰りみたいなものだし、やっぱり感慨深いか」

「そりゃあもちろん。響ちゃんや島風ちゃんも一緒できたらよかったのに、残念だわ。お仕事じゃあ観光も無理そうね」

「だな……。本当にありがとう、急な出張に付き合ってくれて。正直助かる。いきなり過ぎて、一人じゃ心細かったから」

「ああ、お礼なんていいのよー。司令の精神的なサポートも、秘書官の務めだもん。それに、昔の私が産まれた場所を感じられれば、それで十分」


 少しだけ照れた様子で、ヒラヒラ手を振る彼女。広すぎるように感じた車内も、旅の道連れがいれば全然違った。これなら本調子で臨めそうだ。
 昼前に横須賀を出発した特急列車は、時も遥けき西の宮処、京都を目指していた。終着駅は舞鶴市。約五時間の道程である。
 目的は、舞鶴鎮守府で行われる“桐”の談合。
 かつて、桐竹源十郎氏が属したこの鎮守府。“桐”を冠する能力者にとって重要な場所とされており、例の大侵攻を経て、最も防御の硬い要塞と化していた。
 それだけでなく、戦時から海軍工廠こうしょうも敷かれ、多数の駆逐艦を送り出した実績があった。ここにいる陽炎は横須賀生まれだが、大元である艦船は京都出身。彼女にとってはもう一つの故郷でもあるのだ。
 名前が出た二人も同じだけれど、あまりに急な呼び出しで通常任務との折り合いがつかず、二人旅になってしまった。せめてお土産だけでも買ってあげたいな……。
 なんて思っていると、それを酌んだのか偶然か。陽炎の方から話題を振ってくれる。


「それより、お土産どうする? 定番の八つ橋かな。和紙とかも有名よね」

「うーん。千枚漬けとかもいいんじゃないか。あとは何があるだろ……。前持って調べておけたら良かったんだけど」

「急だったもんねー。電話一本で即日舞鶴まで呼び出すとか、なに考えてんのかしら」

「さぁ……? きっと理由はあるはず……と思わなきゃ、やってらんないよ。こんなブラックな仕事」


 おそらく、深海棲艦への対抗手段を論じるんだろう談合の連絡は、普段通り執務をこなし始めた午前十時。単身、呉へ赴いている吉田中将からの直通電話で知らされた。
 すでに列車も横須賀に到着しているという無茶な日程だったが、逆らうなんて選択肢はない。大慌てで準備を整え、後を書記さんたちに託し、不測の事態にも備えるべく、自分は陽炎に同行を頼んだ。
 最近は色々と物騒なので、いざという時に統制人格が居てくれれば助かるのである。中将の勧めも大きい。ま、護衛を務める兵士たちも派遣されているから、矢面に立つことはないだろう。


「あれー。そんなこと言ってもいいのー?」

「ん。どういう意味だ。ってこら、突っつくな」


 何やら意地の悪い笑みを浮かべる陽炎が、脇腹にイタズラしてくる。
 身をよじりながら半眼を向ければ、今度は自信あり気な顔。


「だって、司令がこの仕事してなかったら、こーんな可愛い女の子たちに囲まれる生活なんて出来なかったのよ? 辛いかもしれないけど、そのぶん恵まれてるんだから頑張らなきゃ!」

「自分で自分を可愛いというか。否定はしないけども……」


 小憎らしいことに、本当に可愛いとしか言い様のない笑顔を浮かべ、自身を指差す陽炎。
 うん。恵まれてはいる。いるんだけど、それはそれでまた辛い問題を引き起こすんだよ……。


「それなんだけどな。実は近々、同じ間取りの離れでも作ってもらって、自分はそっちで寝起きしようかなって考えてるんだ。ご飯の時だけ宿舎に来てさ」

「え、そうなの? でも、なんで急に……」

「……川内が、うるさいんだ」

「あー、なるほど……」


 どんより。闇に包まれるラウンジカー。タイミング良くトンネルへ入ってしまったらしい。
 元から夜戦夜戦とうるさかったが、少し前に夜通し戦術研究をしてからというもの、その要求はエスカレートしていた。
 寝ようと思っていたら部屋に侵入してきて「次の夜戦はいつ?」。鍵をかけたら合鍵使って「夜間は?」。タンスとかで物理的に塞いだらベランダをよじ登り「ねぇ夜間~」。雨戸を締め切っても屋根裏から「や~せ~ん~!」。いつの間にか、床の間へ【夜戦主義】なる掛け軸まで飾られていた始末。
 まだ夜間演習でごまかせてるからいいけど、もうノイローゼになりそう。一人の時間が欲しい。切実に。


「き、気持ちは分かるけど、元気だしていこうよ? ほら、トンネル抜けたし、もっと明るいお話ししよう?」

「……そうだな。じゃあ、黒潮と龍驤のキャラ被り問題についてでも話すか……」

「深刻な事案よね……。龍驤ちゃんは特徴的なシルエットっていう個性があるからいいけど、黒潮はごく普通の駆逐艦だし……って別な意味で暗くなっちゃうわよ! もっと別の話題ー!」

「ダメか? なら、最近すっかり遠征旗艦が板についた祥鳳の今後については?」

「だから暗くなるってば! あの人、『いつになったら提督の指揮下で戦えるんでしょう』って悩んでるし、そろそろ実戦に連れてってあげて! できれば私たちもっ。はい次っ」

「分かっているんだけど、なかなかタイミングがなぁ……。それじゃあ、不知火の冷たく突き放すような口調がクセになってきた件について」

「そんなの知るかー!」


 ズバズバ話を切って捨てる陽炎と、突っ込まれるのを理解しながら話題を探す自分。二人を乗せて、列車は京都へ近づいて行く。
 そこで待つ“桐”たちとの出会いは、一体なにをもたらしてくれるのか。
 首をひねりつつも、漠然と、こんな事を思っていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 一般人が利用する区画と断絶された、地下の専用プラットホームは、ガランとした広い空間で列車を迎えた。
 広告も何もない。色といえば、壁の白さと黄色い警告線。前後車両に詰めていた、茶褐色をまとう兵士たちだけ。
 安全確保に数分待ったあと、ようやく東舞鶴駅の土――コンクリートを踏みしめる。


「んーっ! やっと着いたぁ。けっこう快適な旅だったわね、司令」


 先んじて飛び出した陽炎が、大きく背伸びをし、振り返った。
 自分と違って疲れなど一切見せない……いや、実際ないのだろう。彼女は元気一杯だ。


「君はそうだったろうな、君は。あぁ、トイレが間に合って良かった。足痛い」

「う。ゴメンって謝ってるじゃない。日差しと揺れが気持ち良くて、つい……。寝心地も悪くなかったし……」

「だからって三時間も膝枕させられたんじゃ堪らないよ、まったく」


 嫌味ったらしく片足をさすりながら追うと、申し訳なさ半分、恥ずかしさ半分といった表情があった。
 あれからしばらく会話に花を咲かせていた自分たちだが、途中から陽炎の反応は薄くなり、そのうち、うつらうつらと眠ってしまったのである。
 はしゃぎ疲れて寝るとか子供っぽいなー、なんて笑っていたら、身体が倒れこみ寄りかかられる体勢に。耳をくすぐる寝息でドキッとさせられたのも束の間、今度はズルズル下がって膝の上へ。
 軽いとはいえ、人の頭が何時間も乗っかっていれば疲れるのは当然。しかも途中でトイレに行きたくなり……。決壊しなくて助かった。よく頑張った膀胱。もう無茶はさせないからな。


「仕方ないでしょ、寝ちゃったものはっ。嫌なら落っことせばよかったのよ」

「それは……起こすのも可哀想かな、と思ってだな……」

「なら私のせいじゃありませんー。それより、寝てる間に変なことしてないでしょうね? もしイタズラなんかしてたら、電ちゃんと鳳翔さんと龍田さんに言いつけちゃうわよっ」


 内心で自分を労っていると、鼻先へ人差し指を突きつけられる。どんな目で見られてたんだ自分は。いくらなんでもそこまで下衆じゃない。
 というか、その三人に逆らえないの、やっぱりバレてるのか……。まぁ、後ろめたいことは無いし、ここでちゃんと宣言しておこう。


「陽炎。確かに君の寝顔はイタズラしたくなるくらい可愛かった。だが安心しろ。
 意識のない女の子を襲ったりなんかしないし、何より、そういうことは嫁さんにする子とだけって誓いを立ててる。
 どこをどう間違っても、君とそんな関係になることはあり得ないから、大丈夫だ!」

「………………うーん?」


 手を腰だめに、満面の笑みでそう言い放つ。
 すると、伸ばした指先を迷わせ、なんとも言えない微妙な目つきで考えこむ陽炎。
 ややあって、一つ大きくうなずいた彼女は――


「そっか、っ。安心した、わっ。司令ったら意外と硬派なの、ねっ!」

「痛、痛い、痛いって! スネを蹴るなスネをっ。なにすんだっ」

「あははー。ゴメーン。急に八つ当たりしたくなったのー。だから大人しく蹴られて?」

「嫌に決まってるだろ!?」


 ――笑いながら怒るという器用な真似をしつつ、革靴で攻撃をしかけてきた。
 なんなんだよもう……。そっちから嫌がったくせして、実際に否定すると怒り出すとか、女の子って面倒くさい……。


『――れ――』

「……ん? 司令、今の聞こえた?」

「は? いいや、何も。どうかしたか」

「うん……。なんだか、変な声が聞こえた気がして……。ほらまたっ」


 そんな風に、仕事前の最後の一服としてふざけていたのだが、陽炎が急に気を配りだす。
 言われて耳を澄ますと、かすかに『――れだぁ』という、しゃがれた女性の声。ザワつく兵士たちも、見るかぎり全員男性だ。彼らじゃない。
 秋が近づいているとはいえ、まだ夏。そこかしこに人は居るのに殺風景なホームが、おどろおどろしい雰囲気を演出した。


「なんだ? この、地の底から響いてくるような声は……っ」

「っていうか、ホントに下の方から聞こえてきてるような……?」


 知らず、互いをカバーしようと背中を合わせる。けれど、またも彼女の言うとおり、声は先ほどより近く、足元へ発生源が現れたように。
 錆びついた動きで、今度は顔を見合わせた。見たくないものを、それでも確かめずにはいられず、ゆっくり視線を落とせば――


『――まるで長年連れ添った友達以上恋人未満な幼馴染同士みたいにラブコメってるのは、だぁれだぁぁあああっっっ!!!!!!』

「ぎゃああっ!? 何してんすか先輩ぃっ!?」

「ひぃぃいいいっ!? でたぁぁあああっ!!」


 ――ボイスチェンジャー片手に、般若の形相をする先輩が寝そべっていた。一体いつ、どうやってこんなとこに滑りこんだんだよ、この人はっ。
 あと、さり気なくこっち見てる陸軍歩兵ども。「よくぞ言ってくれた!」的な顔してんじゃねぇ。仕事しろ。不審者がいるぞ。


「やぁやぁ、久しぶりだねお二人さん。新人君を迎えに来たはずが、まさか陽炎ちゃんにまで会えるとは。嬉しい誤算だ。相変わらず可愛いね、スパッツに浮かぶパンティーラインが良い感じだよ!」

「やだっ。もぅ、なんなのー!? なんで兵藤さんがここにいるのよ司令ー! またスカートめくられるのはいやーーー!!」

「おい、落ち着けってば。大丈夫だから、自分が手出しはさせないから、な」

「うーんこの反応。流石に傷つく。でも泣き顔がまたそそる」


 やめてくださいよ本当に。陽炎、背中にピッタリくっついて震えてるんですよ。
 あなたが横須賀へ呼び戻されてた頃、一日三回はスカートめくりされたのがトラウマになっているんですよ。いい加減にしてください。


「どっこいしょ。あ、どっこいしょって言っちゃった……。まぁいいか。何はともあれ、舞鶴へようこそ、新人君」

「……どうも」


 年寄りくさく立ち上がった先輩――兵藤提督は、軍服の埃を払い、握手を求めてくる。
 いやーな感じはしたけれど、ひとまずその手を取り、目礼……あぁぁぁ指が嫌らしくまとわり付いてくるぅぅぅ。


「うひぃ……っ、で、先輩。陽炎も言ってましたけど、どうしてここに? 佐世保にいたはずじゃ……」

「それはもちろん、新人君に会いたかったからさ。何ヶ月もご無沙汰だろう? 身体が疼いてしまってね。佐世保へ属する“桐”の御二方に無理を言って、会議に同行させてもらったのさ」


 “桐”の御二方……というと、“梵鐘”の桐谷きりたに少将と、“千里”の間桐大佐か。確か舞鶴に“桐”はいないし、残る“飛燕”の桐ヶ森大佐は呉の所属だから、うん。間違いない。
 しっかし、明らかな上官へも普通にゴリ押しできるとか、謎の発言力もってるよな、この人。疼くだのなんだのにはツッコミませんから。


「いやはや。おかげで陽炎ちゃんの魅力的な太ももを見上げることが出来たし、今日はツいてる。私の足も君みたくスラーっとしてたらなぁ」

「兵藤さんに褒められたって嬉しくありませんーっ。これ以上近寄らないでくださいーっ」


 ヒョコッと顔を出し、最後の「いーっ」で子供のように歯を見せる陽炎。そんな姿も可愛いのか、先輩はニヒニヒ笑っていた。


「おうふ、嫌われてしまったよ新人君っ。さぁ、傷心なお姉さんの肌を厳つい指で慰めておくれっ」

「むしろ喜んでませんか先輩は。嫌ですよ、離してください……離し……ええい離せぇ!」

「あんっ! そんな乱暴にぃ!」


 調子づかせるのもアレなので、服の内側へ導かれそうだった手を引き剥がそうとするのだが、やけに硬くて本気を出す。
 声だけ聞くと勘違いされそうなんで、悩ましく喘がないで頂きたい。また見られてるよ……。「お前らさっさと行けよ」って顔されてる……。


「……っと、いけない。嬉しくてついはしゃぎ過ぎてしまった。時間もないし、早いとこ移動しよう。新人君、着いておいで」

「あ、はい。行くぞ陽炎」

「ちょ、え? ま、待ってよ司令っ」


 崩れきった表情から一転。先輩は颯爽とドアに向かって歩き出す。
 あまりの豹変ぶりに驚いてしまうも、慌てて揺れる黒髪を追う。
 狭い通路。地上へ伸びる階段を登りながら、ふとある事に気づいた。


「ところで、時間がないってどういうことですか? 今日はこの後、ホテルで休むだけのはずじゃあ」

「ああ。騙して悪いんだけれど、これからすぐ仕事さ。ここを出発した後、予定していたのとは違うホテルへ向かい、そこにある重構造会議室で、さっそく談合が執り行われるんだ」

「いきなり、ですね。どうしてこんな?」

「敵を騙すにはまず味方から、ってね。出る時にも欺瞞車を使うし、念には念を、というところかな」


 こんな風に情報戦をする必要がある敵……。ここ数カ月で急激に勢力を拡大したという、反体制組織のことだろうか。
 犯行予告でも出された? まさか、自分が狙われている? 中将が統制人格を連れてくるよう言ったのは、そのせい……?


「安心していいよ、新人君。事態はさほど深刻じゃない。本当に念のためさ。石橋を叩きまくってぶち壊し、別の橋をかけて進むようなものだけど」

「……二度手間ってレベルじゃないですよ、それ」

「ホント。壊すだけもったいないわ。でも、そのくらいの用心は必要、か……」


 知らず、身構えてしまった自分へ、先輩は振り返らずにそう言い切る。おかげで苦笑いを浮かべてしまった。
 後ろに続く陽炎も、少しだけ緊張をほぐしつつ、観光気分は拭うことに成功したようだ。
 人間同士で争うなんて、骨折り損以外の何物でもない。どうにかして、内側の脅威を排除できれば良いのだが。

 程なく階段を登り終え、駐車場に出る。緊急用の通路でもあるためか、動線に無駄がない。
 先輩は迷うことなく進み、黒いワンボックスカーへ。見た目は普通の大型車でも、完全防弾仕様、対戦車砲の直撃にも耐える代物だ。当たりどころが悪いとひっくり返るみたいだけど。


「さぁ、乗って。乗り心地は保証しないけど、安全運転は保証しよう」

「はい……ん? まさか、先輩が運転するんですか?」

「そうだよ。本当は出迎えも送迎も舞鶴の士官がする予定だったんだけど、ほら、一刻も早く会いたいじゃないか。一時間ほど背後十センチに張り付いてお願いしたら、快く代わってくれたよ」

「本当に何してんだあんたは……」

「うふふ。そう言われるのが楽しみなのさ♪」


 名もなき青年士官さん、心中お察しします。
 こんなのに一時間もストーキングされるとか、さぞかしお辛かったことでしょう。誠に申し訳ございません。
 と、心の中で土下座しながらスライドドアを開く。自分は運転席の真後ろ、陽炎が隣へ陣取り、最後に先輩が乗りこむ。


「さぁて、シートベルトは締めたかな。でわでわ、出発いたしまーす」


 ルームミラー越しにうなずいたのを確認してから、周囲の兵士たちへ合図。流れるように車は発進した。
 スロープを上り、一般車も混じる公道へ。


「わー。おんなじ車って漢字ついてるけど、全然違う。なんだか、ダイレクトに振動が伝わってくるというか……。それに、鎮守府の夜とも……」


 特殊フィルムを通して見る明かりの群れに、陽炎がつぶやく。
 北海道へ行った六人と電・島風に続いて、街へ出たのは彼女で九人目。しかし、街灯のともる時間は初めてだ。
 遠いビルの小さな窓、一つ一つに光が宿っている。今の時代、郊外へ行くほど人口の明かりは乏しくなるが、都市の中心や駅近くでは、未だに煌々と灯されていた。
 その目には、どんな風に映っているのだろうか。


「陽炎たちが遠征で持ち帰ってくれる資源も、この明るさの一部になってるはずだ。これは、君が運んだ光だよ」

「……ふふ。なぁに? 突然ロマンチックなこと言っちゃって。もしかして口説いてるの?」

「んなっ。ち、違うっ! 自分は、輸送任務の重要性をだなっ」

「はいはい。分かってるわよ、じょーだんじょーだん。……さーんきゅ」


 窓を見つめる後ろ姿から聞こえた、小さい声。ガラスには夜景だけでなく、柔らかい表情も。言葉を続ける必要はなくなったようだ。
 かつて吉田中将に言われたが、良くも悪くも、全ての事柄に慣れは発生する。時には意義を見失うことすら。今回の出張で、それを再確認してくれたなら良いのだけれど。


「お客さ〜ん。後部座席でイチャイチャするのは禁止ですよ~。出張中に秘書と浮気とか、奥さんに刺されますよ~っと。はい、着きました~」

「誰がイチャついて……はぁ!? 着いたぁ!?」

「えぇ、もう終わりなの? まだ十分も経ってないのに」


 うろたえる自分と残念そうな陽炎をよそに、ジト目の先輩は、車をとあるビジネスホテルへ。
 駅からほとんど離れていない。目と鼻の先と言っていい距離だ。
 まさかこんな場所で、人類の存亡がかかっているかもしれない会議を?


「ふっふっふ。驚いてるね新人君。灯台下暗し、とよく言うだろう。なりはビジネスホテルでも、ここは軍の所有する物件の一つさ。従業員も全て肝入り。立地条件がいいからけっこう儲かってるらしいね」


 スロープを長く下りつつ、得意げな説明がされる。
 手広くやってるんだな、海軍も。いや、月刊艦娘なんて出してるくらいだし、ある意味当然っちゃ当然なのかも。
 しばらくすると、点々とした明かりの中、車が緩やかに停車した。待ち構えていた兵士によってドアが開かれ、顔つきを凛々しくした陽炎が先行。「いいわよ司令」という声で自分も続く。少し遅れ、キーを任せた先輩が横に並ぶ。


「開始予定時刻まで残り十五分。心の準備くらいはできそうだね。さ、入ろう」

「分かりました。……うおっ」

「うわぁ、素敵!」


 先輩のうやうやしいエスコート。開かれた鉄扉の向こう側は、意外にも煌びやかな世界が広がっていた。
 真っ赤な絨毯。一定感覚で置かれた花瓶。天井も高く、大理石の壁が、何十人も同時にすれ違える広さの通路が続いている。
 陽炎は目を輝かせてるけど、ビジネスホテルの定義が崩れそうだ……。


「はー。テレビで見たリゾート施設みたい」

「上部構造と隔絶されてるから、一般の人は存在すら知らないんだけどね。聞いた話ではシェルターとしても使えるらしい。
 この壁、見た目は大理石だけど超硬セラミックスだよ? それが床や天井にまで。信じられるかい?」

「一等地に豪邸が何軒も建てられそうですね……。幾らかかってんだ、これ……」


 くるくる回って観察するツインテ娘に、先輩は肩をすくめて見せた。
 超硬セラミックスとは、まだ人類が宇宙開発などへ専念できていた時代に誕生した特殊合成物質である。硬度・靭性・耐熱性に優れ、スペースシャトルでも使われる予定だったとか。
 有事に備えるのも重要だが、しかし、飾り立てるのは無駄ではないかと思う。多分、使うのは官僚や要人だけなんだろうけど……。
 いや、ここまで防備を固めた場所で会議するなら、安心できる。今はそれを喜ぼう。余計なことを考えている暇なんてない。


「ここだよ、新人君」


 通路を進み、何度か角を曲がると、脇に警備が立つ、木目調のドアへ辿りつく。
 重厚感を漂わせる両開きだ。ノブ近くには生体認証を行うパネルが設けられている。


「私が付いてあげられるのはここまで。すでに“桐”の御三方と吉田中将がお待ちだ。粗相のないように」

「はい……」

「あ、あの、兵藤さん。私はどうすれば?」

「一緒に中へ。君は新人君の力の証明だからね。……一応、断っておくよ。
 この中で統制人格は“物”として扱われる。理解して欲しいとは言わないけれど、彼のためだ。我慢しておくれ」

「……大丈夫です。みんなの代表として、恥ずかしい真似はできませんから」


 今更ながら、緊張してくる。陽炎も同じなのか、背筋を正す姿に張り詰めた空気を感じた。
 拳を握り、また開く。
 なんど繰り返しても、かすかに指が震えてしまう。

 “梵鐘”の桐谷。運用コストの高い戦艦や空母などをほとんど使用せず、重巡・軽巡・駆逐艦を主とした、質より量の体現者。
 “千里”の間桐。戦艦――特に長門型二番艦・陸奥むつを重用し、独自開発した、四十五口径 四十六cm単装砲での狙撃を得意とする自由人。
 そして“飛燕”の桐ヶ森。航空母艦・飛龍ひりゅう蒼龍そうりゅうを軸とする機動部隊を指揮し、艦載機制御にかけては世界有数の実力を持つ少女。

 データとしてしか知らないが、統制人格に頼りきりな自分とは根本から違う。肩を並べられているだなんて、お世辞にも言えない強者たちだ。
 言葉から察するに、統制人格を同行するよう求められたのは、自分の特異性を彼らに認識させるためでもあったようだが、砕けた対応は先輩相手だから許されること。他の提督には不敬にあたる。発言も許されるかどうか。
 ……胃が重たい。


「じゃあ、私は行くよ。他にやらねばならない事があるから……っと、最後に一つ。新人君」


 きびすを返し、歩き出そうとした先輩だったが、何かを思い出したように立ち止まり、こちらへ向きを戻す。
 いつになく……違う。数か月前まで、ほぼ毎日見せられていた真剣な眼差しのまま、小さく拳を握り――


「気をしっかり持て。気持ちで負けたら、呑まれるぞ」


 ――トン、と。軽く胸を叩かれる。
 布地に阻まれて届かないはずの体温まで、衝撃として身体へ広がった。


「君は一端の戦士になった。誰がなんと言おうと、それだけは私が保証する。胸を張りなさい」

「……はいっ。ありがとうございます!」

「ん、いい顔になった。また後で」


 穏やかな笑みを残し、今度こそ、先輩の背中が小さくなっていく。
 ああ、これだ。普段はバカみたいな言動ばっかりしてるけど、ちゃんと見てくれて、支えてくれる。
 これがあるから、嫌いになれないんだ。目指したくなるんだ。


「いい先輩よね、兵藤さん。変態さんじゃなければ、もっと素敵な人なのに」

「うん。全く、肝心なところで残念なんだよなぁ。……さぁ、行こう!」

「了解よ!」


 気合い十分。自分たちは頷きあい、正面に扉を迎える。
 よく考えたら、警備の人に一部始終を見られていたわけだが、そんなことは気にしない。
 足を一歩前へ。冷たい液晶パネルに右手を置くと、何やら光が投射され、数秒後に電子音。ロックが解除された。おそらく、内部の人間にも伝わったはず。
 一度だけ深呼吸を。
 そして、腹に力を込め、重いドアノブをひねった。


「失礼いたします! 横須賀鎮守府所属、桐林。招致により参上いたしま――」

「ざっけんじゃないわよこのニートッ!!」

「――ごめんなさいっ、けど働いてるから自分はニートじゃ……あれ?」


 しかし、唐突な罵声で出鼻をくじかれ、反射的に謝ってしまう。
 少女の声だ。白い軍服にスカート姿の金髪少女が、中央に置かれた会議卓(数字のゼロみたいな形をしている)を叩いていた。
 が、鋭い視線の先にあったのは、小型立体映像投射機。やたら表現力豊かな棒人間がアニメーションしているだけ。


『ヒーッヒッヒ、馬脚を露わしたなぁ。ニートってぇのは、就労意欲を持たねぇクズに使う言葉だ。キチンと働いて納税までしてる俺様にゃ当てはまらねぇんだよ。バーカバーカバーカ』

「んぁぁあああっ! 人の揚げ足取りばっかしてる根暗野郎には、ニートの呼び名がお似合いだって言ってんのよガリチビッ!!」

『ァんだとこのプリン頭ぁ!? (ピー)すぞゴラァ!!』

「やってみれば? 彼女いない歴=年齢のくせにっ」

「まぁまぁ、落ち着いて。いつもの事じゃありませんか。それより桐ヶ森さん、テーブルに足を乗せてはいけません。下着見えてます」

「見せパンだから別に良いのよっ。ありがたく拝んどきなさいっ」


 わざわざ椅子へ登り、ズダン、と机を踏みつける少女。対して、様々な大人のおもちゃを構える棒人間。その中間。自分から一番遠い位置に席を置く吉田中将は、我関せずと葉巻をふかす。
 止めるもの無しと思いきや、投射機の奥隣に座る巌のような大男が二人をなだめた。しかし、耳へ届いたのは天使のごときボーイソプラノ。まさか、あのドカベンが声の主なんだろうか。
 女の子が桐ヶ森大佐として、ドカベンっぽい人が桐谷少将、棒人間は間桐大佐?
 なんで喧嘩してんだあの二人。止めましょうよ中将。というか拝んでもいいんですか? ここからじゃ位置的に見えないんですが。


「あのー。き、桐林、なんですけど。もう来てるんですけどー。……ダメだ、聞こえてない……」


 意を決して声をかけるも、こちらへの反応はなく、罵り合いはまさにたけなわ。
 たった二人の喧々囂々けんけんごうごうたる様を、自分と陽炎は、棒立ちで見つめ続けるのだった。





「……ねぇ司令。なにこの状況?」

「自分が聞きたいよ……」










《こぼれ話 柔らかいトゲ》





「うぅぅ、どこに行っちゃったのよぉ……」


 まだ日が高い横須賀鎮守府。
 遠征任務後の休暇を満喫しているはずの暁は、とても焦っていた。
 キョロキョロと、歩き慣れた散歩コースで何かを探す彼女。その顔は今にも泣き出しそうで、親とはぐれてしまった子供のように見える。
 今なら不審人物が声をかけても、少しだけ善人を装えば頼ってもらえるかもしれない。というより、普通の大人であれば、思わず手を差し伸べたくなってしまうほどの心細さが、全身から発せられていた。
 そして、そんな背中に近寄る一つの影。だんだんと大きくなる靴音に、しかし彼女は全く気づかず――


「……どうしたの? 何か、探してる?」

「ひゃあっ!?」


 ――静かな声にも、大きく反応してしまう。
 つんのめり、体勢を立て直しながら振り向く暁の前には、白地に水浅葱みずあさぎのセーラー服を着る少女が立っていた。


「ゆ、ゆゆゆ由良ゆら……さん。おおお、おどかさないで……」

「ごめんなさい、ビックリさせるつもりはなかったの。ただ、すごく困ってるような雰囲気だったから」


 統制人格にも珍しい、薄桃色の髪をリボンで束ね、左側にサイドポニーとしている少女は、数日前励起されたばかりの、長良型軽巡洋艦四番艦・由良といった。
 謝りながら腰を低くし、視線の高さを合わせる彼女に対して、暁は迷いをみせつつも、困りごとの内容を話し出す。


「……ヨシフが、一人で走って行っちゃったの。さっきからずっと探してるん……ですけど。見つからなくて……」


 途中で敬語が崩れそうになるのを持ち堪えながら、指同士を絡ませる暁。
 普段は響と二人で行う散歩だが、今日は一人だった。それというのも、提督が急な任務で京都へ赴いてしまい、彼と秘書官が済ませるはずだった仕事の穴埋めへ、駆り出されてしまったからである。
 ちょうど前日に帰ってきたばかりの彼女は、仕事へ携わることを止められていた。ならばせめてと、いつも通りの日課をこなそうとする。しかし、なぜか今日に限ってヨシフは元気一杯であり、制止を振り切って散歩コースに消えてしまったのだ。
 どこかに迷い込んではいないか。変な人にさらわれてはいないか。気が気でない様子である。
 由良としても、放っておくわけにはいかなかった。


「そう……。ね、暁ちゃん。もし良かったら、わたしも一緒に探していいかな」

「えっ。あ、だけど、迷惑になる……りますし、その……」

「気にしないで。お散歩中だったんだけど、少し退屈してたの。一人よりも二人で呼んだ方が、早く見つかるかもしれないでしょう?」


 気を遣っているのか、一度は遠慮してしまう暁に、由良は微笑む。
 また何かを言おうとする彼女だったが、しばらくして小さく頷いた。
 そうして、ヨシフの名を呼びながら歩き出す二人。けれど、間には奇妙な距離感が。


(もしかしてわたし、嫌われてるのかな……)


 同じ統制人格とはいえ、出会ってすぐに打ち解けられるわけではない。なまじ感情が芽生えているせいか、人間のように相性というものがある。
 宿舎内で暁と顔を合わせることも少なくない由良は、彼女の態度からそう感じていた。
 レディーを自称するだけあって礼儀正しく、きちんと挨拶などは交わしてくれる。しかし、どうにもわだかまりが残ってしまう。
 出来ることなら、この機会に改善しておきたい……のだが、いざ二人きりになると、どうしていいか分からない。気まずい雰囲気に、だんだんと呼ぶ回数を減らしてしまう由良だった。


「――ぉいっ」

「あ、この声……」

「どうかした……ました?」


 そんな時、背後から聞き覚えのある声が届く。
 天の助けとばかりに、内心喜びつつ(表面上は淑やかに)振り返ると、思った通りの人物が駆け寄ってくる。


「おぉーいっ! 由良ちゃーんっ、暁ちゃーん! 何してるのー?」


 巫女を思わせる配色のセーラー服に、真っ白なハチマキ。ショートカットの黒髪を風に乗せる彼女は、長良。長良型軽巡のネームシップだ。
 姉妹艦なのに標準服装が違うのは、おそらく全六隻の長良型軽巡のうち、前半三隻が、旧日本海軍の軍備増強計画である、八八艦隊整備計画第一段階・八四艦隊案で。由良からの後半三隻が第二段階、八六艦隊案により計画されたことが影響していると思われた。
 ちなみに、残る五番艦・鬼怒きぬ、六番艦・阿武隈あぶくまは今回、建造を見送られている。少し寂しい気もした由良だが、提督直々に「落ち着いたら必ず呼ぶ。待っていてくれ」と約束もしてくれた。今は置いておこう。


「おっはようっ……というより、こんにちは、だよね?」

「うん、そうかも。こんにちは」

「長良さん、ご機嫌ようです」

「おぉー。さすがは“先輩”、挨拶が上品」

「当然よ、この艦隊では電に続く“先輩”だものっ」


 ふふふーん。と胸を張る暁に、二人はそろって笑みを浮かべる。
 自慢げにしなければ完璧なレディーなのだが、可愛らしいので特に問題もない。


「それで、由良たちは何してたの? こんなとこで」

「ヨシフちゃんがいなくなっちゃったみたい。ついそこで偶然会ったから、手伝おうかなって。あなたはランニング?」

「うんっ。司令官がいきなり出張しちゃったから、ワタシたちの演習パーになっちゃったでしょ。他に出来ることもないし、どうせなら少しでも鍛えておこうと」


 言いながら、もも上げ運動を続ける彼女。
 本来ならばすでに海の上で、模擬弾や魚雷(こちらは本物。炸薬代わりに水を入れ、あとで回収する)を発射している頃だったが、先に述べた通り、その指揮を執る提督は留守。演習は急遽中止となってしまった。
 戦闘行動自体は彼女たちだけでも行えるが、通常は能力者が艦のクセを把握するためという意味合いが強いからだ。燃料も節約しなければならない。


「な、長良ちゃん、待ってぇ……。走るの、早いぃ……」

「もう、遅いよ名取なとり。そんなんじゃ実戦で回避運動とれないよ?」

「だってぇ……。艤装も出して、ないんじゃ……。疲れちゃうよぅ……」


 そこへまた、長良の後を追い少女がやって来た。
 見事な女の子走りをする彼女――三番艦・名取は、大きく肩を上下させ、膝に手をついて息を整える。長良と同じくショートカットだが、色は茶髪。ハチマキではなくカチューシャをつけていた。
 長良型の統制人格は姉妹という感覚が薄いらしく、どちらかと言えば友人同士の関係に近い。現に、「あうぅ」と喘ぐ名取を支える長良は、まるで昔馴染みのそれだ。


「んー。仕方ないっか。ちょっと歩いて休憩しよ。ついでにヨシフちゃん探せるし」

「長良さん、いいのっ?」

「もっちろん。任せといて!」

「ふぇ? ヨシフちゃんって、あのワンちゃんですか……? 何があったんですか……?」

「……二人とも、ありがと」


 ぺこり。帽子をおさえながら、暁が素直に頭を下げる。名取は、わけも分からないまま周囲に流されていたが、途中で説明を受けると快く協力を約束。合計四名の捜索隊が歩き出す。
 しかし由良は、長良たちへは素直に感謝を告げたのに、自分へはただ頷くだけ、という態度の差をみて、「やっぱり距離を置かれてる……?」と少し落ち込む。
 一体何が原因なのだろう。どうすれば、あんな風に笑顔を向けてもらえるのだろう。こうも対応が違ってくると、気になって仕方ない。
 が、今はそれよりもヨシフだ。サイドポニーを軽く揺らし、探索に集中する。


「ヨシフちゃ~……あ、そういえば」

「ん? 由良、どうかした?」


 ……いや、集中しようとしたのだが、ふと、ある疑問が湧いてしまった。
 反応したのがちょうど源泉――長良であったため、どうしようかと一瞬迷ったものの、聞いてみることにした。


「さっき、鍛えておこうって言っていたでしょう? わたしたち、鍛えても意味あるのかな……と思っちゃって」

「あぁ……。たぶん無いんじゃない? この身体、成長も老化もしないみたいだし。船の方からは影響受ける……のは、なんとなく分かるけど」

「……えっ、ないのっ? わ、わたし、少しでも強くなれるならって頑張ってたのにぃ……」

「あはは。たぶんだよ、たぶん。ひょっとしたら……もしかして……万が一くらいの確率で、影響があるかもしれないしさ?
 それに、汗をかくのってすっごく気持ちいいじゃないっ。怠けるよりは適度に運動して、精神的なコンディションも維持した方が良いはず! ヨシフや~い!」

「そうかもしれないけどぉ……。うぅ、ヨシフちゃあぁん……。どこぉ……」


 ガックリする名取と対象的に、長良はますます声を響かせる。
 内向的な少女と、引っ張っていく快活な少女。でこぼこコンビとしては鉄板の組み合わせだ。ここへ冷静なツッコミ役が加われば完璧だけれど、その枠を埋める“彼女”も、唐突な余暇を自分なりに楽しんでいることだろう。
 感情持ちの統制人格とは、意思を持つがゆえに数値以上のポテンシャルを発揮できるが、逆にスペック通りの性能すら発揮できなくなる場合もあった。長良の意見は非常に大切なことである。
 ともあれ、探索隊は緩やかに進み続ける。しかし目標は一向に発見できず、いつの間にか、宿舎の前に戻ってきてしまった。


「戻って来ちゃいましたね……。どうしましょう? ヨシフちゃん、迷子になってるんじゃ……」

「……っ、もう一度探してくるわっ」

「ストップ! 暁ちゃん待った! 何か、庭の方から聞こえてこない?」


 顔に焦りを浮かべ、来た道を戻ろうとする暁を、すんでのところで長良が引き止める。
 よくよく耳を澄ませば、確かに何かが聞こえてきた。
 誰かと喋っているような少女の声と、もう一つ。わん、わん――という、覚えのある声。


「これ、ヨシフの鳴き声?」

「行ってみましょうっ」


 由良が促し、宿舎を回り込んでテラス席のある側へ。
 よく日の当たるそこでは、長良・名取と同じ服をまとい、長い黒髪をツインテールにした少女が、小型犬と呼ぶには少々大きくなり始めた柴犬と戯れていた。噂をすれば影が差す。“彼女”が例のツッコミ役である。
 暁たちの存在に気づいたからか、満面の笑みとボールを隠し、影の主はそそくさと立ち上がった。


「あ、あら、みんな。……と、暁? どうしたのよ、そんなに慌てて」

「……あの、五十鈴ちゃん。ヨシフちゃん、が、その……」

「この子が何? 少し前に玄関でお座りしていたけど。あぁ、リードがなんだか汚れてたから、鳳翔さんに頼んで洗ってもらってるわ。新しいのも出してあるから」

「もしかして、それからずっと遊んでたとか」

「何よ長良、いけない? しょうがないじゃない、ボールくわえて見上げてくるんだもの……。反則よ、反則……」


 五十鈴と呼ばれた少女――長良型軽巡二番艦の統制人格である彼女が、つり目がちな目を恥ずかしそうに細める。
 ハッハッハ、と息も荒く尻尾を振りまくるヨシフが、ニーハイで包まれた脚にすり寄っていた。
 どうやら、暁が気を揉んでいた間、その元凶は美少女と遊び呆けていたらしい。
 胸にふつふつと、熱い何かがこみ上げた。分かりやすく表現すると……イラっとした。


「もう、ダメでしょヨシフ。一人で勝手に行っちゃ! 心配したんだからっ。悪い子!」


 しゃがみ込み、指をさして叱りつける小さなレディー。
 滅多に怒らない主人から強く言われ、ヨシフはきゅーんと鼻を鳴らす。
 そして、ついさっきまで甘やかしてくれた五十鈴の足にすがりつき、助けを求める。


「やだ、靴下が汚れちゃうじゃない。こら、ダメッ。まったく、仕方ないわね」

「……むうっ」


 迷惑そうな口ぶりと、そこに込められた温度とは、北極 対 ハワイほどに差があった。
 ヨシフは優しく抱きかかえられ、後頭部を胸にうずめながら、五十鈴の顔に鼻を寄せている。
 暁の頬が、七輪で焼かれた餅のように膨らむ。
 どういうことだあの幸せそうな顔は。生まれてまだ一年も経っていないだろうに、もう思春期なのか。胸か。バルジの大きさかこの浮気者。
 五十鈴も五十鈴である。普段はツンケンした言動が多いくせに、甘えられればデレデレだなんて、見た目通りのツンデレすぎる。ヨシフもそれでメロメロになったに違いない。
 初めて味わう寝取られ感が、淑女としての自尊心をくすぐり――


「………………はぁ。なんだか、ドッと疲れちゃったわ……」

「え、えーと。少し休もう? ほら、ここ座って。迷子じゃなくて、良かったね」

「……ん……」


 ――唐突に馬鹿らしくなって、怒りをため息に消す。
 なんだかんだでまだ子供。あんまり叱りつけるのは良くない。ここは、“大人”である自分が我慢すべきだと、暁は判断した。
 が、鬱屈した気持ちは肩を重くし、由良に導かれてテラスの椅子に座るのがやっとだ。
 そんな様子を知ってか知らずか、はたまたオスの本能か。「五十鈴ばっかりズルいよー!」「わ、わたしも……」と寄ってきた二人に撫で回されてご満悦なヨシフ。疲れも倍増しよう。
 とりあえず慰める由良だったが、やはり反応は鈍い。それ以上かけられる言葉も思いつかず、ボールを投げて遊ぶ姉妹たちを、ただ眺める。


「由良さん」

「……あ。なぁに?」


 すると、意外にも暁の方から声が掛かった。
 不意をつかれ、わずかばかり反応が遅れてしまったが、シャンと背筋を伸ばし、そちらに向き直る。
 彼女はそっぽを向き、何かを言おうとしては止めるを繰り返してから、やっと上目遣いに視線を投げ――


「さ、探すの手伝ってくれて、どうも、ありがとう。……言い忘れてた、から」


 ――消え入るような、感謝を口にした。
 あんぐり。思わずポカンとしてしまう。
 それで気を悪くしたか、ようやく正面を向いた顔は、また膨れてしまっている。


「な、なによっ。お礼くらいちゃんと言えるしっ」

「ごめんなさい、そうじゃないの。ビックリしちゃったから。てっきり、暁ちゃんには嫌われてると……」


 クスリと笑って、今まで言えなかったことも、ついでに吐き出してしまう由良。
 今度は暁がポカンとし、けれど、浮かぶのは真逆の表情だった。


「そんなこと、ないわ。……でも、少しだけ、話しかけ辛くて」


 目を閉じた彼女は、遠く聞こえる笑い声へ耳を傾ける。
 一呼吸おいて、静かに由良を見据える瞳。


「……由良さんと同じ。嫌われてるって、思ってたから。ううん、恨まれてるんじゃないかって、思ってた」

「恨む……。それは、ガダルカナルでのこと……よね」


 かすかに。だがしっかりと、暁がうなずく。
 はるか昔、第一次上海事変や、ミッドウェー海戦にも参加した歴戦の軽巡洋艦・由良は、一九四二年、ソロモン諸島西部に位置する、ショートランド泊地へと活動の場を移すことになる。
 幾度かの輸送任務をこなしたのち、彼女は四隻の駆逐艦を伴い、同じくソロモン諸島に存在するガダルカナル島の敵軍を攻撃するため出撃。そして、帰らなかった。
 敵の飛行場を占拠し、艦も二隻撃破したという報告を受けて島に接近したが、それは全くの誤報であり、飛来した敵爆撃機によって大破。味方の雷撃処分によって没したためである。
 この報を送ったのが、数時間前に出撃した第六駆逐隊――横須賀で修理を受けていた響、トラック諸島方面で護衛任務に就ていた電を除き、白露を臨時編入させた暁と雷だったのだ。


(ああ、そっか。そうだったんだ)


 ようやくつかえが取れた気がした。
 どうしても気になって仕方ない、胸に刺さった柔らかいトゲが。
 自然と、由良のまなじりは下がっていく。


「またビックリ。本当に同じようなこと考えてたなんて」

「え?」

「わたしもね、暁ちゃんたちのこと、少し気にかかってたの。わたしが沈んじゃって、気に病んでないかな。重荷になったりしてないかな……。
 この意識が目覚めた時、最初に感じたのは、生まれ出た喜びだったけれど。二番目に感じたのは、そんな気持ちだったから」


 直接的な原因は彼女たちではないし、間接的な理由としてあげれば、誤報に至る経緯も含めて、枚挙にいとまが無い。
 加えて、艦の現し身となった今だからこそ、分かることがある。
 統制人格の心には、船に宿る記憶だけでなく、乗っていた人間たちの想いも影響するのだ。
 戦争という悪意の坩堝るつぼで散った命。怒りや憎しみを遺しそうであるが、しかし、長い時を経て風化せずに宿ったのは、激情ではなかった。
 その中の一つが、「仲間を死地へ追いやってしまった」という想い。
 また別の一つが、「自分が死ぬことで、誰かを悲しませてしまっただろう」という想い。
 ――後悔。
 きっと海へ沈んだまま、静かに積もるだけだったそれが、奇しくも交わり、解けた。
 だから由良は笑う。
 気にしなくていい、と。忘れないでいてくれたなら十分だ、と。


「……へっちゃらよ。こう見えても強いんだから。それに」


 言葉にはしなかったが、何か伝わるものはあったのだろう。
 答える暁の顔は、頼もしさに満ちていた。


「もう、あんなことにはならないわ。由良さんたちの初出撃には、旗艦としてついていけるようにお願いしてあるから。だから、もう二度と」


 ――二度と、沈ませない。

 やはり、言葉にはなっていなかった。
 だが、由良にはハッキリと聞こえた。……聞こえたことにする。


「うん。今は暁ちゃんの方が、頼りになる先輩さんだもの。ねっ」

「……ぇへへ。当然よっ!」


 静かに微笑む由良と、自信満々に胸を張る暁。二人は並んで、ヨシフと遊ぶ長良たちを見守る。
 遠征の都合でまだ会えてはいないが、由良を雷撃処分した夕立、最後を看取った五月雨。暁と同じ立場だった雷・白露も、この艦隊には属している。
 早く話してみたい。
 多かれ少なかれ、彼女たちも、同じものを抱えているだろうから。
 目を見て、名を呼んで。……友達になりたい。今、隣にいる彼女と同じように。由良は、心からそう思った。


「そ、それじゃあ、いきます……! ヨシフちゃん、取ってきてぇ……えいっ!」

「おっ。凄いヨシフ、いいスタートだよっ。……でもまだ遅い、全っ然遅い! ワタシの足について来れるっ?」

「……って長良ぁ!? 貴方が取りに行ってどうするの!?」


 ついでにもう一つ。
 早く戦いが終わり、ここにある束の間の幸せを、日常と出来ますように。
 そう、願った。




















 那珂ちゃん改二が普通にアイドルしてて絶望しました! 那珂ちゃんのファンやめますん!!
 というわけで、今回は唐突な陽炎ちゃんオンステージと史実ネタの話でした。
 なんで陽炎ちゃんをメインに据えたのかは筆者にも分かりません。書きたくなったんです。次回も出ますが、反動でしばらく本編に出れなくなるし、勘弁してあげてください。
 “桐”の面々ともガッツリ会議する予定だったんですけど、これまた長くなりそうだったのでチョイ出し。こぼれ話の回数も確保したいですしね。次は元軽巡娘が二人ほど登場しますので、お楽しみに。
 それでは、失礼いたします。

「ここで豆知識です。わたしたち、九三式酸素魚雷を『きゅうじゅうさんしき』って呼んじゃう時がありますけど、正確には『きゅうさんしき』なんです。
 漢字の『十』がつかない限りこういう読み方ですから、覚えておいて下さいね」
「まぁ、あたしの名前に濁点つけたくなっちゃうのと同じ感覚だよねー。ほら、苗字っぽいし」
「ですねー(わたしの前で間違える人がいたら許しませんけど)」





 2014/01/25 初投稿







[38387] 新人提督と“桐”の集結・後編
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2014/02/11 22:44





 事情聴取に返ってくるのは、要領を得ない答えばかり。
 分かりません。なんとなく。そんな気がします……。不確かな言い回しだけだった。
 もしや、と他を確かめてみても、彼女と同じく受け答えができるようになったものは居ない。
 原因を探るため、様々な検査を受けさせられた。
 採血。脳波測定。CTスキャン。身体測定。果ては胃カメラや直腸検査。解剖一歩手前でなんとか助かったが、もう科学者共にはこりごりである。
 疲労困憊するわたしに、彼女は謝りどおしだ。自分のせいで、と。
 謝罪する声。申し訳なさそうな顔。不安に揺らぐ瞳。
 何もかもが瓜二つで、決定的に何かが違う。機械仕掛けの歯車へ、細かい砂利が挟まったような異物感。

 苛立ちを覚え始めていた。
 あまりに身勝手な、苛立ちを。


 桐竹随想録、第五部 雪に萌ゆるより抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 静寂が場を支配していた。
 誰一人として言葉を発さず、コツコツコツ、という音が小さく響いているだけ。
 発生源は、自分の隣におられる少女――桐ヶ森提督。苛立つ指が机を叩いているのだ。
 かすかな舌打ち。ひしひしと伝わってくる怒気。出来ることなら間に衝立が欲しい。


(……ねぇ。ねぇ司令。いつになったら会議始まるの? なんだか立ってるだけで肩身が狭いんだけど)

(我慢しなさい。自分だって胃が痛くなってきてるんだから)


 音に紛れるよう、背後の陽炎と囁きあう。
 吉田中将が自分たちに気づいてくれたのは、あれからすぐのこと。向けられた二対……じゃないな、棒人間に顔はないし。一対のドぎつい視線でビビってしまうも、そのまま喧嘩は中断。「これを吸い終えるまで待っとくれ」という中将の指す席へ。
 腰掛ける際に「失礼します」と声はかけたのだが、返ってきたのは「ふんっ」という鼻息のみ。相当怒っていらっしゃるようだ。
 何を言ったんだろう。今現在、分身してリンボーダンスしている棒人間――間桐提督は。桐谷提督もニコニコしているだけだし。
 あぁ、沈黙が気まずい……。


「ふぅ……。さて、待たせたの」


 ようやくといったタイミングで、短くなった葉巻が灰皿へ押しつけられた。
 それを合図に、全員が居住まいを正す。棒人間すら正座だ。こう表現すると真面目に聞こえないが。


「まずは、改めて紹介しよう。そこにいる若いのが期待の新人、桐林じゃ。二つ名はまだないが、いずれ相応しいのがつくじゃろう。気にかけてやっとくれ」

「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します!」


 中将の紹介に合わせ、立ち上がって敬礼を。気配から、陽炎も気をつけしているのが分かった。
 大佐二名は目立った反応をしなかったが、少将だけはにこやかに手を叩いてくれる。見た目の厳つさと反し、柔和な雰囲気が印象的だ。
 と、その巨体がやおら立ち上がった。


「お噂はかねがね。わたしは桐谷。“梵鐘”などと御大層な通称がありますけれど、気楽にお声掛け下さい、桐林殿」

「はっ。恐縮です」


 ……うーん。とりあえず当たり障りのない返事してるけど、違和感がすごいな……。
 “梵鐘”の桐谷提督。本名、千条寺せんじょうじ優介ゆうすけ。階級は少将。
 航空巡洋艦へと改造した最上型重巡四隻を旗艦とし、軽巡洋艦と駆逐艦で脇を固めた水雷戦隊を編成。通常出撃でも最低二十四隻以上を同時に使役してみせる、常軌を逸した並列思考能力の持ち主。ちなみに、本名が公開されているのは彼だけだ。
 身長二メートルはあろう大男だが、腰の低い温厚な人物であり、齢三十にして少将となったエリート。日本を代表する財閥、千条寺家の跡取りでもある。
 噂によれば、佐世保であげられる戦果の半分を一人で稼ぎ出すとか。真偽はともかく、ここまでは前評判通り。
 けども声が。声がすごい。
 目を閉じて聞けば、色白で病弱な美少年が喋ってるようにしか聞こえない。日の差し込むベッドで、カーテンを揺らす風に短い髪をそよがせているのが似合いそうだ。
 なのに目を開くと、素手で熊とやりあえそうな屈強な男がいる。遺伝子って不思議だ。そのうち慣れるのかな……なんて失礼なことを考えていたら、彼の視線が横へ滑る。


「ところで、桐林殿。それが?」

「……はい。自分の励起した統制人格であります。挨拶を」


 言い方は気になるが、少将の声に立ち位置を一歩ずらし、陽炎が進み出た。
 やや緊張した面持ちの彼女は、自分と同じく海軍式の敬礼で彼らに対する。


「陽炎型駆逐艦ネームシップ、陽炎改です! 以後、お見知りおきをっ」


 手の平を見せないよう額にかざして、肘を前へ突き出す。
 形式通りなそれに、しかし返されたのは訝る声だった。


『ケッ。信用できねぇな』


 あぐらをかき、膝に頬杖をつく棒人間。
 表情らしきものは何一つ表示されていないが、明らかに疑いが掛けられているのを感じた。


『励起した傀儡全部を感情持ちにしちまうとか、眉唾もいいとこだろ。第一、駆逐艦としちゃマシな型だろうが、感情持ちにしたところで(ピー)の役にも立ちゃしねぇ。役者に金でも握らせてんじゃねぇのか?』

「こら、やめなさい。申し訳ない、間桐殿は性根が曲がり切っている上に外弁慶でして。本人は今頃、佐世保で縮こまっているでしょう。長い付き合いですが、なかなか矯正できず……」

『ァあんっ!? テメェ余計なこと言ってんじゃねぇよこの(ピーーー)がっ。(ピー)を(ピーーー)て(ピーー)に(ピーーー)ぞ!』


 棒人間がいきり立ち、今度は出刃包丁を振り回す。もちろん映像なので実害はない。
 “千里”の間桐提督。階級は大佐。
 年は下だが桐谷提督と同期であり、「撃たれる前に撃てば良い」を信条に、個人的な技量のみでアウトレンジ砲撃を実現する、尋常ならざる集中力を持つ人物。
 大艦巨砲主義の権化で、戦艦大和の代名詞……駆逐艦一隻と同じ重さを持つ三連装主砲・四十五口径 四十六cm砲の単砲身バージョンを作り出し、使用している。戦艦以外には、着弾観測・対空戦闘特化の軽空母と、潜水艦対策の海防艦(最大でも九百tクラスの小型戦闘艦)しか使役しない徹底ぶりだ。
 気が向いた時にしか出撃しようとせず、その代わり、出れば必ず戦果をもたらす虎の子。表舞台に一切出ようとしないことでも有名だったが、こうまで口が悪くては周囲が止めたのかもしれない。実力があるから許されてるんだろうけど、よく出世できたもんだよ。
 ちなみに、先ほどからのピー音は彼自身がやっていることではないようだ。
 なぜ分かったかといえば、立体映像の隅っこに、以下のようなテロップが流れていたからである。


《只今、吉田中将の指示のもと、クラッキングにより不適切な発言を修正しています。本人は気づいておりませんので、皆様、どうか知らんぷりして差し上げてくださいませ。by凛ちゃん》


 他にやることがあるってこれすか先輩。ホント無駄なスキルばっか習得しよってからに。「ちゃん」て呼ばれる年か。
 と、別室でニヤニヤしているだろう先輩にうんざりしつつ、向けられた不信を拭うべく、陽炎と視線を重ねる。


「司令。いいわよね」

「ああ」


 どうやら同じ気持ちらしい。念のために吉田中将へも視線で問うが、頷きが返された。問題なしと判断、そのまま続けてもらう。
 気をつけの姿勢から、足を肩幅に。腕も少し広げ、彼女は目を閉じる。
 ――ィイイ、と高周波。締めきった室内に、弱い風と光が生じた。折りたたまれるそれらがフレームを構成。艤装を型取っていく。最後の瞬間、陽炎を中心として空気が凝縮、小さく爆ぜた。
 背中に機関部。アームで繋がるのは、近代化改装によって変更された六十五口径 九八式十cm高角砲と、四連装水上魚雷発射管。両腿には二十五mm三連装対空機銃があり、首からも、伸縮ハンドルのついた高角砲が提げられていた。
 ……なんだか、やけに気合い入ってるな。艤装の召喚ってこんな派手だっけ?


「ご覧なさい。無闇に疑うものではありません。駆逐艦と侮ってもいけませんよ。水雷戦や護衛任務にも最適で――」

『チッ、うるせぇんだよこの(ピーーー)が。オイ、砲をこっち向けさせんじゃねぇぞ。……あぁ、一応言っとくが、俺が間桐だ。覚えなくていい。俺も覚えるつもりはねぇ』


 ともあれ、効果的ではあったのか、捨て台詞とともに間桐提督(の棒人間アバター)がそっぽを向いた。
 代わって桐谷提督が頭を下げてくれる。でこぼこコンビとはこういう人たちを言うんだろう。


「ほれ、最後はおヌシじゃ」

「面倒ね……。桐ヶ森よ。よろしく」

「よろしくお願いしますっ」


 促された碧い瞳の少女が、足を組み替え簡潔に済ます。
 “飛燕”の桐ヶ森提督。階級は大佐。
 昔はここ、舞鶴に属していたが、今は呉鎮守府に籍を置く、うら若き傀儡能力者。見た目通り(髪は染めていたみたいだが)欧州の血を受け継いでいる。
 その端麗な容姿は広く知られており、一般・軍を問わず、一部において偶像――アイドル的存在として祭り上げられていた。だからと言って実力は侮れず、空母を運用させれば間違いなく日本一。
 特に艦爆の扱いに秀で、大戦中の熟練パイロットでも命中率は二割五分がせいぜいのところ、彼女は九割五分を超えるとされる。残る五分も、予想より早く敵が沈んでしまい、無駄になっただけだという。
 桐生提督と並び、最も未来を嘱望されている、十七の才媛である。
 ……が、素っ気ない口ぶりと裏腹に、碧の宝石はじぃっとこちらを射抜いていた。
 桐谷提督の柔らかいそれとは違い、間桐提督の嘲りとも違う。何かを探り、確かめるような。……値踏みされているのか?


「あの、何でしょう?」

「いいえ。何も」


 居心地が悪くて問いかけてみても、呆気なく視線は外される。
 明確な拒絶を告げる横顔に、何も言えなくなってしまった自分は、そのまま椅子へ。
 すかさず「フられちゃったわね」と耳打ちする陽炎にはデコピンをかます。艤装を召喚しているおかげで効いてないっぽいのが悔しい。


「では、個人的な交流はそれぞれに任せるとして、始めるか。皆、卓の中央に注目せよ」


 中将が机を軽くタップ。埋め込み式のコンソールが出現し、更に操作。
 くり抜かれた卓の中央部から大掛かりな装置がせり上がる。間桐提督も使っている立体映像投射機である。
 照明がわずかに暗く、四方へ画面が浮かんだ。


「おのおの情報収集をしておろうが、数週間ほど前、フィリピン海に新しく島が隆起した。
 本来こういった島は、海底火山の噴火などにより隆起するものじゃが、それに伴うはずの地震、津波などは観測されんかった。
 キスカ島強行上陸作戦で判明した事実を鑑みるに、これは敵性勢力――深海棲艦が発生させたものだと推測されておる」

『現在、面積は約八千平方キロメートル。
 拡大は今のところ停滞しているな。が、普通であればこの短期間でこれほど大きくならねぇ。
 なったとしても大きな自然災害を伴う。間違いねぇでしょうよ』


 映写機が動作。間桐提督の補足とともに、日付を書き加えられた写真が複数、並列して映された。
 最初は何もなかったところへ、小さく隆起する陸地。数日後には島と呼べる大きさに変じ、成長は一週間ほどで停止。
 これだけでも十分異常だが、さらにもう一つ、付け加えられる特徴があった。それを桐谷提督が提示する。


「この島は、南アジアにある実際の島、スリランカの首都を抱くセイロン島と酷似していることから、セイロン偽島と呼称されています。驚くべきことに、写真を拡大して重ね合わせると、寸分違わず重なり合うようですね。今の所は」

「住んでおる人々からすれば不愉快じゃろうから、あくまで仮に、だがの。また変化するかもしれんし、正式名称は公開する必要性が出た時に決めるそうじゃ。とりあえず、偽島と覚えておいとくれ」


 インド亞大陸南東、ポーク海峡を隔てた海に浮かぶ本物は、インド安全領域に存在する。
 過去には旧日本軍と英国軍がセイロン島沖で相対し、善戦。通商遮断などの成果をあげている。この時、戦闘序列には赤城や利根・筑摩、陽炎に不知火も並んでおり、桐生提督の使役する金剛型戦艦全てが参加している作戦でもあった。
 もっとも、悪い影響も少なからず発生した。なまじ戦果をあげてしまったが故に、暗号を解読されてしまったことや、索敵の不徹底による被害という教訓を活かせず、後のミッドウェー大敗北へ繋がり……。
 まぁ、議題とはあまり関係ない。復習するのは後にしよう。


「大雑把ねぇ。……けど、島の形をわざわざ実物と似せるなんて、いかにもって感じじゃない。理解できないわ」

「確かにのぅ」


 頬杖をついて毛先をいじる桐ヶ森提督に対し、中将は己の顎をなでた。
 出現スピードなどで必ず看破できただろうが、似てさえいなければ、観測機器の不調や、衛星の位置がズレたという理由をつけさせ、断定までの時間稼ぎが可能なはずだ。自分に都合の悪い情報ほど、人は注意深く、慎重に検討するのだから。
 それに、この衛星写真だって疑問だ。キスカ島では影一つ映さなかったくせに、今回は詳細を報告してくれる。この差はなんだ。何か理由があるのか……それすらも分からない。分からないことだらけだ。


「“彼女たち”と対話できれば、なにがしかの糸口も掴めるかも知れんが……。無い物ねだりをしても仕方ないしの。話を戻そう。
 位置関係を考慮した結果、敵の狙いはフィリピンか台湾、もしくはパプアニューギニアである可能性が高い。そして、衛星中継での首脳会議により、日本も対抗手段を講じることとなった」


 フィリピン海の海図が映される。
 中央に偽島の赤印。さらにリアルタイムで赤い線と数字が書き加えられていく。
 北西、台湾との距離は約千八百km。西のフィリピンが千二百~千四百、南にあるパプアニューギニアが二千程度だ。
 しかし、外国か……。


「あの、よろしいでしょうか?」

「どうした、桐林。疑問があるなら、遠慮なく聞いとくれ」

「ありがとうございます。他の国にも傀儡能力者は居るはずですが、その方たちと協働作戦を展開することになるのでしょうか」

「いいや。この三カ国は能力者も、実戦に耐えうる船の保有数も少ない。おそらく協力はできん」

「……まさか、日本の軍だけで作戦を?」


 軽い気持ちで発した質問には、重々しい肯定が返された。


「傀儡能力発現率は、中国・アメリカでおおよそ一千万分の一。百万分の一という日本がおかしいんじゃよ。
 それに、作戦行動中の物資だけではなく、ベースメタルや銅、ニッケル、原油に天然ガスなどを融通してもらえる。
 あちらとしては守ってもらえ、こちらとしては軍備拡張を図りつつ、深海棲艦への対処法などを模索できる。見返りは大きい」


 海が封鎖されてから、世界中での資源消費は緩やかに減少傾向をたどっている。人口と、輸出による国外提供が低下したためだ。
 多くの労働者は職を失い、デモも頻発したが、おかげで採掘可能年数は格段に延び、化石燃料なども枯渇せずに済んでいた。
 今まで、主にロシアと中国がそれらをもたらしてくれていたが、輸入できる相手は多いほど良い。特に、パプアニューギニアの首都・ポートモレスビーは、自国で消費しきれない液化天然ガスなどの貯蔵に困っている(雇用問題でプラントは完全停止できず、輸出しようにもやはり輸送船団が足りない)と聞いたことがあるし、渡りに船か。
 けど、上記両国との関係悪化も心配だ。いや、静観して日本を矢面に立たせ、まずは情報を得ようとする可能性もあるか。そういえば、近くにある珊瑚海でのMO作戦――ポートモレスビー攻略中、昔の祥鳳が沈んじゃったんだっけか……。ダメだ、思考が横道にそれるな……。


「腹が減っては戦はできぬ、ってとこね。油や弾薬がなければ戦えないんだし、持ちつ持たれつ、かしら」

『どうだかなぁ。単に厄介ごと押し付けられただけじゃねぇの? 昔っから貧乏くじばっかじゃねぇかよこの国は。あ~あ~、やだやだ。働きたくねぇ……』

「さっきはニートじゃないと言っておいてコレですからね。全く、桐ヶ森さんの爪の垢でも飲ませたいですよ」

「お断りするわ。たとえ垢でもそいつの体内に吸収されるなんて絶対イヤ」

『おうおうこっちだってお断りだ。
 てめぇみてえな乳臭いガキじゃなくて、ボンキュッボンなネェちゃんのなら、喜んで汗だろうがなんだろうが舐めまわすがな。
 チックショウ、なんで俺の陸奥は貧乳なんだよ! 揺れない乳は乳じゃねぇ!!』


 むせび泣き、地面を殴りつける棒人間。桐谷提督と桐ヶ森提督は、それぞれ肩を竦め、ため息をつくだけ。
 どうやら、間桐提督は性的嗜好も大艦巨砲主義らしい。気持ちはまぁまぁ分かるが、突っ込まれないところを見ると、この嘆き様も恒例のようだ。
 余談になるが、統制人格と“そういう行為”は出来ない。軍規で決められているだけでなく、無理強いしようとしても彼女たちの肉体が消滅退避してしまうからである。
 何らかの理由で統制人格のみがダメージを受けた場合、一時的に構成霊子を分散させる回避行動であり、行為はそのダメージ範疇に含まれるのだ。
 なんでこんなことが判明しているのかは、察するしかない。陽炎がこっそり呟く「男って……」という一言が、全てを表しているだろう。


「間桐、無駄口を叩くな。手段を講じるとは言ったが、具体的な対策はまだ決まっておらん。先のキスカ島同様、まずは調査を優先する」

「今回は衛星が使えるようですし、航空偵察も可能でしょう。桐ヶ森さんの出番ですか」

「ま、増槽を使った彩雲さいうんなら、呉からでも往復できるわね。一機でも余裕よ。とりあえず、私が一回見てきてあげるわ」

「うむ。話が早くて助かる。詳細はこのあと話すが、頼むぞ」


 彩雲とは、旧日本海軍が発注した艦上偵察機である。
 当時としては珍しい、偵察を専門にこなすこれは、最高時速六百km、増槽(追加燃料タンク)を装備した場合の航続距離が五千三百kmにもおよぶ、傀儡制御可能な偵察機の最高峰だ。
 深海棲艦との戦いにおいても、この扱いにくい機体は非常に有効であり、かつての搭乗員が打った電文、「我ニ追イツク敵機無シ」を、彼女なら再現できるかもしれない。
 頼もしい発言で場が引き締まる中、しかし、間桐提督は嫌味な態度で口を挟む。


『それは良いんですがね、実際キスカん時と同じになったらどうするんで? 言っときますけど、桐生の二の舞はゴメンですぜ。
 ようやく人様の言葉を借りなきゃ喋れねえ野郎が居なくなって、これからやり易くなるってのに』

「間桐……! あんた……っ!」


 桐ヶ森提督が机に身を乗り出す。怒り心頭に発する、といった様子だ。自分も同じ気持ちで、投射機の向こう――佐世保にいる男を睨みつけた。
 今までは、口は悪くともどこか憎めない印象だったが、命がけで戦った人物を侮辱するなど、許せない。許してはいけない。


『ァんだよ、事実だろ。てめぇだって御高説にはウンザリだったろうが。
 ログを漁って相手は見た。四十六cm砲なら間違いなく一発でぶっ殺せる。なんせ射程は四十二km。俺なら、あの渦が発生しても関係ないアウトレンジから当ててやる。
 だが絶対じゃあねぇ。アレ以上の天災を引き起こす可能性もあるしな。
 陸奥は特注品なんだぜ? 万が一にも沈んだらもったいねぇし、野郎みたく人形なんぞと心中するのもまっぴらだ。俺は――』

「間桐よ」


 空気の密度が高まる。
 たった六人しかいない部屋が、窮屈に感じるほど。
 二人分の敵意を向けられても止まらなかった舌は、棒人間のアニメーションと共に停止。
 声の主――中将を見やると、そこにはただ、無表情があった。


「キサマは二度言わんと理解できぬ愚か者か」


 思わず、呼吸を忘れてしまう。
 自分へ向けられてはいないのに、震えることすらできない。陽炎の手が肘に縋りついてくれなかったら、悲鳴でも上げているところだ。一体どれほどの修羅場をくぐり抜ければ、わずか数秒の言葉で人を威圧できるのか。
 物理的な距離も無意味だったのだろう、間桐提督は『申し訳ありません』と一言つぶやき、投射される映像が《Sound Only》という表示に。
 もはや、冗談を交えられる雰囲気は消え去った。元々会議なのだからそれが当然なのだが、こんな状況でも桐谷提督はニコニコ笑っている。ノミの心臓には羨ましい。


「よろしい。続けるぞ。偵察を桐ヶ森に任せるのはすでに決まっておる。だが、いちいち呉から飛ばすのでは効率が悪すぎる。加えて、上層部は本土から離れた場所での展開を望んでおるようじゃ」


 また別の地図が映される。今度は見覚えがあった。
 南西から北東へ向けて伸びるその島は、深海棲艦の出現によって放棄するしかなかった領土。
 ――沖縄。


「今回、ワシらは陸軍と協力し、沖縄へと再上陸。嘉手納かでな基地再建計画を実行する。
 桐ヶ森にはここへ居を移してもらう。距離を稼げるうえ、台湾・フィリピンを経由する輸送船団も手早く送り込めよう。
 もう一つ。南西諸島にある製油所への支援も、今まで以上にやり易くなるはずじゃ」


 沖縄のサイズがスケールダウン。尖閣諸島を含む、南西諸島海域が表示された。
 確かに沖縄を拠点とできれば、中将の言うとおりの利点が得られる。苦労して海を突っ切っていた南一号作戦も、途中で補給や修理を受けられる場所があるなら、難易度は格段に下がるだろう。
 だが、何か引っかかる。
 嘉手納基地の再建は、おそらく施設の再利用が可能。一ヶ月と経たずに警備府並みの軍港へと生まれ変われるだろう。陸軍の保有する能力者――主任さんと同じく、工作機械や重機などを励起する者たちが活躍してくれるはずだ。


(でも、なぁ……?)


 やっぱり何かが気になる。具体的にはなんとも言えないのだが、採算が合わないというか、そんな感じがした。
 どう言葉にしようか悩んでいると、それより先に桐ヶ森提督が異議を唱える。


「ちょっと待ってくださいっ。それでは呉が空いて……」

「それも狙いなんじゃよ。桐ヶ森、おヌシは働きすぎる。強すぎるのじゃ。ハッキリ言おう。おヌシが呉に居ると、呉の能力者が育たぬ」

「……っ」


 苦い顔。小さな拳が握られた。
 彼女の才覚は本物である。一人で呉に属する能力者、全十数名を同時に相手取れるほどに。
 それを側で見せつけられるとしたら、どうだ。いくら努力を重ねても届かない高みに、圧倒され、諦めてしまうのではないか。
 どうせあいつが居るんだから。
 少し前の自分だったら、こんな言い訳をして、投げやりに日々を過ごしていたかもしれない。
 恵まれぬ者には恵まれぬ者の。恵まれた者には恵まれた者の。全く違った苦悩があるんだろう。
 そして、この場にいる恵まれた者のもう一人、桐谷提督も、口振りとは逆に晴れやかな笑顔で頭をかく。


「耳が痛いですね。わたしも常々、出撃しすぎだと言われていましたし。ですが、わざわざ沖縄で活動させるほどの理由とは思えません。この計画自体、調査だけを目的にしていないのでは?」

「ほう。ではなんと見る、桐谷」

「……桐林殿。貴殿は、どんな理由があると考えます?」

「へっ」


 唐突に話を振られ、声が裏返る。三対の瞳がこちらを見つめていた。
 いきなり質問を投げるとか酷くありません? 突っぱねたいが、もう自分が答えなきゃいけない空気になっている。どうにかして、中将たちを納得させなければ。
 考えろ、考えろ、考えろ。
 ついさっきまでその事を考えてたんだから、理由はこじつけられるはず……!


「し、強いてあげるなら……ガス抜きを兼ねた、反撃への布石、でしょうか」

「続けよ」


 的外れでもなかったか、中将は聞く態勢に。
 口に出したことで弾みもついた。勢いのまま、自分は率直な意見を述べる。


「嘉手納基地を再建するメリットは、無きに等しいかと。沖縄へ行くのにも手間が掛かりますし、基地の再建までするとなれば、そのための機材などを輸送する必要性も生じます。
 桐ヶ森提督の負担は大きくなりますが、屋久島辺りに泊地を作り、そこから彩雲を飛ばした方が効率的です。
 輸送船団も、地理的に考えて、石垣島を経由して台湾へ向かわせるのでしょうが、イマイチです。中国大陸沿岸を辿らない分、燃料と時間は節約できますけれど、途中、深海棲艦に襲われる危険は増えます。多少目減りしても、佐世保から対馬海峡を通った方が確実でしょう。
 南一号作戦に関しては仰る通りです。が、偵察任務のついでにしては大掛かり過ぎる。それに、陸軍の協力を得ずとも、海軍に属する技術屋だけで再建は可能です。ではなぜ、この計画が立案・実行されることになったのか」


 一旦そこで区切り、唾液で喉を湿らせる。
 わずかに間をおいて、中将への答えを口に。


「将来的に発生するかもしれない問題への対処ではないでしょうか。自分が思いつくのは……深海棲艦に陸上戦力があった場合の備え。
 今まで、敵は陸地へ接近することができないとされていました。けれど、キスカ島消滅やセイロン偽島の件を踏まえれば、干渉可能だったのは明白です。
 もしも本土へ上陸されたりしたら。または、敵側の根拠地などを発見できたなら。陸軍に主役となってもらう必要が出てきます。そのための準備が、嘉手納基地再建計画の本質ではないかと、愚考します。
 国民に知られないよう沖縄の訓練場などを使って、桐ヶ森提督を教導官に、傀儡艦ならぬ傀儡戦車などの調整を行うのでは? 加えて、更なる脅威が判明しつつある今、来るべき決戦に備え、軍全体の意識を統合する目的もあるのでは……?」


 深海棲艦は海からやって来る。であれば、戦力を海軍に集中するのは必定。その代償として、陸軍は海軍のオマケ扱いを受けている。国内を能力者が移動する際の護衛や、脚の手配など、ほぼ雑用と言える事柄を一手に引き受けているのだ。正直、よく我慢できると思う。
 だが、ここへ来て膠着状態は打破された。陸が安全でないと分かった以上、これまで無用とされた陸上戦力も準備せねばならない。
 能力開発の初期段階で試験的に発注され、埃をかぶったままの旧型戦車たち。艦船と比べて小さいこれらは、能力強度が足らず、仕方なく技術職へ就いた能力者でも励起可能と聞いた覚えがある。
 統制人格は現れないだろうが、複数人が呼吸を合わす必要がある通常戦車と、能力者単独で動かせる傀儡戦車の差は歴然だ。傀儡艦の砲撃・航空支援と合わせれば、国すら容易く攻め落とせるだろう。
 かねてから犬猿の仲とされてきた陸軍と海軍。受け継いでしまった悪しき習慣を改善する、一歩となるやも。陸軍内にまで彼女のファンは居るようだし。

 ……悪し様な考えなので言わなかったが、これは他国への抑止力にも繋がる。
 深海棲艦との戦いがいつか終わったとして。人間同士の争いが始まる可能性は、否定できない。
 話し合いで全ては解決できないし、相手の事情を無視することで利益が発生するなら、人は簡単に、差し伸べられた手を弾くのだから。

 ともあれ、第一目的はあくまでセイロン偽島の調査。それを進めつつ、第二目的である傀儡戦車部隊も育成する。
 効率良く、また、国民に気どられぬため、秘密裏に行える場所が必要だった。そこで沖縄へ白羽の矢が立った。
 偵察・戦備増強・内紛防止。三つを兼ね備えた計画が、嘉手納基地再建計画なのだ。……と、思う。


「うむ。色々と足らぬが、及第点かの」

「わたしも同じ意見です。国民感情への影響もあるでしょうね。沖縄を取り戻す。実にいい響きです」

「あ、なるほど……」


 全くもって自信はなかったけれど、吉田中将は満足気に頷いてくれた。安心したせいか、付け加えられた補足には素の反応を返してしまう。
 何も知らない国民から見た場合、この行動は失われた国土を取り戻す作戦に映る。長く停滞した戦況へ、少なからず不満を抱いている彼らにとって、大きな前進だ。
 すっかり軍人としての見方しか出来なくなってるなぁ。もっと多角的な見解を導けるようにならなきゃ……。


「さて、ことの段取りじゃが。まずは桐谷、おヌシに働いてもらいたい」

「わたしの艦隊を使った大規模輸送ですね。心得ていますよ、中将殿。間桐殿と違って、働くのは大好きですから」

『うるせぇ(ピー)が。ワーカホリックは立派な病気だ。治療しやがれ(ピーーー)』

「やれやれ。復活した途端にこれか。もうどうにもならんかのう」
 

 鷹揚に構える桐谷提督から、絶対の自信が伝わってくる。
 航路としては、屋久島・奄美大島を経由。沖縄本島へ向かうのだろう。
 途中に小島も点在し、戦闘を回避できれば楽な航海だ。


「ということは……。いよいよ、私たちの出番ねっ、司令!」

「そうだな。自分も、物資輸送の助力をするのですね」

「いいや。おヌシは嘉手納基地再建計画には直接参加させぬ」

「……はい?」

「え、なんで?」


 陽炎と二人、唖然とする。
 こういった輸送なら、自分の艦隊が何より有効なはず。
 桐谷提督には敵わないかもしれないけど、集中的に運用してさっさか終わらせる方がいいんじゃ……?


「どういうことなの、中将。コイツの傀儡艦、輸送や護衛任務での実績はかなりあるはずじゃない」

「確かに。しかしな、他にもやってもらいたい事があるんじゃよ」

『ってぇことたぁ、偽島並みに厄介なことが他にも起きてるってことですかい』

「いいや。だが重要ではあるの」


 そんな気持ちを桐ヶ森提督が代弁してくれるが、意外な返答に、間桐提督の棒人間は腕組む。
 嘉手納基地再建だけでもかなり大掛かりな計画。それを置かせる別件とは……なんだろう。


「桐林よ。おヌシには、ここへ向かってもらう予定じゃ」


 浮かんでいた海域図が切り替わる。
 見慣れた横須賀周辺。そこから航路を示すのだろう赤い線が伸び、南へ。
 伊豆諸島、小笠原諸島を下り、今なお隆起現象の続く活火山島――硫黄島を指す。
 ……やばい。空いた口がふさがらない。


『悪いが言わせてもらうぜ。脳みそ(ピー)たんじゃねえか?』

「今回ばかりは同意するわ。正気ですか、中将」


 胡散臭い視線と声(間桐提督は声のみ)を向ける二人。どこか、心配しているような感すら伺える。


「なんじゃなんじゃ、まだ耄碌はしとらんぞ」

「では、納得のいく説明が欲しいところですね。流石に無謀……というより、無意味に思えます。そうでしょう、桐林殿?」

「……はい」


 同意を求める声には、頷くしかなかった。現在の海を知っている者であれば、きっと誰でも。
 硫黄島。
 東京都、小笠原諸島南部に位置するこの島は、義務教育を受けた日本人なら必ず聞いたことがあるだろう、大戦中の激戦地。戦後は航空自衛隊の分屯基地が敷かれ、ここを舞台とした戦争映画も多く残っている。
 しかし、目的が見えない。とにかく場所が最悪なのだ。自分もコンソールの子機で詳細情報を引き出してみたが、やはり。

 横須賀から南に約千二百km。これは、桐生提督の進んだウスク・カムチャツクからキスカ島の距離に匹敵した。深海棲艦の海底採掘・磁鉄鉱脈露出などを原因とする、局所的な海流変化・磁場の乱れも問題である。
 大型船すら押し流し、コンパスを狂わせるこれらは、遠海を行く上で大きな障害となるだろう。
 キスカ島強行上陸作戦では、ロシアのリレー装置や、定期的に発せられる“繭”の信号を辿れば良かった。沖縄の場合、間に散らばる島々を偵察機で観測すれば。同様に、八丈島、青ヶ島まではたどり着けるはず。

 だが、青ヶ島・鳥島間、鳥島・むこ島間は、頼りとなる大きな島が少なく、不可能に近い。
 セイロン偽島との距離は沖縄とさして変わらないし、基地も残っているが小規模。しかも隆起現象のせいで港が作れないため、小型船でしか上陸できない。行ってどうするのか。
 どうしても意味を見出せずにいると、吉田中将は不敵に笑い、話を一転させた。


「皆、桐生の残した映像は見ておるな。では、その中に妙な点があったのを覚えておるか」

『妙な点? ワリぃっすけど、俺は一回しか見てねぇんで』

「……あれでしょ。ノイズうんぬん。確かに映像は乱れたけど、あんな反応するほどのことじゃなかった気がするわ」

「あ、自分も気になっていました。でも、どういう関係が……?」

「例の調整士に話を聞いたところ、悲鳴のような雑音が響いたそうじゃ。腕らしき物が飛び出た時と、桐生がアレを仕留めた時。二度に渡ってな。それを再現したのが……」


 ――哭泣こっきゅう

 嫌な予感に身構えた途端、女性の断末魔にも聞こえる、耳障りな音が響いた。
 隣と背後からは、かすかに聞こえる可愛いらしい悲鳴。対面の棒人間まで、一瞬置いて身悶える動作を繰り返す。よっぽど驚いたのだろう、陽炎は艤装を消滅させ涙目だ。
 なのに桐谷提督は笑顔のまま微動だにしない。どんだけ根性据わってんだよあの人……っ。


「……気持ちの良いものではありませんね。しかし読めました。この音を発生させる機械を硫黄島に設置し、敵の出方を見るおつもりですか」

「その通り。例の暗号通信と複合させ、半永久的に稼働するよう設計させておる。アレが重要な存在であるならば、何がしかの反応は得られるはず」


 音響兵器から解放され、自分たちは大きく肩を揺らす。クラクラする頭に、熱のこもった言葉が畳みかけた。
 つまり、キスカ島で起こった現象を、似たような周辺環境にある島で部分的に再現する、ということか。
 人類も深海棲艦を調査しようとはしているのだが、そのアプローチ方法は未だ見つけられないでいる。拿捕は一回も成功しておらず、敵 統制人格はやっと確認されたばかり。自分の知る限りでは、深海棲艦の行動に対応したことはあっても、こちらから働きかけたことはない。
 だが、今までにない行動をとられた事で糸口がつかめた。深海棲艦の生態調査。それが硫黄島へ乗り込む理由か。それならまぁ……。


『だがよう、肝心要な問題がまだ残ってるんですがね、中将』


 ――と、納得しかけたところへ水が差される。
 棒人間はふてぶてしいのに、声だけ疲れきっているのが滑稽だが、吉田中将は気にも留めず先をうながす。


「なんじゃ。言ってみよ」

『ヘッ。分かってるくせに俺に言わせる気ですかい。まぁ言いますが……。そこの雑魚が硫黄島までたどり着けるはずがねぇってんですよ。俺だって無理だ。控えの長門を賭けてもいい』


 鼻で笑うような言い方。不快感を覚えたけれど、しかし、反論できなかった。
 既にあげた理由もあって、硫黄島への航海は至難の技。大航海時代に航路開拓をするような、危険すぎる旅だ。
 それに、桐生提督ですら途中で艦を落後させざるを得なかった強行軍と、ほぼ変わらない道程でもある。
 ……自分は……。


「またアンタに同意しなきゃいけないのはムカつくけど、異論を挟む余地はないわね。コイツは弱い。“桐”に値するかどうか以前の問題よ。そこいらの無名能力者の方がまだ信用できるわ」

「なっ、そんな言い方ヒドイですっ! そりゃあ、皆様方に比べたらまだアレかもしれませんけど、司令だって!」

「陽炎、やめるんだ」

「でもっ」


 あくまで冷静に、事実だけを述べて、桐ヶ森提督が同意を示す。
 陽炎は怒ってくれるが、間違っていないのだ。こればっかりは誤魔化しようがない。
 けれど、そんな自分たちを見て、彼女は意外な――羨むような表情を浮かべた。


「……本当に感情持ちなのね。やり辛い。一応、貴方のせいでもあるのよ」


 一瞬。見間違いとしか思えない、本当に一瞬だけだったそれは、冷たい眼差しに消えてしまう。
 次声を発したのは、やはり笑みを浮かべる桐谷提督。


「もっともですね。桐林殿、あなたはそれらの機能に頼り、成長できないでいる。頼らなければまともに戦うことすら不可能。違いますか」


 言葉を失う陽炎を見ていながら、“陽炎”のことは決して見ていない。
 シニカルにも感じ始めた笑顔の主が突きつける、真実。
 歯が軋む。


「私の、せい? 私たちが、司令を弱くしてる……?」


 操舵。出力調整。索敵。砲塔・発射管回転。照準。装填。発射。ダメージコントロール。これ以外にも様々なことを、通常の能力者は一人で、最大六隻分こなす。
 自分は、やったことがない。やる必要がなかったからだ。指示を出すくらいはしたが、他は統制人格に任せられた。みんなのサポートがなければ、三隻……いいや、二隻の同時出撃が限界だろう。
 そこいらにいる新米提督と変わらない。半年近く戦い続けてなお、一人で戦えないのだ。先輩が褒めてくれたのは心構えの問題。技量という観点において、自分はまだ新人のまま。
 ……情けない。


「仰る通りです。自分は弱い。本来ならこの場にいないどころか……もう死んでいるだろう、非才の身です」

「司令……っ」

「ですが」


 けど、そんな事はとうに自覚しているのだ。
 背筋を伸ばし、大きく呼吸。
 手を見つめる。あの病院で。あの子が握ってくれた手。
 それを、あの人が叩きつけた熱へ、重ねる。


「自分はこう考えています。他に目立つものがない代わり、優秀な教師との縁に恵まれたのだと。
 彼女たちは、能力者が長い年月をかけて磨き上げる技術を、惜しげもなく披露してくれます。それを間近で見て、魂で感じたからこそ、こんな若造が生き残れた。
 弱いままでいるつもりはありません。自分には目指すべき上がある。弱いままでなんか、いられない。だから――」


 ――うかうかしてると追い抜かれるぞ。

 身の程知らずな決意を、目で語る。
 技術を盗むのに時間はかかるかも知れない。ひょっとしたら、とっくに限界なのかも知れない。
 それでも、気持ちだけは負けないよう。共に戦ってくれる仲間に、恥じぬよう。
 肩へ手が置かれる。
 あえて振り向きはしないが、間違いなく陽炎のものだ。わずかに握られたそれから、彼女の想いを感じ取れる気がした。


『ヒッヒッヒッ、生意気だな。だがおもしれぇ。……野郎ソックリだ。よし、行けたらマジで長門くれてやるよ。絶対無理だろうがな』

「……足りません」

『は?』

「間桐提督のいう雑魚が、ご自分で無理だと仰ったことをやってのけた景品ですよ? もっと豪華にしていただかないと。
 陸奥も新造してください。キッチリキッカリ改修して、ついでに四十六cm単装砲もください。そのくらいの懐の広さは見せて貰えますよねぇ?」

「うわぁ……。司令、もしかしてメチャクチャ怒ってる……?」


 怒る? とんでもない、自分を怒らせたら大したもんだ。
 ちょっとムカついてるだけっすよ陽炎さん。


「はっはっは! 言うようになった。おヌシも“桐”じゃ。そのくらいの気概がなくてはのう」

「確かに。ああまで言われたからには、ご褒美がないとやってられませんね? 間桐殿、器の大きさを見せるところですっ」

『……はぁ!? なに笑ってんだ(ピーーー)ども! なんで俺がそこまでしなきゃ――」

「別にいいじゃない。励起もしてないんでしょ、長門。人気者が嫌い、なんて歪んだ理由で肥やしになってるよりは、よっぽどマシよ。陸奥だって未励起の予備持ってるみたいだし」

『な――お――っ――』


 中将や桐谷提督、桐ヶ森提督にまで追撃され、揶揄するようだった棒人間が焦り出す。
 案外流されやすいタイプなのか、彼は急に黙り込んだ後、あからさまな舌打ちをした。


『わぁった、分かったよっ! くれてやりゃ良いんだろくれてやりゃあ!? その代わり、やっぱり無理でしたぁなんて事になったら……ち、鎮守府を全裸逆立ち一周だかんな!!』

「お安い御用です。どうせやらずに済むんですから、動画撮影して実家へ送ることにしましょうか」

『てんめぇ……。記録したからな……。マジでやらすからな……。覚えとけよこのロリコンが……っ!』


 絞り出すような恨み言が、今の自分には心地良い。やる気が漲っている。桐谷提督も「わたしからも用意しておきましょう」と言ってくれた。何が何でも、この無礼な男に吠え面かかせてやろうではないか。
 ところで、どうしてピー音入れなかったんですか先輩。自分はロリコンじゃありませんよ。電のせいでストライクゾーンが下にちょこっと広がっただけです。
 などと心の中で文句をつけていたら、桐ヶ森提督が横顔を覗き込んでいることに気づく。視線が合うと、途端、彼女は眉をひそめてしまった。


「何よ。私はなんにもあげないわよ。撤回もしないから。アンタのこと、個人的に嫌いだし」

「結構です。今は無理でも、いつか肩を並べた時、背中を預けてくだされば」

「……ふん、だ。とりあえず、今回は信用してあげる。せいぜい頑張んなさい」


 面と向かった「嫌い」宣言には傷ついたが、なんだか拗ねているだけにも……。
 ひとまず、これにて一件落着のようだ。
 それを見計らい……いや、こうなるのを見通していたんだろう中将は、「さてさて」と手を叩く。


「桐林よ。硫黄島へ向かってもらうにあたり、ワシからも渡しておくものがある」

「あ、はい。……え」


 慌てて居住まいを正すが、手元のコンソール画面にポップアップしたものがあり、目を奪われる。
 辞令書類の写し。書かれていた内容は――


「略式ではあるが、本日只今を持って、おヌシを大佐に任官する。
 そして、キスカ島強行上陸作戦の成功を評価し、第二中継器の使用を許可する。
 桐生が霧島に載せておった物じゃ。……この意味が分かるな」


 ――唐突な、昇進の知らせだった。
 驚きと共に、言葉では言い尽くせない、複雑な感情がこみ上げる。
 上陸作戦。あんな結果に終わっても、確かに成果は出た。そのおこぼれ。
 桐生提督の中継器。形見。違う、これは借りるだけだ。いつか返すべき物だ。
 託された意味。遺された価値。


(……受け継ぐ、意思)


 また立ち上がり、同僚の顔を確かめる。
 間桐提督……は棒人間にフラダンスさせて興味なさそうだから置いといて。
 相変わらずなアルカイックスマイルの桐谷提督。掴みどころのない人だが、複数艦隊の運用法など、彼から学ぶべきことは多い。
 机の上で悠然と指を組む吉田中将。その姿から、期待されているのを感じた。どうしてそこまで……と気にはなるけど、応えなければ。
 こちらを見上げる桐ヶ森提督。碧い瞳に、様々な感情が渦巻いて見える。この作戦を成功させれば、少しは信頼してくれるだろうか。
 最後に、陽炎。実に嬉しそうな顔をして、ウィンクまで飛ばす彼女は、無言のまま一歩下がり、かかとを鳴らした。


「謹んで、拝命致します」


 この中で一番地位の高い中将へ向かい、最初に挨拶をした時と同じく敬礼を。
 わずかな拍手が、ささやかに祝ってくれた。
 ここからだ。
 本当の戦いは、ここから始まる。
 そんな確信を抱きつつ、自分は精一杯、胸を張るのだった。










《こぼれ話 北上さんはラブ勢だと思うのですよ》





「ふっふふーん、ふーん、ふーんふんふふん、ふっふふーん、ふん、ふん、ふーん」


 上機嫌な鼻歌とともに、サァァ、という優しい水音。
 ジョウロが美しい虹を作り出し、芽吹いたばかりの苗が恵みを受ける。
 瑞々しく朝日を反射する双葉たちは、どことなく嬉しそうに見えた。


「北上さん、おはようございます。朝から精がでますね」

「んあ? おー、大井っち。おっはー」


 後ろからの声に、雨を降らせていた少女が振り返った。
 近づいてくる、濃緑のセーラー服を着た少女。背中にかかるほどの艶やかな茶髪に、天使の輪が描かれていた。球磨型軽巡洋艦四番艦・大井だ。
 そして、手を振って迎える黒いお下げ髪の少女が、三番艦・北上。
 同じ制服で身を固めた彼女たちは、つい先日、軍艦の中でも珍しい重雷装巡洋艦――四連装魚雷発射管を、片舷五基二十門。両舷合わせて十基四十門という、凄まじい魚雷火力をもつ艦へ近代化改装された二名である。


「あ、もう芽が出てたんですね。何を育ててるんでしたっけ」

「水菜だってさー。いいよねぇ、あのシャキシャキ感。あたし好きだなー。早く立派に育って、あたしたちの胃袋へ収まるんだよー水菜ちゃーん」

「そんな身も蓋もない言い方したら、育たなくなっちゃいますよ……?」


 笑みを浮かべながら水をやる北上と、隣に座り込み、困った顔で見上げる大井。
 姉妹艦である二人だが、長良型の統制人格たちと同じく、姉妹というより友人同士……思春期の女子によくある、“特別な”友人という関係にある。また、最初から重雷装艦化を意識して励起されたためか、残る三名とは衣装も異なっていた。
 しかし、球磨たちは気にも留めていないらしく、「姉ちゃんよりも先に改造とか生意気だクマー。盛大に祝ってやるクマー!」と、パーティーを開いてもらう程度には仲が良いようだ。
 ちなみに、その時のおつまみは、スモークサーモンチップに厚削りの鰹節、ちょっと不恰好な手作りクッキーの三種だった。誰が何を用意したのか、想像に難くない。


「どのくらいで収穫なんですか?」

「うーん、鳳翔さんが言うには、あと三週間くらいかなぁ。その前に間引いたり、肥料をあげたりしないといけないんだよねー。たまにでいいから手伝ってくれる?」

「もちろんです。たまにと言わず、毎日でも」


 親友からの頼みに、大井は当然と腕まくりして見せた。二人のいる場所は、宿舎にほど近い家庭菜園である。
 統制人格が増えに増え、すでに四十を越えた桐林艦隊。増大する食費・光熱費に、家計を任されていた鳳翔は、少しでも節約しようと一念発起。手のあいた仲間に手伝ってもらい、この菜園を耕した。現在、秋から冬の収穫を目指して、様々な野菜を栽培中だ。
 手塩にかければその美味しさもひとしお。今から収穫が楽しみ……ではあるのだが、ちょっとした不満もある彼女だった。


「……にしたって、野菜のお世話とか、統制人格のする仕事じゃありませんよ。全く、提督も何を考えてるのか……」

「あたしは別に嫌じゃないよ? 土いじりも案外悪くないよねー。なんていうか、新しい自分を見つけちゃった的な。まー、そんなに長く生きてるわけじゃないけどさ」

「なら、良いんですけど……。わたしとしては不安です。初対面でセクハラしてくる人の部下だなんて」

「セクハラ? 大井っち何かされたの?」

「されましたよっ。北上さんもされたじゃないですかっ」

「あたしも……。あー、もしかして、手?」


 空いた手をひらひらさせる北上へ、大井が頷く。
 励起に際して発生する肉体的接触――要するに、実体化した時、手を繋いでいる現象のことだろう。
 具体的な理由は今持って不明だが、誰が励起を行ってもこれは発生する。つまり避けようがないのである。
 けれども、そういったことへ敏感な精神構造を持ってしまった彼女にとっては、セクハラ以外の何物でもなかった。
 対して、北上はさほど意識もしておらず、むしろ過敏な反応をたしなめるように苦笑い。


「みんな一編は通る道みたいだし、気にし過ぎじゃない? 提督、わりと傷ついてたみたいだよー?」

「自業自得です。あの人、最初から好感度高い女の子に囲まれて、感覚が麻痺してるんです、きっと」


 見解の違いが面白くない大井。若干アヒルぐちである。
 励起され、自身が彼と触れていることに気づいた彼女の対応は、挨拶の前にそれを振りほどき、表面上は笑顔を浮かべつつスカートで手を拭うというもの。
 男からすると痛恨だった。その場は取り繕えても、「馴れ馴れしかったのかな……」と落ち込み、以降、統制人格へのスキンシップには許可を求めるようになったほどだ。
 とはいえ、傍目から見れば、洗濯物を一緒にしないで欲しい思春期の娘 VS 反抗期に差しかかった娘への対応に困る父親、といった、深刻さを感じさせない仲の悪さでもあった。それがまた、北上の笑みを深くする。


「まー、大井っちの気持ちも分かるけどさ。あたしはやっぱり、嬉しかったなー。大きくて、ちょっとゴツゴツしてて。けど、すごく暖かかったから。それに」


 ジョウロを脇へ置き、つまらなそうに苗を突っついていた手を取って。
 彼女は偽りのない気持ちを、指へ込める。


「大井っちとも触れ合えるようになったしねー。感謝してるわけですよ、北上さんとしては」

「あ……。そう、ですね」


 柔らかさを感じ、ふてくされていた顔もほころんだ。
 元々は艦船。そんな事をする必要など無いし、しようと思う心も無かった。だが、こうして体温を受け取れる今、その素晴らしさは実感していた。
 いつも締まりのない表情で、何かにつけ駆逐艦たちの頭を撫で回したり、千歳と一緒に酔っ払い、大騒ぎするのも日常茶飯事な、だらしない上司。けれど一応、感謝はできるかもしれない。
 触れる身体と、感じる心を与えてくれたこと。
 そしてなにより――


(北上さんと、お揃いの服も着れるし)


 ――ペアルックを構築してくれた、彼の深層心理に。
 おそらく、この世で大井と北上、“二人だけ”が着る制服。たまらない響きである。妹と可愛がってくれる球磨たちにはちょっと悪いが、大井は嬉しかった。ペアルックだし。
 一見地味だけど日常的に使えるし、ペアルックだし。正直ダサいとも思ったけど、ペアルックだし。まぁとにかくペアルックだし。ビバ・ペアルック。
 こう考えると、一回くらいならハグさせてやってもいい気がしてきた。しかし、手のひら返しするのもなんだか悔しく、彼女は冗談めかした調子で北上をのぞき込む。


「おっほん。ところで、さっきからやけに提督のフォローしてますけど、まさか北上さん、彼に恋しちゃってるとか……ふふっ、まさかそんなこと――」

「……んー」

「――あら? え。えっ。北上さん?」


 目を微妙に伏せて、頬を赤らめながら揉み上げいじるとか、何その反応。乙女チックで超可愛いんですけど。
 と、混乱のあまり、大井の思考は脱線する。
 それに気づかぬ北上は、つないでいた手をほっぽり出し、恥ずかしげな口元で五本指を突っつき合わせた。


「提督のことは、そう……。まー、そうねー。……嫌いじゃあない、かなー……なんて」


 動悸が激しくなった。
 北上の仕草がツボったからではない。親愛なる友の陥っている状況に、不整脈を起こしたからである。
 嫌いじゃない。額面通り受け取れば、単に悪感情は抱いていないというだけ。だが、その視線が。仕草が。声が。そうではないと物語る。……予想外だ。
 信じたくない気持ちと、身を焦がす焦り。ついでに、ほどかれた指の寂しさも手伝って、大井は愛おしい人へすがりつく。


「い、いやいやいや、嘘ですよね、嘘でしょう北上さん!? ブサイクとは言いませんけど、明らかにイケメンじゃありませんし!」

「でも、愛嬌あるよねー。提督の笑った顔って、けっこう可愛いと思う」

「えええええ。と、ときどき北上さんの名前を間違えるような、失礼な人じゃないですかっ」

「しょーがないでしょー。あたし自身、たまーに『きたがみ』の方が言いやすい時あるもん。ていうか、大井っちも結構な確率で……」

「き、記憶にございません。ロリコンって噂もありますよっ? 電ちゃんとは仲良すぎですし、島風ちゃんにはあんな格好までさせてるし、変態趣味ありそうで危険ですっ!」

「そぉ? 一応、あたしとか大井っちも趣味の範囲に入ってるんじゃない? 根は真面目っぽいから、既成事実さえ作っちゃえば責任とってくれそうな気がするけど」

「イヤですよ穢らわしいっ! とにかく提督なんですよ!? あれがこうしてそうなっちゃう提督っ!? ずぇええったい、ダメです!!」

「大井っち、もう理由になってないよー」


 暖簾に腕押し、糠に釘。手応えのない問答で歯がゆく悶えていた大井は、途中、自分も例えに含まれたことへ拒絶反応を示し、勢いよく両腕をクロスさせた。
 本人が聞けば盛大に落ち込みそうなことを言ってしまったが、人間的な魅力を欠いている人物ではない。これだけ多くの統制人格に慕われているという事実が証明だ。いくら励起された側でも、自意識を宿した感情持ち。無条件に好意を向けられるわけではないのだから。
 彼女自身、第一印象こそ最悪だったけれど、後の交流で態度は改めている。最初のあれも「謝っておこうかなぁ」と、タイミングを見計らってもいる。が、無理だ。それとこれとは話が別。
 感情に目覚めている統制人格なら、我慢すれば“そういう事”も可能だと、刷り込まれた知識で知っている。でも無理。そんな対象として見れないし、見て欲しくない。


(北上さんをそんじょそこらの男に任せられるもんですかっ。せめて、わたしの屍を越えていけるくらいじゃないと……!
 どうする。どうするの。どうすれば北上さんの気の迷いを晴らせるの……!? うぅぅぅぅ、なにか穏便で、即効性のある手立ては………………あれ?)


 親指の爪を噛み、必死に考え続ける大井の耳へ、「ぷふっ」という笑い声が届く。
 隣を確かめてみれば、北上が堪えきれない様子で吹き出していた。


「いやー。大井っちってば、予想通りの反応してくれるんだもん。おかしくってさー。ふっくく」

「……へ?」


 お腹を抱えるその姿に、やっと気づく。一杯食わされたのだと。


「も、もうっ。北上さん、人が悪いです! わたし、本気でビックリしたんですからねっ?」

「ごめーん。大井っちが突然変なこと言い出すからさ、つい。許して?」


 両手を合わせ、片目を閉じてクイっと斜めに。
 いつもの調子が、嘘ではないことを教えてくれる。オマケにとっても可愛らしく、何もかもがどうでも良くなってしまう。
 もしも本気だったとしたら、己が尊厳と、北上の隣に立つ権利をかけて決闘を申し込むところだが、彼女にとっての特等席は守られた。ならとりあえず、それで良しとしてやろうではないか。


「……はぁ。いいです。冗談ならもう、それだけで。さ、そろそろ朝ごはんの時間です。戻りましょう?」

「あ、ちょっと待って。……よし終わりー。行きますか」


 残っていた水をまき終え、上機嫌な背中を北上が追った。
 しかし、不意に立ち止まった彼女は、まだ低い太陽を見上げ、まぶしさに目を細める。


「……まー。全部が嘘だとは、一言も言ってないんだけど……ね?」


 手をかざし、誰にも聞こえないよう呟く。
 どこまで本気で、どこまで冗談か。
 それは神のみぞ……いいや。神ですら知ることは許されない。


「北上さーん、どうかしましたー?」

「なんでもなーい。いま行きますよー」


 知っているのは、生まれたばかりな乙女心だけ、である。




















 大型建造を繰り返すこと三十数回。やっと、やっとお迎えできました! ……あきつ丸ちゃんを! 陸軍仲間が増えたよっ、やったねまるゆちゃん(x4)!!
 ………………実はもう四十回目です。三人目の赤城さんでした。泣いていいですか。
 それはさておき、今回は“桐”の集結後編と、みんな大好き北上さんご登場回でした。今後もちょいちょい出したいですね。
 次回から独自任務の本格始動。また、タイトル詐欺状態も緩和されますので、電ちゃん好きな大きいお友達は乞うご期待。
 それでは、失礼いたします。

「……なぁ。そこのあんた。ちょっち顔貸しぃ」
「え? あ、龍驤さん……ですよね。初めまして。私、祥鳳型軽空母二番艦の――」
「皆まで言うなっ。見れば分かる、あんたとうちはもう仲間や! 敬語も要らんから、仲良うしような?
 困ったこととかあったら、なんぼでも力んなったるでぇ。ほんなら、ちょっち防空演習出てくるわ。また後でなー!」
「あ、はい……じゃなくって、うんっ。頑張ってねー!(……嬉しいんだけど、やけに胸の辺りを見られてたのはなんで?)」





 2014/02/08 初投稿
 2014/02/11 誤字修正







[38387] 新人提督と最良の敵
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2015/03/29 21:22





 結局、何も分からない、ということが分かっただけだった。
 唯一の救いは、彼女がとても良い相棒役を務めてくれるということ。
 わたしから戦い方を学んでいたかのように、次の一手を察知し、的確に状態を整えてくれる。煩雑な傀儡艦への命令も、すこぶるやり易くなった。
 いつの間にか、わたしは彼女を受け入れ始めていた。頼もしいとすら感じている。
 一方で、胡散臭さもあるのだ。
 目隠し鬼をしているよう、手の鳴る方へ誘われているだけではないのか。落とし穴があると知らず、突き進んでいるのでは。
 目に見えない大きな流れが、渦巻いている気がした。

 だが、それも今は置いておかねば。
 あと数時間で観艦式が挙行される。傀儡艦と傀儡能力者。人類が得た新しき力のお披露目である。
 しかし、その主役は哀れなほど緊張しているのだ。
 何度も何度も、繰り返しセリフの練習をしながら、「カンペ持っていっちゃダメですか……?」と涙目をこちらへ。ここまで大きな反応を示されるのは初めてだった。
 とにかく、駄目に決まっているだろうと叱りつけ、わたしは彼女の読み合わせに付き合う。
 あれだけ素早く砲塔を回せるのに、たった三行の謳い文句で、どうして舌が回らなくなるのか。
 全く、先が思いやられる。


 桐竹随想録、第五部 雪に萌ゆるより抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 風を感じた。凪いだ海の上をいく、穏やかな風を。
 視界は閉ざしているため、肌を撫でる感触も、髪を梳かれる心地よさも、余すところなく感じられた。
 もっとも、それを受け取る自分の身体は、相変わらず地下にある。
 空調設備で完全に整えられた空気。頭の上半分をスッポリ覆う装具。脱着可能な籠手も、今は増幅機器の手すりと一体化して操作状態だ。
 生まれ持った肉体は椅子へと固定されているのに、海風を浴びる確かな開放感を得ている。
 完全に同調しきってはいない、半同調状態での奇妙な感覚。話によれば、アリス症候群の症例と似ているらしかった。


「提督。そろそろお時間です」

「ん……。分かりました」


 書記さんが開始時刻を告げる。
 これから始まるのは、北太平洋、安全領域内を縦横無尽に駆け抜ける、艦隊演習である。
 “桐”の談合から数日。
 自分は悩みに悩んで悩み抜いて、与えられた任務への方策をいくつか捻り出していた。今日の演習は、それを確かめるためのものだ。
 運良く、演習海域がまるっと空いており、存分に暴れ回れることだろう。


(数は六対六。艦種や兵装の情報は互いに確認済み。配置はランダムで索敵から開始。上手くいくか……?)


 いや、上手くいく方がおかしい。言ってしまえば、失敗するのが前提でもある。
 何度も失敗を繰り返し、修正点をみつけ、作戦と言えるまでに練り上げる。そのための演習。勝ち負けにこだわる必要もない。
 ……どうせなら、勝って格好良いところを見せたいけど。


「開始予定時刻、一五◯◯まで、残り三分」


 欲張るな。自惚れるな。でも臆するな。今は目の前の戦いへ集中するんだ……!
 ゆっくりと息を吸い、限界まで吐き出して。
 もう一度、今度は一気に肺を膨らませ――


「……三、二、一。定刻となりました。演習を開始してください」

『了解。全艦、戦闘用意! 両舷前進、第四戦速。艦載機の発艦急げ!』


 ――戦いの狼煙を上げる。
 おおぉ! と六人分の声が返るころには、自分の意識は洋上を漂っていた。
 二十七ノットを目指して進み始めた輪陣形のうち、旗艦である軽空母――「づほ」と着艦識別文字が描かれた甲板に立つ少女へ、半ば繋がっていた感覚が急接近。一挙一動を、座りながら体感する。


「はぁ……。大丈夫、きっとうまく出来る……」


 紅白の縦柄ハチマキを巻いたポニーテール少女が、矢をつがえながら、左手の弓を改めた。
 服装は赤城と似た巫女服っぽい和装だが、袴は太もも辺りでバッサリ切られ、ベルトでもんぺのように絞られている。強張った小さな体躯と裏腹に、胸当てと、格納庫代わりの矢筒が馴染んでいた。
 来たるべき硫黄島への出撃と、その失敗・再出撃に備え、燃費が良い軽空母のローテーションを組めるよう、急遽建造した祥鳳型航空母艦二番艦・瑞鳳ずいほう
 これが彼女の名である。


『緊張してるのか、瑞鳳』

「あ、提督。そんな事ない……って言えれば良かったんだけど、ちょっと怖いかな。初めて飛ばす機体が、彗星だなんて。おまけに天山まで載せてるし……」


 後部エレベーターから、瑞鳳の言う艦上爆撃機・彗星一一型が姿を現す。
 九九艦爆と比べて小柄であり、先細りの機首が目立つ。倍近い重さの爆弾を積むことができ、戦闘機並みの性能を持った機体だ。大戦時は工業力の問題でろくな運用ができず、満足に活躍できなかった不遇の傑作でもある。
 そして天山とは、艦上攻撃機・天山一二型のこと。
 こちらも機体性能が向上しており、さらに基本雷装を、九七艦攻で使用されていた九一式航空魚雷改二から、頭部炸薬量を増やした改三・強へと変更していた。
 要するに攻撃力をアップさせた艦載機なのだが、彼女が海へ出るのはこれが初めて。不安を感じてしまうのも無理はない。
 けど、だからと言って相手は待ってくれやしない。ただでさえ艦隊として練度の低いこちらは、とにかく先手を打つしかないのだ。


『落ち着いて、頭の中にあるイメージ通りにやれば大丈夫さ。自分も手伝おう』

「え? どうやって……ぁっ、て、提督っ?」


 少しだけ同調強度を高め、鳳翔さんとの訓練で覚え込んだ動きを再現する。
 瑞鳳からしてみれば、手を取られて、身体を動かされているような感覚だろうか。戸惑うような声が上がった。
 ちょっとどころか間違いなくセクハラだが、肉体的には触れてないし、もうすぐ艦自体の速度も乗る。
 発艦に適した合成風力(風上に向かって艦が移動する際に発生する風。これを使わないと滑走距離が足らず飛び立てない)が得られ次第、まずは艦爆・十八機を送り出さねば。


『身体の力を抜くんだ。もっと自然に、自分自身を信じて。さぁ、やるぞ?』

「……うんっ! 攻撃隊、発艦!」


 最初はぎこちなかった構えが柔らかく、しなやかに。そして、今だと直感した刹那、矢は放たれた。
 同時に飛び立った彗星と、それを模した矢尻が霊的に同化。より複雑な制御を受け入れる準備が整う。


『よし、上出来だ。あとは頼むぞ、瑞鳳。全機上げ終わったら報告を』

「任せてっ。せっかく旗艦に選んで貰ったんだし、S判定勝利で初陣を飾っちゃうんだから!」


 新たな矢をつがえつつ、彼女は笑顔で答える。習うより慣れろ、とはよく言ったもの。もう大丈夫そうだ。
 見えてはいないだろうけど、頼もしい背中へ笑い返し、自分は中継器で繋がった他のメンバーに視点を移す。
 今度は、左右と後方を守る、駆逐艦二人と軽巡一人だ。


『不知火、五月雨、五十鈴。対空の要は君たちだ。艦隊を守ってくれ』

《了解しました》

《もちろんです、護衛任務はお任せくださいっ。一生懸命、頑張りますっ!》

《五十鈴も了解よ。全力で提督を勝利に導くわ》


 簡潔に、可愛らしく、堂々と。三人の少女がうなずく。
 陽炎と同じ高角砲二基と魚雷発射管、太ももへ機銃帯をつける不知火。
 両手に拳銃型高角砲を構え、大きめの魚雷発射管を背負い、ウェスタンスタイルのホルスターにも拳銃型機銃を複数納める五月雨。
 小銃型高角砲一丁と、腰回りに、魚雷発射管二つと機銃をこれでもかと据えた五十鈴である。
 改の名を冠した彼女たちは、接近してくる敵機から皆を守る役目を担う。

 駆逐艦二人は、主砲、五十口径 十二・七cm連装砲を六十五口径 十cm高角砲へ変更し、二十五mm三連装機銃・同単装機銃を、それぞれ五基・十四基、三基・十基まで追加している。
 この改装により、主砲は砲弾を一回り小さくしながら、長い砲身により初速・射程を保ち、旋回速度・最大九十度まで取れる仰角・スペック上では倍近い発射速度を得た。
 機銃は実際に敵機を撃ち落とすのではなく、弾幕を張って近寄らせないための物なので、とにかく数が多い方が良い。

 そして、これに特化しているのが五十鈴だ。
 主砲の十四cm単装砲七基を撤去。十二・七cm連装高角砲を二基四門、三連装機銃を九基二十七門、駄目押しに同単装機銃・五基、十三mm単装機銃・八基を載せた、対空砲火の鬼である。
 史実においては飛行機滑走台(カタパルトとは違って射出機能はない)も外し、三連装機銃二基をさらに追加。爆雷投射機・爆雷投下軌条二基も設置されたが、練度の問題で対空機銃増設に留まった。
 竣工時から対潜装備を持つ不知火、水中聴音機を追加した五月雨に任せる形だ。水上偵察機も載せていない。
 加えて、艦隊では彼女が初装備のある物も特徴だった。


『電探の調子はどうだ?』

《感度良好……といっても、まだ反応はないわね。瑞鳳の艦載機が発艦を終えるまでは私が索敵を続けるから、安心してちょうだい》


 艦橋の上部で回転する、幅三・三メートル、高さ約一・八メートルの金網状の物体――二式二号電波探信儀一型。略して二一号電探レーダー
 航空機を五十五km、戦艦を二十kmで探知できる(あくまでスペック上は)代物だが、実は傀儡艦に電探を載せることは少ない。艦隊に水偵などを飛ばせる艦がいれば、その視点から情報を得て砲撃可能なため、必要ないのである。
 逆に、そういった制御の苦手な能力者が載せる場合もあるが、わざわざアンテナの向きを変え、オシロスコープ(光の線がうにょうにょする心電図みたいなやつ)で読み取らなければならないので、円滑なマルチタスクが重要な傀儡艦戦闘には不向きだったりする。値段も高いし。
 それでも採用したのは、感情持ちであれば能力者と作業分担が可能であり、不完全とはいえ防空巡洋艦になった五十鈴との相乗効果シナジーも期待できたから。彼女がいなければ、アウトレンジでなす術なく叩かれるだけだっただろう。
 と、頭の中で分析を進めていたら、当の五十鈴が「それにしても……」と前置く。


《妙な感じだわ。こっち側に千歳さんたちと、あと瑞鶴がいれば、レイテの第三航空戦隊が再現できるじゃない》

『言われてみればそうだな。必要があったからこのメンバーを選んだんだけど……これも縁かな』

《あ、夕立ちゃんと一緒にお勉強したから知ってます。空母になった千歳さんに千代田さん、瑞鳳さんが参加したんですよね。五十鈴さんもその護衛として。それに多摩さんも》

《不知火も、志摩艦隊としてスリガオ海峡へは参戦しましたが……。あまり思い出したくありません》

《散々だったものね……。けど、私はいい機会だと思う。演習とはいえ、あの時の借りを返せるんだし。今度は敵機全部落としてやるわ!》

《ですねっ。提督、改装して新しくなった私の活躍、見ていて下さいね?》

『ああ、見逃さないよ。不知火も例の“アレ”、十分に警戒してくれ』

《承知しています。油断はしません》


 渋い顔の五十鈴と不知火だったが、うまく切り替えてくれたんだろう、普段通りの凛とした表情へ。逆に五月雨は、無邪気な学生のように手を上げている。
 演習中なので詳細は省くが、「無理の集大成」とも評された、シブヤン海・スリガオ海峡・エンガノ岬沖・サマール沖海戦の四つからなるレイテ沖海戦は、あの特別攻撃隊まで出撃した悲惨な戦いであり、ミッドウェー、ソロモン、マリアナと損害を出し続けた日本の艦隊勢力は壊滅。組織的に動くことも侭ならなくなり、敗戦を決定づけられた。
 三人ともレイテで直接沈んだわけじゃないが(五月雨にいたってはその前である)、エンガノ岬にいた瑞鳳を守るということには、大きな意味があるのだと思われる。自分も気を引き締めないと。


《やー、頼もしいねー。あたしたちはロクに参加できないし、ホントよろしくー》


 そんな時、輪陣形の前方から声が掛かる。重雷装艦二名のうち、先陣を切る北上だ。


『まぁ、君たちは他に特化してる部分があるからな。酸素魚雷は装填済みか?』

《ふっふーん、もっちもっちの論者積みですともー。なんなら、あの子みたく手取り足取り確認してみるー?》

『う、見てたのか……。大井が怖いからやめとくよ』

《どういう意味ですか提督。わたしが見てなければヤるつもりですか? というか、同意も得ずにあんなセクハラゴルフコーチみたいなこと、わたしと北上さんにはやめて下さいね?》

『だからやらないっての。例えが的確すぎるわ』


 北上は、両脚の太もも・ふくらはぎ、そして左腕に装着された四連装魚雷発射管五基をウィンウィン言わせ、同じ艤装の二番手、大井が毒を吐く。
 本当に当たりが強い子だな大井は……。笑ってれば可愛い子なのに。北上の方は、語尾伸ばしが多いから現代っ子っぽいのかと思ったらそうでもないし、親しみやすいんだけどなぁ。
 ま、それは置いといて。


『敵の編成は駆逐・一、重巡・二、水母・二、軽空母・一。おそらく空母群を後ろに、駆逐・重巡を護衛として突っ込んでくるだろう。
 こっちは近づかれたら終わりだ。敵艦をより早く捕捉し、先制雷撃で可能な限り大破判定をとるしかない。短期決戦だ、やれるな』

《誰に物を言ってるんですか。当たりさえすれば、重巡どころか戦艦だって沈めてみせますよ》

《まー、大井っちと組めば、最強だよねー? スーパー北上様にまっかせたまえー》

『ははは、その調子だ。期待してる』


 わざとなのか、それとも素なのか。北上のピースがチョキチョキしてるし、多分後者だろうけど、絶妙な力の抜け具合に笑ってしまった。
 演習海域はおおよそ四十平方キロメートルで、五十~六十mも高度を稼げば互いに居場所を発見できる。敵空母と瑞鳳は全く同じ性能だが、水母の瑞雲を加えられると制空権を握るのは難しくなるだろう。
 しかし、彗星の性能があれば敵機を振り切って爆撃するのも絵空事じゃない。逆に敵の爆撃は五十鈴たちが効果的に防いでくれるはずだから、問題はむしろ重巡。迂闊に接近され、防空の要を仕留められたりしたら……。


《……! 電探に感あり! 二時の方向に敵機多数っ。並びに、十時の方向から二機が接近中!》

《こちら瑞鳳、彗星十八機、天山九機、零戦五二型三機、発艦終えました。それと、私の方でも艦影を確認。
 十時の方向はいな――じゃなかった、駆逐艦一隻を先頭に、重巡二隻の打撃部隊が第三戦速にて追随、向かって来てる。二時は敵空母群、こっちから離れて行ってるけど、どうするの?》

『っと、お出ましか。でも、二手に……?』


 どうやら、先に索敵を成功させたのは向こうだったらしい。できればまとめて爆撃したかったが、重巡にはカタパルトもついてるし、仕方ないか。
 五十鈴、瑞鳳の上げてくれた情報を統合すると、自艦隊右上に、離れながら艦載機を飛ばす軽空母と水母二隻。左上から接近してくる駆逐・重巡の三隻と、先行する水偵二機が映像化できる。
 彼我の距離は、空母群が三十数km、打撃部隊が二十kmといったところ。ここは……。


『よし、こちらも隊を分ける。北上、大井は進路このまま。瑞鳳たちは転針、敵空母群へ向かうんだ』

《え? でもそれじゃ……》

『確かに危険度は増す。実戦ならこんな選択しないさ。だがこれは演習で、経験を積むための戦いだ。安牌に逃げちゃ意味がない、攻めていくぞ!』

《いつになく強気ね。けど、私に乗るならその位じゃなきゃ。こっちの守りは五十鈴に任せて?》

《不知火としては安全策の方が好みですが、ご命令ならば》

《ちょ、ちょっとだけ、緊張してきました……!》


 皆の反応はおおむね好意的だ。無茶な指揮だが、瑞鳳が打撃を受ける確率を減らせるし、重雷装艦たちの魚雷火力なら三隻を相手取って不足はない。
 実戦だったら先に打撃部隊を仕留めて、彗星の再爆装をする間、五十鈴たちに踏ん張ってもらうけど、成功すれば側面へ回り込む余裕もでき、不知火・五月雨の雷撃と合わせて二方向から空母群に畳みかけられる。試してみる価値はあるはずだ。
 時間も惜しく、この考えを皆に転送すると、渋っていた瑞鳳も納得してくれたのか、隊が二隻と四隻に分かれた。北上たちは短い単縦陣。瑞鳳たちは陣形を変更、三角形の中心に彼女を置いて五十鈴が先行する。


『北上、大井、さっそく出番だ。魚雷発射管、回せ』

《りょーかーい》

《左舷魚雷発射管、回します》


 自分は北上への同調強度を高め、指示を飛ばす。話している間に、目視できる距離まで敵艦が近づいていた。
 おそらくこのまま、すれ違いながらの砲雷撃戦――反航戦となる。相対速度も早くなり、命中精度は共に下がってしまう。こちらの主砲は十四cm単装砲が艦前方に四門ずつ。しかも、射角の問題で片舷には二~三門しか撃てない。砲撃で仕留めるのはほほ無理だ。が、二人の載せている酸素魚雷であれば、可能性があった。

 通常の魚雷は、空気を使った酸化剤で燃料を燃やし、燃焼ガスでエンジンを回す仕組みだ。この酸化剤に、窒素が混ざらない純粋酸素を使うことで、酸化剤容積を少なく、その分に燃料・炸薬を搭載し、威力・射程・雷速を向上させたのが酸素魚雷。
 また、排気ガスも二酸化炭素のみとなり、魚雷の航跡を発生させないという特徴を持つ。速くて目に見えづらい物を避けることが難しいのは自明の理。これを片舷二十射線、二隻合わせて四十射線放つのだ。上手くいけば一網打尽にできる。

 それを相手も理解しているのだろう。水偵がこちらの上空に近づき、十cmと二十・三cmの砲弾が降り始める。
 かすめるような風切り音。
 水面が爆ぜ、飛沫が幾つもの虹を作った。


《ひゃー、撃ってきたねー。まだ当たんないだろうけど、すんごい迫力ー》

『相手が相手だ、油断できないぞ。水偵も飛んでるし、徐々に砲撃の精度を上げてくるはずだ』

《でも、それより先に魚雷を撃ち込んじゃえば良いんですよね。わたし、砲雷撃戦って聞くと……燃えちゃいます》


 怖い。うっとりした顔が怖いよ大井さん。あと自分、砲撃としか言ってないんですが。雷と戦はどっから来たの?
 なんていう場違いなツッコミを胸に秘め、発射角度を調整する二人に載せられた連装機銃四基を空へ向ける。まず水偵には当たらないだろうけど、何もしないよりマシだ。
 距離が狭まる。おおよそ十km。
 酸素魚雷の射程は二十kmだから、すでに射程内へ捉えていた。しかし、じっと堪える。強化されたとはいえ、砲弾に比べると格段に遅い。気づかれていないなら別だが、今はできるだけ近づいて発射する必要があるのだ。
 着弾修正を逆利用した回避(一度落ちたところには落ちない……はず)で時間をかせぎ、主砲をとにかく撃ちまくる。
 敵艦との距離はさらに詰まり、相手側統制人格の姿をかろうじて捉えるまでに。そして、三隻が扇状に角度をつけた予測射界へと。

 ――今だっ!


『雷撃、開始』

《おっけーっ! 四十門の魚雷は伊達じゃないからっ》

《酸素魚雷二十発、発射です!》


 猛る気持ちを抑え、静かに号令を発する。
 縦に並んだ重雷装艦から、勢いよく魚雷が押し出された。波飛沫を立てて水中へ没したそれは、数百mほど白い航跡を残しながら進む(始動には空気を使わないと爆発する)が、やがて、足跡も残さず走り出す。
 発射は感知された。けれど、単横陣で被弾面積を減らしたって、三隻とも運良く魚雷の間をすり抜ける確率は低い。確実に一隻は撃破でき……んん?


『回頭した……けど、単縦陣のまま?』


 さっき言ったように、ここで単横陣になるなら分かる。
 だが、敵艦たちは先頭の駆逐艦へ続き、距離を離しながら一直線に近づいてくるのだ。
 嫌な予感がした。


《あら? 突っ込んでくるね。まー、四十射線の雷撃だし、これはかわせないでしょー》

《北上さん。なんだか嫌なフラグが立った気がするんですけど、わたし》


 気楽な北上と違い、大井は自分と同じ気持ちらしい。
 どうする。このまま主砲を撃ち続けるか。それとも距離を取りながら右に反転し、右舷の発射管で撃てるようにするか。
 前者だと近寄られてしまうし、後者は尻を向けねばならなくなる。とりあえず次発装填はさせておくが、どうすべきだ。

 こんな事を考えている間に、着雷予定時間が近づく。相手は進路を変えようとしない。
 そうか、戦闘力の低い駆逐艦を盾に雷撃を切り抜け、重巡を肉薄させる捨て艦戦法。確かに有効だが、決して褒められたやり方じゃない。
 ましてや、自分の艦隊では絶対に許さないことだ。後で叱っておかなきゃ。


(……だけど、違っていたら。あの子がもし、自分の考えを律儀に守った上で、この選択をしたのだとしたら?)


 膨れ上がっていく焦り。それは、最悪の形で実現した。
 擬似着雷を知らせる発光が、ない。
 今度こそ理解した。水偵で発射管の角度を確認。全幅十mほどの駆逐艦で雷撃の隙間を抜け、距離を置くほど広がっていくそれを、重巡が安全に通過する。
 失敗した場合でも、一射分の波を乗り切れば停止した駆逐艦の脇を通り近づける。これが本当の狙い……!


『くそ、してやられたっ』

《ま、まー、なんて言うの。こんな事もあるよねー? ……退避していい?》

『いいわけあるかぁ!? 反転……するより次発装填のが早いな、とにかく撃ち続けろぉ!』

《了解です、北上さんは落とさせな……い? え、あの動きって……》


 敵艦がまた回頭。左に艦首を向ける。同航戦だ。
 でも、単なる同航戦じゃない。最大戦速でこちらの前方を塞ごうとしている。
 単縦陣から敵前大回頭。攻撃を切り抜けて同航戦に持ち込み、無理やり頭を抑えることでT字有利を奪う。
 海軍人ならば知らぬ者の方が少ないだろう、日露戦争において、東郷平八郎大将が、ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー中将を破った戦法……。


『と、東郷ターン?』

《ちぃ、なんて指揮っ、まさかこんな大胆なことを……!?》

《あーこれ無理だわー確実に負けるわーバルチック艦隊の気分だわー》

《北上さん諦めるの早過――きゃあああっ!!》

《んぎゃーっ》


 呆気に取られている内に、砲撃やら雷撃やらがしこたま撃ち込まれる。
 ペイント弾(天然素材で環境に優しい。むしろ栄養豊富)が北上たちをカラフルに染め上げ、接触した魚雷が眩しく発光。
 実戦であれば轟沈もやむなしといった有様に。


「提督チーム、重雷装艦、北上・大井、大破判定です。速やかに海域を離脱してください」

「くっ……。やるな、電……!」


 遠ざかって行く敵艦たちの上に、見慣れた後ろ姿があった。
 そう、実はこの演習、艦隊内演習なのである。そして、相手側の指揮官を務めているのが、最も長く自分と経験を積んだ、電。
 後ろに続くのは、力こぶを作るように笑顔でガッツポーズしている足柄と、「ごめんなさい、ごめんなさいっ」と言っているのが聞こえてきそうなほど、何度も頭を下げる羽黒だ。
 相変わらず見事な砲雷撃をしてくれるな……。


《やだ、魚雷発射管がドロドロじゃない……っ。しかも臭い……》

《うぅぅ……。次に生まれる時には、重巡がいいなぁ……》

『いや死んでないからな。早いとこ鳳翔さんのとこ行ってくれ。自分は瑞鳳たちの方に戻るからっ』

《はぁーい……。づぁー、生臭いよー、お風呂入りたーい》

《最悪です、髪にもかかって……。あ、一緒に入りましょうね北上さん。髪、洗ってあげますから》

《おねがーい》


 跳ねた塗料にまみれる二人が、海域の外れへと向かっていく。その先に、演習をサポートしてくれる鳳翔さんが待っているはずだ。
 なんで彼女が居るのかといえば、撃墜判定を受けた艦載機の受け入れ先が必要だからである。傀儡艦と違い、航空機などは制御権の完全移譲が可能であり、それを受け取ることで円滑に戦闘を進めるのだ。あくまでサポートなので出撃制限にも引っかからない。
 仕事として他提督たちの演習に送り出すことも多いのだが、その度に差し入れなどを持って行くため、今では料理目当ての予約が一杯だとか。おかげで毎日ご飯を作ってもらってる自分へのやっかみが酷かったりする。全く、飢えた男共はこれだから困るよ(超上から目線)。
 ……って、んなこと考えてる場合じゃない。指揮に戻らないと。


『すまん、しくじった。北上と大井がやられた、自分のミスだ……』

《うん、把握してる。大丈夫、まだなんとかなるわよっ。数は少なくなっても、私たちだって精鋭なんだから!》

《そうですよ提督っ、まだ五月雨たちがついてます、諦めちゃダメです!》

《反省すべき点もあるでしょうが、今は眼前の戦いに集中を。……骨のある敵は、落とし甲斐がありますし》

《戦況は厳しくなったけど、腕の見せ所でもあるわ。五十鈴には敵機も丸見えよ? なんとかしてあげる》

『瑞鳳、みんな……。そうだな。速攻で祥鳳たちを大破判定に持ち込めば、逃げながら彗星の再爆装ができる。足柄たちは魚雷発射管を増設しただけで、対空機銃も少ない方だし、勝ち目はまだ……!』


 意識を旗艦へ戻し、開口一番謝るのだが、口々に仲間たちは励ましてくれる。
 不知火の笑顔がちょっと怖いけど、やれることは残っていた。全てはその後だ。
 敵空母群――瑞鳳の姉妹艦である祥鳳、“元”水母の千歳・千代田、計三人が操る艦載機と、こちらの艦載機がすれ違うまで、まだ時間がある。作戦を練り直さなければ。


(少し落ち着こう。深呼吸して、気を楽に。
 このまま彗星を向かわせるべきか。それとも迂回させ、あえてこっちへの道を開けて五十鈴に迎撃させるか。
 向こうも艦戦は少なめなはずだし、瑞雲も載せられる数が減って――)


 ――ゾクリと、悪寒が走った。
 もし。もしも自分なら、あの後どうする。
 敵雷巡を叩くのに成功し、向かってくる軽空母と防空巡洋艦を、ただ待ち受けるか? そんなはずがない。
 気づいた瞬間、喉は勝手に声を張っていた。


『陣形変更、梯形陣! 微速まで速度落とせ! 不知火、五月雨、聴音機を!』

《……っ。なるほど、このタイミングで……。対潜戦闘に移ります》

《え、えっ、わ、分かりましたっ》


 意図を的確に酌んでくれる不知火と、よく分かっていなさそうだが従ってくれる五月雨が、皆と一緒に六ノットへ減速しつつ、斜めに並んだ隊の先頭と最後尾へ移動。九三式水中聴音機パッシブ・ソナーを動かす。
 手をそば立て、耳を澄ます彼女たちの艦内では、ハンドルによって聴取方向が変化していることだろう。隊列まで変えたのは、聴音機だけでは距離が測れず、三角測量で割り出さねばならないからだ。


《……あっ。こちら五月雨、感ありです! 微かですけど、一時と九時に二つずつ!》

《同じく、不知火も感知しました。敵、甲標的かと》

『やっぱり居たな。位置は』

《補足しました。直ちに向かいます》

『ああ。一時は五月雨だ、行ってくれ』

《はいっ。前衛はお任せ下さい!》


 隊から離れる二人に、残る五十鈴と瑞鳳が「頼んだわよ」とエールを送った。分割された視界の中で不知火がうなずき、五月雨が手を振って答える。
 今回の演習、最も警戒していたのが、改造を施した千歳・千代田の操る甲標的である。
 数ある軍艦の中でも珍しく、多段改造が可能なこの二人は、三度目の改造を経て、最終的に軽空母として完成する。今はその第二段階、甲標的母艦として生まれ変わっていた。
 瑞雲の数を半分に減らした代わり、全長二十四mほどの特殊潜航艇を十二隻搭載している。内燃機関を持たず、特D型蓄電池で、航続距離が六ノット八十海里、最速で十九ノットを出せるものの、五十分しか持たないという扱いづらい兵器だが、使う場所を限定することで先制雷撃や奇襲を行える代物だ。まぁ、こんな風に予想されたら意味ないのだが。

 数分と経たずに、駆逐艦たちは甲標的の居た場所へたどり着いた。
 間違いなく移動されているだろうけど、敵の速度は承知済み。
 あとは聴音機で方向を確かめ、予測位置に爆雷を投げるだけ。種類にもよるが、演習用爆雷の射程は百mほどである。


『爆雷投射用意。毎秒二m沈むから……時限信管を十三秒に設定。準備でき次第投射開始』

《了解。……沈め》

《たぁーっ!》


 二人の艤装に変化が生じた。不知火の手には、特殊部隊が使用するような回転弾倉式擲弾銃グレネードランチャーを、四角く変形させたような物が。五月雨は両手に、小型の擲弾銃を一丁ずつ握り、それぞれ構える。
 後部甲板、最後部中央に設置される、Y字型の機械――九四式爆雷投射機が連動して稼働。船体から、ドラム缶のような物体が射出された。
 規定の秒数が経過すると、本物であれば中規模の爆発が起こるのだが、代わりに昼間でも眩しい閃光が生じる。
 並列して設置された爆雷装填台から、新たな爆雷がダビットクレーンでYの先端へと。一人でに動いているように見えるこれも、主任さんが使役するような妖精っぽい存在がやっているとのこと。統制人格には見えているようだが、能力者には見えないのが普通だ。チャンネルが違うらしい。
 数秒で再装填を終え、再び発射。配備された総数三十六のうち、九を使ったところで投射をやめ、今度は九三式水中探信儀アクティブ・ソナーで敵の現状を探る。すると、それを読み取った書記さんが成果を告げてくれた。


「電チーム、特殊潜航艇 甲標的・甲型四隻、大破判定です」

「よし、とりあえずなんとかなった……っ」


 思わずため息が出た。甲標的の前部に、縦に並んで備えられた魚雷二発。これも酸素魚雷だったのだ。
 九七式と呼ばれるそれは直径が小さく、射程も五kmほど。加えて、甲標的自体の挙動が不安定なため、最適発射距離は八百m程度なのだが、高威力は変わらず、不安材料の一つだった。
 しかし、後続がないとも限らない。早くけりをつけよう。


《今度は冴えてたわね、提督。でも、いつ甲標的がいるって気づいたの?》

『ありがとう、瑞鳳。ただの山勘さ。自分ならそう使うからな』

《なるほどね。……ふふっ、いいじゃない。それでこそ私の提督よ。将来が楽しみだわ》

『ご期待に添えれば嬉しいんだけど、あんまりプレッシャーをかけないでくれ、五十鈴。
 ……ここからが勝負所だ。彗星を二編隊に分けて、敵機を素通りさせる。その後、祥鳳たちへ向けて時間差爆撃。追いつかれるまでに落とすぞ』

《了解っ》

《いよいよ、ね》


 不知火たちが戻ってくるまでの間に、今後の方針を固める。瑞鳳はただちに弓を放った。
 またもや賭けに近い戦法だが、艦載機同士がぶつからない分、双方攻撃力を保っていられるだろう。
 こちらには五十鈴が居て、あちらの防空能力は低い。必ず、凌ぎ切ってみせる。彼女に乗ったことのある名将――山本五十六や、山口多聞には、まだ届かないだろうけども。


《不知火、艦隊に復帰します》

《五月雨、戻りましたっ。やりましたよ提督! これでもうドジっ子なんて言わせませんから!》

『意外と根に持つな君も……。ま、今度の秘書当番の時に、またお茶をひっくり返されなかったら、な?』

《あぅ、ヒドイですよ~。今度はちゃんとしますよぅ……》


 再び三角形を描いた陣形の端で、五月雨が前屈みにイジける。
 思い出し笑いがこみ上げ、戦いの合間だというのに、ふと気を抜いてしまった。
 統制人格が増えてきた現在、手早く鎮守府に馴染んでもらうため、新しく呼んだ子は積極的に秘書官となってもらっているのだが、彼女が当番だった日は、執務室でうっかりが連発したのだ。
 湯のみを割られること三回。書類をぶちまけること五回。何もないところで転びそうになること十回。コーヒーに塩を入れられること一回。淹れ直してもらったコーヒーに味◯素(なぜあった)を入れられること一回。肩揉みの途中で艤装を召喚され、骨を砕かれそうになること一回。
 最後のは「もっと強く」って注文つけちゃったからだろうけど、ドジっ子にもほどがある。涙目で謝る姿が可愛かったのでもちろん許しました。可愛いは正義です。


『……さて。見えてきたな。みんな、準備はいいか』


 ニヤニヤしているうちに、祥鳳の操る彗星が近づいてきていた。同時に、瑞鳳の彗星も横一列となった三隻へ。
 皆の顔に覇気は十分。対空機銃が頭を上げる。自分の役目は、戦闘指揮をしながら、瑞鳳に載せられた連装高角砲四基・連装機銃四基を預かること。少しずつでいい。確実にマルチタスクをこなし、強くならなければ。
 影が忍び寄る。
 かすかに遠く、水冷式発動機・アツタ二一型の駆動音。


『対空戦闘用意! 爆撃は任せた!』

《うんっ。航空母艦、瑞鳳。推して参ります!》


 号令に合わせ、彼女は弓を横に。和弓ではなく、洋弓の構え。
 そこへ矢を三本乗せ、まとめて弾き絞り、放つ。三本が六本。六本が十八本と分裂し、空間を超越して指示を下す。
 全く同じタイミングで敵機が加速。複数にバラけながら高度を稼ぎだした。その進行方向を予測し、機銃の向きを整える。

 反撃開始だ……!





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ……と、そんな風に意気込んでいた時期が自分にもありました。


「えー、それでは。第一回桐林艦隊内対抗演習、提督チームの略式反省会を行いたいと思います」

『はぁ~い……』


 バアァァァ、と、水で高圧洗浄されている艦――北上の本体を背景に、自分の指揮したメンバーがドックで整列していた。一部を除いてペイント弾で薄汚れ、疲れ果てた様子だ。
 ちなみに、彼女たちの対面にいる自分も返事をした側。開会の宣言をしたのは、隣に控える本日の第一秘書官、妙高である。
 クリップボードを手に佇むその姿は、まさしく秘書の理想形だった。


「最終結果としては、電さんチームのS判定勝利。提督チームも損害を与えましたが、全艦大破判定を受けてD判定敗北です。残念な戦果ですね……」

「うーん。やっぱ難しいよねー、この船。主砲も載せ替えてもらわなきゃダメかなー」

「作戦が悪いのよ……」

「本当にすまん、大井。完全に読み負けた。返す言葉もない」

「あ。いえ、そ、の……。そんな素直に謝らないでくださいよ。わたしも至らなくて、ごめんなさい」

「でも、あの場面で雷撃を成功させていたなら、演習結果は逆になっていたと思います。お二人とも、精進あるのみ、ですわ」

「ですかねー。頑張ろーね、大井っち」

「はい、北上さん」


 妙高の励ましを受けて、二人は頷きあう。
 半目でつぶやかれた言葉にはグサっときたが、あんな風にきちんと意見を言ってくれるのはありがたい。
 この痛みを教訓として、自分も精進しよう。


「服も飛行甲板もべちょべちょ……。まだ近代化改修してないのに、迷彩柄になっちゃったよぉ……。空母としての稼働年数なら負けてないはずなのにぃ……」

「悔しいわ……。せっかく改装してもらったのに、全然兵装を使いこなせてなかった気がする。長良じゃないけど、もっと鍛えておけば……っ」

「そんな事ありませんわ。瑞鳳さんは初陣なのに彗星を物にしていましたし、五十鈴さんも、敵機の撃墜数は十三を越えたではないですか。新記録ですよ、誇ってください」

「妙高の言う通りだ。千歳たちを中破判定に追い込んだのは見事だったぞ、瑞鳳。
 五十鈴、エンガノ岬の借りは十分に返せたさ。この調子で練度を上げ、防空巡洋艦として完成してほしい。二人とも、期待してる」

『はいっ』


 若干肩を落としながらも、確かに返される声。手応えは掴んでいるようだ。
 あの後の戦闘経過だが、まず、祥鳳への一次攻撃は失敗したものの、瑞鳳はちとちよ姉妹に爆撃を成功。艦橋、後部カタパルトに命中し、新しく瑞雲や甲標的を発艦させる能力を封じた。
 実際に甲標的が発進するのは船尾にあるハッチなので関係ないのだが、演習では一括してそういう事になっている。
 一方、祥鳳は被弾を恐れてなかなか爆撃を敢行できず、焦れたように接近してきた敵機を、五十鈴たちは見事に撃ち落としてくれた。
 実にその数、十四機。これは、前述したエンガノ岬沖海戦で、自身が放った高角砲の砲弾に機銃弾が命中、至近弾を発生させるという苛烈な弾幕を張った時よりも、多い戦果である。
 このままいけば、被害を未然に防ぎつつ、対空兵装の少ない祥鳳へ天山による雷撃を加えられる……はずだった。

 突然、五十鈴と五月雨から被雷を示す発光。中破前に発艦を終えていた甲標的が、いつの間にか接近していたのだ。
 この雷撃により、二人は大破判定。戦線を離脱してしまう。その後はもう踏んだり蹴ったり。
 瑞鳳は飛行甲板を迷彩色に染められ、天山での雷撃に大破判定。最後まで粘った不知火も祥鳳へ突撃。なんとか相討ちに持ち込んだものの、魚雷を放った直後、瑞雲の爆撃で。
 完敗と言っていい結果だった。
 しかし、まだ経験の浅いこの二人が、立派に己の役目を果たしてくれたのも事実。きっとみるみる成長していくことだろう。

 余談だが、瑞鳳のいう稼働年数とは、昔の実働期間を含めてのことである。
 ロンドン海軍軍縮条約の抜け道として、戦時に空母へと改造できる高速給油艦という形で起工した彼女たちだが、途中で条約を脱退した事などにより、祥鳳はまず潜水母艦として竣工、後に空母へ改造された。
 珊瑚海海戦に出撃し、敵に沈められた最初の空母となるまでの実働期間は、わずか四ヶ月ほど。
 対する瑞鳳は空母での竣工となり、あのスリガオ海峡海戦と繋がった戦い、エンガノ岬沖海戦までの四年間を駆け抜けた。敵機動部隊を引き付ける囮として出撃した最後の戦いでは、船体へ島に見せかけるための迷彩を施した過去もある(瑞鶴、ちとちよ姉妹も同じく迷彩された)。
 姉妹艦ではあるのだが、軍艦としては祥鳳が、空母としては瑞鳳が姉という、複雑な関係だった。


「うわあぁん、私、やっぱりダメでしたあぁ。甲標的の潜望鏡には気づいてたのに、ぜんぜん避けれなくて……。もっとお役に立ちたかったのにいぃ、魚雷嫌いですうぅぅ……」


 ――と、そんな事を思い出していたら、滂沱と涙を流していそうな声。五十鈴とただ二人、ペイント弾の洗礼をまぬがれた五月雨である。
 彼女は過去、輸送任務中に座礁し、そこを敵潜水艦から雷撃されるという形で沈没してしまった。それもあって、雷撃に対し軽いトラウマを抱いているようだ。
 今日の演習では座礁しようがなかったけど、雷撃を受けたことで刺激されてしまったらしい。他にも魚雷で沈んだ子は一杯いるのだが、彼女は特に繊細そうだし、気を配ってあげないと。


「ほらほら、落ち込むな。避けれなかったんじゃなくて、予測射線に不知火がいるのが分かってたから避けなかったんだろう? なかなかできることじゃないさ」

「あ……。違うんです。それも分かってはいたんですけど、見間違いかもしれないし、機銃は撃たないといけないし、伝えようか迷っているうちにああなっちゃって……。ごめんなさい……」

「確かに、伝えられていれば、五十鈴さんを庇うなどして、対処のしようがあったでしょう。が、たらればの話をしても仕方ありませんし、助かったのも事実です。この借りはいつか」

「……はい。今度は勝ちましょうねっ、不知火さん!」

「ええ。必ず」


 頭を撫で、できるだけ優しく慰めるのだが、五月雨はさらにシュンとなってしまう。
 しかし、意外にも不知火からフォローがはいり、普段通りの朗らかな笑顔に戻った。
 単に事実を告げただけなんだろうけど、それ故に誤解なく伝わった、というところか。


「不知火も最後まで諦めず、よく戦ってくれたな。電たちが後ろに迫って、しかも彗星が上を飛んでいる中、正確な雷撃だった」

「判定によると、全てが命中しているようですね。主砲も八割近く至近弾となっていますし、素晴らしい精度ですわ」

「しかし、一隻しか道連れにできませんでした。不甲斐ないばかりで、申し訳ありません」

「そんなこと言ったら自分はどうなる。状況を把握して、指示を出すのが精一杯だったんだぞ? これからも頼りにさせてくれ……ってごめんなさいっ」

「は?」


 褒め称えつつ、五月雨が嫌がらなかったので無意識に頭を撫でてしまったのだが、その瞬間、ただでさえ切れ長な目付きが刃物のように鋭く。
 やっべぇ、怒らせたか? 大井の時あれだけヘコんだのに、自分はどうしてこう考え無しに……。


「何故お止めになるのでしょう。撫でたいのでしたら、どうぞ御遠慮なく。髪も汚れていませんので。甲標的に気づけなかったのは不知火の落ち度です。どのような罰でも、お受けします」

「あれ。罰ゲーム的な扱いなの? ただ頭を撫でるだけなのに?」

「ほぉら、そういう子もやっぱり居るんですよ提督。わたしの言っていること、正しかったでしょう? 安易なボディタッチはセクハラなんですから」

「いいなー。あたしも慰めて欲しい……けど、そしたら手が汚れちゃうし、また今度だねー」

「って北上さん!? お、お風呂でわたしが撫でてあげますから、提督の前でそんなこと言っちゃ駄目ですってば!? 本気にされちゃいますからっ」

「そろそろ怒っていいですかね自分」


 どんだけ敵視……つーか警戒されてんだよ。自分から見れば君の方がよっぽど倫理的に危ないと思うんですが。
 まぁいいや。本人も望んでることだし、北上はあとで思いっきり撫でてあげよう。ヨシフみたいにワシワシと。
 しっかし、言いながら不知火のことも撫でてるんだけど……。


「な、なぁ。やっぱ嫌がってない? なんかこう、迫力が増しているというか」

「え? 不知火さん、すっごく喜んでますよ。ね?」

「……特には。これは司令が望んでいることですので」

「えええ。だって目がどんどん細くなってて、もうカミソリみたいに……」

「はい。不知火さんって嬉しいことがあると、それを隠そうとムッツリしちゃうんだそうです。陽炎さんから聞きました!」

「……そうなのか?」

「知りません」


 元気よく挙手する五月雨からの情報に不知火を見つめるも、射殺す眼光は変わらない。
 だが、なぜか威圧感は感じなくなり、人懐っこい虎でもをいじっている気分だ。髪質も細くて柔らかいし、これは、癖になるかも……。


「おほん。提督、鳳翔さんが見えられましたよ」

「はっ!? あ、はい自重しますっ。ごめんな不知火、この辺で」

「……了解しました……」


 斜め後ろから聞こえる妙高の「いい加減にしてくださいね」的な咳払いに、思わず手を引っ込める。
 解放された不知火はといえば、いつもの無表情。うーん、本当に喜んでたんだか分かりづらい。
 とりあえず、後で考えよう。今度は、静々と歩み寄ってくる影の立役者を労わなければ。


「鳳翔さん。演習支援、ご苦労様です」

「ありがとうございます、提督。みなさんも、お疲れ様でした」

「あの、鳳翔さん。大変じゃなかったかしら? 私、けっこう遠慮なく撃墜判定出しちゃってたんだけど……」

「少し前に近代化改修を施してもらいましたから、大丈夫よ、五十鈴ちゃん。
 わたしなんかを強化すると言われた時は、少し大げさかとも思いましたが、小さかった船体や格納庫を大きくしてもらって、とてもやり易くなりました。
 遠洋に出辛くなったのは残念ですけど、お役に立てることには変わりありませんし」

「羨ましいなぁ、鳳翔さん。ねぇ提督、私も早く強くなりたいな~」

「ん? 瑞鳳はもう済んでるじゃないか、見た目的に」

「あっ、ヒドい! そんなこと言うと抱きついてベタベタにしちゃうんだからねぇ?」

「お洗濯ものが増えるから駄目よ、瑞鳳ちゃん。まずは確実に練度をあげましょう」

「はぁ~い。提督、その時は艦載機もしっかり頼むわねっ。同じ彗星でも一二型甲とか、烈風とか、流星改とか載せてみたいなぁ~」

「分かった分かった。準備が整ったら、必ずだ」


 心配そうな五十鈴や、改修をねだる瑞鳳に、鳳翔さんは安心させるような微笑みを浮かべる。
 彼女の言う通り、鳳翔型航空母艦はとても小さかった。常用の艦載機は十五で、補用(分解されていたり、すぐには使えない状態の物)も六機分しか載せられないほどである。
 大きさ的には龍驤や瑞鳳たちより一回り小型なだけなのだが、航空機が大型化されていく前に設計・建造された艦なので、飛行甲板も短く、内部構造的な問題だった。
 しかしつい先日。日頃からの感謝をこめて、大規模な改修を施させてもらった。格納庫を大きくしたり、繋止装置・方法を改善したり。甲板も延長して、運用能力は格段に上昇。露天繋止を併用すれば、なんと四十二機も載せられるようになったのである。
 その分、艦としてのバランスはアレなことになり、波の荒い遠洋には出られなくなってしまった。実戦で活躍させてあげられないのは、自分も残念だ。
 ……考えようによっては、常に鳳翔さんが家で待ってくれている、ということにもなるのだが。誰にも言えないな、こんな風に思ってるなんて。甘え過ぎちゃいかん。


「キリも良いようですので、提督。総括をお願いできますか」

「ん、そうだな。身体が汚れた子たちは風呂に入りたいだろうし……」


 妙高に促され、自分は改めて六人へ向き直る。
 どこか楽し気でもあった空気が引き締まり、皆が背筋を伸ばす。


「結果は敗北だったが、ここにいる誰もが全力を尽くしてくれたこと、自分は一番よく知っている。
 君たちの力をどう引き出すのか、どうすれば活かせるのか。それを考えるのが楽しみになった。
 共に一層の努力を重ね、強くなろう。諸君らの今後に期待する! 以上、解散っ」

『はっ!』


 六人分のかかとが鳴り響き、返される敬礼。
 負けたくせに何を、という気もするけど、演習で負けるのは慣れっこである。
 敗北から経験を拾い上げ、それを磨き上げるのが、己を高める一番の近道だ。頑張ろう。


「それじゃあ、自分は向こうの方へ行ってくるから。妙高、後のことは頼む」

「承りました。あ、カートはそちらに用意してありますので、使ってください。私たちは別のカートで帰りますので」

「おぉ、気が利くな。助かる。みんな、また後でなー!」


 ゴルフ場などで見かけるアレを大きくしたような物に乗り込み、自分は一番ドックを後にする。広大な鎮守府内の移動には、しばしばこういった乗り物が使われるのである。
 背後からはそれぞれの返事が聞こえてきて、「帰ったらお湯を張らないと」とか、「お腹すいたねー」という雑談も。遠くなっていく声につられ、自然と笑みが浮かんだ。

 通り過ぎていく風景。資材を運ぶ運搬車や、作業員たちとすれ違いつつ、数分で二番ドックへたどり着く。
 北上と同じく洗浄を受ける艦(こっちは千代田)の側で、七人が並んでいた。
 足柄、羽黒、ちとちよ姉妹、祥鳳、そして電。最後に、六人の前に立つ本日の第二秘書官、那智さんだ。
 なんで秘書官まで増やしちゃったのかといえば、書類仕事が面倒臭いからである。文字書くの遅いし、やっぱ苦手です。


「ごめん、那智さん。待たせました?」

「む。貴様か。いいや、ちょうど訓示を終えたところだ」


 近くへ乗り付けると、妙高と同じくボードを手に、彼女は颯爽と振り返った。
 テキパキとした身のこなしで、秘書官というよりも教導官という呼び名が似合うかもしれない。


「訓示って、一体何を言ったんですか?」

「なに。勝って兜のなんとやら、と言うだろう。特に足柄が浮かれていたようでな、少し灸を据えたまでさ」

「ちょっと聞いてよ司令っ。那智姉さんったら、『砲撃の腕は認めるが、ただ撃つだけで勝てる戦はない』とか何とか言って、せっかくの勝利に水を差すのよ!? 酷いと思わないっ?」

「あ、あの、足柄姉さん。落ち着いて……? 那智姉さんも、そんなつもりで言ったはずじゃないから……」


 那智さんの隣へ並んだ途端、足柄がこちらへ詰め寄り、あとを追うように羽黒が仲介に入る。
 姉妹喧嘩……じゃなくて、仲が良い証拠だろうなぁ、これは。足柄も、那智さんの前では妙に子供っぽいというか。


「那智さんの言うことも分かるけど、本当に凄かったよ。……あの砲撃、前半はワザと外してただろう?」

「あら、バレてたのね」

「後になって気付いたんだ。あの距離とはいえ、君と羽黒が至近弾すら無しなんて、おかしいってな。
 東郷ターンで確実に仕留めるため、この程度なら対処できると思わせておき、事前に退避しようという考えを封じた。違うか?」

「す、凄いです司令官さん。当たってます……」

「まぁ、それも前半まで。後半は弾に焦りが乗っていた。近づくに連れて当たらなくなったんだろうさ。正確すぎる砲撃は逆に読みやすい」

「う……。わ、分かってたわよ、そんな事くらいっ。姉さんに言われなくたって、私が一番……」


 自身の肘を抱えて、足柄は悔しそうに顔を歪めた。
 戦いにおいて、正確無比な砲撃は優れた武器となる。けれども、読み合いが前提となる戦術では、那智さんの言うとおりになってしまう。
 腕が確かだと分かっているなら、それを逆手に取ることだって可能。特に足柄は、愚直なまでに直撃弾を狙う傾向がある。どこに弾が落ちてくるのか、予測は容易かった。
 しかし、褒めるべき点は他にもあるのだ。
 目配せをしてみると、「分かっているさ」という返事の見える流し目。そのまま、那智さんは足柄の肩を叩く。


「だが、頭を抑えてからの斉射は見事という他にない。最大戦速で六割の命中弾を出すセンスは、お前だけのものだろうさ。もちろん羽黒も負けてはいなかったぞ。姉として誇らしい」

「……だそうですよ、足柄姉さん?」

「むぅ……。褒めるなら最初から褒めて欲しいわ……。でもっ、今度は文句なんか挟めないくらいに決めてやるわ! ね、羽黒!」

「はい。司令官さん、那智姉さん。こんな私ですが、今後も精一杯頑張りますね。あっ。あの子たち、怪我とかは……?」

「大丈夫、ちょっと汚れただけだ。心配ない」

「そうですか。良かった……」


 復活を遂げた足柄の隣で、両手を胸元におく羽黒。
 ペイント弾なのに心配してしまうあたり、優しい性格が良く分かる。


「自分としても嬉しいよ。君たちが間違いなく強くなっているのを実感できたからな。帰ったら祝杯をあげよう」

「ふむ、悪くないな。今夜ばかりは、私も飲ませてもらおう。妹の祝勝会だ」

「いいですね~。ワタシもお付き合いさせてもらいます。とっておきのを開けちゃいましょう!」

「もう、お姉また? それより一緒にお風呂入ろうよ~。服は一度消せば大丈夫だけど、肌についたのがネトネトで気持ち悪いぃ」


 ――と、今度はちとちよ姉妹が、正反対の顔つきで歩み寄る。
 彼女たちも瑞鳳のように迷彩柄となっていて、それなのに笑顔な千歳と、疲れきった千代田の差がちょっとおかしい。
 お風呂入ろうって誘う千代田に、大井と似た不安も感じるのだが。最近、晩酌しようとすると必ず一回は妨害に入るし、飲めないのに参加して真っ先に酔って寝るし。
 潰れた二人を毎回部屋へ運ぶ身にもなってくれ。これで送り狼にならないって結構すごいと思うんですよ?
 ……って、それよりも先に確認すべきことがあるだろ自分。


「お疲れ、二人とも。甲標的の具合はどうだった? 使えそうか?」

「正直言うと、扱いづらいにもほどがあるわ。実用速度は遅いし、旋回半径も大型艦並みだし……」

「でも、奇襲攻撃の有効性はご覧の通りです。提督のお考えになった作戦も実行可能かと」

「そうか。これで目処が立ったな」


 本来は人間が乗り込み、決死兵器と変わらない扱いを受けた甲標的。大戦での成果も芳しくなく、あの悪名高き人間魚雷――回天かいてんの開発にも繋がってしまった不遇の兵器だが、しかし自分は、全く違う形でそれを使おうとしていた。
 遠洋へ出れば出るほど複雑になっていく、乱海流を乗り切るための切り札として、である。
 具体的には、甲標的を千歳、もしくは千代田から発進させ、ある程度の間隔をおいて先行させるだけ。乱れに引っ掛かったら、その位置を考慮に入れて転針を繰り返すのだ。
 電池を最新の物に載せ替えることで、足の遅さにも対応する。この程度なら同調率にも影響を及ぼさない。偵察機も飛ばし、敵艦隊を発見した場合には先制攻撃も。まさに一石二鳥の作戦だった。


(傀儡艦だからこそ出来る運用方法を使い、この特務を乗り切る。これならやれる……!)


 確信を得て、思わず拳に力が入った。
 それを見取ったのか、那智さんが妹たちから離れ、ちとちよ姉妹へ話しかける。


「編成には、甲標的母艦であるお前たちのどちらかに、必ず入ってもらう事となる。ただ、一度でたどり着けるほど硫黄島への航路は容易くなかろう。
 そこで、出撃は一艦隊ずつ。途中撤退が決まった時点で後続を出撃させるという形になる。ある程度の成果が得られるまではこれの繰り返しだ。覚えておけ」

「え。なにそれ。それじゃあお姉と離ればなれになっちゃうじゃないっ! 提督!?」

「ずおっ!? ご、ごめんな千代田。君たち二人を同時出撃させても、あんまり効率も変わらなさそうだからさ。
 何度も出撃する可能性を考えると、十二隻を送り出すより、六隻に分けたのがいいかなぁ……って」


 足柄以上の圧迫感(原因は胸部装甲である)に迫られ、仰け反りつつもかいつまんだ理由を言って聞かせるのだが、納得いかないのだろう、彼女は目を釣り上げて異議を申し立てる。


「そんなことないっ。お姉がいればワタシ、普段の何倍も力を出せるもん! というか、お姉がいないとやる気でないー!」

「はぁ……。千代田、姉思いなのは君の美点だけど、同時に欠点でもあるぞ? 実際、千歳の被弾に気を取られて、対空砲火がおそろかになっただろう」

「うむ、確かにそう見えた。史実で先に沈まれ、気にかけてしまうのは分かるが、過ぎる感もあるな。己自身すら守れぬようでは、他者を守れるわけがない」

「だって、だっ、て……うぁああんっ! お姉ぇ、提督と那智さんがいじめるー!」

「はいはい、泣かないの。お仕事なんだから、頑張らないと。今日は一緒のベッドで寝てあげるから。ね? 少しずつお姉ちゃん離れしましょう?」

「それは絶対無理いぃ」


 ヒシッと泣きつく千代田の背中を、千歳があやすようにポンポンする。
 うーん。なんだろうこの姉妹間の温度差。千歳にその気がないっぽいのがまたなぁ。
 仕方ない。ちとちよはもう放っといて次行こう。


「祥鳳……祥鳳? だ、大丈夫か、雰囲気が暗いんだけど」

「……提督。私……」


 てっきり勝利を喜んでいるかと思っていたが、左肩をはだけたまま、ズーンと重い空気をまとう彼女。物憂げな顔からは、そこはかとない色気まで感じた。


「あれだけの新鋭機を用意してもらったのに、まるで蚊トンボみたく……。もう情けなくて、申し訳なくて……。瑞鳳に先を越されるわけですよね……」

「いや、瑞鳳をこっちの旗艦にしたのは、練度が低くて直接指揮する必要があったからでな? 落とされたのも五十鈴相手じゃ……あ~……」


 じわり。祥鳳は薄く涙まで浮かべ、励ましの言葉もあまり効果がない。
 前述したとおり、複雑な姉妹関係にある瑞鳳と彼女。元水母たちとは違い、張り合うことも多かった(他愛ないレベルでだが)。
 けれど、ここへ来て溜め込んでいたものが溢れそうになっているようだ。主に、遠征番長となりつつあった現状への不安、という意味で。
 ……ちょっと気合いを入れるべきか。


「確かに、内容としては不満が残る戦闘結果だった。しかし、この程度で落ち込まれちゃあ困る。そんなんじゃ、次の出撃で旗艦は務められないぞ」

「はい……。本当にごめんなさ――い? 次の、出撃? え? 旗艦?」


 叱責と思ったんだろう。頭を下げてしまった祥鳳だが、言葉の示すところに気づくと、目をクリンとさせて首を傾げる。珍しい表情だ。
 そんな彼女へ苦笑いを一つ零した那智さんは、話の続きを諳んじた。


「次回からは例の特務に取り組む予定だが、編成は甲標的母艦・軽空母を基本とし、残り四枠は駆逐・重巡・軽巡から輪番を組む。そして、一度目の軽空母枠はお前さ、祥鳳」

「加えて、大規模な近代化改修も施すから、そのつもりでいてくれ」

「………………」


 史実において、艦戦・十八、艦攻・九、補用艦戦・三の計三十機を搭載していた彼女も、鳳翔さんと似た改修をすることで、運用能力向上が見込めていた。
 推定だが、四十八にまで搭載数を増やし、対空機銃は三連装十基に増設。また、新装備として十二cm二十八連装噴進砲――いわゆる対空ロケットランチャーも六基追加する。これにより、赤城に次ぐ多さの艦載機を保有しつつ、防空火力を増大させられるはずだ。
 きっと喜んでくれ……ると思ったのに、なぜか祥鳳は大きく口を開けたまま固まり、やがて、顔を俯かせプルプル震え出した。
 えぇ、どうしてそんな反応? もしかして嫌なの? 


「急だった、か? ごめんな、前々から決めていた事なんだけど、言うタイミングが……」

「――や」

「……や?」


 慌てて言い訳すると、ポツリ、聞こえる声が。
 それを確かめたくて、覗き込むように近づいた瞬間――


「やったぁー! やりましたぁーっ!!」

「ぉう゛!? お、おいっ? 祥鳳っ!?」


 ――襲いかかる弾力。首っ玉にかじりつかれていた。


「嬉しい! 私、本当に嬉しいです! やっとご一緒に出撃できるだけじゃなくて、強化までしてくれるなんて!! これからも、もっともっと頑張りますね? 正規空母にだって負けないくらい、活躍して見せますからっ!!」

「ゎ、分かった、分かったから落ち、落ち着いて!? 近い、近いから、くっつき過ぎだからぁ!?」

「……あっ、ごめんなさい。私、はしたない真似を……。重かったですか?」

「い、ぃいぃぃいや、いやいや、重くなかったけど、威力は凄かったねぇぇ……」

「威力……?」


 はぁ、はぁ――と、自分は大きく息をしながら、細い肩を押しやる。
 危なかった。もう本当に色んな意味で危なかった。
 汗とシャンプーが混じったような匂い。ピョンピョン飛び跳ねるせいでこすれる柔らかさ。心臓に悪いほど間近で輝く笑顔。危うく抱き返すところだ。
 大井に見られてたらなんて言われるか……。


「おい貴様、それは流石に不味いだろう」

「こんなこと言いたくないけど、空気は読まなきゃ駄目よ? 司令」

「……はい。もう少し、考えてあげて欲しいです……」

「ええっと、祥鳳さんの気持ちも分かりますし、ワタシはノーコメントで」

「うっく、ひっく、提督のすけべぇー」

「は? な、なんだよみんなして。自分は――あ゛」


 横からヤイヤイ言われて反論しようとするも、すぐに思い至った。
 見られてはいけない人物がもう一人、側にいる。それはもちろん、こちらのチームを指揮したあの子で。
 恐る恐る、彼女の姿があった場所を確かめれば、ぷくーっと頬を膨らませ、睨むにしては迫力の足りない視線を向ける、電が立っていた。


「………………」

「い、電さん? ……怒ってます?」

「怒ってないのです」

「だけど、ほっぺたが凄く膨らんでますし」

「なんとなくやってるだけなのです。別に意味はないのです」

「でも、言葉が刺々しいといいますか、顔が不機嫌といいますか」

「気のせいなのです。とにかく怒ってないのです!
 目の前で祥鳳さんと抱き合ったりされても、頑張ったのに話しかけられるのが一番最後でも、全然気にしてないのですっ!
 す、拗ねてなんかないのですっっっ!!!!!!」


 やっぱ怒ってるじゃないですか。ふてくされた反応が暁とそっくりだよ……。
 ああもう、どうしよう。いつの間にか祥鳳は逃げちゃってるし、他のみんなは生暖かく見守ってるだけだし。
 ……と、とりあえず謝ろう! 謝り倒して話を聞いてもらえる態勢に持っていかないと!


「ごめんっ。その、祥鳳は、あれだよ。感極まっちゃって暴走しただけだろうし、お互いそんな気持ちないしさ?」

「………………」

「ダメか……。君が頑張ってくれてたのは、戦ってる間から伝わってた。最後に回すつもりなんてなかったんだけど……とにかくごめん!」

「………………」

「あ~っと……。お、怒った顔も可愛いな電は!」

「っ。だ、だから、怒ってないって言ってるのです……。それを褒められたって嬉しくない、のです……」


 ぷいっとそっぽを向かれたものの、動きのなかったジト目に変化が見られる。
 よし、反応してもらえたっ。突破口さえ見つかればこっちのもんだ!


「そんな事ない。いつもの優しい笑顔も好きだけど、拗ねた顔も新鮮だ。電は可愛い。すっごく可愛い。世界一可愛いぞ!」

「ぁう……。わ、分かりました、分かりましたから……。うぅぅ、恥ずかしいよぅ……」


 肩をがっしり掴み、真っ正面から言い放つと、彼女は頬を紅潮させ、照れた様子で顔を隠してしまう。
 ふぅ、なんとかなった。テレ顏も見れたし万々歳だ。


「傍から見ていると、かどわかしの現場だな」

「よねぇ。憲兵隊を呼んだ方がいいかしら」

「えと、あの……。すみません、司令官さん。ちょっと庇えないです……」

「うーん。あんな風に言われてみたいとは、少しだけ思いますけどね?」

「お姉にはワタシが言ってあげるのにぃ。あ、もっと頭撫でて」

「近代化改修。旗艦出撃。うふふ」


 うるさい黙れ外野。
 可愛いと思った女の子を褒めちぎって何が悪いのさ。憲兵隊がナンボのもんじゃい。
 あと祥鳳。ウットリしてないでいい加減にちゃんと服を着なよ。風邪ひくぞ。


「……にしても、見事にやられたよ。戦術の勉強なんていつしたんだ?」

「あ、違うのです。特に勉強とかは」

「え? いくらなんでもそんなはず……」

「本当なのです。今日のことは全部、司令官さんが教えてくれたことですから」

「自分が、教えた」

「はい」


 恥ずかしさの峠は越したのか、素直にうなずく電。
 しかし、まるで覚えがない。戦術を組み立てる相談はしたし、実戦から学んだという意味でならあり得るけど、それにしたって大胆が過ぎる。
 首をひねっていると、彼女はくすり、小さく笑って続けた。


「司令官さんって、実戦では堅実な戦い方をするのに、演習だと奇抜な戦法を試したがる癖がありますから。それを真似てみたのです。こうすればきっと、司令官さんも対抗して隊を分けるに違いない、って」

「うっ」


 よ、よく分かってらっしゃる。
 そのせいで勝率も低いんだけど、沈まないって分かってるから、どうしても試したいことが出てきちゃうんだよなぁ。


「けど、四十射線の魚雷に突っ込むとか、奇抜を通り越して無謀だぞ?」

「そんな事ありません。三隻を同時に狙うと、どうしても発射角度は拡がっちゃいますし、
それを足柄さんと羽黒さんが確認してくれていましたから、抜けられる可能性は高かったのです」


 振り返ってみると、ドヤ顔で髪をかき上げる飢えた狼に、会釈しながら微笑む末っ子。
 やっぱり、あの時感じた通りだったのか。
 犠牲の上に確実性を求めるんじゃなくて、仲間と協力しあうことで、リスクを乗り越える道を選ぶ。自分が理想とする戦術論は、間違いなく受け継がれていた。
 それは嬉しいんだけれども、負けた側としてはやっぱり悔しくもあり、「もしも」の戦術確認で彼女を試してみる。


「じゃあ、もしも北上たちを祥鳳の方へ向かわせてたら?」

「その時は、甲標的さんの出番なのです。司令官さんの用意した資料を読んで、運用方法は知っていましたし、基本通りに。でも、きっと電の方に来る気がしてました」

「根拠は?」

「えっと……なんと、なく? 司令官さんなら、そうすると思ったのです」


 電は小首をかしげ、自身でも理解できていない、というような顔を見せた。
 うーん? 急に理由が曖昧になったな。本来なら勘になんか頼るべきじゃないけど、理論を超越した直感もないわけじゃないし、難しいところである。


「まぁ、あれだ。結局そうなったんだから、今は何も言わないさ。で、別働隊になった瑞鳳たちにも、甲標的は有効に使われたわけだ」

「はい。司令官さんなら、二十四隻を複数に分けて奇襲を敢行。波状攻撃で対空砲火を鈍らせて、その隙に爆撃するんじゃないかな、って。
 これは予想されちゃいましたけど。あんなに早く見つかるなんて思わなかったのです。まとめてやられちゃわないようにするのが精一杯でした」

「自分が想定した使い方と全く同じだったし、流石にな。
 人間を乗せる場合と違って、傀儡制御なら完璧な連携ができるし、史実とは逆に、かなり役立ってくれると思う。実際、やられたよ。
 ……というか、電。判断基準がおかしい気がするんですけど?」


 話を聞いているうちに、妙なことに気づく。
 電の立てた戦術。一応理屈は通っているが、その根底にあるのは理論ではなく感情――司令官である自分だったらどうするか、という物差しで図られている気がしたのだ。
 作戦立案能力を示すものとしては、かなり怪しい。いや、限定的すぎて役立たないだろう。
 彼女自身、気づいていたのかもしれない。気恥ずかしそうに、上目遣いで語りだす。


「こんな風に指揮をするのは、初めてでしたから。すごく緊張して、なんにも作戦を思いつけないでいたのです。
 でも、司令官さんならどうするのかな、って考えたら、不思議とたくさん思いつけて……。
 どんな風に皆さんを動かすのか。どんな状況なら戦うのか。どんな事はしないのか。手に取るように。
 だから、電が勝っちゃったのは、司令官さんのおかげというか、司令官さんのせい、というか……。その……」


 ……要するに。電を相手にした時点で、勝ち目がなかったって事ですか?
 思考パターンを把握され、戦術理論も解析されて、行動選択のことごとくを予想されていたと。
 そりゃまぁ、食べ物の好みやら何やらは知られてると思ってたけど、まさか頭の中身まで熟知されてるとは。


「はぁ……。参ったよ、完敗だ」

「司令官さん? ……ひゃわっ」

「これは、今回の総合MVPは君に決まりだな。意義のある人?」


 白い軍帽を電にかぶせ、そのままグシグシ。見守っていた那智さんたちへ問いかけてみれば、「異議なし」と六人分の返事があった。


「で、でも、電は撃破判定とかは出せてなくて……」

「いいからいいから。みんなもああ言ってくれてるんだし、受け取ってくれ。ご褒美は何がいい? なんでもいいぞ、欲しいものとか、やりたい事とか」

「ご褒美……」


 辞退しようとする電へ微笑みかけ、断らせないために勢いで押す。
 まごついていた彼女だが、やはりご褒美の単語には惹かれるものがあったのか、はたと動きを止めた。
 そして、乗せていた帽子で顔の下半分を隠し、どうしようかと考え始める。


「ほ、本当に、なんでもいい、ですか?」

「ああ、もちろん。恒例だしな。新しい兵装でも、服でも食べ物でも、遊びに行きたいとかでも。あ、流石に最後のは近場じゃないと無理だけどな」

「……だったら……」


 念を押すような確認の後、電は顔を俯かせた。
 モジモジと膝頭をこすり合わせ、帽子をギュッと抱え込んで、耳も真っ赤に。
 ただならぬ雰囲気を感じ、もしや愛の告白か? なんてあり得ない想像をしてしまうが――


「……あの。あ、あのっ。……ひ、膝枕、して欲しいのですっ!」

「へ。……膝枕?」


 ――そんな自分の鼓膜を揺らしたのは、なんとも可愛らしいお願いだった。


「陽炎さんに舞鶴のお土産話を聞いてから、ずっと、羨ましかったのです。……だめ、ですか」

「なんで膝枕のことまで話すんだあいつは……。まぁ、そんなことでいいなら、一日中だって構わないけど。……本当にそれでいいのか?」


 こくん。小さな頷き。
 よっぽど恥ずかしいのだろう、電は帽子に顔をうずめる。
 足元から、むず痒さが上がってくる。太ももから腹を通り、胸をくすぐったそれは、口元まで勝手に緩ませていく。
 ……どうしよう。なんかこっちまで恥ずかしくなってきたっ。陽炎の時と比べ物にならないぞこれ!? ヤバい、まともに顔を見られないっ!


「やれやれ、見せつけてくれるものだな。見ての通りだ。司令官からの総括は無し、解散! 二人は放って宿舎へ戻るぞ、皆、カートに乗れ」

「了解よ。さぁって、羽黒。帰ったらおやつ食べて、砲撃のシミュレーションしましょ!」

「うん、今日は何味のプリンに……え。ま、まだ訓練するの?」

「鳳翔さん、お風呂沸かしてくれてるかしら。たまには、湯船に浸かりながら一杯っていうのも良いわよねぇ」

「本当にお酒好きだよね、お姉。……ワタシとどっちが――やっぱりなんでもないっ。負けたら立ち直れなさそう……」

「提督、お先に失礼します。身を清めて、近代化改修の日をお待ちしてますねー!」


 もどかしい空気に戸惑う自分たちを捨て置き、那智さんたちがさっさと走り去る。
 変わらず、背後では高圧洗浄の水音。
 たっぷりと、水がお湯へ変わるくらいに時間をかけて、自分は電と顔を見合わせた。


「ええと、だな……。帰ったら、自分の部屋――はやめとこう。うん。食堂の座敷で、いいかな」

「は、はい。よろしく、お願いします、です……」


 ぎこちない動きで、二人、カートの運転席と助手席に並ぶ。
 エンジンをかける。
 飛ばせば十分もしないで帰れる道のりだが。
 なんとなく、ゆっくりと走らせたい気分だった。





「あっ、電ズル~い! 私まだ膝枕してもらったことないのに~! ねぇ司令官、私も~」

「ダメなのです。今日一日、司令官さんのお膝は電のものなのです。えへへ……」

「むぅ~……。じゃあいいもん。私は電に膝枕してもらうから。よいしょっ」

「なら、ワタシは雷の膝を借りようかな。暁もどうだい」

「へっ? ……ひ、響がどうしてもって言うなら、膝枕されてあげてもいいけど?」

(おい。なんだこの連結膝枕。萌え殺す気か)










《こぼれ話 教えて、古鷹先生!》





「うあー、マズいー、かなり遅くなった……」


 日が差し込む鎮守府の廊下を、少しだけ息を切らせ、早足で進む。
 腕時計の針は一四◯◯。指定した時間を大幅に過ぎていた。きっとみんなに待ちぼうけを食わせてしまっているはず。
 怒っていないといいんだけど……無理か。素直に謝ろう。


「すまん、遅れた!」

「お? おせーぞ司令官。自分から呼び出しといて遅れんなよなー?」

「いやぁ、悪い天龍。途中で書記さんに捕まってな、資材運用のことでお小言を貰っちゃって」

「それは司令はんの日頃の行いが悪いからとちゃう? ウチら、お説教なんてされたことないで。な、龍田はん?」

「そうね~。むしろ、楽しいお話を聞かせてもらってるわ~。タチやネコの話とか~」

「ほー。猫は分かるけど、書記はん、刀になんて興味あらはったんや? 知らんかったわ」

「……君は純粋だな、黒潮。その言葉を組み合わせて調べたりなんかせず、ぜひそのままでいてくれー」

「ぐぅ……。すかぁ……」


 小会議室の扉を開けると、数人の少女たちが出迎える。
 教室を思わせる配置に並び替えられた複数の長机。その左前で黒潮が頬杖をつき、右前に天龍・龍田姉妹。二列目中央では、まだ見慣れるのに時間が必要だろう、新人の少女が突っ伏している。自分はその前の席、前列中央へ。
 最後に、新人の子と同じ制服を着る少女がもう一人、ホワイトボードを背に立っていた。


「もう、駄目じゃないですか、提督。何かあったのかって心配してたんですよ?」

「ごめんな、古鷹ふるたか。今度は気をつけるから、許してくれ」

「はい。お願いしますね」


 白地に青。胸元のリボンは赤と、ごく普通のセーラー服をまとい、優しく微笑む彼女の名は、古鷹。古鷹型重巡洋艦のネームシップである。
 髪型はショートカットで、少し丈があっていないのか、チラリと見えてしまうおへそがチャームポイント。我が深層心理は素晴らしい仕事をしてくれるものだ。
 なんで最上じゃなくて彼女がいるのかとかはどうでもいいです。諦めました。


「では、提督も来られたことですし、巡洋艦の、巡洋艦による、巡洋艦運用のための勉強会を始めたいと思います。
 第一回目である今回は、軽巡と重巡の区別の仕方や、そこに当てはまる艦艇たちを紹介させてもらいますね。
 わたしたち、重巡洋艦と軽巡洋艦の良いところ、いっぱい知ってもらえると嬉しいです」


 きゅっきゅっきゅ、と黒いマジックペンを使い、彼女は集まりの趣旨を書き出して行く。
 例の特務において、艦隊編成の一部を担うことになった、軽巡・重巡というカテゴリーの艦船。
 艦隊内演習でもその力は証明されたが、より効率良く、確実な運用をするために。そして、古鷹型の二人とも親睦を深めるために、こうして復習も兼ねた勉強会を開いたのだ。
 ……が、いざ開始という時に、右の席から「ちょっと待った」と挙手。天龍である。


「その前に聞きたいんだけどよ。なんでオレたちが呼ばれたんだ? 今日は珍しく演習も遠征も入ってない、完全なオフなんだぞ。暇じゃねぇってのに」

「あれ、予定でもあったのか?」

「大丈夫よ~。天龍ちゃん見栄張ってるだけだから~。やることなんて、せいぜい銘刀“紅蓮”ちゃんの手入れくらいかしら~」

「ああ、なるほど。“紅蓮”か。“紅蓮”の手入れは大事だな。なにせ“紅蓮”だしな」

「おい、オマエらワザとだろ。軽々しく名前を出すな! 恥ず――お、重みがなくなるだろ!?」

「あはは……。でも、天龍さんたちは巡洋艦の中でも特別な存在ですから。先輩として居てもらえると助かります」

「ぉ……おう、そうか。まぁ、設計当初から世界水準の天龍様だからなっ。よし、任せとけ!」


 特別な、というのが気に入ったのか、天龍さんご機嫌である。
 素で操縦方法を心得ているとは、古鷹、頼もしい子だ。


「ほんなら、ウチはなんで呼ばれたん? ウチは巡洋艦やのうて駆逐艦やで?」


 ――と、今度は左から黒潮の挙手が。それに対しては自分が答える。


「それはな。黒潮にしか頼めない、重要な役目があるからだよ」

「えっ、そうなん? な、なんや嬉しいわ。陽炎は幼馴染属性が発覚したし、不知火はもともと無表情クーデレ属性やし、最近めっきり影がうすぅなって、困っとったんよ。そしたら、ウチは何したらええの?」

「そんなの決まってるだろう。君がいなかったらボケが過多になって話が進まないじゃないか。期待してるぞ、仕切り」

「ってウチの存在価値はツッコミだけかぁい!」


 しぱぁん、と唸るハリセン。音は派手だが、ぜんぜん痛くない。さすが。


「こんなんやったら龍驤でもできるやん!? やっぱウチにはなんも特徴ないんや、そのうちみんなから忘れ去られてしまうんやっ。こないなことしとる場合ちゃう、帰って対策練るぅ!!」

「まぁまぁそんなこと言わず。実はここに、早起きして作った新商品の白胡麻豆腐プリンを――あ」

「ひょうがなひなぁ、司令ひれひはんがほこまへひうなら、ウチも付きはうわぁ。ほ代わひある?」

「ごめん、一個しか持ってきてないんだ。それで勘弁してくれ」


 どこからともなくプリンを取り出した途端、部屋を飛び出そうとしていた黒潮が瞬間移動。隣でパクついていた。
 食い意地はってんなぁ。大阪生まれなんだし、食い倒れキャラとしてやって行けるんじゃなかろうか。お代わり無しと聞いて凄く残念そうにしてるし。
 ちなみに、すっかり忘れられているであろう酒保に置くと言ったプリン類だが、売れ行きは絶好調である。売り切れの苦情が入るほどなので、どうにか量産できないかと思案中だ。


「あのぉ、提督? そろそろ始めさせてもらっても……?」

「おう、ごめんごめん。ほら、加古かこも起きろ」

「んぐ……。むん……。すぅ……」


 困ったような古鷹の声に、背後で寝ている彼女の姉妹艦を起こしにかかる。
 寝癖で跳ねまくった黒髪を一本に束ねている加古は、着ている服こそ古鷹と同じだが、ちょっと気を抜くと寝てしまう癖があった。
 なかなか起きてくれないし、戦闘中に寝やしないかと心配だ。


「うぅん……。食べられない……。食べられないってば……」

「おー。こんなテンプレ通りの寝言、オレ初めて聞いたぞ」

「……赤城さん、ボーキサイトは食べ物じゃないってぇ……。歯が折れちゃうってばぁ……」

「あ、あら~。なんだか、想像してたのと違うみたいね~」

「いや、誰もボーキをそのまんま食べたりしないだろう。でも、ちょっと面白いな。……隣の家に囲いができたってね」

「加っ古いぃぃ……」

「なぁ。ホンマに寝とるんか加古はん。寝たふりしてるだけちゃうの」

「あの、みなさぁん。あの、あのですね、勉強会を……」

「おっと、ごめんっ。始めてくれ」


 みんなで加古をいじっていると、本格的に古鷹が弱り出したので、慌てて身体の向きを戻す。
 加古の分は彼女が頑張ってくれるだろうし、自分たちは真面目に授業を受けよう。


「お、おっほん。それでは、今度こそ! まずはわたしたち、巡洋艦という存在がどういうものか、ご説明しますね」


 咳払いを一つ。気を取り直して、ホワイトボードに新たな文字を書いていく古鷹。マジックペンなのに達筆である。


「巡洋艦とは、英語でクルーザーと呼ばれます。遠洋を航海できる能力を持った船の総称でもありますが、軍艦の中では排水量が一八五◯tを越え、一万t以下の船をこう呼びます。
 また、戦闘を行うための砲などを備えた船は、ロンドン海軍軍縮条約により、さらに二つのカテゴリーへと分けられるんです。
 十五・五cm以上、二十・三cm以下――六・一inch以上、八inch以下の主砲を備える艦を、カテゴリーA。十二・七cm……五inch以上、六・一inch以下の艦をカテゴリーB。
 それぞれ、重巡洋艦、軽巡洋艦と。日本では一等巡洋艦、二等巡洋艦とも呼ばれていますね」

「そしてオレたち天龍型が、日本の近代的軽巡洋艦の一番手だな! 同じ時期に作られた他国の船を軽く凌駕する性能だったんだぜ?」

「結構すごい船だったのよ~。当時は」

「ああ。戦闘力もかなり高かったんだよな。当時は」

「当時はって言うなぁ! もう近代化改修したから古くないっ。時代遅れじゃなくなったんだよぉ!!」

「くー……。時代は、めぐる……。トレンディ……」

「それは服とかの話やろ。船の装備を遡ったって意味ないやん」


 バンッ、と机に手を叩きつけ、天龍がいきり立つ。存外気にしていることらしかった。
 天龍型は、旧日本海軍が八八艦隊計画で最初に建造した三五◯◯t級の艦だ。
 装甲こそ軽いものに留めたが、十四cm速射砲を四基四門、八cm単装高角砲一基や、巡洋艦としては始めての三連装魚雷発射管まで備えていた。しかも速度は駆逐艦並みの高速と、本当に画期的だったのである。当時は。
 それというのも、艦形自体が小柄であり、居住性・拡張性に乏しかったため、より大型化した五五◯◯t級へと計画は移行し、球磨型・長良型・川内型などに比べると、武装やら防御力やら乗り心地やらで、どうしても型落ち扱いになってしまうのだ。余談として、川内型の後には夕張ゆうばり型・阿賀野あがの型・大淀おおよど型が続く。
 まぁ、ここにいる天龍たちは近代化改修済みで、タービンや石炭と重油の混焼型だったボイラーを、島風が載せている改良型に変更したり(だからと言って島風並みのスピードは出せないのが難しい)、主砲・発射管はより大きく、装甲自体も特殊圧延加工とやらで強化されている。
 練度的にみても、第一線で活躍してくれる軽巡だった。いい反応してくれるからつい弄りたくなるのが玉に瑕だが。


「天龍さんたちをきっかけとして、旧日本海軍は本格的に軽巡洋艦の建造を開始します。
 まずは大型化した球磨型で缶の数を増やし、長良型から木曾さんで試験採用された航空機滑走台を標準装備。
 川内型では、重油消費量を軽減するために缶を混焼型へ戻したりしましたが、七七◯◯t級である阿賀野型が完成するまでの長い間、新鋭艦として活躍しました。
 最後の連合艦隊旗艦を務めた大淀型はさらに大きくて、全備排水量は一万tを越えます。夕張型は逆に、三◯◯◯t級の小さい船体へ五五◯◯t級の武装を詰め込んだ、実験艦としての意味合いが強いですね。
 そして、次々と投入される列強の軽巡洋艦たちに対抗するため、設計・建造された最初の重巡洋艦が、古鷹型なんです。大きな主砲をたくさん積んで、敵戦力に打撃を与える役割を担いました。
 といっても、その頃はまだワシントン軍縮条約の方しかなかったので、重巡洋艦として設計されたわけではないんです。あ、わたしたちの構造は、夕張型で得られたデータが礎になっているんですよ」


 Bの下に天龍以下の名を記した後、古鷹はAの下へ、自身から連なる型名を板書していく。
 順に、青葉・妙高・高雄・最上・利根である。


「青葉型では、わたしたちの時に人力装填だった主砲を機力装填へと改良。
 二番艦の衣笠きぬがささんで圧縮空気式カタパルトを初装備しています。これを元に改良された火薬式が、五五○○t級の各艦へ搭載されました。
 妙高・高雄型ではさらに主砲と雷装を増やし、防御力も増大させています。特に変わっているのが、最上・利根型で――きゃあっ!?」

「なんだっ!?」

「ふがっ、お、起きてる、起きてるからっ、敵はどこぉ!?」


 唐突に窓ガラスが割れ、飛び込んでくる人影。
 すわテロリストかと声を上げる自分を、黒潮たちが無言で庇う。加古ですらメカメカしい艤装を召喚、右腕に横並べされた主砲二基を構える。実体弾の代わりに霊的衝撃波を撃ち出せるので、制圧戦闘も可能なのだ。使いすぎると消滅退避してしまう諸刃の剣でもあるが。
 一瞬で緊迫する空気。古鷹も戦闘態勢を整え、右腕(縦並びの二基)をうずくまる影に向けた。
 しかし、その姿には妙な見覚えがあり――


「ぬぁっはっはっは! 呼ばれて飛び込み即参上! 吾輩が利根である!!」

「筑摩です。すみません。お騒がせして本当にすみません……」

「と、利根さん? びっくりしましたぁ」

「んだよ、オマエらか……」

「危うく切りつけちゃう所だったわ~」

「なぁんだ、あたしゃてっきり、敵襲かと……ぐ~」

「ってまた寝るんかぁいっ! どんだけ睡眠時間必要なんっ!?」


 ――原因を理解した途端、全身から力が抜けてしまう。加古が寝てしまうのにも頷けるほど、脱力した。
 グワっと立ち上がるのは、小柄なツインテール少女。重巡洋艦、利根だった。妹である筑摩は、申し訳なさそうに割れたガラスを箒で掃いている。
 とりあえず何事もなくて一安心だ。んが、一家を支える主として言わねばならないことも出来た。


「利根、今月分のカニカマ没収な」

「なんじゃと!? そ、そのような無体が許されて良いのか!?」

「アホかぁ! 君が割ったガラス一枚でカニカマどんだけ買えると思ってんだ!? ここ一階なんだから普通に窓開けて入ってきなさい!!」

「いやいや司令はん、窓から入るんは普通とちゃうて。ドアなんのためについとる思てはるの。しっかりせなあかんよ?」

「はっ。言われてみれば」

「ぐぬぬ……。しかし、普通に入ったのでは“いんぱくと”がないではないか! 先の演習も足柄たちに枠を奪われてしまった……。こうでもして印象付けぬと出番がなくなってしまうではないかぁ!!」

「落ち着いてください姉さん。あれはジャンケンの結果なんですから、仕方ないじゃないですか。カニカマなら私のお小遣いから買ってあげますから、ね?」

「もうどっちが姉だか分かんないな……」


 駄々をこねる利根に、それをなだめる筑摩。関係性を逆転させた方がしっくりくるのは自分だけではないはず。
 思わずつぶやくと、どうにか苦笑いを押さえ込んだ古鷹が、艤装をしまいながら場を取り繕う。


「ええっと……。ちょうど良いタイミングで利根さんが来てくれましたし、最上・利根型の事は、お二人自身にお聞きしましょうか」

「うむっ。任せるが良い。騒がせた詫びじゃ、詳しく説明してやるぞ?」


 立ち位置を譲った古鷹に代わり、むっふんと鼻息荒い利根が進み出る。
 筑摩はサポートらしく、マジックペンを受け取り板書体勢に。


「さっき古鷹が変わっていると言った二つの型じゃが、何故かというと、重巡ではなく軽巡として起工された船だからである。目的は高速給油艦であった祥鳳たちと同じく、ロンドン軍縮条約の裏をかくため。
 主砲の大きさで艦種を決定づけるこれを逆手に取り、合計排水量に余裕のあった軽巡枠で重巡に相当する船を作り、後で主砲を載せ替え、戦闘力を得ようとしたわけじゃな。竣工時には条約を脱退していることも見越しておったようだ」

「そのため、私たちの名前は川から取られているんです。軽巡は川、重巡は山を由来とするのは、もうお分かりですよね? 書類上は最後まで軽巡扱いでした」

「実はあたしも川から名前取ってんだぁ……。くか~」

「あ、そうだったよね。加古は、本当は川内型の四隻目になる予定だったんですけど、ワシントン軍縮条約締結の影響で、建造が初期に中止されたんです。
 でも、予算が勿体無いから名前と一緒に流用、より艦形を大型化しての建造が決定されたんです。起工は加古の方が早いから、ちょっとお姉さんなんだよね?」

「就役は四ヶ月遅れだったけどねぇ……。すか~」

「やっぱ起きとるやろ加古はん。寝言で会話成立しとるし」


 先ほどから挙げられている二つの軍縮条約だが、大雑把に言うと、ワシントンが戦艦・空母の合計排水量を制限するための条約であり、ロンドンは前条約の抜け道的存在だった、巡洋艦以下の補助艦艇を制限するための条約である。空母なども制限がキツくなった。
 これにより、すでに建造されていた古鷹型から高雄型までの十二隻で、重巡枠が一杯になってしまったのだ。妙高たちの性能を脅威とした各国が、日本を狙い撃ちにした足かせ、という説もある。


「そしてそして! 最上型と吾輩たちのもっとも特筆すべき特徴が、水上機運用能力の高さである!
 最上はミッドウェーで損傷を受けた後、航空巡洋艦に改造されてからだがな。
 妙高や高雄たちが二~四機の運用しかできなかったのに対し、改造後の最上は最大で十一機、吾輩たちは最初から六機の水偵を載せることができたのだ!」

「実際の運用数や主砲は少なめですけど、船体前部に四基を集中配置し、後部を航空艤装とした私たちは、理想に近い巡洋艦とも称されたんです」

「旧海軍が完成させた重巡の最終形に相応しい性能というわけじゃ!」


 艤装を召喚状態にしながら、利根が胸を張り、筑摩は楚々と佇む。やっぱり差があるなぁ、胸――じゃなくって落ち着き具合いとか。
 彼女たちの艤装は右半身に主砲が集中していて、肩に一基、腰から太ももにかけて三基が凸の字を左回転させたみたいにくくられている。左腕にはカタパルトが二基あり、左足だけに出現するニーハイには、飛行機運搬軌条のレールが描かれていた。
 他にも、小さな対空機銃がブーツへ付いたり、左肩と左腰に高角砲・魚雷発射管があったりと、けっこう忠実に再現されているようだ。
 ……あ、思い出した。


「確か、本当は利根型の後に伊吹いぶき型っていうのが建造予定だったんだけど、終戦の影響で未完成に終わったんだよな」

「はい。よくご存知ですね、提督」

「最近読んでる本に名前がよく出てきてさ。それで調べたんだ。でも、今は関係ないか。続けてくれ、古鷹」

「分かりました。……といっても、利根さんがほとんど説明しちゃったので、最後に少しだけ、本筋とは関係ない豆知識を」

「豆知識……。小豆と大豆は種類違うけど、大豆と枝豆は同じ種類……。ずびー」

「へぇーへぇー、それはウチ知らんかったなぁ。覚えとこ。あ、もう面倒やからツッコまへんよ」


 何やら机を叩くような仕草をしながら、突っ込まないという突っ込みをしてしまう黒潮。律儀である。
 しかし、その動きの元ネタはなんだろう。古いテレビ番組でも見たんだろうか。


「さっき、わたしよりも加古の方がお姉さんだって言いましたけど、事故で竣工が遅れちゃって、一番艦はわたしの方になっちゃいました。
 実は他の型でも似たようなことが度々起こっているんですが、どっちがお姉さんになるかの基準は曖昧だったりします。
 例えば、わたしや神通さんは竣工が先なので繰り上がったのに、龍田さん、那智さんや羽黒さん、愛宕さんは先に竣工・就役したのにそのままだったり。面白いですよね」

「いろんな理由があるっぽいけど、オレたちはあんまり気にしてないよな。重要なのはどっちが姉かじゃなくて、安心して背中を任せられるかどうか、だろ」

「ん? そりゃそうだけど、最初に龍田と対面した時、『今度はオレの方が~』とか言ってなかったっけ?」

「ね~。でも、そういうところが天龍ちゃんっぽいと思うわ~」

「なんでそんな細かいことばっか覚えてんだよっ、せっかくいい感じで決めたのに!?」


 水を差されたのが悔しいのか、むきーっ、と天龍は頭をかきむしる。
 彼女や利根、長良たちを見て実感していたことだけれど、通常の姉妹というくくりに、統制人格は当てはまらない場合もあるようだ。
 根っこで繋がっている部分があるのか、不仲な子は居ないのが幸いである。これからも変にギスギスしたりしないでやって行けると良いのだが……。
 と、そんなことを思う自分をよそに、古鷹は最後の締めにかかる。


「こんなわけで、一口に巡洋艦といってもこれだけの種類があり、それぞれに特徴的な性能を持っているわけなんです。
 わたしはまだ呼んでもらったばかりで、近代化改修しないとあまりお役に立てないでしょうし、練度も低いですけど。
 でも、重巡洋艦の名に恥じないよう、全力で頑張りたいと思います! 機会があったら、今度の特務にも使ってくださいね。
 ハプニングもありましたけど、以上で第一回、巡洋艦の、巡洋艦による、巡洋艦運用のための勉強会を終わります。ご静聴、ありがとうございました!」


 ペコリ、腰を九十度に曲げる古鷹に向けて、みんなから暖かい拍手が送られた。それを受けて、照れ臭そうな笑顔が浮かぶ。
 目新しい発見こそなかったものの、親睦を深めるという目的は十二分に果たされたようである。
 だが加古。寝たまま拍手するくらいならいい加減に起きなさい。まばらな音が気になって仕方ないよ。何が君をそこまで眠りに駆り立てるのか。
 仕方なく、彼女を揺り起こそうとするのだが、同時に、大きく背伸びをした天龍がこちらを向いた。……なんか、微妙にニヤついているのが気になる。


「結構いい暇つぶしになったな。しっかし、司令官。こんな日にわざわざ午後をつぶして勉強会とか、もしかして友達いないのかぁ?」

「………………居ませんが何か」

「え」

「鎮守府が開いてる定例会へ行っても報告以外に話する相手いませんが、何か。
 自分で励起した統制人格に負けるとか、ってプークスクスされましたが、何か?
 まともに話しかけられる男の知り合いなんて吉田中将くらいしかいませんが、何かぁ!?」

「ゴメン! からかおうと思ったオレが悪かった、だから笑顔で泣くな!」

「よ~しよ~し、辛かったのね~。もう我慢しなくていいのよ~」

「泣きっ面に、うっかり八兵衛ぇ……。すこー」

「より悲惨になりそうでならなさそうやなー。きっと泣く子も笑ってくれるわ」


 不意に突きつけられた現実が、自分の胸を切り裂いた。丸めた背中を、龍田の手が優しく撫でてくれる。
 他人から見れば大したことないとも思われるかもしれないけども、割と辛い。仕事上は全く問題ないのがこれまた辛いのだ。他の提督もそこら辺は弁えてくれてるし。
 まぁ、笑った奴らの眼前で鳳翔さん手作りの豪華弁当をこれ見よがしに平らげて、利根みたいな「ぐぬぬ」顔させてやったが。
 羨ましいか。羨ましいよな。羨ましいだろう名もなき提督ども。自分だったら奥歯を噛み砕くところだ。
 ……んな事やってるから友達できないんだよ。馬鹿か自分……。


「あれじゃな、これだけの美少女に囲まれておるのだ。嫉妬されるのも仕方なかろう」

「それは自分だって嬉しいさ。でも、やっぱり男一人って肩身が狭いよ……。中将は飲みにとか誘えないし。あぁぁ、同性の友達が欲しい……」


 主任さんのおかげでめでたく宿舎に離れができ、一人の時間を満喫できるようにはなった。なったのだが、いざ一人の時間が増えると、難儀なことに寂しいのである。
 ときおり聞こえてくる笑い声や、川内の「夜~戦~!」コールが届く中、黙々と戦術を練り、今後の建造計画を確かめ、息抜きに隔月刊・艦娘を眺めることの、なんという侘しさよ。
 せめてそんな時、電話をかけて相談したりとか、鎮守府内にある慰安施設(飲み屋とかノーマルなマッサージ店とか)へ出かける相手が欲しかった。切実に。


「そや。ウチ前から疑問やったんやけどな。統制人格ってなんで女の子ばっかなん? 男の子とかおらんよね。
 一つの艦隊に同じ艦もおらんし。性能の良い艦だけ選んで励起した方が効率いいんとちゃうの? 長門型十隻つるべ撃ち、とか」

「世の中、そんな都合良くはいかないんだよ……。専門家によれば、能力者には、統制人格と同調するための専用回線みたいなものがあるらしいんだ。
 艦それぞれに対して、一つずつ構築されるみたいなんだけど、すでに励起した経験のある艦と同じ艦を新たに励起しようとした場合、回線は上書きされてしまう。
 結果、用を為さなくなった古い方の統制人格は消滅して、練度も何もかも真っさらな、新しい統制人格が生まれる。同艦複数励起は不可能なんだってさ」

「そ、そないな仕組みやったの? ……司令はん。もし、ウチと同じ船拾うてきても、励起せんといてな? な?」

「頼まれたってしないよ。自分にとっての黒潮は、ここにいる君一人だけだ。心配しなくていい」

「……ん。おおきに。安心したわ」


 不安そうに寄ってくる黒潮の肩へ、苦笑いしながら手を置く。
 明言されてホッとしたのか、彼女はそこに自身の手を重ね、目を細める。
 己という存在が、あやふやな確証の上に成り立ち、消えてしまう可能性まであると分かったのだ。焦るのも仕方ない。
 しかし、せっかく巡り会えた大事な仲間。簡単に消したりするつもりなんてなかった。


「それから、統制人格が女の子ばかりな理由なんだけど……。こっちはまだ解明されてないんだ。
 一昔前までは、アニマ――男性の中にある女性側面の投影じゃないかって説が主流だった。
 でもこれだと、女性能力者も女の子しか呼べない説明がつかないから、今はもう廃れてる」

「せなんや。なんでやろね」

「ぬぅ、横文字はよく分からん。じゃが、日本には船魂ふなだまを祀るという習慣があるしのう。御神体として女の髪を用いる場合もあったそうじゃ。どう思う古鷹?」

「そうですね……。昔から船のことを女性に例えることがあったみたいですし、その影響もあるとか……」

「それだと、『船は男』って教え込まれた人なら、男の子を呼べるってことになるわね~」

「ちょっと簡単過ぎねぇか。つーか、『らしい』とか『みたい』とか、スッキリしない言い回しばっかじゃねぇか。真面目にやってんのかよ? その専門家」

「だよなぁ……。今までは現状維持で精一杯だったけど、そろそろ本格的に研究へ専念して、いろいろ解明して欲しいよ。
 あぁ、でもやっぱり、一人くらい身内に男仲間が欲しい……。せめて後輩能力者とか入ってきてくれないかなぁ……」


 そうしたら手取り足取り……とか気持ち悪いからやんないけど、親身になって相談へ乗ってあげるという名目で、友達作れるのに。
 もしも女性能力者だったら、女性教導官が専属でついちゃうから無理だけど。“あの”調整士君は能力強度が低くて、沖縄の戦車部隊に配属予定らしいし、しばらくは新人来なさそうだ……。


「あの……。提督、こんなことを尋ねるのは失礼だと思うんですけど……」

「ん? 筑摩、どうした」

「提督は、その……。そっちの趣味がおあり、なんですか?」

「は」


 投げかけられた突拍子もない質問に、つきかけていた溜め息がせき止められた。
 そっちの趣味? そいつはもしかして、男同士がくんずほぐれつという意味ですか。薔薇族ですか?
 いやいやいやいやいや。


「んなわけないだろう!? 自分は異性愛者だってばっ!」

「でも、さっきからずいぶん男性に執着しているような……。いえっ、否定しているわけじゃないんですよっ? 趣味は人それぞれ、愛の形も様々ですから」

「いやだから違うって!! 友達が欲しいだけで変な趣味なんかない! 女の子大好きだよっ!? 黒髪ロングとか憧れます!!」

「分かっておる分かっておる。筑摩なりの冗談じゃろう。とはいえ、そのように公言されても困るがの。いくら筑摩が可愛いからといって、浮気はいかんぞ浮気は」

「そうだぞ? また電を泣かせそうになったら今度こそ引っぱたくからな?」

「あの時は未遂だったから良かったけど~、もし本当に泣いてたら~……。分かりますよね~?」

「えっ、電ちゃんを泣かせたってどういうことやの司令はんっ? そこまで鬼畜やったん!?」

「泣かせてないから! もう誤解はといたし和解もしてるから! あとなんで艤装召喚してるの龍田さぁんっ!?」


 思わぬ波及をした疑惑に、龍田様が紅刃を煌めかせる。
 天龍は心から電を心配してるだけだろうけど、彼女は違う。気配で分かる。不貞行為したらマジで切り落とす気だ。
 どうしよう、ただのボッチ話がなんでこんな事態になっちゃったんだ? もうわけが分からないっ!


「て、提督、落ち着いて? 大丈夫です、分かってますから。
 提督はちっちゃい子にしか興味もてないんですよね。
 だけど、治療はちゃんと出来ますから。慌てないで、ゆっくり治しましょう?」

「ちょっと待ってくれ。酷い勘違いされてるのがひしひし伝わってくるんですが!?
 違うよ古鷹、自分はホモでもなければロリコンでもないっ。
 年上のお姉さんに恋したことだってあるんだからなぁ!? もちろん先輩じゃない人に!!」

「ほう、それはそれは。後学のためにもぜひ聞きたいものじゃの」

「え。あ。いや。あっと」

「ほれほれ、さっさと吐かんか色男。筑摩も聞きたいであろう?」

「はい。私、そっち“も”気になりますっ」

「キチンと説明してもらうんやからね? さもないとハリセンで百叩きやで?」

「よくやるぜ……。何が面白いんだか」


 思わず口をついてしまった恋愛遍歴に、少なくとも見た目は年頃の乙女たちが食いついてくる。
 横へ回り込み、面白がって肘でつつく利根に、目を輝かせて前のめりな筑摩(“も”って何さ)。
 天龍はああ言いながら、一言一句聞き逃さない態勢。薙刀を構え笑っている龍田の顔に、「楽しくなってきたわ~」なんて書いてあった。
 唯一止めてくれそうな古鷹も、「む、無理強いはダメですよ?」と表面上は中立っぽいが、その実興味津々といったご様子。
 このままでは、小学生の頃に姉の友人を好きになり、告白までしたけどあっさり振られたという、誰もが経験する甘酸っぱーい思い出を語らなければいけなくなってしまう。
 しかし逃げ場は……ない。三百六十度、囲まれてしまっている。
 さぁ! と詰め寄る彼女たちの息遣いを感じ、自分は思った。
 桐生提督。早く目を覚ましてください。
 うんちくなら何時間でも聞きますんで、この悩ましい天獄(造語)から一時的にでも解放してください、と。





「惚れた、腫れたは……。バック・トゥ・◯・フューチャー……。デ◯リアーン……」

「それを言うなら『当座のうち』やろ! タイムスリップしてどないすんねぇんっ!」




















 記念すべき五十回目の大型建造は加賀さんでした。直前に三隻目の8ちゃん引いたからでしょうか。次はもう五十八回目です。心が折れそうです。四月だ、四月が始まる前に出さないと……。
 えー、今回は無駄に長くなってしまった艦隊内演習のお話と、巡洋艦雑学話でした。
 五月雨ちゃん改の艤装が微妙に違ってるのは筆者の趣味です。なんでか分かりませんが、カウガール姿でドヤってる絵が降りてきました。改二・新規絵実装の際には、それと合わせて修正します。あと、「~t級」は型番じゃないので、普通に「~せん~ひゃくt級」とお読みください。
 加えて誠に申し訳ないんですが、ちょっくら呪われて解呪旅行に行く予定でして、次回更新は確実に送れます。ご了承くださいませ。
 それでは、失礼いたします。

「皆さんお待ちかネー! やっと、やぁっとワタシたちの出番だヨー!」
「気合い! 入れて! 全裸待機をお願いしますっ!!」
「ええっと、本気にしないで下さいね? まだまだ寒いですから、体調など崩さぬよう、注意して下さい」
「この本のデータによれば、紳士な方々はネクタイと靴下さえあれば無敵だそうでし、大丈夫ですよきっと」
「民明書房……。知らない出版社ですね……」





 2014/03/08 初投稿+誤字修正
 2014/03/11 誤字修正
 2014/04/10 誤字修正
 2014/04/11 カタパルトや滑走台装備時期を勘違いしていたので修正
 2015/03/29 こっそり誤字修正







[38387] 新人提督と面影の二婦
Name: 七音◆f393e954 ID:d4ed688f
Date: 2016/06/05 12:40





 その日、吐噶喇トカラ列島は地獄に染まった。
 衛星により存在を示唆された、南西諸島沖の新たな油田。その調査のために佐世保を出発した艦隊が、全滅したのである。
 原因は、ツクモ艦の中に混じっていた空母に相当する艦種だ。奴らの爆撃を受け、全ての艦は無残に燃え尽きた。
 指揮をとっていた若過ぎる同僚――小林少年も重度の火傷を負い、皮膚を八割失った。心が、そうさせたのだという。
 再生医療の進歩で一命は取り留めたものの、「誰にも顔を見られたくない」と、彼は地下へこもるようになった。

 見舞いは空振りに終わり、家具の一切なくなった執務室で、わたしはフローリングへと直に腰を下ろす。
 失われたもの。得るはずだったもの。取り戻さねばならないもの。
 果たさねばならないもの。取り留めのない考えが頭をよぎり、霞のように消えてゆく。
 思い返すと、一滴たりとも涙を流していないことに気づいた。
 まだ十一歳の少年が、これから先の人生を暗澹と過さなければならなくなったというのに。
 わたしという男は、自分で思っていた以上に酷薄な人間らしい。自嘲が浮かぶ。

 彼女が声をかけてきたのは、そんな時だった。
 振り向いた先に、普段通りの衣装を纏う少女。だが、表情はいつになく真剣で。そして、決意に満ち満ちていた。
 彼女は言う。
 自分を――伊吹型重巡洋艦を、航空母艦に改造して欲しい、と。


 桐竹随想録、第六部 馬の緯度より抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「はぁあぁぁ……」


 体重を受け止めた椅子が軋む。
 ため息とともに放り投げた報告書は、半分だけ陽があたる執務机の上をわずかに滑り、落ちる寸前で止まった。


「お疲れのようですね」

「……芳しくない」


 コトリ。天井を見上げる視界の外で、何かが置かれる音。
 鼻腔をくすぐる甘い匂いに顔を下ろせば、湯呑みとみたらし団子の乗せられた小皿を配膳する赤城が、そこにいた。
 盆を抱える彼女は、机を挟んで真向かいに立ち、「拝見します」と一声。


「ここ一週間の戦果報告、ですか」

「五日連続で、休み無しに出撃し続けた結果がそれだ。ため息しか出ないよ」


 紙面には、計五回の出撃編成と会敵回数、与えた損害、被害内容などが網羅されている。
 青ヶ島へ簡易リレー装置を投下できた、最初の一回以外に共通しているのは、その結果。残り四回が途中撤退に終わっているということである。
 艦隊内演習を繰り返すこと数日。送り出す皆の練度を確かめた自分は、善は急げと陣容を整え、硫黄島への航路開拓を始めた。しかし今回の特務、思うようには進まなかったのだ。


「まさか、あれだけの選良種がゴロゴロしてるとは。おまけに旗艦種フラッグシップまで……」

「ツクモ艦――いえ。深海棲艦の中でも、特に脅威度が高い艦、でしたね」

「ああ」


 深海棲艦にも艦種は存在し、駆逐艦、軽巡、重巡、戦艦、空母、潜水艦など、自分たちが使う艦船とほぼ同じ構成をしている。だが時折、そんな分類を無視するかの如く、飛び抜けて高い戦闘力を持つ個体が確認されていた。
 一般的に緑光を発する発光機関から、明確な敵意を剥き出しにする赤色を放つ艦――選良種。そして、より高位の存在と目される金色の光――旗艦種。
 青ヶ島を少し南下した海域で、自分は初めてこの旗艦種……しかも、一隻で戦況を左右すると言われる、戦艦ル級 旗艦種に遭遇したのだ。
 爆撃機のアウトレンジ攻撃や、甲標的による奇襲でも仕留めきれないタフさを兼ね備えるフラ・ル(フラッグシップ・ル級の略)の砲撃は、噂通り、鋭いの一言に尽きた。出撃させた六隻のうち、最低でも二隻が毎回中破させられてしまい、おかげで入渠ドックはフル回転である。


「あんにゃろう――じゃなくて女の子か。とにかく、ポンポンポンポン当ててきやがってぇ……。
 フィードバックであちこち打撲みたいになってるし、みんなも脱げちゃったし、散々だよ……」

「後者に関しては喜んでいらっしゃいませんか?」

「そんなわけないじゃないか。痛い思いをさせて、心苦しいだけだよ。うん。本当だよ?」


 別に、とねちく姉妹はやっぱり貧富の差があるなぁとか、妙高型は羽黒以外なぜか色気を感じなかったなぁとか、夕立はあれ下も脱げちゃったのかなぁとか、名取はたゆんたゆんだったなぁとか、長良はブルマだなんて分かってるなぁとか、祥鳳は背中綺麗だったなぁとか、龍驤と瑞鳳は見事な幼児体型だったなぁとか、不知火さん中破してようやく笑うなんてマジ男前とか、そんな感想を抱いたりはしてません。
 ええ本当に。団子うめぇ。これ、市販品じゃなくて手作りだな。モチモチ感が違う。


「念押しするところがまた怪しい……とは思いますが、良しとしましょう。みなさんの身を案じていたことは、よく分かっていますから」

「ん、助かる。しかし、中破撤退がこうも続くと、いよいよ、な……。また赤城の力を借りることになると思う。よろしく頼むぞ」

「お任せください。軽空母の皆さんより燃費は悪くても、継戦能力は高いはずです。私が道を切り開きましょう」


 少し半目に、糾弾するような素振りを見せた赤城だったが、ふっと肩の力を抜き、誇らしげにうなずく。
 二本目の団子を手に取りながら、自分はホッと一息である。二重の意味で。
 ただ硫黄島へたどり着くだけなら、キスカ島のように決死隊を送り込めば一回で終わるだろう。あっけなく中破させられる事が多かったが、逆に、戦艦の主砲を受けて中破に留められていたということでもある。
 死を厭わないなら、成功させる自信はあった。まぁ、そんなの論外だが。
 帰り道を考えると、大破してから即撤退なんて都合のいい真似もできない。撤退中に敵と遭遇することや、確実に帰投させられる確率を考えれば、中破進軍は個人的に厳禁なのである。
 キスカ島撤退作戦で一人の死者も出さなかった、かの木村昌福まさとみ中将もこう言っている。

 帰ろう。帰ればまた来られるから――と。

 強行上陸作戦に際して戦史を調べ、そこで初めて知った言葉だったが、ふと思い出すたび、自分の焦りを緩和してくれた。
 まだ時間はある。善は急げより、急がば回れの方が良い場合だってあるはず。
 幸か不幸か、“彼女たち”も来てくれたことだし、プランB……回転率を重視した現行計画から、確実性重視の二艦隊出撃へ、方向転換してしまおう。


「とはいえ、君一人に重荷を背負わせるわけにもいかないし、予定より早く支援物資も届くらしい。
 想定外の建造だけど……。今後のことも考えて、新しい正規空母を呼ぶつもりだ。高速建造も始めてもらってる」

「正規空母を、ですか。もしかして……?」

「うん。加賀かがを、さ。いつかは君たちと肩を並べて、桐林機動部隊、なんてやってみたいな。語呂が悪いか?」

「ふふっ、いいえ。そうなれば、きっと快進撃が始まりますよ。栄光の第一機動部隊、復活の日も近いですね」


 上品に笑って、赤城は少しばかり遠い目をする。まだ見ぬ同輩のことを思い描いているに違いない。
 航空母艦、加賀。
 第一機動部隊の主力を担った赤城と彼女は、前身を天城型巡洋戦艦二番艦、加賀型戦艦一番艦とし、ワシントン海軍軍縮条約やら関東大震災による事故など、数奇な運命を辿って空母へと転じた。そのため、名前の由来が空を飛べる瑞祥動物ではなく、赤城山、加賀国から取られている。
 そして、長門型を越える新鋭艦となるはずだった加賀は、近代化改装を経て、常用艦載機八十一・補用十二機、一万以上の航続距離を持つ、空母としても最有力の存在となった。
 正規空母二人のアウトレンジと、“彼女たち”の連携を持ってすれば、フラ・ルだって一溜まりもないだろう。
 ……実際のところ、他の子が来ちゃう可能性もなくはない……というかむしろ高い気もするんだけど、喜んでるみたいだし、水を差すのはやめとこう。頼んますよ、主任さん。


「はぁ。にしてもお茶がうまい。淹れるの上手になったな、赤城も」

「それはもちろん。鳳翔さん直伝ですから。お団子の方には、流石に手を出せませんでしたけれど」

「やっぱり鳳翔さんの手作りなんだ。ほんと、なんでも作ってくれて凄いよ、あの人も。どうだ、赤城も一本」

「ありがとうございます。実は、少しだけ口寂しかったんです」


 小皿を差し出すと、わりかし素直に好意を受け取ってくれる赤城。なんだかんだで女の子。甘い誘惑には弱いようだ。
 茶をすすり、ほろ苦さで葛餡の余韻を溶かしていく。
 鳳翔さんと電に貼ってもらった湿布のジワジワ感。小腹を満たしてくれる甘味。自分好みのぬるめな緑茶。
 あぁ、癒され……る?


「なぁ赤城。今なにか聞こえなかったか?」

「ふぁい――ん、はい? 私には何も」

「いや、確かに……」


 口元を手で覆う赤城から視線をそらし、自分は廊下へ続くドアを見やる。
 何の変哲もない木製のそれだが、わずかに意識を集中すると、近寄ってくる独特の気配があった。大湊で、ワクワクしていた千歳を感じ取った時と同じだ。
 しかし、伝わってくる感情は楽しげなものではなく、むき出しの対抗心が二つ、せめぎ合っている。
 ハッとなり時計を確かめれば、針は三時を指していた。


「あぁ、しまった……」

「提督? どうなさったんですか?」

「うん……。昨日、『楽しみにしててネ?』って言われたの忘れてた……。とりあえず、かなり騒がしくなるだろうから、自分の横に居た方がいいよ」

「はぁ……」


 小首を傾げながらも、パタパタ机を回り込む赤城。直後、廊下から牽制し合う少女たちの微かな声が。
 それは、執務室の前でピタリと止まり――


「お仕事中に失礼しマース! テートクぅ、待ちに待ったTea Timeの時間だヨー!」

「司令官さんっ、コーヒーをお持ちしたのですっ!!」


 ――バタン! と大きな音を立てて、ノックも無しに二つの影が駆け込んでくる。
 一方は、湯気の立つマグカップを丸いトレイに乗せた電。
 もう一人は、見覚えのない本格的な茶器セットを抱える、特徴的な格好をした少女。パっと見は茶袴の巫女服。しかし、巫女さんと呼ぶにはおかしな点が幾つもあった。


「ふっふ~ん。残念ですネー電。テートクはワタシとTea Timeのご予定なのデース。コーヒーはNo,thank youデスよー?」

「そんな事ないのです! 司令官さんはいつもこの時間にコーヒーを飲むんです! ミルクと砂糖をたっぷり入れた甘~いコーヒーを! 金剛さんの紅茶より、こっちの方が司令官さんは好きなのです!!」

「ほうほう、テートクはSweetなTeaがお好みでしたカー。いいことを聞きましタ。But! こんなCaseもあろうかと、Milk&Sugarもキチンと用意してありマス。引くわけにはいきまセーン!」

「むううううう」

「ふっふっふぅ」

「……意外と可愛らしいところがあるんですね、提督にも」

「男が可愛いって言われても嬉しくないよ。ただ苦いだけだと飲み辛いんだよ……」


 愛嬌と茶目っ気たっぷりな大きい瞳で、電と火花を散らす少女。
 彼女は袴ではなく、裾をフリルで飾ったミニスカートと、革のロングブーツで下半身を固めていた。絶対領域万歳。
 赤襟の白い上着は肩が大きく覗き、脇下と袖付け部分だけが繋がった、アニメでしか見たことのないデザイン。扶桑たちの衣装にも似ている。
 髪型も、背中にかかるほどの茶髪を、両サイドでシニヨンにしたような感じ。乗せているのは、測距儀を意匠としたカチューシャだろうか。


「ならば、ここはテートクご自身に決めてもらうデース! テートクはワタシを選んでくれますよネー?」

「司令官さん! 電のコーヒーの方がいいですよねっ?」

「ごめん。見ての通り、もう赤城が淹れてくれたお茶飲んでるから、ちょっと後にして」

「what!?」

「なのです!?」


 鳩が豆ガトリング砲を食らったような顔を見せるこの子は、桐生提督が使役する高速戦艦と同型艦船。金剛型の長女、金剛といった。
 旧日本海軍が発注した戦艦だが、生まれは英国、ヴィッカース社。その影響か、英語混じりの濃ゆい喋り方をするのが特徴である。
 それはそうと、「なのです」って驚き方はちょっとおかしくないかい電。


「まさかMiss赤城に抜け駆けされるとは……! 完全なDark Horseだったデース……!」

「あうぅ、コーヒー、もったいないのです……」

「いえ、あの、私はそのようなつもりは」

「こらこら、赤城を責めるな。誰も飲まないとは言ってないだろう。ちゃんと君たちのも飲むから」

「本当ですか? でも、勝手に持ってきて言うのも変ですけど、ご迷惑じゃあ……」

「そんなことないよ。せっかく手ずから淹れてくれたんだ。飲まなきゃバチが当たるって」


 正直いうと水っ腹になりそうで勘弁して欲しいが、そんなことはおくびにも出さず、自分は首を縦に振る。
 それに対し、電がホッとしたように微笑み、金剛は太陽のようなまぶしさを取り戻す。


「さぁっすがテートク、紳士の鏡ネー。じゃあじゃあ、さっそく紅茶の準備をするから、Be Waiting a Llittle!」

「紅茶……。あの、金剛さん。紅茶ってどうすれば美味しく淹れられるんですか?」

「Oh,興味ありますカ? 重要なPointは沢山ありますヨー。まずはやっぱり温度デス。ここは隣に給湯室があるから助かりマース」


 ヒールを鳴らして振り返り、執務室のソファーがある一角に陣取った彼女は、テキパキと紅茶を用意し始める。
 電も続き、物珍しそうに覗き込んで質問したりしている。満更でもないのか、説明する背中が得意げだ。
 赤城と顔を合わせ、二人、小さく苦笑い。仕事は休憩と相成った。


(やっぱり、似てるよなぁ)


 陶器の音に足を誘われながら、自分は記憶をふり返る。
 彼女との出会いは、遡ること三十二時間。建造終了の報告を受け出向いた、一番ドックでのこと――。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ごめんなさい愛人にでもお妾さんにでも何にでもなりますから上に報告するのだけは勘弁してくださいあとできれば追加発注くださいどうぞよろしくお願い致しますぅー!!」

「土下座しながら人聞きの悪いこと言わないでくれませぇん!?」


 誰かに聞かれたら十中八九ヤバい勘違いをされそうなセリフに、思わず悲鳴をあげてしまった。
 普段と違って妙に静かなドック。
 すでに建造を終了しているのが要因だが、そんな中、赤毛の少女がコンクリートに三つ指をついている。もちろん、主任さんである。
 ここ最近、あんまり良くない噂が流れているし、勘弁して欲しいのはこっちだ。
 なんだって彼女は、朝も晩もうちの宿舎へ飯をたかりに来るのか。ときどき泊まってもいるようで、愛人という表現、シャレにならない。マジやめて。
 というこちらの焦りを察する余裕もないのか、主任さんはすごい勢いで足にすがりついてきた。


「ほんとに、本当にお願いしますぅー。助けると思ってぇー。重巡作ろうとしてたのに、いつの間にか勝手に資材使って戦艦四隻も作ってたとか、首切りじゃ済まないんですよーぅ。
 それとも人間の女の子には興味ありませんか? 彼氏いない歴=年齢ですけど、綺麗な身体ですよ? ピッチピチの十七歳と二十三ヶ月ですよ? お願いしますよ提督さぁーん!」

「あっ、ちょっ、やめて、よじ登るのはダメです、ズボン脱げるっ」

「あはは……。なんだか、大変だね。提督……」

「笑ってないで剥がすの手伝ってくれ時雨っ」


 引きつった笑いを浮かべて戻ってくる第一秘書に、ベルトを抑えながら助けを求める。
 仕方ない、といった感じで彼女が間に入ると、主任さんはようやく立ち上がり、それでもまだ「よよよ……」なんて弱々しいそぶり。
 そして、奇妙な寸劇を繰り広げる自分たちの背後には、発注していた重巡ではなく、金剛型戦艦が鎮座していた。
 前々から発注を続けていた最上型重巡洋艦四隻は、またしても予想外の建造結果に終わったのである。おそらく他のドックに残り三隻――比叡ひえい榛名はるな霧島きりしまもいるのだろう。
 どうしていつもこうなる。つーか来月誕生日なんですね。知らんかった。


「まぁ、愛人だなんだは忘れるとして。どうしてこんなことになっちゃったんですか?」

「それが分からないから困ってるんですよぅ。アタシだって軌道修正しようと頑張ったんです。
 工事中断して、遅れた分は気合いと睡眠時間で補おうって。でも、全っ然言うこと聞いてくれなくて……」

「ご覧の有様ですか」

「はいぃぃ」

「あぁ、困った……。資材どうなってる?」


 なんだか見覚えのあるハンカチで顔をおおい、さめざめと涙を流す主任さん。
 その背中をポンポンする時雨に問うと、必須アイテムであるクリップボードを見やる彼女。
 ついさっき、調べに行ってもらった結果が記載されているはずだった。


「ボーキサイト以外、予定よりも多めに減っているね。特に鋼材と燃料が酷いかな。出撃してた子たちの入渠と重なったから、ごっそり」

「で、そこからさらに重巡四隻分を差し引くと?」

「……ちょっと。ううん、けっこう厳しい。すぐに尽きるということはないだろうけど、この調子じゃ……」


 綺麗に整えられた眉が歪み、惨状を物語る。
 今までは、失敗とはいえ同じ重巡だったり、合計消費量的に問題はなかったのだが、四隻まとめて戦艦とは。
 効率良く遠征も回せるようになったし、取り戻そうとすれば数週間でどうにかなる損失ではある。が、予定外の資源消費は艦隊運用に大きく関わるのだ。無視していい問題じゃない。
 どう始末をつけようか、自分はあごを撫でて思案。
 すると、ハンカチで鼻をかんだ主任さんが、「あ、またやっちゃった」と呟きつつ、腰を九十度に曲げる。


「とんでもない事を仕出かしちゃったのは自覚してます。アタシ個人の裁量でどうにかできる範疇を越えてるのも。
 だけど、そこを曲げてお願いします! まだこのお仕事を続けたいんです。続けなきゃいけないんです。もう一度だけ、チャンスをください。そのためだったら……!!」


 彼女は懇願する。機会を与えてくれるなら、この身を捧げてもいいと。耳を疑いたくなるそれには、本気であることを伝える切実さが込められていた。
 出会って半年近く。仲良くさせてもらってはいたが、彼女のことで知っていることは少ない。
 年齢や好きな食べ物、嫌いな食べ物。艦船のプラモ作りが趣味なのは分かっているけれど、家族構成や、いつこの道を志したのか、どうしてこの仕事にこだわるのか。想像もつかなかった。
 しかし、のらりくらりとしていた彼女が、こうせざるを得ないほどの事情はあるようだ。自分も真剣に対応しなければ。


「主任さん。自分はわりと怒ってます」

「……っ。で、ですよ、ねー。できれば、い、痛くしないでもらえると……」

「そうじゃなくて。人をどんな外道だと思ってんですか。失礼な」

「え?」


 腕を組み、心外であることを顔でも伝えるのだが、主任さんはキョトンとするばかり。
 まぁ、世の中には、特権を振りかざして女性に手を出しまくる下衆提督も居るみたいだけど、そんな奴らと同類に思われてたなんて、結構ショックである。


「今、自分たちが硫黄島を目指しているのは知ってますよね」

「あ、はい。本当はいけないんでしょうけど、白露ちゃんとか村雨ちゃんが入渠してるうちに。珍しいですよねー。提督さんが演習以外でコテンパンにされるなんて」

「ですかねぇ。んで、自分なりに原因を考えた結果、打撃力不足という結論に至ってたんです」

「僕が出撃した時も、選良種や旗艦種にやられちゃったからね。爆撃や先制雷撃でダメージを与えていたのに、それを仕留めきれなかったり。
 深海棲艦の中で、上位種だけが持つ不可思議な力場発生能力……。僕たちにもああいう力があればよかったのに」


 悔しげな時雨につられ、自分も作戦時の光景を思い出す。
 黒と灰色で固められた敵統制人格。赤や金色を放つ彼女たちは、戦いのさなか、その本体に同色の妖気をまとわせる場合があった。
 こちらの砲撃が直撃すると思った瞬間。逆に、あちらが砲撃をする瞬間。なんらかの力場を発生させて砲弾や装甲に上乗せしている、というのが学者の言い分だ。
 物理的な攻撃・防御手段しか持ち得ない自分たちにとって、非常に厄介な相手。打ち破るには、それに匹敵するだけの大火力と、分厚い装甲を持つ艦船が必要だったのである。


「というわけで、実はもともと、戦艦の追加発注はする予定だったんです。金剛型四隻じゃなくて、伊勢型二隻でしたけど」

「……そ、それじゃあ?」

「頼まれなくても、提督はどうにかするつもりだった、というわけさ。こうやって使途不明金とかがごまかされていくんだね。なんだか、片棒を担がされてる気分だよ」

「そう言わないでくれ、これで最後だ。これはデカい貸しですよ? いつか必ず返してもらいますから、覚悟しておいてください」


 口では文句を言いつつ、サラサラと頼んでもいない発注書を書き出す時雨。多分、資源量を調べに行った時、ついでに持ってきたんだろう。担ぐ気満々だ。
 自分も肩をすくめ、悪どい笑みを浮かべてみせるのだが、主任さんは泣き笑い寸前の顔を隠すよう、再び頭を下げる。


「ありがとう、ございます」


 少し鼻声になっているあたり、電の言っていた「主任さん泣き虫説」は本当らしい。
 ま、今度やったら本気で責任とらせるつもりだけど。今からなんか考えておくか、お仕置き。


「さぁって! 後顧の憂いもなくなったことだし、励起、行ってみましょー! しますよね、提督さん?」

「現金だなぁ……。もちろん、やりますけどね」

「金剛、か。一体どんな姿になるんだろう。早く会ってみたいな」


 勢い良く赤毛が跳ね上がり、表情はハツラツと。それに後押しされ、帽子を直しながら金剛へ歩み寄る。
 ミッドウェーなど、同じ舞台で肩を並べたことがある時雨も、どこかウキウキしているようだ。物静かな彼女にしては珍しい。
 すでに増震機も設置済みらしく、主任さんが高速タイプで準備を整えた。感じ慣れた高周波を受けつつ、「OKですよー!」という言葉に従い、自分は右手を前へ。


「来い、金剛」


 生まれる光源。暖かな波の向こうから、まだおぼろげな人影。
 コツ、コツ、コツ――靴音が近づいてくる。段々と女性らしくまとまっていく形は、こちらに向けて右手を伸ばしていた。
 そして、重なった刹那、光の粒が弾ける。質量と可愛らしさを伴った少女が、ここに生まれたのである。


「………………」


 ――が、大きな瞳は微動だにせず、彼女は無言で佇むだけ。緊張感すら漂い、見守る二人も固唾を飲む。
 あ、あれ? おかしいな。いつもだったらこのタイミングで挨拶が始まるのに。
 もしかして引っ込み思案な子、とかか? なら、こっちから声をかけた方がいいんだろうか。
 だいたい統制人格のみんなから話しかけてくれたし、ちょっと慣れないけど、黙ってたってしょうがないな。うん。


「あぁっと……。君が、金剛だな。お初にお目にかかる。自分は――」

「……Unbelievable、デース」

「――は?」


 そう思って話しかけた途端、心地よく耳がくすぐられた。
 パッと手を離す彼女は、触れ合っていた手を見つめ、両手で握り込むように自身の胸へ。
 次いで、後ずさりながらクルクル回り、ミュージカルがごとく高らかに歌い上げる。


「ワタシは今、Destinyというものをヒシヒシと実感していマス!
 この出会いは運命。ならば、My Heartが感じる想いもまた必然。
 もう誰にも止められまセン。Life短しLoveせよ乙女! というわけで……」


 ぴたり。言葉と一緒に動きも区切られた。
 向けられていた背が振り返ると、あったのは満面の笑み。ブーツに包まれた脚へ、力が込められていく。
 あ。これ来るな。


「I Won't You My Darlingデース!!」

「ほっと」

「あれ? ――Ouch!」


 がばっ。ひらり。ずべしゃあ。
 あえて擬音で表現するならば、まさしくそんな感じの出来事が起きていた。
 腕を広げ、いきなり飛びかかってきた少女を、自分はサイドステップで華麗に回避。彼女は地面の上を滑っていく。
 二~三メートル進んで止まると、L字に上げられていた足がパタリ。つかの間、沈黙が広がった。破るのはもちろん、涙目で上体を起こす彼女である。


「ひ、ヒドい……。なんでDodgeするデスかぁ!? 生まれたてのLittle Emotionはコンクリに削られて傷だらけデース! 賠償としてHugを要求しマース!!」

「ゴメン、なんか反射的に。でも、初対面の女の子と抱き合うのは……。挨拶だってまだ済んでないし」

「oops,それは確かに。自己紹介を忘れるとはなんたるMiss Take」


 謝りながら助け起こすと、少女は服についたホコリをパタパタはたき、「改めましテ!」と胸を張った。


「ワタシの名前は金剛。英国で生まれた、帰国子女の高速戦艦、その現し身デース。
 持ち前の高速力を活かして、DarlingのためにBattle fieldを駆け巡りマース! 期待してネ?」


 指で銃を作り、少女が――金剛がウィンクで引き金を弾く。
 また妙にキャラの濃い子がきたなぁ。喋らなければ大和撫子なのに、口を開くと残念トークとか……あれ? 知り合いにそういう人がいたような……。
 ん~、まぁ今はいいか。それよりも聞きたいことがある。
 なんとなく射線上から身をそらしつつ、自分は思考を中断。彼女へ問いかける。


「ああ、期待してる。……んだけど、ダーリンって? ちょっといきなり過ぎないか?」

「そんなこと言われても、目と目が合ったその瞬間、LoveのFlowerが満開になることだってありますヨ? DarlingもそんなExperienceありませんカ?」

「ないとは言わないけどさ……」


 自分の初恋だってそうだった。うちへ遊びに来た姉の友人に一目惚れしちゃって、当時小学生だった自分は、気を引こうと色んなことをしたし。
 速攻で姉たちに勘付かれ、告白しなければならない状況へ追い込まれ、「ゴメンね、弟と同い年はちょっと」と袈裟斬りにされた、良い(?)思い出である。
 しかし、縁は異なもの。それがきっかけで家族ぐるみの付き合いが始まり、今でも交流があったりする。結婚式にも呼ばれ、美しい晴れ姿には涙したものだ。
 年を経るごとに太ましーくなるのには、別の意味で涙したが。小生意気な息子さん(11)に「デブ専なの?」とからかわれて言い訳するのがメンドイのなんの。
 ……いかん。また思考が横道にそれてるな。


「とにかく、その呼び方はやめてくれ。何も知らない人に聞かれたら誤解されるから」

「んー? “Darling”は気に入らないデスか? 仕方ないデスねー。なら、ちょっとだけplease Waiting。パパッとワタシたちに相応しいのを考えマース」


 気を取り直し、過程をすっ飛ばした呼び名を改めるよう要求するが、なんだかうまく伝わっていない気がした。
 未だに様子を伺っている二人は、「想像していたのとだいぶ違う……」とか「なーんか覚えがあるんですよねー。どこかで会ったことあるよーな」なんて顔をつっつき合わせている。
 奇遇ですね主任さん。やっぱし誰かに似てる気がするんだよなぁ。この会話のすれ違い感とか特に。ものすごく身近にいたような、でも面倒臭さもついてくるような……?
 と、頭を悩ませている間に代案を思いついたのか、金剛は人差し指をピンッと立てた。


「じゃあ、Honeyはどうでショー?」

「大して変わってない。却下」

「ムムム。だったら……Sweet Honey?」

「なお悪いわ。次!」

「Darlingはワガママデース……。ふーむ、むーん……。はっ。閃きました! 旦那様! 『ワタシの旦那様』で行きまショー! これでバッチリですよネ?」

「真面目に考える気ないだろ……。もういい、普通に提督とか司令官って呼んでくれ」

「エー。そんなのつまんないデース。ワタシからの愛情と将来設計を端的に表現できる、いい呼び方じゃないデスか。どこが不満なの? 何故にWhy?」

「いいから変えてくれっ。さもないと、今後どれだけ仲良くなっても、君だけは『おい』とか『そこの』としか呼ばないようにするぞ」

「Nooooo!? ちゃ、ちゃんとテートクって呼ぶから、だからそんな寂しいこと言わないでくだサイ!?
 テートクに嫌われたら生きていけまセン! 紅茶とスコーンしか喉を通らなくなって餓死してしまいマース!!
 あ、だけどワタシだけEspecialというのには惹かれてしまうカモ。あぁん悩ましいデス。テートクは罪な男デース……」

「ちゃんと飲み食いできてるじゃないか。というか君らは食べなくても死なない……はあぁぁ……」


 ムンクの叫びみたいな顔芸をする彼女は、ついさっき主任さんがそうしたように縋りついてくる。額をグリグリ押しつけられ、匂い付けでもされている気分だ。
 自分は深いため息をつきながら、今も感じる既視感の原因を探り当てつつあった。
 幾度となくあしらった覚えのある過剰な好意。無駄に触ろうとしてくる逆セクハラ。豊かすぎる表情の変化。
 間違いない。彼女は間違いなく、“あの人”に似ているのだ。


「分かった、分かりましたっ。兵藤さん! 兵藤さんに似てるんですよっ。ほら、下ネタ言わない代わりにラブ度がアップした感じで!」

「兵藤って……確か、提督の先輩、だよね。え? 下ネタ? 会ったことあるみんなが口を濁してたのは、それが理由だったんだ……」


 同じ結論に至ったのだろう。沈黙を保っていた主任さんが、頭上に電球でも浮かべたい顔付きで手を叩き、代弁してくれる。
 もはや知らぬ者はない、変人の代名詞。今朝方、気が早すぎるハロウィーンと称し、「トリック・オア・トリック!」と書かれた美魔女(笑)コス写真を送ってきた先輩の言動に、金剛のそれはとてもよく似ていた。
 放っておくと夢の中でも襲われそうだったので、段ボール一杯の賞味期限切れ寸前なお菓子詰め合わせを送り返すつもりだ。きっと涙を流して喜んでくれるはず。ニキビでも作るがいい。
 なんて心の中で悪態をつき、一人モソモソお菓子を頬張る先輩を想像していると、ようやく二人の存在に気づいた金剛。目をパチクリして彼女たちに向き直った。


「Oh,テートクに気を取られて気づきませんでしタ。そこにいる二人のGirlはどちら様デスか?」

「ん、僕? 僕は白露型駆逐艦、時雨。これからよろしくね、金剛」

「ほうほう、Youが。なんとなーく覚えてマス。また一緒に海を行く日が楽しみデース!」

「うん、今度は勝利をつかもう。一緒に。こちらは整備主任さん。君を建造してくれた人だよ」

「やー、ホントは手違ゲッホゴッホよろしくねー。改装や改修、なんでもしてあげるからね」

「ハイ! 今後ともよろしくデース! ワタシを作ってくれたということはMotherも同然っ。頼りにさせてもらいマ……はっ。
 となると、呼んでくれたテートクはFatherデスか? もしかしてワタシ、Daddyに恋するいけない娘なのデスかぁ!? それはちょっと困りマース!!」

「この年で父親扱いは勘弁してくれ……。まだ二十代前半だよ自分……」

「アタシも未成年でお母さんはちょっと……。あ、提督さんが嫌ってわけじゃないんですけど、ほら、電ちゃん的に考えて」

「イナヅマ? ……ピンと来ましタ。早速Rival出現の予感デース。詳しいことを教えてくだサイ」

「えっ。それは、えっと、なんて説明すれば……。後でじゃダメ?」

「今さっきなんでもしてくれるって言ったじゃないですカ! さぁキリキリ吐くデース!」


 やたらとハイテンションな帰国子女は、恐ろしい勘を働かせて主任さんへと詰め寄る。
 冷や汗の伝うその顔に、「助けてもらえません?」と書いてあった。が、自分はあえて無視。
 こうなったのは彼女のせいでもあるのだ。ここで罰を受けといてもらおう。


「なんだか、一段と賑やかになりそうだね」

「……だな。迷惑をかけるけど、金剛のこと頼むよ。自分、御しきれる自信がまだない……」

「きっと大丈夫さ。正面から向き合うことをやめなければ、練度もすぐに上がって、心から信頼できるようになるよ。僕がついてるから、頑張ろう? 提督」


 いつの間にか隣に立っていた時雨が、肩を叩いて励ましてくれた。しかしやはり、不安は拭えない。
 目の前で、主任さんを逃がさぬよう「HeyHeyHey!」と高速反復横跳びする姿を見せつけられたら、誰だってそう思うだろう。
 スゲェよ。残像が見えるよ。時雨も思わず「大丈夫、だと、いいな……」って苦笑いだよ。
 あぁ、どうしよう。先輩が増えちゃった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「やっぱあの写真が原因……なわけないよなぁ」

「……? 司令官さん、どうかしました?」

「いや、なんでもない。こっちの話」


 記憶の海から戻った自分は、甘いコーヒーを口にしながら、左隣で首を傾げる電へ答える。
 場所も移り――といっても数メートルだが、執務室の片隅に作られたくつろぎスペースで、ソファーに身体を預けていた。高級感ただよう白いクロスが敷かれたテーブルと並ぶ、緑色の三人掛けである。両サイドにも椅子が一脚ずつあり、その左手に赤城が腰掛けている。
 実はこれ、買った物ではない。今も宿舎の食堂で現役を勤めているちゃぶ台と同じく、前任者が残していったものだった。たぶん、金剛が倉庫から引っ張り出したんだろうけど、昨日の今日で凄い行動力だ。


「じいぃぃぃぃぃ……。まーだデースかー? もうポットもカップも温めちゃってますヨー?」

「分かってるから、せめてキチンと味わわせてくれ」


 そして、当の本人はテーブルの向こう側。陶器製らしい白のケトルから、丸みを帯びたポットと三客のカップへお湯を注いでいる。詳しい淹れ方なんて知らないが、さっき言っていた通り、温度が重要なようだ。
 彼女がこんな、はっちゃけた人格を持った原因は……まだ誰にも解明できないだろう。
 通常、統制人格が感情を得た際の性格傾向、戦術的なロジックなどは、それまで能力者と重ねた経験によるとされて来た。
 例えば、砲撃よりも雷撃を得意とする能力者の使役艦なら、雷撃による敵撃破を狙う傾向にある。自分の船を除くと百例ほどの感情持ちだが、概ねこんな感じだったらしい。

 だからこそ、電を始めとした“この子たち”は異常なのだ。真っ白なコピー用紙を使い、じっくり論文を下書きするつもりが、偉人の名画を数秒で模写してしまったようなものである。
 金剛に限って言えば、先輩の印象が強くなったのが原因とも考えられる。しかしそうなると、赤城の言動だって違っていたはず。
 正直、訳が分からない。自分は一体なんなのかと、不安にも思う。定期健診以外にも、一度くらい精密検査を受けたのが良いんだろうか……。


「……ふぅ。美味しかったよ、電。ご馳走様」

「お粗末様、なのです。お砂糖の量、大丈夫でしたか?」

「ああ。多過ぎず少な過ぎず、丁度良かった。長い付き合いだけはあるな」

「えへへ。司令官さんの好みはきちんと把握してますからっ。顔を見なくても、今日はどのくらいが良いのか、すぐに分かっちゃうのです」

「ふふ、凄いですね」


 どうだ、と言わんばかりに得意満面の電。
 こんな風に自慢するなんて珍しいなぁ。可愛いけど。赤城も微笑ましそうに笑っている。


「うぐぐ、なんだか悔しいデース……。でもでも、ここからはワタシのTurn! Gorlden Ruleに則った美味し~い紅茶をご馳走しマース!」


 そんな彼女へすら対抗心を燃やす金剛は、空のマグカップを確認して、意気揚々と蓋が付いた茶葉の容器を開けた。
 ポットに入っていたお湯をそれ用のピッチャーに捨て(後で洗い物にでも使いマス、との事)、茶葉を適量投入。沸かしたてのお湯を注ぐ。
 蓋をしたら、どこからか懐中時計を取り出し、「じっくり待つのが重要デース」とそのまま数分。
 頃合いを見計らってカップも空に。ベストと思われるタイミングで、香り立つ赤を使い、また満たす。


「あ……。すごくいい匂いなのです」

「はい。紅茶は初めてですし、楽しみです。というより、私も頂いていいのでしょうか?」

「もちろんデス。一人のTea Timeも優雅でGoodですけど、みんなで楽しむ方がワタシは好きネー。今回はおもてなしする側なので遠慮してますガ、次は一緒に楽しみまショー!」

「それがいい。しかし、こう飲み物が続くと、お茶請けみたいなのが欲しいな」

「あ、ごめんなさいです、気付かなくて。すぐに何か持ってきま――」

「Stop! 問題Nothingデスよ電。きっとこうなると思って、スコーンを準備してきましタ。そろそろあの子たちが持って来てくれるはずデース」

「あの子たち……ってまさか来るのかっ?」

「なに慌ててるんデスか? 大丈夫デース。オーブンに入れるまで、ちゃんとワタシがCoachingしましたから、味は保証しマース! さぁ、紅茶が入りましター!」


 最後の一滴までを注ぎ終えた金剛は、小さなミルクポットと砂糖が入った小瓶を添え、それぞれの前にカップを置く。


「皆サン、どうぞ召し上がれ! できれば、最初の一口はStraightの香りを楽しんで、それからMilkやSugarで調節してくだサイ。スコーンがあることも忘れずにっ。というわけで、C'mon,My Sisters!」


 そして、ススス、と電の反対側に移動。ほとんど距離を開けずソファーへ腰を下ろし、高らかに指を鳴らす。
 途端、またもや扉の向こうに気配が生じた。間違えようがない。特徴的なこれは、彼女の妹たち。
 どうしよう、いやいやいや待ってくれ、まだ心の準備が――


「おん待たせ致しましたぁああっ! 天が呼ぶ、地が呼ぶ、お姉さまが呼ぶっ。金剛型戦艦二番艦・比叡、焼きたてのスコーンを腕に抱き、ただいま参上つかまつりましたぁああっ!」


 逃げ場を探し、つい腰を浮かせそうになる自分を無視して、先ほどの金剛よろしく、扉が開かれた。
 小さなバスケットを抱える彼女――比叡は、姉と揃いの衣装を纏いながら、スカートは緑のチェック柄。髪型も外向きに跳ねたショートであり、見た目での判別が容易だった。
 何より強い印象を残すのが、第一声からも分かる通り、お姉さま大好きっ子であること。
 その入れ込み様は、励起後の自己紹介の最中、金剛の姿を見つけた彼女に――


『巡洋艦の運動性能と、戦艦の砲撃能力を兼ね備えた巡洋戦艦、比叡の現し身ですっ!
 経験を積んで、姉である金剛お姉さまに少しでも近づきたいですってもうそこに居るじゃないですかぁ! 姉さまぁああっ!!』

『ぬぉわぁああっ!?』

『おおっと、提督さん吹っ飛ばされたー!』

『なんで実況風なんだい主任……』


 ――と、押し退けられたくらいだ。
 なんでこう、千代田といい山城といい筑摩といい、自分が呼ぶ統制人格には、結構な確率で姉好きが混じるんだろう。実は姉好きなんだろうか。認め難い……。
 ちなみにその直後、金剛・比叡間で「がばっ。ひらり。ずべしゃあ」が発生した。違う点は、助け起こされるのが自分で、比叡はしばらく放置プレイだったこと。自業自得である。


「私もお手伝いしましたよ。計量はmg単位で、焼き時間も秒単位でキッチリ計測しました。完璧です」


 比叡へと続く少女が、自信ありげにメガネを光らせる。
 濃紺のスカート。分け目までしっかり揃えられた短めの黒髪は、几帳面さを伺わせた。
 霧島。
 金剛型の末っ子。そして、桐生提督が旗艦として重用した艦の同型だ。
 予想はしていたが、あの病室で見た彼の霧島と、ここにいる彼女とは、見事にかけ離れた存在となった。見た目的に。
 色々な感情を呼び起こされてしまうけれど、しかし、心を乱されるのはそのせいではない。


「プレーンスコーンですので、ジャムや蜂蜜、生クリームもご用意しました。よろしければ、使ってくださいね」


 ジャムなどの詰められた瓶や食器をトレイに乗せ、霧島と並び入室する、三番艦・榛名。
 彼女こそが、不整脈を引き起こす元凶だった。
 全く癖のない、滑らかな指通りを想像させる濡れ鴉の髪。真っ赤なスカートから覗く白い脚。微笑みと共に向けられる、凛々しさと儚さを同居させた瞳。
 それら全てが、霧島とは別の意味で胸をざわつかせるのだ。締め付けられる、と言ってもいい。
 こんな情動を表に出すわけにもいかず、自分は意識的に視線をそらす。タイミング良く、比叡が小走りで駆け寄り、テーブル中央にバスケットを置いてくれた。


「さぁ司令、金剛姉妹合作のスコーンです。ありがた~く召し上がってくださいね?
 まぁわたしは後ろで三人を応援してただけなんですけど。あ、沢山ありますんで、赤城さんや電ちゃんも食べてください」

「おい。なぜ威張れるんだそれで。食べるけどもさ」

「ありがとうございます。洋風の焼き菓子ですか、これも初めてですね」

「なのです。すっごく美味しそうですっ」


 香ばしいバターの匂いに、赤城と電も顔を輝かせる。
 ついさっき団子を食べたばかりだが、それでも思わずつまんでしまいたくなる、そんな匂いだった。
 ……うん。これは卵を使ってるな。作り方さえ分かれば、自分でも作れそうだ。


「お勧めは、スコーン一つに対して蜂蜜小さじ一杯か、ジャムを十五g。生クリームはお好みで、でしょうか。
 司令、どのジャムがお好きですか? データとして記憶したいので、教えて頂けると助かります」

「んー、どれも好きだけど……リンゴがいいかな」

「リンゴジャムですね。生クリームはおかけしますか?」

「あ、あぁ。任せるよ」

「では少し。……はい。どうぞ、提督」

「ありがとう。……榛名」

「FrankなTea Partyですカラ、作法なんて気にせず、そのまま手づかみで食べちゃってくだサイ。気になるならフォークを使ってもイイですし、お気に召すまま、デース」


 味を指定すると、榛名はすかさず小皿に取り分け、スコーンをジャムでデコレーション。最後に生クリームを一さじ乗せ、うやうやしく供してくれた。
 赤城たちにはトング片手の霧島がそうしてくれて、比叡は金剛の側で「わたしもお姉さまの隣に座りたいなぁ~」と指をくわえている。
 悪いな比叡。このソファー三人掛けなんだ。猫型ロボットも生まれそうにないし、我慢してくれ。


「さて。それじゃあ、頂きます」

『頂きます』


 自分と赤城、電。三人分が揃うのを待って、ようやく紅茶に手をつける。
 金剛が言った通り、まずはそのまま一口。鼻に抜ける香りと苦さを確かめてから、砂糖を小さじ一杯とミルクを追加。
 ティースプーンで攪拌され、混ざっていく紅と白を眺めつつ、スコーンも。サクッと小気味良い音を立てるそれを頬張ると、期待通りの食感が楽しませてくれた。
 そして、甘さを堪能した後の口には、丸みを帯びたミルクティーの苦味がとてもよく合う。


「どう? どうですかテートク?」

「ほぉ……。これ、結構いいかも。淹れたての紅茶なんて滅多に飲まなかったけど、こんなに美味しかったんだな」

「気に入ってもらえましたカ!? Yes,やりましタ!!」

「良かったですね、お姉さまっ。ちょっと司令が妬ましいけど、笑顔が眩しくて、比叡も嬉しいです!」


 素直な感想をつぶやくと、金剛は小さくガッツポーズし、正直すぎる比叡とハイタッチ。
 ここまで喜ぶなんて、一体どれだけ張り切ってたのか。こっちまで嬉しくなるくらいだ。
 視線を移すと、赤城、電もティータイムを楽しんでいるもよう。フォークがせわしなく動いている。


「日本茶とはまた違って、美味しいですね。ちょっと贅沢な気分です。それに、このお菓子がなんとも言えず……」

「はい、サクサクなのです。あの、金剛さん。後で作り方とか教えてもらえませんか?」

「構いませんヨ~? その代わり、テートクのFavorite情報を教えて欲しいデース。英国式の料理なら自信ありマスけど、テートクが好きなものなら、なんでも作れるようになりたいデスからネ!」

「司令官さんの好み、ですか……。わ、分かりました。取引成立、なのです。金剛さんが“知らない”司令官さんのこと、教えてあげます」


 うふふーあははー、とでも聞こえてきそうな様子の少女たち。
 勝手に個人情報をやり取りしないで欲しいなぁ、とは思いつつ、美味しいものを食べる機会が増えるのは嬉しいかもしれない。
 けどね二人とも。笑顔でジワジワ距離を詰めるのやめてくれません? そろそろ尻が動かせなくなりそうなんですよ。
 よくマンガとかでこういうシチュエーション見かけたけど、実際やられると本当に居心地が悪いっつーか、いたたまれないっつーか。
 胃がシクシクするのはカフェインの取りすぎが原因ですよね……?


「いや~、まるで科学の実験してるみたいにしか見えなかったですけど、最高ですね~。さっすが姉さまですよ~。わたしには真似できそうもないです。あむ」

「何を言ってるんです、比叡姉さま。お菓子作りとは、すなわち化学変化の応用。計量さえ正確なら誰でも作れる。これ以上簡単ことなんて無いじゃありませんか」

「う~ん、そうかな~? でもほら、料理は愛と目分量っていうし、独自のアレンジで自分らしさを出した方が?」

「どうしてでしょう。榛名、比叡姉さまにお料理をさせてはいけないような、そんな気がしてきました」

「同感デース。比叡には、Recipeの重要性を改めて認識させないといけないようデース」

「そんなっ、榛名だけじゃなくお姉さままでっ!? ですが、姉さまのお料理教室であれば、むしろ望むところっ。気合い! 入れて! 教わります!!」


 サンドイッチ状態に悩む自分を置いて、金剛姉妹は和気あいあいと茶会を楽しんでいた。
 こうしてみると、一人一人が個性的でありながら、確かに姉妹なのがよく分かる。
 金剛型戦艦。
 旧日本海軍が英国に発注した、日本初の超弩級戦艦である。
 元々は一等巡洋艦として計画されていた(戦艦の名は本来、旧国名を由来とする)が、当時の最新鋭戦艦・ドレッドノートや、同等の戦闘力を有する巡洋戦艦・インヴィンシブルを開発した英国の技術を導入すべく、同国ヴィッカース社に発注された。
 以前、扶桑たちを「初の日本独自設計による超弩級戦艦」と表現したけれど、金剛は文字通り、日本が初めて手にした“それ”なのだ。加えて、今も横須賀鎮守府に一部が眠る伝説的戦艦・三笠みかさを作ったのも、このヴィッカース社だ。


「司令官さん、ブルーベリージャムも美味しいですよ。少しどうぞ、なのです」

「お、いいのか? ありがとう。……うん、こっちも美味い」

「そうデショーそうデショー。これからも美味しい英国料理をご馳走しますカラ、楽しみにしててネ?」

 
 超弩級という謳い文句。これはドレッドノートの主砲 十二inchを越える大きさの砲を備えた戦艦に用いられるものであり、金剛も十四inch――扶桑たちと同じ、三十五・六cm連装砲を装備している。
 しかし、彼女たちの真価はそこにない。
 最も特筆すべき特徴は、金剛も自己紹介の時に言った高速力。第二次改装後を再現され、排水量は三万を越えるにも関わらず、最高速度は三十ノットを記録するのだ。
 大戦へ参加した艦艇の中では最も古い船でもあったのだが、それを押しての活躍ぶりは、戦史に華々しく刻まれていた。桐生提督は彼女たちにさらなる改装を加えており、両舷に強度を増した錨を複数特設。戦艦でもドリフトをやってのけた実績がある。
 自分にそれができるとは思わないが……。なんとか吸収できる部分を見つけて、自分だけの戦い方を見出さないと。


「そうだ。みんな揃ってるし、ちょうどいいから今後の予定を話しておこう。赤城」

「んっむ!? ――っ、し、失礼しました。えっと、えっと……。おほん」


 ふと思い立ち、秘書官である赤城へ話を振ると、彼女は大きなスコーンを口へ運んだ直後だった。
 焦らせてしまったか、一息にそれを飲み込み、書類を確かめる表情は、「もっと味わいたかったのに……」という本音がありありと。……なんかゴメン。
 しかし、赤城もけっこう可愛いところがあるな。甘いものを食べてる時とか幸せそうだし。口元にイチゴジャムついてるよー。


「金剛型の皆さんには、明後日、艦隊内演習へ出ていただく予定になっています。その頃には調整も終わっているはずですから、万全の状態で臨めるよう、ご自身の状態を把握なさっておいてください」

「ほうほう、さっそく実力を見せつけられるというわけデスか。腕が鳴りマース!」

「今回の仮想敵は扶桑たちに勤めてもらう。脇を固めるのも先任の重巡と駆逐艦。言うなれば、主力打撃部隊だ。油断すると痛い目を見るぞ?」

「扶桑型姉妹ですか。私たちの次級であり、情報によれば航空戦艦としての実力もかなりのものらしいですね。相手にとって不足無し、ですっ。
 最近では山城さん、『改造してもやっぱりドックに居ることになるんですね……』と、ボヤいているそうですが」

「来て間もないのに、よく知ってるな霧島。というか、後半の情報本当なの?」

「私、艦隊の頭脳と言われるのを目指して、情報収集は欠かさないつもりです。『空はあんなに青いのに……』って言いつつ梅昆布茶を飲んでる扶桑さんに聞きましたので、間違いありませんよ」

「あー、そうなんだ……」


 隣を見れば、「本当なのです」という顔つきで、言葉に出さないまま頷く電。
 そう言われると、あの特務以来、扶桑も山城も目立った作戦へ参加してないような。
 でも、速力の問題で今回は出番をあげられない。無尽蔵とも思える敵領海を進む時間は、短ければ短いほど良いからだ。
 だからといって、二人ほどの戦艦を無駄にしておくのも勿体無い。どうにかして、航空戦艦が活躍できる場を作ってあげなきゃ……。


「まぁ、アレだ。扶桑たちには演習で我慢してもらうとして。君たちの練度を確かめたら、すぐにでも特務へ赴く。
 初の実戦で、厳しい戦いを強いることになるが、扶桑、山城もそれを乗り越えた。足りない部分は自分が補う。一緒に戦ってくれるか」


 気を取り直して、自分は金剛たちの顔を見回す。
 なんの因果か、うちへ来る戦艦には、即戦力としての役割を期待せざるを得ない。
 もし立場が逆だったなら、プレッシャーに負けて押しつぶされてしまうことだろう。
 けれど――


「当ったり前ネー! ワタシの魂は、常にテートクと共にありマス。
 どんな相手だろうと、My Burning Loveで燃やし尽くしてあげるデース!」

「そしてお姉さまの行くところ、常にこの比叡もお供いたしますっ。お姉さまの邪魔をするひとは、許しません!
 ……あ、司令もお守りしますから、安心してください。忘れてません、忘れてませんよ~」


 わざわざ立ち上がり、まだ見ぬ敵に向けて手を振りかざす金剛。
 腕まくりして見せるが、言わなくていいことも口にしてしまう比叡。


「榛名も、お姉さま方に遅れはとりません。提督のお役に立てると証明するため、全力で参ります!」

「もちろん私だって。この霧島の情報分析力にかかれば、航路開拓くらいわけありませんよ」

「……そうか。よろしく頼むぞ」


 胸元で拳を握り、まっすぐにこちらを見つめる榛名。
 さも当然とメガネを光らせ、不敵に微笑む霧島。
 四人の顔には、曇りなど一点もなかった。
 信じてくれている……のとは、少し違うだろう。まだそこまでの積み重ねはない。
 だが、生まれた意味を、生み出された意義を、彼女たちは自覚できる。この点において、意思を持つ統制人格は揺るぎがない。
 だから自分自身を信じられる。存在理由レゾンデートルを証明するため、寄せられた期待に応えようとする。活かせるかどうかは、采配次第だ。


(やるべきことは変わらない。自分らしく、波に流されないように)


 途中撤退を繰り返したせいで、なんやかやと言われることもあるが、所詮は外野が好き勝手言っているだけ。
 自分には、自分なりの譲れない部分がある。それを守り、確実に行こう。みんなの顔を確かめれば、きっと間違っていないのだと信じられるから。
 ……やはり、榛名だけは直視できなくて、目を泳がせてしまうのだが。


「……あの、提督。私は、提督のお気に障ることを、してしまったんでしょうか」

「えっ? そ、そんな訳ないじゃないか。こうして取り分けてくれたり、助かってるよ。どうしたんだ、急に」


 あまりに露骨すぎたのだろう。榛名が肩を落とし、声を沈ませる。
 言い繕うも効果は薄く、悲しげにまぶたまで伏せられた。


「気にしすぎ、なのかもしれませんけれど。初めてお会いしたとき以外、私を見てお話ししては、下さらないような……」

「あ~。わたしも気になってたんですよね~。司令、お姉さまやわたしたちにはけっこう遠慮しないのに、榛名に対しては妙に緊張してるような感じで」

「そう言えば、榛名を呼んだ時もReactionがおかしかった気がしマス。じぃーっと顔を見つめたまま、しばらく固まってましタ。今度はテートクがFall in Loveしてしまったのかと思ったくらいデース」

「ッ、あ、れは……だな……」

「……司令官さん?」


 バク、と心臓が暴れる。
 うまく言い逃れなければならないのに、舌は回ってくれない。紅茶の味も分らなくなってしまった。
 左の太ももへ、そっと小さな手。不安の込められた上目遣いに、いっそう喉は固まっり……。
 そんな空気を読み取ってくれたのか、メガネの位置をただし、霧島が助け舟を出してくれようとしてくれる。


「あながち間違ってもいないと思いますよ、金剛姉さま。何せ、榛名は司令の初恋の女性にそっくりですから」

「ぐふぉ!? ま、待て、こふっ、待て霧島、なんで君がそれを……!?」

「Ah,惜しかったデース。正解したら、テートクとの一日デート権を要求するつもりだったのに――ってどういうことデスかぁああっ!? み、身内にもRivalがいるなんて寝耳にNiagaraの滝ってLevelじゃないデース!?」

「ぉぐ、ちょ、金剛、やめ、胃が、ひっくり返る、うっぷ」

「こ、金剛さん、揺さぶっちゃダメですっ。司令官さんも、大丈夫ですか? 落ち着いて、ゆっくり説明して欲しいのです」

「ぇふっ……。この場で説明させられるの確定ですか……」


 違った。トドメを刺された。
 唐突な爆弾発言で自分はむせ返り、金剛に腕を取られ、電の手が背中をさすってくれる。
 でも怖い。優しい笑顔がめっちゃ怖い。


「お、驚きましたね。まさか、榛名さんが提督の……。そんなに似ているのですか、霧島さん」

「ええ。利根さんから頂いた司令の情報を元に推測し、ちょっと調べました。なぜか情報部に写真があったので拝借して来たんですが、ご覧になります?」

「こらぁああっ!? なに人のプライバシーを侵害して――あっ、待て比叡!」

「ひぇ~、ほんとに似てる。っていうか、榛名そのもの……」

「……私が、写っていますね……」

「Wow……。くりそつデース……」

「綺麗な人、なのです……」


 写真を奪おうとするが、伸ばした手は空を掴み、全員に回ってしまった。
 最終的に電の手へと収まったそこに写っているのは、どこぞの学生服を着て、これまたどこぞの校門前に立つ、榛名と瓜二つな少女。おそらく、能力が芽生えた際に行われた身辺調査の副産物だろう。
 こんな写真まで保存されているとは思わなかったが……まさか、自分の送ったラブレターとかまで保存されてないだろうな……?
 とりあえず、覚えてろよ利根。あんだけ口酸っぱく「誰にも言わないでくれ」って頼んだのに言いふらしやがって。カニカマにワサビとカラシを練りこんでやる。


「まぁ、かいつまんで話すとだ。自分は小学生の頃、高校生だったその人――裕子お姉ちゃんに振られてな。榛名がちょうど同じ年恰好なもんだから、古傷が痛んでさ」

「そういうことでしたか……。ですが、そこまで神経質にならなくてもよいのでは? 提督の年齢でしたら、恋の一つや二つ、経験なさっていて当然ですし……」

「赤城。告白した翌日の登校中、八百屋のおっちゃんとか肉屋のおばちゃんに、『頑張ったな』とか『勇気あるわねぇ』とか励まされてごらん。死にたくなるから。
 自分はあの日、初めて学校サボって隣町へEscapeしたよ。速攻で補導されたけど。お巡りさんに塩キャラメルもらったっけなぁ……。あれ、普通のキャラメルだったっけ……?」

「……あの、ごめんなさい……。本当にごめんなさい……」

「おそらく、スピーカーおばさんの類いに知られてしまったんでしょうね。ご近所ネットワークは侮れません」

「善意の地獄だぁ。流石にこれは、わたしも同情しちゃうかも」

「同情するより放っといて欲しかったよ。はあぁぁ……」


 申し訳なさそうに顔を背ける赤城と、神妙に腕を組む霧島、比叡を見て、思わずため息が出た。
 そう、心を乱されるのも、胸を締め付けられるのだって、思い出したくない黒歴史を刺激されるからなのだ。
 感情持ちの人格と違い、彼女たちの外見には、能力者の願望が強い影響をもたらすと統計から判明している。それは服装から始まり、声や顔立ちにまで及ぶ。
 初恋の人、死んだ母親、姉や妹。様々な人物が再現され、果てはアニメのキャラと似た統制人格を呼んだ能力者もいる。ぶっちゃけ先輩のことだが。


「もちろん、君が別人なのは理解してる。ただ、自分の中で驚きを消化し切れてなかったんだ。
 出会ったばかりでこんなこと言われても困るだろうから、秘密にしときたかったんだけど……。かえって嫌な思いをさせてたな。すまなかった」

「あ、そ、そんな、頭を上げてください。榛名は大丈夫です。むしろ、光栄に思います。
 この姿は、提督にとってお見苦しいものではないと分かりましたから。そう思って、いいんですよね?」


 無言で頷くと、心から安心したように目を細める榛名。それにすら昔の記憶がダブり、内心で苦笑する。
 違うと分かっていても、無意識に重ねてしまう。桐竹氏も、この名状しがたい気分を味わっていたのだろう。難儀なものだ、人の心とは。
 本人からしてみれば気持ち悪いだけだろうし、何より失礼にあたる。適切な距離を保って接しないと。あぁ、ままならない。


「つまりテートクは、榛名が昔の知り合いにくりそつだったからShockを受けていただけで、別に浮気しようとしてたわけじゃないと?
 なら一安心デース。ただでさえ初めての励起艦というAdvantageを奪われてるのに、妹にまで参戦されたら大変でしタ」

「誰がするか。そもそも自分と金剛はそういう関係じゃないだろう。榛名にだって選ぶ権利はあるんだし、なぁ?」

「え。あ……私は……その。……提督がお望みでしたら、お姉ちゃんにでもなってみせますっ。榛名、頑張りますっ! さぁ、どうぞっ。お姉ちゃんって呼んでみて下さい!」

「いや何の話!? どう見たって君のが年下だよ!? 呼ばないからっ」


 金剛型姉妹に唯一残された良心かと思いきや、彼女は彼女で暴走気味だ。
 どこをどう聞き間違えれば、姉成分を求めてるって結論になるのさ。ついでになんで落ち込んでるの? 「残念です……」じゃないよ全く。
 あれか。霧島とは双子みたいなもの(竣工日が同じ)だから、お姉ちゃんって呼んで欲しいとか? それにしても無理やり感が――って痛、痛いっ!?


「ちょ、電、いっ、二の腕つねるのやめて、地味に痛いからっ」

「司令官さん、モテモテなのです。良かったですね?」


 良かないよ!? なんで自分がつねられなきゃいけないのさ!
 くそぅ、拗ねて怒りながらも、それをごまかすために浮かべるぎこちない微笑み。なんだかんだで可愛いですねっ!(脳内ごますり)


「あ、あのな? 自分がモテるとかあり得ないから。仲良くしてもらえるのは能力者だからって分かってるし、金剛も、先輩と同じ様なノリと勢いで好きとか……」

「ムッ。Hey,テートクぅ、それは聞き捨てならないネー」


 電に向けた言い訳は、反対方向からの不機嫌な声で遮られる。
 口をへの字に、眉毛を十時十分の角度にした金剛が、手を腰だめにこちらを覗き込んでいた。


「その先輩という人がどういう方なのかは知りまセンが、ワタシの気持ちに嘘偽りなんて一micronもないデス。こんなに正直なPassionを疑うだなんて、テートクEyeは節穴同然デース!!」

「ふ、節穴? いきなり何をっ」

「イイエッ、この際だからハッキリ宣言させてもらいマース!」


 ズバァン! なんて擬音が聞こえてきそうなポーズで、指を突きつけ立ち上がる彼女。身振り手振りを交え、演説は加速していく。


「愛のEndに理由はあれど、恋のStartには必要ないデース! ワタシは戦艦。戦うために生まれましタけど、そのためだけに生まれたのなら、この意思に意味はありませんカ?
 それこそあり得まセン! “金剛”という存在の意味は、必ずどこかにあるハズ。だったらワタシは、誰かを……アナタを愛するために生まれたんだって、信じたいデス。
 手が触れた瞬間。目が合った瞬間。声をかけられた瞬間に、そうだと確信しましタ。何より今のワタシ自身が、そうしたいと思えマス。だから……」


 砲弾のごとき速度は、しかし、やがて祈りの言葉に。
 弾ける笑顔も、慎ましやかな乙女のそれへと。
 胸元で畳まれていた指が開かれる。
 細い人差し指が、花びらのような唇に当てがわれ――


「この想いは、世界中の誰にも否定させないワ。もちろんテートクにも、ネ?」


 ――大胆不敵なウィンクを乗せて、呆ける唇へ押し当てられた。
 カァァ、と、体温が上昇していく。
 耳まで真っ赤になっているのを自覚する。
 告白された。真っ正面から、誤解のしようもない言葉で。
 人生初の経験に。そして、離れる指先の名残惜しさに、たじろぐことすらできない。
 心臓が破裂しそうだった。


「まぁ、他にもLoveい気持ちを隠してる子は居そうデスが、最終的にテートクのHeartをつかむのは、ワタシデース! ……ちゃーんと意思表示しないと、勝負にすらなりませんヨ?」

「っ! い、電、は……っ。電だって……っ!!」


 隣へ戻り、ぎゅうう、と腕を抱え込む金剛。対して、言葉に詰まりながら、同じく左腕に抱きつく電。
 両サイドに別々の息遣いを感じつつ、脳が茹だりそうだった自分は、こんな事を思って現実逃避をしていた。

 あぁ。
 これがモテ期か、と。
 ………………胃が痛いです。





「むぐぐぐぐ……。お、お姉さまに愛を語られるとか、悔しい、妬ましい、羨ましいぃぃ! わ、わたしだって司令には負けないんだからぁ!」

「今の私では、無理なんですね……。でも、諦めませんっ。いつか提督に『お姉ちゃん』と呼んでいただけるよう、榛名は精進します!」

「比叡姉さま、榛名。意気込んでるところ申し訳ないんですけど、聞こえてないみたいですよ」

「……はぁ。紅茶が美味しい。今日も鎮守府は平和ですね……」










《こぼれ話 隔月刊・艦娘 特別コラム小冊子 われ、あおば!》





 ども~、恐縮です! このたび、特別コラムニストを拝命いたしました統制人格、青葉※1ですっ。
 今号から始まった、統制人格の視点で様々な事柄を語るこのコラム。
 驚いている方も多いと思いますので、まずは企画立案の経緯をご説明いたしましょうっ。
 ……と言っても、単に文字を書くの好きだったからなんですけどね? それが広報の方に伝わって、オファーを頂いたわけです。
 ご購入いただいた皆さまには、もう存じている方も多いと思われますが、私には従軍作家である海野十三うんの じゅうざさんが乗っていたことがあるんです。多分その影響なんじゃないかな~、とか考えていたり。
 まだまだつたない文章ではありますが、なんと初回から写真付き(もちろん自分で撮りましたっ)の小冊子という大盤振る舞い。
 精一杯頑張りますので、どうぞご声援、よろしくお願いしますっ。
 もしかしたらいるかも知れない艦娘初心者さんたちのために、一言解説&コメントも用意しましたので、どうぞお楽しみくださいませ!

 さてさて、挨拶はこのくらいにしまして。第一回目の内容はズバリ、「艦娘の一日」でございます。
 冊子の表紙に青葉――セーラー服着て敬礼してるポニテ娘が載っていると思われますが、こんなナリでも軍属の船。おまけに軍事機密満載な統制人格ですし、あまり馴染みはないことでしょう。
 そこで、励起艦がぜ~んぶ感情持ちというチート艦隊に属する私たちが、普段どのように生活しているか。どのように戦いへの鋭気を養っているのか。艦娘の視点を通じてお知りになってもらおうと考えたわけです。
 統制人格といえども乙女。男子禁制(最近まで司令官は一緒に住んでました)な女子宿舎の内情を、写真付きでのご紹介ですよ? チラリもありますですよ? 興味湧きました?
 では、さっそく参りましょうっ。

 ※1 青葉型重巡洋艦一番艦です。過去に三度の大破、二度の着底を経験してますが、完全な沈没には至ってません。ソロモンの狼、なんて通り名もあるんですよ。格好いいでしょ?





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 まずは朝。◯六◯◯、起床時間です。
 早い子は五時くらいに起きてますが、みんな大体この時間に起きてきますね。部屋は相部屋が基本で、姉妹艦たちがまとめられることが多いです。
 パジャマ姿の艦娘がゾロゾロ向かうのは、もちろん洗面所。顔を洗って、歯も磨きますよ~。
 あ。今、「なんか普通じゃね?」とか思いませんでした? でも、本当に普通なんですよ。こんな風に……。


《写真・一。少女が三人、寝ぼけた顔で歯を磨いている所を、斜め前からの一枚。
 右。ところどころ跳ねた長い黒髪を、ネジ頭を模ったヘアピンでとめる少女。青いパジャマが着崩れて、肩が出ている。
 中央。日本人形のように切り揃えられた、黒いセミロングの少女。インナーキャミソールとジャージの半ズボン姿。
 左。長めな茶髪に、赤いハーフリムの眼鏡をかけた少女。大きめのシャツ一枚。
 一様に覇気が感じられない》


 右から順に、重巡・加古※2ちゃん、駆逐艦・初雪※3ちゃんと望月※4ちゃん。艦隊のお寝坊三人衆です。
 ひどい顔してるでしょう? これ、艦娘なんでありますよ……?
 お仕事中はこんな感じではありませんけど、この三人は特に朝が苦手らしくて、ギリギリまで寝てることが多いです。この日は珍しく早起きさんでしたねー。
 実はもう一人、お寝坊さんというか、昼夜逆転型な子が居るのですが、その子についてはまた後ほど。

 サッパリしたら部屋に戻ってお着替え。パジャマを脱いで、気合い一発、デフォルト衣装の召喚です。
 読者の皆さんと違い、青葉たちは生まれた時から衣服をまとっております。集合的無意識の影響だとか、能力者の持つアニマの投影だとか、何やら難しい理屈があるようなのですが、そういうのは別の専門家にお任せするとして。
 多いとされているのはセーラー服ですね。船乗りや水兵を意味する言葉通り、青葉たちにはピッタリというわけです。
 まぁ、この艦隊には和装の艦娘も多いのですが。軍全体を通して見るとけっこう珍しいみたいです。
 ん? チラリはどうした? まだまだ、焦ってはいけませんよ。お楽しみはこれからです、ふっふっふ……。

 ※2 古鷹型重巡洋艦二番艦。第一次ソロモン海戦で大活躍! ……したんですけど、帰ってくる途中で残念なことに……。陸の上ならどこでも寝れるのが特技。
「行きはよいよい帰りは怖い、ってねぇ……。すこー」
 ※3 特型駆逐艦三番艦にして、吹雪型三番艦。かつては第十一駆逐隊に属し、はつゆき型護衛艦としてネームシップにもなりました。ちょっと引きこもり気味?
「……明日から、本気出す……」
 ※4 睦月型駆逐隊十一番艦。この子も護衛艦もちづきとして名前を受け継がれてますね~。なんだかんだでサボってるところは見たことないです。
「コメント? んぁ~……。ごめん、めんどいからパス」


 はい、では次。◯七◯◯、朝食の時間です。
 青葉たちが住んでいる宿舎には大きな食堂がありまして、朝はここに、遠征へと出ている子たち以外がみんな集まります。
 だいたい、艦隊の半数は常に輸送任務などへ就いているのですが、それでも二十人は居ます。大所帯ですね~。
 そして、空きっ腹を満足させてくれる、美味しいご飯を作ってくれるのが、軽空母・鳳翔※5さん&駆逐艦・雷※6ちゃん、電※7ちゃん姉妹!


《写真・二。厨房を覗きこむ一枚。
 左。割烹着を着るポニーテールの和装女性が、お椀とお玉を手に振り返っている。
 右奥。セーラー服の上に、「ちづかい」とカラフルに刺繍されたエプロンをつけた少女。持っているのはヘラとフライパン。
 右手前。上記と似た少女。刺繍は「まづない」で、ご飯をよそっている。
 よく見ると、端っこに白い軍服が見切れている》


 この日のメニューは和食ですね。本当に美味しいんですよ~? 鳳翔さんのお味噌汁。これぞ家庭の味っ、って感じです。ちなみに、電ちゃんはこの艦隊の最古参でもありますね。
 艦娘は、本当ならご飯を食べなくても生きていけます。船ですから、基本的に燃料さえ補給してもらえれば十分だったり。
 でもでも、感情持ちにとって侮れないのが精神的なコンディション。皆さんも美味しいご飯を食べた後はやる気が出ますよね? つまりはそういうことなんです。
 ご飯を食べさせるなんて無駄だ、とか言われることもありますが、そういう方は丸々一ヶ月ほど、カロリービスケットと水だけで過ごしてみるが良いです。食べ物の恨みは怖いですよ……?

 ※5 鳳翔型航空母艦一番艦。世界初の航空母艦。艦形が小さくて、局地用防空艦への改装案もありました。
「実戦での活躍は難しいですが、他のことでお手伝いさせていただきますね」
 ※6 特型駆逐艦二十三番艦にして、暁型三番艦。スラバヤ沖海戦での敵兵救助が有名ですね~。
「朝ご飯は一日の元気の源。みんなもしっかり食べなきゃダメよっ!」
 ※7 同二十四番艦にして四番艦。お姉ちゃんと同じく、スラバヤで敵兵を救助しました。でも、船同士のごっつんこには要注意、なのです!
「し、司令官さんに呼ばれてからは、衝突してないのです! ……船には、ですけど……」


 ご飯を食べ終え、◯八◯◯。朝礼の時間です。場所は変わらず食堂。
 本格的な始業は◯九◯◯ですけど、連絡事項やら何やらがありますので、この時間帯です。
 司令官の号令のもと、みんなが姿勢を正します。


《写真・三。三人のバストアップ。
 右。紫色の衣服を着る、短く切りそろえた黒髪の女性。眉毛が特徴的。
 左。眼鏡をかけた改造巫女服の少女。マイクを片手に、クリップで束ねられた紙面を読み上げている。
 中央に立っているのが提督らしいのだが、首から上は見切れている》


 本日の第一秘書官は重巡・妙高※8さん。第二秘書官は、最近艦隊へやって来た高速戦艦四姉妹の末っ子、霧島※9さんです。
 普通は専任の調整士さんとかが秘書を兼ねるらしいんですが、うちでは艦娘が持ち回りでやっております。中でも妙高さんは手際が良くて、筆頭秘書官って感じですね~。
 霧島さんは、言わずと知れた第三次ソロモン海戦・第一夜にて、米国戦艦サウスダコタ※10を相手に、三式弾※11で超至近距離の殴り合いをした方。
 そんな来歴とは違い、いつも冷静沈着をモットーにしているそうで。青葉と励起時期はほとんど変わりませんけど、頼りになりそうです。

 ※8 妙高型重巡洋艦一番艦。二十・三cm砲を十門も配置していて、これに驚いた英国の方々は「お前らなんか誤魔化してね?(意訳)」と吃驚したそうです。
「海に出ているよりも、書類を作成している時間の方が長い気がいたしますわ。どうしましょう」
 ※9 金剛型戦艦四番艦。上記の戦いでは飛行場を攻撃するために出撃したんですが、思わぬ会敵で、徹甲弾へ変更する間も惜しみ、砲撃を開始しました。
「私の戦果に関しては諸説あるようですが、今度は有無を言わさぬ結果を残してみせます」
 ※10 米海軍サウスダコタ級ネームシップ。十三の従軍星章を受けた艦で、アメリカには感情持ちになった傀儡艦もいるという噂です。あくまで噂ですけどね?
 ※11 対空砲弾の一種で、時限式の榴散弾。中には炎上を狙う焼夷弾子と破片効果を狙う非焼夷弾子が満載です。


 ちなみに、霧島さん方は建造された艦ですが、青葉は解放艦。
 司令官に拾われて来た艦なんですよ。初雪ちゃんと望月ちゃんもそうです。ここで改めてご説明をばっ。

 傀儡艦を増やす方法は二通り存在しまして、一つは建造。文字通り一から作り出す方法です。
 この際、統制人格を呼び起こせるのは、主に第二次大戦末期までの技術で構築された船のみとなります。
 より高度なテクノロジーの船や兵装を使おうとすると、そもそも統制人格を呼べなかったり、途端に同調率が下がり、能力者さんとの連携ができなくなってしまうんですよ~。困った困った。
 複雑すぎる機械に魂は宿らないのか。多くの命と共に在った物の再現だから、魂を宿せるのか。私たちにもよく分かりません。
 そもそも、命あるものへ宿る“意思”とは……な~んていう難しい話は、このコラムの趣旨から脱線してしまうので、哲学者さんとかにお任せします。またしてもポイですポイ。

 さて、もう一つの増やし方が、敵性勢力であるツクモ艦※12を撃破。その残骸を回収して船に仕立てる、解放です。敵に奪われた資源を解放させて船を増やす、という意味合いです。
 資源確保が大きな問題となっている昨今。使える物はなんでも使わなければ、勿体無いですもんね?
 この解放資源から、皆さんがお持ちになる機械などの部品の一部が賄われているんですよ~。他にも家とか車とか、人々の生活に密接していると言っていいでしょう。

 ※12 人類から海と空を奪った謎の敵性勢力。その行動目的は一切が不明。


 ……あれれ。随分とスペース使っちゃいましたね。閑話休題っ。
 ちょっと飛ばして一◯◯◯。お仕事中の艦娘たちです。
 と言っても、やれることは多くないんです。訓練しようにも船ですから、動くには燃料が必要ですし、かと言ってボケーっとしているわけにも。
 そこで与えられるお仕事が、兵装開発のお手伝いでございますっ!


《写真・四。工廠こうしょうの風景。工作機械の只中で、作業台に広がった図面を見る少女たち。
 右。セーラー服を着た長い赤毛の少女。背を向けている。
 左。紅白の縦縞鉢巻を巻いた和服少女。髪型はポニーテールで、上の少女と机を挟み反対側。
 真剣な雰囲気が伝わってくる》


 右の女の人が、横須賀鎮守府の整備主任の一人です。顔出し、名前出しはNGだそうで、今回は後ろ姿のみの登場です。美人さんなのに……。
 そして、左に写っているのが軽空母・瑞鳳※13さん。他にも、写っていないところで艦娘たちがたむろしてますよ~。
 ん? 兵器を作るだけの知識や技術を持っているのか? ふふふのふ。青葉たちをなんだと思ってるんです。作れるわけないじゃありませんかっ!(威張り顔)
 実際に作るのはさっきの整備主任さん。正確に言うと、彼女が使役する妖精さんですね。
 この妖精さん、統制人格の一種らしい(?)んですが、船を丸々一人で動かすほどの力は持っていない代わりに、超がつくほどの精密作業を、休みなく、恐ろしい速度で行えるんです。
 んがしかし。世の中そう都合の良いことばかりじゃなくてですね。気まぐれな彼女たちは、放っておくと予定とは違う物を作ってしまったり、ガラクタを作っちゃうことも……。
 それを主任さんが監督。方向性を定めるんです。この時に艦娘が力を貸すと、艦種やその来歴によって、安定性が向上する……らしいです。
 鉄と油の匂いを漂わせる乙女。ごく一部の方々には大好評でしょうか?

 ※13 祥鳳型航空母艦二番艦。元は高速給油艦・高崎という名前でしたが、潜水母艦、航空母艦と改装を重ねました。何やら、艦載機に関しては一家言あるもよう。
「九九艦爆は、足が可愛いのよ。足が! 彗星も悪くないんだけど、整備大変なのよ、やっぱり。あと、天山は――」(ごめんなさい、長いのでカットします)


 また時間を飛ばしまして、一二◯◯。待ち焦がれたお昼です!
 選べる選択肢は三つ。鳳翔さん手作りのお弁当か、庁舎の食堂か、酒保で売っているパンとかですね。
 青葉は鳳翔さんを煩わせるのもアレかなぁと、基本的にパン食なんですけど、絵的に寂し……お? おあつらえ向きに、日の当たるベンチでお弁当食べてる子たちが居ますよ~。


《写真・五。赤レンガの壁を背景に騒ぐ少女たちの一枚。
 左。帽子をかぶる白髪の少女。膝の上に弁当箱を乗せ、並ぶ二人を見て微笑んでいる。
 中央。金髪に黒いリボンの少女。ベンチの後ろから上半身だけを乗り出し、右の少女からエビフライを奪っている。
 右。白髪の少女と同じ帽子をかぶった、黒髪の少女。弁当を持ち、「あっ!?」とでも言っていそうな顔で、中央の少女を見ている。
 仲が良さそうだ》


 左から、駆逐艦の響※14ちゃん、島風※15ちゃん、暁※16ちゃんです。
 もうお気付きでしょうけど、我らが艦隊の艦娘は、船によって見た目の年齢がある程度変化するようです。
 駆逐艦が小中学生、まだ登場してない軽巡が中高生、重巡から上の大きい艦が高校生以上でしょうか。私は十六~七ですね、多分。
 でも、響ちゃんとかは見た目以上に落ち着いていて、外見と中身が一致してない子も多いみたいです。もちろん、見た目通りにヤンチャな子もいるんですけど。
 似た子は居ても、同じ子は居ない。個性豊かな仲間が揃っていますし、青葉も楽しいです。

 ※14 特型駆逐艦二十二番艦であり、暁型二番艦。終戦まで生き残り、賠償艦としてロシアへ。ВерныйヴェールヌイДекабристデカブリストと、複数の名前を持っています。いよっ、信頼できる十二月党の不死鳥!
「……名前で遊ぶのはやめてもらえないかな」
 ※15 島風型駆逐艦一番艦。同型艦は存在しませんが、時速四十ノットの快速は艦隊随一。そして食べる速度も艦隊一!
「私には誰も追いつけないよ!」(早弁済みみたいです)
 ※16 同二十一番艦にしてネームシップ。宿舎で飼っているわんこ、ヨシフの飼い主でもあります。自称、一人前のレディーだそうで。……どうみても(以下自粛)。
「自称じゃないわっ。誰がどう見ても立派な淑女じゃないっ!? ぷんすかっ!!」


 またまた飛ばして一五◯◯。午後の特筆すべき業務は艦隊演習でございます。
 青葉は参加しませんが、ちょっと特別な演習なので、これはぜひ取材をせねばと観戦許可をもらいました。
 それというのも、世にも珍しい艦隊内演習だから、です。
 普通は能力者さん同士が自らの艦隊をぶつけ合うため、相手の都合も考えなきゃなんですけど、感情持ちがゴロゴロしてるこの艦隊なら、場所を予約するだけで演習ができるんですね~。
 もう何回かやってるそうなんですが、今回の編成はこちら。


《写真・六。斜めに二分割された集合図。
 左。赤い紐でたすき掛けした、長く艶やかな黒髪の女性。艦橋を模した髪飾りをつける姉妹らしき二人。皆、巫女のような服装。
 右。青い紐でたすき掛けした、短いサイドポニーの女性。茶髪を両サイドでシニヨンにする、ティーカップを持った和装少女と、彼女の背後で飛び跳ねているらしい少女。こちらも巫女風だが趣が違う。
 気合い十分、といった様子である》


 甲艦隊:航空母艦・赤城※17、航空戦艦・扶桑※18、山城※19姉妹、他三隻。
 乙艦隊:航空母艦・加賀※20、高速戦艦・金剛※21、比叡※22姉妹、他三隻。
 この機動部隊二つが、海上で相対しました。紙面の都合で全員紹介できないのが残念ですが、注目なのはやっぱり、一航戦※23のお二方でしょう。
 かつて肩を並べた戦友同士が、演習とはいえ正面からぶつかり合う。熱い構図ですっ。
 実は乙艦隊のお三方、高速建造されたばかりでもありまして、なんとこれが初戦闘。対して甲艦隊は練度も高く、勝負にすらならないかと思われましたが……。
 結果がどうなったのか、気になります? なりますよね? なりましょうともっ!
 その期待にお答えしまして、次号の付録に戦闘記録をお付けする予定でございますっ。オーディオコメンタリーにはスペシャルゲストもお呼びしますので、お楽しみに! もちろん私も語りますよ~。

 ※17 赤城型航空母艦一番艦。正確には、天城型巡洋戦艦二番艦を前身とする改装空母。栄えある第一航空戦隊の旗艦であり、空母の皆さんを束ねるリーダー的存在です。
「三段式甲板のことは、忘れてください」
 ※18 扶桑型航空戦艦一番艦。史実では実装されなかった改造を施され、艦載機と主砲のコンビネーション攻撃は圧巻の一言。艦橋の高さでも有名ですね~。
「レイテ沖? そうね……。いつか突入してみたいわ。本当よ」
 ※19 扶桑型航空戦艦二番艦。余談ですが、傀儡艦として励起された扶桑型戦艦は数える程しかないそうです。何ででしょう? 防御力と速力の問題でしょうか?
「別に、人気なんか無くたっていいですよ。最後の時まで、姉さまと一緒に戦えれば」
 ※20 加賀型航空母艦一番艦。正確には、加賀型戦艦一番艦を前身とする改装空母。赤城さんと同じく、第一航空戦隊の主力を務めました。赤城さんがリーダーなら、加賀さんはエースでしょう。
「……私の顔に、何かついていて?」
 ※21 金剛型戦艦一番艦。イギリス生まれだからか、英語が堪能。なんと彼女には、あの芥川龍之介氏が乗船したことがあるんですよ~。
「Tea Timeは大事にしないとネー」
 ※22 金剛型戦艦二番艦。比叡さんには作家の方は乗っていないんですが、御召艦として愛された過去があるんです。素晴らしい栄誉ですね~。
「大和型に採用される技術のテストベッドにもなったのよ。知ってた?」
 ※23 南雲忠一(敬称略)率いる、第一航空戦隊の略。時期によって編成は変わりますが、特に有名なのが航空母艦・赤城、加賀でした。


 日が暮れ始め、疲れも出てくる一七◯◯。
 青葉も初めての取材活動にお疲れ気味ですが、そうも言ってられません。
 ちょうど、遠征に出ていた艦隊が帰って来ました。お出迎えに行きましょう。


《写真・七。夕日を背にする軽巡。その手前にいる人影を追う一枚。
 左。白いセーラーに半ズボンの少女。背負う艤装の一部に、小さく「球磨」の文字。ぐんにょりしている。
 中央。金髪碧眼の黒いセーラー服を着る少女。機関部を背負い、履いているのはスカート。彼女もぐんにょりし(略)。
 右。袖のない白のセーラー服少女。長い黒髪を二つに縛り、ぐんにょ(略)。
 端に白い軍服が見切れている》


 軽巡・球磨※24さん、駆逐艦・夕立※25ちゃん、そして涼風※26ちゃん。今回は近海の警備任務に行っていたそうです。
 こういった通常任務を人海戦術でこなせるのも、この艦隊がチート扱いされる理由の一つかもしれません。海の安全を確保しつつ、お仕事達成でバイト代……ではなく、お給金も貰える。WinWinな関係です!
 と言っても、統制人格だって疲労は溜まりますので、球磨さんたち、疲れ果てたご様子。一日中ずーっと海を見張っていたらこうなりますよねー。
 他にも、海上護衛やタンカー護衛、鼠輸送任務などに就いていた皆さんもご帰還なのですが……またまた誌面の都合で割愛! ごめんなさいっ、今度ちゃんと紹介しますんで、お許しを~っ。

 ※24 球磨型軽巡洋艦一番艦。五五◯◯t級の先駆け的存在で、防空巡洋艦への改装計画があったようです。語尾に「クマ」をつけるのが個性的。
「よろしくだクマ。ちなみにこの口調は釣りでもなんでもないクマ。ネタだろって思ったやつには置き場に困る木彫りの熊を送りつけるクマー」
 ※25 白露型駆逐艦四番艦。戦史に名高き第三次ソロモン海戦・第一夜で活躍。どこまでが事実かはさておき、あんな戦果を出せるように頑張っているもよう。
「ソロモンの悪夢、いつか見せてあげる! ……今はまだ無理っぽい?」
 ※26 白露型駆逐艦十番艦。江戸っ子みたいな喋り方が特徴。大元になった船が浦賀生まれなのが原因?
「へ? こ、こめんとぉ? あ、え、あ~……て、てやんでぃ!」


 ――と、軽い頭を下げてるうちに、時刻は二◯◯◯。夕飯時です。
 用意してくれるのはもちろん鳳翔さんなんですが、全部を押し付けているわけではございません。
 前日に遠征へ出ていたり、出撃から帰って来たばかりの艦娘は、司令官からしっかり休養するようにと仰せつかっております。しかし、ただ休んでいるほど退屈なこともないので、掃除・洗濯・炊事、自然と家事を手伝うことが多くなるんですよ。
 この日も、鳳翔さんをお手伝いしている子が居るようで……。


《写真・八。食堂での一枚。
 左。両手にヘラを持ち、お好み焼きの前で得意げな顔をするツインテールの少女。頭のバイザーがどこか店員を思わせる。
 左手前。お好み焼きの上で踊る鰹節にヨダレを垂らすショートカットの少女。目に星が浮かんでいそう。
 右。左を興味深げにのぞき込む、長い黒髪の少女。金剛と同じ服装をしている。
 背景に、ホットプレートの前で作業する鳳翔たちも》


 今日の献立はお好み焼き。ヘルパーは軽空母・龍驤※27さんと、高速戦艦最後の一人、榛名※28さんのようです。手前の方は軽巡・多摩※29さんですね。
 理由は全く不明なのですが、なぜか龍驤さんは大阪ナイズされた性格でして、粉物料理が大得意。実に美味しそうです! というか美味しかったです!
 榛名さんも一回見ただけでコツを覚えちゃったらしく、見事なヘラさばきでひっくり返していました。美人さんなだけじゃなく、要領も良くて羨ましい……。
 多摩さんは名前の通り猫舌のようで、あんな顔をしておきながら程よく冷めるまでお預け。本人は「猫じゃないもん!」とか言うんですが、ぶっちゃけ誰も信じてませんですよ?
 これがお好み焼き初体験という艦娘(金剛さんとか)も多かったですけど、とっても大好評でした。龍驤さん、ありがとうございましたっ。

 ※27 龍驤型航空母艦一番艦。「りゅうじょう」とは、三国志の中にある龍驤虎視という言葉を元にしていて、龍が天へ登っていく姿をさすそうな。かく言う私は、驤が初見で読めませんでした。要勉強です……。
「実はウチも一航戦なんやで? しっかり近代化改装すれば、赤城や加賀にも負けへん! って、それは無理かぁ。あっはは……」
 ※28 金剛型戦艦三番艦。運命のあの日、呉は江田島で懸命に空を睨み続けた方。清楚な佇まいに似合わず、活動的な一面も。
「高速戦艦四姉妹で、最後まで戦い続けた榛名のこと、覚えていてね」
 ※29 球磨型軽巡洋艦二番艦。北はキスカから南はラバウルまで、様々な海域で作戦に従事した歴戦の軽巡。球磨さんと同じく、語尾に「にゃ」をつけて喋ります。
「頑張ってお国にご奉仕するにゃ。お代はマタタビでよろしくだにゃ。じゃこでもいいにゃ」


 さて。さてさて。さてさてさて。現在時刻は二一◯◯。
 仕事を終えてお腹も一杯。となれば、あとは分かりますよね? そう、一日の疲れを洗い流す、バスタイムです!
 本誌を手に取っていただいた紳士の皆様方、長らくお待たせいたしました! チラリタイムでございますよ!
 いや~、実はこの宿舎には、艦娘専用の大浴場がありまして。十人~二十人程度なら一挙に入れるくらい広いんです。
 ただでさえ煙突からの噴煙とか海風の塩気で汚れちゃいますから、皆この時間が大好き。女の子としても、毎日のお風呂は欠かせません。
 服をぬぎぬぎ、心もウキウキ。開放的になった艦娘たちの色っぽい姿、だぁいこぉうかぁいでごっざいまぁ~す!!


《写真・九。お白州のような場所を高めから一枚。
 中央。薄いオレンジ色のタイのセーラー服を着た、短めなポニテ娘――青葉が涙ながらに正座している。頭にマンガ的たんこぶ。
 右。黒いベストの学生服を着た、ツインテールの少女。白い目で青葉を見下ろしている。
 左。夕立と同じ服装をした、ヘアバンドの少女。なぜか得意げな顔。
 どうやらこの写真、別人が撮ったらしい。高さを鑑みるに、男性か》


 はいごめんなさい無理でした。
 常識的に考えて駄目に決まってますよね、成年指定受けちゃいますもん。司令官にもこっぴどく怒られてしまいました……。
 横に立っているのは、右が駆逐艦・陽炎※30ちゃん、左が白露※31ちゃんです。大浴場の換気窓から盗撮しようとしていた青葉を、二人掛かりでタイーホしてくれやがり――もとい、止めてくれました。
 どうやら司令官から別命を受けて監視していたらしいのですよ。そしたら案の定、暴走しかけていたわけで……。ううう、これがリポーターズハイというやつなんでしょうか? 青葉、反省です。
 読者の皆様、さぞがっかりされたことでしょう。せめてものお詫びとして、演習終わりの芳ばしく香る粘液※32まみれな艦娘たちの写真を、コソッと背表紙の裏に載せます。これで許してください。
 ……反省してないだろうって? 何を仰いますやらー。ご期待に応えたいだけですよーっと。

 ※30 陽炎型駆逐艦ネームシップ。今のところ、我が艦隊では最新型の駆逐艦。改装も加えられていて、それに見合う実力を持っています。
「陽炎よ、よろしくねっ! ところで、今度変なことしたら酸素魚雷ブチ込むわよ」(勘弁してください)
 ※31 白露型駆逐艦ネームシップ。一番であることにこだわりを持ち、艦隊でのトップを目指して努力は欠かしません。
「何を隠そうこの白露は、岡っ引きとしても一番なんです! 御用だ御用だ~!」
 ※32 ペイント弾の中身です。環境にも優しいペイント弾です。大事なことなのでもう一度。 ペ イ ン ト 弾 です。


 こってり絞られ、二二◯◯。
 お風呂の後のまったりタイムで、全体的に静かな宿舎。
 ところが、玄関の方が何やら騒がしく。少し様子を見て来ましょう。


《写真・十。宿舎の玄関らしき場所での一枚。
 左。やたら元気そうな、オレンジ色の衣装をまとうツインテール少女。枠外の誰かに笑顔で話しかけている。
 右。同じ衣装だが、こちらは気弱そうなロングヘアー少女。左の少女を止めようとしているようだ。
 中央奥。白い上着を手に、苦笑いの電が立っている。
 端にお団子頭が見切れているような……》


 宿舎へ帰って来た司令官を待ち受けていたのは、幼妻的にかいがいしく出迎える初励起艦娘と、なんとも熱烈な夜戦へのお誘い。
 最初の方に言った昼夜逆転しちゃってる艦娘、軽巡・川内※33さんに、それをたしなめようとする神通※34さんです。
 ちょっと意味深な書き方をしてしまいましたが、今回は普通に、水雷戦隊が本領を発揮する夜間戦闘のことでした。
 夜戦に始まり、夜戦で人生……艦生(?)を終えた川内さんは、こうして夜になると夜戦の素晴らしさを語り出すほど、強い思い入れがあるようです。
 それにひきかえ、神通さんはとっても控えめ。コロンバンガラ島沖海戦では、真っ先に探照灯を照射。攻撃を一身に引き受けつつ、最後の瞬間まで砲撃を続けた方とは思えません。
 でも、そのせいで周りの抑え役になることも多かったり……。これも因果でしょうか……?
 あ、端っこに見えるのは那珂※35さんなのですが、シャッターを押すタイミングが悪く、画面に収めることができませんでした。データ容量的にも厳しかったので、残念ながらこれで。
 なかなか(ダジャレじゃないですよ?)いいキャラしてる子ですし、次回はぜひご紹介したいですね~。

 ※33 川内型軽巡洋艦ネームシップ。かつては第三水雷戦隊の旗艦も務め、四回の大きな戦いに参加。うち三回が夜戦でした。珍しい戦歴です。
「夜はいいよね、夜はさ」
 ※34 川内型軽巡洋艦二番艦。世界最強とも呼ばれた第二水雷戦隊で、長く旗艦を務めました。が、うちの艦隊では結構な確率で遠征に……。
「な、なんで、しょうか。……コメント。その……あの……。ご、ごめんなさい……」
 ※35 川内型軽巡洋艦三番艦。第四水雷戦隊旗艦。進水間際で被災して大破したり、衝突事故を起こして大破したり。明るい性格と裏腹に、けっこう苦労人?
「艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよー! よっろしくぅ!」(顔写ってませんけどねー)


 この日も残り一時間。時刻は二三◯◯です。
 皆さんが部屋に戻って行く中、青葉も部屋に帰って最後の取材。
 待っていてくれたのは、姉妹艦の衣笠※36でした。


《写真・十一。宿舎の一室での一枚。
 青葉と同じセーラー服を着る、セミロングの少女。脱ぐ途中だったらしく、ヘソがチラリと覗いている。
 窓の向こうに、逃げる白い軍服と、追いかけるツインテール少女の背中もチラリ》


 ぃよっし、こぉれでチラリは達成ですよーっ。青葉ウソつかない!
 このご時世、ちょっとぐらいお色気要素がないと本は売れないんですっ。だから私は悪くぬぁいのです!!
 はい、なんですか? 載せたら怒る? ふっ、私がなんの覚悟もなしにリポートしていると思って痛いっ!? あたっ! デコピンはやめて~っ!?

 ……うぅぅ、ヒドイ目に遭いました。「今回だけだからね?」って許してもらいましたけど、引き換えにおでこが真っ赤っかです……。
 それはさておき、お着替え中の姉妹艦に戻りましょう。普段は髪をツインテっぽく結っているんですが、それも下ろしてリラックスムード。
 彼女も今日は兵器開発をお手伝いしてたんですけど、私たちは感情を得た弊害として、疲労を認識できるようになってしまいました。なので、普通の人と同じように睡眠が不可欠です。
 艤装を召喚していれば、一週間ぐらい不眠不休で活動できますが、そんなブラックホール企業みたいなことはうちの司令官が許しません。休息も仕事の一環、だそうで。愛されてますねぇ。

 福利厚生のありがたみを感じながら、私は使える写真を選んだり、どんな文章を書くかを相談したり。
 スタンドの明かりだけを頼りに、ベッドで原稿を書いていると、やがて返事が少なくなってきました。見れば、すっかり夢の中へ旅立っているルームメイトが。
 その穏やかな顔に眠気を誘われて、私も寝ようと明かりを消します。
 統制人格は鳥啼く歌の夢を見るか。……ご想像にお任せします。それでは、お休みなさいませ~。

 ※36 青葉型重巡洋艦二番艦。私と古鷹ちゃん、加古ちゃんを加えて第六戦隊を編成。ソロモン海を征きました。
「カタパルトをお初装備の衣笠さんよ、よろしくね。青葉が泣き土下座するから許したけど、変なとこ見ちゃダメだからねっ?」





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ……以上で、「艦娘の一日」は終了でございます。いかがだったでしょうか。
 なんというか、コラムじゃなくて日記? 書いた本人が言うのもアレですけど、これで良かったのかちょっぴり不安。
 まぁ、問題なく発行されたなら、大丈夫ってことでしょう。楽しんでもらえたなら嬉しいですっ。
 ついでに私たち艦娘――統制人格へ関心を寄せてもらえたら、なお喜びます!
 もちろん、ご意見・ご感想などは随時募集中。
 こんなこと書いて欲しい、アレはどうなってるのか教えて、というご要望なども、禁則事項に引っ掛からない限り、頑張ります。なのでドンドンお便りをくださいませっ。

 長くなりましたが、ここらで締めに入りましょう。
 次回のテーマは「統制人格と妖精さんの違い」の予定です。今回ちょろっと出てきた妖精さん。彼女たちと私たちの関係性について語ります。
 また、次号特典の戦闘記録では、ゲストも招いて私が実況解説させて頂きます。艦娘の生声を聞けるチャンス、逃したらいけませんよ~?
 それでは、青葉型重巡洋艦一番艦・青葉でした! またお会い致しましょう!





「お疲れ、青葉。どうだ、記事の反応は?」

「あ、司令官。おはようございます! 見てください、このお手紙の山!
 やっぱ働いたら負けだよね初雪ちゃん。提督はモゲろ。とか、鳳翔さんの味噌汁を毎日飲みたいです。提督は爆ぜろ。とか、雷電姉妹ペロペロ。提督はねじ切れろ。とか、色んなご感想を頂きましたっ。
 もう嬉しくて嬉しくて、青葉、恐縮しきりです!」

「そうかそうか。良かったな。ところで、三枚目の手紙貸してもらえるか? 念のために身元洗っとくから」




















 とうとう8ちゃんにレベル99童貞を奪われてしまいました。セカンド童貞は22点差で401ちゃん、サードでようやく電ちゃんでした。
 でもごめんね、筆者には心に決めた子がいるんだ。ケッコンカッコカリは諦めておくれっ(自意識過剰)。
 ……武蔵とか矢矧旗艦で確立アップしてくんないかな。マジで。

 それはさておき、今回はAttack on KONGOU&艦娘リポーター青葉なお話でした。
 筆者の中に住み着いている艦娘たちを描いていますし、違和感などあるかもしれませんが、ラブ勢の猛攻を感じてもらえれば嬉しいです。青葉のコラムもそれっぽさを出せてればいいんですけど……。
 さてさて、次回はちょっとした事件の予感。こぼれ話で一瞬登場した加賀さんも本出場しますのでご期待ください。

 あ、ついでにご報告。
 去る三月末日。大型建造七十四回目のチャレンジにおいて、ついに、ついに、ついに、大鳳ちゃんをお迎えいたしました。
 今までに開発資材2006個、各資源546900/287500/414500/278300を吸い上げられましたが、可愛くて仕方ありません。
 あまりに可愛いので彼女がメインの短編を別口で書きます。いつになるかは未定ですが、こっちもどうぞお楽しみに。
 それでは、失礼いたします。……ヒャッハー! もうすぐ春イベだぁー! 待っとれミッドウェー!!

「……はぁ? 罵れって、いきなりなに。えーと……ウザいのよっ!」
「どういう趣向なのよ……私の番? はいはい、もうバカばっかりで嫌んなるわ」
「これって、あいつに向けて言えってことよね。だったら……。やらしい目つきでこっち見んな! このクソ提督!」
「はい、ご苦労様。私も含めて誰が誰だか分かったら、ご褒美があるかもしれないわよ。ま、せいぜい頑張んなさい」





 2014/04/19 初投稿
 2014/04/21 ソロモン海海戦の一夜と二夜を間違えてましたので修正
 2014/04/25 脱字修正
 2014/05/07 色々と微修正
 2014/05/12 脱字修正。R.T.L様、ありがとうございました。
 2014/06/05 青葉の注釈があべこべになっていたので修正
 2014/07/19 誤字修正。Stapじゃ細胞になっちゃうよ……。
 2016/06/05 誤字修正。







[38387] 新人提督ととても長い一日・前編
Name: 七音◆f393e954 ID:5eccba50
Date: 2014/05/13 22:49





 艤装を一新した伊吹との日々は、何もかもが手探りの毎日だった。
 搭載できる艦載機を手当たり次第に開発しては失敗。せっかく完成した機体も発艦失敗で台無しに。
 ようやく飛び立てた時は、本当に鳥になった気分だった。着艦でまた駄目にしたが。
 大人しく彼女へ同調、技能を体得しようとしても、バレルロールやらインメルマンターンやら木の葉落としやらで、胃の中身をぶちまけてしまう。
 無様な姿に、しかし諦められるはずがない。

 吉田二佐は、彼を可愛がっていた。実の孫でもあるかのように。
 国防を志す御子息を失った二佐にとって、彼は守るべき、尊い存在だったのだろう。
 任せるべきではなかった。自分が傷を負うはずだった。どうすれば贖える。
 そう言って、一緒に撮った写真を眺め……。見ていられない。

 少年兵呼ばわりされ、ただでさえ強かった風当たりも、より厳しいものになった。
 今後、年若い能力者が現れたとして、彼らを教育することすら危ぶまれている。
 本音を言えば賛成だ。
 子供を戦わせなければ生き残れないのなら、大人に生きる意味などない。彼らを守ることこそが、そうされて来たわたしたちの、果たすべき責務。
 だが、多くの人は戦うことすら選べない。ただ傍観し、やり場のない感情の矛先を求め、そして、互いに首を絞め合う。
 この世は、どうしようもないほど、悪意に満ち満ちている。


「……大丈夫、ですか?」


 気遣う声にハッとして、なんて事ないと、演習海域にいる彼女へ返す。
 自分の物ではない瞳で天を睨めば、抜けるような青空が、全てを等しく見下ろしていた。


 桐竹随想録、第六部 馬の緯度より抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 日がすでに登っているはずの空は、暗い。
 風はさほど吹いていないが、白浪の音がやけに響き、時期もあいまって寒々しさを演出する。
 青ヶ島を下って一時間。安全領域を出てからを含めれば、約六時間。
 もうすぐ昼に差し掛かろうとしている海は、嵐の前の静けさを湛えていた。
 そんな中――


『え~……あ~……ほ、本日はお日柄も良く……』

「……曇天に見えますけれど」

《今にも降りそうよね。眼、腐ってるんじゃないの》

《って言うか話しかけないで欲しいんだけど。仕事中なんだから黙ってなさいよ、クソ提督》


 ――自分は、三人の女性にフルボッコされていたりする。


『いやですね、分かってるんですよ加賀さん。ほら、重っ苦しい空気を和ませるためのお約束的な。ね?』

「あまり必要性は感じませんが。それと、提督。私のことは呼び捨てで構いませんので。赤城さんと同じように」

『う、うん。努力しま――するよ……』


 飛行甲板の端に立ち、油断なく水平線を見やる、赤城と似た服装の女性。
 白い上着や胸当て、和弓と飛行甲板(左肩にある)を揃いとし、それら以外の色を逆転させた、青いスカートと黒のニーハイで身を固める彼女は、名を加賀という。左で結われる短めのサイドポニーが、風に揺れていた。
 赤城のように微笑んでくれれば、自分としてもこわごわ接する必要はなくなるのだが、そうさせないほど表情の変化に乏しく、物言いも堅苦しいため、近寄りがたい印象を放つ。
 笑ったら可愛いと思うんだけどなぁ……。


《どうせ努力するんなら、真面目に仕事して欲しいんだけど。気が散るわ》

《ホントよ。そんな風にペチャクチャ喋ってたから、硫黄島まで行けなかったんじゃないの?》

『ごもっともな意見だけどさ。君ら、もうちょっと言い方どうにかなんない?』


 加賀さん――もとい、加賀へ続き、辛辣な言葉を浴びせてくる二人。
 発言順に縦となり先導する彼女たちは、特型駆逐艦である。

 まずは、灰色の髪を右向きのサイドポニーとする少女。朝潮型駆逐艦十番艦・かすみ
 半袖のシャツにサスペンダースカート。左右の手に魚雷発射管と連装砲。背中には機関部を背負っているのだが、その形はランドセルにも見えた。
 顔立ちや振る舞いが大人びているため、少しアンバランスな感じである。

 次に、綾波型駆逐艦八番艦・あけぼの
 よく見かける紺と白のセーラー服を来て、両腿に発射管、背中に機関部、両手で大きな連装砲を抱えている。長い黒髪は鈴のついた花飾りで留められ、霞と同じようにされていた。なんなんだろうか、このサイド推し。嫌いじゃないけどさ。
 ともあれ、髪型は同じでも、素直すぎる口汚なさは子供っぽく感じられ、小学生が無理して背伸びしているようにしか思えない。
 まぁ、それは他のセーラー服を着てる駆逐艦たちも同じなのだが。特に暁とか。

 この子たちに共通するのは、特型駆逐艦である事ともう一つ。やけにつっけんどんな態度である。
 美少女から蔑まれるとか、極々一部の業界ではご褒美なのだろうが、ドMじゃない自分にとっては気を揉む要因でしかなかった。
 これならまだ、表面上は繕ってくれる大井の方がよっぽど可愛いよ……。


《言い方ってなに。まさか、司令官さん♪ とでも呼んで欲しいの? 冗談にもならないったら》

『あのなぁ霞。自分が言いたいのはそういうことじゃなくてだな、もっと協調性を……』

《あーもうっ。とにかく、そういうのは後にして。どうしてもって言うなら曙にでも頼みなさいよ》

《はぁ!? なんでわたしまで巻き込むのっ? こんな奴と同調しなきゃならないってだけで嫌なのにっ。
 ぁぁあサブイボ立ってきたっ。わたしへの同調率、最低限にして絶対上げないでよね、このクソ提督!》

『……ぉ、お前らぁ……っ』


 ふっざけんなよこのクソガキ共。お望みとあらば無理やり身体制御権を奪って、その平たい胸揉みしだいたろか。
 ……という本音をなんとか、本当になんとかして飲み込み、自分は頬を引きつらせる。
 ムカついていた。
 今まで励起したのが素直な子ばかりだった事もあるだろうが、それにしたってこの嫌われようは酷い。
 性格の不一致とか、単に気に食わないとか反りが合わないとか、感情持ちならそんな理由もあるだろうけど……。


《落ち着きなさい。仲良し小好しがしたいなら、後で他の子とすれば良いでしょ? いつ戦闘になるか分からないんだから、集中させて》


 どうにかならんものかと、ぶり返す怒りを鎮めていたら、今度は艦隊の後方から声が飛んで来る。
 にべもない、白のワンピースセーラーを着る少女は、特型駆逐艦シリーズの始まり――吹雪型五番艦・叢雲むらくも
 左腕に発射管。背中の機関部からアームで繋がる二基の連装砲に、アンテナを模した……長槍? だかなんだかを右手で構えていた。
 薄い水色のロングヘアーの上にも、天龍と同じアンテナっぽい物が浮遊しているのだが、組み合わせて使用するらしい。
 連動する小型の二二号対水上電探で、近海を見張るのが仕事だ。特に、巡航速度で移動中だと発見しづらい、潜水艦などを警戒してもらっている。
 それなのに横で諍いを起こされれば、気が散ってしまうのも当然。霞と曙のことは後にしよう。


『……分かった。すまん、騒がせた』

《別に、謝らなくてもいいわ。電探に感があれば知らせるから、大人しくしてなさい》

『はーい……』

《返事は短く!》

『……はい。加賀さ――ん゛ん゛。加賀、後は頼む』

「承りました」


 前の二人と違い、後方を守る彼女は、つっけんどんというよりクールで自信家な性格だった。
 今みたいに注意されることも多く、やはりノーマルな自分にはちょっとキツい。
 自業自得なことも多いけど。


『……やっぱ無理だぁ、とりつく島もない。どうすりゃいいのさぁ……』

《諦めるにはまだ早いデース。
 ちょっとやそっとでOpenするほど、乙女のHeartは甘くないんデスから。
 Never Give Up! 無視されないだけマシだと思って、前向きに行きまショー!》

《そうですよ、提督。榛名でよければお相手しますから、元気を出してください》

『金剛は最初から全開だった気がするんですけどね』


 あまりの辛さに泣きつくと、加賀の両脇で並ぶ高速戦艦姉妹が慰めてくれた。
 右を行くのが、前方へと向けられる三十五・六cm連装砲の砲身に腰掛け、足をぶらぶらさせる金剛。左が艦首で黒髪をなびかせる榛名である。
 二人は全く同じ艤装を召喚しており、腰回りに固定具を装着。左右へ伸びる連装砲四基が、高さを変えて対称に配置されていた。


『ありがとう、二人とも。しっかし、大井の忠告は的確だったみたいだな……』

《忠告、ですか。どんな内容だったんですか?》

『誰とでも仲良くなれるなんて勘違いしてたら、いつか痛い目みますからね……って。
 無条件の好意を期待してる部分が、自分の中にあったんじゃないかな、と』

《フゥム。人類と深海棲艦というExampleがありマスから、否定し難い真理ネー。でも、しょうがない部分もあるんじゃないデスか?
 ワタシたちは傀儡艦。その名の通り、能力者の意に添うのが普通みたいデスし。まぁ? それとワタシのテートクへのLoveは一切関係ありまセンけどネ!》

『うんうん、ありがとうな。程よく邪険にされた後だと癒されるよ……』

《You're Welcome.テートクのためなら、いくらでもI Love Youって言ってあげマース!》


 暗に「そうじゃない時は癒されない。むしろ疲れる」と言っているのだが、金剛は全く気付かない。意に介してないだけか?
 しかし、様子見に話しかけても一言くらいしか返してもらえず、必死に和ませようとしたってけんもほろろなギスギス艦隊では、この笑顔が本当に貴重だった。好感度ジワジワ上がってるよー。
 なんてバカなことを考えていたら、「I Love You,I Won't You,I Need Youデース!」と騒ぐ姉を微笑ましく見守っていた榛名が、今度は心配そうな顔でつぶやく。


《……あの、提督。差し出がましいかも知れませんが、三人のこと、嫌わないで頂けますか?
 きっと、あの子たちなりの想いがあって、素直になれないだけのはずですから》

『だと嬉しいんだけど……。この編成も、ついでに信頼関係を築ければって考えたものだし。ま、気長に行くさ』

《はい。時間は掛かるかも知れませんが、絶対に通じ合えます。私にもお手伝いさせてくださいね》


 ホッと胸へ手を置く彼女に、確かな頼りがいを感じつつ、自分は灰色と暗い青の視界に目をやる。
 水平線の手前に、海を進むもう一つの我が艦隊が見えた。
 自分が同調するこの艦隊は、数km程度の距離をおく、赤城を旗艦とした輪形陣――第一艦隊の支援を行う部隊である。
 中央に赤城。前方二隻は足柄、衣笠の重巡二隻。左右を比叡、霧島が固め、進路を探る甲標的母艦・千代田がしんがりを務めていた。
 基本的に彼女たちは戦わず、甲標的の限界速度に近い速力十八ノットで、水偵や艦戦に索敵させながらひたすら進む。
 それを守るのが、加賀を旗艦とする機動部隊。
 赤城たちからの索敵情報を元に、膨大な搭載数を誇る加賀がアウトレンジ攻撃で接近すらさせない(上空には彗星二十機が待機中で、索敵もしてもらっている)。
 万が一もらした場合は、高速戦艦の砲撃と駆逐艦の雷撃、さらに第一艦隊で仕留めるという戦法だ。


《……フゥ。やっぱり一日一回はLoveを伝えないと落ち着かないデース。スッキリしましタ。
 にしても、Miss加賀が張り切りすぎて、ちょっと手持ち無沙汰ネー。
 良いことなんでしょうケド、テートクに格好良いところは見せられないし、残念デス》

『じゃあその一仕事終えたみたいな顔はなんだ。……実際、これ以上ないほど上手く行ってるぞ、今回は』


 今のところ、会敵回数は二。そのどちらもが、選良種軽巡を旗艦とする水雷戦隊だった。
 主砲は六・一inch砲でありながら、重巡の装甲をたやすく破り、下手を打てば戦艦ですら危機に陥る相手。ところが、損耗は加賀の艦爆が数機のみ。一方的に殲滅したと言える。
 戦争は数。
 基本にして結論であるこの言葉を実感させられる、見事な艦載機制御だった。自分が彼女の域へ達するには、相当の時間が掛かるだろう。
 もっとも、金剛は出番がなくて退屈してしまったらしく、アヒル口でブーたれている。
 

《ひょっとしたら、このまま戦わずに済むかも……なんて、希望的観測ですね。いつでも前へ出られるよう、備えは怠りません。気持ち的に、ですが》

『ああ、よろしく頼む。金剛もそんな所に座ってないで、いざという時、キチンと動けるようにな』

《ハーイ。……っと、伸ばしたら叢雲にThunderを落とされそうネー。Knock on Woodデース》

『ん? ノック・オン・ウッド?』

《西洋のおまじないですね。厄除けに木を触りながら言うらしいですよ》

『あぁ。くわばらくわばら、ってことか。なるほど』


 雑学に感心しつつ、自分は、スカートを押さえて飛び降りる金剛を観察してしまう。
 絶妙なひるがえり具合につい反応する、さもしい男の性である。
 あり得ないことだけど、もし、電よりも先に彼女と出会っていたら、今頃どうなってただろうなぁ……。


「お話中失礼します。提督、連続同調時間が規定を越えます。食事時でもありますし、そろそろ休まれてはいかがですか」

「あ、書記さん。そうですね……。千代田たちの方は?」

「変わりありません。甲標的を使い回しつつ、針路の計測も滞りなく。問題があるとすれば、千代田さ――失礼。千代田、比叡両艦が、『千歳お姉に会いたい』『お姉さまと並走したい』とブツブツ言っているくらいでしょうか」

「あの二人は、ったくもう」


 今度は直接に耳朶を打つ声。平坦にも聞こえるけれど、その裏で彼女は苦笑いしていると思われた。
 まだ瘴気を放ってるのか、姉好きーズ……。
 赤城ですら辟易してたから、こうして第二艦隊の方へ逃げて来たっていうのに。
 この分だと、しばらく戻れなさそうである。というより戻りたくない。
 あんまり長く同調を続けても疲労が抜けにくくなるし、休憩を入れるか。


「それじゃあ、ちょっと上がらせてもらいます。一時間で戻りますから」

「分かりました。何かありましたら、すぐにでも報告を入れますので」

「お願いします」


 返事をすると、同調機器の低い駆動音に混じり、キーボードをタップする音。解除前の予備操作だ。
 自分と書記さんの会話は機械的に聞こえてるはずだけど、つながりが途切れる前に、一声掛けておこう。


『そういうわけで、少し席を外すよ。金剛、しっかりな。榛名、みんなのサポートを頼む』

《エー。もう行っちゃうんデスかー。もっとお話したいデース……。ついでに紅茶が飲みたいネー……》

《お任せください。金剛姉さま、辛抱しましょう? きっと帰ったら、提督がお茶の相手してくれますから》

《うぅぅ……。会えない時間がLoveを育てると信じて、ワタシはお仕事に勤しむデース……。See you later,テートク……》

『……まぁ、がんばって』


 明言してしまうと後が怖いので、とりあえずお茶を濁す。
 このまま戻っても良いんだけど……。いや、やっぱ残り四人にも挨拶だけ。


『叢雲、霞、曙。聞いての通りだ。くれぐれも気をつけてな』

《私を誰だと思ってるの。余計な心配しないで》

《そうね。いちいち断らないでさっさと行ったら?》

《どうせだからそのまんま戻ってこなくてもいいわよ。クソ提督の指揮なんかなくても、わたしならやれるんだから》

『……曙。君だけプリンお代わり禁止な。加賀、索敵は厳に』

《へ。……んなっ!? ま、待ちなさいよクソ提と――》

「心得ています。二の舞は演じません」

《あ、待て、わたしのプリーン!》


 吠え面をかく曙に溜飲を下げながら、自分は意識を拡散させ、同調率も下げていく。
 白浪の音が。潮風の感触が。
 そして、仲間たちの気配が、遠ざかっていく――。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「――はぁ。あ゛ー、肩が凝る……」


 装具から身体が解放されると、見慣れた調整室の壁が目に入った。
 空調が効いているため寒くはないのだが、しかし、打ちっぱなしのコンクリートは見た目にも寒々しい。


「お疲れ様、なのです。司令官さん」

「ありがとう……って、電? あれ、ずっとそこにいたのか」


 肩を回してほぐしていたら、横合いから濡れタオルが差し出される。そこでようやく彼女に気づいた。
 今日の第一秘書で、書類仕事を任せといたはずなんだけど……。


「いま来た所なのです。頼まれたお仕事は終わっちゃいましたから、様子を見に」

「もう? 凄いな、こんなに早く」

「あ、いえ。昨日の秘書官が妙高さんでしたから、今日の分も半分くらい終わってて」

「そっか。このままだと頭が上がらなくなりそうだなぁ……。よっと」


 機器から降り、低い位置にある電の頭をなんとなく撫でる。
 くすぐったそうに、それでいて嬉しそうな表情。
 間違いなく、この子が初めての船だったから、自分は皆と仲良くしたいって思えるんだろう。
 早く打ち解けられればいいのだが。あの三人とも。


「それじゃ、書記さん。いったん失礼します。些細な変化でも、遠慮なく呼び出してください」

「はい。どうぞごゆっくり」


 複数のモニターを前とする背中にも声をかけるのだが、彼女はそれから視線をそらすことなく、注視し続けていた。
 全部で三十個ほどある画面には、中継器から得られる十二隻の情報が表示されている。
 戦闘ともなれば、ここに艦載機などの映像が加わるため、それらを全て把握し、状況に即した報告を上げるのは至難の技。
 軽く見られがちな仕事だが、彼女たちのサポートなくして、ほとんどの能力者は戦えない。そんな中でも指折りと評される人が、留守を守ってくれるのだ。心強い限り。


「さ、行こう電。今のうちに昼メシ食べておかないと」

「なのです。鳳翔さんのお弁当、ですよね?」

「ああ。出撃がある時は特別豪勢なはずだから、楽しみ――お」


 期待に胸を膨らませながら、自分は両開きのドアを開けようと手を掛ける。しかし、触れようとした直前、ドアが一人でに動き出した。
 その隙間から姿を見せるのは、明るい茶髪を頭の上でお団子二つにし、余った分をツインテールのように揺らす少女。
 霞と同じ服装だが、首元は緑色のリボンで飾り、手には風呂敷包みを持つ。


「満潮」

「……どーも」


 驚いたのか、一瞬、呆気に取られたような顔を見せるも、すぐに冷めた表情へ戻ってしまう彼女。 
 名は、朝潮型駆逐艦三番艦・満潮。
 第二秘書を勤めているこの子もまた、友好的とは言えない態度を示す統制人格の一人である。
 電がここに居るんだから、電話番でもしてるはずなのに。


「一体どうした、こんな所まで。急用か?」

「……とりあえず、移動しましょ。ここじゃ迷惑になるわ」

「……です、ね。司令官さん」

「あ、あぁ」


 電にうながされ、とりあえずドアをくぐって、仮眠室への緩やかな階段を上っていく。
 スタスタと前を行く背中からは、拒絶されるような感覚を覚えてしまうが、しかし、それではいけない。
 どう話しかけようか、揺れる茶髪を眺め考えていると――


「はい、これ」

「……ん? これは……」

「お弁当。宿舎の下駄箱に置き忘れてったのよ。鳳翔さんが届けに来たわ」

「あっ」


 ――後ろ手に、包みを押し付けられた。
 しまった。靴を履く時にいったん置いて、そのまま出て来ちゃったのか。
 ってことは、いま電話番してくれるの、鳳翔さんだよな。ウッカリしてた……。


「すまん、出撃のことで頭がいっぱいで……」

「別に。一応、私も秘書官ですから。言い訳する相手も違うし」

「そうだな。戻ったらお礼を言っておく。満潮も、ありがとう」

「……ふん」


 素っ気ない声は、照れているからか、本当に興味がないからか。後ろ姿だけでは読み取れなかった。
 それを気まずく思ったのかもしれない。階段を登り切った所で、電が横へ並ぶ。


「そ、そういえば、ご飯まだですよね? 鳳翔さん、いつも電たちの分まで詰めてくれてますから、一緒に食べませんか?」

「ふーん、道理で大きいと。でも遠慮するわ。せっかくだけど」

「え。どうしてだ? 鳳翔さんの料理が気に入らない……わけないよな」

「当たり前でしょ。そんな気分じゃないだけ。それに、電話番させとけないもの。執務室へ戻るから」


 会話しながら歩き続け、やっと仮眠室の前に来た所で、満潮は一度振り返る。
 ごくごく平素通りな表情。嘘ではないと思えた。……いや、普通なら、そう思えるだろう。
 だから、それを崩したくなった自分は、また背を向けようとする彼女に向かい――


「そうか……。残念だな。美味そうなハンバーグとか入ってるのに」

「むっ」


 ――二段重ねになった弁当箱の蓋を開け、精神攻撃をしかけてみた。
 ピタリ、足が止まる。……ビンゴだ。


「それに唐揚げか。……ん、鶏じゃない。あぁ、カワハギか。昨日、天龍と木曾が釣ってきた奴だな。後は、ニラ玉、黒豆、飾り蒲鉾……」

「他にもいっぱい入ってるのです。電も、これくらい作れるようになりたいな……」

「ぐ、う……っ。こ、こんなこと、でぇ……」


 プルプル震え出す小さな背中。
 おぅおぅ効いとる効いとる。
 口では嫌がっても胃袋は正直よなぁ。
 早く素直になった方が身のためだぞぉ?


「どうしても……って言うなら。一緒に食べてあげないことも、ないけど」

「……ぷっ」

「な、何よ!? 言いたいことがあるならハッキリしなさいよっ!」

「いやいやいや、なんでもない。そうだな、一緒に食べてくれ。どうしても、満潮と一緒に昼を食べたい」

「ふんっ。しょうがないわね。可哀想だから付き合ってあげるわ、ったく。……意味分かんない……」


 ここが妥協点なのだと判断し、自分は素直に頼みこむ。
 ブツクサ言いながらも、振り返る視線はオカズに釘付けで、なんとも微笑ましい。こんな表情、励起した初日の夕飯以来である。
 やはり、一度あの味を知ってしまったら、鳳翔さんの手料理を断るなんて無理に決まってるのだ。


「くすっ。それじゃあ、お茶を淹れてきますね」

「頼むよ。三人分、な?」

「はいっ」


 楽しそうに、今にもスキップしそうな様子で、電が駆けていく。
 それを見送ってから、自分と満潮は仮眠室へ。


「さぁて、食べる準備だけしとくか。おぉっ、今日は炊き込み御飯かっ」


 備え付けのテーブルを部屋の中央に移動させ、衣替えした黒い上着(白は春夏物とされている。昔は夏服だったとか)をベッドに放り出し、いそいそと中身を確かめる。
 三段の重箱になっており、一番上がオカズ。色取り取りでバランスも良い。
 二段目がご飯物。本日は、ゴボウとニンジンにキノコの炊き込み御飯である。生姜も入ってるだろうか。やたらとテンションを上げてくれるこの香り、たまらん。
 三段目は変則的な使い方で、取り皿や箸、小さなしゃもじなどが格納されている。傷にならないよう、内側はポリウレタンの緩衝材で仕切られていた。音も鳴らない見事な配慮である。


「……ねぇ、司令官。食べる前に、一つ聞いておきたいんだけど」

「ん~? なんだ~?」

「なんで、そうまでして構うのよ」

「そりゃもちろん、親睦を深めたいからだよ。連携を密にし、事故を防ぐためには、信頼関係が重要だしな」

「私が聞きたいのは……ううん、今のは聞き方が悪いか」


 鼻歌交じりに皿などを並べていたのだが、その合間に投げられた言葉は、存外、重い意味を含んでいたようだった。
 振り返ろうとするも、先んじて満潮は場所を移動し、簡易ベッドへ腰掛ける。


「一回しか言わないし、安易に答えて欲しくないから、ちゃんと考えて。いい?」

「……分かった」


 手を止め、足を組む彼女と向き合う。
 大きな瞳と数秒見つめ合い、静かに告げられた言葉は――


「どうして、私を呼んだの」


 ――あまりに短く、答えるための要素が足りなかった。


「ごめん、質問の意味がよく分からないんだけど?」

「バカ。考えなさいって言ったでしょ」


 反射的に、質問を質問で返してしまう。
 けれど、それ以上は何も言わないつもりか、そっぽを向く満潮。

 どうして呼んだのか。
 お昼を食べに……ではない。それにはもう答えた。なら、この艦隊へということになる。
 彼女を励起した理由。
 更なる戦力の増強は、来たるべき決戦のための急務だし、撤退時に回収した解放艦が勿体無かったのもある。
 しかし、これらは彼女が求めている物とは違う気がした。
 戦況とか、懐事情とか、そういうことじゃなくて。より個人的で、もっと別の、深い何か。


(普通に考えれば、十分だ。もう五十を越えた。これ以上は遊軍を増やすだけ。それを押しても統制人格を呼び続ける理由……)


 もっと呼びたい、という欲求があった。
 だが、焦燥感に煽られてではない。あの日、電が救ってくれたから。もっと違う理由が自分の中に生まれているのだ。
 けれど、それを言葉にしようとしても、気付いたばかりなせいか、うまく形になってくれない。
 難しい理由じゃないと思う。きっと、とても単純で、ありふれた……。

 そんな風に考え込んでいた時、ジィィ、というかすかな音が聞こえた。
 何か、スピーカーのスイッチが入った時のような――。


『緊急、緊急! 桐林提督、至急調整室へお戻り下さい! 繰り返します、緊急事態発生! 戦闘指揮の要あり!』

「――っ。すまん、後で答える!!」

「あ、ちょっとっ」


 反射的に身体が動き出す。
 上着も忘れて仮眠室を飛び出し、廊下を駆け、下り階段――その脇にあるスロープを降りていく。
 蹴破る勢いのまま調整室へ突っ込むと、緊迫した背中が出迎える。


「状況は!?」

「良くありません。第一艦隊の南東から、考えられない速度で敵艦が接近中です。おそらく、五十ノットは出ているかと」

「五十!? どうなって――そうか、例の異常海流を利用してるな……っ」


 座席へ身を投げ出し、手すりに据えられた籠手を外して順に装着。元あった位置へ戻すと、上部から装具が降りてくる。
 肩に重み。頭の上半分が覆われ、視界を塞がれた。


「よし、書記さん!」

「了解。同調強度、上げ。第一艦隊旗艦・赤城に繋ぎます」


 焦る意識を平坦に、小さく、細かく。
 息を吐き切ったところで、浮遊感を覚えた。サナギから抜け出るようにも思えるそれにゾクリとしながら、空と海の間を駆ける。
 数秒と経たないうちに、自分は甲板上で険しい顔を見せる少女と感覚を重ねていた。
 すでに弓を構え、発艦の準備をしているようだ。


『赤城、報告!』

「はいっ。数分ほど前、衣笠さんの水偵が敵影を発見しました。しかし、あまりにも速度が速く……」

《これはちょっとマズいと思うな~。
 今も追わせてるんだけど、エリ戦を中心にエリ重が三隻、普通の駆逐二隻が猛スピードで迫ってきてる。
 あと十分もしないで目視できちゃうかも知れないよ?》


 赤城を補足するのは、両手に連装砲を構え、左太ももにもそれをくくりつける重巡洋艦、衣笠。潮風に吹かれるセーラー服とツインテールが、その表情と同じく慌ただしい。
 この分だと、上空に待機させてある加賀の一次攻撃隊でも、一回では仕留めきれないだろう。
 こちらから接敵して、迎え撃つ。


『足柄、衣笠、それに高速戦艦四姉妹。君たちの出番だ。いけるな』

《当たり前よ! 戦場が、勝利が私を呼んでいるわっ!!》

《気合入ってるねー。あ、もちろんこっちも大丈夫だよっ。利根ちゃんから着弾観測のコツ教えてもらったし、衣笠さんにお任せ!》


 烈火の如く吼える足柄と、気楽に胸を張る衣笠。
 二人とも気力に満ちているように感じられるが、後者に限っては少し違うようにも思えた。
 わずかな震え。決して深くはない同調からでも、初陣を迎える彼女の動悸が伝わる。
 気分をほぐしてあげたいところだが、しかし時間もない。自分が補佐しよう。


《フッ。ようやくワタシたちの出番ネー! Follow Me!! Miss足柄&衣笠も、ついて来てくださいネー! テートクに格好良いところを見せるデース!!!!!!》

《姉さま、そんなにボイラーを蒸かしては、後に響いてしまいますよ? 演習の時のように、確実に行きましょう》

《やっと、やっと、やっとこさ、金剛お姉さまと砲を並べられるんですねっ。テンション上がってきましたぁ! 今宵の虎徹は鉄と油に飢えてますよー!!》

《昼間ですし、三十五・六cm砲ですし、ギトギトしそうですけどね。
 ……ふむ。衣笠さんの水偵からの情報では、戦艦ル級の砲戦特化タイプですか。
 撃たれる前に仕留めないと厳しいですね》


 それにひきかえ、戦艦四人は余裕を崩さない。
 特に比叡と霧島は、背中でXの字に展開する四基の連装砲を、今か今かと律動させている。
 加賀もそうだが、励起して間もないはずの彼女たち、即時実戦投入ができるほど練度が高かった。
 熟練の能力者であれば、励起当初から練度の底上げも可能らしいが、おそらくそれとは違う。大戦での様々な実戦経験が影響しているのだろう。
 青葉にチート呼ばわりされるわけだ。


『これより金剛を臨時の旗艦とし、比叡、榛名、霧島、足柄、衣笠で隊を再編する。各艦、水偵を発艦させよ。多方向からの着弾観測で精度を上げるぞ。千代田は……正気に戻ってるか?』

《ちょっと提督、それどういう意味? こんな状況でボケっとするほどバカじゃないってば。お姉に怒られちゃうもん》


 どうあっても判断基準は変わらず千歳なんですね。
 ブレないよなこの子も。


『なら良いんだ。甲標的をみんなと並走させてくれ。いざという時は雷撃への盾にする。あの速度では誰も当てられん』

《うん、分かった。……ごめんね妖精さん。でも貴方たち不死身だし、頼らせてね……》


 改造時に増設された艤装――両ふくらはぎの甲標的カーゴを撫で、千代田はつぶやく。
 傀儡艦の兵装や艦載機などは、この妖精さんという存在が操っていると前に言ったが、彼女たち、なんと不死身なのである。いや本当に。
 爆発に巻き込まれても焦げるだけ。航空機が撃ち落とされてもパラシュートで落ちてくる。コンテナで挟まれたとして、マンガ的に薄っぺらくなり、三秒後には元通りになるという。見えないから伝聞だけど。
 彼女たちが宿るのは、統制人格を励起するほどの霊的増震に耐えきれない、比較的小さな機械のみ。
 より強い存在であるはずの統制人格は戦闘で傷を負うのに、下位とされる妖精さんは絶対無敵。この差はどこから生まれるんだろうか。摩訶不思議だ。


『本当になんなんだろうな、妖精さんって。……ごほん。
 加賀、第一次攻撃隊を目標へ。同時に第二次隊も編成、可能な限り発艦させよ。
 赤城は……もうやってたな。そのまま続けてくれ』

「承知しました。赤城さん、行きましょう」

「ええ。一航戦の誇り、お目にかけます!」


 加賀と赤城。対になる色をまとう彼女たちは、寸分の狂いもなく、同じ動作で弓を弾いた。
 相手に空母がいないから、今回上げるのは艦爆と艦攻だけで大丈夫。問題は発艦速度。接敵するまでに上げられるのは、露天駐機でもせいぜい数機。初手は加賀の彗星二十機のみとなる。
 凄まじい技量を持つ彼女でも、相対速度がこれでは至難の技。なら、金剛たちで深海棲艦を足止め。その間に攻撃隊を準備し、第二次攻撃で仕留めるのが定石だろう。
 もちろん、その前に金剛たちが仕留めてしまう可能性もある。むしろこっちを狙うべきか。
 奴らの使っている異常海流、どこまで近づいているかは分からないが、落ち着いて対処すれば勝てる相手だ。


《ちょ、ちょっと、わたしたちは!? わたしにもなんか出番よこしなさいよクソ提督っ》

『言われなくても今から指示するよ。曙、霞、叢雲は加賀を護衛しつつ、赤城、千代田へ合流。そのまま警戒を』

《ま、妥当よね。ところで、指揮なんていらないんじゃなかったの、曙》

《うっさいわね、プリンのためよっ。プ・リ・ン! 霞だってホントは好きなんでしょ?》

《別に。たかがオヤツの一つや二つで、騒ぎ過ぎ》

『ほう、そうかそうか。じゃ、霞の分も他に回すか。プリンも美味しく食べてもらった方が嬉しいだろうしな』

《た、食べないとは言ってないわよこのカス! なに勝手なこと言ってんのよ!?》

《貴方たち、戦闘用意しなきゃいけないって分かってる? 全くもう――ん?》


 迫る危機を物ともせず、口の悪いお子様二人と騒いでいたら、ふと叢雲が右舷を振り向く。
 甲板から手すりなどを伝い、艦橋の上部へ八艘飛びして見せる彼女は、アンテナを構えて瞑目する。
 荒れる風で、髪とスカートがはためいた。


『どうした叢雲。電探に影でもあったか』

《……いいえ、そうじゃない……はずだけど。何、この感覚。何もないのに……?》


 同調を深め、電探の情報を引き出してみても、やはり反応はない。穏やかな海をのものだ。
 しかし、叢雲は確かに何かを感じ取っているらしく、眉間へシワがよる。黒いストッキングで包まれる足も落ち着かない。
 彼女も初出撃。逸る気持ちが勘違いさせた? なくはないだろうが……。気になるな……。


「提督。第一次攻撃隊が目標を視認しました。これより、急降下爆撃を敢行します。編成中の機をお預けしても?」

『あ、あぁ。任せろ。お手並み拝見といこうか』

「ご安心を。みんな優秀な子たちですから」


 暗い海を注視していたが、抑揚のない加賀の声に引き戻される。叢雲はまだ索敵してるみたいだし、大丈夫だろう。
 今はそれよりも、確実に近寄って来ている深海棲艦の方へ集中しなければ。
 第二中継器を介し、加賀との同調率を高く。
 すでに空を舞っていた天山六機の操作を預かると、脳に軽くない負荷を感じた。
 速度、高度、機動。維持するために必要なルーチンを意識外で走らせ、金剛隊へも注意を怠らないようにする。


(ようやく並列思考にも慣れて来たな。あとは複雑なルーチンを、コンフリクトさせないで組めるようになれば、いつか先輩とも互角に





 見――タ





「うぐぁ!?」

「提督? ど、どうなさい――え、これは、第二艦隊の反応が……っ」


 側頭部への衝撃。
 鈍器が掠めたような痛みに、思考を乱された。
 天山は落とさずに済んだけど、なんだ、一体……!?


《あ、あれっ? なんか、彗星が落っこちて来てるんですけどー!?》

「いけない、間に合って……!」


 奥歯を噛み締めて耐える自分を他所に、衣笠は大慌てで空を指差す。
 まるで操縦者を失ったかの如く、二十機の彗星が失速しようとしていた。
 それを察知した赤城は、一呼吸で四本の矢(分裂して数は五倍に)を放つという離れ業で制御権を拾う。


『ぐ、っ……。よくやった、赤、城……』

「いえ。独断専行、申し訳ありません。ですがこれは? 加賀さんに何か?」

『分か、らん、いきなり、同調が弾かれた。くそ、グラグラする……っ』


 攻撃しようとしていた彗星が落ちたということは、加賀が制御を放棄した?
 そんなバカな。彼女に限って、あり得ない。
 しかし実際、第二艦隊へ同調しようとしても出来なくなっている。何かが、起きたんだ。


《Shit,今の砲撃音、十六inch砲ネ! しかも三連発……!》

《データによれば、ル級に積まれているのは旗艦種でも連装砲までのはず。ということは……》

《ちょ、それってマズいんじゃ? 曙ちゃんたちじゃ歯が立たないですよ、司令っ》


 揺れる視覚情報の中で、金剛たちも目を厳しく。自分には聞こえなかったが、あの瞬間に砲音があったようだ。
 十六inch。それは長門型の四十一cm砲に相当し、駆逐艦や空母が直撃を受ければ、一巻の終わりとなってしまう大火力。
 これを装備している深海棲艦は戦艦のみ。そして霧島の言うとおり、最も出現率が高いル級は、サイズのいかんは問わず、連装砲を載せる艦しか確認されていない。
 最悪の事態が脳裏に浮かぶ。


「書記、さん、同調の切り替え、は?」

「こちらからの信号に応答はありません。発っせられているはずの信号も途絶えています。なんらかの理由で、中継器がダウンしてしまったものと……」


 勤めて冷静を保つ少女の言葉で、悪夢は現実へと侵食を始めた。
 加賀の中継器は艦橋に置いてあった。それが機能停止したということは、即ち、艦橋に被害を被ったということ。
 人員を配して操船するわけではないから、極端な話、艦橋をもぎ取られても傀儡艦は動く。だが、間違いなくダメージを負っているだろう。特に精緻な艦載機制御を求められる空母にとって、これは痛い。
 加えて、連携も取りづらくなった。第一中継器の影響下にある六隻は大丈夫だが、金剛・榛名の両名は、昔ながらの有視界戦闘を強いられる。
 たった一撃で、ここまで追い込まれるとは……っ。


《来たわよ! 速度は落ちてるけど、確かにエリ・ルだわ。この間の借りは返すんだから! ……けど、霞たちは……っ》

《あわわ……。ど、どうするの? 加賀さんたち助けないとっ、でも、こっちだって無視できないし……》

《く……。提督、ご指示を!》

『待、て。今、加賀たちの状態を、確認する、から』


 追い打ちをかける足柄、衣笠、榛名の声に、自分は状況を把握しようと思考を巡らせる。すぐに、加賀から預かった天山を思い出した。
 内一機のルーチンを変更、機首を反転させて、第二艦隊の方向へ。


『……嘘だろ。霞っ!?』


 焦る視界に飛び込んで来たのは、予想に反してほぼ無傷の加賀、曙、叢雲。
 そして、船体の中央部から、真っ黒な黒煙を上げる駆逐艦――霞の姿だった。
 大破、している。


『どこだ……。敵はどこに居る……!』


 死に体となった彼女の付近へ、更に発生する水柱。
 砲撃音は左から聞こえる。さっき叢雲が注意していた方角だ。
 旋回すると、恐ろしい速度――先ほどのル級と同じ速さで接近する、灰色の艦隊が見えた。
 五隻による輪形陣。中央は、まるで山椒魚の頭にも見える密閉ドームを備えた、空母ヲ級。左右と後方を軽母ヌ級三隻が固めている。
 だが、最も威圧感を放っているのは先頭の深海棲艦。

 もともと、敵戦艦は歪な装甲のせいで大きく見えるのだが、見慣れたそれよりも一回り大きい。
 歯軋りする十六inch三連装砲塔のそばに、金色をまとう、白過ぎる肌の少女。
 戦艦タ級、旗艦種。
 確認されている深海棲艦のなかで、最恐の存在が、そこに居た。


『待ち伏せ、された?』


 二つの敵艦隊と遭遇する。稀にではあるが、起こりうることだ。
 けれど、この状況はそれだけで説明できない。
 囮を使って主力をおびき寄せ、守りの手薄になった相手を本命が叩く。
 基本中の基本だが、今まで、深海棲艦は全くと言っていいほど用いなかった、戦術という概念。

 戦争が、始まる。










《こぼれ話 君が待つと言ったから》





「――以上で、報告を終わります。何か御不明な点はありますでしょうか?」

「いや、問題ない。お疲れ、朝潮」


 執務机の向こう側で、直立不動に報告を上げる、サスペンダースカートの少女。
 長い黒髪を艶めかせる彼女へ、自分は労いの言葉をかけた。


「青葉にも取材を受けてたけど、どうだった? 初の海上護衛任務は」

「はい。交戦はありませんでしたが、例えあったとしても、近代化改修の恩恵がありますから。問題なく遂行できたかと。これも、司令官の御配慮の賜物です。感謝します!」

「大仰だなぁ、君は。確かに公私の区別はつけなくちゃいけないけど、あんまり気を張りすぎるなよ」

「はいっ。肝に命じますっ」

「ははは……」


 分かってんだかないんだか。アームウォーマーとニーハイ(色は黒)に包まれた四肢をキビキビと、敬礼して返す朝潮に、思わず笑みがこぼれてしまう。
 朝潮型駆逐艦ネームシップである彼女は、もうとにかくキッチリキッカリした言動で、学級委員長という表現がピッタリ合う少女だった。軍艦としてはちょうどいい感じか?
 この素直さが、満潮や霞に欠片でもあれば……。


「さて、朝潮の業務はこれで終わりだ。今日はもう宿舎に帰って、ゆっくり休養をとってくれ」

「了解しました。……と、ところで、司令官」

「ん。どうした」


 いっそう背筋を伸ばし、そのまま退室するかと思いきや、彼女は敬礼を解いてモジモジしだす。
 そんなに付き合いは長いわけじゃないけど、珍しい気がする。


「あの、任務から帰投した統制人格は、その……。ぉ、お代わり、できるというのは、本当なのでしょうか」

「お代わり……ああ、プリンか。食べ尽くそうとしない限りは構わないぞ。気に入ったのか?」

「はいっ。とても美味だと思います! あれを食べられるなら――あ、いえっ。違いましたっ。司令官の御命令なら、どんなことにも従う所存です!
 戦えと言うなら死力を以って戦います。輸送しろと言うなら地球の裏側にでも行ってみせます。そしてお代わりしろと言うなら何度でも!」

「そんなこと言った覚えないんだけどな」


 ……というツッコミは、目を輝かせる朝潮に届かなかったようだ。
 こんなに喜ばれているなんて思わなかった。作った側としては嬉しい限りである。
 ちょっとルール違反だけど、ご褒美あげたくなるな。


「……よし。素直な朝潮には特別だ。待っててくれ」

「あ、はい。さっそくご命令ですねっ。この朝潮、いつまでも待つ覚悟です!」

「だから大袈裟だってば」


 気をつけする彼女を背に、備え付けの小型冷蔵庫へ。
 ぎゅうぎゅう詰めのプリン(ちょっと異様だ)から適当に一つを取り出し、使い捨てのスプーンも用意。
 期待に胸を膨らませる少女の側へと舞い戻る。


「ほら、食べていいぞ。初遠征、初旗艦の特別褒賞だ」

「……よ、よろしいんですか?」

「もちろん。他のみんなには秘密だからな?」

「はい! 口が裂けても言いません、最高軍事機密ですっ。では、頂きますっ」


 少しだけ後ろめたいような顔をする朝潮だったが、冗談めかして笑いかけると、スプーン片手にまた敬礼。
 口振りは真剣そのものなのに、もう満面の笑みを浮かべているのが可愛い。頭ワシャワシャしたい。ドS姉妹艦二人へ、爪の垢でも煎じて飲ませたいよ。 
 ……あ、そうだ。


「朝潮、少し待て」

「はぇ?」


 ちょっとしたイタズラを思いつき、今まさにプリンを口へ運ぼうとしていた彼女を止める。
 あの二人にこんなことしたら、罵詈雑言と敵意の熱視線で胃に穴が空くだろうけど、この子は大丈夫だろう。


「司令官? 一体どうし――」

「待て、だ。朝潮。待て」

「は、はい……」


 普段のキリッとした表情から一転、オドオドした様子でスプーンを迷わせる朝潮。
 何をさせたいかと言えば、犬によくやる「待て」と「よし」である。
 ヨシフにやっても全っ然いうこと聞いてくれないし、最近ますますデカくなり始めて怖いし、一度やってみたかったのだ。
 いや、朝潮を犬扱いしているわけじゃないのだが、なんとなくお手とかおかわりもやってくれそうな感じがして……って、誰に言い訳してんだろうか。


「……っ」


 そうこうしている間に、三分が経ち――


「……ぅ……く……」


 五分が過ぎ――


「し、司令、官……。これは、新しい拷問、なのでしょうか……っ? 私、何か粗相を……?」

「おやおやー。いつまでも待つというのは口だけだったのかー?」

「そ、そのようなことはっ! しかしこれでは、せっかくのプリンが……っ」


 ――十分が経過する頃には、全身を震わせ、縋るような涙目で見上げて来た。
 やっべ。超楽しくなってきた。シナっとした幻の犬耳と犬尻尾が見える。あぁいかん、キューンって鳴き声まで聞こえる。重症だな自分。
 けど、これ以上我慢させるのも可哀想か。最後にもう一発イジメて終わりにしてあげよう。


「ふっふっふ、仕方ない。ではこうしよう。自分が何をしたいのか。何が欲しいのか。素直に言えたら食べてもいいぞ。さぁ」

「……っ! わ、私は……っ!」


 誰かに見られていたら、間違いなく憲兵隊直行なゲス微笑を浮かべつつ、自分は全力でセクハラしてみる。
 いつもなら絶対こんなことしないが、ドS姉妹艦+αによるストレスと、真面目な子を見ると妙に弄りたくなる、男子特有の性質が掛け合わさって止まらない。
 朝潮はといえば、何をどう言ったら許可してもらえるのか、わずかに逡巡。顔をうつむかせた。
 そして――


「……た、食べたい、です。司令官のくれたプリンを、余すところ無く味わいたい、ですっ。もう我慢できませんっ、司令官、お願いします、もう……っ」

「うん。よく出来ました。食べてよし」

「は、はいっ! 今度こそ頂きますっ!!」


 ――再び上げられた彼女の頬はなぜか上気し、潤んだ瞳と濡れた唇が、背格好に似つかわしくない色気を放つ。
 それを見れたことで、自分の中に住まうセクハラ親父は満足してくれたのだろう。晴れやかな気持ちで許可を出せた。
 朝潮は律儀に挨拶をしてから、「はむ」とスプーンを頬張る。
 じわ~、と広がっていく笑顔。足を踏み鳴らしてジタバタするのは歓喜の表現か。幻の尻尾が千切れんばかりに振り回される。モフりたい。


「どうだ、美味しいか?」

「――っ! 最高です! 我慢した分、いつも以上に美味しく感じられます! 司令官はこれを狙っていたんですね、感服しました!!」

「あ、ちが、ただの意地悪――そうだろうそうだろう。まぁ、たまにだから効果的だっただけだし、普段は我慢しなくてもいいからな。遠慮なく食べるといいよ」

「はいっ! っん、朝潮は、はぐ、この艦隊に呼ばれて、あむ、幸せですっ!!」

「そ、そうかー。自分も嬉しいぞー。あっはっは……は?」


 引っ込みがつかなくなり、適当なことを言って誤魔化していたら、プリンをパクつく朝潮の背後――廊下への扉が開いているのに気づいた。
 隙間からこちらを覗く、地獄の底を思わせる、絶対零度の瞳が上下に二対。髪の色から察するに、満潮と霞。
 物言いたげなそれは、わざわざ艤装を召喚したらしい彼女たちの思念によって、呪殺の魔眼と化す。


《私、なんでこんな艦隊に配備されたのかしら》

《セクハラしかできない男って惨めよね。◯ねば良いのに》


 音もなく閉じていく扉。滴る冷や汗。朝潮の上機嫌な鼻歌。
 得たものは、純真無垢な信頼への後ろめたさ。そして失った、二人の少女からの人間的な信頼。
 一時の衝動に流された代償は、とても、とても大きかったようだ。

 ヤバい。
 どうしよう。
 ……助けて比叡もん!





「ひぇっぷし! ……ぐす、あれぇ? 風邪でも引いたかなぁ」

「Oh,それはいけまセン。ちゃーんと肩まで浸かって、百数えないとダメですヨー?」

「くっ、メガネが曇って何も見えない……っ。やはり、早急に対策を立てないと……!」

「もう、霧島ったら。ほら、湯船はこっちですよ」




















 筆者提督、濃厚な浜風ちゃんドロップに妨げられ、イベント完全攻略――失敗!
 まぁクリアは出来たんですが。ゲージ回復しないってだけで楽に感じましたねー。泣きの一回でE-5行ったら夕雲ちゃん拾えたし。
 夜戦マップは相変わらず鬼畜でしたけど。あとE-4ボス前にE-5ボス二つ前。これだから油断できんのだ……。
 それはさておき、今回はらしくないシリアス回と、それをぶち壊すいつものおまけ話でした。もう少しだけ、この調子が続きます。
 また、エリ戦ル級の装備が十六inch連装砲になっているのは、タ級との差別化をはかる仕様です。
 次回で戦闘自体は終了しますので、どのような結果になるのか、しばらくお待ちください。
 それでは、失礼いたします。

「み、満潮ちゃん? あの、司令官さん、どうしたんですか? すごい勢いで……」
「ちょうど良かった、ご飯食べてる場合じゃないわっ! 私たちも行くわよ、電!!」
「えっ。は、はわわっ、お茶が、お茶が零れちゃうのですー!?」





 2014/05/10 初投稿
 2014/05/13 誤字修正







[38387] 新人提督ととても長い一日・中編
Name: 七音◆f393e954 ID:5eccba50
Date: 2014/06/03 22:39



 作戦は、日本における傀儡能力者、最初の五人のうち、三人を中心として行われる事となった。
 まず一人目。桐竹源十郎。
 わたしのことだが……特筆すべきことはないので省く。
 航空母艦・伊吹を旗艦とする部隊で、アウトレンジ攻撃と防空を担当。

 二人目。吉田豪志。元海上自衛隊二等海佐。
 全世界に同時出現したツクモ艦と、初めて遭遇し、なおかつ生き残った数少ない人物でもあった。
 普段は温和という言葉を体現したような男性だが、いざ戦いとなれば、“鬼”と評されるほど苛烈な攻勢を見せる。
 駆逐艦・秋月あきづきを旗艦とする部隊で、伊吹の護衛と遠距離雷撃を担当。

 三人目。梁島和馬やなしま かずま。元は売れない脚本家。
 自己主張が弱く、続けていても大成はできないだろう性格。別れた妻との間に子供――兄妹がおり、能力に目覚めるまでは養育費の面で大変だったそうだ。
 そこに付け込まれ、何度も詐欺師などに騙されたらしいが、相手が不慮の事故に遭うなどして助かるという、凄まじい悪運を誇る。
 軽巡洋艦・大淀を旗艦とする部隊で、条約下では積めなかった大口径砲での砲撃を担当。

 ここへ、新しく訓練を終えた能力者を数名加え、総数十八の艦隊を組む。
 要となるのはわたし――いいや、伊吹。
 彼女に載せた零式艦戦五二型と、それを改造、爆戦とした零戦六二型が鍵を握る。

 不安はあった。
 しかし同時に、やり遂げたいという思いもあった。
 わたしと彼女が、艦隊の全てを守る。
 ……やってやろうじゃないか。


 桐竹随想録、第六部 馬の緯度より抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『くそっ!? 書記さん、第一中継器の通信帯を広域に! 聞こえるか霞っ、誰でもいい、返事をしろ!!』


 ヒリつく喉から、必至に声を絞り出す。
 戦況は刻々と動いていた。
 黒煙を上げる霞は速度を落とし、彼女を庇うように、後ろについていた曙がフラ・タとの間へ。
 加賀、叢雲は速度をそのまま。こちらもフラ・タとの間に叢雲が入り、第一艦隊へと向かっている。敵艦隊の速度は急激に落ちていた。おそらく異常海流の影響から離れたのだろう。
 だが、すでに射程内へ捉えられ、敵艦載機も着々と空を埋め尽くそうとしている。何の慰めにもならない。
 獲物を前に舌なめずりするかの如く、狙いの甘い砲弾が飛沫を上げた。

 どうする。金剛たちを戻す?
 そうしたらエリ・ルの砲が赤城たちに向く。
 けど、このままじゃ霞たちはなぶり殺し。どうすればいい……!?


「――、提、督……。こちら、加賀、です……っ」

『……! 加賀、何があった?』

「は、い……。砲撃が、艦橋をかすめただけ、です。そのせいで、中継器に一時的な障害が……」

《くっ、なんて失態……! なんでもっと早く発見できなかったのよ……っ》

『落ち着け叢雲、悔いるのは後でも出来る。今は乗り越えることだけ考えろ!』


 不意に、こめかみから一筋の血を流す加賀の姿が、脳裏へ浮かんだ。
 膝立ちだった彼女は、ふらつきながらもなんとか立ち上がり、新たな矢を番える。
 エレベーターも同時に稼働。露天駐機の天山ではなく、零戦を上げるつもりか。
 敵にも空母が出現した。そうしなければ制空権を奪われるのだから、止める理由はない。

 叢雲は苛立っているようだ。
 無駄に砲撃しないあたり、冷静さを欠いてはいないみたいだが、歯ぎしりの音に悔しさが滲む。
 確かに、どうして発見出来なかったのかは謎。戦艦級であれば三十km以上先でも見つけられるはずなのに。
 旗艦種のまとう力場に拡散作用があった? そんな事例は聞いたこと……。
 厄介だが、考察する暇もない。同調が復帰したなら、次に確認すべきは。


『霞、聞こえるか。霞っ、損害を報告せよ!』

《……っさい、わねぇ……。聞こえてる、わ、ょ……っ。少しは、できる奴が、ぃる、みたい、ね……》


 甲板で倒れこんでいた少女が、今にも消え入りそうな声で強がる。
 ひどい有り様だった。
 左腕の魚雷発射管は跡形もなく、シャツもスカートも、機関部までボロボロ。
 身体は煤にまみれ、満足に立ち上がることすら。


(発射管が全滅。後部の主砲二基も稼働せず。第二煙突消失。缶も二基がダメになってる。まともに使えるのは、船首主砲一基のみ)


 自分で把握した方が早いと判断。回復した中継器から情報を引き出すのだが、それも惨たらしい状態を教えるだけ。
 朝潮型は、二番煙突の両脇に次発装填装置を二本ずつ備え、二番発射管を挟んでさらに四本が並んでいる。そこに砲弾が直撃――いや、こちらもかすめたのだろう。もし直撃していれば、その瞬間に船体が真っ二つとなり、轟沈していたはずだ。
 陽炎型で改善されている誘爆の危険性。第二次改装でそれを行おうと後回しにしたのが、仇となってしまった。


《ちょっと、どうすんのよ、どうすればいいの!? ねぇ霞、退避出来ないの!?》

《……無、理ね……。タービンは無事、でも、缶がこれ、じゃ……。う、ぐ……っ》


 霞の右舷に立ちはだかる曙は、ひどく動揺している。フラ・タに向けられる砲や発射管の向きが安定しない。
 彼女自身、今の霞と同じような状態に陥った過去があるからかもしれない。
 その時は爆撃が原因で、上部兵装の全てをもぎ取られて沈んでいった。トラウマを刺激されるのも当然か。


《Hey,テートク! こっちもそろそろOpen Combatネ! 戦闘方針をChangeするなら今しかありまセン!》


 思考に割り込む金剛の声。
 意識を向ければ、フラ・タと同じく速度を落とす敵打撃部隊と睨み合う彼女たちが。共に、赤城から見て南東方向に位置している。このままだと反航戦に入るだろう。
 考えうる選択肢は幾つかあった。
 状態を維持し、すれ違い様の一撃に賭ける。航空機のサポートがあればこれが妥当かもしれない。しかし現実にそんな余裕はなさそうだ。
 次。距離を活かして、進路を塞ぐ形で砲撃を浴びせる。おそらく敵も針路変えるはずだから、同航戦に。こちらは戦艦が四隻と重巡二隻。火力で負けることはないだろう。
 もしくは……。


《こちら足柄、意見具申! エリ・ルも速度が低下してるし、このままなら甲標的と金剛たちだけでも落とせるわ。だから、私と衣笠で助けに行かせて!》

《ぬぇ!? わ、私も!? あ、違うの、嫌ってわけじゃないんだけど、でも……》

《迷ってる場合じゃないわっ。お願い、早くしないと……!》


 足柄が言ったように、再び隊を分けるか。
 通常の速度相手なら甲標的が生きてくる。人の代わりに妖精さんが乗ったこれは、母艦である千代田と完璧な連携を取れる。駆逐艦にさえ気をつければ、重巡二隻分の穴は優に埋められるだろう。
 その代わり、六対四の劣勢となる。しかも相手には選良種が四。被弾確率も増え、戦力は拮抗――いや、相手が上に。
 リスクは避けられない。それでも、選ばなくては。なら、自分の選択は――


《なに、バカなこと、言ってんの、ょ……。もっと全体のこと、考えなさい、ったら……》


 ――と、口を開きかけた時。
 大破しても不遜な霞が、ようやっと立ち上がりながら呟く。


《私を置いて、撤退しなさい。それが正しい選択、よ》

《……なっ!? ば、バカはどっちよ! そんなの駄目に決まって――》

《そうしなきゃ皆が危険に晒されるのよ!! 旗艦種相手の遭遇戦、どうやって勝つつもり!?》


 らしくない怒声に、足柄の反論は遮られる。
 彼女の言う通り。それが生き延びるために必要な選択だと、理解できた。
 まったく想定していなかったこの戦闘。確実に皆を帰投させるには、足の速い艦を先に撃破。低速である戦艦の足止めをして、索敵範囲外に出てしまうのが手っ取り早い。
 そして、その囮は使い捨てに出来る物でなくてはならない。
 たとえば、甲標的。たとえば……帰る見込みのなくなった船。


「確かに、戦術的に考えれば、それが正しいのでしょう」

《加賀? 貴方……!》

「提督。ご決断を」


 同じ結論へと至っているのだろう。加賀は一切の表情を消し、淡々と事実を突きつける。
 食ってかかる叢雲も、本当は分かっているのだ。選ばなくては共倒れになると。
 だから、悔しさにまた奥歯を軋ませて。


「どのようなご指示であろうと、提督のお決めになったことなら。私は従います」

《……うん。ワタシも》


 彗星を維持しつつ、確実に艦載機を上げ続ける赤城。
 同じく、瑞雲・甲標的を出せるだけ出す千代田。
 この二人もまた、静かに言葉を待っている。自分の――提督の、一言を。


《ふ、ふざけんじゃないわよ!? わたしは嫌、絶対に嫌!
 あいつらさえ倒せば良いだけの話じゃないっ。
 なんで、なんで助けられる船を切り捨てなきゃいけないのよぉ!!》


 唯一、声を張り上げているのは、曙。天を仰ぎ、連装砲をきつく握り締める。
 彼女にとって、これは単なる仲間の危機ではない。過去の焼き増しだ。
 扶桑たち――西村艦隊の一員としてスリガオ海峡へ突入するも、武運拙く大破した最上を、雷撃処分した時の。
 曙は後続するはずだった志摩艦隊に所属。最上を護衛しながらコロン湾へと脱出したが、そこで再び爆撃を受ける。そして、目も当てられない状態となった護衛対象を、介錯した。
 戦争を生きた軍艦。彼女以外にも、似たような経験をした船はいくらでもいる。けれど、それが痛みを和らげてくれないのは、火を見るよりも明らかだ。

 いつだったか、覚悟していたことが現実になってしまった。
 死ねと、命じなければいけない時が、来てしまった。
 選ぶ。自分が。命を。


(――あ)


 右腕に違和感を覚えた。
 同調している統制人格たちの感覚ではない。生まれ持った肉体の方だ。
 シャツの袖を、つままれている。まるで、縋るように。
 とても、とても、弱々しく。


『……全艦に告ぐ』

《何よクソ提督っ、あんたの命令になんか――》


 迷いは、ほんの数秒。


『無茶をするぞ。だが信じろ。必ず、全員無事に連れて帰る』

《――え》


 かすかな温もりに後押しされ、自分はハッキリと宣言した。
 同時に、とある“作戦”の詳細を皆と同期。状況の打破を狙う。
 奴らが戦術を手に入れたなら。戦術的な判断をするなら。
 勝てなくてもいい。負けなければいい。生きてさえいれば、どうにかなる……!


《……なるほど。これなら、行けるかもしれませんね》

《無理無茶無謀、三拍子揃えましたねー、司令ってば。……でも、私たちなら!》

《はい。行きましょう、金剛お姉さまっ》

《Yes! やっぱり、ワタシの目に狂いはなかったネー!!》


 霧島の眼鏡が光り、比叡は拳で手のひらを叩く。
 嬉しそうな榛名と連れ立つ金剛も、我が意を得たりと笑みが華やぐ。
 決して容易くはない戦いへ追い込んだというのに、それすら気炎を揚げる燃料としてくれる。
 なんとも、ありがたい。


「あまり、良い判断とは言えませんね」


 次いで声を発したのは加賀。
 頬に垂れた血を拭うためか、その顔は腕に隠されている。
 もっともな意見だ。切り捨てるべき一のために、残りの全てを危険に晒すのだから。
 だが、引くつもりもなかった。


『悪いな。失望させたか』

「………………。ですが、何故でしょう。これが私の提督なのだと思うと」


 肯定するような沈黙。
 無言で矢を番える彼女の表情は、やはり見えない。
 しかし、弦が引き絞られ、中空を見据える瞳が明らかとなった時、そこには――


「気分が、高揚します」


 ――初めて見る、穏やかな微笑みがあった。
 弾き出される矢と零戦にも、今まで以上の気迫が宿る。
 まったく、不器用な。


『さぁ、戦闘開始だっ! 赤城、天山を預けるぞ。千代田、手筈通りに。足柄、衣笠は回頭。最大戦速で霞の援護に向かえ』

「了解! 必ずや、皆で帰還を」

《うん、うんっ。やっぱり提督はこうでなくちゃ!》

《……ありがと、司令。さ、行くわよ衣笠!》

《ちょ、ちょっと待って、ちょっとだけ……。よし、覚悟完了っ。飛行機は苦手だけど、頑張っちゃうんだからっ》


 エリ・ルへと向かおうとしていた彗星が翻り、赤城から上がった同機体と天山を加え、フラ・タに矛先を向ける。代わりを務めるのは瑞雲と甲標的。
 彗星を追い、瑞雲たちとすれ違う重巡二人は、三十三ノットの高速で白波を立てた。
 ……そういえば、衣笠は爆撃されて沈んだんだっけか。より過酷な方に向かわせちゃったけど、それで逆に吹っ切れたのか、自分で頬を叩き気合いを入れ直している。
 自棄になっているわけでもなさそうだ。後は間に合うことを祈ろう。


『何をぼさっとしてる曙。対空戦闘用意! 絶対に爆撃を許すな。叢雲も霞の直衛に』

《あ、うん……って、うぅぅうるさいわねっ、あんたなんかに言われなくても分かってるわよ! この、この……クソ提督ー!!》

《はいはい、嬉しいからって騒がないの。叢雲、霞の護衛に入るわ》

《嬉しくなんかないわよ! ちょっと、聞いてる!?》


 大急ぎで顔を整えようとする曙だが、それをあしらう叢雲も、似たような顔。
 ああ、なんて心強いのか。
 こんな無茶な作戦を知って、なおついて来てくれる、仲間という存在は。


《……ぁ。ば、バカッ、何してんのよあんたたち!? 私のことなんかどうでも良いから、さっさと逃げなさいったら!》


 ところが、当の本人は、未だ諦めに囚われているらしい。
 普段の様子からは想像もできない弱気だ。
 まぁ、考慮する余裕なんてないけど。


『そんなことより霞、缶はまだ一つ生きてるな? だったら動け。遅くてもいい、回避行動を取るんだ』

《い、生きてるけど……無駄だって言ってるでしょ、早くしないと手遅れに……》

『……やらないなら勝手に動かすからな。――ぃ、ぎっ!?』

《あっ、ダメッ》


 渋る霞への同調率を上げ、タービンを回そうと試みるのだが、その瞬間、身体が大きく跳ね上がった。
 熱い。
 痛い。
 息が出来ない。
 ズタズタに引き裂かれた傷口へ、焼きごてを押し付けられているような、強烈な痛み。
 他のみんなへ伝播しないようにするのが、精一杯だ。


「これが、大破した統制人格の痛み、か……っ。キツい、な、これ……っ」

「な、何をなさっているんですか提督!? すぐに同調強度を下げ――」

「待て、このまま、で、いい。鎮痛剤、を」

「ですが……っ」

「早く! これは命令だ!」


 初めて出す命令という単語に、書記さんは行動で返す。
 装具に内蔵された無針注射器が、首筋へ押し当てられた。カシュ、という音と共に、思考を支配しようとしていた痛覚が鈍くなっていく。即効性だが効果時間も短い。あと何度か打つ必要があるだろう。
 そのまま休まず、霞の船体にルーチンを走らせるが、反応がない。
 缶自体は生きている。タービンも無事。それでもスクリューが回らないということは、二つを繋ぐ蒸気管が破損しているのか。
 火は燃え広がってないし、浸水だってしてないんだから、動けさえすれば……。


《……なんで。なんでそこまでするのよ。バカじゃないの。
 なんで私なんかのために、必死になるのよ。
 お願い、やめてよ……。私のせいで、みんなが……》


 泣きそうな声が聞こえた。
 僅かばかり意識を向けると、へたり込み、己を抱きしめる霞の、小さな影が。
 無視することも出来ず、損傷箇所を探りながら、自分は問う。


『霞。君はなんだ』

《え?》

『どこの誰だ。答えろ』

《……かす、み。桐林艦隊、所属。朝潮型駆逐艦、十番艦。……霞》


 ポツリ、ポツリ。
 確かめるよう口にする彼女は、ごく普通の少女に見えた。
 ジクジクと熱を持つ傷を隠し、平気だと強がっている癖に、誰も知らないところで泣いている。そんな少女に。

 僚艦を失い、姉妹艦を失い。それを激しく叱責されても戦い続け、坊ノ岬で大和を看取った後、朝潮型最後の戦没艦となった霞。
 心を持った今、彼女が何を想い、何を考えているのか。知る由もない。何も語ってくれなかったのだから。
 だが、確かなことも一つある。


『分かってるなら。……“俺”の船なら、最後まで“自分”を諦めるな』


 それは、霞が艦隊の一員であること。
 食卓を共にした仲間だということ。
 だから、絶対に見捨てない。
 愚かな選択だと、ちゃんと理解している。非効率的で、ハイリスク・ローリターン。
 それでも助けたいと、この場にいる誰もが思っているのだ。
 戦いに臨む十一人の顔が、証明してくれる。


《……ったく、どんな采配してんのよ……。本っ当に迷惑だわ!》


 甲板を見つめ、霞はそう吐き捨てた。
 聞いたままに取れば、なんて恩知らずだと思うだろう。
 命がけの献身を馬鹿にする、人でなしだと。
 けれど――


《バカが、うつっちゃうじゃない》


 ――ポツリ、ポツリ。
 局所的に降り出した雨が、言葉の裏側を教えてくれる。
 命あるものなら。心を持つものなら。誰だって、本気で自分を諦められるはずがない。
 逆境に流されたり、悪意に挫けてしまうこともあるだけ。自分が引き出したのは、そうなってしまいそうだった一粒。
 でも、迷う必要なんか、もうない。


《……動け》


 アームウォーマーで顔を拭い、彼女は甲板へ手をつく。


《動きな、さいよ……っ》


 よろめきつつも、しっかりと足を踏ん張り、立ち上がる。
 そして――


《お願いだから、動いてよぉぉおおおっ!!!!!!》


 ――切なる願いが迸った瞬間、自分の意識に、奇妙な光景が浮かんだ。
 揺れる船内。様々な鉄くずが散乱する機関室で、走り回る無数の影。
 蒸気弁を操作し、ヒビ割れたパイプを補強し、忙しなく動くそれは、ヘルメットをかぶる、小さな小さな少女たち。
 金槌を構える茶色い作業服の子が、こちらに気づいたように振り向く。
 自信に満ちた表情。
 まるで、大丈夫だよ、と言われている気がした。
 絶対に沈ませないから、と。


『……!? 動いた!』


 次の瞬間、霞と同調する五感に、わずかな加速度を覚える。
 ゆっくりと。本当にゆっくりとだが、船体は海上を滑り出す。
 それを合図とするかのように、様々な場所で鉄火が散り始めた。
 まずは、金剛型姉妹。


《ここから先は、一歩も通しませんヨー! 全砲門、Fireeeee!!!!!!》

《比叡も続きます! 主砲、斉射、始め!》


 裂帛の気合いを伴い、細腕と砲門を振りかざす長女と次女。轟音が十六、一定間隔で重なった。
 すでに同航戦へと移行しており、単縦陣のこちらに対して、敵は複縦陣。手前が駆逐艦二隻とエリ重。奥がエリ・ル、エリ重二隻。着弾は手前三隻に集中する。
 数巡の砲戦の結果、駆逐艦は仕留めたが、エリ重はしぶとい。側面装甲へ吸い込まれたはずが、直撃の刹那、赤い燐光が走った。それにより、爆発の威力は至近弾程度にまで抑えられてしまう。
 そして、攻勢を乗り切った敵艦から、直ぐさま返礼が。


《水偵の触接成功。距離、速度、仰角を修正。時限信管の再設定、良し。さぁ、超精密偏差射撃、開始するわよー!》

《ええ。主砲っ、砲撃開始っ!》


 ――向けられるはずだった。
 再び轟音。
 ほんの数秒だけ早く、霧島と榛名が姉たちに続いたのだ。
 重巡三隻と戦艦に向けられた砲身は、やや上向き。弾き出された砲弾も、それに従い直撃コースから外れてしまう。
 が、それこそ真の狙い。砲弾は敵艦の手前で爆ぜ、三千度の焼夷弾子を撒き散らす。
 タイミングをずらされ、力場を展開できなかったエリ・ルたちは、上部兵装を炎に巻かれ、砲撃をあらぬ方向へと。
 さらに、重巡の甲板上で爆発。上手く剥き出しの魚雷へとまとわり付いた弾子が、誘爆させてくれたらしい。霞にやられたことの意趣返しも成功である。


《念のため、積んでて良かった、三式弾……って感じかなー? 今度は大成功でしょ!》

《ですね。金剛型なんだからとりあえず積んどこう、と言われた時は、どうかと思いましたけど。ところで比叡姉さま。字余りですよ》

《霧島、細かい……》


 三式弾。
 本来は対空射撃に使うためのもので、第三次ソロモン海戦では霧島が仕方なく対艦射撃に用いた代物。
 大したダメージは与えられないが、艦そのものが意識を宿している深海棲艦相手なら、目くらましとして十分だった。
 期待以上の効果を発揮してくれたのは僥倖か。


《今だ! 瑞雲隊、爆撃開始します!》


 その隙を逃さず、千代田の水上爆撃機が急降下。二百五十kg爆弾で残る兵装を薙ぎ払う。
 エリ・ルは元より、エリ重の主砲塔天板を貫くことは、直撃でもしない限り不可能。だが、これも目くらましだ。
 混乱し、照準も覚束ない四隻へ、次弾装填を済ませた砲塔が、合わせて三十二門。


《Sorry,本命は次デース。Perfect Gameで決めるワ!》

《好機は逃しません。勝利を、提督にっ!》


 轟音。轟音。轟音。轟音。
 一糸乱れぬ連続砲撃が、選良種を蹂躙する。
 重巡は、数発を力場で受け止めるものの、押し切られ直撃。派手な爆発を伴って轟沈していく。
 対してエリ・ルは混乱から復帰。己へ向けられた砲弾を全て受け止めるが、そらす程度しか強度を出せず、砲塔も、機銃も、煙突相当部位も。上部構造のほとんどが吹き飛ぶ。これで戦闘力は奪った。あとは甲標的でいつでも仕留められる。
 力場が常時展開でないことを利用した、対上位種用の戦闘セオリー。ほぼ口出しもしないまま、完璧に遂行できたと言えるだろう。

 そして。
 これと同時進行していたのが、足柄・衣笠の遠距離砲撃戦と、赤城・加賀の航空戦、霞たちの離脱だ。


《ほらほら、もっと活きのいい敵が居るわよ! こっちを向きなさいな!》

《そ、そうだそうだー、フラッグシップなんて怖くないぞー! でもヲ級は怖いから赤城さんと加賀さんお願いしまーす!》


 金剛たちと別れた重巡二人は、標的を移させるため、フラ・タへ闇雲な砲撃を仕掛ける。
 彼女たちを中心として位置関係を整理すると、上下の中距離に加賀と赤城・千代田。右上近くに離脱しようとする霞たち。南東の離れた位置に金剛たちがいた。
 はるか西で敵空母が固まっており、そこからフラ・タが突出して来ている。もうすぐ彗星とすれ違う距離だ。
 先行する赤城の彗星から情報を引き出しているが、射程ギリギリでは有効打になるはずもなく、まぐれ当たりも力場で弾かれてしまう。
 しかし、注意を引き付けることには成功したようで、一直線に霞へ向かっていた巨体が転針を始めた。

 一方、その背後。敵空母群は全ての艦載機を上げ終えたらしい。
 ヌ級が十八の三隻で五十四、ヲ級が二十七で、合計八十一機。ときおり混じる橙色の光は、エンジン出力を強化されている機体の証である。
 こちらの艦戦はようやく二桁に届くかどうか。三十に増えた彗星も格闘戦を行うだけの性能は有しているが、五百kg爆弾を抱えたままでは無理難題。


「任されました。赤城さん、先鋒は私が」

「ええ。……不思議。初めてのはずなのに、懐かしい」

「……そうね。負ける気がしません」


 それなのに、一航戦は揺るがない。
 数の不利を理解した上で、純粋な技量のみを頼りとし、難局を切り抜けようとしている。
 今また、淀みなく指示の念矢を飛ばす背中が、荒唐無稽ではないと信じさせてくれるのだ。
 群れが迫る。
 橙色光を中心に、五機の編隊が十六。迎え撃つは、二機編隊の零戦がわずかに五つ。
 互いにスピードを緩めぬまま、乱戦が開始された。


《ちょっと霞っ、もう少しスピード出せないのっ?》

《無茶、言わないで……。こっちは、死にかけ、てんのよっ。文句があるなら、あんたが引っ張りなさいったら!》

《そっちこそ無茶言わないでよ、こんな状況で曳航準備なんて、いい的にしかならないじゃないっ》


 加賀が意地を見せつける中、深手を負う霞が、もどかしそうに付近をウロチョロする曙と軽口を叩き合う。
 口振りは相変わらずだが、曙はしきりに様子を伺い、付かず離れずを維持している。叢雲も同様だ。
 が、今のままだとどっちにしろ的なのに変わりはない。金剛たちの砲戦を片隅に意識しながら、自分は口を挟む。


『いや、どのみち曳航はするんだし、速度が遅ければ静止目標と変わらない。それで行こう。曙、中距離もやい銃用意』

《嘘ぉ!? ……んぁああっ、やるわよ、やってやるわよ! プリンたくさん作っときなさいよね!!》

『分かってるよ。なんなら肩も揉んでやろうか? 家族にやらされてたから結構うまいぞ?』

《そんなこと言って、本当はボディタッチしたいだけなんでしょ、このクソ提督っ。信じらんない!》

《それでも素直に従うあたり、実は仲良いわよね。貴方たち》

『どこがだっ』
《どこがよっ》

《怪我人の前で痴話喧嘩とかやめてよね……。見てらんないったら……あたた》

『だから違うっての!』
《だから違うってば!》


 なぜか言葉をダブらせる曙は、呆れ顔な二人からの追求を逃れるように、船尾に向かい疾走。連装砲を、迫撃砲と似た形状の発射棹へ変化させた。
 後部にたどり着くと、並走する妖精さんから差し出されたもやい索・弾体を繋ぎ合わせて装填。発射体勢を取り、照準を合わせる。
 深呼吸ののち、「発射!」と掛け声。猛烈な勢いで細い線が霞の船体へと伸びていく。
 その間に、妖精さんが索の反対側を細めのワイヤーロープと繋ぎ、さらに巻き上げ機の太いワイヤーへ連結。本来はもやいの動きが止まってからだが、この程度はお手の物らしい。
 後は霞が弾体を回収。こちらも妖精さんと協力して引っ張り上げ、船体へくくりつける準備を整える。

 ……もう普通に見えてるな。切っ掛けはなんなのか、もう訳が分からない。
 けど、とにかくこれで安全な場所へ退避させられる。
 次にやるべきは――


《あぁあっ!? 直撃……じゃないけど、カタパルトがっ》


 ――と、考えだした瞬間、甲高い悲鳴が響く。衣笠である。
 慌てて確認するが、金色の砲弾が後方海面へ着弾。余波で後部カタパルトが運悪く破損してしまったところだった。合わせて、衣笠のスカートにも少々破損が。
 こんな状況でなければ堪能したいのだが、脳内シャッターだけで自分を戒め、精神的なフォローに徹する。


『大丈夫だ衣笠、お色気担当は絶対に沈まないっ。紐パンが見えたくらいなら、むしろ生存率アップだ!』

《何それ、いつの間に富士峰子ポジになってたの!? っていうか提督、見ないでくれますー!?》

《く、やっぱり回避行動取りながらじゃ、二割も当たらないわね……っ。ほら衣笠、弾幕薄いわよ!》

《足柄さんは足柄さんで豪気過ぎぃ! もうっ、仕返してやるんだからー!》


 涙目のままスカートを抑えていた彼女は、歯をキッと噛み締め、ヤケクソ気味に両手の連装砲を構える。
 轟音。
 衝撃波によりツインテールとスカートがはためいた。
 その裏で、自分は赤城の状態を確認。次の行動に移れることを確かめ、新たな指示を下す。


『よし、頃合いだ。三式弾装填。防がれてもいい、防御面積を飽和させるんだ』


 直後、二人が持つ三基の砲塔内部で、対空弾用揚弾筒を三式弾が登っていく。
 敵戦艦主砲は毎分二発しか撃てないのに対し、傀儡重巡の基本装備である一号E型連装砲なら毎分五発。再装填にかかる時間も短い。
 そして、上位種の張る力場は、先にあげた常時展開ではないという性質に加え、その面積も限られることが分かっている。これを利用し、確実に攻撃を加えるのだ。
 三式弾が空を舞う。
 榛名たちの時と同様、敵艦手前で炸裂するが、金色の壁に阻まれ、炎のカーテンが形成される。今度は全ての焼夷弾子が防がれた。


「合わせます。これ以上、好きにはさせません!」


 そこへ急降下する、先行していた彗星たち。名前の通り、機体は連なって二本の軌跡を描く。
 フラ・タにも対空機銃は備わっているが、申し訳程度。見事にくぐり抜け、順次爆弾が投下された。
 鋼の裂ける音。
 前方機体の着弾から位置を修正し、精度を確かにしていくそれは、やがて艦橋の上部――レーダー相当部位に直撃する。


『よし、これで持久戦に持ち込める。赤城、よくやった! 足柄、衣笠。ここからが本番だ。気を引き締めろ!』

「光栄です。次の作戦行動に移りますね」

《了解っ。さぁ、勝利に向かって一直線よ!》

《息つく暇もないのぉ? ……こうなったら、とことんまでやるっきゃない、かっ》


 彗星がひらりと身を返し、重巡たちが戦意を高揚させる。
 旗艦種の命中率の高さは、恐ろしく精度の高いレーダーが理由。それを潰した今、脅威度は選良種と同じくらいまで下がったと言えるだろう。
 手強い相手に変わりはないが、なんとか足止めできるはずだ。確実に戦況は動いている。
 しかし、怒りの噴煙を上げるフラ・タの向こうでは、未だ航空機の乱戦が続いていた。


「どれほど数に差があろうと、ここは――譲れません」


 息つく暇もなく、矢を放ち続ける加賀。
 制御下にある零戦がその度に軌道を変え、敵艦載機をすれ違いざまに叩き、速度を上げて追い落とし、翻弄する。
 が、劣勢である。あれから零戦も数を増やしたものの、迎撃できたのはおよそ四割ほど。落とされないよう回避行動の合間に攻撃をしかけ、引きつけるのがやっとだ。
 そして、どうしても形成されてしまう穴を抜けた敵機が、二割。


《……って、来てる来てる来てるっ、こっちに来てるってばぁ!? 霞、まだっ?》

《急かさないでって……。もう、少し……っ》

《八倍近い差なのよ。持ち堪えてくれてるだけ、ありがたいと思いなさい。第一、何のために私が居ると思ってるの》


 曳航の準備を進めながら、迫る影に曙が狼狽する。
 この状態だと間違いなく当てられてしまうのだから、仕方ない。
 それを諌めるのは、唯一自由に行動できる叢雲。
 主砲はもちろん十cm高角砲へ改装済みで、増設された対空機銃と共に、影を撃ち抜かんと仰角を調整した。


《さぁ、来なさい。私が居る限り、誰も墜とさせはしないっ!》


 己を一喝するように、彼女は吠える。
 波の音に混じり、遠く、発動機の威嚇が届いた。
 食い止めようと、新たに加賀から飛び立った零戦は数機を落とすが、それを無視して前進して来る。
 インメルマンターンで追いすがろうとするも、間に合わない。叢雲へ曙が続き、砲塔を回す。言葉を発することが躊躇われるほどの、緊張感。
 じわり、じわりと。影は大きく、鮮明に。

 来る。


「好きにはさせないと言ったはずです!」


 ――しかし、その刹那。
 横合いから鉛玉で殴りつけられ、敵機が蜘蛛の子を散らすように散開した。
 開けた空間を駆け抜けるのは、彗星。
 爆弾を投下し終えたその機体は、艦戦にも引けを取らない機動性で脅威を駆逐していく。
 七・七mm機銃の豆鉄砲でも、多く被弾すれば墜落は免れず、ましてやそこへ、追いついた零戦の二十mm機銃が加わるのだ。命運は尽きたも同然である。


「愚かね。“私たち”を抜けられるとでも?」


 完璧な予定調和であると、加賀は絶対の自信を滲ませる。
 たった十数機で、数倍はある航空機を翻弄し続け、彗星のサポートのもと、突出した機体を瞬く間に葬る。
 これが、一航戦。
 これぞ、我が機動部隊。
 軽くなった彗星で零戦を補助し、数の不利を補う。素人染みた無謀な思いつきを、現実のものとする脅威の練度。背筋が寒くなるくらいだ。
 思わず立ててしまった鳥肌を誤魔化すため、自分はポカンと鳥たちを見つめる叢雲へ声をかける。


『……さぁ、来なさい?』

《私が居る限り、誰も墜とさせはしない?》

《わ、笑いたければ笑うがいいわっ。その代わり、帰ったら覚えてなさい!?》

《バカばっかり……》


 すかさず合いの手を入れる曙。
 空振った気合いが恥ずかしくて地団駄を踏む叢雲。
 呆れる霞。
 一瞬だけ、ここが戦場であることを忘れてしまった。
 ……そうだ。みんなが帰ったら、鳳翔さんと一緒にご飯でも作って、手厚く迎えよう。
 霞も高速修復してもらって、必ず、全員でご飯を食べよう。


《提督、楽しそうなところを邪魔して悪いんですけど、そろそろ加勢してぇー!》

《さすがは旗艦種、至近弾だけで、装甲が持って行かれるわ……っ》

『っと、すまん。赤城、加賀。後は予定通り、空をひっくり返せ。金剛!』

《Full Speedで向かってるヨー! もうまともに戦えるのはフラ・タだけネー!》


 衣服が可哀相なうれしいことになっている二人に泣きつかれ、大急ぎで意識を集中。また指示を下す。
 空母二人は無言でうなずき、すでにエリ・ルとの戦闘を終えていた金剛たちも、同期した作戦通りフラ・タへ。


(そろそろだ。自分の見立てが正しければ、動きを見せるはず……!)


 比叡にすら、無理無茶無謀と言わせる作戦。
 確証など何一つなく、好転しているように見えても、実は綱渡りをしているだけだ。
 深海棲艦が今まで通りの存在なら、むしろ追い詰められたのは自分たち。いつになく、心臓が大きく跳ね回る。
 果たして、その読みは――


《……あれ? 砲撃が、止んじゃった……?》


 ――気の抜けた衣笠の声で、正鵠を射ていたのだと実感できた。
 わずか十数秒。砲戦合間の静寂に、フラ・タは回頭を始め、それに先立つよう、ヌ級、ヲ級が後進を始める。
 甲標的に囲まれていたエリ・ルも同様だ。


「……うそ。深海棲艦が、撤退していく」


 書記さんが声を震わせる。珍しいが、今起きている現象は、それ以上に珍しい――いや、史上初の出来事だった。
 これまで深海棲艦には、“撤退”という概念が存在しなかった。索敵範囲に対象を捉えたなら、燃料がなくなるまで追いかけ、その身と引き換えに被害を与える。狂戦士と呼んで差し支えない振る舞いだったのである。
 それが唐突に、戦術的な劣勢を感じ取り、命を惜しむように撤退していく。あり得ないことだった。
 しかし、これが自分の目論見。

 圧倒的な物量で押しつぶさんとするだけだった深海棲艦。ところが、今日の戦いは戦術的な優位に立とうとしていたように思えた。
 ただでさえ手強い相手が、知恵をもって戦いに臨む。
 頭を抱えたくなったけれど、戦術的な判断を行うのならば、そこへ付け入る隙もできるのだ。


「撃破を狙わず、あえて戦闘能力だけを奪うことで、戦術的撤退に追い込む。首尾は上々、ですね」

《勝てなくてもいい。負けなければいい。生きてさえいればどうにかなる。……くぅー、さぁっすがMy Darling!! 惚れ直しましタ!》

『こら、その呼び方は禁止だって言っただろ』


 脳内だけで呟いたはずの言葉が伝わっていたらしく、それが照れ臭くて、万歳しながら飛び跳ねる金剛を叱りつける。赤城には見抜かれたようで、クスリと笑われてしまったが。
 とにかく、二人の言うとおり。戦術という概念を手に入れたなら、その中には必ず撤退という選択肢があるはず。だったら武装を剥ぎ、戦いたくても戦えない状態、もしくはそれに近い状態へと持ち込む。
 自分に選べたのは、この不確定要素満載な作戦だけだった。
 無論、深海棲艦のロジックに衝角戦法が組み込まれていたら、その時点で目も当てられない結果になっていただろうし、みんなを危険に巻き込んでしまったことは、反省しなければならない。

 そもそも、キスカ島でのことを踏まえ、キチンと心構えしておけばここまでの被害は受けなかった。
 ……慢心していたんだ。
 敵が戦術的判断をするかもしれないと分かっていたのに、結局それらしい気配が見られなかったから、「大丈夫だろう」と高を括った。その結果、霞を轟沈させてしまうところだった。
 司令官として、情けない。


「提督。私見を一つ、よろしいですか」

『お、おう。なんだ、加賀』


 自分を恥じているところへ、いつもの無表情に戻った加賀が話しかけてくる。ギクっとしてしまった。
 いちおう従ってはくれたけど、ダメなところはダメって言う性格だし、多分、怒られるんだろうなぁ。
 後悔はしないつもりでも、やっぱり美人に怒られるのは精神的に来るよ……。


「軍人として適切な判断をできなかったのは、留意すべき点でしょう。
 が、それを置いても……良い作戦指揮でした。こんな艦隊なら、また一緒に出撃したいものです」


 ――と、身構えていたのに。予想外な賞賛が向けられる。
 淡々とした口振り。しかし、込められる“何か”が、嘘ではないと教えてくれた。
 あまりにも驚いてしまい、「ありがとう」と反射的に返せば、短く「いいえ」と。
 見守る赤城が嬉しそうな顔をしてくれて、それがまた気恥ずかしい。
 ……認めてもらえたんだろうか。上官としてはまだまだでも、仲間としてなら。肩を並べるには値する、と。だとしたら、嬉しいのだが。


《えーっと……。終わっちゃったの? やっと曳航の準備できたとこだったのに?》

《そのようね。……ふぅ。汚名返上は無理、か》

《……別に、いいじゃない。次の、出撃で、取り返せば……。それより私、疲れたから、休むわ。曙、あと、よろしく……》

《あっ、ちょ……全く、しょうがないんだから》


 巻き上げ機近くでたむろする妖精さんを背後に、ぽけーとする曙と、髪をかきあげ、腰に手を当てる叢雲。結局、出番らしい出番のないまま、戦闘は終わってしまった。
 特に叢雲は残念そうだ。どうして電探に旗艦種が引っかからなかったのか。原因は不明だが、気に病んでいる様子。
 それを励ましながら、満身創痍の霞は第一砲塔の根元に座り込む。そのままズルズルと後ろへ体重をかけ、機関部をまくらに目を閉じた。すぐに寝息が聞こえてきて、曙は苦笑いである。
 改めて状態を確認しても、危険な状態ではないことが分かる。鎮火は済んでいるし、船体のダメージも曳航に十分耐えられる。一安心だ。
 と、肩の力を抜いた時、「司令司令!」と比叡の声が脳裏を横切った。


《わたしたちのコンビネーション、見ていてくれましたっ? ビシッと決まりましたよね!?》

『ああ、ちゃんと見てたよ。君たちがエリ・ルを抑えてくれなければ、赤城も動けなかっただろう。本当に良くやってくれた』

《えっへへ。そうでしょうそうでしょうっ。まぁ、MVPは赤城さんたちでしょうけど、お役に立てたのなら、頑張った甲斐がありました!》

《それも、あの読みがあってこそです。さすが司令、データ以上の方ですね》

『褒めても何も出ないぞ? 正すべき点は沢山ある。帰ったら反省会に付き合ってくれ』

《お任せを。的確に分析してご覧に入れましょう》


 ドヤァ、なんて効果文字を背負う比叡に続いて、霧島は眼鏡の位置を正す。
 今回の一戦。手痛い教訓を得ることとなったが、痛みからこそ拾えるものがある。おかげで、海域突破の鍵も見えた。
 みんなが帰って来るまでの間に、次の作戦の概要だけでも纏めておかないと。


『……さて。分かっていると思うが、これより撤退を開始する。霞・曙を中心として輪形陣を組め。
 後方に赤城・加賀・千代田。両舷は金剛たちで固め、前方に足柄・衣笠・叢雲だ。
 指揮は……済まないが、赤城。預けさせてくれ。自分も少し疲れたよ』

「はい、確かに。無事の帰還をお約束します」

《はぁぁ、やっぱり戦うのって疲れるよぅ。早くお姉に会いたい……》

《もう少しの辛抱ですよ、千代田さん。提督も、ゆっくりお休みください。皆さんは榛名がお守りしますから》


 ガックリ。肩を落とす相変わらずな千代田の姿に、自分はため息をついてしまうも、代わりに気を張ってくれる榛名たちに「頼む」と言い残し、同調強度を下げる。
 耳の奥で、足柄の「不完全燃焼だわ……。もっと訓練が必要ね」という声や、衣笠の「こんな格好、青葉に笑われちゃうよー」という恥じらいが、遠ざかっていく。
 程なく装具から頭部が解放され、その瞬間、再び大きなため息が出た。


「……くはぁ。しんどかったぁああぁぁぁ……」


 乱暴に籠手から腕を引き抜き、シートの上に投げ出す。
 全身の力も抜けて、許されるならこの場で寝てしまいたい。


「司令官さん、お疲れ様でした。霞ちゃん、なんとか助かりそうで、良かったのです。本当に、良かった……」

「……疲れたのは分かるけど、女の子の前でだらしない顔しないでよ」

「ぁあ、悪い。やっぱり居てくれたんだな、電、満潮。……ん?」


 何となくそこにいる気はしていたが、疲労のせいか、うっかり腑抜け顏を見せてしまう。
 いかんいかん。完全に気を抜いてた。でも、この立ち位置、気になる。
 電は真正面に、満潮は右脇に立っていた。てっきり、あの時袖をつまんだのは電だと思いこんでたけど、まさか……?


「なぁ。もしかしてさっきの、満し――」

「知らないわ。何かと勘違いしてるんじゃないの? 私はただ立っていただけだし。袖をつまんでなんかいないもの」


 うっわー。分かり易いツンデレーション。
 というか語るに落ちてるんですけど。気づいてないのか、もしかして。電も苦笑いしてるぞ。
 ……まぁいいか。誰だって妹が危機に陥れば、らしくないこともする。追求はしないであげよう。
 そう思い、シートから降りようと身を起こすのだが、そのツンデレ少女は「あ、の」と唇をモニョらせる。


「まぁ、あれよ。一応、姉妹艦としては言っておかなきゃいけないと、思うし……って、あっ」


 神妙な態度に、こちらも襟を正そうとしたら、今度は何かに驚いた顔。
 忙しい子だな。なんて首を傾げると、鼻の奥から熱い一筋が。


「だ、大丈夫ですかっ。鼻血が……」

「ああいや、ちょっと戦闘で血が滾っただけだよ、きっと」

「ったく。いくら衣笠の紐パンを見たからって、鼻血なんか出さないでよ。ほら、ティッシュ。……まさか、霞のブラに反応したんじゃないでしょうね?」

「んなわけあるかっ……あれ」


 白いシャツで拭うわけにもいかず、ありがたく差し出されたティッシュを鼻へ押し当てるのだが、一向に止まらない。
 みるみるうちに、赤く染まっていく。


「あ、あの、司令官さん。本当に大丈夫ですか? 全然、止まらない……」

「……だ、大丈夫だよ。このくらい普通――こふ」


 唐突な、こみ上げる感覚。
 単なる空咳のはずが、腹の上に飛び散る物があった。
 それは何故だか、鮮烈な色をしていて。

 ……あれ?


「っぐ、あ゛ぃっ、い゛っ!?」

「し、司令官さん!? あっ、な、なんで!?」

「ちょ、何よこれ、そんなっ。しっかりしなさいよっ」

「……!? こちら調整室、第二種フィードバック発生っ、手術室の用意と交代要員を!」


 唐突に、身体が制御できなくなった。
 引きつけを起こしたように勝手に暴れ、耐え難い痛みに悶える。


「げふ、うぶ、あ゛あ゛、ぁ」

「ど、どうすれば、電は、何をすれば……」

「冗談やめてよっ。まだちゃんとお礼も言ってないのに!」

「お二人とも下がって。シートを分離し医療棟まで運びます。お手伝いをっ」


 口元から胸のあたりまでが、生暖かい水気を帯びる。
 視界も上下に安定せず、全身の筋肉が強張り、落ちそうになる自分を、誰かの手が抑えている……気がした。


「ふ、ゔ、ふ――ごほ、こふっ」

「電さんはそのまま呼びかけてください。満潮さん、行きますよ!」

「は、はいっ」

「了解! こんな形で終わらせてたまるもんですかっ!!」


 意識は、奇妙な虚脱感に襲われ始めていた。
 痛みも息苦しさも遠い。まるで他人事のように。
 まどろむようなそれに抗いきれず、まぶたは閉じていく。
 見慣れた少女の、見慣れぬ表情を、網膜へ焼き付けながら。





「司令官さん、司令官さんっ。目を閉じちゃダメなのです! しっかりしてください司令官さん!! 司令か――」










《追想 寄る辺なき魂》





「それは、どういう意味だ」


 受話器の向こうに居るはずの少女へ、男は低い声を発した。
 冷気すら孕むそれにさらされた彼女は、しかし、感情を表に出さないまま、静かに返す。


『言葉通りです。彼の同調率は、フィードバックを発生させるほどの強度ではありませんでした』


 桐林提督、負傷。
 昼過ぎに受けた報告は、徹夜続きの眠気を覚ますのに、一役買ってくれた。
 送られた映像を見れば見るほど、元来の生真面目さが顔を出し、脳内で議論が繰り広げられる。

 油断。待ち伏せ。戦術的勝利。
 言葉にすると特段に変わった事柄ではない。が、深海棲艦相手に発生したとなれば、話は別だ。
 キスカ島での一件後も、なんだかんだと理由を見つけ、人類側は対応を怠っていた。個人レベルで警戒を強める能力者は居たが、とりあえず様子を見る、というのが軍全体としての対応だった。
 “桐”の三人ですら、具体的な策を弄していなかっただろう。……いや、あの三人はそんな必要もないだろうが。
 ともかく。そこへ有望株負傷の報が入れば、否が応でも認識せざるを得ない。相手が害獣ではなく、群れをなす狩猟者であると。

 こういった理由で、この知らせは男にとって吉報に近かった。
 後述する“手間”は増えるが、これで脳足りん共の意識も変わるはず。
 だが、空いた手で回していた万年筆は、ふとした瞬間に机の上へ飛んでいく。


(傷を肩代わりしたとでもいうのか。馬鹿らしい)


 能力者が傀儡艦と同調する際、その度合いは三つの段階で表される。
 第一強度――半同調状態。
 統制人格の視覚・聴覚を借りることができ、傀儡艦への指示を送れるようになる強度。ただし即応性がなく、実行にはタイムラグが生じる。
 第二強度――完全同調状態。
 統制人格と五感を同期させ、タイムラグ無しで命令を実行させられる。この際、発する命令は明確なものでなくてはならず、だいたいこのくらい、といった命令では反応しない。
 第三強度――過同調状態。
 船そのものに五感を移し、人でありながら船の身体を得た状態。この段階であれば命令のファジー入力が可能となり、反射的に砲撃を避ける、感覚的に狙いを定める、といったことが可能。
 ただし、被害を受ければ確実にフィードバックが生じるため、よほど腕の立つ能力者か、馬鹿しかこの段階へは移行しない。

 このフィードバックとは、ダメージが能力者へと“反映されてしまう”現象のこと。
 暗示を受けやすい人間に目隠しをし、「これはアイロンだ」と言って常温の鉄を押し付けると、実際に火傷を負ってしまうことがあるのと同じである。
 これにも幾つか段階があり、外傷のみの第一種。内臓へのダメージである第二種。そして精神汚染を意味する第三種とある。基本的に第二強度から発生するものであり、第二種以降は滅多に発生しない。


「怪我一つするのにも、常識を塗り替えないと気が済まんのか」

『流石に、それは……』

「分かっている。ただの冗句だ」


 それが今回、全く意図しない状態で発生したと、少女は言うのだ。
 桐林提督が大破した霞へと同調した時、彼女はその命令に反し、徐々に増幅機器の出力を下げていた。鎮痛剤で感覚が鈍り、彼は気づいてもいなかっただろう。
 貴重な人材を保護するため。なおかつ、使役するのは自立行動可能な感情持ち。バレれば何らかの沙汰はあろうが、実際の罪にはまず問われない。どうでもいいことだが。

 それでも内蔵は傷つき、肺胞から出血を起こしていた。とりあえず、命に別条は無いらしい。人間用の治癒触媒を使えば、二日と経たず完治するはず。
 例によって原因は不明である。
 一から感情持ちにまで育て上げた傀儡艦なら、能力者も思い入れを持つ。無意識に過同調状態へ移行する場合もあるだろうが、彼にそれは当てはまらない。
 何かにつけて常識外れな彼ならば、あり得るのかも知れないが……理解し難い出来事だった。
 しかし、いつまでも答えのでないことを考えていても仕方ない。ひとまずこの疑問は棚上げし、男は他の確認事項を受話器に問いかける。


「……まぁ、いい。医療廃棄物は処理したな」

『はい。衣服も、血痕の洗浄も、確実に。手術が終われば、忙しくなると思われます』

「そうか。奴等に渡れば非道に使われる以外にない。手間だが、これからも注意しろ」


 男が警戒しているのは、情報漏洩。特に、桐林提督の遺伝子情報である。
 海を隔てられる以前から日本で暗躍していた間諜たちは、祖国に帰ることが叶わなくなっても、深く地下へ潜り、活動を続けていた。逆もまた然り、ではあるが。
 その影響を排除することは難しく、軍内部へも及んでいることが確認済み。しかし、今までは目立った動きを見せることがなかった。情報を得ても、行動に移す利が深海棲艦によって奪われていたためだ。
 ところがここ数カ月、当たりを付けていた間諜たちが、活発に情報収集を開始したことを、日本側も察知する。
 ある若者が、駆逐艦を励起したその日から、だった。


「知らぬは本人ばかりなり、か。気楽に撒き散らしてくれるな、あの男も」

『………………』


 彼の遺伝子情報は現在、最高位の機密になりつつある。
 ただ一人で、本物の“艦隊”を作り上げる、特異能力者。深海棲艦がいるからこそ、彼は生き延びていると言っていい。
 そうでなければ真っ先に暗殺されるか、誘拐され、洗脳を受け――いや、切り捨てられないきずなでがんじ搦めにされ、他国へ忠を尽くしていたことだろう。


(あるいは、そちらの方が幸せか)


 一般には公表されていないが、すでにクローニング技術は確立されていた。
 多量のサンプルさえあれば、いくらでもコピーは作れる。
 この能力が“中身”に起因するものではなく、“容れ物”に付随するものなら。作って、壊して、いくらでも用意できる。
 それを忌避しないまでに、追い詰められているのだ。


「……ん?」


 ふと、男は眉をひそめた。
 視界の隅で光を放つ液晶画面の中に、見知った装備配置がある事に気づいたのである。


「どうかなさいましたか」

「いや、なんでもない。ご苦労だった」

「……はい。失礼しま――」


 少女が挨拶を終える前に、受話器を置く。
 そのまま机の引き出しを開けると、中から手の平より少し大きい程度の医療ケースを取り出した。
 収められていた銃――圧力を利用した無針注射器に、賦活剤のカートリッジを装填。無造作に首へ打ち込む。


「――っ。は、ぁ……。今日は寝られるだったんだがな。桐生の情報も取り寄せねば」


 独りごちた男は、記録映像を映し出すデスクトップPCに向き直る。
 念には念を。これから夜を徹する覚悟で、外部向けの映像へと加工せねばならない。
 この情報を見られるのは、吉田中将と“桐”に留めた方が良いと、そう判断したからだ。
 場合によりけりだが、大本営にも秘匿する必要性すら出てくるだろう。


「お前の魂、今はどこに在る。……“人馬”」


 画面には、戦艦タ級 旗艦種が居た。
 艦首から中ほどにかけて、錨に相当する塊を複数括り付けた、高速戦艦とは似ても似つかない、“敵”の姿が。




















 朝潮型はスポブラが最高だと思うんだ!
 ……すみません。シリアスに耐えられませんでした。これにて作戦行動は終了。次のお話では、帰還した霞たちの様子を描きます。
 それと、ちょっとした言い訳。
 今回、本文中で曳航をさせるためにググったりwikiったりして調べたんですが、昔のやり方が全然ヒットしませんでした。なので、この曳航方法が旧式の軍艦で確実に可能かどうかは分かりません。
 もし古い手順について詳しい方がいらっしゃったら、修正しますのでアドバイスします。本気でお願いします。
 さらにどうでも良いお知らせ。
 八十回目の大型建造で、Z3ちゃんがBis子さんを呼んでくれました。これでドイツ艦話の目処が立ちました。なんだかタカオを彷彿とさせる放置ボイスが好き。
 さらにさらに。大型建造九十回目にて。
 やっと、やっと、やっとこさ。我が嫁、来たり。雷ちゃんと二番ドックには奇跡が宿る。大型建造卒業だよ、やったね筆者提督!
 それでは、重婚用の指輪を買いに行って来まーす!


「くー……。何が、“俺”よ……格好つけちゃ、って……。お礼なんて、言わない、んだから……。バカ……」
「いい気なもんね。寝言なんか言っちゃってさ。あー、重いったらありゃしない……」
「きっと安心してるんですヨ。帰ったら綺麗にRestoreしてもらって、いーっぱい褒めてもらうデース!」





 2014/05/31 初投稿
 2014/06/02 追想にちょっと文を追加
 2014/06/03 エリ・ルがフラ・ルになってたので修正







[38387] 新人提督ととても長い一日・後編
Name: 七音◆f393e954 ID:5eccba50
Date: 2014/06/27 22:35





 カラカラ、カラカラ、と。
 何か、滑車の回るような音がしていた。


「血圧百――の――、脈拍安――ません」

「――えますか、聞こえ――か!」


 光が移動している。
 いや、自分が仰向けに動いている。
 天井。
 見上げているのか。
 どうにも、ハッキリしない。


「司――さん、しっかり――下さい!! ――官さんっ!!」


 誰かの声。
 揺れる視界の端。白づくめの人影に混じり、見慣れた髪が。
 右手を強く握られていた。


(いなづま)


 どうして、君は、そこまで必死に呼びかける。
 どうして、君は、泣いている。
 分からない。
 分からない。
 分からない。


「ぐ、ごほ、あ゛、ごふ」

「まずい、押――て!」

「輸血――、人――液を――」


 息苦しさに、身体が跳ねた。
 途端、喉を熱さが逆流し、体内に鋭い痛み。
 幾つもの手がまとわりついて、気持ち悪い。


「貴方はここま――す、――は我々――せて」

「司令官さ――あっ」


 衝撃を感じ、同時に温もりは離れていく。
 なんとか上体を起こすと、白い世界へ置き去りにされる彼女が、手を伸ばしていた。
 自分もそうしようとして、閉じる両開きのドアに遮られる。
 また、身体を押さえつけられた。


「麻酔は?」

「で――ます」

「気道――」


 移動している感覚が止まり、網膜を光に焼かれる。
 眩しいと思う暇もなく、口元に何かが覆いかぶさった。シャツの袖もまくられたように感じたが……感覚が鈍い。
 ただでさえ朧気だった思考は、霞のように――


(……かすみ?)


 ――頭の中に、しこりが生まれた。
 覚えがあった。
 誰かの名前だと、気がついた。

 そうだ。
 こんなことしている場合じゃない。
 あの子が帰ってきたら、すぐに直してもらえるよう、指示をだしておかなきゃ。
 それに、お腹も空かせてるはず。夕飯を用意してもらわなきゃ。
 あぁ、だけど。


(……ねむい……)


 言い知れぬ脱力感が全身を支配し、眠りに落ちていく。
 深く。
 深く。
 深く――。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 煌々と照る照明に反比例するかのごとく、広い待合ロビーは、暗い空気で包まれていた。
 聞こえる音といえば、有機ELの微かな動作音のみ。
 唯一、長椅子に腰掛ける少女――電も、全く微動だにせず、虚ろにリノリウムを見つめるだけ。


(司令官、さん)


 散々に泣き明かしたのだろう。瞼は赤く腫れていた。
 時刻は二三○○。
 出撃していた艦隊が帰投してから、すでに一時間以上。
 そして、彼女を意気消沈させる原因。桐林提督の負傷からは、実に十一時間が経過しようとしている。


「はい、これ」

「……あ。満潮、ちゃん……」


 不意に、電の視界へ何かが侵入してくる。満潮が、自販機のお汁粉を差し出していた。
 五十五度で保温されていたスチール缶は、薄ら寒い室内で、とても熱く感じられる。


「まだ戻らないの。みんな心配してるわよ。司令官と……電のこと」

「………………」


 隣へ勢い良く座り込み、満潮はプルタブを開けながら問う。
 しかし電は答えず、ため息と小豆の甘い匂いが広がるだけだった。
 桐林提督が倒れたという知らせが、鎮守府を駆け巡ってからというもの、病棟にはひっきりなしに彼の統制人格が訪れている。

 全速力で真っ先に駆けつけた島風は、後を追ってきた雷と待合室をウロウロしているところを、天龍と龍田に引きずられて帰って行った。
 扶桑・山城と、妙高・那智・羽黒は連れ立って現れ、満潮と二言三言話した後、彼女を連れて立ち去る。自失している電に代わり、業務を引き継ぐためである。側には羽黒が残った。
 次いで、電話番から解放された鳳翔に、家事をしていたのか、エプロンをつけたままの古鷹、珍しくシャッキリした顔の加古、望月、初雪もやって来る。
 彼女たちは、後から来た龍驤、祥鳳、瑞鳳、千歳と入れ代わりに立ち去り、大井・北上の雷巡コンビと陽炎型、朝潮と川内型、球磨・多摩・木曾に利根・筑摩といった具合だ。
 遠征へと出ている長良型姉妹や白露型姉妹も、鎮守府にいればきっと駆けつけたことだろう。
 最後に、散歩中だったヨシフを連れていたため、暁と響が守衛に止められるという騒動も起こった。
 暁の「待て」で大人しく待っていたヨシフだが、帰っていく後ろ姿がやけに小さく見えたと、つぶらな瞳に威圧されていた守衛は語る。

 利用者の迷惑を考えて帰りはしたが、本当はここで待機していたかったのかも知れない。
 たとえ、「手術室に隕石でも降ってこない限り絶対に助かる」と、医師から断言されても。
 皆、電のように。


「ごめんなさい……。こんな時に、自分勝手なこと……」

「良いんじゃない。“こんな時”なんだから」


 電が頭を下げるも、満潮はさして気に留めていないのか、熱いお汁粉に悪戦苦闘していた。


「あっつ……。もう、なんでこんなに熱いのよ。……はぁ。早く帰ってきなさい、あのバカ。まだ返事聞いてないんだから」

「返事……?」

「あぁ、そういえば居なかったわね。大したことじゃ……そうだ。ついでだから、電に聞きたいことがあるんだけど、いい?」


 覗き込むようにされた問いかけに、電が無言でうなずく。
 すると満潮は、お汁粉の熱さに顔をしかめた後、足を組み、眼だけで向き直る。


「司令官の、どこが良いの?」

「……ふぇ!? あ、あぁぁの、こ、こんな時に……」

「さっきも言ったけど、こんな時だから、よ。今なら、同調で盗み聞きされる心配もないし」

「そう、だけど……えと……」


 統制人格とは、能力者から魂を分け与えられた存在だけあり、常に霊的な繋がりを保っている。
 それを辿ることで感覚を同期するわけだが、増幅機器がなくともかなりの射程があった。本気を出せば、いつでも会話を盗み聞き、もっと直接的なことも可能なのである。
 彼がそうしないと、今までの付き合いで十分に分かっているが、恥ずかしさも手伝ってこういう話をしたことはない。
 しかし、無意識に会話を欲していたのか、彼女はつっかえながらも、向けられた質問に答える。


「司令官さん、は……。すごく、優しいから。電たちのこと、とても大切にしてくれるから。だから、その……」

「……この状況だと、否定のしようがないわね」


 苦笑いとも、自嘲とも取れる笑みを浮かべ、満潮は缶をわずかにあおった。
 普段であれば、「それって他に長所がない時に使う最後の美徳よね」などと、悪態をつける。
 しかし、実際に姉妹艦の命を救われ、結果として傷まで負った彼のことを笑えるほど、歪んではいない。
 ……むしろ、身に沁みる。入渠中、姉妹を三人も失った経験が刻まれている身としては。
 あの時、らしくない真似を――縋るような真似をしてしまったのも、この影響だろう。
 彼をもし褒めるなら、使い古された定型文こそが、一番似合うと思えた。


「あの……今度は、電が質問しても?」

「別にいいけど。っていうか、想像つくわ。どうして司令官に辛く当たるのか、でしょ」


 先んじて内容を言い当てると、電がまたうなずく。
 満潮自身、提督への態度が褒められたものではないのを自覚している。加えて、妹である霞と、曙も同じだと。
 そして、己がそうであるように、彼女たちにも理由があるのだと察しはついていたが、あえて語ることもせず、自分のことだけに留める。


「まぁ、曙とか霞とかがそうする理由は分からないけど、私は……。司令官が、私を見ていないから、ね」

「それは、どういう……」

「言葉通りよ。司令官は、私を通して別の“私”を見てる。桐生とかいう提督が沈めた、私を。時雨は何も言わないけど、多分あの子も同じ風に感じてるはずよ。私はそれが嫌」


 初めて出会った時。
 彼は満潮を見て、わずかに悲しそうな顔をした。
 それがどうにも気になって、彼女は先任の仲間たちに話を聞き、友人である桐生提督と、最後を共にした同名艦のことを知る。
 胸の中に、暗雲が立ちこめたような気分だった。


「ただの戦力として呼ばれたのなら。例え捨て駒としてでも、諦めがつくわ。軍艦なんだもの。
 けど、そうじゃなくて。他の誰かへの罪滅ぼしに呼ばれたんだとしたら。……そんなの、嫌よ」


 人間的な身体と心を得たとしても、本質は違う。
 あくまで戦いのために生み出された兵器。その本分を全うするためでなく、罪悪感の慰めに呼ばれた。
 もし、そうだったならば――


(馬鹿にするのも大概になさいよ)


 ――と、拳を握ってしまう。
 例え妹の恩人であっても、実際にこう言われたら軽蔑を禁じ得ない。
 この身は、敵を打ち砕くためにある。譲れない、意思を持つ軍艦としての誇りだった。
 が、あることに気づいた満潮は、「あっ」と声をあげて電へ詰め寄る。


「違うわよ!? 別に、そういう感情があるわけじゃなくてっ。変な意味なんてないから、勘違いしないでよね!?」

「は、はい……?」


 唐突な言い訳に理解が及ばず、電は首を傾げるしかなかった。
 よくよく発言を分解し、少しだけ曲解すると、「あの子じゃなくて私を見て」という告白にも取れるのだが、根が素直なため、言葉通りにしか受け取らなかったようだ。
 そんな彼女を見て、自身の拗ねた心持ちが恥ずかしくなったか、満潮は黙り込む。
 しばらく、沈黙が続いた。
 変化がもたらされたのは、お汁粉が飲みやすくなった頃。
 待合ロビーと屋外をつなぐ自動ドアが開き、歩み寄る二つの人影へと、電たちが振り返った時だった。


「本当に、まだ手術中なのね」

「ちっ。何してんのよ、とんだヤブ医者じゃない……!」

「曙、やめなさい」

「……ふんっ」


 影の主は、出撃から帰還したばかりの、叢雲と曙。
 手にはそれぞれ、ブランケットと菓子の箱を持っている。一旦宿舎へ戻ってから、病棟へ来たのだろう。
 彼女たちが悪い知らせを受け取ったのは、横須賀へ帰投してからである。
 幸か不幸か、帰りの道では深海棲艦との遭遇もなかったが、順調な航海では定期報告以外にすることもなく、引き換えに知らせを受けるのも遅くなってしまった。
 いつもなら必ず出迎えてくれるという提督が姿を見せず、それを不審に思った金剛と曙が整備主任へ問いかけ、ようやくだ。動揺を抑えるという意味合いもあったのかもしれない。


「身体の方は、大丈夫ですか?」

「平気よ。私たちは被弾していないから」

「わたしは精々、巻き上げ機の調整したくらいかな。ったく、保守点検なんて後でもいいのに」


 驚愕し、色を失った彼女たちは、一も二もなくドックを飛び出そうとするが、整備主任がそれを留めた。桐林提督からの厳命があったからである。
 みんなが帰ってきたら、すぐに直してあげて欲しい、と。
 麻酔で眠りにつく直前、うわ言のように呟かれたそれは、看護師と書記を通じて整備主任へと言付けられた。
 事の経緯まで説明されては、振り切って駆けつけることもできず、被害を受けた船は高速修復を。そうでないものも、歯がゆい思いをしながら整備点検を受ける。
 出撃組からこの二人がやって来られたのは、一番損耗が少なかったからであろう。それでも、二時間足らずで艦船の点検を終えるなど、尋常ではない速さなのだが。


「これ、使いなさい。どうせ、ずっと待っているつもりなんでしょう。冷えるわ」

「あ……。ありがとう」


 大きめのブランケットを電の肩にかぶせ、叢雲はその斜め前に腰を下ろす。
 対して曙は満潮の反対側へ陣取り、無造作に箱を差し出す。
 棒状に焼き上げたプレッツェルへチョコをまとわせた、一世紀近く愛される菓子である。


「ん」

「え? えっと……」

「んっ」

「い、いただきます……」


 仏頂面に押し切られ、電が箱から一本だけ貰い受ける。プリン味だった。
 お汁粉とプリン味のチョコ。
 ミスマッチな甘さで困惑していると、両隣の少女たちが会話を始める。


「曙。あんた、ご飯食べて来たんじゃないの?」

「食べたわよ。お腹いっぱいに。でも、なんか物足りないの。美味しかったはずなのに、なんか……味気ないのよ。それもこれも、全部クソ提督のせい――あ」


 ほぼ言い終えてから、慌てて口を覆う。
 口癖のようになっている、彼への罵り。
 いつもは周囲からたしなめられるが、しかし今は、隣の少女に悲しそうな表情をさせるだけ。
 あまりにもばつが悪くて、曙は菓子を三本まとめて咀嚼する。


「曙ちゃんは、司令官さんのこと、嫌いなの?」

「……嫌いというより、気に食わないだけ」

「どこが違うのよ、それ……」

「そうとしか言えないんだからしょうがないでしょっ。いきなり人を後方任務に行かせるから、嫌なこと思い出しちゃって……。それが抜けないのよ」


 叢雲からの呆れた視線に、思わず顔を背ける曙。脳裏をよぎるのは、過去の記憶――大戦の傷跡だった。
 かつて、姉妹艦であるおぼろさざなみうしおと共に、第七駆逐隊へと所属した彼女。その戦史は、貧乏くじを引いてばかりと言える。
 スラバヤ沖海戦では、敵艦を病院船と誤認したまま臨検へと駆り出され、危うく轟沈しかけた。
 珊瑚海海戦では、日本海軍きっての損害率を不本意ながら保持する空母、翔鶴の護衛につくも、守りきれなかった。おまけに、この海戦では他にも多数の被害が発生し、全く関係のないことまで曙に非難が集中する。
 これを受けてミッドウェー海戦への参加は許されず、同型艦とは違い、輸送や海上護衛などの後方任務に従事させられたのだ。

 曙がこの艦隊で励起され、最初に行なったのも、同じ類の任務である。
 しっかりと練度を上げて、実戦で遅れをとらないようにとの配慮なのは理解できたし、後方支援の重要性も知っている。だが、やはり良い印象は持てなかった。
 そんな第一印象を引きずり、ひねくれた言葉を向け、その度に軽い自己嫌悪へ陥る。どうしようもなく、不器用な少女だった。


「叢雲はどうなのよ。クソて――ごほん、あいつに対して結構キツい言い方してなかった? いっつも自信満々にさ」

「私が? ……笑えないわ。自信なんて、これっぽっちもないわよ。今回の出撃でも、嫌というほど思い知らされた。所詮、旧型艦ね……」


 そして、ここにも不器用な少女がもう一人。
 南方作戦やミッドウェー、ソロモン諸島の戦いなどへ参加した駆逐艦である彼女だが、特に目覚ましい戦果をあげたという記録はない。
 その後、第二次ソロモン海戦で輸送船団を失ってから約二ヶ月後。サボ島沖海戦中、大破した古鷹、青葉の救援に向かい、帰らなかった。
 高飛車な口調でごまかしてはいるが、この事実を痛恨とし、彼女は自分自身に厳しくならざるを得ない。
 ただでさえ古い分類の駆逐艦。しゃかりきにならねば、性能限界で追いつけなくなってしまう。
 けれど、強気に自身を奮い立たせても結果が伴わず、後悔ばかり。こうして時々、弱音を吐かないとやっていけないのである。

 再び、重い沈黙が広がった。
 それをどうにかしようと、電が意を決して口を開こうとしたその時、病棟の入り口から足音がまた一つ。
 小さな影が、近づいてくる。


「霞、ちゃん」

「………………」


 彼女は返事をしない。静謐な表情を浮かべ、ゆっくりと歩いている。
 長椅子まで来ると、いくらか逡巡して、電の真正面へ腰を下ろす。
 隣り合った叢雲が声をかけた。


「もう直ったの。流石、主任さんの腕は確かね」

「おかげさまで、死に損なったわ」

「ちょっと」

「分かってるわ、叢雲。……分かってるわ」


 いつも通りといえば聞こえはいいが、この場においては不遜が過ぎる物言い。
 眉をしかめる叢雲だったが、重たい一言で文句をつけられなくなる。
 小さく深呼吸した霞は、背筋を伸ばし、電をまっすぐに見つめた。
 向けられる電は、わずかにたじろぐものの、なんとか受け止める。


「どうして、何も言わないの」

「……一番辛いのは、多分、霞ちゃんだから。……なのです」

「私が?」


 表情が崩れる。
 穏やかな湖面に見えたそれが、石を投げ込まれたように。


「なんでそうなるのよ。私は、なんとも思ってないわ。バカよね、私なんかを助けたって、良いことないでしょうに。そのせいでこんな怪我までして。ほんと、バカよ」

「霞っ、あんた、それが命の恩人への……!」


 心ない暴言に耐えられず、掴みかかろうとする満潮だったが、腰を上げようとしたところで肩に手を置かれる。
 軽く。なんの力も込められていないだろうに、それだけで動けなくなった。
 原因は、電。


「本当に? 霞ちゃんは本当に、心の底から、そう思ってるんですか?」


 先ほどまでと打って変わり、絶対の自信が込められていた。
 霞といえば、顔をうつむかせるだけで答えない。答えられるはずもない。


「もし違うなら、本当の気持ちを言葉で塗りつぶすようなこと、やめた方がいいのです。
 そんなことを続けてたら、いつか、嘘が本当になっちゃう。……そんな気が、します」


 真摯に語られる、その一言一言が。
 彼女の胸を深く突き刺しているのだから。


「……だったら、どうしろって言うの」


 ようやく絞り出せたセリフにも力がなく、霞は傷一つない手のひらを見つめた。
 誰かの血が重なったように思えて、キツく目を閉じる。


「私はただの駆逐艦。特別な存在じゃないし、目立つ能力もないわ。……貴方みたいに可愛げもない。
 こんな風に大事にされたって、何も返せない。今さら大切にされたって、どうしていいか、分からないのよ……」


 震える声は、揺れる感情を色濃く反映していた。
 思いも寄らぬ形で知らされた“司令官”の凶報が、霞の忘れ難い痛みを呼び起こしているのだ。
 一九四二年、七月五日。
 水上機母艦・千代田と、特設輸送艦として徴用された貨客船・あるぜんちな丸――後の航空母艦・海鷹かいようを護衛し、キスカ島へ向かった霞は、濃霧の中、沖合に仮泊していた。
 しかしそこを、米潜水艦・グロウラーに襲撃され、第十八駆逐隊の司令駆逐艦だった彼女は大破。
 僚艦である不知火も同じく大破し、姉妹艦であったあられは二本の魚雷を受け、目の前で轟沈した。無事だったのは陽炎のみである。
 そして、軍内部からの苛烈な批判により、霞へ座乗していた司令官が、責任を取るという形で自害したのだ。
 この後も彼女は悲運に見舞われ、陽炎と不知火、姉妹艦を続々と失い続け、沖縄への特攻――菊水きくすい作戦において、ついに命運を尽くこととなる。


「こんなはずじゃなかった……。こうならないために、私は……」


 当時の霞に、今のような意思はない。
 けれど、失態を演じた上で司令官を失ったという史実は、紛れもなく彼女を構成する一部分。
 切り離すことなんて出来ず、生まれて間もない心を固く縛り付けていた。だから、露悪な言葉で、真綿の想いを胸に秘める。望ましい環境にさえ反発する。
 いざという時、きちんと見捨ててもらえるように。


「お話中、失礼します」


 痛々しい心情の吐露が続く中、それを中断させるようなタイミングで、一人の少女がやって来る。
 入り口からではなくて、反対側。病棟内から姿を現したのは、濃厚な疲れを顔に乗せる書記であった。


「今さっき、手術が終わりました。提督の容体も安定しましたよ」

「ほ、本当ですかっ!? ……っ、良かったぁ……」

「はぁぁ、やっと? どんだけ時間かけてんのよぉ」


 彼女が放つ一言で、場の雰囲気は一転。
 電は涙ぐみながら立ち上がり、曙が両手を広げ、仰向けに長椅子へと倒れこむ。
 他の面々も、目に見えて表情が明るくなった。……ただ一人を除いて。


「意識はまだ戻っていませんが、すでに病室へ移されています。……お会いになりますか?」

「大丈夫なの、書記さん。こういう場合って、しばらくは無理なんじゃ?」

「普通ならそうなんですけど、皆さんでしたら。警備という名目で、私がどうにかします。それに、一度顔をご覧になった方が安心できるでしょうから」


 願ってもない申し出に、一足早く冷静さを取り戻した満潮が問う。
 常識的に考えれば、長時間にわたる手術を終えたばかりの患者に、肉親でもない存在が面会するなど、あり得ないからだ。
 しかし、書記が言う方法であれば……いや、それにしてもごり押しが必要だろうが、面目は立つかもしれない。
 そう判断し、今度は叢雲が、皆を促すように立ち上がる。


「なら、行くだけ行きましょうか。部屋は?」

「一○七号室です。深夜ですので、お静かに」


 唇の前へ人差し指を立てて、書記は悪戯じみたウィンク。珍しい茶目っ気に、叢雲は自然と微笑み返す。
 続く満潮が「ご苦労様」と短く労い、頭の後ろで手を組む曙は、「陸でも警備任務かぁ」とぼやいている。
 最後に電が深々と頭を下げ、後ろを気にしつつも、小走りに廊下を行く。
 霞だけが、動けずいる。


「過去を受け入れるも、過去に縛られるも、本人次第ですよ」

「え?」


 驚き、声のした方向を見上げる霞。
 電たちについて行ったはずの書記が、胸元から何かを引っ張り出していた。


「霞さん。確かに貴方は軍艦なのでしょう。けれど、その胸の内にある記憶は過去のもの。いわば前世の記憶。少し、そこから離れてみてはどうですか」

「離れ、る」


 ペンダント。
 少し厚みのあるハートに、錠前のような鍵穴。おそらく、中には写真が収められているのだろう。
 それを握りしめ、彼女は静かに目を細める。


「軍艦としての貴方ではなく、今、ここで生きている貴方は、どうしたいのか。
 こう考えれば、自分に何が返せるのかも、見えてくるのでは?
 ……なんて、部外者が偉そうに言ってみました。さぁ、霞さん」


 差し伸べられた手を、じっと見つめる霞。
 物言わぬ軍艦としての自分。使役される統制人格としての自分。霞という名の――少女としての自分。
 どれが本物なのか。どれを本物にするのか。
 今はまだ迷っている。
 けれど――


「確認、するだけ。どんな酷い寝顔してるのか。見に行くだけ、だから」


 ――それでも、霞は立ち上がる。
 書記の手を握り、頼りない足取りで歩き出す。
 向かう先に、答えがあるかもしれないと、夢想して。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 気がつくと、見知らぬ天井を見上げていた。
 鳥の声。
 差し込む光の眩しさから、今が昼間なのだと推測できる。
 身体が重い。
 空気が粘度を増して、のしかかって来ているように感じた。


「目、覚めた?」


 左耳に、優しい声が届く。
 顔と視線をわずかにずらせば、逆光の中に佇む満潮がいた。


「……みち、しお。ここは……」

「病室よ。あの戦いの後、司令官はフィードバックで倒れたの。覚えてない?」

「……あぁ……」


 言われて、ようやく記憶が蘇る。
 鼻血。吐血。慌てる書記さん、満潮、電の姿。
 痛みだけが、フィルターを通しているみたいに他人事で、現実感がない。


「……のど、かわいた……」

「悪いけど、まだ水は駄目。今はこれで我慢しなさい」


 しかし、喉を苛む渇きは如何ともし難く、それを率直に伝える。
 すると満潮は、清潔なガーゼに水を含ませ、唇へと押し当ててくれた。
 わずかな水気でも、本当に欲しているものなら、身体は勝手に吸収してくれるらしい。
 気分が落ち着いて来る。やっとしっかり喋れそうだ。


「ありがとう。もう、大丈夫だ」

「そう。気分は? 痛むところがあるなら言いなさい」

「……いや。なんだか、全体的に身体がダルいだけで、痛みは……ん?」


 言いながら自分の身体を確かめようとするのだが、両手に違和感を覚える。
 左手を少し持ち上げてみると、甲に管が繋がっていた。点滴……栄養剤か何かだろう。
 右手には、暖かさと柔らかさ。覚えのある感触に、首を向けてみれば――


「くぅ……すぅ……」


 ――手をつないだままに眠る、電がいた。
 ベッドに突っ伏して、自身の右腕をまくらにして。小さな左手が、こちらの手に乗せられている。


「ずっと、側にいてくれたのか。電も、満潮も」

「私は今来たのよ。赤城さんや加賀さん、あと金剛さんたちと入れ替わり」

「そっか。無事に帰ってたか」

「ええ。交戦もなく。まぁこの子たちは、帰ってきてからほぼずっと、だけどね」

「この子たち?」


 問い返すと、満潮はベッドをリクライニングさせてくれる。
 上半身が起き上がり、病室の全体が見渡せるようになると、意外にも多くの人影が室内にた。
 満潮の向こう側、窓側の椅子に曙。大股と大口を開き、天井を見上げて眠っている。いびきまでかいて、だらしない……。
 正面の壁には叢雲が寄りかかっている。彼女は腕を組み、うつらうつらと船を漕いでいた。立ったまま寝るとか加古みたいだ。でも、なんだか様になっている。
 そして、電に隠れるようにして、霞が。顔はむこうを向いているが、背中がゆっくり上下してるから、多分寝てる。


「良かった。指示を出した覚えはないけど、主任さん、ちゃんと直してくれたんだ。赤城たちにも礼を言わなきゃな」

「え。……もしかして、覚えてないの」

「何をだ?」

「……はぁぁ。無意識。処置無しね。手に負えないわ」

「な、なんだよ、変な顔して」

「分かんないならそれでいいわ。きっと言っても無駄だもの」


 呟いた言葉に、なぜか満潮は深〜いため息をつき、頭を抱えてしまう。
 どうして起き抜けでこんな反応されなきゃいけないんだ、おい。今の状態はよく知らないけど、多分まだ怪我人だぞ。いたわれ。
 そんなことを思いつつ、丁度良い位置にある電の頭を撫でていると、目を覚ましたのか、彼女はポケ~とした表情で身体を起こす。


「しれぃ、かん……さ、ん……?」

「ああ。おはよう、電」


 半開きの目を袖でグシグシ。
 まだ夢を見ているような顔つきのまま辺りを見回し、コテン、と首を傾げる。
 うん、可愛い。


「………………っっっ!? し、司令官さんっ!? 起きて大丈夫なんですか!? 痛いところありませんか!? あ、おはようございますです! お医者さん呼びますか!?」

「う、お、ぉ?」


 ――と笑ってたら、すごい勢いで詰め寄られた。
 つんのめり過ぎて、ベッドに登らんばかりである。


「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ、電」

「ふがっ。……ぅう、何よ、うっさいわねぇ……」

「……ん、あら。起きたのね」

「んぁ……。なにテンパってるのよ、いなづ――あ」


 あわあわした声につられて、残る三人も起き出す。
 それは良いのだが、まずは今にも泣きそうな電をなだめなくては。


「だ、大丈夫だから、満潮にも言ったけど、どこも痛くないし。安心してくれ。な」

「……はい。……はい。すん、はい……っ」


 できるだけ優しく、そう言って笑いかけると、彼女は目に涙をため、何度も何度もうなずく。
 随分と心配をかけていたようだ。でも、申し訳ない反面、身を案じてもらえる嬉しさもあった。
 まぁ、命が繋がってるんだから、当然っちゃあ当然なんだけど……それだけが理由じゃないと信じて、喜んでおこう。


「大丈夫って割りに、酷い顔してるわよ、クソ提督」

「よだれ垂らしてる子に言われたくないな。……そんなに酷いか?」

「うそっ……じゅる。あ、う、嘘じゃないんだからっ。本当に顔色悪……もういいっ」


 それに引きかえ、曙のふてぶてしさは変わらない。別の意味でホッとするよ。
 一応、心配はしてくれてる……んだよな? もしかして、曙にすら心配させるほど酷い……?
 不安で顔をさすっていたら、叢雲がどこからともなく大きめの手鏡を持ってくる。正面に立つ彼女が構えれば、その中には――


「うゎ、真っ白」


 ――漂白された男の顔が映し出された。
 土気色……というより、白磁のような色。
 まるで深海棲艦の統制人格みたいだ。少し気味が悪い。


「人工血液の色だそうよ。詳しい理屈は分からないけど、二~三週間で元に戻るらしいわ」

「なるほど。噂には聞いてたけど、これはビックリするな」


 叢雲の説明にピンときた。うろ覚えだが、ここ数年で開発されたものだったはず。
 代理ヘモグロビンだかなんだかを使っているため、見た目は濃い牛乳みたいな感じだが、どんな血液型の人にも使えるので凄いらしい。
 推理小説とかで有名なポンペイタイプにもOKだとか。その代わり精製は難しく、一デシリットルでウン十万かかるようだ。
 ……どのくらい使ったんだろう。あんまり治療費が掛かると、配給資源、減っちゃうんだよなぁ……。


「さて。起きたばかりで大変でしょうけど、話さなくちゃいけないことがあるわね」


 考え込んでいると、不意に叢雲が真面目な顔をする。
 姿勢を正し、気をつけのように直立不動となった彼女は、まっすぐこちらを見据えた。


「今回の作戦、失敗した原因は、索敵にほころびを作った私にある。どんな処罰でも受ける覚悟はできてるわ」

「ん? ちょ、ちょっと待った。処罰ってなんだ?」

「なんだはないでしょう。この失敗で資源は大量に無駄になったし、司令官の立場はより悪くなる。得たものなんて何一つない。責任の所在はハッキリすべきよ」

「それは分かってる。でも、なんで叢雲への処罰の話になるんだ」

「なんでって……本気で言っているの?」

「本気も何も、責任は司令官である自分が取るもんだ。部下へ失敗をなすりつけるなんて情けない真似、できるわけないだろう」


 訝しげに眉をひそめる叢雲。
 それが不思議で、自分も眉間にシワを寄せてしまう。


「君は気づいてたじゃないか、何かがおかしいって。大したことじゃないと判断したのは自分のミスだ。それに、得たものが無いっていうのも違う。
 少なくとも、対上位種との戦闘セオリーは実践可能だって証明できたし、敵が戦術的な行動をとることも確認できた。あとは……」

「……あとは?」


 言葉を詰まらせると、叢雲はおうむ返しに首を傾げる。
 う~ん……。勢いで言えると思ったけど、けっこう勇気がいるな……。
 いやいや、頑張れ自分。言葉にしなきゃ伝わらないんだから。


「……し、信頼関係を築くことも、できたと思う。普通の能力者と違う戦い方しか出来ない自分には、それが何より重要だ。
 だから、失敗じゃない。いやまぁ失敗だけど、完全な失敗じゃない。少なくとも、自分はこう考えてる。……なんか悪いか!?」

「なに逆ギレしてんのよ」


 うるさい、妙に恥ずかしいんだよ!
 脳内で霞へと反論しながら、くすぐったさを誤魔化すために窓へ視線を向ける。
 ……のだが、そこにも敵が待ち受けていた。
 椅子の背もたれを前に向け、其奴はアゴを乗せてニタニタ。


「ねぇねぇクソ提督。あんたさ、自分がすーーーっごい臭いセリフ言ったの、自覚してる?」

「うっ」

「みんなに聞かせたらなんて言うかなー? 龍田さん辺りはニコニコ聞いてくれそうだし、天龍さんなんか改造して自分で使いそうよねー?」

「お、おま、怪我人を脅す気かっ」

「さぁー? そんなつもりはないけどー? あー、なんだか肩が凝るなー。誰かに肩でも揉んでもらいながらプリン食べたいなー?」

「このっ……分かった。分かったから、変な尾ひれをつけて広めるなよ」

「お、珍しく素直じゃない。取引成立。早く退院して、体調戻しなさいよね。……楽しみにしといてあげるから」


 くっそぅ、楽しそうに笑いやがって……。ちょっと可愛いと思っちゃったのが悔しい。
 扶桑じゃあるまいし、その貧相さで肩が凝るわけないだろう、全く。
 っと、そう言えば、霞にも言わなきゃいけないことがあるな。


「霞も、済まなかったな。色々なことが重なったとはいえ、大怪我をさせてしまった。今度はもっとうまく運用してみせる。もし許してくれるなら、今後も力を貸してくれ」

「………………」


 さっきのツッコミ以外に声を聞けていない彼女へ、そう笑いかけるのだが、しかし反応は鈍い。
 聞こえなかったのか? と思うほどの沈黙の後、なぜか顔を伏せたと思えば――


「……違う。そうじゃない。そうじゃないでしょ……」


 ――肩を震わせ、何事かを呟いている。
 まさか、怒ってる? 怒らせるようなことは言ってないはずだけど……?
 不安に駆られ、様子を伺おうとした瞬間、霞は勢いよく立ち上がった。


「あんたは、どうして笑っていられるの。自分がどれだけバカなことをしたのか、まだ分からないの!?」

「か、霞ちゃん? いきなりどうし――」

「叢雲たちのことは良いわよっ。でもね、私なんかを助けるためにみんなを危険に晒して、あまつさえこんな怪我まで負って……。
 分からない? あんたの自己満足のせいで、この艦隊みんなが消滅してたかもしれないのよ!?
 私だけで済んだかもしれないのに、金剛さんも、赤城さんも、鳳翔さんたちもっ。……電だって。あんたが大切にしてる子、あんたを大切に想う子。全員、道連れに」


 電の制止すら意に介さず、叫び続ける彼女。
 ベッドを殴り、細腕で皆を指し示し、段々と落ち着きを取り戻して行く。


「あんたの命がみんなを支えてるのよ。優先すべきがどっちかなんて、考えなくてもわかるでしょ。だから、本当にみんなのことを大事に思うんだったら」


 だが、まだ瞳の奥に、激情がくすぶって見えた。
 怒っている。けれどそれは、外側にだけ向けられてはいないとも感じた。
 全身に力を込め、振り絞るように彼女は言う。


「今度は、ちゃんと見捨てなさい」


 この命に、守る意味などないと。
 誰も口を開こうとしない。電も、満潮も、曙も、叢雲も。ただただ、沈痛な面持ちでいる。その言葉に秘められた優しさに気づいているからだろう。
 能力者と統制人格は、一方的な運命共同体だと評したことがある。
 少し前ならいざ知らず、もし今、自分が命を落とすことがあれば。一気に六十隻近い感情持ちの傀儡艦が、鉄塊へ戻ることになる。うぬぼれでもなんでもなく、国家レベルの痛手だ。

 それを回避するにはどうすればいいのか。簡単だ。見捨てればいい。
 少しでも危険な状態になったら同調をカットし、玉砕を命じて高みの見物をすればいい。
 しょせん傀儡艦。いくらでも用意できるのだから。
 自分だって死にたくない。誰に言われるでもなく、理解していた。何度も考えたことだった。
 自己保存の本能。責められるいわれもないはず。
 キチンと理解し、この考えを噛み締めた上で、自分は――


「ずぇーったい、やだ」

「………………んなっ」

「司令官……さ、ん?」


 ――と、できるだけ憎たらしい顔で言い放つ。
 霞がギョッとし、あんぐり大口を開ける。
 電もドン引きしてるけど知らん。後で泣くから今はいい。


「そもそも、今回のこれは自分だって予想外だったんだ。最初から怪我するつもりも、命を投げ出すつもりもなかったよ。次はうまく調整するさ」

「そ、そういう問題じゃないんだったら! リスクのある選択をすること自体が問題で……」

「んなこと言われたら、鎮守府に引きこもって遠征長者になるしかないんですが。霞は輸送成金提督の使役艦って呼ばれたいのか?」

「うぐ。いや、それは……。って、話をすり替えようとしないで!」

「あ、あの、二人とも、落ち着いて欲しいのですっ」


 ワザとやっているふてぶてしい対応に、何度も何度もベッドを叩き、霞はにじり寄る。
 間に挟まれた電が可哀想なことになっているが、他三名は互いに顔を見合わせ、待ってくれていた。
 正直、ありがたい。ここは徹底的にやりあうべきなのだから。


「じゃああんたは、これから先も同じことをするって言うの。どんどん戦いは厳しくなるわよ。
 今までは運が良かっただけ。私みたいな状況は何度でも起こりえる。それでもあんたは――」

「当たり前だろ、そんなの」


 だから。
 なおも咎めようとする、優しすぎる少女へ向けて。
 己の意思を、言葉にして叩きつける。


「この命が、自分一人だけの物じゃないことなんて、電を呼んだ時から重々承知してる。
 でもな。命惜しさに誰かを見捨てて、それで胸を張って生きていけるほど、面の皮はあつくない。
 きっと罪悪感に潰され、おかしくなる。御免だよそんな人生。だから、最後まで諦めない。後悔したくないから。
 霞。君がどんなに言おうとも、この生き方は絶対に変えない。自分の艦隊にいる以上、嫌でも付き合ってもらうからな」


 したり顔に、彼女は酸欠の金魚が如く、口を開けては閉じを繰り返す。
 二の句を継げないのが悔しいのだろう。他の皆に視線で助けを求めるも――


「無駄よ、諦めなさい」

「そーそー。こんなのに呼ばれちゃったのが運の尽きってやつ」

「ふふ、そうね。加賀も言っていたでしょう。これが、私たちの司令官なのよ」

「……なのです!」


 ――返ってくるのは、仕方ない、という苦笑いばかり。電だけは満面の笑顔だ。
 ストンと、霞の表情が落ちる。
 そして、梅干しでも含んだようにしかめられたかと思ったら、顔を隠すようにうつむき、身体も震わせた。
 しばらくすると、大きなため息と共に背筋を伸ばし、彼女はサイドテールをかき上げる。


「あーもう! 本っ当に最悪! こんなにバカで、頑固で、スケベで、憎たらしいやつの尻拭いを、これからもしなくちゃいけないなんて!」


 可愛らしい唇から吐き出される、普段通りの毒舌。
 しかし、硬く握られていた拳は、いつの間にか解かれていて。


「こんなのが、私の司令官だなんて。……冗談じゃないわ」


 陽を受ける可憐な花が、そこに咲いていた。
 白や薄桃色の、小さな花弁をつける花。
 まるで……霞草のような。


「なに笑ってるのよ、気持ち悪いわねっ」

「いやいや。ようやくちゃんと呼んでもらった気がしてさ。司令官って」

「……! ……知らない! 帰るっ」


 きびすを返し、霞はズカズカとスライドドアの向こう側へ消えていく。
 もしかして、照れてるんだろうか。やっぱり根はいい子なんだ。信じていて良かった。
 なんとか認めてもらえたみたいだし、とにかく嬉しい。


「私も行くわ。ついでに、医者には報告しておくから。また後で会いましょう。司令官」

「わたしも。さぁって、プッリン、プッリンー♪」

「……前々から思っていたんだけど、いいの? 貴方が言うクソ提督の手作りプリンで喜んでも」

「はぁ? 良いも悪いも、プリンに罪はないし。親の因果が子に報い、とか酷いじゃない」

「一気に話のスケールが飛躍したように思えるんだけど、気のせいよね」


 霞の後に続く叢雲は、曙とおしゃべりしながら病室を立ち去り、最後に、微笑みと流し目を残す。
 そして、無言のまま満潮も帰ろうとしていたのだが、あることを思い出した自分は、その背中を呼び止める。


「……なぁ、満潮。あの時の質問に答えるよ」

「質問……あぁ、あれ。別に今じゃなくても――」

「知りたいんだ。君のこと」

「――へ」

「いや、君たちのことを」


 一瞬、驚いたような顔を見せたのは気になるものの、言葉を止めることはない。
 あの時はまだ、固まっていなかった気持ち。
 それが確かなものとなって、胸の中に生まれていた。


「人間は、この“力”について何も知らない。君たち――統制人格が、どういう存在なのかも。
 けど、自分なら。誰よりも君たちと深く言葉をかわし、触れ合える自分なら、何か見つけられるかもしれない。
 この世界にはきっと、自分にしか見えない景色がある。それはきっと、君たちと一緒じゃなきゃ行けない場所にあるんだ」


 子供の頃は感じていた、不思議な感覚。
 行ったことのない場所が恋しいと、心が訴えかける。
 見たことのない景色が朧気に浮かび、まぶたの裏で消えていく。
 成長するにつれ、忘れてしまった“何か”を、取り戻すために。


「だから自分は、君を呼んだ。それを手伝って欲しくて、君たちを呼ぶんだ。……納得してもらえたか」


 思いつくままに気持ちを伝えると、彼女は小さく肩を竦めた。


「まぁ、悪くないんじゃない。もう行くから」


 満潮の方からした質問だというのに、返事は素っ気ない。だが、その姿が完全に消える瞬間、唇が動く。
 見間違いでなければ、「ありがと」って言われた。
 霞のことだろう、多分。自分が倒れる直前に言いかけてたのはこれか。随分と素直になったもんだ。


「はぁ……。なんか、いっぱい喋ったら疲れたな。少し眠るよ」

「はい。お休みなさいです。じゃあ、電は外で……」

「あ、待ってくれ」


 気を遣ってくれる電を、自分はまた引き止める。
 今度は、少しだけ甘えるために。


「もうちょっとだけ、そばに居てくれないか。眠るまででいいから」

「……はい。電でよければ」


 上げかけていた腰を戻し、彼女は目を細める。
 こんなことを頼むのは、それこそ子供の頃以来だけど。
 誰かが見守ってくれている。そう思うだけで、とても安心できる。
 良い夢を、見られそうな気がした。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 結果として、作戦は成功をおさめた。辛うじて、と付けねばならないが。
 出撃させた艦隊は、半数しか戻ってこなかった。人的被害は出なかったものの、直すよりも廃艦にした方がいい船ばかり。
 その部品を使い、伊吹を最優先で修復してくれるようだが、彼女がどう思うか。
 無駄な気遣いかもしれないと分かっていても、こんな考えが頭から離れなかった。

 夜。
 ふと思い立ち、わたしは佐世保にいる伊吹へと同調してみる。それと気づかれぬよう、慎重に。
 歩いている。場所は鎮守府庁舎。どうやら修理は終えているらしい。
 時間のせいか、廊下にひと気はない。しばらくすると、どこからか賑やかな声が届く。
 行く先に見えたのは、少しだけ隙間の開いたドア。覗きこむ伊吹の視界で、酒盛りをする軍人たち。

「勝利だ」
「これで油田に手が出せる」
「他国にへつらわず済む」
「反撃できる」
「傀儡能力者」
「人類の新たな力」
「万歳、万歳、万歳」

 久しい美酒に酔う男たちは、少女の影に気づかない。そっと離れ、また歩き出す。
 今度は屋外。埠頭である。
 暗闇の中、係船柱へ腰掛ける青年がいた。確か、今回の戦いで全ての船を失った新人だ。
 背に立つもう一人の男性は、吉田二佐。
 彼らの話は、波にかき消されて聞くことも叶わない。しかしやがて、青年は波に負けないほど大きな声で、嗚咽を漏らし始めた。
 己の膝を殴り、使役していた船の名を叫びながら。繰り返し、謝りながら。

 二佐が夜空を見上げる。それにつられたか、伊吹も。
 流星群。
 数多の星が落ちていた。
 かざした手に、掴みきれないほどの、命の軌跡が。


 桐竹随想録、第六部 馬の緯度、末文より抜粋。










《こぼれ話 鳳翔さんに全身全霊で介護されてみたい》





「提督、鳳翔です。昼食をお持ちしました」

「はーい、開いてますよー」

「失礼します」


 自室のドア向こうからの声に、布団へ横になりながら返事をする。
 静かに入ってくる女性――鳳翔さんは、盆に乗せられた土鍋を持っていた。


「流動食なら食べられるとのことでしたので、お粥を用意しました。食べられそうですか?」

「おぉ、ありがとうございます。もちろん、いただきます」


 淑やかに、布団の横へと膝を落とす彼女に合わせて、自分は身体を起こす。
 病室で意識を取り戻してから、丸一日。検査の結果は非常に良好で、自宅療養に移っていた。
 というのも、霞たちが宿舎へ帰ってからわずか十分足らずで、うちのみんなが病棟に殺到。業務に支障をきたしたからだ。いわゆる厄介払いである。
 いやもう、すごい騒ぎだった。特に出撃組が。

 赤城は「お怪我に気付けず、申し訳ありません」って、加賀と一緒に謝りどおしだったし、足柄は書類へハンコ押させようとする妙高たちを止めもしないで、「もうこんな傷は負わせないわ!」と目に炎を宿していた。
 衣笠が来てくれた時には、思わず紐パンを思い出してしまい、それを悟られて「エッチ」と頬をつねられたし、千代田は共に来た千歳に甘えてるだけ。何しに来たんだ。
 極めつけは金剛型姉妹。金剛は泣きながらダイブして来たうえ、榛名も白い顔に驚いたのか、「おいたわしいです……っ」ってポロポロ泣き出し、霧島は霧島で、今回の出撃と治療にかかった費用を黙々と、事細かに報告するのである。比叡が抑えに回るって、よっぽどだぞ。

 もちろん待機組も来てくれたのだが、例を上げるとキリがないので割愛させてもらう。
 強いて言うなら、暁が点滴の針をみて「きゅう」と気絶したことくらいか。
 見舞ってくれるのは嬉しいんだけど、みんな自重して欲しい。
 特に――


「あー、もうお昼? どおりでダルいと……」

「……ん。何、食べよう……?」

「でもさー。さっきからずっとお煎餅とかミカンとか摘まんでるし、あんまお腹空いてないよねー」

「ですね。あんまり身体には良くないんでしょうけど……。はい、北上さん。新しいの剝けましたよ」

「あーん……。んぁー。幸せー」


 ――朝っぱらからコタツに足突っ込んでくつろぎまくってる、そこの女子ども。
 望月、煎餅のカスをこぼすな。初雪、冷蔵庫を漁るな。北上、ミカンを食うな。大井、食わすな。
 目の高さでお尻がモジモジ動くから、全く気が休まらないんだよ。帰って、お願いだからありがとうございます


「姿が見えないと思ったら、ここに居たんですね」

「今朝からずっとですよ……。というか、あの作戦の日からこうだったっぽいです」

「いやー、待機中って暇でしょ? 何か面白いマンガでもないかって見に来たら、見覚えのない文明の利器があるじゃないですか。これはもう使えってことでしょー」

「あのな北上。それは自分が初めて買った電気コタツなんだぞ?
 実家には囲炉裏しかなかったし、使うの楽しみにして、あの日早めに引っ張り出したんだぞ?
 それが帰って来てみれば、知らぬ間に土足で踏み荒らされて、穢されて……。出張中に嫁さん寝取られた気分だ……」

「提督、変な例え方しないでくれませんか。たかだかコタツくらいで、大げさな」

「聞き捨てならないにゃ。こんなに素晴らしい暖房器具に向かって“たかだか”とは失礼千万にゃ!」

「あら、多摩さん」


 にゅぽっとコタツから頭を出した多摩が、ジト目の大井に反論した。
 名は体を表すというけれど、似合い過ぎである。
 しかし、そんな彼女へと不満をぶつける、白ネクタイの黒セーラーな赤メガネ少女、望月。


「あのさぁ、できれば普通にコタツ使ってくれない? 確かに大き目だけど、人一人まるっと入られたらさぁ」

「……ちょっと、邪魔……」

「それは無理な相談にゃ。多摩はコタツで丸くなる。有名な童謡にもそう歌われているにゃ。これは本能にゃ。だから多摩は悪くないにゃ!」

「いつもは猫じゃないとか言ってるくせに……」

「……矛盾、してる……」


 ダルそうにつぶやく望月に、半袖のセーラー服少女、初雪が続く。
 ぐでー、とコタツの上へ伸び、綺麗に揃えられた黒髪がふわり、広がっていた。
 コタツから放たれる魔力に、みんな虜となっているらしい。さもありなん。


「ふふ。よほど気に入ったんですね」

「全く……。あと一週間もすれば、食堂の和室スペースにもコタツを置くから。そしたら向こうでくつろいでくれよ」

「ホントかにゃ!? 感無量にゃ~。提督、ありがとにゃ~」


 もう秋本番。冬の足音も近づいているし、寒さ対策は必須である。
 広い食堂全体を温めるのは電気代的にあれなので、コタツに加え、ストーブなどで我慢してもらう予定だ。
 個室にはエアコン完備だから、問題ないだろう。


「ところで、これで全員ですか? 木曾さんと球磨さんも見かけていないんですけれど……」

「あぁ。木曾なら自分の代わりに、陸軍から贈られた船の受領に行ってますよ」

「陸軍? あれ、陸軍が船なんて持ってたっけ? っていうか、タダでくれるなんてスゲー怪しい……」


 煎餅を齧りながら、胡散臭い目つきをする望月。
 こら、と叱りつつ、自分はその意図を説明する。


「もともとこの作戦は、陸軍との協力関係を築くって意味合いが大きいから、こっちの任務にも絡む予定だったんだよ。
 例の再現装置はデカい上にデリケートな作りになっちゃったから、航空機に積んで投下するわけにもいかないし。
 そこで、陸軍の強襲揚陸艦――が積んでる、大発動艇の出番ってわけだ」


 大発動艇とは、旧日本陸軍が開発した上陸用舟艇である。
 旧海軍も多く運用し、その時は十四メートル特型運貨船と呼ばれていた。現代では前者に統一してある。
 完全武装兵員七十名、もしくは一tまでの物資を積載可能で、満載時速度は八ノット。これに再現装置を載せて、硫黄島へと揚陸させる手筈だ。


「なるほどねー。でもそれってさ、大発動艇だけ貰って千歳さんとかに積んだ方が確実じゃない?」

「言うな、北上。世の中には大人の都合ってもんがあるんだよ」

「……ご近所付き合いって、面倒……」


 痛いところを突いてくる北上にため息が漏れ、初雪の例えで思わず苦笑い。
 陸軍にも陸軍のメンツがあるんだろうが、確かに北上の言うとおり、大発動艇を千歳たちに積んだ方が、練度的な意味でも手堅い。
 でも、吉田中将からも必ず励起するようにって言われてるし、励起したらしたで、仕事をさせてあげなきゃ可哀想だし。困ったもんだ。多分だけど、この任務が終わったら遠征番長になりそうである。
 とにかく、全ては二~三日休んで、千歳たちと調査出撃してから。自分の思惑が正しければ、戦闘力が低くてもどうにかなるし、頑張ってもらおう。


「そうでしたか。木曾さんは分かりましたけど、でしたら、球磨さんは?」

「あそこですよ、あそこ」


 鳳翔さんに大井が指し示すのは、縁側へつながる開口窓。
 南向きの、良く陽が当たるそこには――


「一彫り一彫りに、魂を、込めるクマ……! 我が怒りを、思い知る、クマ……!」


 ――新聞紙の上にあぐらをかき、一心不乱に一刀彫りへと勤しむ少女が居た。
 目の前には木の塊が。躍動感あふれる鮭。それを獲る熊。さらにそれを「獲ったクマー!」する球磨を象っている。
 おおよそ、全高八十cmくらいだろうか。邪魔ってレベルじゃねぇぞおい。


「………………あ、あの、一体何を?」

「ちょっと前、うちの艦隊が雑誌に特集されたじゃないですか。
 その反響の中に、『キャラまで作って大変ですね』ってお手紙があったそうなんです。それでもう怒っちゃって怒っちゃって。
 本気で木彫りの熊……いえ、球磨を送るそうです。二分の一スケール統制人格・球磨フィギュア(木製)って品書き付きで」

「……宅配、テロ……?」

「うわー、ひど。家族に見られたら家出もんだね……」

「それで済めばいい方だ。場合によっては即家庭内別居を引き起こすよ」


 茶をすすりつつの解説に、望月と初雪と自分。図らずも、三人同時に球磨の後ろ姿を見つめてしまった。
 鬼気迫る背中から、暗黒の闘気が立ち昇っている。そこまで怒ることなんだろうか……?
 いや、どんな些細なことでも、人によっては逆鱗になるのだ。触れないでおこうと思います。
 なんまいだ~。


「ええっと……。あ、新しい趣味が見つかって、良かったですね? さ、そろそろお昼にいたしましょう」

「ですね……っと、そうだったそうだった。言うの忘れてた」

「はい?」


 心の中で念仏を唱えていると、気を取り直した鳳翔さんが、脱線していた話を元に戻す。
 しかし、それでまた別のことを思い出してしまった。忘れないうちに伝えておかなきゃ。


「鳳翔さん。あの日の弁当、食べられなくてすみませんでした。ずっと謝りたかったんです」

「え……。あっ、いいえ、そんな。頭を下げて頂かなくてもっ。ちゃんと他のみんなに食べてもらって、無駄にはしていませんし」

「それでもです。というか、食べられなかったのが悔しいんですよ。せっかく鳳翔さんが作ってくれたっていうのに……」


 拳を握り、自分は力説する。
 今も鼻の奥に残る、あのかぐわしい香り。想像するだけで涎が滝のように出てくるというのに、それを味わうことは二度と叶わない。
 これ以上悲しいことなどこの世にあろうか。いや、ない!
 覚えてろよタ級……。食いもんの恨みは七代先まで祟るんだからな……。


「そんなに……食べたかった、ですか?」

「ええ、そりゃもう! 鳳翔さんの作ってくれるご飯が、生きる活力の一つですから」

「……おだてても、何も出せませんよ? 体調が完全に戻るまでは、晩酌もダメです」

「そんなつもりじゃないですってば。本心ですよ、本心」

「ふふ、お上手なんですから」


 上品に微笑み、土鍋の蓋を開けてくれる鳳翔さん。湯気と一緒に出汁の香りが漂う。
 普通の白がゆ……じゃない。たまご粥だ。
 相変わらず、胃袋を刺激するのが上手いなぁ。


「おぉぉ……。いい匂い。じゃあ早速――あれ」


 レンゲを掴もうとした手が空振る。
 なぜかお盆は空中を移動し、スカートに包まれた太ももの上へ着地する。
 あれ。なんで意地悪するの鳳翔さん?


「熱いですから、ちょっと待ってください。ふぅ~、ふぅ~……。はい、あーんしてください、提督」

「……え゛?」


 困惑する自分を他所に、素敵な笑顔がレンゲを差し出して来た。
 いやいやいや。見られてますから。
 球磨だけは変わらず小刀を振るってるけど、めっちゃ見られてますから。


「あ、あのですね。自分で食べられますんで、あの……」


 ニコニコ、ニコニコ。
 たまご粥が鼻先で待機中。
 これはマズいぞ……。
 いや、美味しそうなんだけど、とっても恥ずかしいんですが。


「えっと……。あ~……」


 しゅん、と表情が変わる。「食べてくれないんですか?」と、瞳が語りかける。
 卑怯だ……。あなたは卑怯だ、鳳翔さん。
 そんな顔されたら、もう食べるしかないじゃないかっ。ええい、ままよっ!


「お味はいかがですか?」

「……超美味しいです。もっと、食べたい……です……」

「うふふ。良かった。はい、どうぞ」


 素敵な笑顔を、絶対無敵な笑顔に進化させ、羞恥プレイはまだまだ続く。
 恥ずかしい。でも美味しい。あぁ、なんだろうこの甘美なジレンマ。
 ごめん、ごめんよ電。全ては絶妙な塩加減のお粥が悪いんだ……!


「……これって、浮気……?」

「や、どーなんだろ。これを浮気扱いするのは可哀想なんじゃ? どう思う、大井さん」

「かもしれませんねぇ。何せ、鳳翔さんですし。仕方ない部類でしょう」

「にゃあ。お出汁の匂い、たまらないにゃあ」


 そして女子たちよ。勝手なこと言わないでもらえまいか。
 特に大井。鷹揚にうなずきよって、その道の専門家か。なんの道かはよく分からないけど。
 と、こんなことを考えながら「はい、あーん」を堪能していたら、じぃっと無言で観察していた北上が、コタツから抜け出してこちらへ這い寄る。


「ねーねー鳳翔さん。あたしにも貸して」

「あ、はい。いいですよ」

「ちょっ、北上さん!? 何するつもりですか!?」

「やー、見てたらなんとなくやってみたくなって。はい提督、あーん」


 北上ブルータス、お前もか。
 ちょうど鳳翔さんの真向かいに正座した彼女は、お粥を盆ごと受け取り、同じようにレンゲを差し出す。
 まぁ、羞恥心も薄れてきたし、北上もノリでやってるだけっぽい。気にしたら負けだな、これは。
 そう思って、いきり立つ大井を華麗にスルー。ごく自然に口を開けて待つのだが――


「……と見せかけてあむっ」

「あっ、こら! 食べるな!」


 ――レンゲは急速回頭。北上の口へと収まってしまった。
 うっとり。頬に手を当て、唇をもにゅもにゅさせている。


「ん~。さすが鳳翔さんのお粥。美味しいね~」

「美味しいに決まってるだろ! ほら返せ!」

「まーまー、落ち着いて。今度はちゃんと食べさせたげるから。ほい、あーん」


 再び差し出されるそれに訝しい視線を向けるも、「ほら」と彼女は強調。どうやら、本当らしい。
 ……でも、いいんだろうか。もろ間接キスなんですが。
 さっきはああ思ったけど、やっぱ気になる。なんだかんだで可愛いし、嫌じゃないのが本気で困る。
 どうしよう……?


「そうはさせません! はぐっ」

「ぬぉあっ、お、大井!? 顔、顔近い!」

「あ。もー、大井っちダメだよー」


 ――と、悩んでいたら、突如として至近距離に出現する大井さん。
 おほほほほ、なんて笑うその目が語る。「わたしの北上さんと間接キスしようとはいい度胸ですね」、と。
 んなことで怒られても、自分が強要したわけじゃないんですよ。っていうかさ、これで君とも間接キス成立なんですけど、大井的にはいいの?
 ついでに、可及的速やかに離れてください。マジでキスする五cm手前だから。


「ごめんなさい北上さん。あまりにも美味しそうな匂いにつられて……あ、ホントに美味しい」

「……二人とも、ズルい。わたしも、ひとくち……」

「ならあたしにもー。食堂行く手間省けるし」

「ぐぬぬ……。多摩は猫舌だから食べられないにゃ……。羨ましいにゃ……」

「あの、いけませんよっ、それは提督の……みなさん、聞いてますかっ?」

「……自分の、お粥が……。久しぶりの、ご飯、がぁ……」

「な、泣かないでください提督。また作って差し上げますから、ね?」

「ぃよっし、荒彫り終了だクマー! 提督、この勇姿を見て欲しい……って、なにマジ泣きしてるクマ?」


 ドギマギしている間に、布団の周辺は女の子だらけ。鳳翔さんの声も届かず、あれよあれよとお粥が減っていく。
 取り戻そうと手を伸ばしても、和気あいあいな食べさせ合いへ、男が割り込めるはずもない。
 ぎゅるる、と。中途半端に刺激された胃袋の悲鳴を聞きながら、自分は、静かに涙を流すのだった。

 木曾、早く帰ってきてくれ。
 そしてこいつらを思いっきり叱ってくれ。
 もう君だけが頼りだ……!





「さて。陸軍から船を受け取ったはいいが……。なんで二隻あるんだ? 一隻だけだと聞いたんだが……。しかもこいつは……?」




















 と、いうわけで。三話もかけてしまいましたが、以上、「霞ちゃん表情だけでデレる」なお話+書いてて切実に「代われ」と思ったおまけでした。
 一連の話で筆者がやりたかったことは、上位種の能力描写、主人公を負傷させる、霞ちゃん+ツンツン艦娘をそれとなくデレさせる、の三つ。
 ゲーム内の態度はアレですが、言葉の裏側にある感情を想像してもらうきっかけにでもなればいいな、と思います。クリックばっかしてないで、改造して補給ボイスや建造報告を聞いてごらん、案外聞こえは柔らかくてハマるから。
 最後に。名前の由来とは違いますが、霞と同じ名前の花である、霞草の花言葉を調べると面白いかもしれません。お手すきな時にでも、「花言葉 霞草」でググってみてください。
 次回も前々から書きたかった話。少し脇道にそれて、主人公とあの子の出会いを描きます。場合によってはおまけ無しの長文になるかもしれませんので、ご注意ください。
 それでは、失礼いたします。

「新人君が、負傷……? こうしちゃいられないっ、早く準備しないと!」
『あっ、おい兵藤テメェ、勝ち逃げすんなっ! 俺が勝つまで付き合え!!』
「お二人とも。勤務時間中にパズル対戦とは良い度胸ですね」





 2014/06/21 初投稿
 2014/06/27 誤字修正







[38387] 新人提督と電の出会い
Name: 七音◆f393e954 ID:5eccba50
Date: 2014/07/19 12:32





「へ? 電との馴れ初めを聞きたい?」

「はい、是非っ!」


 怪訝な顔をする自分と対照的に、ちゃぶ台の向こう側で座る三人の少女――青葉、衣笠、那珂は、期待に満ち溢れた顔をしていた。


「……なんでそんなこと話さなくちゃいけないのさ。できれば遠慮したいんだけど」

「えーっ、どうしてですか? いいじゃありませんか、恥ずかしがらないでくださいよー」

「そうだよ。減るもんじゃないんだし、聞かせて聞かせて」

「そうだそうだー。那珂ちゃんたちには知る権利があるもーん。情報開示請求だぁー!」

「いや無いだろ、そんな権利」


 霞が大破し、自分自身も傷を負った苦い出撃から三日後。
 体調は意外なほど早く戻り、もう仕事に戻っても良さそうなのだが、みんなから「せめてあと一日」と懇願され、宿舎の食堂 兼 くつろぎスペースにて、三時のおやつである栗きんとんを突っついていた時のことである。
 わらわらと集まってきたこの三人は、雑談もそこそこに奇妙な要求を突きつけてきたのだ。


「というかいきなり過ぎるよ。そんな女子高生の恋バナ的なテンションを押しつけられても……。ねぇ、加賀さん」

「それは、私が彼女たちより年長に見えるという意味でしょうか。それと、加賀です。“さん”は必要ありません」

「いやいやいやそんなつもりは毛頭ございませんですよ加賀様!?」

「ですから、呼び捨てで結構ですので。……お茶が入りました」


 なんの気なしに、お茶汲みをしてくれる加賀へ同意を求めるのだが、向けられた冷たい眼光に冷や汗グッショリである。
 どうやら彼女なりの冗談……みたいだけど、表情があんまり動かないせいか、心臓に悪い。


「で、どうしたんだ本当に。こんなことを聞いて来るなんて」

「それはもちろん、今回の一件で、司令官の人となりが気になったからですよ!」


 メモ帳とペンを手に、青葉が胸を張る。まるで取材さながらだ。


「前々から思っていたんですが、司令官は私たちを人間として扱ってくださいます。それは嬉しいんですけど、その根幹たる理由は一体どこにあるのかなーと、疑問に思いまして」

「ぶっちゃけ、電ちゃんが原因なのは予想がつくんだけどー、そこに至るまでの過程が重要だと那珂ちゃん思うの!」

「うんうん。いくら電ちゃんでも、最初から誰彼構わず心を開くわけないでしょ。そこら辺のことを知りたいなー」


 青葉を中心として、まさしく女子高生みたいにキャピキャピする那珂と衣笠。
 いつの間に仲良くなったんだろう。
 良いことだとは思うけど、しかし、なんだか恥ずかしい。


「まぁ確かに、電とも最初はギクシャクしまくってたからなぁ。でも、大して面白くないだろうし、加賀も興味ないだろうしさ。また今度に……」

「いえ。赤城さんから全幅の信頼を寄せられている方が、どのようにして今のような信念を持つに至ったか。興味があります」

「……左様で」


 判断基準は赤城ですか。君も大概だよね加賀。というか、信念なんて御大層なもの、持ってないんだけどな……。
 ちなみに、彼女の無二の戦友であるところの赤城は、今日も早くから工廠へと出向き、航空機開発の手伝いをしている。本来ならまだ休ませるべきなのだが、どうしてもと頭を下げられ、仕方なくだ。
 何やら、先日の出撃に思うところがあるらしい。根を詰めないか心配である。
 こうなると、真っ先に手伝いを申し出そうな加賀が、なんでここにいるのかという疑問も生じるのだが、答えは簡単。
 赤城に「提督のお世話をお願いね」と、他の誰にも使わない、砕けた口調で頼まれたからだった。
 二度目だけど、本当に大概だよね。


「Hey,皆の衆ー。何してるデスかー? ワタシも混ぜてくっだサーイ!」

「どゎ!? あ、危なっ」


 ――と、苦笑いしつつお茶をすすろうとしていたら、突如として背中に感じる重さ。金剛が背後から抱きついていた。あっぶねぇ、お茶こぼすかと……。
 なんか、退院してからずっとこんなだな。隙あらばスキンシップを計ろうとするというか、やたら側に居たがるというか。
 本当なら叱りつけたいとこだけど、でも、もうちょっとだけこのままで居よう。背中があったか柔らか。さすがは戦艦級である。


「金剛さん。提督の身体へ負担をかけるのは控えてください。手術の疲労は残っているはずなのですから」

「Oh,それもそーデスね。Sorryテートク。迷惑でしたカ?」

「迷惑ではないけど……ちょっと重いかな」

「お、重っ!? Ladyに向かって失礼デース! そんなことを言うBadなMouthは、こうしちゃいマース!」

「い、いふぁい、いふぁいっへっ」

「 お 二 人 共 」

『ゴメンナサイ』


 あれ。なんで自分まで怒られてんの?
 悪いのはほっぺた引っ張ってきた金剛のはずなのに。
 不公平だ……。


「金剛さん一人なんだ? めずらしいねー。いつもは比叡さんが、アイドルの追っかけみたいに四六時中張り付いてるのに」

「それがデスね。今日は比叡、何か集まりがあるらしいのデス。メンバーは……Miss山城と筑摩、あとは千代田だったはずネ。榛名たちも買い出しの手伝いに行ってマスし」

「うわー。なんの集まりか、それだけで分かっちゃったよ私……」


 那珂からの質問に、金剛が隣へと正座しながら答える。
 上げられた四人の共通する点と言えば、それはもちろん、The 姉大好きなこと。
 おそらく彼女たち、誰かの部屋に集まって「私の姉は」うんぬん語り合っているのだろう。
 衣笠が若干引いているのも頷ける。

 余談だが、買い物にはいつも大人数で出かけており、そのメンバーは鳳翔さんと雷電姉妹――ではなく、今日は珍しい暁&電の長女末っ子コンビだが、雷か電のどちらかを核に、バーゲンの人混み突破班、数量限定品の数合わせ班、荷物持ち班の三班に分かれて行動しているそうな。
 時折、統制人格の身体能力を持ってしても、品物を確保できないことまである模様。
 げにも恐ろしきは、値下げ品に賭ける熟年主婦たちの情念か。


「デ、なんのお話してたデスか? ワタシもJoinしてOK? テートクとTwo Shotになれないのは残念だケド、一人は寂しいネ」

「当ったり前だよー! むしろ金剛さんは聞いておいた方がいいと思うな、ラブバトル的な意味でっ。実はね……」

「ほうほう、なるホドー。つまり、何故にテートクは優しいのカ、そのRootsを探るんデスね? 俄然興味が湧いて来ましタっ。ぜひ聞かせてくだサイ!」


 耳打ちされ、瞳をキラキラ輝かせる金剛。
 他のみんなも一様に前のめり。加賀ですら、眼で話を催促してくる。
 これは……断れそうにもないな。致し方ない。聞かせてあげるとしよう。


「分かった分かった。どうせやることもないし、話すよ。ただし、つまらなくても苦情は受け付けないからな」

「とんでもない! 情報に貴賎はありません。どう活かすかは受け手次第なんですからっ。ではでは、自分語りをよろしくお願いします、司令官!」


 いつ買ったのか、テーブルの上にはICレコーダーまで置かれた。この時代、超高級品である。
 用意周到な青葉に苦笑いを向け、自分は記憶を遡る。
 まだ、一人称が“俺”だった、懐かしい頃を。


「あれは、そうだな。鎮守府内に植えられてる桜が、まだつぼみだった頃か……」





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 午前九時。昔風に言えば、○九○○。
 世の企業が業務を開始しているだろう今、俺は――じゃなくて。自分は、激しく苛立っていた。
 暑くもなく、寒くもなく。過ごしやすい空気を、怒り肩で切り裂いていく。
 ドックへと続いたコンクリートが、大きな靴音を立てていた。


「ねぇ~新人くぅ~ん。そんなに怒らないでおくれよ~う。ちょっとしたお茶目じゃないか~」


 そんな音に紛れることなく、粘っこくまとわりついて来る声が一つ。
 できる限り無視していたけれど、いい加減に我慢も限界。
 ぐるぐる周囲を回っていた音源が、横へ並んだタイミングで怒りをぶちまける。


「怒るに決まってるじゃないですか!? 人のことおちょくってるんすか!?」

「いやだな~、そんなつもりないってば。緊張して身体の一部を固~くしているだろう新人君を和ませようとした、私なりの気遣いだったんだよ?」

「変な言い方しないでください! っていうか、それがどうして、顔まで包む肌色の全身タイツエプロン姿になるんですか!? トラウマんなるわぁ!!」


 想像して欲しい。
 朝。鎮守府から与えられた、一人で住むには大きな能力者専用宿舎。
 寮などの煩わしい規則に縛られない代わり、家事なども一人でこなさなければならないそこで響く、包丁がまな板を叩く音。
 寝ぼけた頭で、「噂に聞く能力者への押しかけ女房か?」などと考え、念のためテーザー銃を手に向かったキッチンにて、「お・は・よ♪」と振り返る、エプロン姿ののっぺらぼう。
 もちろん撃った。ニュルリと回避された。
 酷いと思われるかもしれないが、むしろ憲兵隊へ通報しなかったのを褒めて欲しいくらいだ。


「何を言うんだいっ。私にだって恥じらいはある。婚前の乙女が、殿方にあんな姿を晒すんだ。顔くらい隠したくもなるさっ」

「もっと別に隠すもんあるでしょうがぁああっ! その……っ、あ、えっと、ぼ、ボディラインとか……」

「ん? むっふふ、照れちゃってまぁ。可愛いねぇ新人君は」


 うっかり思い出してしまったピッチピチのS字ラインに口ごもると、彼女は――自分の教導官である兵藤凛先輩は、猫のような笑みを浮かべて軽く肘打ち。
 その瞬間に香る石鹸の匂いがまた、女慣れしていない童貞の心をくすぐるのである。
 悔しいが、白い軍服に着替えたこの人、黙ってさえいれば極上の美人なのだ。
 後ろで束ねた、太ももにかかるほど長い漆黒の髪。しなやかな身のこなしが生み出す曲線美は、連れ立って歩いているだけで、男の自尊心をかつてない充足感で満たすだろう。
 ……喋らなければ。
 性質が悪い。本っ当にそう思う。


「ほら。とかやってるうちに着いちゃった。お仕事モードに入ろう。あれが、君へあてがわれた船だ」


 そんな人が不意に前方を指差し、つられて顔が前を向く。
 鎮座しているのは、人類が戦のために作り上げた、飾り気のない鋼の塊。
 ――軍艦。


「特Ⅲ型駆逐艦四番艦・電。
 キスカ、ソロモン、ニューギニア、アッツ島など、各戦域を転戦した船さ。これを励起できるかどうかによって、君の未来が決まる。
 といっても、事前検査で合格ラインには達しているから、通過儀礼のようなものだね」

「これが、俺の……」

「こら。曲がりなりにも軍人なんだ。言葉遣いには気を付けなさいと言っているだろう。特に市井の出は軽く見られる。小さなことに気を配りなさい」

「あ、はい。すみません……。でも……」

「なんだい」


 雰囲気をガラリと変えた先輩は、後ろ手に手を組みながらつま先をこちらへ。
 自信に溢れた立ち姿と比べ、こちらの心持ちは暗い。


「自分は、本当に傀儡能力者なんでしょうか」

「不安かい」

「……はい」


 この鎮守府に住まわされるようになってから、常に背中へ張り付いている疑問だった。
 先ほど先輩が言ったように、自分は市井の出。関東の、都会と田舎の境目みたいな、微妙な町で生まれた。
 父と母に祖父母、姉が二人に弟二人の大家族で、大学だけはなんとか出させてもらったが、卒業と同時に実家へ戻り、家業である養鶏場を継ぐ予定だった。
 それが一変したのは、一年の浪人と、一年の留年を経た卒業を間近に控え、最後の思い出にと、生まれて初めて神奈川県くんだりまで出かけた、あの日。


「まぁ、分らなくはないけどね。私自身、最初は信じられなかったものさ。
 だけどこれが、君の力を証明してくれる。あの日、君が駅に届けてくれた、このコンパスがね」


 先輩が懐から取り出し、握らせてくれたのは、懐中時計に似た古いコンパス。
 お忍びで街へ出かけた先輩が落とした、父の形見とのことだった。
 友人たちと一緒に拾い上げたそれは、自分の手の上でだけ、意思を持ったかのように針を暴れさせたのだ。今もそうである。

 一世紀以上に渡る経済戦争と、足を引っ張り合う泥沼の技術開発、大災害による完全環境計画都市の失敗・人材喪失を乗り越え、やっと宇宙への道を手に入れようとしていた人類。
 だが、それを大地へと縛り付ける存在――ツクモ艦が現れたことで、かつてない存亡の危機を迎えた。
 今では使う者も少なくなったネットに沈む映像には、光学兵器を満載した近代戦闘艦すら飲み込む、イナゴの如き“天敵”の存在が残っている。
 効かなかったわけではない。初期はむしろ優勢だった。しかし、優勢すぎる戦いが何年も続けば、どうだろう。
 疲弊し、慢心し。ヒューマンエラーは続出。無人兵器を規制する条約が足枷となり、人類は段々と追い詰められていく。
 最初から劣勢だったなら、また違ったはずだ。
 お湯に投げ込まれたカエルは、慌ててその中から逃げ出すが、水から火にかけると、死ぬまで茹でられてしまう。
 ジワリ、ジワリ。温度が上がってきていた。

 そんな中、現れたのが傀儡能力者。科学が霊魂すらを解析しようとする時代に生まれた、特殊な才能に恵まれたものたち。
 彼らは、二十一世紀が夢の時代とされていた頃に作られた、古い船へ魂を与え、統制人格という人型端末を励起。それを介し、己が手足として操ることが出来た。
 この存在のおかげで、人類はなんとか人らしい生活を維持している。


「検査には引っかからなかったのに、コンパスには反応するなんて……。どうしてなんでしょうか」

「分からない。その検査方法も、先達の方々から得たデータを元にしているだけだしね。
 発現する条件は不明。能力者同士の共通点も皆無。
 曖昧なものを、曖昧なままに使うしかないこの状況は、とても褒められたものじゃないよ」


 政府は能力者の数を確保しようと、躍起になったらしい。
 その際、不幸な行き違いで魔女狩りに遭った能力者も居たそうだが、とにかく、今は国民全員の義務となった適性検査により、確率は低いものの、年に数人は新たな人材が発見されている。
 けれど、自分が引っかかったのは、偶発的な事故のようなもの。
 傀儡能力者が長年身に付けた器物は、時に、能力者が持つ特定の波長へと反応するようになる。
 自分にとって試金石となったのが、能力者である先輩が大切にしていた、このコンパスというわけだ。人生、何が起こるか分からない。


「申し訳ありません。遅れてしまったみたいですね」


 ――と、回り続ける針を感慨深く眺めていたら、こちらへ近づいてくる急ぎ足の人物に気付いた。
 よく手入れされているのだろう、先輩ほどではないが、長い黒髪。小脇にノート型パソコンを抱え、メガネをかけるその少女は、白い生地に二色のラインが入ったセーラー服を着ている。
 確かあれは、まだ学習過程にいる軍属の女性が着る物。彼女が、初励起のガイド役を勤めてくれる技師なのか? ずいぶん若い……。


「おや、今回の担当は君かい。珍しいね」

「他に手の空いている者が居なかったものですから。……準備の方は?」

「へ。……あっ、だ、大丈夫ですっ。よろしくお願いします! 自分は――」

「失礼。すでに存じ上げていますから、挨拶は結構です。私のことも、ただ書記とお呼びください。早速開始しましょう」

「……そうですね……」


 先輩とのやりとりで、自分の予想が当たっていることは分かったのだが、対する反応はスルーに近い。
 なんだろうこれ。微妙に、いやかなり傷ついたぞ。
 どうしてこんな反応されなきゃ……ああ、そっか。傀儡能力者の側に控える技師や文官・秘書官などは、往々にして“そういう関係”になる。それを警戒してるんだろう、多分。
 まぁ、先輩がおかしいだけで、普通の女の子にモテるなんて思ってなかったし、割り切ろう。
 ……悲しいけど。


「ドンマイ新人君。ま、彼女は訳有りだ。気にしない方がいいよ。後でたっぷりねっとり慰めてあげるから、今は励起に集中するといい」

「そうします。あ、慰めるのは結構ですんで」

「うっはっはっはっは。冷たいな~、ホントは嬉しいくせに~」

「兵藤提督。邪魔になりますので下がっていただけますか?」

「はい。ごめんなさい」


 書記さんが、用意してあった作業台にPCを置きつつ、言葉で先輩を蹴散らしてくれる。
 辛辣な物言いだが、二人の顔を見るに、それを許されるくらいには親しいようだ。


「改めて手順の確認を。まず、励起対象艦に取り付けられた増震機が起動。
 これにより船体の霊子浸透圧が上昇し、数分で励起可能領域に到達します。
 最適な値となった時点で、能力者である貴方が分御霊を行うことにより、傀儡艦が励起されます」

「分御霊……。あの、なんかコツとか……?」

「感覚的なものだからねぇ。しかし、深く考える必要もないさ。君が相応しい存在であるなら、“彼女”はおのずと応えてくれる」


 駆逐艦へ向き直りながら、先輩は言う。
 霊子係数という、常に変動する数列で表され、ある程度なら干渉も出来るが、根源は未だ解明されていない、魂という概念。
 それを扱えるかは、本人の素養による。ぶっつけ本番なのは不安だけど、やるっきゃない。


「では、開始してもよろしいでしょうか」

「……っ。お願い、します」

「了解しました。起動信号を送ります」


 うなずき返すと、駆逐艦の船体から、重苦しい作動音が響いて来た。空気の震えも感じる。
 確か教本には、この霊的な振動によって、統制人格の励起がサポートされると書いてあった。
 また、統制人格は大型の古い機械にしか宿らない。励起する物体に一定以上の大きさがないと、振動が分散されずに反響しあい、耐えきれなくなって結合崩壊を起こすそうだ。
 そして、これだけ大掛かりな補助があっても、艦船を励起できる能力者は少ない。
 多くの能力強度が足らない者たちは、使役妖精――俗称・妖精さんを統制人格の代わりに励起し、整備などの技術職に就くこととなる。
 目の前にある駆逐艦の励起に失敗すれば、自分も。

 出来るのだろうか。
 “俺”なんかに。


「ほらほら、緊張しない。もし駄目だったとしても、私のとこで養ってあげるから。生活費とかは身体で払ってくれれば良いし。気を楽に、ね」

「よしっ、ありがとうございます先輩っ。何が何でも成功させます!」

「あれ、なんでぇ!? そこは失敗してもいいかなーって思うところじゃないかい!?」

「くすっ」


 なんでもヒトデもあるか。愛人契約なんてまっぴら御免です。
 と、脳内で突っ込みながら、顔には笑みが浮かんでいた。書記さんも小さく吹き出している。
 いつも通りすぎる先輩のおかげで、不安は吹っ飛んでしまった。
 機械のはじき出した数値が信じられなくても、もうどうでも良いや。
 失敗したら土下座でもしてやり直させてもらって、それでダメなら本当に先輩のとこで世話してもらおう。
 童貞は死守するが。


「霊子浸透圧、励起可能領域に達しました。励起をお願いします」


 覚悟が決まると、タイミング良く書記さんがGOサインを出してくれる。
 そういえば、どんな風に呼びかけるか考えてなかった。
 色々あるだろうけど……。別に気取る必要もない。
 思うまま、軽く右手を差し出す。


「来い。電!」


 名を呼んだ瞬間、少し高い位置に、光が生まれた。
 空間そのものを揺らめかせるような、優しい光。
 それはやがて、人の形を象って降りてくる。
 両腕らしきものをわずかに広げ、ゆっくりと、引き寄せられるように。


(……あ)


 細い左腕が差し伸べられた。
 求められていると、直感した。
 何を? 分からない。
 でも、こうするべきだとなぜか理解できて、右手をさらに上へ。
 光の塊と、指先が触れる。


「うぉ!?」


 “何か”が降ってきた。
 とっさに受け止めると、未体験な小ささが腕の中に収まっていた。
 モゾモゾと動くそれを確かめてみれば、幼い少女がそこに。


「君、が……電?」


 こちらを見上げる少女と、目が合う。ガラス細工のような、美しい双眸に見つめられる。
 長い茶髪をクリップで後ろに留め、よくあるセーラー服を着た少女。
 この子が笑ったら、どんなに愛らしいか。あり得ないと知っていても、そう思ってしまう造型だった。
 いや。応えてくれないからこその愛くるしさなのだろう。
 誰かがミロのヴィーナスを語ったように、存在しない腕が想像力を掻き立てる。返されない声を期待して、夢想する。
 だから、この子が人形であることを残念に思って――


「……ぁ。ご、ごめんなさいなのです!」

「――へ」


 桜の花びらを思わせる唇が、慌てた声に震える。
 驚いたように目をむき、頬を染めながら逃げ出そうとする少女を、止めることは出来ない。
 思考が完全に麻痺していた。


「えっと、えっと……。い、電です。どうか、よろしくお願いいたしますっ」


 モジモジ。何度か指をこすり合わせたあと、身体の前で重ね合わせ、ペコリとお辞儀。
 緊張が伺える上目遣いは、入学したての新入生といったところ。
 可愛い。想像していた何十倍も、可愛い。


「あ、あの……? あなたが、司令官さん……なんですよね?」

「………………しゃ」

「しゃ?」

「しゃべったぁああぁぁあああっっっ!?」

「はにゃーっ!?」


 ――という、素直すぎる感想が脳裏をよぎってから、腰を抜かすほどの驚愕がこみ上げた。
 なんで、どうして彼女は喋っている。
 喋るだけならまだいい。尻餅をついたこちらへ向けられる視線には、明らかな狼狽が見える。
 教えられていた事と違う。あまりに違う。
 彼女のどこが、傀儡なんだ!?


「どどどどっっどどっどどどういうことっすか先輩っ。な、なんで喋って、しゃべ、しゃべー!?」

「落ち着きなさいっ!! いいかい新人君、今はとにかく落ち着いて。私に任せるんだ、いいね」


 しどろもどろな自分を叱りつける先輩の顔は、油断なき軍人のそれに変わっていた。
 見れば、書記さんもあの少女に注視している。警戒しているのか、視線は鋭い。
 それも当然だ。ごく一部の例外を除いて、統制人格は傀儡能力者の操り人形なのだから。
 自ら喋ることもなければ、自ら動くこともない。何かにぶつかって転んだとして、「立て」と指示を送らなければ、永遠に倒れたまま。
 少なくとも自分はそう教えられた。何度も何度も、辟易するくらい。なのに……。


「初めまして、になるね。私の名は兵藤凛。彼の先達に当たる。……よろしく」

「は、はい。よろしくお願いしますっ。……それで、その……」

「なんだい? 聞きたいことがあるなら、遠慮なく言ってごらん」


 片膝をつく先輩と対話する少女は、どう見ても“意思”を宿している。
 どうなってる。あり得ない。訳が分からない。
 これは夢か? 励起に失敗した自分が、現実逃避でもしているんじゃ……。


「司令官さんは、どうして驚いているんですか? 電、どこか変、ですか?」

「いいや。どこもおかしくなんてないさ。電ちゃん……と、呼んでも?」

「はい、どうぞ」

「ありがとう。彼は、あれだ。電ちゃんがあまりにも可愛らしくて柔らかくて、ビックリしただけだよ、きっと」

「はゎ。か、可愛いなんて、あの……。そんなこと、ない、のです……」

「っちょ、先輩、何を言って! 前半は同意しますけど、後半を同意したら変態じゃないですか!」


 思わず反論が口をつき、本当に現実逃避しそうだった意識が引き戻された。立ち上がって、ケツについた埃も払う。
 なんとか正気には戻ったけど……。これからどうするんだろう。
 予定では、海へ出て各挙動の確認をし、それで今日は終わるはずだった。でも、こんな状態ではそうもいかない。


「さて。不躾な質問で悪いのだけど、電ちゃん。君は、自分がどういう存在か、理解しているかい」

「……えと。電は、暁型駆逐艦、四番艦の現し身で。司令官さんの命令に従うために、ここに居ます。それ以外は、よく分からないのです……」

「なるほど、ね。ああいや、それだけ分かっていれば十分だよ。さ、立ち話もなんだし、場所を変えよう……と、思ったけど、その前に。ちゃんと挨拶はしておくべきだね、新人君?」

「あ、そ、そうですかね――ってうぉ゛ぅ!?」


 けれど、先輩には何か考えでもあるのだろう、幾つかの質問が続く。
 その終わりにチョイチョイと指で呼ばれたのだが、まつ毛の本数を数えられるくらいに急接近され、変な声が出てしまった。
 逃げられないように、肩もガッシリ掴まれている。


「君も分かってるだろうけど、これは異常事態だ。私は上に報告する。書記君を側につけるから、あの子をよく観察するんだ」


 いつもの冗談と違った、冷静沈着な上官からの命令。
 一も二もなくうなずき返し、離れる頃には優しい微笑み。
 作り笑いだと思った。
 警戒を解き、油断させるための仮面。女って、怖い。


「ほら、握手握手。コミュニケーションの第一歩だよ」


 手を引かれ、今度は右手同士が触れ合う。
 また、別の恐怖を感じた。
 うっかり力を込め過ぎれば、そのまま砕けてしまいそうな細さ。
 ただ触れただけで傷つきそうな、柔らかさ。


「いきなり大声を出したりして、ごめん。これからよろしくな。電……ちゃん」

「はい。改めまして、よろしくお願いいたします」


 朗らかな笑みが返され、指におずおずと力が入る。
 さっきの言葉、取り消さないといけない。
 確かに自分は驚いていた。
 今、置かれているこの状況と、出会ったばかりの、温もりに。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……という感じだったな、電との初対面は」


 回想を一旦そこで区切り、すっかり冷めたお茶で口を湿らせる。
 ちなみに、先輩のセクハラ発言は省いていた。
 あんな事を女の子の前で言えるほど、まだ振り切れていない。


「なるほどなるほどー。やっぱり司令官も最初は驚いたんですねー」

「そりゃあな。あれに匹敵するインパクトは……今のところ、島風と金剛くらいだな、うん」

「ワタシですカ? そんなにStrangeなことをした覚えはないデスけど……」

「初対面で告白したんだよね、金剛さん。それって十分変わってると思うよ。島風ちゃんの格好もアレだけど」


 腕組みする衣笠に、自分も含めた残り四人で首を縦に振る。
 もうすでに日常と化しているが、やっぱり島風の格好はインパクトあり過ぎだよ。
 まぁ、そのおかげで耐性も出来ていたし、先日の出撃でのお色気シーンにも耐えられたんだろうけど。
 先輩と出会う前の自分だったら、キョドってなんにも出来なくなってたんだろうなぁ……。
 なんて思いつつ紐パンを思い出していると、今度は那珂が胸を張る。


「でもでも、那珂ちゃんの時だってビックリしたでしょ? なんてったって、こーんなに可愛い女の子と握手しちゃってたんだしっ。キャハ☆」

「ごめん。直前に夜戦夜戦うるさい川内を呼んでたから、あんまり印象に残ってないや。あ、もちろん今は頼りにしてるぞ。安心して遠征任せられるし」

「ガーン!? そ、そんな……。うぅぅ、いいもんいいもん。しっかり地方巡業こなして、一歩ずつトップアイドルへの階段を登って行くんだから! 那珂ちゃん負けない!!」

「立ち直り早いですねー」


 背中に暗雲を背負い、畳へ手をつく自称アイドルだったが、すぐさま瞳に活力を宿し、ワザとらしい愛され系ガッツポーズ。
 なんというか、くじけないことに関しては天才的だな。那珂だけじゃなくて川内もか。未だに夜戦したいって言ってるの、あの子だけだし。
 出来るだけリスクは避けたいから、出撃は昼間に限定してるけど……。いつかは夜闇に紛れ、深海棲艦と砲火を交える可能性だってある。
 当時は世界最強と称された第二水雷戦隊――通称二水戦の旗艦、神通も居てくれるが、キチンと準備はしておくべきか。
 夜戦用の装備も用意して、訓練も……。


「ともかく。その日から、提督の栄達が始まったわけですか」

「ん? いや、そう上手くはいかなかったよ。次の日から、早速訓練が始まったんだけど……」


 横道へ逸れた思考を、加賀の声が元に戻す。
 次に語るべきは、自分が軍人であろうと決意したきっかけ。
 おそらく、青葉の望む答えとなるだろう、拙い日々である。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「うーん。三回目の訓練でこれは、ちょっと酷いなぁ。至近弾の一つも無しとは」


 赤みを帯び始めた陽光が差し込む、執務室。
 その主である先輩のため息に、自分は居心地の悪さを覚えていた。


「すみません……。思ってたよりも、才能なかったみたいで……」


 初めての励起から三日。
 挙動確認もそこそこに始められた砲撃訓練は、散々な結果ばかりに終わっている。
 基本的な動作――前進・後進、急速回頭や各種兵装も問題なかった。
 しかし、いざ砲撃戦となると、途端に足並みが揃わなくなり、ペイント弾は的外れな方向にしか飛んでくれなかったのだ。
 初日ならそれも許されるだろうが、すでに三度目。度し難い才能の無さである。


「厳しいことを言わせてもらうと、そんなことは関係ない。
 新人君、君はもう“提督”なんだ。結果を出さなくてはならない立場にある。
 言い訳より、そのために何をすべきかを考えなさい」

「っ。……はい」


 冷たく、辛辣な言葉。
 その厳しさには、期待と信頼が込められていると、短い付き合いながら知っている。
 だから我慢も出来るのだが、隣の少女は知る由もなく。


「あのっ、違うんです。司令官さんはちゃんと指示を出してくれてて、電がそれに応えられなくて……。だから……」

「いいから。電ちゃんは気にしないで」

「でも……」


 自ら責めを負おうと、進み出る電ちゃん。
 手で制すも、顔には居た堪れないと書いてある。
 優しいのは結構だが、小さな子に庇われて、居た堪れないのはむしろこっちだ。
 全く、情けない男。


「とにかく、これで今日の訓練は全行程を終了した。帰って休みなさい」

「はっ! 失礼します!」


 自責の念を噛み殺し、寸分の狂いもなくなるよう叩き込まれた、海軍式の敬礼を。
 一歩後ろに下がり、逃げ出す気分で退室しようとするのだが、しかし、幾分柔らかくなった先輩の声が引き止める。


「ああそうだ。新人君、ちょっと」

「は? あ、はい……」

「電ちゃんは外で待っていてくれるかい。何、心配しなくても、これ以上叱ったりはしないさ」

「……分かりました。失礼します、なのです」


 ぺこり。九十度のお辞儀をして、電ちゃんだけが静かに出て行く。
 彼女を外に出したということは、これから話すのはあの事。
 いきなり“感情持ち”を励起してしまった事についてだろう。


「彼女はどうだい。見た限りでは、本当に感情持ちのようだけど」

「……正直言うと、普通の女の子としか思えません。その、まだ打ち解けてはいませんけど、よく気を遣ってくれますし。……か、可愛いですし」


 感情持ちとは、極めて高い練度を持つに至った統制人格のたどり着く、第二段階のことである。前に言った例外だ。
 繰り返し能力者からの命令を受け取ることにより、統制人格はそのルーチンを蓄積、徐々に作動効率を上げていく。
 これを練度と呼ぶのだが、どれほど厳しい訓練を続けても、人間の行うことには必ず癖がついてしまう。
 統制人格はそれすらも自身の中に取り込んでいき、無駄にしかならない情報が、個性を作り上げる。
 その結果、物言わぬ人形が自意識を持つに至るのだ。この辺の事情は、人工知能に関する専門家が出した、過去の書籍に詳しいとのこと。
 自意識を持つということは、自ら判断を行えるということの証左であり、多くの場合、戦闘力の大幅な向上が見られる。
 ありていに言えば、感情持ちとは、傀儡能力者の持ちうる最高の武器なのだ。


「ふむ。確かに電ちゃんは可愛い。できることなら抱き枕にしたいくらいだ。そんな子と一つ屋根の下に住むなんて、けしからん。
 いいかい新人君、押し倒してもきっと彼女は拒まないだろう。だからと言って無理強いしてはいけないよ?
 それと、同意を得た上で実行するなら呼んでおくれ。君の脱童貞を支援しなくてはいけないからねっ!」

「止めんのか焚きつけんのか、どっちかにしてもらえません? 緊張でそれどころじゃありませんよ……」


 加えて、こちらは副次的な効果……というより、個人的な所感なのだが。
 いかに整っていようとも、マネキンの容姿に心躍らせる人間は居ないと思う。もし居たとしても、かなりの特殊性壁だろう。
 しかし、それが人の温かみを持ったなら。はにかみ、戸惑いつつ、一生懸命お世話しようとしてくれたなら。

 朝は優しく揺り起こしてくれる。顔を洗うとタオルを渡してくれる。襟の乱れを整えてくれるのも当たり前。
 食事は摂る必要がない上、彼女自身が固辞したから一人で食べているけど、掃除もしてくれるし、洗濯機の使い方も一発で覚えてくれた。
 男物のパンツを畳む時の、恥ずかしそうな顔が堪らなゲッフンゴッフン。アホか正気に戻れ。先輩の影響を受けちゃダメだ、やり直し!

 ……とにかく。男であれば誰でも。女であっても高確率で、心を許したくなるに違いない。
 だからこそ、自分は困っていた。
 降って湧いたギャルゲ的同居生活もそうだが、なにより彼女を――電ちゃんを“兵器”として扱わねばならない、提督という立場に。


「まぁ、冗談はさておき。上も驚いているようだ。今はとにかく様子を見るしかないけれど、電ちゃんと意思疎通を図ることが、色んな事の第一歩かもしれないね」

「はい。……でも……」

「うん?」

「いえっ、なんでもありません。お話が以上であれば、自分はそろそろ」

「そうだね。いつまでも待ちぼうけさせるなんて可哀想だ。下がってよろしい」

「はっ、失礼します!」

「……頑張れ。男の子」


 思わず零しかけた言葉を飲み込み、気をつけをする。これはきっと、先輩の前で言うべき事ではないから。
 それも見透かされていると、去り際の声に気づいてしまうのだが、気恥ずかしさも手伝い、二度目の敬礼でごまかす。


「ごめん、待たせちゃったね」

「あ、いいえ。大丈夫なのです」


 ドアを開けると、廊下の少し離れた位置に電ちゃんが立っていた。話が聞こえてしまわないようにだろう。
 パタパタ。小走りに駆け寄る姿は、著しく庇護欲を掻きたてる。
 まるで小動物にそうするみたく、頭を撫でようと手が伸び――


「と、とりあえず、帰ろうか」

「はい」


 ――土壇場で、自分自身の後頭部へと誘導することに成功した。
 出会って間もない女の子の頭を撫でるとか、いくらなんでも失礼だ。それに、もし嫌がられたら立ち直れないし。
 そんな訳で、さっさと家路につくのだけれども。


『………………』


 案の定、会話はない。
 ときおり横を確認すると、何か、話しかけようとしてくれているのは分かったのだが、言葉にはならない。
 こちらとしても、難しい年頃の婦女子相手に、小洒落たトークをかませる経験はなく、それどころか目を合わすのだって恥ずかしい。小学生か自分。
 気まずいような、もどかしいような。
 なんとも言えない空気の中、庁舎を抜け、デコボコな影が伸びる海沿いの道を歩いていく。


「ん?」


 ふと、警笛の音が耳へ届いた。
 遠目に見える、幾つかの船影。おそらく、夜戦演習に向かう傀儡艦だろう。
 演習海域までは数時間かかるから、始まる頃には、海の境目は闇に沈んでいるはず。
 縁遠い訓練だ。自分に演習の許可が降りるのは、いつになることやら……。


(……待てよ。確か演習って、映像記録が残されてたよな。能力者の様子も含めて。
 それを見れば、他の提督がどんな風に傀儡艦を制御しているのか、参考に出来る!)


 気づいた瞬間、足が止まっていた。
 振り向く電ちゃんは訝しげな顔。


「司令官さん? どうかしましたか?」

「ごめん、先に帰っていてくれるかい。ちょっと用事ができた。遅くなるかもしれないし、休んでくれてて良いから」

「あ……。分かり、ました。お家に戻ってますね。お身体、冷やさないようにして下さい、なのです」

「うん、ありがとう。ごめんな」


 軽く手を合わせて謝ると、首を横に振り、笑って送り出してくれる彼女。
 感謝しながら、もう一度謝って来た道を戻る。
 何度か途中で振り返ったが、小さな影は、いつまでも立ちすくんで。
 ……罪悪感を覚えた。
 角を曲がり、見えなくなってもそれは続いたけれど、しばらくすれば、資料室への道筋を思い出すことで頭がいっぱいに。

 二十分足らずで、目的の部屋にたどり着く。
 スライドドアを引くと、受付らしき場所で作業をしている女性が。
 ちょうどいい。この人に保管場所の案内を頼もう。


「あの、すみません。ここって、艦隊演習の映像記録が閲覧できるって聞いたんですけど……あ」

「はい? ……あら」


 そこには、電ちゃんの励起に立ち会い、それが縁で調整士として抜擢された、書記さんが居た。
 訓練を終えた時、調整室で別れたきりだったが、あれからまた別の仕事をしていたようだ。
 余談になるが、調整士というのは、傀儡能力者を複数人で補佐する情報担当官である。
 能力者が任務で使うブースター・ベッド――増幅機器の出力を調整する役目を担い、統制人格から引き出した観測情報を分析・計算し、砲塔や魚雷発射管を動かすために必要な数値を導き出す。
 コンピューターの助けがあるとはいえ、凄まじい処理能力を持つ人間しか就くことの出来ない職業だ。
 まぁ、自分はそれを活かすことも出来なかったのだが。


「さっきぶり? ですね。書記さん」

「……ですね。申し訳ありません。訓練では、お邪魔にしかならなかったようで」

「そんなことありませんよ。自分が不甲斐ないだけですから」


 本気で悪いと思っているのか、うつむいてしまう書記さんに対し、自嘲しながらそう答える。事実、彼女の情報処理は的確だった。
 手順としては、能力者が統制人格へ観測を指示。それを受けた統制人格が艦の装備などで各種情報を収集、能力者へと送り返す。この情報から必要な分を抜き出し、今度は調整士に伝え、計算が始まる。
 ところが書記さんは、統制人格が観測を開始した時点で、艦から情報を随時取得。次の行動を予測し、あらかじめ計算を済ませてしまうのだ。
 いちいち指示を出さなくても、必要な行動をとってくれる。ある意味、彼女の方が感情持ちの統制人格らしかった。
 しかし、それを電ちゃんに伝えるべき自分が、情報を言い間違えたり、聞き損じたり。電ちゃんはそのせいで右往左往。まともに砲撃が出来なかった、というわけなのである。
 情けないったらありゃしない。けど、とりあえず今は置いておこう。


「で、お仕事中に悪いんですけど……」

「はい。艦隊演習の映像記録ですね。許可がないと外部への持ち出しは厳禁ですので、この場で閲覧して頂くことになりますが、よろしいですか?」

「お願いします」

「では、そちらの席で少々お待ちください」


 受付に近いブースを示し、書記さんはデスクトップPCを操作し始めた。
 言われたとおりの席へ着くと、設置されたPCが遠隔起動。動画再生ソフトも勝手に立ち上がる。
 その手前にフォルダも表示され、幾つかの動画ファイルが。


「一口に艦隊演習といっても、その内容は千差万別ですから、私の方でいくつかピックアップさせて頂きました。ご迷惑でしたら申し訳ありません」

「ああ、助かります。どうも」


 本当にありがたい。パソコンなんて超高級品、ここに来て初めて触ったくらいだから、授業は受けても、操作は危うかったのだ。
 ここまでお膳立てしてもらえれば、あとはマウス操作だけでどうにかなるはず。
 早速、フォルダの一番上にあるファイルをダブルクリックし、ヘッドホンを装着。タイムラグ無しで再生される映像にかじり付く。


(凄いな……。これが、本物の艦隊戦)


 四対四。軽巡洋艦を旗艦とし、残りを駆逐艦で固める水雷戦隊同士の戦い。
 一方はこれでもかと砲弾を撃ち込み、一方はそれを巧妙に回避しながら、魚雷発射管を旋回させていた。
 画面に映るのは前者の側。能力者が伝達した命令なども文字に起こされ、字幕として追加されている。
 周辺情報の取得。調整士への計算指示。針路設定。速度設定。砲弾再装填。残弾数確認。五秒足らずでこれだけの命令が出た。
 さらに、刻一刻と変化する周辺環境を把握するため、再度情報を取得。また伝達を繰り返す。
 目まぐるしいの一言に尽きた。


(こんなこと、できるのか)


 正確に、そして的確に伝達しなければならない命令もそうだが、この演習、魚雷を回避しきれないと判断した能力者は、駆逐艦を軽巡洋艦の盾とした。結果として戦術的勝利は得たが、駆逐艦は轟沈判定を受けている。
 次も。次の次も。そのまた次も駆逐艦が参加していたものの、対潜水艦戦闘以外では弾除けのような扱い。

 話は変わるが、傀儡艦に適合する船は、ツクモ艦を撃破することでも手に入るらしい。これを解放艦と呼ぶ。
 人類がこの力を手に入れた当初、励起することのできる艦は少なかったそうだ。
 過去の栄光にあやかり、戦艦・長門や空母・瑞鶴、駆逐艦・雪風などが再現されるも、統制人格は現れなかった。
 様々な試行錯誤の結果、判明した励起条件は、ツクモ艦を撃破し、その残骸から該当する艦が“解放”されること。現在、励起できる艦船に欠番があるのは、これが原因とされている。
 対外的に、資源の解放という意味で使われていた解放艦という言葉。本当の意味は、「ツクモ艦に囚われていた艦の魂を、解放しているように見えるから」、なのである。

 どうして作っただけでは励起できないのか。ツクモ艦と傀儡艦は元を同じくするものなのか。
 はたまた、ツクモ艦から傀儡艦――ひいては統制人格が生まれているのではないか。そして、ツクモ艦が傀儡艦になるなら、その変化は不可逆だと言い切れるのか。
 この問いへの答えを持つ人間は、まだいない。
 だが、そういう仕組みだと理解しさえすれば、大抵の人は理屈を無視して利用する。自分が今、便利だというだけで、作れもしないPCを使っているように。

 とにかく。こんな理由があり、資源に乏しいこの国でも艦船の入手は容易で、しかもその確率は駆逐艦が圧倒的多数。
 取り柄と言えば、高速力と雷撃に、上記の対潜戦闘。そして入手の容易さ。簡単に手に入るのだから、弾除けに使っても問題ないのは分かる。
 むしろ、被害を抑えるため、積極的にそうすべきなのは、分かっている。
 でも……。


『司令官さん』


 俺に、できるのか。
 こんなことが。


「――とく。提督」

「……は? え、あ、俺?」


 唐突に肩を叩かれ、くぐもって聞こえる声に驚く。
 そうだ。もう提督と呼ばれるようになったんだった。
 先輩からも言われたばかりなのに、本当にダメだな。


「もう映像は終わっていますよね。お帰りにならないんですか。そろそろ夕食時ですが……」

「そ、そうですか。すみません、なんかボーッとしちゃって。すぐ帰ります」

「………………」


 画面隅の時刻を確かめると、そろそろ二時間が経過しようとしている。
 パパッと決着がつく演習もあれば、時間をかけた詰将棋のような演習も。随分のめり込んでいたようだ。
 慌ててPCをスタンバイ状態にし、ヘッドホンも片付けて席を立つ。
 すると、意外にも書記さんの方から会話の続きが。


「私も、今日はこれで上がりなんです。よろしければ、途中まで送って頂けませんか? 鎮守府内とはいえ、女の一人歩きは心細いですし」

「……良いんですか。俺――じゃない。自分も一応、男なんですが。危ないと思いません?」

「危ないんですか?」

「いえいえ、そんなことは」

「なら良いじゃありませんか。それとも、私と並んで歩くのはお嫌ですか」

「滅相もないっ。お供させてもらいます」


 ……あれ? なんだか、いいように言いくるめられたような。
 しかし、彼女もなかなかの――いいや、知る限りでは最上位クラスにランク付けできる美少女。
 それをエスコート出来るんだから……。百害あって一利無し、の逆はなんて言うんだろう。まぁそんな感じだ。
 と、こんな事を考えている間に、交代の職員が入室。書記さんと言葉を交わす。
 視線で促され、自分はドアの向こうに消える背中を追いかける。さすがに歩幅は自分の方が大きいらしく、すぐに追いついた。


「お悩みのようですね」

「え? ……ええ、まぁ」


 再び庁舎を抜けてしばらく。
 闇へ沈む水平線を横目にした頃、書記さんが問いかけてきた。
 対する自分は、曖昧にうなずくだけ。
 彼女の言う通り、悩んでいる。悩んではいるのだが、当てはまることが多過ぎて、どれを話に繋げたらいいのやら、皆目見当もつかない。
 が、悩んでいるうちに、また質問が飛ぶ。


「つかぬ事をお聞きしますが、彼女は……電さんは、どうなさっているんでしょうか」

「電ちゃん、ですか」

「はい。現場に立ち会ったものとして、気になりまして」

「今は家に居ると思います。まだ訓練にも慣れてないでしょうから、休んでもらおうと思って。感情持ちは疲労を感じると、資料で読みましたし」

「そうですか」


 安心と落胆。
 混ぜ合わせるには、少しばかり方向性の違う感情が見えた。
 なぜそんな表情を……と、問う前に、またまた彼女の方から勝手に答えてくれる。
 ペースを握られっぱなしだ。


「ちょうど、あの年頃だったんです。私が正式な軍属になったのは」

「そんなに前から?」

「はい。身内に関係者がおりまして、もっと前から手伝っていたんですが、その関係です。こんなに長く続けるとは思っていなかったんですけれど。
 だから……というわけではないんですが、電さんが寂しい思いをしていないかと、心配で……。すみません、余計なお世話ですよね」

「いいえ、とんでもない。ありがとうございます」


 今の書記さんはハイティーンくらいに見えるが、電ちゃんの年頃というと、十三~四くらい。
 慢性的な人手不足に悩まされている昨今、年齢的な就労制限はかなり引き下げられているが、にしても早すぎる。
 余程の才能を持っていない限り、普通に学校へ行っているはずなのに。
 あ。いや、この人なら納得だ。訓練での機械染みた処理速度。あんなことが出来るなら、知能指数だってきっと高いだろう。
 ……無理して大学まで行かされたって、明らかに能力が下の人間も、ここに居るし。


「どうすればいいんでしょうか、俺」


 卑屈な気分が潤滑油となり、先輩にも言えなかった言葉が滑り出ていく。


「あの年頃の子と、どう接していいかもそうなんですけど。
 ……俺は、あの子を。電ちゃんを、兵器として扱わなきゃいけない。
 でも、あんな風に気弱で大人しい子を、矢面に立たせなくちゃいけないなんて」


 能力者としての心構え。
 傀儡は人にあらず。魂は分け与えても、命を宿すには至らない、人形だと思え。
 無人兵器規制条約をかい潜るため、魂という表現を使っただけの、鉄の塊だ。
 座学のたびにそう教え込まれたが、電ちゃんとの出会いで、教えは砕け散ってしまった。

 声を。表情を。繋いだ手の感触を思い出すだけで、実感できる。
 あの彩りが、生命の輝きじゃないとしたら。世界中どこを探しても、命なんて見つかりっこないだろう。
 それを、戦わせなければいけない。
 自分の命だけなら良い。それに見合う給金と待遇を得られるんだから。だけど、他者の命を背負うだけの覚悟なんて、まだ。


「いっそ、普通の統制人格だったら良かったんだ。何も言わず、何も答えてくれないのなら、もっと楽だったのに」


 本人を前にすれば、絶対に出てこないだろう言葉が、口をついていた。
 最初こそ戸惑うだろうけど、感情のない傀儡なら、こんなに悩むこともしないで、前線に送り出していたと思う。
 まるで、ゲームのキャラクターを選び、そうするように。


「書記さん?」


 気がつくと、隣を歩いていた人影はなかった。
 数歩ほど後ろ。彼女は立ち止まっている。
 街灯の真下から微妙に外れているせいで、どんな顔をしているのか、分からない。


「……いいえ。なんでもありません。そろそろご自宅に着きますね」

「ああ、そうですね。どうしましょう、ここまで来たのに、一人で行かせるのも――んん?」

「どうなさいました」


 幾分、海風の冷たさを漂わせる声。しかしその温度には、気づくことができない。
 なぜなら、目指すべき仮の我が家、その窓から立ち上る黒煙があったからだ。
 ……見間違い?


「なんか、自分の宿舎から黒~い煙が上がってるような……」

「……もしかして、あそこですか」

「はい」


 二人そろって指差し確認。
 影がまた並び、なんとも奇妙な愛想笑いが向けられる。きっと、同じ顔をしていると思う。
 焦りの乗り移った足取りで表札を確かめれば、そこには確かに、親からもらった名前が。


「………………嘘ぉ!? え、えっ、火事ぃ!? い、電ちゃん!?」

「あっ、提督っ?」


 ゾワッと寒気が走り、玄関の扉を蹴破る勢いで開け放つ。
 焦げ臭い。うっすらモヤが掛かっている。
 くそっ、どうなってるんだ!?


「電ちゃん、無事か!?」

「ぁわわ、はわゎ……。あ、し、司令官さん……!? あの、これは……っ」


 大急ぎで靴を脱ぎ捨て、居間を通り台所へ。
 割烹着を身につけ、小さな台に乗った電ちゃんが、モクモクと煙を上げるフライパンの前に居た。
 声をかける間も惜しみ、煮えたぎった味噌汁の火を消したり、黒焦げな魚を移動させたり、換気をしたり。意外なほど冷静な対処をしていく。


「はぁぁぁぁ、あ、危なかった」


 ――が、やるべきことをやり終えたら、脱力してしまった。
 一歩間違えれば、本当に火事が起きていた。間に合ってよかった……。
 つーか、なんで火災報知器は動いてないんだ?
 仮にも国を背負って立つ傀儡能力者の住まいだぞ。入居させる前に点検とかしといてくれよ、全く。


「ごめ――さぃ」


 ビクリ。背筋が硬直する。
 黒煙を見つけた時と、種類の違う寒気。
 恐る恐る振り向けば、女の子座りでへたり込む電ちゃんが、大粒の涙をポロポロ零していた。


「ごめんなさ……。っ、司令官さん、遅い、から、ひっく、お腹、空かせてると、思って……っ。
 ご飯、作ってあれば、ぅ、喜んでくれる、かなって……。でも、失敗、しちゃいまし、た……」


 しゃくり上げながら語られる、騒動の原因。
 無闇に叱りつける気なんて元々なかったが、こんな弱々しい姿を見せられてしまうと、胸が痛む。
 あんなことを言ってしまう人間だというのに、この子は。


「……なぁ、電ちゃん。どうして君は、そんなに頑張ってくれるんだ」


 だから、聞いてみたくなった。
 なぜ尽くしてくれるのか。なぜ慕おうとしてくれるのか。
 理由が思いつかなかったから。


「それしか、知らない……のです」


 返事は、消え入りそうな声で。
 それを聞き逃さないために、彼女の前へ膝をつく。


「電は、司令官さんのお役に立つために、ここにいて。そうしないといけないのです。
 ……だけど、戦いはあんまり得意じゃないから、せめてお料理くらい。そう、思ったのに……っ」


 一旦は止まった涙が、また。
 反射的に拭おうとして、身をすくませる電ちゃんに、動けなくなる。
 ……何をしてるんだ、俺は。
 なんて酷いことを思ったんだよ、俺は。
 人形の方が良かった? その方が楽だった? ふざけるな。
 違うだろ。自分自身の弱さを棚上げして、周りに理由を求めていただけだ。
 何も、変わってない。……あの頃から。


「俺は、さ。望んでたはずなんだ。今の、この状況を」

「え?」


 あぐらをかき、何の気なしに話し始める。
 今までの人生を。歩むはずだった人生を。


「長男だから仕方なく家業を継いで、勧められた見合い相手とでも結婚して、色んなものを我慢したまま死んでいく。
 名も無き一般人のまま、平凡な人生に埋没していくんだって。それが相応しいんだって、ずっと諦めてた。あの日、駅でコンパスを拾うまでは」


 そう。まさにあの瞬間、運命の歯車は――コンパスの針は回り始めた。
 変な電波でも出してるんじゃないか? なんて友人たちにからかわれ、帽子を被った女性と話す駅員さんへと、コンパスを渡そうとして。
 あー! と叫ぶその女性が、結構な美人であることに驚いて。
 翌日。涙ながらに握られた手の感触を思い出していたら、一人暮らしをしていたボロアパートに、軍関係者が大挙して現れて……。


「それからはもう、あれよあれよと急展開。養鶏場の長男から、人類の存亡を賭けて戦う傀儡能力者に大変身だ。
 おまけに君みたいな、特別な存在まで呼び出せた。
 不安もあったけど、まるで小説の主人公みたいで、ワクワクしっぱなしだった。けど、現実はそうじゃなかった」


 帽子の女性――先輩と再開したことには運命を感じたが、当人の言動で夢は爆破され、おまけに待っていたのも、地味~な基礎訓練の日々。
 それだって上手くこなせていた訳じゃなく、肉体面・知識面共に、成績は下の中くらい。
 何度も脱走を考えたけど、実行する勇気なんかありもせず、流されるままズルズルと続けていただけ。


「昔からこうなんだ。最初から上手くやらなきゃって気負ったあげく、失敗したらすぐ投げ出したくなるのに、そうすることすら出来ない。
 面倒臭いことが嫌いだし、飽きっぽいし、軍人なんて柄じゃない。戦う覚悟なんてもってのほかで、本当は戦いたくなんかない。
 俺は、そういう弱い人間なんだよ。君の司令官には、似つかわしくない。……君に尽くしてもらう資格なんて、ないんだよ」


 いつの間にか、視線は床板を見つめていた。
 浪人した時だって、姉たちにケツを蹴っ飛ばされながらじゃなかったら、すぐに諦めていただろう。
 でも、ここに家族は居ない。優しく叱咤してくれる人は居ない。
 ちょっとばかりおかしなところはあるが、底抜けに明るく、楽しい先輩は居てくれる。
 でも、先輩は家族じゃない。甘やかしてはくれず、甘えてもいけない。
 訓練はどんどん厳しくなり、安らぎはごく僅か。
 気力が萎えかけていた。


「電も、同じなのです」


 そんな、情けない男へと差し出される、小さな手。
 軍服の袖を、軽くつままれる。
 たったそれだけで、“何か”が繋がった気がした。


「本当は、戦いたくなんてないのです。この戦争には勝ちたいけど……。勝たなくちゃいけないのは分かっていますけど。
 戦わずに済む道はないのかなって、考えちゃうんです。誰かに砲身を向けるのが、その結果が、怖くて……。
 電は、“電”を名乗る資格なんかない、情けない現し身。……なのです」


 うつむき加減の言葉に、偽りはないと感じる。
 なんだろう。出会ってから三日も経つのに、ようやく真正面から話せたような。
 考えれば、この子も不安だったに違いない。
 普通の女の子と同じに見えても、自身が従属するものであることしか知らず、血縁なんて望むべくもない。
 つまり……ひとりぼっち。


(あぁ、そうか。そうだったんだ)


 最低だ。こんな簡単なことにも気づかず、いじけていたなんて。
 俺も、電ちゃんも。欲しいのは居場所。
 居心地の良かった世界から、突然見知らぬ環境へ放り出され、感じたことのない苦さに喘いでいた。
 ここに居ても良いんだと、無条件で肯定してくれる場所が欲しかったんだ。
 けれど、そんな都合の良いもの、あるはずがない。


(だから電ちゃんは、こんなにまで……)


 だったら、作らなくちゃいけない。
 居ても良い場所じゃなく、居たいと思える場所を。居て欲しいと思われる関係を。
 だからこの子は、必死に価値を示そうとしているんだ。
 ……見習わなくちゃ。
 情けなくて、弱っちくて。果たすべき責務からも逃げがちな、どうしようもない人間だけど。
 そんな奴にしか出来ないことが、一つだけある。
 今までの“俺”では、きっと無理だ。でも、軍人である“自分”であれば、できることが。


「そっか。なら、ちょうど良いのかも」

「そう、ですか?」


 やれる事を見つけただけで、随分と気が楽になった。
 小さく笑うと、電ちゃんは小首をかしげる。
 素直に、可愛いと思えた。


「ごめん。……ありがとう」

「……? 司令官さん?」

「気にしないで。なんとなく言いたかっただけだから」

「はわわ、か、髪がグチャグチャになっちゃうのですっ」


 聞かれたわけではないけれど、やっぱり謝っておきたくて。
 しかし、意図したところが伝わってしまうのも気恥ずかしく、ちょっと強めに頭を撫でる。
 迷惑そうな口ぶりと裏腹に、彼女は笑っていた。
 初めて見る、屈託のない笑顔だった。


「あ、あの……提督……」

「うぉっ。しょ、書記さん? あっ、すみません、放ったらかしにしちゃって」

「いえ、こちらこそ。盗み聞きするような真似をしてしまい、申し訳ありません」


 ――と、そんな時、居間と台所を仕切る暖簾から、気まずそうに覗き込む少女が。
 いかんいかん、本気で忘れてた。あんな状況じゃ気になって入ってくるに決まってるよ。
 もしかして聞かれてたんだろうか。
 うわ、恥ずかしい。超恥ずかしいんですけど。


「それで、ですね。お詫びといってはなんですが……。電さんに、お料理をレクチャーさせて頂いてもよろしいでしょうか」

「え。それは……。でも、ご迷惑じゃ……」

「良いんです。本当はお詫びなんて、ただの言い訳。私がそうしたいと思うんです。やらせてもらえませんか」


 モコモコなスリッパを履いた彼女は、台所を一瞥しながら稽古を申し出てくれる。
 ということは、女の子の手料理を食べられるのか?
 自炊しないで済むだけでもありがたいけど……。


「電ちゃんは、どうしたい?」

「あ……。教わり、たいです。ちゃんと、朝ごはんとか作れるようになりたい、のです」

「ん。じゃあ、お言葉に甘えます」

「はい。お任せください」


 制服の長袖をまくる書記さんと、立ち上がって顔を拭う電ちゃん。
 頷きあう二人は、さっそく冷蔵庫の中身を確認。残った材料で作れるメニューを模索する。
 手伝っても良いのだろうが、ここは彼女たちに任せよう。きっと、必要なことだから。


「いいですか。包丁の握り方はこうで、逆の手は指を丸めて……」

「えっと、こ、こう、ですか?」

「あ、ごめんなさい。私は左利きですけど、電さんは普通に右手で持って良いんですよ」


 あれやこれや、語り合う声を背に、思う。
 多分、明日は。今日以上に頑張れる。
 こんな風に、温かい時間を過ごせるのなら。明後日も、明々後日も。同じように頑張れる。
 みんなそうやって、目の前の壁を越えていくんだろうな……と。こう思った。





 そして。





『ではこれより、第四回砲撃訓練を開始する。新人君、電ちゃん。準備はいいね』

『はい』

「な、なのですっ」


 翌日。太陽が中天へ登りつめようとしている時刻、一○○○。
 波に揺られる感覚を覚えながら、二人、引き締まった先輩の声を聞いていた。


『何度も言っているけれど、砲撃を当てるのに必要なのは緻密な計算だ。
 地球の自転、大気の状態や圧力、風向き、波の影響もそうだし、熱による砲身の変形、対象と自艦の方向角・速度・進路などなどなど。
 これら全てを計算し、最終的な旋回角と仰角を求め、やっと散布界を求められる。が、それでも確実に当たるわけじゃない。
 この訓練の目的は、対象艦に直撃させることではなく、散布界へと素早く対象を納め、射撃結果から誤差を修正。当たらないものを当たるようにすることだと意識して欲しい。
 調整士である書記君と連携、情報を的確に把握して、統制人格へ指令として伝達するんだ。いいね』

『はいっ』


 気合十分、腹に力を込めて返事をする。
 今朝の献立は、ネギと油揚げの味噌汁に、卵焼きと漬物。簡単なメニューだが、電ちゃんと一緒に作った。彼女の担当は味噌汁だ。
 一人で食べるのはちょっとばかり寂しいけど、無言で食べていた今までと違い、たくさんのことを話した。
 卵焼きの上手なひっくり返し方や、食べ物の好み。書記さんと交わした買い物の約束。本当に色々と。
 もちろん、訓練のことも。今日こそは当ててやろうと誓い合った。
 たったそれだけで、こんなにもやる気に満ち溢れるんだから、男って生き物は単純なんだろう。


『では、後は好きにやってみたまえ。今回は横から口を挟むのはやめる。思う通りに指示を出してみるといい』

『……了解しました』


 先輩にも伝わっていたのか、それとも元々の予定か。普段の手取り足取りな教導ではなく、やり方は任せてもらえるらしい。
 渡りに船とはこのこと。昨日考えた案を説明する手間が省けた。
 普通の能力者には出来ない、ズルみたいなやり方だろうけど、こっちの方が感情持ちの初期訓練には合っているはず。
 ……ひょっとしたら。多分。だといいなぁ。


「書記さん。あの、除け者にするってわけじゃないんですけど、同調率の管理だけ、お願いできますか」

「はい? ……なるほど。そういうことですか。承りました」

「ありがとうございます」


 第一段階として、まずは書記さんへ頼み事。
 打てば響くというのか、それだけで彼女は察してくれたらしい。ホント優秀だわ、この人。
 さぁて、問題は次。こっちが本命だ。気合い入れろ、“自分”!


『……い、いな――電っ』

「ひゃわっ!? な、なんですか、何か、怒られることしちゃいましたか?」

『ごめ、つがう……じゃない違うんだ。そうじゃなくて』


 ……気合い入れ過ぎて、声が上ずった挙句に噛んだ。
 女の子を呼び捨てにするだけでこれとか、嘆かわしいよモテない男は……。
 んが、ヘコんでる暇なんかない。


『射撃管制を、君に一任したいんだ。大丈夫か?』

「……ぁ。けど、電は……」

『分かってる。怖いんだろう、自分の撃った砲弾で、誰かを傷つけるのが』


 戸惑う電ちゃん――電は、小さく首を縦に振る。
 自らが行使した力で、何かを破壊する。自分たちの場合、相手はツクモ艦。
 機械なのか、そういう生物なのかも分からない相手だが、故にこの子はまだ割り切れず、恐怖と感じるのだろう。
 傷つけるのを。傷つけるのに慣れてしまうのを。
 しかし、負わされた責務から、逃れることなんてできない。


『それでも、やらなくちゃいけないんだ。自分は軍人で、君は軍艦。戦うためにここに居る』

「……はい……」

『だから、引き金は自分がひく』

「――え?」


 意味をはかりきれないのか、キョトンとする彼女に、自分は説明を続ける。


『電。君には敵との距離を測り、砲塔の向きや仰角を整え、弾込めもしてもらう。でも、引き金はこの手で引く。
 本当は全部自分で出来たらいいんだけど、バカには高度な計算なんて無理だしさ。
 君の助けが必要なんだよ。一緒に、戦ってくれないか』


 感情を持った統制人格の利点とは、通常であれば機械を使わなければいけない演算を、単独で行えること。
 人が腕を動かすのに、いちいち何cm動かすかなんて意識しないよう。感情持ちは、息をするのと同じレベルで、高度な射撃演算を処理する能力を持っている。
 後付けで技能を習得したり、武器を装備しなくてはいけない人間とは、根本から違うのである。調べた情報によると、だが。
 でも、だからと言って全てを任せてはいけないんだ。
 たぶん、照準は上手くつけられるけど、引き金を引けないだろう電。たぶん、引き金は躊躇いなく引けるけど、それしか出来なさそうな自分。
 一緒に戦わないと、意味がない。きっと二人合わせて、ようやく半人前なんだから。


「……分かりました。やってみます……!」

『ありがとう。さぁ、始めようっ」

「なのですっ」


 上手く伝えられた自信はなかったが、電は決意を新たに頷いてくれる。
 これだけ大口叩いて当たりませんでした、なんて、笑い話にしかならない。
 今日こそ……いいや、今日は当たるまでやめない覚悟で行こう!


「司令官さんっ」

『よし。――ってぇ!』


 呼ばれる声で、意識を集中。
 調定された数値に基いて砲塔が旋回し、仰角が整う。
 すると電気的な回路が形成され、そこへ「撃つ」という意思を流し込むことで、引き金をひく。
 轟音。
 三基ある十二・七cm連装砲のうち、第一砲塔が唸りを上げた。もっとも、初弾は当たりっこないのだが。


「着弾を観測。誤差を修正、並びに次弾装填なのです」


 ジリジリと、砲塔がまた旋回。
 再装填・微調整が完了し次第、再び引き金をひいた。

 第二射。
 ――命中せず。対象との距離、奥に極めて遠い。
 第三射。
 ――命中せず。対象との距離、同、遠い。
 第四射。
 ――命中せず。対象との距離、手前に遠い。
 第五射。
 ――命中せず。対象との距離、奥に遠い。

 辛うじて挟叉には捉えているけれど、そこからが縮まらない。
 教本通りなら、このまま撃ち続けていれば当てられる。
 しかし、砲内の損食を考え、第一砲塔でしばらく射撃を行ったら、冷却のために第二砲塔を使用、第二砲塔の後は第三砲塔と変えていくため、また微妙な誤差が生じてしまう。
 それも含めての訓練なのだが、十射、二十射、三十射と、撃つごとに焦りは募っていき……。


(やっぱり、自分たちじゃダメなのか……。ようやく、心からなりたいと思えるものを、見つけられたと思ったのに……)


 ――と、諦めが胸を掠めた瞬間、妙な感覚がした。


《諦めちゃダメ、なのです》


 声。
 鼓膜を揺らされて……は、いない。
 空気を伝わる声ではなく、脳へ直接に届いているような、初めての感覚。


《せっかく信じてもらえたのに、ここで諦めたら、なんにもならないのですっ》


 最初は語りかけられているのかと思ったが、違う。
 これは彼女の。電の、心の声。
 自分自身を奮い立たせようとする、とても小さな。


《司令官さんは、一緒に戦って欲しいって言ってくれた。
 まだなんのお役にも立ててない電を、それでも頼ってくれたのです。
 ……応えなきゃ。あの人の船だから。応えてあげられなきゃ、ダメなのです……!》


 漏れ聞こえているとは、想像もしていないのだろう。
 必死に言い聞かせ、くじけそうな足を踏ん張る電。
 なんて、いじらしいんだろうか。なんて、ひたむきなんだろうか。
 自分には勿体無いほど、優しい子だ。
 あぁ。もし叶うなら、もっとこの子を知りたい。もっと一緒に過ごしたい。もっと話してみたい。

 ――こんな所で、終わりたくない!


(……あ? 当たる)


 拡大する五感。人間では受け止めきれないはずの情報が、脳髄に浸透する。
 風。波。陽光。鋼鉄の鼓動。余すところなく、“理解”していた。
 その感覚が確かに示す。次の一発。確実に当たる、と。
 同調率が上がった? まさかこれが、完全同調? でも自分は特に何も……。


「司令官さん? 装填完了、発射準備良し、なのですっ」

『ぁ、ああ。――ってぇ!』


 呆然としたまま、反射的にペイント弾を弾き出す。
 だが、それも異常なほど鮮明に、スローモーションのように意識へと焼きつく。
 燃焼する炸薬と、ライフリングにより生じる回転と、砲口から吹き出る黒煙。描かれる弾道すら把握していた。
 定偏効果――回転により弾が左右へブレる現象が起きても、吸い込まれるように砲弾は伸び……。


『……当たった?』

「……当たり、ました?」


 灰色一色だった標的艦に、鮮やかな黄色が乗せられた。
 船尾方向。電だと、ちょうど第三砲塔の辺り。
 見間違いじゃ、ないよな。当たったんだ、よな?


「上空の観測機でも確認しました。有効です」

「……や、やりました! 司令官さんっ、やりました、当たったのです!」

『ああ、ああ! やったな!』


 書記さんの声で、ようやく現実なのだと実感でき、電と二人で大喜び。
 諸手を挙げてピョンピョン飛び跳ねるその姿が、やけに輝いて見えた。


『こらー、二人ともー。規定発射数に達してないんだから、勝手に訓練中断しちゃだめだよー』

「あっ。ご、ごめんなさいなのです」

『すみません、浮かれちゃって……』

『戦闘では、こういう気の緩みが致命的な隙になるんだ。最後まで気を抜かないように。
 当たったのは対象が動いておらず、撃ち返しさえしていないからというのも、忘れずにね。
 ……とはいえ、初命中弾。劇的な進歩だよ。二人とも、よくやった』

『はいっ』

「ありがとうございます、なのですっ!」

『ふふふ、良い返事だ。調子も良いみたいだし、休憩を挟んだら、さっそく次の段階に移ろうか。移動しながらの砲撃戦。いけるね?』

『望むところですっ!』


 先輩からのお小言も、今の自分たちにはなんのその。
 新たな試練にだってやる気満々だ。


『電』

「はい、なんですか? 司令官さん」

『……なんでもない。一緒に、色んなことを出来るようになろう。一緒に強くなろう。これからも、よろしくな』

「あ……。はいっ。よろしくお願いいたします、なのです!」


 自分は何もしていない。この成果は、電が真摯に応えてくれたからこそ。
 ただ傍観しているだけの司令官なら、居ても居なくても同じ。
 でも、色んな支えがあれば、なれる気がした。
 世界で一番の提督にはなれなくても、世界で一人だけの、彼女に居場所を作ってあげられる人間に。

 弾けるような笑顔に微笑み返しながら。
 “俺”は――“自分”は、そうなりたいと、心から思った。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……っていう風に訓練を重ねて、初出撃は数週間後かな。いやー、懐かしい」


 ちょっと情けない思い出話を終えて、自分はお茶を一服する。
 なんだかんだと語ってしまったが、やっぱ人に話しても面白い話じゃないな。ウダウダしてるだけだったし。
 そういえば、書記さんの手料理も、みるみる内に電が上達しちゃったから、あれ以来食べてない。ちょっと残念。


「そうだったんですかー。今では指揮にも貫禄がありますが、そんな時期もあったんですねー」

「貫禄って、んなもんないよ。それに、引き金はうんぬん言ってたけど、今じゃ任せっきりだ。
 結局、一人じゃなんにも出来ないのは変わってない。あんま成長してないよなぁ……」


 腕組み、難しい顔でうなずく青葉の言葉は、やる気なさげに否定。
 事実、その後の訓練で上昇したのは電の練度のみ。自分は相変わらず指示してただけだ。
 今思うと、あの頃の励起障害は、自分で自分にプレッシャーを与えてしまい、能力をセーブしてしまっていたんじゃないか、という気がする。
 ま、すぐに開き直っちゃってご覧の通りだけど。


「んー、そんなことないんじゃない?」

「衣笠?」

「そりゃあさ、普通の能力者さんに比べたら、提督はダメダメなのかもしれないけど。なんていうのかな……。普通に比べるべきじゃないっていうか……」

「どういうことでしょうか」

「うーん、ちょっと待って加賀さん。いま考えてるから……。そうだ!」


 今度は衣笠が難しい顔をし、身体を斜めにして考え込む。
 そろそろ倒れるんじゃないか? と思ったところで閃いたのか、彼女は大げさに両手を打つ。


「例えば棒グラフで表すと、提督は二~三十cmで、他の人たちは一mくらいあるの」

「すごい差だね~。それだけ差がついたら、もう人気ランキング圏外だよ……。那珂ちゃん想像しただけでブルーになっちゃう……」

「ちょっと黙っててっ。だけどね、それを斜め上から見ると奥行きがあって、そっちだと他の人たちは二~三十cmなのに、提督だけ何十mもある……みたいな?」

「……ごめん。励ましてくれてるのは分かるんだけど、あんまり褒められてる気がしないや」

「え、えーっ!? 会心の例えだと思ったのに……」


 気のない返事で落ち込ませてしまうが、本当は違う。
 斜に構えないと誤魔化せないくらい、頬が緩みそうなのだ。
 おまけに、周囲も衣笠の意見を否定せず。


「いえ。分かる気がします。感覚的に、ですが」

「平面で見ても表記はされず、しかし立体的に見ると別の形が顔を出す……。面白い視点ですっ、メモっておかねば!」

「あ、そっか~。人気投票の得票数が、実際のファンの数と違うのと同じことだよね? うんうん、それなら那珂ちゃん分かるかも!」


 みんながみんな、楽しそうにこう言ってくれるのだから、くすぐったくて仕方ない。
 那珂の表現は逆に分かり辛いと思うし、加賀は栗きんとんをもくもく頬張ながら、だけど。
 ……ん? なんか忘れてるような……。あ、金剛が妙に静かなんだ。一体どうし――


「ぬぉっ。な、なんだ金剛。ふくれっ面して?」


 横に視線を滑らせれば、風船みたくほっぺたを膨らませる、ジト目の金剛が居た。
 うわー、めっちゃ不機嫌そう。


「……テートクが元から優しいのを知れたのは嬉しいケド、なんだか……なんだか面白くないデス。手取り足取り砲撃訓練なんかしたことナイのにっ。
 ワタシもテートクと、One on Oneで愛の艦隊演習したイ! 一つ屋根の下、二人っきりで色んなHappeningを経験したいデース!!」

「む、無茶言うな。そんな非効率な真似、もう出来るわけないじゃないか。ハプニングも勘弁してくれ……」

「ヤーダー! テートクとの甘酸っぱい思い出が欲ーシーイー!」


 ベタン、と畳へ寝転んだ彼女は、そのまま手足をジタバタ。子供のような駄々をこねる。
 あーあー。もう、何してるんだよ。そんな短いスカートで暴れたら、中身が見え――あ、白。
 ……じゃねぇだろバカ! じっくり見ちゃイカン! は、早くなんとかせねばっ。


「分かった、分かったから。近いうちに、ええと……買い物! 個人的な買い物とかに付き合ってもらうからっ。それで我慢してくれないか?」

「ホントですカ? ぃヤッター! 初Date,今から楽しみデース!!」

「あざとい。さすが金剛さんあざとい。那珂ちゃんもあのくらい強引にいった方がいいのかな~?」

「やめといた方が良いんではないですか?」

「青葉に賛成。あれは金剛さんだから出来るんだよ、多分」

「……あら。栗きんとんが空に。今お代わりを」


 狙っていたのか、天然か。どっちにしても、上手く乗せられてしまったようだ。
 他四名も慣れたもので、途端に上機嫌になる金剛を、然も当然と受け入れている。
 泣いたカラスがもう笑うとはこのことか。まったく……。
 と、釣られて笑みを浮かべていたら、何やら背後に騒がしい気配を感じた。厨房の方だ。


「ただいま戻りましたー」

「お、鳳翔さん帰ってきたか」

「ということは、榛名たちも戻りましたネ。食材の運び入れを手伝わないト!」


 勝手口からガヤガヤ入ってくる、買い出し組の足音。
 本日の成果を確認すべく、自分たちは腰を上げ、厨房の奥へと。
 そこには、忙しく表と中を行ったり来たりする鳳翔さんを筆頭に、多くの少女たちがたむろしていた。
 ここは一つ、男として手伝わねばなるまい。……まぁ、艤装召喚されたら敵わないんですけどね。腕力でも。


「みんな、お疲れ。自分も手伝うよ。ほら、榛名」

「あっ、提督? いけません、まだ無理をなされては!」

「平気だよこのくらい。傷はもう治ってるんだし」

「そうですよ。適度な運動は、健康の維持に必要不可欠です。本人がやる気なんですから、お任せしましょう。これ、お願い出来ますか?」

「でも、霧島……」

「任せろ。榛名? 心配してくれるのは嬉しいけど、本当に大丈夫だから、な」

「……はい」

「ンー、榛名は優しい子ですネー。いい子いい子してあげマース」

「あ、あの、金剛お姉さま。こういうことは、比叡姉さまに……」


 手伝うとか言っておきながら、妹をハグしてなで回す金剛。
 榛名も満更ではなさそうだ。牛乳パックの詰められたトートバッグ片手に、思わず霧島と苦笑いである。
 次に視界へ入ってくるのは、オレンジの衣装を身にまとい、疲労困憊した顔の夜型統制人格と、その妹。


「はぁぁ、疲れたぁぁ。やっぱり、昼間だと調子でないや……」

「川内? 珍しい、こんな時間に起きてるなんて、人工衛星でも降るか?」

「あ、失礼しちゃうなぁ。ワタシだって、食事当番の時くらいはちゃんと起きるよっ」

「あれ。今日は川内も厨房に立つんだっけ」

「はい……。わたしも、お手伝いさせて頂きます……」


 後ろに続く神通が付け足し、新たな荷物を運ぶ。業務用のでっかい醤油だ。
 そこへ「那珂ちゃんも手伝うんだよー!」と末っ子が参戦。ボトルを受け取って行く。
 びみょ~な不安を感じたのは、きっと自分だけではあるまい。


「そっか。でも、神通が居るなら安心だな。夕飯、楽しみにしてるよ」

「えっと……。あまり、自信はありませんが、頑張ってみます……」

「美味しいの作るから、期待しててね? 立派な山芋買ってきたし、胃に優しくて滋養に良い物……。山芋のフワフワハンバーグ・夜戦仕様とか作れるしさ!」

「……神通」

「だ、大丈夫、です……。おかしなことには、なりませんから……。絶対に、させませんから……!」

「頼んだよ。本当に頼むよ。マジで頼むからな?」


 山芋を両腕に抱え、川内がハツラツと視界からハケる。
 もう日が落ちてきた。ここからが彼女の本領発揮なのだろう。
 が、夜戦仕様という部分に不安は倍増。揺れるツインテを追う背中へ、祈るような気持ちを託す。
 球磨型の木曾と同じく、川内型最後の良心である神通なら。あの子ならなんとかしてくれる! ……といいんだけど。


「あ、司令官。ご機嫌ようです。いま帰ったわ」

「司令官さん。ただいまなのです」

「おお。暁、電。おかえり」


 ――なんて、諦めの境地に達していると、いつの間にか暁型の二人が側にいた。
 暁はネギなどが飛び出たバッグ、電は大きなキャベツを三玉も抱えている。


「……? どうかしましたか?」


 小首をかしげる電に、ハッとする。
 どうやら、ボーッと見つめていたようだ。
 思い出話をした影響だろうか。


「なんでもないよ。いつもご苦労様」

「はわ。髪、崩れちゃいます」


 なんとなく頭をなでれば、くすぐったそうに目を細める電。
 さっきは成長していないと言ったが、変わっているところもあると気づいた。
 指を通じる温かさも、それを嬉しいと思う気持ちも。あの頃よりずっと強く、大きく。
 妙に、誇らしく感じた。
 しかし、隣で見守る小さなレディーにとっては、あまり面白いものでもなかったようで。


「むぅ。ねぇ司令官。私も頑張ったんだけど。それに、お料理だって手伝うのに」

「ん? ああ、悪い悪い。暁も料理手伝えるようになったか。偉いぞ」

「えへへ、お姉さんなんだから当然よ……って、あ、頭を撫で撫でしないでってばっ。こんなことで喜ばないんだから! あんまり出撃しないから、家事の腕が上がっちゃってるだけだし」

「……ごめんな。出させてあげたいのは山々なんだけど、都合が……」

「あっ。別に、催促したわけじゃなくて。……花嫁修業してると思えば、家事だってやりがいあるわ!」

「そうか。ありがとう。でも、どこかへ嫁にいく予定あるのか?」

「え゛。それは………………ないけど。い、いいじゃない、女の子は花嫁さんに憧れるものなのっ」

「そうだなー。もし改二とかになったら、大人っぽく成長できるといいなー」

「むむむむむ……! 絶対に改二になる……。そうしたら、司令官がビックリするくらいの美人になれるわ、きっと!」

「ははは、そりゃあ楽しみだ。ま、自分はちっちゃい暁も好きだぞ?」

「へぅ!? ……ち、ちっちゃくないもん! 今度言ったら許さないんだからぁ!!」

「あっはっはっはっは」


 真っ赤な顔で、暁は腕を振り回す。
 だが、圧倒的にリーチが足りず、ただ頭を撫で回しているだけで抑え込めてしまう。
 よっぽどくやしいのだろう、「むがぁーっ!」と変な鳴き声まで。
 うーん。やっぱりマスコット的な可愛さがあるな。無性に弄りたくなるというか。天龍に通じるものがあるよ。


「司令官さん、暁ちゃんをいじめちゃダメなのですっ。はい、お野菜しまうの、手伝って欲しいのです」

「おう、了解。うーん、でっかいキャベツ。食いごたえありそうだ」

「はぁ、ふぅ、あぅ……。司令官の……ばかぁ……」

「Hey,テートク! 今晩のMenuはハンバーグだそうデース。お隣の席をReserveしてもいいデスか?」

「あの……。一緒にサラダも作る予定なんですけど……。ドレッシングのお好みは……?」


 ――と、暁で遊んでいたら、キャベツを一玉、お腹に押し付けられてしまった。
 叱られてしまっては仕方ない。電たちと連れ立って、自分は大型冷蔵庫へ。
 向かう先には金剛や神通がおり、そこへみんなが集まって、また会話に花が咲く。

 電と二人きりだった頃に比べると、ずいぶん賑やかになった。
 戦況も動き始め、自分の心持ちも幾らか変化している。でも、目指すところは変わらず同じ。
 あの朝。電が言ってくれたように。
 いつか有賀中将のような、出会えて良かったと感じてもらえる男になってやろう。

 今、何気なく過ごしている、この時間が。
 そのための活力になるのだと、確信できた。
 明日から、また頑張るとしますか!





「やっぱり、金剛お姉さまこそが最高のお姉さまだと、この比叡、断固として主張します!」

「はぁ? 扶桑姉さまの儚げな雰囲気こそ至高でしょうに」

「まぁ。利根姉さんの無邪気な笑顔も、守ってあげたくなること請け合いですよ?」

「えー、なに言ってるのみんな。うちのお姉に気配りで敵う人なんて、鳳翔さん以外に居ないってばー」

『……アハハハハ』










《こぼれ話 「ふっふっふ。この衣装なら、きっと新人君も喜んで――あ、なんだ貴様ら! ええい離せ憲兵共! 私を誰だと……待たないか、待て、お願い待って、変質者じゃない、痴女じゃないんですぅぅうううっ!!」》





 書類をめくって、朱肉にハンコつけて、捺印。
 書類をめくって、朱肉にハンコつけて、捺印。
 書類をめくって、朱肉にハンコつけて、捺印……。


「大変そうだね、司令官」

「んぁ? あ、響か。うん、ちょっと辛いかも……」


 執務室での仕事中。不意にかけられた声へ、自分はゲンナリした顔で答える。
 よっぽど集中していたらしい。響が真向かいで立っていることに、いま気づいた。
 覗きこむ少女の身体を隠すのは、山と積まれた書類だ。
 休んでいた間に溜まったものと、自分が負傷したことで発生した書類が合わさり、とんでもない量になっていた。
 入院中に妙高が持ってきた分は、本当に必要最低限だけだったようで、午後になってもこの調子。もうハンコを押す機械になった気分だよ……。


「……あの。ワタシがここに居たら、邪魔かな」

「そんなことはないけど。ほぼ流れ作業だし。何か相談か?」

「違うんだ。そういうわけじゃなく、て」


 珍しい申し出に、手を動かしつつ首を傾げるも、響は言い淀む。
 しばらく待っていると、意を決したのか、小さく深呼吸。


「こうして、司令官と差し向かいで話す機会が、今まで無かった気がしたから。少しだけ、時間が欲しい。……いい、かな」


 恥ずかしげに、響はそう言う。
 思い返してみると、確かに。共に過ごすことはあっても、誰かと一緒だった気がする。
 いつも冷静沈着。何事にも動じない彼女だが、あの怪我に少なからず影響を受けたのかもしれない。
 当然、断る理由はなかった。


「もちろん。作業しながらになっちゃうけど、それは許してくれよ?」

「……Спасибоありがとう


 笑顔でうなずけば、クイっと帽子を被り直し、机を回り込む。
 それに寄りかかるよう立つ姿は、どことなくソワソワして見えた。


「………………」

「………………」

「………………?」

「………………」

「なぁ、響。話すことがあるんじゃ……?」

「……Извинитеごめん。話すことばかり考えていて、内容は、考えてなかった……」


 なぜか発生した沈黙に問いかけたら、実に申し訳なさそうな返答。
 思わず笑いがこみ上げる。


「っふ、くくく、あはははは」

「わ、笑わなくてもいいじゃないか」

「ごめんごめん。響にもおっちょこちょいな所があるんだなー、と思ってさ」

「んん……」


 椅子に座って、高さの逆転した青い瞳は、悔しそうに細められる。
 でも、本当に意外だったから仕方ない。お詫びにこっちから話を振るか。


「今日は、ヨシフの世話はいいのか?」

「長良さんたちが引き受けてくれてる。ヨシフも好きみたいだよ、彼女たちのこと」

「なるほどね。長良の早朝ランニングも、散歩には丁度良いか」


 登り始めた朝日を受けて、海沿いを走るハチマキ少女と、デッカい柴犬が幻視できた。なんとも似合う光景である。
 個人的には、「司令官も一緒に走りましょうよ! お腹とか出てきてません?」と誘われた時、断る理由がなくなってきて困っていたり。
 ここ数日は飲んでないとはいえ、酒の量が増えたのも事実。ダイエット、真剣に取り組むべきか。


「司令官は、やっぱり苦手なのかい」

「ん~……。微妙なとこだな……。最近どんどんガタイが良くなってるしさ。そろそろ暁くらいなら背中に乗るんじゃ?」

「うん。乗るよ。この前、青葉さんが写真に撮ってた」

「え、嘘っ。後で見せてもらわなきゃ」


 またもや脳裏に浮かぶ、幻の光景。
 たくましく、勇壮に仁王立つヨシフと、その背中でドヤ顔する暁。可愛すぎる。
 まぁ実際のところは、落ちそうになってアワアワしてるんだろう。
 焼きましして引き伸ばさなければ。額も用意するかな。


「ワタシとしては、司令官にもヨシフと仲良くして欲しいかな。もちろん、無理にとは言わないけれど」

「……そうだな。次にまとまった休みが取れたら、一緒に散歩でもしようか」

С удовольствиемよろこんで。ヨシフもきっと楽しんでくれるよ」

「はは、追いかけ回されないといいけどな」


 約束だ、と付け加え、自分たちは笑い合う。
 目算が正しければ、あと半月もしないで硫黄島へたどり着ける。
 セイロン偽島が不気味な沈黙を保っているのが、気になるといえば気になるけど、あの三人が前線に立っているんだ。大丈夫なはず。
 この作戦が一段落したら、間桐提督から長門型戦艦を受け取って、そうしたら少しゆっくりしよう。
 と、取らぬ狸の皮算用をしていたら、コンコン、というノックの音が聞こえてきた。誰か来たようだ。


「雷よ。司令官に手紙が来てたわ。持ってきたんだけど、入ってもいい?」

「おお、ご苦労さま。入ってくれ」


 ドア向こうからの声に、大きめな声でそう答える。
 ……のだが、一分たっても、二分たっても、ドアの開く気配がない。


「ん? 雷?」

「あ、ご、ごめんね。ちょっとだけ待って。今、覚悟を決めてるから」


 覚悟? どういうことですか。ただドアを開けるだけなんですけど?
 響へ視線で問いかけると、彼女もまた不思議そうな顔をしていた。訳が分からん。
 そうこうしているうちに、ようやくノブが回る音。


「じ、じゃーん! 病み上がりな司令官を応援するために、看護師さんになったわ! 普段と違う私の魅力は、ど、どう?」


 瞬間、世界が凍りつく。
 そこには、小脇に荷物を抱えたナースさんが居た。“しな”を作り、変なポーズまでとっている。
 息をするのも憚られる雰囲気の中、自分と響は目で通じ合う。


『響、響っ、響ぃ! 雷が、雷が!?』

『落ち着いて、司令官。多分もう手遅れだから』

『諦め早っ。いやどうすりゃいいのさ!? 確かにめちゃめちゃ可愛いけど、こんな時どんな顔すれば良いんだ!?』

『とりあえず、笑っておけば良いんじゃないかな。さぁ、雷が返事を待ってるよ。ワタシは黙っているから遠慮なくУраaaaaばんざぁぁあああい?』


 だめだ。冷静そうに見えて、響も激しく動揺してる。
 原因である雷も、「なんで響がここに居るのよぉ!?」的に焦っているのが一目で分かった。
 おそらく、この空気を打破できるのは自分だけ。
 扶桑の艦橋から飛び降りる覚悟で、問いかけないと。


「色々と言いたいことや感想はあるんだけど、その前に一つだけ質問させてくれ。……誰の入れ知恵なんだ?」

「……お、怒らない?」

「場合によっては怒る。でも教えてくれないと、家庭的な女の子からファンキーな女の子に、君の印象が変わっちゃうぞ」

「教える! ちゃんと教えるから、微妙な評価はやめて!」


 今にも泣きそうな顔で、雷は机へと身を乗り出す。
 やったはいいが恥ずかしいのだろう、頬も真っ赤である。
 真昼間からコスプレすりゃあ当然だが。


「えっとね……。これ……」

「手紙? あぁ、そういえば手紙持ってきてくれたん――げ、先輩からだ。しかも開いてるし」

「ごめんなさい……。でもそれ、差出人しか書いてないでしょ? おまけに検閲されてなかったみたいだから、気になっちゃって……」

「確かに。これはワタシでも開けると思う。怪しすぎるよ」


 差し出された封筒を確かめると、言われた通り、それには切手も宛先もなかった。
 怪しい。これ以上なく怪しい。差出人のせいですでに胡散臭いというのに。
 けど、確認しないわけにもいかない、か。どれどれ……?


【前略。
 突然こんな手紙を送ってしまって、きっと驚いているだろうね。
 追い打ちをかけるようで申し訳ないんだけれど、実はこの手紙、横須賀鎮守府の独居房で書いています。
 全く、酷いと思わないかい? ちょっと表でナース服を手にニヤついていただけで拘束だよ。
 吉田のお爺さまから雷も貰っちゃったし……あ、“いかづち”ちゃんのことじゃなくって、“かみなり”だからね? 貰えるんだったら、それはもう(自主規制)する勢いで喜ぶけどねっ。
 まぁとにかく、数時間かけて横須賀へやって来たっていうのに、あと半日もしたら佐世保へ強制送還さ。
 世界は間違っている!

 と、いうわけで。
 本来なら、病院生活で溜め込んだアレやコレやを、いけないナースお姉さんにぶつけて貰いたかったんだけど、そういうわけにもいかなくなった。
 本当にゴメンね。
 許してもらえるなら、この手紙で見舞いの替えとして欲しい。

 しかし。だがしかし! こんな事で引き下がるようじゃ、傀儡能力者の名が廃る。
 手土産として、電ちゃんサイズのナース服を包んでおいた。
 私の代わりに、彼女と危ないお医者さんごっこを楽しんでおくれ。サイズは問題ないはずさ。
 なんで知っているかって? 女の勘だよ、勘。私の目ぢからを甘く見ない方がいい。
 それに、多少ブカブカだったりキツキツだったとしても、それはそれで乙だろう?
 にょほほほほほほ。

 さて、音読しながら書いていたら、「十分でいいから口を閉じてくださいお願いしますぅ!」と監視の子に泣かれてしまったので、そろそろ筆を置きます。
 新人君。
 君の選択、他人はどうあれ、私は好ましく思う。
 軍人としてではなく、一人の女として、だけどね。
 どうか健やかに。

 草々。
 兵藤凛。

 P.S.
 差し入れは新人君の手作り卵焼きが、良・い・な☆】


 短くまとめられた書面には、美しい手書きの文字が踊っている。
 さり気ない一言が、とても胸に響いた。
 ……響いたん、だけど、さぁ……。


「司令官、大丈夫かい? なんだか、顔色が物凄い勢いで悪くなっているけれど……」

「大丈夫。自分は大丈夫だよ。響は優しいなぁ、はは、は、はは……」

「今の司令官を見たら、誰でも心配になるよ」

「本当に大丈夫? 汗が凄いわ、お熱とかない?」


 肩へ響の手が乗せられ、したたる汗を雷が拭いてくれるものの、激しい頭痛は収まらない。
 独居房って何さ。ナース服ってなんでだ。間違ってるのはあんたの方だ!
 たぶん見舞いには来るんだろうなーと覚悟してたけど、事前に逮捕されてたとか、結果が斜め上過ぎる。
 しかもそれだけで留まらず、間接的な手段を使うだなんて……。


「なぁ雷。どうして着ようと思ったんだ? それ」

「それは、その……。初めての大破撤退で、やっぱり気落ちしてるように見えたから、元気になって欲しくて……。
 男の人って、こういうの好きだってよく言うし、ちょうど良いかなーと思ったの。
 でも、やらなきゃ良かったわ……。見られないように執務室へ来るの大変だったし、スカートが短すぎて、見えちゃいそう……」


 タイトスカートの前後を手で押さえ、膝頭をこすり合わせる雷。
 良かった、お医者さんごっこが趣味な駆逐艦なんて居なかったんだね。誘われたとしても全力で断ってただろうけど、本当に良かった。
 もしも着てるのが、ちとちよ姉妹や名取とかだったら、危なかったかもしれない。あの“たゆんたゆん”は凶器だ。どっちにしろ犯罪臭がプンプン漂ってますが。
 誰か来ないうちに着替えてもらわないとな……。


「まぁいっか。佐世保に送り返されるんなら、これ以上なにも起きないだろうし。他にも手紙あるんだよな。そっちは?」

「あ、うん。これよ。差出人は、桐谷提督と間桐提督。間桐提督からは小包も送られてたわ」

「あの二人から? こっちもこっちで嫌な予感がするな」

「ダメだよ、司令官。そんな風に言ったら失礼だ」

「ゴメン、つい本音が。まぁとにかく読んでみるか」


 新しく差し出されたそれに押されているのは、“桐”の印璽いんじ
 特別な事情でもない限り、検閲を避けられる印だ。もちろん、それと確認されれば、であるが。
 まずは……まともそうな桐谷提督のにしよう。


「……ふむ……」

「ねぇねぇ司令官、どんな内容なの? 見てもいい?」

「こぉら、ダメ。行儀悪いぞ。当たり障りのない見舞いの手紙だよ。身体を大事に、って」

「そうなんだ。よくは知らないけれど、良い人みたいだね」

「ん、そうだな」


 そそくさと手紙を折りたたみ、二人には見えないよう封筒へ戻す。
 嘘をついてしまった。
 実際に、体調への配慮は書かれていたが、加えて別のことも。要約すれば、「傀儡艦ごときのために撤退するなど、愚の骨頂である」という忠告だ。
 彼の言うことはもっともであり、頭では理解できる。
 しかし、納得するつもりも、“自分”を曲げようとも思わない。結果で周囲を黙らせればいいんだ。この程度の逆境に負けてたまるかっ。
 ま、それはそれとして、返事は書かないといけない。怪我すると面倒だな、やっぱ。


「さて、次は間桐提督のか。あの人のことだから、どうせ嫌味な――」


 全裸逆立ち超楽しみですwwwww


「――ふんぬっ」

「あっ」

「ちょ!? ど、どうしたのよ司令官!?」

「ふ、ふふふ、いや、何でもないよ。いいかい二人とも。この手紙はなかったことにする。これは命令だ。いいね」


 グシャリと便箋を握りつぶし、ゴミ箱へダンク。
 わざわざ手紙出しといて、書いてあったのはあの一文だけ。間違いなく挑発してやがる。
 見てろよあの4Bit野郎。一週間だ、あと一週間で硫黄島までたどり着いてやるからな……!


「あ、あの……。小包も、あるんだけど……?」

「……開けておこうか。一応」

「は、はいっ。どどどどうぞっ」


 やけに怯えている雷から包みを受け取り、乱暴に包装紙を破く。
 最新式デジタルカメラの箱。これで撮れってことか。バカにして――ん?
 持ち上げようとしたら、箱の下に敷かれていたもう一通の手紙が現れた。
 またかと思いつつ、こちらも乱暴に封蝋を外すのだが、意外なことにキチンと要件が。


「今度は真面な内容みたいだね」

「ああ。タ級との戦闘記録、ロックされてるらしい。
 外す権限が自分と中将にしかないから、アクセス権よこせって。
 電探に映らないのが本当なら厄介だし、暇つぶしに研究しといてやる、だってさ」

「書記さんね、きっと。どうするの?」

「後でメールしとくさ。にしても、なんでワザワザ手紙で……」

「んー、桐谷さんも出すからついでに、とかじゃない?」

「かもなぁ。気にしない方がいいか」


 腹は立ったけど、こうして手紙とオマケまでもらえたのは、純粋に嬉しい。
 桐ヶ森提督からはガン無視されてるみたいだし。本気で嫌われてるのかな……。
 深く考えると傷つきそうだ。戦車部隊の訓練と、偽島の監視に忙しいって事にしとこ。


「ところで、司令官。あのね、その……」

「なんだ雷。モジモジして、トイレか?」

「違うわよ! だ、だから、えっと……」

「……ふぅ。司令官、ちょっと」


 唐突に、身体を隠すような感じで恥ずかしがる雷。
 理由が分からなくて首を傾げていると、見かねた響がそっと耳打ちしてくれた。


(雷の格好に関して、何か感想はないのかい)

(……ああ! すっかり忘れてた)

(まったく、ダメじゃないか)


 だって仕方ないじゃん。色々と濃密な手紙が続いて、ナース服が霞んじゃったんだよ。
 ……いや。言い訳を考えてても、それこそ仕方ない。
 頑張っておめかししてくれたんだから、褒めてあげなくちゃ。


「あー、雷」

「な、なぁに、司令官?」


 椅子を回転させ、隣の雷へ向き直ると、彼女は平然を装って微笑む。
 ……なんて言えばいいんだろうか。
 セクハラにならず、それでいてちゃんと褒められる言葉?
 う~む……。下手に凝ったセリフを言おうとすると失敗しそうだし、率直に。


「ビックリはしたけど、似合ってるよ。うん、元気でた」

「本当!? えへへ、やったわっ」

「恥ずかしい格好した甲斐があったね。とても真似したくな――できないよ」

「ねぇ、今なんて言いかけたの。こっち見てってば」


 嬉しそうにハイタッチする雷だったが、余計な一言に笑顔のまま詰め寄る。響は素知らぬ顔で口笛である。
 どうやら、暁型の次女・三女の力関係は拮抗しているらしい。そんな姿も微笑ましいのだけど。
 なんか仕事する気分じゃなくなっちゃったな。今日中に終えれば良いんだし、休憩しよう。


「しっかし、このデジカメ。白露に買ってあげたやつよりも新しいやつだけど、どんな感じなんだ?」

「取説は……入っていないね。動かしてみれば分かるんじゃないかな」

「だな。よし、雷ー、そっちでポーズとってくれ」

「ええっ!? わ、私を撮るの?」


 椅子から立ち上がり、電源ボタンを探しながら机の向こうへ。
 雷は大人しくついてくるものの、恥ずかしいのかまたモジモジ。


「録画はしないよ。どんな風に映るか確かめるだけさ。いいだろ?」

「うぅぅ……。ほ、ホントに撮らないでね? 司令官以外の人には、見られたくないし……」

「分かってる分かってる。よし、電源入った。映すよー」

「なんでだろう。物凄く通報したい気分になるのは」


 お願いやめてシャレにならないから。
 自分でも危ない撮影会みたいだって思ったけどさ、先輩と同じ末路とかマジ勘弁。
 ……やっぱり、誤解を招くようなことは控えた方が――


「提督さん、由良です。新しい艦ができたんですって――え?」

「あ」

「へ? 由良さん?」

「……Хуже всего最悪だね


 ――いいかなーと思った瞬間、新たな登場人物がやって来てしまった。
 秘書官の絶対必須アイテム・クリップボードを片手に、リボンでまとめ上げた薄桃色のサイドテール少女、由良が硬直する。
 その瞳に写っているとおぼしきものは、恥ずかしげに身を縮こませるローティーン・ナースと、ビデオカメラを構える男。
 どう見ても性的な犯罪現場です。ちくしょう、なんでこのタイミングで!?


「あ、あのな由良。これは違うんだ。多分、絶対に誤解してるから、まずは話を聞いてくれ。な?」

「古鷹さんの言ってたこと、本当だったんだ……」


 一応、人目は気にしてくれるのか、後ろ手にドアを閉め、鍵までかける由良。
 穏やかな微笑みの似合う彼女は、しかし今、辛酸を嘗めているような面持ちでボードを抱きしめ、ゆっくり机へ近づく。


「あのね提督さん。こういうの、良くないと思うの。男女の間柄のことだし、野暮なことだって分かってはいるけど、響ちゃんも居るのに……。まさか、そういうプレイ……?」

「だからね、そう思っちゃうのは仕方ないけど、まずそこが違うんだよ。プレイでもなければ自分が強要したわけでもなくて……」

「そうそう! ちゃんと経緯も説明できるから、受話器を下ろして!? ひ、響からも説明してお願いっ」

「ふぅ……。由良さん、信じられないかもしれないけど、司令官の言う通りだから。通報はやめてあげて欲しい」

「……そうなの?」


 この場において、一番発言に信頼性のある響が、重々しくうなずく。
 しばらく考え込んでいた由良だったが、納得してくれたのだろう、零と一を押しそうだった指を引っ込めた。


「ごめんなさい、少し先走っちゃったみたい」

「……ほっ。いやいや、分かってくれれば――」

「でも、それとは別に。今は勤務時間だと思うな、提督さん?」

「相違ございませんです、はい」


 半目になり、由良は「怒っています」と意思表示。
 神妙な顔で肯定すれば、コツン、と人差し指が額へ。同時にまなじりも緩む。
 これで許してくれる? らしい。


「じゃあお仕事、ね? 励起の準備はできてるから、一緒に行きましょう」

「はーい。二人はどうする。来るか?」

「そうだな……。ワタシは行くよ。同じ境遇を辿った船同士、会ってみたいと思っていたから」

「もちろん私もっ。歓迎してあげなきゃ!」

「ふふふ。じゃあ、四人で行こっか」


 結局、連れ立って執務室を後とすることに。
 これから出会う船は、響と同じく、戦火を生き残った数少ない武勲艦の一つ。
 彼女の持つ幸運が、きっと、硫黄島への道も明るく照らしてくれる。
 そう信じ、自分たちは談笑しながら、新しい仲間を迎えに行くのだった。





「でも、そのままだと誤解が広まっちゃうから、雷ちゃんは着替えた方がいい、かな?」

「あ、そっか。ちょ、ちょっと待って、すぐ着替えちゃうから!」

「ってうぉおおい!? ここで脱ごうとするな、せめて自分が出てからにしてくれ!?」

「……やれやれ、だね」










 一方その頃。
 横須賀鎮守府、某所にある独居房にて。


「ぬぉおおっ、ここから出せぇええっ! やはり会わずに帰るなんてイヤだっ、新人君が私のことを待っているんだぁああっ!」


 兵藤凛は、捕獲された野生のオランウータンが如く、扉へかじり付いていた。
 蹴破ろうとしたり、ノブを思いっきり引っ張ったり、格子付きの窓に顔を押し付けたり、やりたい放題だ。
 ちなみにこの時代、オランウータンは絶滅種である。


「えーと、ここデスか。宿舎の周りをうろついていた変質者Pervertが居るのは。全く、不届きな人も居たものデス。顔を拝んでやりマース」


 そこへやってくる、一人の少女。
 変わった巫女服をまとう、英語混じりな帰国子女は、金剛である。
 休みの間は提督にベッタリだった彼女だが、流石に仕事の邪魔をするほど分別がないわけでもなく、かといってやれる仕事もなく、暇を持て余していた。
 そんな時に飛び込んできた、不審者逮捕の知らせ。
 警備の参考とするため、どんな人物か確かめておこうとやって来たのだ。決して、格好の暇つぶしのネタが出来たと、スキップしながら来たわけではない。


「あっ!? そこ行く個性的な巫女服ガール! 格好からして桐林艦隊所属と見たっ。助けておくれぇええっ!」

「w,what? 何事ですカ? どうしてこんな所にNurseさんが……」


 ――が、先んじて声をかけられ、金剛は萎縮する。
 この独居房、入り口のドアにも大きめな窓が設置してあるのだが、そこから見える人物は、なぜか看護師の格好をしているのだ。
 スカート丈は歩いただけで下着が見えそうな超絶ミニ。胸元には意味なくハート型の穴があり、色も目に痛いビビッドピンク。
 ここまで来ると、誰もが声を揃えて言うだろう。お前みたいな看護師が居るか、と。居たとしても水商売系だろう、と。
 しかし、金剛の困惑をよそに、その偽ナースこと兵藤凛は、不敵な笑みを浮かべて胸元へ手を突っ込む。


「そんなことはどうでもいいじゃないか。それより、ここから出してくれたら良いものを進呈しよう。ほら、あられもない格好で眠る新人君の寝顔写真がここに、ね?」

「……なるホド、Youが。甘いデスね、そんな物でこの金剛が惑わされるとデモ? お幾ら万円ですカ!」

「いやいや、お金はいいからまず鍵をだね」

「But,脱獄幇助だなんてテートクに迷惑がああんSo Cuteデース」

「ちょっと、何やってんですか貴方たちはぁ!?」


 明らかな賄賂の申し出に、金剛は軽蔑するような視線を向けるも、言葉が伴わない。
 対戦車砲すら弾く防護ガラス越しに顔を付き合わせ、取引は進む。
 思わず監視員を勤める女性 @ 二十三歳独身・現在彼氏募集中も突っ込むが、彼氏居ない歴=年齢な彼女の声は、全く届かなかった。哀れである。

 こうして、金剛という強力な手札を手に入れた兵藤は、見事に独居房を脱出。
 横須賀鎮守府を未曾有の大混乱へと陥れるのだが……。
 それはまた、別の話である。





「いやー、シャバの空気は美味しいね! 晴れ晴れとした良い気分だ。ありがとう金剛君!」

「なにを走りながら伸び伸びしてるデス!? 後ろから憲兵たちがManyMany追っかけて来てマース!? Youは一体なんなんデスかぁ!?」

「まぁまぁ、細かいことは気にしないでくれたまえ。反逆者とかではないから。それよりも、ここに新人君の生着替え写真があるのだけれど」

「そんなもの持ってる人をTrustできると思うノ!? 抜け道はこっちデース!」

「なんで? なんで私まで逃げてるんだろう? これはクビかなぁ……」





















 暁型は誘い受け(なんの話だ)。
 というわけで、今回は番外編でございました。長い。
 オマケについては多く語りません。調子に乗りましたごめんなさい。あ、名も無き女性監視員はクビをまぬがれていますので、ご安心を。
 次回から物語が大きく動き出します。お楽しみに。
 それでは、失礼いたします。

「うむ。自分の出番でありますな。一人称は同じでも、提督殿ではないので注意されたし、であります」





 2014/07/19 初投稿






[38387] 新人提督と動き出す影
Name: 七音◆f393e954 ID:a38060b3
Date: 2014/08/09 12:50



 たとえば、多くのものを失った勝利と、多くのものを得た敗北。
 後世の人間はどちらをより評価するのだろうか。
 勝ったという事実が重要視される場合もあれば、負ける過程で得たものこそが重視される場合もあるだろう。
 気をつけなければならないのは、その評価に、それを為した人物の全てが反映されるわけではない、ということである。
 英雄と呼ばれた男が、実は誰かを傷つけるためだけに生きていた、なんてこともあり得るのだ。
 逆に、どうしようもないと見下されていた人間が、誰よりも心優しく、他人の痛みを慮れたのかもしれない。

 流星群の夜。
 物言わぬヒトカタのために泣いた彼は、同名艦を励起した一ヶ月後、自害した。
 心を病んだ末、首をくくった。
 口さがない連中の言葉など、不快なだけなので省くが、どうしても考えてしまう。
 人が生来、善を為す存在であるなら。
 なぜわたしの前に、棺があるのだ。
 なぜわたしの隣には、伊吹と二佐しか居ないのだ。

 わたしの後ろにあるものは、こうまでして守るべき価値が、あるのか。


 桐竹随想録、第七部 陰る、未修正稿より抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 その少女は、微速で進む自船の甲板で、静かにあぐらをかいている。
 波に揺られ、陽光を浴びながら、瞑想しているように目を閉じていた。
 長大な剣が傍らに置かれて、頭部ではアンテナのような浮遊部位が揺らめく。


「……んぉ? 来た来た、来よったでぇ! 敵影を確認、方位一八○から五隻、エリ・ル旗艦の打撃部隊やっ」

「っしゃあ! おいテメェ等、奴さんのお出ましだっ、戦闘用意!」


 脳裏に声が届いた。索敵を担当する龍驤だ。
 瞬間、彼女――天龍は颯爽と立ち上がり、怒号を響かせる。
 それを受けるは、複縦陣に並ぶ五隻の傀儡艦たち。


「あの時と同じ編成ですか……。こちら赤城。周囲の索敵を継続します」

「こちら暁、周囲に潜水艦の反応はなさそうよ」

「同じく陽炎、電探に影は無し。一部隊だけっぽいわね」


 最後尾、左側で艦載機を制御し続ける空母・赤城と、その前に続く駆逐艦二人。
 彼女たちには、桐林艦隊内でも最新の兵装が与えられているのだが、特筆すべきは二式艦上偵察機。
 彗星の試作段階から分岐した偵察機であり、機体強度こそ劣るものの、十二分に働けるだけの性能を誇る。
 どんな状況でも敵を見逃さんと、赤城が整備主任に協力し、数を揃えた機体である。龍驤もこれを使って敵影を見つけたのだ。


「大丈夫か、朝潮。緊張してねーか?」

「はいっ、問題ありません。各部、正常に機能しています!」

「ならいいが、あんま力入れ過ぎんな。いざって時に固まっちまうぜ。陽炎もな」

「りょーかいです。何事もほどほどが丁度良い、って感じよね」


 右最前列で砲と剣を構える天龍は、これが事実上の初出撃である二人を気遣う。
 陽炎はすでに何度も遠征をこなし、朝潮もまた、少ないながら経験を積んでいる。
 しかし、こういった形の任務は、この場にいる六人全員が初めて。天龍自身、わずかな緊張を自覚していた。


「ギリギリまで引き付ける。焦るなよ」


 船首へ移動した天龍の視界に、真南から接近する敵艦の姿が見えた。中継器を介して、赤城の二式艦偵が捉える映像も。
 指揮は天龍に預けられていた。このメンバーを生かすも殺すも、彼女次第。武者震いが走る。
 そのまましばらく。
 射程を考えれば、すでに敵戦艦からの砲撃があってよい頃合いだが、双方に動きはない。
 静かに。静かに距離だけが縮まって。


「ル級、砲塔部位の稼働を確認。捕捉された模様!」

「――っし! 全艦急速回頭っ、ケツまくって逃げるぞぉおおっ!!」


 切迫した赤城の声が、息の詰まるような戦況に変化をもたらす。
 直後、天龍たちに備わったボイラーがフル稼働。船体を傾かせながら、北へと撤退を開始した。


「うぅぅ、やっぱり不本意だわ! 久々の実戦が囮任務だなんて!」

「ちょっと暁ちゃん。それ私への当てつけ? こっちはこれが初実戦なんですけど?」

「ダメですよ、お二人とも。どんな任務でも、実戦なのは変わらないんですからっ。真剣勝負です!」


 今回、彼女たちに与えられた任務は、機動部隊を使用して敵を引き付ける、囮作戦であった。
 さらには、遠征任務として桐林提督がゴリ押しした、龍田率いる機動部隊支援任務も同時進行中。このまま敵を誘い出し、支援部隊と協力して叩く手筈である。
 他の提督にも正式な依頼を出しており、同じような作戦が複数展開していた。


「ま、この作戦に効果があるのかは分かんねぇけどな。上手く釣り上げられりゃ良いが……」

「深海棲艦の一番の武器は数やもんなぁ。無限湧きする敵の一部を引きつけたとこで、意味あらへんのとちゃう?」


 だが、天龍と龍驤は、この任務に疑問を持っていた。
 一時的な効果はあろうが、龍驤の言ったとおり、敵の最大の武器は、その数。たとえ囮に引っ掛ろうと、また別の部隊を用意すれば問題なく対応できる。
 もしかしたら、彼ら――彼女らにも、発生させられる数に制限があったりするかもしれない。
 しかし、それを知る由もない人類側にとって、囮作戦とは気休め程度の意味しか持っていないのだ。
 もどかしい雰囲気が漂うが、沈黙を守っていた赤城がこれを正す。


「そうかもしれませんが、いま考えるべきことではありません。戦いに集中しましょう」

「……せやな。一発も食らわんと、無事に帰ろか! 心配するんも、されるんもゴメンや」

「はいっ。霞の仇討ちは、またの機会に果たします!」

「や、死んでへん、死んでへんでー。昨日も元気に、曙とプリンの取り合いしとったやーん」


 慌てたように着水する敵弾を横目に、六隻の船が回頭を済ませた。
 口数の少ない赤城、誰もいない空間に裏手ツッコミをしてしまう龍驤を先頭にして、一路、支援部隊が待つ青ヶ島近辺へ。
 今度は最後尾となった天龍、陽炎も、砲撃してくる敵艦たちを注視しながら回避行動をとる。


「やっぱ、なんも見えねぇよな……お?」
「やっぱり、誰も居ないわよね……ん?」


 ――が、不意に声は重なった。
 誰に聞かせるつもりもなかったそれは、隣り合う二隻の間でだけ、偶然にも通じてしまう。


「え、えっと、どうしたの天龍さん」

「……オマエこそどうなんだよ、陽炎」

「いや、私は……。ううん、なんでもないです。気にしないで」

「おう……」


 互いの姿を目視できる距離で、二人は気まずく譲り合いをし、そのまま黙り込む。
 同じものを見ていた。同じものを探していた。
 誰も乗っていないはずの、深海棲艦を。居るはずのない、人影を。


(オレには何も見えねぇ。けど、司令官には“何か”が見えていた。そいつは、多分……)


 天龍は、励起されて間もなくの出撃で起きた出来事が、ずっと気にかかっていた。
 夜の海でル級と戦った、あの日。
 提督は具体的な表現をしなかった。“アレ”はなんだ。なんであんなところに。本当に何も見えないのか。そんな言い回しばかり。
 後日、龍田と共に説明を求めたが、「影が見えた気がする」、と一言こぼし、その後は口を濁らせるばかりで、要領を得なかった。釣りをしたのはさらに次の日である。
 あの状況で、彼が攻撃をためらう影とは。統制人格のために、痛みを負うことをためらわない彼が、そうする理由は。
 どう考えても、人に類する影を見たとしか、思えない。


(やっぱり、誰もいない。そう、いないのよ。中将は根っからの船乗りみたいだし、つい女の子扱いしちゃっただけ、よ……)


 陽炎は、京都での談合の最中に発せられた、ある一言が引っかかっていた。
 吉田中将の、「“彼女たち”と対話できれば」、という部分である。
 深海棲艦を指して、中将は“彼女”という表現を使った。普通に考えれば、それは深海棲艦を女性として見ているということ。あり得ないことだ。
 会話の流れを絶ってまで疑問を挟む勇気もなく、帰ってから、統制人格にも閲覧可能な資料を漁ったが、ツクモ艦――深海棲艦を女性として扱う表記は皆無。生き物とすら扱っていない。
 ならば、どうして中将はあんな表現をしたのか。そして誰も、人類の天敵と対話したいなどという、荒唐無稽な物言いを咎めなかったのか。
 そう表現せざるを得ない事実があるから。深海棲艦に、陽炎自身と同じ存在が乗っているとしか、思えない。


(天龍さんも、陽炎さんも、気付いている。……いいえ。表には出さないだけで、本当は誰もが……)


 そして赤城は、執務室での提督の一言に、違和感を覚えていた。
 金剛型四姉妹と電を加えた、あの茶会の前。深海棲艦に対して、珍しく悪態をついていた彼は、わざわざ“女の子”と言い換えたのだ。
 統制人格を普通の少女として扱う彼。そんな事もあろうと、その場では気にも留めなかった。
 だが、日々を重ねるにつれ、小さなしこりは異物感へと変わっていく。

 あの優しさは、分け隔てなく与えられるものなのか。否、違うはず。
 加賀から聞かされた思い出話の中で、彼は言った。感情のない傀儡であれば、迷うことなく前線へ送り出せただろう、と。
 それはすなわち、無機質な相手であれば、冷酷でいられるということの証明である。もちろん程度の差はあろうが。

 なら、深海棲艦は彼にとって、どのような位置づけなのか。
 敵。討ち果たすべき相手。人類の足枷。
 少なくとも、情をもって接するべき対象であってはならない。
 なのに、彼は。


(提督は、深海棲艦を、私たちと同系の存在として認識している)


 大破した霞を引き連れて帰投し始めた時、そう確信した。
 深海棲艦が撤退した際に、提督が漏らした安堵の声。離れていく心に聞こえる、かすかなそれに込められていたのは、生き延びたという安心感と、討たずに済んだという安心感。
 いつも、戦いが終わった後につく、重いため息とは違っていた。
 彼自身すらこの違いに気づいていない。気づいているのは、旗艦として魂を重ね合わせていた赤城くらいだろう。
 彼は間違いなく、深海棲艦に傀儡艦と同じ“何か”を見ている。敵に感情移入しかける、“何か”を。そうとしか、思えない。


「ねぇ、朝潮ちゃん。ちょっといい?」

「はいっ。なんでしょうか、暁先輩!」

「………………帰ったら一緒にプリンたべない? 私の分、一個あげるから」

「本当ですか!? こんなに優しい先輩が居てくれるだなんて、朝潮、感激です!」

「お、おだてたって、何も出ないんだからねっ。……二つ、食べる?」

「ありがとうございます、いただきます!」


 三者三様のいきさつで、彼女たちは同じ結論に達した。
 談笑する二人の駆逐艦も、おそらく無意識に感じ取っている。真実であると。
 口にしないのは恐れているからだ。言葉にしてしまえば、自覚するしかなくなってしまうから。
 自分たちは、似通った存在と戦っている。

 ――同族殺しをしているのかも、しれないのだ、と。


「ったく、まだ戦闘中だってのによ……」

「緊張感なくなっちゃうわね……」

「まぁまぁ、ええやん。仲良きことは美しきかな、ってね?
 ……でーも。おしゃべりに夢中になったらあかんでー。気ぃつけなあかんよー」

「い、言われなくても分かってるわ!」

「はいっ。気を引き締めます!」


 覚悟がないわけではない。軍艦なのだから。
 ましてや、彼女たちの精神構造は人を模している。
 憎ければ、親でも子でも容赦無く殺す、人間を。
 だが、軍艦には必要のない部分も、似ているのだ。
 愛していれば、自分の命すら投げ出せる、人間に。


(提督。貴方は、選べますか。私たちがもし、“そう”なったら。貴方は……)


 飛行甲板の上で、赤城は静かに空を見上げる。
 まばらな雲があった。
 自身が動いているせいか、それは、一箇所に留まっているようにも見えた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 頭の中で、複数の視界が上下に揺れている。
 海。代わり映えしない光景に、しかし、一つだけ差異があった。
 まるで望遠鏡でも覗いているようなそれに、はっきりと島影が見えたのだ。


《ん~……あっ。司令! 目視で確認しましたっ、硫黄島です!》

『お、本当か?』


 その視界の持ち主である少女――ワンピースタイプのミニスカセーラー服を着る彼女は、ショートカットの茶髪を風に揺らし、遠方の島を指差す。
 手に持っている双眼鏡を外すと、その島は指先に隠れてしまいそう。
 だが、ようやく見ることのできた目的地に、自分は感嘆の息を漏らす。


『やっとかぁ……。ありがとう、雪風。これで他の連中を見返してやれるよ……』

《やりましたね! 敵との遭遇もなくって、今日は運が良いです!》


 片手でひさしを作り、背中の魚雷発射管と、ポシェット型連装砲を揺らす少女の名は、陽炎型駆逐艦八番艦・雪風。
 幾多の作戦に参加しながらも、ほぼ無傷で終戦を迎えた“奇跡の駆逐艦”だ。
 なかば験担ぎに近い建造だったのだが、まさかのノー・エンカウントで硫黄島到達。拝みたくなる幸運である。


《あー! 双眼鏡なんてずるいーっ、私が一番早く見つけるつもりだったのにー!》

《えっ、あ、ごめんなさい……? でも、これって艤装の一部だから、あの……》


 そんな彼女にいちゃもんをつけるのは、輪形陣の左翼を担う島風。反対側の雪風へ、悔しそうに両腕を振り上げている。
 久々に見かけた気がする連装砲ちゃんも、島風をマネて周囲をジタバタ。やっぱり可愛い。
 雪風はといえば、オドオドとミニスカートから覗く生足をたじろがせていた。
 ……絶対領域も好きだけど、素足もたまには良いもんだなぁ……。


《喧嘩しちゃ駄目だよ、二人とも》

《そうそう、みんなで仲良くした方が楽しいっぽい?》

《そうだね。僕もそう思うけど、まだ油断はしちゃいけない。気をつけよう》


 ――なんてセクハラ感想を抱いている間に、背後を守る響、先陣を切る夕立、時雨が仲介に入った。
 今回は、旗艦の脇を駆逐艦五隻で固めている。戦闘には重きを置かず、高速力を活かして逃げ回ることを重視した編成だ。
 いざという時には、唯一足の遅い旗艦を複数艦で無理やり曳航、さっさか逃げ出す算段である。
 が、当の旗艦が一切喋ろうとしないのに気づき、直立不動で水平線を眺める彼女へ話しかける。


『どうした、あきつ丸。ぼうっとして』

「……将校殿。いえ、提督殿。特に問題はないのであります。ただ、これが俗に言う、”はぶられる”というものかと、考えておりましたゆえ」

『いや、ハブってないよっ? 単に会話の流れがこうだったってだけで……』

「冗談でありますよ。ご心配なさらずとも、皆には良くしてもらっているであります。口下手なので、あまり参加はできかねますが」


 思いも寄らぬ返答に慌てるも、下がスカートになった、灰色の詰襟で身を包む少女――あきつ丸は小さく微笑む。
 彼女は、陸軍が建造した強襲揚陸艦である。本来の運用方法は、多数の兵員を輸送できる上陸用舟艇・大発動艇や、その護衛砲艇などを内部に載せ、上陸作戦を遂行させる事にある。
 飛行甲板を持ち、航空機による上陸部隊の支援までも視野に入れていた。前身である神州丸と合わせて、強襲揚陸艦の先駆け的存在である。
 といっても、今回の任務では航空機の出番が無いため、甲板には臨時設備である高射砲などが多数増設されている。トゲが生えたようにも見えるのが特徴だ。
 その状態で励起したためか、あきつ丸自身も縮小版のそれを手にしていた。ちなみに、下半身には絶対領域が形成されている。やはりこっちも捨てがたい。


『なんだ……。意外と、アレだ。君もお茶目だな?』

「お茶目、ですと? ……提督殿。その表現は受け入れがたいのであります」

『え。なんで? 別に、貶すような意味じゃないと思うんだけど……』


 ともかく、ホッと息をつきながら笑いかけるのだが、またしても予想外の反応が。
 明らかにムッとした表情で軍帽を直している。
 肩肘張った様が似合う彼女にとっては、侮辱にも取れたのだろうか。いや、それにしても過剰な気がするような……。


「言葉自体はそうでありましょう。
 しかし伝聞によれば、つい先日、鎮守府を混乱のるつぼへ陥れた下手人が、そういった自己弁護をしたらしいではありませんか。
 正直なところ、良い印象がないのであります」

『ゔ』

《ちょっ!? あきつ丸ちゃん、その話題はダメっぽい!》

「何故でありますか、夕立殿?」


 軽蔑を込めた一言に、思わず口ごもる。
 何やら夕立が慌てているが、とりあえず、あきつ丸に言い訳しなければ……。


『……ゴメンね、あきつ丸。その人、自分の知り合いなんだ。というか先輩』

「なん、ですと……?」

『ゴメンね、本当にゴメンね。そういう反応するしかないのは分かってる。
 でも、アレで良いところもあるんだよ。
 代わりに自分が謝るから、大事にしないであげて下さい……』

《あぁ、遅かったっぽい……》

《また始まったね、提督の謝罪ループ》

《……やれやれ》


 言い慣れてしまった謝罪がスラスラ出ていき、最後に、響のため息で空気がどんよりし始めた。
 一体なんの謝罪か。もちろん、先輩がしっちゃかめっちゃかにしてくれた、横須賀鎮守府の全職員に対して、である。
 事前に捕縛されていたため、油断していたのだ。まさか、金剛が脱走させるなんて思わなかったし。


《スゴかったよね~。目の前を通り過ぎたと思ったら、いつの間にか服を着替えさせられてるんだもん。
 早さで負けるなんてちょっと悔しいけど、でも、なんだか勝っちゃいけない気もする》

《雪風、あの人のこと怖いです……。視線が合っただけで身の危険を感じちゃいました……》

『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。“アレ”のことはキツーく叱っておいたから、許……さなくていいや。なんか喜んでるっぽかったし』

《あ、微妙に立ち直ってるっぽい》


 先輩が脱走しているのに気づいたのは、ナースな先輩&金剛x見知らぬ女性職員+非殺傷武器で武装した憲兵隊が、雪風を励起した直後にドックへ雪崩れ込んで来たからである。
 そして、あんまりな絵面で硬直している自分たちを尻目に、先輩はどこからともなくナース服を取り出し、雪風に飛びかかろうとしやがったのだ。
 庇ってくれた由良は、ものの数秒で可愛らしいナースさんに大変身。次の獲物は……と、ギラつく瞳が雪風を捉えたところで、憲兵隊の接近に気づいたのか、先輩は脱兎の如く逃げ出す。
 呆気にとられる自分と雷、響、顔色の悪い主任さん。妙に色っぽい息遣いの由良だけが、後に残された。

 数時間後、身元引受人に指定された自分が対面したのは、荒縄で縛られ悦に入る変態。
 口酸っぱく「いい加減にしてくださいよ!?」と叱っても、「拘束されて愛のある罵倒を受ける……。新しい世界が拓けそうだ!」と反省のかけらも見えなかった。
 何が彼女をここまで駆り立てるのか。理解したくない。
 ちなみに。由良の変身シーンだが、金剛と女性職員さんがガードしたせいで――もとい。してくれたおかげで、人目に晒さず済んだようだ。本当に良かったざんねん


《なんというか、凄くバイタリティに溢れた女性だったね。僕としては二度と会いたくないけれど。深海棲艦と追いかけっこしてる気分だった……》

Я понимаюわかるよ。また逮捕されたと聞いて一安心だと思ったら、クローゼットの中にナース服が入っていた時の恐怖。ワタシも二度と味わいたくない》

『本当にね。なんでか自分の部屋にも置いてあったんだよ。男性サイズが。情けなくって涙が出てきた』


 先輩のせいで、あの日の業務は大幅に遅れが出てしまい、一時は減給どころか、威力業務妨害で投獄もやむなしだった。
 が、なぜか先輩を擁護する嘆願書がゴソッと中将の元へ届けられ、最終的に減俸一年で決着となったらしい。
 なんでも、逃亡劇の間に出会った女性を、ことごとくナースさんに変えていったようなのである。
 うちの子たちも半分くらいやられてしまい、嫌な予感を覚えて帰った時には、宿舎がナース天国になっていた。罵倒ナース曙とか誰が得するんだ。島風なんて逆に露出度減ってたぞ。
 で、それを見た男性陣からの、「眼福でした」「女性職員の制服をナースさんにしよう」「あの騒動のおかげで結婚できました!」という支持が多かったそうな。
 世界は間違っている。
 つーか最後の野郎、あんなのがきっかけで結婚できんなら、そのうち絶対してただろう。惚気じゃねぇかチクショウめ! モゲロォ!!


「提督殿。自分、この艦隊でやっていく自信が無くなりそうであります」

『そんなこと言わないでくれ。もう大丈夫だから。佐世保で馬車馬の如く働かされてるはずだから、安心――』

「していいのでありますか?」

『……今日も空が青いなぁ。あっはっは……』

《あ、逃げた》

《逃げたね》

《逃げたっぽい》


 響、時雨、夕立に突っ込まれつつ、自分は乾いた笑いでその場を誤魔化す。
 事ここに至って、あの人を御する自信も無くなってしまった。
 台風か何かだと思い、通り過ぎるのを待った方がいい気さえする。もう土下座行脚は嫌だよ……。
 という心境を汲んでくれたのか、困った顔の雪風が話題を変えてくれる。


《べ、別の話をしませんか? あの、ほら……そう! ここにたどり着くまで、あっという間でしたね?》

『……そうだな。今まで半日以上かけてたのに、あの海流を利用するだけで四分の一になった。もっと早く気づけば良かったよ』

《こうして硫黄島まで来られたんだから、気にしなくていいと思うな。それに、すっごく楽しかったし! 私、本気出せば百ノットくらい出せた気がする!》

《あはは。凄いですよね、島風さん》

《んー、もうちょっと気楽に呼んでもいいよ? せっかく同じ風の名前なんだからっ》

《……はいっ、島風ちゃん!》


 横須賀から硫黄島まで、約千二百km。安全領域までを省いても一千km以上ある道のりを、数時間足らずで踏破できた理由。
 それは、あの戦いでタ級が使用した、異常海流を逆利用したからである。
 異常と名のつくだけあって、速度も方向も安定しない海流だったが、事前調査で硫黄島へのルートや、深海棲艦と遭遇せずに済む脇道も確立してあったので、嘘のようにすんなりたどり着けた。


「確か、この航路を見つけるのには、甲標的母艦の御二方がご活躍されたとか」

『ああ。ここ二~三日はずうっと海の上だった。今は帰投して寝てるよ。無理させちゃったなぁ』

《僕が出迎えた時も、疲労困憊してたからね。でも、統制人格としては嬉しいんじゃないかな? 頼りにしてもらって》

『なら助かるんだけど……』


 それを支えてくれたのが、ちとちよ姉妹と無数の甲標的たちである。
 三宅島に陣取り数日間、不眠不休で甲標的を操っては、トライ&エラーを繰り返し、何人もの妖精さんの犠牲を払いつつ、このルートは確立されたのだ。
 甲標的母艦となってから、ずっと変な運用ばかりさせてしまっているし、この作戦を終えたら念入りに労ってあげないと。

 補足として、妖精さんはちゃんと帰って来ている。
 途中、何度か深海棲艦と遭遇して撃沈されたのだが、その破片にへばり付き、帰りのルートまで見つけてくれた立役者である。
 恨みがましい涙目で睨まれ、潜水具を被ったままで脛に頭突きされたけど。全く痛くなかったのが罪悪感を誘った。ホントにゴメンね?


《実際、夕立はちょっと羨ましー。私も、もっとたくさん出撃して、もっともっと強くなりたいなー》

《そしていつかは、夕立改二へ……だよね》

《えへへ、その通りっ。まぁ、すぐには無理っぽい? のも分かってるから、まだまだ頑張るっぽい!》


 ピシッ、と右腕に力こぶを作り、まだ見ぬ未来像へ期待を膨らませる夕立。
 すでに一次改装は済ませているから、後は練度さえあげれば、日本初の駆逐改二にも手が届く。
 しかし、ここまで上げれば大丈夫という目安もなく、うっかり練度が足りない状態で二次改装したら、同調障害が発生し、最悪の場合、統制人格も消滅してしまう。自分としては不安がかなり大きい。
 だが、他の面々は乗り気なようで、あきつ丸たちが話を続ける。


「この場におられるは、いずれ劣らぬ戦歴を刻む方々。あながち、無理ではないかもしれませんな」

《かも、ね。ワタシはどうなるんだろう。また、名前を変えることになるのかな……》

《響さんはロシアに行かれたんですよね。わたしも台湾では丹陽タンヤンって呼ばれましたし。
 ……たとえそうなったって、わたしたちが仲間なのに変わりはありません。絶対、大丈夫です!》

《そうそう。きっとその頃には、私ももーっと早くなってるだろうし、名前が変わっても気にしないよっ》

《……Спасибоありがとう。でも、負ける気は無いよ、島風》


 戦後、賠償艦として引き渡された過去を思い出したのか、響は少し寂しげな表情を見せるも、同じ過去を持つ雪風の励ましに笑顔を取り戻し、島風へ不敵に返す。
 異国で余生を過ごすことになってしまった彼女たちだが、昔のように仲間に囲まれ、しっかり任務を果たしている。
 あの時代を生きた人が知ったら、どんな風に思うんだろうか。……自分なんかが司令官で、笑われないといいけど。


『さぁみんな、そろそろ装置の揚陸に入ろう。気を引き締めろっ! 各艦、警戒を厳に』


 近づく硫黄島を前に号令をかけると、「了解!」と、ハツラツな六人の返事。響だけは「Даダー」だったけど。
 深海棲艦の反応は今の所ないが、まだ進捗は半分程度。油断は禁物だ。


『あきつ丸』

「心得ております。大発、エンジンに火は入っているな?」


 あきつ丸からの呼びかけに、プレハブ小屋並みに大きい再現装置を搭載する、船内の大発動艇――その上でたむろする妖精さんが敬礼。エンジンを吹かして絶好調だと示した。
 ごく一部に、シャボン玉で遊んでたり、頭に鳥っぽい生き物を乗せてT字バランスしてる子もいるのだが。
 自由すぎるだろ妖精さん。


「大発動艇一番、降ろします!」


 後部ハッチが解放され、滑り出すように大発動艇が海へ。
 間もなく、あきつ丸からの意思を受け取る妖精さんたちが、巧みな操船を開始。硫黄島に向かう。


「もう少し近づいて、乗り込むであります」

『ああ。そうしたら、君の通信信号で遠隔起動だ』

「どうなりましょうか。見物でありますな」


 帽子のつばを指先でコツコツ弾き、油断なく海を見据える視線は、どこか楽しそうに思える。
 その先では、今まさに大発が砂浜へ乗り上げんとしていた。
 砂に食い込むと、船首に備えられたランプ――歩板が降ろされ、再現装置揚陸の動線を確保する。
 シールドされた装置は、下部にキャタピラが設けられており、内部電源を使用して稼働する仕組みだ。実際の操作は妖精さんが行う。
 ギャリギャリと鉄のこすれる音がうるさいが、すぐに砂を噛む音へ変化し、波の届かぬ陸地に。
 このまま進めば、かつての同盟国が沿岸警備隊を配置していた場所に通じるのだが、今回はそこまで行かない予定である。


「揚陸完了であります。では、さっそく起動信号を……」

『いや、待った。起動は大発を戻して、こちらの帰投準備が整ってからだ』

《え? なんで? こういうのって早くやっちゃった方が良いんじゃないの?》


 逸るあきつ丸と島風を制し、代わって妖精さんたちへ「戻ってこーい」と指示を出す。
 再現装置に群がっていた彼女たちがワラワラと、ときどき転びながら帰ってくるのを待つ自分に、疑問を発するのは響。


《何を警戒しているんだい、司令官》

『念には念を、さ。何が起こるか、誰にも分からないんだ。注意しとくに越したことはないだろ?』

《そうだね。確かあの装置、深海棲艦から発せられた音を再現してるって聞いたけど、もしかしたら、起動した途端に援軍が現れたり……。
 帰る準備を整えてからの方が良いと思う。○七五の方角にある海流に乗れば良いんだったよね、提督》

『うん。少なくとも甲標的の時はそれで帰って来られた。排水量とかで受ける影響が変わらないと良いんだが……』

《提督さん、時雨ちゃん。不安になること言わないで欲しいっぽい~》

『おう、すまんすまん』

《ごめん、つい……》


 時雨と二人、眉を寄せる夕立に謝り、帰り道のある方向――東北東より少し東寄りへ意識を向ける。
 硫黄島から十数km離れた場所に、北へ向かう異常海流の入り口があるのだ。
 と言っても、最短距離を選択するには、途中で脇道にそれたり、別の海流に乗ったりを繰り返さなければいけないので、かなり面倒だ。来る時もそうだった。
 ひょっとしたらこの海流、世界中に張り巡らされているのかもしれない。上手いこと利用できれば、深海棲艦のせいで隔てられた海外への道が見えるかも……。
 今までは見向きもされなかった甲標的を、多数運用することでの航路開拓。感情持ちのサポートが前提になってしまうが、今後の役に立つかもしれないな。


「提督殿。大発の収容を完了したのであります」

『……確認した。ではこれより、帰投準備に入る。全艦、両舷前進原速、取り舵。方位○七五へ転針せよ』

「前進原速、方位○七五へ取り舵。よーそろー、であります。……使い方は、これで合っているでしょうか?」

《大丈夫だと思いますよ、あきつ丸さん。帰りも護衛はお任せくださいっ。艦隊をお守りして見せます!》


 頼もしい雪風の意気込みの中、六隻が東に船首を向ける。
 そのまましばらく進み、頃合いを見計らって、またあきつ丸へ意識を戻す。


『それじゃ、最後の仕上げだ。あきつ丸』

「了解であります。これにも相応しい常套句がありましたな。村雨殿に教えて貰ったのであります。おっほん」


 船尾方向に向き直った彼女は、無線室の妖精さんと同期。
 信号を送る準備をしながら、一つ咳払い。


「それでは……。起動信号、送信します。ポチッとな、であります!」


 なんだか、自爆スイッチを押しているようにも聞こえるセリフと共に、硫黄島へ電波が飛ぶ。
 鬼が出るか仏が出るか。
 出来ることなら、この場を去ってから変化を起こしてくれると助かるんだが。戦力的にも。

 無意識に身構えつつ、自分は硫黄島を見つめていた。
 これが、災厄の引き金になりませんように、と。
 そう祈って。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ん゛ぁあ゛あ゛~、解放か~ん。これがあるからやめらんないのよね~」


 遮る物のない、青の世界。
 雲にも近い高みで、風を切る爽快さを一身に感じながら、少女――桐ヶ森提督は、地上にある身体をだらけさせる。
 と言っても、両手と肩を固定されているので、自由になるのは下半身のみ。
 そのせいなのか、もしくは桐ヶ森の素なのか。彼女は大股を開いて、自身の太ももを爪先で掻いていた。


「あのぉ、こんなこと言うとアレかもしれませんが、桐ヶ森提督? 他に誰もいないとはいえ、シートの上でガニ股は、はしたないんじゃないかと……」

「うるさいわねぇ、アンタもいい加減に慣れなさいよ。それとも何? 桐生の調整士を務めた男が、若い女の太もも程度で集中力を乱すのかしら」

「ですから、そういうことじゃなくてですね……。はぁぁ、もう、なんでこんなことしてんだろ……」

「ま、しょうがないじゃない。沖縄にいる調整士の資格持ちの中じゃ、アンタが一番なんだから。
 おかげでむさっ苦しい陸軍連中から離れられるんだし、むしろ感謝して欲しいくらいだわ」

「それはそうなんですが……。後が怖いんですよ、後が」


 百年の恋もぬるくなるであろう有様に、調整士の青年がため息をつく。
 沖縄へ配属されて、大した時間は経っていないはずだが、もう何ヶ月もここに居る気がしていた。
 それというのも、桐ヶ森に課せられた、セイロン偽島偵察任務の調整士として抜擢されてしまったからである。
 軍内外問わず、多数の若者から支持を得るアイドル的美少女と、ほぼ毎日、二人っきりになれる。
 借金してでも代わりたい人間の出てきそうな環境だが、彼にとってはいい迷惑だった。
 傀儡戦車使役の訓練時間が大幅に減る上、彼女のファンからは殺意の念と呪いの品々を送られる。
 果ては、「写真撮ってきて」「髪の毛とか落ちてない?」「使用済みの紙コップとか売ってくれ」など、犯罪染みた頼み事までされる始末。
 こんな奴らが軍人でいいのかと、切実にそう思う青年であった。


「どうしてこんな、中途半端に目覚めちゃったんでしょう。どうせなら、船を励起できるくらいの強度があって欲しかったです……」

「アンタ、軍艦オタだものね。戦車じゃ興奮できない?」

「無理ですねー。周りは熱い人ばかりなんですけど、着いていけません」


 爽やかな笑みで、青年は切って捨てる。
 軍艦の知識であれば自信があるのだが、こと戦車になると何も知らないのである。
 己が使役する戦車――三式中戦車“チヌ”のことも、割り当てられた資料でしか知らず、仲間内の話にも当然ついて行けず、いわゆるボッチ状態。
 軍艦好きが高じて調整士を目指し、見事に夢を叶えたと思ったら、全く関係ない部署へ配属されてしまった。皮肉としか言いようがない。
 だからこそ、この時間が沖縄唯一の潤いなのだが、それが周囲の嫉妬を煽り……。という、悪循環に陥っていた。


「ま、アンタの偏った性癖なんて、空の広さに比べたらどうでもいいことだわ。上手く付き合いなさいな」

「酷い言われようだ……」

「これでも言葉は選んでいるつもりよ。望んだ形ではないにしろ、アンタが得た“力”であることに違いはないわ。活かすも殺すも、自分次第よ。何事も」


 しかし、桐ヶ森もまた、青年の悩みを切って捨てる。
 経緯はどうあれ、天から与えられし稀有な才能。周辺環境に多少は左右されるだろうが、結局、どうするかは本人の意思による。
 備えあれば憂いなし。
 いずれ起こる戦いで、青年の“力”は必ず必要とされると、桐ヶ森は考えていた。


「酷いといえば、桐林提督、大丈夫なんでしょうか」

「何が? 今日も元気に中破撤退してるんじゃないの」


 唐突な話題の変化に、桐ヶ森は平然と答えるものの、内心で焦ってしまった。
 桐林提督の負傷は、ごく一部の者以外には知られていないはずだからだ。
 すでに桐生提督が倒れている今、また“桐”が負傷したとなれば、世論の批判は避けられない。
 なら隠してしまえ、というのが、過去から続く悪しき習慣。昔ながらの事なかれ主義である。
 唾棄すべき行いであることは確かだが、必要な措置であると理解していた。
 結果、存在を無視するような形になってしまい、ほんのちょっとだけ気に病んでいたところだったので、余計に驚いたのだ。
 けれど、青年はバイタルの変化を見落とし、彼女の言葉へ首を横に振る。。


「いえ、そっちじゃなくてですね。……桐生提督のこと、ですよ。
 話に聞く限り、統制人格を手厚く保護したり、良い人みたいですから。
 気にしちゃってるんじゃないかなぁとか、思いまして」

「………………」


 じくり、と。桐ヶ森の胸に痛み。
 ガラスで隔てられた白い世界。横たわる男女。立ちすくむ自分。ポシェットに入れたままの本。返すという約束。
 急激に冷めていく思考と裏腹に、まぶたの裏で嫌な光景がフラッシュバックした。
 それを鋼の意思でねじ伏せ、辛辣な言葉に吐き捨てる。


「良い人、ね。私には優柔不断なだけに見えるけど、アンタはそう思うわけだ」

「直接話したことはありませんから、一方的な第一印象ですが。
 桐ヶ森提督はどうですか。比較的年も近いですし、周囲から“桐”同士の友好も望まれているのでは?」


 青年の言うことはもっともだった。
 事実、桐ヶ森には毎日のように見合い話が持ち込まれている。親子ほど年の離れた男からも、である。
 “桐”としての威光を全力行使してぶった切っているが、いずれ、望まぬ相手と婚姻を結ばされる身なのだ。
 今までは、桐生がその候補に挙がっていた。お互い、「無いですね」「無いわね」と言い合っていたけれど、まぁ、切羽詰まったら、選択肢の一つとしては“あり”だった。
 それがあんな事になり、代打として繰り上がったのが桐林。まだ、直接に働きかけてくる仲人気取りは居ないが、次の誕生日を迎えれば、絶対に。
 しかし、桐ヶ森は理解した上で、青年の主張をハッキリ否定した。


「ただの良い人に惚れたりしないわ。優しさと強さ、ついでにもう一つくらい付加価値がないと。女ってそういうものよ」

「打算的ですね」

「当たり前よ、身を預けるんだから。それに私、美少女だもの。注文つける権利はこっちにあるの」

「自分でそういうこと言いますか?」

「言うわ。誰に恥じることもないし、恥じてはいけないことよ」


 増幅機器に横たわったまま、誰に見せるでもなく胸を張る。
 天が才能を与えるのなら、五体満足な身体と美貌を与えてくれたのは、他ならぬ両親。
 瞳の色を呪ったこともあったが、今は深く感謝している。だからこそ、彼らから貰ったこの身を恥じる事だけは、絶対にしない。
 桐ヶ森とは、こういう少女だった。

 そうこうしている間に、航空母艦・飛龍を介して操縦する彩雲の視界へ、あるものが映る。
 遥かな眼下。黒と茶色が織り混ざった、土台だけの島。
 セイロン偽島である。


(……あれ? なに、この違和感……)


 ――が、桐ヶ森の意識に、“何か”が引っかかる。
 おかしい。具体的な相違は把握できないけれど、どうにも違和感があった。
 まばらな雲に、光る海。存在してはいけない大地。何もかもが、今まで通りのはずなのに。


「セイロン偽島、確認しました。上部構造に変異は認められず。新記録ですね」

「え? 今、なんて?」

「はい、ですから新記録だと……。前回の偵察より、到達時間が短縮されていますよ。流石です」

「……あり得ないわ」

「はい?」

「私、特に急いだりしてない。毎回同じ時間で到達できるよう、意識的に調節していたくらいだもの。それなのに……」


 さり気ない青年の一言により、違和感の正体が判明する。
 途中、何度か敵の航空機を避けるために迂回したり、あるいは、振り切るために燃料を使い果たして墜落させた場合もあったが、それ以外の場合は、一定の時間を刻んで制御を行っていた。
 だというのに、到達時間が早まったという。
 艦載機制御に関して、絶対の自信を持つ彼女だからこその違和感だった。
 すなわち――


「……っ!? 嘘だろ、これって……!?」

「報告は正確にあげなさい」

「はっ。上部構造には変化が見られませんでしたが、偽島の位置情報で比べると、今朝の衛星写真より北にズレています」

「……ってことは……」


 ――島が、動いている。


「ギリギリまで降下するわ。何一つ見落とすんじゃないわよ!」

「了解。多元観測、開始しますっ」


 彩雲が急降下。偽島の地面スレスレを飛行し、青年の前にあるモニター全てに映像が表示された。
 桐ヶ森には見えていないが、今、彩雲のそこかしこに、機体へ身体を縛り付ける使役妖精が出現していた。これは彼女たちの視界である。
 岩と土の隆起が続く。
 雑草すら生えておらず、命の息吹がまるで感じられない。死を思わせる、不毛の大地だった。


「二時方向銃座!」

「っとぉ、あっぶないわねぇ」


 急激な変化。
 突如として、隆起からいびつな銃座が出現。彩雲は空へひるがえる。
 同様の変化が次々と起こり、機体を怨嗟の声が追う。
 届かぬ高さにまで上手く逃げると、人間から見れば、とても銃には思えないそれらが、土に還っていく。


「悔しいけど、これ以上は無理ね。撤退するわ。アンタ、やっぱり運が良いわよ。こう何度も歴史の転換期に立ち会えるんだから。軍令部へ」

「個人的には、平穏無事な人生を送りたかったですねー。繋ぎました」


 桐ヶ森がいつも通りに。青年は動悸を誤魔化すために軽口を叩き、遠ざかる偽島の姿を記録し続ける。
 通信が繋がったことを確認すると、桐ヶ森は凛と声を張る。


「軍令部へ通達! こちら桐ヶ森。偽島、動く。繰り返す、偽島、動く!」


 戦乙女の鈴の音が、激しく警鐘を鳴らした。
 対して、偽島は静かに胎動している。
 もはや隠れる必要など、無いと言わんばかりに。
 鼓動の如く、脈打っていた。










《こぼれ話 俺、夏イベが終わったら重婚するんだ》





「――で写るのか? ふぅむ。どういう原理なのか、やはり俺にはよく分からんな……」


 四角く切り抜かれた屋内の映像に、少女の顔が映り込む。
 白い軍帽をかぶり、右目に眼帯をつけたその少女は、とても興味深そうな顔をしていた。


「あのー、木曾さん。もう録画始めちゃってますよ?」

「何っ? ああいや、すまん白露。ええっと、これを鳴らせばいいんだな」

「そうですそうです。じゃあ本番、張り切って行きましょー! よーい、スタート!」


 映像の外側から発せられる声に、少女――木曾がフレームアウト。
 彼女に代わって映し出されたのは、映画の撮影などでよく使われる、カチンコだった。
 それが小気味良い音を鳴らすと、開けた場所に立つ二人の少女が姿を見せる。


「お初にお目にかかるであります。自分は……」
「は、初めましてっ。わ、わたしの名前は……」


 左に立つ灰色の軍服少女は、緊張しながらもハキハキと。右に立つ真っ白なスクール水着姿の少女は、ひどく焦りつつ。
 どう考えても取り合わせのおかしい二人は、これまた相対する様子で声を重ねてしまう。


「はいはいストーップ。二人いっぺんに喋っちゃダメじゃない。まずはあきつ丸ちゃんからって段取りでしょ、まるゆちゃん」

「はうぅ、ご、ごめんなさい、村雨さん……。緊張しちゃって、つい……」


 パンパンパン、と手を叩きながら、また別の少女がフレームイン。
 村雨と呼ばれた黒いセーラー服の彼女に、木曾も続く。
 謝った人物から察するに、軍服少女の名があきつ丸、水着少女の名がまるゆのようだ。
 よく見れば、水着のお腹には赤丸に“ゆ”とひらがなが入れられている。


「いっそのこと、一人ずつ撮った方が良いんじゃないか? まずあきつ丸のを撮り終えて、お前はそれを参考にすればいいだろう」

「……はい。そうします。ごめんなさい、あきつ丸さん」

「気にせずとも良いでありますよ。同じ陸軍艦同士、支え合うのは当然であります」

「まぁ、予定外の仲間入りだったがな。後出し書類のおかげで、俺がどれだけ苦労したか……」

「そんなこと言わないでください、木曾さん……。隊長にも同じようなこと言われて、ちょっと傷ついてるのに……」

「艦隊初の潜水艦……じゃなくて、潜水できる輸送艦だものねぇ~。『どう運用すりゃいいんだ……』って、提督も悩んでたわ」

「あうっ。ま、まるゆだって、出来ることはたくさんあるもん! えっと、えっと……。も、もぐら輸送、とかですけど……」


 意気込んで反論しようとするも、華々しさを感じさせない内容に、言った本人が落ち込みかけてしまう。
 もぐら輸送とは、大戦末期、駆逐艦による鼠輸送が困難となった際、潜水艦によって行われるようになった輸送作戦の俗称である。
 文字通り、もぐらの如く水面下へ潜ることから、この俗称がつけられた。また、鼠輸送の語源は、夜闇に紛れてコソコソ動き回るからであり、大発動艇などを使う場合は、蟻輸送と呼ばれることもあった。
 それはさておき。わずかばかり肩を落とすまるゆに対し、画面外から声が掛かる。先ほど、木曾に白露と呼ばれた少女の声である。


「まぁまぁ、細かいことは置いとこうよ。まるゆちゃん、自信もとう! 少なくとも今は、艦隊唯一の潜水可能な船なんだから!」

「白露さん……! ま、まるゆ、嬉しいです! ありがとうございますっ」


 にゅっと入り込むサムズアップに、よほど嬉しいのか、まるゆは勢い良く頭を下げた。
 和やかな雰囲気の中、静かに見守っていたあきつ丸が一つ咳払い。


「おっほん。あー、そろそろ撮影を再開したいのでありますが……」

「あっ、ゴメンなさいね。じゃあもう一回最初から、みんな、準備はいい?」


 そそくさと村雨、木曾がその場を離れ、数秒遅れて、まるゆが木曾に引っ張られフレームアウト。
 村雨の「よぉい、スタート!」という掛け声で、またカチンコが鳴らされた。
 映るのは、キリリと姿勢を正したあきつ丸である。


「陸軍将校の皆様方、お初にお目にかかるであります。自分の名はあきつ丸。特種船丙型の現し身であります。
 なんの因果か、こうして語らうことのできる身となった自分でありますが、生み出して下さった方々へご挨拶をと、“びでおれたー”なるものを撮っております。
 もし宜しければ、今しばらくお時間を頂けるよう、お願い申し上げるであります」

「やけに堅苦しいな……」

「木曾さんシーッ。声入っちゃうから!」

「おっと、すまん」


 肩肘張った言葉遣いに木曾が思わずつぶやき、ささやき声で注意する白露。
 距離が近いせいで音声を拾われてしまっているのだが、気づいていないらしい。
 そんな横槍を物ともせず、あきつ丸は一人語りを続けた。


「目に見るもの、耳に聞くもの。全てが驚きで満ちているのは当然、こちらに来てから様々なことも学んだのであります。
 例えば、“しぼうふらぐ”なる言葉でありますが、出撃を控えたものがやってしまうと縁起の悪いことがあるそうなのです。
 この戦いが終わったら云々を語ったり、帰ってくるまでに好物を用意してもらったり。
 帰還を約束するための願いが不幸を呼び寄せるとは、このあきつ丸、衝撃でありました」

「まぁ、様式美よね~。ここは任せて先に行け! とか、ちょっと憧れちゃうわ~」

「む、ら、さ、め、ちゃん!」

「ああっと、ごめんなさぁい」


 硬く目を閉じ、拳を握って衝撃の度合いを表すあきつ丸。
 言動から、昔気質な性格が伺える彼女だ。かなり驚いたに違いない。
 画面外の音声には触れない方が良さそうである。


「しかし世の中には、あえて“しぼうふらぐ”を立てることで、逆に身を守るという考え方もあるそうなのです。
 実は自分、明後日に初の任務を控えている身であります。こうして“びでおれたー”を撮っているのも、験を担ぐ意味があるのであります。
 自分は初任務を完璧にこなし、必ず無事に帰ってきます。そして、二日目の辛味入り汁かけ飯を食べるのです! もう何も怖くない、であります!」

「辛味……なんだって?」

「辛味入り汁かけ飯、でありますよ木曾殿。戦時中は“かれーらいす”のことをこう呼んだ時期があるのであります」

「美味しかったですよねー。まるゆ、感動しちゃいました!」

「それはいいんだが、初任務の頃には空になってないか……?」


 辛味入り汁かけ飯という呼び方は、敵性語の言い換えの一つである。
 戦争によって国家間の対立が根深くなっていた頃、諸外国からの影響を排除するために、敵国の言葉を排除しようと起こった社会運動で、法的な強制力は無い。
 この他にも、コロッケは油揚げ肉饅頭、キャラメルは軍粮精ぐんろうせい、サイダーは噴出水などと表記される場合があった。
 とはいえ、すでに馴染んでしまった外国語を解除することも難しく、よほど厳格な場面でない限り、英語も日常的に使用されていた。
 閑話休題。
 言いたいことを言い終えたのか、どこか満足げなあきつ丸は、中央からわずかに立ち位置をずらし、画面外へ呼びかける。


「さて。ちょうど良く名前も出たことですし、自分と一緒にこの艦隊へ送られた、もう一人の統制人格にも、話をしてもらうであります」

「えっ、も、もうですかっ!? あの、でもっ、心の準備がっ」

「デモもストもないだろう。案ずるより産むが易し、だ!」

「ひぁあっ!?」


 ジタバタする腕が端に映り、ややあって、まるゆが押し出されるように飛び込んできた。
 正面へ向き直った彼女は、しきりに短めの髪をいじってうつむき加減。


「あ、あぁぁあ、あのっ、ま、まりゅゆ――じゃなくて、まるゆでありましゅ! ……あうぅ……」

「まるゆちゃん頑張れっ」

「大丈夫大丈夫、落ち着いてー」

「深呼吸するでありますよ」


 緊張のあまり、自己紹介を噛んでしまうまるゆだが、白露と村雨の励ましと、肩へ乗せられる同輩の手で、なんとか落ち着きを取り戻す。
 深呼吸を二回。表情の硬さも取れ、自然と語り始める。


「三式潜航輸送艇、まるゆ。無事に横須賀鎮守府へ着任しました。
 隊長には、『そんなの聞いてなかったぞ』って、ビックリされちゃったんですけど。
 でも、海軍のみなさんには仲良くしてもらってます。最初、怖がってたのがバカみたいです」


 照れた様子のはにかみに、嘘は感じられず、むしろ嬉しさがにじむ。
 周囲で聞いている者は、きっと微笑ましさを誘われているだろう。


「わたしは輸送艇で、戦いにはろくに参加できませんけど、ちょっとだけ改装してもらったりしてます。運貨筒うんかつつも曳けるようになったんですよ」

「自分も初任務を終えれば、本格的にカ号や三式を運用する準備へと入る予定なのです。ありがたい、であります」


 潜航輸送艇とは、陸軍が独自開発した潜水艦である。正式名称に三式は付かない。
 過去、改良を重ねながら三十八隻が建造され、ほとんどが終戦時にも生存している。米に換算すると、実に二十四tもの物資を輸送可能だった。
 それに加え、ここに居るまるゆは、海軍の装備である運貨筒――曳航式の物資輸送用タンクを使用できるよう、曳航能力を付与されていた。
 大型で三百七十五t、中型でも百八十五t、小型ですら五十八tの搭載量を誇るこれらを使えば、輸送任務で大いに活躍してくれることだろう。

 あきつ丸にも改装の余地が残されており、それが、オートジャイロであるカ号観測機、固定翼機である三式指揮連絡機の運用である。
 性能の違いはあれど、着弾観測や対潜警戒に使用され、なんと言っても特徴的なのが、STOLエストール機能――短距離離着陸機能だ。
 それぞれ、無風状態でも五十~六十メートルで離陸可能であり、向かい風があればさらに距離は短縮される。
 史実では、搭載数の問題などでカ号は採用されず、三式の運用実績しかないのだが、どちらにせよ、海を見張る目として役立つに違いない。


「でも、ちょっとだけ気になることもあるんです……」

「どうしたでありますか?」


 前途は明るい……かと思いきや、急に表情を暗くするまるゆ。
 あきつ丸に促された彼女は、居心地が悪そうにつぶやく。


「……みなさん、わたしの事を気にかけて、よく話しかけてくれるんですけど。そうじゃない時は、なんか遠巻きに見られる感じなんですよね……。なんでかなぁ?」

「それは……なぁ?」

「えっと……ねぇ?」

「うん……。私、岡っ引きとしての本能が、提督に反応しかけちゃったよ……」


 声だけなのに、木曾たちが腕を組んで、首も傾げているのが伝わってくる。
 ここで、あきつ丸とまるゆの服装を細かく見てみよう。

 まずはあきつ丸。
 灰色を基調とした詰襟で、本来はズボンのところ、プリーツスカートに変更されていた。
 太ももまでのオーバーニーソックスが絶対領域を形成しており、そのまま女性用の軍服として採用されてもおかしくないデザインだ。黒髪は襟丈で綺麗に切り揃えられている。
 対してまるゆ。
 スクール水着である。……他になんと言えば良いのか。
 足には辛うじてサンダルっぽいものを履いているが、微妙にサイズがあっていないところを見ると、統制人格の正規衣装ではなさそうだ。

 ようするに、寒そうなのである。
 潜水艦というだけで水着を連想した、桐林提督の業は深い。


「まぁ、それだけ注目を浴びているということだ。気にしないことだな」

「そうそう。近いうちに、提督が普段着も用意してくれると思うから。ね?」

「えっ。お洋服もらえるんですか? でも、良いのかな。わたしだけそんな……」

「せっかくのご好意、受けねば失礼でありますよ。それにこの時期、見ていてとても寒々しいのであります。可及的速やかに、衣服を着用するが良ろしいかと」

「うわー。みんなが口を濁していたこと言い切っちゃった。……あ。二人ともごめーん、バッテリー残り少なくなってきたから、そろそろ締めてー」


 もはや、画面外との掛け合いが主となってきたビデオレターだが、どうやら制限時間が近いらしく、白露がそれを伝える。
 どうしたものかと、二人は顔を見合わせ、「では自分から」とあきつ丸が進み出た。


「先ほども言いましたが、自分は初の任務を待つ身。
 不安がないと言えば嘘になりますが、僭越ながら、陸軍の看板を背負って立つ覚悟で臨むであります。
 どうか、無事の帰還をお祈り頂けるよう、このあきつ丸を何とぞ、お願いするのであります!」


 かかとを鳴らし、腕を肩と直線にする、陸軍式の敬礼。
 思わず見惚れてしまうそれに続き、今度はまるゆが。


「わたしはたぶん、艦隊戦とかには参加できないし、荷物を運ぶことくらいでしか、お役に立てないと思います。
 でも、輸送任務だって立派な作戦ですっ。補給がなくちゃ戦えないんですから、むしろ同じくらい重要だって思うようにします!
 まるゆ、最後までちゃんと運ぶから。だから、わたしのことも応援してくださいね?」


 あきつ丸を真似ているのだろうが、初々しさが抜け切らない敬礼。
 対照的なこの二人も、任務にかける情熱は同じ。
 並び立つ姿から、誇らしさが感じ取れた。


「それでは。本日はこれにて失礼するであります!」

「お手紙とか、お土産も送りますから、楽しみにしててくださいねっ」


 最後まで敬礼を解かないあきつ丸と、両手を小さく振るまるゆが締めくくり、数秒の間。
 ニュッとカチンコが視界を塞ぎ、音を鳴らした。
 同時に、拍手しながら木曾や村雨が二人に歩み寄る。


「はいカーット! 良い感じに決まったんじゃない?」

「うん、バッチリ。なんとか収まってよかったぁ」

「本当ですか? 木曾さんはどうでした?」

「ん? まぁ、悪くないんじゃないか。きっと喜んでくれるだろう」

「えへへ、良かったぁ。ちょっと自信なかったから……」

「木曾殿が言うなら確かですな。安心したであります。にしても、海軍で働くのですから、敬礼も海軍式にした方が良いでありましょうか?」

「わたしはどっちでもいいと思うけど、とりあえず両方覚えておいたら?」

「ですね。えっと……。こ、こうですか?」

「少し違うな。もっと脇を締めて、肘を前に突き出すように」

「ねぇ、動画だけじゃなくって写真も撮ろうよ、記念写真! ビデオレターと一緒に送――おっと、録画止めなきゃ」


 最後に、今まで一度も映っていなかった、白露の背中がフレームイン。急停止して振り返り、ビデオを覗きこむ。
 停止ボタンが押されるその瞬間、いたずらっ子のようなウィンクと、三本指のピースサインを残して、映像は途切れた。


「……以上が、横須賀から送られてきた映像、その未編集バージョンです。
 こちらの方が面白かったので、編集済みバージョンは後ほど。データのコピーもお渡しします。
 加えて、これが最後に言っていた写真であります」


 声とともに、窓を覆っていた暗幕が自動的に畳まれる。
 差し込む光が映し出すのは、五人の男。端正な顔立ちをした眼鏡の男――仮にE島と呼称――が配る、焼き増しされた写真を手にする彼らは、全員がカーキ色の夏衣をまとっていた。
 ここ、沖縄は嘉手納基地の気候に合わせた軍服である。


「皆、言いたいことはあろう。分かっている。分かっているが、あえてこの私が代表して言わせてもらう」


 そして、五人の中でもっとも階級の高い初老の男――O田が、ピースサインをする少女たちの写真を恭しく置き、重く声を発する。
 長机の左右に並ぶ三人――S藤、U野、I坂と、プロジェクターの隣に立つE島が息を飲む。
 針を落とす音すら響くだろう沈黙は、数秒の時間をおいて、カッと目を見開くO田に破られた。


「……我々は間違っていなかった! 陸軍艦娘のなんと美しく愛らしいことかっ!! 桐林提督、万歳!!!!!!」

「ばんざぁああい!」

「軍人娘ばんざぁああい!」

「ハァハァ……。まるゆたん……。白スク幼女……。うっ」


 立ち上がった勢いでパイプ椅子を吹っ飛ばし、O田、S藤、U野が万歳三唱。
 I坂だけは椅子に座り、何故だか前かがみになっている。あまり近寄りたくない雰囲気だ。


「いやはやなんとも、想像以上に可愛らしく顕現してくれた。これは念入りにサポートせねばなるまいて」

「ですね。あの様子なら、今後も問題なく活躍してくれることでしょう」

「いやー、ホントに。いきなり二分の一スケールな木彫りの球磨ちゃんを送りつけられて、家庭内別居に発展したんで恨んでましたが、チャラにできそうです」

「え。マジで送られてきたんか。お前どんだけ運が良いんだ。つーか、二分の一スケールな熊ってデカくないか」

「ふぅ……。邪魔ってレベルじゃないっすね」


 ガタガタと椅子に座り直しつつ、やけにテンションの高い三人が自由気ままに話し出す。
 実はこの場にいる五人のうち、O田の秘書官であるE島を除いた四人全てが、上級士官だった。賢者のような顔をしているI坂すら、である。
 具体的な階級は、後の騒動を鑑み、伏せさせていただく。
 どうでもいいことだが、U野の発言中にある熊は誤字ではなく、彼は二分の一スケールのリアルな熊が送られてきたのだと、勘違いしてしまっていた。
 I坂は脳内変換の間違いに気づいていたが、どっちにしても邪魔だと思っている。悪しからず。


「ところで、送られてきたのはビデオレターと写真の二つだけか?」

「いえ。一緒にクール便が届きました。まるゆさん手作りのカレーです。なんでも、木曾殿に教えてもらいながら作ったそうで」

「お、いいですねぇ。もうコンビニ飯には飽き飽きだったんで、助かりますよ」

「女の子の手料理なんて、俺、生まれて初めてかもしれない……」

「侘しい人生っすね。僕もそうなんすけど。で、肝心のカレーはどこに?」


 人生に潤いを求める男たちが、婦女子の手料理に沸き立つものの、E島は至って冷静に返す。


「ええ。実に美味しかったですよ」

「なんだと!? 抜け駆けしおって……! まぁいい。気持ちは分からんでもない。で、どこだ」

「ですから。美味しかった、ですよ」

「……うん? どういうことです?」

「あ。まさか、全部食ったんかあんた?」

「いや、流石にそんなこと……。ないっすよね?」


 立て続けの問いかけに、E島は「ふっ」とニヒルな笑み。
 全てを悟ったO田以下四名は、鍛え上げられた肉体を怒りに震わせる。


「……貴様ぁ、せっかくの、せっかくの陸軍艦娘お手製カレーを、独り占めだとぉ!?」

「なんということをしてくれたんですか!? こんな機会滅多に無いっていうのにっ」

「そうだそうだ! 俺の初体験を返せ!」

「嘘だろぉ……。まるゆたんの色んなものが入ったカレーがぁ……」

「うるさい黙れ! 私がどれだけあなた方の尻拭いをしたと思ってるんですか!
 最初は強襲揚陸艦だけを贈る予定が、いきなり潜水輸送艇までねじ込みやがって……っ。
 このくらいの役得がなければやってられんのですっ。文句があるならかかって来いやぁ!!」


 ――が、よほど鬱憤が溜まっていたのだろう。
 手にしていたクリップボードを床に叩きつけ、E島はボクシングスタイルのファイティングポーズをとる。
 そんな態度を取られては、血気盛んな男たちも黙っていられるわけがなく。


「こ奴、開き直りおった! もう許せん、行くぞぉおおっ」

「お供しますっ。よくも、よくもぉ!」

「同じくっ。その綺麗な顔をぶっ飛ばしてやる!」

「うおぉぉおおおんっ、まるゆたん、まるゆたぁああんっ」

「文官だからって舐めんな! しゃーんなろー!!」


 売り言葉に買い言葉が、肉体言語による話し合いへと発展してしまった。
 長机をひっくり返し、プロジェクターをぶん投げ、しかしそれでも、送られてきた写真だけはシワにならないよう、細心の注意を払いながら殴り合う。
 血で血を洗う話し合い・物理を聞きつけた兵士たちも駆けつけるが、巻き添えを食っては苛立ちが伝播。嘉手納基地全体を巻き込んだ大乱闘に。
 傍からそれを見ていた従軍の女性職員は、「やっぱこいつら馬鹿だわ」と、揃ってため息をついたそうな。
 退屈な傀儡戦車訓練の合間に起きた、心温まる? 一幕であった。

 厳戒態勢が敷かれるまで、残り三時間――。




















 ヒャッハー! 夏イベだぁああ! 昨日はログインしなかったし、午後から本格的に参加だぜぇぇいっ!!
 というわけで、今回は硫黄島到達&サブタイトル通りなお話でした。
 次回からしばらくシリアス展開。多分こぼれ話もないので、和やか成分不足にご注意ください。
 それでは、失礼いたします。今度こそ待っとれミッドウェー!!!!!!

「……あら、茶柱。今日は良いことがありそうだわ」
「良かったですね、姉さまっ。……でも、そろそろ洗濯や掃除以外の仕事がしたいです……」
「それもそうね……。なら、夕飯は私たちも一品作りましょうか?」
「いえ、そういうことじゃなくてですね。もちろんお手伝いしますけど」





 2014/08/09 初投稿







[38387] 新人提督と戯れる悪意
Name: 七音◆f393e954 ID:a38060b3
Date: 2014/08/30 12:33





 一つ、疑問に思っていたことがある。
 ツクモ艦が出現してから三年。傀儡能力者が生まれてからは、早くも三つの季節が過ぎた。
 相変わらず海は塞がれ、同時に空も侵されている。
 しかし、それだけなのだ。

 最初期に犠牲となった、数多の人々を忘れたわけではない。ツクモ艦は敵だ。
 だが彼ら――と、呼んで良いのかは分からないが、ひとまずこう呼ぶ。
 彼らは、それ以上の侵略行為を行わない。
 海に出れば、大きさも種類も関係なく、エンジンを乗せた船は沈められる。空を行こうとも、海上へ出て半刻もせず撃墜される。
 けれど、陸にだけは攻撃しようとしない。多くの人間が住まう大地を侵そうとはしない。

 何故だ。
 彼らが人類の敵対者であるなら、何故もっと殺そうとしない。何故、版図を拡げようとしない。
 自ら手を出すことなく、人が海と空を進もうとした時のみ、武力を振るう。
 それはまるで、「侵略しているのは人類だ」という、意思表示のようにも思えるのだ。


 桐竹随想録、第七部 陰る、未修正稿より抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『どういうことなんですか、一体?』

『どうもこうもないわい。いきなり偽島が動きおったのだ。文字通りにの』


 装具越しに聞こえる中将の声は、多大な困惑を含んでいる。
 硫黄島から、帰りの海流に乗ってわずか十数分。唐突な知らせに、誰もが驚かざるを得なかった。

 偽島、動く。

 桐ヶ森提督がもたらした情報である。
 それは瞬く間に日本中を駆け巡り、各鎮守府は厳戒態勢を余儀無くされていた。
 和やかな空気が、戦いへの緊張に取って代わる中、あきつ丸が挙手をし、皆の疑問を代弁する。


「中将殿、発言をお許し頂きたい」

『うむ、許す』

「有り難く存じます。まさか、あの装置が引き金となったでありますか?」

『いや、それにしてはおかしいんじゃよ。もしアレが切っ掛けなのだとすれば、偽島は北東へ向かうはず。
 それが、加速しながら真っ直ぐ北上、おまけに島の形状すら変化させておる。もはやセイロン偽島とは呼べん有様じゃ』


 タイミングを考えると、無関係とは思えない今回の任務。しかし、中将の語る事実は、奇妙な“ズレ”を教えた。
 あの声が偽島を呼び覚ましたのなら、普通に考えて、その発生源へ向かうと考える。だが現実は違う。
 偽島は北へ――四国は高知県との直線上を進んでいる。日本へ、攻め込もうとしている。


(もしかして、あの声は狼煙のような物だったのか。自分たちは、本当に災厄の引き金をひいてしまった……? いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない……っ)


 泡立つ悪寒が鳥肌を立たせるも、深く深呼吸をして気を落ち着かせた。
 因果関係を整理するのは後だ。深海棲艦への対応を優先しなくては。
 それに、もう一つ聞きたいこともある。


『状況は把握しました。しかし、なぜ自分が佐世保に? 増援を必要としているなら……』

『なぁに、保険じゃよ。確かに能力者の居場所は傀儡制御に関係せんが、佐世保へ出向いてもらわんと出来ぬこともあるでな。
 ワシ自身も久々に出るやもしれん。最悪の事態に備え、“ひかり”の用意をしておくようにと、上は言っておる』

『“ひかり”を? 唯一残った光学武装艦じゃないですかっ』


 思わぬ名前に身を乗り出そうとしてしまい、装具が軋む。日本に残された、最後の切り札まで切ろうとしているのか。
 密かに乗組員の育成をしているという噂は聞いていたが、どうやら、上は事態を重く捉えているようだ。


「八○○○t級護衛艦、ひかり型ネームシップ。前時代的な艦艇と区別するため、光学現象などに関する名前を与えられた近代戦闘艦。
 反射浮遊板を使用する曲射熱線砲、重振動ミサイル、分散魚雷を装備し、海底探査にも利用可能な多機能レーダーを有しています。
 かつて、司令長官が座乗なされていた艦ですね」

《そ、そんな凄い船が残っていたんですか。雪風、ビックリです》

《うん。なんか、私よりも早そうで、ちょっと悔しいかも……》


 書記さんが諳んじるスペックに、雪風は目を見張り、島風は悔しそうな顔を見せる。
 保有制限もあり、大した数は作られていないが、一隻で深海棲艦を相手取れる戦闘力を持つ、近代戦闘艦。超伝導推進装置により、最高速度六十七ノットを叩き出すことも可能な船だ。
 姉妹艦として、“にじ”、“しょこう“、“げんじつ”、“はくめい”などが存在したが、対深海棲艦戦術を見出せないまま戦闘へ赴き、一番艦である“ひかり”を残して轟沈している。漢字では虹、曙光、幻日、薄明と書く。
 唯一の弱点といえば、昔ながらの護衛艦とさして変わらない装甲くらいで、対応戦術が確立された今、上手く戦えば、フラ・タ数隻をまとめて倒せるはず。
 上手く戦うことができれば、だが。


《……逆に言えば、そんな船を引っ張り出さないといけない状況、ということだよね》

《ワタシもそう思う。相手が相手なんだ。油断なんて、できるはずが無い》

《でも、こっちに向かってないんだから、とりあえずは安心っぽい?》


 おそらく、先鋒を務めるのは“桐”。沖縄にいる桐ヶ森提督と、その近くで資材輸送・船団護衛を行っている桐谷提督。加えて、二人の補佐をしている能力者だろう。
 攻撃力の低い夕立たちが、矢面に立たずに済むのは安心だけど、時雨の言うとおり、“ひかり”のような船を用意しておかなければならない、非常事態でもある。覚悟だけはしておかないと。


『もちろん、おヌシの船にも出てもらわねばならん。特別に、予備の中継器を四台貸し与える。
 二十四隻までの艦隊を編成、横須賀から出航させよ。呉を経由し、沖縄へ向かわせるのだ。そして、桐林提督は空路を使い、佐世保に向かえ。
 現在出撃中の艦隊も戻り次第参加じゃ。場合によっては、呉にも寄らず直接出撃となるやも知れぬ。準備を怠るでないぞ』

『はっ!』


 身動きできない自分に代わり、あきつ丸たち六人が敬礼。中将との通信は途絶えた。
 途端に、ドッとのし掛かってくる重圧。
 硫黄島への揚陸任務とは違う、撤退が許されるかどうかも分からない、決戦だ。


『全く、なんだってこんな急に……。すまない、みんな。こういうわけだから、あとの指揮はあきつ丸に預ける。帰還を最優先に行動せよ』

「了解であります、提督殿。帰還ルートは完璧に記憶しているであります」

《艦隊のことはお任せくださいっ。絶対みんなで帰ります!》

《超特急で帰って、私たちも追いかけるから。あんまり遅いと、途中で追いついちゃうよ?》

『ああ、そっちの方がありがたいな。じゃ、また後で』


 あきつ丸に雪風、島風。残る三人の頷きを確認し、同調を切る。
 装具から解放されると、座席の上を飛び降り、軽く柔軟して身体をほぐす。
 必要以上に緊張するな。今まで積み重ねてきた物を思い出せ。
 それを忘れなければ、きっと無事に帰還させられるんだから。


「さて、と。まずは……」

「皆さんへの連絡は私が。佐世保には空港から小型ジェットが出るようですので、その前に状況説明をするのが良いかと。
 この時間なら、どの重構造会議室も空いているはずです。庁舎の裏口へ車を手配しますので、終わり次第そちらに。お急ぎください、提督」

「分かりました。お願いします、書記さん」


 こんな状況にあっても、彼女はいつも通りだ。頼もしい。
 落ち着いた声に背中を押され、自分は走り出す。
 地下を脱する階段を登り始めるころには、鎮守府全域へと放送が流されていた。


『桐林艦隊に所属する、全統制人格へ通達。
 現作業を全て中断し、庁舎地下にある第一重構造会議室へ集合してください。
 繰り返します。現作業を中断、重構造会議室へ集合してください。
 司令長官、並びに、桐林提督による最優先事項です』


 普通の統制人格なら呼ぶ必要なんてないのだが、うちの子たちは色んな場所で作業をしていたり、それぞれに余暇を過ごしているため、こうして呼び掛けないといけない。ちょっと手間だな。
 階段を登り終えると、そこは庁舎の一階である。
 一般職員は偽島の存在を知らないはずだが、今の放送で事態を察したのか、すれ違う顔に緊迫した表情が浮かぶ。
 彼らからの敬礼と会釈を受けつつ、会議室へ続く大型エレベーターに。降りた先を右手に進めば、もう目的地だ。
 ……と、入り口の前にたむろする少女たち。


「一番乗りは白露たちか。自分もまっすぐ来たんだけど、負けたな」

「はぁ、はぁ……。な、なんといっても、一番艦ですからっ」

「ホントはタイミング良く、庁舎の酒保に来てただけなんですけどね~」

「それで、一体何があったんですか、提督?」

「こんな呼び出し、ただ事じゃあないってのは分かるんだけどさ……」


 硫黄島組の二人を除く白露型――白露、村雨、五月雨、涼風だ。
 肩で息をする白露の手には、膨らんだビニール袋。おやつの調達をしてたらしい。
 本当に空気を読んで欲しいもんだ。深海棲艦の連中め。
 ま、それよりも質問に答えてあげなきゃ。


「手短に言う。偽島に動きがあった。自分たちも出るぞ」

「……え!? 偽島って、セイロン偽島ですよね。本当なんですか?」

「そいつぁ、とんでもない事態だぁね。提督。やっとあたいらの出番ってわけかい?」

「そうなるな。詳しいことはみんな揃ってからだ。適当に待っていてくれ」


 室内に入ってから、続く五月雨、涼風へと説明。扇状に置かれた席を進める。
 投影用スクリーンとの間には高低差が付けられており、大学の講堂みたいな感じだ。
 自分はもちろんスクリーンの前に立ち、四人は前から席を詰めるのだが、五月雨は妙にソワソワしていた。


「落ち着いてますね、提督。私、なんだか緊張しちゃいます……」

「ん? 焦ったって仕方ないからな。こういう時こそ冷静に、出来ることをしっかり把握するのが大切なんだ。この間の一件で、それを学んだよ」

「おぉ~。なんか貫禄を感じるわ。そこはかとなく男前に見えるような?」

「村雨、それって普段は……やっぱいいや。フツメンなのは自覚してるし」

「なんだいなんだい。そんな調子じゃ、二枚目でも三枚目扱いになっちまうよ? 男はどっしり構えてなって」

「そうだよ提督っ。少なくとも、桐林艦隊の中では一番のイケメンなんだから!」

「対抗馬いないしな。単独トップで嬉しいよ……」


 女の子六十人に対して、男一人。我ながらよく我慢できるもんだ。
 時々、セクハラしまくりたくなる衝動にも駆られるんだけど、この信頼を守るためにも、お薬飲んで頑張ろう……。
 なんて決意を新たにしていたら、会議室のドアをノックする音が。
 顔を覗かせるのは、紅白鉢巻を巻いた瑞鳳を筆頭に、工廠へ出向いていた統制人格たちである。


「し、失礼しま~……あぁ、良かった。みんな居たぁ……」

「どうした瑞鳳、そんなビクビクして」

「だって、こっちの会議室に来るの、初めてなんだもん。それに、こんな風に呼び出し受けるのも初めてだし……」

「はい、驚きました。提督、一体何が……?」


 胸に手を当てる祥鳳の後ろには、「やほー」とVサインする北上、無言で会釈する大井、目礼する木曾が続く。
 艦載機の補充と、キスカ・タイプ――対大型深海棲艦用の、魚雷兵装を開発してもらっていたのだ。


「ごめん、説明してあげたいんだけど、まだ全員そろってな――」

「申し訳ありません、遅れてしまいました!」

「な、なのですっ」

「お待たせしましター! 金剛四姉妹、推参デース!」


 歩み寄ってきた五人に言葉をかけていると、それを遮るように、また人影がなだれ込む。
 今度は宿舎組――鳳翔さん、電、金剛たち+αである。片手で鍵をもてあそぶ那智さんも居た。


「すまん、遅くなってしまった。車、勝手に使わせてもらったぞ」

「ご苦労さまです。むしろ丁度いいタイミングでしたよ。祥鳳たちと一緒に座ってください」


 席へ促すと、他にもぞろぞろ、二十人以上の統制人格たちが椅子を引く。
 全員が腰を下ろしたのを見届けてから、自分はスクリーン前の卓を挟んで向かい合う。


「では、状況を説明する。今し方、中将からの直通連絡が入った。セイロン偽島に動きがあったという知らせだ。物理的に移動しているらしい」

「島が? そんな事が起こりえるだなんて……」

「うむ。吃驚仰天じゃな。だが提督よ、妙高の驚きも分かるが、お主がここに居るということは、硫黄島へ向かうのは断念したのか?」

「いや、硫黄島への揚陸は成功した。あとは帰ってくるだけだから、指揮を預けてある。
 むしろ、桐ヶ森提督が異変を察知したのと、装置を起動させたタイミングは符合するんだ。
 確かなことは言えないが、関連はあると考えた方がいいだろう」

「きっとそうです。気をつけないといけませんね……」

「古鷹に同じくー。やー、目が冴えて来ちゃったよ、あたし」


 そういう割りに、深刻な顔の古鷹と違って、加古は眠たそうだ。
 後ろの川内もボケーっとしていて、神通がオロオロしている。
 緊張感がないなぁ……。まぁ、その方がらしいか。


「報告によると、偽島周辺には多数の深海棲艦が出現しているようだ。
 それに対抗するため、自分たちも支援部隊として出撃する。ついてはこれより、対偽島作戦への選抜を行う」

「選抜……。あの、でも、中継器は二つとも……」

「心配には及ばないさ、神通。予備の中継器を四台割り当てられた。ここに居る大半が出撃だ」

「ってことは、最大で二十四隻の大艦隊じゃないですか。ひぇー、とんでもない事になりそう……」

「けど、日頃の訓練の成果を見せるチャンスでもあります! 司令官、コンディションは最高ですよ!」

「わ、わたしも、あんまり自信はありませんけど……。選んでもらえたら、が、頑張りますっ」


 かつてない規模の出撃に、比叡は少し気後れしているようだが、長良と名取は意気込み十分。
 他の面々も、顔を見る限り、怖気付いている子なんて居ないみたいだ。ありがたい。

 艦隊の状況を整理しよう。
 現在出撃中の艦船は、硫黄島揚陸部隊と、囮部隊の十八隻。
 島風、雪風、時雨、夕立、響、あきつ丸。
 天龍、陽炎、朝潮、暁、赤城、龍驤。
 龍田、足柄、羽黒、青葉、衣笠、不知火の三部隊だ。
 ここに、遠征中である八隻――那珂・初雪・望月・満潮、由良・霞・曙・叢雲を加えて、出撃させられない艦船は全部で二十六隻となる。
 艦隊の総数は六十一で、残りは三十五隻。ここから、四台の中継器で使役できる限界数――二十四隻を選び出す。

 駆逐艦:電、雷、白露、村雨、五月雨、涼風、黒潮。
 軽巡:川内、神通、球磨、多摩、木曾、長良、五十鈴、名取。
 雷巡:北上、大井。
 重巡:妙高、那智さん、利根、筑摩、古鷹、加古。
 水母:千歳、千代田。
 軽空母:鳳翔さん、祥鳳、瑞鳳。
 正規空母:加賀。
 戦艦:扶桑、山城、金剛、比叡、榛名、霧島。
 あとは潜水輸送艇のまるゆだが、彼女は絶対戦闘には出せないし、実質三十四隻からの選別になるか……。


「まず、戦艦のみんなと加賀・祥鳳・瑞鳳、そして雷巡の二人が必須メンバーだ。
 中継器は加賀と山城、大井、北上に載せる。金剛たちは護衛として力を振るってくれ」


 卓に埋め込まれたパネルを、付属のペンでなぞる。
 それはスクリーンへと即時反映され、まずは十一名の名前が記された。


「お任せ下さい。赤城さんが居ない今、一航戦の誇りは私が守ります」

「久方ぶりの出番……。腕がなるわね、山城」

「はい、姉さまっ。でも、私なんかに中継器載せて、良いんでしょうか……? その、防御力と速力が、アレですし……」

「No Problem! 足りない部分は、みんなで補えばいいネ!」

「そうです。かつては聯合れんごう艦隊旗艦も務めたのですから、適任だと思います」

「榛名の言う通り。一年足らずであっても、貴重な経験です。頼りにしてますよ」

「霧島霧島。その言い方だと角が立つんじゃないかなーと、比叡おねいさんはちょっと心配」


 立ち上がり、加賀は自信に満ちた表情でうなずく。
 赤城に代わり、彼女には機動部隊を率いてもらう。先の出撃でも、遺憾無く実力を発揮してくれたことだし、頼らせてもらおう。
 対して、ネガティブな思考に陥りがちな山城を、金剛四姉妹と扶桑が囲む。なんだかんだで仲間意識は強いらしい。
 考えてみれば、金剛たちの方が扶桑たちよりもお姉さんなんだよな。大元が建造された年代的に。
 我が艦隊の主力である戦艦たち。その持ち味を活かせる指揮をしないと。


「出撃、かぁ……。やっぱり、緊張しちゃうな……」

「そうね……。だけど、青ヶ島でやられた分を取り返す、良い機会だと思いましょう、瑞鳳」

「うん。今度は一緒に、だもんねっ」

「ふっ。やっと時代がスーパー北上様に追いついたようだ……。活躍してみせるから、期待しててねー、提督」

「主砲は載せ換えましたし、雷撃練度も上昇してます。おまけに北上さんとペアなら、戦果も上がるに決まってます」


 同じように、曇りがちな顔を伏せてしまう瑞鳳を祥鳳が励まし、マイペース過ぎる北上、大井が締める。
 以前から考えていたキスカ・タイプ用の戦術では、雷撃が重要な役割を担う。
 攻撃力だけなら戦艦並みの重雷装艦だが、その分、防御力は低い。
 航空母艦で出来るだけカバーし、酸素魚雷を当てられる状況を作る。それを手助け、加勢してくれるのが、次に発表するメンバーだ。


「次に、脇を固める巡洋艦と駆逐艦は……。打撃力重視。重巡と駆逐艦を多めに起用する。
 重巡は全員。駆逐艦は、雷、電、黒潮、五月雨、涼風。残る二枠は木曾と五十鈴だ。頼むぞ」

「おうともっ! 吾輩が艦隊に加わる以上、もう索敵の心配はないぞ!」

「及ばずながら、那智共々、力を尽くさせて頂きますわ」

「ああ。二度と情けない姿は晒さん。砲火を交えるのが楽しみだな」

「セイロン偽島……。昔を思い出しますけれど、様相は違うみたい。とにかく、頑張りましょう」

「そう言えば、利根さんと筑摩さん、金剛さんたちと一緒に、セイロン沖海戦に参加されたんでしたね。今度は、私たちもご一緒します!」

「でも、ちょおっと遠いよねぇ……。帰還中に、また潜水艦と出くわさないと良いんだけど……」


 勢い良く、机の上に仁王立ちする利根。
 静かに闘志を燃やす妙高、那智さんと比べ、騒々しいくらい元気だ。淑やかな佇まいの“妹”を見習って欲しいところである。
 古鷹型の二人はこれが初の実戦。特に加古は、第一次ソロモン海戦を無事に乗り切った帰り道、米潜水艦から雷撃を受けて沈没させられてしまった。
 戦闘で気に掛けるだけじゃなく、無事に帰って来るまで気を抜けない。
 といっても、実際に対潜警戒をしてもらうのは――


「電と一緒に出撃するのも、なんだか久しぶり。頑張りましょうね!」

「なのですっ。水雷戦隊の一員として、電の本気を見せるのです!」

「ううぅ、陽炎も不知火もおらへんのに、ウチだけ激戦に出撃……。不安やわぁ……」

「なぁに言ってんだい、こんだけの数で出るんだから、相手がなんだろうとお茶の子さいさい、ってなもんさ!」

「そうですよっ。この日のために演習を重ねて来たんですもん。ね、五十鈴さん?」

「ええ。まだ完璧とは言い難いけど、守ってみせるわ」

「俺も雷巡にはなれてないが、そんなことは微々たる差だ。指揮官、お前に最高の勝利を与えてやる」


 ――わいわいと可愛らしく笑い合う、駆逐艦五人と軽巡二人なのだが。
 全員に爆雷や聴音機・探信儀を配備するのはもちろん、酸素魚雷の発射能力も備えている。
 五十鈴の役割はちょっと違うけど、北上・大井に率いられた彼女たちが、艦隊第二の主力。上手く戦術がハマってくれるといいが……。
 っと、いけない。忘れるところだった。振り分けも伝えないと。


「具体的な編成だが、機動部隊、主力打撃部隊、水雷戦隊・二つに振り分ける。
 第一艦隊は旗艦・加賀。随伴艦・金剛、祥鳳、瑞鳳、扶桑、五十鈴。
 第二艦隊は旗艦・山城。随伴艦・比叡、古鷹、加古、利根、筑摩。
 第三艦隊は旗艦・北上。随伴艦・榛名、雷、電、木曾、妙高。
 第四艦隊は旗艦・大井。随伴艦・霧島、黒潮、五月雨、涼風、那智。
 沖縄への道中は、第一艦隊を中心として第二艦隊を前衛に、後方を第三・第四艦隊が固めてくれ。
 次に……。長良っ、地味に落ち込んでる暇なんかないぞ! 後続部隊についてだ」

「へっ? ぉぉおぉ落ち込んでなんか……。でも、後続部隊ってどういうことですか、司令官?」


 ペンの頭をクリック。操作を切り替えて、書き出された名前を指定し、パズルのように場所を入れ替えていく。
 綺麗に並べ終えたところで、こっそり肩を落としていた長良を指差す。
 ビクンッ、と慌てだす彼女の代わりに答えるのは、やっと寝ぼけ眼から抜け出した川内だった。


「多分、あれじゃない? 出撃中の二組に載せてる分を、帰ってきたら載せ換えるとか」

「お、起きたか。正解だ。数時間後にはあきつ丸たちが、半日もすれば赤城たちが戻ってくる。
 赤城と龍驤には続投してもらうけど、それ以外のメンバーは疲労や損傷の度合いを見て、君たちが自由に判断してくれ。一任する」

「それじゃあ、わたしや長良ちゃんにも、出撃する機会が……?」

「やったじゃない、長良。走り込みの成果を見せる時よ」

「う、うんっ。水雷戦隊の仕切りなら自信あるし、私、頑張る!」

「昼間なのに元気だねー、みんな。夜に出撃だったら、むしろ立候補するんだけどなー」

「あの……。普通は、昼間に元気なのが当たり前で……」


 五十鈴に肩を叩かれ、気を取り直した長良がガッツポーズ。やる気が満ち溢れている。
 しかし、ぐでー、と机に垂れる川内からは、全くもって覇気を感じることができない。
 夜戦フリークも困ったもんだな……。仕方ない、発破かけるか。


「よく考えろ、川内。出発は昼間でも、向こうへ着くのはたぶん夜だ。
 それに戦闘自体、何時間かかるか分からない。ひょっとしたら夜戦になる可能性も……」

「行く! ワタシ絶対に後続部隊に入る! さ、早く準備しよう神通っ、夜がワタシを待っている!!」

「だ、ダメですっ、まだ会議の途中ですから……! あの、えっと……ど、どうどう……っ」

「お? これはウチの出番やな。おっほん……。気持ちは分かるけど馬か!」


 目を輝かせていきり立つ川内の姿は、宥めようとする神通とあいまって、まさしく暴れ馬の如し。ワッと明るい笑いが起こり、出撃前の緊張を和らげてくれた。
 これを計算してやってくれてるなら、凄いことなんだけど……素だろう絶対。
 にしたって、那珂もこのタイミングで遠征とか、間が悪いというか。早いとこ実戦を経験してもらいたいんだが……。これから先も、こんな感じで行きそうな気がする。


「で、心苦しいんだけど、千歳、千代田、鳳翔さん、まるゆの四人には、横須賀に残ってもらわなくちゃいけない。後続部隊も不可だ。本当にごめん」

「甲標的、ほぼ全滅してしまいましたから……。今回は大人しくお留守番ですね」

「疲れも抜け切ってない感じがするし、しょうがないよ、お姉。それに、横須賀にも守りは必要なんだし」

「そうですね。提督が留守の間は、私たちがここをお預かりします。でも、今日のお夕飯、余ってしまいそう……」

「はい、もったいないです……。ご近所の人たちにお裾分けしましょうか? まるゆがお荷物持ちますから」


 最後に、出撃不可な四人へと声を掛けるのだが、自身で状態を把握していてくれたんだろう、すんなり納得してもらえる。
 ちとちよ姉妹の言うとおり、硫黄島攻略に用意した甲標的は壊滅状態。連続出撃の疲労も、一日やそこらでは抜け切らないはずだから、無理はさせられない。
 ただ、この二人の練度も上がってきている。いっそのこと、甲標的の運用は他に潜水母艦を建造して、彼女たちに新たな道を用意するべきかもしれない。
 鳳翔さんとまるゆについては……。残念だけど、戦闘力不足としか言い様がなかった。迂闊に戦いへ向かわせれば、待っているのは死。後方支援に徹してもらおう。

 ちなみに。あきつ丸と同じく陸軍生まれなまるゆだが、彼女が生まれながらに纏っていた衣装は、なぜかスク水だった。しかも白。
 あの時ほど、自分の煩悩を恥ずかしいと思ったことはない。宿舎へ連れて帰る途中、すれ違う女性職員の軽蔑の眼差しが痛かった。耐えきれなくなって上着を貸したら、裸学ランっぽくなっちゃって大変でしたよ。
 現在は、あきつ丸と同じ型の色違いを着てもらっていた。こちらも白である。が、下に隠れているのはスク水。遠征の際には脱衣して海へ行く。
 ……考え出したらきりが無いし、そろそろやめよう。仕事モードに復帰しないと。


「加賀さん、艦載機の選択は……」

「さんは不要です。艦戦を多めに、ですね。あちらには桐ヶ森提督がいらっしゃるのですから、私たちはその補佐を。新鋭機、使わせて頂いても?」

「うん、頼む。呉までの航路では、山城を艦隊旗艦として行動するように」

「……えぇ!? わ、私が、全体指揮をとるんですか?」

「ああそうだ。嫌なのか?」

「だって、私……。運が、悪いし。嫌な予感ばっかり当たって……。姉さまや加賀さんの方が、相応しいんじゃ……」


 驚きに立ち上がる山城は、うつむき加減に言葉尻をしぼませる。
 相変わらずのネガティブ思考だ。しかし、見ようによってはそれも長所。
 自分は彼女へ歩み寄り、細い肩に手を置く。


「何を言ってるんだ。つまりそれって、常に最悪の状況を想定して行動できる、ってことじゃないか。指揮官に必要な才能の一つだ。自信持て」

「提督……」

「そうよ山城。貴方なら、立派に務めを果たせるわ」

「私も今回は、艦載機の制御に専念させて頂きたいので、お任せして構いませんか?」

「……はいっ。謹んで、拝命いたします」


 三人分の言葉が届いたのか、キリリと表情を引き締め、深く頭を下げる山城。
 これでもう大丈夫。あとは信頼して任せるだけだ。
 時間を確かめると、思いのほか時間が経っていた。そろそろ横須賀を出た方が良いな。
 最後に一言、と思って卓に戻れば、それを察したみんなも席へ。


「それじゃ、自分は車で空港へ行く。君たちは出撃準備を始めてくれ。
 今度の戦い、厳しいものになるだろう。だが、お互いを信じ、訓練の成果を発揮できれば、必ずや勝利を掴めると確信している。
 諸君らの奮闘を期待する! 以上、解散っ」

『はっ!』


 幾重もの敬礼と、靴音の波。
 自分の返礼を受けてから、少女たちはそれぞれに固まって退室して行く。
 合わせて歩き出そうとするが、しかし引き止める声があった。鳳翔さんだ。


「お待ちください、提督。せめてお見送りだけでも」

「まるゆも行きます! 隊長、良いですよね?」

「あ、あの、できれば、電も……」

「はいは~い、電が行くなら私も行くわ!」

「当然、ワタシもデース。行ってらっしゃいのKiss、一回してみたかったネ!」


 甲斐甲斐しい申し出に、五人が集まってくる。断る理由もない。


「……ありがとう。霧島、みんなの兵装を見てやってくれ。あ、キスはいらないからな金剛」

「了解です。万全の状態で戦いに臨みましょう。金剛姉さま、早めに戻って……来ますよね、どうせ」

「アレ? テートクがつれないのはいつものコトとして、霧島の言葉にまで含みを感じるのは何故にWhy?」

「いえいえ、そんな事は。では、お先に失礼しますね」


 首をひねる金剛へニッコリ微笑み、霧島が姉たちの元へと去って行く。
 まぁ、実際すぐに返すつもりだしな。そうしないとコントが始まって、いつまで経っても出かけられないし。
 苦笑いしながら歩き出すと、雷電姉妹は隣へ並び、三歩後ろをついて来る鳳翔さんに、それをマネる金剛とまるゆ。
 なにやら、「Submarineの統制人格って、息はどうしてるんデスか?」とか、「艤装状態なら水中で呼吸できますよ。陸に上がるとき、おえってしなきゃいけませんけど」とか話している。初めて知った……。潜水艦も大変だ。
 廊下はごった返しているかと思いきや、すでにエレベーターで行ってしまったようだ。自分たちもさっさと上に戻ろう。


「司令官さん。あの……」


 エレベーターのドアが閉じ、身体に重力を感じ始めた頃、左隣の電がつぶやく。
 ゆるく袖をつまむ手から、不安が伝わってくる。……戦いへの不安では、ないと思った。
 おそらく、戦いへ臨む覚悟。桐生提督を前に、二人で語り合ったあの言葉を、忘れていないかという不安。
 それを解消してあげたくて、自分は柔らかく笑いかける。


「大丈夫。忘れてないよ」

「……はいっ」


 返されるのも、同じ柔らかさの微笑み。
 開いたドアから差し込む光と、同じくらいの眩しさ。
 足取りも軽くなり、堂々と通路を進む。


「電さんって、隊長と仲が良いんですね。なんだか、特別って感じがします」

「ふぇ!? そ、そんな事ない、のです……。えへへ……」

「ウムム……。Wordにしなくても通じ合うとは、やりマスね電……。
 デスが、Dateの約束を取り付けているワタシは余裕ShockShock。こんな事では動じないデース」

「ショック受けてる。何気に言動がショック受けてるわ、金剛さん。
 っていうか司令官、いつの間にそんな約束したのよ! 二人ばっかりズルい~! 私もどこか行きたい~!」

「おおっと、こら、引っ張るなっ。デートじゃなくてただの買い物だからっ」

「駄目ですよ雷ちゃん、ワガママを言ったら。……あ、もう着いてしまいましたね」


 いつも通りなバカ騒ぎをしているうちに、数人の警護が立つ裏口へたどり着く。
 緩んでいた顔を引き締めると、無言の敬礼の後、速やかな運転手の自己紹介が行われ、空港に着いてからの段取りも確認する。
 それらを済ませて、「じゃあ行くよ」と振り返れば、鳳翔さんは袂から火打ち石を取り出し、打ち合わせて切り火を切ってくれた。


「どうかご武運を。お気を付けて、行ってらっしゃいませ」

「まるゆ、鳳翔さんのお手伝いして待ってます。頑張ってください、隊長!」


 最敬礼のお辞儀で送り出してくれる鳳翔さん。
 陸軍式の敬礼から、慌てて海軍式に直すまるゆ。


「テートク、Bon Voyageデース! 空の旅を楽しんだら、向こうの海で会いまショー!」

「作戦が終わったら、私たちともお出かけしてよ? 約束ね、司令官っ。ところで金剛さん、ボンボヤージュってフランス語じゃなかった?」

「……アッ!? な、なんたるMiss Take……。やり直しを、やり直しを要求するデース! 帰国子女としてのIdentityガー!?」


 投げキッスで決めたと思ったら、鋭い突っ込みに頭を抱えてしまう金剛と、苦笑いで肩をすくませる雷。


「一緒に海へ出るの、久しぶりなのです」

「そうだな。戦うのは怖いけど……それは、嬉しいかもな。頼むぞ」

「はいっ。電がお守りします。行ってらっしゃい、なのです!」


 そして、凛々しく気を付けをする電。
 五人の顔を順番に見つめ、この場に居ない皆の顔も思い浮かべて。
 身体に染み付いた、ごく自然な動作で答礼を。


「行ってきます」


 まぶたの裏に笑顔の残像を残し、自分は鎮守府を後にする。
 よく考えたら、航空機を制御したことはあっても、生身で乗るのは初めてだ。
 陸路だと数時間かかる道のりも、ジェット機なら一~二時間でひとっ飛び。
 不謹慎かもしれないが……。ちょっとだけ、楽しみだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 G線上のアリア。
 古めかしい、レコードによるクラシック音楽が、その部屋を満たしていた。
 発生源はジュークボックスに似た機械。旧世紀を思わせる見た目だが、中身はそれなりに新しい。


「もうすぐですね、偽島は」

「はい。間もなく、最上と三隈みくまの瑞雲が目標を捉えます」


 これは、屋久島に仮設された調整室で身を横たえる男――桐谷提督の趣味だった。
 いつの時代でも、人間は貪欲だ。常に新しいものを求め、そのためには犠牲を厭わない狂人すら居る。
 しかし逆に、過ぎ去った過去を愛おしむ人間も、また多い。
 かつて、傀儡能力発見のきっかけとなった、重巡洋艦・伊吹。
 これを現代で蘇らせた趣味人の血を引く彼は、古き時代を愛でることを生き甲斐としていた。


「通信が入りました。間桐提督です」

「珍しいですね。繋いで下さい」


 妻公認の愛人である女性調整士の知らせに、桐谷は驚いたそぶりを見せる。
 間桐の補佐として、協同作戦を展開することが多い彼だが、作戦中に連絡を取り合うことは稀だった。
 それというのも、間桐は好き勝手な砲撃を繰り返し、水平線に隠れた敵艦をことごとく殲滅してしまうので、連絡事項が発生しないからだ。
 運悪く潜水艦などが存在した場合、その迎撃行動へ移る旨を知らせることはあっても、返事は「おう」の一言だけ。
 だからか、装具越しの間桐の声に、普段と違った高揚を感じ取ってしまう程度には、驚いていたのである。


『よぅ、熊男。今日も窮屈なブースター・ベッドに押しこまってっか?』

「いえいえ、快適ですよ。金に飽かせて特注したシートですから。ご存知でしょう」

『ちっ。嫌味とすら取りやしねぇ。ま、んなこたどうでも良いんだ。キチッとデータ取ってこいよ。例のフラ・タみたいなのが、また出てきてるかもしれねぇ』

「分かっています。それがわたしの役目ですからね。下拵えはしておきますよ」

『おうおう。美味しいとこは全部頂く。お零れくらいは残してやっから、頑張れや』


 この二人が組まされる理由は、間桐の暴言を物ともしない鉄面皮だけでなく、技能などの相性故でもある。
 敵艦を撃ち滅ぼすことにかけては随一の間桐だが、それ以外のことはやろうとしない。身を守ることすら、仕方なくやっているような印象を周囲に与えた。
 逆に桐谷は、予知染みた行動予測で敵を翻弄し、交差雷撃を成功させる技量を持つが、自らが倒すということの優先順位は低く、戦果にも頓着しない。
 一手を打てば殲滅できる状況で、その戦果を横取りされたとする。それでも、敵が倒れたという結果が同じであれば、大差ないと。
 絶対的な攻撃力と引き換えに、コミュニケーション能力を欠落させた“千里”と組めるのは、何に対しても平等な――いや、平坦な対応のできる“梵鐘”しか居ないのだ。


「相変わらず……。年上の人間を敬おうという気は起きませんか? 躾されていない犬でもないんですから」

『なんとでも言え。無駄に生きてるだけのゴミムシほど、そういうセリフを吐きやがる。テメェは違うと思ったがな』


 しかし、思うところが全く無いわけでもなく、どうせ反省しないと分かっていたが、形だけの注意をうながす。
 嘲りを込めた音声が、その予想は正しかったのだと教えるけれど、桐谷にも矜恃はあった。無能扱いされては、“梵鐘”として黙っていられない。


「違いますね。わたしが居なければ、あなたはただの浮き砲台だ。わたしが居るから、あなたが存分に力を振るえる。間違っていないと思いますが?」

『……けっ。やっぱテメェは気に食わねぇ。笑うこと“しか”出来やしねぇくせして、一丁前に説教かよ』

「桐ヶ森さんではありませんが、十年来の引きこもりに言われたくありませんね。たまには日に当たらないと、ホワイトアスパラになってしまいますよ」

『ほっとけ。俺がそっちに着くまで薄ら笑いでも浮かべてろ』


 断裂する通信。喧嘩別れにしか思えないが、桐谷は一層笑みを深くした。この悪態、間桐なりの信頼の証なのである。
 先ほど挙げたように、両極端な人間性を持つ彼は、人付き合いに関しても同じ傾向を見せる。
 興味を持たないことに対しては酷くおざなりであり、逆に興味をそそられれば、路肩の石でも拾い上げて磨いてみる。ああだこうだと、ブツクサ文句を付けながら。……こういう男なのだ。
 戦いによって“歪み”を抱えた者同士。歪だからこそ桐谷は間桐を守り、間桐は桐谷に背中を預けている。そんな気がしていた。
 彼の出番はまだ先。存分に活躍できる場を整えてみせようと、桐谷は笑う。


「さらに通信。桐ヶ森提督です」

「おや。槍でも降ってきそうですね」

『聞こえてるわよ、ソプラノマッチョ』

「それは失敬、見せパンお嬢様」


 思考に割り込む、聞き慣れた少女の声。沖縄に居るはずの桐ヶ森だ。
 彼女も嫌味を挨拶代わりとして、気ままに話し始める。


『偽島、加速してるらしいわね』

「……のようで。島影もかなり変化したとのこと。今を表現するなら――マダガスカル偽島、と言ったところですか」


 キスカと違い、偽島は活動を始めてなお、その姿を衛星に晒している。
 おかげで観測も容易いわけだが、もたらされる情報は、常識では考えられないものばかりだった。
 時速数cmから、今では十ノットへ速度が上昇した。表面積も拡大を再開し、もう二万平方kmにまで。しかも形状は、インド洋に浮かぶマダガスカル島と酷似してきた。
 ここまで非常識が揃うと、「未知の生物が島に擬態している」とでも考えた方が合理的である。


『“アレ”の重役出勤はいつもの事として、私とアンタが組まされるとか、上は焦ってるわ、相当。桐林にも招集かけたそうよ』

「仕方ないでしょう。何せ島が動いているんですから。史上初――いえ、二度目でしたか。とにかく深海棲艦からの攻勢。全世界が注目しているはずです」

『そのくせ、手助けはしないよのね、連中。漁夫の利でもさらうつもりかしら』

「さぁ。わたしはわたしに出来ることをやるだけです。空はお任せしますよ」

『しょうがないわね、守ってあげるわよ。……出ると思う? キスカ・タイプ』

「出るでしょう、おそらく。聞けば、例の装置と同じタイミングで活動を開始したらしいじゃありませんか。
 桐生殿のように、生まれる前に仕留められれば良いのですが……。いやはや、厄介なことになったものです』


 苦笑を浮かべながら、その実、桐谷は全く困っていなかった。
 屋久島から南下する二十四隻の水雷戦隊群――最上型四隻を旗艦とし、睦月型・吹雪型で固めた部隊と、沖縄から出発し、合流した航空母艦・飛龍、蒼龍。商船改装空母・飛鷹ひよう隼鷹じゅんよう
 これだけの戦力があれば。ましてや“梵鐘”と“飛燕”が揃っていれば、旗艦種が同じ数だけ出現したりしない限り、負けるはずがない。
 今まで積み重ねてきた戦いの記憶が、そう自負させていた。


「偽島、目視距離に捉えます」


 調整士が偽島への接近を知らせる。
 確か手前には、無数の深海棲艦が展開していたはず。
 駆逐艦などを狙って爆撃を開始したいところだが、艦載機制御は桐ヶ森の方が長けている。下手な爆撃で刺激するより、偵察に徹した方が良いだろう。
 そう判断した桐谷は、気づかれぬよう高度を稼ぐ。


「………………」

『………………ねぇ』

「なんでしょう、桐ヶ森さん」

『目視距離に捉えるんじゃなかったの。もう三分待ってるんだけど』


 ――が、一向に島影は見えてこなかった。
 ただただ、同じ光景が続くのみ。群れるはずの敵艦すら居ない。
 桐谷は嘆息し、調整士へ問いかける。


「どういうことですか」

「いえ、それが……。衛星からの情報が確かなら、すでに目視できているはずです。これは、まさか……」

「……なるほど、迂闊でした。わたしたちの得た情報が、無意識に正しい物だと信じ込んでいた。これも慢心ですか」

『それってつまり、キスカと同じことが起きたっていうの? 衛星からの情報はダミー?』

「おそらく。桐ヶ森さんの彩雲が引き上げてすぐに、偽島は消えていたんではないでしょうか」

『く……っ、なんて失態……』


 桐ヶ森の声には悔しさがにじむ。
 キスカを思えば、なんらかの干渉能力があったのは確か。そして、誰かを騙そうという時、徹頭徹尾そうしようとする必要はないのである。
 普段は無害なそぶりを見せておき、必要となった際、最小限の嘘をつく。これが賢いやり方だ。騙される方はたまったものではないが。


『ということは、キスカ・タイプ、もう産まれてる可能性もあるわけね』

「そう考えた方が良いかと。どのような形になるかは分かりませんが、用心に……ん? あれは……」


 桐谷の視界――瑞雲が奇妙なものを捉えた。
 偽島と比べればあまりに小さい……けれど、人間と比べればはるかに巨大な、人影を。


『嘘……。あんな、子が……?』


 密やかに、“彼女”は水の上で立っていた。
 新雪の如く清らかな肌。
 生糸のように艶めく長い髪。
 紅玉の色を宿す瞳。
 纏うは影を織り上げた、左右非対称なガウンか。


(これが、キスカ・タイプの統制人格。……なんと、美しい)


 名家に産まれたが故に、数々の美術品で審美眼を磨かれた桐谷が、思わず見惚れてしまうほどの造形美。高貴な生まれの少女――由緒正しい国の姫君に通じる、気品すら漂う。
 こんな感情は初めてだった。いや、誰の視界も借りず、敵艦に統制人格を見たこと自体、これが初めてだった。
 今までは、同時出撃した間桐や桐生の視界を介して見ていたが、桐谷単独で見ることは叶わなかった。それが今、かつてない美しさを伴って、実在している。
 堪らない高揚感を覚えた。


(……っ、いけない。引き込まれるところだった。注意しなければ)


 ――が、桐谷は精神汚染と断じ、欲望を奥歯で咬み殺す。
 これまで、戦いの中で感情を高ぶらせたことなど、一度たりとてなかった。
 ならばこれは、あの“少女”からの影響であると考えた方が良い。長く続くと、己を見失う可能性もなくはないだろう。
 出来るだけ手早く片付けたいが、しかし、ただ立ちすくむ巨人相手に、どう手を出せば良いのか。


「早まらないで下さい、桐ヶ森さん。まずは出方を伺いましょう」

『分かってるわよ。桐生が相打ちになったのと同種、見くびったりなんかしないわ。
 っていうか、船はどこよ。いくらなんでも、あのサイズに直撃させるのは面倒なんだけど』


 桐ヶ森も当惑しているのか、艦爆の発艦を進めながら、瑞雲を介して“少女”に注視している。
 旗艦種以上の存在感を放つ、白い“少女”。意思疎通が可能なら、中将からの密命通り、コンタクトを取ることも選択肢に入れなければならないが、目の前へ立つとそれも難しい。
 先行していた瑞雲に続き、桐谷・桐ヶ森の連合艦隊も近づいている。このまま接敵すれば、どうなるだろうか。桐谷は考え込む。


『え?』

「は?」


 そんな時、世界にノイズが走った。
 ブラウン管テレビのチャンネルを変えた時のような乱れ。
 ほんの一瞬、砂嵐にさらわれた視界で、またしても変化が起きている。


「……っ、これは……」

『ちょ……な……』


 ノイズを境に、昼夜が入れ変わってしまった。同じ映像を見ていた桐ヶ森も、言葉を失う。
 空には太陽が浮かんでいる。しかし、日蝕でも起きたように暗い。空気は淀み、青かった水面は血の海へ。
 地獄。
 そんな単語が脳裏に浮かぶ。


『どういう、ことよ……。私が偵察した時は、こんなこと……』

「……桐ヶ森さん。それよりも驚くことがありますよ」

『これ以上なんに驚けって――ん、なっ』


 増えた。
 左右を反転させたように、“少女”が二人になっていた。それだけでなく、彼女たちは鏡合わせの動作を行う。
 近い腕が絡まり、指も重ねる。空いた腕を前方にかざす姿は、何かを誘うようでありながら――





藻屑ト、ナッテ

沈ンデ、シマエ





 ――脳へ焼きつく、たわんだ声が。沸騰する敵意を伝えた。
 深海棲艦が喋った。
 驚愕に値することだが、驚く暇もないまま、世界は震え始める。
 日本人なら誰でも覚えがあるだろう、大きな地震の予兆。空気そのものが震えている。
 “少女たち”が宙へ浮かぶ。
 呼応するかのように、複数箇所で赤い水面が盛り上がり、やがて、巨大な“何か”が姿を現した。


『なにこれ……。ふざけてるの……』


 大きい。とにかく大きい。全幅はおよそ七十~八十m、全長は六百~七百mほどはあろう。
 双胴船に見えたが、同じ向きで並ぶはずの胴体は、互い違いに並んでいる。しかも、繋ぐのは小型――といっても戦艦並みの大きさだが、これまた船なのだ。「井」という漢字を細長くしたようにも見える。
 砲も上甲板だけでなく、船体の側面にまで張り出していた。据えられたというより、勝手に生えたような乱雑さ。
 船と呼ぶのをはばかる非常識の塊。その中央に設けられた足場のような場所で、“少女たち”は祈りを捧げる。

 加えて、上空には奇妙な球体が四つほど浮かんでいた。
 口のような開放部が存在し、そこから吐瀉物の如く艦載機を吐き出している。あっという間に空は覆い尽くされ、開口部の奥にはギラつく砲門まで見える。
 これらも尋常ならざる大きさであり、戦艦をまるごと飲み込んでしまえるほどだ。
 決して短くはない戦いの歴史においても、他に類がない“敵”だった。


「あんな物まで浮かべますか。撃ち下ろされたら堪りませんねぇ、はっはっは」

『笑ってる場合じゃないでしょっ、来るわ!』


 敵艦載機が動くのと同時に、レコードが切り替わる。
 パイプオルガン。
 バッハの小フーガが、響き出す――。




















 戦果報告!
 ダメコンを空にしつつも、無事にE-6突破しました。限定ドロップ艦、清霜・早霜も三隻ずつ確保。攻略途中で捕鯨もこなし、筆者的夏イベ完全攻略、達成!
 ……谷風? うちの艦これには未実装ですが何か?(ガン切れ)。
 浜風ちゃんと168と長門・加賀さんも腐るほど拾ったんですけどねー。ついでに矢矧も。あ、浦風ちゃんはイベ前に拾いました。
 というかなんなのさ、この浜風率。2-5でもゴロゴロ出たし、とっくに二ダース以上掘ってるぞ。
 あんまり寄ってくると、色んなもん無視して登場させて、セクハラ被害に遭わせんぞゴラァ。
 それはさておき、今回はいきなりボス登場なお話でした。初のオリジナル深海棲艦――双胴棲姫です。
 次回、桐谷・桐ヶ森連合艦隊がゲージ削りを開始します。ご期待ください。
 それでは、失礼いたします。

『あぁぁチクショウ面倒臭ぇ! ァんでこんなタイミングで……』
「とか言いながら、きっちりプレゼントの準備を整えるあたり、律儀ですよねぇ」
『ウルッセェ、いいからテメェはPC持って動けや痴女が。おら、右だ右』
「あいあいさー。……早く来ておくれ、新人君。“この子たち”も会いたがっているよ」





 2014/08/30 初投稿







[38387] 新人提督と生け贄の羊
Name: 七音◆f393e954 ID:d92a1b46
Date: 2014/09/27 12:32





※ Attention! いきなりGロい描写があります。お食事中の方はご注意下さい!










 あれはなんだ。なんだったんだ。
 わたしは何を見た。なぜわたしにだけ。
 お前たちはなんなんだ。伊吹、きみは――

(以降、判別不能)


 桐竹随想録、その元となった手記より抜粋。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ゆらゆら、ゆらゆら、と。
 世界は拠り所なく彷徨っていた。
 上下の感覚もあやふやに、水平線は右へ傾き、左へ傾き。
 地震に揺られているが如く、平衡感覚は乱れ、立っているのがやっとの状態。
 そんな中、自分は――


「新人君はいこれっ。新しいエチケット袋!」

「あ、ありがとうございまおろろろろろろろろ」

「よーしよーし。スッキリするまで出しちゃおうねー」

『おいバカやめろ、吐いてるとこカメラに映ってんだよ! 俺まで気持ち悪くなるだおろろろろろろろろ』


 ――堪えきれず、胃の中身を盛大にぶちまけた。
 膝をつき、背中をさすってくれる先輩の優しさも手伝って、エチケット袋はみるみる重くなって行く。
 そんな光景を直視した為か、視界の端に置かれたPCの中では、棒人間がorzの体勢で虹色の液体を吐き出している。
 芸が細かいなぁ……。おえっぷ。


「大丈夫かい? まさか君が飛行機に弱いとはね……」

「自分でも、ビックリです……。艦載機制御のときは、全然へっちゃらだったんですけおろろろろろろろろ」


 横須賀を飛び立って早二時間。ここは、佐世保鎮守府の埠頭近くにある緊急用ヘリポート。
 本来はヘリコプター専用の発着場だが、垂直離着陸VTOL機能で無理やり着陸している。移動の手間も省けて一石二鳥なのだ。
 しかし、一番の問題は自分の体調。
 すでにジェット機を降りた今でも、まだ空を飛んでいるような感覚が、三半規管を襲っている。つまりは、酔ってしまったのである。
 酒も飲んでないのに吐いたの、何年ぶりだろう……。


「――ぶぁ、はぁ、ふぅ……。ちょっとだけ、楽になりました……」

「ん。それは良かった。間桐提督、さっきから静かですけど、大丈夫ですか?」

『ウルセェ……。片付けてんだからほっとけやボケが……』


 画面の中に、同じポーズのまま雑巾掛けをする棒人間。
 意外と律儀……というか、神経質? 貰いゲロするあたり、繊細なのかもしれない。


「ホント、すみません……。せっかく出迎えてくれたのに、こんな……」

「いやいや、気にすることはないさ新人君。まぁ、開口一番のネタを言う前に潰されたのは悔しいけど、こればっかりは体質だ。仕方ないよ。
 それに、君の体液ならどんなものでも喜んで受け止めるさ! たとえそれがナイアガラ・ストマック汁でもね!」

「それはそれで怖いからやめてもらえます……?」


 肩を借りてなんとか立ち上がると、先輩は爽やか笑顔でそんなことを言う。
 どうしてこんなに好かれてるんだ? 自分だったら御免こうむるわ……。
 とは思うものの、疑問を口に出す元気もなく、身体を支えられて格納庫へ。


「何はともあれ。佐世保へようこそ、桐林提督。
 早速、現在の状況を把握して欲しいところなんだけれど……。
 まだ辛そうだね。少し横になろうか。はーい楽にしてー。あ、仰向けは駄目だよー」

「子供扱い、しないで下さい……。うぷっ」


 おそらくはこれも緊急用だろう、ストレッチャーに横たわり、雑多な庫内を斜めに見やる。
 近くの木箱にPCが置かれ、最後に先輩が、どこからともなくウェットティッシュを差し出してくれた。
 ちなみに、棒人間さんはまだ掃除中。よっぽど派手にぶちまけたらしい。


「さて。そのままでいいから聞いて欲しい。現在時刻、一四三五。すでに対偽島作戦は始動しており、桐ヶ森提督と桐谷提督が威力偵察に赴いている。
 第一次防衛線は、沖縄から二百マイル東の地点にある島――南大東島。そこへ佐世保の通常艦隊が向かっているよ。
 第二次防衛線は高知の足摺岬から南に百七十マイルの地点。鹿屋かのや・岩川両基地から出発する傀儡航空部隊が、呉の援軍と共に空爆を予定しているんだ」

『ケッ。雑魚共の空爆がなんの役に立つんだかな』

「おや、お片づけは終わったんですか大佐。駄目ですよー、いい歳して粗相なんかしちゃ」

『その言い方だと漏らしたみてぇじゃねぇか! ってぇか誰のせいだと思ってんだクソがぁああっ!?』


 濡れ雑巾を投げつけ、地団駄で地面をひび割れさせる間桐提督の棒人間。前もそうだったが、やはり実害はないので、見ている分には楽しい。
 この時代、空軍の影は非常に薄くなっていた。
 それというのも、傀儡艦に空母という艦種が存在し、一人の人間が數十機の編隊を制御、統制できるからである。
 人間が生身で乗る航空機と、遠隔操作で操る航空機。失うものの大きさは、比べるべくもないだろう。
 他国はどうだか知らないが、日本の空軍は解体寸前まで縮小され、国土上限定の足として存在を許されている。
 あまりに人員が少なくなってしまったためか、七割が能力強度の低い能力者で構成されていた。生身で航空機を操縦できる人間は、もはや全国で十に満たない。
 自分をここへ連れてきてくれた彼も、その数少ない一人。傀儡能力者が、空軍のお株を奪ってしまったのである。
 しかし、空の男たちはこの程度で腐らなかったようだ。


「復活の芙蓉部隊……。噂に聞く、空の侍ですか」

「うん。いやはや、彼らは凄いよ。割り当てられたわずかな燃料を遣り繰りし、かつての芙蓉部隊と同じく、飛ばない飛行訓練に努めた。
 それに、長く経験を積んだ使役妖精は、見えないまでも能力者をサポートしてくれる。桐ヶ森提督が使う航空機の一部は、彼らが育て上げたんだよ」


 制御の完全移譲が可能な航空機は、たとえ励起された後でも使用者を選ばない。
 そして、より長く、より多くの時間を空で過ごした妖精さんなら、限界を越えた性能を発揮できる――成長するのである。
 増幅機器も与えられず、鳥籠のような安全領域のみの飛行でも、彼らはたゆまぬ訓練を積み重ね、ついには“桐”のお眼鏡に適う、特殊機能を持つ傀儡航空機を産み出したのだ。

 彗星一二戊型。
 エンジンをアツタ三二型に換装し、偵察員席後方へと二十mm機銃を追加した、夜間戦闘機である。
 本来、こういった戦闘機が真価を発揮するためには、熟練したパイロットが必要となる。その代わりを務めるのが、先ほどの成長した妖精さんというわけだ。
 かつて、第五航空艦隊の司令部が置かれたのが鹿屋基地であり、岩川基地は芙蓉部隊――彗星を駆る夜襲専門部隊の拠点となっていた場所。
 数奇な運命の中で、かの戦闘飛行隊も、新たな時代に復活を遂げているのだった。


「そして、最終防衛線が宿毛湾泊地。
 “ひかり”に増幅機器と中継機を持ち込んで、傀儡艦と現代艦の混成部隊を指揮しつつ、敵を待ち構えている。
 吉田のお爺さまが守る、まさしく最後の砦だね」

「増幅機器を? ……あ、そっか。傀儡艦じゃないんだから、問題ないんですよね」


 傀儡艦に増幅機器を持ち込むなんて、普通なら自殺行為……というか、出撃すらできないが、“ひかり”は通常の船。最新鋭の装備を搭載可能だ。
 旧時代の船が守り、新時代の船が道を切り開く。
 あの時代を生き抜いた中将だからこそできる、傀儡制御と通常戦闘指揮の両立。これで駄目なら、人類は為す術を失うだろう。


「でも、こんなに戦力を集中させてしまって、大丈夫なんでしょうか。十年前みたいなことには……」


 しかし、気がかりなことも出てきた。
 “桐”を四人。中将と“ひかり”。おまけに芙蓉部隊。
 まさしく総力戦といった様相を呈しているが、あまり好ましいことではない。
 戦力を一箇所に集中すれば、その分、他方面への対処は難しくなる。十年前の大侵攻では、それが原因で甚大な被害が出た。
 用心しておいた方が良いのでは……? なんて思っていると、先輩は「ふふん」と得意気な顔で補足してくれた。


「問題ないさ。大湊は中将の感情持ちである四航戦――伊勢いせ日向ひゅうがが守っているし、舞鶴には雰囲気ブサメンが居るからね。
 特に後者は、桐谷提督に匹敵する艦船保有数を生かして、各方面に部隊を配置。
 いざという時は防衛戦に徹するらしい。まぁ、腕は信じて良いんじゃないかな」

「雰囲……え? なんですかその造語。というか誰のことですか」


 歴戦の航空戦艦に安心したと思ったら、変な言葉が耳に入って首を捻る。
 雰囲気イケメンっていうのは聞いたことあるけど、その逆?


「梁島提督。聞いたことないかい。海上護衛を専門にこなす、鉄壁の二つ名持ちだよ」

「ああ……。提督カレンダーに毎年出てる人ですよね。すんごい男前でしたけど……」


 海軍の広報部が作る能力者グッズの一つ。提督カレンダー。
 隔月刊・艦娘と同じ部署が担当なだけあって、多種多様なイケメン&美女提督の、あられもない姿を捉えている一品だ。
 それに、顔を晒すだけあって、男の自分でも羨ましいくらいの美形だった。
 実力も折り紙付きのはずだが、しかし、苛立ちの鼻息を「むんすっ」と蒸かす先輩。


「はっ。どんなに顔面が整っていようが、醸し出す雰囲気のせいで近寄りたくもなくなるんだ。だから雰囲気ブサメンなんだよ。
 たぶん君は会うこともないだろうけど、むしろ会わない方がいい。不愉快になるだけさ」

『そういや、そんな野郎も居たっけか。何回か演習もしたはずが……覚えてねぇってことは雑魚だったんだろ。何が鉄壁だかな』

「うーん……。先輩は出ないんですか?」

「残念ながら、私もやなっしーと同じで後方の守護。佐世鎮にお留守番さ。
 全く、自分のオールマイティーさが恨めしいよ。対みたいに扱われちゃって、あーやだやだ」


 よっぽど嫌いなのだろう。手のひらを空に向け、アメリカンなやれやれポーズ。
 自分が聞いた話では、今まで護衛対象に損害を負わせたことが微塵もなく、AI関係の博士号まで持つ智将……らしい。間桐提督との相性は最悪だ。
 確か、大侵攻に対抗する桐竹氏を送り出したとかで、ドキュメンタリー番組の主役になってたのを、テレビで見た覚えがある。誰が見ても嫌々だと分かる顔で通したのは、ある意味すごかった。
 軍人という言葉が服を着て歩いているような、そんな印象だったけど、だからってこんな……。


「間桐提督はアレですけど、先輩がそんな風に言うなんて珍しいですね。何かあったんですか?」

「………………」

『オイ、アレってなんだ。どういう意味だこのロリコン。……無視すんじゃねぇ!』


 湯気を立てる棒人間はさておき、発した質問に、先輩は表情を消してしまう。
 一瞬だけ垣間見えたのは、哀れみだろうか。それとも後悔?
 もしかして自分は、先輩の隠れた傷をえぐろうとしているんじゃ――


「気になる? 気になっちゃう? 気にしてくれるんだ? うっれしいなぁ、これはフラグが立ったのかな! お姉さん張り切っちゃうぞう!」

「あ、もう答えなくていいです……」

『……ケッ、くだらねぇ』


 ――という心配も、ウキウキ笑顔と妙なポージングで爆破された。
 ただ単に馬が合わないだけか。先輩と梁島提督とじゃ、きっと性格は水と油だもんなぁ。
 はぐらかされた気もするけど、個人的な疑問は後回しにしよう。
 だいぶ気分も良くなったので、「よっ」と勢いをつけて起き上がり、ついでに質問も仕切り直す。


「それで、自分がここへ呼ばれた理由はなんなんでしょう。こんなに急がせたってことは、重要なことなんですよね」

「もちろん。じゃ、そろそろ移動しようか」


 PCを抱える先輩にうながされ、お馴染みの移動用カートに乗り込む。
 格納庫を出て向かう先は、ドックのようだ。
 ちなみに、PCは後部座席の真ん中でシートベルトを着けている。中の棒人間も。
 ここまで来ると職人技だ……。何パターンあるんだ棒人間アニメーション……。


「桐生提督が残した記録映像は覚えているかい」

「……はい。キスカ・タイプ、ですね」


 打って変わり、低いトーンの問いかけ。
 顔を引き締めながら答えれば、一つ頷きが返される。


「あれに映っていた巨大な人影。
 我々は、あれが深海棲艦側の統制人格であると判断し、その巨体から、本体である艦船も相当な大きさだろうと推測した。
 対抗するには、最低でもビッグセブンの大口径砲が必要となる」

「でしょうね……。それでも撃ち抜けるかどうか……」

「ま、やりようはあるさ。同調率を犠牲にして、最新型の成形炸薬弾でも使えばいい。もっとも、かなりの大型弾頭が必要だろうけど。
 そこで、吉田のお爺さまからのお達しさ。君にも長門型を励起してもらう。かねてからの約束を果たす意味でもね」

「約束……。あっ、そういえばそんな約束してましたっけ」


 いやー、いけない。すっかり忘れてた。
 あんな煽られ方されて、間桐提督の鼻を明かすのが、作戦の主目的になっちゃってたような。
 全裸逆立ちは嫌だったし。そもそも逆立ちができないし。


『オイ、どういうことだテメェ。こちとらこの状況で、必死こいて改装作業続けさせてんだぞ。つーかなんでたどり着くんだよ! 空気読めや!』

「どうして任務を果たしたのにキレられなきゃいけないんですか!?」


 ポリポリ頭をかいていると、後ろから「ピィーッ」と効果音入りのツッコミが。
 こちらも反論するが、怒りマークをつけた棒人間は、髪型をモヒカンにして腕を振り回している。
 ……怒髪天を衝く、を表しているんだろうか? 先輩は大笑いだ。


「はっはっは、本当に捻くれてますねー、間桐提督も。……あの談合が終わった直後から用意してたくせに」

『ウブォラァァアアアッ!!!!!! 有ること無いこと言ってんじゃネェぞゴラァアア!?』


 あ。スーパーサ○ヤ人になった。
 古典アニメなのに、よく知ってるなぁ。
 ちょっと親近感が湧いてきたぞ。


「ええっと……。実は良い人?」

「そうなんだよ新人君。でもこの人は凝り性でねぇー。
 いざ改装作業を始めたら、これじゃあバランスが悪い、あの野郎がヨンロク単を使えるわけがねぇ、とか言い出してね?
 整備班と実際の指示出しする私はてんやわんやさ」

『アァン? ったりめぇだろうが。この俺が用意する長門型だぞ? 最高の一品に仕上げねぇでどうすんだ。
 それに、四十六cm単装砲は狙撃砲。感情持ちの照準に頼ってる野郎が撃っても当たるわけがねぇ。だったら別のモン載せなきゃならんだろうが』

「別の物?」


 話と共に、カートは進む。
 艤装作業を行うための大型クレーンと、乾ドックでそれを受けていただろう、大型艦船が遠目に見えた。


「さぁ、見えてきたよ。あれが……」


 先輩がアゴで示す間にも、その影はどんどん大きくなっていく。
 ここまでくれば間違え様がない。
 排水量、約三万九千。二百二十九・九四mの全長は、姉妹艦よりも○・四四mだけ長く、速力は二十五・三ノット。
 八八艦隊計画の第一陣として完成し、イギリスのネルソン級戦艦一番艦ネルソン、同二番艦ロドニー。アメリカのコロラド級戦艦一番艦コロラド、同二番艦メリーランド、三番艦ウエストバージニアと並ぶ、四十一cm砲を装備する七隻のうちの一隻。
 ――戦艦、長門。
 だが、記録写真に残るその姿と、ここにいる彼女とでは、ほんの少し差異が見受けられた。
 通常であれば、連装砲として二つの砲身が並べられているはずが、三つ。


「……あれ? あの砲塔って……」

「気づいたね。そう、あれが、私と間桐提督が組んで開発した新兵装」

『試製 四十一cm三連装砲だ』


 カートを降り、その威容を間近で確認できるようになると、鳥肌が立つような感覚に襲われた。
 なんだ、この高揚感。格好良いってだけじゃない。
 今、目の前にあるコレが、自分の手で息衝くようになる。
 鉄のパイプを血管に。オイルを血液に。変速機を心臓にして、命を帯びるのか。
 ……ゾクゾクする。


『もともと、戦時中に開発計画があったモンだが、まぁ面倒臭ぇ理由で頓挫した。それを俺が解析して完成させた代物だ。これで、素の火力ならタ級に匹敵するはずだ』

「実際に図面をひいたのは私なんだけどね。
 いやぁ、間桐提督はエンジニアとしても一流なんだけど、如何せん字が汚くってねー。
 仕方なーく私が解読して、試作にこぎ着けたというわけさ」

『ウルッセェな。俺が読めりゃ良いんだよ』

「そのせいで誰も作れなかったんですよ? 全く、PCで書いちゃえば良いでしょうに」

『ハッ、設計図ってぇのは手書きだから良いんだ。これだからロマンの分からねぇ女は』

「あはは……。ん? じゃあ、あの手紙は一体?」

『あれは俺の秘書官に打たせたんだよ。改修で忙しかったからな』


 苦笑いしつつ、自分はウズウズする気分を抑えきれないでいた。
 間桐提督の言う言葉が、妙にしっくり来るのだ。
 浪漫。
 あの戦艦・長門に積まれた試作兵装。
 あぁ、男だったら、これで浪漫を感じずにいられるもんか。
 それが顔に出てしまったのか、先輩はまたクスリと微笑み、棒人間が映り込むPCへ、外付けのアンテナなどを装着し始める。


「さてさて、話はこのくらいにして。さっそく励起と行こう、新人君。間桐提督、記録をお願いします」

『おう』

「はい。……はい? え、なんで間桐提督が……」

『アァン? 馬鹿か。俺の長門が励起されんだ、見届けねぇでどうすんだよ。
 それに、まだテメェの能力を信用したわけじゃねぇ。
 マジで最初っから感情持ちとして励起されんのか、確認させてもらう』

「はぁ……。まぁ、良いですけど」


 PCの中に居ながらPCをいじるという、ややこしい事をする間桐提督@棒人間。
 手放しで見学モードに入った先輩によれば、「ちゃんと資格持ってるから安心していいよー」とのこと。
 本当に優秀なんだ……。見た目が棒人間だから、正直、侮ってる部分もあったんだけど、普通に尊敬しそうで嫌だ。なんか悔しい。


『数値正常。いつでも行けんぞ、さっさとやれや』

「了解。……ふぅ……」


 気だるそうな声を背に、深呼吸しながら長門へ近づく。
 いつもと変わらず。力まず、焦らず。
 心を落ち着けて……と精神統一しているところに、今度は切実な祈りが聞こえてきた。


『貧乳になれ……。貧乳になれ……っ。いや、貧乳じゃなくてもせめて普通に収まれ……!』

「間桐提督。こっそり励起した長門がまた貧しかったからって、呪っちゃダメですよ。
 大きさなんて関係ないじゃありませんか。おっぱいは大きさより、色と形と感度です」

『ウルセェ黙れバーカ! パッド戦士が偉そうに言うな! バレてねぇとでも思ってんのかァ!? ニセ乳は去れ!』

「あっ、い、言いましたね!? よりにもよって新人君の前でっ。こんのモヤシ! ミミズ文字! 素人童貞!」


 ……祈り? 違うよ絶対。子供の喧嘩じゃねぇか。
 というか、パッド使ってたんですか先輩。どういうことだ、この裏切られた気分は……。
 何やら疲労を感じてしまうが、ここでやめるわけにもいかない。
 自分はゆっくりと右手を上げ、それを翻しながら、呼びかける。


「来い――長門!」


 数歩先で光の粒が凝縮し始めた。
 陽光にも負けないそれは、無いはずの重みを感じさせる足取り。
 一つ。また一つと、鮮烈な集合体は大きくなっていく。
 象られた胴体が丸みを帯び、形成される五体のうち、右手がこちらへ。
 ようやく指となり出したそれを、しっかりと握りしめた、まさにその刹那。
 光が、爆発する――。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ――爆砕音。

 双胴船の胴体は、大きく抉られていた。魚雷が役目を果たし終えたようだ。
 桐谷は「ふむ」と漏らし、口元に満足げな笑みを浮かべる。


「効いている。いや、むしろ効きすぎるくらいですか」


 戦闘を開始してしばらく。
 他に随伴艦の姿もなく、易々と側面をとった桐谷の駆逐艦は、見事に酸素魚雷を命中させた。
 現在、双胴船から見て右舷で、睦月型八隻と鈴谷すずや熊野くまのが砲戦を。左舷で吹雪型六隻が雷撃戦を展開している。同航戦だ。残る最上・三隈は桐ヶ森艦隊の直衛である。
 普通ならこのような、対角線上の展開はしないが、あまりに船体が大きいため、砲も魚雷も外しようがないと、桐谷は判断した。
 それを証明するように、右舷には無数の風穴。左舷には洞窟が幾つも穿たれている。まるで、装甲など施されていないようだった。


「しかし、これでは意味がない……」


 だが、続く声は苦々しい。
 普通なら爆発・炎上するか、浸水により転覆しかねない損害を負っても、双胴船はひたすら進み続けている。
 この異常事態を可能としているのは、双胴船の持つ特殊機構――互い違いの船首に隠れる、捕食部位だった。


「捕食による自己修復能力。……なんて出鱈目な。突破口がまるで見えません。このままではジリ貧だ」


 一見するとごく普通なそこは、まるでヤゴのように開口し、中から文字通りの触手が顔を出す。
 それに囚われた船は、双胴船の内部へと引きずり込まれ、咀嚼される。溜め込んだ鋼材を使うのか、船体に開いた穴はみるみる塞がっていく。
 すでに、弥生、水無月、東雲しののめ薄雲うすぐも白雲しらくも浦波うらなみが取り込まれた。さすがの桐谷でも、このような行動は予想できず、対応が遅れてしまったのだ。
 痛恨の極みである。


『言ってる事と口調が一致してないわよ。ちょっとは焦りなさい、よっ』


 一方、空でも壮絶な格闘戦が行われていた。
 百機を越えるだろう敵艦載機に対し、桐ヶ森が操るは、零式艦戦六二型・爆戦と、局地戦闘機――陸から発進する、航続距離の短い防空用戦闘機・紫電を改良、着艦フックなどを追加した艦戦・紫電改二である。
 飛龍改、蒼龍改の搭載数がそれぞれ七十三であり、飛鷹型改の二隻が六十六で、合計二百七十八機。内訳は爆戦が七十二、紫電改二が百五十四。残る四十四機は艦偵だ。


「そちらから攻撃するのは無理ですか」

『拮抗させてるだけでもありがたいと思いなさい。
 威力偵察だから二軍の艦載機しか積んでないのよ、こっちは。
 こんな事なら芙蓉隊を積んでくれば良かったわ……!』


 総数では大幅に上回るものの、実際に飛び立っているのは三割程度。強化型の敵機が多く混じる中、制空権は拮抗していた。
 比較的、足の遅い爆戦を敵機が狙う。
 食い止めようと紫電改二で追い払うが、強化型が後ろを取ろうとねじり込み、それを回避するため紫電改二も軌道を変える。
 開いた場所にまた敵機がなだれ込み、あわや撃墜と思われた爆戦だが、主翼を水平線と垂直になるまで旋回させ、あえて失速。
 敵機が追い越したところで状態を回復させ、正確無比な射撃で黙らせる。
 相手の制御系は四つあるのに対し、たった一人の少女が、視界も利かない夜闇で孤軍奮闘しているのだ。称賛に値する手腕であろう。


「浮遊物からの砲撃、第四波、来ます」

「……受けておきますか、一度」


 調整士からの知らせに、桐谷が予測思考を切る。
 あの浮遊物は、砲撃する際に開口部を対象へ向ける。回避は簡単だった。
 が、その火力については未知数。後続のためにも、把握しておかなければ。

 駆逐艦たちに向け、大口が開かれた。
 内側から伸びる無数の砲身は、多段階に伸長。生物のように狙いを定める。
 一瞬の沈黙。
 直後、怒音と共に呪いが打ち出された。


「着弾を確認。深雪みゆき、吹雪、如月きさらぎに至近弾。深雪は大破、如月・吹雪は中破です。三隻とも、航行はまだ可能かと思われます」

「精度はそれほど高くはない。けれど威力は戦艦・旗艦種並みですね。おまけに艦載機も制御しますか」


 砲撃の反動か、大きく後退する浮遊物。
 もしかすれば、アレは傀儡艦における、航空戦艦と同じ役割を持っているのかも知れない。
 とはいえ、宙に浮いているというだけで、回避力は段違いだ。
 船が二次元方向にしか回避運動を取れないのに対し、アレは三次元に動ける。
 まして、撃ち上げるしかない高低差が命中率を下げている今、為す術がない。


『隙あり!』


 そんな状況でも動くのが、桐ヶ森である。
 反動で姿勢制御が乱れたと判断した彼女は、一斉に爆戦を浮遊物の一つへ向かわせる。
 だが、急だったため高度が取れない。爆撃は不可能。ではどうするのか。


『まさか実戦でやるとは思ってなかったけど……。これでも喰らいなさい!』


 浮遊物と水平に飛ぶ爆戦たちが、突如として錐揉み飛行を開始する。
 複数方向から、空中分解寸前まで加速するそれらを、もちろん敵機は落とそうとするが、紫電改二でうまく阻む。
 やがて、浮遊物と爆戦がすれ違うわずか手前で、二百五十kg爆弾が切り離される。
 慣性の法則に従い、爆弾は放物線を描いて斜めに飛び、“横から”浮遊物へ直撃した。

 ――閃光が、十四発。


「おぉぉ、凄いですね。反跳爆撃ならぬ、錐揉み爆撃ですか。こんな曲芸飛行、初めて見ました」

『当ったり前でしょ。私、天才だもの。……ま、落下エネルギーが無いから、外殻を削るのが限界でしょうし、ちょっと気持ち悪くなるのが難点だけど』


 艦載機の軌道を、実体験と勘違いする三半規管に苦労しながら、桐ヶ森は不敵に笑う。
 今は爆煙で隠れてしまっているが、間違いなく十四発、直撃させた。
 落とせはしなくても、少なくないダメージを与えているはず。


『……嘘でしょ、無傷!?』

「いよいよもって、手詰まりですね。まるで空飛ぶ要塞だ……』


 ――だった。
 爆煙が内側から払われる。
 ヘコみすら見受けられない浮遊物が、新たに艦載機を吐き出したのだ。
 この場で打てる手は、もう全て打った。
 浮遊物には歯が立たない。まだ双胴船への爆撃は試していないが、上を抑えられては有効打にならないだろう。
 桐谷は決断する。


「戦艦でもあればまだ選択肢はありましたが、致し方ありません。撤退しましょう。桐ヶ森さん、お先にどうぞ」

『ちょっと、待ちなさいよっ。まだやれる事が……!』


 撤退という単語に、桐ヶ森が「嫌だ」と言わんばかりの反応を見せた。
 彼女にとって、戦闘からの撤退は初めての経験である。
 今まで彼女は、目の前に立ちふさがる敵を、ことごとく粉砕して来た。それが“飛燕”の誇りであり、実績だ。
 しかし、敵に背後を見せたくないという理由で、自らの船を沈ませるほど、馬鹿でもない。理由は他にあった。


「ありますか? まさか、わたしの傀儡艦に感傷でも?」


 けれど、桐谷がそれを嗤う。そんな些細なことで、と。
 そう。些細なことだ、この男には。そして、自分の考えは間違っていないと、確信している。
 桐ヶ森も頭では理解していた。だから、沈黙は三秒だけ。


『やっぱり私、アンタのこと好きになれないわ。腕は認めるけど、アンタには欠けているものが多過ぎる』

「これは手厳しい。わたしは貴方のこと、好きですよ。その内に秘めた甘さ、失くした物を見ているようで、とても懐かしい」

『……桐ヶ森、撤退するわ。しんがりは任せる。武運を』


 話すだけ無駄だと悟った桐ヶ森が、早々に船を転針させる。
 撤退を援護するため、艦載機の制御は続けるが、最終的に全て使い潰す。そのための二軍だ。
 あとは、敵の索敵範囲から逃れるだけの時間を、桐谷が稼げばいい。


「さて。最後の大仕事です。投薬、Aの三からCの一。Eの六も追加してください」

「はい」


 気を取り直し、脳を活性化させるための薬物を投与。桐谷は思考に没入する。
 他の“桐”と違い、彼は傀儡艦と完全同調することがない。
 指示は全て第一強度で行われる。つまり、常に相手の行動を読み、先手を打つ必要があるのだ。
 思考を加速させる薬物は、この時代でも完全に悪影響を排除できなかった。
 使うたびに寿命を縮める代物だが、これも些細なこと。


(……浮遊物を黙らせなければ、話になりませんか。有効なのは……)


 まず、捕食しようと伸ばされる、双胴船の触手を無視。駆逐艦の全砲門と、重巡の対空兵装をフル稼働させる。
 当たるわけは無いのだが、当たれば嫌なのは確か。
 敵機の足並みは乱れ、独立して動いていた桐ヶ森の艦載機と組み合わさり、ほんのわずかだが、自由に動ける空白が生まれた。
 そこへ侵入するのは、待機していた鈴谷・熊野の瑞雲、二十機。
 不穏な気配を察したか、浮遊物四基が砲で応戦するも、先に言ったとおり精度は低い。
 悠々と、五機ずつに別れた瑞雲のグループは近づき、そのまま開口部へと――特攻した。
 鋼の悲鳴が、周囲に轟く。


「敵艦載機制御、乱れています」

「うん。上手く行きました。準備は」

「受信装置は、取り込まれても数分は機能するようです。いつでも」

「よろしい」


 航空戦と同時に、駆逐艦たちもまた動いていた。
 双胴船の進路を塞ぐようにして、行き足だけで動いている。
 このままでは追いつかれ、また捕食されてしまうだろう。
 だが、そうしてもらわねば困るのだ、むしろ。


「……よし、食いついた」


 数分後。微速で進む双胴船の前方艦首が稼働する。
 喫水線辺りで、横にいびつな線が生じ、得体の知れない……煙のような物を吐き出しながら、縦に大きく開かれる。
 更に、上顎に当たる部分が左右へと割れ、内側から触手が現れた。
 植物の蔦にも見えるそれは、最も近くにいた駆逐艦・深雪の船体へ伸び、一瞬で絡め取る。
 三千tはあろう駆逐艦が、持ち上がった。
 ひしゃげるほどの力を加えられ、こちらでも鋼の悲鳴が響く。肉食動物の牙に掛かった、哀れな獲物のようだった。


「では、これにてお別れです、深雪。あなたの挺身、忘れませんよ。自爆装置、起動」

「了解。起動信号、送ります」


 双胴船が深雪を捕食する。それを見届けて、桐谷は調整士へ命令を下した。
 彼女も慣れた様子で従い、深雪に近い熊野の中継器から、二十四文字の解除コードが電気信号として発せられる。
 受け取った深雪は、わずかな時間を置いて爆散した。
 残っていた燃料、魚雷、弾薬まで誘爆し、双胴船の艦首が吹き飛ぶ。


「残念、毒入りですよ。悪食といえど、これは堪えましたか」


 黒煙を上げる双胴船に、桐谷は満足そうに皮肉を放つ。
 彼が傀儡艦と完全同調しない理由は、この特攻戦法にある。
 無機物と魂をつなげる異能――傀儡能力。発動中に自爆などすれば、能力者にも大きなダメージが残る。
 それを防ぐには、動かすのがやっとの、最低限の同調率を維持した上で、自爆させる必要があった。
 全ては、最小のリスクで最大の成果をあげるため。
 事実、双胴船の速度は極端に遅くなった。再生速度も、目に見えて遅延している。
 浮遊物は双胴船から離れようとしない。この特攻戦法を繰り返せば、かなりの時間が稼げるだろう。


「桐ヶ森さんの撤退。第二次防衛線への戦力配置。そして、桐林殿と間桐殿の出撃準備。
 この時間は貴重な物だ。稼げるだけ稼がせてもらいますよ。……しかし……」

「どうかいたしましたか?」

「……いいえ。次、如月。接舷して自爆させます。いざ、さらば」

「はい」


 今度は如月の自爆を命じる桐谷だったが、冷徹な思考の裏に、一つの疑問が生まれていた。


(なぜだ。なぜ砲撃してこない。相手にする価値すらない、ということですか?)


 双胴船にとって、あの捕食行動がどのような意味をもつのか。
 それはまだ不明だが、もし攻撃的な意味を持つなら、なぜ砲を使わないのだろうか。
 見たところ、乱雑に生える砲塔は、どれも戦艦クラス。しかもあの数だ。弾幕を張ることだって出来たはず。
 なのに、あの船は砲撃を行わない。
 激しい戦闘が繰り広げられているにも関わらず、祈りを捧げる双子もまた、微動だにしない。
 不可解だ。


「……怖い、ですねぇ」


 理知の及ばない存在に、桐谷は笑顔を浮かべる。
 本気で恐れていた。
 もっと笑わなくては、と思うほど、恐れていた。
 異常さの塊である双胴船もそうだが、それとは別。
 あの双子を振り向かせたい、と。
 こう思い始めた己自身を、恐れていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 そこは、まるで映画館のようであった。
 戦場の光景が映る、昔ながらのスクリーン。肘がぶつかり合いそうな狭い席。カラカラと回転する映写機の音。
 旧世代を思わせる作りだが、よくよく見れば、おかしいところが幾つもある。
 まず壁がない。いくら暗いとはいえ、スクリーンの反射で確認できるはずなのに。
 次に、天井がない。恐ろしく天井が高いのだと考えれば、納得できないことはないが、妙だ。
 そして、床がない。席を固定するボルトが打ち込んであるはずの足場も、見当たらない。座席は宙に浮いているようだった。
 あるのは、無限に続く客席と、覗き込めば引き摺り込まれそうな、闇である。
 まともな感性を持っている人間なら、誰もが不安を覚えて然るべき、深淵。


『相変わらずですね、あの人も』


 しかし、不意に発せられた声からは、そのような感情を探り当てられない。
 スクリーンの真正面……最も迫力を味わえる位置に、おぼろげな人影があった。
 判然としない暗がりに佇む、白い服の人影が。
 声から判断するに、まだ青年と思しき声の主は、誰かから話しかけられたように後ろを振り向く。


『はい? あ、いえ。親しいと言えるほどでは。……なんと言いますか。あの人は、根幹に拒絶が根付いているような……』


 問い掛けだったのか、青年は言いながら思案する。
 と、また別な方向に顔を向け、うなずく。


『ええ、そんな感じですね。笑顔の仮面を被り、寄って来た肉壁で己を守る。ある意味、人間の見本でしょう』


 腕を組み、青年が何度も首を振る。
 人間という生き物は、社会性を持つことで繁栄した生物だ。
 地球の覇権を手にしたのも、ただ他の生き物より賢く、器用だったからではない。
 群れることによって数を増やし、増大した数によって己を守ることで、より多くの進化する機会を得たため――とも言える。
 そうであるならば、青年の言う“人間の見本”という言い方は、正しい。
 つい先ほどまで、スクリーンの上で戦っていた男を、表現する言葉としてなら。


『理由……。又聞きでも? 確か……』


 また、別の方向を向く青年。
 最初が背後で、次が右だとしたら、今回は左である。
 何もかもが不確定で、ハッキリしない。


『若い頃、兄と慕っていた分家の人間が、首をくくっているのを見つけてしまったそうで。
 それ以来、笑顔が張り付いてしまった……という噂です。眉唾ですね、そんなタマじゃ無いでしょう』


 肩を竦めるような口振りだったが、何やら付近の“闇”がざわめく。
 とたん青年は、敬愛する先達たちから窘められたように、不貞腐れる。


『……まぁ、そうですけど。でもですね? よほどの馬鹿でない限り、すぐに気づきますよ? それくらい露骨なんですから』


 また、“闇”がざわめく。
 すると今度は、硬い意思を滲ませる声が答えた。


『無理です。今の僕では“まだ”敵わない。分霊とはいえ、“彼”にすらボロ負けでしたから』


 ついさっき、人間の見本と評した男とは、違う人物を指しているのだろう。
 青年は自嘲し、肩を揺らす。
 そして、客席の手すりへと力を込め――


『約束は果たします。そのためにはもっと“深化”しないと。……ええ。もっと、もっと、もっと、もっと、もっと……』


 ――ゆっくりと、立ち上がった。
 闇に足をうずめながら、しっかりと。
 その瞳には、スクリーンの反射像が映り込む。
 砕け散り、沈みゆく軍艦たちが。





『神は、乗り越えられる者にのみ、試練を給う。
 貴方の前に立ちふさがるのは、僕だ。
 この程度、屁でもありませんよね? ……桐林提督』




















 グロかと思った? 残念、ゲロだよ!
 なんて汚い話はさておき。今回は、棒人間さん意外とまともな先輩ぶりを発揮する・六二型の妖精さんもおろろろろ・桐谷さんマジ外道、の三本でお届けしました。暗闇で語り合う若者……。一体誰なんだ……(白々しい顔)。
 物語の都合上、長門型二人の出番は次回へ持ち越しです。期待されていた方、ごめんなさい。
 代わりに、彼女たちの励起シーンは、後日こぼれ話として書き上げますので、どうかご容赦を。
 次回、いよいよ主人公のターンが回って来ます。当初の予定通り、一話で決着がつくのか否か。筆者にも分かりません!(オイ)
 それでは、失礼いたします。

『……神は死んだ。お前が殺した! 呪ってやるぞ桐林ぃいいっ!!』
「なぁ、提督。先ほどから騒がしいアレは、一体なんだ?」
「言ってることは物騒だけど、どう聞いても声が泣いてるわよねぇ」
「はっはっは。気にすることないさ、きっと羨ましいだけだから。あっはっはっはっは!」
「ひどいドヤ顔だよ新人君。それにしてもヘソだしルックとは……。どぅへへへへ……」





 2014/09/27 初投稿







[38387] 新人提督と線引きの覚悟
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/06/27 12:34




 ○月X日、水曜日。晴れ。

 ふと思い立って、あの人に日記帳を買ってもらった。
 彼はよく書き物をしている。なんでも、文字に書き起こすことで、思考を整理することができるんだとか。
 だから……というわけではないけれど、私も日々の記録をつけてみようと思う。

 戦いを始めて数年。
 あの人との連携も熟練し、“護国五本指”の一人として数えられるまでになった。
 一部では紅差し指べにさしゆびって言われているみたい。見た目のイメージとは合わないけど、パートナーとして鼻が高い。
 でも、彼はここ数日、塞ぎ込んでしまっている。気づけば、ぼうっと見つめられている。
 普段が春の日差しなら、枯れゆく季節を思わせる、小春日和。ほんの少しだけ、いつもと違う。
 あ。これは同僚の人に教えてもらったんだけど、小春日和って冬の季語らしい。
 てっきり春先の言葉かと思ってたから、ちょっと意外。

 まぁ、そんなことは置いといて。
 気づけたのも、彼らしくない冗談が続いたから。
 どうして私を見てるんですかって聞くと、「君に見惚れていた」、なんて歯の浮くセリフが飛んでくる。
 嬉しくないわけじゃない。嬉しくないわけがない。
 最近は鞍馬くらまも積極的にアピールするようになったし、むしろこれで一歩リードできたと思えば、思わずガッツポーズしてしまう

 そう、お姉ちゃんに勝てる妹なんて、この世には居ないのですっ。
 身長でも、料理の腕でも、あの人からの信頼度でもっ、胸囲でも!

 ……本当に思考を整理できるのかな。なんか、余計な事ばかり書いてる気がする……。
 とにかく!
 嬉しい言葉も、繰り返されたら感動は薄れちゃうし、冷静になると誤魔化されたとしか考えられない。
 あの目は。あの眼差しに宿っていた感情は……何?
 彼に見つめられるのを、怖く感じる日が来るなんて、思ってもみなかった。

 願わくば、明日一日くらい、ただ笑っていて欲しい。
 だって明日は、私とあの人が出会った、大切な記念日なんだから。
 大学芋。また作ってあげようかな。


 出典不明。
 誰か、少女の日記と思われるが、衆目に晒された形跡は無い。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「扶桑姉さまが一万三千五百十二人、扶桑姉さまが一万三千五百十三人、扶桑姉さまが一万三千五百十四人……」

『……なぁ、山城。それで本当に落ち着けるのか、君は』


 白み始める空の下、どこからともなく聞こえてくる呟き声へ問いかけると、当然だと言わんばかりに返事が投げられた。


「大丈夫です。私にとって、扶桑姉さまは心の支えですから。むしろテンション上がりっぱなしです……。姉さまがいっぱい……!」

『そりゃあそんだけ居れば心強いだろうけどさ。見てるこっちは不安になるよ……』


 うっとり。
 両手で頬を挟み込む少女――山城は、文字通り夢見心地な表情だ。
 どんだけ姉好きなんだよ……。それ自体は良い事だろうけど、ちょっと病的な感じがして怖いぞ……。


「流石にそろそろ、遠慮して頂きたいですね」

《同感デース……。というか、別れ際にテートクが『扶桑の数でも数えてれば緊張しないだろ』なんて言ったのがいけないのデスよ》

『ごめん。ここまで続くとは予想外だったんだ……』

《申し訳ありません、妹がご迷惑を……。さ、山城。そろそろ止めにしましょう?》

「えぇぇ……。姉さまがそう言うなら……」


 相変わらずポーカーフェイスな加賀さんと、ゲンナリした金剛へ謝るも、本当に予想外だったのだ。途中で間違えるか分かんなくなっちゃうと思ってたし。
 現在時刻、○六四八。
 予定していた第二次防衛線である、足摺岬から南に百七十マイルのポイントではなく、百五十マイルの海域で、二十四隻の船がたむろしている。


《でも、そうしていなければ落ち着かない気持ち、榛名も分かります》

「だよねー。まさかホントに、寄り道なしの前線送りさせられるとかさ。勘弁してほしー」


 北上は、改装で載せ替えた主砲――十五・五cm三連装砲のミニチュア版を手に、ため息をつく。
 当初の予定よりも、戦況は早く、より悪い方へと傾きつつあった。
 大井の眉に刻まれたシワが、それを物語る。


「佐世保の通常艦隊は、南大東島へたどり着く前に壊滅……。敵巨大船は速度を上げ、もうじきここに来る」

《オマケに、佐世保の艦隊を潰した戦力を引き連れて、だ。この戦い、厳しいものになるぞ》


 木曾がそう締めくくると、緊張感がいっそう高まる。
 もとより、南大東島へ向かっていた艦隊は、途中で発生するだろう遭遇戦も考えたうえで編成された、選り抜きの傀儡艦たちだった。
 最末期の航空母艦・伊吹を第十評価とし、一が励起直後とされる、全十段階での評定値。実戦投入可能なのが第三評価だとすれば、第五~第六評価の高練度な船ばかり。
 しかし、彼女たちは与えられた任務へ就く前に、その生涯を終えてしまう。想像を絶する数の深海棲艦が、進路を塞いだからだ。
 予想だにしない事態を受け、指揮をとっていた能力者は即時撤退を命令するも、追いすがるタ級やル級、ヲ級などに阻まれ、蹂躙された。
 現在、その深海棲艦たちは巨大船――キスカ・タイプと合流。三桁を優に越す軍勢となり、こちらへ向かって来ている。緊張するなという方が酷だろう。


「書記さんは大丈夫ですか?」

「お気遣い、ありがとうございます。特に問題は。作戦終了までお手伝いさせていただきます」

「すみません、わざわざ来て貰っちゃって」

「いいえ。これが私の役目ですから。それに、提督の調整士を務めるには、少々コツがいります。他の方には任せられません」

「あはは、助かります」


 初めて訪れた場所で、慣れない増幅機器に座る自分を補佐してくれるのは、あきつ丸たちの帰還を見届けてから、ヘリを使い追いかけてきてくれた書記さんだ。
 重要な局面となるであろうこの戦い。万全を期するために、上層部が配慮してくれたとのこと。なんとヘリは本人が操縦したらしい。
 正直言って、ありがたい。彼女が同じ調整室に居るというだけで、安心感が違う。


「うぅぅ、やっぱり艦隊旗艦を変えましょう、提督。今からでも遅くないです。私になんかよりも……」

《駄目よ山城。ワガママを言っては。私が背中を守るから、立派に勤めを果たしてちょうだい》

「姉さま……。でも……」

《ぁああもうっ! さっきから聞いてりゃ、デモデモダッテで情けない! なんならアタイに指揮を譲んなっ。ただデッカいだけの船なんて、アタイらにかかれば一捻りさ!》

《あの、涼風ちゃん? 膝が物凄く震えてる……》

《武者震いっ》

《だ、だけど、冷や汗も……》

《武者震いだって!》


 正気に戻ってしまい、不安に駆られる山城。小刻みに震えながらも、自身を奮い立たせる涼風。オロオロしながらそれに突っ込む五月雨。
 他のみんなも、それぞれに緊張をほぐそうと会話したり、準備運動をしていたりする。
 ごく一部に、「カニカマ持って来ればよかったかの」とか、「眠い……。まだ寝足りない……」とか言っている、緊張感のかけらもない子も居るのだが。肝が太くて羨ましい。


(許されるなら、誰かにこの場を押し付けたいくらいだけど……)


 いや、こんな事を考えちゃいけない。
 第一次防衛線は構築する間も無く破られ、最前線はここ。生半可な覚悟で挑めば、犠牲になるのは電たち。しっかりしなくちゃ。
 ともあれ、艦隊旗艦としての立場を思い出したのだろう。自分と同じように、山城は表情を引き締める。


「ごめんなさい。ちゃんとやるべき事はやります。逃げたりしたら、扶桑型の名に傷が付きますから」

《大丈夫ですよ。わたしだって、お姉さまを差し置いて旗艦なんか任されたら気後れしますし。みんなも分かってますって。ね?》

《ええ。それより問題は敵艦隊。とりわけ、仮称・浮遊要塞とキスカ・タイプです》


 姉好き同士のシンパシーか、あっけらかんと慰める比叡だが、霧島は至って真剣である。
 キラリと光るメガネにつられ、言葉を継ぐのは筑摩だ。


《艦載機を制御し、三次元機動までする浮遊砲台。そして自己修復機構をもつ巨大双胴船。どちらも一筋縄ではいきそうにありませんね。困りました》

《うぬぅ……。確か、敷設艦が機雷をばら撒いとるんじゃったな? 少しでもダメージを与えられれば良いが、それだけで倒せるとも思えぬ。厄介じゃ》

《あかん、あかんわぁ……。生きたまま食べられるやなんて、想像しただけで痛いぃ……》


 太ももをこすり合わせ、身を抱えるようにして鳥肌の立った肌を撫でる黒潮。
 南大東島に敵戦力が集中しているせいなのか、こちらの海域では深海棲艦の出現が皆無だった。
 それを利用し、例の梁島提督と先輩が率いる敷設艦――機雷や防潜網を敷設する艦船が、およそ二十マイルに渡って機雷を設置している。
 戦闘を行う船ではないためか、同調率を度外視し、積んでいるのは比較的新しい型。二十一世紀初頭に使用されていた高性能機雷だ。
 普通の深海棲艦……たとえ戦艦級であっても、これをまともに食らえば轟沈は必至。けれども、相手があまりに大き過ぎる。有効打になってくれれば助かるが……。


《幸い、あの触手は動きが遅いようですし、対応も機銃で十分のようですけれど、できるだけ距離を置きましょう。捕まらなければ、どうということはありませんわ》

《ああ。みすみすやられる訳もいかん。厳しい戦いになるだろうが、とにかく、全力を尽くすのみだ》


 そんな胸の内を察してくれた妙高が、唯一の安心材料……傀儡艦を捉えようとするあの触手が案外脆いという事実で、皆を慰撫する。
 那智さんが見せる気概も頼もしい。気になるのは――


《……電? 大丈夫?》

《あ……。だ、大丈夫なのですっ。いつでも、戦えます!》


 ――すっかり黙り込んでしまっている、電だ。話しかけた雷も、心配そうな顔をしている。
 分かっている。書記さんに見せてもらった、桐谷提督の戦闘記録。傀儡艦の、自爆攻撃が原因だろう。
 頼んだ時、珍しく彼女が口籠ったのを、深く考えなかった自分が悪い。
 最も効率良く傀儡艦を“使い潰す”男。
 こんな評価をされる人物の戦いがどんなものか。簡単に想像できたはずなのに。


『電。考えるなとは言わない。けど、戦いが始まったら、自分と仲間を守ることに専念してくれ。今は生き延びることが最優先だ』

《……はい》


 一応は頷いてくれるが、表情は曇ったまま。自分も納得できない気持ちは同じだった。
 きっと桐谷提督なら、「納得する必要も、させる必要もないでしょう。そういう存在なのですから」と、笑顔で言ってのける。
 たぶん正しい。少なくとも、間違っているとは言えない立場だ。
 でも、自分の在り方も間違っていないはず。それだけは自信がある。この戦いで、証明してみせよう。


《こちら瑞鳳。敵艦隊、見ゆ。映像、送ります。……ちょっとだけ、覚悟しておいた方が良いかも》


 密かに決意を固めていると、偵察機を飛ばしていた瑞鳳から知らせが入った。
 重い口振りに嫌な予感がしたが、送られてきた映像は、その期待を裏切ってはくれない。


《ちょっと、これって……!》

《共食い、してる……?》

《うひぃ……。背筋がゾワッと来た、ゾワッとぉ》


 五十鈴が口を覆い、古鷹は一歩だけ後ずさり。加古も顔をしかめている。
 そこに居るのは、百を越える大艦隊ではなかった。
 巨大船と四つの浮遊要塞。加えて、数隻の深海棲艦。かなりの上空から見下ろしているはずなのに、たったそれだけ。
 佐世保の艦隊がいくらかは撃破したが、こんなに数を減らせたはずがない。キスカ・タイプが、仲間を捕食しているのだ。
 駆逐・イ級を。軽巡・ヘ級を。重巡・リ級を。戦艦・ル級を。見境なく食い散らかしている。

 相手にする数が減っただけ、ありがたいと思わなければいけないのか。
 ……もしも、あの巨大船に吸収機能があったら。食べたら食べただけ、その力を増すとしたら。
 あり得ないと言い切れないのが、恐ろしい。皆にそれを気取られないよう、自分は腹に力を込め、できるだけ落ち着いた声で、もう一人の軽空母へと問いかける。


『祥鳳。間桐提督の艦隊は?』

《はい、確認済みです。我が艦隊の後方に》


 後方――北へ向けて飛ぶ一機の二式艦偵が、水平線の向こう側を映す。
 停泊する六隻の軍艦。長大な砲身を持つ単装砲を備えた戦艦二隻と、軽空母へと改装された千歳型二隻に、鵜来型海防艦二隻。
 間桐提督の艦隊である。ちょうど通信が入ったようで、書記さんがそれを繋いでくれる。


『おい新入り、聞こえてんな』

『はい、聞こえています。何かご用事で?』

『当たり前だろうが。用も無しに通信するなんざ馬鹿のするこった。……桐谷の戦線復帰は無理だ。それだけ伝えとく』

『え?』


 ぶっきらぼうに伝えられたのは、期待していた援護が受けられないという、悪い知らせだった。
 予定では、桐谷提督もこの戦闘に参加するはずだったのだ。
 数時間の休憩を挟み、自分が横須賀から乗ってきたジェット機を使って宿毛湾泊地へ。そこで新しく傀儡艦を励起し、遠距離から雷撃支援を行うと聞いていたのに。
 一体どうしたんだろうか……という疑問を発する前に、間桐提督が答えを教えてくれる。


『野郎の自己申告だ。軽度の第三種フィードバック――精神汚染だとよ。薬の副作用も抜けきってねぇ。出たところで役立たずだろうさ』


 第三種? 事も無げに言っているけど、かなり大変なんじゃ……。
 多くの場合……いや、例は少ないのだが、第三種フィードバックが発生すると、能力者は長期の戦線離脱を余儀なくされる。
 極度の倦怠感、加虐性の助長、躁鬱、利敵行為など、様々な症例を引き起こし、最悪、永久監房行きだ。
 軽度ということは、そこまでじゃないのか?
 支援が受けられない不運を嘆くべきか、それとも、使い捨てにされる統制人格が出ずに済むのを、喜ぶべきか。
 普通なら前者なんだろうけど、複雑だ……。


『そうですか……。桐ヶ森提督は?』

『ちっ、調整士に聞けよ……。今、威力偵察に使った正規空母共をこっちに向かわせてるみてぇだが、たぶん間に合わねぇ。
 しかしまぁ、参戦はできるだろうよ。念のために、呉に置きっぱだった二軍を宿毛湾へ向かわせといたらしい』

『良かった。心強いですね。桐ヶ森提督の二軍空母っていうと、確か――』

『翔鶴と瑞鶴よ』


 唐突な、耳に心地良いソプラノ。
 祥鳳の二式艦偵が、間桐艦隊の背後から接近する空母四隻を捉えていた。
 翔鶴型航空母艦・翔鶴、瑞鶴。
 祥鳳・瑞鳳とおなじく、潜水母艦から軽空母に改装された龍鳳りゅうほう
 最後に、ミッドウェー海戦で喪った正規空母の穴埋めとして、ドイツ客船・シャルンホルストを買収。軽空母へと改装した神鷹しんようだ。
 本来、海外国籍の船を励起するには、様々な条件をクリアしなければならないのだが、過去に買収された船は除外される。
 特にこの神鷹は、ドイツ艦として生まれたシャルンホルストではなく、最初から神鷹として作られているため、問題ない。条件については長くなるので割愛する。
 そんな彼女たちを率いるのは、桐谷提督と威力偵察へ赴き、今も沖縄に身を置いているだろう、“飛燕”の桐ヶ森。


『お久しぶりです、桐ヶ森提督』

『ん、どーも』

『ぁんだ、もう来たのかよ。貧乏暇無しってか?』

『うっさいハゲ死ね』

『誰がハゲだァ!? モッサモサだぞ!?』


 騒がしく間桐提督とじゃれあう声からは、なんの気負いも感じられない。
 あれだけ強大な敵と相対し、今また戦おうというのに、落ち着き払っている。
 年は若くても軍人ということか。


『でも、本当に早いですね。前もって準備をしておいたんですか?』

『当然。転ばぬ先の杖、よ。……まぁ、威力偵察では予想外なことばかりで、遅れをとったけど。今度は負けないわ。この子たちで戦うんだから』

《この子たち? ……見たことのない艦載機ですね》

《えっ、どこどこどこどこっ? ねぇ、もうちょっと寄って寄って!》

『こら瑞鳳。無茶言うな、そして興奮するな。祥鳳が困ってるだろ』

《うぅぅ、だってぇ……》

《しょうがないんだから……。桐ヶ森提督、よろしいでしょうか?》

『……好きになさい。落ちないようにね』


 桐ヶ森提督の翔鶴・瑞鶴の上に、露天駐機されている艦載機が見えた。
 途端、目を輝かせる瑞鳳に押されたのか、二式艦偵が低空飛行へと移行。
 陽光を受ける見慣れぬ姿を二つ、視界に留めた。

 まず一つ目が、飛燕改二。
 旧日本陸軍が開発した三式戦闘機を、紫電改二と同じように艦上戦闘機とした機である。
 エンジンを載せ替えたり、その他武装なども一新しているため、どちらかといえば、五式戦闘機の艦載機化と言った方が良いかもしれない。
 この改良を経て、零戦に匹敵すると言われた飛燕は、後継機である烈風に勝るとも劣らない――いいや、“飛燕”が使うことにより、凌駕する性能を発揮する。

 そしてもう一つの見慣れぬ機体が、Ju87C改。
 日本で唯一、桐ヶ森提督にのみ与えられた艦載機である。
 大戦中、ドイツ・ユンカース社が開発した急降下爆撃機。俗称として、ドイツ語の急降下爆撃を意味する単語を縮めた、「シュトゥーカ」という名も持つ。
 最も有名なのはG型――対戦車攻撃機で、軍人なら知らぬものはないだろう、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル氏が使用した。
 一九三九年、旧日本軍が前身であるB型を二機購入。同時期、ドイツ海軍のために計画された試作C型を、残されていた廃材寸前のB型と資料を基に作り上げ、改良したものだ。

 開発には、あの大侵攻の直前に行われていた、北大西洋での大規模合同演習にて、日本人技術者の持ち帰った開発設計図が参考とされたらしい。
 ロシア・アラスカを経由して人員と資材を送り込み、現地で新たな長門型二隻・他随伴艦を建造するという、とっても無茶な方法で参加した日本だが、持ち帰ることの出来ない船たちは“初期化”され、そのまま他国に渡った。
 なんと言うか……。海の男というものは、今も昔も良い意味でバカが多いようで、あの大戦で活躍した船が貰えることに、彼らは歓喜。
 見返りとして、開発設計図を引き渡したのである。各国軍部の独断で。

 ドイツには駆逐艦の雪風と時津風ときつかぜが渡されたのだが、中には興奮し、鼻血を出しながら船体に頬擦りするドイツ人能力者も居たらしい。
 励起権を巡っては血みどろの殴り合いが発生し、他国にも同様の軍人ヘンタイがいたと聞く。どないやねん。
 まぁ、あっという間に情報漏洩は露見。事後承諾のような形で認めざるを得なかった他国の上層部は、使用中のデータを渡すことを条件として追加した。
 そのため、海外製の装備を使う能力者は極めて少なく、桐ヶ森提督も滅多にシュトゥーカは使わないと聞く。
 それを引っ張り出したということは、彼女にとっても正念場だということか……。
 いかん、思考がそれた。……でも、どうせだからもっと聞いてみようかな。


『あの、一つ聞いても良いですか』

『何を? もうすぐ戦闘開始でしょうから、手短にね』

『はい。えっと……どうして、翔鶴・瑞鶴が二軍なんですか? 蒼龍や飛龍の拡大・発展型が、翔鶴型の二隻なんですよね?』


 前から疑問だったのだ。
 第三次海軍軍備充実計画――通称マル三計画で建造され、機関出力に関しては、同計画で建造された戦艦・大和をも上回る空母。
 特に瑞鶴は、マリアナ沖海戦まで一発も被弾しないという、類稀な幸運に恵まれた船。能力者が誰しも一隻は持ちたいと願う空母である。
 性能面でも申し分なく、言ってしまえば、蒼龍・飛龍の上位互換のような存在だ。
 それを引っ込めてまで前級の航空母艦を使うのには、きっと何がしかの意味が……。


『――とか――の方が、――が――良いから』

『はい? あの、よく聞こえない……』

『そ、蒼龍とか飛龍の方が……名前が、格好良いからよっ! 悪い!?』


 ……あれ? もしかしてこの子、意外と単純?
 確固たる理由があるのかと思いきや、自分が天龍たちを呼んだのと同じとは……。
 まぁ、強い思い入れを持てる船や装備を使ったほうが、より良い戦果を挙げられるのは前にも言った。悪いことじゃないはずだ。


『いや、良いんじゃないですかね。格好良さだけで選んでも。ほら、ドイツ語もすごくカッコいいですし。クーゲルシュライバー! ……とか』

『え。……ホントに、そう思う?』

『はい。思います』

『……そう。そっか。うん。アンタのこと誤解してたわ。“嫌い”から“好きでも嫌いでもない”にランクアップしてあげる』

『はぁ、どうも』

『バッカじゃねぇの。名前なんてどうでも良いだろうがよ』

『アンタが胸の大きさにこだわるのと同じよ。それでもバカにする?』

『スマン。俺が悪かった』

《そこは素直に謝るんかぁい!》


 黒潮の切れ味がいいツッコミが炸裂し、なんとも言えない空気が漂う。おっぱいに関しては本当に素直っすね、棒人間さん。
 んなこたどうでも良いとして、意外と子供っぽいところもあるんだな、桐ヶ森提督。いや、まだ子供なんだけども。きっと今の地位を築くまで、苦労したんだろうなぁ……。
 ちなみに、クーゲルシュライバーとはボールペンの事である。ドイツ語は無駄に格好良くて困る。
 あ、それからもう一つ。まだ見ぬ蒼龍・飛龍さん。悪く言っちゃってゴメン。
 励起したら手厚く歓迎するんで、許してください。


「提督。桐ヶ森様がお見えになられたのなら、頃合いかと」

『っと、そうだな。そちらは?』

『問題ないわ。……って言いたいところだけど、一つ注文』


 加賀さんに指摘され、横道へそれっ放しな思考が引き戻される。
 間も無くキスカ・タイプは機雷原へ差し掛かるはず。合わせて浮遊要塞も。
 艦載機を発艦させ、対応する準備をしておかねば。
 ……と思ったのだが、桐ヶ森提督は一言つけ加えた。


『もう分かってると思うけど、あの船の能力は未知数よ。でも、“世に不条理など在らず。ただ知らぬ理があるだけ”。奴にも必ず弱点はあるはずなの。
 それを的確なタイミングで突くために、シュトゥーカは出し惜しみさせて貰うわ。砲撃の主力は間桐として、空の主力はアンタの船。いける?』


 誰の言葉かは分からないけれど、引用しているような雰囲気で、彼女は語る。
 おそらく、“彼”がここに居れば聞けた言葉なのだろう。
 自分は、“彼”の代わりに、ここに居る。不思議と、気合いが入った。


『やります。自分たちなら、やれます』

『……ふっ、返事だけは一丁前ね。とりあえず、背中は守ってあげる。存分にやりなさい』


 見えてはいないが、笑みを浮かべ合っているのが感じられた。
 多分まだ、背中は預けてもらえない。まだ、守られる側だから。
 それでも。一つ一つ積み上げて、強くなろう。


『オイ。なぁーんか除け者にされてる感があるが、主役は俺だからな。
 お前らはしょせん前座だ。俺が狙撃で奴を仕留める。弱点を解析するまでの時間稼ぎに集中しろよ?』

『心得てますよ。でも、あんまり遅いと、解析してる間に倒しちゃうかも知れませんよ』

『ケッ、言ってろ雑魚が』


 口の悪い忠告からも、今なら不器用な気遣いが分かる。
 自分たちが揃っているなら、負けるはずがない。
 こう信じられた。


「提督、敵艦隊に動きが」

『気付かれたわね。“千里”! 行ける?』

『誰に物を言ってんだ“飛燕”。テメェは上だけ気にしてろや!』


 再び加賀さんから知らせが入り、場の空気は一瞬で引き締まった。
 先行する二式艦偵の視界を見れば、佐世保艦隊を大敗させた随伴艦は、すでに平らげられていた。
 腹が一杯になったからか、それとも見られていることに気づいたのか。キスカ・タイプはますます速度を上げて近づいてくる。
 いよいよ、だ。
 準備は万端――と、言いたいとこだけど……。


『間に合わない、な。暖機に時間を取りすぎたか……』

《司令官さん?》

『いや、なんでもない。行くぞ、みんな!』


 未だ現れない“二人”の姿に、一抹の不安を感じつつ、電へ答える。
 無い物ねだりをしたって仕方ない。
 今ある戦力で、最善を尽くす。
 自分にできるのは、いつだってそれだけなんだから。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『さぁて……。まずは一発、様子見と行くかぁ? 新入り、情報よこせ』

『了解です。加賀さん、祥鳳、瑞鳳。よろしく頼む』

「承りました。……ですが、“さん”は要りませんと何度も言って……」

『あ、ごめん。なんか癖になっちゃっててさ』

《もう様式美みたいな感じですね》

《うん。一日一回は聞いてる気がする》

『イチャついてんじゃねぇよクソがっ。……俺も加賀を励起すっかな……』


 初手を打つのは、隠れ巨乳な正規空母に羨望の炎を燃やす、間桐提督。
 水平線のはるか向こうに居るキスカ・タイプへ、四十六cm単装砲が照準を合わせる。
 彼の使役する戦艦・長門、陸奥。それぞれに据えられた四基四門――合わせて八門の砲口が、脈動するかのように、小刻みに微調整を繰り返す。
 能力者への負担を最小限とするため、目の役割を果たすのは加賀たちの艦偵だ。
 有効射程ギリギリの距離にいる艦と、最前線で多角的に展開する航空機とが、有機的に連携。必殺の一撃を生み出す。

 ――轟雷音。

 三百三十kgもの炸薬により、秒速七百八十mの速度で吐き出される、一・四六tの砲弾。
 長く轟く、数百の雷を束ねたような砲音が収まって数秒。悠々と海原を進んでいた巨大船に、北北西から襲いかかった。


「す、すごい。本当に当てた」

『ハッ、ったり前よ。俺の砲撃は本物だぜ?』


 山城が思わず目を見開き、金剛や比叡たちも、「Wonderful!」「敵に回したくありませんねー」と拍手喝采だ。
 しかし、当の本人は満足がいっていないのか、次の瞬間には小さな舌打ちをする。
 それもそのはず。普通の船なら轟沈必死な風穴は、瞬く間に塞がっていくのだから。


『チッ、ダメだなこりゃあ』

『やっぱり効果はないわね。もう塞がり始めてる』

『仕方ねぇ、周りから潰す。標的変更、浮遊要塞――ァん?』


 無駄弾を消費するよりも、確実に仕留められるだろう浮遊要塞へ狙いを変える間桐提督だが、言葉尻は不機嫌そうに上がった。
 空飛ぶ球体は、まるで未確認飛行物体がごとく、不規則な回避行動を取り始めたのだ。
 再生機構を持っていない分を、機動力で補っているらしい。


『チィッ、小賢しい真似を……!』

《箱の中で飛び回るゴムボールのようです。外見からは推進装置も見受けられないのに……。とても興味深いですね》

『感心してる場合じゃないぞ、霧島。あんな物理法則を無視してるみたいな相手に、どうやって当てれば……』


 たしか、威力偵察の映像では、こんな機動をしなかったはずだ。
 ということは、今の一撃が自身にとって致命的であると判断したのか?
 だったら朗報だけど、あの変態機動、どうやって攻略しよう……。


『ねぇ、貴方たち。アレに当てる自信、ある?』

《へ? わ、ワタシたちですか? ムムム……悔しいデスけど、Impossibleネ》

《お姉さまと同意見です。ただでさえ距離がある上に、あのように動かれたら、無駄撃ちにしかならないと思います》


 桐ヶ森提督からの問いかけには、腕組みする金剛と、厳しい眼差しの榛名が答える。
 ちょっと意外だ。舞鶴での談合では、感情持ちに否定的な態度を取っていたのに、こうしてキチンと意見を聞いてくれるなんて。ありがたいことだけど。
 ともあれ、話しても大丈夫なのだと判断したのだろう、比叡や扶桑も続く。


《せめて、一瞬だけでも動きが止まってくれたら……う~ん。いや、どうなのかな~。正直、今のわたしたちの練度じゃ、まぐれ当たりに期待するしかないんじゃ?》

《一つの飛行要塞に対し、六隻で一斉射撃すれば、まだ可能性はあると思いますけど……》

「それも、距離が縮まってからでないと駄目そうですね。
 目視距離に来たら、キスカ・タイプも砲撃を開始するでしょう。集中も出来なさそう……。
 あっ。ち、違うんですよ姉さま? 姉さまの意見を否定したわけじゃなくて、あくまで私の練度が低いから無理だっていうだけの話であって」

『はいはいそこまでっ。自分もだいたい同じ見解です。接近すれば、金剛たちでも芽はあると思いますが、この距離であれを仕留められるのは間桐提督だけかと』


 アワアワと言い訳し始める山城を制し、最終的な結論を述べる。
 “千里”を見通す眼。実際に見るまで半信半疑だったが、彼は間違いなく戦艦主砲での狙撃をやってのけた。
 常識では不可能だと断じてしまうことをすら、やってくれるかも知れない。


『なら、やる事は決まったわね。
 敵艦載機をくぐり抜け、爆撃機を肉薄。回避方向を誘導し、四六単の狙撃で殴りつける。
 キスカ・タイプとやりあう前に、できるだけ数を減らしましょう。行動を開始してちょうだい』

『それは構わねぇが、どうしてテメェが作戦指揮を執ってやがるんだ? こういう時は一番強い奴が指揮をだな』

『何を動物みたいなこと言ってるの。私たち三人とも大佐でしょうに。けど、適任なのは私よ。
 一番出撃数が多いし、中将からも委任されてるわ。文句あるなら直訴してみたら?』

『……チッ、あの煙突ジジイめ。まぁいい。サッサと浮遊要塞を足止めしろよ、解析を始める』

『偉そうに。桐林』

『了解っ。加賀、祥鳳、瑞鳳、扶桑、山城。出番だ!』

「はい。零戦六二型と彗星を主力に。前衛は紫電改二で行います」

《了解です。改装された祥鳳型の力、信じてください》

《そうそう、正規空母にだって負けないんだから!》

《私たちは援護に徹しましょう。とにかく、落とされないように……》

「ですね、姉さま。けど、隙があれば逃しません。……あるといいんですけど」


 凛と響く指揮のもと、桐ヶ森提督の空母と、自分の空母に航空戦艦。合わせて九隻が戦闘行動を開始する。
 すでに発艦を終えていた機も含め、数えるのもバカらしくなるほどの航空機が空を埋め尽くした。
 浮遊要塞に雷撃は当たらないだろうから、天山などの艦攻は上空に控えておくとして、先頭を切るのは新型の艦戦・紫電改二と、桐ヶ森提督の飛燕改二。
 そこに扶桑たちの瑞雲を加えて、森林機動部隊の完成だ。
 ……自分で名付けといてアレだけど、ダサいな。口には出さないでおこう。


『あぁ、言い忘れてた。“アレ”に近づく時は覚悟しておきなさい。どんな事があっても、集中を乱さないように』

「……どういう事でしょうか」

『すぐに分かるわ』


 群れ成す発動機の音に慣れた頃、不意に桐ヶ森提督は奇妙な事を言い出す。
 “アレ”というのはキスカ・タイプか浮遊要塞として、覚悟しておけってどういう事だ……?
 敵の艦載機には出力強化型が多い。気をつけるのは当たり前なのに。
 加賀が聞き返しても、返事は来ない。しかし、彼女の言う通り。その答えはすぐに分かった。


『な……。これは……!?』


 ある一線を越えた瞬間、世界が裏返る。
 太陽が黒く塗られ、雲はタールのような粘り気を持ち、海も血に染まった。
 誰も彼もが、言葉を失ってしまう。
 どういうことだ!? 威力偵察の映像に、こんな風景は映っていなかったはず……!?


「書記さん、見えてますか?」

「はい。この目で、しっかり。画面にも同じように出ています。威力偵察の際も、同じだったかと……。
 おそらく、肉眼でしか確認できないのではないでしょうか。可視光による光景ではない、と思われます」


 問いかけには、彼女なりの推論が返ってくる。
 北方では記録に残り、今回は残らない。やはり、前回との差は大きいようだ。
 桐谷提督が陥った第三種フィードバック、警戒した方がいいかも知れない。
 と言っても、具体的にどうこう出来るわけじゃないのが怖いんだけど……。


『考えるのは後よ。いいわね』

『……はい。みんな、気を引き締めろ!』


 背骨をなぞられるみたいな悪寒に耐えながら、精一杯の声を張る。
 そうしないと、飲まれてしまいそうだった。
 こんなんじゃダメだ。気持ちだけは、いつでも強く持たないと!

 ややあって、暗い空にポツポツと、橙光が混じる緑光の群れが見え始めた。
 敵 艦載機群だ。


「まずは制空権を確保します。祥鳳さん、瑞鳳さん」

《はいっ。私たちだって航空母艦です、やります!》

《うん、絶対に落とさせないからっ》

「お二方は編隊の中ほどに。威力偵察の情報が確かなら、浮遊要塞は瑞雲を特に警戒するはず。囮に最適です」

《了解です。山城、行きましょうか》

「お伴します、姉さま」

『私は貴方たちの背中を守る。前だけに集中しなさい』


 空母たちは即座に対応。
 紫電が前へ突出し、後方に瑞雲。その周囲を爆戦が固め、飛燕は高度を稼いで全体を見通す。
 敵も攻撃的な編成に切り替わり、強化型が突貫してくる。
 睨みつけるような数瞬。そして、鋼鉄の鳥たちが絡まり合う。


《ん……。やっぱり、ちょっとやり辛いかも……》

《そうね……。光が少ないだけで、こんなに見え方が違うなんて》

『それは分かるけど、あんまり機体へ入り込まないようにね。落とされた時に痛いわよ』

《うん、気をつける――あっ! ご、ごめんなさ……じゃない、申し訳ありませんっ》


 夜間飛行に近い状態を強いられ、苦い表情を浮かべる瑞鳳と祥鳳。
 そんな二人を気遣ってくれる桐ヶ森提督に、瑞鳳は気安い返事をしてしまい、戦闘中にも関わらず恐縮しきりだ。敬語を使う余裕もなかったんだろう。
 けれど、さらに語りかける“飛燕”の口調は柔らかい。


『謝らなくていいわよ。思考を固くしないように、柔軟に対応してちょうだい』

《お気遣い、ありがとうございます。後で瑞鳳共々、ちゃんとご挨拶させてくださいね》

《……あ、あのっ。その時は……ひ、飛燕改二、見せてくれます?》

『ふふ、いいわよ。楽しみにしとくわ。さ、お喋りはここまで。桐林艦隊の実力、確かめさせてもらうから』

「どうぞ。一航戦の誇り、とくとご覧に入れましょう」


 もはや定番となった加賀の一航戦締めで、和やかさの中に戦いの火が灯る。
 真っ向勝負を潜り抜けた紫電は、競うように敵機と高度を稼ぎ合い、はたまた、海面スレスレでの追走劇まで繰り広げる。
 しかし、格闘戦を制するのはそのどちらでもなく、鋭い切り返しで一撃離脱を行う飛燕だ。
 数の上では互角でも、背後を守られているおかげか、こちらの被害は全く無い。
 初めて組む僚機だというのに、この密な連携。
 加賀たちの練度が高くなっている事もあるだろうけど、桐ヶ森提督が尋常じゃない速度で“適応している”という理由もあるだろう。末恐ろしい。


「穴が開いた! 姉さま!」

《ええ。瑞雲、爆撃に移ります》


 そうこうしているうちに、浮遊要塞への道が切り開かれた。
 僚機に守られ、一機も失われていない瑞雲隊が突出。桐谷提督とは違い、高度を稼いで爆撃体勢へ移行する。
 ここまで来ても、キスカ・タイプは対空射撃を始めない。……少し、気になるな。
 だが、謎の沈黙に答えを出そうとする間にも、状況は動く。
 瑞雲の接近を悟った浮遊要塞は、艦載機の吐出を止め、空中を横滑り。体当たりを受けて紫電が数機落ちてしまった。あの巨体からは考えられない機動性だ。
 急降下しようとしていた瑞雲も、標的を見失ってしまう。


『フン、なるほどな……。オイ。もう一回、瑞雲でデカ物に仕掛けさせろ。離れるんでも近づくんでもいい。四つに対して同時にだ。次で落とす』

『え? もう解析できたんですか?』

『俺を誰だと思ってやがる。まぁ見てな』


 しかし、単なる攻撃失敗からも、間桐提督は攻略手段を掴んだらしい。
 どうするのか、無言で問いかけてくる扶桑たちへ、自分も黙ったままゴーサインを出す。


「じゃあ、一回離れてから、もう一度爆撃体勢へ――きゃあっ」


 高度の下がった機体を立て直し、いったん離れさせようとする山城だったが、瑞雲を高速の飛来物がかすめ、風に巻かれる。
 同時に、均一な球体だった浮遊要塞たちが、金槌で殴られたピンポン球の如くヘコんだ。
 ヘコみの中央には、錐で穿たれたような穿孔。

 ――爆砕音。轟雷音。

 黒煙を上げ、重力に捕まり始める浮遊要塞と、遅れて届く四六単の発射音。
 ……ほ、本当に落とした? しかも、浮遊要塞はキスカ・タイプの上に陣取ってたから、このコースで落下すれば、双方にダメージを与えられて、一石二鳥?


『嘘だろ……。全弾命中、しかも四対象同時にって、どんな脳みそしてんだ……』

『キッヒッヒ、褒め言葉として受け取っとくぜ、新入りよォ。
 ま、乱数回避が読み易いのは当たり前として。瑞雲が近づいた時、明らかに動きが変わりやがった。
 そいつはつまり、手動に切り替わったってことだ。なら逆に、離れりゃ自動操縦だかなんだかに戻る。
 その隙を狙ったってわけだ。俺にしかできねえ芸当だろうがな』

《トンでもない砲撃するねぇ……。あたし、何がなんだか……》

《わ、私も……。すごい事が起こってるのは分かるんだけど、着いて行けそうにないわ……》


 得意げな種明かしにも、唖然とするしかない。涼風や雷も同じようだ。
 乱数回避が読み易いとか、相手の乱数アルゴリズムを完全に解析しないと言えないセリフだぞ?
 たった数分の映像からそれを行うって、スパコンが何台必要になるか……。
 オマケに、オートからマニュアルに切り替わるにしても、コンマ何秒かの世界。
 たとえ機械のサポートがあったとして、実行するのは人間なのだから、本当にとんでもない。
 文句をつけられるのは、予告無しに瑞雲を落とされかけた山城たちくらいか。


「び、びび、びっくりした……。せめて一声かけて下さいよぉ……」

《危うく、何機か落としそうに……》

『ぁん? ……あぁ、ワリィワリィ。だが、しっかり機体の隙間を縫ってブチ当てたんだ、文句はねぇだろ』

『狙ってやったんですか、あれ』


 ダメだ、見えている世界が違い過ぎる。
 四十kmにも及ぶ距離での、対艦砲による狙撃技術。
 得られた情報を解析し、正確に把握する頭脳。
 そして、乱舞する航空機を落とさないよう、隙間と射線を見つけ出す洞察力。
 対人面に問題さえなければ、間違いなく稀代の軍神と呼ばれていたんじゃないだろうか。
 次元が違う。っていうか凄すぎて若干引く。


『しかしアレだ。他人の感情持ちってぇのも、使い用によっちゃ役に立つもんだな。認識を改めるか。……揺れるし』

「……揺れる? どういう意味ですか? 確かに波や風で揺れてますけど……。姉さま?」

《ごめんなさい、私にもちょっと……》

『アンタ、本当に大きな女の子には素直よね。……ん、あれは……?』


 ――と、撃破成功で緩む空気の中、桐ヶ森提督が異変を察知する。
 墜落中だった浮遊要塞の全てを、あの触手が捕らえたのだ。
 そしてそのまま、艦首へと横並びに固定された。まるで盾のように。
 ……確か、もうすぐ……。


《まさか、あのまま機雷を突破するつもりでしょうか?》

《ああ、どうもそうらしいな。知恵が回る》

《っていうか、ヤバいんじゃないのこれぇ。何でもありじゃんアイツ……》

《浮遊要塞を潰せただけで十分かと思いましたが……。いえ、私たちの仕事に変わりはありません。この戦い、退くわけには参りませんわ》


 自分の考えを古鷹が代弁し、那智さんが同意。加古は頬を引きつらせた。
 味方を喰らうだけじゃなくて、残骸すら活用するのか? まるで桐谷提督みたいだ。
 妙高の言うとおり、やるべき事は変わらないけど、一筋縄ではいきそうもない。


(情報が漏れてる? そうとでも考えなきゃ……。裏切り者? いや、精神感応能力? どっちにしろ由々しき問題だな……)


 前もって情報を得ていなければ。機雷が撒かれていると知っていなければ、あの行動を取る理由がないのだ。
 なら、彼女たちは――キスカ・タイプの中央で祈っている、二人の統制人格は、どうやってそれを得た?
 近代レーダーに近い走査能力でも持っているなら、人類側に裏切り者がいる事にはならないけど……。
 ここで考えても、答えの出ない問題だった。


『……クソ、ダメだな。集中力が途切れた。俺はいったん下がって解析に専念する。“アレ”はお前らでなんとかしろ』

『へっ? ちょっ、そんな!? じ、自分たちだけでですかぁ!?』

『ウルッセェな、俺は疲れやすいんだよ。心配しなくてもトリは飾ってやっから、安心しろ』

《はい。お疲れ様でした、間桐提督。榛名も頑張ります!》

『……お、おう。お疲れさん……。ぁ、あ~、えっと……ヘマすんな、よ……』


 なんでか知らないが、歯切れの悪い消え方をする間桐提督。
 あんな精密射撃の後だ。疲労するのは仕方ないとして、あの火力がなくなるのは頭が痛い。
 あ、そうか。間桐提督がああいう反応したということはだ。榛名って着痩せするタイプなんじゃ――いや何を考えてんだよ、そっちじゃないだろバカ!
 ……とにかく、彼女たちと直接対決しなければならないのは確実。
 ただ待っていても、やられるだけだろう。かと言って、自分に打開策を論じるだけの頭脳はない。


(でも、求められているのはそういう役目じゃない、か)


 間桐提督は解析に専念するといった。呆気なく浮遊要塞を沈めた彼が。
 個人的な直感だが、彼は口は悪くとも、嘘はつかない思う。
 己への絶対の自信。言い換えれば――誇り。それを汚すことだけは、しないはずだ。
 この戦場での主役は自分じゃない。自分は“まだ”脇役。なら、全力でその役を全うする。
 みんなで生き延びるために、全力で主役を引き立てよう。


『聞いての通りだ。おそらくキスカ・タイプは機雷を難無く越えてくるだろう。
 自分たちのやるべきことは、あの再生能力を無効化する手がかりを掴むことと、本土にこれ以上近づけさせないことだ。
 こちらから打って出る。水雷戦隊、頼むぞ!』

《はーい! 雷、司令官のために頑張っちゃうわ!》

《い、電も、負けないのです!》

「よぉーっし。史実では微妙な子扱いだった重雷装艦の実力、見せつけようじゃないですか。大井っち、行こ」

「はい、北上さん。はぁ……。早く魚雷を撃ちたいわ……」


 気合いを入れ直すと同時に、二十四隻の艦隊は隊列を変化させた。
 現在、キスカ・タイプを中心として、遠距離に加賀隊。中距離に山城・北上・大井隊が居る。北へ向かう敵に対し、やや東寄りだ。
 航空母艦である加賀たち三隻には桐ヶ森提督の部隊が合流。一定の速度を保って、艦載機を準備し続ける。新たに天山が前へ出た。
 扶桑、金剛、五十鈴は隊を離れ、戦艦と重巡で構成される山城の打撃部隊へ参加。残る北上・大井が率いる水雷戦隊は、榛名と霧島を随伴艦として矢面に立つ。

 作戦は極めて単純。
 打撃部隊でキスカ・タイプの開口部を叩きつつ、爆撃で上部兵装を可能な限り無効化。
 随伴する戦艦が側面へ砲弾を浴びせ、すれ違いざまに水雷戦隊が魚雷を叩き込む。反対側は艦攻で攻める手筈だ。
 完璧に決めることができれば、きっとなんらかの反応を得られるはず。

 利根型二人の水偵に、若干速度を落としながら北へ向かう巨大船が映る。
 水柱。
 触雷した浮遊要塞の残骸が、みるみる目減りしていく。
 やがて、機雷原を抜けたことを悟ったキスカ・タイプは、もう用済みだと言わんばかりに残骸を食い散らかす。
 ダメージは与えられなかったか。いや、少しでも時間を稼げたんだ。それで十分。


《……? こちら筑摩、キスカ・タイプの側面砲塔が動いてます!》

《じゃが……なんなのだ、あの動きは? こっちを向いておらんぞ》


 ――と、思っていた矢先。前触れもなく異変が起こる。
 今まで頑として稼働しなかった無数の砲塔が、旋回を始めたのだ。しかも、水面へ向けて。
 ためらうことなく数発。
 なぜか砲弾は、飛沫を上げることなく水中に消えた。
 息苦しい沈黙の後、その着弾点から浮かび上がる、船影が。
 まるで潜水艦が浮上するかのように、姿を現したのは――


『……吹雪型? 一体、どうして!?』

《て、提督っ、吹雪型だけじゃないです!》

《ありゃあ睦月型に最上型、だね。どうなってんのさ、どうして味方の船が……?》


 ――紛うことなく、特Ⅰ型駆逐艦シリーズと、その前級たち。加えて、最上型の重巡が四隻。
 あれは……。まさか、桐谷提督が使役していた……?


《ねぇ、提督。何か聞こえない?》

『五十鈴? 聞こえるって、何が』

《……分からない。だけど、確かにどこからか……。あ》


 不意に、五十鈴が耳元へ手をあてがう。
 集中してみると、微かに。だが確かに、聞こえてくる音があった。
 波の音ではない。タービンの回転音でもない。
 それは、人間が生まれながらに持つ旋律。


《これって、歌?》

《綺麗な声、なのです。……でも、なんだか……》


 雷と電は、聞き惚れるように目を閉じる。
 鈴の音のようで、管弦に似た雰囲気を放つ旋律は、オペラ歌手の歌声に引けを取らない。
 演目があるとすれば、きっと悲劇だろう。
 業に塗れ、儚く命を散らす、乙女たちの歌。
 初めて遭遇する現象に、皆はただ呆然と佇む。

 ……違う、呑まれるな!
 戦闘中なんだぞ、しっかりしろ自分!


『狼狽えるなっ、敵の策略かもしれない、戦いに集中を――』

「ねぇ、提督。ちょっとお願いがあるんだけどさ」

『――なんだ北上、こんな時に! 変な内容だったら怒るぞ!?』

「うん。むしろ怒ってほしい。そんな訳ないだろ、って言って欲しい、かな」

「北上さん? どうしたんですか、一体?」


 叱咤しようと声を荒らげるも、北上に遮られる。
 いつもは良い意味でのマイペースだが、このタイミングでは悪くしか取れなかった。
 が、彼女はそれでも構わないという素振り。
 明らかに普段と違う様子に、大井も心配そうな表情を見せるが、北上は一点を見据え、ゆっくりとした動作で指差す。


「聞きたいんだけど……。“アレ”、さ。女の子、だよね」


 吹雪型の甲板で立ちすくむ、虚ろな顔の少女を。


「……嘘。そんな事って。……統制人格?」

《な、なんでやの? ついさっきまで、なんも見えへんかったのに》


 かき乱された感情が、重なる魂を通じて、押し寄せてきた。
 山城も、黒潮も。
 その子を認識した途端、目に見えて狼狽しはじめる。
 吹雪型――深雪の統制人格は、逆になんの反応も示さない。
 船体が歪に歪み、別の何かへと変じていく間も。膨張する装甲に取り込まれ、完全に埋没してしまう、最後の瞬間まで。
 赤黒い妖気が、船体を覆った。


《薄々、そうなんじゃないかと思ってたが。いざ目の前に立たれると……想像より、効くな》


 木曾ですら、しきりに帽子のつばを直しては、左目を細めて歯噛みする。
 バレてしまった。確定してしまった。傀儡艦と深海棲艦が、同系の存在であると。
 おそらく世界で初。傀儡艦が深海棲艦となる瞬間に、立ち会ってしまった。
 よりにもよって、自分たちが。
 なんで。どうして。こんな……。


『最悪のタイミングで、一番イヤなことをやってくれるわね、全く』

《……し、知ってた、の? 桐ヶ森提督は、このこと知ってたの!?》

『ええ。知っていたわ。私には最初から、ツクモ艦――深海棲艦に統制人格が見えていた』

《そん、な。……提督?》


 冷静さを失わない桐ヶ森提督へ、瑞鳳が悲壮に詰め寄り、祥鳳は、絶望に染まりかけた瞳で問う。
 もう、嘘なんかつけない。正直に話すしか、ない。


『……あぁ。自分も知っていた。初めの頃から、“彼女たち”を視認していた』


 努めて低く、落ち着いた声で、そう答えた。
 落ち着かなければと、自分自身へ言い聞かせながら。
 すると、いの一番に涼風が食ってかかる。


《なんで……なんで言ってくんなかったのさ!? どうしてこんな大事なことを黙って……!》

『君たちには見えていなかったからだっ』


 それを遮るようにして、自分は語気を強めてしまった。
 そんな事をするつもりはなかったのに、勝手にそうなってしまった。


『言おうとしたさ……。でも、言ったとして信じてくれたか? 君たちが沈めた船に、君たちと同じかもしれない存在が乗っていた、なんて』


 口にしてしまえば、もう止まれない。
 桐生提督の残した映像は、統制人格の権限では見ることができず、自分も見せないよう、意図的に隠していた。
 勘付いている子も居ただろうけど、明言することだけは避けた。
 曖昧にしておけば、誤魔化すことができた。……自分の気持ちすら。


『それに、信じてもらえたところで、何も変わらないんだ。
 自分たちは戦わなければいけない。“彼女たち”を討たなきゃいけない。
 だったら、知らない方がいいと思った。知ってしまえば、もう……』


 ……いいや、そうじゃない。また嘘をついている。
 みんなを気遣うふりをして、自分を守ろうとしていたんだ。
 ずっと目を逸らしてきた。深海棲艦に統制人格を見てから、ずっと。
 自分が呼んだ子たち以外は、意識的に見ないようにして、思考の外へ追いやっていた。
 そうしないと戦えないから。
 使い捨てにされるかも知れない子たちを、哀れんでしまうから。顔を見ながらだと、攻撃命令を出せそうになかったから。
 あぁ、結局はまた、逃げてたのか。……最低だ。


「提督。キスカ・タイプ、来ます」

『く……。ゆっくり話もさせてくれないか。全艦、戦闘用意! 今は生き延びることだけを考えろ!』


 自分の弱さが、この状況を作り上げている。その苦さを味わいながら、加賀の報告へと声を張り上げる。
 もう逃げられないと、自覚できたからだろう。
 ここで逃げれば、死ぬのは自分じゃない。こんな自分を信じてくれていた、みんな。
 それだけは絶対にダメだ。あってはならない。


『まずは魚雷の射線を確保する。重巡、戦艦は周囲の駆逐艦を。その他は予定通り、開口部へ集中砲火。再生させるな。加賀、爆撃はキスカ・タイプだけを狙ってくれ』

「承知しました」


 指示を出すのと同時に、隊列の変化も全体へ送る。
 空母たちを除いた、複縦陣での反航戦。
 駆逐艦と雷巡を庇うように、キスカ・タイプ側へ戦艦と重巡を配置する。
 頃合いを見計らって戦艦と位置を入れ替えさせ、魚雷発射管を載せた船で単縦陣へ。
 程無く、キスカ・タイプの艦影を目視で確認した。
 こちらに砲が向けられる。彼女たちも、戦うことを選んだようだ。是非も無い。


『砲撃開始!』

「……了解、です」


 覇気の失せた声で山城が応答し、先制攻撃を仕掛ける。
 戦艦六隻、重巡四隻。大小合わせて八十門の主砲が火を噴く。


『……どうした。まるで掠りもしないぞ!?』

《も、申し訳ありませんっ。ちゃんと狙っているんです。けど、だけど……っ》


 ――が、あれだけ群れた深海棲艦相手に、こちらの砲撃はまるで当たらない。
 いつもなら数発、調子が良ければもっと命中弾を出せるのに、弾は的をそれてしまう。
 選良種の力場で防がれているだけじゃない。榛名が顔に焦りを乗せる。


《Ouch! うぅ~! さっきからチクチク痛いデース!?》

《なんだか、素肌を輪ゴムでパッチンされてる気分です……。地味に痛いですよ司令ぇ……》

《例えは微笑ましいんですが、事態はもっと深刻ですよ、比叡姉さま》

《このままでは、装甲が、もちません……。あ、服に穴が……》

「痛い!? ……やっぱり不幸だわ……」


 逆に、吹雪型……ちがう。駆逐イ・ロ・ハ級と重巡リ級の砲弾は、金剛たちに確実なダメージを与えている。
 万が一にも撃ち抜かれれば、扶桑型の二人が特に危ない。
 加賀たちの爆撃で幾つか砲は吹き飛び、まだキスカ・タイプの狙いも甘いけれど、いずれ精度を上げてくるだろう。
 このままじゃ……っ。


《っかしいなぁ……。引き金、こんなに重たかったっけ……?》

《戦争のために生まれたモノとして、覚悟も、記憶も、持ち合わせていたはず、なのに……》

《……せやね。うち、アホみたいにビビってもうてる。なんやの、これ……》


 加古、古鷹も。黒潮までもが、艤装に振り回されているような様相だ。
 これまでだって戦っていたのだ。彼女たちも、死を覚悟して海へ向かっていたに違いない。
 けれど、相手には顔がなかった。誰も乗っていないと思って、撃っていた。
 無視してきた“命”が、今。重みとして肩にのしかかっている。砲を惑わせている。
 自分のせいだ。
 もっと早く、真剣に考えるべきことだったのに、軍務を言い訳にして後回ししたツケが、回ってきたんだ。
 自分自身に対してではなく、仲間たちに対して。


『電っ、回避行動を取れ! 狙われてるぞ!』

《え。――あっ、は、はいっ》


 そんな焦りが、ますます声を大きくさせる。
 金剛たちが庇っているとはいえ、水雷戦隊の数は多い。
 わずかにはみ出てしまう電たちを、怨念が狙う。


『撃つんだ電。撃たないと君がやられるんだぞ!?』

《そ、そうよ電。当てられなくてもいいから、とにかく撃ち返さないと……》


 加えて、電は全く砲撃を行っていなかった。
 狙いは定まっている。練度も上がって、間違いなく至近弾を出せる。
 現に、雷は多少のダメージを与えていた。
 でも動かない。
 風圧ではためく髪と、頬を滴る雫以外は。


《……ごめん、なさい……。電には……無理、です……。
 目が、合ったんです。悲しそうって、寂しそうって、思っちゃったんです。
 撃ちたく、ないのですっ。助けられないんですか、司令官さん!?》


 うなだれる彼女の言葉には、答えることが出来なかった。
 もう誰もが気付いている。あの深海棲艦は、かつての統制人格。桐谷提督が使役して、使い捨てた船。
 砲に込められているのは怨みと憎しみ。そして、絶望だ。説明されなくとも、そうだと分かってしまう。
 けれど、どうしろと言うんだ。
 憎悪で身体を鎧い、「何故。どうして」と言わんばかりに、鉄の涙をふり乱すあの子たちを、どう救えばいい?


《電ちゃん……。気持ちは分かりますけど、あの子たちは、もう……》

《でも……っ。ただ撃つことしか出来ないなんて……。そんなの……!》

《……チックショウめっ》


 答えなんか出る訳もなく、それを理解しているのだろう五月雨は、ただ悲しげに砲火を交える。
 へたり込む電の想いを感じ、涼風が悔しそうな顔で吐き捨てた。
 ……あぁ、確かに。これは畜生の所業だろう。
 人類が生み出した命と、その成れの果てが。勝手な思惑に振り回されて、戦っているんだから。
 ダメだ。きっと電は、撃てない。
 優しすぎるあの子に、強要なんて出来るはずがない。


「全艦へ強制介入。主砲塔制御権を全て自分に」

「提督? 何を……」

「お願いします、書記さん」

「……はい」


 なら、自分がやるべき事はたった一つ。
 あの言葉を、実行する時だ。


『――く!? っぐ、ふっ』

《ンなっ!? て、テートク、いきなり無茶しちゃ駄目ネ!? そんなことしたら……!》

《そうですっ。私なら大丈夫ですから、どうかご自愛をっ》


 言いすがる金剛、扶桑を無視して、自分は砲撃に専念する。
 総数二十四隻。砲門の制御情報が脳に集中し、押しつぶされるような重さを感じた。
 それでも、各艦ごとに書記さんがグループ分けしてくれた。回避行動もみんなに預けたままだから、大分マシな方だ。
 位置情報の確認。敵艦との距離を確認。相対速度や射角などの諸元を入力。全砲門を開く。
 轟音。
 百を越える砲弾のうち、数発が駆逐艦へ命中した。
 撃沈、させた。


『……自分たちは、戦いから逃げることができない。
 望む望まないに関わらず、戦いの中でしか、生きることを許されない身だ。
 ずっと見てきた。物言わぬ“彼女たち”が、海へ没していく姿を。あの、瞳を。
 だけど、自分は撃つ。君たちに撃てないのなら、自分が撃つ!』


 もう、誰かに任せていい状況じゃなくない。最初から、誰かに任せるべきじゃなかったんだ。
 今更かも知れないけど。こんな形じゃダメかも知れないけれど。自分はこんな方法でしか、責任を取れない。
 そんな言い訳を、己に言い聞かせる言葉へ乗せて、砲弾として放つ。
 幸か不幸か、制御で脳が一杯一杯になり、罪悪感を覚える暇はなかった。


『はぁ……。男ってこう、どうして肝心な時に言葉足らずなのかしら』


 しかし、繰り返される砲撃の最中、ふと桐ヶ森提督の声が割り込む。


『ちゃんと言ってあげなさい。アンタは、なぜ撃てるのか。何がアンタにそうさせるのか。理由を言いなさい』


 やけに静かな――慮るようなそれに、自分は脳内でルーチンを走らせつつ、心も探る。
 船ごとに複数のつまみを設定し、いちいち調整するイメージ。
 案外どうにかなるもんだ……と思っていると、なぜか、口は勝手に動き出していた。


『……生きていて、欲しい。
 自分たちの都合で呼び出して、無理やり戦わせて……。
 こんなロクでもない世界だけど、それでも生きて欲しいから。だから自分は、線を引く。
 君たちを生かすために、“彼女たち”を撃たねばならないなら、迷わず撃つ。……そう決めた』


 人生とは選択の連続だと、どこかで聞いたことがある。それと同じだ。ようはどちらを選ぶか。
 “仲間”の命か。
 “仲間だったモノ”の命か。
 きっと小説か何かの主人公なら、両方を選んで、両方を救ってみせるのだろう。
 でも、自分はそうじゃない。痛みのない物語なんて、現実には存在しない。
 だったら自分は、“仲間”を選ぶ。ただ、それだけだ。


『騙していたのは事実。裏切ったも同然だ。もう、信じられなくなったかも知れない。
 それでも頼む、今は戦ってくれ。このままだと君たちがやられてしまうっ。
 生きていなくちゃ、笑うことも、怒ることも、悲しむことすら出来ないんだ!
 許してくれなくてもいいから。お願いだから、生きて帰って来てくれ……』


 気がつけば、祈るような気持ちを晒け出す、情けない自分が居た。
 戦いのために生み出された君たちだけど、心を持ったからには、生きる喜びを知って欲しい。
 それが君たちのため……だなんて、善人染みた考えじゃない。
 これはきっと、君たちを戦争へと送り出すしかない、情けない男の……救いにもなるだろうから。

 誰も声を発しない。
 ただ、戦争の音だけが耳朶を打つ。
 やっぱり、もうダメなんだろうか。取り返しのつかない事を、してしまったのか。
 胸に込み上げる感情。
 暗く湿ったそれは、燃えていたはずの闘志をかき消さんと襲いかかり――


《Burning………………Looooooooove!!!!!!》


 ――突然な歓声が、闇を吹っ飛ばす。
 金剛。
 昼夜の反転した領域で、なお輝く笑顔を乗せ、彼女は両手を腰に当てる。


《まぁーったく。テートクはときどき、おバカさんになるのが困りものデース》

《全くもって同感です。もっとわたしたちを信じて欲しかったですね~》

『……は、え? お、おバカ?』


 続く比叡も、いつものあっけらかんとした表情。
 思わず休めてしまった砲撃ルーチンは、二人とその妹――榛名、霧島に奪われていく。


《“あの子たち”の姿を見て、確かに動揺してしまいました。不甲斐なく思われたのかもしれません》

《でも、私たちは軍艦。戦争の中で生まれた存在。必要以上に気を回し過ぎです》


 自分の砲撃制御とは違い、正確無比な射撃が繰り広げられる。
 赤黒い力場の盾を貫き、深海棲艦を大破させていくが、砲の運びに迷いはない。


《撃ちたくなくても、撃たねばならん時がある。戦の習いさ。この程度で怖気付くような、温い覚悟で戦場に立っているわけではない!》

《“貴方たち”に生きていて欲しいのは、私たちも同じ。だからきっと、ここに居るんです》

《うむ。吾輩たちは皆、そのために馳せ参じたのだからな!》

《その“重み”はみんなで背負うべきもの。もっと頼ってください、提督》


 那智さんが。妙高が。利根が。筑摩が。
 次々と制御権を奪い返し、砲戦へ参加していく。
 立ち続けるのも容易ではない波涛に負けず、しっかりと立っている。


《……さて。どうするの、提督。貴方の統制人格は、揺らぐことは多少あっても、簡単に折れたりしないわよ?》


 挑戦的なのは五十鈴だ。
 触手の迎撃をしつつ、つり目がちな流し目で、こちらに意思を問いかけている。
 ……思い出した。これは、電に言われた事と同じ。
 自分はどこかで、まだ彼女たちを下に見ていた。守るべき存在だと感じていた。そうじゃないと言われても、実感が伴っていなかったんだろう。
 本当に、バカだ。
 迷いから目を背けていた自分よりも、彼女たちの方が、よほど。
 ……どうするのか。そんなの、決まってる。


『ありがとう。共に戦えることを、誇りに思う。……誰一人として欠けるんじゃないぞ。これは、命令だ』


 生きるために、戦おう。
 今度こそ。背中を預けあう仲間として。
 熱い。
 胸の中に、新しい火種が生まれたようだった。


「命令、かぁ。命令されちゃあ、仕方ないよねー。……大井っち。だいじょーぶ?」

「はい。なんてことありません。私と北上さんの未来を阻むモノは、どんな存在であろうと敵です。やるべき事は変わってませんし」

《ブレないな……。まぁ、良いことだが。俺もいけるぞ!》


 のほほん、と返事をしてくれる北上に、なんだか身の危険を感じる発言な大井。ありがたいけど怖い。
 苦笑いする木曾も、帽子を目深に被りなおし、裂帛の気合いで艤装を構えた。
 その意気が伝わったか、涼風たちも表情が引き締まる。


《やるしか、ないんだね……。せめて、あたいらの手で終わらせないと……!》

《スンッ……。これが、本当の戦争、なんですね……。ただの記憶じゃなくて、今、私が経験してる、戦争……》

《――っし! 気合い入れ直しや! うちらは、こないなとこで終わられへんねん!》


 鼻をすすり、零れそうだった涙を拭う五月雨と、自身の頬を叩き、キッと目を見開く黒潮も、来たるべき雷撃の瞬間に備えている。
 よく考えれば、三人はこれが初実戦。酷な事態が重なってしまったけれど、五十鈴は正しかったようで、見事に持ち直ってくれた。
 だが――


《………………》


 ――電は、静かに涙を流し続ける。
 彼女も艤装を動かそうとしていた。発射管と砲塔がわずかに旋回し、狙いを定める。でも、そこから先は。
 胸につかえた何かを吐き出したいのか、震える唇を開いては、切なく噛みしめる。
 同調する魂が、歯痒い気持ちを伝えた。
 純粋に、ただ救いたいと願っても、力がなくて救えない。
 力がなければ――強くなければ、優しく在ることすらできない、不条理な世界へのやるせなさ。


《ねぇ、電》


 そんな妹を、雷は呼ぶ。
 戦場においても柔らかさを失わない声は、轟音の響く中で、温かな静寂を作り上げた。


《言葉にならない時は、無理しなくてもいいのよ。分かってるから、全部。
 あなたの優しさも、悲しみも。司令官を通じて、感じてるから。……ね?》

《――あ》


 自らの後ろを振り返り、雷が微笑む。
 慈母のような神々しさすら感じるそれに、電は顔をクシャクシャにして――


《……ごめん……なさい……ごめんなさい……っ。
 電は、電にはまだ、やりたい事とか、一杯あって……。一緒に居たい、人が居て……。
 だから……だから……!》


 ――悲しみを抱えたまま、引き金をひく。当てることは出来なくても、決意と共に、攻撃する。
 優しさとは、戦いでは邪魔にしかならないものだ。敵に同情し、狙いを甘くさせ、引き金を重くする原因だ。
 多分だが、昔のままの彼女がここに居たら、こんな選択は出来なかっただろう。
 絶望に身をすくませ、優しさで指を絡めとられ、命を散らせていたはず。そんな子だ。


『……桐林。アンタって、恵まれてるわね』

『はい。もったいないくらいです。羨ましいでしょう?』

『バカ。調子乗らないの』


 しかし、出会ってから今までの間に起きた出来事が……。想い出と仲間の存在が、優しすぎる少女に戦いを決意させた。
 喜ぶべき成長。悲しむべき結果。
 どう評すればいいのか、自分にはなんとも言えない。ただ、電は選んでくれた。戦ってでも、一緒に居る道を。
 それだけは、嬉しいと感じた。


「話はお済みでしょうか、提督。二次隊を上げても?」

『許可する。……すまん、助かる』

「お礼を言われるような覚えはありませんが……。受け取っておきましょう」

《……ねぇねぇ。提督と加賀さんって、妙に通じ合ってるように感じない?》

《そうよね……。私たちの方が付き合いは長いはずなのに……。羨ましい……》

『こらこら、なんの話だ。集中しろ二人とも』

《はぁーい。まだ戦闘中、だもんね》

《ええ。第二次攻撃隊、順次発艦させますっ》


 言葉少なに、信頼を行動で示してくれる加賀にも、感謝の念で一杯だ。
 どんな状況にあろうと、揺るがない一航戦の誇り。きっと赤城も同じようにしてくれただろうと、確信がある。
 瑞鳳たちの羨ましいという意見はよく分からないが、自分から二人への信頼だって負けてない。これからも頼りにさせてもらおう。
 

《……山城? ひょっとして私たち、忘れられてるかしら……?》

「言いたいこと、全部言われちゃいましたもんね……。所詮、そういう役回りなんでしょうか……」

『んなこた無いって! 地味にみんなのカバーしてたの、分かってるから。な?』

「地味……。あれ、なんでだろう。物凄く心に来る……」

《だ、大丈夫よ。艦隊で二隻だけの航空戦艦だもの。いつか陽の目を見る時が来るわ、きっと……多分……おそらく……?》

「お姉さまぁ……」


 空母組と気持ちを確かめ合っていたら、別の意味で悲しいことを言い出す戦艦姉妹。
 みんなが迷っていた間、砲撃から瑞雲での爆撃まで、必死にこなして戦況を支えていたのは扶桑と山城だ。
 もっと自信を持って欲しいくらいなのに、なぜだか拭いきれない、縁の下の力持ち感。
 ……うん。良いことだよ、きっと?


《提督っ、こちら古鷹です。もうすぐ雷撃の射線が確保できますっ》

『了解した。……無理してないか、古鷹。加古も』

《はい、大丈夫です。もう迷ったりしませんっ》

《思考停止するって訳じゃないけどさ。まずは生き残んなきゃいけないわけだし。色んなもんまとめて、ブッ飛ばす!》


 いつもの調子に戻りつつある思考へと、ハキハキした報告が入る。見れば、敵艦の数はかなり減っていた。
 砲の重さにあえいでいた二人も、迷いは吹っ切れたようだ。この大舞台を初実戦として、見事に役目を果たしている。
 みんなが作ってくれた機会、無駄にするものか!


『金剛、扶桑っ』

《Aye,Aye,Sir!》

《目標変更、キスカ・タイプに照準します!》


 バラけていた標的を一つに集中させ、やや速度を落とした戦艦と重巡がキスカ・タイプへ砲撃を加える。
 こちらを狙っていた側面砲塔が沈黙し、その隙に、間隔の開いた打撃部隊の合間を縫い、隊列の左右が入れ替わった。
 ガラ空きとなった腹へ、水雷戦隊の発射管が向けられる。雷巡、重巡、駆逐艦。合わせて、片舷 百二十八門の酸素魚雷。


『今だ! 北上、大井っ、ブチかませ!』

「りょーかーい。さぁって、ギッタギタにしてあげましょーかねっ」

「皆さん、タイミングを合わせて下さい!」


 まずは北上隊が第一射。わずかに時間をズラして、大井隊が第二射を放つ。


「こちらもお忘れなきよう。一航戦、加賀。参ります」

《航空母艦、祥鳳。続きますっ》

《同じく瑞鳳! 軽空母だって、頑張れば活躍できるのよ!》


 同時に、北上たちの反対側から、天山が航空魚雷を投下。
 浮遊要塞が落ちた今、制空権はこちらにある。数十機の艦攻が放つ、精度の高い雷撃が加わり、必殺の雷撃陣が完成した。
 あの巨体からして、回避は不可能。何本かは、まだ生き残っている深海棲艦に当たってしまうだろうが、どちらにせよ甚大なダメージを与えられるはずだ。
 飛び交う砲弾の下を、酸素魚雷が進む。
 命中まで、残り二十秒。だが――


《そんなっ、また駆逐級が!?》

《なんじゃとぉ!? そんなんアリか!?》


 ――再び、キスカ・タイプの周囲に駆逐艦が現れた。
 天山が攻撃した側は、側面砲塔からの射撃による召喚。水雷戦隊側は、特に予備動作は見られなかった。
 出現地点から考えてみると、砲撃によって飛び散った、双胴船の破片から生まれたらしい。利根、筑摩が驚くのも当然だ。
 水柱。
 射線上で立ちふさがる深海棲艦たちが、雷撃の第一射を吸い込む。
 運良く潜り抜けた残りの魚雷も、二重三重に浮上してくる船で阻まれ、一本もキスカ・タイプへ届かなかった。
 必殺を期待した作戦のあんまりな結果に、比叡が頭を抱えだす。


《マズいです、ヤバいです、ピンチですよ司令! あれってもしかして、食べた分だけ好きな時に吐き出せるってことじゃ!?》

『どうも、そうらしいな……。くそっ、雷撃は無意味か……っ』

「んがーっ! 何さそれー!? これじゃあ結局、あたしたちの評価は重雷装艦(笑)なままじゃーん! 活躍の場をよこせーい!」

「き、北上さん、落ち着きましょう? まだチャンスはありますから、ね? ほら皆さん、手筈通り、二手に分かれますよー! 榛名さん、霧島さん。先導をっ」

《了解いたしました!》

《お任せを。……にしても、完璧に防いでくれますね。ふぅむ……》


 よほど悔しいのか、十五・五cm砲から怒りをぶちまけつつ、北上が地団駄を踏む。瑞鳳も、「活躍……したかったのにぃ……」と恥ずかしそうな様子だ。
 気持ちはよぉく分かる。失敗ばかりで麻痺しそうだが、ことごとくに防がれてしまう、こちらの作戦。霧島の言う通り、やはりおかしい。
 とりあえず、失敗した場合も想定してあったから、二次行動として隊を分割。今度は三方向からの同時雷撃を狙うつもりだが……上手くいくだろうか。
 いや、やる前から失敗の可能性を考えたって仕方ない。座して死を待つのは勘弁だ。最後まで足掻いてやる。


『オイ、聞こえるか。劇団桐林』

『間桐提督? って、なんですかその呼び方』

『ハッ。戦闘中にクッセェ台詞の応酬してっからだバーカ。それより、解析が済んだ。結果を伝える。全員聞け』


 そんな時、脳内へ響いたせせら笑い。
 ちょっとだけムカつくが、確かに戦闘中にやる事じゃない。反省しなければ。
 ともかく。にっちもさっちも行かないこの状況で、新しい情報は喉から手が出るほど欲しい。
 自然とみんなも耳を澄ます。


『奴の再生パターンを観察した結果、局所的に他より硬く、再生速度の速い箇所を見つけた。
 断定はできねぇが、おそらくなんらかの重要機関があると思われる。
 反対側はどうだか知らんが、俺の陸奥なら撃ち抜ける計算だ。とにかく一回ブチ抜く。
 しかしだ、有効だったとしても、射角の問題で一方しか狙えん。
 もう片方はテメェの船にやらせろ。一点集中すりゃ、ヘボでもまぐれ当たりが出るだろ。いいな。
 それと、狙撃位置につくまでまだ時間が掛かる。足止めしとけ』


 視界の一部を、解析結果と思しき映像が占有した。
 複数回の砲撃とキスカ・タイプの装甲再生を、加賀や利根たちの艦載機が観測したものだ。
 まるで木造建築が如く、簡単に吹き飛ぶ装甲。そしてそれは、不快な泡を立てて元どおりになる。
 しかし、ごく一部。巨体のほぼ中央部分だけは妙に硬く、再生速度も段違いだ。比較してみると、砲弾の食い込み具合の違いがよく分かった。
 常識……が通用するかは不明だが、あの場所がキスカ・タイプにとって重要であることは間違いない。
 敵船に対して北北西に居た間桐提督の艦隊が、狙撃可能な北北東へ向かうまで、時間を稼ぐ。まだ、やれる!


『分かりました。みんな、聞いてのとおりだ。まずは回頭して同航戦に移行。然るのちに――』

「……!? すみません、割り込みます! 全艦、巨大船から離れて下さいっ」

『――山城?』

「説明してる暇ありません、信じてください、早く!!」


 心機一転、新たな指示を出そうとした時に、山城が叫ぶ。
 同調する五感に、鳥肌が立つような感覚を覚えた。悪寒と言っていいだろう。
 返事の間も惜しく感じ、思考のみで離脱を命令する。
 と、キスカ・タイプの船体から、異常な唸り声が轟き出した。


《これは……タービン音?》

《そういう事ですか……っ、デタラメにも程が――》


 扶桑がつぶやき、霧島の顔色が変わった刹那。
 キスカ・タイプは回頭を始めた。しかも、戦車が無限軌道で行うような、超信地旋回。
 互い違いの艦首と、双胴を繋ぐ船は、この為か……!?


『ちょっと、マズいわよっ。無傷な方の船体に砲塔が増え始めたわ! 貴方たち、回避に専念なさい!』

『オイオイオイ冗談だろ……。何百隻分だアリャあ!?』


 キスカ・タイプ上空を旋回する桐ヶ森隊の彩雲が、側面装甲や甲板上に生える、新たな砲を確認した。
 大小を問わず、射角の調整すら儘ならぬほどに密集している。まるで針山だ。
 そして、山城の警告に従い、散会しつつ離脱を試みていた艦隊へ――


《そんな……。私の戦況分析が甘かった……?》

《Hey,霧島っ、今は後悔してる場合じゃ――ぁぁあああっ!?》

『金剛!?』


 ――絨毯爆撃ならぬ、絨毯砲撃が与えられた。
 点ではなく、面で降りつける鉛の雨。初速の違う弾頭がぶつかり合い、空中で無数の爆発が発生している。
 回避しようにも、まだ散会しきっていなかったせいで思うようにいかない。
 少女たちの悲鳴が、耳に木霊する。


『バ、カな……。一瞬で……。そ、損害報告! 電、金剛っ、みんな!?』

『クソッタレが! これじゃあ狙撃も……!』


 一瞬だけ、気の遠くなるような感覚。
 フィードバック発生を防ぐため、書記さんが一時的に同調率を下げたせいだ。
 おかげで自分は何も感じないが、同調率が復帰するにつれ、皆の負傷の度合いも伝わり、今度こそ血の気が引く。


《い、たい……ので、す……》

《Sit! テートクに貰った、大切な装備ガっ!》

《ぐぅ……これくらいの傷、なんてことは、ない……っ》

《う、く。こんな、格好じゃ……レイテ突入は、無理ね……》

《砲塔が吹っ飛んだ!? ……っんのぉ、変態ヤローが! 古鷹っ?》

《やっちゃった……。でも大丈夫。まだ、沈まないよっ》


 無事なのは、距離を置いていた空母たちのみ。他は全てが被弾してしまった。
 電、金剛、那智さん、扶桑、加古、古鷹を始め、甚大な被害を受けている。
 辛うじて中破に留まっているような有様だ。


《あか~ん、こりゃあかんでぇ、こないなこと何度もされたら……》

《たかが上部兵装を少し失っただけよっ。機関部はまだ大丈夫! やれるわ!》

「元気だね~……。あたしたちは、ちょっと無理かも……。マジでシャレになんない〜……あたたっ」

「北上さん!? ……よ、よくもぉ……っ!! 発射管さえ無事なら、あんな奴……っ」


 特に水雷戦隊の損傷が酷い。
 彼女たちの主力は雷撃。それを行うために必要な魚雷発射管は、敵砲弾の直撃を防ぐために防盾を備えているのだが、あの密度で攻撃されては意味もなく、ほとんどが破損していた。
 むしろ、魚雷が誘爆しなかっただけ有難いと思いたくなる。
 たった一撃。撃破の糸口を掴んだはずが、たった一撃で全てをひっくり返された。
 ……バカげてる。どうしろって言うんだこんなの!?


『くそ、なんなんだあの船はっ! このままじゃみんなが……っ!?》

《し、司令官さん、落ち着いてほしいのです。電たちなら平気ですからっ》

『けど……っ、ごめん、愚痴ってる場合じゃないな。どうにかして立て直さないと……。見通しが甘かった……』

《何よ、そんな不安そうにしないで! 雷は大丈夫なんだから、気に病む必要なんか――あれ?》


 思わずこぼれた苛立ちにも、傷ついているはずの少女たちが健気に支えてくれる。
 その暖かさにで思考は立ち直すが、しかし、その言葉尻が不意に上がり、違和感を示した。
 無理な増設だったのか、針山を崩壊させるキスカ・タイプへ向けられたそれは、新たな脅威を教えるもの。


「……っ!? 提督っ、キスカ・タイプ上甲板が開口しています。おそらく昇降機かと」

『なんだと? まさか、浮遊要塞の機能まで取り込んだのか?』

《一、二、三、四、五……。ど、どんどん増えてる。もう浮遊要塞の数より多いよっ?》

《第二次攻撃隊をいったん下げます! 急いで艦戦を発艦させないと、上を取られる……!》

『本気じゃなかったってこと? 舐めた真似してくれるわね……っ』


 加賀の二式艦偵が、またしても変異を起こす双胴船の姿を捉えていた。
 飛行甲板が縦にいくつも並べられるような、広大な上甲板。そこへ、いきなりポッカリと黒い穴が開く。
 桐ヶ森提督の言葉が終わらないうちに、キスカ・タイプからは新たな艦載機が垂直に飛び立っていた。
 数えるのを放棄したくなる、群れ。しかも、出力強化型だけで占められている。
 焦りながらも、瑞鳳や祥鳳が残りの紫電を上げているが……多分、間に合わない。


《命令をくれ、指揮官! 俺はまだやれるぞっ、ちょっとばかり涼しくなっただけだ!》


 木曾の求めに、応えられる言葉が無かった。
 対空戦闘をしようにも、空母以外の上部兵装は半壊。
 航空戦ならまだ対応可能だけれど、数の暴利で劣勢はやむを得ない。
 針山も復活を始めた。回避に徹すれば時間は稼げるが、幸運はそう長く続かないだろう。


(ダメなのか。ここで、終わるのか? 手も足も出せないまま、見ているしかないのか……!?)


 真綿で首を締められているような。肺が凍えるような、息苦しさを感じた。
 時間の流れと共に、確実に忍び寄る気配を。
 これが……絶望。










「もう諦めるのか? いいや。貴方はその程度の男ではないはずだ」

《そうよ。なんと言っても、この私たちがついてるんだからっ》









 不意に届く、凛々しい声と華やいだ声。
 まだ聞き慣れず、しかし、待ち望んでいたそれは……!


《今の声は……》

「扶桑姉さま、あれを!」


 暗い空を横切る“何か”。
 キスカ・タイプの直上へ近づくと、花火のようにまばゆく爆ぜ、飛び立ったばかりの敵 艦載機を炎が巻き込む。
 三式弾。それも、扶桑や金剛たちの三十六cm砲で使うものではなく、より大きな。
 全てを見計らったようなタイミングは、敵機の九割が為す術なく堕ちるという、目覚ましい効果を発揮した。
 ああ、間違いない。この声。この力。確かにつながるこの魂。


『長門、陸奥! 来てくれたか!』

「もちろんだ。待たせてすまなかった。暖機は途中で切り上げて、後を追わせてもらったぞ」

《でも許してね? 女の子は、お化粧に時間が掛かるものなの》

『いや、助かった。ありがとう。本当にありがとう……!』


 加賀たちのやや北西。主戦場からはまだ遠いが、最大戦速で南下する二隻の軍艦があった。
 四十一cm三連装砲から、砲火の余韻をたなびかせる戦艦。甲板上にはそれぞれ、少女が威風堂々と立っている。
 夜よりも濃く、長い黒髪。内巻きになった短い茶髪。
 赤いソックスに加え、対照的な白と黒のミニスカートを履く彼女たちは、肩や脇、腹部を大きくはだけた和装で上半身を守り、二本の角にも見える測距儀で艶やかさを飾る。
 名を、長門と陸奥。
 山城と同じく、かつての聯合艦隊旗艦を務めた偉大な戦艦と、その姉妹艦――ビッグセブンの二隻だ。


《……あ! あのとき司令官さんが言ってたのは、長門さんたちの事だったんですね?》

『ああ。初めての航海だから、大事をとって通常暖機をしてもらってたんだけど、思ってたより戦況が早く動いたし、計算からは外してたんだ。
 でも、状況は変わってない。艦隊の被害は大きいし、またあの砲撃をされたら終わりだ。精密射撃が可能な距離に長門たちが来るには、時間が……』

『はっはっは。援軍は二人だけではないぞ。そら、手伝ってやろうかの』


 力強い増援に胸が沸き立ち、厳しい現実で冷めそうになるも、更なる一声が。
 年輪を感じさせ、深みをにじませるこれは、中将?


「提督、皆さん! 対閃光防御を!」

「へ? 閃こ……り、了解――うをっ!?」


 いきなりな書記さんからの警告に、慌てて視界の明度を落とすも、それでも眩しさに目がくらむ。
 先ほどの三式弾と違い、鮮烈に空を引き裂く、一条の赤い光。
 はるか彼方から伸びるそれは、ある一点で直角に曲がり、キスカ・タイプの上甲板を撫でるように這う。

 ――哭泣。

 鋼鉄が赤熱し、飴細工のように溶け始めた。
 いつの間にか、聞こえているのが当たり前になっていた“歌”が、消える。


《ひぇえぇぇえええっ!? な、なんですか今のぉ!?》

《むっ。まさか、あれは……!》

《知っているんですか、霧島?》

《ええ。おそらく間違いないでしょう。あれは、“ひかり”の曲射熱線砲ですっ》

《アレが? It's Amazingネ……。超兵器ってLevelじゃないデース……》


 さっきまでの危機感も忘れ、みんなポカンと眼前の光景に見入ってしまう。
 当然だ。あんだけ苦労してダメージを与えようとしていたのに、一瞬でそれを上回る攻撃力が見せ場を持っていった。
 キスカ・タイプの上甲板は、今や溶鉱炉の一部と化している。わずかに海面へと走ったせいで、水蒸気が凄いことに。世の不条理すら感じる。
 こんな船が何隻もあって負けたのか? どうなってるんだ、この世界は……。


『ちょっと遅ぇんじゃないですかい、中将。格好付き過ぎてムカつきますぜ?』

『はっはっは。そう言うな間桐。真打ちは遅れて登場するもんじゃ。攻撃許可をもらうのに手間取ってな。
 それと、桐林艦隊の嬢ちゃん方。感心しておるところ悪いんじゃが、これ以上の手出しは難しいぞ』

《何故じゃ、中将殿? あのような攻撃が可能ならば、もっと早く決着がつくだろうにっ》

『至極もっとも。だがの、あの出力には反射板が耐えきれん。そちらに送っているのは残り数機しかないのじゃ。
 照射時間はせいぜい十数秒。ジェネレーターも一基が吹き飛びおった。危うく沈没寸前じゃわい。はっはっは!』

《ご、豪気な方ですね……》


 破れた衣服から覗く肌を隠しつつ、筑摩が苦笑い。利根も「ううむ、口調が被っておるな……」と難しい顔だ。
 悩むところが違うだろ。あとさ、もっとちゃんと隠して。急に視界が肌色めいて困るんだ。


「えぇーっと……。何があったんですか、提督。私、肝心な時に目にゴミが入っちゃって……」

『妙なところで不幸だな……。浮遊反射板を使った、“ひかり”からの超長距離支援砲撃だよ』

《支援砲撃……。まさか、宿毛湾からここまで、ですか? なんて凄まじい……》

《び、ビックリして腰が抜けちゃいました》


 妙高の呆れ顔も、五月雨がへたり込んでしまうのもしょうがない。
 改めて整理すると、中将が“ひかり”に配備された浮遊反射板を使用し、水平線を超えた超長距離射撃を行ったのだ。
 数百kmにおよぶそれは、反射板に備わっているという、分子的に熱線の通り道を作る機能のおかげだろう。
 熱線と称されるだけあり、照射しているのは超高出力の赤外線レーザーで、自分にも見えたのは、統制人格の感覚を通していたからである。


『これでみんなを退避させる時間が稼げる……。ありがとうございます中将、おかげでなんとか……!』

『なぁに、ワシだけの力ではないでな。ほれ、よく見てみよ』

『え?』


 中将に視点を導かれ、空を見やる。
 未だ白熱する浮遊反射板のそばに、見覚えのある艦載機があった。彗星だ。というより、これは彗星の視界だった。
 慣れ親しんだ感覚を辿っていけば、戦場へと足を急がせる十二隻の船たち。


『……赤城?』

「はい、お待たせいたしました。一航戦、赤城。これより戦列に参加いたしますっ」

《赤城さんだけじゃありませんよっ。雪風も参戦させて下さい!》

《提督~! 島風が来たよ~っ、思ってたより早かったでしょ~?》

《雷、電っ、大丈夫!?》

《ワタシたちが来たからには、もう好き勝手はさせない……!》

《いてこましたるたるでぇ、こんのド外道め!》


 背筋をピンと。反射板の護衛艦載機を制御しながら、たおやかに微笑む赤城。
 大きく手を振り、元気さをアピールする雪風、島風。
 負傷した妹たちを気遣う暁と響に、怒りで拳を震わせる龍驤。


「やっっっっったぁああぁぁあああ!! 時間的には朝だけど、待ちに待った夜戦っぽい戦闘だー!!!!!!」

《あらあら~。そんなに興奮すると鼻血出ちゃうわよ~》

《陽炎型ネームシップ、参上よっ。よくもみんなを痛めつけてくれたわねぇ?》

《この借りは返します。……ええ、三倍返しです》

《軽巡・長良、参戦します! 砲雷撃戦、用意っ!》

《や、夜戦だけは、得意なんです、私。が、頑張りますっ》


 島風・雪風以上に元気一杯。超絶戦意向上中な川内と、それをニコニコ顔でたしなめる龍田。
 不敵な笑みを浮かべ、揃いの手袋を直す陽炎、不知火。
 負けじと艤装を構える長良に、そんな気は無いんだろうけど、前屈みに両の拳を握ったせいで、たゆんたゆんが強調されちゃった名取。

 そこには、みんなが居た。
 魂を分け合った、仲間たちが。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





《あぁ~んっ! 陽炎~、ぬいぬい~! ウチ死ぬかと思うた~っ》

《ちょっと黒潮、情けない顔しないの。もう平気だから、ね?》

《それと、奇妙な呼び方はやめて下さい。気が抜けます》


 待ち望んでいた顔ぶれに、黒潮は涙を浮かべて大喜び。嘆息する陽炎だが、表情は優しい笑みで飾られている。
 不知火はといえば、誰もが慄く日本刀のような目つきなのだが……。
 おそらく、満更でもないのを隠そうとしてるんだろう。そうじゃなきゃ、繋がる魂が暖かくなるはずがない。


『ん? ………………ふごっ!? ちょ、なっ、えぇえ!? 風子さん!?』

『ぬおっ、な、なんですか桐ヶ森提督。女の子は出しちゃいけない音が……』

《あれ? この声、もしかしてアイリちゃん?》

『……アイリ?』


 ――と、和みかけたところへ聞こえてくる、鼻の鳴る音。発生源は、なんと桐ヶ森提督だった。
 どうやら、こちらの視覚情報を取得し、統制人格の様子を確認していたようだ。
 けれど、なぜか彼女は島風の姿を見た途端、あんな醜態を晒してしまった。
 ……アイリってまさか、間宮で羊羹を奢ってくれたっていう、あのアイリちゃんか? え、嘘。桐ヶ森提督も桐生提督の見舞いに?
 ってか同一人物だったのか? 聞いてた話と印象がだいぶ違う……。


『え、ぇぇえええと、お、お久しぶり? って、今はそんな場合じゃないわね。桐林の赤城、聞こえる?』

「良好です。“ひかり”の反射板護衛と、芙蓉隊の先導。遂行いたしました。続いて攻撃態勢へ移ります」

『ん。上出来よ。私も加わるからそのつもりで』


 流石に二つ名持ちだけあってか、彼女は瞬く間に気を取り直し、航空戦力の把握に努める。
 浮遊反射板に随伴していた護衛は、赤城たちの彗星だけではなかったのだ。
 彗星三三戊型。
 発動機を一千五百六十馬力の金星六二型に換装し、後部機銃を二十mm斜銃へ強化。二百五十kg爆弾を最大三発まで装備可能な、“陸上”爆撃機である。胴体に五百kg爆弾一発の機体と、胴体・翼下に二百五十kg三発の機体が混成していた。
 なるほど、そういうことか。
 いくら最新鋭の技術で作られた反射板とはいえ、宿毛湾からここまでの航続距離はない。だが、別の何かに運んで貰えば別だ。
 途中で襲われた場合も、赤城たちが対応すれば、芙蓉部隊の戦力を保ったまま戦場へ送り込める。
 操作も衛星電波を使うし、何機か使い潰して射線を確保すれば、距離に関係なく熱線照射を行える。上手いこと考えたなぁ。


『それと、桐林。後できっちり尋問するから、アンタも覚悟しておきなさい。このハレンチ男』

『え? 尋問? じ、自分なんかしました?』

《あ、あのねアイリちゃん。あのとき嘘をついたのには理由があって……》

『後にしてちょうだい。……分かってるから。後でね』

《……うんっ》


 一人で納得していると、矛先が突然こっちを向いた。
 声に宿る軽蔑の感情にビックリしてしまうが、慌てた島風が割って入り――あぁそっかあの服装か……。言い訳のしようがねぇや……。
 と、沈んでいるうちに話は終わったようで、島風は嬉しそうに笑う。
 なんだか、桐ヶ森提督ことアイリちゃんとの論点がズレている気もするけど、喜んでるみたいだし、言わぬが花か。尋問、キツくないといいな……。
 ……そうだ、思い出した。あの事を伝えなくちゃ。


「書記さん、みんなに通信を。話さないといけない事がありますから」

「……そのこと、なんですが。不要かも知れません」

「は?」


 この戦闘で確定した、統制人格と深海棲艦の因果関係。
 笑顔を曇らせるのは辛いが、これを話さなくちゃ先に進めない。
 そう思って意を決したのに、書記さんが出鼻を挫く。
 なんでですか? と問いかける前に答えを教えてくれるのは、凪いだ表情を見せる赤城だった。


「お話は全て聞いていました。ご負担になるかと思い、返事はしませんでしたが」

『……聞い、てた?』

《……うん。私もちゃんと聞いてたわ》

《書記さんが、みんなに声を伝えてくれたんだよ》

《怒らないであげて下さい、司令。そのおかげで、雪風たちはこうして居られるんです》


 おうむ返しには暁が続き、響と雪風が書記さんを庇い立てる。
 最初から責めるつもりなんて無かったけれど、きっと自分が聞く番だ。
 心を落ち着けて、みんなの言葉に耳を傾ける。


《正直に言うとね? 私も、天龍ちゃんも、他のみんなも。誰もが一度は考えたの……》

《まぁ、普通は気づきますよね。似ているところだらけだし》

《悩んで、悩んで。眠れない日も、ありました。提督には聞いちゃいけない気がして、私たちだけで相談し合ったことも、ありました……》


 自分が、深海棲艦の統制人格を最初に視認した場で、共にいた龍田は勿論の事、長良も苦笑いで頭をかく。
 乗組員を必要とせず、時代を遡る船。人類には霊的な力が発現し、深海棲艦も超自然的な力場を持つ。そして、甲板に立つ少女。
 確かに似ているところだらけだ。艤装を確かめる名取の不安は、如何許りだっただろう。


《考えん方が楽なんは分かっとったんやで?
 何も考えんと、ただ与えられた役割に従事するんが、うちらに刷り込まれた本来の“傀儡”の在り方。
 せやから今まで、示し合わせたわけでもないのに、みんなして黙ってしもうた》

《けど、それじゃあ私たちの居る意味がない。なんのために側に居るのか分からない。
 私たちがここに居るのは、楽しい気持ちや、辛い気持ちを分け合うためなんだから。
 ……って、島風ちゃんが言ったんです。ビックリするくらいの大きな声で》

《はうっ。い、言わないでって言ったのに……。アイリちゃんに言われた事とおんなじだから、恥ずかしい……》


 雪風の言葉に、島風は顔を真っ赤にして、連装砲ちゃんで顔を隠す。
 それを見た龍驤たちがころころ笑い、一息ついた陽炎が、同じ表情で肩をすくめた。


《……とまぁ、こんなやり取りがついさっきあってね? その問題は解決済みなの》

《だから、私たちも戦うわ。立派なレディになって驚かせる約束、絶対に果たすんだから!》

《もう言葉は不要です。司令が司令である限り、不知火は従います》

マルチャーニェМолчание - -ズナークзнак サグラースィヤ。согласия.……沈黙は肯定の印、という訳さ。司令官、作戦命令を》


 決意に満ちた暁が宣言し、不知火は、先ほどとベクトルの違う鋭さを伺わせる。
 まだ耳慣れないロシア語にも、信頼が込められているのを感じた。


「帰ったら、キチンと話してあげなきゃダメだと思う。けど……。この場に居ないみんなも、きっと同じ気持ちだよ。
 だから今は、目の前の戦いに集中しないと。さ、ワタシと夜戦しよ? やっせん、やっせん、や・せ・んー!!!!!!」

《もう、川内ちゃんたら~。私、なんで神通ちゃんにジャンケンで勝っちゃったのかしら~》

「ふふふ。戦意が高いのは良いことです。……提督。これが私たちの――貴方の船の、選択ですよ」


 そして、一瞬だけ真面目な顔をしてみても、「月に代わってオシオキしまっせ」的な、変なポーズを取る川内と、疲れ果てた様子の龍田が目をギラつかせる。
 最後となった赤城は、皆を見回すように振り返った後、誇り高く胸を張った。
 どう返そう。
 どう返せば、この想いを形にできるだろう。
 悩み始めてしまった自分に呼びかけるのは、電。


《司令官さん》

『どうした?』

《……不思議、なのです。さっきまで、胸の中が苦しくて、寒くて。とても辛かったのに。今は……》

『……そうだな』


 決して、忘れたわけじゃない。
 命を。形あるものを壊す罪から、逃れられるわけでもない。
 だけど、軽くなった。
 制御艦数は脳に多大な負担をかけ、思考を鈍く、重くさせているはずなのに。
 今、自分は。自分の心は、周囲の景色と反比例するように、晴れ渡っていた。

 そういえば、雷が言ってたっけ。
 言葉にならないなら、無理にしなくてもいいんだ。
 魂で繋がっている、みんなだから。きっと分かってくれるだろう。
 この、溢れ出る信愛を。


『これより隊を再編する! ここからが勝負だ。この戦い……終わらせるぞ!』


 そう信じて、また戦いへと仕切り直し。
 おおお! と、小さな握りこぶしたちが空へ。
 気がつけば、遠く離れていた四艦隊と増援艦隊が、交錯する位置に来ていた。
 ずいぶん話し込んでいたように感じるが、キスカ・タイプはまだ再生の途中だった。
 どうやら、不死の怪物の弱点は、神話の時代から変わらず、傷を焼くことらしい。熱線曲射砲様様だ。


《ううぅ、ワタシたちはお役に立てそうもないデース……。悔しいデスけど、後はMiss長門にお任せするデース》

《どうか、榛名たちの分まで……!》

「ああ。新参者だが、敵艦隊との殴り合いなら誰にも負けん。任せておけ」

《砲門の数は単純に五割増し。第三砲塔だってピンピンしてるもの。仕留めて見せるわ?》

《第三砲塔……。言いたくないけど、物凄く不穏な感じが……》

《戦艦にとっては不吉な単語ですね。今度は爆発しないと良いんですが……》

《しないわよ!》


 会話しながら、幾多の船が場所を入れ替わる。
 位置関係を整理すると、加賀・祥鳳・瑞鳳に、赤城と龍驤の五隻。桐ヶ森提督の翔鶴・瑞鶴・龍鳳・神鷹の四隻が、キスカ・タイプから変わらず中距離を保つ。
 加えて、芙蓉部隊の彗星が数十機、爆撃のため南下していた。言葉を交わせないのが惜しいところだが、すぐに爆撃も開始されるだろう。

 近距離に居た戦艦たちは、彗星とは逆に中距離へと退避。キスカ・タイプを中心として、真北に位置する航空母艦たちのところへ。傷ついているとはいえ、まだ生きている砲もあるし、対空砲火なら可能なはず。
 増援である長門・陸奥が北西から。川内たちが北北東から近距離に差し掛かろうとしている。間も無く合流できる算段だ。
 那智さんなんかは長門を見て、「ふむ。あの改装、仕様書は……」と顎を撫で、妙高に「那智ったら……」と苦笑いされている。ちょっとは仕事から離れましょうよ……。

 ちなみに、プンスカ怒っている陸奥と、それをなだめる比叡・霧島がいう第三砲塔とは、陸奥が沈んだ理由――非戦闘時における、第三砲塔直下弾薬庫の“謎の”爆発のことだろう。
 積んでいた三式弾が暴発した、という説もあるが、今持って原因は謎のまま。
 ……祈ろう! 爆発しないよう祈るしかない!


《ぐぬぬ……。吾輩はカタパルトが不調じゃ……。砲の動きも悪い、しばらく下がる。頼んだぞ、長良よっ》

《任せといて~! ちょっとモデルは古くったって、水雷戦ならお手の物!》

《私も退避するわ。なんだか、ろくに仕事をさせて貰えなくて悔しいけど……。名取、しっかりね?》

《うん、頑張るっ。五十鈴ちゃんも、お疲れ様でしたっ》

『私たち、航空戦力は待機よ。キスカ・タイプの弱点は横からじゃないと叩けないみたいだし、何かあった時に即応する戦力は取っておくわ。出番がなければ、それに越したことないもの』

「了解しました。赤城、桐ヶ森提督の指揮下に入ります」

《ぃよしっ、桐林艦隊、一航戦組のそろい踏みや! もう制空権は渡さへんでぇ~》

《むぅ……。私だって、三航戦だって負けないんだから!》

《なら、私は四航戦の代表として、その名に恥じぬ戦果をお見せしましょう! ……出番があれば、ですけど》

「その意気や良し……と、言ったところでしょうか。一航戦の栄光に、揺るぎはありませんが」


 しかし、現実逃避気味にみんなを眺めても、やっぱり肌色が多くて困る。
 唯一安心できるのが空母組だが、瑞鳳と祥鳳を始め、なんかみんなで張り合ってる。
 ここに二航戦と五航戦が加わったら、一体どうなるんだろうか。喧嘩とかにならないといいけど。

 ……なんて、まだ見ぬ仲間を想像している時だった。芙蓉部隊の接近に対し、キスカ・タイプが行動を起こした。
 歪んだ汽笛が響く。
 同時に、巨大な船体を覆う、大規模力場が形成された。赤黒く、半透明なランダムタイルパターン。
 数機の彗星が爆撃を試みるも、全く歯が立たない。苛立ちが機動に映って見える。
 ……嘘だろ。全方位力場防御? 波の立ち方からして、海中まで張り巡らされている。旗艦種なんて目じゃないぞ……っ。


『そんな気はしてたけど、やっぱり力場発生能力もあったのね。……舐めプされるのって、本当にムカつくわ』

『ケッ、いよいよ余裕がなくなってきたって事じゃねぇかよ。そのまま潰してやる。
 今から狙撃ポイントを変える時間も無ぇ、プランB――両舷からの同時攻撃に作戦変更だ。新入り、東側じゃなくて西側へ回り込め。
 こっちは重要機関がありそうな場所を適当に撃つ。同時に仕留めるぞ。中将、頼んますよ』

『心得ておる。万能な力なんぞ存在せん。勘じゃが、大きいぶん見た目より薄かろう。障壁は引き剥がす。間桐、桐林。おヌシらが奴を射抜け』

『へーい』

『了解しました』


 だが、歴戦の勇士たちは恐れない。
 己に為せる事を熟知し、実行するだけの自信を持っている。
 自分も彼らの一員なんだ。この程度の逆境、屁でもないと言えなければ!


『……さて。メンバーは変わったが、やる事に大差はない。
 長門たちと合流後、間桐提督が射撃位置へ着くまでの間、芙蓉隊と一緒に今のダメージ状態を保つ。
 龍田。水雷戦隊の統率は君に頼む』

《あら~、私でいいの~? 中継器は川内ちゃんに載せちゃったんだけど~……》

「そ、そうよっ、なんでワタシじゃないの!? 活躍するから、初めての夜戦でも絶対に上手くやるからー!」

『だからだよ。龍田はもう夜戦の経験あるし、川内だと暴走しそうだしな。今回はダメ』

「それじゃあ思い通りに暴れられないじゃないやだー! せっかくの夜戦なのにー!」

《川内さん、子供みたい……。暁はちゃーんと従うわ? レディとしてっ》

《うん。まぁ、本当のレディはそう主張しな――なんでもない。スローヴァ - スィリブブー、Слово - серебро,マルチャーニェ - ゾーラタ。молчание - золото.雄弁は銀、沈黙は金だ》         

《ねぇ響。ほとんど言っちゃってない? ……あぁ、なんだろ。このやり取り、すっごく落ち着くわ》

《ぁはは、ホントなのです》


 どんだけ予想外だったのか、寝そべってジタバタする川内の姿に、自然と笑みが浮かぶ。
 不思議だ。窮地に追い込まれているはずなのに、負けるイメージが一切浮かんでこなくなった。
 島風が言ったことは、正しかったらしい。
 自分一人じゃ戦場にすら立てないけど、みんなと居れば、戦える。
 情けない在り方のはずが、どうしてだろう。嬉しくて、誇らしい。

 程なく、長門たちと水雷戦隊が合流。
 書記さんの操作によって、赤城の中継器と同期していた陽炎、不知火、龍田の三隻が、長門の中継器へと同期元を変える。
 旗艦・長門。随伴艦・陸奥、龍田、陽炎、不知火。旗艦・川内。随伴艦・暁、響、雪風、島風の、二艦隊が組まれた。
 これで準備は完了。あとは、砲雷撃戦に適した距離を待つだけ。陣形も複縦陣から単縦陣へ変わる予定だ。


『長引けばこっちが不利だ。キスカ・タイプ前方を横切り、すれ違いざまに右側面を叩く! 一度で決めるぞ。島風、速度を合わせてくれよ?』

《分かってまーす。でもでも、私の武器はスピードだけじゃないよ? 五連装酸素魚雷は、島風だけの兵装だもん!》

「あー、いいよねー、五連装。あたしたちも丸っと換装しちゃいたいなー。そうすれば今度こそ……」

「そうなったら、改二を名乗っても良いくらい強くなれそうです。提督、是非にお願いします。北上さんの為です。次までに絶対用意して下さい。手伝いますから」

『あ、うん。考えとくよ。考えておくから、『用意しないと魚雷でブちますよ』的な目はやめて?』

《姉たちがすまん……。その時は俺も手伝おう》


 ――なんだけども、緊張感が全くもって維持しない。
 いやね? 変に気負うよりはよっぽど良いんだ。
 でも、なんかこう……あるじゃん、雰囲気が。そこは守ろう?
 木曾も楽しそうにしてないでさ。


《なんだか、すっかりいつもの調子に戻っちゃったわね? もう少しシリアスな感じのままでも良かったのになー》

『どういう意味だ? 陽炎。間違いなく褒めてないよな? どうせ自分はいつもヘラヘラ笑ってる三枚目だよっ』

《ん~、そんな事ないと思いますよ、司令。だって部屋には、司令と撮った笑顔万点の写真が飾ってあ――》

《うぉぉおおおっと急に高波がー! 避けて雪風ー!》

《ひゃあぁ!? あぁあぶ、危ないですぅ!?》

《……何をしているんですか、貴方たちは》

《もう突っ込む気も起きへんー。スパッツが破けてもうてスースーするし、かなわんわー。はよ帰りたーい》


 ダメだこりゃ。もうこのノリで行くしかなさそうだ。
 というか、写真って舞鶴の時のだろうか。確かに、記念だからってツーショット写真を先輩に撮ってもらったけど……。
 反応に困るな。聞かなかったことにしよう。陽炎も照れくさそうだし。


「……あの、提督。意見具申しても、良いでしょうか?」

『山城。どうした』

「私たち、中破しちゃいましたけど、まだ瑞雲は飛ばせるんです。雀の涙程度かも知れませんが、航空戦にだったら参加できるかな……と、思って」

『それはありがたいが……。大丈夫なのか?』

《問題ないと思います。このままオメオメと帰っては、ただ脱がされただけになってしまいますもの。せめて一太刀でも浴びせないと、扶桑型の名折れです……!》

『……なら、よろしく頼む。赤城』

「はい。編成に加えさせて頂きます。扶桑さん、山城さん。打ち合わせを」


 砲を折られながらも、扶桑、山城は作戦行動を申し出る。
 国の名を持つ戦艦の意地、なんだろう。献身的な姿勢を拒めるわけがない。
 ごめんなさい嘘つきました。ホントは早いとこ、全裸に近い二人の格好から目を逸らしたかったからです。
 戦闘中に興奮するわけにゃいかんのです。提督として。記憶には焼き付けるけどな!


『……ォし。狙撃ポイントに到達した。狙いに入る』

『あ、はい。こちらも、もうすぐ反航戦に入ります』

『頃合いね。中将、お願いします』

『うむ。曲射熱線砲、収束射撃用意!』


 ――と、バカげた理由で意気込んでいたら、間桐提督から連絡が入る。合わせて思考も切り替わった。
 はるか彼方の宿毛湾に、戦場にいる皆と違い、陽光を浴びる五隻の船がある。
 中央に鎮座するのは、近代的なフォルムと赤外線レーザー照射装置が特徴の、光学兵装艦“ひかり”。
 左右を航空戦艦・伊勢、日向に。前後を重巡洋艦・高雄たかお愛宕あたごに守られる中、中将が発した指示で、何十人もの士官たちが“ひかり”を動かしている。
 視界はおそらく、中将の感情持ち。黒い礼装とタイトスカートに身を包み、サーベルを携えた長髪の美しい女性――伊勢の物だろう。


『撃ちぃ方ぁ、始め!』


 揺るぎない信頼で見守る彼女へ応えるかのように、古い時代の号令が轟いた。
 追随する士官の復唱がわずかに聞こえ、そして、再び熱線が照射される。
 光にかかれば、数百kmの距離も一瞬。瞬きする間に、長門の視界で赤黒い力場と純粋な赤がぶつかり合う。
 一秒。二秒。三秒。


『……想定より厚いのう。反射板は潰れるが、仕方ない。対空照射用意。……照射ぁ、始めぇ!』


 四秒目で、中将は照射目的を変更する。
 一点集中による高い攻撃力ではなく、乱反射させることにより広範囲を制圧する、本来は対空戦闘で用いる使用法。
 空飛ぶ四角い板といった外見だった浮遊反射板が変形、半円球となって回転するそれを熱線が通過し、赤い光が乱れ舞う。
 十秒。十一秒。十二秒。十三秒。
 やがて、熱の蓄積に耐えきれなくなった反射板が爆散しようとした刹那。キスカ・タイプの赤黒い力場が、ガラスに似た音を立てて砕け散った。


『よし、剥がれた! 今よ!』

『言われなくたって分かってるってぇの! 何度でも、何度でも当ててやるゼぇ?』


 間髪入れず、間桐提督の陸奥が砲撃を開始する。
 小・中学生くらいの、セーラー服を着たあどけない少女は、身体と不釣り合いに大きな艤装を構え、連動する四十六cm単装砲がわずかに挙動。
 轟雷音。
 四度続いた直撃弾だが、弱点には当たっていないらしく、すぐに再生が始まった。それでも、轟雷音は止むことがない。

 同時刻。
 力場の完全消失を見届けて、自分たちも動いていた。


『まずは確認、重要機関があると思われる部位に、戦艦以外の攻撃を集中させる。砲雷撃戦、用意!』

Да了解。さて、やりますか》

《うん。……ちゃんと攻撃するからね。司令官、見てて?》


 号令を受け、右肩から覗く砲塔を撫でる響と、身体の両脇にある発射管を操作する暁。
 こちらもあどけないのは同じだが、眼差しには、寂寥せきりょうが幾ばくか。
 目は逸らさない。
 向かう先で、庇い合う“彼女たち”からも。
 傷を負いながら立とうとする一方と、肩を貸しながら憎悪に顔を歪める、もう一方からも。


『攻撃、開始!』

「了解っ。みんな、突撃よ!」

《川内ちゃ~ん、指揮は私って聞いてなかった~? ……ふぅ、仕方ないわね~》

《五連装酸素魚雷、行っちゃって!》

《当たってくださ~い!》


 軽巡たちの十五・五cm砲、駆逐艦の十cm砲が唸り、島風や名取の五連装・四連装発射管から酸素魚雷が押し出された。
 まずは砲が着弾。目標範囲をズレた物は、派手に装甲を撃ち砕くものの、収まった物は詮無く弾かれてしまった。十五・五cmの徹甲弾が、辛うじて食い込んだ形だ。
 次に魚雷。また駆逐級を召喚するかと思っていたのだが、思いの外、雷撃は静かに吸い込まれ、水柱が上がる。やはり、目標範囲内だけは効きづらい。
 陽炎と長良が悔しそうに歯噛みする。


《かった~い! やっぱり長十cmじゃ抜けなさそうね》

《十五・五でも削るのがやっと……。けど、間桐さんが言ってた通り。司令官!》

『ああ。長門、陸奥。狙いは』

「無論。いつでも行けるぞ」

《わたしの出番ね? いいわ、ヤってあげる!》


 同期している他艦からの情報を駆使し、二人は狙いを定めていた。
 主砲・四十一cm三連装砲、四基十二門。副砲・十四cm単装砲、片舷九基九門。
 世界でたった七艦だけの、ビッグセブンが砲を構える。


《さーて、トドメを刺すわよ? 全砲門、開け!》

「待ちに待った艦隊決戦か……。胸が熱いな」


 その威容と裏腹に、長門型戦艦は、今も昔も戦艦同士の殴り合いを経験していない。
 つまりはこれが本当の初砲戦というわけだが、しかし、外れるとも思わない。
 的の巨大さだけが理由じゃなくて、大した根拠もないのに、確信していた。


『砲撃、開始』

「全主砲、斉射っ。――ってぇ!!」

《戦艦・陸奥の力、ご覧なさい!》


 轟音と共に、海面が“たわむ”。
 大量の空気を押しのけ、九一式徹甲弾は走るように伸び――


《着弾ならず! 司令っ、部分的にですけど、力場防御が復活しています!》

《……っ? しぶとい……!》

『まだ余力があるのか!?』


 ――空中で爆散。赤黒い壁に阻まれた。
 雪風の双眼鏡が、局所的に出現するタイルパターンを確認。おまけに、小口径の砲が復活しつつあった。
 思わず、不知火と一緒に苦い顔をしてしまう。


「いいや、まだだ! ビッグセブンの力、侮るなよ!」

《大人しく、イっちゃいなさいってば!》


 だが、長門たちも諦めない。
 即座に再装填を済ませ、同じ箇所への集中砲火を再開する。
 不知火や雪風も続き、キスカ・タイプも応戦。まさしく殴り合いの様相を見せ始めた。

 ちょうどその頃、対面側でも砲弾が力場に弾かれる。
 対の船体とはわずかにズレた場所。「ッハハ」と、喜色ばんだ笑いが聞こえた。


『見つけたぜェ、そこか!』

『ちょっと間桐。防がれてるじゃないの、撃ち抜けるとか言ってなかった!?』

『黙って見てろプリン頭。俺様に撃ち抜けない者は――』


 声質を獰猛に変え、彼は嘯く。


『――この世に無ェ!!』


 己こそが、世界で一等の男だと。
 間違いでないことは、結果が証明した。
 放たれた徹甲弾はまたしても阻まれた。が、それとは別方向から、同じ弾頭が、同じタイミングで殺到。力場をすり抜ける。
 放ったのは陸奥ではない。間桐提督が使役する空母・千代田、鵜来型二番艦・沖縄に護衛された、陸奥と瓜二つな容姿を持つ長門だ。
 そういえば、先ほどの砲撃の際、陸奥の側に長門は居なかった。力場の復活を見越して移動させていたのだろう。
 攻撃方向を限定、一方向からしか来ないと思わせておき、最後は二方向からの同時射撃で防御をくぐり抜ける。
 流石としか言いようのない、見事な砲撃だった。


《うふふっ。そろそろ我慢も限界でしょう? ほうら、ガラ空き、よ!》

「よし! 艦隊、この長門に続け! 榴弾装填、一斉射だ!!」


 そして、こちらも。
 同じ範囲へ繰り返し着弾する砲弾に、程なくタイルパターンは粉砕。
 不発で終わった十五・五cm弾を押し込むように、九一式徹甲弾が着弾。内部で連鎖的に爆発が起こる。
 更に、再生が始まる前の穿孔へ、単装砲と軽巡・駆逐艦の榴弾が次々と。
 奇しくも、計ったような同一時刻に、キスカ・タイプは双胴を爆散させた。


『うむ、見事じゃ。やはり、長門型は二隻揃ってこそじゃな。桐林も良くやった』

『ありがとうございます。ご支援の賜物です』

『ヒッヒッヒ。ま、せっかく励起したんすから、使わねぇと損でしょう。チィとばかし見た目が残念ですがね。久々に食い出のある獲物でしたぜ』

『……ふん。宗旨替えしたばかりにしては、良い腕じゃない。特にそっちの長門。本当に励起直後なの? 第六評価くらいの練度がありそうだけど』

「恐れ入ります。今の私など、聯合艦隊旗艦を務めた栄光に比べれば、取るに足らないものでしょうが。有難く貰っておきましょう」

《あらあら、素直じゃないわね。嬉しいくせに》

《やったー! 勝利・勝利・大勝利! 最っ高の響きよね!》

《勝利か。良い響きだな。嫌いじゃない》

「ふぐぉ!? ……ひ、響ちゃんが、ひ、ひび……ふっく」

《……あれ? 山城さんが反応したってことは……。な、なぁ、長良さん、響ちゃん。今の……》

《触れないでおきましょう、黒潮。偶々かも知れません》

《でもぬいぬい……。ボケられたならうちツッコまんと……》

《ぬいぬいじゃありません》


 中将や“飛燕”からの賞賛に、間桐提督は然も当然と受け取るが、自分たちの艦隊は歓声に湧いている。
 島風が連装砲ちゃんを高い高いし、金剛は破れた衣装をおさえつつ「Good Job!」とサムズアップ。船上でなければ、ハイタッチや万歳三唱でも始まりそうだ。
 心無しか、折り畳み式の後付け艤装――四十六cm単装砲を背中に格納する、間桐提督の長門、陸奥も誇らし気だ。
 駄洒落上戸な山城は置いとこう。響が顔を真っ赤にして縮こまってる辺り、偶然っぽい。


「提督っ、敵艦に動きがありますっ」


 ――と、皆が勝利の余韻に浸っている最中、警戒を続けていた赤城が報告をあげる。
 緩んだ空気は一変。二式艦偵からの映像に、全員が注目した。
 大火災による黒煙。
 行き足が止まり、轟沈もやむなしと思われたキスカ・タイプの双胴が、分離する。
 途端、結合崩壊を起こす船体中央部には、白い船が一隻、産まれ出ていた。
 外殻と同じ双胴船だが、今度は艦首が同じ方向を向き、それぞれが長門型に匹敵する大きさ。載せられている砲も、戦艦タ級の十六inch三連装砲が八基二十四門。
 まだ普通の船に見える純白の弩級戦艦には、またしても二人の少女が立っていた。
 産まれたままの姿を、赤い粘液で隠す……人間と同じ大きさの、統制人格が。


《ふぅん。アレが本体ってわけ》

「意外と小さい……いや、十分に大きな戦艦だな」

《あ、なんか嫌な予感する。陸奥さん、長門さん。他のみんなも耳塞いだ方が――ひぃいやっぱりぃ!》


 ――哭泣。

 手を取り合い、立ち上がる“彼女たち”は、憎悪の咆哮で“殻”を粉砕。船体を黒く染め、同時に黒衣と赤黒い妖気を纏った。ついでに陽炎も涙目だ。
 整っていた装甲が歪に隆起し、砲塔は捻じくれ、艦橋相当部位も朱金に蛍光する。
 あれが。あれこそが、キスカ・タイプの真の姿。


『砲じゃ狙えないわね……。でも、ちょうどいいわ。桐林、大渦の発生も考えられる。艦隊を退避させなさい。航空戦力の出番よ』

「お任せを。鎧袖一触に伏してみせましょう」


 しかし、位置が悪い。巨大双胴船の残骸は、未だ結合崩壊の途中。長門たちが狙うには、北か南へ回り込まねばならない。
 ようやくここまで追い込んだのだ。時間を与えては、またひっくり返されるやも。
 だが、こんな時のために残しておいた航空戦力である。
 桐ヶ森提督の指示に加賀が即応し、百を優に超える爆撃隊が編隊を組む。


「瑞雲じゃダメージは与えられない……」

《けれど、露払い程度なら!》


 まずは芙蓉部隊と山城・扶桑の瑞雲隊。
 三発の爆弾を装備した機体が先行し、着弾点を瑞雲が確実に狙う。
 延々と続く爆撃が、力場防御を剥ぎ取った。


「敵艦直上! 急降下します!」

《こちら龍驤、赤城に続くでぇ! ソロモン海のようには行かへんよっとぉ》

《瑞鳳。私たちもっ》

《そうねっ、追撃しちゃいますか!》


 そこへ、赤城率いる五百kg爆弾装備の彗星が追随。
 対空砲火で二割ほどを失いつつも、上部兵装を砕く。


『使わずに済めば良かったんだけど……。確実にいくわ。Auf Wiedersehenさよなら


 最後を飾るは、“飛燕”の桐ヶ森。
 宙をひるがえったJu87C改が、直角に近い角度で艦橋・機関部直上・統制人格の三つを狙う。
 小型プロペラと連動する、悪魔のサイレンが鳴り響き――炸裂音。
 決して優れているわけではない機体を使い続け、限界以上の性能を引き出した彼女にのみ許される、正確無比な一撃だった。


『終わった……。最後は、呆気ないな……』

『そんなものよ、戦争なんて』


 夜が明ける。
 海面スレスレで復元したJu87C改の視界には、無残に燃え上がるキスカ・タイプが映っていた。
 太陽の光が届いたということは、おそらく、作り上げられていた領域も崩壊したということ。
 戦いが、終わった。
 目を凝らしても、雪のような“少女たち”の姿は煙に巻か










「あれ?」


 思わず、首を巡らせる。
 いつの間にか、自分は真っ白な空間に立っていた。
 普段通りの軍服姿で、ただ、立ち尽くしていた。


「……あ。は、ぇ?」


 訳が分からず、言葉にならない息が漏れる。
 なんだこれ。
 自分はさっきまで、地下に居たはずだ。佐世保にある調整室で、増幅機器に横たわっていたはず。
 だというのに、終わりが見えない空間が広がっている。
 白。
 天地の境目、上下感覚すら判然としない、無窮。雲の上に立っているような、不安定感。


「……ここは、何処だ?」

「十万」「億土」

「っ!? 誰だ!?」


 背後からの声。反射的に振り返りつつ、腰から銃を引き抜く。
 南部十四式カスタム。
 旧日本海軍が陸式拳銃の別名で採用した、南部式大型自動拳銃。その派製品である十四年式拳銃を、外見だけ再現した銃だ。
 本来は8x22mm南部弾という小口径の銃弾を使用するが、これは9x19mmパラベラム弾を装填可能で、離脱装弾筒付き・徹甲炸薬弾も発射――


(ちょっと待て。なんで自分はこんな物を。それに、“彼女たち”は)


 鍵付きの引き出しに入れっ放しだった支給品を、訓練通りに構えられたのも疑問だが、それ以上の違和感が眼前に存在した。
 曇り一つ許さない白の中で、自分と同じく黒をまとう二人の少女。


「双胴」「棲姫」


 キスカ・タイプの統制人格が、そこに居た。
 あまりの事に、理解が追いつかない。
 十万億土? 双胴棲姫? 一体なにを言ってるんだ。意味が全く――いや、そもそもなんで、音で聴いただけの言葉を脳内変換できている?
 ジュウマンオクド。十万億度。充満奥戸。
 ソウドウセイキ。騒動正気。相同世紀。
 いくらでも他に変換候補は挙げられるだろうに、どうして……。


「自分はなんでここに居る。自分に何をした。君たちはなんなんだ!?」

「双胴」「棲姫」


 叫ぶような詰問に、二人は同じ言葉を繰り返す。
 穏やかな表情だった。
 あの赤い海に居た、呪詛を謳い上げる怪物とは、まるで別人に見える。
 ただ立っているだけなのに、名工が作り出した芸術品の如き魅力を放つ、“彼女たち”。
 緊張感で、生唾が喉に絡む。


(……もしかして、単純な質問にだけ答えてるのか?)


 最初の発言は、十万億土。直前に自分は、ここは何処だと呟いた。意味は分からないが、この空間の名称なのだろう。
 次に聞こえたのが双胴棲姫という単語。“彼女たち”の名前に違いない。そして同じく、直前には誰だと聞いた。
 この法則が当てはまるなら、またと無いチャンスだ。
 今まで、意思の疎通なんて夢物語だとされてきた存在と、言葉を交わせる。


(きっと桐生提督も、同じだったんだ。だからギリギリまで……)


 桐生提督が意識を失った、キスカ島での行動。ようやくその真意が掴めた。
 これは確かに、自分のことなんか放り出して、質問攻めにしてしまうだろう。
 だが、彼は戻ってこなかった。自分もそうなる可能性がある。
 元に戻る方法はよく分からないけど、できるだけ的確に、意味のある質問をして、切り上げなくては……。


「君は……。君たちは、深海棲艦か?」


 小さな頷き。
 推測は間違っていなかった。
 理由なんか分からないし、正しいことを教えてくれているとも限らないが、とにかく話さなくちゃ!


「なぜ船を襲う」

「命令」「サレタ」

「誰に」

「知ラ」「ナイ」

「目的はなんだ」

「分カラ」「ナイ」

「……人類を憎んでるのか」

「分カラ」「ナイ」

「何も知らず、何も分からないままで、戦ってるのか?」


 沈黙。二対の紅玉が、ジッと見つめる。
 なんだ、それ。
 誰の命令かも知らず、目的も教えられないまま、ただ戦っているだと?
 なんだ、それは。


「……じゃあ、自分たちはなんの……なんのために、戦ってるんだよ……」


 知らず、銃把を握る力が強くなった。
 なぜだか抑えが効かず、湧き上がる衝動に任せて言葉をぶつける。


「自分たちは襲われたから反撃して、色んなものを取り戻したくて、戦ってるのに。
 それなのに、なんなんだよその理由は!?
 ただ命令されたから戦って、死んで、失われていくものが、沢山……。
 そんなんで良いはずないだろう!? 人類の天敵じゃなかったのか……? 君たちは――お前たちはなんなんだ!?」


 銃口を突きつけ、なおも存在を問う。
 この怒りは、誰に向けたものだろうか。
 深海棲艦。その背後にいる“何か”。それとも、闘争本能から逃れられない、人類か。


「貴方」「タチハ」

「……え?」


 どうせ、名前を返すだけだと思っていた詰問に、なぜか今までとは違う言葉が聞こえた。
 問いかけに対する自動音声ではない。
 双胴棲姫である“彼女たち”の、肉声。





「自分ガ何者カ」「知ッテイルノ?」





 冷や水を浴びせられた気がした。
 己が何者であるか。
 人類が知恵を得て以来、問い続けられてきた問題だ。
 その答えも知らぬまま、相手にはそれを求める。
 身勝手な愚かさを、鏡に映されたようだった。


「……あ。ま、待て、待ってくれ! まだ聞きたいことが……!」


 双胴棲姫はきびすを返し、無窮の彼方へと歩いていく。
 追いすがろうと脚を走らせるが、背中は遠ざかるばかり。
 空回りしている。届かない。無駄。


「アノ人、カラノ」「伝言」


 ふと、わずかに振り返る少女たち。
 赤い瞳は、戸惑う自分の胸を射抜き――


「失楽園ハ」「マヤカシ也」

「……うぁ!?」


 ――理解しえない単語が、足場を崩す。
 暗転。
 浮遊感。
 うつ伏せに落下している。

 なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ。
 息が苦しい。手足がゾワゾワする。訳が分からない。
 失楽園? まやかし? あの人って……まさか!?










「――だっ!?」

「きゃっ!?」


 ピー、ピー、という警告音。
 急に襲いかかってくる落着感で、身体が跳ねそうになった。
 しかし、慣れ親しんだ感触が肩・頭・手を押さえつけ、代わりに心臓が暴れる。


「はぁ、はぁ、はぁ……な、なんだ。なにが、どうなって……」

「て、提督? どうなさったんですか、急に大声を……。あ、バイタルが乱れて……」

「……書記さん?」


 目を白黒させていると、それ以上に困惑している少女の声が。
 ここは、調整室? なんなんだよ。ついさっきまで、自分は十万億土に……。
 急いで周囲の環境情報や、時間などを確認してみるが、一分も経過していないように思える。
 ……なんなんだよ。間違いなくあの無窮で、数分は過ごしたはずだ。それがこっちでは……。
 夢、だったのか?


『オイオイ、どうした新入り? バイタル表示が滅茶苦茶になってるぞ。気が抜けて小便でも漏らしたか?』

『アンタねぇ、どうしてそう下品な表現しかできnoayion』


 からかう間桐提督への桐ヶ森提督の苦言が、途中で異音に変化した。
 遠く、彼方から聞こえる警告音。
 ……マズい!?


『赤城、加賀っ、シュトゥーカを拾えぇ!!』

「っ? り、了解!」

「直ちにっ」


 反射的に叫んだ瞬間、帰艦を開始していたJu87C改が失速する。
 即応した二人が弓を弾かなければ、相当数が海へ没していただろう。


『……オイ、どうなってやがるそっちの調整士!? プリン頭のバイタルが消えたぞ!?』

『わ、分かりません。こんな、急に……っ。の、脳波が検出されません!』

『なんじゃと。蘇生措置は?』

『すでに!』


 間を置かず、かつて桐生提督の調整士を務めたという男性が、さらなる危機を伝える。
 ビー、という電子音が響いていた。
 増幅機器から放たれる、先ほどより耳障りなそれは、使用者の体調を管理するプログラムによって、調整士に様々な情報を伝える。
 これは、その中でもっとも憂慮すべき事態を示している。即ち、能力者の生命維持に支障をきたした、ということ。


『大渦なんて発生してねぇぞ、どうなってやがる』

『それが分かれば苦労せんわい。おのれ、桐ヶ森まで欲しがるか、キサマら』


 中将の声も、なんとか冷静さだけは保っている印象だった。
 双胴棲姫――深海棲艦を沈めた直後に、能力者が意識を失う。どう考えても、キスカの再現。
 だが、自分は思っていたより冷静だった。


『間桐提督。狙えますか』

『お? ……おお、ったりめぇだ。トリは飾るって言っただろうが』


 すでに外殻は崩れ去っている。
 燃え上がる双胴棲姫を、どこからでも撃てる。


(まだ沈んではいない。拿捕できるならそれが一番だった。でも……)


 若い同僚の命が掛かっている今、優先すべきはどちらなのか。
 迷うはずもない。


『全艦、砲撃用意。トドメを刺す。照準だけ合わせ、引き金を自分に』

「……了解した。提督よ。長門の砲、貴方に預けよう」


 思うところがあるのか、みんなは静かに従ってくれた。
 双胴棲姫は立っている。
 瞳と同じ色の、炎の中で。満身創痍になりながら、仁王立つ。
 綺麗だと思った。煤にまみれ、薄汚れようとも、その立ち姿は姫を冠するに相応しい。
 だからこそ、終わらせる。


『アン時の言葉、そっくり返すぜ。……藻屑となって、沈んじまえ』

『――ってぇ!』


 カチリ。と、引き金をひくイメージ。
 無数の艦砲が連動し、炸薬が燃焼。一隻へ向けるには多過ぎる砲弾が、双胴船に集まる。
 四六単まで加わり、命運は尽きたも同然だ。

 ――爆音。


帰ル、ノネ……。アノ海ニ……

帰リ、マショウ。一緒、ニ……


 最後の瞬間、双胴棲姫の声が聞こえた気がした。
 確かめようとしても、その姿はもう見えず。
 “彼女たち”は、沈んでいった。今度こそ、終わった。


『……終わったようじゃの。沖縄の、どうじゃ』

『いえ、それがまだ……』

『aakmu、no……moomtot……iadi、na……tei……』

『あぁぁぁもぅ……。さっさと戻って来てくださいよ……っ。いい加減にしないとスカートめくって写真撮りますよ!?』

『――ぬぁんですってぇええ!?』

『うわぁぁあああぁごめんなさいぃいい!?』

『……あれ? 私、なにして……アイツは……』


 程なくして、桐ヶ森提督は意識を取り戻した。
 開口一番が怒声な辺り、彼女らしいというか、なんというか。
 とにかくホッとする。


『戻ったか……。ったく、気ぃ抜くんじゃねぇよ馬鹿野郎が!! アイツの二の舞になりてぇのか!?』


 意外なのは間桐提督だ。
 第一印象が霞んでしまうほど、張り上げられる声には熱が込められている。
 もう誤解のしようがない。口はとんでもなく悪いけど、とんでもなく良い人だ。彼は。
 それが骨身に沁みたのだろう。桐ヶ森提督は不貞腐れたような雰囲気を出す。


『……命を救ってもらった礼は後でするし、心配してくれたのに悪いんだけど、私は女ですから。野郎呼ばわりされる筋合いないわよ』

『アァン!? つまんネェ揚げ足取りしてんじゃ――! ………………チッ。俺は落ちる。中将、あと頼んます』


 疲労を隠さないツンデレ青年が、早々に通信を切り上げる。
 使役艦にも帰還航路を設定したらしく、小さな長門たちは北へ。
 ……あれ? 今あの子たち、こっちにお辞儀したような……。


『やれやれ、勝手じゃのう。……さて。目標の撃沈を確認した。これにて作戦行動を終了。母港へ帰投する。安全領域にたどり着くまで、まだ気を抜くでないぞ』

『了解です。……まぁ、いっか』

『ん? どうかしたかの?』

『ああいえ、なんでも』


 気にはなるけど、こんな状況で無理に確かめることもない。
 中将の言葉に従い、戦い終えた船を帰路へ着かせる。


《お洋服もカタパルトも台無し……。帰ったら、少し直したいですね》

《あぁ……なんか気が抜けた……。だめ……ダルい……艤装が……まぁいいか……》

《ちょっと無茶しちゃったものね。しっかり兵装の手入れをしないと》


 中破してしまった船を中心に、後方を空母と駆逐艦。側面を長門と陸奥、前方を軽巡が守る。
 気づけば、総数三十八隻の艦隊へ膨れ上がっていた。小さな海戦なら、自分たちだけで乗り切れそうだ。
 まだ安全ではないにしても、戦闘準備を収めて一息ついたのだろう。筑摩や加古、古鷹が艤装を確かめていた。
 脳に深~く刻み込むために、ここで詳しく描写しても良いのだが、その前に……。


『あの、中将。お聞きしたいことが。双ど――キスカ・タイプは……』

『分かっておるよ。残骸の回収や調査は、兵藤と梁島が行うことになっとる。今、こちらへ向かっておるはずじゃ。……それよりおヌシ、なんぞ隠しておることは無いじゃろうな?』

『へっ? いいぃいいいやぁ、そっそそそそんな事は』

《分っかりやす! いくらなんでも動揺しすぎちゃう?》

《で、なに隠しとるん? はよ言わんと後が怖いで~》

『黒潮、龍驤ぉ……!』


 君らは誰の味方だ……というセリフを飲み込み、自分は「仕方ない」とため息をつく。
 もともと、落ち着いたら話すつもりだったし。
 そう思って、どこから話そうかと考え出すのだが、「よいよい」と中将自身がそれを止めた。


『こんな場所では落ち着かぬじゃろ。詳しいことは帰港してから、戦後処理の時にでも聞く。それまでに整理しておくように』

『あ、はい。分かりました』

『桐ヶ森は船が安全領域まで達し次第、使役船を曳航部隊に預け、同調機器を降りて精密検査を受けよ。よいな』

『了解です。……はぁ、災難ね。一回本土にも戻らないと』


 今は普段通りといった様子だが、桐ヶ森提督のことも心配だ。
 彼女も双胴棲姫と対話したのだろうか。……それか、“あの人”と。
 色々と考えてしまうけれども、とにかく今は。


『みんな、ご苦労だった。どうか無事に帰ってきてくれ。早く君たちに会いたい』

《はい。電もなのです。……でも、できればその前に、服を……》

《Hey,テートクぅ。会いたい気持ちは同じで嬉しいんだけどサ、時間と場所とSituationを弁えなヨ?》

「この格好じゃ、さすがにあたしもねー。提督のエッチー」

「北上さんの柔肌を肉眼で楽しみたいだなんて、どういうおつもりですか。セクハラで訴えますよ」

『あっ。いや違う、違うぞ! そういう意味で言ったんじゃなくてだな!?』


 ――ただ会って話したいなー、と思っていただけなのに、なんなんだよその反応!?
 別に、金剛型はサラシ巻きかぁ、とか、扶桑型は相変わらず剥き出しだなぁ、とか、五十鈴や木曾も中々いい脱っぷりだなぁ、とか、古鷹・加古は艤装が爆発しないか不安、とか、北上・大井は今後に期待したい、とか、五月雨・涼風・黒潮の穴開きハイソックス&スパッツも味があるなぁ、とか、そんなことは思ってないよ!
 雷電姉妹? 犯罪臭がします。だがそれが良ぐえっふんごっふん。


「ふふふっ。帰ったら、早めに修復してあげて下さいね? 艦隊の護衛は、この赤城が務めます」

「余力もありますので、ご安心を。一航戦の力、こんな程度ではありません」

「無論、私も力を尽くすぞ。正直に言うと、まだ暴れたりないしな」

《わたしはちょっとお化粧を直したいわぁ。潮風でお肌が荒れちゃいそう》

「夜が終わっちゃった……。なんで一日は二十四時間しかなくて、夜はその半分しかないんだろ……? 一日中夜でも良いのにね?」

《川内ちゃ~ん。それだと、夜を待つ楽しみがなくなっちゃうわよ~?》

「あっ。それはとても良くない! 待つのも楽しみの内だし、ワタシちゃんと待つよ!」

《なんやろ。犬っぽい思うたんはウチだけやろか》

《ちょい龍驤っ、それはうちの仕事やから! 取らんといてぇな~!》


 慌てて言い訳する最中も、赤城や長門たちが頼もしく胸を張り、川内へのツッコミをきっかけとして、みんなに笑顔が広がっていった。
 ふと気になり、電はどうしているのかと探ってみれば、彼女は振り返っている。
 破れたセーラー服が落ちそうになるの押さえつつ、肩越しに、あの子たちが居た場所を見つめる。

 海は穏やかだった。
 まるで、戦争なんて起きていないようだった。




















 つい最近同じことを言った気もするけど……。
 ヒャッハー! 秋イベだぁ! 四種合計九十六万の資材と、二千個の高速修復材で難なくクリアしてやるぜぇい!!
 というわけで、長らくお待たせしましたが、第二章【偽島編】最終話でございました。ちなみに第一章は【キスカ島編】で、強行上陸作戦・後編が最終話です。
 構想では残り三章。こぼれ話を含めた総字数は、百万字をちょっと越えるかなー、と想定しています。まだまだ続きますので、今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
 さてさて。シリアスモードはこれにて終了。次回からの更新では思いっきりハッチャケます。まずは皆さんお待ちかね、島田フミカネ氏デザインの海外艦が登場です。お楽しみに。
 それでは、失礼いたします。

注目Achtung! ようやくワタシたちの出番よ。アナタたち、乱目して待ちなさい!」
「それを言うなら乱目ではなく刮目です。“らんもく”などという熟語、この国にはありません」
「仕方ないよ。提督のおかげで言葉は話せるけど、文字は勉強しなくちゃいけないんだし」
「でもご安心! こんなこともあろーかと、国語ドリルを用意しておきましたっ。小学生レベルから頑張りましょー! フレーフレー姉さまー!」
「……あっ。ままま待ちなさい、違うの、少し読み間違えただけで……。生暖かい目で見守らないでちょうだい!」





 2014/11/15 初投稿+誤字修正。土下座衛門様、ありがとうございました。ついにやってしまった……。あ゛あ゛あ゛……。
 2014/11/17 ちょっとした愚痴。なしてこのタイミングでドイツ艦が増えるのー。嫌がらせかーい。
       ……まぁ出しますけどね。やってやろうじゃねぇの……。
 2014/11/28 誤字修正
 2015/03/14 誤字修正。毛の宿る提督様、ありがとうございました。誤変換が憎い……。「がるるー」で癒されよう……。
 2015/06/27 アナグラム部分を改稿。瓶様、ありがとうございました。




















「まったく騒がしい……。紅茶くらい静かに楽しめないのか、ここは」
「でもー、賑やかでたっのしーよねー? 毎日がぁ……カーニバルー!」
「下らん……。私たちは軍艦だぞ。戦えればそれでいいだろうに」
「あまり言いたくはないが、その姿では何を言っても格好つかないと思――あぁ!? こ、コート返してぇ……!」
「……こう、ご期待?」



[38387] 異聞 新人提督たちのとある一日 艦隊これくしょん - Alter Nova -
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/01/02 21:11





 夢よ夢よと、ヒトは乞う。覚めない夢よと、望んでしまう。
 求めるものは久遠の絆か。それとも枯れえぬ彼岸の華か。

 夢よ夢よと、ヒトは追う。終わらぬ夢よと、託してしまう。
 想いは凍り、願いも忘れ。それでもかつえが癒えぬから。

 夢よ夢よと、ヒトは舞う。現も夢よと、騙してしまう。
 夢か現か幻か。どれになるかは見る者次第。

 たとえいずれになろうとも。
 最後は消える、泡沫と。


 作者不明。
 とある解体待ち傀儡艦の、内側に彫られた詩。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「――、起き――。もう――よ?」

「……ん、ぁ゛?」


 優しく身体を揺する、親しげな呼びかけ。
 その音色は、疲労困憊で眠る自分の頭に、聞き覚えのない物として響いた。


「ん~……。もうちょっと寝かせてくださいよ書記さん……。まだ帰ってくるまで時間あるでしょ……」


 疲労の原因はもちろん、昨日行われた大規模作戦――対双胴棲姫戦である。
 総数三十八隻にも及ぶ大艦隊との同調は、思いのほか体力を削っていた。
 みんなを安全領域へと導き、増幅機器から降りて一息つくと、自分は強烈な眠気に襲われたのだ。
 フラついて、うっかり書記さんを押し倒してしまうような状態では、帰ってくる仲間を満足に迎えることも難しく、彼女の勧めで仮眠をとることに。
 しかし、感覚では寝入って一時間も経っていない気がする。まだまだ眠り続けていたい心持ちだった。


「……? もう、また変なこと言って! そんなんじゃ僕は誤魔化されないから、ねっ!」

「うぉわ!?」


 ――が、声の主は容赦なく掛け布団を引っぺがす。
 勢いに負けてベッドから転げ落ち……はせず、何故か畳の上で仰向けになり、自分は謂れなき暴虐を尽くした人物を見上げる事となった。


Guten Morgenおはようございます,提督。いい朝だね?」


 白いラインの入った、黒に近い紺色のワンピースセーラー。
 丈が短いせいか、スラリと伸びた太ももが朝日に眩しく、「Z1」と刺繍された軍帽からは、短いアッシュブロンドの髪が溢れている。
 笑顔に細くなる、薄い水色の瞳を持つ少女。彼女の名は――なんだっけ。
 いやちょっと待てよ。そもそもこの部屋は……。


「……お、はよう? え、誰? ここ、どこだ」


 ろくに家具もない四畳半の洋間で寝てたのに、ここ日本間だぞ?
 まさか、寝てる間にどこかへ拉致られたんじゃ……。
 嘘だろ? 一眠りしたら、食堂でも借りてプリンとか作るつもりだったのにっ。


「誰って……。はぁ、また隠れてお酒飲んだの? それとも、知らないうちに頭でも打った?」


 そんな困惑が、言葉になって転げ出てしまうのだが、少女は掛け布団を放り出すと、上半身だけを起こすこちらへ近づき、膝立ちに。
 伸ばされた指は遠慮無く髪を梳かし、心配そうな眼差しが様子を探る。
 見知らぬ少女にそうされているというのに、奇妙な安心感と、心地よさがあった。


「い、いや、頭を打ったとかは、ないと思うんだけど」

「そう。良かった。朝ごはん、もうすぐ出来るって。食べられる?」

「……うん。食べ、る」

「じゃ、身支度しないとね。早く早く」


 ニッコリ微笑む少女に手を引かれ、なんとか立ち上がる。
 離れる温もりをちょっとだけ寂しく思いつつ、部屋を観察してみるのだが、やはり見覚えが……ないんだけど、据わりが良い。
 机や床の間。飾られている「ばーしぱす」とだけ書かれた掛け軸は、おそらく響が書いた物だろう。
 そうか。家具自体は見覚えがないけど、趣味が自分と全く同じなんだ。


「はい着替え。僕は外で待ってるから。お水は片付けちゃうね」

「……ありがとう」


 ボウっとする自分へ軍服を押し付け、枕元にあった水のグラスを手に、少女が部屋を出る。
 なんだったんだろ、あの水。飲み忘れ……? まぁいっか。とにかく着替えよう。
 着慣れた黒い詰襟に袖を通し、廊下へ続くドアを開ける。次は顔洗って歯を磨かないと。
 板の間が続くそこにも、やっぱり見覚えがないのだが、迷うことはない。
 背伸びをし、「これでよし」と、軍服の襟を正す少女が先導してくれた。
 顔を洗った後もタオルを差し出してくれたり、甲斐甲斐しく世話してくれる。


(なんだろ、この感覚。覚えがあるような、懐かしいような……)


 胸辺りをぴょこぴょこする、小さな頭。
 ガラスの引き戸を開け、これまた見覚えのない洋風ダイニングルームに向かう、細い背中。
 十数人が卓についても余裕がある、広々としたそこで適当に腰を下ろすと、当たり前のように左隣へ座る。
 少女の行動は、まるで……。


「あ、あの、さ。……聞いても、良いかな」

「なに?」

「あ~……と、そうだな。なんて言えばいいのか……」


 どうにも気になって聞いてみようとするのだが、どう言えばいいのかで悩んでしまう。
 記憶にはないけれど、この子は間違いなく自分が励起した傀儡艦の、統制人格だ。それだけはなんとなく分かる。
 しかし、無邪気に首をかしげる彼女に、「君のことが分からない」なんて言ったら。


「どうしたの? なんだか、今朝は様子が変だよ。やっぱりまだお酒が抜けてないんじゃ……」


 ジュージューと、背中を向けたキッチンから、何かを炒める音が聞こえてくる。
 肉の焼ける香ばしい匂いも、今は空腹を刺激するというよりか、場違いさの方を大きく感じた。
 ……いけない。ちゃんと話さなくちゃ。下手に誤魔化したり、嘘をついたりとかはダメだ。


「こんな事を言うのは気が引けるし、きっと君も不愉快に思ったり、傷つけてしまうかも知れない。
 でも、後になればなるほど聞き辛くなると思うから、この場で聞く」

「……な、なんだか真面目だね。分かった、ちゃんと聞くよ」


 身体の向きを変え、二人、椅子に座ったまま見つめ合う。
 ピシッと背筋を伸ばす姿が、重なる視線に罪悪感をもたらした。
 目を閉じ、ゆっくり大きく息を吸い込んで、またゆっくり吐き出す。
 そして、再び目を開け。全く同じ姿勢で、より緊張した表情を浮かべる少女に、問いかける。


「自分は、君に見覚えがない。君は、誰だ」

「……え?」


 こてん、と首をかしげる少女。
 意味をはかりかねているのか、腕組みをして考え込んでしまう。
 居心地の悪さを感じながら返事を待っていると、彼女はようやく破顔する。


「もう、提督? そういう冗談、僕は嫌いだよ? 悪戯のつもりなら……」

「……すまない。君の名前を、教えてくれ」

「だからっ、いい加減にしないと怒るよっ。笑えないってば」

「………………」


 最初は仕方ない、といった風の笑顔。
 言葉を重ねると眉毛は吊りあがり、少女が勢いよく立ち上がる。
 だが、見上げつつ沈黙で返す頃には、今にも卒倒しそうな顔色に。


「冗談、じゃ、ないの?」

「……ごめん。自分でも、今の状況を計りかねてるんだ。
 君が自分の励起した傀儡艦なのは分かるけど、その記憶がない。
 この家も、この椅子も、初めてだ。何もかもに、見覚えがないんだ」


 広々としたダイニングルーム。異国情緒の溢れる家具。
 飾られた写真立てに写る自分の隣には、見覚えのない少女ばかりがいた。
 かろうじて分かるのは、白い軍帽を被った響と、バストアップの雪風くらいだ。さっきの部屋と違い、他所の家に居るみたいで落ち着かない。
 そんな様子を見て、嘘じゃないと分かったのだろう。少女は苦笑いを浮かべる。


「そ、そっか。嘘、ついてるわけじゃなさそうだね。困ったな。
 えっと、お酒の飲み過ぎ? それともやっぱり、どこかに頭を……あれ」


 ――が、それも一瞬。
 大きな瞳からは、涙が一筋こぼれ落ちた。
 ……やべぇ、泣かせちゃった!?


「あ、あははっ、ごめん、なんで僕、泣いてるんだろ。
 っ、ごめん、ね? すぐ、にっ、泣き止、む、から、ぁ……ひっく」


 必死に袖で拭おうとしても、まるでダムが決壊したように、それはとめどなく溢れてくる。
 痛ましい少女の泣き顔に、思わず立ち上がって歩み寄れば、彼女は自然と身体を預けてくきた。衝撃で軍帽が床に落ちてしまう。
 みぞおちへ収まる小さな大きさを感じ、「どうすりゃ良いんだよ……」と、落ちた軍帽を眺めながら、指通りの滑らかな髪を梳かす。
 どうしよう、これ……。女の子を泣かせたのなんて、こないだのフィードバックの時くらいだぞ。
 軍に入るって知らせた時、母さんと姉さん'sにも泣かれたけど、“女の子”じゃないから除外するとして……。いやホントにどうすりゃいいんだ?


「お待たせしました。今朝はロッケンブロートとチーズに、レーベが作ったニュルンベルガーソーセージを……」


 そんな時、また新たな少女が姿を現した。
 両手にパンとチーズ、ソーセージが乗った皿を持つ、腕の中の少女と同じ格好をしていた。
 驚いているのか、赤茶色の瞳を見開く彼女は、切り揃えられた赤毛のショートカットの上に、「Z3」と刺繍された帽子を載せている。横髪が少し長い。
 彼女は数秒硬直したのち、テーブルへ皿を置くと、ツカツカ急ぎ足でこちらへ。
 そして――


「提督。一体どういうつもり?」

「ぬわぁ!? ちょっ、ちょっと待った! ご、誤解なんだ! ……たぶん?」


 ――怒りのままに艤装を召喚。銃床の付いた小型単装砲を突きつけてきた。
 背中の機関部、身体の両脇へせり出す艦首と魚雷発射管のデザインは……やはり見覚えがない。
 ともかく、慌てて両手を上げ、ホールドアップ体勢を示すも、彼女は無表情に怒りを爆発させる。


「何が誤解ですか。朝一番からレーベを泣かせるだなんて、どんな性質の悪いセクハラを――」

「レー、ベ? それが、この子の名前なのか」

「は?」


 眼前の黒い黒点が恐怖を誘うが、彼女の言葉に名前らしき単語を聞きつけ、逆に質問を投げる。
 すると、銃口が訝しげに揺らいだ。同じく、赤茶色の瞳も。


「貴方、冗談も大概に……」

「ま、待って、マックス。そうじゃないんだ。マックスの思ってるようなことは、されてないから」

「だけど……」

「え、マックス? 男の子……いや、そんなはず……」

「さっきから何を馬鹿なこと……。提督?」


 今度は「Z1」の少女――レーベ(?)から名前が飛び出し、似たようなやりとりが繰り返された。
 違う点は、「Z3」の少女――マックス(?)が、迷いつつも単装砲を下ろしたこと。


「あの。状況がよく分からないのだけれど」

「マックス、落ち着いて聞いて? 提督は……その……。僕たちのことが分からないみたいなんだ。記憶を失ってる、みたいで……」

「記憶を……」


 ようやく涙の止まったレーベ(?)に説明を受けると、マックス(?)は顎に手を当て、言葉を吟味する。
 長いけれど、一分まではいかない沈黙が過ぎ、時計の音が気になり始めた頃。彼女は矢継ぎ早に質問を始めた。


「マース。シュルツ。ツェアシュテーラー。聞き覚えは?」

「……ない」

「この帽子の文字、どう読みますか」

「づ、づぃーすりー? ゼットスリー?」

「……クーゲル」

「シュライバー」

「………………は、ぁ」

「お、おいっ、大丈夫かっ?」


 三度の質疑応答を繰り返すと、今度はマックス(?)が色を失い、フラフラ後ろの椅子へと座り込む。
 床に落ちた単装砲が、ガシャリと音を立てて霞に消えた。
 っていうか最後の何? 合言葉か何か? ボールペンだよ意味?


「……分からない。覚えていない? わたしのことはともかく、レーベのことも?」

「それは、どういう意味だ?」

「……重症、ね」


 呆然と呟くマックス(?)に聞き返すも、彼女は顔を隠すように額へ手をつき、大きなため息をつくばかり。
 その気まずさを解消しようと、軍帽を拾い上げたレーベ(?)が笑顔を作り、明るい声で沈黙を押しのける。


「そうだ、さっきの質問に答えなきゃね。僕の名前はレーベ。レーベレヒト・マース。ドイツ生まれの大型駆逐艦、その一番艦だよ」

「同じく、マックス・シュルツ。一九三四年計画型駆逐艦、三番艦です」

「ドイツ? 君たちはドイツの船なのか……」


 傀儡能力者は世界に分布し、彼等が使役する船もまた、国ごとに分けることができる。しかし、他国の船を励起することは非常に少ない。
 外国製兵装を使う時と同じように、ライセンス契約、データ提供だけに及ばず、様々な条約・制限があるのだ。
 能力者は、自分が生まれた国の船であれば、欠番艦以外は特に制限無く励起可能だ。が、それが外国籍の船となると、途端に励起率が下がってしまう。
 本人の持つ性質や霊子波長――ようするに、相性が良くないと使役できないのである。

 これを突破したとしても、今度は兵器輸出・使用に関する規制条約――通称「エレネンツィオ条約」が待ち構えている。
 過去、第三世界で頻発していた内戦や紛争の根絶・制御を目的とし、諸外国への武器輸出禁止や、すでに輸出された物の使用を制限するために定められたそれは、ジェネリック・ウェポン――共通規格兵装開発の元締めである、時の急進派による強烈な後押しを受け、半ば強引に成立した。
 もちろん大きな反発もあり、十年に及ぶ紆余曲折の結果、想定より縮小した規模で実施されるに至った。

 ……が、深海棲艦が出現した際、この条約は大きな足枷となってしまう。
 条約締結の際、急進派が苦し紛れに追加した、「軍艦の海外派遣、及びライセンス契約に基づく新規建造と兵装開発、その使用に関する規制」という項目に、海外艦の使役が引っかかったのだ。
 簡単に言うと、「他国が特許を所有する兵装の使用は、当該国へ使用計画を提出しなければならない」「排他的経済水域での外国籍軍艦の活動は、すべからく監視すべし」、ということである。
 面倒この上ない条約。ならば脱退すれば良い……と考える者も多かったが、そうすると、この戦争が終わった後の具合が悪かった。理由は言うまでもない。
 結果として、その国における外国籍軍艦は、励起するだけでも当該国へ申請を行わねばならず、戦闘へ参加しようにも、いちいち発砲許可が下りるまで待たなくてはいけない、雁字搦めな欠陥兵器となってしまった。
 ドイツへ渡った雪風・時津風も、軍艦としては不遇な余生を強いられている。


(そんな制限下でしか活動を許されない海外艦を励起する許可なんて、出された覚えがない。どうなってるんだ?)


 朝、目が覚めたら見覚えのない部屋に居て、見知らぬ少女に世話を焼かれ、慕われてもいる。まるでパラレルワールドにでも飛ばされたみたいだった。
 けど、つい先日にも、自分は似たような経験をしている。……十万億土だ。
 まさかこれは、双胴棲姫と対話した影響、なんだろうか。最悪、あの子たちによる時間差精神攻撃……ということもあり得る。この子たちには悪いけど、警戒しなくちゃ。
 ……まぁ、あの涙を嘘とは思えないし、それと比べればどうでもいい事も、ちょっと気になるんだけど。


「女の子……だよ、ね?」


 失礼だと分かっているが、思わずその疑問が口をついてしまった。
 レーベの一人称と、マックスの名前。どちらとも、普通は男性が使い、男性に与えられるもの。
 統制人格は女の子としてしか顕現しないし、もちろん見た目は麗しい少女……だと思いたいんだけど、世の中には男の娘なる危篤なジャンルがあるしなぁ……。個人的に勘弁してほしい、本気で。

 という訳で胡乱な眼差しを向けてしまうのだが、二人はキョトンと顔を見合わせ、一つ頷く。
 そして、こちらの両手をガッシと掴み、自身の胸へと押し当てた。
 あ、おっぱいだ。やっけぇ。
 サイズは控えめ……AかB? 二人とも同じくらいだけど、若干マックスの方が大きいような。
 というかこの感触、ブラ付けてないな。イカン、年頃の女子がそれではイカンぞしかし。


「………………ぬぉおおぉ!? な、なにするだぁ!?」

「これで分かったでしょ。次は本気で怒るからね」

「この名はドイツ軍人が由来ですから、男性名でも納得して下さい。というか、随分と堪能してからの反応ですね。揉み心地はいかが?」

「それはもう最高でイヤイヤイヤそういう事でなくて! ぉぉお、女の子が気安くそういう事しちゃイケません!!」


 ちょびっと漏れた本音をセルフビンタ三発で誤魔化し、温もりの残る指を突きつける。
 あ、危なかった。
 引き剥がす時に磁力のような抵抗を感じたけど、なんとかなった。
 あのままだったら、どこからともなく現れる憲兵隊に引っ立てられてたところだ。


「記憶喪失、だね。やっぱり」

「確定ね。普段なら殴るまで触り続けそうだもの」

「え。何それ。自分そんな事しないよ?」


 揉まれていた被害者はと言えば、呆れた顔で頷き合っている。
 どういうことだ。そんな羨まけしからん環境に居た覚えなんか無いぞ。
 手を出して許されるならとっくに出してるところを、お薬で必死に我慢してるっちゅうのに。
 リア充は爆散しろ。


「ええい、さっきから喧しい! 朝から何を騒いでいるのだ貴様らは!」

「ほぅらよぉー。早ふ食へないほ冷めひゃうよー?」


 ――と、頭の中で呪詛を吐いていたら、キッチンの方からまた新キャラが出現した。
 黒いドレスを着て、金髪を頭の上で二つにくくっている女性と、黒髪ロングストレートなゴスロリ少女。
 後者は口にゴンぶとソーセージを咥えている。が、エロくはない。むしろ無邪気に思える。
 まぁた知らない子が……。彼女たちも統制人格――海外艦なのか? ……ん~。にしては、なんか違うような……。


「マヤ……。貴方はまた勝手に食べて」

「ごめんねコンゴウ。ちょっと立て込んでるんだ……」

「えっ!? 金剛!?」

「ん? なんだ。どうしたというのだ、一体」


 意外な方向から答えが聞こえ、ビックリしてしまった。
 金剛って、英語混じりの怪しい日本語しゃべる、あの?
 いや、自分の励起した金剛が特別なのはわかってるけど、それにしても全っ然……。


「提督、もしかしてコンゴウのことは覚えてるの?」

「……いや。覚えてはいるんだけど、全く違うというか……」

「だから、何を言っている。説明をしないか、説明を」

「実はですね……。かくかくしかじか」

「まるまるうまうま~……えー!? 大佐くん記憶喪失になっちゃったのー!?」


 マックスのかいつまんだ説明に、マヤと呼ばれた少女は、ソーセージを完食してから驚いて見せる。
 おそらく、彼女は高雄型重巡洋艦三番艦・摩耶の統制人格なんだろう。
 階級で呼ばれるのって新鮮だなぁ。今までは「新人君」とか「桐林」とか「新入り」だったし。本名で呼ばれたことないや。
 それはそれとして、この宿舎にいるってことは、自分の使役艦のはず。忘れられて傷ついてなきゃ良いんだけど……。


「と、いうわけなんだ。だから、君たちのこともよく分からなくて。本当にごめん」

「ふむ……。驚きはしたが、しかし、謝ることはないだろう。私はお前の船というわけでもない」

「あれ、そうなのか? ……えっ!? じゃあ誰の? っていうかなんでここに?」

「うっ」


 端整な顔立ちを引きつらせ、金剛――コンゴウは視線をそらす。
 自分が励起した船じゃないってことは、誰か他の能力者の傀儡艦。しかも感情持ちという事になる。
 だが今の日本に、感情持ちの金剛を有している人物は居なかったはず。やっぱりここは、自分が知っている日本じゃないのか……。
 いや、それも気になるが、他所の統制人格がなんでここに? 普通は自身の本体か、使役者の側を離れないだろうに。


「えっとねー。コンゴウは――ふむぐっ」

「余計なことを言うな、マヤ! ……まぁ、とにかくだ。私がここに居るのはさして珍しいことでもない。気にしないことだ」

「はぁ……? レーベ?」

「本当だよ。コンゴウはほとんど毎日、この宿舎に来てるかな」

「より正確に言うなら、マヤと一緒に食事を摂りに来る、だけれど」

「細かいことを。食費は入れているし、紅茶に関してはお前たちも好きに飲んでいいと言っているだろう」

「その割りに、マナーに物凄く厳しいんだよね……」

「むぅー! むぉーうー! ……っぷは、もうっ! 酷いよコンゴウー!? ぶー!」


 何か、説明をしてくれようとしたマヤだったが、コンゴウに口を塞がれ、妨害されてしまった。
 レーベたちがああ言うなら本当なんだろうけど……。やっぱ気になるよ。どうしてそこまで隠そうとするんだ?
 あーでも、大した理由じゃ無さそうな気もするなぁ、雰囲気的に。どうしたもんか。
 と、しっちゃかめっちゃかになりかけたダイニングへ「ピンポーン」とチャイム音が響く。
 これは聞き覚えがある。確か、改築前の宿舎で使ってた玄関の呼び鈴だ。


「ちっ、もう来たか。おい貴様。私は居ないと言え、良いな。行くぞマヤ」

「はぁ~い」

「あ、コンゴウ……。なんなんだ……?」


 それを聞きつけたコンゴウは、マヤを伴ってそそくさとキッチンの方へ隠れてしまう。
 レーベも「僕が行くね」って玄関に行っちゃったし、考えるに、これもいつもの事らしい。
 ……どうしよ。急にマックスと二人きりになっちゃった。……とりあえず座って待ってるか。誰が来たんだろ。


「提督、お客さんだよ」

「失礼します。おはようございます、大佐」

「お邪魔、します」

「あ、おはよう、ございます?」


 わりとすぐ、レーベは件の人物を連れて戻ってくる。
 彼女の隣に居たのは、黒い軍服を着る、まだ年若い美青年――いや、美少年だった。勘だが、まだ成人していないだろう。
 整えられた長めの黒髪。鼻梁はスッと通り、目元には揺るぎない意思が滲んでいる。しかし、全体的に見ると線が細く、中性的な印象だ。

 そしてもう一人。三歩後ろで控える少女。
 艶やかな青白い髪を流し、青を基調としたセーラー服をまとう美少女だ。陽炎型の三人みたく、スカートからはスパッツの裾が覗いている。
 無表情だが、完全な無感情ではないような印象を受けた。まだ見たことはなかったが、普通の感情持ちとは、こんな感じなんだろうと思う。
 しっかし誰だ? 名前が全く出てこない。


(……マックス)

千早 群像ちはや ぐんぞう提督。階級は中佐です。隣はイオナ。潜水艦 、伊号 四○一いごう よんまるいちの統制人格。お二方とも、貴方とは親しい間柄でした)

(嘘だろあんなイケメンと? 引き立て役にしかならないじゃん自分。それに潜水艦なのに水着じゃない……)

(……本当に記憶喪失なんですか。言ってることが全く変わってないのだけど)


 小声で助けを求めると、すぐさまマックスが耳打ちしてくれた。
 親しい間柄……って言われても、覚えがないしな。さっさと覚えてないって伝えた方が良いんだろうか?
 なんて悩み出す前に、彼――千早中佐は、軍帽を取りながら前へ進み出る。


「……あの、お話中もうし訳ないのですが、コンゴウ、来ていますよね?」

「え? あ、あぁ。来てない……と言えって言われた」

「おい貴様! それでは居ると言っているようなもの――」

「やっぱり居た」

「しまった……」


 律儀な突っ込みで、つい姿を見せてしまったコンゴウ。
 イオナちゃんの呆れた声に、ほぞを噛むような顔でテーブルへ手をついた。
 この安定感のあるコント。確かに親しい間柄らしい。
 というか、彼女ってまさか千早中佐の……?


「いつもすみません、ご迷惑をお掛けして。コンゴウ、帰るぞ」

「断る。私はお前の船になった覚えなどない」

「だが、事実として君は、俺が励起した傀儡艦だ。そのことは否定できないはず」

「……ふん。だから仕方なく、命令には従っている。が、他のことまで指図される謂れはない。馴れ合いたければ四○一が居るだろう」

「コンゴウ。群像が言いたいのは、そういう事じゃなくて……」

「くどい。任務でないのなら、私はここを動かんぞ」


 ドカッと椅子に腰掛け、踏ん反り返りつつコンゴウは足を組む。
 あのー。多分ですけどー、家主は自分なんですよー。居座るなら許可取ってもらえませーん?
 にしても予想は当たってたか。……なんだろうな、この微妙な悔しさ。


「……はぁ、全く。本当に申し訳ありません、大佐。コンゴウの我儘に付き合わせてしまって」

「え? あ、いや、そんな。自分は、別に……」

「大佐くんは気にしてないもんねー。むしろー、かっわいい女の子に囲まれてハッピーだもんねー?」

「マヤ、君もだぞ。奥の部屋にあるグランドピアノは、一体誰が用意したんだ? 少なくとも、俺は金を出した覚えがないぞ」

「あ、あ~っとぉ……。それは~……大佐くんが使っていいって言うから、ありがた~く、楽し~く使わせてもらっているわけでごぜぇまして~……」

「口調が崩れてる」


 こちらの肩へ手を置き、額に汗かくマヤも、自分が励起した船ではないようだ。まぁ、呼び方からしてそんな気はしてたけども。
 しかしこれでハッキリした。ここは自分が知る日本――自分が居た“世界”じゃない。
 ここは、能力者が当たり前に感情持ちを励起する世界。もしくは、最初から感情持ちを励起する特異能力者が、複数存在する世界。
 何が原因か知らないけど、自分は今、違う可能性をたどった世界を垣間見ているんだ。……たぶん。


「……ねぇ、群像。何か変」

「ん……。言われてみれば……」

「やっぱり気がついた? 二人は提督のことをよく見てるから」

「どういうことだい、レーベ」


 そう結論づけていると、イオナちゃんが小さく首をかしげ、千早中佐の袖を引く。
 問いかけられたレーベが「実はね……」と事情を説明すれば、彼は無言で腕組み。
 しばらく考え込んでから、こちらへ向き直る。


「イケメンは?」

「死ね。……あれ、なんだ今の。口が勝手に……」

「いつも通りじゃないか」

「え? 普段からあんな言動してんの?」


 投げかけられたイケメンヴォイスへ、流れるように口をつく暴言。
 なのに千早中佐は、むしろ安心したような顔を見せた。マジでどういう事さ。
 イケメンは死ねって……まぁそう思ってるけど、口には出さないよ、普通?


「仕方ないわね。イオナ、失礼を」

「……? マックス、何を――あっ」


 ドン引きされているような、呆れられているような。
 微妙としか言いようがない空気が広がる中、いつの間にか朝食の支度を済ませていたマックスが、イオナちゃんへと歩み寄る。
 そして、彼女の背後に回り込み、上着をガバッとめくり上げた。透き通った肌と、綺麗なおヘソがあらわに。
 けど、それだけ。コンゴウが使う茶器の音と、「おいひぃー」というマヤの食事音だけが響く。


「……なぁ、何がしたいんだ? というか、他所様の子にそんなことしちゃダメだろ、マックス。やめなさい」

「なん……だと……?」

「ウソ……なんで……」

「え」


 はしたないマックスの行動を、使役者として当然たしなめるのだが、それに対する反応がおかしい。
 千早中佐は愕然と軍帽を取り落とし、イオナちゃんは目を丸くして唇をわななかせている。
 常識的に行動して驚かれるなんて、めっちゃ心外なんですが。


「イオナの肌に反応しないだなんて、いつもの大佐じゃない……っ。一体、何がどうなって……」

「大佐、病気? 気分が悪い? どこか痛い?」

「身体はどこも悪くないと思うんだけど、さっきからセクハラ野郎扱いされて胸が痛いかな」

「あはは……。ごめん提督。僕、庇えない……」

「日頃の行い、ね」

「間違ってもいないしな」

「うんうん。マヤちゃんも何度お風呂を覗かれたことか~。困った困った」


 先ほどのマックスよろしく、椅子にへたり込む千早中佐。オロオロと手を彷徨わせながら、周囲をぐるぐる回るイオナちゃん。その他の面々まで、“こっちの自分”の所業を物語る。
 どういう事っすか。なに? 綺麗だなぁとか、指突っ込んでみたいなぁとは思ったけどさ。だから普通しないよ、普通。
 つーかやってた設定なのか“こっちの自分”。なんて羨ましい――じゃなく、なんて下劣な野郎なんだ! 妬ましい!!


「おっほん。とにかく、医務室へ行きましょう。記憶喪失にせよ、他に原因があるにせよ、まずは一度検査をした方が」

「……確かに。その方が良さそうだ。けど、その前に」


 密かに憤慨する自分をさておき。咳払いを一つ、立ち上がってそう言う千早中佐だったが、問題があった。
 これを解決する前に医務室へ行っては、ちょっと困ってしまう。


「朝ごはん、食べてもいいかな。お腹空いちゃって」

「あ。し、失礼しました。朝早くに、申し訳ない」

「いつもの事だから、気にしないでよ。二人の分も用意してあるし」

「冷める前に食べて頂けると助かります」

「うん。頂きます」

「……重ね重ね、申し訳ない」


 いつもの定位置……ぽい椅子へ腰掛けると、その隣にレーベ、対面に中佐たちが座り、朝食が始まった。
 鼻をくすぐる香ばしいソーセージの匂いで、もう我慢がきかないのだ。
 診察の最中にグーグー腹が鳴っては、きっと医者も集中できない。
 可及的速やかに、この空腹を満たさねば。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『逆向性全健忘。いわゆる、記憶喪失と呼ばれる状態に、間違い無いようですね』


 テレビなどでよく見かける診察室にて。
 椅子に座り、軍服を羽織り直す自分へ、軍医の男性は回転椅子を回しながらそう言った。


『珍しいのは、エピソード記憶の一部に変化している形跡が見られることです。心因性のものならば、防衛機制の影響もあるのでしょうが……』

「具体的なことは分からない?」

『残念ながら』


 右隣りに立つ千早中佐が嘆息し、重苦しい空気が漂った。
 白く清潔な室内には、自分と中佐、軍医の男性に三人の統制人格――レーベ、マックス、イオナちゃんが居る。
 皮がパリッと弾けるソーセージを堪能したのち、コンゴウたちに留守を任せた自分たちは、すぐ医療施設へと赴いた。
 遠目に海を眺め、なぜか全く人通りのない舗道を進むこと十数分。
 昔ながらの診療所といった門構えの建物に着いたのだが、その中は近代的な設備がごまんと配され、チグハグな感じだ。


『ちなみに、私も大佐とは懇意にさせて頂いているのですが、覚えはありますか?』

「いやぁ……。しかし、一回見たら忘れないんじゃないですかね……」

『あっはっは。でしょうねぇ』


 その主たる男性の格好も、それに一役買っている。
 白衣をまとう彼の頭部は、怪しい防護ヘルメットで覆われているのだ。
 アレルギー避けですからお気になさらず……と説明されたものの、あまりに特徴的すぎて、会えば絶対忘れられないこと請け合いである。


「でも、これからどうしよう。提督が記憶喪失だなんて、これからの任務に支障が出ちゃうよ」

「今は待機中だから大丈夫だけれど、これが続くとなると問題ね」


 背中側からは二人分のため息が。
 困った事態だ……。ダイニングに飾ってあった写真から考察するに、レーベとマックス、響に雪風の四人。加えて、見覚えのない少女たちが十数名ほど生活していると見た。
 あの全員が統制人格だとしたら、結構な規模の艦隊を有していたことになる。少なくない死線をくぐり抜け、練度も高かったはず。
 でも、自分にその記憶がないという事は、そんな彼女たちを上手く運用してあげられないという事。宝の持ち腐れだ。
 いつまでこのトリップ体験が続くか分かんないけど、もし戦う必要が出てきてしまった場合、これではマズい。


「なぁ。確か、投薬で海馬を刺激する方法があったと思うんだが……」

『とんでもない。あれは重篤なアルツハイマー患者への末期治療です。健常な人に使うのは逆効果ですよ』

「そうなのか? うぅん、何か手立てを考えなければ」


 千早中佐もそう思ったのか、軍医さんと鼻を突っつき合わせている。
 にしても、中佐の口調に遠慮がないな。自分へはしっかり敬語使ってくれるのに。


「質問。千早中佐と軍医さんは、どういったご関係で? やけに親しげだけど」

「群像で構いませんよ、大佐。そう呼ばれていましたから。そうとは幼馴染なんです」

『改めてご挨拶を。織部おりべ 僧と申します。織姫の部屋で僧侶がくつろいでいた、と覚えてください』

「修羅場に発展しそうじゃないですか、その例え」

「織姫、浮気?」


 首をかしげるイオナちゃんに、織部軍医以外は全員苦笑いだ。
 まぁ、年に一回しか会えないんだから、魔が差すのも分かる……というか、年に一回しか会えないのって恋人って言えるんだろうか?
 彼女いない歴=年齢なんで、とやかくは言わないけどさ。


『さて。記憶喪失への対処法は色々ありますが、今回は古典的な方法で行きましょう』

「というと?」

『エピソード巡り。過去の出来事に基づいて、各地を巡るんですよ。加えて、貴方の知人も尋ねれば、なんらかの刺激があるはずです。先に連絡しておきましょうか』


 言うが早いか、織部軍医は受話器を取り上げ、ボタンをプッシュ。誰かと話し始める。
 エピソード巡りねぇ。ここが横須賀なら、入口の門から庁舎にドック、宿舎って回るんだろうけど……。


「あ。そういや聞いてなかった。ここってどの鎮守府なんだ? 少なくとも横須賀じゃないよな」

「え? 鎮守府じゃないよ?」

「ここは南海の絶島。高速航路を使った鼠・土竜輸送が生命線の、特異能力者隔離用ハーフ・アーコロジー」


 問いかけに対し、レーベが頭上に疑問符を浮かべ、マックスは窓際に向かった。
 はためくカーテンと窓を開け放ち、彼女は振り返りながら言う。


「硫黄島基地です」


 吸い込まれるように窓辺へ近づき、自分はそこからの景色を眺める。
 左上に向かって伸びていく海岸。海を挟んだ右上には細長い島――じゃなくて、大岩だろうか。それがあった。マックスの言が正しければ、あれは監獄岩だろう。
 揚陸作戦を練る時に、何十回も航空写真を見たから分かる。ここは、米軍の沿岸警備隊の施設を改築したんだ。
 ……なんだか、ますます夢っぽくなってきたな。自分の経験が反映されてるような気がしてくるぞ……。


『お待たせしました。第三慰霊碑で大佐をお待ちしている、とのことです。
 私は職務上、ここを離れることは出来ないのですが、何か変化があればご一報を。すぐに駆けつけますので』

「了解。僧、助かった」

『お気になさらず』


 言葉少なに、中佐――群像くんは織部軍医と頷きあう。
 彼の先導に従い、自分たちも頭を下げて医務室を立ち去る。
 施設から出て地面をよく見ると、舗装も近代アスファルトが使われていて真新しい。
 という事は、少なくとも工事を行えるくらいに、高速航路が見つかってから時間が経過してる訳だ。
 赤道付近なのに気温を高く感じないのは、全世界的な環境変化の影響だろう。
 特異能力者隔離用の、ハーフ・アーコロジー。……飼い殺されてる、んだろうか。
 できれば問いただしたいところだが、まだやめておこう。もっと状況を把握してからだ。


「あ~……。群像、くん?」

「はい。……なんだか、気味が悪いですね。大佐に君付けされると」

「違和感があるのは勘弁してくれ。自分もまだ戸惑ってるんだ。
 それで、さっき織部軍医が言ってたけど、エピソード記憶が変化してるって、どういう事なんだ?」


 診察の時に説明したのは、ここ――硫黄島基地や、周囲の人物に見覚えがなく、自分は横須賀鎮守府所属の軍人であること。
 そして、キスカ島強行上陸作戦の、少し前までの行動だ。桐林の渾名も伝えてある。
 一々みんなが驚いていたし、全然違うのは予想できるけど。


「大佐の記憶では、初励起した艦は特Ⅲ型駆逐艦・電。一時期、励起障害に苦しむものの、電の姉妹艦や重巡などを感情持ちとして順次呼び出し、その特異性ゆえに“桐”を冠した。間違いありませんか?」

「……と、思うんだけど」


 群像くんの左側を歩きながら、彼がそらんじる内容にうなずく。
 すると、三歩後ろに控えるレーベたちは、訝しげに顔を見合わせた。


「僕たちの知っている提督の来歴とは、かなり違ってるよね」

「ええ。私の知る限り、貴方が初めて励起した艦は、電ではなくヴェールヌイです」

「ヴェールヌイ? それって確か、響の……」


 戦後、ロシアへ賠償艦として引き渡された響は、その性能から“信頼できる”という意味の名を与えられた。それがヴェールヌイだ。
 だったら普通に響って言えばいいはずなのに、わざわざ言い変えるなんて、どういう事だろう?
 その疑問に答えるのは、思い返すように空を見つめる群像くんだった。


「そう。貴方に用意されたのは、特Ⅲ型駆逐艦二番艦・響のはずだった。しかし、現れた統制人格は自らをヴェールヌイだと称した。
 そしてその後、何故か原因不明の励起障害を引き起こし、長く二人だけの艦隊を率いていたと聞いています」

「今では、日本最強の駆逐艦として有名」

「最強? 嘘だぁ、自分なんかがそんな……」

「勘違いしない方が良いかと。最強なのはあくまでヴェールヌイであって、貴方はオマケ扱いですから」

「マックス、そんな言い方しなくても……。事実、提督は日本最強の駆逐艦乗りだよ。二つ名だって持ってるじゃないか。魔改造提督って」

「何それ。名誉なんだか不名誉なんだか、よく分かんないんですが?」


 イオナちゃんの付け加えた最強という単語に、思わず足を止めてしまうのだが、続くマックスたちの言い分で顔が引きつる。魔改造って褒め言葉に入らんだろ?
 唸っていたら、「端末に現在のスペックがあるはずです」と教えられたので、さっそく携帯端末を操作してみる。
 中身はまさしく、自分が使っているそれと同じで、迷うことなくデータのフォルダーも見つけられた。
 そして、目に付いたВерный триヴェールヌイ・トゥリー……トゥリーはロシア語で三だから、改三? の項目を開いてみるのだが――


「魔改造ってレベルじゃない……。
 高射装置付き長十cm高角砲、二十五mm三連装機銃、十二cm二十八連装噴進砲、五連装水上魚雷発射管、三式水中探信儀・聴音機。
 一三号対空電探改二、三三号対水上電探改。改良型艦本式かんほんしきタービン末期式、強化型艦本式缶改三。合わせて機関もシフト配置に変えてある。とんでもないけど、ここまではまだ良いよ。
 でもさ。三つ目の魚雷発射管を外して、代わりに十五・五cm連装砲を載せるってどうなの? 駆逐艦だよ? そもそも誰が作ったんだ、こんな微妙な兵装!?」


 ――もはや駆逐艦と呼んで良いのかすら疑わしい、文字通りの魔改造艦のスペックが、そこに書かれていた。
 なんだよコレ。島風並みのスピードと軽巡クラスの攻撃力に、下がった雷撃力を五連装酸素魚雷で補うとか。
 バカじゃねぇの。バカじゃねぇの。信じられないからもう一回言うよ。バッカじゃねぇの!?


「ご友人の間桐提督からプレゼントされたんじゃありませんか。普段からよく……まぁ、その。通信で熱い談義を交わしてらっしゃるようですし」

「あー、あの人か。納得したわ……」


 誰かと思ったらあの棒人間かよ……。本当に好きっすね、狙撃マニアめ。
 んで、熱い談義ってのは当然おっぱいについてですか。うん、絶対そうだ。
 いくらも価値ないだろうけど、童貞賭けて良いくらい当たってる自信あるぞ。
 あと群像くん。おっぱい談義を恥ずかしがるとか、見た目と違って純情なのね。


「そういえば、他の子は? レーベやマックスが居るって事は、もう励起障害は解決してるんだよな。姿が見えないけど」

「あいにく――いえ。幸いね。ほとんどが出払っています。先ほど言ったけれど、ここはハーフ・アーコロジー。太陽光発電や潮流発電でエネルギーは賄えても、完全な自立は出来ません」

「それを補うために、みんなで大遠征を行ってるんだ。
 ヴェールヌイも、丹陽も、ヴァンパイアにココロ、タイコンデロガも。
 ミズーリやシャルンにウェールズ、レキシントン、ヘレナにジュノー。中佐の艦隊も護衛で出てるし。
 あ、改装中のビスマルクとオイゲンはドックに居るよ」

「大根テロが?」

「タイコンデロガです。また蹴られますよ」


 気を取り直して、再び歩きながら、写真の少女たちのことを聞いてみると、またマックスが答えてくれる。レーベは補足だ。
 しっかし、どうしよう。ほとんど分かんねぇ。ミズーリやレキシントンがアメリカの戦艦・空母で、他のも聞き覚えはあるような気はするが……。
 ビスマルク、ウェールズも戦艦か? シャルンっていうのがシャルンホルストの事なら、彼女も戦艦だ。
 丹陽は雪風の別名だよな。でもココロって誰のことだ? 物凄く可愛いイメージ湧いたけども。逆にオイゲンとかタイコンデロガとかって、凄くイカつそう……。


「待てよ? ここ、隔離施設だって言ってたよな。って事はだ、やっぱり群像くんも……?」

「ええ、まぁ。海洋技術総合学院の士官候補生だったんですが、講義の一環で軍艦を――伊号四○一を見学する事になり、その際、能力が発現しました。歳は十八です」

「大変だった。いろいろ」

「桐竹源十郎氏の再来って呼ばれてるんだよね。学院での総合成績も凄かったんだって」

「親子二代で能力者という、極めて稀な側面も持っています。今、世界で一番注目されている能力者と言えるでしょう」


 ふと、隣を歩く同僚が気になり、イオナちゃんの仲間たちのことを尋ねてみるのだが、予想以上の答えが返ってきた。
 海洋技術……。名前から察するにエリート養成学校だろう。そこでのトップクラスが能力者として覚醒した上、いきなり感情持ちを励起する特異性。
 加えて、世界でも片手で数えられるくらいしか例のない、能力者の家系かも知れないと。
 こりゃあ注目されるわけだ。


「しかし、ならどうして隔離なんか……」

「……お偉方の都合、ですよ。俺と大佐は、ほぼ同時に初の励起を行いました。しかし、時系列はハッキリしています。
 能力が発現する直前。俺は貴方と会っています。物理的な接触……というか、急いでいる大佐と通路でぶつかったんです。その直後、俺がイオナを励起し、大佐がヴェールヌイを。
 この接触自体には何の意味もなく、ただの偶然なのでしょうが、全ての人がそうだとは思わなかった。
 どちらが元かは不明なまでも、この特性が他の能力者へ伝播し、複製されていく物だとしたら」

「なるほど。そういう事か」


 感情持ちを量産する能力者を、さらに量産できる可能性。
 それはこの国にとって素晴らしい宝となるだろう。同時に、他国にとっては脅威となる。
 強大すぎる力は、抑止力として働かない場合もあるということだ。
 未だ、生活基盤を輸入に頼る部分が大きいというのに、それでは困る。
 だから常時監視下に置けて、いつでも見捨てることが可能な硫黄島へ追いやられた、という訳か。
 ……本当に、戦争なんてろくなもんじゃない。


「着いた。ここが第三慰霊碑」


 いつの間にか、イオナちゃんが前に立っていた。
 広場のようになっているそこには、白く真新しい慰霊碑が建てられている。
 時代が移り変わると共に、新しく立派なものへと替えられ、これで三代目だったはず。
 枕元に置かれた水。あれは、ここで眠る人々の為だったんだ。
 今では浄水設備でどうとでもなるが、戦時中は、雨水か塩辛い井戸水にしか頼れず、とても、とても苦しい戦いを強いられた。
 どれだけ時間が経っても、彼らはここを守ろうとしてくれているらしく、それを少しでも慰めるために……と、古くから伝わる習慣だった。
 自然と厳かな気持ちにさせられて、手を合わせたり、軍帽を胸に黙祷したり。それぞれのやり方で祈りを捧げる。


「ごめん! ちょっと遅れちゃった……。待たせたかな?」


 ――と、背後から、聞き覚えのある女性の声が。振り向いた先にいるのも、やはり。
 ノートPCを抱え、膝へ手をつきながら息を整える彼女は、普段と違ってタイトスカートを履き、一本に括られていた長い黒髪も、二本に分けて結んでいた。
 この人の女性らしい格好を………………コスプレ以外で見るの、久しぶりな気がするなぁ。


「先輩、おはようございます。珍しいですね、髪型まで変えちゃって」

「……え。先輩って……なに言ってるの? キミ」

「へ」


 ……あれ? なんですかその反応?
 キョトンと小首を傾げる女性――兵藤提督は、事務方の人員が着る制服姿ではあるが、間違いなく“あのヘンタイ”……もとい。先輩に見える。
 けれど、彼女が戸惑いを顔に浮かべているように、自分もかすかな違和感を覚えていた。
 なんだろうこの、喉に小骨が刺さったみたいな感覚。う~ん?


「もしかして、僧から何も聞いていないんですか?」

「うん。軍務にとても大きな影響を及ぼす事態が起きているから、とにかく第三慰霊碑で彼に会って欲しい……って、言われただけで。どうしたの?」

「あのね、凛さん。落ち着いて聞いて欲しいんですけど……」

「実は提督は……。かくかくしかじか」

「まるまるうまう――まー!? えぇ!? き、記憶喪失ぅ!?」


 悩んでいるうちに、群像くん、レーベ、マックスから事情が説明され、先輩……と呼んでいいのか?
 まぁ脳内なんだしいいや。とにかく先輩は前のめりに驚きを隠さない。
 キョロキョロと全員の顔を見回しては、各々からうなずきを返されている。
 数秒ほど唖然とし、ようやく信じられたのか、今度は慌ててこっちへ向き直った。


「じゃ、じゃあ、私のことも覚え……て、たよね。けどなんで先輩なんて……先輩……せんぱい……ふふふ……」


 ……かと思いきや、実に嬉しそうな顔で頬に手を当て、クネクネ身をよじっている。
 ああ、そっか。分かった。先輩のキャラが、ナチュラル・ボーン・セクハラウーマンから、おっとり系お姉さんに変わってるんだ。口調も微妙に違うし、違和感もあるはず……。
 直感だけど、今の先輩を苛めれば物凄くSっ気が満たされそう。
 なんて場違いな感想を抱いていたら、レーベが「おっほん」と咳払い。紹介でもするように、ハッとする先輩との間へ立つ。


「提督の中ではどうなってるのか分からないけど、彼女は――兵藤凛さんは、提督の調整士さんだよ?」

「調整士? え? 能力者じゃ、ない……ん、ですか」

「う、うん。残念だけど……」

「逆に聞きたいのですけど、提督の記憶では彼女は能力者……しかも、貴方の先輩に当たる、ということなの?」

「……そうなる」


 こちらからの問いかけに、先輩は申し訳なさそうな顔でうなずき、マックスからの問いかけには、自分が複雑な表情を浮かべてしまう。
 先輩が、先輩じゃない? そんな事あり得るのか? だって、自分が今の自分になれたのも、この人からの影響が少なからずあるはずなのに。
 ……くそ。なんでこんなに胸がザワつくんだ。


「あの」

「な、何っ?」


 胸の内に生じた、意味不明な感情を確かめたくて。
 自分は先輩へと一歩あゆみ寄るのだが、彼女はギクリと身体を硬直させ、ノートPCを盾にする。
 ……この警戒しまくりな有様。マジか“こっちの自分”……。


「もしかしなくても、自分は先ぱ――兵藤、さんにまで、セクハラしてたんですね……」

「えっ。そそそそそんなこと……あるけど。あの、でも……本当に、覚えてないんだ……」


 少し、寂しいな……と付け加え、警戒を解くのと同時に、肩まで落とす彼女。
 ひょっとしたら。自分が知っている先輩も、本当はこういう性格で。無理してあんな性格を演じているんだろうか。
 いや、違う。そんな事ない。あの騒がしくて、楽しい時間は、嘘なんかじゃない。
 そもそも、これは夢かも知れないんだ。別人だと思え。しっかりしろ、自分っ。


「……で、質問、良いでしょうか」

「もちろん。なんでも答えるよ。……っ! し、下着の色とかはダメだからね!? もう三セットで二千五百円の安物なんか着けてないんだからっ!!」

「まだ何も聞いてないんですけど」

「ぁう」


 きゅー、と首から真っ赤になる兵藤さん。聞こえてないふりの群像くんに、ため息をつく残り三名。
 ……でもやっぱ、この先走り具合はそのまんまなんだよな……。
 うっかり属性付きお姉さんかぁ。今まで身近にいなかったタイプだし、新鮮だ。ちょっと可愛いとか思った自分が信じらんない。
 ま、それはそれとして。


「自分とは、どうやって出会ったんでしょう。記憶との差異を確認したいので、教えて頂けると助かるんですが……」

「私との出会い、かぁ……。うん、分かった。ちょっと待ってね」


 キリリとした顔に戻り、兵藤さんがノートPCを開いた。
 カタカタ音が聞こえる中、群像くんの「そろそろ移動しましょうか」という提案に従い、海岸方面への道を歩く。
 途中、ガード付きの自動スロープを下って、何度も転びそうになる兵藤さんをみんなで支えながら、何かの建物に入った頃。「よしっ」と一声発した彼女は、やっと顔を上げる。


「お待たせ。私とキミが出会ったのは、キミが“千里”の間桐を破った、あの演習の直後。その特異性に目をつけた上層部が、本格的に――」

「……ん!? 待った、待ってください。間桐提督を破ったぁ!?」


 兵藤さんのさり気ない一言が信じられず、ストップをかけてしまった。
 う、嘘だ、嘘に決まってる。
 あのヘンタイ杯乙スナイパーに勝つなんて、どんなまぐれだ!?


「そうだよ。キミはたった一隻の駆逐艦で、間桐提督の陸奥・鵜来・沖縄からなる戦隊を打ち破った。戦術的勝利ではあるけれど」

「今でも海軍の語り草だよね」

「“千里”の十敗目。提督の立ち位置を確立した一戦と記憶しているわ」

「うへぇ……。マジか……」


 愕然とする自分を尻目に、兵藤さんと駆逐艦'sは楽しげだ。得意げにも見える。
 戦艦 対 駆逐艦。一対一なら、近寄って雷撃に賭けるとか、今の自分でもやりようはある。
 しかし、相手が間桐提督じゃ無理だ。近寄る前に潰されてしまう。一体どうやって勝ったんだ?


「はいこれ。その時の戦闘記録だよ」


 不思議に思っていると、目の前でノートPCの画面が切り替わり、動画の再生が始まった。
 いつの間にやら、自分と群像くんの前には、背の低いレーベやイオナちゃんたちが割り込み、かぶり付きで鑑賞する形に。


『チョコマカとウゼェったらありゃしネェ……! テメェ! 真面目に戦う気あんのかァ!?』

『あるわけないでぷー。ほれほれ、くーやーしかったーら当っててっみろーい。ヴェールヌイ、右三。三秒後に減速二、直後左へ五。機関一杯』

Да了解。正確過ぎて読み易いね』

『………………絶対、泣かすっ!!!!!!』


 絶え間なく砲撃を繰り返す戦艦と、縦横無尽に水面を駆ける駆逐艦。
 二分割された画面の上側に間桐提督の、下側には自分の情報が細かく表示されていた。
 会話も文に起こされている……んだけど、なんだこれ? 自分、こんな声してるのか? えええ。なんか思ってたよりも、なんか……。とにかくショックだ。
 それに、気になることは他にもある。
 あからさまな挑発は、対人戦略の一つとしてアリだろうから目を瞑るとして、“こっちの自分”が出した指示に従う少女の姿。
 白い軍帽にバッヂを二つ着け、白髪を潮風に揺らす、青い瞳の彼女は、まごうことなく響だ。少し背が高くなっている……だろうか。そのくらいしか違いを見つけられない。
 これが、響の行き着く先。練度が高くなったら、自分の知る響もこうなるという選択肢を得られる。不思議な気分だった。

 ダイジェスト版なのか、夢想している間に戦況は早送りされ、もう終盤に。
 こちらは砲撃を回避しながら雷撃を試みるも、海防艦二隻が陸奥を庇い、無傷に終わった。
 対して間桐提督は、距離が近づくにつれて更に精度を上げ、至近弾が頻発。ついには船尾へ着弾を許し、大破判定を受けてしまう。
 嘲りの声が聞こえる。


『ヒハハッ。結局、俺様からは逃げられなかったなぁ? 演習前にゃ随分フカしてたくせしやがってよぉ。首を取るんじゃなかったのか、あぁん?』

『……ふ、くくくっ』

『なに笑ってやがる、気でも違ったか』

『だったら、もう一回言ってあげましょう。……その首』

『――貰ったよ』


 閃光。
 セーラー服を染料で汚された響――ヴェールヌイが呟いた瞬間、陸奥から擬似被雷の発光が迸る。


『バカな、雷撃だと!? 一体いつ……っ! そうか、遅延魚雷混ぜてやがったな!?』

『そういう事です。……っしゃあっ!! やったぞヴェールヌイ! 自分と君ならどんな相手とでも戦える! “桐”がナンボのもんじゃあぁああぁぁあああいっ!!』

『司令官、間桐提督に失礼だよ。……全く、仕方ない人だ』


 命中した部位、魚雷に設定された炸薬量などを考慮した上での判定は――戦艦・陸奥、大破。
 参加した艦の全てが大破で終わった演習は、その戦果……与えた損害の割合によって勝者が決まる。
 この場合、明らかにヴェールヌイの与えた分が大きい。よって、勝者はこちら側。映像の中で自分は歓声を上げ、ヴェールヌイもかすかに笑う。
 おそらく、五連装の酸素魚雷のうち、一本か二本の雷速をあえて低下。航跡が見えない事を利用し、一人時間差雷撃をやって見せたのだ。
 面白い。この戦法、今度やってみようかな。


『……っ。く、クソ、クソクソクソクソクソクソォオオ! 覚えたぞ……テメェと、テメェの駆逐艦っ。次こそ必ず潰す!』

『あ、敗戦マーク増えるのヤなんでお断りします』

ヤ トゥカゾヴェスЯ отказываюсь。……あ、お断りします』

『お前らフザけんなよこのくぁwせdrftgyふじこlp』


 一方、間桐提督は怒りに任せて捨て台詞を吐くのだが、にべもなくブった切られて、言葉にならないほど大暴れ。
 気持ちは分かります、うん。すんません間桐提督。ていうか案外ノリが良いっすねヴェールヌイさん。


「勝ったは良いけど、全力でふざけてるじゃん。これでどうやったら友人になれんのさ」

「あはは……。なんでも間桐提督は、自分に勝った相手には褒賞を贈るという決まりを作っているらしくてね?
 それでキミに十五・五cm連装砲と、装備するための改装設計図が贈られて、やりとりが始まったんだよ」

「何度見ても神掛かってるな……」

「うん。相手にしたくない」


 PCを畳みつつ、兵藤さんが補足。それでようやく納得できた。
 あの人、あれで凄く律儀だもんなぁ。違う出会い方でもしてれば、きっと友達になれてたのかも。
 動画鑑賞も終わったので、感想をつぶやく群像くんたちと連れ立ち、また歩き出す。


「……で。この演習結果を得て、上層部はキミの潜在能力に着目したんだ。
 今までは『励起障害の能力者なんか放っとけ』というスタンスだったんだけど、もしかしたら……って」

「それから、大佐の能力に関する精密な調査が行われました」

「でも、応える船はいなかった。……この国には」


 建物内を進み、エレベーターで地下へ。
 次は移動用のレールキャリアーに乗り込み、少し薄暗いトンネルを行く。
 前の席に群像くんとイオナちゃん。その後ろに自分たちが続き、兵藤さんは運転手だ。


「しかし。数十回の失敗を経てただ一隻、ようやく新たに応えてくれる船が現れたんだよ。それが……」

「雪風――丹陽ですか、ひょっとして。響と同じで、外国名を持つ日本艦ですし」

「正解。この結果から、キミの能力は日本国籍の船には反応せず、外国籍艦にのみ反応すると仮説立てられた。
 その時、未励起の雪風を手配、励起調整したのが私。それが縁で、毎回別の調整士を使ってたキミの、専属調整士に着任したんだよ」

「次に呼ばれたのは僕で、その次がマックスなんだ。能力研究の躍進を期待されて、ドイツ本国がわざわざ用意してくれた、本物のドイツ艦さ」

「励起結果は諸外国へと公表され、今や、我先にと船が送り込まれています。ドックは励起許可待ちの外国籍艦で一杯です」

「はぁ~……。とんでもない経歴だなぁ〜……」


 感心すればいいんだか、呆れればいいんだか。
 どっちつかずなため息を漏らす自分の両隣で、レーベは誇らしげに無い胸を張り、マックスが困った顔で呟いた。
 ドイツ――かつての大戦時、枢軸国として同盟を結んでいた彼の国とは、密な情報交換を行っていると聞いていたが、船まで送ってくれるとは……。さしずめ、遣日艦隊任務といったところか。
 兵藤さんとの出会い、案外普通だったな。悪い事ではないんだろうけど、どうして“こっち”では能力者じゃないんだろう。わけ分からん。


「ところで、自分たちはどこに向かってるんだい、群像くん」

「ドックですよ。ご自分の励起した船を目の当たりにすれば、きっと良い刺激になるはずですから。
 ……といっても、今いる大佐の船は二隻とも改装中ですし、まずは俺の艦隊が居る第一ドックですが」

「大佐もよく来てたから、みんなと面識がある」


 尋ねてみると、彼らは振り返りながらそう答えた。
 群像くんの艦隊、か。コンゴウを見るに、自分が励起した事のある船も、違う姿となってそこに居るだろう。
 どんな子たちなのか、少しだけ……。いや、かなり楽しみだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「オーライ、オーライ、オーライ……。はぁいストォップ!」


 薄暗いトンネルを抜けた先は、明かりに満ちる地下の完全格納ドックだった。
 最先端の自動機械と、妖精さんが宿る機械とが、騒がしく入り交じっている。


「よーし、弾薬の積み込み終了ーっと……ぉ? おーい。艦長ー、大佐ー!」


 そんな中、声を張り上げて作業指示を出す唯一の人影が、そちらへ歩み寄る自分たちに気づき、防刃グローブで包まれた手を大きく振った。
 青く塗装された重巡洋艦を背景に、明るい色の髪をツインテールにし、ツナギとタンクトップ姿の彼女は、おそらく技術担当の能力者だろう。
 作業が一段落ついたのか、そのまま駆け寄ってくる。


「どしたの、勢揃いで。なんか用?」

「ああ。探し物のついでに、様子を見に来た。向こうでの作業は終わったのか」

「探し物ねー。とりあえず終わってるよー。なんか考え事したいって言うから、こっちを済ましとこうと思って。あ、凛ちゃーん。いえーい」

「いえーい。ぁはは」


 群像くんと気安いやりとりをした後、彼女はグローブを外し、兵藤さんとハイタッチ。仲が良いようだ。
 なんというか、健全な色気? みたいなのを感じる人だけど、誰なんだろ。
 とか思っていたら、イオナちゃんがチョイチョイと手招き。顔を寄せると、こっそり耳打ちしてくれた。


四月一日わたぬきいおり。硫黄島基地の整備主任者の一人。大佐の船も彼女が整備してる)

(主任さん、か。雰囲気は似てるけど、やっぱり記憶と違うな……)

(そう?)


 予想通り……ではあったが、自分の知る主任さんとは、名前も顔も違った。
 ただ、ざっくばらんな性格は似ているみたいで、親しみは持てそう。
 現に、ニヤリと笑いながらこっちを見る顔付きが、悪戯目的でちょっかい掛ける時の主任さんそっくりだし。


「なぁに~大佐~、イオナと内緒話なんかしちゃって~。艦長、イオナ寝取られちゃうよ~?」

「バカなことを言うな。それより、杏平きょうへいや他のみんなはどうしてる? 集めて貰いたいんだが」

「みんな? しずか蒔絵まきえちゃんと事務所で書類仕事。杏平はそこで発射管とか砲塔の調整してるし、タカオもここに居るし……。きょーへー! ターカオー! 艦長が呼んでるよぉおおっ!!」


 しかし、群像くんは軽くいなし、また新しい名前が出てくる。それを受けた四月一日主任が、重巡洋艦へ向けて大声で呼びかけた。
 数秒の間があって、舷側に少女が姿を現す。
 五月雨のそれに似た、サファイアのような青く長いポニーテール。
 ファッションモデルよろしく引き締まった身体は、真っ白なワンピースに包まれていて、お嬢様然した雰囲気を醸し出す。
 が、やはり統制人格なのだろう。手すりに足をかけ、跳躍。はためくスカートを手で押さえながら、少女は音もなく、華麗に着地して見せた。


「このタカオになんの御用かしら、千早群像。私、こう見えて忙しいの。くだらない用事だったら……分かっているんでしょうね?」


 乱れた髪をかきあげ、タカオと名乗る少女は不遜な眼差しを向ける。
 タカオ……。高雄型重巡洋艦のネームシップか。自分はまだ励起してないけど、中将の高雄とはまた見た目が違うな。
 それに、性格はお嬢様というより高飛車だろうか。ちょっと苦手なタイプだ……。


「すまない、くだらない用事なんだ。少し君と話したくてな」

「え。………………えぇっ!? そそそそんな事、急に言われても……。しょ、しょうがないわねっ。特別に、と・く・べ・つ・に! 時間をとってあげるわ!」

「タカオ。汗が凄い」

「うるさいわね四○一! 艦長が対話を求めているのはこの私なのよ。引っ込んでなさい!」


 ――と思ってたら全然違ったわ。分っかりやすいツンデレだこの子。
 群像くんの言い方もあれだけど、見事なテンプレ対応だ。良いもん見せてもらいました。
 曙や霞もこんなんだったら扱いやすいのになぁ……なんて、本人に知られたら撲殺されそうな事を考えていると、また新たな人物が舷側に。今度は男性である。


「おいこらタカオ! まだ議論の途中だろ――って、なんでみんな居るんだ?」

「だから……。艦長が呼んでるって言ってんでしょー!」

「だーっ、拡声器使うなよ聞こえてるっつのー!」


 顔を出したのは、額にゴーグルをかけ、浅黒い肌に肩のタトゥー、レゲエっぽい髪型……ドレッドヘア? が特徴の若者だ。着ているシャツには「HI-sonic」なるロゴが入っている。年は群像くんと同じくらいだろう。
 どこから取り出したのか、指向性拡声器で怒鳴る四月一日主任に、手で耳を塞ぎつつ反論。タラップを降りてくる。
 その間に、今度は駆逐艦'sが耳打ち。


(彼は橿原かしはら杏平。千早艦隊の砲雷長……みたいな人、かな。整備の資格も取ったんだって)

(砲雷長? そんな仕事あったっけ)

(もちろん、普通は無いわ。けれど、この島にいる船は全てが感情持ち。
 より優れたセンスを持つ人間のサポートがあれば、戦闘力は向上します。
 千早中佐の艦隊は、複数の人員によって戦闘を行う、昔ながらの手法を見出したようね)

(はぁ~。なるほど~。でも、なんで艦長呼び? 兵藤さん知ってます?)

(私にはちょっと……。イオナちゃんはどう?)

(群像のこだわり。理由はよく分からない)


 自分も変な戦い方をしている自覚はあったけど、群像くんはまた違ったタイプみたいだ。艦長呼びも、歳を考えれば微笑ましいこだわりか。
 ……うーん。若くて才能があって成績優秀。おまけにイケメンとか、マンガの主人公っぽいな。妬ましくなってきた。


「お? なんだ、大佐じゃんか。どったのよ、また変態戦術でも考えたとか? それとも、笑えるネタ画像でも拾ったとか」

「あ、いや。そういう訳じゃ、ないんだけど……」

「……んんん? ……アンタ、大佐だよな。なんか違和感が……」


 バカな事を考えていると、橿原くんが親しげに話しかけてくれる。
 これまで周囲にはいなかった見た目の同性に、思わずたじろいでしまうのだが、それを見て彼は怪訝に眉をひそめた。
 まさか、たったの一言で異変を察知したのか? 見かけによらず鋭い。


「流石に気づくか。話したいのは他でもない、大佐のことなんだが……。かくかくしかじか」

「まるまるうまうまですって……!?」

「マジかよ!? うぉぉ、初めて見た……」

「あー。どーりでセクハラが無いわけだ。なんか物足りない気がしてたんだよねー」


 群像くんの説明で、タカオ、橿原くん、四月一日主任が色めき立つ。
 それは別に良いんだけど……。


「やっぱり自分はセクハラ魔人なのか……」

「まぁ、普通だったら訴えられてるよね。でもさ、そんな落ち込むほどヒドいってレベルでもないよ? 物理接触は無いし、なんだかんだでTPOは弁えてるし」

「ときどき羨ましくなっちまうよなー。マジ切れされるきわっきわを攻めるセクハラセンス。たまに失敗して引っぱたかれてるけど」

「あっはははは……。なんだか、自分と杏平くんは仲が良いっぽいな」

「くん付け……。マジで記憶喪失か……。ま、置いといて。あったぼうよ! アニメ好き同士という硬い絆で結ばれてんだ、マブダチだぜ?」

「あたしは困らされてるけどねー、毎回。無茶な改装とか修理ばっかで、大佐のお世話は大変よー」

「すみません。いつもありがとうございます、四月一日主任」

「えっ。あー、いや、そのー。どういたしまして……。なんか、調子狂っちゃうな。いおりで良いよ、いおりで」


 自分の知る先輩と立ち位置が入れ替わったみたいで、地味ーに落ち込みそうだったが、決して嫌われてはいないようで、ホッとする。
 よく考えたら、あの人も警戒されたりはするけど、毛嫌いされることは少なかった。“こっちの自分”もそうなのかも知れない。
 ただ、タカオにだけはジト目で睨みつけられている。彼女とは……あんまり仲良くなかったのかな。


「確かに、普段とは様子が違うみたいね。口調も随分と落ち着いているし」

「そう、なのかな。君が記憶している“自分”は、どんな男……どうせセクハラ野郎だよね、忘れてくれ……」

「嘘はつきたくないから、否定しないでおくわ。……あっ!」

「ん? どうし――うぉおぉぉおおおっ!?」


 確かめるように言葉を交わし、顔見知り程度の関係か……などと思い始めた瞬間、身体が宙へ浮かび上がる。風に吹かれる鯉のぼり状態だ。
 タカオが統制人格の怪力を持ってして、詰襟の首根っこを強引に引っ掴み、みんなから距離をとったのである。
 およそ二十mほど離れたところで今度は急制動。突発的ジェットコースター体験に、目を白黒させる自分を無理やり直立させ、彼女はずいっと顔を寄せた。


「ちょっとアンタ。まさかとは思うけど、あの約束まで忘れちゃったんじゃないでしょうね!?」

「へ。え。何事? 約束って……」

「んもう! 私と艦長の仲を取り持つって、そういう約束だったじゃない!」

「えええええ」


 タカオは「なに言ってるのよおバカさん☆」的な笑顔を浮かべている。
 嘘くさい。インディアンが札束数えながら「Meは嘘つかないアルよー」とかほざいてるくらいに嘘っぽい。
 が、疑いの視線にも負けず、むしろ跳ね返すように声高な演説が行われた。


「どいつもこいつも艦長と四○一を応援してるみたいだけど、せっかく乙女心がプラグインされてるんだもの。初めて励起した艦なんかに囚われず、自由恋愛すべきよ!
 それともなに。一度交わした約束を破るつもりかしら? アナタにとって、私との約束はその程度だったのね……。うぅ……」

「いやいやいやいやいや! ……でも、自分がそんな約束するかなぁ」

「ちっ。妙なとこでお堅いのは変わらないんだから……。ヒドい、ヒドいわ、私にはアナタだけが頼りだったのにぃ……。よよよ……」

「なぁタカオさんや。舌打ちせんかったかい今」

「よよよ、気のせいよお爺さん……。うぅぅ」


 頼りにしてたってわりにボケる余裕はあるじゃんよ。自分は爺さんちゃうわ。
 そんな風に地面へ崩れ落ちて、ショックを受けたふりしても騙されんぞ。


「相変わらず、大佐とタカオは仲が良いな。“そういう事”に関してとやかく言うつもりはありませんが、任務へ影響が出るような事態は避けてくださいよ、大佐」


 ――が、しかし。
 こちらの様子を伺っていたらしい群像くんは、何か致命的な勘違いをしているようだった。
 いおりちゃんから借りたのだろう、指向性拡声器を使った呼びかけに、周囲のみんなが「お前は何を言っているんだ」と言いたげな顔をし、タカオも慌てて飛び上がる。


「ちょっ、何を言ってるの! 私がこんな男と関係を持ってるとでも言うの!?」

「違うのか? 漏れ聞こえた単語から察するに、デートの約束でもしていたのかと思ったんだが」

「ち、違うわよっ、こんな男と約束なんて一つたりともしてな――」

「やっぱり」

「あ。……か、艦長の馬鹿ぁぁあああっ!!」

「おい、タカオ!? ……なんなんだ、一体」


 語るに落ちちゃったタカオさん。
 滝汗を流しつつ、どうにか誤魔化そうと目をバタフライさせ、けっきょく無理だと悟ったのか、捨て台詞を置いて走り去った。
 あ~あ。やっちゃったよ。


「群像くん。それは無い。それは無いよ」

「艦長。その鈍感ぶりには流石にあたしも引くわ」

「群像、酷い。追いかけなきゃ……」

「ダメダメダメダメだよ! イオナちゃんが行ったらますますコジれちゃうから!」

「仕方ねぇ。俺が行きますよ、凛さん。おーい、タカオやーい」


 いおりちゃんやイオナちゃんまでもが、群像くんへ苦言を申し立て、橿原くんが仕方なしに涙の航跡を追いかける。
 原因であるイケメンは、「俺が悪いのか……?」とか言いつつ、地味に落ち込んでいた。女の子を泣かせた報いだ。甘んじて受けたまえ、少年。
 と、走り去る二人の入れ違いに、こちらへ近づいてくる人影があった。
 黒いコートをまとうズングリしたシルエットの少女と、大きな赤いクマのヌイグルミを抱えた、小さな女の子。
 そして――


「あれ、書記さん?」

「はい? ……あの、なんでしょう。大佐」


 ――クリップボードを小脇に抱え、長い黒髪を揺らす、メガネの少女。
 久方ぶりの見覚えがあるシルエットに、反射的に声をかけてしまうが、帰ってくる声には違和感が付きまとう。
 ……提督、って、呼んでくれないということは。


「大佐。静のこと、覚えてる?」

「静? ……いや、違う、な。ごめん、勘違いだ。自分の知ってる子とは微妙に違うみたいだ」


 イオナちゃんの口から出た名前で、また別人であることが確定する。よく見れば、外見の印象もだ。
 自分の知っている書記さんと同じく、黒髪ロングの眼鏡っ娘なのだが、前髪は日本人形みたいに切り揃えられている。服装もラフな感じで、カチューシャ代わりにヘッドホン。
 真面目そうな顔立ちは同じでも、細部が異なっていた。彼女には悪いが、ちょっと期待してしまっただけに落胆してしまう。
 すると、並んで歩くコートの少女が疑問を発した。


「なんだ。こんなところに集まって、何をしている」

「実はね、ハルナ。僕たちの提督が――」

「えっ。榛名って、この子が?」

「……その様子だと、提督の記憶にあるハルナとは、また違うようね」

「なになに~? ハルハルがどうしたの?」


 無言で佇むコートの少女に、興味深そうな顔の幼子。
 髪型はツインテールで共通している二人だが、レーベからハルナと呼ばれた少女は金髪で、隣の子は赤味を帯びた茶髪。
 顔の下半分を覆うくらい大きなコートと、サスペンダー付きのズボンがそれぞれの特徴か。愛称で呼んでいるあたり、あの子はハルナを慕っているらしい。
 微笑ましさに内心で和んでいると、静と呼ばれた少女がこちらへ。


「どうしたんですか、兵藤さん。なんだか、大佐の様子がおかしい様な……」

「マキちゃん、静ちゃん。落ち着いて聞いて。彼は今、ちょっと記憶が混乱してて、かくかくしかじか」

「ふむ。まるまるうまうまタグ検索……。逆向性全健忘、記憶喪失か。原因はなんだ? 外傷は見当たらないが……」

「僕たちにも分からない。だからこうして、縁のある人たちと会って回ってるんだ」

「あまり効果は見られませんが」

「う。ごめん」


 定番となった事情説明が済み、ため息混じりなマックスに思わず謝る。
 自分のせいじゃないと分かってはいるけど、元に戻る事を期待されているだけあって、応えられないのは心苦しい。


「大佐くん。わたしのこと、覚えてないの?」

「……ごめんね。マキちゃん……で、良いんだよね。本当にごめん。自分でも、どうしてこうなったか……」


 特に、やっと事情を把握できたらしい、純真無垢なマキちゃん(仮)からの問いかけが辛い。
 身体と同じくらい大きなヌイグルミを抱きしめて、小首を傾げる姿が罪悪感を誘った。
 堪らず、慰めようと頭に手が伸びる。


「すごい、すげー! 本物の記憶喪失だー! わたし初めて見たよっ。ね、ね、どんな感じなの? ねぇ、ねぇー!」

「うぉ、お、おぉ? メッチャ元気なんですけどこの子ぉー!?」

「オイこら、やめろ蒔絵っ、離せっ、潰れるぅ!」

「ぬぉおぉおおっ今度はヌイグルミが喋ったぁああぁぁあああっ!?」

「だぁれがヌイグルミだぁああぁぁあああっ!!」

「あべしっ」


 ――のだが、キラキラ笑顔で飛びつかれ、間に挟まれたヌイグルミが暴れ出し、アッパーカットを見舞われた。あまりの衝撃に尻餅をついてしまう。
 なしてヌイグルミが動いとるとですか? 三回転捻りの十点満点な着地をして、「ドヤァ」って顔してるんですけど?


「大丈夫ですか、大佐。手を……」

「うん、平気。ビックリしただけで、全然痛くは。……それで、その?」

「あ。分からないん、ですよね。私は八月一日ほづみ 静。千早艦隊の電探・聴音・探信と、調整士を担当しています。そして……」


 メガネの少女――八月一日さんに手を引かれ、自分はなんとか立ち上がる。
 にっこり微笑み、彼女が自己紹介を促すと、まずはコートの少女が進み出た。


「戦艦、ハルナだ。大佐の艦隊とは、よく協力させて貰っている。この子は刑部おさかべ蒔絵という」

「開発担当だよ! ハルハルとは一番のお友達! こっちはヨタロウっていってね~」

「いや違うだろうっ。キリシマだ、戦艦のキ・リ・シ・マ!」

「霧島ぁ!? このヌイグルミが?」

「だから誰がヌイグルミだぁ!!」

「まそっぷっ」


 凄まじい跳躍と共に繰り出される、連続回し蹴り。
 さっきのが昇○拳なら、今度は○巻旋風脚だ。
 ヌイグルミだから、モフモフするだけで痛くないのが救いである。


「……っぷ、あは、あはははは! だ、ダメ、らめぇ、お腹痛いぃぃぃ」

「り、凛さん、笑っちゃだめ、だ、よ……。くふっ、ふふふふふ……」

「全く。いつもの事ながら、騒がしいな」

「でも、楽しい」


 アホらしい騒ぎがツボに入ったのか、兵藤さんとレーベはお腹を抱えて大笑いし、群像くんとイオナちゃんも、静かに笑っている。
 静かといえば、マックスと八月一日さんは声を殺し、必死に顔を背けていた。いおりちゃんまで笑っているところを見るに、あの二人も笑っているらしい。
 確かにまぁ、これはこれで悪くない。……楽しい、かも。


「でも、真面目に聞きたい。どうして統制人格が、ヌイグルミの姿を……?」

「……ふん。本当に忘れているらしいな。これは入渠中の仮の姿だ」


 しかし、一度感じた疑問は消せず、ファイティングポーズをとったままのヌイグルミ――キリシマへ聞いてみる。そうしたら、クマの頭がキュポンと外れ、可愛らしい女の子の姿があらわに。
 茶髪のショートカット。ダメージ加工のジーンズなど、パンクっぽい左右非対称な格好をしているが、三頭身なので可愛らしいという感想しか出てこない。
 短く「もう良いな」と呟き、彼女はまたヌイグルミ……じゃなくて、着ぐるみの中へ隠れてしまう。
 仮の姿、ねぇ。どういう理屈なんだろうか。


「我々統制人格は、その船体を修復している間、船から離れることが出来ない。眠っているか、ボウっとしているかのどちらかだ。私の場合、集めた言葉のデフラグをするくらいか」

「でもでも、それじゃあ退屈でしょ? だからね、ハルハルと一緒にこの着ぐるみを作ったんだ!
 霊子の拘束・拡散防止効果を持つフラクタル・テクスチャーで編み上げてあってね、身体は小ちゃくなっちゃうけど、自由に動き回れるようになるんだよっ。原理はね……」

「う、うん、分かった。よく分かんないけど分かったから、難しい話はよそう?」

「ぶー。大佐くんいっつもそうやって逃げるー」


 納得できないでいたら、キリシマと蒔絵ちゃんが詳しい解説をしてくれた。
 ……のだけれど、絶対に理解できないだろう単語が並び始めたので、慌てて講義から逃げ出す。
 プクー、と頬を膨らませ、またキリシマを抱きしめる蒔絵ちゃん。
 行動はどう見ても幼子のそれだ。だが、普通の子供じゃないことは今ので分かった。
 こんな小さな子が開発担当だなんて、正直半信半疑だったけど、いわゆる神童ってやつなんだろうか。
 と、勝手な推理で納得しかけていたところへ、八月一日さんが肘をつんつん。口元に手を立てるジェスチャーから、内緒話が始まる。


(彼女はデザインチャイルドなんです。
 人工的な処置により、人類を遥かに超えた思考能力を与えられていて、様々な技術の特許を持っています。
 その代わり、体内で消化酵素を作る機能が、極端に低いんですが)

(デザインチャイルド? そんな、とっくに違法になってるはずじゃ……)

(表向きの話です。地下へ潜って、適切な知識・技術・設備さえ整えれば、どうとでもなってしまいます。何よりここは……隔離施設ですから)


 蒔絵ちゃんは無邪気にキリシマと戯れ、レーベたちと談笑している。
 半世紀ほど前に確立され、先天性疾患などを根絶できると見込まれたが、わずか半年で国際的に禁忌とされた、命を弄ぶ技術。
 非人道的な扱いを受ける事への懸念だったり、様々な理由をつけられていたと学校で習ったけれど、実際には手遅れだったんだろうと、想像がつく。
 顔には出さないが、苦虫を噛み潰したような気持ちだった。
 それを察してくれたのかも知れない。今度はいおりちゃんが、反対側の肘をつんつん。三人で顔を突っつき合わせる。


(ねーねー大佐。ハルナのコート、剥がないの?)

(ちょっと、いおり)

(いいじゃんいいじゃん、記憶を取り戻すためだってば。大佐ってば、ハルナを見かけると毎回やってたじゃない。統制人格と人間の身体能力差を無視してさ)

(あのー、それって無視できる問題?)


 追い剥ぎまでしてたのかよ自分。ますます先輩っぽいな。
 できれば“ああ”なるのは御免こうむりたいけど、しかし、いおりちゃんはニヤニヤ顔で背中を押す。
 なんやかやと、ハルナの前まで来てしまった。


「あ~……。は、ハルナ?」

「ん。どうした、大佐。何か聞きたいことでも?」


 戸惑うこちらと対照的に、彼女は落ち着き払っている。
 見た目はずんぐりしてるけど、顔立ちから考えればポッチャリ系じゃない。
 あの黒いコートの下には、一体どんなバディが隠されているのか。もしかして、自分が知る榛名みたく着痩せしてるタイプとか。……どうしよう、気になってきた。
 でも、んな事したらまさしく変態。ああ、だけども……。


「……ごめん! 責めるならいおりちゃんを責めてくれ!」

「っひゃあぁ!?」

「あ。ちょっとー、他人のせいにしないでよ大佐ー」


 悩んだ末、勢いに任せてハルナのコートを剥ぐ。
 途端、彼女は可愛い悲鳴をあげて座り込んだ。


「ふ、うううっ、か、堪忍してつかぁさい……。な、なんでいっつも、コート取るのぉ……」


 うわやべぇ。この子かわいい。
 まるで変質者に身包み剥がれ、これからの末路を悲嘆する少女のごとく――実際そうだが――必死に縮こまる身体は、黄色を基調とするアンミラっぽい服装に包まれていた。
 細いわりにメリハリの効いたナイスバディが、Sっ気を誘う怯え顔と相性抜群である。
 これは、癖になりそうだ。


「しっかし、なんでこんな?」

「知らん。とにかくハルナは、コートを着ていないと落ち着かないらしくてな。着せれば戻る」

「そうなんだ……。じゃあ」


 キリシマが教えてくれた事実に基づき、「はい」とコートを肩へかける。
 途端、「シャキーン」という擬音つきでハルナが復活。顔つきまでキリリとした。
 ちなみに擬音は、彼女が口で表現している。案外子供っぽいのか? 


「おい大佐、何をする。忘れていたんじゃ――」

「ほい」

「――なかったのおぉぉ? えぐ、えぐっ、返してぇ」

「はい」

「シャキーン。……おい、私で遊――」

「ほい」

「――ばないでえぇぇ、やめ、てぇ」

「はい」

「シャキーン。……ここは、戦術的撤退を――」

「わたしもやるー!」

「――なんで蒔絵までえぇぇ」


 非難がましい目線のハルナだったが、コートを剥げば迫力もヘニャっと。その高低差が面白くて、着せ替え人形みたいに扱ってしまう。
 途中で蒔絵ちゃんも参加しだし、果てはキリシマまで「たまにはワタシもやるか」と言って遊び始めた。
 周りを見回してみても、みんな困ったように眺めているだけで、止めようとすらしない。
 定番なんだこれ。楽しかったけどさ。うん。


「いやぁ、自分の船もたいがい個性的だと思ってたけど、群像くんの船も……凄いね」

「ははは……。返す言葉がありません。ハルナ、キリシマ。遊びすぎるなよ」


 少し離れて、彼女たちの主である少年に話しかけると、恥ずかしそうな苦笑いが返ってくる。
 彼は入れ替わりに渦中へ向かい、はしゃぐ少女たちを落ち着かせようと奮闘し始めた。
 が、いつの間にやらいおりちゃんと八月一日さんまで加わり、しばらく収集はつきそうもない。


「最初は、もっとギスギスしてた。こんな風に笑えるようになったのは、大佐のおかげ」

「へ? 自分の?」


 必然的に、イオナちゃんが残されるわけだが、彼女は慈しむような表情を浮かべ、次いで懐かしむように目を閉じる。


「私が初めて会った群像は……。とても、焦っているように見えた」


 じゃれ合う仲間たちを背景に、一人の統制人格が語り出したのは、群像くんに科せられた重荷のこと。
 戦うことを運命づけられた、年若い少年の話だった。


「さっき、マックスは群像のこと、『桐竹源十郎の再来』と言った。それは父親――千早翔像しょうぞうの残した影響力」


 “こちら側”の歴史において、今から十一年前。
 群像くんの父親である千早翔像大佐は、使役していた艦の半数と共に、謎の失踪を遂げる。
 新たな護国五本指に数えられようとしていた人物が、突然に姿を消した。残された傀儡艦も、丸ごと初期化された上で。
 通常、傀儡艦を初期化するためには、励起された時と逆の手順を必要とする。
 励起時と逆位相の波長を増幅し、基点となる統制人格に小型収束装置を撃ち込んで、統制人格“だけ”を消す。傍目には、少女を銃殺しているような光景だ。
 メリットといえば、間違ったルーチンを覚え込んでしまった際、無かったことにできることくらい。数十の船にそれを施してまで、千早翔像は軍を離れたのである。

 軍は上へ下への大騒ぎとなったが、予定していた大規模艦隊演習はすでに近く、なんとか対面を整えてそれに臨んだところ、大侵攻によってさらなる打撃を受けてしまう。
 彼への突き上げは厳しいものとなり、まだ幼かった群像くんの心に、大きな影響を与えたと、想像に難くない。
 追い立てられるように学び、鍛え。父の汚名を返上するために、幼い少年は日々を費やした。
 そして、海洋技術総合学院の卒業を間近に控えて、あとは能力さえ発現すれば……といった状態で、父の遺した船――伊号四○一を、増幅機器の助け無しで励起したのだ。
 あの桐竹源十郎のように。


「私に千早翔像の記憶はない。けど、たった一つだけ。この胸に刻まれているものがあった」


 ――私は、千早群像に従わなくてはならない。

 誰に言われた記憶もないまま、使命感とも思えるそれを胸に、イオナちゃんは群像くんに応えた。
 父の遺した船が、自らの第一歩を踏み出させた。
 ようやく、という安心感。これからだ、という高揚感。どうして、という疑惑。
 きっと複雑な心境だっただろう。だが、逆境を力として育った少年にとって、むしろ望むところだったかも知れない。


「でも、順風満帆とは行かなかった」


 しかしながら、踏み出したばかりの足も、他ならぬ軍から足枷をつけられてしまう。
 祝福を受けるべき彼にまず与えられたのは、長期に渡る拘束と、強制的な検査の日々。それを終えたのちも、他の能力者からは隔離され、一人と一隻の艦隊を組まされた。
 実力が認められ始めても、与えられるのは父の遺産である船のみ。自分の力で手にした船を励起することすら許されなかった。
 わずかに眉をひそめ、胸元で拳を固めながら、イオナちゃんは言う。


「あの頃、群像は常にどこか苛立って、息苦しそうな顔で、軍への失望を漏らしていた。……私はまだ側にいるだけで、支えられなかった。少し、後悔してる」


 今でこそ、爽やかな笑顔の似合う少年だが、理想と現実の温度差に苦しんでいた当時、彼がどんな表情を浮かべていたか。イオナちゃんを見れば想像がつく。
 けれど、暗く澱む精神を支えたのは、おそらく彼女だ。
 どんな形であれ、人は感情の受け皿を求める。話し相手だったり、八つ当たりする壁だったり。
 もし群像くんが真に孤独であったなら、とっくに潰れていただろう。


「そこへ、貴方が現れた。……正直に言う。あの頃の私たちは、大佐のことを目の敵にしてた」


 頭を振り、苦い感情を払う少女は、言葉の厳しさとは裏腹に、真珠のような瞳でこちらを見上げる。
 彼女が言うには、硫黄島への隔離が決定するまでの短期間、横須賀で共同戦線を張った時期があったらしい。
 自分のみに発現したと思っていた特異能力が、見知らぬ男にも現れていた。出撃して手に入れた多数の船は、その男の能力調査に使用された後、励起もされず解体されていた。
 オマケにそいつは不真面目で、調整士や統制人格へセクハラしつつ、常にヘラヘラしている始末。
 群像くんの苛立ちは最高潮に達し、日常生活での対立は激しかったそうだ。無理もない。


「でも、理由はそれだけじゃない。演習では、絶対に勝てなかったから。群像はそれを特に気にしていた」

「勝てなかったって……。ホントに?」

「勝率だけで言うと、むしろ逆かな。ほら」


 空気を読んでくれたのか、無言で控えていた兵藤さんが、PC画面の情報を示す。
 通算成績、八十戦 七十九勝 一敗。もちろんこれは群像くんの成績であり、自分はその真逆である。
 背中が煤けてくるぞ、この負けっぷり……。


「大佐は、自分に自信がある?」

「どっちかっていうと……無い、かな。形だけは戦えてても、実際のところ、みんなに頼りっぱなしだし」

「群像もそう。どんなに成績が良くても、それは数字だけ。根本的な部分で、自分を信じられなかった」


 堪らず暗雲を背負いそうになった自分へ、イオナちゃんが問いかけて来た。
 率直に答えると、彼女は再びまぶたを閉じ、今度は申し訳なさそうな顔で続ける。


「……気を悪くしないで欲しい。
 海洋技術総合学院、総合成績二位。父親の船を継いで戦う、新進気鋭の最有力“桐”候補。
 身体能力、座学成績、保有艦数。どれも下から数えた方が早い、ただ特異なだけの凡人。
 こんな評価を受ける二人がぶつかれば、どちらが勝つと思う?」

「そりゃあ前者だよ。普通に完全勝利して見せるはず……あ」


 言われて、ある事に気付いた。
 先ほど表示されていた戦績情報。兵藤さんに頼んで詳細を開いてもらうと、案の定。そこにはズラッとB判定の文字が並んでいた。
 つまり、八十戦近く戦術的勝利しか出来ていない、という事になる。ハッキリ言って異常だ。


「どんなに綿密な作戦を立てても、どんなに力を尽くしても、戦術的な勝利しか得られない。群像にはそれが理解できなかった。
 なのに貴方は、いつも笑っていた。戦術的にすら勝つことができなかったのに。
 丹陽。レーベ。マックス。ビスマルク。ウェールズ。タイコンデロガ。ジュノー。ゆっくりと仲間を増やし、それでも負け続けて、だけど……笑っていた」

「そう言えばそうだったね。あの頃から負けるのが当たり前で、毎回船の汚れを落としてもらうのが大変だったっけ」

「悔しくなかった、と言えば嘘になるけれど……。それが原因で仲違いしたこともありませんでした」


 これまた空気を読んでいたらしいレーベが、帽子をいじくりながら苦笑い。マックスの声にも懐かしさが滲む。
 情けないかも知れないが、“こっち”の事情も簡単に想像がついた。
 どんなに負けがかさもうとも、それはみんなを活かし切れなかった自分が悪い。
 まずは労って、次に反省。そして、明日こそ勝つぞ! と、励まし合う。そんな光景が頭に描けた。
 ……たぶん。心の中では「あのイケメンふざけんじゃねえぞ。次はボッコボコにして泣かしてやっからな!?」なんて思ってそうだけど、つーか絶対思うわ。


「話だけ聞いてると、今の関係が嘘みたいだな。もっと険悪でも良さそうなのに」

「険悪だったよー? 間に挟まれる私と静ちゃんが、どれだけ苦労したことか」

「はい。特に千早艦隊は、我の強い性格の方ばかりでしたから。あの頃は何度も避難させて貰って……。本当に助かりました」

「ううん、気にしないで。困った時はお互い様、だからね」


 あ、八月一日さん。いつ戻ってきたんだ? ぜんぜん気づかなかった。背景の五人は放っといていいんだろうか。
 なんかもう、コートを脱ぐたびにハルナの衣装が変わる、マジックショーになってるんですが。
 拍手してる場合じゃないでしょ群像くん。ストレスフリーなんですか今は?


「それが決定的に変わったのは……やはり、あの一戦ね」

「うん。私たちが唯一、大佐に完全敗北した、大艦隊演習」


 ――と、ツッコミたいのを我慢している自分を置いて、マックスとイオナちゃんは話を続ける。
 大艦隊……。察するに、最低でも七隻以上。二つの中継器を使用した艦隊を組んで行う演習だろう。


「前日に、戦術論で対立していた群像と大佐は、この演習でどちらが正しいかを証明しようとしていた」

「戦術的って、どんな?」

「簡単に言うと、自分だけを信じ、不確定要素に頼ろうとしない堅実な戦術と、他人を信じ、己との間に生まれる“揺らぎ”すらも含めた戦術。どちらが優れ、正しいか……ということですね」

「あ、群像」

「ずいぶん懐かしい話をしているな、イオナ」


 問いかけには、皆を引き連れた群像くんが答えてくれる。
 彼は小さな貨物が置かれている場所を指差す。座って話そうという事だろう。
 拒否する理由も当然なく、「シャキーン」としたハルナの説明を聞きながら少々歩く。


「あの演習か。私やキリシマ。コンゴウ、マヤ、ヒュウガ、イオナ、タカオ。
 ヒエイにミョウコウたちまで参加した挙句、負けた……。
 完敗という言葉にタグを添付したのは、あの日だったな」

「うん。あの戦いは、私が見ても鳥肌が立っちゃったよ。……あ、ヨタロウちゃん、こっちこっち。マキちゃんも手伝って?」

「はーい!」

「だから兵藤。私はキリシマだと言っているだろう。……ぬふぉ!?」


 適当な木箱へ腰を下ろしたタイミングで、兵藤さんと蒔絵ちゃんがキリシマをいじくり回し、PCから伸びたコードと直結。クマの両目から光が迸り、空中に映像を映し出した。
 すげぇ。ノンスクリーン・プロジェクター機能まであんのか、あの着ぐるみ。マジで最先端技術の塊じゃんか。
 才能の無駄遣いに呆れていると、八月一日さんと兵藤さんの調整士コンビが映像の脇へ立ち、解説が始まった。


「改めてご説明を。千早艦隊の戦闘序列は、第一艦隊旗艦・伊号四○一。随伴艦・重巡タカオ。航空戦艦ヒュウガ、高速戦艦ハルナ、キリシマ、ヒエイ。
 第二艦隊旗艦・高速戦艦コンゴウ。随伴艦・重巡マヤ、ミョウコウ、ナチ、アシガラ、ハグロで戦列を組んでいました」

「対するキミの艦隊は、第一艦隊旗艦・駆逐艦ヴェールヌイ。随伴艦・丹陽、レーベレヒト・マース、マックス・シュルツ。戦艦ビスマルク。重巡プリンツ・オイゲン。
 第二艦隊旗艦・ココロちゃん――じゃなくって、潜水艦U-556。随伴艦・駆逐艦ヴァンパイア。戦艦プリンス・オブ・ウェールズ。巡洋戦艦レパルス。空母タイコンデロガ、レキシントン。
 真っ向勝負だったね」

「そうそう。この演習の後は船の掃除が大変でさー。まぁ、いつもの事なんだけど」


 空中には、各艦隊の参加艦船の情報と、その3Dモデルが表示されている。
 ココロって潜水艦だったのか。しかもあの名前、潜水艦の代名詞とも呼べるU-ボートじゃないか。レーベたちと同じくドイツ生まれだ。
 ヴァンパイアっていう子は駆逐艦なんだな。他はだいたい想像通りだけど、大根――じゃない、タイコンデロガも空母だったとは。
 しかも、普通の空母じゃない。赤城のような一直線の全通甲板ではなく、直線の滑走路と、それに対して斜めに配置された短めの滑走路。発着艦を同時に、かつ安全に行える、アングルド・デッキが特徴だった。
 ……そうだよ、思い出した! 確か、米海軍が最初に完成させたアングルド・デッキ装備の空母が、タイコンデロガ級航空母艦の八番艦・アンティータムだったはず。道理で聞き覚えがあるはずだ。


「この映像はハイライトですが、見ての通り、ほぼ一方的な戦闘経過となりました」

「く……。何度見ても、自分がやられる光景は堪えるな……っ」

「キリシマ。動かないでくれ、映像がブレる」

「ヨタロウ、待てだよ? 待て!」

「私は犬か!?」


 映像の中で、彼女たちは見事な戦いぶりを見せた。
 ユニオンジャックを模した衣装のイギリス戦艦たちと、灰色を基調に、黒と赤を配するスーツをまとうドイツ艦たちが、正確無比な砲戦で戦艦を破る。
 ヴェールヌイは、レーベたちとチャイナっぽい改造セーラーを着る雪風を引き連れ、タカオからの砲弾を紙一重で回避。指揮系統を乱すためにイオナちゃんを仕留めた。
 砲撃の正確さもさることながら、被弾を恐れず吶喊し、なおかつ無傷で突破して見せる敏捷性が凄まじい。
 残されたタカオも、駆逐艦からの雷撃で大破判定を受け、戦線離脱だ。


「あら。貴方たち、またその映像見てるの? よっぽど暇なのね」

「タカオ、帰ってきたか」

「いやー大変だったぜ、艦長さんよ。宥めすかしてここまで連れて来んのが容易じゃなぉぐっ!?」

「杏平うるさい。……ふん」


 不貞腐れながらも、タカオが群像くんの隣――イオナちゃんの反対側へと腰掛ける頃には、もう戦いは終盤となっていた。
 別艦隊であるコンゴウたちの奮戦も虚しく、カウガールやらチアガールやら星条旗やら、属性のごった煮みたいな格好をした金髪少女、タイコンデロガとレキシントンのコンビが操る艦載機により、カラフルに染色されてしまう。
 グラマン社のF6F戦闘機・通称ヘルキャットや、主力雷撃機・TBFのアヴェンジャー。ダグラス社のSBD・ドーントレスなど、かつて日本軍が苦戦した相手ばかり。さもありなん、である。
 そして、最後まで孤軍奮闘するコンゴウを仕留めたのは、潜水艦・U-556の雷撃だった。
 浮上した船の上には、控えめにガッツポーズをとる、やっぱり水着姿の少女。……さもありなん、である。


「結果はご覧の通り、キミの初・完全勝利。しかもS判定の」

「苦い敗北でした。ですが、本当に負けたと思ったのはこの後です」


 誇らしげに、パッド入りと思われる胸を張る兵藤さんと、腕を組んで難しい顔の群像くん。
 どういう事かと首をひねれば、映像が艦隊戦からどこかの室内へ変化した。
 これは……調整室か。二分割された両側に、シートへ身を横たえ、顔の上半分を装具に隠す人物。自分と群像くんだ。


『お疲れ、千早中佐。悪いな、今回は勝たせてもらったぞ?』

『……お疲れ、様でした……っ。これで、貴方の言い分が正しいと、証明されましたね……』

『………………』


 弓なりに口角を上げる自分と、初の敗北に打ち震える少年。
 重苦しい沈黙が広がり、誰も口を開かぬまま、そのまま終わるかと思いきや、次声を発したのはまたも自分だった。


『群像。君は勘違いしてるぞ』

『は……?』

『戦術なんて状況によって左右されるんだ。
 それぞれがスタンドアロンで動いた方が良い場合があれば、スコードロンとして統率された方が良い場合もある。
 自分が言いたかったのは土台の話さ』

『土台……』


 馴れ馴れしいようで、どこか硬質な喋り方。
 こんな口調になることもあるのか……と、自分で驚いている間も、諭すような弁論は続く。


『確かに君は優れているんだろう。天才と言っていい。
 身体能力でも、頭脳でも、戦術眼でも、ついでに容姿でも自分は負けてる。
 だけど今日は勝てた。なぜだか分かるか』

『……っ、それが分かれば、こんな――』

『君が一人で戦おうとしてるからだ』


 息を呑む音。
 反射的な抗弁は途切れ、もはや止める者もなく。


『群像。君の前には偉大だった父が居て、後ろには率いるべき仲間が居る。でも、隣に誰が居る? 君と相対している男の隣には、何が見える。
 ……この戦い、十二人――いいや。十三人同士で戦ったんじゃない。一対十三を何度も繰り返したんだ。こんなの、負けるわけがないだろう。
 君が“彼女たち”をただ率いるだけなら、もう二度と勝てないと思え』


 一方的にそう言い残し、片側の映像が途切れた。
 残された群像くんの身体からは装具が外され、しばしの間、彼は呆然と中空を見つめる。
 不意に、手すりを殴りつける、鈍い音。
 装着されたままだった籠手が火花を散らし、そこで再生は終了した。


「あの時、確かに見えたんです。道を歩く大佐の背中と、隣へ我先に並ぶ、ヴェールヌイやレーベたちが。
 ……愕然としました。俺の隣には、誰も居ないように思えて。俺のやってきたことは無駄だったように思えて。
 踏みしめていたはずの足場が、それこそ土台から崩れ落ちたようで。本当に、もう勝てないんじゃないか、と……。
 まぁ、それも間違いだったと、イオナたちが教えてくれたんですが」


 映像の中にいる群像くんではなく、今、現実にいる群像くんが、照れ臭そうにはにかんだ。
 見れば、膝にはイオナちゃんの手が置かれている。対抗心からか、タカオも軍服の袖をつまむ。
 ちょっと羨ましいなぁ……なんて思ってしまう自分へ、彼は立ち上がり、向き直る。


「大佐。貴方に出会っていなかったら。あの日、貴方に負けていなかったら。今の俺はここに居ない。
 こうして、イオナやタカオ、キリシマ、ハルナ、マヤ、コンゴウ……には嫌われてますが。笑い合うことも無かったでしょう。
 だから……。その……。か、感謝、しています。心から」


 まるで、映画の一場面のような凛々しさで、群像くんはそう告げた。
 次の瞬間には、「ははは。な、何を言ってるんだろうな、俺は」と、軍帽を直す振りで顔を隠してしまうのだが。
 外野の反応はと言えば、「おいおい男相手にデレたぞ」「最大のライバルはやっぱ大佐かぁ」「ふふ」、である。順に、杏平くん・いおりちゃん・八月一日さんだ
 ……イケメンって卑怯だ。何やっても格好つくんだもんなぁ。自分が女だったら、今ので落ちてたんじゃなかろうか。

 まぁ生憎と男なんで? 普通に照れ臭いだけですけどねっ。そっちの気は無いんで、眼鏡を光らせないでね八月一日さんっ。
 っていうかあの後さ、絶対に“こっちの自分”、恥ずかしさに悶え苦しんでると思うんだ。
 柄にもなくSEKKYOUしちゃったよー、あんなこと言って次さっそく負けたらどうしよー、お願いだから生暖かい目で見ないでー。
 ……なんて言ってるに違いない。間違いなく。


「でも、僕たちにとっては災難だよね。おかげで全然勝てなくなっちゃった」

「全くね。ただでさえ強敵だったのに、さらに強くなる手助けをするなんて。敵に塩を送る、とはこの事よ」

「ゔ。いや、そんなこと言われたってさ……。確かにそれ以降全敗してるみたいだけど……。な、なぁ? 一回くらい勝ち譲ってくれない?」


 現に、両隣で座るレーベとマックスは、とても嬉しそうな顔で責め立てるのだ。
 兵藤さんもなんでだか知らないけど、以降の敗戦模様まで再生しだすし。「大佐くんボロ負けー」と、無邪気な蒔絵ちゃんまでトドメを刺しにくるし。
 くすぐったくて、気恥ずかしくて。勢いのまま、八百長を持ちかけてみるのだが。


「お断りします。道を示された以上、全力を出すのが礼儀ですから」

「うん。もう、負けない」

「そうよ? このタカオがいる限り、艦長に二度の敗北は無いわ!」

「私は戦えればどうでも良いが……。戦うからには勝つぞ。お前たちとの戦いは……まぁ、そこそこ楽しめるしな」

「右に同じく。またコートを汚されるのも嫌だ。全力で相手をしよう」

「僕たちだって負けないよっ。ね? 提督!」

「次こそ、勝たせてもらいます。絶対に」


 当然、返されるのは不敵な微笑みばかり。杏平くんたちも、「俺たちだって居るしな?」と自己主張を忘れない。
 ……そっか。“こっちの自分”も、恵まれてるんだ。
 歳の離れたライバルと、信じてくれる仲間の存在が、それを確信させてくれる。
 なんだか、安心した。


「ところで、一つ聞いていいかな。イオナちゃん」

「なに? 大佐」


 ――んが、さっきからど~~~しても気になることが、一つだけあったりする。
 誰も気づいてないし、この和やかなムードを壊していいものか、突っ込んで良いものか悩んでたけど、もう無理だ。聞いてしまおう。


「さっき映像に出てたヒュウガっていうのはもしかして、君が椅子代わりにしてる女の人のことかな」

「あぁん♪ 背中で感じるイオナ姉さまの体温&重さ、これぞ至高の喜びだわぁん♪ ハァハァハァ……」

「……? ………………っ!? い、いつのまに」


 小首をかしげ、三秒弱。その場から飛びずさり、お尻をかばうイオナちゃん。
 四つん這いになってクネクネする変態淑女からは、その他の面々も距離を取り、空白地帯が生まれてしまった。
 内巻きカールなセミロングの茶髪に片眼鏡。立て編みサマーセーター+タイトスカートx科学者風白衣と、見た目は大人しそうな彼女――ヒュウガは、自身の上からイオナちゃんが居なくなると、不満を隠そうともせず立ち上がる。


「ちょっと大佐。余計なこと言わないでもらえる? せっかく新しい世界を開拓できるかも知れなかったのに。お馬さんごっこ+放置プレイ。癖になりそうだわ……。にゅふっ」

「その扉を開いたらもう戻ってこれないんじゃないかな」

「う~ん。ヒュウガを相手にすると大佐でもツッコミに回るのは、やっぱ変わんないね~」

「和んでる場合かよ。レベル高すぎてついていけねぇよ……」

「ね~ね~、放置プレイって何~?」

「あ……そ、れは……。お、お遊びですよ、きっと。あの、検索とかしちゃダメですよ?」


 純粋な変態。
 こう表現するのが正しいと感じる言動に、みんなドン引きである。
 それと蒔絵ちゃん、言ってるそばから検索しないように。
 ハルナ、止めなくちゃダメだろ。放置プレイに「タグ添付。分類、記録」してどうすんだ。


「とりあえず、話は僧から聞かせてもらったわ。大佐、ちょっと」

「ええ……? へ、変なことしませんよね――ふもっ!?」


 チョイチョイと手招きされ、ものすごーく嫌な予感を感じつつも歩み寄る。
 すると突然、口の中へVサインが突っ込まれた。
 な、なんばしよっとぉ!?


「あん、指舐めちゃダメだったら。はい、コレ飲んで」

「はえ……っ……っん、げほ、げっほ、何を……」

「脳のシナプス小胞をちょっとだけ活性化する薬。副作用は無いから安心なさいな。アナタがそんな調子じゃ、イオナ姉さまが心労で大変だもの」


 指に挟まれていた錠剤っぽい物を無理やり飲まされ、むせ返ってしまう。
 いきなり何すんだこの人……。声は赤城そっくりなのに、性格は真逆。傍若無人にも程がある。
 それが証拠に、背中をさすってくれるレーベも不安そうな顔だ。


「ねぇ、本当に安全なの? その薬」

「だから大丈夫よ、レーベったら心配性ねー。蒔絵の消化補助薬品を合成してるの、誰だと思ってるのかしら」

「それは分かっているけれど、別のことが原因で心配なのよ、ヒュウガ」

「うん……。この間も惚れ薬騒動があったばかりだし……」

「なかなか言うようになったわね、二人とも。けど、何もしないよりはマシでしょう。ま、それはそれとして……」


 惚れ薬……? えっ。その魅力的な名称の品物は何?
 という疑問を挟む隙は、残念ながら無いようで。ヒュウガは群像くんたちの方へ振り返る。……いや。正確に言えば、彼の後ろに隠れるイオナちゃんの方へ、だろう。
 そして、彼女は――


「イオナ姉さまぁあぁぁあああんっ! 今日もお美しくて可愛らしくて最高ですわぁああんっ! 愛していますお慕いしてますレッツメリーミー!」


 ――自分が知る金剛、もしくは先輩の如く、獲物に向かって襲いかかる。
 群像くんのカバーを華麗にすり抜け、頬をスリスリ、お腹をスリスリ、太ももをスリスリ。
 同性じゃなきゃ憲兵隊に突き出され……同性であっても突き出した方が良い暴走っぷりだ。
 あぁぁ、ただでさえ白いイオナちゃんの顔が、どんどん土気色に。


「群像、助け、て」

「すまない、イオナ……。俺には手出しできそうもない……。というわけで、キリシマ、ハルナ。頼む」

「はぁ? なんで私がそんなことぉおおっ!? 投げるな貴様ぁぁあああっ!?」

「この場に相応しい言葉は……。『ここは任せて先に行け』、か。……悪くない語感だ」

「あふんっ。……って、あぁ!? イオナ姉さまぁああんっ!!」


 悲愴な顔付で、一度は助けを拒む群像くんだったが、わりかし直ぐに代案を提示。有無を言わさずキリシマを投げつけた。
 後に続くハルナとのコンビネーションは、完璧なタイミングで変質者と被害者を引き剥がす。
 その隙をついて、白馬の王子様 @ 本業は艦長が、お姫様 @ 趣味は急速潜行? を助け出し、一目散に逃避行する。


「ちょっと艦長、どこへ行くのよっ。さっきの発言、まだ取り消してもらってないわよ!」

「なんの事だか分からないが、後にしてくれ。タカオ、ヒュウガの足止めを頼む。君が頼りだ。行きましょう大佐!」

「……っ! もう、この貸しは高くつくんだからね!?」


 相も変わらずツンデレるタカオの声を背に、自分たちは第一ドックを後にする。
 出口近くにあった案内板をチラ見した限りでは、向かう先は第二ドック。おそらく、ビスマルクとオイゲンが居るという、自分のドックだろう。
 さっきの映像では美人なのしか分からなかったし、見た目で判断できないのはヒュウガでたっぷり実感した。
 ……ちょっと不安に思ってしまうのも、仕方ないですよね? うん。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「なんか、急に静かになっちゃったな」


 場所を移して、第二ドックへ向かう通路。
 群像くん・イオナちゃんコンビとは別行動となったため、水を打ったように静かだ。
 いわく、「ヒュウガの嗅覚は侮れないので、しばらく身を隠します」、とのこと。
 止める間もなく行ってしまったため、どうしてイオナ姉さまって呼ばれてるのか、聞きそびれてしまった。少し残念。
 ともあれ、彼から先導を引き継いだ兵藤さんを追いつつ、自分はそう呟いた。


「そうだね。いつもはみんな、もっと落ち着いてるんだけど……」

「提督が静かな分、余計にそう感じるのかも知れないわ、レーベ」

「うん、そうかも知れない」

「静かねぇ。うーん、頑張ってセクハラした方が良いのか……?」


 実を言うと、やろうと思えば出来る。凄く楽しみながらできると思う。
 兵藤さんはブラの肩紐が見えてるし、レーベとマックスはスカートが短すぎる。端をちょいっと持ち上げれば丸見えになりそうだ。
 もしかすると“こっちの自分”、抑制剤を飲んでないのかもしれない。
 ちょっとマズいかもなぁ。頑張って自制しないとやらかすかも。注意しないと。


「セクハラって頑張ることじゃないと思うな、私。さ、着いたよ」


 決意を固めるうちに、自分たちはとある船の前へたどり着いていた。
 戦艦。
 扶桑たちの三十六cm砲より一回り大きく、質実剛健に思えるデザインの砲塔。十六条旭日旗と並んで、ドイツの国旗が掲げられたその船は、見る者を圧倒する威現に満ちていた。


「提督自らのお出迎えだなんて、相変わらず気が利くじゃない」


 不意に、美しい音色が降ってくる。
 発生源を探して船を見渡せば、高くそびえる艦橋に人影が。
 それはためらいなく宙に身を投げ、常人なら即死してしまうであろう高さからの跳躍を、「トン」と軽妙に成功させた。
 金色の輝きが跳ねる。長い髪だ。


「戦艦ビスマルクBismarck。第三次改装を終了したわ。どう? このワタシを自分色に染め上げた気分は」


 先の映像と違い、より黒に近くなったスーツで身を包む彼女は、片手を腰に当てるモデル立ちで、豊満なラインを見せつける。
 同じく黒に染まったドイツ軍の軍帽。首元は錨を模したチョーカーで飾られ、背中からせり出す四基の連装砲と、身体の両脇には魚雷発射管のような艤装も。
 灰色のオーバーニーに加えて、アームウォーマーは赤と黒の二色分け。さらけ出される肩と脇、絶対領域が眩しい。
 この子が、ビスマルク。
 鉄血宰相の名を冠した、ドイツの戦艦。


「……ちょっと。なんとか言いなさいよっ、無視するつもり!?」

「あ、ごめん、そうじゃないんだ。……あんまり綺麗だったもんだから、ビックリしちゃって」

「えっ。……そ、そう……。まぁ、それなら仕方ないわねっ。何せ、史実ではティルビッツにしか行われなかった改装を施したんだもの。
 独逸戦艦の正確な砲撃力と、日本製酸素魚雷の雷撃力。双方を備えたこのワタシに、敵う敵なんてもう居ないわっ。いいのよ? もっと褒めても!」

Herzlichen Glückwunschおめでとう、ビスマルク。これでヴェールヌイに追いついたね」

「万が一、という可能性もありましたから、無事に成功して良かったです」

「そうね……。そうなってたらと思うと、ゾッとするわ。とにかく、Danke schön。魚雷載せるのは初めてだし、コツを教えてもらえると助かるわ。お願いね、二人とも」


 日本の船とは違う美しさ。日本の統制人格とは違った魅力を持つ少女に、思わず見惚れてしまっていた。
 初めて見る外国美女がこれじゃあ、今後のハードルがメッチャ高くなりそうだ。
 一瞬、驚いた顔で硬直する彼女だったが、直ぐに得意満面な顔付でスペック説明。駆逐艦'sと微笑み合っている。
 第三次改装。つまりは改三か。かなり高い練度じゃないと失敗してしまうはずだけど、ずいぶん無茶なことするもんだ。
 ……ひょっとして、命令でやらされた、とか? それとも、“こっち”では失敗率を下げる方法でもあるんだろうか……。あとで調べてみよう。


「良かったですねー、姉さまっ。提督が迎えに来るまでの間、あーでもないこーでもないと、一緒に考えた甲斐がありました!」


 まじまじ。ビスマルクの艤装と絶対領域を眺めていると、いつの間に現れたのか、ビスマルクと揃いの軍帽を被った少女が、拍手しながら進み出る。
 配色は似ているが、露出は少なく、より軍服然とした服装で、肩から袖口に伸びる赤いラインの上には、ドイツの勲章でもある鉄十字章が刻まれていた。ハーケンクロイツではないので悪しからず。
 碧い瞳、艶やかな金髪も同じだが、長さはやや短めで、錨型の髪留めでサイドテールにまとめている。
 映像と比べると、灰色単色だったところが迷彩柄になっていて、砲塔の天板が青く染められていた。
 ビスマルクの隣へ並び、彼女はキリッと敬礼を。


「重巡、プリンツ・オイゲンPrinz Eugen。同じく第一次改装を終了しました!
 ほらほら、お腹のとことか袖口とか、迷彩色になったんですよっ。格好良いでしょー。どうですか? 似合ってますか?」

「あ、あぁ。格好良いし、可愛いと思うぞ。似合ってる」

「えへへ~。Danke,Danke! ありがとうございます、提督!」


 身体のあちこちを指差し、その場でクルッと一回転。オイゲンと名乗る少女は、無邪気な笑顔でもう一度敬礼して見せた。
 どうやら、この子は改らしい。船体はビスマルクに隠れて見えないけど、諸外国の電探とか対空兵装は、かなりの高性能だったと記憶している。
 例の制限が無ければ、“向こう”でも使えるんだけどなぁ……。でも、その分“こっち”は監視されてるような状態なんだし、善し悪しか。
 にしたって、名前と外見が一致しなさ過ぎだ。厳ついオッさん名なのに、見た目はほんわか美少女。ギャップが凄いよ。


「……ん~? あれ、でも……」

「あら、どうしたの? オイゲン」

「あぁいえ。なんだかちょっと、気になって……」


 顎に手を当て、自分はあれこれ考えてしまうのだが、オイゲンは不思議そうな顔をし、帽子を落とさないよう押さえつつ、こちらを覗き込んだ。
 ビスマルクに何事かと問われ、いったんは否定するものの、眉毛は八の字を描いてしまう。
 なんか、すぐ見破られるな。それだけ普段の自分に落ち着きがないって事なんだろうけど……。よく理解されて嬉しいような気もするし、ちょっと複雑。


「やっぱり、気づくよね」

「言いにくいことだけれど、説明しないわけにも……」

「……何よ、レーベにマックスまで。何かあったのなら、ちゃんと言いなさい」


 歯切れの悪い二人に、ビスマルクは毅然とした言葉で説明を要求。
 言いにくくする彼女たちに代わり、兵藤さんが進み出た。


「実はね、ビスマルクちゃん。……かくかくしかじか」

「ま、まるまる――」

「――うまうまですかぁ!?」


 短縮説明を受けて、ビスマルクは目を丸くし、オイゲンがびっくり仰天。
 反響するほど大きな声を上げ、顔を見合わせて沈黙してしまう。
 が、オイゲンは「まったまたぁー」と手をヒラヒラさせ、レーベが最初に見せたのと、同じ種類の笑みを浮かべる。


「み、みんなで騙そうったって、そうは行きませんよー? 提督がわたしたちを忘れるだなんて、ねぇ?」

「……オイゲン。気持ちは僕もよく分かるけど、本当なんだ」

「いやいやいやいや、そんなー。………………え?」


 レーベ、マックス、兵藤さん、自分。
 順繰りに顔を見回して、ドッキリなんかじゃないと沈黙が答えると、彼女は一気に声のトーンを落とす。
 捨てられた子犬のような瞳。罪悪感で、胸がえぐられる。


「――よ、それ……」


 今にも泣き出しそうなオイゲンと対照的に、ビスマルクは下を向いて顔を隠し、拳を固く震わせていた。
 そして、消え入る声で何かを呟いた、次の瞬間――


「なによそれ、ふざけないでよっ!」

「うぉ、び、ビスマルク?」

「落ち着いて下さいっ、乱暴は……っ」


 ――自分は掴みかかられていた。
 マックスが割り込もうとするも、両手で襟を引き寄せられ、ビスマルクの整った顔が間近に。
 長い睫毛の端には、大きな雫が溜まっている。
 こんな時に、こんな事を思うなんてどうかしてるけれど。
 ……凄く、綺麗だった。これも浮気になるんだろうか……。


「忘れたってどういうことよ……。記憶喪失って何よ!? じ、じゃあ、あのことも……。あの夜のことも、忘れちゃったっていうの!?」

「へっ!?」


 駄菓子菓子。
 続く言葉に余裕はなくなってしまう。
 まるで、台風にさらされた砂の城が如く、冷静さが崩れ去る。
 あの夜? あの夜ってどの夜!? というかその言い方って……いやいやいやいやいや。


「な、なぁ? どういう事だビスマルク。ででで出来れば、せせっせせせ説明を……」

「ヒドい、わ……。わ、ワタシは、アナタがどうしてもって言うから……。イヤなのも我慢して、頑張った、のに……」

「え。え。え。え。え。え。えぇええっ!? そん、まさっ!?」


 事情の説明を求めるも、彼女は力なく座り込み、顔を覆って打ち震える。
 嘘だ。嘘だろ? 嘘だって言ってくれ。
 そんな、まさか。でもこの反応、勘違いのしようもない。
 あぁ、なんて事だ。“こっちの自分”は、もう童貞じゃ……。


「頑張って……頑張って、タ級相手に夜戦までしたっていうのにっ」

「どうせそんなこったろうと思ったよチクショー!!」


 淡い期待が粉々に砕かれ、帽子を地面に叩きつける。
 チクショウなんだよ気を持たせやがってぇ!
 メチャクチャ安心したけど、けっきょく自分は童貞かよっ。


「提督? 日本が異常に夜戦してたっていうだけで、ビスマルクの反応が普通なんだよ?」

「ええ。夜戦自体、避けるべき事案です。まぁ、それを言うなら、ドイツの駆逐艦で艦隊決戦することが、そもそもおかしいのだけれど」

「通商破壊した記憶しか無かったもんね、僕たち」


 オチが読めていたらしい駆逐艦's、半目でため息をつかないで下さい。
 少しくらい期待したっていいじゃない。美少女とのアッハンウッフンな関係を妄想したっていいじゃない。だって男の子なんだものぉおおっ!!!!!!
 ……という絶叫を脳内に留め、自分は帽子をかぶり直し、ビスマルクの手を取る。紳士ぶらないと恥ずかしくて死にそう。


「あ~、とにかく。泣かないでくれビスマルク。泣き顔も可愛いと思うけど、笑ってる君の方が自分は好きだったと思うんだ。だから、な?」

「か、かわっ!? ……泣いてなんかっ、ないわよっ! スンッ、これはっ……こ、心の汗よっ!」

「うんうん、そうだよね。はい、ハンカチ」


 また古い表現を知ってるな君も。
 ともあれ、兵藤さんから渡されたハンカチで顔を拭い、ビスマルクは落ち着きを取り戻したようだ。
 オイゲンの助けでなんとか立ち上がり、「ふんっ」と赤い顔を背けている。
 態度はアレだけど、彼女も“こっちの自分”を慕ってくれているみたいだ。
 ここまで取り乱されたら、申し訳ない気持ちになってしまう。


「でも、どうして急に記憶が? 提督、思い当たることってないんですか?」

「……それが。自分の記憶は、朝起きた時から切り替わっているっていうか、それ以前が丸ごと飛んでるっていうか……。うまく説明できないな」


 今度はオイゲンが小さく挙手。質問されて記憶を振り返ってみるが、やはり思い出せることはない。
 今更だけど、本当にこの状況はなんなんだろう?
 双胴棲姫の精神攻撃にしてはダメージが全く無いし、単なる夢にしては現実感が半端ない。逆に現実だとしたら、今までの経験が夢ってことに。
 ……みんなには悪いけど、それだけは嫌だ。


(だってここには……。“あの子”が、居ない)


 一緒に学び、一緒に鍛え、一緒に食べて。苦楽を共にしてきた、大切な……その、まぁ、とにかくそういう事である。うん。
 それに、こうして向けられている好意は、“こっちの自分”が行動し、築き上げた結果。
 今の自分が横取りしていいものじゃない。早くなんとかしなきゃ。


「なんだ、お前たち。まだやっているのか」

「あれ? コンゴウちゃん。ドックに来るなんて、珍しいね」

「マヤも居っるよー! 凛ちゃんぎゅ~」

「あ、マヤちゃーん。ぎゅー」


 帰還の意思を固める耳に、背後からの声が聞こえた。
 そこには、意地でも宿舎を離れないと言っていた二人組が。
 兵藤さんとマヤなんかハグし合っている。普通に女の子してるよ。


「どうしたんだ、ここを動かんぞって……」

「ふん。それも状況による。もう昼だしな」

「もうそんな時間なのか。でも、それが理由?」

「何をトボけている。お前たちが出払っていたら、誰が私の昼食を作ると言うのだ」

「うんうん。マヤちゃんお腹空いたよ~う。大佐くん、ご飯作って~」

「えぇ……。何それ……」


 首をひねる自分へ向けて、彼女は偉そうに言い放つ。
 尊大な態度でとんでもなくダメなこと言い出したよこの人。
 さっきの映像の中では格好良かったのに……。
 あぁ、あれか。仕事は完璧でも、生活能力まるで無しなタイプか。なるほどなるほど。


「本当に忘れてるのね……。まぁ、仕方ないわよ。コンゴウはいわゆる、“食い専のメシマズ”だもの。キッチンに立たれたらバイオハザードが起きるわ」

「っく、貴様が言えた義理か、ビスマルク! ザワークラウトと漬物の違いも分からない女が!」

「し、失礼ねっ!? もう間違えたりしてないわよ!」

「あはは~。相変わらず二人は仲良しだね~」

「本当だよねー。日本では、喧嘩するほど仲がいいって言うみたいだし。いいなー」

「マヤ、オイゲン。ほのぼのしていないで止めないと」

「そうだよ、また設備を壊されちゃったら大変だ」


 一人で納得していると、コンゴウ対ビスマルクの睨み合いが始まっていた。
 艤装は召喚していないが、ふとしたきっかけでバトルを開始しそうでもあり、駆逐艦'sが間に入ろうと慌てている。
 しかし何を思ったか。コンゴウが「ふ……」と女王様のような目つきをし、腕組み姿でビスマルクを見下す。


「そういえば、貴様は改装中で知らないんだったな? レーベ、マックス。言ってやるがいい。昨日の夕食、いったい誰が作ったのか。そして、その味はどうだったのか!」

「ちょっと、どういうことよそれ。……まさか……!?」


 ボス戦前の演説みたいな雰囲気を醸し出すコンゴウに対し、サァーっと血の気が引いていくビスマルク。
 そんな事有り得ない、とでも言いたげな目は、とっっっっっても不本意な顔をするレーベたちに否定されてしまう。


「信じられないと思うけど、昨日の僕たちの夕食は、コンゴウが作ったんだ」

「驚くことに、とても美味しかったんです。見た目は凄まじいのに、味は完璧でした」

「ふっはっはっはっは! 私は大戦艦コンゴウ。不可能などない!」

「そ、そんな……。このビスマルクが、先を越されるなんて……!」

「おーい。そんな愕然とするほどのことかー?」


 コンゴウが高笑いし、ビスマルクは絶望に膝を曲げ。絶対的な勝利者と、惨めな敗北者……的な対比が出来上がっている。
 というか先を越されたって事はさ。ビスマルクって……。うん、誰にも欠点はある。気づかないふりをしてあげよう。
 頑張って矯正してくれ、“こっちの自分”。そのうち胃袋が鋼鉄製になるさ☆


「……ねぇ? それが事実なら、お昼ご飯も自分で作れば良いんじゃないの?」

「あ~。凛ちゃん、それは無理だよ~。だって、ヒュウガ特製の調味料、もう使い切っちゃったもん」

「うぉいマヤ!? それ以上口を開くなぁああ!!」


 変なテンションになりかけていた空気を切り裂く、兵藤さんのツッコミ。
 五秒前の余裕もどこへやら。コンゴウはキャラ崩壊も辞さずに叫ぶ。
 もうそれだけで実情が把握できそうなものだが、オイゲンがまた小さく挙手。あえて気持ちを代弁してくれる。


「えっと、えっと、どういうこと?」

「んっとね~。確か~……。味覚中枢に作用して、どんなにマズい物でも美味しく食べられるようにするお薬……とか言ってたよ~な。統制人格にも効くんだって~」

「……さて。仕方がないから私は買い置きの菓子パンでも食べよう。では――」

「逃げるんじゃないわよ」


 素直すぎるマヤが質問に答え、そそくさ逃げ出そうとするコンゴウ。
 もちろんビスマルクが逃がすわけもなく、ガッチリ肩が掴まれた。
 さり気にマックスたちも退路を絶っている。凄い連携力だ。


「道理で、食べている最中も、食べた後も違和感があったわけね」

「僕、何か変だと思ったんだよ。突然あのコンゴウが、自信満々に料理しだすなんて」

「――うっぷ!? うぐ、な、なんだこれ……!? 思い出そうとすると、訳の分からない吐き気が……!?」

「だ、大丈夫かい、キミっ。……もしかして、彼の記憶が飛んじゃったのって?」

「可能性は高いわね。というか、あのイロモノ戦艦が作った薬物よ? 間違いないじゃないっ。三十八cm砲でブチ抜いとけば良かったわ!」


 記憶を辿ろうとしてみれば、未だかつて経験したことのない吐き気を催した。
 泡を食って背中をさすってくれる兵藤さんに、佐世保でのことを思い出しつつ、ここで吐く訳にもいかないので必死に我慢。
 まさか、ホントにこんな理由なの?
 本来の人格を吹っ飛ばして、異次元だかなんだかの存在を呼び込む不味さって、どんだけ?


「ヒュウガ……。この落とし前はつけさせないと……。しかし、それ以前に」

「コンゴウさんが見栄を張ろうとしなければ、こんな事にはならなかったはずですよね? ね?」

「あ……い、いや……それは、だな……」


 姿の見えない下手人をマックスが睨み、オイゲンはニッコリ笑顔で艤装を召喚する。
 劣勢は傍目にも明らかであり、コンゴウの口元が引きつった。


「コンゴウ、もう諦めなよ~。認めちゃった方が楽になるよ~?」

「ねぇマヤちゃん。なんでこっち側に居るのか知らないけど、知ってて止めなかったなら同罪だよ」

「……あれ? り、凛ちゃん、怒って、る?」


 我関せずだったマヤも、迫力の笑みを浮かべた兵藤さんに怯えている。
 じわじわと包囲網は狭まって、大戦艦様と無邪気重巡が、冷や汗をかきながら背中合わせに。


「どうやら、教育が必要らしいな……」

「うん。きっと中佐も許してくれるよ。提督、命令を」

「……待て。待ってくれ大佐。話せば、話せば分かる。話し合おう、文化的に」

「そ、そーだよ、ぼーりょくハンターイ! 統制人格に愛の手を~!」


 ゆらぁり。
 吐き気の収まった自分は立ち上がり、瞳のハイライトを消すレーベを伴い、身体へ気迫を充填させる。
 四方から艤装を構える音が響き、諦めの兵藤さんが耳を塞いだ、その刹那――


「レーベさん、マックスさん、ビス子さん。やっておしまい」

ヤーJa!!』

「あ、あれ? わたしは? わたしには命令してくれないんですか?」

「っていうか、返事しちゃったけどその呼び方ヤメテって言ってるでしょ!?」


 ――嬉々として従う統制人格たちが、寄って集って、下手人に殺到するのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「くぅ……っ。大戦艦コンゴウともあろう者が、何故このような屈辱を……」

「はいそこ! 焦げやすいんですから、フライパンから目を逸らしちゃだめ!」

「ふっ。怒られちゃったわねぇ、大戦艦様が?」

「姉さまもですっ!」


 またしても場所を移し、今度は時間も過ぎ去って。
 ジュージューと香ばしい音と香りが満ちるここは、我が艦隊の宿舎。ダイニングルームである。
 現在時刻、一九○○。
 背後にあるキッチンで、コンゴウ、オイゲン、ビスマルク。それにレーベとマックス、マヤの六人が、夕食の準備を進めていた。


「うぅぅ、なんでマヤまでぇぇ」

「連帯責任よ。自業自得と思いなさい、マヤ」

「そうだよ、まったくもう……。うん、良いね。美味しく出来てるよ」

「え、ホント!? ぃやた~!!」


 ドックで教育と言ったが、あれは言葉通りの意味であり、騒動の原因である二人+αは今、お料理教室の真っ最中なのだ。
 さすがに、他所の子をお仕置きなんて出来ないし、ちょうどいいだろう。
 メニューはドイツ料理で、アイントプフ、フィンケン……なんたらかんたらに、アイスバイン。
 日本風に説明すると……。味噌汁的なごった煮スープ、カレイのムニエル、塩漬け肉の野菜と香辛料煮込み、らしい。
 レーベたちが作ってるのが最後のやつで、オイゲンはムニエルの指導をしながら一人でスープ作り。超いい匂いです。
 人生ゲームで借金地獄中な兵藤さんもご満悦だった。


「う~ん、いい匂~い。私、もうお腹ペコペコだよ~」

「ですよね。なぁオイゲン、味見とかしちゃダメか?」

「だ、め、です! ……って言いたいとこなんですけど、ちょうどこっちも煮えたみたいなので、してみますか?」

「お? ホントかっ、するする!」

「あっ、ズルいよキミ! 私も~」


 なぜだかポコポコ生まれる子供で満杯の駒を放り出し、自分は兵藤さんとキッチンを覗き込む。
 すると、真っ白な三角巾+エプロンをつけるオイゲンが、すぐに小皿を用意してくれた。
 レンズ豆やニンジン、ジャガイモとかが、トマトベースのスープで煮込まれているようだ。


「はい、どうぞっ」

「ん、ありがとう。……おっ! うんまっ!」


 一口すすると、野菜の旨味がいっぱいに広がっていく。
 初めて食べるはずなのに、どこか懐かしい味だった。
 オイゲンもホッと一息。お玉を両手で持って、安心の笑みを浮かべる。


「良かったぁ。実は新しいレシピを試してみたんですけど、ちょうどよかったみたい」

「うん、ホント美味い。オイゲンは料理上手だなー」

「えっへへ……。Dankeですっ。凛姉さまもどうぞっ!」

「わ、ありがとー。……ん~♪」


 褒めてあげようと頭をポンポンすれば、くすぐったそうに目が細められた。嬉しそうだ。
 彼女は小皿を受け取り、得意げな顔で今度は兵藤さんへと。また一つ笑顔が生まれた。


「ねぇ提督、こっちも味見してみないかい?」

「いいのか? んじゃ、お言葉に甘えて……おー、こっちも美味い」


 それを横から見ていたレーベも、まな板に乗った骨付き肉の端っこを切り落とし、フォークに刺して運んでくれる。
 遠慮せずにパクッと一口。柔らかく煮上がった豚肉が口の中で解け、もう堪らない。


「これだけ料理が上手いなら、レーベもマックスも、いいお嫁さんになれるなー」

「……っ、料理中ですから。あまり髪に、触らないで」

「僕たち、もう子供じゃないよ」


 上機嫌さが手伝って、少し乱暴に二人を撫でてしまうのだが、顔は迷惑そうな口振りと裏腹だ。
 室内だから帽子を被っていないし、細く滑らかな髪が指へ絡む。撫で心地も最高である。


「じぃ~」


 ふと、視線を感じた。横へ視線をずらせば、そこには指をくわえるマヤが。
 彼女もエプロンをつけており、名札には達筆な「 弟 子 」という文字が踊っている。
 端に小さく、「書き手 兵藤凛」と作者名まで。細かい。


「……ん? どうした」

「じぃぃぃ~」

「な、なんだよ。マヤも食べたいのか? だったらマックスに――」

「……それ作ったの、マヤなのに」


 ぷく~、と膨れ出すほっぺた。顔には「不満です」と書いてあった。
 ……あぁ、なるほど。褒めて欲しいのか。
 作ってもらったのも、美味しかったのも確かだし、ちゃんと褒めてあげなきゃな。


「上手にできたな。偉いぞ、マヤ」

「あ……。にへへへ~、マヤはやれば出来る子なんだも~ん。このくらい当然だよ~大佐く~ん」

「調子良いなぁ、全く」

「良いじゃない、レーベ。これでやる気を出してくれるなら」

「ふふっ、だね?」


 あんまり馴れ馴れしいのもアレかなー、と考え、オイゲンの時みたく、頭をポンポン。
 それでもマヤは、これでもかと胸を張って得意満面だ。
 格好や言動とあいまって、近所に住む姪っ子のような感じである。


「……おい。おいっ、プリンツ・オイゲン! これはいつまで焼いていれば良いんだ!?」

「ちょっと、黙ってなさいよコンゴウ。集中できないじゃない……っ」


 和やかな空気が漂い、夕食への期待が高まる一方。
 広々としたキッチンの一角では、修羅場が繰り広げられていた。
 コンゴウとビスマルク――「あぷれんてぃす」と「Schüler」の二人だ。
 ちなみに書き手はレーベ&マックス。意味はだいたい弟子と同じである。


「へ? ……わぁあっ、だめだめだめっ、キツネ色になったらひっくり返してって言ったのにぃ!?」

「焼き目が下に来ているのに、どうやって見ろと言うのだっ」

「菜箸とかでちょっと持ち上げれば見れると思うよ、コンゴウちゃん」

「む」


 もうもうと立ち始めた煙に気づき、大急ぎでオイゲンがヘルプに入る。
 反論しようとしたコンゴウだったが、冷静な兵藤さんのツッコミに封じられてしまった。
 マニュアルにない事は一切できない。典型的メシマズさんの兆候だ。早くなんとかしないと……。手遅れだろうか?


「……はふぅ。危なかなった……。ちょっと焦げちゃいましたけど」

「あ~らあら、もっと臨機応変に対応しなきゃダメじゃない、ワタシみたいに。ホッと」

「く……。味付けだけは破滅的な癖に……っ。やはり私は料理は好かん!」

「だ、大丈夫ですよ、これはコツを掴むためのお試し用で、材料も多めに用意してますから、ね? ね?」


 網を敷いたバットにムニエルを退避させ、一息つくオイゲン。
 そして、意外にも手際は良いビスマルクが、華麗にフライ返しを操る。コンゴウの言葉も負け惜しみにしか聞こえない。
 ずいぶん機嫌を損ねちゃったみたいだけど……勿体無いよな……。うん。
 思い立ったら即実行。焦げかけたムニエルを前に、自分はコンゴウが握りしめる菜箸を取り上げ、安全な部分を食べてみる。


「あ、おい貴様、何を」

「……うん。確かに焦げてるけど、美味しいぞ、コンゴウ」

「む? ……そ、そうか。ふっ、そうかそうか」


 キョトン、と目をしばたく彼女だったが、言葉の意味を咀嚼するにつれて、ニヤニヤ自信ありげな顔へ。
 外見のツンケンさと真逆で、存外扱いやすいなこの子。
 でもまぁ、オイゲンが下拵えをしただけあり、本当に美味しいのだ。嘘は言ってない。
 料理を好きになってもらうには、まず自信をつけてもらわないと。


「ちょっと、どういう事よ提督。アナタねぇ、自分の船じゃなくて他所の船を褒めるの!? ……ホラ、ワタシのも食べなさいっ、そして美味しいって言いなさい!」

「待て待て待て! 火傷するっ、じかは火傷するっていうかデカいっつの!」


 ――が、今度はビスマルクの機嫌が直滑降。
 パチパチと美味しそうな音を立てるフライパンを、熱気も冷めやらぬ内にズイッと。
 あっつ!? バターが跳ねて熱いっす!?


「はっはっは、無理強いはよせビスマルク。こいつは客観的な立場で感想を述べたまでだ。この私が作った……なんだったか」

「フィンケンヴェルダーショレ、だよ」

「ん、すまないレーベレヒト。私が作った……そのなんとかは美味い、とな。はっはっはっはっは!」

「ぐぬぬぬぬ……。地球外生命しか生み出せない癖に……っ」

「んもうっ! 群像さんたち、もうそろそろ来ちゃうんですよ? キッチンで遊んじゃだめです!」


 すっかり立場を逆転させ、高笑いのコンゴウにビスマルクは歯を噛みしめる。
 オイゲンがプンスカ怒っていても、全く気にならない様子だ。
 と、そんな時、家に鳴り響く「ピンポーン」というチャイム音。


「お、噂をすれば」

「あわわ、もう来ちゃった。ビスマルク姉さま、コンゴウさん、大急ぎで人数分用意しましょう! 私も手伝います!」

「ふっ、任せるがいい。華麗にソテーしてやろう。カレイだけにな」

「負けないわよ……。絶対ワタシの方が美味しく作れるんだからっ」

「じゃあ、僕たちはおもてなしだね」

「マヤ、お皿を」

「はいは~い」

「出迎えは私たちがするよ。行こっか」


 にわかに慌ただしさを増すキッチンから離れ、自分は玄関へ向かう兵藤さんの背中を追う。
 下駄箱の所で立ち止まり、「どうぞー」と一声かければ、千早艦隊の皆が顔を覗かせた。


「こんばんは。お招きありがとうございます、大佐」

「いらっしゃい、みんな。急な誘いで、迷惑じゃなかったかな」

「いつものことですから。あぁ、僧はいつも通り、仕事で来られないようなので……」

「うん。後で私が届けに行くから、心配しないで」

「助かります、兵藤さん」


 まずは群像くんが脱帽して挨拶を。
 続いて、「チィーッス」「おっじゃましまーす」「失礼します」「しまーす!」という声たちと共に、杏平くん、いおりちゃん、八月一日さん、蒔絵ちゃんが靴を脱ぐ。
 織部軍医の姿だけが見えないのだが、これもいつもの事らしい。
 あとは統制人格の子たちを迎え入れるだけ……なんだけど。


「あれ、ヒュウガはどうした?」

「拘束して医務室に置いてきた。アレが居ると、ゆっくり食事することは不可能だ」

「まったく災難よ。出撃してないのに疲れちゃったわ、お腹ペコペコ」

「まぁ、奴の口には四○一の靴下を突っ込んできたんだ。ある意味、最高のご馳走だろうさ」

「キリシマ。その表現は嫌。凄く嫌」

「……なんと言うか、お疲れ様」


 一人欠けている理由を問いかけてみたら、ハルナはやれやれ顔で肩をすくめ、酷く疲れたタカオ&キリシマが、彼女に続いて説明してくれた。
 白衣の上から亀甲縛りにされ、悶えつつも靴下をジュルジュル味わう“ド”変態が脳裏に浮かぶ。イオナちゃんの渋い顔も納得である。
 それはさておき、気落ちするイオナちゃんを慰めながらダイニングへ戻ると、人生ゲームの盤は片付けられ、すでに食事の準備が完了していた。
 各々の席に並べられたメインの皿と、小さな鍋へ小分けされたアイントプフにボールサラダ。ライ麦パンの入ったバケットも用意してあり、なんとも言えないワクワク感が。
 食卓の前で背筋を伸ばすマックスは、客人を前に恭しく一礼する。


「いらっしゃいませ。本日は、牛肉のソーセージとレンズ豆などを使ったアイントプフ。フィンケンヴェルダーショレ。アイスバインに、ザワークラウトと茹でたジャガイモを添えてお出しします。……諸事情で魚料理は遅れそうですが」

「ぅおっほー! 本格的だなー。んじゃ早速……」

「こら杏平、みんなが席に着くまで待ってなさいってば!」

「美味しそう……。レーベさん、後でレシピを教えてもらえますか?」

「良いよ、静。ドイツ語で大丈夫かな。まだ日本語を書くのは苦手で……」

「わたしドイツ語も読めるよー! 手伝うー!」


 小鍋の蓋を開け、さっそく食べようとする杏平くんに、彼を止めようとするいおりちゃん。
 八月一日さんは腰を下ろしてレーベと談笑し、キリシマを抱いた蒔絵ちゃんが、ピルケースを持つ手を大きく挙げる。例のお薬だろう。
 勝手知ったるなんとやら……なのかも知れない。みんな、それぞれに楽しんでいるようだ。


「……ちょっと四○一。そこどきなさいよ。私が座れないじゃない」

「どうして? 群像の隣は、まだ反対側が空いてる」

「そうだけど……なんとなくよっ。ジャンケンしなさい、ジャンケン!」

「タカオ、そんな事で騒がないでくれ。ほら、座ろう」

「ニンジン……。いや、せっかく用意してもらった食事、選り好みなど失礼だ。大丈夫、ちゃんと食べる」

「ハルナ、まだニンジンはダメか? 美味いと思うんだが……」


 局所的に紛争が発生しそうではあったのだが、艦長さんが上手く治めて沈静化。
 子供舌だったらしく、少し難しい顔をするハルナも席に着き、もうあとは食べ始まるだけ。
 ……と言ったところで、肘が察知するツンツンされる感覚。エプロンを外したマヤだ。


「ねーねー、大佐くん」

「ん? ……あ、そっか。群像くん、このアイスバイン、誰が作ったと思う?」

「え……。ま、まかさこれ、こここコンゴウもしくはビスマルクが……っ」

「いや違うから落ち着いて! “か”と“さ”が入れ替わってるから!」


 彼女を椅子へ促しながら、群像くんに質問を投げてみるのだけれど、反応は斜め上だった。
 おいおい。すでにトラウマとして刻み込まれてるのかよ。群像くんがここまで動揺するとか、相当だぞきっと。
 というか、他のみんなも顔が硬直してる。……被害は甚大?


「マヤが作ったんだよ、レーベたちの監督で。味は保証する」

「……そうでしたか。安心しました」

「良かったわ……。危うく、艦長の分を奪って食べる覚悟を決めるところよ……」

「うん……。意識を失うのは嫌だけど、群像に死なれるより、ずっと良いから……」

「……そんなにヒドいの?」


 どう表現すれば良いのか……。地獄に仏を見たような? そんな顔付きでうなずく面々。
 メシマズを呼び出さずに済んでる自分って、もしかしなくても、すんごい幸せ者なんだね……。
 向こうへ戻ったら、いつにも増してお礼を言っておこう。鳳翔さんとかに。


「あのーっ、提督、ごめんなさーいっ。お魚はもうちょっと時間かかりそうなので、順番が変になっちゃいますけど、先に食べ始まっちゃって下さーい!」

「え。待たなくていいのかー?」

「だいじょぶでーすっ! はいコンゴウさん、そこでひっくり返してっ!」

「いいのかな……」


 沈痛な雰囲気が漂う中、キッチンからオイゲンが呼びかけてくる。
 一緒に食べた方が……と思って呟くと、兵藤さんは安心させるように微笑む。


「平気だよ、いつもこんな感じだったし。せっかくのお料理を冷めてから食べる方が、ずうっと失礼だと思うよ?」

「……それもそうですね。では」


 言われてみれば、それも納得。適当に腰を下ろし、隣へレーベたちが座るのを待つ。
 真正面に群像くんは居るが、上座も下座も関係のない、ただ寛ぐための食卓。
 辛抱堪らん、なんて言いたげな顔を見回してから、自分は両手を合わせ――


「いただきます!」

『いただきます』


 ――待ち望まれた音頭を取る。
 即座に十二人分の声が返り、和やかな食事会は、こうして始まった。










 んが、しかし。










「うわぁぁあああん、なんで、なんで忘れちゃうのよおぉぉ、提督のばかあぁぁ」

「そうよぉぉおおおっ、なんで私の気持ちに気付いてくれないのぉぉぉ」

「ふふふ、ふふっ、そうさ、どうせ私はメシマズさ。気を遣って、美味しいだのなんだのと言っているだけなんだ。何もかも嘘なんだ。どうせ、どうせ、どうせぇ……っ」

「にゃはははー! しぇかいがぐりゅぐりゅー! めりーごーりゃんどー!」

「抱きつくなビスマルクっ、鼻水が服につくっ。タカオ、群像くんはあっちだあっち! 足を離せっ。
 コンゴウも落ち着け! 本当に美味しかったから、な? そのミニピアノはどこから持ってきたんだマヤ!
 ああもうっ、誰だ酒なんか飲ました奴は!?」

「わらひらよ~。ひっく、おいひぃものは~、みんらで分けらいとにぇ~」

「アンタかよ兵藤さぁん!!」


 三時間後。
 ビスマルク、コンゴウ、オイゲンを加え、総勢十六名がごった返すダイニングルームは、なぜか地獄絵図と化していた。
 アルコールの匂いを漂わせたビスマルクとタカオがむせび泣き、日本酒の一升瓶を抱えるコンゴウが床にあぐらをかいている。
 マヤはその横でメチャクチャに鍵盤を叩き、群像くんも真っ赤な顔でダウン。菩薩みたいなイオナちゃんの膝枕へ突っ伏している。たぶん、被害者なのだろう。
 別の一角では対戦ゲーム大会が開催中で、杏平くん、ハルナ、いおりちゃんと八月一日さんが死闘を演じている。あ、杏平くん死んだ。八月一日さんすっげぇ強い。
 つーか、どいつもこいつも顔赤いぞ。未成年だろお前らも。飲酒しちゃいけません!


「ね~え~、キミももうよぉ~。お姉ひゃんが注いれあげる、ひっく、からぁ~」

「片付けの邪魔しないでくださいっ。ほらどいて!」

「あぁん、いけずぅ。どぉしてもだめぇ? はぁぁ、おひゃけのせいで熱いなぁ~。ボタン外しちゃおっかなぁ~?」

「そんなんで喜ぶとでも思ってんですか。出直して来てくださいパッド戦士さん」

「にゃ!? にゃんれ知ってるのぉ!? あっ、ボトル取っちゃやらぁ!」

「これは没収ですっ」


 だからこうして、理性を残した自分たちが、場の収集に当たっているのだった。
 中途半端に色気を漂わせる先輩――じゃなくて、兵藤さんが抱える瓶も取り上げる。
 煙いような独特の香気からして、本物のスコッチ・ウィスキー。
 軍に入る直前、一回だけ親父と差し向かいで飲んだ、“取って置き”と同じ香り。間違いない。
 こんなバカ高い物を浴びるように……。勿体ねぇぇぇ……。


「レーベ、杏平くんたちは?」

「缶ジュースと間違って、カクテルを開けちゃったみたいだ。半分寝ながらゲームしてる。いつもは提督が管理してるから、こんなこと滅多に起きないんだけど……」

「マジかぁ……。マックス、客間ってまだ空きあったっけ」

「問題ないわ。男女に分けて放り込んでも余裕がありますから。それと、刑部主任たちはすでにお休みです」

「そっか。なら安心だな」


 よく見れば、蒔絵ちゃんとキリシマの姿はない。キリシマはおそらく、枕代わりをしているんだろう。
 どんなに頭が良くたって、身体はまだ子供。おねむの時間は早いらしい。
 唯一の和みポイントにホッとしていると、千早艦隊でただ一人、しらふを維持したイオナちゃんが、申し訳なさそうに頭を下げた。


「大佐。いつもの事だけど、迷惑をかけて、ごめんなさい」

「気にしなくていいさ。いつもの事、なんだろ?」

「そうそう。楽しかったからだいじょぶだいじょぶ! あ、提督。そこのお皿も取ってもらえます?」

「あいよー」

「……ありがとう」


 しかし、オイゲンの言う通り。楽しかったことに変わりはない。
 自分にとってはだが、初めて食卓を囲んだとは思えないほど、騒がしく、心地よいひとときだった。
 そんな気持ちを込めて笑いかければ、イオナちゃんも同じように笑ってくれる。
 群像くんは相変わらず、「うーん……」と唸ってるけど。兵藤さんは不貞寝だ。


(考えてみりゃ、同僚とどんちゃん騒ぎしたのって、これが初めてか)


 感情持ちの励起。“桐”の襲名。キスカ島に偽島作戦と、軍人としては名を上げちゃったが、気の許せる相手は少ない。
 仲間も、先輩たちも居るけど……。同じ視線で戦う、戦友は居なかった。
 “こっち”の自分にはそれが居るんだ。羨ましいな、そこだけは。
 いや、あともう一つ。セクハラしても許される環境作りとかも。超羨ましいっす。
 ……なんてバカなことを考えつつ、後片付けは進んでいく。
 皿を洗って、残った料理を織部軍医への折詰に。ゲーム機やら何やらもしまい込み、ようやく一段落だ。


「はいっ、お片付け終了ですっ。お疲れ様でしたー」

「お疲れさま」

「お疲れさまでした」

「ホントお疲れ……」


 ぱん、とオイゲンが柏手を打ち、駆逐艦'sも解放感で肩から力を抜く。
 最後の方は妙に静かだったが、それも当然。酔っ払いたちは床やテーブルで眠りについている。
 そうじゃなきゃ、ゲーム機とか酒瓶を片付ける時、全力で野次られただろうし。


「後はみんなを部屋に運ぶだけだね。僕たちが凛さんを」

「提督はビスマルクをお願いします。イオナ、行きましょう」

「うん。群像、起きて」

「了解……つっても、女の子の部屋に一人で入るのはダメだし。オイゲン、着いてきてくれるか」

「Ja! お供いたします! なんちゃって」


 めいめいに最後の仕事を見つけ、眠りこける人々を運び始める。
 レーベとマックスが二人掛かりで、「おひゃけにょむにょお……」とダレる兵藤さんを。イオナちゃんが群像くんを揺り起こし、肩を貸していた。
 ちょっと心配なのは、寝呆ける彼の漏らした「コトノ」という言葉に、イオナちゃんが歩みを止めて暗黒闘気を放出し始めたことだ。
 語感と反応からして、女の子の名前か。修羅場にならないことを祈ろう。
 ちなみに、寝ていたはずのタカオさん。遠ざかる群像くんの気配に釣られ、「がん゛ぢょお゛ぉ……」と貞○のごとく追いかけている。……ノーコメント!


「ほらほら、しっかりしろビスマルク。部屋に戻るぞー」

「ん゛ん゛~。……や」


 ホラーな絵面を脇へ置き、自分はビスマルクの肩を揺らす。
 なんだかんだで、コンゴウ+マヤと仲良く床に並んでいた彼女だが、酒精を帯びた声でむずがった。まんま子供である。
 外見はバリキャリ女軍人風なんだけどなぁ。


「や、って……。じゃあここで寝るつもりか?」

「ゔ~。……それも、や」

「ビスマルク姉さま、わがまま言っちゃダメですよ。ちゃんとベッドで寝ましょう、ね?」

「や゛~だぁ……」


 オイゲンの呼びかけに身体を起こすも、ビスマルクはイヤイヤするばかり。
 頬は赤く、青い瞳が涙で濡れ、唇まで艶やかさを増している。
 こんの酔っ払いめぇ……。すっげぇ可愛いけど、面倒臭ぇぞこれ……。猫みたく首根っこを掴むわけにもいかないし、どうしたもんか?
 と、頭を悩ませていたら、不意に彼女は、上目遣いでこちらを見上げ――


「だっこ、して」

「………………コファッ」

「ぅわあっ!? だいじょぶですか提督ぅ!?」


 ――夢見る乙女的な眼差しで、両腕を広げた。
 銃弾が心臓を貫いたような衝撃に、思わず膝をつく。
 やばい。やばい。やばい。今のは凄くやばい。
 これが技術大国ドイツの艦娘か……っ。侮れん……!


「だ、大丈夫、だ。ちょっくら、理性のバイタルパートにヒビが入っただけ、だから。ひっ、ひっ、ふぅ。ひっ、ひっ、ふぅ。落ち着けー、落ち着け自分ー」

「それって致命傷なんじゃあ……。あと、この場合ラマーズ法に意味あります?」

「ね~……。だっこ……」


 目を丸くしながら、えづく背中をさすってくれるオイゲン。幼児化し、軍服の袖を掴んで放さないビスマルク。
 減っていく正気度を自覚しつつ、自分は気合いで煩悩を振り払う。
 早いとこやるべき事を片付けて、水風呂にでも入って邪念を清めなければっ。
 色即是空、空即是色ぃ!!


「じゃあ……。い、行くぞ?」

「……ん」


 改めて声をかけると、ビスマルクはまた腕を広げ、軽く目を閉じる。
 ともすれば、そのままキスでもなんでも出来そうな状態だが、「姉さま可愛い」と呟くオイゲンの存在が歯止めとなり、細い肩と膝裏へ手を回す。
 人生初のお姫様抱っこ。こんな形で消費するとは予想してなかった。
 想像より、ずっと軽かった。


「オイゲン、先導よろしく。自分、前を見る余裕がない」

「りょ、了解です。お任せくださいっ」

「てぃと、く……。もっ、と……。つょ、く……」


 拡大していくヒビ割れの音を脳内に響かせ、明かりの灯っていく廊下を歩く。
 肩にはビスマルクの頭が乗っていて、吐息が首筋をくすぐる。
 手の平と直接触れ合う体温が生々しく、微かな寝言とのシナジーで拷問に近い。何をだ。何を強くすりゃ良いんだ。抱きしめる力か? 勘弁してくださいよホントに!?
 ……よし。何か別のことを考えよう。
 火照ったコンゴウのうなじとか、兵藤さんの谷間に見えたホクロとか、足へ縋りつくタカオのパフパフとか――って結局そっち系じゃねえか! いい加減にしろ自分のバカ!!


「はい、着きました。提督、姉さまの足とかぶつけないように、注意してください」

「OK。……っと、よし。ビスマルク、着いたぞ」

「……すぅ……んん……」


 そうこうしている内に、とある部屋の前へ来ていた。
 身体の向きを調整しながら、ドイツ国旗や黒猫の写真が飾られる室内に。どうやら一人部屋らしい。
 オイゲンがシーツをめくってくれたので、ビスマルクをベッドの上へ。シーツをかけ直すために一旦離れようとする。


「……ん? あれ」

「どうかしました?」

「いや、上着を離してくれない……。だぁ、無理かこりゃ」


 ――のだが、引っかかったように、身体は動けなくなっていた。
 首元を引っ張られる感覚。襟をガッチリ掴まれてしまっている。
 どうにも離してくれそうになく、上着のボタンを外し、そのままシーツ代わりに被せると、ビスマルクは満足そうに大きく呼吸。
 ついでに、満面の笑みで「Liebe Leute……」と言い残してから、ようやく深い眠りへついたようだ。意味は分からないが、妙に幸せそうな顔だ。
 ……全く。手間のかかる子だこと。


「さて。後は頼んでも平気か?」

「もちろんです。姉さまの寝顔を全力で堪能――もとい! 寝ゲロルシュタイナーとかしないよう、全力で見守ります!」

「寝ゲロルシュタイナーって……」


 涙の跡を指で拭い、立ち上がってオイゲンにそう頼むのだが、敬礼と合わせて返ってくるのは、金剛に対する比叡みたいな返事。
 なんというか、ビスマルクさえ居れば他に何も要らない、みたいな感じである。


「オイゲンは……大丈夫そうだな。安心した」

「はい? それはそうですよ、お酒一滴も飲んでませんし。本当はビールをグイッと行きたかったですけど、おもてなしする側なので、我慢しましたっ」

「いやいや、そっちでなくて。ていうか君、見た目十代半ばなのに酒飲みなのか」

「当然です! ゲルマン人にとって、ビールはお水の代わりですからっ」

「……左様で」


 ゆさり。たわわな胸部装甲を弾ませつつ、オイゲンは胸を張った。
 レーベみたく、忘れられた事にショックを受けていないかが心配だったんだけど、この分なら平気だろう。
 本場のビール。いつか飲んでみたいもんだ。


「んじゃ、そろそろ行くよ。杏平くんをレーベに任せるわけにはいかないしな。お休み、オイゲン。それにビスマルクも」

「はい。お休みなさい、提督」


 苦笑いのまま、オイゲンの頭をポンポン。
 人懐こい声を背に受けながら、自分は部屋を後にする。
 あとは、杏平くんを群像くんと同じ部屋に放り込んで、コンゴウといおりちゃんたちも運ばな――


「え」


 とすん。
 背中へ軽い衝撃と、柔らかさを感じた。
 腹にも腕が回されている。
 オイゲンに、抱きしめられてる? なん、で?


「お、オイゲン?」

「だいじょぶなわけ、ないじゃないですか」


 辛うじて見える、ツーテールの端っこへ問いかけると、震える声が聞こえてきた。
 折れそうなほど細い指が、シャツの前を握り締める。


「全然、平気なんかじゃないです。ホントは、凄くさみしいです。ビスマルク姉さまだって、だからあんな風に……」


 額を背中へ擦り付けるオイゲンは、とても静かに、悲しげに言う。
 統制人格には、人間の毒が効かない。それはアルコールにも適応され、その気になれば一瞬で酔いから覚める事だってできる。
 けれど、ビスマルクはそうしようとしなかった。
 酔っていなければ、忘れられていると実感してしまうから、だろうか。それとも、素直になれないから? ……分からない。
 レーベも、マックスも。最初は呆然とするほど衝撃を受けていた。オイゲンだってそうだったはずなのに。
 今までの明るい笑顔は、きっと、安心させようとしていたんだ。他でもない、彼女自身を。


「あ、あの……っ。オイ、ゲン。あの、な……」

「もうちょっと、だけ。もう少しだけ、このままで居させて。……くれますか」


 知らぬ間に傷つけてしまっていた事を謝りたくて、後ろを振り返ろうとするけれど。
 オイゲンの腕は、ますます強く絡みつく。されるがままに、待つしかなかった。
 ……だが。だがしかし。
 出来ることなら、即急に開放してほしい。
 何故か? 背中へ押し付けられてるのは、額だけではないからである。
 要するにおっぱいです。

 不埒なことを考えてる場合じゃないのも、十二分に理解している。しかし、しかしだ。
 もしも同じ状況へ陥ったとして、この感触に惑わされない男が居るだろうか?
 ぷにゅりぷにゅぷにゅ。
 押しつぶされてなお、激しく自己主張する二つの果実に、抗える男が居るだろうか? いいや居ない! 居て堪るか!!
 だからこそお願いします。可及的速やかに、押し倒したくなる前に離して頂きたいっ!! 上着脱いだせいで余計にやっこく感じるんですよぉ!?
 ぬぁぁぁ理性のバイタルパートがぁぁあぁぁぁああっ!!!!!!


「……えいっ」

「どぅおぉ!? んごっ」


 自制心の悲鳴が最高潮に達した、まさにその時。今度は思いっきり、背中を突き飛ばされた。
 壁へ顔面を強打し、まぶたの裏には星が散る。
 バタンッ、という音に涙目で振り返れば、扉は固く閉ざされ……。流石にこれは、怒っていいよなぁ?


「いったぁ……。いきなり何すんだ!?」

「エッチなこと考えてた罰ですー。そのくらい、顔を見なくたって分かるんですからねっ。早く手伝いに行っちゃって下さい!」

「うぐっ」


 ビスマルクを起こさぬよう、できる限り抑えた声で文句をつけるのだが、扉越しにもオイゲンのプンプン顏が見える。
 んなこと言われたって、あんな露骨に“当ててんのよ”されたら、誰だってそういうこと考えるに決まってるじゃないかっ。だって男の子なんだも(略)。
 ……まぁ、こんな言い訳を直接言える訳もなく。ネームプレートの下がったドアを恨めしく見つめ、「お休みっ」と捨て台詞を吐き、自分はその場を逃げ去った。


「お休みなさい。……私の、Admiralさん」


 去り際に、またドアが開いて。小さく呼ばれた気もしたけれど。
 どう返していいか分からず、気付かないふり。
 しかし、気付いてあげないのも正解だったんじゃないか……と、なんとなく思うのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「はあ゛あ゛ぁぁぁ……。今日はなんて日だ……」


 布団の上に仰向けとなり、大きなため息をつく。
 ビスマルクの部屋から戻った自分は、同じく戻ってきたレーベやマックス、イオナちゃんと協力し、生きる屍となったみんなを部屋へ送り届けた。
 それからシャワーで軽く汗を流し、歯を磨いたりなんだりして自室に戻り――という具合である。


(疲れた……。でも、楽しかったな)


 フカフカな敷き布団が受け止める身体には、重い疲労感が残っていた。
 朝から硫黄島基地を行ったり来たり。千早艦隊の皆に振り回され、自分の艦隊にも振り回されて、最後にどんちゃん騒ぎの後始末。
 疲れて当然だが、しかし、どこか満足感も覚えている。
 初対面の人々ばかりだったけれど、向けられる感情に偽りを感じられなくて、いつの間にか、気を許していたような。
 こんな生活も……。こんな人生も、悪くない。心からそう感じた。


(……けどやっぱり。“みんな”に会いたい)


 それでも。……いや、だからこそ。
 “こっち”に長居してはならないと、確信もしている。自分の正しい居場所は、ここじゃない。
 何が理由で、どんな理屈でこうしているのかなんて、分かりっこないけれど。
 ここに相応しいのは、ここで生きてきた“もう一人の自分”だけ。
 きっと待っていてくれるだろうみんなの為にも、どうにかして戻らなくては。


「……んぁ?」


 見覚えがあるようで無い天井を見つめていると、ドアがノックされた。
 誰だ? と問いかける前に、その向こうからはボーイッシュな声が聞こえてくる。


「提督。僕だけど……まだ起きているかい?」

「レーベ? 起きてるけど……。あ、ちょっと待って」


 反射的にドアを開けようとし、はたと思い留まる。
 いくら気を許したと言ったって、Tシャツとトランクス姿ではまずい。ズボンくらい履かないと。
 自分だったらここに置くかな……という所を探すと、薄手のスラックスがすぐに見つかったので、それを履いて今度こそドアを開けた。


「どうした、こんな遅く」

「うん、ごめんね。ちょっと、お願いがあって、さ」


 両手を後ろへ回すレーベは、気恥ずかしそうに膝をこすり合わせていた。
 裾丈はさっきまでと同じだが、明るい水色のパジャマ姿。瞳の色と合わせてあり、可愛らしいデザインである。
 っていうか、初対面から思ってたんだけどさ。スカートとかズボンとか履き忘れてませんか? 太ももが無防備で嬉しすぎゴフッゴフ心配なんですけども。


「あ、あの、さ……。こんなこと言うのは、凄く子供っぽいって分かってるし、迷惑だと思うんだけど……」


 少しだけうつむき、上目遣いにレーベが続ける。
 手に持っていたのは、小さな枕。身体の前で抱き直し、ほんのり赤みを帯びた顔が隠れた。
 ……こ、この反応。まさか……。


「き、今日だけ……。一緒に寝ても、良いかな」


 あぁぁやっぱりぃぃいっ!
 ちょこっとだけ傾げられた小首があざといよレーベさぁぁん!?
 折角バイタルパートのヒビを補修し終わったとこなのにぃ……。
 くそぅ、また断るのに全力を出さないと……っ!!


「あのなレーベ。日本には、『男女七歳にして席を同じくせず』ということわざがあってだな……」

「それ、孔子だよ。古い中国のことわざ。正しくは、男女七歳しちさいにして席をおなじゅうせず。いつも丹陽から訂正されてるよね?」

「あ、そうだっけ?」


 大人ぶって諭そうとしたが、的確な突っ込みに阻まれてしまう。
 マジで知らんかったです。無知でごめんなさい。
 まぁ、それはそれ。ここで負けるわけにはいかないのだ。


「とにかくっ! そういう訳だから。一緒に寝るっていうのはダメだ。そんな気はなくても、男と女なんだし。間違いが起きたら困るだろ?」

「間違い、なのかな」

「へ」

「……どうしても、ダメ?」


 何やら、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするも、ズイッと詰め寄る少女に聞けなくなる。
 しっとりと、まだ水気を帯びる髪。爽やかな石鹸の香りが、かすかに漂っていた。
 固まりかけだった理性のバイタルパートは、耐震偽造建築のごとくに、いとも容易くグラグラと。
 どうすればうまく断れるのか。八方丸く収まるのか。いくら考えても答えは出てこない。
 重苦しい沈黙に、レーベの表情はだんだん曇り。
 やがて、目の端には煌めく雫が浮かび始め……。


「分かった、分かったからっ! そんな顔をしないでくれよ……。今晩だけ、だぞ?」

「ホントっ? ……Danke,提督」


 最終的には、押し切られてしまった。涙は女の最終兵器とよく聞くが、痛いほど実感できる。これは無理だわ……。
 ドッと疲れが押し寄せ、ドアを閉めながらため息をつく自分と違い、上機嫌となったレーベさん。さっさか布団の上へ。
 抱えていた枕を並べ、ポンポンしてはにっこり笑い、ちょこねんと女の子座りしている。
 あぁ。なんでこう、ジワジワ責められると弱いんだよ自分。YES・NO枕だったら確実にYESが表に来てるシチュだぞ? ちゃんと断んなきゃダメなのに……。
 おまけに布団。なんで二人が入っても余裕があるサイズなんだ。一人でギリギリなら別のを用意するとか出来たのにっ。もう一つの布団で寝る気満々ですよこの子っ!?
 頼む、朝まで持ってくれ、理性のバイタルパート……!


「じゃあ、もう遅いし早く寝る――ん? また?」


 対抗策として、群像くんx杏平くんx織部軍医の、泥沼モーホー三角関係を想像。
 押し寄せる吐き気を堪えていたら、また背後からノック音が。


「マックスです。……少し、いいですか」


 ドアの向こうから聞こえてくる、キリリとした声。……嫌な予感がヒシヒシとするけれど、開けないわけにもいかない。
 恐る恐る、顔が見えるくらいにノブを回せば、そこにはもちろん、マックスが立っていた。
 レーベと同じく、瞳の色――赤茶色に合わせた、裾丈の短いパジャマ姿だ。ナイトキャップまで被っている。


「どうした、マックス。こんな遅く……」

「……ごめんなさい。迷惑なのは分かっているのだけれど……。どうしても、話をしたくて」


 警戒心が顔に出ていたのか、彼女の言葉尻は弱々しい。
 突き放すのも可哀想だし、かといって引き延ばすのも悪手。
 となれば、核心を突く以外に選択肢はなかった。


「もしかして、だけどさ。勘違いだったらすっごく失礼だと思うんだけど……。一緒に寝たい、とか?」

「……っ!? そ、それは……ぁの………………迷惑、かしら」


 ピクン。身体を硬直させたマックスは、後手に隠していた枕を取り落とす。
 慌ててそれを拾い、恥ずかしそうに見上げてくる顔は、やはり真っ赤に染まって。
 なんてことだ……。モテ過ぎだろ“こっちの自分”……。呪われてしまえ――あ、いや。むしろこの場合は僥倖かも?


「いや、良いよ。むしろ助かる。これで間違いを犯す可能性が下がった。さ、おいで」

「……貴方、それはどういう意味? とても失礼なことを言われて――レーベ?」

「や、やぁ……」


 妙案を閃き、自分は快くマックスを迎え入れる。
 ちょっと不機嫌に、しかし迷いなく部屋へ踏み入った彼女は、布団に座るレーベと驚きの視線を重ねた。なんだか気まずそうな雰囲気だけど知りません。
 いやはや。なんとも都合良く、布団も三人で寝られるサイズ。
 二人っきりなら危ないけど、第三者が居れば手を出さずに済むし、これで問題無い! 初体験が3(ピー)とか論外だしね!
 自分って天才っ。あっはっはっはっは! さー寝よ寝よー。


「えっと……。あれ、自分どこで寝よう。真ん中はいかんよな、真ん中は」

「い、良いんじゃないかな、真ん中でっ。ね? マックス」

「そ、そうね。私たちはお願いしている立場なのだし、貴方は一番良い場所で寝るべきだわ」

「いやでも――」

『良いから!』

「はい」


 そそくさ布団へ潜り込もうとし、できるだけ女子との接触面を少なくしようと試みたが、駆逐艦'sのタッグに失敗した。
 仕方ないので、一番最初に真ん中へ陣取り、レーベが左隣、マックスが右隣へと。
 横になって布団をかぶり、「消灯」と大きめな声で呟くと、音声認識システムが灯りを消してくれる。
 あー。これでようやく眠れる……。


(……わけ無いじゃん!? よく考えろよバカか自分!?)


 右手にはクール系美少女、左手には素直系僕っ娘が寝てるとか、どういう状況!?
 吐息や身動きが生々しくて、とてもじゃないけど寝れる気がしませんよ!?
 つーか、年頃の婦女子と同衾するもの初めてなんですが!?
 うがぁぁぁ!! 浸水が広がっていくぅぅぅ!!!!!!


「お布団で寝るのって、なんだか変な感じだね」

「ええ。天井が高く感じるわ」


 ドキバクな心臓の音が聞こえるわけもなく、緊張を強いる原因たちは、両の鼓膜を揺さぶってくる。
 このままではマズいと判断した自分は、気を紛らわすために会話へと参加した。


「や、やっぱり二人は、ベッドの方が好きだったりするか?」

「ん~……。どうかな。ベッドも嫌いじゃないけど……」

「安眠できるなら、どちらでも良いかと。布団も、悪くはないと思いますが」

「……まぁ、自分だってこだわりは無いけどさ。でも、枕が変わると寝れなくなるってよく言うな」

「確かに。眠りの質は、半分が枕で決まるそうです」

「うんうん。僕はやっぱり、フカフカなのが好きだな」

「そうか? 自分は蕎麦殻派なんだけど……」


 思いの外、寝物語は弾む。
 枕の話に始まり、夕食の感想や群像くんたちの騒ぎ様。食べてみたい料理など、題目が尽きない。
 しかし、不意に途切れたあと、部屋には静寂が訪れる。
 居心地が悪いようでいて、壊すのを憚られるような、奇妙な静かさ。
 あれほど浮ついていたのに、いつの間にか眠ってしまいそうな、不思議な感覚。


「……ねぇ、提督」


 それを破るのは、レーベのささやき声だった。


「今日一日、色んな事があったけど……。僕たちの事、まだ思い出せない?」

「………………」


 どう答えようかと、天井を見上げて少し迷い。
 結局、思ったままを口にする。


「正直に言えば、まだ実感が湧かない。自分がここで暮らして、ここで戦っていたという実感が。まるで、夢でも見ているみたいだ」

「そんなはずありませんっ。私はここに居る。私たちはここに居るわ。夢なんかじゃ……っ」


 よほど心外な答えだったのか、マックスは身を起こし、切実な表情を見せた。
 クール系かと思いきや、中身は案外、熱くなりやすいようだ。
 少なくとも、こんな表情を見せてくれる程度には、想われている。嬉しく感じるのだが、更に言い募ろうとする彼女を、自分は手で制する。


「まだ途中。最後まで聞いてくれ」

「……すみません」


 先走ってしまったと悟り、バツが悪い様子で枕へ墜落するマックス。
 なんだかおかしくて、小さく笑ってしまう。


「夢みたいではあるんだけど……。でも、確信できた事もあるんだ」

「それは、何? ……って、聞いてもいいのかな」


 今度はレーベが身を起こし、自信無さげに問いかけてくる。
 不安そうに揺れる前髪の高さが丁度よくて、左手でそれをすくい上げた。


「君たちが、自分の船だってこと。自分はみんなを信じていた。君たちも信じてくれている。
 たとえ覚えてはいなくても、自分たちは確かに仲間だった。一緒に過ごして、そう感じたんだ。
 ……勘違いじゃないと、嬉しいんだけど」


 似たようなことを、“みんな”へ何度も言っているはすだが、どうにも慣れず、照れ笑いでごまかす。
 彼女たちには、どう映ったのだろうか。気になるけれど、気にしないことにする。
 窓から差し込む月光が。
 見下ろす笑顔と、並んだ笑顔。二つを照らしていたから。


「うん。勘違いなんかじゃ、ないよ。僕たちは、提督の船で……」

「私たちは、貴方を信じています。勘違いなんかじゃ、ないです」

「……そっか」


 言葉にされて、なお恥ずかしくなってきた。
 素知らぬ顔で目を閉じても、もう静寂を感じる事は無い。
 距離は変わってないはずなのに、二人の呼吸が、より近づいたように思える。


「……ぃしょ」

「お、おい、レーベ? 何を……」


 ……いや、物理的に近づいてる?
 なぜかレーベは布団の中に潜り込み、こちらの左腕を押し上げながら元の位置へ。
 頭が二の腕に乗り上げ、強制腕枕状態だ。
 小悪魔は「えへへ」と微笑む。


「いつもはこんな事しないけど……たまには、良いよね。提督だって嫌じゃないでしょ」

「……嫌だって言ったらどくのか?」

「んーん、どかない」

「おぉい」

「えへへ……」


 自信たっぷりな小悪魔が、また笑う。腕枕へ頬をこすりつけて、満足そうである。
 こんな顔されたら、嫌だなんて言えるはずもない。反対側のマックスとも、苦笑いを浮かべ合う。


「……ね、提督……」

「ん……?」

「僕、さ……。ずっと、遠慮してた……の、かも……」


 眠気を覚え始めた脳に、同じく眠そうなレーベの声。
 うつらうつらと、まぶたを何度も閉じながら、彼女はささめく。


「記憶を、無くしても……。提督はやっぱり……提督、で……。僕は、提督の船、で……。それがとても……嬉し、くて……」


 嫌でも共感してしまいそうな、強い実感の込められた響き。
 胸板へ乗せられた手が、くすぐったさを加速させる。


「だから、ね……? もう、ヴェールヌイに遠慮するの……やめようって、思うんだ……」

「え。ヴェールヌイ?」


 変な気分になるのを我慢してたところへ、予想もしてなかった名前が飛び込んで来た。
 思わず問い返すけれど、レーベはとろけた笑みを浮かべるのみ。


「僕……負け、ない……か……ら……。すぅ……」

「あ、おいレーベ……。寝ちゃったよ……」


 そしてそのまま、彼女は完全に寝入ってしまった。穏やかな寝息を感じる。
 今のって……どう控えめに考えても、告白だよな。え、マジで?
 おいおいどうすんだよ、知らん内に“こっちの自分”へのフラグ立てちゃったのか?
 そりゃあ、自分にとっての“あの子”が、“こっち”では響――ヴェールヌイなんだとしたら、特別大事にしているだろう。
 だろうけどもっ……嘘だろ? ぼっくり……じゃないビックリし過ぎて、嬉しいんだけど素直に喜べない!?


(な、なぁマックス。どう、どうしよう。今の――痛っ!)

(私に聞かないで)


 しどろもどろに対面へ顔を向けても、右手をつねられるだけ。
 なして君まで拗ねた顔しとるですか?
 ムスッとジト目で睨まれても、困ってるのはこっちなんですよ?


(……ふぅ。いいわ。レーベがそのつもりなら、こちらにも考えがあります)

(あ、ちょっとぉ!?)


 すがるつもりで見つめていたら、マックスまで布団へ潜り込み、右腕でも強制腕枕が発生してしまう。
 彼女の手はお腹のあたりに乗せられ、どこにも逃げ場が無くなった。


(……マックスさん。あの、これじゃ身動きが取れない……)

(レーベは良くて、私はダメなんですか)

(そうじゃないよ!? そうじゃないけどもさ!?)

(なら黙って。……私にだって、意地くらい、あるんですから)


 若干、赤く染まったようにも見えるほっぺたを押し付け、ムッツリまぶたを閉じるマックス。
 身体の密着度も増し、寝ぼけたレーベは足まで絡めてきた。
 なんだこの状況。なんだこの状況? 何をどうしろってんだ今の自分にっ?
 こういうのも両手に花って言うんですか!? 確かに左右から良い匂いが薫るんですけどねぇー!?


(早いとこ眠りについてくれ自分……っ。もしくは早く目覚めてくれ自分っ。バイタルパートのHPはもうゼロなのよ! 誰か何とかしてくれぇぇえええっ!!)


 全身をかつてないほど緊張させつつ、天に向かって邪念を迸らせる。
 しかし、満月はニヤニヤと見下ろすばかり。
 悩ましい夜が、亀の歩みで更けていく……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「失礼します……なのです」


 控えめなノックの後、これまた控えめに呼びかけながら、電は静かに仮眠室のドアを開けた。


「司令官さ――あ」

「ぐー……。くかー……」


 朝日の差し込む、こじんまりした部屋。
 真っ先に目に入ったのは、壁に沿うベッドで眠りこける、提督の姿だ。
 よほど疲れていたのか、両腕を投げ出し、高いびきをかいている。
 電はクスリと笑い、備え付けの椅子へ腰掛けると、その寝顔を眺め始めた。


(少し前まで、毎日寝顔を見てたのに……)


 思い出してしまうのは、まだ二人きりだった、あの頃。
 寝起きは良い提督だったが、ときどき夜更かしをして寝坊するため、毎日起こしに行くのは欠かせない。
 現在でも、その日の秘書官が行う、最初の仕事と認識されているくらいだ。
 ほんの半年ほど前まで、それは電だけの。電だけに許された、特権おしごとだった。


(まだ、誰も来ない……ですよね?)


 キョロキョロ辺りを見回し、ついでに廊下まで確かめて、なんとなくドアの鍵を掛ける。
 徐々に鼓動が高まり始め、それを落ち着かせようと、椅子へ座り三十秒。
 我慢しきれないほど顔は熱く、緊張で小刻みに震えつつも、ベッドに身を乗り出す。


(……っ)


 何をしようとしているのか。彼女自身、分かっていない。
 ただ、なんとなく。
 なんとなく、彼の顔を近くで見たくなったのだ。
 理由なんてどうでも良い。……ような、気がする。


(あ、まつ毛が抜けちゃってる、のです)


 それなのに何故、こんなに息苦しいのだろう。
 喉が渇き、頬が熱くて。
 触れたくて、仕方ないのだろう。


「……司令官、さん……。寝てます、か?」


 答えは無い。
 寝ている提督からも。小さな胸を苛む衝動にも。
 無理やり見つけるのなら、戦いのせいだ。
 大きく、辛く、悲しい……戦争の。
 耳の奥に残る、祈るような彼の、声のせいだ。


(でも、こんなこと……。ダメ……なの、に……)


 こんなことって、なんだろう。
 あと十cm。
 ダメって、なんでだろう。
 五cm。
 ベッドが、軋む。
 一cm。


「――やめてくれ、レーベ……。耳は――」

「ひぅ!? ごめんなひゃいっ!?」


 ズザザザッ、と。電は超反応で距離を取る。
 理由は分からないまでも、なんとなーく後ろめたい気分が、謝罪の言葉まで引き出した。
 が、「やめろ」と言ったはずの提督は、どうしてだか起きてこない。


「……あれ? 寝言、なのです、か……?」


 見れば、まだ夢の中に居るようだった。
 先ほどまでと違っているのは、何やら嬉しそうに苦しんでいる表情だ。
 嬉しいのに苦しいという例えも変だが、そう見えるのである。ほんのりイラっとするのは何故であろうか。
 ともかく、彼は何某かの寝言を喋り続けている。
 それが妙に気になって、電は耳を側立てようとまた顔を近づけ――


「……総員退艦っ、理性が沈む――んゴッ!?」

「いひゃう!?」


 ――急に起き上がってきた提督と、額を正面衝突させてしまう。
 ゴイン、という鈍い音がした。
 直前に不穏な単語も聞こえたと思うのだが、久方ぶりのごっつんこで記憶が飛んでいる。


「うぉぉおぉ、な、何事だ……。頭が割れるように痛い……」

「そ、それは電のセリフ、なのですぅ……」

「……電。……電? えっ、あっ、ごめん!? 大丈夫かっ」


 ベッドの上と、仮眠室の床。二箇所で同じように頭を抱える二人。
 涙目なのも同じだが、一足早く復活したらしい彼は、飛び起きてへたり込む電の側に。
 気遣う指が赤くなった額と髪を撫で、くすぐったい。


「あぁぁ、こんなに赤く……。でも、なんでこんな事に? 自分、普通に寝てたと思うんだけど……」

「そ、それはっ……えと……ね、寝言が、あの、気になって……」

「あ、なるほど。ホントにごめん。
 何か、凄く変わった夢を見てたような気がして。よくは思い出せないんだけどさ。
 ものすっごく危なかったような、惜しかったような――ん? 電?」


 顔の前で手を合わせ、必死に謝り通す提督。
 しかし、ふと何かに気付いたようで、首をかしげる。
 なんだろう? と電も。


「……なぁ、電。今って何時?」

「え? えっとですね……。○七○○、なのです」


 冷や汗をかきながらの問いに、彼の背後にある壁掛け時計を見てそう答える。
 細かな情報を付け加えると、双胴棲姫との戦いからは丸一日が経過し、出撃していた艦隊も全てが佐世保へ帰投していた。
 横須賀からの資材運搬まで手配済みであり、それを使った高速修復の真っ最中でもあった。書記を務める少女の、先見の明である。
 ……そういえば、彼の居場所を彼女に質問した際、「仮眠室でお休み中です……」と、少しばかり落ち込んでいた。これも何故だろう。
 電が首をひねっていると、彼はおもむろに頭を抱え出す。


「嘘だろ……。君がここに居るって事は、丸一日近く寝てたのか? なんで起こしてくれないんだ書記さん!?
 帰ってくるまでにプリンとか御飯とか作りたいって……言ってねぇよ自分のバカぁ……すみませんでした書記さん……」


 天を仰いで憤るも、途中で己の失策に気づき、提督はベッドへ倒れこむ。
 この二人はあずかり知らぬ事だが、書記の少女も、繰り返し起こそうとしたのだ。
 しかし、どんなに揺さぶっても、どんなに声をかけても、「あっ、あんな所に中破した扶桑さんたちが!」と嘘をついても、全く微動だにしなかったのである。
 心配になり医者を呼んでみたけれど、診断結果は“ただ寝てるだけ”。
 仕方なく、テコでも起きそうにない彼を放り出し、起きたら使うであろう食材の手配に回った。負けた気分だった。

 そんなわけで、この場に居ない書記の少女は、地味に落ち込んでいたりする。電が来た途端に起きたと知れば、ますます塞ぎ込んでしまうやも……。
 だが、上で言ったように、この二人にはあずかり知らぬ事。
 目の前で黄昏れる提督を慰めるべく、電は慌てて言葉をかける。


「あのっ、大丈夫なのですっ。電は、一番最初に修理が終わったから、様子を見に来ただけで。他のみんなはまだドックに……」

「……そうか。まだ時間はあるんだな? よしっ、急いで準備しよう! あれ、上着どこ行った……もういいやっ。行くぞ電!」

「はわっ、し、司令官さんっ!?」


 そのおかげか、提督は目に力を取り戻し、すっくと立ち上がった。
 キビキビした動作で身支度を整え――ようとして早速つまずき、時間を惜しんだ彼は、そのままの格好で部屋を飛び出す。呆然とする電の手を取って。
 訳も分からず走るハメになった彼女は、けれど、いつの間にか笑顔を浮かべ、見慣れた背中を追いかける。
 あぁ。やっと帰って来たんだ、と。平穏を実感しながら。


(……でも、レーベって“誰”のことなのかな……。後で聞いてみよう、なのです)


 そして、奇妙な引っ掛かりを覚えた、“名前”と直感する単語の正体を、いつか問いかけてみようと。弾む心に決めながら。
 これがのちに、上着へ入れっ放しだった財布の行方と共に、大きな波乱を起こすのだが……。
 ここでは、語らないでおこう。

 更に、彼女たちのあずかり知らぬ事実が、もう一つ。
 横須賀鎮守府。桐林艦隊の物置小屋にて。
 そこでは人知れず、四つの“ある物”が新規に置かれていた。
 黒に近い灰色と、迷彩柄。加えて、「Z1」「Z3」と刺繍された、見覚えのないはずの、軍帽が。
 彼らがこれに気づくのも、まだ先のことである。










「……ちょっと、コンゴウ。何よこの……深海からの物体Zは?」

「失礼な表現をするな、タカオ。なに、先日の成功を受けて、料理に目覚めてな。
 さぁ、食すがいい! ウェールズ直伝のイギリス料理だ! 試食したマヤはこんなにも喜んでいるぞ!!」

「カーニバルダヨーカーニバルダヨーカーニバルダヨー」

「お、おい。壊れているように見えるのは私だけか? おいっ!?」

「これが、メシマズ……。人間関係を最も効率よく破壊する、最終兵器……。タグ添付、分類、記……録……。あ、もうしてあった……ぐふっ」

「……意識が……きゅ~そく……せんこ~……」




















 クリスマスを楽しみに着飾った北方ちゃんから、プレゼント箱を強奪だなんて……。なんて鬼畜なことを強要する運営なんだ!(出てきた甘味をむさぼりつつ)
 それはさておき。遅ればせながら戦果報告! 気合い入れて準備しただけあって、楽々完走できました!
 個人的には、このくらいの難易度が一番楽しいです。野分ちゃんもオイゲンちゃんも、朝雲ちゃんも可愛いよぉおおっ! ほあぁぁあああっ!!
 ……谷風? ………………野分ちゃんが連れてきてくれたさ! これで現行艦娘コンプ一歩手前だぜぇいヒャッハー!! 任務が怖くて大鯨ちゃん改造できないんですよ……。

 今回は番外編。アニメ、蒼き鋼のアルペジオとのコラボ話でした。
 ホントは長もん・陸っちゃんの励起話をつける予定でしたが、なぜか前話よりも長い七万字となってしまったので、またしても持ち越し。
 まぁアレです。オイゲンちゃんが可愛いのが悪いんですよ。こんなに長くなる予定じゃなかったんや……。

 設定がよく分からなかった方への補足をさせて頂きますと、今回のお話は完全なif世界での出来事です。
 もしも、筆者的艦これ世界とアニメ版アルペジオ世界が融合したら。
 もしも、アルペジオ側の主人公である千早群像が、体制側に残る事を強いられていたら。
 もしも、新人君と同じ特異性を持つ能力者がもう一人居たら。
 こんな感じで再構成した世界の一部分を、なぜか垣間見てしまった……という形です。深海からの物体Zが原因じゃないですかね?
 ちなみに、この世界での新人君――大佐くんは、桐生提督ポジだったり。しばらくしたらアボーンして、裏からちょっかいを掛けるようになるでしょう。
 長々と説明してしまいましたが、「細けぇ事は良いんだよ!」の精神で、誤字以外は大目に見て貰えれば……。誤字報告はご遠慮なくどうぞ。

 次回もこんな調子の緩い話で、久々の那珂ちゃん回。ニューカマーも登場します。
 流石にボリュームは控えめですが、ご期待ください。
 それでは、失礼いたします。
 だいぶ早めではありますけれど、今年一年お付き合い頂き、ありがとうございました。
 来年も、どうぞよろしくお願いいたします!


「ん~? あれー、どうしたの? こんなとこで座り込んじゃって……あぁ! その子……」
「あっ、那珂さん。ご、ごきげんよう。あの、どうしましょう? このままだと、お仕事がちゃんとできないです……」
「むむむむむ……。これは由々しき問題だね……。よっし、那珂ちゃんにドンと任せちゃって! 絶対なんとかしてあげるから!」





 2014/12/13 初投稿
 2015/01/02 誤字修正







[38387] (略)那珂ちゃん(略)地方巡業記! その三「あ、主任さーん! 例のもの用意できてるー? ……おぉぉ、さっすがー。これを使えば那珂ちゃん、ますます魅力的になっちゃ(略)」
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/01/04 21:28





 少々時間を早送りし、桐林艦隊が横須賀へ帰投してから、二週間ほど経過した頃。
 十名ほどの統制人格が集まる、薄暗い小会議室にて。
 彼女たちを集めた張本人である少女が、やおら立ち上がった。


「皆さん、ごきげんよう。まずはお礼申し上げます。お集まり頂き、ありがとうございました」


 重い空気を破る、淑やかな声。
 茶色のセーラー服をまとい、髪を右でサイドテールにまとめる彼女は、綾波型駆逐艦一番艦・綾波という。
 艦隊へとやって来て、まだ間も無い新顔である。


「今回お時間を割いて頂いたのは、他でもありません。実は、皆さんにお願いしたい事があるんです。まずは資料をどうぞ」

「しつも~ん! それってやっぱり、あの事?」


 圧着された再生紙書類の束を配る綾波へ、集められた内の一人――長良が挙手をしつつ問う。
 資料を配り終え、コの字型に並べられた長机の端へ腰かけた綾波は、それに対し難しい顔でうなずく。


「そうなんです。今までは、なんとか隠してこれました。でも、これ以上提督を騙すのは……」

「ですよね……。悪いことじゃないと思いますけど」

「なのです。ちょっとだけ、罪悪感があるのです……」


 長良の隣に座る名取と、さらに隣の電も、同じく悩ましげな顔。
 例えるならば、親に隠れて動物を拾ってしまい、隠れて世話をしている学生、といったところか。
 あくまでこれは例えであり、事実となんら関わりないはずである。
 ひょっとしたら正鵠を射ているかも知れないが、 その場合は御容赦頂きたい。


「そんな状況を打破するため、私は那珂さんと一緒に、ある作戦を立案いたしました」

「ふーん。これがその作戦なの? って言うかさ、那珂さんは? どっこにも居ないじゃない」


 綾波と同じ新顔であり、その姉妹艦――綾波型駆逐艦二番艦・敷波しきなみは、書類をペラペラめくりながら部屋を見渡す。こげ茶色のポニーテールが揺れた。
 会議室に居るのは、すでに発言した綾波、長良、名取、電、敷波の五名と、これまた新顔を含む残り五名の計十名。
 発起人の那珂が居ないのはおかしい……と彼女が思った途端、騒がしくドアが開く。


「おっ待たせ~! 噂の那珂ちゃん、ただいま参上~! あ、榛名さん。これ配るの手伝って~」

「は、はい。分かりました。……あら? これは……」


 大きなダンボールを抱え、きゃるん☆ と擬音を発しそうな少女が駆け込む。那珂である。
 その勢いに押され、一番近くに座っていた榛名は、箱の中身を配ろうと立ち上がるのだが、初めて見た“それ”にまじまじと見入ってしまう。
 確認も兼ねて、那珂から真っ先に“それ”を受け取り、完成度の高さに大きく頷いた綾波は、ゆっくり皆を見渡し――


「この作戦の主眼は、意識改革にあります。司令官の苦手意識を無くし、こちら側の要求を通し易い状況を作ります。それには皆さんのご協力が絶対に必要なんです。特に……」

「い、電、ですか?」

「そうそう! 電ちゃんがこっちに居れば、那珂ちゃんの可愛さとプラスされて、完全勝利間違いなしだもん!」


 ――最後に、電へ注視した。
 十人分の視線を受け、電はたじろいでしまうものの、那珂の高過ぎるテンションが重さを和らげる。
 そうこうしている内に、例の物が全員に行き渡った。
 各々、“それ”を見て十人十色な表情をする彼女たちへ、綾波は頭を下げる。


「新参者の私が、こんな事をお願いするのは筋違いかも知れません。
 ですが、どうしてもちゃんとした環境を用意してあげたいんです。
 だからどうか、どうか協力して下さい……!」


 懇願。
 こう表すのに申し分ない、切実な声だった。
 さっきまでハイテンションだった那珂までもが、真剣な顔で何度も頷いている。
 綾波にとって、この作戦は重要な意味を持つらしい。


「水臭いな、綾波。そうまで言われて、断れる奴なんか居るわけがない。さぁ、作戦を頭に叩き込むぞ!」

「あ、はい。頑張りますっ。努力すれば、なんとかなりますよね? きっと」


 そんな彼女に対する仲間の目は、おしなべて優しかった。
 睦月型八番艦である長月ながつきが威勢良く立ち上がり、緑色のロングヘアを跳ねさせる。
 隣の磯波――吹雪型九番艦も、黒髪のお下げ髪という大人しい外見通り、控えめな励ましを。
 ここに居る全員、彼女が抱える事情を熟知していた。
 仲間であり、家族であり、命を預けあう同僚でもある。
 何より、素直に助力を求め、惜しげもなく頭を下げる心優しい少女を、どうして見捨てられようか。
 返された沢山の笑顔に、ようやく綾波は微笑む。


「……ありがとうございます、皆さん。それでは……」


 そうして、手にしていた物を頭部に装着。
 後に続く皆を待ち、彼女は胸を張って宣言した。


「全ては、素敵なにゃんこライフのために! オペレーション“エヌ・ワイ・エー”、発動です! にゃー!」

『にゃー!」

「に、にゃ~……」

「……にゃー」


 なんとも可愛らしい掛け声と共に、拳が天井へ突き上げられる。
 不本意でたまらないという顔の長門と那智も、嫌々ながら。
 こうして、世にも珍しい、キュート過ぎる作戦行動が開始されたのであった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ん……っくはぁぁぁ。ようやく落ち着いてきた感じかな」


 朝日が差し込む窓辺に向かい、自分は大きく背伸びをする。
 双胴棲姫との一戦を越え、戦後処理の真っ只中である今日このごろ。
 やっとこ終わりも見え始めていて、忙しいながら、平穏な日々を楽しんでいた。
 ……まぁ、途中で財布無くしたり、各種再発行に手間取ったり、「レーベ」なる聞き覚えのない名前のせいで電と修羅場ったり、桐ヶ森提督からお説教されたりと、全くもって楽しくない出来事もあったのだが、それは別の機会に語るとして。
 時刻はそろそろ○七○○。朝食前に、秘書官の子たちが起こしに来てくれる時間だ。


「司令官さん、起きてますか?」

「お、電か。今日は起きてるよ、入ってくれ」

「はいです」

「失礼いたします」


 コンコン、と。タイミング良くノックの音。新人の子を引き連れた電だ。
 仕事を奪っちゃってアレだけど、たまには自分だって、朝からシャンとするのである。
 着替えは済んだし歯も磨いた。キッチリ決めた姿で出迎えよう。


「お早う、二人とも。今日一日、秘書官としてよろしく……な……」


 ――と、思ったのだが。
 ドアの向こうから現れる二人の少女に、顔が硬直してしまった。
 なぜならば。


「おはようございます、にゃのです。司令官さん。本日、第一秘書を務める“いにゃづま”と……」

「第二秘書官を務めさせて頂きます、“あやにゃみ”です。至らにゃい点もあると思いますが、よろしくお願いいたします」


 そこに居る少女たちは、どういう訳か猫耳と猫尻尾を生やしていたからである。
 電は髪と同じ色の茶色耳。人間の耳があるはずの位置に、入れ替わるようにして生えていた。尻尾も茶色一色。ゆらゆらと揺れていた。
 彼女の隣に居る、茶トラ模様の耳尻尾を生やした少女は、あの戦いで双胴棲姫から解放された駆逐艦、綾波だ。
 二人とも、“な”と言うべき部分が“にゃ”になっている。……アカンこれ。


「うん。よろしく頼む。じゃあお休み……」

「はいっ、それじゃあ失礼しま――にゃ、にゃんでにゃのです!?」

「し、司令官っ? にゃんでお布団に戻っちゃうんですか!?」

「疲れてるんだ。もしくは憑かれてるんだ! なんか変なものが見えたり聞こえたりするし、きっと仕事できそうもないから休むぅ!!」


 押入れから布団を引っ張り出し、軍服のまま潜り込む。
 何やらニャーニャーうるさいけど、きっと空耳だろう。あの耳尻尾だって幻のはず。
 あんな物を幻視してしまうだなんて、いつの間にか無理をしてたに違いない。
 そうに決まってるんだ。だから寝た方が良いんだぁ!


「だ、駄目にゃのですっ、ちゃんとお仕事しにゃきゃ、駄目にゃのですぅ!」

「そうですよ。困らせにゃいで下さい、司令官っ。まだ書類に判子が必要にゃんですからっ」


 しかし抵抗も虚しく、艤装を召喚した二人に布団を剥ぎ取られ、畳の上でうつ伏せに。
 こちらを見下ろす猫耳少女たちは、見えそうで見えないもどかしさと、奇妙な違和感を放つ。
 ……前にもこんな構図を楽しんだような気がするな。思い出せないけど。何が見えそうかって? 秘密です。


「なぁ、二人とも。なんともないのか?」

「にゃにがですか?」

「いつも通りですよね、いにゃづまさん」

「にゃのです」


 立ち上がりつつ問いかけてみるが、電も綾波も、可愛く頷きあうのみ。
 ただでさえ美少女なのに、萌えポイントが追加されて倍率ドンッ。ニャー語でさらに倍! である。
 なんなんだこれは? でも、嘘ついてるようには見えないし……。


「……分かった。君たちがそう言うならそうなんだろう。働くよ」

「良かった……。じゃあ、まずは朝ご飯にゃのです」

「一日の元気のみにゃもとですから。しっかり食べてくださいね」

「うん……」


 問答しようにも、求めるものは得られそうにもない。
 仕方なく、しぶしぶ布団を仕舞って、ニャーニャー声を背に部屋を出る。
 やっぱ疲れてんのかな……。


「あ、提督。お、お早う御座います」

「おう、名取。お………………はよう」


 考え込みそうだった自分へ、三人目の猫娘が挨拶した。
 自室と宿舎をつなぐ屋根付き廊下。その宿舎に近い花壇を手入れしていた彼女は、長良型軽巡の三番艦、名取……のはず。
 なんで断言できないのか。立ち上がる彼女には、やはり耳尻尾が付いていたからである。今度はキジトラだ。
 思わず口をつぐみそうになると、名取は猫耳をピクリと跳ねさせ、首もかしげる。


「……? あのぉ、どうかしましたか?」

「ううん、なんでもない。なんでもないよー。いつも以上に可愛いなーって思っただけ」

「ふぇ!? そそそ、そんにゃこと、ありません、よぅ……」


 取り繕うのも面倒臭く、つい正直に感想を言ってしまえば、彼女は顔を真っ赤にして、胸の前で指をモニョモニョさせ始めた。
 窮屈そうな神の恵みが、見ていてとても楽しい。可愛いっていうのも嘘じゃないし、背後から感じる圧迫感さえなければ、頭を撫で回したいところだ。
 しょうがないんですよ電さん。自分だって男なんだし、しかも何故か憑かれてるっぽいんで、勘弁してください。


「おーい! しれーかーん! にゃとりー!」


 ――と、そんな時、遠くから近づいてくる足音が一つ。
 駆け足の速度でリズムを刻むのは、名取の姉、長良だ。いや、この場合は“にゃがら”、か?
 彼女はサバトラ。灰色と黒の縞模様である。
 また猫娘が増えた……。でも、電はいつも通りって言ってたんだから、こっちもそのつもりで対応した方が良いよな。うん。


「はぁ、はぁ……。おはようございます! 寒くにゃって来ちゃいましたね! いにゃづまちゃんとあやにゃみちゃんも、お早う!」

「おはようです、にゃがらさん」

「おはようございます。朝からランニングにゃんて、健康的ですね」

「だなぁ。自分には真似できないよ」

「もっちろん! にゃがらはこんにゃ程度、へっちゃらへっちゃら! 空気が澄んでて気持ち良いですよ。一緒に走りません?」


 白く煙る息を整え、長良は短めな尻尾をピンと立てる。
 もう冬至を過ぎ、今年も終わろうかという時期なので、気温はかなり低い。
 それでも大抵の子はミニスカのままで、長良も当然のように短パン半袖姿。見ているこっちが震えそうだ。
 早くコタツに入ってあったまりたい……。


「いつも断っちゃって悪いんだけど、これから朝ご飯だからさ。またの機会にな」

「そうですかー。残念です。にゃら、私もそろそろ上がります。おにゃかも空きましたしっ」

「あ、にゃがらちゃん、きちんと手を洗ったり、うがいしにゃいと……。それじゃあ、提督。私はこれで……」

「うん。食堂でなー」


 あまり期待していなかったのだろう、長良は特に気落ちもせず、元気に玄関方向へ。
 手を土で汚した名取がそれを追い、途中でペコリと腰を曲げ、また追いかける。
 小さくなる背中へ手を振り、自分たちも今度こそ宿舎に。
 食堂と直結しているため、暖かい空気と味噌汁の匂いが迎えてくれた。


「あ、司令。電に綾波も、おは――」

「おはようございます、提督! 一番ですか? 電ちゃんと綾波ちゃんを除いたら、私との挨拶が一番ですよねっ?」

「ちょっと白露ぅ!? 朝の挨拶から張り合うことないじゃない!?」

「おはよう、陽炎、白露。入り口んとこで名取たちと会ってな。残念ながら白露は三番目だ」

「そうですかぁ……。すっごく残念……」

「本気で落ち込まなくても……っていうか、三番目は私じゃないの? 私の方が早かったわよね、絶対に」


 ……あれ。他の子は猫耳じゃないな。
 食堂へ入り、すぐ近くに居た子たちと挨拶を交わすのだが、予想に反し、彼女らは普通なままだった。
 しかも、電たちにまで普通に挨拶している。ニャー語でもない。
 マジでどうなってるんだ。まさか自分にしか見えてないとか? うぅむ……。
 悩ましいけれど、考えてたって仕方ない。そのまま食べ終わったらしい二人と別れ、厨房を覗けるカウンターに。


「おはようございます、鳳翔さん。朝の献立は?」

「大根と油揚げのお味噌汁と、銀ダラの西京焼きに、ほうれん草の胡麻和え。あとは小鉢が二つですよ。この時期はタラがとても美味しいですから」

「朝から豪勢じゃないですか。いつも美味しい物を用意してくれて、ありがとうございます」

「ふふ、どういたしまして。素直な提督には、御飯を大盛りにしてあげちゃいます」

「お、やりぃ」


 忙しく配膳する、割烹着姿の女性――鳳翔さんは、ほっこり笑顔でしゃもじを構えた。
 奥には手伝いをしている神通、霞、曙、由良、瑞鳳たちの姿も。
 あぁ、なんだろう。この言葉にできない幸福感。鼻に優しい味噌の香り。
 拝みたくなる心地に、自然と笑ってしまう。


「司令官さん。御膳はいにゃづまが持って行きますから、先に座っていて貰えますか?」

「ありがとう。電たちもまだなんだよな。一緒に食べよう」

「はい。あやにゃみもお手伝いしますので、少しだけお待ち頂けますか」

「ん。座敷の方に居るから、よろしく」


 電たちの申し出に甘え、自分はテーブルで食事を摂る満潮や叢雲、龍驤と挨拶をしながら、コタツのある一角へ向かう。
 一応、耳やお尻の辺りを確認してみるが、電、綾波、長良と名取以外には、誰も耳尻尾を付けていなかった。
 つーかこの四人、明らかに共通点があるよな。しかしまさか、そんな安直な……?


「……あ、敷波」

「お、呼んだ? おはよ、司令官。……にゃにか用?」

「おはよう。いや、用ってわけじゃ無いんだけど……」


 首をひねっていると、空の食器を手に目の前を横切る、新たな猫耳少女を発見。思わず呼び止めてしまった。
 綾波と同じセーラー服。黒いリボンで短めのポニーテールを結う、綾波型駆逐艦二番艦・敷波が、安直すぎる考えを肯定したからだ。
 それは、全員の名前に“な”が入っている、という事実である。マジでこれが理由だとしたら、自分の発想力の無さに悲しくなる。
 けどなぁ? だからって猫耳が見えるとか、欲求不満なんだろうか。
 風俗なんて行けないし、自分で処理したとしても、部屋を掃除してくれる鳳翔さんとかに気付かれそうだ。困ったな……。
 ともあれ、用事も無く呼び止めたことを知ると、敷波は呆れたような顔を見せる。


「にゃんだよー。あたしも忙しいんだけど。ご飯食べたら、練習航海の準備しにゃきゃだし」

「あー、そう言えばそうだったな。初めての海だし、緊張とかしてないか?」

「別に? ただ指定された場所へ行って帰ってくるだけだしさ。……まぁ、不安がにゃいって言ったら、嘘ににゃるけど……」


 簡単な仕事とは思いつつ、緊張感を拭えないのか、彼女は落ち着きなく猫耳をヒクつかせていた。
 茶色一色なのは電と同じだけど、耳の先端が微妙に反り返っていて、尻尾は短い。
 芸が細かい……違うか。やけに凝ってる……でもないような。ええと……とにかく個性的だ。
 まぁ、どう表現するかなんて、この際どうでもいい。初遠征へ向かう新人を励ましてあげないと。


「安心しろ。旗艦は那珂に勤めてもらう予定だから。何があっても、あの子ならうまくフォローしてくれる。心配ないさ」

「あ……。ちょ、ちょっと、気安くにゃでにゃいでよ……」

「あぁごめん。嫌だったよな。分かってるんだけど、つい」

「……別に、い、嫌じゃにゃいけどさ……」


 もはや癖になっているのか、敷波の頭を撫でてしまう。
 嫌がる口振りに慌てて手を外すが、プイとそっぽを向く彼女の頬は、かすかに赤く見えた。
 短い尻尾が大きく、ゆったりと左右に。なんとなくだけど、機嫌が良さそうに感じる。
 これぞ、霞みたいなガチのツンデレではなく、世間一般に認知されているツンデレである。癒されるなぁ……。


「じゃ、あたし行くから」

「うん。邪魔して悪かった。出発の時に、またドックで」

「んー」


 立ち話もそこそこに、席へ向かう敷波と別れる。
 日当たりの良い壁際には、全部で五卓ほどのコタツが置かれていた。
 熾烈な争奪戦を勝ち抜いた少女たちでごった返しており、空いているのは提督指定の大コタツだけだ。
 自分と秘書官の二人に鳳翔さん。あとは誘われた数人のみがくつろげるという、奇妙な暗黙の了解が作られていたりもする。
 そこへ靴を脱いで上がりこむと、隣では四人の少女がじゃれ合っていた。


「お腹、いっぱい……。動きたくない……」

「あ、あの、ダメだよ初雪ちゃん。食器とか片付けにゃいと……」

「え~。いいじゃん、もうちょっとゆっくりしてからでもさぁ~。食べた後って、なんか、眠くなるし……。くぁ~」

「にゃにを腑抜けている! 食ってすぐ寝ると牛ににゃるぞっ。ほら、立たにゃいかっ」


 正しく、かじりつくといった様子で天板にダレる、艦隊の怠けコンビ、望月&初雪。
 必死になって引っ張り出そうとしているのは、二人の姉妹艦であり、綾波たちと同じ新顔の長月、磯波。やっぱり名前には“な”が入っているし、耳と尻尾も完備である。
 ……そうだ。ちょっと試してみよう。


「大変そうだな。……いそにゃみ、にゃがつき」

「あっ、提督? おはようございますっ。にゃにか御用でしょうか」

「気にしないでくれ。少し話したかっただけだから。朝はもう?」

「うん、済ませたぞ。鳳翔さんの作るご飯は美味しいにゃ! おかげで任務にも力が入る!」


 黒髪おさげな控えめ少女と、緑ロングのハキハキした少女は、礼儀正しく挨拶したり、元気良く胸を張ったり。それぞれに声を返してくれる。
 が、呼ばれ方にはなんの反応も示さない。随分と変にゃ事ににゃっているはずにゃんだけどにゃ……。ほれ言い辛い。
 長月の耳尻尾は普通だし、磯波は耳がちょっとヘタってるだけで、短い尻尾――いや、カギ尻尾も存在を自己主張していた。
 う~ん……。もう考えないで受け入れた方が良いんだろーか。可愛いんだから良いよーな気もする。


「……で、初雪と望月はダレてるわけか」

「だって……。外、寒い……」

「食後にまったりする時間ってさ、至高だよー。仕事もないし、今日は一日ここで過ごすー」

「おいおい」


 ふてぶてしい非猫耳少女たちは、変わらずコタツへしがみ付く。
 あんまりと言えばあんまりな、二人のコタツむり。
 呆れて半眼になってしまうと、長月・磯波コンビも、畳に正座して同じような顔をしていた。


「まったく。同型艦にゃがら、にゃさけにゃい……。悪いにゃ、司令官。コレの分は私が働こう」

「本当に、ごめんにゃさい……。私も頑張りますので、どうか……」

「そう畏まらないで。事実、この二人は休みなんだし、ゆっくりして貰うよ。休みが終わったら働いてもらうけどな」

「有給、使いたい」

「働いたら負けな気がしてきた」

「お前らにゃ……」

「ごめんにゃさい、ごめんにゃさいっ、ごめんにゃさいぃぃ……。もうぅ、初雪ちゃんたらぁ……」


 姉妹艦が庇ってくれているというのに、コタツむりは全く懲りない。
 怒りと諦めを込めた視線が二人へ向き、こちらにはピョコピョコ動く尻尾が。


「……なぁ。長月、磯波」

「にゃんだ? 司令官」

「にゃんでしょう」


 振り向く代わりとして、ゆらーと揺れる尻尾が二本。
 ……ダメだ、もう我慢できん!


「ふひゃ!? へ、変にゃところ触るんじゃにゃい!」

「あぁぁあぁのっ、恥ずかしいですぅ……」


 堪え切れない衝動に任せ、両手で尻尾をむんずと掴む。
 おぉぉ、めっちゃ触り心地が良い。長月のスラッとした尻尾も良いし、途中で折れ曲がってる磯波のカギ尻尾も乙だ。
 生の猫なんて、もう十数年間触ってないはずだけど、こんなに気持ち良かったっけ。
 逃げようとしてる二人には申し訳ないが、もうちょっと堪能したいなぁ。


「司令官さん。にゃにしてるのですか」

「はっ」


 ギクリと、背後からの冷たい声に手が離れる。その隙に、長月と磯波は食器を抱えて逃げ出してしまう。
 振り返った先には、二つの膳を器用に持つ電と、コタツむりへ向けられていたような視線の綾波が居た。
 やべぇ、どう言い訳しようっ?


「いやっ、違うんだ! これはその、つい……」

「……にゃのですか」

「決してやましい気持ちがあったわけでも無くて、純粋な学術的興味が先走ったというか……」

「……にゃのです?」

「ごめんなさいもうしません! 許して下さいぃ!!」

「にゃのですっ」


 必死に言い繕うが、「にゃのです」としか返してくれない“いにゃづま”さん。
 諦めて安い土下座をしてみても、ムスッと荒く吐き捨てられる。
 これは、ガチ切れ寸前の「なのDeath」モードだ。
 こないだのレーベ修羅場ではこれにとても困った。どうにかして誤魔化さないと!


「えっと……。御飯、食べませんか? このままだと冷めてしまいますのでっ」

「そ、そうだなっ。食べよう食べよう! お? おーい! 長良、名取! 五十鈴もこっちこっち!」

「……ふぅ。仕方にゃいのです」

「司令官、さっきぶりですっ」

「お、お邪魔しちゃっていいんでしょうか? にゃんだか変にゃ雰囲気ですけど……」

「だからでしょ、きっと。全くもう……」


 さり気なく差し出された、綾波様の助け。
 迷わずそれに縋り付き、ついでに長良たちも呼び寄せると、弾劾裁判のごとき空気は払拭された。
 五十鈴の「しょうもない……」と言った風な溜め息が痛いけど、土下座しっぱなしよりマシである。
 なんだかんだで、電は自分の隣。右側には綾波と五十鈴、左に長良&名取が腰を下ろし、みんなで「いただきます」と両手を合わせ、やっと朝ご飯だ。

 まずは味噌汁。出汁の香りと味噌が優しく鼻に抜ける。
 主菜のタラには程よく焼き目がつき、塩気が胡麻和えの甘さを引き立て、電チョイスの小鉢はお新香とネギ入り納豆。シャキシャキ&ネバネバ。
 美味しいという他に、感想なんてあるはずがない。猫娘が気になることを除けば、至福の和御膳だった。


「ところで、五十鈴」

「何よ。あ、こっちのヒジキ欲しいの? なら、そっちのお新香と交換よ」

「うむ、取引成立。……ってそうじゃなく、何か気づかないか?」

「え? 気づくって……。いつも通りだと思うんだけど」


 小鉢を交換しながら、日常会話を装って問いかけてみる。
 刻まれた白菜をシャキシャキさせる彼女は、しかし、期待外れな答えを返すばかり。
 それでも諦め切れず、もう一度聞いてみるけれど――


「よぉーく見てくれ。ほら、みんなの顔の横辺りとか」

「……? もう、からかってるの? だからいつも通りじゃない。変な提督ね」


 ――あむ、とご飯を頬張り、会話は切り上げられてしまった。
 猫娘三名を見回すも、幸せそうに銀ダラをモシャモシャ。無言でうなずくだけ。
 やっぱり納得いかんなぁ……。みんなで口裏合わせてんじゃないか……?


「あ」


 ふと、誰も座っていないコタツの一辺を通して、目が合った。
 真正面。テーブル席へ腰掛ける重巡の統制人格――羽黒である。
 ぽー、と箸をくわえ、こっちを見つめていた彼女だが、視線が重なった瞬間、ワタワタ朝食をかき込み始めた。
 怪しい。メッチャ怪しい。逃がしてなるものかよっ。


「待てぃ羽黒」

「ななな、なんですか司令官さん!? ゎわゎゎわたし、妙高姉さんに呼ばれてててて」

「まずは落ち着こうか。ほら深呼吸。吸って、吐いて、吸って、吸って、吸って……」

「は、はい……。すぅ、はぁ、すぅ、すぅぅ、すぅぅぅぅぅ……っけほっ!? えふっ、す、吸いっ放しじゃ死んじゃいますぅ!?」


 そそくさコタツから抜け出し、お盆を手に席を立とうとした羽黒の肩を掴む。
 可哀想になるくらい彼女は怯えていた。普通なら気づくイタズラにも、簡単に引っ掛かってしまう有様だ。
 うむ。慌ててる羽黒は苛め甲斐があるな。ま、それは置いといて。


「羽黒。これからする質問に、 正 直 に 答えて欲しいんだ。いいかい?」

「は、はいぃ……」

「いい子だ。で、だな……。電たちの耳やお尻辺りに、何か妙なもんが見えないか?」

「……っ。え、えぇええっと……あの……」


 やや強引に向かい合わせとなり、逃げられないよう両肩へ手を乗せ、つぶらな瞳を見据える。
 速攻で逸らされたそれは、周囲で座っているはずの仲間に助けを求めるも、エアポケットを避ける航空機みたいに姿を消した。
 巻き込まれたくないのか、それとも口裏合わせがバレるのを嫌がったか。
 どちらにせよ、見捨てられてしまった哀れな重巡は、震える唇で答える他に、選択肢がない。……勝った!


「み、見えない、です。いつも通りだと、思いますっ」

「……本当に?」

「は、はいっ。特に変わったところ、は……」

「本当に?」

「もちろん……です。う、ぅ嘘なんかついてませんっ……よ……」

「 本 当 に ? 」

「あぅ……」


 スッポンのようなしつこさで詰め寄ると、羽黒はいよいよ涙目に。
 勢いづいた自分は、くすぐられたSっ気の赴くまま、彼女を弄りまくる。


「さっき約束してくれたよな? 正 直 に 答えてくれるって。嘘だったらお仕置きしようかと考えてるんだけどもねぇ」

「えっ。……ぉ、お仕置、き?」

「うん。とても口では言えないあんな事やそんな事をね。さぁ、もう一度聞こう。なんか変なもんが見えないか?」

「あぅ、あぅ……」

「どうしたんだい羽黒。冷や汗がヒドイぞ羽黒。目をそらさないで欲しいなぁ羽ぁ黒ぉ!」

「あぅあぅあぅ……」


 一体どんな想像をしているのか、耳まで真っ赤に、食器をカチャカチャ震わせる羽黒。
 あぁ、なんて苛め甲斐のある子なんだろう。
 ちょっとイケナイ気分になって来ましたよ自分。
 本当にお仕置きしちゃいましょうかねぇ、ふっへっへ……。


「……に、にゃにをしているか、貴様は」

「あだっ」

「あっ! 那智姉さん!」


 スコン。軽妙な音と共に、後頭部へ軽い衝撃。
 振り返ってみると、厳めしい顔つきをする那智さんが、クリップボード片手に立っていた。
 当然、耳尻尾付きである。耳と尻尾の先端だけが白い、黒猫仕様だ。


「朝一番から羽黒を口説くとは、にゃんとも元気が良いことだにゃ?」

「違いますよっ、ちょっと質問してたらエスカレートしちゃっただけで……」

「事実がどうであろうと、傍目からすればそうとしか見えにゃいんだ。気を付けにゃいか。風紀が乱れる」

「……すみません」


 ボードが振りかざされ、尻尾も左右にブンブン振れる。
 怒っている……というか怒られているらしいので、とりあえず謝りはするけど……。


「な――ごほん。にゃんだ。私の顔に、にゃにか付いているか?」

「はい。それはもう。おかげで自分、出会ってから初めて、那智さんを可愛いと感じています」

「かっ!? ……つ、つまりそれは、今までそうは思っていにゃかったということだにゃ!?」


 いかんせん、迫力が無い。
 普段なら恐縮してしまうだろうに、怒った顔すら愛でてみたい衝動に駆られる。
 怒鳴り声が御褒美に早変わりとか、恐るべし猫耳尻尾の萌えアピール。思いっきり撫でてぇ。
 と、殊勝な顔のままコッソリ悶える自分へ、那智さんの背中に隠れる羽黒が、ムスッと文句をつけて来た。


「司令官さん、酷いですっ。那智姉さんにだって可愛いところはあるんですよっ?
 ベッド周りが編みぐるみで一杯だったり、新しく来た駆逐艦の子たちへ、それをプレゼントしてたり。
 少し厳しいところもありますけど、皆さんに慕われてるんですからっ」

「羽黒ぉ……」

「あ。……ぁぁあ足柄姉さんの演習準備を手伝いたいので、ししし失礼しますねっ、ごめんなさいっ!」

「待て! よくもバラしてくれたにゃ!?」


 にゃちさん、頬を引きつらせて羽黒をガン見。羽黒さん、逃走。
 本人は精一杯フォローしたつもりなのかも知れないが、実際には隠れた側面を公表しただけ。怒り肩で追いかけるのも仕方ない。
 一人で棒立ちしている訳にもいかないので、自分はのそのそ専用コタツへ戻る。
 すると、箸を止めていたらしい電は尻尾を立て、眉毛の角度も急勾配に。


「司令官さん。お食事中に席を立つにゃんて、お行儀が悪いのです」

「そうですよっ。せっかく鳳翔さんが作ってくれた朝ご飯ですよ? 食べるのにだって集中しにゃいとっ!」

「……にゃんだか、今日の提督は変です」

「いやぁ変なのはみんなの方……」

「それより、みにゃさん。ご飯を食べてしまいしょう。朝礼の時間が近いですし」

「綾波の言う通りよ。早く済ませましょ」

「……う~ん?」


 首をひねるも、みんなは気にせず食事を再開する。
 結局、疑問は解決しなかった。いや、明らかにおかしいんだけど確証がない。
 これは……。下手にこちらから動かないで、行動されるのを待ったほうが良さそうだ。
 そう自分を納得させ、冷めかけた味噌汁をすする。
 晴れない心と裏腹に、カツオ出汁の美味しさだけは、しっかり味蕾を刺激してくれるのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「司令官。次は、この書類をお願いします」

「へーい」

「もう、返事はちゃんとしにゃきゃダメにゃのです!」

「はーい」


 綾波から渡される書類にザッと目を通し、パッと署名捺印して電へ。
 朝礼を終えて、練習航海へ出航するみんなを見送り、執務机に向かうこと数時間。途中、瑞鳳お手製の甘い卵焼き弁当をつっつきながら、ひたすら書類を片付けていた。
 資材運用に関する物もあったのだが……。猫耳モードな電たちがそばに居ても、気が重くなる。
 対双胴棲姫戦へ出撃した二十四隻と、支援艦隊十四隻の燃料。中破してしまった船体を修復するための鋼材。撃ちまくった弾薬の補給に、落とされた航空機の補充用ボーキサイト。
 ここに佐世保への運搬費用も加算すると……いざという時の為に溜め込んでおいた各種資材&余剰運営資金が、スッカラカンになってしまうのだ。


(オマケに“アレ”の準備もしなきゃだから……。人生初の借金も考えないと……)


 桐谷提督から名刺を貰っといたし、「必要とあらば融資しますよ? 無利子無担保で」とも言ってくれたんだ。少しくらい頼ったって……。
 いやいやいやっ。タダより高い物は無し。書記さんと相談しながら、やっぱ自分でなんとかしよう。
 ……よし、これで終わった!


「あぁぁ、机仕事はやっぱ疲れるぅ……」

「ご苦労様でした、にゃのです」

「休憩がてら、お茶にいたしましょうか。お茶請けはにゃにが……あら?」


 開放感から机に突っ伏す。口からは魂でも出そうな感じだ。
 そんな自分を見て、書類をトントン整える電が微笑み、綾波はお茶を淹れようとしてくれるのだが、ドアノブに手をかける直前でノックの音。


「執務中、失礼いたします」

「午後の演習について、確認したいことがあるんだが……」


 声から判断するに、榛名と長門のようだ。
 視線で問う綾波へ頷くと、一歩下がった彼女が「どうぞ」と告げる。
 開くドアから現れたのは、予想通りな二人の姿。


「はるにゃさん、にゃがとさん。ちょうどお茶にしようかと思っていたんです。お二人の分もお持ちしますね?」

「あ、いえ、そんにゃ。どうかお気遣いにゃく」

「でも……」

「長――おっほん。にゃが居するつもりはにゃいんだ、気持ちだけ受け取ろう」


 そう。予想通りの、猫娘たちだった。
 那智さん同様、榛名は黒猫仕様だが、耳の先端が折れ曲がっていて、スコティッシュフォールドっぽい。
 対して、白黒茶色の三毛猫模様な長門。尻尾が磯波と同じカギ尻尾になっている。
 ……もう慣れたつもりだったけど、ヤバいかも。
 初恋補正のある榛名が、ニャー語で喋りつつ猫耳モード。そして、対双胴棲姫戦では勇ましい姿を見せてくれた長門が、落ち着かない様子で耳と団子みたいな尻尾をピクピク。
 新手の精神攻撃じゃなかろうか、これ。


「お疲れ様です、提督。お邪魔ではにゃかったですか?」

「ウン、ダイジョブダYO。ウン、ホンTO」

「……やけに顔が強張っている。そうは見えにゃいぞ」

「ソンナ事ナイSAー。HARUNYA、報告ヨロシKU」

「は、はい。それでは……」


 撫でたい。くすぐりたい。モフりたい。髪の毛に顔面うずめてクンカクンカしたい。
 そんな衝動を堪えているせいだろう。自分の顔は能面になっているようだ。
 微妙に金剛っぽい喋り方にもなってる気がするけど、今はとにかく用事を済ませてもらわないと。


「本日の演習について、最終確認をさせて貰いますね。
 一五〇〇。横須賀鎮守府演習海域にて、桐林艦隊内演習を実施する予定です。
 甲艦隊。足柄さん、にゃがつきさん、曙さん、霞さん、神通さん。旗艦は私、はるにゃが勤めさせて頂きます」

「乙艦隊。羽黒、いそにゃみ、叢雲、満潮、天龍。このにゃがとが旗艦を勤めよう。目標としては、打撃力と雷撃力の向上、といったところか」

「うん、その通り。この間の戦闘で、うちの艦隊にもかなり仲間が増えた。
 大きな戦いがそう何度も続くとは思えないけど、練度にバラつきがあったんじゃ、いざという時に困るからな。
 できるだけローテーションを組んで対応するつもりだから、演習といえども、気を抜かないでくれ」

「了解ですっ。はるにゃ、頑張ります!」

「にゃがと型の真価は火力だけではにゃいと証明しよう。負けるつもりはにゃいさ」


 それぞれに拳を握り、二人の猫艦娘が意気込みを示す。
 仕事モードへ入ったおかげで、なんとか持ち直すことも出来た。
 ちょっと雑談でもしてみるか。


「どうだ、長門。こっちにはもう慣れたか?」

「む? ……そうだ、にゃ。正直、最初は面食らったが、もうにゃれた。いちいち駆逐艦の子たちが寄ってくるのには、困ったものだが……にゃ」

「ふふふ。みにゃさん、憧れがあるんですよ。にゃんと言っても、当時の戦艦の象徴みたいにゃものですから」


 榛名の言葉がくすぐったいらしく、長門は照れ臭そうに鼻の頭をかいている。
 今でこそ、当時の軍艦に関する情報は誰もが閲覧可能だが、戦時中は厳しい情報統制が行われていた。
 時には宇宙戦艦にすらなった大和も、当時の人々にはあまり親しみがなく、代わりに人気を集めたのが長門だったのだ。
 もちろん金剛や比叡も知られていたけれど、抜きん出ているのはやはり……といった感じである。


「にゃのです。それに、いにゃづまは背が低いから、にゃがとさんが羨ましいのです」

「そうか? 無駄に身長があるだけで、いにゃづまの方がよほど可愛らしいと思うのだが……」

「ありがとうございます、にゃのです。……でも、いにゃづまはやっぱり、にゃがとさんたちみたいに、綺麗にゃおとにゃの人に、にゃりたいのです」

「……そう、か。まぁ、せっかく褒められているのだ。ありがたく受け取ろう」

「にゃがとさん、ほっぺたが赤くにゃってますよ?」

「こら、あやにゃみ。からかうにゃ」


 本日の秘書官たちも、そんな長門のことを好ましく思っているみたいで、出会って二週間ほどなのに親しげだ。
 いや、今日は特別だろうか? 常に背筋を正し、凛とした気高さを見せる彼女だって、ニャー語では威厳もへったくれもない。
 たぶん、何かの目的があってあんな格好してるんだろうが、これをきっかけに、もっと打ち解けてくれると良いんだけど。


「……あら? 提督、にゃにか聞こえませんか?」

「ん? そうか? ……あ、ホントだ」


 和やかな雰囲気が漂う中、ふいに榛名が窓の向こうへ意識を向ける。
 自分もそれに続いてみると、確かに聞こえた。
 にゃー。という、かすかな鳴き声が。


「あの、司令官」

「分かってる、綾波。皆まで言うな。散歩ついでに様子を見に行こうか」

「にゃのですっ」

「はるにゃもお供いたします」

「乗り掛かった船だ、私も行こう」


 心配そうな顔をする綾波に笑いかけ、五人で執務室を後に。
 庁舎の外へ出ると、鳴き声はより明瞭に聞こえてくる。
 それに導かれるよう、日の当たらない、物陰となった一角に足を踏み入れると――


「にゃーん、にゃあーん! こぉんにゃに可愛い“にゃかちゃん”にゃのに、にゃぜか捨てられちゃったにゃーん! 誰か、優しい人が拾ってくれにゃいかにゃー☆」


 ――でっかいダンボールに入って、これでもかと存在をアピールしまくる猫娘那珂と、その隣で「にゃー」と鳴く、本物の子猫が居た。
 何してんだよ、君。一目見ただけでもう、全ての事情が把握できちゃったじゃないか。


「にゃ、にゃんということでしょー。こんにゃ所に捨て猫がー」

「た、大変にゃのですー。可哀想にゃのですー」

「ひ、酷いことをする人が居るんですねー。はるにゃ、かにゃしいですー」

「ま、まったく、鬼畜の所業だー。見つけだして懲らしめにゃいとにゃー」


 そしてそこの四人。さっきまでの自然なニャー語はどうした。
 何故ここぞという時に棒読みになるのさ。見ているこっちが恥ずかしいわ。
 しかしまぁ、期待されている行動は理解できる。応えてあげるとしますかね。


「……言いたいことは多々あるが、とりあえず置いておこう。まずは保護しないとな」

「わーい、提督やっさしー! 流石はにゃかちゃんの――」

「おー、慣れてるなー。まだ一~二ヶ月ってとこか?」

「――って、にゃんでそっちに行っちゃうのぉ!?」


 そんな訳で、さっそく子猫を抱き上げてみるのだが、ずいぶん大人しい。
 鼻の上辺りから胸元までが白く、他は真っ黒。瞳は綺麗なアイビーだ。
 なんか騒がしい猫娘は知らん。


「ほ、ほらほら、とぉっても可愛い子猫ちゃんが、すぐ側にもう一匹居ますよー? にゃーん☆」

「あぁはいはい可愛い可愛い。ん、なんだ。噛むか、噛むのかこのやろー。全然痛くないぞー」

「反応がぞんざいだよぅ! にゃかちゃん、お小遣い全部使って猫耳尻尾を用意したのにぃ!?」


 子猫に指を甘噛みさせていると、わずかに先端が反り返った茶色い猫耳を取り落とし、那珂が地面へ崩れ落ちる。
 どうやら、耳をおおうタイプのパーティーグッズだったようだ。
 尻尾はおそらく腰へ巻きつけ、スカートに穴でも開けたんだろう。デフォ衣装ならそこらへん自由自在だし。
 声のトーンなどに反応して、本物のように動く最新式。かなり高いはずだぞ、これ。


「朝から妙だとは思ってたけど、その格好は猫を拾わせるためだったんだな?」

「……はい、そうにゃのです」

「あやにゃみさん――いえ、綾波さんが少し前に、宿舎の物陰でその子を見つけて……」

「周囲に親の姿を探してみたんだが、それらしい親猫はいにゃ――おっほん。居なくてな」

「それでねー。にゃかちゃんがみんにゃに頼んで、一芝居打って貰ったの! 潜在的ににゃんこ成分を求めてるんだって勘違いして貰えば、スムーズに行くかにゃーって」

「だったらなんで張り合おうとしたんだ君は」

「アイドルの意地です! たとえにゃんこが相手でも、可愛らしさでは負けられにゃいもん☆」

「あ、そうですか」


 もはや隠す必要もなく、猫娘たちが耳尻尾を外しつつ、口々に事情を説明してくれた。
 あざといポーズのにゃか @ まだ猫娘は放っとくとして、事の発端である綾波は、実に申し訳なさそうな顔で頭を下げる。


「回りくどい事をして、ごめんなさい。でも、司令官に隠し事を続けるなんて、いけないと思って……。
 お世話は綾波がちゃんとします。ご飯に掛かるお金とかも、お小遣いから遣り繰りするつもりですっ。だ、だから……!」


 一生懸命に懇願する彼女の目は、痛切な感情で潤む。
 周囲のみんなも……。ウザい頻度でウィンクする那珂からも、期待の眼差しが向けられる。
 どう答えるのかなんて決まっているけど、一応、熟考するふりをしてみる。
 一分ほど経過し、綾波の固唾を飲む音が聞こえた頃。自分はようやく、震える肩を叩いた。


「構わないよ。もうヨシフが居るんだし、猫が一匹増えたくらいで、困ったりなんかしないさ」

「えっ。ほ、本当ですか!?」

「本当も何も、最初から言ってくれれば良かったのに。断る理由も無いんだから」

「で、でも、司令官は猫が嫌いだって……」

「は? 別に嫌いじゃないけど。どこからの情報だ、それ」


 てっきり喜んでくれるかと思ったのに、綾波は肩透かしを食らったような顔。
 その口から語られたデタラメ情報を聞き、今度は自分が眉を寄せてしまう。
 と、視界の端に居た那珂が、「あ、あっれぇ?」なんて言いながら可愛さアピールを止めた。


「だ、だって前に、野良ちゃんが実家の鶏舎を引っ掻き回して、大変にゃ思いをしたって聞いた……のに?」

「あぁ、あれか。確かに大変だったけど、あの猫だって生きるのに必死だったわけだし、嫌いにはならないよ。親父と母さんは流石に嫌ってるけど」

「……そうにゃんだー」


 いつだったか、ヨシフを飼っても良いかと暁・響に聞かれた時、動物に関する思い出話をした気がする。
 ひょっとすると、それが伝言ゲームで変化しちゃったのか?


「……それって、つまり……?」

「私たちが恥ずかしい思いをする必要など、無かったという事だな」

「そうみたい、ですね……。榛名は、嫌ではありませんでしたけど……」

「あ、あはは。にゃかちゃん勘違いしちゃった! めーんご☆」


 電、長門、榛名から見つめられ、テヘペロしちゃう那珂さん。
 ハッキリ言うとウザい。傷付くだろうから面と向かっては言わないけど、ウザい。見た目はかなり可愛いはずなんだけど、こういう時はウザくて仕方ない。
 ……構うと調子乗るだろうし、大人しく抱っこされてる子猫に戻ろう。


「ふーむ、お前はオスかー。……オスか。オスカー。よし、名前はオスカーにしよう! 縁起も良いし!」

「えぇ!? し、司令官っ?」

「安直なのです、物凄く安直なのです!?」

「良いじゃないか。昔ドイツに居た幸運の黒猫と同じ名前だぞ? 毛並みも似てるし、何よりかっこいいだろ。なぁオスカー?」


 にゃー。
 降って湧いた名案に、子猫ことオスカーは元気な一鳴き。
 榛名や長門は、「もっと可愛い名前の方が……」「そ、そうだっ。ええと……く、黒助とか」などと反対意見を言ってくるが、そっちには反応無し。
 うむうむ。お前は分かってるな。桐ヶ森提督に教わった、ドイツの戦艦・ビスマルクの幸運の黒猫。明るい未来を運んで来てくれると信じよう。


「さてと。この分だと飼う用意はしてあるんだろ? 一旦宿舎に帰って、預けてこなきゃ――」

「そうは多摩屋が卸さないにゃあぁぁあああ!!」

「な?」


 場を仕切り直し、連れ立って宿舎へ戻ろうと歩き出した途端、近くのヤブから少女が飛び出して来る。
 まるで花火大会みたいな叫びを発したのは、そういえばにゃんこ作戦なんだから居ても良かっただろう、多摩だった。


「みんなヒドいにゃ! 寄って集って多摩のアイデンティティーを奪いに来るなんて……。イジメにゃ、虐待にゃっ、言葉の暴力にゃあぁぁあああっ!」

「ち、違うんですよ多摩さんっ。綾波、そんなつもりじゃなくて……」

「そうなのですっ。電たちは猫ちゃんのために……」

「だったらぬぁんで独居房なんかに閉じ込めたにゃ!? 生の猫に走るだなんて、どういうことにゃー!!」

「く、一歩遅かったか。そういう反応すると思われたからだろう、落ち着け姉二番っ」


 綾波たちの釈明もなんのその。滂沱と涙を垂れ流し、葉っぱまみれの髪も振り乱す多摩。
 どこからともなく木曾まで現れ、あっという間に混沌とした空気へ変化してしまった。
 独居房ってアレか。先輩が閉じ込められてたって奴か。この反応じゃ致し方ないかぁ……。


「あの、木曾さん? まさか、金剛お姉さまも脱走してしまったんですか?

「いいや。金剛も大暴れしてるんだが、なんとか押さえ込んだ。しかし、その隙を突かれてな……」

「おいおい。金剛まで閉じ込めてんの?」

「仕方ないだろう。彼女は提督へ懸想している。言いたくはないが、自己主張が強過ぎて邪魔にしかならんよ」

「絶好のアピールチャンスだもんねー。金剛さんにはぁ……これ! ブリティッシュショートヘアの茶色バージョンが似合うと思うにゃ!」


 出会って間もない長門すらこの対応である。
 確かに金剛なら、「さぁ、CATなワタシを思うぞんぶん撫でくりまわしてくっだサーイ!」とか言いそうだけどさ。
 個人的には少しだけ見てみたかったような気もする不思議。


「とにかく、新しい猫を飼うなんて許さないにゃっ。猫は一匹で良いにゃ……。艦隊の猫の座は譲らないにゃ! ふしゃー!!」


 そんなこんなで、多摩はオスカーを前に威嚇行動を取っている。
 髪の毛もブワッと逆立ち、闘争本能むき出しだ。
 うかつに近寄れば猫パンチを食らいそうだし、皆、慎重に様子を伺っていた。


「……どうしたもんかな、これ」

「ふぅ……。仕方ねぇ、こいつを使ってくれ。念のために持ってきた」


 打開策を見出そうと考えを巡らせていたら、木曾はため息と共にある物を差し出した。
 長さ三十cmほどの、棒切れだ。
 一見、ごく普通な国産RPG最弱装備にも見えるが、多摩にとっては最終兵器になり得るか。いけるかも知れない。
 意を決して、自分はファイティングポーズを保つ少女へ歩み寄り――


「おーい、多摩ー?」

「なんだにゃ!? たとえ相手が子猫や提督でも、多摩は容赦しない――」

「ほれ、マタタビの原木」

「にゃあぁああん♪」


 ――さり気なく棒切れを押し付ける。
 その刹那、八重歯を剥く多摩の表情は、雪のごとく溶けてしまった。
 しきりにマタタビへ頬擦り。最終的に地面へ崩れ落ちていく。
 効果はてきめんだ!


「ほれほれー。これが欲しかったんだろう、この欲張りめー」

「にゃ、あぁ、違う、にゃあん。これは、本能的な、行動にゃ……。多摩の、多摩の本意ではない、にゃあぁ」

「ふっはっは。ここか、ここが良えのんかー」

「にゃ、ふん……。そこはダメ、にゃ……。ダメになってしまう、にゃあぁああぁぁぁ」


 棒切れで額をショリショリ。指で顎をスリスリ。耳の裏側までくすぐられ。ついでにオスカーも寄って行き、二匹仲良く腰砕けだ。
 猫じゃないとか言う癖に、やっぱ好きなんじゃないか、このダブスタ娘め。
 恥ずかしい姿を晒して反省するがいい。


「よし、悪は去った! これにて一件落着っ。さぁみんな、宿舎に戻ろ……う?」


 荒い呼吸を繰り返し、多摩は虚脱状態へ陥っている。
 この分なら、オスカー飼育も強引に既成事実化できそうだし、丸ごとお持ち帰りしてしまおう。
 そう考え、ぐでー、となった少女&黒猫を小脇に抱えるのだが、近くにいたはずのみんなは、なぜか微妙な距離を取っていた。


「ごめんなさい……。ちょっと、近寄って欲しくない、です……」

「誘拐の現場を目撃しているようで、身の危険を感じるな……」

「えっ。い、いやっ、君たちにこんな事するわけ無いじゃないか! その、これは防衛手段であってね?」

「それは分かってるが、どうにも顔付きがな。かつてないほど生き生きしてたぞ、指揮官」

「う、嘘ぉ……」


 綾波を始め、長門、木曾が後ずさる。
 女の子にイタズラし、グッタリしたところをお持ち帰り。傍目から見れば、確かに誘拐犯だった。
 なんて事だ……。ナチュラルに犯罪行為を誘発するだなんて、恐るべし猫耳尻尾! 責任転嫁とか言わないで!


「……あれ、電?」

「………………」


 思わず多摩を落っことしそうになり、慌てて地面へ横たえるのだが、落ち込む自分のそばに電が立っていた。
 しかも、一旦は外した耳尻尾を再装着して。


「ど、どうした。そんなピッタリくっついて」

「……い、いにゃづま、にゃのです」

「はい?」

「にゃ、にゃのです!」


 ピタっと身体を横付け、こちらの足には茶色い尻尾が巻きつく。顔はほんのり赤く、瞳が上目遣いに見つめて。
 期待。嫉妬。羞恥心。
 色んな感情が見て取れるそれのせいで、自分は金縛りにかかってしまう。
 ど、どうしろってぇのさ。撫でろと? 構えと? 長門木曾綾波の刺すような視線の中で?
 流石にそれは、無理じゃないかなー。


「にゃ……ので、す……」

「ぁああ分かった、分かったからっ。こ、こんな感じ、か?」


 ――と、思ったのも一瞬。
 沈黙に耐えきれなくなったか、涙目でプルプルし始めた電をなだめるため、すぐさま座り込む。
 そして、恐る恐る頭へ手を伸ばし、耳から顎へとゆっくり下げていく。


「にゃ、ん……。司令官、さん……。んにゃ……」


 くすぐったそうに目を細め、耳の辺りで身体をピクリと揺らし、うっとりと手の平へ頬擦りする電。
 ガラガラガラ、と。何かが崩れていく音が聞こえた。
 ……なんで自分、辛い思いをしてまで、色んなこと我慢してるんだろう。
 社会的な倫理観さえ無視しちゃえば、金剛が邪魔しにくるくらいで、他に何も問題ないと思うんだ?
 こんだけ甘えてくるって事は、きっと両想いなはずだし。じゃなかったら首くくる。
 いっそこのまま、どこか人目のない小部屋にでも連れ込んじゃおうかな……。もうゴールインしても良いよね……。


「あの、提督」

「はいすみませんっ、違うんです榛名さん!?」

「あ、もう終わり、にゃのですか……」


 反射的に直立。謝罪の言葉を叫ぶ。
 今のはちょっと――かなりマズかった。倫理観を無視しちゃイカンよ、無視しちゃ。
 それに、“そういう事”をしたがってるって憲兵さんにでもバレたら、無理やり普通の女性と結婚させられる。んなの勘弁だ。
 とりあえず、寂しそうな顔してる電は撫で続けるとして、止めてくれた榛名にも言い訳……じゃない、お礼言っとかないと。


「いやいや、いかがわしく見えるかも知れないけど、自分は電の望みを叶えてるだけで……なんでまた猫耳つけてるんですか。てか近い……」

「榛名じゃ、ありません。は、はるにゃですっ」


 電の耳をくすぐりながら振り返ると、猫娘に戻った榛名が、やけに近い位置で胸を張った。
 え? 君も? そ、そんなおねだりされるほど、好感度高かったっけ?


「おい、どうする。行った方が良いんじゃないのか? 二人共」

「また“これ”を付けろと言うのか!? わ、私は戦艦であってだな……!」

「でも、司令官の機嫌は損ねない方が……。せっかくオスカーちゃんのことも許してもらえたんですし……」

「コラそこの三名。人の事なんだと思っとるんじゃい」


 もう飼うって決めたんだから反故になんかするか!
 生贄を差し出すような顔するなよ、自分だって傷つくんだぞ!?


「あのー、あやにゃみちゃん? 司令官との話し合いはどうにゃったのー?」

「連絡がにゃいから、心配で……」

「にゃんだ。今度はにゃらべば良いのか?」

「……ふんっ。別にあたしは、ま、またにゃでて欲しいとか、思ってにゃいんだから。仕方にゃくにゃんだからねっ」

「……はぁぁ。今日ほど私のにゃ前を呪ったことはにゃい……」

「ううう、猫ちゃんのためにゃのは分かってますけど、やっぱり恥ずかしい、です……。この職場、ブラックですぅ」


 食堂で別れたきりの猫娘たちまで合流し、はるにゃの後ろには長蛇の列が生まれてしまった。
 コスプレ少女に連れれてか、遠くから「また何かやってるよ」「見物しとくか」「通報の準備だけしておかなきゃな」と、野次馬の声まで。
 人通りの少ない物陰で、猫耳少女を撫で回す男。もし誰かに見られたら、即御用レベルである。
 冷や汗が背中を濡らす。


「ヤバい、人が来る。今すぐ逃げないと!? 長門、綾波っ、多摩とオスカーを頼む! この場を脱出するぞ!」

「む、了解した」

「はいですっ。オスカーちゃんは、綾波が守ります!」

「あっ、そんにゃ……。はるにゃでは、はるにゃでは駄目にゃんですか、提督っ」

「後で好きなだけ撫で回してやるから、今は従えっ。行くぞ電!」

「にゃ……にゃ!? し、司令官さん!?」

「総員撤退ぃー!」


 相変わらず左腕へ巻きつく電を、無理やりお姫様抱っこ。
 自分は仲間たちと共に、風評被害を避けるべく、遁走を開始するのだった。
 猫一匹を住まわせるだけで、とんでもない事になったもんである。
 けど、この馬鹿騒ぎが、自分たちのいつも通りなんだよなぁ……。
 ……あれ。
 猫耳少女を引き連れて全力疾走とか、どっちにしろ通報もんじゃね?





「Jeeeeesus! なんで私の名前には“な”が入ってないノ!? テートクに媚びをSellするChanseなのにぃ! ここから出すデ~ス!!」

「狭い所に押し込んでしまって、申し訳ないです姉さま。比叡も姉さまの猫耳姿、見てみたかったです……。という訳で、代わりにわたしが!」

「まぁ、出たら騒ぎが拡大すること間違いなしですから。仕方ありません。はい、チェックです。チェスも面白い物ですね」

「また負けたクマー!? マジで強過ぎだクマー!」

「なんで私、また監視員の仕事なんかしてるんだろ……。転職しよっかな……」










《閑話 勝敗の天秤》




 今度は、少々時間を巻き戻し。
 南海での激戦が幕を下ろしてから、まだ数刻しか経過していなかった頃合い。


『……梁島提督。今回の戦い、どう思われますか』

『どう、とは?』


 完全に日が昇った海に、南下する艦隊があった。
 長良型軽巡洋艦、鬼怒きぬ阿武隈あぶくま。綾波型駆逐艦、おぼろうしお。利根型重巡洋艦、利根・筑摩で構成された、兵藤戦隊。
 阿賀野型軽巡洋艦、矢矧やはぎ酒匂さかわ。潜水艦、伊号五○二・五○三・五○四。潜水母艦、大鯨たいげいで構成される、梁島戦隊。
 これら、二つの戦隊が組み合わされた艦隊である。
 偵察機をあげる大鯨を中心として、周囲を重巡・軽巡が固め、潜水艦と駆逐艦が大きく先行する陣形を取っている。


『決まってるじゃありませんか。キスカ・タイプの事ですよ』

『……なんとも言えん。まだ情報が足りなさ過ぎる』


 その十二隻を使役する能力者たちは、順調な航海にも気を抜くことなく、しかし、慣れた様子で通信していた。
 調整士を使用せず、単独で増幅機器の操作などを行いながら、である。
 双璧とも称される彼らにとって、今回の任務――撃破されたキスカ・タイプの残骸調査も、気負わずにこなせる任務だった。
 当人からすれば心外かもしれないが、未来の日本海軍を支えるのはこの二人である、と目されてもいる。
 性格などの相性を度外視しても、能力的な相性は最高なのだ。
 高い傀儡艦の練度。調整士無しで同調可能な思考制御能力。
 “桐”のような特殊技能を持たずして、戦場で組めば比類なき戦果をもたらすことで有名であった。これも心外であろうが。


『桐谷提督と同様に、桐ヶ森提督が侵食を受けたようですけど』

『問題ないだろう。彼女は強い。肉体的にも、精神的にも。天才というのは、あの娘のような存在を言うのだろうな』

『ですねぇ。オマケに若くてピッチピチ。羨ましいったらありゃしない。ケッ』

『若さへの嫉妬か。見苦しいな』

『喧嘩売ってますぅ? 言い値で買いまっせ、この鉄仮面提督』


 そんな二人のうち、悪名で名が売れている方である兵藤――原因は察して頂きたい――が話題にあげるのは、数少ない女性能力者の同僚である、“飛燕”のこと。
 密かに暖機を切り上げて出航しようする、桐林の長門型を護衛したりと忙しかったため、余計な口を挟みはしなかったが、あの戦い、兵藤と梁島もリアルタイムで見ていた。
 対抗作戦のことごとくを打ち破る巨大双胴船や、“桐”の連合艦隊。可視化した敵 統制人格と、それを原因とする混乱も。
 梁島にとっては三文芝居以下の、滑稽な問答であったが、収穫も多い。
 キスカ・タイプが持つ捕食・模倣機構。記録されない“歌”。土壇場で行われる精神汚染。行動パターンを導き出すには少ないけれど、サンプルとして非常に貴重なものばかり。
 これから行う調査で、残骸の一片か、敵 統制人格が纏っていた粘液を一部でも回収できれば、尚のこと研究は進むだろう。


『奴が気にかかるか』

『はい?』

『桐林だ。あの様子では、奴も桐ヶ森同様、侵食を受けたように思える』


 しかし、兵藤の気掛かりは別にあると、梁島はみていた。
 桐ヶ森が意識を沈ませる直前、彼のバイタルは異常な乱れを刻んだ。
 言動を加味すれば、同様に精神汚染を受けたと考えるのが道理である。おそらく、吉田中将も気づいているはず。
 戦闘が終わってから、兵藤の口数も増えている。
 梁島へ話しかけないといけないくらいに、気が動転しているという証拠であった。
 嫌われている自覚のある本人がそう思うのだ。間違いない。


『そりゃあ心配ですよ。愛弟子ですからね。許されるなら、取るものも置いて駆けつけたいです』


 兵藤も否定しなかった。
 師弟の情。梁島自身、恩義を感じる師を持つゆえ、馬鹿にはしない。
 捨てようとしても、捨てられないものはある。
 むしろ、捨てたくないと思ってしまうものの方が、よほど。皮肉な笑みが浮かぶ。


『それだけ、か?』

『……どういう意味でしょう』

『兵藤。お前が奴を気にかけるのは、終わりの見えない戦いへ巻き込んだからか』


 今度は、息を飲む音が聞こえた。
 馬鹿にはしないが、それだけだとも信じられない程度に、梁島の心は素直さを失っている。
 兵藤のセクハラも、男性へと向けられたのは彼が初めて。
 それまでは女性限定であり、周囲の男を喜ばせるためにやっているような、そんな節があった。
 周囲の人間は、「ようやく男に興味を持ったか」と安堵のため息を漏らしていたが、違う。
 本当の理由はそこにないと、梁島は直感している。


『それもあります。でも、それだけじゃありません』

『だろうな』


 これも兵藤は否定せず、梁島も平然と受け止める。
 引き換えとして、会話は途切れてしまった。これ以上は聞き出せないだろう。
 無理に聞こうとしたところで、「乙女心は複雑なんですー。そんなんだから四十近くなっても独身なんですよーだ」などと、はぐらかされるのが想像できた。
 藪をつつく事もないだろうと考え、沈黙が続く。
 そんな時、秘匿回線からの雑音に、梁島の鼓膜が揺れた。


『――ッ――ちら、――です。聞こえますか?』

「聞こえている。どうした、通信が乱れているぞ」

『申し訳ありません、現在、移動中でして……』

『ぅあ……。う……』


 途切れ途切れな少女の声と混ざり、若い男性のうめき声。
 先ほどから話題に上がっていた彼である。
 通信を切りかえる梁島の顔が、露骨に歪んだ。


「そいつの側から連絡するなと、きつく言っておいたはずだが」

『は、はい。覚えています。しかし、急を要する場合は除く、との事でしたので……。
 桐林提督の体調が、おもわしくありません。
 突然睡魔に襲われたとのことで、こちらからの呼びかけにも反応が鈍くなっています。この会話も聞こえていない様子で……』

「ふん……」


 どうやら肩でも貸しているらしく、少女の息は荒い。
 精神汚染後の容態急変。普通であれば慌てようものだが、しかし、そのために講じている策もあった。


「“アレ”に変化は見られるか」

『……いいえ、特には』

「ならば大した事ではない。疲労しただけだろう、放っておけ」

『それは……はい……』


 試しに問いかけてみれば、案の定。“まだ”早過ぎるのだ。
 違うのなら、彼の体調などはどうでも良く、倦厭を言葉に乗せる梁島。
 だが、少女は随分と心配性になってしまったようで、更に食い下がった。


『一つ、よろしいでしょうか』

「手短にな」

『……“これ”は一体、なんなのでしょうか。本当に問題はないのでしょうか。どう見ても、ただの……』

「お前が気にすることではない。説明したところで理解もできん。お前はただそれを持ち、その男に仕える事だけを考えていればいい」


 梁島に持たされた“ある物”を、信じきれないのだろう。
 不安そうな少女だったが、無慈悲に切って捨てる梁島の言葉で、何も言えなくなってしまった。
 彼女の行っていることは大半が次善策であり、真に重大な事柄は、梁島が自分で行うと決めている。
 事が動くとしたら、それは時代のうねりを伴う。いざという時は即座に肉薄。自ら手を下す覚悟だ。
 その気概が伝わったか、期待するだけ無駄だと悟ったのか。気落ちしたような声で、少女が通信を切ろうとする。


『……はい。それでは、失礼いたし――』

『もう……ダメ、だ……我慢でき……』

『えっ。あ、提督――きゃ!?』

「おい。どうした」

『い、いいえっ、なんでもありませ――んぁっ。ちょっと、そこは駄目で……』


 ――けれど、再び彼の声が紛れ込み、何かがもつれあって倒れる音。最後に、艶を帯びた嬌声で締めくくる事になってしまう。
 無音。
 兵藤からの通信を示すアイコンが、どうしてだか、やけに不愉快だった。


『梁島提督。梁島提督? ……おーい、やなっしー? 聞こえてますー?』

『妙な呼び方をするな。貴様に馴れ馴れしくされると怖気が走る』

『……なんか急に怒ってません? 八つ当たりですか? パワハラですか? 中将に言っちゃいますよ?』

『知らん。もう話しかけるな』

『んなこと言われたって、もうすぐ作戦海域なんですけどー。ヤムニちゃんとかリーニちゃん、ルイちゃんも潜水しといた方がいいんでは?』

『………………ちっ』

『あっ、舌打ちとか酷っ。私だってたまには傷つくんだぞぉー!?』


 わざと聞こえるように舌打ちをして、梁島は意識を切り替える。
 確かに、先行する偵察機の視界は、海面で漂う船の残骸を見つけ始めていた。
 潜水しておけば、沈み始めた断片を回収可能な場合もあるのだ。破廉恥な小僧のことは置いておこう。
 ちなみに、兵藤の呼んだ名は、梁島が使役する潜水艦の別名である。
 終戦間際に日本海軍が接収した、元外国籍潜水艦であり、五○二はドイツのU-862、五○三・五○四はイタリアのコマンダンテ・カッペリーニ、ルイージ・トレッリが元の名前だった。
 それぞれ、数奇な運命を辿った船なのだが、ここでは省かせて頂く。

 兵藤の朧、潮。梁島の五○二・五○三・五○四。
 五角形を描いていた船のうち、三角に位置する潜水艦たちが急速潜行を開始した。
 果てしない空とは趣の違う、どこまでも深い青の世界。波立つ水面を通して降る光は、雲間から差し込んでいるようだった。
 残る駆逐艦も、回収用の内火艇うちびていを降ろす準備を進める。


『こちら兵藤。交戦海域へ到達。キスカ・タイプの残骸回収を始め――うぉ眩しっ!?』

『なんだっ』


 水底から昇る、光の奔流。
 海も空も、まとめて白く染め上げた閃光に、梁島たちの視界が奪われる。
 耐性があるはずの統制人格ですら、数秒間は目がくらむ。
 視力を取り戻す頃には、状況は一変していた。
 駆逐艦。軽巡。重巡。潜水艦。空母。
 その他もろもろ、様々な種類の軍艦が、まばたきの間にひしめいていたのだ。


『……ど、どーしましょー、これ』

『どうもこうもあるか。連絡だけして、出来るだけ曳航するしかあるまい』


 目算でも三十は越える数に、兵藤は声を引きつらせ、梁島が大きくため息をつく。
 漂っていたはずの残骸が消えている。
 おそらく、この海域にはもう何も残っていないだろう。ならせめて、戦利品くらいは確保しなければならない。


(最後まで先手を取られたか。あの二人の記憶に期待するしかないな……。忌々しい)


 対外的には大勝利と公表されるだろう、この戦い。
 しかし梁島に言わせると、翻弄され続けたうえで譲られた勝ちであった。
 全くこの世界は、予定外のことばかりである。










《こぼれ話 神様が死んだ日》





『――だぁああっ! ちが、そうじゃない、違うだろ空気読めよぉおおぉぉおおおっ!!』


 人気の少ない乾ドックで、壮絶な叫びが響き渡った。
 あまりに唐突だったからだろう。目の前の少女――長門は繋いでいた手を離し、驚きに肩を跳ねさせる。


「な、なんだ、一体。わ、私は、その……。お呼びでは、なかったのだろうか……?」

「いやいやいや大丈夫だから! 今の自分じゃないから、安心してくれ」

「ちょっと、ダメじゃないですか間桐提督。驚いちゃってますよ、彼女」

『だって……。だってぇ……っ。だってよおおおぉぉおおぉ……』


 声の主であるところの棒人間――間桐提督は、ハンカチを噛み締めながら、涙の海でラッコ状態。本っ当にパターン豊富でございますね。
 しかし、んなこたぁどうでもいい。長門を落ち着かせないと。


「まぁ、アレは気にしないでおこう。改めまして、よく来てくれた。歓迎する」

「……良かった。てっきり邪魔者になってしまったかと。私が戦艦、長門の現し身だ。こちらこそ、よろしく頼むぞ」


 ホッと胸をなで下ろす黒髪ロングな少女が、再び手を差し出してくれる。
 握り返しつつ、改めて彼女を観察してみると、今までの例に漏れず、美少女なのがよく分かった。
 身長は自分より少し低いくらいだから、百七十くらい。
 腰まで届く長い黒髪が艶やかで、赤茶色の瞳は、柔らかくも凛々しい印象を与える。
 スラッと伸びた脚は赤のハイソックスで包まれ、白いミニスカとの間に絶対領域を構築。
 指抜きグローブと一体化した皮の防具が、細い腕を二の腕まで守っていた。
 ……ここまでは良いのだが。


(妙に露出度が高いな、この子。脇とかヘソとか丸見えなんですけど? 島風に通じるものを感じる……)


 上半身を包む、白の和装。
 一見、効率良く身体を守っているように……見えねぇわやっぱ。
 なぜか男前――左の襟を前に合わせる着方になっているのだが、それは胸を覆っているだけ。
 肩も脇も剥き出しであり、裾は胴回りで絞られているため、おヘソが丸見え。背中もほとんど出ちゃってるんじゃなかろうか。
 武人然とした、落ち着きのある喋り口とのギャップが凄い。


「で、そちらの女性はどういった方だろう? 説明してもらえると助かるのだが……」

「あぁ、兵藤提督といって、自分の先達に当たる人だよ。立会人みたいなものかな」

「やぁやぁ初めまして。兵藤凛と申します。よろしく長門くん」

「そうでしたか。不躾な物言い、どうかご容赦を」

「ふふふ、堅苦しい言葉遣いをしないでおくれよ。私はそういうのに興味ないから、もっと気楽に、ね?」

「……では、お言葉に甘よう」


 加えて、長門は疑うという事を知らないらしい。
 ざっくばらんな上官っぽい対応をしている先輩だけど、黒目がちな瞳の奥が爛々と輝いている。
 察するに、「なんと完璧にムダ毛処理された脇だろうかっ。舐めたい!」とか考えてるんだろう。
 予想できてしまう自分もアレだが、外面だけは完璧に取り繕える先輩だって、相当ヒドい思います。


「さてさてさて。普段なら、このまま談笑にもつれ込んでも良いんだけど、ちょっと今は立て込んでいてね。次の励起に取り掛かろう」

「そうですね。というわけだ、すぐ妹に会えるぞ、長門」

「ほう? なるほど、よく見れば陸奥も隣に居たか。見かけ以上の器量持ちのようだな、私の提督は」

「ははは、どうなんだろうな。君に見合う自信は、あまりないんだけど」

「む。それは困るぞ? この長門を預かるのだ。相応の男でなければな」


 自らの船体を振り返り、その隣……と言いつつ何十mも離れているが、そこで鎮座する姉妹艦、陸奥の姿を確認。長門は腕組みをし、横へ並ぶこちらを見上げた。
 左右非対称の、不敵な笑み。侮られているというよりは、期待されているように感じる。
 日本が世界に誇ったビッグセブン。色々なことが重なって主となったけれど、真に相応しい男なんて、この世に数えるほどしか居ないだろう。
 例えば、すぐそこにも長門を使役する人物がいる訳だが……。


「ほら、間桐提督。そろそろ復活してくださいよ。次、陸奥の励起ですよ~」

『……おう。そうだな、まだ陸奥がいるもんな! 可能性は捨てちゃいけネェ、一%でも確率があるなら、諦めないのが男ってもんよ!』

「相応の男って、あんな感じに?」

「……う、う~ん? いや、何かが致命的に違うような……。というかアレは……?」


 セリフは格好良いはずが、動機が不純すぎる棒人間さんとか。
 なぜか断崖絶壁で「もう何も怖くない」的に立ち、砕ける波濤の飛沫を浴びていた。輝く十六条旭日が背景だ。
 パパラパッパパーンという効果音を聞き、長門も首を傾げている。
 ……もう何も言うまい。


『ほれほれ、こっちの準備は整ってっぞ。早く呼べ。さっさと呼べ。速やかに呼べ。そして俺を喜ばせろ! お前の絶望でなぁ!!』

「あっはっは、間桐提督~、まるで悪役みたいな台詞~。しかも中ボス的な」

『いいんだよ! 世界のたゆんたゆんは全て俺のモンじゃああ!』


 足取り軽い先輩に運ばれるPC画面は、原っぱでスキップする棒人間を映す。
 仕方なくその後を追い、またカートに乗って移動するけれど、隣で座る長門はチラチラ様子を伺い続けている。もちろん棒人間を、である。
 この場で説明することも可能だが、「君の同名艦を使役する、日本最強のおっぱい星人だよ」なんて言ったら、連携に支障をきたすかも知れない。困ったもんだ。とか考えている内に陸奥の側へ来ちゃうし。
 カートを降りたら降りたで、画面内の棒人間が「巨乳だけは許さない」と書かれた馬鹿デカいフリップを掲げて催促している。
 いちいち反応するのも面倒臭い。早いとこ励起しちゃおう。


「来い、陸奥!」


 投げやりな気分を振り払い、気迫を込めて右手を差し出す。
 長門の時と同じく、ゆったりとした足取りで光が集う。
 胸、腰、頭、脚、腕。ヒトガタを構築する蛍光は、やがて、一人の少女を生み出した。


「初めまして、かしら。長門型戦艦二番艦、陸奥の現し身よ。よろしくね。私のナカでは、あまり火遊びはしないでね……。お願いよ?」


 繋いだ右手に、彼女は――陸奥は柔らかく力を込める。浮かぶ微笑みも、同じ感触がした。
 長門と対になる黒いミニスカートを履いていて、髪は茶髪。横髪が内巻きにカールし、後ろ髪はちょっと跳ねてるだろうか。
 姉と違う部分は他にもあり、腕を覆う防具は白い手袋のみ。靴下の丈は膝ほどで、全体的に露出が多い。
 喋り方の色っぽさと掛け合わさって、なんだかドギマギさせられてしまう。


「初めまして。よろしく頼むよ、陸奥」

「不思議な感覚だな。馴染みがあるはずなのに、こうして会うのは初めてとは」

「あら、あらあらっ? 久しぶりじゃな……くて、初めまして? ホントだわ、おかしい」

「だろう? しかし、それは良いとして……」


 平然を装う自分と対照的に、自然な笑みの長門。陸奥の雰囲気も少し変わったような。
 姉妹艦ゆえのシンパシー、ってやつか。二言三言のやりとりに、深い信頼関係が見えた。
 けれど、不意に長門は背後へ視線を滑らせ――


『……神は死んだ。お前が殺した! 呪ってやるぞ桐林ぃいいっ!!』


 ――空気嫁と書かれたビニール人形を抱き、悲劇の主人公ぶる棒人間のせいで、半眼となる。
 アレっすか。ヒロイン殺された的な状況ですか? 長門さん意味分かってないみたいだし、変な知識を吹き込まないでもらえませんかねー。
 ファッションモデル顔負けのナイスバデーな子だけど、純真なんですよー。大事に育てたいんでー。


「なぁ、提督。先ほどから騒がしいアレは、一体なんだ?」

「言ってることは物騒だけど、どう聞いても声が泣いてるわよねぇ」

「はっはっは。気にすることないさ、きっと羨ましいだけだから。あっはっはっはっは!」

「ひどいドヤ顔だよ新人君。それにしても、二人そろってヘソだしルックとは……。どぅへへへへ……」


 勝った。誰が見ても間違えようのない、S判定完全勝利だ。
 勝利の高笑いに紛れ、先輩は涎を垂らしているけど。
 真面目な姉と奔放な妹かぁ。妄想がはかどる定番の組み合わせだし、理解はできる。
 電たちで美少女慣れしてなかったら、自分だって鼻の下を伸ばしてただろう。
 だが、いつまでも遊んでいられる状況じゃない。


「これで役者は揃った。本当なら歓迎会でも開きたいとこだけど、さっき長門にも言ったように、事態は差し迫っている。すぐ通常暖機を始めて欲しい」

「あら、そうなの? 息つく暇もくれないなんて、せっかちな提督なのね?」

「うぇ? い、いや、こればっかりは、自分にはどうにも出来ないし……」

「こら、陸奥。からかってやるな。……とはいえ、事情くらいは説明してもらえるとありがたいのだがな」


 陸奥に至近距離から見上げられ、思わず仰け反ってしまう。
 ふわり。なんとも言えない香りが鼻をくすぐった。オマケに胸の谷間までドUP。満面の笑みを考慮すると、絶対ワザとだ。
 間桐提督は『脇へそ太もも……』なんて言いながら、物欲しそうに様子を伺うアニメーション。
 男共が役に立たないと判断したからか、背伸びして谷間を覗いていた先輩が咳払い。長門の問いへ答える。


「かいつまんで言うとだね。現在、本土へ向けて敵が進撃しているんだよ。
 迎え撃つ準備はしてあるんだけれど、君たちにも援軍を頼みたい。念には念を、さ」

「ほう。さっそく出番を用意してくれたか」

「私たちの初舞台って事ね。念入りにお化粧しなくっちゃ」


 短すぎる説明とも思えたが、長門・陸奥は的確に事態を把握してくれたらしい。互いの顔を確認し、力強く頷き合っている。頼もしい限りだ。
 船というものは、ただ動かすだけにも時間が掛かってしまう。
 重油を積むだけで数時間を必要とするし、積んだからってすぐに抜錨出来もしない。ボイラーやスチーム管をしっかり温めてからでないと。
 今回は処女航海という事もあり、念入りな点検をしながらの暖機となる。かなり余裕を見て始めておくべきだ。こっちも気を引き締めないとな。


「いきなり呼び出しておいて、慣らしもせず実戦投入するんだ。不満に思うだろう。
 だが、この難局を乗り越えるためには、力が必要だ。君たちが必要なんだ。頼む。力を貸して欲しい」


 彼女たちの瞳を見つめ、自分は助力を求める。
 立場的にも、能力的にも。強制することは可能だけれど、本当に大事なこと以外ではしたくない。
 言葉が軽くなるっていうのもあるし、何より、己の意思で戦っているという自覚が大切だと、そう思うから。


「あらあらあらあらあら~。ねぇねぇ聞いた? 初対面なのにすっごく情熱的じゃない?」

「……ふ。確かに。一瞬、口説かれているのかと思ったぞ」

「へ? ち、違う違う! そういうつもりじゃなくてだなっ、純粋に手を貸して欲しくて……」


 しかし、真面目な顔で決めたつもりが、笑みを深くした陸奥に茶化されてしまう。
 長門までそれに乗っかって、小さく肩をすくませている。
 慌てて弁明しようとしても、唐突に感じ取った柔らかさが中断させた。


「うっふふ。照れちゃって、もう。……ふぅん。ねぇ、出撃まで時間はあるんでしょう? それまでお姉さんと、二人っきりでお話ししない?」


 隣へ回り込んだ彼女に、腕を組まれたのである。
 しかもだ。男なら誰でも一度は憧れる、胸の谷間へと挟み込まれるスタイルで、なのだ。
 心拍数と血圧と体温。三つが一気に上昇していく。


「ぁぁぁあの、陸奥さん。あのですね、に、二の腕に、なんだか幸せな弾力がですね」

「もう。女に言わせるつもり? ……当・て・て・る・の」

「ぁふんっ」


 歯を食いしばって、緩みそうになる顔をなんとか保とうとする自分。
 んが、そんな物は砂上の楼閣だったらしく、耳に息を吹きかけられ、気持ち悪い喘ぎ声を出してしまった。
 マズいぞこれ。天龍に食らったラッキースケベとは違う、完全にイタズラ目的な逆セクハラじゃないかっ!?
 なんだかんだで先輩は触らせてくんなかったし、対処に困るっ。


『ちょいエロお姉さん、だと……? 最高じゃねえかチクショウ……! あああ物陰に連れ込まれて押し倒されてぇぇぇ……』

「良いですねぇ、悪くないシチュですよ間桐提督。
 だがしかしっ、新人君の童貞は、電ちゃんか金剛ちゃんか私の物でねっ。
 奪うというなら参加させてもらおうかぁー!」

「ひ、兵藤殿? そのような物言い、如何なものだろう? 貞淑にとは言わないが、もう少し落ち着いた方が……」


 狼狽える自分の背景では、棒人間と先輩がフィーバータイム。驚く長門の声が聞こえてきた。
 助け舟を出したいところだけど、陸奥に引っ張られてジリジリ距離は開いていく。


(どうしようこれ……。抵抗した方がいいんだよなぁ? でも、ちょっとくらい息抜きしたって……)


 戦いはもうすぐ始まる。
 どんな経過になるのか、想像なんて出来るはずもないけど、必要以上に緊張しては、戦果を上げられないだろう。
 なら、少しばかり羽目を外して、英気を養うという選択肢も許される。きっと。
 あとちょっとだけ、至福のマシュマロ感を味わったって……良いよな?
 そう自分を納得させている間に、四つの足音は鎮守府へと向かう。
 まだ見ぬ敵への不安を、賑やかな声に紛らわせながら。

 ……たまには大きいのも良いよね!




















 明けましたーおめでたー! 本年もどうぞ、よろしくお願いいたします!
 あ、お年玉は物欲センサー緩和装置でお願いします。感度良すぎなんですよ。もうちょっと鈍くても良いんですよ。むしろマグロの方が(ry
 というわけで、新年一発目から煩悩まみれな那珂ちゃん回でございました。主人公の思考が変態化してる? 後遺症です後遺症。
 本当は「電との出会い」を那珂ちゃん回として扱おうとしてたんですが、さすがにタイトル詐欺だろうと伸び伸びに。個人的にはもっと頻度を上げたいです。
 なので! 今年はしばらくストーリーの進行が遅くなります。
 進みはしますが、こぼれ話と本編の量が逆転すると思います。書きたいネタが多過ぎるんですよ……。まぁ、日常回も今だけなので、ぜひ楽しんでください。
 第三章は次回から本格始動。戦いの熱が冷めやらぬ佐世鎮を描きます。ご期待下さいませ。
 それでは、失礼いたします。


「さぁってと……。ねぇアンタ。ムチと低音ロウソクとトゲトゲ土下座板、選ぶとしたらどれがいい?」
「そうですねぇ。私だったらムチとロウソクの合わせ技が……ってなんの質問ですか桐ヶ森提督!?」
「ふむふむ、合わせ技か。いっそ全部乗せってのもアリよね。ふふふ、楽しみにしてなさいよ……」
「わーい超楽しそう。逃げてー! 桐林さんマジで逃げてー!!」





 2015/01/03 初投稿
 2015/01/04 誤字修正。R.T.L様、ありがとうございました。そして大鯨おめ! ……羨ましくなんか、ないんだからね!?







[38387] 新人提督と戦果報告
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/03/09 22:53




 どうしよう。
 まさかこんな事になるなんて、信じられない。
 想像してなかったとは言わないけど、本当に、現実に起こるだなんて。
 どうしよう。どうしよう。
 みんなにどう説明すればいいの。
 明日から、どんな顔をしてあの人に会えばいいの?
 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 私……。
 こんなに幸せで、良いのかな。


 出典不明。
 誰か、少女の日記と思われるが、文字から嬉しさが伝わってくる。
 紙面の端には、丸い形の二重線に輝きのマーク。……指輪の絵、だろう。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「以上が、梁島・兵藤両提督の報告を合わせた、最終的な戦果になります」


 隣で立つ桐ヶ森提督が、直立不動のままに報告をあげる。
 広々しているけれど、仮に用意されたという予備の執務室。
 並び立つ自分と少女の真向かいには、執務机を挟んで二人の人物が佇んでいた。
 革張りの椅子を軋ませる吉田中将と、その側で控える巨体――桐谷提督だ。


「うむ。ご苦労じゃった」

「結果的には大勝利となりましたね。これで諸外国への体面も保てます」


 キスカ・タイプとの戦闘を終え、三日目。
 一○○○を迎える佐世保鎮守府で、自分と桐ヶ森提督は、揃って戦果報告を行っていた。
 入渠ドックは最大限に割り当てられているのだが、船の入れ替えにもそれなりの時間が必要で、まだ修理中の船も多く残っている。横須賀へ戻るには数日を要するだろう。
 もちろん、その時間を無駄にできるほど暇じゃあなく、戦後処理を済ませる事となった。
 修理にかかる費用や資材の計算。消費した弾薬・燃料・艦載機の補給と、その補填の手筈を整え、被った損害と回収した解放艦の割合から、戦果を導き出すのが主な仕事。
 今日は結果報告である。
 ちなみに、間桐提督はいつも通り、長めの休養中とのこと。“千里”の特権だ。


「さて……。ではそろそろ、本題に入ろうかの」


 鷹揚に頷いていた中将だったが、ふと顔を引き締め、机に両肘をついて指を組む。
 通常なら、戦果報告を終えれば退室を許されるけれども、あの戦いの後ではそうはいかない。
 意図を汲んだ桐谷提督が言葉を継ぐ。


「まずは桐ヶ森さん。汚染の影響は如何ですか」

「ご心配なく。汚染……っていうか、侵食? どちらにせよ、全く影響は残ってないわ。むしろ快調なくらいですから」


 戦闘後、沖縄で精密検査を受けた彼女は、さらに精度の高い機器による二次検査を行うため、佐世保へと上陸した。先輩が護衛を引き受け、一日半の船旅だったそうな。
 桐生提督の眠る病院の設備と同じ物を、桐谷提督が取り寄せたらしく、結果は信用できるだろう。
 実際、桐ヶ森提督の顔色も良くて、髪をかき上げる仕草に淀みがない。
 しかし、平然としていた彼女の表情は、美少女から一転して戦士のそれに。


「でも、聞きたいのはそんな事じゃないんですよね。……私が見た物、ですか」

「そうなるのう。思い出したくないかも知れぬが、聞かないわけにはいかんのじゃ。許せ」

「構いません。当然ですから」


 深海棲艦に精神を侵される際、なんらかの情報を引き出せることは、桐生提督の一件で判明している。自分もそれを経験した。
 果てのない白。黒い少女たち。対話。
 そして、自分が現実へ帰還した直後、桐ヶ森提督も。人の言語体系ではない音声を漏らした事実からして、明確だ。
 全く同じ経験なのかは定かじゃないけど、今、それが明らかになる。


「……私が、あの時に見た物。それは……」


 少女は静かに瞑目し、小さな深呼吸を。
 再び開かれた碧い双眸が、中将たちを見据え――


「コイツに聞いてください」

「ひゅへ!? なんで自分に振るんですか!?」


 ――何故だか、細い指をこちらに向けた。
 よ、予想外にも程がある。思わず変な声出ちゃったぞ。


「誤魔化しても無駄よ。あの後、私自身の状態を確認しようと記録を漁ってみたんだけど、アンタも侵食されたでしょ」

「それは……えっと、その……」


 下ろされた指の代わりに、今度はジト目が向けられる。
 まだ自分のターンじゃないと高を括っていたせいで、口が上手く回らない。
 そんな姿を見てか、桐谷提督たちも彼女に続く。


「まぁ、バレバレでしたね。あんな様子では何かあったと言っているようなものです」

「じゃのう。おヌシにも聞く予定ではあった。もう整理はできておるな?」


 三対の視線に、重みを感じた。
 質問対象は桐ヶ森提督から自分へと移ってしまったようだ。
 そりゃあ誤魔化せた自信なんて無かったけど……。
 いや。もう覚悟を決めるしかない。あの空間で得た情報を、できる限り正確に伝えなくては。


「自分は、敵の統制人格と……。深海棲艦と、対話しました」

「ほう」

「興味深いですねぇ」


 中将の片眉が吊りあがり、桐谷提督は笑みを崩さない。
 口にしてしまえば緊張も吹っ切れ、勢いのまま話を続ける。


「と言っても、大した事は分からなかったんです。これだ、と確信を持って言えるのは三つ。
 あの子と対話した空間――どこまでも続く白い世界が、十万億土と呼ばれること。
 キスカ・タイプの統制人格の名前は、双胴棲姫であること。
 そして……。彼女たちに命令を下す者が、存在していることです」


 何度も記憶を探り、確信を持って言えると判断したのは、この三つ。
 最後の伝言は……どうしてだろう。話してはいけないような気がした。
 内容が意味不明なのもあるが、もし、双胴棲姫が“あの人”と呼んだ人物が、想像通りだったら。
 ……そんなの、ダメだ。


「十万億土、ですか。この世から極楽浄土へ至るまでの間に点在するという仏土……。仏の世界の事ですね。転じて、極楽浄土そのものを指す場合もあるようですが」

「仏教の言葉が聞けるとは思わなんだ。それが正しければ、おヌシも桐ヶ森も、死後の世界へ足を踏み入れておった……という事になるのう」


 自分の嘘が上手くなったのか、もしくは単に幸運だったか。将官二人はすぐさま考察に入ってくれる。
 騙すようで心苦しい。世界の今後を考えるなら、全てを話すのが正しい選択。
 分かっているけれど……。“彼”の身を危険に晒すだけの、確証が欲しかった。


「ソウドウセイキとは、どのような字で表すのでしょうね。パッと浮かぶ限りでは……」

「双胴船に棲まう姫、です。なぜかは分かりませんが、自分の脳はこう変換し、正しいと認識しています。
 それと、自分はあの時、銃を持っていました。反射的に双胴棲姫へ向けたのですが、横須賀に置きっ放しだったはずの、南部十四式カスタムを」

「……ますます興味深い。異口同音を過たずに伝えられ、警戒心を……思念を実体化する空間ですか。仏土を名乗るに相応しい。
 この呼び名、日本の海域だけなのでしょうか。諸外国の領海では、それぞれに対応する単語に変換されたりするのかも知れませんね。
 わたしの侵食レベルは低過ぎて、そのような経験は出来ませんでした。出来ることなら代わりたかったですよ」


 羨むように、桐谷提督が嘆息する。
 言われてみれば、随分と稀有な経験をしてしまったと思う。
 能力者になるだけでも低い確率だっていうのに、深海棲艦と対話まで。
 おそらく日本だと片手。世界でも両手で数えられるくらいしか、あの世界を見ていないはず。
 そして、生還した者はもっと少ない。本当に幸運だったんだな……。


「私もだいたい同じです。名前までは聞き出せませんでしたが、双子の統制人格だけあって、二人同時に“引きずり込む”のを想定していたんでしょう。無駄でしたけど」

「ふむ。一人につき一人という訳か……。敵の司令官――と表現していいのかは分からんが、確実に戦力を殺ぎ落とそうとしておるようじゃな」

「これからの戦い、厳しいものになりそうです。獣を追い込むようで楽だったんですが、困りました」

「だから、言ってる事と顔が一致してないのよ、アンタ」

「持ち味です。堪能して下さい」


 桐ヶ森提督は視線を正面に戻し、中将や桐谷提督と頷きあっている。
 自分の隠し事も、桐ヶ森提督の肯定によって隠されたようだ。
 ……けど。


(嘘だ。桐ヶ森提督も、嘘をついた)


 双胴棲姫の事は話したが、二人同時に現れたとは言わなかった。あえてそうした訳じゃなく、言いそびれただけだ。
 それを自分と桐ヶ森提督、それぞれに一人ずつ現れたという風に表現している。少なくとも自分はそう受け取り、残る将官たちも。
 完全に同じタイミングでの侵食というわけではないし、自分の後に向こうへ行ったとも考えられるけれど、なぜだか、“そうじゃない”と思ってしまう。
 加えて、彼女が視線を戻すその時。一瞬だけ重なった瞳には、確信があった。

 ――アンタも、嘘ついてるでしょ。

 隣で呆れた顔をしている少女は、あの刹那にそう語りかけて来たのだ。
 これで共犯者だから、と。後で詳しい事情を聞かねば。
 ……勘違いじゃないと良いな。もし違ってたら恥ずかしいってレベルじゃないし。


「事情は把握した。聞きたいことはまだまだあるが、統制人格と違って五感を共有することもできん。今日はここまでにするとしよう。下がって良いぞ」

『はっ!』


 退室を促す中将へ、自分と桐ヶ森提督は同時に踵を鳴らす。
 すると、桐谷提督もまた、中将の隣から一歩下がる。


「わたしもこれで失礼します。また後程」

「うむ。自愛するのじゃぞ、桐谷。特におヌシは薬を使い過ぎる。そのままではワシより先に死ぬぞ」

「お返ししますよ。そのペースで葉巻をお吸いになられたら、タールで溺れ死んでしまいます」

「ワシは良いんじゃ。こうして生きておるのが、すでに奇跡じゃからの。おヌシと違って娘もおらぬ」

「ああ言えばこう言いますねぇ……。では、中将」


 最終的に、三人で仮の執務室を出る事となった。
 部屋の前を固める衛兵が、机についたボタンの合図でドアを開ける。
 桐谷提督を先頭として廊下をしばらく進み、サロンみたいに幾つかのソファが置かれている場所へ差し掛かったところで、自分はようやく緊張を解いた。


「はぁぁ、終わった……」

「だらしないわねぇ。この程度で緊張しすぎよ、早いとこ慣れなさい」

「ふふふ、良いじゃありませんか。お疲れ様でした、桐林殿。桐ヶ森さんも」


 前のめりにソファへ腰を下ろすと、それを切っ掛けとして、硬く真面目な雰囲気が、ちょっとだけ和らぐ。
 桐ヶ森提督も隣に。組まれるおみ足が美しい。


「しかし、ここからが本番ですよ。
 本当の軍事力というのは、戦いに勝利できるという事ではありません。戦い続けられる事こそを指します。
 いつまた、戦場に立つ必要が出てくるやも知れませんしね」


 一人、後ろ手に立ったままの桐谷提督は、変わらぬ笑顔を浮かべて言う。
 勝つ事よりも、戦い続けられる事の方が重要、か。言い得て妙である。
 たとえば、大きな戦いに勝ったとして、無傷で済むとは限らない。浅くない傷を負った場合、そこから回復できなければ、勝った意味が失われてしまう事だって。
 それに、負けたとしても、再び戦いを挑むだけの力があれば、二度目は勝てるかもしれないのだ。

 勝てなくてもいい。負けなければいい。生きてさえいれば、どうにかなる。
 フラ・タとの戦いで見出した――なんて言えばいいんだろ。哲学? だけど、桐谷提督が似たようなことを言うとは思わなかった。
 まぁ、彼の場合、その過程で犠牲にするものが多いんだろうな……。そこだけは相容れない。
 にしても、いい加減慣れるかと思ったのに、未だ違和感バリバリだよ、ソプラノボイス。
 実は着ぐるみで、中に小さい美少年が入ってるとか、そんな可能性……ないな。うん。


「何よその言い方。せっかくの勝利にケチ付けるつもり?」

「いえいえ、そんなつもりは。心構えの問題ですよ。
 戦闘内容についても文句はありません。
 二度と同じ勝ち方は出来ないでしょうけれど、終わり良ければ全て良し、です」

「ウソクサ……。含みがあり過ぎてパンパンじゃないの」


 ――と、バカな想像をしているうちに、熊と美少女が険悪なムードに。
 桐ヶ森提督がやたらと突っかかってるようにも感じるが、しかし、桐谷提督は余裕を崩さない。


「とんでもない。お二人の奮闘は心から賞賛していますとも。ええ。特に、桐林殿」

「……ぇえっ!? じ、自分で、ありますか」


 むしろ、こうして驚かされるくらいだった。
 双胴棲姫との戦闘記録は、桐谷提督もリアルタイムで見ていたらしい。
 という事は、北上の発言から始まる、あのやり取りも見られていたはず。
 傀儡艦に自爆攻撃をさせるような人物からすれば、あれは致命的な欠陥と受け取られるんじゃないだろうか。
 と、実は内心ビクついていたのに。まさか褒められるなんて……。


「そう驚くことはないでしょう。
 経緯はどうあれ、貴方は三十隻以上の船を出撃させた上に、一隻の轟沈も出さなかった。
 桐城殿が頑として受け入れなかった二つ名……。“不沈”に相応しいのは、貴方かも知れませんね」

「“不沈”ねぇ……。“プリン”の方が似合いじゃないの?」

「ははは。とても美味しいらしいですから、それもありですねぇ」

「褒めるのか貶すのか、どっちかにして貰えると助かるんですけど」


 投げやりなプリン頭少女に対し、ソプラノマッチョは何度も首を縦に振っている。
 ……うーん。額面通りに受け取れないのは、自分が捻くれてるから……じゃないよな、きっと。桐ヶ森提督だって同じように感じてるみたいだし。
 けど、キリシロ? 人の名前……。まさか、“桐”?


「質問、よろしいでしょうか」

「どうぞ」

「ありがとうございます。キリシロ殿とは、一体?」

「おっと、そうでしたそうでした。これも箝口令が出ているんでした。……まぁ、桐林殿ならば問題ないでしょう。梁島彪吾ひょうご提督の事ですよ。
 彼も相当な手練れでしてね。間違いなく“桐”に匹敵するんですが……。感情持ちを沈めてから、意固地になっているようで。困ったものです。
 あぁ、ちなみにですが、土偏に成りの城で、桐城です」

「感情持ち、を……?」


 軽い気持ちでした挙手には、思いも寄らない事実が返ってきた。
 “不沈”の桐城。いや、鉄壁の梁島提督。先輩が妙に嫌っている歴戦の提督。そして、感情持ちを失った過去を持つ、顔しか知らない人物。
 あまり良い印象を持っていなかったが、そんな背景があったのか。全く知らなかった。
 隠されていたんだから仕方ないんだろうけど、自分だったら耐えられない重荷を背負いながら、なお戦い続ける人を嫌ってたなんて、少し後ろめたい。
 だが、桐ヶ森提督は別の理由で不機嫌さを増したようで、脚が苛立たしそうに組み替えられる。


「桐谷。アンタ、いつからそんなに口が軽くなったの。舌ばかりが動く男は嫌われるわよ」

「おや手厳しい。同じ経験を持つ桐ヶ森さんとしては、嫌な話題でしたね。申し訳ありません」


 ギシリ。
 何かが軋む音がした。
 革張りのソファにシワを作る細い指と、強く食い縛られる歯。
 重なる不協和音が、隣り合う少女から発せられたのだ。


「消えなさい。今すぐに。まだ忘れてあげられるわ」


 睨み上げる瞳は、焼けた鉄の温度を宿している。
 直視すれば――ひょっとすると、見られただけで焼け死にそうな、怒り。
 そんな物を真正面から受け止めているのに、桐谷提督は肩をすくめるだけ。


「随分と嫌われたものです。退散した方が良さそうだ……と、忘れるところでした。桐林殿」

「あ、はい」


 反射的に、立ち去ろうとする桐谷提督の声へと返事していた。
 いけない。桐ヶ森提督に気圧されて、聞き逃すところだった。


「問答無用でわたしに直通する番号です。いずれ必要になるでしょうから、受け取って下さい。
 それと、今回のことで色々と物入りにもなるはず。必要とあらば融資しますよ? 十一といちですが」

「あぁ、ありがとうございま――ってスンゲェ暴利じゃないですかぁ!?」

「はっはっはっはっは。冗談ですよ冗談。無利子無担保で、無制限です。ぜひご利用ください」


 差し出された名刺を受け取りつつ、これまた反射的に突っ込む。
 闇金チックな金利に、今度は体温の下がる感覚を覚えたが、どうやら桐谷提督なりのジョークらしい。
 あなたが言うとシャレにならない雰囲気が漂うんで、真面目にやめて頂きたい。
 しかし、面と向かって文句をつける事もできず、ジト目で精一杯伝えようとするも、「例の件、伝えておいて下さいね」と桐ヶ森提督へ言い残して、彼は悠然と歩き去った。
 こういうのもマイペースっていうんだろうか……。


「なんか、意外ですね。もっと色々……覚悟してたんですけど」

「ま、奴にとっては結果が全てだからでしょ。それに、見た目が笑ってるだけで、腹に据えてるものは絶対にあるわ。気を付けときなさい」

「……そうします」


 なんの気なしを装い、恐る恐る、そっぽを向く少女へ声をかけると、意外にも普通に返事が。
 良かったぁ。怒った桐ヶ森提督なんて、とてもじゃないけど太刀打ちできないし。一安心だ。


(桐ヶ森提督も、感情持ちを失った経験がある、のか。こんなに若いのに)


 桐谷提督が嘘をつくメリットなんて無い。
 いま隣で、手持ち無沙汰に髪を弄るこの子は、梁島提督と同じく、共に戦場を駆けた仲間を失った経験がある。
 舞鶴で陽炎に向けた視線や、双胴棲姫戦での柔軟な対応の理由が理解できた……ような気がした。
 自分なんかより、ずっと苦しい人生を歩んで来たんだ。
 島風に聞いた話が本当なら、幼い頃は血筋が理由で虐げられ、若くして戦うことを強要された中で、友まで亡くした。なのに、こうして戦っている。


「ん~……っはぁ。変な空気になっちゃったわね。忘れてちょうだい」


 ぐぅっと背伸びをし、そんな素振りを微塵も見せない桐ヶ森提督に、なんだか胸が締め付けられた。
 強過ぎる少女の横顔が、切なくて。同時に誇らしくも思える。
 この子と並び立つ、“桐”の渾名に恥じぬ男になろうと、そう思わされた。


「さってと。久々の完全オフだけど、やらなきゃいけない事だらけで大変だわ、全く」

「そうなんですか。お疲れ様です」

「なに言ってるのよ。アンタのせいなんですけど?」

「はい?」


 立ち上がり、疲れた笑みを浮かべる桐ヶ森提督。
 自分も労いながら腰を上げたのだが、何故か彼女は小首を傾げている。
 どういう事かと困惑していたら、疲れた笑みは満面の笑みへと変化し、クリクリな瞳がにじり寄って来た。


「さぁ、私と人目につかない場所へ行きましょうか。返事は『はい』か『Yes』か『Ja』しか受け付けないわ」

「全部同じ意味じゃありません? あの、笑顔が怖いです……」

「へぇ。こぉんな美少女が二人っきりになろうって誘ってるのに、袖にするのかしら。
 そんな贅沢が許される立場だとでも? 風子さん――いいえ、統制人格にあんな格好させるハレンチ男が」

「いやあれは、自分がそう指定した訳じゃなくて、深層心理が……」

「結局はアンタの願望でしょう。言い訳しない!」


 とうとう窓際まで追い詰められ、襟を引き寄せられて顔が急接近。ヘアカラー特有の香りがした。
 普通こういう時って、花の香りとかシャンプーの香りがするもんじゃないの? じゃっかん匂いがキツいっす。
 っていうか顔近い! 通り掛かった職員さんたちがザワザワしてますから、勘弁してぇ!?


「あ、あのぉ……。桐ヶ森、提督? どうかその辺で……」


 頬を引きつらせ、どう脱出するか思案していると、横合いから男性の声が。
 クリップボードを抱え、ごく普通の職員制服を着る若者だ。自分と同じか、ちょっと年上だろうか?
 とにかく、彼の乱入により空気が変化。襟元は解放され、不機嫌な視線の矛先も別方向に。


「チッ。邪魔するんじゃないわよ軍艦オタ。大人しく引っ込んでりゃいいの。分かった?」

「いや、そうはいきませんって。倫理的にも、風紀的にも。と言うかですね、誤解されると思ったんで黙ってましたが、桐ヶ森提督にあんな事やそんな事されても、ご褒美にしかならないです」

「………………あ。それもそうね。余計な買い物しちゃったわ、もう。早く言いなさいよ」

「はは、は、すいません……」


 数秒の間を置き、桐ヶ森提督はポンと手を打つ。
 そして近くのゴミ箱へ向かったかと思えば、懐や軍帽の中、スカートから何がしかを取り出し、ドンドン突っ込んでいく。
 皮のムチ、ピンクいロウソク、なんかトゲトゲしい板、ギャグボール、荒縄、アイマスク、etc,etc,etc……。
 どこにそんな容量が? いやそれ以前に、アブノーマルなプレイ道具にしか見えませんけども?


「どなたか存じませんが、ありがとうございました。マジで助かりました」

「いやぁ、半分は私のせいゴッホゴッホお役に立てたなら幸いであります!」


 貞操の危機を脱した喜びを胸に、職員の男性へと感謝を述べる。
 どうしてだか、急に咳き込んだりしているのが気になるけど、最後は敬礼が返された。
 本っ当にありがとうございます。興味がないとは言いませんが、相手は選びたかったんで。


「そ、それで、ですね……。よ、よろしければっ、さささ、サインを頂けませんでしょうか!?」

「はぁ、サイン」


 未だにガチャガチャ物を捨てる少女を背景に、男性は色紙と筆ペンを取り出して、腰を曲げつつ差し出した。
 サイン……。あぁ、そうか。うちの子たちのか。
 隔月刊・艦娘で紹介されてから、メディアへの露出が微妙に増えてきてるっぽいし、ファンが居てもおかしくない。
 SM処女を守ってくれたんだ。このくらいは融通を利かせないとな。


「良いですよ。誰のが欲しいんですか? こっちに来てる子のだったら、修復が終わり次第――」

「い、いいえっ。あの、できれば、桐林提督のを……」

「へぁ?」


 ……え。“俺”の? なんで?
 可愛い女の子じゃなくて、どうして十人並みの男を? まさかこの人、そっちの気が……っ。
 と、戦慄に後ずさっていたら、いつの間にか戻って来た女王様(仮)が、若者を指差してため息をつく。


「分かんない? コイツ、元桐生の調整士よ。さっきも言ったけど、極度の軍艦オタでね? 様々な船を使役してるアンタに憧れてるんですって。奇特よね」

「………………マジで?」


 目が点になった。
 桐生提督の最後を看取った、調整士。よく声を思い出せば、確かに聞き覚えがある。……この人が。それだけでも驚きなのに、憧れって。
 信じられない気持ちで見つめ返すが、しかし彼は、熱を込めた視線と言葉で語り出す。


「はいそれはもう! 羨ましいっつーかなんつーかですね、もうとにかくお近づきになりたくて。
 特別コラム小冊子、超面白かったです。赤城対加賀の構図、燃えました。十冊まとめ買いしてあります!
 もう、もうっ……お父さんと呼ばせて下さい!!!!!!」

「とりあえず、君にお父さんと呼ばれる筋合いはない。……はい、どうぞ」

「あざーっす!!」


 またも下げられる頭に、定番の言葉を返しながら、複雑な思いで筆ペンを取る。実はコッソリ練習してた甲斐があった。
 書記さんとは全然違うタイプの調整士さんだなぁ……。
 なんていうか、気の置けないタイプ? 仲良くなれそう。電たちに変な気を起こさなければ、だけど。


「あ、それとですね。ついさっき、桐ヶ森提督を訪ねてきたお客様が居まして」

「客? 誰よ」

「会えば分かると思いますよ。いやー、あの時から思ってましたけど、変なコネがあるんですね、桐ヶ森提督も」

「どういう意味よそれ。私には友達なんて居なさそうってこと?」

「なんでそう捻くれた受け取り方するんですか。違いますってば。あ、こっちですよー」


 受け取ったサインを恭しく掲げた調整士さんは、桐ヶ森提督へ気楽に話しかけている。
 そして、こちらの背後に誰かを見つけたらしく、大きく手を振った。
 駆け寄ってくる足音。聞きなれたリズムに振り返ると、噂をすれば影がさす。そこには見知った露出“強”少女が。


「提督、おはようございまーす!」

「おぅ、おはよう。朝から元気だな、島風」

「えっへへ」


 やけに速い小走りから急停止をかけ、連装砲ちゃんと一緒にビシッと敬礼。
 軽く返礼すれば、またもや笑顔が返ってくる。
 ぴょんぴょんとステップで近づく彼女は、そのまま上目遣いに袖を引っ張ってきた。


「あのね、提督。連絡事項があるんだけど、その前にちょっとだけ、アイリちゃ――桐ヶ森提督とお話ししてもいい?」

「ん? 構わないぞ」

「ありがと」


 緊急性のある連絡なら、たぶん島風よりも先に、書記さんが教えてくれるはず。
 島風本人に言ったら悔しがるだろうが、そう判断して許可を出すと、彼女はホッと一息。
 様子を伺っていた桐ヶ森提督へ向き合う。


「……あの。あの時は、嘘ついちゃってゴメンナサイ! 私、アイリちゃんが桐ヶ森提督だったなんて、知らなくて……」


 ぺこり。九十度になりそうな勢いで、島風は謝る。
 嘘。桐生提督を見舞った時、まだ見知らぬ少女だった桐ヶ森提督へ言った、偽名のことだろう。
 普通ならあまり気にしないと思うけど、何かにつけて一直線なこの子。胸に引っ掛かっていたのかも知れない。
 その事を理解してくれているのか、桐ヶ森提督ことアイリちゃんは、優しい笑顔を浮かべていた。


「良いのよ別に。私も嘘ついたから、お相子だし」

「それって、偽名の事だよね――じゃなくって、ですよね? なら……」

「いいえ。“それが”嘘なの」

「んぇ?」


 しかし、その言葉に首を四十五度倒す島風。
 偽名が嘘ってことは……?


神鳥谷ひととのや 藍璃あいり。これが私の本名よ。嘘をついたっていうのが嘘なの」

「ちなみに、神様の鳥の谷って書いて“ひととのや”だそうです。昔はゴッドバードバレーって呼ばれてたそうで――うわらばっ」

「余計なことを言うなってぇのよバカ! 一応機密情報なのよ!?」

「酷い、酷いっすよ提督……」


 情報を補足する調整士さんが、裏拳で吹っ飛んでいく。
 綺麗に入ったよ今の。でも、すぐに立ち上がったところを見るに、手加減はしてるらしい。
 唖然とする自分と島風を見て、桐ヶ森提督は「おっほん」と咳払い。改めて姿勢を正す。


「……まぁ、驚きはしたわ。風子さんが――駆逐艦の島風だったなんて。
 でもね、そんな理由で態度を変えるような人間に、私はなりたくない。
 だから……。私と貴方の関係は変わらないわ。
 と、とりあえず、私から言いたいことはそれだけっ。……問題、あるかしら」


 最初は胸を張っていた彼女だが、だんだんと頬を赤くし、最後の方には俯き加減で髪をいじりだす。
 ……誰? このメッチャ可愛い女の子。自分に向けられてないって分かってても、上目遣いが破壊力満点なんですけど?


「ううんっ! 全然ない! アイリちゃん大好きー!」

「ちょっ、危ないでしょ……あはは」


 同性ゆえの耐性か、島風はいじらしい桐ヶ森提督にも負けない、キラキラ輝く笑顔で飛びつく。
 くるくる回って笑い合う少女たち+連装砲ちゃん。なんとも、心温まる光景だった。
 混ざりたいとか言えない。


「良いですねぇ。麗しき乙女たちの友情。歳食ったせいか、最近涙もろくなっちゃって……」

「そうですね。でも、視線が妙に下向きなのは気のせいですかね」

「……涙もろくなっちゃってっ。そのせいです、ええ」


 同じ感想を抱いたらしい調整士さんも、ハンカチで目頭を押さえている。
 ただ、視線の行く先はやや下向き……っつーか、島風のスカート覗こうとしてんだろ。
 お父さんの前でいい度胸だ。はっ倒すぞテメェ。


「ところで、連絡事項があるんじゃなかったの?」

「あっ。そ、そうだった……。ほーこくします! 桐林艦隊所属の全艦艇、修復・補給作業を終えました!」

「そうか。主任さんの言う通り、こっちの技術者も腕が良いんだな。報告ご苦労、島風。さっそく会いに行くとするか」

「うん。みんなドックで待ってるから、早く行こー? あ、アイリちゃんも一緒に来てっ。瑞鳳が会いたいんだって」

「瑞鳳? ……あ、そういえば約束してたわね。いいわ、付き合ってあげる」


 アホらしい牽制をしていると、今度は島風から報告が上がった。
 書記さんは佐世保へ着いて来てくれたが、主任さんは自分の艦隊専任というわけじゃない。
 しかも、直前に体調を崩したらしく、「お世話できなくて、申し訳ありません……」と、悔しそうな言伝を貰った。
 正直に言って、彼女以外の整備士に任せるのは不安もあった。まぁ、杞憂だったみたいだし、良しとしよう。


「あのぉ、私も行って良い……ですよね? 是非に行かせてください、土下座でもなんでもしますから、お願いします!」

「そこまで卑屈にならなくても……。桐ヶ森提督?」

「ふぅ……。コイツ、私の翔鶴とか瑞鶴にも興奮して鼻血出してたんですもの。止めても無駄よ」

「当ったり前でしょう!? 悲運と幸運の姉妹鶴ですよ? これが興奮せずにいられましょうか!」


 連れ立って歩き出す三人……自分と島風とアイリちゃん――って呼んだら殺されそうだ、脳内に留めよう。
 とにかく、それに付き添おうとする調整士さんの瞳は、真っ赤な炎を宿していた。筋金入りですね……。
 着いてくるのは構わないけど、うちの子たちに変なことされないように、目を光らせておかなきゃ。
 そんなこんなで、足音四つが不規則に鳴る廊下を進んでいると、前方に見覚えのある少女の姿が。


「あ、書記さん。おはようございまーす!」


 反射的に手を挙げると、軍服の男性と話していた彼女は、取り繕うように会釈。
 男性は振り向きもしないまま、何やら書類を渡して歩き去る。
 ……あれ。邪魔しちゃったのか、もしかして?


「お早うございます。提督、島風さん。“飛燕”様も、ご機嫌麗しく」

「どうも。私、堅っ苦しいのはあんまり好きじゃないから、二つ名は控えてもらえると助かるわ」

「失礼いたしました。では、桐ヶ森提督と」

「ん。それでよろしく」


 しかし、書記さんはいつも通りの所作で、桐ヶ森提督へ礼を尽くす。
 タイミング良く終わった……のかな。だと良いんだけど。


「今の人は? 話し込んでいたみたいですけど、お邪魔だったんじゃ……」

「いえ。挨拶ついでに、書面を受け取っていただけですから。どうぞ」


 一応確認してみると、受け取った紙をそのまま渡してくる彼女。
 パッと見で理解できるのは、書かれているのが駆逐艦やら重巡やら空母やらの名前だということだ。


「なんですか、この船名リスト」

「今回の戦闘で解放された船のうち、提督へと割り当てられた艦のリストです」

「ぅえ? だってこれ、三十隻くらい……」

「はい。その全てが、新たに艦隊へ加わることになります」

「わー、すごーい……。あっ、風の名前の子が居る!」


 背伸びして覗き込む島風を置いて、思わず、書記さんと書面とを二度見してしまった。
 双胴棲姫戦で解放された船の数は、確か全部で三十七隻。
 睦月型、吹雪型、綾波型、初春型、朝潮型、陽炎型駆逐艦。長良型軽巡。最上型重巡。蒼龍型、翔鶴型、飛鷹型航空母艦などなど、である。
 その大半が自分の艦隊に?


「ま、私たちの艦隊はすでに完成されてるしね。予備の船だって、何隻も持ってたら邪魔になるだけだし。
 だったらアンタに励起させて、遠征だのなんだのさせた方が有益でしょ。桐谷もおっぱいバカも同意済みよ」

「……マジっすかぁ」

「はい。マジです。艦隊の運用方法、考え直さなければなりませんね」


 珍しく砕けた口調の書記さんが締め、自分は頭を悩ませる。
 今回の出撃で、溜め込んでいた資材はほとんど底をついた。もう何ヶ月も経ってるような気がするけど、よく考えれば、硫黄島到達までの損失も補填しきれていないのだ。
 そこへ三十隻以上の船が加わるとか……。マジでどうしよう? どうにかして調達ルートを確保しないと。


「ん? ってぇ事は、さっきの人がもしかして」

「そうなります。護衛の梁島少将。船団護衛に関しては右に出る者のない方だと伺っています。初対面でしたので、緊張しました……」

「ようするに、“桐”とは別枠のバケモノ。中将と同じ、最初期からこの戦争に関わってる生き証人でもあるわね」

「男の私から見ても、凄いイケメンですよね、やっぱ。後ろ姿だけでもカッコイイとか。妬ましいです」


 もうすでに見えなくなった、梁島提督の背中。
 調整士さんの言う通り、それには威厳が満ち溢れているように感じられた。
 むしろ、溢れた分が威圧感になって襲ってきそうな、そんな気配すら。
 今回はニアミスだったけど、先輩の言う通り、直接会わない方が良いのかも。怖いし。
 ……あ。少将で思い出した。


「あの、そういえばさっき、桐谷提督が別れ際に『例の件』とか言ってましたけど、あれは?」

「あぁ、うっかりしてたわ。ね、一つ聞きたいんだけど」


 問いかけてみると、桐ヶ森提督は一歩前へ進み出る。
 そして、その場でクルッと半回転。またもや上目遣いになり――


「アンタ……。ワルツは踊れる?」


 ――と。
 イタズラっ子のような、挑戦的な笑みを浮かべるのだった。





「うぉぉぉぉ……! マジもんの金剛や長門が目の前に……! それだけじゃなくて雪風とか一航戦まで……。選り取り見取りFOOOOOOOO!!!!!!」

「それ以上鼻血出すと、出血多量で死ぬわよ。軍艦オタ」

「きゃあーん! 飛燕改二ちゃん可愛いよぅ! シュトゥーカちゃんも格好良いよぅ! ……提督っ、これ買ってぇ!!!!!!」

「瑞鳳、無茶言わないでくれ……」










《こぼれ話 食事処、鳳翔へようこそ!》





 私こと、横須賀鎮守府勤務の女性職員、疋田 栞奈ひきた かんな @ 二十三歳独身・彼氏絶賛募集中は、悩んでいた。


「はあぅ……。やっぱり、鎮守府以上に安定する職場なんて、他にないよね……」


 思わず吐き出すため息が、夜の帳と一緒になって肩を重くする。ショルダーバックへしまう求職情報誌は、まるで鉛のよう。
 休日であるはずの今日。丸々一日を費やした転職活動は、芳しい結果が出なかった。
 高望みが過ぎるのかも知れないけど、このご時世、女が一人で生きていくには、とにかくお金が掛かる。
 ……諦めた方が良いのかもしれない。


「実家、帰ろっかな……。ううん、ダメダメっ。そんな事になったら、また五十過ぎた脂ギッシュメンとお見合させられちゃうって!」


 不意に襲ってきた弱気を、頭を振って追い出そうとするけれど、結局また溜め息が出てしまう。
 お前が我慢すれば家は繁栄する――と、とんでも無いことを言われて故郷を飛び出し、「鎮守府勤務になったから無理!」って絶縁状を叩きつけ、早七年。
 勝手に出てったんだから、戻るなんて許される訳ないし、またお見合いだってやらされるかも……。


(そんなの絶対ゴメンだよ。素敵な旦那様はこの手でゲッチュするって決めてるし! ……でもなぁ)


 だがしかし。このまま横須賀で働き続けていても、似たようになる可能性があるのだった。
 原因はもちろん、あの変態提督コンビ・兵藤&桐林である。
 ひょんな事がきっかけで彼女らと知り合った私は、なぜかそれ以降、妙な縁で結ばれちゃったのだ。
 顔と名前を覚えられ、統制人格の子たちとも仲良くなっちゃったし。金剛ちゃんとは何回かお茶した仲です。
 何より、同僚からのやっかみがヒドい。「上手く取り入りやがってこのア(ピー)レ」という、カミソリ入りの手紙が毎日届くようになるとは、想像してなかった。他にも色々やられてて、転職を考えた主な原因はこれ。
 確かに今年一番の出世株だけど、私にはそんな気無いし、万が一、向こうがその気になったら断れないし、いい迷惑だよ……。


「はぁ……。あれ? あんなとこにお店?」


 何度目だか分からない溜め息をつき、ボーッと鎮守府敷地内の社員寮へ帰ろうと、私は重い足を運ぶ。
 けれど、その途中にある店屋密集地帯――通称・横須賀食い倒れ通りに、見知らぬ看板らしき物を発見した。
 普段なら絶対に見落としてしまう、細い路地の向こう。
 護身の心得はあるし、フラッと歩み寄ってみれば、やっぱり看板だった。

 食事処、鳳翔。

 赤い提灯に紐暖簾の門構え。なんだか真新しく見える。立地条件は微妙に悪いけど、新しいお店っぽい。
 漂ってくる美味しそうな匂いが、歩き回って疲れた胃袋を刺激した。


「入ってみようかな……」


 ちょっと前までは、同僚とよくこういう居酒屋さんで夕飯を食べてたけど、最近ご無沙汰。
 お酒は好きじゃないのに、みんなが楽しんで食事している雰囲気が好きだった。
 足元の小さな黒板にも、「お一人様歓迎!」って書いてある。
 ……よし、入ってみよう。独り酒なんて気にしない!


「お、お邪魔しまぁす」

「はーい、いらっしゃいませー! 食事処、鳳翔へようこそ!」


 わ。凄く可愛い店員さんだ。
 恐る恐る引き戸を開けた私を出迎えるのは、白い髪留めで結った、黒髪ツインテール少女だった。
 緑色の和服スカート姿で、上からお店のロゴ入りエプロンを着けてる。白い足袋と下駄を履いていて、カランコロンと音が気持ちいい。
 良いなぁ、私あんな格好したことないや。


「何名様ですか?」

「あ。見ての通り、一人です。すみません」

「謝ることないじゃないですか。はい。それじゃあ、カウンター席へどうぞ。すぐにお冷をお持ちしますねー」

「どもです」


 つまらない自虐ネタに、店員さんはホッとする笑顔で案内してくれる。
 レジを過ぎると、左手に仕切られた座敷席が四つ。右の壁際はボックス席になっていて、中央にはテーブルが二つほど。全体的に、女性客が多いような。
 更に奥には、厨房への出入り口と隣接した和風バーカウンターが設けられ、白いジャケットの黒髪ロングな女性が中に立っていた。お客さんらしいお爺さんとお喋りしてる。
 その二つ隣に腰を下ろすと、別の店員さんが間を置かずにお冷を出してくれた。


「ご注文がお決まりになりましたら、お声掛け下さいね?」

「は、はいです」


 ぅわ。この人もスンゴイ美人。
 和服スカートなのは同じだけど、上と下で紅白カラー。あ、スカートの方が紅ね。白い袂をたすき掛けで縛っている。
 腰近くまである髪も雪みたいに真っ白で、さっきの人が可愛い系なら、この人は間違いなく美人系。
 脱色してるのかな。それとも天然? あのサラサラ具合からして、後者かも。羨ましー。
 っていうかこんな美形、初めて――じゃないか。金剛ちゃんレベルの美人さんが、まだ鎮守府に居るとは……。


「はっはっは。美人じゃろう? あれだけの器量好しは、滅多にお目に掛かれん」

「へっ。あ、あぁ、そうですね……」


 ビックリしたまま店員さんを見送っていたら、隣のお爺さんが話しかけてくる。人の良さそうな赤ら顔だった。
 愛想笑いにも、お猪口片手にご機嫌で、ちょっと困る。あんまり親しくない人とのお喋りとか、苦手なんだよね……。
 と、そんな気分を察してくれたのか、コップを拭いていた黒髪ロングの女性が、お爺さんへ苦笑いを。
 よく見ればこの人も美人系だぁ。どうなってんの? この店。


「もう、駄目ですよ吉田さん。若い子に絡んだら」

「酷いのう、飛鷹の嬢ちゃんや。ワシにだって分別くらいあるわい。おーい、瑞鶴の嬢ちゃん、飛龍の嬢ちゃん。もう一本つけとくれーい」

「はいはーい。熱燗、了解でーす」

「こっちのお皿、下げますね。他にご注文は?」

「そうじゃのぉ……」


 その女性を、なんだか妙な名前で呼んだお爺さん――吉田さん? は、片手を上げて他の店員さんも呼び寄せた。
 うひゃー。これまた美人が二人も。
 たぶん、ズイカクって呼ばれた方の子は、さっきの白い髪のお姉さんとお揃いの格好で、髪型は最初の可愛い系の人と同じ、黒髪ツインテール。
 でも、どっちかって言うと美人系かな。私より年下っぽい雰囲気がある。
 ヒリュウって呼ばれた人は逆に可愛い系で、クチナシ色の和服と緑色のスカートを組み合わせている。
 髪は茶髪のショートカット。右の方で一房、サイドテールっぽくアップにしてる。最初の人と同じで下駄を履いていた。
 なんだか自信なくなりそう……だったんだけど、そこに追い打ち。


「こちら、本日のお通し。クラゲとキュウリの和え物になります」

「あ、どもです。美味しそう……」


 ここは魔窟か。なんて内心で呟いてしまう私。
 お通しを出してくれたのは、朱色の袴を太もも丈で切り、紺色の和風ジャケットを羽織る美人系四号さん。
 白髪さんと同じくらい長いだろう髪を、後ろで一つに括っている。もう悔しいなんて言えないラインナップ。お手上げ侍です。
 和え物に逃げよ。頂きます。……ん~、おいひい。


「お酒にも合いますよ? こちらの千歳鶴なんかオススメ。北海道からの直輸入なんです」

「北海道から!? 値段も高……くない。なんで?」


 四号さんのオススメに、思わず目を見開いてお品書きを探してしまった。
 最近になって奪還された沖縄と違い、戦争が始まってからもやり取りのある北海道だけど、青函トンネルだけで運搬ルートが足りる訳もなく、海路も使われているらしい。
 でも、敵さんがどこからともなく湧いてくるせいで、100%安全な船旅は望めない。だから、船を使った輸送などには船団護衛をつけるのが、船を出す絶対の条件。
 幾つもの輸入会社が手を組み、費用を折半しているって聞いてるけど、やっぱり海路品は高くつく、というのが常識だった。
 なのにお値段据え置きとは、どういうカラクリだろう?
 首を捻っていると、美人系三号――ヒヨウ? さんが説明してくれた。


「身内にそっち方面の仕事に就いてる人がいて、個人的な伝手で安く仕入れさせて貰っているんです。品質は保証するわよ」

「ああいえ、疑ってるわけじゃ……。えっと、食べる方のオススメとかは?」

「牡蠣や金目鯛、カサゴも美味しいですよー。ノドグロも置いてあります。吉田さんがお裾分けしてくれて。本当に助かっちゃいます」

「はっはっは。釣りはワシ唯一の趣味じゃからの。気にせんどくれ、千歳の嬢ちゃん」

「へぇ~」


 美人系四号さんに肩を揉まれて、吉田さんは極楽といった様子。そりゃあそうだよね。美人さんだし。
 ふーむ。今日はガッツリ食べちゃおっかな。


「じゃあ……カキフライにご飯と、ノドグロ? っていうの、お願いします。あ、お酒もさっきのオススメで」

「喜んで。ノドグロはどんな風に?」

「あ~、よく分からないので、お任せします」

「了解。鳳翔さーん、カキフライ定食とノドグロの煮付けを単品で!」

「はぁい、喜んで」


 ヒヨウさんが奥へ注文を告げると、優しそうな声が聞こえてくる。
 なんだろ、凄くホッとするなぁ。過労で死んじゃったお母さんを思い出す。
 ……ううんっ。せっかく美味しいもの食べに来てるんだから、しんみりしちゃダメだって! 元気出せ、栞奈!


「飛鷹ー。カサゴのお刺身を追加で。あと、海老芋と芽キャベツの煮っ転がしも」


 ――と、セルフケアしていた所へ、またまた美少女が小走りに。
 美人系四号さんと同じ服装の彼女は、こげ茶色の髪をセミロングにしていた。顔立ちは……可愛い系かな。
 四号さんに似てる気がする。この子も私より年下っぽい雰囲気があるし、姉妹だったりして。


「はい、喜んで。ねぇ千歳、厨房の手伝いをお願い」

「了解です。千代田、フロアはよろしくね」

「任せて、お姉! ……あ。でも、隼鷹はどうするの?」

「まだグダってるのね……。いいわ、わたし行くから。はい、千歳鶴お待たせしました。ちょっと失礼します」


 その直感が正しいと教えてくれたのは、ヒヨウさんたちとの慣れたやり取り。
 四号さんが千歳って名前で、セミロングの子が千代田かぁ。……なんかおかしくない? 苗字?
 どうにも納得できなくて、カウンターから出て行くヒヨウさんを目で追うと、向かう先には彼女と同じ格好をしたお客さん……だよね。飲んでるし。とにかく、またまたまた美人さんが居た。
 明らかに染めて、しかも固めてるっぽい紫色のツンツンロングヘア。ちなみに、下は真っ赤な袴。ヒヨウさんはスカートです。そこだけちょっと違う。


「んぉお……? おぉ、飛鷹ぅー。ちょーど良かったぁー、こっちにももう一本つけてぇー」

「隼鷹、あんたって女は……っ。従業員のくせして呑んだくれるってのはどういう事よ!? 仕事しなさい仕事を!」

「えぇー、いいじゃーん。他のみんなで回せてるん、ひっく、だしさぁー。ほらぁ、唐揚げおいしーぞぉー?」

「ちょっと、やめなさ――あ、美味し」


 ……お客さんじゃなかったのねー。
 グデングデンに酔っぱらったジュンヨウ(?)さんに絡まれて、ヒヨウさんが唐揚げ食べさせられてる。
 あれも美味しそう……。これ以上頼んだらカロリー気になるので、諦めますけどね。
 でも、さっきから店員さん同士、妙な名前で呼び合ってるのがやっぱり気になるよ。聞き覚えがあるような、ないような。
 うん。お隣のよしみ。いっそのこと、吉田さんに聞いちゃおう。


「あのぉ、吉田……さん?」

「なんじゃい、娘さん」

「店員さんたち、さっきから変わった名前で呼び合ってますけど、あれって……?」

「ほ? お前さん、その様子では横須賀で働いておるだろうに、空母の名前も知らんのか」

「すみません。全く」

「いやいや、こちらこそ済まなんだ。自分が知っておるからといって、それが常識ではあるまいて。説明してやろうかの」


 意外にも程がある、という顔つきに、なんとなく謝ってしまう。
 すると、逆に吉田さんの方が慌てて頭を下げてくれる。
 良い人そうって思ったのは、間違いじゃなかったみたい。


「え? なに、このわた? ……何それ、美味しいんですか?」

「まず、あそこで注文受けとる嬢ちゃんは、蒼龍型航空母艦の一番艦・蒼龍じゃ」


 座敷席の方で、蒼龍と呼ばれているらしい女の子は首を傾げていた。
 なんでも、赤城・加賀という空母のノウハウを活かして建造された航空母艦で、本当は航空巡洋艦? 的な船になる予定だったとのこと。
 速力は三十五ノット。海軍の空母でも随一で、真珠湾攻撃やセイロン島沖海戦で活躍したんだそうな。


「あはは、ですねー。月を肴に一杯……てのも良いですけど、今日はこれとか……」

「次が飛龍の嬢ちゃんじゃ。飛龍型航空母艦の一番艦じゃが、蒼龍型改とも呼ばれるの」


 今度は、ボックス席でお客さんにオススメを紹介している、飛龍さん。
 蒼龍さんの姉妹艦で、艦橋が左舷にあるのが外見の特徴なんだけど、乱気流で航空機の着艦が難しくなっちゃって、けっこう大変らしい。
 ミッドウェー海戦を最後の戦いとし、山口多聞司令官や、友永隊という攻撃隊の運用でも有名だとか。
 蒼龍・飛龍のコンビが、第二航空戦隊――通称・二航戦として名高いんじゃ、と吉田さんは言う。


「……は? 七面鳥!? そんなの置いてないって昨日も言ったでしょ! 爆撃されたいの!?」

「あっちでヒートアップしとるのは、翔鶴型航空母艦二番艦にして、稀代の幸運に恵まれた空母、瑞鶴の嬢ちゃんじゃ」


 鼻の下を伸ばす男性客を叱りつけたのは、美人さん二号のツインテ少女。
 珊瑚海海戦という戦いでデビューを果たし、マリアナ沖海戦まで“一発も”被弾しなかった、幸運の空母と呼ばれているそう。
 でも、そのマリアナ沖での敗戦が「七面鳥撃ち」として今も語り継がれていて、メチャクチャ気にしているらしい。


「……はい、ちょうど頂きました。またのお越しを、心よりお待ちしていますね」

「会計しておるのが、瑞鶴の嬢ちゃんの姉であり……被害担当艦呼ばわりされる空母、翔鶴の嬢ちゃんじゃの」


 一方、お淑やかに見送りをするのが、美人さん一号・翔鶴さん。
 瑞鶴ちゃん共々、蒼龍さんたちで培った技術の粋を集めた、日本空母の最高峰と太鼓判を押される船なんだとか。
 けれど、飛行甲板に描かれた着艦識別文字「シ」が不運を呼び寄せたのか、珊瑚海海戦で爆弾三発&航空燃料に引火により大破。南太平洋海戦でも爆弾四発&高角砲弾誘爆で中破。そして、マリアナ沖海戦で魚雷を四発受け、最後を遂げたとのこと。
 うーん……。瑞鶴ちゃんと第五航空戦隊――五航戦を組んでたっていうけど、不運だわ……。不幸さが儚げな美しさを際立たせてるわ……。


「すみません、お待たせしました。こちら、熱燗と百合根のかき揚げです。さ、まずは一杯」

「おおお、すまんのう。おっとと。……っかぁぁ、美味い。この嬢ちゃんは千歳と言ってな。
 今はまだ甲標的母艦じゃが、いずれは空母になれる船なんじゃよ。よく気が利く良い子でのー」

「あら、お上手ですね。もう一杯どうぞ」

「はっはっは、本心じゃて」


 切ない気分に日本酒をチョビチョビ煽ると、千歳さんが吉田さんへの追加注文を届けに来た。
 解説は……お酌されるのに夢中で無いっぽい。まぁ、しょうがないよね……。千切りキュウリうまー。
 と、黄昏気分な私にもお料理が。運んでくれるのは千代田ちゃん。


「はーい、こっちもお待たせしましたー。カキフライ定食に、ノドグロの煮付けです」

「あ、どもでーす。わぁ、いい匂い」

「そうでしょーそうでしょー。なんたってお姉と鳳翔さんの手作りだもん。絶対に美味しいから、味わって食べてよね?」

「はーい」


 自信満々に、千代田ちゃんは胸を張る。何気におっきい。
 頂きますしてカキフライへ箸を伸ばせば、サクジュワッと旨味が広がった。
 んぁ~、堪んな~い。次はノドグロちゃんを……。あ~、こっちも美味しい~。濃厚だ~。


「その子は私の妹で、千代田って言います。同じく甲標的母艦なんですよ」

「しかし、なかなか姉離れが出来んでな。ときどき困ったことも言いだすんじゃよ、これが」

「むっ。何よぉ、吉田さんまでっ。そんなこと言うと、またお仕事サボってるって言いつけちゃうんだからね?」

「ぬぉ? そ、それは勘弁してくれんかのぉ? 老いぼれの楽しみを奪わんでおくれ」


 感動的な美味しさに舌鼓を打つ私の隣で、吉田さんは大慌て。
 お仕事をサボっちゃいけませんですよ、お爺さん。でもでも、ノドグロ釣ってきてくれたから私的には問題ナッシング。もっとサボれー。
 なんて迷惑千万なことを考えていたら、厨房の方から新たな女性が登場した。


「ふふふ。冗談ですよ、きっと。吉田さんは上得意様ですから。今後もご贔屓にして下されば、嬉しいです」

「勿論じゃよ鳳翔さんや。この店は落ち着くからのう。若いのに感謝せねばなるまいて」

「ありがとうございます。申し遅れました。女将を務めさせて頂いている、鳳翔です。本日はどうぞ、寛いでいって下さい」

「はい。どもです。楽しんでます」


 暖簾をくぐって現れた和服美女は、先程から名前の出ていた鳳翔さんというらしい。
 割烹着に柔らかい物腰がとても似合って、田舎のお母さんって感じがする。
 顔立ちはこの人も美人さんなのに、笑顔がどこか可愛らしくて、なんていうか……最強? 年上に見えるけど、こんな風に成長できたらなぁ。
 吉田さんが付け加えた解説によると、鳳翔さんは世界で最初に完成した空母なんだとか。


「そっかぁ。そういう設定のお店なんですね、ここ。桐林さんのとことかも、こんな感じなのかな」

「あ……。いえ、そうではなくて。よく勘違いされますけど、私たちは……」

「あぁ、ごめんなさい。お客が言ったらダメですよね。はい」

「あの、ですから……」


 なるほどなるほど。
 このお店って、秋葉原とかにある統制人格カフェの居酒屋版なんだー。
 今までもそういうお店あったけど、桐林さんのおかげで垣根が低くなって、かなり増えたって聞く。
 実際繁盛してるみたいだし。こんな美人揃いな上、料理も美味しければ当然だけど。


「はぁー。ようやく一段落ー。で、何を話してたんですか? さっきから私たちの名前が出てるみたいですけど」

「おう、飛龍の嬢ちゃんか。耳が良いの。なに、この娘さんが空母を知らんと言うんでな。軽く説明しておったところじゃ」

「いや、すみません。勉強不足なもので……」

「へぇー、嬉しいなぁ。どんな形でも、私たち二航戦のことを知ってもらえるなんて」


 一人で納得しているところへ、今度は飛龍さんと蒼龍さんが寄ってくる。注文はさばき終わったみたい。
 並んでいる二人を見ると、やっぱり姉妹艦っていう設定だけあって、雰囲気が似てる。
 さすがに本当の姉妹じゃないだろうから、似てる人を探して採用したんだろうなー。こだわってる。


「三番と四番テーブルも片付いたわよ。あぁ、疲れるぅ……。こんなの空母の仕事じゃないわ……」

「駄目よ、瑞鶴。お客様の前でそんな事を言ったら。それに、退屈ーって不貞腐れていたのは誰?」

「だってぇ……。ただ宿舎でゴロゴロしてるだけじゃ、ホントに退屈なんだもん……」


 逆にこっちは――疲れた顔の瑞鶴ちゃんと、困った顔の翔鶴さんは、本当の姉妹っぽい。
 空いたテーブルの片付け直後なのか、手には細長い板を持っていて、重ねられた食器が乗っかってる。
 多分あの板、飛行甲板……ってヤツだよね。凝ってるなぁ。


「家で腐ってるよりは、こうして動いてる、方が、マシだものっ。あぁもぅ、自分で歩きなさい、よっ!」

「ぐへぁー。みんなぁー! お勤め、ごくろーしゃまぁ! あ、お姉ちゃんお姉ちゃん。カキフライと唐揚げ、一個交換しない?」

「へ? い、良いですけど……」


 瑞鶴ちゃんたちが厨房に消え、入れ替わりにやって来るのが、ヒヨウさんとジュンヨウさん。
 私の隣へ放り出されたジュンヨウさんは、唐揚げのお皿を器用に抱えていた。
 勢いに押されて頷いてしまうと、彼女はそそくさ箸を動かす。


「ありがとさんっ。んじゃこれとこれを……んーっ、タウリンが染み渡るわー!」

「こらっ! ったく、すみません。うちのバカがご迷惑を」

「あはは。気にしないで下さい。唐揚げ、美味しいです」

「ちょっと飛鷹ー。バカは無いんじゃないバカはー。ひっく」


 美味しそうにカキフライを頬張るジュンヨウさんに、叱りつけるヒヨウさん。
 この二人は……長年のコンビ? って感じ。ツッコミにも遠慮がないし、仲良さそう。
 唐揚げも美味しいです。冷めてるのにカリウマです。


「もう分かっとると思うが、その子らが飛鷹の嬢ちゃんと隼鷹の嬢ちゃんじゃ。商船改装空母と呼ばれておってな。元は出雲丸、橿原丸という名前じゃった」


 吉田さんの解説いわく、昔の政府は、有事の際に軍艦へと改造できる客船を確保しようと、様々な政策を行っていたらしい。助成金を出したりとか。
 そんな中で建造された豪華客船が、出雲丸と橿原丸の二隻。色々あって飛鷹さんは沈んじゃったんだけど、隼鷹さんは終戦まで生き残った数少ない船でもあるとのこと。
 また、空母として完成したのは隼鷹さんの方が先で、隼鷹型航空母艦と呼ばれることもあるんだとか。うーん、勉強になるなぁ。


「あーあ、隼鷹を見てたら、なんだかワタシもお腹すいてきちゃった。お姉と一緒にご飯食べたいよぅ……」

「大丈夫よ、千代田ちゃん。賄いもキチンと用意してありますから、もうちょっとだけ頑張りましょう。仕込みを手伝ってくれますか?」

「はぁーい」


 艦船講義に花が咲く間にも、お店の中はゆっくりと動いていた。
 千代田ちゃんだけじゃなく、ときどき鳳翔さん自身もお料理を運んだりしてる。
 フロア担当が四人もお喋りしていて、それでも回せるくらいには落ち着いてるから、大丈夫……じゃないよね。
 良いのかな、立ち話してても。いやダメだよね普通に考えて。ここはひとつ、芝居でも打ってそれとなーく……。


「な、なんだか萎縮しちゃいますね。美人ばっかりに囲まれちゃうと」

「そうじゃのう。娘さんも中々の器量じゃが、嬢ちゃんたちはトンでもないしの」

「やったぁ、美人だって。誉められちゃったよ蒼龍っ。一航戦にだって勝てるかもよー?」

「いやぁ。そんな事は……無いっていうのはアレだし、あるって言ってもアレだけど、やっぱり嬉しいなぁ。ありがとうございます、お客さん」

「ま、翔鶴姉は凄い美人だもんね。ヘンタイ共の視線まで集めちゃうから、警戒するワタシとしては困っちゃうけど」

「瑞鶴ったら、もう……。お店の中で暴れたりしたら駄目よ?」


 あ、ダメだ。いつの間にか戻ってきた翔鶴さん姉妹を含め、この人たちガールズトークモードに入ってる。
 気の合う仲間と働き始めたばかりの、新人店員にありがちな症状。私もよく怒られたんだ、ここで新人だった時に……。
 まぁ、怒られるのも経験の内だし、余計な口は挟まないでおこう。


「っていうか、なんで赤城さんや加賀さんはほとんど来ないのよっ。ワタシたちだけバイトさせられるなんて不公平じゃない?」

「そういえば、一航戦の先輩方は見かけた事がありませんね。他の方はお手伝いに来て下さいますけれど」


 生暖かーい視線で見守る覚悟を決めていると、瑞鶴ちゃんが、蒼龍さんの説明時に出た名前を呼びながらジタバタ。
 翔鶴さんも、おっとり頬に手を当てながら、不思議そうに小首をかしげる。さりげない仕草まで美人だとか、格差社会ってヒドい。
 そんな二人に答えるのは、厨房からひょっこり顔を出す千代田ちゃん、千歳さん、鳳翔さん。


「なんか、新型の開発で忙しいらしいよー?」

「皆さんの分まで、新しい物を用意するそうです」

「なので、空母はしばらく私たちだけですね」

「そうなんですかぁ。っていうことは、私たちも流星とか紫電――ううん、烈風とか載せられるのかな。どう思う? 飛龍」

「んー。私としては天山に思い入れがあるんだけど、選り好みはできないしねー。まぁ、噂の烈風には興味あるかな」


 私にはよく分からない説明だったけど、蒼龍さんたちには通じたらしい。
 察するに、みんなの先輩である赤城さん・加賀さんが、みんなのために新しい仕事道具か何かを手作りしてる、のかも。良い先輩だね。
 隼鷹さんもそう思ったみたいで、瑞鶴ちゃんにプラプラ手を振ってる。


「相変わらず、瑞鶴は加賀に対抗心むき出しだねぇー。うぃっく、んなこと気にするよりー、仲良くした方がみんな喜ぶんじゃないのー」

「そうはいかないわよっ! あの人ねぇ、澄ました顔で『五航戦の子なんかと一緒にしないで』とか言ってくれちゃったのよ!? 焼き鳥製造機の癖にぃー!」

「まぁ。凄いわ瑞鶴、物真似がとっても上手よ」

「や、褒めるにしてもタイミングがおかしいから、翔鶴」


 キィーっと悔しそうな顔の瑞鶴ちゃん。天然笑顔で拍手な翔鶴さん。そしてそれに突っ込む飛鷹さん。
 職業意識は足りないかもだけど、やっぱりこのお店レベル高いわ。お料理と店員さんの容姿・属性バランス的な意味で。
 よく集めたもんだと感心しちゃう。


「でもさ、実際にまだ練度じゃ敵わないわけだし、焼き鳥作るのも上手いんだよねー。あの絶妙な焼き加減……。本人は作るの好きじゃないみたいですけど」

「思い出させんでくれんか、蒼龍の嬢ちゃん。食いたくなってくるわい。……飛龍の嬢ちゃん。ネギマ二本、追加しとくれ」

「はい、喜んでっ。けど、艦載機制御では負けるつもりありませんよ? なんといっても、私には友永隊が乗ってたんですからっ」


 ふむふむ。加賀さんは焼き鳥上手なんだ。
 今度来るときには、居てくれるといいなー。軟骨とか美味しいよね。あの食感とか最高だと思いますです。
 ちなみに、瑞鶴ちゃんを刺激しないよう、小声な吉田のお爺さん解説いわく。
 赤城・加賀という航空母艦は、色々あって艦種転換を行った船であり、様々な構造的欠陥があったとのこと。
 その中でも大変だったのが、煙突やら排熱やらの問題。
 赤城さんの方は居住区に煙が充満して「人殺し長屋」とまで呼ばれ、加賀さんの方は熱がこもって「焼き鳥製造機」なんて呼ばれたらしい。
 昔の軍人さんは大変だぁ……。


「スイマセーン、こっち注文お願いしまーす」

「あ、はーい。ただいまー! さ、お喋りはここまでにしましょ。蒼龍、瑞鶴、翔鶴。接客をお願い」


 ――と、過去に思いを馳せていたら、他のお客さんから呼び出しが。
 さっそく飛鷹さんは手を叩き、みんなをお仕事モードへ復帰させる。


「了解っ。我が機動艦隊、出撃します! なんちゃって」

「はぁい。行こ、翔鶴姉」

「そうね、瑞鶴。あら、ちょうど新しいお客様が」

「隼鷹は……もういいから、そこでグダってなさい」

「あーい」


 最後に、諦めきった溜め息と、気だるそうな返事を耳にして、店員さんたちは散っていった。
 美人包囲網から解放されて、私もやっと人心地。まぁ、箸はドンドコ進んでいたんですが。
 っていうかご飯足らないです。お代わり頼もうかな。


「あ、あのっ、困ります! やめて下さい!」

「ちょっと! 何してんのよあんたたち!?」


 耳をつんざく、甲高い悲鳴。
 反射的に振り返れば、入り口付近に四つの人影があった。
 瑞鶴ちゃんに庇われる翔鶴さんと、軽薄な笑いを浮かべる……頭の悪そうな男二人。
 水を打ったような静けさの中、男たちは見た目通りの、だらしない声を上げる。


「ンだよ、イイじゃねぇか。そういう店だろココ? 短いスカートはいてよ」

「そーそー。そっちの子もかわいーじゃん。お酌してよー」

「ふざけないで! それ以上汚い手で翔鶴姉に触れてみなさい、容赦しないんだから!」

「駄目よ瑞鶴っ。わたしたちが人を傷つけては……!」

「けどっ」


 和やかだった雰囲気が、そこから澱んでいくようだった。
 女相手と侮っているのか、男たちはニヤニヤと嫌らしく笑い続けている。
 せっかく、料理が美味しくて雰囲気もまぁまぁなお店を発見したっていうのに、トンだ邪魔が入っちゃった。
 腰には携帯用の伸縮スタンロッドを携帯しているし、監視員という職務上、逮捕する権限もある。
 ここは私の出番かな……。


「待ちなさい、娘さんや」

「吉田さん? でも」

「安心せい。ワシらが手を出さんでも、この店は大丈夫じゃ」


 そう思い、わずかに腰を浮かせるのだけれど、吉田さんの一言が押し留める。
 大丈夫って、どう見てもそんな感じじゃないですよっ。
 翔鶴さんも瑞鶴ちゃんも、見た目は普通の女の子。頭一つ違う男への対処法なんて知らなさそうだしっ。


「悪いこと言わないからさー。ちゃんとお持て成ししてよー。オレたちこう見えて……さ?」

「お国のために働いてる男が、こんな場末の居酒屋に来てやってんだ。感謝して尽くすのが筋ってもんだろ。ア?」


 逡巡している間にも、男の手が乙女たちに伸びる。
 マズい。片方の男が示した襟元の徽章、あれは能力を保有した整備士である証拠のはず。
 偽造したりしたら実刑確実な代物だから、おそらく本物。


(どうするの栞奈。助けたいけど、手を出せば、転職先も見つからないまま首が飛んじゃうわよ)


 スローモーションになる世界で、私は思考を走らせる。
 能力者であれば、時代錯誤な特別扱いが許されるのが、今の世の中。
 逮捕しても懲役無しで出てくるどころか、誤認逮捕だって証言を捏造されて、これからの人生を棒に振るかも知れない。
 吉田さんも大丈夫って言ったんだし、大人しくしておいた方が無難だと、理解できる。


(でも、そういう事じゃない。そんなんじゃダメ)


 私がこの仕事を選んだのは、誰かを守りたかったから。
 どうしようもない実家から私を連れ出して、今も調整士としてこの国を守ってる兄さんに、憧れたから。
 なんで忘れちゃってたの。こんなに簡単で大切な、最初の気持ち。


(我が身可愛さに誰かを見捨てたら、誰にも胸を張れなくなっちゃう。そんなの、嫌だ!)


 いつだったか金剛ちゃんに聞いた、桐林さんの言葉。
 微妙に間違ってるかもしんないけど、とにかく彼が言った通り。
 ちょっと……いや、かなりオタが入ってる兄さんだけど、兄さんに誇れる私でいるために、ここは引けないっ。
 あんたらなんかに触られでもしたら、瑞鶴ちゃんが汚くなっちゃうでしょうがぁ!
 と、心の中で雄叫びを上げつつ、私は一歩を踏み出す。


「うぉ!?」


 ――のだが。
 カァン、という小気味良い音と共に、男の袖口が柱へ縫い付けられた。
 矢だ。
 濃い緑色の矢羽根に、日の丸が描かれた矢。
 放ったのは……蒼龍さん?


「今、あなた方が口にしたのは、私たちにとって最も許しがたい侮辱です。撤回しなさい」


 どこから取ってきたんだろう。彼女は古めかしい梓弓を構え、別人のような鋭い目を向けていた。
 エプロンも外し、背中には矢筒。飛行甲板を模した長い板を右肩に、同じデザインの前掛けも。
 可愛い系な女の子のどこから、あんな凄い気迫が……。


「ゆ、弓なんてどっから……。まさか、本物の……?」

「ンな馬鹿なことあるかよ、桐林のとこじゃあるまいしっ。クソッ、抜けネェ!」

「あーあー、やっちゃった。気持ちは分かるけど、いきなり撃っちゃだめじゃん、蒼龍」

「だって許せないじゃない? 能力を笠に着るだけじゃなくて、お店まで馬鹿にするなんて! 飛龍だってそうでしょっ」

「そうだけど、いいから落ち着いて。全くもう、見た目と違って燃えやすいんだから」

「ちょっとやめてよ縁起悪いってばぁ!」


 ところが、厨房から顔を出す飛龍さんとの会話だと、ただの怒った女の子に戻っちゃう。
 やれやれ……なんて言いたそうな顔の飛龍さんは、そのまま男たちへと近づく。


「蒼龍がごめんなさいね? でも、そういうオイタはめっ。これ以上は“たもんまる”に怒ってもらいます」


 そして、小さな子供へそうするように叱りつけた。
 本気で相手にはしていない。あしらうような素振り。
 それが癪に障ったのか、男たちはお酒も飲んでないのに、顔を赤く染める。


「ザッけんなよこのアマ……。こっちは提督にだってコネがあんだぞっ」

「オレたちを怒らせて、タダで済むと思ってんのかよ!?」


 唾を飛ばして息巻く男たち。
 他のお客さんからも、冷たい敵意を送られているというのに、それにすら気付かない。
 つける薬も無いよ、この二人。痛い目みなきゃ分からない、変われない連中だ。
 同じ判断を下したらしい飛龍さんも、大きく溜め息をついた。


「はぁ……。仕方ないかなー、これは。鳳翔さーん?」

「了承します。存分に」

「……という訳で。後悔しても遅いですからね。おいでませ、“たもんまる”!!」


 たおやかに頷く鳳翔さんの声を受けて、飛龍さんが笑顔を消す。
 次いで、右手を天井へかざし、声高に叫んだ。“たもんまる”って……誰だろう。
 緊張感が漂う中、場違いな疑問に首をひねっていると――


「あっらぁ~。ワタシたちをお呼びかしらぁ~」

『……え゛?』


 ――厨房から筋骨隆々な方々が三名ほど、ニュルリと顔を出した。
 ピンクいハート形のエプロンと、テッカテカなスキンヘッド。彫りが深過ぎて外人さんぽい顔立ち。
 ボディビルダーと紹介されても納得なのに、しかし口調はお姉さま。
 なんぞこれぇ!? 思わず私まで「え゛?」って言っちゃったじゃないですかぁ!?


「あの、あのあの、あああああああのぉ!?」

「落ち着いとくれ娘さん。気持ちはよぉく分かるからの。ほれ、水飲め」


 眼前の光景――しなを作りながら、男二人に近づく筋肉ダルマが信じられなくて、私は思わず吉田さんへ縋りつく。
 差し出されたコップを二秒で空にしても、やっぱりダルマさんは転ばずに十傑歩き。
 あれ。私は何を考えてるんだろう。意味わかんない。物凄く混乱しちゃってるかも。


「つ、つかぬ事をお聞きしますが、た、たたた、“たもんまる”って……?」

「たくましいだけでなく・文句一つ言わない働き者な上に・まるで巌の如き肉体を持った御姉さま方……を略して、“たもんまる”です! うちの裏方さんです!」

「無理矢理ってレベルじゃネェだろそのネーミングぅ!?」


 絶叫が迸った瞬間、飛龍さん以外の全員が「うんうん」と頷いた。
 ぶっちゃけ私もそう思います。
 吉田さんのこっそり解説によれば、飛龍さんと最後を共にしたらしい山口多聞司令官は、護衛機無しで爆撃機を発艦させたり、無茶な訓練を強いることでも有名で、「人殺し多聞丸」という仇名を冠していたんだとか。
 ……気持ちは分かるような気がしないでもないような。でもやっぱり分からないです!
 バチが当たるよ! 本物の多聞丸さん、草葉の陰で泣いてるか大笑いしてるよ!?


「このお店って~、元はワタシたちみたいなニューハーフが働くバーだったのよ~」

「それが~、ママさんの家庭の事情で閉店になっちゃってねぇ~」

「みんな路頭に迷う所だったのを~、鳳翔さんに拾ってもらったの~」


 困惑しきりな私を放って、“たもんまる”の御三方は事情説明。
 もう理解すんのやーめた。
 世知辛い世の中ですねー。
 鳳翔さんが良い人で良かったねー。


「皆さん本当に働き者で、とても助かっていますよ」

「うんうん。そこいらの男より力持ちだし」

「材料の買い出しとか、凄く頼りになりますね」

「細かい気配りも行き届いて、見習いたいくらい」

「うぃっく、オマケに心が男前と来たもんだ! “たもんまる”様々だよー」

「ちょっと隼鷹ちゃ~ん? 誉められてる気がしないわ~」


 ネーミングセンスには納得できなくても、同じ店で働く仲間としては頼りになるようで、みんな口々に“たもんまる”を褒め称える。
 ちなみに、鳳翔さん、瑞鶴ちゃん、翔鶴さん、飛鷹さん、隼鷹さんの順です。
 答えたのは……誰だろう。三人ともそっくりで区別がつかないや。


「ぉ、おい。ヤベェ、この店ヤベェ」

「見りゃ分かるよンなことっ、さっさと逃げ――っ!?」


 劣勢を悟った……というより、本能的な恐怖を感じたんだと思う。
 男二人は逃げ出そうとするけれど、なぜか振り向こうとしたところで身体を硬直させた。


「そうはい寒ブリ、ってねぇー。大人しく捕まっときなー」

「隼鷹。つまらない」

「こりゃあ失敬」


 なぜなら、その足元は紙のような物で固められていたから。
 人の形に――違う。飛行機の形に切り抜かれたそれは、指先に紫色の鬼火を宿す、飛鷹さん、隼鷹さんの手元から放たれていた。
 嘘……。
 確かに、傀儡能力者が世に現れてから、“そういった能力”は存在を実証されたけど、可視化するほど高位の力を振るえるのは、世界でも数人。
 それ以外には、傀儡能力者が使役する統制人格しか。ってことは、まさかこのお店……?


「全くもう~。桐林提督直営店って書いた張り紙、また飛んでっちゃったのかしら~。それじゃあ~、この子たちは貰っていくわね~」

「そろそろ立て看板を用意した方がいいかも~。あら~、よく見ると可愛い顔してるじゃな~い」

「うふふ~。どんな風に啼いてくれるのか、楽しみだわ~」

「イヤだ、イヤだぁ! 誰か助けてぇぇえええっ!?」

「出来心だったんです、ストレス溜まってただけなんですっ、掘られるのはイヤァァアアアッ!?」


 私の予想を肯定しつつ、“たもんまる”は男たちを担いで歩き去る。
 ドップラー効果で低くなっていく悲鳴が痛々しい。
 さっき瑞鶴ちゃんに七面鳥って言ってた男性客も、顔を青くしてるよ……。


「皆さん、大変お騒がせ致しました。ご気分を害されましたら、申し訳ございません」

「お詫びとして……というのもなんですが、お店で使える割引券をお配りしますので、どうかご勘弁下さい」

「今日のお会計にも使えますから、今後ともよろしくお願いしまーすっ!」


 鳳翔さん、千歳さん、千代田ちゃんがペコリと頭を下げ、周囲のお客さんからは拍手喝采。
 蒼龍さんたちも手伝い、お客さんみんなに割引券を配り始める。
 そっか。女性客が多かったのはこのせいか……。
 そりゃあ、不埒な事をしでかす男から守ってもらえて、しかも鎮守府直営とも言えるこのお店は、安心安全な場所だもん。みんな通うよ。
 ……男以外は。


「あの二人、大丈夫なんでしょうか……」

「ま、平気じゃろ。ワシらがしょっ引くよりは穏便じゃろうて。新しい生き方を見つけるやも知れんぞ」

「はぁ……? あ、という事は、吉田さんって私と同業者なんですか?」

「……ワシの知名度って低いんじゃのぉ。若いのも知らんかったし、寂しくなってきたわい……」

「えと、なんかすいません」


 微妙に心配になり、床へ溢れた涙の跡を視線で追っていると、吉田さんが気になる言い回しを。
 ワシらって事は、吉田さんもそういう仕事に就いてるって考えられる。
 ウエストポーチに偽装してあるスタンロッドも見破ったくらいだし、けっこう凄い人だったりして。
 そんな時、割引券を手にした翔鶴さんがやって来た。


「はい、中将も割引券をどうぞ。申し訳ありません、わたしのせいで、お店を騒がせてしまって……」

「なんのなんの。ああいう愚かな輩もまだ多い。いい薬じゃよ。それと、この店では階級で呼ばんでおくれ。今はただのジジイじゃ」

「本当に、こうしてると普通のお爺ちゃんだもんね。提督さんの上官とは思えないわ」

「それはそれで傷つくの」


 瑞鶴ちゃんに肩を叩かれ、翔鶴さんにはお酌され。中将と呼ばれた吉田さんは、だらしない顔をしている。
 中将。
 少将の上で大将の下。
 ええっと、横須賀には一人居たかなー? 司令長官でー、いわば私の上司の上司の上司の上司だけど。
 あっははー。人生オーワタ……。


「さて、娘さん」

「ひゃい! にゃんでごじゃいましょう!?」


 雷に打たれたみたく、背筋がピンと。
 噛みまくりながら返事をすれば、吉田中将は「よいよい」なんて大らかに笑う。


「人間という生き物は、どうしようもなくてな。どんな幸福にもすぐに慣れて、そのくせ不幸を探すのだけは得意としておる。
 じゃから、よく間違ってしまうんじゃ。今が不幸だと思い込んで、幸せを投げ捨ててしまうような事もしてしまう」


 一瞬、なんのことだろう? と不思議に思い、気付く。
 足元に置いてあるショルダーバック。そこからは求職情報誌の頭が覗いているはず。
 うわぁぁあああんっ! よりにもよって上司の上司の上司の上司に見られちゃったよぉおおぅ!?
 せっかく大事なことを思い出したっていうのに、クビ確定じゃないですかやだぁああぁぁあああっ!
 と、私は汗ダラダラにテンパっているんだけれど、中将がお猪口を置く「コトン」って音に、何故か思考は沈静化して。


「だがの。道の分岐点に差し掛かった時、ほんの少しだけ立ち止まって、自分の周囲を見回す余裕があれば、そんなことは起きん。
 歩いてきた道を振り返り、望むことをしっかり見据えて、それからどの道を行くのか、選ぶことじゃ。
 帰ろうとしても帰れなくなる場所というのは、案外そこらに転がっておる。思い残すことのないようにな」


 昔を懐かしむような瞳には、何が映っているんだろう。
 後悔じゃ、ない気がした。悲しみや、憤りでもない気がした。
 ……寂しさ?
 正体を確かめたくても、活気を取り戻した店内で唯一、私と中将だけが、静寂の中にいる。
 思い残さないように、立ち止まる……かぁ……。


「飛鷹の嬢ちゃんや。娘さんの会計はワシにつけておいとくれ」

「はい、了解です。またのお越しをお待ちしてます」

「えっ。い、いやいやいや、そんなっ」

「つまらん説教を聞かせてしまった詫びじゃ。受けておけ。ではな」


 お猪口に入った日本酒を眺め、考え込んでいる間に、中将は料理を平らげ、立ち上がっていた。
 その背中へ呼びかけはしてみたけれど、皺だらけの手が振られるだけで、そのまま引き戸をくぐって行く。
 飛鷹さんも、当たり前のように受け入れてる。そういう人みたい。


(色々、大変だけど……。もうちょい、頑張ってみよっかな)


 同僚からのやっかみはヒドいし、桐林さんとこの統制人格のみんなには振り回されるし、司令長官がお忍びで居酒屋に行っちゃうような鎮守府だけど。
 思い残すことがないように、少し立ち止まって、キチンと見極めよう。
 私はそう決意しながら、冷たい日本酒をあおる。
 さっきよりも、大人な味がした。





「……確かに、ワシへつけてくれとは言ったがの。柱の修繕費まで払わせるつもりか? この請求書。ちゃっかりしとるのう、嬢ちゃんたち……」










《アニメ放送開始記念、突発こぼれ話 全力で雪合戦する女の子とか可愛いよね》





 その少女は、窓辺に立って空を見上げていた。
 チラチラと舞い落ちる白い綿菓子を、飽きもせずに、何分も、何分も。


「こら。まだ仕事中だぞ?」

「あ……。すみません、司令官。つい見惚れちゃって」


 しかし、仕事中にそれでは困る。
 背後に立って声をかけると、本日の第二秘書官である彼女――吹雪型駆逐艦ネームシップ・吹雪は、慌てて頭を下げた。
 この時期には寒そうに見える半袖セーラー服。後ろでくくったセミロングほどの髪がピョコンと跳ねる。


「そんなに雪が珍しいか?」

「はいっ。あ、知識としてはもちろん知ってるんですけど、こうして見るのは初めてですから」


 今日は朝から曇っていたが、宿舎を出る時にはまだ降っていなかった。
 降り始めたのは、仕事を開始してすぐ。もう一六○○だから、六時間近くになるか。
 昔は関東で雪が降るなんて珍しかったみたいだが、近頃では毎年、かなりの量が降る。今降っているのも大粒で、けっこう積もっているようだ。
 つい数週間前に励起したばかりの彼女はもちろん、宿舎に居るみんなも、初めての雪に興奮していることだろう。


「でも、だからってお仕事をサボっちゃダメですよね? さ、続きを終わらせちゃいましょう!」


 胸の前で両手をグッと握り、笑顔を見せる吹雪。
 大いに賛成したい所なのだが……。
 実は自分としても、雪が気になってしょうがなかったりする。


「それなんだけどさ。集中力を維持するためには、適度な息抜きが必要だと思わないか?」

「え? もう、なに言ってるんですか。まだこんなに書類が残って……」

「だから、フレッシュな気持ちで仕事をこなすためにも、ちょおっとだけ身体を動かしたり」

「……あ」


 なので、少しばかり遠回しに、散歩へ行こうと吹雪を誘ってみた。
 意味に気付いたようで、彼女は一瞬目を輝かせるのだが、しかしすぐに表情を曇らせて。


「で、でも、良いんでしょうか。サボったりなんかしたら、みんなに迷惑が……」

「真面目だなぁ、吹雪は。……仕方ない。これより極秘任務を与える! 心して聞くように!」

「は、はいっ」


 吹雪から続く特型駆逐艦シリーズ。
 その長女だけあって、真面目で頑張り屋なのが特徴だが、こうして融通が利かない所もあった。
 彼女を動かすには、強引な手段が必要らしい。


「特型駆逐艦一番艦・吹雪は、これより鎮守府視察へと出向く提督の、護衛任務につくこと。防御装備もしっかり準備するように! いいな?」

「……はい! 了解しました!」


 今度こそ満面の笑みで、吹雪は敬礼を。
 大げさな命令……というか、命令にもならないお願いなんだけど、効果はあったもよう。
 執務室の隅にあるコート掛けへと走り寄り、宿舎から着てきた防御装備――ダッフルコート、マフラー、手袋の三種を装着し始めた。
 自分もその間に、椅子の背に掛けっぱなしのロングコートやマフラーを身につける。


「お待たせしました、司令官っ。いつでも行けます!」

「うん。じゃあ行こうか」

「はいっ」


 元気一杯な吹雪と頷き合い、二人並んで廊下へ。
 暖房器具完備な執務室と違って、空気はひんやりしている。
 幾人もの職員さんとすれ違いつつ、目立たないよう裏口から外に出ると、足跡一つない、真っ白な絨毯が広がっていた。


「わぁ……!」


 感動しているのか、戸惑っているのか。
 おそらく両方なのだろう。
 降りしきる雪を見つめ続ける少女に、自分は手を差し伸べる。


「さぁ。吹雪」

「は、はいっ。……わ、わ、わ。あはは、これが雪なんだぁ」


 ギュッと手を握り返し、彼女は恐る恐る一歩を踏み出す。
 サク、サク、サク――と軽い音。
 何度も雪靴を沈みこませるうち、緊張が高揚感に取って代わるのが、見ているだけで伝わってきた。


「どうだ? 初めて雪を踏みしめる感覚は」

「面白いです! ふかふかなのに、冷たくて、シャリシャリってして、楽しいです!」


 繋いでいた手は離れ、吹雪は跳ねるように走り回る。
 雪降る庭で息を弾ませる、雪の名前を持つ少女。絵になるなぁ。
 青葉がここに居たら、間違いなくシャッター音が止まらないだろう。
 この間の猫娘騒動も激写してたみたいだし。焼き増し? 当然。


「はしゃぎ過ぎると転ぶぞー? スカートなんだから気をつけろー」

「ふっふふーん、平気ですよー。シケた海の上に比べたら、このくらい――ふぎゃ!?」

「あ」


 保護者として一応注意はしても、心配ないだろうと微笑んでいたら、庁舎の影を飛び出したあたりで急に倒れこんだ。
 横合いから、吹雪の頭めがけて雪玉が飛んできたのである。
 錐揉み回転しつつ、前のめりに倒れたせいか、お尻が高く突き上がり、雪より白いパンツが丸見え。
 あー、えー、うーん……。あ、安産型だねっ?
 近寄るわけにもいかないし、自分はここで見守ってるよっ! 目を皿のようにして!!


「いよぉっし、深雪スペシャル命中ぅ! ……って、ありゃ。吹雪じゃんか」

「だ、大丈夫!? しっかりして吹雪っ」

「うぐぐ……。な、何ぃ……?」


 そこへ駆けつける二人の少女。
 この天気なのに、半袖セーラーのまま力こぶを作る、加害者と思しきショートカットな吹雪型四番艦・深雪。
 吹雪と同じダッフルコートを着て、大慌てでめくり返ったスカートを戻す、茶髪を襟足で二つくくりにした、二番艦の白雪だ。
 問題なくなったので近づいてみると、L字になった建物の向こう側に、黒いカーディガンを羽織る叢雲と、ダッフルの磯波も居た。
 ちなみに、これら追加装備は普通の服。自分がお金を出して用意した。女の子向けの服って、やっぱ高いわ……。
 あ。よく見たらヨシフも背景で走り回ってるな。メッチャ楽しそう。


「とんだノーコンね。さっきから一発も当たってないわよ?」

「うっさい、これからだっての! その澄ました顔を雪まみれにしてやるからなっ!!」

「あ、あの、司令官が来ましたし、そろそろやめた方が……。きゃっ」


 叢雲の挑発に、深雪はさらなる雪玉を固め、思いっきり投げつける。
 しかしそれも回避されてしまい、危うく磯波をかすめて行った。
 雪の上ではしゃぐ少女たち。なんとも微笑ましい光景だ。
 ……いい加減、轟沈したままの吹雪を助け起こすか。


「だから言ったのに……ってのは流石に酷だな。ほら」

「ううう。ありがとうございます、司令官……」

「すみません、ご迷惑をおかけして」


 再び手を差し伸ばすと、顔を雪まみれにした吹雪が、鼻を赤くしながらも立ち上がった。ふらつく身体は白雪が支える。
 でも、なんでここに居るんだろう? 宿舎からはだいぶ離れてるはずなのに。


「雪合戦か、白雪?」

「はい。随分と降りましたから、ヨシフちゃんの散歩ついでに、ちょっと表へ出てみようという話になって。そうしたら……」

「深雪が暴走したわけだ」

「なんです……」


 はしゃぎまくる姉妹が恥ずかしいのか、白雪は肩を小さくしながらそう説明した。
 なるほどねぇ。扶桑や鳳翔さんたちが来たばっかりの頃みたく、大遠征祭りを実施しているので、代わりに……という事だろう。
 暁型の四人も資材運搬任務に就いてるし、鎮守府に残ってる子は少ない。賑やかさは変わらないけども。
 そして、その一翼を担う吹雪が、雪玉をぶつけられた恨みで眉毛を釣り上げる。


「むぅぅ……。ちょっと深雪! いきなり雪玉ぶつけておいて、何か言うことないの!?」

「へっへーんだ、避けられない吹雪が悪いんだろー。ほぅら、あったれぇい!」

「ふふ、無駄よっ。磯波バリアー!」

「ひゃあぁああっ。だ、誰か、助けてぇぇ」

「ちぃ、叢雲の卑怯者ー! ……んぎゃっ」


 姉を敬う気がないらしい天の邪鬼娘は、磯波を盾に取る叢雲に釘付けだ。
 何気にヒデェ。っていうか、普段とキャラが違って子供っぽいな。無邪気で可愛い。
 対して、悔しげな顔の深雪。新しく雪玉を固めようとしていた所に、予想外の方向から奇襲を食らった。
 投げたのは吹雪である。


「お姉ちゃんに悪さして、なおかつ妹までイジメる悪い子は……。私がやっつけちゃうんだから!」

「うわヤバいっ、吹雪ングが降臨だぁー、逃げろー!」

「ちょっと、こっちに来ないでっ。服が汚れるじゃないっ」

「ぁうぅぅ……。ブラウスまで濡れちゃいましたぁ……」


 雪玉を抱えた吹雪が参戦し、ただでさえ騒がしかった雪合戦は、大騒ぎへ発展した。
 こうしていると、本当に普通の女の子だ。まだ戦いが続いているのを、忘れてしまう。


「全く……。元気だなぁ、みんな」

「ふふふっ、ですね」


 でも、たまには良いと思った。
 息で手を温める白雪と、一緒に並んで眺める騒がしさは、平和の象徴だと思えたから。


「寒いか」

「……ちょっとだけ」

「なら、これ使いな。自分はコート着てるし」

「あっ。でも……。嬉しい、です。ありがとう、ございます」

「どういたしまして」


 雪合戦中の四人は大丈夫だろうけど、動いていない分、白雪は寒いはず。
 紳士としてマフラーを巻きつけてあげれば、彼女はそれに顔をうずめ、ゆったりと目を細める。
 目の前の騒ぎと切り離されて、二人だけの世界が広がったように感じた。
 ふふふふふ。自分だってやれば出来るのだよ。
 紳士ぶれば女の子と良い雰囲気にもなれるのですよっ。
 イメトレ完了! 電が帰ってきたら、この手を使っていい感じにイチャつこう!


「……んぉ!? な、なんだぁ!?」

「し、司令官っ? どうかなさいましたかっ?」


 ――と、不埒な計画を立てていたら、ヒンヤリとした二本の手が、背中からコートに潜り込んできた。
 それだけじゃなく、小柄な人間一人分の体積が這い回り、身体の正面で動きを止める。
 細い指が、器用に内側からボタンを外し、闖入者の正体があらわに。


「……ぷは。司令官の中、あったかい……」

「初雪か……。先輩かと思った……」

「もう、ダメじゃない。そんなイタズラしたら」

「だって……。深雪に無理やり連れてこられて、寒かった……」

「だからって、もう」


 前髪パッツンのダウナー系艦娘、初雪だ。
 てっきり宿舎でコタツむりしてるかと思ってたけど、深雪パワーは侮れない。
 でもさ。司令官の中って言い方はやめて? 掘られてる気分になるから。


「まぁ、たまには良いよ。こんな天気なんだ。少しぐらいはさ」

「……はい。ありがとうございます」

「司令官、太っ腹……。そういうとこ、好き……」

「ははは。ありがとう」


 初雪は体重を完全に預け、白雪も柔らかく微笑む。
 なんというか、元気過ぎる娘を見守っている気分だ。
 それに、コート二人羽織というのも、なかなかグッドアイディア。
 電とこう出来たら最高だなぁ。いや、初雪がダメってんじゃないけど、やっぱりね。


「チックショウ、こうなったら……。艤装召喚&雪詰め!」

「んなっ、それは反則よ深雪!」

「あわわわわ、冷たいのは、冷たいのはもう嫌ですぅぅぅ」

「磯波、こっちに……あっ!? 司令官、避けてぇ!?」

「ん?」


 夢想しつつ空を見上げる自分へ、何やら切羽詰まった吹雪の声が。
 顔を戻すと、手前から順に五つの影。
 背を向け、逃げる準備万端な叢雲。すでにへっぴり腰で逃げている磯波。焦った顔でこちらに手を伸ばす吹雪。
 そして、艤装を召喚し、魚雷発射管へと雪を詰めた深雪に、彼女の背後で「わぅん」と鳴き、前足で目を覆いながら伏せるヨシフ。
 あ、これヤバい。


「深雪スペシャル第二號、行っけぇええっ!!」

「ぎゃぼっ!?」

「うっ」

「きゃあぁぁあああっ!? 司令官と初雪がぁ!?」


 そう思った次の瞬間にはもう、顔面と腹部に強烈な衝撃が。腹の方はちょうど初雪の顔辺りである。
 当たり前だが耐え切れる訳もなく、白雪の悲鳴を耳に、自分と初雪は雪原へ突っ伏した。


「ヤッベ……。やり過ぎちった……」

「わ、私は知らないわよ。深雪が調子に乗るから」

「そんなこと言ってる場合じゃないですよぅ」

「大丈夫ですか、司令官っ。しっかりして下さい!」


 闇に閉ざされた世界で響く、四人の声。
 自分は微動だにせぬまま、心で初雪へ問いかける。


(……初雪。分かってるな)

(んっ……)


 返事は短く、明瞭な意思が込められていた。
 むくりと上体を起こし、四つん這いになるようにして一旦停止。準備を整える。
 そして――


「よくもやってくれたな、お子様ども!? 反撃開始だぁああ!!」

「ホントは得意だし、こういうの。……当たれ」

「うきゃあぁああっ!?」


 ――敵へと翻したコートの中には、雪玉を満載にした艤装を構える、初雪が居た。
 一斉掃射は直近の吹雪に殺到。彼女はまたもや雪まみれとなり、尻餅をつく。
 パンツ丸見えアゲイン。絶景かな、絶景かな!


「ひ、酷いです司令官!? ビチョビチョじゃないですかぁっ」

「ふっはっはっはっはぁ! 一連托生なのだぁ! 次、標的は叢雲ぉ!!」

「ん。頑張る」

「ちょ、待っ、冷たっ!?」

「なっははは、やーいザマァ見ろぉ――んぼぁっ」


 次弾装填を手伝い、次なる標的は無傷の叢雲。さすがに身を躱すのにも限界があったようで、数発ほど命中弾を出せた。
 それを見て大笑いしていた深雪だが、彼女もまた別方向から雪玉を食らう。
 今度の投手は磯波である。


「油断大敵、です。私だって、やられっ放しじゃないんです!」

「く……。やるな磯波ぃ。アタシも負けないかんなぁ!」


 今まで泣きそうだった顔には小さく笑顔が浮かんでいた。
 やられたはずの深雪も、大きく口角を上げて相対する。


「あ、あのっ、みんな、落ち着いて? あの、服が……。うぅ……わ、私も混ぜてくださいぃ!」


 ただ一人、抑えに回ろうとした白雪までもが、楽しそうな雰囲気に負けて走り出す。
 こうして、吹雪型駆逐艦+αによる、雪合戦大会が始まったのであった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……さて。はばかりは済ませましたか? うがい手洗いは? 冷たい板の間へ正座して、ガタガタ震えながら書類を片付ける準備はよろしいですか?」

「すみませんごめんなさい妙高さん! 自分のせいじゃないんです、全部深雪が悪いんです!」

「そうなんですっ、ちょっとお散歩するだけのつもりだったのに、深雪が雪玉なんてぶつけて来るから!」

「ちょ、あ、アタシのせいにすんなよなぁ!? 司令官たちだって思いっきし遊んでたろぉ!?」

「言い訳ご無用っ。皆さん反省なさいませ!」


 数十分後。
 執務室には、紫色のスーツを着た、太眉魔王が御降臨なされていました。
 日が暮れるまで雪合戦に全力を投じ、互いの健闘を称えながら執務室へ戻った自分たち。
 それを出迎えたのが、おデコに青筋を、口元に微笑みを浮かべる魔王――もとい、第一秘書官である妙高様だったのです。


「っ、この私が、ゲンコツを受けるだなんて……屈辱……!」

「もうやだ。帰りたい……」

「私は巻き込まれただけなのに……ぁ、いえなんでもないです……」

「私だって、まだちょっとしか遊んでなかったのに……」


 彼女は的確に、かつ容赦なく鉄槌を下しました。自分、吹雪、深雪、叢雲、初雪、磯波、白雪の順に、拳で。と言っても軽~くであります。
 痛いけれど、タンコブにはならない絶妙な加減で、次々に腕を振りぬくその姿は、鬼気迫るものがありました。
 自分たちは今現在、薪ストーブが焚かれ、白いモコモコ絨毯が敷かれた一角を避け、深々と冷えるフローリングへ正座させられています。寒いし痛いし痺れます。
 なんで敬語か? 怖いからですよ察して?


「わたくしたちの仕事が遅れれば、鎮守府の方々にも迷惑を掛けてしまいます。当然お分かりですね、吹雪さん」

「は、はいぃ。もちろんれすぅ」


 なにせ、隣に座っている吹雪まで、恐怖にガタガタ震えながら、涙を堪えているのだから。しかも噛んでるし。
 相手は先任の統制人格であり、仕事の鬼と呼ばれる妙高。仕方ないよ……。


「服務規程において、故意に仕事を放棄し、業務に遅延を発生させた場合には罰則が課せられます。
 それはどんな地位でも変わりませんし、どんな立場でも変わりません。これもお分かりですね。特に提督」

「承知しておりましたっ。……ほら、みんなも」

『すみませんでした……』


 その矛先がこっちへ向いた途端、自分は土下座体勢に。深雪たちもしぶしぶ謝る。
 こうなったら謝るしかないのだ。謝り倒して罰を軽減してもらうしかない。罰を受けさせられるのは確定だけど。
 情けない姿に呆れたのだろう。頭上からは「全く……」というため息。
 視線だけで様子を伺えば、じゃっかん怒りは薄らいでいるように見えた。これなら、もしかして許してもらえるかも……?


「しかし、事の発端は提督の御命令で、深雪さんたちは遠征終わりの休暇中です。よって、責めは提督にのみ負って頂きます」

「え゛ぇぇ!? なんでですか妙高様ぁ!?」

「マジで? 妙高さん話が分かるー!」


 期待した自分がバカでしたぁ!
 絶望に顔を歪める自分と引き換え、恩赦を賜った少女たちは一気に元気を取り戻す。
 深雪なんか、ワザとらしい決め顏で片膝をつき、肩へ手を置きやがった。


「ごめん……。先に、行くわ……。ぷっくく、まったなーしれーかーん!」

「あ、おい深雪ぃ!?」

「帰って引きこもる……」

「私も、ちょっと疲れました……。お風呂に入って温まりたいです」

「せっかくのカーディガン、染みにならないうちに洗わないとね」

「ごめんない、司令官。私では、お役に立てそうにもありません。マフラー、嬉しかったです。さようなら……っ」

「えっ、えっ、白雪も行っちゃうの!?」


 笑いを堪えきれず、途中で吹き出しつつ走り去る深雪。
 初雪と磯波、叢雲に、なぜかラブロマンスのヒロイン的な白雪まで背を向け、残ったのは秘書官としての責任感を持つ吹雪のみ。
 薄情者どもめぇぇぇ……。


「提督。今夜は寝かせませんよ?」

「わーい。妙高さんからお誘いなんて、嬉しくて涙が止まらないやー」


 ズダン。
 笑顔で木製みかん箱を置く第一秘書官様に、涙をちょちょぎれさせる自分。
 今夜は缶詰かぁ……。生活費捻出のために始めた鳳翔さんのお店に、ちょっくら顔を出すつもりだったんだけどなぁ……。
 しくしくしく………。


「……私もお付き合いしますっ。何をすればよろしいですか? 司令官!」


 ――と、泣き濡れるダメ男の隣に、再び腰を下ろす少女が。
 どこからともなく、もう一つみかん箱まで用意している。


「え。い、いいのか、吹雪」

「当然です。秘書官ですからっ」

「……ありがとう。なら、こっちの書類を頼む」

「はい! 頑張りましょうね、司令官!」


 書類の一部を渡すと、彼女は両手をグッと握り、見るものを元気付ける、暖かい笑顔を浮かべた。
 今度は感動に涙が溢れそうになるけれど、それを必死に押さえ込み、胸に差していた万年筆を取る。
 こんな良い子を、終日仕事詰めにする訳にはいかない。頑張って、日付が変わる前には終わらそう。
 そう心に決め、自分はみかん箱へと向かうのだった。




「すぅー。くひゅー。……や、しれーかん……そこは……そんな、らめれすぅ……。ぐー」

「手伝ってくれるんじゃなかったのかよ……。っていうか、どんな夢を見てるんだ……」

「提督? 手が休んでいますよ」

「はいすいません」




















 まるゆの育成が間に合わない……! 二隻目のBis子さんまで来たせいで、母港がキツいよ……っ。冬イベの新規艦娘、少ないといいなぁ……。
 それはさておき。今回は「アイリちゃん実は本名でした・鳳翔さんのお店行ってみたい・パンモロは有り難みがないと思います」の三本立てでお送りしました。
 変な更新の仕方になりましたが、次回更新もこぼれ話の方が長いのは確定です。
 んで、本編とは全く関係ありませんが、実は筆者、しらゆきちゃんの内側をつぶさに観察。色んなところを撫で回した挙句、土足で踏み荒らした経験がございます(文学的表現)。まぁ御察しの通り、護衛艦の方なんですけどね。
 あの頃は軍艦にまるで興味がなくて、ましてや小説書くなんて夢のまた夢で、あんまり覚えてないのが心残りです。
 魚雷発射管の触り心地は覚えてますけども。冷たくてごんぶとだったナリ……。
 次回はやっとこ横須賀へ戻り、とある準備を進める主人公のお話。ご期待下さい。
 それでは、失礼いたします。

「うっくぅぅ……。み、妙高姉さん見てると首が痛いぃ……。もげるぅぅぅ……」
「大変だねー。そんな時はさ、踊って全部忘れちゃおー! そぉれワンツー、ワンツー!」





 2015/01/14 初投稿
 2015/01/24 本編+こぼれ話を追記
 2015/01/25 誤字修正。瓶様、土下座衛門様、ありがとうございました。うわー見直したはずなのにぃ……。
 2015/01/26 誤字修正。R.T.L様、ありがとうございました。あっしの眼は節穴でごぜぇます。
 2015/02/25 誤字修正。柊様、ありがとうございました。もう笑うしかない。
 2015/03/09 誤字修正。毛の宿る提督様、ありがとうございました。皆様の支えで成り立ってます、ホント。







[38387] 新人提督と土曜の昼の猛練習
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/07/18 22:59




 最近、桐竹くんに笑顔が増えているような気がした。
 もともと、軍人らしい人物を装っておきながら、表情豊かな彼だったが、明るい顔をする事がとみに多くなった。
 色々と難しい立場にある青年でもあるし、同僚 兼 人生の先輩として、とても喜ばしい。
 ただ、問題も一つ。
 彼の周囲に、妖しい人物の気配を感じるのだ。
 情けない話だが、私自身の経験から、彼らは間違いなく裏社会の人間。軍とはまた違う、“力”を行使することに躊躇いのない連中と思える。

 狙いは……“彼女”か。それとも……。
 いずれにせよ、彼は浮かれきっているように見え、警戒など微塵もしていない。
 吉田二佐――ではなく、もう大佐と呼ばなければならないのか。連携して防御網を拡げなければ。

 ……彪吾は。義理の息子は、今の私を見てどう思うだろう。
 あの子が頼りないと言い、俺が支えてやるから、と言って貰った男は、どこに行ったのか。
 皆を楽しませる物語は紡げない癖に、何故、戦いばかり上手くなる。
 こんな才能、欲しくなかった。
 護国五本指などという戦上手の誉れよりも、暖かい家庭を守る力が、欲しかった。
 ふと、そんな寂しい……いいや。下らない考えが頭をよぎった。


 薄汚れた手帳の一遍から抜粋。
 誰が書いた物かは不明だが、端が擦り切れるほど、読み返された形跡がある。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「ぅあっ!? ぃ、たい……!」


 わずかに身体を前へ押し出すと、腕の中の少女は――雷は、痛みに顔を歪ませた。


「ごめんっ。痛かったか」

「っ……う、ううん、大、丈夫……。続、けて……?」


 慌てて離れようとするが、自分の左手は、彼女の右手と繋がったまま。
 健気に応えてくれる気持ちは嬉しいけれど、まなじりに浮かぶ雫が痛々しい。


「やっぱりまだ早いよ。自分も君も、こうするのは初めてなんだし。もっと準備してからの方が……」

「……だから、するんでしょ? 電との、本番のため、に……。私なら、我慢できる、から……。ちゃんと練習、しなきゃ……ね?」

「雷……」


 繋いだ手に、力が込められた。
 密着するほど近い身体が、緊張と苦痛で震えているのが分かる。
 しかし、彼女はそれを押してでも、こんな男に尽くそうと笑みを浮かべて。
 無下には出来なかった。


「分かった。ゆっくり、行くぞ?」

「ん……。うっく!」


 再び、身体を前へ。
 雷の顔がまた歪んでしまうも、今度はそのまま。


「ぁ、ぐ……ふっ……ぁうっ……ん゛、ん゛……」


 リズムを刻むたび、苦しげな息遣いが合わせて弾む。
 縋るような指が、強く絡みついてきた。ついには涙まで溢れ、柔らかい頬を濡らしていく。
 胸が締め付けられるようで、もう、耐えられそうにない。
 だから、自分は――


「……やっぱ止めよう雷っ。これ以上君の脚を踏むなんて嫌だ! ホントごめんな、踊るの下手くそで……」

「そ、そんなこと無いわ! 私がついていけないから……痛っ」

「あぁぁごめんごめんごめん」


 ――慌てて不慣れなステップを中断する。
 鎮守府の片隅にあるトレーニング施設。その一室に掛けられていたワルツは止まり、繋いでいた手が離れた。
 貸切にしてもらったここで、自分は上下をジャージで固め、社交ダンスの練習に励んでいるのだ。
 まぁ、結果はご覧の通りなんですが……。


「ありゃりゃー。基本のステップは出来てたから大丈夫かと思ったけど、ちょっと早かったかなー?」

「そうみたいね。痛々しくて見てられないわ」

「う……。返す言葉もございません……」

「え、えと、でもでも、リズムはピッタリ合ってましたよ? 最初の頃に比べれば、絶大な進歩です! タオルどうぞ!」


 涙目の赤ブルマー雷を慰めていたら、こちらへ歩み寄る影が二つと、壁際で体育座りをする少女が一人。
 一人はタオルを差し出す雪風だが、残る二人は、同じ陽炎型でも新顔の駆逐艦だ。


「雪風の言う通り、リズム感は良くなってきたと思うから、この調子で行ってみよー! こういうのはノリが一番大事だしねっ!」


 短めのポニーテールに結った金髪と、水色の瞳。
 雷・雪風と同じく、体操服に赤ブルマーで決める彼女は、舞風。名は体を表すのか、ダンスを趣味とする陽気な少女である。
 ちなみに、普段の格好はブレザータイプの学生服なのだが、スパッツは履いていないようで、首元は幅のある赤いリボンで飾られていた。
 リボンで個性を出すのが陽炎型の特徴みたいだ。雪風だけ特別なのは、やっぱりその逸話ゆえだろうか?


「はぁ……。なんで私までこんな格好……。暇だからって付き合うんじゃなかったわ」


 そしてもう一人が、陽炎型七番艦・初風。
 舞風と似た瞳の色をしていて、同じ色の髪は前髪パッツンなセミロング。当然のように体操服である。滅茶苦茶イヤそう。
 ……別に、自分が強制したわけじゃないです。なんでか酒保にブルマーしか売ってなかったんですよ。色は二十色くらいあったのに。良いセンスだ。
 余談だが、彼女はブーゲンビル島沖海戦において、重巡である妙高とごっつんこ。艦首切断という憂き目に遭っていたりする。
 あと、普段着の首元のリボンは黄色だったはずだ。あんまり関係ないけども。


「とにかく、雷は少し休憩しててくれるか。ほら」

「うん。ありがとう、司令官」


 まだまだ練習を続けたいが、まずは雷のダメージを回復させる方が先決。
 支えるようにして初風のいる方へと向かうと、そこには休暇中であるはずの駆逐艦が四人ほど。またもや体操服姿の白露型たちだ。
 ……いや、本当に強制したわけじゃないんですよ。彼女たちの方から欲しがったんです。だから自分は悪くないと思います。


「大丈夫? 雷ちゃん。ステップ毎に踏まれてたけど……」

「逆に見事なくらいだね。あそこまで思いっきり踏めるなんて」

「し、司令官は悪くないのっ。私がちっちゃいから、歩幅が合わなくて……」

「そもそも、身長差がある子を練習相手に選ぶ時点で、何か間違っているっぽい?」

「自分からハードル上げてるようなものよね?」


 誰かに向けた言い訳を唱えているうちに、白露、時雨、夕立、村雨が群がってくる。
 ヒドい言われようだけど、反論の余地はまるで無い。
 舞風と一回踊ったくらいじゃ、全然ダメかぁ……。


「やっぱ、まだ一人でボックス踏まなきゃダメかな、舞風」

「んー。でも、あんまり時間ないんだよね? だったら習うより慣れろ! とにかく踊りまくって、身体で覚える! 私も付き合うから、元気出していきましょー!」


 グッと拳を突き上げて、舞風はよりテンションを高めていく。
 渡りに船と言わんばかりに、艦隊へやって来てくれた彼女。
 ミッドウェーでは炎上中の加賀を護衛。乗組員の救助をしたり、赤城の雷撃処分をしたりと、重い過去を背負っているのだが、そんなことを感じさせない明るさは、今の自分にとって何よりありがたい。
 頑張らねばっ。


「そうだな。また頼むよ。初風、水くれるか?」

「はいはい……。あーもう、見栄っ張りな提督に付き合わされて、大変だわ」

「ははは、すまんすまん」


 心機一転、仏頂面な初風からペットボトルを受け取り、キャップを開ける。
 そもそも、どうしてこんな事をしているかといえば、佐世保での一件が大きく関わっているのだ――。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「仮面舞踏会?」

「そ。千条寺家主催のね」

「……はい、長門さん頂きました、あざーっす! あ、次は金剛さんお願いしまーす!」

「ワタシですか? 仕方ないですネー。Touchは厳禁ですヨ? それはテートクOnlyデース」


 普段とは違う騒がしさに包まれる、佐世保鎮守府のドックにて。
 桐ヶ森提督と自分。そして数人の統制人格たちは、係船柱へと腰掛ける彼女を中心に、ある説明を受けていた。
 桐谷提督が言った例の件――つまり、「ワルツを踊れるか」と聞かれた事に関してだ。


「毎年の恒例行事なのよ。“桐”を集めて、政財界のお偉方と懇談会。アンタのお披露目も兼ねてるわ。襲名披露宴みたいなものね」

「お披露目……。そう言えば、今までは大きなニュースになってましたね」

「そうなんですか?」

「うん。子供の頃に街頭テレビで見た記憶がある」

「きゃあーん♪ これが飛燕改二! かっわいいです!」


 首をかしげる電に頷き返しながら、過去の記憶を振り返る。
 自分がなったせいで感覚がマヒしちゃっている部分があるけど、“桐”というのは日本を代表する存在。
 当然、その襲名は世間で大きく取り沙汰され、テレビでも特番を組むのが恒例だった。
 煌びやかな衣装に身を包んだ麗人。エスコートする壮年男性。部分的に公開されていた内装などが印象に残っている。
 ちなみに、一番覚えているのは出されている食事のメニューだったり。よく「アレ食べたいー」とか言って、母さんを困らせたもんだ。


「でも、今更ですか? もう襲名してから半年以上経ってるのに……」

「あのねぇ……。自分がどれだけブっ飛んだ経歴なのか、まだ自覚してないの?
 舞踏会に合わせて“桐”の襲名やら何やらをするのが普通であって、アンタの襲名の仕方がおかしいのよ」

「まぁ、確かに」

「あの時はびっくりしたわ~。なんだか、凄く懐かしい気分ね~」

「本当にな、龍田」

「あざしたー! お? 赤城さんの困ったような表情頂き――あ、ごめんなさい加賀さんごめんなさい。睨むのはやめて下さい嬉しくて死んでしまいます」


 自分の場合は……。どうだったんだろう?
 あんまりにも唐突で、オマケに赤城の受領とかで忙しくなっちゃったもんだから、よく覚えていない。
 名前をネット検索とか、ボロクソに叩かれてそうで怖いから出来てないし、過去のニュースは全く把握してなかったりする。
 今は世情に詳しい……というか、詳しくあろうと頑張ってくれる、青葉や霧島が居てくれるので、大助かりである。


「でも、藍璃ちゃん。なんで仮面舞踏会なの?」

「伝統よ。あと、匿名性を守るため。私の場合、ストーカー対策もあるわ。
 といっても“桐”の正体なんて、その気になれば一般人でも調べられるんだけどね。
 ダミーが百くらい用意してあるから、当たりを引く確率は少ないけど」

「自分の実家も、案外平穏にやってるみたいですね。良からぬ連中が集まってくるかと思ってましたが」

「ま、上層部もお飾りじゃないって事よ。ありがたいじゃない」

「はぁぁぁ……。この冷たい手触り……。最高ですぅ……」


 島風の質問には、ちょっとだけ柔らかい言葉尻で答える桐ヶ森提督。微妙に寂しい。
 それはさておき。昔から長い物には巻かれろ、とよく言われるように、権威という物には、蟻のように群がる連中が付き物だ。
 “桐”の人物像を機密扱いするのは、そういった厄介事を未然に防ぐという意味合いがある。
 自分も軍へ入隊する時、真っ先に心配したのは実家のこと。
 どこからか繋がりが漏れ、家族を盾に軍からの協力を求められたり、取り入ろうと過剰な援助をされたり……。色々と考えてしまったけれど、実際にそういうことは起きなかった。

 最近届いた手紙には、母さんからの「あんたいつ結婚するの?」なんてお節介な一言まで。
 たぶん一生無理。電を紹介したら殴られそうだし。
 そういや、仮面舞踏会ってようするにパーティーなんだから、女性客も多いはずだよなぁ……?
 こういうのに出る女性って、たいていは玉の輿狙い。サボっちゃおうかな……。


「一つ言っておくけど、断ろうなんて馬鹿なこと考えないでね。アンタは絶対参加させられるから、そのつもりで」

「う。……どうしても、ですか?」

「お披露目って言ったでしょう。それに、アンタが居ないと私と桐谷が二人っきりになっちゃうもの。そんなのイヤよ」

「あれ。間桐提督は……出てくるわけないですよね」

「そういうこと」

「もやしっ子だねぇ、間桐提督ってのは。そんなんじゃ風邪ひいちまうよ。ねぇ五月雨?」

「ダメだよ、涼風ちゃん。そんな風に言っちゃ」

「はい、あざしたー! あ、妙高さんと那智さんは並んでもらって……。はいっ、美人OL風姉妹艦、頂きましたー!」


 面倒臭さが顔に出ていたのか、碧い色のジト目がこちらを向く。
 桐谷提督と二人っきり。自分も絶対にイヤだ。あの人と一緒にいたら半日で胃がおかしくなるよ。
 間桐提督は公の場に顔を出した事がないらしいし、襲名の時とかどうしたんだろう。


「あの、具体的な式次第とかは?」

「詳細は桐谷から招待状として送られてくるはずよ。
 初期訓練で軍人のマナーは学んでると思うけど、それだけじゃ恥をかくから、きちんと勉強しておきなさい。
 私のエスコートするんだし。いいわね」

「はい。分かりまし――はぁ!? え、エスコートぉ!?」

「……ねぇねぇ。えすこーとって何?」

「男の人が、女の人を守りながら先導することよ~。分かった~? 島風ちゃん」

「あ、こんな所に油汚れが。……うんっ、これで良し!」


 思わず目を丸くすると、桐ヶ森提督は足を組み替え、ジト目から心外そうな顔に。


「何よ。嫌なの? こう見えても“桐”なんだから、他に釣り合う相手なんて居ないでしょ。
 去年までは虫除けも兼ねて、私が桐生を逆エスコートしてたから良かったけど、今年は無理だもの」

「それは、そうですが……。自分に、桐生提督の代わりが務まるでしょうか……」

「……前々から思ってたけど、アンタって妙に自己評価が低いわよね。卑下してるっていうか」

「卑下、ですか」

「はぁい利根型姉妹のお二人もあざーっず! 次は……重雷装艦の――さーせんしたー。邪魔するつもりはないんで、そのままでどうぞー」


 自己評価が低い……。周囲のみんな――電や島風。龍田、五月雨、涼風を見回せば、納得しきりという顔付きで首を縦に。
 そんなこと言われても、根っこが小市民なもんで。始まりが単なる偶然だったし、デカい面しちゃいけない気がしてるんですが。
 なんて事を思いつつ後頭部をかいていたら、桐ヶ森提督はおもむろに立ち上がり――


「いつまでも学生気分でいるのはやめなさい。
 アンタが自分をどう思おうと、その一言は多くの人間に影響を及ぼし、人生を左右する。
 もうそれだけの事を成し遂げて、見合うだけの影響力を持っているんだから」

「……ふぅ。堪能しちゃった。今度はぁ……Ju87C改ちゃあんっ♪」


 ――ツン、と指で胸を一突き。
 言い聞かせるような口振りに、不器用な優しさみたいなものを感じる。
 こんな風に気を掛けてくれるなんて、意外だ。いや、島風のことを考えたら不思議じゃないのか?
 明らかに学生の年頃な女の子から言われるのは、ちょっと変な感じだけど。


「あぁもうっ、しょうがないわね。一回しか言わないから、よく聞きなさいよ?」

「は、はい」

「さぁ気を取り直して、そこのお美しいレディ! 一枚お願いします! ……あー違います。暁ちゃんじゃなくて、扶桑型のお二人のつもりだったんですけど」


 少々戸惑っていると、今度は彼女が後頭部をかきむしり、鼻息荒く腕を組む。
 そして、「不本意だけど」と前置きをしてから、静かに口を開く。


「舞鶴での言葉、撤回するわ。アンタは強くなった。
 技量うんぬんだけじゃなく、肩を並べる者として、信用できる。……“貴方たち”は、信頼できる。
 誇りなさい。“桐”を名乗れる男、そうそう居ないんだから」

「零戦の緑とは少しだけ違う緑……。あえて残されてるサイレン……。はぁぁ、格好良いよぅ……」


 見上げてくる瞳には、欠片ほどの照れと、小さな身体に収まりきらない自信が溢れていた。
 京都は舞鶴で初めて出会い、それから数ヶ月ほど。
 侮られ、歯牙にもかけられなかった自分が、ようやく得た戦友の信頼。
 ……うん。元養鶏場の長男がここまで来たんだ。ちょっとだけ、自信持とう。


「ありがとうございます、桐ヶ森提督。お言葉、嬉しく思います」

「ん。素直でよろしい。調子には乗らないようにね。まだ背中を預けるには早いんだから」

「電も嬉しいです。ありがとうございます、なのです!」

「もう聞いたわよ。ったく、本当に健気な子ねー」

「はわわわ、あの、髪が乱れちゃうのです……」

「はぁい。お嬢ちゃんたちもありがとねー。さって次、古鷹さんと加古さん! ポーズお願いしまーす!」


 自然と笑みが浮かび、釣られた桐ヶ森提督や、電たちも表情を柔らかくした。
 戦いを経て紡がれる絆……なんて洒落た言い方、自分にゃあ似合わないけど、確かな繋がりを感じる。
 それが照れくさいのだろう。年若い戦友は、もはや見慣れた小悪魔フェイスに。


「あぁそうそう。ワルツもしっかり練習しておくように。脚踏んだら承知しないから」

「はい……って踊るんですか? 自分と桐ヶ森提督が!?」

「踊らないでなんのための舞踏会よ。さっきから驚き過ぎ。……まさかとは思うけど、ダンス未経験とかじゃないわよね」

「へ? い、いやぁ、流石に踊った事くらいはありますよっ。大学時代に、ですが」

「そ。良かった。アンタを狙ってる御令嬢方からも誘われるでしょう。失敗したら末代までの恥よ? 頑張んなさい」

「マジですか……」

「やっぱり欲しいなぁ、飛燕改二とJu87C改……。ううん、いっそのこと載せるだけでも……」


 ポン、と肩を叩かれつつ、盛大にため息をつく。
 あんまり関わりたくないんだよなぁ、そういうの。
 うちの親は恋愛結婚だったし、それで上手くいってるのを見てるから、自分もそうなりたいって子供の頃から考えてるのだ。
 法的には難しいかも知れないけど、日本には内縁関係という素晴らしい習慣だってある。水を差されないよう、警戒を厳重にしとこう。

 ……いや。それと同じくらい重要で、なおかつ差し迫った問題がもう一つ。
 勢いで踊れるとか言っちゃったけど、実際にはワルツなんて踊れません。
 踊った事があるのは本当だ。しかしながら、それは学園祭の催し物の一環であり、結果なんて言うまでもない。というか思い出したくない。
 ならば撤回するのも一つの手なのだが、それも無理。何故ならば。


「司令官さん、凄いです。ワルツを踊れるなんて、ぜんぜん知らなかったのです」

「踊りねぇ。あたいは盆踊りくらいしか出来そうにないやー」

「私も知りませんでした。大人の男の人って感じで、五月雨、尊敬しちゃいます!」

「あぁぁ、うん。軍では踊る機会なんか無かったしね。自分の数少ない特技だよ。
 ちなみに他の特技は、口の中でサクランボのヘタを結べる、とかだったりするんだけど」

「あら~、良いこと聞いちゃった~。どんな感じにするのか、見てみたいわ~?」

「え、あー、き、機会があれば……」

「むむむ、ダンス……。ようするに、くるくるーって早く回れば良いんだよね? だったら私も踊れるよ!」

「いやいや。早くても意味ないわよ、島風さん。……にしても」


 これ以上ないくらいに、持ち上げられちゃってるからだ。
 裏切れない、裏切れないよ、この純粋な瞳たちだけは。
 龍田さんは気付いた上で放置してるっぽいけど。相変わらずドSですね!
 今ならまだ間に合うか? でも失望されないか?
 とか悩んでいるうちに、「さん付けやめてよー」と突っ込まれる桐ヶ森提督の視線が、別方向に向かい――


「あざしたー! じゃあ陽炎型の三名様、そこに並んで……あ、容量が足りねぇ。桐ヶ森提督ー、デジカメとか持ってませーん?」

「さっきからウルッサイのよ軍艦オタ! 潰すわよ!」

「ねぇねぇ提督ー! 今からちょっとだけ海に出ない? その……飛燕改二ちゃんとシュトゥーカちゃん借りて!」

「瑞鳳もいい加減にしてくれっ、普通に無理だから!」


 ――背景でずうっっっっっと騒いでたオタ調整士とオタ艦娘へと、突っ込まざるを得なくなってしまった。
 こうして、小さな見栄を訂正するタイミングは、永遠に失われたのである。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ……振り返ってみると、やっぱ自分がバカなだけだなぁ。
 水で一息つきながら、つくづく思う。
 あの翌日、書記さんに言おうか言うまいか悩みながらの励起で、舞風が踊りを得意とする統制人格として顕現してくれなかったら、どうなっていたか。
 都合が良い気もするけど、それを言ったらこの能力そのものが御都合主義の塊。
 運が良かったんだと思っておこう。とりあえず。


「じゃあ、提督。もう一回基本をおさらいしましょーか。初風、音楽はスローでお願ーい!」

「分かった」

「了解よ」


 空のペットボトルを潰し、差し出された手に従って部屋の中央へ。
 背後でラジカセ型再生機器が操作され、練習用のループ音楽――スローテンポのクラシックが流れ出した。
 にっこり笑う舞風と向き合えば、あとは手を合わせ、背中に腕を回したら準備完了なのだが……。


「っ……。どうしても、緊張するな」

「ダメだってばぁ。変に意識しちゃうから身体が硬くなっちゃうの。ほら、グッと!」

「お、おう……」


 そうするには、互いの吐息を感じる距離まで近づかなければならず、伝わってくる体温が心臓を高鳴らせた。
 嗚呼、何故に神は女の子という存在を、こんなにも柔らかく作ったのか。
 顔には出さないまでも、胸中で自分は悶えまくる。手だって小さいし、妙に細くて温かいし、拷問です。


「じゃあ左足からですよー。……はいっ。いち、に、さんっ。に、に、さんっ。さん、に、さんっ。よん、に、さんっ」

「ん、む、お、ほ」


 煩悩とクラシックが脳内でせめぎ合う中、意外にも、身体はキチンとステップを踏んでくれる。
 左足を前に。今度は右足。「さんっ」で向きを少し変えつつ、左足を引く。
 他にも色んな動き方があり、それを組み合わせることで、ステップは大きな円を描くのだ。
 まぁ、付けられてる名前とかは全然覚えてないんですが。


「いい感じです、司令。そのまま、そのまま」

「舞風の脚、踏んじゃ駄目よー? 散々踏んでるんだからー」

「雪風はいいとして、村雨は少し黙っててくれっ」


 回転する視界に、手拍子で応援してくれる雪風と、笑顔のままからかう村雨の姿。
 見ているだけの子は気楽だよ、全く。いい太ももしやがって。
 って視姦してる場合じゃない。もうそろそろ終わりだ。最後まで気を抜かないように……。


「はい、お疲れ様でしたー。やっぱり基本は大丈夫みたいですねー。ステップもターンもOKです!」

「じゃあ、歩幅の問題か。正しく踊るのに精一杯で、気が回らないのかな……」

「ぁう……。ごめんね、司令官。私の身体がちっちゃいせいで……」

「ん……。僕は、違うと思うな」

「ぽい? なら、時雨ちゃんはなんでだと思うの?」


 ほどなく、自分たちは踊り始めた位置に戻り、即席ペアが解消された。音楽も同時に。
 舞風のリードが上手いというのもあるが、踊れてしまった。雷はさらに身体を小さくしてしまう。
 しかし、彼女を慰める時雨がそれを否定し、夕立の声を背に進み出る。


「舞風。代わって貰えるかな?」

「いいよー。身体は半分くらいズラして、左手は二の腕辺りにね?」

「うん。見て覚えたから、大丈夫。……それじゃあ、提督」

「え、あ、分かった」


 そのまま立ち位置を入れ替え、正面にはブルマーな時雨が立つ。
 断るなんて選択肢があるはずもなく、出された右手に左手を絡め、軽く触れる程度に背中へ腕を回す。
 が、なぜだか彼女は不満そうな顔を見せる。


「もっとしっかり頼めるかな」

「え? えっと、こうか」

「駄目だよ。抱き寄せるつもりで、こう」

「だ、抱き寄せるって……! えぇ……」


 グッと距離がつまり、思わず上体が反ってしまった。
 前々から思ってたけど、一人称は「僕」な癖して、仕草や雰囲気がしっとりしてるから、ドキドキさせられる事が多いんだよな、この子。
 もちろん悪い意味じゃないんだけど……。


「提督は、僕じゃ嫌……?」

「とんでもない! ……時雨の方こそ、嫌じゃないのか」

「嫌ならお願いしたりしないよ。遠慮しないで」

「そうか……。なら……」

「うん」


 寂しそうに伏せられるまぶた。
 慌てて問い返すと、ゆらゆら一本お下げが揺れる。
 ここまで言われては、是非もない。時雨の肩甲骨辺りに右手を置く。
 うぅ……。舞風もそうだったけど、ブラ紐の感触が生々しいぃ……。
 雷の時は、逆にそれが無くてマゴマゴしちゃったし。社交ダンスで飯食ってる男の人を尊敬するわ……。


「ねぇ、テンポはどうするの」

「スローでお願いするよ、初風」

「ん、了解っと。じゃ、これで行けるわね?」


 再び音楽が流れ出す。
 しばらく続いた前奏が終わる瞬間、自分は時雨と頷き合い、恐る恐る一歩を踏み出した。


「うぉ……っと……おぅ……わっ」

「ダメだってば提督ー! もっと寄り添うように、息を合わせて! はいっ」

「頑張って、司令官っ」

「あ、あっ、わわ、見てるだけでハラハラしますぅ」


 あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。
 危なっかしいステップに、舞風を始め、雷や雪風が声を上げた。
 それでも、なんとか足を踏まないよう全力を尽くす。
 冷や汗をかきながら、ようやく一通り踊り終えると、「お疲れ様」と頭を下げる時雨が、困ったように口を開いた。
 

「やっぱり、原因はアレだね」

「うん。私も分かっちゃったよ! 真実はいつも一つ!」

「どう考えても、アレよね?」

「え、えっと……。夕立はよく分かんないっぽい? 時雨ちゃん、説明してー?」


 続いて、白露や村雨たちも、しきりに頷き始めた。
 夕立と同じく、なんのこっちゃ? と首を傾げていたら――


「提督は、物理的に女性と接触するのに、慣れていないというか。そのせいで及び腰になって、ステップが乱れているんじゃないかな」


 ――実に言いにくそうな顔で、侘しい真実を突きつけられた。
 ううむ、なるほど。詰まりは喪男なせいだと。なるほどなるほどー。
 いや認めちゃいかんだろ自分!?


「そ、そんな事ないだろう? よく駆逐艦の子たちを撫で回してるし……」

「主に頭を、だよね。他の所に触ったことは? 肩や腰に腕を回した事とか、身体を密着させた事はある?」

「んなっ、あ、ある訳ないっ……いや、ある、あるぞっ。電と赤城は励起した時に抱きとめたし、この前は初雪と一枚のコートにくるまってだな!」

「ちょっと、そんな事してたの?」

「あ」


 どうにも認めがたく、ついセクハラ自慢をしてしまうのだが、初風からの冷たい視線で正気に戻る。
 やばい。なに言ってんだろ。舞風と雷は「やるねー提督ぅ」「いいなぁ」なんて言ってるけど、全然良くない。
 出会ったばっかで打ち解けてもいないのに、マズった……。


「とりあえず、置いておこう。質問を変えるけど、提督の方から接触を持ったことはあるかな。頭や肩以外に」

「………………ない、と思います」

「つまり、時雨ちゃんの言う通りってことね。女の子とのスキンシップに慣れてないから、ドギマギしちゃう、と。困ったわね~」

「そういえば、背中に添えられた司令官の手がモゾモゾ動いて、ちょっとくすぐったかったかも……」

「それは……なんか、お、落ち着かなくて」

「うー、想像しただけで悶えちゃうっぽい~」


 改めての質問に答えると、村雨は人差し指で自身のおデコを叩き、難しい顔。夕立はくすぐったそうにモジモジしている。
 く……。こんな形で喪男なのがバレるとは……っ。もともと気付かれてた気もするけど、なんか悔しい。


「んー、ダンスを踊るには致命的かもねー? 中途半端に組んでるだけだと、怪我の元になっちゃうし」

「こうなったら、相手を取っ替え引っ替えして慣れるしかないと思う。初風、お願いするね」

「……っえ!? な、なんで私が踊らなきゃいけないのよ!?」


 コーチである舞風も、片脚立ちでお悩み中だ。
 そんな所へ、時雨がまたしても爆弾を投下。直撃を食らった初風は慌てふためく。


「別に踊る必要はないよ。ただペアを組んで、リズムを合わせるだけでも効果的なんじゃないかな」

「うんうん。私たちはけっこう提督と付き合い長いから、刺激っていう意味でも丁度いいと思う! この中では一番の新人さんだし!」

「おー、なるほどー。初風だけに初々しい……なんちゃって」

「舞風ってば、オヤジ臭いわよ~? とにかく、見てるだけじゃ退屈でしょ、ほらっ」

「頑張って下さい! 司令のためです!」

「え、え、ちょ」


 時雨の説明に白露が賛成し、突っ込む村雨が初風を引っ張り上げる。
 雪風から応援されては断れないのか、たたらを踏みながらも進み出て、こちらの真正面で立ち止まった。
 どうやら、自分の意思は無視されるらしい。


「あ……う……えと……。へ、変なとこ触ったらぶつわよ、叩くわよ! 妙高姉さんに言いつけるわよ!?」

「言われなくても分かってる。だから後半はマジでやめて」


 身を庇うようにする初風は、顔を真っ赤にして警戒心も露わに。
 気持ちは分かるけど、妙高を引き合いに出すのはやめて欲しいなぁ。
 先に挙げたが、ブーゲンビル島沖海戦でこの二隻は衝突。初風は艦首を切断するほど大きな損害を受けた。
 そして、パプアニューギニア・ニューブリテン島にあるラバウル基地への帰投中、敵艦からの集中砲火を受けて、その身を海に沈める。
 苦手とする……っていうか、鬼のように扱うのも理解できるんだけどさ。あんがい気にしてるんだよ、妙高も。廊下ですれ違うたびに怯えられて。
 仲良くしてあげて下さい。


「それじゃあ、しばらくループして音楽かけますから、ゆっくりリズムを取ってみて下さいねー。ミュージック……スッタートォ!」

「って、もう始めるのか!? ああと、ほら初風、手、手!」

「わ、分かってるわよ……っ」


 こちらの都合も御構い無しに、ダンスミュージックが流れ出してしまう。
 自分たちは大慌てでペアを組み、舞風たちの視線を一身に受けつつ、左右に身体を動かす。


「ううう、なに、なんなのこれ……。恥ずかしくて死にそう……っ」

「考えるな初風、自分だって同じなんだから」


 赤くなった頬を隠したいようで、あちこちに目線を投げ、俯き加減な初風。
 なんでか知らないけど、みんなジィッとこっちを見てるし、本当に羞恥プレイしているみたいだ。


(考えるのやめよう。心頭滅却すれば火もまた涼し。慣れてしまえば視線も快感ってことにしよう。新境地開拓っ)


 羞恥心をアホな考えに誤魔化し、無心でリズムを刻み続ける。
 音楽は何度かループ。時間的に、十分程度は経過しただろうか。
 ふと、間近から見つめられている事に気付いた。初風だ。


「……どうかしたか?」

「見てるだけよ。いけないの?」

「いけなくはないけど……」


 みんなに聞こえないくらいの、囁き声で聞いてみるのだが、視線は動かない。
 先程までと趣の違う、居心地の悪さ。
 天井のシミを数えて耐えていると、今度は彼女がささめく。


「ねぇ。なんで提督は、こんな必死に練習するの。みんなに隠れてまで」

「そりゃあ……。あんな見栄を張った手前、『実は踊れません』とか言うの、悔しいし」

「でも、本当に踊りたいのは電ちゃんなんでしょ? さっさとありのままを打ち明けて、あの子と練習した方が楽しいんじゃ、ないの……」


 言葉が終わりへと向かうにつれ、瞳は伏せられた。
 電と練習、か……。そりゃあ、そっちの方が楽しいに決まってる。
 さんざん恥ずかしいところも見られてきた。今さら一つや二つ、恥が増えたって問題ないだろう。
 ……しかし。自分にだって、意地はあるのだ。


「よくさ。ありのままの自分を見て欲しいとか、好きになって欲しいって言う人、居るけど」

「……けど?」

「自分は、その“ありのまま”に、あんまり自信がないんだ。
 みんな褒めてくれるけど、なんていうか……。その“みんな”が居てこその自分だしさ。
 軍人としてはそれなりでも、一人の男としては、まだまだ未熟だと思う」


 例えば今、自分から傀儡能力を取り上げたとして、後に残るものはなんだろう。
 材料限定の料理の腕。良くも悪くも平凡な顔。同年代よりは鍛えてある肉体。たぶん、この程度。
 ハッキリ言って、人間的な魅力があるとはお世辞にも言えない。
 だから。


「だから、自分一人でも頑張れることがあるなら、努力して、昨日より成長したい。もっといい男になりたい。
 少しでもマシな自分を見てもらって、いざ両想いになった時、恥ずかしくない男でいたいから。
 ……とまぁ、ちっちゃい理由なんだけど。結局は巻き込んじゃってるし、雷には代役なんて頼んじゃったし」

「ふぅん……」


 良いことを言ったつもりだったけど、実際はそうでもない事に気付いて、最後に苦笑い。
 呆れられるかとも思ったが、初風はバカにしたり、笑ったりせず。
 ただ、頷きを返してくれた。


「ま、ナルシストとかよりは、良いんじゃないかしら。ダンスはまだまだですけどね」

「よく言うよ。初風だって踊れないだろ」

「残念でした。舞風のを何度も見て、完璧に覚えてるわ」

「ほぉ? なら、試してみるか」


 しかし、すぐさま自信家な一面へと取って代わり、自分も挑戦状を叩き返す。
 無言は数秒。微笑み合うのは同時に。
 そうして――


「いいわっ。足手まといになったら、置いて行くんだから!」


 ――生まれたばかりの即席ペアが、ステップを踏み出すのだった。










《超短こぼれ話 ああっと! どこからともなく謎の光線が差し込み、濃厚な湯気が立ち昇ったぁ!》




「はぁー。生き返るー。やっぱり、お風呂は気持ちいいわねー」


 ちゃぷん。
 と水音を立てながら、一糸纏わぬ雷が大きく背伸びをする。
 頭の上で組まれた指が反り、細い腕をお湯が伝っていた。


「うんうん。みんなで踊りまくっちゃったもんね。一番踊ったのは白露ですけどっ」

「足がパンパンー。しっかりマッサージなきゃ」


 膨らみかけの胸を張る白露。湯船から足先を露出させる、髪をお団子に結い上げた村雨など、先程までダンスの特訓をしていた彼女たちが居るのは、桐林艦隊宿舎にある大浴場であった。
 中央に四角形の大きな湯船があり、そのさらに中央にはお湯を吐き出すマーライオン。
 浴場壁際にはジェットバスを楽しめる小型の浴槽、打たせ湯コーナーなども作られていて、ちょっとしたスーパー銭湯気分を味わえる。
 これら設備には全て使役妖精が宿っており、掃除しなくても自動的に清潔さを保ってくれる、夢のメンテナンスフリー大浴場なのだ。
 欠点として挙げられる点は一つ。誰かが湯船に浸かってくれないと、使役妖精がヘソを曲げてしまうことだろう。


「結局、みんなが提督と一回は踊って、一回は踏まれちゃったね」

「全くあの提督は……。いい感じで踊れてたのに、最後の最後で思いっきり踏んづけるんだもの。本当にダメダメなんだから」

「まぁまぁ。初風だって踏んでたし、まだ練習始めて一日目だよ? 思い切りが良くなっただけでもスゴイってー」

「すっごく楽しかったっぽい~。お仕事もやり甲斐あるけど、こういうのも提督さんと遊べて嬉しいな~」


 縁に腰掛ける時雨が思い出し笑いをし、初風は隣で足を揉みほぐしながら溜め息をついた。
 あの後、息を合わせてステップを踏み始めた二人だったが、思いの外それは好調であり、もしや初成功か? ……と皆が思った瞬間、互いが互いの足を踏んづけ、見事に転倒してしまったのだ。押し倒されてしまった初風が怒るのも無理はない。
 しかし、舞風の言うことも間違ってはいないだろう。何もしないで恥をかくよりも、思い切り失敗して学ぶ方が有意義なはず。
 そんな理由もあり、初風の次は村雨、村雨の次は夕立、雪風、一番最後に白露……といった具合に相手を交代。猛特訓は続いた。
 その疲れを癒そうと、こうして湯船に浸かっているわけである。

 ここで、誰もが知りたがっているであろう情報を公開しよう。
 現在、この大浴場には濃厚な湯気が立ち昇っている。
 さらには窓もないというのに、どこからともなく謎の光線が差し込み、ところどころ視界を遮っていた。
 故に、見えない。
 湯船へと入るため、タオルで長い髪をまとめる時雨たちが両腕を思い切り上げても、何がとは言わないが……見えない。
 どう頑張っても、普段は隠れている白いうなじや、なだらかな曲線を、腰のくびれに向けて下る水滴しか、見ることが叶わない。
 これが世界の修正力である。悪しからず。


「どうしたの? 雪風。さっきから黙ってるけど」

「提督に踏まれた所が痛いとか?」

「あ、いえ。違います。ちょっと気になることが」


 どこからか憤怒の叫びが聞こえてきそうだが、そんな物は少女たちに届かない。
 大人しく湯を楽しむ雪風を、雷と白露が気遣う。
 提督と別れてからというもの、彼女は口数が減ったように思えたからである。
 けれどそれは否定され、ジィ……っと茶色い瞳が雷を射抜く。


「あのぉ……。雷ちゃんは……司令のことが、好きなんですか?」

「ブッ!?」

「んわぁ! 汚いっぽいぃ!?」


 脈絡のない指摘に、雷は吹いた。夕立が直撃を受け、顔を洗う。
 あまりに反応が大きかったからか、時雨や村雨もワラワラと。


「しかし、唐突だね」

「前々からそういう気配あったじゃない? いきなりどうしたの?」

「いやいやいやいやいやいやいやいやいや、無いから! そんな気配無いから! 司令官のことを好きなのは電で、私は……別に……」


 珍しく狼狽えまくりな雷。
 両腕を振り回して「好き」という言葉をかき消そうとするが、次第に声のトーンを落とし、顔を半分だけ潜水させる。
 否定したいのに、したくない。矛盾だらけの気持ちが気恥ずかしい。


「でも、司令とダンスのペアを組んでる時、とっても楽しそうだったような気がして」

「あぁー。それは確かにそうだねー。笑顔が輝いてて、見てる方も楽しくなる、良いダンスだったなー」

「言えてるかも。明らかに表情違ってたわ」

「うむむ……。そればっかりは、この白露でも認めざるを得ないかも……。二回目に踊った時の雷ちゃん、一番に輝いてた!」


 そこへ追い討ちをかける、雪風、舞風、初風。
 腕を組む白露が最後を飾り、包囲網は完成した。
 周囲を敵に囲まれ、絶望的状況かと思われたが、雷も足掻く。


「……わゎ、私の事より、時雨とかはどうなのっ? 自分からペアを進み出てたし!」

「あ。露骨にすり替えたっぽい。まぁいっか。で、そこのところどう?」


 この場における最も有効な戦法。話題のすり替えである。
 ……まぁ、すり替えと言っていいのか怪しいレベルではあるけれど、夕立がそれに食いつき、視線の集まる場所も変化した。
 が、思いも寄らず注目を集めた時雨は、平然と答える。


「恋愛感情の有無はさておき。……好意に値する男性だとは、思うかな」

「おぉー、直球ストレートだー」

「意外……。理由は? 少なくとも顔じゃないでしょ?」

「あの、初風ちゃん? 雪風、それはヒドいと思っちゃうんですけど……」


 妹の剛気な発言に、白露は驚く。
 普段から物静かな彼女が、こうもハッキリと感情を言葉にするなんて、滅多にないからだ。
 同じく驚いた初風の質問にも、小さな笑みを浮かべている。


「村雨、聞かせてあげてよ。あの話」

「えっ。わ、わたしが? でも……」

「あれ? 村雨ちゃん、なんか照れてるっぽい?」


 また注目される少女が変わり、今度は村雨。
 時雨の言う“あの話”はすぐに思いついたようだが、雷と似たような表情でためらっている。
 しかし、無言の圧力には耐えられず、やがて溜め息を一つ。
 おもむろに口を開いた。


「あの、ね。みんなもあの事は、聞いてるでしょう? 雷ちゃんたちが、あの戦いで経験したこと」


 その一言で、和やかなガールズトークから雰囲気は一転。茶化してはいけない、真面目な空気に。
 雷たちが経験した戦い。間違いなく、双胴棲姫との戦いであろう。


「わたし、みんなの前では平気な振りをしてたけど、後になって凄く怖くなっちゃったの。
 まだ一度も実戦を経験していないのに、あんな事実を知らされて……。撃つのが、怖くなっちゃった」


 かの戦いにおいて、敵に統制人格が宿り、彼女たちに取り込まれた船が“堕ちてしまう”ことも確認された。
 この事実は、戦闘に関われなかった留守番組みにも伝えられた。口頭のみならず、望む者には完全同調し、提督の記憶を追体験する事で、である。
 今まで鉄の塊だと思い込んでいた――思い込むことで目を逸らしてきた現実を、突きつけられたのだ。
 どれほどの衝撃だったのか、想像するまでもない。


「その日も眠れなくて、夜中にフラーっと散歩して。そんな時よ、吹雪ちゃんや妙高さんと一緒に、庁舎の方から帰ってくる提督と会ったのは」


 村雨は記憶を振り返り、目を閉じる。
 昼間から降り続いていた雪が、段々と小粒になっていく中、パジャマに褞袍どてらを羽織る彼女は、火の消えた食堂で一人、窓を眺めていた。
 誰にも悩みを打ち明けられず、モヤモヤとした気持ちを抱え込んだまま。
 そこへやって来た賑やかな気配が、○一○○を回ってようやく仕事を終えた、彼らだったのである。


「提督ね、わたしの様子がおかしいことに気付いて、疲れてるはずなのに時間を取ってくれたの。
 ちょっと恥ずかしいんだけど……。わたし、話しながら泣いちゃった。
 戦う事が怖い。死んでしまう事が怖い。……あんな風になっちゃうのが、怖い」


 先に吹雪たちを戻らせた彼は、「ちょっと待ってな」と言い残し、二人分の卵酒を用意する。
 普通なら飲んではいけない見た目の村雨だが、そこは統制人格。深く考えずに口をつけた。
 シンクに寄りかかって、初めて感じる日本酒の匂いと、柔らかい甘さと、温もり。
 複雑に絡み合ったそれらが、村雨の心を解いていた。


「てっきりね? 怒られちゃうかと思ってたのよ。優しい電ちゃんですら乗り越えられた事なのに、情けないって。けど……」


 涙ながらの告白に、彼はしばらく無言を貫いた。
 抱え込んでいた全てを出し切れるよう、ただ静かに、目をつむり。
 そして、漏れ聞こえるのが嗚咽だけになった頃、ゆっくり瞼を開ける。
 今、雷たちへと語りかける、村雨のように。


「それで良いんだよ。怖くて当たり前の事なんだから、無理をする必要なんかない。
 君が今までやってきた輸送任務だって、それが無ければ戦えないんだ。砲を撃ち合うことだけが戦いじゃないさ。
 十分に、みんなを支えてくれてる。我慢だけは絶対にしないでくれ。怖いことを素直に怖いと感じられる、そのままの村雨でいて欲しい」


 口振りを真似る村雨は、一言一句間違いなく、彼の言葉を再現した。
 堪らず胸に飛び込み、また涙を流してしまった時の、温かい気持ちを乗せて。


「……とまぁ、こんな事を言われちゃいまして。村雨さんはこう思っちゃったのよ。
 あぁ。この人に呼ばれて良かった。この人の船でいられて、良かった……って。
 だから……。けっこう好きだったりするかも……ね?」


 だが、大きな手で背中を叩かれる恥ずかしさも、一緒に思い出したのだろう。
 笑顔に照れを誤魔化して、ほんの少しだけ本音を零す。
 まだ生まれたばかりの、お湯に溶けてしまいそうな“何か”を。


「も、もうっ、なぁに? みんなして黙らないでよ~。せっかく恥ずかしいのを我慢して話したっていうのに!」

「あっはは。村雨ちゃん、やっぱり照れてるっぽい~」

「ごめん、ごめんね村雨ちゃんっ、私、一番艦なのにっ、お姉ちゃんなのに、全然気付いてあげられなかった……。ホントにごべん゛ね゛ぇええぇぇぇ」

「泣かないで、白露。……僕も、この話を聞いて思ったんだ。
 彼なら信頼できる。信じたいと思う僕自身を誇れる。
 だから、好きかと聞かれたなら、胸を張って好きだって答えるよ」


 見惚れていた皆は、思わずそうさせる気品が崩れたことで、一気に表情を柔らかく。
 夕立など、プンプン怒ったふりの姉に抱きついている。
 逆に、妹の悩みを気付いてあげられなかった白露は、時雨に抱えられて泣きそうになり、程なく決壊した。
 けれど、悲しみから溢れた雫でないのは一目瞭然。慰める方も穏やかに微笑む。


「ふぅん……。自分はそのままじゃ嫌な癖に、他人にはそのままで良いとか言っちゃうんだ……」

「初風、どうしたのー? なんか顔が笑ってるよー?」

「わ、笑ってないってば。それと、私はまだそういうレベルじゃないから。出会ったばかりだし、これからよ、これから」

「ふぅん? まぁいっかー。確かにこれからだもんね、あたしたちっ」

「ちょっと、重いってば……」


 小さく呟き、火照った顔を背けるのは初風だ。
 ニカっと笑う舞風に乗しかかられ、迷惑そうにしているが、自分から離れようとはしない。
 彼女が艦隊へとやって来た時。
 笑顔で迎えてくれる彼に向かい、「提督さんにとって私は、何人目の私かしら?」などと皮肉ったのにも関わらず、彼はこう言い切る。

 ――君が最初で、最後の“初風”だ。

 あの時は世辞としか受け取れなかったけれど……。信じて良いかも知れないと、初風は思った。
 恐れで迷い、和らげる言葉を貰って、それをまた誰かに伝え。
 こうして絆を結ぶことで、少女たちは、過酷な真実に負けない強さを得ていくのかも知れない。

 余談だが、部屋へと戻ったはずの吹雪たちも、しっかりと村雨の涙を目撃している。
 物陰に隠れ、「良いなぁ、卵酒」「注目すべきはそこじゃありません」と言い合い、互いにハンカチを差し出して友情を深めた。
 これからはきっと、書類仕事では戦々恐々としつつ、肩を並べる仲間として信頼を築くことだろう。


「雷ちゃん、嬉しそうです」

「え。そう、かな。……うん、嬉しい。みんなが司令官を好きだって言ってくれて、私も嬉しいっ」


 それぞれに笑い合う皆を、雷は静かに微笑み、見守っていた。
 雪風から指摘され、ようやく自身が笑っていると気付いた彼女は、わずかに沈黙した後、再び大輪の花を咲かせる。


(でも、おかしいな……。良い事のはずなのに、どうして羨ましいって思ったんだろ、私……)


 小さな胸に。
 小さな小さなわだかまりを、ひた隠しながら。

 最後に、どうでも良い事実をもう一つ。


「どうしよう……。出て行くタイミング完全に逃しちゃった……。
 盛り上がってるねーみんな? 実は私も提督さんのことが? お母さんは許しませんよ?
 ううう、どうすれば……っ。このままだと茹だっちゃうぅ……」


 実は雷たちが入って来る前から、マーライオンに寄っかかって湯を堪能する整備主任が居た。
 偶然にも影になっていた彼女。潜水して驚かしちゃおうかなー、などと、持病持ちとは思えない事を考えているうちに、なんだか重い話が始まってしまい、出鼻をくじかれる。
 その後も和やかな空気に入り込むタイミングを伺ったが、機を逸し続け、最終的に茹でダコとなった所を救助されるのだった。
 どんとはらい。










《ロングこぼれ話 超解! エリクサー入門 ~誰でも作れる伝説の妙薬~ 》





 深夜。
 横須賀鎮守府、某所地下にある一室で、二つの影がうごめいていた。


「……どぉ? 漣ちゃ――」

「スタァアアップ! 今はその名前で呼んでは駄目でござる! Dr.スモールウェーブと呼んで下さいまし、如月ちゃんもといMs.フェブラリー!」

「もう名前が出ちゃってる気がするんだけどぉ……」

「細けぇことは良いんですよ。よぉし、来い来い来い来い……!」


 怪しげな実験器具の前に立つ影の正体は、二人の少女だった。
 桃色の髪をツインテールに縛り、瓶底メガネと白衣をまとう、綾波型駆逐艦九番艦・漣――ではなく、Dr.スモールウェーブ。
 三枚の花弁を象る髪飾りで、長い黒髪を引き立たせる、睦月型駆逐艦二番艦・如月――もとい、Ms.フェブラリーである。純白のナース服とキャップを身につけていた。
 ちなみに、メガネと白衣、ナース服はオプション装備である。兵藤提督の置き土産だ。


「お。お、お、お。おぉぉおおおっ!? キタキタキタキター!」

「あらぁ。ひょっとして成功かしらぁ」


 どこから見ても、後ろめたい実験をしています的な少女たち。
 予想に違わず、幾つものフラスコが組み合わさった器具から、怪しげな光が発せられる。
 待ち望んでいた化学反応だったようで、Dr.スモールウェーブが色めき立ち、Ms.フェブラリーが頬に手を当てた。
 恭しく持ち上げられたのは、大きなビーカーへと抽出された、蛍光するピンクい液体。
 身体に悪そうな物体だが、しかしドクターは歓喜に打ち震える。


「ふふっふっふっふ、ふふふのふ。出来た……。ついに出来たよMs.フェブラリー!」

「やったわねぇ、Dr.スモールウェーブ。楽しい事になりそうだわぁ」

「当たり前田のクラッカーですってー。ご主人様が誰にどう使うのか、今からwktkですよー」

「本当ねぇ。でも、そのネタ誰も分からないと思うわぁ」


 薄暗い部屋で狂喜乱舞するドクターに、助手を務めるナースが突っ込む。
 誰も止める者が居ない中、今まさに、騒ぎの火種が生まれたのである。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「という訳で、何も聞かずにこれを飲んで下さいませ、ご主人様!」

「お断りします。怪しくピンク色に蛍光する液体なんて飲めるか」

「でwすwよwねwww」


 自室のコタツに置かれた、木製の枠に並べられる六本の試験管。
 飲めという無茶振りをブった切ると、持ち込んだ主であるセーラー服少女――漣は、いかにもなネットスラングで大笑いした。


「……で、一体なんなんだそれ。新しい賦活剤か何かか?」

「いえいえ。そんな面白味のない物じゃございません。私、綾波型駆逐艦九番艦・漣と」

「私、睦月型駆逐艦二番艦・如月が、夜も寝ないで昼寝して作り上げた、幻の秘薬……」

「名付けて! 漣と如月のお手製、一口飲めばラブが芽生える惚れ薬的なジュース、なのです!」

「略すとぉ、漣と如月のラブジュー」

「言わせねぇよ!?」


 ガタンと音を立て、自分はNGワードを妨害する。
 あっぶねぇ……。休日の真昼間からなんてこと言いやがんだ、このロリビッチ。
 焦る自分と違い、発言者は――緑のスカートと、黒いニーハイによる絶対領域が眩しい新入り駆逐艦は、「うふふ」と楽しそうだ。
 そしてそこのネタ艦娘。「その発想はなかったわー」じぁねぇ。憲兵隊が現れたらどうしてくれる。


「まずは聞かせてもらおう。なんでそんなもん作った」

「暇だったので」

「……臨床試験は」

「これからですよ?」

「…………原材料は」

「禁則事項です♪」

「よぉし分かった。自分で飲めやこの有害指定艦娘」

「にゃんてことを言うんですかご主人様っ、この漣めに死ねと仰る! あんまりだ、そいつぁあんまりでごぜぇますよ!?」

「自分で飲めないなら他人に飲ませようとすなぁああっ!」


 ツッコミついでにミカンの皮を投げつけると、漣は「にゃうんっ」なんて言いながらコタツへ潜り込む。
 如月も「失礼するわぁ」と脚を入れるのだが、この二人、外見的に大きな違いがあった。
 なんでだか漣の奴は、猫耳尻尾を着けてるのだ。


「っていうか、なんで君は猫耳尻尾を着けてるんだよ。もうオペレーション“エヌ・ワイ・エー”は終わってるだろう」

「だからこそですよ。遠征中だった私を除け者にして、あんな楽しそうなことをやっちゃうだなんて……。漣は傷つきましたっ。
 うっかり神様にマジ忘れされちゃったっぽい私がアピールするには、これしかないのです!
 ご主人様に御奉仕するにゃん♪ 一時間三千円ポッキリでっ」

「あ、そろそろ終電なのでー、結構でーす」

「おうふっ。キャバクラ扱いとはこれ如何にっ」


 ショックを受けてそうな言動だが、その実、ミカンを剥いて食べている漣。まぁ……。こういう子だった。
 これ見よがしに庁舎で「ご主人様」呼ばわりされて、もはや女性職員全てが敵ですよ。
 唯一話しかけてくれる警備員だか監視員だかの女性も、二人っきりにならないよう警戒だけは怠らないし。
 気の置けない……じゃなく、遠慮しちゃいけない相手だ。キッチリ突っ込まなければ。


「ねぇ、司令官。漣ちゃんばかりじゃなくて、私も見て? 放ったらかしにされるとぉ、寂しくて、切なくなっちゃう……」

「え。……あ、あぁ、うん。ごめん」

「あん、目をそらしちゃダァメ。ちゃんと見つめ合って、お話ししましょう?」

「日常会話を見つめ合ってする必要は無いんじゃ……」

「……いや?」

「……いやではないです」

「うふふ。良かったぁ」


 そして、わざわざ距離を詰め、両手でこちらの顔を挟み込む如月も、決して油断できない。
 先程からの言動で分かるように、この子はなんというか……エロいのだ。
 あり得ないだろうってくらい色気が漂っている。
 確かにね。陸奥を励起して責められる快感に目覚めはしたよ。
 だからって駆逐艦をこんな風に顕現させちゃうとか、自分、去勢した方が良いんだろうか。


「おっほん。話を戻すけど、この惚れ薬、具体的な効能とか使用法はどうなってるんだ?」

「お、興味湧きました? ならばご説明致しましょう!」

「こちらのフリップを見てもらえるかしらぁ」


 咳払いを一つ。
 嫌な流れから本筋へと戻ると、漣&如月は、どこからともなく指示棒とフリップを取り出した。
 用意が良いな君たち。


「効能としては単純明快。飲んでから一番最初に見た異性への好感度が爆上げされちゃいます。使用法もただ飲むだけ。どろり濃厚ピーチ味!」

「でもぉ、薄めたりすると効果も薄れちゃうみたいだから、飲み物に混ぜたりはできないの。残念だわぁ」

「なんで残念がるんですか如月さん」

「うふふ」


 頬に手を当て、にっこり微笑むえらくエロい駆逐艦。
 ……怖いから追求するのはよそう。しっかし、惚れ薬ねぇ。
 コルクで栓された試験管を手に取り、シゲシゲと眺めてみるが、見れば見るほど目に痛い。


「よく考えたら、統制人格には通常の薬って効かないし、自分は飲みたくないし、使い道ないんじゃないか? これ」

「ふっふっふ。ご安心くださいませ。高速修復材由来の成分を配合しておりまして、艦娘にも効きますぜ? たぶん」

「多分かよ。だったらまず自分で確かめてみろ。ほら」

「いやいやいやダメです。漣は開発者として、結果を記録しなければいけないんです。飲みたいのは山々なんですけど」

「言い訳乙。じゃあ如月は?」

「私なら大丈夫よぉ」


 ワザとらしくメモ帳を構える漣から矛先を変え、如月に試験管を渡してみると、彼女はごく普通に受け取る。
 そのままキュポンと栓を開け、飲もうと口へ寄せるのだが、しかし、直前で動きはストップした。


「でもね。飲む前に一つだけ、聞いておきたいの」

「なんだ?」

「……ホントに、良いの? 私が飲んでも」

「へ」

「もし、私がこれを飲んで、抑えが利かなくなったとしたら……。責任、取ってくれるかしらぁ」

「せ、責任? ぇあ、ちょっと」

「そう。責任を持ってぇ……鎮めて、くれる?」


 言いながらコタツから抜け出し、押しのけるようにして隣に潜り込む如月。
 窮屈さを物ともせず、彼女は微笑み続けている。
 桃の匂いがした。惚れ薬からなのか、それとも彼女自身から香っているのか、判別できない。


「トンデモない事になりそうなんで、やっぱ止めて下さい」

「あら、残念。……いじわる」


 結局、そっぽを向いて試験管を取り上げるのが精一杯だった。
 太ももを軽く抓られる痛みが、手元を物凄い勢いで震えさせる。
 なんなんだ、この駆逐艦。もしかして攻略でもされてんのか自分!? なんで!?


「んで、どうしますか? ご主人様。とりあえず六人分ありますけど」

「は? あぁ、う~ん……。そうだなぁ……」


 ――と、訳の分からない恐怖に打ち震えていたら、「やれやれだぜぇ」と肩をすくめる漣から助け舟が。
 大急ぎでそれに乗っかり、自分は考え込む。
 惚れ薬。飲んだ相手からの好感度を爆上げする妙薬。ただし保険は効きません。
 正しく使うには、実験が必要だろう。


「うん、決めた。行くぞ二人とも。着いて来い!」

「おぉぉ。ヤる気満々ですねぇご主人様。このケダモノ!」

「男らしくて素敵よ、司令官。そのままベッドに連れて行かれちゃいそう」

「はっはっは。褒めてないだろ君たち」


 思い立ったが吉日。自分は早速コタツを抜け出す。
 そして、微妙なエールを送る二人のお供を引き連れ、隣り合う宿舎へと向かうのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 惚れ薬を使う相手の定番といえば、第一に挙げられるのが「好きになって欲しい人」である。
 どんな手段を使っても、意中の相手を射止めたいと願うのは、色恋に狂った人間の性だ。
 しかし、好きになって欲しいと言っても、その理由が一つとは限らない。
 例えばそれは――


「お、居た。おぉ~い、大井~。北上~」


 ――なんでか知らないけど嫌われてる相手との関係を、改善したい場合だ。
 そんな訳で、自分は第一ターゲットこと、北上大好き大井さんへと近づく。
 ちなみに、場所は宿舎一階の廊下である。ちょうど昼食を食べ終わり、部屋に戻ってマッタリしてる頃合いだから、人通りはない。


「提督じゃん。おっはー。何してるの?」

「うん、おはよう。実は大井を探しててな」

「わたしですかぁ……? というか、廊下で大声出さないで貰えます? 二回も呼ばなくたって聞こえますし」

「そんな嫌そうな顔するなよ……。あと、一回しか呼んでないから」


 いつも通り、二人で仲睦まじく歩いている重雷装艦コンビ。
 声をかけると、北上は朗らかに挨拶してくれるのだが、大井は「チッ。声かけてんじゃねぇよ」という眼で睨みつけてくる。
 そうやって誰彼構わず敵意を向けるのはやめなさい。
 こないだも、別の子を「おぉーい」って呼んでた衣笠にメンチ切ってただろ。めっちゃビビってたぞ。


「ご用件はなんでしょう。早々に済ませて頂けると有り難いんですけど。
 そして何処へなりとも行って下さい邪魔です。
 統制人格に猫耳つけさせて喜んでる人と、並んでいたくないので」

「この正直者めぇ……。まぁいい。ちょっとこっちに」

「えー。あたしには何もないのー」

「ごめんな。北上にも関係はあるんだけど、少しだけ大井を貸してくれ」


 しかし、面と向かって文句をつける度胸もなく、本来の目的を達成するため、大井だけを連れ出す。漣、如月は北上の足止めだ。
 十分な距離を取ったところで、自分は懐から試験管を取り出した。


「まずはこれを見てくれ。どう思う」

「凄く、怪しいです……。なんですか、この蛍光塗料?」

「実はこれ……。漣たちが作った惚れ“られ”薬らしいんだ」

「なん、ですって!?」


 あらかじめ用意しておいた嘘をついてみると、見事に食いついてくる。
 しめしめ……。この調子でそれらしい事を並べ立ててやるぜぇ!


「こいつを一本まるごと飲むとだな、その人物が一番好ましいと思っている対象への霊的な繋がりが強くなって、無意識に好意を伝えられるそうなんだ。
 もちろん相手は気付かないけど、なんとなく好意の影響を受け、いい雰囲気になれる……らしい」

「な、なんて素晴らしい……! って喜びたいのに、端々に出てくる“そう”とか“らしい”のせいで、不安一杯なんですが」

「そこら辺はしょうがないだろう。なにせ実験段階の試作品なんだから。
 本当なら自分で使いたいんだけど、まだ少量しか作ってないみたいだし、ぶっちゃけ怪しいじゃん? だから誰かにプレゼントしようかと思ってさ」

「ていの良い厄介払いじゃないですか、それ。わたしは産業廃棄物を処理したりしません。全く、くだらない……」


 いい感じに行けるかとも思ったけれど、流石は抜け目のない大井。簡単には釣り上げられないようだ。
 しょうがない。押してダメなら引いてみろってな。


「そっか。要らないか。じゃあ、やっぱ自分で飲むしかないか」

「そうして下さい。どうせ失敗でしょうし、電ちゃんには嫌われるでしょうけど」

「ん〜。でもなぁ、能力者が飲むと効果が強くなり過ぎて、見境なしに効果が出ちゃうかも知れないって言うんだよなぁ。……北上とかにも」

「わたしが飲みます! 飲ませて下さいお願いします!」


 眼前で試験管プラプラ。もっともらしいウソ八百に、大井は手のひらを返した。
 今も惚れ薬を奪おうと、こちらの胸板に手を置いて背伸びしてるが、自分と彼女じゃ身長差がある。いくら手を伸ばしても届かないだろう。
 いつもこんななら可愛いんだけどなぁ、ホントに。


「じゃあ、ほい。一気に飲むんだぞ」

「……どうも。……うぅ、やっぱり止めといた方が良かったかも……。あ、いい匂い」


 いつまでも遊んでいたって仕方ないので、気が変わらないうちに試験管を渡す。
 しかめっ面でコルクを抜く大井だったけれども、匂いが好みだったか、素直に惚れ薬をあおった。


「っはぁ。ご馳走様でした。やけに喉に引っかかって、飲み辛いですね」

「なるほどなるほど。喉越しは改良の余地がありそうだな」


 一気飲みし終えた試験管を回収し、それとなく漣たちへアイコンタクト。彼女たちも頷く。
 事は成った。あとは効果が出てくれるのを待つのみ……!


「……提督。これで効いてるんですよね?」

「あ、あぁ。そのはずだけど」

「なら戻りましょう。北上さん、どんな反応してくれるかしら……。ふふふふふ」


 ――の、はずなのだが……?
 大井はこちらへ目もくれず、そそくさ北上の方に戻ってしまった。
 あ、あれ? ちゃんと飲んだよな。そのあと顔も見たよな。変化がないんですけども。


「あ。二人とも、用事は終わった?」

「はい、済みました。相変わらずくっだらない要件でしたけど」

「おいこら。その言い方はないだろう」

「大井っちも変わらないねー。ごめんねー、提督。きっと素直になれないだけだから、気にしないでね」

「北上さん!? その言い方だと、わたしが提督に好意を抱いてるみたいじゃありませんか! 違いますから!」


 一応、自分も後を追うのだが、やっぱり大井の様子に変化は見られない。
 忍び足で寄ってくる製作者二人も、怪訝な顔だ。


「ご主人様、全力で否定されてますよ。本当に飲ませたんですか?」

「うん……。目の前で一気飲みしたはずなんだけど……」

「いつもと変わらないみたい。失敗だったのかしらぁ」


 三人で車座になり、顔を突っつき合わせて内緒話。
 好感度爆上げっていうくらいだから、北上そっちのけで抱きつかれたりとか想像してたのに、全くもってそんな気配がない。
 もともと期待半分だったけど、まるで効果なしとは……。いや、即効性とも限らないんだし、もうちょっと様子を見るべきか?


「と、ところで、北上さん。わたし、どこか変わったように見えません?」

「……そお? っていうか、さっきなに飲んでたの? なんだか怪しい光が漏れてたけど」

「え゛」


 わずかに離れた場所で、雷巡コンビも立ち話中。
 先程のじゃれ合いを見られていたようで、問われた大井が堪らず仰け反った。
 やばいっ、そのまんま惚れられ薬なんて説明できないぞ、どう誤魔化すんだ!?


「え、えぇっと……。て、提督から、統制人格用の試作栄養剤みたいなのを貰って、飲んでみたんです! ほら、お、お肌とかにツヤが」

「そんなにすぐ変わる物なの?」


 なんとか口からデマカセを吐く大井だが、北上は怪しんでいるみたいだった。
 向けられた経験の少ないだろう視線に狼狽え、ガチレズさんは怒りのテレパシーを飛ばしてくる。


(ちょっと! ぜんぜん効いてないじゃないですか!?)

(どうせ失敗でしょうって、さっき自分で言ったじゃないかっ。睨まないでくれっ)


 一緒に放たれるメンチビームも、まるでヤクザ屋さんが「おうおう話と違うじゃねぇかあぁん?」って言ってるが如く。
 思わずホールドアップし、「撃たないで、殺さないで!」と意思表示していると、なぜだか北上がこっちへ近づいてきた。


「ねぇ。あたしにはないの? その栄養剤」

「へ!? あぁいや、特定の統制人格用に調整した奴だからな……。北上用のはまだ……」

「そうなんだ。……ありがとね、提督」

「北上さん?」


 一瞬だけ悩み、とりあえず大井のデマカセに乗っかるのだが、意外なことに、お礼の言葉を向けられてしまった。
 はて? お礼を言われるような事したっけか? 騙くらかしてるんだから、むしろ罵倒されるべきなんだけど。大井と二人で首をかしげてしまう。
 すると、北上は自身の頬を恥ずかし気にかき、革靴のつま先をトントン鳴らす。


「だって、わざわざ大井っちのために用意してくれたんでしょ? あたしにとって、大井っちは大事な存在だしさ。だから、気に掛けてくれて嬉しいな……とか、思ったわけで」

「き、北上さん……っ。そんなにわたしの事を……!」


 愛する人からのメッセージで、感動に打ち震える大井。
 どうしよう。こんなに純粋な子を騙しちゃったとか、こっちは胸が痛いぞー。


「……なんか、似合わないこと言っちゃったよね。大井っち、あたし、先に行ってるからっ」

「あ、はい。……ふ。うふふ。うふふふふ」

「あ、あのー、大井さん? 漣、なんだか笑い声が不穏に感じるんですけど」

「オーラが立ち昇って見えるわぁ」


 やはり気恥ずかしいのか、北上が急ぎ足でその場を立ち去る。
 呆然と見送る大井だったけれど、不意に肩が揺れ始め、なにか、金色の闘気のようなものが背中に宿った。
 サザナミーズもドン引きする中、彼女は突然こちらを振り返り、顔を伏せたまま競歩。
 そして――


「効いてる! 効いてるじゃないですか提督! 北上さんが、北上さんがわたしのことを……きゃー!」

「痛、痛い、痛いって! わ、分かったから興奮するな、叩かないで地味に痛い!」


 キラッキラの笑みを浮かべて、バシンバシンと背中を叩いてきた。
 て、テンション上がるのは分かるんだけどさ、ホントにやめて痛いっす!?


「ありがとう漣ちゃん、如月ちゃん。今ならわたし、フラ・タ相手に夜戦で一発かませそうだわ!」

「よ、良かったですねー」

「お役に立てたなら、嬉しいわぁ」


 猛打から解放されると、今度は漣、如月の手を取り、上下にブンブン振り回す。
 ……なんなの? この対応の差は。
 遠慮されてないって意味で喜ぶべきなのか? ダメージ負うから勘弁して欲しいんですが。


「さて。そろそろ北上さんを追いかけなきゃ……あ。提督、襟が乱れてますよ。だらしない」

「え? あぁ、すいません……」

「ほら、動かないで下さい」


 思いっきり叩かれたからだろう。誰のせいだ。
 と思いつつ、機嫌を損なうのが怖くて、為すがままを受け入れる。
 やっぱり効果ないみたいだなー、惚れ薬。
 上手くいけば、この状況も新婚家庭気分で味わえたかもしれないのに、残念だ。


「これで良し。じゃあ今度こそ行きますから」

「ん。行ってらっしゃ――い?」


 こちらの胸板をポンと叩き、満足そうな顔の大井。
 じゃっかん気落ちしながら、見送りの言葉をかける自分だったが、その刹那、甘い桃の香りが鼻をくすぐり、頬には柔らかい感触を感じた。ついでに「ちゅ」と水っぽい音も。
 離れていく少女は、顔に笑みを残したまま走り去る。


「見た?」

「見ました」

「見ちゃったわぁ」


 頬をおさえ、信じ難いものを見た気分で問いかけてみると、サザナミーズも同じような声音で答えた。
 錯覚じゃなければ、今、大井からキスされたよな。ほっぺたにだけど。


(え、何これ。効いたの惚れ薬? え? 嬉しいけど爆上げしてこれ?)


 混乱するまま、自分たちはただ立ち尽くし。
 スキップしながら消えていった背中を、脳裏に浮かべるのだった。

 結果。
 大井のデレは分かりづらい?





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「えー、という訳で、やって来ました。第二ターゲットの部屋の前でございます」

「どんな痴態が見られるのか、ドキドキしちゃうわぁ」

「なぁ。なんなんだこの、寝起きドッキリ的なノリ」

「ふいんきですよご主人様。なぜか変換できない、ふ・い・ん・き」

「昔ならまだしも、今は普通に予測変換できるけどなー」


 気を取り直し、場所は変わらず一階廊下。
 とある駆逐艦群の部屋の前で、なんとなーく声をひそめてしまう。
 惚れ薬に効果があったのか、それとも大井がハイテンションになっただけなのか。
 判別がつかないまでも、害はないと判断した自分は、実験を続行する事に決めたのだ。
 まぁ、だからってコソコソしていたんじゃ、万が一誰かが通りかかった時に怪しまれる。
 さっさと用事を済ませよう。


「自分だ。ちょっといいか」

「……司令官? ……ちょっと、待って……」


 軽くノックすると、ドアの向こうから控えめな声が返った。
 返事は一つなのだが、近寄ってくる足音は二つ。
 開かれたそこに居たのは、やはり二人の少女。朝潮型駆逐艦、ネームシップの朝潮と、姉妹艦であるあられだ。


「お疲れ様です、司令官!」

「何か……用……?」


 長姉はビシッと敬礼を。末妹は物静かに頭を下げ、長短二種の黒髪が揺れる。
 綾波や敷波、吹雪たちと同じく、対双胴棲姫戦で解放された霰は、朝潮型駆逐艦の最終艦であると同時に、最初の戦没艦でもあった。
 態度には出さないけれど、おそらく霞にとって一番の心残りであろう、キスカ島沖の事件で、だ。
 口調から分かる通り、初雪や望月とは違う意味での引っ込み思案な性格であり、就役日の関係で、十隻目の最終艦ながら、九番艦として扱われる珍しい艦でもある。
 ちなみに、頭には煙突を模した大きな帽子を被っていた。


「うん、お疲れ朝潮、霰。霞に用があってな。呼んでもらえるか」

「……ごめんなさい。今、居なくて……」

「ちょうど、満潮とお茶を淹れに行っているんです。よろしければ、中でお待ち下さいっ」

「いいのか? じゃあ、失礼するよ」

「あっしもお邪魔するでごわす。霰ちゃん、朝潮ちゃん、おはよー」

「お邪魔するわねぇ」

「うん……。おはよ――猫耳……?」


 勧められるまま、訝しげな霰に苦笑いしつつ、自分たちは部屋の中へ。
 左右に二段ベッドが置かれ、中央にはちゃぶ台とクッションが幾つか。
 基本的に宿舎はフローリングで、朝潮型の部屋もそのままカーペットを敷いているようだ。赤城とかは本人の要望で和室仕様にしてある。
 両脇に漣と如月を従え、ドアへ背を向けるクッションに腰を下ろし……待ってる間、四方山話でもしようかな。


「どうだ、霰。宿舎での暮らしは。窮屈だったりとか」

「全然、平気……。姉妹艦のみんなが、とても気にかけて、くれるから……」

「そっか。朝潮は良いお姉ちゃんだな」

「い、いえっ。朝潮型の長女として、当然のことをしているまでです!」


 小さく首を振る霰に、ちょっと照れながら、正座で背筋を伸ばす朝潮。
 姉妹仲は良好なのが伺えて、こちらとしても嬉しい。
 ……けど、朝潮はいつまで経っても堅苦しいなぁ。仕事中じゃないんだし、気楽にすればいいのに。


「朝潮って、自分以外の子と話す時もこんな感じなのか?」

「そーでもないですよ? キッチリキッカリしてるのは、ご主人様とか赤城さんたちと喋る時だけですねー」

「霞ちゃんたちとお喋りする時はぁ、もうちょっと砕けた感じよねぇ?」

「それはっ、あの……。公私の区別はつけないといけないし……と思って……」

「責めてるわけじゃないんだから、恐縮しなくても。自分的には、もっと気安く喋ってみたいとも思うけどさ」

「ど、努力いたしますっ」

「……難しい、みたい……」


 どうやら、朝潮から真面目さは取り除けないようだ。
 ちょっぴり残念だけど、その方がらしい気もする。
 砕けだ感じの朝潮……。う~ん……? ……ダメだ、想像できないや。


「にしても、何を言われてるか怖いな。霞のことだから、『あのカス司令は』とか、『本当にグズなんだから』とか言われてそうだ」

『え?』

「え?」


 仕方ないので、口の悪い姉妹艦へと話を移すのだが、朝潮と霰は揃って首を傾げた。


「あの、司令官。霞が陰口を言っているところ、私は見たことがありません」

「言い方は、少しキツいけど……。むしろ、褒めてると、思う……」

「……えぇ? か、霞が?」


 信じられなくて身を乗り出すも、顔を見合わせて頷き合う二人。嘘を言っているようには見えない。
 霞が……褒めてくれてる?
 あの、「用があるなら目を見て言いなさいな!」とか言うくせに、言ったら言ったで「だから何よ?」と切り捨て、気を抜こうものなら「だらしないったら!」なんてケツを叩いてくる、ドS艦娘が?
 どうしよう。こう言っちゃアレだけど、朝潮が胡座かいて日本酒ラッパ飲みするくらい、あり得ない気が……。


「嘘じゃ……ないです……。この艦隊に呼ばれて、霞から一番最初に聞いたのは……。霞が、大破した時のこと、だから……」

「あぁー、漣も曙ちゃんから聞いてます」

「凄い激戦だったのよねぇ」

「……まぁ、な」


 難しい顔で唸っていると、霰が足りない情報を補ってくれた。
 硫黄島への航路を模索している中で、自分も窮地に立たされた戦い。
 確かに、あの敗北をきっかけとし、この艦隊はより結束を深めたように思える。
 しかしまさか、彼女自身が大破した話を、自ら聞かせているなんて。


「秘密にする、約束だから。あんまり教えられないけど……。最後はこう言ってた……。私は、あいつの船だから……って。凄く、嬉しそうに」

「霞が……」


 朝日で照らされた笑顔が、脳裏に浮かぶ。
 あの一件以降も、態度の悪さは変わらずに、むしろ遠慮がなくなったように感じていた。
 霞なりの信頼の証……だったんだろうか。
 もうちょっと柔らかく表現してくれれば、もっと心から喜べるんだけどなぁ……。
 などと勿体無いことを思っていたら、神妙な顔をした朝潮がすっくと立ち上がり――


「司令官、改めて言わせて下さいっ。霞を……。大切な姉妹艦を守ってくれて、ありがとうございました!」

「霰、からも……。本当に、ありがとう……」


 ――明るい笑顔のまま、最敬礼で感謝を形にする。霰もそれに習い、座った状態ではあるが、深く頭を下げた。
 実はこの言葉、すでに何回も、何十回も朝潮から聞かされ、それなのに、込められた気持ちの量は変わらなく思えて、ちょっと恥ずかしかったり。


「う、うん、ちゃんと受け取った。もう何度も言ってもらったし、十分だから。ホント」

「ぉお? 照れてますねーご主人様。けど、そうやって大事にしようとしてくれるのは、なかなか素敵だと思いますですよ?」

「赤くなった顔も可愛いわぁ。もっと見たくなっちゃう」

「寄り添うのはやめてください如月さん……」


 なので、顔を背けつつ、ぶっきらぼうに終わらせようとするのだが、漣からは肘でツンツンされ、如月には顔を覗き込まれて、逃げ場がない。
 くそぅ……。戦術的撤退は不可能か……。ならば話をすり替えるしかっ。


「あー、霞のことは良いとしてだ。なら満潮は? あの子も結構、厳しい物の見方をするように思うんだけど」

「満潮ですか……。逆に聞きたいんですが、司令官はあの子の事を、どうお思いでしょうか」

「……へ? じ、自分が?」

「霰も……。気になる……」

「ほっほう。これは青葉さんが食いつきそうなネタですねー。で、そこんとこどうなんですか、ご主人様」

「この機会に、ぜひ聞きたいわぁ」


 あ、ヤバい。すり替えるつもりで似たような話題を振っちゃった。
 でもまぁ、お礼攻撃よりはマシか。グチついでに語ってみるかな。


「満潮、か……。実を言うと、少し苦手な部分もあるかなぁ……。
 秘書官を任せた日なんかには、誤字脱字をこれでもかって指摘されるし、時々すんごい目つきで睨まれるし……」

「え、あ、そうなのですか。……さ、差し出がましいようですが、満潮にも思うところがあって……」

「大丈夫。心配しなくても、ちゃんと分かってるよ」


 率直な意見を述べると、朝潮は目に見えて慌て始める。
 視線が彷徨っているあたり、満潮のことを気遣っているんだろう。
 しかし、自分も貶すために名前を出したわけじゃない。
 演習へも真剣に臨み、戦術の勉強だって、自主的に行っているのを庁舎資料室で見かけた。
 口下手だけど姉妹艦想いな、優しい少女なのだ。


「厳しい言葉は相手を思ってのことで、その分、自分自身に厳しくしてるのも知ってる。
 霞と一緒に、もうちょっと柔らかい話し方をしてくれれば嬉しいけど……。
 あのままで良いとも思うんだ。悪い所を厳しく指摘してくれる、大切な存在だよ」


 そんな気持ちを込めて、自分は大きく笑ってみせる。
 すると、朝潮も安心したように微笑み、霰にまで伝染。和やかな雰囲気が漂った。
 サザナミーズが妙にニヤついてるのは気になるけど、本当のことだし、我慢しよう。


「……だって。良かったね、満潮……?」

「は!?」


 ――んが。唐突に霰は視線をズラし、自分の背後へと声をかけるのだ。まるで誰かが立っているみたいに。
 グワッと勢いをつけて振り返れば、確かに二人の少女が居た。
 茶器の入った漆塗りの箱――旅館とかによくある奴だ――を持ち、見下げ果てた目付きの霞と、魔法瓶とお茶菓子を抱え、能面のように顔面を硬直させる満潮である。
 マズい。あの小っ恥ずかしい褒め言葉を、本人に聞かれた……?


「い、いつからそこに?」

「実を言うと……ってあたりからね。ドアくらいちゃんと閉めなさいよ、まったく」

「あらぁ、ごめんなさぁい。うっかりしちゃったわぁ」

「と言いつつ、内心で計画通りとほくそ笑む如月ちゃんなのであった。まる」

「漣ちゃあん。ほくそ笑むって酷いと思うのよぉ?」


 ズカズカと足音荒く入室する霞が、叱りつけるように吐き捨てる。
 褒められてるっていうのが嘘に思えてくる態度の悪さだ。ガチツンデレめ。
 如月はマジで狙ってやったのか? すっげぇ策士……。
 というか、朝潮も協力しやがったな? あの泳いだ視線はこれが理由かよ。


「あー、あの、満潮?」

「………………」


 入り口で棒立ちする満潮に、改めて呼びかけてみるが、相変わらず顔は能面のまま。
 しかし、不意に駆け足。ちゃぶ台へ荷物を乱暴に置くと、見事な東郷ターンを決めてまた入り口に。
 いったん振り返った彼女は、ギロリとこちらを睨み、そして――


「いーっ、だ!」


 ――子供みたいに真っ白な歯を見せつけ、廊下へと駆け出していった。
 なんだ今の。……照れ隠し?
 う~ん。そりゃあ、姉妹で団欒しようと帰ってきたらあんな話してるとか、恥ずかしいに決まってるよなぁ。


「あっちゃー、逃げちゃいましたねー。でもフラグは立ったっぽい? ぽい?」

「夕立ちゃんの真似ねぇ。満潮ちゃん、きっと恥ずかしいのよぉ」

「申し訳ありません、司令官。満潮が失礼を……」

「いや、気持ちは分かるし、気にしないで。満潮にも言っておいてくれるか?」

「うん……。ちゃんと、司令官の本心だって、言っておくね……」

「いやそうじゃなく……まぁ、いっか……。ところで霞、これを飲んで欲しいんだけど」

「絶対に、嫌。何よその、目に痛い色の劇物は」

「ですよねー」


 とりあえず、なんともむず痒い空気を味わった所で、本来の目的を達しようとするも、霞にはあっさり断られてしまう。
 その後、お茶菓子と番茶を一杯だけ楽しみ、満潮が帰ってこれるよう、自分たちは朝潮型の部屋を後にするのだった。

 結果。
 そもそも飲んでくれなかったので失敗。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「霞ちゃん、飲んでくれなかったわねぇ」

「まぁ、見た目がコレだしなぁ……。どうにかならなかったのか?」

「そんなこと言われましても、見た目にこだわれるほど熟練の職人な訳じゃありませんし、無茶振りですよー」

「ならどうやって味を決めたんだ。製造工程が物凄く気になるんですが」

「禁則事項です♪」

「そう言えばなんでも誤魔化せると思うなよ」

「司令官ったら、怖ぁい」


 廊下をぶらつきながら、いかにもな惚れ薬を三人で眺める。
 飲んでくれる確率は低いと思ってたけど、この見た目じゃあ、普通の子だって嫌がるかもしれない。
 実験を続ける上では大きな問題だ。


「大井さんは普通に飲んでましたから、味と匂いには問題無いと思います。あとは見た目を誤魔化せれば……」

「けど、他の物と混ぜたりは出来ないなら、どうすればいいのかしらぁ」


 うーむ困った困った。
 などと全然困ってない顔で言う漣と、色っぽいため息の如月。
 味に自信はあっても、見た目がアレで手を付けてもらえないなんて、どっかの可哀想な料理みたいだ。
 どうにかして見た目を変えられないものか。
 混ぜ物が無理なんだから……見た目……あっ、閃いた!


「そうだよ見た目だよ! こんな風に見えちゃうから警戒されるんだ。だったら……!」

「……あぁ! なぁるほどぉ、容器を移し替えちゃえば良いのねぇ? 流石は司令官だわぁ」

「ぉおお、確かにっ。なんか栄養ドリンクっぽい茶色の小瓶でもあれば、行けますよご主人様! もうー、悪知恵にかけては天下一ですねっ」

「はっはっはっはっは。だから褒めてないだろ?」


 天啓得たりとハイタッチを繰り返し、今度は食堂に取って返す。
 コタツスペースでくつろぐ皆を遠目に、そのまま厨房へ足を踏み入れると、そこには場違いな統制人格が。


「あれ、青葉?」

「あ、司令官。ども、きょーしゅくです!」


 旧式のフィルム型カメラを構えるポニテ娘は、今をときめく艦娘リポーター、青葉である。
 いつもは他の子の写真を撮りまくるため、外を駆けずり回ってるのに。


「珍しいな、厨房に入ってるなんて。何してるんだ?」

「ふっふっふ。見ての通り、撮影ですよ! 隔月刊・艦娘のコラム用です。例のアレですよ、アレ!」


 パシャリ。フラッシュを焚かずにシャッターを切る青葉は、ニタァとふてぶてしい笑みを浮かべる。
 見ればキッチン周りには、彼女以外にも数人の新入り統制人格の姿があった。
 なるほど。“アレ”をやるのは今日だったか。すっかり忘れてたな。
 女の子がしちゃいけない笑い方してるけど、“アレ”の効果を考えたら無理もない。
 さっそく歩み寄ってみれば、近くにいた重巡洋艦二人がこちらに気付く。


「あらー、提督じゃないですかー。宿舎の見回りですかー?」

「そんな所だ。精が出るな、愛宕、高雄」

「ありがとうございます。これも仕事の一環ですから、精一杯務めさせていただきます!」


 紺瑠璃色の生地に白い縁取りがされた、タイトなスーツ。揃いの帽子をかぶる彼女たちは、高雄型重巡洋艦の二隻だ。
 間延びした喋り方と長い金髪を特徴とするのが、二番艦の愛宕。
 腰から下が、大きく前の開いたロングスカートのようになっていて、重ねて黒いプリーツスカートとストッキングを履いている。
 逆にキリリとした喋り方をし、切り揃えられたセミロングの黒髪を持つのが、一番艦の高雄。
 際どいスリットの入ったタイトスカートを履き、留め金が飛行機型のガーターベルト&ストッキングで、絶対領域を構築していた。
 加えて、共通する特徴がもう一つ。……デカい。スイカップとか目じゃないくらいデカい。死語だけど。
 それが証拠に、着けているエプロンの胸元は、はち切れそうなほどキツキツだ。


「うしーおちゃーん、ボノボノー。捗ってるー?」

「漣ちゃん。えと、少し難しい、かも」

「ちょっと、人のこと変な名前で呼ばないでよ!? 水色のラッコみたいじゃないっ」

「漣ちゃんにも言ってるけどぉ、そのネタ、分かる人の方が少ないと思うわぁ」


 残る一人の新人には、漣と如月が話しかけていた。
 同じくエプロンを着けた曙の隣で、オドオドとしているのがそうだ。
 綾波型駆逐艦十番艦・潮。毛先がクルンとカールした黒髪セミロングが特徴である。
 だが、彼女を真に特徴付けるのは……やはり胸だった。
 我が艦隊の駆逐艦といえば、小・中学生のような成長過程の少女として顕現することがほとんどだが、潮は胸部装甲において、戦艦並みの性能を誇る。
 曙と並んだあの姿を見るがいい。
 背丈は変わらないのに、局所的にはマリアナ海溝とキリマンジャロ山並みの高低差。哀れな曙に涙を禁じ得ない。


「どんな塩梅だ、青葉」

「競争率はおよそ二千倍です。
 確実に艦娘お手製プリンを食べられるというだけあって、脅迫状めいたお手紙まで届いている始末でして。
 次号も売れますよー、隔月刊・艦娘。ふひひっ」

「だな。くっくっく」


 悪代官と越後屋の如くに、自分と青葉はブラックスマイル。
 さて。でっぱい艦娘たちに何をさせているかと言えば、もちろんプリン作りである。
 前々から数量限定で酒保での販売などを行い、得た収入はみんなの小遣いになっていたけれど、今回は違う。
 隔月刊・艦娘の紙面上で応募を募り、当選者へと、艦娘手作りプリン+証拠の生写真付きを直送する企画が持ち上がったのだ。
 読者の反応は凄まじく、今月号も即日完売。緊急増版を二度繰り返すほど売れに売れまくった。提示されたマージンで目が$文字になりそうだった。
 この調子で似たような企画を打っていけば、宿舎運営の足しになること間違い無し。ボロい商売だぜぇ……。ふっひぇっひぇっひぇっひぇ。
 と、悪徳業者染みた特典商法にほくそ笑んでいると、そんな事とは露にも思わない高雄が、難しい顔でため息をつく。


「それにしても、難しいものなんですね、お菓子作りって。ちゃんと計量もしているはずなのに……」

「うん? ちゃんと出来てるように見えるけど……」

「そうなんですけどー。『こんなの、提督レシピの味じゃないわ!』とか言って、何度も作り直してるんですよー、高雄ったら」

「あ、愛宕っ! 違うんです、あの、人様のお口に入るのですし、粗末な物を用意するわけには……っ」


 高雄たちの前には、すでに完成しているプリンが幾つか。
 基本のカラメルカスタード。濃厚ミルク味。爽やかイチゴ味の三種類だ。みんなにも人気な三つをセットで送る予定になっている。
 見た目も色も、匂いも問題ないように思えるが……。こだわりたい所なんだろう、きっと。


「気に入ってくれてるみたいで、嬉しいよ。まぁ、ほどほどに頑張ってくれ」

「はいっ。この高雄、提督の名を汚さぬよう、全力でプリン作りに勤しむ所存ですわ!」


 期待を込めて肩を叩くと、高雄は泡立て器片手にビシッと敬礼。再び卵液を解きほぐしにかかる。
 その気合の入りようが微笑ましくて、愛宕と一緒に笑ってしまった。


「うふふ、張り切っちゃってー。ごめんなさいねー、提督。でも、とっても真面目で良い子だから、気にかけてあげて下さいねー?」

「ああ。何事にも熱心なのは、高雄の長所だな。愛宕も気配り上手で助かるよ」

「あらー、提督ったらお口が上手ー。ねぇーえー高雄ー、わたし誉められちゃったー♪」


 スカートの端をチョンとつまみ、優雅に一礼した愛宕は、ぽややんとした調子で高雄の元へ。
 楽しそうにじゃれ合う様子を、青葉が写真に収めている。
 この分なら、余計な口出しをする必要もなさそうだ。
 余ったのはみんなのオヤツとして消費されるだろうし、無駄にもならない。自分も後で一個もらおう。
 さてと、今度は駆逐艦たちの方に行くか。


「どうだい、潮。うまく作れてるか?」

「あっ、提と――」

「何? 何か用!?」

「ひゃっ。……あ、曙、ちゃん?」


 ――と思い、まずは新入りの潮へ声をかけるのだが、そこに割り込んでくる哀れ乳サイドテール娘。
 ビックリしてプリンの容器を落としそうになる潮と違い、警戒心むき出しだ。


「……曙。自分は潮に話しかけてるんだが」

「そうね。けど要件があるなら、わたしが聞くから」

「あ、あの、わたし……」

「いや、目の前にいるんだから直接話をしたって良いだろう。なんで邪魔するっ」

「あんたの目付きがイヤらしいからに決まってるでしょ? いっつも潮の胸ばっか見てっ」

「ゔ」

「えっ。む、胸……?」


 売り言葉に買い言葉で、語気はどんどん荒く。
 しかし、痛いところを突かれて言葉に詰まってしまった。
 潮は猫背気味になり、ただでさえ主張の激しい双丘がエプロンを押し上げる。
 ……だって目に入るんだもん! どうしようもないじゃん本能なの!
 という言い訳が聞こえたはずもないのに、漣を始めとして、愛宕や如月までもが溜め息を。


「まぁ、潮ちゃん大っきいですもんねー」

「仕方ないんじゃなーい? 提督だって男の子ですしねー」

「駆逐艦の中では一番かしらぁ。羨ましいわぁ」

「青葉の情報網によりますと……。艦隊内でも一~二を争うみたいですね。バルジも着けてないのに、凄まじいです!」

「うぅ……。好きで、大きい訳じゃないのに……」

「そうよね……。動く時にちょっと邪魔よね……」


 よほど恥ずかしいのか、潮は今にも泣き出しそうに。高雄が肩を抱いて慰めている。
 ぐぬぬ……。なんだよこの空気。自分が悪いみたいじゃんか。
 こんな時、警備任務中の朧――綾波型の七番艦が居てくれれば、上手いこと妹を窘めてくれそうなのに……。
 仕方あるまい。ハッタリで言い逃れよう!


「ふっ……。何を言い出すかと思えば、勘違いも甚だしい。自分がそんな事するわけないだろう。失礼な」

「へー。言ったわね? じゃあ、しばらく目つむってなさいよ。開けたら承知しないんだから」

「いいとも。お安い御用さぁ」

「……高雄さん、愛宕さん! 念のためこいつの目ぇ塞いどいて!」


 内心ビクつきながらも余裕の態度を示せば、曙はニヤリ。イタズラっ子のように笑った。
 とりあえず言われた通りに目をつむると、その上から高雄たちの手が重ねられる。薄手の手袋が心地いい。


「潮。前へならえ」

「え?」

「いいからっ。んで、肘を曲げて顔の横でグー作って」

「は、はいっ。……こう?」

「そんな感じ。じゃあ、スクワットして。ほら」

「スクワッ、ト? あ、あの、なんで……」

「さっさとやる! しゃがんで、立って!」

「はいぃ」


 なん……だと……?
 暗闇の中、曙の声がハッキリと耳に届き、直後、衣擦れの音が。
 弾む息遣いと重なり合い、脳が勝手に映像化していく。
 両腕を前に突き出した少女は、まるで胸を強調するかのように肘を曲げ、そして……。


「うぉぉぉ……! な、なんという光景……! 揺れてる、地震かってくらい揺れてますよご主人様っ。ありがたやぁ~」

「凄いわぁ……。まるでゴム毬みたい……」

「ええと、確かこのボタンで……よし。連射モードで青葉Flash!」


 更にはサザナミーズwith青葉の実況まで始まり、バインバインと効果音までつき始めた。
 っていうか柏手打ってんじゃねぇよ漣。どっちの味方だ。拝んだって御利益ないぞ。
 潮神社という名前の、おっぱいを祀った神社はあるけどさ。母乳の出が良くなるんだそうです。
 間桐提督からの迷惑メールで知りました。今度お参りにも行くそうな。


「どうよ、クソ提督。これでも我慢できるの? 素直に負けを認めたら?」

「曙ちゃん。さすがにこれは……」

「発想がオヤジ臭いわー」

「こいつの本性を暴くためなの! オヤジじゃないわよっ」


 勝ち誇る曙に、高雄たちも呆れている。
 まさか、妹をダシに使ってここまでするとは。君の方がよっぽどセクハラしてるぞ、今現在。
 だが甘い。
 プリンに生クリームとハチミツと黒糖と粉砂糖と餡子を乗っけたくらいに、甘過ぎる!


(青葉。ちょっと視界を貸してくれ)

(司令官? それは反則なんじゃ……?)

(ふっはっは。五感共有を忘れてる曙が悪いのだ。後で欲しい物なんでも買ってやるから)

(全くもう。今回だけですよ?)

(感謝する。あ、それと焼き増しもヨロシク)

(毎度あり)


 ツーと言えばカー。快く視界情報の提供を受け入れてくれた青葉と、限定的なチャンネルをつなぐ。
 普段よりも大きく感じる世界。その中では、想像通りの光景が広がっていた。

 キッチンで。
 JCおっぱい。
 揺れまくり。

 思わず一句読んでしまうくらいの、神々しい情景だった。
 鼻の下が伸びそうになるのを我慢するのが大変である。


「それで、いつまで待ってれば良いんだ。自分もそんなに暇じゃないんだが」

「……あ、あれ? おかしいな……。ほら、揺れてるわよっ。音が聞こえてきそうなくらい、ポヨポヨって!」

「はっ、はっ、ふっ……。曙、ちゃん。まだ、続けるの? もう、やめて、いい? む、胸がぁ……」


 あくまでも平常心を装い、曙へと呼びかける。
 やっぱり、他人の耳を通じて聞く自分の声は変な感じだが、それがどうでも良くなるくらい、曙は焦りまくっていた。
 妙ちきりんなポーズで必死にスクワットを続ける潮を、自ら指し示す有様だ。
 うぅん、凄い。なんだか今日はセクハラ思考に偏っちゃってる気がするけど、こんなもん見せられたらしょうがないよ。うん。


「上下運動すると、痛いのよね……」

「そうそうー。走る時とか、誰かに持ち上げて欲しいくらいよねー」

「何故でしょう。感じたことのない痛みが羨ましい。やはり時代はロリ巨乳なのか……っ」

「バストアップ体操とか、やってみようかしらぁ」


 同じ巨乳組みとして、潮の立たされている苦境に共感できるのか、高雄も愛宕も悩ましい顔である。
 対するサザナミーズは悔しそうであり、己が胸部装甲を見つめては嘆いている。
 いや、そんなにちっちゃくはないと思いますけどね。
 というか、個人的には声を大にして言いたい。貧富はあれど貴賎なし、と! おっぱいとはただ、そこにあるだけで素晴らしいのだっ!!
 ………………あれ。どうして自分は間桐提督みたいな事を? いつの間にか侵食されてる?
 双胴棲姫よりもヤバいじゃないか……。早いとこ用事を片付けないと……。


「おっほん。曙、素直に負けを認めたらどうだ? 潮が可哀想だろうに」

「うぐぐ……。わ、分かったわよっ! わたしが自意識過剰なだけでしたぁ!」


 実情はどうあれ、見た目は全然動じていない自分に、歯噛みしつつ敗北宣言する曙。
 同時に青葉とのリンクを解除。塞がれていた視界も解放される。
 無益な上下運動から解放され、潮は膝に手をついて「あぅ、ふぅ」と息を整えていた。
 ……いかんいかんっ。生で見るおっぱいアピールに負けるな! 惚れ薬の実験に来たんだろう、しっかりしろ!


「さぁて。謂れなき中傷で上司をバカにしたんだ。罰を受ける覚悟は、当然あるよな?」

「……ふんっ。好きにしなさいよ。気に入らないなら、艦隊から外すなりなんなり、勝手にすればいいじゃない」

「アホなこと言うんじゃない。それよりも……これを飲め」


 すっかり不貞腐れたボノボノに軽くデコピン一発。懐から人肌に温まった惚れ薬を取り出す。
 その隙にまたサザナミーズへと目配せし、移し替えるための容器を確保してもらう。
 今ならみんなこっちに集中してる。なんとかなるだろう。


「うぇー何よこれぇー。すんごい毒々しい……っていうかヌルいーっ」

「統制人格用の栄養剤だよ。今、被験者を探して歩き回っててな。丁度いいだろ?」

「実験台にするつもり? 最っ低……。んっく。あ、美味しいかも」

「栄養剤……。高速修復材の亜種みたいな物でしょうか? 興味深いです!」

「羨ましいわー、曙ちゃん」

「どんな味なのか、興味が湧きますね」


 一度はしかめっ面をしてしまう曙だったが、青葉たちに見守られて一息に飲み干す。
 ちなみに背景では、如月が茶色い小瓶を確保。漣が「ゲットだぜ!」的にサムズアップ。さりげなく戻ってきた。
 あっちはなんとかなったな。こっちは……?


「ぷぁ、ごちそーさま」

「……で、どう? 曙ちゃん。製作者として意見を聞きたいわぁ」

「あんたたちが作ったの!? うそ、うそ、わたし死んじゃう!?」

「信用無ぇ……。大丈夫だって、普通に食べられ“は”する物から作ってるし」

「食べられ“は”って所がトンデモなく不安なのよぉ!!」

「あ、曙ちゃん、落ち着いてっ。大丈夫、きっと、たぶん……。だから、あの……っ」

「……なんであんたの方が不安そうな顔するのよ、潮……」


 作り手がサザナミーズだと知った途端、顔を真っ青にする曙。
 しかし、飲んだ当人よりも慌てふためく潮のおかげか、すぐに落ち着きを取り戻した。
 それは良いけど、普段と変わらなさそうだな……。


「で、実際どうだ。効果のほどは感じられるか?」

「う~……? 特には。普通に美味しかったけど、それだけ。ドロドロしてて、匂いがキッツいわ」

「という事は、失敗ですか」

「残念ねー。効果があるなら、連続出撃とか出来そうなのにー」


 腕組みをしたまま首をかしげる彼女を見るに、どうやら本当に作用していなさそう。
 高雄たちも残念そうである。
 おっかしいなぁ……。なら大井のキスはハイテンションになった結果? でも、それだけで大井がキスなんてするか……?
 わけ分からん。


「能力者用の賦活剤はあるんですし、あっても良さそうですよね、統制人格用のお薬とか。研究はしてるみたいですけど」

「らしいな。君たちは半分霊体みたいなものだから、術的な物なら効果がありそうだけど、そうなると霊的な位階? とかが高過ぎて影響を及ぼせない……なんて説もあるらしい。難しいよ」

「……ん? 能力者………………あぁぁ!? こんのクソ提督、騙したわねっ、あたしたちの視界ジャックしたわね!?」


 やべ、バレた。
 青葉がふと口にした能力者という単語に、能力者との五感共有を思い出したのだろう。曙は掴みかからん勢いで怒り出す。
 こうなっては他に成す術なし。三十六計逃げるに如かずだっ!


「ふははははは! バレては仕方ない。さらばだっ。行くぞ漣、如月!」

「ガッテン承知の助!」

「やっぱりネタが古いと思うわぁ」

「ふざけんなー! クソ提督、セクハラ提督、変態提督ー!!!!!!」

「提督ーっ、後で高雄を試食してあげて下さいねー!」

「ちょっと愛宕、何か、何か大切な言葉が抜けてるから!」

「写真はお届けに参りますので、お楽しみにー」

「ぅぅ……。わたし、なんの為にスクワットしたの……?」


 突進を華麗に回避。そのままサザナミーズと合流し、厨房を後にする。
 背後から届く皆の声を聞きながら、次なる犠牲者――じゃなくって。被験者を求め、自分たちは廊下を駆けるのだった。

 結果。
 効果なし? 目の保養は出来ました。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……で、目標の物は確保したわけだけどぉ」

「残りは四本。誰にお使いになりますか? ご主人様」


 急ぎ足で階段を登り、二階にある談話スペースの物陰でほとぼりが冷めるのを待った、我ら惚れ薬飲ませ隊。
 隊長である自分は、これまでの結果を踏まえ、実験対象を拡大しようと考えていた。


「今までは好感度が低いと思われる子に使ったけど、効果があるんだかないんだかよく分からなかった。と言うわけで、今度は信頼度の高い子に使ってみようと思う」

「ほうほう。具体的には?」

「それはだなぁ……」


 誰も追ってきていないのを確認後、ソファの裏から顔を見せると、観葉植物の影に居た漣たちも。
 何事もなかったかのように合流を果たして、また三人で歩き出す。
 向かう先にあったのは――


「あらぁ、この部屋」

「そう。空母組みだよ。……赤城、居るか。少し話があるんだが」


 ――航空母艦。一航戦の二人部屋だった。
 こちらに戻ってから精を出していた開発補佐も一段落しているし、今日はゆっくりしてもらっているはずなのだ。
 信頼関係は築けている自信がある。どちらに飲んでもらっても問題ないというわけである。
 程なくして、くぐもった「はい」という返事が。内側からドアが開いていく。


「提督。ようこそいらっしゃいました」

「ん? 祥鳳? なんで赤城の部屋に」

「ええと、それは……。と、とにかく中へ。本当に、良く来て下さいました」

「なんだか、妙に歓迎されちゃってるわねぇ」

「まぁ、拒否られるよりは良いんじゃ? 漣、赤城さんの部屋に入るの初めてですよー」


 しかし、立っていたのは赤城でも加賀でもなく、瑞鳳・龍驤と三人部屋に住むはずの祥鳳だった。
 酷く汗をかき、肩も露わに挙動不振だ。どうしたんだろう?
 ……考えててもアレだ。とにかく上がらせてもらうか。
 そう思い、靴を脱いで畳張りの床を歩いて行くと――


「うぉ!? な、なんで加賀さんと瑞鶴が睨み合ってるんだ!?」

「ひぃぃぃなんですかこの空気ぃぃぃ。殺される、爆弾と魚雷で殺されるぅぅぅ」

「し、司令官……。ちょっとだけ、手を握って良いかしらぁ……」


 ――真っ先に視界に入ってきたのは、大きいコタツの角に座り、射殺す眼光で火花を散らす二人の女性だった。
 チラッとこちらを一瞥したのち、彼女たちはガン付け合いに戻る。背景に龍虎相搏つの図が見えるほどだ。
 その隣では、赤城と翔鶴が困り果てた顔。なんでこんな事になってるのか、まずは事態を把握しないと……。


「赤城、翔鶴。説明してくれっ」

「提督……。事の発端は、些細なことだったんです……」

「昼食の後、赤城先輩が親睦を深めようと、お茶に呼んでくださって」


 刺激しないよう、出来るだけコッソリとコタツに潜り、一部始終の目撃者であろう二人に尋ねる。
 ちなみに、対面には加賀さん。時計回りに瑞鶴、翔鶴、自分、如月@シェイクハンズ、gkbr漣、祥鳳、赤城の順だ。かなり大きいコタツなので、まだ余裕がある。
 翔鶴の後を継ぎ、はだけた着物を直す祥鳳がさらに説明を続けた。


「途中までは、とても良い雰囲気だったんですよ? けど、お茶菓子が……」

「は? お茶菓子ぃ?」


 ――が、どうにも場違いに思える単語で、語尾を上げてしまった。
 お茶菓子って……。そりゃあ、お茶飲むんだから必要だけど、それが原因でこんな空気になるか? 
 眉間にシワを寄せていると、瑞鶴がバンと天板を叩く。


「聞いてよ提督さん! この人、好物のお菓子をジャンケンで取られたからって、『運だけで生き延びていた癖に』なんて小声で言ったのよ!? 信じられない!」

「聞き違いです。私はそんな事を言ってはいません」

「嘘つかないでっ! そもそも、一回負けたから三回勝負、それでも負けたから五回勝負、ってしてあげてたのに、二十五回勝負まで負け続けたそっちが悪いんでしょ!? しかも勝手に食べちゃうし!」

「記憶にございません」


 怒り心頭に指を突きつける瑞鶴。素知らぬ顔でそっぽを向く加賀さん。
 実戦さながらの緊張感は一変し、雄叫びをあげていた龍と虎も、威嚇し合う蛇とマングースになってしまった。


「あ~……。つまり、お菓子の取り合いで喧嘩したと」

「そう、なります、ね」


 筆舌に尽くしがたい気持ちで確認してみると、赤城が神妙な顔で頷いた。
 あの加賀が。硫黄島航路では、額に血を滲ませながら戦い抜き、双胴棲姫戦でも存在感を見せた、あの加賀が。
 たかだかお茶菓子一つを原因に、本気で後輩と喧嘩してた?
 ……ダメだっ、我慢できんっ!


「ぷふっ! っふ、ぅくくっ……。あはははは! か、加賀さんが、お菓子で、マジ切れ……ぶふぅ!」

「ちょっと、なに笑ってるのよ!? 私は真剣に怒ってるんだからね!?」

「そうです。私は食べていませんし怒っていません。“さん”も要りません」


 瑞鶴たちからは厳しい視線を向けられるも、なんだか妙にツボに入ってしまい、腹を抱えて大笑い。
 それが伝染したのか、他の五人もクスクス笑い始めた。
 ついさっきまで怒っていた二人はといえば、バツが悪そうに小さくなっている。
 いやはやなんとも、可愛らしい原因だこと。やっぱり、いざ戦いを離れれば普通の女の子なんだなぁ。


「あー、笑った笑った。いやー、加賀にも子供みたいな所があるんだな。ちょっと安心したよ」

「何故、それで安心できるのですか。それと、まるで私が負けた腹癒せにお茶菓子を強奪したかの様に扱われていますが、証拠は何一つ……」

「加賀さん。大変言いにくいことなんですけども……。口元に食べカスが」

「――!?」

「あらぁ、拭いちゃった。ホントは何も付いてなかったのにぃ」

「っ」


 あくまでも食べていないと言い張る加賀だったが、サザナミーズの連携プレーで真相は暴かれる。
 もはや喧嘩どころではなく、すっかり和やかな雰囲気になってしまった。然もありなん。


「ふふふ。誤解されがちですけれど、加賀さんは感情を表に出すのが苦手なだけで、実際は感受性が豊かなんですよ」

「あの、赤城さん、私は……」

「やっぱりそうですよねっ。艦載機の整備とかで、瑞鳳がよくお世話になっていますし。この艦隊では私の方が先輩ですけど、頼りにさせて貰っています」

「そう、ですか……。いえ、あの……」

「先日も、演習をご一緒しまして。私が至らず、厳しい言葉を掛けて頂いたのですが、静かな中にも熱を感じました。早く加賀先輩に追いつきたいです!」

「……もう、やめて下さい……」

「これが誉め殺し……。加賀さんを潮ちゃんっぽくしちゃうとは、おそロシア」

「ロシアは関係ないし、ぜんぜん違う意味だと思うわぁ。胸は同じくらいありそうだけどぉ……」


 加えて、赤城・祥鳳・翔鶴によるジェットストリームアタックまで喰らい、加賀の完全敗北が確定した。
 コタツに突っ伏す彼女を見て、瑞鶴も複雑そうだ。まぁ、張り合っていた相手がこんなになっちゃ仕方ない。
 ここは間を取り持つとしよう。


「こういう訳だ。正規空母の後輩ができて、加賀もはしゃいでるんだよ。
 失言だったのは確かだけど、本人もきっと、見た目以上に反省してる。
 許してやってくれないか、瑞鶴」

「むぅ……。しょーがないなぁー。提督さんに免じて、水に流してあげます」

「そうか。ありがとうな」

「偉いわね、瑞鶴」

「子供扱いしないでってばぁ」


 ぷくー、と頬を膨らませながらではあるが、ようやく瑞鶴も納得してくれたようだ。
 頭を撫でようとする翔鶴の腕も、あんな風に言いつつ受け入れている。一件落着、である。
 何かにつけてぶつかり合う加賀と瑞鶴だけれど、互いの実力を一番に認めてもいるのだろうと思う。
 過去、高い練度で名を馳せていた一航戦に属する飛行隊は、比較的新人の多い五航戦を下に見るきらいがあったそうな。
 しかし、その実態はどうだったのか……。もしかしたら、悪役を演じて反骨心を煽ろうとした、不器用な先達だったりしたのかも知れない。
 ま、ここにいるのは見栄っ張りな女の子みたいだけど。それも“らしい”か。
 そんな風に一人で頷いていた時、ドアの方からノックの音が聞こえてきた。


「失礼しまーす。赤城さん、加賀さん、置き手紙見て遊びにきましたよー」

「楽しそうな声が聞こえてましたけど、何してるんですか? あ、提督も居たんですね」


 入って来たのは、翔鶴たちと同じタイミングでやって来た正規空母。二航戦の飛龍・蒼龍姉妹だった。手には紙切れを持っている。
 彼女たちは……鳳翔さんのお店の夜勤を終えて、一眠りした後だろう。あくび混じりで眠たそうだ。


「いらっしゃい。飛龍さん、蒼龍さん。どうぞ座って下さい」

「じゃあ失礼して……。はぁぁ、あったかいー」

「専用コタツがあるなんて、羨ましいです。早く私たちも欲しいなー?」

「自分でお金貯めて買いなさい。公費で買ってあげられるのはみんなで使う設備だけです」


 飛龍は如月の左隣、蒼龍は漣の右隣へ潜り込みながら、さり気ないおねだりをしてくる。
 バッサリ切り捨てられ、飛龍が「ケチー」なんてアヒル口してるけど、甘やかしたら際限ないし、頑張って働いておくれ。


「ところで、提督? 赤城さんに何か御用だったのでは?」

「おっと、そうだった。ちょっと空母組みに用があってな。ありがとう祥鳳、忘れるとこだった。漣、如月」

「はいはーい」

「まずはこれを見てぇ?」


 すっかり和みモードに入るところだったが、祥鳳の指摘で本来の目的を思い出す。
 サザナミーズを促すと、さっそく如月が小瓶をコタツの上に。
 蒼龍がシゲシゲと観察している。


「栄養剤か何か、ですか?」

「なのでぃす。漣と如月ちゃんが、丹精込めて作り上げた一品でございます」

「今まで何人かに試飲してもらったんだけどぉ、あんまり効果が見えなくてぇ……」

「みんなのうち、誰か一人に飲んでもらいたいんだ。頼めるか」


 キラリン、と目を光らせる漣。頬へ手を当て、悩ましいため息の如月に代わり、みんなを見回しながらお願いしてみる。
 あの毒々しい見た目は誤魔化せているし、タイミング的にも不審には思われないはずだが……?


「栄養剤ですかー、丁度良かった。鳳翔さんのお店で働きづめですから、ちょっと疲れてたんですよー」

「あっ、ズルいわよ蒼龍! それなら条件は私たちと一緒じゃない!」

「そうは言うけどさ。瑞鶴は裏方ほとんど入らないじゃん。翔鶴と一緒で。ねぇ?」

「それはっ……飛龍先輩の仰る通りなのですけれど……。私たちが接客していれば、お客様の入りが違うと、たもんまるさんたちが……」

「あぁ、私も似たようなことを言われました。『祥鳳ちゃん。貴方はうなじと背中が武器よ~』……って。どういう意味なんでしょう?」

「……ど、どうなんでしょうね。悪い意味ではない、と思いますが」


 果たして、その読みは的中した。
 ヒョイっと小瓶を持ち上げる蒼龍に瑞鶴が噛みつき、飛龍や翔鶴も興味を示しているようだ。
 加賀は無言のままだし、祥鳳・赤城は微妙な所だけど……。とりあえず、うなじと背中が武器なのには同意します。
 鳳翔さんに見せられた履歴書には戦慄してしまったけども、審美眼もあって良い人材です、たもんまるの御三方。
 蛇足だが、三つ子かと思うほどソックリな彼ら――って呼んじゃいけない彼女たち。特に血の繋がりも無いらしい。遺伝子ってホント不思議。


「とにかく、私が飲んで良いですよね? 提督っ」

「駄目よ! 私か翔鶴姉が飲むの!」

「んー。蒼龍たちが飲みたいって言うから、私も飲みたくなってきちゃったなー」

「……実は、私も興味が。祥鳳さんはどう致しますか?」

「えっと、私も立候補しますっ。ぜひ飲んでみたいですっ」

「試験が必要というのでしたら、僭越ながらこの赤城が」

「……あ、の。赤城さんが飲むというなら、私も……」

『どうぞどうぞ』

「えっ」


 とか考え込んでいる間に、誰が飲むかで言い合いはヒートアップ。
 雰囲気に流されたか、加賀もおずおずと挙手をするのだが、その瞬間、コントみたく手のひら返し。加賀の目が点になった。
 なんだこれぇ……。こんなの教えた覚えないぞ?


「凄い。示し合わせたわけでもないのに、この連携力。南雲機動倶楽部は化け物かっ」

「その呼び方だと怒られちゃうと思うわぁ。翔鶴さんはついて行けてないわよぉ?」

「あ、あのっ、私、駄目でしたか? 何か失敗してしまったのでしょうか!?」

「いやいや、気にしない気にしない。みんながちょこっとずつ変なだけだから。とにかくだ、これは加賀に飲んでもらう事にしよう。提督権限で決定!」

『えー』


 アワアワと手を彷徨わせる翔鶴を落ち着かせ、自分は小瓶を取り上げる。
 そして、瑞鶴と二航戦組のブーイング無視。立ち上がって加賀の側へと膝をつく。
 眼前に偽栄養ドリンクを置くと、彼女は露骨に嫌そうな顔で瓶を見つめた。


「本当に、私が飲まなければならないんでしょうか」

「自分で立候補したじゃないか。ほら、グイッと」

「……腑に落ちませんが、仕方ありません。……南無三っ」


 怪しんでいるようだが、なんだかんだ言いつつ押しには弱いらしい。
 集まる視線に覚悟を決め、キャップを外す加賀。一言呟くと、勢いをつけて嚥下する。
 皆が固唾を飲んで見守る中、五秒ほどで小瓶は空になった。


「……ふぅ。御粗末様でした」

「味はどうです? ねっとり喉に絡みつく濃厚ピーチ味のはずなんですけど」

「悪くはありませんが、飲みにくいですね。絡みつくというか、粘つくというか……。濃過ぎる気がします」

「大井さんといい、曙ちゃんといい、なんだか別な物を飲んでるような感想ねぇ。そう思わない? 司令官」

「さ、さぁ? なんのことでせう……」


 妙に楽しそうな如月から水を向けられ、顔を引きつらせながら知らんぷり。
 色が白かったらヤバいよなーとか思ってても、こんな状況で頷けるわけがないだろう!?
 早いとこ健全な脳みそに戻らないと、色んなものに訴えられるぞ……。
 実際、瑞鶴とか首をひねってるし。穢されないよう自分が注意しなきゃ……。


「それより、身体の方に変化とかは無いか? こう、暑くなったりとか、やる気が出てくるとか」

「……ありませんね。元々、あまり疲れてもいませんでしたから」

「というと、やはり効果は見られないという事でしょうか。残念でしたね、加賀先輩……」

「っていうかさ、即効性なの? この栄養剤って」

「そのはずなんですよ、蒼龍さん。おっかしいなぁ? レシピは守ってるはずなんですけど」


 空き瓶を眺める蒼龍からの質問に、漣は腕を組んで苦い顔。意外と自信があったらしい。
 それを疑問に思ったのか、今度は飛龍が問いかけた。


「でも、統制人格にも効く薬のレシピなんて、一体どこで?」

「酒保の片隅に埋もれていた、古い本よぉ? 民明書房っていう所が出版したらしいんだけど、検索してもデータが無くてぇ。ひょっとしたら……って」

「一気に信憑性が下がった気がするのは、私だけでしょうか」


 どこからともなく、分厚いハードカバーを取り出した如月が質問に答え、赤城は眼を薄くする。
 下がったどころかブチ壊しだよ。
 もともと低かった信頼性がマイナス領域突破したわい。


「う~ん……。もう諦めた方が良いのかもなぁ……。邪魔して悪かったな。自分たちはこれで」

「お待ち下さい、提督。せっかくですから、せめてお茶を一杯」

「ああ、赤城。気を遣わなくても……。じゃあ、一杯だけ」

「はい」

「赤城さん、お手伝いします」


 ため息一つ。重くなった腰を上げて去ろうとしたが、お茶を淹れようとする赤城に引き止められ、また腰を下ろす。祥鳳の手を借りて、蒼龍たちの分も用意するのだろう。
 実はこの部屋、壁際に後付けの簡易キッチンまで増設してあるのだ。
 いつでもお茶を楽しむため、金剛の部屋にも似たような改装を施してあった。主任さんの施工だから安心である。


「提督。そのままではお寒いでしょうから、どうぞ隣に」

「いいのか? じゃあ失礼して。っこいしょ」

「提督さん、ちょっとオヤジ臭いわよー?」

「うっ。よ、余計なお世話だっ」

「ちょっと、脚突っつかないでよ! セクハラなんだからねっ」

「瑞鶴。あまり提督に失礼なことを言っては駄目よ?」


 楚々とした黒い長髪たちを眺めていると、加賀がスペースを空けてくれた。
 お言葉に甘えて足を突っ込み、小生意気な空母と脚蹴り合戦を開始。注意する翔鶴も、どこか楽しげだ。
 が、ふと気付く。
 先に言った通り、三人が一辺に座れるデカいコタツなわけだが、右隣に感じる体温が……近い。


「……加賀。なんか、近くない?」

「そうでしょうか。いつも通りだと思いますが」

「そう、か……?」


 尋ねてみても、いつも通りのポーカーフェイスと低音が返ってくる。
 しかし、やっぱり距離が近い。肩が触れ合いそうなくらいだ。
 みんながそれぞれに談笑する中、自分は初めての距離感に、奇妙な居心地の悪さを感じるのだった。

 結果。
 効果は……微妙?





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「さて。残りは三本となった訳だが……。面倒なんで本命に行こうと思う!」

「おおぉ! 珍しくイケイケな発言。どうしたんですか、ご主人様?」


 赤城・祥鳳の淹れてくれたお茶をひとしきり楽しみ、部屋を後にして数分後。
 宿舎奥にある二つ目の階段近くで、自分は小声ながらに宣言して見せた。


「君らも気づいてただろうけど、さっき薬を飲ませた後、妙に加賀との距離が近くなっただろ? あれは彼女なりの気持ちの表現だと思うんだ」

「確かに、寄り添うみたいな感じだったわねぇ。あくまでさり気なく、不自然にならない程度っていうのがいじらしいわぁ」

「うんうん。信頼はされてたと思うけど、今までそんな感じのなかった加賀がああなるんだ。効果はあると見込んだ。……電に、飲ませる!」

「い、言い切った! うだつが上がらなくてむっつりスケベで、豪速球は打ち返すけど変化球に滅法弱いご主人様が! 男らしくなられて、漣は嬉しゅうございますっ」

「今なら、押し倒されても文句なんて言えないかもぉ。やん」

「はっはっはっはっは。もう一周回って褒められてる気がしてきた」


 拳を握って力説すると、漣がハンカチ片手に嘘泣き。如月は顔を赤くしてクネクネする。
 むっつりスケベで悪かったな。男なんて全員スケベなんだよ!
 けっきょく電が帰ってくる前に雪は止んで、綺麗さっぱり無くなっちゃったし、こちとらムラムラ――じゃマズいな。鬱憤が溜まっとるんじゃい!
 それはさておき、さっさと電の居場所を調べないと。能力者と統制人格の繋がりを、限定して辿れば……。
 ふむ。一階の玄関近くだから、また談話スペースか。行ってみよう。
 場所を確認後、サザナミーズと一階へ。
 玄関近くに向けて宿舎を縦断すると、数分もしないで到着だ。


「お。珍しい組み合わせだな」

「司令官さん! お疲れ様なのですっ」

「うん、お疲れ。あきつ丸、調子はどうだ」

「上々であります、提督殿」


 二階の談話スペースよりも広い――ラウンジとも呼べる場所では、四人の少女がソファに腰掛けていた。
 攻略対象である電と、以前とは服装の趣が変わったあきつ丸。重巡の足柄、衣笠である。
 とりあえず、わざわざ立ち上がり、お辞儀してくれる電の頭を撫で回す。
 彼女も自然と受け入れてくれるので、まぁ問題ないはずだ。


「ラブいですねぇ。お餅が焼けそうですよ、この温度」

「ホントにねー。なんか、こないだの“にゃー”事件で吹っ切れちゃった感じするよね」

「全く、弛んでるわっ。こっちは硫黄島の囮任務以来、まともに戦えてなくて悶々してるっていうのにっ」

「足柄さんが言うと、全然イヤらしく聞こえないのはなんでかしらぁ」


 ……こっちを見てブツクサ言ってる、外野を無視すれば。
 漣。その顔はなんだ。膨らんだ餅の真似か。
 衣笠。諦めたみたいに肩をすくめるな。セクハラしてる訳じゃないんだから。
 足柄。こんなとこで艤装を召喚すんじゃない。危ないだろう。
 如月。それは彼女がある意味で純粋な証拠だよ。君と違って。


「して、如何様な御用件でありましょうか。切迫する台所事情の中、改装して頂いた恩に報いるためにも、このあきつ丸、全力で任務を遂行する所存であります!」

「き、気合い入ってるな……」


 脳内ツッコミに勤しんでいた自分へ、唯一、余計なことを言わずにいてくれたあきつ丸が、立ち上がりながら敬礼する。
 灰色だった詰襟スカートは、今は黒く染まっていた。第一次改装を終了し、航空艤装を施した影響だ。
 対潜哨戒などに使われるカ号観測機・三式指揮連絡機を載せて、すでに何度か対潜哨戒任務をこなして貰っている。
 今までも艤装状態ではランドセルっぽい物を背負っていたのだが、その色も赤に変えただけでなく、スクリーン型の飛行甲板を展開。新たな艤装である走馬灯っぽい物で影を投影し、実物の影と同期させて制御する……らしい。
 まだ同調状態で運用していないので、こんな言い方しかできないのが残念。代わりに大発などは降ろしてしまったから、無駄にしないよう考えないと。


「まぁ、頑張ってくれるのは有り難いけどさ。本当に切り詰めなきゃいけないし」

「なのです……。戦艦の皆さん――扶桑さんたちには、出撃を控えてもらわないと……」

「とすれば、正規空母の方々も実働は控えるべき、という事になってしまいますな。ますます奮起せねば!」

「頼むよ。いいタイミングで飛鷹たちが来てくれたから、うまく運用できるよう考える」


 クドいようだが、この艦隊は現在、財政難に直面している。
 近海の輸送任務や警備任務などで、なんとか自転車操業しているけれど、この状態で大きな戦闘をしたりすれば、破産は免れない。
 しばらくは低燃費編成――軽空母や重巡以下の艦船を中心に、艦隊を構成する予定だ。
 まるゆにも仲間が出来たんだし、もうそろそろ呼んであげる時期かな……?


「ねぇねぇねぇ! っていう事は、打撃部隊の主力は重巡になるのよね? 私たちの出撃が増えるっていう事よねっ? そうなのよね司令!?」

「ぬぉあっ、ちょ、ちょっと足柄!? 確かにそうなんだけど落ち着け!?」

「んー! 考えただけで漲ってくるわ! 妙高姉さんたちだけに活躍はさせないんだから!」


 流石は足柄というか、なんというか。
 自らが関われる戦闘とかについては、とかく目端が利く。
 勢いに押されてソファへ倒れこんじゃったよ……。当の本人は拳を握って燃えてるし。飢えてる。


「あー、食われるかと思った」

「大丈夫? でも、足柄さんの前で出撃の話なんてするからいけないんだよ?」

「軍艦なのに任務の話をしちゃいけないってなんだよ……。しかし、あれだ。衣笠にも出張ってもらう機会が増えるだろうから、よろしくな」

「うんっ。その時は任せといて! 衣笠さん、絶対に無傷で帰還してあげるから!」

「それはちょっと残念だな……」

「司令官さんっ!」

「エッチなのはダメって前も言ったでしょ、もうっ」

「あたたたっ、ごめん、ごめんって! 謝るからっ!」


 足柄の闘気から解放された自分を、隣に移動してきた衣笠が気遣ってくれる。
 あきつ丸同様、胸を張って意気込む彼女だが、紐パンを見れないのが勿体無くてつい呟いてしまうと、両側から耳を引っ張られてお仕置きされた。
 割とガチで痛いのに、サザナミーズは「やっぱりラブい」「ラブいわねぇ」なんて言ってる。
 見てないで助けてくれよっ……と、そうだ。忘れないうちに用件を済まさないとな。


「えー、変なこと言ってすみませんでした。それはそうと、これを見てくれ」

「……提督殿。それは?」

「ふふふのふ。よくぞ聞いてくれましたあきつ丸さん! それはですねぇ」

「漣、待った」

「あら。どうかしたのぉ?」


 赤くなっていそうな耳をさすってから、また小瓶を取り出す。
 真っ先にあきつ丸が問いかけ、漣が答えようとするのだけれど、自分はあえてそれを止める。


「電。……何も聞かずに、これを飲んでくれないか」

「え? い、電が、ですか?」


 真剣に、目を見つめてお願いすると、電は戸惑っているような顔で首をかしげた。
 さんざん嘘をつきまくって来てアレだが、この子の前でだけは、正直で居たいのだ。
 ちっぽけなプライドだけど、これだけは守りたいと思う。


「見た目は普通の小瓶ね。栄養ドリンクか何かかしら」

「けど、何も聞かずにっていう所が怪しいよね……」

「あまり言いたくはありませぬが、良からぬ薬なのでは?」

「酷いな君ら!?」

「うーむ。なんと慰めれば良いのか、漣ちゃんには分かりません。お口YKKしときます」

「だから、ネタが古過ぎると思うのよぉ?」


 ……憶測で好き勝手言ってるな、足柄も衣笠も。
 当たってるから憶測って訳でもないんだけど、まぁ置いといて。
 心優しい電の反応は違う。たった数秒迷っただけで、自ら小瓶を手に取った。


「えと……。司令官さんは、飲んで欲しいんですよね? だったら、飲んでみるのです」

「う、うん。ありがとう、電」


 絶対的な信頼を乗せる、ホンワカした笑顔。
 自分の中にある邪な心が、浄化されながら「ごめん。ごめんね。ごめんなさいぃ」と悲鳴を上げていた。
 しかし、しかしだ。未だに手を繋いだり間接キッスくらいしか出来ていない現状を打破するには、泥を被る必要だってあるのだ!
 揺らいじゃいけないと気を持ち直し、自分は瓶を傾ける電を見守り続ける。


「――っ!? けほ、けほっ! の、喉に、引っかかって……っ」

「大丈夫か!? 無理して飲まなくても良いんだぞ?」

「平気、なのです……っ。司令官さんがくれた物なら、頑張れます、から」

「電……」


 ――が、急にむせて身をかがめる少女の姿に、思わず駆け寄ってしまう。
 気管にでも入ってしまったのだろう、涙を浮かべて苦しそうだが、けれど彼女は気丈に振る舞って。
 最低だ自分……。罪悪感と同時に、嬉しさまで感じてる。
 ただひたすら信じてくれている子を、こうして騙してるというのに。


「ご主人様、イカガワシイでごぜぇます」

「涙目なのがクリティカルだわぁ」

「そうかしら? ただ飲み物を飲んでるだけじゃない」

「足柄さんって、本当に戦い以外に興味ないよね……」

「自分は何も見ていないのであります。これを良しとする雰囲気に毒されてはいけないと、理性が訴えるのであります」


 見物人の謗りも、甘んじて受けねば。
 結果のいかんに関わらず、後で霞に罵ってもらおう。反省的な意味で。
 ともあれ、電は惚れ薬を最後まで飲み干した。「ごちそうさまでした」と言う彼女の様子は、今までと同じく変わらないが……。


「どうだ。何か、変化を感じられたりしないか?」

「……ごめんなさい、特に何も感じないのです」

「そっかぁ。効果はまちまちっぽいなぁ、これ」

「う~ん、そうなんですかねぇ? 漣、なんか引っかかるような……?」

「個人差が大きいのよ、きっとぉ」


 申し訳なさそうに返される瓶を受け取り、落胆の――いいや、安堵の溜め息。
 ノリと勢いだけで飲ませる気になってたけど、実際に惚れ薬なんかで結ばれたとしたら、一生後悔してただろう。
 これで良かったんだ。うん。本当に大切な相手は、実力で射止めないと。
 サザナミーズは諦めてないみたいだが、また同じようなのを持ってきたら即処分だな。


「ところで、司令官さん。一つ質問してもいいですか?」

「ん。なんだ? 遠慮せずに言ってごらん」


 密かに決心を固めていたら、今度は何か、言いづらそうに指を突っつき合わせる電。
 罪滅ぼしも兼ねて、できる限り優しく問い返してみると彼女は安心したように微笑み、軍服の袖を摘んできた。
 そして、艶やかな唇をかすかに開き――


「ほっぺたのリップの跡は、どうして付いたんですか?」

「え゛。あ、あぁぁ、そそその、これは……。ぉ、おいみんな、逃げるな!? 待って、一人にしないでぇええぇぇえええっ!!!!!!」


 ――背中から暗黒のオーラを放つのだった。

 結果。
 効果無し? とりあえず、自分の寿命は縮まりました。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「はぁ、はぁ、はぁ……。あ゛ぁ……。酷い目にあった……」


 なんでもないから。仕事があるから。後で説明するから。
 こんな言い訳を重ね、スタコラサッサと宿舎を逃げ出し、全力疾走でやって来ました、執務室。
 両開きのドアに鍵をかけ、自分は壁へと寄りかかり息を整えていた。
 朝潮から赤城まで気付かなかったキス痕を見て取るとは、さすが我が初励起艦。侮れん。
 何故か漣・如月も着いてきており、側で平然としている。体力あって羨ましい……。


「でも、自業自得ですよね? 惚れ薬なんかで乙女の心を振り回そうとするから、しっぺ返しを食らうんですよ、ご主人様」

「お前が、持って、きたんだろうがぁ!」

「あっ!? 痛いです痛いです痛いですぅ! ウメボシは堪忍しておくんなましぃ!?」

「仲が良くて羨ましいわぁ」


 自分なんてもう、ふてぶてしく他人のせいにする漣に、ウメボシを食らわせるのが精一杯だ。
 意図的に禁じてきた「お前」呼ばわりもしちゃったし。とにかく、疲れた。ちょこっとソファで横になろ……。


「どうして、電ちゃんには効果が無かったのかしらぁ? 大井さんと加賀さんには効いたのに……」

「今となっちゃ、それも怪しいけどな。
 ただテンションが高かっただけかも知れないし、ただそんな気分だった、ってだけかも知れないし。
 もう忘れよう? 結局、惚れ薬なんてこの世に存在しないんだよ」

「ううう……。酷いぃ……。傷物にされた……」


 残る二本分の惚れ薬を放り出し、グデーと金剛ソファに身を投げ出す。
 如月がハンカチで扇いでくれる。コロン、それかポプリ? 爽やかな香りが香って気分を落ち着かせてくれる。
 漣は自分からセーラー服を着崩して、嘘泣きしつつ色っぽさを演出中。クッションを投げつけておこう。
 すると、転げ落ちそうになった試験管を拾い上げ、それを眺める如月。


「……ねぇ、司令官。せっかくだから、やっぱり私も飲んでみて良いかしらぁ」

「飲むって、惚れ薬を? ……責任取れないぞ」

「効果はないって分かってるんだし、平気よぉ。どんな味なのか、気になっちゃってぇ」

「ふーん。まぁ、良いんじゃないか。お好きにどうぞ」

「ありがとぉ」


 問いかけには気楽に答える。
 同じ駆逐艦である電には、効果は見られなかった。だったら問題ないだろうと思ったのだ。
 ……あ、そういえば。


「聞きそびれてたけど、漣。その本が出た頃には統制人格なんて居なかったはずだろう? 何を根拠に効くって判断したんだ?」

「ふぇ? あぁ、それはですね。
 効能の末尾に、『これを飲めば天女だろうが女神だろうがイチコロである』という一文がありまして。
 だったら統制人格にも効くだろーっと思ったんですよ。ほら、漣たち可愛いですし?」

「なんて雑な理由……。確かに人間以上に可愛いけど――」


 ガシャン。
 下らない問答を中断させる、甲高い音。
 惚れ薬を飲んでいたはずの如月が、試験管を取り落としたのである。
 視線は惑い、頬も赤く、指先まで震えて。


「どうした、如月っ?」

「え。あ。え? ……あっ。な、なんでもない、わぁ……?
 思っていた以上に、ねっとりしてて、ドロドロで、ビックリしちゃった、だけよぉ……」

「いやいやいや、どう見たってそんな感じじゃないよ如月ちゃんっ。まさか、拒絶反応とか……?」


 正気に戻ったらしい彼女は、後ずさりながら取り繕うのだが、漣の言う通り。そんな風には受け取れない。
 ひょっとしたら、人間と同じようにアレルギー反応とか……?
 慌てて立ち上がり、自分は如月へ詰め寄る。


「本当に大丈夫なのか? 万が一って事もあるし、医者に……見せたってしょうがないよな。主任さんかこの場合?」

「も、問題ないわぁ。ちょっと、動悸は激しくなっちゃってるけどぉ……」

「問題大有りだっ。急に顔が赤くなってるし、まさか熱でも出てきたんじゃ。触るぞ」

「あっ、だ、ダメ……っ! ぁ」


 嫌がる腕を押さえ込み、額に手を。
 熱い。少なくとも三十八度は越えているだろう。おまけに全身が震え始めてる。
 何かが原因で、風邪に似た症状が引き起こされたのか。まさか、こんな事になるなんて。


「マズいな……。漣、その本には他に役立ちそうなもの載ってないのか? 人間以外にも効く風邪薬とか」

「あ~……。あるっちゃあ、あるんですけども。原因はご主人様が考えてるのと、全然違うと思いますですよ」

「はぁ?」


 藁にもすがる思いで製作者に聞いてみるも、どうしてだか、さっきまで泣きそうだった漣は、疲れたような顔をしていた。
 あぁもう、頼りにならん! 自分でどうにかするしかないか。


「とにかく横になろう。歩けるか? ほら、しっかりしろ」

「あ、あの……。その、ね。司令官……。ちょっとだけ、離れて……。もう、限界が……」

「そんなに辛いのか……。気付かなくてすまない。少し我慢してくれよ」

「きゃっ!? ぁ、ゃあ、だ、めぇぇ……っ」

「お、おい? 如月?」


 如月の手を引き、ソファに向かおうとするのだけれど、やはり足取りは覚束ない。
 というか、呼吸まで荒くなってきた。
 こうなっては仕方がない。きっと電も許してくれるはず。
 そう思い、強引にお姫様抱っこを敢行するのだが、余計に身体は縮こまり、震えが大きく。
 な、なんだ? この反応? 嫌がってるにしたって、なんか違うような……。


「あちゃー。やっちまったぜよ、ご主人様……」

「なんなんだ漣、さっきから変だぞっ?」

「あのですね、ご主人様。漣、ちょっと仮説を立ててみたので聞いて下さい」

「仮説?」

「はい。効果が無かった曙ちゃんと電ちゃん。効果が見えた大井さんと加賀さん。共通点があるように思えません?」

「……んんん? いやぁ……」


 そんな折り、漣が溜め息と同時に己が額をペチンと叩く。ぜんぜん深刻に受け取っていないようだ。
 思わず語気を強めてしまったが、しかし、続く言葉には怜悧な響きがある。
 大井と加賀の共通点……。思い当たる節はないけど……?


「ずばり、ご主人様を異性として認識しているか否か、じゃないでしょうか!
 北上さん大好きな大井さん。赤城さん大好きな加賀さん。
 その好意が向けられる矛先を、惚れ薬がチョビッとズラしたんだとしたら」

「……あ」


 ピシッと指を立てる漣の意見に、なんか納得してしまった。
 要するにだ。この惚れ薬、飲んだ相手のストライクゾーンを広げる効果があったんじゃないだろうか。
 信頼と愛情。
 似て非なる感情を勘違いさせた結果が、ほっぺにチューと近過ぎる距離感だった、と。


「で、でも、じゃあ如月は? あんな露骨に迫られてたのに……」

「あのですねぇ。本気で好きな人相手に、女の子があんなイタズラ仕掛けるわけないじゃないですか。これだからDTは」

「お前だって処――SJだろうっ。人のこと言えた義理かっ」


 肩をすくめ、漣は小馬鹿に半笑い。
 反射的に言い返そうとし、途中で危うい単語を修正する。いくらなんでもアレはイカン。
 けど、もうコイツには容赦しないぞ。


「もう、だめぇ……。司令官……。如月のこと、忘れないで……? きゅう」

「如月? 如月っ? しっかりしろ如月ぃ!? 傷は浅いぞっ、眼を開けるんだ如月ー!!」

「ダメだこりゃあ」


 しかし、その間にも如月の顔は紅潮し続け、ついに臨界点を突破。腕の中で失神してしまう。
 漣がコント終了を告げる中、自分は必死に、轟沈してしまった少女へと呼びかけるのだった。

 あんだけ気を持たせておいて単なるイタズラとか、どないやねーん!?





「すさっ。すささっ。すささささっ。
 ……これが、Dr.Small Waveの言っていた惚れ薬デスね。
 これさえあれば……。ふふふ……。hahahahahahahahaha!!!!!!」

「そこ! 誰か居るんですか!?」

「ha!? sit,見つかったネ! ここは逃げるがVictoryデース!」

「あ、金剛ちゃん? ちょっと……こ、こちら疋田、桐林提督執務室で……不審者? 発見! 応援を――どうせ兵藤とかだろ?
 いやまぁ似たようなもんですけど……。あ、切られたっ。もうっ、なんなんですかぁぁあああっ!?」




















 エロシーンかと思った? エロシーンかと思った? 残念! この小説は健全だよ! ……今のところ。どうしても続きを読みたいという方は、感想版に「わっふるわっふる」と(ry
 それはさておき、冬イベ攻略完了! あとはE-6を残すのみです。ユーたん超かわ。でもココロちゃんの外見描写を変えるべきか悩ましい。
 ……E-5は甲作戦だったか? あんな運ゲーに付き合ってられるかっ。俺は丙作戦に変えさせてもらう! 勲章なんかよりヘイト貯めないようにする方が重要Deathよ。うん。
 という訳で、今回はセクハラ増し増しなお話でした。お風呂シーンを分けた理由は、サブタイで遊びたかったからです。全ては世界の修正力が悪いんです。はっはっは。
 次回もこんな感じの日常回。とある約束が果たされます。お楽しみに。
 それでは、失礼いたします。


「フン、フフン、フフン、フフッフフーン♪」
「ん? ぉおう金剛さんじゃーん、チィっす! どうしたの、スキップなんかして?」
「Oh,YouはNew Faceの重巡さんデスね? 実はワタシ、ついに明日テートクと、テートクと……。ふふふ、これ以上はSecretネ! Good Night!」
「うん、お休みー。……へぇ~。なんだか分かんないけど、面白いことになりそうじゃん?」





 2015/02/14 初投稿
 2015/02/22 誤字修正。R.T.L様、ありがとうございました。うちは朝霜ちゃんが来てくれません。阿賀野ん浜風フィーバーはもういいです。やっぱ武蔵で運使い切っちゃったのかなぁ……。
 2015/02/25 誤字修正。柊様、ありがとうございました。大淀・明石・大鯨……。超うらやますぃ……。筆者はまるゆが三隻程度でした。朝霜? 知らない子ですね。
 2015/02/27  誤字修正
 2015/07/18 修正







[38387] 新人提督と金剛の初デート?
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/03/15 20:49





 どうして、私じゃダメなの。
 なんでお姉ちゃんばっかり。
 私だってあの人のこと……。

 どうして、どうして、どうして、どうしてどうしてどうして
 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
 ドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテド
 ウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウ
 シテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシ
 テドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテ――


 焼け焦げた大学ノートの一頁に書かれた文章。
 由来も書き手も不明だが、風化しないよう、厳重に保管されている。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「おっそいなぁ……。何してるんだよ……?」


 ガードレールに尻を置き、一三○○を刻む腕時計を確認しながら、自分は暗い溜め息をつく。
 人通りの多い銀座の街路。
 平凡なスーツで身を固めるフツメンが、衆人環視の的となっていた。
 もちろん“桐”なのがバレた訳ではない。こうなる他の理由があり、そうしてしまう気持ちを理解できるのが腹立たしく、気分を沈みこませるのだ。


(早く来てくれ……。このままじゃ、また……)


 背中で感じる好奇の視線。
 かすかに届く囁き声。
 それら全てが、終わりのない責め苦にも思えてきた。
 あぁぁもぅぅ……。あと五分。あと五分待って来なければ、先に行っちゃうか……?


「Hey,テート……Darling! 待ちましたカ?」


 ――と、うらぶれ始めた所へ掛けられる、耳に馴染んだ声。
 人混みをかき分けて近寄ってくるのは、普段と装いを変えた少女である。
 長い茶髪はポニーテールに。巫女さんっぽい服はガーリーなウィンターコートに。メガネらしき物までかける彼女は、変装した高速戦艦四姉妹の長女、金剛だった。


「待ったよ。遅いよ。何してたんだよっ」

「o,oh,メッチャ不機嫌デース……。こういう時は『今来た所だよ』って言って欲しかったのに……」

「不機嫌にもなるわ! 君の方から時間を指定した癖に、一時間も遅刻するかぁ!?」


 腕時計を示して詰め寄れば、金剛は数秒沈黙。「てへぺろっ」と誤魔化す。
 チクショウ、なんであざといポーズが様になるんだ、この美少女め。
 周りの男共が見惚れて、カップルに亀裂入ってるぞ。


「というかだ。なんで一緒に住んでるようなもんなのに、わざわざ外で待ち合わせするんだ? 意味ないじゃないか」

「だってぇ。せっかくの初Dateデスよ? 普通のCouple気分を味わいたくテ。それに、好きで遅れた訳じゃありまセン」

「え? そっちも何かあったのか」


 一緒に住んでる、という辺りに周囲がザワつくのも意に介さず、金剛は「あったのデス」なんて困った顔。腕組みしつつ、ため息まで。


「歩いてるだけでBadMen'sが声をかけてきて、面倒臭いったらありゃしないデース。三分も黙ってられまセンでした」

「あぁ……。なるほど……」


 聞けば納得の、もっともな理由だった。思わず頷いてしまう。
 普段からして美少女な彼女だが、今日はいつにも増して……という感じだからなぁ。
 特徴付けるのと同時に、一般人からすると話しかけ辛い雰囲気をもたらしていた、あの改造巫女服。
 それを、タートルネックのセーター&ミニスカ絶対領域+コートにしただけで、どこぞの読者モデルが目の前に! てなもんである。
 追いかけて来てたらしいチャラい男たちが、こっちを悔しそうに見ていた。
 自分もちょっと前までは、あっち側だったのに……。人生、分からないもんだ。


「ン? “も”って事は、Darlingも何かTroubleが?」

「うん。逆ナンされてた」

「……What's!? えっ、本当デスか? 道を聞かれたとか、宗教の勧誘とかじゃなくテ?」

「なぜ驚く。おい」


 小首を傾げる金剛に、今度は自分が苛立っていた理由を説明するのだが、彼女はこの世の物ではない“何か”を見たような目付きに。
 なんだよ。そんな反応することないじゃないか。
 そりゃあさ、今まで街で声を掛けてきたのはそっち方面オンリーだったけども。事実を突き付けられると傷つくんだぞ?


「全く、車なんて乗って来なきゃ良かったよ。ここまで人目を引くとは」


 振り返ったすぐ先には、有料の駐車スペースにある乗用車が。防弾ガラスに対光学兵器スモークフィルムを貼った軍仕様だ。
 世に車が誕生して数世紀。
 人類の第二の脚となった大発明だが、今では一九八○年代が如く、ブルジョアジー御用達のステータスアイテムとなっている。
 物資不足のせいで、乗り回すだけでもお金が掛かるのだ。軍関係や輸送業以外では使おうにも使えないのである。自分も軍で免許を取らせて貰ったくらいだ。
 見た目は普通の乗用車なんだけど、どうも客寄せ効果は素晴らしくあるようで、ずうっと粘つく視線を感じている。
 実際に声もかけられ、「待ち合わせですから」と断るのが面倒くさい。
 最初は嬉しかったですよ。何せ人生初の経験だし。でも、明らかに下心満載の猫撫で声とか、もうね……。女性不信になりそう。


「ムムム、なるほどデース。Womanというのは、時にRealisticにならざるを得まセン。それだけDarlingが魅力的になったということデス。自信持って下サイ!」

「自信ねぇ……。自分としては、もっと別のところで好きになって欲しいんだけど」


 共感できる部分もあるようだが、最終的にはサムズアップで励ましてくれる金剛。
 しかしながら、外見や付属物でなく、中身を評価されるのが男には望ましい訳で。
 自分でも難しいと思う基準に苦笑いすると、笑みを浮かべたまま、彼女は胸を張る。


「問題Nothing! ワタシや他のみんなは、例えDarlingがWorking Poorになっちゃっても関係ないデス。むしろ養ってあげマース」

「あ、そう……。まぁ、ありがとう? 確かに君たちなら、モデルとかでやっていけそうだしな」

「フッフーン。ワタシの美貌を考えればNo Wonderですけどネ! どうですか、この服?」


 微妙に嬉しくない例えだ。女の子に養ってもらうとかヒモじゃん。男の沽券に関わるよ。
 でも、自慢気にクルッと一回転する姿とか、その後のモデル立ちとか、似合ってるんだよなぁ……。
 たまにはリップサービスでもしておくかな。


「正直に言うと、見違えた。もちろん良い意味で。可愛くてビックリしたよ」

「へぁ? ………………r,Really? 嘘じゃないデスよね!?」

「お、おう。嘘ついてどうするのさ」


 素直な感想を告げただけなのだが、驚くほど金剛が食いついてくる。
 どうにか頷き、本心であることを伝えると、パァア……と表情を煌めかせ、小さな拳が握り締められた。


「……嬉しい。Darlingがそんな風に言ってくれたの、初めてデス」

「ええ? そんな事……」

「ありマス! お仕事以外で褒めてもらった覚え、無かったデスから……」


 金剛はそう言い、スーツの袖をおずおず摘む。
 改めて、彼女と出会ってからを思い返してみるけれど、確かに言っていなかったような?
 脳内で褒めちぎった覚えはあるが、実際、面と向かっては……。
 なんか、悪い事しちゃってたな。
 電の手前、手放しに喜ばせるわけにはいかなくても、もう少しくらい褒めてあげるべき……だよな。士気的にも。
 ……決して、周囲で様子を伺っていた一般婦女子からの「信じらんない」「なにアイツ」という冷たい視線に負けた訳じゃありません。ええ。


「え、ええと……。とにかく行こうか。時間も限られてるし」

「Yes! いざ、初Dateに出発デース!!」

「初デートねぇ……」


 ともあれ、外出できる時間は短い。
 肩を叩いて車を示すと、一気にテンションを上げた金剛が、迷うことなく助手席へ。
 自分もそれに習い、後方確認しつつ、運転席に乗り込むのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「目標が移動を開始しましたわ」

「おう、見えてる。オレらも追うぞ」


 車が動き出したのを確認し、離れて停まっていた大型バイクが二台、別々の場所から動き出した。
 サイドカーと運転手の背後に座る二人を合わせ、三人の少女が乗るそれらを操るのは、桐林艦隊の統制人格であった。


「いやー。面白くなってきたー。まさか提督が金剛さん“たち”とデートとはね?」


 気取られぬよう、距離を置いて尾行するうちの一台――天龍が運転する方のバックシート。樺茶色のブレザーを着る少女は、楽しそうに微笑んだ。
 最上型重巡洋艦三番艦・鈴谷である。
 桑染めのプリーツスカートは際どくはためき、ハーフヘルメットから溢れるウォーターグリーンのロングヘアが風に揺れた。
 そんな彼女を見やり、サイドカーで同じ制服に身を包む少女は嘆息する。


「全く、悪趣味ですわ。他人の逢引きを覗き見なんて」

「ンなこと言って興味津々じゃねぇか、熊野。双眼鏡まで用意してよ」

「ち、違いますわっ。これは、艦隊内の風紀が乱れぬようにっ」


 フルフェイス・ヘルメットの天龍に指摘され、最上型四番艦の熊野が、慌てて双眼鏡を隠す。
 薄茶色のポニーテールが崩れるのを嫌ってか、ヘルメットは被っていない。天龍に至っては、頭部の浮遊アンテナがヘルメットの一部のようになっていた。


「まぁまぁ、どっちでも良いじゃん。役には立つんだし。三隈、そっち遅れてない?」

「問題ありません。この子も公道を走れて喜んでいますわ」

「にしても、三隈が単車転がせるとはな。意外だったぜ」

「ホント。ボクなんか自転車も怪しいのに、凄いよね」

「まぁ。お褒め頂き光栄です、もがみん」


 鈴谷からのトランシーバーに答えるのは、もう一台の運転手。
 長袖のセーラー服――紅樺色の上着と茶色のスカートという、運転には向かない服装ながら、黒髪のツインサイドテールをたなびかせる、最上型二番艦・三隈だ。ヘルメットはハーフである。
 背中には一番艦である最上が抱きついており、実際にトランシーバーの操作をしているのは彼女だった。手放し運転などしていないので、ご安心頂きたい。
 ちなみに、最上は黒髪を少年のように短くし、下もスカートではなく短パン姿である。
 同型艦ながら、衣装に大きな違いのある最上型たちだが、三番艦の鈴谷からは、船体強度の確保や、機関の仕様変更などのために設計を改め、以降を鈴谷型とも称するのが理由であろう。
 かつて、この鈴谷型の設計を更に改めた船が、伊吹型重巡洋艦として就役するはずでもあった。


『……ところで、さ』

『ん? なんだよ、内緒話か?』

『うん……。電ちゃん、ずうっと黙ったままなんだけど、どうしたら良いかな……?』


 そんな重巡たちの長姉である最上は、不意に天龍へと秘匿念話を発する。
 サイドカーで黙々とクッション材をプチプチし続ける、電の気配に怯えながら。
 プチ、プチ、プチ、と潰すのに合わせて、「なのです。なのです。なのです――」と彼女は呟いていた。
 怒ったり悲しんだりしている方がまだマシであろう有様に、天龍は苦々しい口振りで返す。


『……わりぃ。オレにはどうにも出来ねぇ。耐えてくれ最上……』

『そう言われると思ってたよ……。三隈は運転に集中できるからいいけど、ボクだけ針のむしろさ……。あはは……』


 半ば諦めていたのか、三隈の背中に乾いた笑みを隠す最上。
 思い返せば、鎮守府を出立する際から「なのです」以外の言葉を聞いていない。
 これが噂に聞く「なのDeath」モードなのかと、彼女は味わいたくもない胃の重さを感じるのだった。


「にしても、提督はどこへ向かっているのかしら。大抵の施設は、鎮守府内にもあるはずですのに」

「そーだよねー。買い物するところも、遊ぶところもあるし。富井マートとか」

「単にバレたくなかっただけじゃねーか? 司令官と金剛が……まぁ、そういう風に遊んでるって知ったら、みんなして囃し立てるだろうからな」

「あー、それもあるかー。でも結局バレちゃってるんですけど」

「前日からアレだけ浮かれていれば、当然ですわ」


 三隈組みと打って変わり、華やぐ雰囲気の天龍組み。
 全ては前日の夜。
 宿舎内をスキップし、満面の笑みから「誰か聞いてくれないかナー」という気持ちをダダ漏れさせていた金剛へと、鈴谷が話しかけた事に端を発する。


『ん? ぉおう金剛さんじゃーん、チィっす! どうしたの、スキップなんかして?』

『Oh,YouはNew Faceの重巡さんデスね? 実はワタシ、ついに明日テートクと、テートクと……。ふふふ、これ以上はSecretネ! Good Night!』


 内容は以上の通りであり、言うだけ言ってすっきりしたらしい金剛は、そのままスキップで立ち去った。
 残された鈴谷といえば、「面白そうじゃん?」と目を光らせ、さっそく姉妹艦へと密告。次いで、翌日の外出予定を書記の少女から確認し、その護衛と称した尾行チームが結成されたのだ。
 車よりは一般に多く出回っている上、機動性を重視した二輪車を選択する辺り、本気なのが伺える。ちなみに私物である。
 美少女が乗っているせいで、妙に注目を集めてしまっている事に気付いていないのは、改善点であろうが。


「皆さん。提督の車が左折。駐車場へ入って行きますわ。私たちは如何いたしましょう?」

「あれは……。ブティックだよね。鈴谷たちが持ってる雑誌とかに、特集されてなかったかな」


 そんな時だ。三隈は金剛たちの乗った車が、とある店舗の駐車場へ入っていくのを確認した。
 一旦はその店を通り過ぎ、離れた路地を同じく左折して停車。もう一度確かめてみると、ショーウィンドウに着飾ったマネキンが置かれていた。服飾品を扱っているに違いない。
 遅れて天龍組みも脇道から合流し、六人は道端で作戦会議を開く。もちろん他の邪魔にならないように。


「さすがに、お店の中へは入れそうにありませんわね」

「ん~……。あ、おあつらえ向きに喫茶店あるじゃん。とりあえず、あそこ入って様子見ようよ」

「ちょうど向かいか。良いかもな」


 バイクから降り立った鈴谷が偵察してみると、現在地――ブティック側から片側二車線の道路を挟んで、やや斜め前に、シックな面持ちの喫茶店が門を構えていた。
 あの位置ならば、ブティックの出入り口を見張りつつ、身を隠せるだろう。
 そう判断した天龍がバイクを吹かし、鈴谷が戻ってから再び動き出す。


「承知しました。三隈も続きますわ」

「ボク、喉乾いてたから助かったよ。……い、電ちゃんも、それで良いよね?」

「なのです」


 おっかなびっくり、最上が問い掛けてみても、やはり返ってくるのは短いセリフ。
 しかし不満の色も感じられず、ホッと一息。早く着かないかなぁ……と、冷や汗をかく最上であった。
 常識人の苦悩は終わらない。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「さ、着いたぞ」


 目的地であるお店――上流階級の人間も通うブティックへと到着。車を停め、自分は車内に呼び掛ける。
 ……が、返事はなかった。
 シートベルトを外しながら隣を見ると、金剛が風船みたいな顔でそっぽを向いており……。
 怒ってますねー、どう見ても。


「金剛、いい加減に機嫌直してくれよ」

「つーん、デス」

「何が気に入らないんだ? 君との約束通り、買い物に付き合ってもらってるだけなのに……」

「何ガ……? 本気で聞いてマスか!? だったら言わせてもらいますケド、どうして初Dateがコブ付きなんですカぁ!!」

「コブだなんて、そんな言い方は無いんじゃないかしら?」

「そうよっ。レディに向かって失礼だわっ」


 プンプン怒り狂う人差し指の先には、フォーマルなスーツを着崩した陸奥と、いつものセーラー服姿な暁が居た。護衛を兼ねて最初から車に乗っていたのである。
 こちらからすると、以前、電との出会いを話した時の約束を果たすつもりだったのだが、やっぱり金剛は別の意味で捉えていたらしい。
 まぁ、普通そう考えるよね。普通。


「Sorry,ちょっと興奮してしまったデース……。でもでも、本っ当に楽しみにしてタのに、いざ車へ乗り込んだ瞬間、後部座席に美少女が二人も居た絶望Despairと言ったら……」

「そんなこと言われても、自分はデートなんて明言した覚えはないし、二人っきりだとも言ってないぞ?
 勝手に早合点したのは金剛じゃないか。勘違いしてるだろうと予測はしてたけどもさ」

「ひ、ヒドいっ、けっきょく騙してたんデスね! Pureな乙女心を弄ぶなんて、このジゴロ、スケコマシ、I Love You!!」

「あらあら、結局は好きなのねぇ」

「じ、ジゴ……スケコ……?」


 悲しげに両手で顔をおおった金剛だが、罵りながら告白するという器用さが溜め息を誘う。
 なんだか楽しそうですね、陸奥さん。意味が分かってない暁は……。是非そのままでいて欲しい。
 如月とか漣みたくなられちゃ困るし。


「とにかく、さっさと行こう。買い物って言ったけど、仕事の一環でもあるんだ。三人には頑張ってもらわないとな」

「ふぇ? どういう事デスか?」


 先んじて車を降りると、嘘泣きしていた金剛、暁たちも。
 ドアをしっかりロックしてから、自分たちは店舗の入り口へ。


「あと二週間もしない内に、千条寺家の仮面舞踏会が開かれるのは聴いてるだろう?」

「確か、赤坂の迎賓館を貸し切って行われるのよね」

「うん。で、自分が出席するのはもちろんなんだが、護衛として統制人格のみんなにも出てもらう事になったんだ」

「ほうほう。つまり、ワタシたちの社交界Débutという訳デスか!」

「社交界デビュー……。も、問題ないわっ。暁は歴としたレディだものっ」


 年末に日程を組まれる、襲名披露宴を兼ねた仮面舞踏会。
 歴代の“桐”たち――といっても、最初の“桐”である桐竹氏から自分までを合わせて、たった八人なのだが。
 とにかく、彼らを盛り立てるために開かれ、政治家やら資産家やらも集まるこのパーティーは、様々な意味で注目される催しだった。
 貧富の格差問題が持て囃される昨今、とにかく槍玉に挙げないと気が済まない人も多いのだ。
 中には過激派組織を後ろ盾に活動する者まで……。警戒するに越したことはないのである。


「とはいえ、“桐”が集まるパーティー。普通に警戒厳重だから……。言い方は悪いけど、賑やかしとか、イベントコンパニオン的な感じかな」

「エー。なんデスかそれー。ワタシ、Darling以外にお洒落した姿を見られても嬉しくないデース……」

「はいはい、安心しろ。
 ただ会場内に居てもらえれば十分だし、あくまで君たちは自分の身内。客からの要求に応える必要もないから。
 無理強いするような馬鹿には、相手が誰であろうと対処する。安心して楽しんでくれ」

「あら、頼もしい。しっかり守ってね?」


 二重になっている自動ドアを一つくぐり、受付をしている男性に身分証を提示する。
 ICチップから情報を読み込むと、流れるような動きが一瞬だけ停滞。貼り付けた笑みで案内を開始した。
 怪しんでたんだろうなぁ、内心では。
 鎮守府にはこういう海外ブランド店とか進出してないし、ま、仕方ないか。


「でも、司令官? 私たち――」

「暁、外でその呼び方はダメ。前もって打ち合わせしたろ?」

「あう。えっと……。に、兄様。舞踏会に着ていくドレスなんて、暁は持ってないわ」


 帽子頭をツンとつつくと、暁は慌てて呼び方を変えた。
 店員さんにはバレちゃってる訳だが、気を遣わなければ。
 なので兄様呼びに喜んじゃダメだぞー自分。
 可愛い妹が欲しかったのは確かだけど、仮だからなー。


「それを解決するために、この店に来たんだよ。事前に連絡はしてあるけど、外の店だ。バレないようにな」

「もしかして、買ってくれるデスか!? Yes Sir! 大人しくしてマース!」

「了解よ、兄くん? ふふふ、楽しみだわ」

「ドレス……。ふりふりで、キラキラ……。にへへ……」


 ぜんぜん大人しくなってないじゃないか、金剛よ。
 というツッコミが引っ込んでしまうくらい、女性陣は大喜びだ。
 陸奥も目に見えて頬を緩ませてるし、暁なんか顔が溶けてる。やっぱり女の子なんだな、みんな。


「そういえば、兄くん。ドレスを買ってくれるのは嬉しいけど、そもそも舞踏会へ連れて行く子はどのくらいなのかしら。まさか、全員分用意する訳じゃないんでしょう?」

「ん? 先方からの要望で、一般への知名度が高い順に十数人ってとこかな。ある程度ワガママは通すけど。あ、ドレスは全員分買うつもりだよ」

「えっ」

「えっ」


 店舗内を奥へ進みつつ、陸奥からの質問に答えるのだが、彼女は何故か足を止めてしまう。
 金剛もビックリした顔で、飾られた服に見惚れる暁だけが夢見心地にフラフラ。
 同じように立ち止まってしまった自分とぶつかった事で、「んにゃうっ」と正気に戻る。どんだけ楽しみなんだ。


「H,Hey,Darling。我が家は最近、Moneyに困っているはずじゃあ……」

「うん。困ってる。でもさ、アッチとコッチじゃ、額が文字通り桁違いだからさ。どうにかなるんだよ。
 ……ぶっちゃけ、通常出撃で得る解放艦はダブリが多くなってきたし、それを他の能力者に提供することで、給付金を貰ってるんだ。
 公的な軍のパーティーでもあるし、その準備に流用しても法的な問題はないから、そこら辺は安心して良い。流石に一着ずつしか買えないけどね」

「背に腹は代えられないのねぇ……」

「……なんだか、ちょっと罪悪感を感じちゃうわ」

「しかし、これから仕事を続けていけば、公の場に出る機会は増えてくる。こういう準備も必要なんだよ。理解してほしい」


 要するに、艦隊運用費と生活費は別問題という事だ。
 ほんの四半世紀前までは在り得なかった方法で、数多の船を入手できるようになった現在、駆逐艦などの購入価格はそう高くない。
 だが、それでも服に比べれば桁違い。ドレスの百着くらいなら、未励起艦を数隻売り払うだけで賄えるのである。
 もっとも、こうやって得た資金は公費の助成として扱われる。みんなが使う日用品や食費などには使えないので、雑誌の売り上げでウハウハ言ってたのもこれが原因。
 大黒柱は大変ですよ……。

 世知辛い事情の説明をしている間に、自分たちはまた歩き出す。
 程なく、少し先を行っていた店員さんへ追いつくと、彼は大きなカーテンの前で立ち止まり、こちらの様子を伺ってから一気に解放する。


「お待たせ致しました。こちらが、今回ご用意させて頂いた品々で御座います」


 赤、白、黄色、緑、青。
 原色からパステルカラー。
 シルクやサテンに半透明なシースルー素材など、様々なドレスの踊る一画が、そこにあった。


「わぁー! 兄様、兄様、凄いわ!」

「まぁ、はしゃいじゃって。でも、気持ちは分かるわね」

「Wow,トンでもなくGorgeousデース!」

「すっげぇ……。わざわざ専用コーナーまで作ってくれたのか」


 マネキンの側には、着飾った女性店員も立っている。おそらくドレスの説明とかをしてくれるんだろう。
 よく考えたら、百着近くを注文してくれるかも知れない、超がつく上客だ。気合も入るよな。
 色めき立つ暁たちを見て、店員さんたちガッツポーズしてるし。


「さてと。まずは暁のドレスから選ぼうか。二人とも。自分にはそういうセンスないから、良いのを選んであげてくれるか?」

「もっちろんOKネ! こういうのはGirlの得意分野デース!」

「だけど、きちんと感想は言ってあげてね? 投げっ放しじゃダメよ?」

「了解了解」


 今か今かとソワソワする三人を引き連れ、特設コーナーへと足を踏み入れる。
 さっそく暁に女性店員が集まり、いろんな部分のサイズを測っていた。
 ちょっと見ただけでも、定番のフリル満点な純白ドレスから、背中がザックリ開いた黒いドレスまで、本当に色々だ。
 耳に聞こえる歓声は、「コレとかワタシに似合いそうデース!」「私はどんな感じにしようかしら」「二人ともズルい! まずは暁でしょ、レディファーストー!」「神戸牛ですわー!」なんて――


「んん? 神戸牛?」


 明らかに、場違いな言葉が耳へ届いた。
 神戸牛? え? 牛……いや、霜降り肉をモチーフにしたドレスでも置いてあるの?
 そう思って周囲を見回してみるが、人肌で融ける肉ドレスなんてあるはずもない。
 というか、この場にいる人間の声じゃなかったような。


(……あ、もしかして……)


 とある可能性に気付き、自分は姦しい女性陣から離れ、精神統一。
 己の中にある無数の“糸”を辿ってみると――





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「うーん……。ダメだわ、やっぱり全っ然見えない。ここに陣取ったのは失敗だったかなー?」


 外観と同じく、シックな内装でまとめられた喫茶店の中。
 熊野から借りた双眼鏡を構える鈴谷は、あっちこっちへ移動しつつ、必死にブティックを覗き込もうとしていた。
 顰蹙を買いそうな行動であるが、店内には鈴谷たち以外の客が居らず、店主である男性も見咎めなかったため、やりたい放題だ。


「仕方ないよ。中が丸見えだったら高級店っぽくないし。プライバシーへの配慮じゃないかな?」

「なのです」

「ですわ。電さんの言う通り、ここは大人しく待ちましょう。焦りは禁物です」

「えっ。なんで分かるの三隈。なのですとしか言ってないよ?」


 代わって声をかける最上も、カフェラテを飲んですっかりくつろぎモード……だったのだが、唐突な「なのDeath」モードの通訳に突っ込んでしまう。
 元々、自らを「くまりんこ」と呼んだり、ときどき「み、くま!」と鳴いたり、“くま”という読みの入った船――球磨・阿武隈・熊野に自身を加え、「あと一人居ればクマレンジャーが結成できますのに……」などと企む、天然系お嬢様な彼女。しかしまさか、電波まで受信できるとは。
 よくよく考えると軍艦なので当たり前なのだが、なんとなく突っ込まずにいられない常識人だった。
 それはさておき。
 同じく飲み物を注文し、アイスフロートのメロンソーダを楽しんでいた天龍は、バニラアイスを食べ終わったタイミングで話に参加する。


「しかし、ただ待つってぇのもな。飲みもん以外に何か注文するか?」

「わたくしはもう注文させて頂きました。せっかくの外出なんですから、皆さんも遠慮してはいけませんわ」

「お、熊野ったら抜け目ないねー。ってこれ……メニューめっちゃ分厚いんですけど……」


 六人分のドリンク――カフェラテ、メロンソーダ、紅茶、コーヒー、金箔入り梅昆布茶、サイダーは、ほぼ全てが空になりつつあった。
 長丁場になるのなら、場所を提供してもらっている側として、口止め料代わりの誠意も見せねばなるまい。熊野は淑やかに分厚いメニューを差し出す。
 鈴谷の手にもズッシリくる、ちょっとした辞書並みの厚さだ。
 それを編集したであろう店主は、良く言えば貫禄のある、悪く言えばヤのつく自営業者にしか見えない風貌通り、低い声を伴って歩み寄る。


「お待ちどう」

「ご苦労様です」

「おぉ、香ばしく焼けた匂いが最高だなぁ……ってステーキかよオイ!? ガチ喰いじゃねーか!?」


 素っ気なく、それでいて恭しくテーブルに並べられたのは、鉄板の上で肉汁を弾けさせるステーキだった。
 付け合わせは、定番のマッシュポテトに茹で野菜。濃厚なソースの香りが食欲を誘うけれど、注文主が御嬢様然とした少女ということもあり、違和感満載である。
 やはり常識人は突っ込まずにいられない。


「ここ、ファミレスじゃなくて喫茶店だよね? なんでステーキが……」

「フードメニューが充実しているみたいです。見てください、もがみん。定番のナポリタンからお寿司までありますわよ?」

「ほ、ホントだ……。もしかして、鍋とかおでんまであったり?」

「あるよ」

「あるの!?」


 短い返事に、冗談半分だった最上は驚きを隠せなかった。
 一方、店主はサングラスの奥から「ドヤァ」という雰囲気を放出している。
 この反応を待っていたらしい。見た目と違ってファンキーである。


「いやー、それにしたってステーキとかさ。臭いが服に着いちゃわない? 熊野」

「何を言っているんですの鈴谷さんっ。神戸牛ですのよ神戸牛!?
 偶然出かけることになって、たまたま入ったお店で神戸牛に出会う……。これぞ運命ですわ!
 神戸生まれの重巡として、厳かに堪能するというのが婦女子という物。ありがたく頂戴いたします……!」

「なのです」

「本当。熊野さん、とっても楽しそうですわ」


 パラパラとメニューをめくりながらの鈴谷に、熊野は俄然目を輝かせて反論。
 そそくさ紙エプロンまで装着し、ナイフとフォークを構えた。
 相変わらず「なのです」としか言わない電も、表情は柔らかい。


「よく考えたら、あたしらお昼まだなんだよねー。服を選んでるなら当分出てこないだろうし、今のうちに済ませちゃわない?」

「だな。腹が減っては戦はできぬ、だ。なに食おっかなぁ」

「じゃあボク、おでん食べたいな。あるって聞いたら食べたくなってきたよ」

「三隈はこの、本日の握り・松をお願い致しますわ。電さんは如何しますか?」

「なのです」

「はい。オムライスセットですわね」


 楽しそうな雰囲気に負け、鈴谷を始めとした皆も、それぞれランチメニューを探し始めた。
 ああでもない、こうでもないと悩む少女達に、カウンターへ戻った店主がかすかに笑みを浮かべる。

 そして、約一時間半後。


「はぁぁ……。堪能いたしましたわぁぁ……」

「ヤバいっしょ、このお店。ナポリタンめっちゃ美味しかったもん。……ぁあっ、また負けた!」

「フフフ、甘いんだよ鈴谷。しかし穴場だったな……。デザートまで食っちまったし」

「なのです」


 六人は、護衛任務という建前を忘れていた。
 悩んだ末に、特上神戸牛のステーキ、おでん、本日の握り・松、オムライスセット、ナポリタン、甘口カレーセットを注文した彼女たち。
 喫茶店らしからぬ味わいに舌鼓を打った後、ケーキセットやホットケーキまで頼み、思う存分、休日を楽しんでいる。
 現在は食後のまったりタイム。
 店主の趣味で置いているらしい旧世紀のコインゲーム、エアホッケーに興じたり、それを応援したり、これまた店主の趣味だという囲碁を打ったり。
 本来の目的は何処へやら、である。


「おでんも凄かったよ? 大根がほろほろで、出汁が奥まで染み込んでいて。本格的だった」

「握りも素晴らしかったですわ。ネタの鮮度がそのまま味として伝わってきました。これほどの手前、そう味わえるものではないかと」

「いいお店だよねー。なんでお客来ないんだろ? 後でみんなにも教えてあげよー」

「ですわね。……あっ!? ここ、金剛さんたちが出てきましたわ!」


 パックを弾くカコンという音に、碁石を置くパチンという音。静かに流れる古い歌謡曲。
 温泉宿場の遊戯室が如き雰囲気まで漂う店内だったが、紅茶のお代わりを嗜んでいた熊野が、見知った姿を窓の向こうに確認する。金剛を先頭とした四人だ。
 その声に正気を取り戻したか、尾行班は慌てふためく。


「マジかっ? 早いとこ移動しねぇと……。会計はどうすんだ。オレ、あんまりカネ持ってきてねぇぞ」

「え。鈴谷もほとんど持ってないよ? 結構これに使っちゃったし」

「ボクも、急だったから持ち合わせは……」


 まずは会計を済ませようと、財布を取り出して手持ちの確認。
 あいにく天龍と最上は懐が寒く、鈴谷はワンプレイ百円のエアホッケーにだいぶ注ぎ込んでいた。
 そこで、ためらわず高額メニューを頼んだ二人を見つめるのだが――


「あら。わたくし、財布など持ち歩きませんわよ。そういった事は下男の仕事ですし」

「三隈は無一物ですわ。単車の改造に使い切ってしまいました」


 ――尊大にふんぞり返る少女と、コロコロ笑う少女が居るだけだった。
 財布も持たずに高級和牛を注文するとは、どういう教育を受けているのだろうか。
 見た目はおっとりしているのに、単車弄りが趣味とはギャップがあり過ぎるだろう。
 そんなツッコミが天龍たちの脳裏をよぎるけれど、しかし突っ込んでいる場合でもない。


「……おい。ヤバくないかこの状況」

「ヤバい、マジヤバ。このままじゃ無銭飲食で捕まっちゃうってぇ……!」

「ねぇ。確かめてみたんだけど、神戸牛ステーキと握り寿司、値段が時価って書いてあるように見えるんだ、ボク。気のせいかな」

「な、なのです?」


 ガマ口を手に、電も顔を青くする。
 テーブルへ伏せられた伝票が、とてつもないプレッシャーを放っていた。
 誰も彼もが口を閉ざし、重苦しい沈黙が続く最中、ふと喫茶店のドアベルが鳴った。
 店主が「いらっしゃい」と素っ気なく出迎えても、天龍たちは気付けないほど追い詰められ……。
 だが、入店した人物は彼女たちへ迷うことなく進み――


「顔を突っつき合わせて、何してるんだよ君らは」

「ぬぁ!? し、司令か――!?」

「なのです!?」


 ――呆れた声をぶつけるのだった。
 振り返る天龍の側に立っていたのは、呆れ顔で六人を見下ろす桐林提督である。


「しー。ダメよ天龍さん、電。外では……。ね? 兄様」

「お、おう、そうだな。あ~……に、兄さん?」

「……なんだか気持ち悪いな。天龍からそう呼ばれるの」

「ウルセェなっ。オレだって違和感バリバリだっつの!」

「で、Youたちはこんな所で何してるデスか?」

「まぁ、この面々を見れば想像つくけど……」

「あはは……。だよね……」

「い、いつからバレていたんですの?」

「あー、推測なんだけど。熊野がメニューに神戸牛を発見して、テンションマックスになった時かな。歓声が脳内に響いてさ、ビックリしたよ」

「うっ。しくじりましたわ……っ」


 兄呼ばわりが互いに照れ臭い天龍・提督はさておき、金剛と陸奥の「仕方がない」と言いたげな笑みに、最上が苦笑い。
 三隈の問いかけにより判明した発覚原因で、熊野も頬を染める。
 女所帯でなら遠慮なく肉を注文できる彼女だが、肉で興奮する様を男性に知られるのは、さすがに堪えるようだ。


「でもさ、ナイスタイミングで来てくれたよー。ねーねー、にーいちゃん?」

「ん? なんだ、鈴谷――ぅおっ」

「実はあたしら、持ち合わせがちょーっとだけ少なくてさー。兄ちゃんの格好良いとこ、見てみたいなー?」

「お、おいこらっ。近い……」


 沈黙が破られた中、真っ先に行動するのは鈴谷である。
 斯くなる上は鎮守府へ連絡し、書記の少女からカミナリを貰うしか……といった瀬戸際で、天から垂らされた蜘蛛の糸。
 逃すまいと腕を抱え込み、女の武器を使ったアピールも忘れない。
 二の腕を挟み込む豊満さと、甘ったるい香り。提督の頬がわずかに緩む。電の目は細くなる。


「確かに、丁度良いですわね。提――兄上様。ここの支払い、お願い致します」

「どうやら三隈たち、食べ過ぎてしまったようなんです。助けて頂けませんか? お兄様」

「食べ過ぎって、喫茶店のメニューだろう? そんなに高いはず……ふごっ」


 熊野や三隈にまで援助を求められ、胡乱な顔で伝票を確かめる提督だったが、書かれていた数字に思わずむせた。
 それもそのはず。普通なら高くても四桁で済むだろう代金は、六桁を刻んでいたのだ。


「な、なんだよこの額!? 桁が二つほど違くない!?」

「驚くのも無理ないよね……。ほら見て? 原因は三隈と熊野が食べた……」

「ステーキと寿司ぃ? なんで喫茶店にそんなもんが……。まさか、ラーメンとか手打ち蕎麦とかもあったり……」

「あるよ」

『あるの!?』


 ワナワナと震える手をどうにか押さえ込み、適当な料理を提督が挙げてみると、店主は短く肯定。最上と声が重なった。
 恐るべし、客の来ない喫茶店。
 店主の顔さえ怖くなければ盛況だったであろう。


「話を聞いてたら、ワタシも小腹がHungryになってきました。ン~……よし、Hot Sandを注文するネ!」

「あっ、金剛さんずるいわっ。ねぇ、電は何を食べたの?」

「なのです」

「へぇ、オムライス。良いわねぇ。私はどうしようかしら……」

「ちょっと待った。今、『なのです』としか言ってないよな? なんで分かるんだ陸奥」

「良かった……。疑問に思うのはボクだけじゃなかったんだね」


 メニューの幅に興味を持ったようで、金剛は腰を落ち着けてしまう。
 続く暁、陸奥も食べる気満々である。
 無駄だろうに「なのDeath」モードへ突っ込む二人には、触れないでおく。


「まーまー、細かい事はいいじゃーん。兄ちゃんもなんか食べなよー」

「いや、買い物を途中で切り上げて来ただけだし、出来れば店に戻りたいんだけど。買ったものも預けたままで……」

「そう言うなって。マジで美味いから、な?」

「けど、これ以上はなぁ」


 鈴谷が提督の腕を引っ張り、空気を読んだ皆が電の隣へ押し込むも、彼は渋る。
 財布の中に現金はあるし、カードで払うことも可能だが、安くはない買い物を続けなければならない矢先に、これ。
 払えないのなら、いっそ働いて返させるのも勉強ではないか、と思う彼だった。


「……お兄さんは、お腹空いてませんか?」

「ううん、メッチャ空いてきたよ電。よーし、お兄さん今日は奢っちゃうぞー」

「物分りが良い兄上様で、助かりますわ」

「流石です電さん。お兄様も、ありがとうございます」


 ――が、隣り合った電に、上目遣いで小首を傾げられた途端、提督は手の平を返す。
 なんというか、“そういう店”で札束を振り回す、成金的な雰囲気である。
 あと数パターン呼ばれ方があれば完璧とか思ったり、妹姫を英語に直訳したりしてはいけない。


「ところで、兄上様。今日はどのような用向きでお出掛けに?
 電さんを放って複数の女性とブティックだなど、誤解されますわよ」

「ちょい熊野! 直球過ぎ……!」


 そんなこんなで、ざる蕎麦にホットサンド、フグの刺身や、オムライスセットと偽ったお子様ランチなどを頼み、談笑してしばらく。
 良くも悪くも空気を読まない熊野が、事の核心を突いた。
 桐林艦隊内では公然の秘密とされている、“彼”と“彼女”のヤキモキする関係。
 外見年齢に思うことが多分にある熊野でも、一応は見守ろうかと思っていた。だからこそ、軽率とも言える行動を取った提督へ、一言物申したかったのである。
 彼女の生真面目さを感じ取ったか、分厚いメニューを閉じ、彼も姿勢を正す。


「……まぁ、そういう可能性も考えたさ。
 これは自分なりに順序立てた結果なんだよ。
 暁たちにドレスを買ってあげるのも目的の一つだけど、本当は……」


 店主が「お待ちどう」と注文を運んできたタイミングで、言葉を区切り。
 軽く深呼吸してから、彼は照れ臭そうに言う。


「電のドレスを探すために、来たんだよ」

「な、なのです?」

「まぁ」

「やっぱりそういう事だったんだね」


 驚く電とは逆に、三隈や最上は得心のいった顔だ。妙なところで信頼を得ている提督である。
 それがまた照れを誘うのだろう。一つ咳払いする彼は、仕事をする時のような顔を作って誤魔化す。


「例のパーティー、統制人格の出席を求められてるのは聞いてるだろ?
 一航戦や五航戦、長門型や金剛型とかの有名どころを連れて行くのは、もう決まってる。
 けど、君にも出てもらいたくてさ。そのための下見のつもりだったんだよ。
 という訳で、本当はドレスを選ぶ時に頼む予定だったんだけど……。一緒にパーティー、出てくれるか?」

「は、はい! 喜んでお伴します、なのです! ぇへへ……」

「良かったじゃねぇか、電」

「なのですっ」


 最終的に、少々情けない、目を逸らしながらの誘いとなっても、電は満面の笑みで頷いた。
 思わず天龍たちにまで移ってしまうほど、キラキラ輝く微笑みだった。
 が、モッシャモッシャとホットサンドを頬張る金剛は、趣の違う……ギラギラした笑いを浮かべる。


「フフフ。喜ぶのもいいですケド、油断しちゃいけまセン。
 この金剛も出席は確実! これを食べ終えたら、今度はワタシのDressをChoiceするのデース。
 テートクの好みに、テートクの色に染まる時が来たのデス! ぐっふゅっふゅ……」

「金剛、その笑い方は止めようか。普通に怖いから」

「暁はもう買って貰ったのよ! レディーらしいゴージャスなドレスなんだからっ」

「私もドレス選びはこれからなんだけど……。ちょっと大胆に攻めようかしら? キチンと選んでね、兄くん? はい、あーん」

「あ、イタダキマス……。どうかお手柔らかに……。フグってこんな味なのか……」


 ケチャップで口元を真っ赤に汚す暁、小皿を添えて刺身を食べさせに来る陸奥も、どこか自慢気。
 こうなると、面白くないのは尾行組みである。同じ女として、お洒落をしたい気持ちはあるのだから。


「えー、いいなー。鈴谷も新しい服が欲しー。……兄ちゃーん?」

「昼飯代だけでなく服までタカるか。……と言いたいとこだが、もともと用意するつもりだよ。食べ終えたら、みんなで店に戻ろう。ついでだしな」

「マジで!? ぃやっほーい! 兄ちゃんってば、ビール腹ー!」

「おい、掴むな! 気にしてるんだからっ」


 指を咥えながら、ススス……と提督の背後へ移動し、肩を揉みつつおねだりの鈴谷。
 思いのほか色好い返事が返り、彼女は抱きつきながら大喜び。ついでに腹の肉を揉む。
 熊野、三隈も、意外なプレゼントに笑みを零した。


「服をプレゼントとは、殊勝な心掛けですこと。まぁ、殿方からの厚意を受け取るのも淑女の務め。お受け致しますわ」

「やけに香ばしい匂いを漂わせる淑女だな。シミが目立たないよう色は黒にしますか?」

「んなっ。し、失礼ですわよ!?」

「落ち着いて下さい、熊野さん。匂うのは事実ですし」


 ……まぁ、途中で子供の喧嘩に発展してしまうのは、ご愛嬌であろう。
 ずぞぞぞぞ、と蕎麦を啜る提督の顔がふてぶてしい。熊野も「匂うんですの……?」と不安そうだ。


「あのー。もしかして、ボクにも? ボクにはドレスなんて似合わないと思うんだけどな……」

「そんな事ないデース。普段がBoyishな分、GAP萌えが狙えマス!」

「暁ちゃんみたいに見立ててあげるわ。たまにはスカートも良いじゃない?」

「そうそう。遠慮するな、最上。天龍には……意外とゴスロリ系が似合ったりしてな? 色んなのが置いてあったから、君もじっくり選ぶといい」

「は、はぁ!? ゴスロリって……。フザケんなっ、オレがそんなの着るかよ! つーか、ドレスなんて要らねぇし……」

「ダメよ! 天龍さん可愛いんだから、暁が『こーでぃねーと』してあげるわっ。レディとして!」

「なのです。電も、天龍さんのドレス姿を見てみたいのです。きっと凄く綺麗なのですっ」

「うぐ……。いや……。でも、な……」


 所在無さに小さくなっていた最上、天龍を金剛たちが盛り上げ、場はウキウキした雰囲気に包まれる。
 着いていけないのはただ一人。可愛らしさより格好良さを選びたい、眼帯厨二病娘だけ。
 彼女は悩む。
 女なのだ。服に興味がないとは言わない。
 しかし、問題はドレスだということ。煌びやかで、ヒラヒラで、フリフリな。
 一人称からしてこだわっているのに、そんな物を着れる訳がないのだ。
 が、暁と電は瞳を輝かせ、着せ替え人形にする気満々。おそらくは、提督が言ったゴスロリ服の。
 ハッキリ言って逃げたい。このままバイクで走り出したい。
 けれどそんな事をすれば、せっかく直った電の機嫌を損ね、暁も悲しませてしまうだろう。どうすれば……。


「ご馳走様でした、と。それにしても往生際の悪い……。金剛、陸奥」

「Yes'Sir! いざ、Dress Up Timeデース!」

「さぁ、行きましょうか」

「お、おいっ? ちょっと待て、離せ、離せぇ! ヤメロ、ぶっ飛ばすぞぉおお!?」

「天龍さん、女の子がそんな言葉を使っちゃダメよっ。もっとお淑やかに!」

「なのですっ」


 一体どれほど悩んでいたのか、いつの間にか皆の食事は終わっていた。
 伝票片手に立ち上がった提督の命令により、天龍は両腕を抱えられ強制連行。
 まるで、悪の組織に改造される直前である。


「あはははは、天龍さん攫われる宇宙人みたーい。マジウケるー!」

「鈴谷さん。はしたないですわよ? 大口を開けて笑うだなんて」

「私たちも行きましょう、もがみん」

「だね。ボク、ちょっと楽しみだ」

「嫌だぁああっ!! 助けてくれ龍田――はダメだ、余計オモチャにされる。ぬぁあっ、このさい誰でも良いから助け――」


 残る最上型四名も、連れ立って席を立つ。
 無愛想な店主の「毎度あり」に見送られる彼らは、のちにこの店が、統制人格の出没する店として有名になることを、まだ知らない。
 そして、最後まで無駄な抵抗を続けた、天龍の運命や如何に。





「うふふふふ。ゴスロリを着て涙目になる天龍ちゃん、可愛いわぁ~。提督、グッジョブよ~」

「そりゃどうも……。けど、まずは鼻血を拭こうな、龍田。携帯が血塗れに……」










《こぼれ話 濡れてテカったスク水とか日焼け跡とか、大好物です!》





「うぅむ……。やっぱり、肉が付いてきたか……?」


 脱衣所でトランクス一丁になった自分は、洗面台の鏡を見ながら腹をつまむ。
 ブニュリ。
 と、音がしそうなくらいに、つまめた。


「キチンと運動してるはずなのに、なぜ腹回りだけ肉が付くかね……。本格的にトレーニングしなきゃダメかな……」


 たまの外出から帰り、「電ちゃんや金剛さんばっかズルいぞー!」「私たちにも服を買えー!」「そして夜戦ー!」という陽炎や漣、川内が起こしたデモをブッチして数時間。
 自分はバスタイムの前に、大きなため息をついていた。
 喫茶店で鈴谷に腹を掴まれたのが、気になって仕方なかったのである。
 鏡に映っている分には、けっこう引き締まったちょいマッチョ。しかし、隠れ肥満の如く贅肉が。
 スーツという物は、多少は恰幅が良い方が映えると何かで聞いた。
 だが、ブニュリ。
 周囲を女性に囲まれて生活しているのだから、ちょっとは外見も気にしなければ。


「水泳でも始めるかな……。うぅぅ、さぶっ」


 定番のダイエット法が効くのか考えつつ、トランクスを脱いでバスルームへ。
 壁掛けフックのハンドタオルを取り、まずは身体を洗おうとシャワーを――


「……ん? なんだ?」


 コポコポ。
 ノブを掴むためにしゃがもうとした瞬間、バスタブから音がした。
 覗き込んで見れば、気泡が水面で弾けている。
 おまけに、何やら紺色の影が湯船に沈んで……目が合った?


「湯船の中からこんばんはー! ゴーヤだよ!」

「きゃああっ!? スク水セーラーの変態ぃいいっ!?」


 ザッパーン! と姿を現わす少女に驚き、滑り止めマットの上に尻餅をつく。
 薄桃色のショートカットから水滴を垂らす彼女は、「変態じゃないでち……」と傷付いた顔。
 時を同じくして、脱衣所からスク水姿にプラカードを持った少女が三人、雪崩れ込んできた。
 えっ、えっ、なんなのコレ!?


「ふっふーん。ドッキリ大成功なのねっ。ビックリした? ねぇ提督、ビックリしたの?」

「ごめんなさい、隊長……。まるゆは止められませんでした……」

「い、ぃぃい、イク!? まるゆにイムヤまで……。し、心臓に悪い……」

「うん、ホントにごめんね? でも、その前にちゃんと隠した方が。見えそう」

「ぬぉっと」


 普通のスク水に「イ 19」と名札をつける、青髪トリプルテール少女に、涙を零す白スク少女。ゴーヤと名乗った少女と同じスク水セーラーの、頬を染める赤毛ポニー少女。
 まるゆを除く新顔の三名は、我が艦隊にやって来た潜水艦三隻の統制人格だった。
 と、とりあえずMy Sonをしっかり隠そう。見られちゃイカン。


「……で、なんのつもりだ? いきなりこんな……」

「そんなの、親睦を深めるために決まってるのね。手っ取り早く仲良くなるには、素の状態でコミュニケーションを取るのが一番なの! ほら、裸の付き合い的な意味で」

「仲良くなろうとする気持ちはありがたいけど、方法が迷惑だよ」


 ケラケラと笑うのが、潜水艦 伊号十九。通称・イクだ。
 アリューシャン、ソロモン、ガダルカナル島などを転々しながら、通商破壊作戦に従事した潜水艦なのだが、特に有名なのがソロモン方面での大戦果である。
 長くなるので要約すると、イクはたった一回の魚雷発射により、米空母・ワスプを撃破。戦艦・ノースカロライナ、駆逐艦・オブライエンへ大打撃を与えた。
 狙って撃ったのはワスプのみで、他二隻はまぐれ当たり――ロングランスとも称される酸素魚雷の長射程が、偶然にも遠方の艦を捉えたという、殊勲を挙げた潜水艦なのだ。
 ……ホント、見た目からは想像もつかない。
 っていうか男女で裸の付き合いしたらマズいだろ。もれなく不純異性交遊で怒られるわ。


「ごめんなさい、ごめんなさい隊長ぉ……。まるゆ、止めようと頑張ったんです。でも、ぜんぜん言うこと聞いてくれなくて……っ」

「私も最初は止める側だったんだけど、仲良くなりたいっていうのを止めるのもなんか変でしょ? ビックリさせるくらいなら良いかなぁー、って。よいしょ」

「そうか……。いや、まるゆは頑張ったよ。だから泣くな。そしてイムヤは湯掛けもせずに風呂入るな」


 まるゆの頭をポンポンし、そのまま湯船へ足を入れるのは、伊号 百六十八。イムヤである。
 元は伊号 六十八として竣工したが、建造中だった別型の潜水艦とダブるのを避けるため、数字に百を足されて百六十八となった経緯がある。
 彼女が名を挙げたのは、ミッドウェー海戦での激戦を越え、飛龍の攻撃により損傷していた敵空母・ヨークタウンを大破。翌日に沈没させる致命傷を与えた上に、護衛駆逐艦のハンマンを轟沈させるという大戦果に由来した。
 空母たちを失った日本軍の仇を討った、という形である。
 少なくとも、スク水の上にセーラー服の上着だけを着ている姿からは、連想しようにも無理な戦果だ。


「てーとくは良いなぁ、一人で入れるお風呂があって。大浴場で潜ると怒られるでち。潜水艦は潜水してナンボなのに」

「当たり前だろ。風呂は遊び場じゃないんだぞ? っていうか、いい加減に出てけ!」


 そして最後。イムヤと同じ格好で、湯船のヘリに頬杖をつくのが、伊号 五十八。イクの妹にもあたる、ゴーヤだった。
 本人曰く、苦くはないらしい。食べろってか。
 冗談はさておき。口調から伺える幼さを裏切り、その戦史は悲しみに彩られている。
 竣工時、すでに悪化の一途を辿っていた戦況は、彼女に悪名高き人間魚雷――回天母艦の任を与えた。
 複数回に渡る出撃も戦果を挙げることはなく、唯一と言っていいそれが、あの夏の終わり。米重巡のインディアナポリスを、通常魚雷で仕留めたこと。これが、日本軍最後の戦果ともなった。
 ……何を言っても正解にはならないだろうけど、皮肉と思えてしまう出来事だ。
 まぁ、だからっていつまでも裸体を見られるのは勘弁です。早急に退出して頂きたい!


「恥ずかしがっちゃダメなのね。お詫びに、イクがお背中流してあげるのね」

「へっ。い、いやいや、そういうのはいいから、あの、ホントに……」

「遠慮しないの! まるゆちゃんは頭をお願いなのね」

「はい。まるゆ、頑張ってお世話します!」

「え。あ。ちょっと」


 しかし、そんな魂の叫びも虚しく、イクとまるゆは、ボディソープとシャンプー片手にやる気満々。
 果ては「ゴーヤも手伝うでち!」と三人目まで加わり、逃げ場を失ってしまった。
 ちなみにイムヤさん、「私はもうちょっと温まってから……」と、完璧にくつろいでらっしゃる。
 なんなのさ。変に意識してる自分がおかしいの? ダンス練習の時も思ったけど、最近の女子ってスキンシップに抵抗ないの? とっても困るんうれしいですけど?


「てーとく、痛くないでちか?」

「へ、平気、です……」

「かゆい所はありますか、隊長。遠慮なく言って下さいね」

「う、ん……。ありがと……」


 無理やり椅子に座らせられ、左後方からはゴーヤの気遣う声。真新しいハンドタオルが背中を流している。
 前方にはまるゆ。頭をやんわりワシャワシャされ、眼前をチラつくフラットボディが悩ましい。
 おそらくこの二人は、純然たる善意からの行動であろう。
 いきなりでなかったなら、自分も微笑ましく受け入れる余裕だってあったはずだ。


「えっへへぇ……。提督、いい身体してるなのね。ちょおっと、お腹に余計なお肉が付いてるけど、背中おっきいのね」

「ひぃぃいぃ、や、やめ、素手で撫でくり回さないでぇえぇぇ……」

「イク、それ以上はやめといた方が良いよー? バレた時に電ちゃんが本気出しちゃう」

「それはヤバいのねぇ……」

「今でも十分にヤバいぃぃ……」


 問題なのは、名前からして如何わしい、右後方のイクである。
 素手で身体を洗うとか完全に商売ですから! そういうお店のマットプレイですからっ!
 イムヤに指摘された通り、バレたら即死級なんです勘弁してぇえぇぇ……。お股がキュっとするうぅぅ……っ。


「はいっ、背中側しゅーりょーでち! 今度は前を……」

「結構ですっ!? 前は自分でやるからタオル貸しなさい! まるゆももういいから、しばらくこっち見ないでくれっ!!」

「り、了解しました……?」


 前とかふざけんなっ! 息子がぶらり途中下車したらどうする!?
 そんな焦りから、自分は乱暴に潜水艦娘を振りほどき、大急ぎで残る部位を洗っていく。
 およそ一分。雑に身体を流し終え、二枚のハンドタオルを駆使。今度は彼女たちに背を向けた。
 ちょっと寒いけど、こんな時は逃げるが勝ちだっ。


「さて……。自分はもう上がるから、君らはゆっくり浸かってなさい。それじゃ……」

「えっ。駄目ですよ隊長! ちゃんとお湯に入って温まらないと、風邪ひいちゃいます!」

「そうだよー。みんなで一緒に入るでちっ」

「いや無理だろっ? 五人も入ったら鮨詰めに――」

「ゴチャゴチャとウルサイのね。こうなったら、無理やりにでも入れちゃうなのねー!」

「ぎゃー!? 若大将が散歩しちゃうー!?」

「ちょ、ちょっと、狭い狭い狭い!」


 ところがどっこい。
 両手をタオルで塞がれているため、抵抗らしい抵抗もできず、湯船へ放り込まれてしまった。
 少女たちも続々と身を投げ、右から時計回りに、イムヤ、イク、まるゆ、ゴーヤ。人生初混浴。イクとまるゆは背中側である。
 あぁぁ、なんでこんな事に。色んな事の初体験が、電以外に奪われていく……。
 立つなぁ、立つんじゃないジョー……。お前はそこで燃え尽きろぉ……。


「じゃあ、次はマッサージタイムなのねー。少し痛いかも知れないけど、我慢しなきゃダメなのね」

「おい、おいっ。その手にある小型魚雷はなんだ!? そんなもん使ったら危な――あ゛、痛っ……気持ちいい……」

「でしょー?」


 イムヤ、ゴーヤと肩がくっつくような状態で、イクはどこからか、手の平サイズの魚雷を取り出す。
 先端部分がブルブル震えており、すわバ○ブじゃねぇか!? と脳内で叫ぶが、やはり逃げ場は無く、ゴリゴリ背中を抉られた。
 最初は痛み。しかし次の瞬間には、えもわれぬ感覚が込み上げてくる。
 じんわりと熱が染みるような、疲れが内から溶け出すような……。これ、痛気持ち良くて癖になるかも……。


「あ、そうだ。あの、隊長? まるゆって、魚雷を撃てるようにはなれないんですか?」

「んぁ? どうした、急に。あ゛ぁぁ……」

「イムヤさんたちが艦隊に来て、潜水艦仲間が増えたのは嬉しいんですけど……。まるゆだけ魚雷撃てないから、なんだか寂しくて……」

「そんなの気にしなくて良いのに。垂直潜航できるのはまるゆちゃんだけよ?」

「安全潜行深度もゴーヤたちと変わらないでち。大きさとか全然違うのに、凄いでちよ」


 ヘリに顎を乗せてトロける自分の上を、まるゆたちの声が行き交う。先程までの羞恥心も、魚雷型バ○ブの振動で砕けていた。
 潜水艦の潜航法は幾つか種類があり、海軍で採用されているのは、移動しながら沈んていく方法。対して陸軍は、停止したまま垂直に沈む。
 それぞれに優れた側面があり、どちらも正しいのだが、船といえば海軍の領分。浸透しているのは前者だった。
 なので、海軍が立会ったまるゆの潜航試験では、垂直に沈む挙動が沈没する様子とそっくりに見えてしまい、万歳三唱する陸軍の隣で、海軍は騒然と……あれ。沈んだけど持ち直したんだっけ?
 ……まぁいいや。魚雷の話だったな。


「魚雷ねぇ……。船体の改造は難しいけど、運貨筒を改造した特殊潜航艇……邀撃艇ようげきてい・改ならあるぞ?
 昔は使い物にならなかった物を、暇潰しに改良したらしい。それなら、六十一cm魚雷を二発撃てるようになる。
 今まで使ってた運貨筒を邀撃艇に作り替えれば……あ、そこそこ……」

「へぇー。そんな物があったなんて、イク、知らなかったのねー」

「潜水する船も色々でち。機雷潜、巡潜、海大かいおお、潜特……。ゴーヤとイクちゃんは巡潜乙型でちよっ」

「私は海大Ⅵ型a。いうなれば、艦隊型潜水艦ね!」


 ゴーヤの言う通り、一口に潜水艦といっても、様々な種類が存在する。
 ひとまず、この場に居る巡潜乙型と海大型に限って説明すると、航続距離を優先したか、速度を優先したかの違いだ。

 巡潜とは巡洋潜水艦の略で、外洋での単独行動を主とする大型潜水艦。
 その中でも細かくグループ分けできるのだが、ゴーヤが属する乙型は、甲型から旗艦機能をオミットした、いわば簡略型である。
 他にも主機関などが変更されており、若干速度は落ちてしまったものの、航続距離は更に伸びた。
 そして、イムヤのいう艦隊型潜水艦というのが海大型。
 海軍大型の略であり、他国の潜水艦の水上航行速度が二十ノットだったのに対し、二十三ノットという高速性能を有していた。
 これは、艦隊決戦へと参加するのを目的とした為であり、竣工した当時のイムヤは、まさしく世界最新鋭の潜水艦だったのだ。

 余談だが、水上艦と潜水艦では魚雷の発射方法も変わってくる。
 基本、水上艦は船体に沿って発射管が据えられ、撃つ時は敵に腹を見せなければならない。
 その点、艦首に水中発射管を持つ潜水艦は、敵艦に対し垂直に近い角度で撃つことが可能だった。巡潜乙型は艦首に六門。海大Ⅵ型aは艦首四門、船尾に二門だ。
 大型水上艦――過去の長門などは、新造時に水中発射管を備えていたらしいけれど、のちの改装で撤去され、現代においても装備された例は極めて少ないとのこと。
 まるゆの場合、構造的に発射管の増設が難しいため、千歳たちの甲標的よろしく、潜水艇を遠隔操作する形になるだろう。
 加えて、伊号の伊は排水量が一千t以上の潜水艦を意味し、その下には五百から一千の呂号、五百以下の波号が存在する。多少の誤差はあるが、イロハの順である。まるゆは三百t程度の小型潜水艇だ。
 更に更に。船体に書かれる名前にはアラビア数字が使われ、漢数字が使われることはない。ザ・豆知識。



「まぁ、まるゆが戦いへ出る事は無いとしても、いざという時のために一つくらい用意した方が良いのかもな。最近、輸送任務で頑張ってくれてたし、ご褒美も兼ねて用意するよ」

「本当ですか!? あ、ありがとうございます、隊長!」

「どういたしまして……おお゛ぅ……」


 よほど嬉しいのか、まるゆは狭い湯船で頭を下げようとモゾモゾ。肩まで揉んでくれる。
 速度も航続距離も一桁な代物だけど、魚雷を撃てるという事実が重要らしい。
 ホント、素直で良い子だこと。でも、もう少し強めがいいかなぁ……。


「てーいーとーくー? イクの事も忘れちゃダメなの! こうして御奉仕してるなのに!」

「いだだだだ!? 急に強過ぎるっ!?」

「ゴーヤも、てーとく指定の水着以外に、何か欲しいでち」

「私はスマホとかに興味あるんだけどなー?」

「あ、あの、痛いのはダメです、隊長が可哀想ですよぅ」


 小さな手の感触に和んでいたら、マッサージが魚雷攻撃へ変化。
 痛過ぎて逃げ出そうとするも、両側からイムヤ、ゴーヤが身を寄せてくるせいで失敗。まるゆだけが唯一の味方だった。
 これはマズい、痛いのもそうだけど、女の子にピタッとくっつかれるのはもっとマズいっ。


「あぁもう、分かった分かった! また今度な! 例のパーティーが終わったら考えるから、ちょっと時間と距離を……」

「ホントでちか? じゃあ約束、指切りするでちっ」

「ならイクもするのね。指切り拳万、嘘ついたら、魚雷を色んな穴に突ーっ込む」

「指切った……って穴!? いま穴っつったか!?」

「ちょっと司令官、狭いんだから暴れなひゃう!? お、お尻触ったでしょ!?」

「あ、ごめんなさい。今のはまるゆです……」


 とりあえず要求を飲むフリをし、ゴーヤと小指を絡めるのだが、しゃしゃり出てきたイクの歌に戦慄が走る。
 このままでは、魚雷バ○ブで穴という穴を犯されてしまう。可及的速やかに脱出しなければならない。
 しかし、動けば動くほど身体の密着度は増して行き、より脱出が困難に。
 スク水と似た濃紺の闇が、換気窓の向こうで広がる中。騒がしいバスタイムは続く……。

 うん。
 舞踏会の前に病院行こう。





「どうしましょう……。金剛さんの依頼を達成しに来たら、青葉、トンでもない物を見ちゃいました……。ホントどうしましょう、この表に出せそうもない写真……」




















 すっかり日本の文化に染まり、スク水セーラーを着こなすようになったユーちゃん改め、ローちゃんが可愛くて生きるのが辛い。
 愛くるしい笑顔はもちろん、喋り方も声もドンピシャです。「ですって・ますって」可愛い過ぎる。もうね、もう、もう……っ。結婚しよう!?(錯乱)
 えー、大した話でもないのにお待たせして申し訳ない。GE2RBの体験版でアイリちゃん作って遊んでたら三十時間くらい経ってました。
 舞踏会の準備回その二と、潜水艦娘の一部が登場です。単車を転がす天然系お嬢様、アリだと思います!
 次回はやっとこ仮面舞踏会の始まり。徐々に尻ass(誤字かも知れない)要素が顔を出して来ます。お楽しみに。
 それでは、失礼いたします。

「ん~っと……。ドレス良し、仮面良し、化粧良し、香水良し。髪の染めムラも無し。完璧ね。じゃ、私行くから」
「はい。行ってらっしゃいませ。船のプラモ作りながら、テレビ越しに見守っております!」
「……本当にブレないわね、アンタ」





 2015/03/14 初投稿+一部修正。細川様、ご指摘ありがとうございました。英語力無くてすみません……。今度は平気なはず……?
 2015/03/15 一部加筆。Monolith兵様、ありがとうございました。ニワカなのがバレ……てますよね、とっくに。こっちも勉強不足ですみません(土下三点倒立)。
       できる限り反映させますので、今後も遠慮なく御指摘お願いします。







[38387] 新人提督と仮面舞踏会・前編
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/05/09 23:15




 平穏な日々が続いている。
 海は閉じ、空へ手が届かなくなっても、それが当然であるかのように世界は在った。
 わたしも随分と歳をとった。
 二十代と比べて体力は若干落ちてしまったが、能力に関しては逆だ。
 伊吹、鞍馬を始めとした“感情持ち”。
 彼女たちの支えにより、わたしは軍人として華々しい人生を歩んでいる。
 他に感情持ちを複数従える能力者もおらず、今では国軍の中枢を担っていると、自惚れながらに思う。

 そして、それ故の悩みも尽きない。
 目下取り組んでいるのは、間近に迫る大規模公開演習への準備である。
 七度のリムパックが延期を余儀なくされていたが、ようやく膠着状態まで持ち込めた今、敵ではなく味方に示威行動をしようというのだ。
 苦境から脱し、背中を気にする余裕が生まれると、人は他人を疑い始める。
 度し難い。

 名前と場所を変え、北大西洋で行われる合同演習には、ロシアを経由して人員と資材が送られる予定だ。
 あちらで新しく傀儡艦を建造し、演習後に初期化。それを各国へ贈る事で、繋がりを保とうとする思惑は理解できる。
 しかしあの日……。ハワイ沖で御子息を喪いながら、今また海を渡らされた少将は、一体どれほど口惜しいか。
 安全を期して領海内で行われるとしても、やはり不安は拭えなかった。
 
 ともあれ、少将の心配ばかりしている訳にもいかない。
 日本領海内でも、練度の高い傀儡艦を使った演習が行われ、衛星を介して配信される。
 わたしに――わたしたちに任された大仕事。確実に成し遂げねば。
 体調は万全。伊吹姉妹も士気を高めている。
 ……無事に終わることを祈ろう。


 桐竹随想録、第八部 望む世界・臨む覚悟、未修正稿より抜粋。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『次です。夜の赤坂迎賓館では、数年ぶりとなる“桐”の襲名披露宴が開かれようとしています』

「あっ、始まった。始まったよーみんなー!」

「ほら暁。いつまでも拗ねていないで。ちゃんと見てあげよう」

「す、拗ねてないわっ。別に、暁くらいになれば、パーティーなんかいつだって出られるし? ……お留守番だからって拗ねてないもんっ」


 整備主任の発した一声に、暁や響を始めとする、食堂でたむろしていた統制人格たちが集まり始めた。
 カラオケセットの一部である巨大スクリーンには、生放送のニュース番組。
 熟年の女性キャスターと男性コメンテーターが、迎賓館の絵をバックにしている。


『今回の主役はもちろん、異例のスピードで出世街道を駆け上がっている時代の寵児、桐林提督です』

『前回の襲名披露宴では、桐生・桐ヶ森両提督が“桐”を授かりましたが……。彼は既に“桐”を冠していますからねぇ。やる必要あるんでしょうかね?』

「あれ? もう入場しちゃってるんですか?」

「まだ、みたいですね。良かった。疋田さん、ここどうぞ」

「あ、どもです。……っていうか、なんで私ここに居るんでしょうね、朧ちゃん」

「アタシに聞かれても……。主任さんが連れてきたんですよね」

「うん、ヒマそうにしてたから。どうせ勤務終わりなんだし、お夜食出るし。くつろぎましょうよ~」

「そうそう、細かい事はイインダヨ! の精神で居て下さいな。普段迷惑を掛けてる分、漣たちがお持て成ししますんで」

「それが逆に不安なんだよねー。鳳翔さんのお夜食は楽しみですけど」

「酷いっ、漣は純粋な真心からご奉仕したいだけなのに!? こんなんじゃ、座敷に寝っ転がって煎餅カスを零す位しかしたく無くなっちまうよ……!」

「こら、漣」


 取り上げられている人物と縁深いだけあって、多くの少女がスクリーンにかじりつく。
 珍しく遠征などと重なっている者も少なく、天龍・龍田にあきつ丸、潜水艦たち以外のほぼフルメンバーが揃っていた。
 通例と違い、かなり遅れて開かれ、列席者も限られるこの催し。
 留守番組である彼女たちにとっては、これが最も手早く情報を得られる手段であった。
 偶然会った主任に引きずられて来た、普段は制服姿の疋田も、スポーティーな私服で半分くつろいでいる。
 椅子を引いた茶髪のショートボブ少女が、桐林艦隊最後の綾波型駆逐艦――七番艦の朧だ。
 かつて第七駆逐隊に所属した彼女だが、姉妹艦の曙、漣、潮と行動を共にすることは少なかった。
 しかし、人の身を持った今では、エキセントリックな妹へチョップするのに忙しいようだ。


『桐竹源十郎氏から始まる“桐”の襲名というのは、今回で七回目なんですよね?』

『ええ。桐條、桐谷、葉桐はぎり、間桐、桐生・桐ヶ森と来て、桐林です。
 “九曜”の桐條と、初めての女性提督でもある“狼”の葉桐はもう亡くなっていますから、現在の“桐”は五名です』

「へぇー、そうだったんだー。私てっきり、今居る“桐”の名前で引き継いでるのかと思ってたわ。初代桐谷とか、二代目間桐とかって」

「確か、最初は陽炎ちゃんの言う通りにする案もあったらしいですよ。
 でも、“桐”に該当するほどの能力者が滅多に現れなくて、個別に名前をつけるようになったみたいです」

「さっすが古鷹はん、よう勉強しとるわ。にしても、意外と少ないもんなんやねぇ。ふむふむ……」


 歴代の“桐”をシルエットで表記したフリップが、迎賓館に代わって拡大される。
 シルエットの下部には略歴もあり、黒潮は特に桐條、葉桐の項を注視していた。

 “九曜”の桐條。
 陰陽師の家系に生まれた麒麟児。齢十九にして提督の任に就き、偵察や後方支援を得意とした。
 広告塔として個人情報が公開され、眉目秀麗な容姿からも人気を博したが、とある作戦中に戦死。詳細は開示されていない。
 “狼”の葉桐。
 潜水艦による奇襲作戦で大きな戦果を挙げた、初の女性提督。
 実は最初期から活動していた能力者でもあったが、政治的な問題により存在を隠されるという、不遇の提督でもある。
 こちらも作戦中に戦死したとされており、詳しい経緯は不明。

 本題でないからか、簡略過ぎて要領を得ない略歴であった。
 女性キャスターは別の点をクローズアップしようと話題を継ぐ。


『“桐”といえば、長く体調を崩されている桐生提督が心配です。パーティーには列席されず、先日公開された、第二次ツクモ艦侵攻への対抗作戦にも参加できなかったとの事で』

『確かに。身体の弱い青年らしいですが、税金で戦う上に治療までしてるんですから、しっかりして欲しいですよ。
 というか、この秘密主義はいつまで続くんです? 前時代の轍を踏む事にならなきゃ良いんですが。そもそも――』

「……なんやこの人、妙に辛口やあらへん? 好き勝手に言って、ちょっち嫌味やな」

「だねー。それが売りみたいだけど、単なる嫌な人って感じする。桐生さん、大丈夫なのかな」

「さぁ? ウチもあんま知らへんねん。お好み焼き、食べさして感想聞きたかったんやけどなぁ」


 持論を展開する男性コメンテーターの姿に、龍驤と主任は腕を組む。特に、面識のある龍驤にとっては、知人を貶されたようで面白くなかった。
 龍驤を始めとする多くの統制人格は、桐生提督が意識不明に陥っていることを知らない。軍内部でも桐林艦隊内でも、この事実を知る者は少ないのだ。
 見舞いに行った電と島風。他には赤城など、ごく少数のみが知らされている。この認識の差が、思い遣りのすれ違いを生んでいた。
 そんな中、終わりの見えない議論を中断しようと、女性キャスターが無理やりに番組を進行させる。


『えー、現場には橋元アナが居ます。橋元さん?』

『はい! こちら赤坂迎賓館前では、多くの報道陣が提督たちを待ち構えています!』

「うっわ~、凄い数。青葉が見たら悔しがるだろうなぁ」

「そう言えば、見かけませんね。どこに行ったんでしょうか」

「朧、知ってます。極秘の取材だとかで、白露型や最上型のみんなと出かけました」

「なるほど。絶対に取材だけではなさそうですね」

「不知火ちゃん、そんな言い方はダメですよ。確かに不安ですけど……。はい、焼きオニギリが出来ましたよ」


 映像が切り替わり、マイクを持った妙齢の女性が映し出された。
 その背後に居る報道陣たるや、映っているだけで百に届くかもしれない。衣笠が頬杖のまま感心する。
 自称・艦娘リポーターの青葉が見ていれば、きっと指を咥えて羨ましがるだろう。
 しかし、不知火の疑問に朧が答えたことで、なんとも言えない不安な空気が漂った。
 つい先日も、なにやら提督へボソボソ呟いては、最新式取材道具をゲットした彼女。苦笑いする鳳翔の言う通り、良からぬ事を企んでいなければ良いのだが。

 ちなみに、本日の食事処 鳳翔、フロア担当がほぼ休みなため、臨時休業である。
 誰もいない店内で、たもんまるの御三方が渋く盃を交わしていたりするのだが、本編とはもちろん関係ないので割愛させて頂く。
 さらにもう一つ無駄な情報を付け加えると、この女性リポーター、疋田の元クラスメイトであった。さりげなく「あ、優里香ちゃん夢叶えたんだ」などと呟いた疋田だが、こちらも関係ない上に今後の出番も無いので割愛。悪しからず。


『放火によって焼け落ちた旧迎賓館を、桐谷提督の御実家である千条寺家の出資により再建して百年、という節目でもある今年。
 例年にも増して多くの方々へ招待状が送られたとの事ですが、中でも注目を集めているのは、今まで参加を固辞してきた梁島提督の出席!
 一目その姿を拝見しようと、夜も遅いというのに、制服姿の女子学生まで詰め掛け、盛大な賑わいを見せています! それに加えて――』

『ん? あのポニテ……いやまさか……』

『……はい? なんでしょう?』

『あぁ、いや、なんでも……』

「……んん? あれ、今、見覚えのある子が映りませんでした?」

「え、そう? あたしは気付かなかったけど」

「気のせい、かな……」


 カメラの映像がぐるっと周囲を見渡し、今度は一般の人々を映し出す。
 小さな国旗を片手に歓声を上げる女性や、取材陣に負けぬまいとカメラを構える男性など、様々だ。
 男性コメンテーターと疋田は、その中に見覚えのある制服姿のポニーテールを見かけたのだが、主任たちは気付かなかったようで、思い違いかと考え直す。
 むしろ、思い違いだと思っていたいような顔である。


『えー、残念ながら警備の関係上、主賓である桐林提督は別の入り口から入館済みのようですが、海軍の双璧以外にも注目を集めているのが――!? 来ました!』

「あっ、いよいよだね! 地上波初登場が那珂ちゃんじゃないのは悔しいけど、応援しなくっちゃ!」

「はい。録画、出来てます……」


 女性リポーターの進行に合わせるよう、事態も急速に動き出した。那珂はサイリウム、神通はリモコン片手に意気込む。
 ちなみに川内は、他提督の夜間演習の標的艦任務で居らず、比較的静かだった。
 付き合わされている雷巡を除いた球磨型三名と、新入りの重巡――摩耶・鳥海ちょうかいにとっては堪ったものじゃないであろうが。

 画面外から、長大なシルエットの車が滑るように進入。
 ゆっくりとスピードを落とし、館の入り口から敷かれるカーペットの端に横付ける。
 無数のフラッシュが焚かれる中、おもむろに開いたドアから現れるのは、黒い礼装をまとう老紳士と、同じく礼装姿の女性二人。


『今、黒塗りのリムジンが迎賓館前に停まりました! 吉田豪志中将です! 両脇に、感情持ちである航空戦艦、伊勢・日向の統制人格を従えています!』


 胸を勲章で。両脇を見目麗しい航空戦艦で飾り、中将は悠然と光を浴びる。
 腰にかかるほどの黒髪が美しい伊勢。対照的に、短めな髪をざんばら頭にしている日向も、慣れた様子だ。
 それを見て対抗心を燃やすのは、桐林艦隊の戦艦のうち、姉妹で留守番組となってしまった扶桑と山城である。


「あれが、中将の伊勢と日向……。なんだか、少し悔しい気分だわ……」

「だ、大丈夫ですよ姉さまっ。扶桑型だって伊勢型に負けてません! えっと、その……。か、艦橋の高さとか?」

「それって被弾面積が大きいって意味じゃ……」

「……そう、ですね。やっぱり無駄に高いだけの違法建築ですよね。ふふ、ふ……」

「姉さまぁ!? ちょっと疋田さん、余計なこと言わないでもらえません!?」

「あ、ごめんなさいです、はい」


 現代において、扶桑型と伊勢型の多くは航空戦艦へと改装される。
 が、性能差やその他もろもろの理由で、「航空戦艦の駄目な方」呼ばわりされる事もある扶桑たちにとっては、伊勢型は不倶戴天――とまではいかなくとも、ライバル的存在だった。
 そのため、他に類を見ない特徴で自尊心を癒そうとする山城だったが、疋田の冷静なツッコミに扶桑は精神的轟沈してしまう。
 慰めるなら、もう少しちゃんとした部分を褒めて欲しいものである。
 事実は事実なので、なんとなく謝る疋田も腑に落ちない顔だ。


『さらに後ろにも、美しい女性が続きます! 情報によると、彼女たちは桐林提督の励起した統制人格との事です! 桐林提督に代わり、吉田中将がエスコートを――』

「お、やっと赤城さんたちの出番ね。やっぱ綺麗だなー」

「うん。陸奥さんも、長門さんも、綺麗……」


 惨劇の広がる宿舎から視点を戻すと、中将の後ろに、まだまだ女性たちが続いていた。
 曙は両手で頬杖をつきながら、潮は控えめな拍手と共に見送る。
 それぞれに着飾る彼女たちは、宿舎の皆にとっては見慣れた顔。リポーターが言った通り、桐林艦隊の統制人格たちである。
 赤城、加賀、長門、陸奥……。そうそうたる顔ぶれに、フラッシュ音が加速していく。
 ところが、近くに座る霞が食いついたのは、別なところのようで。


「珍しいじゃない。潮はともかく、曙が素直に褒めるなんて」

「霞うっさい。わたしだって誰彼構わず喧嘩売ったりしないわよっ」

「そうよね。買って欲しいのは司令官“だけ”だものね」

「あんたねぇ……!」

「曙ちゃん、あの、ケンカはダメ、だよ?」

「霞も……。めっ」


 潮と霰に嗜められ、二人は「ふんっ」とそっぽを向きあう。
 喧嘩するほど仲が良い、とは彼女たちを言うのだろうか。周囲にとっては見慣れた光景であり、微笑ましく見守っている。
 しかし、画面の中の人物たちが置かれている状況は、少々勝手が違うらしい。


『橋元さん、誰がどの艦とかは分かりますか?』

『え? え、ええと、ですね……』

『あれ? リポーターのお姉さん、もしかして分からないんですか? お仕事で来てるのに?』

『うっ。そ、そんな訳ないじゃないですかっ。ええと、先頭の二人は……せ、戦艦の長門に陸奥、とか?』


 キャスターからの質問に、リポーターは目に見えて焦り始める。どうやら、そこまでの情報を仕入れていなかったらしい。
 よほど切羽詰まっているようで、なぜか聞き覚えのある声の主と、普通に会話してしまっている。
 画面に「チッチッチ」と振られる人差し指が入り込み、カメラがそちらへ。
 得意げな顔をしているのは、やはり見覚えのあるセーラー服のポニテ娘だった。


『ハズレです。いえ、ある意味戦艦でも間違ってはいないんですが、とにかく違います。仕方ありませんね~。私たちが解説して差し上げましょう!!』

『ちょっと、マズいよっ。ボクたちがここに来てるの秘密なのに……!』

「あ、青葉ちゃんと最上ちゃん。取材ってこれの事だったんだ」

「極秘でもなんでもなくなった、ような気がします」

「青葉ってば、もう……」

「みんな、ズルい……」


 勉強不足なリポーターへ助け舟を出したのは、極秘取材に赴いているはずの、青葉だった。変装のつもりか、サングラスをかけている。
 周りに同じくサングラスをかけた最上型、白露型の計八名もおり、立派な桐林取材班がそこにあった。
 夜食の焼きオニギリを頬張る主任は危機感なく、朧・衣笠は疲れた顔で映像を見つめる。霰は羨ましそうだ。


『出てきた順に名前を挙げますと、航空母艦の赤城さん・加賀さん・翔鶴さん・瑞鶴さん。そして戦艦の長門さんに陸奥さんです!』

『言わずと知れたビッグセブンと、一航戦に、五航戦。桐林艦隊の主力を担う船っぽい!
 翔鶴さんたちはまだ実戦経験が無いっぽいけど、即戦力として期待されてるっぽい?
 いいなぁー、私も素敵なパーティーに出たかったー』

『ほうほう……』


 青葉の紹介と夕立の補足通り、真っ先に車から降り立ち、中将の後ろを静々と歩いているのが一航戦組み。
 赤城・加賀共に、足元までを覆う、本物の着物姿である。友禅染め――恐らくは加賀友禅か。見事なグラデーションを描く赤と青に、花の文様が美しい。
 加賀は普段通りの髪型だが、赤城は長い髪を結い上げ、かんざしを差していた。

 同じ航空母艦である翔鶴・瑞鶴も着物姿かと思いきや、彼女たちはドレス姿である。
 レースのきめ細やかな彩飾を際立たせる、大人しめな薄い青のロングドレス。
 瑞鶴はツインテールを解いて大人っぽく、逆に翔鶴は、白い長髪をポニーテールとし、うなじから鎖骨のラインで男の視線を釘付けに。

 そこへトドメを刺すのが、ビッグセブンの二人。
 彼女たちもドレス姿なのだが、五航戦組みとは打って変わり、肩から背中が大きく開いたデザインの、黒を基調としたドレスだった。
 髪型などは弄らず、余計な装飾品も身に付けていない彼女たちだが、故に素の美しさが引き立つ。
 三者三様……いや、六者六様の美女の姿に、画面を見つめていた瑞鳳、祥鳳、飛龍に蒼龍、龍驤はウットリとため息をつく。


「わ~。赤城さんたち、着物を選んだんだ~。他のみんなはドレスなんだよね? 勇気あるな~」

「本当。でも、堂々としていて、翔鶴さんたちのドレスも似合っていて、凄い。私だったら、緊張で転んでしまいそう……」

「ホントホント。けどさ、赤城さんたちのドレス姿も見てみたかった気がしない? ね?」

「あー、するかも。私たちは普段が和服だから洋服を買ってもらっちゃったけど、きっと似合うんだろうなー」

「あの二人、実はごっついスタイルええもんなー。
 ウチなんか子供用のドレスしか着れんかったんやで?
 あんなん着て表によう出れんわ……。お、次はウチらのカテゴリーや」


 遠く、座敷スペースで不貞腐れていた龍驤は、次にリムジンを降りる仲間の姿に目を輝かせる。
 主役となる華美なドレス姿ではないが、落ち着いた華やかさで容姿を引き立たせている四人だ。


『で、その次が軽空母――千歳さん千代田さん姉妹に、飛鷹さん・隼鷹さんです!』

『ついに軽空母へ改装された千歳さんたちですけど、甲標的母艦時代には、高速航路の実用化に貢献した艦なんですよ?
 飛鷹型の二人は商船改装空母というのもあって、ドレス姿が堂に入ってるわ』

『本当……。普通の女の人にしか見えないです……』

『でもでも、やっぱ普通の女の人じゃないんだよねー。ほら』


 青葉、村雨の解説にリポーターが呆然とする中、鈴谷が指差したタイミングで歓声が上がった。
 普段の衣装にも織り込まれた鶴を連想させる、脇が開いたデザインのドレスをまとう千歳と千代田。
 肩から胸元をはだける臙脂色のドレスにストールを羽織り、その胸元を揃いの勾玉で飾る飛鷹と隼鷹が、艤装を取り出したのである。
 飛鷹型二名は大きな巻物から式紙を。千歳型二名は新たな航空艤装――飛行甲板を模した巨大カラクリ箱から、手の平サイズの航空機を飛び立たせた。
 上空を旋回する航空機からは、金銀に煌めく紙吹雪が。そして、鬼火を宿して飛ぶ式紙は、十二支などの動物を模した折り紙となって、報道陣たちの手へ。
 派手な演出に、宿舎内でも拍手が巻き起こる。特に朝潮など、スタンディングオベーションだ。


「流石は千歳さんたちです! 場の空気を読んだ盛り上げ方、私も見習いたいです!」

「見習ってどうするの。私たちじゃ、せいぜい照明弾を撃つ位しか出来ないわよ。っていうか、隼鷹さん髪型違わない? ストレートになってる」


 相変わらず向上心の塊な長女に、満潮がツッコミながら首をかしげた。
 普段と違った衣装で着飾る軽空母たちだが、その中でも特徴的な髪型をしているはずの隼鷹は、一瞬誰だか分からないほどのサラサラヘアに変貌しているのだ。
 見た目的には指名No. 1ホステス、といった所か。いつものちゃらんぽらんな言動を知っている側にすれば、意外にもほどがある。
 そんな疑問に答えるのは、相変わらず眠そうな顔で突っ伏す加古。


「ドレスコードに引っかかるから固めるなって、前に提督に言われてたから、それでじゃない……?
 高い酒が飲めるって聞いて折れたみたいだけど……くぁ……うぅ」

「隼鷹さんらしいですよね。あ、次、金剛さんたちの出番みたいですよ」


 考えてみれば当たり前な説明が速攻で終わった頃、古鷹の指し示すスクリーンの中では、また新たな淑女が姿をあらわしていた。
 紙吹雪にフラッシュが乱反射し、光が踊る中を進み出る、純白のドレス。
 ブーケを持っていれば花嫁にも見えるだろう彼女は、ブライズメイドの如く、露出が控えめなドレスで揃える妹たちと、仲間二人を引き連れる。


『お次は高速戦艦四姉妹の、金剛さんと比叡さん、榛名さんと霧島さんに、重巡の足柄さんと、軽巡の由良さん!』

『御召艦を歴任した四姉妹、飢えた狼の異名を持つ外交特使、軽巡初の水上偵察機搭載艦……。皆様、素晴らしい経歴の持ち主ですわ』

『なんでもあの服、イギリスの……なんとかってぇブランドのなんだってさ。わざわざ取り寄せたって言うんだから、提督もいなせだねぇ』

『うわぁ、素敵……。羨ましいな……。あたしも欲しい』


 凄まじい気合いの入れように、年若い女性リポーターは別の意味で釘付けになっていた。
 解説の仕事は三隈、涼風に任せっきりである。如何なものか。
 しかし、画面に映っているのは金剛だけではない。
 足柄は光沢のある紫のタイトなドレスを着込み、スカート部分の左側には際どいスリットが。本人にそのつもりがあるかどうかは不明だが、色気のある大人の女性風である。
 由良は質素なエメラルドグリーンのフォーマルドレスに白いボレロを合わせているが、髪の色を考えると決して地味ではない。
 金剛たちを豪奢な花束。足柄を一輪挿しの野薔薇と表すならば、彼女は温室育ちの小さな花。所変われば主役にも。
 姉妹艦の晴れ姿を見て、妙高型と長良型の皆は沸き立つ。


「キチンと胸を張れていますし、歩みにも淀みがない。緊張はしていないようですね」

「ふっ。足柄がパーティー程度で緊張するはずはないだろうさ、妙高」

「はい……。でもあのドレス、スリットが……」

「下着、見えちゃいそうですよね……」

「ですよねー。ワタシなんか足が太くてみっともないから、絶対着れないもん。スゴいな、足柄さん。由良も綺麗だな……」

「なに言ってるのよ、長良。健康的な証拠じゃない、細過ぎるよりは良いわよ。……あ、次で最後みたいね」


 地味にヘコんでいるらしい長良を慰めつつ、五十鈴は画面を示す。
 さながら、花嫁の入場のように練り歩く金剛たちの後ろには、これまた結婚式っぽい演出にピッタリな、幼さを残す少女たちが続く。


『そしてそして! トリを飾るのが特型駆逐艦+α! 吹雪ちゃん、綾波ちゃん、島風ちゃん、時雨ちゃん、雪風ちゃん、雷ちゃん、電ちゃんですよ~!
 ちなみに、電ちゃんは提督の初めて励起した駆逐艦です。このパーティーへの参加もゴリ押ししたとかなんとか……』


 金剛のそれに似ながら、可愛らしさを前面に押し出す白いドレス姿の、右手と右足を同時に出すセミロング少女。ガチガチに緊張しているらしい。
 彼女を落ち着かせようとするサイドポニーの少女は、薄桃色のキャミソール風。やはり苦笑いの中に緊張が伺えるが、隣の少女のおかげで落ち着きを保っているようだ。

 その後ろには三人の少女。
 プラチナブロンドに、白と青を基調とするエプロンドレスを着る少女は、不思議の国のアリスをモチーフにしていると思われる。黒いリボンがウサギの耳のように揺れていた。
 黒いゴシック風味のドレスを着ているのが、豊かな黒髪を一本のお下げにする少女。パニエによって大きく膨らんだスカートが特徴的である。
 残る一人は大陸風か。短い茶髪に快活な笑顔が似合う少女を、方衣ホンイ――日本の千早に似た、袖のない簡素な上着が包んでいる。作りが簡素な分、その意匠にはこだわりが見られた。西洋のドレスに引けを取らない煌びやかさだ。

 そして最後。
 双子のようにそっくりな顔立ちで、明るいサフランイエローのワンショルダーを着る少女たち。
 髪型や肩紐の位置以外を、全く同じデザインに合わせた二人が、スカートの端をつまんで優雅な一礼。微笑ましさに、柔らかい拍手が送られた。


『うっわぁあぁぁ……! 可愛い、お人形さんみたい、抱きしめたい!』

『いっちばん最後に持ってくる辺り、提督からの愛されっぷりが伝わるよね! 時雨ー! 可愛いよー!』

『実際、愛されてますもんね。私が電ちゃんの立場だったら、どうなってたのかな……?』


 得意気な青葉の解説そっちのけで、リポーターと白露、五月雨がキャイキャイ騒ぐ。
 基本的に容姿は整っている統制人格だが、今まで登場したのが美しい女性ばかりだったのもあり、可愛らしい少女の愛くるしさが堪らないのだろう。
 そんな声が届いたのか、食堂に姿のなかった留守番組みが入ってくる。
 湯上りの気配をパジャマ姿から漂わせる、叢雲を始めとした吹雪型と、残る綾波型の敷波。おまけの如月、望月だ。


「あら、丁度良いタイミングだったみたいね」

「あーあー、吹雪ってばガッチガチだよ。まるでロボットじゃんか」

「ううう、見ているだけで、緊張しそうです……」

「私は、そもそも外出したくない」

「初雪、動いちゃダメよ。吹雪も綾波ちゃんも、綺麗で羨ましい」

「ほんと、羨ましいな……。あたしもあんなドレス着て、司令官と……」


 一目見てクスリと笑い、叢雲が風呂上がりのフルーツ牛乳をあおる。
 半袖のシャツを着る深雪、女の子らしい七分丈のパジャマな磯波、キャミソールに短パンの初雪は椅子へと腰を下ろしながら、それぞれに感想を言い合っていた。ネグリジェの白雪は湿気の残る初雪の髪を拭きつつ、である。
 大きめのワイシャツを羽織る敷波も、羨望の眼差しで見つめていた。表情や口振りから、脳裏にどんな光景を思い描いているか、想像に難くない。
 だが、絶賛反抗期中な曙にとって、そんな顔の姉妹艦にはチャチャを入れずにいられないらしく……。


「……前々から思ってたんだけどさ。敷波はなんでクソ提督のこと好きなわけ? 好きになる要素なくない?」

「へっ? べ、別に、好きなんて言ってないし。なんとなく、気になるだけ、だし……」

「まぁまぁ。趣味は人それぞれなんだし、生暖かく見守ろうじゃない。ボノボノだって死ぬほど嫌いなわけじゃないでしょー」

「ボノボノ言うな! 嫌いだし! 死ぬほど嫌い――」

「んで、実際どのような所がお好みで? むっつりスケベなとことか、押しに弱いとことか、ハニトラに引っ掛かりやすそうなとことか?」

「褒める所じゃないのばっかじゃん……。普通に優しいし、わりと格好良いと思うんだけど。ドレスも真剣に選んでくれたし、さ」

「――って人の話聞けぇー!」


 一触即発な雰囲気になるかと思いきや、漣の乱入により、最終的に曙自身がイジられ側へと回って終了のようだ。これもいつもの光景である。
 苦笑いで見守っていた朧や潮もホッと一息。絨毯を進む駆逐艦たちを眺める。


「潮はもう買って貰ったんだっけ、ドレス」

「ううん、まだ……。あの。普通のサイズだと、胸がキツくって……」

「そ、そうなんだ。……それ、龍驤さんの前で言っちゃダメだからね、絶対」

「聞こえてんでぇ……。駆逐艦の癖にけったいな乳しよってぇ……」

「諦めちゃだめよぉ。今度いっしょに、バストアップ体操しましょう?」

「いや、あたしら成長しないんだから無駄なんじゃ……。ま、いいけどさぁ。特定の層には需要ありそうだし……」


 どこからともなく現れ、涙でテーブルを濡らす龍驤。シュミーズを着る如月が慰めるものの、無駄な努力であろう。
 望月の言う特定の需要も、当人からすれば嬉しいはずがない。
 龍驤は「バルジを、もっとバルジを……」と咽びながら、炭酸ジュースを飲み干すのだった。


「ねぇねぇ、雪風が着てるのって、台湾の民族衣装なんだよね」

「そのはずです。高砂族の方衣だったかと。おそらく、丹陽時代をイメージしたのでは? 浮いている気もしますが」

「ええやん、似合ってるんやし。はぁ~、ええなぁ~。雪風はそういう逸話がぎょうさんあって、羨ましいわぁ」

「似合っているね、雷たちも。ワタシはまだ選んでいないけど、どうしようかな」

「……響なら、きっとどんな服でも似合うわ。その時は暁が選んであげるっ」

「うん。お願いするよ」


 雪風・雷・電の晴れ姿を見て、口々に語り合う陽炎や暁たち。
 仮面舞踏会で民族衣装。確かに浮いてしまうだろうが、雪風の知名度があれば、むしろ良い味になるやも知れない。
 ドレスの下見に付き合っていながら、「ごめん、車に乗れる人数が超過しそうだから残ってくれ!」と留守番を言い渡された暁も、ようやく機嫌を直したようだ。


『なるほど~なるほど~。美人揃いでしたね~。……っていうか、妙に詳しいですね。もしかして貴方たち、軍関係者なんじゃ……?』

『はっ。ぃ、いえいえいえ、そんな事は。あ、もう門限の時間だっ、青――私、これにてオサラバします! お先に失礼~!』

『ちょっと、お待ちなさい! わたくしを前にそのセリフ、よくも言えましたわね!?』


 統制人格たちの入館が終わりそうな頃、ようやく自分の仕事を思い出したのか、女性リポーターが青葉に率直な疑問をぶつける。
 そこでやっと正体がバレたらマズいことに気付いた青葉。適当な嘘を残してその場を走り去った。

 後を追う熊野が怒っているのは、フィリピン島はサンタクルーズ沖にて、米空母タイコンデロガの攻撃により、以前の彼女が生涯を終える二十日ほど前。
 サマール沖海戦にて大きな被害を受けていた熊野が、別海域にて同じく被害を受け、大破していた青葉と共に日本を目指し、パシー海峡へ向かった時の出来事が理由である。
 待ち伏せしていた米潜水艦四隻から、繰り返し放たれる雷撃を回避しきれず、航行不能に陥った熊野に引き換え、たった五ノットしか出せない青葉は全くの無傷。
 しかも、後に残した言葉は「ワレニ曳航能力ナシ。オ先ニ失礼」である。イラっとするもの無理はない。
 ちなみに青葉は単独で台湾に向かい、のちに呉へと帰投していたりする。

 ともあれ、リポーターは口を挟む暇もなく、青葉たちを見送るしかなかった。
 しかし、スタジオのコメンテーターは一早く正体にたどり着き、私物のコラム小冊子(閲覧用)を取り出しながら叫ぶ。


『……やっぱり、間違いない! 橋元アナ、さっきの女子学生を追え!』

『は、はい? ど、どうしたんですかいきなり……』

『いいから行け! あの子は統制人格だ統制人格! ほら、この重版コラム書いた、青葉型重巡の!』

『ぇええ!? ちょ、ホントですかぁ!?』


 にわかに慌ただしくなるスタジオ。
 想定外の事態のようで、「どうする? 追う?」「とりあえず追いかけるか」「サイン色紙あったっけ?」などという取材班の音声が漏れ聞こえる。
 騒動の予感に、高雄や愛宕、甚兵衛姿の利根型姉妹が溜め息をついた。


「とうとうバレちゃいましたね……」

「まぁ、あれだけ情報を出してれば当然よねぇ~」

「今時分、苦情というか、確認の電話がひっきりなしに掛かっておるじゃろうな」

「お察しします、書記さん……」


 カニカマを齧りつつの利根の考察は、正しかった。
 携帯テレビを見ながら残業していた書記の少女は、青葉が登場した瞬間にコーヒーを吹き出し、現在、関係各所からの電話攻撃に対応している。明日辺り、青葉の上に大きな雷が落ちる事だろう。
 なんとも締まらないが、これで特集コーナーは終わりらしい。宿舎内の統制人格たちも、思い思いに立ち上がる。


「さて、終わりましたね。戻りましょうか、北上さん。……そ、そうだわ! 明日もお休みですし、あの、ド……ドド、ドレス着て、私と一緒に踊っちゃったりとかぁ……」

「あー、ごめん大井っち。ダンスは先約があるんだー。だから、大井っちとはその次にね?」

「……は? ちょ、どういう事ですか北上さん? まさか提督相手じゃありませんよね? 私は認めませんよ!?」

「なんかあっという間に終わっちゃったなぁ。お風呂入って寝よ。あ、疋田さんどうします? 泊まってきますよね? ガールズトークしましょうよ~」

「いえ、私は家に帰――って引っ張らないで下さい!? 洗濯物干しっ放しで……!」


 一部に騒がしい少女も居たが、ほとんどが各々の部屋へ帰り、明日に備える。
 この場に居ない“彼”から言い残された、大事な任務のために。










《こぼれ話 不良と動物の組み合わせは鉄板》





「……あら? あれは……摩耶とオスカーちゃん?」


 夜を徹した夜戦演習に川内がハッスルし、周囲が多大な迷惑を被った翌日。
 遅めの睡眠から清々しく目覚め、朝食とも昼食ともつかない食事を終えたばかりの鳥海――高雄型重巡洋艦四番艦は、散歩に出かけようとして妙なものを見つけた。
 宿舎の玄関と前庭の間という、中途半端な位置で座り込む人影だ。
 ノースリーブの紺と白襟、白のプリーツスカートを組み合わせるセーラー服。肩口で切り揃えられた茶髪のショートカット。バツ印の髪留めが前髪を飾る。
 鳥海と同じ服装をする彼女は、鳥海の姉に当たる、高雄型重巡洋艦の三番艦であった。
 その目の前には、かなりヤンチャな性格の子猫がお座りしている。


「部屋を出る時にはまだ寝てたのに。確か、『もう付き合ってられるか! 十二時間は寝てやるからなぁ!』って……?」


 メガネの位置を正しながら、鳥海は昨夜――ではなく、今朝の出来事を振り返る。
 肉を食べた事のない人間は、肉を食べられない事を苦しいとは思わない。しかし、一度その味を知ってしまうと、また食べたいという欲求が高確率で生まれる。
 これと同じ現象が川内にも起き、彼女は夜戦禁断症状を患っていた。具体的な症例はあえて割愛するが、とにかく早急に対処する必要があった。
 そこで提督が用意した解決策が、夜戦演習の標的艦任務である。
 本物の夜戦と比べれば程遠いであろうが、とりあえずは夜戦。川内も満足するはず……であった。
 それがまさか、一回だけで飽き足らず、夜が明けるまで続行しようとは、誰も思わない。
 全ては、「ワタシと……夜戦しよ?」という涙目の上目遣いに、「よろしくお願いしゃーす!」と全力で負けに行った相手側の提督が悪いのだけれど。
 鳥海ドン引きである。

 ともあれ。
 八時間にも及ぶ夜戦演習を終えた際、摩耶が暁の水平線に向けて叫んだのが上記のセリフであり、まだ起きてこないだろうと踏んでいたのだ。
 なのに、子猫の前で膝を抱えてジーっと見つめ合い……。
 首をひねらずにはいられない鳥海だった。


「さっきからずっとあんな感じクマ。球磨たちが来る前からで……かれこれ十分は経ってるクマ?」

「あ、球磨さん。木曾さんも多摩さんも、おはようございます。先日はお疲れ様でした」

「ああ、疲れたな……。まぁ、これで川内も一月……いや、三週間は……に、二週間は大人しいだろう」

「なんだかハッキリしませんね……」

「仕方ないにゃ。あれはそういう病気だと思うしかないにゃ」


 長い黒髪を揺らす鳥海に声を掛けたのは、夜戦演習にて固い絆を結んだ球磨型軽巡、球磨・多摩・木曾の三名。様子を伺うよう、玄関前の柱に隠れている。
 手招きする木曾に従って歩み寄った鳥海は、なんとなく小声で問いかけた。


「あの、何をなさって?」

「見て分からないクマ? 摩耶を監視してるクマ」

「いえ、ですからなんで……」

「そんなの、摩耶がオスカーに殺られないか、心配だからに決まってるにゃ」

「え。そっち?」

「鳥海。まだお前は知らないだろうが、あのオスカーはとんでもない奴でな。
 飼い主の綾波の他には、気に入った相手以外には恐ろしく喧嘩腰なんだ。
 姉二番は平気なんだが、俺も引っ掻かれて痛い思いをした……。新入りの摩耶があんなに接近したら、危ないからな」

「は、はぁ……。気難しい子なんですねぇー」


 なんの事はない、ただ三人が心配性なだけと判明し、鳥海は微妙な笑みを浮かべる。
 猫に引っ掻かれるのを警戒してこの有様とは、妹として有り難いやら、呆れてしまうやら。
 そんな時、沈黙を守っていた摩耶が動いた。


「……お手!」

『えっ、お手?』


 掛け声と共に、右手を差し出す摩耶。
 猫に対してお手? と四人が心の中でツッコミを入れるが、しかし、オスカーは摩耶の右手に自身の右前脚を乗せる。
 にゃー。
 誇らしげな一鳴きだった。


「お代わり!」


 今度は左手を出す摩耶。
 左前脚が乗せられ、にゃー。


「三回まわってニャー!」


 猫の手ポーズを付ける摩耶に従い、オスカーはグルグル三回転して、にゃー。
 産まれて半年も経っていないだろう子猫が、忠犬顔負けの芸を披露していた。


「凄い。オスカーちゃんって頭が良いんですね」

「ほ、本当にな。俺も吃驚したぞ」

「ぐぬぬ……。多摩も負けてられないにゃ。こうなったら、東郷ターンから魚雷をにゃー、で対抗しないとにゃ……!」

「どんな対抗手段クマ。というか、球磨は別の意味でビックリだクマー」


 眼前で繰り広げられる光景に、鳥海は驚きを隠さない。木曾たちなど、目を剥かんばかりだ。
 気に入った相手には甘えまくり、気に入らない相手には遠慮なく爪を立てる、あのオスカーが。
 陸奥には腹を見せて猫の開き状態になり、長門には思いっきり威嚇して涙目にさせる、あのオスカーが、唯々諾々と命令に従って撫でられている。本当に驚きだった。
 オマケと言ってはなんだが、球磨が指差す先では――


「ううんんぁああっ! オマエかわい過ぎるだろクソォオオッ!!」


 に゛ゃー。


「あぁぁごめん、ごめんな、苦しかったか? よく出来たなぁ、偉いぞー?」


 ――奇声を上げる摩耶が、オスカーを抱きしめ、撫でくり回す始末。
 演習中も、「摩耶様の攻撃、喰らえ~っ!」とか、「ぶっ殺されてぇかぁ!?」など、少々乱暴な……というより、ガキ大将的な言動が目立った彼女が、ああも表情を崩す。
 これも球磨にとっては驚くべきことだったようだ。
 鳥海からして見れば、ごく当たり前の光景でもあるのだが。


「ええと……。摩耶は、その、言動は乱暴なんですけど、凄く可愛い物好きで。人知れず、部屋ではヌイグルミを抱きしめたりして、色々と発散しているんです」

「人知れず? どうして隠すんだ? 見掛けだけなら相応の趣味だと思うが」

「きっとそれが恥ずかしいにゃ。可愛いって言われるのが嫌なお年頃にゃ」

「面倒臭い年頃クマー。……って、なんかこっちに変なのが来るクマ!?」


 鳥海の説明に、球磨型三名が首を縦に振っていると、遠くから土煙を上げて近づいてくる影が二つばかり。
 必死の形相で疾走する彼女たちは、天龍と筑摩だった。


「丁度良かった! おいオマエらっ、龍田と三隈が来たらあっちへ行ったって言ってくれ!」

「な、なんだ? どうしたんだ一体?」

「どうかお願いします! 今は何も聞かずに!」


 困惑する木曾の声に答えもせず、二人は玄関内にある下駄箱の物陰へ隠れる。
 事態を測りかねる四人が顔を見合わせていると、天龍たちを追いかけるようにまた人影が。
 ゴスロリドレスを手にした龍田と、書類一式を抱える三隈だ。二人とも満面の笑みを浮かべていた。


「あら~。球磨ちゃんたちに鳥海ちゃん。おはよ~」

「不躾ですが、天龍さんと筑摩さんをお見かけになりませんでしたか?」

「く、クマ? あ、あっちへ行った、クマ?」

「二人とも、何してるにゃ? 龍田ちゃんは……だいたい想像つくけど、三隈ちゃんが分からないにゃ」

「そんなこと言わずに聞いて~。昨日の仮面舞踏会の録画を見てたら、天龍ちゃんのゴスロリ姿を動画に収めたくなっちゃって~。それで捕まえようとしてるのよ~」

「わたくしは、筑摩さんをクマレンジャーにお誘いするためですわ! あぁ、どうしてもっと早く気付かなかったんでしょう。すぐ側にメンバーが居ただなんて……!」

「あれ、マジでやるつもりだったクマか……?」


 龍田の天龍弄りはいつもの事として、冗談半分にサインしたクマレンジャー契約が本気だったと知り、球磨の顔が引きつる。
 クマレンジャー。おそらくはクマ・レッド、クマ・ブルー、クマ・イエロー、クマ・グリーン、クマ・ピンクの五人で構成される戦隊。
 もしかしたら、ピッチピチなボディスーツを着て変なポーズとか取らされるかも知れない。よく考えず、よく読まずに契約した事が悔やまれた。


「じゃあ、今度見掛けたら確保しておいてね~」

「筑摩さんは緑が似合うと思いますわ! あ、球磨さんも御自分の色を決めておいて下さいねー!」


 ヤバいクマ……と頭を抱える球磨の苦悩を知らない龍田たちは、笑顔を振りまきつつフェードアウト。
 後には奇妙な静けさが残るだけだった。
 それを破るのは、下駄箱の陰からひょっこり顔を出す天龍。冷や汗を拭っている。


「行ったか……。ったく、龍田のヤツしつこいんだよ……」

「なんでそんなに嫌がるにゃ? 普通に似合ってるんだから着れば良いにゃ」

「フザケんな! 二度と着るかあんなモン! 恥ずかしくて死ぬかと思ったんだからな!? みんなして可愛いとか綺麗とか……んぁああっむず痒いぃ!!」

「ここにも面倒臭い年頃が居たクマ……」

「全く……。筑摩も大変だな」

「はい……。姉さんが『吾輩だけ仲間外れにしおって……』と不貞腐れてしまうので、入隊はお断りしているんですけれど、なかなか諦めてもらえずに……。困りました」

「あ、あはは……」


 盛大に溜め息をつき、筑摩がそう締めくくった。なんと言えばいいのか、鳥海には分からない。
 大変ですね。楽しそうじゃないですか。知るかそんなこと。……どれも間違っているような気がする。
 ちなみに、摩耶は背後の騒動に全くもって気付いていないらしく、オスカーと「オマエはかっわいいにゃー。にゃー?」などと言い合っていた。可愛いのは摩耶もである。


「じゃ、オレたちはまた別な場所に隠れるから、絶対に! 告げ口すんなよ?」

「どうか、くれぐれもお願いします。姉さんの怒った顔も可愛らしいんですけど、さすがにずっとは――」

「あら~。天龍ちゃん見~つけたぁ~」

「ゲェッ、龍田ぁ!? 逃げるぞ筑摩!」

「は、はいぃっ」

「筑摩さん、お待ちになって下さい! ここに判子を、今なら低反発枕もお付けいたしますのに!」


 そそくさとその場を後にしようとした天龍たちだったが、なぜだか戻ってきた龍田たちに発見され、再び全力疾走を開始。追いかけっこが再開された。
 無言で見送る鳥海の頭に、拭いきれない不信感が湧き上がる。
 私の立っているこの場所は、一体なんなんだろう。
 もしかしなくても、人類の存亡を賭けて戦う、最後の希望が集まる場所ではなかっただろうか。


「……あの。ここって、鎮守府なんですよね?」

「まぁな。言いたいことは分かるが、これがここの平常運転だ」

「考えちゃダメにゃ。早く慣れるが吉にゃ」

「今日もいい天気になりそうだクマー」

「はぁあぁ、ほんっとに可愛いなー。なんかがみなぎって来たぜー」


 祈るような気持ちで確かめてみても、先任たちは既に諦めの境地へ到達していた。
 そんな彼女たちに習い、鳥海は空を見上げる。
 無駄に晴れ渡る空から、暖かな陽光が降り注いでいた。

 ――うん。考えるの、やめよう。





「くっ……。摩耶め、オスカーを独り占めするとは、なんという奴だ……! 私なんかまだ撫でさせても貰えないのに……っ」

「ねぇ長門? 触りたいなら、触らせてって素直にお願いしたら?」

「言えるわけないだろう、私はあの戦艦長門なんだぞ――いつからそこに居た陸奥!?」




















 いつの間にか春イベ目前、だと……? フロムじゃ! フロムソフトウェアの仕業じゃ!
 というわけで、今回は仮面舞踏会・前編。艦娘たちの入館でした。
 思っていた以上に長くなりそうだったので、仮面舞踏会は全部で三話構成に分割させて頂きます。こぼれ話の回数稼ぎも兼ねて。
 わりと大急ぎで仕上げましたし、誤字脱字を発見したら報告お願い致します。
 次回はパーティー本番。艦娘たちがどうパーティーを過ごすのかを描きます。お楽しみに。
 それでは、失礼致します。ヒャッハー! 春イベだぁー! イタリア艦娘超楽しみだぜぇー!


「ひと、ひと、ひと……。っくん。はぁ……。これで大丈夫、うん、大丈夫なはず……」
「緊張し過ぎよアンタ。人じゃなくて独って書いてるわ。どうすればそうなるのよ」





 2015/04/25 初投稿
 2015/04/26 セルフ誤字修正。右と左間違えちゃイカンですね、うん……。
 2015/05/09 誤字修正







[38387] 新人提督と仮面舞踏会・中編
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/05/29 20:59





 以上が、桐竹源十郎氏が遺した手記の、最後の頁に書かれた文章である。
 翌日。彼は日本海を最後の舞台とし、数ヶ月後、MIA認定を受けた。

 これを随想録として纏めたのは、偏に、天涯孤独だった彼を、人々の記憶に留めたいからだ。
 彼の周りには多くの人がいた。
 けれど、真に彼を愛していたと言えるのは、ほんの一握り。
 そんな彼をして、私は恥知らずにも、自分を幸福だと思ってしまう。
 最期を迎えようという時、手を握る誰かが居てくれるのを、幸せだと。

 彼は、どうだったのだろうか。
 あの戦いを、私は覚えていない。
 間に合ったのに救えなかったのか。
 間に合わずに救えなかったのかすら。

 尋ねるだけの勇気はなく、受け止める気力も同様。
 私の行為は、許されたいがための、身勝手な行為なのかも知れない。
 だがそれでも、どうかこの本が、わずかでも彼の慰めとならんことを。


 桐竹随想録、後書きの初稿より抜粋。
 著者は、護国五本指の一人である梁島提督。これを書き上げた直後、亡くなっている。
 死因は一般に公開されておらず、また、著書が軍の検閲を受けているのは言うまでもない。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 フェルモ・ダンテ・マルシッチ作曲、ボヘミアのワルツ。
 今にも落ちてきそうなシャンデリアの下、誰もが一度は聞いたことのあるクラシック音楽が、生演奏で響いている。
 新しく設けられたという、地下の多目的ホールでは、幾人もの男女が手を取り合い、優雅にステップを踏み、一夜限りの出会いで胸を躍らせるのだ。
 そんな、華やかな社交界において、自分は――


「紹介するわ。こちら、在日ドイツ大使のスヴェン・ジグモンディさん。
 そしてこちらが、三崎重工業のCEO、御厨みくり俊明さん。ご挨拶して」

「は、初めまして。桐林と申しますっ」

「ハハハ。Nett, dich zu treffenはじめまして,お会いできて光栄です」

「そう緊張なさらず。御厨です、この腹で覚えて下さい」

「はは、は……」


 ――ただただ、恐縮しまくっている。
 桐谷提督の挨拶や、自分の所信表明など、つまらないプログラムを時間と共にすっ飛ばし、仮面舞踏会が始まって一時間。
 政財界のお偉方を巡り、自分と桐ヶ森提督は腕を組んで練り歩いているのだ。
 が、仮面舞踏会という性質上、名刺交換などはタブー。
 桐ヶ森提督から紹介された人物を、身体的特徴――髪の薄れ具合いや、腹の大きさなどで覚えなければならず、とにかく大変だった。


(もう少し愛想良くしなさいよ。口元が引きつってるわ)

(ならまず、腕を離してもらえません? なんかこう……。凄く居心地が悪いんですけど)

(贅沢言うんじゃないの。そうしないと虫が寄ってくるんだから仕方ないでしょ)


 肩と背中を大きく開け、ネックと胸元が繋がったデザインの、レースをふんだんに使った白いドレス。
 細い腕は長手袋で包まれ、シニヨンに編み上げた金髪と、ドレスに合わせた白い仮面が、彼女の魅力を高次元に纏め上げている。
 そんな少女と腕を組むなんて、普段の自分なら緊張しつつ喜んでいただろうけど、この状況では楽しむ余裕なんてありゃしない。
 数歩の距離に佇む、灰色の髪を持つ紳士と、腹がでっぷりした中年男性の笑みが辛い……。周囲のゲストからも視線を感じるし……。
 ちなみに、自分が着けてる仮面は、眉間辺りから小鼻までを覆う物で、桐ヶ森提督も着けているポピュラーなタイプだ。


「いやはや、こうして並ぶとお似合いですなぁ。桐生提督との仲も噂されていましたが、どちらが本命ですかな?」

「御厨さん、下世話な話は困ります。私はまだ誰ともお付き合いするつもりはありませんし、コレは後輩が粗相しないよう監視しているだけです」

「フフフ。でしたら、ワタシと踊るのも問題ない、という事ですね。一曲いかがですか?」

「申し訳ありません。それもお断りさせて頂きます。奥様に刺されたくはないので。……約束もありますし」

「これは残念。振られてしまいましたか」

「いやはやなんとも、羨ましい限りですなぁ?」

「……身に余る、栄誉であります」


 ぎゅーっと、左腕に密着する暖かさ。
 どうやらパーティーの参列者からは、政治慣れしていない若者と、それを守るうら若き乙女、という構図に捉えられている模様。いい迷惑である。
 もちろん、本気でカップルになった訳じゃないし、望んで偽装工作をしている訳でもない。
 先ほど言った視線の中には、獲物を狙うような目つきで見つめてくる、御嬢様方や御曹司方も居た。目当ては玉の輿or逆玉の輿。
 幸い、約束があると言うだけで、大抵の人は察してくれるのだが、そうなると「さっさと踊れや」的な圧力も感じ……。もう溜め息しか出ない。
 あ~あ……。自分、なんの為に提督やってるんだっけ……?


「さて、この分では息子とも無理でしょうな。覚えが悪くなるのも避けたい、早々に退散するとしますよ。先の戦い、お見事でした」

「ワタシも、妻に見つかると怖いですからね。失礼しましょう。……ああ、Mr.桐林」

「はい、なんでありますか」


 御厨氏が腹を揺らしながら背を向け、ジグモンディ氏もそれに続く。
 かと思いきや、彼は思い出したように振り返った。


「本国は、アナタに高い関心を持っているようです」

「関心、ですか……」

「はい。おそらく、ワタシの国だけではないでしょうけれど。
 近々、なんらかのご連絡をさせて頂くことになるかと思います。
 ご心配なく。きっと良い話ですよ。では」


 豊麗線を優美に丸め、灰髪の紳士は今度こそ立ち去る。
 自分の頭に残されたのは、不可解な疑問ばかりだ。顎に手を当ててしまう。


「良い話、ねぇ……? なんだろ、何かくれるとか……」

「なんにせよ、気を付けなさい。軍人にとっての良い話っていうのは、とどのつまり、戦いに関することなんだから」

「……ですね」

「ま、たぶん船関係でしょ。ハーレム要因が増えるわよ。やったわね」

「公共の場でそういうこと言うのやめてもらえません? ハーレムなんて築いてませんから」


 一瞬、シリアスな雰囲気をまとう桐ヶ森提督だったが、全力で拒否したい言い回しに自分は半眼である。
 鬱フラグが立ったら如何してくれる。マジで勘弁して下さい。


「……にしても、アンタって仮面付けてると、本当にイケメンだわ。ビックリ」

「褒めてませんよね。間違いなくバカにしてますよね」

「そんな事ないわよ。きっと私が居なかったら、モテてモテて仕方なかったんじゃない?」


 所在無く歩き続け、会釈をしまくりながらカーペットに吐息をぶつけていると、桐ヶ森提督が小さく微笑んだ。
 普通は褒められて喜ぶべきなんだろうけど、仮面を付けてイケメンってことは、元の顔に特徴が無いということ。嬉しいはずもない。
 ……実は、他のみんなにも同じような感想言われてヘコんでる、なんてこたぁありませんよ。ええ。


(あ。ビックリと言えば、桐谷提督もビックリでした)

(え? ……あぁ、そうね。アンタは知らなかったものね)


 ふと思い出し、小声で話題を振ってみる。
 すっ飛ばしはしたが、パーティー開始を告げる桐谷提督の挨拶は、とても印象深いものだったのだ。
 なにせ、聞いて驚くボーイソプラノが、見た目に相応しい重低音へ変わっていたんだから。
 喉に貼り付けるタイプのボイスチェンジャーを使ったそうで、襟の高い礼装を着ていたのを考えれば、気付かれなかっただろう。
 桐谷提督自身、地声で話すのは限られた場所――ホームである佐世保や、“桐”の会合のみらしく、一部の人間だけが事実を知っている。
 彼の地声を知っているかが、千条寺家との繋がりを持てるかどうかの判断基準……という噂もあるようだ。どんだけ?


(でも、当然と言えば当然でしょ。今や中将に次ぐ古株である千条寺家の当主が、公の場でボーイソプラノを披露だなんて、悪目立ちしかしないわよ)

(ですねぇ……。お? あの後ろ姿は)


 体質といえばそれまでだけど、あれだけガタイの良い人が声帯だけ未成長とかあり得るんだろうか。なーんか怪しいんだよなぁ……。
 とか思いつつ、どこぞの社長夫婦らしい人物たちにまた会釈していると、軽食が並べられたテーブルの側に立つ、見知った背中が。
 丁度良い、気分転換に声を掛けてみよう。


「吹雪、綾波。楽しんでるか?」

「ひゃい!? ……ぁ、司令官ですかぁ。脅かさないで下さいよぉ……」

「御機嫌よう、司令官。桐ヶ森提督」


 ビクン! と飛び跳ね、大急ぎで振り返るセミロングの少女と、優雅に一礼するサイドポニー少女。
 可愛らしいドレスに着飾る、特型駆逐艦の二人だった。うっすらとメイクが施され、吹雪は髪型まで変えるオシャレ振りだ。
 ……まぁ、綾波は普通に可愛いから良いとして、問題は吹雪。安堵し過ぎて顔が残念なことになってるぞー。


「随分と緊張してるわね。大丈夫?」

「大丈夫じゃないです……。私、まだ艦隊に来て間もないド新人ですよ?
 赤城先輩みたいな目覚ましい戦果があるわけでもないし、場違いにもほどが……うぅ……」

「さっきから、ずっとこんな調子で……。私も、居心地がちょっと」


 桐ヶ森提督の言葉に、吹雪はテーブルへ手をつきながら、綾波は髪を弄りながらの返答。楽しんでいるとは言い難い表情だ。
 特型駆逐艦のネームシップとして参加してもらったけど、やっぱ実務経験が無いと苦痛になっちゃうか……。
 でも、この二人を選んだのにはキチンとした理由だってあるのだ。


「そんな風に考えないでくれ、吹雪。君がこの場に居てくれるだけで、自分は凄く心強いんだから」

「えっ。……し、司令官、そこまで私の事を……?」

「ああ。よく言うだろう? 周りに自分より慌ててる人が居ると、かえって落ち着けるって。
 君がしどろもどろしてくれてると思うだけで、なんか安心するんだよ。フォローは綾波がしてくれそうだし」

「ちょっとでもドキッとした私がおバカでしたぁ!」

「仲良いわね、アンタたち」


 肩を叩きながらそう励ますのだが、吹雪は喜びながら泣き出すという、なんとも面白い顔に。
 うんうん、期待通りの反応。この弄られキャラ具合が、自分の精神衛生的に重要なのである。
 彼女を支える綾波はジト目になってるけど。


「司令官? 吹雪ちゃんをイジメないでください。ただでさえ緊張しちゃってるんですから」

「ごめんごめん。つい、な。しかし、緊張するのは分かるが、せっかく着飾ってるのに俯いてたら、勿体ないぞ」

「そう、でしょうか? 普段着と違って、少し気恥ずかしいです」


 叱られたのもあり、今度は持ち上げモードで弄ってみると、ちょっと照れながら髪をもてあそぶ吹雪。
 弄ってみるとは言ったが、勿体無いと思ったのは本心だ。
 まだ浅い付き合いだけど、明るく頑張り屋な吹雪が恥じらう姿は、お世辞抜きに可愛らしい。


「前にも言ったけど、本当に似合ってるよ。髪を下ろしてると女の子らしさが増して、悪い男に引っ掛からないか、心配になるくらいだ」

「あ、ありがとうございます。でも、流石に褒め過ぎじゃありませんか? 声とか全然かけられませんし」

「ですね。遠巻きに観察されてるような……」


 ……が、当の本人はお世辞と受け取ってしまったらしく、綾波と一緒に周囲を見回す。
 タキシードやドレスに身を包む人間と、彼女たち統制人格を見分けるのは容易い。仮面の有無だ。
 客人であるゲストが仮面をつけ、裏方であるスタッフは素顔なのが、この仮面舞踏会の決まり。
 護衛任務の一環で参加しているという形の皆は、ドレスで着飾っていても素顔を晒しているのだった。
 なので、ダンスを申し込もうとすれば簡単に声を掛けられるはず……なのだが、どうも見る目がない男ばかりらしい。
 桐ヶ森提督は別意見のようで、「ま、そこら辺は良し悪しよ」と目を細める。


「有象無象にベタベタされるよりマシ、って思っときなさい。声を掛けられたら掛けられたで面倒だから、下心満載の男を切って捨てるのは」

「……かも知れませんね。けど大丈夫です! そういう時には、司令官の名前を出せばどうにか。ですよね?」

「うん。面と向かって口説いたり、売り込みする輩は居ないはずだけど、いざという時には遠慮するな。
 それに、自分たちには“繋がり”がある。必要なら何時でも呼んでくれ。すぐにでも駆けつけるから」

「ありがとうございます。綾波たちのこと、守って下さるんですね」


 両手をグッと握る吹雪に頷くと、綾波は柔らかく笑みを浮かべた。
 あまり考えたくない事だが、彼女たちに法的な人権は存在しない。現状は善意の上に成り立っている。
 衆目に晒した以上、悪意を持った人間が、色んなものと引き換えにロクでもない要求をしてくる可能性だって……。
 そんなの、絶対に許すわけにはいかないのだ。何が何でも守らなければ。
 と、密かに決意の炎を燃やしていたら、背後に覚えのある気配が。


「ふふふ。良かったですね、お二人とも」

「提督のお墨付きがあれば安心です」

「あっ、赤城先輩っ。お疲れ様です!」

「加賀さんも、御機嫌よう」


 振り返った先には、赤と青。色違いの和服美女が佇んでいた。赤城と加賀さんである。
 上から下までをじっくり観察し、桐ヶ森提督が頷く。


「へぇ。こういう場に和装なんてどうかと思ったけど、なかなかじゃない」

「でしょう? ドレスも似合ってたんですが、この二人なら。赤城も加賀さんも、一層に映えてるよ」

「光栄です。……その、お誘いを断る理由にもなりますし」

「はい。目立ちはしますけれど、本当に助かっています。それと、さんは要りません。加賀です」


 髪をかんざしに結う赤城が、いつにも増して上品に、しかし申し訳なさそうな苦笑い。
 仮面舞踏会だというのに、なぜ和装なのか。
 それは、この二人が自分以上のダメダメ・ダンサーなのが原因だ。


「にしても、まさかダンスに限って運動神経が断裂してるとはなぁ。戦闘中の動きとかは凄く綺麗なのに」

「射法は、基本的に静の動作ですから。どんな状況でも、落ち着いて身体と機体を制御するのが肝要です。けれど……」

「ワルツは動きっ放しだものね。人間以上の身体能力があったって、得手不得手に寄るでしょ」

「舞踏の心得など、空母には不要です。私たちはただ、敵を討つための存在なのですから。絶対、一生、もう二度と踊りません」

「加賀、気持ちは分かるけどさ。そこまで言わなくたって……」


 舞踏会への参加を打診した際、赤城たちは正直に踊れない事を教えてくれた。
 既に舞風のダンス講習を終えていた自分は、得意げに「なら、基本だけ教えてあげよう」などと、教師役を買って出る。
 けれど、実際にステップを踏み始めた直後。なぜだか赤城に小外刈りを掛け、押し倒してしまっていた。
 何度繰り返しても、三歩とステップを踏む前に押し倒す結果に終わり、この二人に限っては、ダンスに誘われなくなる和服で行こう、という事になったのである。
 加賀? 小外刈りを掛けられました。思っていたより軽くて、なのにボリューム感が凄ゲッフゲッフ。


「そ、そういえば、電たちとは一緒じゃないんだな。あの二人は?」

「電さんですか。あいにく、赤城さんと挨拶廻りで忙しかったので、存じませんが」

「吹雪さんはどうですか?」

「う。ごめんなさい、赤城先輩。私もちょっと……」

「そっか。綾波は?」

「ええと……。少し前に、足柄さんとスラバヤ沖での話をしていたような……」


 ニヤけそうになる顔を誤魔化すため、姿の見えない雷電姉妹の行方を尋ねてみるのだが、ハッキリした答えは返ってこなかった。
 考えてみれば当然か。仮面を付けていないとはいえ、数百を越える参列者の中、すぐに把握するのは難しい。
 自分の能力で探せば良いんだろうけど、この人混みじゃ集中できないしなぁ……。


「なら、少し歩いてみましょう。他のお偉方とも話さなきゃいけないわ」

「ですかねぇ。じゃ、自分たちは行くよ。また後で」

「はい。司令官も楽しんでくださいね!」


 最終的に、桐ヶ森提督の提案を受け入れることにし、手を振る吹雪たちと別れる。
 尊敬してるらしい赤城と一緒だからか、表情も明るく。大丈夫そうだ。
 さて、電は――


「あ! アイ――じゃなかった、桐ヶ森提督ー!」


 ――と、周囲を見渡しながら歩くこと数分。またもや正面に見覚えのある少女が。
 こちらへ駆け寄ってくる、不思議の国のアリスチックな彼女は、島風である。


「あら、島風さん。こんばんは。へぇ、可愛いドレスじゃない。似合ってるわ」

「えへへー、そうでしょー。提督が選んでくれたんだよ!」

「……ふーん。審美眼は確かみたいね、アンタ」

「お褒め頂き恐悦至極でございます……」


 両手ハイタッチから手を握り合い、島風と桐ヶ森提督がクルクル回る。
 微笑ましいはずなのに、やけに鋭いアイリたん(警戒)の視線が痛い。
 べ、別にやましい考えなんてありませんよ。純粋に似合いそうだから選んだだけで……。
 ……女の子に囲まれて暮らしてんだ、少女趣味が入ってきたってしょうがないじゃん!? Cute is Justice!!


「でも、こういう服ってやっぱり動きにくい……。ねぇ提督、いつもの服に着替えちゃ――」

「絶対ダメ」

「えーなんでー」


 脳内弁明の間にメリーゴーランドは終了したが、フリフリスカートの端をつまんでブーたれる島風。速攻でダメ出しするも、やっぱり不服そう。
 お願いだからやめて! 公共の場であんな格好されたら、本当に人生終わっちゃうから!


「な・ん・で・も! とにかくそのままでいてくれ。……あ~。今の島風を、もっと見ていたいし。いいだろ?」

「……そ、そっか。うん、分かった。仕方ないから、この格好でいてあげますっ! にへへ」

「アンタ、そのうち刺されるわよ」

「なんですか物騒な」


 拝み倒していると、アイリたん(不審)の目がさらに細く。
 変なこと言わないで下さいよ。さっきから割と殺気を感じてるんですから。駄洒落じゃなくて。
 ともあれ、自分は上機嫌となった島風に、組んで行動している子の様子を尋ねる。


「どんな調子だ、二人は」

「うん、頑張ってるよ? けっこう人が集まって来ちゃって大変だけど」


 そう言って歩き出す島風に続けば、少し先に黒山の人だかりがあった。
 雪風、時雨と並ぶゲストたちと、それを撮る古めかしいポラロイドのシャッター音。
 会場スタッフの予想通り、記念撮影組みは盛況なようだ。


「写真撮影? よく桐谷が許したわね。テレビカメラのクルーだって入れてないのに」

「いえ、その桐谷提督からの提案なんですよ、これ」

「……えぇぇ?」


 訝しげな桐ヶ森提督だが、本当のことである。
 曰く、「貴方の統制人格は一般受けが良いでしょうから」、とのこと。ようするに、イメージアップ作戦という事だ。
 横須賀では、かなり自分の艦隊の雰囲気が浸透しているため、みんなの過ごしやすい環境が整っている。
 しかし、世間一般からしてみれば、まだ統制人格という存在は畏怖される存在だ。……その上、“良くて”と付け加えなければならない。
 軍とは恐れられるべき物。けれど、必要以上に恐れられては意味がない。
 広報官たちが隔月刊・艦娘なんて雑誌を作ったのも、半分は真面目な理由からなのだ。もう半分? お察し下さい。
 それはさておき。戦争が始まって四半世紀が過ぎた今、些細なきっかけで後援者たちの感情が悪い方へ傾く……という可能性だって。
 これもまた、戦争なのだ。


「提督、来てくれたんだ」

「お疲れ。大変じゃないか、時雨」


 心苦しいような、そんな気持ちを隠し、撮影の済んだタイミングで時雨へ歩み寄る。
 膝丈のふんわりスカートが、彼女の心持ちに合わせてソワソワしていた。


「正直、恥ずかしいかな。こんなドレスで写真撮影だなんて。改二ごっこを思い出すよ……」

「改二ごっこ? なんだそれ」

「あ。う、ううんっ。なんでもないからっ。気にしないで」


 耳慣れない単語に首をひねると、時雨は大慌て。黒い長手袋に包まれた両手をブンブン振る。
 ついでとばかりに、桐ヶ森提督へ「初めまして」と挨拶を。
 ……まだ子供っぽい所もあるみたいだな。ちょっと意外かも。


「なるほどね。この子がアンタの時雨ってわけ。可愛い子じゃない」

「ありがとう、ございます。桐ヶ森提督も、凄くお綺麗で……」

「あら、どうもありがと。悪い気はしないわね」

「自分の、って訳じゃありませんけど、可愛いのは否定しません」

「……もう。本当に恥ずかしいから。そういうの、やめてよ」

「あはは、時雨ってば照れてるー」

「む。しーまーかーぜー」


 二人掛かりで誉め殺され、時雨の顔は真っ赤である。ぺち、と叩いてくる手にも力がない。
 島風までもがからかい始めると、怒ったふりで逃げる島風を追いかけて行った。
 笑顔で彼女たちを見送りつつ、今度は雪風の方へ。ちょうど、老夫婦との撮影が終わったようだ。


「……はい、ありがとうございました! お身体に気を付けてくださいね!」

「や。忙しそうだな、雪風」

「司令っ、お疲れ様です!」


 気楽に声を掛けてみるが、返ってくるのは最敬礼のお辞儀。
 周囲の視線が集まって、少々息苦しさも感じるが……。
 いや、今は無視しとこう。気にしたってしょうがない。


「結構な行列になってるなぁ。雪風の名前は伊達じゃない、ってことか」

「なんだか、変な感じがしますけどね? 活躍したのは今の雪風じゃなくて、沢山の方々が乗っていた雪風ですし」

「そう言うな。みんなに期待されていて、応えるチャンスがあると思えば良いさ。その機会は自分が作ろう。頼むぞ」

「……はいっ! 頑張りますっ!!」


 今度は海軍式の敬礼が返り、自分も答礼を。
 カシャリ。というシャッター音が聞こえて来たって事は、撮られたみたいだ。
 あとで貰えるかな。


「さて、と。邪魔になってもアレだし、自分たちは行くよ」

「えー? もう行っちゃうのー? ちょっと早いー」

「珍しいです、島風ちゃんが自分以外を早いって言うなんて」

「うん。明日は雨かな」

「ふふふ、ごめんなさいね? しばらくコイツのこと貸してもらうわ。また後で」


 そろそろ、ゲストたちが痺れを切らす頃合いと判断。
 電探しも再開したいので、記念撮影組に別れを告げる。
 すかさず左腕には桐ヶ森提督の腕が絡み、背後からまたシャッター音がカシャリ。
 ……こっちを撮ったよな、今の。あとで回収しなければ。絶対に。
 電とか金剛に見られたら、青葉に撮られた混浴写真並みにヤバい。


「ねぇ、アレじゃないの」


 背中で冷や汗をかいていると、左腕がクイクイ引かれた。
 左前方を指す桐ヶ森提督の指先を辿った先には、スリットがイケイケな紫色のドレスを着こなす女性と、サフランイエローのワンショルダーを着る、クリップで後ろに髪をまとめる少女が一人。
 近寄るこちらに気付いたか、二人は笑顔で迎えてくれる。


「あら、司令じゃない。どうしたの?」

「電たちに、何か御用なのですか?」

「ああ、少しみんなの様子を見て回ってるんだ。……けど、なんで電の真似をしてるんだ? 雷」

「にゅえ!? なんで!?」


 ――が、何故だか雷はビックリ仰天してしまった。
 確かにあのドレス、肩紐が前後のボタンで取り外し出来るから、あとは髪型さえ変えれば入れ替われるけど……。
 さてはゲスト相手にイタズラしてたな? 足柄も「あら」とか言って驚いてるし。


「凄いわね。他の人たちは全然分からなかったのに、一瞬で見破っちゃった」

「うぅぅ、どうしてぇ……? 今度はちゃんとエクステも用意したのに……」

「どうしても何も、分かるだろ普通に。ねぇ?」

「分かんないわよ。普通は」

「司令だけよ、きっと」


 あまりにも分かり易すぎる間違い探しに、周囲へ同意を求めるのだが、足柄と桐ヶ森提督は呆れた顔。ついでに、間違えたらしいゲストたちも。
 そんな難しいか……? 流石に目をつむって声真似されたら怪しいけど、直接顔を見れるなら間違えようがないのにな……。


「まぁいいや。で、電はどうしたんだ? 一緒にいるかと思ってたのに」

「飲み物を取ってきてくれてるの。お喋りし過ぎて喉が渇いちゃって」

「全く、大変よ。最終的にみんな雷と電の方へ行っちゃうんだもの。どうしてかしら?」

「それは、敵艦に対する砲の射角とか、魚雷の発射速度とかばっかり話すからだと思うわ、足柄さん」

『あぁ……』


 ため息に疲れを乗せる雷。思わず、桐ヶ森提督と納得してしまった。
 どれだけ色気のあるドレスに身を飾っても、本質がバトルジャンキーじゃあ、寄り付いてくる人は少ないよねぇ……。
 選んだ理由だって、「これならいざという時に走れるし、蹴りも問題ないわね!」だったしなぁ……。脚の付け根辺りまで見えてるのに……。
 んで、そのしわ寄せが雷電姉妹に来た……と。黙っていれば誰もが振り返る美人なんだから、自重しようよ。自重したら足柄じゃない気もするけどさ。


「にしても、遅いわね電。けっこう時間経ってるはずなのに」

「うん……。もしかして、迷っちゃってるのかも。ねぇ司令官、探してあげてくれない? 私は足柄さんのサポートしなきゃいけないし」

「ちょっと、どういう意味よ雷」

「分かった。気にかけておくから、くれぐれも足柄のこと、頼んだぞ」

「だからどういう……こら、待ちなさいよ司令!」


 雷の頼みを受け、自分と桐ヶ森提督はまた歩き出す。足柄は……まぁ平気だろうからスルーして。
 途中、政治家の先生方やら何やらと挨拶を交わし、ウンザリしつつ見知った背中を探していると、目的とは違う背中を遠目に発見した。
 ホール中央。曲目を変えて続く演奏が終わり、一礼してペアを解消する男女――ではなく、女性二人。
 片方は仮面を付けた見知らぬ女性だが、溜め息をつきながら歩いてくるもう片方は……。


「凄いじゃないか、長門。モテモテだな」

「ん、提督……。その様な言い方は止めてくれないか……」


 黒いドレスが物憂気な表情を引き立てる彼女は、もちろん長門である。
 露出度的には普段と変わらない――いや、ヘソが出てない分控えめなはずなのに、生地は薄手で、艶めかしい雰囲気を醸し出している。
 どうやら、次のダンスを申し込もうとする女性ゲスト陣に割り込んだようで、無言の圧力が凄い。


「確かに踊りの心得はあるが、まさか女性とばかり踊る事になろうとは……」

「あらあら、落ち込んじゃって。そんなに男の人と踊りたいなら、わたしと代わる?」

「いや、どちらも勘弁して欲しい……。はぁ……。私は戦艦だというのに……」


 それを物ともせず、同じく踊り終えたらしい陸奥もこちらへ。
 こちらも当然のようにドレスを着こなし、眺める男性は元より、着られているドレスすらもが嬉しそうである。
 通常、ダンスというものは男女がペアを組むものだが、女性同士がペアを組むのは問題ないのだそうだ。舞風から教わった。
 ただし! 男性同士はどうひっくり返してもNG。大ヒンシュクを買うとのこと。見た目的にもアレだし、ホモ臭いし。
 でも、陸奥は普通に男性ゲストと踊ってた、みたいだな……。


「大変だな、美人なのも。陸奥、無理してないか?」

「あら、ありがとう。心配してくれて。今のところ問題ないわ。桐谷提督が厳選しただけあって、紳士ばかりみたい」

「だったら良いんだ。余計なお世話だった」


 ちょっと心配になり、それとなーく尋ねてみるが、陸奥は普段通りのニコやか笑顔。
 踊ったらしい男性に、手袋で包まれた手を振っている。男性ゲストも会釈を返し、満更ではない様子である。
 ……うん。まぁ、本人が問題ないって言ってるんだから、どうこうする必要もないんだけど。なんか、変な気分だな……。
 微妙にモヤっとする気持ちを、自分はとりあえず愛想笑いで隠す。
 しかし――


「ね~ぇ? もしかして、嫉妬してくれてたりするのかしら?」

「へっ。べ、別にそんな……」

「うふふふふ、照れないの。安心して? わたしが一番楽しみにしてるのは、提督と踊る事なんだから。ね?」


 ――こちらの顔を下から覗き込んだ彼女は、クスリと楽しそうに微笑み、ウィンクを一つ。
 人差し指に、頬から顎のラインをなぞられる。
 シルクの肌触りがくすぐったく、匂い立つような妖艶さが、体温を上昇させた。
 参ったな……。完っ璧に、手玉に取られてる。勝てそうにないや……んぐぃ!?


「いっだ!? ちょ、何を……!?」

「いえ、なんとなく。お仕置きしといた方が良い気がして」


 唐突な手の甲の痛み。
 左を見れば、やや無表情になった桐ヶ森提督が、思いっきり抓っていた。
 なんとなくってどんな理由だ!? 偽カップルなんだからって、嫉妬するふりまでしなくても……。痛ぇ……。


「そうだ。提督よ、少し前だが、電が貴方を探していたぞ」

「あれ、そうなのか。何か用事だったのかな……。理由は?」

「桐谷提督に呼ばれたらしく、そちらへ行くと。どんな用向きで呼ばれたのかは、聞く暇がなかった」

「……“あの”桐谷に? 妙ね……」


 心の中で涙を流していたら、長門が思い出したように手を打つ。
 ここで聞くとは想像していなかったのだろう。桐谷という名前に、桐ヶ森提督は首をかしげた。
 怒られそうだが、真っ先に感じたのは、不安。
 桐谷提督が電に用事。あの、統制人格を文字通りの道具として認識している人物が。
 何か、面倒なことになりそうな予感がする……。


「把握した。ありがとう、長門。少し歩いてみるよ」

「うむ。……そ、それはそうと、だな……」

「ん? どうした」

「あ……いや、なんでも……」

「うふふ。もう、照れ屋なのはそっくりなんだから。ねぇ提督。後でわたし“たち”とも、ちゃんと踊ってね? 約束よ?」

「お、おい陸奥!? 違うぞ、私は踊りたいのでは……!」

「……? ああ。君たちが嫌でなければ、喜んで。じゃ、後でな」

「アンタ、そのうち絶対に刺されるわよ」

「なんですか、さっきから物騒な」


 急ぎ足にその場を離れ、陸奥からのお願いにも普通に頷いた自分だが、またもやジト目になる桐ヶ森提督。
 なんなんですか本当に。ただ約束しただけでしょうが。
 それよりも、早く電を探し出さないと――


『あ、あの、お止め下さいっ。どうか冷静に……っ』


 ……ん? 今の……。
 脳内に響く緊迫した声は、榛名のものだ。
 鼓膜を揺らさない音。“繋がり”を辿って伝わる、ごく限定的なテレパシーの一種である。
 有効射程は二十m程度だから……ううむ、こっちが優先か。


「すみません、少し寄り道します」

「きゃっ。ちょ、ちょっと、いきなり何よ?」

「SOSです。榛名に何かあったみたいで」

「……仕方ないわね」


 やや強引に、桐ヶ森提督を引っ張って歩き出す。
 迷惑そうな表情を浮かべる彼女だったが、事情を説明するとすぐに納得してくれた。
 “声”を感じた方向へ向かうと、まばらだったゲストたちが、人垣となって行方を遮り始める。
 失礼、と声を掛ければ、海が割れるように道が開き、その先では――


「いい加減に弁えたまえよ。彼女は私と踊るのだからな」

「そちらこそ、分相応という言葉の意味を知らないのか」

「で、ですから、落ち着いて下さいっ。榛名は、あの……っ」


 ――二人の男性ゲストが、榛名を間に火花を散らしていた。
 榛名を意に介さず、と言った方が正確かも知れない。事実、彼女の言葉は耳に届いていない。
 周囲の野次馬も無視するほどヒートアップしているようだ。


「……あー。榛名?」

「どういう事よ、これ」

「あ、提督っ。桐ヶ森様も。それが、その……」

「まぁ、ご覧の通りです。榛名と踊る権利を巡って、諍いが起きているんですよ」


 スチャッとメガネの位置を直し、かい摘んだ説明をしてくれる霧島。
 半ば見世物となっていた榛名は、ただただ肩身を狭くしている。


「最初は、お断りをしていたんです。私なんかよりも、もっと相応しい方がいらっしゃる、と……」

「しかし、なかなか諦めて貰えず、そこへ別の人物が割り込み、話が変わっていって……という具合ですね」


 つまり、声を掛けた手前、引っ込みの付かなくなった男性と、それを止めようとしつつ、榛名に目が眩んだ男性とが、意地を張り合っている訳か。
 ……正直、理解できなくもない。
 金剛の引き立て役に徹するため、彼女たちは地味な、白のワンピースドレスを着ていた。
 飾りといえば、こぶし大のコサージュくらい。比叡は右肩。榛名と霧島は腰の左右に一つずつのみ。質素な印象である。
 だが、それが良いのだ。
 煌びやかに身を飾った女性がゴロゴロしている中に、まるで化粧っ気のない可憐な少女が、控えめに佇む。男心をくすぐろうもんである。
 桐ヶ森提督も共感できるのか、榛名を見て感心しきりだ。


「でも、こうなるのも頷けるわね。こんな美人、滅多にお目に掛かれないんだし」

「び、美人だなんて、そんな……。榛名には、勿体無いです……」

「そんな榛名と同じ様な顔しているはずの私には、なぜか声が掛からないんですけどね」

「……き、きっとメガネ属性が無いだけさ。気にするな霧島っ。今日も良い拡大具合じゃないか、メガネ」

「メガネを褒められても全くもって嬉しくないのですが、その辺はどうお考えで?」

「ごめん。適当過ぎた」


 キランと輝く霧島のメガネ。反射的に腰が九十度を描いた。
 うん、いや、ホントごめんなさい。
 メガネは顔の一部ですって、昔からよく言うじゃないですか。だから喜んでくれるかもって……。
 という言い訳を口に出すか否か、悩み始めた瞬間だった。
 睨み合いを続けていた男性たちが、急に榛名へ振り返る。


「このままでは埒が明かないな……」

「こうなったら本人に選んでもらうしか」

「え」


 解決を見ない問題に、鶴の一声が欲しいようだ。榛名は驚いて後ずさっている。
 ……全く。陸奥は紳士ばかりって言ってたけど、あれは彼女のあしらい方が上手かったんだろうな。
 さっさか事態を収拾するためにも、ここは自分が出るべきだろう。
 そう思い、近くにいたボーイからシャンパンを貰って、口を湿らせ――


「……申し訳ありません! 榛名は……。榛名は、提督のものなんです! ですから、貴方たちとは踊れません!」

「なん……」「だと……」

「ぶふぉあ!?」


 ――ていたのに、思いっきり吹き出してしまった。
 野次馬の皆さんもザワザワ騒がしく、興味津々にこちらを見ている。
 な、なんという、なんという言い方をするんだ! この衆人環視の中で!?


「ごふっ、えふっ……っ。榛名っ、榛名っ! ワザとか? ワザとなんだよなそれは!?」

「間違ってもいませんよね。法律上、私たちの身柄は軍の預かりであり、提督の所有物ですから」

「追い討ちをかける位なら黙っていてくれないか霧島!?」

「……っぷ。ふ、ふふふっ、や、やるわねアンタ……っ」


 なに腹を抱えて笑ってるんです桐ヶ森提督!?
 あなたの同僚の社会的地位が、今まさに直滑降してるんですけどぉ!?


「……そういった理由ならば、致し方ない。引き下がるとしましょう」

「桐林様。何事もほどほどに……」

「いや、待って下さい、そこの名も知らぬ御二方! 間違いなく誤解してますから、榛名の言い方が間違ってるだけですから! ちょっとー!?」


 なんとも言えない微笑みと共に、男性たちは背を向けて歩き出す。
 思わず手を差し伸ばすも、彼らはそのまま人混みに姿を消してしまう。
 野次馬からの視線が、絡みつく。


「おかしい。侮られないよう、実直な軍人キャラでいくはずだったのに、主に身内のせいで化けの皮が剥がれていくぞ」

「ま、諦めなさい。親しみやすいキャラって得難いものよ」

「変に片意地を張るより、素の提督の方が受け入れて貰えるだろうというのが、霧島の分析結果です。問題ありませんよ」

「えっと……。榛名もそう思います! そのままの提督が、榛名は一番だと思います!」

「そりゃどうも……」


 桐ヶ森提督に背中を叩かれ、霧島・榛名からは励まされるものの、ドッと押し寄せる疲労感がキツい。
 確かにさっき、恐れられ過ぎては意味がないって言ったよ? でもさ、これはなんか違わない?
 もうちょっと尊敬を集めるような、そんな親しみやすさって無かったんですか? これじゃあ「“桐”にもあんなのが居るんだ」って感じになっちゃうよ……。


「っかぁ~! 全く、こぉんなに細っこい女に負けるなんて、だらしない男ばかりだね~ですわ~!」


 全力で逃げ出したい衝動に駆られたところに、わりと近くから歓声が聞こえてくる。野次馬の視線もそちらへ。
 このデカい声は、隼鷹か。
 でも、負ける? だらしない男って……何してるんだ!? これ以上うちの艦隊に悪い印象を持たれちゃかなわん! 早急に確かめねば!
 榛名・霧島・桐ヶ森提督と頷き合い、自分は競歩が如き速度で現場に歩き出す。


「ぷっはぁ~。さぁてぇ、あたしと飲み比べしようって気概のある男は居ないのかぁ~いですわ~?
 もし勝てれば、翔鶴だけじゃなくって、あたしも情熱的に踊ってやるよ~ですわ~!」

「隼鷹……。語尾に『ですわ』を付ければ良いってもんじゃないのよ……」

「ホントよ。見た目だけは翔鶴姉並みの美人になったのに」

「申し訳ありません、申し訳ありませんっ。お騒がせして本当に申し訳ありません!」

「大丈夫ですか? はい、お水を……」


 程なく到着したそこには、名状しがたい混沌が広がっていた。
 シャンパンをラッパ飲みする隼鷹と、呆れる飛鷹に瑞鶴。
 ゲストたちへ頭を下げまくる翔鶴の脇で、由良が真っ赤な顔の男性を介抱している。

 ……変だな。ここ、赤坂迎賓館だよね? 仮面舞踏会の真っ最中だよね? なしてこないな事になっとるん?
 もう取り繕うとかそういう段階じゃなくなってる……。キャラ作ろうとしたのは無駄だったか……。
 随分前から素だとか言わないで。


「何をしてるんだ、君らは……」

「お? おぉぉ提督~。いや~このパーティー最高だぜ~ですわ~!
 高い酒が飲み放題ときたもんだ~ですわ~。飲んどかなきゃ損だよ損~ですわ~。
 提督も一緒にヒャッハーしようぜ~ですわ~」

「だから……はぁ。駄目だわ、この呑ん兵衛。早くなんとかしないと……」

「はは……。まぁ、どんな場所でも自分を見失わないのは尊敬できるよ、ある意味」

「駄目よ、なんでも良い方へ考えたら。調子に乗っちゃうもの、この呑んだくれ」


 諦め気分で問いかければ、妙な口調になった隼鷹がボトルを振りかざす。
 ヒャッハーって動詞だったのか。アルコールだから消毒はできそうだけどさ。
 肩を落とす飛鷹も、疲労困憊しているようだ。


「なに言ってんのさぁ~ですわ~。
 あたしみたいなのが一人は居ないと、パーティーだって盛り上がんないっしょ~ですわ~。
 にっへっへ、こう見えても全部、考えあっての行動なんだぜ~ですわ~」

「だからって、普通の人にお酒を勧め過ぎたらダメですよ、隼鷹さん? 急性アルコール中毒とかになったら大変」

「お、由良」


 呆れた言い訳に割り込むのは、介抱を終えたらしい由良。
 困ったような笑顔だが、わりと見慣れちゃってる気がしないでもない。
 ついでに鶴姉妹もやってくる。


「さっきの人はどうした?」

「大丈夫そう。今、同僚の方に付き添われて行ったから」

「そうか。ご苦労様」

「本当に、なんと言っていいか……。私がキチンとお誘いを断れていれば、こんな事には……」

「うーん。なんで翔鶴姉には頭の軽い男が寄って来るのかな。
 多少は仕方ないとしても、ちゃんとした人なら……百万歩譲って、お話くらいはさせてあげても良いのに」


 肩を狭める翔鶴に対し、瑞鶴は腕を組みながら嘆息。保護者か。
 ツインテールを下ろしているからだろう。普段とは雰囲気が違っている。翔鶴もポニテに変わっているし、姉妹が逆転しているような感じだ。
 二人揃って、首筋のラインが、こう……エロい、だと語弊があるな。うん、色っぽくて良ござんす。飛鷹・隼鷹も谷間が眼福でございます。
 そんな脳内品評会がバレているのか、由良はこちらの耳を軽く引っ張りつつ、仕方ない、といった苦笑い。


「ううん。気にしないで、翔鶴さん。こんなこと位でしか、役に立てそうもないから」

「あら、なんだか暗いわね。どうかしたの?」

「………………」


 周囲の騒がしい空気とは、一段下がったように感じる声だった。
 桐ヶ森提督から気遣いを受けると、彼女は逡巡したのち、わずかに目を伏せる。


「提督さん。本当に、私で――由良で良かったのかな。私なんかより、二水戦の旗艦だった神通ちゃんや、他の子の方が適任だったんじゃ……」


 他のみんなには聞こえないよう、由良は小声で言う。
 なるほど。この場に立っている事そのものが、この子にとってはプレッシャーになってるのか。
 控えめな彼女らしい。……けれど。


「史実に重きを置いた考えなら、それもアリだろう。けど、自分が君に期待したのは違う事だ。
 気弱な神通じゃ、言いたいことも言えずに流されそうだろ? その点、由良なら空気を読みつつ、やんわり意思を通せるだろうからさ。
 確かに君は軍艦だけど、軍艦というだけじゃない。鳳翔さんみたく、戦い以外でも活躍できるのを忘れないように。いいな?」


 ただの“軍艦”には出来なかったことが、今の“彼女”になら可能なのだ。
 人としての気配りや心遣い。他にも色々なことが。
 それを伝えたくて、ボレロに包まれた肩へ手を置く。
 ぼう、と見上げるばかりの由良だったが、やがて、小さな微笑みを浮かべてくれた。


「……なんだか、励まされているような、いないような。不思議な感じ」

「え? い、言い方が悪かったかな。あ~……」

「ふふ、冗談。ありがとう、提督さん。そうよね。今の“由良”も、“由良”の一部になっていくんだから、恥じたりしちゃ駄目よね? ……頑張るっ」


 両手を胸の前で握り、可愛らしいガッツポーズ。沈み込んでいた声も、言葉尻が弾む。
 心なしか、周囲の「これが提督かよ」的な雰囲気まで柔らかくなったように感じる。
 そんな気は無かったけど、怪我の功名、マッチポンプ効果ってやつか?
 ここに呼ばれるくらいだから穏健派が揃ってるんだろうけど、助かった。


「そ~そ~、せっかくこの世に生まれたんだぁら、楽しまにゃきゃねっ。よぉしそこの兄さん、あたしと飲み比べしようぜ! ですわ!」

「……けど、急病人を増やされるのは勘弁、かな?」

「あぁあ……。私も飲んじゃおっかなぁ……」


 また一本、シャンパンを飲み干した隼鷹は、手近にいた男性を指名。困惑のまま拍手に押し出される。
 騒ぎの予感を察知した由良が、投げやりとなった飛鷹と共に救助へ向かう。
 ……すみません、「え? いや私は飲めない……」とか言ってる、名前も知らない紳士さん。
 軍人じゃなさそうだし、毒素分解できるの知らないだろうけど、犠牲になって下さい。
 さて。後は翔鶴たちと話して、そろそろ電を探しに戻――


「申し訳、ありません……。五航戦として呼ばれておきながら、一人でお誘いを断ることもできなくて、申し訳ありません……」

「うぉっ。な、なんで落ち込んでるんだ翔鶴?」


 ズゥーン……。
 なんて効果音が聞こえてきそうな、ドンヨリした空気をまとい、翔鶴はうな垂れていた。
 えぇぇ。そんなに落ち込むことか?


「いえ……。もう不甲斐なくて、居た堪れなくて……。どうして、もっと強気な翔鶴として顕現できなかったのでしょうか……?」

「う~ん。強気な翔鶴っていうのも、今となっては変な気がするけど。とにかく大丈夫!
 断れないのは優し過ぎる証拠で、誘いを受けるのも美人な証拠さ。自信持て! 今日の翔鶴は凄く綺麗だ」

「……は、はい。ありがとう、ございます……。綺麗……私が……」


 ちょっと面倒臭くなってきたので、やや強引に誉めそやしてみたが、あんがい効果はあったようだ。
 頬に手を当ててモジモジしている姿なんか、こういう状況じゃなければクリティカルである。


「本当にコイツ性質が悪いわね」

「そうなんですよ、何度言っても自覚無しで。困っちゃいます」

「っぷはぁ~。ありゃ~ある種の自己防衛じゃないのかね~ですわ~」

「なるほど。そういう考え方もありますか。単なる八方美人じゃなさそうですしね」

「霧島、そんな言い方……。提督はお優しいだけで……」


 アイリたんウルサイ。飛鷹も隼鷹も黙っとれ。良いじゃん喜んでるんだから。
 どうせ自分なんか、好意は持って貰えても、最終的に良いお友達で終わるんだし。嫌われるよりゃマシだっての。
 それに引き換え榛名はいい子だねー。さっきの失言チャラだよ、うん。


「っていうかさ。翔鶴姉の性格を考えたら、むしろ留守番してた方が良かったと思うんだけど。駄men's誘引体質もあるし」

「自分の姉をそんな風に評価していいのか。仕方ないんだよ、翔鶴型――翔鶴も君も、指名組みだからな」


 腕をツンツン突っついてくる瑞鶴に、自分はそう説明する。
 総勢二十一名。当初の予定よりもかなり多くなった出席数だが、そのうち、指名された数は少ない。
 長門、陸奥、赤城、加賀、瑞鶴、翔鶴。
 この六名が、桐谷提督から連れてくるよう厳命された、最低限の指名組みである。
 昔から人気があり、なおかつ現代においても艦隊の定番とされる六隻を選んだ、という訳だ。
 推奨は十隻程で、それ以外は自由にして下さい――との事だったので、結局こんな数になってしまったが。言われた通りにするのもなんか悔しかったし。
 ともあれ、自身が出席を請われた身であるというのが嬉しかったのか、瑞鶴は身長のわりに薄い胸を張る。


「そうなの? ま、なんと言っても翔鶴型だもんねー? 期待されちゃうのも理解できるわ! どこぞの頭デッカチな元戦艦とは違うんだから!」

「あら。赤城さん、あちらに見事な七面鳥の丸焼きが。平らげに行きましょう」

「ちょっとそこの一航戦! 通りすがりにおちょくってんじゃないわよ!?」


 んが、最高のタイミングで通りかかった加賀の一言に、ドレスのおかげで大人びた雰囲気も木っ端微塵だ。
 赤城と翔鶴が「申し訳ありません……」とお辞儀しあっているのが、なんとも。時期的にターキーはあってもおかしくないけど。
 聞かれたら爆撃されそうな表現もしちゃったし、ここは黙っておこう。


「あの……。ところで、提督? お気づきでしょうか?」

「ん? 何をだ、翔鶴」

「はぁ、ふぅ……。アレでしょ、アレ。あそこの柱の影」


 しかし、翔鶴は何やら言い辛そうに言葉を続け、「キィーッ!」と鶴なのに猿っぽくなっていた瑞鶴が、とある方向を指し示す。
 ホール中央から反対側。
 一段高くなり、腰を落ち着けられる歓談席の一角には――


「ングギギギギギィ……ッ。ワタシの、ワタシのテートクと腕を組んでHallを練り歩くだなんてぇぇ……。EnvyのFlameがメェラメェラとぉおぉおぉぉ……」

「お姉さま、止めましょうよぉ……。こんなこと言いたくありませんけど、周囲の皆さんの目が痛いです、辛いです、恥ずかしいですぅ……。あ、柱にヒビが」


 ――文字通り、柱にかじり付く金剛と、その後ろでアワアワする比叡が居た。
 うわーい。まるで双胴棲姫みたいなドス黒いオーラですねー。
 近くに座ってる中将とか、ちとちよ姉妹がドン引きしてるよー。


「……飛鷹。由良。自分は向こうへ行ってくるから。隼鷹を抑えといてくれ……」

「無理だと思うけど、了解したわ」

「提督さん、気をつけて……」

「面倒なことになりそうね……」

「一応、お供させて頂きます」

「榛名も参ります」


 飛鷹たちに見送られ、自分たちは四人で歓談席へ向かう。
 響いてくるクラシックが段々と小さくなり、代わりにズモモモモ……と圧迫感が強まってきた。
 柱から半分だけ覗く顔は、暗がりで光る猫の瞳のようだ。
 ここまで来たらどうしようもない。
 覚悟を決めろ。男になれ。いざ、戦いの時は来たれり!


「あ~………………中将っ、みんなのエスコートありがとうございました!」

「ほ? う、うむ。気にすることはないぞ。うむ……」

「ってこっちに来るの!? アレは、金剛さんは!?」

「いやだって千代田……」


 ゴメンやっぱ無理。ワンクッション挟ませて。
 金剛の方に向かうと見せかけ、自分は直角に身体の向きを変える。座って葉巻を楽しんでいた中将に、だ。
 ズッコケたらしい金剛&比叡が柱から飛び出し、千代田が凄い勢いで突っ込んでくる。背後の同行者三名からも、思いっきり睨まれている気配。
 だって、取って食われそうな雰囲気なんだもん……。もうちょい心の準備がしたくてさ……。


「だってじゃありませんよ? 提督。ほら、今にも泣き出しそうな顔に」

「う。行かなきゃ駄目……だよな……」

「当たり前じゃろうて。おなごを焦らすのは色男の特権じゃが、泣かせるのは頂けん。のう?」


 千歳に叱られてションボリしていると、中将が、両隣に控えていた女性たちへ話を振る。
 揃いの礼装でビシッと決めた彼女たちは、その言葉に迷いなく肯定を返した。


「はい、豪志様。伊勢もそのように思います」

「桐林様。戯れも程々になさいますよう」


 伊勢、と自らを指す女性は、たおやかに長い黒髪を揺らしつつ。
 ざんばら頭の様でいて、実は切り揃えられているらしい、短い髪の女性が窘める口調で。
 双胴棲姫戦でも見かけたが、間違いない。この二人が、中将の。


「あの、貴方たちが……?」

「申し遅れました。豪志様にお仕えさせて頂いております、航空戦艦・伊勢と申します」

「同じく、日向と。どうぞお見知り置きを」

「ああ、これは御丁寧に。桐林です。よろしく」


 立ち上がり、伊勢さんと日向さんが敬礼を。
 慌ててこちらも敬礼で返すと、脇から桐ヶ森提督が入ってきた。


「相変わらず堅っ苦しいわね。服もいつものままだし」

「はい。わたくし共は、豪志様の従士に過ぎませんから」

「華美な装飾など不要かと。桐ヶ森様は、ますますお美しくなられて」

「はいはい、お世辞をどうも」


 気心が知れているのか、三人のやり取りには遠慮がないように思える。
 少なくとも桐ヶ森提督は、今まで話してきたお偉方への対応とまるで違う。砕けた表情が仮面越しにも分かった。
 千歳・千代田にとっても意外なのか、二人は顔を見合わせる。


「私、他の方の感情持ちを初めて見ました」

「うん。そうじゃない子とは何度もすれ違ってるけど。でも、ワタシたちとあんまり変わらないよね?」

「そうね。お話ししていて楽しいし、中将への気配りが凄くて。負けてられません!」

「そこで張り合うのか……」

「純粋な経験値の違い、でしょうか。情報によれば、伊勢さんがほぼ十年。日向さんは八年ほど前に“目覚めた”らしいです。実働期間は更に長いとか」

「榛名たちよりも、ずっと先輩なんですね」


 変なところに闘志を燃やしている千歳はさておき、霧島が細かい情報を補足。榛名も尊敬の眼差しで航空戦艦二人を見つめる。
 十数年間の長きに渡って戦い続け、数多の戦果を上げてきた、歴戦の古強者。敬意を抱いてしまうのも自然なことだ。
 ところが、そんな二人の主である中将は、「はっはっは」と大らかに笑ってみせる。


「十年近くもすれば、人に似て当然じゃ。特別な事でもなかろう。ワシにとっては……親戚の娘みたいなもんじゃよ」

「自分の娘とは言って下さらない、微妙な距離感がミソです」

「手を出して下さらないのは悩みの種ですが」

「ふふっ、愛されてますね。法的に問題なんてないんですから、御自分に正直になっては?」

「やめんか、桐ヶ森まで。そういう事はおぼこ娘を卒業してから言うんじゃな」

「やだ。中将? セクハラですよ」

「豪志様、いけません」

「そういう事はわたくしたちにして下さらないと」


 ……なんだか、本当に普通の女の子だなぁ。
 伊勢さんなんて、「ミソです」で人差し指を立ててウィンクしてるし、日向さんは真剣に悩んでそうだし。
 桐ヶ森提督とジェットストリームアタックを決める姿とか、実に楽しそうである。
 同じ感想を抱いたのか、千代田もクスクス笑っていた。


「みんな楽しそう。提督が伊勢型を励起したら、どんな子になるかな」

「どうなるかなぁ。扶桑や金剛、長門たちも個性的だし、予想がつかないよ」

「いっそ、旧軍の船をぜーんぶ励起しちゃえば? ハーレムとか作れちゃうかも?」

「だから無理だって。横須賀も一杯一杯で、場所の確保が難しくなって来てるんだから。というか、自分の励起上限もまだ見えてこないし」


 両手を広げてアピールする千代田だが、こればっかりは、自分一人でどうにかするのは難しい。
 場所の確保は拡張工事が追いついていないだけだけど、特に励起上限の方が問題だ。
 傀儡艦も無限に増やせる訳じゃなく、上限が存在する。
 個人差が大きすぎて測ることは出来ないのだが、一定数まで励起を重ねた能力者は、ある日を境に、突然励起することが不可能になる場合があった。
 励起障害と呼ばれるこれが理由で、能力者は励起になんらかの代償を払っているのではないか……という説もあるのだが、やっぱり詳しいことは不明。
 現在の最大励起数は、桐谷提督の一○八隻。“梵鐘”の二つ名はここから来ているとされている。
 自分も最初期に肝を冷やされただけあって、二度と味わいたくない症状なのだが、船を増やし続けるとしたら、いずれまた……。
 不安が顔に出ていたか、千歳が腕に手を添えてくれる。


「難しい問題ですね……。けど、提督? それ以上の難題がすぐそこに。ほら」

「あ」


 そのまま身体の向きが強制的に変更され、向き直った方向には、膝を抱えて暗黒星雲を頂く金剛が。
 やっべ。すっかり忘れてた。比叡がメッチャ睨んでる……。


「司令。ヒドいです、最低です、外道です! 少しはお姉さまの気持ちを考えてあげて下さい!」

「ご、ごめん。あの、無視するつもりとかじゃなくて……」

「つもりもイモリもヤモリもありません!
 見てください、お姉さまったら紙ナプキンにへのへのもへじをボディ付きで書いてるんですよ!?
 無駄にクオリティが高くておいたわしい……っ」

「提督。意外と大丈夫そうとか思っちゃいけませんよ? 金剛さんは真剣に落ち込んでるんですから」

「まだ何も言ってないぞー千歳ー」


 差し出された紙切れを受け取りながら、釘を刺そうとする千歳にジト目を。顔そむけられた。


「良いんデス……。
 たとえ邪険にされようト、面倒臭そうな顔をされようト、ワタシはテートクを愛していられればSatisfactionデース……。
 いっそ放置Playだと考えれば……。フヒ、フヒヒヒヒッ……」


 一方、金剛は不審な笑い方で周囲の注目を集めている。
 ただでさえドレスに気合が入り過ぎて声掛けにくかったのに、拍車が掛かって触れたくない。
 こんな表現かわいそうだけど、結婚式当日に、花婿に逃げられた花嫁的な雰囲気である。
 マズいよなぁ、このままじゃ……。自分のせいなんだし、どうにかしなきゃ……。


「……こ、金剛」

「スンッ……。なんですか、テートク……。ワタシは今、テートクの絵を描くのに忙しいんデス。放っといてくだサイ」

「人物画だったのかそれ」


 そうっと手元を覗き込んでみると、彼女は膝の上に置いた紙ナプキンへ、筆ペンで絵を描いていた。へのへのもへじ@ボディ付き、だ。
 なんだよそれ。もしかして君にはそう見えてるの? だとしたら真剣に落ち込むんですが……。


(……ん? この曲……)


 どうしたもんかと考え込んでいたら、耳に微かな音楽が届いた。
 またしても曲目を変え、演奏を始めたそれは、疎い自分でも知っている定番曲。
 チャイコフスキーのくるみ割り人形、第二幕。花のワルツの前奏である。ダンス練習でも使ったし、直ぐに分かった。
 ……そうだ!


「金剛。手を」

「手……? あっ」


 金剛の前に回り込み、ちょっと芝居掛かった感じで手を差し出す。
 反射的に伸ばしたのだろう、彼女の手を掴んだ自分は、有無を言わさず歩き出した。
 無数の視線を引き連れ、立ち止まったのはダンスホールの中心。
 前奏が終わりそうなタイミングで、自然とペアを組む。


「な、ちょ、え? テートク? What Happen?」

「説明する必要は無いと思うんだけど、この状況」


 ゆったりとした滑り出しに合わせ、二人でステップを刻むが、金剛の顔は面白いほどテンパっていた。
 自分としても衝動的な行動を取っちゃったけど……。やってしまったんだから仕方ない。ダンスに集中しよう。


「えっと、デモ……。テートクが最初に踊るのは、Miss桐ヶ森だって周りのPeopleも……」

「そんなの、みんなが勝手にそう思ってるだけで、従う義理なんてないさ。自分は今、金剛と踊りたい。……この理由だけじゃ、ダメか?」


 大きく円を描きつつ、動揺を隠せない彼女へ、少し強引な攻めをしてみる。
 こういうのは理屈じゃない。
 案ずるより産むが易し。兵は拙速を尊ぶ。行動しなかった後悔より、行動した後悔の方が経験になる、とも言うのだ。


「なんだか、いい様にゴマかされてる気がしマース……」

「違うって! 自分は……純粋な下心からだな?」

「フフッ、なんデスかそれ~」


 腕の中でクルリと一回転し、表情は困惑から笑顔へと。
 盛り上がる旋律に導かれ、ステップも大胆に。
 いつの間にか、周りの事など気にならなくなっていた。


「仕方ないデスね~。今回は騙されてあげマース。その代わり、Dance中はワタシだけを見てくださいネ?」

「承りました、お姫様」


 手に手を取り合い、微笑み合い。
 自分と金剛は、束の間の非日常に、心と身体を躍らせる。
 広大なダンスホールを、二人だけの舞台として。
 





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「あー、シンドい、疲れる……」


 バシャリ、と水音。
 やたら広いトイレの鏡に映る素顔は、水も滴る三枚目、といった所か。
 金剛とのダンスから、約二時間。パーティーの開始からは四時間ほどが経過した頃。
 自分はホールを抜け出して、深い溜め息をついていた。


「金剛のヤツめ、二回もダンスお代わりとか……。まぁ、みんなとも踊れたし、それは良いんだけど」


 理由は単純。疲れたからである。
 ダンスを一頻り楽しんだ自分と金剛は、ゲストたちの注目の的となっていた。
 美しい純白のドレスに身を飾る、華やかな笑顔の似合う少女と、桐ヶ森提督いわく、仮面を付ければ二枚目な“桐”の一人。嫌が応にも視線を攫ってしまう。
 演奏と演奏の間にある静寂が、緊張感を孕んでいた。玉の輿やら何やらを狙う女性たちは、互いを牽制しあって動けず……。
 そんな場を制したのは、島風の「金剛さんズル~い!」という声。
 彼女を切っ掛けとして皆が集まり、兼ねてからの作戦を実行する機会が巡ってくる。
 簡単に言うと、艦隊のみんなと踊りまくっていたら、他の女性と踊る時間がなくなっちゃったよ! 作戦だ。

 島風から始まって、雪風や時雨の駆逐艦組み、足柄や由良、二度目の金剛を含む四姉妹に、空母の姉妹たち。長門型の二人を最後とし――たかったのに、金剛三度目のおねだり。
 途中、ダンスの中で相手を変える……なんだっけか。
 とにかく、そういう手法も取り入れたと言えども、一曲七分弱かけるの十数回。
 赤城や加賀を抜いた分が、金剛の「one more set!」のせいで無駄となり、二時間近くを踊りまくったのである。あんなのお姫様じゃなくて軍曹だよ。
 加えて、吹雪には足を踏まれまくったし、足柄は踊りつつ戦術談義始めようとするし、隼鷹はメチャクチャ酒臭かったし、翔鶴と楽しく踊った後の瑞鶴は妙に不機嫌だったし、長門はやけに緊張して何度も転びそうになるし。
 これで疲れない方がおかしいだろう。
 ……しかし、真に気を重く、疲れさせるのは別の事柄だった。


「んぁあ゛あ゛、面倒臭いぃぃ。桐ヶ森提督だけならまだしも、見知らぬ女性と何回も踊るとか、胃がおかしくなるっつーのぉ!」


 時計の針は、そろそろ長針と短針が天辺で重なり合おうというのに、パーティーは終わらないのである。
 主賓である自分が帰るわけにもいかず、桐ヶ森提督や女性ゲストとも踊らなきゃいけないし、オマケに桐谷提督はかなり前から姿が見えない。そして、電も。
 ストレスと不安。苛立ち任せに、トイレの中心で鬱憤を叫ぶ。
 すると、背後の個室ドアが音を立てて開き始めた。
 うそ!? 誰か居た!?


「……ぶぉっ、や、梁島提督?」


 なんとか仮面で顔を隠し振り向くと、そこには“あの”梁島提督が居た。
 ムスッとした強面でズンズン歩き、隣の洗面台で手を洗ってから、彼はこちらに向き直る。


「お初にお目にかかる。噂は予々」

「それは、どうも……。あの、自分も梁島提督のお噂は……」


 慇懃な挨拶に、自分はしどろもどろになりつつ、なんとか返す。
 初顔合わせがトイレってどうよ! なんか薔薇の匂いが漂ってるぞ!? あ、芳香剤か。
 ええいまずは落ち着け自分っ。
 ……思い出した、この人も海軍の双璧なんだし、あの人のことを聞いてみよう。


「あ~、え~……。そ、そういえば、先輩――兵藤提督を見かけませんでしたか? 出席してるはずなのに、姿が見えなくて……」


 そう。こういった場でも、ハッチャケて周囲を掻き回しそうなトリックスター、先輩を見かけていないのだ。
 出席者名簿には載っているはずだし、あの人なら我先にちょっかいを掛けてきそうなのに。
 先輩の人となりを知っているなら、誰もが抱きそうな疑問をぶつけると、梁島提督はムッツリ顔のまま答える。


「あれは、例によって隠れているのでしょう。こういう場では、真っ先に標的とされるゆえ」

「標的?」

「縁談話の他に何か?」

「あ、あぁ……なるほど……」


 言われてみれば、思い当たる節があった。
 桐ヶ森提督とホールを練り歩いていた時、先輩の居場所を尋ねられることが数回あったのだ。
 自分と先輩の師弟関係は周知の事実だし、その関係かと思ってたけど……。
 変態成分をフィルターすれば、油の乗った妙齢の美女。天が二物と言わず、三つも四つも与えた才媛ぶりは、一般にも知られている。
 能力者は能力者と結ばれるのを推奨されているが、あわよくば……と思う人物も少なくないだろう。
 ……どうしよ。電もだけど、先輩のことも心配になってきたな……。


「ええと、あの……」

「失礼。人を待たせているので、続きはまたの機会に。では……あぁ、肩にゴミが」

「え。は、はい。ありがとうございます」


 嫌な沈黙に、どう二の句を継ごうか思案していたら、梁島提督がそれをブった切る。
 仮面を着け直し、すれ違いざまにこちらの肩を払った彼は、振り向きもせずトイレを出て行った。
 ドッと、途方も無い精神的疲労感が襲ってくる。


「もうヤダ。なんなんだよこのパーティー。お家帰りたい。どこ行ったんだよ電ぁ……」


 きゅー。


「うんうん、分かってくれるのは君だけだよ――って、フェレット?」


 思わず頭を抱える自分を慰めてくれたのは、なんとも場違いな小動物だった。
 きゅい? と可愛らしく鳴き、首をピョコピョコさせている。


「なんでトイレにフェレットが……。来客のペットか?」


 腰をかがめ、視線の高さを合わせてみると、フェレット君は素早っこく洗面台を歩き回る。
 灰色の毛並みが光沢を放ち、首元には小洒落た首輪まで。少なくとも、野生って事はないだろう。
 警戒……はしてるみたいだけど、興味もありそうな。小さい頃のヨシフや、オスカーと同じ感じだ。


「とりあえず、警備の人にでも預ければ良いか。ほーれ、おいでー」


 いい加減、ホールにも戻らなくちゃいけない。その時にスタッフへ頼めば、飼い主を探してくれるはず。
 そう考えた自分は、フェレットに向かって手を差し出す。
 何度か指先の匂いを嗅いだ彼は――ひょっとしたら彼女かも知れないが――そのまま腕を駆け上り、肩の上を定位置とした。
 人間に慣れてる。賢い子だ。飼い主さんは心配してるだろうなぁ。


「さて。戻る前に預けられる人を探し――」

「あ」

「ん?」


 フェレット君の顎先をくすぐり、男性用トイレを出た、まさにその瞬間。
 通り掛かったらしい見知らぬ少女が声を発した。
 十一か十二くらい、だろうか。明るい茶髪を短めに切り揃え、整った顔立ちと大きな瞳が、将来有望なのを思わせる美少女だった。電には劣るけどな! 
 ビックリしただけかと思いきや、その視線は自分の肩に向けられ……。


「もしかして、この子は君の友達――うぉあ」


 しゃがみ込み、フェレット君を抱いて差し出すと、その少女はひったくるような勢いで奪い去り、廊下の曲がり角に消える。
 な、なんだよ。失礼な子……あ、自分が攫ったと勘違いされたか?
 マズいなぁ……。弁明しようにも、少女を追いかける仮面の男とか、不審者 兼 変質者だし……。


「あ、の。あり、がとう……ございます。見つけて、くれて」


 ――と、頭を掻いている自分に対し、また小さな声が。
 角からヒョッコリと顔を出すのは、先ほど逃げ出した少女。胸にフェレット君を抱えている。
 やっぱり、この子が飼い主で間違いなさそうだ。
 随分と上等なドレスを着てる。フリフリだけどケバくない、絶妙なバランス。軍関係者の家族か、社長令嬢かも。


「どういたしまして。お父さんかお母さんと一緒に来たんだよね。送っていこうか」

「んーん。平気、です。ありがとうございます、桐林、てーとく」

「へ。なんで……」

「お父様から、よく聞いてたから」

「お父様……。君は、一体……」


 膝をつき、出来るだけ優しい声音で話しかけてみると、意外にも名前を呼ばれた。
 それだけなら、最初の挨拶を聞いていたんだろうと考えられるが、しかし少女は「お父様から」と。
 あり得ない。他人に言葉で説明して理解させるほど、自分とよく接触する人物が居たか? ましてやその娘さんだなんて……。


「わたしは、眞理。千条寺、眞理……です。初めまして」


 困惑に眉をひそめれば、答えもまた、可憐に一礼する少女から与えられた。
 千条寺。桐谷提督の本名。ってぇ事は、桐谷提督の娘? この子が!?


「眞理ちゃん、エイちゃんは見つかったので……司令官さん?」

「うん。エイブラハム、見つかった。桐林てーとくが、見つけてくれて」

「電?」


 横合いからの、聞き覚えのある声がした。反射的に振り向くと、探し求めていた電が、少女に駆け寄る所だった。
 その背後には、悠然と歩く熊男――もとい、桐谷提督。
 ……失礼だから脳内に留めるけど、全っ然似てねぇ!! どこをどうすれば、こんなちっちゃくて可愛い子が!? っていうかフェレット君の名前が渋すぎない!?
 い、いやいや、まずは電だ。適応されないメンデルの法則なんか置いとこう。


「ずっと探してたんだぞ。今までどこに居たんだ?」

「あぅ、ごめんなさいなのです。電は……」

「怒らないで下さい、桐林殿。私が頼んだのですから」

「へっ。あ、あぁ。確かに長門がそんな事を言ってました。でも、どうして……」


 シュンとする電を庇うのは、意外にもほどがある桐谷提督・低音バージョンだった。
 そういえば、電は桐谷提督に呼ばれたんだっけか。
 でも、なんだって電を呼ぶ必要が……?


「実は今日のパーティー、この子のお披露目というか、社交界デビューも兼ねていたんですが。
 ご覧の通り、引っ込み思案な性格でしてね。土壇場で人前に出たくないと駄々を……」

「あ~、なるほど。桐谷提督は出ないわけには行けませんから、彼女の相手が必要だった、と」

「そういう事です。立場上、絶対に信用できる相手にしか預けられませんしね。
 電さんは見た目の歳も近く、伝え聞く性格、能力からして適任でした。
 一声掛けてから、とも思ったのですが、お忙しそうでしたもので。私も急に雑務が……」

「う」


 桐谷提督からの説明に、チクっと痛む胸。
 うん。まぁ。忙しかったんですけど。電を探すの、実は忘れがちだったんですけども。
 仕方ないじゃないですかっ、次から次に騒ぎが起きるんだから! 自分のせいじゃないやい!


「しかし、その様子では一段落ついたようですね。どうですか? 今度は女性の相手ではなく、わたしの相手でも」

「……えっ。ままままさか、そっちの趣味も……?」

「ははははは。娘の前で滅多なことを言わないで貰えますか。怒りますよ」

「すみませんでした」


 またもや予想外なお誘いに、思わず素で返してしまうが、笑顔の裏には青筋が見えた。速攻で頭を下げる。
 眞理ちゃんがクスクス笑って、電も苦笑い。
 和やかな雰囲気のまま、桐谷提督は背中を向けつつ趣旨を語った。


「貴方とは一度、腹を割って話をしたいと思っていたんですよ。さ、行きましょう。上に貴賓室があります。そこなら邪魔されません」


 言うが早いか、大きな背中が遠ざかる。
 それをピョコピョコと小さな少女が追い、自分と電は顔を見合わせた。
 断れそうもない? なのです。
 言葉も無しに意思を通わせ、二人、チグハグな大きさの親子に着いて行く。

 一体、どんな話をするつもりなんだろう……?










《こぼれ話 間桐提督の転機》





「豪志様。準備が整いました」

「うむ」


 襲名披露宴が無事に終わって間も無く。
 迎賓館を後にした吉田は、帰りのリムジンの中、伊勢に通信機器を用意させていた。
 自らの時と同じように、披露宴を欠席した問題児――間桐と話をするためだ。


「……出んのう」

「いつもの様に、まだお休みなのではないかと」


 しかし、ノートPCに似たそれの呼び出し画面が、いつまで経っても終わらない。
 日向の言う通り、まだ寝ている可能性が高かった。
 というのも、間桐は生活時間が昼夜逆転しているからだ。眠りにつく時間すら不規則で、伝言を残す羽目になるのがほとんど。
 先の戦いの疲労も抜けているだろうに、相変わらずの自堕落さ。吉田はしかめっ面を浮かべる。
 と、そんな時、画面に変化が起こった。
 コンクリートの壁が映し出されたのである。間桐の私室に間違いない。


「む、繋がったか。珍しく早起き――」

「はーい」「どちら、様?」

「――ぬぉ?」


 だが、返事をしたのは別の人物であり、吉田の顔がひょっとこのように。
 それもそのはず。瓜二つの容姿を持つ幼い少女が二人ほど、画面一杯に映し出されたのだ。


「お、おヌシらは、一体……?」

「なっちゃんだよー!」「むっちゃん、です」


 セーラー服を着る双子は、なっちゃんと名乗った方が元気よく、むっちゃんと名乗った方が控えめに手を挙げた。
 襟元のタイが解けているのがなっちゃん(仮)であり、黒髪のショートカットが溌剌さを伺わせる。
 一方、むっちゃん(仮)はタイを蝶々結びとし、日本人形が如く切り揃えられた長い黒髪は、文学少女の印象を与えていた。
 頭のてっぺんでピョンと跳ねる一房――いわゆるアホ毛が共通点か。
 年は……多く見積もっても十二が限界だろう。入学式前に、小学生が背伸びをしてみたような微笑ましさだ。
 しかし、吉田は彼女たちに強い違和感と危機感を覚えていた。


(どこかで見た……。間違いなく見覚えがあるというに、“何か”が致命的に違っておる。一体どこで?
 いや、それより。調整士ですら立ち入らせぬ部屋に、このような少女がおるとは、どういう事じゃ?)


 記憶にある朧気な影と、画面の中に居る、活き活きとした少女たち。驚きのせいで差異はスッキリしないものの、無視しようと思えばできる。
 より大きな問題は、なぜ間桐の部屋に居るのか、だった。よもや大艦巨砲主義を拗らせ、児童買春に手を出したのでは……?
 そうだった場合、法的後見人として厳罰を処さなければならない。
 腕白でも良い。たくましく育って欲しいと密かに願っていた吉田は、もう恥ずかしいやら情けないやらで、頭が一杯一杯である。
 そんな彼へ助け舟を出すのは、どんな時でも冷静沈着な伊勢と日向だ。


「豪志様。この子たちはおそらく……」

「間桐様の長門と陸奥、ではないかと」

「……は。い、言われてみればそうか。いかんな。気が動転しておった」


 いつの間にか滴っていた冷や汗を拭い、吉田は襟を緩める。
 間桐の長門型。キーワードにより記憶の引き出しが開き、ようやく合点がいった。
 キスカ・タイプ――桐林曰く、双胴棲姫との戦いの時点では、全く同じ服装と髪型で揃え、唯々諾々と命令に従うだけだった二体の統制人格が、二人の少女に。
 これ即ち、感情を得たという事に他ならない。
 しかも彼女たちは、長年の経験から表情豊かとなった伊勢たちに比べても、遜色のないレベルと見受けられる。非常に珍しいケースだ。


「長門に陸奥よ。おヌシら――」

「なっちゃん」「むっちゃん」

「……ん?」

「だから、なっちゃん!」「むっちゃん、です」


 まずは確認をと思い、二人へ問いかける吉田だったが、その言葉は当人たちに遮られた。
 こう呼べという意思表示なのだろう。
 奇妙な沈黙が続く。


「な、なっちゃんに、むっちゃん、か」

「はーい!」「なんです、か?」

「……なんじゃ、この言い知れぬ気恥ずかしさは」


 根負けした吉田が名前を呼ぶと、二人はまた元気よく、かつ控えめに挙手。
 まるで初孫を愛でるかのような感覚に、緩む頬を隠すのが大変な吉田だった。
 そんな姿を見て、伊勢たちまで「わたくしは、いっちゃん?」「ひっちゃん、いや、ひーちゃん……」と。まこと、少女らしい統制人格たちである。
 しかし、このままでは話が始まらない。吉田は大きく咳払いをし、軌道修正を試みた。


「おっほん。まぁともかく、ワシのことは分かるかの」

「うん、分かるよー」「パパの、パパ」

「パパ、じゃと?」


 久しく呼ばれた覚えのない呼称に、不覚にも目を丸くしてしまう吉田。
 パパのパパ。パパというのが間桐だとするなら、彼女たちは、吉田を間桐の父親だと認識していることに。
 判断基準は、高確率で間桐の記憶。という事は間桐自身も。口を開けば悪態しか吐かない、あの間桐が。
 嬉しさ半分、驚き半分。硬直した顔のまま、吉田は続ける。


「間桐は、寝ておるのか?」

「……? パパのこと?」「うん、寝てる」

「すまんが、通信機をヤツに近づけてくれんかの」

「はーい!」「よい、しょ」


 画面から少女たちが消え、ガサゴソと音を立てながら、映像が揺れた。
 空のペットボトルや、重ねられた配膳トレイが散乱する小汚い部屋を、通信機が移動。簡素なベッドの上に丸まった、シーツの塊を映し出す。
 寝相の悪い間桐の癖だ。


「間桐。ワシじゃ、起きろ」

「……ぐが、しゅー。……ぷぴー」

「間桐っ、間桐っ!」

「……んごっ……しゅこー。……ぶるすこふぁー」

「起きないねー」「お寝坊、さん」


 ベッドの上に置かれたPCから、吉田は根気強く呼びかける。
 が、ミノムシは一向に目覚めようとしない。画面外では、なっちゃんとむっちゃんも呆れている模様。
 暢気すぎる寝息にイラっとし、吉田が大きく息を吸い込んだ。


「起きんかミナトォッ!!!!!!」

「ぬへぁおぅ!?」

「ひゃうっ」「び、っくり」


 この世で、吉田一人にしか呼ばれない名前の効果か。ミノムシがガバッと上体を起こした。
 顔は隠れたままだが、キョロキョロと頭を振っていることから、かなり驚いているのが分かる。


「……んだよぉ、まだこんな時間じゃねぇか。起こすんじゃねぇよ糞ジジィ……」

「ぬかせ小童が。昼夜逆転しとるのが全面的に悪い」


 まぁ、それも数秒。例によって年寄りのお節介だと理解した間桐は、猫背になりながら大あくび。
 対する吉田までもが、遠慮のない言葉で返した。恒例のやり取りに、伊勢・日向がニコニコしている。


「ところで、まだ気付かんのか」

「んぁ? 何が……長門に陸奥? なんでこんなトコに……」

「なんでって、いちゃダメ?」「パパの側に、居たいです」

「誰がパパだ。変な呼び方すんじゃねぇよ。あぁ、起きたら腹が減っち喋ったぁああぁぁあああっ!?」

「流石は間桐様」

「見事なノリツッコミではないかと」


 吉田に示された間桐は、部屋を見渡して二人の少女を見つけると、平然と会話しつつベッドを転げ落ちた。ミノムシを吊るしていた糸が切れたようだ。
 コントのような一幕に、今度は拍手が送られる。


「のぇ、あ、ぬ、ぉ、は? なななななな、なんで? 何が起きてんだよじーちゃん!?」

「落ち着けミナト。ワシが聞きたいくらいじゃ。おヌシに連絡したら、既にこの状態じゃった」


 かつてない程に慌てふためき、知らず素に戻る間桐。
 吉田の声で段々と落ち着きを取り戻す彼は、信じられないという感情を、喉の震えに乗せる。


「マジで、俺の長門と陸奥、なのか」

「違うよ」「違い、ます」

「は? 違う?」


 てっきり肯定が返ってくると思っていた間桐は、思わず首をかしげる。シーツの中でも、怪訝な顔をしているのが伝わってきた。
 それを無視するように、少女たちは通信機の向きを変え、パタパタと全身が映る距離に離れる。
 肩幅に脚を開き、頷き合った彼女らは――


「わたしが、長門型戦艦一番艦のなっちゃん! で……」「二番艦、むっちゃんです」


 ――高貴なる輝きと共に、大き過ぎる艤装を召喚した。
 背中には、身体を覆い隠さんばかりの機関部。
 そこから身の丈と同じ長さを誇る、折り畳み式の四十六cm単装砲が四基伸びる。組み上げた状態なら、身長の二倍はあるだろう。
 事実、なっちゃん――長門が右手で、むっちゃん――陸奥が左手に構えるそれらは、天井を擦ろうかという所だ。

 小さな体躯に似合わぬ、巨大な艤装。
 間違いなく、この二人が統制人格である事が証明される。
 が、間桐は別な所にツッコミを入れたくてしょうがなかった。


「……いや何が違うんだよ同じじゃねぇか! けっきょく長門と陸奥だろっ」

「ちーがーうーのー」「ちゃんと、呼んで」

「チッ、面倒クセェ……。絶対そんな呼び方しねぇぞ、オレは」


 しゅぽん。と艤装を消し、上目遣いに詰め寄る長門と陸奥を、間桐は無下に扱う。
 画面の上から白い手が入り込み、「シッシッ」と振られた。少女たちの目が潤む。


「……なんで?」「むっちゃんたちの事、嫌いですか?」

「あぁ? 知るかンなも――っておぃぃい!?」

「ふ……ぐすっ……うぇぇぇ……」「パパに、嫌いって、言われた……」


 気怠げな声であしらおうとした間桐だったが、俯いた二対の瞳から溢れる涙に、慌ててベッドを降りる。
 入院着のような寝巻きを着る、男性の後ろ姿。首から上だけが絶妙に見切れていた。


「な、泣くんじゃねぇよぉおお!? 言ってない、嫌いなんて言ってねぇだろぉ!?」

「ミナト。見損なったぞ」

「間桐様、伊勢は怒っていますよ」

「下郎に成り下がりましたか。介錯は必要ですか」

「外野は黙ってろやクソがァアア!!」


 外野から良い様に罵られ、振り返る間桐の拳は震える。
 相変わらず見切れる彼の顔を想像しつつ、しかし吉田は思案を巡らせていた。


(どうなっておる? 陸奥だけならまだ分かるが、どうして長門も)


 間桐の陸奥は、すでに実働期間が八年を越えている。感情を得るに相応の経験は積んでいた。だが、励起して間もない長門まで、こうして涙を流し……。
 これでは、桐林とほぼ同じだ。間桐の能力が新たな側面を得たのだろうか。いや。もしかすれば、双胴棲姫を撃破した事が関係しているのやも。
 思考を巡らせ、幾つもの仮説を立てる吉田だが、いかんせん、確証がない。
 もどかしい気持ちを、ホームコメディの鑑賞に誤魔化すしかなかった。


「……く、ぐぅ……っ。よ、呼ばねぇ、絶対に呼ばねぇ、けど……」

「ひっく。ひっく……」「……ぐしゅ、っ」


 実は、女の子に泣かれるのが何より嫌いな間桐。
 自分がそうさせてしまった認識はあるようで、屈辱にまみれながらも、どうにかしようとプライドをかなぐり捨てる。


「き、嫌いでは、ない……」

「……聞こえない」「もっと、おっきな声で」

「ンの糞ガキ共がぁああ!! オマエらは俺のお気に入りだって言ってんだよぉおおっ!」

「わーい!」「むっちゃんも、好きっ」

「ぐほぁ!?」


 蚊の鳴くような声では物足りず、俯き加減に催促するお子様たち。
 ヤケクソ気味の絶叫が響くと、手に隠し持っていた目薬を放り投げ、二人は間桐へダイビング。
 衝撃でベッドに乗り上げ、通信機が天井を向いた。
 ギシギシと軋む音に、吉田は話を続けられないだろうと判断。溜め息ついでに別れも告げる。


「……ふぅ。ミナトよ。人の道を踏み外すようなことだけは、するでないぞ」

「ええと……。伊勢は応援致しますよっ」

「なっちゃんさん、むっちゃんさん。既成事実の積み上げ、頑張って下さい」

「待てや日向ぁ!? オレは巨乳にしか勃たね――うふぃっ、ちょ、そこはぶははははは!?」

「ヒドイこと言った罰だもーん!」「くすぐり、攻撃ー」


 通信が途切れるその瞬間まで、車内には明るい笑い声が届いていた。
 騒がしくも、心安らぐ。
 彼らにとっては珍しい、日常の一幕であった。










《こぼれ話その二 君が褒めろと言ったから》





「ちぃーっす! 提督ー、お届けものですよーっと」


 それは、仮面舞踏会を間近に控えたある日。よく晴れた昼下がりの事だ。
 重要なイベントに集中するため、前もって書類仕事を片付けていたところ、ノックも無しに執務室のドアが開いた。
 書類を抱えて入って来たのは、つい先日、ようやっと我が艦隊へ加入した最上型重巡洋艦の一人、鈴谷である。


「おー。ありがとな、鈴谷」

「ふふーん。ま、第二とはいえ秘書官ですから。ほい、提督宛の報告書だよ」

「ん、ご苦労さん」


 上機嫌に一回転しながら、鈴谷は執務机の近くへ。
 フワッと舞うミニスカートが、目に嬉しくて仕方がない。
 しかし、不埒な事を考えていると知られたら、全力でからかわれてしまう。
 書類に目を通しつつ、自然な感じで絶対領域を眺めないと――ってダメだろうが自分!


「そういえばさ、こないだの艦隊内演習、見ててくれたんだよね?」

「演習? あぁ、最上型 対 妙高型 対 高雄型の、三つ巴戦か。もちろん観戦させてもらったよ」


 脳内セルフ突っ込み中の自分を他所に、鈴谷は前のめりで両手をつく。
 もはや恒例となった艦隊内演習だが、直近に行われたそれは、三つの陣営に分かれて戦う三つ巴戦だった。
 能力者の指示などは完全に無し。統制人格たちが、統制人格だけで行う演習である。
 ちなみに、上空からの観測などは利根型の二人が。その他サポートなども、古鷹型の二名と衣笠が行うという、重巡祭りでもあった。
 青葉? 潜水艦との混浴写真をネタにせびった金で、秋葉原へなんか買いに行くそうな。あとで覚えてろよパパラッチめ……。

 とまぁ、そんな事はさておき。
 下馬評では、練度の差により妙高型が優勢。高雄型と最上型は同程度の評価で、彼女たちが手を組めば……という感じだった。
 予想通りというか、演習は終始、妙高型が流れを握った。詳細は省くが、脱落するなら道連れに三隻くらい持っていくような、鬼気迫る戦いだったのである。
 果たして、その結果は……。


「しかし、まさか最後は鈴谷の一人勝ちとはな。驚いたよ」

「大混戦だったしねー。でもま、当然の結果じゃーん。鈴谷褒められて伸びるタイプなんです。うーんと褒めてね?」

「ははは。うん、よく頑張ったよ。今後もその調子で頼む」


 なんと、鈴谷残して全員轟沈判定という、誰も予想だにしない大穴。
 ぶっちゃけ、棚ぼたで勝っただけの彼女だが、先任相手の演習で生き残ったというだけでも、評価してあげるべきだろう。
 ここで余談を一つ。重巡は山にその名前を由来する事が多いのだが、利根や筑摩といった前例があるように、最上型も川を由来としている。
 中でも、鈴谷は現ロシア領土のサハリン――かつての樺太にあった、鈴谷川が元ネタ。いわば、海外地名の名前を持つ船でもあるのだ。
 そんな、珍しい曰くを持つ船なのだが、目の前にいる現代的な女子高生は、なぜだか不満そう。


「……そんだけ?」

「は?」

「もっとこう、他に言う事とか、渡す物とか……ね?」

「ね? って言われてもな。プリン位しか無いぞ。過度なご褒美を期待されても困る」


 しなを作り、両手を合わせて斜めがちにウィンク。
 可愛いっちゃあ可愛いんだけど、依怙贔屓する訳にもいかないし、今までみたくプリンで我慢してもらうしかない。
 けれど、それを聞いた途端、鈴谷は目に見えて肩を落とした。


「はぁぁぁぁ……。もっとちゃんと褒めてよー。女心が分かってなーい。そんなんだから、いつまで経っても非モテなんだよ?」

「ぐっ。ひ、人のこと言えた義理かっ、男の手も握ったことが無いくせに!」

「うっ。あ、あるじゃん! 初対面の時に、提督とっ」


 やれやれ……的に肩をすくめる彼女。
 カチンと来て言い返すと、また前のめりになって指を突き付けてくる。
 いや、それを勘定に入れていいのか? 暗に認めてるんですけど?


「それにねー。鈴谷、一般整備士の人にアプローチ掛けられまくってて、忙しーんだー。仕事ばっかな提督は知らないだろうけどさ?」


 失言に気づいていないらしく、鈴谷は髪をかき上げながら、自慢気に見下ろしてくる。
 ……面倒臭ぇなぁこの処女ビッチ! 実はメチャクチャ身持ちが固い癖しやがって、バレてないとでも思ってんのか!
 ったくもう……。適当にあしらっとくかぁ……。


「あーはいはいそーですかー。そらーよーござんしたねー」

「む。ホントだかんね? 私が本気出せば、男なんてみんなイチコロなんだからっ」

「はいはい凄いねー。童貞な自分には理解できない世界でございますよー」

「ど、童て……っ!?」


 淡々と受け流し、書類を選別していく自分。
 当然というかなんと言うか、気に入らないらしい鈴谷。
 微妙な沈黙が数秒続き、先手を取ったのは鈴谷だった。


「ふ、ふーん。そういう態度とるんだ……。いいよ、鈴谷にも考えがあるから……。ぃしょっと」

「あ。おい何――をっ!?」


 何を思ったか、彼女は執務机の上へ尻を置き、そのまま太ももを見せつけてきた。
 特徴的な、螺旋状に登る線の入ったオーバーニーソックス。
 本人が言うところの甲板ニーソと、プリーツスカートとの間から、ムッチリした肌色が覗く。
 こ、こいつ……! 自身の身体を武器にするとは、卑怯者めっありがたや


「ねー提督ー、この部屋、暖房強過ぎじゃない? 鈴谷、ちょっと汗かいちゃったかもー」

「……だ、だったら廊下にでも出てれば良いだろう。机から降りなさい」

「えー。酷ーい? 追い出そうとするなんて、鈴谷のこと嫌いなの?」

「………………」


 ブレザーとスカートをパタパタ。
 ワザとらしく空気を入れつつ、鈴谷は絶妙な加減でチラリズムを演出する。
 ヤバい、マズい。直視しちゃいけないのに、目が離せない。
 くそっ。ニタニタと笑いやがって――あれ、なんでボタンに手を……?


「うん。暑いからやっぱ抜いじゃおーっと」

「お、おいっ。待て――ぶおっ」


 止める間もなく、上着を脱ぎ捨てる鈴谷。
 顔面に向けて投げつけられたそれからは、フローラルかつ爽やかな、思春期の香りが。
 なんでだろう。香水なんか付けてないだろうに、凄く……って匂いを嗅ぐなっ!? このままじゃ処女ビッチの思う壺じゃないか!?
 落ち着け。冷静になれ。こんなの、その気になればいつだって嗅げるじゃないか。
 だから離れようね自分の右手っ! 今は別れの時なのよ!


「あーあ、お仕事だけじゃ、退屈だねー。……ねぇ。暇潰しにナニかしよっか」

「な、何かって、なんだよ……?」

「そんなの、女の子に言わせちゃダーメ。常識じゃん? ……どうする。ナニする……?」


 断腸の想いで上着を置くこちらへ、にじり寄る女豹。
 シャツの第一ボタンが外れ、第二ボタンも。
 第三ボタンに差し掛かると、鈴谷の指は躊躇する。ほんの少し、谷間を彩るレース細工が見えた。
 ……ふぅ。
 これは、アレだな。調子乗ってるな。オシオキしておかないと、後々に響く。
 パパラッチも居ない事だし、心を鬼にしなければ。
 そう思い立った自分は、無言で席を立つ。
 勢いがついたせいで、椅子は倒れてしまった。


「あ、あれ? 怒っちゃった? もー、軽い冗談なんだか……ら……?」


 ビクン、と身体を震わせる鈴谷を無視し、廊下へ続くドアへ。
 わずかに開き、人通りが無いのを確認。また閉じて施錠する。


「……ね、ねぇ。なんか今、カチャンって音が……」


 ようやく不穏な空気を察したらしく、鈴谷は机から飛び降り、そろそろと壁際に。
 自分は何も言わない。
 ただただ、無表情に距離を詰めていく。


「あ、の。えっと……。あっ! そ、そういえば熊野と約束があったんだっけー。いやー、うっかりうっかり。という訳で、私は帰――」


 下手くそな嘘をつき、横をすり抜けようとする鈴谷だったが、腕を壁につく事で逃げ道を絶つ。
 いわゆる壁ドン状態である。
 追い詰められ、影に落ちた彼女は、怯えの篭る瞳でこちらを見上げていた。


「自分で言ったこと、忘れたのか」

「へ? な、なんか言いましたっけ……?」

「そっちから誘っておいて逃げようとするとは、悪い子だな。鈴谷」

「え。あ。え? い、いやいやいやいやいや、私そんなつもりじゃ……」


 抑揚を消した声で畳み掛ければ、さっきまでの余裕が嘘のように、顔を赤く、身体も縮こませる。
 袋の鼠。龍驤の――じゃなかった、まな板の上の鯉。
 あとは手早く料理するだけだ。


「悪いが、絶対に逃がさないぞ。もうこっちは覚悟を決めた。諦めろ」

「……ま、待って。ヤバいってこれぇ……。違う、違くて……。あっ」


 囁く声で死刑宣告をし、宝石が如き髪を一房、すくい上げる。
 ただそれだけなのに、鈴谷の全身は目に見えて硬直していく。
 吐息で前髪を揺らせば、硬くまぶたを閉じて。


「だ、ダメ、ダメ、ダメ……。提督……っ」


 否定の言葉を発しながら、細い顎が自然と上向きに。
 頬はまるで紅を引いたよう。
 小刻みな震えは、緊張からか、恐れからか。
 少なくとも、抵抗の意思を完全に失ったらしい鈴谷へ、自分は――


「ほい」

「……んぁ?」


 ――ポン、と。
 手を頭に置くだけだった。


「へ。あれ。提督?」

「戦ってる鈴谷は……凄く、格好良かったぞ」

「………………へっっっ!?」


 だがしかし! 自分のターンは終わらない!
 撫でり撫でり。
 艶やかな髪を撫で回しながら、決め顔で笑いそうなのを誤魔化し、脳みそフル回転。喉からクッさいセリフを捻り出す。
 きゅー、という音と共に、鈴谷の顔が首から赤くなっていく。……気がした。


「海風に揺れる髪も、水平線を見つめる瞳も、普段より凛として、頼もしかった」

「えぁ、う? あり、がと? あれ?」

「それに、髪がサラサラだ。海に出ると痛みやすいだろうに、キチンとケアしてるんだな」

「あ、当ったり前じゃんっ。そういうのは、女の嗜み、だし……」

「ちゃんと出来てるのが凄いんだよ。統制人格だって、何もしないで万全の状態を維持できる訳じゃないんだし。鈴谷は偉い」

「……う」

「……ん?」

「うううぅぅぅ、やだ、マジ恥ずかしい、死んじゃう……っ」


 立て直そうとしたのか、「じゃんっ」の辺りで胸を張る鈴谷だったが、しつこく撫でながら褒め称えると、また傾いていく。
 両手で顔を覆い隠し、むずがるように頭を振る彼女。
 ……ヤバいなこれ。こっちも恥ずかしいけど、なんか癖になりそう。
 しかし、まだ続けないとネタばらしも出来ない。あと少しだけ楽しもう……もとい、頑張ろう!


「どうした鈴谷。顔を隠さないでくれ。せっかくの可愛い顔が見れないじゃないか」

「んんん……っ。見ないでってぇ、ばかぁ……。なんで、急にこんな……」

「なんでも何も、君が言ったんじゃないか。ちゃんと褒めろって」

「それはそうだけど………………うんっ!?」


 タイミングの良い投げ掛けに、平然と、さり気なく答えてあげれば、たちまち顔を上げる鈴谷。
 大きな目が、ことさらクリクリと。よし、ビックリしてる。勝った!


「えーと……。じゃあ提督は、私が褒めてねって言ったから、必要以上に持ち上げてただけ、ってこと?」

「あぁ、そうだ。良い薬になっただろ?
 いやー。ドレス選びの時も思ったけど、自分のボキャブラリーじゃ、ただ褒めるのも大変だよ。
 嘘は言ってないつもりだけど。あっはっは」


 ネタばらしが済むと、自分はそそくさ彼女から距離を取る。
 いやー、危ない危ない。あんまりにも反応が可愛くて、本気になるところだったZE!
 途中から褒める方向性が変だった気がするし、誰かに見られでもしたらマジでヤバいし、このおふざけは封印しとこ。
 電にだけは試してみるかな、いつか。なっはっはっはっは。


「――のぉ……」

「ん? なんだ鈴谷?」


 後頭部を掻きつつ高笑いしていたら、鈴谷はまた俯き始めた。
 握られた拳がワナワナと、周囲の空気も剣呑に。
 あ、あれ? 今度は自分が怒らせちゃったのか? 同じことをやり返しただけなのに?
 でも、からかい過ぎた感もあるし、こっちから謝った方が良いのか……?


「……提督のぉ、ばかぁああぁぁあああっ!!!!!!」

「うわっ」


 焦り始めた自分を、鈴谷は怒鳴りつける。
 目には涙を溜め、キツく睨みつけ。そしてそのまま、ドアに向かって走り出し……ってマズい!?


「おい鈴谷、ドアには鍵が――おぉおっ!?」


 瞬間的に艤装をまとった鈴谷が、数十kgはあろうドアを、体当たりで吹き飛ばす。
 ドガシャァン! と派手に木片が散乱する中、廊下を全力疾走していく、涙目の少女。
 しかもこの寒い時期、上着無しの、胸元が開いたワイシャツ姿で。


「やべぇ、ヘタ打った……。また変な噂が広がる……」

「桐林提督!? 今度は何したんですか一体っ!!」

「いきなり犯人扱いはやめてよ疋田さん!?」


 テロだと勘違い……してはいないらしい、最近懇意な警備員・疋田さんも、ショートボブの髪を揺らしながら駆けつけてくる。
 美人じゃないけど愛嬌のある人で、一房だけ横髪を三つ編みにしてるのが覚えるポイントだ。
 そんな彼女、今までの経験から、ここで起きる騒動の原因は、ほとんどが我が艦隊であると思っているようで――


「さてと……。提督? 鈴谷に何したのか、ちゃんと説明して欲しいな。嘘ついたりすると、ボク、本気で怒っちゃうぞ……?」

「違うんです誤解なんです勘違いなんです。自分はただ、鈴谷を褒めちぎっただけで……」

「巫山戯るのも大概になさって下さい! それだけで鈴谷さんがあんな風に引きこもる訳ありませんわ! 正直に言わないのなら……」

「ジャパネット高田の馬場で購入した、全自動お仕置きマシーンが唸りますっ。マイナスイオン発生器付きで、税込十五万三千七百九十八円でしたっ」

「ついでに、ウチのことも馬鹿にせぇへんかった? なんや、唐突にめっちゃイラっと来たんやけど」

「記憶にございませぬ。三隈はもう少し小遣いの使い道を考えようね?」


 ――つつがなく宿舎へ連行された自分は、座敷スペースに正座させられ、弾劾裁判を受けるのであった。
 いい加減に学ぼうよ、調子乗ると痛い目を見るって。
 そんなんだから、先行者みたいなロボットに威嚇されるんだぞ?
 ……誰か助けてぇ……。





「嘘は、言ってない……。嘘じゃ、ない……。んへへ……。
 って、私ってば何ニヤついてんの!? ぁああっ、自分で自分がキんモー!!」




















 ちょっと早いけど戦果報告!
 春イベ全海域を難易度・甲で攻略し、甲提督の仲間入りを達成しました!
 ついでに高波、二隻目の酒匂とまるゆを五隻入手……までは楽だったんですが、Roma掘りに大苦戦。
 クリアに四万、高波掘りにも二万消費したのに、Romaでさらに七万を持って行かれ、時間的には累計二十四時間(Romaだけ)かかりつつも、最後は入手に成功です。
 Romaは丸一日にして成ったよ! もう二度とやらんっ!!!!!!
 イベ前に天津風と時津風を拾ったのがいけなかったんですかねぇ……。

 さてさて。今回はパーティー会場での一幕と、間桐提督の長門型覚醒話に、鈴谷を弄る話でした。見よ! 金剛がヒロインのようだ!(ぇ
 最初こそ取り繕うそぶりを見せてましたが、結局いつも通りな主人公たち。ちょっと不安な引きでしたが……。桐谷提督が何を語るのかは、次回のお楽しみ。
 なんで三本立てになったか? 前回の更新が遅れたお詫びと、なっちゃん・むっちゃん話が短かったのと、K(急に)S(鈴谷を)M(愛でたくなったので)。細かい事は気にしない!
 蛇足ですが、疋田女史は普通に可愛い女の人です。主人公の目が肥えまくって、おかしな事になっているだけですので、誤解しないであげて下さいませ。
 それでは、失礼致します。


「……え、エイブラハムくん、可愛いね。好きなのかい、フェレット?」
「うん。動物、好きです……。他にも、鳩のゴルバチョフとか、兎のサッチャーとか、ハムスターのムッソリーニとかが、居ます」
「世界の偉人シリーズなのです……」
「はっはっは。その子が名付けたんですよ。個性的で覚えやすいでしょう?」





 2015/05/16 初投稿+誤字修正。R.T.L様、ありがとうございました。三回は踊った回数でしたね。凡ミスでした……。
 2015/05/25 桐ヶ森提督のセリフをちょっと加筆。
 2015/05/29 誤字修正。







[38387] 新人提督と仮面舞踏会・後編
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/06/07 20:42





 最近、体調ガ良くない。
 船体の整備は万全だし、連続出撃もしていないから、疲労が溜まっている訳でもない……と、思う。
 なのに、全身が怠くて、お腹の辺リが重く感る。
 普通の女の人は、こんな症状ニ悩む事があるって聞いたけど、わたしたちにそんなのあり得ないし……。

 頭がもやもやする。何か、重大な変化ヲ見逃している気がするのに、何も考えられない。
 けど頑張らなくちャ。
 明日には、あの人と、わたしたち姉妹が主役の、大事な演習が待ッてる。
 それが終わったら、きっとわたしは――


 出典不明。
 誰か、少女の日記と思われるが、これ以降の記載は何もない。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「どうぞ、お掛け下さい」


 ボーイソプラノへ戻った桐谷提督に導かれたのは、煌々と照らされるパーティー会場と違い、落ち着いた灯りの点る部屋だった。
 歩いてきた感覚が確かなら、左右対称な迎賓館の二階中央。
 元々の構造は知らないが、今では貴賓室が置かれている場所である。
 一目で高級と分かるのに、決して主張し過ぎない家具類。何やらジュークボックスらしき機械まで置いてあり、静かにジャズを流している。
 掛けられた絵は、二十一世紀を代表する近代画家の油絵……かも知れない。よく分かりません。
 足元から天井にまで届く大きな窓の向こうに、遥かな東京の夜景が見えた。


「少しお待ちを。今、飲み物を用意しましょう」

「あ、電もお手伝いを……」

「いいえ、結構です。こういう仕事はホストの役割ですので」


 部屋の中央より、少し窓際に近いソファセットを示しつつ、桐谷提督がボトルの並べられたラックを探る。
 その間に、やんわりと断られた電、眞理ちゃんを伴い、自分は柔らかな牛皮へ腰を下ろした。仮面も外してテーブルの上へ。
 ……凄いな、これ。座り心地が良くって、逆に落ち着かないや。


「コニャックのストレート……で、宜しかったでしょうか? 桐林殿は酒豪との噂ですから、口に合うかどうか」

「い、いえっ。勿体無いくらいです……」

「電さんは、ソフトドリンクとアルコール、どちらが?」

「え? えっと……。お、お酒をお願いします、なのです!」

「では、ポートワインの赤を」

「わたしも、ワイン飲んでみたい……」

「貴方は林檎ジュースです」

「んー」


 格調高いテーブルの上に、深い琥珀色の液体が置かれる。ちょっと背伸びをした電にも、小さめのワイングラスが。
 さらに隣の眞理ちゃんには、流石にアルコールを飲ませられるはずがなく。ムスッとしながら、両手でコップを持つ姿が微笑ましい。


「……っ! 美味い……!」

「ふふ。気に入って頂けたなら、なによりです」


 目礼し、グラスをわずかに傾ければ、ブランデー独特の強い香りが鼻に抜けた。
 強いと言っても、キツく感じるわけではない。恐ろしく深い広がりの中に、わずかな甘さや香ばしさも感じる。
 間違いなく最高級。本物のコニャック。思わず感動してしまう。
 桐谷提督は誇らしげな顔だ。ひょっとすると、彼のコレクションだったり……? 後で高額な請求されないよう祈っとこ。
 ちなみに電さん、それっぽくワイングラスを回したり、匂いを嗅いだりしているが、明らかに挙動不審である。
 一口飲むのに「なのです!」って気合い入れる程なら、無理しなきゃ良いのに。
 でもそこが可愛くて堪りません。


「パーティーは如何でしたか? 桐ヶ森さんと歩いていたようですが」

「あ、はい。……正直、疲れました。こういう場には向いてない、みたいです」

「そうですか。まぁ、向き不向きがあるとは思いますが、慣れなければ大変ですよ。
 桐林殿。貴方にはこれから、もっと前面に立って頂く事になるのですから」


 甲高い声で意識を引き戻され、苦笑いと一緒に溜め息をこぼすと、桐谷提督は奇妙な事を言い出した。
 前面に立つ……? 能力者なんだから、常に前線には出てるようなもんだけど……。そういう意味じゃない、よな。という事は……。
 訝る視線を向ければ、巨体が対面へ腰を下ろす。ソファを軋ませ、彼は自らの膝の上に肘を置く。


「第二次ツクモ艦侵攻の情報公開、ご存知ですね」

「はい。基本的には大勝利と」


 とかく、秘密主義に傾きがちな日本の海軍だが、対 双胴棲姫戦に関しての情報公開は早かった。迅速な対応と言っても良いだろう。当然、加工されている。
 細かな戦闘経過の誤魔化しはもちろん、敵 統制人格の存在や、自分と桐ヶ森提督への侵食も、情報封鎖されていた。
 条約的な制限により、ドイツには未加工の情報が渡っているだろうが、それもシュトゥーカを使用した間だけ。極めて重要だが、断片的でもある。
 今現在、深海棲艦と最も深く切り結んだのは日本。他国を出し抜いているようなものだった。
 これだけの要素が重なれば、ある程度戦果を知らしめた方が、かえって腹を探られない結果に落ち着くはず。
 疑り深い連中については、何をしても最終的に疑うのだから、いつもの通り……らしい。詳しくは知らない方が身の為だろう。


「では、その立役者とされているのは誰でしたか」

「……自分。いえ、自分たち、でした。過大評価ですよね。間桐提督や桐ヶ森提督が居なければ、絶対に勝てなかったのに」


 そして、戦いの中核を担う役割――役得を与えられたのが、自分と、その統制人格。
 流動する戦いを前に、冷静さを失わず、果敢に戦い続けた乙女と、彼女たちを欠ける事なく帰還させた司令官……という具合だ。
 確かに、最大戦力を投じたのは自分の艦隊だろう。しかしそれも、間桐・桐ヶ森 両提督の力添えあってこそ。
 だというのに、自分たちだけで戦場を支配したような、そんな誤解をさせる公開文だった。どうにも、腑に落ちない。


「私は順当な評価だと思いますよ。あの戦い、間違いなく要は貴方だった」


 けれど、桐谷提督は笑顔を崩さぬまま。
 予想外な賞賛の言葉に、こちらは虚を突かれる。


「貴方と貴方の船を、一つの戦力として考えれば当然ですよ。
 精度は間桐殿に劣るものの、施行数で補える戦艦層の厚み。
 これまた桐ヶ森提督には劣るものの、文字通り数で圧倒できる空母たち。
 そしてなにより、それらを同時に運用できる統率力。水雷戦隊を含めれば、これは私を凌駕しているでしょう。
 貴方という能力者は、一人で現行の“桐”、全ての要素を持ち得ている、とも言えるんです」


 ……いや。賞賛よりも、絶賛と言った方が正しいか。
 穏やかな笑顔と語り口は、それを真実だと思い込ませる、重い説得力があった。
 だからこそ、わずかに顰められる眉と、ゆっくり横へ振られた首が気に掛かる。


「しかし、それゆえ残念に思う部分もあります。貴方には決定的に足りない素養がある」

「足りない素養、ですか」


 細い目がより細くなり、つかの間、巨体は押し黙る。
 同じタイミングで奏でられていた曲が終わり、沈黙が息苦しい。
 再開される演奏も、虚しく感じるだけだった。


「申し訳ありません。電さん、その子をお願いできますか」

「……あ。わ、分かりました、なのです。眞理ちゃん、綾取りって知ってますか?」

「ううん、知らない」


 自分と、電。どちらにも気を遣ってくれたのだろう。眞理ちゃんを電が連れ出し、男二人の差し向かいとなった。
 豪奢な部屋の片隅で、古式ゆかしい手遊びに興じる娘たち。
 自然と頬も緩むが、桐谷提督の笑みは、どこか硬質さを帯びる。


「老婆心ながら、忠告します。捨てる勇気をお持ちなさい。今のままでは、いずれ心が先に死ぬ」


 その硬さは、彼の声にも伝染していく。
 内容は言わずもがな。実にらしい……“梵鐘”の理屈。


「電たちを、使い捨てにしろと。そう言いたいんですか。……あなたのように」

「違いますよ。違うんです。そういう事を言いたいのではないんですが……。難しいですねぇ、対話というものは」


 気圧されぬよう、自分も心に鎧をまとい、桐谷“少将”と相対する。
 が、思いの外、その表情は簡単に崩れ始めた。
 後悔。迷い。戸惑い。
 笑顔は笑顔だけれど、初めて見る類の……苦笑いだった。


「聞かせて下さい。どうして桐谷提督は、傀儡艦を――統制人格を捨て駒に出来るんですか」


 どうしてだか、それが彼の素に見えて。
 普段なら出来そうにない問いかけが、口をついていた。


「簡単です。そう努力しているからですよ。あえて雑に扱っているだけです。貴方もそうしろと教えを説かれたでしょう」

「……どうして。人と同じ姿をしていて、時間は掛かっても、心を通わせる事だって可能なのにっ」


 思わず、詰め寄るように身を乗り出し、桐谷提督の手で制す仕草に、ハッとする。
 電と眞理ちゃんが、それとなくこちらを伺っていた。
 ……気遣い、無駄にしてしまった。けど、これだけはどうしても。
 そんな気持ちを汲んでくれたようで、彼は笑みを戻しながら、真摯な一言で答えてくれた。


「愛してしまうから、です」


 ――の、だが。
 単純なはずの言葉を噛み砕くのに、自分は十数秒の時間を掛けてしまっていた。
 愛してしまう。
 誰が。桐谷提督が。
 誰を。……統制人格、を?


「ははは。驚く事はないでしょう。愛人を六人も囲う男なんです、ある意味当然では?」

「そ、そりゃあそうかも知れませんけど……って違う! じ、自分はそんなこと微塵も……」

「正直な人だ。だからこそ好ましいんですが。誤解されがちですけれど、私は妻以外の女性を知りません。それに、恋愛結婚です」

「……初めて、知りました」


 口を濁しまくっていると、またもや驚天動地の新事実が。
 世界でも指折りの資産家である千条寺家。その系譜は、連綿と続く政略結婚によって成り立っており、歴代の当主はむしろ、この事実を誇らしげに語っているという。
 調べた限りでは、桐谷提督――千条寺 優介も、政略結婚の末に産まれた内の一人。
 妻以外を知らない……。五人も娘が居るはずなのに、愛人たちと関係を持っていないという事も含め、どういうカラクリなんだろう……?


「妻は、ある病で子供を産めない身体になりましてね。どれだけ医療が進歩しても、届かない位置にありました。
 しかし、千条寺家の血族は絶対に必要。私の愛人とされている女性たちは皆、代理母なんですよ。
 一度しか会わなかった方も、処女のまま子供を産んだ方も居ます」


 こちらから尋ねる前に、夕飯の献立を話すような気安さで、桐谷提督は語る。
 最早、どう驚いていいかすら分からないけれど、さっそく謎の一つが解けた。
 過去には違法とされる場合もあった代理出産だが、現在では法整備も行われ、一般でも稀に行われる行為だ。
 感情的な問題が発生する率は高いものの、それを“力”で抑え込める層では、ごく当たり前に行われると聞く。
 桐谷提督の愛人たちは、多額の報酬や千条寺家とのコネクションを求め、自らの胎を使ったのだろう。
 ……あまり好ましいと思えないが、それは個人的な感情。胸に留めなければ。


「ですが、それが良くなかった」


 その間にも話は進む。
 顔を伏せ、憂いを感じさせる声が、かすかに震える。


「……妻は、優しい女性でした。ええ、“こちら側”で生きていくには、優し過ぎるほど。
 ゆっくりと心を病んでいく彼女に、私はまた気付けなかった。
 結果、妻の脳には障害が残り、瞳は何も映さず、心は少女の頃を繰り返すようになりました」


 発言から察するに、桐谷提督とその奥さんには、身分の差があると思われた。
 市井で育った女性が、大富豪の御曹司と結ばれる。まさしく玉の輿に乗った、誰からも羨まれる人生だろう。
 そこで終わってしまえば、ハッピーエンドの物語だ。けれど、現実の結末は――おそらくだが、自殺未遂。
 何も言えなかった。
 ただただ、唖然と口を噤むしか。


「この声はね、彼女と出会った頃の、私自身の声なんですよ」

「……それって」

「はい。手術をして無理に出しているんです。妻と話す為だけに」


 そんな自分に対し、彼は喉をさすりながら、また笑う。
 見せ付けられているように感じた。これが私の愛だ、と。
 愛してしまうから……という言葉は、嘘じゃないのかも知れない。


「私は情が深いんです。一度愛してしまえば、大切にせずいられない。貴方のように、愛しながら戦いへ送り出すなどと、残酷なことはできません」

「……残酷? 自分、が?」

「違うといえますか。寝食を共にし、信頼を積み上げた上で、終わりのない戦場へ送り出す行為は、非道ではありませんか」


 しかし、次に突き付けられたのは、矛盾。
 妻と言葉を交わすためだけに、己の身体へメスを入れる人物が、愛することは残酷だという。
 また、何も言えない。
 心のどこかで自覚していたからだ。みんなを大切と思いながら、結局は戦わせるしかない、畜生のような自分を。
 桐谷提督の言っていることは、正論だった。


「だったら、最初から愛さなければ良い。ただ消耗品として扱い、ただ使い潰せば良い。
 そうする事で今の地位を維持し、妻と家族を守れるのであれば、私は喜んでやりましょう」


 愛するものを守るためなら、鬼にでも修羅にでも。
 人として。男として。親として。
 間違っているとは思えない在り方。
 誰もが選べはしない、そんな在り方。


「ですが、貴方は最初の一歩を間違えた。
 電さんを心から大事に扱い、慈しみ、支え合っている。もはや手遅れだ。
 でも、いつか必ず来るんです。切って捨てなければならなくなる時が。
 それが誰であろうと、貴方は傷付くでしょう。ましてやそれが電さんだったなら……」


 かぶりを振るその姿は、苦汁に塗れ、疲れ果てている様にも見える。
 背筋を伸ばした彼の表情が――見られるとは思っていなかった“無表情”が、それを裏付けた。


「なればこそ、貴方は捨てる勇気を持たねばならない。
 両手で抱えきれない物を持とうとすれば、その重さに潰されてしまうでしょう。
 徒らに荷物を増やすのは、愚か者のすることですよ」


 ようするに、心から大切に想うものがあるなら、それ以外を愛してはいけない。
 大切なものを守るための“道具”すら愛してしまうなんて、キリがない、と。桐谷提督はこう言いたいのだろう。
 これもまた、正論だ。
 正しくて、強くて。けれど――


「ありがとうございます、桐谷提督。自分のような若輩を案じて頂けること、有り難いと思います」

「ご納得頂けましたか」

「いいえ。理解はしましたが、納得はできません」


 ――決して、自分には受け入れられない在り方だ。


「桐谷提督の言う通り、自分は非道な人間かも知れません。
 彼女たちを大切と思いながら、戦う事を強いているんですから。
 でも、だからと言って道具と切り捨てるのは、逃げているだけではありませんか」

「……逃げ?」


 真っ向からの反論に、桐谷提督は眉をひそめつつも、また笑顔へ。
 幾分、迫力を増したそれに負けぬよう、自分は腹に力を込めて続ける。


「向き合う事が怖くて、失う事が怖くて。だから必要ないと跳ね除ける。それじゃあ何も持てませんよ。
 いずれ失うからと捨てるなら、何もかもを捨てなければならなくなる。何も得られやしない。おかしいですよ、そんなの」


 人はいずれ死ぬ。形あるものは必ず失われる。時の流れだって、いつか崩れ去ってしまうかも知れない。
 最終的に無となるなら、産まれた意味は何処にあるのか。
 自分には分からないけれど、確信を持って言えることが一つ。
 行く先に悲しみが待っていたとしても、この気持ちを捨てたりはしない、ということ。


「……それは、貴方が喪失を知らないから言えるんです。
 積み上げた信頼を、育んだ親愛を、一瞬で失った事が無いから。
 そんなもの、子供の虚勢にすら劣る」

「でしょうね。自分はまだ、親類の死すら経験していません。
 動物の死くらいは目の当たりにした事がありますけど、本当の意味で失った事が無い。
 桐谷提督の言う、愚か者ですね」


 細く睨みつける瞳に、嘲笑が浮かんだ。
 経験した事のない痛みを耐えられると、声高に叫ぶ。
 実際、強がりと取られても仕方ない。
 電を亡くしたら。金剛を亡くしたら。赤城を亡くしたら。
 自分の心は、きっと……。


「ですが、傷付くのを恐れて誰も想えないなら、死んでいるのと同じです。
 誰かを大切に想う気持ちは、生き抜く力になる。どんな苦境も耐え抜く力に。
 奥様を愛していらっしゃる桐谷提督なら、否定できないはずですよ」


 それでも、間違いだなんて思いたくない。
 笑顔を思い出すだけで、胸が暖かくなる。
 つい、今日は何を話そうかと考えてしまう。
 側に居れば、寂しさを感じる暇なんかありゃしない。
 この想いこそが、“桐林”という男を形作る、第一要素なのだと思うから。


「後悔しますよ。その道は荊の道だ。転ぶ事すらできない道だ。
 全身血塗れになってなお、歩き続けなければならなくなってしまう。その上で……?」


 問いかけには、無言で胸を張る。
 たとえ傷だらけになろうと、痛みに立ち尽くすことがあろうと、逃げはしない。
 それが、彼女たちをこの時代へ呼んだ男の、責任の取り方だ。


「見かけによらず頑固ですねぇ。予想はしていましたが」


 桐谷提督は大きく溜め息をつき、ソファへ身体を預ける。
 呆れ果てたようでいて、どこか満足気な、そんな微笑みを浮かべて。


「すみません。でも、本当に嬉しく思ってます。桐谷提督からは、良く思われていないとばかり……」

「そんなことありませんよ。私自身が歪んでいるのは確かですが、一般的な倫理観に基づいた判断くらいできますし。
 その観点からすれば、貴方は間違いなく善人だ。評価に値します。
 色々と口出ししましたが、貴方の人生。ご随意に為さるが良いでしょう。願わくば、その上で長生きして下さい」

「自分としてもそうしたいです」


 二人分のグラスが持ち上がり、乾杯するように空中で傾く。
 愛する“もの”のために他の全てを使う桐谷提督と、ただ消費すべき“もの”を愛してしまった自分。
 きっとこれからも、相容れることは無いだろう。
 だが、根底にあるのが同じ感情であると知った今、以前ほどの反感は抱かなかった。
 彼と対話した事で、むしろ腹が決まった感じもある。

 正しいものから、正しいものが生まれるとは限らない。
 正しいものしか、正しいものを生めない訳じゃない。
 間違っても良かったんだと、そう思える結末だってあるかも知れないのだ。
 自分らしく行こう。この命が、果てる時まで。


「さて……。パーティーの主賓が“二人とも”抜け出ては、騒ぎになります。私は戻りましょう」

「なら、自分も……二人?」


 空になったグラスを置き、桐谷提督はやおら立ち上がる。
 それに続こうと立ち上がって、はたと、彼が妙な言い回しをしたのに気づく。
 主賓が二人とも? 主催者は桐谷提督で、招かれた“桐”は自分と、もう一人。しかし彼女はここに居ない。
 どういう事かと尋ねる前に、閉め切られていたはずのドアが開き、白いドレス姿の少女が入ってきた。
 ズカズカ、不機嫌そうな足取りの彼女は、顔に付けていた仮面を外しながら、「ふん」と鼻を鳴らす。


「最初から気付いてたってわけ。相変わらず食えないわね」

「おや。盗み聞きが趣味の女性に言われたくはありません」

「仕方ないでしょ!? どっかのバカがいつまで経っても戻ってこないから、虫がワンサカ……っ」


 少女――桐ヶ森提督が、身を庇うように自身を抱きしめる。
 確かめてみれば、パーティー会場を抜け出してから、結構な時間が経っていた。
 彼女がフリーになったと見て、アタックをかける男が出ても不思議じゃない。で、嫌になって会場を抜け出し、ここに辿り着いた、と。
 盗み聞き……って事は、かなり前からドアの向こうで、空気を読みつつ待機してたんですか? 律儀っすね。
 階段のとこの警備員さんも、“桐”が相手じゃ、通すしかなかったんだろうなぁ。にしたって、あの会話を聞かれてたっていうのは、なんだか恥ずかしい……。


「ですから、お二人はここで休憩なさって下さい。終わりが近くなれば内線を繋ぎますので。娘をお願いします。飲み物はご自由に。では」


 ともあれ、プリプリ怒っている少女をなだめながら、桐谷提督は部屋を退出した。
 数秒、嫌な沈黙があった後、白いドレスの裾が、またズカズカと動き出す。
 ……後を追おう、一応。


「これ、貰うわよ」

「えっ。あ、あの、それはワインなのですっ。桐ヶ森さんは、未成年じゃ……」

「脱法ロリは黙ってなさい。んっく」

「……? 桐林てーとく。だっぽーろり、ってなぁに?」

「眞理ちゃんが知るのはまだ早いかなー。あとでお父さんに聞いてごらーん」


 電から飲みかけのポートワインを奪い、仮面を投げ捨てて一飲みに煽る桐ヶ森提督。
 色々と問題のある光景だが、雰囲気的に飲み慣れているようだ。
 誰が見ている訳でもなし。大目に見よう。あ、性教育はお父様にお任せします。


「……っぷぁ。ふぅ、美味し。これ、アイツのコレクションなんでしょ? 酒の趣味は良いのよね、桐谷」

「確かに。本物のコニャックなんて、初めて飲みました」

「はい。電も初めてでしたけど、甘くて美味しかったのです」

「本当に? 飲み慣れてないとキツいはずだけど」

「……ごめんなさい。本当は喉が熱くなって、あんまり……」

「はははっ。まぁ、初めてなんだからそんな物さ。自分も最初は好きになれなかったしな」

「だっぽーろりは、お酒飲める。うん、覚えた」

『忘れなさい』

「ぁ、あはは……」


 幼子のズレた認識に、ツッコミが重なった。電も堪らず苦笑いである。
 桐ヶ森提督ー。変な言葉を覚えさせた責任、取っといた方が良いですよー。
 純真無垢な女の子が、小首を傾げながら大人の階段登っちゃいますよー。
 ……と、和やかな空気はここまで。再びの沈黙に、話題は桐谷提督の事へと変化した。


「桐谷の事情なんて、初めて聞いたわ」

「……はい。驚き、でした」

「電は、とても優しい人、だと思います。優しいから突き放すしかない、とても不器用な……」

「うん。お父様、優しいよ。ちょっと変な所あるし、沢山お稽古させられて嫌だけど、でも優しいよ?」


 やはり、離れていても聞こえていたのだろう。
 眞理ちゃんは無邪気に父親を慕い、電も切ない表情を浮かべる。
 優しいはずの人間が、それに似合わぬ行為をする時。それは多分、誰かを守りたい時なのだ。
 彼は言った。このままでは、心が先に死ぬと。
 きっと、自分にだけ向けたのではなく、彼自身にも向けられた言葉だと思った。
 誰かを守りたいのなら、まずは自分自身を守れなければ。だから……。


「ごめんなさい。ちょっとコイツ借りるわね」

「へ? ちょ!?」

「な、なのですっ?」


 不意に腕を引っ張られ、自分は桐ヶ森提督とテラスへ向かわされる。
 少々手狭だが、迎賓館の裏庭に面しており、ライトアップされたクローバー型の噴水が見える。夜景を眺めるには最高だった。
 そんな中、彼女はぶっきらぼうに右手を差し出す。


「ん」

「……は?」

「……さっさと踊りに誘いなさいよ! 鈍いわねっ」


 えええええ。
 こ、この状況でダンスですか? まぁ確かに、音楽はジュークボックスから流れ続けてる。
 曲はジャズから変わってクラシックに。ええと……ショパンの、別れの曲……だったかな。踊ろうとすれば踊れるだろう。
 電磁スクリーンがあるから、狙撃も、パパラッチに覗かれる心配もない。ないって言っても、電がすぐそこに居るしなぁ。
 う~ん……。出来ればお断りし――あ、ごめんなさい誘いますからメンチ切らないで。


「い、一曲、お願いできますか?」

「……はぁ。三十点。こういう時くらい気取りなさい。けどいいわ、踊ってあげる」

「……どうも」


 誘えって言った癖になんだその言い草。ふざけんなよ美少女め。体温と匂いを脳裏に焼き付けんぞコラ!
 とか胸の内で叫びつつ、差し出された小さな手と、自分の左手を絡ませた。
 みんなとのダンスは上手くいったけど、気を抜かないよう注意しなきゃ……。足踏んだら殺されそう。


「人が戦う理由って、色々ね」

「そうですね……。自分なんか、流されてるだけですから」

「私もよ。流されて、流され続けて、ここまで来ちゃった」


 かすかに聞こえるリズムを頼りに、ステップを踏み始めて数分。
 彼女は静かな声で囁き始める。


「桐生のこともね、よくは知らないの。
 同時に軍に入って、ほぼ同時に“桐”を授かって、次世代の双璧と期待されて。
 最初は呉で一緒してたし、あわよくば私生活まで……なんて噂されてたのに。
 本が好きで、偉人マニアで、その格言ばっかり引用する、寝坊助のバカだって事しか」


 思い出を語るその顔は、楽しそうでありながら、寂しげに見えた。
 戦いに倒れた同期。
 出会って間もなく、関係性の薄かった自分でもショックを受けたというのに、それが真に戦友と呼ぶべきであったなら……。
 碧い瞳と、視線が重なる。


「アンタさ、言ったわよね。あの報告の時、“あの子”に会ったって」

「……はい。言いました」

「本当に一人だった? それとも……」


 桐ヶ森提督の言う“あの子”とは、間違いなく双胴棲姫の事だろう。
 あれからよくよく考えてみたが、自分と彼女が受けた侵食には時間差がある。
 ひょっとすると、自分の後に双胴棲姫は桐ヶ森提督の方へ向かった可能性も……。
 しかし、そうではないと俯き加減の表情が告げていた。


「桐ヶ森提督。あなたはあの時、本当は誰と会ったんですか」


 核心を突く問いに、ステップは止まる。
 冷たい風が音楽をかき消し、空気も緊張感を孕む。
 彼女の肩越しに見える室内では、電たちまで固唾を飲んで見守っていた。


「……私は、あの時。十万億――っ!?」


 長い逡巡の後、何かを語ろうとした桐ヶ森提督だったが、唐突に言葉が途切れてしまう。
 訝しげに眉をひそめたかと思いきや、今度は目を剥いて驚く彼女。
 ペアを組んでいた手が離れ、細い指がこちらの首にかかり――


「んがっ!?」

「し、司令官さん!?」

「ゴスン、っていった……」


 ――思いっきり引き寄せられた。当然、おデコとおデコはゴッツンコ。
 よほど力を込めているのか、額が密着したまま離れない。
 くぉおおぉぉぉ……。脳が、脳がグラグラとぉおぉぉ……。


「な、何すんですかいきな――」

『黙れバカ! 盗聴されてるわよアンタ!』

「……え?」


 超至近距離の怒声に、しかし鼓膜は揺れていない。
 痛みで混乱しているのかと思ったが、触れ合う皮膚から情報が伝わる。
 テレパシー。触れ合った能力者同士でしか通じない。
 盗聴器。肩に張り付いた布当て型の。軍用。
 驚く暇も無いまま、脳にはまた声が。


『手短に伝えるわ。私は十万億土で……桐生と会った』


 その瞬間、世界から音が消えた。
 代わりに、自身の酷く鼓動が耳障りに聞こえ、瞳孔も収縮しているのを感じる。
 桐生提督と、会った。十万億土で。
 驚愕すべきだろう。未だ眠り続けているはずの彼が、恐らくは敵が干渉する領域に居たのだから。
 しかし、心のどこかで“やはり”とも思ってしまった。


(やっぱり、あの伝言は桐生提督からの……)


 双胴棲姫が言った、「失楽園はまやかし也」、という言葉。
 そんなものを受け取る理由なんて、自分の知る限りでは無い。ならば、あちら側に送る理由があったということ。
 一体、どんな状況に置かれているのか。なぜ伝言を頼むことが出来たのか。
 得心はいったが、疑問ばかりが増えていく。


『何も聞かないでね。私にだって何がなんだか分からないんだから。
 けど、アイツはこう言い残した。……悪魔の最も偉大な知恵、って。
 それは、自らを存在しないと思い込ませた事よ』


 同じ心持ちなのか、桐ヶ森提督は浮かない表情だった。
 悪魔の最も偉大な知恵。
 存在しないと思い込ませたのなら、存在しないとされている物が、本当はある?
 伝言と合わせて考えると……。かつて人間が追放されたとされる楽園――エデンの園は実在するって言うのか。
 十万億土を体験した今では、笑えない冗談だ。


「どういう、意味なんでしょうか」

「さぁね。それが分かれば苦労しないわよ。受け売りで知ってただけだもの」


 触れ合っていた額が離れ、心で繋がっていた感覚も途切れる。
 耳に聞こえるようになった声は、寂しそうな色を宿す。
 多分、桐生提督の薀蓄で知っていたんだろう。
 同期の二人であれば分かる言葉で、彼は何かを伝えようとした。
 思惑は分からないものの、しっかりと考えなければ。


「戻りましょう。そろそろ冷えるわ」


 名残惜しさを振り切るように、桐ヶ森提督は大きく背伸びをし、貴賓室へ歩き出す。
 後を追うと、彼女はどこからかメモ帳を取り出す。

 逆探知。アンタはそのまま。埋め合わせしときなさい。

 何気なく見せられたそれには、こう書かれていた。
 ええと……。盗聴電波の逆探をするから、この部屋から出るな、っていう事だよな。
 でも、埋め合わせってのはなんの事だ?


「私、会場に戻るから。眞理ちゃん、お父さんの所へ行きましょう」

「うん。桐林てーとく、さようなら」


 尋ねる暇もなく、二人の少女は手を繋いで退室する。去り際、眞理ちゃんはこちらに会釈をくれた。
 室内に残されたのは自分と電。
 二人、だけ。
 ……あれ? なんか急に、恥ずかしいような、くすぐったいような、変な気分になってきた。
 とりあえず、どっかの不埒者が聴いてるのは確かなんだから、当たり障りのない事だけを話さないと……。


「司令官さん。ダンス、お上手だったのです」

「あ、あぁ、練習したからな。ここまでになるのが大変――あ゛っ」


 早速ぬかった。うっかり正直に答えちゃった。電には踊れないの秘密だったのに!?


「やっぱり。前に言いましたよね? 嘘をついてもすぐ分かるって」

「じゃあ、雷たちと特訓してたのも……」

「なのですっ」

「……参った、降参」


 クスクスと笑い、立ち上がった電が隣へ並ぶ。
 どうやら、最初からバレていたらしい。
 本当に、敵わないな。


「他のみんなは、パーティーを楽しんでましたか?」

「んー。ぼちぼち、かな。隼鷹とかは全力で楽しんでたけど」

「ぁはは、眼に浮かぶのです」


 風が吹き込む大窓を閉じ、防弾ガラス越しの夜景を二人で眺める。
 建物全体を薄く覆っている電磁スクリーンは、外側からの視界に揺らぎを発生させ、高速通過物に反応する。
 光学銃の無効化は元より、ライフル弾なら消し炭に、対物ライフルの弾道も捻じ曲げる代物だが、内側からの視界は極めて良好だ。
 科学の進歩ってのは凄い……なんて感慨深く思っていると、不意に電はモジモジし始めた。


「ぁ、の……。司令官さん、は。もう、みんなと……」

「ん?」

「……や、やっぱりなんでもないのです! 忘れて、下さい」


 上目遣いの視線は、慌てる両手で遮られ、そのまま絨毯へ落ちる。
 ……そっか。埋め合わせって、この子に対してか。
 他のみんなとは一通りペアを組んだが、パーティーの半ばから眞理ちゃんの相手をさせられた電とだけは、まだ踊れていない。
 もうしばらくすれば、会場へと戻らなくちゃいけなくなる。そうなったらゲストの相手で忙殺されるだろう。


(桐ヶ森提督、気を遣ってくれたんだな。……よしっ!)


 千載一遇のチャンス。
 ここを逃したら、もう二度と誘えない。
 気合い入れろ。勇気を出せ。なんの為に特訓したのか思い出すんだ。
 盗聴されてる事なんか忘れてしまえ!


「ちょっと、いいかな」

「……はい?」


 改めて向き直ると、彼女も向きをこちらに。
 まぶたを閉じて、ゆっくり深呼吸。再び開ければ、愛らしく小首を傾げる少女が居た。
 自然と笑みが浮かび、肩の力が抜ける。
 左手を背中側に、腰の高さを低く。跪くようにして、自分は右手を差し出す。


「可愛らしいお嬢さん。自分と、踊って頂けませんか?」


 気障な誘いに、電は目を丸くしている。
 全く似合わないだろうし、桐ヶ森提督に言われてやってるだけなんだから、情けないけど。
 でも、彼女と踊りたいのは本当。許されるなら、本日最後にしたい位だ。
 そんな気持ちが伝わったか、小さな手が重ねられようとして、けれど、触れる直前で戸惑う。


「あの……。こういう時、どんな風に返せば……。それに、電も踊れなくて……」

「特に決まりなんて無いし、気にしなくてよ。自分が教えるから。君の素直な気持ちを、聞かせて欲しい」


 普段と視線の高さを逆にして、自分たちは見つめ合う。
 聞き覚えはあっても、名前の分からないクラシックが終わった。
 かすかに届く、レコードが変わる音。静寂の満ちた室内へ、曲が始まる前兆の空音が。
 そして――


「……はいっ。お願いします、なのです!」


 ――音楽に合わせ、今度こそ手は重なった。
 メキシコの作曲家によるワルツ、波濤を越えて。
 ゆったりとした旋律に乗り。
 とても小さな、秘密の舞踏会が、始まる。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「あぁ……。やっぱり、君たちは……」


 赤坂迎賓館の最上階。その更に上の、誰も立ち入れない屋根裏で、一人の女が膝を折っていた。
 身に纏うは、闇へ溶け込む黒い礼装。手元にある小型タブレットPCからはイヤホンのコードが伸び、彼女の耳へ繋がっている。
 音声だけでなく、位置情報や周辺環境まで読み取れる、最新鋭の軍用盗聴機材。その受信機器だった。


「欺瞞HUBを五重に仕掛けるとはな。……どういうつもりだ。兵藤」

「っ!?」


 突然の声に、女は――兵藤凛は、イヤホンと腰の銃を引き抜きながら上体をひねる。
 同じく、黒い礼装を着る男。梁島彪吾が悠然と歩み寄っていた。
 高密度ケブラー素材すら易々と貫通する、無音噴針銃マグネティズム・ニードラーを向けられているにも関わらず、表情は一切変わらない。
 むしろ、窓から差し込む月明かりに照らされ、より鋭利さを増す。


「だんまりか。過保護、という表現では足りぬ行為に思えるが」

「そっちこそ。ここまで露骨な手段を取るとは、らしくないね」


 梁島の手にも、兵藤が持つ盗聴機材と同じものが握られていた。
 桐林の肩に盗聴機を仕掛けたのは、パーティーの参加者でも、潜り込んだ他国の間諜でもなく、同じ国の能力者だったのだ。
 しかし、実際に音声を拾ってみると、彼はある事に気付く。
 同じ機材が近距離で使用されている場合、それを知らせるために混ざるノイズである。
 これは双方向に発信され、兵藤も自分以外の存在に気付いていたはず。だが、彼女はそれでも盗聴を続け、こうして背後を取られるという失態を見せている。
 目的を話すつもりのない梁島はさておき、いくら常識外れな行動が常の兵藤でも、弟子可愛さで礼装へ盗聴機を仕掛けるなど、不可解であろう。


「貴様がどんな立場にあるかなど、私には興味がない。だが、一つだけ言っておこう」


 けれど、梁島がその事情を考慮する義理もなく、つまらなそうに一瞥するだけ。
 用は済んだとばかりに背を向け、歩き去ろうとした刹那。ふと足を止め、彼は背中越しに言い残す。


「必要とあらば、誰であろうと躊躇しないぞ。一思いに、な」


 濃厚な敵意と、固い使命感に縛られた言葉だった。
 足音が遠ざかり、大きな背中が闇へ消えて数秒後。
 兵藤は銃を取り落とし、床に崩れ落ちる。


「ごめん、ごめんね……。でも、君だけは……っ」


 零れた雫は、音も立てず埃に吸い込まれていく。
 赤子のように丸まった小さな背中を、下弦の月だけが見ていた。










《超絶短いこぼれ話 とある家族の肖像》





「どうでしたか、彼は。気に入りましたか」


 深夜。
 東京にある別荘の執務室へ戻った桐谷が、ゆったりとした動作で椅子に腰掛ける。
 視線の先には、上から三番目の娘が居た。
 大きな机を挟み、やや離れた所にある応接セット。そこで座る眞理が、静々と父へ頷き返す。


「うん。良い人だと、思います。あの人なら、いいよ」

「それは重畳。わざわざパーティーを開いた甲斐があったというものです」


 
 期待通りの返答に、形ばかりの笑みが深みを増した。
 名家のコネクションを総動員し、本来なら軍が持つ費用も千条寺家で賄い、わざわざ襲名披露宴を開いた目的が、見事に達せられたからだ。


「桐ヶ森さんや電さんには申し訳ありませんが、全ては千条寺のため。第一夫人の座は諦めて貰いましょう」


 今回のパーティーは、桐林の名を冠した青年を、千条寺へと招き入れる布石に過ぎなかったのである。
 千条寺という一族は、非情なまでに実力主義を貫いてきた。
 たとえ当主の直系であろうとも、愚鈍であれば放逐し、外から優秀な血を呼び込む。
 故に、この家に生まれた女は、政略結婚の道具として扱われるのがほとんど。それを良しとするよう、幼い頃から教育もされる。
 十を越えない幼子である眞理もまた、千条寺の女として生涯を費やすことに、疑問を抱くことは無かった。


(不確定要素は多いものの、唾をつけておくに越したことはありませんしねぇ)


 軍人となった初年に生まれた長女は、すでに政府高官の子息と婚約している。次女も、姉に負けまいと自ら恋人探しを始めた。
 上二人と比べ、性格的に、婿取りには早いと思われた眞理だが、九歳にしては発育も良く、幼い姿の駆逐艦を愛してやまないあの青年なら、有効に作用するはず。
 全てが仕組まれた出会い。年の差に関しては言わずもがな。倫理にもとるのも承知の上で、“桐”相手ならば惜しくない。
 四女は小学生になったばかりであり、五女に至っては赤子。まだそういう段階ではないけれど、将来的には“力”のある男の元へ嫁ぐだろう。
 桐谷が男児を儲けられなかった場合に備える、ただそれだけの為。


「彼なら間違いなく、貴方を幸せにしようと努力してくれるはず。確実に射止めなさい」

「うん。頑張ります。頑張って、桐林てーとくを“ろーらく”します」


 けれど、血の繋がった娘を、ただ道具として扱っている訳ではないのだ。
 桐谷を相手取り、歯の疼くような甘さの持論を展開する男が、己が配偶者を大切にしないはずがない。
 既成事実さえ作れば、彼は応えずにいられない。愛されれば、愛し返さずにいられない。
 あれはそういう男だ。
 時間を掛けられるかが問題だが、今はゆっくりと外堀を埋め、逃げられないだけの状況を作り上げねば。
 娘の人生は千条寺に捧げさせる。
 だからこそ、その上で最高の幸せを提供するのが、桐谷の――千条寺優介なりの、愛し方だった。


「桐林てーとくの、お嫁さんになったら。わたしは千条寺から出る、んだよね?」

「ええ。そうなったら、しばらくは自由にしなさい。彼の姓を名乗るのも、あえて千条寺を名乗るも良いでしょう」

「じゃあ……。桐林てーとくにお願いして、この名前から、解放してもらえるかな。その為なら、どんな事でもします」

「……そんなに嫌ですか? 眞理杏瓊マリアンヌという名前は。覚え易く、特徴的で可愛らしいと思うんですが……」

「後半、いらない」

「そうですか……。平凡な名前よりかは、良いと思うんですけどねぇ……」


 存外たくましい娘に、桐谷は笑顔のまま落ち込む。
 千条寺 眞理杏瓊。
 漢字で書くと、苗字よりも名前の長いこれが、眞理のフルネームであった。
 常日頃から、「改名したい」「前時代の悪習」「キラキラ過ぎて失明しそう」と語っていた彼女。面通しが回りくどくなったのも、人前でフルネームを公表したくないと駄々をこねたからなのだ。
 しかしまさか、名を捨てるためだけに、戦略結婚にやる気を見せるとは。
 一応、愛情を持って名付けた父親として、悲しかった。ぶっちゃけ泣きそうである。
 だが、話はそれで終わらないらしく。


「それとね、お父様。だっぽーろり、ってなぁに?」

「……は? 今、なんと? 聞き間違いでなければ、脱法ロリ、と聞こえたのですが」

「うん、だっぽーろり。桐林てーとくが、お父様に聞けって」

「……ふ、ふふふ。そうですか。そうですか。そうですか……」


 聞き返さずにはいられない単語が飛び出し、今度は頬を引き攣らせる桐谷。
 脱法ロリ。
 どんなに頭を回転させても、他の変換候補が出てこない。
 いずれは肉体関係を持って貰わねば困るけれども、些かならず、腸が煮えくり返る。
 まぁ、発言者は桐ヶ森であり、誰に向けて発したのかを省いてしまった眞理が悪いのだが、思いの外、桐谷という男も過保護であった。
 桐谷と桐林。二人の男が、親子の契りを結ぶ時は来るのか。
 その答えは、神のみぞ知る事実である。










《こぼれ話 山城さんの弱点克服大(?)作戦》





「………………」


 現在時刻、一四○○。
 昼下がりの気怠さが漂う、横須賀は我が桐林艦隊の執務室にて、とある少女が険しい顔をしていた。
 肩を剥き出しにするシンプルな改造巫女服に、短めの黒髪を彩る、艦橋を模した髪飾り。扶桑型戦艦二番艦、山城である。
 見守るこちらの視線にも気付かず、彼女は真正面に立つ少女たちを見つめる。いや、睨む、と言った方が正しいだろう。
 それを受け止めるのは、ニコニコ微笑む駆逐艦、舞風ともう一人。
 水色と灰色の中間っぽい襟と、同色スカートのセーラー服……由良と同じ制服を着る、赤毛ショートの新人軽巡だ。
 舞風と違い、真剣な顔で山城と向き合っていたその子は、不意に両腕を掲げ――


「……パナイ島まじパナイ!」

「ふごぁ!? ……っ、ま、まだまだぁ!」

「おー。しぶといねー。じゃあ今度は私が……おっほん。
 今日は何日だっけ? そっか、七日なのかー。ついでに火曜かよ! なんちゃって」

「へぎゅる!? ふ、ぃ、くぅぅ……」


 ――山城へダジャレ攻撃を始めた。後には舞風が続く。
 新人軽巡、長良型五番艦の鬼怒が放った一撃で、山城のバイタルパートにヒビが。
 後ずさって持ちこたえようとするも、間を置かず追撃を受け、口元を押さえつつ前のめりに。
 なんとも言えない、珍妙な光景がそこにあった。


「……ねぇ、提督。あの子たち邪魔なんですけど。っていうか何してるの?」

「自分に聞かないでくれ」


 呆れ顔なのは、胸にクリップボードを抱えた第二秘書官、初風だ。
 今現在、この執務室には総勢七名の統制人格が詰めていた。
 つい昨日。襲名披露宴を終えたばかりの自分を待っていたのは、大量の始末書だったのである。
 原因? 青葉に決まってんでしょうが。
 あんのお馬鹿、取材にかこつけて、無断でテレビ出演なんぞしやがって……。
 おかげさまで上には怒られるし、書記さんには愚痴られるし、こうして始末書の山まで片付けなきゃならなくなってしまった。いい迷惑だよホント……。

 当然、本人も罰は受けている。現在進行形で。
 暴走を止めなかった白露型・最上型のみんなと一緒に、七十二時間耐久警備任務中だ。
 主犯以外はローテーションを組んでもらってるが、青葉“だけ”は常に旗艦。
 味気ない保存食でひもじい思いをするが良いわ。

 と、ちゃっちい復讐で思考を逸らす自分に対し、妹を見守っていた第一秘書・扶桑が、珍妙な光景の説明をしてくれる。


「なんでも、中将様の伊勢型の話を聞いて、対抗心を燃やしたらしくて。彼女たちに勝つためには、弱点の克服が必要だという結論に達し、それで……」

「確かに弱点といえば弱点だけど、方向性が違うと思うな、私。はい、初風ちゃん」

「あ、ありがとうございます。由良さん」


 ……しかし、説明なんだろうか、これ。どっちかってーと遊ぶ言い訳なんじゃないの?
 約束を果たしてくれたお礼だから――と、手伝ってくれてる由良のツッコミに、無言で頷いてしまう。


「なぁ、鬼怒。その特訓は執務室でやる必要ないよな?」

「そんなことないよー!
 自分から弱点を克服しようと思うなんて、凄いことなんだよ?
 山城さんの頑張ってる姿、提督にもちゃーんと見てもらわなきゃ!」

「そーそー。私たちも協力してるってアピールしないと、影薄くなっちゃうし」


 問いかけてみても、赤毛の少女は、舞風と元気一杯に胸を張るだけ。自重する気はないらしい。
 ちなみに、彼女が言った「パナイ島まじパナイ!」だが、壮絶な自虐ダジャレである。
 なんせ、鬼怒の沈んだ場所が、フィリピンはパナイ島近辺。五十機もの敵 航空機に爆撃されて、なのだ。
 それを笑い話にしてしまえる前向きさだけは、見習いたい所だけど。


「ふぅ、ふぅ……っ。ご迷惑なのは、承知ですけど……っ。扶桑姉さまの側なら、気合の入り方が、違いますから……っ」

「うんうん、頑張ろー! 改造した船はデカいぞー! なんてね?」

「ほぶっ!? ……ま、負けない……! 扶桑型戦艦は、こんな事で、沈まない……っ」

「え、脚立が邪魔? 早く脚立けなくちゃ!」

「はひぅ!?」


 舞風、鬼怒に畳み掛けられ、山城は仰け反ったり俯いたり。息も絶え絶えである。
 顔を真っ赤にし、声を出さないよう、涙目で口元を押さえてピクピクするその姿は、なんと言うか……。
 いやいや、止めとこう。ただでさえ、最近はセクハラ思考になりつつあるんだから。
 エロいなぁとか思っちゃイカンよ、うん。


「えっと……。仲がいいのは良い事だと、朧は思います」

「うーん。仲はいいんだろうけど、やっぱ別な場所でやって欲しいな……。はい、司令官。こっちも上がったわよ」

「ん。ありがとう、敷波」


 無駄な努力に勤しむ山城を放り出し、自分は始末書処理へ戻る。
 付近の机で手伝ってくれてるのは、特Ⅱ型でも真面目な方の二人。敷波と朧だ。
 綾波はオスカーの世話で忙しく、曙・漣・潮は、例の喫茶店へ遊びに行ったらしい。
 キチンと変装するよう、口酸っぱく言っといたから大丈夫だろうけど、青葉の後じゃ心配である。
 あの盗聴器も、いざ逆探を掛けたら無反応だったようで、オマケにもう一つ、襟裏にまで仕掛けられていた。
 心当たりがあるとすれば……。いや、考え過ぎか。とにかく、自分たちを探ろうとしている連中がいるのは確か。明日の朝礼でみんなに注意を促すか……。


「そういえば、敷波と朧って服の色が違うのね。同じ綾波型なのに」


 敷波から自分、自分から初風と渡った書類を確認しつつ、本日の第二秘書が首をひねった。
 スカートや襟だの袖口だのが茶色い綾波・敷波に対し、朧以降の四名が着るセーラー服は、茶色であるはずの部分が紺色なのである。
 デザイン的なものを考えると、吹雪型のそれに近い……というか、まんまだ。疑問に思うのも無理はない。


「たぶん、原因はアレだよね?」

「うん。朧以降の綾波型は、煙突が若干低く設計されていて、特ⅡA型とも呼ばれるから」


 机に戻った敷波と顔を見合わせ、朧が書き損じた始末書の裏で、お絵描き解説してくれる。
 もともと綾波型は、前級である吹雪型と比べて艦橋が大きく、ボイラーへ海水が入るのを防ぐため、吸気口の形を変えたりしてある。
 加えて、煙突の高さがちょっとだけ低くなっているのが、朧型とも称される四隻の特徴だった。
 こういった様々な仕様変更が、衣装の違いとして現れているらしい。
 文字を書く手を休めず、由良は感心したような表情だ。


「長良型も、長良ちゃんたちと私たちとで違ってるから、凄いこだわりを感じるかも」

「いや、自分にデザイン能力なんて無いはずなんだけどね……。ここまで個性豊かだと、なんか別の意思が働きかけてる気がするよ」

「別の意思、ですか……。あり得なくもないのが、怖い所ですね……」


 一方、扶桑の顔色は優れない。
 普段から血色が悪いというか、幸薄そうなのは置いておくとして。不安に思う気持ちも理解できた。
 一般的な統制人格というのは、統計上、あくまで能力者の内から発生する存在だ。
 その容姿も、服装も。感情に目覚めた後の立ち振る舞いでさえ、能力者から抽出されたエッセンスを元に構成される。

 だが、扶桑を始めとするこの子たちはどうだ。
 多少は似通っている部分もあるだろう。けれど、総じて“別人”と判断可能な、多様性に富んでいる。
 無茶な母港拡張が許され、艦船の励起を続けられているのも、これが能力解明に繋がると見込まれているから。
 ただでさえ分からない事だらけな現状で、統制人格の誕生に働きかけられる意思が存在するとしたら、それは。
 ……やめやめ。不安を煽る様な考えはよそう。
 せっかくの平穏な一日。もっと楽しい事を考えなくては!


「まぁ、見てる分には楽しいし、別の意思様々だけどね。
 毎日が女子学生服博覧会だよ。
 扶桑たちみたいな巫女服もあるから、伝統衣装博覧会でもあるかな?」

「……司令官。その言い方はちょっと……」

「普通に引くわ……」

「お、朧は、ノーコメントでお願いします」

「え゛」


 ……あれ。気を遣ったはずなのに、なんか引かれてる。
 敷波も、初風も。朧ですら視線を合わせてくれない。
 由良は書類に集中しているみたいだし、鬼怒・舞風・山城は相変わらず「金曜カレーのお供は?」「フライでー!」「ぬふぅ!?」とかやってるけど。
 お、おっかしーなー? 最近、こういう匙加減を間違えてばっかりな気がするぞー?


「失礼しまーす」

「提督。兵装開発の現状報告に来ましたよ」

「ついでにアタシも来ましたよ~」


 どう言い訳しようかと冷や汗を流していたら、不意にドアがノックされ、三人の少女が入ってきた。
 順に、北上、大井、主任さんである。
 そういえば、ここ最近は彼女たちに開発を任せてたんだっけか。いや、視線の向きが変わって助かった。


「い、いいタイミングで来てくれた。どんな具合だ?」

「……まぁた変なことでも言ってたんですね。これだから……」

「まぁまぁ大井っち。せっかく良い報告ができるんだから、ね? ほい、報告書」


 表情は取り繕ったはずなのだが、大井には一発で見抜かれたらしく、視線の温度が下降気味。北上が間に立ってくれなければ、皮肉と嫌味の二重奏が響いていたことだろう。
 うーむ。惚れ薬事件があってからというもの、前以上に当たりが強くなったような……。
 騙したのは一応バレてないはずだし、如月に至っては飲んだことすら覚えておらず、逆セクハラも復活した。副作用なんて無いはずだろうに、どうして?
 ……まぁ、今はいいや。先に報告書を受け取って、いそいそ進み出る主任さんの話を聞かなくちゃ。


「では、口頭での報告は開発主任であるアタシから……。
 発注を受けていた、六十一cm五連装水上魚雷発射管、後期型の十二・七cm砲、対空電探や水上電探。
 その他もろもろの艦載機など、無事に開発を終了しました!」

「だいぶ時間はかかったけど、やっと数が揃ってきたよー。とりあえず、五連装を一基だけ載せてみたんだけど、似合ってるでしょー」

「魚雷発射管はまだ二十基ほどですが、一つの水雷戦隊に行き渡るくらいにはなりました。面での制圧力が変わりますね」

「うん、把握した。お疲れ様でした、主任さん。二人もご苦労さん」


 報告書の下には、納品書も添付されていた。
 船の戦闘力というものは、練度が上がれば多少なりとも向上するけれど、やはり兵装に頼る部分が大きい。
 あの戦いで力不足を痛感した今、戦力を底上げするために、おざなりだった新規開発へ力を注いでいるのだ。
 四連装発射管から、単純に二割五分増しの雷撃力を得られる、五連装発射管。
 大戦中にもマイナーチェンジを重ね、より高性能となっていく小口径主砲塔。
 そして、性能こそ低めなものの、有ると無しでは大違いな電探類に、あらたな艦載機である紫電改二、流星、彩雲などなどなど……。とにかく大量だった。
 初風も、北上の左腕に据えられた発射管を、興奮気味に見つめていた。


「五連装発射管……。島風専用だった兵装が、ついに……!」

「えっ、ホントにホントにっ? すっごいじゃん、流石はスーパー北上様だね~」

「五連装かぁ~。アタシも一回載せてみたい、かな?」

「うん。興味ある」

「ちょ、ちょっとー、駆逐艦寄ってくんなー」

「こら貴方たち! 私の北上さんに馴れ馴れしく……!?」


 さらには、舞風・敷波・朧までも寄ってたかり、逃げ出す北上と追いかけっこが始まる。
 大井の顔が怖い事になってるが、自分としては微笑ましい光景だ。
 扶桑や由良も、騒がしい水雷戦隊を優しく見守っている。
 彼女たちを作り上げ、慈しんで整備する少女もまた、同じように。


「いや~、みんな元気ですね~。ますます賑やかになっちゃって」

「ええ。それもこれも、主任さんがしっかり仕事をしてくれてるからですよ。いつぞやと違ってって」

「お。やった、誉められちゃった……のかな。なんか引っかかる。あぁ、そう言えば。実は提督さんにお願いが……」

「はい?」


 小さくガッツポーズして見せた主任さんは、何か頼みごとでもあるのか、執務机を回り込んで来た。
 珍し――くもないな。発注書のゴマカシなんか日常茶飯事だったし。
 ともあれ、内緒にしたい話でもあるらしく、身を屈めた彼女がこっそり耳打ち。


「あーもー、駆逐艦ウザ――」

「失礼しますぅ! 提督、ちょっと匿ってぇ!!」

「――いぎゃっ」

「あっ、北上さぁん!?」


 ――しようとした、正にその瞬間。北上が吹っ飛ばされた。
 勢いよく開いたドアが、運悪く通りかかった彼女に直撃したのだ。
 ドアの陰でうずくまる北上。それを気遣う大井。硬直するその他大勢。
 重い沈黙に、加害者の少女――光沢のある金髪ツインテールと、こだわってセットしているらしい前髪が特徴の、長良型軽巡洋艦・阿武隈が、ポカンと周囲を見回す。
 あっちゃぁ……。やっちゃったよ……。


「……あれ。みんな、どうしたの?」

「阿武隈。右向けぇ、右」

「へ? ……うわうっ!? き、北上さ……!?」


 死角になっているせいで、なかなか北上に気づけない阿武隈。
 仕方なく号令をかけてあげると、立ち昇る怒気に彼女は恐れ慄いた。
 ゆらり。北上が立ち上がる。


「あぁぁぶぅぅくぅぅまぁぁ……」

「ち、ちちち違うのっ、全身タイツの球磨さんに『こうなったら道連れクマァ……』って追っかけられて、急いで逃げてたから、悪気があった訳じゃなくて……」

「ゆ・る・さ・ん。何度も何度もぶつかって、このっ、このっ!」

「いゃあぁぁあああっ、やめて、前髪グシャグシャにしないでぇぇぇ」


 真っ青な顔で脅える阿武隈に対し、鬼怒雷巡は容赦しない。あ、“きぬ”じゃなく“おにおこ”で御座います。
 丹精を込めた前髪へ手を伸ばして、思いっきりグシャグシャにしている。不可抗力とはいえ、過去の遺恨は残っているようだ。
 それと言うのも、かつての北上と阿武隈は、大規模演習中にゴッツンコしてしまい、阿武隈は艦首を破損。北上に至っては大破してしまった過去があるのである。
 突然の舵の故障が原因とされ、加えて夜間の演習でもあり、不運が重なった結果とも言えるのだが、「追突されたあたしは被害者」「舵が壊れたせいでアタシのせいじゃないもん」と、両者の主張は平行線を辿っている。
 まぁ、本気で啀み合ってる訳じゃなさそうだし、注意すれば治るから大丈夫なんだけど……。


「あんの新参者の小娘ぇ……。北上さんと、北上さんとあんなに激しくもつれ合うだなんて……っ。魚雷、酸素魚雷はどこ……?」

「駄目よ大井さん、落ち着いて。ね、ね?」

「っはぁ、はぁ、ふ……。ん? なんだか人が増えてませんか?」

「おー、ホントだ。いつに間にか阿武隈ちゃんまで来てる。仲間が一杯で、嬉しいねー!」


 ……問題は、そんな二人にすら嫉妬する、ガチレズさんであった。由良が大急ぎで止めなければ、マジで惨劇が広がっていた事だろう。
 呑気な山城と鬼怒が羨ましいよ……。あ、“おにおこ”じゃなくて“きぬ”(略)。
 とか、バカなことを考えていた時だった。《ジリリリリッ》、と、机に置かれた黒電話が鳴り響く。
 見た目は古臭い黒電話でも、中身は最新鋭。簡易プロジェクターで発信者の名前が空中に表示される。
 ふむ、書記さんか。仕事の連絡かな。


「はい、桐林執務室」

『あ、提督ですかっ? 今すぐニュース番組をご覧になって下さいっ!』

「へ? 一体どうし――」

『いいから早く!! もうっ!!』


 耳をつんざく大声に、堪らず受話器から距離を取ってしまった。
 な、なんなんだ? そんな怒らせる事――しっぱなしだけど、今日はまだ心当たりがないぞ?
 書記さんのこんな声、久しぶりに聞いたな。扶桑にも聞こえたみたいで、ビックリしてる。


「どうなさいました、提督……? 何か、切羽詰まったような声が……」

「いや、書記さんがテレビをつけろって……」

「……? とにかく、見てみましょっか。アタシは後回しでも良いんで」

「すみません、助かります」


 プー、プー、と鳴り続ける受話器を置き、とりあえず席を立つ。
 主任さんと扶桑を伴い、もはや誰もが職務放棄している執務室を横切って、金剛ソファでリモコンをポチッとな。
 やや斜め前に設置された大型テレビは、どんな天災にも負けずに、アニメや映画を流す放送局を写し始める。
 喧嘩中の北上・阿武隈、暴走中の大井と、それを食い止める由良を除いたみんなも、何事かと集まってきた。


『――したが、電磁スクリーンを抜くためには、スペクトル解析機だけではなくて、解読プログラムも必要なんですよね?』

『はい。しかも、迎賓館で使われていたのは軍の最新式なはずです。
 常時変化し続けるスペクトルパターン……。それを突破されたとなると大問題ですよ。
 内部犯でないのなら、犯人はウィザード級のクラッカーと言えるんじゃないでしょうか』


 しかめっ面をする男性キャスターと、解説者らしき女性。画面右上には、生放送であることを示すロゴがアニメーションしている。
 なんだか重い雰囲気だな……。
 発言から察するに、襲名披露宴をパパラッチされたらしい。確かに問題だ。
 ……まさか、桐ヶ森提督とのダンスを撮られたりしてないよなぁ?
 いや、たったの数分だし、電磁スクリーン越しじゃあ、そもそもテラスへ出たのすら――


『えー。本日は番組の予定を変更してお届けしています。
 つい三十分ほど前、日本全国の各テレビ局へ、旧式カメラによる写真が送られました。
 それは、桐林提督・桐ヶ森提督と思しき、男女のキスシーンではないかと予想され……』

「ブッッッッッ!? な、なんでっ!?」


 思わず、テーブルへ身を乗り出していた。
 画面に映し出された写真。高所から撮ったらしい、暗がりの迎賓館。背を向ける礼装の男性と、向かい合う白いドレスの少女。
 映像が切り替わる毎に、男性の首へと細腕が伸び、やがて影は重なる。間違いなく、自分と桐ヶ森提督の写真だった。
 顔には目隠しが入っているけれど、全身像はハッキリと。どんなドレスを着ていたかなんて、出席者に確認すれば一発だろう。つまり身元はバレバレ。
 悪質なイタズラ、加工されたCGとしてゴリ押そうにも、旧式の写真というものは、今なお裁判に採用される鉄板の証拠品だ。
 一番勘違いされ易いシーンが、よりにもよって全国ネットワーク流出?
 ……なん、でやねぇええぇぇえええんっ!?


「あのぉ。もしかして、提督ってモテる人なの?」

「やっ、ちがっ、えっ!?」

「で、でも、あの後ろ姿って提督……だよね? 鬼怒にはそう見えるんですけど」


 いつの間にかコブラツイストを掛けられていた阿武隈が、呆然とする皆を代表して問う。
 全力で狼狽えつつ、自分はなんとか否定を返すも、復帰した鬼怒の見解は正解で……。


「そっ、そうなんだけどっ! 違うんだ、自分で否定するのも悲しいけど、キスなんかしてない! あれは頭突きされただけで……」

「見苦しい言い訳……。見損ないましたよ提督。電ちゃんというものがありながら、公然と浮気だなんて。不潔です。ねぇ北上さん?」

「いやホントなの! ファーストキスだってまだなんだから! き、北上は信じてくれるよな? なっ?」

「……ごめん、提督。今、ちょっと何も考えらんない」

「痛い!? そう言いながら締まってるぅ! いい加減離してってばぁ!」


 身振り手振りを交え、必死に言い繕うけれど、大井からは軽蔑され、北上は顔を背けがらツイストをキツく。
 周囲のみんなに目で助けを求めるも、誰一人として視線を合わせてはくれなかった。
 扶桑はチラチラテレビを伺い、逆にガン見しているのが山城と由良。不穏な空気に右往左往する鬼怒を、朧が宥めている。
 初風と敷波なんか、手にしていたクリップボードやペンを落として愕然と。


「えっと……。アタシは提督さんを信じますよ? 提督さんにそんな甲斐性なさそうですし」

「ありがとうございますぅ……って言っていいのか分からないぃぃぃ……ん?」


 唯一、主任さんだけが、苦笑いで肩を叩いてくれる。
 でも嬉しくない。そういう信頼のされ方は嬉しくありません!
 と、むせび泣く自分の耳に、遠くからの地響きが聞こえてきた。
 何かがトンでもない速度で走っているようなそれは、どうしてだか執務室の前で止まり。


「テェェェェェェェェトクゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!! あの画像はどーいう事デスかぁあぁぁあああっ!?
 ワタシと、ワタシと踊った後に、他の女とLove Sceneを演じるだなんて……。きっちりきっかり説明してもらいマース!!」

「こ、金剛さんっ、落ち着いて欲しいのです! あれは違うのです、みんな勘違いしてて……」

「何を言ってるデスか電っ? Youがそんなんじゃテートクが調子乗りマス! ここはしっかり首輪Collarを締めるべきなのデース!!」

「ぎゅぐぃ!? こ、金剛っ、ぐ、苦しい……っ!?」

「間違ってるのですっ、締めるのは首輪じゃなくって手綱なのですぅ!」


 鈴谷に壊されたばかりのドアが、今度は金剛によってブチ壊された。
 彼女の腰には、必死な顔で弁解してくれる電がしがみ付く。
 しかし、ヒートアップした金剛には無意味なようで、テーブルへ飛び乗った勢いのまま、前後に揺さぶられる。


(ヤバい、このままだとマジで窒息し……。あ、なんか爺ちゃんと婆ちゃんが見える……)


 朦朧とする意識の中、天国にはいないはずの祖父母――っていうか、知らない老夫婦の姿が見えたのを境に、自分の記憶は途切れるのだった。
 いやマジで誰ですかあなた方ぁ!?
 にこやかに手招きしないでぇええっ!?




















 ……俺にも一本くらいフラグ立たねぇかなぁ!!!!!!(筆者、心の叫び)
 という訳で、仮面舞踏会・後編。フラグ乱立回でございました。
 アイリちゃんとの外堀が埋まり、マリちゃんは改名の為に忍び寄り……。どっちにしても大変ですね。ケッ。
 似た者同士な桐谷親子、暗躍する海軍の双璧なども含め、これにて物語的なフラグ立ても終了です。
 あと二~三回ほど緩ーい話を更新したら、第四章へ向けてシリアス一直線になりますので、今のうちにお覚悟を。
 それでは、失礼いたします。


「書記さん、大丈夫かい? 司令官が迷惑をかけて、本当に済まないね」
「お茶を持ってきたから、一息入れましょ? そのままじゃ倒れちゃうわ」
「あら……。響さんに、暁さん……。お心遣い、感謝いたします……。あと、一通だけ……。提督宛の、電報を、確認しますので……。お待ちに……。くぅ……」
「……寝ちゃった。せめてもの償いに、ワタシたちで確認しておこうか」
「そうね。レディーたるもの、お手紙チェックくらいお手の物なんだから! えっと……家族会議招集? あれ、この差出人って、司令官の?」
「嫌な予感がしてきた……」





 2015/06/06 初投稿
 2015/06/07 誤字修正。毛の宿る提督様、ありがとうございました。なまじ読めるだけ見過ごしちゃうんですかねぇ……。今後もご協力お願いいたします。







[38387] 新人提督と愉快な仲間たちの里帰り・前編
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/06/28 20:43





 まるで生き地獄だ。

 ガスストーブが焚かれ、背中と右側を襖で、残る左を雪見窓のついた障子で塞がれた、十六畳の和室にて。座布団の位置を直しながら、つくづくそう思う。
 床の間には「撥乱反正」と書かれた掛け軸が飾られ、漆塗りの大きな座卓が置かれるそこで、自分“たち”は二人の人物と向かい合っていた。
 正面は腕を組む男性。刈り込まれた短髪と角張った顔が特徴で、料亭の板前と言っても通用する雰囲気を放っている。
 はす向かいの女性は、肩ほどに切り揃えられた茶髪を持ち、柔和な笑みを浮かべている。
 二人とも、ごく一般的な洋服――よく伸びーるフリース素材で身を固めていた。


「あの……。なんで“俺”にだけお茶無いの……?」

「あら御免なさい、忘れてたわ。でもまぁ、仕方ないわよね。何通も手紙出してるのに、一通も返事を寄越さないようなバカ息子の母親だもの。おっほっほっほっほ」

「何その笑い方、気持ちわる。ま、無い方が助かるけどさ……」

「 あ ぁ ? 」

「ごめんなさい母さん許して下さい! 親父からもなんか言ってくれよぉ!?」

「今回は、お前が悪い」

「そんなぁ……」


 しかし、見る者を和ませていた笑顔は、自分の一言によって般若へと変貌。
 隣の男性――親父へ助けを求めるも、すげなく突き放されてしまった。
 そう、この二人は自分の……世に桐林として名を知られる能力者の、両親だった。


「さ、差し出がましいかも知れませんが、あまり責めないであげて下さいませんか? 立て続けに、様々なお仕事が舞い込んでいましたから、きっと忙しくて……」


 思わず机に崩れ落ちる自分を、左隣で正座する“彼女”が、苦笑いを浮かべつつフォローしてくれる。
 どんな状況でも気遣いを忘れず、ひたむきに支えようとするその人は、和装に身を包む妙齢の佳人――鳳翔さんである。
 スッと伸びた背筋が美しく、それを見た母など、まるで貴婦人を相手取るように畏まってしまう。
 まぁ、確かにそう扱ってほしい人だし、良いんだけども。


「すみません、お見苦しい姿を……。ところで、もう一度お名前を伺っても?」

「はい。横須賀にて、身の回りの世話を任されている、鳳翔と申します。いつも新鮮な卵を送って頂いて、とても助かっています」

「まぁまぁ、そんなお礼なんて。キチンと代金いただいてる訳だし、ねぇ?」

「足しになるなら、こちらとしても」


 主婦特有の謙遜に巻き込まれた父は、言葉少なに目を伏せる。
 緊張しているわけでも、嫌々付き合っているわけでもない。ただ単に、無口なのだ。
 物々しい見た目と相まって、怒った時の迫力は抜群である。


「ほうしょう、ほうしょう……。答え辛い事だったら申し訳ないんだけど、大陸の方だったり?」

「あ、いえ。産まれも育ちも日本です。私は、航空母艦の――」

「あぁあぁ、なるほど。空母から取ったのね。戦争が始まってから増えたものねぇ、軍艦の名前を持ってる子」

「いえ、そうではなく……」


 鳳翔さんの自己紹介を遮り、勝手に納得し始める母。
 世に傀儡能力者が現れてからというもの、能力者が使役する船たちは、以前にも増して特別な存在となった。
 そして、特別なものにはあやかりたいと思うのが、自分も含めた一般大衆というもの。現に、学生時代のクラスメイトにも何人か、軍艦の名前を持つ子が居たもんだ。
 といっても、響とか深雪とか摩耶とか、普通に名前として通用するものばかりだったから、それとは知らなかったが。
 しかし、見事に勘違いしてるな、母さん。早めに誤解を解かないと……。


「息子は、軍人として、どうでしょうか」

「……はい。とても立派な方だと思います。
 戦いに身を置く以上、否応無く辛い思いを強いられてしまいます。
 けれど、常に笑顔を忘れず、逆に周囲を笑顔にさせてくれて……。
 こうしてお仕え出来るのは、私にとっても幸せな事です」

「そう、ですか」


 親父は親父で、なんだか薄ら笑いを浮かべている。
 ……喜んでくれてるんだろうけどさ。笑い慣れてないせいか、ちょい不気味です。
 自分としても、珍しく褒めちぎられて恥ずかしい。
 意に介してないのは、座卓へ身を乗り出す母くらいのもので……。


「全くもう。あんたね、こんな良い人を捕まえてるんだったら、もっと早くに紹介なさいよ。夏だって帰ってこなかったし」

「いやだから……。本当に忙しかったんだよ、あの頃は。色々あって……」

「ふぅん。ま、軍に居るんだし、言えないことも多いか」


 責めるような物言いに、しかし、口を濁すことしか出来ない。
 ご多聞に漏れず、軍も長期休暇を取れる期間が夏にあるのだが、ちょうどその頃、自分たちは硫黄島航路開拓任務を遂行していた。
 オマケと言ってはアレだけど、あの任務で自分も負傷し、長期休暇の事なんて頭から吹っ飛んでいたのだ。だから仕方ないのである。
 ……なんて、言い訳できれば楽なのに、桐生提督の事もあって未公表だから、誤魔化すしかなかった。心配させたくないし。
 けれども、一応軍人の身内だけあって、多少は理解があるらしく、母はすんなり引き下がる。
 引き換えに――


「なら、まずは二人の馴れ初めでも聞かせて貰いましょうか」

「いえ、その。私と提督は、お母様の思っているような関係では――」

「お母様! ねぇ聞いた? お母様だって! うちのアホ娘共に聞かせてやりたいわぁ」

「あの、き、聞いて下さいっ。とても大事なことで……」


 ――面倒臭い事この上ない、勘違いに基づく話題を展開しつつ。
 なぜこうなったのかを説明するには、少々時間を遡らなければならない。
 それは、今から三十分ほど前の事である……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「はぁ……。あ~……。ふぅ……」


 法定速度で移動する、住宅と標識たち。
 流れ行く街並みをぼうっと眺めながら、マイクロバスの助手席に座る自分は、ひたすら溜め息をついていた。
 いっそドナドナでも歌い出したい気分なのだが、実際やると面倒かつ性質の悪い連中が湧くので、我慢するしかない。
 そのストレスが一層に気持ちを暗くさせ……。嫌な悪循環だった。


「……すまないが、司令官。運転中にずっと溜め息をつくのはやめて貰えないか? 集中できなくなる」

「だって……。気分的にどうしても出ちゃうんですよ……。あ、そこ左です」

「うむ」


 運転手を務めるサイドポニーの女性――那智さんは、後方確認ついでに、迷惑そうな視線を向けてくる。
 そりゃあね、物凄く気分を害しちゃってるのは理解してるんですよ? でも……。


「長閑な街並みですね。鎮守府近辺とは全く違って、なんだか落ち着きます」

「ホントホント。畑が一杯だわ。あれって白菜かしら?」

「なのです。ああやって葉っぱを縛ると、中が甘くなるって本で読んだのです」

「あっ! 鳥も飛んでるわ! 白鳥かな、白鳥よねきっと! 真っ白で綺麗ー」

「丹頂鶴の可能性もあるよ、暁。でも、白鳥だとワタシは嬉しいな。シベリアは寒かっただろうね……」

「んな事より、まだ着かねぇのかよー。退屈過ぎて寝ちまいそうだぜ、オレ。霞もそうだろ?」

「……確かに。天龍さんの言う通り、ただ景色を眺めるのも飽きてきたわ。この景色が嫌ってわけじゃないけど」

「あたしも結構好きー、のんびり出来そう。大井っちも来れれば良かったのになー」


 ……背後で騒いでるみんなとの温度差が、また溜め息を誘うんだよなぁ……。
 今年も暮れに差し掛かった頃。
 くたびれたスーツで身を固めた自分は、統制人格を十名ほど連れ、一路、関東にある実家へと向かっている。
 発言順にメンバーの名前を挙げると、鳳翔さん、雷、電、暁、響、天龍、霞、北上。プラス那智さんである。
 那智さんが運転席、自分が助手席に座り、那智さんの後ろに鳳翔さん、天龍、霞。自分の後ろに雷・電、暁・響、北上が座っている。一番奥のラスト一人については……後で触れよう。
 天龍たちに続き、普通自動車・中型自動車免許を取得した那智さんに運転を任せ、悠々自適な二泊三日の旅……となるはずが、何故こんなに落ち込んでいるのか。
 理由は、ほんの二十一時間前に送られてきた、とある電報にあった。


「しかし、急とはいえ年末の里帰り。普通なら喜ぶべきだろうに、何を嫌がる事がある?」

「そりゃね、普通に自分のタイミングで帰るんだったら楽しみですよ。でも……うぅぅ……そのまま信号を三つほど……」

「司令官さん。どうして、そんなに“家族会議”を怖がってるんですか?」

「そうですね……。ちょっと物々しい雰囲気はありますけど、そこまで怯えるほどの事では……」

「なのです」


 ますます気落ちする自分に対し、電と鳳翔さんが示した、家族会議という言葉。
 これが、件の電報に書かれた文だ。より正確に言うなら、「家族会議招集」という一文になる。
 普通に考えれば、ちょっとヤンチャしちゃった子供が、親に叱られる構図を思い浮かべるはずだ。
 その点に関しては間違っていない。


「もう身体に刻み込まれてるんだよ。家族会議=辱めの場って。それに、“桐”を襲名したのも黙ってたから、多分その事を責められる……」


 だが、幼い頃から繰り返し行われたそれは、もはやトラウマに近い恐怖感を与えてくるのである。
 幼稚園。当時は好き嫌いが激しく、作ってもらった弁当をひっくり返しちゃった事へのお叱り。
 小学二年。手放し運転の自転車で、近所の田んぼに突っ込んだ事へのお叱り。
 小学五年。姉の友人に想いを寄せていることがばれ、それに対する余計な応援。
 わずか一週間後。傷心の自分をどうやって慰めるか、ヒッソリ深夜に集合。トイレに起きたら目撃しました。
 その後も枚挙に暇がないのだけれど、黒歴史を思い出すのが嫌なので割愛する。
 とにかく、厭しさ(造語)と切なさと心苦しさ満点のイベントなのだ。
 無視なんかしたら、まず間違いなく横須賀へ乗り込んで来るだろう。そうなれば“また”鎮守府が大混乱に陥るので、急遽、この里帰りが実現したのである。
 ちなみに、今も自分が横須賀に居ると思わせるための、偽装工作も行われている。情報漏洩は無いといいんだけど……。


「黙ってようかと思ったけど、言わせて貰うわ。自業自得じゃないの? 」

「うぐ。えーえーそうですよ……。霞の言う通り、大抵は調子乗った自分が、ただ叱られてただけだよ……。
 木登りして降りられなくなったり、ザリガニをバケツ一杯に取ってきたり、セミの抜け殻を壁一面に飾ったり……。
 あぁぁぁぁ、なんであんな事したんだ自分はぁぁぁぁぁ……」

「若さ故の過ち、ってヤツか? 認めたくねぇモンだよな……」


 後ろの方で景色を眺める霞は、呆れた顔で小さな溜め息。そのさらに後ろでは、天龍が赤い彗星っぽい事を言いつつ、溜め息をついていた。
 いつの間に見たんだ、初代ガン○ム。確かに共有PCの中にあるけどさ。誰が入れたんだか分からない全シリーズが。
 ってか、なんでついて来たんだ霞? 自分、付き添い頼んでないぞ?


「はぁぁぁ……。帰りたくない……。どうせ桐ヶ森提督との関係を誤解されてるし、説明面倒臭い……」

「こら。シフト操作の邪魔になるではないか」


 思わず、助手席の肘掛けへ額を擦り付け、自分はうな垂れる。
 面倒臭いのは何も、“桐”の襲名を隠していた事だけじゃないのである。
 全くもって予想外な、桐ヶ森提督とのキスシーン流出。
 もちろん誤解なのだが、世間一般には“そういう関係”だと認知され、殺害予告がネット上に乱舞。百を越える身柄拘束者まで出た。
 面白そうなネタがあれば、後先考えず報道したがるブン屋共に、怒りを禁じ得ない。青葉だって空気くらい読むぞ? 引き換えに財布は軽くなるけど。
 金剛の暴走だって、電が必死に執り成してようやくだったのだ。それが、手紙で「早く子作れ長男」とせっつく母だったなら……。
 あぁぁぁ、考えたくもないぃぃ……。


「うんうん、大変ね。でも私は、会ってキチンと説明してほしい、司令官のお母さんの気持ちも、理解できるかな」


 ぽすん、と。頭に手を置かれる感触。電の隣、通路側に座る雷だ。
 細い腕をめい一杯伸ばし、頭をナデナデしてくれている。……気持ちいいけど、そろそろやめて。恥ずかしい。
 電さん、真似しようとして腕を伸ばしてるけど、シートベルトに阻まれて「届か、ない、のですぅ」とか言ってるし。本気出されたらマズいです。
 それはさておき。ナデナデ攻撃を続ける雷のあとには、席の隙間から顔を出す響が賛同する。


「前に金剛さんから聞いたけれど、軍へ入る時、家族に泣かれたんだよね。司令官の事が心配なんだよ。
 ましてや、大きな危険にさらされる“桐”かも知れないと分かった、今のお母さんの心情。察して余りある」

「……かなぁ。あ、次の信号を右で、あとは道なりに行けば大丈夫です」

「了解だ」


 言われて記憶を振り返ると、本気で家族に縋り付かれたのは、あの時だけだった……ような気がする。
 不道徳な事をしたならば、鉄拳制裁で無理やり軌道修正を図るような母を。
 弟を我が物のように扱い、からかって玩具にする姉たちを。
 ただ一度だけ、弱々しいと感じた出来事だ。


「きっとそうよ。だって、あの後ろ姿だけで司令官だって確信しちゃったんでしょ? お母様、凄いと思うわ」

「だねー。あたしたちはいっつも見てるから分かるけど、半年以上離れてたのに、だもんね」


 それを知らないはずの暁、北上も、響たちと同意見のようで。車内には和やかなムードが広がる。
 あの電報が送られてきた理由は、おそらく彼女たちの言う通り。後ろ姿だけの写真で、桐林が息子であると確信したから、としか考えられない。
 じゃなきゃ、あんなタイミング良く、追加料金まで払った速達が送られては来ないだろう。
 愛されている、愛してもらっている証拠、なんだろうけど。
 ……く、くすぐったい。家族を褒められるって、自分自身を褒められるよりも全身が痒くなる!
 早急に、早急に話題を逸らさねばっ。


「ま、まぁ、母さんの事は置いといて。自分が一番面倒臭いと感じてるのは、別の事だよ。分かってるよな?」

『………………』

「……あれ?」


 ちょっと。なんで急に黙るのさ、みんな。
 強引な話題転換に、和やかムードは凍りつく。誰も彼もが窓の外を眺め、口を閉ざしてしまった。
 そのせいか、今まで届かなかった囁き声が、最後部の座席から聞こえてくる。
 今まで、可能な限り意識の外へ置いていた彼女の名は。


「She that would the son win, must with the mother first begin.
 将を射んと欲すればまず馬を射よ。桐ヶ森提督には負けられないデース……。
 テートクのお母様に好印象を与えて、着実に……。フフュ、フィッフフフ……」


 まぁ、当然の如く金剛だった。
 一体どんな想像をしているんだろう。ヨダレを垂らし、イっちゃってる目付きが怖い。
 里帰りするのが決定した時も、行くのが当たり前な顔で背後に待機していた。「連れてかなかったら呪いマース」という怨念が聞こえてくるほどで、生きた心地がしなかったです。
 他の同行者の参加理由としては、金剛を連れて行くなら電も連れてかないと後が怖いし、「電が行くなら私たちも行くわ!」と引かなかった暁型三名に、龍田から強く推されて同行した天龍。北上は「面白そうだからやっぱりあたしも」と出発直前に乗り込んできて、霞もなぜだかそれに続き……という感じだ。
 ちなみに、大井もついて来ようとしてたみたいだが、実家ってとこで悩んでいるうちに出発してしまった、というだけである。
 暁たちや北上の理由はまだ分かるけど、他が全く分からない。暴走気味な金剛を含め、不安だ……。


「おい司令官。もしかして、あれか?」

「ん? あぁ、そうですそうです。とりあえず路肩に」

「心得た」


 ――と、暗い先行きに背中を丸めていたら、不意に那智さんが前方を示す。
 周囲の風景も変化し、閑散とした住宅街から、だだっ広い田園地帯へ。そんな中で見えてくる、大きな瓦屋根と背の低い垣根。
 未だ舗装されていない、土の道の向こうにあるそれが、自分の生まれ育った家だ。
 門代わりの垣根の境まで行くと、古き良き時代を思わせる、古民家の全貌が明らかになる。


「わあぁ……! 鳳翔さん、雷ちゃん、見て下さいっ、すっごく大きなお家なのですっ」

「本当に。こんな御屋敷で暮らしてらしたんですね、提督」

「すごーい……。何十人も一緒に住めそう……」

「あはは。といっても、使ってない部屋ばっかりだし、自分の部屋は六畳一間だったんですけどね」


 左右に軒が伸び、障子と窓ガラスの二重構造で締め切られた、近代風の日本家屋。
 松の木や藪などが適当に植えられ、五十m走くらいなら余裕で出来る、無駄に広い庭。
 今となっては見ることも少ない、昔ながらの風景だった。
 まぁ、隣の家と一kmくらい離れてるし、不便なことも多いんだけど……。


「ずいぶんな大きさだね。建坪はどのくらいかな」

「さぁ? 木造一階建てで、少なくとも三百平米以上はあると思うけど。
 昔この辺に、こういう家に傾倒してた地主が居たらしいんだけど、身寄りがないまま亡くなってさ。
 浮いた土地を家ごと親父が手に入れて、自分で改造したらしいんだ。維持費だけでカッツカツだよ」

「ええと、平米は平方メートルのことで、一坪は約三・三平方メートルだから……?」

「ざっと見積もっても百坪以上かー。凄いねー」


 興味津々らしく、響や暁、北上まで窓にへばり付いている。
 反対側に座っていた天龍も、身を乗り出すようにして眺めていた。


「もしかして、司令官の実家って金持ちだったのか?」

「いいや。せいぜい小金持ちってトコだよ。じゃなきゃ大学なんて行けないしな、このご時世」

「どちらにせよ、立派な邸宅である事に違いはない。圧巻だな」


 両手をハンドルの上で重ね、那智さんが呟く。
 単純な広さで言えば、横須賀にある宿舎と同等。一般人が住むには、確かに立派すぎる家だろう。
 自分がそれを実感したのは、子供の頃、友達ん家へ遊びに行った時だっけか。
 行く先々の家を狭く感じて、でもみんなからは「お前ん家広過ぎー」と言われ続け、ギャップに苦しんだっけ。いやー、懐かしい。


「それで、私たちはいつまで待ってれば良いのよ? いい加減に降りて、身体動かしたいんだけど」


 ……と、感慨に耽っている自分へ、霞のツンケンした声が。
 よほど窮屈だったのか、お尻をモジモジさせている。
 できれば考えたくなかったけど、ここまで来たら諦めるしかない、か。


「もうちょっと待ってくれ。まずは自分だけで、来客とかが居ないか確認してくるから。
 雷、電、金剛の三人は、良いって言うまで絶対に外へ出ちゃ駄目だ。
 うっかり人に見られでもしたら、トンでもない騒ぎになるからな」

「はーい」

「了解なのです」

「Englishで行くか、日本語で行くか。それが問題デース……」

「聞いてんのか金剛」


 マイクロバスを降りつつ、守って欲しい注意事項を伝えるのだが、返事は二つだけ。
 金剛さん、キャラを模索しているっぽい。なんだかますます不安。
 ドアを閉めて少し歩き、玄関の延長線上に立つと、それはいよいよ大きく見えて。


「やっぱ逃げちゃおっかなぁ……」

「……あの、うちに何か御用で――兄さん?」

「ん?」

「やっぱりだい兄ちゃんだー! なになに、帰ってきたの? 仕事クビになったのー?」


 思わず猫背になりかけていたら、懐かしい少年たちの声が聞こえてきた。
 車の停まっているのとは反対方向。顔を上げれば、黒い学ランのメガネ男子が自転車を押し、ランドセルを背負った少年が、こちらへ駆け寄って来る所だった。
 付き纏っていた倦怠感は一気に解消。満面の笑みを浮かべる少年を、自分は両手で受け止める。


「おおっと。コラ、縁起でもないこと言うな、小助こすけ。ただの里帰りだよ」

「それにしたって、前もって連絡くれれば良いのに。不審者かと思って警戒しちゃったよ」

中吉ちゅうきち……。実の兄を不審者扱いはないだろう」

「あれー。大兄ちゃん痩せたー? なんかお腹が硬いー」

「はっはっは、鍛えたからなー。あれ、前歯どうした?」

「こないだ抜けたー」


 苦笑いで歩み寄るインテリ系中学生――上の弟、中吉に半眼を向けつつ、冬なのに半袖半ズボンを着る、歯抜けになっても笑顔が眩しい小学生な弟――小助の頭を撫で回す。
 この二人こそ、自分が苦心して育て上げた、可愛い弟たちだ。
 ちなみに、自分たち三兄弟が使っている呼び名だが、当然のように本名ではない。ご近所さんを含めた、町内で使われるアダ名である。
 どうしてそうなったかは、説明しようとすれば二言三言で終わるのだけれども、面倒なんで後にしよう。


「で、どうして突っ立ってたのさ。入ろうよ。あれ、兄さんの車でしょ? 大きいね。給料良いんだ、やっぱ」

「あ、あぁ。そうなんだけど……。誰も、来てないよな……?」

「は? ……あ、そっか。平気だよ、兄さんが軍に入ったのは近所の人も知ってるけど、事務方って話してあるからさ」

「それに、ちょうどお昼だし。みんな家でご飯食べてるよー。僕たちもB日課なんだー」


 胡乱な目付きで敷地内を覗く自分に、中吉が空気を読んで説明してくれた。
 万が一にも来客中だった場合、誤魔化さなきゃいけない事だらけで面倒だったけど、この分なら大丈夫そう、か……?
 ……んー。念には念を入れた方がいい、な。


「いや、実はな。自分、一人で帰って来た訳じゃないんだ。ちょっと待っててくれ」

「へ? 一人じゃない?」

「大兄ちゃん、なんか言葉づかいが変……」


 困惑し始める弟たちを他所に、自分はマイクロバスに合図。
 特殊ガラスなのでこっちからは見えないが、意図は把握してくれたようで、車が庭へ移動を始める。
 適当な場所に停まったそれのスライドドアを開くと、片眉を上げる那智さんが振り返っていた。


「どうした。確認してからではなかったのか」

「そうだったんですけど、ちょっと予定変更。という訳だから、鳳翔さん。来てくれます?」

「えっ。わ、私、ですか?」


 急に話を振られ、鳳翔さんは目を丸く。
 自分が考えたのは、まず、どう見ても普通の女性としか思えない彼女を連れ、客が居ないかどうかをこの目で確認するという方法だ。
 もし居たとしても、食事処で磨きが掛かった接客スキルと、誰に対してでも柔らかい物腰を組み合わせれば、大抵の人物はやり過ごせる。
 居なければ居ないで、そのまま軽く挨拶して、みんなが居るから呼んでいいか、とでも言えばいい。玄関で靴を確認するくらいの間なら、誤解もされない……はず。
 とにかく、このまま手をこまねいているよりはマシだろう。自分としても心強いし。隣に誰かいれば、矛先がそっち向いて言い訳考えられるかも知れないし。


「ちょおっっっっっと待って下サーイ! あの二人のBoyはテートクのBrotherなんですよネ? だったらワタシが行きマス! 外堀りをBulldozerで埋めるのデース!」


 そういうゲスい案なのだが、いきなり覚醒した金剛が瞬間移動。
 ギラつく目をことさら輝かせた。……全く。欲望に忠実なヤツめ。


「却下。君と電と雷は、顔が世間に知られてるからダメだってば。先ずは顔を知られてなくて、一番に対人スキルの高い鳳翔さんと、威力偵察だ」

「Why!? ご挨拶を、未来のLittle Brotherとcontactをー!」

「なるほどー。確かに、鳳翔さんなら納得だわ!」

「なのです。電たち、お車の中で待ってますね」

「ゴメンな、すぐに確認してくるから」


 電たちはすんなり納得。暴れる金剛の身体を抑え込んでくれた。
 その隙に鳳翔さんは脇をすり抜け、車外へ降りたら急いでドアを閉める。
 安定性抜群なバスがガッタンゴットン揺れてるけど、放っとこう。


「すまん、待たせた。紹介するよ。この人は、自分がいつもお世話になってる鳳翔さんっていうんだ」

「お初にお目に掛かります。横須賀で、艦隊宿舎のまとめ役をさせて頂いている、鳳翔です。よろしくお願いしますね?」


 弟たちの前へ進み出ると、鳳翔さんがゆったりとした動作で腰を曲げる。
 誰もが見惚れる優雅な所作に、思春期真っ只中な男子二人は、呆然と硬直してしまう。
 ふふふ。気持ちは分かるぞ、弟たちよ。鳳翔さんの笑顔は最強だからなっ。
 ……にしても、ちょっとビックリし過ぎじゃないか?


「あ、あの。私の顔に、なにか……?」

「おいコラ、二人とも挨拶しろ。無視するなんて失礼――」

「……た」

『た?』


 鳳翔さんの顔を見つめ、たっぷりと三十秒以上、無言を貫く弟たち。
 仕方なく注意しようとしたら、中吉が何かを小さく呟く。
 思わず二人で首をかしげると、彼は肺にめい一杯息を吸い込み――


「大変だぁぁあああっ!? 兄さんが、兄さんが嫁さん連れて帰って来たぁああぁぁあああっ!?」

「家族が増えるよー! やったね父ちゃん母ちゃーん!」


 ――トンでもない事を叫びつつ、転がり込むように家へと駆けて行った。
 後を追う小助なんて、バンザイまでして実に楽しそう。
 って和んでる場合じゃねぇ!?


「おいバカ! 二人とも何を勘違いしてるんだよ! あと小助、その言い方止めろぉおおっ!」

「嫁……。私が、提督の? え?」


 必死の呼びかけも虚しく、彼らは家の中へ消えていく。
 アクロバティックな解釈に、鳳翔さんも困惑しまくりである。
 あぁぁ、くそっ! 我が弟ながら思考回路が一足飛び過ぎるだろ!?


「はぁ……。見事に裏目に出たわね、ダメ司令官」

「あ、霞? 天龍もなんで出て……」

「こうなったら、いっそのこと全員で出て行った方が誤解は解けやすいだろ? それにアレ見ろよ、アレ」


 頭を抱えていたら、いつの間にか霞と天龍が車を降りてきていた。
 親指で背後を示されたので、反射的にその先を追うと――


「……また、先を越されたデース……。こうなったらもう、BedへMission Impossibleするしかありまセン……」

「なのDeath……」


 ――先日のパーティーよろしく、開いたドアから顔を半分出し、闇の闘気を背負う二人の少女が。
 いや電さん? そこは否定するべきなんじゃ……?
 と、冷や汗をかく自分に、続々と逃げ出してきた北上、那智さんが肩を叩き、雷、響、暁がまとわり付く。


「提督。釈明、頑張ってねー」

「すまんが、私は手助けできそうにもない。武運を祈る」

「凄い瘴気だったわ……。窒息するかと思っちゃった……」

「本当に。モテる男は大変だね、司令官」

「……ねぇ、鳳翔さん。ベッドへ“みっしょん・いんぽっしぶる”ってどういう意味?」

「さ、さぁ? 私にもちょっと心当たりがないわ、暁ちゃん」


 純真無垢な問いかけに、苦笑いの鳳翔さん。
 微笑ましい光景を眺め、自分はしみじみ思う。
 最初に電を出さなくて良かった。誘拐犯に間違えられるよりはマシだ、と。

 そう思わなきゃやってられるかぁ!?





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ……とまぁ、こんな騒動があったのち、自分たちは日本屋敷へと招かれた。
 ぞろぞろと玄関に並ぶ少女たちを見て、大急ぎで出てきた両親が硬直するという場面もあったが、説明しようとする自分の言葉は遮られ、有無を言わさず、両親の御対面が始まったのだ。
 おそらく、鳳翔さんの付き添いとでも勘違いされたみんなは、襖一枚挟んだ後ろの部屋で待機中。
 チラッと振り返れば、二センチほど開いた隙間から、縦に並んだ瞳が幾つも見えた。ちょっとしたホラーである。


「そういえば、バカ息子の世話をしているって言ってたけど、大変じゃない? 迷惑とか掛けてないかしら」

「とんでもありません。普段から感謝の言葉を頂いて、ご飯も残さず食べてくださって。とてもやり甲斐があります。
 時々、酔い潰れてしまわれるのには困りますけれど。お部屋に運ぶのが大変で……」

「まぁまぁまぁまぁまぁ。部屋に。そうなのぉ。あんた、本当にどうやってこんな美人を引っ掛けたのよぉ?」

「引っ掛けたって人聞きの悪い……。っていうか、こっちの話も聞いてくれよ母さんっ」


 実にイヤらしく、オバさん臭く手をヒラヒラさせる母。
 いい加減、誤解を解こうと詰め寄るも、手付きはそのまま、表情だけが真剣さを宿し始める。


「はいはい、あんたの言いたい事は後で聞いてあげるから。……それよりも先に、説明すべき事があるんじゃないの?」


 母の一言をきっかけに、和室には重い空気が漂い始めた。
 説明すべきこと……。
 この真剣さを考えれば、おそらく、能力者としての自分に付与された、新たな側面についてだろう。
 ……どんな顔をされるか分からないけど、しっかり説明しなくては。


「もう、気付いてるとは思うけど。
 “俺”――いや。自分は、親父と母さんから貰った名前以外に、別の渾名を貰ったんだ。
 名付けは、護国五本指の吉田豪士中将。つい先日、襲名披露宴を開いてもらった――」

「大兄ちゃーん! プリン作ってよプリンー!」

「――ってうぉおおっ!?」


 だがしかし。唐突に右側の襖が開き、小助が胸へ飛び込んできた。
 慌てて受け止めると、申し訳なさそうな顔の中吉も部屋に。


「ごめん、止めようとしたんだけど、言うこと聞かなくて……」

「ねーねー。ほーしょーさん、大兄ちゃんのプリン食べたことあるー? すっげー美味しいんだよー」

「ふふふ、ええ。私も大好きよ、提督の作ってくれたプリン」


 膝の上でクロールする小助は、鳳翔さんと楽しげに笑いあう。
 人見知りをしないため、この子は近所でもアイドル的存在だ。友達も多く、周囲の人たちに愛される才能を持っている。
 自分も昔はこんなだったらしいけど、にわかには信じられん。


「あの、提督? 先程から、弟さんたちに呼ばれている名前は……?」

「あぁ、大兄ちゃんとか? みんなが付けたアダ名ですよ。
 俺は呼ばれ方が三つあって、親と姉たちからは、長男だから長太ちょうた
 上の弟からは普通に兄さんで、下の弟からは、デッカい方の兄って事で大兄ちゃんって呼ばれてるんです。
 んで、上の姉は大姉だいねえ、下の姉は小姉しょうねえ。上の弟は真ん中だから中吉、下の弟は小助って呼んでます」

「なるほど……。それで、本名は……」

「数えられる位しか、呼んだことも、呼ばれたこともないかなぁ」

「そ、そうなんですかー」


 小助を中吉の方へ戻しつつ、鳳翔さんからの質問にこう答えると、彼女はまた苦笑い。
 同じような顔の中吉が、恥ずかしそうに頬をかく。


「変わってますよね、やっぱり。近所でも有名ですから。変な呼び方し合ってる一家が居る、って」

「なに言ってんの。愛情表現よ、愛情表現。それにね、名前ってのは大事な物なんだからね?
 おいそれと呼んだりしないで、ここぞという大事な場面でだけ使った方が有り難みがあるでしょ」

「僕、学校でも小助って呼ばれてるよー。出席の時にホントの名前呼ばれると、変な感じするー」

「ホントホント。自分も苦労した……」

「ええと……。個性的で、良いのではないでしょうか?」


 なんと言えばいいのか分からなかったのだろう。鳳翔さん、無難な表現で切り抜ける。
 無理しなくていいよ。ちょっと変わってるどころか、世界に二つとない珍妙な家族だし。
 自分だったら、少し距離を置いた付き合いを考えたいです。


「って、話が逸れちゃったな。オホン……。改めまして。自分は、“梵鐘”の桐谷提督、“千里”の間桐提督、“飛燕”の桐ヶ森提督と肩を並べる、八人目の――」

「母よ! 長太が嫁を娶ったというのは本当かっ!? 騙されてるんじゃないのか? 美人局とかじゃないのか? 結婚詐欺じゃないのか!?」

「――だぁああもうっ、なんなんだよっ!」


 気を取り直し説明を……と思ったら、今度は左側。庭に面する障子窓がスパァン! と開いた。
 くるぶしまでを隠す黒いロングワンピが特徴の、吊り目がちな短髪美女。上の方の姉、大姉である。
 こちらの姿を確認したのち、彼女は尊大に胸を張る。


「なんだとは失礼な。半年ぶりに会う愛しい姉だぞ、嬉ションするくらい喜んで見せろ愚弟」

「傍若無人なのは変わらないっすね。あと、騙されてないから。鳳翔さんを侮辱するなら、本気で怒るからね」

「う。すまない……。つい心配でな……」


 失礼なことを言った自覚はあったのか、睨み付けると素直に謝り、そそくさ正座する大姉。
 そのまま鳳翔さんへにじり寄ると、顎に手を置き、ためつすがめつ観察を始めた。


「ふん。少なくとも、コイツからの信頼は得ている訳か。ふんふん。器量も悪くない。むしろ上玉だな。ふんふんふん」

「あ、あの、初めまして。鳳翔と申します。提督のお姉様、なのですよね?」

「む? これは失敬。挨拶が遅れたな。確かに、わたしはこの愚物の姉だ。よろしく頼む。それと、先程は済まなかった。無礼な物言いを」

「いえ、そんな。どうか気になさらず……」


 最初は不安を感じさせる言動だったが、そこは大人の女性同士。互いに頭を下げあい、和やかな挨拶を交わす。
 しっかし、母さんが連絡したんだろうけど、フットワークの軽さも変わらないっすね。隣町に住んでるはずなのに。きっとバイクに跨って吹っ飛ばしたんだろうなぁ。
 まぁ、こんなんでも二児の母親。ここからは落ち着いた話題展開をしてくれるはず……。


「さて。挨拶は済んだ。ならばここからは質問タイムだ。ぶっちゃけ、どこまで行った? もう寝たのか?」

「え」

「ブッ!? な、何を聞いてんだこの武士マニア!?」


 ……って安心してたらもぉおおっ!
 これだから、「謙信様と信玄様は何方がタチだろうか」とか言って悩み出すお腐れ様はぁああっ!
 矯正に成功したんじゃなかったんですか旦那さぁああんっ!?


「いいじゃないか。いい歳した男が、下ネタ程度で恥ずかしがるな。
 わたしはお前のおしめを替えて、十歳まで一緒に風呂にも入って、初恋だって応援したんだぞ。
 姉には知る権利がある!」

「初めての失恋が早まったのもアンタのせいだけどなぁああ!
 さっきから言おう言おうとしてたけど、今こそ言うぞっ。
 自分と鳳翔さんは、そんな関係じゃなぁああぁぁあああいっ!!!!!!」


 勢いに任せ、自分は家中に響き渡るような大声で叫ぶ。
 だが、うちの家族共に堪えた様子はない。
 むしろニヤニヤ度を増し、四面楚歌ならぬ三面楚歌の様相だ。楽しみやがってぇ……っ。


「全く、照れちゃってまぁ。で、実際のとこどうなの、鳳翔さん。母親として是非にも聞きたいわ。少なくとも、キスくらいはしてるんでしょう?」

「きっ、キス、だなんて、あの、私……」

「ちょっと、やめろよ! 困ってるだろっ」


 座卓へ身を乗り出す母。その姿は、井戸端会議大好きなスピーカーおばさんが如く。
 真っ赤になってしまう鳳翔さんを庇うも、今度は横合いから、大姉・小助・中吉が追撃を掛けてくる。


「……まさかとは思うが、デートをした事はおありか?」

「デート……。あ、一緒に食材の買い出しへ行った事なら、何度か……」

「じゃー、手を繋いだことはー?」

「……初対面の挨拶の時に、一度だけ……」

「えええええ。それじゃあ、恋人らしい事なんにもしてないって事ですか? はいアーンとかも?」

「あ、それならやった事がありますっ。ありますよっ」

『おぉー』


 パッと表情を輝かせ、鳳翔さんは胸を張る。
 いや、自慢気に言うことじゃありませんから。それとバ家族共、拍手してんじゃないっ。
 そりゃあ確かにやった事あるけど、嬉し恥ずかしな思い出だけども、こんな形で冷やかされたくないんです!


「そっかぁ。うん、安心したよ、兄さんがちゃんと恋愛してて。これでオレも、気兼ねなく女の子と付き合えるよ」

「何を偉そうに……。まず相手を見つける方が先だろ」

「長太よ。残念だが、中吉はお前が大学を卒業する前から、とっくに彼女持ちだぞ」

「なん……だと……」


 上から目線な弟の物言いがムカつき、反射的に言い返すのだが、予想外の新事実で顔面が引きつってしまった。
 中吉が、彼女持ち……?
 我が弟ながらイケメンなのは分かってたけど、趣味が昆虫採集だから絶対彼女は出来ないって思ってたのに……。
 お前だけは待っていてくれると信じていたのにぃ!?


「う、裏切ってたのか……。お前っ、“俺”が彼女できないってボヤいても、『こっちもだよー』って笑ってたじゃないか……っ。あの笑顔は作り物だったのか!?」

「いや、他にどう返せば良いのさ……。事実を言ったら引き篭もりそうだったし……。というか、鳳翔さんが居るんだから良いじゃない」

「大兄ちゃん、大兄ちゃん。僕もクラスにカノジョ居るよー。おっきくなったらケッコンするんだー」

「嘘だと言ってよ○ーニィ!?」

「……バー○ィ? それが小助君の本名なんですか?」


 下の弟までもが彼女持ち。耐え難い事実に、自分は後ろへ倒れ込んだ。
 唐突な新キャラ名の登場で、鳳翔さんは戸惑うばかり。横から小助が「ちがうよー」と訂正してる。
 こんなのって無いよぉ……っ。あんまりだぁ……っ。


「あんたはまた変な言い回しを……。やっぱり大学なんて行かせなきゃ良かったかしら?」

「留年したのも、学内アーカイブにある、セル画アニメや特撮を見続けたからだったしな。確か、前時代視覚文化研究会、とかいうサークルに入ったんだったか」

「だって……。だって見放題だったんだもん……。面白かったんだもん……」

「提督、畳で遊んではいけません。傷んでしまいますよ」


 母と姉の冷たい視線から隠れるよう、うつ伏せになって畳のヘリを爪でガジガジ。鳳翔さんに手をペチンと叱られ、止めはするが気持ちはイジけ続ける。
 けど、自分は悪くない。大学内なら何時でも何処でも閲覧可能な、簡易映像端末を作った学校の先輩が悪いんです。
 あぁぁ。何にも怯えず、何も考えずに生きていられたあの頃が懐かしいよ……。しっかし、実家の畳ってなんか特別に落ち着くなぁ……。このまま寝てたい……。


「いつまでも家族漫才してないで、早く本題に入りなさぁああいっ!!」


 懐かしい畳の匂いに全開でダレていたら、背後の襖が勢い良く開いた。
 反射的に飛び起きて確認すれば、霞が「ぜぃ、ぜぃ」と息を荒く、那智さんも「やれやれ」と肩を竦めて。
 ヤバい、マズい、しくじった。あまりのショックに、見られてるの頭から飛んでた。
 オマケに金剛が、「覚悟完了!」的な顔立ちで一歩を踏み出してる。おいおいっ、何するつもりだ!?


「初めましテ。ワタクシ、提督に使役される高速戦艦の現し身、金剛と申しマス。ドウゾお見知り置きを」

「……あ。ま、まぁまぁ、ご丁寧に……」

「美人、だな……」

「父よ。浮気か?」


 ……あれ。誰ですかこの人。
 意外にも、スススス、と鳳翔さんの反対側に陣取った彼女は、楚々とした挨拶と共に三つ指をつく。
 違う。なんかキャラが違う。もっとこう、アグレッシブじゃありませんでした?
 もしや、猫を被って点数稼ぎするつもりか? あざとい真似を……。


「司令官さん」

「……はっ」


 なんて戦慄している時である。
 背後に誰かの立つ気配を感じた。
 とても小さくて、なおかつ、やけにハッキリとした、覚えありまくりな気配。
 ……電だ。
 どんな顔をしているんだろう。どんな事を思っているんだろう。怖くて振り返ることすら出来ない。
 すると、高い熱量を持った気配が横をすり抜け――


「……ぇいっ」

「ぬぁえ? ちょ、電?」

「し、司令官さんに、一番最初に励起された駆逐艦、電ですっ。よろしくお願い致します、なのですっ!!」


 ――なんでだか、胡座をかいていた自分の上へ、ポスンと腰を下ろす。
 叫ぶように自己紹介するその顔は、リンゴみたいに真っ赤だった。
 は? え? 何これ? 甘えてくれるのは嬉しいんですが、母さんの前では待ってほしいんですけど!?
 ほら、なんだか性犯罪者を見るような目付きにぃ!?


「右に同じく! 司令官との付き合いが二番目に深くて、電のお姉さんである雷よっ。カミナリじゃないから、そこんとこもよろしく!」

「左に同じく。特Ⅲ型駆逐艦二番艦、響だよ。ロシア語、喋れます。ヅドラーストヴィチェЗдравствуйте.、こんにちは」

「えっと、えっと……。ま、真上に同じくー! 響たちのお姉さんで、暁よ。一人前のレディーとして扱ってよねっ」

「こ、こらっ、暁、重……っ」

「嘘だ……。なんか兄さんが小さい子にモテてる……」


 密着する柔らかさに困惑していると、右腕は雷、左腕は響。そして背中は暁に占領されてしまった。
 唖然と見守る中吉の声は、まるでツチノコでも見たような感じである。
 そんな驚くことないだろう。弟より優れた兄は居ないんだからなっ。あれ、逆か? ってか、これだと子供にまとわり付かれてる父親じゃ……?


「ふぅ……。朝潮型駆逐艦、十番艦。霞です。大きな声を出して、ごめんなさい」

「私は那智。妙高型重巡洋艦二番艦だ。よろしくお願いする」

「うん? そちらの方、わたしと雰囲気が似ているな」

「そのようで」


 その間にも、落ち着きを取り戻した霞、那智さんの挨拶が終わる。
 座る位置は、霞が鳳翔さんの隣。那智さんが金剛の隣だ。
 何やら、恥ずかしそうに頭を下げたり、意味深に微笑み合ったり。
 この二人は見ていて安心できるし、これで紹介は……ん?


「……あれ。なんか足りなくないか? 天龍と北上は?」

「二人なら、あっち」


 ふと、軽巡二人組――北上はもう雷巡だけど――が居ないのに気付いた。
 まさか家の中をほっつき歩いてるんじゃなかろうな? とも思ったのだが、端っこの霞は背後を指差す。
 振り返……ろうとして動けないのを思い出し、やや強引に首だけを巡らせると……。


「小姉? 何してんのさ」

「あ、長太ちゃーん。おひさー。この子たち凄いわねー、お肌ピッチピチ! お化粧のノリがもうね! 元メイキャップアーティストとしての血が騒ぐわー!」

「なぁなぁ司令官、コレ見ろよコレ! 爪に絵描いてもらったんだぜっ、格好良いだろ!」

「あたしは普通にメイクして貰っちゃった。どう? 提督」

「お、おう。二人とも凄いなー。見違えたよ」


 化粧道具を両手に微笑む、ふわふわロングヘアの女性――下の方の姉である小姉が、二人の少女で遊んでいた。
 天龍はネイルアートをして貰ったらしく、ドヤ顔で両手をかざしている。けどごめん、遠いから絵柄分かんない。
 逆に、ナチュラルメイクを施され、北上の美少女度がグンとアップしているのはよく分かる。化粧一つでここまで変わるとは、女の子ってすげぇ……。
 しかし小姉、いつの間に帰ってたのさ。大姉と違って家は隣の県じゃなかった?


「大兄ちゃん、この人たちはー? おんなじ仕事してる人ー?」

「まぁ、そうなる。ちゃんと説明するから、みんな静かにしてくれ」


 呆れ返る自分へ、小助が無邪気に問いかけてくる。
 もうそろそろ、真面目に話をしなきゃいけないみたいだ。
 空気を読んだのか、暁たちも身体から離れてくれた。右手に雷、左手には電。斜め後方を暁・響に囲まれる。
 ……なんだろう。説得力が著しく低下する陣形な気もするけど、この機を逃すわけにはいかない。


「自分は、八人目の“桐”。桐林なんだ。隠してて、ごめん」


 膝に手を置き、座卓へぶつかる寸前まで、頭を下げる。
 “桐”の正体は秘するべきもの。それを明かすという事は、“桐”にまつわる権力争いへ巻き込むということ。
 真に家族の幸せを望むなら、死ぬまで黙っている方が正しい。やり取りも最低限にして、距離を置くのが正解なのだろう。
 でも、自分の家族はそれじゃ納得してくれない。むしろ、「さっさと吐け」と言わんばかりにせっ突いて、真実を話すまで止まらない。
 だったら全部正直に話し、大人しくしてもらう方が良いと思ったのだ。
 リスクも承知の上。
 最悪、家族には今の生活を捨てて、鎮守府へ来てもらうことになる。姉たちの旦那さん方にも。そうなったら恨まれるだろうけれど、何も守れないよりずっとマシ。
 これが自分に考えうる、最善ではなくとも、最良の策だった。


「ふぅ。あの入館特番からそうじゃないかと思ってたけど、まさかアンタがねぇ。世も末だわ」

「そ、そんな言い方しなくても良いじゃんかよ。自分だって、分不相応なのは自覚してんだから……」

「すまない、母よ。その特番とやらはなんだ? テレビは時代劇しか見んのだが」

「僕もよく分かんないー」

「私は多分その時間、旦那ちゃんとコマしてたはずだから知らないけど、翌日の緊急特番見たわ。後ろ姿だけだったけど、やっぱり長太ちゃんだったのね」

「小姉さん、さり気なく下ネタ混ぜるのやめようよ。お客さん居るんだから」

「あら失礼ー」


 ……うん。最良の策、なんだけど。なんか反応薄くない? 親父無言?
 血の繋がった家族が“桐”になったんすよ。日本でも有数の能力者なんですよ。その気になれば海運業界を牛耳れるんですよー?
 もっとさ、「うちの息子がこんなにも成長して……」とか、「押し付けられた地位なんて関係ない! だって家族なんだから!」とか、感動的なSomethingは無いのー?


「ま、んなこたぁどうでも良いわ。それより……」

「どうでも良い? と、とても重要な事では……?」


 淡い期待を、座卓に身を乗り出す母がぶった斬る。
 ヒドい。泣くぞ。
 そんな気持ちを鳳翔さんが代弁してくれる中、全員の視線が母へ集中。言葉を待つ。


「あの金髪美少女がここに居ないって事は、スキャンダルはガセって考えて良いのね? 十八になったばかりの女の子に手を出したわけじゃないのね?」

「あ、気になってたのはそっちですか……。ガセもガセ、あれは桐ヶ森提督の仕込みだよ……」


 眼光鋭く、威圧するような問いには、溜め息と一緒に答えを返す。
 よく考えても見てほしい。
 つい先日、防衛機構を抜かれたばかりの軍が、“桐”の里帰りを許すだろうか? 普通はNOだ。
 それがどうして許されたのか。犯人である桐ヶ森提督から、自己申告があったのである。


『事後報告で悪いんだけど、あの画像流したの私だから』


 あのニュースが放送された直後。
 掛かって来た電話口でこんな事を言われた日にゃあ、「ふざけんな!」と怒鳴り返したって許してもらえるだろう。
 その光景を間近で見た那智さんも、難しい顔で腕を組む。


「よもや、自らの身を守るためにスキャンダルを用意するとはな」

「全く、いい迷惑デース。おかげでテートクと書記さんがどれだけ苦労したカ……」

「その苦労には大暴走した君も関与してるんだが、自覚あるんだろうな?」

「ふぃー、ふー、ふー!」

「金剛さん、口笛になってないのです」


 なんでも、自分が桐谷提督と意地を張り合ったり、電と楽しく踊っている間に彼女が受けたという求愛行動は、身の危険を感じるほどの勢いだったそうで。
 いざという時、承諾を取ってからフライデーされるはずだった写真を、私用の携帯に着信があったのをきっかけに、つい公開しちゃったらしい。
 撮ったのは軍用ステルスドローン。手の平に映像を出せる手袋型コントローラーを使い、隠れて操作していたとの事。高画質なのも、電磁スクリーンを抜けたのも納得だ。けど勘弁して。
 なんにせよ、軍も自分も多大な迷惑を被ったのは事実であり、今現在、桐ヶ森提督は桐谷提督と中将から、キツいお説教を受けているはずである。
 まぁ、自分がこうして鎮守府を出られたのは、殺害予告を出したアホの中に、よりにもよって横須賀の能力者が居たからでもあるのだが。里帰りは一時避難も兼ねているのだ。処分は検討中とのこと。
 個人的に大切なことだからもう一回言うけど、ホント、勘弁して欲しい……。


「あの……。兄さん、質問。兄さんが“桐”ってことは、その人たち……?」

「うん。さっきの自己紹介の通り、統制人格だよ。軍艦の現し身だ」

「ねーねー、とーせーじんかく、って何ー?」

「それはだな……」


 さらなる説明を求めて、中吉はおずおずと挙手し、小助が近くに居た那智さんの袖を引っ張った。
 とりあえず、自分の簡単な説明に加えて、那智さんが子供向けの解説をしてくれている。
 こういった情操教育は、能力者が生まれる前と後で、かなり変化しているらしい。
 性教育よりも先に、能力者の存在について学ぶそうだ。

 かたや、超常的・超自然的存在が否定されてきた世代と、それらとの戦争・共闘が当たり前になった世代。現実と非現実の境が、曖昧になってきているとも言えるだろう。
 自分の世代はちょうど中間……。物心ついた頃合いに能力者が生まれ始め、両世代の感覚が分かると同時に、一番教育が混迷した時代でもあったそうな。
 戦争前の時代を長く過ごした人の中には、やはり拒否感を抱く割合も多く、それが“魔女狩り”の悲劇に繋がったのだ。
 当然、うちの親も戦争前の生まれなのだが……。


「伝聞とは、印象が違うな」

「本当にねぇ。普通の女の子じゃない」


 幸いというべきか、どちらも過剰な反応を示す事はなかった。
 昔から、日本には八百万の神という概念があるように、自然崇拝や精霊崇拝――呼び方は様々だが、アニミズムに連なる考え方が根付いている。
 それを考えれば、超自然的存在を、恐れつつも受け入れる土壌があった、と言える。
 だというのに拒絶反応が起こってしまったのは、物質文明の恩恵を受け過ぎた弊害なのだ……という説も。
 しかし、現実的に“敵”と戦っているのは軍艦。物質文明の最たる物と、それにすら宿る魂魄で……。とまぁ、こんな難しい議論が未だ重ねられている、難題だ。
 そこから一歩遠ざかり、物事を難しく考える必要のない、一般市民の代表たちの反応はといえば。


「うむ。私も父と同感だ。もっと……。なんだ……」

「言いたい事は理解できるよ。もっと人形めいた存在、そう考えていたんだよね」

「そうねぇ。感情持ちっていう区分があるのは知ってたけど、結局はAIみたいな物だって聞いていたから。
 もしかして……とは思っていても、実際に統制人格だって言い切られちゃうと、戸惑っちゃうわぁ」

「ま、それが普通なんだろうねー。多分、あたしたちが特別ってだけで」


 統制人格を前にして、傲岸不遜な鳴りを潜める大姉と、隠していた本音を吐露する小姉。
 響と北上に同意されて、なおさら……という感じである。
 なんせ――


「ねーねー、お姉ちゃん何才ー?」

「え、暁のこと? ……そ、そうね! 起工が一九三○だから、生まれてから少なくとも三桁はいってるわ!」

「じゃー、お婆ちゃんなんだねー。肩揉んであげよっかー?」

「お、お婆……っ!? ち、違うの、間違えたわっ。司令官に呼ばれてからは、まだ一年経ってなくて……」

「じゃー、七歳だから僕の方がお兄ちゃーん!」

「……むんがーっ!!」


 ――その視線の先では、小助と暁が普通にお喋りしているのだから。
 おそらくだが、この子たちでなければ。感情持ちの統制人格でなければ、姉たちも気味悪がって近寄ろうとすらしなかっただろう。いや、恐れて、かも知れない。
 小助なら、無邪気に遊び相手にしてしまう可能性もあるけど、中吉くらいになると、まず自ら接触しようとは思わない。……それが普通の反応。

 しかし実際には、鳳翔さんと雑談したり、天龍にネイルアートしてあげたり。ごく普通に接する事だって出来た。
 笑顔を向けられれば親しみが湧くし、敵意を向けられれば恨みを抱く。
 結局、人は感情の生き物でしかない、という事なのだろう。
 理屈で雁字搦めにされても、一回言葉を交わせば違うと気付ける。経験に勝る信仰無し、だ。


「色々と思う事もおありでしょうけれド、目の前に居るワタシたちを見て、御自身で判断して頂けれバ、幸いデス」


 猫被りしたままの金剛が最後を締め、鳳翔さん、電を始めとする皆が頷く。
 最初の一歩は踏み出せた。自分の家族なんだから、きっと問題ない。
 それが証拠に、母は苦笑いで大きな溜め息をついた。


「とりあえず、アンタの子供の顔はまだ見れそうにもないわねぇ。よく考えれば、こんな美人が、こんなのになびく訳ないものねぇ……。お母さん悲しい」

「そ、そんな事ないのですっ。司令官さんは、あのっ……その……凄く……」

「……ねぇ。さっきから変だとは思ってたけど、アンタまさか……」


 電やめて。庇ってくれるのは嬉しいけど、タイミングが最悪です。
 片膝立ててるから。母さん拳握りしめてるから。
 ヤバい、このままじゃ、教育的指導と称したフルボッコが始まっちゃう。
 どうにかして言い逃れないと……!?


(い、雷! なんか話題変えてくれっ、助けてくれっ!)

(任せて、司令官!!)


 藁にもすがる思いで隣を見れば、満面の笑みが返ってくる。さすが雷、頼もしい!


「そうだわ! お母さんたち、お昼ご飯まだなのよね? もし良かったら、私たちに作らせてくれない?」

「え? 確かにまだだけど……」

「食材はこちらで用意していますので、ご恩返しも兼ねて、やらせて頂けませんか」


 壁掛け時計を確かめると、すでに時刻は一三○○。空きっ腹が主張してくる頃合いだった。
 来る途中、鳳翔さんと那智さんがスーパーで色々買ったはずだから、二食分くらいは作れるはずである。
 ちなみにナンパされたらしいが、那智さんの一睨みで退散する雑魚だったとのこと。まぁ………………いや、なんでもないですよっ。怖くなんてありません!
 ともあれ。急な申し出に、母さんは親父と顔を見合わせる。


「……どうしましょ?」

「特に、問題ないだろう。では頼みます。こちらへ」

「Oh,お父様も料理をなさるんデスか?」

「そうなんですよ。うちは父さんが家事全般を取り仕切ってて、母さんが大黒柱みたくなってるんです。大姉さんと小姉さんに料理を教えたのも父さんです」

「代わりに、かーちゃんはメシマ――あ、しゅみませんなんれもないれすごめんなさい……」


 普通は母さんが立つだろう場面で、代わりに立ち上がる親父。
 それというのも、我が家の家事を一任されているのは、中吉の言う通り父親なのだ。自分が料理するのに抵抗がないのも、親父の影響である。
 原因? 天真爛漫な笑顔から、死刑宣告を待つ受刑者の表情になった小助を見て欲しい。
 卵料理以外で失敗するの、絶対母さんの遺伝子のせいだと思うんだ……。


「ふ、せっかくだ。私も腕を振るおう。嫁イビリする姑が如く、厳しーい目線で判定してやるぞ!」

「僭越ながらお手伝いしマス、お姉サマ」

「電もなのです! お料理は得意なのです!」

「あのさー。あんまり大人数だと、かえって邪魔になるんじゃないかなー、ってあたし思うんだけど」

「問題ないわよ? 北上ちゃん。元武家屋敷だけあって、無駄に広いから。こっちで料理するの久しぶりだわぁ。さ、行きましょ!」

「なら、私も行くわ。那智さんはどうするの」

「そうだな……。ここにいても手持ち無沙汰だ。手伝うとしよう」


 親父、鳳翔さん、雷に続き、ゾロゾロと部屋を出て行くみんな。
 自分の側にも、トラウマを振り払った小助が寄ってくる。


「ねー大兄ちゃん、プリンはー? プリンはー?」

「あぁはいはい、分かったから。作ってくるよ……。中吉、材料残ってるか?」

「もちろん。みんな、兄さんほど美味しく作れないしね。ちょっと楽しみだよ」

「おう、期待してろ。暁、響。手伝ってくれるか?」

「当然よっ! 私だってお手伝いくらい出来るんだから!」

Даりょうかい

「えっ。えっ。あの、オレは?」

「天龍はまだネイルアート乾いてないだろう。そこで大人しくしてなさい。母さん、相手してやってくれる?」

「ええ、もちろん。さぁ、天龍ちゃん? 今、新しいお茶を用意しますからねー。お茶菓子もどうぞ? 手作りだから」

「え゛っ」


 せっつく小助と、実は甘党な中吉。ついでに暁・響を引き連れ、自分も台所へと逃げ出し――もとい、台所へと向かう。
 後に残されるのは、家事が出来そうもない二人組み。
 メシマズが作ったというお手製花林糖を前に、冷や汗が涙のように眼帯を伝う。

 すまない天龍っ。
 母さんはメシマズなのに料理好きだから、誰かが足止めしてなくちゃいけないんだっ。
 君の尊い犠牲は、二十分くらい忘れないぞ☆





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「あの……。少しいい――ひゃっ」


 皆が台所へと去ってから、わずか二十分ほど。
 再び応接間に舞い戻ってきた霞は、広がる惨状に思わず後ずさった。


「アナタは確か……霞ちゃん? で良かったかしら」

「は、はい、合ってます、けど……。天龍、さん?」

「――っ――っ!――っ!?」


 朗らかに微笑む壮年の女性。これはまぁ普通だろう。
 問題は天龍。リスのように膨らんだ口元を手で覆い隠し、今度こそ本物の涙を垂れ流す姿は、なんの拷問を受けたのかと問いたい光景だった。
 だというのに、ケラケラ笑う女性が場違いである。


「いやー、天龍ちゃんってばいい飲みっぷりに食べっぷりで、つい勧め過ぎちゃったみたい」

「そう、ですか……。可哀想に……」


 聞こえないよう、後半はボソッと言ったおかげか、矛先が霞を向くことはなかった。
 しかし、脳内には天龍の悲痛な叫びが響いている。
 お茶なのに甘酸っぱ辛い。花林糖なのに苦くてしょっぱくて酸っぱい。このままじゃ味覚が死ぬ。
 どうすれば助けられるのかと、霞は思わず考え込んでしまうが、意外にも原因の方から話題が修正された。


「んで、何か用? 料理するんじゃなかったの?」

「あ、そうだった。鍋が足りなくなっちゃって。お父さんが物置から出してきて欲しいって」

「あらそうなの。じゃ、取りに行きましょっか。ごめんなさいね、天龍ちゃん。ちょっと待っててくれる?」

「っ! っ! っ!」


 よっこらしょ。と、年寄り染みた声を出し、女性が席を立つ。
 送り出す天龍はといえば、それはもう、もげるんじゃないかという勢いで首を縦に振っていた。
 おそらく、この隙にマーライオンしたり、正常な味の水分を補給するのだろう。
 後手に襖を閉めつつ、健闘を祈る霞であった。

 板張りの廊下を進み、遠くに台所からの騒ぎ声を聞いてしばらく。
 何度か曲がり角を過ぎた所で、靴脱ぎ石を降りて庭へ。
 サンダルを鳴らし、小さな物置に向けて歩いていると、不意に霞へと声が掛かった。


「それで、もう一つの要件は?」

「えっ。……なんの事、ですか」


 霞の足が止まる。
 少し先で振り返るのは、してやったり、という顔だ。


「隠さなくたって良いわよ。その表情を見れば、何か言いたい事があるのは一目瞭然。言いにくそうな感じからすると……。もしかして、バカ息子のこと?」

「……はい」


 数秒ほど迷ってから、霞は静かに頷く。
 そんなつもりはない……と、霞本人は思っていたが、言われてみれば、確かにちょうど良くもあった。
 話したいこと。話さなければならないことが、あった。


「今年の夏の終わりにあった事、聞いて……ますか」

「夏頃? さぁ。さっきも言ったけどね、あのバカ息子、軍に入ってから一通も手紙寄越さないのよ? 電話くらいなら二~三回あったけど、特に何も聞いてないわねぇ」

「……そう、ですか」


 ホッとしたのと同時に、息苦しい。複雑な心境のまま、霞は地面を見つめる。
 そのまま時間が過ぎるけれど、すぐ側で待ってくれる、暖かな気配があった。
 どこか、覚えのあるそれに助けられ、軍規を破る覚悟は決まった。


「あいつは……。司令官は、死にかけたの。……私のせいで」


 話したかったのは、あの日の出来事。
 フラ・タ強襲により、霞自身も大きな傷を負った、硫黄島到達任務の最中の事件だ。
 顔を上げると、静かに、無表情に見つめられていた。
 ドクン、と鼓動が暴れる。
 あるかどうかも分からない心臓が、痛い。けれど、ここで止まるわけにはいかない。
 霞は大きく息を吸い込む。


「詳しい事情は話せない……んですけど。でも、司令官が私を助けようとしなければ、傷付くことなんて無かった。私が、殺しかけたの」


 現在、能力者の死因で最も大きな割合を占める、フィードバック現象。これは一般にも知られる現象である。
 無機物と魂を交感させる代わりに、船の損害を負傷として受け取ってしまう、傀儡能力の代償として。
 国民には知らされていなかった、“桐”の負傷情報を提示したにも関わらず、その母親は微動だにしない。
 腕を組み、ただ、霞を見ている。


「だから、謝っておきたかった。
 許してもらえないかも知れないけど。
 私なんかが謝ったって、意味ないかも知れないけど。
 ……本当に、ごめんなさい」


 責められているのか、見定めようとしているのか。
 どちらにせよ、霞には頭を下げる以外に選択肢はなかった。
 いらぬ傷を負わせてしまい、尚かつ、それを知ることすら許されなかった“家族”に対して、謝罪することしか出来なかった。
 霞の視界には、また地面だけが映るようになる。
 拷問に近い静寂が続く。


「あの子が軍に入らなきゃいけなくなった時ね、バカみたいに取り乱したわ」

「……え?」


 しかし、場違いに明るい声が、重苦しい帳を揺らした。
 再び霞が顔を上げると、そこには懐かしむような微笑が。


「傀儡能力者。人類の防人さきもり。聞こえは良いけど、殉職率が九割を超える仕事だもの。
 なんで、どうして、ふざけないで。誰彼構わず、そんな風に罵ったもんよ。
 それが今では、巷で騒がれまくってる“桐”なんでしょう? しかも、国勢を左右するとまで言われる。なんの冗談かって話よね」


 雲の流れる空を見上げ、その人は一度背を向ける。
 大きく背伸びをし、下ろす勢いで腕を回す体操まで。
 落ち着き払った様子に、霞の方が戸惑ってしまう。


「怒ってない……んですか。息子さんが、怪我させられたのに」

「怒るも何も、元気にしてるじゃない。今さら責め立てるのはお門違いだと思うわ。
 霞ちゃんだって、ワザと巻き込んだ訳じゃないでしょ? それとも、嫌味とか言われたの?」


 腰に手を当て、ニカっと笑顔が振り返る。
 少しだけ心配そうに歪むけれど、霞が首を横に振れば、笑いジワがまた深く。


「なら気にしない、気にしない。あの子も望んでないわよ、きっと。
 まぁ、目の前で怪我されたら、どうだったか分からないけどねぇ。二度目だし」

「二度目?」

「本人は覚えてないんだけどね。中学生の頃、あの子は大きな交通事故に巻き込まれて、一ヶ月も意識不明だった事があるのよ」

「嘘……。そんな事、一度も……」

「だから、忘れちゃってるのよ。回復したのが奇跡だって言われる位の、本当に酷い状態だったんだから」


 そんなまさか……と、霞は口元を覆う。
 たった数時間、目覚めないのを見守っただけで、二度と味わいたくないほど不安だったのに。
 本当に目を覚ますんだろうか。本当は痛みを感じてるんじゃないか。代われるものなら代わりたい。
 一ヶ月。
 こんな想いを、一ヶ月。


「けど、あの子は生きてる。無事に帰って来て、今も笑ってる。
 十分よ。それ以上に望むことなんて、ない。
 こうやって諦めなきゃ、軍人の家族なんかやってけないわ」


 言葉を無くす霞に、また投げ掛けられる微笑み。
 なんて強い人なのだろう。
 必要に迫られて、身に付けたのかも知れない。本当は強くなんてないのかも知れない。
 でも、これが“母親”なのだと、そう思わされた。


「……なぁんか、不満そうな顔ねぇ」

「えっ。そ、そんな事ない……ですけど」

「嘘おっしゃい。大人を舐めるんじゃないわよ」


 ところが、見惚れていられたのも束の間。
 弓なりを描いていた目が、ズィっと霞を覗き込むのと同時にジト目へ変化し、終いにはデコピンまで。
 普段なら食って掛かるものを、何故かそんな気も起きず、霞は自らの内を探る。
 まだ言えていないこと。伝えていないこと。
 それは、本人が自覚するよりも先に、言葉として紡がれる。


「あいつ、バカみたいな事、言ったんです。
 手術が終わって、目が覚めたばっかりだっていうのに。真っ白な顔で、こう言ったんです。
 何度でも、同じことをする。この生き方は、絶対に変えない……って」

「……じゃあ、また怪我をして、死にかけるかも知れない訳だ。霞ちゃんはそれが辛いんだ?」


 無言で、今度は縦に首を振る。
 また危機に陥ったとして、何度でも助けてくれるという約束。嬉しく思わない訳ではない。
 けれども彼は、助けられた側の気持ちを理解していないのだ。助けられる事こそが、痛みを生む場合もある事を。
 自分のせいで誰かが傷つく。自分のせいで誰かが苦しむ。
 霞にとっては、それが一番嫌なことなのである。


「あーもう! 可愛い!」

「ふむっ!? え、なにっ」


 何故だか、霞は抱きしめられていた。
 唐突な柔らかさに、ただ呆然と撫で回され続けている。


「やっぱりあの人の子ねぇー。本っ当に、どうしようもないわー。
 こんな可愛い子たちに想いを寄せられて、そのせいで苦しんでるっていうのに、気付こうともしないんだから」

「ち、違うわよ!? 別に私、アホ司令官のことなんて……!」

「あんら~? 誰もバカ息子の事だとは言ってないわよ~?」

「あ」


 想いを寄せ、の部分に過剰反応し、ハグから逃げ出そうと暴れる霞。
 しかし、揚げ足を取られて硬直。恥ずかしさで唇と眉を歪ませた。
 降ってくる笑顔はますます深く、また胸に抱きしめられる。
 この小狡さとスキンシップ過多具合い。間違いなく、“アレ”の親である。


「大丈夫よ」


 けれど、次に掛けられた言葉には、意外なほどの優しさが込められていた。
 とても静かで。
 まるで、我が子へ呼びかけるような。


「これから先、どんな事があろうとも。あの子は生きて帰ってくる。
 この家を出る時、そう約束したもの。
 わたしは、母親としてその言葉を信じてる。だから、絶対に大丈夫」


 ぎゅう、と霞を抱きしめながらの、近しい昔語り。
 一体、どんな風に交わされた約束なのか。そう思いを馳せて、今とは逆かも知れないと、霞は思う。
 抱きしめるのが“彼”で、抱きしめられるのがこの人で。
 多分、言葉自体は違うだろうけれど、伝わってくる想いに、遜色はないと思えた。


「まだ不安なら、霞ちゃん。アナタがあの子を守ってちょうだい」

「……私が?」

「ええ。それとも、目の前であの子が苦しんでいる時、アナタは黙って見ているだけなの?」

「そんな訳ない! 守ってみせる、助けてみせるわっ。今度こそ、必ず!」


 ありもしない仮定に、霞は必死の形相で誓いを立てる。
 もう二度と。決して“司令官”を失いはしない。
 命に代えても――いや、それでは駄目だ。どんな状況であろうと、最後まで“自分”を諦めず、生きて帰る。
 そうしないと、あいつが泣いてしまうだろうから。


「なら安心。約束したからね。忘れちゃダメよ」

「……うん」


 ポンポン、と手を叩かれて、ようやくシャツを握りしめているのに気付いた。
 破れそうなそれを離し、今度は、霞の方から温もりへ身を預ける。
 抱きしめ返されるのが、なんだか嬉しくて……寂しかった。
 どうあっても、こんな風にはなれないから。
 統制人格は、人との間に子を宿す事が出来ない。決して母親にはなれない。
 それを寂しいと感じてしまうほど、親子の繋がりというものが、羨ましかった。


「さぁて、早いとこ鍋を探して、戻りましょうか。みんな待ちくたびれちゃうわ」

「うん!」


 弾むような声と、あいつには絶対に見せたくない、素直な笑顔を残して、霞は物置に駆けていく。
 小さなその背をゆっくり追いながら、呟かれた言葉は――


「護国の為の人身御供、か……。人間って、どこまで残酷になれるのかしらね……」


 ――誰にも聞こえないまま、遮る物のない空へ、吸い込まれていった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「あらあら~。霞ちゃんってばぁ、見事に外堀りを埋めちゃってるのね~」


 一方、邸宅敷地内にある藪の中では、鍋を持って家の中に消える霞たちを見つめ、ある少女がホルホルしていた。
 霞と同じく、半袖のシャツにサスペンダースカートと、スパッツ、アームウォーマー。その上からセーターを羽織る彼女は、朝潮型駆逐艦四番艦・荒潮である。
 焦げ茶色をした、艶やかなはずの長い髪は、小さな葉っぱにまみれて残念な有様である。
 しかもその周囲には、同じく葉っぱまみれな少女たちが。


「ううむ……。金剛お姉様の姿が見えませんね……」

「やはり、外から覗くだけでは限界があります。いっそ、屋敷に侵入するしか無いのでは?」

「あの、霧島? 普通に挨拶して入れてもらう選択肢はないんですか?」

「というか、今の私たちって思いっきり不法侵入なんじゃ……」

「古鷹さんやめて。自覚したくないんです。提督のご実家に忍び込むだなんて不敬、この高雄、一生の恥です……っ」


 順に、比叡、霧島、榛名、古鷹、高雄の五名。
 突然に里帰りを決めた提督を、“無断で”追いかけてきた追跡部隊の一班である。
 それぞれが両手に枝を構え、周辺環境へ溶け込もうとしていた。


「そのわりに高雄さん、車は喜んで出してくれたわよね~」

「だってそれは! ……提督の里帰りについていくだけかと、思って……」

「私はてっきり、最上さんたちみたいな、護衛任務の延長かと……」


 クジ引きで旗艦を押し付けられた荒潮が、後ろの方でブツクサ言っている二人組みへ話しかける。
 思わず立ち上がりそうになる高雄だったが、古鷹に背中を抑えられ、なんとか中腰に留まった。
 先任の重巡たちに比べ、まだ練度の低い彼女は、別な箇所で身の証を立てようと、那智に続いて自動車免許を取得していたのだ。愛宕も同様である。
 しかし、その技術を初めて発揮したのが、よりにもよって独断専行の尾行任務。口車に乗せられてしまった古鷹と共に、酷く疲れた顔をしていた。


「高雄さんの言う通り! 私たちはただ、提督の里帰りに付き合っているだけ。ちょっとご挨拶は遅れてますが、後ですれば良いんです。
 それより、お姉様はどこなんですか本当にっ。提督のお母様とご対面が済んだ今、もしかしたら一気に結納なんて事にまで……!?」

「比叡姉様、流石に飛躍し過ぎです。電さんや鳳翔さんが居ますし、むしろグダグダになってるんじゃないでしょうか」


 逆に、嫉妬の炎でボイラーをグワングワンいわせているのが、首謀者である比叡と、参謀という名の口車担当、霧島だ。
 姉を愛してやまない比叡の脳内では、「(提督+金剛お姉様)x里帰り=結婚の挨拶」という、三回転捻りな計算式が成り立っており、それを阻止しようと躍起になっているのである。
 提督から、「君が来たら絶対騒ぎになるし外出禁止」と厳命されてしまったのも、一役買っている。
 霧島が着いて来たのは、暴走する姉を制御し、周辺の被害を最小限に抑えようという考えから。楽しんでいる部分も無くはないのだが。


「……やっぱり、榛名は車に戻ります。他の皆さんは大丈夫ですけれど、私が顔を見られては、提督にご迷惑がかかりますし」

「あら~、どうして~? 確かに押しかけてるけど、榛名さんだけダメなの~?」

「何か、おかしくありませんか? いえ、おかしいといえば、今の状況そのものがおかしいですけど」

「それは、ええと……」


 そして、気乗りしない顔をしていた最後の少女が、榛名だった。
 半ば強引に、「金剛お姉様のピンチを救うのよ!」と叫ぶ比叡が連れてきた彼女は、とある理由からこの場を去ろうとするのだが、事情を知らない荒潮、高雄が引き止める。
 言いにくそうな榛名に代わり、説明するのは古鷹だ。


「そっか。荒潮ちゃんも高雄さんも知らないんでしたね。榛名さんは、その。提督の初恋の女性に、ソックリなんだそうです」

「あら~。そうだったの~」

「初恋の女性に、ですか。それは……なんと言えば良いのかしら……」


 荒潮ははんなりと、高雄は複雑な表情で口を濁す。
 男性が、女性を連れて実家に帰る。
 普通に考えれば、真剣な交際をしている事の挨拶であろうが、後を追って複数の少女が押しかけている。
 中には彼の初恋の女性に瓜二つな少女も居て、しかもそれが、能力者の深層心理から模られるとされる、統制人格であったなら……。
 まぁ、最初から複数の女性を連れ帰っている時点で、交際の挨拶という線は消えているだろうけれど、印象を良くすることはまず無い。
 迷惑を掛けたくはなかった。


「なので、榛名は戻ります。どうかご武運を……」

「なに言ってるの。榛名は榛名なんだから、ここに居て大丈夫大丈夫」

「比叡姉様? でも……」


 しかし、去ろうとする榛名を、今度は比叡が引き止めた。
 据わりの悪そうな妹へ、猫背になった背中は語る。


「きっと、提督だって同じ事を言うと思う。榛名は榛名。初恋の人なんて関係ない。
 それでも文句言うような人なんて、ワタシたちがフルボッコしちゃうんだから! ね? 霧島っ」

「当然です」


 振り返らず、彼女たちは言い切った。霧島の眼鏡が輝く。
 虚を突かれた榛名は、手に持つ迷彩艤装(小枝)を取り落とし、次いで周囲を見回した。
 高雄も、古鷹も。そして当然、荒潮も。皆が揃って頷き返す。
 それが嬉しくて、榛名は膝を抱え、俯いてしまう。そうしないと、ニヤけた顔を見られてしまいそうで恥ずかしいのだ。
 小さく聴こえる「ありがとうございます」のせいで、どんな気持ちなのかはバレバレなのだが。


「こちら、荒潮~。大潮ちゃん、そっちの状況はどう~? どうぞ~」


 一件落着した所で、荒潮はトランシーバーの送信ボタンをオン。第二班を指揮している姉妹艦へと呼び掛ける。
 声の飛んだ先は、天龍が圧迫接待を受けているはずの応接間が覗ける、これまた藪の中。
 灰水色の髪を頭の両脇で短く縛った、煙突型の帽子が特徴の、朝潮型駆逐艦二番艦、大潮の元だ。


「感度良好! 現在、天龍さんが縁側に出て、虹色の何かをリバースし続けてるよ! 他のみんなは居ないみたい」


 元気ハツラツに、しかしヒソヒソと。
 器用な返事をする大潮は、見た目的に霰と深い関係性がありそうだが、実際は満潮と同じ日に完成した、双子のような存在である。
 彼女の側にも、複数の随伴艦が座り込んでいた。


「うふふ~。たぶん不味かったんでしょうけど~、気を遣って根性で食べまくる天龍ちゃん、最高に格好良かったわ~。後で褒めてあげなきゃ~」

「わたしは可哀想になって来ちゃったー。天龍ちゃん、顔色がおかしな事になってる。胃薬用意しておかないとー」

「……なんか、龍田さんと愛宕さんたちの声聞いてるだけで、欠伸が出てきそう……。
 北上さんも居ないみたいだし。待っていて下さい、北上さん。
 見つけたらすぐに私が助け出して、そして二人でランナウェイを……。どぅふふ……」

「あたしは普通に眠い……。なんでこんな事してんだ……ろ……。ぐー」


 荒潮とは違った意味合いでホルホルする龍田と、可愛らしいポーチを探る愛宕。
 北上との睦み合いを妄想して涎を垂らす大井に、半分寝ている加古である。
 裏口から侵入した第一班に負けず劣らず、風変わりなチームだった。
 ちなみに、これらのメンバーがどうやって選出されたかと言えば、ほぼ立候補である。


「荒潮ちゃん、霞ちゃんの様子はどうだった? どうぞ!」

『問題ないみたいよ~。相変わらず生真面目で~、司令官のことが大好きなだけだったらしいわ~』

「……? よく分かんないけど、大丈夫そうなら良かった。みんな驚いてたから……」


 荒潮、大潮は、入れ替わりで艦隊内演習を行うはずだった霞の、突然な行動の真意を探るため、嫉妬組みの比叡・大井に着いて来た。
 残って演習をしているはずの、三人の朝潮型――特に満潮から、「霞の事よろしくね」と頼まれ、割と張り切っていた。
 まだ大潮には伝わっていないけれど、荒潮が漏れ聞こえる声を聞いた今、真摯な気持ちからの行動であるのは明白。一安心である。


「そうよね~。私が天龍ちゃんを送り込んだのとは、全然訳が違うものね〜」

「そりゃあそうでしょうよ……」

「龍田ちゃんは天龍ちゃんで楽しみたいだけだものねー」


 かたや、テッカテカになった頬をさする龍田はといえば、提督ファミリーとの対面で起きる騒ぎを楽しむため、自らの姉を差し出したのだった。
 目論見通り、メシマズお菓子を必死な顔で食べまくるという、面白可哀想な姿を見られて御満悦な彼女だが、ちょっと引いてしまう大井と愛宕である。
 大井に関してはどっこいどっこいだと思われるが、触れないでおこう。触らぬ神に祟りなし。


「ぐぅ……くか? ……くん、くん……。バターで炒められる小麦粉に玉ねぎと、肉の焼ける香ばしい匂い……。これは……間違いなくカレー……」

「おおおっ、凄いです加古さん! こんなに離れてるのに、よく分かりますね!」

「うふふ。加古ちゃんってー、お腹が空くと嗅覚がワンちゃん並みになるのよねー。凄い特技ー」


 スニーキングミッション中にも関わらず、普通に皆が喋りまくっている中、睡眠欲から黙っていた加古が、急に鼻を動かし始める。
 漂ってきそうな臭いといえば、天龍がスプラッシュしたブツくらいのものだが、実際にはしてこない。
 ほぼ無臭のはずなのに、家中の調理を感じとるとは、凄まじい食欲である。愛宕がパチパチ拍手していた。


「そういえば、朝から何も食べてないわね~。私もお腹空いちゃったわ~……」

「急にだったものね……。外出許可も取ってないし、バレたら怒られそうだけど……。
 でも、北上さんが提督のご両親に挨拶だなんて、言語道断よ! どんな手を使ってでも妨害しないと……!」


 しかし、言われて空腹感を思い出してしまった龍田は、「くぅ」と鳴く腹を押さえて切ない顔に。
 大井も同様に空腹を感じていたが、彼女にとってそれは二の次。比叡にも負けぬ情熱と嫉妬心を燃やして誤魔化す。
 気の優しい北上。状況に流されてうっかり提督ラブ勢と勘違いされたら、なんとなーく違うと言い出せずに既成事実が積み上がってしまうかも知れない。

 ――そんなの絶対にダメなんだから!


「でも、腹が減っては戦はできぬ、とも言いますよ、大井さん! 大潮、鳳翔さんの料理も好きですけど、妙高さんの豚汁とかも好きです!」

「あー。美味しいわよねー。お野菜たっぷりでー、あったまるのよねー」

「そうそう~。お肉もたくさん切らなきゃいけないから、手伝ってても楽しいのよ~」

「……その楽しみ方で良いのかしら。はぁ、お菓子でも持って来れば良かった……」


 ……とは思うものの、周囲があまりに“のほほ~ん”としているせいか、けっきょく食べ物談義に参加してしまう大井。
 カレー。豚汁。アジの開き。お新香。サラダ。スパゲッティ。ピザ。グラタン。ステーキ。豚カツ。脳裏に様々な料理が、浮かんでは消える。
 考えれば考えるほど、腹の虫が泣き叫んだ。四人は車座になってため息をつく。


「ところで、加古ちゃんはー? ついさっきまでそこに居たのに……」

「……あら~? どこ行っちゃったのかしら~?」

「どうせ、そこら辺で昼寝してるだけでしょう。気にすること――あぁ!?」


 ふと、愛宕が気付いた。一人足りない。
 眠い眠いと言いながら鼻を動かしていた加古の姿が、いつの間にか消えていたのである。
 龍田が慌てて周囲を見回しても、人影は見当たらず……。
 ただ一人、興味無さげな大井は応接間の監視に戻ろうとし、次の瞬間には素っ頓狂な声を上げてしまった。
 何故ならば――


「お腹……減った……。もう、我慢出来ない……。お恵みをぉおぉぉ……」

「か、加古ぉ!? お前、なんでこんなとこに!? いや、とにかく助かったっ。ほら、こっち来い! オレの分まで食ってくれ!」


 ――既に加古は、天龍によって、新たな生贄となってしまっていたからである。
 虹色に輝く水溜りに後ろ足で砂をかけ、彼女はいそいそと加古を引っ張り上げていた。
 最早、誤魔化しが効く状況ではない。


「……こ、こちら大潮……っ。加古さんが敵の罠に掛かってしまいました……! これより、戦術的撤退を開始しまーす……! コソコソ……」


 作戦の失敗を悟った大潮は、速やかに撤退命令を下した。
 正確に言うなら罠でもなんでもなく、勝手に自滅しただけなのだが、まぁ、その辺は置いておくとして。
 大潮からの連絡を受け、動かざるを得なくなった第一班へ視点を移そう。


「あ、あらあら~。なんだか、マズい事になっちゃったかしら~」

「どうかなさったんですか?」


 変わらずはんなり口調な荒潮であるが、その頬には大粒の汗が伝っている。
 問い掛けてくる榛名へ答える余裕もなく、彼女も大急ぎで撤退準備に入った。


「ええと~、詳しい説明は後でするから、とにかく撤退よ~」

「はぁ!? こんな状況で撤退なんて……!
 こうしている間にも、トントン拍子に縁談が進んでたら……。
 いつの間にか婚姻届を提出しちゃってて、今夜が新婚初夜なんて事にまで……っ。
 わたしは一人でも、断固、徹底、抗戦です!!!!!!」

「ひ、比叡姉様、落ち着いて下さいっ」

「そうですっ、この藪は狭いんですから、騒がれるとすぐにバレて――あっ、眼鏡が!?」


 ……いや、入ろうとはしているのだけれど、比叡は意固地になり、榛名はオロオロするばかりで、霧島は肩がぶつかった拍子に眼鏡を落としてしまう。
 藪がガサゴソ音を立て、誰か人が見ていれば、確実にバレるはずである。
 古鷹と高雄が顔を見合わせた。


「どうしましょう、高雄さん。私たちだけでも帰ります……?」

「……そうしましょうか。このままだと、提督にお叱りを受け――」

「おねーちゃんたち、何してるのー?」


 うなずき合い、保身のために重巡たちが仲間を見捨てようとした、まさにその時。愛くるしい少年の声が響いた。
 ビシリ、と空気が凍りつく。
 五秒ほどの硬直時間を置き、錆び付いた機械が如く、ギクシャクした動きで皆が振り返った先には、目を輝かせる幼い子供――提督の下の弟、小助が体育座りをしていた。


「もしかして、かくれんぼー? だったら僕もやるー!」

「あ、あら~。違うのよ~? これは~、とっても大事なお仕事をしててね~」

「……ダメなの……?」

「ダメじゃないのよ~、ただ、ちょっと間が悪いだけで~……」

「……うー」

「あっ、待って、泣かないで~」


 家族が料理に掛かりっきりなせいで、暇だったのだろう。無邪気に遊んで欲しいとお願いする小助だったが、色良い返事を貰えず愚図り始める。
 宥めようと荒潮が頭を撫でるも、目尻に涙は溜まり……。
 そんな時、また遠方から聞き覚えのない声が聞こえてきた。


「おーい、小助ー。じきに昼食ができる、家の中に居なくては駄目だぞー」


 小助のことを探し回る、短髪の女性。提督の上の姉、大姉と呼ばれる女性だ。
 といっても荒潮たちには誰だか分からないのだが、目の前にいる少年の家族であることは直感的に理解できた。
 不法侵入。泣いている少年。一部、日常的ではない格好をした少女たち。
 どう考えても、務所まっしぐらであった。


「マズい、ヤバい、ピンチです!? このままじゃ見つかって捕縛されて尋問される!?」

「あぁぁ、やっぱり榛名だけでも逃げていれば……!」

「いえ、そこまではされないと思いますが、通報でもされると面倒ですね。ところで眼鏡知りませんか、眼鏡。このままじゃ逃げられません」

「ちょ、ダメです霧島さんっ、そんなに動き回ったら……あっ、古鷹さん後ろっ!」

「え? ……きゃっ!?」


 段々と近づいてくる女性の姿に、第一班は大慌て。
 押しくら饅頭状態で隠れようとするけれど、本体――もとい、眼鏡を求めて彷徨う霧島が、うっかり古鷹にぶつかった。
 そして、古鷹が高雄にぶつかり、高雄が荒潮にぶつかり、荒潮が比叡にぶつかり、比叡が榛名にぶつかり。
 将棋倒しに、少女たちが藪の外へ押しやられた。


「……裕子? いや、そんなはずは……」

「……こ、こんにちは……」


 当然、見せられる方は目を丸くするしかない。しかし、大姉は別の理由で驚きを隠せなかった。
 上目遣いの苦笑いを浮かべる榛名の顔は、彼女の幼馴染と瓜二つだったからである。それも、遡ること十年以上前の。
 誰だ。なんでここに。あの脂肪はどこへ行った。
 色んな考えが頭をめぐる中、一つ確かなのは――


「者共、出あえぇぇえええっ!! なんか巫女服っぽいコスプレした変質者が紛れ込んでるぞぉおおぉぉおおおっ!!!!!!」

「ち、違いますっ、榛名たちは……!」

「とにかく逃げましょ~!」

「ぬっ、待たんか痴れ者めぇええっ!」

「あ、かくれんぼじゃなくて鬼ごっこー? わーい!」


 ――この少女たちが、不法侵入者であること。
 こうして、提督一家を巻き込んだ大捕物は、幕を開けたのである。

 後編へ、続く。











《こぼれ話 世に争いの種は尽きまじ》





「はあぁ……。なんであんなこと言っちゃったんだろ、私……」


 珍しく人のいない脱衣場。
 備えられた姿見の前で、服を脱ぎかけの私は――夕張型軽巡洋艦一番艦・夕張は、大きな溜め息をつく。
 ごく普通の白いブラとショーツに、黒いパンスト。凹凸は少ないかも知れないけど、へっ込んでる所はしっかりメリハリついてるし、見れない身体じゃないと思う。
 顔にだってそれなりの自信はある……んだけど、表情も、ポニテを解いてセミロングになった灰色の髪も、なんだかクタッとしちゃってる。
 原因は分かってる。
 ほんの数時間前に起きた、些細な。本当に些細な出来事が、私の心を重くしていた。


「……とにかく、お風呂入っちゃわなきゃ」


 大きく頭を振り、思い出しそうになった記憶を追い払う。
 考えても考えても気が重くなるから、気分転換しにお風呂へ来たんだもん。サッパリしなくちゃね。
 ストッキング、ショーツ、ブラを外し、キチンと畳んでから籠に。よくある銭湯みたいな感じだけど、他にも籠が幾つか埋まっていた。先客が居るみたい。
 タオルで前を隠しつつ、私は浴室への引き戸を開けた。


「ん? おお、夕張ではないか! お主も湯浴みか?」

「利根さん。うん、ご飯の前に済ませちゃおうと思って」

「夕食の後だと、ごった返してしまいますものね。あ、姉さん、動いちゃ駄目です」


 さっそく声をかけてくれたのは、洗い場に腰掛ける重巡の利根さん、筑摩さん。
 普段はツインテールな利根さんだけど、流石にお風呂では髪を下ろしていて、後ろ姿が筑摩さんとそっくりになってる。筑摩さんは髪を結い上げ、今はシャンプー中。
 見極める点は、声や喋り方の他にもあるんだけど……。う~ん、相変わらず局所的に湯気が濃いなぁ、このお風呂……。
 気分的にタオルで隠してるけど、フルオープンにしても見えなさそう。っていうか、お股閉じましょうよ、乙女として。


「なにやら浮かぬ顔じゃな。気掛かりなことでもあるのか? 夕張」

「えっ。……そ、そんな事ないわよ。いつも通り、元気な夕張さんですって!」

「じぃ~……」

「あはは、あは……」


 まずは身体を洗おうと、利根さんの隣に腰を下ろす私。
 でも、覗き込んでくる泡まみれの表情は、疑うようにしかめっ面で。とりあえず力こぶを作ってみても、それは変わらない。
 どうしよう。私ってそんなに分かりやすいのかな。それとも、一目で分かるくらい顔に出てる?
 タオルを濡らして、ボディソープを泡立てながら言い訳を考えるけど、何も浮かんでこなかった。
 ううう、どうしよ……?


「隠し事は良くないぞ、夕張よ。よいか? 吾輩はな――」

「はい姉さん、目を瞑って下さい」

「――ぬぉ? わぷっ。おい筑摩――ぷわっ」


 唐突に、筑摩さんは利根さんへとお湯を被せる。
 濯ぎながらもう一回、また一回と掛け、詰問と一緒にシャンプーを終わらせてしまった。
 もしかして、気を遣ってくれた、のかな。


「さ、終わりましたよ。湯船に浸かりましょう、姉さん」

「いや、待たんか筑摩っ、まだ話の途中で……!」

「無理強いはいけません。夕張さん? 話したくなったらで構いませんから、いつでも頼って下さいね」

「……はい。ありがとうございます」


 立ち上がり、逆転姉妹は湯船に歩いていく。
 ……うん。利根さんと比べなくても、やっぱ大人だわ、筑摩さんって。艦齢的には彼女たちの方が若いんだけど。
 それに引き換え、私は……。


『なんで分かってくれないのよ!? 提督の分からず屋!』

『分からず屋はどっちだ! もういい、放っておいてくれ!』


 フラッシュバックする、あの一場面。怒鳴り声と、去っていく背中。
 ゴシゴシ身体を洗っても、ワシャワシャと髪を乱暴にシャンプーしても、まぶたと耳にこびり付いたみたいで、落ちやしない。
 泡を濯ぎ、曇ったガラスを手で拭ってみると、見慣れた顔が不貞腐れて。


「子供みたい」


 自分の事なのに、思わずそう呟いてしまった。
 実際、子供だよね。些細な意見の違いから、あんな、怒鳴り合うような真似をしちゃうなんてさ。
 見た目的には水も滴るいい女、なのに。……とか言っちゃったり。
 髪を適度に絞って、頭の上でお団子に。私も湯船に向かう。


「お邪魔しまーす」

「うむ、存分に湯を楽しむが良い!」

「姉さん? ここは共同浴場ですよ」


 挨拶しながら、薄い乳白色の湯に足を浸けると、まるでお風呂の主みたく胸を張る利根さん。
 あ、見えませんよもちろん。髪はタオルで纏めてある。筑摩さんがやってあげたんだろうな。
 ん~……。意地張っても仕方ないし、相談してみようかな。提督とのこと。


「あの。早速なんですけど、話しちゃっても良いですか?」

「ええ、もちろん。お役に立てるかは分かりませんけれど……」

「吾輩も聞くぞ! なにせ筑摩の姉だからな、頼り甲斐があろう!」

「はいはい、利根さんってば、もう」


 しっとりと頷いてくれる筑摩さんに、さっき以上に胸を張りまくる利根さん。
 私的には筑摩さんだけで十分なんですけど、仲間外れにするとスネちゃいますもんね。


「実は……んん?」


 肩まで湯船に浸かって、さぁ話そう、と思った瞬間。
 ちょっと離れた場所で「コポコポ……」と泡が弾けだした。
 な、なんだろ、あれ。沸騰してるような勢いだけど……?


「どうしたのだ、夕張」

「あ、いえ。あそこ……」

「おかしいですね。ジャグジー機能があるのは他の湯船のはず……」


 三人で顔を見合わせ、恐る恐る近づいてみる。
 泡の勢いはさらに激しくなり、やがて、何事もなかったみたく静かに。
 けど、その下に何か、緑色のものが見えたような気がして、よくよく目を凝らしてみると――


「――ぶぁ!?」

「きゃああっ!?」


 ――ズァッパーン! と、緊急浮上してくる人影が二つ。
 緑色の長い髪を持つ駆逐艦、長月ちゃんと、裸じゃないと男の子にも見えちゃう駆逐艦、深雪ちゃんだ。
 両方とも、真っ赤な顔で息を切らしてる。せ、潜水艦かと思って油断してたっ。


「はぁ、はぁ、ひ、卑怯だぞ深雪っ!? 湯船の中で変顔なぞ……!?」

「へっへーんだ、勝負の世界は非情なんだよ。むしろ褒め言葉だぜ!」


 二人の駆逐艦は、仁王立ちで睨み合いを続けている。隠す気なんて更々無いみたい。
 まぁ、隠さなくても不思議な光が乱舞してるから、問題ないんですけどね。残念でした~………………って、誰に向けて言ってんだろ、私。
 そんな事より、お風呂で遊んでるお子様を叱らなくちゃ!


「び、ビックリしたぁ……。もう、何やってるのよ二人とも!」

「何って、潜水対決? なんか話の流れでこうなっちゃってさー」

「くっ……。これで今日のプリンはお預けか……っ」


 いけしゃあしゃあと鼻の下をかく深雪ちゃんに、悔しそうな顔で顔を半分お湯に隠す長月ちゃん。
 察するに、デザートのプリンを賭けた勝負だったらしい。
 気持ちは分かるけど、お風呂の時は髪を結ばないと駄目よー? クラゲみたいになってるし。


「ゴーヤたちだけ潜水禁止とか、なーんか不公平感を感じるでちー」

「ホントなのね。最近、資源回収任務しかしてないから欲求不満なのね」

「イクが欲求不満って言うと、イヤらしく聞こえるのはなんでだろ……」

「あの、お風呂で泳ぐのもダメですよぅ、また怒られちゃいますぅ」


 あ、居たんだ。伊号のみんなにまるゆちゃん。
 声のした方を振り返れば、梯形陣で平泳ぎ、背泳ぎ、バタ足をするスク水が三人ほど。
 その後ろを、泣きそうな顔のまるゆちゃんが追いかけてた。うん、可哀想だけどいつもの光景だね。
 頑張れ、潜水艦唯一の常識人! 水着でお風呂に入る時点でなんかおかしいけど!


「ま、潜水艦は運用方法が限られるしなー」

「通商破壊も、この戦いではあまり意味がない。そもそも、敵に海上輸送が必要なのかが疑問だ」

「そーなのよねー。拿捕も出来ないから、沈んで行く間に積んでる物回収しなきゃいけないし、大変なんだから」

「イムヤも大変じゃのう。よもや、潜水艦がこのような使い方をされるとは、過去のお歴々も想像できんかったじゃろうな」

「戦い方そのものが変化してしまいましたし、これも時代の流れでしょうか?」


 話は変わり、ちょっと真面目な雰囲気でみんなは語る。
 通商破壊。戦争中、敵国の輸送ルートや商船などを攻撃する任務には、多くの潜水艦が活躍してた。特に有名なのはドイツのU-ボートよね。
 けど、深海棲艦との戦いで行われるのは、通商破壊というより資源回収……攫い? みたいな感じ。
 敵にも輸送艦という艦種があるのは知られてるけど、普通の船と違って拿捕が不可能だから、潜水艦に潜ってもらって、水上艦が輸送艦を撃沈。沈んでいく残骸の中から、積まれていた資源を可能な限り掬い上げなきゃならない。
 船の外に目を持てる、傀儡制御の潜水艦だけが可能なウルトラC。場合によっては、魚雷で残骸を細かく寸断する必要もあるんだとか。すんごく面倒。

 とまぁ、伊号のみんなはこんなお仕事に就いていたんだけど、深海棲艦には地上施設なんてないはず。
 海上輸送なんてする必要もないのに、人類側にいくら撃沈されても、敵の輸送は行われてる。
 なんていうか……不気味。敵に利するだけの行為を続けているなんて、どういう事なんだろう?
 地下資源のないこの国では止めることも出来ないし、ちょっと不安かも……。


「ま、難しい話なんかやめやめ。
 そんで、微妙に話が聞こえてたんだけど、夕張さんは何を悩んでんのさ。
 なんなら、この深雪様が聞いてやってもいいぜ!」

「えぇ……。深雪ちゃんがぁ……?」

「なんだよその反応!? せっかく相談に乗ってやろうとしてんのに!」

「深雪、押し付けがましいぞ。彼女は軽巡。きっと私たち駆逐艦とは違う、重い悩みがあるんだろう。無理に聞いてやるな」

「うっ。そんな風に受け止められると、なんだか気が引けちゃうなぁ……」


 バシャバシャと喚き立てる深雪ちゃんのせいで、真面目な雰囲気は一転しちゃう。
 しかも、噂をすればなんとやら。騒ぎを聞きつけて、残りの潜水艦のみんなが寄ってきた。


「どうしたでちか? 夕張さん、悩んでるでち?」

「あぁ! イク、分かっちゃったのねっ。そんな気にする事ないのね~。
 たとえ名前負けしていても、色と形と感度さえ良ければ大丈夫って、どっかの誰かも言ってる気がするのね!」

「ねぇ。喧嘩売ってる? 対潜装備ガン積みしてあげよっか?」


 たぷん、と胸についた水風船を揺らし、ケラケラ笑うイクちゃん。私はけっこう本気で笑い返す。
 まるゆちゃんが「怖いですぅぅ……」って震えてるけど、触れられたくない乙女の聖域に踏み込んでくるのが悪い。
 悪かったですねぇー。夕張なのにメロンサイズじゃなくってぇー。私はどっちかって言えばスイカ派なのよーだ。
 ……どっちにしろ相応しくないとか思っている奴がいたら○す。


「はぁ……。別に、大した事じゃないわよ。ちょっと、下らない事で提督と喧嘩しちゃっただけで……」

「ほう、喧嘩か。それはそれで珍しいではないか」

「そうですか?」

「ええ。一方的に提督が叱られるのはよく目にしますけど、提督と喧嘩できる子は限られてますから」

「……ですかぁ」


 利根さん、筑摩さんの言葉に、なんとも奇妙な心持ちで頷いてしまう。
 提督と喧嘩できる子、かぁ。
 ええっと、満潮ちゃんとか霞ちゃんは違うよね。理不尽に難癖つけてる訳じゃないから、提督もすぐ謝っちゃうし。
 深雪ちゃんとは、半分男友達みたいな感じなのかな。曙ちゃんともよく口喧嘩してるし、漣ちゃんやイクちゃんはむしろ提督が怒る側で、後は……。
 あれ? 六十人以上居るはずなのに、思っていたより少ない。私もそこに入るの?
 ……ふ、ふーん。そうなんだー。……そうなんだ。


「んなこと無くねぇ? あたしは結構な確率でひっぱたかれるけど」

「それは深雪ちゃんが悪いでちよ。この前もてーとくの部屋をひっくり返して。怒られて当然でち」

「あれはそれでか……。何をしていたんだ、一体?」

「や、エロ本とか持ってんのかなぁーって家捜ししてた」

「ほほう! して、結果はどうだったのじゃ?」

「ぜひ参考にしたいのね!」

「姉さんったら……」

「なんの参考にするのよ……」


 一人うなずく私を他所に、深雪ちゃんは筑摩さんたちに反論。
 そこへ長月ちゃんが食いついたり、利根さん・イクちゃんが目を輝かせたり。イムヤちゃんは疲れた顔してる。
 ホント、参考にしてどうするんだろうね……。予想はできるけど考えたくありません。


「それがさー。出てくるモンっつったら、あたしたちと撮った記念写真くらいでやんの。ったくつまんねぇー、男ならエロ本とかエロビデオの十や二十持ってろっつーの」

「持ってたら持ってたで、全力でおちょくるんでしょう? 上手く隠してるんじゃない、提督も」

「え? オリョクル?」

「なんだか労基に駆け込みたくなる単語でち」

「微妙に損傷したまま、翌日まで放っとかれそうなのね」

「あのぉ、皆さん、なんの話を……?」


 湯船の端へ向かい、ふちに寄りかかって色んなものを全開する深雪ちゃん。
 私は「はしたない……」とか思いつつ窘めるんだけど、潜水艦のみんなが別の意味で邪魔だった。
 おちょくるをオリョクルって、どんな聞き間違いよ? まるゆちゃん置いてけぼりじゃない、全くもう。

 そんなこんなで、湯けむりガールズトークは弾み……。




「はぁー、サッパリ。お風呂はやっぱり良いわー」


 だいたい三十分後。
 身も心も清々しくなった私は、いつものセーラー服に身を包もうとしていた。やっぱり女子は、お喋り&お風呂で気分転換するのが一番よ!
 オレンジ色のリボンと、袖口の大きなボタンが特徴な半袖上着にプリーツスカート。色は上が藍色で下が緑色。
 後は、スカートよりちょっと明るい緑のリボンで髪をまとめて、個人的に買ったピンクのリストバンドを左手首に付ければ、いつもの私が完成っ。
 なんでこの寒い時期に呼ばれたのに半袖なの? っていう疑問はあるけど、割と可愛いから気に入ってます。寒ければちょっと気合い入れて、長袖を構築すれば良いだけだし。


「うむ! 汗も流した、次は夕餉じゃな!」

「今日の献立はなんでしょう。楽しみですね、姉さん」

「その前に喉乾いたって。なんか飲もうぜー」

「ああ。私はやはりフルーツ牛乳だ」


 着心地の良さそうな甚平を、揃いで着てる利根さん・筑摩さん。
 やっぱり男の子に見えちゃう深雪ちゃんは、半袖シャツに半ズボンのジャージ。
 長月ちゃんは意外にも、金木犀の花がプリントされた可愛いパジャマ姿。口調は勇ましいのに、やっぱり女の子よね。
 でも、駆逐艦とはいえ、ブラつけた方が良いんじゃないかなぁ? うっかり濡れると透けちゃう。
 なんて事を駄弁りながら、普通のセーラー服姿になった、伊号のみんなとまるゆちゃんも引き連れ、全員で食堂へ。


「えっ。て、提督?」

「え、あ、夕張……」


 ――向かおうとしていた、足が止まる。
 な、なんでそんな所に……?
 廊下に続く二枚目の引き戸を開けてみれば、ちょうど真向かいの壁――無料の自販機に寄りかかっている、軍服姿の人物が居た。……提督。
 手には飲みかけの牛乳瓶が。誰かを、待ってた? もしかして……。
 硬直する私に代わって、イムヤちゃんが問いかけた。


「どうしたの? お風呂場の前で……まさか……」

「いやっ、違う違う! 覗きとかじゃなくて、自分は……」

「ふっふ~、照れなくてもいいのね~。一緒にお風呂入りたいなら、言ってくれればいつでも“また”一緒にぃ――」

「君は黙ってこれでも飲んでろ」

「ふむぐ!? ――っけほ、提督のミルク、溢れちゃう、のね~」

「言い方が無駄に卑猥でち」


 慌てて手を振る提督の周囲に、さっそく伊号のみんなが纏わりつく。
 イクちゃんなんか、口へ牛乳瓶を突っ込まれてご満悦みたい。
 ……聞き捨てならない単語があったような気もするけど、普段通りな彼が、なんだか……。
 少し前まで、あんなに怒ってたはずなのに。提督にとってはその程度のこと?
 気にしてた私が、馬鹿みたいじゃない。


「で、覗きじゃないならなんの用です? 私、ご飯食べに行きたいんですけど」


 そんな気持ちが、提督への態度をツンケンさせる。
 流石に腹立たしかったのか、彼はムッとした顔で一歩前へ。
 数秒睨み合い、そして――


「ごめん、夕張。あの時は、自分が悪かった」

「……へ?」


 ――いきなり頭を下げられちゃった。
 虚を突かれ、変な顔をしてるだろう私に、提督は照れ笑いを浮かべて。


「まぁ、あれだ。自分も、大人気なかったというか。君の意見もちゃんと聞くべきだったな、と思ってさ。済まなかった」

「そ、そんなっ。あれは、私が意見を押し付けちゃうような感じだったから、提督が怒るのも当たり前で……ごめんなさい……」


 改めて頭を下げられると、私も自然に謝れていた。
 みんなが固唾を飲んで見守ってくれる中、また提督と見つめ合い。
 どちらからともなく、フッと笑う。


「じゃあ、お相子だな?」

「……うんっ」


 手と手を合わせ、軽くハイタッチ。これでもう、気まずいのも喧嘩も終わり。
 あーあ、安心したらお腹空いた! 私って単純だ。
 でも良いよね? 女の子なんてこういうもんなんだからっ。


「ね、一緒にご飯食べません? 仲直りも兼ねて」

「もちろん。みんなも来るだろ?」

「うむ、そうさせて貰おう」

「雨降って地固まる、ですね」


 気楽に誘ってみれば、小気味良い返事が幾つも。
 ぞろぞろと連れ立って、「お腹空いたでち~」「三大欲求を満たすのね〜」とか、談笑しながら食堂に入っていく。
 うわー、カウンターには並んでないけど、ごった返してる。これが一気に押し寄せるんだから、先にお風呂入っちゃって正解ね。


「ところで、隊長と夕張さんは、何が原因で喧嘩してたんですか?」

「それはだな……。ん、今日は白雪が当番か」

「はい。本日の献立はこちらです。どれになさいますか?」

「おぉ、御誂え向きだな。じゃあこれ、よろしく」

「畏まりました。少々お待ち下さいね」


 提督を先頭に、私たちは一列に並んで配膳を待つ。提督、私、まるゆちゃんに深雪ちゃんと長月ちゃん。利根さんたち、伊号のみんな、という順番。
 すると、まるゆちゃんが頭だけをヒョッコリ横に、事の発端を尋ねてきた。
 私が答えても良いんだろうけど、割烹着+三角巾な白雪ちゃんが示したのは、正しく説明に御誂え向きのメニュー。
 間を置かずに注文を受け取った彼は、かぐわしい出汁の香り立つそれを、愛おしげに掲げた。


「寒い時に食べるうどんは美味しいけど、蕎麦だって美味しいよな!」

「そうよね! 分かってくれて嬉しいです、提督! あ、白雪ちゃん、私はキツネ蕎麦お願ーい!」

「はい、夕張さんはキツネ蕎麦ですね。畏まりました」


 満面の笑みで頷き合う、私と提督。その間にあったのは、天ぷら蕎麦。
 サックサクの衣をまとった海老、那須、蓮根、南瓜が、お出汁を吸って柔らか食感に。
 刻んだネギとカマボコも乗せた、とっても豪華な天ぷら蕎麦! おうどんだって好きだけど、やっぱり冬は、温かいお蕎麦よね!
 まぁ、「寒い時に食べる麺類といえば」で喧嘩しちゃうなんて子供っぽいけど、だってお蕎麦だもん。しょうがない!


「……もしかしなくても、うどん派と蕎麦派で対立してただけなのか?」

「くっだらねぇー。あ、白雪ー。あたしは肉うどんねー。ほら、まるゆも注文」

「あ、はい。えっと、えっと……」


 なんだか呆れているような声も背中に聞こえるけど、そんな事は気にしません。
 だって私の手には、甘辛く煮上げたお揚げの乗った、美味しい美味しいお蕎麦様があるのだから!
 間違ってもひっくり返さないよう、しっかりとお盆を持ち。
 スキップしそうなルンルン気分で、私はテーブルへと向かうのだった。
 おっ蕎麦~、おっ蕎麦~♪





「さぁて、じゃあ食べるか!」

「うん、頂きますっ。そして、上にかける薬味といえば……」

「やっぱり、七味だろ――ん?」
「当然、ゆず胡椒よね――え?」




















 ぬうっ! もしやあれは、ロリん形陣……! まさか、この目にする日が来ようとは……!(ダイヤル1、1、0)
 という訳で、外伝・新人提督の里帰り、前編でございました。
 ヒドいですね。色んな意味でヒドいですね。なんで電ちゃんじゃなくて、鳳翔さんと霞ちゃんのフラグが立っとんねーん。
 まぁ、霞は責任感が強い子だと思うので、吹っ切れていそうで実は引きずってるかなーと思い、ママンの力をお借りしました。
 現在、ママンの中では電ちゃんより高ポイント。ただし嫁レーストップは鳳翔さん。メインヒロインの座、危うし。
 夕張さん? 君の魅力はヘソとくびれとパンストのラインだ! そして筆者は貧乳も大好――すみませんゴメンなさい○さないで。
 後編では、緊急参戦した榛名が本格始動します。もちろん金剛たちも……。どうするどうなる嫁レース!
 それでは、失礼致します。


「おーい、鍋持ってきたわよ……って、誰も居ないわね」
「やっぱり、さっきの叫び声……。ごめんなさいお母さん、私も行ってきます!」
「あ、霞ちゃん? ……行っちゃった。しかもフライパン放ったらかしじゃないの。仕方ない、ここは一家の大黒柱も腕を振るいましょうか! 愛情・アレンジ・スパイシー♪」





 2015/06/27 初投稿+誤字修正。瓶様、毛の宿る提督様、TENN様、ありがとうございました。
 2015/06/28 ご指摘のあった部分を改稿。you様、ありがとうございました。








[38387] 新人提督と愉快な仲間たちの里帰り・後編
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/06/05 12:42





 ザク、ザク、ザク――と。霜を踏みしめる音が響く。
 早朝。冷たく澄んだ空気を、白い吐息が煙らせていた。


「よぉし、着いたぞ」


 歩き慣れた、懐かしい農道を進んで十数分。
 眼前には、低い位置にある太陽が照らし出す、大きな鶏舎があった。
 半透光素材の壁と天井で覆われ、数百の採卵鶏――レイヤーたちが快適に暮らせる広さがある、中~大規模の平飼い用設備だ。
 それを見上げて、随行員の天龍は感嘆と呟いた。


「デっけぇ……。ここにニワトリが居んのか、司令官?」

「ああ。だいたい八百羽位かな、けっこう少ない方だよ」

「少ないのか!?」


 驚く天龍だが、実際少ない方だ。
 多いとこでは一人で数千~数万の数を管理するのも当たり前で、そっちの方が理に適っている。
 しかし、うちで飼っているのは、遺伝子改良により通常よりも多く、寿命間際まで採卵可能なレイヤー。
 初期投資は高くつき、安全性を信頼してもらうのに時間もかかったみたいだけど、今では採算が取れるくらいの利益が出てるんだから、悪い選択じゃなかったんだと思う。
 ……とはいえ、この時間に起きるのは久しぶりで、ちょっと眠い……。


「ふああ……あぅ……。加古さんじゃないけど、眠いわ……」

「それに寒いしねー。大井っち、大丈夫?」

「はい、北上さん。北上さんと一緒なら、どんな時間でも、どんな場所でもへっちゃらです! ……くぁう……」

「凄いあくび……。こんな朝早くから仕事なんて、お母さん、大変なのね」

「んな事ないさ。ようは慣れだよ慣れ。五時起きに合わせて生活リズムを作れば、苦じゃないよ。さ、入るぞー」


 どうやら大井も同じらしく、マフラーと手袋があくびで白く。一方の霞と北上は、手伝いに立候補しただけあってシャッキリしてる。
 純粋にありがたい。まさか、実家に帰った翌日から働かされるとは思ってなかったし。人使いが荒いよ……。
 ちなみに、昨日は小助と一緒に寝たので襲撃されませんでした。誰にとは言いませんが。
 夜中、「くぅぅ……。これじゃ手が出せないデース……!」とか聞こえたけど、気のせい気のせい。


「あれ? 直通じゃないんですね」

「うちは平飼い……あ、ケージに入れない飼い方だから、万が一にも逃げちゃわないようにな。靴も履き替えてくれるか? 外の菌が入っちゃうから」

「なるほどねー。でもさ、なんか静か過ぎない? ニワトリなんだし、もう起きてるはずだよね?」

「そういやそうだな。オレ、もっとコケコケうるさいのかと思ってたぜ」


 引き戸を開くと、まずは合成強石灰が撒かれた、八畳ほどのスペースに出る。
 鶏舎は長方形をしていて、それの短い一辺に小屋がくっついてるみたいな感じなのだが、掃除道具やらが置かれて見た目より窮屈だ。
 そして北上の言う通り、ここまで来れば鳴き声が聞こえて然るべきなのだけども……。
 あ~……。これは、マズいか……?


「まぁ、ちょっとビックリするかも知れないな……。みんな、離れててくれるか。霞、外ドア閉まってるよな?」

「閉まってるけど……。どうしたのよ」


 首をかしげる霞をよそに、自分は深呼吸で覚悟を決める。久しぶりだし、やっぱ緊張するな……。
 一応、振り返ってみんなを確認すると、訝りながらも距離を取ってくれている。
 これなら巻き込む心配もないだろう。


「じゃ、開けるからな。……よっ」


 コケェエエェェエエエッ!!


「ぶぉわっ」

「ちょ!? 司令官!?」


 一声かけてからドアノブを引けば、すぐさま視界が白と茶色に染まった。
 同時に、嗅ぎ慣れた鳥臭さと羽毛の感触が全身を覆っていく。
 霞の叫び声が響くも、慣れ親しんだ重みには溜め息が出る。


「あ゛~、やっぱこうなったか……」

「お、おいっ、なんだコレ、どうなってんだよぉ!?」

「わぁ……。提督が文字通りの鳥人間に……」


 えっちらおっちら、ニワトリたちを踏まないように振り向くと、天龍がパニクり、北上が唖然とした顔でこっちを見ていた。
 まぁ、目の前にいた人間が、いきなりニワトリのツリーになったら驚くよな、普通。
 頭からつま先まで、満遍なく張り付いてるし。


「いやぁ、なんでか自分、ニワトリにだけはモテるんだよ。鶏舎に入ると大体こうなっちゃってさ……。ここまで集られるのは久しぶりだけど」

「そういえば、卵を産むんだからメスなんですよね、ここのニワトリって。良かったですねー、少なくとも女の子ではありますし」

「バカにしてないか大井?」

「嫌だわ、そんな事ありません事よオホホホホ」


 ジト目を向ければ、手を口元に置いて上品ぶる大井。見下されてる感が半端ない。
 人間以外の女子に集られても、あったかいだけで嬉しくないっつの。
 というか、生産性を上げるためにオスも混じってるし、そいつらも寄って来てるんですが? ……ニワトリにも同性愛者って居んのかな。
 いや、考えないようにしよう。さっさと仕事を片付けねばっ。


「んじゃ、囮は自分が引き受けるから、卵の回収よろしくな。行くぞーお前らー」

「……ある意味、養鶏家も天職なのね……」


 感心しているような、呆れているような。どっちつかずな霞の声を背に、自分は鶏舎の中を闊歩する。
 気分は大名行列。かなり体重が増えているけれど、足取りは軽い。
 とれたて卵のTKG――卵かけ御飯、楽しみだ!





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「それじゃあ行くわよ……? せぇーの」

『頂きます!』


 母さんの掛け声を合図に、総勢二十八名の「頂きます」が重なった。
 炊きたての白米。ちょっと薄い鮭の切り身。卵焼きor目玉焼き。味噌汁。ぬか漬け。納豆。味付け海苔。そして希望者には生卵。
 襖を取っ払い、微妙に高さの違う座卓を組み合わせた食卓は、ザ・日本の朝食を乗せている。
 今の自分には珍しくもなくなったが、はっきり言ってご馳走である。こういう食事が出来ることを、神様に感謝なければいけないくらいだ。


「……って、あら? みんな食べないの?」

「い、いえ、あの……。食べます、食べたいんです、けど……」


 ……が。
 五秒たっても、十秒たっても。手をつける人物は現れない。
 変わらず左隣に座る鳳翔さんも、箸を持ったは良いが、動かせないでいた。
 原因は分かっている。昨日の昼食――母さんが余計なことをしたカレーのせいだ。
 幸か不幸か、完全には汚染されなかったものの、それゆえに「食べられない事はない不味さ」に留まってしまい、皆、しかめっ面をしながらなんとか平らげたのである。
 ついでに恐ろしく胃に溜まり、夕食は誰も食べる気がしなかったのでスキップ。そんな記憶が箸を鈍らせるのだ。
 けれど、重苦しい空気を一変させる一言が、親父から発せられた。


「心配しないで下さい。作ったのはわたしなので。味は保証します」

「なんだ……。オヤジさんがそう言うなら確かだな」

「安心して頂けるわね~」

「ちょっと二人とも。それはヒドいんじゃないの? そう思わない比叡ちゃーん?」

「全くですー! お母様の料理、とっても美味しいですよー!」


 ホッ……という溜め息が二十五個。早速、天龍と龍田が箸を動かす。
 元凶の母さんはといえば、一人で先に食べ始まっていただけでなく、遠く離れた比叡へと同意を求める。親父・大姉・小姉からこっぴどく叱られたというのに、懲りていないようだ。
 そして、あのカレーを平然と食べられた唯一の賛同者、比叡が大きな声で返事。何故あれをお代わりまで出来たのか。彼女の味覚が心配です。

 さて、いい加減こっちも食べ始めよう。
 まずはー、ご飯の天辺をくぼませてー、そんで生卵を投入しー、黄身をチョビッと割りーの……。
 あれ、醤油は……。


「はい、どうぞ。お醤油ですよね? 提督」

「あ、あぁ。ありがとう、榛名」


 醤油差しを探していると、右隣から目当ての物が差し出された。
 鳳翔さんに負けないくらい、正座が似合う高速戦艦、榛名である。
 前もって決めていたわけでも無し。偶然そうなったはずだが、何故か作為的にも感じるこの配置。
 腑に落ちないものを感じるけれど、自分はとりあえず、朝採れ卵のTKG作りを再開する。


「うんまっ! なにこれ、ただの卵かけ御飯なのにめっちゃ旨い!」

「加古、はしたないよ? ……でも、本当に美味しいです」

「うむ。まさかここまで味が変わるとはな。美味だ……」

「っぐ、っむ、っん! かぁあっ、ウマい! 親父さん、お代わりくれ!」


 左右に伸びる座卓の上では、自分以外のみんなも食事を始めていた。
 卵かけ御飯に感動しているのが、珍しくシャッキリしている加古と古鷹。そして那智さんと天龍だ。
 たかがTKGと侮るなかれ。横須賀で食べていた奴も、市販の物に比べれば美味しかったはずだが、それが超新鮮になるだけで別物になるのである。
 養鶏家だけが味わえる至高の逸品……だけれど、欠点も一つ。あまりに美味し過ぎて、他の場所では卵かけ御飯を食べられなくなってしまうのだ。実際、自分も横須賀では食べるの控えていた。
 うんうん。この味を知って貰えて嬉しいよ。あぁ、ご飯を掻っ込むこの幸せ。日本人で良かった……。


「はぁうぅ~、お味噌汁ってポカポカしますねぇ~」

「本当~。私、このお味噌汁大好き~」

「シンプル故に腕が出るわよねー」

「私にはまだ出せそうにない深みだわ~。あ、小姉さ~ん? お醤油取って~」

「は~い。どうぞ龍田ちゃん。ちなみに、お味噌汁は私のお手製なのよ~」

「流石は主婦、ですね。私ももっと勉強しなくてはっ。大姉様、小姉様。今日も高雄にご教授願います!」

「それは良いが、語尾延ばしキャラが固まり過ぎではないか? 頭が混乱してきたぞ」


 味噌汁談義に花を咲かせるのが、大潮・荒潮の新人駆逐艦コンビに、愛宕、龍田、小姉。あとは、やけに奮起している高雄とツッコミの大姉。
 朝の献立に相応しく、ネギと乾燥椎茸に麩の軽い味噌汁。親父が仕込んだだけあって、味噌と出汁のバランスが絶妙であり、身体の奥までしみ込む美味しさだ。
 ちなみに、姉たちは両方とも、料理の腕で旦那さんを捕まえたらしい。やっぱり男は胃袋が急所なんだろう。
 自分では作れないから、電に頼んで再現してもらってたっけ……。最近は鳳翔さんの味に慣れちゃってたし、これも新鮮に感じる。うん、美味い。


「っく、んっく、ぷはぁっ! ……お代わりをお願いするのです!」

「ちょっと電、駄目よヤケ牛乳なんて! お腹がゴロゴロしちゃうわ!」

「いや、ワタシたちはしないんじゃないかな。どっちにしろ止めた方が良いとは思うけれど」

(もっきゅもっきゅ)

「うぅぅ……。どうしてワタシの席がこんなに離れて……。Salmonがやけに塩辛いデース……」

「それはですね、金剛お姉さま。提督の方を見ながら醤油差しを使ったからです。氾濫してます」


 ところが、この味噌汁を再現できる腕前を持つ電さんは、口元を牛乳で丸く汚しているのだった。まさしくヤケ飲みである。
 怒っている……いや、拗ねている原因は、席順のせい……だったり? 自惚れてはいけない気がするので、明言はしませんけども。
 無言でリスになってる暁。猫被りも忘れて悲しんでいる金剛。納豆をかき混ぜつつ、冷静に指摘する霧島たちと合わさり、混沌とした雰囲気を醸し出していた。


「うちも賑やかな家族だと思ってましたけど、なんていうか……凄いですね。いつもこんな感じなんですか? えっと、北上……さん?」

「合ってるよー。むしろ、もっと賑やかかな。この倍くらいは常に常駐してる訳だし。あ、このぬか漬け美味しー」

「すごいねー、大かぞくー。……ぇあ?」

「あぁあぁ、ダメよ小助くん。お箸はこう持って……」


 対面に座る中吉も、やや圧倒されている様子。自分は徐々に慣れていったけど、いきなりこの状況へ放り込まれたら……。
 ぬか漬けを堪能する北上に話しかけることも出来なかっただろうなぁ。ここら辺が彼女持ちとの差か。妬ましい。
 あと、箸の持ち方を手ずから指導とか、自分以外の男の子には優しいのね大井さん。ついでにもう一つ。中吉と北上が話してるのは良いんだろうか。
 自分だったら速攻で邪魔される気がするんだけど。差別だ差別。


「あのぉー、提督ー? ちょっといいですかー?」

「なんだ、比叡」


 ――と、内心でブチブチ言っていた自分に、遠方から比叡の声が。
 卓の端っこへ陣取り、他の子とも距離を置かれている彼女の手元には、彼女Onlyな特別メニューが用意されていた。


「わたし、いつまでカレーを食べ続ければ良いんでしょー? 美味しいんですけど、流石にこの量はキツいかなぁ……とか、思っちゃうんですけどー?」


 そう。母さんの余計な愛情が注ぎ込まれた、“あの”カレーである。しかも寸胴ごと。
 昨日の昼と夜。そして今日の朝と、都合三食をカレーで過ごす比叡だが、その量はなかなか減らない。
 ……食べてるのは一人なのに、減っている事の方がおかしい、か?
 しかし、みんなの精神衛生のため。心を鬼にしなければ。


「そんなの、食べ切るまでに決まってるじゃないか。美味しく食べられるのは君しかいないんだから、頑張れ!」

「ひぇーん……。美味しいけどツラいですぅ……」


 半泣きになりながらも、さっそく一皿目を完食した比叡。本当にどういう味覚してんだろうか。
 美味しいものは普通に美味しく食べられるみたいなのに、誰もが不味いと感じるものでも普通に食べられる。
 ひょっとすると、味に対するハードルが低いだけかも知れない。不都合がある訳でもないんだし、個性だと考えておこう。


「あ、そういえば。長太、鳳翔さん。あとでお使い頼まれてくれる?」

「自分は構わないけど、何を?」

「食材だ。もうすぐ、冷蔵庫は空だ」

「え? マジで?」

「はい……。お昼はなんとかなりそうなのですが、夕食までとなると……」


 そんなこんなで、食事がかなり進んだ頃。ふと、母さんは頼み事をしてきた。
 親父の言に目を丸くすると、鳳翔さんがさらに補足を。
 食材が空……。この人数なんだ、そりゃそうか。
 米だって、物置から引っ張り出した古い炊飯器をフル稼働させ、それでどうにかなっているほど。自分たちが買ってきた分を含めても、すぐ底を突くに決まってる。
 参ったな……と頭を掻いていると、榛名が一旦箸を置き、謝罪するように軽く頭を下げて。


「申し訳ありません……。榛名たちが、急に押しかけたりしなければ、このようなご迷惑は……」

「あらやだ、責めるつもりじゃないのよ? ただ、出前とったり、外食する訳にもいかないでしょう。私たちは仕事しなきゃいけないし」

「私も一度、家に戻らねば。手間の掛からない子たちとはいえ、長く子供を任せきりには出来んしな」

「旦那ちゃんも寂しがっちゃうしねー」


 どこまでも礼儀正しい榛名に、母さんは逆に恐縮してしまう。
 その言い訳と合わせて、大姉・小姉も予定を話し合い始めた。色々と急なことが重なったのもあり、帳尻合わせが大変だ。
 大姉の子供――自分にとって姪と甥にあたる子たちは、姉に似ず、聞き分けの良い四歳児と三歳児。大姉が居なくても、旦那さんだけでどうにかなる……むしろその方が平穏に過ごせるだろうが、まぁ、何も言わないでおこう。過干渉になっちゃいかん。
 小姉の方は結婚二年目。向こうでウザいと有名になるくらいラブラブなようだし、昨日の夜も、ノロケ話で寝る前の二時間が潰れた。一旦帰って、溜まったものを発散して頂きたい。
 今日は土曜日だし、自由に時間を使えるのは、学生である中吉と小助くらいだけど……?


「オレたちは学校休みだし、手伝おうか? 買い出し」

「おう、そうだな。人数分となるとすごい量になるだろうから、頼むよ」

「僕も行くー! おかし買っていいー?」

「あ、待って待ってー。二人ともこっちー」

「へ? なに、小姉さん」


 話を振るより先に、自ら手を挙げてくれる弟たちだったが、それを遮るように小姉が二人を呼び寄せる。
 親父が「行儀が悪いぞ」と叱る中、ヒソヒソ話はしばらく続き――


「……ごめん兄さん。やっぱ行けないや。買い出し、鳳翔さんと宜しく」

「はぁ? なんだよ、自分から言いだした癖に……。小助、何を吹き込まれた?」

「ごめんね、大兄ちゃん。僕、なんにも言えない。言ったら母ちゃんカレー食べさせられちゃう」


 ――終わる頃には、中吉も小助も、手の平を返してしまっていた。
 抗議の視線を送ってはみたが、ほにゃほにゃした笑みで誤魔化すだけな小姉。なしてそこまで……?
 まぁ別に、手伝いは弟たちじゃなくたって良いんだけど、怪しい。


「しっかし、買い出しかぁ……。買い占めになっちゃダメだし、スーパーをハシゴしないと。それに、行くなら空っぽになってからのが良いか。午後だな。那智さん、頼めます?」

「うむ、心得た。運転は任せてもら――」

「那智殿。少々お耳を拝借」

「ん? 大姉殿? ……いやそれは……だが……ううむ……」


 弟がダメなら仲間たちにと、まずは那智さんへ水を向けてみたが、今度は大姉が割り込んできた。
 なにやらボソボソと呟いては、渋る那智さんをしつこく説得している。
 やがて根負けしたのか、大きな溜め息が一つ。


「司令官、こういうのはどうだ。何も、全員で行動を共にすることもない、手分けして買い出しに行くというのは」

「……というと?」

「単純な話だ。私たちは車で遠出。町に詳しい司令官が、近場の商店街を巡る。問題ないだろう?」

「長太ちゃん、案内は私たちがするから安心してー? ほら、家へ送ってもらうついでに、ね?」


 提示された代案は、普通なら素直に頷けるのだが、明らかに大姉たちの意思が反映されているように思えた。
 ……なーんか、イヤだ。この謀られてる感覚。
 姉さんたちがこういう事する時って、だいたい自分が被害に遭うんだよなぁ。裕子姉への強制告白とか、強制告白とか、強制告白とか。
 怪しい。怪し過ぎる。……んだけれども、理には適っているから、拒否するのもアレだ。ひとまず、置いておこう。


「ま、いいや。それより、こっちも二人じゃ大した量を買えないし、誰か手伝いを……」

「悪いけど、私は無理よ。お母さんを手伝いたいから」

「あら、いいの? 助かるわ~、ありがとう霞ちゃん」

「わたしも霞ちゃんに付き合う予定~」

「すみません、大潮も……。お買い物、頑張って下さい! 司令官!」

「愛宕、私たちは那智さんを手伝いましょう。昨日の汚名返上です!」

「OKよー。そういう訳だから、ごめんなさいねー?」


 気を取り直して、みんなに協力を仰いでみたが、色好い返事が返ってこない。
 霞。なんか君、妙に母さんに懐いてない?
 荒潮と大潮は、姉妹艦で揃っていたいんだろうから良しとして。高雄、愛宕も那智さん組に編入か……。
 う~む……。


「じゃあ、北上たちは?」

「あー、ごめんね。わたしたちも予定があってさ」

「裏庭にあった家庭菜園スペースを再生するんです。私と北上さんの“二人”で。
 一日しか時間ありませんし、他のことをやってる余裕はありませんから、諦めて下さい」

「え? あ、あの、私と加古も手伝うはずじゃあ……?」

「古鷹、言っても無駄だって。あたしらの姿は見えてないと思うしかないよ。あー、食ったぁ……ちょっと眠くなってきた……」


 ならば! と雷巡コンビを誘うも、また断られてしまう。
 家庭菜園……。そういや、そんなのもあったっけか? 小さい頃、朝顔の観察日記とかを夏休みにつけてたような。
 単なる人足扱いの古鷹たちは気の毒だけど、家庭菜園、あればあったで役に立つ。任せてみるか。


「むぅ……。なら、天龍、龍田! 手伝ってくれるよな?」

「手伝いたいのは山々なんだけど~、片付けたいものがあるのよね~。天龍ちゃんがリバースした“アレ”とか。土に還らないみたいだから、どうにかしないと~」

「どういう理屈なんだよ、“アレ”……。大地が受け入れ拒否するとかどんなレベルなんだよ……」


 最後の砦と縋り付いた天龍田も、返事は素っ気ない。
 あ~、“アレ”ねぇ……。普通なら水分として吸収されようなもんだろうに、あの虹色の液体は、なぜかあの場所に留まっている。被せた土とも混ざらなかった。
 もしや、メシマズ料理が統制人格の胃液と化学反応し、地球外物質にでも変成したんだろうか。周辺環境を汚染したりしなきゃ良いけど……。


「あのっ、電がお手伝い……する訳には、行かないんですよね……?」

「榛名も、お供するのは控えた方が……」

「う~ん……。気持ちは嬉しいんだけど、なぁ……」

「こんな事になるなら、舞踏会でFaceを晒さなければ良かったデス。全っ然身動きが取れなくて、窮屈デース」

「比叡姉様と榛名、私も含めて、このままでは動けないでしょう。有名税、というやつですね。解決するのは難しそうです」

「ワタシが行っても良いんだけど、この髪は悪目立ちするかな」

「確かにそうかも。響の髪、真っ白で綺麗だけど人目を引いちゃうと思うわ」


 遠く、ここぞとばかりに立ち上がった電だったが、顔出しはマズいのに気付いたようで、意気消沈。
 もはや猫被りが面倒臭くなったらしい金剛も、露骨に不貞腐れた顔だ。
 その点、面が割れていない響なら大丈夫だけど、雷の言う通り、彼女の持つ純白の髪は、田舎町では注目の的だろう。外国人と勘違いされ、うっかり写真でも撮られたら大変である。
 榛名に関しては、ご町内に実在する人物のソックリさん(十年以上前)だし、尚のこと無理。
 となると、残ったのは暁。


「っくん。だったら暁が、レディーとしてみんなの代わりに――」

「あら、暁ちゃん行っちゃうの? 小助も懐いてるみたいだから、お姉さん代わりになって貰おうかと思ってたんだけど」

「お、お姉さん? あの、えっと……。や、やぶかさではないわ! 小さい子の面倒をみるのも、年長者の務めだし!」


 ……だけだったのに、あっさり母さんの口車に乗せられちゃったよ。
 チョロい。チョロ可愛いぞ暁。迷子になられたら困るし、君だけは危なくて連れて行けんわ。
 はぁ……。結局、誰も手が空いてない、のか……? いや、おかしいだろこれ。


「なぁ、母さん。鳳翔さんと二人っきりにしようとしてないか? あからさまに」

「そんな訳ないじゃない。たまたまよ、たまたま」


 家族に遠慮する必要無し。思った事をそのまま言ってみるが、軽~くいなされてしまう。
 だが、疑念はより大きくなるばかり。
 母さん、大姉、小姉。この三人がタッグを組んで、鳳翔さんとの関係を後押ししているような。
 第一印象が後を引いてるのか、それとも、ストライクゾーンが下方修正されているのを察知され、無理矢理くっ付けようとしているのか。
 どっちにしても、面倒な事になりそうだ……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……まだかよ……」


 時計の針が天辺を過ぎ、さらに二周りほど回転した、いわゆる昼下がり。
 外出着の上に薄手のジャンパーを着込んだ自分は、鳳翔さんと共に、玄関で待ち惚けを食っていた。


「一体、何をなさっているんでしょう? 小姉様」

「さぁ。見当もつきませんよ。ちょっと天然入ってますし、行動に突拍子が……」


 自分は上がり端に腰掛け、鳳翔さんは桃色の防寒用雨コートをまとい、玄関に立ちすくむ。
 なんでそんな事になっているのかと言えば、いざ出掛けようと靴を履いていたら、「お願いだから少し待っててー?」と、小姉に頼み込まれたからである。
 小姉はいっつもこうだった。
 見た目と言動が柔らかく、それを利用して周囲に色んな事を“お願い”し、最低限の労力で目的を達する、自称・悪女だ。
 まぁ、誰かを一方的にパシるような事はしなかった――弟は除く――みたいだし、時には自らパシられる事も。要は、楽しい事と楽をする事に関して全力を出す、変な人なのだ。
 にしても、もう二十分くらい経つ。冬は日が短いし、出来るだけ早く行ってきたいんだけど。っていうか、帰る帰ると言っといて午後ですよ。ぐうたら姉め。


「ごめんなさーい。長太ちゃん、お待たー」

「やっと来たか。で、何をさせよう……と……」


 背中で感じる聞きなれたフレーズに、自分は嘆息。
 どんな無茶振りをされるのかと、胡乱な目つきで振り返った、のだが。


「……お、お待たせしました、なのです……」


 その先に居たのは、やり切った笑みを浮かべる小姉と、見知らぬ美少女だった。
 艶やかなロングストレートの茶髪。左右の長い横髪を三つ編みにし、さらに後頭部で結んでいる。
 七分丈のジーンズと、上に着るボーダー柄のシャツ、青いフード付きパーカーが活動的な印象を与え、リップの塗られた唇は瑞々しさを際立たせていた。
 美少女だ。“ど”ストライクな、休日の御嬢様系美少女だ。歳は十六~七くらい、だろう。
 しかし、彼女の声は。口調は紛れもなく、あの子の物。まさか……?


「電、なんだよな」

「うっふふ、凄いでしょー。少し服装を変えて、大人メイクしただけでこれよ? もう最っ高の素材だわー! お姉ちゃん大満足!」

「まぁ……。とっても綺麗よ、電ちゃん」

「ぇへへ、ありがとうございますっ」


 鳳翔さんに褒められ、電は無邪気に喜んでいるが、自分は彼女に見惚れるばかり。
 統制人格は成長が望めないし、あまり想像した事もなかったけれど、電が普通の女の子だったら、いつかこんな美人になるんだろう。
 惚れた弱みでもなんでもなく、街を歩けば十割五分の確率で振り返られる、美少女である。あ、五分は二度見する確率です。
 凄い。可愛い。綺麗だ。ありきたりな褒め言葉が頭を埋め尽くすも、あまりにビックリしてしまって、声に出ない。
 と、棒立ちする自分へ、小姉がしたり顔で耳打ちしてきた。


(長太ちゃんの本命って、電ちゃんなんでしょ。このカリオスト○伯爵ー)

(なっ、なんで……っ。い、いや、自分、偽札なんて作ってねぇし……)

(言い訳しないの。お母さんは鳳翔さん推しみたいだし、姉さんはちょっとよく分からないけど、想い合ってて浮気しないなら、私は電ちゃんを応援してあげる。これなら外出してもバレないでしょ?)

(あ)


 小姉のウィンクが、超至近距離にあった。
 ……そうだ。そうだよ! 世間一般に知られてる電の姿は、お嬢様然としたドレスの女の子。鳳翔さんとお喋りしてる、どこぞの女子高生じゃない。
 これなら行ける……。電と、自分が生まれ育った町を歩ける!


「という訳だから、鳳翔さんと電ちゃんと、三人で楽しんで? これ買い物リストねー」

「小姉様、小姉様! 次は暁よ! お家帰る前に、私にも大人メイクー!」

「もう少し待ってー。じゃ、しっかりね。雷ちゃーん、またアシスタントお願ーい」

「はーい! 司令官、行ってらっしゃーい!」

「やれやれ、だね」


 内心の感謝が伝わったようで、小姉は満足そうに頬をツンツン。
 メモを手渡してから、廊下の角で待ち受ける暁たちの方へとスキップしていく。
 ありがとう……。本当にありがとう、小姉。この礼は必ずするよ、期待しててくれっ。


「じゃ、行こうか。行ってきまーす!」

「行ってきます、なのですっ」

「行って参ります」


 三者三様の挨拶を残し、自分たちは玄関を出る。
 左後方には鳳翔さん。右後方には電がつき、荷物を入れるバックパックも万端だ。
 電が可愛過ぎて、直視できないのは問題だけど、一緒に歩けるだけで良しとしよう。


「あ~……。三人乗り自転車はあるけど、危ないし歩きで行こうか。町へはバス使えば良いし」

「なので――え? あ、あるんですかっ!?」

「うん。あるんだよ。姉さんが若気の至りで買ったヤツが、物置に。他にもニッチな品物が沢山な……」

「本当に、個性的な方なんですね……」

「普段は大人しいんですよ? ただ、テンション上がると常識が無くなるだけで……。ご迷惑をお掛けします……」


 歩きながらちょいっと振り返ると、遠目に例の物置が見えた。
 百人どころか、二百人くらい乗っかっても大丈夫そうな物置だけど、その半分を占めているのは、大姉の私物なのだ。
 昔っから金回りだけは異常に良く、色んな趣味に手を出しては飽きるので、ちょっと……かなり……結構な迷惑である。ま、どうでもいいか。


「おほん。とにかく、作る時間を考えたら、日が暮れるまでに帰らなくちゃいけないんだ。少し急ごう」

「はい」

「なのです」


 気持ちを切り替え、今度こそ敷地内を出て行く。
 バス停までの間、鳳翔さんと献立の話をしたり、電と家族の話をしたり。
 知らず、ジャンパーの右袖を摘まれていたのが、くすぐったかった。

 十分も歩けば、目指すバス停が見えてきた。
 側にはトタンで囲われた簡易待合所も置かれ、昔ながらの情緒が漂う。
 使う側としては「相変わらず汚ったないなぁ」という感想しかないんだけども。
 幸い、一分も待たずにバスが来てくれたので、さっそく乗り込む。


「お、長太くんじゃないの。帰ってきてるってなぁホントだったんだな」

「おー、長島のオッちゃん。まだ運転手してたんだ。お久しぶりです」

「ホントになぁ。……んん? えらいベッピンさん二人も連れて、どういう関係だぁ? もしかして、コレか!?」

「は?」


 意外なことに、乗客のないバスを操っていたのは懐かしい顔。
 小中高と通学でお世話になった、運転手さんだ。
 如何にもな田舎のオッちゃんらしく、エロい話とデカい声が特徴の人なのだが……。


(しまった。電たちの事、どう説明しよう?)


 言い訳を考える間もなく、オッちゃんは電たちを見つけて小指をビシッ! 変わんねぇウザさだな……。
 バカ正直に「統制人格です」なんて言えるわけないし、ご近所ネットワークがあるから、「遠縁の親戚です」という鉄板のウソも使えない。
 ……いや。この人相手なら、むしろ冗談の方が誤魔化せるか。変な間が空く前に言っちゃおう!


「ええ、嫁と妻です。この子が嫁で、この人が妻」

『……えっ!?』

「あっはっはっはっは! そいつぁ羨ましい! 鎮守府に勤めりゃ、能力者じゃなくてもより取り見取りってなホントだったかぁ。あやかりたいねぇ」


 嫁のところで電を指し、妻の部分で鳳翔さんを。
 二人はビックリしてしまったようだが、狙い通りオッちゃんは大笑い。
 男同士の下世話な冗談としてウケてくれたみたいだ。なんとかなったか……。


「ははは、まぁ冗談ですけどね。普通に知り合いですよ。仕事の都合で同行してもらってて。ごめん、二人とも。変な冗談に巻き込んで」

「だぁなぁ。町までだろ? 早いとこ乗んな。お嬢さん方、段差に気ぃつけとくれぇ」

「し、失礼します……」

「なのです……」


 冗談の後はそれらしく情報を訂正し、三人で座れるよう、一番奥の座席へ。
 長島のオッちゃんは上手く騙せたけど、町に出るなら、もっとちゃんとした言い訳を考えとかなきゃマズいな……。
 揺れ始めるバスと、何故か黙り込んでしまった電・鳳翔さんの気配を両脇に感じつつ、自分は腕組みして悩み始める。
 う~ん。どうすんべ?





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「あの……。申し訳ありません、金剛お姉様……」


 時間を少々遡り、まだ買い物班が出かける前。
 廊下を移動しながら、榛名は先を歩く背中に頭を下げた。


「ンン? どうして謝ってるんデスか、榛名?」

「……私が来なければ、お姉様のお邪魔になることは無かったと、思いまして……」


 歩みを止めずに金剛が問い返すと、ますます肩を落としてしまう榛名。
 今朝の席順の事も含め、この家に来てしまった事自体が、提督との仲を深める邪魔にしかなっていないと、そう感じたためである。
 出発する前から、金剛は言っていた。

『英国式料理で、ご家族のStomachを掴みマス!』
『さりげなーく隣をKeepすれバ、きっと重要な存在だと思ってもらえるはずネ!』
『テートクとの関係を大幅にStep UpするこのChance、ゼッタイものにして見せるんだかラ!』

 あれやこれやと計画を立てては、とても楽しそうに笑っていたのだ。
 それを応援できなかったどころか、食事を作る機会を奪い、なぜか朝食では隣の席まで奪い……。罪悪感で、胸が一杯だった。
 けれど、そんな榛名の心境を察しているのか、金剛はあっけらかんと指を振る。


「それに関しテは、ほぼ比叡の責任。榛名が謝ることじゃありまセンよ? 暗い顔しちゃNOネ」

「もうひわけありまひぇん、お姉様……。どうひてもひんぱいれ……」

「お母様の料理の腕前までは情報がありませんでしたし、榛名だけの責任ではないと、私も思います。ところで比叡姉様、スプーンが止まってますよ」

「うぅぅ、霧ひまのほに~!」


 榛名のさらに後ろを歩く二人。比叡と霧島が、騒がしくもそれに同調する。
 かたや、大盛りカレーをモッシャモッシャと食べ続けながら。かたやそれを監視ながらという、とても不真面目かつ行儀の悪い形ではあるが、言葉に嘘偽りは無さそうだ。
 ほんの少し気が楽になった榛名は、しかし、唐突に振り返った金剛の言葉で、またしても緊張を強いられる事となる。


「良い機会デスし、一つQuestion。榛名は、テートクの事をどう思ってるノ?」

「えっ。それ、は……。ええと……。む、難しい、です……」


 提督の事をどう思うか。
 人間として……ではなく、異性として、であろう。
 質問者が、提督への気持ちを公言する姉だから、というのもあるけれど、一言では答えられない問いかけだった。
 本来、使い捨ての道具である統制人格に対し、心を砕く彼の姿勢は得難いもの。
 ときおり馬鹿な事もするが、尊敬できる部分も確かに持ち合わせている。
 もし。もしも、まかり間違って“そういう関係”になれるとしたら……。


(……でも。私には、そんな資格……)


 身を引くべきだと、榛名は考える。
 彼という男が嫌なわけではない。きっと彼なら、共に幸せになろうと努力してくれる。そんな確信がある。問題なのは榛名自身だ。
 この“顔”は、かつて彼が懸想した女性と瓜二つ。つまり、彼にとって榛名は、ある意味で“特別”な存在となっている。
 金剛を差し置いて、その“特別”に甘んじるのは、卑怯ではないか。
 榛名が彼と結ばれたとして、「人形で過去の想いを清算する男」というレッテルが、貼られはしないだろうか。
 そして何より。万が一にもあり得ないとは思うけれど。……誰かの代わりとして、彼が榛名を愛したとしたら。この心は、耐えられるだろうか。

 こんな、疑念というべき考えが頭を巡っては、答えようのない質問だった。とても、難しかった。
 だが、うつむく榛名の姿を見て、金剛は逆に慌て出す。


「あ、NoNo,今すぐにAnswerを出せっていう訳じゃないデス。Sorryネ」


 顔の前で両手を振り、性急だったと謝る金剛は、廊下の壁に寄りかかって瞼を閉じる。


「私は、テートクの事を愛してマス。まぁ、色々ツッコミ所がある人ではありますケド、それでも気持ちは変わらないデス。
 もし榛名もテートクの事が好きだって言うなラ、今日から二人はRival。たとえ妹が相手でも、絶対に負けまセン! Love is Warネ!」


 聖女のように穏やかな表情から、情熱的な恋する乙女に変貌し、拳を突きつけ宣戦布告。
 かと思えば、すぐに握り拳を開き、人差し指で榛名の鼻をチョンとくすぐって。


「……でも、もし榛名が迷っているのナラ。自分の容姿に引け目を感じているのなラ、それは勘違いも良いところデス。
 テートクがYouを選ぶとすれば、きっと見た目以外の“何か”に惹かれたからのはず。幸運を活用しないのは怠惰そのもの、ヨ?」


 まるで、榛名を応援するかのような言葉は、向けられた本人だけでなく、比叡・霧島までもを静かに驚愕させた。
 ただでさえ電という強力なライバルを抱えているのに、自ら競争相手を増やすなど、普通は考えられない。
 なのにこうして助言してしまうのは、妹が可愛いからか、恋に対して誠実だからか。それとも、この助言すら手練手管の一つなのか。
 榛名たちには分からなかったが、また前を向き、大きく伸びをする長姉の姿は、三対の目に眩しく映る。


「さぁて、EnemyにSaltを送ってばかりじゃ、あっという間に負け戦になってしまいマス。どうにかして、買い出しに行くテートクに着いていかネバ!」

「やはり、顔出ししてしまったのが痛いですね。顔を隠せば、とも思いますが、それはそれで注目を浴びるでしょうし」

「その前に、着いて行く許可を頂いた方が……」

「バレると非常に問題ですから、むぐ、比叡は行かない方が良いと思……ん? あれは……」


 だが、後光のような輝きも一瞬。
 すっかり獲物を狙うハンターに戻った金剛は、首をひねる霧島、苦笑いの榛名、ささやかに抵抗する比叡を引き連れ、廊下を練り歩く。
 そんな時、最後尾でカレーを貪っていた次女が、ふと足を止めた。
 場所的には玄関付近。提督の下の姉――小姉が、暁・雷・響を引き連れ、金剛たちとは反対側へ消えていったのだ。
 四人は顔を見合わせ、人の気配が残る玄関を覗き込む。


「じゃ、行こうか。行ってきまーす!」

「行ってきます、なのですっ」

「行って参ります」


 ちょうど、玄関を出て行こうとする三人組。提督と、鳳翔と、見覚えのないもう一人は。


「も、もしかしてあれは、電さんでしょうか?」

「なんと……。変われば変わるものですね。流石は小姉様、プロの腕前です」

「ひえ~。まるへ、っん、別人だぁ……」


 髪型も服装も違い、上げ底パンプスなのか身長まで違って見えるが、声と口調からして、着飾った電なのだろうと思われた。
 状況から推測するに、おそらく仕上げたのは小姉。まさかの伏兵――いや、完全武装した突撃兵に、榛名が唖然とし、霧島の眼鏡がズレ、比叡はカレーを噛まずに飲み込む。金剛はハニワのような顔をしていた。
 三人の姿が消え、玄関の引き戸が閉まる音で正気に戻った金剛は、先程までの余裕が嘘のように狼狽しまくる。


「……ハッ!? こ、こうしてる場合じゃないデス!? 小姉様、小姉様にお願いしてメイクを施して貰えバ、ワタシもまるで別人にっ!?」

「おふぃふいふぇふらふぁい、おむぇえふぁま! あふぇふぁいなふまふぁんらかられきふぁほほれ、おむぇえふぁまらふぉほふふゅめいふはひふほおはんひゃ?」

「ひ、比叡姉様? 口にカレーを詰め込み過ぎです……」

「えー。念のために通訳しますと、『落ち着いて下さいお姉様、あれは電ちゃんだから出来たことで、お姉様だと特殊メイクが必要なんじゃ』、と仰っているようですね」


 電に出来たなら自分にも。そう思って駆け出そうとする金剛を、カレーを一飲みにした比叡が引き止め、霧島が翻訳した。
 確かに、幼い容姿を持つ電であれば、服装や髪型、メイクなどで年齢をカサ増し出来るであろう。しかし、金剛のようにある程度成長した少女では、彼女ほど劇的な変化は見込めない。
 下手な変装では統制人格の金剛である事を見抜かれ、この家に迷惑が掛かってしまう可能性も……。


「うううううっ、何か、何か後を追いかける手段はないデスかぁ!?」

「あのぉ……。さっきから何を騒いで……」

「金剛姉ちゃん、なんで泣いてるのー?」


 八方塞がりな現状に、金剛は悲痛な叫びを上げる。
 騒ぎを聞きつけた提督の弟たちも顔を出すが、全くもって状況を把握できなかった。
 果たして、恋する乙女は意中の彼に追いつけるのか。

 答えは割とすぐに出る。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「じゃあなー、長太くん。また帰りに乗ってけよー」

「はい、お世話んなりまーす!」


 結局、あれから誰も乗ってこなかったバスを、三人で見送る。
 アスファルトの上を走るそれの周囲には、背の低い家々が並んでいた。
 乗り込んだ場所とは違い、もう町中であることが明白な景色だ。とはいえ、横須賀などと比べれば、少々燻んだような町なのだが。


「ここが、司令か――じゃなかった、お兄さんの育った町なんですね」

「ああ。古臭いだろ? 首都圏だっていうのに、まるで二十世紀の片田舎だ」

「そんな事ありません。趣があって、私は好きです」

「ははは……。お世辞でも嬉しいですよ。じゃあ行きましょうか。すぐ近くですから、さっさと終わらせましょう」


 日本人らしく過度な謙遜をしてみるが、否定してくれる二人の顔は楽しげだった。
 勝手な推測だけど、小旅行気分……といった感じだろうか? 外れてないと嬉しい。
 バス停を背にしばらく歩けば、すぐに大通りへと出る。
 大通りといっても、車ですれ違うのがやっとの幅で、両脇に個人商店が軒を連ねる、昭和・平成の匂いが漂ってきそうな町並みだ。
 人通りは多い。ついでに、電と鳳翔さんに向けられる男の視線も。
 ふっふっふ、美人だろう、美人だろう! お前らにゃ触れられんし、自分も多分触れられんがな!

 という小物染みた優越感に浸りながら、まずは青果店へ。
 親父がウン十年も通い詰める馴染みの店で、当然ながら自分も常連。同い年の友人もいた。
 流石にそいつは居ないだろうけど、オジさん、元気してるかな。


「こんちわー。お久しぶりでーす」

「へいらっしゃい! ……おう? 長太じゃねぇか!」

「あれ、シンスケ? お前、シンスケか?」

「“の”を抜くんじゃねぇっつってんだろ、“の”を! ……はは、やっぱ長太だ。ひっさしぶりだなぁ!」


 程なく、店先でしゃがみこむ背中を発見し、遠慮なく声を掛けてみると、立ち上がったのは見覚えのある青年。
 黒い半袖シャツに、「坂田商店」を印字された前掛け。白い捻りハチマキで短髪を引き締めるのは、居ないと思っていた幼馴染、坂田 慎之介である。


「ビックリした……。お前上京してたんじゃ? オジさん、どうしたんだよ?」

「いやー、それがよー。ぶっちゃけ、向こうで事業に失敗してな。これからどうすっかなーって時に、オヤジが腰やっちまったって連絡が来てよ。けっきょく帰ってきちまった」

「そっかぁ。大変だなぁ……。でも、こっちも似合ってんじゃないか?」

「ははは。帰ってきて三カ月だが、俺もそう思い始めたとこだ。どこまで行っても八百屋の息子ってな」


 ニカっと笑い、シンスケが肩を叩いてくる。気安い態度は通常の証。自分も笑みで返す。
 自分は進学を選ばされ、シンスケは就職を望んだ事で、自然と連絡が少なくなってしまったけれど、竹馬の友という奴は変わらないらしい。


「あの、て――長太、さん? こちらの方は……?」

「あぁ、すいません放ったらかしに。挨拶させますから」

「ん……? ふぉ!? なにこの超美人っ」


 鳳翔さんの声で、すっかり話し込んでいたのに気付く。
 いかんいかん。自分以外は初対面同士なんだから、互いに紹介しないとな。


「こいつは小中高と同じ学校だった、昔馴染みの坂田です。シンスケ、こちらは鳳翔さんと有賀ゆかさん。“俺”の同僚だ」

「初めまして。鳳翔と申します」

「有賀です。よろしくお願い致します、なのです」

「……はっ、初めましてっ! 坂田 慎之介であります! よろっくおなっしゃーすっ!」


 三人の間に立って紹介を始めると、あくまで普段通りな二人と対照的に、シンスケは緊張しまくってカッチンコッチンに。
 気持ちは分かる。もし能力に目覚めず、実家を継いで仕事をしてる時に美人が来たら、自分もこんな風になっちゃうだろう。前に同じこと言った気がするけど、美人に慣れるって寂しい。
 余談だが、電が名乗った偽名は、昔の彼女の艦長を任された人物をもじった。こんな美少女に名乗られるんだから、怒られないはず。むしろ喜んでくれる……と良いなぁ。


「あらっ、長太ちゃんじゃないのっ。来てくれたのねぇ!」

「坂田のオバさん、どうも。昨日帰ってきました」

「まぁまぁなんだかガッチリしちゃって! お買い物?」

「ええ。さっそく使い走らされてます」


 そうこうしている内に、店の奥からステレオタイプなアフロ・オバさんが現れる。シンスケの母親だ。
 家族ぐるみの付き合いだから、当然この人とも深い親交がある。
 ……んだけども、どうしてだかオバさんはチョイチョイと手招き。近付けば何やらコソコソ耳打ちを始めた。


(それで、どっちが噂の鳳翔さんなの?)

(……はぁ!? な、なんでその名前を……!?)

(ご近所ネットワーク舐めちゃ駄目よぉ。長太ちゃんが女の子を大勢連れて帰ってきたって、もう町中の噂なのよ? 年寄り限定だけど)

(嘘やん……)


 誰にも見られないよう注意していたはずなのに、とっくの昔にバレていた。町人の情報収集能力が高過ぎる。
 いや、まだ能力者なのは気付かれてない……と良いんだけど、これは警戒厳重にしないとな……。


「おい、おい長太! てんめぇ、こんな美人と美少女をはべらせやがって、彼女いない歴五ヶ月の俺に対する嫌がらせか!?」

「さり気に短期間なのを自慢してんじゃねぇ! 本当にただの同僚だよ、そういう関係じゃない。あとな……」


 間の持たなくなったらしいシンスケが、オバさんと入れ替わりに自分の方へ。乱暴にチョークされた。
 仕返しに脇固めを掛けつつ、変に詮索されないよう、今度は自分が耳打ち。


(どうせ後からオバさんに聞くだろうけど、“俺”が連れてきた子たちは提督に所縁がある。手を出そうなんて考えるなよ)

(え。マジそれ? まさかロリ林じゃないよな。っていうか、事務方なのに提督とコネあんのか?)

(ロリば………………お前死にたいの? 複雑なんだ。バカな事してくれるな)

(こえぇなぁ、軍は……ってか痛ぇわ! 本気出すな!)


 かなり遠回しな言い方だが、嘘は言っていないし、勘違いしてくれれば儲け物、というつもりで説明すると、シンスケは神妙な顔で頷いた。
 ま、態度はちゃらんぽらんでも根は真面目な男だ。こう言っとけば妙な考えは起こさないだろう。
 それにしても、曙とか大井に罵られるのは平気なのに、こいつに言われると激しくムカついたのはなんでだ? あれか、ご褒美にならないからか。
 ……こういう考えが浮かぶあたり、我ながら、ロリ林って呼ばれても仕方ない気がしてきた。もう少し煩悩を抑えなければ……。


「お兄さん、お兄さんっ。見て下さい!」

「ん? どうかし……ぉおっ? た、玉ねぎが山盛り……」

「玉ねぎだけじゃありませんよ? 他にもこんなに」

「坂田さんにおまけして貰っちゃったのです!」

「あー、そんな。オバさん、気を遣ってくれなくても……」


 シンスケとのじゃれ合いに興じていると、電が山と抱えた玉ねぎを見せに来る。
 鳳翔さんも、オバさんから根菜類などを溢れそうなほど。
 申し訳なくて辞退しようとするが、人好きな笑顔を浮かべ、自分にもジャガイモを押し付けてくれる。


「良いの良いの、長太ちゃんの里帰り祝いよ。ほら、これも持ってって?」

「……すみません、有り難いです。今回は甘えさせて貰います」

「おう、気にすんな。今度来る時は、鎮守府であぶれてる姉ちゃんを紹介してくれよ?」

「紹介料払うならなー」

「お前のが確実に高給取りだろっ、むしろなんか奢れ!」

「なに言ってんだいあんたは!」


 払った金額の倍以上はある野菜をバックパックに詰め、シンスケが引っ叩かれる音に笑いつつ、自分たちは店を後にする。
 その後も様々な店を巡り、古い顔馴染みとの対面を果たした。

 ドラッグストアでシャンプーなどの日用品を買い足し、店主のバアちゃんから栄養剤をオマケしてもらった。
「これ飲んで励め」って言われたけど、何に? ナニにですか? 余計なお世話じゃ独身貴族め。
 魚屋では新鮮なアジやブリを分けてもらった。坂田んとこで貰った大根と合わせて、ブリ大根とかいいかも知れない。
 けどオヤジさん? 国家公務員だからって、いきなり見合い勧めるのはやめて。「仲人百組目は長太くんが良い」とかじゃないの。背後が怖いの。
 米屋の未亡人さんは相変わらずエロ――もとい、綺麗なお姉さんだった。今も昔も高嶺の花で、亡くなった旦那さんは海軍に居たとか。
 それでなのか、「貴方は無事に帰ってきてね」と、帰り際に言われてしまった。なんだか、この人には全て見抜かれてるような……。
 肉屋も店主が代替わりしていて、これまた幼馴染の女の子が切り盛りしていた。いつの間にか結婚していてビックリだ。「呼ぶの忘れてたわー」とか本気でヒドい。
 お詫びとして、揚げるだけのコロッケを五十個ほどゲット。これがマジで美味いのである。


「お兄さん、大人気なのです」

「人気って言っていいのかな……? 地元だし、単に話し掛けやすいだけだよ」

「ふふふ。いいじゃありませんか。なんだか、私も嬉しいです」

「左様で……」


 そんなこんながあり、現在は肉屋で買った揚げたてコロッケを頬張りながら、公園のベンチで休憩中。遊具で遊ぶ子供たちが賑やかだ。
 女の子に米袋とかを持たせる訳にはいかないので、帰り道が結構キツい。まぁ、頑張りますけどね、男だし。
 これで買い物リストはコンプしたから、後は帰るだけなのだが……。
 実はあと一軒、寄りたい場所があったりする。


「すいません、鳳翔さん。ちょっと荷物を見てもらってて良いですか? 個人的に行きたい店が……」

「あ、はい。私は構いませんが、どちらに?」

「ちょっと酒屋の方へ。すぐ戻りますから、二人はここで――」

「あ、あのっ。わたし、着いて行っちゃダメ、ですか?」

「へ? 自分は構わないけど、鳳翔さんを一人には……。この町にだって悪人は……」

「ご心配なく。私、こう見えても強いんですよ? 行ってらっしゃい、いな――もとい、有賀ちゃん」

「はい!」


 最初は一人で行こうとしたのだが、あれよあれよと、電も着いてくる事に。
 なんだか、物凄く気を遣われてしまった。けど、ここは少しの間だけ、鳳翔さんの好意に甘えよう。
 大人になった電と二人で歩く機会なんて、もう二度とないかも知れないんだから。

 そう思い、ベンチから腰を上げた、まさにその時である。


「やぁやぁ、そこな男よ! 両手に花でこの町を練り歩くとは、いい度胸だな?」


 唐突に、時代掛かった声が行く手を遮った。
 数ある遊具の中で、時代を超えて愛される滑り台。その上に大きな人影が。
 ざっと見積もっても、身長が二・五m以上あるだろう人物は――


「痛い目を見たくなかったら、女と有り金を置いて行くのじゃー!」

「じ、じゃー! ……です……」

「あぁ、なぜ私はこんな格好を……」


 古臭い、スケ番のような格好をしたツインテ・グラサン女子が、同じくスケ番っぽい女子に肩車されているだけだった。
 というか、利根である。肩車してるのは、揃いのグラサンにマスクを追加した足柄か? 順番待ちの子供が、「早く行ってよー」「危ないよー」と苦情を申し立てている。
 滑り台の下で追随してたのが羽黒で、恥ずかしがってるのは妙高に違いない。二人もスケ番っぽい格好だ。グラサンも同様。半袖セーラーに超ロングスカートとか、何してんだよ……。


「あー、どこの誰とは言わないけど、無理すんな……」

「お気遣い、ありがとうございます……と言いたいのですが、そこはかとなく馬鹿にしていらっしゃいませんか?」

「んな訳ないじゃないか。純粋に憐れだなぁと」

「それはそれで酷いと思いますぅ……」


 とりあえず、一番話しかけやすい妙高を慰めるのだが、言い回しが気に食わなかったらしく、額に青筋。
 いつものオドオドした調子に戻る羽黒も、羞恥心に耐えるよう、肩を狭めている。
 しかし、ああは言ったけれど、似合ってない訳じゃない。羽黒とか、セーラー服がデフォでも良かったんじゃないかと思えるくらいだ。
 妙高はコスプレ……いやさ、正しい意味でのコスチュームプレイにしか見ないけど。口に出したら殺されそう。


「おい、お主ら! 何を呑気に歓談しておるのじゃっ。せっかく吾輩が悪役を買って出て、気分を盛り上げてやろうというのに!」

「盛り上げる、と言われましても……」

「今は遠慮したいのです……」


 一方、無視されて傷ついたらしい利根は、滑り台をスーッと下り、尊大に胸を張っていた。
 足柄もその後ろに続くが、何故か彼女は一言も喋ろうとしない。「うんうん」と大きく首を振るジェスチャーだけである。
 色々とツッコミたくて仕方ないけど、まずは、なんでここに居るのか確かめ――


「Heeeeey! そこ行く買い物袋を提げたGentle Man! ワタシと一緒にTea Timeしまセンかー?」


 ――たかったのに、またしても横槍が入る。
 キキィーッ、という自転車のブレーキ音。
 それが聞こえてきた公園の入り口には、見覚えのある三人乗り自転車と、見覚えのあって欲しくない三人の姿があった。


「なんとなんと! 今なら両手に花どころか背中も埋まる出血大Service中デース! C'mon,Join us!」

「え~……。不本意ですが、姉さまがお望みとあらば、全力で接待致します!」

「流石に、ついて来なければ良かったと後悔しています、私。ええ……」


 三人とも、顔を隠すようにレスラーの覆面してるが、金剛と比叡と霧島だ。ちなみに服装はレスリングのアレ。大姉が一時期ハマって投げ捨てた、アマチュアレスリング用品だろう。
 もうどこから突っ込んで良いのか分からない……。榛名がここに居ないのだけが救いだよ……。
 だがしかし、このままでは児童公園がカオスの海に飲み込まれる。その前に状況を把握しないと!


「なぁ。そこの、初対面であるはずのお嬢さん。色んな事をさて置いて、一つ聞きたい」

「はい、なんでしょう?」

「……まさかとは思うが、他にも来てないだろうな?」

「………………」

「おい。頼むから何か言ってくれ。おい!?」

「あ、あの、司令か――じゃなかった。長太、さん? お、落ち着いて……」


 切実な問いに、妙高は視線を逸らす。
 思わず詰め寄って肩を揺すぶるも、羽黒が慌てるのみ。
 どういう事だ。もうすでに野次馬が集まってるというのに、まだ他にも来るのか!?
 勘弁してくれよぉぉ……っ。


「クー、マッマッマッマッマ……。クー、マッマッマッマッマァ!」

「な、なんだ。この投げやりかつ暗い感情のこもった変な笑い声……?」

「あ! あれを見てっ!」

「え? どこどこ――って鬼怒まで居んのか!?」


 泣きそうな自分へ追い討ちをかけるが如く、辺り一帯には奇妙な声が響き出す。
 すると、野次馬の中に居た見覚えのある少女……ぶっちゃけ鬼怒だが、彼女がある方向を指差した。
 そこにあったのはジャングルジム。んでもってお約束、滑り台と並ぶ大人気遊具の上にはまたしても人影が、今度は五つ。というか五色?


「買い物を楽しんでらっしゃる方々に絡み、言い掛かりや難癖をつけるその所業……。たとえ天が許しても、わたくしたちが許しませんわっ!」

「我らクマ・レンジャーが、力無き人々に成り代わり、成敗させて頂きます。……あ、姉さ~ん? スケ番姿も格好良いですよ~」

「もはやヤケくそだクマァ……。カラーイメージなんかに囚われず、悪を懲らしめる名目で暴れまくってやるクマァ……!」

「落ち着いて下さいな、ブルー。それ、敵側のセリフですわ」

『ちょっとー、そこの女の子たちー。危ないから降りて来なさーい』

「あ、はいっ、ごめんなさい、お騒がせしてごめんなさいっ! あぁぁ前髪がぁぁ」


 婦警さんに拡声器で注意される彼女たちは、極々一部の限られた人間だけにお馴染みの、クマ・レンジャー五人衆であった。
 部分的に顔を隠す仮面。クマ耳。パッツンテカテカなボディスーツ。レッドが三隈、グリーンが筑摩、ブルーが球磨でピンクは熊野。謝り倒すイエローが阿武隈だ。
 どこからどう見ても戦隊ヒーローモドキです。本当になんて事をしてくれやがる。


「なんなんだよ、あれ……」

「知らないの提――お兄さん!? あれはね、横須賀で大人気……になる予定の(ボソッ)非公認ご当地ヒーロー、クマ・レンジャーだよ!
 でも、本物は今日も鎮守府で活動してるはずだから、物真似してる一般の人だね、きっと。いやー、広まったもんだねー?」

「いや、ここ関東つっても端っこだし。横須賀からめっちゃ離れてるし。知る限りでは地名にクマとか付かないし。つーか最初の笑い声は悪役だろ……」

「永遠に非公認のままなのでは?」

「なのです」


 脱力しながら呟くと、ここぞとばかりに解説を始める鬼怒。どうやらこれが役目だったらしい。割と冷静な鳳翔さん・電のツッコミが虚しく風に消える。
 そして周囲のお子様たち。「カッコイイー」とか「ホンモノの戦隊ヒーローだー」とか言っちゃいけません。
 あれ偽物だから。ある意味ヒーローには違いないけど路線が違うから。調子に乗るから応援しちゃダメ。


「ぬぅ……。現れおったなクマ・レンジャーめ! しかしっ、吾輩たちの邪魔はさせぬぞ!」

「ちょっと待つデース! Youたちの目的は女子、ワタシたちの目的は男子。ここは共同戦線を張りまショー!」

「は? い、いやな、あれは言葉の綾というか、様式美というか……」

「目的はアレですが、お姉さまと一緒に何かを成せるというのなら、それだけで私は満足です!」

「いやだから……聞けお主ら!」

「今の姉様たちには何を言っても無駄です、諦めましょう……」

「あの、妙高姉さん。わたしたちは……?」

「あれに参加するくらいなら解体を選びます。荷物番でもしていましょう」


 ご当地ヒーロー登場に場が湧き上がる? 最中、チーム・スケ番とチーム・アマレスは、即席のコンビを結成したみたいだった。
 利根の言い分はスルーされ、足柄は無言で肩を回し、金剛・比叡も準備運動中。無我の境地に達した霧島を置いて、妙高と羽黒は一切参加しようとしてないから、チームワークは最悪なのが予想される。


「まぁ! 二組の敵がコンビを組んで襲い掛かってくるなんて……。胸踊る展開ですわ!」

「確かに、戦隊モノの定番ですね。ついでに、姉妹が敵味方に分かれてしまっている、という設定も」

「そんな事はどうでもいいクマ! 動いてないと恥ずかしさで死にそうクマァ! さっさと終わらせるクマァアアッ!」

「賛成ですわ。このスーツ、シェイプアップ効果はありそうですけれど、流石にタイト過ぎて、色々と……」

「全く、最近の若い子は……! ジャングルジムの上で立っちゃ駄目! 子供が真似したらどうするの!」

「ご、ごめんなさい、すみません、もうしません! っていうか、なんでアタシだけ怒られてるのよぉ……」


 いそいそとジャングルジムを降りたクマ・レンジャーはといえば、シチュエーションに感動したり、ダークサイドに落ちそうだったり、不自然な盛り上がり方の胸元を隠したり、叱られたりと忙しい。
 熊野のアレは、おそらくパッドなんだろう。また要らん事実を知ってしまった。鈴谷の谷間は本物だったのに、哀れ。
 しかし、完っ璧にこっちのこと忘れてるな。全力で楽しみ過ぎだろ。
 もう“桐”がどうとか身バレがどうとか、考えるだけ無駄なように思えてきたよ……。いっそバラした方が楽なんじゃ……。ははは……。


「……今なら気付かれなさそうだし、他人のフリして帰ろうか」

「で、でも、良いのでしょうか? 放っておいて……」

「鳳翔さん。触らぬ神に、ですわ。それに、収拾がつくとも思えません」

「あのー、鬼怒も一緒に行っていいかな? もうお仕事終わっちゃったし、やる事なくて……」

「……ま、良いだろ。さ、帰るぞー」

「なのです。あ、羽黒さん。セーラー服、とってもお似合いなのです」

「ありがとう……。実は、ちょっとだけ楽しかったです……」


 ひとまず、この場に留まるのは得策でないと判断し、自分たちは荷物を抱え、六人で家路につく。
 警察の上の方に連絡が行ってるはずだから、酷いことにはならないだろうし。
 あ、酒屋は……別にいいか。逃げる訳でもないんだ。また後で来よう。


「ええい、まどろっこしい! とにかく、行くぞクマ・レンジャー!」

「Loveを獲得するためなら、誰が相手でも容赦しないデース!」

「提と――ではなく、善良な市民のお買い物は邪魔させませんわ! 皆さん、行きますよ!」

「あー、貴女たち。ちょっと交番まで来てくれる?」

『え?』


 さぁ、帰ったらゆっくりするぞー。
 後ろで騒いでる連中の声なんて無視するぞーっ。
 聞こえない。聞こえない。聞こえないったら聞こえないー!





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ただいまー。あー、無駄に疲れた……」


 盛大な溜め息と共に、重たいバックパックをゆっくりと玄関へ降ろす。
 声を聞きつけたようで、聞きなれた足音が聞こえてきた。予想通り、母さんだ。


「おかえりなさい。早かったわね。金剛ちゃんたちが変な格好で出て行ったから、もっと遅くなるかと思ってたんだけど」

「分かってたんなら止めてくれよ母さん……。あ、そうだ。また人数増えたから、那智さんに追加を頼まなきゃ」

「あら、そっちも?」

「えっ。“も”?」


 帰りはお喋りしながらだったので気付かなかったけど、妙高たちに加えて、後できっとこの家に来るであろう利根たちの分も考えると、予定していた量では絶対に足りない。
 急いで那智さんの携帯――念のために持ってもらっていた――へと電話するのだが、母さんの発言が引っかかった。
 も? まさか、利根たちだけじゃないのか? すでに家でも増加済みなの? 嘘だろオイ……。


「初めまして。私、妙高型重巡洋艦、妙高です。那智の姉です」

「羽黒です。妙高型重巡洋艦姉妹の末っ子です。あ、あの……ごめんなさいっ、突然押しかけてしまって……っ」

「そしてわたしが軽巡、鬼怒でーす! 提督のお母さん、ですよね? 初めまして!」

「あらあらまぁまぁ。また美人さんが増えちゃって。あの子たちといい、この子たちといい、これは殺害予告を出されるわけねぇ」

「ちょっと。息子の命が危機にさらされてるんですけど? ……あ、那智さん? 自分だけど。実は……」


 キチンと問い質したかったけれど、その前に妙高たちの挨拶が始まり、電話も繋がってしまったのでウヤムヤに。
 ううむ、正確な人数が欲しいのに……。仕方ない、かなり多めに買ってきてもらうとするか。
 ちなみに、那智さんの現在地は大姉の家っぽい。後ろで遊んでる甥っ子たちの声が聞こえていた。


「司令官さん。電たち、先に食材を冷蔵庫へ入れちゃいますね」

「ああ、頼むよ」

「はい。すぐお夕食の支度に掛かりますから」

「楽しみです。……はいはい、米はこっちで買いましたんで……」

「よっこいしょ……! あぁ、腰にくるわ……。歳はとりたくないわねぇ」


 電、鳳翔さん、母さんがバックパックを運び出し、サポートには妙高たちが。任せても大丈夫そうだ。
 自分も通話しながら靴を脱ぎ、ちょっと休もうと居間へ歩き出す。
 しかし、ちょうど曲がり角の所で、胸にポスンと軽い衝撃。誰かとぶつかってしまったらしい。


「おっと、ごめん。電話して――て――」


 一歩後退し、すぐさま謝ろうとするも、喉は勝手に凍りつく。
 驚愕してしまったからだ。
 ぶつかった相手が悪かったんじゃない。予想外の相手だった訳でもない。
 そう、問題は。


「提督。おかえりなさいませ。榛名こそ、申し訳ありませんでした。お出迎えできず……」


 榛名が着ている、服にあった。
 紺色を基調とし、三角形の襟と赤いラインが特徴の上着と、間隔の大きいプリーツスカート。
 いつも彼女が着ている巫女服もどきではなく、もう思い出の中でしか見られない、セーラー服。


「ゆ――榛名? そ、その格好は……?」

「あ、はい。提督がお出になってすぐ、大姉様が着てくれ、と。榛名、セーラー服って初めて着ましたっ」


 よく見えるように腕を広げ、クルリとその場で一回転。
 黒髪とスカートが緩やかに浮き上がり、心臓は勝手に跳ね上がる。
 ウキウキしている彼女の表情が、かつての想いを呼び起こそうとしていた。


「……あの。おかしい、ですか?」

「ぃ、いや、いやいやっ、そんな事あるはずがない、んだけどもっ。……あっ、那智さん!? うちのバカ姉まだ側に居ますか!? 腐ってる方!」


 ついつい見惚れていたのを、榛名は勘違いしたらしい。
 楽しそうな笑みが萎んでしまったのをきっかけに、自分はなんとか正気を取り戻し、慌てて繋がったままの電話口に叫ぶ。
 数秒の間を置いて、不遜な声が耳に届いた。


『おい長太、聞こえていたぞ。腐ってるとはなんだ、腐ってるとは。発酵してると言え』

「黙れ乳酸菌なんか含有してない癖に。これはどういう事だよ! 榛名に何をした!」

『うん? ……あぁ、本当に着たのか。真面目な子だな……。しかし、その様子では気に入ったらしいな?』

「気に入るとかそういう問題じゃ……!」

『はっはっは。あれだけそっくりなんだ。少しばかり昔を再現したくなって当然だろう。それに、無理強いはしていないぞ。もし良かったら後で着てくれ、と土下座しただけだ』

「そんな事したら着るに決まってるだろ……。榛名は大姉と違って、凄く真面目で優しい良い子なんだぞ……」

「そ、そんな……。榛名には、もったいないお言葉、です……」


 壁に手をつき苦悩する自分と反対に、榛名はクネクネしている。
 つい勢いで褒めちぎってしまったが、別に間違ってないので放っておくとして。
 本っ当にこの姉は、弟で遊ぶ為ならプライドも簡単に捨てるな。そろそろ飽きてくれ。


『ところで長太。榛名くんに代わってくれるか』

「ヤダよ。今度は何を吹き込む気だ」

『失敬な奴だな、さっきから。いいから代われ』


 有無を言わさぬ口調で、大姉が悪巧みの指示を下してきた。絶対ロクでもない事を考えてるんだろう。
 正直、従いたくなんてないが、ここでやらないとなると、予想外のタイミングで不意打ちされる可能性もある。
 ドッキリを食らうよりは、自分からトラップに掛かる方が幾分マシか……。
 仕方なく、渋々、嫌々、榛名へ携帯を渡す。受け取った彼女は、首を傾げながらも大姉と会話し始めた。


「はい、もしもし。……はい。はい、ピッタリでした。
 ……え? で、でも、それって……。はい……はい……」


 コクコク頷き、また小首を傾げてこっちを見る榛名。
 綺麗に整えられた眉が歪み、疑っているような雰囲気だったが、やがて首は縦に振られる。
 携帯を胸に抱え、彼女は一つ深呼吸。背筋を正した。


「提督。さっきのお出迎え、やり直させて頂いても良いでしょうか?」

「は? やり直しって、出迎えを?」

「はい。ぜひっ」

「……まぁ、良いけど」


 奇妙な申し出に、何かがおかしいと思いつつ、その真剣さに了解してしまう。
 吹き込まれた内容が心配だけど、実行するのが常識的な感覚を持つ榛名であれば、トンでもない事にはならない……はず。
 不安を抱えながら、自分は一度玄関を出て、心の準備を整える。
 ……あかん。不安がどんどん膨らんでいく。逃げ出したくならない内に、さっさと終わらせなければっ。


「た、ただいま……?」


 とはいえ、懐疑心に苛まれていては元気も出ず、おっかなびっくり、忍び込むみたいに引き戸を開けていく。
 見えるのは……榛名の背中。
 今気付いた、という風体の彼女は、先程と同じようにクルリと振り返り。


「ぉ、おかえりなさい、長太くんっ。お買い物、ご苦労様!」

「――グホァ!?」

「きゃっ」


 まるで“年上のお姉さん”のような口調を使い、ニッコリと微笑みやがってくれた。
 言い回しがおかしくなっているが、自分にとってはそれ程までに衝撃だったのだ。
 だってあれは、自分があの人に惚れた状況の、再現だったのだから。


「どうしたの、いきなりむせて……」

「そ、それはこっちのセリフだ……。どうしたんだよ、榛名?」

「む。こぉら。年上の人をそんな風に呼んだら駄目でしょ? 榛名お姉ちゃん、もしくはハル姉と呼びなさい」

「へ」

「呼、び、な、さ、い!」

「えぇ……」


 そんな事とは露にも思っていないのだろう、榛名はあくまで年上振って、前のめりに叱りつけられる。これも同じだ。
 あの当時、生まれたばかりの上の弟に家族を取られたと感じ、自分は人知れず不貞腐れていた。
 まともに動けない両親と姉たちを手伝い、本当は嫌なのにお使いをこなし、鬱々と「ただいま」を言って。
 そこへ、明るく声を掛けてくれたり、反発して叱られたり。たまたま遊びに来ていた時、出迎えてくれたりするのが、嬉しかったのである。


「は、ハル、姉?」

「うん。よく出来ました」

「……どうも」


 懐かしさと、初めて見る榛名の強気な表情に押され、考えもしなかった呼び方をしてみる。
 満足気な笑みが返り、自然と見つめ合う形となった。
 廊下との段差のおかげで、身長はほぼ同じ。いつもと違う高さが、奇妙な、浮ついた気持ちを産んだ。
 どう反応すべきか迷っていると、榛名の方が先に表情を変えていく。
 満面の笑みに戸惑いが差し、戸惑いはやがて焦りへ。
 焦りが唇を歪ませて、視線もさまよう。……どうやら、照れが入ってきたらしい。


「なぁ。そろそろ説明して貰えると助かるんだけど」

「ううう……。何事もなかったように返さないで下さい……。こうすれば提督がお喜びになると、大姉様は仰っていたのに……」

「あんのクサヤ女ぁ……」


 冷静を装って聞いてみると、ますます小さくなる榛名。
 その姿自体は可愛らしく思えるけれど、自分の中の感情は硬質化していく。
 ……ハッキリ言っておかなきゃ、マズいな。


「榛名。電話を返してもらえるか」

「は、はい。あの、お気を悪くなさったのでしたら――」

「いいんだ。君は気にしなくていい」


 語気を強めると、差し出す手は怯えたように震える。
 自分のせいなのに、八つ当たりみたいになってしまった。とことんダメだな、自分は。
 とにかく、受け取った携帯を再び使い、榛名に背を向けながら大姉へと発信。
 掛かってくると予想していたのだろう。こちらが口を開く前に、大姉が喋り出す。


『どうだ。興奮したか? お前は本当に裕子の事が好きだったからなぁ。しかしだ、やらせておいてなんだが、その子は――』

「大姉。どうしても一つだけ言いたい事があるんだ。真面目に聞いてくれる?」


 いけしゃあしゃあと続く高説を、本気の声で押さえ込む。
 姉が黙り込んでいる内に、昂ぶりそうな気持ちを落ち着かせ。
 努めて静かに、伝える。


「確かに榛名は裕子姉に似てるよ。でも、この子は裕子姉じゃない。榛名なんだ。今を生きてる榛名を、想い出で塗り潰すような真似は、やめてくれ」


 どんなに面影を残していても。
 どんなに立ち姿が似ていても。
 ここに居るのはかつての想い人ではなく、今を生きる仲間なのだ。
 そう思わせたのは自分の心が原因で、榛名には嫌な荷物を背負わせてしまった。
 でも、だからこそ。榛名に誰かの影を押し付けるような真似だけは、して欲しくなくて。
 本気の言葉で、本気の気持ちを伝える。


『……むぅ。言おうとしていたことを言われてしまった。お前も成長していたんだな。姉は嬉しいぞ』

「は? 何を言って……?」

『なんでもないさ。少し調子に乗り過ぎてしまった。余計なお世話だったな、反省する。榛名くんにも後で謝ろう。じゃ、もう切るぞ』

「あ、ちょ……切れた。ったく、なんなんだよ……」


 大姉の反応は予想外というか、実にアッサリと反省の意を表明した。
 通話も切られてしまったが……なんだろう。やけに焦っていたような気が……?
 しかし、わざわざ確認するのも無粋と思い、携帯をしまってやっと家に上がる。
 と、今度は榛名の様子がおかしい。ボーッとした顔で、こっちを凝視しているのだ。


「どうかしたか、榛名」

「――あ。ぃ、いえっ、なんでもありません! 榛名は大丈夫です! むしろ絶好調です!」

「え、あ、そうなの? ならいいんだけど……。ごめんな、大姉が迷惑かけて」

「いいえっ。セーラー服も着れて、お姉ちゃんって呼んでもらえましたっ。……比叡姉様の言っていたことも、本当でしたし。榛名、感激です!」

「まだお姉ちゃん呼びにこだわってたのか……」


 声をかければ、ハッとなって身嗜みを整え始め、両の拳を胸の前で握るガッツポーズ。
 変な事させてしまった詫びもするのだが、ますます瞳を輝かせるばかり。
 どうしたんだ本当に? 最後の比叡ウンヌンはなんの事よ? わけ分からん……。


「おぉぉ……。新しいフラグが立つのを捉えちゃった……。村雨ちゃん、相手は強敵揃いだよ……!」

「ん……? 白露!? な、なんでここに!?」


 困惑していると、廊下の陰に光るレンズが。
 よくよく目を凝らしてみれば、この場にいないはずの駆逐艦・白露が構えるデジカメだった。
 まさか、今までのやり取り、全部……?


「あ、バレちゃった。えっと、懲罰任務で動けない青葉さんの代わりに、提督のおもしろ里帰りを撮影に来ました! さっきのも良く撮れてるよ~」

「消せ。消すんだ。消しなさい!」

「ちょ、ダメって、カメラに触っちゃダメですってぇ!」

「あ、提督? お待ちをっ」


 ズビシッ! 敬礼し、当たって欲しくない予想を見事に肯定する白露。
 奪おうと襲いかかるも、機動力を生かして逃げ回る彼女は、そのまま居間へと逃げた。
 追ってくる榛名を引き連れ、自分も駆け込むと――


「中吉くんの、ちょっといいとこ見てみたい。あそーれ一気、一気!」

「……っ……ぐ……ふぅ」

「わ~。もう五本目なのに、凄いっぽい~」

「あの、どうか無理しないで? 炭酸の一気飲みは、身体に悪いから……」

「うっぷ……。あの、ゲップしてきても、いいですか……?」


 ――村雨、夕立、時雨に圧迫接待される中吉という、信じがたい光景が広がっていた。
 座卓の上にはラムネ瓶が転がり、口元を押さえた中吉は、ヨロヨロと、おそらくは洗面所に向かって出て行く。
 なん、じゃこりゃあ……。


「あれ、提督じゃん。帰って来てたの? お帰り」

「鈴谷まで……。なんでエプロンなんか付けてんだよぉ……」

「むっ。なぁに、その言い方? 熊野の付き合いだもん、仕方ないじゃん。
 っていうか、男ならむしろ喜ぶべき所っしょ。制服エプロンだよ~? ほらほら~」


 あんぐり。大口を開けて茫然自失する自分に、またしても居ないはずだったJK統制人格、鈴谷が寄ってきた。
 ブレザーを脱ぎ、シャツの上からチェック柄のエプロンを着け、スカートの端をつまんでヒラヒラ。
 頭を抱えたいこっちの気も知らず、自慢気にドヤ顔している。


「どうよ、ご感想は?」

「エロい。可愛い。如何わしい。以上」

「エロっ……!? こ、このっ、もうちょい言い方ってもんをっ……。ま、まぁ? 鈴谷の溢れ出る色気を考えれば、DTな提督は――」

「なぁ白露。一体何人で来たんだ?」

「ええっと、私、時雨ちゃん、村雨ちゃん、夕立ちゃん。あとはクマ・レンジャーと、妙高さんとか重巡が六人に鬼怒さんかなぁ。電車で来たんですよー、もちろん先頭車両に乗って!」

「プラス十六人……。もう来てるのと合わせたら、うちの艦隊の半分近くじゃねぇか……。誰が許可出したんだよ……」

「えっと、中将さん。白露たちが直談判しに行ったら、『存分に遊んでおいで』、って。話の分かる上司ってカッコイイよねー!」

「なに考えてんですか中将ぉおぉぉ……」

「ちょっと! 無視しないでよっ!?」

「す、鈴谷さん、どうか落ち着いて……?」


 なんだか本音が混ざっちゃった気もするが、白露との質疑応答にまた呆然とし、座卓へ崩れ落ちる。鈴谷の抑えは榛名に任せよう。
 もう隠蔽工作とか無意味じゃん。これ絶対バレるよ……。いや、中将がそうしろって言ったなら、何か考えがあるのか?
 でもなぁ、あの人、孫みたいな歳の子に弱いしなぁ。キチンと対策されてるのを祈るしかない……。
 と、うな垂れる自分に差し出されるラムネ。隣に移動して来た村雨だ。


「はい、外を歩いて喉乾いたでしょう? 提督も飲んで」

「ありがとう、村雨。喉乾いた原因は別にあるんだけどね……」

「うん……。ごめんね、提督……。僕は遠慮しようかとも思ったんだけど、押し切られて……」

「だって~。どうせ行くなら、みんな一緒の方が楽しいっぽい!」

「戻りました……。兄さん、統制人格って、凄く個性的な子ばっか、なんだね……」

「……なんか、ごめん」


 お喋りしている間に中吉が戻り、疲労困憊といった顔で呟く。
 一体いつから白露たちの相手をしていたのか。自分には知る由もないというか知りたくないんだけど、とにかくご苦労様……。
 にしても、重巡が六人か。妙高、羽黒、足柄、利根、鈴谷……最後の一人は最上だろうか?


「鈴谷。三隈たちが来てるってことは、最上も居るのか?」

「あ、三隈には会ったんだ。居るけど? 古鷹たちを手伝うって言ってたから、今は裏庭の方じゃないの。ちなみにぃ、私はパパさんとお料理――」

「そっか。じゃあ自分、そっちの様子見ながら休んでるよ。少し、今後の身の振り方について真剣に考えたい……」

「あの、榛名もお供して良いでしょうか?」

「お好きにどうぞ……」

「……なんで中途半端に無視するの!? ねぇ!? うぅぅぅ、いいもんっ、鈴谷はパパさんと仲良くしちゃうんだからー!」

「母さんが怖くないならお好きにどうぞー」


 ラムネを片手に立ち上がり、「行ってらっしゃーい」と手を振る村雨たちと別れを交わして、また榛名と場所を移動する。
 なんだか構って欲しそうな叫び声も聞こえるけど、今は本当に休みたいんだ。後でな、後で。親父は母さん一筋だから放っといても平気だろうし。

 居間から離れれば、廊下には二人分の足音だけ。
 なんの気なしに隣を伺うと、ちょうど肩の高さで黒髪が揺れていた。


(昔は、ずっと見上げてたんだよな……って、イカンイカン。大姉にあんなこと言っといて、自分が思い出してどうすんだアホ)


 大きく頭を振り、脳裏によぎった懐かしさを、弾けるラムネの気泡へ溶かす。
 服装がいけないんだ、服装が。折を見て、元の服に着替えてもらおう。
 榛名にも気付かれたようで、少し早歩きにこちらを覗き込んでくる。


「どうかなさいましたか?」

「いや、なんでもない。似合ってるな、と思っただけ。まぁ、自分はいつもの巫女服も好きだけどさ」

「あ、ありがとうございます……。お望みでしたら、すぐに着替えを……」

「そこまでしなくても良いよ。風呂に入る時とかで。まぁ、これでハル姉が見納めかと思うと、ちょっとだけ残念だけどね?」

「……もう、お姉さんをからかっちゃいけませんっ。……とか、言ってみちゃいました」


 冗談めかして目を細めれば、握り拳が叩くふり。
 さり気なく褒める事で意識を誤魔化しつつ、誘導することも出来たようだ。
 しかし、純粋に喜んでる姿を見ると、かなり良心が咎めるな……。
 なんだか榛名が横滑りしてるよ……横滑り?


「ん? あれ、榛名……ってぉおぉ!?」

「て、提督っ!? え、雷さんと、響さんが、え?」


 いや、横滑りしてる――強制的に方向転換させられているのは、自分の方だった。
 音もなく背後から忍び寄った二人、響と雷に両腕を組まれ、直進するはずだった廊下を九十度に。有無を言わさず引きずられている。
 思わず落としてしまったラムネは榛名がすんでの所でキャッチ。そのまま追いかけてくれた。
 こ、こんな力どこからっ?


「ちょ、おい、なんだ、何事ぉ!?」

「ごめんね、司令官。説明はちゃんとするから」

「今は黙ってこっちへ」


 腕まくりしたセーラー服の上からエプロンを掛け、雷は頭に三角巾を。響は髪型をポニーテールに変えていた。
 多分、電や鳳翔さん、親父と一緒に夕食の準備をしていたんだろうけど、マジでどうなってるの?


「司令官、今から響が言うこと、よぉ~く、覚えてね? いい?」

「はぁ? な、なんなんだよ、いきなり。先に説明を――」

「切った前髪の長さは五mm、マスカラはウォータープルーフの繊維タイプ。
 ファンデは薄塗りで、チークは軽く撫でる程度。リップは電のと同じメーカーだけど、色が微妙に明るい。
 とりあえず、これだけ覚えれば十分だと思う。じゃあ、幸運を祈る」

「――どわぁ!?」


 とある襖の前で足を止めた二人は、突然妙なことを言い始め、かと思ったら、わずかに開けた隙間へと押し飛ばされた。
 思考が追いつかない自分は、もんどりうって畳に顔面から墜落してしまう。


「いったぁ……。何この仕打ち……」


 赤くなっているだろう鼻の頭をさすり、とりあえず八畳ほどの、荷物がない部屋の様子を伺ってみる。
 薄暗い。西日が差し込んでいるとはいえ、もう電気をつけなければ字も読めない暗さだ。
 でも、なんだか部屋の一角がやけに暗過ぎるというか、そこだけ影が濃厚というか……。


「――司令官――」

「うぉぉおおおっ!? ……あ、暁?」


 突如として浮かび上がる少女の顔。
 思わず後ろ向きに匍匐前進し、襖へ張り付いてしまったが、よーく見てみると、今にも死ぬんじゃないかってくらいに表情を暗くした、体育座りの暁だった。
 何故か髪型はツインテールになっており、服装もセーラー服ではなく、黒系の……なんだろ? まぁ何か着ている。
 総合的に見れば可愛いはずなのに、表情とシチュエーションのせいで、憎しみに染まった呪いの人形としか思えない。
 はぁぁぁぁ……。いや、マジでチビるかと……。


(暁ね、小姉さんにメイクして貰ったは良いんだけど、それを誰にも分かってもらえなくてスネてるのよ……)

(みんな、指摘するのは髪型か服装くらいだったんだ。だから、司令官が色々と褒めまくって、機嫌を直してあげて欲しい。よろしく)

(イヤイヤイヤいきなり過ぎるわ! っていうかそれで喜ばして良いのか!?)

(……よく分かりませんが、榛名、応援しますね!)

(待って、行かないで、襖閉めないでぇ!?)


 安心していいのか、それとも恐怖に震えるべきか。よく分からないまま溜め息を零す自分へ、微妙に開いた襖から事情の説明が。
 遅いよ色々と! 榛名も応援してないで助けてくれっ、自分にゃ荷が重いです!?
 とか心で叫んでいるうちに、ズリ、ズリ、ズリ――と、にじり寄る気配。
 あぁぁぁぁ来るぅぅぅぅ……!


「……ねぇ、司令官……。暁、どこか変わったように思わない……?」

「あ、あぁ……。そう、だな……。その前に、電気点けていいかな。見えないし。ね?」


 暁はまるで、どこぞの口裂け女みたいな質問をしてくる。
 ひとまず、精神的なコンディションを整えようと、返事を待たずに部屋の灯りを点ける。昔ながらの紐で引っ張るやつだ。
 数秒の重苦しい沈黙が過ぎ、やっと室内が明るくなれば、そこに居るのは呪われた人形なんかじゃなく、本当に愛らしい少女だった。ダウナー系の。ある意味、こっちも電並みの別人だな……。

 着ている服は、かつて小姉が着ていた制服だ。シンプルな紺色のブレザーで、胸ポケットの上に盾型の校章が縫い付けてある。
 う~ん、なるほど……。暁をアダルティーにするの諦めて、プリティーに走ったな? 確かにアイドルグループとかに居そうなレベル。
 これなら褒めるのも簡単だが……。いや、暁が気付いて欲しいのはあからさまな所じゃないはず。響からの情報を活かした方が賢明か。
 覚悟を決めた自分は、目の前でペタンと女の子座りをするローティーンアイドルへと、あぐらをかいて真っ正面から向き直る。


「ま、前髪切った?」

「……っ! そ、そうなのっ。ほんのちょっとだけど、小姉様に整えてもらったのよっ」

「そっかそっかー。通りでー。……ふぅ、聞いといてよかった……」

「ねぇねぇ! 他には? 他には何か気付かない?」


 まずは定番の髪を指摘してみると、目に見えて表情が明るくなり、上目遣いにおねだりしてくる。
 どうやら、溜め息から後ろのセリフは上手く隠せたらしい。危ねぇ危ねぇ……。
 ま、ここまで来たらやり通すしかない。カンニングしてるのがバレないよう、適度に変換して煽てなければ!


「いつもより、目がパッチリしてるような、気がするな。あと、いつもより肌が綺麗で、表情も明るく見えるなー」

「うん、うんうんうんっ! もっと、もっとないっ? ねぇねぇねぇ司令官っ!」

「ぉおぉぉおぉ、揺らすな揺らすな、あと、は、えっと……。く、唇! 唇がツヤツヤで艶かしい、かなー?」

「な、艶かしい!? ……大人よ、凄くレディーっぽい表現! やっぱり暁には司令官しか居ないんだわー!!」

「うわっと」


 全身からキラキラしたオーラを放つ暁は、振り子のように身体を揺すって続きをせがみ、「艶かしい」に驚愕する。
 しまった、言葉の選択を間違えた……とか思ったのも束の間。ウットリ頬を緩ませる暁が、感極まって胸に飛び込んできた。
 これは……任務達成で良いのか? 雷たちが拍手しながら入ってくるし。


「良かったわね、暁っ」

「だから言ったじゃないか。きっと司令官なら分かってくれるって。そういう趣味だし」

「うんっ! えっへへ〜」

「おい響。そういう趣味ってなんだ」


 聞き捨てならない言われようだが、場はすでに祝福ムード一色。あえてこれ以上の追求はすまい。
 にしてもだよ。暁は本当にチョロいな。可愛いけど、いや可愛いからこそ心配になる。
 その気はないだろうに、あぐらの上へチョコンと座ったり、上機嫌に左右へ揺れたり。いちいち言動が危なっかしい。耐えられるのは自分くらいだろう。
 いつかアイドルスカウト詐欺に引っ掛かるんじゃないかと、パパは気が気じゃありません。


「きっとみんな、私が急に大人になっちゃったから、ビックリしたのねっ。でも仕方ないわっ。それだけ立派なレディーって事だもの!」

「ええと、経緯はやっぱり分かりませんが、素敵ですよ、暁さん」

「ふふ~ん! お褒めに預かり光栄だわ! 榛名さんも、セーラー服が素敵よ?」

「何はともあれ、一件落着か。暁が大人っぽくなってくれて、自分も嬉しいぞー」

「あ、頭をナデナデしないでよぉ、えへへ……」


 人の上で胸を張る暁が、榛名と互いを認め合うのを見て、ようやく事態が収拾したのを確信する。
 随分と寄り道してしまったけど、これで一休みできそうだ。
 ご機嫌な暁の頭を撫でつつ、自分は心地良い疲労感を味わっていた。
 もしも子供が生まれて、それが女の子だったなら、いつかまた、こんな風に苦労するのかも知れない。

 ……だが。


「あれ? ……それって、今までは大人っぽくなかったってこと?」

「え゛」


 安心しきっていたのがマズかった。
 不意に首をかしげた暁は、普段なら気が付かないような、些細な言い回しに疑問を投げかけ、小さな部屋に沈黙の帳が降りる。
 膝がプルプルと震えている。自分が震えているんじゃない。俯いてしまった、暁の身体が震えているのだ。
 そして、錆び付いた動きで振り向いた彼女は――


「なによっ!? けっきょく司令官も私を子供扱いしてぇ! ばかばかばかばかばかぁああっ!」

「ま、待て待てっ、痛いっ、違う、誤解だ、自分はただ、言われた通りにっ」


 ――キッとまなじりを釣り上げて、小さな拳を振り回し始めるのだった。
 距離が近いせいで防御もできず、ボコスカやられ放題である。
 クソッ、なんでこんな事に痛いっ!?


「チッ、失敗か。流石にこれはマズいね。雷?」

「了解っ。さー暁ー、着替えて大人の女の戦場、台所に行きましょうねー」

「うわぁああんっ! 暁は、暁はレディーにゃんりゃからーっ!!」


 作戦の失敗を悟った響と雷が、さっき自分へとしたように暁を羽交い締め。
 疲れた顔で廊下の向こうに歩き去る。轟くレディーの声が哀愁を誘った。
 残されたのは、飲みかけのラムネを持って立ち尽くす榛名と、着衣が乱れまくった自分。


「……なぁ、榛名。どうして、家の中を移動するだけなのにダメージを負ってるんだろうか」

「さ、さぁ……。榛名には、さっぱり……?」


 ガランとした部屋で、炭酸の弾ける音だけが、かすかに聞こえていた。
 なんだろう。ちょっと、泣きたくなってきた……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 顔で笑って、心で泣いて。
 歩きながら存分に黄昏た自分は、やっっっっっと、土間から続く裏庭へ辿り着いた。


「おぉぉ……。随分と進んだなぁ」


 雑草が生え放題だったはずのそこは、見事に整地された家庭菜園へと生まれ変わっていた。
 根菜や葉物野菜を植えるスペースだけでなく、トマトなどを植えるプランターや、鳥避けネットで覆える果実野菜スペースまで。
 夕日を浴び、趣のある風景が作り上げられている。
 その立役者である北上たちが、こちらに気付いて近寄ってきた。……あ。あのジャージ、自分が中学の時のだ。


「あ、提督。お帰りー」

「ただいま。凄いな、数時間でここまでやるとは」

「やー、大変だったよー?
 思ってた以上に土は固くなっちゃってたし、雑草だらけだったし。
 艤装を出さなきゃ、もっと時間かかってたかも」

「ここまでやっておけば、あとは簡単な手入れで維持できるはずです。
 まぁ、やる人が居ないと元に戻っちゃうでしょうけど。
 いちいち様子見に来る訳にもいきませんから、ちょっと心配ですね」

「ふぅん。ま、その辺はやり始めれば大丈夫さ。鶏の世話だって年中無休なんだし。うちの家族ならすぐ慣れるよ。お疲れ」

「大井さん、北上さん。お疲れ様でした」

「どうも。……あら。何か違和感があると思ったら、榛名さんセーラー服なんですね」

「へぇー。雰囲気変わるねー」

「そ、そうでしょうか?」


 ジャージに軍手、肩掛けタオルな北上・大井と、未だセーラー服の榛名。ここだけ女子高の園芸部みたいな感じである。
 多分、母さんが「これ着なさい」とでも言って出したんだろうけど、自分が着てた服を女子が着るって、こう、なんか……。
 やめよう、変態的な喜びに目覚めそうだ。ガールズトークしてる三人は置いて、一人で作業を続けてる最上を労おう。
 少し奥まった場所で、日差しガード付きの帽子を被る彼女は座り込んでいた。細かい雑草を抜いているようだ。


「よ、最上。少し休憩したらどうだ」

「え? あぁ、提督。帰ってたんだ。そうだね、ちょっと休ませてもらうよ。ふぅ……なんでボク、農作業してるんだろ。それになんでここに居るんだろ……」

「いや、自分に聞かれても。というか、君は止める側だと思ってたんだけどな」

「止めたよ? 止めたんだけど、ボクの意見なんて誰も聞いてくれないし……。一応、最上型の一番艦なんだけどな……。あはは……」

「……すまん! 何も知らずに無神経なこと言った! あー、ほらっ、ラムネあるぞ?」

「うん、ありがとう……ってぬるい上に飲みかけじゃないかぁ!? かかか、間接キス……!?」

「あ、ごめん。忘れてた」


 声を掛ければ、最上はすっくと立ち上がり、汗の似合う爽やかな笑顔を見せるのだが、背中は一瞬で煤けてしまった。
 慌ててラムネを差し出すも、飲みかけなのに気付いて顔を真っ赤に。
 ファースト間接キスを奪うつもりなんて無かったんだけど、悪いことしちゃったな……。


「あー、いいなー。あたしも喉乾いたー」

「ん、そうか。しまったな、みんなの分も貰ってくれば良かった」

「でしたら榛名が。少々お待ち下さいますか?」

「ああ、私も行きます。古鷹さんたちの分も持ってこないと」


 気不味い沈黙が広がるかと思われたが、しかし、北上が割り込んでくれたおかげで、上手いこと矛先が逸れる。
 もう諦めたらしい最上は、「もっとロマンチックなのが良かったな……」とボヤきつつ、ラムネをあおっていた。大井さんが去り際に残した、絶対零度の流し目が怖い。
 悪かったよ……。後でなんかお詫びするから、見逃して。


「あー。そういえば、古鷹は? 姿が見えないけど……」

「ボクが最後に見たときは、あっちに居たはずだよ。行ってみる?」

「そうするか」


 今度こそ気不味くなった自分は、この場にいない少女を使って話題転換を試みる。
 すると、すっかりラムネを飲み干した最上が、前庭へ続く方向を指差した。
 朝飯の時に手伝うとか言ってたのに、何してるんだ?
 ま、榛名たちが戻るまでに見て来れるだろ。行ってみよう。


「ところで北上。そのジャージ緩くないか? それ、自分が中学の頃に着てたヤツなんだけど」

「あ、そうだったんだ。通りで……」

「え? もしかして臭いとか?」

「ううん。通りで大井っちが難しい顔してた訳だー、と思って」


 手持ち無沙汰になり、なんとなく北上へ話しかけてみると、彼女はジャージの襟元をつまんだりし始めた。
 大井が難しい顔……。匂いで男の持ち物だったって直感したとか。あり得そうで怖いわ……。
 ってか母さん。人の服勝手に渡すなよ。そして説明省くなよ。自分のだって大井に知られたら……うぅぅ、どんな風に罵られるか、想像もしたくないっ。
 と、気温以外の理由で身震いする自分の顔を、北上が覗き込んでくる。


「ねー提督。このジャージさ、貰っていい? サイズも丁度いいし」

「構わないけど、男のお古だぞ? そんなの着るより、新しいの買った方が……」

「あたしはお古が良い。着古された服って、なんだか癖になるよねー」

「あ、ボク分かるかも。おろしたてのシャツの匂いとかも好きだけど、ノリが取れてクシャクシャになったワイシャツとかも良いよね」

「熱く語ってるとこ悪いんだが、着たことあるのか?」

「いや、それはないけどさ……。ほら、雰囲気で。ね?」

「うんうん」


 足を止めずに、二人揃って頷き合っている。
 意外だ。最上と北上、そこそこ仲良かったんだな。服に関しては理解できないけども。
 他人の、しかも異性のお古とか、何がいいのかねぇ……?
 なんて首を捻っていると、家の曲がり角から飛び出してくる人影が。
 長い茶髪に、サスペンダースカート&アームウォーマーが特徴の少女は……。


「あらぁ。司令官、帰ってたのね~。ふぅ……」

「荒潮か。ああ、ついさっきな。君は……何してるんだ?」

「うふふ、それはね……?」


 額に汗する朝潮型駆逐艦・荒潮。
 髪をかき上げる仕草がやけに色っぽい彼女は、弾む息を整えながらこちらの手を取る。
 控えめなスキップに誘われるまま、曲がり角の向こうを覗いてみると。


「むー。加古姉ちゃん、鬼なのにさっきから全然走ってないー!」

「はぁ、ひぃ、わ、分かった、分かってるから、スカート引っ張んないでぇ~!」

「こらこら、駄目ですよ小助くん? 男の子が女の子のスカートを弄ったりしたら」


 えっちらおっちら。
 なんとか走っているていを保つ加古と、それを児童にのみ許される方法で追い立てる小助。さらにそれを年長らしく叱る古鷹が居た。
 あと、声が聞こえないくらい遠くの方で、特徴的な帽子をかぶった少女が土煙を上げているのが見えた。段々と近づいてくる彼女は、おそらく大潮だろう。
 鬼。走る。……鬼ごっこ?


「要するに、遊んでるのか」

「そうとも言えるわね~。司令官も混ざる?」

「止めとくよ。絵面が犯罪チックになるし」

「あら、残念。どうせなら、司令官にぎゅ~っと捕まえて欲しかったのに~」

「はいはい、また今度な」


 繋いだ手を抱え込み、荒潮は……こう言っていいのか悩むが、妖艶に目を細めた。
 如月に続く、なんともアダルティな駆逐艦である。まぁ、あの子ほど露骨じゃないのが救いだ。
 平然と対応してるように見えるかも知れないけど、さり気なく「当ててんのよ」されて結構ドキドキしてるし。

 しかし、子供と追いかけっこする統制人格かぁ……。微笑ましいと笑えばいいのやら、何してんだかと呆れればいいのやら。
 いや、たぶん小助の方から「一緒に遊ぼー!」とでも誘ったんだろう。
 暁は面倒見るとか言っといてヘコみまくってた訳だし、代わりを務めてくれた事、感謝しなきゃ。
 そう思っているうちに、犬みたくベロを出す加古たちが、縁側に向かい始めた。どうせだから合流しよう。


「ぐへぁあぁ……。もう、無理ぃぃぃ……。小助くん、元気、良過ぎだってぇ……」

「加古、もうちょっとだからしっかり歩いて? ……あ、提督。お帰りなさい」

「ただいま、古鷹。加古もお疲れさん」

「ホントにづかれだぁ……」

「大兄ちゃーん! どーん!」

「おおお、どうした小助。相撲か?」

「大潮姉ちゃんのまねー」


 加古を介護する古鷹に挨拶を返す横から、元気過ぎる小学生男子が突進。
 うまく回避しながら抱き上げてやると、全速力で走り寄る少女を指差した。
 あっという間に数十mはあろう距離が縮まり、彼女は急制動からの敬礼を。


「司令官っ、はぁ、お、お帰りなさいませっ! はぅ、ふぅ……」

「ただいま……。大潮、大丈夫か?」

「は、はぃっ、らいじょうぶ、ですっ! ち、ちょっとだけ、休憩、すれば……げほ」

「無理しないで。ほら、座ろう」


 直立不動のまま息を整えようとしていた大潮だが、最上に勧められてやっと休憩の体勢に。湯気が立ちそうだ。


「っていうか、なんでそんな疲労困憊なんだ?」

「お、鬼ごっことはいえ、手を抜くわけにはいきませんから! 常に全力疾走でした!」

「凄かったのよ~。大潮ちゃんが鬼の時は、みんな三秒で捕まっちゃったの~」

「でも、逃げる時はペース配分が悪くて膝ガクガク、と」

「うぅ……。お恥ずかしい限りです……」


 荒潮に汗を拭いてもらいつつ、全力で薄い胸を張る大潮だったが、北上のツッコミで猫背になってしまう。
 この子は、朝潮の真面目さを少し緩く、そして三倍くらい元気にしたような性格であり、小助みたいな子供の相手には最適だ。本人も楽しんでたみたいだし。


「あ、こちらに居らしたんですね。飲み物をお持ちしました」

「おぉ、榛名。いいタイミング。悪かったな、勝手に移動して。ほら大潮、加古も」

「すみません、助かりますっ」

「んぐ、っぐ……。ぷはぁ! 冬だけど麦茶うまーい!」

「北上さん、はいどうぞっ。愛情たっぷりに注いで来ましたよ♪」

「うん。ありがとね、大井っち」


 縁側に腰掛け、みんなでボーッと和んでいると、外を回り込み榛名たちがやってきた。
 いかんいかん。サッサと戻るつもりが、予想以上にノンビリしちゃってたな。
 ともあれ、動きどうしで疲れたらしい少女は、我先にとコップに群がる。
 夏が定番の麦茶だけど、母さんの好物なので、うちには冬でも常備してあるのだ。運動した後には格別だろう。


「大兄ちゃん、買い物どうだったー? お菓子とか買ってきてくれたー?」

「まずは労われ弟よ。少しだけな。鳳翔さんたちが持って行ったから、貰いに――」

「お待ち下さい、提督。台所へは行かない方が……」

「まるで戦闘中の主計科みたいでした。うかつに足を踏み入れたら死にますよ」

「……そんなに?」


 今度は自分で動こうと腰を上げたのだが、戻ってきたばかりの二人に引きとめられてしまった。
 主計科。
 軍における物資の管理や補給、経理などを任される重要な部署で、軍でなくとも類似の仕事が必ず置かれる。軍隊もお役所なのだ。どんぶり勘定では動けない。
 今では経理担当のような扱いだけど、かつては軍艦にも乗り合わせ、艦内の状況や戦況を把握して文書にまとめたり、炊事洗濯も行っていたと聞く。
 時には、頭上を砲弾が飛び交う中、爆音が轟く中でも調理を続けなければならなかった彼らは、言葉通り、台所を戦場として戦う軍人だったのである。
 大井がああまで言うという事は、彼女が朧気ながら覚えているだろう、その気配があったという事か。
 ただでさえ、大人数の食事を用意するのは大変なのに、さらに追加が来ちゃったもんなぁ……。そりゃ戦場にもなるよ……。


「たーのもーうっ!!」


 ――と、またしても黄昏たくなった自分の耳に、聞きなれた声が届く。
 この声量。この時代がかった名乗り。間違いなく利根だ。言った側からまた追加か……。


「これって、利根さんの声ですよね。え? 利根さんも来ちゃってるんですか?」

「そういや古鷹は知らないんだな。もう艦隊の半分は来てるよ……」

「えええええ……」

「提督、それ本当なの?」

「………………」


 ドン引きする古鷹、自身の耳を信じられない最上の視線を受け、自分は無言のまま、明後日を見つめる。
 それだけで全て理解したらしく、常識人たちの背中にドンよりとした空気が漂った。
 ホントどうなるんだろ……。
 ここ数日のメディア露出過多や、統制人格への極端な外出許可。話題作り?
 ひょっとしたら自分たち、何かの目眩ましに使われようとしてるんじゃ……。


「あら~。白露ちゃんから聞いてたこと、古鷹さんには伝えるの忘れちゃってたわ~」

「すみません古鷹さんっ、こんな重大情報を伝え忘れるなんて、大潮、一生の不覚です……っ」

「あ、そこまで気にするような事でもない、というか。でも荒潮ちゃんは大らか過ぎるような気も……」

「どっちでも良いけどさー。そろそろ家の中に戻らない? ちょっと本気で寒くなってきた」

「まぁ! それはいけないわ北上さん! 私が手を握って温めて――」

「うん。陽も落ちちゃったし、戻ろうか。ボク、お腹ペコペコだ」

「加古姉ちゃん、起きてー。もうそろそろゴハンだよー?」

「あーい……」


 ……とか、シリアスぶった思考してみても、周りがそれを許さない。
 疑い出せばキリがないというのもあるし、深く考えない方がいいのか?
 かといって思考停止したら、いつか必ず問題に繋がってしまうだろう。世の中って難しい……。
 だが、一個人として今もっとも気になるのは――


「提督。私は利根さんたちのお出迎えに行きますね」

「あぁ待った、自分も行くよ。きっと金剛も帰ってきてるだろう。スルーした分は優しくしないとな」

「……お会いになったんですね。もう、なんと言ったらいいか……」

「何も言うな。止めたくても止められなかった榛名の気持ち、よぉ~く分かるから」

「お心遣い、感謝致します……」


 ――ガン無視してしまった覆面女子レスラー、ミス・ダイヤモンド(仮名)の機嫌である。怒ってなきゃ良いんだけど。
 めいめいに腰を上げ、家の中へと戻る皆と別れた自分たちは、廊下を玄関へ向かう。
 近づくにつれて、元気一杯な利根の笑い声と、中吉の困惑する声が。そりゃあビックリもするわな。弟よ、すまん。


「やっぱり、君たちか」

「ぬ? おぉ、お主か。出迎え御苦労! 今帰ったぞ!」

「利根姉さん? 私たち、提督のご実家に来るのは初めてですよ?」

「いいよいいよ。そこらへんは期待してないから。君たちの家だと思ってくつろいでくれ」

「何やら気になる言い方じゃが、そこまで言うなら遠慮なく上がらせてもらおう!」

「申し訳ありません、提督。余計かとも思いましたが、色々と買って来ましたので……」


 背中を見せる中吉の向こうに居たのは、普段着に戻った利根・筑摩だ。
 小さな姉はえらく堂々と、スラッとした妹は恐縮しつつ。相反する様子で靴を脱ぐ。
 中吉はといえば、驚くのにも疲れたような顔である。


「……兄さん。まさか、この人たちも……?」

「うん、まぁ、そういうこと」

「はぁ……。オレ、目が肥えちゃいそうだよ……。とりあえず、こっちへどうぞ」

「うむ。吾輩は利根という。よろしく案内あないを頼む。彼奴の弟ならば吾輩の弟も同然、姉と呼んで慕って良いのだぞ?」

「すみません、オレより背がだいぶ低いのに姉はちょっと……。っていうか姉妹の上下が逆なんじゃ……」

「いえいえ、私が妹で間違いありませんよ。筑摩です。よろしくお願いしますね。ところで、お名前は――」


 なんだかんだと言い合いながら、楽し気な雰囲気が奥へと消えていく。
 そして、見慣れた改造巫女服に戻った元女子レスラーたちが、入れ替わりに玄関へと雪崩れ込んでくる。ついでに元クマ・レンジャーと元スケ番も。


「テートクひどいヨー!? せっかくワタシたちがテートクのために戦ってたのに、無視してピューと帰っちゃうなんテ!?」

「そうですわ! 手に汗握る白熱した戦いでしたのよ? ほら、半分寄付しても、おひねりがこんなに」

「応援が凄かったわよね。ついでにお肉も買って来ちゃったわ。これで豚カツ作ったら美味しいわよー!」

「す、凄いですね。これでしばらく食べていける位の金額じゃ……?」

「あ~、この町の人たちノリがいいから……」


 涙を流して縋りつく金剛を本能的にいなし、三隈の差し出した即席っぽい募金箱を覗くと、小銭ばかりか万札までギュウギュウに入っていた。
 これで半分なのを考慮すると、榛名もビックリな凄まじい臨時収入だ。
 まぁ、統制人格だけあって身体能力は人間離れしてるんだ。動きはキレッキレだっただろうし、キャットファイトなら野郎共が盛り上がるのも当然。
 誤魔化しも効かなくなっっちゃっただろうけど、ここまで来たら、逆に利用する案を考えた方がいいと思えてきたよ……。
 と、思考転換する自分の横を、苦悩する球磨、ぐんにょりする阿武隈が通り過ぎる。


「途中から楽しくなってた自分が居るクマ……。認めたくないクマァ……っ」

「アタシは全然楽しくなかったわよ……。なんでお巡りさん、アタシにだけ御説教するのよぉ……。あ、お邪魔しま~す……」

「お疲れさ~ん。そういえば、あの後どうなったんだ、熊野? 交番とかなんとか聞こえた辺りで逃げたんだけど」

「最終的には警察署まで行きましたけれど、有志による地域おこしの一環として押し切りました。案外、なんとかなるものなんですのね。では、お家に上がらせて頂きますわ」

「厳重注意を受けましたが、無理矢理なんとかしました。頑張りました……」

「わたしは霧島を応援してました! 最後までマスクは脱がなかったので、安心して下さい!」

「……霧島。良くやってくれた。本当に、ご苦労様。奥でゆっくり休んでくれ……」

「司令……! そのお言葉だけで報われます……っ。う、うぅぅ……」


 気になったので、あの後の経過を尋ねてみると、球磨たちの靴の向きを整える熊野が、淡々とおっそろしい事実を告げた。
 おい比叡。マスクのまんま事情聴取とか、むしろ心象悪くなるだろ。よく厳重注意で済んだもんだよ。霧島、その涙は無駄じゃないぞ……!


「って事は、ほとんど見てもらえなかったンじゃないデスか……。ワタシ、一体なんのためにGiant SwingやBritish fallを……」

「き、気を落とさないで下さい、金剛お姉様。榛名は見てみたかったですっ。また別の機会がありますよ、きっと!」

「……よく考えたらWrestlingで自己Appealとかあり得なくないデスか? それに榛名は何故Sailor服を着てるノ……? まさかそれ……?」

「あ。ええと、これは、その……」

「ところで司令? このお肉、豚カツにしちゃって良いわよね? カツカレーとか絶対に美味しいし、良いわよね、ねっ、ねっ?」


 そんでもって、別の意味で泣き続けてるのが金剛であり、榛名がとばっちりを食う。
 やっとそこに行き着いたのか……。まぁ、ボディラインと寝技のアピールは出来るだろうけどさ。色んな意味で重いです。
 我関せずとテンション上げ上げなのは足柄。豚カツ推しは分かったから、肉を持って迫らないで。圧が凄い。
 あぁ、玄関がどんどんカオスの海に飲み込まれていく……。


「なぜ玄関が開けっ放しに……。戻ったぞ――足柄? ……まぁいい。皆、手伝いを頼む。食材を降ろしてくれ」

「あら、那智姉さん。お帰りなさいあさい。私、お肉を先に置いてくるわね」

「自分も手伝いますよ。ほら、行くぞ金剛、榛名」

「Aye,Aye,Sir……。榛名、ここは一時休戦デース。後でSEPPUKU Talkしまショー」

「ええと、腹を割って話そう、という意味ですよね? りょ、了解致しました」


 そんな時、開いたままだった扉から姿を現す、スーパーの袋を提げた救世主じょうしきじん、那智さん。
 足柄の姿に怪訝な顔をするも、事情は察してくれたらしく、ハキハキとした指示出しで場の空気を引き締めてくれる。
 ただ突っ立ってるのはアレだし、険悪なんだかコントしたいんだか分からない二人を連れ、自分も表に出る。
 玄関から少し離れた所では、横付けされたマイクロバスから高雄たちが荷物を降ろし始めていた。


「高雄、お疲れ。姉さんたちは?」

「あ、提督。御自宅へ戻られました。今日はあちらで過ごされるそうです」

「言動はちょっとエキセントリックだけど、やっぱり主婦なのねー。お買い物に無駄がなかったわー。それに旦那さんともラブラブでー、羨ましいくらい。憧れちゃうわよねー?」

「そうね……。傍目にも幸せそうで、あんな風に愛し合えたら、女として幸せでしょうね……」


 愛宕は値引きシールの貼られた大根、高雄は十kgの米袋を胸に抱き、何某かを思い出しているようだ。表情が乙女チックに見える。
 確かに二人の姉夫婦は、自他共に認めるおしどり夫婦だしなぁ。個性が強過ぎる妻と影が薄い夫。うまくバランスが取れてるんだろう。
 旦那さんたち、影は薄いけど本当に良い人だし、欠点を挙げるとすれば影の薄さ位しかない。男としても信頼できる人たちなのだ。
 ……なんかバカにしてるって誤解されそうだけど、どうか末長く、幸せでいて欲しいものである。


「二人とも、あの性格で良い人を捕まえてくれて、家族としては安心だよ。
 しかし、高雄や愛宕だって、その気になればすぐに恋人できそうだけどな。
 スタイル抜群だし、何より美人だし。よっと」

「び、美人、ですか……? 私が、そんな……」

「あらー。高雄ったら照れちゃってー。でも提督ー? 口説くのなら二人っきりじゃないと効果は薄いですよー?」

「そんなつもりじゃないって。一般論としてだよ、一般論」

「ムムムッ。ワタシはテートクから褒められるのに数ヶ月掛かったというのに……。やっぱり油断は出来そうもないネ……!」


 米袋を受け取りつつ、何の気なしに本音を零すと、高雄が照れくさそうに顔を伏せる。
 見た目は垢抜けた大人の女性だが、意外と乙女チックで、初心な反応を見せてくれる事が多い。
 一方、愛宕の方は何をしていても雰囲気が“ぽややん”としていて、見た目通りの包容力を感じる。どこを見ているかは秘密です。
 例えばの話、「付き合ってくれ!」と迫った時に、押しまくればOKを貰えそうなのが高雄。押しまくっても受け流され、逆にキープされそうなのが愛宕である。
 なんか威嚇してる金剛は……。分からん。今日の一件でますます予想が出来なくなった。とりあえず保留。


「ところで、あの時のお電話、なんと仰られたんですか?」

「ん? 何かあったのか、高雄」

「はい。通話を切った後、大姉様が……」

「凄かったのよー。長太に嫌われたかも知れない、また調子に乗ってしまった、どうしよう~……って、大騒ぎになっちゃってー」

「子供たちも吊られて大泣きしてな……。宥めるのが大変だったぞ」


 勝手な想像を繰り広げる自分に、今度は高雄の方から声が掛かった。
 荷物の第一陣を預けた那智さんも戻り、当時の惨状を語り出す。
 大姉が、そんな風に……? 言われてみれば、記憶の片隅に引っ掛かる物が……。
 例の告白玉砕を慰めようという、勝手な家族会議の最中、大姉の背中はやけに小さかったような気がする。朧気だけど。
 思わず足が止まってしまうほど、俄かには信じ難い事だったけれども、疲労の残る顔に苦笑いを乗せ、那智さんはこちらの肩を優しく叩いた。


「少々……いや、かなり言動はハチャメチャだが、随分と貴様を気に掛けているようだ。愛されている証拠だろうさ」

「そう、なんですかね。まぁ、仲は悪くない、と思いますけど……」

「……提督? 差し出がましいと思いますが、そんな言い方は寂しいです。
 掛け替えのない、大切な家族なんですから。
 言葉で気持ちを伝えるという事は、とても素敵な事だと思いますっ」

「そうよー。高雄の言う通り、提督はもっと、ちゃーんと“好き”って言うべきだと思うわー。……色んな意味で、ね?」

「ぜ、善処します……」


 追い抜かれざまに、高雄・愛宕からも説教されてしまった。特に、訳知り顏な愛宕の言葉が痛い。いつもはポヤポヤしてる癖して、侮れん。
 好き、か……。そりゃあ、いくら迷惑を掛けられたって姉だし、嫌いになんかなれやしない。でも、小っ恥ずかしいよなぁ……。
 オマケに、愛宕が言ったのは姉の事だけじゃない。きっと、自分を中心として渦巻く感情たちの事も、含まれているんだろう。いつまでもこのまま……では、ダメなんだ。
 今、隣で不思議そうにカボチャを抱えている金剛にも。いつか向き合わなければ。


「ンー? なんの話デスか? テートクー、ワタシだけ仲間外れは悲しーデース」

「あぁはいはい、説明するからっ、今はくっ付くな! 頼む榛名っ」

「はい。金剛お姉様、実はこの服、大姉様に着て欲しいと頼まれた物で。それに関して提督がお話を……」

「oh,ナルホドー。ワタシはてっきり、榛名が本気でテートクCaptureに乗り出したのかと思ってましタ! ホントにRivalが増えたかと焦ったヨー!」

「何を言ってるんだか……」


 説明を求め、ペターとへばり付く金剛。咄嗟に救援を求めると、すかさず反対側へ榛名が。ついでに掻い摘んだ説明もしてくれる。
 セーラー服が彼女の本意でないと分かった途端、金剛はカボチャを掲げて御機嫌にウィンク。現金な子だよ……。
 というか、榛名が慕ってくれてる自覚はあるけど、それとこれとじゃ別問題だろうに。自分だって、先輩の事は好きだけど、男女の関係になりたい訳じゃないし。


「金剛。榛名にだって選ぶ権利はあるんだ。勝手に決めつけちゃ可哀想だろ。なぁ、参考までに聞くけど、榛名はどんな男が好みなんだ?」

「……えっ」


 高雄たちに続いて玄関へ米袋を置き、次の荷物を取りに向かいながら尋ねてみる。
 困らせるかもとは思ったが、あんまり女の子と恋話した事ないし、一度聞いてみたくもあったのだ。
 真面目な彼女だ、きっと顔を真っ赤にしつつ、健気に答えてくれるはず。
 ひょっとしたら、「私は提督の事が……」とか言ってくれたりして? んな訳ないか! あっはっは。


「あれ、榛名?」

「どうかしましタ?」


 心が傷付かないように予防線張っている間、榛名は無言だった。
 数歩後ろで立ち止まり、ジィっとこちらを見つめている。広いはずの玄関が、妙に狭苦しい。
 数秒ほど沈黙が続き、やがて彼女は歩き出す。
 一歩、また一歩と近づくにつれ、身長差で表情が読み取れなくなっていく。
 なぜだか固唾を飲んで見守る自分の横を通り過ぎ、引き戸に手が掛かる所で、榛名は。


「提督にだけは、秘密です」


 人差し指で、唇を縦に閉じながら、振り返った。初めて見る、小悪魔的な微笑みだった。
 外へと走り出す背中を、自分はただただ見送る。
 なんとなく横を向けば、同じく茫然と妹を見送った金剛と視線が重なった。
 そして、彼女の顔にジト目が浮かんだ瞬間、金縛りは解ける。


「……テートク。まぁたワタシの知らないうちにFlag立てたんデスかぁ!?」

「い、いや知らない! 自分にも何が何だか!?」

「やれやれ……。戻ってきても騒がしいのは変わらずか」

「うっふふ、楽しくって良いじゃなーい? 面白くなってきたわー♪」

「愛宕がそういう言い方をする時って、たいてい騒動が起きるのよね……」


 酒瓶を抱えた那智さん、愛宕、高雄の声を背中に聞きながら、自分は金剛から逃げようと表へ。
 すっかり日の落ちた冬の空に、満天の星空が広がっていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「さ、三番、阿武隈! 手品やりますっ。縦縞のハンカチが~……あっという間に横縞に!」

「ただ向きを変えただけじゃん」

「手品というよりツッコミ待ちのボケですよねぇ、北上さん」

「ぅぅうっ、急にやれって言われても無理ぃ! そこまで言うなら貴女たちがやってよっ!?」

「……仕方ないなー。大井っち、やろっか?」

「ええ。重雷装艦の本当の力、今こそ!」


 何枚も襖を隔てたはずの居間から、賑やか過ぎる声が届いている。
 直接目にしている訳でもないのに、涙目でハンカチを噛む阿武隈と、自信満々な顔で立ち上がる北上・大井の姿が想像できた。
 窓から差し込む月明かりと、古めかしいガスランプだけが頼りの自室は肌寒かったが、アルコールで火照った身体にはちょうど良い塩梅だ。
 このランプ、灯油や電気よりもガスの方が安いからと、親父の代から使っている骨董品である。


「盛り上がってるなぁ、みんな」


 ゴロン、と畳に寝そべったまま、独りごちる。
 夕食という名の大宴会が始まって、もうすぐ一時間。
 最初は賑やかな食事会のような感じだったのだが、飲んでも問題ない見た目の子たちが酒を飲み始め、あっという間に大騒ぎである。
 今も、「待ってました~」とか「艦種関係ないじゃーん!」とか「脱げー!」なんて叫びが……誰だ最後の?
 一人目は龍田で、二人目が飲んでないけどハイテンションだった鈴谷……いやマジで誰だ? まさか母さんじゃあるまいな……。


「……ま、いっか」


 疑問には思っても、楽しそうな雰囲気が笑みを誘い、すぐ気にならなくなった。
 この分なら、騒ぎ疲れて抜け出した自分も、しばらく見つからないだろう。


(なんにもしないって、久しぶりだな)


 鎮守府であれば、食事をしている時でも、風呂に入っている時でも。
 つい艦隊をどう運用するか考えてしまうが、不思議と実家では何も浮かばない。
 ボーっと、無為に時間を過ごす事が心地良く、遠い静けさの中へ、身体が溶けていきそうだ。


「司令官さん。ここに居たんですね」

「電。うん、ちょっと騒ぎ疲れた」


 不意に、優しい気配が側に生まれる。
 いつもの格好に戻った……戻らざるを得なかった電が、襖を開けて立っていた。
 原因はもちろん、暁。可愛くしかなれない姉と、綺麗になっちゃった妹。悔しがって仕方なかったのだ。
 他にも、天龍が「誰だオマエ!?」とか叫んだり、白露型やら雷巡コンビやらが、目を皿にしてガン見したりと、やはり結構な衝撃だったらしい。


「ごめんな」

「……え?」

「いや。なんか、色々と。こんなはずじゃなかったんだけど、と思って」


 隣で女の子座りをする電に、上体を起こしつつ謝る。
 今回の里帰りは、本当に予想外な出来事の連続だった。鳳翔さんを嫁と勘違いされ、比叡たちが勝手に着いてきて、オマケに利根や妙高たちまで。
 もっと静かに、穏やかな休暇を過ごす予定が、結局いつものバカ騒ぎ。期待外れだったに違いない。


「電は、楽しかったです。静かに過ごすのも好きですけど、いつもみたく、こんな風に賑やかなのだって、やっぱり好きなのです」

「そう言ってもらえると助かる」


 しかし、ランプの逆光に映える微笑みは、幾度となく見せてくれた微笑みで。
 どうしてこんなに安心できるのか。心が落ち着くのか、自分でも不思議だった。
 ……そうだ、言い忘れてた。愛宕にもああ言われたし、キチンと伝えておかなくちゃ。


「あの服、似合ってた。綺麗、だったよ」

「……あ! ……ありがとう、ございます……なの、です……」


 意表を突くタイミングだったようで、電は目を大きく見開いた後、ランプの薄赤い光でも分かるほど顔を真っ赤に。
 軽い酩酊感のおかげか、思っていたよりも、すんなりと褒め言葉を口に出来た。
 酒の力を借りずに言えれば、本当は満点なのだろうけど。


「し、司令官さんは、髪を下ろしていた方が……好き、なのですか?」

「髪型? そうだな……。どっちも好きだけど、自分としては、普段通りの方が良いかな。それとあの格好、できれば横須賀ではしないで欲しい」

「……え!? ぁ、あのっ、おかしかったですか? あれっ、でもさっき?」

「違う違う、落ち着いて」


 髪の毛をいじりながら、電が上目遣いに問いかけてくる。
 率直な感想を告げると、今度は目を白黒して大慌て。言葉足らずだったようだ。
 不安になってしまったらしい彼女へと、自分は少しだけ近づく。
 そして――


「あの格好じゃ、電だと知ってて声を掛けようとする男が、出てきそうだから。もし着てくれるんだとしても……自分の前でだけが、良い」


 ――今一度、素直な気持ちを言葉にした。
 返事はない。身体を硬直させる彼女は、しばらくして顔を伏せてしまう。
 言ったこちらも流石に恥ずかしく、あぐらをかいて天井を見つめ続ける。
 と、腕に違和感。
 いつの間にか、細い指がシャツの袖をつまんでいた。それが、“何か”の答えのようにも感じられる。

 遠い喧騒。
 月明かりとランプが作る、二重の影。
 自然と、手は電へ伸びていく。
 震える頬を、やや強引に引き寄せる。
 灯影で暗く見える瞳は、怯えに震えているだけでなく、期待で濡れているようにも。


「電」

「司令官、さ……」


 互いの名を呼び、しかしそれ以上は何も言わない。
 まぶたが閉じられた。
 彼女の意図する所を悟り、自分は距離を縮める。
 ゆっくりと。ゆっくりと。薄氷を履むように。
 やがて、吐息の交わりで一瞬だけ躊躇し。間抜けなほど時間をかけて、二人の影は重なった。


「……オッホン。少し、いいか」

「うぉ、親父!? な、なにっ?」


 ――かに思えた、その瞬間。
 廊下へ繋がる襖の向こうから、低音の咳払いが飛び込んできた。
 ほぼゼロ距離だった電との間隔は離れ、背中へ針金でも通されたみたく、姿勢もガチガチに。
 そうこうしている内に襖が開き、自分と電の姿を見つけた親父は、酷く気不味い表情を浮かべる。


「……すまない。邪魔をしたようだ」

「え? なんの事? じ、邪魔なんかじゃないって! な!」

「……なのです」

「本当に、申し訳ない……。ただ、約束を果たそうと思っただけでして……」


 酔いから一気に醒め、なんとか不純異性交遊+青少年保護育成条例違反を誤魔化そうとするも、電は甚く不機嫌そうな顔でそっぽを向く。
 妙に腰を低くする親父が、後手に隠し持っていたウィスキーボトルを出しつつ謝っていた。
 いやいやいや。自分、何をしようとしてたんだ? 絶対にOKだった気もするけど、雰囲気に流された感も否めないし、うっかり母さんにでも見つかったら。
 なんか、えっと、アレがそうしてこうだからして………………考えるのやめよう。
 きっと今はダメだって、そういう神様からのサインだったんだと思おう。そうしないと心が折れる。ポキっと。
 で、約束……? あぁ、あれか。


「家を出る前の日の、『帰ってきた時に残りを』ってやつ?」

「そうだ。お前に、渡したい物もある」

「……あ、だったら電、向こうに行ってますね」

「いえ、居て欲しい。君とも話をしたい。迷惑なら、別だが」


 気分を切り替えて親父に向き合うと、親父はボトルとは反対側の手に持つ風呂敷包みを示した。
 軍務に就く事が決まり、準備のため実家へ帰った自分が、出立前日に親父と飲んだスコッチウィスキー。その時にした約束を果たそうという事か。
 どうやらプレゼントもあるらしく、気を遣った電が席を外そうと腰を上げる。
 しかし親父はそれを引き止め、自分の真正面に腰を下ろした。四角くなった風呂敷を開くと桐箱があり、更にその中には、二つの小さいグラスが。


「あっ。これ……」

「どうした」

「いや、帰りに買って来ようとして、買いに行けなかったヤツ。なんだ、親父が先に買ってたのかよぉ」

「はは。すまんな……っと、ありがとう、電くん」

「いえいえ、なのです」


 青い下地を薄く削り、複雑な模様を描いた江戸切子のショットグラスセット。
 今では日本で一人しか作り手がおらず、酒屋さん秘蔵の一品物だ。当然、値段もウン十万越え。
 だからこそ生まれて初めての、親父への手土産として目星を付けていたのに、先に買われてるとか。やられた……。
 悔しがる自分を他所に、親父は早速お酌されて薄笑いし、大きなボトルを抱える電も、機嫌は治してくれたようだ。


「昨日と今日と、大変じゃなかった? 大井がまるで戦場だ、とか言ってたんだけど」

「問題ない。鳳翔さんと電くん……暁型、だったか。その四人に、霞という子が、よく頑張ってくれた。夕飯はほぼ任せた」

「そっか。なんか意外だ、妙に霞と母さんが仲良くなっちゃって」

「……良い事だ」

「まぁね」

「暁ちゃん、凄かったのです。玉ネギのみじん切りがとっても早くて、ビックリしちゃいました」

「あぁ。神業だった」

「……なんだろう。素直に褒めるのが可哀想な……。そういや、鈴谷って子は分かる?」

「うん? ……あの、綺麗な髪色の子か。言葉遣いはアレだが、真面目な子だな。彼女も頑張ってくれた」

「嘘ぉ……。てっきり親父にジャレついて邪魔してるかと思ってたのに……」

「電たちは、お邪魔じゃありませんでしたか? お台所を好き勝手に使っちゃって……」

「そんな事はないよ。むしろ、安心した。これなら任せられる」

「良かった……。あの、味、とかは……」

「食事中にも言ったが、美味しかった。……うちの味を一番に再現出来るのは、君だろうな」

「ホントですか!? やった……!」


 琥珀色に満たされたグラスを酌み交わし、尽きることのない話は続いた。
 ウィスキーで饒舌になった親父と、懐かしい味に酔いしれる自分。ウィスキーや話題をつぎ、時々、小さくガッツポーズしてしまう電。
 とめどなく、とりとめもなく。
 他愛のない会話ばかりが行き交う。
 あれは美味しかった。あの子は面白い。明日の献立はどうしようか。
 本当に、色々な話をした。


「あのさ」

「ん」

「……“俺”が家を出てから、どうだった?」


 そして、もともと残り少なかったウィスキーが、底をついた頃。
 わずかな沈黙を縫うように、ずっと気に掛かっていた事を聞いてみる。
 大学での一人暮らしを終えて、また家に戻るはずだった自分が、戻れなかった家の様子を。


「いやまぁ、姉さんたちがすぐ立ち直ったのは想像つくんだけどさ。気になって」

「いいや。あの二人は、最近まで塞ぎ込んでいた。はしゃぐあの子たちを見るのは、久しぶりだったぞ」

「……え?」

「あのお姉さんたちが、ですか」


 意外な返答がなされ、思わず電と顔を見合わせる。
 自分にとっては馴染み深く、みんなにとっては悪い意味で印象深かったであろう、常識外れな姉たち。
 あれが寂しさの反動だったとでも言うのだろうか。たかだか半年で?
 ……と、聞いた瞬間は思ったが、すぐに自分が間違っているのに気付く。
 もし、姉たちが命の危険を強いられ、連絡も取りづらい中、無事に帰ってきてくれたなら。きっとウザがられるまで纏わりつくと、想像できた。


「特に酷かったのは、母さんだ。あそこまで気落ちする姿は、見たことが無い」

「そんなに?」

「ああ。料理に成功するほどだった。……負けた」

「――なっ」


 更に付け加えられた情報で、事の重大さがより明確に伝わった。
 あのクソ不味――もとい、飲み込むのも難儀する料理を作り出す母さんが、親父を凌駕する腕前を見せたなんて。
 他所様には「そんな事で?」と思われるだろうけど、あの味を経験した身には、驚天動地の事実だ。現に、電も言葉をなくしている。


「……中吉や小助も」

「あぁ。家事を手伝い始めたり、必要以上に甘えたり、な。お前の前では普通を装っていたようだが」


 話を聞き終わり、自分はボウっとショットグラスを見つめてしまった。
 帰ってきて最初に会った二人の弟。記憶にある通りの、冷めた言動と甘え具合すら、平静であろうと努めた結果だった。
 そんな事にも気付かなかったとは、ちょっと離れている間に、随分と鈍ってしまったらしい。
 少しだけ、寂しさを感じた。


「生きていくなら。変わらずには、居られないものだ」


 不意に訪れた沈黙を、深い、静かな声が破る。
 親父はグラスをあおり、視線を高く。その先には、月を抱いた窓が。


「時間が流れる限り、どんな物にも永遠は無い。
 命。若さ。喜怒哀楽。幸福。不幸。どれもがいずれ……終わる。
 あの子たちは、その悪い面ばかりを見て、挫けそうになったんだろう」


 淡々と。ただ事実を並べるように、無感動な声はそう語った。
 時間は全てを変えていく。
 人間に歳をとらせ、悲しみを風化させ、喜びだって、いつか過ぎ去っていく。
 自分が軍に入るという事は、母さんたちにとっては望ましくない変化で、苦しみを伴うものだったのだろう。
 ……けれど。


「“俺”は、さ。変わるのが悪い事だとは、思わないよ」


 親父が言うように、それは悪い面なのだ。
 誰かにとって望ましくない変化でも、別の誰かにとっては、違う側面を持つ場合がある。
 “自分”がそうだった。


「この家を出て、しばらくしてから分かったんだ。
 “俺”は、みんなに守られてたんだって。
 親父や母さん。大姉に小姉。それに、中吉や小助にも」


 子供の頃は、やけに構ってくる姉たちを疎ましく思い、学生の頃は、両親の泥臭い仕事を内心で見下していた。
 成人してからも、押し付けられた弟たちの世話を面倒だと感じていた。しかし、それら全てが、自分の居場所を作ってくれていた。
 両親に育てられ、大姉と小姉に守られ、弟たちを見守る事で、自分は存在を許されてきたのだ。……ちょっと大げさかも知れないけど。


「でも、この“力”に目覚めて。“自分”は、少しだけ強くなった気がするんだよ。
 まだ一人じゃ何も出来ないけど。ほんの少しは、みんなの助けになれるんじゃないかって、そう思う。
 変わらない良さっていうのもあるだろうけどさ。変わるのが悪い事だとは、思わない」


 そして、その庇護を受けられなくなった時。
 “俺”は、心から守りたいと思うものを見つけて、“自分”になる事が出来た。
 今だからこそ思う。
 自分はこの時、初めて己の足で立ち始めたのではないか、と。

 隣を見れば、すぐ側に彼女が居る。
 自分を変えてくれた少女が、微笑んでくれている。
 それが堪らなく嬉しくて。けど、同じように嬉しそうな親父の顔が、照れ臭い。


「なんか、柄にもないこと言っちゃったかな。今日は飲み過ぎたよ」

「……かもな」


 笑って誤魔化せば、いつもはぎこちない笑みが、自然に笑い返してきた。
 普段は多くを語らない父親と、酒を飲みながら語り明かす。
 男同士じゃなきゃ、こうは行かないだろう。長男の特権かな、これは。


「ところで、一つ聞いておきたい」

「なに? この際だからなんでも答えるよ」

「ん」


 最後の一杯ずつが注がれ、そろそろお開きかといった所で、親父が急に畏まる。
 気持ち良く酔っ払い、気も大きくなっていた自分が鷹揚に頷き返すと、景気付けにグラスを傾けた親父は、真剣な表情のまま口を開いた。


「お前が好きな子は、そこに居る電くんで良いんだな」

「むぶっ!? ぼっ、ぶふっ、ぐぉ! 鼻が、鼻がぁっ!?」

「し、司令官さん!? しっかりして下さいっ」


 ――が、あまりに内容が突飛過ぎて、最後のウィスキーを鼻へ逆流させてしまった。
 痛い! メッチャクチャ鼻が痛い!
 コーラのゲップが鼻に入っちゃった時の三倍くらい痛いっ!!


「な、な、な、なん、いや、その、なんだ。積極的に否定はしないけども、素直に頷くのは倫理的にアレというか……」

「そうなのですっ、あの、司令官さんとはまだ、何もしてなくて。だから、憲兵さんとかは……!」

「……やはり、親子なんだろうな。母さんも、昔はこんな風だった」

「ぁんですと?」

「なのです?」

「ちなみに、料理は昔から下手だった。その点は真逆だな」


 のたうち回りつつ、電と共に情けない言い訳を繰り広げるのだが、途中、親父が変な事を言い出した。
 母さんが、こんな風だった。電が昔の母さんに似てると? 嘘だ。あり得ないだろ。
 凄むと極道の妻並みに迫力のある母さんが、怒ると笑顔で詰め寄ってくる電に………………ソックリな気がしてきた。
 え。自分マザコンだったの? でもそうだとは知らなかったし、電は物理的に成長しないし、ノーカン……になるかなぁ……。
 絶望と似た衝撃に、自分は打ちひしがれる。なんだよこの新事実……。


「鳳翔さんは、よくお前を支えてくれるだろう。しかしその分、我慢してしまう事も多くなる。無理をさせるな。
 金剛という子は、無邪気だ。無邪気だからこそ、この先が心配でもある。気に掛けろ。
 霞くんはひたむきだな。だが、きっとお前にだけは素直にならんと思う。男なら、その上で受け止めてやれ」

「お、親父? さっきから何を」

「他にもあるが、その子に関しては何も言わん。お前の想いだ。後悔のないようにしろ」

「……反対、しないんだ?」


 脈絡のない鳳翔さんたちの評価から、最後は恋の応援まで。
 さっきから驚いてばかりだけど、本当に驚いた。
 常識的に考えるなら止めるべきだ。道を踏み外さないよう、殴ってでも思い留まらせるべきこと。
 相手の容姿が社会的に問題で、なおかつ、人とは違う在り方の少女なのだから。


「相手が人と違う存在なら、人の尺度にだけ当てはめるのは変だろう。
 それでも愛していたいと思うのならば、瑣末な事に拘らず、自分の気持ちを信じろ。
 表立った応援はしないが、止めもしない。電くん。息子を、頼みます」

「……は、はいっ。必ず、あの、えっと……! が、頑張りますっ!」

「ん……。ありがとう」


 そう思っていたのに、親父は電へ頭を下げ、電も慌てながら、本気で答えてくれた。
 満足そうな溜め息が、この場限りの嘘ではないと教えてくれる。
 人とは違うと理解した上で、それでも好きなら勝手にしろ。
 突き放すような言い方でも、どこか優しさを感じるのは、自分が息子だからだろうか。
 きっと違う。これが親父なりの励ましで、こういう所に母さんは惹かれたんだ。
 ……自分も、頑張ろう。電と一緒に。


「親父が認めてくれるとは思ってなかったよ。てっきりタコ殴りにされるかと……」

「人間の少女相手なら、そうした。しかし、手を出す度胸があるとも思えん。今と変わらんさ。
 それとだ。気持ちがハッキリしているなら、いつまでも目を背けてやるな。キチンと向き合い、決着をつけるのも優しさだ」

「はぁ? なんだよ、いきなり……。そんなの、言われなくたって……」

「……全く。これはお前のためだぞ。よく聞け」


 事実上の公認に安心しきっていたら、話題の雲行きが怪しくなってきた。
 ちょっと前に自分でも考えた事を、改めて親から指摘される。
 まるで、宿題をやろうとしていたのに「宿題やりなさい」と言われたような、懐かしくも嫌~な感じだ。思わず逃げ腰になってしまう。


「テートクー! どこ行ったデースかー? 次ー、ワタシと一緒にDuetしーまショー!」

「はっ。金剛が呼んでる、戻ろう! また暴走されたら困るし、ほらほらっ」

「えっ、あ、司令官さん?」

「……逃げたな。バカ者」


 そんな時、タイミング良く金剛の呼び声が。
 天の助けとばかりに、自分は電の手を取って部屋から駆け出す。
 いつまでも、このままでは居られない。そんなの分かってる。
 けど、せめて今だけは。このぬるま湯に浸かっていたいと、愚かな願いを抱いてしまうのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 朝日に佇む、閑散とした無人駅の構内。
 線路と道路を区切るフェンス越しに、のどかな田園風景を見る中、自分は腕時計を確かめた。
 ○七二五。もうすぐ、始発から二本目の電車がやってくる。


「そろそろ時間だ」


 元々、行きと帰りでは足を変える予定だったのだが、予定外の人員増加により、構内はかつてない賑わいを見せていた。
 車には免許持ちである那智さんと高雄型二名、金剛型四名に天龍田姉妹が乗り、他は電車を時間差で使い、横須賀へ帰る予定だ。途中で一車両貸し切った新幹線に乗り換えたりもする。
 金剛が「どうして同伴出勤できないデスかぁ!?」と騒いだりもしたが、もう車組みは出発し、電車組みの第一陣――電を始めとする暁型と、朝潮型に古鷹型、北上・大井の雷巡コンビも送り出した。
 後は、最も人数が多い最後発の、自分たちが乗るだけ。


「もう、行くの……?」

「仕事が待ってるからね。これ以上、横須賀は開けられないよ」


 目の前に、肩を震わせ、俯き加減の母さんが立っている。親父と中吉、小助も。


「ありきたり、だけど……っ。身体には、気を、付けて……」

「うん」

「怪我、しないように、ね。でも、したらちゃんと、休む、こと。いい?」

「分かってる」

「それ、から……っ」

「……母さん?」


 何か、込み上げるものを堪えるように、母さんが口元を覆い隠す。
 沈黙は重く、誰一人、口を開こうとはしない。
 ややあって、母さんは大きく深呼吸。背筋を伸ばし、毅然とこちらへ向き直り――


「ごべんやっばぎぼちわるいぃ……」

「あぁあぁ、だから無理することないって言ったのに……」

「はいはーい。お母様、新しいエチケット袋よー」

「ありがどう村雨ちゃおろろろろろろろろ」


 ――すぐさまマーライオンと化した。
 待機していた村雨から予備のエチケット袋を受け取っては、胃の中身を吐き出していく。
 とことん、感動的なsomethingとは無縁な家族だこと……。
 酒好きなのは良いけど、弱いんだから調子乗るなってば。昨日の「脱げー!」も、出来上がった母さんの仕業だったし。恥ずかしいよ……。


「鳳翔、さん……? うちのバカ息子の世話、よろしくね……。放っておくと、絶対ダメになる、から……っ」

「はい。承りました。……けれど、あの、本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫、よ……! ここで倒れたら母親の名折れだもの……っ。あぁ、にしても霞ちゃんが心配だわ……。
 長太に厳しくしてくれるよう頼んだけど、押し倒されたりしたらキチンと金的できるかしら……」

「おい。将来の孫の数が減るぞ」


 自身が醜態を晒しているにも関わらず、余計なお世話だけは欠かさない。
 二日酔いの癖に、どこまで行っても母親だ。というか押し倒さんわ。


「姉さんたちは? やっぱり来られない?」

「……厳しい、そうだ」

「そっか。まぁ、二度と会えない訳じゃないし。よろしく伝えといて」

「ん……」


 顔を背けていた親父に尋ねると、携帯のメールを確認したらしく、横に首が振られた。
 二十人近くがたむろする構内だが、大姉と小姉の姿はない。
 それぞれ、己の家庭を持つ身。優先すべきはそちらなのだから、仕方ないだろう。
 寂しい気持ちを置いて、自分は弟たちへ向き直る。


「中吉、勉強しっかりやれよ。さもないと、“俺”みたいなブラック稼業にしか就けなくなるからな」

「いや、兄さんの環境って垂涎の的だと思うけど。ま、こっちはこっちで、なんとかやってくよ。まずは彼女への言い訳考えなきゃ……」

「ん? 言い訳?」

「あのねー。昨日カノジョと電話中に、白露姉ちゃんたちがうっかり話しかけちゃって、シュラバなんだってー」

「……なんか、本当にゴメン」

「良いよ。オレも不注意だったし、嫉妬されるくらいには好かれてる証拠だって思うから。とにかく、元気で」

「おう。小助、風邪ひくなよ?」

「うん! 大兄ちゃん、お仕事がんばれー!」


 途中で微妙な空気が漂うも、中吉とは軽く拳を合わせ、小助とは全力ハイタッチ。
 要らぬ苦労を掛けてしまったみたいだけど、中吉なら自力でなんとかしてしまうんだろう。小さい頃から器用だった。
 大人になるのはもう少し待って欲しいが。弟に先を越されるとか悲しいんで。
 小助は是非このまま、素直に育って欲しい。そして、自分が味わえなかった虹色の学生生活を謳歌して欲しいものだ。
 最終的に男友達オンリーの青春とか、楽しいけど灰色だもんね……。

 なんて考えていると、列車到着を告げるアナウンスが流れ始めた。
 間も無く、四両編成の旧式電車が滑り込んでくる。ドアが開いても降りる客はおらず、横一列のロングシートだってガラガラ。
 自分たちが乗り込めば、すぐにでも発車するだろう。


「じゃ、行くよ。親父、母さん。何か困った事があったら連絡してくれ。自分がなんとかするから」

「なに一丁前な口をウォエップ……。あ、アンタの方こそ、ちゃんと手紙の返事書きなさい! いいわね!」

「また、飲もう」

「……うん。行って参ります!」


 一番乗りする白露を始め、乗車し始めるみんなを横目に、改めて両親と対面。
 顔色は悪いけど、悲しみは全く感じない笑顔。言葉少なに、クイっと空気のグラスを傾ける仏頂面。
 なぜだか、とても晴れやかな気持ちにさせられ、軍服を着ているつもりで敬礼し、自分も車輌へ。
 車掌の警笛。閉まるドア。ゆっくりと移ろい始めた景色。
 手を振って見送る家族に、みんなも窓へ張り付いて、大きく手を振り返していた。
 適当な場所に腰を下ろすと、立ったまま、小さく手を振っていた鳳翔さんが話しかけてくる。


「如何でしたか、ご実家は」

「うん? ……そうだな。休んだ気はしないけど……安心できた、かな」

「なかなか居心地が良かったクマー。でも、多摩は連れてこない方が良さそうクマ? 畳がヤバいクマー」

「だねー。あと、柱も気を付けないとね。多摩ちゃんに畳をバリバリやられちゃったらタマんないもん……とかどう? どう?」

「白露ちゃん、鬼怒さんの座布団、一枚取っちゃうっぽい!」

「了解! ……とはいえ、無いから取ったふりー」

「わーい取られたー!」


 座席では、球磨を始めとする統制人格たちが、楽しげにはしゃいでいた。
 普通なら叱りつける所だけど、他に乗客も居ないし、目を瞑ってもらおう。
 ……いや。楽しげと言ったが、対面側の利根は物足りなさそうだ。


「吾輩としては、お主の姉上殿に会えなかったのが心残りじゃな。聞いた限りでは、ずいぶんと破天荒らしいからのう」

「悪い意味で、だけどな。今回は大した無茶振りされなくて助かったよ、ホント」

「私も会ってみたかったわ。那智姉さんと似てる人なんて、滅多に見れないもの。ねぇ羽黒?」

「ん、と……。少し、興味があるような、ないような……」

「私は違う意味で会ってみたかったなー。中吉くんからは提督の面白い話を聞けなかったし」

「聞いてどうするつもりだ村雨」

「ふふふー。ひ・み・つ」


 足柄がその意見に追随し、羽黒は困った顔だが、怖いもの見たさも感じているらしい。
 村雨には握り拳を見せつけるも、笑顔で「きゃー」と怖がる振りをするだけ。
 何を企んでるんだか知らんが、会わない方が良いと思うけどねぇ、下品な那智さんなんて。
 そんな仲間の姿を見て、妙高と時雨は苦笑いを浮かべる。


「帰ったら、書記さんに謝らないといけませんね」

「そうだね……。ほとんど事後承諾で飛び出してきたから、きっと向こうは大変な騒ぎだろうし」

「う~ん。遠征とかは、もともと年末を開けられるように組んでたから、そっちは大丈夫だろうけど。書類仕事は増えそうだ……」


 きっと今頃、横須賀で書類作成マシーンになってる書記さんを偲び、溜め息の三重奏が奏でられた。
 まだクリスマスは来てないけど、たぶん始末書で忙殺されるだろうし、大晦日までに片付くかどうか。
 出来れば、年越し蕎麦くらいゆっくりと……。最近入った新人軽巡、夕張が居ない所で食べたい。
 何故か食べ物の好みがかち合い、うどん・そば闘争、薬味戦役、きのこ・たけのこ戦争を経て、「提督の好きなメニューのデータ、ぜぇーんぶ揃えて見せます!」と、飯時に張り付かれて鬱陶しいのである。気が休まらん。


「アタシはゆっくりしたいなー。ここのところ、クマ・レンジャーとしての活動が多くて、統制人格なの忘れちゃいそう……」

「まぁ、大変ですわ。ゆっくり休んでくださいね、阿武隈さん。今度は、実際にお客様を呼んでヒーローショーを開くつもりですから」

「三隈? それ本業じゃないんだからね。程々にね、程々に……」


 同じく、くたびれた阿武隈も休みが欲しいようだが、三隈興行の次回公演は近いらしい。
 最上の忠告も聞こえておらず、「グッズ展開も考えてあります!」と目を輝かせては、他のクマ・レンジャーをゲンナリさせている。
 いい迷惑なんだろうけど、あれだけのおひねりを生み出すヒーローショー。個人的には興味が湧いてきた。
 上手くファンを獲得できれば、定期公演で副収入がガッポガッポ。青葉と詳細を煮詰めなくちゃ……。ぐふふ……。


「あら……? ……えっ。て、提督? なんだか、やけに自己主張の強い方々が……」

「へ? どうしたんだ、筑摩」


 ――と、取らぬ狸の皮算用をしていた時である。
 ゲンナリしつつ景色を眺めていた筑摩が、何かを見つけて指差した。
 彼女の示す方向を目で追うと、そこには。


「ブッ!? だ、大姉と小姉!?」


 復刻版スーパーカブにタンデムする二人の姉が、電車と並走していた。
 運転は大姉で、小姉は携帯片手にニコニコ笑っている。二人ともハーフヘルメットだ。そして自分の携帯が震えている。
 みんなも気付いたらしく、片側へ集中。利根や足柄が「ほほう、あれか」「どっちも顔は似てないわね」と口々に言う。
 見送りに来ないと思ってたら……!


「何してんだよっ、スピード違反、てか危ない!」

『はっ、レディース上がりをナメるな! この位、お茶の子さいさいだっ』

『長太ちゃんを見送れないことの方が、よっぽど大問題だもの~』

「……ったく、電話で済むだろうに、もう……っ。分かったからスピード落とせ! 事故ったら旦那さん方に会わす顔がなくなるっての!」

『お前こそ良いから聞け! 大事な事だ!』


 大急ぎで携帯を取り、道交法違反を注意するも、減らず口は止まらない。
 余りの迫力に黙り込んでしまうと、大姉はまっすぐ前方を見つめ、小姉に携帯を持ってもらい、風のノイズに負けないよう、叫ぶ。


『この先なにがあろうと、どんな立場に置かれようとも、私たちはお前の姉で、お前は私たちの弟だ!』

『だから~、いつでも帰ってきて良いからね~? 待ってるからね~』


 ずくん、と。
 その声を聞いた瞬間、胸が大きく脈打ち、温かさと共に鎮まっていく。
 言葉にされなくても、分かりきっている事だった。
 でも、言葉にされると……どうしようもなく嬉しくて。
 勝手に頬を緩ませる感情を、こちらも声に乗せて返す。


「また、帰ってくる。絶対に帰ってくる! ……だからちょっとは自重しろバカ姉共ぉ!」

『だぁれがバカだぁ! 帰ってこんかったら承知せんぞっ!』

『またお土産よろしくね~。あ、そうそう。ご町内の皆さん、坂田くん以外は最初から知ってたって~。そっちの方も任せて~?』

「はぁ!? なんだそりゃあ!?」


 最後に、今までの苦労を無に帰す情報を残して、姉たちはフェードアウトしていった。
 最初から……って事は、シンスケのオバさんも、ドラッグストアのバアちゃんも、魚屋のオヤジさんも、米屋の未亡人さんも、肉屋の幼馴染みも。“桐”なのを知りつつ、今まで通りの反応をしてたのか?
 能力者の“桐林”ではなく、この町で生まれ育った“長太”として。
 てか、何故にシンスケだけ仲間外れ? あいつ口軽いから? それともアホだから? 頭が混乱してきた……。


「――はは。あっはははははは!」


 ……けれど。
 どうにも笑いが堪え切れず、座席に座り直して腹を抱えてしまう。
 変な目で見られるかと思ったが、どんな話だったのかは察してくれたようで、みんなの顔にも笑みが浮かんでいた。
 むず痒い。


「バカな姉だろう? ホント、誰に似たんだか……」

「その割に提督、めっちゃくちゃ嬉しそうじゃん? ……賑やかで、良い人たちだったね。鈴谷また来たいなー」

「機会があればな。ここまで来たら、今回来られなかったみんなにも、いつか会ってもらうか」

「それも一興ですわね。神戸牛と松坂牛と近江牛を用意して下さるなら、わたくしもお付き合いしましてよ? 一度、食べ比べしてみたかったんですの」

「肉食系ってレベルじゃないぞ、おい」


 眼前に立つ鈴谷・熊野と笑い合う間も、電車は進む。
 かつて日常を過ごした故郷から、戦を是とする横須賀せんじょうへ。
 しかし、自らの寄る辺を確認した今、心はいつになく軽かった。
 帰りを待ってくれる人が居る。
 この事実が、これから先を戦い抜く力になってくれると。
 自分は、そう信じようと思った。





「また寂しくなっちゃったわね……」

「……そうだな」

「ね。もう一人くらい家族増やす?」

「い、いや。それはマズいだろう。……あ、拒んでる訳では、なくてだな」

「ふふふ、分かってますよー。あーあ、ダイエットでもしようかしらねー」

(エチケット袋を処分してきたら、いい歳した父と母がイチャついてました。超気不味いです。今夜は耳栓して寝なきゃ……)

(僕、妹ほしいなー)




















《こぼれ話 我慢するの、やめました》※ 海外艦話 其の弐





「……あれ?」


 気がつくと、自分はテーブルについていた。
 見覚えがあるようで無いような、洋風のリビング。
 久しく感じた覚えのない、空気が肌に纏わりつくような暑さ。
 開け放たれた窓は青空を切り抜き、風が運ぶ風鈴の音色が、涼やかさを演出している。
 ……今って、夏だっけ。ん? なんだ、この状況……。


「ねぇ、てーとく……? 聞いてる?」

「え。あ。ごめん、何?」

「むーっ。聞いてなーいっ! ローちゃん、大事な話してるのに!」


 
 ふと、妙に低い位置から呼びかけられる。
 視線を下せば、扇風機の前でペタンと女の子座りする、スク水セーラーの少女が、プンプン怒りながら立ち上がる所だった。
 健康的に焼けた小麦色の肌と、ブルーの瞳。銀髪にピンクの花飾りが似合っている。美少女だ。
 ……けど、ロー・チャン? この子まさか中国人……な訳ねぇだろ。どう見たって西洋人だよ顔立ちが。
 それは良いとして、なんで怒られてるんだろう。というか誰だろうこの子。見覚えがない。
 困惑していると、リビングの奥――恐らくはキッチンから、またしても見知らぬ少女が現れた。


「どうなさったんですか、お二人とも?」

「食卓でケンカなんて、はしたないですよ。提督、ロー」


 両手にパスタを持つ、またもや美人さんなコンビ。
 先に声を発した美人は、ゆるふわウェーブの明るい茶髪を後ろでくくっている。
 二人目のメガネをかけた美人は、焦げ茶色のセミロング。後ろ髪はウェービーだが、前髪はキッチリ切り揃えられていた。
 そんな二人に、ローと呼ばれた水着少女がシュンとしてしまう。


「ごめんなさい……。でも、てーとくが……」

「う、うん。自分が少しボーッとしてたんだ。……ローは、悪くないから。な?」

「ふうん……。ま、構いませんけど」

「うふふ。仲がよろしくて、羨ましいです。良いと思います」


 一か八か、水着少女を庇ってみると、メガネ美人の溜め息に加え、おっとり美人の微笑みが。場を取り繕う事はできたようだ。
 彼女たちはそのまま、ニンニクの良い香りが漂う皿を配膳してくれる。


(……やっぱり見覚えがないなぁ……。しかし、この状況そのものにデジャビュを感じるような……?)

 
 プリーツ部分の内側が白くなっている赤のスカートと、白いロングタイツを止めるガーターベルト。
 赤・白・緑――イタリア国旗みたいなタイが映える、肩を出すために袖が分離した白シャツ。頭にも、白く大きなカチューシャが乗っている。
 腹部をキュッと締め付けているのは、灰色のコルセットだろうか。
 共通する部分は多いが、メガネ美人の方はタイは短く、肩を覆う短いケープを着けていた。
 これだけ特徴的なら忘れるはずがない。という事は初対面のはずだけど、彼女たちは自分のことを“提督”と呼んだ。
 そして、見覚えがないのに知られているという、奇妙な感覚。これには覚えがあるのだ。
 なんだっけっかなぁ……? 割と最近だったような気がするんだけどなぁ……?


「わー! すっごく美味しそう、ですって! これ、リットリオさんとローマさんが作ったの?」

「そうよ。パスタの国出身の身として、提督には負けられませんから。それと、姉さんの名前はもうイタリアだから」

「仕方ないわ。つい先日までリットリオだったんだもの。……提督。改めて、お礼申し上げます。私たちを大事にして下さって、ありがとうございます」


 ……とか考えているうちに話は進み、ローがペペロンチーノに目を輝かせた。
 ロー。ローマ。リットリオ改め、イタリア。
 ローはよく分からないが、ローマはイタリアの首都で、イタリアはかつて、ドイツと共に日本と枢軸国同盟を組んだ国。
 ひょっとしたら、海外艦の統制人格なのか? ……なんだろう、喉まで出かかってるんだけど思い出せない、このもどかしさ。
 それを誤魔化そうと、ニコニコ微笑むイタリアへ、自分も笑いかける。


「……な、なんか照れるなっ。ほら、早く食べよう! せっかくのアルデンテが台無しになっちゃうしさ!」

「うふふ、そうですね。頂きましょうか。急だったので、パスタしか御用意できなかったのが、恥ずかしいのですけれど……」

「そんなこと無いって! イタリアみたいな可愛い子の手料理を食べられるだけで、それこそ天にも登る気持ちさ」

「まぁ。相変わらず、日本の方なのに地中海的な」

「全く……。すぐ姉さんを口説くんだから……っ。はい、ワインですっ」

「おう、ありがとな。ローマ」


 喋ってみると、意外にも口は勝手に動いてくれる。
 まるで似つかわしくない軽口だが、三人は当たり前に受け入れていた。これが普段通りなのかも知れない。
 全くもって現状は理解できないけど、不思議と安心感があり、警戒心も湧かなかった。
 とりあえず……パスタ食べよう。美味しそうで我慢できません!


「んっ、美味い!」

「おいひー! イタリアさん、ローマさん、すっごく美味しいですって!」

「ありがとうございます。……うん、我ながらよく出来ました」

「アンチョビーが肝心なのよ。これが本場の味」


 フォークでパスタを数本巻き巻き。頬張れば、程良い辛味とニンニクの風味が口一杯に広がった。
 高い金を払っても食べられるかどうか、というレベル。隣に座るローも御満悦。
 対面のイタリアは確かめるように一口。満足のいく出来栄えのようだ。その隣でローマが展開する雑学すら、食事の良いアクセントである。


「っくぁー! 昼間っからパスタとワインを楽しむとか、最高だぁ~。なんか悪い事してる気分だよ~」

「まぁ、他に出来ることもないし、仕方ないんじゃない。みんな本土で、定期点検という名のデータ取りだもの」

「残っている方々も、警備任務で忙しいものね……。こういう時、国籍の違いというものが、少し煩わしくなります」

「うんうん。レーベちゃんもマックスも居なくて、ちょっと寂しいですって。
 ローちゃん、国とか国境とか関係なく、みんなで仲良くできたら良いなって、そう思います!」


 ……っ! そうだ、思い出した!

 何気なくローの口にした名前が、電流となって脳内を駆け巡り、全ての記憶を蘇らせる。
 硫黄島。海外艦。千早艦隊。ヴェールヌイ。レーベにマックス、ビスマルク、オイゲン。
 双胴棲姫戦を終えて、深い眠りについた自分が垣間見た世界を。


(どうして忘れてたんだろう。記憶は向こうに持って帰られないとか? なんでまたこっちに?)


 しかし、思い出したら思い出したで、疑問が頭を埋め尽くしてしまう。
 実家から帰り、庁舎で仕事詰めだったのは覚えているのに、誰かから差し入れを受けた所で記憶が途切れている。
 意識レベルの低下がこっちに来る条件だとしたら、向こうの自分は寝ているのと同じ状態に陥ってるのだろうか?
 あ、忘れてた。前は“こっち”の自分も、コンゴウのダークマターで意識飛んでたんだっけ。今回は状況的に飛んでなさそうだし……。う~ん。訳分かりません。

 一応、テーブルの下で携帯端末をいじくり、彼女たちの名前で内部検索してみると、やはり海外艦であるという予想は正しかった。
 話は逸れるし駆け足だが、思考の整理のために目を通しておこう。


「ぱっすたー、ぱっすたー。ドイツ語でーもぱっすたー」


 まずは、身体を揺らして可愛く歌う水着少女、ロー。
 正式名称、呂号第五〇〇潜水艦。イムヤたち、伊号潜水艦と同じ日本の潜水艦……なのだが、そうなるまでには紆余曲折がある。
 元々はドイツの潜水艦・U-511であり、量産に向かなかった伊号潜水艦に代わる、通商破壊用の潜水艦技術を提供するため、ドイツからはるばる旅してきた潜水艦なのだ。
 まぁ、けっきょく複製は不可能だと判断されたり、実戦投入もされなかったのだが、そこは大人の事情という事で。他にも日本籍を得たU-ボートはあるようだ。
 “こっち”の自分は外国籍艦船しか励起できないはずだけど、元がそうなら問題ないっぽいな。


「今度は、和食にも挑戦したいですね。お醤油とか、お味噌も使ってみたいです」


 次は、料理の研究に余念がない、リットリオことイタリア。
 正式名称、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦二番艦、リットリオ。
 級名にして一番艦の名前は、ヴィットリオがラテン語の男性名――勝利を意味するウィクトルを語源とし、ヴェネトはイタリア北部の港湾都市、ヴェネツィアがある州の名前。第一次大戦でイタリア軍が勝利した、「ヴィットリオ・ヴェネトの戦い」に因んで名付けられた。
 そして、リットリオとは古代ローマの要人警護職。彼らの持つファスケスという斧がファシズムの語源で、ムッソリーニ失脚後、その影を嫌った政権によってイタリアへと改名させられたのだ。
 また、リットリオを一番艦とし、リットリオ級と表記する場合も……って、ほぼ雑学だな、この項目。勉強になったけども。


「和食、か……。あの、ニホンシューとかいう白ワインなら、また飲みたいわね」


 最後はローマ。見た目と違って飲兵衛らしい、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦四番艦である。
 由来はもちろん、イタリア共和国の首都、ローマ。姉たちと同じく、戦艦にしては細長いシルエットが特徴だ。
 大型三連装主砲による手堅い攻撃力。舷側で最大三百五十mmの重装甲。しかし最高速は三十ノットという、走攻守の揃った高速戦艦なのだが、航続距離が駆逐艦並みなのが欠点とのこと。
 余談だが、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の三番艦、インペロは未完成で、欠番扱いらしい。


(ざっとこんな感じか……。ホント、“こっち”の艦隊は多国籍なんだなぁ)


 記憶にあるだけで、ロシア、中国、ドイツ、イタリア、アメリカ、イギリスの艦船が混じっている。良くも悪くも個性的な艦隊だ。とても同一人物が作り上げたとは思えない。
 まぁ、“こっち”の記憶は引き出せない訳だから、本当に顔だけソックリな別人の可能性だってあるんだけど。疑い出したらキリがないし、置いておこう。
 やはり問題は、どうやって向こうへ戻るか、だ。
 前回は偶然……というか、いつの間にか戻ってて、戻ってからは“こっち”の事を思い出せなかった。戻る直前の記憶が曖昧なのが痛い。
 またレーベたちに添い寝して貰わなくちゃダメなのか? それとも他に要因が……?


「提督? どうかしたんですか。フォークが止まっていますけど」

「……もしかして、味が濃かったでしょうか? お水、お持ちしますか?」

「いや、大丈夫大丈夫。
 メチャクチャ美味しいから、シッカリと味わってただけだよ。
 これならいつでも嫁に行けるな。むしろ自分が欲しい!」

「まぁ、提督ったら。ヴェールヌイさんやレーベさんたちが居るのに、いけませんよ?」

「もし姉さんとも結婚したいなんてほざくなら、私を倒してからにして。全力で相手をしてあげるわ」

「はっはっはっはっは。サーセン」


 つい考え込んでしまう自分を、イタリア・ローマが気遣ってくれる。
 冗談めかして答えると、これまた“いつも通り”といった様子で窘められた。
 でもローマさん。艤装出して威嚇すんのは勘弁してつかぁさい。
 自分の言動、妙にチャラくなってるな。
 やっぱりこの身体、“こっち”の自分の意識が残ってるっぽい。影響を受けているように感じる。
 ……いや? なんか、それよりも非常に重要な発言をローマがしたような……。


「あら。提督、お皿が空ですね。お代わりも用意できますけれど、いかがですか?」

「うん? おぉ、そうだな。頂くよ。イタリアの手料理ならいくらでも入るぞ!」

「うふふ、光栄です。では、少しだけお待ち下さいね?」

「イタリアさんイタリアさん、ローちゃんもお代わりー!」

「はい、喜んで」

「姉さん、私も手伝うわ」


 気になることは山ほどあったが、卑しいかな、食欲に負けてウヤムヤとなってしまう。
 原理とか原因とかは分からないまでも、悪影響があった訳でなし。
 向こうで誰かに話したって、単なる夢と言われるだけのはず。いっそ、純粋に楽しむのもアリかな?
 ……あ、思い出した。そういえば最初、ローが何か話してたよな。あれはなんだったんだろ。


「なぁ、ロー。大事な話ってなんだったんだ?」

「あ。忘れちゃうところでした……。えっと……これです!」


 ぽん、と手を打ったローは、ガバッとスク水の胸元へ手を突っ込む。
 日焼け跡のコントラストに目を奪われる中、掲げられたのは一枚のCDケース。
 お代わりを手に舞い戻る、ローマのメガネが輝いた。


「映像ディスク、かしら」

「ですです! この間、ビスマルク姉さんやオイゲンさんと一緒に、ビデオメール撮ったでしょ? そのお返事が来たから、一緒に見て欲しいなって。良い?」

「あら、良いですね。さっそく準備しましょう」

「ほぉー。そういえば、そんなのも送ったっけか。見よう見よう」


 再生機器の用意をイタリアに任せ、自分は適当に話を合わせる。
 ビデオメールかぁ。あきつ丸とまるゆも陸軍に送ったっけ……。
 けっこう前に返事が来たらしいけど、映っている人が全員ミイラ状態だったそうな。一体なにがあったのか。あんまり知りたくない。
 思い返している間に、テーブルの上へ大きな機械が置かれた。空中に映像を描画する、最新式ノンスクリーンプロジェクターだ。
 ディスクを挿入すると、数秒の読み込み待ちの後、厳しい軍服でデスクにつく、チョビ髭の男性が映し出された。


「お、始まった。……誰だっけこの人?」

「提督……。不敬ですよ。ドイツ軍の総司令官じゃありませんか。名前は……私も失念してしまいましたが」

「えっ。総司令官? マジで?」


 パスタを食べつつ動画鑑賞を始める自分だったが、ローマからの思わぬ返事で動きが止まる。
 総司令官って、要するにメッチャ偉い人ですよね。そんな人にビデオメールとか送っちゃってんの 相変わらず“こっち”の自分の交友関係は読めんわ……。
 しかも、動画は滞りなく再生されているけれど、その音声は聞き慣れぬ言語で統一されていた。
 日本人にとって、やたらめったら格好良く聞こえる、ドイツ語である。


「っていうか、なに言ってるか全然分からん……」

「字幕もありませんね。私もちょっと……」

「あ、そっか。てーとくたちは分からないんですよね? なら、ローちゃんが通訳しますって!」


 流石にイタリアにも分からなかったらしく、二人揃って首を傾げいたら、ローの小さな手が勢いよく挙手。
 残ったパスタを一飲みにし、キリリとした表情でスクリーンの横へ立った。
 そして、リモコン片手にポチッとな。頭から動画を再生し直す。


『Guten Tag,Mr.――』

「ええっと……。おっほん。おはようございます!
 暑い日が続いていると思いますが、いかがお過ごしでしょうか?
 こちらも変わらず、レイネン、どーり? のモーショに、ナンギしてますっ」

「おぉー。難しい言葉、ちゃんと使えるんだな。偉いぞ、ロー」

「へへへー。日本語、だいぶジョータツしました! ガンバリました! はい!」


 チョビ髭の男性が話すのと同時に、ローの可愛らしい声がドイツ語を吹き替える。
 少し難しい言い回しに詰まりそうになるも、言い切って胸を張る姿が可愛い。
 ほっぺにパスタの切れ端ついてるけど、そこがまた犯罪的に可愛らしい。


『――――――』

「送ってくれたビデオ見ました。みんな日本に馴染んでいるようで、ヒト安心です。
 ビスマルクは凛々しく。オイゲンは愛らしく。
 レーベ、マックス、U-556・ココロ、U-511あらため、呂 五〇〇・ローちゃんは、娘にしたいくらいです。素晴らしく“モエー”です。
 ……もぅー、総督ドゥーチェってば、照れますって~」

「……う、うん? なん、なんか変じゃない? おかしくなかった?」

「確かに、厳つい男性に可愛らしい声が吹き込まれると、違和感を覚えますね」

「いやそっちでなくて。発言内容がさ」

「予想通りだと思いますけど。ドイツの何某は世界一、だそうですから」


 雰囲気的には、ものすっごく重大な話をしている風なのに、その内容は同族臭かった。
 いやまぁ、人の趣味は千差万別だろうけどさ。もしかしてこの人、ドイツ艦の感情持ちを見たいがために船をくれたんじゃ……。
 まさか、向こうであきつ丸とまるゆが送り込まれたのも? ……あり得ないと言い切れない自分が悲しい。
 ドイツと日本のヘンタイ度は、足すと宇宙一ですか。ははは……。


『――! ――!! ――!? チクショウメー!』

「あれ? こ、今度は怒ってない!? 言葉は分かんないのに、怒られてることだけは凄く伝わってくるんですけど!?」

「ど、どうしたんでしょう?」

「ロー。通訳できますか」

「は、はい……。えっと、意味がよく分からないから、そのまま言うね?」


 信じ難くて乾いた笑みを浮かべていると、チョビ髭の総督、今度は机に身を乗り出して声を荒らげた。
 しかも、空耳ドイツ語ネタの鉄板、「畜生めー!」付き。確か……恥知らず、って意味だっけ? あ、兵士さんが乱入してどっか連れてった。
 予想外すぎたか、顔に疑問符を乱舞させるローだったが、一時停止で気を取り直し、ちょっと巻き戻してまた吹き替えを始める。
 一体、何を怒って……?


「えと……。だ、だがしかし! 素晴らしいからこそ、貴君に言いたい事がある! なぜ……。なぜスク水の色が紺なのだー!!」

『……はい?』


 自分、イタリア、ローマ。三人の声が重なった。スク水の、色?


「分かる。旧型の素晴らしさはわたしにも分かっているー! しかし、日焼けした少女の肌に映えるのは、やはり白ではないのかー!?
 “モエー”のセンクシャたる日本人の貴君がコテーカンネンに縛られるなど……恥を知れー! ……あ、何をするキサマら離せー!
 ……って、言ってました。ローちゃん、何か間違っちゃったのかなぁ……?」

「ち、違うと思いますよ? 少なくとも、貴方が悪くないのは断言できます。気を落とさないで?」

「……予想以上の変態でしたね。駄目だわこいつら。早くなんとかしないと……」


 スクリーン上から人が居なくなり、映像は綺麗な花畑に切り替わる。
 その横でローが落ち込み、イタリアが慰める姿と言ったら、シュールという他にない。


『――――――』

「あ、戻ってきた。……おっほん。ごめんなさい、取り乱しちゃいました。ハンセーします。
 色々言っちゃったけど、ボク的には紺もアリなので大満足です。流石だねー!
 これから先も大変だと思いますが、彼女たちと共に頑張って下さい。いつか海の上で会えると良いね。
 またビデオ送ってね。特にローアングルのを――なんでもないです、さようならー。
 ……以上? です! ごせいちょー、ありがとうございましたっ。ですって!」

「戻ってからは簡潔だったわね」

「きっと怒られたのね……」

「これでいいのかドイツ軍」


 襟の乱れたチョビ髭総督が、ボロボロになりつつ画面内へ戻り、軽く手を振って映像が終了。
 ペコリと一礼するローへ拍手を送るも、なんだか釈然としなかった。
 ある意味、平和な証拠なのだろうか。どちらかと言うと、裁判の証拠に使われそうだ。
 呆れ返る自分たちを他所に、ローは達成感を滲ませる顔付きで席へ。


「途中、変なところがあってビックリしちゃったけど、でも、総督に喜んでもらえて良かったー」

「うんうん。細かい事は投げ捨てて、良かったな、ロー」

「へへへー」


 反射的に頭を撫でると、柔らかい笑顔がさらに溶け出す。
 かと思ったら、今度は遠い目で窓を――その先にあるだろう、海を見つめた。


「ローちゃん、いつかドイツにサトガエッリしたいな。向こうではただの船だったし、この足で、故郷を歩いてみたいなって」

「里帰り、ね。……分からなくはないわね。私たちにあるのは、所詮、借り物の記憶だもの。私もこの目で、本物のローマの街並みを見てみたいわ」

「そうね……。いつかそんな日が来たら、とても素敵ね」


 ローマも、イタリアも。
 遥か彼方の故郷を想い、それぞれに瞼をふせる。
 見た事はなく、歩いた事もなく、記憶の中にしかない祖国。それでも彼女たちは、遠く離れた海で戦い続けている。
 叶えたいという、強い気持ちが湧き上がった。
 きっとこれは、自分だけの願いじゃない。“自分たち”の願いだ。
 いつか、この海を渡れるようになったなら。彼女たちと世界一周の旅に出る……なんていうのも、良いかもしれない。
 ……頑張れよ、“こっち”の自分。その先に居るのが、ローアングルなビデオレターを要求するヘンタイでも。


「そうそう。実は私も、提督に見て頂きたい物があるんです。お時間、よろしいですか?」

「お、イタリアもか。もちろん良いぞ。ここで待ってれば?」

「はい。あ、出来れば、テレビの方を向いていて下さい。準備ができたら声を掛けますから」

「ほほう、期待を煽るな。了解だ」


 ふと思い出したように、イタリアが軽く両手を合わせた。
 しんみりしてしまった空気を変えるためにも、自分は快く了承。手を振って見送る。


「見せたい物ってなんだろうねー? もしかして、イタリアさんたちもビデオレター送ってましたって?」

「さぁ……。特に聞いてないわ。気になるわね……」


 残る二人も聞いていなかったようで、不思議そうに顔を見合わせては、もしかしたら、ひょっとして……と、予想している。
 自分としては短い付き合いだが、真面目だけど茶目っ気も持ち合わせていそうなイタリアが、わざわざ直前まで秘密にするくらいだ。
 サプライズのプレゼントとかだったり? そうだとしたら、受け取っちゃマズいかなぁ……?


「お待たせしました~。みなさん、こちらを向いて下さいますか?」


 三人で律儀にテレビへ向かい、待つこと十数分。背後からイタリアの声が聞こえてきた。
 期待と不安で胸を膨らませ、ゆっくり後ろを振り向くと、そこには――


「なっ!? ね、姉さんっ、なんて格好を……!?」

「わぁ~! イタリアさん、その水着可愛い~!」


 ――真っ赤なビキニで魅惑のボディを包む、イタリアが立っていた。
 色めき立つローマたちと違い、自分の身体は硬直してしまうが、けれど、異常なほど思考速度は早くなり、眼前の光景が脳裏へと焼き付いていくのを感じた。
 ビキニと言っても、ホルターネックのチューブトップで、チョーカーから伸びる細い紐が、男の手にも余るだろう重量を支えている。
 下の方もかなり際どく、両サイドは二本の紐で繋がっているだけ。くびれを内腿へ下るラインが、スリムさと同時に豊満さを強調していた。
 しかし決して卑猥ではない。ストライプ柄のパレオが慎ましさを演出し、照れもあるのか、頬は赤みを帯びている。カチューシャに添えられたハイビスカスに、負けないくらいだった。
 ハッキリ言おう。
 そんじょそこらのグラビアアイドルが、千人束になっても敵うはずのない、美女だ。


「せっかく海が近くにあるので、奮発してみました。……どうでしょう? おかしくありませんか?」


 そんな美女――いいや、女神が羞恥に身をくねらせつつ、上目遣いで感想を求めてくるのだ。
 先程と同じように、胸の奥から熱い情動が込み上げてきて当然。
 逆らう事すら許されない、考えられないそれに操られるが如く、自分は彼女の手を取っていた。


「凄く似合ってるよ、イタリア。結婚しよう」

「まぁ。ありがとうございます。嬉しいです」

「ちょっと、なにドサクサ紛れにプロポーズしてるのっ! 姉さんも喜ばないでっ。私は認めないわよっ!!」

「てーとく、鼻血出てますって。はいティッシュ」


 気がつけば、流れるようにプロポーズまで。多分“こっち”の自分のせいです。
 微笑むイタリア。割って入るローマ。ティッシュを差し出すロー。
 リビングが混沌とする中、大量出血でちょっと冷静になった自分は、鼻に丸めたティッシュを詰める。貧血起こしそうだ。


「いいなー。ローちゃんも、新しい水着欲しいかもって。たまには違う格好したぁーい!」

「はいはい分かった分かった。後で一緒に選ぼうなー」

「わーい! Danke、です! へへへー」

「にしても、太陽が目の前にっ、てくらい眩しいわー。しかし、ちょっくら唐突じゃないか?」

「……それもそうですね。今までもローやココロが目の前にいたのに、特に水着を欲しがったりは……」


 パタパタ走り回るローと戯れつつ、少し疑問に思った点を指摘する。落ち着きを取り戻したローマも同意見らしい。
 けれど、眩しかったイタリアの笑顔には、それを受けて見る見る曇ってしまい……。


「……提督が、いけないんです。だって、あんなに美味しい、カルボナーラをお作りになるから……」

『は?』

「あ~。あのカルボナーラ、すっごく美味しかったって! また食べたいな~」


 ローマと疑問の声が重なった。
 ……カルボナーラ? た、確かに得意料理の一つだけど。卵使うし。
 あ、そっか。ローマが負けられない、とかなんとか言ってたのは、この事か。どうやらローも堪能したみたいだけど、それがどう繋がるんだ?
 ローマがさらに問い掛ける。


「ね、姉さん? 確かに、提督の作るカルボナーラは絶品でしたけど、それとこれとどう関係が……」

「だって私、三回もお代わりしちゃったのよ? それに今日も、なんだかんだとパスタを二人前……。
 このままじゃ、絶対に太っちゃう。だから、あえて露出度の高い水着を着て、水泳でダイエットしなきゃ! と、思ったの」

「……あれ? でもでも、ローちゃんたちって太らないんじゃ……」

「いいえ、いいえっ! そうやって油断するのがいけないんです! 見えない所にお肉が付いてからでは遅いんです! つまめるようになってからでは、ダメなんですっ!!」

「い、イタリアが燃えてる……」


 今までの、おっとり・ふわふわな印象から一変。イタリアは瞳に炎を宿して熱弁する。
 ダイエットのために水着か……。絶対に太らないと知っていても、気にせずにはいられない乙女心、という奴だろう。
 ここはひとつ、自分も一肌脱いだ方がいいかも知れない。
 というか、さっきから「YouやっちゃいなYo!」的な衝動に襲われているのだ。
 海へ行け。服を脱げ。そして泳げと、内なるもう一人の自分が叫んでいるのだ!
 ……と、いう訳で。


「よぉし、分かった! 部下の不安を解消するのも上司の務め。付き合おう! 行くぞイタリア!」

「提督……! はいっ。戦艦イタリア、抜錨です!」

「え、え、あの、駄目よ二人ともっ、私たちは待機してなきゃ……」

「ローちゃんも行きますって! 泳ぎはまかせろー。ばりばりー」

「ちょっと、だから……ぁぁあもうっ、行けば良いんでしょう行けばっ!?」


 イタリアとローを引き連れ、自分は部屋を飛び出す。
 燦々と降り注ぐ陽光の下、ヤケクソになったローマの叫びと、蝉の声が響いていた。
 後先なんて考えず。いざ、海岸線へ!

 みーずぎーだワッショーイ!





「イタリア……ロー……ふひ、みずぎだ、ワショーイ……ふひひひ……」

「提督、提督! しっかりなさって下さいっ。ここは日本で、今は冬ですよ提督!」

「比叡姉様……。一体、提督に何を食べさせたんですか……?」

「た、ただのカレーだってばぁ! お母様直伝のスペシャルレシピを、わたし流にアレンジしただけなのにぃ……っ」

「どう考えたってソレのせいデース!? 致し方ありまセン、ここはmouth to mouthの人工呼吸を……。んん~……ってOuch!?」

「はいはいどいて下さいねー。急患を医務室まで運びますよー。こちら疋田ー、胃洗浄の準備お願いしまーす」




















 ヒャッハ夏イベ目前……。毎日暑くて死にそうでした……。
 朦朧としながらツラツラ書いていたので、あんまり読み返せていません。誤字脱字などありましたら、ご報告お願いします。
 蛇足ですが、こぼれ話の主人公の手には指輪があります。相手が誰か、何人か(ぇ)は秘密。
 次回更新の最後にて、シリアス突入予定です。前半部分……七割ほど……もしかしたら九割くらいが、今年最後の笑える箇所となりますので、ご理解のほどを。
 それでは、失礼致します。


「さて、と……。みんなー! 出撃……じゃないけど、準備は良いかにゃ~ん? ばんご~う、一!」
「二よぉ」
「三です」
「四だぴょん!」
「五だよ!」
「七で~す」
「八だ」
「九……」
「十です!」
「十一ぃ……。ってか帰りたい……」





 2015/08/08 初投稿
 2015/08/09 誤字修正。瓶様、土下座衛門様、TENN様、ありがとうございました。
 2016/06/05 誤字修正







[38387] (略)那珂ちゃん(略)巡業記! その四「そんな事よりやきうをしよう」
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/09/10 21:05

 ※作者からのお知らせ。那珂ちゃん回は四万字ほどあります。
  シリアス部分を先に読みたいという方が居らっしゃいましたら、お手数ですが、ctrl+Fで序幕と検索して下さい。










「う~ん……。む~ん……。ぬ~ん……」


 晴天が続く冬のある日。
 青葉型重巡洋艦の一番艦である私、青葉は、「もうどうすれば良いんですかぁ!?」と叫びたい気持ちを抑え、宿舎一階のテラス席をウロウロしていました。
 あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。誰が見ても、悩んでいるのが丸分かりでしょう。
 というか、分かって欲しいからウロついている訳なんですが。


「あらら。どうしたんですか青葉さん? そんな、浜辺に打ち上げられたアンコウみたいな顔しちゃって」

「あぁ、漣ちゃんですか……。悩んでるんです。青葉、とぉっても、悩んでいるんですよ……」

「……ツッコミがない。という事はマジ悩みですか。漣でよければ聞きますよ?」


 そんな気持ちが通じたのか、偶然通りかかったらしい駆逐艦、漣ちゃんが話しかけて来てくれます。
 ボケをスルーしちゃったのはゴメンなさいですけど、今はとにかく、この悩みをどうにかしたくて、ササーと空いていた椅子へ。
 漣ちゃんも腰を下ろしたのを確認してから、私は重々しく話し始めました。


「実は……。コラムの映像特典のネタが無くて、めっちゃ困ってるんです。締め切りは来週頭なのに……」

「あ、そっち方面の悩みなのねーって四日後ぉ!? マジヤバじゃないですかっ!?」


 漣ちゃんがビックリ仰天。前のめりに話へと食いついてくれます。
 そう。青葉の悩みとは、ズバリ締め切りのことなのでした!
 原稿の方はもう出来上がってるんですけどねー。ぐでー。


「なんですよ~。出した企画がことごとくボツっちゃって。ドキッ! ポロリしかない艦娘たちの水泳大会! とか、イケると思ったんですけど……」

「何故それでイケると判断したのかが疑問でごぜぇます。流石に、不特定多数の殿方にポロリ晒し上げは勘弁ですよー」

「やっぱり? 担当さんからも『もっと健全な内容でお願いします』って。健全な軍情報雑誌ってのも変だと思うんだけどね~。そもそも青葉たちは兵器な訳ですし」

「おおう、なんだか真面目な話になりそうな予感。まぁ、否定はできかねる問題ですよね」


 そも、兵器とは他者を害するために存在する物。それが具現した青葉たち統制人格も、分類としては兵器に属します。
 闘争を人の本懐とするならば、あるいは兵器も健全なのでしょうけれど、常識的に考えるとあり得ません。
 なら、それをメインとして扱う雑誌が健全であるはずがないんです。
 ……けども。屁理屈を捏ねていたって話が進むわけもなく、私たちは中庭で戯れる仲間を眺め、ほう、と溜め息。


「行くわよヨシフ! 取ってぇ……来なさい!」

「あっ、こらオスカー! 物干し竿の上を歩いちゃダメ! 洗濯物が汚れちゃうでしょ!」


 暁ちゃんがボールのオモチャを投げ、大喜びでヨシフがダッシュ。
 洗濯物を干そうとする陽炎ちゃんの邪魔をするかのように、オスカーが驚異のバランス感覚で物干し竿をウォーキング。
 日常という他にない、和やかな光景でした。


「楽しそうで良いですねぇ……。趣味を仕事にするべきじゃないと、青葉は痛感しているというのに……」

「ほぼ自業自得だと思いますけど?
 水泳っていうより、スポーツという着眼点はいいんじゃないですか。ほら、動画の利点といえば動くことですし。
 美少女が普通に運動する姿を撮るだけでも十分ですよ、きっと」

「運動ですかぁ……。でも、やっぱり普通じゃ……あ」


 その時、青葉に電――ではなく、稲妻が走りました。
 眼前に広がる光景が、私の脳裏で複雑に絡み合い、一つの答えを導き出したのです。
 行ける。これなら行ける。
 とっても健全な上に、動きまくる美少女を収められるはず!


「フフフフフ……! 閃いた……。閃きましたよ名案を! 漣ちゃん、バックマージンは期待してて下さいねー!」

「どうイタまして~」


 確信を胸に、私は走り出します。
 場所借りて、機材も借りて、あ、その前に企画書ファックスしなきゃ。
 うぅ~、忙しくなりますよぉ~!





「……はてさて。巻き込まれないよう逃げるか、積極的に参加すべきか。漣はどうしましょっかね~?」





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 冬の青空に、場違いなファンファーレが響き渡った。
 テロップ。
 第一回 艦娘対抗、冬のスポーツ大会……という文字と共に、視点が降りる。
 次いで映し出されたのは、まるで野球の解説席のような場所に座る、ポニーテール少女――青葉。
 マイクを前に、彼女は落ち着きのない声で話し始めた。


「この映像を御覧になっている皆さま、お久しぶりでございます! そうでない方は初めまして!
 最近、宿舎内でカメラを構えると、みんなに警戒されるようになってしまった、青葉型重巡洋艦の統制人格、青葉です!」


 挨拶が終わると同時に、世界が一時停止。
 青葉の横に、船としての彼女の略歴がテロップとして表示された。
 ……が、ここでは割愛させて頂く。


「連載も三回目を迎え、前号では映像特典もお付けさせて頂いた、統制人格の、統制人格による、統制人格のためのコラム。
 御好評の声にお応えして、今回も映像特典をご用意しました!
 前回の艦隊内演習はほぼ音声のみでしたが、今回はご覧の通り、生で動いている艦娘をお届けです。
 どうです? 動いている青葉は可愛いですか? 可愛いですよね? 可愛くなくても他に可愛い子が出ますんで、ちょこっと我慢して下さい」


 再び動き出した世界で、青葉が己を指差しブリっ子ポーズ。
 然るのちに片手チョップの謝罪。居住まいを正して状況説明を再開した。


「さてさて。動く艦娘をお届けと言っても、一体なにをするんでしょうか。
 察しの良い方はこのブースで予想がつくと思われますが、ほとんどの方は分からない事でしょう。
 という訳で……あちらをご覧下さいませ!」


 青葉が右手をかざすと、合わせて視界が移動する。
 三角形――より正確に言うなら、逆さまのAをなぞるように白線の引かれたグラウンド。
 それぞれの角には塁が置かれ、本塁から平行に整列する、体操服にブルマーの少女たちも。歳の頃を見るに、駆逐艦のようだ。
 視界の外から青葉の声が届く。


『弾ける汗。躍動する瑞々しい肉体っ。競い合うことの美しさ!
 そう! 今回の映像特典は、統制人格による三角ベース野球対決でございまぁーす!
 なんで野球やソフトボールじゃないかって? ルールが面倒臭いからですっ。ごった煮サイコー!
 真面目な特典付けろ? そんなんじゃ売り上げは伸びないんです! ホントは好きな癖に!
 ついでにブルマーなのは趣味です! 誰のとは言いませんが趣味です!』

『あの、早く始めないと、時間が……』

『おおっと失敬。つい熱くなって、Aカメの時雨ちゃんに突っ込まれてしまいました。
 えー。前置きが長いと早送りされてしまいますし、さっそくチーム紹介を始めましょう!
 Bカメ前の白露ちゃーん?』


 熱弁する青葉に少女の声。
 同時に、画面端へL字型のテロップと、小さな時雨の顔写真が。裏方スタッフはこういう扱いらしい。生憎だが割愛させて頂く。
 ともあれ、映像を映し出すカメラが切り替わり、ハンディカメラと思しき映像に。
 マイクを持った黒いセーラー服の少女――白露が映る。


「はーい! リポーターの白露です!
 今回対決するのは、睦月型駆逐艦で構成されたチーム・旧暦と、吹雪型駆逐艦を基本とした混成隊、チーム・スペシャルタイプ、略してST。
 まずは、最近艦隊に加わったばかりの子が多い、チーム・旧暦にインタビューしようと思いまーす!
 行こっ、涼風ちゃんっ」

「ガッテンだ!」


 画面外から威勢の良い声が返り、白露・涼風のL字テロップ。映像が少女たちへ近づく。
 アップになったのは、焦げ茶色の髪をショートカットにした、先頭に立つ少女だ。
 白露がマイクを向ける。


「こんにちはー! それじゃあ、自己紹介をどうぞ!」

「はいっ。帝国海軍の駆逐艦で、初めて六十一cm魚雷を搭載しました、睦月です!
 旧式ながら、第一線で頑張ったのです!
 チーム・旧暦では、一の背番号を背負い、キャプテンも務めさせておりますのです!」


 ビシッと海軍式の敬礼をする睦月。だが、表情はとても柔らかい。カメラに向けて「にしし」と笑っている。
 画面が一時停止し、笑顔の脇にまたテロップ。睦月の略歴が表示された。
 曰く、対米戦を想定して魚雷兵装を強化した駆逐艦。
 前級である峯風型・神風型の使用していた五十三cm魚雷から、より大型の六十一cm魚雷を搭載。
 水上魚雷発射管も二基載せ、装填分と合わせ、二回の水雷戦を行えるだけの予備魚雷も積んでいた。
 特記事項、結構お茶目――とのこと。
 一時停止が解除され、マイクが再び睦月へ。


「相手は睦月型を発展させた駆逐艦たちだけど、意気込みのほどは?」

「むむむ……。確かに難しい相手です。でもっ、旧型だからって甘く見たらいけないのですっ。痛い目を見るのはどっちかにゃ~? みんなっ、張り切って行きましょーっ!!」

『おぉー!』


 睦月の掛け声に、チームメンバーの残る十名が拳を振り上げる。
 ……訂正。最後尾の十人目だけは、肩以上に上がっていない。
 映像はAカメ。青葉に戻った。


「睦月型の皆さん、元気一杯ですね~。それでは、簡単にスターティング・メンバー紹介をさせて頂きます。
 プレイ開始後のマウンドで詳細なテロップが出ますから、お楽しみに! では……。
 一番、ピッチャー。睦月ちゃん。睦月型のネームシップで、お茶目さんです。
 二番、キャッチャー。如月ちゃん。一言でいうと、エロい子です。
 三番、ファースト。弥生ちゃん。ちょっと表情の変化が読み辛い子ですが、真面目さんですねー。
 四番、セカンド……と言っても三角ベースなのでサードなんですが、卯月ちゃん。この子に関しては後のお楽しみ。
 五番……は本来サードなんですけど、飛ばしちゃってショート。皐月ちゃん。とにかく元気一杯で、明るいムードメーカーですね。
 六番は今回の特殊ルール、自由守備に入る、七番艦の文月ちゃん。本当なら六番艦の水無月さんだと語呂が良いのですが、居ないものは仕方ありません。柔らかい雰囲気が特徴です。
 七番、レフトは長月ちゃん。この子も真面目さんですが、より軍人っぽいでしょうか。
 八番、センターを守るのは菊月ちゃん。厨二病入ってます。
 九番のライトが三日月ちゃん。慎ましくも、みんなを縁の下から支える頑張り屋さんです。
 最後、補欠として望月ちゃん。ものぐさなのでこの位置は妥当かも……。
 以上! チーム・旧暦メンバーの簡易紹介でした。続いて、チーム・STのインタビューをどうぞ!」


 またしても映像はハンディカメラに。
 映し出されたのは、白露と同じ制服ながら、美しい金髪をそよがせる少女――夕立である。


「こちら夕立! 今度は私がリポートするっぽい! それでは、チーム・STのキャプテン、吹雪ちゃんに話を聞きまーす。
 ちなみに、カメラは五月雨ちゃん。そのカメラ高いから、転んじゃダメっぽい?」

「わ、分かってますよぅ。……ぁわわっ」


 何かに躓いたらしく、揺れる映像。端には夕立ともう一人、カメラを構えている五月雨のL字テロップが。
 体勢を立て直す頃には、茶髪を後ろでくくる、チーム・STのキャプテンと思しき少女の前まで来ていた。


「吹雪ちゃん、自己紹介をよろしくっぽい?」

「はい! ワシントン条約制限下で設計された、特型駆逐艦の一番艦、吹雪です! 僭越ながら、キャプテンとして全力を尽くす所存でありましゅ! ……あ゛」


 睦月と同じくビシッと敬礼。しかし、肝心な所で噛んでしまい、頬が引きつった瞬間に一時停止。略歴が紹介される。
 曰く、合わせて三十隻以上が建造された、特型駆逐艦の一番艦。
 特型駆逐艦は大きく三つに分けられ、吹雪を始めとする特Ⅰ型。特型駆逐艦十一番艦でもある綾波からを特Ⅱ型。そして、特型二十一番艦でもある暁からが特Ⅲ型となる。
 それぞれ吹雪型・綾波型・暁型とも表記され、暁型は改吹雪型と呼ばれる事も。
 小さな船体に主砲と魚雷発射管を三基ずつ配したこの船は、当時としてはかなりの重武装であり、全世界を驚嘆させた。
 特記事項、座右の銘は「小さな事からコツコツと」――とのこと。
 一時停止が解除。気不味い雰囲気を取り繕おうと、夕立が声を張った。


「え、ええっと、気にせず行くっぽい! 相手チームは、吹雪型から始まる特型の前級だけど、士気は高いみたい。対抗策はあるっぽい?」

「は、はい……。船としては特徴に大きな差がありますが、統制人格同士なら大して差はありませんので、油断なんて出来ません。
 ただ全力でぶつかって、栄光を勝ち取るのみですっ。頑張りまっしゅ! ……うぁぁ二度も噛んじゃったぁ……」

「……か、解説席にお返しするっぽい!」

「早く、早く切り替えてあげて下さいー!」


 真っ赤な顔でうずくまる吹雪をして、夕立と五月雨は庇おうと必死だ。
 その割に最後まで吹雪を映していたあたり、おっちょこちょいな五月雨である。
 映像が切り替わり、呆れ顔の青葉が原稿を手に取った。


「う~ん。吹雪ちゃんは緊張しいですから、初カメラでトチっちゃっても仕方ないですか~。
 まぁ、これを見てる大きなお友達には大好評でしょうから、問題無しという事で、メンバー紹介をば。
 一番、ピッチャー。吹雪ちゃん。真面目で頑張り屋さんなのですが、ちょっと空回りする事も。
 二番、キャッチャー。白雪ちゃん。女房役を務めるだけあって、落ち着きのある委員長タイプ。
 三番、ファースト。深雪ちゃん。彼女は吹雪型の四番艦ですが、三番艦の初雪ちゃんが引きこもりたいらしく、繰り上げです。元気っ子ですね。
 四番、サード。叢雲ちゃん。同じく繰り上げ。ツンデレっていうと怒ります。今もイラっとした顔してます。
 五番、ショートも繰り上げの磯波ちゃん。吹雪型九番艦で、引っ込み思案な恥ずかしがり屋さんです。
 六番からは綾波型。自由守備の一番艦・綾波ちゃんは、史実では武闘派ながら、お淑やかな女の子です。三人目じゃないですよー。
 七番、レフト。敷波ちゃん。叢雲ちゃんを五・五のツンデレとするなら、この子は甘めの三・七でしょう。ひょっとしたら二・八かも。眼帯なんてしてませんよー。
 八番、センターは朧ちゃん。綾波型の七番艦です。姉妹艦で構成された第七駆逐隊のリーダーも務める実力派。
 九番、ライトが漣ちゃん。朧ちゃんの妹であり、我らが司令官をご主人様と呼ぶ、オモシロ艦娘です。
 最後の補欠は繰り下がった初雪ちゃん。望月ちゃんと同じく、ぐうたらな子です。【われ、あおば!】を第一号からお読みの方には馴染みのコンビですねー。
 以上、チーム・STの簡易紹介でした! 続いて、プレイ開始の宣言です」


 次に映し出されたのは、駆逐艦たちより背の高い少女。
 整列する二チームの前に立つ、ショートカットに鉢巻き姿の彼女――長良がアップになり、またL字テロップが流れた。


「主審を務める、長良型軽巡のネームシップ、長良です! 両チーム、悔いのないようにプレイしてね? 一同、礼!」

『よろしくお願いします!』


 号令と同時に、両チーム合わせて十八名が頭を下げる。
 試合開始を告げるサイレンが響き、少女たちは自らのポジションへ足早に赴く。
 映像は再び解説席へ戻った。


「さぁ、いよいよ始まりました世紀の一戦! 艦娘たちはどのような試合を見せてくれるのでしょうか?
 実況は私、青葉が。加えて、解説は頭脳派高速戦艦の霧島さん、コメンテーターの那珂ちゃん、ツッコミの黒潮ちゃん。
 試合中のウグイス嬢は、霧島さんの双子の姉、榛名さんでお送りしまーす!」

「霧島です。適切に解説して見せましょう」

「艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよーっ!! 今度こそ、よっろしくぅ!」

「黒潮や。よろしゅうな……って、なんで野球解説にツッコミが必要やねーん!」


 青葉だけを映していた映像が横にパン。
 メガネをかけた改造巫女服少女と、派手なオレンジの衣装をまとい、激しい動きでアピールしまくるお団子頭少女、華麗なツッコミをしてくれる黒髪ショートの少女を順に映した。
 それぞれに、金剛型戦艦四番艦・霧島、川内型軽巡洋艦三番艦・那珂、陽炎型駆逐艦三番艦・黒潮とL字テロップが流れる。加えて、上部には黒髪ロングな少女――金剛型三番艦・榛名の顔写真も。
 カメラの位置が変わり、四人全員を斜めから映す配置に。


「さて、事前に行ったロシアンルーレットにより、先攻はチーム・旧暦となっています。初めて大型魚雷を装備した駆逐艦の攻撃力を、チーム・STがどう凌ぐか。見物ですね~」

「……え? ふ、普通こういうのってクジ引きで決めるんじゃないかって、那珂ちゃん思うんですけど?」

「用意したのは響さんで、中身を変えたピロシキを使ったそうです。ワサビ、カラシ、ハバネロ、クサヤ、ゴーヤ、ボーキの六種類だったらしいです」

「それ全部ハズレやん!? まともに食えるもん一個もないで!?」


 青葉の発言内容に違和感を覚えたらしい那珂。
 思わずアピールをやめて疑問を挟むも、霧島がさらに情報を追加。またしてもツッコミが炸裂した。
 画面端に、ピロシキの皿を持つ白髪の少女――暁型二番艦・響の写真。何故か自慢げである。


《一回の表、チーム・旧暦の攻撃は、一番、ピッチャー・睦月さん。ピッチャー・睦月さん。背番号、一》


 そうこうしている内に、耳に心地よいアナウンスが流れだす。
 映像は変わり、投手である吹雪を手前に、バッターボックスを映す地点へ。
 長良がプレイ開始を宣言し、ここに試合が始まった。


『注目の一打席目、いきなりネームシップ同士の直接対決です!
 睦月ちゃんが前級の意地を見せるか、それとも吹雪ちゃんが文字通りの主砲を放つのか。
 第一球、振りかぶって……投げたぁー!』


 青葉の実況をBGMに、一つ頷いた吹雪がボールを確認。
 ピッチャーサークルの中で一旦動きを止め、右腕を大きく一回転させながら踏み込む。ソフトボールでお馴染みのウィンドミル投法である。
 吹雪の手を離れたボールは、一直線にミットへと叩き込まれた。


「ストラーイク!」

「くう、やっぱり早い……!」


 投法自体はソフトボールの物だが、速度的にはベースボールと変わらないだろうか。
 打者としてそれを味わった睦月は歯噛みする。
 ちなみに、選手たちにはピンマイクが配布されているようで、彼女の音声を拾ったのはそれである。


『初球はストレート。睦月ちゃん見逃しのストライクです。球速は……島風ちゃん一・六人分! 吹雪ちゃん、中々の強肩ですね~』

『えっ、那珂ちゃんのこと呼んだ? っていうか、何かおかしかったよ?』

『島風さんの最高時速を四捨五入した、七十kmを基本とする単位ですね。この場合、時速百一二kmに相当します』

『分っかり辛いにも程があるわ! 普通に時速で言った方が早いやん!? あぁ、なんやこの先のパターン読めてきたぁ……』


 ボールが吹雪に返され、睦月がバットを構え直す間も、解説席のコントは続く。頭を抱える黒潮の写真が端へカットインした。
 観戦しに来ている統制人格以外は客が居ない、いわゆる無観客試合のため、賑やかしのためにこれも場内へ流されているのだが、吹雪たちは一切無視。プレイを続行する。


『さぁ、続く第二球は……ボール! 睦月ちゃん良く見てました。霧島さん。吹雪ちゃんは意外と攻めの姿勢ですね』

『はい。吹雪型といえば、その特徴的な兵装配置により、当時の駆逐艦からは考えられない攻撃力を有した船です。それが投球スタイルにも出てきているんでしょう』

『うんうん。女の子だからって受身なだけじゃダメダメ! 強気にスマイル! 睦月ちゃんも頑張れー!』

『……あれ。ボケがないとウチ喋れへん』


 視点がバッターボックス手前に変化し、第三球。内角をえぐるストレート。睦月はバットを振るも、ストライク。
 第四球は低めのアウトコース。手を出されずにボールとなった。


『カウントはツーボール・ツーストライク。睦月ちゃん追い込まれました。このまま見逃し三振してしまうのかぁ!? 注目の第五球……打ったぁあああっ!』


 青葉の煽りに奮起したか、バットがストレートを捉える。
 打球は、ピッチャーと本来セカンドの居る場所の合間を抜け、センター奥をワンバウンドでフェア。
 睦月が一塁へ走った。


「く、間に合え……!」


 ピンマイクがセンター・朧の声を拾い、映像も彼女をアップに一時停止。略歴がテロップとして流れる。
 曰く、綾波型駆逐艦七番艦・朧。
 南方作戦に多く参加したためか、暑いのが好き。逆に寒いのは苦手であり、体操服姿の今も、長めのレッグウォーマーとアームウォーマーが手放せない。
 特記事項、カニを飼っている――とのこと。
 停止が解除。朧の手からボールが放たれた。しかし、すでに一塁を駆け抜ける影が。


『打球はセンターへのライナーヒット。朧ちゃんが一塁へ送球しますがセーフ。
 ネームシップ対決は、チーム・旧暦、キャプテンの睦月ちゃんが初ヒットで勝利を収めました。
 霧島さん、いかがですか?』

『見事に打ち分けましたね。ピッチャー横をすり抜けるライナーは、セカンドの居ない三角ベースでは効果的です。
 長打を警戒し、自由守備の綾波さんが下がっていたのも痛かったようです。
 ちなみに自由守備とは、投球と走塁の邪魔にならない限り、どんな場所でも守備につけるという、独自の守備位置です。
 大体はセカンドの位置にいる場合が多くなるでしょう』

『睦月ちゃんカッコイイー! 吹雪ちゃんはドンマイ! まだまだ続くよー!』

『……暇やな……』


 初打席で初ランナー。上々の成果にチーム・旧暦のベンチが湧く。
 対して野手も「球は走ってんぞー!」などと吹雪へ声を掛かる。小さくアニメーションする顔写真が入り、発言者はファースト・深雪である事が示されている。
 まだ序盤も序盤。両チームやる気を見せていた。


《二番、キャッチャー・如月さん。キャッチャー・如月さん。背番号、二》


 次なる打者が告知され、長い髪を先端で緩く縛る少女が、バッターボックスに進み出る。
 ゆったりとした動作が特徴の彼女は、木製バットを愛おしそうに抱え、カメラへウィンク。


「あはっ。如月の華麗な(ピーー)捌き。見惚れていたら、ヤッちゃうわよ?」


 一時停止と略歴紹介。
 曰く、睦月型駆逐艦二番艦・如月。
 かつてはウェーク島攻略作戦に参加し、そこで艦生を終えた。
 後の世に、不死身の潜水艦長として名を馳せる、板倉光馬少尉を航海長として乗船させていた事でも知られる。
 特記事項、言動がやけにエロい――とのこと。


『続いての打者は如月ちゃん。無駄にエロい言い回しが、大きなお友達のハートにズッキュンです!』

『う~ん。やっぱり少しくらいエロスが無いと、取っ掛かりがないのかぁ? この業界は厳しいよ……』

『ちなみに、ピー音を被せた部分はバットと言っていたようです。被せる必要ありませんね』

『エロくない単語を無理やりエロくしてどないすんねーん! ……よし! ウチ仕事してる!』


 解説席コントの最中も、選手たちは動き続ける。
 如月はニコニコ微笑みながらバットを構え、吹雪が油断なくサインを確認。
 わずかに二秒、睨み合う。


『走者一塁のノーカウント。手堅く行きたい吹雪ちゃん、第一投……投げたっ』


 速球は変わらず、狙いも正確なストレート。
 だが、如月の笑顔はますます深く、上手がバットをしごくように動いた。


「えいっ」

「……嘘っ、バント!?」

『おおっとぉ!? いきなりのバントだぁー! 距離的には白雪ちゃんが近い……けれど、間に合いそうにない三塁ではなく一塁へ!』


 コンという軽い音と共に、ボールが転がった。送りバントである。
 予想外な行動だったようで、キャッチャーの行動も遅れてしまう。
 しかし、それすら見越しているのか、如月の走塁は遅く、アウトを優先した白雪が一塁へ送球。
 睦月を三塁へ進ませるのと引き換えに、アウトカウントを増やした。


『いやー驚きましたねー。これはどういう作戦なんでしょう?』

『得点を挙げる事を優先した、非常に攻撃的な戦略ですね。塁の少ない三角ベースは、非常にゲーム展開が早くなります。
 無死の状態から確実に点を重ねるより、打者一人と引き換えに得点圏へ走者を送り、投手にプレッシャーを与える……。
 チーム・ST、これは厳しい戦いになりそうです』

『如月ちゃん、やっるぅ~』

『あかん、やっぱ真面目にスポーツしとるとウチ喋れへんかも……』


 ゆっくり一塁を駆け抜けた如月は、自らを追うカメラにVサイン。ベンチへ戻る姿も堂々としていた。
 そして、新たに進み出る選手。薄い水色の髪をショートカットにし、長く伸ばした横髪を胸元へ垂らす少女。
 アナウンスが彼女を紹介する。


《三番、ファースト・弥生さん。ファースト・弥生さん。背番号、三》

「追い詰めます。任せて……!」


 一時停止と略歴紹介。
 曰く、睦月型駆逐艦三番艦・弥生。
 ラバウル攻略や、ブーゲンビル、ポートモレスビーなどの作戦に参加し、ガ島……ガダルカナル島への初艦砲射撃にも加わる。
 試験的な意味合いを持って設計され、蒸気タービンは英国製。メトロポリタン・ヴィッカース社のラトー式タービンを装備した。
 特記事項、ポーカーフェイスが得意――とのこと。


『さぁ、吹雪ちゃんの前に新たな打者が登場します。背番号は三、名は旧暦の三月を指す新人駆逐艦、弥生ちゃんです!』

『データによると、彼女はスイッチヒッター。左右どちらでも打てる打者との事です。クリーンナップとして適材ですね』

『クリーンナップ? って何? 那珂ちゃん分かんなーい』

『確か、打率の高い三番から五番の打者のことやろ? 得点に関わるから、一~二番は確実に打てる打者、それ以降は長打を狙える打者がええんや。……おぉぉ、意外と喋れてる』


 如月と違い、弥生は厳しい目付きで左打ちのバッターボックスへ。
 吹雪は一瞬たじろぐが、すぐに立ち直って投球の準備を。


『両者、厳しい目で睨み合っています。第一球……投げた!』


 放たれたのは、外角高めのストレート。
 かなり際どいラインだが、主審・長良は「ストライク!」と判定。弥生は無表情である。
 その後も投球は続くが、彼女の表情は動かない。


「ストラーイク!」

「………………」


 内角のストレート。低めのチェンジアップ。外に続けてボールが二つ。
 全ての球をギリギリまで観察し、計測しているような。そんな印象を放つ弥生。
 やり辛いと、吹雪の表情が如実に物語っていた。


『ワンアウトからカウントはスリーボール・ツーストライク、フルカウントです。
 ここで仕留められるか、それともフォアボールで満塁にしてしまうかで、今後の展開が変わってきます。
 宣言通り追い詰められた吹雪ちゃん、どうするのか? 第六球を……投げた!』


 どちらに転んでも、得点圏ランナーの存在は変わらないというプレッシャー。
 重くのしかかるそれに負けじと、吹雪が腕を振りぬく。
 内角のストレート。かなり際どいが、ゾーンに入っている。


「貰うよ……!」

「えっ」


 しかし、弥生は球種を読みきっていたらしく、バッターボックスギリギリまで足を開き、バットに直撃させた。
 芯を捉えた打球が、左中間を破らんと飛ぶ。


『打ったぁああっ! 打球はレフト前へ伸び――』

「やらせはしないわ!」


 ところがである。高い中空を抜けるはずだった打球は、三塁から飛び出したサード・叢雲の手によって捕球されてしまった。
 より正確に表現するなら、彼女の腰から伸びる艤装――長十cm連装砲の先端へと無理やり被せたミットに、だ。


『おおっ!? ここで叢雲ちゃんファインプレー! マニピュレーター型艤装を活かし、タイムリーヒットを捻じ伏せたぁ!』

『見事な反応です。しかし、取るためにサードを離れてしまいましたから、睦月さんは無事三塁へ戻っています。得点圏に走者がいるのは変わりません。油断できませんよ』

『おぉぉ~。叢雲ちゃんカッコイイ……! っていうか、艤装出しちゃって良いの?』

『普通は、帽子とかを投げつけて球を取ったりするとアカンのやけど、艤装は身体の一部なんやから、ええんちゃう?
 せやないと、ただ女の子が三角ベースやってるだけの映像特典になってまうし』

「ま、当然の結果よね」


 先端で縛った長い髪をかき上げ、不敵な笑みがアップになったところで、一時停止と略歴紹介。
 曰く、吹雪型駆逐艦五番艦・叢雲。
 南方侵攻、ミッドウェー海戦、ソロモン諸島の戦いなどに参加した。
 旧海自のDD-118“むらくも”や、海保の巡視艇など、多くの艦船にその名が残っている。
 特記事項、最近のマイブームは編み物――とのこと。
 停止が解除され、映像は解説席に。


「良い機会ですから、ここで艦娘三角ベースにおける艤装の扱いをご説明しましょう。霧島さん、お願いします」

「はい。統制人格とは、通常時は普通の人間と変わりませんが、艤装を召喚、身に付ける事によって、身体能力を爆発的に上昇させることが可能です。
 しかし、それならば艤装状態でプレイすればいいのに、という疑問も出てきますね。その答えは……危険だからです。
 艤装は統制人格の意思に反応して稼働するんですが、スポーツは少なからず闘争本能を刺激します。うっかり主砲が暴発したりしたら、危ないですからね。
 なので、艦娘三角ベースでは、防御的な行動時にのみ、艤装を召喚する事が許されています。それ以外で召喚した場合、危険行動でアウトとなります」

「叢雲ちゃんみたく球を取ったり、走ったりはOKってこと?」

「あと思いつくんは、デッドボールん時に、反射的に出てしもうた場合とかやろか?」

「そうお考え下さい。睦月さんが出塁時に出さなかったのは、問題なく間に合うと判断したからでしょう。ちなみに、送球は防御的な行動ではないとみなされます。ご注意を」

「という訳で、実況に戻りましょう!」


 フリップの使われる説明が終了し、再び場内の映像へ。
 長打コースをもぎ取られ、惚けていた弥生が正気に戻り、ごく僅かに眉をひそめた。
 小さく背中を丸めながらバッターボックスを後にし、続く姉妹艦とすれ違う。


「く……っ。やってくれたね……!」

「ありゃりゃー、残念だったぴょん。でも、怒っちゃダメだよ? ぷっぷくぷーは、うーちゃんの専売特許だぴょん!」

「怒ってなんかないよ、怒ってなんか……っ。けど、悔しい……」


 自らをうーちゃんと名乗る、非常に長い赤毛の少女。
 ディフォルメされたウサギの髪留めでそれをまとめる彼女は、表情変化に乏しい弥生へ抱きつき……慰めている? ようだ。


《四番、サード・卯月さん。サード・卯月さん。背番号、四》


 榛名のアナウンスに背を押され、卯月がバッターボックスへ駆け込む。
 得意満面にバットを振り回す姿は、無邪気に見えて戦士のそれである。
 ここで一時停止。略歴紹介が始まった。
 曰く、睦月型駆逐艦四番艦・卯月。
 初陣は第一次上海事変。第二次ソロモン海戦で爆撃を受けたり、雷撃された輸送船と衝突したり、また爆撃されて不発弾を貰ったりと、意外にタフな艦生を送った。
 特記事項、爪を立てられるのが嫌でウサギを抱っこできない――とのこと。


『ツーアウトをとって優位に立ったように見えるチーム・STですが、しかし予断は許しません。
 次も要注意な四番バッター、同じく新人駆逐艦の卯月ちゃんです! ご覧の通り、痛々しブェッホブェッホ可愛らしい語尾が特徴ですねー』

「ちょっと待つぴょん!? 今、明らかに痛々しいって言ったぴょん! うーちゃん、こぉーんなに可愛いのにどういう了見だぴょん!?」

「う、卯月ちゃん落ち着いてっ。それ以上バッターボックスでたら、アウト取らなくちゃいけなくなるよっ?」


 一時停止が解除、青葉による実況が再開されるが、流石にこの紹介には異論があるらしく、激しく地団駄を踏んで抗議していた。
 語尾に「ぴょん」。外見の幼い美少女だから許されるものの、どちらか一つが欠けただけで大惨事であろう。
 とにかく、長良に宥められ、暴走一歩手前で留まった卯月は、決意も新たにバットで外野スタンドを指す。ホームラン予告だ。


「うむむむむっ、いいぴょんいいぴょん! こうなったら、ホームラン打って見返してやるぴょん!」

『卯月さん、強気ですね。データによると、彼女は見かけに反してホームラン製造機であるらしいです』

『打者と勝負するか、もしくは、敬遠も一つの手やね。どないするんやろ?』

『……ふ、吹雪ちゃん頑張れー! キャラの濃い子が来ると、那珂ちゃんの影が薄まっちゃうよー!?』

「そんな理由で応援されても嬉しくないです……」


 那珂からちょっと場違いな応援をされ、吹雪が苦笑い。
 しかし、おかげで三塁ランナーからの圧迫感も紛れたか、余計な力の抜けた顔付きでボールを構える。
 長打に備えて野手が下がり始めた。


『気を取り直して、二死三塁ノーカウント。四番に対する一投目……どうだっ?』


 じっくりとサインを確かめ合い、ウィンドミルが軟球を弾き出す。
 今までに比べると遅め。しかもど真ん中のストレート。これに手を出さないバッターは居ない。


「貰ったぴょん!」

「あ……っ! 卯月、ダメッ」


 当然、卯月も全力でバットを振るのだが、ベンチに下がっていた弥生が声を上げる。
 カン、と小気味良い音。そのまま伸びれば良かったのだが、高く上がり過ぎて距離が出ない。
 いわゆる外野フライである。


『あぁ、卯月ちゃん打ち上げてしまったー。これは……下がっていた敷波ちゃんが危なげなくキャッチ。アウトです』

『これは吹雪さんの作戦勝ちですね。見事です』

「うにゃー、ダメだったかぁ……」

「なんでぴょーん!? 弥生の仇を討とうと思ってたのにぃー! ぴょぴょぴょお……」

「……ありがとう。気を落とさないで、卯月。……でも、その落ち込み方は変だと思う」

「ぴょん?」

「あらあら。うふふ」


 アウトカウントが三となり、主審・長良が攻守交代を支持した。
 うな垂れる睦月。また地団駄を踏む卯月。無表情にツッコむ弥生と、たおやかに微笑む如月をカメラが映し、今度は彼女たちが守備位置に赴く。


《一回の表、チーム・旧暦、得点なし》


 試合経過の報告が終わる頃には、睦月がマウンドに立っていた。
 一塁に弥生、三塁には卯月の姿も。準備万端である。


『一回表の攻撃が終わり、チーム・ST無失点。最初はチーム・旧暦の攻撃に押され気味でしたが、仲間の助けで見事に持ち直しましたねー』

『はい。両チーム、初回から見事なプレーを見せてくれています。これからが楽しみです』

『ホントホント~。那珂ちゃん、テレビはアイドル番組しか見なかったけど、こうして実際に見ると面白いね~!』

『せやねぇ。……しっかし、ホンマにこんなんでええんやろか……? ウチら軍艦やなかった……?』


 本来、戦いに赴いて砲を構えるべき存在なのに、こうしてバットやミットを構え、三角ベースに精を出す。
 黒潮の悩みももっともであるが、その声にはどこか楽しそうな気配が宿っていた。色々と言いつつ、彼女も満喫しているのだろう。


《一回の裏、チーム・STの攻撃は、一番、ピッチャー・吹雪さん。ピッチャー・吹雪さん。背番号、二十二》


 そして、球場にはまた選手が舞い戻った。
 今までピッチャーを務めていた吹雪がバッターボックスへ。バットのグリップを何度も握り直している。
 対するは睦月。マウンドの投手板をつま先でなぞり、穏やかな表情で球をもてあそぶ。


『さぁ、一回裏の攻撃に移りましょう! 先頭バッターは、先ほど素晴らしい投球を見せてくれた吹雪ちゃん!
 対するは、三塁まで進むも得点は適わなかった睦月ちゃん! 悔しさを球に込められるでしょうか?
 いざ第一投目! 振りかぶってぇ……投げました!』


 如月からのサインに頷き、睦月の右腕が風車を描く。
 細い指を離れた球は、確かにストライクゾーンを目指す。


「……えっ。なに、このボール!? 遅いっ?」


 ――のだが。その弾道は山なりで、見間違いかと思うほど遅かった。
 吹雪は虚を突かれ、しかし球速の遅さ故に手を出してしまい、空振りに。


「ストラーイク!」

「えっへへぇ。この勝負、睦月が貰ったのです!」

「こ、こんな球が……」


 主審・長良の判定に、睦月が両手でガッツポーズ。
 してやられた吹雪の方は悔しそうな顔である。


『これは……球速は島風ちゃん一・一人分? お、遅い、ビックリするほど遅いです!』

『スローカーブですか。睦月さん、珍しい球を投げますね。タイミングが取りづらいですよ』

『うっわぁ……。睦月ちゃんエグい……。変なタイミングで会話のバトン渡されると、滑っちゃうから困るよね……』

『うん。ウチもその気持ちはよう分かるんやけど、例えとしては変やと思うで』

『続く第二球……スローカーブ! タイミングが合わずストライクです。第三球もあえなく空振り! ネームシップ対決は、またしても睦月ちゃんに軍配です』


 投球が続き、吹雪も必死に食らいつこうとするが、空振りはさらに二回。健闘むなしく凡退してしまった。


「ううう……。私、負けちゃった……。後をお願いね、白雪」

「ええ、任せて。必ず攻略してみせます……!」


 ガックリと肩を落とし、ベンチへ戻る吹雪。けれど、バトンを受けた姉妹艦は、静かな闘志に満ちていた。
 ここで一時停止。短い二本のお下げ髪少女――白雪の横顔がアップになり、略歴紹介。
 曰く、吹雪型駆逐艦二番艦・白雪。
 今回は補欠である三番艦・初雪とコンビを組んで戦果をあげる事が多かった。
 数多くの主要な戦いに参列し、三度のソロモン海海戦全てに参加。無傷で生き延びた。
 特記事項、糠床の面倒を見るのが日課――とのこと。


《二番、キャッチャー・白雪さん。キャッチャー・白雪さん。背番号、七》


 アナウンスをバックに、白雪は右のバッターボックスへ。
 少し大き目のヘルメットを揺らし、バットを緩く構える。


『続いてのバッターは、特型駆逐艦二番艦の白雪ちゃんです。
 昔は初雪ちゃんとコンビを組むことが多かったようですが、吹雪ちゃんとのコンビでも確実な選球で無失点へと導きました。
 果たしてバッターとしての実力は如何なものか。注目の一投目です!』


 如月からのサインを受け、睦月は今まで通りにボールを構える。
 が、大きく一歩を踏み出す瞬間、つぶらな瞳が獰猛に輝く。


「カーブも、ストレートも、あるんだよ!」

「なっ」


 弾道は山なりではなく、ほぼ一直線にキャッチャーミットへ収まった。
 遅い球速ばかりを見ていたためか、白雪は反応できず見逃しのストライク。
 解説席も盛り上がりを見せる。


「これはある意味予想通りか! 今度はスローカーブではなくストレート! 吹雪ちゃん程の球速はありませんが、この差は大きい!」

「決め球はスローカーブ。そして、それを活かすためのストレートも投げる。
 緩急をつける事によって、よりタイミングを合わせ辛く。
 この試合が決まったのが一昨日ですから、短時間で、相当に密な練習を積んだようです」

「え、えっと……? バラード系の後にノリノリな歌を唄うと、より盛り上がるって感じかな?」

「う~ん、間違ってるような、当たってるような……。お? それより、もう次やでっ」


 興奮気味な青葉、霧島に引き換え、那珂は妙な例えで自分なりの理解をどうにか示し、そのせいで黒潮は困惑気味である。
 相変わらずなコントを聞いているはずの選手たちだが、意に介さずプレイは続行されていた。
 スローカーブとストレートを織り交ぜ、時折ドロップボール――野球で言うところのフォークをも駆使した、球速の変化に富んだ投球。
 けれど、白雪は一向にバットを振ろうとはしなかった。ミットへ投げ込まれる変化球を、ただただ観察している。


『おや……? どうやら白雪ちゃん、見極めに入ったようですね』

『ふむふむ。どうやら、スローカーブはコントロールが難しいようです。なかなかストライクが取れません』

『あ、今度は真っ直ぐな球でストライクだよ。カウントは……フルカウント、だよね? どうなっちゃうのかなぁ……』

『フォアボールで塁に出てもめっけもんやけど……。どうせなら打って出たいとこやね。白雪はん、勝負所や!』


 やがて、ボールカウントは全てが埋まるところまで来た。
 次の一球、ストライクとなれば白雪も凡退。ボールとなれば出塁となる。
 ヒットを狙うか、見極めてフォアボールを取るか。選択肢は二つに一つ。
 投手も打者も、ここが瀬戸際だ。


「睦月は、負ける気なんか、全然ないのねっ」


 気合一声。睦月が渾身の一球を投じる。
 球速は低く、山なりの弾道。スローカーブ。
 だが、ここまで動きを見せなかった白雪が、ここで動いた。


「狙い、良し。撃ち方――始め」


 かすかにマイクが声を拾った刹那、短く持ち変えられたバットが振り抜かれる。
 カァン、と高い音。打球はレフトに伸びるが、しかし、本塁と三塁を結ぶ白線のベンチ側をバウンド。
 主審・長良が「ファウル!」と宣言した。


『当てた! 白雪ちゃん、スローカーブをバットに当てました!』

『今のはストライクゾーンに入っていましたから、生き延びましたね。ここからどう粘るか……』

『ううう……。み、見てるだけなのに緊張してきちゃった』

『なんや、意外とええ勝負になっててビックリや……。てっきり太ももで内容を誤魔化すだけやと思っとったのに』


 単に美少女の生脚を、ローアングルから責めるだけの映像特典かと思いきや、試合運びは白熱の様相を見せ始めている。黒潮の驚きも当然であろう。
 再びスローカーブが投じられ、またバットも振られる。今度は右へのファウル。


「にゅえいっ」

「ふっ」


 八投目、九投目、十投目、十一投目……。
 ストレート、ドロップボール、スローカーブ、スローカーブ。
 投げては打たれ、打たれては投げる。
 全てのカウントがファウルとなり、長い攻防が続く。


『睦月ちゃんが全力で投げるも、白雪ちゃんは粘ります。すでにファウルが六本。両者とも互いに譲りません。第十二球目……』


 抑揚を消した青葉の声。
 実況の終わりを待つように、マウンドには束の間の静寂が訪れた。
 息を飲む事すら憚られる緊張感が漂うが、睦月の緩やかな投球フォームがそれを破る。
 ストレート――いや、ドロップボール。


「……! ここっ」

「んにゃ!?」


 打音が響く。
 速度の緩急による幻惑を見破り、白雪が軟球をフェアグラウンドへ叩き返した。
 けれど、勢いはかなり弱い。


『白雪ちゃん艤装状態で走る! しかし当たりは甘いか? サードゴロを皐月ちゃんが拾って送球。判定は?』


 黄色い髪の三塁手・皐月が前へ出て捕球。
 体勢を崩しながら一塁に投げるも、白雪が塁を走り抜けるのと、弥生に球が届くのは同時に見える。
 判定は、長良の姉妹艦である塁審……長良型軽巡洋艦二番艦・五十鈴に委ねられた。
 ややあって、ツインテールをそよ風に揺らす彼女は――


「セーフ!」

「やった!」

「……やられ、た……」


 ――両腕を左右に広げ、走塁が間に合ったことを知らしめる。
 白雪が小躍りして喜び、弥生は無表情に悔しがりながら睦月へと返球。
 チーム・ST側のベンチが湧いた。


『塁審の五十鈴ちゃん、セーフを宣言しました。チーム・STの初ヒットは白雪ちゃん。見事、吹雪ちゃんの仇を取りました!』

『しかし、ここから先が問題ですよ。冷静さが取り柄の白雪さんだからこそ、睦月さんのトリッキーな球を撃てたように思えます。次のバッターである深雪さんは、色んな意味で元気一杯ですし……』

「うっせ。白雪に出来たんだから、アタシにだってやれる! 見てろって!」


 あくまで冷静な霧島の解説に反論しながら、次打者であるショートカットの少女が、バットを肩にかけて屈伸運動を始めた。
 ここで一時停止と略歴紹介が入る。
 曰く、吹雪型駆逐艦四番艦・深雪。
 艦隊型駆逐艦としての活躍を見込まれていたが、演習中に駆逐艦・電が船体中央部へ衝突。
 船体は真っ二つになり、特型駆逐艦の中で唯一、太平洋戦争前に沈んでしまった。
 当艦隊に属する電もその事を大変気にしており、顔をあわせる度に謝られるのが心苦しいようである。
 特記事項、好きな花はサボテンの花ーーとのこと。
 停止が解除。張り切って飛び跳ねる深雪は、急ぎ足でバッターボックスへ駆け込む。


「ぃよぉーっし、行っくぞぉー!」

《選手の交代をお知らせします。三番、深雪さんに代わりまして、不知火さん。バッターは不知火さん。背番号、九十二》

「……ってなんでだぁ!?」


 ――が。唐突なアナウンスの内容にズッコケた。
 代わりに進み出るのは、体操服とスパッツ姿の、目つきが鋭い少女。
 再び一時停止。紫色の髪を天辺で括る横顔へ、略歴が紹介される。
 曰く、陽炎型駆逐艦二番艦・不知火。
 姉である陽炎と共に、真珠湾攻撃など多くの作戦へと参加した。
 キスカで雷撃を受けてからは離れ離れとなり、レイテ沖では志摩艦隊に属しながら無事生還を果たすも……。
 特記事項、輝く笑顔は憤怒の証し――とのこと。


『なんとチーム・ST、早くも選手交代を決めました。ここで特別ルールをご説明いたします。
 学童野球と同様に専属監督が存在しない艦娘三角ベースでは、一イニングにつき一回、キャプテンの采配で選手の交代を求められます。
 また、その際に選択するリリーフ陣は両チーム共通。つまり、観客の艦娘を選手として導入できるって事なのです!』

『より多くの統制人格を、出来るだけカメラに映そうという魂胆が丸見えですね。ちなみに、交代を宣言されても、その選手は再出場可能です』

『ライバルは続々と現れるって事かぁ……。ううん、那珂ちゃん負けない! 例え声だけでしかアピール出来なくっても、存在感では負けないんだからぁ!』

『そうやねー。きっと負けへんねー。誰も勝とうとせえへんもんねー。んな事より、深雪はんが暴れとるんやけど……』


 停止解除とほぼ同時に青葉たちの解説が入り、「あたしに打たせろぉおおっ!!」と暴れる深雪を吹雪・叢雲が引きずっていく。実に騒がしい。
 それでも全く動じない不知火は、キビキビと左のバッターボックスへ。
 ギロリ、と音がしそうな目を睦月に向けた。


「期待に、応えてみせます」

「ひぃぃ……。眼光が鋭いよぅ……」

『ビビってます! 睦月ちゃん、不知火ちゃんの鋭利な目付きにビビっております! もしやこれも狙っていたかチーム・STー!』

『心理戦の様相を呈してきましたね』

『あ、那珂ちゃん知ってる! こういう時って、ピッチャービビってる、ヘイヘイ! ……とか言うんだよね?
 でも負けちゃダメだよ睦月ちゃーん! アイドルは、アンチも魅了してこそアイドルなんだよー!』

『いやいや、アイドル関係あらへんわ。というか、ぬいぬいは目付きがすこぶる悪いだけで、案外お人好しなんやで?』

「ぬいぬいじゃありません」


 球場から緊張感が霧散していく中、キャッチャー・如月がおもむろに立ち上がり、睦月はバットの届かない位置へ緩やかに投球。ボールカウントが一つ増えた。


『あ、敬遠です。チーム・旧暦、敬遠策に出ました。警戒しているんでしょうか?』

『それもあるかも知れませんが、おそらく、精神的な余裕を取り戻す意味合いもあるでしょう。決め球をあっさり攻略されてしまいましたし、のちの投球へ影響も大きいですから』


 その後もボールが三球続き、主審・長良が「フォアボール。打者は一塁へ」と宣言。
 駆り出されておきながら勝負も出来ず、不知火は酷く残念そうな顔で出塁する。


「つまらない……」

「ほふぅ……。怖かった……」

『フォアボール、だね。不知火ちゃんが一塁に行ったけど……あ、深雪ちゃんが凄い勢いで出てきた。ケンカしちゃダメだよぉ~?』

『ふんふん。どうやら元の選手に戻すみたいや。しかし、ぬいぬいはただ怖がられただけやったな……』

「なんですか。不知火に落ち度でも……?」


 どうやら、元の選手が再出場する分には交代ではないようで、鼻息荒い深雪と、不服そうにプロテクターを外す不知火が場所を入れ替わる。
 まだ付き合いも浅く、怖がられるのも仕方ない迫力が、落ち度といえば落ち度だろうか。
 ともあれ、試合は続いている。走者交代と合わせ、次なるバッターも登場した。


「ふふ。いよいよ戦場いくさばね」

《四番、サード・叢雲さん。サード・叢雲さん。背番号、五。
 代走、ファーストランナー・不知火さんに代わりまして、深雪さん。ファーストランナー・深雪さん。背番号、三百》

『続いてのバッターは、一回表でファインプレーを見せてくれた叢雲ちゃん! 打撃でも真価を発揮できるか!?』

『敬遠で睦月さんがどれだけ落ち着いたかが重要です。確実なピッチングを続けられれば、叢雲さんにとっては辛い相手でしょうね』


 バットを長めに持ち、スパイクシューズで地面をしっかり踏みしめる叢雲。
 見るからに“打ちそう”という雰囲気を放つ彼女だが、睦月の顔は落ち着いている。


『叢雲ちゃん、自信たっぷりにバットを構えます。対する睦月ちゃん、如月ちゃんのサインにしっかり頷き……投げました!』


 放たれたのはスローカーブ。
 緩い弾道を描く変化球が、焦れったい速度でミットに迫る。
 対する叢雲の動きはワンテンポ遅れて見えたが、それも計算の内らしく、バットは見事に球を捉えた。


「ファウル!」

「ちぃっ。やり辛いわね……!」


 しかし、打球が向かった先は右のファウルグラウンド。
 わずかに芯を外してしまったようで、整った顔が舌打ちで歪む。
 続けて第二投。


『叢雲ちゃん、初球から積極的に手を出していますね。勝気な彼女らしいプレイスタイルです』

『しかし……またファウルですね。三角ベースはグラウンドが狭いですし、あの球は前に持っていくだけでも一苦労でしょう』

『へぇー。そうなんだー。……あれ? ストライクが増えてる。打ってるのに?」

『せやで。ボールカウントのストライクがゼロん時は、ファウルでもストライク扱いや。ただし、さっきの白雪はんみたく、ツーストライクからはカウント無し。覚えといてや?』

『はーい! これで本当にコメンテーターの仕事来ても大丈夫だね!』

『や、それはどうやろな……』


 ちょっとしたスポーツ知識を挟みつつ、三投目はボール。
 全てスローカーブで、カウントはワンボール・ツーストライク。叢雲も、闇雲にバットを振るっている訳ではないようだ。
 手強い相手に、けれど睦月の顔には笑みが浮かぶ。


「睦月の隠し球、いざ参りますよぉ!」


 大きく腕が回され、不敵な宣言とボールが放たれる。
 警戒した叢雲はバットを身体に寄せるのだが、意外にも弾道は真っ直ぐ。
 ハッタリだと判断し、思い切りバットが振られた。


「んなっ、浮いた!?」


 ところが。ジャストミートするはずだった球は、叢雲に近づくと直前で浮き上がってしまう。
 芯も外れ、打球は低く左中間へ。


『叢雲ちゃん打ったが場所が悪い! 打球はレフトに……長月ちゃんがキャッチ! そして一塁へっ、深雪ちゃん間に合わない! ダブルプレーです!』

「や、やだ……。あり得ない……っ」

「やられた! 失敗したぜ、チクショーッ!」


 そのまま行けば二塁打確実な当たりだったが、運悪く、レフトを守る長月のグラブで捕球されアウト。
 球が睦月の手を離れた瞬間、艤装状態で全力疾走していた深雪も、慌てて一塁へ戻ろうとするが、送球には追いつけずこれもアウト。
 叢雲が唖然と呟き、ヘッドスライディングで土まみれになった深雪が悔しさを叫んだ。


『睦月ちゃんには驚かされますね~。霧島さん、解説をお願いします』

『はい。今のはライズボール。
 打者の手前で浮き上がる変化球で、打ち難いのはもちろん、当てたとしても打ち上がってしまう事が多いのが特徴です。
 その分、芯を捉えればホームランにもなり易いのですが、今回は意表をつけたようですね』

『睦月ちゃんすっごーい! 本当の選手みた~い!』

『表のファインプレーの意趣返し、成功ってとこやな。叢雲はん、悔しいやろうなぁ』


 吹雪の三振、叢雲・深雪のダブルプレーでアウトカウントは三。チェンジとなる。
 アナウンスを前に、選手たちはポジションを離れたり、逆に向かったり。
 そして、榛名の《一回の裏、チーム・ST、得点なし》という声が聞こえてくると、カメラは解説席を映した。


「さぁ、一イニング目が終了し、試合は早くも白熱の展開を予想させます。が、ここで一旦、CMです!」

「……は!? CM!? これ映像特典やなかった!?」


 ドヤ顔で決める青葉に黒潮のツッコミが入り、映像は暗転。
 眼鏡の位置を正す霧島と、最後までカメラ目線でアピールし続ける那珂を最後に、統制人格たちの声が、段々と遠ざかっていく……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 どもー! 恐縮です、青葉です!
 私がコラムを書いている、隔月刊 艦娘。毎年二月から隔月、第三水曜日に発売ですよ!
 次号の表紙は三度目の登場、吉田豪士中将の伊勢さん・日向さん。
 読者プレゼントとして、艦娘対抗冬のスポーツ大会で使用したバットやグラブに、使用艦娘のサインを入れた超レア物をご用意しましたっ。
 これは見逃せませんよ~。ぜひ応募して下さいませ! 青葉でした!


※ CMという名の早送り





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ……何度目かのCMが開け、映像は解説席へ戻る。
 変わらず笑顔の青葉がアップに、今までの試合内容を語り出す。


「さてさて。旧暦 対 ST 戦、早くも五イニングを終了し、得点は四 対 三。一点ビハインドでチーム・STが追いかける展開となっています。霧島さん、ここまでを振り返って、いかがですか?」

「両雄一歩も譲らない試合運びですね。球威で勝負する吹雪さんと、緩急に富んだ変化球の睦月さんが見せる投手勝負。打線の援護も強く、リードしているチーム・旧暦も油断できません」

「ソフトボールと同じで七回までやから、チーム・旧暦がこのまま逃げ切れるか、それともチーム・STが追いつくか。注目やね! ……ところで、那珂はんどこ行ったん? さっきから姿が見えへんのやけど」


 青葉から話を振られ、やや前のめりに解説する霧島、すっかりご意見番な黒潮がコメントするのだが、四人いたはずの解説席には三人の姿しかなかった。
 隙あらばカメラ目線をかましていた那珂が、影も形もないのである。
 しかし、それを指摘された青葉の顔は、「待ってました!」と言わんばかりに輝く。


「いい所に気が付きますねぇ、黒潮ちゃん。試合も半ばを過ぎ、選手の皆様も、画面の前の皆様も疲れが出てくる頃合いでしょう。
 と! いう訳で! 大きい方が好きな大きなお友達! お待たせ致しました! ここで、有志による応援合戦の時間でごっざいまぁああすっ!!!!!!」


 バンッと机を叩きながら、マイク片手に熱弁する青葉。
 彼女が大きく手を振りかぶると、カメラはその方向へと向かう。
 誰も居ないグラウンド。榛名のアナウンスが聞こえてきた。


《ご案内します。只今より、グラウンドにて、両チームへの応援合戦を行います。始めは、チーム・STへの応援です。マウンド奥に御注目下さい》


 一見なんの変哲も無い、人工芝が広がっている外野。
 しかし、突如として舞台のような奈落が開き、せり上がってくる人影が。
 なんと総勢十三名の、チアガール軍団である。


「ぱぁんぱかぱぁーん! みんなー、いっくわよぉー!」

『おぉーっ!』


 その先頭でジャンプする女性――高雄型重巡洋艦二番艦・愛宕のテロップを背負う彼女を皮切りに、グラウンドが色鮮やかな紅白に彩られた。
 軽妙なBGMと共に、鼻息荒い青葉の実況が轟く。


『ご覧下さい! 可愛らしいチア・コスチュームに身を包んだ美少女が、所狭しと整列です!
 メンバーをご紹介しますと、重巡枠の高雄さん・愛宕さん・衣笠ちゃん。軽巡の川内ちゃん・神通ちゃん・那珂ちゃん・多摩ちゃん。
 軽空母枠の千歳さん・千代田さん・龍驤さん・瑞鳳さん。最後に駆逐艦の曙ちゃんと潮ちゃんだぁあああっ!』

『ちなみに、全員にアンダースコートが配られていますので、悪しからず』

『あ。那珂はん、あんなとこに……。めっちゃ表情が活き活きしとるわ……』


 ポンポンを両手で構え、二列に並ぶチアガールたち。
 名前の紹介に合わせ、それぞれの顔が短くアップに。
 ときどき不機嫌そうな顔を交えつつ、那珂の掛け声でダンスが始まった。


「フレー! フレー! ふ・ぶ・き!」

『フレー、フレー、特型! フレー、フレー、エス・ティー!』


 基本のポンポン振り回しから、場を入れ替わり立ち替わり。
 様々な形で少女たちが可愛らしさをアピールし、上下運動もつつがなく。
 どこがどうとは言わないが、オスの本能を狙撃する多重攻撃を見舞う。


『いやぁ、それにしても見事な揺れっぷり――もとい! 見事なチアリーディングですねー!
 あ、開始直前にチャプターを入れておきますので、いつでも何度でもご堪能下さいませー!』

『これでますます売り上げは伸びるでしょうね……。さらに、彼女たちのブロマイドをラミネート加工でもして売り出せば……。フッフッフッフッフ』

『く、黒い。霧島はんの笑顔がトンでもなく黒いぃぃ』


 概ね、キラキラと眩しい笑顔を振りまくチアガールたちに被り、ハイテンションな青葉、ヤのつく職業が如き気配の霧島、引く黒潮のカットインが入った。
 売る為ならどんな犠牲をも厭わない。見上げた商売根性であり、見下げ果てたお下劣さである。なぜ霧島にまで感染したのかと、黒潮は本気で戦慄している。
 そんな事と知ってか知らずか、はたまた純粋に楽しんでいるのか。前列の高雄や愛宕、衣笠が、男の目に嬉しいモノを揺らす。


「はっ、ほっ。でも、やっぱり、揺れると、痛いわっ」

「スポーツブラ、だけじゃ、支え切れないのよ、ねー」

「っていうか、このチアコス、なんでサイズピッタリなの? 私、青葉にスリーサイズなんて、教えてないのにっ」


 ばいん。ぼいん。ゆっさゆっさ。
 擬音だけで表現しても、その弾け具合が伺えるであろう、実に楽しげな光景だ。ほぼ男性向けではあるけれど。
 彼女たちもマイクを着けているらしく、漏れ聞こえる愚痴すら御愛嬌か。
 一方、暗澹とした様子でポンポンを揺らしているのが、川内型の内二名と多摩である。


「……何故、ワタシは昼間にこんな事を……」

「恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい」

「もぉう二人とも? センターは外れちゃったけど、俯いちゃダァーメ! もっと足を上げてー、那珂ちゃーんスマイルぅ!」

「多摩のアイデンティティーを脅かすヤツなんて、コテンパンにしてやるがいいにゃ……!」


 夜行性の動物を無理やり叩き起こしたように、精彩を欠く川内。
 羞恥心に負けて、全く腕も脚も伸びない神通。
 キレッキレなポージングで二人を後押しする那珂に、チーム・旧暦ベンチを――特に睦月を威嚇する多摩。
 見事なほど統一感の無い四名だった。一人だけ無駄に楽しそうなのが違和感を強くしている。

 そして最後。悲喜こもごもが入り混じる、バックダンサー陣も見てみよう。
 以下の発言は順不同だが、予め説明させて頂くと、千歳、龍驤、千代田、瑞鳳、潮、曙の順に並んでいる。


「潮もっ、皆さんをっ、応援っ、しますっ」

「悔いのないよう、頑張って下さいねー!」

「試合が終わったら、鳳翔さんから差し入れあるよー! ワタシとお姉も手伝うから、期待してねー!」

「ちょっち待たんかーい! この並びに悪意を感じるんはうちだけかぁ!?」

「気にしてない、私は胸の大きさなんて気にしてない。なのに、どうしてこんなに心が痛いの?」

「……何もかも(ピー)提督と、こんな本買う奴らのせいよ! (ピー)ねヘンタイ共がー!!」


 山、谷、山、渓谷、山、断崖絶壁。
 心からの応援を送る豊かな三名と、慟哭の貧しき三名。なんの例えかは伏せるとして、恐ろしく高低差が激しい。
 強引に救いを見つけるとしたら、世の中にはまな板を好む男性もおり、罵倒されて喜ぶ男性もいるという事だろうか。
 後者三名にとって、この事実は救いにならないだろうが。いと憐れ。


《以上、チーム・STへの応援でした。続きまして、チーム・旧暦への応援です。マウンド奥にご注目下さい》


 BGM終了と同時に、チアガールたちが一斉にポージング。アナウンスでチーム・ST側ベンチにはけて行く。
 しばしの静寂。
 やがて、再び奈落から姿を見せる人影があった。
 今度は黒と白。学ランとハチマキ、そしてサラシを巻いた男装女子たちだ。


「っし! いくぜお前ら! 抜錨だぁ!」

『おぉぉおっ!!』


 先頭に立つは、ギュッとハチマキを締め直す少女。背負うテロップに、高雄型重巡洋艦三番艦・摩耶の名が。
 こちらも計十三名の応援団が、凛々しく仁王立ちを決める。


『さぁさぁ次なるはチーム・旧暦の応援団! 可愛らしいチアリーディングから打って変わり、男装女子たちによるカッコイイ応援です!
 リーダーを務めるのは新人重巡の摩耶ちゃん! 彼女の後を追い、メンバーが整列です。
 鳥海ちゃん、木曾ちゃん、由良ちゃん、夕張ちゃん、あきつ丸ちゃん、朝潮ちゃん、満潮ちゃん、舞風ちゃん、初風ちゃん、祥鳳さん。最後に長門さんと陸奥さん。豪華ですねー!』

『数は少なくとも、確実にいる女性購買層へ向けたプランです。こういうのに弱い女性は多いですから。もちろん男性もですが……。フッハッハッハッハ……』

『悪役や……。もう霧島はんが悪役にしか見えへん……』


 もはや売上のことしか考えていない青葉&霧島はさて置き。
 チア軍団と違い、男装応援団は大きなドラムとホイッスルが共演。
 生演奏の迫力に負けじと、摩耶が声を張り上げる。


「行っけー、行け行け行け行け睦月ぃ!」

『行っけー、行け行け行け行け睦月っ!』

「押っせー、押せ押せ押せ押せ旧暦!」

『押っせー、押せ押せ押せ押せ旧暦!』


 正拳突きを交互に繰り出し、豪快な声援を送る男装女子たち。
 いわゆる長ランと白手袋で身を固め、ボタンは留めていない。
 程よく引き締まった腹筋が躍動していた。


『男らしい掛け声と裏腹に、喉を震わせるのはうら若き乙女たち! チア軍団とは別の意味でお喜び頂けるでしょう! 揺れない代わりに常時ヘソ出しですよ!』

『サラシも重要なポイントだと愚考します。実は私たち金剛型も、日頃から巻いています……』

『霧島はん!? なんのアピールやのそれ!?』


 得意満面の青葉と、なぜか頬を染める霧島、ツッコむ黒潮のカットイン。
 それらを摩耶の拳が殴り飛ばし、快活な笑みがアップになった。


「お前らぁ! この摩耶様が応援してやってんだっ、勝たないと承知しねぇぞっ!」

「私の計算通りなら、皆さんの勝つ確率は高いはずです」

「鳥海殿の仰る通りっ。持てる力を全て発揮し、勝利を掴むのであります! 自分も全力を尽くすであります!」


 同じく長ラン姿の姉妹艦、鳥海。実はあまり普段と変わらないあきつ丸の支援を受け、ボルテージが上がっていく。
 続いて声を発したのは、長身の戦艦、長門・陸奥姉妹と、眼帯とハチマキが番長風味を醸し出す木曾。格好は勇ましいながら、女性らしい華を忘れない祥鳳、由良である。


「手強い相手だろう。きっと苦戦もするだろう。しかし恐れるな! 真の敗北とは、己が恐怖に屈することだ!」

「あらあら、血気盛んなんだから。でも、ヤるからには勝たなくっちゃダメよ?」

「俺が許可する、本当の戦闘って奴を教えてやれ!」

「とはいえ、あんまり気合を入れ過ぎると危険です」

「怪我だけはしないようにね。ね?」


 やたらと重々しい口上は、まるで実戦前の新兵への訓辞である。
 戦意高揚には相応しいかも知れないが、禍根を残しては元も子もない。選手への気遣いで第二声は締められた。
 そして、こちらの最後は音楽担当。
 二台のドラムへ配された舞風・初風と、両腕を前後左右に振り下ろす満潮。ホイッスルが妙に似合う朝潮に、モヤっとした顔の夕張だ。


「あ~あぁ、私はあっちでチア踊りたかったなぁ~」

「ちょっと舞風。グチってないでドラム。音ズレちゃうでしょ」

「嫌がってた癖に、初風も意外と張り切ってるわよね……。はぁ……」

「満潮、無駄口は駄目! 朝潮型の代表として、全力で応援しなくてはっ!」

「……なぁーんでかなぁー。特に問題ないはずなのに、良からぬ意志を感じる私が居るのよね、この配置に……」


 ダンスが趣味という簡易テロップが示す通り、舞風は身体をソワソワと。
 嫌々ながら参加していたらしい初風がそれを叱り、やる気のなさそうな満潮も溜め息をつく。
 唯一、元気ハツラツなのが朝潮で、《ピー!》とホイッスルを鳴らしつつ、腕を上げては振り下ろす。木曾を番長と言ったが、こちらはさながら風紀委員といった所か。
 残る夕張の気掛かりは、彼女の視線の行く末……。サラシで圧迫され、ストーンと地面までを見下ろさせてくれる“何か”が原因であろう。
 軽巡なのに駆逐艦並み。哀しきは、如何ともし難い個体差である。
 そうこうしている内に、男装女子が「押忍!」と最後の気合を入れ、チーム・旧暦への応援も終了した。


《以上、チーム・旧暦への応援でした。試合再開は、十分後を予定しています。しばらくお待ち下さい》


 はけて行く二組目をアナウンスが見送り、映像は解説席へ。
 満足気な表情をした青葉が、鷹揚に頷いている。


「いやぁ~、良い目の保養が出来ましたね~。ここで、試合再開までの間、これまでの好プレー・珍プレー集をご覧頂こうと思います。素晴らしいプレーの数々を、どうぞ!」

「那珂ちゃん戻りましたぁー! ねぇねぇ、どうだったどうだった?」

「お、お帰り~。けっこう良かったで~。ウチ見直したわぁ」

「今のうちにメガネの掃除を、と……」


 カメラへ手を差し伸べる青葉の隣では、着替えを終えた那珂と黒潮がハイタッチしたり、霧島が高級クロスで眼鏡を拭いたり。
 実況中に編集したらしい映像が再生されるまで、微妙な間。
 まず映し出されたのは、第一イニングである。
 睦月のライナーヒットから始まり、如月のバント、叢雲の艤装キャッチ、ビビられる不知火、長月と弥生のダブルプレーと続く。
 その後の映像は、諸事情により初出の情報となるはずだが、かい摘んで説明させて頂く。

 フライを追う綾波と磯波。落球予測地点へ向かうも、譲り合ってフェアヒットに。二人揃ってアワアワしている。
 バットを構える漣。しかし、ボールカウントが増えるたびにバットヌンチャクを繰り広げ、最終的にはふざけ過ぎでアウト。内容はともかく、やり切った表情は清々しかった。
 チーム・ST側ベンチで、大アクビをする初雪。ボリボリ頭を掻いたり、立ち上がったかと思えばブルマの食い込みを直したり、一列を占領して本気寝したり。とにかくだらしない。
 今度こそバッターボックスに入った深雪。全力でバットを振るい、ツーストライクからのホームラン。両手Vサインを掲げ、満面の笑みで深雪が走る。

 ファールフライを追いかけて、夕立たちの居る報道席に突っ込む弥生。周囲が心配する中、捕球したグラブを掲げる姿が勇ましい。
  敷波の打った打球がチーム・旧暦のベンチへ。居眠りしていた望月に直撃する。バットを脇に挟み、ひたすら手を合わせる敷波と、困惑しつつ額を擦る望月が対照的だ。
 ワンアウト三塁の場面。外野フライのアウトを待ってホームに駆け込む叢雲を、如月が迎えうつ。バックホームされる球をしっかり受け止め、倒れこみながらも叢雲をアウトに。その姿が何故かエロい

 ……と、このような映像が他にも流れ、約十分。
 定刻通りに試合再開のサイレンが鳴り、選手たちがポジションにつく。
 榛名のアナウンスが球場へと響いた。


《お待たせ致しました。試合を再開します。六回の表、チーム・旧暦の攻撃は、五番、皐月さん。五番、皐月さん。背番号、五》


 最初に進み出た打者は、金髪……というより黄色に近い髪を二つに縛る少女。
 これが初打席なら一時停止と略歴紹介が入るのだが、今回は二巡目なので入らない。
 しかしながら、忘れてしまった視聴者の為に小さなアイコンが端で光っており、それを選択すると改めて紹介が見られるようだ。諸々の事情を鑑み、ここでそれを開かせて頂こう。

 曰く、睦月型駆逐艦五番艦・皐月。
 水無月、文月、長月と第二十二駆逐隊に所属する。
 とある輸送作戦中には、文月と共に九十七の敵機から攻撃を受けるものの、全ての爆弾と魚雷を回避してみせる。この功績を讃えられ、感謝状の授与が全軍に布告される栄誉も受けた。
 特記事項、くすぐりに弱いが、くすぐられるのは嫌いじゃない――とのこと。


「またまた、ボクの出番だねっ。かっ飛ばすぞー!」


 やや不安になる紹介ではあったが、この場でくすぐられる訳もなく、無邪気にバットを構えている。
 対する投手・吹雪の顔には緊張が色濃く、少々余裕をなくして見えた。
 けれど、彼女はそれを無視するよう、投球を準備。腰にボールを構えた。


『さぁ試合再開です! 打順は巡って再び皐月ちゃん。真正面からの勝負が多い吹雪ちゃんはどう攻略するのか。第一球を……投げたっ』


 指を離れた球が、一直線にミットへ向かう。
 外角、速球のストレート。初見では対応の難しい球だが、先に言った通り二巡目の打席。
 皐月は瞳を輝かす。


「もーらいっ」

「しまった!?」


 バットの先端で、すくい上げるような一打。
 低い弾道は右中間へ。ライト・漣のかなり手前でバウンドする。
 気を抜いていたらしい漣が慌てて捕球に向かうが、皐月も艤装状態で疾走。間一髪、セーフをもぎ取った。


『皐月ちゃん初球から打ちに行ったー! 打球は伸びてライト方面へ、漣ちゃん真面目に送球するもセーフです! 皐月ちゃん強気ですねー』

『いえ、今のは球が甘かったように見えました。吹雪さん、どうやら調子を戻せていないようですね』

『睦月ちゃんもそうだけど、ずぅっと一人で投げてるもんねー。疲れちゃって当然だよー』

『でも、そのためのインターバルやしなぁ。悪い流れを変えれへんかったんは痛いでぇ』


 悔しさに顔を歪める吹雪と、カメラに向かって「やったね!」とサムズアップの皐月。
 慣れないスポーツをしているという事もあるが、明暗はハッキリと分かれていた。
 追いかける展開はいつまで続くのか。また新たなバッターをアナウンスが呼ぶ。


《六番、自由守備・文月さん。自由守備・文月さん。背番号、七》


 茶髪のポニーテールを解き、ヘルメットを被りながら進み出る少女。ここでも改めて略歴紹介を。
 曰く、睦月型駆逐艦七番艦・文月。
 皐月の項に活躍が記されているが、船団護衛中、勝鬨丸という名の大型船……元アメリカ貨客船「プレジデント・ハリソン」と衝突。大破したという苦い経験も持つ。
 特記事項、意外としたたかな性格――とのこと。


「出撃ですっ。本領発揮するよぉ~」


 したたかさと言うより、のんびりさを感じさせる言葉遣いで、文月が左のバッターボックスに。
 とても長打を放てそうもない、へっぴり腰な構えだが、吹雪は厳しい表情のまま。


『ランナーを一塁に置いてノーアウト。続くバッターは、雰囲気的にスポーツが似合わない文月ちゃん。前回の打席では見逃し三振でしたが、今回は如何に!』


 両ベンチからの声援が届く中、まぶたを閉じて深呼吸を繰り返し、落ち着こうと努力する吹雪。
 やがて、しっかと目を見開いた彼女は、右腕を回転させながら一歩を踏み出す。


「……ふっ!」

「わぁ~、やっぱり早いね~」


 豪速球。大きな音を立てるミットに、文月が感嘆の声を発した。
 素直な感想なのか、余裕の表れか。屈託のない笑顔からは判断がつかない。


『初球ストレートは見逃し。続いて第二球……ボール。文月ちゃん一向に手を出しません』

『様子見……いえ、手を出せないんでしょうか。いまいち読めませんね……』

『あっ、またボールになっちゃった。吹雪ちゃん、大丈夫かなぁ』

『根が生真面目やからなぁ。気張り過ぎて余計な力が入っとるんや、きっと。こらマズいわ……』


 解説陣の難しい顔がカットイン。また焦りを見せ始める吹雪に被った。
 追いかける展開からのノーアウト一塁、ツーボール・ワンストライク。プレッシャーは如何程だろうか。
 それを振り払うよう、大きく頭を振った吹雪は、裂帛の気合いと共に全力に投じる。


「今度こ、そっ……あっ!?」


 けれど。その矛先は狙いを外れ、文月の方へ寄ってしまう。
 内角を抉るどころではなく、確実に直撃コース。高く逸れる球は、頭部を目掛けて。
 誰もが息を飲み、ただ文月だけが笑顔を浮かべ――


「ふぇ~いっ」

「ひぃいっ!?」


 ――次の瞬間、軟球が吹雪の立つマウンドへ突き刺さった。
 土煙の向こうを見れば、文月は背中に機関部を背負い、腰に爆雷、両足首にも魚雷発射管が。艤装を召喚していたのだ。
 青い顔で吹雪が腰を抜かし、球場に文月のポテポテという走塁音のみが響く。
 いち早く正気に戻ったのは青葉だった。


『……ぉ、おおっとぉ!? あわやデッドボールかと思われた矢先、文月ちゃんが艤装を召喚、縦にバットを振り抜いたぁ!』

「えっ、ちょ!? め、めり込んでて取れないんですけどぉー!?」


 色んな場所から、色んな意味で驚愕の歓声が上がり、なんとか吹雪も持ち直す。
 しかし捕球しようにも、隕石が落下したかの如く地面は抉れ、いくら掘っても出てきそうにない。
 文月だけでなく皐月も進塁し、ついには本塁へ戻ってしまった。


『これは、なんとも……。よく回避したと褒めるべき、なんでしょうが……。どうやら防御行動の一部として認められたようです。インプレイ、ランナーは進めます』

『皐月ちゃんと文月ちゃんが戻ってきたから、これで二点追加だねっ』

『……もしかして文月はん、これ狙ったんちゃう? 侮れんわ……』

「文月、おつかれっ」

「えへへ~。やったぁ~」


 ポカンと見つめる白雪の横を通り、皐月・文月がハイタッチ。
 そのままベンチに戻り、皆とも手を合わせて喜びを分かち合う。
 ややあって、主審・長良がタイムを宣告。プレイは一時中断となった。


《ご案内します。ただいま、グラウンドの修復中です。プレイ再開まで、少々お待ち下さい》


 グランドレーキ……いわゆるトンボ掛けの道具などを持った少女が二人、マウンドへ駆け寄っていく。
 ツインテールのスパッツ少女が、陽炎型駆逐艦一番艦・陽炎。体操服の裾をブルマの上に出すショートカット少女が、同八番艦・雪風のテロップを背負っていた。
 飛び散った土を均したり、抉れたマウンドを盛り直したり。埋まった球をほじくり出すのにも苦労しているようだ。
 カメラは一旦、解説席へと戻る。


「えー、アナウンスでお聞きのように、現在、グラウンドに空いた穴を、陽炎ちゃんと雪風ちゃんが埋めております。ちょっとお茶でも……」

「かなり深く突き刺さりましたから、時間が掛かりそうですね。茶菓子はマドレーヌで宜しいですか?」

「だねー。あれだけ深かったら埋めちゃった方が早いかも……あれ? 白雪ちゃんが吹雪ちゃんの方に歩いてくよ? むぐむぐ」

「これは……。ちょい、音拾えるー? ズズズッ……あ、こっちちゃうで。あっちやあっち」


 どこからともなく急須を取り出す青葉に、なぜか洋菓子を持っている霧島が習い、那珂と黒潮が相伴に預かる。
 すると、小休止ムードが漂う球場で、ベンチ側に退避していた吹雪へと白雪が歩み寄った。
 傍目にも酷く落ち込んでいるのが見て取れ、カメラなどもそちらに。


「吹雪、一体どうしたの? もしかして、どこか痛めていたり……」

「ううん、そうじゃないの。……ごめんね、不甲斐ないキャプテンで。後で文月ちゃんにも謝らなくちゃ」


 あわやデッドボール、という危険な投球をしてしまったからだろう。苦笑にも力がない。
 どう声を掛けていいか、白雪は悩んでいるようだった。
 が、慰めるよりも先に拳を握り、吹雪はガッツポーズして見せる。


「私のせいで負けたりなんかしたらダメだよねっ。絶対に勝とう! すぐ調子戻すから――へふっ?」


 ――の、だけれど。
 白雪が唐突に、吹雪の鼻を摘んだ。
 言葉も途中で遮られてしまい、困惑する目がパチクリと。


「し、白雪……?」

「ねぇ、吹雪。私たち、『勝たなきゃいけない』とか、『勝たなきゃダメ』なんて言い方した?」

「え? ……してない、と思うけど……」

「だったら、もっと肩の力を抜きましょう? 責任感があるのは良いことだけど、重く背負い過ぎるのは、貴方の悪い癖。これは戦争じゃなくて、スポーツなんだから」

「……あ」


 指を離し、白雪は吹雪をある方向に向き直させる。
 そこに居たのは、彼女の姉妹艦たち。
 ニカっと笑う深雪、微笑みと流し目の叢雲、少し自信なさ気な磯波。静かにうなずき返す綾波、心配そうなのに口には出せない敷波、拳でグラブを鳴らす朧、バットヌンチャクに失敗して後頭部を抱える漣。
 何も言わずとも、吹雪を支えようという気持ちが見える、仲間たち(一部を除く)。


「絶対に勝たなきゃ、なんて気負わないで。一緒に頑張りましょう」

「……うん! 頑張ろーっ、おー!」

『おー!』


 円陣を組み、手と手を重ねて、一斉に空へ。
 失敗に澱む表情はもう無かった。
 真っ直ぐ勝利を見つめる少女が、朗らかに笑い合っている。
 それに釣られたのか、戻ってきた映像が写すのは、穏やかな笑みを浮かべる青葉たちだった。


「どうやら、吹雪ちゃんは立ち直ったみたいですね~」

「はい。チーム・旧暦、ここで追加点を得られたのは僥倖だったかも知れません。手強い相手が戻ってきました」

「うぅ……っ。どうしよう、那珂ちゃん感動しちゃった~……。メイク落ちちゃうよぅ~」

「……っすん。あはは、なんやウチ、涙もろくてイカンわ~。おっ、陽炎の作業も丁度終わったみたいやでっ」


 那珂はハンカチを片手に、黒潮まで鼻をすすっているが、どこか暖かい空気が流れていた。
 どうやらそれが照れくさいようで、グラウンド整備の方にカメラを向けさせている。
 丁度、顔を土で汚した雪風がボールを掲げ、陽炎がレーキを杖に一息ついたところで、すぐにアナウンスが。


《お待たせ致しました。試合を再開します。六回の表、チーム・旧暦の攻撃は、七番、レフト・長月さん。背番号、八》


 団結を深めたチーム・STがポジションへと足早に戻り、バッターボックスにも次なる打者が現れる。
 瑞々しい緑色をしたロングヘアが特徴の少女だ。
 略歴紹介。曰く、睦月型駆逐艦八番艦・長月。
 特に輸送作戦での活躍が目立つが、コロンバンガラ島への輸送任務中、新鋭の米駆逐艦・ストロングが属する作戦群を発見、雷撃。彼の船を撃破せしめた武勲でも有名である。
 特記事項、何気に歌が上手い――とのこと。


「こいつは、今まで以上に頑張らないとな。さぁ、行くぞ!」


 吹雪の気迫を感じ取ったか、長月も表情を引き締め、油断なくバットを構えている。
 息の詰まるような緊張感ではなく、心を躍らせる緊張感が漂っていた。


『今度こそ試合再開です! 仲間の声に自らを奮い立たせた吹雪ちゃん。相対するは、これまで堅実なプレーを見せてくれた長月ちゃんです。注目の第一投は……』


 白雪からのサインに応じ、吹雪が頷く。
 一呼吸の間を置き、動作を停止。
 そして。


「行っけぇ!」

「……何っ」


 今まで通りのウィンドミル投法で放たれた球は、今まで以上の球速でミットを叩いた。
 長月が思わず身を引いてしまう程の、凄まじい圧が見て取れる。
 判定は当然ストライクであり、双方のベンチと、解説席がどよめく。


『これは凄い! 凄まじいスピードのストレートです! 球速は……島風ちゃん二人分です!』

『時速一百四十km……。もはや本物の選手以上ですね。感情持ちの統制人格は、精神的なコンディションに大きく能力を左右されますが、ここまでとは……』

『おぉー! 吹雪ちゃんカッコイイー!』

『逆転、あり得るかも知れへんでぇ。面白くなってきたわぁ』


 投げた本人も手応えを感じているらしく、返球を受ける顔に迷いはない。
 対する長月にまで笑みが浮かび、投手との勝負を楽しんでいるようだった。これこそスポーツの醍醐味なのだろう。
 吹雪はそのまま次の投球に入り、また緊張の一瞬。


「……ふっ!」

「くっ……そ! やるなぁ……!」


 振りかぶられるバット。迫る速球。風切り音とミットの音が、ほぼ同時に。
 上手く奥へ潜り抜けられ、長月は悔しさを隠そうともしない。


『続く第二球もストレート。カウントはノーボール・ツーストライク。第三球……チェンジアップ! 意表を突かれた長月ちゃん、残念ながら空振り三振です!』


 最後は変化球がバットをすり抜け、束の間、呆気にとられる長月。
 自身が凡退したと悟るや、彼女は歯噛みして打席を去り、代わりに進み出る姉妹艦へ未来を託す。


「すまない、みんな。私はここまでのようだ……。後を頼む、菊月」

「ふ……。また戦場に身を投じる時が来たか……」


 長月と同じく長髪だが、純白に近い髪色を持つ少女。
 略歴紹介曰く、睦月型駆逐艦九番艦・菊月。
 開戦時は第二航空戦隊に所属し、数々の緒戦に参加。船団護衛に従事した。
 二日にかけて二度の爆撃を受け大破。放棄されるが、米軍によって引き上げられ、その残骸をフロリダ島に残していた事で有名である。
 特記事項、実はよくヘタレる――とのこと。
 逆手にバットを持ち、悠然と打席へ向かう姿からは、信じられない情報だ。


《八番、センター・菊月さん。センター・菊月さん。背番号、九》


 右ボックスへ入ると、今度は順手。恐ろしく堂に入った構えを見せる。
 バットの構えというより、剣術における逆八相の構えに見えるのが、若干の不安を匂わせるのだけれども。


『続いてのバッターは菊月ちゃん。私生活では、寡黙な割に厨二的な言動が目立つ彼女ですが、成績はフォアボールでの出塁のみ。実力は未知数です。果たして、その言動に見合う活躍はできるのか?』


 ともあれ、試合は続いている。実況も冷めやらず、戦いを加熱させていく。
 滑り止めのロジンバッグを掴み、ボールの感触を確かめる吹雪。重心を低くし、今か今かと待ち受ける菊月。
 主審・長良まで息を飲む中、吹雪が投球姿勢を取り――


「菊月、出るっ」

「ストライク!」

「……運が悪かったな! 次こそは」

「ストラーイク!」

「…………わ、悪いが、ここが貴様の墓場」

「スリーストライク! バッターアウト!」

「………………こんな事は、威張れる事じゃないがな。……ううっ、なんなのさぁ……」


 ――流れるように三連投。
 スパァン、スパァン、スパァンと気持ちの良い音が響き、目尻にうっすら涙を浮かべた菊月は、雲を背負ってベンチに帰る。
 抑え込んだはずの吹雪が、妙に気不味そうな顔で背中を見送り、盛り上がっていいはずのチーム・STベンチも静かなまま。
 重い沈黙を誤魔化そうと、青葉は声を張った。


「……えぇーと。吹雪ちゃんまたしても奪三振! 速度の緩急を上手く使い分けていますねっ」

「そ、そのようですねっ。実に見事です。この落差は睦月さんのスローカーブと同等に思えます」

「あ、あのー、吹雪ちゃんも凄いとは思うんだけど、菊月ちゃん、すっごく落ち込んじゃってる……」

「やめて! ホンマに威張れる事じゃなくなってしもうたから、触れんといてあげて!」


 空気を読んだ霧島が後に続くも、あまりの落ち込みっぷりに、菊月を気遣ってしまう那珂。
 身を切るような黒潮の叫びすら、傷口に本ワサビを擦り込むが如く。ベンチの座席にちょこんと座り込み、膝を抱える菊月であった。
 彼女に付けられたマイクが、「この菊月に気遣いなど無用だ……。無用だから、しばらくそっとしておいてぇ……」という呟きを拾う。然もありなん。


《き、九番、ライト・三日月さん。ライト・三日月さん。背番号、十》


 ウグイス嬢・榛名すら噛ませる、珍妙な雰囲気が漂う球場へと、また新たなバッターが。
 もはや罰ゲーム的な印象を受けるも、当の黒髪少女――文月と同じようにポニーテールを解き、ヘルメットでピョンと立ったアホ毛を押さえつける彼女は、実に落ち着いた表情だった。


「そろそろですか?」


 略歴紹介曰く、睦月型駆逐艦十番艦・三日月。
 睦月型の中で唯一ミッドウェー海戦に参加し、ソロモン諸島では強行輸送任務……俗に言う鼠輸送に従事した。
 華の二水戦旗艦・神通、最後の活躍となったコロンバンガラ島沖海戦にも参加したが、同作戦中に姉妹艦である長月を失った経験を持つ。
 特記事項、本物のネズミはあまり好きじゃない――とのこと。


『気を取り直して次に行きましょうっ。打者は九番の三日月ちゃん。キャラが濃い睦月型の中では控えめな性格ですが、それ故に落ち着きのあるプレーが見所です』


 三日月が左打席でバットを構え、吹雪は眉を険しく、警戒心を露わにする。
 菊月が噛ませ犬……と言うと可哀想だが、まぁ御しやすかったのに対して、そう簡単には打ち取れない気配を感じたのだろう。
 事実、それは正しかった。


「……これでっ」

「当たって!」


 様子見にしては力の込められたストレートを、三日月は辛うじて捉える。
 打球が後方へ飛び、バックネットを大きく揺らした。


『三日月ちゃん、初球をファウル! 豪速球に合わせてきました』

『良く見えているみたいですね。初回の白雪さんと同じく、長期戦になりそうな雰囲気です』

「負けたくはありません。スポーツとはいえ、戦いなんですから!」


 自らの立ち位置を確かめ、バットを持ち直す三日月。
 控えめではあっても、心根に熱い気持ちを宿しているらしく、構えにも気迫が乗る。
 第二球、外に低め。手を出さずにボール。
 第三球、内を抉るチェンジアップ。振りかけたバットを戻してツーボール。
 第四球、全力のストレートに振り遅れてツーストライク。
 第五球、高めにゾーンを逸れてスリーボール。
 手に汗握る攻防が続いていく。


『えっと……。ツーアウト、ランナー無し、フルカウント、だよね? 次で決まるかなぁ……』

『どうやろ。吹雪はんが流れを引き戻したっちゅうても、まだどっちに転んだっておかしない。これからや……ん? 今更やけど、ウチも普通のコメンテーターになってへん?』


 指折り数える那珂と、疑問顏の黒潮がカットイン。場の空気をわずかに和らげる。
 吹雪、三日月も小さく笑い、しかし次の瞬間には、アスリートの顔に戻っていた。
 バッターは脚の置く位置を確かめ、ピッチャーが緩やかな投球姿勢を。六度目の勝負である。


「……ふっ」

「っえーい!」


 投げられたのはストレート。確実にストライクゾーンを貫く軌道だが、速度は低め。
 目敏くそれを見破った三日月は、すくい上げるようにバットを振り、打球を左方向へと運ぶ。
 吹雪が振り返るのと同時に、三日月が艤装状態で走り始めた。


『打ったぁああ! 低めのライナーがショートを抜け――ない!?』


 打球はピッチャーである吹雪と、ショートを守る磯波の間を縫い、ワンバウンドでレフトに抜けるかと思われた。
 が、ここで磯波が見事な反応をして見せ、飛び込むようにグラブを伸ばす。
 パン、と捕球する音。ボールは左手にしっかり収まっている。


「と、取れたっ……ていっ!」


 取った本人も予想外だったようだが、続く送球にも無駄はない。
 低い姿勢からの球は少し軌道をズラしていた。けれど、ファースト・深雪が身体をめい一杯に伸ばしてキャッチ。一拍遅れて三日月が塁を駆け抜ける。
 塁審・五十鈴が「アウト!」と宣告し、スリーアウト。チェンジとなった。


『これは磯波ちゃんのファインプレーです! ワンバウンドで抜けるかと思われたヒットをダイビングキャッチ、迷わず一塁へ送ってアウトに変えました!』

『仲間の援護を受けて、この回は二失点に留めましたね。見事なチームプレーです』

『吹雪ちゃんも磯波ちゃんもカッコイイよー! 三日月ちゃんはドンマイ! まだ勝敗は決まってないよっ』

『裏の攻撃で追いつけるかが鍵やな。……ツッコミ所が無いんは寂しいけど』


 落胆する旧暦側ベンチと、湧き上がるST側ベンチ。
 体操服の前面を土で汚した磯波に、サードの叢雲、レフトの敷波が飛びつき、褒め称えている。
 恥ずかし気な磯波をアップに、略歴紹介のアイコンが光った。
 曰く、吹雪型駆逐艦九番艦・磯波。
 十番艦の浦波は改Ⅰ型と呼ばれる事もあり、純粋な特Ⅰ型は彼女が最後となる。
 その浦波と衝突して傷を負い、五年後のミッドウェー海戦を生き延びた直後、またもや浦波と衝突するという不運に見舞われた。
 特記事項、磯辺と付く料理が得意――とのこと。

 お祭りムードのチーム・STだが、一方で、チーム・旧暦の雰囲気も悪くはない。
 肩を落とす三日月に皆が駆け寄り、守備への気勢を高めている。


「私の努力が足りなくて、ごめんなさい……」

「そんな事ないって! みんなで頑張れば良いんだから、ボクらの得点はみんなの得点っ。さぁ、今度は守備に出撃だー!」

「そうそうー。あたしも、これからどんどん本領発揮するよぉー!」

「うむ、頼むぞ皐月、文月。……だから、いい加減に機嫌を直せ? 菊月」

「ふっ。長月よ、誰に物を言っている。ワタシは別に落ち込んでなどいない。いないんだ。……ないからなっ」


 肩を組み、拳を突き上げ。時には拗ねる者もいるが、九人全員が一丸となり、勝利を手にしようとグラウンドを駆けていく。
 もっとも、補欠の望月だけは、相変わらずベンチでダレている。追い出されないのは、働き蟻に必ず一定数存在するという、怠け者的な役割を果たしているから……であろうか? 実情は不明である。


《六回の表、チーム・旧暦、得点、二》


 攻守が切り替わり、ピッチャーマウンドには睦月、キャッチャーに如月を置いて、裏の攻撃が始まる。
 右打席へと進み出たのは、同じく右にサイドテールを流す少女。柔和な笑みが似合いそうな顔を、キリリと引き締めていた。


「この場面は、譲れません!」


 略歴紹介曰く、綾波型駆逐艦一番艦・綾波。
 言わずと知れた、第三次ソロモン海戦の“鬼神”。
 敵発見の知らせが届かなかったり、別れて行動していた隊が撤退を始めていたりと不運が重なった結果、戦艦・二、駆逐艦・四の主力部隊に単独で挑むことになる。
 ところが、綾波の放った魚雷は二隻の駆逐艦を轟沈・大破せしめ、味方の増援を得て残る駆逐艦も撃破。最後に、米戦艦サウスダコタにも直撃弾を与えるという大戦果を挙げて、その艦生を終えた。
 特記事項、世話を任されている子猫・オスカーの観察日記が趣味――とのこと。


《六回の裏、チーム・STの攻撃は、六番、自由守備・綾波さん。自由守備・綾波さん。背番号、十一》


 かつて“鬼神”の称号を与えられた少女が、今は体操服にブルマでバットを構える。
 過去、涙を飲んで爆散する彼女を看取った人々が知れば、「どうしてこうなった」と嘆き悲しむか、あるいは狂喜乱舞するであろう光景だ。
 しかし、以前が軍艦だろうとも、対峙するは可憐な少女たち。とやかく言うのは野暮というもの。試合へ戻ろう。


『ここでバッターは綾波ちゃん。追加点を許し、三点差に広げられたチーム・ST。かつてソロモン海で挙げたような武勲を立てたい所です。しかし、それを阻もうと睦月ちゃんが第一投……投げた!』


 じっくりとサインを擦り合わせ、睦月が構える。
 一秒に満たない静止。放たれるのはスローカーブ。ゆっくり、弧を描く球がミットへ向かった。


「ボール!」


 しかしストライクゾーンは外していたようで、主審・長良がボールのカウントを増やす。
 綾波は微動だにしなかった。迫る軟球をキッチリ見定めたらしい。
 睦月も特に慌てた様子はなく、返球を受けて次の投球へ移った。


『一球目はボール。続けて第二球は……またしてもボールです』

『二球続けてのスローカーブですか。手を出しませんね』

『打ち辛そうだもんねー。那珂ちゃんだったら最初から諦めちゃいそう』

『……なるほど、それや。綾波はん、打ち球を絞ったんとちゃう?』


 二投目も同じようなやり取りが行われ、解説席の映像が短くカットインした。
 黒潮がポンと手を打ったのと同じタイミングで、睦月の三投目。
 三度目の正直……には期待しなかったらしい。真っ直ぐミットに向かうストレートが、スローカーブと比べ物にならない速度で進む。
 綾波が動いた。


「てぇえええ~い!」

「にゃっ!?」


 コンパクトに振られたバットは、見事ボールを掬い上げ、打球がマウンド上を越える。
 睦月が飛び上がるも僅かに及ばず、センター前ヒットに。
 長打を予想していたらしい菊月、打席とは打って変わってキレのある送球をして見せたが、こちらも一歩及ばず。すでに綾波は塁を駆け抜けていた。


『綾波ちゃん打ちました! 内角高めのストレートをセンターに運び、一塁へ進みました!』

「や~りま~したぁ~!」

「うぅ、こ、この程度なら、まだ……っ」


 ベンチに向けて、綾波がピョンピョン跳ねつつ両手を振り回す。愛らしい鬼神が居たものである。
 一方、打たれてしまった睦月の顔に、初めての焦りが浮かぶ。流れが傾き始めているのを、身をもって感じ取ったようだ。


《七番、レフト・敷波さん。レフト・敷波さん。背番号、十二》

「結局、あたしの出番かぁ~」


 チーム・STベンチがまたしても湧き上がる中、漲る気合いを口元に秘めた少女が、静かに、悠然と歩み出る。
 ポニーテールの結ぶ位置を変え、ヘルメットを被り直す彼女は、略歴紹介曰く、綾波型駆逐艦二番艦・敷波。
 磯波・浦波・綾波と第十九駆逐隊を編成、二水戦に属した。
 ミッドウェー、ソロモン諸島、ニューギニアなどの諸作戦に参加し、三度に渡るソロモン海戦も生き延びたが、その過程で多くの姉妹艦を失い、最後の時まで船団護衛に従事する。
 特記事項、許せないのは唐揚げに無断でレモン汁――とのこと。


『無死一塁でバッターは敷波ちゃん。ヒットをもぎ取った綾波ちゃんに続けるかで、今後の流れが明確になるでしょう。注目の打席です!』


 打線が爆発するか、それとも変化球で煙に巻くか。青葉の実況通り、ここが分水嶺と言えるだろう。
 今までひょうひょうとしていた睦月も、プレッシャーからか表情が硬い。
 余裕たっぷりな敷波を見据え、まずは第一投を。


「敵艦見ゆ、ってか? ……ふんっ!」

「あにゃ!?」


 ――と、様子見で放たれたストレートが悪手だった。
 投球フォームを見た時点で不敵に笑った敷波は、綾波に習いバットをコンパクトに振る。
 出塁するにはあまり良くない右方向へと伸びていくが、その隙に綾波が三塁へ疾走し、ライト・三日月はアウトカウントを優先して一塁へ好送球。
 敷波も艤装状態で走るが、今度は間に合わずアウトに。


『おおっと初球打ち! これは読んでいたか!?』

『ライト前ヒット、敷波さんは間に合いそうもありませんが、十分に役目は果たしましたね』

『まずは追いつくことが大事、だもんね? 敷波ちゃんグッジョブ! 三日月ちゃんもグッジョブ!』

『睦月はん、連打されたんは初めてやね。付け入るチャンスやけど、踏み止まれるやろか』


 だが、自らのアウトも計算のうちだったようで、三塁の綾波とアイコンタクトした敷波が、満足げにベンチへ去る。
 その途中、彼女は次なるバッターに素っ気なく、けれど確かなエールを送った。


「へへ、まぁまぁじゃない? じゃ、後よろしくねー」

「頑張るっ。朧、行きます!」


 大きく頷いた次打者――朧がバットを軸に立ち上がり、待機場所からバッターボックスへ。
 今にも走り出しそうな溌剌さが伝わってくる。
 それに引き換え、これまで絶対に許さなかった連打を浴び、睦月の渋い顔は一層深く。
 背後の守備陣――皐月や文月が「打たせて行こー!」「これからこれから~」と声をかけ、やっと笑顔を見せるほど。切羽詰まっているようだ。


《八番、センター・朧さん。センター・朧さん。背番号、十七》

『打撃が好調なチーム・ST、バッターの朧ちゃんがボックスに入ります』

『選択肢としては、バントで確実に一塁を狙うか、長打で得点と出塁を狙うか。どちらもあり得ますね』


 温度と明暗の違う緊張感が、選手たちを包み込んでいる。
 ワンアウト走者三塁。打者を凡退させるか、打ち上げさせてフライを狙うか。どちらにしても、走者の存在が重い。
 睦月はロジンバッグを手に取り、余分についた滑り止めを体操服で拭う。一つ一つの動作に時間をかけ、 自分のリズムを取り戻す作戦なのだろう。
 そうして放たれる第一投目は――


「これなら、どうかにゃっと!」

「……やらせは、しません!」


 ――バットの目前で浮き上がるライズボール。
 僅かにかすった打球が後方へ飛び、観客席前のフェンスを鳴らした。


『第一球はファウル、ノーボール・ワンストライクです。いやぁ、当たるようになりましたね。どうしてなんでしょう、霧島さん?』

『今までは変化球に翻弄されているような印象でしたが、先ほど那珂さんが言ったように、安定しないスローカーブを捨ててしまえば、自ずと球は限られてきます。
 速度を変化で補っていた分、読めるようになれば打ちやすいんでしょう。手の内を見せ過ぎた、のかも知れません』


 的確な霧島の解説をバックに、第二投、第三投、第四投、第五投……と攻防が続く。
 ライズボール、スローカーブ、チェンジアップ。
 ストレート以外を巧みに織り交ぜているが、ボール球には決して手を出さず、甘い球は積極的に打つ。
 スローカーブとチェンジアップがツーボールになった以外、全てをファウルにされている。
 一球を投じるがごとに、睦月の制球力は乱れていくようだった。そして、彼女の心も。


「負けない……。まだ、負けるわけには……ってぇえっ!」

「だから――」


 おそらく、睦月からすれば渾身の一投。
 全精力を注ぎ込んだストレートに見えたが、これこそが朧の待ち望んでいたもの。
 投手に向けた脚を軽く浮かせ、こちらも全力でバットが振られる。


「――やらせないって言ったでしょ!」


 ジャストミート。確実に芯を捉えた打球がライト奥へ。
 硬球ならホームランでもおかしくないが、しかし軟球ゆえに飛距離は伸びずフェアヒットに。
 三日月が捕球しようと後ろに下がる。


『右中間、これは大きい! が、ライトの三日月ちゃん即応っ、朧ちゃんは一塁に……セーフ! その間に綾波ちゃんホームへ! ホームランにこそなりませんでしたが、確実に点差を縮めました!』

『きゃー! 朧ちゃーん!』

『行ったと思うたけどなぁ。しかし、これはいよいよ追い詰められたで、睦月はん』


 鋭い送球は惜しくも間に合わず。
 受けた弥生が返す刀でバックホームを狙うが、綾波は余裕でホームイン。チーム・STに一点を追加した。
 歓声に湧くST側ベンチと、驚愕に己が手を見つめる睦月。フェイスガード越しの如月の顔が、心配そうに揺らいでいる。
 そんな中、新たな打者がスキップしながらバッターボックスへ。
 ピンク色のツインテールを崩さぬよう、スリットが刻まれた特注ヘルメットを被る彼女は。


《九番、ライト・漣さん。ライト・漣さん。背番号、四六四九》

「ふっ。乗るしかない、このビッグウェーブに! 駆逐艦・漣、出る!」

《……あ、失礼しました。選手の交代をお知らせします。九番、漣さんに代わりまして、島風さん。バッターは島風さん。背番号、四十》

「島風、出撃しまぁ~す!」

「ファッ!?」


 唐突な選手交代の知らせに、思いっきり目をひん剥いた。
「なんじゃそりゃあ!?」と言いたげなドUPにダブる略歴紹介曰く、綾波型駆逐艦九番艦・漣。
 トボけた言動に反し、数多の攻略作戦に参加した。真珠湾攻撃ではミッドウェー島への艦砲射撃も行っている。
 また、続く暁型のための新型ボイラーを、試験的に載せた船でもあった。
 特記事項、とてもオタい――とのこと。誰の目にも明らかだ。
 話を戻し、彼女に変わって進み出る少女がまた一人。
 皆と同じく体操服にブルマを履き、紅白のオーバーニーソックスと大きな黒リボンが特徴の彼女は、アナウンスが紹介した通り、島風である。


『ここで選手交代です! 満を持して、体操着なのに何故か露出度が下がっている島風ちゃんの登場だぁ!』

「いやいやいや待っておくんなまし!? あやなみんからの連打が続いてるんだから、ここは綾波型である漣が出ないと締まらないでしょキャプテン・ブッキー!?」

「ご、ごめんね漣ちゃん。ここは確実に行きたいし、それに……」

「さっきの打席、ふざけ過ぎてアウト貰ってたじゃない。ここで同じ事されたら大惨事だもん。諦めた方が早いよ?」

「うっくぅ~、なんも言えねぇ~」


 迎えに来た吹雪と呆れ顔の島風に窘められ、漣は大仰に天を仰いだ。遠く、如月が「やっぱり漣ちゃんのネタは古いと思うわぁ」とボヤいている。
 それはさておき、一時停止付きの略歴紹介を見てみよう。
 曰く、島風型駆逐艦一番艦・島風。
 次世代型駆逐艦として計十六隻の建造を予定されていた島風型だが、生産性の低さと諸々の事情により、彼女一隻のみとなってしまった。
 なお、最速の船として名を馳せる島風ではあるが、航続距離を引き換えに、四十ノット以上の速力を持つ船は割と存在する。
 彼女が評価される所以は、速度・航続性能・攻撃力が高水準でまとまっているから、なのである。
 特記事項、連装砲ちゃん(♀)というお供が三匹(?)居る――とのこと。


『実は楽しんでる漣ちゃんを無視して、実況を続けましょう。スイングで風を巻き起こす島風ちゃん、ここは長打が欲しいですねー』

『ゴロでなければランニングホームラン確実ですからね。狙っていきたい……んですが、これは、どうなんでしょう……?』

『あれ? なんかダメなの?』

『いや、なんもおかしく……あぁ~、そういう事かぁ~……。島風はん、ルール理解してるとええんやけど……』

『ほえ? な、なに? 那珂ちゃんを仲間外れにしないでよ~!』


 一時停止が解除。凄まじい速度で素振りする島風に、胡乱げな霧島・黒潮の顔がカットイン。涙目の那珂に追いかけられて消えていく。
 どうやらこれがヒントになったらしく、睦月がニタァと悪い微笑み。


「……にゅふ。これをどう、ぞ!」

「ふふん、おっそ~い!」


 島風に対する第一球は、およそ本気と思えない球だった。
 腕を一回転させるウィンドミル投法ではない、振り子のようにして投げるスリングショット投法。狙いは安定するが、変化球を投げるには難しく、速度も出ない投げ方なのだ。
 つまりは打ってくれと言わんばかりの球であり、当然、島風は高速スイングで打球をセンターに運ぶ。
 同時に、艤装状態となった彼女が、時速七十kmで爆走を始めた。


『島風ちゃん、スリングショット投法によるストレートを、当然の如くセンターへ! 菊月ちゃんがしっかりキャッチ、三塁へ送りますが……!?』

「私には誰も追いつけないよー!」

「……えっ、ちょっと、島か――わっ」


 綾波に対した時と同じく、菊月が切れ味鋭い送球を。一塁へ送らなかったのはすでに通り過ぎようとしていたからである。
 三塁に向かっていた朧と、土煙を上げる島風が交錯。ほぼ同時に塁へ飛び込む。
 しかし、あまりの勢いに卯月は「轢かれるぴょん!?」と避けていたため、せっかくの好送球も無駄になってしまう……はずだったのだが。


「えっと……。ごめんね、島風ちゃん。……アウトです」

「うえぇ!? なんでぇ!?」


 卯月と同様、遠めに退避していた三塁審・名取は、無情にも島風のアウトを宣告した。
 その理由は、ため息と共にカットインする黒潮たちが説明する。


『あぁ、やっぱりや……。前のランナー追い越したらアウトんなるっちゅうに……』

『一つの塁には一人の走者しか留まれないのを、知らなかったんですね……』

『あー、そういう事だったんだぁ。那珂ちゃん勉強になりました!』

『……という訳でして、辛うじて三塁に滑り込んだ島風ちゃんと朧ちゃんでしたが、走者追い越しにより島風ちゃんはアウト。朧ちゃんはなんとかセーフです』

「速いだけじゃ、ダメなのね……」


 アウトになったのがショックだったようで、島風はペタンと座り込んでしまった。
 どこからか、砲塔に似た頭部を持つ寸胴の……生物(?)が現れ、彼女を慰めている。
 まぁ、色々な意味で勿体無いプレイではあったものの、アウトカウントは二。まだまだ試合は続く。


『アウトを一つ増やしただけでしたが、朧ちゃんを確実に進塁させたという意味ではいい結果です。島風ちゃん、お疲れ様でしたー。
 ……さぁさぁ、因縁の対決です! 仲間に助けられピンチを脱した吹雪ちゃんと、変幻自在の投球を見せてくれた睦月ちゃん。
 これまでは睦月ちゃんが勝ち越していますが、果たして?』


 連装砲ちゃんに連れられ、トボトボ帰っていく島風と入れ替わりに、吹雪が……五人目のバッターが進み出る。
 正念場での打席。瞳には闘志が燃えて、戦い抜こうという気概が見えた。


《一番、ピッチャー・吹雪さん。ピッチャー・吹雪さん。背番号、二十二》

「みんなのために……。私、頑張ります!」


 右バッターボックスに入り、しっかと睦月を見据え、吹雪はバットを握りを鳴らす。
 対する睦月は無言。ただ静かに、如月のサインを確かめ、目前のライバルに集中しているようだ。
 両ベンチから声援が押し寄せる。
 幾重にも名を呼ばれた少女たちの想いが、投げられたボールを通してぶつかり合う。


『息の詰まる攻防が続きます。ツーボール・ワンストライク、できればこの回で追いつきたいでしょうけれど、ツーアウト故か手が出ません』

『ホームランが出れば同点。さらに追加点を得られる可能性もあります。双方にとって踏ん張り所です』

『どっちも応援したいけど、勝つのは一チームだけ……。とにかく頑張れー! 全力全開だよー!』

『……次、動くな。これで決まるで』


 初球・スローカーブでストライク。第二球、第三球はライズボールが隅に散ってツーボール。
 バットを振ろうとする気配は見せる吹雪だが、なかなか思い切ることが出来ない。
 けれど黒潮の予言通り、ここで睦月の行動に変化が見えた。


「これが、今の睦月の全力。……吹雪ちゃん、行くよっ!」


 埒があかないと思ったのか、それともネームシップ同士、真っ正面から向き合いたいと思ったのだろうか。握ったボールを吹雪に突きつけ、勝負を宣言した。
 吹雪もそれに応えようと、一度構えを解き、バットの先端を空へ。ホームラン予告である。
 視線を重ね、二人は小さく笑い合う。
 いつの間にか、球場は静寂に包まれていた。投手板を両足で踏み、投球姿勢を取る睦月の足音が、やけに響いている。


「――っせぃ!」


 異様に長く感じる停止の後、睦月は大きな一歩を踏み出し、腕を一回転させた。
 ボールから指が離れ、回転しながら吹雪へ迫る。
 ストレート。これまでで最速と思える、真っ直ぐな軌道だった。
 しかし、タイミングを見計らっていた吹雪は“何か”を感じ取ったらしく、僅かに打撃姿勢が変化。ほんの少しだけ後ろに傾き、同時に映像もスローモーションに。


「――と」


 真っ直ぐミットへ向かっていたボールが、吹雪の手前で浮いた。


「――ど」


 バットは振り始まっている。そのまま行けば、ボールの下をくぐってしまう。


「――けぇえええっ!!」


 けれど。すれ違う直前でバットが跳ね上がった。
 斜めに打ち上げる、芯を捉え切った一撃が、一条の白線を描いた。


『吹雪ちゃん打ったぁ! 打球は左中間を突き破り、確実にホームランコースです! 睦月ちゃん膝から崩れ落ちるー!』

「そん、にゃ……」


 飛んでいく打球を目で追い、ホームに背を向けた睦月が、ピッチャーサークル内に膝をつく。
 チーム・STの歓声が轟く中、朧がホームイン。続けて吹雪がしっかりと塁を踏みしめ、また戻ってくる。
 六回の裏、ツーアウトからの同点ツーランホームラン。エースナンバーの面目躍如であろう。
 朧と二人、出迎える仲間たちと抱き合っていた。


『いやぁー、霧島さん、吹雪ちゃんは期待に応えてくれましたねー』

『そうですね。周囲の想いを自らの力に変える。これが彼女の特性なのかも知れません』

『うんうん、吹雪ちゃんカッコイイ! でも、睦月ちゃんも頑張ったよ! 両方カッコイイ!』

『せやね。二人とも良いプレーヤーや……ん? なんやの、この紙切れ。連絡?』


 観客の統制人格や解説席も、ゲーム展開と同様に盛り上がりを見せる。
 が、そこへ水を差すような黒潮の声。どうやら連絡事項があったらしく、カメラが解説席へ移った。


「ちょ、ちょい、ちょい青葉はん!? これ、これっ!?」

「はい? どうかしました?」

「……会場の運営委員からですね」

「どうしたのー? 那珂ちゃんにも見ーせてー?」


 なにやらメモを読み、青い顔をした黒潮が立ち上がる。
 霧島、那珂、青葉にメモは回し読みされ、次々と顔色は悪く。
 かと思えば、まだ落ち込んでいた島風が呼ばれ、新たに青葉が書き起こしたメモを持って、どこかへ走り去った。


《……え? こ、これを読むんですか?》


 球場のスピーカーから、榛名の戸惑った声が漏れ聞こえた。
 選手たちも何かが起こったのを悟り、ザワザワと落ち着かない様子である。
 ややあって、榛名が読み上げたアナウンスは――


《お……お知らせ、します。会場貸し出し時間の期限となりました。よって、試合はここで終了……引き分けとなります》


 えぇええっ!?

 ――と、会場を一体化させる叫びを上げさせた。
 もちろん納得など出来るはずがなく、怒った選手と応援団……とりわけ、摩耶が率先して解説席へとなだれ込む。


「フッざけるなぁ! おい青葉、これはどういう事だぁ!?」

「お、落ち着いて下さい摩耶さんっ、あのですね、会場を午後三時まで借りてるはずだったんですけど、なぜか書類には一三○○まで、ってなってまして……」

「この後も予約があるそうで、時間を超過すると、莫大な延長料金が発生するようです。
 推測ですが、電話口で『じゃあ三時まで』と予約したつもりが、『十三時まで』と聞き間違えられたのではないかと……」

「青葉のポケットマネーで賄ってるんです、ただでさえギリギリでしたし、延長したら借金しなくちゃいけなくなっちゃうんです! だからここはノーゲーム……いえっ、引き分け、引き分けという事で一つ!」

「青葉ちゃん……」

「これはヒドい。引き分けっちゅう結果自体はええけど、それに至る過程が最悪やわ」


 掴み掛かられ揺すられて、青葉がなんとも締まらない言い訳を繰り広げる。
 処置無しと霧島は諦めムード。那珂・黒潮の目が厳しく、青葉に味方は居なかった。
 最早、逃げ場もない。


「え、えー、こういう訳なので! 第一回 艦娘対抗、冬のスポーツ大会、三角ベース編の結果は、引き分けです! 映像特典をご覧の皆様っ、ご視聴ありがとうございましたぁー! スタコラサッサー!」

「あっ、オイ待ちやがれぇ!!」


 ――が、諦めの悪い青葉は、なんと掴まれているセーラー服をスポンと脱ぎ去り、下に着ていたらしい体操服姿となって群衆を脱出。カメラ目線に挨拶と敬礼をしてから、脱兎の如く逃げ出した。
 後を追う摩耶たちが映像に入り込み、そのままブラックアウト。伴奏のみの軍艦マーチをBGMに、スタッフロールが流れ始める。

 お重を持った着物姿の女性……鳳翔とテロップを付けられた統制人格や、握手する吹雪と睦月。
 双方のチームメンバーが入り混じり、握り飯を食べている風景などが、写真として上に流れていく。
 やがて、古い映画のような「終」の一文字を置き、特典映像は終了した。










 ……はずが、黒い画面にニュッと穴が開き、エプロンをつけた青葉が顔を見せる。


「この番組は、横須賀鎮守府の提供で、お送りしました! 次回、近海警備 密着二十四時に、ご期待下さい!」

「青葉さ~ん、オムスビ足りないぴょ~ん」

「はいはいただいまぁー! あっつ、ご飯が熱いっ!?」


 映像の外から卯月の声が届き、青葉は湯気を立てるご飯に悪戦苦闘。
 その後頭部を最後に、穴は閉じていった。

 今度こそ、終幕。




















《序幕 新人提督と――――》





 車内は、一種異様な雰囲気に包まれていた。
 影が真下に落ちる頃合いの、首都のオフィス街をスモークガラスに映すリムジン。その中には、運転手の男性を除いて十名の姿がある。
 まずは人間が四人。先輩――兵藤 凛提督、自分、主任さん、最近ホントに懇意な警備の人・疋田さん。
 そして、統制人格が六人。霞、雪風、木曾、摩耶、鳥海、長門だ。
 車座になった誰も彼もが、己以外の人物へ疑いの眼差しを向け、警戒心を露わにしている。
 静かな息遣いとタイヤ音だけが鼓膜を揺らし、しばらく。
 沈黙を守っていた先輩が、決意を込めて手札を切った。


「……悪いね新人君。ドロー・フォー!」

「なら自分もドロー・フォーで。はい疋田さん」

「ごめんなさい、私も。ワイルド・ドロー・フォー。色は黄色で、霞ちゃんどうぞ」

「じゃあワタシは黄色のドロー・ツー。次、木曾さんよ」

「ふっ、甘い。この間食ったクリスマスケーキ並みに甘いぞ。鳥海にドロー・ツーだ!」

「あら。でしたら私も。ドロー・ツーです。十八枚よ、雪風さん」

「ご、ごめんなさい。主任さんにドロー・ツーでお願いします。あと、ウノです」

「またぁ!? 雪風ちゃん早過ぎ……と言いつつ摩耶ちゃんにドロー・フォー。二十四枚も山札にあるかな……」

「へっへへ、ところがどっこい! ここでアタシもドロー・フォー! 長門に計二十八枚だぜ! どぉだ、参ったか!」

「なん、だと……」


 そして、右回りにドンドンとカードが切られていき、最後は先輩の真向かいに座る長門へ。
 自分たちは、とある病院――桐生提督が未だ眠り続ける、例の軍病院へと向かう道すがら、ウノに興じているのだった。
 全員からの集中攻撃をうけ、長門は轟沈寸前である。もうリカバリーは無理だろう。諦めが肝心だよ、うん。
 ……というか、お見舞いなのに人数多過ぎだろこれ。


「あの、先輩。どうして着いてきたんですか? どこから嗅ぎつけたんですか?」

「嗅ぎつけたってヒドい言い方だねぇ。愛しい君がお忍びで病院へ行くだなんて、心配になって当然じゃないか!」


 足りなくなった山札を切り直しつつ、先輩は胸を張る。
 最初は護衛の数も半分で、こじんまりと行くつもりだった。それがこんな人数になっちゃったのは、例によって先輩のせいである。
 朝。主任さんと護衛の霞・雪風・木曾を拾うため、宿舎に車を回そうと乗り込んだら、何故だかシートが生暖かく、「ハァハァ」と荒い吐息まで。
 急いで車を降りてみると、運転席が妙に艶かしい曲線で盛り上がっており、三秒後、中から先輩が「グッモーニン!」と現れたのだ。死ぬほどビックリしました。

 その後、先輩は腰を抜かす自分を引きずり宿舎へ。拡声器で皆を呼び出し、急遽、追加の人員を募るくじ引き大会が勃発。
 結果として摩耶・鳥海・長門・金剛の所に泊まっていたらしい疋田さんが追加され、車も先輩が手配したリムジンとなり、今に至るのである。
 昼前に帰ってこられるはずが、出発が昼というね。ちょっと前の自分なら怒っただろうけど、もう慣れました。下手に逆らって疲れるより、柳の如く受け流す方が楽です。


「病院に行くことは行きますけど、自分の検査はついでですよ? 主目的はお見舞いと、喫茶 間宮ですし」

「いやー。まさか本当に連れてってくれるなんて、感謝感激ですよーっ。一度行ってみたかったんですよねー、喫茶 間宮! 鎮守府の一般職員にとっては、もう高嶺の花でしたから!」


 行く手に待つ甘味を想像して、主任さんはウキウキ顏だ。
 色々あって流してしまっていたのだが、例の写真流出事件の直前、主任さんのしようとしたお願いが、「喫茶 間宮に連れてって」、なのである。
 位の高い人間が利用する病院内にあるため、いわゆる一般職員は、滅多なことでは間宮に入れない。しかし、自分の付き添いがあれば大手を振って楽しめる、という訳だ。
 良いように使われてる気がしないでもないけど、世話になってるお礼も兼ねて、叶えてあげようと思ったのだった。しばらく見舞いにも行ってなかったし、ついでに胃の検査とかしたかったし。
 まさか漏れるとは思ってなかったけど。誰が先輩に告げ口したのか……。


「……疋田さん。まさかとは思いますけど、教えてませんよね?」

「わ、私じゃありませんよっ。っていうか、直前まで知らなかったんですから、教えるなんて無理です」

「ですよねぇ……」


 一応、この中で最も付き合いの浅い疋田さんに疑いを向けるも、彼女の言う通り、無理な話だろう。なんせ、宿舎へも金剛が無理やり連れてきたっぽいし。
 ちなみに。くじ引きで彼女が当たりだと分かった瞬間、金剛は美し過ぎる土下座と共に「Exchange Please!」と叫んだ。意外と先輩が厳しかったので、企みは御破算となったが。
 ハンカチを噛み締め、電と一緒に見送ってくれるその姿は、ちょっと可哀想でした。
 まぁ、統制人格が居るんだから出番はないだろうけど、普通に護衛官としての力量はあると聞く。万全を期す意味では有り難い。


「あ、そうそう。忘れるところだった……。はいこれ。新人君にプレゼントだよ」

「プレゼント? 何かありましたっけ」

「正式に“桐”を襲名した記念に決まってるじゃないか。これでも真剣に選んだんだからねっ」


 先輩はゴソゴソ懐を漁り、小さなケースを差し出してくる。
 開けてみると、入っていたのは細かい装飾施されたボタン――カフスボタンのセットだった。
 見た目にも高級感が漂う品物だが、自分はそれを疋田さんに橋渡し。


「疋田さん、アレまだ持ってます?」

「はい。あの一件から、常備するよう上に言われてますんで。……あ、やっぱり。盗聴器入ってます」

「ギャース! なんで検知機なんて!?」


 疋田さんが手にした、手の平ほどの黒い機械――盗聴電波検知機が、《ピー!》と高音を発する。同時に先輩が仰け反った。
 念のため、と思ったらやっぱりかよ……。親指サイズのボタンに盗聴器を埋め込むとか、手間と金のかかるイタズラをしよってからに。


「この間、盗撮騒ぎがあったばかりですよ。警戒して当然です。先輩だし」

「ですよね。兵藤提督ですし。宿舎内の調査、大変だったなぁ……」

「ヒドい! ヒドいよ二人とも! じゃあこっちをどうぞ。盗聴器入ってない方」

「わー。用意が良いなー」


 疋田さんと二人で頷いていると、決してヘコたれない先輩が新たなケースを差し出してきた。主任さんも呆れている。
 再び検知機にかけるが、今度は反応しない。大丈夫そうだ。ポケットにしまっとこ。


「まぁ、ありがとうございます。頂きます」

「これからは表舞台に立たされるだろうから、こういう細かいオシャレも必要になってくるよ。
 時計とか靴とか財布とか、スーツならネクタイやタイピンなんかにも気をつけないと。立場に相応しい出で立ちをね」

「偉い人って、面倒ですね……」

「ですよねぇ。あたしは裏方で良かったです、ホント」


 ポンポンと肩を叩き、先輩は珍しく先輩らしい助言をくれる。
 いつだったか、自分も思った事を疋田さんが呟き、腕組みする主任さん。
 自分と先輩は軍服姿だし、彼女たちも役職に合わせた制服――疋田さんはよく見る青い警備の制服――なのだが、桐谷提督にも言われた。これから表に立つことが多くなる、と。
 妬み嫉みは、恵まれている環境から当然として。問題になるのは侮られることだ。若造である自分がそれを防ぐには、せめて形から入らなければ、という事だろう。
 繰り返すけど、偉くなるって面倒だ……。
 と、溜め息をつきたくなってきた頃合いに、木曾が話に入ってきた。


「ところで、向こうに着いたら俺たちはどうすれば良い。その、間宮とかいう店で待っていれば良いのか」

「ああ、そうしてくれ。自分は検査とかで時間かかるから。好きなもの注文して良いけど、一人二品までにしてね」

「雪風、楽しみですっ。島風ちゃんから、よく話に聞いてましたから。ね、霞ちゃん?」

「……まぁ、そうね。甘いものはキライじゃないし。護衛のついでなんだし、仕方なく食べてあげるわ」


 どうやら、甘味を待ち遠しく思っているのは、主任さんだけじゃないようだ。
 ニコニコ微笑む雪風と、口では興味がなさそうなのに、今か今かと窓の外を伺う霞が、実に少女らしくて可愛らしい。
 ちょっと気にかかるのは、やや表情の硬い鳥海のことか。


「でも、初めての任務が司令官さんの身辺警護だなんて、少し緊張してしまいますね……」

「そぉかぁ? アタシは別に気にしてねーけど。ただ喫茶店に行くだけなんだろ? 長門だって居るわけだし。な?」

「すまん、今は話しかけないでくれ。カードを引くのに集中できん……」


 カードの位置を入れ替えつつ、ソワソワ居住まいを正す鳥海。
 一方、彼女の姉である摩耶は、靴を脱いでシートにあぐらをかき、見えそうで見えないもどかしさを与えてくる。
 この二人、鳥海が高雄型三番艦で、摩耶が四番艦とされる場合があるのだが、鳥海の方が起工が早く、進水は摩耶の方が早いという事情があり、またしても面倒臭いことになっている。
 ひとまず、現海軍では摩耶が三番艦、鳥海が四番艦というのが定説だ。
 史実では、摩耶のみ改修によって高角砲と対空機銃を増設。防空巡洋艦として身を新たにした過去がある。練度が上がった暁には、両方に同じ改修を施したい。ま、先の話だが。
 そして、一人黙々と、カードを引いては落ち込んでいる長門さん。ただいま三連敗中だ。ついでに雪風は三連続の最速ウノ宣言中。この差はなんだろう。特に運が悪いわけでもないだろうに……。


(桐生提督、まだ意識が戻らないんだよな)


 ふと、この場に居ない同僚の事が、頭に浮かんだ。
 大型深海棲艦……キスカ・タイプとの戦いで、その意識を囚われた、同い年の青年。
 もしも彼が健在だったなら、今頃どうしていただろうか。
 一方的に負い目を感じるんじゃなくて、この仲間たちのことを話し合ったり、互いの霧島を自慢し合ったりしたんだろうか。
 たった一度、任務を共にしただけの間柄だけど、何故かこんな事を考えてしまう。


(桐ヶ森提督も、こっちに向かってるって話だし。“桐”が三人集まるのか)


 双胴棲姫戦での侵食以降、彼女は定期的な検査を義務付けられた。
 本当は沖縄の戦車隊教導任務があるし、向こうでも行えるレベルの医療検査であるはず。機材を運んでも良い。なのに、わざわざ本土の、あの病院を選んでいるという、もっぱらの噂だ。
 それは、“彼”を見舞うためでもあるんだと、自分は考えている。
 出会った時は……まぁ、実はちょっと感じ悪いなーとか思ってたけど、彼女は友人――いや、仲間というべきか。そういう存在を大切にしているように感じた。
 佐世保で、かつて失った感情持ちを想い、歯を食いしばる姿を見た時。迎賓館で、踊りながら語り合った時に、そう感じたのだ。
 ……うん。一つ付け加えよう。
 もし、桐生提督が健在だったなら。彼と彼女は、他に並ぶものの無いカップルになったり、したのかも知れない。

 ってそうだよ忘れてた! あの盗聴器、肩の布パッチ型じゃなくって、襟に仕込まれてた方!
 あれを仕掛けられる数少ない人間が、今ここに居るじゃないか! この機会に問い質しておかないと……っ。


「あの、先輩。ちょっと聞きたい事が……」

「ん。どうかしたかい、新人君? あ、私の最新スリーサイズはだねぇ……」

「いいえそっちはどうでも良いです。まさかとは思いますけど、自分の礼装に盗ちょ――う?」


 加速は唐突だった。
 薄暗く見える街並みが瞬く間に流れ、ほとんど意味の無くなった信号すらを無視。ドリフトしながら右に曲がる。ビー、という警告音のようなものも。
 横方向へのGを感じる中、先輩は座席と運転席を分ける透明な防弾樹脂板へ向かい、付属のボタンを押して問いかけた。


「何事だい、秋山」

「高出力の赤外線を探知しましたっ。誘導装置に狙われていますっ」

「なんだって!?」


 車内へ響く声に、思わず驚愕が口をつく。
 赤外線誘導装置……。前時代から多用される、誘導ミサイルを目標へ導くためのガイドだろう。
 後部座席で振り返る雪風の視界を借りれば、同じようにドリフトして追いかけてくる四台のセダンが。
 確実に、狙われている。


(また情報が漏れた? このタイミングで?)


 警戒に警戒を重ね、最近では自分のスキャンダルで影が薄くなっていたが、能力者へ悪意を抱く反社会組織は、未だ根強く活動を続けている。おそらくその手合いだろう。
 しかし、いくらなんでもこれはあり得ない。
 リムジンは確かに目立つが、だからといって、市街地で即日テロ行為に及ぶほどの組織力は確認されていなかった。ましてや誘導兵器を準備する暇など。
 内通者が居るんだ。横須賀の中に。ひょっとしたら……この車の中に?


「え、え、何? なんなのこれっ」

「落ち着きたまえ主任君。君は非戦闘員だ、私たちが守ろう。
 疋田君、グローブボックスから予備の銃を。対人戦に備えるんだ。番号はひと、まる、まる、きゅう、はち、さん、ご、だ。
 それと鎮守府に襲撃の報も。同じ場所に埋め込み型の通信機があるから。
 新人君、まさか丸腰じゃないだろうね?」

「は、はい。持ち歩いてます。でも、疋田さんは……」

「ご心配なく。戦闘訓練は一通り受けてますから。……人に向けるの、初めてですけど」


 レーザー照準を外すため、車は蛇行運転を繰り返しては、ビルの合間を右に左に。強烈な横Gが絶え間なく襲い掛かってきた。
 状況を飲み込めないのか、主任さんはオロオロと狼狽えている。
 厳しい口調で先輩が指揮をとり、疋田さんが側面に備えられた小物入れへと暗証番号を打ち込む。
 拳銃や予備弾倉、スモークグレネードなどを取り出す手が、かすかに震えて見えた。
 ……くそ、警戒はしなくちゃマズいけど、疑いだしたらキリがないか。今は敵を振り切らないと。
 腰のホルスターから銃を取り出し、安全装置を解除。薬室に一発目を送り込んでから再びホルスターへと戻し、自分は仲間と五感を同調、指示を飛ばす。


「鳥海、雪風。ミサイルが発射されたら撃ち落とす。準備してくれ」

「り、了解っ」

「司令をお守りします!」


 リムジンの天井が開口し、鳥海が艤装を召喚しつつ、車外へ身を躍らせた。両腕に固定された二十・三cm連装砲が蠢き、長い黒髪が流れる。
 雪風は片膝をつく彼女の傍ら、上半身だけを出して後方を確認。覗く双眼鏡越しに、急カーブを追いかけてくる三台の車と、曲がり切れず横転する一台が見える。
 爆発。
 おそらくだが、横転の衝撃でミサイルが暴発したのだろう。……中の人間は、即死。
 残る三台は、顔まで黒づくめの人影が窓から身を乗り出し、円筒状の物体――誘導ミサイルを構えた。
 片側三車線の幹線道路。他に走っている車はない。丸裸だ。


「見えました! 六時方向から来ます!」

「司令官さん、発砲許可をっ」


 雪風の視覚情報からは、敵対者の情報は得られなかった。
 数十m後方を走る、戦争前に市場へ出回っていた、ごく一般的な旧型車。くたびれてはいるが、特徴を探せるほどではない。
 能力者へ悪意を抱くテロ組織は、犯行中にどれもが独自のシンボルを掲げているのに、それすら無いのだ。
 “超自然主義派団体 ジ・アース”、“大地母神教”、“人類種淘汰推進委員会”。性質の悪い三大勢力のいずれかである可能性が高いが、まだ見ぬ第四勢力である可能性だって。ややこしい……。
 とにかく、鳥海の要求に答えを出すため、疋田さんを見やる。
 先輩の指示通り、横須賀への通信をしていた彼女だが、ヘッドホンを片耳に当てるその顔は、苛立ちと焦りに染まっていた。


「実弾装填、並びに市街での発砲許可、出ません! 指定区域まで待避せよ、と!」

「なんだそれは!? 俺たちの指揮官が狙われてるんだぞっ!」

「わ、分かりませんよっ、なんで、ちゃんと伝えてるのに……っ」

「……クソッ」


 木曾がそれに食ってかかるも、八つ当たりに近いことを悟り、拳がシートの合皮を叩く。
 通常、統制人格の艤装からは物体は発射されない。船に乗せられている兵装と似た機構を持っているが、砲は圧縮された空気を発射し、魚雷はそもそも形だけの飾りだ。
 しかし、艤装デザインは千差万別でも、口径は軍艦らしく統一されている。これを利用し、艤装から発射可能な、統制人格の艤装専用弾も開発されていた。
 濫用を防ぐために完全支給制であり、今回持ってこられたのもごく僅かだが、まさか使用許可が下りないだなんて……。
 車内に不穏な空気が漂い始めた。けれど、目を細めてやり取りを聞いていた先輩は、事も無げにそれを一変させる。


「……いや、私が許可しよう。責任は取る。重巡・鳥海、実弾を装填せよ」

「ひ、兵藤大佐? でも……」

「問答無用! やりなさい!」


 一瞬にして空気が澄み渡るような、凛とした覇気。車内を覗き込む鳥海と目が合い、自然と頷き合っていた。
 この状況、規則通りに乗り切ろうとすれば死者が出るだろう。やるしかないんだ。
 警告音が続く。赤外線レーザーに晒されているらしい。
 鳥海が敵車両へ向き直り、腰に巻かれたベルトを探る。四発の、散弾と似た弾薬。両艤装の台座と砲塔部分の境い目がわずかに浮き上がり、そこへ装填された。


「撃ち漏らせば、街に被害が出る可能性も……。確実に落とします!」


 鳥海が覚悟を決めた、その刹那。ボシュン――と、間抜けにも聞こえる発射音が三つ。
 飛翔する弾頭が、鳥海・雪風の視界に迫る。
 しかし、まだ撃たない。
 細切れになる一秒の中で、ゆっくり、ゆっくり。死が迫る。
 おおよそ二十m。十六m。十二m。


「……今です!」


 雪風の声が、鳥海に引き金を引かせた。その間にも弾頭は近づき、乗用車2台ほどの距離まで。
 右・連装砲から二射。わずかにズラして左も二射。通常の砲弾と違い、円錐状に広がっていく散弾が、三発の誘導ミサイルに届く。
 爆音。熱風。
 後方へ向かって流れていた鳥海の髪が、一瞬だけ進行方向へとたなびき、また後ろへ。
 リムジンの挙動も揺らぐけれど、立て直す頃には、車内に戻る鳥海の歓声が聞こえていた。


「やりました! 計算通りですっ」

「危なかったな……。しかし、これで敵が諦めるとも――」

「……ダメよっ、前!」


 悲鳴のような霞の叫び。
 長門が安堵の溜め息をつこうとしていた時、彼女は前方へと注意を向けさせる。
 フロントガラス奥。ビルの隙間を脇へと逸れる道に、追跡車と同じような車が二台、左右両端から。
 警報は鳴りっぱなし。……やられるっ!


「摩耶!」

「おうっ、まっかせろぉ!」


 摩耶が即応。ドアを開け放つのと同時に艤装を召喚、強化された握力で逆上がり。
 天井へ着地するまでの一瞬で装填を済ませ、前方から発射された弾頭二つを狙い、左右へ二射ずつ。
 二度目の爆音と熱風。
 至近距離で撒き散らされる炎が、摩耶とリムジンの視界を塞ぐ。
 なんとかなったか……? と思ったが、運転手の逼迫した声が危機を知らせる。


「――!? くっ、捕まって下さい!」

「ぅおぉ!? ちょ、アタシを落とす気――あっ」


 同時に、車体が大きくうねった。
 慌てて天井にしがみついた摩耶の視界は、ある物を捉える。
 真っ直ぐこちらへ向かう多数の誘導ミサイル。奥には射手と思しき人影が数人と、道路を横に塞ぐ厳ついトレーラー。
 摩耶が大きく跳躍、リムジンから離れるのが分かった。
 その視界で一秒と経たないうちに、弾頭はフロントガラスへと突き刺さる。


「桐林提督!」

「うっぐ!?」

「きゃあああっ!?」


 疋田さんが自分へ覆い被さるのと、主任さんの悲鳴が響くのは、全く同じタイミングだった。
 経験したことのない、重い爆音。
 世界の上下が、入れ替わる。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「らーらー、らららー、らーららー、ららら、ららー」


 ガチリ、ガチリ、ガチリ。
 黒づくめの人影が、ビル屋上のコンクリートをクルクルと踏みしめるたび、鋼鉄の擦れるような音が響いた。


「全く、酷いよねー。ずぅーっと我慢してたのにさー」


 フード付きコートの裾がひるがえる。
 中途半端に止められたファスナーからは、青白い肌と、女性用水着――ビキニのような布当てが覗いていた。
 丈は短く、楽しげに、軽やかにステップを踏む脚も見えていたが、それは、人間にしては奇妙な形状だった。


「我慢して、我慢して、我慢して。もうちょっと機が熟してから収穫するつもりだったのに。
 こんな風に鼻面へエサをぶら下げられたんじゃ、“技研”の連中に横取りされちゃうじゃないか」


 逆関節。
 普通であれば膝があって然るべき部分が、逆方向に曲がっている。
 少女のように愛らしい声を持つ人影の脚部は、まるで馬のような構造をしているのだ。
 膝下――否、踵から先も、正しく有蹄類のそれ。コンクリートを削っていたのは、さしずめ蹄鉄であろう。


「そんなの許せないよね。それが望みなんだよね? ……だったら、釣られてあげる。期待通りにしてあげるよ」


 三十階の高さから地上を見下ろすと、熱を帯びた上昇気流が人影に吹き付ける。
 マフラーがはためき、漂白されたような髪が溢れた。
 横転し、燃え盛るリムジン。軍用トレーラーから溢れ出る、黒づくめの兵隊。銃声。そして――かすかに混じる、人の焼ける匂い。
 心躍るいたむ、戦場の空気だ。


「あぁ……。この匂い、懐かしいなぁ……」


 蕩けるような微笑み。
 無邪気で、天真爛漫とさえ思えるそれは、実のところ、純粋な悪意で満ちていた。
 美し過ぎる笑みを浮かべたまま、人影は眼下を這う“モノ”に目を配る。


「今、迎えに行くからね。何も知らない、哀れな生き餌モルモットくん」


 そして、ある一点を見据え、フェンスへと手を掛けた。
 クシャリ。
 紙のように千切れるそれの向こうで。
 ヒトカタ共を支えとする、蟻の如く小さな男が、無様に蹲っていた。




















 次回、新人提督と闇の強襲、に続く。





 2015/09/05 初投稿
 2015/09/07 誤字修正。MRE様、ありがとうございました。
 2015/09/10 誤字修正。柊様、ありがとうございました。







[38387] 新人提督と闇の強襲
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/09/26 12:35





 キィィン――と、頭の中で高音が鳴り響いている。
 それは痛みを感じるほど強く、視点がグルグルと定まらない。
 ただ、誰かに腕を引っ張られる感覚と、遠火で炙られているような感覚があった。


「――かりしなさい、桐林提督!」

「……ぁ、う……。先輩?」


 涼やかな声が、自分の事を叱りつけていた。
 軍人モードの先輩。
 おかげで朦朧としていた意識がハッキリし、周囲の状況をやっと飲み込める。


「待ち伏せ……じゃない、追い込まれたのか……っ」

「あぁ、そうらしいね。敵は高度な訓練を受けているようだ」


 自分たちは今、炎上するリムジンの裏に隠れつつ、その延長線上を移動していた。
 前輪部分までが完全に消し飛び、運転席も。秋山とかいう人は、おそらく即死。
 すぐ側に、青い顔で震えている主任さんと、彼女の肩へ手を置く疋田さん。さらに木曾と霞が護衛についていた。
 遠くから、逃げ惑う一般市民の声も。市街地……しかもオフィスビルが立ち並ぶ一角。走る車の数が減った分、脚で移動する人は増えている。
 巻き込まれないよう、逃げるのだって容易ではない。


「雪風、敵の数は?」

「……多分、十六人ほどで――ひゃっ」


 甲高い銃声。
 左端で指折り数える雪風が、慌てて右に一歩飛び退く。コンクリートが二~三秒に渡って削られ続けた。
 実弾だ。自分の身柄を確保したいんじゃなくて、殺すつもりなのか? もしくは、銃弾を浴びせても即座に治療できる設備が、あのトレーラーにあるのか。最悪、死体だけでも確保できればいいのか。
 ……今になって、手が震えてきた。
 そんな時、トレーラーとは反対側から、身を低くする摩耶たちがこちらに戻ってくる。


「凛のアネキ! 言われた通り、後ろの連中は黙らせてきたぜっ」

「武器も一丁だけ確保しましたけど、本当に他は壊してしまって良かったんですか?」


 どうやら、自分が気を失っている間、先輩の指示で行動していたらしい。
 摩耶が指差す先には、後方から迫っていた例のセダンが二台。一台は天井をこちらへ向けて横倒しになっている。即席のバリケード代わりには十分だ。
 自分より細く見える腕だが、艤装状態の統制人格であれば、歴史の重み自体を力とするように怪力を発揮する。おそらく摩耶たちがひっくり返したのだろう。
 着衣で手足を縛られた人影も転がっている。余裕があったら一人くらい逮捕したいとこけど、無理は禁物か。
 鳥海の腕には銃が抱えられていた。ベルギー製のパーソナル・ディフェンス・ウェポンPDWを発展させた物。厳しく生産が管理され、裏社会では滅多に出回らない代物である。
 セダンの後ろへ滑り込みながら、二人を「ご苦労様」と労った先輩がそれを構え、空に向けて引き金を引く。
 銃声はなかった。代わりに大きな舌打ちが聞こえる。


「ちっ、やっぱり。生体認証が掛かってる」

「……って事は、裏のコピー品じゃないって事ですか? ライセンス品には搭載義務があるって聞いたことが……」

「うん。軍の横流し品って段階じゃない。支援を受けているんだろう」

「そんな……。な、なんで、こんな事に……」


 疋田さんと先輩の会話を聞き、主任さんが更に顔を青白く、一層震えを大きくした。
 このご時世、先進国で使われる全ての銃には、本人以外が使用できないようにプロテクトが掛けられるのが一般的だ。静脈認証とか、指紋などを組み合わせて。
 一方、裏で売買が行われる銃にそんな邪魔な物は掛けられない。掛けるとしても、よほど大きな犯罪組織のトップを守る、私設兵団くらいだろう。
 ニューエイジ系団体や、色物宗教からも破門された連中、行き過ぎた環境テロリストなどが使えるものではないはず。
 だが現実に、ここにある。正式な配備手続きを行える人間が、かの組織を後援しているという証拠。そんな所にまで潜り込んでいるのか……っ。


「兵藤大佐っ、敵がリムジンを越えました!」

「おや。まぁとにかく、頭数を減らさないと……ね!」


 雪風が声を上げる。会話の間に、敵がリムジンを回り込んできていたのだ。
 先輩はPDWから弾倉を引き抜き、セダンの端に移動してから、反対側の端へ投じる。
 銃声が重なるのと同時に、身を乗り出して拳銃を向け、プシュン、と消音器を通したような音が幾度か。再びセダンに身を隠す。


「二人減った。しかし、助けようともしなければ動じてもいない。いやはや、本当にマズいね……」

「せ、先輩? それ、噴針銃……」


 彼女が手にしているのは、磁気加速させた極細の針を射出する、最新技術の粋を集めた無音噴針銃だった。
 一定の硬度を持つ物体――抗弾プレートなどで無効化できるが、繊維を織り上げるタイプの防具は逆に無効化し、極めて殺傷能力が高い。軍人でも携帯には特別な許可が必要だ。
 それを躊躇なく使い、事も無げに“減った”と。自分の知らない先輩が居た。


「ああ、殺したよ。私には君を守る責任がある。義務がある。その為ならどんな敵でも撃とう。……軽蔑するかい」


 一瞬だけこちらに目を配り、また先輩は敵へ集中する。
 距離の把握に化粧用のコンパクトまで使う姿は、軍人として正しい姿勢なのだろう。
 這い寄ってくる“死”の気配に怯える自分とは、かけ離れている。
 だが、どうして軽蔑なんて出来るのか。誰かを守ろうと自らの手を汚す女性を、どうして。


「しません。それだけは絶対に、しません」

「……そっか。君という男は、全く」


 言葉にして伝えても、先輩は振り返らない。
 けれど、漏れ聞こえる溜め息から、この状況にはそぐわない暖かさを感じられる。
 自分も戦わなければ。戦って、無事に電の……みんなの元へ帰らなければ。


「割り込んで済まないが、悠長に話している暇はなさそうだぞ」

「今、俺たちで水偵を上げた。包囲しながら近づいてくるな……」


 ウノの時とは違い、非常に落ち着いた表情の長門が、木曾と現状を報告してくる。
 使役距離の制限はあるが、艤装の一部として顕現する航空機でも、上空からの視点を得られる。遮蔽物の向こうの情報は有り難い。
 さっそく水偵に意識を向けると、見下ろす道路を、セダンへ真っ直ぐ向かってくる人影が六人。回り込むように、ゆっくり左右へ展開する四人のグループが二つ見えた。

 改めて位置情報を整理しよう。
 横倒しになったセダンを中心とし、零時方向に敵が六人、奥を塞ぐリムジンとトレーラー。
 右手には幅の広い対向車線があり、左手には歩道と、車がすれ違うのがやっとの、脇へ逸れる細い道路。
 前は論外。右へ行くにしても自殺行為に近いだろう。
 となれば、残された道は一つ。疋田さんが控えめに挙手した。


「あの、ここから例の病院って近いですよね。あそこって確か、陸軍の屯所が並列されてたと思うんですが」

「それを言おうとしていた所さ。いい目の付けどころだ。長門君、頼みたい事がある」

「聞こうか、兵藤殿」


 思い出してみると、怪我の功名か。その細い道路は、例の病院への近道でもあった。リムジンでは通れなかったが、人の足なら問題ない。
 しかし、回り込まれてしまえばそれも不可能になってしまう。戦闘において、巧遅は拙速に如かず。迅速に行動しないと。


(ねぇ、ちょっと)


 二言三言、作戦内容を確認し合う先輩たちの後ろで、不意に霞が話しかけてくる。
 行動予定を小耳に挟みながら首をひねると、難しい顔で彼女は続けた。


(変な意地張って、無理に戦おうとしたりしないでよね。その為に私たちが居るのよ。分かってる?)

(……分かってるさ。足手まといにしかならないからな。いざという時が来るまでは、援護だけに留めとく)

(そうじゃなくって! ……ぁあもうっ、バカ! 行くわよっ)


 何が不満なのだろう、霞は強く吐き捨てて腕の連装砲を構える。
 同時に、三本あるスモークグレネードの内、二本が零時と三時方向に投げられた。


「やれ、長門!」

「……破ぁああっ!!」


 自分の声に長門が呼応。一人でセダンを横へ引きずる。
 脚を狙われないため、あえてコンクリートを擦るように。ギャリギャリと不快な音が響き、摩擦で火花が散った。
 無数の銃弾が飛び交う中、なんとか脇道へと潜り込み、その入り口へセダンを放置。道を塞ぐことで時間を稼ぐ。
 あとは何度か道を曲がり、大きな道路へと出たら、病院は目の前だ。屯所の兵たちに助けを求められれば……。


「……!? 嘘、やだ、なんでこんな時に、発作……がっ」

「えっ、ど、どうしたんですか主任さん?」


 ようやく一息つけるかと思った矢先、覚束ない足取りでなんとか走っていた主任さんが、急に崩れ落ちる。
 咄嗟に疋田さんが受け止めるも、ただでさえ青ざめていた肌は、生気が抜けてしまったような色合いに。
 発作? まさか主任さん、持病でも抱えていたのか?
 健康そうに見えたのに、今は苦しげな顔で胸を強く押さえ、短く浅い呼吸を繰り返していた。
 なおさら急がないと……! どんな病気だか知らないけど、軍病院なら適切な処置が施せるはず!


「マズいっ、止まれぇ!」


 そう思い、皆が脚を早めた途端、木曾が大声で制動を掛けた。
 流れ込む水偵の視界。前方の曲がり角。数人の人影。全身に抗弾プレートを配したボディアーマー。手にはPDW。
 たまたま近くにあった自販機二台を、先行していた木曾・雪風が横倒しに。影へ滑り込むのと、くぐもった銃声は同時だった。
 貫通……してない。缶ジュースに満たされた液体が受け止めているのか。いや、確かあれに使われる銃弾は、消音器を使うと貫通力が低下する仕様もあったような。
 とにかく命拾いはした。が、状況は最悪だ。


「また先回りされた? どんだけ用意周到なんだよアイツらっ」

「そんな、あの方向は、病院なのに?」


 もどかしい展開に摩耶は憤り、鳥海も動揺を隠さない。
 敵がやって来たあの方向は、自分たちが向かっている軍病院への道に続いている。上手くカモフラージュして通り抜けたのだろう。
 付近で起きた爆発に気を取られているだろうし、前方の敵は消音器を使用している。屯所の兵隊たちが気付くよりも先に、包囲される方が早いか。
 万事休す……。いや、戦艦用の艤装実弾は、いわゆる榴弾と同じ。敵に向かって撃たせれば突破可能だ。
 しかしその場合、長門に人殺しをさせる事に……。


(なんで、自分には何の力も無いんだ。どうして周りに頼ることしか)


 悔しかった。
 自分の無力さも然る事ながら、自分以外の誰かの手を汚す事で、事態を切り抜けられると。それが正しい選択だと判断できるようになった自分が、嫌だった。
 けど、迷っている暇はない。こうしている間にも、主任さんの容態は悪化している。滝のような汗を拭うことすら出来ていない。
 発作を抑える薬とか持っていそうなものだが、多分、リムジンが横転した時のドサクサで紛失したのだろう。でなければとっくに使っているはず。
 覚悟を決めろ。線を引け。自分は、軍人なんだから。もう、綺麗事だけじゃ守りきれない。


「……兵藤殿。敵は随分と着膨れているようだ」

「だが、物理衝撃を殺せるほどじゃ無いと見た。俺たちなら……!」

「致し方ない。新人君、前は私が。長門君と木曾君を借りるよ。疋田君、スモークグレネードを」

「は? ……ちょ!? 先輩なにを!?」


 ところが、長門への実弾装填命令より先に、またしても先輩が動いた。
 疋田さんから受け取ったスモークグレネードを前方へ投げると、後腰に隠していたらしい小刀を構え、長門・木曾と駆け出していく。止める暇もない。


「おい提督、後ろの連中はどうすんだよっ」

「距離が詰まって来ています。このままでは……」


 かといって、唖然とする暇も無かった。
 後方の曲がり角を伺っていた摩耶・鳥海が、さらなる追撃を知らせるのだ。二人の視界に、スモークを焚きながら近づく人影が……十以上ある。
 統制人格用の実弾は数えるほど。無装填時の空気砲は、制圧力はあっても射程が短い。
 自分の南部十四式カスタムは予備弾倉が三つ。疋田さんの9mmは、車内で見た限り二つ。
 先輩たちが白兵戦で前方を片付ける間くらいは、なんとか保つだろう。
 今度こそ、戦う時だ……!


「さっき言った事、忘れたの? アンタは戦わなくたって良いのよ」


 ――と、意気込む自分の手に、小さな手が重ねられた。
 霞。硬く、銃把を握りしめていた力が抜ける。けれど、逆に心は硬度を増す。
 戦わなくたって良い? こんな状況で、そんな甘えたこと、許される訳がないのに。


「……もうそんな事を言ってる場合じゃないだろう。撃たなければ撃たれる。ここで捕まれば、主任さんは!」

「だから! 命令しなさい、私たちに戦えって。私たちはね、アンタを守るために……アンタの手を汚さない為に居るの」


 意思を通そうと声を張るが、霞もまた譲らない。いつもの不機嫌そうな顔を、真剣な眼差しが引き締め、彩っていた。


「分かってるわよ、アンタがそれを良しとしないのは。
 でもね……。一人くらい居たって良いじゃない。
 とんでもなく馬鹿だけど、なんにも染まってない、綺麗な手をした軍人が居たって」


 言い終えると、彼女は強引に自販機をこじ開け、摩耶たちへ目配せ。無事な缶ジュースを投げ渡す。
 受け取った重巡姉妹が頷き、乗用車をひっくり返す豪腕で、敵に向け投げつけた。
 原始的だが、当たり所が悪ければ昏倒必至。空気砲よりも効果的な対抗手段かも知れない。疋田さんも「そんな手が」と驚いている様子だ。

 ……けれど、なんだろう。何かが違う。何かがズレて、噛み合わない。
 守ってくれようとしてくれている。先輩も、霞も。有り難いと思う。
 でも、何も出来ないのと、何もさせて貰えないのとでは、全然違うのに。ただ守られるだけなんて、嫌なのに。


(……あぁ、そうか。あの時の電も、こんな気持ちだったのか)


 不意に、桐生提督の見舞いの時を思い出した。
 守られるだけじゃなくて、守らせて欲しいと言ってくれた、電の言葉を。
 一方的に守られるというのは、こんなにも遣る瀬無いのか。
 手中の銃へ視線を落とす。
 引き金を引くだけで、誰かを害することができる武器。
 自分は、これを使いたいだけ? それとも、誰かを守るために仕方なく?
 後者だと思いたい。しかし、奇妙な疎外感がしこりとして胸に残る。
 これが霞の言った変な意地、なのだろうか。なんて……みっともない男。


「こっちは片付いた! みんな、移動するよ!」


 いつの間にか、先輩たちが煙の中から戻っていた。
 地面に向けて小刀を振るい、血糊を払っている。長門と木曾も、特に変わった様子は無い。
 自分を取り残すように、事態は流動し続ける。
 それでも、次に何をすべきかはキチンと理解できていて、身体が勝手に動いてくれた。
 疋田さんの助けを借りて主任さんを背負い、先輩たちの元へ。
 自分の感情なんて後回しだ。
 今はとにかく、軍病院に辿り着く事を優せ










《綺麗な手の軍人? バッカじゃないの》










 脳裏に、聞き覚えのない中性的な声が響いた、その刹那。先輩の背後が炸裂する。
 圧力。熱。何かが顔にぶつかる衝撃と、激しい痛み。
 この四つを最後に、自分の意識は、深い闇へと落ちていった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 爆風によって黒煙が晴れると、そこには異形の脚を持つ、小柄な人影が立っていた。
 コンクリートはクレーターのように抉れ、辺りには赤黒いペーストが散乱し、濃厚な鉄錆の匂いも漂う。
 高高度からの力場砲撃により、この惨状を作り上げた張本人は、しかし楽しげな様子でクレーターの坂を登る。


「全く、チャンチャラおかしいよね。……人間は、母親の血に塗れて産まれるっていうのに、さ」


 元々、兵藤の手に掛かっていた“木偶”はさておき。異形の視線の先には、倒れ伏すヒトカタと人間たちの姿があった。
 背中にコンクリートの破片を生やす兵藤。その向こうに目的の男と赤毛の女、オマケにもう一人、青い制服の女が。
 男から少し離れた場所で、霞と雪風、摩耶と鳥海が倒れている。長門、木曾は余波で消し飛んだのか、確認できなかった。
 力を入れ過ぎたかも知れない。異形は反省するフリをしつつ、黒いコートの裾を遊ばせ、蹄を鳴らして歩く。
 兵藤のすぐ側までくると、しゃがみ込んで小刀を拾い上げた。


「この存在比重……。本物の三笠刀か。ご丁寧に高周波振動加工まで。もしかして、僕への切り札だったのかな? 残念、無駄になっちゃった」


 手に持つと、見た目以上の重さと微かな振動が伝わってくる。
 皇國興廃在此一戦、と刀身に刻まれた小刀。日本海海戦にて偉大な勝利を挙げた戦艦、三笠の破損した砲塔を使って打たれた、三千振のうちの一振り。
 他の誰にも理解できない尺度ではあるが、間違いなく本物であると、異形は悟っていた。
 それを理解した上で……もはや二桁も残っていない貴重さと、歴史的価値を分かった上で、異形は三笠刀をへし折り、ゴミのように投げ捨てる。
 こんな、しみったれた過去の遺物より、優先したいことがあったからだ。


「ま、それよりも何よりも……。うん、ちゃんと生きてるね。偉い偉い」


 ぴょん、と軽いステップで数mを移動。異形が男の――桐林の髪を乱暴に掴み、呼吸を確認する。
 顔には一本の、大きくいびつな裂傷が走っていた。顎先から唇を通り、小鼻を避けて左頬、眼、眉、生え際まで。
 大きな破片は兵藤が盾になったようだが、身長差故に顔には当たってしまったらしい。かなり出血していた。
 けれど、この程度なら問題ない。持参していた瞬間止血剤を、無針注射器で桐林に撃ち込む。十秒と経たないうちに出血は止まるだろう。
 二十四時間以内に同じ注射を打つと、血栓が出来て脳梗塞や心不全を引き起こすから、それだけ注意しないといけない。後は、拠点へ帰る間に傷を消毒、仮縫いしなければ。
 この傷の深さ、失明している可能性もあるが、サイバー義肢嫌悪症という報告は上がっていないのだから、最悪、義眼でも埋め込んで……。
 まぁとにかく。完全に気を失っているけれど、死にはしない。死にはしないのだ。


「君はこんな事じゃ死なない。死ねやしない。君の背負った“モノ”が悪運として現れ、死を許してくれない。当然といえば当然の話だよね……ん?」


 異形は誰にでもなく、一人で喋り続ける。そうする事が癖になっているように。
 しかし、ふと気付いた。殺意……と呼ぶには程遠いが、敵意を向けられている。
 その方向に居たのは、駆逐艦の統制人格が二名。霞と雪風だった。


「……私の。私たちの司令官から、離れなさい……っ!」

「頭に狙いをつけてますっ。このままだと、ヒドい事になりますよっ!」


 霞は右手の、雪風はショルダーバック型の連装砲を構え、厳しい言葉を投げかける。
 実弾か空気砲かは判別がつかない。どちらにせよ、この距離なら有効射程か。
 よくよく見れば、彼女たちの後ろからも、摩耶と鳥海が睨みつけていた。
 追わせていた木偶を、缶ジュース戦法で無力化したようだ。全く、木偶らしい役立たず具合いである。思わず失笑してしまう。


「……はは。じゃあ返してあげる。ほぅら」

「え」

「なっ」


 桐林の腕を掴んだ異形は、悠々と彼を放り投げた。
 ぞんざい過ぎる扱いに霞たちが慌て、受け止めようと構えを解いてしまう。


「バァ」


 だが、瞬きほどの一瞬で、桐林と二人の間に異形が割り込んだ。
 それぞれの脇腹へ左右の拳がめり込み、振り抜かれる。


「がっ!?」

「ぁぐっ」


 霞がブロック塀を倒壊させ、雪風がビルの外壁に叩きつけられる頃には、桐林はまた異形の手中に収まっていた。
 摩耶の拳が固く握られ、鳥海の目は細く。そして、踏み出すのは同時。


「てんめぇ、何してやがる!」

「これ以上の狼藉は許しませんっ」


 ジュースの投擲は人質に当たると判断したか、重巡たちは肉弾戦を以って桐林を奪い返そうとする。
 けれど、顔面を狙ったジャブも、足払いも。関節を取りに行こうとしても、紙一重で回避されてしまう。
 肩に成人男性を抱えたまま、異形は二人掛かりの統制人格を翻弄していた。
 バックステップで距離を稼ぐ顔にも、余裕の笑みが浮かぶ。


「おおっと。無茶するなぁ。こっちには人質が居るんだよ?」

「――ならば、まずは手放して貰おうか!」


 そこへ、横合いから拳が一つ。姿を隠していた長門の正拳突きだ。
 空いた手での防御はなんとか間に合うものの、受け止めた衝撃が足元まで伝わり、コンクリートに新たなヒビ割れを生じさせる。
 消し飛んだと思っていた雑魚に不意打ちされ、異形にようやく焦りらしきものが見え始めた。


「ぐ……っ、長門級か、流石に重い……なんちゃって」

「何っ」


 ――が、それは単なる演技。余裕の現れでしかない。
 塞がった両腕の代わりに、コートの裾から“尻尾”が伸びていた。先端は船の艦首に似て、かつ、存在し得ない口が存在し、隙間から砲身が覗く。
 人の胴と同じ太さのそれが長門を巻き上げ、地面へ叩きつける。金槌を振るうよう、乱雑に。
 やがて、耕されて露出した砂利の中へと、長門は沈む。
 見るに耐えなくなったか、物陰に隠れていた木曾が突撃を仕掛ける。


「貴様ぁ! よくも――っ!?」

「うるさい」


 足元を狙う実弾の連射。大型狙撃銃と同等の威力はあるだろうが、異形の姿は不意に消える。
 顔に掛かる影。
 上へ跳躍したのだと木曾は気付くも、遅かった。鳩尾に蹄鉄が吸い込まれ、木曾がコンクリートをバウンドしていく。
 蹴りの反動を利用し、異形は残る重巡たちの方向へとまた跳躍。反応しきれない二人の延髄へ蹄を打ち込み、意識を刈り取る。
 最初の砲撃から五分足らずで、桐林の護衛は全てが沈黙した。


「全くさぁ、雑魚が群れ成して鬱陶しいったらありゃしない。さて、後は……あたっ」


 背中に、小石をぶつけられたような痛み。
 振り返った先には、女が居た。倒れた自販機の前で拳銃を構え、唖然と立ち竦む青い制服姿の女。
 まだ、ハエが居た。
 苛立ちを隠さず、異形が歩み寄る。


「と、止まりなさい、止まれ、来るなっ――ゔっ」


 パン、という軽い銃声が十四回。頭部、肺、大腿部と、狙いはどれも正確だったが、全くもって効かない。
 見る間に鼻面まで接近を許し、伸ばされた白い細腕が、女の喉を掴んだ。


「身の程を知れ、阿婆擦れが」

「あ、お゛、っ」


 長く苦しめるために、ゆっくり、ゆっくりと、女の身体を浮き上がらせる。
 逃れようと女が藻掻いても、万力で締められているように動かない。
 赤くなった顔は、足が完全に浮いた時点で紫に変わり始めていた。
 苦悶の表情からも、段々と力が抜けていくようだったが、なぜかそこに、疑問の色が混じる。


「その゛、顔、どこか、で……」

「……え」


 驚愕に目を見開いたのは、意外にも異形の方だった。
 首をへし折ろうとしていた手が緩み、おまけに頬まで緩んでいく。


「へぇ。へぇへぇへぇ。そっかそっかぁ」

「――っかは! げほっ、はぁ、は……?」


 繰り返し頷く異形を、女は困惑の瞳で見上げる。
 しかし、彼女を見下ろす顔は、嬉しそうに笑うだけ。


「気が変わった。殺さないであげるよ。その代わり、帰ってみんなに伝えるといい。この顔を。君の見た光景を。君たちから大事なものを奪った存在の事を」


 拾い上げた拳銃を、女の眼前でピンポン球ほどの大きさまで握り潰し、異形が背を向ける。
 抵抗する気も消え失せたのだろう。女はただただ、身を抱えて震えるだけ。


「さってとー、後は木偶に自爆させて帰るだけ……なんだけど」


 事は成った。この場にもう用は無い……はずだった異形だが、あるものが目に留まった。
 まるで隠されるように、自販機の影でうずくまる赤毛の女だ。


「は――はっ――は――」


 顔は汗と涙にまみれ、口元を泡で汚している。今にも死んでしまいそうなのが見て分かる。
 異形の耳には、滅茶苦茶なリズムを刻む鼓動の音が聞こえていた。
 異形の目には、女の後悔と、魂の色が見えていた。
 ……低強度能力者。使える。


「よっ」


 無造作に、異形は赤毛の女を持ち上げた。
 そのまま桐林とは反対側の肩へ乗せ、スキップでもしそうな、上機嫌な顔で歩き去ろうとする。
 まだ意識はあったか、赤毛の女が身じろぎした。


「やめ――て――離――して――」

「えー? 良いの、離しちゃっても。僕なら君を……」

「――っ!」


 か細い声に、異形は底意地悪くささめいた。
 他の誰にも聞こえない、蚊の羽音にすら消えそうな音量で。
 しかし、確実に赤毛の女へは届いていた。
 彼女の身体が弛緩したのは、気を失ったからか。抵抗が無駄だと悟ったからか。はたまた、異形の提案を受け入れたからだろうか。
 なんにせよ、用件は済んだ。これ以上留まれば面倒な連中が駆けつける。
 退散しようと異形が脚を動かす。


「さてさて。じゃあ今度こそ帰――んぁ?」


 しかし、数歩ほど歩いた所でまた邪魔が入った。
 異形の脚を横から掴んだのは、血と埃に塗れた霞だ。
 何処ぞから這ってきたのだろう、全く気付かなかった。
 脚に触れられたのが堪らなく不快だった異形は、身体の向きを変え、霞の頭を踏みつける。


「汚い手で触らないで欲しいんですけど。ほら、離せ」

「……イヤ」

「ワガママ言わないのー。パパはお仕事に行くんですよー。離さないと腕へし折るよー」

「それで、も、イヤ」


 子供に言い聞かせるような、小馬鹿にした口振り。
 けれど霞は怒りもせず、決して手も離そうとしない。


「守るって、約束したのよ……。これだけは、破るわけには、いかない……。だから、絶対に、イヤ!」


 足蹴にされて尚、睨み上げる目は、強い光を湛えていた。
 異形の背筋がわずかに粟立つ。
 気圧された。たかが駆逐艦のヒトカタごときに。


「ちっ、聞いてもいない事をベラベラと。これだから殺せない連中は面倒なんだ。でも、そうだな……」


 それを認めまいと、異形は思案する。このモヤモヤをどうやって晴らすのか。
 頭を踏み潰す。致命傷を受けた瞬間、ヒトカタは霊子として霧散する。つまらない。
 命懸けで守ろうとしている桐林を傷付ける。楽しそうだが、これは駄目だ。却下。
 もっと手短に、永続的なダメージを与えられる方法は。
 ……あった。一つだけ。


「まだ感情持ちを取り込んだ事は無いんだよね。……どうなるか、試してみよっか?」


 尻尾の先端――開口部が大きく開いた。人間など一飲み出来るほどに。
 鼻先へ涎が落ち、何をされるのかを想像して、霞は身を硬くする。異形の笑みが深く、華やいだ。
 これまで、異形は様々なものを食し、取り込んできた。
 だが、まだこの“口”を使った事はなく、感情持ちを取り込んだ事もなかった。
 どうなるのだろう。どんな味だろう。この身体は“また”変化するだろうか。とても、とても楽しみだった。

 だから、気付かない。
 背後で幽鬼のように立つ女に。
 その手にある小刀が、背中へ突き立てられるまで。


「ガッ――ァ゛!?」


 秒間数万回の微細振動により切断力・貫通力を増した刃は、容易く異形の肺を貫き、捻られる。青い血が喉を遡り、コートの黒と混じった。
 首を反らせば、兵藤の顔あった。己が鮮血で化粧をする、女狐の顔が。


「グ――ソがぁあっ!!」


 反射的に尻尾が暴れ回り、霞も、兵藤も、周囲をまとめて薙ぎ払う。
 声もなく吹き飛んでいくそれ等を確認してから、異形は身体をフラつかせた。


「三笠刀を、ふた振りも……? そうまでして殺したかった、いや、守りたかったのかい。油断、してた……」


 突き刺さったままの小刀を、尻尾を使ってなんとか引き抜き……それが限界だった。
 尻尾は萎縮していき、悪態を吐く余裕もなく、異形は跳躍。青い血痕を残し、トレーラー方面へ遁走する。
 遠ざかる気配を察知したか、倒れ伏していた長門や木曾が、後を追おうと奮い立つ。


「待て、提督を、返せ……っ」

「く……っぁ、武器、は、何か、武器は無いのか……っ、俺はまだ、戦える……!」


 人間なら即死する攻撃を受け、艤装はもちろん、服も身体もズタボロ。支えとなるは気力ばかりで、それも程なく尽きる。
 許容量を超えたダメージに、彼女たちの身体は薄く解けていき、霊子となって自らの本体――船へを帰っていった。
 残されたのは二人の女。死に体の兵藤と、重圧から解放された疋田だけ。


「ひ、兵藤提督、提督っ、しっかりして下さいっ」

「ぐ……かふ、あ゛……」


 やっとの思いで震える脚を制御した疋田は、血の池に沈む兵藤の側で膝をつく。
 横向きに倒れるその身体を、コンクリートの破片が貫いていた。先ほど吹き飛ばされたせいで、背中に刺さっていただけの破片が押し込まれたようだ。
 素人目にも、このままでは助からないと判断できる。


「彼、は……?」

「……申し訳、ありません。敵に、奪われました。主任さんも……。私、何も……っ」


 諦めきれない疋田が、どうにかしようと考えあぐねていると、兵藤が微かに口を開いた。
 目の焦点は合っておらず、異形を突き刺した時の、鬼気迫るものは感じられない。
 どうやら、あれは無意識下の行動だったらしいが、疋田が気付く由もなく、悲嘆に暮れる。
 だが、桐林が奪われたと知るや否や、兵藤の目に光が宿った。
 まるで、消える寸前の蝋燭のように。


「ひとつ、頼みたい事が、あるんだ。いい、かな」

「はい。でも、その前に止血しないと……」

「私なんかの、ことは、いいから。聞いて」


 本人も無駄だと悟っているのだろう。
 手当を施そうとして彷徨う疋田の手を、兵藤が握って押し留める。


「胸の、内ポケットに、携帯が、入ってる。彼を追って。
 軍を信じちゃダメ。どうしても、力が必要なら、間桐、提督を。絶対に、裏切ったりしない。
 私はもう、無理だから。彼を、助けてあげて」

「何を言ってるんですか!? 病院はすぐ近くなんです、助かりますからっ!」

「いいん、だよ。もう、いいの。痛いし、寒いし……疲れちゃった。ああ……」


 必死な励ましも届かず、兵藤は諦めの吐息を零した。
 顔に血の気は無い。呼吸の間隔も開き始め、温もりが冷めていく。


「ごめんね……。ごめんね……。けっきょ、く、私は、最後まで、独り善がり……」

「兵藤、提督……?」


 うわ言を呟く兵藤の瞳には、目の前に居る疋田ではなく、別の誰かが映っているようだった。
 重力に縛られて、一粒、二粒と落ちる雫。
 謝罪の言葉には、身を切るような後悔の念が――未練が宿る。
 そして。


「空が、狭いよ」


 わずかに首を動かし、脈絡のない言葉を残して、兵藤は全身を弛緩させた。
 疋田の手から指がすり抜け、まぶたが閉じていく。


「……っ! ダメ、ダメです、目を開けて下さい! 提督、提督っ! 兵藤、提と……っ、凛さんっ!」


 水を打ったような静寂の中、悲痛な叫び声だけが、無情に木霊する。
 兵藤 凛と呼ばれた女が最後に見た景色は、おそらく。
 灰色のビルの群れで削られる、欠けた空だった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「対応はどうなっておるか」


 吉田 剛志は、怒り肩で風を切りながら、三歩後ろで控える従者二人――航空戦艦、伊勢・日向の統制人格へと問いかけた。
 横須賀鎮守府地下にある簡素な移動通路。
 伊勢がタブレット型情報端末を操作し、日向は眉をひそめつつ答える。


「手筈通り……とは言えない状態です」

「ここに来て、例の三組織が連携の動きを見せています」

「……連携、とな」


 さほど驚いていないように見える吉田だが、その実、苦虫を噛み潰した心境だった。
 事態は想定していた中でも、最悪のパターンをなぞっている。
 然るべき対処は遅れ、情報が錯綜し、釣り糸も切れかけだ。このままでは餌を食い逃げされるだろう。


「把握しているだけでも七件、同時刻にテロ行為を確認しました」

「東京、神奈川、京都、長崎、鹿児島、大阪、青森。未確認のものを含めれば十五件に上ります。これを偶然と判断するのは愚物だけかと」


 伊勢が吉田の横へ並び、集められた情報の一部を見せる。
 各鎮守府や警備府近辺における爆発騒ぎや暴動、銃撃事件。桐生が眠るあの病院も、酷い有り様となっているらしい。
 今まで、互いの脚を引っ張り合い、牽制し合っていた反政府組織が、示し合わせたように犯行声明を出し、テロ行為に及んだ。
 同時多発テロ。憂いるべき事態だが、しかし、吉田は違和感も覚えていた。


(裏で糸を引く者がいる……。予想しておったが、この“洗練ぶり”はどういう事じゃ)


 これまで、表立って行動してきた反政府組織は三つ。
 超自然主義派団体 ジ・アース。
 元はニューエイジ系――西洋の物質的な価値観・文化を否定し、異質な物との融和などを重視する思潮から発生した団体だが、人類の理解の及ばない物……。深海棲艦の出現を、「上位存在の先触れ」と解釈。
 戦争状態にある政府を公然と批判しては、独自に接触を持とうとしている。
 大地母神教。
 いわゆる性魔術などを行う、怪しげな新興宗教を母体とする団体の分派だったが、ある日を境に自爆テロも辞さない過激派集団となった。
 類が及ぶのを恐れた本部が慌てて破門にするも、当日に本部は爆破され、以降、散発的に爆破テロを繰り返す。
 深海棲艦を「地球の自浄機能」と考え、軍施設へ爆発物を送付するなどのテロを行っている。内部に能力者を抱え込んでいるという情報もあり、精査が待たれていた。
 人類種淘汰推進委員会。
 二十一世紀初頭に台頭した環境テロリストの流れを汲み、極端な選民思想を根底に持つ。
 のちに活動の場を陸上へと広げ、過去、実験建設中だった日本のマスドライバーを破壊するなど、名を変えて続く“老舗”テロリストである。
 能力者を「悪魔憑き」と称し、戦争最初期の魔女狩りにも関わっているのではないか、と考えられている。

 いずれも度し難い、愚か者共の集まりであったが、しかし何かがおかしい。
 今回に限り、自らの意思で行動していないような……。そうせざるを得ずに行動しているような、そんな印象を吉田は受けるのだ。
 よほど優れた指揮官でも居なければ、寄せ集め集団の足並みは揃わない。どこからかボロが出るもの。だが実際に、こちらは手玉に取られている。
 この絵図を描いたのは誰か。難しい問題だった。


「梁島に連絡はつかぬのか」

「……はい。どの回線も、応答がありません」

「まさか、彼も?」

「いや、それは無かろう。あ奴が人間相手に遅れを取るものか。何某か、思惑があっての事であろうが……。裏目に出ねば良いがの」


 こういう時、一番頼りになるはずの梁島も、なぜか音信不通。
 桐林のように襲撃を受けたとして、彼ならば返り討ちにし、逆に情報を得る。心配無用であろうが、知恵を借りられないのは困った。
 この事態を想定しており、既に対応のため奔走しているならば、心強いのだが。
 大侵攻以来、人が変わったように力を求め、全てを一人で抱え込むようになった教え子の事が、個人的に心配でならない。


「とにかく、今は桐林じゃ。情報封鎖は」

「行われています。けれど、なにぶん街中です」

「押さえこめるのは二日が限度かと。彼の艦隊にも、私たちから直接伝えてあります」

「様子はどうじゃった」

「皆さん、酷く動揺していらっしゃいました。しかし、既に行動は開始しています」

「赤城殿が指揮を代行、あきつ丸殿のカ号などを使い、空母たちが上空からの索敵・追跡。
 天龍殿を始めとした運転技能習得者は、地上から。
 陸軍からも協力の申し出がありましたので、助力を頼んでいます」

「うむ。それで良い。ワシらも準備を進めるぞ。使う事は無いと思いたいが、念のため、“アレ”もな」

「はい」

「仰せのままに」


 頷く伊勢・日向の気配を背中に、吉田は歩く速度を上げる。
 謝罪も、罰も、全ては桐林を助けてから。自分の尻は自分で拭わねば。
 決意を新たにする吉田だが、話をしていると、ある事に気付いた。


「どうした、伊勢」

「……えっ」

「何か隠しておるじゃろう。日向の口数が多くなる時は、大抵おヌシの事を庇っておる時じゃからな」

「そ、そのような事は、無いのではないかと、存じますが、その……」


 吉田の指摘に、伊勢は言葉を失い、日向はしどろもどろな返事しか出来なかった。
 長い付き合いだ。このくらい理解できて当然なのだが、いつもの茶目っ気たっぷりな返しはない。
 二人の足が止まり、吉田も振り返る。
 妙に長く感じる沈黙の後、俯いていた伊勢が顔を上げた。


「桐林提督の襲撃現場付近にある監視カメラから、情報を抽出したのです。ですが……」

「今はまだ、私たちの所で――現場レベルで止めています。情報部にも、まだ」

「……うん?」


 端末を操作する伊勢の顔には、迷いが色濃く現れている。日向もまた、苦しげに表情を歪ませて。
 この様な顔を見たのは、吉田も初めてだった。
 軍務に忠実であるはずの彼女たちが、独断で秘匿するほどの情報。一体、如何様な物なのか。


「どうか、お気を強くお持ちになって下さい」


 差し出されたタブレット受け取り、監視映像を再生する。
 どこか、駐車場のような場所に停まる、ワンボックスカー。
 映ったのは桐林たちではなく、彼を影ながら護衛していたはずの部隊だった。
 その車へ歩み寄る、黒いフード付きコートを着た人物。遠目からの映像は荒く、脚部がいびつに歪んで見える。
 観音開きの後部ドアを開け放つと、人影は中へ飛び込み、しばらく車体の揺れが続いた。
 やがて、事が終わったのだろう。人影がまた姿を現し、後部ドアをキッチリ閉め、カメラの方へ歩き出す。
 鮮明になりつつ、徐々に下半身から見切れていく影。だが、完全に消え去る寸前、立ち止まる。
 カメラに気付いたのか、やや上を眺め。次の瞬間、真っ白な顔が画面一杯になり、映像は途切れた。


「――ぐ、ごほっ、ごふっ」

「剛志様!?」

「つかまって下さいっ」


 吉田はタブレットを取り落とし、床に手をついてむせ返る。
 まるでホラー映画のような映像に驚いたから、ではなかった。
 見覚えがあったのだ。
 忘れられようはずも無いのだ。
 あの顔は。
 最後の一瞬に映った、天真爛漫な、あの笑顔は。


「これも、報いか……。やはり、あれは“お前”だったのか……? “お前”は、ミナトを……」


 伊勢たちに両脇から支えられ、なんとか立ち上がる吉田。
 差し出されたハンカチで口元を拭い、顔をしかめて呟く彼は、酷く動揺していながら、確信を得たようだった。
 大物だ。想像もしていなかった……否、これこそを待ち望んでいたのである。
 なれば、今こそ奮う時。


「ワシにも、時間が無い。行くぞ」

「……はい。何処までも御供いたします」

「この身が塵に還る、その時まで」


 吉田は赤黒く染まったハンカチを握り締め、再び歩き出す。
 碌な物を残せなかった老人が、せめて禍根だけは残さぬよう。遠くない結末に向けて、歩き出す。
 残された時間は、短い。




















 どうしても叫びたいことが出来たので、一つだけ。

 ……電ちゃんの限定ボイスに納得がいかん!
 電ちゃんは「さん」付けだから良かったのに、なぜ「司令官」と呼び捨てにさせるのかっ!? 萎えるわぁ!!
 お前らはなんにも、なんにも分かってなぁいっ!!!!!! うちの電ちゃんは絶対に呼び捨てせんからなぁああっ!!!!!!
 ……あ、次回予告は無しです。取り乱して申し訳ありませんでした……。


 2015/09/26 初投稿







[38387] 新人提督と過去の亡霊
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/10/10 12:32





 五感を閉ざした暗闇の中に、翔鶴は立っていた。
 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。
 それら全てを除外し、まぶたを伏せ、外界からの情報を一切遮断している。
 己の中にある“流れ”へと、精神を集中させている。

 意識するのは自らの身体。
 素足に纏わり付く“流れ”が、膝上までを覆う硬質な装甲へと具現する。
 スカートの両脇では対空砲に。肘と手首では距離を置いて連結したバングルに。胸当てには「シ」の文字が刻まれ、右肩に飛行甲板。背中には矢筒が。
 そして、翔鶴は左手を前方に差し出す。
 全身を包んでいた“流れ”は、最終的に手の平で凝固し、一張りの和弓となった。
 伏せられていたまぶたが、開く。


「ふう……」


 青。
 境目の曖昧な青が、翔鶴の眼前に広がっていた。
 鼻を潮の香りがくすぐり、海風は白い髪をたなびかせる。
 昇降機の駆動音に振り返ると、中部昇降機から二式艦上偵察機が姿を現す。
 無数の使役妖精たちが発艦位置へ押しやり、旗を振って合図。
 一つ頷いた翔鶴は、矢尻が航空機の形状をした矢を番え、静止する。
 矢尻と二式艦偵が同期し、大きさの違うプロペラが、全く同時に回転を始めた。
 やがて、回転数が一定を上回ったのを見計らい――


「全航空隊、発艦始め!」


 ――二つの艦偵は、空へ羽ばたいた。
 矢は偵察機と重なるようにして姿を消し、翔鶴からの意思を十全に満たす。
 見下ろすそこは、横須賀鎮守府の直近、東京湾。翔鶴の側に、姉妹艦である瑞鶴と、一航戦・加賀。軽空母である飛鷹・隼鷹、あきつ丸の艦影がある。
 離着艦する偵察機を合わせれば、その数は五十を越えるだろう。

 その目的は、提督を拉致した車輌の発見・追跡。
 事件現場から西へ逃走したという軍用トレーラーだが、目立ち過ぎる車を乗り換えたのか、目撃情報はすぐに途絶えた。
 しかし、燃料資源の殆どを軍が統括するこの時代、走っている車の数自体が少ない。
 陸軍の諜報部隊はすぐに当たりを付け、今はその車を上空から探している所だ。


「お疲れ様、瑞鶴。後は任せてちょうだい」

「……翔鶴姉。うん、分かった。お願いするね……」


 翔鶴は、隣り合う船の上で、左肩に飛行甲板を付ける妹を気遣う。
 胸当てに「ス」の文字を抱く瑞鶴がそれに答えるけれど、表情は硬かった。
 彼女たち、桐林艦隊に所属する空母が、提督拉致の報を受けて捜索を開始し、すでに一時間が経過しようとしている。
 元々、午後は空母たちによる艦隊内演習が予定されていた為、速やかに捜索へ移行することは出来たのだが、結果は芳しくない。
 報を受けた時、翔鶴は艦載機の積み込み途中であり、慌てて二式艦偵を追加したせいで、参加は最後になってしまった。艤装の召喚が遅れていたのはこの為である。


「大丈夫? とても顔色が悪いわ。下がる?」

「ううん、平気。……休んでなんか、いられないもん」


 姉の言葉を珍しく断り、瑞鶴がまた弓を弾いた。着艦した二式艦偵の代わりに、新たな機体が発艦して行く。
 演習目的だったため、艦載機に積んだ燃料はかなり少ない。第一陣はそのまま発艦させ、第二陣からは他艦載機の燃料を移し替え、稼働時間を伸ばしている。
 直接街の上空を通過すると、何某かの緊急事態である事が国民に分かってしまうため、海上へ向かわせて高高度から本土へ引き戻すという、非常に手間の掛かる捜索となっていた。
 おまけに、街中での墜落を避けるため、かなり早めの帰還を義務付けられた。それを考えれば、とにかく手は多い方が良いのだから。


「全く、トンでもない事態になっちまったもんだねぇ」

「よりにもよって、提督が拉致されるだなんて。正直、平和ボケしてたわ……」


 同じく艦載機を制御する軽空母、隼鷹・飛鷹。
 隼鷹のあっけらかんとした雰囲気は成りを潜め、生真面目な飛鷹は眉を鋭角に。
 普段の彼女たちを。食事処で働く彼女たちを知る人間が見れば、驚くような代わり振りだった。
 艦隊に呼ばれてからというもの、こなしてきたのは客商売にパーティーの随伴。
 ともすれば、軍艦としての役目を忘れてしまいそうな……夢のような日々だったが、もう微睡んではいられない。


「貴方たち。無駄口を叩く暇があるのなら、索敵へ集中なさい。話に夢中で見逃した、などと、言い訳にもならないわ」


 それを如実に物語るのは、加賀の厳格な声である。
 表情はいつもと変わらないように見えるが、身に纏う雰囲気は硬質だった。
 口調だけは軽い隼鷹が「へーい」と返し、飛鷹も短く「了解」と。
 別段、窘められた事は気にしていない二人だが、代わりに瑞鶴が噛み付く。


「そういうアンタは、なんで平気な顔してられんのよっ。提督さんが拉致されて、どんな目にあってるか……!」

「瑞鶴、やめなさい。そんな言い方……」

「だって!」


 あきつ丸に積まれた中継器が伝える加賀の表情は、いつも通りだった。
 遠く、彼方を見据える瞳。仲間へかける声。緩やかな曲線を描く眉。何一つ変わらない。
 いつも笑っていた彼が。出掛けに、「お土産買ってくるからなー」と手を振っていた彼が、帰ってこないのだ。
 ひょっとしたら、もう二度と……なんて考えるだけで、崖っ淵を目隠しで歩かされているような気分にさせられる。
 だというのに、どうしてそんな風に振る舞えるのか、瑞鶴には理解できなかった。
 けれど、あくまで冷静に弓を引く加賀は、平然と答える。


「一番に辛いのは……私ではないからよ」

「……あ」


 静かな声に、ハッとさせられた。考えるまでもなく、分かってるはずの事だった。
 一番辛いのは。悔しいのは、彼を守るはずだった統制人格だと。
 長門と木曾は、土下座せんばかりの勢いで謝り続けていた。
 摩耶は怒りを露わに飛び出そうとし、雪風と鳥海に止められていた。
 そして、ペタンと地面へ座り込み、人目も憚らず泣いていたのが、霞だ。「どうして私は、こんなにも弱いの」と。一言だけ呟いて、ただ、静かに。
 満潮たちと去っていくその背中には、誰も声を掛けられなかった。


(分かってた、はずなのに。私、なんで……)


 声は掛けられなかったけれど、皆、思うことは一つのはずだった。
 提督の奪還。
 瑞鶴もまた、怒りにも似た激情を抱き、胸に秘めたまま弓を弾いていたのだから。
 だが、時間と共にそれは焦りへと変貌し、苛立ちを募らせて、当たり散らして。
 恥ずかしさに、瑞鶴は弓を固く握りしめる。


「まぁさ。イライラすんのも分かるし、色々と大変だけどもさ。今は内輪揉めなんて止めとこうよ」

「そうね。最優先事項は提督の発見と、身柄の確保。喧嘩も後悔も、その後にしましょう」

「……分かってるってば、そんな事! ……ごめん、ちょっと頭冷やす」


 しかし、瑞鶴の気持ちもまた、皆にとって理解できるものである。
 唐突に奪われた日常。存在の根幹たる能力者を握られ、数秒後には消え去ってしまうかも知れない恐怖。誰もが己を保とうと努めているだけで、誰もが等しく不安なのだ。
 事実、桐林艦隊の空母の側には、他提督の空母が控えていた。万が一、瑞鶴たちが突然消失した場合、偵察部隊に混ぜた自らの艦偵を介し、制御を拾い上げるために。
 だからこそ、隼鷹・飛鷹からの言葉を受け止め、瑞鶴は自らの頬を叩く。
 キチンと謝るのは後で。今は、もっと優先すべき事があるから。

 気を取り直した妹の姿を見て、翔鶴もホッと一息。
 そのまま、加賀へと思念を送る。


(加賀先輩。敵の狙いは、やはり……)

(でしょうね……。赤城さんも、それを危惧しているわ)


 敵の狙いが軍へ打撃を与える事ならば、簡単だ。提督を殺してしまえば良い。数十の傀儡艦が一瞬で失われる。
 それをしないという事は、彼の存在そのものが目的であるという事に他ならない。
 世界でただ一人。最初から感情持ちの傀儡艦を励起可能な男。
 研究材料として、実験材料として、これ以上魅力的な存在もないだろう。
 彼の意思が考慮される訳もなく、生きてはいても、無事に帰って来る可能性は……。
 悪し様な考えかも知れないが、希望を持てるだけの要素も見つけられず、翔鶴と加賀は、人知れず溜め息を零した。


「……っ! 見つけたっ、こちらあきつ丸! 対象車を発見! 繰り返す、対象車を発見したであります!」


 そんな時、頑なに沈黙を守っていたあきつ丸が声を上げた。
 歓喜の声にも聞こえる知らせに、事態は大きく動き出す。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『――以上が、偵察部隊からの情報です。追跡をお願いします!』

「……ったく、遅ぇってんだよっ」

「赤城さ~ん? もう開始しちゃってるから、安心して~」


 書記の少女が繋ぐ、通信機越しの赤城の声。
 待ち望んだ一声を聞き、フルフェイスヘルメットの天龍のみならず、彼女が跨る大型二輪車も叫ぶ。
 前輪を上げ急加速するその背中で、ハーフヘルメットを被る龍田が微笑んでいた。


「天龍様の御通りだぁ! 前を塞ぐと轢いちまうぜぇ!」

「他にだぁれも走ってないけどね~」


 天龍たちが走っている道は、関東大震災で崩落した高速道路を再建した、新・首都高速四号 新宿線である。
 普段はそれなりに通行量のある高速だが、今日は珍しく他の車はない。好都合だった。
 あきつ丸からの情報によると、追跡対象車であるワゴンは、何故か身を隠しやすい一般道から、航空機に丸見えの高速道路へと、わざわざ現れたというのだ。しかも、西へ向かう主要な道路に、複数台が。
 怪しい事この上ないけれども、見逃しては敵にむざむざ身柄を渡すも同義。
 情報は即座に地上部隊へ伝えられ、道路をゆっくり西へ向かっていた追跡部隊のうち、直近の班が追跡の任に就いた。
 現在、新首都高を経由し、中央自動車道を走る天龍たちも、その一班である。


(このスピード……。ホント、三隈様々だな)


 天龍が乗る、レースにも使われそうなフォルムを持つ電動大型バイクは、三隈による改造が施されていた。
 そのままでも最高時速は三百kmを越えられるが、リミッターを外すと時速四百kmほどまで加速できる。八王子を抜けようとする対象車へ追いつくのに、役立ってくれるだろう。
 他の対象車は、第三関越自動車道、旧・東名高速道路や細い国道などを通っているらしく、そちらには最上型の二輪車隊が二組、妙高型の車輌隊が一組、追跡に向かっていると聞いた。
 競争、という訳ではないが、どうせなら一番槍に立ちたいものである。


「……? 天龍ちゃん、あれじゃないかしら?」


 そんな時、背後の龍田が前方を示した。
 急速に大きくなるワゴン車の後ろ姿。伝え聞く特徴と、ナンバーも同じ。
 見つけた! と天龍は口角を上げるが、次の瞬間、後部ドアから銃口が覗く。


「ぬぁったぁ!? アッぶねぇ……。んのぉ……!」


 慌てて左へハンドルを切ると、音速を超える銃弾が右手を掠めていった。
 その上、銃撃はタイミング悪く……いや、タイミング良く別れ道の手前であり、天龍たちは高架に、ワゴン車は少し前方で下をくぐる道へと入ってしまう。
 だが、ここで諦めるほど、この二人はヤワではない。
 加速するバイクは、旧・八王子ジャンクションへと差し掛かる。
 左が青梅、右が厚木へと向かう別れ道を、迷わず右に。ハンドルを真っ直ぐ固定し、防音壁へ突っ込む。


「龍田ぁ!」

「りょうか~……いっ」


 あわや衝突、という寸前に、召喚された龍田の艤装から、特注の榴弾が発射された。
 炸裂音。
 粉塵を突き破り、二人を乗せたバイクは空中へ身を躍らせる。
 奇しくもそれは、下の道を通っていたワゴン車の真上。
 龍田が天龍の腹に回していた腕を離す。
 自由落下に合わせ、彼女は薙刀を下へ構えた。


「ちぇすと~」


 気の抜ける声と共に、その刃はフロントガラスと車体を突き抜け、コンクリートへ突き刺さる。
 不快な掘削音を伴い、ワゴン車が龍田を乗せたまま、薙刀を軸に大暴れし始めた。
 向かう先には、長剣・紅蓮を構える少女の姿。
 ワゴン車が近づくに合わせ、天龍は剣の腹を身体の前に。地面をしっかりと踏みしめて。


「――フンッ!」


 気合一声、ワゴン車を“受け止めた”。
 車体の横っ腹がへしゃげ、同時に龍田が跳躍。天龍の背後へ降り立つ。
 あちこちから煙を吐く車の中は、相当ヒドい事になっているだろう。
 けれど、天龍が受け止めた分、衝撃は殺せている。怪我で済んでいるはず。
 それを確かめようと、天龍たちは歪んだ後部ドアを無理やりに開く。
 中には、気を失っているらしい黒尽くめの人間が四人と、黒い軍服を着せられたマネキンが一体。それだけだった。


「チッ、外れかよ。仕方ねぇ……」

「お顔だけでも拝んでおかないとね~」


 提督の姿を確認できず、天龍は舌打ちしながら誘拐犯の一味を道路上へ引きずり出す。
 せめてもの駄賃として、顔ぐらい拝んでやらねば気が済まない。
 同時に、身体に爆発物などが巻かれていないことも確認する。
 提督の攫われた現場で、拘束されたまま残されていたという犯人も、派遣された陸軍の回収を待たず自爆したと聞く。
 うっかり巻き込まれでもしたら……。まぁ、痛い思いで済むだろうが、マゾヒストでもない限り勘弁して欲しい事である。
 だが……。


「……お、いおい」

「あら~……こっちも……」


 手足を拘束し、一人、二人とマスクを外した時点で、姉妹の顔色が変わった。
 三人目、四人目まで行くと、驚愕の表情で互いを見つめている。
 これは一体、どういう事なのか。頭に答えは浮かんでいても、理解が追いつかない様子だ。
 気不味い沈黙が続くかと思われたが、しかし程なく静寂は破られる。
 バイクに据えられた通信機の受信音。
 考えこむのは一先ず止め、二人はバイクへ向かう。


『もっしもーし! こちら鈴谷ぁ。こっちで一台止めたんだけど、天龍さん、そっちどぉ?』

「鈴谷か。オレの方も止めたんだが、外れだった。そっちは?」


 良くも悪くも、緊張感のない声は、鈴谷の物だった。
 はるか彼方。第三関越自動車道に立つ彼女の側にも、タイヤが外れ、動きを止めたワゴン車が。側には熊野の姿もある。
 しかし、通信機に返す言葉は暗く、鈴谷は肩を落とす。


「こっちも外れ。提督、乗ってなかった……」

『そうか……。まぁ、気を落とすなよ。まだ高雄や最上たちが残ってるしな』


 通信機越しの天龍はそう言うが、やはり鈴谷の気は晴れない。
 もし、ここで提督を取り戻せていたなら、「今回はヤバかったねー」と笑い話にできたのに。
 ついでに恩でも着せて、服やアクセサリーを一緒に買いに行ったり……。などと妄想していたせいか、現実の冷たさが身に染みる。
 せっかく覚えたバイクの運転も、彼を後ろに乗せてドギマギさせるのではなく、こんな奴らの追跡に使わされてしまったし。
 そんな鈴谷を気遣ってか、熊野が肩を叩き、話を変えようと別の懸念材料を指し示す。


「それよりも、鈴谷さん? 下手人の……」

「っと、そうだった。ねぇ、そっちの運転手とか捕まえた?」

『あぁ……。捕まえはした、けどよ……』

『もしかして~……そっちも全員、同じ顔してたりするかしら~?』


 犯人を確保出来たのは良い。問題は、その顔にあった。
 天龍たちが捕まえた四人の男も、今、鈴谷の側に転がっている四人も。全く同じ顔をしていたのである。
 予想通り、といった風に、熊野が溜め息をつく。


「やはり、そちらもでしたの。ひょっとしたら、こちらの下手人と同じ顔かも知れませんわね」

「ここまでくると気味悪いよねぇ……。四つ子が二組、な訳ないし。コイツらって……」


 スカートを織り込みつつ鈴谷がしゃがみ、昏倒する男を木の枝でつっつきながら言い淀む。
 知識として、彼らを表現し得る言葉は知っている。
 しかし、それが現実に起こったのだとしても、にわかには信じられなかった。信じたくなかった。そんな思いが断言させるのを躊躇させているのだ。
 今度こそ静寂が広がる……かと思いきや、またも割り込むような受信音が響く。
 鈴谷はすっくと立ち上がり、バイクへ小走りに駆け寄る。


『こちら妙高! 皆さん、聞こえていますかっ!?』

「わっ。み、妙高さん? 声おっきぃ……」


 受信ボタンを押すと、旧・東名高速に居るはずの妙高の声が、大音量で轟いた。
 耳鳴りに耐えている鈴谷の代わりに、天龍が彼女へ問いかける。


『落ち着けよ妙高。……まさか、司令官を確保したのか!?』

『いや、司令官の姿は無かったんだが……』

『それより、犯人たち側に居るーっ?』


 身を乗り出すような問いに答えたのは、難しい顔でもしていそうな那智。
 続いて足柄の声が割り込み、耳の回復した鈴谷が犯人を見やる。


「え? 居るけど……。あ、顔の事? だったら――」

『今すぐ離れて下さいっ!』

『その人たち、お腹の中に爆弾があるみたいなんですーっ!』

「――なんですって!?」


 焦る妙高と、羽黒の泣き出しそうな叫び声に、熊野が驚愕したわずか数秒後。ひび割れた爆音が、妙高たちの使う通信機を震わせた。
 横転した軍用ジープの側で、煤に薄汚れた四姉妹は顔を青くする。


「す、鈴谷っ、熊野!?」

「天龍、龍田っ? 返事しなさいよぉ!」


 奪い合うように那智と足柄が呼びかけるも、返事はない。
 まさか、爆発に巻き込まれて傷を……。
 嫌な想像を頭で必死に否定するけれど、長い沈黙が心を挫こうと続く。
 やがて、羽黒のまなじりから雫が零れそうになると、ようやく通信機にノイズが入った。


『ひやぁあぁぁ……。死ぬかと思ったぁ……』

『全く……。自爆だなどと、下劣な輩ですわ!』

『……久々に、頭に来たぜ……っ』

『やだ~、お洋服がコゲコゲ~。……許さないから』


 立て続けに聞こえてくる、鈴谷、熊野、天龍、龍田の声。
 無事なのを悟り、妙高が安堵の溜め息をつく。


「はぁ……。皆さん、ご無事で良かった……」

「心配させるんじゃないわよぉ、もう」

「しかし、敵は徹底しているな。ここまでやるとは……」

「……あっ! 最上さんたちにも知らせないとっ」


 足柄が道路へ大の字に。那智が考えこむように首をひねる。
 妙高たちが犯人を確保した際にも、爆発物の有無は確認した。それでも彼らは自爆してしまった。巻き込まれなかったのは、全員が運良くジープの側へ戻っていたからだ。
 となれば、爆発物は身体の中に仕込まれていたという事になる。
 同じ顔。腹の中の爆弾。そして、意識がなくても自爆する仕掛け。命を軽んずる、外道の所業であろう。
 未だ連絡が無い最上たちは、恐らく追跡の途中。羽黒が大急ぎで連絡をつけると、彼女たちは驚いた様子だったが、しっかりと状況を把握してくれる。


『うん、話は聞いてたよ。ちょうど捕捉した所だったんだけど、やっぱり仕掛けない方が良さそうだね。街中だし』

『このまま距離を取りつつ、水偵も併用して尾行致しますわ』


 一般道を走っているらしい最上たちと通信を終え、天龍は融けかけたバイクの影から立ち上がる。
 先程まで、ワゴン車と犯人たちが居た場所は、ナパーム弾を炸裂させたように融解していた。跡形も無い。


「踊らされてる気分だぜ」


 ボロボロになった衣服から覗く肌を手で隠し、天龍は暮れなずむ空を仰いだ。
 頭上を塞ぐ道路たちが、まるで釈迦如来の指にも思えてくる。
 重くのしかかった五行山を退けてくれる、旅の法師でも現れて欲しいと、本気でそう思う。
 気が付けば、同時多発テロ発生から、すでに三時間が経過しようとしていた。


「とりあえず……。三隈への言い訳も考えなきゃなぁ……」

「おシャカにしちゃったものね~……。あの子、落ち込まなければいいけど~……」





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 西日の差し込む宿舎は、そこだけ違う惑星にでもなったかの如く、重苦しい空気で満たされていた。
 通常任務が全て破棄され、普段よりも人は多いはずなのに、賑やかさは全く感じられない。
 ここに居ない統制人格……。捜索任務に就く空母たちや天龍たち。遠く舞鶴での演習申し込みを受け、呉を経由して日本海へ向かっている、古鷹、加古、北上、大井、時雨、夕立の六名は、ある意味で幸せだろう。


「……はぁ……」


 一人、食堂の長卓で溜め息をつき、尻で椅子を磨くことしか許されない、吹雪よりは。
 赤城が臨時で指揮を執っているとはいえ、彼女たち統制人格は、人間と同じような自由行動を許されない。
 提督が不在の今、その行動はより上位の人間による監督下に置かれ、一々お伺いを立てねばならなくなった。
 故に、活動を許された一部の統制人格以外は、この宿舎で缶詰になる事を余儀なくされている。
 皆の命が掛かった緊急事態。少しでも役に立ちたいという吹雪の思いは、決して果たされない願いなのである。
 だからこそ、動ける仲間たちを羨み、待機するしかない自身を省みて、溜め息がこぼれてしまうのだ。


「溜め息をつくと、幸せが逃げちゃう……って、よく言うよ?」

「え? ……睦月ちゃん」


 背後からの声に振り返ると、そこには白と緑のセーラー服を着る少女が……睦月が立っていた。
 いつもの少しおどけた様子もなく、苦笑いにも見える笑みを浮かべる彼女は、「隣いい?」と尋ねてから、吹雪の横へ。


「なんだか、大変な事になっちゃったね」

「うん……。睦月ちゃんは、大丈夫?」


 艦隊へ呼ばれた時期が近い事もあり、この二人は仲が良かった。
 史実での先輩後輩も関係なく、共に初実戦へ向けて演習を重ねる間柄だ。ネームシップ同士、という共通点もある。
 そのため、他の統制人格とは気を遣って話せない事も、自然と話題に上がる。


「私は全然……というより、まだ実感が湧かない、っていう感じ、かなぁ。提督が、攫われちゃったなんて」

「そうだよね……。私も、そうなのかも」


 どこか他人事のように、二人は揃って辺りを見渡す。
 閑散とした食堂。普段とはまるで違う光景に、人影がダブる。笑っている提督と、周りで同じように笑う、統制人格たちが。
 居ないはずの彼らの気配を、簡単に思い出すことが出来るせいで、火急の事態である事こそが嘘のようだ。
 もちろん、そんな考えではいけないのも分かっている。
 提督の所在が判明したら、吹雪たちは地上部隊として駆り出されるだろう。
 たとえ練度は低くとも、決して死なない兵士――否、兵器として。
 気を抜いてはいけないと、分かっている。……分かっているから、縋ってしまうのかも知れないが。


「なんだか……」

「……ん?」

「なんだか、こんな時に変だけどね? 今すっごく、提督とお話ししたいなぁ、とか思っちゃって。私、どうしちゃったのかな……」


 軽く伸びをした後、下ろした手を太ももへ挟み込み、睦月は再び笑う。今度は、間違いなく苦笑いだった。
 まだ一~二ヶ月の付き合い。彼女と提督が言葉を交わす機会は少なかった。
 出会った時と、親睦を深めるためのレクリエーション会議と、食事を何度か共にしたくらいか。
 よく笑う人だなぁ……という印象を抱き、それ以上はこれから知っていくのだろうと、思っていたのに。
 いつでも話せると思っていた人が、居ない。
 暖房はついているはずなのに、どうにも、耐え難い寒さを感じる睦月だった。


(……司令官なら、どんな言葉を掛けてあげるんだろう。司令官なら……)


 落ち込んでいる睦月を見て、吹雪もまた想いを馳せる。
 提督ならば、こんな時、どうやって彼女を励ますのだろうか。
 大丈夫と言い張る? 話を逸らせて気を紛らわす? 全てを受け止めてあげるのだろうか。
 どれが正解にしても、そうした後、睦月は暗い表情を浮かべてはいないと思えた。
 怒ったり、悲しんだりするかも知れないが、その後は絶対、笑っているような気がした。あの夜の、村雨のように。
 けれど、吹雪には出来ない。
 不安に肩を落とす仲間へ、どう喋りかけていいか、分からない。
 悔しくて、寂しかった。細い肩に手を置いて、ただ側に居ることしか出来ない自分自身が、不甲斐なかった。

 そこへ、二人連れの少女が歩み寄ってくる。
 一方は黒いセーラー服に白タイの少女、望月。もう一方は吹雪と同じ服装の初雪だ。


「よーっす。何してんの、二人とも」

「望月ちゃん。特には……。ちょっとお話ししてただけで」

「それより、初雪がこんな時間に起きてるなんて、珍しいね?」


 軽い調子の望月に睦月が答え、吹雪は首をかしげる。
 いつもなら昼寝を満喫しているだろう、ぐうたら二人組が揃って食堂へ顔を出すとは、とても珍しかった。
 いや、寝ぼけ眼な初雪に見るに、昼寝自体はしていたようだ。


「ボーっとしてたら、いつの間にか寝てて……。夢、見ちゃった……。司令官の……」

「……そうなんだ。初雪ちゃん、どんな夢? って聞いても良い?」

「エッチぃ事、される夢」

『え゛っ!?』

「――を見て、周囲に勘違いされたのを、怒られる夢……。ゲンコツ、夢なのに痛かった……」

「なんだ……。ビックリした……。じゃあ、望月ちゃんは? まさか初雪と同じような……?」

「んな訳ないじゃん。あたしは逆に眠れなくてさ、宿舎をうろついてたら初雪と鉢合わせして、なんとなく……ってとこかなー。つーか、睦月が戻ってこないんだけど?」

「エッチぃ事……怒られ……うにゃあ……」


 どんな想像を始めたのか、真っ赤な顔を両手で隠し、睦月はボソボソと。
 吹雪が「おーい」と手を振っても、初雪が「むっつり、スケベ?」と呟いても、望月が「あぁぁ、しんどぉ……」とボヤいても、反応はない。
 不謹慎なのだろうが、この一瞬だけ。吹雪の周りだけ、宿舎の雰囲気は普段通りに戻っていた。
 それに釣られた少女が、また一人。


「ったく、アンタの周りはいっつも騒がしいわね。吹雪」

「み、満潮ちゃん。これは、そのぉ……」

「別に、怒ってる訳じゃないわよ。緊張し過ぎてたら、いざという時に動けないし。良いんじゃない」


 顔は笑っていないけれど、言葉尻はどこか優しい、サスペンダースカートに白いシャツの少女。満潮。
 その登場に、場の雰囲気が重さを取り戻してしまう。
 思い出してしまうからだ。彼女の、姉妹艦の事を。
 途切れた会話を繋ごうと、吹雪はしどろもどろになりつつ、口を開く。


「……あの、えっと……」

「霞のこと? それとも電のこと?」

「……り、両方?」

「霞は部屋で寝てるわ。電は、暁と雷に付き添われてる。放っておくと、一人で探しに出ちゃいそうだもの」


 意外なことに、満潮は饒舌だった。彼女も、誰かと話すことで気を紛らわしたかったのだろう。
 襲撃の報が鎮守府を揺らして、わずかに十数分後。護衛として同行していた統制人格たちは、自らの船の上に身体を現出させた。
 傷は負っていなかった。消滅退避――過剰なダメージによって破損した躯体を、再構成したためである。
 しかし、傷付いたのは肉体ばかりではない。悔しがる他の五名と違い、霞はしばらく茫然自失していたという。
 座り込み、立ち上がろうともしない彼女を、満潮たちがなんとか宿舎へ連れ戻り……。
 電と対面して、決壊した。「司令官さん、は?」という、か細い問いに。

 電は卒倒しかけ、それでも気丈に振舞おうとしていたが、周囲の判断で部屋へ戻された。霞も同様である。
 彼女たちを気遣う面々と、対面に追われる面々。自然と役割が分かれ、それに取り残されたのが、吹雪たち。
 いの一番に捜索へ出たがると考えられた金剛すら、我を通せば足並みが乱れるからと、拳を握り、ぎこちなく笑顔を作って。


「なんでかしらね。いつもなら誰にだって、なんでも言えるっていうのに、肝心な時は何も言えないのよ。……弱いのは、私も同じなのに」


 吹雪の対面へと腰を下ろし、長卓に上半身を投げ出す満潮は、九十度傾いた世界で自嘲する。
 彼女も、吹雪と同じことを悩んでいたのだ。
 苦しんでいる仲間を、姉妹を目の前にして、臆病になってしまった。
 叱咤すれば、折れてしまうかも知れない。優しい言葉で癒せるほど、霞の傷は浅くない。だったらどうしたら良い。
 どうしたら、どうしたら、どうしたら……。
 考えても答えは見えず、逃げ出したのだ。霞から。

 誰も彼もが、これまでと違う戦いに直面させられていた。
 ただ命を掛けるだけでは、絶対に勝ち得ない戦いに。
 ガタガタ、ゴトゴト。


「……んん?」


 不意に、場違いな物音が聞こえてきた。
 吹雪が周囲を見渡すと、少し離れた場所――那珂特注のカラオケセット、大スクリーンを背後とする舞台の床が、動いているように見える。


「どうか、した?」

「あ、いや。床が……」

「……なんだぁ、あれ」


 初雪の問いにその地点を指し示すと、望月が眠たそうな半眼を更に細くし、見間違いではない事を証明してくれる。
 五人はうなずき合い、足音を殺して近づく。
 一歩、また一歩と歩み寄るうちに、音は大きく、揺れも激しく。
 そして、皆が艤装を召喚。椅子を構え、ちょっと背伸びをして覗き込もうとした瞬間――


「ぬおりゃあっ!!」

「うひゃあっ!?」


 ――床が弾けた。一緒に、男らしいと表現するには高音な、女性の叫び声も。
 予想外……ではなかったのだが、予想以上の勢いに、吹雪は尻餅をついてしまう。
 しかし、次に彼女が浮かべた表情は、驚きは驚きでも、床が弾けた事への驚きではなかった。


「……って、貴方は確か……疋田、さん?」

「はぁ、はぁ、はぁ、ど、どうも……」


 予想外だったのは、埃まみれな女性の姿。
 誘拐事件に関わった中で、唯一無傷の帰還を果たし、故に敵性勢力との繋がりを疑われ、検査の名目で身柄を拘束されているはずの、疋田 栞奈が居たからである。
 鎮守府若年女性職員の制服――書記の少女や、攫われた整備主任と同じ格好が、年の割りに似合っていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





(……痒い)


 最初に感じたのは、左目の奥の、こそばゆい痒みだった。
 次いで、異様な倦怠感と顔の痛み。まぶた越しに網膜を焼く光を感じる。
 ベッド……? 横になっているのか……。


(なんだ、これ……。顔に何か、巻かれてる……?)


 意識が覚醒を始めると、徐々に違和感が増えてくる。
 顔の左半分に、何か布のような物が密着していた。……包帯?
 唇にも違和感が……こっちは、テープでも貼られているんだろうか。引き攣るような感覚が頬へ繋がり、包帯の下へ続いている。
 触って確かめようと左腕を動かすと、チャリ、という細かい金属の擦れる音がした。
 なんだ。今の嫌な音。


「――な、んでっ」


 どうにか首だけを起こせば、その正体はすぐに判明した。細い鎖だ。
 革製の腕輪から、ベッド下へ垂れている。
 自分の身体を確かめてみると、足首にも同じような物が巻かれていて、手術着に似た緑色の服を着せられていた。
 拘束? 捕えられた。敵に捕まったのか!? 自分は、主任さんを背負って、それから……。


「目が覚めたかい、“後輩君”」


 声を掛けられ、そこでやっと気付く。ベッドの右手側に、“何か”が居るのだ。
 白過ぎる髪、アメジストの瞳。黒いフード付きコートと黒いマフラー。前は大きく開かれて、豊かに膨らんだ黒いビキニと、青白い肌を見せつける。
 顔付きは、少年のような溌剌さを内包した、ボーイッシュな少女にも思えるが、おそらく人間ではない。少女の形をした、反対向きのパイプ椅子に座る“何か”。


「あ。今さ、僕のことツクモ艦……じゃないんだっけ。深海棲艦、って思ったでしょ? 失敬しちゃうなぁ。外れじゃないけどぉ」


 驚愕の視線を向けられると、“それ”は不服そうに唇を尖らせ、椅子の背もたれへ顎を乗せる。
 愛嬌のある……と感じてしまった自分が信じられないが、十中八九はそう思ってしまうだろう、豊かな情動を感じさせた。
 深海棲艦? 本人も認めてる……けど、これほど感情豊かなのは、今まで見たことが無い。
 目の前に居る“これ”と比べたら、喋りもしないル級やタ級は言わずもがな。双胴棲姫だってまだ控えめだ。
 という事は、双胴棲姫以上の存在なのか? いや、それ以前に、自分を捕らえようとしていた奴らとはどういう関係なんだ。どちらが上なのかによって、大きく意味合いが変わってくるぞ。


「ここは……どこだ。お前は……っ」

「うんうん。普通に喋れてるね。さっすが僕お手製の修復促進剤、効き目バッチシ!
 ……にしても、今回は失敗だったよ。技研の情報がブラフとは気付かなかった。
 おかげで切り札が一枚……いや、三枚も無駄になっちゃった。全くもう。
 ま、いずれは君を確保するつもりだったし、前倒ししたと思えばあれかな?」


 対話する気がないのか、こちらの問い掛けには答えず、意味不明な言葉を、好き勝手に並べ立てている。
 ……口振りからすると、主導権を握っているのはコイツの方か。人類と深海棲艦が手を組んでいた。可能性を考えなかった訳じゃないが……。
 今はとにかく、相手に飲まれないことが重要だ。会話は必要最低限に、情報は考えて導き出せ。思い通りになってたまるか……!


「……あれ? もう聞かないの? 一緒に居たみんなはどうした、とか、何が望みだ、とか」

「………………」


 少女は――あくまで仮に少女と呼称するが――小首を傾げてギシギシと椅子を軋ませた。
 知りたいことは山ほどある。けれど自分は無言を通し、周辺環境の観察に努める。
 役に立たないだろうと思っていたが、軍での教練には、誘拐された場合の対処法も含まれていたのだ。
 警戒すべきはストックホルム症候群……。敵へ感情移入し、同情することを防ぐため、敵との会話は極力避ける。そして自らの置かれている状況を正確に把握、脱出のルートや現在位置を探らねば。


(八畳くらいの洋間。窓は無い。天井の明かりは埋め込み型。ベッド脇にトイレ。家具はパイプ椅子が一つと、壁に掛けてある軍服を吊るしたハンガーだけ。時計すら……)


 しかし、得られた情報は僅かにこの程度。自分がどれだけ気を失っていたのかも、分からなかった。
 先輩は、主任さんは、疋田さんは? 特に発作を起こしていた主任さんが心配だ。
 長門、木曾、摩耶、鳥海、雪風、霞。無事だと良いが……。捕えられた事を考えると、希望的観測なんて出来ないだろう。
 それに、電も……。金剛や赤城にも、不安な思いをさせているに違いない。
 無事に帰らなくちゃ。自分の命が、みんなを支えているんだ。無茶はできないけど、絶対に帰らなくちゃ……!
 と、表情を硬くするこちらを見て、少女は破顔する。


「ふふふ、マニュアルに忠実だねぇ。まぁ、聞かれても答えないんだけど、さ。
 お仲間の助けには期待しない方が良いと思うな。今頃、欺瞞車に引っ掛かってるだろうし。
 西への車が全て囮だと! ならば東か、はたまた北か……ってな具合に。
 普通の車なんかより、僕自身の脚で山を越えた方が速いってんだから、ホントこの身体はデタラメだよ」


 小芝居を挟みつつ、得意気に語る少女。それだけなら愛らしくも思えるが、目の前に居るのは敵だ。
 思考を冷たく、気持ちを凍らせて、自分は彼女をただ見つめる。
 けれど、そうする内に、不思議な感覚が脳内を満たしていくのを感じた。
 既視感である。
 天真爛漫、とも表現できよう少女の顔に、何故か見覚えがあるのだ。そんな事あり得ないのに。


「……ひょっとして君も、どこかで見たような顔だな……とか思ってる?」


 知らず、眉をひそめていたらしい。少女は自分の疑問を目敏く察した。
 ……君も? 誰かに同じ事を聞かれた? 一体どういう……。


「ふふふふふー。そっかそっかー。いやー、なんだか困っちゃうなー」


 必死に記憶の糸を辿る自分を他所に、若干頬を上気させ、照れたように少女は身悶えている。
 かと思えば、ズイッと椅子ごとベッドに距離を詰め、人差し指を立てた。


「じゃあ、ヒントをあげよう。その一、ホース・ラチチュード」


 ……ホース、ラチ……?
 唐突な言葉に、混乱は更に加速する。
 馬、管? ラチチュードっていうのは……くそ、英語は金剛のおかげでそれなりになったはずなのに、出てこない。


「その二、八割」


 中指が追加で立ち、第二ヒントが示されたが、答えを導くには至らない。
 断片的な繋がりは感じている。
 自分は確かに、答えを記憶の引き出しに入れてある。気がする。


「……まだ分からない? むぅ……。ならば、その三! 能力者の歴史を思い出してみよう!」


 でも、少女が言葉を重ねるに連れ、言い知れぬ……悪寒のようなものも、感じ始めていた。
 三本目は、薬指。紅差し指。桐竹源十郎。彼の周囲に居た人物。
 左眼が、痒い。


「だめかぁ……。そいじゃあ特別! 君の軍服借りるよー」


 ガクリ。項垂れた少女は、しかし笑顔を浮かべて立ち上がり、ハンガーの掛かった壁へ向かう。
 異形の脚を、ガチリ、ガチリ、と鳴らして。
 あの脚はなんだ……と驚く暇も無く、彼女はフードを外し、コートの上から軍服を羽織った。サイズが大きいのか、それで丁度良いようだ。
 そして、ベッド脇に戻りながら軍帽も被り、敬礼をして見せる。海軍式の、手の平を見せない敬礼を。
 瞬間、パズルのピースが全てはまった。けれど、描き出されたのは奇っ怪な騙し絵。

 そんな馬鹿な。あり得ない。不条理に過ぎる。
 顔は確かに似ている。でも性別が違う。外見年齢だって変わっていなければおかしい。
 いや、もし“そう”だとしたら、間桐提督は誰なんだ。あの脚は。なぜ深海棲艦に。


「まさか……。吐噶喇列島の、少年提督……?」


 疑問が頭を駆け巡り、混乱の極みに達してしまった自分は、軍の教えも忘れて、喉を震わせる。
 掠れるような声を聞き、彼女かれは我が意を得たりと、妖艶に微笑み……。


「そう! 僕こそ、吐噶喇列島での戦闘において、第一種フィードバック現象により皮膚を失った負け犬……。小林 倫太郎、その人さ! 初めまして、だね? ……後輩君」


 大きく両腕を広げて、信じ難い答えこそが真実だと示す。
 左眼が、どうしようもなく痒かった。




















 今度はサンマか……。ほっぽちゃん、ゴメンよ。何もかも鬼畜外道な運営が悪いんだっ。ポニテ磯風サイコー!
 ちなみに筆者は大正義 紅葉おろし&ポン酢派。普通の大根おろしは苦手です。





 2015/1010 初投稿







[38387] 新人提督と震える舌
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/10/24 12:31





 彼女かれの言葉を理解するのに、自分はしばらくの時間を必要とした。
 そして、理解したからといって納得も出来ず、狼狽えながら疑問を零してしまう。


「ば、バカな、だって、じゃあ間桐提督は? それにどう見ても……」

「あっはは、まぁ普通そう考えるよね。あの戦いで皮膚を失った少年は地下へ籠り、以降、表舞台に一切出ようとしない、って。
 それに、女になっちゃってるだなんて誰も思わないだろうし。だからこそ、僕は今まで生き延びられたんだけど」


 軍服を脱ぎ、楽しそうな笑顔がまた隣へ戻る。
 吐噶喇列島の少年提督、小林 倫太郎。
 自分がその存在を知ったのは、座学での教訓のような形であり、詳しく調べたのは桐生提督に貰った本を読んでから。
 能力者であれば誰でも、軍のデータベースにある彼女かれの写真を見ることができるのだ。退役軍人として扱われ、あの事件以降、消息は不明となっていた。
 しかし、軍の内情を知る者は、この少年提督と、ある人物を重ね合わせて考える。幼くして軍役を強いられた天才と、決して表舞台に姿を現さない異才を。
 即ち、顔を失った少年はそれでも戦い続け、“桐”を冠するまでに至った……と。誰が言うまでもなく、ましてや確認できる訳もなく。噂でありながら、それが真実だろうと目していたのだ。


「実はさ。君の考えも外れじゃないんだ。
 間桐と呼ばれている男は、間違いなく小林 倫太郎でもあるんだよ。
 いや、小林 倫太郎“から”生まれたんだ」

「……何?」

「アイツの過去、調べた事ある? まっさらだったでしょ。
 まるで、最初から大人として産まれたみたいに。よぉーく考えてごらん。よほどの馬鹿じゃない限り、今ので気付けるよ。
 言っとくけど、親子じゃないからね。穢らわしい」


 なのに、目の前の深海棲艦は、自らがその少年提督だと嘯き、あまつさえ、どちらも真実だと言う。
 間桐提督が、小林 倫太郎でもある……。小林 倫太郎から生まれた……。
 確かに。褒められたことではないけど、知り合ってすぐ、間桐提督の過去を興味本位で調べた。自分の調査能力が低いのか、まるで情報は得られなかった。完全に、出自へと繋がる情報は消されていた。
 だからこそ、その空白へ少年提督の情報を当てはめ、符合する部分を見つけて、勝手に納得していたのだ。
 それが間違いであり、正しい。彼女かれはわざわざ、“から”と強調した。

 二人の提督。過去のない男と、謎を突きつける敵。
 双子ならあんな言い方はしない。親子でもないのに小林 倫太郎“から”生まれた。
 そこから導き出せる、恐ろしい現実は……。


「間桐提督は、小林 倫太郎の……クローン?」

「ご明察! あいつはね。人類史上初の、人工傀儡能力者。
 四千本近くの試験管を用意して、たった一例だけ成功したデザインチャイルドなのさ。
 さぁ、ここから僕の一人語りが始まるよー。胸糞悪くなるだけだけど、強制的に聞かせるから諦めてねー」


 パン、と柏手を打った彼女かれは、ベッドの周囲をゆっくり歩き始める。
 消息不明とされていた、かつての提督の足跡を、なぞるように。


「あの日。吐噶喇列島で全身を焼かれた僕は、医療技術の進歩のおかげで、からくも生き延びることが出来た。
 見るに堪えない顔になったって思ってる人が多いだろうけど、皮膚の再建手術も成功してたんだ。
 ……でも、その代わりかな。僕は戦えなくなった。
 統制人格と同調する事はおろか、増幅機器に座る事も、調整室へ入る事も出来なくなってた。
 炎の匂い。血の匂い。自分の身体が焼ける匂い。する筈が無いのに、僕の鼻はそれを感じ取り、嘔吐しまくってたよ」


 全身を焼かれる痛みを味わい、回復したのちも繰り返しそれを脳が感じ取る。
 おそらくPTSD……。いわゆる、心的外傷後ストレス障害の類いだろう。
 拷問を受けたに等しいのだから、それも当然。だが同情してはいけない。今、目の前で喋っているのは敵なんだ。
 敵意を保つことを心掛け、自分は続く言葉に耳を傾ける。どうあれ、貴重な情報には違いない。


「ああ、可哀想な少年提督。しかし当時の軍に、役立たずを抱えるつもりなんか無かった。
 膨大な医療費を掛けて治療したのに、戦うことも出来ない子供に与えられた役目はね……」


 脚の向こう。ベッドの六時方向で、彼女かれは一度立ち止まる。
 勿体振って指をチラつかせた後、微笑みに影が差した。


「実験台だよ。僕は表向き、地下へ潜った事にされて、軍公認のモルモットにさせられたのさ」

「……は、はっ。冗談だろ。海軍が、そんな」

「海軍に限った話じゃないのに……。冗談だと思う?
 思いたいならそれでも良いけど、僕と同じ境遇の人は大勢居たよ。老いも若きも、男も女も。流石に能力者は僕一人だったみたいだけども。
 君だってその恩恵は受けていたはずさ。増幅機器も、精神増強剤も、賦活剤も。臨床試験無しに作れるはずがないじゃないか」


 信じられない……信じたくない言葉に思わず反論してしまうが、返ってくる素っ気ない態度は、より真実味を強くする。
 軍が、そんな事を? 戦えなくなった能力者を、実験台にするなんて……。
 物語でならよくある話だと思うけれど、現実に、自分が属している組織がそれを行っているとは、信じられなかった。
 もちろん、彼女かれが嘘をついている可能性だってあるが……。


「来る日も来る日も、よく分からない薬を飲まされ、身体を切り刻まれ……。地獄だったね。
 食事は健康維持に必要なだけ。身体もほとんど成長しないまま、散々オモチャにされたんだ。
 ……ぁああっ! 思い出すだけで身の毛がよだつ! おゾマしイ阿婆擦レ共ガッ!!」


 突如として激昂し、赤い妖気を纏う姿からは、混じり気のない憎悪を見て取れた。
 あれが演技だとしたら……。いや、演技だなどと思えるはずがない。
 この、肌が粟立つ感覚は。身をもって感じているこの殺意は、本物だ。


「はぁ……。はぁ……。そんな日々が長く続き、頭がおかしくなりかけても、僕は耐えた。
 人形のように薄ら笑いを浮かべながら、逃げ出す事だけを考えて、その隙を伺ってた。
 そしてあの日。雪が、埋め込み型の窓に吹き付けていたあの日。一人で、脱走したんだ」


 荒い息遣いと、リズムの乱れた足音。
 それが落ち着いていくのに合わせて、小さな部屋を満たす声も静かになり始める。
 遠い目は、かつての逃避行を思い出すが故、だろうか。


「その研究所は海の近くにあったみたいでね。僕は、たまたま見つけた小さなボートで海へ出た。
 寒かった。海の上では雪は降ってなかったけど、波が高くて飛沫を浴びた。
 ろくに身体も鍛えてない、栄養失調寸前の子供が意識を失うのに、そう時間は必要なかったよ。
 それで良かったんだ。一人で凍えて死ぬ方が、よっぽど、良かった……」


 打って変わり、弱々しく自らを抱きしめる彼女かれ
 そのまま自分の左側へ腰掛け、小さくベッドが軋んだと思ったら、穏やかな顔がこちらを見つめていた。


「でもね? 僕は意識を取り戻した。何か、温かいものに抱きしめられていた。
 最初は連れ戻されたんだと思って暴れたけど、そうじゃなかった。僕は……深海棲艦の上に居た。
 何度も叩き潰した重巡リ級の形、見間違えるはずもない。
 それに、僕を抱きしめていたのはね。吐噶喇列島で沈んだはずの、僕の愛宕だったんだ。
 髪も肌も白く染まって、眼は煌々と光っていたけど、間違いなく、愛宕だった。
 涙が出たよ。ああ、迎えに来てくれた、って。これで、一人じゃないって」


 吐き出された吐息に混じる、諦めと安堵を感じた。
 死の際に現れた、かつての統制人格。同情してはいけないと分かっているが、しかし、自分が同じように仲間を失い、放り出されたとして。
 最後と思った瞬間に、その子が抱きしめてくれたなら。救われた気がするだろうと、思ってしまう。
 が、物静かに語っていた表情は、おどけたピエロの如く崩れる。


「ところがどっこい。現実はそう甘くないんです。
 愛宕はただ海の上を彷徨うだけで、船内に食料なんてあるはずもない。四日もすれば、僕は餓死寸前に追い込まれたよ。
 お腹が空いた。喉が渇いた。死にたい。殺して。どんなに懇願しても、愛宕は何もしてくれない。ただ抱きしめるだけ。
 けど、不思議と憎みはしなかったな。所詮、ヒトカタなんだから。期待する方が馬鹿なんだ。そうして、僕は今度こそ諦めの境地に達し、這い寄る“死”を待っていた」


 悲劇を喜劇に変えたいのか、彼女かれの仕草は、その一つ一つがオーバーで、そら寒い。
 ……ダメだ、感情移入するな。同情するな。もし自分だったら、なんて考えちゃダメだ。
 運命を呪いたくなるような話でも、それは敵の話なんだ。自分を脅かす者の境遇に、哀れみを抱くんじゃない。


「ところがどっこいパート・ツー。意識が失われる寸前、僕の口に何か、液体が入って来たんだ。
 それはね……。かき切った手首から滴り落ちる、愛宕の青い血だった。
 生臭さなんて無かった。むしろ、果実の絞り汁のように芳醇で、甘味すら感じたね。
 僕は夢中になってそれを啜り、いつの間にか眠りに落ちて。……気がつくと、“僕”が“愛宕”になっていた」


 そんな事を考えている内に、一人語りは山場を迎えていた。
 深海棲艦の血を飲み、深海棲艦になる。
 確か、吸血鬼が似たような事をしていたような……。そうだ。真に自らの眷族を、仲間を増やす時、吸血鬼は己の血を、時間をかけて分け与えるという話だった。
 吸血鬼なんて実在しない。ブラム・ストーカーのおかげで有名になった、物語の怪物に過ぎない。
 けれど、自分は物語の中にしか存在しなかった、“力”を振るっている。一笑に付す事は出来なかった。
 それが不満なのか、化粧っ気のないピエロは立ち上がり、両手を腰だめに顔を寄せる。


「ちょっとちょっとー、ここ突っ込むとこですよー。ま、事実なんで突っ込まれても困るんだけど。
 もっと困ってたのはその時の僕かなー。半狂乱のまま艤装を振り回しては、疲れ果ててへたり込み、そこでようやく考え始めた。
 なぜ僕は生きているのか。なぜ愛宕が現れたのか。なぜこんな身体になってしまったのか。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ……」


 疑問と共にそれは距離を詰め、微かに鼻をつく異臭――海水の腐ったような臭いに、自分は顔をしかめる。
 どう思ったのだろう。彼女かれはパッと身を引き、大仰に肩をすくめた。


「結局なんにも分からなかったけどさ。湧き上がってきた感情はあった。……憎しみだよ。僕を散々に弄んだ連中へのね。
 復讐するのは簡単だったなぁ。役に立ったのは僕の目だ。僕の……というか、深海棲艦の目はね。現実とはズレた世界を覗くことが可能だったんだ。
 いわゆるオーラ視覚とか、キルリアン写真を拡張したみたいな機能だと思ってくれればいい。
 分かりやすく言うと、霊子を見られたんだよ。恨み辛みで淀みきった、腐臭のしそうな黒い霊子が。
 そう。それはあの研究所……第七百三十一号 日本国先進技術研究所、通称“技研”へ続いていた。記憶を頼りに海岸沿いを探したらすぐさ。
 顔と皮膚を隠せば陸上でも活動できた上、身体能力は超人的だったしね。なんで深海棲艦って、地上を攻めないのか疑問に思ったもんですよ。
 ね、リ級の艤装、分かる? 僕が人間だった頃には見えなかったけど、後輩君には見えてるんでしょ、深海棲艦の統制人格」


 まるで、あっかんべー、とするみたく眼を示した後に、唐突な質問を投げられた。
 反射的に記憶を探り、思い出してしまった事を吐き出さないのも気持ちが悪くて、なんとなく答えてしまう。


「あ、あぁ、えっと……。両手に、口と砲が一緒になったような艤装を……」

「そう! その艤装でね、バクッと何百人も喰い殺したんだ。いやー、クソ不味かった。よく考えたら、丸呑みだから文字通りクソも……。おえぇぇ」


 くるくるくる。再びベッドの周囲を歩きながら、嘔吐の真似を。
 軽薄だった。人を殺したにしては、あまりに態度が軽すぎる。
 やっぱり、コイツとは相容れない。信頼なんか出来るはずがない。


「おかしいぞ。自分はそんな研究所知らない。そんな事件知らない。本当に存在したのか?」

「君が知らないのは当たり前だよ。上層部にも隠蔽されてたんだから。主導したのは、あの糞ジジイ……。吉田 剛志さ。
 奴はこれらの事件を隠蔽する代わりに、今の地位を得たんだ。結果的に、だろうけどね。表沙汰になったら世界的な恥だもん。
 ま、日本だけがこんな事をしてた訳がないんだけど。中国、アメリカ、ロシア、イギリス、ドイツ……。国も人種も関係ない、人は何処まで行っても、人なんだよ」


 意を決した反論には、予想外の名前が返ってきた。それに込められた悪意の濃さにも、驚いてしまう。
 中将に、そんな過去が……。いいやっ、信頼できないと思ったばかりなのに、何を信じかけてるんだっ。
 嘘に決まってる。それらしい事を並べて、真実だと思わせたい、だけだ。

 ……本当に?

 厳めしい足音を聞きながら、自分は。
 視界を往復する異形の者を、揺れる瞳で見つめる。


「さて。復讐が意外と早く終わってしまった僕は、暇になってしまいました。有り余る時間をどう使おうか。毎日毎日考えます。
 思いついたのは、この力……。失われてしまった傀儡能力と、自分の身に起こったことの解明です。資金や設備を得るのも簡単でした。
 何せ、人間が追い求めるものと言ったら、昔から決まってるからね。
 金も権力も永遠の命も。詰まる所は他者を凌駕する力。人は劣等感によって人たらしめられている。
 技研の存在を知り、潰れた理由を察せる人間に、僕という存在そのものを示すとね。彼らは面白いように同じ反応を示したよ」


 言葉にはされなかったが、予想は出来た。
 それはかつて、自分も向けられた言葉だからだ。
 能力に目覚めてから離れていった友人が、さり気なくを装って問いかけてきた言葉。

 “どうすれば、そんな風になれる”

 分かるわけがない。正直にそう答えても、彼らは嘘だと決めつけ、こちらを睨みつけて去って行った。
 こればかりは、実感として知っていた。
 そのせいで人間不信になりかけた時期もあったが、先輩の過剰な逆セクハラで何時の間にか回復していたから、吹っ切れていたのだ。


「そうなれば後は簡単。もっともな理由をつけて薬物付けにして、言う事を聞かせるだけですむ。
 特に、意志の弱い人間に僕の血を飲ませると、犬みたく従順になってね? いやぁ、面白かったなぁ。あんまり濃いのを飲ませると死んじゃったけど。
 それとね。今世界で流通してる人工血液。あれ、僕が自分の血液を元に再現した、深海棲艦の体液なんだよ?
 色は違うし、不完全だけど、結構いい資金源さ。君が生きてるのも、実は僕のおかげだったりするんだよね」

「そ、んな……。深海棲艦の……?」

「ふふふ。良い顔するね、君。アイツが気に入ってたのも分かるよ。でも、驚くのはここからさ。
 十分な資金力とセーフハウスを手に入れた僕は、本格的に能力の研究を開始した。一般から被検体を募集したり、時には誘拐したり。
 強弱問わず、幾人もの能力者をこの目で見て、僕はある共通点を見出したんだ」

「……共通点」


 模倣品とはいえ、自分の治療に深海棲艦の体液が使われた。
 しかも、無理やり服従を強いるような、危険な毒から模倣された物を。
 驚愕の事実に狼狽える暇もなく、また新たな、興味深い情報の存在を示唆される。
 こちらが食いついたのを見取り、彼女かれはニィィ、と口角を釣り上げた。
 もうここまで来たら、トコトンまで情報を引き出した方が良いか……。


「それは……。傀儡能力者を中心として、トンでもない量の黒い霊子――負の感情が渦巻いている事だった。
 能力者はね、他者からの悪意の集束点みたいな存在で、世に渦巻く怒りや憎しみ、呪いを糧に力を振るっていたのさ。
 少なくとも僕にはこう見えるんだ。おぞましく薄汚い呪詛が、能力者の魂を通り、濾されて、無垢なるヒトカタへと模られているように」


 魂で、呪詛を濾す……?
 世に遍く満ちる霊子は、人間の感情などに作用され、有形無形の力となる。
 古から続いていた傀儡能力者“ではない”能力者は、自らの異能の原理をそう語ったらしい。
 つまり、既に他者への呪詛という姿を取った霊子を、魂をフィルターとする事で再利用している、という事だろうか。
 ……実感が湧かない。


「傀儡能力者の多くは、戦闘でのフィードバック現象で命を落とす。幾ら注意していても、不意に発生するそれのせいでね。
 引き起こしているのは他でもない。身体に、魂に溜め込みすぎた負の感情が深海棲艦を煽り、憎しみの連鎖反応によって自滅するんだよ。
 自分の身で味わい、何度も目にしてきた。賭けてもいい。
 余談だけど、この時の僕はもうリ級じゃなくなってた。
 僕を深海棲艦だと思った艦隊に襲われたり、なんでか深海棲艦にも襲われたり。
 それを返り討ちにしたりしてる内に、駆逐艦とか、雷巡とか、空母とか、戦艦とか。色んな船を“食べて”ね。
 多種多様な深海棲艦の統制人格をごっちゃにしたような……ううん、全く新しい存在になろうとしてた。この顔を取り戻したの、つい最近なんだよ?」


 ぐにー、と頬が引っ張られ、整っていた顔立ちはおかしな事に。
 ……能力に関しては、あくまで一説に過ぎないと考えておこう。無視するべきではない情報だけれど、信頼に値するとも思えない。
 それより、海軍だけでなく深海棲艦にも襲われたというのが気になる。
 双胴棲姫戦では共喰いすらしていたが、あれが全体の習性とは考えにくい。ならば、深海棲艦にとっても彼女かれは敵なのか?
 唐突に現れたという堕ちた愛宕。血の受療。深海棲艦化。
 どれもこれも、再現性のない突飛な状況に思えた。偶然の積み重ね。あるいは……運命の悪戯。いや、馬鹿らしい。何を考えてるんだ自分は。

 それこそ突飛な考えに、自分は強くまぶたを閉じる。
 左眼の痒みは、ジクジクとした痛みに変わり始めていた。
 熱い。


「そんな折、僕はある情報を入手した。僕の遺伝子情報を使い、クローンを製造。人工生命に霊的能力が宿るのかを研究する連中がいるって」

「……まさか、技研?」

「その通り。僕が潰したはずの技研は、軍の支援を得て再建されていたんだ」

「中将は、それを……」

「……どうだろうね。知ってて黙認してたのか、知らされずにいたのか。分からない。分かりたくもない。
 とにかく。僕はもう一度、技研を潰そうとした。本当は研究成果も全部潰すつもりだったんだけど……。一体だけ面白い魂を宿した奴がいて、見逃しちゃった。それが……」

「間桐、提督なのか」

「そう。対外的には二十代~三十代って事にされてるけど、アレの実年齢は十代前半。君より歳下なんだ。驚いた?」


 彼女かれは歩くのをやめ、ベッドの右サイドへ勢いよく腰を下ろす。
 軍主導による、技研の再建。そこで再び行われていた、非人道的な研究。
 人の集まる組織だ。清濁併呑が当たり前だと思ってはいたが、これが事実だとすれば、濁っているどころの話じゃない。膿を抱えて腐りかけた、醜い痕だ。
 ここを脱出したら、個人的に調べないと。何をされるか分かったもんじゃない。
 それに、間桐提督の実年齢にも驚かされた。傍若無人で、欲望に忠実なあの振る舞いは、本当に子供だったから。気付けなかった……。
 表に顔を出さなかったのは、彼の出自が原因だろうか。そもそも、特異な産まれ方をした彼が、どういう経緯で軍に入り、提督となったのか。謎は尽きなかった。


「実を言うと、見逃したというより、邪魔が入って見逃さざるを得なかったんだけど、どうでも良いから置いておこう。
 技研で貴重な能力関係の情報を入手した僕は、それと今までの経験とを合わせ、いよいよ研究を実験段階に移した。
 能力者が無意識的に負の感情を用いるならば、意図的に負の感情へと曝す事によって、能力者を生むことも可能ではないか、という仮説を下地にして。
 ま、負の感情に曝された人間の全てが能力者になれるなら、全人類がとっくに能力者になってるだろうけど、僕が見た能力者は、漏れなく悪意の渦中に居たしね」


 人工的に、能力者を産む。
 言うのは簡単だが、それを実践できるかと問われたら、限りなく不可能に近い。
 世界的に見ても能力者が優遇され、新たな存在の確保に躍起となっている、各国政府が証拠だ。
 しかし、自然発生に任せるしかないそれを、人為的に産み出せるとなれば……。
 天秤の傾きが、変わる?


「そこで僕は考えた。ただの悪意で足りないのなら、濃縮した悪意――呪いを打ち込もうと。
 具体的には、励起振動に反応する、受容性に優れた経年物品へ、一定量の霊子を……無残な死を遂げた魂の“滓”を沈着させ、それを受け入れられるだけの人間へと渡し、影響を計るんだ。
 魂を用意するのは簡単だったよ。人間のクローンなんて安く作れるし、僕の目は魂の所在を見られるんだから。ある程度まで成長させてグチュグチュっと……ね?」


 どこからどこまでが本気なのか。目の前の外道はこう言ったのだ。
 ただ殺すためだけに命を産み出し、弄んだと。罪悪感の欠片もない、満面の笑みで。
 計測しか出来なかった霊子に、どうやって干渉したのかは疑問だけれど、通常とは違う方法で観測可能な眼を持っているなら、通常とはまた違う観点からのアプローチも可能だろう。
 これだけの技術力、正しく使えば歴史に名を刻むのも夢ではない。それが、この邪悪さはなんだ。どれほどの悪意に曝されれば、ここまで歪む事ができるんだ?
 繰り広げられる異質な価値観で、自分の身体には悪寒が走っていた。
 だが、なおも続く弁論に、今度は背筋が凍りつく事になる。


「僕は、軍へと潜伏させていた子飼いの暗殺者と街へ出て、対象者を見繕った。意外なことに、簡単に見つかったよ。
 神奈川。とある男子大学生。友人に囲まれ、困ったような笑みを浮かべる、ごく普通の男。
 疑問に思ったよ。なぜこんな男が、と。でも、同時に直感もあったんだ。
 コイツだ。コイツしかいない。コイツなら間違いないってさ。今ならそれも頷ける」


 腕を組み、何度も何度も、頷きながら発せられた言葉。その内容は、覚えのある情景だった。
 まだ一年ほどしか経っていない。
 そうだ。あの日、あの人と出会った、駅前での出来事。

 嘘だ。


「そして、その男は目論見通り、暗殺者の落としたある物品を拾い上げ……それに込められた呪いを全て吸い込んだ! まるでスポンジのように!
 僕は歓喜したよ! 仮説は正しかった、僕は正しい!
 経歴を調べて納得さ。その男は十年前のあの日、交通事故の永い眠りから目を覚ましたんだから! そう、あの日、あの時間に! 大侵攻が終結した直後にねっ」


 徐々に高揚していく演説が、鼓動を早めていく。
 ゴゥゴゥと、耳の奥がうるさい。左眼が痛い。

 嘘だ。嘘だ。嘘だ。
 そんなはずない。あれは偶然の出会いだ。仕組まれてなんか無いはずだ。
 自分は暗殺者なんて知らない。交通事故なんて知らない。大侵攻と関わり合いになんて。

 そう、必死に言い聞かせる自分の上へと、彼女かれが覆いかぶさるようにして跨がる。
 見下ろしてくる顔は、情欲で炙られたように紅潮し、上体がせせこましく屈められた。
 頬をくすぐる白い髪から。
 濃厚な血の臭いと、汚水の臭いがした。


「あの時の直感が、今ではこの目に見える。しっかと感じられる。
 ねぇ、後輩君。“君の中に居るのは誰だい”?
 常人なら発狂するかも知れないだけの呪いを受け止め、君に傀儡能力を行使させているのは誰だい?
 源兄ちゃんかな。伊吹かな。鞍馬かな。鞍馬と沈んだ深海棲艦かな。存在を抹消された、唯一の犠牲者である女の子かな。
 そもそも、“君”は本当に“君”なの? その“誰か”が成り代わってるだけだったりして。
 あぁ、あぁ、興味深いなぁ。知りたいなぁ。アハハハハハハハハハハ!」


 ウットリと、愛おしそうに頬を撫でた後、“それ”は弓なりに身体を反らせ、狂人の如く笑い続ける。
 おぞましかった。目を逸らしたかった。なのに、動けなかった。
 出来たのはせいぜい、狼狽えながら強がってみせる事だけで。


「ふ、ふざけるなっ! 何を、何を言ってるんだ。なんだって言うんだ!?
 自分は事故になんか遭ってない、十年前も普通に過ごしてた、自分は自分だ、自分はただの……っ」

「ただの? ただの人間? ただの元一般人? いいや違うね!
 君は史上二人目の人工傀儡能力者さ! 僕の実験成果だ、僕がこの世に生きた証だよ? 喜んでよ。
 なんの才能も持ち合わせていなかった凡人を、僕が“桐”に仕立て上げたんだ。
 十年間眠っていた君の内部存在を、目覚めさせてあげたんだから。嬉しいだろう?」

「お、前は……っ! 人をなんだと思って……!」


 身勝手過ぎる言い分に反論しようとするが、また近くなった腐臭に喉が詰まった。
 興奮ゆえか、紫色の瞳が爛々と輝いている。


「君こそなんだと思ってるの? 人は尊い? 命は尊い? そんなもの! 自分を大切だと思ってほしい偽善者の戯言だ!
 君がヒトカタ共に向ける優しさだって、自己愛からくる防衛本能さ。優しくすれば優しくして貰えるから。嫌われるだけの勇気が無いから!
 たとえ裏切られたとしても、自分は善人だったと言い訳したいからだ! 判断力の無さを棚上げするためだ!」

「ちが、違う、自分はあの子たちを、あの子たちが大切だから……」

「そうだよねぇ。無条件に肯定してくれる、大切な自己肯定の道具だもんねぇ」

「違う、違う、違う違う違う!」


 痛みも忘れ、大きく首を振って否定しようとしても、辛辣な言葉が耳にこびり付いて離れない。
 自己肯定の為に、他の誰かへ優しさを向けている?
 ふざけるな。違う。あの子達は、電は道具なんかじゃない。
 自分はただ、笑っていて欲しいから……。


(……笑っていて欲しい? なんの為に。……自分が、笑っていて欲しい、だけ?)


 必死で抗っているうちに、ふと、気付いてしまった。
 笑っていて欲しい。それって結局、自分の為じゃないのか。
 自分が安心していたいから、みんなに微笑みかけて欲しいから、そう思っているんじゃないのか。
 一度考えが及んでしまえば、もう拭えなかった。自分自身への、疑念を。
 誰かの笑顔を願う。
 悪いことではないはずなのに、良いことだと胸を張って言えなくなっていた。


「僕にもまだ分からないんだ。なぜ君のヒトカタが、あんなにも感情豊かなのか。
 二人目の君を作ろうとしても、一向に成功しないし。けどね。一つだけ確かなことがある」


 揺らいでいる自分を他所に、彼女かれの声は静けさを取り戻している。
 そして、天井を数秒ほど仰いでは、憐れみと侮蔑の込められた視線を落とす。


「この世の全ては無意味で無価値。最後にゃ消える泡も同然。
 だから僕が与えてやった。意味を。価値を。存在意義を。
 否定できる訳がないよね。八方美人な、養鶏場の長男君……?」


 逆光で陰る微笑みには、逆らい難い魔力が宿っていた。
 あぁ、そうだ。否定なんて出来るわけが無かったのだ。最初から理解していたじゃないか。
 この力は、自分が産まれ持った物じゃないと。
 この力が無ければ、自分は今でもあの町で燻っていたと。
 名も無き養鶏場の長男に、なんの意味がある。なんの価値がある。“桐”を冠した能力者に勝る存在意義が、あるか?
 彼女かれの言葉は正しい。どうしようもなく、正しいのだ。
 自分の存在価値は、彼女かれによって与えられた物なのだから。


「先輩、も。お前の……」

「うん。さっき言った、僕の子飼いの暗殺者。君を取り戻すためにも尽力してくれたよ?
 君を育て、君を守り、君を監視して、君を裏切った。全て僕の命令通りに。
 あ、兵藤 凛って名前は偽名だから。経歴も、戸籍も、全部ニセモノ。自前なのはあの顔だけかな」

「嘘、だ……」

「残念。真実は残酷なんだよ、いつだって。君も薄々気付いてたんじゃない? あの女には裏がある、ってさ」

「……ここに、居るのか」

「さぁ、どうでしょう? 教えてあーげない」


 抵抗するだけの気力は残っていなかった。ワザとらしくおどけた顔に、最早なんの感慨も抱かない。
 先輩が、裏切り者だった。出会いは最初から計画されて、何もかもが偽りだった。
 逆セクハラに悩んだ日々も、叱咤激励されつつ訓練に励んだ日々も、下らない話をして笑いあっていた日々も。全てが虚飾の仮面を挟み、自分だけが一人で笑っていた。
 まるで、道化の服を着せられた操り人形だ。


「何が、望みなんだ。こんな実験の先に、何を求めてるんだ」

「……はは。いいよ、そっちは教えてあげよう」


 せめてもの反撃として、“敵”に主目的を問いかける。
 数多の命を弄び、人生を狂わせた張本人は、大きく両腕を広げながら、謳う。


「僕の望みは、僕という存在を上書きすること。
 負け犬を意味するようになった小林 倫太郎という名の意味を、書き換えることさ!
 もう雌伏の時は終わりだ。君という成果を手にした、今こそが雄飛の時。
 この世の常識を新たにする者として。人類を超越した存在として、僕は歴史の表舞台に返り咲く!
 深海棲艦と人類のハイブリッド……。そう、“深人類しんじんるい”の始祖としてね」


 右の拳を握り締め、雄々しい宣言と共に、彼女かれは自らを再定義した。
 衰退し続ける人類を。それを助長する深海棲艦をも、過去の存在にするのだと。
 狂気を感じた。狂おしいまでの孤独と、それを強いた世界への憎悪を。


「受け入れられる訳ない。能力者や統制人格ですら、まだ奇異の目で見られるっていうのに」

「そんなの些細な問題さ。統制人格が受け入れ難いのは、その恩恵が分かり辛いからだよ。
 僕は違う。医療・機械技術の面で、人民の生活に直接影響を与えられる。悪霊ですら奉るこの国でなら、きっと大丈夫。
 ダメならダメで、力に訴えればいいだけだし。影から僕の血で穢していくのも良い……やだ、騎乗位みたいな格好……。僕も今は女の子だからね。そこら辺はキチッとね……」


 大人しく従えば良し。然もなくば、力尽くで従わせるのみ。
 物騒という他にない宣言をしたかと思ったら、彼女かれは急に頬を染めて、イソイソとベッドの上から降りた。
 もう、着いていけない。訳が分からない。
 邪悪なのは間違いないのに、不意に見せる表情が少女そのもので、不安になってくる。
 歪んだ人間とは、こうも支離滅裂なのか。自分も、歪んだ環境に放り込まれたら、こうなる可能性があるのかと。


「さて。せっかく君が手元に来た訳だし、色んなデータ取りをしようと思うんだけど、協力してくれる?」

「……お前に協力して、自分になんのメリットがあるっていうんだ」

「ははは。ま、そうだねー。無いよねー。時に、僕の社会的な影響力はもう分かってるよね」


 にこやかな笑顔に対し、自分は鬱々とした心持ちで、剣呑な物言いを返す。
 すると、大きな目がさらに細く、唇は裂けるように弧を描き……。


「君の上のお姉さんには、まだ幼い子供が居たっけ。可愛い可愛い、男の子と女の子の双子が。
 それだけじゃない。下のお姉さんは新婚ラブラブだし、弟君たちは楽しそうな学生生活を送ってる。ご両親も未だにイチャイチャ……。幸せそうだよねー。……ホント、羨ましいくらいさ」

「……っ!? 貴様っ!!!!!!」


 明確にして悪辣な、脅しを掛けてきた。
 シートベルトと同じような仕組みなのだろう。伸ばそうとした手が鎖に阻まれ、ベッドへキツく縛り付けられる。
 倦怠感も、痛みも、腹の底が煮える熱さに吹き飛んだ。
 純粋な怒りを込めた視線に、しかし彼女かれはころころと嗤う。


「なぁんだ、お優しいだけのヘタレかと思ってたのに、そんな顔も出来るんじゃない。
 良いよ、良いよ。怒りで歪んだ君の表情。……ゾクゾクしちゃう。僕ってヘンタイ? アハハ」


 愉しんでいる。遊ばれている。
 絶対に抵抗できない状態へと追い込んで、その反応に悦んでいる。
 この瞬間、自分は悟った。この怪物は本気だと。ほんの気まぐれで、コイツは自分の家族に手を出すつもりだ。
 襲撃を受け、家族には保護が向かっているはずだが、それもどこまで信じられるか。
 親父、母さん、大姉、小姉、中吉、小助。ついこの間、会ったばかりの顔が浮かんでは消えていく。
 自分のせいで、みんなが死ぬ。自分のせいで、みんなの幸せが壊される。
 恐ろしかった。心の底から、怖かった。家族の喪失を使命感で誤魔化せるほど、自分はまだ軍人じゃなかった。
 屈するしか、ない……っ。


「やめて、くれ……。協力、するから。家族にだけは……手を、出さないでくれ」

「あー、酷いなー。僕は羨ましいって言ってるだけなのにー。でも、協力的になってくれて嬉しいよ」


 まるで、反抗するペットを宥めるように。細い指が、愛おしそうに頭を撫でる。
 吐き気がした。触れられた所から腐っていくようだ。
 それでも、家族の命を握られては、どうしようもなかった。
 今だけだ。きっと、自分の仲間が助けに来てくれる。絶対に来てくれる。
 だから、それまで辛抱するんだ……!


「お腹空いたでしょ。今、食べる物とか持ってくるよ。飢えるのって辛いもんね。……そうそう、忘れる所だった。君の左眼、やっぱり潰れてたよ」

「……は?」


 他人を散々オモチャにして気が済んだのか、スキップでもしそうな様子で部屋のドアを開けた彼女かれだったが、物のついでと置いて行く言葉に、呆気にとられた。
 左眼が……何? 潰れ………………。


「ひーだーりーめー。あと、顔にも傷が残っちゃったんだよねー。
 ま、どっちも僕のせいなんだけどさ。今は治癒剤を固めたボールが入ってるんだ。
 後でもっと高性能な眼を用意してあげるから、それで許してねー」
 

 左手で己の左眼を示した後、遅刻の詫びでもする気軽さで、異形の足音が遠ざかって行く。
 思考が取り残され、静けさを取り戻した部屋の中、自分はシミひとつない天井を見上げる。
 痛みが、ぶり返してきた。


「違う……。自分は……。違う……。違う……っ」


 喉が勝手に呟く言葉は、なぜだか、自分でも弱々しく聞こえた。
 ゆらゆら、ゆらゆらと。世界が静かに揺れている。
 自分は今、底無し沼の上に横たわっている。
 そんな気がした。

 会いたい。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 横須賀。桐林艦隊宿舎地下のこじんまりした部屋では、数人の女性が押し黙っていた
 一人目は、壁際に設置された機械群――暗号通信機器を操作する、書記の少女。
 部屋の中央では、簡素な机に着く赤城と、背後に控える陸奥、そして電が。
 居心地悪そうに肩身を狭くして、赤城の斜め前に座る疋田が、最後の一人だ。


(……どうしよう。この空気。もうお家帰りたい……なんて言えるわけないよね……。約束したんだから。私が、助けないと……)


 一瞬、何もかも投げ捨てて逃げ出したくなってしまう疋田だったが、すぐに気を取り直す。
 常識的に考えれば、即刻憲兵隊へ突き出されても文句は言えない立場。
 それを、吹雪や赤城を始めとした皆は、信じてくれた。何より、兵藤との約束を破る訳にはいかないのだから。
 とは思っても、何もしないで待つというのは思いの外辛く、疋田はもじもじと腰が落ち着かない。

 そんな時、書記の指が急に忙しなく動き始めた。数秒後には振り向かずに「繋がりました」と一声。
 無言で頷いた赤城は、机の中央に置かれていた映像通信端末を、ぎこちなく操作する。


「もしもし」

『……俺だ。桐林んトコの赤城、だな』

「はい。お久しぶりです、間桐提督」


 青一色の画面にはSOUND ONLYの文字。スピーカーが伝える合成音声は、佐世保で静養中の間桐の物だった。
 疋田を事情聴取した結果、赤城は彼の助力を得た方が良いと考え、秘匿回線での会談を申し込んだのである。
 時刻は夜半過ぎ。拉致から十二時間以上が経過している。


『こっちも割と危ない橋渡ってんだ、単刀直入に行くぜ。……疋田とかいう女が言ってたのは、この写真のガキに似てんのか?』


 以前に戦場で聞いた声よりも硬質な響きを伴い、画面に変化が起きる。
 映し出されたのは、一枚の集合写真だった。
 軍艦を背景に、手前側を向く初老の男性と、若い男女が一組に、少年が一人。そして、彼らに向かって歩いていると思われる、軍服の後ろ姿。計五人が写っている。
 若い男は髪が長く、誰が見ても美男子だと評するであろう。しかし、顔が引きつっていた。
 隣の女は表情が硬い。が、よく見ると、自分の尻を触ろうとする若い男の腕を捻っている。
 白髪混じりの初老の男性は、そんな二人を見て苦笑いを浮かべている。若かりし吉田 剛志だ。
 そして、頭に手を乗せられ、吉田の隣で不機嫌そうな表情を浮かべる、間桐が言う所の子供。初等教育を終えるか終えないかといった年頃に見えるが、成長が遅いのか、幼い顔立ちはまだ少女にも見える。
 後姿の人物はよく分からない。
 赤城が端末の向きをズラし、それを確認した疋田は大きく頷いた。


「はい。これとは違う写真ですけど、間違いありませんっ。……でも、どうして間桐提督が、こんな写真を?」

『聞いてるのはこっちだ。能力者でもないテメェが、どこでこの顔を見やがった。答えろ』


 何の気なしにした質問へは、恐ろしく威圧的な声が返る。
 心臓が縮こまる痛みを感じながら、しかし黙っているなんて選択肢を選べる訳もなく、つっかえながら疋田は記憶を振り返った。


「わ、私は、横須賀で警備を担当していました。
 その関係で一度、中将が不在の時に執務室へ立ち入ったことがあるんです。保安設備点検チームの一員として。
 警報とか、圧力センサーとかを点検して、ついでに空気清浄機のフィルターも交換しようとした時、机に飾ってあったのが、この子を肩車する中将……っぽい人でした」

『ぽい?』

「いえあの、イタズラされたんでしょうね。ズレた帽子で顔が半分隠れちゃってたものですから。で、確か中将は親類がいないはずなのに、と思ったのを覚えてます」

『……チッ。ボケ爺が、あんなもん後生大事に飾ってんじゃねぇよ……』


 答えに納得したようで、間桐は溜め息をつく。圧し潰すような威圧的は霧散していた。
 ホッと胸を撫で下ろす疋田だったが、今度は横に生じた気配で心臓を跳ねさせる。
 芳しい花の香りをまとい、柔和な笑みに迫力を宿す、陸奥である。


「ねえ、間桐大佐? 一体どういう事なのかしら。この写真、最初期の能力者の集合写真でしょう。
 そしておそらく、この子が吐噶喇列島の……。私はてっきり、貴方がこの少年提督だって思っていたのだけれど。
 たまたま提督を襲った敵が、たまたま貴方の幼少期と似た顔をしていた……なんて、出来過ぎじゃない?」


 穏やかではあるが、有無を言わせぬ物言いに、間桐はだんまりを決め込む。
 能力者の歴史を見る限り、後にも先にも、わずか十歳の子供が徴兵されたのは一例だけ。吐噶喇列島で重傷を負った、小林 倫太郎のみである。
 桐ヶ森が十三の時に自ら入隊した時も、世論は大きく騒ぎ立て、当人がマスコミやら自称有識者やらを尽く論破するまで、それは続いた。
 負傷後、彼は名誉除隊という扱いとなって消息不明になるが、しばらくののち、佐世保で異常な戦果を挙げる、顔を見せない男が話題となった。
 吉田の肝入りであるとの噂以外、なんの情報も得られなかった周囲の人間は、漏れ聞こえる血液型や年齢、表に出たがらない性質などから推測し、彼は小林 倫太郎ではないかと囁き合ったのである。本人も否定しなかったのが大きい。

 しかし、敵に……深海棲艦に同じ顔を持ち、明確な意思を宿す個体が現れたとなれば、話は変わってくる。
 傀儡艦に堕ちる可能性があるのなら、彼女らと魂を繋ぐ能力者もまた、堕ちる可能性があると言えるだろう。
 今回の敵がそうだったと仮定して、ならば今話しているこの男は、一体誰なのか。
 もしくは、間桐がこの少年提督だったとして、同じ顔を持つ深海棲艦が、わざわざ身元を特定させようと振る舞った理由は。
 どちらにせよ、間桐と今回の敵とに、なんらかの関係性があるのは明白。陸奥は潔白を証明しろと言っているのだ。
 けれど、長い沈黙を破ったのは、馬鹿にしたような短い笑いだった。


『ハッ。俺の口からは絶対に言わねぇ。犯人がコイツだとしたら、桐林も同じ疑問を感じて、直接本人から聞いてるだろ。野郎を取り戻して、ヤツから聞きな』

「……信じろというのね? 素性の怪しくなった、顔も、声も晒そうとしない男を」

「陸奥さん」


 流石に無作法が過ぎると、赤城は陸奥を窘める。
 本来、指揮を代行する赤城が行わねばならない事を、陸奥は進んでやってくれている。内心では感謝もすれど、この場は上の者として振る舞うべきなのだから。
 一方、間桐も頑なな態度を崩さない。


『それでも信じるしかねぇだろうが。敵がかつての能力者に関わる者だと分かり、兵藤が軍との関連性まで示した。
 このままだと動けなくなるぞ。お前らは俺に縋るしかない。俺に頼るしかないんだ。分を弁えろや、バカたれ共』


 尊大な言葉に、赤城と陸奥が目を細めた。
 不快だったからではなく、彼が暗に肯定した内容について、である。
 敵はかつての能力者。あるいはその関係者。そして、兵藤の言い残した「軍を信用してはならない」という言葉が、その通りだと言っているのだ。
 即ち、間桐は敵の正体についてある程度の当たりを付け、それを取り巻く陰謀についても……。
 ついでに、自分自身の身元が不確定である事と、そんな人物を頼らなければならない、赤城たちの現状も突き付けていた。
 八方塞がり。
 彼女たちの命運は、今、間桐と呼ばれる正体不明の男に握られているのだ。


『だが……。それだけじゃ不安なのも、信用できないのだって分からぁ。だからよ……』


 しかし意外にも、間桐は自ら態度を翻し、言葉遣いからも険が取れる。
 そして、躊躇うような一瞬を置き――


「天地神明なんかじゃねぇ。俺の、“ミナト”の名に賭けて誓ってやろう。
 お前らの提督を攫ったのは、俺の敵だ。
 だから桐林を取り戻し、アイツを倒すまで、掛け値無し、全力で後援してやる」


 ――若い男性の肉声が、スピーカーを震わせた。音声の加工を切ったのだと思われる。
 よほど驚いたのか、その場に居る誰も、声を発する事はなかった。
 互いに顔の見えない遠隔通信。この若々しい声が間桐の物であるという、確たる証拠は無い。
 だが、もしこれが彼の肉声ならば。“ミナト”という名が、気位の高い“千里”の本名ならば。それは彼にとって、天地に勝る誠実な誓いなのかも知れない。

 赤城が電を見やる。
 逡巡する素振りはあったものの、数秒と経たずに電は大きく頷いた。
 陸奥も諦めたように肩をすくめて見せ、困惑する疋田を他所に、共同戦線を張ることが決まったようだ。


「しかしだ。後援するたぁ言ったが、具体的なプランはあるんだろうな? それまでこっちにブン投げられても困るぞ」

「ご安心を。疋田さん」


 あちらの顔は見えなくとも、赤城たちの表情は間桐へ伝わっている。
 腹が決まったのを察したらしく、次は具体的な作戦を煮詰めようと話が振られた。
 一つ、たおやかに微笑んだ赤城は、「なんだか私だけ場違いだなぁ」と縮こまる疋田へ端末を向け、慌てた彼女がとある携帯端末を取り出す。


「これ、兵藤提督の携帯なんですけど、限定的な骸骨鍵スケルトン・キー以外にも、特殊な“猟犬”プログラムがインストールされてるみたいなんです。
 あの車の中で、桐林提督に渡した盗聴器の入ってない方のカフスボタン……。多分、あれに発信機でも仕込まれてるんじゃないかと」

「……盗聴器の入ってない方?」

「まぁ、兵藤提督ですから……」


 真剣な話の最中へ混じるおかしな情報に、陸奥は「はて?」と首をかしげ、赤城も苦笑いを浮かべる。
 トボけた言動の兵藤が、一体どこまで先を見通していたのか。考えても詮無い事だが、とにかく役立つ物を遺してくれた。活用しなければ。
 ちなみに。骸骨鍵とは、電子制御された錠前に対するハッキングプログラムの俗称――いわゆる魔法の鍵である。
 合い鍵やマスターキーという意味合いがあり、物理的な施錠には歯が立たないが、それ以外であれば、文字通り万能の効果を発揮する。
 疋田はこれを使い、本格的な取り調べを受ける前に逃走を図ったのだ。猟犬プログラムの方は、GPSによる追跡を強化した物と考えれば良いだろう。


「詳しい仕様とかは後でご説明しますが、これを使えば……!」

「骸骨鍵だぁ? なるほど、な。通りでただの一警備員が逃げだせた訳だ。トコトンまで食えねぇ女だぜ……。分かった。必要な設備や車は俺が手配してやる。お前らは……」


 疋田が表情を引き締め、間桐は兵藤の頼もしさに含み笑い。
 奪還作戦の仔細が話し合われていく。


(司令官さん、待ってて下さい。今、電が助けに行きますから……!)


 電もそれに参加しつつ、心で決意を固めていた。
 いくら悲しみに暮れていても、彼は帰ってこない。
 取り戻すために必要なのは、是が非でも意思を押し通す強さ。
 大切な物を取り戻そうという、強い意志なのだから。


「……? これは……!?」

「どうなさいましたか、書記さん」

「通信信号に枝を付けられました! 割り込まれます!」


 しかし、地下室が静かな熱気に包まれようとしていた所へ、緊迫する声が響いた。
 書記が言い終えるよりも早く、写真を写していた映像端末の画面がチラつき始める。
 枝を付けられた。諜報部に嗅ぎつけられたかと、息を飲む赤城たち。
 けれど……。


「盛り上がってるとこ悪いんだけど、相乗りさせて貰うわよ」


 映し出された顔は、覚えのある少女の物だった。
 碧い瞳。頭頂部が茶色くなった金髪。桐ヶ森である。
 拍子抜けしたのか、大きく息を吐く女性三名。残る一名の男は、再び加工した音声で文句をつけた。


『プリン頭……。テメェ、どっから嗅ぎつけやがった』

「忘れたのかしら? 私、天才なの。優秀な助手さえいれば、大抵のことはこなせるわ。例えばそれがクラッキングでもね。
 っていうかアンタ馬鹿じゃない? あんなに重くて複雑な暗号化を走らせてたら、今まさに内緒話してますって宣伝してるようなものじゃない」

『……あ』


 たった今、言われてようやく気付きました、と言わんばかりの間桐の声。桐ヶ森は頬杖をつきながら呆れ返る。


「とりあえず、ウロチョロしてた偵察プログラムには誤情報を掴ませてあるから、安心しなさい。全く、砲撃と開発以外はトコトン駄目ね」

『ぐっ……。う、ウルセェ! それより、テメェは無駄話しに来たのか!?』


 間桐にもどうやら自覚はあったようで、気恥ずかしさを誤魔化すために大声を張った。
 望む所だったのだろう。小馬鹿にしていた表情を整え、桐ヶ森が早速本題へ入る。
 だが、その知らせは吉報ではなく、更なる混迷を思わせる、凶報だった。


「色々と説明しなきゃならない事はあるけど、まずは知っといて欲しい事。
 ……桐生と、桐生の霧島が姿を消したわ。あの軍病院から、跡形も無く」




















2015/10/24 初投稿







[38387] 新人提督と柘榴の味
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/11/07 12:32





 鬱蒼とした夜の林の中。
 ろくに街灯もない山道を、一台の大型装甲車が山頂へ向けて移動していた。
 駆動力をモーターで賄っているため、静音性はとても高く、ヘッドライトや砂利の擦れる音などが無ければ、誰も存在に気付かないであろう。


「……もう、五十八時間ですか」


 その助手席に座る少女が、黒く塗り潰された景色を眺めて、小さく呟いた。書記の少女である。
 同時多発テロ、並びに拉致事件が発生してから三日目。時刻は二三○○。
 舞鶴湾を挟み、南に東舞鶴の街や鎮守府を見下ろせる、某森林公園よりもさらに西が、装甲輸送車の現在位置だ。


「疋田さん、ログの方は?」

「もうすぐ最終記録地点です。先行する最上さんたちが、十分後に到着する予定ですね」


 運転手を務める疋田が、ダッシュボード中央に据えられた液晶をチラリと確かめ、すぐに正面へ視線を戻す。
 GPS誘導システムと酷似したその画面には、周辺環境の詳細に加え、一つの光点が明滅していた。
 兵藤が極秘裏に仕込んだカフスボタン型発信機。それが提督の足跡を彼女たちに教えているのだ。
 十五分間隔で衛星に位置が記録される仕組みだが、信号は二十時間前から移動しておらず、つい三時間ほど前、途絶えた。
 名も無き救出部隊が向かっているのは、その地点である。先行するのは、足周りを改修した二台のバイクで、最上の後ろには摩耶が。三隈の後ろには鳥海がタンデムしている。


「しっかし、敵がまんま西へ向かってたとはな……」

「本当に遊ばれてるみたい~。この借りは返さないと、ね~」

「ちょ、ちょっと、穂先をこっちに向けないで下さい、刺さ、刺さりますって!」

「あの……。車内は狭いですから、艤装は仕舞って頂けませんか……?」


 運転席の真後ろで、立ったまま格闘用艤装の柄を握る、天龍と龍田。
 あれだけ必死に追いかけた相手を、いとも容易く罠に引っかかり、見逃していた。遊ばれているに等しいこの状況、二人が憤りを感じるのも無理はない。
 彼女たちの側に座る扶桑・山城姉妹が受けたとばっちりには、同情を禁じ得ないが。

 車内は左右両端にそれぞれ座席があり、非戦闘員を含め、総勢二十七名がすし詰めになっている。
 連携内容を話し合う者、無言でイメージトレーニングをする者、艤装の動作を確認する者。
 様々な統制人格が居る中、小窓を覗く陽炎は溜め息をついた。


「はぁ……。まさか、こんな形で舞鶴に戻ってくるなんて……」


 森の切れ間から、舞鶴湾が見下ろせた。
 その向こうには、営みの灯で輝く舞鶴の街。
 切ない瞳に、隣の弥生が問いかける。


「……陽炎さん。京都に来たこと、あるんですか……?」

「うん、まぁ。一回だけ……」

「確か、提督と一緒に行ったのよね。“桐”の談合へ。……二人っきりで」


 歯切れの悪い陽炎に代わって話を継ぐのは、対面に座る村雨。顎へ人差し指を置いて、最後だけは控えめに呟く。
 聞こえなかったはずの陽炎だが、顔に浮かぶのは気不味い苦笑いだった。


「こんなこと思い出してちゃダメって分かってるんだけど、さ。どうしても……。こんな形で、戻りたくなかったわ……」

「みんな、普通に過ごしてるっぽいにゃ……」

「そりゃあそうクマ。あそこの人たちは、何も知らないクマ。……きっと、知らない方が良いクマよ」

「はい……。皆さんに知られる前に、全てを終わらせないと……!」


 弥生を挟んで並ぶ多摩と球磨と、さらに隣の雪風も、揃って遠景を眺める。森の切れ間が終わり、視界はまた闇に閉ざされた。
 襲撃を行うため、夜闇に紛れて行軍する戦闘集団。確かに、平穏を享受できる身分には無用な情報だろう。
 時には知る権利がどうのと声高に叫ぶ連中も出てくるが、しかし。
 大切に想う誰かを奪われた時の心境など、知らずに済む方が良いに決まっている。


「電、平気?」

「……はい。大丈夫なのです。ありがとう、雷ちゃん」

「……うん」


 小さな身体でそれに耐える姉妹は、互いを気遣い、作り笑いで微笑み合っていた。会話も続かない。
 胸が張り裂けそう。
 陳腐に感じる古臭いフレーズが、今の二人を表すのに最も相応しい言葉だった。
 けれど、自分だけがそれを味わっている訳ではないと知っているから、表には決して出さない。ひたすら、溢れそうな何かを堪えているのだ。
 健気な少女たちの姿を見やり、配られた榴弾のチェックをしていた長門と陸奥が、声を潜める。


「提督のご家族は、大丈夫だろうか……」

「軍本来のルートとは違う形で、桐ヶ森大佐が直々に保護して下さったんだもの。私たちと一緒に居るよりは、安心なはずよ」


 間桐との作戦会議に割り込んだ、桐ヶ森の本来の目的。
 それは、奇妙な動きをする軍の末端から、桐林の身内を隔離した、という事後報告だった。
 元々、彼女が真っ先に調べたのは桐生の所在だったのだが、それを探る内、情報網に奇妙な“ほつれ”を見つける。漏洩の痕跡である。
 即座に桐生捜索を中断した桐ヶ森は、直属の部下を近親者確保へ向かわせた。少々の行き違いはあったが、彼の家族は現在、関東近郊にある某シェルター施設で保護されている。提供者は桐谷だ。
 曰く、「私が同じ立場になったら、真っ先にして欲しい事だから」。仁義に篤い少女であった。
 それに引き換え、自分はどうだ。長門は手中の榴弾を見つめ、自嘲する。


「……不甲斐無いな、私たちは」

「何を今さら。私たちはみんな、敗北の先を生きているのよ? そんな事、先刻承知だと思っていたのだけど」

「言ってくれる……。ならば、取り戻すだけだ。……提督も。我が誇りも」

「ええ。必ず、ね」


 敗北の先。
 何気なく陸奥の言った言葉が、やけに沁みた。だが紛れも無い事実。目を背けては進めない。
 硬い鉄の感触を確かめ、長門は決意を新たにした。
 そして、同じく固い決意で臨んでいるのが、サスペンダーに括り付けた閃光手榴弾の位置を直す霞。
 彼女の隣で、いつになく無口な姉妹を案じる霰。連装砲と戯れる島風の三人だ。


「……大、丈夫?」

「何が?」

「……ん、色々、と」

「問題ないわ。体調は戻ってる。いつでも動ける。……今度は、容赦しないから」

「うん……」

「はぁあー。早く走りたいー。山道なら車なんかより私の方が速いのにー。そうしたら、もっと早く……。むぅ……っ」


 良い意味でマイペースな島風のおかげで、雰囲気自体は暗くない。だが、霰は気付いていた。霞の眼には、暗い炎が灯っている事に。
 きっとこの影は、戦うことでしか。奪い返すことでしか払えない。
 だから霰は、他の皆とは違う決意をする。霞を守ろうと。不器用で一本気な妹は、放っておくと、自分自身を傷付ける事で、誰かを守ろうとするだろうから。
 口には出せないけれど、霰は固く誓っていた。

 一方、どんな状況でも笑顔を忘れず、常に一定のテンションを保つのが、自称艦隊のアイドル・那珂である。


「ねぇねぇ木曾ちゃん。その刀、どうしたの?」

「ん、これか。宿舎の物置で探し物をしていたら、ちょっとした金属の端材を見つけてな。大急ぎで加工して貰った」


 抱え込んだ日本刀を覗き込まれ、木曾は親指で鍔を押し上げて見せる。
 刀身が薄暗い車内灯を反射するが、普通の刀とは趣が違う。刃文が一切ないのだ。代わりに、まだらな木目模様が浮かび上がっている。
 木曾の左隣へ腰を下ろす、神通がそれを指摘した。


「不思議な模様……。刃入れ、されていないんですか……?」

「ああ。ペーパーナイフより切れ味は鈍い。かなり珍しい金属らしくてな。そいつの特性を活かし、俺が扱える形にするには、こうするしかなかった」

「ふーん……。特性って、どんな? ……夜戦に持っていくと天気が味方するとか!?」

「どんな妖刀だ。電解ダマスカス鋼、とかいうらしい。刃物としては使い物にならないが、強度は恐ろしく高い。やたら滅多に打ち付けようと、これなら折れないだろうからな」

「なんだ……。残念……」


 対面で小型の魚雷を磨いていた川内が、相変わらず変な方向に食い付くも、木曾が短く切り捨てる。
 電解ダマスカス鋼とは、ある角度を越えて鋭く加工すると脆くなる代わり、曲面加工時に凄まじい剛性と形状弾性を発揮する。重量も鋼鉄より遥かに重く、鈍器とするには最適な素材だった。
 それを日本刀としても全く切れはしないだろうが、尋常ならざる膂力を持つ統制人格が扱えば……。
 元より、血糊で切れなくなった刀は、鈍器として多く使われていたとされる。行動の選択肢が増えるという意味でも有用だ。


「……にしても。これ、本当に持ってきた意味あるのかしら……?」


 かたや、立ち上がった村雨が歩み寄る物体は、今の所かさばるだけで、使い道があるのか定かではない。
 車両前部――書記と疋田の居る運転席と、天龍・龍田が立っているペイロード部の間を塞ぐように固定された、簡易ベットのような物体。移動式の増幅機器である。
 書記の強い主張で持ち込まれた物だが、座席を六つも占領し、おかげで全員が座れたはずの所、床に座るか立っているしかない人員が出るほど。桐林を取り戻すまでは無用の長物でしかない。
 それを誰よりも分かっているだろう書記は、しかし強気な笑顔をヒョッコリと覗かせる。


「備えあれば憂い無し、と言いますから。どのような状況にも対応できるよう、反撃の準備だけはしておこうと思いまして」

「絶対に必要ないとは言い切れないだろうさ。こいつも、これも」


 彼女の言葉に同意する木曾が、ダマスカス刀を掲げて示す。
 仮定の話だが、ここ――京都近郊に敵の本拠地があった場合、敵の主要戦力もまた、付近に存在するはず。
 それに対抗するための戦力としては、舞鶴鎮守府に常駐する戦力を挙げられるが、その筆頭である梁島提督は音信不通。彼以外は十把一絡げの、平凡な能力者だ。どこまで通用するか。
 けれど、もし桐林を取り戻せた場合、舞鶴に停泊している戦力……。古鷹、加古、北上、大井、時雨、夕立の水雷戦隊が即座に使用可能となる。
 わざわざ舞鶴まで行く時間を考えれば、この差は大きい。


「……そうよね。提督が帰ってきたら、今度はこっちの番だもの!」


 反撃、という言葉の響きに心を動かされたのだろう。村雨も納得したようで、大きく頷き返す。
 会話が途切れたのを見計らい、今度は、一人黙々と行動計画を確認していた吹雪が、全員を見渡せる位置に立った。


「もう一度、確認しておきましょう。
 私たちに与えられた実弾は、戦艦砲用の徹甲榴弾が四十四発と、重巡砲用の散弾が三十二発だけ。
 その代わり、発煙筒や閃光弾手榴弾はドッサリ。
 軽巡の皆さんと私たち駆逐艦はこれらを使い、肉薄して空気砲や格闘での戦闘を行う」

「装甲車などが出た場合は、私たち戦艦……。扶桑型と長門型、金剛さんの出番ですね」

「はい、姉様! どんな相手でも撃ち抜いてご覧に入れましょう!」


 吹雪に続き、扶桑と山城が立ち上がり、足を組んでいた陸奥も頷く。
 長門は腕組みをして厳しい顔付きだ。燃えるような闘気が漲っている。
 が、個人名を呼ばれた内、金剛だけはなんの反応も示さない。
 車両中央。目を閉じて、瞑想でもしているように静かだった。
 心配になった吹雪がもう一度呼び掛ける。


「……金剛さん。金剛さん?」

「Don't Worry,ちゃんと聞いてましタ。その時が来たラ、しっかり働くデス。必ず、テートクをBring backして見せマス……!」


 気落ちしている訳ではなく、気負い過ぎている訳でもない。
 長門とは真逆の静謐な闘志を、見開く瞳に宿す。
 普段の騒がしさからは、想像もつかない戦徒の姿が、彼女の本気を伺わせた。


「うんうん、その意気だよっ。暗いのなんて那珂ちゃんたちには似合わないもんね! チャチャッと提督を助け出して、みんなでお帰りパーティーしちゃおー!」

「あの……。気持ちは分かるけれど、もうちょっと控えめに……」

「良いじゃない、神通。夜戦では確かに静けさが大事だけど、襲いかかる時は気持ちを盛り上げなきゃいけないんだから。心は熱く、頭は冷静に、ってさ」


 揺るぎない意思は周囲へと伝播し、那珂が言葉にして盛り上げる。
 神通がつい抑えに回って、川内が妙な持論で締めくくるのも、もはや様式美か。
 しかし、良い意味で普段通りな彼女たちの姿に、他の皆まで釣られていく。


「……霰も。ちゃんと撃ちます。霞と、一緒に」

「とーぜん、私もね。司令をさらった連中に、目に物見せてやるわ!」

「僭越ながら……。睦月型の代表として、全力を尽くし、ます……」


 霰や陽炎、弥生の様に言葉とする者。霞や村雨、雷・電姉妹の様に無言で頷く者。
 表し方の差はあれど、誰もが気勢を揚げていた。
 そこへ、スピーカーに出された通信音声が。先行隊の最上である。


『こちら最上。最終記録地点に到着。周囲の安全は確認したよ。……でも……』

「どうかなさいましたか?」

『……とにかく、こちらへ。来て頂く方が、間違いありませんわ……』


 盛り上がっている車内と比べ、最上の声は沈んで聞こえた。
 不思議に思った書記が問い返すも、同じく意気消沈した三隈が通信を閉じる。
 その背後で、「畜生! フッざけんなぁ!」と憤る摩耶の声が聞こえたのは、気のせいだろうか。
 再び空気が重くなり始める中、疋田は無言でハンドルを操作。指定された地点へ向かう。
 程なく、装甲車は木の生えていない、開けた場所に出た。標高およそ五百m。西に一~二kmも行けば舞鶴発電所がある。

 最上と三隈は草むらの中に立ち尽くしていた。摩耶は憮然とバイクの上で胡坐をかき、横に立つ鳥海の顔色も優れない。
 様子見のために装甲車を降りた天龍、龍田が近づくと、彼女たちのすぐ側に真新しい立て看板を見つける。
 そこに書かれていた文字は、「残念でした」という一言。ご丁寧に、端にはカフスボタンが括り付けられていた。
 即ち、おびき出されたということ。
 龍田が唖然と薙刀を手放し、天龍は思わず看板を蹴り倒す。


「そんな……」

「クソったれ! どこまでコケにすりゃあ気が済むんだよ!?」


 様子のおかしい二人を心配した皆も装甲車を降り、怒りに震える天龍の拳を見て、全てを察した。
 車輌を守るために一人運転席に残った疋田ですら、遠目でそれを理解する。
 吹き付ける風の音が、寒々しい。
 他よりも一足早く正気に戻った雷は、きっと絶望しかけているだろう妹へと、慌てて声を掛ける。


「だ、大丈夫、大丈夫よ電っ。司令官、きっと見つかるから……」

「――左眼、返――」

「……電?」

「――痛っ!?」


 しかし電は、どこか遠い場所でも見つめているように、眼の焦点が合っていない。
 かと思えば、急に顔を歪めて膝を折る。
 雷と金剛が駆け寄ると、彼女は痛みに耐えているのか、酷い脂汗を流していた。


「電っ? 急にどうしたのよ、電っ!?」

「どうしたんデスかっ、電? 気をしっかりStay with Me!」

「うっ、あ、あ……っ、司令官、さ……そんな……駄目、なので……うぐぅ……っ」


 二人の呼び掛けにも答えず、電は意味不明な呟きを零し続ける。
 同時に、その場には不穏な空気が漂い始めた。雰囲気などといった類いではなく、物理的な圧迫感を伴う、おぞましい気配。
 それはまるで、深海棲艦と対決している時の、戦場の空気だった。


「なんだ、この嫌な空気は……」

「殺気……。ううん、悪意、かしら~」

「どこだ、敵か!? 気配は感じねぇぞっ」


 艤装状態となった木曾がダマスカス刀を抜き放ち、天龍、龍田も武器を構える。
 自然と、電を中心とした円陣が組まれ、一触即発の緊張状態に。
 風が、吹く。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





(身体が熱い……。寒い……)


 丁寧に、ベッドへと横たえられながら、自分は襲い掛かる不快感に耐えていた。
 全身を流れる血が沸騰している様で、けれど骨は氷に置き換えられた様で、吐息も蒸気かと思ってしまう。
 三十分ほど前に投与された薬品が、この異常な感覚を引き起こしている。
 擬似的にトランス状態を作り出し、能力者の精神波を増強、励起状態を再現するとか言っていた気がするが、よく覚えていない。


「じゃ、また後でね。ちょっと幻覚とか見るかもしれないけど、二時間もすれば怠さは消えるだろうから、その後ご飯にしよう。一緒に食べようね」


 それを強いた張本人は、手慣れた様子で手脚に枷をはめ、また部屋を出ていく。
 ここで意識を取り戻してから、少なくとも五回は寝起きしていた。
 睡眠時間はマチマチ……だと思われる。何日経ったか、分からない。


(いつまで、続くんだ)


 実験やら検査のたび、こちらの気分など御構い無しに連れ回される。
 作業中は延々と独り言を喋り続けていて、なのに時折、「返事をしてくれない」と癇癪を起こす。
 加えて、ヤツと共に摂る食事は苦痛極まりない。まるで人形相手の飯事遊びに付き合わされているようだった。もちろん自分が人形だ。
 酷く、疲れていた。

 強引に情報収集の成果を挙げるなら、ヤツの今の研究が、「人工統制人格」の作成であること。
 それには、使い捨て型と完全適応型があり、前者は既に成功しているらしいこと。
 最近、新たな被験体を入手して後者の改造を行ったが、失敗してしまったこと……くらいか。
 詳しい仕様などは分からない――いいや、理解したくもない。外道なんて言葉では飽き足らないほどの、悪逆無道な行いだ。
 どうにかして、止めさせなければ。世に出してはいけない技術だ。どうにかして、消さなくては……。

 朦朧とする頭でそんな事を考えていると、プシー、という小さな空気音が聞こえてきた。
 電子錠式のスライドドアが開く音。ヤツが、入ってくる時の音だ。
 無意識に身体が強張る。


「……なん、だ。また、嫌味の忘れ物、か?」


 出来る限りの強がりで、顔も向けずに敵意を吐く。
 それに対し、「アハハ。元気が良いねー」と無邪気に笑うのが、いつもの事だった。
 しかしこの日は、いつまで経っても笑い声が返ってこない。ただ、重い足音が近づいてくる。
 ……違う。
 ヤツの足音じゃ、ない!?


(なんだ、これ)


 怠い身体を起こしてみると、そこには影が居た。
 人影とか、逆光に陰っているとかではなく、影。黒い紙を人型に切り抜いたような、人間を黒のボールペンで塗り潰したような、異質の塊。
 床に届きそうな長い髪とシルエットで、女性である事だけは分かる。紅く燐光を放つ双眸が、異様な存在感を放っていた。


『貴方ノ願イ、ヲ、教エテ……』


 ……ああ、そうか。
 これが、ヤツの言っていた幻覚か。
 そうだ。そうに決まってる。


『心ノ奥底ニ、眠ル物、ヲ……』


 でなきゃ、このタイミングで、こんな言葉を聞く訳がない。
 桐生提督が語り、桐竹氏が書き記した言葉に似たフレーズ。
 眼には見えない物……。人の、心の奥底に眠る物……。願い?


(……なんで、“俺”がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ……)


 音も無く、ベッドの上を這い寄る影。
 伸ばされる細い腕をジッと見つめながら、自分は、胸の中にある澱みを自覚する。
 願い、だと? どうせ叶えてもくれない癖に。幻覚の癖に、何を聞くんだ。


「……どう、して。“俺”がっ、こんな思いしなくちゃいけないんだっ!」


 気がつくと、喉から怒声が迸っていた。
 ずっと心に溜め込んでいた、どうしようもない鬱積が。


「こんな力、望んでなかった! こんな痛み知りたくなかった!
 なんでだよ、どうして、全部ウソだったのかよっ!?
 “俺”を離せっ、みんなに会わせろっ! “俺”の……“俺”の左眼を、返せぇええっ!!」


 暴れる腕は鎖に絡め取られ、ベッドに縛り付けられる。見苦しいと知りつつも、止める気はなかった。
 幻覚だってなんだって良い。何かに怒りをぶつけられれば、まだ耐えられる。まだ“自分”を保てる。
 だから、振り絞るように恨みを叫ぶ。

 幻覚はなんの反応も示さない。
 ……はずだった。


『ソレガ……。貴方ノ願イ?』


 天井しか見上げられなくなった視界に、紅い双眸が入り込む。
 どれほど体力が落ちているのか、ただ叫ぶだけで息切れを起こす自分の方が、なんの返事もできなかった。
 不気味に光るそれに、何故だか労わりの気持ちを感じてしまう。
 ……そこまで追い詰められているのか。情けない。

 ついでに言えば、ウソもついてしまった。こんな力欲しくないと言ったが、本当は望んでいた。
 絶対に飢えることのない仕事。他者から畏怖される特権階級。毎日でも取り替えられるほど集まる女。
 その末に、ほぼ確実な死が待っているとしても、一度は味わってみたいと夢想していたのだ。それが、実際に得てみれば真逆の思いを抱いている。
 どこまでも醜く、矛盾した生き物。たまらず自嘲してしまった。


『分カッタ……』


 しかし、自分の上で四つん這いになるその影は、小さく頷いてみせた。落ちた髪から、どこかで嗅いだ覚えのある、花の香り。
 左手が紅い双眸の片方――左眼を隠し、そのまま唇があるはずの部分を撫でるように下へ。まぶたを閉じたのか、隻眼になっている。
 そして、影は段々と近づいてきた。冷たい温度を感じるほどに。
 ……なんだ、これ。本当に幻覚なのか。ヤツの用意した何か……罠じゃないのか?


「な、何をす――っ?」


 疲労で鈍くなっていた頭に冷静さが戻り、まずは身を躱そうとした、その瞬間。
 唇に、冷たさと柔らかさ。そして、甘酸っぱい果実の味を感じた。


『ン……』


 超至近距離で、細くなる紅い単眼。
 停止した思考の中、舌に纏わりつく冷たさが、経験のない快感を呼び起こす。
 なんだこれ。気持ちいい。
 なんだこれ。甘い。
 なんだこれ。もっと欲しい。
 疑問と原始的な欲求がせめぎ合い、自分はただ、幻覚にしてはリアル過ぎる行為を、茫然と受け続ける。

 ――異物感。


「ん゛っ!? っぶあ、な、にを……っ!?」


 唐突に、喉奥へ何かを押し込まれた。
 ピンポン球より少し小さいくらいの球体。
 異様な冷たさを持つそれは、まるで意思を持つかの如く食道で留まる。


「うっ、おぇ、えふっ、はっ、あ゛っ」


 どうにか吐き出そうと身体をよじるが、鎖が邪魔で思うように動けない。
 違う。幻覚なんかじゃない。
 これは、現実だ。


『私ハ、貴方ノ……』

「ひっい、ぐぃ、い゛、ぐがかっ、ア゛、ア゛ッ!?」


 ベッドを降りた影が、何かを言っている。
 けれど、しっかり聞き取るだけの余裕はなかった。
 異物が動いている。食道を突き破り、何処かを目指して上へ登っていく。
 なのに、痛みは無い。
 体内を這い回られる異常な感覚が、鮮明に、意識へ刻まれる。
 身体を暴れさせ、正気を削る。


「くぁ、あ、うっ、うう゛ぁ……っ」


 いつの間にか、拘束は破られていた。
 跳ね回る身体がベッドから落ち、床には千切れたような鎖の輪が散乱している。
 異物は喉から脊髄を通り、脳幹を過ぎて。
 左眼が痒い。
 うずくまったまま、無我夢中で包帯を掻き毟る。
 抑える物のなくなった瞼の内側から、治癒剤と思しき粘体が零れ落ちた。

 異物と、自分の中の“何か”が、繋がる。





「ア゛ァア゛ア゛ァァア゛ア゛ア゛ッ!!!!!!」





 電撃が走ったように、背筋が反った。
 紅く染まった“左眼”の視界で、己が内から響いたはずの声は。
 およそ人の物とは思えない……。
 獣の如き、咆哮だった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「きゃあぁぁああぁぁぁっ!?」

「ぬぁわおっ!?」


 恐ろしい突風に、書記が倒れこみながら悲鳴を上げた。
 摩耶も奇妙な鳴き声を発し、バイクごと転倒してしまう。
 ある一方から吹き付けたそれは、けれど、草木も服も、髪すら揺らさず。
 非物理的な衝撃として叩きつけた。


「え? あれっ、何これっ? エンスト? ええっ?」


 そして、影響は人体のみに留まらない。
 疋田の乗る装甲車が突然モーターを停止。なのに液晶にはデタラメな画像が乱舞し、各種ライトがデタラメな明滅を繰り返している。
 彼女には見えないが、電たちが居る場所から遥か北東――森に隠れる、成生なりゅう岬のある方角には、光の柱が立っていた。
 血のように紅い、光の柱が。


「な、なんなんだクマぁ! 爆発クマぁ!?」

「痛た……。れ、連装砲ちゃん、大丈夫?」

「あの、光は……? ボクの見間違いじゃ、ないよね……」

「はい。私の眼にも、しっかりと映っていますわ。もがみん」


 ひっくり返った球磨が困惑し、同じくひっくり返った連装砲を、島風がスカートを直しつつ抱きしめる。立っていられたのは戦艦たちくらいだ。
 駄目押しに最上や三隈を、皆を混乱させるのは、文字通り、天を衝く光柱である。
 一瞬で消えてしまったが、その異様な光景は目に焼き付いて離れなかった。


「……にゃ!? みんな、アレ見るにゃ!」

「嘘……。どんどん広がっていってます!」


 誰も彼も狼狽えるばかりだが、ふと、多摩が別の方向を指差す。
 光柱のほぼ反対側。眼下に見る舞鶴の街が、暗くなっていく。
 雪風の双眼鏡が追う中で、左手前から、生活の灯が消えていく。


「街の、灯りが……?」

「て、停電? 停電なの? でも、ならさっきのは? 那珂ちゃん分かんないよぅ!」

「落ち着きなさいってば。ここでもテロ……? 救援活動で足止め……いや……」


 神通は立ち上がりながら。那珂は辺りを右往左往しながら、動揺を隠さない。
 意外にも冷静さを保つ川内が、片膝立ちに思案を重ねるけれど、答えは見えなかった。
 おそらく、この分では舞鶴鎮守府にも影響は及んでいるだろう。
 ライフライン断絶を見越した備えはあるはずだが、これに乗じて攻められれば、目も当てられない結果になる。
 事態は急速に切迫し始めていた。


「……司令官、さん……」

「あ、電? もう平気なの?」


 皆が緊迫した雰囲気に包まれる中、倒れ込んでいた電が、ようやく正気を取り戻した。
 よろめきつつ、雷の助けでなんとか立ち上がる彼女は、まだ朦朧としているようだ。


「司令官さん……が、居るのです……」

「What? 電、please again,もう一度……」


 ――が、その弱々しい一言に、空気は一変する。
 司令官が居る。
 聞き間違えではないと信じたい金剛が、平静を装って今一度問えば、ハッキリとした声が返ってきた。


「あっちの方角に、司令官さんが居ます! 間違いないのです! 上手く説明できませんけど、でも、分かるのです!」


 震える指の指す方向は、あの紅い光柱が立った方角。
 突如として不調に陥った後、行方不明だった人物の所在を言い当てる。
 客観的に見ると信憑性は限りなく低かったが、しかし、有無を言わせぬ迫力もあった。
 電の言ったことが真実なら。
 探し求める人物が、あの光柱の下に居るのなら。
 それはまさしく、天啓を得たに等しい。


「という事は、これもブラフ? これまでの敵の行動から考えても、納得がいきます」

「……本当に、巫山戯た敵だこと~」

「上等じゃない……。私たちを散々に弄んでくれた礼、キッチリしてあげるわ……!」


 既に、鳥海や龍田、霞を始めとして、皆も電を信じて行動しようとしていた。
 ここに居る誰よりも、彼と共に長い時間を過ごし、目に見えない部分で深く繋がっている電が、この状況で断言して見せた。
 それだけで、彼女たちは十分過ぎる確信を持てたのだろう。
 金剛は身をかがめ、電と視線の高さを合わせる。


「……電。案内できマスか?」

「はいっ」

「Good!」


 わずかに数秒、真剣な表情で見つめ合った後。
 彼女は輝くばかりの笑顔を浮かべ、サムズアップして見せた。
 次いで、すっくと立ち上がり。皆へ向けて声を張る。


「皆さーん! 手掛かりが潰えた今、電の直感を信じるしかありまセン! 善はHurry up! Move・Move!」


 返されたのは、強い頷きが無数に。
 たった一つの言葉を信じ、少女たちは駆け出していく。
 魂を繋げる、彼の元へ。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 見通せぬ暗がり。
 そこにはただ、闇があるだけだった。
 上下も左右も意味を成さず、時の流れすら凍りそうな、無窮の深淵があった。
 しかし。

 ――ポトリ、と。

 いずこから雫が落ち、闇に波紋が刻まれ、それは終わる。
 ほんの一滴。
 不意に落ちてくるその雫は、静寂を破り、天地という概念を産み。開闢を思わせる劇的な変化をもたらす。

 やがて、波紋の中心から何かが芽吹いた。
 水面に顔を出したのは、赤と緑の葉を持つ、若い植物の芽。それは常軌を逸した速度で成長し、三本に枝分かれしながら、赤と緑の葉を交互に広げていく。
 左右の枝葉が、中央の一本を取り囲むよう、螺旋状に上へと伸びている。最も高く成長した枝の先には、黒い蕾が膨らんでいた。

 どれほどの時間が流れただろうか。
 もしかすれば一瞬かも知れないが、時間の経過と共に蕾は大きくなり、支えきれなくなった枝葉たちが、枯れながら蕾を水面へと着水させた。
 ゆっくりと、六枚の黒い花弁が開いていく。


「お疲れ様です。お早いお帰りですね」


 キャリ、キャリ、キャリ。
 車椅子の車輪が、どこか寂しげに軋んでいる。
 声を発したのは、木製の車椅子に座る若い男。黒い詰襟を着込んでおり、背後で車椅子を押す女も、喪服のような黒尽くめだった。
 双方とも顔が見えない。男は軍帽の影に落ち、女は黒いヴェールで顔を覆っていた。
 

「出迎エ、カ。殊勝ダナ……」

「いえいえ、とんでもない。名実ともに僕の先輩にあたる方なんですから。当然ですよ」


 男の視線の先には、花弁の中央に立つ、不気味な女が一人。
 真っ白な肌。真っ白な長い髪。
 肩を出す分割スリーブの、黒いセーラー服を着ている。縦編みセーターのような模様があり、首元はタートルネックに。
 スカートと袖口はフリルで飾られ、頭には菱形を連ねたカチューシャと、横髪にも同じ髪飾りがあった。
 脚は黒いオーバーニーが覆っており、膝下からは重厚な装甲靴――ハイヒールで守られている。
 人形のような美しさを持つ女だった。良くも、悪くも。

 彼女を不気味な印象にしているのは、その眼である。
 紅く燐光を放つ右眼。これだけでも気味が悪いというのに、虚の穿たれた左眼からは血涙を流しているのだ。
 厳かで、静けさを湛えた聖母像が、止め処なく血の涙を流している時の様な、おどろおどろしい気配があった。


「此処ニハ、慣レタ、カ?」

「はい。存外、ここは居心地が良い。誰も帰りたがらない訳です」

「……元気ソウデ、何ヨリ、ダ」

「ええ、すこぶる快調……と言いたい所ですが、やはり駄目ですね、この身体は。忌々しい脚ですよ」


 隻眼の女の言葉に、男は自身の膝頭を握りしめる。
 傍から見て、痛みを感じるほどの力が込められていると、誰もが察っせるだろう。
 ヴェールの女が、男の肩へ手を置いた。
 ハッとした男は、それに自らの手を重ねる。傷つけぬよう、微かに触れ合う程度に。


「僕の事はさて置き、そちらも万事順調なようで」

「覗イテイタノ……カ……?」

「いえいえ。そんな事しなくても、ここまで伝わって来ましたよ。“彼”の波動が」


 隻眼の女が花の台座を降り、波紋を作る。
 同時に、黒一色だった水面がとある場所を映し出す。
 海から見る陸地。常人には見えない、赤い光の柱。星を掻き消す街の明かりが、死んでいく様を。


「彼は【開眼かいげん】にまで到れるでしょうか」

「……問題ナイ。絶対ニ、根付ク」

「それは、“元 統制人格”であるが故の……。魂を連ねるが故の確信ですか。空母水鬼さん」

「………………」


 問いかけに、奇妙な名で呼ばれた女は黙り込む。
 水鬼。
 文字通り、水を司る鬼という意味の他にも、航海中に現れる怪物、船幽霊という意味を持つ言葉。
 空母水鬼という名を分解するなら、由来はさしずめ、沈んだ空母の幽霊……であろうか。
 不気味な隻眼の女には、相応しいのかも知れない。
 答えが返らないと悟ったのだろう。男は次に、うつろな左の眼孔を覗く。


「その眼、治さないんですか? 流石に片目では不便でしょう」

「……コレハ、証、ダカラ」

「証……」


 ただただ不気味で、痛々しいだけの虚を指し、空母水鬼は誇らしさを語る。


「ヤット、償エル。ヨウヤット、為ニナル何カガ出来タ……。コレハ、ソノ証」

「……そうですか。愛されてますねぇ」


 愛おしげに、己が左眼を押さえる空母水鬼。おそらく、決して報われないその行為に、男はわずかな憐憫と、憧憬の念を抱いた。
 彼女らは一体、どこまで純粋なのか。
 人であれば無意識に果報を求める所を、彼女らにはそれが無い。ただひたすらに、尽くす事だけを喜びとするが如く。
 決してそうはなれないと、己を知っているからこそ、男には彼女らの在り方が眩しく見えるのだった。


「本当ニ、イイノ……カ……」

「はい?」


 血涙の跡を拭い、まぶたを閉じた空母水鬼は、しかし戸惑っているような声で男に問う。


「マダ、戻レル。ソノ一歩ヲ踏ミ出セバ、モウ、戻レナイ。……私タチ、ハ。強要シナイ」


 何がどうと、ハッキリ言明しない言い方だが、言葉には重みがあった。
 言わんとするところを理解しているのだろう。
 男は口元に苦笑いを浮かべ、けれど、確かに首を横へ振る。


「……お気遣い、どうも。が、無用な心配ですよ。選択は既に済ませました。後は……」


 重なり合っていた手が一旦は開き、指が絡まる。
 寄り添うように。離れまいと誓い合うように。
 空母水鬼の顔が、悲しげに歪んだ。


「ドウ、シテ……ソコマデ出来ル。ソウ成レバ、モウ二度ト……」

「見たいんですよ。人の奥底にある物を。その輝きを。例えそれが、漆黒の光だとしても。
 人の正体を見定めるまで、僕は僕にしか選べない道を選ぶ。他の誰も真似の出来ない、僕だけの道を」


 男の言葉に迷いはなかった。側に侍るヴェールの女も、無言の肯定を示す。
 最早、彼を引き止められる言葉も、理由もない。


「分カッタ……。モウ止メナイ。ソノ時ガ来ルマデ、短イ逢瀬ヲ楽シム、トイイ」


 男たちに背を向け、空母水鬼は歩き去る。
 いつの間にか、世界はまた深淵の中へと還っていた。
 けれど、先程とは違う部分もある。
 そこには二人が居た。
 光も届かぬ水底で、なおも互いを探し当てる、男と女の姿が。


「汝、月に咲いた花を愛でよ……って、誰の言葉でしたっけ。ねぇ、■りし■……」


 男はヴェールの女を見上げ、女は男の頭を胸に抱え込む。
 そうするだけで、それ以上の事はしない。
 そうするだけで、十分だと分かっていたから。










 幼年期は終わり、成熟期もとうに過ぎ去った。
 進化のきざはしを見つけねば、我らは羊水に溺れ死ぬだろう。
 結実が近い。
 さぁ、その価値を示せ。
 愛され過ぎた者たちよ。




















 本編とは全く、これっぽっちも関係ありませんが、ほぼ苦行な超短期出張から帰還しました。
 上司しか居ない宴会。断れないビール。テンポのずれたカラオケを聞かされる二時間半。イビキの三重奏。今回はいつもよりキツかった……。
 しかし! その代わりに寄れましたよ磯前神社! 軍艦那珂忠魂碑、見て参りました。あんまりゆっくりは出来ませんでしたが、ついでにガルパンスタンプ(桃ちゃん)も押して大満足。
 那珂ちゃんが地味に真面目な本編初登場を達成したのとは無関係ですけど、なんか気合入りますね。
 ついでに運良く停泊してた、海保のあかぎ(PS14)さんの写真も撮ってきましたぜ!
 携帯だし、立ち入り禁止エリアの外からなんで遠目ばっかですが! やっぱ護衛艦に比べると小さめでした。……ロリ赤城さん(ボソッ)。
 アウトレットであんこう焼き食べてきたし、ついでに会長スタンプもGET。仕事外の行程が充実しておりました。本業? 例の大雨の反動でまだ暇なのさ……。

 つーわけで。主人公、ファーストチッスを敵に奪われる――もとい、空母水鬼の眼を植え付けられる、の巻でした。
 アニメで隻眼のヲ級を見た時、思わず「先越されたぁ!?」と叫びましたよ。パクりとか言わないで。
 第三章完結まで、残り三話。次回は久々に長目な話の予定です。年内に全部終われば……いいなぁ……。





 2015/11/7 初投稿







[38387] 新人提督と約束された痛み
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/12/05 12:31





 月明かりの眩しい夜。
 よくある一軒家の、庭とリビングとを繋ぐ開放窓の内側では、パジャマ姿の親子が難しい顔を突き合わせていた。


「ねー、お父さん。ラジオまだ直んないのー? 私、眠くなってきちゃったー」

「うーん、なんで急に壊れちまったかなぁ……」


 父はどてらの腕を組み、薄桃色のパジャマにカーディガンの娘は、クッションを抱えて大あくび。
 ちゃぶ台に乗せられたランプの優しい灯りが、古臭いラジオチューナーを照らしていた。
 京都府、舞鶴市に属する海辺の街は、小さな混乱に見舞われている。長時間の停電である。
 もうすぐ真夜中という頃合いに、突如として襲い掛かったこの現象。
 しかしながら、多くの人は単なる停電であると判断し、放っておけば直るだろうと、さして焦ったりはしていない。
 親子の頭を悩ませているのは別の事柄……。受験勉強のお供であるラジオが、御臨終してしまった事なのだ。


「電気も戻らんし、こりゃあ発電所で事故でも起きたか?」

「え。それってマジでヤバいんじゃ……」

「あー、困ったなぁ……っと、女の子がそういう言葉を使っちゃいかんぞ」

「はーい」


 もうすぐ中学生となる娘に、父親が口酸っぱく、乱れた言葉遣いを指摘する。
 聞き飽きている娘は、カーディガンを羽織り直しつつ窓辺に行き、ガラスが曇る距離で海を眺めていた。二人きりの家族とはいえ、堅苦しいのは御免である。
 一階だが、景色はよく見えた。空に浮かぶ真ん丸の月と、海に浮かぶ波々の月。お気に入りの景色だ。
 けれど、いつもと同じようで、少し違っても見える。光が少ないからだろうか。オマケに、潮騒と混じって何やら変な音が……。


「……ん? お、お父さん。アレ」

「どうした。……んん?」


 流石におかしいだろうと、娘が奇妙な音――物凄い勢いで人が走る音のような――の聞こえる方向を見れば、こちらに近づいてくる土煙が見えた。
 思わず、父を伴って窓を開け、身を乗り出す。
 親子共々二・○の視力が捕らえたのは、奇妙な格好をした二人。猛スピードで我が家の庭へ飛び込んで来た、やけに露出が高い少女と、その子に背負われたセーラー服の少女。
 親子には分からないが、この二人、艤装状態の島風と電であった。


「し、島風ちゃんっ、も、もう少しゆっくり……!」

「ゆっくりなんて無理! 全速力で、一直線に行くよー!」

「ひゃわぁああっ!? 落ちる、落ちちゃうのですぅううぅぅうううっ!?」


 生垣を飛び越え、そのまま庭を疾走する島風。電の声がドップラー効果で高さを変え、取り残された涙が芝を濡らす。
 親子は口をあんぐりと開き、「今の何?」「夢?」と眼で語り合っている。
 しかし、惚けていられたのも束の間。また新たな闖入者が姿を現した。
 これまた親子には分からないのだが、順に、艤装状態の雷、弥生、吹雪、球磨、多摩、木曾である。


「こらー! 一人で先走っちゃダメでしょー!」

「……聞こえてない、みたいです」

「すみません、ちょっとお庭を通りまーす!」

「お邪魔しますクマー」

「そしてそのままサヨナラにゃー」

「挨拶が雑だぞ、姉たちよ」


 雷は拳を振り上げながら走り抜け、溜め息混じりの弥生と、親子に向けて頭を下げる吹雪がそれを追う。
 続く球磨、多摩も親子に挨拶し、木曾の敬礼には父親が「あ、どうも……」と会釈を返していた。
 ここまでであれば、寝ぼけていたんだと自分を誤魔化せたであろう親子だが、闖入者はまだ続く。
 第三陣の先頭を走っていたのは、重巡・鳥海。後ろには川内型の三名と、朝潮型二名の姿があった。


「不審者として通報されないといいんですが……」

「ふっふっふ、やっぱり夜の空気は良いね! 身を切る寒さが最っ高ー!」

「あの……近所迷惑、ですから……お静かに……」

「夜だけどおはよーございまーす! この事は秘密にしてねー?」

「ったく、あのスピード狂! ちょっとは後続のこと考えなさいったら!」

「追い駆けるの……大変……」


 不安そうな顔。テンションMAXな笑顔。とても申し訳なさそうな顔。ウィンクを飛ばすアイドルスマイル。怒っているが気合いに満ちた顔。困り果てた顔。
 バラエティーに富み過ぎた少女たちが、親子の視界を目まぐるしく、鮮やかに染める。もう、どんな反応をすれば良いのか分からない。
 だがしかし。騒動はまだまだ続くのである。
 第四陣のメンバーは、陽炎、雪風、三隈、最上、摩耶だ。もちろん親子は誰が誰だか全く知らないのだが。


「はぁ、ふぅ、海の上なら、こんな疲れない、のにーっ」

「頑張りましょう、陽炎ちゃん! 目的地はすぐそこです!」

「あぁ……。三隈のスーパーウルトラゴールデンハイパーデラックスエレガント単車ちゃん'sが全滅なんて……。酷過ぎますわ……」

「そんなに落ち込まないで、ね? っていうかそんな名前だったの? あのバイク。長くない?」

「あ、あたしのせいじゃないかんな! あの変な風のせいだし、あたしが壊したわけじゃないかんな!」


 息を切らせる陽炎を励まして、雪風がワンピースの裾をはためかせる。
 ハンカチで目元を拭いつつ、妙に早口で悲しみを吐露する三隈を、最上がツッコミながら支え、少しばかり気不味そうな口振りの摩耶が、雪風と同じく短いスカートを揺らす。
 父親の鼻の下が若干伸び、娘は全力で二の腕をつねった。「痛い痛いごめんなさい!」という情けない声が聞こえる中、闖入者の第五陣が到着した。
 村雨、天龍、龍田、金剛の四名である。


「はいはーい! みんな、こっちよー! 遅れないでー!」

「くっそぉ、機関部は換装したはずなのに、全然追いつけねぇっ。オレは世界水準のはずなのに……っ」

「生身の方にはあまり影響しないのかもね~。汗かいちゃうわ~」

「うう~! こういう時ばかりは、駆逐艦たちのSlimなBodyが羨ましいデース!」


 村雨が後方へ呼びかけつつ手を振り、その横を悔しげな天龍と、手で顔を扇ぐ龍田が通り過ぎる。
 金剛に至っては一旦立ち止まり、どこからどう見ても完璧なバランスの身体をしてボヤく。
 走り去る後ろ姿を見送りながら、お前それAカップでブラも着けられない私への当て付けか? と娘は思った。
 と、そこへ最後となる第六陣がやって来た。長門、陸奥、扶桑、山城の四名だ。


「夜分遅くに、大変失礼した」

「何か不都合が起きましたら、鎮守府の方まで御一報下さいね?」

「やっぱり、私たちが一番、遅いのね……」

「これでも、秒速十二mくらいで、走ってるのにぃ……」


 長門と陸奥は足を止め、親子に向けて頭を下げる。
 陸奥の差し出した名刺を受け取り、父親は「あ、これはご丁寧に」と恐縮しきりだ。
 娘の方は長門を見て「格好良い……」と惚れ惚れ。彼女たちの背後を走り抜けた扶桑型姉妹には、気付かなかったようである。


「今の、艦娘さん、だよね」

「……だなぁ。多分、桐林提督の、だろうなぁ」


 嵐の如く過ぎ去っていった美女・美少女の正体に思い至り、親子は唖然と呟く。
 月明かりとランプだけが頼りの、停電の夜。颯爽と庭を駆け抜けていく、軍艦の現し身たち。
 こんな出鱈目、一体誰が予想できようか。知人に話したとして、誰が信じてくれようか。


「凄い、美人ばっかだったね」

「……だなぁ」

「写真、撮っておけば良かった」

「……だなぁ」

「玄界」

「……灘ぁ」

「寒いね」

「……寒いな」

「寝よっか」

「……寝よう」


 驚きが一周回ってテンションを下げたらしく、つまらないジョークを飛ばし、親子は寒風の入り込む窓を閉めた。
 のちに、親子が受け取った陸奥の名刺は家宝となり、この時代を知る貴重な歴史資料にもなるのだが、それは遠い未来の話である。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「う……。うぐ、イタタ……ッ」


 かつて小林 倫太郎と名乗っていた“それ”は、激しい頭痛によって意識を取り戻した。
 壁一面にコンピューターが据えられた研究室。
 リノリウムの床へ手をつき、やっとの思いで立ち上がる。


「な、なんなのさ、今の……。爆発……?」


 フラつく頭でまず思い出せたのは、唐突な衝撃波だ。
 データ取りを終えた桐林を監禁部屋へ押し込め、得た情報を整理しようとここへ戻り、しばらくして……。


「ん……!? あ、あれっ? なんだよコレ、で、データがっ」


 ふと、壁のディスプレイを見て、“それ”は愕然とする。
 勝手な処理が走り、今まで蓄積してきたデータが全て、消され始めていたのだ。
 慌ててコンソールを叩くも、操作は受け付けない。
 五分と経たないうちに、研究データは完全に消え去った。


「クソッ! 何がどうなってるんだ!?」


 振り下ろされた拳が、デスクを粉砕する。
 この館は完全なスタンドアローン。ウィルスの類はあり得ない。
 ならば侵入者の破壊工作? 二重三重に張り巡らされた、赤外線・加圧検知システムや無人兵器群を越えて? それこそ不可能だ。
 しかし現実に、こうして情報は破壊されている。訳が分からなかった。
 近くの無人島にバックアップを取ってあるが、最後の更新は数日前。一番肝心な桐林のデータを失ったのは痛過ぎる。

 ――自動ドアの開閉音。


「誰だ――って、なんだ、ガン・ターレットか……」


 振り返ると、部屋の入り口には、高さ一m程の円柱から銃身とセンサーカメラを生やす、自動兵器が鎮座していた。
 先ほど言った無人兵器群の一部である。コンソールが破壊されたのを検知してやって来たのだろう。
 赤外線と紫外線、二種類の特殊カメラを内蔵しており、顔認識システムも搭載され、高級官僚の私宅などで使わ――悪寒。


「うぉ!? ちょ、なんでっ」


 ターレットの放った銃弾を、“それ”は慌てて回避する。
 七・六二mm硬芯徹甲弾がディスプレイを、床を、天井を穿つ。
 自らを侵入者と想定して構築した防衛兵器。当たれば皮膚を抉られる、回避し続けるしかない。
 ついには三階の窓の外へと身を躍らせるが、一息つく間も無く、今度は戦闘用に改造した四脚運搬機が姿を現わす。
 アンカー付き脚部を持ち、中央に運転席とペイロードがある物で、今は六砲身二十三mmガトリング砲が二基と、直結された弾薬庫、高感度カメラが備わっている。
 流石にガトリング砲には歯が立たない。“それ”は脱兎のごとく、己が居城から逃げざるを得なかった。


(なんで、どうして僕が襲われる。カメラの顔認識が死んでるのか? いいや、そんなレベルじゃ)


 五mはある煉瓦造りの塀を一気に飛び越え、館から南西にある高台へと向かいながら、必死に考え続ける。
 ハッキング、プログラム改竄の可能性は限りなく低い。
 となれば、ソフトにバグが生じた? 毎月の更新で不具合が……。しかし今まで一度も事故は無かったのに。
 あの衝撃波もなんだったのか。この身体は人間と比べ物にならないほど耐性が高い。
 時速八十kmの十tトラックに轢かれたとしても気を失わなかったのに、せいぜい十分かそこらだろうが、意識を刈り取るとは……。

 そうこうしている内に、高台へ辿り着いた。
 周囲に人影が無い――こんな辺鄙な所に居る方がおかしいが――のを確認した後、艤装である太い尻尾を生やす。
 先端の口が大きく開き、「行け」と命令が呟かれると、多量の何かが空へ向けて吐き出された。
 尖った楕円をしていた射出物は、しばらくすると飛び魚のように翼を広げる。深海棲艦が使う艦載機を独自に改良し、反跳爆撃に相応する動きを得意とさせた爆撃機の、縮小版だ。
 三機毎のグループに分かれた爆撃機が、“それ”の居る位置から四方へ向けて偵察を始める。
 異変はすぐに見つかった。


「なっ、あ、ぁいつらぁ……!」


 足並みを揃え、真っ直ぐ成生岬に向かう影。桐林の、ヒトカタども。
 あのスピードなら、数分と掛からず館を目視するだろう。
 “それ”は全てを察した。
 この騒動、引き起こしたのはあいつ――桐林に違いない。


(あぁ、そうか。あの投薬がいけなかったんだ。
 トランス状態が発せられる励起振動を強化して、普通じゃあり得ない、高テクノロジーな機械を傀儡にしたんだ。
 ああ、きっとそうだ。そうに違いない。そうでなくちゃ僕が負けるわけない。僕が強化したんでもない限り、地力で負けるはずが無いんだ!)
 

 真偽なんかどうでも良い。
 この場に奴らが居て、運か何かが奴らに味方して、この状況が作り出された。
 つまりは奴らのせいなのだ。そうに決まっている。そう決めた。


「どいつも、こいつも……。僕の邪魔ばっかり、しやがってぇ……っ。そんなに僕のことが嫌いかよぉおぉぉ……」


 奥歯が砕けるほどに歯を食いしばり、血が出るほどに爪を立てて、“それ”は髪を掻き毟る。
 奴らはまだこちらに気付いていない。不意打ちをするなら今しかないが、あれだけの数。
 見覚えのある顔もあった。手の内を知られていては、無傷で制圧なんで無理だろう。
 せっかく手に入れた実験成果も、奪われる。また、奪われる。
 奪われる。奪われる。奪われる。
 奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪
 われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪わ
 れる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる奪われる……。


「ふ、ふふふふふ、くは、アハハハハ、あ、あっヒヒ」


 ――そんな事、させてたまるか。

 細い肩が小刻みに揺れ、青い血と、白い髪のこびり付いた手が、ダランと落ちる。
 たった一人。孤独に空を見上げる“それ”の眼は、狂人と呼ぶ他にない、異常の塊となっていた。


「あ~あ……。なんだか面倒臭くなっちゃった……」


 先程までの狂乱はどこへやら。ニタニタと軽薄に笑いながら、“それ”は高台を降り始める。
 発見されないよう、奴らとは反対側に。
 その先には海がある。
 呪われし、母なる海が。


「いいや、もう。もう手心なんて加えない。僕を怒らせたらどうなるか、お前らに――世界に思い知らせてやる」


 吐き捨てるよう、“それ”が呟いた言葉は。
 黒く眼に映るほど濃厚な、悪意を醸す宣戦布告だった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……見えましたっ! 前方五百mに不審な建物です!」


 森の中。集団よりも先行して足を止める雪風が、双眼鏡に映る三階建ての洋館を示した。
 間を置かず、その横を統制人格たちが走り抜け、雪風もまた合流する。
 金剛、島風、島風から降りた電、雪風を先頭とし、駆逐艦・軽巡たちの周囲を戦艦・重巡たちが固めている。
 街中を駆け抜けていた時とは違い、足並みは扶桑型の二名に合わせていた。それでもオリンピック選手に劣らない速度があるのだから恐ろしい。
 程なく洋館を視認した金剛が、振り返らずに行動指針を叫ぶ。


「おそらく敵もChaosな状態のハズ。そこを突きまショー! 霧島Styleで言うなら、カチコミを掛けるデース!」

「霧島さん、そんなこと言うかしら……?」


 グッと握った拳を突き出す金剛。その背後で村雨が首を捻っていた。
 どうにも、金剛の認識している霧島像と、村雨の中にある霧島像とが一致しない。本人がこの場に居たらどう思うだろうか。
 それはさておき。正面にある洋館の周囲は、高い塀で囲まれていた。重厚な鉄門も固く閉じられている。
 飛び越えるにしては少し高い。門は砲撃でならどうにか破れそうだが、限りある砲弾。使い道を誤る訳にはいかない。ならば……。
 すぐさま案を見出した鳥海が、摩耶、雷と共に前へ。


「雷さん、碇をっ」

「分かったわ!」

「行くぜぇ、鳥海!」


 鳥海の案を察した雷が、艤装背部に吊るされていた錨を前方に投擲する。
 摩耶が掛け声でタイミングを合わせ、二人の脚は、全く同時に錨をボレーした。
 単純計算で二倍。実際にはそれ以上の凄まじい加速を伴って、錨は破城槌と化す。
 鋼鉄のひしゃげる音。
 吹き飛んだ鉄門を追うように、少女たちが敷地内へ雪崩れ込む。
 待ち構えていたのか、四本のアンカー付き脚部を持つ自動機械、四機が迎える。


「旧式の四脚運搬機……。戦闘用に改造してあるみたいね」

「敵部隊を確認した。各員、戦闘開始!」


 陸奥、長門が高らかに戦を宣言。統制人格たちは散開し、銃弾が大地を耕し始める。
 土煙の舞い上がる戦場で、真っ先に突出したのは那珂だ。


「那珂ちゃんセンター! 一番の見せ場ですっ。ド派手にいっくよぉ~☆」


 四機全てのカメラを己に引きつけ、その中央で那珂が両腕を広げる。
 と同時に、周囲へと転がっていく小さな筒――閃光手榴弾。
 炸裂する直前、彼女は耳を塞いでしゃがみ込み、一秒に満たない昼が訪れた。
 終わったかなぁ……と、恐る恐る目を開く那珂。向けられた、八基十六門のガトリング砲。


「……あれ? 効いてない?」

「対策してあるに決まってるクマー!」

「早く伏せる――にゃ!」

「ぎゃふん!?」


 危うく球磨と多摩が飛び込み、那珂の頭を顔面から地面へ。浮いた冷や汗の雫を銃弾が掻き消す。
 上下の射角は狭いらしく、どうにか回避はできたようだ。生きた心地はしないだろうが。
 そんな三人を救おうと、龍田が水平に跳躍。掬い上げるように一基の砲身を切断。返す刃でもう一基と脚を一本、まとめて落とそうとする。
 が、薙刀は脚部の装甲板に食い込むだけだった。


「流石に、ちょっと硬いかしら~? 天龍ちゃ~ん?」

「オウ! ま、そういう時に狙う場所なんて決まってるけどな!」


 薙刀の柄を軸にまた跳躍。四脚たちの上を、逆さまの笑顔で通り過ぎる龍田。
 入れ替わりに天龍が低い体勢で潜り込み、装甲板の隙間を狙って長剣を滑らせていく。
 一機の四脚に対して、振るう回数は二度。隣り合った脚をもぎ取る。
 バランスを崩した所を狙い、長門・陸奥が遠距離から。最上・三隈は操縦席へ取り付き、それぞれ榴弾、散弾を叩き込んだ。
 制御系を破壊された四脚は、見事に沈黙した。けれど、高所に佇む最上たちの視界へ、館の影から新たな四脚の姿が。


「第二波、来ますわ!」

「これは……ちょっと大変そうだね……」


 距離的には四脚の間合い。三隈たちを狙って六つ束ねられた砲身が回転を始めた。
 出来るだけ引きつけてから躱そうと、長門や那珂も身構える。

 ――砲音。

 突如、四脚の巨体が横にブレた。一方のガトリング砲も吹き飛ぶ。
 音の発生源には、扶桑と山城の姿。


「これの相手は私たちが!」

「皆さん中へ! 提督をお願いしますっ」

「ここは球磨たちに任せるクマ!」

「闘争本能バリバリにゃ!」


 二人に注意を引かれ、ペイロード部を旋回させる四脚。
 そこへ球磨と多摩が飛びつき、照準の邪魔をしている間に天龍・龍田がまた移動力を削ぐ。
 最上・三隈は無言で続き、さらには長門・陸奥も応戦に向かおうとするが、ふと脚が止まる。
 視線の先には、屋敷へと突入を開始する電たち駆逐艦と、球磨・多摩を除いた軽巡、摩耶・鳥海たちを見送る、金剛が居た。
 どうやら表に残るつもりらしい。本当は自分も行きたいだろうに。
 その意思を汲んだ長門が、金剛の背を押す。


「金剛もだ。提督を迎えに行ってこい」

「エッ? でも……」

「良いから良いから。中にだって隔壁とかあるかも知れないでしょ? 行って」

「……thanks!」


 たたらを踏む金剛だったが、陸奥の笑顔に後押しされ、感謝の言葉を残して両開きの大扉を潜る。
 絨毯や花瓶、絵画などが並ぶ一見華やかな内装は、月明かりだけを頼りとするせいか、妙な凄みを放っていた。
 電たちに合流すると、ちょうど隊を分ける所だったようだ。

 第一班:吹雪、弥生、霞、霰、陽炎、川内、神通、那珂、鳥海。
 第二班:雷、電、村雨、雪風、島風、摩耶、金剛、木曾。

 内訳は以上の通りとなり、吹雪、鳥海が敬礼で別れを告げる。


「それでは、私たちは二階を探してきます」

「皆さん、お気を付けて」

「……じゃ、私たちも行きましょ」

intuitionですガ、おそらく地下もあるでショー。慎重に行くデス」


 村雨が答礼を解くのと同時に、二つの班が一斉に動き出す。
 まずは二階へ向かった第一班。
 中二階の踊り場に陣取り、川内型の三名が、右腕に備わったカタパルトから小型の水偵を飛ばす。そこに鳥海の水偵も加わり、計四機が左右へ伸びる階段を行く。
 当座の安全を確保したのち、班をさらに二つへ分け、右の吹雪・弥生・川内・那珂組み、左の陽炎・霰・霞・神通・鳥海組みが絨毯を踏みしめる。
 しばらく進むと、神通が曲がり角を行く陽炎たちを引き止めた。


「ダメ……! 止まって下さい……っ!」

「へ? ――ぅわわわっ!?」


 刹那、襲い掛かる横殴りの雨。鉛で出来たそれは、易々と曲がり角の内角を削っていく。
 先行していた神通の水偵も落とされた。最後に確認できたのは、円柱型の機械が数台。
 棒付きの手鏡を使い、陽炎と霞も眼で確かめる。


「あっぶな……。な、何よアレェ……」

「移動式の自動砲台? 随分と厳重ね」

「でも……。当たり、みたい……」


 表の重機もそうだが、屋内にまでこのような自動砲台を配置する徹底振り。
 霰が言った通り、ここが重要な拠点であることの証左であろう。

 一方、吹雪組も似たような足止めを食らっていた。
 自動砲台は交互に銃を乱射しながら、距離を詰めている。
 このままでは後退するしかないが、しかし、川内は攻勢に出ることを選ぶ。


「那珂、タイミング合わせて」

「う、うんっ。今度はだいじょぶ……!」


 先の失敗を気にしているのか、那珂の表情は少し硬い。
 が、詳しい説明を受けるまでもなく、己のやるべき事は理解しているようだ。
 両手には新たな手榴弾――スモーク・グレネードとケミカル・チャフ・グレネードが握られていた。
 示し合わせたように、陽炎組の霰・陽炎も同じ手榴弾を構える。

 数秒後。銃撃の一瞬の隙を突き、手榴弾が放られた。
 黒煙による視覚妨害を受け、自動砲台のカメラは赤外線探知モードに移行するが、同時に撒き散らされた無害化化学物質がそれを拡散。紫外線も同様に拡散され、砲台のFCSは待機状態へ。
 けれど、その刹那。黒煙を突き抜け、神通と霞が。川内と那珂が疾走する。


「機械相手なら、遠慮は致しません……!」


 砲台と肉薄した神通は、上段に構えた左の手刀を振り下ろす。
 前腕に並んだ十四cm単装砲四門が、標的とは逆向きに発砲。それを瞬間的に加速させ、砲台の半ばまで食い込ませる。


「沈みな――さい……っ」


 同じく肉薄する霞が、大きく左脚を踏み込みながら、右手の連装砲を自分向きに、百八十度回頭させた。
 そして、こちらもインパクトの瞬間に合わせて発砲。加速された連装砲そのものが、自動砲台を吹き飛ばす。

 場所を変え、川内。


「例え単なる飾りでも、物は使いようってね!」


 カメラがその姿を捉えるまでの一瞬に、胴の両脇にある発射管から魚雷を引き抜き、自動砲台へ投擲。突出したレンズ部分を的確に潰していく。
 照準を付けられなくなったFCSは完全なビジー状態となり、砲台はただの鉄塊と化した。
 それに恐る恐る那珂が近づき、魚雷でコンコン。反応が無いのを確認してから、移動できないように「えーい」とひっくり返し、吹雪たちに向けて勝利のポーズを。


「やったーっ☆ 那珂ちゃんたちの大勝利ぃ! 吹雪ちゃーん、もう来て良いよ~!」


 那珂の呼びかけに、削られた曲がり角から吹雪、弥生が顔を出す。
 自分自身でも安全をしつつ、川内たちと合流する二人だったが、ミニチュア魚雷を生やし、悲しく砲塔を動かす自動砲台を見て、思わずトランシーバーのスイッチを入れる。
 相手は陽炎だ。


「あの……。陽炎ちゃん」

『なぁに、吹雪。お話ししたいの? 任務中よ?』

「ううん、そういう訳じゃないんだけど。……私たちって、艦娘――統制人格だよね。なんて言うか……兵装の使い方が間違ってない?」

「やっぱり、そうですよね……。川内さん、まるで忍者みたいでした。魚雷手裏剣……」


 どこか腑に落ちない顔の吹雪に同意し、弥生が己の魚雷発射管を確かめる。
 圧縮空気の放出を利用した、加速手刀と連装砲ナックル。統制人格の膂力を以ってして、時速二百km越えで叩きつけられるミニチュア魚雷。
 正しいか間違っているかで問われれば、確実に間違っているだろう。魚雷はある意味で正しいかも知れないが、手で投げるものではない。
 艦船の現し身として、在るべき姿を問いたくなる現状なのは確かだけれども、トランシーバーからの音声を聞いていた霰は、陽炎の腕をつついて割り込む。


「ダメ……。それ以上は、考えちゃダメ、だと思う……」

「霰さんの言う通りです。今は戦いに集中しましょう」

「いや鳥海さん? 霰はそういう意味で言ったんじゃないんじゃ……って、遅れてるわっ。みんな、走るわよ!」


 鳥海もが霰を肯定し、話は一旦棚上げに。
 遅れを取り戻そうと、陽炎たち三人が神通・霞を追いかける。
 通路の安全を確保した面々の次なる行動は、部屋を虱潰しにすること。
 陽炎隊は鳥海、吹雪隊は川内が先頭に立ち、木製のドアを蹴破っては、桐林の姿を探す。

 ごく普通の客間。何もないガランとした部屋。汚れたシーツだけがある部屋。
 いくつもの“外れ”を引きながら、誰一人、諦めようとはしない。
 そして、十を越える強行突入を繰り返し、ようやく吹雪組が“当たり”を引き当てた。

 今までと違い、月明かりを取り込む窓のない、薄暗い部屋。
 壁一面に機械類が並んでおり、中央にあるのは、シールドされた医療用ポッドらしき機材。隙間から光が溢れていた。
 それ以外の光源は、ディスプレイやスイッチの表示灯だろう。
 鳥海、弥生が警戒しつつ部屋を調べる。


「なんでしょう、この部屋。これは、心電図?」

「雰囲気からすると、実験室……というより、集中治療室でしょうか」


 よくよく見れば、ポッドの周囲は様々なデータを表示、または記録する機械で埋め尽くされていた。
 積み重なった記録用紙などから、読み取れる情報は少ない。そこまでの知識は彼女たちになかった。
 しかし、この状況で考えられる可能性は一つ。
 それを確認しようと、吹雪が中央のポッドへ近づき、設けられた小窓を覗く。


「……嘘っ!? これって……!」

「どーしたの、吹雪ちゃ――ええっ」


 驚愕に声を上げる吹雪と、釣られて覗き込み、同じく目を見開く那珂。
 清潔な光に満ちたポッドの中で、裸体を晒し横たわっていたのは……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 同じ頃。一階部分の捜索を手早く終え、地下に潜った第二班もまた、戦闘状態にあった。


「ふふん、おっそーいっ!」


 行く手を三台の自動砲台が遮る中、島風は、銃弾乱れ舞う明るい通路を走る。
 小刻みに揺れる動き。
 優秀過ぎる射撃ソフトが予測軌道を計算するも、追いつかない。全く見当違いな場所へ弾を飛ばすばかり。
 加えて、高い負荷の掛かったFCSは、壁走りで通り過ぎた島風に続く、木曾の姿を捉えきれなかった。
 銃身を向けようとした時点で遅過ぎる。ダマスカス刀が左の一台を右上から袈裟懸けに叩き、勢いを殺さず右の二台目を左へ薙ぐ。
 少し奥まった最後の一台には、踏み込みが足りないか。しかし、木曾は身を屈めるだけだった。
 彼女へ照準をつけようとする三台目。けれど、カメラが三人目の少女を補足する。
 木曾の背中を飛び越え、白いスカートが翻るのも構わず、飛び蹴りを放つ摩耶。その眩しい太ももと靴底を最後に、自動砲台たちは沈黙した。


「……チッ、思っていたより身体が振られる。重過ぎるのか? もっと細身で、鋭く……」

「なぁにブツクサ言ってんだよ、勝ちは勝ちだろ。やったな、島風!」

「えっへへー。速さでは誰にも負けないもんねっ」


 想像していたのと使い勝手が違い、木曾はダマスカス刀を戻しながら顔をしかめている。
 全力で叩きつけても、欠けたりヒビが入らないどころか、歪みすら出ないのは流石だが、艤装状態の木曾が振るっても軸が僅かに振れるのだ。もっと他に、木曾に合う戦い方があるのかも知れない。
 島風と摩耶はハイタッチして得意気である。
 自らの速度を余す所無く活かし、自動照準を狂わせる島風。もうとにかく鬱憤を晴らせてスッキリしている摩耶。案外、相性は良いようだ。


「でも、どうなってるんでしょうか、この館。“アレ”は出ませんけど、夕張さんの持ってるホラーゲームみたいです。雪風、あのゲーム苦手です……」

「全くデス。Grotesqueなのは勘弁ネ。まぁ、ワザワザKeyを探す暇なんてNothing.立ち塞がるEnemyも、Lockの掛かったDoorもブチ破りまショー!」


 残る第二班のメンバー……雪風、金剛たちが三人と合流。再び脚を動かす。
 現在、彼女たちは地下一階を進んでいる。
 上階では手間を惜しんで明かりを点けなかったが、地下のフロアはセンサーで点灯してくれた。通り過ぎてきた街とは違い、自家発電装置が生きていたか、時間が経って復旧したのだろう。
 一階に大した施設はなく、トイレや厨房、応接室などがあるばかり。しかし地下に降りた途端、シックな装いだった内装は近代的となり、各扉も頑丈な合金製に変化した。
 中の設備も、いかにもな電子機器や保管用ケージ、得体の知れない培養タンクなど、不気味さの様相まで変わってきているのだ。
 雷と村雨が、どこか不安そうな顔で周囲に気を配る。


「……妙高さんたちの報告にあった、同じ顔の兵士、出てこないわね。その方が良いんだけど、不気味だわ……」

「そうよね……。これだけの研究設備、一体どれだけの命を冒涜したのかしら」


 強襲部隊がこの館へ突入してからというもの、遭遇したのは全てが無機物であった。
 拉致の際に姿を見せた人間――いや、クローン兵士は、一人たりとも存在を確認できていない。
 今までの部屋の雰囲気から考えると、この階かもっと下に、彼らの“生産工場”があっておかしくないのだ。それがより薄気味悪さを加速させる。


「……? 皆さん、ちょっと静かにして欲しいのです……っ」


 ふと、電が立ち止まった。
 言われた通りに皆が声を潜めると、通路の奥から、かすかに聞こえてくる音が。

 ――ヒタ、ヒタヒタ、ヒタ、ヒタ。

 まるで、素足の人間が歩いているような音。鎖の擦れるような音も混じっていた。
 だが、リズムが少々おかしい。一定間隔ではなく、フラフラと覚束ない足取りであると分かる。発生源は、左へ曲がる角の向こう。
 まさかとは思いつつ、雪風が顔を青くした。摩耶、金剛も砲を構える。
 そのまま、十秒。


(なんか、ものすっっっっっごく、遅いね……。ムズムズする……)

(噂をすれば影が差す、か。対人戦なら、俺が出た方が)

(……待って下さいっ。この、足音……)


 島風がなんとも場違いな感想を述べ、木曾がダマスカス刀を腰溜めに進み出ようと、一歩を踏み出す。
 しかし、その動きをまたも電が制した。
 この足音、彼女には聞き覚えがあったのだ。いつもと様子は違うけれど、半年近く前――まだ彼と二人きりだった頃に、幾度となく聞いた足音だ。
 確実にそうだと言える自信は無かったが……信じたかった。

 誘われるように、電は歩き始める。
 コツン、という革靴の音と、素足の足音が交互に。やがて、足音は曲がり角のすぐ側へと差し掛かった。
 緊張に顔を強張らせる電。信じて見守る皆が生唾を飲み込む。

 ゆっくりと、足跡の主が姿を見せ始めた。
 角に添えられる手。
 緑色の、薄手のズボンを履いた素足。
 ――そして。
 焦がれるように求めていた、とても懐かしく感じる、彼の横顔。


「司令官さん!」

「……い、なづ、ま……?」


 弾かれるように電が駆け寄り、その人物――桐林の身体へ抱きつく。
 バランスを崩し、尻餅をついた彼の後ろには、数台の自動砲台が存在した。が、動く気配はない。
 もっとも、電はそれに気付いておらず、ただただ、震える手で入院着の背中を握りしめ、顔を何度も擦り付ける。


「司令官さん、司令官さん、司令官、さん……っ」

「……みんな。来て、くれたのか……。うぐ」

「テートク!? ああそんな、眼が……!」


 電の背を撫でる桐林に、皆は大急ぎで駆けつける。
 意外……でもないだろうが、最も速かったのは島風ではなく、金剛だった。
 桐林の傍らへ膝をつき、痛みに顔を引きつらせる姿を見て、思わず涙を浮かべている。
 彼の顔には、大きな裂傷があった。塞がってはいるが、まばらな深さの生々しい傷痕が、唇や頬、閉じられた左眼の上を走って。
 雪風と霞の証言から覚悟していたけれど、実際に見ると痛ましいという他にない。


「なんだよ、一人で脱出してたのか。結構やるじゃん、提督。あたしらの来た意味無かったな」

「脱出……。いや、よく分からないんだ。気が付いた時には、もう拘束が解かれてて。とにかく逃げようと、歩き回ってただけ……だと思う」

「あん? なんだそりゃ。訳分かんねぇんだけど」

「……自分にも、何がなんだか……」


 沈痛な雰囲気を変えるためか、摩耶があえて軽い調子で話しかけるが、返事は要領を得ない。どうやら、彼自身も現状を把握していないようだ。
 桐林の手足を見てみれば、千切れた鎖の繋がるバンドが嵌められていた。
 拘束されていたのは確かであろうが、ならば今、どうして自由の身になっているのだろうか。少々腑に落ちない。

 ともあれ、作戦の主目的は達成された。留意すべき点はあるが、他の面々も安堵で口元を緩ませている。
 けれど、無事に帰還してこそ、この作戦は完全に終了する。
 いち早く警戒状態に戻った村雨と雪風は、まず、沈黙を守る自動砲台を調べ始めた。


「なにかしら、この砲台。急に動きが止まった……?」

「まるで、司令を……。ううん、雪風の考え過ぎ、ですよね……」


 今まで、問答無用に銃弾を放ってきた自動砲台だが、村雨がカメラを覗き込んでも、雪風が銃身をつついても、全く反応しない。機能停止したようだ。
 これではまるで、桐林を守ろうとしていたようにも見える。
 貴重な人材、そのように設定されていたとしても変ではないけれど、だとしたら急に機能を停止したのは何故なのか。
 わからない事だらけだが、しかし、この場に留まるのは不味い。
 桐林の身体を気遣いつつ、雷がそれを示す。


「司令官? 疲れてるだろうけど、今はゆっくりしていられないの。動ける?」

「平気だ、問題ない……。心配かけて、ゴメンな。雷」

「……う、ううん。良いの。私は全然、なんともない……から……っ」


 左手で雷の頭を撫で、微笑む桐林。
 痛みがあるのか、それは左右非対称になっていて、疲労が色濃く現れている。
 だというのに、感じる温もりが普段通りで、涙を誘う。


「電、離れてくれるか。立たないと」

「……あっ、はい。ごめんなさい、私……」

「良いから良いから、な。……ぅおっと」


 立ち上がろうとする桐林だったが、中腰になった所でフラつき、また尻餅をつく。
 いや、つきそうになった瞬間、摩耶が後ろから支えたため、辛うじて立っている。
 見ていられないと、彼女はぶっきらぼうに肩を貸した。


「ほらっ、肩貸せよ。あ、それともおんぶのが良いのか?」

「い、いやいや。もう意識はハッキリした。なんとか歩ける。すまない、摩耶……」

「……いちいち謝んなって。お前のそういうとこ、ちょっとウザいぞ」

「はは、ゴメン……っと、また謝っちゃったな」

「……ふん。ばーか」

「もう、摩耶さん? 提督は怪我してるんだから、そんな言い方……」

「良いんだよ、村雨。君も、来てくれてありがとう。顔を見れて、安心した」

「……うん。私も。もう二度と、捕まっちゃったりしたら、駄目なんだから」

「ああ、努力するよ」


 怪我人に対して、少し雑にも思える物言いだったけれど、桐林は笑っている。
 右手を掴む細い指。腰へ添えられた手。決して急ぎ過ぎない歩幅。乱暴さを装う素振りの端々から、己への気遣いを感じ取っていたからだ。
 そんな姿を見て、村雨もホッと胸を撫で下ろした。
 ようやく取り戻せた。横須賀に帰れば。これが日常の世界に帰れば、全てが元通り。姉妹艦たちにも胸を張れる。

 今度こそ、桐林たちは歩き出す。
 ペースは遅めだが、確実に出口へと向かって。
 桐林を中心とし、右に摩耶、左に金剛。前を木曾と島風、雪風が固め、背後に雷、電、村雨を配置する輪形陣だ。
 しばらく進むと、金剛が俯き加減に口を開く。


「テートク……。答え辛い事ナラ、答えなくてもいいんデスけど……」

「……この眼、か。もう、使い物にならない。ヤツが……そう言っていた」


 言葉にしづらいのか、口ごもってしまう金剛だったが、返答は実にあっさりとしていた。
 使い物にならない。つまり、失明している。
 事も無げに言ってのけたが、その事実は重い。
 金剛は言葉を失い、前を行く木曾が、ダマスカス刀の鞘を握り締める。


「すまん! 俺が、俺たちが不甲斐ないばっかりに……っ」

「木曾のせいじゃないさ。ここに居る誰のせいでもない。……全ての元凶は、ヤツなんだからな……」


 振り返ることの出来ない木曾へ返されたのは、慰めとも、励ましとも違う言葉。
 揺らめくような怒りに満ちる、敵意だった。
 電を含め、この場に居る誰も聞いたことのない、暗い声。間近で聞いた摩耶の手に、無意識に力が篭る。
 それで雰囲気の変化に気付いたか、桐林の方から話が振られた。


「そう言えば、みんな、どうしてここが分かったんだ? どうやって手掛かりを?」

「電さんのお手柄です! あの光の柱が立った後、急に司令の居場所を言い当てて……」

「……光の、柱? 雪風。なんだ、それ。そんな事が?」


 両腕を広げ、表情豊かに説明する雪風。しかし、桐林は首を傾げるばかりだった。
 数km離れていた彼女たちにすら、あれだけ強烈な衝撃を与えた現象を、まるで認識していないようだ。
 信じられないといった様子で、雷が電と顔を見合わせる。


「司令官、本当に分からないの? スッゴイ衝撃で、みんなひっくり返っちゃったのよ? ね、電?」

「はい。あの時、なんだか急に、司令官さんと過同調状態になったような気がして……。
 でも、電だけじゃ何も……。兵藤さんが発信機を付けていてくれなかったら、今頃……」

「……なんだと」

「え?」


 兵藤の名を出した途端、桐林が脚を止めた。
 右眼が細くなり、唇も戦慄いている。まるで、忌まわしい言葉を耳にでもした様に。
 急激な表情の変化に皆が驚き、島風が桐林を覗き込む。


「どうしたの? 提督、なんだか怖い顔してる……」

「……確認しておきたい、事がある。あの後、何があった?
 軍病院へ向かう途中、突然地面が爆発して……。
 あれはなんだったんだ。主任さんや、疋田さんは? 自分の家族は? ……先輩、は」

「そ、それは……ええっと……」


 矢継ぎ早な問いかけに、雪風を始め、誰もが口を閉ざしてしまう。
 言えば安心して貰える情報がある。けれど、言えば確実に傷付けてしまう情報も、ある。
 どれをどうやって、どこまで伝えれば良いのか。判断が難しい。
 息苦しい沈黙は、一体何秒あったのだろう。
 意を決し、木曾が振り向いた。


「一先ず、家族の方は桐ヶ森大佐が保護してくれたし、疋田も無事だ。俺たちと一緒にここまで来た。整備主任と、兵藤大佐は――」

『ヤッホー。聞こえるかーい、こーうはーいくーん!』

「――!? この声……!」


 唐突に割り込んでくる、不躾な声。
 間違えようがない、“元”少年提督、小林 倫太郎だ。木曾は怒りに歯軋りする。
 館内放送とは違う。ごく間近から……。桐林が付けている、左のリストバンドから聞こえていた。
 どうやら唯の拘束具でなく、監視用の様々な機能も備えていたらしい。


『いやはや、何をどうしたんだか理解できないけどさ。よくもヤってくれたねぇ』

「……なんの、話だ」

『トボけちゃってー。おかげさまで、今までの研究データがパーだよ。ま、バックアップはあるけども』


 明るく装っている通信機越しの声は、隠しきれない恨みと、異様なプライドの高さを滲ませる。
 わざわざ聞いてもいない事を話す辺り、焦っているらしい。自らの優位性を示したい証拠だ。


『でもさ、コケにされたまま引き下がるなんて、僕の性に合わないし。……後輩君、勝負しようよ』

「勝負、だと……?」


 だが、次に“元”少年提督が言い放った言葉は、驚きで皆の眉を歪ませた。
 勝負。この場合、求められているのは個人同士の戦いではないだろう。
 艦船同士の、殴り合い。


『そ。かんむり島の辺りで待っててあげるからさ。舞鶴に来てる君のお仲間を呼びなよ。先輩直々に、教練してあげる』


 冠島。別名を、大島、雄島、常世島、竜宮島とも呼ばれる無人島である。
 京都府舞鶴市は若狭湾に存在し、成生岬から北北西へ十kmほどの場所に位置する。
 さらに北北東にはくつ島――別名を小島、雌島、鬼門島と呼ばれる小さな無人島もあり、合わせて鳥獣保護区に指定されていた。
 深海棲艦が跋扈する以前はクジラなども回遊していた海域だが、度重なる海流変化により、今では鳥も魚も寄り付かない、死んだ海域である。
 戦闘行為を行っても問題ないと言えばそうだが、けれど桐林は拳を握り、感情を押さえつけた声で拒否する。


「……そんな事に付き合って、何になる。無駄な戦いをする気は、無い……」

『まぁまぁ、いけずなこと言わないで。……あんまりツレないと、僕、拗ねて何するか分からないよ』

「な、なんなんデスかっ、さっきから黙って聞いてれバ、傍若無人な――」

『黙れ、ヒトカタ風情が。僕が会話するのを許したか。下がっていろ』


 あまりに馴れ馴れしい“元”少年提督へ金剛が噛み付くも、一気に温度を下げた声が一蹴した。
 驚いたのか、怒っているのか。顔を真っ赤にした金剛は、声にならない声を挙げながら地団駄を踏む。
 おそらく、言った本人は暴言とすら思っていないのだろう。リストバンドからの声はまた馴れ馴れしさを取り戻し、桐林へ呼びかける。


『よし。じゃあ、ヒントをあげよう。……第一次大侵攻』

「……!? まさか、お前っ!!」

『ハハハ、流石に分かり易過ぎたかな? そう。僕にはね、艦載機運用能力がある。
 僕を無視したりすれば、またあの時みたいに、“元 味方の艦載機”が本土を焼くよ!』


 桐林が顔色を変え、左手のリストバンドに詰め寄る。
 第一次大侵攻。舞鶴鎮守府を半壊させ、多大な被害をもたらしたあの事件が、再現されようとしている。無視できるはずがなかった。
 加えて、“元 味方の”という言い方にも引っ掛かる。
 それでは、あの事件が味方により……。統制人格と、傀儡能力者により引き起こされたようではないか。
 一体どこまで、何を知っているのか問い質したい所だが、しかし、答えてくれる保証もない。
 苦虫を噛み潰した顔で、桐林は決闘の申し出を受ける。


「分かった……。猶予は」

『一時間。それだけあれば十分でしょ? 多分、とっくに舞鶴を出てるんだろうし。
 なんだったら、応援を要請したって構わないしさ。動ければ、の話だけど。見た限りじゃ無理っぽいかなー』


 せせら笑っている顔が、リストバンドの向こうに見えるようだった。
 口振りから判断するに、敵 艦載機は舞鶴鎮守府を目視可能な位置へ到達している。射程圏内、という事だ。ひょっとすると、他の街へも……。
 問題は、提示された猶予の間に、舞鶴で演習予定だった艦隊が辿り着けるか否か。
 桐林が視線で問うと、村雨が軽く挙手して答えた。


「業腹だけど、言われた通りよ。今、加古さんたちがこっちへ向かっている途中なの」

「ちっ、あたしらも船で来てりゃ、直接ブン殴れるってのに……!」


 憎き仇敵を目前にして、傍観するしかない。歯痒さに摩耶が舌を鳴らす。
 金剛もブンブンと首を縦に振っているが、聞こえているだろう声を無視し、“元”少年提督は話を切り上げる。


『じゃ、決まりって事で。そうそう、僕への通信帯も教えておくよ。普通の演習みたいに喋りながらやろう。楽しみだなぁ、あぁ、楽しみだなぁ。クヒッ。周波数は――』


 最後にとある数列を言い残し、音声は途切れた。
 雪風があくせくメモを取り、「バッチリです」と頷く。用済みとなった拘束具も取り外す。
 それを受けて皆が移動を再開するが、しかし電は納得できておらず、縋り付くように桐林へ訴える。


「司令官さん、無茶なのですっ。そんな身体で戦闘指揮なんて……」

「……やるしか、ない。ここは、京都なんだよな?
 何があったかは知らないけど、あの言い方、舞鶴鎮守府の機能は麻痺しているんだろう。
 他に増援を求めたとして、到着まで待っていたら焼け野原にされる。そんなの、駄目だ」

「でも……っ」


 受け答えはしっかりし、もう摩耶の助けを借りなくても歩けているようだが、相変わらず顔色が悪い。
 こんな状態で戦闘を行えば、戦いの最中に何が起こるか。電はそれが心配なのだ。
 けれど、桐林は電の肩へ手を置き、前方を見据えたまま、己が決意を指に込める。


「大丈夫。あんなヤツに、負けない。負けてたまるか。絶対に、勝つから」

「電。諦めましょ? こうと決めた司令官は、絶対に止められないもの」

「……は、い……」


 雷からも宥められ、しぶしぶ引き下がる電だったが、やはりまだ納得できない。
 何より、桐林の言葉に違和感を覚えてしまった。
 彼は今まで、勝つ事を目的に戦っていただろうか。
 戦いを強いられる立場ではあるけれど、その中に別の意味を見出してきたのではなかっただろうか。
 まるで、急き立てられるように。囃し立てられるように戦へ赴こうとする背中が、何故か、電を心細くさせる。


「……そうだ。ヤツの正体については、みんな知ってるのか?」

「確証はないが、な。吐噶喇列島の少年提督、なんだろう。違っていれば、ある意味安心なんだが……」

「いや。当たりだよ、木曾。
 ヤツは深海棲艦と融合を果たした、元 人間。自分の先達に当たる。
 本人も理屈は分かってないみたいだったけど」

「そうか……。何がどうなってるんだろうな、この世界は」

「……答えを知ってる奴が居るなら、自分も聞いてみたいよ。
 どうして世界はこんなにも、悪意に満ちてるんだ、って。
 詳しいことは後で共有しよう。今はとにかく急がないと」

「……そうだな」


 天井を仰ぎ、木曾は眉をひそめた。
 深海棲艦となった人間。
 統制人格という存在をも生み出す、傀儡能力者だ。どんな不条理を引き起こしたとて不思議ではないが、それにしても。
 しかし、本土爆撃の可能性が示された今、悠長に考察している暇などない。九名は足早に階段を上る。

 ややあって、桐林たちは一階のエントランスを過ぎ、館の外へ出た。
 金剛、摩耶が先行すると、外に残っていた皆は、欠員も無く改造四脚を無効化していたようだ。煙を吐き、動けなくなったそれらが沈黙していた。
 金剛の姿を見つけた長門たちが、目を見開いて駆けつける。


「金剛っ、提督は……無事、だったか……」

「って顔!? 顔が無事じゃないクマっ、大惨事クマ!?」

「にゃ……。痛そうにゃ……。ついでに極道みたいにゃ……」

「おい。その言い方はどうにかなんないのか、君ら」


 大きく息を吐く長門に続き、早速いつもの調子で纏わり付く球磨と多摩。
 ヤのつく職業の人扱いをされ、桐林も苦笑いを禁じ得ない。これこそが本領なのだろうが。
 次に話しかけてくるのは、陸奥、最上、三隈の三人である。


「あらあら。でも、傷は男の勲章だもの。格好良いわよ。……痛い?」

「ちょっと、な。しかし、陸奥に格好良いって言って貰えただけ、ありがたいさ。平凡な顔にも特徴が付いたかな」

「提督、ちょっと笑えないよ……。手術とかで消せるかな? ボク、後で調べてみるね」

「わたくしは陸奥さんに同意です。なんと言いますか、凄味が出て男らしくなられたように見えますわ、お兄様?」

「その呼び方はやめてくれ。癖になりそうだ……。ありがとうな、最上も」


 腫れ物に触るような優しさで、陸奥の指が傷痕の側をなぞる。
 いつも通りの口調に思えるが、彼女は今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべていた。
 それがこそばゆいのだろう。桐林は茶化すように顔の右半分で笑うのだが、最上に気遣われ、おそらく本気の三隈に励まされ。ようやく肩から力が抜けたようだった。
 裸足で彼が歩き出すと、今度は山城と扶桑が隣に並んだ。


「あ、あのぉ……。提督が無事だったのは良かったんですけど、敵は?
 私たち、四脚の相手しかしてないんですが……。しかも途中から動かなくなりましたし……」

「……その事だが、込み入った状況になった。ここまではどうやって来たんだ? 扶桑、脚は?」

「文字通り、脚です。走って参りました。けれど、丁度良く……」


 問いかける山城は、どこか物足りない様子だ。イマイチ活躍できていないと思っているらしい。
 派手に動いて敵を引き付けるのも重要な役割なのだが、敵という単語に難しい顔をした桐林は、説明する間も惜しんで逆に話を振る。
 扶桑が自らの太腿を摩り、たおやかな語り口で前方を――鉄門の吹き飛んだ塀の裂け目を示すと、大型装甲車が猛スピードで突っ込んでくる所だった。
 思わず身構える桐林だったが、装甲車は彼らの数m手前でドリフトしながら停車。
 運転席から、顔まで覆う鎧のような装甲服を身に付ける人物と、鎮守府・若年女性職員用の制服を着た少女が降り立つ。
 動くのを渋る装甲車の制御コンピューターを蹴り直し、三隈のバイクは惜しみつつ放置して、山道と道路の法定速度をブッチ切ってきた、疋田と書記である。


「お、お待たせしましたぁ! 疋田 栞奈、完全武装で吶喊します! ――って終わってるじゃないですかー! やったー!」

「疋田さん、はしゃぎ過ぎです。……提督。ご帰還、大変嬉しく存じます」


 太ましくゴツいシルエットに似合わない、可愛いらしい声で万歳する疋田。それを窘める書記は、桐林の前に立って最敬礼を。
 呆気にとられていた桐林が正気に戻り、まずは書記へ答礼した。


「ありがとう、書記さん。早速だけど、舞鶴まで行けるかな。増幅機器が必要なんだ」

「でしたら、わざわざ出向かなくとも」

「こんな事もあろうかとー! ちゃんと積んで来ましたよ、ブースター・ベッド!」

「おお……。助かります。……というか、なんで居るんですか疋田さんは?」

「酷い!? 己が身と職を犠牲にしてまで助けに来たのに!?」

「ははは、冗談ですよ。ありがとうございます」

「うぅ、それでも酷いですよぉ。……ぁはは」


 要請を受け、書記と疋田が装甲車の後部ドアを開けた。中にある簡易増幅機器を見て、桐林は感嘆の息を漏らす。
 ついでに、見た目が特殊機動隊なせいで、落ち込む姿が妙にコミカルな疋田と笑い合っている。ほんの少し、空気が和らいだ。
 その間、金剛が皆へと事情を説明し、戦艦たちが総出で増幅機器を運び出しを始めた。
 装甲車の電源からでも起動は可能だが、稼働時間が短い。通ってきた街では電力が死んだまま。しかし金剛曰く、この館は電力が生きている。
 おそらく発電設備があるのだろうと書記は判断。増幅機器を運び込み、安全確認をしたのち、館内部の電源を使おうという腹である。
 危険だと分かった場合、装甲車に備え付けの手回し式大型発電機を、統制人格たちが死ぬ気で回すという地獄絵図が広がる事になるが……。


「どう、三隈? 使えそう?」

「はい。かなり旧式ですが、その分、信頼性は高いかと。爆発物も無いですし、大丈夫そうですわ、もがみん」

「では、運び込みましょうか。手近な部屋に固定しましょう。行くわよ、山城?」

「はい姉様! 例え地味な肉体労働でも、働けるだけありがたいと思う事にします! ふんぬらばっ」

「山城ー。その掛け声はちょっと逞し過ぎるぞー」


 幸い、館脇の小屋にあったのは電子制御でなく、古いガソリン式の発電機だったようだ。ハッキングなどで無効化もされないだろう。
 数百kgはある増幅機器を扶桑型姉妹が持ち上げ、電源コードや変圧器、ディスプレイなど、固定器具その他を皆で運ぶ。
 流石に手伝うわけにもいかず、桐林はガニ股で歩く山城に声を掛けたりして、四脚の残骸に腰を下ろしていた。
 電たちも手伝いに行ったため、一人だけだ。


「……はぁ。……っ、ふ、ぅ……ぁぁ……」


 皆に気取られぬよう、桐林は左手で顔の傷を押さえる。
 息が白く、荒い。
 熱に浮かされ、痛みに喘いでいるように見えた。


「オイ、司令官」

「っ。……天龍?」


 すると、残骸の影から音もなく、一人の少女が現れた。鞘に収めた長剣を肩に担ぐ天龍である。
 己を見上げる、見慣れた顔を。
 そこに刻み込まれた、見慣れない傷痕を一瞥し、彼女は桐林へ顔を寄せた。


「お前は怒ったっていい。それだけの事をされたんだ。
 でもな……。憎しみだけで、戦うなよ。そうなったら多分、深海棲艦と何も変わらねぇ。
 ……あと、我慢ばっかしてんじゃねぇや、アホ」


 ツン、と軽くデコピンし、天龍は早足で去っていく。
 その後を追うように龍田が現れ、傷痕へ、濡れたハンカチを静かに押し当てる。


「ごめんなさいね~? 天龍ちゃん心配性だから~。けど、ワタシも同感。……貴方の護りたいもの、忘れちゃ駄目よ……?」


 ハンカチを押さえるように桐林の手を取り、龍田はゆっくりとした歩みで立ち去った。
 その背中を見送って、次に空を見上げる。
 満月があった。
 しばし見つめ、何か、感じ入るように右眼を閉じる。

 数分後。誰かが近寄ってくる足音が聞こえ、彼は腰を上げた。
 今度は書記の少女だ。


「提督、準備が整いました。こちらへ」

「……分かりました」


 ぬるくなったハンカチを握りしめ、二人、連れ添って歩き出す。
 呼吸は落ち着きを取り戻していた。
 館に入り、書記の先導で左側通路、その右手前にある部屋へ。
 ケーブルを跨ぎながら中に入ると、ビリヤード台や大型スクリーンなどが置かれる、遊戯室らしき部屋の中央に、簡易増幅機器が据え付けられていた。
 脇には椅子が置かれており、更にその周囲には十個近いディスプレイが配置されている。書記が座る場所だ。

 金剛、長門、扶桑、三隈、弥生、木曾、電……。
 周囲に侍る仲間を一通り見渡してから、桐林はベッドの上に身を横たえる。
 簡易型だけあって、普通の増幅機器とは細かい部分が違っていた。
 腕にはめる籠手は同じだが、それを収める手すりも、肩を押さえつける装具も無く、代わりに素足を収め、固定する部分がある。後は色の濃いバイザーの付いたヘルメットを被るだけ。
 それでも機能は遜色なし。書記の制御の下、桐林は同調状態に入り、海上を移動中の水雷戦隊――中継器を積んだ加古に意識を飛ばす。
 暗い海。冷たい潮風と波飛沫。
 月明かりを浴び、厳しい表情で正面をまっすぐに見据える、黒髪セーラー服の少女が見えた。


『加古。……加古。聞こえるか』

「――ンごっ!? は、えっ? この声……。提督!?」


 しかし、桐林の声を受け取った瞬間、キリリとした少女は、しどろもどろになって狼狽えまくる。
 来たるべき戦いに闘志を燃やしているのかと思いきや、立ったまま、目を開けて寝ていたらしい。器用にもほどがある。
 が、その驚きは中継器を通じて他の五名にも伝わり、時雨や夕立、古鷹が驚喜の声を上げた。


《無事だったんだね……っ。良かった……!》

《ほ、ホントに提督さんっぽい? 提督さん? ぽい?》

『ああ。本物だよ、心配かけたか』

《当たり前ですよっ! 私たちだけずっと蚊帳の外で、もう……。心配してたんですからぁ……》


 胸の上で両手を握ったり、子犬のように小首を傾げて何度も問いかけたり、目尻に浮かんだ涙を拭ったり。形は様々だが、心の底から喜んでいるのが見て取れた。
 桐林が拉致されてからも、ろくに情報を得られず、ただ海を行くしかなかった彼女たちにとって、それは如何許りか。
 残る大井、北上も同じだろうけれど、少々素直ではない彼女たちは、気掛かりな点を挙げる事で喜びを隠す。


《無事で何より……と言いたいんですけど、本当に大丈夫なんですか? なんだか、酷く疲れているような感じが伝わって来ますよ》

《あ、あたしも思った。声を聞けて嬉しいけどさ、なんか無理してない? 左眼がショボショボするし……》


 言外に「休んでいろ」と言う二人だが、桐林はそれを良しとしなかった。


『自分としても、本当は全てを放り出したいんだけど、生憎そんなこと言ってられない。……敵を叩く。針路変更』

「敵? ……もしかして、提督を攫ってくれちゃった奴? いいじゃん、やられっ放しとか論外だしね!」


 向かうべき方向を新たに指示すると、すっかり目を覚ました加古が、屈伸運動をしつつ不敵に笑う。
 ここ一番に巡ってきた出番、張り切らない筈がない。時雨、夕立、古鷹も表情を引き締め、重巡、駆逐艦、雷巡の複縦陣が北東へ進む。
 雷巡たちは不服そうな顔――特に大井が露骨に眉を歪めるも、積極的に反対したい訳でもないようで、無言で従っている。


「提督。まだ到着までは時間がありますし、仮眠をとってはどうですか? 詳しい経緯は私からお伝えしますので、少しだけでも……」

「……それも、そうですね。十分だけ、休ませて貰います」

「はい。どうぞお休み下さい」


 少しばかり会話に間が空くと、すかさず書記が休息を提案する。
 疲労は自覚していたようで、桐林も素直に頷く。一分と経たない内に、彼は寝息を立て始めた。
 ヘルメットにはノイズキャンセリング機能がある。きっと安眠できる事だろう。

 その間に、これまで起こった事、判明した事実、敵の正体などを、書記や木曾が加古たちへ説明するのだが、時を同じく、遊戯室に新たな人影が入室した。
 二階より上層を捜索していた、吹雪たち第一班である。
 増幅機器搬入の騒ぎを聞きつけたにしては、ずいぶん遅い登場だ。


「ン? Hey,ブッキー! テートクは確保したデスよー! ……あれ。どうかしましタ?」


 吹雪の姿を認め、金剛が小声ではしゃぎながら駆け寄っていく。
 しかし、喜ぶべきはずの所を、吹雪も、弥生も、他の皆まで異様に沈み込んでいた。
 金剛は心配そうに顔を覗き込む。


「……あの、司令官は、今……?」

「テートクですか? チョーシこいたEnemyが挑戦状を叩きつけてきたのデ、加古たちを向かわせている所デス。It's Pay back Time!」

「……そうですか。重症を負ってたりとかは、ないんですね? うん、良かった……」


 桐林の無事を確認し、ホッと胸を撫で下ろす弥生たちだが、やはり表情が暗い。
 何か、思わしくない事案が発生したのだろうか。
 問いかけてみようとする金剛を差し置いて、今度は陽炎、川内、霞の三人が話し合い始める。


「でも、どうするのよ、こんな時に。話さなくちゃいけないけど、話したら、きっと……」

「しかし、事は急を要するよ。このままじゃ、悪化する可能性だってある」

「じゃあ川内さんはどうしろって言うのよっ? ありのままを伝えろって言うの? そうしたら、あいつ……!」

「霞、ダメだよ……。落ち着いて……」


 霞はかなり気を揉んでいるらしく、言動に余裕がない。慌てて霰がその抑えに入っていた。
 諍いの声を聞きつけ、もともと部屋にいた者たちも彼女たちに注視しだす。
 そんな時、無言で俯いていた那珂が、かつてないほど真剣な表情を浮かべ、自らの意見を述べる。


「那珂ちゃん、まだ話さない方が良いと思う。今、提督は戦いに集中してるんだよね?
 ……ううん。多分だけど、戦うことで、無意識に痛みを忘れようとしてるんじゃないかな……。
 後で怒られるかも知れないけど、今は秘密にしておこう? じゃないと、心が折れちゃうよ……」

「……私も、同意見です。提督はお優しい方です。知れば、必ず自分を責めてしまうかと……。そんな状態では、勝てる戦いも、勝てなくなってしまいます」


 言いながら、涙まで浮かべ始める妹に、神通が身を寄せつつ賛同する。
 胸に迫るものがあった。事情は分からないまでも、周囲で見守る者たちにまで、それは伝わっていく。
 吹雪が意を決して口を開いた。


「司令官には内緒で、お話ししなければならない事が……。出来れば、長門さんと陸奥さんも……」

「呼んだか、吹雪」

「あらあら。どうしたのよ、みんなで暗い顔しちゃって」


 呼ばれるのを待っていたか、長門、陸奥の両名が間を置かずに参加する。
 心苦しい、と物語る表情で、吹雪は己が目で見た“者”の事を語ると……。


「――んです。動かす準備をしておかないと……」

「……嘘デス、どうして、そんナ……」

「あの外道めっ! 一体どこまで……っ」

「長門、駄目よ。今は確認が先、ね?」


 金剛は色を失い、長門が怒りで拳を握りしめ、陸奥だけが冷静に、次に行うべき事を指し示す。もっとも、その瞳に揺らぐ感情は、隠しきれていないのだが。
 弥生を先導として、長門たちは遊戯室から駆け出していく。
 不穏な空気が、漂い始めていた。


「……どうして、こんな事に……」


 力無く、吹雪が呟いた言葉は。
 何も知らない桐林の寝息にも負けるほど、弱々しいものだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 漂っている。
 ふわり、ふわりと。
 温かくて、優しくて、明るい場所を。

 ぬるま湯に浸かっているようで、違う。
 身体を動かそうとしても、思うような反応はなく。しかし不快感もない。
 丸裸になって――魂だけの存在となって、形も成さないまま、母の胎内で揺蕩っているようだった。


「――――――」


 ふと、誰かの声がした。
 話しかけられたのか、ただ聞こえただけか。
 定かではなかったけれど、どこか、惹かれる声。


「こ――船――」


 圧力を感じる。
 無いはずの背中を押されて、どこかへ向け、加速していく。
 途中、様々な“何か”とすれ違い、ぶつかり合い。
 くっついたり、砕けたり、溶け合ったりしながら、自らの質量が増していくのを自覚した。


「――なん――」


 声が近い。若い男性……。青年だろうか。
 ふと、理解する。向かっている先は、その声がする場所だと。
 加速はまだ続いている。
 水の波紋を。風を。声を。光をも超えて、まだ速く。


「なにが起――」


 そして、青年の声を耳元に感じた瞬間、壁にぶつかった。
 いや、壁と呼ぶにはあまりに薄く、穴だらけ。すり抜けられる。
 その壁を通ると、ようやく自らが形を成していく。
 腕。脚。指。爪。頭。首。髪。胸。腰。最後に、服。
 柔らかい微風が、産まれたての肌をくすぐる。
 すぐ近くにある光源が、初めて使う眼を焼く。


「……女の、子?」


 身体全体で重力を味わい、それに従って顔を下ろすと。
 見下ろす先に、白い詰襟を着る青年が立っていた。
 眩しい光を遮るよう、右手をこちらへかざす、誰かが。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ――夢を。

 ――何か、とても大切な夢を、見ていた気がした。


「提督。間も無く、艦隊が指定された海域へ到着します」

「ん……ぐ、くぁ……ふ」


 優しく呼び掛けられ、沈んでいた意識が覚醒する。
 同時に、失ったはずの左眼を焼かれているような熱さと、無視し難い違和感も襲ってくるが、どうにか欠伸として誤魔化せたようだ。
 バイザー越しに確認できる島風、雷、電も、気付いてはいない。


「どのくらい、眠ってた?」

「二十分くらい? すっごく早く寝入っちゃって、ビックリしちゃった」

「とっても気持ち良さそうだったわよ? ね、電」

「なのです」


 見守ってくれていた少女たちの微笑みに、釣られて自分も笑みを浮かべた。
 周囲のみんなも、交代で見張りに立ちながら休んでいたようだ。疋田さんが装甲服から薄手のインナー姿になっている。
 さっきよりも人数が少ない……。長門や陸奥たちは、外の警戒でもしているのだろうか。
 予定より長く眠ってしまった。おかげで思考に澱みは無くなったけれど、手早く状況を把握しなくては。


「舞鶴の状況は」

「つい先程、連絡がつきました。事ここに及んで、またテロが起きたようです。舞鶴鎮守府の主・補、両電源設備が破壊され、本格的な支援は望めません。
 現在、呉から桐ヶ森提督の航空機が。横須賀からも二航戦と千歳、千代田が攻撃隊を向かわせています。
 舞鶴に常駐していた、桐谷提督の補用水雷戦隊とリレー装置は無事ですが、まだ暖気中です。抜錨には時間が掛かるかと。
 また、市街地上空で旋回する敵 艦載機の姿も確認されました。街への被害を考え、対応は見送っています。まずは、交渉でこれを引かせるべきであると愚考します」

「把握した。加古たちの状態は」

「問題ありません。道中の遭遇戦を考え、完璧に実戦用補給をしておいたのが功を奏しました。北上・大井の魚雷も余分に積んでいます」


 書記さんが伝えてくれる情報は、吉凶がない交ぜとなったものだった。
 舞鶴鎮守府の電源設備破壊。これはテロリスト……いや、“ヤツ”の血を受けた操り人形の仕業だろう。どこまでも用意周到だ。
 桐ヶ森提督、蒼龍、飛龍たちの航空支援は純粋にありがたい。問題は、桐谷提督の補用艦隊共々、間に合ってくれるかどうかだが。
 確か、第一次大侵攻の後、舞鶴の街にはかなりの高射砲が設置されていたはずだが、それを使うとなると、敵 艦載機を街の上へ落とすことになる。書記さんの言う通り、まずはこれを撤退させるのを優先しないと。
 後は加古率いる水雷戦隊が、どこまで“ヤツ”に通用するか。
 加古・古鷹の武装は改装済み。夕立と時雨には新たに電探も配し、大井・北上の魚雷発射管は全てを五連装にしてある。兵装のコンディションとして、これ以上は望めない。
 自分が上手く指揮をとれば、勝てるはず。


「見えた! アレが……!」


 古鷹と共に先陣を切る加古が、前方に一つの影を見つけた。
 探照灯も何も点けていないけれど、空を飛ぶ水偵と明るい月光が、その姿を見せてくれる。
 鋭角な線を描く艦首。船体は中程で幅を大きくし、かと思えば船尾に向けて細くなり、艦尾の部分でまた太く。
 艦橋らしき建造物が甲板の左右に乱立しており、載せられている砲は大型。本当に船なのか疑わしいシルエットだが、とりあえず戦艦級に思えた。
 時雨を始めに、皆が所見を呟く。


《大きくて、いびつな形……。まるで、船を寄せ集めたような》

《なんか不気味っぽい~。船なんだけど、船とは思えないっぽい……》

《見た目の概算ですが、排水量は三万五千tを下回らないと思います》

《って事は、少なくともル級かタ級と同等かぁ……》

《一発、直撃弾を貰ったら終わりですね。北上さん、気を付けましょう》


 彼我の距離は、おおよそ数kmという所。腹をこちらに見せている。
 このまま攻撃しても有利は向こう、既にこちらの位置も把握されているだろう。
 どうやって位置取りするか、攻撃に移るタイミングと、その陣形は。
 下手をすると、流れ弾が陸へ届いてしまう距離。逆に言えば、沿岸部に設けられた大型固定砲台の支援を受けられるかも知れないけど、難しいか。


《やぁやぁ、怖じ気づかずによく来たね! 後輩君と、そのヒトカタ共》


 様々な思考を巡らせる中、不意に、不愉快なほど明るい声が聞こえてきた。
 よくよく見ると、艦首付近に小さな人影が。
 小林、倫太郎。
 もう戦いは始まっている。気をしっかり持て。呑まれるな。
 ここからが、自分の仕事だ。


『約束は果たした。単刀直入に言う。艦載機を戻してくれ』

《う~ん、どーしよっかなー? 今から戻したって戦闘へは参加できそうもないし、面倒なんだよねー》

『……頼む。背後に敵機が居ると、戦いに集中できない。自分は弱いんだ。その位のハンデはあっても良いじゃないか。……先、輩』


 二重に口が腐る思いで、あの人への呼び方を使う。
 その甲斐はあったらしく、思わせぶりにステップを踏んでいた影は、含み笑いに手を掲げた。


《フフフフフ。良いよ、良いねぇ。憎しみと、屈辱と、冷たい闘争心の混じった声。OK! 気分がいいから戻してあげよう! そっちでも確認しときなよー》

『……感謝する』

《でぇもぉ……。やっぱ六 対 一じゃ多勢に無勢だよね? まぁ、絶対に負けることは無いだろうけど、数ぐらい揃えないとねぇ。という訳で……》


 しかし、月明かりで半分だけ照らされた“ヤツ”の顔は、変わらず毒に塗れていた。
 白い指が、パチリ、と鳴る。
 聞こえるはずがない距離なのに、確かに聞こえた。


《僕も手下を呼ばせて貰うよ。まずはこいつらを相手にしてもらおうかな》


 冠島の影から、新たな船影が猛スピードで現れた。加古・古鷹の水偵がそちらへ。
 軽巡洋艦にしては大きい。あれは……阿賀野型だろう。
 甲板には、自分と同じような入院着を着た少女が、それぞれ一人ずつ乗っている。
 長い黒髪の少女。赤み掛かった茶髪を、二本の三つ編みにしている少女。黒髪をポニーテールにする少女。色素の抜けたような髪をショートカットにする少女。
 背中には艤装とよく似た機械部品を背負い、マニピュレーターと一体化した砲塔らしき物が繋がっていた。
 ……嫌な、予感がする。


「何さアレ。深海棲艦じゃ、ない? 普通の船……ってーか軍艦……」

『……嘘だろ、アレは!?』

《流石に勘がいいね。そ、こいつらはね、僕が作り出した新たな研究成果。使い捨て型の統制人格だよ。元 人間の、ね》


 背筋に悪寒が走った。
 海の上に居るみんなと、自分の周囲に居るみんな。息を飲む音が重なって聞こえてくる。
 人間を改造して作られた、人工の、統制人格。
 あんな、虚ろな顔をした少女たちが?


《まぁ、制御性能に個体差があり過ぎて、安定実用化には程遠い出来なんだけどね。
 脊柱の八割を人工物に置き換え、その中へ僕の骨髄液を流し込み……。
 とか言っても理解できないだろうから、無駄話はやめよう。僕の機体が戻ってくるまでは、これと踊って貰おうかな》


 狼狽えるばかりのこちらを無視し、“ヤツ”は得意げに語り続ける。
 人間の乗る船が、軍艦が、最大戦速で近づいてくる。
 何も言えない自分の代わりに、加古が怒りを爆発させた。


「……ふっざけんなっ、こんの腐れ外道がっ! お前それでも人間かよ!?」

《随分と失礼な口汚いヒトカタだな……。まぁ良い。お怒りのとこ悪いけど、僕は“元”人間さ。勘違いしないで欲しいね。
 それに、先にやったのはその人間なんだ。やられた事をやり返してるだけ。目には目を、歯には歯を。実験には実験を。何が悪い?》

《そんなの、子供の屁理屈です! 自分の受けた痛みを他人に返すなんて、それじゃあ何時まで経っても終わらない……!》

《そうさ、僕は子供さ! 吐噶喇列島のあの日から、一日たりとも前へ進んでいない子供なんだよ。だから僕は悪くない、悪いのは全部、僕以外の要素だ!》


 続く古鷹の言葉にも、自らを省みる事なく、外にだけ要因を求める天の邪鬼。
 こいつは、なんだ。本当に心があるのか。まるで理解できない。


《……なんか、言ってることが本格的に理解できないっぽい?》

《なんて悪童……。反吐が出ますね》

《うん。ちょっとどころじゃなく、ものすっごくムカムカする。これは許しちゃダメでしょ》

《悪い子には、お仕置きが必要だね。それも、かなりキツいのが》


 自分の気持ちを代弁してくれるのか、夕立、大井、北上が隔意を示し、時雨も戦闘態勢に入った。
 それを見咎め、“ヤツ”はまたほくそ笑む。


《クフフ。好き勝手言ってるけど、理解してる? これから君たちは、“人を殺す”んだよ?
 物言わぬ深海棲艦じゃない、親兄弟の存在する、哀れな哀れな女の子たちを。
 君たちに出来るかなぁ。親の借金を肩代わりさせられたり、他ならぬ身内に金で売られた被害者を、殺すことが。
 さぁ、行けっ! 金で買われた命の価値を証明してみせろ、アバズレ共っ!!!!!!》


 高く翳されていた“ヤツ”の腕が、勢いよく振り下ろされる。
 同時に、阿賀野型四隻が――人工統制人格が襲い掛かってきた。
 砲音。


「どうすんのさ、提督っ。正直、アレは相手にしにくいんだけど!?」


 反射的に回避行動を取る加古が、歯噛みしつつ命令を求めてくる。
 北に冠島。手前数kmに、砲を乱射する阿賀野型四隻と、“ヤツ”の本体。こちらは右に回頭しながら、北東へ速度を上げていた。
 どうすれば良いのか。どう戦えば良いのか。
 砲弾の雨に晒されているというのに、不思議と思考は研ぎ澄まされていた。
 冷たく、硬く。左眼があった場所の熱を、吸い上げるが如く。


『全艦へ通達。回避行動に専念せよ。使い捨て型と付くからには、稼働時間に制限があるはず。時間切れを待つ』

《……それって?》


 古鷹が、悲愴な表情を浮かべた。
 自分だって、こんなのは嫌だ。けど、他にどうしようもない。
 こんな冷酷な選択肢を、正しいと確信できる自分自身を、軽蔑する。
 けれど、こうしなければ勝てないだろうと分かっているから。
 あの時と同じように、あえて冷たく言葉にする。


『……ああ。見捨てる。あの子たちを助ける術は、自分たちには……無い。砲弾も魚雷も、ヤツに取っておけ』

《……提督さんは、良いの? 本当にそれで――》

《夕立さん、そこまで。他に選択肢は、ありません》


 今にも泣きそうな声で問う夕立を、大井が止める。
 拳を握りしめているのが、伝わってきた。血が滲むほど、硬く握り締められているのが。
 人工統制人格たちの照準は緩い。
 おそらく精神と肉体、そして船体のバランスが取れていないのだろう。
 キチンと回避行動を続けていれば、まず当たらないと確信できた。
 ならば、どれほどの能力を秘めているのか、全く判明していない本命を叩くため、弾は残しておかねば。
 自滅を待つのが、正しい選択なのだ。……正しい、はずなのに。


《そうくると思ってたよ……。そんな、お優しくも残酷な君たちに、これを聞かせてあげようか》


 それが間違いであると、“ヤツ”の悪辣な手口が囁く。

 やめて。痛い。痛いよ。
 暗い。寒い。帰りたい。
 死なせて。苦しい。殺して。
 私が何を。なんで。お母さん。

 か細い声は、耳ではなく魂へと、直に苦痛を、悲哀を、絶望を訴えてくる。
 少女たちだ。
 阿賀野型に組み込まれた少女たちが、死へ向かわされている中で、慟哭している。


《こ、これって!? あぁ、そんな……っ》

《酷い……。こんなの、酷過ぎるよ……!》


 時雨が口元を手で覆い、北上は首を横に振りながら、真っ青な顔で後ずさる。
 戦意は失われつつあった。
 無理やり軍艦と直結され、己の意思とは関係なく戦わされ、命を削らされる少女たち。
 耳を塞いでも聞こえてくる叫びに、目を閉じても見えてしまう光景に、心が挫かれて……。


《あ、忘れてた。時間切れを狙うのは良いんだけども、そうするとあっちの方が保たないかもよ? ほら、後輩君と一緒に居た、赤毛の女》

『……何?』


 息継ぐ暇も無く、“ヤツ”はまた別の事柄で揺さぶりを掛けてきた。
 赤毛の女。自分の知る中で、それに該当する特徴を持つ人は、彼女しか居ない。
 主任、さん。
 まさかそんな、彼女も捕らえられていた?


《ほらほら、覚えてない? 人工統制人格には、完全適応型もあるって言ったでしょ。
 実はさ。あの子にはその被験者になって貰ったんだ。先天的疾患で動きの悪い、心臓を治療する代わりにね。
 いやはや、あの子は僕好みの悪女だよ? あの時の発作は、君に同情して貰って、治療費を出させるための作戦だったんだって》

『……どういう、事だ。被験者って、彼女に何をしたっ!?』


 思わず声を荒らげると、実に楽しそうな顔で、“ヤツ”は嗤う。


《ヒヒヒ、さっきも言ったじゃないか。改造手術を施したんだよ。
 心臓も入れ替えたし、上手くいったと思ったんだけどさぁ、意識が戻らなくって。
 仕方なく医療ポッドに低温保持していたんだ。
 でも、どっかの誰かさんが変なことしたでしょ? 多分、管理プログラムもおじゃんさ。
 循環液の作用で一~二時間は保つはずだけど……。あとどれくらい生きてられるかな~?》

『……貴、様ぁあぁぁ……っ!』


 自分の腕に装着した籠手と、奥歯の軋む音がする。
 激しい怒りが、頭の中で白く燃え上がっていた。
 どこまで、どこまで命を、尊厳を玩べば気が済む。こいつの悪意に底は無いのか?
 なんでこんな“ヤツ”が……!


「提督、ブラフです! 彼女はこちらで既に保護しています! 惑わされないで下さい!」

「……書記さん? 本当に?」

「はい。信じて下さい。身柄は確保していますので」


 そんな時、清廉な声が鼓膜を直接揺らし、暴走しかけた激情をピシャリと叩いてくれる。
 書記さんの声には、絶対的な自信を感じられた。
 言葉を弄して人を嘲る下衆と、共に戦ってきた仲間。どちらを信じるかなんて、考えるまでもない。


(じゃあ、木曾があの時、言い淀んだのは?)


 いや、疑うな。疑ったら思う壺だ。
 きっと、改造手術の後遺症が残ってしまったとかで、保護しているのは嘘じゃない。
 そうだよ。そうに決まってる。

 ……なら、もう一人は。
 あの時、木曾が名を呼んだ、あの人は……。


《あらら、そう来たか。うーん、困ったなぁ。兵藤はもう死んじゃってるし、手札が尽きちゃった》

『はっ?』


 間の抜けた声が出た。
 思いも寄らぬ形で、答えのようなものが脳へ滑り込む。
 死んじゃってる。死んじゃった。死んだ。
 誰が。あの人が。先輩が。

 “ヤツ”は、意外そうに声を上げる。


《……あれ? もしかして、まだ聞いてなかった? っちゃあ、そうと知ってれば、もっといいタイミングで教えてあげられたのに。ざーんねん》

『な……にを、言ってる……。せんぱ……い、が……。死んだ?』

《嘘……。知らない、僕たちも知らされていないよっ》


 口から勝手に溢れ落ちる、引きつった言葉。
 至近弾を貰う時雨が、同じように酷く揺れた声で叫んでいる。
 雨あられと降り注ぐ砲弾の音は、テレビの向こう側の出来事みたく、現実感に乏しい。


「……そうだ、嘘だ。これもブラフだ。そうだよ、そうですよね、書記さん!?」

「は、はい。兵藤提督も――」

《嘘を吐くな屑共が!!!!!!》


 縋り付くように書記さんへ向けられた問い掛けは、圧を感じる怒声によって掻き消された。
 悠然と甲板で佇む“ヤツ”の姿を、古鷹の水偵が切り取る。


《後輩君。これだけは断言してあげよう。僕の命と、受けてきた苦痛に賭けて誓おう。
 兵藤 凛と名乗っていた女は。君を守ろうとした裏切り者は、僕がこの手で始末した。
 軍病院での治療も施せないよう、予め設備を破壊しておいたからね。確実に、死んでるはずだよ》


 初めて見る、とても静かな表情を浮かべて、“ヤツ”は語る。
 頭の中で、何か、とても五月蝿い音が騒いでいた。勝手に五感が拡張していく。
 砲弾に込められた怨み。魚雷に宿る痛み。潮騒。月光の別つ空と海。
 みんなは減速し、二隻ずつの単横陣で魚雷と砲に対処しようとしているが、とても動揺しているのが伝わってきた。


『……信じない。信じないぞ、お前の言葉なんか……。お前の言葉には悪意しかない。絶対に、信じない……』

《嘘だと思うのなら、確かめてみるといい。きっとそこに居るよね? あの時、青い制服を着てた女が。おそらく、女狐の死を看取った女がさ》


 言い聞かせるように、みっともなく呟き続ける自分に、“ヤツ”は更なる追い討ちを掛ける。
 青い制服……。警備員の制服。疋田 栞奈。
 信じたくなくて。嘘だと言って欲しくて、自分は一時的に視界の同調をカット。
 沈痛な面々の中から、彼女を見つけ出した。


「疋田さん……。疋田さん?」

「えっ、あ……!? ぁの、私……っ」


 “ヤツ”との会話は、自分が居る遊戯室の皆にも聞こえていたはず。
 だから、きっと否定してくれる。そう思っていた。
 けれど彼女は、吃りながら顔面蒼白に。離れていても、その身体が震えていると、理解できた。

 書記さんを見る。
 唇を噛み、眼を細めていた。

 雷と村雨を見る。
 顔をそらし、スカートの裾を握りしめていた。

 すぐ側の、電を見る。
 顔を伏せたまま、こちらの肩に額を押し付けてきた。
 消え入りそうな嗚咽と、入院着の濡れる感触があった。

 左眼のあった場所が、疼く。


《……どう? 驚いた? 自分を裏切ったと教えられてた女が、自分を守るために死んだんだ。傷付いたかい?
 ならもっと良い事を教えてあげる。あの女はね、自分で自分を売りに出したんだよ。老い先短い祖父に、安らかな余生を過ごさせる為だけに。
 あぁ、傑作だったなぁ。僕の息のかかった病院で、その老人が死を迎える直前に、孫が人殺しをしていると教えてあげた時の、あの顔、絶望、後悔。思い出すだけで、もう……》


 満点の星空の下、“それ”は愛撫されているように身悶え、恍惚に表情を蕩けさせていた。
 加古が震える。


「なんだよ、こいつ……。なんなんだよ、なんなんだよコレ……」

《人間の所業じゃありません……。悪魔なんて言葉じゃ、全然足りない……っ》


 古鷹の誹りにも、“それ”はただ嗤っているだけ。
 理解できなかった。全くもって、理解できなかった。


『お前は、どうして……。どうしてそこまで、他人を辱められるんだ。なんで……』

《……どうして?》


 疑問が口をつくと、“それ”はキョトンと首を傾げ、然も当たり前のように言い放つ。


《そんなの、決まってるじゃないか。
 僕という存在の価値が、他より高いからだよ。
 僕はこの世で、ただ一人の深人類。
 人間如きと比べるべくもない、希少な存在だ。
 その僕が、雑多な前時代生物を弄んで、何が悪い?》


 心底不思議であると、もう一度首を傾げた後、急に顔が伏せられた。
 光が。
 紅い妖気が、噴き上がる。


《痛みを。苦しみを。憎悪を先に押し付けてきたのは、お前らなんだ……。
 復讐するは我にあり? 巫山戯るな! この手でやらなきゃ、神頼みなんかじゃこの傷は癒せないんだ!!
 だからお前らは大人しく、僕に八つ当たりされてりゃ良いんだよぉ!! ヒャハハハハハハハハハハハッ!》


 清涼なる海の上に、腐りきった嬌声が響く。
 聴く者の心を。意思を。魂を穢す、漆黒に澱んだ悪意の鑑。

 ここに来て、ようやく自分は理解できた。
 決して理解してはいけないという事が、やっと理解できた。


「もう、いい……黙れ……」

「……司令官さん?」


 全身から力が抜け、なおかつ、その全てが身体を登り、ある一点へ注がれていく。
 呼び掛けてくれる電の声が、遠い。


【まダ、言えテない言葉があっタのに】


 頭の中で、誰か……知らない少女が喋っている。
 失ったはずの左眼には、奇妙な光景がダブっていた。

 夜。
 燃え盛る海。
 沈みかけた無数の船。
 飛行甲板。
 矢で縫い止められた男女。


【まだ、伝エられテない想いガあったノに】


 手前に居る、長い黒髪の女が光の粒と化す。
 奥の白髪の男が、こちらへ微笑む。何かを囁き、事切れる。
 視界は横へ。
 遠くに、黒い女。


【アの人ハもう、応えてクレない。モウ何も……届カナい】


 細い腕が弓を構える。
 男女を貫いた物と同じ、二股に分かれた矢尻の延長線上。
 意識が収束し、不鮮明だった顔が、“ヤツ”の哄笑と入れ替わった。

 あぁ、ダメだ。ダメだ。
 ダメだダメだダメだダメだダメだ。
 もう無理だ。もうイヤだ。もう止めだ。


【貴様ダけハ】
「貴様だけは」


 コイツの顔が気に入らない。
 コイツの声が気に入らない。
 コイツの存在が気に入らない。


【コの手デ】
「この手で」


 息遣いを感じるだけで鳥肌が立つ。
 笑っているのを見ると虫唾が走る。
 呼吸し、心臓を脈打たせている事そのものが許せない。

 だから。
 少女の悲しみが、憎しみに変わるのも。
 敵に向けた言葉が重なるのも、至極当然。


【殺シテヤル】
「殺してやる」


 間違いなく、胸を張って憎悪と呼べる感情を込め。
 自分は“両眼”で敵を見据える。
 左眼の違和感は、とうに消えていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「殺してやる、だって? フヒヒ、大きく出たねぇ。戦艦の一隻すらいない、たった六隻の水雷戦隊なの……に……?」


 “それ”は思わず言葉を失った。
 眼前に広がる光景が、高笑いを止めるだけの驚きに満ちていたからだ。
 中継器を積んでいると思しき重巡洋艦――加古を中心にして、不可視の“波”が放たれる。
 瞬間、手下の阿賀野型は動作不良を起こし、まだ活動時間を残しながら停止。
 次いで、桐林の統制人格が乗る六隻が、紅い光を……霊子力場を纏ったのである。


「……は? え……え? な、んで?」


 両の手で眼を擦り、幾度となく見返しても、その光は確かにあった。
 人外の視力が、桐林の統制人格を捉える。
 紅い燐光に輝く、六対の瞳を。


「ッハハ、なんだろ。急に力が漲ってきたよぉ……! 全力で、ブッ飛ばしてやる……!」

「……左舷、砲雷撃戦、用意。ふふ……」

「駆逐艦、時雨。……行くよ」

「アハハ! ソロモンの悪夢、見せてあげる!」

「あぁ……。もう、ヤっちゃいましょーかぁ……」

「はい、北上さん……。海の藻屑にしてあげましょう……?」


 哀れな犠牲者に同情し、狼狽えるだけの少女たちは、もうそこには居ない。
 誰かの憎悪で塗り潰され、破壊衝動を剥き出しにする、軍艦の現し身が存在するだけ。
 あり得ない。
 あり得ないあり得ないあり得ない。


「そんな馬鹿な、なんで、まだ僕は何もしてない、何もしていないのにっ」


 骨髄移植も、体組織の植え付けも、まだしていない。
 なのにどうして。
 ましてや、稀有な環境に恵まれてしまった“それ”ですら、制御するには数年かかったのに。


「どうしてお前が、ただの人間がっ、“その力”を使えるんだよっ!?」


 何故、桐林が、力場発生能力を。
 深海棲艦にだけ許された力を、振るっているのか。
 目の前の不合理に、自覚せぬまま、“それ”は恐れ慄いている。
 軍艦が六隻。
 水を得た魚の如く進む。

 戦場となった海に、雪が降り始めていた。




















 戦果報告! 我、秋イベを甲甲乙甲で攻略し、最終作戦も甲でクリア――する予定でしたが、嵐掘り中に丙でゲージを割ってしまうという事案が発生。甲殊勲賞、獲得ならず!
 新規実装艦は全員ゲットしたので、大したダメージは無いんですけどね。今回は筆者、ドロップが良かったです。
 E-1削り中に二隻目のふうーんちゃんと、E-4でグラッツェさん。E-5で掘ってしまった阿賀野、能代、矢矧、春雨、江風、そして嵐。あとは色んな場所でまるゆを計五隻、大漁でした。
 あ、浜風と清霜は除外しています。牧場しようにも、出撃不可にさせる勢いで寄ってくるんだもんよ……。阿賀野型も邪魔になってきた……。

 しっかし、相変わらずイベントは苦行ですね。輸送作戦はただ戦闘力が低下するだけだし、PTは無駄に回避しまくるし、せっかく改二になった鶴姉妹はろくな出番がないし。あと特に掘りが。
 合わせてもローマの時よりはマシですけど、グラーフさんに約四十回、嵐には七十回くらい出撃させられました。消費したバケツ六百の内、六~七割を掘りに使わされるとか、どんだけやねん。
 朝霜? 乙Fでも出るらしいのでデイリーついでに掘ってますが、まだ出ません。六十回を越えてますが、出る気がしません。やっぱドロ不確定掘りは精神的にキツイわぁ。
 どうせなら、新規艦は全員海域突破ボーナスにするか、せめてドロ限定は一隻までにして、全戦闘ポイント、A勝利以上でドロップするようにして欲しい……。
 流石に苦しくなってきたし、無駄でしょうけど意見を送ります。はい。

 さて。今回は……。まぁ、読んで下さった皆さんの予想通りな展開だと思います。
 ここで断言致しますと、兵藤 凛というキャラクターは、死亡しました。
 回想シーンで再登場ならあるでしょうが、奇跡的に生き残っていたりとかはありません。主人公は初めて、近しい人を亡くした事になります。
 この事が彼にどんな影響をもたらすのか。どれ程の傷を負わせるのか。次回をお待ち下さい。
 それでは、失礼致します。


 第三章完結まで、残り二話。





 2015/12/05 初投稿







[38387] スノードロップ
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2015/12/26 12:40





「よし、降ろすぞ! 気を付けろ!」


 長門の掛け声に合わせ、四人の統制人格が、長方形の大型ポッドを降ろしていく。
 ポッドが着地した瞬間、装甲輸送車は大きく軋んだ。
 椅子を収納し、めい一杯のスペースを確保しても、艤装とポッドで幅はギリギリだった。
 陸奥と扶桑が汗を拭う。


「ふぅ……。簡易増幅機器と違って、重いわね」

「濾過装置なども含まれているでしょうから、仕方ありません……」


 長門たちが運んでいたのは、吹雪たちが発見した医療用ポッド。その中に、裸体を晒す少女――整備主任を内包した物である。
 一瞥しただけでは分からないが、内部は液体で満たされているらしく、置いた衝撃で主任の身体が僅かに浮き上がる。
 シールドが半分ほど外された今、彼女に施された、改造手術と思しき痕跡が二つ見て取れた。
 一つは、胸を開いた跡のようなメスの痕跡。丁寧な縫合がされており、技術の高さを伺わせる。
 もう一つは、統制人格であれば、艤装状態時に機関部などと霊的結合する部分……。腰椎のある辺りに、明らかに人工的な接合機具が追加されているのだ。
 覗き込む霰と陽炎が、悲しみと怒りに顔を歪ませる。


「完全適合型、人工統制人格。バージョン○・九五……」

「普通の人を無理やり統制人格にするだなんて、一体なに考えてるのよ……!」


 推測だが、このインプラントを介して神経と艤装を繋ぐのだろう。
 詳しい仕様は分かる筈もないけれど、統制人格の霊的能力を機械技術で補うのだ。生半可な負担ではないと考えられる。
 どんな事情があるにせよ、この様な改造を受けさせられ、変わり果てた整備主任の姿が、痛ましい。


「主任さん……。本当に、提督には知らせなくて良いんでしょうか……」

「……きっと、彼女もこんな姿を見られたくないはずデス。今はSecretにしておきまショー、Ms.山城」


 彼女の現在を知らされていないのは、仮眠中の桐林のみである。
 小林 倫太郎と名乗っていた存在との戦闘を前にして、拉致事件に巻き込まれた少女の顛末を知れば、間違いなく彼は憤り、悲しみ、自責するだろう。
 激しい怒りは思考を乱し、深い悲しみは精神を停滞させ、自責の念は自罰行為に繋がる。
 決して負けられない戦いなのだ。不安要素を、できる限り排除しなければ。


「ぜぇ、ぜぇ、それもそうクマがっ、早く車の電源にっ、繋いで欲しい、クマっ!」

「手がもげる、にゃあぁぁっ」

「はいはい、ちょっと待ってね。ええと……三隈ぁ?」

「お任せ下さい、もがみん」


 暗くなりがちな車内だったが、ごく一部、騒がしい統制人格たちのおかげで、重苦しくはない。
 主任が眠る医療ポッドに電力が使われているのは当然だが、非常用のバッテリーは容量が少ないようで、万が一を考えると消費は避けるべき。
 そこで出番となったのは、装甲車に備わった手回し式発電機である。
 取り外したそれを医療ポッドに直結し、車へ運び込むまでの電力を、球磨・多摩の尽力で補ったのだ。
 車の電源に繋いだ後は、エンジンが掛かっていれば同時に発電も行われるため、稼働時間も伸びる。そして、電力が尽きるまでの間に、設備の整った医療施設へと運び込む算段である。
 しかし、書記は調整士の仕事で忙しく、表向き反逆者として手配されている疋田も、そういった施設に出向くことは不可能。
 二輪車を動かせるなら大丈夫だろうと、代わりに運転手を務める予定の天龍が、医療ポッドを固定しながら、主任の容態を気に掛けていた。


「なぁ、どんな状態なんだ? 弥生」

「自発呼吸はあるみたいですが、あまり詳しくは……。けど、素人判断は危険、です。早く、本格的な病院で診てもらわないと」

「それもそうね~。私、地図を確認してくるわ~」


 表示されていたバイタルを弥生が確認し、促された龍田が運転席の方に姿を消す。
 直近の高度医療機関へ、最短距離で向かう道を、予備ルートも含め探しておかねばならない。
 車内は忙しさを増していった。
 そんな中、堪え切れなくなった霞が車外に飛び出し、四脚運搬機の残骸を殴り付ける。


「あの時、私が奴に負けてなければ……。奴を追い返せていたら、こんな事にはっ。……兵藤さん、だって!」

「霞……。あんまり、自分だけを責めちゃ、ダメだよ……?」


 口をつくのは後悔ばかりだ。
 あの日、あの時。もっと自分が強かったら、キチンと役目を果たせていれば。
 詮無い事だと分かっていても、全てが上手くいった未来を求めてしまう。
 追いかけた霰が言い聞かせているが、握られた拳は開かれない。
 きっと、優しさが欲しいのではないのだろう。
 今、彼女の欲っしている言葉は、痛みと向き合わせてくれる、強い言葉。
 それを察した金剛が、優し過ぎる霰に代わり、霞の背中へ声を掛ける。


「ちょっと厳しい事を言いマス。……“たられば”の話なんテ、なんの意味もありまセン。
 起きてしまった事は変えられないんデス。
 どんなに悲しくテモ、辛くテモ。後悔しているダケでは、一歩も前に進めませんヨ」


 心があるのだ。悲しんだり、怒ったり、後悔するのも良いだろう。
 しかし、それだけではいけない。そこで立ち止まってはいけない。
 痛みに怯えて歩みを止めるなど、勝手な理屈で苦しめられた者たちへの、侮辱なのだから。
 ……けれど、心があるのだ。
 一人では足がすくんでしまう事も、二の足を踏んでしまう事だって。
 いつ如何なる時でも強く在れだなどと、酷な要求である。
 だが、幸いにも彼女たちは違う。優しく触れてくれる手があり、厳しい言葉をくれる仲間が存在する。
 背中を向けたままだった霞は、アームウォーマーで顔を拭うような仕草をした後、凛とした表情で振り向く。


「分かってるわよ、そんなこと……。これ以上、失ってたまるもんです……か……」

「……霞? どうし……うっ」

「What's!? なん、デスか……!?」


 紅く、世界が揺らいだ。
 霞の左眼が紅く染まったように見えた、その瞬間。金剛たちの身体に、強烈な怖気が走る。
 堪らず膝をつく彼女たちの脳裏には、聞き覚えのない、少女の声が響いていた。

 まだ、言えてない言葉があったのに。
 まだ、伝えられてない想いがあったのに。
 あの人はもう、応えてくれない。もう何も、届かない。


「な、なんだクマ……っ? 胸が苦しい、クマぁ……」

「嫌、嫌、嫌……ぁ……。扶桑姉様、助けて……!」

「気をしっかり持て、お前ら! くっそぉ、左眼が……」

「天龍さんだけでは、ありません、わ……。もがみん、も、わたくし、の、左眼まで……」


 少女の慟哭は、金剛たちだけではなく、付近の統制人格、全員が受け取っていた。
 胸を大砲で撃ち抜かれたような、耐え難い喪失感。
 紅い燐光を放つ左眼から、勝手に流れ出した涙が、皆の頬を濡らしていく。
 が、僅かな間も置かず、その声は変質する。
 聞き覚えのある声に。
 聞いたことのない、呪いの声に。

 貴様だけは、この手で殺してやる。
 殺してやる。殺してやる。殺してやる。
 殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺し、殺し、殺し殺し殺し殺殺殺殺殺――殺スッ!


「な、なんなのだ、この、声はっ!? 提督、かっ?」

「熱いのに、寒い……っ。氷よりも冷たいのに、溶岩みたいに煮え滾って……!」


 両極の熱量を宿すそれに、長門も、陸奥も。ひたすら、身を縮めて耐え忍ぶしかなかった。
 ただ一人。
 霞だけが、覚束ない足取りで装甲車へ向かっている。
 その中で眠っているはずの、決して喪う訳にはいかない人の安否を、確かめるために。


「駄目……。駄目よ、それだけは、駄目……っ。駄目なのに……」


 何が駄目なのか、言っている霞自身、よく分かってはいない。
 けれど、口にせずにはいられなかった。言葉にしないと、耐えられなかった。
 途中で何度も転びかけ、やっとの思いで装甲車にたどり着き、そこで霞は力尽きてしまう。
 誰も彼もが意識を失う中。
 医療ポッドに満たされた循環液が、微かに泡立ち始める……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 “それ”が正気を取り戻したのは、たっぷり十秒ほど、桐林艦隊の紅い力場を見つめてからだった。


「は、ははっ。いや、なんて事ない。例えお前らがその力を使えたとしても、地力が違う。僕が負けるはず無いんだから!」


 大仰に腕を振り回し、自身もまた、加速しながら赤黒い霊子力場を纏う。積もろうとする大粒の雪が蒸発した。
 使えるという事と、使いこなすという事は同義ではない。
 初めて銃を持った人間と、何十人も撃ち殺した経験のある人間とでは、その戦闘能力に大きな差が出る。
 オマケに、“それ”が使う戦艦は鋼鉄よりも遥かに強度の高い、深海棲艦の半有機鉄鋼で構成されている。四十一cm砲の直撃にだって耐えられるのだ。
 ただの鉄の塊でしかない桐林艦隊に、負ける道理はなかった。

 位置関係を整理しよう。
 北――数km後方には冠島が存在し、南へ順に“それ”の乗る戦艦、人工統制人格が乗る阿賀野型四隻、そして桐林艦隊。
 南下し続けていた阿賀野型と戦艦の位置はほぼ平行であり、桐林艦隊は分散しつつ、南西へ向かう戦艦の五時方向を北に向かっている。
 艦載機を飛ばすまでもなく、互いを目視できる距離。阿賀野型はさておき、タ級の電探に相当する物を配した戦艦なら、八割に近い確率で当てられるだろう。
 とはいえ、ノーガードの殴り合いをするほど馬鹿でもない。
 回避行動を取りながら、一先ず人工統制人格を先行させ、力場の厚さを確かめねば――


「……あ? お、おいっ、どこへ行く!?」


 ――と、命令を下そうとした直後。
 四隻の軽巡洋艦は、勝手に針路を西へ変更し、戦闘領域を離脱し始めた。
 慌ててラジオ・コントローラーを手に取り、人工統制人格へ命令を伝達するも、反応がない。
 インプラントした受信器に不具合が生じたか、あるいはもう限界が来たか。
 どちらにせよ、弾除けは居なくなってしまった。


「チッ、役に立たない阿婆擦れ共がぁ……!」


 毒づき、裏切り者へ砲を向けようとする“それ”だったが、実行は思い留まる。
 どうせ最後まで苦しんで死ぬ運命だ。砲弾が勿体無い。
 それに、もっと別の、注意を払うべき存在が接敵しつつあった。


「アハハハ! 最っ高に素敵なパーティーしましょう! アッハハ!」

「……目標を、捕捉……。砲撃、開始」


 異様な速度で戦艦へと吶喊する、駆逐艦二隻。夕立と時雨だ。
 紅い妖気――闘気の中で、夕立は両手を掲げて狂乱に舞い、時雨は表情を殺し、静かに右手の単装砲を構えている。
 ……いや、おかしい。あの女の艤装、あんな見た目だったか? あんな単装砲、持っていたか?
 それ以前に、二人の頭身が一つ分ほど高くなっているような気も。何かがおかしい。

 けれど、考察を巡らせるだけの余裕はなかった。
 一直線に進んでいた二隻は、戦艦に対し左右へ別れながら腹を見せる。向けられる砲の数は、連装砲二基、単装砲一基が二隻分。合わせて六基十門。
 素の防御力でも耐えられるだろうが、念には念を。戦艦が霊子力場を纏い、鎧のように硬質化させる。
 轟音。
 規則的なタイルパターンと、紅い軌跡を残す砲弾が激突した。


「――ぐ!? なん、だよ、この重さ!?」


 力場に掛かる負担が、増大した重力のような形で襲ってくる。
 駆逐艦の豆鉄砲など軽くいなせるはずなのに、この威力はなんだ。
 最低でも軽巡洋艦……もしかすれば、重巡洋艦に迫る攻撃力。霊子を上乗せされているとしても、この上げ幅は異常だった。


(単なる霊子力場の上乗せじゃない。歴史残像……。存在比重が、そのまま攻撃力に加算されてるのか?)


 夕立と時雨。史実において、尋常ならざる武勲を挙げたこの二隻は、名を歴史に深く刻まれている。
 時が過ぎ去っても、人々はその記録を読み、自らの記憶に留め、失われてなお存在し続けているかの如く、語り合う。
 単なる鉄の塊が、そうして幾重もの情念を纏い、重さを増し、別の存在へと変貌していくのだ。

 歴史残像効果による、存在比重の増加。

 深人類となった“それ”が見出した理論である。
 兵藤の三笠刀に易々と身を貫かれたのも、神格化されつつある三笠という戦艦の、霊格に寄る部分が大きい。


(でも、この程度なら僕の力場は抜けない。一時間でも二時間でも耐えられる。先に潰すべきは……)


 しかし。驚嘆に値しても、脅威には値しない。
 “それ”とて、何十、何百という軍艦を、深海棲艦を喰らってきた。その度に、吸収した船の分だけ比重を増してきた。
 たかが駆逐艦の砲。鬱陶しいだけだ。そんな雑魚より、もっと警戒すべき相手は……。


「死ね、古臭い人形め!」


 極端に速度を落とす、重巡洋艦。加古、古鷹の二隻。
 長十cmが二十・三cm砲に相当している今、二十・三cm砲の攻撃力はどこまで上がっているか。少なくとも戦艦級以上だろう。
 攻撃は最大の防御というが、その攻撃手段を奪ってしまえば、あとは煮るなり焼くなり好きにできる。
 変わらず砲撃を続ける駆逐艦を無視し、“それ”は歪な形をした十六inch三連装砲と、十二・五inch連装副砲を微調整。
 力場は全て防御力に回しつつ、砲弾が通る部分だけに穴を開け、狙いを定めて――

 怒音。怒音。怒音。

 三連装四基十二門、連装十基二十門が黒煙を吹く。
 一発でも当たれば中破必至だ。


「……ぁん?」


 ――が、“それ”は訝るように顔をしかめた。
 音速を超える砲弾は、吸い込まれるように重巡二隻へ伸びる。
 何発か逸れてしまうのは仕方ないとして、それでも多くの命中弾が風穴を開けるはずだった。
 けれど、間違いなく当たったと確信した瞬間に、起こるべき爆発が起きない。
 人外の視力を以ってズームしてみれば、砲弾は二隻の手前、数mで止まっていた。
 紅い闘気に絡め取られ、空中で縫い止められていたのだ。

 爆音。

 耐え切れなくなったように、戦艦の撃ち出した砲弾が爆ぜる。
 数秒、炎と煙で重巡が隠れ、しかし当然の如く、健在な姿をまた現す。
 その船体に、不規則なランダム・タイルパターンを保持しながら。


「効かない、全っ然、効かないね!」

「軽い攻撃……。お返しです」


 髪留めが外れ、乱れた髪で左眼を隠す加古が。
 代わりとばかりに、左眼を煌々と輝かせる古鷹が、周囲に満ちた光を手繰る。
 渦巻く闘気は、放電現象を伴って砲塔へ集中していった。


「冗談だろ……。クソっ!」


 特殊な攻撃の前兆を見取った“それ”は、慌てて力場障壁に全霊を注ぐ。
 ただ纏うだけでも威力の向上を見込める霊子力場だが、あれは明らかに霊子が収束されている。
 連発は出来ないものの、砲撃の威力を必殺にまで高める、霊子の攻撃転化。
 効果の程は、自身が一番よく知っていた。守りに徹しなければ不味い。


(駆逐艦の砲であの重さ。展開範囲を狭めて、厚く)


 誤射を避けるためか、駆逐艦たちは戦艦の背後に回り込まず、距離を離しながらチマチマと砲撃を続けている。命中率も下がっていた。
 ならばその分を、重巡たちが存在する方向へ集中させれば良い。
 戦艦を包んでいたタイルが、規則正しい物と不規則な物とに変化し、スライドパズルのように入れ替わる。
 歪なランダムパターンが五時方向に、美しいタイルパターンが、他方向を覆った。

 轟音。轟音。轟音。

 障壁展開とほぼ同時に、古鷹・加古が砲撃を放つ。
 闇夜を切り裂く紅い光条は、連装主砲、合わせて六基十二門。
 しかし、意外なことに殆どが的外れ。障壁に掠るのも二~三発だろうと、刹那の間に理解できた。
 なんだ、やっぱり。使う事は出来ても、まだ制御が覚束な――


「え?」


 紅い光が、くの字に折れた。

 貫通。
 炸裂。
 肌を嘗める熱さ。


「ぐが、ぁああっ!? ち、直撃!? なんでっ」


 爆風に晒され、甲板上を転げ回りながら、“それ”は大いに狼狽する。
 見間違いでなければ、今確かに、砲弾が曲がった。まるで、“ひかり”の曲射熱線砲が如く。
 障壁の分厚い部分を避け、薄くした部分を貫かれた。


(砲弾の軌道を曲げるだと? そんな事できる筈がない、僕だって擬似近接信管が限界なのに!)


 身体の震えは、破壊された一番砲塔と第三、第四電探の痛みか、それとも。
 深海棲艦と融和して十余年。
 砲弾に近づいた霊子に反応して爆発する近接信管Proximity fuze――太平洋戦争時は、VT信管Variable Time fuzeと呼ばれた物に相当する機構を再現できるようになったのは、ごく最近のこと。
 ただ再現するだけでも時間が掛かったというのに、たった今、この場で起きた現象はなんだ。
 現実には絶対起こり得ない不条理を、この身に味わわせたのは誰だ。


「お前ぇ……。お前か桐林ぃいいっ!!」


 たかが傀儡に、この力は宿らない。これは人間の強い意志に由来するはず。
 例え感情を、意志を宿したとしても。ただのヒトカタからは、何一つ産み出されないのだから。
 統制人格の向こう。
 増幅機器に横たわった男の姿を幻視し、“それ”は咆哮する。
 不可視の波が燃える甲板を走り、炎と黒煙を吹き飛ばした。
 手傷は負わされたが、深手ではない。まだ小破と言ったところ。挽回するには十分だ。


「殺してやる……。オマエら全員、皆殺しだぁ!!!!!!」


 両腕が大きく振られ、瞬間的に障壁が解除された。間を置かず、戦艦の両舷が変化を起こす。
 物理装甲の張り巡らされた胴が口を開いたのだ。文字通り、人間が口を開けるように。
 続けて砲撃のように吐き出される高速物体。
 それは、あの丘で尻尾から射出された航空機を、そのまま大きくしたもの。
 翼を広げる六十の機体が、恐ろしい速度で四方八方へ飛翔する。


「アハハハハ、選り取り見取りっぽい? ウフフッ!」

「残念だったね。見え見えだよ」

「対空戦闘、用意……」

「へへっ、一丁上がりだぁ!」


 それぞれ十機を向けられた駆逐艦は、また別方向に最大戦速。追い縋る航空機を引き撃ちで仕留めていた。
 重巡も増設された三連装機銃と主砲で対応し、爆撃へ移る前に二十機全てを叩き落とす。異常な命中率だ。
 特に目立つのが、北へと微速前進する雷巡。戦艦の南東に居る二隻だった。


「一発必中、ってねー」

「遅過ぎです。まるで止まっているみたい」


 轟音がテンポ良く、リズミカルに光条を作り出す。一条一機。確実に落としている。
 重雷装艦化に際し、北上・大井の船体からは複数の兵装が撤去された。
 まともな対空兵装は、改装された十五・五cm三連装砲と貧弱な機銃だけ。
 だというのに、三連装砲から発射される砲弾は、あらゆる物理法則を無視した直進性と速度で、反跳爆撃に移った機体を。投下され、水切りのように跳ねる爆弾をすら撃ち抜く。
 光学兵器と見紛う弾速と正確さ。
 急降下爆撃より必要な練度が低く、命中精度も高い反跳爆撃なれど、これでは意味がない。


「ふざ、けるなよ……。なんなんだ、この出鱈目は!?」


 海へ没する残骸を見つめ、“それ”は頭を掻き毟り、地団駄で鋼の甲板を砕く。
 出鱈目。そう、出鱈目だ。
 これほど多彩な霊子転化、知らなかった。これほど柔軟な能力行使も、目にした事が無い。
 獲得したばかりの力を、どうしてここまで使い熟せる?
 これではまるで、奴の方が格上ではないか。
 これでは、まるで。

 ――僕が、当て馬みたいじゃないか。


「……認めてたまるかっ、そんなこと! 僕は賢い、僕は強い、僕は正しい、僕は、僕は、僕は……もう、一度たりとも負けられないんだよっ!」


 弱気な考えを露と振り払い、“それ”が腕を掲げた。
 途端、甲板上に鉄塊が隆起し、かと思えば魚雷発射管へと変貌していく。
 装填されているのは通常の魚雷ではなく、深海棲艦が使う物だ。
 しかも、この戦艦に合わせて独自に大型・高速化した、いわゆる切り札である。攻撃力に転化した霊子を上乗せすれば、直撃せずとも必滅の一撃となる。
 戦艦は南へ進路を取り、桐林艦隊に腹を見せた。狙う予測射線上に、重巡二隻。
 左舷にせり出た巨大三連装発射管五基が、獣の如く唸りを上げる。

 と、その射線上に割り込む艦影があった。
 紅を纏う重雷装艦たちである。


「片舷二十五門」

「計五十射線の酸素魚雷」


 スクリューを逆回転させ、立ち塞がるように停船した二隻もまた、魚雷発射管を旋回させる。
 それを制御する統制人格たちは……どうした事か、身に付ける衣装が変わって見えた。
 濃緑のセーラー服がベージュ色に、上着の丈は短く。太もも、ふくら脛の魚雷発射管四基も、大腿部の上で重なって。
 そして何より、表情が違う。


「躱せるものなら!」

「躱してみなさい!」


 左舷に立ち、左腕と両腿の発射管を戦艦へ向ける二人は、笑っていた。
 戦いを楽しんでいるかのように。酔っているかのように、傲岸不遜な笑みを浮かべて。
 確かに。霊子力場を纏っている時の全能感、超越感は代え難いものがあるが、それは感情持ちでも同じらしい。

 奇しくも、十五射線と五十射線の雷撃は、全く同時に発射される。
 が、戦艦の放った物と違い、雷巡の酸素魚雷は発光していた。
 霊子を内部に留められず、海面下を紅い光が走っている。酸素魚雷の無航跡という利点が失われているのだ。


「……なんだぁ? 酸素魚雷なのに、バレバレじゃないか。そんなもの簡単に……?」


 回避できると考え、速度を上げ始めた視界の中で、妙なことが起きた。
 雷巡の放った魚雷に、速度差が生まれたのである。
 七割ほどが急激に雷速を上げ、残り三割――大型魚雷のすぐ脇をすれ違うだろう物はそのまま。ややあって、二隻の魚雷は肉薄。

 轟爆音。


「こ、今度はなんだ!?」


 突如、高さ四十mを超えるだろう水柱が……水の壁が立ち上がった。ビリビリと空気が震えている。
 魚雷同士が正面衝突した――否。雷巡の魚雷が自爆したのだろう。戦艦の魚雷を巻き込むように。
 意識的に速度を調整でき、任意で起爆まで行える雷撃。そんな物、あってたまるか。
 しかし、現実は“それ”の思いを裏切る。
 生き延びた酸素魚雷が、更に雷速を上げた。


「嘘だろオイ!? クソ、クソクソクソッ!」


 躱しきれない。速度を一杯まで上げても、残り三十五射線の雷撃に、必ず捕まってしまう。
 であれば、せめて被弾面積を少なくするしかなかった。
 戦艦は左に急速回頭。艦首を東へ向けながら、被雷数を減らそうと試みる。

 閃光。

 艦首。左舷中央。艦尾に計三発。
 頭から左脇腹、太股辺りにかけて、激しい痛みが襲い掛かった。


「ぐほぁ、っが……! 冗談じゃ、ないぞ……っ。このままじゃ……」


 甲板へ倒れこみそうになるも、“それ”は尻尾を使ってどうにか堪え、脇腹を抑える。
 損傷を受けた箇所に相応する部位から、青い血が流れ出ていた。
 浸水は軽微。けれど左のスクリューがやられた。脚を殺されてしまった。中破状態だ。
 慌て過ぎて障壁も張れず、見た事もない能力行使に翻弄され、良いように弄ばれて。
 このままでは、負けてしまう。
 このままでは、沈んでしまう。
 このままでは……。


「さぁ、今度はどこを撃ってあげようかしら?」

「君には失望したよ。……こんなに弱いだなんて」


 爆撃機を処理し終えた夕立・時雨が、戦域へと舞い戻る。
 無傷だった。機銃の一発すら受けていない駆逐艦たちが、最大戦速で向かって来ていた。


「主砲、狙って……。そう、撃てぇ!」

「砲撃を集中だ、行っけぇええっ!」


 北上・大井の後方から、古鷹と加古が射角を上げて砲撃する。
 味方の上を通り過ぎた砲弾は、頃合いを見計らってその向きを変えた。


「次発装填、開始です」

「今度こそ、ギッタギタにしてあげましょーかねー」


 雷巡二隻は動こうとしない。
 動く必要などないと言わんばかりに三連装砲を構え、悠然と次の魚雷を装填している。


「ぐぎ、あ゛う、ぐっ!? っあぁぁ……」


 全方位に張り巡らされた力場障壁が、悲鳴を上げていた。掛かる負担は、“それ”の身体を直接に蝕む。
 北北西から夕立、南西から時雨、東からは重巡と雷巡の四隻が、雨あられと砲弾を降らす。
 ランダム・タイルパターンに、ヒビが入り始めた。物理干渉力を失った霊子は、障壁内部で粉となる。
 まるで血の雪だ。障壁の外では真っ白なのに。
 そう言えば、あの日も雪が降っていた。
 あの日もこんな風に、大粒の雪が。
 寒い。


(死ぬ……。僕はまた、死ぬのか……?)


 脳裏にフラッシュバックする原体験。
 荒波で揺れるボート。
 横たわった身体へと降り積もる雪。
 紫に変色した己の指。

 脇腹を抑えていた指を見る。
 青い血は、紅い砲撃の炸裂光を受け、暗い紫色に沈んで見えた。


(嫌だ、嫌だ、死ぬのは嫌だ! もう二度と、死んでたまるかっ!)


 震える身体を抱きしめ、“それ”はやっと自覚する。
 藪をつついて蛇を――いいや、鬼を出してしまったのだと。
 このままでは確実に殺される。今まで“それ”がやってきた様に、嬲り殺しにされてしまう。
 報い? 因果応報? そんなもの知るか。
 生きていたいのだ。
 技研で嬲られ、冬に凍え、餓えと渇きに苛まれ、ようやく拾ったこの命。

 ――死にたくない!


「ま、待った! ちょっと待った! ぼ、僕を殺したら、あの女を目覚めさせる手掛かりが潰えるぞ? それでも良いのかぁ!?」


 砲撃音に負けぬよう、“それ”は腹の底から声を張る。
 絶叫は戦艦を通り、電波となって桐林艦隊へ届く。届いたはずだ。
 その証拠に、怒濤の攻撃は止まっていた。
 船を手繰る統制人格たちも、一時停止したかの様に動きを止めている。
 今が好機と、“それ”がまた口を開く。


「そうだ、そうだよ……。君たちにその気があるなら、こちらには情報提供する用意もある。
 能力開発の蓄積データ、医療関係の新技術、人工能力者と人工統制人格の開発サンプルや、霊子力場の制御法だって!
 僕らが手を組めば、深海棲艦なんて目じゃない。文字通り世界を支配できる! 僕を殺すよりも、生かしておいた方が得るものは多い!」


 声高に説くのは、己の価値。
 憎い相手を殺して得るものは、せいぜい達成感と、復讐という目的を失った、胸を透く喪失感だけ。
 しかし、怒りを飲み込んで“それ”を受け入れれば、日本の軍は多大な利益を得るだろう。
 特許の移譲。同調率に影響しない半有機鉄鋼の精製方法。適合確率の問題はあるが、骨髄移植で能力者の位階を上げる事も可能である。
 そして、無駄飯喰らいで文句ばかり一丁前な愚民共を、戦いの道具と化す技術まで。
 大局的に見れば、どちらが得かは一目瞭然。
 ましてや提督という存在は、国を利する為に存在する。どちらを選ぶべきかなど、考えるまでもない。


「僕にはまだ価値がある。生き残る意味がある。だからさ、ね? この辺で止めようよ?
 怒ってるなら謝るから、土下座でもなんでも……。なんだったら、僕の身体を使わせてあげたって良い!
 君の船としてでも、女としてだって構わないから! だから……」


 ――だから、殺さないで。

 プライドをかなぐり捨て、“それ”は哀願し、媚びへつらう。
 仮初とは言え、恩師を殺したのだ。桐林の激怒は相当なものだと想像できる。
 だが、その上でも生きていたいのだから、誇りや自尊心など邪魔になるだけ。
 彼が望むなら、彼の手足となって戦おう。
 この身は戦艦。砲撃戦も、航空戦も、雷撃戦をもやってのける艦。喉から手が出るほど欲しいはず。憎い相手を顎で使うのだから、きっと溜飲を下げられる。
 彼が望むなら、女となってしまった身体だって差し出そう。
 心は散々に弄ばれても、生まれ変わった身体は綺麗なまま。まるで女だと虐められた顔だって、こうなれば役に立つ。
 脚ばかりはどうしようもないが、太股から上だけを見るなら、かなり男好きのする身体だという自負もある。

 今、この時に持ち得る全ての要素を使い、“それ”は生き延びようとしていた。
 それほどまでに、恐ろしくて、恐ろしくて、堪らないのだ。
 死という概念が。


『――さい』


 けれど。
 “それ”の事情など、それこそ“どうでも良い”のだ。


『五月蝿イ。耳が腐ル。黙っテ死ね』


 憎悪に魂を燃え上がらせる、その男にとっては。
 攻撃が、再開された。


「なんなんだよ……。お前は一体、なんなんだぁああっ!?」


 絶叫は爆音に掻き消され、もはや誰にも届かない。
 雪が降り続けている。
 決して積もることのない雪が、深々と。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「しっかり! しっかりして下さいよ!」

「――はっ」


 大きく身体を揺さぶられ、書記は唐突に意識を取り戻した。
 どうやら、床に横たわっているようだ。
 眼鏡ケースにリップクリーム。ハンカチや裁縫道具、黒光りする小石など、小物を入れていたポーチの中身が散乱している。倒れた時にひっくり返したのだろう。
 周囲を伺う書記を見て、呼びかけていた女――疋田は、目尻に浮かぶ涙を拭った。


「あぁ、良かった。またダメかと……」

「ゴホッ、ゴホ……。一体、何が……?」

「私にも何がなんだか。ただ……」


 身を起こしながら問い掛ける書記だが、手を貸す疋田の顔にも、困惑の二文字が浮かんで見える。
 よくよく見れば、提督を見守っていたはずの統制人格たちまで、床へ倒れ伏したり、壁に寄りかかって荒く呼吸していた。総じて顔色が悪く、意識があるのかも定かではない。
 そして、疋田が目線を向けた先には、遊戯室に備え付けの大型スクリーン。
 雪の降りしきる海と、一方的な戦いを繰り広げる、桐林艦隊を写していた。スピーカーからは幾重にも爆発音が。
 いや、スクリーンだけでなく、同調率調整の為のディスプレイにも、ダーツの電子スコアボードにも、エアコンの制御パネルにも。あらゆる映像素子を持つ物品に、戦いの様子が映し出されている。


「あれ、は……。提督、が?」

「……多分」


 どんな魔法を使ったのか、圧倒的な存在感を放っていた敵 戦艦は、見るも無惨な有り様だ。
 あらゆる方向から砲撃を与えられ、力場障壁の中に、手足を縮めた亀の如く籠っている。
 異様な威力、異様な命中率、異様な弾速、異様な弾道。
 書記の身体に震えが走った。
 物理的な圧力を感じるほどの怒りと憎しみが、すぐ近くから発せられている。
 見慣れたはずの、ブースターベッドに横たわった後ろ姿から。

 怖い。


「電ちゃん、雷ちゃん? 聞こえる?」

「うう……」

「疋田、さ……」


 身動きの取れない書記の代わりに、疋田は他の皆へと呼びかけを始める。
 幸い、雷・電姉妹はすぐ意識を取り戻したが、動けるような状態ではなかった。


「頭が、痛い、のです……」

「内側、から、身体が、裂けちゃいそ、う……っ」


 左眼を閉じ、額に脂汗を浮かべ、二人は悶え苦しむ。
 原因は何か。
 書記が覚えているのは、意志を失う直前、桐林の呟いた言葉。
 身も凍る殺意を宿す、呪いの言葉だ。
 それから、急にディスプレイがスパークして、横から衝撃が………。


『化け物め……。化け物め、化け物め、化け物めぇええぇぇぇ』


 ――と、記憶を振り返っている所に、凄絶な啼声が轟く。
 一番表示面積の広い大型スクリーンは、敵 戦艦を切り取っていた。
 赤黒い障壁の向こう側でうずくまる、小さな人影が見える。
 普通の深海棲艦ならば、こんな事にはならない。こんな事になる前に、命を投げ捨てて吶喊しているはず。
 おそらく、元が人間故なのだろう。人間だったからこそ、死の気配に手足を絡め取られ、動けなくなっている。
 恐怖に竦み、痛みで怯え、砲火が心を挫いているのだ。
 そして、容赦無い攻撃を指示している張本人――桐林は。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 白く煙る息を吐きながら、大きく肩を上下させていた。
 いや、身体全体から湯気のようなものが立ち昇っている?
 何かの拍子に窓でも開いて、室温が下がってしまったのだろうか。
 それにしても……。


(……確かめなきゃ。私の役目を果たさないと)


 嫌な予感が書記を立ち上がらせ、本来座るべき位置へ、覚束ない足を運ばせる。
 荒い息には、ヒュー、ヒュー、という、聴く者を不安にさせる音が混じっていた。
 鼻血も流しているようで、口周りと胸元が赤く染まっている。
 予感は、的中していた。


「そんな、体温がっ。このままでは提督の身体が持ちませんっ」


 戦闘海域の光景を写しながら、時折、ノイズと共に元の情報を表示するディスプレイ。
 その中で、能力者のバイタルを表示する一枚が、異常な値を示していたのだ。
 脈拍、血圧、脳波。全ての数値が尋常な状態ではないと語る。
 極め付けは体温。見間違いでなければ、もう四十二度を越えて、四十三度に達しようと。
 人体を構成するタンパク質は、四十二度から壊れ始める。特に脳細胞は繊細で、もっと低い温度から損傷を受けてしまう。
 このまま戦い続けるなら、彼は確実に――死ぬ。


「し、司令官さん、ダメ、なのですっ」


 書記の声が、電に悲痛な叫びを上げさせた。
 疋田が手を貸して、尚よろめきつつも、必死に桐林へ縋り付く。


「こん、なのっ、司令官さんらしく、ないのです!」

「そうよ、っ、司令官、こんなのダメよっ、もう止めて!」


 妹の姿に触発されたか、雷までもが立ち上がり、懇願する。
 戦いの最中だ。言うべきではないと二人も理解していたが、それを圧して引き止めようとしていた。
 何かに取り憑かれたように。
 自らの死も厭わず、怒りに任せて暴虐の限りを尽くすだなどと、桐林らしくない。
 いつもの、優し過ぎるほどの彼は何処に行ったのか。
 自分が死ねば、電も、雷も。皆の命まで喪われるという事を、忘れてしまったのか。
 どんな力が働いたにせよ、もう戦局は決定付けられた。余程の事がない限り、覆らないだろう。
 だからもう、戦うのを。
 ……悲しみから逃げるのを、止めて欲しかった。


「――を」

「……え?」


 微かに、声が聞こえた。
 右腕へと縋り付く二人に、桐林の顔が向けられる。
 ああ、届いていた。聞こえていた。これで、いつもの彼が戻って来てくれる。

 そう、電たちが安堵し。
 邪魔をしないよう離れていた疋田が、胸を撫で下ろした瞬間。


「邪魔ヲ、するナ゛ぁあア゛ッ!」

「ぎゃんっ」


 強烈な衝撃波が、電たちの身体を吹き飛ばした。
 桐林は指一本動かしていない。
 単なる怒声が、明らかな攻撃性をもって、小さな身体をルーレット台へ叩きつける。
 木製の台は粉々に砕け、残骸の中で、電と雷が血に塗れる。


「し、れ……か……さ、ん……」

「ど……して……」

「電ちゃん!? 嘘、嘘でしょ? 桐林さんが、電ちゃんを……雷ちゃんまで……」


 慌てて駆け寄る疋田も、目を疑うしかなかった。
 あの桐林が。
 傍目にも大切に扱っている事が分かる少女を、彼自身の手で傷付けるだなんて。とても信じられなかった。
 何に繋ぎ止められているのか、消滅退避を起こしてもおかしくないはずの傷に、電も、雷も、姿を保ったまま気を失う。
 けれど、傷付けた本人は気にした様子もなく、鬱陶しそうにヘルメットを投げ捨てた。
 床を転がるそれから、鮮やかな赤の、粘度を持つ液体が零れ落ちる。


「貴様に、生キル意味など与えナい……」


 そこに、電の知る“司令官”は居なかった。
 そこには。


「貴様ノ生きる価値ナド、認メなイ」


 鼻と両耳。
 加えて、紅い光芒を引く左眼から、大量に血を垂れ流し。


「貴様はこコデ殺す。殺シてヤル。
 しね。死ね。シね。しネ。死ネ。
 ……死ンデシマエェエエェェエエエッ!!!!!!」


 色の抜けた白髪を振り乱す、一匹の修羅が居るだけだった。
 あれではまるで、深海棲艦の。
 双胴棲姫の統制人格と、同じ。


『――っと、ねぇ! 返事しなさい! どうなってるの!』


 凍りつく場を、張り詰めた声が良い意味で破壊する。
 呉から航空支援部隊を飛ばせているはずの、桐ヶ森の声だ。
 それは大型スクリーンに繋がるスピーカーと、書記が着けているインカムからも聞こえていた。
 正気を取り戻した書記は、ひとまず彼女に応答する。


「も、もしもし、桐ヶ森提督?」

『あぁ、良かった。桐林の所の。一体これはどういう事よ、どうして味方の艦が!?』

「それ、は……っ」


 予想だにしない展開を前に、書記は言葉を詰まらせていた。
 桐ヶ森の航空機にも、この光景は見えているらしい。
 紅い光を纏う傀儡艦たちが、一隻の戦艦を嬲る様子が。
 一体、どう説明すれば良いのだろう。
 兵藤の死に桐林が激怒し、気が付いた時には、霊子力場を発生させて敵を蹂躙。最愛の少女からの呼び掛けにも、鎮まる事を知らず。
 変貌した姿までは見えていないはずだけれど、そもそも伝えて良いものか。
 痺れを切らしたようで、支援部隊に加わっていた空母――蒼龍、飛龍が桐林へ呼び掛ける。


《ちょっとちょっとちょっとぉ!? 提督っ、どうしちゃったのこれぇ!?》

《返事して下さいってば! ねぇ! ええと……た、たもんまる嗾けますよぉ!》


 声音からは、酷く動揺している事が伝わってきた。
 桐林は答えない――かと思われたが、例のスクリーンに変化が起こる。
 おそらく、加古・古鷹の水偵の視界。戦域へ近づいてくる航空機の群れがあった。
 先頭を切る桐ヶ森のシュトゥーカJu87C改。その後ろに二航戦の天山、千歳・千代田の彗星が続き、総数は百二十を越えている。
 桐林が嗤った。


「……航空機……ハハ……寄越セ、ソノ機体……ッ……!」

《え? 提と――きゃあっ》

《お姉っ!? コラ提督っ、お姉に何を――うぁ!》


 千歳は急に悲鳴を上げ、声を荒らげる千代田までも。
 彼女たちの制御していた機体が、揺れる。けれど次の瞬間、紅の霊子を纏い、編隊から突出した。
 桐林に制御を奪われたのだ。


『……冗談でしょ……? ぐっ!? わ、私のシュトゥーカまで……!』


 呆然と桐ヶ森が呟く間に、蒼龍たちの天山も制御権を奪われ、そしてシュトゥーカも。
 航空支援部隊は、見る見るうちに紅く染まり、まるで夕日を受ける雲のよう。
 決定的に違うのは、それが憎悪によって動かされ、たった一人を抹殺するため、襲い掛かっていくこと。


『嫌……嫌嫌嫌ぁ! 燃える、燃えるのはもう嫌だよぉおおっ』


 甲高い悲鳴が木霊した。
 トラウマを抉られたか、“それ”は半狂乱になって力場障壁を強化。懸命に身を守ろうと。
 側面から爆弾を投げつける、命中精度の高い反跳爆撃。落下エネルギーが加算される急降下爆撃。そして、強烈な破壊力を持つ艦攻による雷撃。
 ただ一発の外れもない、いっそ哀れにも思う、見事なまでの集中攻撃だ。


「ダメ……。提督、もう、止めて……。
 こんなの、違うわ……。
 こんなの、私たちが好きな、提督じゃ、ない……!」


 いつからか、意識を取り戻していたらしい村雨が、床に這ったまま涙を流す。
 振り絞るようなそれは、しかし桐林まで届かない。
 誰にも止める事は叶わないのか。
 このまま、二つの命の灯火が、消えていくのを見ているしかないのか。
 けれど。
 絶望感が漂う中で、ただ一人だけ、動ける者がいた。
 掴みかかるように、桐林の肩へと手を置く疋田だ。


「いい加減、正気に戻って下さい! こんな事して……こんな戦い方して、凛さんが喜ぶとでも思ってるんですか!?」


 兵藤の最後を看取った彼女には、動かなければならない理由があった。
 顔には、怒りにも似た感情が伺える。
 狂乱の原因である名前の効果だろう。桐林の眼の焦点が、やっと疋田に合わされた。


「アの人は、もウ、死ンだ……。もう、喜んダり、シナい……。
 モう、喜ビも、悲シみモ、怒りモしナイ……。
 ……アイつの、所為デ……。あいつノ所為でぇえェェ……!」


 ほんの一瞬、冷静さを取り戻したかに見えた桐林だが、すぐさま憎悪の波に意識を掠われる。
 左眼は……血涙のせいもあるだろうが、強膜が異常に血走り、虹彩も紅く。猫のように細長くなった瞳孔の奥で、何か、光が瞬いて見えた。
 鬼だ。
 直視しただけで死を予感させる、復讐鬼の眼だ。
 思わず震え、逃げ出したくなるものの、彼にここまでさせる想いが。
 疋田の中にも確かに存在する想いが、歯を食いしばらせる。


「そうですよ……。凛さんは死んじゃいましたよっ。
 私の腕の中で、貴方のことを案じながらっ!
 でも、桐林さんの中に居る凛さんはどうなんですか!?」


 それは、怒りでも、悲しみでもない。
 共に過ごした時間の中で育んだ、想い出である。


「あの人の声も、あの人との想い出も、まだ生きてるでしょう?
 貴方の中に居る凛さんは、今の貴方を見てなんて言いますか。どんな顔をしますかっ。
 しっかりしなさい、桐林提督!! 貴方は、兵藤 凛の教え子なんですよ!!」


 とても騒がしくて、厄介事ばかり起こす人だったけれど。
 記憶を振り返った時、顔に浮かぶのは笑顔だった。
 苦笑いだって混じっていたけれど、兵藤 凛という女性は、笑顔の似合う人だった。
 だからこそ、永遠に失われた事が悲しくて、苦しくて、切ない感情を撒き散らしたくなる。
 でも、こんなやり方では駄目なのだ。
 怒りの炎で自分を焼き尽くすなんて、認められる訳がない。
 他に選択肢がなかったのだとしても。他ならぬ疋田 栞奈が、「助けてあげて」と、彼女に託されたのだから。


「……先輩……?」


 桐林は、呆気に取られたような表情を浮かべていた。
 左眼に宿る光が、段々と弱まっていく。
 大型スクリーンが写す戦域でも、紅い霊子力場が同様に。
 航空機に至っては制御を失い、あわや墜落かと思われたが、直ぐに失速から立ち直る。桐ヶ森たちが様子を伺っていたらしい。
 ようやっと、桐林の暴走は沈静化しつつあった。

 ――が。


「……先、輩……。先輩、先輩、先輩、先輩……っ。
 “俺”のタメに、“自分”ノ所為で、アいつガ、“私”が殺シ……。
 ぁァアあ゛アぁァっぁぁぁァア゛ア゛ぁあぁッぁア゛アア!!!!!!」

「う、嘘、逆効果ぁ!? あっづ!?」


 鞭に打たれたような、鋭い痛みが疋田の手を弾き、身体を後ろへ押し退ける。
 桐林が顔をクシャクシャに歪め、右眼から透明な雫を零した途端、今度は桐林自身が霊子力場を纏ったのだ。
 ……違う。行き場を無くした霊子が、彼の身体を蝕んでいる。
 今まで敵に向けられていた害意が、自責の念で標的を変えたのだと、疋田は本能的に理解した。
 彼は慟哭し、頭を抱え、小さくなっていた。


「どうして、ドうして、どうシテぇえぇぇ……。なんデだよォオ……。ナんで、先輩ガ、こン、な……死……っ……ア゛ぁ……っ!」


 遊戯室に、悲痛な叫びがどれだけ響いても、動ける者はない。
 万策尽きた。今度こそ終わりだ。
 誰もがそう思い始めた時、唐突に扉の開く音が。
 疋田と書記が部屋の入り口を振り向くと、そこには一人の男が立っている。
 黒い軍服を着た、精悍な顔立ちの男。

 梁島 彪吾。


「やはり、こうなったか」

「お、お兄――梁島提督!? 何故ここにっ?」

「えっ。梁島……お兄……え、兄妹……?」


 意外すぎる登場人物に、書記はただただ狼狽している。
 危うく兄と呼びかけ、どうにか言い換えはしたが、自らも兄を持つ疋田は、耳聡く二人の関係を察した。
 書記の少女と、梁島提督が兄妹。歳は離れているが、あり得なくはないだろう。兄妹揃って美形でもある……けれど、妙な違和感も……。


「やはり、という事は、予見されていたのですか? これを? どうやって、なぜ?」


 疋田が疑問に思う以上に、書記の頭の中でも疑問が錯綜していた。
 これまでは決して接触しようとしなかった桐林に、なぜこのタイミングで?
 この状況を予見していたのなら、なぜ防ごうとしなかったのか。むしろ、今まで何処に居たのか。何をしていたのか。
 問い質したい気持ちは、やがて疑念へと変わっていくが、しかし梁島は、書記の言葉を無視して歩み寄る。


「そんな事はどうでも良い。例の“アレ”は持って来ているな」

「は、はい。しかし、あんな物より――」

「手に取れ。早く!」


 珍しく強い語気に、書記は不承ながらも、散乱するポーチの中身を取りに向かった。
 目線の先にあるのは、少女がポーチへと入れるには不似合いな物。黒光りする小石である。
 桐林の専属調整士に任命された時、梁島に手ずから渡された物だが、なぜ持たされたのか、今もって理解できていない。
 もしやあの小石が、この状況を打破する鍵?
 一縷の望みをかけ、書記は小石へ右手を伸ばす。


「えっ」


 刹那。小石が“開いた”。
 口を開けるように黒が弾け、黒い触手が腕へ絡みつく。


「い、嫌っ、何!?」


 抵抗する間も無く、異常に体積を増やした小石は、書記の右腕を覆い尽くした。
 皮膚を貫通し、骨へと“何か”が食い込む感覚。痛みを感じないのが逆に恐ろしい。
 形態変化が一段落すると、右腕は硬質な輝きを宿していた。
 前腕を覆う黒い装甲。先端には白い歯が並び、その中に一本の砲身が。同化した右手が、銃把と引き金の感触に震える。
 それはまさしく、艤装だった。深海棲艦が使う、口を持つ艤装。


「書記、さん? それ、もしかして敵の……?」

「に、兄様っ、これはなんなんですかっ? 兄様!?」


 疋田が呆然と呟き、書記は恐怖に揺れる声で兄へ縋る。
 重みに耐え兼ね、長さの不均一となった右腕が、床を叩いてしまう。
 けれど、梁島は聞こえていないような素振りで、一つ頷いただけだった。


「展開を確認した。それで桐林を撃て」

「……え? 何、を。仰って……?」


 意味が、よく分からない。
 確かに聞こえていたが、脳が理解を拒んでいる。
 撃つ? これで、提督を。なぜ。殺せと?


「命令を繰り返す。桐林を撃て。それがお前の役割だ」

「だから、何を仰っているんですか!? そんな、貴方は敵側にっ?」


 冷たい言葉が染み入る内に、怒りのような感情が込み上げてきた。
 本来支えるべき人から離され、見知らぬ人物に仕える事を強いられて、挙句にその人を撃てだなんて、到底納得できない。
 常にこの国の事を考え、自分を殺してまで忠を尽くす“兄”の命令だからこそ、従ってきたのに。
 いっそ、敵に寝返っていたと思った方が、よほど合点がいく。舞鶴鎮守府のテロだって、精緻な内部情報が無ければ、電源設備だけを破壊するなど不可能なのだから。

 しかし――


「……ずっと、この時を待っていた。ああ、そうだ。これでようやく、前に進める。やっと“お前”の仇を討てる」


 梁島は、今までに見た事のない、悲しみに満ちた表情を垣間見せる。
 どうして。どうしてそんな顔で、私を見るんですか。
 “お前”の仇。“私”の仇? そんな筈ない、生きているのに。
 あんな顔、一度だって見た事が。最後の笑顔はいつ? いつから見れなくなって。思い出せない!
 少女の心は混乱を極め、普段の冷静さなど欠片もなかった。
 畳み掛けるよう、梁島が詰め寄る。


「もう一度だけ言うぞ。桐林を撃て! このままでは、桐竹の二の舞になるぞ!」

「い、嫌です。私には、嫌、なんで私が、こんな物を」


 首を振り、目尻に涙を浮かべて、少女は後退る。
 桐竹の二の舞。そうだ、それだけは止めないと。彼に“あんな事”はさせられない。
 でも、もう止まっている。もう矛先が違う。助けるべき人を、撃ちたくない。絶対に。


「駄目、駄目ですよ。この人は、殺させません」


 同じ想いを抱く疋田が、梁島を睨みながら立ち塞がった
 震える脚で桐林を背に庇い、盾として腕を広げる。


「や、約束、したんです。助けるって。助けてって、頼まれたんです。ぜ、絶対に、殺させませんから!」


 彼を守るのが、疋田に課せられた職務。
 守ってみせる。守れなくて、悔いの中で逝ってしまった、彼女の分まで。
 その瞳を見やり、梁島は溜め息をついた。


「……致し方ない、か」


 諦めたような息遣いの後、白い手袋に包まれた手が、少女の眼前に突きつけられる。
 掌には梵字が描かれ、梁島がブツブツと呪文のような言葉を。


「兄様? ……やっ、か、身体が、勝手にっ」


 すると、黒い艤装に包まれた右腕が、独りでに持ち上がった。
 それだけでなく、一歩、また一歩と脚が前へ。
 腕の先端から砲が伸びる。
 延長線上に、立ち向かう疋田と、増幅機器の上でうずくまる、桐林。


「……嫌、嫌です、止めてください! こんなの、駄目、止まってぇえぇぇ」


 どれだけ必死に踠いても、少女の手脚は頑として言うことを聞かない。
 チリチリと、指先に“何か”が集中するのが分かった。
 敵意。悪意。呪い。
 そのように表現される物が、凝り固まって砲弾と化していく。
 人差し指を“動かされる”。
 どんな構造か想像もつかないけれど、引き金らしき物を絞っている。
 一mm、二mm、三mm。

 ……そして。





「嫌ぁああぁぁあああっ!」





 絹を裂くような悲鳴は。
 無慈悲な砲音によって、掻き消された。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ふ、ぐ……っ……?」


 攻撃が止んでいる事に気付いたのは、甲板へと這い蹲り、両手で庇うように頭を抱え込んでから、随分と時間が経ってからだった。
 攻撃に力場障壁が軋む音も、爆弾の落ちてくる風切り音も、まるで聞こえない。
 涙と鼻水に塗れた顔を上げると、赤黒いヒビ割れの向こうで、桐林艦隊が沈黙していた。
 乱射されていた砲は鳴りを潜め、駆逐艦二隻は動いているものの、行き足だけのようだ。
 目を凝らせば、それらの上で倒れこむ統制人格たちが見える。
 身に纏っていた霊子を霧散させ、死んだように身じろぎ一つしない。


「……はは、ァは、ヒハハハハハ! なぁんだ、やっぱりそうだ。僕は許されてるんだ。最後に勝つのは僕なんだ!」


 先程までの殊勝な態度と打って変わり、“それ”は高らかに勝利を宣言する。
 少しばかり見っともない姿を晒してしまったが、結局はこうなるのだ。
 どうせ、慣れない力に溺れて自滅したに違いない。
 逆らう者はその身を滅ぼし、最後に立っているのはただ一人。
 自分こそが全てを許され、選ばれた存在なのだ。でなければ、とっくにこの命は尽きているのだから。


「好き勝手、攻撃、してくれやがって……ぇ。何様のつもり、だぁ?」


 獰猛に歯を剥きながら、“それ”は戦艦の砲を動かす。酷くぎこちない動きだ。
 いくら力場障壁が強大な防御力を持っていても、一○○%衝撃波を殺せる訳ではない。
 何十、何百、何千の攻撃が、確かにダメージを蓄積させ、今や大破寸前にまで陥っていた。
 じわり、じわり。
 常ならば許されない程の時間をかけ、三基の主砲が駆逐艦と雷巡に照準。射線の通らない重巡に向けては、残りの半分――六十の爆撃機が飛び立つ。
 準備が、整った。


「六隻まとめて……海の底で朽ち果てろぉ!!」


 恨み辛みの全てを込め、“それ”が霊子を凝り固める。
 砲塔の中で。爆弾の中で。
 今か今かと炸裂を待っていた悪意は――





『相変わらず、癇癪を起こすと口が悪いな、おヌシは。だから格上との演習を避けるなと言ったんじゃ』





 ――懐かしい声に、霧散してしまった。
 砲弾は発射されず、爆撃機も重巡の上を素通り。
 完全に機を逸した。


「……その、声……」


 聞きなれた老人の声は、桐林の使う増幅機器を通して伝わっている。
 その姿は見えないが、代名詞とも言える二隻の航空戦艦――四航戦、伊勢・日向の姿を、自らの上に舞い戻る爆撃機が捉えていた。
 間違いない。間違えるはずがない。
 横須賀鎮守府司令長官、吉田 剛志の、声だ。


『久しぶりじゃのう。……倫太郎』

「……爺、ちゃん」

『桐林は無理やり眠らせた。ここからは選手交代じゃ』


 思わぬタイミングでの再会に、“それ”もまた懐かしい呼び名を口にしてしまう。
 数秒、沈黙が続いて。
 次に発せられたのは、しかし嘲りで穢れた笑い声だった。


「アハハ! やっと来た、やっぱり来たねぇ? あの女をわざわざ生かしておいた甲斐があったって訳だ」


 予想外の登場ではあったけれど、吉田は待ち望んだ賓客でもあった。
 この老人をおびき出す為に、殺せたはずの女をわざわざ生かし、吉田であれば必ず反応を示すだろう情報を、幾重にも残してきたのだ。
 そも、今回起こした事件の目的は、桐林の奪取の他にもう一つある。
 深人類……。深海棲艦に身をやつす原因となった、吉田 剛志の抹殺。残された最後の復讐である。


「それで? いったい何しに来たのさぁ。
 僕に謝りに来たの? 許しを請いに来たの? それとも、こいつらを助けに来たのかなぁ。
 ……僕の事は助けてくれなかったのに、こいつらの事は助けるんだ。
 僕の代わりに劣化コピーを育てて、別の誰かに似た名前を押しつけるような奴が!」


 身体に走る痛みも忘れ、“それ”は吉田の罪を糾弾する。
 吉田が小林 倫太郎のクローンを育てたのも、特異な才能を持つ新人に桐林の名を与えたのも。“それ”には単なる代償行動としか思えなかった。
 助けられなかった存在を助け、己が罪を忘れようとする、浅ましい行為にしか見えなかった。
 許せない。
 こうなったのは全部……。こんな風になってしまったのは全部、お前の所為なのに!

 傍から見れば逆恨みでも、これが“それ”にとっての真実。
 恨まなければ自分を保てなかった者の、“よすが”だった。
 そんな、悲鳴にも似た叫びを聞き、吉田は黙りこくる。


『いいや。それもあるが、ワシはな。……おヌシに引導を渡しに来たのだ』


 けれど、再び向けられた言葉からは、冷徹な戦意が滲んでいた。
 攻守を入れ替えたように、今度は吉田が語り出す。


『全てはワシの責任じゃ。あの日、おヌシに任務を任せてしまった、ワシの。
 おヌシが技研に囚われた事にも気付かず、いつも手遅れになってから気付く、ワシのな』


 それは、過ぎ去った日々の記憶。
 後悔と罪悪感に塗れた、懺悔の言葉。


『……いや、違うか。気付いておった事もある。
 再建された技研を梁島と襲撃した時、おヌシの存在に勘付いていながら、ワシは何もせなんだ。
 ただ一人生き残っていた、ミナトを救い出すのが先だと、言い訳して。
 ならば、決着はこの手でつけるべきじゃろう? ワシの撒いた種。芽吹いた災厄は、刈り取ろうではないか』


 だが、悔いるだけしか能のない男なら、吉田はここに居ない。
 慚愧するからこそ、過ちを正しに来たのだ。
 暗い道を外れ、恐怖に泣き叫ぶ幼子の、手を引くために。


『倫太郎。キサマは“ワタシ”が殺す。
 それが外道に落ちた者への手向けと知れ。
 ……共に、地獄へ落ちようぞ』


 揺らめく闘志が、瑞雲を率いる航空戦艦を推し進める。
 ここに、“鬼”と呼ばれた男の、最後の戦いが幕を上げた。




















 今年もメニー苦しみました! 性夜を過ごした幸せなカップルに、降り積もれ赤い雪ぃいいっ!!(嫉妬ですよ悪いかこんにゃろう)
 ……という訳で。吉田中将、見せ場を掻っ攫う、の巻でした。老兵は死なず。ただ戦場から消えるのみ。せめて、悪鬼外道を道連れに。
 いつの間にか強制退場させられた主人公ですが、次回はそこからキチンと描きますので御安心を。
 年内最後の更新が尻切れトンボで申し訳ないんですけれども、新年一発目で第三章は幕を下ろします。その後は例のキリ番リク話を書いて、新章開始となる予定です。
 最終章となる第五章は比較的短めにするつもりなんですが、四章はかなりボリューム的に膨れ上がっています。再来年が終わるまでに作品が完結すれば良いな……という感じで、気長にお付き合い下さい。

 ともあれ。
 今年一年、拙作をお読み頂き、誠にありがとうございました。
 来年もどうぞ、よろしくお願い致します!

 ……四章開始前に来てくれ朝霜ぉおおっ!(未だに掘れてない)



 2015/12/26 初投稿







[38387] 鬼灯
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/01/09 12:32





『……もし。吉田殿』

『おお、桐谷か。どうした』

『どうした、ではありません。……本気なのですか』

『かかか。本気も本気、戯れであの様な事は言わぬ。万事、抜かりないな』

『ええ。全くもって、嫌な役目を押し付けられました。彼は大暴れしていますよ、物理的にも、電子的にも』

『苦労を掛ける。だが、あやつには見せたくなくてな。色々と』

『お気持ちは分かります。しかし、今からでも……』

『言うな。この期に及んで、らしくもない』

『……そうさせたのは、貴方ですよ』

『ふふ、すまんな。……後を頼むぞ』

『お任せを。貴方と肩を並べられた事、我が生涯の誇りとなるでしょう。
 願わくば……いえ、これ以上は無粋ですね。御武運を。……さようなら、先生』

『息災でな。ああ、最後に一つ。これも遺言と思って聞け。
 新しく子を儲けるなら、名付けはおヌシがするでないぞ? どうにも可哀想でならん』

『お、大きなお世話です。……そんなに、酷いですか』

『まぁ、ワシなら耐えられんわな。はっはっは』

『そうですか……。そうですかぁ……』





 桐谷と吉田。
 舞鶴へ向かう車内での、最後の通信より。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「嫌ぁああぁぁあああっ!」


 絹を裂くような悲鳴は。
 無慈悲な砲音によって、掻き消された。

 ――けれど。
 撃ち出された呪詛が貫いたのは、疋田でも桐林でもなく、彼らの向こう側にある遊戯室の窓だった。
 生き延びたのだと悟った疋田が、声も無くへたり込む。


「うっく、ぅうぅ……っ。こんな……こんな、物ぉぉおおおっ!」


 土壇場で身体の制御を取り戻した少女は、どうにか砲の照準を逸らした後、左手で艤装を剥ぎに掛かる。
 相変わらず痛みはないが、ブチリ、ブチリ、と接合帯の千切れる感触が気持ち悪い。
 やっとの思いで艤装から逃れると、それだけで精も根も尽き果てたか、床へ倒れ伏す。
 宿主を失った艤装は、生き物のように跳ね回っていた。


「……お前は、そこまで……」


 驚きの――いや、泣き笑いの表情を浮かべ、梁島は少女を見下ろしている。
 確かに、驚いてはいただろう。しかし、策を破られたという割に、落胆はしていないように見えた。それどころか、予想外の結果を喜んでさえいるような。
 だが、間を置かず表情は険しく歪み、足早に黒い艤装へ近づいていく。
 右手か、左手か。一瞬だけ迷った彼が左手を差し出すと、それは意思を持つかの如く食い付いた。


「ぐっ!? ガぁあア゛ァあ゛っ!?」


 おぞましい咆哮を上げ、梁島は膝をついた。
 取り込まれていく左腕。少女と違い、激痛に襲われているのは明らかだ。
 眼球が零れそうなほど目を見開き、砕けそうなほど歯を食いしばり、脂汗を流しながら耐えている。


「兄、様……。やめて、ください……。なんで、そこまで……」

「ぎぃ、ぐ、っくか、はぁ、うぶっ……。今さら、後になど、引けぬ……!」


 か細い少女の呼び掛けに、梁島は何度も転びながら立ち上がった。
 瞳を苦痛に揺らしつつ、しかし揺るぎない決意が、崩れそうな脚を支えている。


「あの夜から、私の時は止まったままなのだ……。
 何年も、同じ場所で、足踏みを……。情けない、ではないか……っ。
 “お前”に失望、されるのは、御免だ……。だったら、無理やりでも、前に……」


 うわ言のように、梁島が誰かへの想いを呟く。
 それは、誓いの言葉にも聞こえた。
 誰かの想いに報いるため、自らを奮い立たせようとする、祈り。


「もう、後になど……引けんのだぁあ゛ア゛ァああ゛ぁァあああっ!!!!!!」


 咆哮と共に、梁島は左腕をかざす。
 脈動する艤装を、砲ではなく鈍器として使うつもりらしい。
 敵意に呼応したか、艤装は禍々しい棘を幾つも生やし、体積まで増加させている。
 そして、元の倍まで伸長した左腕が、動けない疋田と桐林を叩き潰そうと、振り下ろされ――


「おなごにまで手を上げようなどと、愚か者が」


 ――なかった。
 梁島の左腕は、振り下ろされる前に、肘上から先を艤装ごと切断されていた。
 微かな振動音。
 右手の小太刀を振り抜いた老人。
 吉田 剛志が、兵藤の置き土産……三笠刀で凶行を阻止したのだ。


「先せ、い……? どう、し……て……」

「戯けめ。同じ“力”を宿しただけの男を代わりに殺そうとは。そこまで狂っておったのか。
 見境を無くす程に憎んでおったのか。おヌシの家族を、望まずに奪わせてしまった“力”を……。
 おい、手を貸しとくれ」

「はいっ」


 白目を剥き、バランスを崩した梁島は倒れ、鋭利過ぎる傷口がやっと血を吹き出す。
 吉田は、付近に転がっていたビリヤードの玉を梁島の左脇へ入れ、腕と胴で挟むように圧迫。血流量を抑えながら連れを呼び寄せた。
 すぐさま医療キットを持った青年が駆け寄り、応急処置を開始する。
 兵士ではないようだ。鎮守府男性職員の制服を着た、平々凡々な顔立ちの男。
 しかしその姿に、梁島の凶行にも反応できなかった疋田が、驚きの声を上げた。


「……んぇえっ!? 嘘、兄さん!?」

「おー、栞奈。久しぶりー。相変わらず可愛いな! マイシスター!」


 止血帯で出血を止め、傷口を応急スプレーの泡で覆うなどしながら、その青年――栞奈の兄である疋田 蔵人くらんどは、彼女を安心させるように大きく笑って見せた。
 その間、吉田は未だに蠢く艤装へ、小太刀を幾度も突き立てている。内包する梁島の左腕と共に、それは粉塵と化す。接合手術は不可能だろう。
 理解の範疇を超えた事態に、栞奈は一先ず、身近な存在である兄へと詰め寄る。


「ななな、なんで兄さんがここに? お、大湊で調整士してたんじゃ…………?」

「ん? そりゃあ大分前に出した手紙の情報だろ。あれから沖縄行ったり、桐ヶ森提督の使いっ走りしたり、桐林提督の家族を保護したり、色々あったのさ」


 かつては桐生の調整士を務め、低強度能力者として沖縄で訓練を積み、更には桐ヶ森の目にまで留まった彼は、桐林の家族を保護に向かった軍関係者、その人でもあったのだ。
 紆余曲折あった末、一家をシェルターに送り届けた所へ、舞鶴に向かう吉田が偶然にも立ち寄り、その要請で舞鶴まで足を運ぶ事となったのである。
 とことん、平穏無事な人生とは縁遠いらしい。


「そんな事より、まずは桐林提督だ。……長官、如何しますか」

「うむ。ワシに考えがある。許せよ、電と雷の嬢ちゃん」


 敵性艤装の始末を終えた吉田が、伏せる電たちへ近づき、右の手袋を外して、額に流れる血を指で拭う。手袋の甲に、その血で五芒星が描かれた。
 統制人格の血とは、本来、この世に存在し得ない物。故に一角獣の角にも等しい霊力を宿す。
 これを用い、桐林の霊子力場を突破するのである。思いつきだが、一目見ただけでも害があると分かる禍々しさ。何もしないよりマシだろう。

 踵を返し、吉田は懐から無針注射器を取り出した。
 中には強力な鎮静剤――常人なら一週間は昏睡する劇薬が充填されている。
 使う相手が違う事を踏まえ、注入量の調節されたそれを左手で構えつつ、桐林の頭を抑えようと、歩きながら右手が伸ばされた。
 空気の爆ぜる音。
 吹き荒ぶ霊子の波が、吉田を押し返そうと殺到する。


「ぐ、ぬぅ……! おヌシも、男じゃろう? いい加減に、弁えぬかっ」


 物理作用はないはずだが、まるで、台風の中を歩かされているような感覚だった。
 目を開けているのも辛く、腕を一cm伸ばすだけで苦労する。
 しかし、その程度で止まれる訳もない。吉田はジリジリと距離を詰め、やっと桐林に手が届いた。
 淀みない動作で首筋へ注射器を押し当てると、桐林の身体が数秒ほど痙攣し、シートに倒れこむ。紅い霊子も霧散していった。
 焼け焦げた手袋を投げ捨て、吉田が大きく溜め息を吐く。


「はぁぁ……。済んだぞ、準備を頼む」

「了解。ほら急げ急げ! 給料分の仕事しろ!」

「なんでアンタが偉そうに命令してんだよ……。階級的にはこっちが上なのに……」

「そうだそうだ、俺らに命令できんのは、俺らの大将だけなんだぞー? その友達の吉田中将は別だけどなー」

「全くっす。せっかく艦娘の皆さんとお近づきになれるチャンスだってのに。あーあー、こりゃヘルメット取っ替えなきゃーと」


 蔵人が背後に呼び掛けると、陸軍の制服を着る軍人たちが約十人、様々な機材を手に雪崩れ込んできた。
 気安い言葉を交わしている所を見るに、付き合いは長いようである。
 蔵人と軽口を叩いていた三人は、損傷を受けた増幅機器の点検。他数名が桐林と梁島を、残る女性兵士たちは統制人格を担架などで運び出す。
 同じように運ばれていくはずだった少女が、兵士に肩を借りつつ、か細い声で吉田へ問いかける。


「長官……。何故、ここへ……? それに、戦う、おつもりなの、ですか? 長官の主戦力、は、横須賀……」

「なぁに、単なる偶然よ。桐林の居る所に下手人も居ると踏んで、この子らの後を尾行しておったんじゃ。止められたのは僥倖かの。
 それに、戦力の方も問題ない。伊勢と日向を、加古の嬢ちゃんが出てすぐに追わせておいた。
 お前さんも知っておる新技術、転送励起じゃ。ギリギリ完成してな。ぶっつけ本番じゃったが、成功して良かったわい」


 若干の疲労を滲ませながら、吉田は微笑む。
 桐谷の用意したシェルターで蔵人と合流した吉田は、まず舞鶴鎮守府へ向かった。
 そこにある補用の航空戦艦……。未励起の伊勢型二隻を、励起するためである。

 傀儡能力者が複数の同名艦を励起しようとした場合、二代目、三代目という違いでもない限り、新しく励起した艦船にのみ統制人格が宿り、以前に励起した艦船からは消滅する。練度がリセットされてしまうのである。
 しかし、吉田のいう新技術――転送励起を用いた場合、以前に励起した統制人格を、新しい艦船にそのまま移し替えられる。
 これを使えば、日本各地に同名艦を配置し、いざという時に高練度の統制人格を送り込む、という事が可能になる。
 全く差異のないように改装した同名艦を用意して、なおかつ能力者自身が移動しなければならないという欠点はあるが、太平洋側にある艦船を日本海側に移動させるより、本州を横断した方が早いのは自明の理だ。

 こうして、吉田の主戦力である四航戦は、隙あらば参戦しようと加古たちを追っていたのである。
 舞鶴でテロが起きたのはこの後であり、もう少し励起が遅くなれば、吉田は足留めを食らっていた事だろう。


「兄様、は……」

「左腕は使い物にならんじゃろうが、ワシと違って義肢を付けられる。なんとかなろうよ。
 問題なのは奴の行動じゃが……。安心せい。そっちもキチンと考えておるでな。今は眠れ」


 シワだらけの手で頭をポンと撫でられ、少女はようやく目を閉じる。心を落ち着かせてくれる、大きな手だった。
 そうこうしている内に、遊戯室からは次々と負傷者が運ばれ、残ったのは吉田と蔵人、陸軍の三人組、安心して気が抜けきっているらしい栞奈の、六人だけとなる。
 いや、三人組も増幅機器の調整を終えたようで、吉田に陸軍式の敬礼をして去っていく。
 吉田が答礼し、さっそく蔵人は調整士の座席へ。程なく制御システムが立ち上がった。


「長官。準備が整いました」

「うむ」


 蔵人の声に頷き、吉田は増幅機器へと身を横たえる。
 素足を固定器具に収め、新調された籠手をはめて、同じく真新しいヘルメットを装着した。
 その間に、蔵人は呆けている栞奈に指示を出す。


「栞奈。お前は桐林提督と例の子を病院へ連れて行くんだ。もう指名手配は解除してある」

「え? で、でも……。私……」

「よく思い出せ。お前の仕事はなんだ。お前がやるべき事はなんだ。
 投げ出したいだろうけど、凄く疲れてるだろうけど、お前ならきっとやれる。
 最後までやり通せ。お兄ちゃんも、自分に出来る事を精一杯頑張るから。……な?」


 スクリーンを複数、逐次確認しつつ、蔵人は最愛の妹へ笑いかける。
 緊張の糸が切れ、すっかり気力が萎えていた栞奈の瞳に、段々と力が戻ってきた。
 自分の仕事。やるべき事。託された想い。そうだ、こんな所で呆けている暇なんて無い。

 ――しっかりしなさい、疋田 栞奈!


「行ってきます。中将、兄さん。どうか御武運を」


 パシン、と自分自身の両頬を叩き、海軍式の敬礼を残して、栞奈は遊戯室から走り去った。
 吉田も、蔵人も。彼女の忙しさに何も返せなかったが、戦の前だ。きっとそれで良かったのだろう。
 長い語らいは、決意を鈍らせる。


「さて……。一世一代の大舞台じゃ。派手に行こうかの」

「はい。お供致します」


 短い言葉で意思を汲み交わし、吉田は精神を統一。蔵人がキーボードを叩く。
 どこからか、戦鼓の音が聞こえてくる気がした。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……共に、地獄へ堕ちようぞ」

「………………」


 殺意の乗る言葉と、迫る航空戦艦たちを前に、“それ”は大きく肩を落とした。顔も伏せられ、表情は伺えない。
 失望。諦観。……いいや。言葉では言い表せない、暗く澱んだ感情が、心の奥底から湧き上がる。
 何を期待していたのだろう。なんと言葉を掛けて欲しかったのだろう。
 どうにも、自分の心が分からなかった。
 けれど……。


「結局そうなるのか……。そうさ、アンタはそういう人間だ。
 誰も守らず、誰も助けず、最後にはそうやって始末をつける。
 ……どうしようもない、根っからの……人殺しめ!」


 顔が上げられた時、浮かんでいたのは笑顔だった。
 楽しそうなのに、悲しんでいるような。
 嬉しそうなのに、怒っているような。酷く矛盾した表情。
 そう感じさせるのは、頬を流れる雫だ。
 煤で汚れた顔に描かれる、一筋の涙跡のせいだ。


「……あれ? 僕、は、なんで……」


 潮風が頬を冷やし、“それ”はようやく目尻から溢れる物に気付いた。
 予想外だった。拭っても拭っても、止め処なく溢れてくる。
 これは、なんだ。
 制御しきれないこの情動は、なんだ。


(あ。そっか)


 背中を丸め、己が内を探ると、すぐに答えは見つかった。
 これは悲しみではない。純粋に、嬉しいのだ。
 憎いと思っていた相手が、憎むに相応しい屑であった事が。
 叶えられないだろうと、半ば諦めていた復讐を、遂げられる事が。
 そうに決まっている。決まっている。決まっている。


「うん、そうだ、そうだよ。これは僕が望んでいた事なんだ。だから、僕は幸せだ。僕は幸せだ。僕は幸せ。幸せ、幸せ、幸せ……」


 “それ”は自分の身体を抱きしめ、同じ言葉をひたすらに唱えている。
 言い聞かせているようにしか見えない姿だが、“それ”にとってはこれが真実だった。真実でなければいけないのだ。
 何度も何度も顔を拭い、すっかり煤が落ちきった頃には、吉田の伊勢と日向は、肉眼で捉えられるまでに近づいていた。
 艦首を南東へ向ける戦艦の南。最大戦速で通り過ぎようとしている。牽制のつもりか、副砲が何発か。
 目指す先はおそらく、動かない――動けない雷巡・重巡と戦艦の間。
 行き足で戦域から離れつつある駆逐艦は一先ず無視し、窮地にある桐林の船を庇おうと。


「みんな、死んじゃえよ」


 吉田の目的を理解した途端、暗い熱が火を上げた。
 霧散していた霊子力場が吹き上がり、海をまた赤黒く染める。
 生き残った右のスクリューを全開。戦艦の右舷を桐林の船に。
 動かせる主砲・副砲を全て用い、それらに霊子を収束させる。歪な砲塔たちが、雷雲のような“もや”を纏う。
 だが撃たない。
 伊勢と日向が射線に入るのを、じっと待つ。
 ややあって、速度を一杯まで上げた二隻が、自らキルゾーンに飛び込んできた。


「ッハハ。そんなゴミ屑を庇ってると、あっという間に自分が壊れちゃうよ」


 怒音。
 怒音。怒音。怒音。
 怒音。怒音。怒音。怒音。怒音。

 回避しないと分かっている標的に向け、容赦のない砲撃が降り注ぐ。
 確実に直撃するであろう砲弾は、しかし伊勢型の直前で爆発した。
 それでも、攻撃力に転化された霊子が、苛烈な衝撃波として叩きつけられる。
 すぐには殺さない。とことんまで痛めつけてやるという、意思表示だ。

 伊勢、日向の上部構造はかなりのダメージを受け、様々な部分が歪んでいた。
 副砲は壊滅し、後部飛行甲板が砕け、カタパルトもひしゃげている。主砲は問題ないが、このままではすぐ使えなくなるだろう。
 早々に砲撃戦を開始して、短期決戦へ臨まなければ……ならないはずなのに。吉田が選択した次の一手は、十四機の瑞雲による爆撃だった。
 エンジンを高性能な物に換装した、瑞雲一二型。けれど積める爆弾は変わらず、ダメージがあるとも思えない。
 吉田も理解しているのか、瑞雲の軌道は急降下爆撃のそれとは違う。
 斜め上から戦艦へと突っ込む、自爆攻撃。


(特攻? 流石に重いか)


 爆弾だけなら無視できるが、瑞雲そのものとなると厳しい。
 次砲撃のために練り上げていた霊子を障壁に転化し、“それ”は攻撃に備える。

 爆散。

 目の粗くなったタイルパターンと、瑞雲一二型が衝突。
 障壁をなぞるように、火達磨と化して海へ。
 甲板には、部品と思しき鉄パイプやビスなど、細かな残骸が落ちて来ていた。


「あーあ、大事な戦力が無駄になっちゃった。一人で戦ってるんだから、もっと考えて――」

『一人? ……どこに、目をつけている。キサマが相手にしているのは……三人だ』


 嘲りの言葉は、掠れる吉田の声に途切れた。
 一人じゃなくて三人。
 どういう事かと考える間もなく、“それ”の顔に影が掛かる。
 障壁を潜った残骸?

 ――違う、人影が二つ!


「うわっ!?」


 直感に任せて飛び退くと、“それ”の居た場所を、バツの字に切り裂く斬撃が降って来た。
 少しばかり薄汚れた、女物の礼服。長い黒髪と、ざんばら頭。
 革のパンプスで甲板を踏みしめた二人が、サーベルの切っ先を揃える。


「この姿では、お初にお目に掛かります。剛志様の従僕、伊勢と申します」

「同じく、日向と。短い付き合いに成りましょうが、どうぞ見知り置きを。……いざっ」


 特攻するかと思わせたあの瑞雲は、この二人を送り込むための布石だったのだろう。
 刃を上に、右手で握る柄を右肩へ寄せ、右脚を前に踏み出す、フェンシングスタイルの伊勢。
 刃を水平に、左手を切っ先に添えて身を低く、左脚を踏み込む剣術スタイルの日向。
 手短に挨拶を済ませた彼女たちは、尋常ならざる速度で吶喊した。


「こ、こんな、ちょっ、ひっ、卑怯だぞ!?」

『卑怯なものかよ。ワタシは歳をとった。この位のハンデ、あって当然だ』

「く、クソ爺ぃいいっ!」


 伊勢の逆袈裟、日向の刺突、場を入れ替えての交差斬撃。
 近場に落ちていた鉄パイプを拾い上げ、霊子を纏わせて防御するも、脚を負傷しては回避しきれず、全身に無数の裂創が刻まれる。
 これでは、攻撃できない。砲撃を制御する余裕なんて微塵もない。
 身を守らなくては、回避に全霊を傾けなければ、一撃で首を落とされてしまう。
 それが狙いか、吉田本人の制御しているらしい航空戦艦たちが、砲撃を開始した。
 至近弾で波飛沫が上がり、みぞれとなった雪が三人へ吹き付ける。
 慣れない白兵戦に焦れた“それ”は、二撃同時の唐竹割りを、渾身の力で押し返し――


「散れ羽虫がぁ!」


 ――開いた空間に、尻尾から霊子砲撃を叩きつける。
 想定通り、伊勢と日向はバックステップで距離を取った。これで一息つける。
 系統だった武術を学んでこなかったせいか、次の一手がまるで読めない。
 身体能力だけで圧倒できた雑魚とは、違う。どうにかして状況を打破しなければ……。

 と、警戒しつつ鉄パイプを構える“それ”に、二人は何故だか背を向けた。
 疾走する先には、彼女たちの本体へ狙いをつける、第二砲塔。


「……あっ!? や、やめろ――ぎぁあっ!」


 これはマズいと手を伸ばす頃には、飛び上がった伊勢が砲身を切り落とし、日向が複数回の刺突を放ち、砲塔の側面に穴を蹴り開けていた。
 身を切られるのと変わらない痛み。
 “それ”の動きが止まったのを見計らい、二人は腰に提げていた手榴弾の安全ピンを引き抜く。
 短くなった砲身と砲塔内部へ投じられたそれは、ゆっくりと離れる彼女たちの背後で爆発した。
 皮膚の下で爆竹が弾けたようなものだ。声すら上げられない。


「如何なさいました? 色々と、お留守ですね。“元人間”相手なら、このような戦い方もあるんですよ」

「貴方様では活かせぬと思いますが、来世があるなら覚えておくと良いかと」


 這いつくばる“それ”を、二対の冷たい視線が見下ろす。
 格が違う。
 艦の性能も、身体能力も、霊子力場発生能力という点でも勝っているはずなのに。
 ただ、戦士としての格が違う。
 大破させられた身には、埋めようのない差。
 決して覆せない事実に気付いてしまった“それ”は、しかし鉄パイプを杖として立ち上がる。


「馬鹿に、しやがって……。馬鹿にしやがって、馬鹿にして、馬鹿にしてぇえぇぇ!!」


 心の支えは意地だ。もうそれ以外には残っていない。
 悔しくて、腹が立って、どうしようもないから。
 そんな、ちっぽけなプライドが痛みを凌駕させ、“それ”自身に再び霊子力場を纏わせる。
 血に塗れ、異形と化した鉄パイプと、二振りのサーベルが火花を散らした。


『キサマは、常に勝てる戦いを選んでいたな。実戦も、演習も。
 悪い事ではない。予め勝敗を見抜く事は大切だ。
 しかし……。己より強い相手を除外し続けた弊害が、今のそれだ』


 吉田が伊勢・日向の本体を制御し、砲撃精度を上げていく。
 直撃を受け、大きく揺れ始めた甲板だが、三人の白兵戦はより加速する。
 日向の刺突が脚を、手首を、首を、眼を狙う。
 “それ”は左右に身体を捻りつつ、刃を鉄パイプで器用に弾き、ガラ空きだった日向の腹へ蹄を叩き込む。
 華奢な身体が宙に浮いた。

 吹き飛んでいく日向に代わり、今度は伊勢が斬撃を。
 袈裟、薙ぎ、一回転しての重い逆袈裟。
 二撃目まではどうにか鉄パイプで防げた“それ”だが、三撃目で鉄パイプが限界を迎え、半ばから二本に分かたれる。
 衝撃でたたらを踏んだ隙を突き、首を撥ねようとサーベルが左へ振り抜かれた。
 しかし、ガチリと嫌な音を立て、サーベルの動きは止まる。
 歯だ。
 “それ”の臀部から生える尻尾の先端が、サーベルを白刃取りしていたのだ。
 そこへ全力で振り下ろされる、短くなった鉄パイプ。刀身が砕けた。

 後退した伊勢は、驚いたのか眼を見開く。
 機を見るに敏。攻撃に転じようと、“それ”は自ら踏み込む。
 けれど、何故か伊勢はその場で納刀。即座に居合抜きの構えを。
 悪寒。


「いっ!?」


 折れたはずの刀身が、海老反る“それ”の鼻先を通って行く。
 艤装の一部。再構築可能なのを失念していた。一瞬でも回避が遅れていれば終わっていただろう。
 慌ててバックステップ。伊勢から距離を取ろうとするが、そこへ戻って来た日向が飛び掛かる。
 上から突き下ろす刺突。伊勢も加わり横から斬撃。また刺突。阿吽の呼吸で立ち位置を変え、“それ”の視点を安定させない。
 両手の鉄パイプで、一糸乱れぬ攻撃を捌くのが精一杯だ。


「クソ、チクショウ、なんで、なんで、なんで……!」


 どうして。何故。
 ただの統制人格に、深人類たる自分が追い詰められなければ……。
 焦燥感と屈辱感が。側面装甲をへこませる、航空戦艦からの砲撃が。端整なはずの顔を歪ませた。
 かたや、伊勢と日向の表情は涼やかだった。


「確かに。貴方様の境遇には同情できます。身に余る不幸、憎しみ、怒り、悲しみ。お察し致します」


 無慈悲な斬撃と裏腹な、伊勢の慈しみの言葉。
 突然の負傷。心的外傷。存在価値を勝手に定められ、弄ばれる日々が続き、死を選ばされた。
 確かにそれは、同情すべき悲劇なのだろう。


「けれど、不幸に胡坐をかき、悲劇に酔い。無益な悪意を撒き散らしたのは、間違いなく貴方様の決断」


 しかしながら、日向が刺突と同時に言い放つ事柄も、また真実なのだ。
 悲劇を言い訳にして、同じ悲しみを、苦しみを他人に擦りつける。
 それは、悪戯に憎悪の連鎖を長くするだけの、身勝手な悪行に他ならない。


『その所業、決して許されはせん。安易な道へ堕ち、人としての道を外れたのだ。
 キサマは最早、民に仇為す化生に過ぎぬ。
 ……世の平和の為。ここで朽ちるが良い、倫太郎だった者よ!』


 決別の意を込め、吉田は砲弾を撃ち続ける。
 国防に身を捧げて早五十余年。まだ海が穏やかだった頃から戦い続ける男にとって、“それ”は敵に他ならなかった。
 例え、元がかつての同僚でも。肩を並べた戦友でも。時に叱り、慰め、笑いあった存在であっても。
 命を賭して討ち果たすべき、怪物だった。

 “それ”の動きが止まる。
 戦意を喪失したかのように、両手から鉄パイプが溢れ落ちた。
 見逃される訳もなく、伊勢と日向がサーベルを振るう。
 斬撃は首を落とし、刺突が心臓を貫く。


「えっ」「なっ」


 ――はずだった。
 斬撃が首の骨で止まり、身体を貫く刺突も狙いを逸れる。
 サーベルの護拳を、“それ”が強く握りしめていたのだ。


「さっきから……。ゴチャゴチャうるさいんだよぉおおっ!!」

「うぁっ」

「くうっ」


 尻尾が鞭のように振るわれ、二人の身体を纏めて薙ぎ払う。
 十mほど離れた場所で体勢を立て直すが、サーベルは奪われたまま。
 加えて、伊勢と日向が目を疑うような、奇妙な変化も起きていた。


「偉そうに御託を並べてるけどサァ……。そんな風に言イ訳しなきゃ、僕一人殺せないノかい……?」


 ユラユラと、億劫そうに歩く“それ”の纏う妖気が、色を黒く変じている。
 血のような赤みが抜け、夜闇よりも深くなった漆黒が、立ち昇っている。


「素直に認めたら? お前はもう手に負えない。おままごとには飽きた。だから殺すんだって。
 アンタは僕という汚点を切り捨てて、なかった事にしようとしてるんだ。
 ……都合の良い時だけ可愛がって。要らなくなったら殺すんだ。年老いたペットみたいにさ?」


 サーベルを捨て、常人なら三回は死ぬだろう量の血を流し、“それ”は笑う。
 知っている。そうだ、知っているとも。
 己が怪物である事など、とうの昔に知っている。
 だから、良い。怪物だから殺すというのなら良い。相入れない存在を駆逐しようとするのは、人の本能だ。仕方ない。
 しかし、人の道とはなんだ? 安易な道とはなんだ? 世の平和の為? まるで自分が正義の側だと言わんばかりな言い草は、なんだ?

 戦争に善は無い。そう教えたのはアンタなのに。
 殺しに善は無い。そう教えたのはアンタなのに。
 こんな時だけ正義面するのか。
 こんな時だけ……。

 ――僕を殺そうとする時だけ、そんな言い訳に逃げるのか!?


「お偉いお偉い軍人様が、薄っぺらい正義感で、手前勝手な都合を誤魔化すなぁああぁぁあああっ!!」


 全身から噴き上がる漆黒――絶望の色が、両眼から零れる雫を掻き消す。
 同時に生き残った砲塔へと黒い霊子が収束。狙いもつけずに放たれる。
 そのまま行けば雲を穿つはずの砲撃は、桐林がそうしたように軌道を変え、航空戦艦二隻の装甲を貫いた。


『がはっ――! ゴホッ、ふ、く……っ』

「剛志、様……! ご無事ですか、剛志様っ!?」

「おのれ……っ。よくもっ――ぐぅ」


 爆音。爆音。またしても爆音。
 弾薬庫にでも掠ったか、伊勢・日向の船体は内から炎に巻かれ、おびただしい黒煙をたなびかせている。
 水気を帯びた吉田の咳が聞こえて来た。
 統制人格の方の伊勢と日向も、喀血しながら主人を気遣う。
 砲音は続かない。
 吉田は、おそらくダメージのフィードバックによって。“それ”は、限界を超えた能力行使によって。
 三隻の戦艦全てが、死に体となって沈黙する。


『なかった事になぞ、出来るものか……』

「……ぁあ゛?」


 そんな中、声が響いた。
 波音に打ち消されるほど小さく、けれど耳に染み入る、枯れ果てた声。


『確かに、勝手な都合を押し付けて、おヌシを殺そうとしているワシは、碌でもない人間じゃろうよ……。
 だがなぁ……。おヌシを殺したとしても、決して……。決してなかった事になんぞ……。出来ぬ、わい』


 この時、“それ”はあるはずのない光景を幻視していた。
 簡易増幅機器へ横たわり、口元を赤黒く染め。
 震えるように肩を揺らす、衰えた老人の姿を。


『後悔した。後悔して、後悔し尽くして、それでもな。おヌシの存在がなければ、今のワシもなかったんじゃ。
 おヌシを喪わねば、忘れる所だった痛みがある。おヌシを喪わねば、気付けなかった悲しみがある。おヌシを喪わねば、抱けなかった慈しみがある。
 ……倫太郎。おヌシと過ごした日々も、おヌシと過ごせなかった時間も。その全てが、吉田 剛志という、愚かな老人を形作っておるんじゃよ……』


 ついさっきまで、“それ”を殺そうとしていた軍人は、何処かへ消え去っている。
 今、沈みかけた軍艦を通して語りかけるのは、告解を行う哀れな老人。
 “それ”は戸惑い、信じられない――信じたくないという表情で返す。


「だ、だからなんだって言うんだ。そんな言葉で、アンタの犯そうとしている罪は覆せない……」

『そんなつもり、最初からありゃあせん』


 しかし、吉田の静かな言葉が、“それ”の考えをまたもや否定した。
 罪。穢れ。
 清め祓うべき汚泥を、望んでいる。
 何故ならば……。


『憎しみで誰かを殺せば、憎悪の連鎖は止まらん。
 おヌシを殺すのは、おヌシの優しさを知るワシでなければならんのだ。
 この罪は譲らぬ。この罪だけは、他の誰にも譲らぬぞ』


 憎しみの連鎖を、ここで断ち切りたいからだ。
 無益な争いを、終わらせたいからだ。
 だからこそ、吉田以外が“それ”を殺すのは許されない。
 悲しみを砲に込められる、吉田でなくてはならないのである。


「なんだよ、それ……。訳、分かんない。分かんないよ、そんな、のぉ……」


 いつの間にか、闇は晴れていた。
 立ち尽くしていた“それ”は、呆然と甲板にへたり込み、うな垂れる。
 あれだけ猛威を振るっていた霊子が、微塵も見当たらない。
 伊勢と日向はサーベルを回収し、鞘に納めて……何もしない。する必要が無くなったと、雪の積もり始めた、小さな後ろ姿を見つめる。


『っはは、おヌシはいつもそうじゃったなぁ。計算は誰よりも得意で、しかし国語は赤点ばかり』

「うるせぇ、クソ爺ぃ……。教え方が悪いんだ、作者の意図なんて読めるもんか……」


 懐かしさに吉田が笑い、“それ”が不貞腐れて唇を尖らす。
 畳、座卓、教科書にノート。あとは鉛筆に消しゴム。
 あの頃は、これが日常だった。


「疲れ、ちゃったな……。眠い、や……」

『……ああ。そうじゃな……』


 尻尾を使ってどうにか立ち上がり、“それ”は片脚を引きずりながら、舷側へ向かう。
 少しでも近づけるように。
 途中、伊勢たちと擦れ違ったけれど、それだけだった。
 目を合わさず、言葉も交わさず。二人は無言で見送る。


『終わりにしよう』

「……うん」


 かろうじて動く伊勢・日向の砲塔が、狙いを定める。
 “それ”は眼を閉じ、手摺りが無くなった舷側に立つ。
 両腕を広げて、子供のように小さい人影が、ゆっくり海へと身を投じた、その刹那。

 弔いの号砲が、暗い空に轟いた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「敵 戦艦、大破を確認。轟沈していきます」


 蔵人の静かな声が、戦いの終わりを告げた。
 着弾観測用に残した瑞雲から送られてくる映像には、沈んでいく黒い戦艦の姿がある。
 乗り移って白兵戦を行っていた伊勢と日向は、自らの意思で消滅退避を起こし、本体に帰還済み。巻き込まれることは無い。
 その本体も大破しているのだが、使役妖精の尽力で延焼は防がれ、機関部も問題無し。このままでも沈む事はないだろう。


「終わったか……。く、ゴフッ、ゴフッ!」

「長官!?」


 気を抜いた吉田が大きく息を吐くが、その拍子に酷くむせ返る。
 思わず口元を抑えると、籠手は赤黒い血で染まった。
 よく見れば、吉田の着る黒い軍服も、胸周りの色がやけに濃くなっている。血の跡だ。
 服の下に隠れた身体は、おそらく内出血だらけになっているだろう。内臓の事など、考えたくもない。


「お待ち下さい、すぐに追加の鎮痛剤を」

「要らん、よ……。もう、手遅れ、じゃからな……。最後となれば、痛みすら、愛おしいわい」


 慌てて駆け寄ろうとする蔵人を、吉田は弱々しい声で止める。
 伊勢、日向が白兵戦を行っている間、船体の制御は完全に吉田に委ねられていた。
 その同調強度は第三……。すなわち、船のダメージが、そのまま能力者へフィードバックしてしまう状態。
 長年の喫煙による肺ガンが全身へ転移し、余命三ヶ月と宣告されていた老体には、耐え難い傷だった。命の灯火を、吹き消してしまう程に。
 だからこそ、痛みが嬉しかった。この痛みが、まるで勲章のように思えるのだ。


「後悔ばかりの、人生だったが……。最後に、一人だけ、でも……。桐林だけでも、救えたか、の……?」

「はい……。はいっ。確かに見届けました! 僭越ながら、この疋田 蔵人が証人となりますっ!」


 力無い笑みを向ける吉田に、蔵人は靴の踵を鳴らし、直立不動となって答えた。
 拳が震えている。潤んだ瞳は上を見ていた。死の際を汚さぬよう、涙を零すまいと耐えている。
 緩い言動は目立つが、実直な青年だ。桐生が重用したのも理解できる。
 このような若者が育っている事の、なんと喜ばしい事か。
 これで、安心して逝ける。


「ありがとう……。あぁぁ、いよいよ、か……」


 もう、手足の感覚がない。
 肺の奥に巣食う痛みだけが、熱く命を感じさせた。けれど、それもいつまで保つやら。
 最後に一つ、遺しておかなければ。


「伊勢……。日向……。聞こえて、いるな……?」

『……はい。剛志様』

『この耳で、しかと』


 眼を閉じ、吉田は海の向こうへと意識を向ける。
 ボロボロの航空戦艦。それぞれの艦橋に立つ、女性の姿が脳裏に浮かぶ。
 礼服の飾り紐は千切れ、タイトスカートにも裂け目が入り、満身創痍といった風体だが、顔に憂いは無かった。
 むしろ、何かを成し遂げた者にしか許されない、誇らしさで一杯に見えた。吉田の顔にも微笑みが乗る。
 だからこそ、失う訳にはいかないのだ。
 煤に汚れた彼女たちの首元。掛けられた、シングルチェーンのみのネックレスを確認し、吉田は言う。


「おヌシらに着けさせた、それは……。ヌシらの存在を、船に、固定化する……。ワシが、死んだとしても……。しばらくは、保つじゃろう……」


 統制人格とは、能力者が現世に繋ぎ止めているだけの、本来は不安定な存在。
 どれだけ人に近づこうとも、励起主である能力者が死ねば、霊子の塵と化して消滅する。
 それを防ぐ――高い練度の傀儡艦を、他の能力者へ引き継ぐ事を目的とし、以前から研究が行われていた装置の試作品が、二人が着けているネックレスの正体だ。
 能力者の体組織と、艦船の鋼材とを、一定の配分で科学的に合成した物であり、能力者が死亡したのちも、数日は消滅を免れる算段だった。


「その、間に……。ミナトか、桐林か……。どちらかを選び、再励起を、受けるのだ……。そうす、れば……。おヌシら、は、生き延び……」


 そして、励起主が死亡した後は、他の能力者が関連付けされた艦船に対し、新たに励起を行う事で、統制人格の移譲が可能となる……はずである。
 確証は無く、藁にも縋る思いだったが、吉田はそれでも頼りたかった。
 娘のようにも思ってきた仲間を、老いぼれの道連れになどしたくなかったのだ。

 しかし……。


『申し訳ありません、剛志様』

『その御言い付けには、背かせて頂きます』

「……なに?」


 静かに吉田の言葉を聞いていた二人が返したのは、彼にとって、全く予想外の物だった。
 光。
 簡易増幅機器の周囲に、まばゆい光が二つ、出現する。


「そんな……。一体、どうやって」


 蔵人は思わず眼を疑った。
 遥か彼方。何十kmも離れた海の上に居るはずの、伊勢と日向が。吉田の側に控えていたのである。
 己が本体である軍艦に対してならまだしも、統制人格が能力者の元へ空間転移したなど、前例が無い。
 吉田もまた驚きに眼を見開き、言葉を失っている。
 伊勢と日向は穏やかに微笑み、彼の被っていたヘルメットや籠手を外していく。
 血に汚れた口元をハンカチで拭い、着衣の乱れを整え、その両手を取る。


「この身はただ、剛志様の為だけに存在致します。二君に仕えるなど、どうして出来ましょうか」

「お側に置いて下さいませ。この身が塵に帰る、最後の瞬間まで。どうか、どうか」


 それは、あまりに切ない願いだった。
 ただ、最後の一瞬までも、敬愛する主君の側に居たいと。
 この二人は、ただそれだけの為に、空間を――世の理すらも超越したのだ。
 蔵人が堪え切れずに顔を背け、吉田も静かに涙を零す。


「バカ者、が……。おヌシらは、大バカ者、じゃ……」

「まぁ。酷い言い草ですね?」

「きっと、剛志様に似てしまったものと」

「ははは。一本、取られたか。日向に取られたのは、久しぶりじゃの」


 笑顔があった。
 涙に濡れてはいるが、とても温かく、優しい想いがあった。
 ふと、吉田は気付く。
 痛みが和らいでいる。
 繋いだ両手から“何か”が流れ込み、心を包んでいく。
 こんなに穏やかな心地は、いつ以来だろう。


「まだ、やりたい事が、あるんじゃがなぁ……。沖釣りに、葉巻に、あとは……」


 吐く息に乗せて、吉田は心残りを呟いていく。
 閉じた瞼の裏に、青い空が見えた。
 中型の船。
 波の荒れた遠洋で、葉巻を咥えながら釣り竿を捌く自分と、隣で見守る伊勢に、舵輪を預かる日向。
 そして。


「ミナトよ……。おヌシの行く末を、この目で、見られぬ事、が……。戦いを、終わらせられなんだのが、悔しい、のう……」


 日に当たるのが嫌だ、早く帰りたいと、船内から声を発する、口の悪いもう一人の息子。
 ああ、夢だ。
 この光景は、叶えられなかった夢だ。
 情けなくも思うが……。けれど、最後くらいは許して欲しい。
 少しばかり、疲れてしまった。
 後に託す事を、許して欲しい。


「生きろ、若人たちよ。それでもこの世は、お前たちの為に在る」


 これが。
 恥多い人生を送ってきた、愚かな男の。
 最後の願いなのだから。

 瞼を閉じたまま、吉田は確かにこう言い遺し、呼吸を止める。
 伊勢と日向の身体も、時を同じくして光の粒子となり、天に昇っていく。
 ただ一人。蔵人だけが敬礼で見送る中。
 ネックレスの巻かれた二振りのサーベルが、吉田の手へ寄り添うように遺されていた。










 こうして、「舞鶴事変」と歴史に銘打たれる出来事は、ようやく幕を下ろした。
 桐林、梁島両提督が重傷を負い、吉田 剛志、兵藤 凛は死亡。“人馬”の桐生も行方知れず。
 軍高官からの無視できない情報開示請求により、隠しきれないと踏んだ幕僚本部は、桐生までをも死者として公開する。
 数日のうちに多大な人的被害を被った失態を受け、日本政府と幕僚本部は、その管理体制の甘さを強く糾弾される事となる。

 吉田の死に、世界各国からは哀悼の意が多く表され、将官には基本的に認められないはずの特進が為された。
 この結果、吉田は元帥海軍大将として国葬を執り行なわれ、御霊は英霊の一柱として合祀される。
 また、多岐に渡る生前の功績を讃え、大勲位菊花大綬章も授与された。
 親族は既に亡く、“梵鐘”の桐谷が受け取りを代行したが、立ち会った役人はのちに語る。
 あの日ほど、“梵鐘”を恐ろしく、哀れに思った日はないと。

 幾人もの命が喪われ、しかし生き残った者にも、深い傷跡が残された。
 それを癒す時間すら惜しみ、彼らは歩いていく。
 茨の道を、素足で踏みしめるように。




















《終幕 深海より、哀しみを込めて》





 そこは、とても静かな場所だった。
 朝日が昇る前の海。
 所々に岩礁があり、そこへ打ち付ける波だけが、世界に満ちる音の要素だった。
 しかし、岩礁から少し離れた場所で、ごく僅かな変化が生じる。
 波間に気泡が浮かんで来ていた。
 海が飲み込んだ空気ではなく、何か、生き物が吐き出した泡のような。

 影。浮かんで来る。


「――ぶぁっ! はぁ、はぁ……!」


 突如として、水面下から少女が現れた。
 その少女は、酷く緩慢な動きで岩礁へと泳ぎ、平たい場所を選んで身を投げ出す。
 黒いフード付きコート。白い髪。異形の脚。
 “それ”は、吉田 剛志が討ち滅ぼしたはずの、かつて小林 倫太郎と名乗っていた存在だった。


「……っくくくく、ひぁっははははは! 生き延びた、生き残ってやったぞクソ共がぁ!!」


 暁の空を見つめ、しばらく。“それ”は腹の底から大笑いした。
 統制人格は普通、能力者だけでなく、本体である艦船とも運命を共にする。あくまで艦船の端末であり、艦船が沈めば用を無くすからだ。
 ところが、“それ”は違う。
 “それ”にとっては艦船こそが端末であり、出し入れ自在な固定化霊子の塊。死を共有する存在ではないのである。


「なぁにが“この罪は譲らぬ”、だ。格好付けやがってゴミ蟲めっ、勝手に一人でおっ死ねバァーカ! ヒヒッ、ヒャハハハハハ」


 だからこそ、生き延びられたのだ。
 戦艦型端末とのリンクを断ち、海へ身を投じて、異常潮流で日本海を脱し数時間。
 愚にもつかない反吐を撒き散らす老人を騙し通し、見事、生を勝ち取ったのだ。
 試合に負けて勝負に勝つ。
 先人もたまには良いことを言う。


(先ずは、身体を癒さなきゃ。端末の再構築はそれからだ。設計図は僕の頭の中にある、何度だって……)


 ひとしきり笑った後、“それ”は屈辱を噛み締めながら、次の行動予定を立てる。
 まず、傷だらけになった身体の治療。
 これは簡単だ。深海棲艦の細胞は再生能力が高く、四肢を切断したとしても、安静にしていれば数ヶ月で生えてくる。首のすげ替えはどうだか知らないが。
 出血も止まっているし、適当に魚を捕まえて腹ごしらえする位か。
 端末を取り戻すには、時間が掛かるかも知れない。
 傀儡艦か深海棲艦。どちらかへ密かに忍び込み、統制人格を喰い、乗っ取って……。ひとまずそこからだ。


(あぁ、楽しみだなぁ。楽しみだなぁ。その時のために、もっと、もっと、もっと強くならなくちゃ)


 意外な事に、“それ”の胸中は喜びで満ちていた。
 ここまでコケにされ、痛めつけられ、なお心が躍る。
 また、復讐できるから。
 霊子操作の新たな域も見た。たかが人間に到達できたのだから、自分に出来ないはずがない。
 端末を再構築し、より強化し、新たな能力行使も身につける。そうしてまた、奴らの前に現れるのだ。
 どんな顔をするだろう。どんなに焦るだろう。どんな風に虚勢を張るだろう。
 目的と手段のはき違えが、どうでも良くなるほど。
 想像しただけで胎の奥が疼くほど、楽しみで仕方なかった。


「ヤハリ、カ。生キ汚サダケハ、一級品、ダナ」


 冷やかな声。
 “それ”は一瞬で身を起こし、先端の欠けた尻尾を高く掲げて戦闘態勢に。
 周囲を見回すと、右に人影があった。
 黒い女。
 いや、黒いセーラー服のようなものを着た、白い肌と白い髪を持つ女だ。
 膝までを覆う装甲靴が、しっかりと海面を踏みしめている。
 よくよく見れば、その左眼には何も収まっていない。あるべき眼球が抜け落ちていた。


「誰だ、お前は。その姿……。深海棲艦の……?」


 警戒しつつ、“それ”もまた蹄で海面を歩く。
 片眼を失くして平然と海に立つ。どう考えても人間ではないだろう。
 となれば、この女は深海棲艦。しかも人語を解するだけの自律行動が可能な。
 キスカ・タイプ――双胴棲姫と同等の存在か。


(どうする。喰らう……いや逃げるか?)


 負けたばかりである事も手伝い、“それ”は用心深くなっていた。
 十mほどの距離に佇む、あのトンデモ双胴戦艦と同類の統制人格。躯体の能力は如何ほどだろう。
 あの戦いを盗み見ていたからこそ分かる。喰い尽くして乗っ取るにしても、一撃喰らわせて逃げるにしても、一筋縄ではいかないはず。
 前傾姿勢に尻尾を頭上で揺らめかせ、警戒心を顕にしていると、女は右目を閉じ、静かに首を横へ振った。


「残念ダガ、オ前ノ相手ハ、私デハナイ」


 そして、緩やかに左腕を持ち上げたかと思えば、彼女の背後からもう一人。小さな影が進み出た。
 まるで御披露目のように。
 紹介でもされるように示された、“それ”は。


「やぁ、どうもどうも。初めましてですね。……“先輩”」


 黒いフード付きコートと、マフラーを翻し。
 中途半端に止められたファスナーから、青白い肌と、ビキニのような布当てを覗かせ。
 先端に開口部がある尻尾と、有蹄類のような、逆関節の脚を持っていた。


「なん、の、冗談だ、これ……」

「おや。意外と察しが悪いんですね。それとも、理解できない振りですか?」


 鏡でも現れたかと思ったが、“それ”は気安く、嘲りを込めて微笑んでいる。
 瓜二つだった。
 かつて小林 倫太郎と名乗っていた“それ”と、黒い女の背後から現れた“それ”は、顔立ちこそ違えど、双子の如く似通っていた。
 あり得ない。


「認めたくないのでしたら、僕がハッキリと言って差し上げましょう。
 他人の人生を散々に振り回し、好き勝手に実験材料としてきた貴方ですが……。
 その実、貴方こそが実験台だった、という事ですよ。この躯体を作り上げるためのね」


 楽しそうにステップを踏み、両腕を広げて、もう一人の“それ”は得意気な顔で語った。
 あり得ない。あり得ない。あり得ない。


「嘘だっ、そんな馬鹿げた話があるか!
 僕は自分の意思で、自分の考えで、生き延びるために戦ってきたんだっ。
 その結果が人工能力者、人工統制人格、この身体、あの戦艦だ! 僕の、僕の成果だぞ!?」

「いいえ、違います。貴方が統制人格と融合した後、貴方は“こちら側”と常に繋がっていました。
 人工血液も、“彼”へのアプローチ方法も、人工統制人格も。無意識に情報を引き出していた結果。
 つまり、貴方は知らず知らずカンニングを行い、それを自分の成果だと思い込んでいただけなんです」


 憤り、大きく踏み出す“それ”に対し、黒い女の周りをクルクルと踊り続ける“それ”が、またしても信じ難い言葉を並べ立てる。
 “こちら側”と繋がって? 深海棲艦と?
 情報を、盗み見ていた。元々あった技術。カンニング。
 混乱していた。
 苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて歩んで来た道程が、実は誰かの手の平で踊っていただけなどと、信じられるはずもない。
 なのに、心のどこかで納得している。真実だと、“理解”している。何故。


「まぁ、あの戦艦級だけは、貴方の貢献がなければ産まれませんでしたけどね。
 深海棲艦の中で捕食本能を持つのは、純粋種である“姫”のみ。しかし彼女たちは“絶対数が決められている”。
 人類の急成長を踏まえ、来たるべき時を前に、僕たちは戦力を増強する必要があると判断した。
 そこで始動したのが、“鬼”や“姫”、“水鬼”のような単一種を、雑級種の中で作り上げる計画です。いわゆる、蠱毒こどくの壺ですよ」


 訳が分からなかった。何を言っているのか、理解できるのに分からない。知らないのに分かる。
 唯一、純粋な知識として“それ”の中にあるのは、蠱毒という単語だ。
 古代中国で広く用いられ、行ったと判明すれば死罪を免れない、禁術の類である。
 蛇、蛙、蠍など、毒を持つ生物を百集め、一箇所に留め置いて放置し、共食いを起こす。
 そして、生き残った一匹の毒を使い、呪術を行うのだ。日本では、厭魅えんみ蠱毒と称する禁術群に含まれ、恐れられていた。


(僕が、巫蠱ふこの贄。共食いの果てに縊り殺される、虫けら?)

 
 呆然と立ち尽くす“それ”だったが、もう一人の“それ”も、不意にステップを止める。
 どうしてだか、周囲は静まり返っていた。
 岩礁に打ち付ける波も、風の音も、何も聞こえない。
 ただ、耳慣れぬ女の声だけが響いている。


「けれど、それにも問題がありました。
 先ほど言った通り、捕食本能を持つのは、最初から受肉して産まれる“姫”だけ。
 共喰いを起こすには、餓えという概念を理解し、腹を満たそうとする渇望がなくては。だから……」

「……僕、が?」

「御名答です」


 鏡合わせのように向かい合った“それら”は、一方が楽しげに柏手を打ち、もう一方が真逆の表情を浮かべていた。
 ステップが再開され、パシャリ、パシャリ――と、軽やかな水音が加わる。


「極限の飢餓を味わえば、捕食本能は十分に強化された筈ですが、加えてあの時、貴方には潜在的な意思傾向が植え付けられました。
 貪欲に食し、欲望を満たそうとする……。理性のタガを、ほんの少しだけ外したようなもの、と認識して下さい。
 貴方は本能的に、自らの弱点を補う捕食を行い、理想的な躯体と端末を作り上げる予定でした。
 ……いやはや、全くもって予想外の結果に終わってしまいましたが。
 あまりにも性能が高くなり過ぎて、ただの統制人格には御せなくなってしまい、“鬼”になるはずの僕と霧島へ当てがわれるとは」


 まぁ、顔はいじらせて貰いましたけどね――と、もう一人の“それ”は、自身の顔を指して微笑む。
 確かに、姿形を見れば瓜二つだが、顔だけを比べると別人だ。
 しかめっ面をしている“それ”は、ボーイッシュな少女。天真爛漫な笑顔が似合うかも知れない。
 余裕たっぷりに微笑むもう一人の“それ”は、正しい意味で中性的な女性。まるで、一組の男女をモンタージュしたような、どちらとも取れる造形美である。

 こいつは一体なんだ。口振りからして、元人間の能力者。霧島……高速戦艦? まさか……。
 いや、施設は破壊したが、それだけで何もしていない。こんな所に居るはずがない。
 それよりも、あれが――愛宕と再会し、餓死寸前まで追い込まれた事が、誰かの意思によって引き起こされたという事実に、腹が立つ。
 愛宕だったから許せたのだ。最後は身を犠牲にして助けてくれたと思っていたから、憎まずに済んだと言うのに。


「……それで、今更なんの用があるって言うんだ。ご褒美でもくれるって言うなら、受け取ってやっても良いけど?」

「残念。クリスマスはとうに過ぎました。それに、貴方は悪い子です。……やり過ぎたんですよ。
 御せない駒ほど邪魔な物はありません。十年前も、それで失敗してしまったらしいですからね」


 ぶっきらぼうに、憎しみを込めて睨み上げる“それ”の視線を、もう一人の“それ”は肩を竦めて受け流す。
 今度はこちらが笑う番だった。


「やり過ぎた? ……もしかして実験とか、舞鶴でのこと? ハッ!
 何を言うのさ、今さっき自分で言ったじゃないか。理性のタガを外したって。
 つまりはお前らがそうさせたんだ。お前らがそう望んだんだ! 僕は悪くなんかない!」


 最初から悪人だった訳ではない。望んでこんな身体になった訳ではない。
 人生は常に誰かから弄ばれ、運命の荒波に対抗することが、生きるということだった。
 技研の研究者共を喰い殺したのも、多くの人間を傀儡としたのも、クローン人間をゴミのように使い潰したのも。兵藤や吉田、桐林に関する事だって、必要だと思ったから行った。
 しかし“それ”の理性は、奴らによって意思傾向を植え付けられ、阻害されていたと言う。ならば全ての責任は自分にない。全て奴らの所為なのだ。
 鬼の首を取ったように、“それ”は指を突きつける。
 だが、もう一人の“それ”は呆れているのか、小さく溜め息をつき否定を返した。


「いいえ。いいえ。違いますね。
 僕らが――といっても僕のいない頃の話ですが、今までも。ともあれ、そうではないんです。
 貴方に施されたのは、ほんの少しの後押しなんですよ。例えるなら……。
 落ちていた小銭を見つけても、誰かに見られたり、誤解されるかも知れないから、気付かなかった事にするという人が居ます。
 そんな人を、周囲に誰も居ないなら、小銭を確実に拾わせる……と、思い切りを良くさせる程度なんです。
 みっともない命乞いはさせても、根本の倫理観に影響するような事は。人格を書き換えるような事はしていない――出来ないんですよ」


 何処からともなく、五百円玉を取り出したもう一人の“それ”は、手品師の如く硬貨を弄ぶ。
 右手の小指から親指へ、指の背を渡り、次は左手の親指から小指へ。
 一度握られた両手が開かれ、硬貨が姿を消したかと思えば、尻尾の口から手に吐き出される。
 見せつけるように示された硬貨は、細い指によって潰されてしまった。


「貴方の残虐性は、餓えの本能だけでは説明できない。
 例えそれが、人間たちの悪意によって醸成されたのだとしても。
 ごく普通の倫理観が、欠片でも胸の奥に残されていたならば、踏み留まれたはずです。
 あの方々だって言っていたでしょう。……捨てたのは貴方だ。
 歳や環境を言い訳になど使わないで下さいね。稀代の神童さん?」


 挑発的に言葉を締め、もう一人の“それ”が硬貨を弾いてよこす。
 ひしゃげた五百円玉。懐かしい呼び名。二つの意味する所は……。
 思い浮かんだ言葉ごと、“それ”は五百円玉を口に含み、嚥下した。少しは腹の足しになる。


「……結局、何が言いたいんだ。お前ら、何をしに来た」


 もはや疑うべくもない。こいつらは敵だ。言葉を弄したのも、単なる気まぐれであろう。
 獲物を前に舌舐めずりする狩人……。探偵にトリックを解説する犯人?
 言い方なんてどうでも良いが、とにかく対極に位置する存在。同じ躯体を持つ二人は、これから雌雄を決するのだ。
 その証拠に、頭の中で戦術を組み立てる“それ”へと、もう一人の“それ”が、再び何かを投擲した。


「ある方の出迎えと……性能試験です。試作品と完成品を戦わせての、ね」


 緩やかな軌道を描くのは、緑色に蛍光するピンポン球ほどの宝石。
 翠緑玉エメラルドにも思えるが、“それ”が受け取ってみると、鉱石ではあり得ない温かみと、脈動を感じた。
 同時に、「食べてみたい」という原始的な欲求もこみ上げる。


「これは……?」

「それもお食べ下さい。超自然素材ナチュラル・マテリアル。“こちら側”の高速修復材です。あれ程の端末であろうと、丸ごと瞬間再構築可能になるでしょう。条件が対等でないと、試験にもなりませんし」


 尋ねると、もう一人の“それ”は余裕綽々に微笑み、距離を取った。
 黒い女も場を離れ、巻き込まれない位置で観戦するつもりのようだ。
 完全に、侮られている。不快だ。


「後悔するなよ……。だいたい、この世は試作品の方が強いって相場が決まってるんだ!」

「それは量産機に対してでしょう。雑級種の範疇を超えた、僕たちに当てはまるとでも?
 被造物である限り、弟に勝てる兄……。おっと、もう違いましたね。妹に勝てる姉は、居ないんですよ」


 鋼材を尻尾で捕食すれば、言われた通り、全身に活力が漲った。
 疲れも痛みも吹っ飛び、胎の奥で怒りの火が灯る。
 一足飛びに“それ”も後退し、彼我の距離は数十m。端末再構築地点は更に後方三kmほど。
 両脚を肩幅に開き、前傾して左手を海面に。右手は顔の横へ構え、尻尾が頭上高くで咆哮。
 奇しくも二人は、全く同時に、同じ戦闘態勢を取る。

 そして。


「人馬一体となった絶技、その身でとくと味わうがいい」

「ほざけ模造品。その不遜、骨も残さず噛み砕いてやる」


 東に太陽が顔を覗かせる頃。
 赤黒い霊子力場の柱が二本、天へと昇って行った。
 海が、震える。



















(……あれ? 僕は……。沈んでる? あれ……?)


 全身を、冷たさが包んでいた。
 見上げている。
 海面そらにはオレンジ色の雲が広がり、とても美しかった。
 その向こう側で何か、影が動く。
 二本足。人影だろうか。


「冥途の土産に教えて差し上げます。
 この躯体……。人間の作った枠組みだと、未だ相当する物のない戦艦級。さしずめ、戦艦レ級、とでも呼称しましょうか。
 僕はレ級と名を改めて、いずれ歴史の表舞台へ立ちます。
 良かったですね。貴方の存在は消えても、貴方の作り上げた物だけは、歴史にちゃんと残りますよ。
 では、御機嫌よう。試作品さん」


 ついさっきまで、戦っていたはずの相手――レ級の声が、脳に直接響いていた。
 見下ろされているらしい。


(負けた、のか。僕は、アイツに、負け……)


 頭がボウっとしている。
 覚えているのは、禍々しい赤黒さから移り変わる、金色の光。
 今見上げている海面そらのように、眩しく、高貴なる光。


「さて。あの方はどうなりますかね?」

「……後悔ヲ遺シテ逝ッタ人間ハ、遥カ昔カラ“鬼”ト成ル。彼モ、オソラク、ハ」

「ですか……。“鬼”と呼ばれた人が、死して本物の“鬼”となる。皮肉ですね」


 影が離れていく。
 いや、こちらが離れて行っている。
 青い血で視界は煙った。


(身体が動かない……。痛い……。寒い……)


 海面そらへ伸ばされた腕は、指一本すら動かせなかった。
 思い出したように痛みが襲い掛かり、傷口を潮が撫でる。
 熱が、奪われていく。


「動いたらお腹が空いてしま――した。何か――る物を持ってま――?」

「……ナイ。マテ――ル モ、サッキ――最後、ダ」

「味が無――、す――く不味かっ――すよ、あれ……。――――――」


 やがて、光と共に声も遠ざかる。
 陽光の下へ踏み出すレ級たちと違い、“それ”はどんどん、暗がりに落ちていった。


(光が、遠く……。暗い……。暗いのは、やだよ……)


 暗闇は、周りとの繋がりを切ってしまう。
 独りは嫌。
 例え憎しみや嫌悪の果てでも、誰かと繋がっていたかった。
 独りは嫌だ。
 誰も見てくれないのなら、死んでいるのと変わらない。
 独りは、嫌だ。


『あれ、こんな時間に何やってんのさ』

『うん? おお、■■■か。夜更かしはいかんぞ』


 突然、ドアが開いた。
 くぐった先は、執務室。
 机に着く初老の男。
 ノイズが掻き消す名前は、誰の。


『……これ、来週の任務予定表じゃんか! なに考えてんだよ!?』

『ど、どうしていきなり怒る。ワタシに与えられた任務だ、あって当然だろう』


 机へ近づき、書類を奪う。
 初老の男は困惑している。
 この声、は。この、会話は。


『……オレが行く。その任務、オレが代わりに行くから』

『おい、どうした? そんな事を言うなんて、お前らしく――』

『この任務に行ったら! ……息子さんの命日、過ぎちゃうじゃんかよ……』


 忘れるはずもない。
 忘れられるはずがないのに。
 今の今まで、思い出せなかった。
 ああ。あぁあ。ぁああぁぁあああぁぁぁ。


『……良いのか? みなとの墓参りなど、ワタシの個人的な事情で……』

『良いも何も、オレが行くって言ってんだから良いんだよ! い、いいからヘボい年寄りは引っ込んでろ! さっさと引退しちまえ!』


 驚く初老の男に、暴言を吐く。
 その先に、何が待っているのかも知らず。
 自分がどうなるのか、想像もせず。


(違う、どうして、違う、なんで、僕は、こんな、違う)


 まだ、辛うじて輪郭を確かめられる、薄闇の中。
 “それ”は凍えるように、やっとの思いで自分を抱きしめる。


『……ありがとう、■■■。お前は、優しいな』

『ちょ、にゃ、うっ、やめ、撫ーでーるーなーっ!』

『ははははは』


 無造作で、乱雑だけれど。
 とても優しく、頭を撫でられていた。
 懐かしい記憶の中では、確かに。
 あの温かさを、嬉しく感じていた。


(違う、あれは僕じゃない、違う、僕じゃない、違う、僕は、違う、違う、違う)


 体温を失いながら、何者にもなれなかった“それ”は、ただ、沈んでいく。
 己の姿すら見ることの出来ない、深淵へと。
 そこに待っているのは孤独。
 時の流れをも凍らせる、永劫の孤独。

 輪廻の輪を外れた魂に、差し伸べられる手は無い。
 死の救いは、訪れない。




















 第三章、開眼編、完結。

 第四章、別離編へ続く――。





 と、いう訳で。長い時間を掛けましたが、これにて物語に一つの区切りがつきました。
 吉田中将、兵藤提督の死亡。ガチで死ぬ寸前な主人公と梁島提督。そして、レ級(仮)にトドメを刺した、“元”桐生提督――レ級(真)。
 さんざん扱き下ろして来ましたが、今までレ級だと思われていた存在は、偽物です。いえ、偽物にすらなれなかった“何か”でしかなく、死ぬことも許されません。
 今後“あちら側”の事情は、本物のレ級となった存在の目を通し、描かれる事になります。
 加えて、“あちら側”の力を宿した事により、主人公の立ち位置、電たちとの関係も変化していく――変化してしまうでしょう。
 色々と話してしまいたい気分でもありますが、全ては次章で語らせて頂きます。願わくば、今後もお付き合いの程を、宜しくお願い致します。
 次回更新は、感想板でのキリ番リクエストにお応えして、深海棲艦側のお話となります。省略してしまったレ級(真)のトンデモ性能も描きますので、少々お待ち下さいませ。

 それでは、失礼致します。





 2016/01/09 初投稿







[38387] 幕間 レ級、北へ
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/01/29 20:57





 横方向への加速圧。
 右に回頭、大きく左へ傾斜する戦艦型端末は、垂直落下にも等しい前方からの急降下爆撃を、危うい所で回避した。
 波打つように流麗かつ、シャープなシルエットをった端末の左舷後方で、立て続に水柱が六本。
 第五戦速を維持して駆け抜けると、数秒の間を置き、海が破裂した。


「――っとぉ! 危ない危ない」


 空中に吹き飛ばされた海水が、雨のように降って来る。
 甲板の上では、黒いコートを着る人影が、涼しい顔で立っていた。
 中性的な顔立ち。少女から女性への過渡期を思わせる、瑞々しい肌が合わせから覗く。
 かつては“人馬”の桐生と名乗っていた、戦艦レ級である。
 球状の深海棲艦側 航空機が、海面スレスレで機体を復原し、端末の右舷へ抜けた。六機。ディフォルメされ、内に地獄の炎を灯す頭蓋のようだ。
 横目にそれを見送りつつ、レ級はコートの水滴を払う。


「全く……。問答無用で攻撃とは、手荒い歓迎ですね」

『ドウ、スル……? 私ガ、間ニ……』

「いえいえ、お手を煩わせるまでも。良い訓練になりますよ」


 耳へ届くのは、同士であり、先達でもある空母水鬼の声だ。
 彼女は今頃、赤道近くに足を運んでいるはずだが、まるで隣――北半球のとある海域で、肩を並べているような、鮮明な音声である。
 しかし、心配性な空母水鬼の申し出を、レ級はやんわりと断った。
 これも咎のツケ。一人で乗り越えられないようでは、かつての名が廃る。
 決意を新たにしていると、遠方から近づいてくる発動機の存在を感じた。球状航空機が戻って来たのである。


「お。もう戻って来ますか、流石は特別機」


 素晴らしく旋回半径が小さい。
 今しばらくの余裕はあると踏んでいたが、やはり使役者の腕は立つようだ。人智を越えた性能も遺憾無く発揮されている。
 人類側が頻繁に目にする、一般的な深海棲艦側 航空機で使用される兵装は、大まかに分けて三つのパターンがあった。
 航空魚雷一本か、二千pond――約九百kgの爆弾一つ。
 翼下に格闘戦用の五inchロケット弾ポッド二つか、五百pond爆弾四つ。
 最後が一千pond爆弾二つのパターンである。
 対して、先ほど回避したのは二千pond爆弾に相当するだろう。
 普通であれば続けて攻撃できる訳がないのだが、そこは使役者を選ぶ特別な機体という事か。


「訓練になるとは言え、この身体が傷付くのは嫌ですからね。……抵抗させて、貰います!」


 高度を稼ぎ始める航空機を見上げ、レ級は異形の脚を肩幅に開き、気合いを入れて艤装――口の付いた尻尾を顕現させた。端末とのリンクを深くしたのである。
 同時に、彼女かれは航空機へ向けて右腕を高く掲げる。すると、瞬く間に端末が姿を変異させた。
 艦橋の役割を持つ構造物と、捻れた主砲・副砲以外には何もなかったシンプルな甲板に、無数の“棘”が生えたのだ。


「可変兵装、選択【ホ・ヘ】。副砲増設、第三戦速……。一斉射!」


 一時的に速度を落とし、内包された深海棲艦の因子――軽巡、ホ級・ヘ級の中口径砲を活性化。針鼠と化した端末は、空へ向けて文字通りの弾幕を張った。
 如何なる特別機と言えど、面の攻撃に対処する事は敵わず、六機の球状航空機は爆散。墜落していく。
 これで一安心……と副砲を格納。針路を北へ戻すレ級だったが、表情はすぐさま強張る。
 目指すべき方向から、同じ球状航空機の群れが現れたからである。数は――五十八。


「ふぅ……。脚を止めたら圧殺されますか。致し方ないっ」


 やれやれ、といった風に肩を竦め、レ級は僅かに身体を低く。
 急激に加速を開始した戦艦型端末が、第四、第五と速度を上げ、艦首がやや上へ持ち上がる。
 重量配分の変化でそれを抑え込むと、今度は船体が平時より沈み込み、戦艦としては異常な第七戦速――約三十六ノットにまで到達した。

 球状航空機が迫るも、群れは三つのグループに分かれる。
 左右へ広がり、すれ違いながら反転。斜めから相対速度を合わせる先発組二つと、精度の低下も厭わず、真っ向勝負を挑む後発組一つ。それぞれ二十機と十八機が振り分けられている。
 炎に巻かれる頭蓋から、強い意志が発せられていた。
 クルナ……。クルナ……! と。


「そういう訳にも行かないんですよ。ちょっとした事情がありましてね」


 対するレ級の顔には、余裕の笑みが浮かんでいた。
 もうじき、後発の球状航空機群とすれ違う。これを無事に突破したとして、残る二つのグループが襲ってくるだろう。
 それが分かっていても、笑顔は崩れない……どころか、楽しんでいるかのように、より深く。
 緩やかに瞼が伏せられ、そして、開いた。


「開眼、紅緋べにひの位……なんちゃって」


 紫の瞳が、朱に染まる。
 刹那、戦艦型端末は赤黒い霊子力場を纏う。
 球状航空機が、口から火の塊を吐き出した。自由落下するそれは、程なく力場障壁の膜と接触。ナパーム弾のように炎を撒き散らす。
 端末の速度は上がっていた。緋色の炎に巻かれながら、第八戦速へ。

 すると今度は、斜め後方から航空機が襲いかかる。
 対空射撃もなく、このままでは爆撃に曝されるのを待つだけ。
 しかし、レ級の狙いはそこにあった。


「“人馬”の真骨頂……いいえ、人馬一体。戦艦レ級の真骨頂、今一度お見せ致しましょう!」


 戦艦に対しハの字を描く航空機群は、空中で交錯しないよう、タイミングをズラした爆撃が開始された。
 まずはハの一画目グループ。二時方向へ抜けながら、一斉に火の塊が落とされる。
 だが、レ級はそれと合わせて、船首に備え付けられた錨砲のうち、左舷側を海面へと撃つ。
 霊子により摩擦抵抗を極限まで低減された錨は、一瞬で水底にその身を固定した。
 グワン、と鋼鉄の軋む音。
 海面を横滑りする戦艦型端末。
 左方向へドリフトした戦艦は、見事に炎塊の雨を回避してみせた。

 驚いたのか、二画目グループの挙動がわずかに揺らぐも、二十機を四機ずつの小隊に分けて対処する。
 一つ目の小隊が、錨鎖を切って西北西へ逃げる戦艦に追い縋り、真後ろから爆撃を試みた。
 しかし、ここでレ級は再び副砲を増設。断続的な対空射撃を開始し、油断していた第一小隊を撃墜する。
 続く第二・第三小隊は、警戒心も露わに高度を稼ぎ、超高高度からの急降下爆撃を準備。同時に第四・第五小隊が左右の側面から接近。対空射撃の分散を狙う。


「残念。今度は後ろです。……ふっ!」


 ところが、レ級はまたしても奇抜な行動を選ぶ。
 突如として戦艦型端末が急停止。後進し始めたのである。
 隠し玉である船尾錨砲二基を後方へ射出。錨が固定されたのちに巻き上げ、回転ヒレ――スクリューも一気に逆回転させ、船体を引っ張ったのだ。
 普通の艦船には物理的に不可能であり、半分生き物である深海棲艦……それもレ級ならではの埒外挙動だった。
 虚を突かれた小隊たちは、慌てふためいているのが見て分かるほどの、ギクシャクした機動で戦艦を追うが、後進しながらの対空射撃で、鴨撃ちが如く墜落。球状航空機群は半壊した計算である。
 残っているのは、反転して北東から迫る一画目グループ。


「残るは二十機ですが……。全部落としてしまうのも大人気ないですか。うん、そろそろ詰めるとしましょう」


 油断なく空飛ぶ頭蓋を見つめていたレ級だが、ふと表情筋を緩め、端末を加速させながらしばらく北西へ進み、それから本来進むべき進路、真北へ艦首を向ける。
 瞬く間に第八戦速まで速度を上げた端末は、しかし留まる事を知らない。
 軍艦においても前人未到である四十五ノットを優に越え、その速度は実に百二十ノット。時速 二百二十二kmにまで達した。
 もちろん、レ級の戦艦型端末にここまでの速力は無い。霊子力場による摩擦抵抗の低減・浮力維持に加え、異常潮流――高速航路に乗ったのである。
 航空機とは比べるべくもないが、爆撃用意で開いていた距離が災いし、一画目グループが追いつく頃には、あるモノが水平線上に見え始めていた。

 かつてはキスカ島があった場所。
 人類側の観測によれば、わずかな岩礁すら無くなってしまった海域に、その円形台地はあった。
 そう、台地である。
 荒波のただ中に、巨大定規で成形されたような台地が出現していたのだ。
 高さはおよそ五十~六十m。全周数百kmはあろう側面には、わずかに傾斜がついている。
 人智の及ばぬ手段で作られたに違いない台地へと、レ級は艦首方向にある二基の主砲を向け、砲撃。
 爆発しないよう設定した砲弾は、整い過ぎた台地の平面に間違いなく突き刺さった。


「さぁ、王手です。このまま徹底抗戦するつもりなら、霊子散弾で無力化させて貰わなければなりませんが?」


 高速航路から降り、端末を右に回頭させつつ呼びかけるレ級。
 すると、前触れもなく台地が震える。
 地震ではない。台地そのものが“稼働”しているのだ。その証拠に、鏡の如く整っていた斜面全体が泡立ち始めた。
 魚卵にも見える泡が弾けると、中からは、歪んだ砲身を持つ五inch単装高射砲が姿を現す。
 乱雑に、しかし隙間無く斜面を埋め尽くされた砲は、全てがレ級へ向けられていた。
 物言わぬ台地から、濃密な戦意が漂ってくる。
 対するレ級も、不敵に微笑んだまま霊子力場を維持。一触即発の空気が漂う。

 そんな時である。
 突如、一機の球状航空機――先程まで飛び交っていたものとは違い、緑色の炎を宿す機体が戦場へと割り込み、周囲に思念を発した。


『モウ、止メテオケ……。味方同士デ、争ウノハ』


 レ級の脳内に響いたのは、空母水鬼の声だった。
 いや。レ級だけでなく、台地を稼働させている“彼女”にも、この声は聞こえているはずである。
 直属の上司に類する者の仲裁とあっては、従わない訳にはいかない。
 まずはレ級が霊子力場を解除。戦艦型端末も消失させる事で、戦闘放棄の意思を示す。
 静寂。
 上空を旋回する航空機と、コートのポケットに手を突っ込み、自身の尻尾へと寄り掛かるレ級。

 ややあって、台地をデコレーションしていた高射砲が崩壊。台地も海に沈み始める。
 奇妙な事に、あれほど巨大な質量が沈んでも、海面は穏やかなままだった。
 数分が経過すると、台地は水面下に消え去り、その上に居たと思われる人影が海へ降り立つ。
 白く、幼い少女だ。
 白い肌。白い長髪。白い袖無しのワンピースと、白いミトン。
 所々――襟元やミトンの縁、足首などに、黒い小さな四角錐を繋げた飾りを着けていて、頭部で髪留めとする二つは角の様にも。
 大きく見積もり、一百三十cmに届くかどうか。レ級と比べて頭一・五個分ほど低い。
 朱色に輝く瞳が、レ級を上に見据える。


「………………」

「お久し振りです。
 いえ、初めまして……と言うべきでしょうか。
 貴方はあの時、産まれていませんでしたからね。北方棲姫様」


 幼子を前に、レ級は深くこうべを垂れ、臣下の礼を尽くす。
 この童女こそ、レ級がまだ人間だった頃、キスカ島にて相討ちとなった巨大深海棲艦。人類側が呼称する所の、キスカ・タイプなのである。
 レ級の恭しい態度に、北方棲姫は花弁のような唇を開いた。


「……レ」

「はい? ああ、もうご存知なんですね。僕の名――」

「カエレ! オマエノコト、キライ!」


 ……が。
 すぐさまプクーっと頬を膨らませて、彼女はそっぽを向いてしまう。
 この世に産まれ落ちる直前……いや、産まれつつ砲火を交え、結局は産まれ直させられた相手だ。
 手荒い歓迎も、レ級を嫌うのも当然だろうけれど、まさかのお子様対応にレ級はたじろぐ。


「そ、そんなこと言わないで下さいよ……。敵対していたのは、僕がまだ人間だった頃の話で……」

「ウルサイ! オマエノ、オマエノ セイデ、ワタシハ……!
 コンナ……。コンナ、チンチクリン デ、マッタイラ、ナ、カラダ、ニィイィィ……ッ」


 身をかがめ、頭の位置を合わせるレ級に対し、北方棲姫がクワッと目を見開いたかと思えば、たゆん、と揺れる眼前の双丘に絶望。海面をミトンで叩きつつ咽び泣いた。
 確かにあの時、桐生≒レ級が邪魔をしなければ、北方棲姫は成人女性か、少なくとも十代半ば以降の少女を模して産まれただろう。双胴棲姫同様、サイズはともかくとして。
 ところが、実際の彼女は幼女である。紛うこと無き、幼女である。
 相討ちになったとは言え、深海棲艦の中でも特別な地位にある“姫”。
 生命力は極めて高く、完全には死ななかった事が災いし、肉体的に不完全な状態で、存在が固定されてしまったようだ。

 もはや産まれ直す事も、成長する事も出来ず、この星が終わるその時まで、永遠に幼女のまま。
 極々一部の倒錯した人間は、涙を流して万歳三唱しそうな状態であるが、この悲しみ様を鑑みるに、北方棲姫にとっては痛恨の痛手なのだろう。
 元凶だという自覚のあるレ級は、そんな彼女を慰めようと肩を叩く。


「悲観すること無いじゃありませんか。ほら、身体が小さければ被弾率下がりますし。
 それに、胸なんて動く時に邪魔なだけですよ? ちょっと飛び跳ねただけでも、無駄に跳ね回って痛いったら……」

「イヤミカ オマエッッ!?」

『レ級。女ノ子ガ人前デ、自分ノ オッパイ揉ンジャ駄目』


 溜め息をつき、自らの胸を揉みしだきながら、レ級は苦笑いを浮かべる。
 北方棲姫が背中に怒りの波動を宿し、上から見守っていた空母水鬼も、はしたないと彼女を窘めた。

 レ級は、かつて“人馬”の桐生と呼ばれていた男と、その傀儡艦である高速戦艦、霧島の統制人格とが融け合って産まれた。
 性の合一、正しき愛欲の力を説く古代インドの経典、カーマ・スートラの極致――あるいは、冒涜を体現した姿。はたまた、除災・富貴・夫婦和合・子宝の功徳を施す仏教神、歓喜天の化身か。
 いずれにせよ、故に彼女かれは産まれながら、開眼を果たすだけの素地を有した存在である。

 ここでいう開眼とは、霊子を操る能力に目覚める事を指すが、レ級がそう呼んでいるだけであり、そもそも正式な名称はない。紅緋の位というのも、適当に雰囲気で言っただけだ。
 仏教にも同じ開眼、開眼供養という言葉が存在するが、前者は悟りを開くという意味合いを持ち、後者は仏像や仏画などを新しく作り、最後の作業として仏に眼を入れることで、その霊を宿す儀式の事である。
 また、ヒンドゥー教で最も重要とされる三大神の一柱、破壊神シヴァは、その妃、パールヴァティの悪戯によって、額に第三の眼を開いた。これは神眼とも呼ばれる。
 そして、シヴァとパールヴァティの息子である象頭人身の神、知恵と幸運を司るガネーシャは、仏教に帰依する以前の歓喜天の姿とされ、密教において歓喜天は、抱き合う男女二天として多く描かれるという。

 閑話休題。
 二身の融合によって誕生し、稀有な“力”も有したレ級だが、肉体のベースは霧島で、精神のベースは桐生である。所作は女性のそれでも、女としての自覚には乏しいようだ。
 それがまた腹立たしいらしく、完全におかんむり状態となってしまった北方棲姫は、背中を向けて海面に座り込んでしまった。


「トニカク カエレ! オマエト ハナスコト ナンカ、ナイ!」


 小さな背中が、「サッサと消えろ。もう来るな」と語っている。
 さっきまで巨大な陸地を操っていたというのに、取りつく島がない。
 仕方なく、レ級は残念そうな顔を浮かべつつ、尻尾の口からビニール袋入りの“ある物”を取り出した。一抱えはある大きさの紙箱だ。


「そうですか……。残念です、お土産も買って来たのに……。無駄になってしまいました」

「オミヤゲ……?」


 ピクリ。北方棲姫が反応を示す。ソーッと、背後の様子を伺っている。
 レ級は心の中で「フィッシュオン!」と叫び、密閉されたビニール袋を開封。ワザとらしい演技を繰り広げた。


「ああぁ。せっかく変装して岩川基地まで出向いて、芙蓉印の零戦ラジコンを買って来たのになぁー!」

「……ナニ? ゼロ……!?」


 四角いラジコンの箱――空を背景に飛ぶ零戦の描かれたそれを掲げ、くるくるくる~、とレ級がターン。
 北方棲姫はもう完全に振り返り、前のめりに食い付いている。
 ニヤリと見えない位置で微笑んだレ級。次はしゃがみ込み、パッケージ写真を見せつけた。


「しかも数量限定の激レア品! 日本の撃墜王、二○三空の谷水 竹雄飛曹仕様な五二型です!」

「ォオオ……! アタラシイ、ゼロ……!」


 目を輝かせ、北方棲姫が歓声を上げた。
 両翼と胴体に日の丸が描かれ、胴体のそれと水平尾翼の間に、星がモチーフの撃墜マーク。垂直尾翼には「03-09」と印された、零戦五二型。
 飛行時間一四二五時間、三十二機の撃墜記録を誇る日本のエース、谷水 竹雄氏が駆った機体を再現した物である。
 ちなみに、岩川基地、芙蓉印という単語は、鹿児島県大隈半島に再建された海軍航空基地、岩川基地で活動する低強度能力者の航空隊……。通称、復活の芙蓉部隊の事だ。
 かつては、本土防衛を目的として大戦末期に敷かれた基地だが、彗星を運用する芙蓉部隊は夜襲を専門に行い、昼間は滑走路に牧草を敷き詰めるなどして、牧場に偽装。終戦まで存在を隠し通した逸話がある。
 そんな旧芙蓉部隊に倣ってか、現代の芙蓉部隊も、航空支援を行わない平時には一般業務――航空機模型・ラジコンなどの販売を行っていた。
 使役妖精の協力を得て作り出される航空機は細緻を極め、今や芙蓉印のラジコンは、世界のラジコンユーザー垂涎の逸品である。

 貴重な品であるのも事実だが、それを知っているのか定かでない北方棲姫が、ここまで零戦ラジコンへ興味を示すのには、他にもちょっとした理由があった。
 地球上からは既に、アリューシャン列島に含まれる島々の全てが消失している。北方棲姫の二度目の誕生に際し、取り込まれたのだ。
 そして、桐生と鉾を交えた記憶が、彼女の能力決定を大きく左右する。
 “人馬”の桐生に殺されかけた。日本の軍艦に殺されかけた。
 まだ北方棲姫と成る前の“意識”は、この事を深海棲艦の知性母体から知り得て、すなわち日本という国、およびそれに属するものは敵の一種だと学習した。
 二度殺されぬ為には、日本を打倒する力……。かつて打倒した存在の力を宿さなければならない。
 そこで目をつけた――いや。本能的に模倣したのが、アリューシャン列島はウラナスカ島にあった米海空軍基地、ダッチハーバーである。
 大戦当時、龍驤と隼鷹を基幹とした部隊が、この基地を爆撃した事もあるのだが、最終的に日本軍は、北方海域から撤退せざるを得なくなった。

 遥か昔。
 日本軍と連合国軍がしのぎを削った島々を胎盤とし、戦争の記憶を子守唄に、今度こそ産まれ出た“姫”は、こうして自らの存在を定義した。
 深海棲艦の中でも数少ない、基地型棲艦――北方棲姫と。
 レ級に対しては使われなかったが、あの台地は膨大な数の航空機運用能力だけでなく、数千~数万の深海棲艦を産み出し続けるだけの、驚異的な生産能力も持つのである。
 さらに付け加えると、レ級がそうであるように、彼女もまた、人と似た肉体の方が主体である。つまり、北方棲姫という名前にも関わらず、北方以外の場所へ移動が可能なのだ。
 彼女が人類に対してどれだけの脅威となるのか、考えるまでもないだろう。

 話を戻すが、北方棲姫が取り込んだ島々の中には、アクタン島という島も含まれる。
 上記の戦いの際、龍驤から発艦した一機の零戦二一型が、この島に墜落するという最後を遂げた。
 比較的損傷の少なかった機体は、米軍によって鹵獲。徹底的に研究され尽くし、零戦の弱点を丸裸にしたという。
 この「アクタン・ゼロ」と名付けられた機体に関する歴史が、彼女の中で零戦への固執となり、零戦ラジコンに目を輝かすという、可愛らしい個性を作り上げたのだ……と、思われる。
 無駄に長くなってしまったが、とにかく北方棲姫は零戦が好きだ、という事実を覚えて貰えれば良い。

 さてさて。
 このような事情を、空母水鬼から事前に聞いていたレ級は、万が一に備えて零戦型ラジコンを用意していたのだった。
 サングラスとマスクを着け、ダボっとしたズボンを履いて岩川基地に行ったのも本人である。
 ワクワクした顔で覗き込んでいる姿を見るに、効果覿面なのは明らか。
 ……なのだけれども、あえてレ級は北方棲姫にお預けを食らわせた。


「ですが、話すら聞いて貰えないんじゃ、渡す事も出来ませんし……」

「エッ。ァ、アノ……」

「いいえ、もう持っていても邪魔ですね。一思いに捨ててしまいましょう。あそーれ不法投棄ー!」

「アッ!? ダメェ!!」


 悲しそうな表情を作って、戸惑う北方棲姫から一歩二歩。
 振り返ったレ級は、まばゆい笑顔でラジコンの箱を全力投擲した。
 と言っても形だけで、距離はせいぜい四~五m。北方棲姫がダイビングキャッチに成功する。
 はふぅ、と溜め息をついた彼女は、箱を頭上に怒り心頭だ。


「バ、バカモノ! コンナモノ ステタラ、ウミガ ヨゴレル ジャナイカ!」

「これは失敬。浅慮でした。でも、どうしましょう? 僕は所有権を放棄してしまいましたし、拾った方の物になるんでしょうか」

「……ソ、ソウ、ナノ?」

「でしょうね。捨てちゃいましたので」

「ソッカ……。ソウナンダ……」


 とりあえず謝って見せるレ級だが、すぐさまラジコンの方に話を逸らす。
 不法投棄は当然罰せられる行為であり、許可を持たない者がそれを無断で回収する事も違法行為である。
 しかし、産まれて間も無い北方棲姫は世間に疎いようで、レ級の口車にまんまと乗せられていく。


「僕は興味がありませんし、どうせですから、取っておいたらいかがですか? 海を汚しちゃいけませんよね」

「……ダナ! ウミヲ ヨゴスノハ、ダメダカラナ!」


 ドヤ顔を浮かべ、北方棲姫が「ゼーロー♪」と歌いながら駆け回る。最後まで、受け取って貰う為の方便に気付かぬまま。
 一度は殺し合った二人だが、これから長い付き合いになるのだ。関係改善の第一歩としては、まずまずだろう。
 まぁ、御機嫌取りはオマケであり、本来の目的は別にあるのだけれど。
 そろそろ達成する頃合いだと、レ級はタイミングを見計らい、北方棲姫へ話しかけた。


「ところで、物は相談なんですが……」

「ン? ナンダ?」

「はい。貴方の支配する海域で、ちょっとした演習を実施させて欲しいんです」

「エンシュウ……? フーン……」


 小さな陸地を出現させ、その上で箱を開封する北方棲姫。
 目が完全に取説熟読モードだが、一応話は聞いているようだ。
 レ級が彼女の対面へ移動し、さらに続ける。


「僕はこの通り、“成り立て”ですから。
 皆さんの足を引っ張らないよう、もっと躯体に馴れておきたいんです。
 しかし、普通の傀儡艦では相手になりませんし、通常海域での訓練戦闘を見られる訳にも……」

「ナルホド、ソレデカ」


 基本的に深海棲艦は、訓練や練習などに準ずる行為を行わない。
 そんな事をせずとも、知性母体から行動ルーチンをダウンロードすれば、状況に応じて適切な行動を取れるのだから。
 上位種になると事情は変わってくるが、わざわざ演習などを行わないという点では同じだ。
 けれども、元が人間であるレ級の場合、そうは行かない。
 今まで統制人格を通じて制御していた物が、自らの手足と同じ感覚で扱えるようになった。
 これはつまり、コンピューターに数値を打ち込んで行っていた作業を、いきなり手作業で行わなければならなくなったに等しいのだ。
 簡単になる部分と、難しくなる部分。両方出てくるに違いないが、それを把握するにも、まず経験を積まねば。

 しかし、人類側の船を相手とするには時期が早く、かといって通常海域で訓練を行ったら、深海棲艦同士が戦っている所を、衛星などで捕捉される可能性がある。とても宜しくない。
 そこで出番となるのが、広範囲にわたる環境操作能力を持つ“姫”なのだ。
 北方棲姫の場合、小さな身体に北方海域全ての情報を内包しており、それを強く意識することで、周辺環境を変化させる事ができる。これには電子的視界への欺瞞効果も含まれていた。
 彼女はこの能力に長けており、故に人類は北方海域の現状を知り得ないのである。
 その支配する海域であれば、どれだけ派手な事をしても問題ないだろう。

 ……と、いう訳で。
 安心安全な場所で特訓させて貰うために、はるばるレ級は北方海域までやって来たのだ。
 北方棲姫は、仕方がない奴だなぁ、的な雰囲気を出しつつ、鷹揚に頷いた。


「ワカッタ。キョウハ キブンガ イイ。トクベツニ、ワタシガ マモッテヤロウ ジャナイカ」

「助かります。あ、これ保証書です。箱もきちんと、大事に保存しておいて下さいね。プレミア付きますから。では……」

「ア、ウン。ワカッタ。ダイジニ スル………………ハッ!? コ、コンカイダケ、ダカラナ! モウ クルナヨ!?」

「はーい。失礼しまーす」


 快諾を得られた事で、レ級の顔にも笑みが浮かぶ。
 最後に、一枚の紙と注意事項を言い残し、彼女かれは立ち去った。
 北方棲姫も、一旦素直に受け取るのだが、そうしてしまったが悔しいようで、怒鳴り声をコートの背中に返す。
 疎んじられているはずのレ級は、けれど楽しげに手を振り返し、今度こそ立ち去っていく。
 滑るような足並みの背後から、微かなモーターの駆動音が聞こえていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ん~、ん~ん~ん~んん~ん~、ん~ん~ん~、んん~」


 北方棲姫と別れてから数時間。
 鼻歌を唄いながら、レ級がステップを踏んでいる。
 右脚で大きく一歩。揃えた左脚を浮かせ、その場で半回転。左脚で強く海面を蹴り、後ろ向きに数歩の距離で着地、また半回転。デタラメなリズムを蹄が刻む。
 周囲に視界を遮るものはなく、一面の青の世界で、異形の少女が軽やかに踊る。
 その本性を知らぬ人間が見れば、幻想的にも思えるだろう光景だった。


(自分の脚で歩くって、やっぱり楽しいな)


 身体と同じように、レ級の心は弾んでいた。
 人間のそれとは少々……。かなり形が違うけれど、自由に脚を動かせるというだけで、年甲斐も無くウキウキしてしまう。
 太腿を持ち上げる時の、筋肉への負担。
 関節を曲げ、狙った所に脚を置く難しさ。
 大地と海面を踏みしめる、感触の違い。
 その全てが、レ級の世界を色鮮やかに染め上げるのだ。


「ふん、ふん、ふふん、ふん。ふっ、はっ、とうっ」


 ついには、単なるステップから跳躍、全力疾走、側転バク転バク宙へ発展。縦横無尽に海上を走る。
 三回転ひねりの着地を決めた時などは、誰も見ていないというのに、体操選手の如きポーズをしつつドヤ顔まで。いや、誰も見ていないからこそだろう。
 こんな姿、誰かに見られたとしたら……。


「……何ヲ、シテイル?」

「ほわぁ!?」


 背後からの声に、思わずつんのめるレ級。
 どうにか転ばずに振り向くと、そこには黒いセーラー服の少女――空母水鬼が立っていた。
 心底不思議そうな顔で、小首を傾げている。
 今までと違う箇所を探すならば、虚ろに口を開けていた左眼が、刀の鍔を模した眼帯で隠されている所か。
 その遥か後方には、ポツリポツリと、小さな艦影が幾つもあった。


「な、なんだ、貴方ですか。到着してるなら声を掛け……たんですね、はい……」
 

 若干頬を染めたレ級は、特に汚れてもいないコートの露を払う仕草。流石に恥ずかしかったらしい。
 珍しく微笑んだ空母水鬼が、彼女かれの隣へ並ぶ。


「随分ト、楽シソウダッタ」

「ゔ。そ、それはまぁ……。二十年来の願いが叶ったわけですしね。楽しいというか、嬉しいですよ、もちろん」


 バツが悪そうに頬を掻いた後、レ級は自身の脚を撫でる。
 人として持ち得た脚は歩く事に用を為さず、それが“彼”にとって最大の劣等感だった。
 預けられた施設で善人に囲まれても、能力に目覚めてエリート街道を進み始めても、“出来損ない”と背を向けられた記憶は消えなかった。
 脚を機械に置き換えようと考えた事もあったが、故 吉田と同じく、原因不明の人工インプラントへのアレルギー症状――サイバー義肢嫌悪症まで持ち合わせては、どうしようも無い。
 しかし今、彼女かれは自らの脚を使い、歩くことが出来る。
 全ては“彼女”の……。その身を捧げてくれた、霧島のおかげ。だからレ級は、この身体が愛おしくて仕方がないのだ。
 揺れると痛かったり、ちょっとした不便はあるものの、これは間違いなく二人の、愛の結晶なのだから。
 心臓が一拍、やけに強く脈打った。


「……あ」

「ドウシタ……?」

「ああいえ、霧島が……。あの子も、喜んでくれているみたいで」

「……ソウカ。羨マシイ、ナ」


 感じる温かさに、レ級は自然と微笑む。
 この躯体を支配するのは、かつて桐生と呼ばれていた“彼”だが、“彼女”の意思は消えることなく、この躯体を満たしてくれる。
 最早、手を重ねる事も、言葉を交わす事も叶わないけれど、決して離れる事はない。
 歪んでいるように見えようとも、これが二人の形なのだ。それを選べなかった空母水鬼には、眩しく思えた。

 しかし、いつまでも立ち話をしていては、油を売っているも同然。
 めい一杯に背伸びしたレ級が、「さて」と気を取り直す。


「本題に入りましょうか。例の方は連れて来て頂けましたか?」

「アア。ソコニ居ル」


 問われた空母水鬼が、右後方を振り返る。
 すると、穏やかだった海面から、四つ目の奇怪な生物――を模した頭部外装を被る、一人の女が顔を出した。
 上半身しか確認できないが、恐ろしく長いと思われる黒髪を身体に纏わせ、男であれば垂涎必至の、豊満なスタイルを隠している。青い瞳は虚ろだが、必要となればそれは黄金色に染まるだろう。
 深海棲艦、潜水 ソ級 旗艦種。これが彼女の名前だ。
 北方にも潜水級は存在するのだが、その多くは選良種止まり。北方棲姫の生産する艦船も同様であるため、空母水鬼がわざわざ南方から連れてきたのである。
 レ級は脚部を折り畳み、頭の高さを合わせた。


「初めまして。戦艦レ級と申します。以後お見知り置きを。本日は、折り入ってご相談がありまして……」


 丁寧な挨拶に、ソ級もペコリも頭を下げた。
 雑級種の彼女だが、霊子受容性が高い――感受性が高いとも言い換えられる――旗艦種は、個々に知性の芽生えがあるため、こうした反応を返せるのである。
 知能レベル的にはまだ子供ほどでも、いつかは昇華も可能な相手。レ級は慇懃な態度で敬意を払う。


「知性母体からの情報で御存知と思いますが、僕は色々な船の特徴を複合化した、新機軸の端末を保有しています。
 豊富な攻撃手段と火力、弩級戦艦の防御力、その上で駆逐艦以上の速力。“鬼”にも負けない自信がありますっ。
 ……が、手放しには褒められない、欠点――というか、習性? みたいな部分もあって、困ってるんです……」


 困り顔で腕を組むレ級に、そうなんだー、といった感じで小首を傾げるソ級。
 身体は肉感的なのだが、妙に仕草があどけなく、アンバランスさが強調されていた。
 深海棲艦側の潜水艦は、人類側の潜水艦よりも耐久性に優れ、酸素魚雷に負けず劣らずな雷撃力を持つ。
 弱点と言えば、やはり水上艦型に比べると脆く、雷撃しかまともな攻撃手段が存在しない事、だろうか。

 それに引き換え、レ級の戦艦型端末には、弱点らしき弱点など無いように思える。
 耐久性と攻撃力はもちろん、レ級固有の常軌を逸した機動力に、爆撃機でのアウトレンジ攻撃。
 防空能力も決して低くはなく、走攻守の揃った完璧な戦艦だ。どこぞのイタリア戦艦のように航続距離が短い訳でもない。
 そんな彼女かれが言う欠点とは、一体いかなる物なのか。


「実は僕、潜水艦を見ると……」


 言い辛いのか、単に勿体振りたいのか。とにかくレ級は溜めを作る。
 ゴクリ。ソ級も唾を飲み込み、空母水鬼だけが我関せずと枝毛を探していた。
 微妙な緊張感が漂う中、レ級の語った言葉は……。


「……対潜攻撃、したくなるんです。無性に」


 ソ級を急速潜行させた。


「あっ!? 待って、待って下さいっ、攻撃なんてしませんから! 爆弾落としたりしませんからぁ! ソ級さんカームバーーーック!!」


 スーッと音もなく潜行したソ級へ、レ級が四つん這いになり呼び掛ける。
 必死さはなんとか伝わったようで、また音もなく戻ってくる彼女だったが、身体はプルプルと震えていた。
 目尻には大粒の涙が溜まり、身を庇うように己を抱きしめ、イジメない? 本当に? ソ級沈まない? と、怯えた表情で訴えている。
 誤解を恐れずに表現するなら、言葉巧みに路地裏へ連れ込まれて身包み剥がされた、顔は地味目でもボディラインの主張が激しいグラビアアイドル……といった所であろう。
 十八歳未満は閲覧禁止な展開が繰り広げられそうだが、あくまで例えである。悪しからず。

 それはさて置き、ソ級が怯えるのも至極当然だ。
 レ級の使う艦載機――仮称 飛び魚艦爆は、文字通り飛び魚に似たフォルムが特徴なのだが、搭載される爆弾も特別製であり、質量・運動エネルギーで装甲を貫いたのち、敵艦内部で無数の小型爆弾を散布するという仕様である。
 通常爆撃の威力はもちろん、空中で散布するよう設定すれば、対潜攻撃にも素晴らしい効果を発揮する。知性母体から与えられたこの情報が、ソ級に身の危険を感じさせているのだ。
 それを察したレ級は、拳を握って「ご安心を!」と力説した。


「今回の演習は、この悪癖を治すために行うんですから。大丈夫ですっ。
 ソ級さんへ攻撃が行かないよう、空母水鬼さんがしっかり守ってくれますので。ね?」

「……ン。安心、シロ」


 引き合いに出された空母水鬼も、枝毛の駆逐を中止して頷く。
 訓練と言うからには、戦闘には飛び魚艦爆を使用するわけだが、その周囲を空母水鬼の艦載機が取り巻く予定なのである。
 こうしておけば、つい対潜攻撃をしそうになった艦爆の行動を妨害。レ級にお仕置きも出来る。万が一にも、ソ級へ攻撃が向く事はないのだ。
 ちなみに、標的とするのは統制人格の宿らない水上艦――人類側の無人艦船だ。動かないのは退屈だが、犠牲になる命も存在しないので、そういった意味では安心である。


「……という訳で。ソ級さんには、標的艦隊の間をウロチョロして貰って、僕の注意を適度に引きつけて欲しいんです。
 僕は潜水艦である貴方を無視し、水上艦への攻撃を継続して行えるよう、頑張りますので。
 あ、僕が霊子誘導体を務めますから、力場障壁も使い放題ですし。お願いできませんか?」


 レ級の懇願に、ソ級は悩む。
 一歩間違えれば大損害を被る可能性は捨てきれないが、安全への配慮も理解できた。
 力場障壁を併用しながらであれば、まず轟沈は避けられるだろう。それに、ここまで頼み込まれて断るのも、後味が悪い。
 承諾することを決めたソ級が、いいよ、と頷いて見せる。


「良かった……。それでは、本日はよろしくお願い致します」


 ホッと胸を撫で下ろしたレ級が、改めて頭を下げる。ソ級も、こちらこそ、と同じように。
 潜行しながら離れていく彼女の姿が見えなくなれば、わずかに海が震え始めた。
 程なく、海中から剣が飛び出す。いや、剣のように鋭利な艦影の潜水級が、急速浮上したのだ。
 同化しているようで、今まで話していたソ級の姿は見えない。それでも船体からは、がんばるね、という思念が飛んで来た。
 レ級は「よろしくー」と手を振り返し、気合い一閃。再構築した戦艦型端末を、背後百mほどに出現させる。
 突如として出現した大質量体が、四万トン近い海水を押しのけた。


「じゃあ、空母水鬼さん」

「アア……。ソ級ヘ意識ガ向イタラ、容赦無ク爆弾ヲ落トス。ソノ ツモリデ、居ロ」

「了解です」


 うねる波に身体を上下させながら、自らの端末へ向かうレ級。
 その後ろ姿を見送りつつ、空母水鬼も意識を集中する。
 向ける先は、空で待機させていた球状艦載機群。高度を降ろし、戦艦型端末を目視する距離へ。
 一回の跳躍で甲板に飛び乗ったレ級が、艦橋の更に上まで登って行く。
 そして彼女かれは、己の胸に手を置き、小さく呟いた。


「僕はここに居る。貴方も、ここに居る。一緒に強くなりましょう。また、最初から」


 端末の発動機が唸りを上げた。まるで、返事をするかのように。
 レ級は儚く微笑み、脚を踏み出す感覚をイメージ。
 遮る物のない、一面の青の世界で。戦艦レ級が、新たな一歩を踏み出した。





「……水鬼さん」

「………………」

「確かに爆弾落とすとは言われました」

「……スマナイ」

「でもですね。何も僕の頭にピンポイント爆撃するこたぁ無いんじゃありません!? 本気で死ぬかと思いましたよ!?」

「……ダカラ、ゴメン……ツイ……」

「これがゴメンで済んだら警察なんて要らないんですっ! どうすんですかこのアフロヘアー!?」

「……似合ッテル、ゾ?」

「う・れ・し・く、なぁぁあああいっ!!!!!!」

(ケンカしないで……と、ソ級がオロオロしている)




















 ほっぽちゃーんっ! 俺だぁーっ! 二隻目の明石をヨォォコセェェエエエッ!!(血走った眼)
 という訳で。「幕間 レ級、北へ」でした。まぁ、まんまなタイトルでしたねー。たぶん他所でもやり尽くされたネタでしょうけど、一回はやっておかなきゃいけませんよね?
 完全にレ級として生きる“元”桐生提督atアフロ。ラジコンに夢中なユージロー幼女。見た目は大人、頭脳はお子ちゃまな潜水ソ級。シリアスどこ行った。
 こんな感じで番外編を終えて、次回更新から第四章の開始です。
 舞台は、舞鶴事変から四ヶ月後。新たな春を迎えた横須賀となります。イベント前に更新できれば良いなぁ……。
 それでは、失礼致します。


「ん~……っかぁ。ようやく、アタシらの出番だってねっ」
「そのようだ。雪風にも負けぬ我が戦歴、伊達ではないぞ」
「うんうん。気張っちゃるけぇ、うちらにぜ~んぶ任しとき!」
「……と、いう訳で。第十七駆逐隊、初のお目見えとなります。もう少しだけ、待っていて下さい」





 2016/01/16 初投稿
 2016/01/29 緊急連絡。我が艦隊に、朝霜ちゃんが……キタァァアアアッ!! 私は物欲センサーに勝ったぞぉおおっ!!
       ……と、これだけではあれなので進捗も。現在の進行状況は60~70%です。イベ中更新になるやも知れません。もうちょっとお待ちを。







[38387] (略)那珂ちゃん(略)巡業記! その五「那珂ちゃん、パワーアーーーップ! ……したような気がそこはかとなくする感じなんだけど、そこの所どう思う? あ、うん。そうだね、夜戦だね。聞く相手間違えた……」
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/03/19 12:31





 ふと気がつくと、■■■は狭い部屋に立っていた。
 執務机。書き損じの書類。港の見える窓。朝。
 見覚えがあるような、ないような。不思議な感覚だった。
 どうして、こんな所にいるんだろう。


(……あれ?)


 部屋を見回そうと首を振って、違和感を覚える。
 なんだか、頭が重い。風邪をひいている時の感じじゃなくて、物理的に。
 手で触ると、滑らかな髪の感触が、手袋越しに伝わってきた。
 手袋? ああ、そっか。手袋つけてるんだ、■■■。


(ここ、どこだろう……。執務室、なのは分かるけど)


 もう一度、改めて周囲を見回すと、部屋の隅――簡易クローゼットの脇に、一人の少女が立っていた。
 セーラー服を着た、長い黒髪の、年若い女の子。
 よくある長袖のセーラー服だけれど、肩から二の腕が露出する……なんて言うんだろう。分割袖、セパレート・スリーブ。とにかくそんな感じだ。
 黒いオーバーニーソックスと、白い手袋。履いている上履きだけ、やけにくたびれている。
 髪は太もも辺りに届くほど長く、白いリボンで中程を結っていた。
 そんな少女が、不思議そうにこちらを伺い……。
 なんとなく会釈すると、全く同じタイミング、全く同じ角度で、彼女も会釈を。


(……あ、違う。これ■■■だ)


 怪訝な顔まで同じに動き、そこでようやく、姿見があるのだと理解する。
 つまりあの少女は、自身の姿。
 近づいて、右手を上げたり、左手を上げたり。後ろを向いて肩越しに振り返ったり、ニッコリ笑顔を浮かべてみたり。
 もちろん笑顔が返されて、ちょっと可愛いかも、とか思ってしまう。ナルシスト? なんかヤダ。

 こんな風に、ほへぇ~っと自己観察していたら、近づいてくる“何か”の気配に気付いた。
 部屋の外。革靴。反射的に、机の前へ戻って直立不動になる。
 ガチャリ。背後でドアの開く音が。


「……■■」


 男性の声に呼び掛けられた。
 何か、ノイズのようなもので掻き消されたけれど、その声の主は■■■を呼んだのだと、直感した。
 呼ばれたのだから、こちらも返事をしなければ。


「……あ、はい。なんでしょうか。何か御用ですか?」


 振り返ると、白い詰襟を着る男性が、■■■をジッと見ていた。
 なんでだろう。見えているはずなのに、顔がよく分からない。
 眼も、鼻も、口も、眉毛も。個々のパーツはキチンと認識できるのに、それを統合しようとすると、モヤが掛かってしまう様な、奇妙な感覚。
 しかし不思議なもので、不愉快ではなかった。むしろ安心できるような気がして、■■■と彼は見つめ合う。
 ジッと。
 うん、ジッと。
 ……や、何か反応して下さいよ。


「あの……? おはよう、ございます……? き、聞こえてますかぁ~……?」

「……しゃ」

「しゃ?」

「喋ったぁああぁぁあああっ!?」

「わっ」


 全く動こうとしない男性を覗き込むと、彼は突然、大声を張り上げながら尻餅をついてしまった。
 ■■■も驚いて、ビクッと後退りしてしまうけれど、彼の方は後ろ向きにワサワサ、壁を背にして「あばばばば」と泡を食っている。
 そ、そんなに驚くこと? 喋っただけなんですよ、■■■。


「に、二佐、二佐ぁー!? ■■が、■■がぁーっ!?」

「なんだ、朝っぱらから騒々しい」


 彼が大慌てでドアの向こうへ呼びかけ、程無く初老の男性が入室して来た。
 白い詰襟は同じなのに、この人の方が着慣れているような印象。
 初めて会った……はずだけど、前から知っている気もする。あ、これは彼に対してもそう。というより、彼の方によりシンパシーを感じる。
 とりあえず、手持ち無沙汰なので挨拶をしてみよう。二佐、って呼べば良い、んだよね?


「おはようございます、二佐。良い天気になりましたね」

「うむ、おはよう。そうだなぁ、こんな日に海へ出れば、昔は大漁で食べ切れんほどの喋ったぁああぁぁあああっ!?」

「うわぅっ」


 ■■■は初老の男性にお辞儀。その人も朗らかに笑い返してくれたと思ったら、彼と全く同じように尻餅をついて、ワサワサと彼の隣へ。
 び、ビックリしたぁ……。なに? 新手のドッキリですか? 驚かれてる■■■の方が驚くんですが?


「なななななななな、何が、何事だっ!? 何故、何故に■■がっ?」

「でしょう? でしょうっ? 驚くでしょう!?」

「……なんだか珍獣扱いされてるみたいで、少しイラっとするんですけど」

「は? い、イラっと?」

「どういう事なのだ、これは……」


 手と手を取り合い、うなずき合い。二人の殿方はこちらを思いっきし指差している。
 そんな気は無いんだろうと思うけど、馬鹿にされてるみたいでなんかイヤ。
 ■■■の反応にも、彼らは首をひねるばかり。聞きたいのはこっちですってば。
 なんて考えていたら、部屋の外から小さな足音が。軽快なリズム。誰か、走ってる?


「あーもー! さっきからウッセーッ! いい歳して朝から騒いでんなよアンタら!」

「おう、■■■か。いやしかしな……」

「そ、そうだぞ少年。今まさに、驚天動地の出来事がこの部屋で起きていてね?」

「はぁ? 何を言って……」


 あ、今度は男の子だ。
 怒鳴り声と一緒に駆け込んで来たのは、またも白い詰襟を着た男性。といっても、十歳くらいの男の子。下が半ズボンになってる。
 ……男の子、だよね? ボーイッシュな女の子にも見えるけど。
 その子は■■■を見て、物凄ーく不機嫌そうに顔を歪めた。
 な、なんだか乱暴そうな子……。声を掛けたらまたビックリされちゃうかな……。でも、黙ってるのもアレだしなぁ……。


「お、おはようござい、ます……」

「………………」


 ビクビクしつつ、なんとか朝の挨拶をしてみると、意外にも、なんの反応もなかった。
 男の子は■■■をジッと見つめ、微動だにしない。
 あ、あれ? 驚かれるのもイヤだったけど、反応がないっていうのもちょっと寂しいな……。
 それを訝しんだのか、彼らは男の子の側へ。膝を折って顔を覗き込む。


「お、おい、少年。どうした、少年?」

「……いかんな。コヤツ、立ったまま気絶しておる」

「ええぇ……。なんですかそれ……」


 挨拶しただけで気絶されるとか、どんだけ……。
 もしかして■■■、他人から見ると凄いぶちゃいくさんだったりするの……?
 そうだったら傷付くんですけど……。本気で泣くよ……?

 チュンチュン、と雀の鳴く声が聞こえる、爽やかな朝。
 整然とした執務室には、なんとも言えない、微妙な雰囲気が漂うのでした。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「きゃっ!?」


 一陣の風が吹く。
 桜並木を駆け抜けたそれは、桃色の花びらと共に、紺色のスカートをも巻き上げる。
 慌てて裾を抑えるセーラー服の少女――暁型駆逐艦三番艦・雷が、ムッとした顔で空を見上げた。


「もう、やらしい風……」

「大丈夫かい、雷」

「うん。ちょっとビックリしただけだから」

「むしろ、響は動じなさ過ぎよ。レディーなんだから、スカート押さえる位しないとっ」

「……見られるとしても、相手はヨシフしか居ないよ。気にすること無いさ」


 ワン、と鳴く大型犬――ヨシフを引き連れ、雷のそばに姉妹が集まってくる。
 乱れた髪を整え、巻き込まれてしまった花びらを取ろうとする暁と、散歩用品が入ったウェストポーチを身に付け、リードを持つ響の二人である。
 ちょうど、日が最も高くなった頃合いの、横須賀鎮守府にて。三人と一匹は、桐林艦隊宿舎周辺を散歩しているのであった。


(綺麗……。だけど……)


 舞い散る桜を眺め、雷はふと、寂しさを覚えた。
 古くから日本人が美を見出す、見事な散り際も然る事ながら、隣に居るべき……。居て欲しい人の気配を感じられないからだ。
 それは、舞鶴事変以来、ずっと塞ぎ込んでいる末っ子――電だけではない。
 もう一人。思わず後ろ姿を探してしまう人物が、ここには居なかった。
 本当ならその人と、二度目の桜を見て、花見でもするはずだったのに、今年はきっと叶わないだろう。……いや。これから先、叶うのかすら分からない。
 この事実が、小さな胸を切なくさせた。


「……あ。あの後ろ姿って……?」


 そんな時、暁が喜色満面に前方を指差す。
 いつの間にか、宿舎の玄関が見える所まで戻って来ていたようだ。そして、玄関口に立つ数人の人影も見える。
 オレンジ色の衣装。白と青のセーラー服と、黒を基調としたセーラー服に、ベージュのセーラー服を着る少女たち。三人と、二人が三グループ。
 中でも一番に華やかな少女が振り返り、雷たちへ大きく手を振った。


「あ! 暁ちゃんに響ちゃんに雷ちゃん! たっだいまーっ。那珂ちゃん、ただいま帰りましたよーっ! ヨシフも久し振り――んべ、ちょ、顔はらめ、ぶあ」


 ……が。突如として駆け出したヨシフに飛び掛かられ、その少女――那珂は見るも無残な有様に。
 べろんべろん舐めまくられている彼女を他所に、雷たちは、長い長い派遣演習から帰還した仲間を、笑顔で出迎える。


「お帰りなさい、那珂さん。川内さんに神通さんも」

「はい……。ただいま戻りました……」

「やー、時間かかったね、今回は。おかげでたっぷり夜戦できたけどさ!」

「はぁ……ふぅ……。ううぅ、顔がくちゃい……。せっかくのおニューだったのに……」

「あーあー、だいじょーぶ? ハンカチ……持ってないや。大井っち、ある?」

「はい。持ってますけど……。北上さん用の新品は駄目なので、こっちの使い古しをどうぞ」

「素直に喜べないよぅ。でもありがとぉ……」


 まずはオレンジ色の衣装を着た、川内型の三人。
 たおやかに雷へと頭を下げる神通、昼間なのに珍しくツヤツヤした顔の川内はいつも通りなのだが、響に怒られているヨシフの横で、涎まみれになった那珂だけは、今までと様子が違っている。
 黒いスカートと、それに掛かる裾が六枚の花弁にも見える、オレンジ色の上着。これが川内型の基本衣装なのだが、那珂が今着ているそれは、まるで舞台衣装のようだった。
 二色だった衣装に白が加わって、スカートがフリル満点の三層構造になったり、白いオーバーニーを履いていたり。まさしくアイドル、といった格好だ。
 顔面が涎まみれでなく、衣装に犬の足跡が残っていなければ完璧なのだが。

 残念無念な那珂を助けている重雷装艦の二人も、彼女と同じく服装の趣が変化している。
 これまでは濃緑が基調のセーラー服だったが、全体的な色味がベージュになり、抹茶色のラインなどがアクセントとして加えられている。
 加えて、スカートの丈が若干短くなっており、上着に至ってはヘソが見えるほど。春も半ばという気候でなければ、お腹を冷やしていたかも知れない。

 そんな五人に続き、白と青のセーラー服を着る二人――加古、古鷹と、暁、響がお喋りを始めた。


「みんら、げんきらねぇ~……。あたひゃにぇむい、にぇむくてひかたにゃいぃいぃぃ……」

「もう、加古ったら。だらしないよ?」

「……えっ!? この人、加古さんなの!?」

驚いたУдивленный……。雰囲気がまるで別人だね」

「中身は全く変わってないんだけど……。どうせなら、もっとシャキッとして欲しかったなぁ……」

「だって眠いんだよぉ~う……。向こうじゃロクに眠れなかったしさぁ……」


 ほとんど目を閉じ、古鷹に寄り掛かる加古と、それを支える苦笑いの古鷹。
 響の言う通り、彼女たちの衣装もまた、那珂とは別の方向性に変化している。

 以前は明るい水色と白のセーラー服が基本衣装だったが、水色が深い紺色に変わり、より落ち着いた印象を放っていた。
 古鷹はさらに黒いインナーを着込み、右足は普通のハイソックスを履き、左足はオーバーニーを。加えて、艤装状態では砲塔に包まれる右腕も、黒いインナーが完全に覆っている。

 対する加古も同じインナーを着込んでいるが、彼女における一番の変化は、その風貌だ。
 以前は悪ガキに通じる快活さと、コアラやナマケモノに通じるだらしなさの同居が特徴だったが、今の加古を例えるなら……。
 喧嘩に興を求める女番長、であろうか。気怠い雰囲気が消え去っていて、暁が驚愕したのも無理はない。
 かつて前髪を留めていた髪留めは、あの戦いの後、なぜか二度と手元に戻る事はなかった。身体の一部と言える物なのに、である。
 それ故、落ちてくる前髪で加古の左眼は隠れ、着崩した制服が剣呑な雰囲気を醸し出している。古鷹に寄り掛かる姿も、傍からみれば不良に絡まれたクラス委員、といった様子だ。

 もっとも、加古の本性を知る仲間にとっては些細な変化らしく、今度は黒を基調としたセーラー服の二名が、自らの変化を元気よく、そして静かに主張した。
 ビシッと挙手をする夕立と、ゆったり微笑む時雨である。


「はい! 夕立は背も伸びたっぽい! 大人っぽくなったっぽい?」

「最初は違和感があったけどね……。急に世界が小さくなったみたいで」

「けど、けっきょく眼の色が戻らなかったのはちょっと困るっぽい~。これじゃあ、なんだか悪役っぽ~い」

「あはは……」


 両手で自身の頬を挟み、ムンクの叫びが如くブーたれる夕立。
 彼女の出で立ちは、白襟の黒いセーラー服姿なのは同じままだが、プリーツスカートの裾に赤いラインが入り、星型の徽章を襟に着け、真っ白なマフラーと黒革の指抜きグローブまで追加されていたりと、細かな部分に変化が生じている。
 しかし最大の変化と言えば、金髪碧眼が特徴だった彼女の眼が、燃える炎のような赤眼になってしまった事だ。毛先も赤味を帯び、黄金が赤熱するかの如くグラデーションしていた。
 身長も六頭身から七頭身に伸びており、中学生が高校へ入学し、ついでに厨二的な高校デビューを果たした、といった様子である。

 ところが加古同様、中身は一切変化していないらしく、ぴょん、と犬耳のように跳ねた金髪に、時雨は苦笑いを浮かべた。
 そんな彼女も外見に変化が起きているのだが、夕立ほど顕著ではない。
 身長が伸びて、胸元を飾るリボンがネクタイ状になり、夕立と揃いの指抜きグローブを着けている程度だ。髪の跳ね具合も同じだろうか。

 川内と神通を除いた面々が、こうまで大きな変貌を遂げたのには、もちろん理由がある。
 彼女たちが派遣された先……。舞鶴鎮守府で受けた、改二改装の結果なのだ。


「みんな、無事に改二改装を終えたのね。予定では古鷹さんたち六人だけって聞いてたけど……。とにかく成功して良かったわ、おめでとう!」

「雷ちゃん、ありがとぉー! これからも那珂ちゃんのこと応援してね?」

「もちろんっ。まぁ、那珂さんだけじゃなくて、他のみんなもだけど。でも、二人は……?」

「私たちは……その……。成功しそうな気はするんですが……」

「なんて言うかさ。今はまだ“その時”じゃないと思うんだよね。だから、今回は那珂だけ」

「そうなんだ……」


 舞鶴事変から、およそ四ヶ月。一つの季節が過ぎ去った現在、彼の地は最新鋭技術が集う、対 深海棲艦戦線の第一線となっていた。
 そしてこの度、七隻の船が改二となったのである。
 主兵装の更新や、生存性を高めるための機関部のシフト配置化、各種電探の配備など、様々な改装が行われた。
 外見的にさほど変化していない船もあれば、性能を含め、まるで別物になった船もある。古鷹型の二隻は後者だ。
 これが統制人格の外見の変化に繋がっているようだが、特に、日本で初めての改二駆逐艦となった夕立と時雨を見て、暁がワナワナと震え始める。


「改二……。私も、改二になれば……」

「暁。取らぬ狸の皮算用は、止めておいた方が良い。北上さんと大井さんは身長が変わっていないよ」

「だっ、誰も身長の事なんて言ってないわ!? 例え背が低くったって、レディーはレディーらしい振る舞いをすれば……」

「じゃー、胸? 白露型の二人は若干増量したよね、見た感じ。あたしと大井っちは露出が増えた位だけど」

「そうかも知れませんね。あ、北上さんはそのままでも十二分に、いいえ、そのままの北上さんこそが黄金比です! 変わる必要なんてありません! 服は別として!」

「大井さん、鼻血鼻血」

「あら失礼」


 ダクダクと垂れ流される鼻血を見て、雷がティッシュを差し出し、大井はいそいそと膨らんだ鼻にティッシュを詰める。
 北上の事が好きで好きで、大好きで仕方ない彼女にとっては、今まで隠れていた部分が見られるようになったこの状態、願っても無い事なのだろう。
 人間のように成長する事ができない統制人格だが、改二になれば一縷の望みがある。常から大人の女性に憧れる暁にも、この変化は非常に羨ましいようだ。
 もちろん、北上たちと同様に肉体的な変化が一切起きない可能性もあるけれど、言わぬが花か。

 楽しげに談笑し、笑顔を浮かべる少女たち。
 一見、ありふれた日常風景にも見えるが、しかし胸の内では、全員がもどかしさを抱えていた。
 聞きたい事がある。でも聞きづらい。
 話さなければならない事がある。けれど口が重い。
 皆が皆、本心を隠して笑い合うのだ。ふとした瞬間に間が開き、気不味い沈黙が漂う。
 それをどうにかしようと、雷が率先して声を上げた。


「えっと……。立ち話もアレだし、入りましょ。みんなにも顔を見せてあげて?」

「そうですね。ほら、加古! ちゃんと歩いてったら!」

「らってにぇむいんらもぉん……。ぐー、くかっ」

「あ、歩きながら寝てるわ……」

凄いねХорошо


 暁型の三人とヨシフに続き、古鷹を始めとした派遣組みが宿舎の玄関をくぐる。
 響がヨシフの足を綺麗にしたり、ガヤガヤと上履きに履き替えたり。
 程なくして十人と一匹は、待機組みがごった返しているであろう、食堂へのドアを開けた。


「たっだいまー! 艦隊のアイドル那珂ちゃんが、装いも新たに帰っ――」

「お帰りっ、夕立、時雨! 一番だよね? 私が一番の出迎えだよねっ?」

「ブブー。残念、白露ちゃんは四番目っぽい!」

「ごめんね。表で散歩中の暁たちに会ったから……」

「ガガーン!? この白露が四番手に甘んじるとは……。でも! 宿舎の中では一番だよね? だったらOK!」

「完スルー……。けど那珂ちゃんヘコたれないもんっ。改二メンタルは伊達じゃないゾ☆」


 多くの統制人格がくつろいでいた中、真っ先に駆け寄ってきたのは、当然のように白露であった。
 一番にこだわる割りに、結構な確率でそれを逃している彼女だが、ヘコタレなさでは文字通り一番……かも知れない。
 すぐ側でキメ顔を作る自称アイドルが居るため、断言は止めておいた方が良さそうである。
 続いて声を掛けてくるのは、同じく白露型の二人。五月雨と涼風だ。


「お帰りなさいっ。わぁ~……。なんだか、雰囲気変わった?」

「だねぇ。服も細かいとこが豪華になってるし……。これが改二って訳かぁ」

「みたい、だね。そんなに変わったかな」

「なに言ってんだい! あたいの目は節穴じゃないさ。時雨も夕立も、立派になった!」

「うんうん。二人とも、すっごく格好良いです!」

「えっへへー。褒められたっぽいー」


 姉妹艦から褒めそやされ、時雨は少々照れくさそうに、夕立は得意満面で胸を張る。
 五月雨は純粋に喜んでいるようで、涼風などは「この二人はあたいが育てた!」と言わんばかりである。
 彼女たちを皮切りに、昼食後らしい仲間――初風や舞風、第七駆逐隊なども周囲に集まり、口々に「お帰り」と迎えた。


「はぅー。やっぱり自分の家って落ち着くねぇー。……そう言えば、鳳翔さんたちはどうしたの? お店?」


 適当な椅子へ腰を下ろし、アイドルらしからぬ垂れ具合いを披露する那珂だったが、普段は居るはずの人物――鳳翔や空母組みの姿が見えない事に気付き、首を傾げた。
 答えるのは、そつなく全員分のお茶を用意してきた、由良、黒潮、不知火の三人である。


「そうみたい。新店舗の開店とか、忙しいみたいだから。桐谷“中将”の御命令でもあるし……」

「なるほどぉ……。アイドル活動を続けるには、兎にも角にも人気が大事だもんね。身近に感じてもらうって重要だよ、うん!」

「相変わらずアイドル絡みの例えばっかやな……。しっかし、今回ばかりは的を射てるんよねぇ」

「はい。舞鶴事変が起きてからというもの、人々の反応は二極化してしまいましたから」


 舞鶴事変。
 桐林提督の拉致、兵藤提督の殺害を端に発した、過去最悪の同時多発テロ事件である。
 民間人には死者こそ出なかったものの、軍人に限れば死傷者が多数出ており、その中には能力者までも含まれていた。
 反政府組織の手は、舞鶴市の大規模発電施設にまで及んだとされ、復旧は迅速に行われたが、多くの市民が不便を強いられた事と、前述の被害も加味されて、軍への反発が大きくなってしまう。
 特に拍車を掛けたのが、小林 倫太郎との安全領域内戦闘である。
 表向き、彼はクーデターを画策した能力者として存在を発表されているが、その詳細は完全に捏造された物であり、架空の人物として死亡している。

 これに加え、前世紀からの勇士である吉田中将が戦死した事も、大きく世論を動かした。
 戦闘内容は公表されるはずもなく、発表された内容の一部――桐林提督、梁島提督の負傷から推測し、彼らが吉田の仇を討ったのではないかと、まことしやかに囁かれている。
 また、吉田を送る国葬の場においても騒ぎが起き、国家の腐敗ここに極まれり……と、口さがない新聞は書き立てた。
 反面、隻腕という痛ましい姿で国葬に参列した梁島には、一般市民から同情の声が上がり、彼らへの支持も増えたという。
 実情を知る者、知らぬ者。
 知っていて、己がために無視する者。知らぬまま、誰かのために利用される者。
 様々な思惑が錯綜し、この国は今、静かなる動乱の気配を漂わせていた。

 そんな中で鳳翔たちに命じられたのが、飲食店を介した人心の掌握である。
 以前から一般への影響力が大きかった桐林の感情持ちを、反発の緩衝材として利用しよう、という意味合いが込められている。
 顔も知らぬ誰かならば、心無い言葉も無遠慮無責任に投げられるであろうが、額に汗して働き、有事には命を賭ける少女たちへと不粋を働けば、逆に誹りを受けるのは免れない。
 まだそこまで国民は腐っていない。こう判断した桐谷の肝入りだ、忙しくて当然だろう。

 由良からついでに茶を受け取った白露、五月雨、涼風が、一息ついて呟く。


「他のみんなも、今は通常出撃とか遠征に行ってるから、ちょっと宿舎が静かだよね」

「うん……。けど、最近ずっとこうだから。少し慣れてきちゃいました……」

「提督が舞鶴へ移籍してからは、戦闘指揮も完全にあたいらでやらなきゃいけなくなったんだ。……慣れなきゃ駄目なのさ、きっと」


 涼風の言葉を切っ掛けに、食堂は水を打ったような静けさに包まれた。
 そう。舞鶴事変まで横須賀鎮守府に在籍していた桐林は、現在、京都は舞鶴鎮守府に籍を移し、新たな艦隊を編成して活動している。
 より正確に言うなら、舞鶴事変の後、彼はその身柄を拘束され、紆余曲折の末、舞鶴鎮守府で軟禁生活を余儀なくされているのだ。
 しかし、霊子力場発生能力を有した人間。遊ばせる訳もなく、その“力”を解明するために戦いを強いられているという。
 横須賀に残った陣営の指揮をする余裕は無いため、彼女たちは現在、赤城・加賀の一航戦と、長門・陸奥の長門型戦艦が代行して艦隊を運営。中継器を載せた旗艦に現場指揮を任せ、安定して戦果を出せる海域での通常出撃と、遠征任務への派遣のみを遂行している。
 今の所、問題は起きていなかった。
 この順調さが、皆の心に更なる影を落とすのである。
 これでは……。彼の帰って来る場所が、無くなってしまったようで。帰って来る意味を、自分たちが潰しているようで。


「……皆さん、聞き辛いようですね。では、不知火が代表して聞きます。……司令とは、お会いになったんですか」


 あえて空気を無視した不知火が、いつも通りの真剣な表情で沈黙を破る。
 それこそ話の核心。誰もが聞きたかった事柄だ。
 なにせ彼の近況を知るには、テレビの報道番組を見るのが一番早いという状態なのだから。
 けれど、問いを受けて派遣組みの顔はより暗くなり、古鷹が重い口をやっとの思いで開く。


「……実は、会えなかったんです。舞鶴では、行動を酷く制限されてしまって……」

「はぁ!? 何よそれっ、古鷹さんたちはクソ提督の、アイツの船なのよっ? それがどうして――」

「こらこらぁ。曙ってば、そんな怒るもんじゃないよぉ。目ぇ覚めちゃったじゃんかぁ……ふぁあ~」

「ちょ、加古さ、重い……っ」


 怒り肩の曙に加古が絡み、彼女の怒りはたちまち霧散していくが、スッキリしないのは派遣組みも同じである。
 自分たちは軍艦。“彼”の船なのだ。なぜ自由に会う事すら出来なくなってしまったのか。一体、上は何を警戒しているのか。
 そんな不満が、今度は大井を舌打ちさせた。


「詳しいことは分かりませんでしたけど、どうせ会いたくなかったんじゃありませんか。駆逐艦の子に謝らせて、全く……!」

「はいはい、大井っちも落ち着いて。まぁ、提督に会えなかったのは確かなんだけどさ。代わりに他の子たちとは会ってきたよ」


 珍しく、皆の前で憤りを露わにする大井。
 桐林の前では、これもごく普通の態度だったが、舞鶴事変以来、彼の話題になると露骨に不機嫌そうな顔になっていた。それでも口には出さなかった気持ちが、本意でない罵りになってしまうのだろう。
 重々承知している北上は、諍いの種とならない内に、彼女の頬を背後からムニーっと引っ張りつつ話題を変える。
 食い付いたのは、空気を読んだ由良である。


「他の子たちって事は、新編された舞鶴艦隊の統制人格よね。どんな陣容だったの?」

「はーい! 那珂ちゃんメモっておいたよー! えっとねぇ……。
 香取かとりさん鹿島かしまちゃん間宮さん伊良湖いらこちゃん速吸はやすいちゃん大鯨たいげいちゃん瑞穂みずほさん雲龍うんりゅうさん天城あまぎさん葛城かつらぎさんグラッツェさん……」

「ちょっと、ちょっと待って! 那珂さん一気に喋り過ぎ……って言うか普通に見せて!」

「あっ、ヤダヤダ返して初風ちゃーん! 那珂ちゃん読みたいー!」


 これまた珍しくマメな事をしていた那珂であったが、怒涛の名前連呼に着いて行けなくなった初風がメモ帳を取り上げる。
 途端、涙目になってしまう那珂を皆でガードしつつ回し読むと、意外な事に、練習巡洋艦や給糧艦、高速給油艦に潜水母艦に水上機母艦、航空母艦など、艦種ごとに分けられて几帳面にメモされていた。


「そっか、香取さん居るんだね~……。あ、のわっちも居る! そっかぁ~……」

「舞風さん。のわっち、って、もしかして野分のわきちゃんの……?」

「うん、そう。どんな子になったのかなぁ。会いたいなぁ、野分……」


 潮の問いかけに、メモ帳を回しつつ舞風が頷く。
 彼女が見つけたのは、陽炎型駆逐艦十五番艦・野分の名前である。
 潮、舞風、野分の三隻は、共同でタンカー護衛任務に就いていた縁がある。懐かしい仲間の現在に想いを馳せているようだ。香取とも縁深い舞風であるが、ここでは割愛させて頂く。
 その他の面々も、見知った名前を見つけては、キャイキャイはしゃいでいた。那珂だけが「ちゃんと返してね~……」と涙目で指を咥えている。お気に入りの手帳らしい。
 久々に和やかな雰囲気に包まれた少女たちだが、しかし誰も、一向に突っ込まない“ある事”に、黒潮は我慢できずにツッコミを入れる。


「いや待ってぇな!? 縁のある名前に喜ぶんは良いけど、グラッツェって誰!? っていうか何っ?」

「なんか海外の空母らしいね。
 電探装備が凄いらしくてさ、夜戦中に谷風がグラ子さんって呼んでたよ。
 ワタシは会ってはいないけど、神通はそれらしい子を見かけたりした?」

「いいえ、私も……。でも、谷風ちゃんは史実通り、すばしっこい子でしたね……」

「おぉぉ……。なんだか親近感が湧きますですねぇ。
 ヘイ、ボノボーノ! この赤いハンカチに雄牛の如く突進してカモォ~あいたっ!?」

「こら。漣、ふざけない。……にしても、本当に多国籍艦隊になってるんですね、噂通り。ビックリしました」


 黒潮の叫びには川内が答え、更に神通が続き、ふざける漣とゲンコツを落とす朧で幕が下りた。
 彼女たちの言うグラッツェ、グラ子とは、かつて枢軸国として同盟関係にあったドイツの航空母艦、グラーフ・ツェッペリンGraf Zeppelinの事であろう。
 どんな船かは別の機会に語るとして、世界的にも公表された桐林の新しい特殊能力に関しては、諸外国からも大きな関心が寄せられており、その情報を得る代償として、彼の国は全面的な艦船の運用許可を出したと聞く。
 あくまで噂の域を出ない話であったが、那珂の持ち帰った情報を鑑みるに、正しかったようだ。
 そして、舞鶴の陣容について話す内に、ある事を思い出した夕立が、元気よく柏手を打った。


「あ! 思い出したっぽい! 谷風ちゃんじゃないけど、同じ駆逐艦でやたらアレだった……」

「……ああ、あの子。確かに凄かったね。僕は太刀打ち出来なさそうだった」

「あー。銀髪で前髪が長い? アレは反則だよねー、駆逐艦なのに」

「……北上さんの言う通りですね。悔しいですけど、あの子には私たちが束になっても……」

「そうかも知れません。龍驤さんとか、夕張さんは会わない方が……」

「血の雨……。や、血の涙で溺れそうだもんねぇ~。アタシと古鷹を足して、ギリギリってくらい?」

「あれ。今、私のこと呼んだ?」


 順に、時雨、北上、大井、古鷹、加古が、神妙な顔で頷きを返し、自身の名前を聞きつけた夕張がどこからか顔を出す。
 携帯ゲーム機を持っている辺り、遊び疲れてジュースでも取りに来た、といった所だろうか。
 そこから、遠目に「お帰り」や「ただいま」の応酬が始まったが、夕立たちの話の主語を把握できなかった――まぁ誰も把握できないであろうが――潮は、擦り寄ってきたオスカーを胸に抱き、おずおずと軌道修正に掛かる。


「あの……? 皆さん、さっきから誰のお話を……。そんなに強いんですか?」

「あぁ、ごめんごめん。きっと浜風はまかぜの事でしょ。ザ・潮二号!」

「えっ!? わ、私、二号?」

「姉さん……。テンションが若干おかしいですよ……」


 集中線でも背負いそうな勢いで、川内が潮を指差し、神通がそれを窘める。
 いきなり話の中心へと蹴り出された潮は、見ていて可哀想なほどに慌てていた。オスカーは谷間に埋もれて幸せそうにニャーである。
 一方、全く動じていない朧が、己の胸部装甲を寄せて上げながら呟く。


「潮二号ってことは……。やっぱり大きいのかな」

「すっっっっっごく、大きかったっぽい! スイカかメロンが入ってるんじゃないかって、疑いたくなる程だったっぽい!」

「ねぇ、やっぱり私のこと呼ばなかった?」

「ううん、僕たちは呼んでないよ。呼んでないからそのままゲームに戻って大丈夫だよ、夕張さん」

「……そう? 確かに聞こえた気が……」


 全身を使ったジェスチャーで、浜風という統制人格の巨乳ぶりをアピールする夕立と、やはり耳敏く顔を出す夕張。時雨が受け流すも、腑に落ちない顔である。
 それはさておき、夕立の拙いジェスチャーが逆に説得力を与えたらしく、頭にタンコブを着けた漣がまた騒ぎ出す。


「くっ、なんて時代だ! どいつもこいつもロリ巨乳に走りやがって……っ。こうなったら、艦娘専用 即席豊胸材の開発に着手するしかねぇでございますよっ!」

「勝手に作ってなさいよ。今度は絶対に飲まないから」

「うむむ、私は微妙に飲んでみたいかも……。それを飲めば、駆逐艦一のナイスバディに……」

「………………」

「暁」

「止めておいた方が良いと思うわ」

「何も言ってないじゃない!? なんなの響も雷もっ」


 どこからかともなく白衣と瓶底眼鏡を取り出した漣……もとい、Dr.スモールウェーブに、曙が冷たい視線を向けた。
 例の惚れ薬騒動が尾を引いているようだが、暁は当然として、意外にも白露まで興味を示している。
 確かに成功すれば夢の広がる増強剤だが、ハッキリ言って触れない方が良い物件であろう。
 流し方を心得ている初風が、手を叩きつつ皆の注意を引き戻す。


「……はいはい! 笑い話もいいけど、そろそろ話の方向性を戻しましょう? まだ聞きたい事あるし」

「それもそうですね……。あの、皆さんは向こうで演習とかしていたんですよね? その時……あの“力”は……?」


 五月雨の新たな問いを受け、派遣組みの内、那珂を除いた八名が顔を見合わせ、次に視線を残る一名に集中させた。
 曙から手帳を受け取っていた那珂は、話を聞いていなかったようで首を傾げている。


「その話、ワタシたちにも詳しく聞かせて欲しいデース」


 一拍の間を置いて、食堂に新たな人影が入って来た。
 特徴的な片言の喋り口。三人の姉妹を引き連れた金剛である。
 その隣には、彼女よりかなり身長の低いもう一つの影が。スカートの前で両手を握りしめる、暁型駆逐艦の四番艦……電だ。
 主賓とも呼べる二人の登場に、皆の顔が引き締まる。口火を切ったのは川内と神通だった。


「特に変わった事はしてないよ、ワタシたちはね。最初の二日間はとにかく演習詰めでさ。あっちの子たちもかなり練度が上がってる。それは確かよ」

「……でも、その後。古鷹さんたちが、改二改装を受けている間に、予定にはない出撃任務が、発生しました」

「夜だったし、ホントは出たかったんだけど、あいにく直前の演習で接触事故やっちゃって」

「古鷹さんたちは当然、私と姉さんも待機せざるを得ず、代わりに選ばれたのが……」


 ここでまた、那珂に視線が集まった。
 今度は話の流れをつかんでいるようで、いつものお気楽な笑顔はない。
 華やかな衣装を纏い、こうして沈黙を守る姿は、ある種の神秘性をも感じさせる。
 そんな彼女へと、躊躇いがちに榛名が問い掛けた。


「では、提督ともお話になったんですか?」

「……ううん。上の人に指定されたメンバーが四水戦だったから、いろいろ頑張って盛り上げてはみたんだけど、全然……。
 春雨ちゃんが言うにはね? 『今日の司令官は、凄く機嫌が悪いです……』って。もう困っちゃったー。
 あ、春雨ちゃんは大人しい子で、海風うみかぜちゃんはかなり真面目さんで、江風かわかぜちゃんは笑い声が下品でぇ……」

「Sorry、那珂。New Faceの紹介も良いんデスが、今は話の続きをお願いしマス」

「えー。みんな良い子たちだったのにぃ……」

「まぁまぁ、後でこの比叡が聞きますから、お願いしますよ」

「はーい」


 口を開くと木っ端微塵になる神秘性は残念だが、事変を経験してから、人が変わったように落ち着き払っている金剛と、そのフォローへ入った比叡に押され、那珂が話を続ける。
 曰く、出撃メンバーの選択は桐林が行ったものではないようだ。
 そして、かつて那珂が旗艦を務めた第四水雷戦隊に所属していた艦から、白露型駆逐艦五番艦・春雨、同 七番艦にして改白露型一番艦でもある海風、同 九番艦・江風。加えて、西村艦隊の一員としても知られる朝潮型駆逐艦の五番艦と六番艦、朝雲と山雲が選出された。
 擬似的に再現された四水戦。那珂の性格からして、あっという間に打ち解けたのは想像に難くない。


「舞鶴を出て、みんなとお喋りしながら、高速航路で二~三十分くらいかな? 急に、周りの空気が変わったの」


 明るい語り口は、話が進むにつれて重く、静かになっていく。


「満天の星空。冷たい夜風。荒れる海。何もかもがさっきまでと同じなのに、肌を突き刺すような緊張感が漂ってた。そこに現れたのが……」


 那珂は手帳を胸に抱え、言葉を切った。
 否応無く高まる緊張感。誰かの息を飲む音が聞こえる。
 ほんの数秒。しかし、妙に長く感じる沈黙の後、大きく息を吸い込んだ彼女は――


「はーいここまでー! 口止めされてるからこれ以上は喋れませーん!」

「な、なんだってぇー!?」

「ここまで盛り上げといてそれはないよー!」

「せやせや、ウチらの期待を返せー!」


 ――勢い良く両腕をクロスさせ、皆を盛大にズッコケさせた。
 思わず涼風と舞風、黒潮が苦情を申し立てるけれど、那珂は言い訳がましく唇を尖らせる。


「だってぇ。香取さんが物凄いプレッシャー掛けてくるんだもぉん……。あれはきっと、話したら持ってた教鞭でピシピシとか……。そんなのダメェ! 那珂ちゃんの球のお肌に傷が付いちゃうー!」


 いやんいやんと身を捩る自称アイドルに、気の短い何人かが、「殴ってやろうかコイツ」と額に青筋を立てた。然もありなん。
 ところがである。那珂のふざけた振る舞いはそこまでだった。
 上履きを脱ぎ、颯爽と椅子の上へ立つ彼女は、順繰りに皆の顔を見渡す。


「でもね、これだけは自信を持って言えるよ?
 色々と変わっちゃったみたいだし、住んでる場所も違っちゃってるけど。提督は間違いなく、提督だったから。
 だから那珂ちゃん、みんなの反対を押し切って改二改装を受けて来たの。
 信じてあげようよ! たとえ離れてても、那珂ちゃんたちは仲間……。ううん、家族みたいなものなんだから!」


 腰に手を当て、にっこり、ウィンク付きの笑顔を振りまく那珂。
 予定外の改装は、どうやら彼女自身の意思によるものだったらしい。
 今まで改二改装の成功条件は、単純に練度の問題とされて来た。だが、あの“力”の影響下において、古鷹たちは一時的にその姿を大きく変貌させている。
 この事と、本人たちからの自己申告もあり、古鷹を始めとする六隻の改二改装は、ほぼ確実に成功するだろうと目されていた。事実、改装を施してなお統制人格を維持した。
 桐林の宿した“力”が、なんらかの作用をもたらしたのは間違いないだろう。

 那珂が改二改装を望んだ理由も、恐らくはここにある。
 口にしようとしないが、四水戦を率いての戦いで、彼女は紅い霊子力場を纏ったのだ。
 艦上で姿を変貌させ、自らに更なる改装を施せると確信したに違いない。
 そうでなければ、自我が消滅するかも知れない改装を受けようなどとは、思えないはず。

 しかし、その笑顔を見た者は、それだけと思えなかった。
 なぜ反対を押し切ってまで、彼女は新たな“力”を望んだのか。
 ……守りたかったから、ではないだろうか。
 横須賀を離れるしかなかった彼の代わりに、彼から貰った“力”で。
 いつか、帰ってこられるはずの場所を。そして、出迎える皆を。

 この、底抜けに明るい少女は。
 彼女にしか出来ない事で、大切なものを守ろうとしているのだ。きっと。


「嘘……。那珂さんが頼もしく見えるなんて……」

「これが改二パワーなのね……。早く、早く暁も練度上げなきゃ……!」

「二人とも。流石に失礼だと思うよ」


 けれど――いや、やはりと言うべきか。予想外の頼り甲斐を見せつける那珂に対して、周囲の反応は生暖かい。
 雷は眩しい物でも見るように目を細め、暁はちょっと別の意味で焦り、そんな二人に響が呆れている。
 他にも、遠くから様子を見守っていたらしい阿武隈が「拾い食いでもしたんじゃ?」と心配したり、「中の人が変わってるんじゃない? 那珂ちゃんだけに!」とか言う鬼怒やらも居たのだが、テンションの上がった那珂には届いていないようだ。
 ピョンと椅子を飛び降り、未だ呆然としている金剛の手を、彼女はしっかと握りしめている。


「金剛さんも、寂しいなら我慢なんかしてないで、任務の合間に会いに行っちゃえば良いんだよ! 今時の女の子は攻めていかなきゃ! ね?」

「ハ? エ? w,what's?」


 応援のつもりか、那珂はやけにキラキラした瞳で、繋いだ手をブンブンと振り回す。
 突然なシェイクハンドに困惑する金剛は、助けを求めて視線を彷徨わせ、霧島に行き着く。
 眼鏡がキラリと光った。


「確かに、舞鶴ではかなり人の出入りが厳重になっているようですが、横須賀はかなりマシですから。准将も豪放磊落な方です。外出のお許し、出ると思いますよ。金剛姉様」


 力強く頷き返す霧島と、ドヤ顔の那珂。ほうけていた金剛の顔には、段々と輝きが戻っていく。
 そうだ。一体、何を我慢する必要があったのか。
 提督が自由の身にないとしても、こちらは自由なのだ。遠慮する必要がどこにある。
 迷惑に思われるかも知れない。嫌な顔をされるかも知れない。それでも伝えたい気持ちがあった。この三カ月で、もう爆発寸前だ。
 囚われのロミオに、ジュリエットが馬を駆って会いに行く。立場が逆転しているけれど、それもまた良し。

 ――きっとその方が、ワタシらしい。


「そう、デスね……。そうデスよ!
 なんだカンだと、三ヶ月以上もブスブスしていましたガ、こんなのワタシらしくないデース!
 テートクEnergyを充填するためにモ、さっそく直談判しに行きまショー! 通い妻してやりマース!!」


 完全に本調子に戻った金剛は、那珂とキツくハグし合ってから、一目散に走り出す。
 顔を見合わせた榛名と霧島も、姉らしい暴走に笑顔を浮かべ、後を追う。横須賀に赴任中の、“吉田准将”の元を目指して。
 比叡だけ、大大大好きな姉とハグしやがった泥棒猫に般若のような顔を向けていたが、結局は金剛に着いて行くようだ。


「さっきまで落ち込んでたってのに、立ち直り早いねぇ」

「でも、あれでこそ金剛さん、ですよね? 元気になってくれて、良かった……」


 涼風と潮が、ようやく活気を取り戻した仲間の背中を、苦笑いと微笑みで見送る。
 彼女に限った事ではないが、事変直後の金剛は、見ていられなかった。
 彼女が横須賀で意識を取り戻す頃には、既に桐林は隔離措置を受けており、「何故そんな扱いを受けるのか」「どうして言葉も交わせない」と、毎日のように代理派遣された高官へ詰め寄っては、すげなく追い返されていた。
 なしのつぶてが繰り返される内、金剛の気勢は徐々に削げていき、舞鶴艦隊新編の報で、それは決定的となる。
 もう彼が帰って来ないと知った時の彼女など、正に火が消えたようような有様だったのだ。それを思えば、多少の暴走も喜ばしい事である。
 しかし……。


「……あれ? 電は?」


 金剛と同じように、落ち込んでしまっている少女の姿が、どこにも見えなくなっていた。
 雷が周囲を見回すも、やはり気配を感じられない。
 金剛に着いて行ったのだろうか。それならむしろ安心なのだけれど、外出から帰ったらしい文月と皐月が、ビニール袋を提げたまま雷の疑問に答える。


「電ちゃんならぁ、さっきそこですれ違ったよぉ。部屋に戻ったみたーい」

「なんか急いでたみたいだけど、どうしたんだろーね? ま、とにかくおっ帰りー! お菓子買って来といたよー!」


 また始まった出迎えの挨拶で、電の行方はうやむやに。
 少女たちの明るい声に微笑みながら、どうにも、不安を感じずにいられなかった。
 あの子の傷は、まだ癒えていない。
 舞鶴への移籍が決まって、桐林を電と決別させてしまった、心の傷は。
 雷自身、思い出すだけで胸がジクリと痛む。
 どんなに悩もうと、考えようと、答えは見つからず。
 無邪気に会いに行こうと思える金剛をすら、羨ましいと思ってしまう雷であった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「はぁ……。はぁ……。はぁ……」


 自室に戻り、扉の鍵を掛けた電は、声を殺して息を整える。
 なんとか、誰にも気付かれずに抜け出す事ができた。しばらくの猶予はあるだろう。
 ドアから離れ、部屋の両脇に据えられた二段ベッドのうち、自身のスペースである右側下段へ潜り込んだ彼女は、頭からシーツを被り、スカートのポケットを探る。
 折り畳み式の、旧型携帯電話。件名のないメールが送られてきていた。本文にも内容は書かれていない。
 履歴を見ると、ある日を境に一日一通。同じように送られているのが分かる。


「………………」


 画面をじっと見つめ、電は待つ。
 きっかり五分後。着信を教えるバイブレーションが。
 いつものように、三コール目で通話ボタンを押した。


『……電』

「はい」


 声の主は、男性――桐林だった。
 小さく、電の手が震える。


『いつも、勝手を押し付けてすまない』

「いいえ、大丈夫なのです。……みんなと違って、ズルい子、ですから」

『……そんな風に言うな」

「あ……。ごめんなさい、です……」


 桐林自身の頼みとはいえ、皆には何も言わず、たった一人、彼と言葉を交わして。
 後ろめたさが電を卑下させた。
 沈黙は長く続き、やがて、再び桐林から話が振られる。


『あの子たちは、無事に着いたか』

「はい。今、宿舎の皆さんとお話を……。でも……」


 言い淀む電に、桐林は無言で先を促す。
 手の震えが声へと伝わらぬよう、携帯をしっかり握りしめた。


「……あの。お、お話……。みんなとも、お話をしてあげて、貰えませんか?」

『………………』

「きっと、喜んでくれると思うのです。……ううん、安心してくれる、はずなのです。だから……」


 電の声には、独占欲と罪悪感、矛盾する想いが込められていた。
 胸を締め付けるのはどちらなのか、もう分からない。
 聞き届けて欲しいのに、心のどこかで、嫌だと言って欲しいと思っている。
 桐林からの返事は、後者を叶えるものだった。


『それは、どうだろうな』

「え……?」

『古鷹たちを呼んだのは、あくまで上の命令だからだ。
 自分がそうしたかった訳じゃない。
 改二改装だって、最後まで反対だった。
 ……そんな事をしなくても、既に戦力は揃っている』


 明確な拒絶の意を感じさせる、硬い声音。
 あるのかどうかも分からない心臓を、強く鷲掴みにされたような、痛み。


「やっぱり、もう横須賀へは……。帰って来てくれないん、ですか……。電の……私の、せいで――」

『違うっ。……違う』

「………………」


 今にも泣き出しそうな電の言葉を、桐林は強い語気で遮る。
 それでも電の心は晴れなかった。……晴れるはずがない。
 上層部の意向というだけではないのだ。
 彼が舞鶴へ赴くと決めたのは。そう決意させたのは、他ならぬ電なのだから。
 皆に寂しい思いをさせている、元凶なのだから。


『そろそろ、時間だ。切るよ。また掛ける』

「ぁ、ま、待って下さ――」


 プツリ。無機質な通話の切断音で、今度こそ会話は終わってしまった。
 携帯を閉じ、電はそれを抱きかかえる。
 彼と己とを繋いでくれる、たった一つの秘密を。


「司令官、さん……」


 鼻の奥がツンとする。
 涙が止まらない。
 声を殺し、電は嗚咽する。誰にも知られぬように。

 春の終わりを告げようとする風が、窓の外を桜色に染めていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 抜けるような青空の下。
 舞鶴鎮守府、庁舎の屋上に立っていた白い詰襟の男――桐林は、返事を待たずに通話を切った。
 風がそよぐ。
 桜の花弁が混じるそれに、軍帽から溢れた、中途半端な長さの白髪が揺れた。
 花弁の行く末を視線が追うと、太陽の眩しさで右眼が細められる。


「………………」


 左眼は、刀の鍔を模した眼帯が覆っており、その下を、望めば簡単に消せたはずの、歪んだ傷痕が走っていた。
 それと知っている者ならば、天龍が左眼に着けている眼帯と同じであると気付いただろう。
 桐林は携帯をポケットへしまい、代わりにシガレットケースを取り出す。
 長めの紙巻きタバコ――特別に調合された、精神安定効果の高いアロマ・シガレットを一本。咥えてジッポーライターで火を点ける。
 微かに甘く、ミントのように爽やかな香りが、肺を満たした。


「……提督。ここに居らしたんですね」


 フェンスへ寄り掛かり、アロマ・シガレットが半分程まで短くなった頃。不意に、庁舎からのドアが開く。
 やって来たのは、銀髪をボブカットにする一人の少女だ。
 紺襟の白い半袖セーラー服に、灰色のプリーツスカート。豊満な胸元を黄色のリボンが飾り、黒いタイツを履いていた。
 陽炎型駆逐艦十三番艦、浜風である。


「香取秘書官と、鹿島秘書官が探しておられましたよ。もう直ぐ大事な作戦会議があるのに、姿が見えない、って」

「……少し、一人になりたかったんだ。それに、まだ十五分ある」

「それは、そうですが」


 桐林の向かって右隣に立ち、浜風は、白い手袋に包まれた指をフェンスへ掛ける。
 風は穏やかで、甘い匂いが鼻をくすぐった。
 浜風はこの匂いが好きだった。いや、統制人格で嫌いなものは居ないだろう。そういう風に調合された物なのだから。
 本人が吸う事に加え、周囲に居る統制人格もこの匂いを感じ、リラックスしている精神状態を能力者へ反映させる事で、二重に安定効果を得るのだ。
 故に、この匂いを感じ、彼と五感を共有するのは、舞鶴艦隊に属する統制人格の義務でもある。けれど、それを置いてもこの時間が好きだった。
 彼の隣で、彼の燻らせた煙に包まれる、この時間が。


「髪……。また白くなってしまいましたね。せっかく綺麗に染めたのに、長さも戻ってしまって」

「そういう“仕様”なんだろう。おかげで、どんなに痛めつけてもリセットされる」


 桃色に染まる敷地から視線を外し、桐林の髪を見上げる浜風。
 携帯灰皿に灰を落とす桐林は、どのような顔をしているのか分からない。彼女に見えるのは眼帯と傷痕、耳までを隠す白髪だけである。
 ほんの少しだけ、残念に思った。
 黒く染めても、“力”を使う度に、彼の髪からは色が抜けてしまう。どうせなら完全に抜けきらず、ほんの少しだけ色を残し、灰色になってくれたら。そうしたら、お揃いと言い張れるのに。
 ……と、そこまで考えて、バカバカしさに浜風はかぶりを振る。
 そんな下らない事よりも、もっと重要な事柄が、目前に控えているのだ。


「日本海における敵 移動棲地撃滅。並びに、敵 統制人格捕縛作戦。……いよいよ、ですか」

「……ああ」


 間も無く始まる、作戦会議の主目的。事前に通達されたその題目は、浜風の心を震わせるに十分過ぎるものだった。
 場当たり的で、あまり成果の挙げられなかった今までと違い、これからは確かな目的のため、海を行く。
 この人の船として。


「どうか、この浜風を存分にお使い下さい。私は提督の為にあります。そう決めました。だから……」


 桐林と向かい合う位置へ立ち、浜風は革靴の踵を鳴らす。
 長い前髪が彼女の右眼を隠し、薄い水色の左眼が、彼の右眼と鏡合わせのように。
 そのまま見つめ合い、約十秒。
 根負けしたのか、桐林は吸い殻を灰皿に捨てつつ、背を向けて頷いた。


「言われずとも、そうする」

「はい」


 短い言葉に、同じく短い返事を。それだけで十分だった。
 例え今、違うものを見ていたとしても。心に見据える未来は、同じはずだから。
 また、甘く爽やかな匂いが漂い始める。


「あぁー! こんなトコに居たぁーっ!」


 そんな時、騒がしい声が屋上に乱入してきた。
 桐林と浜風が反射的に振り向くと、そこに居たのは二人の少女。
 一人は、外側に跳ねた黒髪をショートボブにし、指を突きつけている。浜風と同じ格好ながら、背は頭一つほど低く、脚を覆うのは白いオーバーニーだ。
 もう一人は輝くような水色の長髪を持ち、それを頭の両サイドで輪に結って、白い水兵帽を被っていた。オーバーニーは同じだが、セーラー服の半袖は肩まで捲られ、肘上までの白い長手袋なのが違っている。
 それぞれ名を、陽炎型駆逐艦十四番艦、谷風たにかぜ。同 十一番艦、浦風うらかぜという。


「もう、あかんよ? 提督さん。なんにも言わんと姿消すなんて、みんな心配しとったんやからね?」


 肩を並べて近づく二人のうち、浦風がはんなりとした広島弁で、和やかに叱りつける。
 矛盾した表現であるが、これを可能とする柔らかい雰囲気と、浜風に迫る胸部装甲が彼女の特徴だった。
 しかし桐林は、二本目のアロマ・シガレットを咥えたまま、興味無さげにフェンスの向こうを見つめるだけ。


「どうせ監視されている。調べられただろう」

「そうやけど、そうやのうて……。ふぅ、まぁええわ。ちゃんと見っかったんやし」

「んーなコトよりぃ……。提督と二人っきりで、なに話してたのさぁー? ほれほれ、谷風さんに教えてごらんよぉー浜風ー?」


 呆れたのか、浦風は手を腰溜めに溜め息。顔には、仕方ないなぁ、と言いたげな苦笑いが浮かんでいる。
 代わりに浜風へと絡むのが、ニタニタと意地の悪い笑みの谷風だ。ちなみに、谷風の胸部装甲は薄い。否、駆逐艦としては平均的であろう。悪しからず。


「別に、大した事は……。私たちはただ、雑談をしていただけで……」

「ほぉーうほぉーう。この鉄面皮で、こっちから話しかけないと一日中口をきかない提督と、二人っきりで雑談! いやはやぁ、浜風も積極的になったもんだぁー」

「……谷風。そこに直りなさい」

「やーだねー♪ 浜風の肉食乙女ー」

「谷風っ!」


 ピュー、と駆け回る谷風を追い、浜風が拳を振り上げた。
 この騒々しいじゃれ合いが、舞鶴での日常だった。浦風が楽しそうに笑う。


「ふふふっ、あの二人はホンマに仲ええね。さ、そろそろ行かんと、遅れてまうよ?」


 鬼ごっこに熱を上げる二人を置き、桐林は浦風と屋上を後にする。
 重い鉄製のドアを開けると、また少女が一人。
 階段の手すりに寄り掛かる、非常に長い黒髪の少女だ。セーラー服の上は長袖になっており、右脚は黒い靴下を。左脚は同色のオーバーニーソックスを履いていた。
 陽炎型駆逐艦十二番艦、磯風いそかぜである。
 蛇足だが、彼女の胸部装甲も厚い。


「遅かったな。だいぶ待ったぞ」

「……磯風。居たのか」

「ああ、居た。実は浜風のすぐ後に来たんだが、声を掛け辛くてな。覗き見するつもりは無かったんだ、すまない」

「構わん。見られて困ることはしていない」

「そうか。傍から見ると、愛の告白のようでヤキモキしていた。少し残念だな」


 階段を降りる桐林の三歩後ろにつき、磯風は微笑む。彼女なりの冗談らしい。
 返される声は無かったが、クスクスと笑いながら横へ着く浦風が、代わって話題を継ぐ。


「そうそう。阿賀野さんがな? この間の、横須賀との合同演習。凄く楽しかったって言うとったで。
 川内さんや神通さんとも意気投合しとったし、やっぱり同じ軽巡洋艦同士、通じる所があるんやねぇ。
 またでけへんかなぁ? レーベたちも手応え感じとるようじゃったけぇ、な?」

「……考えておく」

「それと、明石主任からの連絡事項が一つ。例のイタリア戦艦……。リットリオにローマ、だったか。彼女たちが入港したらしい。ビスマルクも加えれば、これで戦艦は五隻か」

「ああ。……ここからだ」


 ゆっくりと階下へ降り、会議室のある一階へ。
 人通りの無い廊下をまっすぐ見据えて、桐林は確かに頷いた。
 ここからだ。これでやっと、新しい道が拓ける。
 例え、その先に待つのが悲しみであったとしても、止まる事など出来はしない。
 全ては……取り戻すためなのだから。


「ちょっと提督ぅー!? アタシら置いてドコ行くのさー!」

「待ちなさい谷風! 話はまだ終わってないわよ!」


 三人の背中に、また騒がしい声が届く。ようやく置いて行かれたのに気付いたようだ。
 桐林は、足を止めはしない。
 そんな事をせずとも、彼女たちが追いついてくれるのを、知っているからだろうか。
 表情に一切の変化は無かったけれど、しかし、歩みにも迷いは無かった。

 新たな地で。
 新たな仲間と共に。
 新たな戦いが、始まろうとしている。




















《異端の提督と舞鶴での日々》





「じとぉおぉぉ~……」


 執務机の影から顔だけを出し、その少女は、ねっとりした視線を己の主人……革張りの椅子へ座る桐林に向けていた。
 緩やかにウェーブが掛かり、黒いベレー帽を乗せた、銀髪のツインテール。白い手袋に包まれた細い指が、机の角で激しく自己主張している。
 そんな彼女を見て、桐林の隣に立つもう一人の女性――正肩章のついた士官用礼服に身を包む、後頭部で長い金髪を結った女性が、溜め息混じりにヒールを鳴らした。


「もう、鹿島? 貴方、さっきから何をしているの。子供みたいに膨れっ面して」

「むぅぅ。不貞腐れてるんですぅー。提督さんに、遺憾の意を表明してるんですぅーだっ!」

「そんなの見れば分かります。一体、何が不満だというの? 拗ねているだけじゃ分からないわ」


 パン、と机を叩いて立ち上がる少女に向け、女性は「まったくもう……」と、また深く溜め息をつく。
 ちょうど、執務机を挟んで向かい合う彼女たちは、同じような礼服で着飾っていた。
 女性の方はタイトスカートに黒いパンティストッキング。首元を青いネクタイで締めているのに対し、少女の方は素足にプリーツスカート。赤いリボンを首元で結び、袖口には白いフリルが追加されている。
 名を、香取型練習巡洋艦一番艦・香取。同 二番艦・鹿島という。金髪の女性が姉の香取であり、銀髪の少女が妹の鹿島だ。
 普段は仲の良い姉妹だが、今日に限って鹿島は、不満も露わに頬を膨らませ、香取に詰め寄る。


「……香取姉。香取姉は、舞鶴鎮守府 桐林艦隊の専属第一秘書官で、私は第二秘書官ですよね?」

「ええ、その通りよ。それが?」

「なのに……」


 横須賀では交代制だった秘書官だが、舞鶴に居を移してからは、任務の都合もあり、練習巡洋艦の二名が専属で務めている。
 日によって彼女たちも演習に出る場合があるが、必ずどちらか一人が残るように組まれ、この時は秘書官補佐が数名、待機中の統制人格から選ばれる、という仕組みだ。そのため、他の統制人格とは少しばかり立場が違い、桐林と接する時間も多い。
 けれど、鹿島は俯き加減に言葉を切り、ワナワナと肩を震わせ。
 香取も思わず心配してしまうが……。


「なのに……。なんで、いっつも、提督さんは浜風ちゃんと一緒に居るんですか!?」

「……はい?」


 次の瞬間には、開いた口が塞がらない、といった様子で首を傾げるしかなかった。
 桐林が万年筆を動かす音だけが聞こえる執務室で、鹿島が声も高らかに演説を開始する。


「私、一生懸命探したんですよ? 万が一にも会議に遅れちゃいけないって、鎮守府の中を駆け巡り……。
 なのに提督さんを最初に見つけたの、また浜風ちゃんで……。なんだか、あの子の方が秘書官っぽくありませんっ?」


 本日の昼に行われた会議は、今後の行動方針や作戦の詳細を話し合う、非常に重要な物だった。
 その進行役を任されたのが鹿島であり、初の大役に張り切って、前日から資料を読み込み、それはもう大変な意気込みで臨もうとしていた。
 ところが、開始時刻が三十分後に近づいた頃、執務室へ桐林を迎えに行った彼女を出迎えたのは、空の椅子。
 まさかの事態に狼狽えまくった鹿島は、涙目で鎮守府を駆けずり回り、事態を察した仲間たちが自主的に手助けを……という訳である。
 香取に比べてまだまだ経験の足りない彼女であるが、それでも責任感だけは一人前で、秘書官としてのお株を取られたように感じているらしい。
 ……実際には別の点でも嫉妬――もとい。羨んで――いる訳でなく。まぁとにかく不満たらたらなのだ。


「という訳で……。私、香取型練習巡洋艦二番艦、鹿島は、秘書官としての待遇改善を求めます! もっとお仕事させて下さい! お役に立ちたいです!」


 そんなこんなで、鹿島はズバッ! と挙手した後、両の拳を胸の前で握り、桐林へと直訴した。
 が、彼は全く反応しない。黙々と書類を作成している。
 代わりと言ってはなんだが、香取が盛大に溜め息をつく。


「何を言うかと思ったら……。仕方ないでしょう。舞鶴では明石主任、伊勢さんと日向さん、そして私に次ぐ古参だもの。提督の行動パターンを良く把握しているのよ」

「そうですけどっ。それだってたったの一~二ヶ月でしょ? ……なんだか、悔しいんですもの……」


 さっきまで意気揚々だったと思えば、人差し指を突っつき合わせ、今度は意気消沈してしまう鹿島。
 伝え聞いた話であるが、この舞鶴艦隊が仮編成されたのが、四月も半ばである今日より二ヶ月半前。正式な発足は一ヶ月後だ。
 浜風が励起されたのはその仮編成期間であり、鹿島が呼び起こされてからは、まだ一ヶ月も経っていない。加えて、艦隊運営に口を挟まれる事が多い舞鶴では、鹿島の建造・励起を問題視する声もあったと言う。
 それを圧しても呼ばれたのだから、ちょっとやそっとの経験の差など、ひっくり返して然るべき……と、思っているのだけれど、結果が伴わず。今の彼女は、半分いじけているような物である。
 肩を落とす妹の姿を見て、流石に同情してしまう香取だが、そこは第一秘書官。心を鬼にし、鹿島の間違いを正す。


「そうね。たったの一~二ヶ月。……でも、されど一~二ヶ月、なのよ。
 たったそれだけの間に、提督と浜風さんには色んな事が起きたの。
 あの、生真面目で一本気な浜風さんが、心酔するだけの出来事が。……ですよね?」


 チラリ。桐林へと流し目を送ってみるが、相変わらず反応はない。
 むしろ煩わしそうに、音を立てて書類をめくっている。もう処理済みの物を。
 香取は声もなく笑う。本当に、どうしようもなく隠し事が下手な人だ。
 だからこそ、この身を捧げられるのだけれど。浜風とは別の形で、しかし同じように。


「第一、貴方自身もそうでしょう。提督と初めて会った日の晩、貴方はなんて私に泣きついて来たのだったかしら?」

「あっ、わ、わぁ~!? な、なんでもないです、なんでもないですからね提督さん!?」


 痛い所を突かれ、鹿島は大きく両手を振って誤魔化し始める。
 今の今まで忘れていたが、言われてみればそうだった。今では敬愛してやまない提督でも、初対面の時は随分と酷い事を考えたものだ。
 それを知ったとして、きっと桐林は何も言わないだろう。だが困る。だからと言って知られたい訳じゃない。
 とにかく彼の気を引こうと、精一杯の笑顔で乗り切ろうとする鹿島であった。


「鹿島」

「はいっ! なんでございましょうっ」


 その笑顔が功を奏したか、久しぶりに桐林が口を開いた。
 途端、机を挟んで直立不動になる鹿島に、彼は手元のコーヒーカップを持ち上げて示す。


「お代わりを、頼む」

「……あ。は、はいっ。承りました! 砂糖とミルクは……無し、ですよね?」


 恭しくカップを受け取り、念のために確認すると、桐林は無言で頷く。
 彼はとにかく苦い飲み物が好きだった。お茶も濃く入れた物を好むし、コーヒーももっぱらブラック専門である。
 試しに指定がない時、砂糖とミルクを入れた物を用意した事はあったが、全く反応がなかった。おそらく嫌いではないのだろうけれど、頼まれる時はブラックなのだ。
 そう言えば……と、ついでに鹿島は、もう一つ質問をしてみる。


「鹿島特製の卵サンドは如何でしたか? 提督さん、好みが物凄くうるさいって聞きましたから、間宮さんに色々教えてもらって、頑張ってみたんですけど……」

「ちょっと、鹿島。そんな言い方」

「はっ。ちちち、違うんです! あぁぁ、私ったらぁ」


 純粋に感想が聞きたかっただけなのだが、思い掛けず失礼な言い方をしてしまった。
 こんなだからいつまで経っても……と慌てる鹿島だったが、桐林はそんな彼女を見つめ、ハッキリとした口調で返した。


「美味かった。酸味が効いていて、食感も良かった」

「……っ! ほ、本当ですかっ? あ、あのですね、卵を大きめに潰して、隠し味にマスタードも使ってるんですよ。お口に合って良かったぁ……」


 真っ直ぐに見つめてくる右眼が、嘘ではない事を教えてくれる。
 そもそも、彼が嘘の言葉を口にした瞬間など、鹿島は見た事も聞いた事もないが、何はともあれ、褒められたのが嬉しくて仕方なかった。舞い上がるような気分である。
 自身の頬を手で挟み、満面の笑みを浮かべる様は可愛らしかったが、しかし香取は、苦笑いで「オホン」と咳払い。


「鹿島? 提督はコーヒーを御所望なんですよ?」

「あ。すみません! 只今お持ちしますねっ。……うふふっ」


 桐林からの注文を思い出し、鹿島が大慌てで執務室を出て行く。
 コーヒーカップを大事に抱え、ドアの隙間に消えた横顔は、やはり輝かんばかりの笑顔だ。
 秘書官の仕事を彼女に任せられるようになるのは、まだまだ先の事になりそうである。


「申し訳ありません。妹が騒がしく……。ご負担になっては、いませんか?」

「……いや。あの子が来て、ここも明るくなった」

「そう言って頂けると、幸いです」


 へりくだる香取に、桐林は小さく笑った。おそらく、舞鶴では明石や香取、間宮や伊勢・日向などの古株にしか見せない顔だ。
 どんなことを思ったとして、口をつぐむ事が殆どになってしまった今でも、心はあの頃から全く変わっていない。
 何一つ、変わっていない。


「先程の続き、という訳ではないのですけれど」


 仕上がった書類を受け取り、香取は桐林の正面に立つ。
 問いたげに細められた右眼に続きを促され、彼女は軽く深呼吸。
 少々の気恥ずかしさを堪えて、頭を下げる。


「提督には、感謝しております。重い任務を課せられている中、練習巡洋艦という、まるで戦いの役には立たない船を、使役して頂いて」


 人類史上、たった“二人”しか存在しない、高位能力に開眼した人間。
 彼に与えられた責務はとても重く、本来ならば、香取のような船は励起すらされないはずなのだ。
 練習巡洋艦とは、士官候補生たちを乗せ、彼らの航海技術を磨くために遠洋航海を行うための船。そもそも戦闘は度外視して設計された。
 装甲をほとんど持たずに、砲は十四cm連装砲二基と十二・七cm連装高角砲一基のみ。魚雷発射管も旧式駆逐艦からの使い回し。ここに居る香取も最低限の改装しか行っていない。
 褒められる所と言えば、嵐の中を突っ切れるほどの安定性と、軍艦としての見た目だけ。後は、その安定性故の拡張性くらいか。
 基本性能が低く、可能な限りの改装を施したとして、戦いに出れば確実に沈むだろう。

 ならば、何故そんな役立たずをわざわざ励起し、普通の人間にでも任せられる仕事をやらせているのか。
 その答えは、香取の胸の中にある。
 他の誰にも教えられない……。教えたくない、香取だけの理由だ。


「身の回りのお世話や、駆逐艦の子たちへの初期訓練、演習の標的艦。
 こんな程度しか私には出来ませんが、それでも、私は幸せです。
 ……提督。貴方と出会えて、幸せですよ」


 だから香取は、誇りを持ってこの仕事をこなすのである。
 出会ってたったの三ヶ月。けれど、その間に積み上げた記憶は、香取の中で確かに輝いている。
 誰にも負けはしない。例えそれが、もっと長い間を共に過ごし、死線を潜り抜けた、横須賀の統制人格たちであったとしても。

 優しい微笑みに、桐林はやはり何も返さない。
 ただ、いつものようにカップを取ろうとして空振り、飲んでもいないコーヒーに苦い顔をしていた。
 香取は更に笑みを深くする。彼という人は、本当に。
 だが、さして問題でも無かった。
 彼がどんな事を思おうと、それが表に出る事は滅多に無い。出さないよう努力しているのだから。
 なればこそ。数少ない言葉から、声色や表情から胸の内を察し、望む所を為すのが従僕の務め。

 共に在ろう。
 この身が必要とされなくなる、その時まで。


「お待たせしましたぁー!」


 奇妙な沈黙が広がる執務室へと、鹿島の明るい声が響いた。
 漂ってくるコーヒーの香りに、香取はゆっくりと振り返る。
 さぁ。午後の仕事も頑張らなければ。





「はい、提督さん。お代わりをお持ちしまし――あぁ!?」

「……っ!? っあ゛、っ、っ!」

「きゃあぁああっ!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさーい!」

「……はぁ。まったくもう……」




















 よっしゃなんとか間に合ったー! 冬イベ目前だぜーい! 今度こそ甲種勲章ゲットしてやるぞー!
 それはさて置き、第四章、開始の一幕。那珂ちゃん改二になる、の巻でした。
 古鷹たちも正式に改装を受け、主人公はかなり遅めの厨二病を患い、舞鶴の陣容も少しだけ紹介されています。
 本当は十七駆だけで終わりにしようと思ったけど、なんか物足りなくて練習巡洋艦の二人を追加してしまいました。更新が伸びかけたのはそのせいです。
 ごめんなさい、反省しています。でも後悔は微塵もしていません。鹿島ちゃんに膝枕してもらって乙πを下から眺めたいです! 香取姉? 年増はお呼びじゃねぇんだy(メメタァ
 さてさて。下のやり取りを見ればお分かりかも知れませんが、次回は今回の話に対しての過去話。舞鶴事変直後の主人公と、とある少女のお話になります。今しばらくお待ち下さい。
 それでは、失礼致します。


「そう言えば、香取姉。明石さんって、浜風ちゃんや香取姉よりも提督さんと付き合いが長いんですよね? それって横須賀からのお付き合いって事なの?」
「それは……。そうとも言えるし、違うとも言えるし……。説明するのは難しいわね……」
「……? なら、本人に聞いた方が早いかな。あ、丁度良い所に。おーい、明石さーん!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい鹿島! 色々と複雑な事情が……!」





 2016/02/06 初投稿
 2016/02/07 誤字修正。TENN様、ありがとうございました。
 2016/03/19 脱字修正







[38387] 在りし日の提督と遺されたもの
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/02/20 12:41





 網膜を焼く眩しい光に、パイプ椅子へ座る■■■は、思わず「うゎ眩しっ」と顔を背けた。


「さぁ、いい加減に吐いたらどうだ? 親御さんも、きっと郷里で悲しんでいるぞ」

「ううう……。なんですか、いきなり……?」


 ショボショボする目を擦りながら、こちらへ古臭いライトスタンドを向ける男性――■■さんに、恨みがましい視線で返す。
 ■■■たち二人が居るのは、四角い四畳半ほどの小部屋。いわゆる、取調室だ。
 よくもまぁこんな場所があるものだと、感心してしまう。


「いや、取り調べと言ったらこういうのが定番かと思って。一回やってみたかったんだ」

「そんなの知りませんよぉ……。というか、■■■の親って貴方なんじゃ……」


 対面で机に身を乗り出していた■■さんは、椅子へ腰を下ろしながらスタンドの位置を直す。
 記憶にある限り……というか、何故かそうだと分かるんだけど、■■■をこの世界に呼んだのは、この人。
 自然発生したのではなく、作られたのでもなく、呼び寄せられて固定化された。そんな感じ。
 ……なんですが。ちょっと理解し難いようで、不可解な顔をする彼。


「やっぱり、そうなるのか……? 君を産み出したという実感は、今持って無いんだが」

「うーん。どうなんでしょう。さっきも言いましたけど、■■■が覚えてるのは、ただ誰かに呼ばれた気がして、そうしたら、いつの間にかここに居て……」

「むぅん……。これ以上は無駄、かも知れないなぁ」


 眉間のシワが更に深く、腕組みまでする■■さん。失望、させてしまったかも知れない。
 ■■■は一体なんなのだろう。
 理解しているのは、彼に従うべき存在であり、■■という軍艦が、■■■と一心同体であるということ。
 それ以外は……なんて言えば良いのかな。知っているべき事が頭に浮かぶ、というか。変な感じ。


「……っと、そろそろ昼時か」


 ふと、腕時計を確認した■■さんは、何やら足元をゴソゴソ。
 どうしたのかなと思っていたら、ステンレス製らしい四角い箱――岡持ち? が机に置かれた。
 ……あ。なんかいい匂い。


「あの、これは?」

「ふっふっふ。取り調べ室での食事と言ったら、やはりこれしかないだろう。カツ丼だ! しかも最上級の松! 奮発しちゃったよ~」


 シャコ、と蓋が持ち上がり、中から青い文様の描かれた丼が取り出される。
 ■■■と彼の前に一つずつ。お新香が入っているっぽい蓋付きの小鉢と、こちらも蓋のついた漆塗りのお椀。お味噌汁かな。
 目だけで「開けていいんですか?」と尋ねてみると、鷹揚に頷きが返された。


(カツ丼……。これが……)


 蓋を開ければ、真っ白な湯気がモワッと上がり、茶色いカツと、それを包む黄色い半熟卵が現れた。
 鼻腔をくすぐるのは甘じょっぱいタレの匂い。初めて嗅ぐはずなのに、懐かしい匂い。
 思わず、不思議な心持ちで見つめてしまう。


「あれ? もしかして、カツ丼を知らないのか?」

「ああいえ、違います違います。知ってはいるんですけど、初めて見たものですから」

「……ふむ。なるほど」


 勘違いされてしまったようで、■■さんは怪訝な顔。
 慌てて両手を振り否定すると、今度は真剣な表情で腕を組む。
 やっぱり変だよね……。自分自身のことは何も分からないのに、こういった一般常識みたいなものはちゃんと分かる。
 でも、記憶喪失とは違くて、「思い出せない~!」という、もどかしい感覚は無い。思い出せない事と知らない事の区別がハッキリつく。
 ■■■は、ホントなんなんだろう……?

 気不味い沈黙。
 一分か、それより短い時間が経ってから、彼は腕組みを解いて朗らかに笑う。


「ま、考えるのはおいおい、な。まずは食べよう。……食べられる、んだよな?」

「はい。大丈夫だと思います」

「なら食べよう。頂きます!」

「……頂きます」


 両手を合わせる■■さんに倣い、■■■も手を合わせた。
 上下に割り箸を割り、先端をカツ丼へ沈ませ、層になったご飯とカツを持ち上げる。
 タレとご飯と、カツの香ばしい匂い。勝手に唾が溢れてしまう。
 目の前では、美味しそうにカツ丼をかき込む彼。
 ……うん。いつまでも戸惑ってちゃ駄目だ。食べるのよ、大きく口を開けて、一気に!
 はむっ。


「っ!!!!!!」


 何これ、超美味しい!?
 口に入れた途端、塩味・甘味・旨味の、三種の神器ならぬ味覚が刺激された。
 タレの甘じょっぱさが、硬めに炊いたご飯の甘さを引き立たせて、それを吸ったカツはサックリと、しかしジューシーな脂を迸らせる。
 あぁ、なんというお肉と卵とご飯のハーモニー。どれ一つ喧嘩せず、全ての要素がお互いを高め合い、お口の中でコンチェルトを奏でまくり。
 っていうか、なんでこんなグルメ漫画的な表現方法を知ってるんだろ。ま、いっか。美味しいんだもん。
 もうとにかく幸せで、■■■は夢中になってカツ丼をかき込む。


「お、おい■■。そんなにガッつくと……」

「――!? ケホッ、ケホケホッ!」

「ああ、言わんこっちゃない」


 猛然とカツ丼を咀嚼していた■■■だけど、急ぎ過ぎたせいか、ご飯が変な所に入り、むせ返ってしまう。
 彼がすかさずお水を用意してくれて、奪い取るように一気飲みし、ようやく一息。


「ぷぁ、ふぅ……。ごめんなさい、お手数をお掛けしました……。余りにも美味しくて……」

「……そうか。気に入ってくれたなら、良かった」


 ほんの少しだけ間を置き、■■さんは優しく微笑む。
 何故だろう。その視線に、胸がチクリとした。なんだか彼の目が、■■■の向こう側を見ているような、そんな感じがして。
 でも、席に戻って向かい合う時には、もうそんな気配は無くなっていた。
 ……勘違い、だよね。きっと。


「落ち着いて、よく噛んで食べるんだぞ」

「はいっ!」


 子供にそうするみたく、彼はお箸をカパカパしながら注意を促す。
 思う所はあったけど、大きく頷き返して、■■■も食事を再開する。
 分からない事が多いけれど、今はそうするのが正解だと思えた。

 う~ん、カツ丼サイコー!





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……あ゛ー」


 口の中が、粘つく。
 喉から勝手に、掠れた声が出た。
 ヒドい倦怠感。ボヤける視界には、見覚えの無い、小さな部屋が映る。
 五歩も歩かない内に、反対側の白い壁へと手が届く狭さ。自分の寝ているベッド。隅に洋式トイレ。
 窓は無く、太陽に代わる天井のLEDが眩しいけれど、昼なのか夜なのかも分からない。


(ここは……どこだ……。なんで、横になって……)


 視界だけでなく、思考までボヤけている。
 自分自身のことは、分かる。しかし、どうしてこんな部屋に居るのか、全く心当たりがない。
 それに、なんだろう。この既視感は。顔の左半分を、何かが覆って――


「ぅぐ、あ゛、あぁ……!」


 意識した瞬間、鋭い痛みが左眼を襲う。
 思わず身体を捻り、シーツごとベッドから転げ落ちる。実に質素な、白いシャツとズボンを身につけているのが、ここで分かった。
 けれど、それ以上は痛みが邪魔して考えられない。
 左眼が、痛い。左眼が……左眼……左眼?

 ダメだ。考えたくない。まだ、“忘れていたい”。何を? 分からない。


「対象が意識を取り戻しました」


 ふと、変声機を通したような、くぐもった声が聞こえた。男女の判別がつかない。
 振り返れば、背後にドアがあった。格子付きの小さな窓から、防護ヘルムを被っているらしい人影が、こちらを覗き込んでいる。
 さっきの声は、彼(?)が……? 誰かに、連絡したのか……。


「……なぁ、そこの人。ここはどこだ、どうして自分は……?」

「………………」


 痛みと倦怠感を堪え、どうにか立ち上がって尋ねてみるが、返答が無い。
 そのまま姿を消してしまうけれど、しかし気配は近くに。
 護衛……いや、そんな雰囲気じゃない。……監視? どうして。
 現状を把握できず、痛みに棒立ちしていると、三分と経たない内に、近づいてくる足音が聞こえてきた。


「あれを打たれて、五日で自然覚醒か。やはり貴様“も”、人をやめてしまったようだな」


 聞き覚えのある、冷たい声。
 ドアの前で立ち止まった足音の主は、異様なほど鋭い眼差しを持つ同僚――梁島提督だった。


「梁島、提督……? なんで……」

「……桐林。貴様、どこまで覚えている。貴様の記憶はどこからだ」


 こちらからの問いには答えず、彼は逆に問い掛けてくる。
 言われて、反射的に記憶を辿っていく。


(記憶……。自分は……)


 生まれ故郷。両親の顔。姉と弟。町の人々。
 学校生活。小学生。中学生。高校生。大学生。そして……。

 ――駅前。先輩、兵藤 凛、死、死んだ殺された殺ス!


「ヤツはどこダっ!? まだ、まだ自分ハ奴を――ァがっ!?」


 発作的にドアの格子へと縋り付くが、その途端、首筋から全身に向けて衝撃が駆け巡った。
 手や脚の筋肉が強張り、否応無く倒れ込んでしまう。
 電流? 首? 痺れの残る指をなんとか伸ばすと、何か、チョーカーのような物が着けられていた。全然、気付かなかった。


「頭は冷えたか」

「はぁ……う……。なん、だ……これ……」

「保険だ。万が一に備えての、な」


 複数回の電子音と共に、ドアが開く。
 よろけながらベッドへ身を投げ出すと、白い詰襟の偉丈夫は、ゆったりとした足取りで対面の壁にもたれる。
 思い出した。ああ、完璧にではないが、思い出した。
 見舞い。襲撃。拉致。失くした左眼。簡易増幅機器。人工統制人格。先輩の死。憎悪、嫌悪、暗い衝動。
 自分は、あの外道と……。小林 倫太郎と戦っていたはず。それがどうして……?


「その分だと、兵藤の死までは思い出したか。ならば、その後を教えておこう」


 腕組みする梁島提督は、相変わらずの鉄面皮だった。
 しかしよく見ると、彼の首にもチョーカーのような物が巻かれている。
 自分と同じ……拘束具? いや、そんな筈ないか。そんな物を着ける理由がどこにあるというんだ。


「簡潔に言うぞ。あの後、暴走した貴様を私は殺そうとし、それを止めた中将が代わりに出撃。戦死した」

「……は?」


 考え込む自分の耳に、あり得ない言葉が飛び込んできた。
 殺そうと……中将が……戦死……。
 頭の芯が麻痺したように動きを止め、けれど、肉体は勝手に詰め寄っていた。


「う、嘘だ、なんで中将がっ!? どうして……!」

「私が知るか。……あの人の心など、最後まで読めはしなかった」


 突き放す言葉と、苦味ばしった顔。真実だと、その二つが突き付ける。
 脚から力が抜けていく。ベッドに腰掛けて、頭を抱えることしか出来なかった。
 暴走ってなんだ? 自分の代わりに、中将が死んだ? なんでそんな事になってるんだ。訳が分からない。
 知らない内に、誰も彼もが死んでいく。どうして。

 ……みんなは。あの子たちは、どこだ。


「みんなは……。自分の、船たちは……。主任さんは?」

「無事だ。今は舞鶴に待機させているが、じき横須賀へ帰す」


 縋る思いでの問い掛けには、望外の吉報が返された。思わず、大きな溜め息が出てしまう。
 正直な話、中将の死にも、実感が湧かなかった。単に受け止めきれていないのかも知れない。
 でも、みんなが無事だった。あんな場当たり的な戦闘を、どうにか潜り抜けてくれていた。その事に酷く安堵していた。

 ……なんて、下劣な。
 自分をここまで育て上げてくれた先輩の。偉大なる恩人の死を前に、不幸中の幸いと 喜ぶなんて。最低だ。


「だが、政治的な問題もあるからな。整備主任を務めていた彼女には死んでもらった」


 強烈な自己嫌悪に襲われる自分に対し、梁島提督はぎこちなく左手の指を動かしている。
 ……? 今、変な言葉が聞こえた。
 整備主任、主任さん。彼女には死んでもら……え?


「今、なんて言った」

「死んでもらった、と言った。あの様な技術、他国にでも漏れてみろ。人類史は四半世紀で終わりを迎えるぞ」


 彼は然も当然と、事も無げに言い放つ。
 主任さん。人工統制人格化の改造を受けて、保護されたはずの。


「ふざけるな! あんた、あんたになんの権利があって!」


 無意識の内に、自分は梁島の胸ぐらを掴み上げていた。
 さっきまでの気怠さが消し飛び、全身に震えるほどの力がこもる。
 騒ぎを聞きつけたのか、待機していたらしい背の低い兵士が、こちらにサブマシンガンを向ける。
 手でそれを制したのは、こちらを見下す梁島自身だった。


「権利など知るか。そんなものに縛られる謂れはない。
 ……今の私にあるのは、義務だけだ。
 果たさねばならない義務が、遺されているだけだ。
 好きなだけ怒り狂うが良い。それを許される貴様は、過分に幸せなのだから」

「なんでだ……。せっかく助かった命を、どうして!? あんたには心ってもんが無いのか!?」


 もう我慢なんて出来るはずもない。あらん限りの力で、自分は梁島を釣り上げる。
 兵士がより近くで銃口を突き付けても、一切気にならなかった。

 許せない。許さない。許してたまるものか。
 この男は奴と同じだ。己の都合だけで他人の命を弄ぶ外道だ。
 先輩たちが死んで、どうしてお前なんかが生きている。お前が死ねば良かったんだ。

 そう、心の中で恨み言を叫んでから、ようやく気付いた。
 彼の胸元を締め上げる自分の腕が、何か、紅い光を立ち上らせている事に。


「な、なんだ、これ。なんだ、この光」


 手を離して後退り、何度振り払おうとも、その光は腕に纏わり付く。
 腕だけではない。それは全身から発せられていた。
 光、ただの光じゃない。霊子だ。自分は、霊子を纏っている? 深海棲艦のように? バカなっ。


「……この程度の霊波で破壊されたか、役立たずな拘束具め。脳に爆弾でも埋め込むべきだったな」

「おいっ、なんなんだよこれ!? なんで自分が、こんなっ!?」

「ふん。肝心な所だけ健忘とは、随分と都合の良い話だ」


 狼狽えるしかない自分へ、梁島は皮肉な笑いを返すだけ。
 言い返す言葉を探す内、紅い霊子は段々と霧散していき、胸を撫で下ろす。向けられていた銃口も下げられた。
 ……そう言えば今、自分は大の男を軽々と釣り上げていなかったか? それほどの筋力、自分にあったか? もう、何がなんだか……。


「一つ心当たりがあるとすれば、その左眼だな」

「ひ、左眼? そんな、だって自分の左眼は、あの襲撃の時……」

「ああそうだ。事実、貴様の眼球はここにある」

「は? ――ぅわっ」


 放り投げられた小瓶を反射的に受け取り、ギョッとする。
 目玉だ。人間の目玉が、何かの溶液――おそらくはホルマリン――の中で浮かんでいた。
 縦に大きく傷付いていて、見ているだけで左眼が疼く。
 自分の左眼? 待て。じゃあ、“ここ”に納まっているものはなんだ。包帯の下でビクビクと脈動しているものは、なんなんだよ。

 左手で顔を覆い、自分は、ベッドの上に小瓶を放り投げる。
 頭が一杯一杯だった。
 疼きはますます激しく、得体の知れない恐怖に身体が震えてしまう。


「だが、自分自身でも感じられるだろう。貴様の左眼は確かに埋まっている。……その左眼、一体“誰の”物だ」


 梁島は、それでも容赦なく言葉を吐き掛けてくる。
 答えようがない。
 思い出そうとしても、髪の長い影がフラッシュバックするだけで、他には……。


「そんなの、知る訳ない。自分だって、混乱して」

「……だろうな。貴様は奇跡に取り憑かれている。そこに貴様の意思など介在しない。
 起こり得ぬ事象に翻弄されるだけの、水面を漂う葉だ。とっくに沈んでいるはずの、な」


 突き放されたはずが、何故かその言葉は腑に落ちた。
 奇跡という名の時代みずの流れに、クルクルと回りながら漂う、一枚の木の葉。
 岩にぶつかったり、落差に飲まれたりしつつ、辛うじて浮かんでいるだけの。浮かんでいること自体が奇跡なのだ。


「……殺そうとしたって、言ってたな。予想してたのか、この事態を。あの場に居たのか」

「居たとも。貴様を始末できなかった事は、痛恨の極みだ」


 口をついた疑問にも、全く悪びれずに返す梁島。
 まるで、「お前が全ての元凶だ」と、言われている気がした。
 それを否定できる確信なんて、どこにも無かった。


「なんで……。なんで、自分ばっかり、こんな……。なんで、“俺”に関わった人ばかり、こんな……」


 自分は背中を丸め、暗い気持ちを垂れ流す。
 そうしないと耐えられなかった。とてもじゃないが、呪わずに居られなかった。
 運命。悲劇。不運。
 こんな言い方で表現される“何か”を、恨まずには居られない。

 先輩。吉田中将。主任さん。
 もっと一緒に居られると思っていた人が、いつの間にか消えている。
 ありがとうございます。尊敬しています。貴方が頼りです。
 伝えられなくなった言葉が、頭の中で木霊している。

 これが……後悔。
 気が狂いそうだ。


「地下三階のC-7号室へ行け」

「……え?」


 顔を上げると、彼は部屋の入り口に立ち、こちらへ背を向けていた。


「行けば分かる。自分の目で確かめろ。貴様に遺されたものを」


 そう言い残し、梁島と兵士、二つの足音が離れて行く。
 迷いの感じられない足音だった。部屋のドアは、開けっ放し。

 どれほどの時間が経ったのか。
 よく分からないまま、自分も恐る恐る、ドアの向こうへ。
 裸足で踏みしめるリノリウム材が、冷たかった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 フラフラと。ヨロヨロと。
 覚束ない足取りで通路を進む間、自分はずっと一人だった。
 時折、経路図が壁に掛けられた、質素簡潔で殺風景な道。天井に張り付いた半球の監視カメラだけが、自分以外の存在を感じさせる。

 やがて、隣り合う二基のエレベーターが視界に入った。
 下向きの矢印を押すと、程なく片方の扉が左右へ開く。ここは地上二階だったようだ。
 中に入ってB3のボタンを。
 鏡面加工された壁へ寄り掛かると同時に扉は閉じ、身体が浮き上がるような感覚が襲う。
 ふと前を見れば、向かい側に見知らぬ男が立っていた。


(これが、今の自分)


 血色が悪い顔。
 頭の左半分を覆う包帯からは、真っ白な髪が溢れている。
 虚ろな右眼が、恨みがましくこちらを睨みつけて。
 あまり驚きは無かった。なんというか、どうでも良い。
 それでも、包帯の下を確認する気は起きず、エレベーターの到着と同時に外へ逃げ出す。


(行ってどうなる……。その部屋に、主任さんが? ……変わり果てた姿を見て、どうなるって言うんだ……)


 案内図を頼りに、また歩き出す自分。
 行きたくなんてなかった。できればずっと、ベッドで蹲っていたい。殻に閉じこもっていたい。
 けれど、何か得体の知れない情動に突き動かされ、脚は前へ。


「……C-7号……」


 アルファベットと数字が書かれたドアプレートを通り過ぎ、数分。目的の部屋に辿り着いた。
 電子制御のスライドドア。
 どうしようかと迷い、なんとなく手を伸ばすと、それは勝手に開いた。

 通路からの灯りで見えるのは、壁一面に設けられた、ロッカーのようなドア。まるで霊安室だった。
 一歩足を踏み入れれば、人を検知した白色照明が自動で灯る。
 中央に、台があった。
 人の形に盛り上がる、シーツの被せられた台が。
 膨らみ方から判断して、下に居るのは、女性。


(嫌だ。見たくない)


 コンクリートの中を泳ぐような速度で、その台へ近付いていく。
 呼吸は浅く、乱れている。
 指先が冷え、勝手に震えている。
 手の届く距離。
 すぐにでもこの場を離れたいという意思に反し、シーツの端を摘んでいた。
 ゆっくり。ゆっくり。シーツを下ろす。

 赤毛。


「……っ!」


 呼吸が止まり、背筋も硬直する。
 主任さんだった。
 眠っているように、静かな表情で横たわる彼女。しかし息遣いは聞こえない。
 呼び掛けようとしたけれど、声が出なくて。
 恐々、その頬に触れてみると、冷えているはずの指先よりも、遥かに冷たかった。
 命の温もりを、感じ取れなかった。


「嘘、だ……こんな……」


 ようやく出た声は、自分の物だとは思えないほど弱々しく、掠れていた。
 周囲の音が、遥か彼方から聞こえる。
 凍り始めた。内側に開いた穴から、自分という存在が、凍っていく。


「いやー、ホントホント。どうせ焼いちゃうのに、こんなソックリに作る必要ないですよねー」

「へ? ……くぁwせdrftgyふじこlp!?」


 横からニュッと入り込む主任さんの顔。
 一瞬だけ脳がフリーズし、直後、言葉になっていない悲鳴を上げながら、自分は壁際まで転げ回った。
 そんなこちらを他所に、彼女はシーツをペロっと捲り、「あ。乳首まで作ってある」とかなんとか。


「し、しゅ、主任、さん……?」

「はい。お久しぶりです、提督さん。……ですよね? 髪が白くなっちゃってますけど」


 状況を理解できないまま、主任さんの隣に立つ主任さんへ問い掛けると、いつもの格好をした彼女は、普段通りの明るい笑顔を見せた。
 なんだこれ。
 なんだこれ?
 なんだこれぇええっ?





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「え。は。お、ぇ? だって、あ、し、死んだって……」

「……? はい。死んじゃいますよ、社会的に。もしかして、何も聞いてないんですか?」


 目を白黒させる彼に向かい、アタシは右手を差し出す。
 呆然と手を取り、立ち上がってからも混乱しているような素振りを見せている。
 あー。これは、なんにも聞かされないでここへ来て、本物の死体だと思っちゃったパターンですか。
 人をこんなとこに呼び出しといて、梁島さんも性格悪いなぁ……。


「死んじゃう……社会的に……。まさか、それって」

「ええ。アタシの遺伝子から合成して、アタシそっくりに成型したタンパク質とカルシウムの塊。
 これを燃やして、社会的に死んだ事になるんです。……こんな身体になっちゃいましたからね。仕方ありません」


 ようやく合点がいったのか、彼は痛々しい傷痕の乗る唇を撫で、小さく呟いた。
 アタシはそれに頷き返し、ちょっと恥ずかしかったけど、背を向けて制服の上着をチョロっと捲る。
 彼にはきっと、明らかに人工物である、円形の接合機具が見えている事だろう。
 これが、人工統制人格化手術の結果。本来なら失敗に終わったはずの、実験の結果だった。


「生きてた……」

「提督さんのおかげですよ。あの手術の後、アタシはずっと意識を取り戻せなかったみたいですけど、提督さんが得た“力”の影響で、目を覚ましたらしいんです」

「らしい?」

「人から聞いたもので」


 上着の裾を直しながら、首をかしげる彼に振り向く。
 ……前から思ってたけど、この制服のスカート。両脇のスリットからパンツが見えちゃいそうで恥ずかしいんだよね……。太ももなんか丸見えだし。行灯袴を短くしたっぽい物らしいけど、世が世ならセクハラですよ全く。もう慣れたけど。
 それはさて置き。返事が妙に他人事なのは、本当に自分ではよく分かっていないからだ。
 アタシをあの館から運び出そうとした、陸軍兵さんat女性の証言によれば、医療ポッドの中でアタシは真っ赤な光を纏い、防護ガラスを素手で突き破りながら立ち上がって、また気を失ったらしい。
 で、その数時間後には病院で普通に意識を取り戻し、桐谷提督の庇護下へ置かれ、社会的に死ぬ事を提案された。そうしないと、次は人間に狙われるから……。
 まぁ、家族なんてもう居ませんし? 身軽なアタシは一も二もなく受け入れたんですが。


「なんともない、んですか」

「はい。前より好調な位で! 元気一杯ですよー!」

「……本当に?」


 心配そうにこちらを伺う彼。全身を使ってアピールするものの、全く信じてくれてない。
 むしろ、心配なのはこっちなんだけどなぁ。
 顎先から包帯の下へ潜る傷痕。霞ちゃんと負傷を共有しちゃった時のように、青ざめた肌。髪は漂白剤に漬け込んだみたいな白さで、聞いた話によれば、その左眼は……。
 でも、それを口にしたら、彼の表情はもっと曇ってしまうだろうから。
 アタシはちょっと大袈裟なリアクションをして、笑顔を心掛ける。


「む、疑り深いですね……。なんだったら触ってみます? 特別ですよ?」

「………………」


 ムキッ、と小さな力こぶを作って、それを見せつけるように眼前へ。
 彼は戸惑うようにしばらく見つめた後、おずおずと右手を伸ばした。
 躊躇いがちな指先が、力こぶをプニプニ。
 ……っ、これは、や、マズいかも……っ。


「ぅ……ちょっとくすぐったい……って、か、顔までいきますぅ!?」


 くすぐったさを我慢し、緩みそうな顔に力を込めていると、彼の手は二の腕から移動し、肩をポンポン。
 そこまでは良かったんだけど、肩から頭の横へと手が伸び、冷んやりした指が頬を撫でた。
 流石に、予想外。恥ずかしくて顔が赤くなっているのが分かる。
 な、ナチュラルにこんな事しますっ!? 慣れてる。この人、明らかに慣れてません? 駆逐っ娘へのボディタッチ効果ですか!?
 に、逃げた方が良いのかなぁ……なんて焦るアタシを、彼は静かに見つめ続けて。


「提督さん……? ――あっ」


 不思議に思い呼び掛けてみると、その右眼から一筋、雫が零れた。
 気が付けば。
 アタシは抱き締められていた。まるで、縋り付かれるように。


「生きてた……。生き、て、た……っ。生きて、る゛……。良が、っだ……ぁ……っ」


 硬い床へ膝をつく彼と一緒に、アタシも膝立ちに。
 とても。とても強く抱かれて。
 突然のことで反応できなかったけれど、さっきのような危機感はなかった。男の人にそうされているというのに。
 多分、理由は震えていたから。
 彼のたくましい腕が、凍えるように震えていたから……だと思う。


「……提督、さん。アタシは、最低の女なんです」


 宥めるよう、その背に手を回し。アタシは胸の内を吐露する。
 目を覚ましてからずっと、胸につかえていた……罪悪感を。


「あの発作、ワザとだったんです。提督さんなら、きっと助けてくれるだろうから。ワザと薬を飲まないで、無理やり着いて行って……。本当に、最低」


 アタシの心臓は、産まれながらに欠陥を抱えていた。
 それは中学生となった頃から本格的に牙を剥き始め、手術をすれば治るけど、一庶民にはとても払えない、トンでもない額の治療費が必要だった。
 幸い、アタシには少し特別な才能があって、それに随する保険とかをやり繰りして、高額な延命治療を施してきたけど、それも限界。
 十五歳まで生きれば奇跡だったのが、もう十九。その間にアタシは天涯孤独になった。親孝行すら、する暇が無かった。
 誕生日に貰った超大型軍艦プラモは嬉しかったけど、いつこの心臓が破れるかと思うと、歳を取るのが怖くて仕方がなかった。
 未来に望むことは無く、ただただ、死にたくないから生きてきただけ。
 死への恐怖が、生きる原動力だった。

 でも、怯えながら生きるのにだって、もう疲れ切っていた。だからアタシは、一か八かの賭けに出たのだ。
 彼なら……。統制人格にも分け隔てなく愛情を注ぐ彼だったら、助けてくれるんじゃないか、と。そう期待して。
 彼の目の前で発作を起こすため、薬を絶ち、喫茶 間宮に行ってみたいなどと嘘までついた結果が、あの襲撃。
 アタシのせいだ。
 アタシが足を引っ張らなければ、あんな結果に終わらなかったはず。
 彼は拉致されずに、兵藤さんも死なずに済んで、みんなで笑っていられた……かも、知れない。

 たらればに過ぎないのは分かってる。それでも苦しくて仕方ない。
 他人を利用してまで生きようとしたから、こんな事になっちゃったって。
 みんなの命を犠牲にしてまで、生き延びようとしたんだって。
 それが証拠に、アタシは敵の提案まで受け入れてしまった。


『僕に着いてくれば、その変な音がする心臓を取っ替えてあげるよ』


 こんな言葉を真に受け、人をやめてまで、死から逃れた。そのとばっちりを、みんなへ押し付けた。
 最低なんて言葉じゃ、足りるはずがない。
 どうしようもなく自分勝手な――醜い女。


「アタシには、そんな価値無いんです。貴方に泣いてもらえるような、人間じゃ……」

「そんなのいい! 生きててくれた、生きていてくれれば、それだけで、もう……!」

「あ……」


 ……なのに。
 痛いほど抱き締められるのを、嬉しく感じてしまった。
 首筋をくすぐる彼の吐息が、堪らなく愛おしい。


(電ちゃん、ごめん……。アタシ、卑怯だよね)


 決して届かないだろう謝罪の言葉を、心の中で唱えながら。強く彼を抱き返す。
 アタシは一度死んだ。
 彼が新しい“力”に目覚めなければ、永遠に目覚めないまま、標本にでもなっていただろうと思う。
 だけど、こうして生きている。
 生きて誰かと触れ合う事が出来る。
 そんなはずがないのに、許された気がした。
 彼の一言で、救われてしまった。


「……提、督」

「主任さん、主任、さ……。っふ、ぐ……うっ」

「大丈夫ですよ。アタシはちゃんと、生きてます。ここに、居ますから」


 子供のように泣きじゃくる彼をあやすため、なんだか小さく感じる背中を、優しく撫でる。
 いつの間にか。アタシ自身の目からも、涙が零れ始めていた。

 アタシはこの日。誰かを愛おしく想う喜びを、初めて知った。
 そして、他でもない彼に誓いたい。この命は、彼のために使おうと。
 こんな言い方をしたら、きっとまた、怒ってくれるんだろうけど。それでもアタシは、彼と共に生きていきたい。
 人間としてではなく、彼の……船として。

 恥知らずにも。
 こう、願ってしまうのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 抱き締め合う二人の男女を映す、監視カメラ。
 PC画面以外に光源のない、暗い部屋でその映像を確認しながら、梁島は椅子を軋ませ、背後へ言葉を投げ掛ける。


「何かあれば容赦無く撃てと、言ったはずだぞ」


 そこには、立ち尽くす兵士が一人。
 無言を貫いていた彼――否、彼女がヘルメットを外す。
 疋田 栞奈。
 らしくない、厳しい表情を浮かべる彼女は、強い言葉で問い返した。


「護衛対象を撃つ必要が、あったんですか」

「ある。止めねば奴自身が“力”に喰われて死ぬぞ。撃たれた所で死には――もう、死ねはしないのだ、私たちは。お前は撃たねばならなかった」

「……私には、桐林さんを撃つ事なんて……。私は、守るために……」

「くだらん感傷だな。やはり、お前に奴の衛士は務まらん」

「………………」


 胸をナイフで突き刺されたようだった。
 今後も桐林の側に居るため。兵藤の遺言を果たすために、栞奈は梁島へ懇願した。彼を守らせて下さい、と。
 その試練が、先程の一幕。桐林が再び暴走した際、それを止められるかどうか、である。
 しかし栞奈は撃てなかった。
 必要な時に、必要な相手に対して引き金を引けない兵士など、木偶にすら劣る。彼女の願いは果たされないだろう。


「どうして、あんな言い方を。……ワザと勘違いさせるようなことを、したんですか」


 失意の内に、栞奈はまた問い掛けていた。
 あの、挑発的な言動。敢えて思い違いを起こさせ、己を憎ませるように差し向け……。
 理解できなかった。
 栞奈の試験のため? あり得ない。
 一歩間違えれば大怪我を負う所だったと、“同じ力を宿した”彼自身が、よく分かっているはず。


「……人間という生き物はな。一度でも憎んだ相手は、そう簡単に許せないものだ」


 しかし、梁島は意外にも、寂しげな声で返事をする。
 また椅子の背もたれを軋ませる、その男の表情は、見ることが叶わない。


「憎しみや怒りは、ただ存在するだけで人を動かす。恨む相手が必要なのだ。……かつての私が、そうだったように」


 懺悔のようにも聞こえるそれに、栞奈は納得できなかった。
 一度は殺そうとまでした男を、恨まれてまで守ろうとする。
 チグハグだ。
 梁島の行動は一貫性を失っている。一体何が、そうさせるのか。
 まるで理解が及ばない。
 だが、そんな彼女へと再び投げられた言葉は、すでに氷の温度を取り戻していた。


「兵藤の遺言、まだ渡すな」

「え?」

「渡せば奴は折れるぞ。そして、もう二度と立てなくなるだろう」

「で、でも、これは……! 凛さんの、最後の言葉、なんですよ……」


 懐に忍ばせてある、兵藤の遺品――特別に所持を許された、兵藤が使っていた携帯端末を手で探り、栞奈は悲痛に顔を歪ませる。
 巧妙に隠された、たった数分の音声ファイル。
 この耳で確かめたそれは、兵藤が桐林に遺した……想いなのだ。
 必ず届けなければならない。彼に知っておいて欲しい。
 裏切る事しか許されなかった女の、たった一つの真心を。
 けれど、梁島もまた譲らなかった。


「それでもだ。今はその時ではない。……無理やり取り上げても良いんだぞ」

「っ!? 駄目です! 例え貴方の命令でも、これだけは!」

「ならば、せいぜい大事にすることだ。下がれ。沙汰は追って伝える」

「……はい。失礼、します……」


 途端、身を庇う栞奈を、梁島がせせら笑う。
 もはや是非も無しと、彼女は肩を落として退室した。
 小さな部屋に、一人きりとなって数分。
 ふと思い出したように、梁島は監視映像を閉じ、代わりに動画ソフトを立ち上げる。
 選択されたのは、短い音声ファイルだった。


『梁島 彪吾。
 おヌシを、吉田 剛志の名に置いて、九人目の“桐”――桐城とする。
 襲名は桐谷と相談し、機を見て行うこと。
 ……守ってやっておくれ。あの者たちの、未来を』


 一分にも満たない、簡潔過ぎる遺言。
 吉田の死後、桐谷が手ずから梁島へ届けた物である。改竄された形跡は無い。
 何十回も。何百回も聞き返したその声に、梁島は己の顔を右手で覆う。


「こんな私に、まだ生きろと言いますか、先生。貴方はやはり、鬼畜ですよ……」


 この先、梁島と桐林は、確実に政府の監視下に置かれるだろう。
 そして、眠っている間に採取された体細胞、血液、精液や骨髄液などを基に、様々な研究が行われる。
 あの娘とて、どうにかして実験材料行きを阻止したが、これから先はどうなるか。
 完全に死んでいた阿賀野型の四名と違い、社会的にだけ死ぬ事が決まった今、その行く末は戦争の中でしか見出せない。
 適合する軍艦を見つけ、死んだ娘と瓜二つの、統制人格を演じなければならない。

 それに耐えられるだろうか。あの二人は。
 梁島自身、耐えられる気がしない。
 心の底から憎んでいた“力”を、宿してしまった己に。
 許されるなら、今すぐにでも自害したい。誰かを、自身と同じ目に遭わせぬよう。

 だが、許されない。
 あの人の言葉が許してくれない。
 梁島は呪う。
 生涯でただ一人、最後まで勝てなかった男の事を。
 決して破れないと知りつつ、あんな戒めを遺して逝った、先生の事を。

 指の隙間から、紅い光が漏れていた。



















《異端の提督と舞鶴での日々 十七駆による肌色談義》





「――以上が、工廠の進捗状況になります。イタリア艦の実戦投入は、最速でも二週間後を予定してますね」


 夜を迎えた舞鶴鎮守府。
 煌々と明かりの灯る執務室にて、工作艦 明石の統制人格を演じる少女が、桐林へと報告を上げる。
 ただ頷くだけの彼に代わり、側で控える第二秘書官、鹿島が彼女を労った。


「……はい、確かに。明石主任、お疲れ様でした」

「鹿島秘書官も、お疲れ様ー。いやー、今日も働いた働いたー」

「ですね。うふふっ」


 首の骨をポキポキ鳴らし、大仰に肩を回す明石。その笑顔に釣られて、鹿島も楽しそうに笑う。
 舞鶴における明石の役割は、人として過ごしていた横須賀での日々と変わらない。
 新たな軍艦を建造し、損傷を受けた傀儡艦を修復し、兵装開発まで一手に担っている。
 人工統制人格として適合した船が工作艦であったのも、おそらく必然だったのだろう。

 彼女が元人間である事を知っているのは、桐林を含めても両手で数えられるほど。最近、ここに鹿島も加わり、秘密を共有する人数が増えた。
 桐林が恩師を喪い、明石が統制人格として生まれ変わった経緯など、彼女は涙ながらに聞いていたものである。
 そして、共に主人を支えていこうと、彼女たちは改めて誓った。硬く握手を交わしつつ、「でも負けないから」と無言で鍔迫り合ったのは、言うまでもない。

 しかし、“それ”以外では分別のある女性だ。
 互いの仕事の重要性も理解し、心から労い合う。良きライバルと言ったところか。
 対立候補の数は……考えない方が良いと思われる。


「ホント、一日過ぎるのが早いったらないねぇー。ちょっとゴロゴロしてただけで夜だもん、やんなっちゃうよー」


 そんな彼女たちを差し置き、執務室のソファで寝そべる秘書官補佐が一人。
 仰向けに少年漫画雑誌を開く、谷風である。
 靴を脱ぎ捨て、背もたれに脚を掛けるその姿は、ハッキリ言ってだらしない。
 薄緑色のショーツが丸見えだった。


「谷風ちゃん……。確か、昼に顔出した時もそこで寝てなかった? 少しは働こうよ……」

「えー。んーなこと言われてもさー。他の三人がやること全部やっちまったら、ゴロゴロするしかないじゃん。鹿島秘書官も仕事は普通に早いし」

「仕事は、ってどういう意味ですか谷風ちゃん? というか、そんな格好ダメです! その角度はその……えっと……み、見えちゃいますから……!」

「んぁ? 見えるって……」


 明石が呆れ、鹿島がそれとなく注意を促すと、ようやく谷風は自身の惨状に目を向ける。
 執務机と対角線上に位置するソファで、このような格好をすれば、否応無く部屋で唯一の男、桐林の目に着いてしまう。今は一心不乱に書類を作成しているようだが。
 そのせいか、谷風の顔に照れや焦りは無く、気楽な笑みを浮かべて軽く手を振っていた。


「今更、パンツ如きで恥ずかしがりゃしないってー。まぁ、この間は胸をモロッと出しちゃったし、アレはちっと恥ずかしかったけどさぁ?」

「も、モロッと……」


 鹿島の目が丸くなり、桐林が持っていた資料はバラける。
 時を遡ること一週間。直近の出撃において、谷風は中破状態に陥った。
 オーバーニーには穴が開き、スカートの丈は半分に。そして上着もただのボロ切れとなり……。あれは間違いなく、先っちょまで見られたに違いない。
 しかしながら、中破した回数は通算で二桁に届く頃。最初こそ半泣きになっていたけれど、今さら羞恥心は掻き立てられないのだ。というか、捨てないとやってられない。
 そんな谷風へと、同じく秘書官補佐である磯風、浦風が口を酸っぱくする。


「そうは言ってもだな。はしたないと思うぞ、流石に」

「磯風の言う通りやで? いくら提督さんが紳士やっても、女としての恥じらいは無くしたらいけんよ」

「紳士ねぇ……?」


 二人の意見に、思わず首を傾げてしまう谷風。
 桐林が紳士。態度だけを見れば確かにそうだが、彼が本当は色々と我慢しているのを、谷風は悟っていた。舞鶴の他の面々も、半数以上は察しているだろう。
 何を思ってそうしているのか、まだ理解の及ばないことも多いが、敢えて放置している部分もある。どこからどう崩れるか、今の彼は予想がつかない。
 だからこそ、ちょっとばかり彼をつつき回して、破裂しないよう、色んなものを漏れ出させるのが己の役目だと、谷風は自負している。
 その自負に基づき、ニヤリと底意地悪くほくそ笑んだ彼女は、ワザと姦しい話を続けた。


「しっかしさぁ。実際提督にゃあ、パンツの中身以外は見られちゃってる訳で。いちいち気にしてたら、戦闘なんてできゃしないよ」

「ふむ……。確かに、一理あるか。中破した状態でも動くことは出来る。いや、むしろ中破で足を止めることの方が危うい。そんな時に、肌を隠すほどの余裕は無いしな」


 谷風がスカートの裾をわずかに持ち上げ、磯風も自身の身体を確かめ、桐林は書類を書き損じる。
 損傷を負った状態で脚を止めれば、良い的になるのは必定。戦場では動き続けることも重要だ。
 しかし。しかしである。仮に中破へと陥り、セーラー服の上が縦に裂けたとしよう。そんな状態で磯風が動くと、風で捲られてもう横乳やら何やらが見えまくってしまう。
 大変なのである。敢えて詳しくは言わないが、とても、大変なのである。
 そんな事とは露知らず、同じような経験をした浦風もまた、自らが傷を負った時の事を思い返す。


「せやねぇ……。うちはいっぺん大破まで行ってしもうた時あったしなぁ。あん時は……正直、下着まで全損しとったけぇ、ぶち恥ずかしかったわ。あっはは」

「わ、笑い事じゃないよ浦風ちゃん。あの時はアタシも冷や冷やしたんだからね?」


 朗らかな笑い声に、明石は顔を青くする。
 いつだったか、出撃した水雷戦隊がコテンパンにやられて戻って来た時だ。
 浦風は船尾と機関部の一部を破壊され、轟沈一歩手前という所まで追い詰められていた。なんとか修復は出来たものの、明石としては、やはり味わいたくない絶望感である。
 何せ浦風自身も、衣服が全体的に破け、吹き飛んでしまったスカートの代わりに、上着の裾でショーツを隠すような有様だったのだから。
 ……いや。先の発言を鑑みるに、下着は全損していたのだから……。
 浦風の尊厳のためだ。ここで止めておこう。
 桐林は渋い顔で書き損じを丸め、近くにあるゴミ箱へ向けて投げ捨てるが、しかし、目測はかなり誤ってしまった。大暴投である。


「全く、仕事中になんて話をしてるんですか。提督のお邪魔になりますよ」


 それを代わって拾い上げるのは、残る最後の秘書官補佐――浜風だった。
 ゴミ箱に紙屑を捨て、彼女は姦しい姉妹艦たちへと、厳しい眼差しを向ける。
 仕事中でありながら、婦女子が肌の露出を論じ合うなど、風紀の乱れも甚だしい。
 面白くないのは睨まれた谷風で、毅然とクリップボードを持つ浜風へ、逆に話を振った。


「そーいう浜風はどうなのさ。提督に真っ裸を見られても、恥ずかしくないってのかい? けっこう派手に剥けてたじゃないさ」

「ええ、特には。かなり前に通り過ぎた悩みです」

「お、おう……。マジかぃ……」


 ……が、返されたのは思いも寄らぬ淡白な答え。恥ずかしがって面白くなるだろう、と考えていた谷風が怯む。
 記憶にある限り、浜風の中破した時の姿は、恐ろしく扇情的だった。
 タイツが伝線し、スカートもボロボロ。上着は袖口が残る程度で、手で隠さなければ弾ける果実が丸見えだっただろう。
 あれを恥ずかしがらないとは、なんという剛の者なのか。
 浦風も信じ難かったらしく、小首を傾げる。


「浜風はうちらよりも早くに励起されたし、出撃もようけぇしたみたいやから、慣れてしもうた?」

「……別に、慣れては……。お見苦しい物を見せて、恐縮するだけ。戦闘中は気にしないわ」

「うむ。やはりそうあるべきだな。だが浜風。見苦しいというのは謙り過ぎではないか? お前で見苦しいなら、私たちは見れたものではなくなってしまうぞ」

「いや、あの、そういう意味じゃ……」


 最初は頑なな態度を崩さなかった浜風だが、磯風にこうまで言われ、ついに頬を染めながら俯く。
 ここで、彼女たち四人の身体付きを比べてみよう。

 まずは谷風。言うまでもなく、ザ・駆逐艦といった体型であるが、ひたすら凹凸の無い寸胴とは言えず、探せば女性らしさも見つけられる。そこが特殊性癖の持ち主には大好評だろう。
 次に浦風だが、谷風よりも身長は高く、一五○cmに届く。胸の豊満さは比べるまでもない。古い言い方をすると、トランジスタ・グラマーという表現がピッタリだ。豊かな母性も垣間見える。
 磯風も背は高い方で、浦風より少しだけ胸は控えめ。それが逆に全体の印象をシャープにし、統制人格でなければ、ファッションモデルとして引っ張りだこであろうというのが、想像に難くない。
 そして、浜風。四人の中で最大の大きさを誇り、背は程々で一五○cmへわずかに届かない。だというのに、全体的なバランスは決して崩れておらず、奇跡的なプロポーションを保持していた。

 こんな美少女たちが、下着がどうの裸がどうのと、間近でガールズトークしているのだ。
 男がただ一人、その近くへ放り出されている所在無さ。ご想像頂けるだろうか。
 桐林は諦めたらしく、アロマ・シガレットを吹かしている。
 それを見た谷風の目が光り、いそいそと立ち上がった。


「ま、提督も男だしねぇ。実はやせ我慢してるだけで、興味津々だったりしてぇ。ほらほらぁ、谷風さんのスレンダーなバディを思い出してごらんよぉ。……興奮したろ?」


 執務机に向けてモデル歩きをした彼女は、頭、鎖骨、胸、くびれ、太ももと両手を動かし、“あだ”な女の表情を作る。
 少し前かがみに桐林を覗き込む姿など、その手の趣味を持つ男が飛びつかんばかりであった。
 しかし彼は、谷風を上から下までじっくり眺めた後、数秒の間を置き、「ふっ」と鼻で笑うだけだった。谷風の額に青筋が浮かぶ。


「ぅんがー!? 久しぶりに笑ったと思ったらそれかいチクショー!!」

「おい谷風、暴れるな」

「こぉら! いくら提督さんが大艦巨砲主義でも、女の子の身体的特徴をおちょくったらいけんやろ!」

「庇ってんのかバカにしてんのかどっちだぁー!?」


 暴れ出す両腕を、磯風と浦風がすかさず捕らえた。
 一応、浦風はフォローらしきものをするのだが、持つ者が持たざる者にすると、現実では多く刃傷沙汰の元になる。良い子はこうならないよう注意しよう。
 さて。夜も遅くに賑やかな執務室であるが、すっかり忘れ去られてしまった少女を思い出して欲しい。
 未だ実戦を経験していない、鹿島の事である。


「あ、あのっ、明石さんは工作艦ですけど、船体に損傷を負った事ってあるんですか?」

「え。アタシ? ……まぁ、あるっちゃあるけど……。思い出したくないなぁ、あはは……」

「そ、そうなん、だぁ……」


 話題に着いて行けなかった鹿島は、同じく実戦には向かない軍艦である、明石に一縷の望みを託した。
 ところが、彼女はモジモジと身体を小さくし、真っ赤な顔に苦笑いを浮かべている。
 それもそのはず。実は舞鶴艦隊が仮編成だった頃、彼女は鎮守府内で工作機械の事故を起こした経験があり、桐林に肌を晒した事があったのだ。
 しかも、人工統制人格なのだから、衣服と損傷は連動しないだろうと高を括り、彼の目の前で。つまりは肉眼で見られた。
 まだ塞ぎ込む前だった彼は、鼻血を噴くなどして大変だった。今もアロマ・シガレットを折ったりしている。半分以上残っていたのに、実に勿体無い。


「となると、この場で司令に肌を見せていないのは、鹿島秘書官だけという事になるな」

「えっ!? ゎ、私、だけ……?」

「こんだけ仰山の柔肌を堪能しとるんじゃ。いつかうちら、提督さんに責任取ってもらわな。なぁ?」


 密かに打ち拉がれる鹿島へ、磯風は気付きたくなかった真実を突き付け、浦風が桐林の背後に立って、彼の肩を揉みながらトドメを刺した。
 反射的に浜風を見れば、何とは無しに姿勢を整え、無表情のまま「ドヤァ」というオーラを放つ。実際はどうだか知らないが、少なくとも鹿島にはそう見えたのだ。
 私だけ。
 私だけ、提督さんに見られてない。
 イコール、仲間外れ。
 私だけ責任を取って貰えない。

 ――それはとっても困るっ。


「てっ、提督さんっ!」


 突然の呼び掛けで、執務室は静寂に包まれた。
 決意に満ちた表情を見せる鹿島へ、誰もが目を注ぐ中。
 彼女はクリップボードを抱えて、叫ぶ。


「私は……か、鹿島はっ、いつでもOKですからねっ」


 OKですからね……ですからね……からね……ね……。

 まるで山彦の如く響いた声に、磯風は「ほう」と片眉上げ、谷風も「これはこれは」と楽しげな笑み。
 しかし、それ以外の反応は無く、静寂が十秒ほど。
 それで発言の危うさに気付いた鹿島が、しどろもどろとなって言い訳を始めた。


「ぁあああの違うんです! あの、必要とあらば、海に出る覚悟は出来てます、って言いたかっただけで、決してあの……ぇ、エッチな意味、じゃ……」


 クリップボードを落としそうになりながら、アワアワと両腕を振り回したかと思えば、最終的に、トマトのようになった顔を隠す。
 いつでもOK。
 話の流れからして、このOKは肌を露出することか、責任を取って貰うという部分に掛かっているとしか思えない。
 それ即ち、「今晩どうですか?」と誘いを掛けているようにも聞こえてしまう、危険極まりないワードであった。
 が、何を思ったのか、桐林は席を立ち、ゆっくりと鹿島に歩み寄る。


「……提督さん? え?」


 足音に気づき、クリップボードを下げる鹿島。幾分、迷うような素振りを見せ、その両肩へ手を置く桐林。
 黒い瞳が見下ろしている。
 鼓動は異常な早鐘を打ち鳴らしていた。
 もしや、あの発言を真に受けたのだろうか。
 それで鹿島の唇を奪おうとして……。


(そ、そそそそそんな、いきなり!? みんな見てるのに!? こ、心の準備がっ、嫌じゃないけど、ど、どうしよう……。でも、提督さんが望むなら、私………………あれ?)


 ――などと妄想を繰り広げる鹿島であったが、目を閉じ、自分から顎を上げた瞬間、身体が回れ右をした。
 桐林に無理やり方向転換させられたのだろう。
 一体なんなのかと、うっすら右眼を開けてみれば……。


「随分と面白い顔をしているわね、鹿島」

「ひぃぃいいいっ!? かか、香取姉ぇ!?」


 なぜかそこには、満面の笑みを浮かべる姉が。夜戦演習に出ていたはずの、香取が居た。
 鹿島は恐怖に悲鳴を上げ、どさくさ紛れに桐林の腕の中へ収まった。割とあざとい。浜風と浦風、明石の目が細くなる。
 実は、執務室が静寂に包まれたあの瞬間、香取は既に入室していたのだ。皆が黙ったのはそのせい――騒いでいると雷を食らうから――である。
 そして今現在、彼女は猛烈に怒っていた。笑顔だが間違いなく怒っていた。


「あら、演習上がりの実の姉に向かって、酷い反応」

「あ、う、え……。い、いつから、そこに……?」

「いつでもOK、の少し手前からよ。一体どういう了見なのかしら。第二秘書官ともあろう者が、提督に色仕掛けなんて」

「ち、違いますっ、香取姉違うのぉ!! だから反省房行きは待ってぇー!」


 段々と、糸のように細まっていく香取の眼。鹿島は離れがたい気持ちを振り切り、今度は姉に泣きつく。
 反省房とは、“おいた”をした統制人格が送られる、言わば懲罰房である。
 と言っても肉体的な責め苦は当然あらず、その日の食事が磯風謹製となり、食べ切るまで出てこられない、といった程度だ。ある意味、肉体的な責め苦よりも地獄であるが。
 鹿島の置かれるであろう苦境に、谷風は顔を覆った。


「あっちゃー。やっちまったねぇ、鹿島秘書官ってば。こりゃー明日の昼までかかるぞー?」

「何を言っているんです? 貴方にも仕置が必要なようですね」

「へっ? い、いやいやいやいやいや、アタシなんもしてないって! なっ? 浦風、磯風……て裏切ったなぁ!?」


 ――が、何故だかそれに谷風自身も巻き込まれ、慌てて姉妹艦に同意を求めたが、逆に頭を抱える。
 彼女の背後で、浦風と磯風が「元凶は」「こいつだ」というプラカードを掲げていたためである。どこにそんな物を持っていたのだろう。


「貴方たちには統制人格としての自覚が足りません! これから私が、それをたっぷりと教授して差し上げます。覚悟なさい!」

「そ、そんなぁ……」

「勘弁しておくれよぉ……」


 首根っこを掴まれて正座させられた谷風と、自ら進んで正座した鹿島に、怒れる第一秘書官は教鞭を突き付けた。
 桐林が無言で椅子へ。浜風はその隣で控えて、浦風・磯風のプラカードは「自業自得」「抜け駆け厳禁」と裏返り、明石も数珠を手に南無阿弥陀仏と唱え……。まるでお通夜のような雰囲気だ。
 そんな時である。
 控えめに、執務室のドアがノックされた。


「あの……。お取り込み中、失礼致しま……えっ」


 顔を覗かせたのは、黒髪を赤いリボンでポニーテールに結い、割烹着を纏う少女――給糧艦、伊良湖だった。
 が、なかなか彼女は入室しようとしない。単なる定型句のはずが、本当に取り込み中だった事に驚いたのだ。
 仕方なく、秘書官たちの代理として浜風が要件を聞く。


「伊良湖さん? 珍しいですね、執務室にいらっしゃるなんて。どうなさったんですか?」

「あ、はい。間宮さんからのお言付けです。提督、お夕食の準備が整いました、と……」


 お説教組三名に、傍観組三名。
 一瞬異様な雰囲気の空間を避けて通り、伊良湖は静々、執務机の前へ。
 伝言を受け取ると、桐林が彼女に労いの言葉を掛ける。


「分かった。ご苦労」

「は、はい。では、私はこれで――」

「浜風。後を頼む」

「了解しました」

「――えっ」


 そして、浜風へ一言残したかと思えば、彼はそそくさ執務室から出て行ってしまった。
 余りの素早さに、伊良湖はまたビックリしてしまう。
 こうして伝言を持ってくる事自体、彼女には初めてだったの事だったのだが、普段の落ち着いた物腰を知るだけに、この反応は驚きだったのである。
 逆に、磯風や浦風はこれをよく目にしており、笑顔で彼の背中を見送った。


「毎度の事だが、司令は夕食に関してだけは動きが早いな」

「せやねぇ。けど、間宮さんのご飯は美味しいし、仕方ないじゃろ?」

「……ですね」

「……だねぇ」

「そう、なんでしょうか……?」


 普段は無感動に近い男性が、食事時には活動的になる。
 確かに微笑ましい光景にも見えるけれど、実情を知る浜風、明石からすると、歯切れの悪い言葉しか返せない。
 そして、伊良湖にとっても彼の行動は、少々怪しく映っていた。

 彼は日に一回、決まって間宮と一緒に食事を摂る。
 基本的には夕食をだが、朝食・昼食だった事もあり、その時々によって変わる。しかし問題はその点ではない。
 必ず間宮と、“二人きり”で食事を摂るのだ。
 鹿島とほぼ同時に励起され、まだ一ヶ月ほどしか舞鶴で過ごしていないが、出撃がある時以外は絶対にそうだった。
 まさかとは思うけれど、尊敬する先達である間宮と彼は……。わりない関係、だったりするのだろうか。
 口を挟むのは野暮だと理解しつつも、人間と軍艦。心配になってしまう伊良湖なのである。三角関係――否、多角関係的な意味でも。

 そんな様子を、説教を中断した香取が見逃さず察知するのだが、事は桐林の身体に関わる。
 皆の前で説明する訳にもいかず、無闇に広める訳にもいかず。
 気付かれぬよう、小さな溜め息をつくしかなかった。

 一方、お説教をされていた二人組はというと……。


(……っし、鹿島秘書官、今の内に窓から逃げるよ!)

(え? で、でも、そんな事したら後が怖い……)

(んなこと言ってる場合じゃないって!
 香取秘書官に説教されながら磯風の飯を食わされるなんて、三日は再起不能だよ!?
 そしたら秘書官の仕事も出来ないよ!? ほとぼりが冷めるまで身を隠すだけさ、ほら!)

(……そ、それもそうですね。お仕事できなくなるのは困ります。浜風ちゃんに負ける訳には……。ここは、戦術的撤退しかありませんっ。いざ、抜き足、差し足、忍び足……)

「そこの御二方。どこに行かれるおつもりですか?」

「うっ」

「ひっ」


 皆が桐林へ注目している内に、こっそり逃げ出そうとした谷風と鹿島。
 香取が振り返りもせず怒気をぶつけると、その丸まった背中はビクゥッ! と跳ねた。


「まさか、逃げようなどとは思っていませんね?」

「い、いえ、あの、鹿島、ちょっとお花を摘みに……」

「そ、そうそう! アタタッ、急にお腹が……っ」

「お黙りなさい。統制人格が腹痛など、磯風さんの料理を食べた時にしか起こり得ません!」

「なぁ、香取秘書官。地味に傷付くのだが」

「でも事実やさかいなぁ……。教える方も大変やわ」


 戦闘中でもないのに、紅い霊子力場を纏って見える香取の背後で、磯風が久しぶりに口を開く。
 先程からのやり取りでお分かりだろうが、彼女の料理スキルは非常に低い。
 不器用ではないはずなのに、魚を焼き過ぎて消し炭にしたり、煮物を煮過ぎてペースト状にしたり。
 横須賀の比叡が色んな物――調味料やアレンジ――の入れ過ぎだとすれば、磯風は作業のやり過ぎだと思えば良いだろう。
 どちらにせよ、口に入れるのを躊躇う物体が出来上がるという事実に、変わりはないのだから。今後は浦風の料理教室に期待しよう。
 そして、とある練習巡洋艦と駆逐艦の、悲惨な末路は……。


「さぁ、夜は長いですよ? たっぷりお勉強しましょうね?」

「あうぅぅ……。て、提督さん、助けてぇ……!」

「ヤバい、ヤバいよ、徹夜になるのが確定的に明らかだよ……」

「……さて。うちらはどないしよ? お腹も空いてきたし、提督みたく御飯にする?」

「そうしよう。用意は出来ているのだろう?」

「あ、はい。問題ありません。明石さんと浜風さんも、いかがですか」

「もちろん、行く行く! 今日はなに食べよっかなー?」

「すぐ資料を片付けますので、少々お待ちを。……これで良し。では、参りましょう」


 実に良い笑顔を浮かべる香取と、再び正座させられつつ真っ青になる鹿島・谷風。
 彼女たちを置いて、残る五名が執務室を後にした。
 その日。
 舞鶴鎮守府の地下にある反省房からは、「うわぁーんっ、苦いよぉおおぉおぉぉ……」という悲鳴と、「なんで焼きオニギリがザックザクなのさぁああっ!?」という叫びが響いたという。

 全くもって、平穏無事な一日であった。









「一つ、聞いてもいいか」

『はい。大丈夫なのです』

「……女の子が、側で下着だのなんだのという話を始めた時、男はどう反応すれば正しいんだろうか」

『え? えと、状況がよく……』

「そう、だな。忘れてくれるか。次は耳栓するよ……」

『……よく分かりませんけど、お疲れ様、なのです……?』

「………………」

『………………』

「なんだか怒ってない?」

『別に、なのです。おやすみなさい、司令官さん』

「あ、ちょ――切れた……。この前の仕返しか……」



















 更新時期は遅くなると言ったな。アレは嘘だ。
 てな訳で戦果報告ー! 我、冬イベを完全攻略せしや! 新規実装艦船全てと、二つ目の甲種勲章ゲットだぜ! でも事実上のトリプルダイソンはゆ゛る゛ざん゛!
 E-1では鹿島ちゃんが大活躍してくれました。あの子のクリティカルが無かったらクリアできませんでした。作中でポンコツ扱いしてるのが申し訳ないです。好きなのよ? ホント。
 E-2では礼号組み大躍進。そしてドロップも濃厚でした。大淀さんに山雲ちゃんに春雨ちゃんに、朝霜ちゃんに朝霜ちゃんに朝霜ちゃんに……。ヲノレ物欲センサァアアッ!!
 そして地獄のE-3。輸送でTPが3Pだけ残った時には「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」とリアルに叫び、妖怪一点残しのせいで重巡棲姫を仕留め損なった時には「ぶるぁあ゛あ゛あ゛」とネタでもなんでもなく絶叫しました。
 再チャレンジで雪風のカットインが突き刺さり、大井・ビスマルクが連撃スナイプしてくれなかったら、どうなっていた事か……。ちなみにめぼしいドロはボス前まるゆが一隻と、朝雲ちゃんだけです。
 久しぶりに甲で攻略しましたけど、低難度ながら、前歯が欠けそうな程の歯応えを感じました。けっきょく祈るしかないのは変わりませんね。主に潜水マスと戦艦棲姫に関して。
 もう今後のファイナルステージは、素直に乙か丙でクリアしようと思います。わちきの毛根は打たれ弱いのでありんす……。

 それはさて置き。今回は主任さんの顛末と、十七駆のエロ談義。温度差が激しいお話でした。
 人としての主任さんは死を迎え、これから彼女は統制人格――明石としての生を歩みます。様々な障害が立ちはだかる事でしょうけれど……。まぁ、どうにかなるでしょう。きっと。
 問題なのは、十七駆のパンツの中身以外を堪能しやがった野郎です。こいつの視覚情報が切実に欲しい。左眼抉れば貰えるのん? 安いもんだゼ!(ボールペンをグサー)
 次回も「在りし日」は重く、「異端」は軽やかな予定。今度こそ、しばらくお待ち下さいませ。
 それでは、失礼致します。


「それじゃあ、伊良湖ちゃん。私の居ない間、舞鶴をお願いね?」
「あ、はいっ。頑張りますっ。でも、どうして遠征任務に給糧艦が……」
「仕方ないのよ。桐谷中将、直々の指令だもの。……あ。それと、提督に関して、貴方に話しておかなくちゃいけない事があって……」
「え? それって、まさか……!?」





 2016/02/20 初投稿







[38387] 在りし日の提督と葬送の唄・前編
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/03/19 23:26





 統制人格。
 傀儡能力者が生み出す、軍艦の現し身。無人制御端末。使い魔。
 その全ては女性体として具現し、外見も千差万別であるが、共通性質として、自発的な意思を持たない。
 法的にも生命体として認められておらず、あくまで器物、もしくは船の付属品として扱われる。

 傀儡能力者と霊的な繋がりを持ち、それを通じて伝達された命令を、更に艦全体へと伝える役割を担う。
 身体は霊子で構成されており、厳密に言えば、物質に触れる能力を持つ幽霊である。
 人間とほぼ同じ構造・臓器が再現されていると考えられているが、睡眠・飲食・排泄を始め、様々な活動を必要とせず、負傷に対する耐性も持ち、身体能力は極めて高い。
 
 これが、■■■。■■という重巡洋艦の現し身。


「あの、どこに向かってるんですか?」

「ん? あぁ、ちゃんと仲間を紹介しておこうと思ってね」


 そして、■■■を呼び起こしてくれた人が、今、廊下の前を歩く■■さん。……傀儡能力者。

 人類が新たに獲得した霊的異能。それを持ち得た人間のこと。
 一定以下のテクノロジーで作成された構造物――特に軍艦へ自らの魂を分け与え、統制人格と呼ばれる端末を生み出し、無人制御を可能とする。
 傀儡能力者は、世界総人口である五十億に対し、一千万分の一程度の確率で発現するが、日本においては百万分の一ほどの確率で発現している。
 
 しかし、彼の励起した軍艦である■■■は、通常の統制人格という枠組みから、外れた存在になってしまった。
 おトイレは必要ないけど、眠くなるし、お腹も空くし。何より、■■■という自意識を持ってる。
 理由は全く分からなかった。なので、■■さんは色々と検査を受ける予定らしい。
 でも、その前にちょっと……と連れ出され、その後を追っているのです。


「さ、ここだ。入ってくれ」

「……はい。失礼致します」


 程なく、彼はとある部屋の前で立ち止まる。
 第二重構造会議室……。重構造ってなんだろう? よく分からないけど、厳重な感じ。
 とりあえず、■■■はドアをノック。挨拶しながら、両開きのそれを開けた。
 日の光が差し込む明るい室内。中をくり抜かれた楕円形の大きな机の側に、五人の男女が立っていた。
 端から、彼に二佐と呼ばれていた初老の男性と、半ズボンの少年、■■■くん。二佐は堂々と。■■■くんは欠伸をしてる。
 だけど、その隣に居る三人は誰だろう。
 ■■■と同い年くらいの女の子に、眼鏡を掛けた……ごめんなさい、失礼な言い方します。パッとしないオジさんと、■■さんより少し若い感じを受ける男の人。
 この人たちが、仲間?


「まずは、二佐と少年。もう会っているし、省いても問題ないか」

「え? ま、まぁ、無いと言えばそうですけど……」

「おいおい。その言い草はなんだ、仮にも上官だぞ?」

「そーだよ、人を呼びつけといて。オレは兄ちゃんほどヒマじゃねーんだけど」

「ははは、すみません二佐。少年には後でラムネ奢ってやるから、な」

「っ! ぜ、絶対だかんな!」


 首をひねる■■■を置いて、■■さんは二佐、■■■くんと談笑中。やっぱり仲が良いみたい。
 二佐は落ち着きのある男性……最初のアレは例外かな。で、■■■くんは口の悪いイタズラっ子。ラムネで釣られちゃうあたり、まだまだお子様だね。


「で、こちらが同期の……。どっちで紹介したのが良いかな」

「……どっちでも」


 お祖父さんと孫みたいな二人の次は、白い詰襟とプリーツスカートを合わせる女の子。
 若く見積もって十五歳、少なくとも成人はしていないと思う年恰好で、色味の燻んだ金髪とソバカスが特徴だった。ちなみに髪型はポニーテール。
 んー。外国人さん、なのかな。顔立ちが日本人離れしてる。けど、髪の色は染めたりとか出来るし、言葉のアクセントも自然。ハーフとか?


「彼女の名前は■■ ■。潜水艦、伊号五○三・五○四を主に使役しているんだ。無口でとっつきにくいかも知れないが、真面目な子だ。仲良くしてくれ」

「……どうぞ、よろしく」

「はい。よろしくお願い致します」


 ペコリ。深々と頭を下げてくれる彼女に、■■■もお辞儀を返す。
 表情の変化はあまり無いみたいだけど、礼儀正しくて大人しい子みたい。友達になれたらいいな……。
 と、淡い期待を抱く■■■の前に、次なる人物が進み出てきた。
 さっきのパッとしないオジさん。ちょっと猫背で、気の弱そうな感じ。


「次は、■■ ■■さん。軽巡洋艦、大淀を旗艦とする、砲雷撃戦の妙手だ。元は脚本家なんですよね?」

「いやはや。全く稼げませんで、そう名乗るのも恥ずかしいんですが……。
 しかし、今までは何一つ精神的活動を見せなかった統制人格が、突如として自意識や感情を発露させた。
 実に興味深い題材です。後で取材させて下さいね?」

「は、はい。構いませんけど、お役に立てるかどうか……」

「いえいえ、問題ありませんって。取材にかこつけて、若い女の子と話したいだけですから。あっはっは」

「……奥さんに言いつけますよ」

「ごめんなさい冗談です勘弁して■■君っ」


 人の良さそうな顔で笑うオジさんでしたが、目を細くした■■さんの言葉に大慌て。意外。結婚してたんだ。
 少し頼りなさそうだけど、■■さんとも仲良さそうだし、■■■も懇意にさせて貰おうっと。


「おっほん。まぁ、■■さんは置いといて。最後に紹介するのはこの――」

「やぁやぁ! これまでは特に気にかける事もなかったが、自由な意思を宿したとなれば、紳士として挨拶せざるを得ないね!」

「ひゃっ」


 賑やかに自己紹介が進む中、背筋をピンと伸ばした、艶やかな黒髪と爽やかな顔立ちが特徴の青年が、ズイッと前に。
 ■■さんが紹介しようとした瞬間、彼は勢いよく円卓の上へ躍り出た。
 まるでスポットライトでも浴びているかのように、大仰で芝居掛かった動き。
 な、なんなの?


「ボクの名は■■■ ■■。だが、それは世を忍ぶ仮の名に過ぎない!
 なら本当の名前はなんだって? ふっ、耳をかっぽじってよく聞くが良い! ボクの真の名前は――」

「本名は■■ ■■だってさ。なんか霊能力者の家系らしくて、有名な陰陽師と同姓同名らしいけど、胡散臭いよなー」

「――って■■■君っ!? 何故に一番の見せ場を掻っ攫うのだぁ!?」

「だって一々ウゼェんだもん」

「これ■■■。いくら本当の事でも、本人を目の前に言ってはいかんぞ」


 しれっとセリフを奪った■■■くんに、その■■■さんとやらは悲愴な感じで崩れ落ちる。
 ていうか、二佐も何気にヒドい事を……。この人、嫌われ者?


「くっ……。だが負けぬ……! 例え見せ場を失っても、■■■君にウザいと言われようとも、■君にフラれ続けても、決してくじけはしない! 何故ならボクは……」


 どう表現すればいいんだろう……。
 毒を飲まされて死ぬ寸前に、最後の言葉を残そうとするような、思わず見入ってしまう悲愴感が漂っている。
 ……んだけど、どうにも真剣に受け取れない雰囲気があった。
 そんな■■■さん。唐突に顔を上げたと思ったら、恍惚とした表情で窓の外を見やり。


「イケメンなのだから……!」


 実にナルシスティックな一言で、周囲を引かせました。
 ああ、分かった。この人、頭に「残念な」って付けなきゃいけない人なんだ。
 確かに顔立ちは整ってるかも知れないけど、これじゃあ台無しだよ。何? そのギリシャ彫刻っぽいポーズ。首痛めますって。


「こ、個性的な、方々です、ね……」

「だろう? 割と困ってるんだ、ははは」

「■■さん、笑えない……」


 本音を分厚いオブラートに包んで、■■■はなんとか苦笑いを浮かべる。
 ■■さんが楽しそうに笑っているけども、■さんとかは疲れ切った様子。フラれ続けとかって言ってたし、貴方が被害担当なんですね。お察しします。
 ……軍人さんが、こんなので良いのかなぁ。なんだか不安になって来ましたよ……?





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 身体が沈み込むような、柔らかい革の座席。
 恐ろしく滑らかな手触りは、同時に微かなエンジンの振動を伝えてくる。
 スモーク処理のされた防弾ガラスが、外側からの視線だけでなく、内側からの視界も閉ざす。
 少しばかり前。軍病院へと向かうのに使用されたリムジンと、同型の車内に自分は――自分たちは居た。


「一体、どこへ向かってるんですか」

「着けば分かる」


 ダークスーツの襟元を緩めつつ、斜め前に座る梁島提督へ問うが、はぐらかされた。
 安物の毛染めで染めた黒髪から、独特のツンとした香りが漂う。うっかり左眼を開かないように着けた、使い捨ての眼帯が落ち着かない。
 同じように彼も、左手を落ち着きなく握っては開いていた。

 自分が意識を取り戻して、一週間が過ぎようとしている。
 その間、検査や事情聴取はもちろんの事、自身の置かれている状況に関しても、説明を受けた。
 あの施設は舞鶴鎮守府の近隣にある研究所であり、自分の身柄は桐谷提督の管理下に置かれている。
 新たな“力”――霊子力場発生能力に開眼し、どのような影響が傀儡艦にもたらされるか分からない今、与えられていた指揮権は凍結。復帰できるかどうかも未定だ。
 ひとまず、知りたい事を聞けば、ある程度は答えて貰えたし、人間としての扱いを受けている。それだけでも有り難いのだろう。


「……あの」

「先に言っておくが」


 どうにも間が持てず、思い切ってまた声を掛けてみるが、強い語気が被せるように発せられた。
 口をつぐんでしまうと、黒い礼装姿の彼は、目を閉じたままに続ける。


「早合点して暴力を振るった事に関する謝罪は、不要だ。
 おかげで拘束具が無意味なのも判明したからな。むしろ役に立ったぞ」

「……そうですかっ」


 また、これだ。この人を嘲笑う態度が、本当に腹立たしい。
 自分と“同じ立場”だというのに、何故ここまで足蹴にされなければならないのか。

 そう。驚くべき事だが、あの“力”を得た人間は、自分一人ではなかったのだ。
 自分は……おそらく、小林 倫太郎の実験の結果、視神経から“侵された”。
 対して梁島提督は、自分を殺そうと、第一次大侵攻で回収されたという、敵性艤装の破片を取り込んだ結果、骨から“侵された”……ようだ。
 霊子力場の発生以外に現時点で判明している作用は、身体能力の強化、生化学反応の変異による毒物に対する極めて高い耐性。
 握力は成人男性の平均、五十kgから百三十kgにまで上がり、瞬発力・動体視力などの向上も見られ、致死量の三万倍のシアン化カリウム――青酸カリにすら耐えうると聞いた。実験済み、らしい。
 そして、発作的にしか“力”を使用できない自分と違い、彼は既に“力”を制御下に置いているという。
 一時は小林 倫太郎との繋がりも疑われたが、恭順の意を示す彼に、桐谷提督を始めとする上層部は寛容だった。少なくとも、自分よりは行動に自由がある。

 いつ暴走するかも分からない兵器と、未知の技術ながら安定動作する兵器。
 等しく重要かも知れないけれど、重用すべきがどちらかは、考えるまでもない。


「一つ、注意点がある。よく聞け」


 そっぽを向く自分に、今度は梁島提督の方から声が掛かる。
 無視する訳にもいかないので、目線を戻す事で先を促すと、特に無作法を気にするでもなく、彼は続けた。


「我々が得たあの“力”は、感情の昂りに反応し易い。心を乱すな」

「感情の、昂り?」

「怒りや憎しみ。そういった負の激情だ。覚えがあるだろう」


 ……覚えがある、どころじゃない。
 自分が霊子を纏う時には、必ず激情が伴っていた。
 先輩を殺した外道への憎しみ。
 主任さんを見殺しにした梁島提督への怒り。……まぁ、こっちは勘違いだったけど。
 とにかく、誰かを激しく憎み、怒り狂った時に必ず、この“力”は活性化する。まるで漫画やアニメによくある、暴走型特殊能力だ。


「我々は、言わば超高圧のボイラーのようなものだ。機関部に据えれば、それこそ出力が万の位に留まらず、億……いいや、京や垓の位に届く程のな」

「垓って……。そんなまさか」

「物の例えだ。実際は馬力程度で測れん」


 胡乱な目を向けるが、梁島提督は至って真剣に見えた。
 ボイラーという身近な表現と、日常では縁遠い数字の桁。
 億の一万倍が兆で、兆の一万倍が京。そして京の一万倍が垓……十の二十乗、ゼロが二十個も必要になる。
 俄かには信じがたいけれど、見せられた記録映像――小林 倫太郎との戦闘記録が嘘でなければ、物理法則を書き換えるほどの“力”。常識に囚われない方が良いのかも知れない。


「人はボイラーをどのように使う。答えてみろ」

「は? そりゃあ、熱を使ってお湯を沸かしたり、蒸気でタービンを回したりして動力源に……」

「その蒸気はどうやって送る」

「耐圧加工した蒸気管とか……。さっきから何を」

「ならば。そういった物を用意せず、ただボイラーを焚き続けたら、どうなる」


 不意打ち気味な問い掛けに対し、反射的に答えを返していると、同じような問いが立て続けに。
 最初は何を言いたいのか理解できなかったが、その内に言葉の輪郭が見えてきた。
 超高圧のボイラーを、なんの目的もなく、延々と焚き続ければ……。


「蒸気の逃げ場が無かったら、あっという間に破裂――爆発する」

「そうだ。我々の場合、その逃げ場が統制人格であり、作用点となるのが傀儡艦という訳だ。
 十数分なら耐えられるだろう。だが、長時間使えば……。自殺したいのなら、止めはせんがな」


 最後にそう突き放され、車内はまた沈黙で満たされた。
 ただの人間だった自分に、本来は無い機能が追加された結果、爆発の危険性まで内包してしまった、という訳か。
 条理を覆す“力”の代償。高いと見るか、安いと見るべきか……。望まぬまま得てしまった自分は、どうすればいい。
 そんな時、ふと、身体が前へ押し出されるような圧力を感じた。停車したようだ。


「着いたな」


 梁島提督は、停車したのを確認すると、足元から大きめのアタッシェケースを取り出し、唐突に左腕を百八十度ねじった。
 袖口のボタンが外され、スルスルと左腕が引き抜かれる。その上腕部に、メカニカルな接合部。おそらく、最新式の義腕だろう。


「義腕、だったんですね」

「……ああ、言っていなかったな。中将――ではないか。元帥に斬り落とされた」

「え?」

「お前を殺そうとした時に、だ。行くぞ。この姿の方が関係者の同情を引ける」


 驚く自分を置き去りに、ドアを開け放つ背中。それを追って革靴を踏み出せば、暗く澱んだ空が出迎えた。
 遠目に白く大きな建物。円球状の天井が特徴的だが、周囲に人影は全く見られない。


「ここは……」

「吉田元帥の遺体が安置されている。
 明後日、国葬が行われる時に搬出される予定だ。
 貴様はあの人に助けられた。別れの挨拶は必要だろう」


 一つ、心臓が跳ねた。
 中将の遺体。もう亡くなってから日は経っているはずだが、しっかり保管さえしておけば、肉体は留めておける。
 別れ。挨拶。確かに、必要だ。
 ちゃんと、区切りをつけなくては。


「ありがとう、ございます。機会を作って、頂いて」

「私に言うべき言葉ではない。……着いて来い」


 礼儀として、梁島提督の背中に頭を下げるが、やはり返答は素っ気無い。
 特に期待していた訳じゃないから、こちらとしても気にならないが。
 彼の後を追い、アスファルトを踏んで白い建物の中へ。
 とても落ち着いた内装。無地の絨毯が足音を吸い込んで行く。
 相変わらず、人っ子ひとり居ない……と思っていたら、廊下を幾つか曲がった先で、見覚えのある巨体が歩み寄って来た。


「やぁ、お久し振りですね」


 この場に似つかわしくない、朗らかな笑みを浮かべるその人は、今の自分の生殺与奪権を握る人物。“梵鐘”の桐谷提督だった。
 爽やか過ぎる少年のような声に、自分は敬礼で答える。


「お久し振りです。桐谷提督も……?」

「いえ。私は既に済ませておりましたので。逐一報告は受けていましたが、一度、貴方の顔を見ておきたかったんですよ」

「あ……。自分、は……」

「皆まで言わずとも結構。桐林殿。貴方の身に起きた事は、全て承知しています」


 まるで労わるように、大きな手が肩に置かれた。……でも、どうしてだか、素直に受け取る事が出来なかった。
 確かにこの人ならば、舞鶴で起きた事の全てを把握可能だろう。しかし、それは今だからなのだろうか。
 千条寺家当主としての辣腕を考えると、こうなると分かっていた上で、放置していたのではないか……なんて、邪推してしまう。
 きっと、自分は見当違いな逆恨みをしているんだ。
 桐谷提督なら、こんな事になる前に何か手を打てたんじゃないのか。そんな風に期待して。本当に、どうしようもない。


「色々と話したい事もあるのですが……。
 何分、国外の来賓を迎えるとなると忙しい上に、このような場です。止めておきましょう。
 後から間桐殿と桐ヶ森殿も来る予定ですよ」

「あの二人も……」

「ええ。先にお別れをどうぞ。私は準備がありますので、これで失礼します。では、また後ほど」


 それだけ言い残すと、桐谷提督は近くの大きな扉を顎で示し、返事も待たずに歩き去る。
 国葬……。それもそうか。梁島提督も言っていたけど、吉田 剛志司令長官は、特進により階級を元帥にまで押し上げられた。
 つい癖で中将と呼んでしまうが、もう、そんな風に呼んじゃいけないんだ。
 あの釣り好きなお爺さんは、英霊となってしまったのだから。
 ……そう言えば、梁島提督。さっきから黙ったまま……。


「あれ? 梁島提督……?」


 居ない。周囲を見回してみるが、彼の姿はどこにも見当たらなかった。
 自分の前を歩いていて、桐谷提督が現れて、そこから気配が消えたような……。
 廊下にポツンと取り残され、自分はしばし途方に暮れるけれど、すぐに扉の存在を思い出した。
 この向こうに、眠っている。


(……吉田、中将。……元帥)


 扉を前に、知らず深呼吸をしていた。
 身体の内側を、何か、おぞましいモノに撫で回されているような、不快感。
 それを追い出したくて頭を振り、ドアノブへと手を掛ける。
 けれど、動かせない。
 手首を捻り、奥へ開くだけ。
 たったそれだけの動作が、異様なほど、重い。


「……っ」


 気がつくと、自分は弾かれるように逃げ出していた。


「すみません……。すみません……っ、すみませ……」


 どこをどう走っているのかも分からず、ただ、走る。
 なんで。なんで自分は逃げている。何から逃げているんだ。
 ちゃんと挨拶をしなくちゃいけないのに。
 今生の別れを、済ませなければならないのに。


「最低だ……」


 立ち止まった所は、まばらに車が停まっている、駐車場のような場所だった。建物の裏手、だろうか。
 あれほど走ったのに、息切れすらしていない。今までの自分だったら、息も絶え絶えだったはず。
 自分の心が、自分という存在が分からなくて、独りきりで空を見上げる。
 まだ昼にはなっていないが、それにしては暗過ぎる空だった。


「……ん?」


 ドドドドド。
 ふと、人が猛烈な勢いで走っているような、そんな足音が聞こえてきた。
 背後から。これは……近づいてくる?
 何とは無しに振り返ってみると……。


「――ぉおりゃあっ!」

「ぬぉおおっ!?」


 いきなり上段蹴りが飛んで来た。
 奇跡的にそれを掴み止めると、放ったのは少女である事が分かった。
 黒いブレザーのような服装。眩しい金髪。フェルト地の黒い帽子。そしてスラリと伸びたおみ足。
 ……桐ヶ森提督!? え、なんで自分襲わてれるの!?


「あ、ちょっ、離しなさいバカ!」

「いや、何、何してくれてんだアンタ!? ――あっ」

「きゃっ」


 片脚立ちでピョンピョンする桐ヶ森提督と、訳も分からず、細い足首を掴み続ける自分。
 奇妙な膠着状態は、バランスを崩し、もつれ合いながらアスファルトに転がる事で解消された。
 一応、下敷きになって庇いはしたけど……。


「いったた……。もう、最悪……」

「それはこっちのセリフですよ……」


 自分の上へ乗っかり、胸板に手をついて身体を起こす彼女は、やけに軽く感じた。
 人の顔って、下から見上げるとブサイクになると聞いたけど、やっぱ美少女のままだ。
 なんて不謹慎なことを考えていたら、破廉恥な体勢で呻く自分たちに駆け寄ってくる人影が。
 あれは……。佐世保で会った、桐ヶ森提督の調整士さん?


「あーあー、何やってんですか、桐ヶ森提督。ダメでしょ、いきなり人に蹴りかかっちゃあ」

「ウッサイわね、自業自得なのよ。よくも私のシュトゥーカを汚してくれたわねぇ? この強○魔!」

「た、体位的にはっ、自分の方が被害者なんですけどぉ!?」

「体位って言うなバカァ!」

「おぉおぉおぉおぉおっ」


 ガックンガックン、前後に揺さぶられながら反論すると、彼女は真っ赤な顔で更に激しく前後運動を。
 いや、うん。真面目に騎乗位みたいな格好なので、早めにどいて欲しいんですがっ。
 っていうか、なして強○魔呼ばわりされなきゃならんのだ?


「ど、どういう事なんですか? シュトゥーカを汚したって……」

「どうもこうも無いわよ!
 アンタに制御を奪われた機体、私の制御を受け付けなくなっちゃったのよぉ!
 私の、私だけのシュトゥーカだったのにぃいぃぃ! うわぁああぁぁあああんっ!!!!!!」

「えー、つまりですね? 今まで桐ヶ森提督が使っていたJu87C改は、もう桐林提督専用機になっちゃった訳です。
 それが悔しくて悔しくて堪らないんですよね? はい、ティッシュどうぞ」


 あー、そういう事ですか……。解説どうも。
 上体を起こすと、さっきまで怒り心頭だった桐ヶ森提督は、顔をグシャグシャにして泣き喚いていた。
 仕方なく、調整士さんのティッシュで代わりに拭うと、彼女は「チーン!」と鼻をかんでようやく一息。
 さっきまで気分が落ち込みまくってたのに、何してんだろう自分……。


「……づあ゛ぁ、色々とブチまけてスッキリしたわ。よいしょ」


 赤くなった目元を擦りつつ、サッサと立ち上がる桐ヶ森提督。
 自分も合わせて立ち上がると、綺麗な碧眼がこちらを見上げた。


「にしても、本当に別人みたい。一瞬、アンタが桐林なのかどうか、分からなかったわ」

「……すみません」

「なんで謝るのよ」

「な、なんとなく……」

「はぁ。やっぱりアンタ、桐林ね」


 どう答えれば良いのか分からず、本当になんとなく謝る自分へ、彼女は呆れた表情を浮かべる。
 まぁ、ダークスーツに眼帯を着けた、顔に傷のある男を客観的に評価すると、良く言っても悪く言っても、絶対ヤクザだ。しかもかなりの修羅場を踏んだ若頭的な。
 今は情けない顔をしてるだろうが、無表情なら結構な迫力があるんじゃなかろうか。全然嬉しくない。
 ……ん? という事は、相手が誰かも分からないのに、確認せぬままヤクザへ蹴り掛かったって事ですか?
 勇気があるってレベルじゃないですよ。無理無茶無謀の三拍子が揃っちゃってますよ。自重して女の子なんだから。


「何があったか、なんて聞かないわ。どうせ理解もしてないでしょ?」

「……はい」

「取り敢えず、さっきも言ったように、あの時のシュトゥーカはもう私には使えない。
 近い内にアンタへ渡るでしょう。……大事に使いなさい。墜としたら承知しないから」

「か、覚悟しておきます」

「素直でよろしい」


 あくまで高飛車な態度を崩さない少女に、思わず「お嬢」って呼びたくなってしまう。
 自分にその記憶はないが、舞鶴で制御を奪ったとされるJu87C改。
 彼女の代名詞とも言える機体を譲るのだ。あの大騒ぎっぷりも理解できる。
 もし指揮権が戻ったとして、使うのは自分ではないだろうし、墜とさない確約は無理でも、お仕置きだけは承知しておかなければ。


「というか……。さっきからしてるこの臭い。アンタまさか、髪染めた?」

「え、ええ。その……。漫画みたく、真っ白になってしまったので……」

「……ぬぁんですってぇ?」

「は? ぅおっ」


 結構キツい臭いだし、バレるかぁ……と思って自分の髪を弄っていたら、ネクタイをグイッと引っ張られ、桐ヶ森提督の顔が急接近した。
 驚きに硬直していると、彼女はクンクン鼻を鳴らし、顔を突っ込むようにして臭いを嗅ぎまくっている。
 え、えぇ、何? なん、くすぐった、ぉお?


「あ、あの、桐ヶ森、提督?」

「あぁ、なんてこと……! アンタ、バカじゃないの!? こんな安物使って、しかもこんなに染めムラがぁ……っ。
 髪や頭皮っていうのはね、ものすごーーーくデリケートなのよ!? キチンと労わりながら、優しく染めてあげなきゃダメじゃない!
 後で顔貸しなさい、私が丁寧かつ完璧に染め直してあげるわ!」

「ありがとう、ございます……?」

「スゲェ……。臭いだけで毛染めの品質まで見抜くとか、まるで犬っすよゴッドバードバレーさん……」

「うるさい黙れ。あーら白髪が生えてるじゃない、抜いてあげるわフンヌッ!」

「イッテェ!?」


 何やら、髪の染め方に一家言あるらしいプリン頭さん。
 こちらへ指を突きつけた後、ついに黙っていられなくなった調整士さんの白髪を、振り返り様に勢いよく引き抜いた。しかも見事に一本だけ。
 えっと……。あれだ、クォーターってのも大変なんですね。毛染めなんて二十年後ぐらいにお世話になるものだと思ってたし、ありがたく教わろう。
 断ったら拘束台に縛り付けられて、無理やり染められそうだし。


「ところでアンタ、一人で来たの? 護衛も無しに?」

「……いいえ。梁島提督と一緒に。多分ですけど、今も何処からか監視されてるかと……」

「ふぅん。ま、当然か。大変よね、アンタも……」


 梁島提督の話題になった途端、賑やかというか、落ち着きの無かった雰囲気は沈んでいく。
 推測だが、自分と彼の能力が未到領域に達した事は、知らされたのだろう。目撃者でもある。
 正直な話、今まで通りに……。これまでと全く変わらずに接してくれる、桐ヶ森提督の在り方が嬉しかった。
 ……でも。自分はどうだろう。
 桐谷提督が来ると言っていた、もう一人の同僚。先輩を殺した犯人の、クローンである彼に対して。自分は、どんな顔をして会えばいい。
 いいや、どうすれば良いかじゃない。どんな反応をしてしまうかが、怖い。


「あの……。まだ、間桐提督は――ん?」

「……何よ?」

「いや、あれ……」


 そんな気持ちが、卑屈な問い掛けをさせようとしたのだが、ふと、彼女の背後に、場違いな人影を見つけてしまった。
 二人の女の子。
 揃いのセーラー服を着る少女たちは、一方が活発そうな黒髪のショートカットで、残る一方は利発そうな、前髪パッツンの黒髪ロングだった。
 小学生か中学生? 少なくとも高校生には見えない。
 桐ヶ森提督も振り返り、駐車場隅にある自販機へかぶり付く二人を見て、眉をひそめた。


「何、あれ。ちょっと、なんで一般人が紛れ込んでんのよ」

「私に聞かれても……。誰か、政府高官の御息女とかじゃ?」

「なら警備が付くでしょう。怪しいわね」

「そうですか? ……いや、そうですね。自分も、油断して拉致されたんですから」


 普通にジュースを買おうとしている女子二名……だと判断しそうだった自分だが、すぐに考えを改める。
 そうやって油断して、まるで警戒をしていなかったからこそ、あの事件は起きたのだ。警戒するに越した事はない。
 ……のだが、二人の少女へ近づくもう一人の影を発見し、自分たちは異口同音に呟いてしまった。


「あら。イケメン」

「おお、イケメンですね」

「紛うこと無きイケメン、ですか」


 順に、桐ヶ森提督、調整士さん、自分である。
 セーラー服少女に声を掛けたらしいその人影は、遠目にも分かるほどの超絶イケメンだったのだ。
 梁島提督を威厳があって近寄りがたいイケメンとするなら、彼はあまりに現実離れした容姿から、近寄りがたい雰囲気を纏っている。
 着ているのは自分と同じようなダークスーツ。モデルかと見紛う長身痩躯だ。
 なんというか、遠くから眺めていたい感じ、だろうか? 桐ヶ森提督が若干ときめいているような。
 しかし……。


(でも、なんだこの感覚。どこかで、会ったような)


 自分の脳裏をよぎるのは、奇妙な既視感だった。以前に見かけたことがある?
 いや、あんな美形、一度見たら忘れようがない。けれど、誰かの面影が……。
 腕を組み、考え込んでしまうが、それも長くは続かなかった。
 なんと件のイケメンが、こちらを目指して歩み寄って来たからである。
 プリン頭さんは「ちょっと、こっち来る! か、鏡出しなさい鏡!」と慌てふためき、調整士さんが「はいどうぞっ。……あああ風で付けまつ毛が!」と、三面鏡を持ってサポート体勢。
 用意が良過ぎる。ていうかどこから出したの? 手品?

 ……と、騒いでいる間に、イケメンは二人の少女を連れて自分たちの真ん前に立ち――


「予想通り、辛気臭ぇ面ぁしてやがんな。プリン頭に……。白髪ヤクザ」

「は?」

「え?」


 ――覚えのある口調で、自分と桐ヶ森提督を呼んだ。
 この、口の悪さ。プリン頭、という呼び方。
 自分が知る人間の中で、こんな風に呼びつける人物は、一人しか居ない。
 桐ヶ森提督が、震える指で彼を指し示す。


「ま、まさか、その呼び方……」

「おう。オレ様よ。こうして直に会うのは初めてだな」

「……間桐提督!?」

「えっ、嘘ぉ!? このイケメンがですかぁ!?」


 自分が名を呼び、調整士さんが叫びを上げると、そのイケメン――間桐提督(?)は、「照れるぜ」なんて言いながら頭を掻いた。
 身長は、同じくらい。百七十ちょっと? 適当に切ったような短い黒髪が何故か似合っていて、着崩したダークスーツがオシャレ感を演出している。
 顔立ちは黄金比とも表現したいバランスであり、スッと通った鼻は高く、細い眉と切れ長な眼が、女性にも通じる細やかさで整えられて。
 信じられないといった様子の桐ヶ森提督が、金魚の如く口をパクパクさせつつ、ズレた帽子の位置を戻した。


「う、嘘、嘘よっ! だってアンタ、前に佐世保で見た時はガリガリのチビ助で……!」

「あん? いつの話だよ、いつの」

「ほら、私と演習するはずだった時! 去年の、医務室で、ほら!」

「……ああ。あん時はまだ成長剤が効いてなかったからな」


 綺麗な眉をいびつに歪め、間桐提督が過去を振り返っている。
 成長剤……。語感から察するに、強制的に身体を成長させる薬物だろうか。いまいち把握しきれない。
 そんな自分の気持ちを、調整士さんがタイミング良く代弁してくれた。


「あのぉ……。状況がよく掴めないんですが、私」

「……十ヶ月かそこら前よ。私は間桐と演習するために佐世保へ行った事があるの。
 けど、直前で『体調不良により中止』って事になって、無駄足になっちゃったわ。
 それで文句でも言ってやろうと、警護を薙ぎ倒しながら間桐専用の医務室へ乗り込んだ時、カーテン越しに……」

「なるほど……。その頃から傍若無人だったんですねぇ……あだっ」

「一言多いのよ軍艦オタ。こちとら燃料費自前だったんだからね? そりゃ怒るわよっ」


 笑顔で失礼な物言いをする調整士さんに、デコピンを食らわせる桐ヶ森提督。
 仲良くじゃれ合う彼女たちを、間桐提督は静かに見つめている。
 次に疑問を挟んだのは、彼の方だった。


「つーか、お前らよ。……オレの事、聞いてんのか」

「はぁ? なんの話よ」

「ん……。まぁ、どうせあの熊野郎が口滑らすだろうから、教えとくか。そこの白髪ヤクザは知ってるみたいだしなぁ?」


 また頭を掻きむしる彼は、最後に、嫌味な流し目をこちらへ向ける。
 そうだ。自分は知っている。桐ヶ森提督の知らない、彼の出自の秘密を。
 そして、彼も知っている。今は黒髪になっているはずの自分が、少し前まで白髪だった事を。……おそらく、その原因も。
 目の前に、ナイフの切っ先を突き付けられた。そんな気分だった。


「ねぇ、パパ。なっちゃんたち、いつまで黙ってれば良いのー?」「自己紹介、してないです」

「人前でパパ呼びすんなっつってんだろ!? 殴るぞ!?」

「きゃー!」「誘拐、されるー」

「ゴラァアアッ!?」


 が、しかし。緊張感を打ち破る和やかな声が、間桐提督の背後から発せられ、缶ジュースを抱える少女たちと、イケメンの追いかけっこが唐突に始まった。
 ……目まぐるしくて、着いて行けない。というかパパ? え、そういう関係? いやでも、あの二人もどこかで見たような記憶が……?


「ちょ、ちょっとちょっと。なんなのよ、この子たち。なんか見覚えが……」

「分かった! このロリっ子、間桐提督の長門と陸奥ですねっ? いやーこうなるかぁー」

「嘘でしょおっ!? ま、マジなの間桐!? 答えなさいよ性犯罪予備軍!」

「前半は肯定するが後半には断固反論すんぞ! オレだって好きで援交っぽい呼び方されてる訳じゃねぇ!」

「えんこーって何ー?」「せい、はんざい? わるもの?」

 
 パン、と手を打ち合わせた調整士さんの指摘に、またも目を剥くお嬢。
 反論するイケメンの周りを、セーラー服少女――長門、陸奥と思しき二人がパタパタ走り回って……。
 なんだこのカオス。突っ込もうにも、どこから突っ込めばいいんだ……?


「あ゛ー、クソ……。とにかく、場所変えんぞ。オラ来い、ながむー」

「あっ! また略した!」「ちゃんと呼んで、下さい」


 間桐提督は諦めたらしく、憮然と背を向けて歩き出す。
 その後ろに少女二人が続き、自分たちは顔を見合わせる。
 どうするのよ。行くしかないんじゃ。行きましょうか。
 無言のまま通じ合った三人で、連れ立って彼らの後を追う。

 雲が、より分厚くなり始めていた。




















《異端の提督と舞鶴での日々 伊良湖ちゃんはお年頃》





 それは、今日という日が何事も無く過ぎ去り、終わりを迎えるころ。
 舞鶴鎮守府にある庁舎の厨房で、明日の仕込みを行っていた、わたし――給糧艦 伊良湖は、驚きに聞き返してしまいました。


「給糧艦が遠征任務に、ですか?」

「ええ、そうなの。どうしても舞鶴を離れなくちゃいけなくって」


 茶色のロングヘアを赤いリボンで飾る女性――給糧艦 間宮さんが、後ろ姿にしゃがみ込んで返事をしてくれます。
 長春色のワイシャツに、プリーツの入った青いロングスカート。その上から割烹着を着ている間宮さんは、わたしがとっても尊敬している先輩です。
 料理が凄く上手で、お淑やかで。大人の女性、って感じです。わたしも同じような格好をしているんですが、間宮さんみたいな……色気? が無くって、ちょっと寂しい……。
 やっぱり、スカートの丈が短めで、ネクタイを着けていたりもするから、学生みたいなんでしょうか。髪も黒いですし。
 それはともかく。パンパンと手を払いながら立ち上がった間宮さんは、振り返ってわたしに微笑みました。


「という訳で、伊良湖ちゃん。私の居ない間、舞鶴をお願いね?」

「あ、はいっ。頑張りますっ。……でも、どうして給糧艦が……」


 間宮さんの留守を、わたしが守る。我が艦隊の、烹炊ほうすいを任された。
 全力で取り組むためにも、気合を入れて返事をしましたけれど、同時に気掛かりな事も。
 それは、今まで裏方に徹してきた給糧艦という艦種が、“主役”として遠征へ赴く、という部分です。
 間宮さんも、ちょっとだけ困った顔に。


「仕方ないのよ。桐谷中将、直々の指令だもの」

「桐谷中将……って、提督を後見して下さってる方、ですよね」

「その通り。よく出来ました」


 あんまり詳しくは知りませんが、わたしたちの提督――桐林さんを管轄しているのが、同じ“桐”である“梵鐘”の桐谷さん。階級は中将のはずです。
 軍という枠組みを超えて、多方面からの援助をして下さっていると聞きました。
 日本海側安全領域の端にある人工島群、日本海泊地の建造も、十五年前から主導していたとか。

 大きな陸地の側。最大五十海里まで、深海棲艦の侵入してこない海域が、安全領域。でも、例外が幾つか存在しました。
 その一つが日本海。
 本当なら、安全領域同士がぶつかって入って来られないはずなんですけど、現実に深海棲艦は出現しています。だから舞鶴鎮守府がある訳です。
 そして、日本海における艦隊運用の効率化を図るため、人工島の建造を決定したのが十五年前。今までに何度も妨害され、ほんの一~二ヶ月前、ようやく落成へと漕ぎつけたのでした。
 その分、作戦展開に大きな影響力があるみたいで、提督は苦手としているようです。噂ですが。



「横須賀の方々が色んな事をして、一般の人達から人気を集めてるのは知っているでしょう?」

「はい。食事処 鳳翔とか、クマ・レンジャーとか。どこかの喫茶店でアルバイトとかもしてるって……。わたしたちが準備してる甘味処も、その一環なんですよね」


 二人並んで、仕込みの後片付けをしながらも、話は続きます。
 食事処 鳳翔というのは、横須賀でわたしたちのような役目を担っている軽空母、鳳翔さんが経営する飲食店で、つい最近、フランチャイズ店の契約が成立したらしいです。
 桐林艦隊公認コスプレ衣装を纏った、可愛らしい店員さんが売りだとか。
 そして、クマ・レンジャーというのは、横須賀に在籍する航空巡洋艦、三隈さん発案の御当地ヒーロー……もどき? です。
 なんだか緩い悪の首領ノース・ゴッドと、鞭がとっても似合う女性幹部ビッグ・Eの掛け合いや、チープな設定に対してキレのあり過ぎるアクションが大人気、とかなんとか。
 正直、あんまり興味が……。ごめんなさい。

 そしてそして。ここ舞鶴鎮守府でも、わたしたち給糧艦がお店を持たせて頂きました。その名も、甘味処 間宮!
 純和風な店構えですが、甘味だけに留まらず、和洋中のフードメニューも充実している、評判のお店なんです! ……まだ鎮守府内だけの営業で、お客さんは統制人格の皆さんだけなんですが……。
 正確には、このお店も食事処 鳳翔の姉妹店みたいな扱いで、オマケに、軍が経営してた喫茶店との、商標登録を巡る争いまであったみたいですけど、もちろん今は解決してますよ?
 将来的に、京都市内へ店舗を構えるのが目標です。


「それで今度、私自身が日本各地に赴いて、船内を一般公開しながら炊き出しする、というイベントが開催される事に決まったらしいのよ。その中で、甘味処を試験営業もするの」

「船内を、一般公開ですかっ?」

「そう。私を手伝ってくれる妖精さんたちは、普通の人にも見えるみたいだから。それで、ね」

「なるほど……」


 使役妖精。通称、妖精さん。
 わたしたち統制人格と、低強度能力者さんが使役する存在で、手の平サイズの女の子みたいな外見をしています。
 とても細かな精密作業を得意としていて、特殊な触媒でやる気を引き出せば、戦艦ですら四半日で建造できちゃいます。凄いですね。
 言葉は話せませんし、衣装や髪型、顔付きも千差万別。気まぐれな所もありますけど、とっても可愛らしい子たちなんです。あ、ちゃんと意思疎通は出来ますよ。念話みたいな感じで。
 でも、その姿は普通の能力者さんや、一般の人には見る事が適いません。一説によれば、心の綺麗な人間にしか姿を見せないんだとか。わたしたちの提督にも見えていないようです。

 ところが。間宮さんのお手伝いをする妖精さんは、誰でも姿を見られるという、他には無い特徴がありました。
 理由はよく分かっていませんけど、甘味処 間宮ではこれを利用して、「妖精さんの作るスイーツ」を前面に売り出す予定なんです。
 ミニチュアサイズな可愛い女の子たちが、一生懸命に作った甘味。きっと大好評間違いなし!
 ……と、思いますが……。


「大丈夫、なんでしょうか」

「……伊良湖ちゃん?」


 仕事上がりのお楽しみである、みんなには秘密のプリン・アラモード、バニラアイス添えを前に、わたしは不安を隠せません。
 どうしても、間宮さんの事が心配になってしまいます。


「船内を公開するってことは、誰でも自由に中へ入れるって事ですよね。もし、変な人が紛れ込んだりしたら……」


 こんなこと、考えたくなんてありませんが、傀儡能力者や、それに類するわたしたちを嫌悪する人々は、少なからず存在します。
 もし、そんな人が心を偽り、艦内へ潜り込んだとしたら……。
 通り魔。放火。爆弾。
 考え得る限りの最悪を想像するだけで、身震いする程の恐怖が湧き起こりました。
 わたしが悪く考え過ぎなのかも知れませんけど、どうしても嫌な予感を拭い切れません。
 なのに、椅子へ座ったまま俯くわたしを、間宮さんは優しく抱きしめてくれて。


「大丈夫。心配しないで? 万が一を考えて、陸軍の方にも協力して貰う……って、提督が仰っていたもの。
 香取さんだって着いて来てくれるし、他に護衛もつくし。まるで御召艦にでもなった気分だわ。だから、笑顔で見送ってちょうだい」

「……間宮さん」

「さぁ、頂きましょう? 甘い物食べて、元気出さなきゃ!」

「はいっ」


 パァッと、花が咲いたような微笑みに、釣られて笑顔になってしまいます。
 ……そう、ですよね。例えどんな悪意が待ち受けていたとしても、きっと、提督が護ってくれるはずです。間宮さんの言葉で、そう信じようと思えました。
 心が軽やかになった所で、間宮さんが対面へ座るのを待ち、「頂きます」と挨拶。わたしはプリンにスプーンを入れます。
 濃厚な卵とミルク、ほろ苦いカラメルの風味が鼻に抜けて、けれど舌に残り過ぎず、スッキリと解けていきます。そこへバニラアイスの冷たい甘さも絡まり、もう堪りません。
 間宮さん特製レシピのバニラアイスと、カラメルプリン。やっぱり美味しいなぁ。
 どうしたら、こんなに繊細な味を出せるんだろ……? もっと勉強しないと、うん!


「……あ。忘れる所だったわ。それと、提督に関して、貴方に話しておかなくちゃいけない事があって……」

「え? それって、まさか……!?」


 決意も新たに、プリン・アラモードを「ご馳走様」するわたしへと、間宮さんが真剣な表情を。
 提督に関して、話しておかなきゃいけない事。その内容に心当たりがあって、わたしは思わせぶりな反応をしてしまいました。
 間宮さんがわたしにまで秘密にしていた、提督との関わり。
 とても真剣で、同時にほんの少しの罪悪感を窺わせる雰囲気から、導き出せる答えは一つ。
 間違いない。
 提督と間宮さん、やっぱり“そういう関係”なんだ……!


「そっか。伊良湖ちゃんも、気付いてたのね」

「それは、えっと……。な、なんとなく、ですけど……」


 わたしの考えを裏付けるように、間宮さんが憂いを帯びた顔で、まぶたを伏せます。
 元が艦船とはいえ、人としての心と身体を得た今、わたしたちは恋する事も自由になりました。
 しかし、極端に人員を少なく、また、一般職員と統制人格が接触しないよう計られている舞鶴鎮守府では、自然と相手は提督に限られてしまいます。
 噂によれば、提督と“そういう関係”にあるんじゃ? と思しき統制人格の筆頭は、もはや説明不要な浜風さん、一番に付き合いが長い明石主任、全幅の信頼を置かれる香取秘書官、妙にボディタッチが多い浦風さん。
 他十数名に登りますけど、その中でも特に怪しかったのが、毎夜、提督と二人きりで食事を摂る間宮さんでした。なので、あんまり驚いてなかったりします。
 あ、ちなみになんですが。提督に対して好き好き大好きオーラを放っている鹿島秘書官は、全員一致で「まだだろう」という見解です。
 もしも“そういう関係”になったら、一晩でバレそうな方ですし。


「なら話が早いわ。私の居ない間、代わりに提督のお世話をお願いしたいのよ。
 提督は我慢するって言ってくれたのだけど、やっぱり心配で……。頼めるかしら」

「は、はい。分かりまし……はい?」


 ともあれ、話の内容を理解していると判断した間宮さんは、安心したような表情を浮かべ………………んん?
 間宮さんの代わりに、提督のお世話?
 間宮さんの、代わりに。
 提督と間宮さんは、“そういう関係”で。
 側に居ないと出来ないお世話を、わたしが。
 二人っきりで食事して、そのまま「わたしも食・べ・て?」とか。

 ……ぇええーーーっ!?


「だ、だだだだだだめですっ、無理ですっ! ゎわわ、わたし、そんなっ!? 無理ですよぅ!?」


 常識的に考えてあり得ないお願いをされ、思わず立ち上がってしまいました。
 自分でも、顔が真っ赤になっているのが分かります。
 まさかこんな、提督と関係を持つように言われるなんて、予想外にも程があります!
 けれど、間宮さんは不思議そうに首を傾げるだけで……。


「どうしたの、伊良湖ちゃん? 大丈夫よ。貴方ならきっと、提督を満足させられるから」

「そういう問題じゃ……! それに、間宮さんは良いんですかっ?」

「良いも何も、とても大切な事じゃない。提督につつがなく艦隊を運営して頂くためにも、精神的・肉体的な充足感を得る事は重要だわ」

「に、肉体的……!?」


 平然と言い放たれた言葉に、わたしは堪らず後退り。
 あの言い方は間違いなく、男と女のプロレスごっこinダブルベッドの事でしょう。
 提督と間宮さんは、恋人同士じゃなかったんですね……。ただ、みんなの為に身を捧げていただけ……。
 ショックがあまりにも大き過ぎて、わたしは立ち尽くします。
 我慢する、と言っていたなら、これは提督が望んだ事じゃない?
 だけど、誰かと肌を重ねる事が提督の安らぎとなっていたら、彼の後方支援が役目であるわたしに、断る事なんて。
 尊敬できる男性だとは思います。けどやっぱり、出会って間も無い訳で。褥を共にする、なんて。
 そんな気持ちが、言葉になって漏れていきます……。


「でも、でもわたし……。そういう事、は……あの……。
 す……好き合ってる人同士だけが、していい事だと、思うし……。
 初めては、その……旦那様になる、方に……」

「……さっきから何を言って――あ。やだ伊良湖ちゃんったら! 意外と耳年増なのね? うふふっ」

「え? ま、間宮さん……?」


 モジモジと、だんだん小さくなっていくわたしに、間宮さんは訝しげな顔をして、けれど次の瞬間、目を丸くしながら破顔しました。
 あ、あれ……。なんですか、その反応……。わたし、何もおかしい事なんて……。


「私が言っているのは、提督の“お食事”の話よ? 男女の睦み合いの話じゃありませんっ。理解できた?」

「………………へっ」


 ゆっくり歩み寄って来た間宮さんが、戸惑うわたしのオデコをコツン。
 知らず、変な声を出してしまった後。なんて恥ずかしい勘違いをしていたのかと、蹲ります。
 穴があったら入りたい、ってこういう気分なんですね……。
 うあぁぁぁ、先走り過ぎです、三分前のわたしの馬鹿ぁ……っ。


「ご、ごめんなさい……。提督と間宮さんは、お付き合いされているものだとばっかり……」

「ん~……。誤解のないように断言すると、恋人同士ではないわね。……残念ながら。さ、とりあえず座りましょう」

「あ、はい……」


 ぽんぽん。慰められるように肩を叩かれ、わたしはとにかく、さっきまでの自分を忘れようと心掛けます。
 ……え? 今、残念ながらって……。気のせい、かな……。
 聞いてみようにも、間宮さんはすぐ隣で、また真剣な表情に戻っていて、聞きそびれてしまいました。


「じゃあ、最初から話すわね。提督が滅多に人と食事を摂らないのは、伊良湖ちゃんも知っているでしょう?」

「はい。用意する時も、大体は軽食です、よね……。けど、夕食は必ず間宮さんと……」


 問われて思い出すのは、提督の普段の食生活です。
 一日三食、しっかりと食事を摂られますが、朝食・昼食は比較的軽い物をご用意して、間宮さんがご一緒する夕食に、豪華な御膳を用意していました。
 時折、急な出撃任務などで夕食の時間が潰れてしまう事もありましたけど、「そういう時は無表情のまま超絶不機嫌になんだよねぇー」とは、谷風さんの談です。

 献立にも気を付けています。
 わたしが知る限り、香りの強い物や、柑橘類などの酸味がある物、ゴーヤみたいな苦みのある物を好んで召し上がられていました。
 と言っても、これらを用意するのは朝と昼だけで、夕食は特に制限が無いんです。
 この辺りが混乱の原因で、提督という人がよく分からなくなっちゃう事もあったり。
 気難しい方なんでしょうか?


「私が提督と食事を摂るのはね……。彼に合わせて食事をするためなの」

「提督に、合わせて?」


 重々しく呟かれた言葉に、思わず首を傾げました。
 合わせる、ってどういう意味でしょう……? 時間、好み? まさか動きじゃないと思うし……。気後れしているような雰囲気が気になります。
 そんなわたしを前に、大きく深呼吸をした間宮さんは、沈痛な面持ちで続けました。


「……提督の味覚は、その六割が死んでるの。酸味と苦味。今感じられるのは、この二種類だけなのよ」

「――えっ!?」


 自分の耳が信じられなくて、わたしは大きな声を出してしまいます。
 味覚、障害……。そんな素振り、今までに一度も。


「最初はそうじゃなかったわ。私も舞鶴では古株だから、以前の彼を知っているし。
 ……けど、度重なる“力”の行使で、段々と味覚が死んでいって……。
 より正確に言うと、味覚錯誤という状態でね?
 まず甘味。次は塩味を正しく感じられなくなり、もう旨味も、滅茶苦茶な味にしか感じないの。
 今の提督にとって、食事は単なる栄養補給に過ぎない。苦痛以外の何物でもないのよ」

「そんなっ。だってこの前、鹿島さんのサンドイッチを食べたって、美味しいって言ってくれたって、鹿島さん……」

「……ええ。そういう人だもの……。前に一度、無理を言って提督の味覚情報を受け取ってみた事があるんだけど……。
 美味しいはずのものを不味く感じたり、不味く感じなきゃいけない物を美味しく感じてしまったり。本当に大変だったわ」


 胸を抱えるように腕組む間宮さん。その姿から、冗談なんかじゃないというのが、ヒシヒシと伝わってきました。
 わたしが気付かなかっただけ? ううん、隠していたんだ、提督。
 あの日……。鹿島さんが提督に卵サンドを作って、喜んで貰えたと、嬉しそうに話してくれた日。その裏で、提督と間宮さんは、どんな想いをしていたんでしょうか。
 心が、痛いです……。


「でもね、人が食事で得る満足感という物は、他に替えのない、とても重要なもの。伊良湖ちゃんも、それは分かるでしょう?」

「……はい。だからこそ、わたしたちのような給糧艦が産まれたんですよね」


 また新たな問い掛けに、わたしは気を取り直して答えます。
 給糧艦とは、商船式の船体に巨大な冷蔵庫・冷凍庫、各種倉庫や貯蔵設備、食品製造設備なども備えた、戦地へ食料を補給するための艦です。
 最大で、一万八千人を三週間賄うだけの食料を積むことができ、アイスクリームやラムネ、最中、羊羹などの甘味や、コンニャクを始めとする加工食品も製造可能でした。
 とても腕の良い料理人さんが揃っていた事もあり、海軍の中でも特に有名、かつ人気の艦だったらしいです。
 昔から食事に強い意気込みを持っている日本人ですし、かつての給糧艦 間宮が沈んだ時は、海軍全体がお通夜のような雰囲気に包まれたとか。

 そんな軍艦の統制人格であるわたしたちは、この艦隊で主計と烹炊を任されました。
 運用に掛かる経費を割り出したり、皆さんの士気を高める美味しい御飯を作ったり、ですね。とても味覚が敏感で、料理の腕にも自信が……それなりにあります。
 代わりに、艦隊戦への適性が凄く低くて、申し訳程度に載せている十四cm単装砲も、自力で標的に当てた事がありません。
 もちろん実戦じゃなく、一回位はやっておこう、という話になった演習での事です。この時は、完全同調状態の提督が……あ。


「もしかして、提督に合わせて食事を摂る、って……同調して?」

「大正解。完全同調状態で、完璧に動作を合わせて食事をするの。もちろん味覚も同調して、ね?」


 思いついた考えを口にすると、間宮さんがパンと手を打って微笑みました。
 わたしたち統制人格と提督――傀儡能力者との間にある、霊的な繋がり。
 それは五感を含めた、様々な情報のやり取りを可能とします。視覚・嗅覚・聴覚・触覚。そして、味覚も。
 失われてしまった正しい味覚を、給糧艦の鋭い味覚で補完し、提督の肉体と精神に、食事で満足感を与える。
 これが、間宮さんの言っていた大切な事なんだ。


「提督のお世話の重要性、分かってもらえたかしら?」

「はい。間宮さん、とても大事なお仕事を任されていたんですね……。流石ですっ」

「もう、おだてないで。私に出来ることを、精一杯やっているだけだもの。みんなと同じ」


 尊敬を込めて見つめると、間宮さんは余裕たっぷり、大人な笑顔で返します。
 提督のコンディションを保つという事は、艦隊のコンディションを保つのと同義。
 実際に戦う皆さんや、整備で支える明石さんにも負けない、重大な役目です。本当に凄い!
 ……でも……。


「わたしに務まるでしょうか……」


 問題なのは、わたし。
 料理の経験でも技術でも、間宮さんに遠く及ばない、新人統制人格のわたしです。
 ただ一緒にご飯を食べるだけなら、気負わずに済むかも知れません。
 けど、間宮さんほど木目細かな気配りを出来る自信は無いし、体格差も間宮さんより大きい。食事の際に誤差が出てしまいます。
 提督を御満足、させられるでしょうか……。
 そんな不安に駆られましたが、しかし、隣に居た間宮さんは、俯きそうだったわたしの肩を、強く叩いてくれました。


「平気よ。貴方はいつも通りに食事を用意して、提督の私室に行けば良いだけだもの。後は提督が。
 安心して身を任せていれば、あっという間だから。もしかしたら、病みつきになっちゃうかも?」

「病みつき? どういう意味ですか?」

「それは……。秘密にしておこうかなー。さ、上がりましょうか」

「ま、間宮さん、意地悪ですぅ!」


 励ましてくれるのは嬉しいんですけど、なんだか気になる言い方。
 首を傾げるわたしに、間宮さんは流し目で含み笑い。立ち上がって歩き出します。
 追いかける頃には、もう不安なんて消えていました。

 間宮さんの信頼。裏切るわけにはいきません。
 頑張れ、わたし!





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 時は巡って、翌日の夜。
 エレベーターを降り、料理の入った保温カートを押しながら、わたしは廊下を歩いていました。
 向かう先は、地下五階・地上十階という大きな庁舎の、七階。執務を終えた提督が、お休みになっているはずの私室です。
 舞鶴事変以降に高速建築された、この桐林艦隊専用庁舎ですが、艦隊運用に必要な業務を行えるだけでなく、わたしたち統制人格と、提督の家としての役目も持っています。

 あの事件を受けて、この鎮守府に属する能力者は、たったの二人になりました。
 桐林提督と、梁島提督の御二方です。
 色々な理由があるとは聞いていますけど、実の所、舞鶴鎮守府は彼らを隔離するための、陸の孤島にされてしまったのです。
 元々あった慰安施設は殆ど取り壊され、憲兵隊の屯所などが幾つも建てられて、二十四時間、内と外の両方を監視・警備しているらしいです。

 広大過ぎる牢獄。
 “桐”の閨房けいぼう
 鎖で繋がれた、“鬼”。

 中途半端に事情を知っている人々は、そう言って憚りません。
 みんな、気付かないふりをしていますけど、耳を塞いでも聞こえてくる風の噂は、確かに心を重くしました。


(……とかシリアスぶって、現実逃避している場合じゃ、ないんだけどなぁ……)


 はぅ、と溜め息一つ。歩く速度を落としてしまう、わたし。暗い表情が窓ガラスに映っています。
 無責任な流言蜚語が原因じゃありません。そんなの、気にしていたら生きていけませんから。
 そんな事より、もっと、ずうっっっと気になる事は、提督との御食事で、何か失敗をしてしまわないか、という事です。


(提督と……。殿方と夜に、二人きりの食事……。しかも、その人の部屋で……。ダメダメダメ! 意識したら余計に緊張しちゃう!)


 勢いよく頭を振り、両手でほっぺたをパシン。
 ……ちょっと痛かったけど、ふしだらな考えは追い出せました。
 今まで間宮さんに手を出さなかった提督です。きっとわたしの事なんか眼中にないはず。自意識過剰になっちゃダメ。
 提督のメンタルコンディションを保つための、大切な時間。ご満足頂けるよう、無心で奉仕するのよ、伊良湖!

 気合いを入れ直し、再び脚を進め始めると、その部屋には一分と経たず到着しました。
 大きく息を吐き、限界まで吸い込んで、わたしはドアをノックします。


「てっ、提督っ。ぉ、御食事をご用意致しましたっ」


 呼び掛けから数秒。部屋の中に人の気配を感じました。近づいてきます。
 緊張を気取られぬよう、平素の表情を心掛けて少し待てば、ドアは内側に開かれました。
 普段の折り目正しい正装と違い、ラフな姿の提督。
 軍服の上着を脱ぎ、白いワイシャツもボタンが二つ目まで外れています。
 覗いた胸元に、ちょっとだけ、ドキッとしてしまいました……。うう、長い夜になりそう……。


「入ってくれ」

「ひゃいっ、しちゅれ――し、失礼しますっ」


 不埒な事を考えたせいか、声は上擦った挙句に噛んでしまいました。
 恥ずかしさを俯き加減に隠し、わたしは道を開けてくれる提督の横を、カートごと通り過ぎます。
 こざっぱりした……というよりも、殺風景な部屋という印象でした。
 隅に簡易ベッドやクローゼット。その反対側に小さな水回りが置かれて、部屋の中央にテーブルと椅子がありましたが、他には何も。
 本棚とか、趣味の品とか、そういった物は見当たりません。ただ、寝るためだけの部屋……なんでしょうか。

 万が一の襲撃に備え、ダミーの部屋を幾つか用意し、ときどき移動もしているらしいですから、そもそも置けないのかな……。
 ちなみに、提督の私室は各階に存在し、その周囲は統制人格の部屋で埋め尽くされています。
 もちろん護衛の為なんですが、時々、阿賀野さんとかが寝ぼけて、提督の私室に入っちゃう事があるとか……。色々と、大変ですね。

 そんな事を考えつつ、わたしはカートから二人分のお皿を配膳します。
 本日のメニューは洋定食にしました。
 温野菜を付け合わせにした、ハンバーグステーキ。
 お出しする直前にクルトンを浮かべる、特製コンソメスープ。
 春の香草をあしらった鰆のムニエル。
 コールスローサラダに、自家製パンやミニグラタンもお付けして、デザートにはプリン・アラモードも……。
 あ、ハンバーグの上にはもちろん、目玉焼きが乗ってます。絶対、外せません!


「間宮から、話は聞いているか」

「あ、はい。提督の、お身体の事……ですよね。伺いました」

「……そうか。手間を掛けて、すまない」

「い、いいえっ、そんなっ。……勿体無い、お言葉です……」


 椅子に腰かける提督は、いつもの硬く重々しい声ではなく、ごく普通の……。雑談するような感じで話し掛けてきました。
 無駄話は一切なさらないような印象だったので、恐縮しながらもビックリです。
 なんというか、雰囲気が柔らかくなっているような気がします。これなら、思っていたより緊張せずに済みそう……。
 と、安心している間に準備は完了。「失礼致します」と断ってから、わたしも対面の椅子へと座りました。


「お待たせしました。どうぞ、お召し上がり下さいませ」

「うん。……頂きます」


 提督が静かに両手を合わせ、同じようにわたしも。
 間宮さんから前もって聞いていた、完全同調の合図。
 二つの存在に別たれたまま、心と身体を重ね合わせます。
 そして、その瞬間――


(……あ)


 ――隠しきれないワクワク感が、胸をくすぐりました。
 これは、わたしの気持ちじゃありません。提督の抱いている気持ちが、伝わって来ているみたい。
 こんなに楽しみにしてくれていたなんて。なんだか、こそばゆいです。

 そんな風に感じ入るわたしですが、身体は意識の外で、勝手に動いていました。
 ナイフとフォークを優雅に使い、ハンバーグを切り分けて口へと運ぶ提督の動きを、完璧にトレースしています。
 本当はもっと大きく切って食べたいはずなのに、わたしの小さめな口に収まる大きさ。お気遣いが分かりました。
 肉汁滴るハンバーグを二人揃って頬張ると、焼けたお肉の芳ばしい香りと旨味が、口一杯に。
 粗めに挽いた食感が楽しく、わたし自身、会心の出来に笑みが溢れました。
 ふと目線を前へ向ければ、提督も同じ表情を。初めて見る、優しい笑顔でした。

 わたしの表情筋の動きが伝わった? ううん、違う。
 これは、わたしと提督。二人が全く同時に、同じ気持ちを抱いたから。完全同調しているからこそ、そうだと確信できます。
 でも、意図しない視線に気付いたのか、提督は気恥ずかしそうに顔を曇らせて。


「すまない。見苦しいな、こんな顔で笑っては……」

「いいえ、そんなことっ! もっと、お食べになって下さい。このミニグラタンとかも、自信があるんですっ」

「……そうか。ああ、美味いな」


 伝わってきたのは、怖がらせてしまった、という僅かな後悔。
 やっぱり顔の傷、気にしてたんだ。けど、そんなつもりじゃなかった、というわたしの気持ちも、きっと伝わっているはず。
 その証拠に、本日の自信作を勧めてみると、わたしたちのフォークはまた同時に動き、顔もまた同じ表情を浮かべました。
 美味しい。
 もっと食べたい。
 残さず全部、味わいたい。
 提督の嘘偽りない気持ちが。純粋な喜びが、わたしの心を温かくしてくれます。


(間宮さん、ずっとこんな風に)


 わたしの作った料理を、美味しいと言って貰える。
 これまでも、艦隊の皆さんに褒められた事はあります。しかし、今日の“これ”は今までと違いました。
 言葉や表情だけでなく、繋いだ心から、提督の喜びを感じ取ることが出来る。余す所なく、わたしの料理を味わって貰える。
 料理人として、これ以上に嬉しいことがあるでしょうか? こんな気持ち、生まれて初めてでした。
 癖になる、ってこういう事だったんですね。間宮さん……。


「ご馳走様」

「お粗末様でした」


 気が付けば、最初の緊張なんてどこへやら。
 わたしたちは終始笑顔で、時おり雑談も交えつつ、料理を平らげました。
 コールスローの隠し味を当てられたり、ムニエルのバターの風味を楽しんだり、パンを千切ってソースの味を確かめたり。
 デザートを出した時には、提督もプリンを作れると知って驚いちゃいました。
 間宮さんの言った通り、あっという間です。

 今は、同調状態を解除して、食後のコーヒーをご用意したところ。
 砂糖もミルクも無し。コーヒー本来の苦味と酸味を、提督は上機嫌に楽しんでいます。
 君もどうだ、と勧められたので、わたしもコーヒーを頂いていますが、ブラックは少し苦手なので、砂糖とミルクは多めに。
 ホッとする香りと甘さです。


(お食事、楽しかったな。……でも)


 提督との夕食は、本当に、心の底から楽しめました。
 あ、わたしが楽しむんじゃなくて、提督に楽しんで頂かなくちゃダメなんですが。まぁ、置いておくとして。
 楽しんでしまった分、気になってしまう事も出てきました。
 それは、提督の今の状態。苦味と酸味の二つしか、正しく味を感じられない状態です。
 どんな気持ち、なんでしょう……。

 提督は味覚障害を隠しています。皆さんが気負って、“力”の受け入れを拒んだり、食べる楽しみを遠慮したりしないように、だそうです。
 その兼ね合いで、食事を……。間宮さん曰く、苦痛としか感じられない食事を、摂らなければならない場面も。
 楽しいはずがありません。それでも耐えて、隠し続けている。
 ……どんな、お気持ちなんでしょうか。


「どうした」

「あ、いいえ。その……。不愉快とお思いでしたら、無視して下さって良い、んですが……」

「構わない。話してくれ」


 もう同調を切ってしまったのに、提督はわたしの気持ちの変化を、敏感に察して下さいます。
 傷付けてしまわないか。御気分を害してしまわないか。
 とても悩みましたけど、優しげな右眼に背を押されて、その言葉を口にしました。


「……お辛く、ありませんか……?」


 反応は、しばらくありませんでした。
 息苦しくなるような沈黙が続いた後、提督はマグを傾けて、コーヒーに刻まれた波紋を見つめます。
 ああ、やってしまった。せっかく心地良い時間を過ごしていたのに。わたしが無神経な事を口にしなければ……。
 そんな風に後悔し始めた頃、やっと提督のお顔がこちらへ。


「辛くない、と言えば嘘になる。ごく当たり前に感じ取れていたものを、ろくに感じられなくなったからな」

「そう、ですよね……。申し訳ありません、出過ぎた事を……」

「……でも」


 恐縮して、頭を下げるわたしでしたが、けれど、提督は言葉を続けます。


「おかげで、その当たり前がどれだけ大切な物だったのか、知る事が出来た。それに関しては、むしろ感謝している」

「感謝、ですか?」

「うん。物を食べ、味わい、楽しむ。こんな当たり前を、幸せだと思える。
 ブラックコーヒーの奥深さも、こうならなければ、知ろうとしなかっただろう。
 不便は多いが、それでも自分は恵まれているよ。こんなに美味しいものを、食べさせて貰えるんだから」


 コーヒーを最後まで飲み干し、一息ついて、柔らかく微笑む提督。
 強がっている訳でも、気を遣わせないよう、見栄を張っているのでもない。
 この言葉は提督の本心なのだと、確信できます。
 完全同調状態ではなくなっているのに、不思議でした。
 それがなんだか、嬉しくて、くすぐったくて。


「間宮さん、ずるいな……」

「……ん?」

「いえ、なんでもありません。水回り、使わせて頂きますね?」

「ああ」


 思わず呟いてしまった言葉を、わたしは立ち上がる事で誤魔化します。
 汚れがコビリ着いちゃわない内に、洗っておかなきゃ。そう、自分自身に言い訳しながら。
 お皿を洗っている間、背後からは、執務室に漂っていた良い香り――提督のアロマ・シガレットの香りが、漂って来ていました。
 こうしていると、まるで夫婦みたい……とか。バカみたいですね、わたし。

 お皿を洗うと言ったって二人分。
 アロマ・シガレットが半分も減らない内に終わり、食器をカートへ仕舞って、部屋を出る準備は整ってしまいました。


「それでは提督。本日は、これで失礼致します」

「うん。助かった」


 お辞儀と一緒に挨拶を済ませると、退室するわたしを、提督が送り出してくれました。
 カートを押して廊下に出てから、振り返ってもう一度、頭を下げます。
 頷いた提督は、そのままドアの向こうに姿を……。


「あの、提督っ」

「……なんだ?」


 消してしまう、はずだったのに。
 わたしは何故だか、その横顔を呼び止めていました。
 どうして、そんな事をしてしまったのか。自分でもよく分かりません。
 でも、不思議そうにヒョコヒョコする咥えタバコを見ていたら、自然と言葉がこみ上げて。


「明日は今日よりも、もっと、ずっと腕によりを掛けて。ほっぺたが落ちちゃうくらい美味しい食事、ご用意します! 伊良湖に、お任せ下さいっ!」


 精一杯に胸を張り、普段のわたしだったら出来そうもない宣言を、しちゃいました。
 きょとん、とする提督。対するわたしの顔には、自分でも上出来だと、見もせずにそう思える笑顔が、浮かんでいると思います。
 やがて、提督の頬も緩く綻び、今度こそ、わたしたちは別れの挨拶を。


「楽しみにしておく」

「はいっ!」


 ゆっくり、ドアの隙間へ消えていく微笑みを、確かに見届けてから。わたしもカートを押してエレベーターに向かいます。
 足取りは軽やかで、スキップしたいくらい、心が弾んでいました。
 美味しい、って言って貰えた。楽しみ、って言って貰えた。また、心を重ねてお食事できる。
 堪らなく嬉しくて、楽しくて。
 わたしの胸は、かつてない程のやる気に満ち溢れていました。


「よぉーし! 明日も頑張るぞーっ、おー!」


 ……と。拳を突き上げ、自分で自分を励ましちゃう位に。
 間宮さんの居ない、寂しくなるはずだった一週間余りの時間は。
 この日から、わたしにとって、掛け替えの無い時間となって行くのでした。

 明日は、何を作ろうかな?




















《オマケの小話 本日の鹿島さん》





「はぅ……。ちょっと、小腹が空いちゃいました……」


 かなり時間を早送りし、給糧艦 間宮が遠征任務から帰った、まさにその日。
 舞鶴鎮守府 桐林艦隊庁舎を、鹿島はトボトボ歩いていた。
 横須賀であれば、「After Noon Teaの時間デース!」と、どこぞの高速戦艦が叫び出す頃合いである。
 この時間帯、艦隊の執務は小休止を挟む。
 桐林は執務室に備え付けのソファで仮眠をとり、その間、秘書官である鹿島も自由時間となるのだ。
 とはいえ、ほとんどは次の仕事の下準備だったり、桐林の寝顔観察にそれを費やす彼女が、どうして庁舎をほっつき歩いているのか。
 先に本人が口走った通り、小腹が空いたからであった。


「やっぱり、私だけだと疲れちゃうなぁ……。香取姉、早く帰って来てぇ……」


 涙目で愚痴をこぼす彼女は、今朝方から非常に忙しかった。
 いや、第一秘書官の香取が、間宮と共に遠征任務に従事している間、ずっと忙しかった。
 桐林のスケジュール管理。搬入される物資の受付・仕分け作業の指示。次作戦展開の準備と、練度向上を目的とした艦隊内演習の組み立て。
 いつもなら香取と分担して処理する、その他の雑事が山ほど押し寄せて来たのだ。
 しかも、本当なら間宮と一緒に帰ってくるはずの香取は、何故かその姿を見せず……。

 そんな訳で、ちょっぴり弱気になっている、お疲れモードな鹿島なのである。
 ここは早急に、甘味でやる気を取り戻さないと。寝顔観察は然るのち、だ。
 向かっている先はもちろん、庁舎一階にある大食堂 兼 店舗――甘味処 間宮。
 羊羹か。最中か。プリンかアイスか御団子か。とにかく、内密に融通して貰わねば。

 目的地には程なく到着し、準備中という看板が出ていたからか、珍しく人気のない店内を進んだ鹿島は、こっそり奥の厨房を覗き込む。
 幸い、二人の人影があった。間宮と伊良湖だ。


「あ、間宮さん居た。あの――」

「ところで、伊良湖ちゃん。提督と過ごしてみて、どうだった?」


 さっそく声を掛けようとした鹿島だったが、彼女へ背を向ける間宮は、同時に伊良湖へと話しかけていた。
 反射的に鹿島は身を隠す。
 提督と、過ごしてみて。
 この単語に引っ掛かるものを感じたからである。


「え? どうって……」

「もう、トボけないでちょうだい。私の代わりに、提督のお世話を頼んだじゃない」

「あっ。あー、あの事、ですか……」


 再び様子を伺うと、隣り合って夕食の仕込みをしているらしい二人は、意味深長な言い回しで話を続ける。
 提督のお世話? 間宮の代わりに、というならば、食事に関する事だろうか。
 しかし、その割には伊良湖の表情がおかしい。
 俯き加減に頬を染め、恥ずかしそうに両手の指を絡ませ。
 これではまるで、如何わしい話でもしているような……。


「その……。なんと言えばいいのか、難しいんですけど……。『病みつきになっちゃう』って言葉の意味が、よく分かりました。こういうのも、女の喜びって言うんでしょうか」

「でしょう? やっぱり女としては、殿方に喜んでもらえるのって、幸せよね」

(ぉぉお、女の悦び!? 病みつきって……。えぇぇ!?)


 物影に身を隠す鹿島は、心の中で絶叫した。目は真ん丸に開かれ、手の平に汗が滲む。
 まるで、じゃなかった。この二人、間違いなく如何わしい話をしている。そうとしか聞こえない。
 まぁ、ご存知の通り実際には違うのであるが、間宮、伊良湖の言葉の選択も偏っていた為、鹿島が勘違いしても致し方ない。……かも知れない。
 落ち着きのある人物であれば、もう少し聞き耳を立ててから判断しようとする所だろうが、思い込んだら一直線な鹿島の中では、既に色事の話で確定してしまった。目が血走り始めている。
 そんな事とは露知らず、間宮の同意を得て安心したのか、伊良湖は桐林と過ごした時間を語り出す。


「わたしの技術なんて、間宮さんに比べたら拙いと思うんですけど、提督は心から喜んで下さって。
 それが、統制人格としての繋がりから伝わって来て。なんと言うか……。
 ああ、この感覚にずっと身を委ねていたい……とか、思っちゃったりも……」

「分かる! 分かるわ、その気持ちっ。提督って、こういう事では絶対に嘘なんてつかないし、それがまた堪らなく嬉しいのよね~」

「はいっ。わたしもそう思いました!」


 うっとり。己が頬に手を当て、色気たっぷりに微笑む間宮と、頬を染めつつ、笑顔を輝かせる伊良湖。
 いちいち如何わしい言葉を、無意識に選択する二人だが、悪意は無い。自分たちの純粋な気持ちを語り合っているだけである。
 しかし、当然のように鹿島の勘違いは加速してしまい、彼女は口をあんぐりと開け、全身に冷や汗をかいていた。


(嘘……。嘘よ……。提督さんと、間宮さんが? オマケに伊良湖ちゃんまで? ふ、風紀が、風紀がっ!?)


 桐林と、淫らな格好で絡み合う間宮。そして伊良湖。
 食べ物の口移しや裸エプロンに始まり、女体盛りやら、練乳舐め取りプレイやら、料理中のイタズラやら。鹿島の脳裏で、桃色ロマンティックが繰り広げられる。
 誰かがそれを覗いていれば、「アンタの風紀の方がよっぽど乱れとるわ!」と言いそうな有様である。


「安心したわ、貴方も同じ気持ちで居てくれて。……じゃあ、今日からはまた私が、提督のお世話をするわね。今までご苦労様」

「えっ」

「え?」


 それを知る由もない間宮は、遠征任務によって変えざるを得なかった業務を、通常通りに戻そうと提案するのだが、伊良湖は驚きに彼女を見つめ、間宮もまた。
 重なる視線が、見えない火花を散らす。


「……伊良湖ちゃん? 私ね、一週間以上も遠征に出ていたの。その間ずっと、いつもなら提督と楽しんでいる時間を、一人寂しく過ごしていたのよ。分かって貰えるわよね?」

「はい。とても大変なお仕事だったと思います。……けど、いきなり過ぎますっ。わたし、ようやく提督と通じ合えてきた所なのに……っ」

「わ、私だって、何日かぶりに提督と一緒に過ごすのを楽しみにしていたの! いくら伊良湖ちゃんでも、譲れないわ!」

「そんなの、お、横暴です! わたしに提督のお世話を頼んだのは、間宮さんなのに……。あんなのを教えられたら、引くに引けません!」


 ニッコリと、威圧感を放つ笑みを浮かべた間宮に、伊良湖が珍しく――否、初めて反抗の姿勢を示す。
 たじろぐ間宮は、しかし気迫を以って詰め寄り、伊良湖もへの字口で応じる。
 最早、誰が聴いても男を巡る痴話喧嘩としか聞こえなかった。本人たちにその気が無い、というのが始末におえない。


「……ねぇ、伊良湖ちゃん」

「なんでしょう、間宮さん」


 バチバチと音の聞こえてきそうな、一触即発な雰囲気に包まれる二人。
 ロマンティックが止まらなかった鹿島も現実に引き戻され、包丁を持ち出す前に止めるか否か、先程までとは種類の違う冷や汗を流してしまう。
 耳鳴りを感じる沈黙が、数秒。
 鹿島の息を飲む音を合図にしたかの如く、状況は一変した。


「よく考えたら、三人一緒っていうのもありだと思うの」

「あ、奇遇です。わたしもそう考えてて。三人でも問題ないですよね?」

(ぅえぇぇええぇぇぇ!?)


 勝手に叫びそうだった口を押さえ、鹿島はまたしても驚愕する。
 さっきまで提督さんを取り合っていたのに、どうしてそうなるの?
 3(ピー)? 3(ピー)なのぉ!? と、思考がしっちゃかめっちゃかである。


「そうと決まれば、今日は二人で準備しましょう! 久しぶりの共同作業よ!」

「はい! 腕によりを掛けて、提督を昇天させちゃいますっ!」


 一方、元凶の二人は仲良く頷き合い、気炎を上げて料理の仕込みに没頭していた。
 くどいようだが、言葉の選択が著しく不適切なだけであり、当人たちに如何わしい話をしているという自覚はない。
 その純粋さが、鹿島のロマンティックをエンドレスにしてしまう訳で。


(間宮さんと、伊良湖ちゃんと、提督さんが。
 三人で組んず解れつ、ぎったんばっこん……。
 そんなのダメ、止めなきゃ……。
 でも、止めに入ったりしたら、私まで……?)


 間宮と伊良湖。熟れて食べ頃な果実と、まだ青さの残る果実を、両腕にかき抱く桐林。
 本物の彼なら絶対に浮かべそうにない、悪い男の笑みを想像し。
 そして、その魔の手に掛かろうとする己自身を想像し、乙女回路はついにショートした。


「も、もう、だめ……。はうっ」

「……あら? 何かしら、今の音。誰か倒れたような……」

「って、鹿島さん!? 大変ですっ、は、鼻血が、鼻血がー!?」


 ボシュン、と湯気を立てて倒れ込む鹿島。
 気付いた伊良湖たちが駆け寄るも、鼻血まみれな彼女の顔には、何故か幸せそうな笑顔が浮かんでいた。きっと不埒な――もとい、幸せな夢でも見ているのだろう。
 この一件以降、「帰って来た間宮をさっそく押し倒した」「とうとう伊良湖にも手を出した」「いやいや、代わりに鹿島へ手を出した」「それは無い」「ですよねー」、などという噂で、桐林艦隊庁舎は持ちきりになったとか、ならなかったとか。

 真相は闇の中、である。





『……最近、鹿島の視線が怖いんだ』

「鹿島、さん? 確か、舞鶴での秘書官さん、ですよね?」

『ああ……。なんだか、獲物を見るような目で見られているというか、蚊を叩き潰す直前の目付きというか……』

「……司令官さん。何かしたんじゃ……?」

『心当たりがないから困ってるんだ。無駄なこと喋らないようにしてるし、迂闊に物理接触しないよう気を付けてるし。困った……』

「………………。あの、ちょっと酷いこと言っても、大丈夫ですか?」

『えっ。……う、うん。大丈夫……だといいな……。どうぞ』

「多分ですけど、司令官が今まで大丈夫だと思っていた事が、変な目で見られちゃう原因で。
 でも、口数を少なくしているから誤解が解けなくって、悪い方へ悪い方へ行っちゃってる……ような気がするのです」

『……それだと自分、悪い所を自覚できなくて対処不可能なんですが』

「今からでも遅くないのです。ちゃんと舞鶴の皆さんとも話すようにして、キチンと理解して貰った方が良いと思います」

『そう、すべきなのか……。でも今更だし……。いや、誤解されたままっていうのも……』

(ギャップに戸惑って、距離を置こうとする子とか出るかも知れませんけど……。その方が安心なのです、私的に)

『……ああ、ごめん。一人でブツブツと。何か言ったか』

「はゎ、だ、大丈夫なのですっ。何も言ってない、のです……」

『そうか……。話を聞いてくれて、助かった。ちょっと、努力してみる。お休み』

「はい。お休みなさい、なのです。……はぁぁ……。電はやっぱり、悪い子なのです……」





















 改二になった皐月ちゃんのおヘソと、くびれのラインをペロペロしたい(変態宣言)。
 さて。今回は、何このイケメン感じ悪ーいな話と、いやらしい! 給糧艦の二人言葉の選択がマジいやらしい! な話でした。温度差が激し過ぎて身体壊しますわー。
 あのオマケはなんなんだ? なんとなく鹿島ちゃんを出したくなっちゃいまして。舞鶴編のレギュラーですかね?
 次回は全三回の二回目。葬儀直前の“桐”たちと、ついに、ついに、ついに! ドイツ艦娘の本登場でございます!
 もうメインが誰だか分かってるでしょうけど、今しばらくお待ち下さいませ。全力で愛でてやる……!
 それでは、失礼致します。


「ううう、どうしよう。昨日もロマンティックがドリフト走行して眠れなかった……。提督さんにも変な顔されちゃうし、散々だよぉ……」
「……あの。少しいい、ですか……?」
「へひゃう!? ……って、貴方はドイツの潜水艦の……」
「はい……。ちょっと……お願いしたい事が、あって」
「お願い? はいっ、なんでしょうっ。お困りならば、この鹿島を頼って下さい!」
「……Danke。……実は……」





 2016/03/19 初投稿+書いたつもりが抜けてた一文を追加。しっかり読み返したはずなのに、アカンなぁ……。







[38387] 在りし日の提督と葬送の唄・中編
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/04/09 12:36





 澄み渡る青空の下。
 ■■さん――提督指定の体操服&ブルマーに着替えた■■■は、深く静かに呼吸をして、精神を統一する。ポニーテールに結び直した髪が揺れた。
 数千人を収容できるはずの国立運動場。運動靴が踏みしめるのは、赤茶色に白のラインが引かれたトラック。
 計測器や動画撮影をする人員が数人と、見守ってくれる提督の気配だけを、感じられる。
 少し先に、棒高跳びの器具がある。前人未到の七・五mの高さに掛けられたバーが、逆光に陰り……。
 よしっ、始めようっ!


「■■、行きますっ!」


 シュタ、と挙手をした後、半艤装状態となった■■■は、“無手”のまま走り出した。
 最初は歩幅を小さく刻み、十分に加速してから大きく、力強く脚を踏み出す。
 わずか三秒で踏み切り位置へ到達し、勢いを殺さぬよう地面を蹴れば、グン、と空が近く。
 最高到達点は、余裕を持ってバーの十cmほど上。
 前方宙返りでバーを飛び越え、ひっくり返る世界の中、バランスを取りつつ、脚から緩衝マットの上へ着地。
 ドヤ顔でポーズを決めてみると、記録員の方々から盛大な歓声と拍手が。
 やっておいてアレですが、ちょっと照れちゃうな……。


「おおー、凄いな■■。オリンピック選手が真っ青だ」

「あはは。どうもです」


 提督も拍手を送りながら、■■■を褒めちぎってくれる。
 といっても、統制人格からしてみれば、この位は出来て当然のこと。ちょっと褒められ過ぎ? とも思う。
 半艤装状態とは、機関部や主砲などの艤装を召喚せず、身体能力だけを向上させた状態の事で、それでも人間の常識を越えた力を発揮可能だった。
 握力は二百五十kgを軽く上回るし、跳躍力はさっきやって見せた通り。皮膚の強度は流石に普通のままだけど、人間相手なら、それこそ無双できちゃう。まぁ、特にする必要もない訳ですが。
 というか、現在進行形で気になるのは、別の事だし……。


「……それにしても。この格好、どうにかならなかったんですか……?」

「ん? 何かおかしいか?」

「おかしくはない、と思いますけど。……恥ずかしい、ような」


 ブルマーを隠すように、■■■は上着の裾を引っ張る。
 動き易いからこういうデザインなのは分かるけど、太もも剥き出しで、なんかこう……。き、記録員の男性方の視線が、熱いと言いますか……。
 ん? なんだかごく間近からも熱視線を感じる――って、提督まで!?


「そ、そんなマジマジと見ないで下さいよぉ! ホントに恥ずかしいんですってば!」

「お、おお、すまない。つい見惚れて……」

「……えっち」

「申し訳ない」


 グイーっと上着を限界まで引っ張り、前屈みに睨み付けると、彼は慌てて顔を背けた。
 ダメ押しの呟きには、土下座せんばかりに頭を下げ。
 仕方ない。見惚れて云々はちょっと嬉しかったし、許してしんぜよう……なんちゃって。


「でも、こんな体力測定、なんの役に立つんですか?」

「うん。それはだな、純粋にデータを取っておきたいというのもあるんだが、君自身に出来る事柄を把握しておく、という側面もある」

「■■■に出来る事柄、ですか」

「これまでは戦闘中も棒立ちが多かったが、君自身で判断が出来るようになった今、行動の選択肢は倍以上に膨れ上がった。それを活かすには、まず限界を知る事が大事だからな」

「なるほどぉ……」


 一通りの計測を終え、用意されていた折り畳み椅子へと腰掛けた■■■は、ずっと不思議に思っていた事を、疑問としてぶつける。
 隣で立つ提督が、スポーツドリンクを渡しつつスラスラ答えてくれて、素直に頷いてしまう。
 ■■■がこんな風に……感情を表すようになってから、もう一ヶ月が経とうとしていた。その間にも色んな事があり、幾度か実戦にも。
 ツクモ艦と呼ばれる敵との戦闘で、■■■と提督は息の合ったコンビネーションを見せ、向かうところ敵無し、という感じ。
 ■■■はなんなのか。敵がどんな存在なのか、という疑問は尽きないけど。
 他にも、提督が直腸検査にTKOされたり、■■■の私服を買おうと二人で出かけたり、その出先でカツ丼食べまくったり、軽くなったお財布に提督が泣いたり。結構、楽しい。
 こんな日々が、ずっと続けば良いのになぁ……。


「まぁ、直近では観艦式での余興というか、お披露目イベントでのアクロバットだ。無理かと思ってたけど、大丈夫そうだし。頑張れ!」

「あ、はい。頑張りま………………す?」


 物思いに耽る■■■の肩を叩き、提督がニカっと笑う。
 反射的に頷いてしまったけど、その内容に引っ掛かりを覚え、首を傾げる。
 観艦式。
 海軍の艦艇や航空機を集め、多くの人々に威容を示すイベント。昔は国家元首や、最高司令官に向けて催された。
 アクロバット。
 軽業。曲芸。身の軽さを活かした見栄えの良い動作を行い、観客を楽しませること。
 ……頑張れって事は、■■■がそれに出るの!?


「かかかっっかか、観艦式ぃ!? ひひひ、人前に出るんですかぁ!?」

「ああ、そうだけど……。君の存在を、政府は公表することにしたんだ。アイドルみたいになれるかもな。……どうした、そんな慌てて?」


 思わず、立ち上がって提督に詰め寄っても、彼は気楽に笑っている。
 脳裏に浮かぶのは、無数の人々。■■という軍艦を囲み、無遠慮な視線を向ける人々。
 身が竦んでしまう。
 たった記録員の男性、たった数人の視線でも気後れするのに、それが観艦式ともなれば……。
 あ、ダメ。これはダメですわ。


「……無理です」

「は?」

「無理無理無理無理ムッソリーニです! 二佐とか■■■くんとか、気心知れた人たちの前ならまだしも、観艦式なんて……。ずぇったいに、無理ですぅー!!!!!!」

「そ、そんな力一杯拒絶しなくても――ってどこに行くんだ■■っ!? そして何故ムッソリーニ!?」


 空になったスポーツドリンクを投げ捨て、■■■は当て所もなく全力疾走。提督の声を背に、運動場を逃げ出した。
 いくら上からのお達しでも、無理なものは無理!
 たとえ提督に土下座されたって、沢山のお洋服を用意されたって! 特上カツ丼食べ放題に連れて行かれ――たら揺らぐかも知れないけど。
 とにかく無理なんですー!





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 吉田中将――元帥の眠る建物から離れた場所に立つ、何か、軍関係の博物館らしき施設。
 その奥にある、関係者以外は立ち入りを禁じられるエリアの一室へと、自分たちは通された。
 小さなシアタールームらしく、入り口から下がっていく雛壇には多くの座席が設けられ、奥の壁には白いスクリーン。特に映すものもないので、室内灯で明るい。


「ほれ。挨拶でもなんでも、好きなだけしやがれ」

「はーい」「じゃあ……」


 同じ方向を向くゆったりとした椅子へ、適当に腰を下ろした間桐提督は、ぞんざいに手を振りながら挨拶を促す。
 それを受けて、二人はスクリーンの前に。
 同じく適当に腰を下ろす自分たちへと、可愛らしくアピールを始めた。


「あたしが、パパの心を掴んだ長門型戦艦一番艦、なっちゃん! で……」

「わたしは、パパを長年支えてきた長門型二番艦、むっちゃん……ですっ」


 小さな身体に、大き過ぎる艤装を召喚して見せた彼女たちは、主人の側へ戻りつつ、「えへへへ」「うふふふ」と笑顔で牽制し合い……。
 可愛らしくって表現したけど、撤回した方が良さそうだ。地味に女の争いが勃発してる。怖い。
 火花を散らす少女二人を見やり、桐ヶ森提督が大きく溜め息をついた。


「ねぇ間桐、アンタ本当に手を出してないんでしょうね?」

「誰が出すか、ロリ林と一緒にすんじゃねぇ。お前らも変なトコで張り合うな!」

「やー」「んー」


 何気に人を貶しながら、間桐提督が少女たちの頭を掴んで左右に揺さぶる。
 まだ自分は童貞です……という言葉を飲み込み、その姿をじっくり観察してみるが、やはり、あの二人は感情持ちになったようだ。
 ごく普通の女子中――小学生にしか見えない。


「にしても、いつよ? 双胴棲姫と闘った時は、確実にまだよね」

「ああ。そいつの襲名披露とほほ同時だな。正確な時間はオレにも分からん。気が付いたらどっちも、こんなになってやがった」

「アバウトねぇ……。ま、らしいと言えばらしいけど」


 質問に対しては、欠伸混じりの返答がなされた。
 襲名披露とほほ同時……。少なくとも、双胴棲姫戦を終えてから、という事になる。
 むっちゃん――陸奥だけならば、長年の経験による目覚めだと考えられるが、感情持ちになったのも同時だとすると、励起されて間も無かったなっちゃん――長門が自意識を得た事が説明できない。
 もしかしたら、キスカ・タイプにトドメを刺した事が影響している……? いくら考えても、推測の域を出そうになかった。
 その間に、間桐提督のアイアンクローから逃れた二人が、桐ヶ森提督へとヒョコヒョコ近寄っていく。


「あなたが桐ヶ森提督ー?」「“飛燕”の、烈女?」

「あんまり褒められてる気がしない呼ばれ方ね……。ま、そうよ。私が桐ヶ森。よろしくね」

「よろしくー!」「……お願い、致します」

「ふふ、礼儀正しいわね。はい、これどうぞ」

「わっ。ありがとー!」「飴ちゃん、好きです……」


 ペコリ。九十度近いお辞儀に気を良くしたお嬢は、どこからともなく飴玉を二つ。
 目を輝かせた二人がさっそく口へ放り込むと、無邪気な笑顔が花開く。
 思わず見た者の頬が緩むそれに、調整士さんがカメラを向けた。……いや、ホントどこにそんな物を。


「いやはやぁ。桐林提督の長門型とは、方向性が真逆ですねー。これはこれで……その笑顔イタダキ!」

「おいテメェ。誰が写真撮影を許した。目ん玉抉るぞ? あ゛?」

「あ、すいません。後でコピーしてお渡ししますんで……」

「いるかンなもん、ってか誰だよお前は」

「あぁぁ、これは御挨拶が遅れてしまって。お初にお目に掛かります。私、桐ヶ森提督付きの調整士で、疋田 蔵人と申します。どうぞお見知り置きを」

「フン、そうかい。テメェが……。良いだろう、覚えといてやる」


 保護者のイケメンから即座に脅しを掛けられた彼は、すかさず名刺を差し出しながら自己紹介を……。
 ん? ひきた、くらんど。んんっ? ……疋田ぁ!?


「あ、あの、疋田って……。調整士さんまさか、妹とか居たり?」

「はい、居ますよ? いつも栞奈がお世話になっております。この前会った時は、その事を存じあげなくて。申し訳ないです」

「……えええっ!? 兄妹!? 疋田さんと、あなたがっ?」

「何よ、知り合いの身内だったの? 世の中ってホント狭いわね」


 腰を浮かせて前のめりに聞いてみれば、柔らかい微笑みと共に、自分へも名刺が差し出された。
 疋田、蔵人。間違いなく漢字も同じ。まさかこの人が、疋田さんの兄妹だったとは……。
 事実は小説よりも奇なり、とよく言うけど、こんな風に繋がっているなんて、想像すらしていなかった。


「……いい加減、本題に入りたいんだがよ。いいよな」

「あ、はい……。すみません……」


 驚きで呆然とする自分へ、少しばかり剣呑な言葉が投げられる。
 畏縮しつつ反射的に謝ると、彼は不機嫌そうに鼻を鳴らし、桐ヶ森提督へ顔を向けた。


「まずは、プリン頭。今回の事件の首謀者、正体は聞いてっか?」

「確か、クーデターを画策したとかいう能力者? いかにも、って感じで胡散臭い報告だったわね。ただ、軍関係者であることは確かでしょうけど」


 腕だけでなく脚も組み、彼女は不審を露わに。
 対外的に公表されている事件の首謀者は、国家転覆を謀った傀儡能力者とされている。
 余計な騒動を避けるため、その詳細までは公開されていないようだが、実際にそんなものは存在しない。
 本当の首謀者は、能力者が深海棲艦と融合を果たした生命体なのだから。
 公表したりすれば、それこそ国家の。否、人類の危機に繋がる。
 人には知らない方が幸せな事もある。都合の良い言い訳だと思っていたが、今は心からそう思う。

 しかし、流石に天才と賞される桐ヶ森提督。断片的な情報から正しい推論を導き出しているようだ。
 リムジン襲撃の手腕。軍の行動を完璧に予測した捜索妨害。政府高官にまで及んでいた血の支配。正しい戦術指南を受けた人物でもない限り、成功し得ない作戦だった。
 そういえば、事件の後処理に際して、多くの人物が秘密裏に粛清されたとも聞く。
 手を下したのは……おそらく桐谷提督と、その配下。もしかしたら、梁島提督まで関わっているかも知れない。

 だが、話の核心はそこではない。
 返答に間桐提督は大きく頷き、自らの出自を平然と言い放つ。


「その通りだ。奴の正体は、小林 倫太郎。吐噶喇列島で重い火傷を負った、オレの“オリジナル”だからな」

「……は?」


 桐ヶ森提督の眉がひそめられた。
 冗談でしょう? と言いたげにこちらを見るが、何も返せない自分に、真実であると判断したようだ。
 少年提督。オリジナル。そこから導かれる事柄は、人類の、悪意の頂き。


「アンタ、まさか……」

「ああ、そうだよ。能力者クローニング実験・試験管番号三七一〇番。
 これが、オレに生みの親が付けた名だ。ミナトなんていう、安直な偽名もあったがな。
 あのジジイ、『下手に偽っても、おヌシの生まれは変えられん』とか抜かして、何一つ隠しやがらなかったんだぜ?」


 人に対して使うべきものではない、区分する為の文字列。彼はそれを、産まれ持った名前だという。
 どんな風に生きてきたのか。どんな風に己を偽ってきたのか。
 彼の言葉で全てを悟った彼女が、青い顔で呟く。


「何よ、それ……。いや……だとすると……。なんて事、成長剤ってそういう……」

「おうよ。あの頃は本当にチビ助だったのさ。
 金を掛けられねぇから、代わりに時間が掛かっちまったが、この数ヶ月でようやく身体に合うもんが調合できた。
 おかげで節々がイテェったらねぇけどな」

「成長痛ー」「一日で、〇・五cm伸びた日も、あります」


 気怠そうに首や腕を回す間桐提督を、少女たちは無邪気に補足しているが、どうにもそら寒い。
 クローニングされて産まれた彼にとって、産まれてからの実年齢は重要なものではないのだろう。
 そして、デザインされたが故に精神は著しく成長し、肉体との乖離を起こした。それを解消するために、身体へ負担が大きいはずの薬品まで使い、自らを作り変え……。
 ある意味では、似ているのだろうか。数多の船を取り込み、己自身を変化させ続けた、彼女かれと。


「ホント、人って群れると愚かになるのね……。ううん、アンタの存在を否定する訳じゃないけど」

「ハッ。テメェに気を遣われるたぁな、今にも雨が降りそうなのはそのせいか?」

「茶化すんじゃないわよ、バカ……」


 耳慣れた悪態ですら、真実を知った今では痛々しさに変わる。
 桐ヶ森提督のまぶたが、物悲しく伏せられていた。それをどう思ったのか、間桐提督の矛先がこちらへ。


「おい、白髪ヤクザ。お前、会ったんだろ? 奴と」

「……はい……」


 鋭い眼光に、躊躇いつつも頷くしかなかった。
 間違いなく自分は、小林 倫太郎と邂逅し、彼女かれを憎み……殺し合ったのだから。


「似てるか。オレと、ソイツは。オレにゃあ戦闘記録の閲覧が許されなくてよ。知らねぇんだ」

「……いいえ。奴は……性別が変わっていましたから。歳も、とってませんでした」

「ハァ……。やっぱり、オレへの報告はダミーかよ。あのド腐れ野郎、今度会ったらブチ殺してやる」

「あ、パパ?」「汚い言葉、めー、です」

「……チッ」


 簡潔な問い掛けへと、こちらも加飾せず、真実のみで答える。
 彼の知る情報とは何某かが食い違っていたのだろう。
 照明を睨みつける間桐提督だったが、長門・陸奥から窘められ、苛立ちを舌の音に消す。
 一瞬の空白。
 微かな衣擦れで、桐ヶ森提督が挙手をした事に気付いた。


「……桐林。アンタの言い方から察するに、その……間桐のオリジナルって奴。人間をやめてた、って事よね」

「はい。奴は自身のことを、深海棲艦と人のハイブリッド……。深人類、と」

「シンジンルイ、ね。深みに嵌まった人類ってとこかしら。笑えないわ……」


 ほぅ、と溜め息をつく彼女は、背もたれに身を預け、ふわふわした帽子を胸の上に置く。
 ただでさえ、普通の人々から忌避されがちな能力者が、更に堕ちた先。公表すればどんな騒ぎになるだろう?
 ……戦争初期の能力者狩りが、また起こるやも。笑えるはずがない。


「……ッカカ。つくづく、オレのオリジナルらしい野郎じゃねぇか。何が深人類だ、クソが……!」

「あ……」「パパ……」


 しかし、間桐提督は堪え切れないといった風に、嗤う。
 心配そうに手を伸ばす少女たちすら、視界には入っていないようだった。
 暗い。
 果てしない暗がりを思わせる声。
 失意の底を浚って掬い上げた、呪詛。


「すみま、せん……」

「あ?」


 知らぬ間に、自分は椅子から降り、床に膝と手をついていた。
 耐えられなかったのだ。
 悪く言えば傍若無人。よく言えば、威風堂々としていた間桐提督を、こんな風にしてしまった原因は。
 他ならぬ自分自身としか、思えなかったから。


「自分の、自分のせい、なんです。中将は、自分の代わりに、奴と闘って……」


 なぜ、彼は小林 倫太郎を呪う。きっと、その所業だけではない。中将を喪ったからだ。
 彼女かれは言っていた。技研から間桐提督を救い出したのは、中将だと。
 そして、梁嶋提督に見せられた戦闘記録の中でも、叫んでいた。己の代わりに劣化コピーを……と。
 つまり中将と間桐提督の間には、単なる身元引き受け人ではない、もっと確かで、親子にも似た絆があったのだと思う。
 でなければ、忌まわしい出自を知りながら、こうは成長できない。口は悪くとも面倒見が良くて、誰にも気持ちを偽らない、良くも悪くも真っ直ぐな人間には。

 奪ったのは誰だ。
 小林 倫太郎だ。
 小林 倫太郎と……自分だ。
 みすみす奪わせた、自分なんだ。


「こんな事で、死んでいい人じゃ、なかったのに。もっと生きられたはずなのに。
 自分が弱かったから。自分なんかを守るために、あの人は。どう、詫びれば……っ」


 握る拳に、カーペット材の毛が絡みつく。
 謝って済む問題じゃない事も、謝る資格があるのかすら定かじゃないのも、分かっている。
 けれど今の自分には、頭を下げる以外に思いつかなかった。
 他に、何をすれば良いのか。……分からなかった。


「桐林。立て」

「……え?」

「いいから立て」


 黒いスニーカー。いつの間にか、間桐提督が真ん前に立っていた。
 見下ろす視線の強さに、否応なく立たざるを得ない。
 自分よりも、少しだけ背の低い彼は、こちらを真っ直ぐに見据え……。


「歯、食い縛れや。手加減はしねぇ」

「――っぐ!?」


 右の拳を振り抜いた。
 左頬に痛み。
 自分は後方へ殴り飛ばされ、倒れた拍子に座席へと顔も打ち付けてしまう。
 引っ掛けたのか、眼帯がどこかに飛んだ。


「ちょっと間桐! 何してんの!?」

「……テメェのために、だぁ? 自惚れてんじゃねぇぞ、この大馬鹿野郎がっっっ!!!!!!」


 桐ヶ森提督の静止を完全に掻き消す、激しい怒声。
 血の味を噛み締め、這い蹲りながら見上げれば、間桐提督は憤激に顔を歪めていた。
 拳が、震えている。


「テメェ一人なんかのために、命を張る訳ねぇだろうがよ……。
 あのジジイが守ったのはな、お前なんかじゃねぇ。この国の未来だ! もっと大きなものだ!
 悲劇のヒーローにでもなったつもりかテメェは! あぁ!?」


 強い、とても強い感情の込められた言葉が、投げつけられる。
 殴られた箇所は、燃えるような熱さで心を苛んだ。


「オレはお前を認めねぇ。
 どんなに希少な“力”を宿したとしても、今のお前だけは絶対に認めねぇぞ。
 いつまでもそうやって、被害者面して悦に入ってろ。クソッタレが」


 身じろぎ一つ出来ない自分に、彼は背を向けて歩き出す。
 悲劇の、ヒーロー。被害者面?
 ……好き勝手、言いやがって。


「何も、知らない癖に……」

「あ……?」

「先輩が死んで、中将も居なくなって、こんな身体にさせられて!
 じゃあどうすれば良かったんだ!? 一体どうすれば、“俺”は……!」


 椅子を支えにようやく立ち上がり、訳も分からないまま言い返してしまう。
 何が言いたい。何が苦しい。何をして欲しい。なんと言って欲しい。
 頭の中はグチャグチャで。気持ちも制御できなくて。子供のように、みっともなく駄々をこねている。
 そんな、どうしようもなく情けない男に、間桐提督はいよいよ軽蔑の眼差しを向け……。


「知るか、んなもん。自分で考えろ。……ああ、一つだけ言い忘れた。オレはもうただの“桐”じゃねぇ」


 しかし、立ち去ろうとしていた脚が、ふと止まる。
 振り返ったその顔には、怒りでも、嘲りでもない。
 静かで、寂しげな表情が浮かんでいた。


「オレは、あのクソ野郎が勝手に産み出し、全うされることのなかった、“皆”の命を継ぐ“人間”……。
 吉田 剛志の二人目の息子。吉田、皆人みなとだ。……覚えとけ、どアホ」


 最後に罵声を一つ吐き捨て、彼は今度こそ部屋を出て行った。
 無音。
 桐ヶ森提督も、疋田調整士も、動かない。
 崩れ落ちるように、自分はへたり込む。
 なんて事をしてしまったんだ。なんて事を言ってしまったんだ。
 自分は一体、どこまで無様を晒せば気が済むんだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい」「パパを、嫌いにならない、で」


 意外な事に、駆け寄って来たのは間桐提督の長門と陸奥だった。
 付き従うべき人を追わず、心細いような顔で、こちらの様子を伺っている。


「本当は、ずっとあなたの事を心配してた」「オレのせいで、オレのオリジナルのせいで、って」

「……え?」


 耳を疑う。彼女たちは今、間桐提督が心配してくれていたと、そう言った。
 拳と怒声、そして侮蔑を置いて去った彼が……?
 とても信じられる気分ではなかったが、スーツに添えられた、二人分の小さな手が、疑いの念を消していく。


「パパ、不器用だから」「本当は、こんな事をしたかった訳じゃ、ないんです」


 彼女たちは、互い違いに腕を伸ばす。
 冷たい指が左頬へと、羽根のように触れた。
 そして、「痛いの痛いの」「飛んで、けー」と呟き、立ち上がって頭を下げる。


「お願いします。なっちゃんたちが代わりに謝るから」「パパの友達、やめないで」


 そう言い残し、駆け出した少女たちの目尻には、消え入りそうな雫が見て取れた。
 反射的に伸ばしてしまった自分の右手が、何も掴めずに垂れ下がる。
 友達……。友達、だったのか。
 “千里”の間桐。小林 倫太郎のクローン。吉田 皆人。
 本当に、友達だったんだろうか。……なれるの、だろうか。


「あんなに良い子を泣かせて。アンタもアイツも、格好悪いわね」

「……自分、は……」

「悪いけど、私に優しさを期待しないでよ。あんまり、余裕ないし……。後を頼むわね。あの子たちを追うから」

「了解しました」


 遠目に様子を見ていたらしい桐ヶ森提督は、一旦は歩み寄るものの、少女たちを追いかけて部屋を出る。
 側へとしゃがみ込む疋田調整士の手に、小さな救急箱。湿布薬を取り出していた。


「男の手当てじゃ嬉しくないでしょうけど、動かないで下さい」

「……用意が良いんですね」

「ははは。こうでもなきゃ、桐ヶ森提督の調整士は務まりませんよ」


 フィルムを剥がし、頬へ貼り付ける手付きは、実に手馴れている。余計な痛みも感じなかった。
 ……そう言えば。殴られた時に口の中を切ったみたいだが、その痛みまで……。軽く切っただけだったのかも知れないけれど、なんだか気になる。
 でも、それを確かめようとした自分の意識は、疋田調整士の言葉で停止した。


「ただ、私からも一つだけ言わせて下さい。……元帥の死を看取った人間として」

「……っ!」


 立ち上がる彼は、先程までの緩い雰囲気から、誠実さを感じさせる、凛々しい空気を纏う。
 知らなかった。見聞きした情報には、調整士という存在が省かれていて、気付けなかった。
 この人が、最後を。


「あの御方は、誇りを抱いて逝きました。目が眩むほどの輝きを。
 決して誰かを恨んだり、己の不幸を呪ったりはしていませんでした。
 どうか、この事を忘れないで下さい。
 ……きっとそれが、遺された者に出来る、数少ない事の一つだと思います」


 言い終えると、疋田調整士は踵を鳴らして最敬礼し、桐ヶ森提督と同じように部屋を出た。
 残されたのは自分一人。気を遣って、くれたのだろう。
 実際、有り難かった。
 こんな姿、誰かに見られていたくなかったから。


「……“俺”は……」


 天井を見上げ、顔の傷痕をなぞる。
 開けっ放しのドアから、微かな雨音が漏れ聞こえている、気がした。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ちっくしょう……。イテェ……」


 やたらと天井の高いホールに、苦しげな男の声が響いた。
 数百人は余裕で入れるほどの広さだが、しかし置かれているものと言えば、その中央に、人ひとりがなんとか収まる程度の、長方形の物体――冷温保管設備のみ。
 男がそれに背中を預け、座っている。
 赤く腫れた右手を庇う彼の名は、“千里”の間桐ではない。
 吉田 剛志の遺した遺言に従い、正式に養子縁組をした彼は、名実共に一人の人間となったのだ。
 吉田 皆人という名の……親を喪ったばかりの男に。


「パパ、軟弱過ぎー」「殴った方が、殴られた方よりも、重症」

「ウルッセェ。成長剤のせいで骨がスカスカなんだよ……。人を殴ったのだって、初めてだしな」

「桐林さんが」「初体験?」

「変な言い方すんなっつの! ったくよぉ、胸糞悪りぃ……」


 その傍らには、二人の少女の姿。皆人の右手を包帯でグルグル巻きにしている、長門と陸奥である。
 医者に見せねば詳しくは分からないが、確実にヒビが入っているだろう。
 薬で無理やり成長させた身体には、やはり大きな負担が掛かっているのだ。
 骨密度は六十代の老人並みで、臓器の活動も全体的に鈍い。生殖能力すら……いや、これは元々か。
 皆人は元より、子供を残せる身体ではない。性的興奮を感じた事はなく、これから先も。それが彼の“仕様”だった。
 巨乳だのなんだのと騒いでいたのは、単純に触り心地や見た目の好みであり、性的な意味など全くない。「その方が人間らしいだろうから」と始めた、ブラフでしかない。


「誰の所為でもねぇだろうがよ……。テメェばっかり謝りやがって……」

「あ」「それ……」


 自由になる左手で、皆人はポケットから重々しいシガレットケースを取り出す。桐谷から渡された、形見の品だ。
 床の上で開いたそれから、葉巻を一本。口に咥え、片方の先端をシガーカッターで切り落とし、吸い口を作る。
 今度はガスライターを持ち、咥える向きを変えて点火した。
 本来なら、ここから先端部をじっくり炭化させるのだが、キチンとした作法を知らない彼は、いきなり大きく吸い込んでしまう。


「ゲホ、グェホッ!? っあ゛、んだよこれ……。よくもまぁ、こんなもんを美味そうに……」


 産まれて初めての喫煙に、肺は当然の如く拒絶反応を示した。
 臭いし、煙いし、味など感じる余裕もない。むせ返った拍子に、涙まで出てくる。


「……でだよ……」


 俯いたまま、皆人が掠れる声を絞り出す。
 身体は小刻みに震え始め、点けたばかりの葉巻が、二本に折り畳まれた。


「何、勝手に死んでんだよ……。ふざけんじゃねぇよクソがぁあっ!」


 罵声と共に、折れた葉巻を投げ捨てる。
 抑えが利かない。
 身を竦ませる少女たちを振り払い、皆人は立ち上がって保管機を叩く。
 警告音が鳴り響いた。


「勝手に助けて、勝手に世話焼いて、そのくせ勝手に居なくなって、なんなんだよっ!?」


 一度、二度、三度と。警告音を無視して、何度も、何度も。
 もう我慢なんて出来なかった。
 叫ばなければ、何かにぶつけなければ、気が狂いそうで。


「全身に転移って、肺ガンってなんだよ! どうして義肢嫌悪症なんて! なんで戦わせなかった! 守らせてくれなかった!? まだ……っ」


 余命三ヶ月だなんて聞いていなかった。
 サイバー義肢嫌悪症でも、クローン臓器ならば適合する可能性はあったはずなのに。
 自分の手で断ち切りたかった。
 この手でオリジナルを殺し、世界で唯一の存在となりたかったのに。
 戦えなかった。
 守りたかったのに。

 そして。


「まだ一度も……。オヤジって、呼んでなかった、のに……っ」


 言えなかった。
 口にするには恥ずかしくて、けれど、いつか伝えたかった気持ちは、もう届かない。
 ……永遠に。


「ぢくしょう……。ちく、しょおぉおぉぉ……!」

「パパ……」「泣かない、で……」


 保管機へと縋りつき、皆人は恥も外聞もなく慟哭する。
 背中を小さな手が……。同じく涙を流す長門と陸奥が、優しく撫で続ける。
 殺風景で、ただ広いだけのホールは今、何人たりとも侵し得ない、聖堂となっていた。

 そこへ繋がるドアへ寄り掛かる、三人目の少女も。
 桐ヶ森もまた、立ち入れずに小さく鼻をすすっている。
 別れに水を差すほど空気が読めない訳ではないし、桐林のように蹴りで発破も掛けられない。そんな無粋、したくない。
 漏れ聞こえる悲しい雄叫びが、無性に寂寥感を煽る。
 しかし、遠くから微かに聞こえてくる足音に、彼女は表情を凍らせた。


「やっと姿を見せたわね、陰謀屋」


 敵意にも似た硬質さを宿す、碧い瞳。
 それに真っ向から対峙するは、隻腕の男――梁島 彪吾だ。
 右手には緑色のタブレット端末を持っている。


「悪いけど、今は遠慮して貰える? 邪魔になるわ」

「挨拶ならば、もう済ませた。用があるのは……」


 立ち塞がる桐ヶ森に、梁島は首を横へ振る。
 意味深な視線を返され、桐ヶ森は敢えて、肩をすくめながら茶化して返す。


「デートの誘いなら、お断りよ。……盗聴好きの男なんて、趣味じゃないの」


 少々、脈絡がないと思える発言。けれど、わずかに揺れる梁島の目を確かめ、桐ヶ森の確信は深まった。
 襲名披露宴の際、桐林の肩に着けられていたパッチ型盗聴機。のちの調べで、あれを仕掛けられた人間は梁島しかいないと踏んでいたのだ。
 何一つ証拠など無かったが、それでも「コイツだ」と、彼女は直感した。となれば、信ずるに足る男ではないということ。警戒心が強まる。
 だが、梁島自身は然して気に留めた様子もなく、季節外れの遠雷に耳を澄ませていた。


“その場に留まるためには、全力で走り続けなければならない”It takes all the running you can do, to keep in the same place.

「……ルイス・キャロル。鏡の国のアリスね。何が言いたいのかしら」


 これまた脈絡のない言葉を梁島が唱え、桐ヶ森が出典と共に問い質した。
 高名な小説家、ルイス・キャロルの作品「鏡の国のアリス」に登場する人物、赤の女王のセリフである。
 一九七三年にリー・ヴァン・ヴェーレンが説いた、進化に関する仮説でも有名な一文だ。
 簡単に説明すると、「存在し続けるためには、決して立ち止まらず、常に進化せねばならない」という事の比喩として使われる。

 進化。
 今の状況で、この言葉から連想するものは多くない。
 そして、軍に属する者が使うとなると、ロクでもない結果に終わるのは、火を見るより明らか。
 これ以上は許さないと言わんばかりに、桐ヶ森の眼が険しさを増した。

 そんな彼女へと、梁島はタブレット端末を差し出す。
 躊躇いが数秒。結局、無言で受け取ったそれには、とある文書が開かれていた。


赤の女王、計画Project・Red Queen?」


 発案者の欄に「“梵鐘”の桐谷」という名を見つけ、綺麗に整えられた眉が歪む。
 しかし捨て置く訳にもいかず、彼女はそれを読み進める。
 この計画が、桐ヶ森の――神鳥谷 藍璃の運命を大きく変えてしまう事に、気付けぬまま。






 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





(……何を、してるんだ。“俺”は……)


 雨の中。自分はシアタールームのある施設を出て、当て所もなく歩いていた。
 異様に分厚い雲が、稲光を発している。獣の唸り声と、打ち寄せる波音が耳を塞ぐ。
 それでも、どこからか“見られている”のが分かる。
 檻を出て彷徨う猛獣へと、照準を合わせるように。警戒心を向けられているのが、何故か分かる。
 水を含んだスーツが、重い。


(熱い、な)


 いつの間にか、まばらに車が停まる、駐車スペースの端まで来ていた。
 身体はだいぶ冷えてしまったけれど、左頬が熱を帯びている。
 痛みなんて全く無いのに、間桐提督に殴られた部分だけが、焼けるような熱さを孕んで。


「くそっ」


 なんとなく、右手で左頬や傷痕を確かめ、手近な車に名状しがたい気持ちを殴りつける。
 吹き飛んだ。


「え」


 まるで、映画のワンシーンだった。
 鉄とコンクリートが擦れる、不快な音。
 自分の殴りつけた車は、幾度もバウンドしながら十m以上転がっていく。
 踏み切りで立ち往生した軽自動車が、貨物列車に跳ね飛ばされてしまったように。


「ちが――こん、な、つもり――」


 目の前の光景が信じられなくて、思わず左眼を開いてしまう。
 刹那、人間なら感知し得ない情報が、脳へ注ぎ込まれた。
 拳の形が残る車体。漏れ出すガソリン。
 遠く、街路樹の葉に弾ける雫。その王冠。
 遥か上空。雲の中で蠕動する雷光。
 そして、数千万に刻まれた時間の流れは、雨粒に映る己の姿をも捉えさせる。
 ぼんやりと、右腕から紅い燐光を立ち昇らせ、黒髪を白に染め直す、“怪物”の姿を。
 左眼も紅く、爬虫類か何かのように、瞳孔が縦に細くなっていた。

 違う。
 こんな事、望んでいない。
 見たくない!


「今のはなんだっ」

「誰か居るぞ!」

「……っ!?」


 左眼を閉じた瞬間、世界はまた動き始める。
 同時に届く厳しい声。警備員と思しき男性二人組が、十数m後方でこちらを指差して。
 考える間もなく、自分は疾走していた。


「消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ……っ」


 右手をジャケットの内側へ隠し、二・五mはあろう高さの塀に向かい、たった一度の跳躍でそれを越える。
 背後からは、「なっ?」「跳んだ!?」という驚愕の声が。その間にも、自分は車が全く通っていない道路を、未知の体感速度で走り抜けていた。

 分かっていた。どうしてだか、こんな人間離れした行動が“出来る”と、知っていた。
 堪らなく、恐ろしい。
 壊したかった訳じゃないのに、滅茶苦茶にしてしまった。
 単なる八つ当たりが、あんな破壊を。

 この“力”は、なんなんだ。
 “俺”は一体、なんなんだ……!


(……っ! 追われてる!?)


 ふとした瞬間に、また左眼を介して情報が流れ込む。
 周囲の景色は、いつの間にか住宅街へ差し掛かっていた。
 車二台が擦れ違うのもやっとの、狭い路地。何度か左右に曲がった背後から、猛スピードで迫る複数の軍用車に、消音器付きのSMGを装備した男たち。
 このままでは遠くないうちに追い付かれる。


(いや、追い付かれて構わないはずだ。逃げてなんになる)


 監視されていたのは、こんな時のためだろう。
 自分みたいな存在が、周囲に迷惑をかけないため。
 普通の人間が住む世界に、“怪物”が出て来ちゃいけなかったんだ。
 そう気付いた途端、脚は鉛のように重くなった。
 右手の発光も収まっている。身体がダルくて仕方ない。

 やがて、路地から幹線道路に面した歩道へと出た所で、完全に動きが止まる。
 交通量は少ないが、代わりに傘を差した通行人の姿が多数。こちらを見るや、指名手配犯から逃げるように避けて行く。
 当然か。顔、見られた。怒られる。
 その前に逮捕か? ゴム弾か、実弾か。撃たれたく、ないな。


「……ん?」


 ふと、遠くから耳をつんざくブレーキ音が聞こえてきた。
 追っ手が居るはずの背後ではなく、目の前を左右に走る道路の……左から。
 あれ。見た感じこの道路、センターラインの向こう側が左車線で、自分が居る手前側は右車線……暴走車が逆走してる?
 ……っていうか、近づいて来てるっ?


「のぉあったぁ!?」


 反射的に飛び退くと、シルバーの軽自動車が勢いよく滑り込んで来た。
 ドリフトしながら急停止し、ギリギリの所で停まる。本当にスレスレだ。
 間を置かず、左を向いた車の、助手席側のドアが開く。


ボンジョルノBuon giorno! 水も滴る良い男さん。唐突だけど、一緒にお茶でもどう?」


 こちらへ呼び掛けたのは、色味の燻んだ金髪を一本の三つ編みにする、中年の女性だ。
 外国人に見えたが、日本語の発音に違和感は無い。
 何故だろう。どこかで会った事があるような。……いや、やっぱり知らない人だ。知らないはずだ。
 少なくとも、今の自分の記憶には……。


「あ……え……だ、誰……?」

「そんなにビックリしないでちょうだい。通りすがりのイタリア人よ?
 ほんのちょっとだけ、日本人の血が入ってるの。フランチェスカ・ペトルッツィ。よろしくね」


 腰を抜かしつつ、なんとか言葉をひり出すと、その女性は楽しげな笑顔でウィンクを。
 よく見ずとも分かる、美人だ。この時期らしい、ゆったりとしたカーディガンとロングスカート。
 おそらく、四十代から五十代。六十以上という事はないだろう。


「さ、早く乗って。足留めは保って二~三分。それを越えると撒けなくなっちゃうわ。貴方が知らない色んな事、教えてあげる。昔の吉田 剛志の姿とか、ね?」

「……! ……何者だ」


 考え込む自分を、女性は急かす。
 なぜ中将――いや、元帥の名前がここで出る? ……知っているんだ。近辺の施設に、遺体が安置されているのを。
 そして、彼女の目の前にいる白髪の男が、桐林と呼ばれている事も。
 ただの一般人ではあり得ない。しかし、軍属という雰囲気ではない。
 となれば、裏社会の住人……? 自分の遺伝子や体組織は、海外で大金になるはず。それを見込んで送り込まれたと考えた方が自然か。
 切り抜けるにはどうすれば良い。今の身体能力ならなんでも出来そうだが、銃を持ち出されたら不安だ。
 警戒心も露わに立ち上がり、一歩右脚を引いて、自分は身構える。
 けれどその人は、余裕たっぷりな笑みを崩さずに、言葉にだけ重みを含ませる。


「自己紹介ならさっきしたでしょう? ……けど、かつてワタシは、この国でこうも呼ばれていたわ。護国の小指しょうし……。“狼”の葉桐、と」

「……はっ!?」


 あまりの驚きに、また左眼を開いてしまった。
 “狼”の葉桐。最初期から活動していた能力者で、すでに死亡しているはずの女性。
 それが今、目の前に? 信じられる訳が!


(なんで、そんな人が? どうして、もう、訳が分からない……)


 混乱している。
 死んで欲しくなかった人が死んで、死んでいたはずの人が生きていてた。
 嘘か誠か、判断する余裕もないのに、車に乗れと。
 桐谷提督の庇護下で、ようやく生き延びていた“怪物”が、温情で用意されただろう場所から逃げ出した上、見ず知らずの外国人女性の車に乗り込むだなんて。
 自分だけが罰せられるなら自業自得だが、下手をすれば、主任さんや横須賀のみんなにも類が及ぶ。
 どうしたら良い? どうしたら、丸く収まる? 考えなきゃ。考えるんだ。考えろ……!


「好奇心は猫をも殺す。でも、貴方は只の猫なのかしら。どんな罠であろうと、今の貴方なら食い破れるはずよ。……あと一分」


 茶色の、明るい瞳に射抜かれていた。
 初対面の人であるはずが、本当にどうしてだか、心を落ち着かせてしまう自分が居る。
 猶予は無い。
 選択肢は二つ。
 行くか戻るか。信じるか、信じないか。

 だったら、自分は。


「……どうなっても知りませんよっ」

「あら、せっかく若い子とデートできるんだもの。どうにかなっちゃいたい位なのに」


 ヤケクソ気味に助手席へ身を投じれば、小気味良い軽口とタオルが投げ返される。
 どう返事したものか、思いつかずに無言で通す。


「つれないのねぇ。おばさんには興味ない? ま、いいわ。まず追っ手を撒いちゃいましょうか。さぁお客様、シートベルト締めて下さる?」

「えっ、ちょ、ちょっと待――ぬぉおぁあっ!?」


 そんな自分を見て、彼女は更に笑みを深く、アクセルペダルを一杯に踏み込む。
 慌ててシートベルトを着けようとしたが、間に合わず助手席へと押し付けられた。
 薄く開いた左眼の取得する情報からは、ようやく路地を脱した軍用車たちが、瞬く間に引き離されていくのを把握できる。

 何が起きているのかも理解できぬまま、自分はまた流される。
 時間に。時代に。そして今は、スポーツカー並みのスピードに。

 一体これから、何が起きるんだ。



















《異端の提督と舞鶴の日々 ユーちゃんは無自覚系小悪魔?》





 舞鶴鎮守府、桐林艦隊庁舎の五階。
 午前十時という、多くの統制人格が仕事に励む時間帯に、その儚げな少女は、とある部屋の前で立ち尽くしていた。
 雪のように白い肌と、腰に掛かる銀糸の髪。
 黒いワンピース型ボディスーツの上から、青い迷彩色に染められた、半袖のジャケットを羽織っている。
 ボディスーツのスカート部分からは、同じ素材のスパッツが覗いており、ほっそりとした脚を包む。
 名を、IXC型潜水艦 U-511。
 ドイツに籍を置きながら、のちに日本海軍へと無償譲渡され、呂号第五〇〇潜水艦となった艦艇の、統制人格である。


「……っ」


 ロイヤルブルーの瞳を揺らし、彼女は数分ほど迷い続ける。
 東西に延びるこの庁舎、地下を含む三階までと、居住区のある地上四階からとで、大きく構造が異なる。
 三階以下には、甘味処 間宮や執務室、桐林用のトレーニングルームや応接室、大浴場などが置かれ、執務を行う場所ではあるが、昼間は統制人格たちで賑わう。
 そして、四階以上はホテルのような構造となっており、広々とした部屋が個人に宛てがわれている。だが、ほとんどは姉妹艦同士の相部屋を希望するため、空き部屋も多い。
 各階に簡単なバスルームやキッチン、プレイルームなども用意され、生活するだけなら階を移動せずに済むよう設計されていた。

 U-511が立っているのは、相部屋を選んだ、とある駆逐艦たちの部屋の前である。
 初めて訪れる場所に、緊張を隠せない彼女であったが、いつまでも立ち尽くす訳にはいかない。意を決して、ドアをノックする。
 間を置かず、「はーい」と中から声が返り、身を固くすること数秒。
 内に引かれたドアの隙間から、同じ年頃の少女が顔を出した。


「どちら様……。あれ、ユー?」

「うん。ユー、です。レーベ、Guten Tag……。こんにち、わ。……合ってる?」

「あはは、うん合ってる。こんにちは」


 ユー、と呼ばれたU-511と、頭を下げ合う、レーベと呼ばれた少女。
 彼女はワンピースセーラーを――白いラインの入った、黒に近い紺色の、丈が短い物を着ていた。「Z1」と刺繍された軍帽からは、短いアッシュブロンドの髪が溢れている。
 一九三四年計画型駆逐艦Zerstörer一番艦 レーベレヒト・マース。
 第一次世界大戦のドイツ帝国海軍少将を由来とするこれが、彼女の名前だ。
 そして、ユーを伴って室内へ戻るレーベを迎えたのも、同じ一九三四年計画型駆逐艦である。


「あら。いらっしゃい、ユー。珍しいわね」

「マックス。こんにちわ……」

「こんにちは。日本語にも慣れてきた?」

「……まだ、むつ――むずかしい……」

「そう。じきに慣れるわ。私たちもそうだったから」


 窓際に立ち、サボテンの世話をしていた彼女――マックス・シュルツは、切り揃えられた短い赤毛を揺らし、釣り目がちな赤茶色の眼を細めた。
 レーベとほぼ同じ格好をしているが、被っている帽子の刺繍は「Z3」となっており、彼女が三番艦であることを示している。

 この時代の日本海軍においては非常に珍しい、ドイツ籍を持つ艦艇である彼女たちだが、その励起時期には間があった。
 大雑把に言うと、レーベとマックスは、浜風を除く十七駆よりは遅く、伊良湖より早い。かたやユーは伊良湖より遅く、励起されて一ヶ月も経っていない。その差が、言語能力の差として出ているのだろう。
 彼女たちが日本語を産まれながらに習得しているのは、統制人格という出自と、励起した能力者である桐林が、日本人である事に因む。
 確証のない仮説であるが、現世に固定化する際、桐林との繋がりを介して、コミュニケーションに必要な情報を自動取得したものと考えられている。
 故に、レーベやマックスは最初から日本語を使いこなし、細かな齟齬もあっという間に修正。今に至るのである。
 そう考えると、ユーの日本語は随分たどたどしく思えるが、これも誤差の範囲だろうと思われた。
 余談だが、日常会話は問題無くとも、読み書きに関しては別個に習得する必要があるらしく、部屋に置かれた本はドイツ語表記で統一され、座卓の上には、手製の単語帳があったりもした。勉強中のようだ。

 それはさておき。
 挨拶もそこそこに、三人は座卓を囲み、クッションの上へと座り込む。
 焦点となるのはもちろん、珍客であるユーの事だ。


「それで、一体どうしたの? ユーがこの部屋に来るの、初めてだよね」

「うん……。ちょっと、聞きたいことが、あって」

「聞きたいこと。ふぅん……。私に答えられる事なら、協力は惜しまないけれど」

「うん。Danke……」


 同郷のよしみもあり、レーベとマックスは非常に協力的だった。
 そうでなくとも、口数が少なく、自己主張の控えめなユーが、こうして頼ってくれたのだ。
 よほど性根が捻じ曲がっていない限り、助けたいと思うのが人情であろう。
 二人に向けて小さく頭を下げたユーは、その言葉に甘え、抱え込んでいた悩みの一端を打ち明ける。


「二人は、Admiralアトミラールに……。どうやって、好きになって、もらったの?」

「え゛」

「は?」


 ……が、しかし。ユーの放った一言は、二人の顔を硬直させた。
 英語と同じスペルだが、Admiralという言葉はドイツ語でも同じ意味を持つ。海軍将官や提督の事である。
 つまりユーは、どうやって桐林に好かれたのか、を問いたいようだ。
 レーベとマックスは顔を見合わせ、少し困った顔で、彼女の誤解を解こうと口を開く。


「いや、あの……。提督は僕たちの事、特別に好いてる訳じゃない……と、思うよ」

「……そう、なの?」

「レーベと同意見よ。日本語の“好き”は広義に使われるみたいだけれど、提督の私たちに対する感情は、極めて平坦に思えるわ」

「そう、なんだ……」


 残念そうに肩を落とすユーであったが、言った本人たちもまた、あまり直視したくなかった事実を再確認させられて、気不味い表情を浮かべている。
 レーベやマックスに対する桐林の対応は――いや、特別な関係と噂される統制人格以外に対する彼の対応は、よく言えば平等であり、悪く言えば冷めていた。
 ユー以上に口数は少なく、表情筋が死んでいるのかと思うほど、顔の変化が無い。
 その癖、間宮や伊良湖を始めとする“特別な”仲間たちとは、楽しく雑談までするらしい。この前、伊良湖本人が惚気ていたので間違いない。
 この対応の差から察するに、桐林にとってレーベたちは、その他大勢に分類されるのではないか? と、二人は考えていた。
 少なくとも、好かれているとは絶対に言えない間柄なのである。


「でも、ビックリしたよ。急にそんな事を気にしだすなんて。喧嘩でもした?」

「ううん。してない。……何もない、から。不安だな、って……」

「……ああ、なるほど。そういう事ね。てっきり、提督と恋仲になりたいのかと」

「こい、なか? ……お魚と、軽巡?」

「ブフッ!?」

「ち、違うわ。違うから。レーベ、笑わないで」

「ごめ、ごめん……っ。不意打ちだったから……ふふ、ふっ……那珂さんが、鯉……ぷふうっ」

「だから……やめ……く、ふ……っ」

「……?」


 一瞬、暗くなりかけた雰囲気だったが、ユーの天然ボケにより、程なく霧散した。
 レーベが想像したのは、つい三週間ほど前、舞鶴鎮守府で改二改装を受けた軽巡洋艦、那珂の事である。
 彼女の脳内では、あの、アイドル衣装とも思える華やかな服を纏った那珂が、活きの良い巨大な鯉を抱え、その尻尾にピチピチとビンタされていた。「やーん! 生臭いー!」と涙目だ。
 一方、マックスの脳内では、鯉の着ぐるみを着た那珂が、まな板型ステージの上で踊り狂い……。バラエテイ番組にでも進出すれば、有り得そうな光景であった。
 純真無垢なユーだけが、何も分からず小首を傾げている。

 約三分後。
 未だに腹を抱えて、座卓へ墜落しているレーベを横目に、一足早く立ち直ったマックスが話を戻す。


「それで、ユーはどうしたいのかしら。提督と仲良くなりたい、という趣旨の相談で良いのよね」

「うん……。あの、ね。Admiralが、あんまりお話ししてくれないのは、ユーのことキライだから、なのかな……って。レーベちゃんたちは、どうなんだろうって、気になって……」


 モジモジと、座卓に乗せられたユーの指が落ち着かない。
 ユーが桐林と交わした言葉は、本当に数えられる程なのである。
 励起された際の挨拶。よろしくお願い致します。よろしく頼む。
 廊下ですれ違った時の挨拶。体調はどうだ。元気、です。この後が続かない。
 対潜演習に出撃した時の、開始の言葉。演習開始。Ja。後の指示は香取か鹿島だ。
 ここまで少なければ、誰であろうが「嫌われているのでは?」と勘違いしたくもなるだろう。


「僕たちも、あんまり提督とは話さないよね。声を聞くのだって、作戦会議か、非同調時の指示出しくらい?」

「そうね。もう幾度か出撃させて貰ったけれど、無駄話は一切無かったわ。その分、谷風とかが喚いていたから」

「そんな言い方しなくても……。僕は嫌いじゃないよ、賑やかだし」

「……別に、嫌いな訳じゃ、ないけれど」


 ようやく復活したレーベがユーに追随するも、マックスとのやり取りを見る限り、ユーのそれとは毛色が違う。
 と言うより、ユーからすると自虐風自慢にしか聞こえない。
 なにせ……。


「あ、あれ? どうしたの、ユー?」

「……ユー、出撃したこと、ない……」

「あ」

「あの頃と、同じで……。対潜演習の標的艦しか、してない……」


 ここに居るユーは、キチンと潜水艦としての能力を持ちながら、戦闘能力の低い鹿島と同じく、実戦未経験なのだから。


「え、ええっと、か、考えあっての事だよ、きっと! 横須賀時代は潜水艦の運用を殆どしてなかったって聞いたし、まだ模索中なんじゃ……」

「でも、確か伊八い はち伊 四○一い よんまるいちは実戦投入されていたような」

「……やっぱり、ユーはキラわれて……」

「マックス!」

「ごめんなさい、失言でした」


 しまった、という顔のレーベが慌ててフォローに入ったが、マックスの容赦ない追撃により、ユーはますます落ち込んでしまう。今にも泣き出しそうである。
 プルプル震える小さな背中を、レーベとマックスは二人掛かりで宥め続け、どうにか涙を堪える事に成功した彼女は、今一度、二人の友人に問う。


「二人は、Admiralのこと……好き……?」


 即答は、出来そうにない問い掛けだった。
 桐林をどう思うか。
 他の面々――香取や鹿島、日本国籍の艦艇たちの前でなら、当たり障りのない言葉で誤魔化す、という選択肢もあるだろう。
 けれど、ユーの求めている答えは、そういった物ではないはず。
 二人はまた顔を見合わせ、頷き合い。まずレーベが口を開いた。


「正直に言うと、僕は……。まだ分からない、かなぁ。
 この国で目を覚まして、もう二ヶ月くらいになるけど、彼という人が理解できてないんだ。
 嫌いという訳じゃないよ? でも、好きって言い切るのは、まだ早い。
 せっかく出会ったんだし、何か切っ掛けがあれば、もっと話をしてみたいとも、思ってる」


 ユーと同じで、交わした言葉は少ないが、彼女と違い、共に死線を潜り抜けて得た、ある種の共感はある。
 求道者のように直向きでありつつ、一方で、鹿島などからは熱烈な愛情を寄せられる人物。
 一度だけ見た事がある、闇の底へ通じるような左眼と、不意に遠くを見つめる事がある右眼。
 分からない事だらけだが、だからこそ、もっと深く彼を知れば、好きになれるのかも知れない。
 嫌いになってしまう可能性も無くは無いが、それを決めるにも、先ずは互いを知り合わないと。
 レーベは、こう思うのだ。


「軍人としてなら、素直に尊敬するわ。
 堅実な艦隊運用を心掛けつつ、戦闘においては勇猛果敢。しかし決して驕らず、無理をせず。常に退路も確保してある。
 消極的と評する人も居るでしょうけれど、実際に使われる身からすると、心強いわ。“帰岸”の桐林は伊達じゃない、と言った所かしら。
 ……私生活には、あまり興味を持てないわね。色々と噂も多いし」


 そしてマックスは、レーベよりもロジカルな物言いで、桐林を定義する。
 彼が舞鶴に籍を置いて四ヶ月余り。既に出撃回数は五十を越え、艦隊が大打撃を受けた事も、割り当てられた作戦を失敗した事もあったと聞く。
 けれど、今の今まで、艦艇の喪失だけは起こしていない。彼に与えられた二つ名――船の帰るべき岸辺。もしくは、必ず岸辺に帰す者という名の、面目躍如であろう。
 その分、あまり褒められない浮き名を流す一面もあり、そういった意味では信用ならない男性でもある。
 矛盾しているように感じる評価だが、元来、人とは二面性を持つもの。
 清濁併せ呑んで、上手く付き合っていきたい。
 少し分かり辛い上に言い方はキツいが、彼女はこう言いたいのだ。


「ユーは……。やっぱり、仲良くなりたい……」


 二人の言葉を静かに聞いていたユーは、丸めていた背筋を伸ばし、友人たちに習う。
 その瞳に、柔らかくも強い、光が宿りつつあった。


「せっかく、ドイツのみんなが頑張って、ここまで連れて来てくれた、から。
 Admiralは、お顔が怖いけど……。ユーを呼んでくれた人、だし……。
 みんなと仲良くなれたら……いいなって……。それで、ここの文化に、もっと馴染めたらいいなって……思う」


 海のほとんどを敵性勢力に支配されている現在、海を挟んで国を行き来するのは、文字通りの決死行となる。
 桐林艦隊に属する事となったドイツ艦計六隻も、ドイツ本国を出立した時には、護衛の傀儡艦と併せて二十隻超の大艦隊であった。
 運悪く、沿岸部を進む内に座礁してしまった船もあれば、他国領海内の通過が出来ず、仕方なく安全領域を脱した際、深海棲艦に沈められた船も……。
 レーベ、マックス、ユーを含む六隻は、そんな船たちが命懸けで遺した結果。
 無駄にしたくない。無駄になど、出来るはずがない。彼女たちの分まで、しっかり、一生懸命に、生きたい。

 その為にも、人間関係は重要だ。
 単なる仕事上の付き合い――傀儡能力者と統制人格、という関係ではなく。
 友人として笑い合ったり、戦友として支え合ったり、時々、喧嘩もしたり。
 そんな、人間らしい関係を築きたいと、ユーは思うのである。


「……そうね。細かい事なんて気にせず、みんなで仲良くできたら、素敵ね」

「うん。僕もそう思う。ユー、僕たちに手伝わせてくれるかな。提督と仲良くなる、第一歩を踏み出す手伝いを」

「あ……! Danke、ありがとうっ」


 マックスも、レーベも。ユーのたどたどしい言葉に込められた、強い気持ちを察する事が出来た。
 この、心優しい少女を手伝う事が出来たなら。それはきっと、彼女たちに得難い宝をもたらすだろう。
 それを無意識に知っているから……。否、そんな理屈はどうでも良いのだ。
 純粋に、友達を応援したい。
 この気持ちだけで十分なのだ。きっと。


「で、レーベ。具体的なプランはあるの?」

「う~ん……。まずは、僕たちと同じ立場で、より提督と近しい関係にある人に話を聞くべきだと思うんだ。どうかな」

「良いと思う……ます。でも、誰のこと……?」

「それは……」


 問答も一段落し、今度は具体的な計画を……という話に。
 マックスの設問にレーベが案を提言。ユーも賛同して、行動は具体的になって行く。
 さて。彼女たちの向かう先には、いかなる結末が待ち受けるのだろうか。
 今はまだ、神すらも知らない事である。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 燦々と陽光の降り注ぐ、港を眺望できる二階のテラス。
 庁舎一階から階段を登ってすぐの、サロンを兼ねたスペースの先にあるそこでは、一人の女性が白い椅子に腰を下ろし、くつろいでいる。
 灰色を基調に黒と赤を配する、肩を大きく出したセパレートスリーブのボディスーツ。
 テーブルには灰色のドイツ式軍帽が置かれ、組まれた脚は、同じく灰色のオーバーニーが。コーヒーカップを傾ける腕は、赤と黒の二色で染められたアームウォーマーが包む。
 首元は錨を模したチョーカーで飾られており、天使の輪を抱く長い金髪が、そよ風になびいていた。

 ビスマルク級戦艦一番艦・ビスマルク。
 第二次大戦中にドイツ海軍が保有した、たった二隻の戦艦の、片割れである。
 桐林艦隊においては、ドイツ艦の総轄を任されている存在だ。
 一人優雅に、手ずから淹れたコーヒーの香りを楽しんでいた彼女だが、連れ立ってテラスへとやって来た少女たちを見つけ、碧い瞳を緩く細めた。


「あら、レーベにマックス。ユーまで一緒に居るなんて、珍しいわね。Guten Tag」


 親しげな挨拶に、レーベたち三人も「Guten Tag」と笑顔で返す。
 視線で「座ったらどう?」と勧めるビスマルクに頷き、彼女たちも椅子へ腰掛ける。
 時計回りに、ユー、レーベ、マックスの順だ。


「何をしていたの? ビスマルク」

「ん、ちょっとね。今度、提督が“例の人”と会うらしいんだけど、その事を考えていたのよ」

「例の……。確か、スヴェン・ジグモンディという方ですか」

「そう、その人。なんでも、将来的にワタシヘ施す改装に必要な、追加の情報を貰ってるらしいの。
 本当なら同席すべきなんでしょうけど……。なんだか、好きになれないのよね。同郷のはずなのに」


 遥か遠くを見つめ、ビスマルクは自嘲するような苦笑いを浮かべる。
 桐林艦隊にドイツの船が配されるよう、各方面に手を回した中心人物が、現 在日ドイツ大使であるスヴェン・ジグモンディである。
 ドイツ軍の広報を務めていた経験があり、軍を都合退職したのちも、当時のコネクションを上手く利用する遣り手だ。
 深海棲艦のせいで帰国も儘ならない現在、その立場は政治的な色合いを強くしていた。ビスマルクが忌避するのは、おそらくこの点だろう。
 鉄血宰相――ドイツ帝国初代宰相、オットー・V・ビスマルク候爵の名を冠する割に、政治とは無縁で居たいようである。冠するからこそ、であろうか。
 物憂気なビスマルクに、ユーがおずおずと問いかける。


「ビスマルク姉さんは……。Mr.ミスタのこと、嫌い……?」

「ん……。嫌いというより、苦手、かしら。ユーはどう?」

「Mr.は、ユーをこの国に連れて来て、くれた人だから。みんなと、会えたから……。感謝して、ます……」

「……そう。アナタは良い子ね」

「えへへ……」


 なんとも、いじらしいユーの言葉に、ビスマルクは思わず破顔した。
 主人のない帽子を被せて、ついでに頭を撫でてやれば、ユーも小さくはにかむ。
 どんな思惑があれど、彼女の言う通り。ジグモンディがビスマルクたちを日本へ連れて来たのは確か。その点については感謝すべきだろう。
 異国の地とはいえ、仲間に囲まれて過ごす日々は……決して、悪くないのだから。


「それで、何か用があったんじゃないの? 三人揃って出向いて来た訳だし」

「うん。そうなんだ。正確には僕らが、じゃなくって、ユーがなんだけど」

「ここは単刀直入に、私が代わってお聞きします。ビスマルク、貴方は提督をどう思っていますか」

「………………へっ!?」


 雑談のつもりで話を続けたビスマルクだったが、マックスの思わぬ切り返しに目を丸くした。
 折角、コーヒーやら落ち着いた口調で演出した「出来る女」の雰囲気が、崩れていく。


「っどどっどどおおど、どうって、それは……っ、えっと……。
 か、顔は、悪くないんじゃないかしら? 傷はマイナスポイントでもあるけど、軍人に凄みは必要だもの。
 性格も、あ、アレよ。シツジツゴーケン、だったかしら。そんな感じ、だし……」


 しどろもどろに所見を語りつつも、恥ずかしさに耐えられなくなったようで、冷めたコーヒーを一気飲みするビスマルク。肌の白さ故か、頬の赤みが目立つ。
 最初の最初……。励起された時、手を握られている事を自覚した瞬間は、「何、この気安い男」などと思ったものだが、そんな第一印象はすっかり拭い去られている。
 この男がワタシの……? と、半目で背中を追いかけるうち、それが習慣になっていた。
 顔は厳めしいし、無駄口も叩かず、愛想の欠片も持ち合わせない男だけれど。変にナヨナヨして、曖昧な笑顔を浮かべて媚びを売るような男共に比べれば、遥かにマシだ。
 そして何時しか、極めて稀に笑顔を向けられる、彼の隣で立つ少女を、羨ましく思い始めて……。
 彼女の口振りから、その感情を否応なく教えられたレーベたちの間には、微妙に気まずい雰囲気が漂う。


「……ねぇ、マックス。勘違いされてる気がするんだけど、僕」

「どうやら、そのようね……。失礼、言い方を変えます。貴方は提督を、人としてどう思いますか」

「え? 人として? ……そっ、そうよねっ! そういう意味での質問よねっ! 分かっていたわよ、もちろん! ……はぁ……」


 マックスが質問を言い換えた事で、微妙にズレた返答をしてしまったのに気付いたビスマルクは、威勢良く胸を張りながら、こっそり溜め息をついた。
 当然、首を傾げているユー以外にはバレバレなのだが。生暖かい視線を送る駆逐艦二人も、予想だにしない告白を聞かされて困惑気味である。
 ともあれ、気を取り直したらしいビスマルク。
 腕を組んで熟考した後、彼女は今までの失態を忘れ、素知らぬ顔で語り出す。


「敢えて悪い言い方をさせて貰うと……。歪んでるわね。
 肉体的にも、精神的にも歪みを抱えて、尚も歪み続けている。憐れだわ」

「あわ、れ……?」

「可哀想っていう意味の言葉。ユー、覚えておくのよ?」


 情緒もへったくれも無い言い方をすれば、桐林に“うっかり”惚れてしまったビスマルクであるが、そこはドイツを背負って立つ戦艦。
 先程までの乙女チックな空気を一掃し、忌憚のない意見で皆を驚かせる。
 肉体の歪みと、精神の歪み。彼の持つ左眼と、それを行使する度に起きる反動に他ならない。
 彼が持つ“異能”については、艦隊に属した統制人格、全員へ説明がなされている。
 実際に体験した者は半数ほどだが、一度でも体験すれば、ビスマルクの言葉に反論できないだろう。
 それ程までに異質な“力”なのだ。


「じゃあ、ビスマルクは彼を、提督として認めてない、とか」

「勘違いしないで、レーベ。それとこれとは話が別。
 隠しきれない歪みを抱えて、それでも彼は、真っ直ぐに在ろうとしているように見えるのよ。
 それが提督の強み。歪みすらを“力”に変える、彼の強みなんじゃないかしら」

「……驚きました。貴方がそこまで提督を買っているなんて」

「ま、あくまで私見よ、私見。ワタシのAdmiralになった男な訳だし、嫌でも期待せざるを得ないというか……。
 大事なのはこれから。取り返しのつかない事態にならないよう、ワタシが――ワタシたちキチンと、監督してあげなきゃね」


 物別れするかと思われた桐林への所見だが、最終的にはレーベたち同様、肯定的な意見に落ち着く。
 困った男を主人にした統制人格たちは、それを支える事こそが役目なのだと、一様に笑みを浮かべていた。
 桐林が現状をどう捉えているかは定かでないが、このような美女・美少女に助けられているという点だけ見ても、日本一の果報者と言って差し支えないだろう。
 その代わり、世の男性たちから向けられる憎悪の念も、加速度的に増えているのだけれど、代償としては格安だ。妬み嫉みにも、甘んじて欲しいものである。


「でも、アナタたち。まさかこんな事を聞きに、ワザワザ出向いたの?」

「いいえ。そういう訳では」

「今のは前置きで、ここからが本題なんだ。あのね、ビスマルク。……提督と、もっと仲良くなるには、どうしたら良いかな?」


 話は一段落、今度はビスマルクが、三人の真意を問い質した。
 いよいよ核心に迫り、少々前のめりとなる少女たち。
 しかし、三対の視線を受け止める年長者は、テーブルに肘をついて黄昏る。


「……こっちが聞きたいわよ……」

「ビスマルク、姉さん……?」

「あっ、なんでもない、なんでもないわ、ユー。気にしないで。仲良く、仲良く、ねぇ……」


 聞かせるつもりのなかった呟きに反応され、ビスマルクが慌てて場を取り繕う。
 それもそのはず。レーベの発した問いは、彼女が日々苦心している事なのだから。
 第一印象が悪かった事もあり、励起されてしばらくの間、ビスマルクは桐林と、非常に淡白な交流を続けた。事務的、と言い換えても良い。
 本国の意向だから。命令だから。励起されてしまったから。
 こんな感情を隠そうともせず、やたらとベッタリな十七駆や秘書官たちに眉をひそめつつ、淡々と仕事をこなしていた。そのせいで、今更フレンドリーになるもの難しい。
 好意を抱くようになったのも、本当に、本当に些細な切っ掛けであり、彼女は、初めて抱く感情を持て余しているのだ。

 その切っ掛けについては後日、詳細に語るとして。
 長らく唸り続けていたビスマルクが、「そう言えば」と顔を上げた。


「日本語で、何か良い言葉がなかった? 同じカマーの……メッシ……メッツ……メッサーシュミット……」

「なんだか、どんどん離れていってるような……」

「正しくは、同じ釜の飯を食う、ですね。一つ屋根の下で寝食を共にし、親しく暮らす事を指すようですが」


 微妙に間違って覚えていたビスマルクを、レーベとマックスが補足。正しい言い回しに訂正する。
 古くから、人間という生き物は共同体を形成することで、過酷な環境を生き延びてきた。
 寝食を共にするという事はすなわち、同じ共同体に属する通過儀礼とも言えるだろう。
 ちょっと仰々しい言い回しになってしまったが、一緒に美味しいご飯を食べれば、自然と仲良くなれるという事だ。
 しかし、この案の問題点に対し、ユーがオドオドと挙手した。


「でも……。もう一緒に暮らして……ない?」

「そうね。ほぼ条件はクリアしていると思うけれど……。いえ、よく考えたら、食が抜けているわ」

「あ、そっか。マックスの言う通りだね。提督、肝心な食事のほとんどを、間宮さんと一緒に摂るから」

「なのよねぇ……。やっぱりあの給糧艦たち、怪しいわ……。最近になって、伊良湖も加わったみたいだし。
 この前、食事を終えたばかりの二人と廊下ですれ違ったんだけど、やけに上機嫌で頬がツヤツヤしてて……。うん、怪しいわ」

「怪しいよね」

「怪しいですね」

「……あや、しい?」


 テーブルを挟んで、顔を付き合わせる四人。いつの間にやら、話はまた色恋の方面へと移りつつあった。
 同じ庁舎で暮らしてはいるが、その実、彼女たちと桐林が食事を共にする機会は少ない。
 彼自身が敢えて少なくしているのであるが、実情を知らない彼女たちにとって、好奇心を刺激する格好の話題である。
 特に、最近になって桐林との夕食会に参加するようになったという給糧艦 伊良湖。
 彼女は間宮が遠征に赴いている間、艦隊の胃袋を見事に満たしてくれた。
 けれど、その様子といえば、日中は常にボーッと何かを考え、夜は夜で、桐林の私室を出た後、妙に充実した――何かを堪能した? ような顔付きでニヤニヤと……。これで噂にならない方がおかしい。
 そんな訳で、ビスマルクは桐林と給糧艦たちの仲を訝しみ、駆逐艦たちは純粋に興味をそそられて、男女の機微に疎いユーだけが、イマイチ着いて行けない。被ったままのビスマルクの帽子がズレた。
 乙女の恋話は、いつでもどこでも姦しいのである。

 しかしながら、この場で一番に優先すべきは、そんな事ではない。
 ユーのズレた帽子と一緒に、レーベが話を正しい方向へと戻す。


「でもさ、着眼点は良くないかな?」

「どういうこと、レーベ」

「提督に、ドイツ式のご飯を作ってあげる……とか。どう?」

「なるほど、良いわねっ。ドイツには美味しい物が沢山あるもの! それを作ってあげれば、きっと喜んでくれるに違いないわ!」

「確かに……。材料はなんとかなりそう、か。良い案ね」


 一つ大きく頷いたビスマルクは、得意満面に賛同。マックスも同じく賛成票を投じ、行動の方向性は固まった。
 ……かに思われたが……。


「良い考え、だと思います……。けど……。一つ、問題が……」

「あら、そうなの。言ってごらんなさい、ユー。ワタシで出来る事なら、喜んで協力――」

「ユー、お料理苦手……です」

「うっ」


 肩身を狭く、自らの不得手を恥じ入るユー。そして何故か、ピキィ! と凍りついたビスマルク。
 慰めるよう、ユーの肩へと手を置いたレーベたちは、ビスマルクの露骨な変化に気付かない。


「そっかぁ……。僕はそれなりに作れるけど、ユーは苦手なんだ」

「少し、意外ね。私も作れるから、みんなそうだと。貴方はどうですか、ビスマルク」

「えっ!? ……ぇ、ええっ、モチロン作れるわよ! ドイツ料理なら、このビスマルクに任せておきなさい! 今度、一から仕込んであげるわ!」

「わぁ……! ビスマルク姉さん、Dankeです……!」

「き、気にしないで良いのよぉおぉぉ? う、うふふ、ふふ……」


 ビスマルクは立ち上がり、胸を張って言い放つ。
 尊敬の眼差しと共に、ユーから渡される帽子を受け取りながら、彼女は思う。

 あぁぁぁ、どうして見栄を張るのよワタシ!?
 料理なんてマッシュポテトくらいしか作れないのにぃ!

 ……と。
 空は変わらず晴天だが、誰も知らない所で、雲行きが怪しくなり始めていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 所変わって、時間も過ぎ去り。
 桐林艦隊が作業を行う工廠の一角――航空機の並べられたスペースでは、二つの人影が蠢いていた。
 艶やかで長い赤毛を誇る工作艦、明石がその一つ。
 そしてもう一つは……。


「ふぅむ……。これが、レップーという機体か」


 日本の傑作艦上戦闘機・烈風の側に立つ、アッシュブロンドの女性だ。
 豊かな髪を後頭部の高い位置で結び、その一部をツインテールのように垂らしている。
 白を基調としたスーツ。裾と袖口には黒が配され、腕部分には赤のラインが。合わせるのは黒いプリーツスカートと、同色のパンティストッキング。
 胸元を飾る錨型の首飾りからは、鷲十字の描かれた赤いタイが提がっており、ひさしの黒い白色の軍帽が、瞳の青さを映えさせる。
 肩には白地のケープを羽織っていて、上部が赤く染められたそれには、ケルト結びの意匠が施されていた。

 ナチス政権下のドイツにて、進水式までしておきながら完成には至らなかった、純ドイツ製空母。グラーフ・ツェッペリンの統制人格、その人である。
 黒い手袋に包まれた指で、興味深げに主翼をなぞる彼女に、見守っていた明石が声を掛ける。


「どうですか? やっぱり、向こうの戦闘機とは感じが違います?」

「うむ。流石に、全く同じとはいかないようだ。……が、これはこれで良い物だ。天城が惚れ込むのも分かる」

「ああ、天城さん。もう仲良くなったんですね~。馴染んでくれてるみたいで、アタシも嬉しいです」

「い、いや、まだ親しいと言えるほどでは……。まぁ、この艦隊では数少ない空母だ。色々と気に掛けてくれるのは、正直、助かるな……」


 明石の晴れやかな笑顔に、ツェッペリンは少々慌てながら、しかし、はにかむように微笑む。
 桐林艦隊に属する航空母艦は、ツェッペリンを含めて四隻。雲龍型航空母艦の雲龍、天城、葛城と彼女である。
 水上機母艦 瑞穂や、飛行艇母艦 秋津洲あきつしま、航空機搭載給油艦 速吸を含めれば七隻となるが、この三隻は通常と違った運用をされるため、ここでは分けて扱う。

 横須賀の総勢十四隻――しかも、半数近くが正規空母のあちらに比べると、運用可能な航空機数は三分の一にも及ばない。だが、それを補って余りある、潤沢な兵装群が舞鶴の武器だ。
 最高速度、六百二十四km。二十mm機銃四門を備えた艦戦、烈風。
 艦上攻撃機、流星のエンジンを載せ換え、更に運動性能を向上させた流星改。
 これに彗星一二型甲や彩雲などを加え、現代傀儡機動部隊における鉄板が揃っていた。

 殴り合いに耐え得る水上艦――戦艦や重巡洋艦の少ない舞鶴艦隊では、アウトレンジ攻撃で敵 戦力を事前に削ぐ事が重要視される。文字通りの主翼を担っている訳である。
 国籍は違えども、彼女たちの連携が取れているかどうかで、艦艇の生存率は大きく違ってくる。しっかりコミュニケーションを取ることが大切だ。
 まぁ、雲龍たちがそこまで意識しているかは、定かでないが。
 単に仲良くなりたいから、という理由もあり得そうである。それが、ツェッペリンの頬を緩ませるのだ。


「精が出るわね! “伯爵”!」

「うん? ほう、“鉄血宰相”か。皆も揃って、どうした」


 背後からの奇妙な呼び掛けに、ツェッペリンは振り返りながら、同じような返しをした。
 視線の先に居るのは、レーベ、マックス、ユーの三人を引き連れたビスマルクだ。
 グラーフ・ツェッペリン――ツェッペリン伯爵と、ビスマルク――鉄血宰相。二人の間では、敬意を込めてこの名で呼び合う事が多い。
 本来は双方共に男性を指す名前であるが、気品溢れる佇まいのツェッペリンと、誇り高くあろうとするビスマルクには、確かに似合いの呼び掛けだった。

 ところで、そんなビスマルクがなぜ工廠までやって来たのか、だが。
 うっかり見栄を張ってしまった後、具体的な得意メニューなどを問われてテンパった彼女が……。


『そ、そういえばツェッペリンはどうなのかしらっ。艦隊に加わって間もないし、気にならない? 気になるわよね? 様子を見に行きましょう今すぐにっ!!』


 ……と、恥も外聞もなく、勢いだけで三人を押し切ったからである。
 突っ込もうとすると、誇り高く云々のくだりが可哀想な事になるので、どうか、触れないであげて欲しい。
 さてさて。
 そんな事情を知る由もないツェッペリンは、「やっほー」と手を振る明石と共に、烈風の側を離れる。
 何かの作業中だと思っていたビスマルクが、申し訳なさそうに軍帽を脱ぐ。


「ちょっとアナタに話があったんだけど、お邪魔だったかしら」

「いいや、私も少々ヒマでな。今度の出撃で載せる艦載機を見ていた。やはり、自分の目で確かめておかなくてはな」

「あら、日本の機体を載せるの? 向こうのを持って来てあるのよね。メッサーシュミットとかフォッケウルフとか」

「そうなのだが……。やはり、安定した運用を心掛けるなら、まだ機体は統一させておいた方が良いと、Admiralは判断したようでな。少々不満は残るが、従うつもりだ」

「アタシがまだ、ドイツ機の増産に着手できてないって言うのもありますねー。本格的なドイツ機運用は、十分な数の予備機を確保できてから、だそうです」

「なるほど……。相変わらず、提督は堅実なのね」


 二人からの説明で得心したらしく、ビスマルクは頷いた。
 彼女の挙げた名前は、航空機ファンならまず知らぬ者はない、傑作戦闘機の名前である。
 どちらも通称であり、正式にはBf109シリーズ、Fw190シリーズを指す。

 サラブレッドに例えられるBf109シリーズ――メッサーシュミットは、零戦に負けず劣らずの飛行性能を誇っているが、航続距離が短めであり、構造的欠陥により着陸が安定しなかったという欠点も抱えている。
 対してFw190シリーズ――フォッケウルフは、その高い信頼性から軍馬に例えられた。
 空冷エンジン故に高高度性能が低めで、補助翼の反応は過敏、そしてやはり航続距離も短いのだが、純粋な製品としての完成度が高く、他国もこぞって真似をしたという。
 ツェッペリンと共に持ち込まれた機体は、これらを艦上機Trägerflugzeug型とし、航続距離を延長。「T」が型番末尾に加えられたBf109T、Fw190Tの二種類だ。

 明石は日本の技術を応用して、この二機に、離艦距離の短縮などを目的とした、更なる改良を施そうとしていた。言うなれば、Bf109T改とFw190T改。
 “飛燕”の桐ヶ森から譲渡されたJu87C改を加えれば、ツェッペリンはドイツ空母として真の完成を見るだろう。
 それを待たず実戦へと参加するのだから、自ら機体を確かめたくなって当然か。


「ツェッペリンはこれが初出撃だね。緊張とかしてない?」

「心遣い、感謝する。だが、この私を侮って貰っては困るぞ。
 史実で未成艦だったとはいえ、私は彼の国、最初の空母だ。
 搭載機数は劣るかも知れないが、他には無い特徴で戦ってみせるさ」

「頼もしい限りですね」

「ええ。次の作戦で、肩を並べるのを楽しみにしているわ」


 レーベに意気込みを問われ、ツェッペリンが不敵な笑みで返す。
 同作戦へ加わる予定のマックス、ビスマルクも、余計な気負いは無いと悟り、安心したようだ。
 ここで、彼女の諸元などを説明させて貰おう。

 全長二百六十二・五m。全幅三十一・五m。
 満載時排水量は三万三千五百トンを越え、機関出力二十万馬力、速力三十三・八ノット。航続距離は十九ノットで八千海里となる。
 初期設計でバルジは備えなかったが、このグラーフ・ツェッペリンは改装後を再現され、しっかりとしたバルジを追加されている。
 また、装甲が機関部で最大百mm、甲板部にも六十mmと、軽巡洋艦程度の相手であれば、両舷合わせて八基十六門の十五cm連装砲で、殴り合いも可能であった。
 肝心な空母としての性能だが、搭載数は四十から最大で五十三機。かなり少なめの数値だが、しかし、彼女の真価は数に非ず。
 戦時中、日本ではついに実現しなかった、甲板据え付け型の圧縮空気式カタパルトと、充実した電探装備にある。

 このカタパルトは甲板前端部に二基内蔵され、カタログスペック上では、三十秒に一機の速度で、十八機までの艦載機を発艦させることが可能だった。事実、演習においては成功している。
 また、より迅速な発艦を行うため、蒸気を用いたエンジンの予熱器や、エンジンオイルを暖め続ける機構まで備わっていた。
 これらを組み合わせる事で、風が弱く発艦が難しい状態からでも、即座に艦載機を発進させられるのだ。
 二基の気蓄器が空になると、再充填に五十分の時間を要するという、無視できない欠点も抱えているが、即応が求められる状況であれば頼りになる。
 そして、水上レーダー、航空探知用レーダー、四基の火器管制方位盤も備えた彼女は、昼夜を問わぬ航空管制すら可能とした。

 様々な制限はあるものの、状況を問わず艦載機を高速発艦可能で、かつ制御も行える航空母艦。
 彼女が加わる事で、艦隊戦の有り様は大きく変化するかも知れない。遠くない大規模出撃作戦にて、その真価は証明される事だろう。


「それで、ビスマルク。話とはなんだ? 場所を変えるか」

「その必要はないと思うけど……。どう、ユー。自分で話す?」

「うん……。がん、ばる……」


 話を戻し、ツェッペリンを中心として談笑する少女たち。
 元々の要件を問われ、ビスマルクに背を支えられたユーが、おずおずと進み出る。


「あの……。ツェッペリンさんと、明石さんに、聞きたいことが……あるんです。聞いて、大丈夫ですか?」

「私と、明石主任に? まぁ、構わないが」

「内容にもよるけど……。スリーサイズ位までなら、なんとか。遠慮なく聞いちゃって!」

「Danke……。ありがとう、ございます。えっと、じゃあ……」

「あれ。アタシ今ボケたんだけど、ツッコミ無し?」

「明石主任。僕、ユーにツッコミは早いと思うな」

「……ユー、何か、間違えた?」

「いや、うん、そういう訳ではない。気にしない方が良いだろう。続けて欲しい」


 ボケをスルーされた明石が寂しそうだったり、見るに見かねたレーベが仕方なく突っ込んだり。
 少しばかり遠回りしたけれど、取り敢えずユーは、ツェッペリンの言う通り、無かった事にして本題へ入った。


「明石主任、さんと、ツェッペリンさんは、Admiralと仲が良い?」

「うぇ? な、仲? そりゃあ、悪くはないと思うけど」

「うぅむ……。私は、まだ幾度か話しただけだしな。それ以前の段階か」


 予想外な質問内容だったか、明石は戸惑いに首を傾げ、ツェッペリンは拳を顎に添え、難しい顔をする。
 横須賀から長い時間を共にしてきた明石はさておき、ツェッペリンにとって桐林は、まだ単なる上官に過ぎない。
 知っている事といえば、無口で表情の変化に乏しく、心を開くのは限られた人物にだけ、という性格傾向程度。
 会話の頻度もユーとほぼ同じで、特筆すべき出来事は何も無いのだ。


「ユー、Admiralとあんまり、仲良くないから……。もっとお話とか、出来るようになりたいなって、そう思うんですけど……。何をしたら良いか、分かんなくって……」

「なるほど。それで相談に来たという訳か。ふふ、いじらしいな」

「ん……? いじ、らし……?」

「可愛いって事だよ、ユーちゃん」

「……っ。だ、Danke……」


 なんとも可愛らしい願いに、明石とツェッペリンは微笑む。
 照れてしまったようで、ユーの頬にも赤みが差し、褒められ慣れていない彼女は口籠ってしまう。
 代わりにマックスとビスマルクが言葉を継いだ。


「でも、相談という意味では、明石主任が居てくれて助かりましたね」

「そうね。舞鶴の中で、提督と一番付き合いが長いらしいじゃない。何か、彼の趣味嗜好を教えて貰えれば、親交を深めるのにきっと役立つわ」

「あー、うーん。まぁ、確かにそうなんですが……。アタシと提督の関係は、少し特殊だしなぁ。阿賀野ちゃんたちと同じで」

「阿賀野クラス……。艦隊の軽巡洋艦だったか。何か因縁でも……いや、その前に。立ち入っても良い事なのだろうか」


 ところが、本格的に話を向けられると、明石の整えられた眉は歪んでしまった。
 ツェッペリンが気を遣い、重ねて問い掛ければ、重々しい沈黙が。工作機械の稼動音が遠く、その隙間へ。
 明石を除く五名は気付いていないが、これは演技である。
 彼女たちは外国籍艦。最終的な意思決定に、あちらの政府が関わる事も。明石が人工統制人格であるという真実を隠す為のカバーストーリーを、教えなければならない。
 この心苦しさが、明石の発言により説得力を持たせる。


「いずれ、みんなも知る事だろうから、話しておくね。
 アタシと、阿賀野ちゃん、能代のしろちゃん、矢矧やはぎちゃん、酒匂さかわちゃんの四人は。
 ……提督が、助けられなかった女の子に、そっくりなんだ」

「助け、られなかった……? それ、って……」


 日本語の拙いユーでも、呟かれた言葉に込められた感情は察知できたらしく、色を失う。
 そんな表情をさせてしまった事が、明石の胸を殊更に締め付け、罪悪感に塗れた苦笑いを作り出させた。


「提督が責任を追うような事じゃないし、負う必要なんて全くないんだけど、あの人は背負い込んじゃう性質だから。だから特別、アタシたちに気を遣っちゃうのよ」

「……そんな事情があったなんて。ごめんね、僕たち何も知らなくて……」

「いいのいいの。アタシは気にしてないからさ、全っ然」


 あえて明確に説明せず、ボカした言い方をする明石へと、レーベが頭を下げる。これ以上は、まだ立ち入ってはいけないと判断したからである。
 居心地の悪さ、ここに極まれりな明石であったが、上手く釘を刺せたと、ほんの少しホッとしている部分もあった。
 事実、次なるマックスの発言は、彼女の過去に対するものではなく、感情に対するものだったのだから。


「気にせずに、済むものなんですか。私だったら、やっぱり気になってしまうけれど」

「ん~……。気になるならない以前に、どうでも良いっていうか。アタシは、提督の船っていうだけで十分だから」

「どうでもって、それは良くないんじゃない? 確かに、ワタシたちは提督の船だろうけど、それで自分を捨てるなんて……」


 意外にも、明石に異議を唱えたのはビスマルクだった。
 彼の船であれば良い。分を弁えている、と言えば聞こえば良いが、それではあまりに無機質で、悲しい。
 人と同じ心を……。感情を持った意味が無いと、ビスマルクは思うのである。
 けれど、その言葉を聞いた明石は、否定に込められる優しさが嬉しくて、微笑んでいた。


「……ありがとうございます。でも、本当に大丈夫。
 アタシは自分の意思で、工作艦として提督を支えようと決めてる、ってだけの話なの。
 そうする事がアタシの幸せ。そうする事がアタシの喜び。
 だから、提督にどう思われていようと、ある意味関係ないんですよ。
 まぁ……。女として求められたら、ちょっとビックリしちゃうかなぁ?」


 そう。別に、己の全てを捨て、桐林に尽くそうなどとは考えていない。そんな次元ではない。
 彼に救われた命。彼の為に使うのは当然だが、そこには、確かな幸せがある。
 自らの才能を存分に発揮する喜び。産み出した船たちと過ごす楽しい日々。そして、彼を確かに支えているという充足感。
 こんなにも恵まれているのだから、例え密かに嫌われていようとも、少しばかり寂しいだけ。
 ……もし。もしも仮に、特別な好意を向けられていたとしたら。色々と、吝かではないのだが。

 恥ずかしげに頬を掻く明石の、揺るぎない返答を見届け、ビスマルクたちは言葉を失う。
 桐林と明石。二人の噂はドイツ勢の耳にも届いていたが、いざ目の前で見せつけられると……。


「何かしら、この言い知れない敗北感……」

「僕たちじゃ敵いそうもないね」

「恋する女は強し、でしょうか」

「胸焼けがして来そうだな」

「……な、なー?」


 思わず、車座に膝を抱える五人であった。
 なんというか、明るく気の置けない人物だっただけに、「こんな一面が」と驚きだったのだ。
 ユーだけはイマイチ着いて行けず、「女として求め……?」と、首を傾げているのだけれど。
 出来ることなら、その浮き世離れした容姿のまま、穢れを知らずにいて欲しいものだが、そうは問屋が卸さない。
 いつの間にやら話の中心となっていた明石が、赤い顔のまま、主役の座をユーへと譲る。


「あー、ほらほら! アタシなんかの事よりユーちゃんの事! 提督と仲良くなりたいんでしょ?」

「そ、そうでした……。あの、ユーは、どうすれば……」


 皆と立ち上がり、改めて明石と向き合うユー。
 不安気な上目遣いに、まず返されたのは問い掛けだった。


「というか、まず第一に。ユーちゃん、もしかして提督に嫌われてるとか思ってなかった?」

「えっ……。な、なんで……?」

「やっぱりかぁ……。提督も、そこら辺が不器用になっちゃってまぁ……」


 まだ言っていなかった懸念を言い当てられ、ユーが目を丸く。
 対する明石は、溜め息混じりに悩ましい顔をする。
 昔は思っている事を九割九分九厘、顔に出しては騒ぎの種としていたものだが、今では感じた事も、言いたい事も仮面の下に隠し……。
 それでも悩みの種となる辺り、変わっていないと喜ぶべきか、呆れるべきか。
 ともあれ、代わりに誤解を解いておかねばと、明石が微笑む。


「提督はね、ユーちゃんのこと嫌いじゃないと思うよ。むしろ好みなんじゃない?
 儚げで、細くって、抱きしめたら折れちゃいそうで。男にとってはポイント高いよ~」

「……そ、そう、なんです、か……?」


 言われて、己が身を確かめるユー。
 本人は全く自覚していないだろうが、黒いボディスーツと、白い肌のコントラストが鮮明で、全体的に細身ながら、少女特有の柔らかさを所作に滲ませている。
 腕一本でも抱きしめられる小ささなど、男からすれば、庇護欲を掻き立てられて仕方ないだろう。
 しかし、時と場合によって、美点は問題点ともなり得る訳で。
 それに気付いたレーベたちが、割と本気で眉をひそめた。


「でも、倫理的にどうなのかな。ユーって見た目、僕たちと同じ年頃……十代前半だよね? それってさ……」

「言わないで、レーベ。私も身の危険を感じていた所だから」

「と、東洋の女性は見た目が幼いというし、実際そうだ。仕方ない部分も……あるのか……? いや……」

「そんなの関係あるわけないじゃない! ダメよダメダメ! ユーと提督が……ふ、フケツよっ!」

「あのー、アタシが言ってるのは一般男性が求めるであろう女性像で、年齢に関しては何も言ってませんよー。おーい、聞いてるー?」

「ユーは……Admiralの、好み……。そっか……」


 明石が半目になって呼び掛けるが、皆の脱線は止まらない。
 二十代半ばの男性と、十代前半の少女。常識的に考えて、この組み合わせは非常に問題だ。
 先の伊良湖たちの件も含め、噂が絶えない桐林。注意しておくに越した事はないだろう。統制人格が法の外に置かれた存在であろうと、他人の目は何処にでもあるのだから。
 極一部、嫉妬心から過剰な反応をしている女性もいるようだが、ここでは触れないでおく。
 ちなみにユーは、レーベたちの声が耳に届いておらず、何やらモジモジと、胸の前で指を組んだりしていた。
 満更でもなさそうである。


「ま、まぁとにかく! 提督がユーちゃんを嫌ってないのは間違いないから!
 より具体的なアドバイスが欲しかったら、もっと適任な子が居るし、そっちに聞いてみたらどう?」

「適任な子……。明石主任、いったい誰のこと?」

「居るじゃないレーベちゃん。いや、この場には居ないけど、残る最後のドイツ艦娘が」

「……まさか……?」


 話が変な方向へ向かいつつあるのを察知し、すかさずまとめに入った明石。
 レーベが続きを促すと、その言葉に、今度はマックスが怪訝な顔を見せる。
 この場に居らず、しかしアドバイスに適切な存在である、最後のドイツ艦娘とは……。
 明石がニヤリと笑った。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「明石主任の言っていた部屋って、ここ……よね」

「そのはず……です……」


 再び場所を変え、暇だったツェッペリンも加わり、五人となって庁舎へ戻ったビスマルクたち。
 現在地は庁舎の四階。その北側に位置する部屋近くである。
 この階の部屋数は、南北に分かれて合計二十あり、利用する統制人格はその半数。十七駆の四人と伊勢、日向。秋月型駆逐艦と朝潮型駆逐艦が二名ずつだ。
 しかし、今挙げた少女たちの誰も、目の前の部屋を使っておらず、これから使う事もない。ビスマルクとユーは訝しんでいた。
 その理由は、マックスの発言で説明される。


「ここは確か、提督が利用する私室の一つだったと思いますが。しかも、今日は別の階でお休みになる予定だったと」

「だが、明石主任が嘘をつく理由もないだろう。人の気配はする」

「……こうしていても仕方ないよ。入ってみよう?」


 女ばかりの居住区に、男が一人、部屋を用意されている。
 公序良俗に反しているが、住むのは統制人格。任務の一環として受け入れていた。
 疑問なのは、明石の言うアドバイザーが、特に入る理由もない部屋で、何某かの作業をしているという事だ。
 少しばかりツェッペリンが耳を側立てれば、確かに微かな物音がしている。
 どうにも腑に落ちない面々だったが、レーベの声に先導され、代表して彼女自身が、ゆっくりとドアを開けた。
 すると、そこには……。


「ふんふっふふーん、ふーんふーんふーん♪」


 鼻歌交じりに窓を拭く、ビスマルクと揃いの軍帽を被った少女が居た。
 後ろ姿の彼女は、黒地に赤のラインと灰色を配した衣装の上から、白いシンプルなエプロンを。
 上機嫌に腰が揺れ、短い黒のプリーツスカートが、男にとっては悩ましく、見えるか見えないかギリギリの所で翻る。
 碧い瞳を持ち、艶やかな金髪を錨型の髪留めでサイドテールに纏める彼女の名は、ドイツはアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦三番艦にして、強運の重巡。
 オイゲン公子――プリンツ・オイゲンである。
 ビスマルクと非常に艦影が似通っており、その妹分として可愛がられている。


「オイゲン。アナタ、なんでこんな所に?」

「んぇ? あ、ビスマルク姉さま! Guten Tag……っていうか、姉さまの方こそ、勢揃いで何を?」

「ワタシたちは……アナタを探していた、事になるのかしら」

「……? 話がよく分かりません……」


 ビスマルクの声に振り向いた彼女は、太陽が如く眩しい笑顔で挨拶した後、「はて?」と首を傾げる。
 確かに、誰も来ないだろうと思っていた所に、ゾロゾロと同郷の仲間が五人もやって来れば、何かあったのかと不思議に思うだろう。
 対して、オイゲンのやっていた事は明白だ。エプロン、雑巾、足元のバケツ、箒に塵取り。掃除である。


「もしかしなくても、掃除してたんだね」

「そうそう。使っていないお部屋でも、こまめに掃除しなきゃホコリが溜まっちゃうからね〜」

「マメな事だな……」


 感心するレーベとツェッペリンを横目に、区切りの良い所まで掃除を終わらせていたオイゲンは、パパッと道具を片付けていく。
 物が少ないだけあって、作業自体は簡単だったようだ。
 更に、掃除用のエプロンをフリル一杯のエプロンに替えた彼女は、簡易キッチンの方へ足を向けた。


「よいしょ……。それで、わたしに何か御用なんですか、姉さま? あ、今コーヒーを用意しますから、みんなと座ってて下さい!」

「……良いんですか。勝手にくつろいでも」

「平気平気ー。わたしも時々、勝手に入り込んで昼寝とかしてるからー」

「それはそれで、どうなんですか。オイゲン……」


 部屋の中央にあるテーブルに着きながら、マックスは呆れ返る。
 自ら進んで掃除をするのは良い心掛けだが、その部屋で勝手にゴロ寝とは。
 もしや、そのために掃除を言い訳としているのではないだろうか?
 そんな風にも思える後ろ姿へ、ユーがそっと歩み寄った。


「あの……。ユー、手伝います」

「ありがとー。じゃあ、お水を沸かして貰える?」

「Ja、です……」


 ユーとオイゲンは、二人並んで、ポットとコーヒーミルを手に取る。
 豆の削られていく音をBGMに、残る四人が、初めて入る桐林の私室を見渡す。


「この部屋で、提督が寝泊まりしてるのね……」

「なんだか、質素な部屋だよね。物が少ないっていうか」

「あまり生活感が感じられないな。しかし、その割に……。この匂いは、Admiralの?」

「だと思います。アロマ・シガレットの匂いが、染みついているみたいですね」


 物がない代わりに、部屋にはある匂いが、微かに香っていた。
 ほんのりと甘く、清涼感のある香り。桐林が身にまとう物だ。
 芳香剤のように押し付けがましくないそれは、皆の心をゆっくりと、穏やかにしてくれる。
 くつろぐにはピッタリかも知れない。オイゲンがこの部屋へ入り浸る理由も、もしかしたら。


「あの……オイゲンさん。一つ、聞いてもいい、ですか……?」

「ん~? どうしたの?」


 そんな中、電気コンロの前でポットを見守っていたユーが、オイゲンに声を掛ける。
 一定の速度で取っ手を回す彼女は、ミルから視線は離さず、しかし意識をユーへ。
 僅かに躊躇いはあったが、せっかくの機会。勇気を出し、もう一度口を開く。


「オイゲンさんは……。Admiralのこと……」

「提督のこと? 愛してるよ?」

「えっ」


 ゴーリ。ゴーリ。ゴーリ。ゴーリ。
 水を打ったような静寂が広がり、ただ、コーヒーミルの音だけが自己主張を続けて。
 オイゲンの言葉を聞いた五人は、凍り付いていた。
 愛してる。
 英語で言うとアイ・ラブ・ユーI Love You、ドイツ語ならばイッヒ・リーヴェ・ディッヒIch Liebe Dich
 つまりオイゲンは、桐林の事を好きという事だ。
 驚愕の新事実に、ユーを除いた四名がようやく解凍され、そうさせた元凶へと詰め掛ける。


「ちょ、ちょっとオイゲン!? 今、聞き捨てならない言葉が……!?」

「き、きっとアレだよね。人間として敬愛してるとか、そういう意味の愛してるで……」

「やだなー、レーベったら。違うよ? 一人の男性として愛してるの。今からでも普通の女の子になれるんだったら、猛アタックして恋人同士になって、行く行くは……。きゃー♪」

「……だ、断言しましたね」

「し、したな……」


 ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ。
 頬を赤く染め、テンションと共にミルの回転数も上げるオイゲン。
 過剰な摩擦熱で、コーヒーの味は残念な事になっているだろう。
 しどろもどろだったビスマルク、レーベが唖然と見つめ、マックス、ツェッペリンも顔を見合わせた。
 一体、彼女はどうしたというのか。
 明るくて、誰にでも分け隔てない性分は長所であろうが、それにしても。


「いつ……。ねぇオイゲン、アナタいつから、提督を……」

「ん~、そうですねぇ……。最初はちょっと強面な人、っていうだけの印象だったんですけど。
 最初の出撃で、提督の“力”を受け入れた瞬間、なんかこう……。気持ちが燃え上がっちゃって……♪」


 うわ言のように呟くビスマルクへと、ウットリ、夢見心地な顔でオイゲンが返す。
 場を賑やかす冗談ではなく、本心からの言葉に見えた。
 本当に一体、彼女はどこをどう間違ったのか。
 試しに、今度はツェッペリンが問い掛けてみるのだが……。


「参考までに聞きたいのだが、“公子”よ。彼のどこに惚れたのだ?」

「それはもう! お顔はよく見れば格好良いですし、いつもピンと伸びた背筋が素敵で、厳しい声の中にも優しさが滲み出てて、ふとした瞬間、遠くを見つめる瞳は憂いを……」

「も、もういい。分かった。分かったからその辺で。コーヒーを、早く頼む」

「えー。まだまだこれからなのにぃ……」


 途中で耐えられなくなり、惚気話を中断させてしまった。
 なんというか、餡子とハチミツと氷砂糖と練乳とシロップを、口の中へ立て続けに放り込まれたような、頭痛のする甘さを感じた。
 許されるならいつまでも話していたい、といった風体の後ろ姿に戦慄しつつ、疲れきった表情で席に戻る四人だった。
 ちなみに、席順は時計回りに、ビスマルク、レーベ、マックス、ツェッペリン、ユー、オイゲンである。


「でも、やっぱり一番の理由は……。あれ、かなぁ」

「……あれ?」


 ところが、オイゲンはコーヒーを淹れながら、ふと、思い出を振り返るように呟く。
 ボーッと見ていたユーが反応した事により、結局、彼女の話は続いた。


「姉さまたちは、もう何度か提督の“力”を使った事、ありますよね?」

「う、うん。二~三回だけど。僕は、あんまり好きじゃないな、あの“力”……」

「私も同意見です。身体の……魂の中に、異物を受け入れているような。そんな違和感を覚えました」

「そうね……。なんと言うか、無理やり闘争本能を掻き立てられている感じだったわ」


 テーブルへ戻り、六人分のソーサーをトレイから配りつつ、オイゲンが確かめた。
 頷いたのは、実戦経験もあるレーベ、マックス、ビスマルクの三人である。
 俗に、霊子戦闘態勢と呼称されいるその状態では、統制人格は異様な戦意の高揚を見せた。
 普段からは考えられない、好戦的な言動を繰り返し、あるいは逆に、静謐な敵意を眼光に乗せ……。
 己が意思でそうするなら未だしも、強制されては不快感を覚えるだろう。

 一方で、彼女たちが口にしていない事がある。
 あれは……。あの“力”を使っている時は。
 戦争のために産まれた存在が、その本来あるべき姿へと、立ち返ったようでもあるのだ。
 異端Irregularであっても違法Illegalではない。
 そんな風に受け取れる自分たちが、また不安を煽るのである。


「じゃあ、提督の“力”が、特に航空母艦と重巡洋艦に対して親和性が高い、って事は知ってましたか?」

「そうなの? 初めて聞いたわ」

「私も初耳だ」


 続けてオイゲンが問い、今度は首を横に振る、ビスマルクとツェッペリン。
 万物に働きかけ、物理法則を捻じ曲げる事すら可能な桐林の“力”だが、効果を発揮させやすい傾向があった。
 それが艦種――特に、重巡洋艦と航空母艦を介して行使する場合だ。
 数式で例えるなら、駆逐艦や軽巡、戦艦などに対する式を累算。重巡、空母に対する式を乗算とするのが正しい。
 ここまで大きな差があるならば、艦隊を重巡と空母で構成すれば良いはずなのだが、上層部により重い制限が掛けられていた。
 これから先、横須賀の重巡が呼び寄せられる事や、新たな空母が加わる可能性は低いだろう。

 しかし、そんな思惑を知ってか知らずか、あえて無視しているのか。
 やはりイマイチだったコーヒーに首を傾げつつ、オイゲンは呑気な笑顔で続きを。


「だからだと思うんですけど、あの“力”を使っている状態で、提督との同調が一定段階を超えた瞬間、とある現象が起きたんですよ」

「とある現象……? それって、一体……」

「興味深いです。ぜひ聞かせて下さい、オイゲン」

「う~ん、話してあげたい気持ちは山々なんだけど、説明が難しいんだよねぇ~……。直感的なものというか、心に直撃というか……」

「……? よく、分からない、です……」


 勿体振る彼女に駆逐艦二人が食い付くも、言いたい事がサッパリ理解できず、ユーまで疑問顏だ。
 そこで、逆にレーベが質問を投げかける。


「ねぇ、オイゲン。それって、僕たちにも起きる現象なのかな。それとも、相性が良い艦種限定?」

「誰にでも起きると思うよー? 学者さんが言うには、極限状態における闘争本能の激化と、それを凌駕する“意思”の共鳴、または反作用による、軽度 共感性ゲシュタルト崩壊……とかなんとか」

「共感性ゲシュタルト崩壊……。学術書で読みましたが、強い共感能力――俗に言うテレパシストが、他者の精神と繋がった状態で、自我を見失う事ですね。能力者同士でも起きる可能性があると聞きました」

「おおー、流石マックス。はっくしきー」

「凄いね。僕、全然知らなかったよ」

「それほどでも」


 うろ覚えだったらしいオイゲンを、マックスが的確に補足。褒めそやされて背筋を伸ばす。
 表情に動きはないが、嬉しかったようだ。意外と子供っぽい。
 余談だが、共感性ゲシュタルト崩壊の説明をしておこう。
 桐林の襲名披露宴にて、桐ヶ森と物理的に接触し、テレパシーのような会話をした事があるが、あれを続けると起こるのが、共感性ゲシュタルト崩壊である。
 肉体という枠から外れ、精神が直接に触れ合う事で、自我の境界線が揺らぎ、意味喪失を起こしてしまう。
 こうなると、二人分の記憶が混濁。自分が誰かも分からなくなり、遠からず廃人と化す。一分二分ならば問題ないけれども、割と危ない橋だったのだ。


「一つだけ確実に言えるのは、提督を好きな統制人格の子たちは、ほぼ全員がそれを経験してるって事ですね。
 わたしはもちろん、浜風とか、浦風とか、雲龍型のみんなとか。あ、夕雲も多分そうかも。結構グイグイ来るんですよね、あの子……」

「えっ。あの夕雲が? お淑やかで、控えめな子だと思ってたのに……。というか多くないかしら? 無口な癖にいつ口説いてるのよ……」

「人は見かけに寄りませんよね、姉さま。そういえば、鹿島秘書官と間宮さんたちは別口でしょーか? 実戦出てないし」

「ふむ。存外、多くの娘に慕われているのだな、Admiralは。ふむ……」


 話を戻し、マックスへ拍手していたオイゲンが、締めに入った。
 面識のある名前を次々と挙げられ、ビスマルクは何度目か分からない驚きに眼を剥いている。ツェッペリンも、何やら考え込んで。難しい表情だ。
 最後に出た新しい名前は、艦隊決戦仕様の駆逐艦、最終モデルのネームシップであろう。
 この艦隊でも出撃頻度が高く、陽炎型駆逐艦と合わせ、文字通りの主力を担っている。オイゲンの言う“とある現象”も、経験があっておかしくない。
 対して、そんな事とは関係無しに想いを寄せる、鹿島のような統制人格も居る訳だが、彼女たちの事情を語るのは、またの機会とさせて頂く。
 閑話休題。
 一先ず、己の事情を話し終えたオイゲンは、冷め始めたコーヒーを飲み干した所で、ある事に気付いた。


「ところで、ビスマルク姉さま。わたしへの用って、結局なんなんですか? いつの間にか、提督への愛を語っちゃってましたけど」

「あ。すっかり忘れてたわ……。でも違うの、相談があるのはワタシじゃなくて……」


 どうして、ビスマルクたちが自分を探していたのか。
 その理由を質問すると、ビスマルクは首を振りつつ、ユーを横目に見やった。
 レーベたちにも視線を注がれ、見る間にオロオロし始める。
 そんな姿も可愛らしく、オイゲンは乗り気な顔で、俯いたユーを覗き込む。


「ユーちゃん? なになに、相談? わたしに協力できることなら、頑張っちゃうよ!」

「え……あ……そ、その……。うぅ……。物凄く、言い辛いな、って……」

「んぇ? なんで?」

「まぁ、そうだよね」

「あのノロケの後だもの。無理ないわ」


 とても居心地の悪そうなユーに、オイゲンは首を捻り、レーベとマックスが頷き合う。
 仲良くなりたいと思っていた相手への、情熱がこもったメッセージを聞いた後で、関係改善のアドバイスを聞くだなどと、よほど肝が太くないと無理だ。
 もちろんユーもその一人であり、俯き加減に、諦めの気持ちを口にする。


「ゆ、ユーは……えと……。Admiral、と、仲良くなりたいなって、思ってたんですけど……。オイゲンさんが、Admiralのこと、好きなら……」

「あぁー、なるほど。そういう事かぁー。そんなの簡単! 仲良くなりたい、って直接言っちゃえば良いと思うよ?」

「えっ……?」


 ……ところが。
 それを聞いたオイゲンは、何故か得心のいった笑顔を浮かべていた。
 まさかの返答に、驚いたのはユーだけではない。


「お、オイゲン? アナタ、それで良いの?」

「へ? 良いも何も、どこか悪いんですか? 提督を好きな子は多い方が良いと思いますけど」

「いや、何故だ。さっきまで、あれほど愛を公言していたではないか。普通は嫌がるものでは……?」


 年長者二人組――外見的にではあるが――の問いにも、逆に不思議そうな顔で問い返している。
 意中の人に、想いを寄せる娘が増える。
 ライバルが増えてしまうのだから、普通であれば嫌がって当然だ。
 しかし、オイゲンはあくまで己のスタンスを崩さず、胸を張った。


「そりゃあ、普通ならそうでしょうけど、わたしたち普通じゃありませんし。
 提督が守ってくれるとはいえ、わたしたちは戦争をしてます。いつ死んじゃうか分かりません。
 でも、わたしたちはこの世界に、心を持って存在している。だったら、幸せになる権利はあると思うんですよね」


 戦争。
 なんらかの目的を果たす為、場合によりけりだが、老若男女問わず、命懸けで鉾を交えること。
 例えばそれは、己の意思であったり、誰かの思惑に巻き込まれたりして、行われる。
 統制人格である彼女たちはどうだろう。
 この世に顕現したその瞬間から、戦いを義務付けられている存在。他の機能を望むべくも無い、兵器。
 けれど。それでも。


「わたし、提督を好きになってから、とても幸せです。あの人の為に戦えることを、誇りに思います。この気持ちを、この喜びを、みんなにも知って欲しい。
 なので、ビスマルク姉さまも、レーベも、マックスも、ツェッペリンさんも、ユーちゃんも。みーんな、提督のことを……。Admiralさんを好きになってくれたら、嬉しいです!」


 オイゲンは、己の胸に両手を置き、静かに微笑む。
 柔らかく、しかし力強くて、優しい微笑みだった。
 言葉を失っていた皆にも、それは伝播していく。


「オイゲン……。アナタ、いつの間にか成長してたのね……。なんだか寂しいわ」

「や、やだなぁ姉さまってば。わたしと提督は、まだプラトニックな関係ですってー」

「そういう意味じゃないと思うよ、流石に」

「これが恋愛脳、ですか。少し、理解し難いです」

「まぁ、私たちを想う気持ちは本物だろう。気持ちだけ受け取っておこう」


 妹分の成長を喜ぶべきか、強力なライバルの出現を危ぶむべきか、複雑な顔のビスマルク。
 それをどう勘違いしたのだろう。オイゲンが少々だらしなく笑い、苦笑いのレーベが突っ込む。
 呆れ返るマックスも、肩をすくめるツェッペリン同様、どこか楽しげだ。
 残った一名……ユーもそれは同じなのだが、けれど、表情は少しだけ曇っており……。


「……でも、やっぱり難しい、です……。具体的に、どうすれば良いのかなって、考えないと……」

「あー、それもそっかぁー。う~ん、確かに難し……あ」


 せっかく許可は下りたものの、だからと言って直ぐさま仲良くなれるようなら、相談する必要もない。最初の一歩を踏み出すための、切っ掛けが欲しいユーだった。
 そもそも、許可を出せる権限があるのか疑わしいオイゲンだが、それはさて置き。
 何か思い付いたらしく、恋愛脳ドイツ娘は前のめりにテーブルへ乗り出す。


「閃いた! あのね、こんなのはどう?」


 内緒話をするように、手を口元に側立てて。
 六人が顔を付き合わせ、何度も頷き合う。
 一体、オイゲンが用意した策とはなんなのか。
 明らかとなるのは、この日から数日後となる……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「こちらが、例の資料です。お確かめ下さい」


 昼下がりの桐林艦隊庁舎、その応接室では、合わせて三名の男女が会合していた。
 革張りのソファへ腰掛け、分厚い、A4判サイズの茶封筒を差し出す銀髪の男――在日ドイツ大使であるスヴェン・ジグモンディ。
 対するは黒髪の男。眼帯と、顔の左半分を走る傷が目立つ、桐林。
 彼に代わって封筒を確かめるのが、最後の一人にして、艦隊第一秘書官、香取だった。


「確かに、お受け取りしました。有り難う御座います、Mr.ジグモンディ」

「いいえ。こちらから申し出た協力関係ですから、この位は。それにしても……。思っていた以上に、広い人脈をお持ちのようですね。驚きました」

「……自衛の為です。難しい立場に、なりました故」


 朗らかに笑うスヴェンへと、桐林は言葉少なに返す。
 舞鶴事変以来、こうして何度か対面しているが、内心、スヴェンは遣り難さを感じていた。


(男子三日会わざれば……と、この国では言うらしいが……。厄介な変化をしたものだ)


 そも、彼が襲名披露宴で声を掛けたのは、“唾を付けておく”為だった。
 まだまだ青臭さの抜けない青年ではあったが、行く行くは一人で国を――いや、世界を相手取れるかも知れない人材。祖国の今後を考えれば、是が非でもこちら側に引き込みたい。
 しかし、蓋を開けてみればどうだ。
 あの宴から一つ季節が過ぎ去っただけで、簡単に籠絡できそうだった青二才が、確かに軍人となっていた。

 正直な話、舞鶴事変はスヴェンにとっても寝耳に水だった。
 国に身柄を抑えられ、下手に手出し出来なくなってしまう。用意していた計略が無駄になる、と彼は思っていた。
 だが、桐林は事変後、一ヶ月を待たずに艦隊再編へと漕ぎつけ、何をどうしたのか、イタリア軍部との繋がりまで作り上げていたのだ。

 これは、二重の意思表示である。
 ドイツとイタリアの双方に対して、「他にも話し相手は居る」という考えを示している。
 そしておそらく、祖国である日本に対しても……。


(兵藤提督と吉田提督は、彼にとってもそれ程の存在だったという事、か……。厄介なタイミングで死んでくれたな)


 己という存在の希少価値をキチンと把握し、謀反と取られない程度の建前を維持しつつ、それを最大限に利用する。
 あの、統制人格と楽しげに踊っていた青年は、もう居なかった。
 目の前に居るのは、下手を打てばこちらが喰い尽くされるだろう、眠れる獅子か。
 大仰な表現だが、驚異度としては全く応分だと思われた。
 遣り難い事この上ないけれども、毒を食らわば皿まで、とも言う。
 愛する祖国と、産まれてから一度も会えていない息子のため、密かに決意を新たにするスヴェンであった。


「Mr.ジグモンディ。この後、お時間は有りますでしょうか?」

「ええ、今日はこれで仕事終わりです。サラリーマンの方々には怒られそうですが」

「まぁ」


 そんなスヴェンへ、微笑みを浮かべた香取が予定を訪ねる。
 冗談めかして返せば、彼女は上品に笑みを深めて。厄介と言えば、この統制人格もそうだ。
 口数の少ない桐林に代わり、細かい話を詰めたり、桐林が答え辛い類の話であれば、さり気なく矛先を変えたり。
 見目の麗しさも当然として、政治家や会社役員なら、誰もが側に置きたがるだろう、有能な秘書官だった。


「宜しければ、我が鎮守府で御食事は如何でしょう。給糧艦の間宮が、腕を振るいたいそうです」

「ほう。それはそれは。なんとも魅力的なお誘いですが……」

「彼女が言うには、よい初鰹が手に入ったようでして。藁で炙り、薄めに切って薬味を乗せて……」

「っ……。参りました。喜んで、ご招待に預かりましょう」

「うふふ。では、こちらへ」


 だからこそ、スヴェンは香取の申し出に渋って見せるのだが、個人情報はキッチリ調べられているようで、程なく完全降伏させられてしまった。
 元より、彼が日本を訪れる切っ掛けとなったのは、その食文化だ。
 今や世界的にも知らぬ者がない寿司を始めとして、ドイツ大使という立場を利用し、日本津々浦々まで食べ歩いたものだ。
 おかげで赴任期間は伸びに伸び、三年のはずが五年、五年のはずが十年となり、呆れた妻が一人で里帰り出産した所に、深海棲艦が襲来。祖国へ帰るに帰れなくなったのである。
 故に、寂しい独り身を慰めるためにも。
 大使館の女性職員に、「最近のスヴェンさんって加齢臭が酷いよねー」「見た目はナイスミドルなのにねー」と、陰口を叩かれて傷んだ心を癒すためにも。
 今年はまだ食べられていない鰹を、そのたたきを食さねばならぬ。
 そう自分に言い聞かせ、香取の先導で応接室を出たスヴェンだったが……。


「おや。あの少女……?」


 何気なく視線を滑らせた先に、小さな人影を見つけた。
 中庭に面した窓際で立つ、一人の少女。黒いワンピース型ボディスーツと、スヴェンと同じ銀髪を持ち、胸にノートのような物を抱えて、何やらブツブツと呟いていた。
 桐林が「失礼」とスヴェンに断りを入れてから、こちらに気付いていないらしい背中へと歩み寄る。


「……ユー。何をしている」

「ひゃ……っ!? ぁ、あの、あ、ぅ……」


 硬く、詰問するような声に、ユーと呼ばれた少女は飛び跳ねて驚く。
 振り向きながらノートを背後へと隠し、俯き加減に、青い瞳で桐林を見上げている。
 その外見的特徴に、スヴェンは覚えがあった。


「もしや、彼女が?」

「はい。潜水艦、U-511の統制人格です。実際にお会いするのは初めてですね。
 ユーさん? こちらが、貴方をこの国に連れて来て下さった、スヴェン・ジグモンディ氏よ。ご挨拶を」


 確かめてみると、香取がそれを肯定する。
 ドイツ側に向けて公開されている傀儡艦の情報には、統制人格の情報もあったのだ。
 彼女たちの存在は祖国でも大きなニュースとなっており、早くもファンクラブ会員数が一千万を超えたとか。
 そんな少女の内、最も引っ込み思案だとされる潜水艦の少女が、おずおずとスヴェンの前に進み出た。


「Guten Tag……。あ……。日本語でも、大丈夫です、か? 早く、慣れたくて……」

「ええ、構いませんよ。初めまして。ユーさん……と、お呼びしても?」

「はい……」


 たどたどしくも、懸命に日本語を話すユー。
 その姿が、発揮されることの無かったスヴェンの父性愛を刺激し、視線の高さを合わせようと、彼に片膝をつかせる。


「月並みな言葉で申し訳ありませんが、日々は楽しいですか。お友達は出来ましたか」

「……はい。同じ、ドイツ艦のみんなは、優しくて。伊号の二人とも、よく話します……。はっちゃんと、しおい、って名前で……」

「そうですか。それは良かった」


 ゆっくりではあるが、しっかりと気持ちの込められた言葉に、スヴェンは思わず笑みを浮かべた。
 はっちゃん。しおい。確か、日本の潜水艦、伊号シリーズの二隻だ。
 閲覧の許された記録を思い出すと……まぁ、桐林の趣味を疑いたくなる格好をしていたはずだが、仲良き事は美しきかな。とやかく言うまい。


「ところで、ユーさん。後ろに持っているそれは……」

「あっ。あの、これは……っ」

「ははは。どうやら、私へのプレゼントではないようですね」

「ぁう……。ごめんなさい……。Mr.が今日来るって、知らなくて……」

「いいんですよ、気にしなくても。貴方に会えただけで、十分な収穫ですから」


 少しばかり意地悪な言い方をしてしまったが、焦る表情もまた可愛らしい。
 そして、ユーの持っている品を見れば、彼女が出向いた用向きも自ずと分かる。
 スヴェンはオマケのようだ。残念だけれど、致し方ない。立ち上がり、背後で立ち尽くしていた桐林へと向かう。


「Mr.桐林。どうやら彼女は、貴方に話があるようですよ」

「……自分に?」


 スヴェンの言葉を聞くと、桐林の眉が怪訝に寄った。
 取り敢えず、彼の肩に手を置きながら「分かってますね」と言い含めるが、もちろん、桐林に分かる筈もない。右眼が更に細く。
 押し出すように場所を入れ替えれば、スヴェンの意図を察した香取が後ろに下がり、ユーと彼が二人きりになれるよう計らう。


「……っ……ぅ……」

「………………」


 しばらく、無音が続いた。
 ユーは酷く緊張し、何か言おうとしては、口をつぐむ。
 けれど、このままでは駄目だと思ったのだろう。
 やがて彼女は大きく深呼吸。意を決して、桐林と向き直る。俯きつつも、であったが。


「あの……。ユー、まだ日本語、上手じゃなくて。話は出来る、けど。読んだり、書いたりは苦手で。だから……」


 一度言葉を区切り、ユーは隠していた物を身体の前に。
 小学校でよく使われる、日本独自の細長い冊子――国語ドリル。
 オイゲンの、「提督と日本語を勉強してみたら?」という提案に基づき、鹿島に用意してもらった物だった。
 それを差し出し、彼女は上目遣いに、桐林を見つめる。


「Admiral、に……。日本語の読み書きを、教えて欲しい、なって……思うんです、けど……」


 尻すぼみになってしまう“お願い”に、桐林は数秒ほど沈黙した後、丸くなった右眼で香取とスヴェンを振り返った。
 しかし、二人は柔らかな笑みを浮かべ、「話を振ったら怒ります」と、表情で語る。
 桐林の表情は動かない。けれど、想定していなかった事態に困惑しているのが、手に取るように分かる。
 軍人の仮面の下は、今でも、あまり変わっていないのかも知れない。そう、スヴェンは感じた。
 だが、傍から見れば微笑ましい沈黙でも、当人にすれば居心地が悪いのか、ユーの目尻に涙が溜まり始め……。


「……めい、わく……です、か……?」


 今にも溢れそうな雫を堪え、彼女は震えながら、ほんの僅かに小首を傾げた。
 桐林の身体が一瞬、フラつく。
 ああ、落ちたな。スヴェンは確信する。そして同時に恐怖した。
 ユーというあの少女、年端も行かない外見にも関わらず、女の武器を一二○%使い熟している。
 おそらく無意識なのだろうが、故に末恐ろしい。いつか彼女は、それと知らず男を手玉に取る、悪女に成り得るかも知れない。
 それが証拠に、桐林は国語ドリルを受け取ったのだから。


「分かった。時間を、作ろう」

「っ! あ、あのっ……Danke schön! ありがとう、ございますっ! 合って、ますか?」

「……ああ」

「ぇへへ……」


 色好い返事に、今度は満面の笑みを浮かべるユー。
 釣られてスヴェンも、香取も微笑みを深くしてしまう、本当に嬉しそうな顔だった。
 ただ一人、桐林だけが国語ドリルの内容を確認し、仏頂面を貫いている。


(娘が欲しくなる光景だな……。シルヴィオとグレタは、元気だろうか)


 スヴェンは、幾許かの寂寥感を覚えつつ、拙い触れ合いを見守る。
 軍靴の音は遠い。
 けれど確実に近づいている。
 自分がここに居るのは、祖国の為。そして、そこに居る家族の為。必要とあらば、この国に害を及ぼす選択も、しなくてはならないだろう。
 しかしながら、今しばらくは。
 せめて、あの国語ドリルを使い終えるまでは。……願わくば、使い終えた後も。
 そんな事態が起きないようにと、祈らずには居られなかった。




















《オマケの小話 鹿島さんの大誤算》





「そろそろ、三時か」

「あ、ホントですね。今日もあっという間です」


 執務室に差し込む陽が、傾き始めた頃。
 区切りの良い所まで書類仕事を片付けた桐林は、それを受け取った鹿島と時計を確かめる。
 いつもであれば、小休止を挟んでもう一仕事……となるのだが、今日に限って、隣に控える香取が口を挟んだ。


「提督。もうじき、次の大規模出撃の準備が整います。後は私たちが処理しておきますから、早めに切り上げられては?」

「……ああ。頼んでいいか」

「お任せを」

「はいっ。鹿島、頑張っちゃいます!」


 艦隊運用とは面倒なもので、出撃するにも待機するにも書類が必要となる。
 ましてや、それが大規模な作戦の前ともなれば、準備だけで二~三日掛かる事もしばしば。
 近く出撃を控えた身には、出来る限り負担を少なくしたい、という気遣いだ。
 特に、鹿島がやる気を見せている。
 ここ数日、彼女はご機嫌だった。何故なら、桐林との会話が増えたからである。
 これまでは「ああ」だの「そうか」だのと、一言二言で終わってしまう会話が多かったが、最近では「ああ、そうだな」やら「そうか。良かったな」など、二言三言に増えたのだ。
 ……正直、ほとんど変わっていないように思えるけれども、しかし鹿島にとっては重要案件。
 会話する時間が増えるという事は、すなわち、彼と共に過ごす時間が増える、という事なのだから。

 という訳で、やる気満々な鹿島と、そんな妹を微笑ましく見つめる香取なのだ。
 秘書官たちを見やり、桐林も素直に休息する事を選んだようである。
 席を立とうとする彼だったが、その時、執務室のドアがノックされた。
 香取が目で確認し、桐林が頷けば、「どうぞ」と彼女が声をかける。
 ややあって、木製のドアはおずおずと開き始める。


「あの……失礼、します……」

「あら、ユーさん。どうなさったんですか?」


 姿を現したのは、黒いボディスーツと銀髪の少女、ユーであった。
 珍しい客に驚き、胸に細長い冊子を抱える彼女へ香取が問いかけると、ユーは内股気味に、ゆっくりと桐林の前へ。


「えっと、Admiral……じゃなくて。提督と、約束があって」

「提督さんと? ……あ、その国語ドリル。私が用意した……」

「はい……。一人だと、まだ、難しくて。提督に、教えてもらって、ます」

「そうだったんだぁ。道理で提督さん、昨日も一昨日も、自室の方へお戻りになってたんですね?」

「……まぁ、な」


 細腕に抱かれた国語ドリルを確認し、鹿島がニッコリ微笑む。
 桐林と二人っきりでお勉強。普段ならハンカチを噛み締めて悔しがろう、垂涎のシチュエーションだが、相手がユーでは、鹿島の嫉妬心も鳴りを潜める。
 せっかくの休憩時間に勉強? と思わなくもないが、きっと気分転換には最適だ。
 テーブルにドリルを広げ、一生懸命に書き取りをする少女と、それを優しく見守る桐林。なんとも羨ま――もとい、微笑ましい。


「いつも、来てもらってたから。今日は、自分から来て、みました。……迷惑、だった?」

「いいや。……ここで、するか」

「はいっ」


 勉強の時間を楽しみにしていたのか、ユーもウキウキとした笑みを浮かべている。
 どうやら、私室の方へ移動はせず、この部屋でお勉強タイムのようだ。
 執務机では彼女に高いだろうが、椅子をアジャスターで調整すれば問題ないだろう。
 そう判断したらしい桐林は、腰を上げようと肘掛けに手を置き、ヒョコヒョコとユーが近づいて。


「よい、しょ……」

「え゛っ」

「まぁ」


 なんと、桐林が立ち上がる前に、その脚の間へ座ってしまった。
 鹿島の顔が引き攣り、香取は驚いて口元に手を。
 いつも以上に表情筋を強張らせた桐林は、然も当然と居座るユーを見下ろす。


「……ゆ、ユー。どうした、急に」

「え? でも……。いつも、こうなるから。最初から、この方が……」

「そ、そうだが。そう、だけども」


 桐林を見上げる彼女の顔は、心底不思議でしょうがない、といった様子だ。
 おそらく、言葉通りの意味しか持たない行動なのだろう。
 しかし、鹿島にとってその行動は、決して看過できぬ、小悪魔の所業であった。


「……提督さん。“いつも”って、どういう事ですか。まさか、ずっとユーちゃんを抱っこしながら勉強してたんですか!? 手取り足取り書き取りしてたんですかっ!?」

「鹿島? 貴方、何を怒っているの。微笑ましくて良いじゃない」

「よ、良くないですよっ! 提督さんに、だだだ、抱っこだなんて……!」


 怪訝そうな香取に、鹿島は湯気を吹きそうな有様で食って掛かる。
 ギリギリのラインで我慢できていた嫉妬メーターが、抱っこ椅子で一気に振り切れたのである。
 一方、香取はなんとも思っていない。
 鹿島のように、何でもかんでもロマンスと結び付けようとする方が問題なのもあるが、単純に、桐林を信頼しているのだ。
 仮に手を出していたとしても、それを理由に色々と直訴できるようになるので、むしろ願ったり叶ったりと考えていた。恐ろしい女性である。
 ともあれ、先ず問題なのは、ヒートアップしてしまっている鹿島だ。
 誤解を解こうと、桐林が口を開く。


「鹿島、聞いてくれ。ずっとじゃない。ユーはまだ、漢字が読めない。だから、隣に座って逐一補足していたんだが」

「そのたびに、ドリルを動かすの、めんどうだなって、思って……。それで、この方が読み易いかなって、ユーが……。これ、良くないの……?」


 こてん、と小首を傾げ、ユーは未だに不思議そうにしている。
 詳しく説明すると、間宮たちとの食事の応用で、桐林の筆記技術をユーに学ばせたまでは良かったのだが、問題は読みの方だった。
 最初は、机を挟んで対面に座り、いちいちドリルをひっくり返していた。
 その日のうちに、桐林の座る位置はユーの隣になったけれど、最終的に彼は立ち上がり、椅子の後ろから覗き込むような形に。
 勉強を見てもらっているのに、彼を立たせていては申し訳ない。
 そう思ったユーは、桐林を強引に座らせ、彼の膝に腰を下ろすことで、問題を解消しようとした訳である。
 これが鹿島であれば、いかがわしい展開を期待していること間違い無しなのだが、ユーに他意は無い。純粋な気遣いからの行動だ。
 桐林もそれを理解しているからこそ、突き放せない。電のアドバイスを無下に出来なかった、という点も加味すべきであろうか? すべきでないかも知れない。
 しかしながら、それも鹿島には全く関係ないのだった。


「なんだか、妙に饒舌じゃありませんか? 提督さん。何か、やましい気持ちがあるんじゃ……」

「いや、無い。ただ、誤解を解こうと、だな……」

「むうぅぅ……っ」


 普段通りの彼なら、仏頂面で「違う」と一刀に切り捨て、後のフォローは香取に任せそうなものなのに、今回に限ってやけに口数が多い。
 気の利かない男性が、なんの脈絡もなくプレゼントを用意したり、帰宅時にケーキを買って来たり。いつもと違う行動をするのは、浮気の兆候だという。
 まぁ、桐林と鹿島がそんな関係でないのは当然として、とにかく納得のいかない鹿島は、頬を膨らませて遺憾の意を表明する。
 なんとも奇妙な緊張感が漂う執務机。
 だが、元凶であるユーは、鹿島の表情からある感情を察知し――


「……うらやま、しい?」

「カッフぁ!?」


 ――と。無邪気に鹿島の胸を抉った。
 まるで、不意打ちの魚雷が直撃したような衝撃に、彼女はもんどりうって倒れ込む。


「う……羨ましく、なんか……っ。羨ましくなんか、ないもん……! う、羨ま、う、うらっ、羨ましぃいぃぃ……っ!」

「鹿島……。貴方って子は、全くもう……」


 倒れ伏したままハンカチを噛み締め、涙でカーペットを濡らす鹿島。
 そのあんまりな姿に、香取が盛大な溜め息をついた。
 流石の桐林も、「出会った当初はしっかり者だったのに」的な、遠い目をしている。


「……じゃあ、鹿島秘書官も。抱っこして、貰う?」

「えっ、良いんですかっ! ぜひ、ぜひお願いしますっ!」

「はあぁぁ……。我が妹ながら、恥ずかしい……」


 ところが、気を遣ったユーの発言に、鹿島は一瞬で復活。鼻息荒く執務机へ詰め寄った。
 実際に抱っこされたらされたで、カップラーメンが出来る前に根を上げそうな気もするが、激しい頭痛に襲われる香取だった。
 そして、いつの間にか抱っこ椅子要員にされた桐林にも、ボーダーラインはあるらしく。


「いや、流石に鹿島は……。マズいだろう」

「えええっ!? なんでですかぁ!? ゆ、ユーちゃんみたいに、ちっちゃくないからですか? 私じゃ育ち過ぎなんですかっ!?」

「誰もそんな事は言っていない」


 素気無く抱っこ椅子を却下され、必死に食い下がる鹿島へと、桐林は珍しく自分で突っ込む。
 もちろん、ボーダーラインとはそういう意味ではない。
 常識的に考えて、鹿島のような「いつでもOK」娘を膝へ乗せたりしたら、男であれば十中八九、一線を越えようものである。
 桐林が危惧しているのも、おそらくはその一点に尽き、決して、ちっちゃい子しか抱っこしたくない訳ではない。……と、思われる。

 何や彼やと騒がしくなった執務室であるが、まだまだ騒動は治らない。
 睨み合う桐林と鹿島の間に割って入るかの如く、ドアが大きな音を立てて開かれた。
 また新たな闖入者。ビスマルクの登場である。


「失礼させて貰うわ! 提督、ワタシも日本語の読み書きを勉強――って、あ、アナタ! ユーに何してるの!?」


 手に、独自ルートで入手した漢字ドリルを持っていた彼女は、途中まで言い掛けて、ユーを抱っこしている桐林に目くじらを立てた。
 その背後には、当然のように他のドイツ艦……レーベ、マックス、ツェッペリンたちも続き。


「やっぱり、こうなってたね……」

「嫌な予感が当たっていたわ。……提督。これからは私たちも勉強会に参加しますので」

「うむ。まぁ、そういう訳だ。そんな事は無いと思いたかったが、現状がこれでは、な」

「……違う。これには、理由が……」


 性犯罪者を見るような三対の瞳に、桐林の額から冷や汗が溢れる。
 彼女たちがここに来た理由は、
 もはや言い逃れも出来そうにない状況であるが、彼は諦められないのか、言葉を尽くそうと手を伸ばす。
 しかし、それを遮る恋愛脳少女が、二人。


「そんな事より、私は抱っこして貰えるんですかっ? 提督さん、ハッキリして下さい!」

「あ、わたしも抱っこして欲しいです! 出来れば後ろからじゃなくって、前からギュ。って!」

「あっ、オイゲンさん割り込まないで下さい! 私が先にお願いしてたんですからっ」

「えー。でも、提督まだ返事してないし……。じゃあ、ジャンケンで決めましょ、鹿島秘書官っ」

「良いですよ、絶対に負けませんからっ。最初はグー!」


 鹿島とオイゲンは、賞品である桐林の事情など御構い無しに、ジャンケンを始める。
 変わらず冷ややかな目の三人と、「あーいこーでしょ!」を繰り返す二人。
 止めても無駄だと悟った香取は、一人、窓から空を見上げて「良い天気……」と呟く。目が虚ろだ。
 桐林の味方は、この部屋には既に存在しないようである。


「提督、モテモテ……?」

「違う……。ユー、その使い方は違う……。違うんだ」

「……んー。日本語、むずかしいですって、思います……」


 滝のように汗を流す桐林を見上げ、ユーは言う。
 実に的確な表現であると思われたけれども、残念ながら否定されてしまい、ぽすん、と後ろへ寄り掛かる。
 暖かい体温を宿した椅子は、何故だか、微妙に震えていた。

 ちなみに、百八回まで及ぶ相子の末、鹿島はジャンケンに負けてしまった。
 結局、抱っこ椅子は無しになったのだが、本当に残念な少女である。





「……電。報告がある」

『報告、なのですか? 一体、どんな……』

「この前、みんなとしっかり話すべきだと、言っていただろう」

『あ、はい。あの事、ですか……。上手く行きました、か?』

「ああ。少し、距離があると思っていたドイツの子と、話すようになった。笑顔も増えたように、思う」

『……そうですか。良かったのです、仲良くなれて……』

「でも」

『……でも?』

「他のドイツ勢の、自分を見る目が、痛くなったんだ」

『えっ』

「喋らなくても誤解を生むし、喋ったら喋ったで誤解されるし。もう、どうすれば良いんだ……」

『……ちなみに、なのですけど。その子、艦種は……?』

「潜水艦。水着は着てないけど、年恰好は電くらい、かな」

『………………』

「……あれ。電?」

『墓穴を掘っちゃったのです……。金剛さ――対策を練――くちゃ――』

「お、おいちょっと。今、とても不安になる名前が出たんだけど。電、電っ? ……また切れてる……」




















 申し訳無い! 頑張れば先週更新できたはずが、ダクソ3がくっそオモロくて遅れてしまいました。ホントに申し訳! アノロン銀騎士マラソン楽しいよ!(血眼)
 それはさて置き、今回は葬送の唄・中編。名実共にツンデレ仲間ポジに収まった間桐提督――吉田 皆人の話と、天然小悪魔ユーちゃんの話でした。抱っこ椅子してぇ。
 えー、ここからは真面目モードに。
 吉田元帥の実子の名を継ぎ、二重の意味で彼の息子となった彼。今回は主人公よりよっぽど主人公してるような気がします。
 そして、桐ヶ森提督に忍び寄る魔の手と、主人公を誘う過去の亡霊。
 Project・Red Queenの詳細は、直ぐにはお話しできませんが、葉桐を名乗るイタリア人女性については次回、しっかり描かせて頂きます。
 いつも通り、五月上旬のイベ前に更新できれば良いなぁ……。
 それでは、失礼致します。


「なんで……。なんでこのあたしが、次の作戦から外されてるのよ……っ。連装砲くんだって、あんなに、頑張ってたのに……!」
「まぁまぁ。そんなにカリカリしちゃ駄目だって、だ~め~。代わりと言っちゃなんだけどさ、横須賀の方に演習しに行けるんだし。向こうで噂の“あの子ら”と会って来ようよ?」
「それは、そうだけど……。島風、かぁ……。なんだか、複雑だわ……」
「そう? アタシは早く雪風に会いたいなぁ、うん、会いたーい!」





 2016/04/09 初投稿






[38387] 在りし日の提督と葬送の唄・後編
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/04/30 12:39





「……なぁ、■■。本当に大丈夫か?」


 もうすぐ、太陽が真上から日差しを降ろそうという頃。
 繋留中の重巡洋艦、■■内にある、士官用の個室にて。
 提督は、ベッドへ腰掛ける■■■を心配そうな顔で覗き込む。
 彼に向けて、■■■は気を遣わせぬよう、必死に笑顔を作った。


「だ、大丈夫です……。ちょっと、かつてない勢いで胃がグルグルしてるだけ、ですから……。あ、少し吐瀉っても良いですか?」

「おいおいおいおい! だからカツ丼は三杯で止めておけって言ったんだ! 勿体無いから吐くなよ!? 松を五杯だぞ五杯ぃ!?」


 ……が。波のように緩急をつけて襲い掛かってくる吐き気で、きっと■■■の顔は土気色。
 今日は観艦式当日。日本国内へ向けて……。ううん、全世界へ向けて、■■という重巡の統制人格を、御披露目する日。
 色々と頑張って準備したり、たまーに逃げ出そうともしましたが、時の流れは悲しいほど無慈悲でした……。
 そして、ものすごーく出演を渋る■■■を宥めるため、提督はいつもの様にカツ丼をご馳走してくれたんですけど、まぁ、ご覧の有様で。
 あ。また大きな波が。


「ごめんなさい無理そ……うっ」

「ま、待て、今なんか、容れ物用意するからっ! 堪えろよ!」

「ゔぐ……むっ……っくん。ふぅ……。どうにか、耐えました……」

「良し、よく頑張った! ええと……ほら。気休めだろうけど、水無しの胃薬」

「ありゃあほうごらいまひゅ……」


 適当なゴミ箱と一緒に差し出される、小分けにされた金色のパック。
 さっそく開けて中身を含むと、ほのかな苦みが口一杯に広がった。
 この時代のお薬は、その気になればメチャクチャ美味しい味に出来るそうですが、そうすると薬を飲むために体調を崩す人も出そうなので、ある程度マズくしてあるらしい。
 でも、やっぱ美味しくない……。


「しかし、まさか君が、こんなに緊張しいだったとはな」

「はい……。なんと言いますか、少人数の前なら平気なんですけど。両手両足の指で数えられないほどの数を想像すると……」

「群衆恐怖症、とかいうヤツか? 厄介だな……」

「いえ、そこまで大袈裟なものじゃ……。多分、根性を入れれば我慢できる……気がします」


 腕組みする提督と、ゴミ箱を抱えて俯く■■■。
 どうしてだか自分でも分からないけど、何故か■■■は、人の群れを想像するだけで、身が竦んでしまう。
 ほんの数人なら平気で、別に、見知らぬ人とお喋りするのだって問題無い。むしろ、一人っきりだと寂しい。
 でも、それが数十、数百という数になるだけで、もう……。
 計画では九百人近い乗員を乗せるはずだったのに、どうしてだろう……?
 ■■■が怖いのは、見られる事? ううん、違う。■■■が強く思うのは、多分……。


「……すまない」

「はい?」


 考え込んでいたら、いきなり提督が頭を下げた。
 思わず小首を傾げると、彼は、壁際に据えられた机へと寄り掛かる。


「こんな風に、色々と強制してしまって。せっかく自由意志を持っても、人として扱ってやれないのではな……」


 どこか、悔しげにも聞こえる言葉は、申し訳なさそうな表情と一緒に。
 ……本気だ。
 機嫌を取ろうとするおべっかじゃなく、提督は本気でそう思っている。
 何故だかそれが直感できて、■■■の顔には笑みが浮かんでしまう。


「平気ですよ、提督」


 気分の悪さも何処へやら。
 ■■■はゴミ箱を置いて、提督の前に。


「■■■は、あくまで軍艦なんです。
 人の意思を受けて、その思うがままに働く事こそが本懐です。
 ちょっとだけ、個人的に苦手なものとかもありますけど。そんな事どうでもいいんです。
 提督がお望みとあらば、■■■はなんでもやり遂げる所存です。
 そうしたいって、思えるんです。……きっと、貴方だから」

「■■……」


 少し、恥ずかしくも感じる言葉で締めくくると、提督は驚いたように目を剥いて。それから、しきりに帽子の位置を直し始めた。
 もしかしなくても、照れてる? なんでだろ、ちょっと達成感。
 個室には、もどかしいような、くすぐったいような空気が漂う。もっと味わっても良かったけれど、でも、今度は笑って欲しくて。


「だから……。カンペ持って行っちゃ駄目ですか……? じゃなきゃ絶対に喋れません! ね、良いですよね? ね?」


 おどけて顔を覗き込む■■■に、彼が戸惑うような瞬きを何度か。
 そして……。


「……はは。全く、しょうがない子だな。君は」


 狙い通りの笑顔で、提督は微笑んでくれる。
 思えば、この時が。
 無邪気に笑っていられたこの時が、■■■と彼の、絶頂期だったのだ。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 軍の管理下から離れ、おおよそ三十分後。自分たちは、街中に隠されるバーに居た。
 隠れ家的と聞いて、誰もが思い浮かべる落ち着いた内装。古き良き時代のジャズが流れている。
 カウンター席で座る自分と、右隣のMs.ペトルッツィ。
 そして、ロックのウイスキーを二つ置く、初老のマスター以外には誰も居ない。顔付きからして日本人だ。
 イタリア政府か、もしくは、Ms.ペトルッツィ個人の息が掛かった店なのだろう。


「ようやっと、落ち着いて話せるわね」


 グラスを傾け、Ms.ペトルッツィが微笑む。
 地下へ降りた店内は薄暗く、それが彼女の妖艶さを引き立て、様になっていた。


「改めまして。フランチェスカ・ペトルッツィこと、“狼”の葉桐。
 日本人としての名前は山城 鈴さんじょう りんよ。戦艦の山城と同じ字に、楽器の鈴と書いてリン。
 フランでもリンでも、好きに呼んで頂戴。四十三歳、独身よ? よろしく」


 山城 鈴。さんじょう、りん。
 あの人と、同じ響き。思う所はあったが、それをどうにか隠し、差し出されたグラスと自分のグラスを軽くぶつける。
 そのまま、琥珀色の液体を口に含めば、芳醇な香りが鼻に抜け、アルコール分が喉を焼く。
 いつもなら美味しいと感じられるだろうが、どうにも、楽しむ気分にはなれなかった。


「聞きたいことがあるなら、なんでも聞いて。出来る限り答えてあげるから」


 ウイスキーを置き、カクテルグラスに盛られたチーズキューブを弄ぶMs.ペトルッツィ――いや、Ms.フラン。
 余裕を見せるその姿に、こちらは逆に緊張を強いられる。
 状況に流されてここまで来てしまったが、別に彼女を信頼した訳ではない。付け加えるなら、これは茶飲み話でもない。
 何がどう政治と関係してくるか分からない、ある種の会談でもある。
 主導権を握られないためには……。


「……なぜ、二つ名が一文字なんですか? 他の“桐”は全員二文字なのに」

「あ、あら。この状況でそこに食いつく? ちょっと意外」


 まず、相手にとって予想外の話題で、リズムを崩す。
 Ms.フランはキューブを取り落としそうになっていた。
 この慌てぶりがどこまで本気かは定かじゃないが、とにかく、予定調和を崩せたようだ。
 包装を開け、チーズを口へ放り込んだ彼女は、それを飲み下してから話し始める。


「単純かつ下らない話よ。ワタシが日本人じゃなかったから。
 本当なら“海狼”とでもなったんでしょうけど、当時の軍部は……いわば鎖国的でね?
 文字を削ってでも区別したかったのよ。下に見たかった、と言い換えてもいいわ」


 まぶたを閉じ、またウイスキーを一口。
 飄々としていた物言いに、ほんの少しだけ硬さが感じられた。
 良くも悪くも、軍というものは昔から封建的な傾向があり、特にあの時代……。
 第一次大侵攻後、桐竹 源十郎という、日本軍の根幹を失いかけていた軍部が、諸外国の手足と成り得る、外国籍保有軍人を冷遇した……と言うのなら、一応筋が通る。
 しかし、そもそも何故、彼女は日本で軍人とならねばならなかったのか。疑問だ。


「イマイチ信じきれないって顔ね。なら、貴方の考えを聞かせてくれないかしら。なぜ“狼”の葉桐は、死を偽らねばならなかったのか」


 その疑問を気取られたか、今度はMs.フランが質問を投げる。
 ちょうど考えていたというのもあるが、仮説はすぐに立てられた。


「“狼”の葉桐は、その戦争初期から活躍していたものの、政治的な問題から存在を秘匿されていた。
 詳しくは今以て公表されていませんが、外国籍を持つ人間であったならば、一応の説明がつきます」


 カウンターに両肘をつき、Ms.フランは組んだ指の上に顎を乗せた。
 完全に聞く体勢となった彼女の目に促され、自分はウイスキーで唇を湿らせる。


「開戦当初、政府は能力者の確保に躍起になったと聞きます。
 例えば、たまたま日本へ来日していた外国人旅行者が、偶然にも能力を発現したら。
 間違いなく政府は身柄を拘束したでしょう。そして彼女は、日本人として生きる事を余儀無くされた」

「……それで?」

「本人の意思はどうあれ、彼女は活躍した。けど、多分それが良くなかった。
 目に見えて戦果を挙げておきながら、決して陽の目を見ることがない。
 お節介な人間が余計な事をしたか、もしくは疎んじられたか。存在が明るみに出る」

「人の口に、戸は立てられないものねぇ……。ホント、馬鹿な男が居たものよ」


 相槌の合間にも、懐かしむような声が挟まれる。
 ウイスキーを見つめ、琥珀色を映すその瞳は、遠い過去を眺めているようだった。


「一度注目されれば、彼女の素性が祖国にバレるのも時間の問題だったでしょう。
 程なくその時が訪れ、イタリア政府は事を表面化させない代わりに、葉桐の身柄を引き渡す――返還するよう求める。
 紆余曲折はあったんでしょうが、最終的に日本政府は要求に屈し、開いた穴を、日本人としての顔である葉桐を殺す事で決着をつけた。
 ……こんな所ですか。今もなお、葉桐を説明する枕詞に“政治的”とつくのは、この時の名残なんじゃありませんか」

「凄い、大正解。ほぼその通りよ。噂と違って、考えるだけの頭は持ってるじゃない」

「……どうも」


 褒められた……ようだが、あまり嬉しくない。
 少し考えれば、誰にでも分かる事すら無理だろうという噂。
 一体、自分はどんな風に悪評を流されているのか。まぁ、知りたくもないが。


「一つだけ補足すると、その馬鹿な男っていうのは桐條の事よ。
 本名は安倍 晴明はるあき。普段は千代田って名字を名乗ってたけど、割と由緒正しい血筋だったらしいわ。
 ワタシが頑なに事情を話さなかった、というのもあるんだけど、ホントにお節介でね?
 君ほど努力している人が認められないなど、間違っている! とか言っちゃって。
 ……そのせいで、謀殺されたわ。任務中の殉職と見せかけてね。他にも色々やらかしてたし、政治的に邪魔になったんでしょう」


 言い終えてから、Ms.フランはグラスを一気に呷る。
 なんと返せば良いのか、分からない。
 彼女が桐條氏の名を呼ぶ時、少なくとも自分は、親しみのような想いを感じた。それを、国に謀殺された。
 決して短くない時間を過ごした国を、本国からの要求とはいえ、あっさり捨ててしまえたのは、これが理由なのだろう。
 彼女の言葉が全て真実であれば、という仮定の元で、だが。


「ま、この場で示せる証拠なんて一つもないんだけどね。上手く話をでっち上げただけかも知れないし」

「自分で言いますか、それを」

「だって、正直で居たいじゃない? ワタシ、そうでなかったから後悔してるんだもの」


 二杯目のウイスキーを傾け、溶けて丸くなり始めた氷を回す姿は、気障で演劇染みた雰囲気と、過去を悔いる物憂げな雰囲気とを併せ持つ。
 自分の中にも、信じたい気持ちと疑う気持ち。両方がある。
 軍人でなかったなら、何も考えずに信じられた。
 しかし、今の自分は“桐”なんだ。
 自分を信じて待ってくれているだろう、仲間たちの為にも。最善を尽くさねば。


「さぁ、次のご質問は? なんだったら、英雄視されてる“桐”の本性、ぜーんぶ教えましょうか。幻滅して、それからきっと親近感が湧くわよ~?」

「……いいえ。それより別に、聞きたいことが」

「あらそう、残念。年寄りは思い出話をしたくってしょうがないのに」


 再びの問いに、自分はまた誘導を遮った。
 先程のリズムを崩す、というのもあるが、今度は今の自分に知り得ない、けれど知りたい情報を求めてみる。


「十年前。第一次大侵攻が起こる前に自分が遭遇したという、事故について。知っている事を教えて下さい」

「どうして、ワタシがそれを知っていると?」

「勘です。こんな風に近付いてくるからには、過去を調べ上げているだろうと思いまして」

「……侮れないわねぇ、ホント」


 頬杖をつき、軽い溜め息。これまでとは違い、僅かな躊躇いが滲む。
 どういう事だろう……。


「どこで知ったのか分からないけど、特に変わった事はない、運の悪い事故だったわよ?
 たまたま横断歩道を渡っていた貴方に、たまたま居眠り運転の車が衝突して。
 当たりどころが悪かったのか、脳に大きなダメージを負い、植物状態へと陥った。
 目覚める可能性は限りなくゼロに近く、目覚めたとしても、後遺症は確実視されていたらしいわね」


 Ms.フランの言葉に、想像力を可能な限り働かせ、記憶の引き出しを刺激してみようと試みるが、まるで手応えがない。
 横断歩道。車。脳へのダメージ。
 テレビから流れるニュースに似た、他人事のような感覚しかなかった。


「事故から数日後。……丁度、大侵攻が終結した頃合かしら。
 貴方はなんの前触れもなく、奇跡的に意識を取り戻した。
 けれど、やはりダメージがあったのね。
 幼児退行を起こし、赤子のように振る舞ったと記録にあるわ」

「幼児退行? そんな事が……?」

「事実よ。当時の担当医の記録にあったわ。家族の落ち込みようが酷く、見ていられない、って」


 新しい情報にオウム返しすると、疑われていると思ったのか、Ms.フランはさらに詳しい補足を。
 脳へのダメージという部分を考えれば、そういう事が起きても不思議ではないだろう。
 しかし、それが己の身に起きていたと言われて、直ぐに信じられる人間も居ないはず。まるで実感が伴わない。


「ところが、またしても前触れ無く、貴方は以前の貴方に戻った。
 当然というか、幼児退行していた間の記憶は無くしていたみたいだけど。
 これを重く見た御家族と医師は、催眠療法で事故の記憶を封じ込めた、とあるわ。
 近隣住民の協力も得て、徹底したようね。……愛されてるわよ、貴方」


 それを見越してか、現状の裏付けとなる情報で、彼女は締めくくった。
 催眠療法による、記憶の封印……。無理やり防衛機制を働かせたようなものだろうか?
 これなら、自分に事故の記憶が一切無いのも、とりあえず頷ける。
 一番の問題は、やはり、小林 倫太郎の言った言葉だ。


『ねぇ、後輩君。“君の中に居るのは誰だい”?
 常人なら発狂するかも知れないだけの呪いを受け止め、君に傀儡能力を行使させているのは誰だい?
 源兄ちゃんかな。伊吹かな。鞍馬かな。鞍馬と沈んだ深海棲艦かな。存在を抹消された、唯一の犠牲者である女の子かな。
 そもそも、“君”は本当に“君”なの? その“誰か”が成り代わってるだけだったりして』

 
 自分の中に居るという、誰か。
 “ヤツ”の言い分が正しいなら、自分はこの身体に、二人分の魂を宿している事になる。
 例えば、それが第一次大侵攻で死亡した、誰かだとしたら。
 何故その人物の魂は消失せず、舞鶴から遥か彼方の、関東圏で植物状態だった子供に、紛れ込んだのか。

 これは傀儡能力者の存在が認められてからの話だが、霊子というものを観測出来るようになって、人の生まれ変わりは科学的に否定されている。
 病死寸前の人間を観測し、その霊子量を計測するという実験が行われ、結果、人間は死亡した際、内包する霊子を著しく減少させるという事が判明した。
 減った霊子は、周囲へ拡散するでもなく、完全に消失したと推測されている。そう判断せざるを得ないほど、一瞬の変化らしい。
 反論として、その瞬間に人間の魂は別の生命へと転移するのだ……と唱える者も、少なからず存在するようだ。
 日本軍における、霊子力学の立ち位置は前者であり、自分はどちらでも無かった。どうでも良かった。

 だが、もし仮に……。魂というものが、生まれ変わるものだとしたら。
 舞鶴で死んだはずの誰かが、偶然にも植物状態となった器――魂だけが消え去った、入れ物を見つけたとしたら。
 そこに、成長した状態の赤子が生まれる、という可能性は無いだろうか?
 そして、奇跡的に肉体は回復し、真っ新な魂は海馬に宿る記憶を学習。己をその人物だと思い込んで、成長したという、可能性は……?


(自分は……。いや、“俺”は本当に、“俺”なのか?)


 手が、勝手に震え出しそうだった。
 馬鹿げてる。そんな訳がない。マンガやアニメの見過ぎ。
 そうやって片付けられるはずの問題を、どうしても一笑に付す事が出来ない。
 もしも、“ヤツ”の言う事が正しかったら。自分の考えが当たっていたら。
 今、桐林として世界に認知されている男は、単なる寄生虫じゃないのか。

 回復するかもしれない少年の居場所を奪い、成り代わった、ドッペルゲンガー。

 誰でもいい、否定して欲しかった。
 君は君だと、言って欲しかった。
 でも無理だ。こんな事、誰にも話せない。話しちゃいけない。
 話したところで、この恐怖は理解して貰えない。


(……違う。誰もがきっと、無意識にこの問題を抱えている)


 自分が自分である証拠なんて、どこにも無い。己自身の中にしか、見つけられない。
 運良く、外側に肯定してくれるものがあったとしても、結局の所、信じられるかどうか、なのだ。
 自己を肯定するかしないかで、この問題は難易度を変える。
 今の自分に、“自信”は無かった。
 あるものと言えば、己の立場を危うくするであろう現状を、どうにかして切り抜けたい。緊張状態から抜け出したいという考えだけ。
 恐れをウイスキーの味に紛らわせ、自分はMs.フランに意識を戻す。


「自分が能力に目覚めた経緯については、どこまで?」

「確か、兵藤とかいう女性能力者に見出されたのよね。表向きには」

「……という事は、知っている訳ですか。どうやってそこまで……」


 自分が人工傀儡能力者である事実は、軍でも最高機密に類するものだろう。
 “ヤツ”の唱えた二魂一体説までは話していないが、その実験によって能力に目覚めたという部分は、ごく限られた人間にのみ、周知されたと聞く。
 表向き、という含みを持たせた言い方からして、おそらく知っている。イタリア軍部の諜報員は、どこまで深く潜り込んでいるのか……。
 と、戦慄する自分に対し、Ms.フランが満面の笑みを浮かべ……。


「あーら。やっぱり裏があったの? 適当ブッこいただけだったのに♪」


 しまった……っ!?
 己の迂闊さに、思わず顔を顰めてしまう。
 つい、彼女が実験の事を知っていると早合点してしまった。
 やはり自分には、こういう交渉ごとの経験が不足している。

 ……いいや、まだ肝心な部分を口にしていない。というか、言わずに済むよう仕向けられた?
 Ms.フランにとって、自分はヒヨっ子。その気ならもっと情報を引き出せただろう。そうしなかったのは何故だ。
 ますます以って、彼女という人物が分からない。


「そんな顔しないの。これ以上は聞かないであげるから。イタリア人は友達作りが上手ってだけよ。
 ま、それで色々と調べがついちゃった方がビックリだけど。やっぱりスパイ天国だわ、この国は」

「……なら、先ぱ――兵藤 凛の、事も」

「いいえ。残念だけど、彼女の過去については把握しきれていないわ。巧妙に隠されていたし、本命じゃないから調べもおざなりだったしね」


 一縷の望みをかけ、あの人の事も尋ねてみるが、返事はそれこそ、おざなりだった。
 兵藤 凛。
 自分を導き、守り、そして裏切った人。
 用意された二杯目のウイスキーが、水鏡となって、あの人の笑顔を映す。
 いっそ、忘れてしまえれば楽なのに。笑顔の仮面の裏に、どんな情念を隠していたのか。今更、知りたくてしょうがない。
 そんな時、二つ折りの紙切れが、カウンターの上に置かれた。
 Ms.フランは、ボールペンを挟んだ二本の指で、それをこちらへと押しやる。左利きのようだ。


「これは?」

「唯一、彼女について分かっているのが、この病院に関わっていたという事よ。気になるなら、後で調べてみなさいな。記憶だけして、燃やしてちょうだい」


 紙切れに書かれていたのは、とある病院の名前と、その住所だった。
 先輩が関わっていた病院……。
 どんな形にせよ、先輩の過去を知る手掛かりには違いない。
 内容を深く脳裏に刻み込んだ後、マスターがタイミングよく置いた灰皿へ紙切れを入れ、その隣にあったマッチで火をつける。
 五秒と掛からず、紙切れは灰になってしまう。

 ……これ以上話を引き伸ばしても、意味が無いかも知れない。
 時間は貴重だ。この店だって、いつ軍に見つかるか。
 後になって話したくなっても、もう、二度と話せないかも知れない。会えないかも知れない。
 燃え尽きた灰に焦燥感を煽られた自分は、少々強引に本題へ入る。


「なぜ、自分に近づいたんですか。Ms.フラン。あなたの目的はなんですか」


 それは、自分がここに居る原因。
 下手をすれば、誘拐犯として指名手配を受けかねないリスクを犯してまで、接触を持とうとしたことの、理由だ。
 これを聞いておかないと、先に進めない。


「一言で言えば……貴方に興味があったから」


 こちらの真剣さを感じ取ってくれたようで、Ms.フランもまた、おどけた雰囲気を消す。


「と言っても、色気のある話じゃないわ。
 あの人と、あの人の弟子が、命懸けで守った青年。どういう人間なのか。どうしても知りたかったの。
 大変だったわよ? この国へ来る事を頷かせるためだけに、首相やら役人やらの弱味を握りまくって。帰ったら殺されちゃうかもね」


 けれど、真面目な表情も一瞬。すぐにまた、冗談めかした笑顔が向けられた。
 名前以外に関連性の無い、面識すら無いはずのこの人は、どこか、あの人と似ている。
 決して本心を悟らせようとしない。


「本当に、それだけですか」

「もちろん、そんな訳ないじゃない。本当の目的は、可能な限り貴方の情報を得て、最低でも遺伝子情報を確保。あわよくば身柄を……ってね。ま、そっちは無理そうだけど」


 それで諦められるはずもなく、重ねて問い掛ければ、溜め息混じりの流し目が。
 イタリア本国から日本へは、恐らく陸路を使って移動したはず。
 あまり西欧諸国の地理には詳しくないが、最低でもロシアと中国を経由しているだろう。
 この情勢下で、軍人が彼の国を通過する。イタリアはかなりの代償を払ったに違いない。
 そこまでしたのだから、諜報活動が求められるのは自然だ。本意でないのも、投げやりな言葉から理解できる。
 しかし、彼女の言葉には続きがあった。


「ただね。貴方がそれを望むのであれば、受け入れる準備はしてあるわ」

「……それは、自分に選択権がある、と?」

「ええ」


 Ms.フランは頷く。
 受け入れる準備……。亡命?
 この国を捨てるという選択肢が、用意されているというのか。


「貴方が望むのなら、今の貴方を捨て去って、別人として生きる選択も出来る。ワタシのように。
 ……ああ、そうね。やっぱりワタシは何処かで、この国を憎んでるのよ。憎んでいるわ、確かに。
 ワタシは、この国の勝手で人生を捻じ曲げられ、結果として多くのものを得たけれど、それ以上に喪った。日本への意趣返し、かしらね?」


 微笑みに、拭い切れない影が落ちる。
 深海棲艦との戦いが始まって、おおよそ二十五年。
 四十三歳と言っていたから、開戦当時の年齢は十八歳。青春真っ只中を、戦争に奪われたことになる。
 多くの出会いがあっただろう。多くの別れもあったはず。そして、十数年間の穴埋めもなく、物のように引き渡された。
 どんな想いだったのか、想像すら出来ない。どれほど悔しかったのか、見当すら。
 だが、自分がそうするには、捨てなければならない。
 桐林という男を構成する、全ての要素を。


「自分に、家族を。仲間たちを、捨てろと」

「強制なんてしないわ。ただ、そういう選択肢もあると言いたいだけ。
 ちなみに、イタリアには可愛くて情熱的な子が多いわよ? ほら、この子とかどう?」

「えっ。あ、えと、か、可愛いんじゃ、ないですかね……。っていうか、ホントに可愛いな……」

「でっしょー? 親戚の子なんだけど、オススメよー。ついでに言うと、イタリア国籍を持つ人間同士なら、男は十六歳、女はなんと十四歳で結婚できるわ。未だにね」

「え゛っ。そ、そうなんですか……?」

「そうなのよ。能力者確保を目的とした、場当たり的政策の弊害ね。
 おかげ様で、今じゃ国別離婚率ワースト一位。馬鹿げてるわー。
 あ、その子も十四歳。日本文化に興味があるらしくて、文通相手を募集してるらしいの。どう?」

「はぁ。左様で……」


 手渡された写真には、赤毛に程近い茶髪を持った、小麦色の肌の美少女が、妙に薄着で水遊びする姿が切り取られていた。
 ……多分、家族写真か何かなんだろうけど、他所様に見せて良いのだろうか。
 タンクトップと短パンが水に濡れて、下着の形が丸わかりで、目のやり場に困る……。
 だから、という訳ではないが、自分は写真を伏せ、Ms.フランへと返す。


「……ダメですよ、そんなの。許されるはずがない。みんなを捨てるなんて事になったら、自分を許せません」


 いつの間にか、彼女のペースに呑まれかかっていたけれど、そこだけはブレちゃいけない。
 この国を捨てるということは、今の自分を殺すということだ。
 沢山の迷惑を掛けて、今尚、心配させてしまっているだろう、家族を捨てる。
 自分の都合で命を与え、戦場へ向かわせた仲間たちを、見捨てる。
 そんなの、許されない。例え誰かに許すと言われても、自分が許せない。
 間違っていないはずだ。
 色んな事を間違えてきた自分だけど、この選択だけは間違っていないと思える。


「その責任感は立派だと思うけどね。そもそも、“それ”は貴方が背負うべきものだったのかしら」

「……え?」


 なのに。
 Ms.フランは、ゆっくりと首を横へ振った。


「ご家族の事は、まぁ、普通に考えてそうなるでしょう。
 希望するなら、全員分の席くらいは用意できるわ。救出もする。
 でも、貴方が背負おうとしている“それ”は、この国に押し付けられたものじゃないの?」

「っ!」


 反論、出来なかった。間違っているとは思えなかったからだ。
 この“力”は小林 倫太郎によって付加された。
 戦う義務は国によって強制された。
 そして、“彼女たち”はその過程で産み出された、副産物。
 能力者になる妄想くらいはしたが、心から願い、望み、得たものでは無い。


「本来なら負うべきでない責任を、貴方は無理やり背負わされたのよ。
 貴方が大切にしようとしている“それ”は、本来持ち得なかったもの。
 最初から持つべきじゃなかった。持ってしまったから苦しんでいる。
 こう思えば、そんなしがらみなんて、簡単に捨てられるんじゃない?」


 冷たく、突き放すような言い方が、胸を抉る。
 分不相応なものを背負わされたせいで、自分は苦しんでいる。
 これは、常日頃から、心の何処かで感じていた事だ。そうやって、無意識に言い訳を続けていた。
 間桐提督に殴られたのも当然だ。
 口に出さないまでも、自分は自分を憐れみ、謝って楽になろうとしていた。
 自分は被害者だからと、逃げようとしていた。誠意の欠片もない。
 見苦しい男。


(捨てるべき、なのか。あの子たちを縛り付けているのは、自分? 自分が、しがらみになっている……)


 思考がグルグルと、暗澹な灰色に染まっていく。
 持たざるべきだった“力”ならば、それによって呼び出された皆も、本来は別の誰かに付き従うべきだったんじゃないのか。
 自分が呼び出したせいで、要らぬ苦労をかけ、服従させている。
 だったら、自分なんて居ない方が、彼女たちは幸せになれるんじゃないのか。
 そもそも、幸せに出来るのか。自分程度の男が。
 何一つ、自分で選んでこなかった男が。誰かを幸せになんて。


(金剛。赤城。妙高。北上。イムヤ。鳳翔さん。……電)


 閉じた瞼の裏を、見知った笑顔がよぎる。
 思い出されるのは笑顔ばかり。
 騒がしくも、楽しくて、ずっとこんな日々が……と、過ぎた事を祈ってしまう、温かさ。
 右眼を開き、手を見る。
 単なる八つ当たりで、車一台を破壊してしまった手。傷一つ付いていない。

 そういえば、だが。間桐提督に殴られて、口の中を切ったはずなのに、ウイスキーを含んでも痛みがなかった。舌で探ってみても、傷は見当たらず。
 治ってしまったのか。この短期間で。本当にもう、人間じゃないんだ。
 こんな自分に、居場所なんてあるのだろうか。
 ここに居て、良いんだろうか。


『司令官さん』


 ――と、そこまで考えて、なんとなく思い出した。
 それは、意外なほど遠く感じる、あの日。
 まだ先輩が隣に居て、電とも出会ったばかりだった、あの頃。


(……ああ、そうだ。“俺”は、何も出来ない“俺”が嫌で、だから“自分”になろうとして)


 この手に触れた体温を、覚えている。
 軍服の袖をつまむ、か弱い手を覚えている。
 居場所を見つけようとして、料理に失敗して、泣いていたあの子を、覚えている。

 押し付けられてばかりじゃない。
 自分で選んだ事だってあった。いいや、自分は常に選んで来た。
 その、最初の一歩は。あの子の居場所になりたいという、願い。


(どうして忘れていたんだ。こんなに大切な、最初の気持ちを)


 ここで逃げ出したら、あの願いが嘘になる。
 例えどれだけ間違っても、自分自身に嘘は吐きたくなかった。
 自分がどんな存在だって、もう構わない。
 大切なのは、どう在るべきかじゃない。自分がどう在りたいか。
 ちょっとした事で迷い、躓いて、大切なものを見失う、情けない自分だけど。
 あの人たちに。この命を繋いでくれた人たちに報いるためにも、こうするしかないと。
 ……違う。こうしたいと思えた。

 もう一度、始めなければ。
 今度こそ、己に恥じぬ“自分”となる為に。


「答え。見つかったみたいね? あーあ、この分だとフラれちゃったかしら」


 拳を握りしめていると、不意に、横から溜め息が届いた。
 そこにあったのは、酷く残念そうでありながら、とても嬉しそうな、矛盾した表情。
 ああ、なんて事だ。結局、自分は最初から最後まで、Ms.フランの掌の上に居たんだ。
 この人は信じてくれている。
 見ず知らずの、会ったばかりの人間を、こんなにも。

 どうしてかは分からない。ひょっとしたら、何か思惑があったのかも知れない。
 でもきっと、それで良い。
 どんな裏があろうと、彼女のおかげで、自分は最初の気持ちを取り戻せた。
 感謝こそすれ、恨むなんて出来ようはずがない。
 慈しみ、と呼ぶべきだろう気持ちに応えるため、自分は彼女へと向き直る。


「自分は――っ?」


 その刹那、“何か”を感じた。
 頭の奥がピリッとするような、奇妙な感覚。
 これは……。近づいて来る? 何が?
 勢いよく、スツールを倒しながら立ち上がると、Ms.フランが間を置かずマスターに目配せ。
 カウンターの裏に設置されているらしい何かを操作し、彼は一つ頷いた。


「もう嗅ぎ付けられたみたいね。思っていたよりやるじゃない、あの坊や」


 同じように頷き、腰を上げるMs.フラン。
 嗅ぎ付けられたという事は、軍に見つかったのか。
 坊や、というのは誰だか分からないが、とにかく行動を起こさないとマズい。


「どうするおつもりで」

「どうするも何も、八方塞がりかしら? けっこう行き当たりばったりな計画だったし、逃げ道も無さそう。投降するしかないわねー」

「……マジですか」

「マジマジ大マジ。ま、いきなり撃たれるってこたぁ無いでしょ。気楽に行きましょう? マスター、ciaoチャオ

「えええ……」


 きっと秘策があるに違いない、と思っていたのだが、この人けっこうアバウトだ……。
 まるで、居酒屋を後にするみたいな感じで出て行こうとしてるけど、ホントに良いのか?
 途方も無い不安に襲われる自分だったが、地上に向かう階段へのドアを開けた所で、彼女はこちらを振り返る。


「そうそう。引き離されちゃう前に、一応返事を聞かせてくれない? 貴方、どっちを選ぶの?」


 答えは分かってるけど……と、天邪鬼な笑顔。
 どちらを選ぶか。亡命の是非の事だろう。
 ああ、確かに。答えはもう決まっている。
 自分が自分で居るために。
 そして、“俺”を“自分”にしてくれた子たちと、共に居るために必要な答え。


「自分は……」





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ビルの谷間。
 人一人がやっと通れる細い路地裏を抜けた先の、二~三坪ほどの袋小路に、多くの人間がひしめいていた。
 路地の正面のコンクリート壁には、場違いな高級感を漂わせる、木製の扉がある。
 インターホンも設置され、店に通じると知る者でなければ、怪しく感じてしまう事だろう。
 それを取り囲むように、SMGを構えた黒服の兵士たちが十人ほど。
 更にその背後には、彼らを指揮する軍人が二人。
 梁島 彪吾と、“梵鐘”の桐谷こと千条寺 優介が居た。

 厳しい眼差しに、微動だにしないアルカイックスマイル。
 両極端な表情を浮かべる彼らは、扉の向こうにあるはずの店……。桐林と、彼を拐かしたイタリア軍人に投降を促すため、インターホンを通じた呼び掛けの準備をさせていた。
 他の出入り口にも人員を配置してある。袋の鼠だ。
 が、いざ兵士が勧告を行おうとした瞬間、内側からドアが開く。


「自ら出てくるとは、殊勝なことだな」


 現れたのは、二人の男女。当然、桐林とフランチェスカ・ペトルッツィだった。
 インターホンを操作しようとしていた兵士が離れ、一斉に銃口が向けられる。
 しかしフランは意に介さず、梁島の言葉へ皮肉を返す。


「随分と偉そうな口を叩くようになったわねぇ。でも、その分だとまだ親離れはしてないのかしら」

「……貴様」

「梁島殿、落ち着いて。……葉桐さん。いえ、Ms.ペトルッツィ、でしたか。分を弁えて頂きたい。テロリストとして射殺されても文句は言えないのですよ?」

「貴方も相変わらずね、千条寺のお坊ちゃん。人形遊びは楽しい?」


 一層顔を険しくする梁島に、目を細める桐谷。ボイスチェンジャーを使用しているらしく、声は重低音だ。
 銃口を向けているのは彼らの側だが、フランの放った言葉こそ、銃弾に等しい威力で二人を貫く。
 反論しようと思えば出来るだろう。けれど、怒りで目的を見失うような未熟者でもない。
 梁島は矛先を変え、桐林へ目を向けた。


「貴様、何を考えている。この状況下で他国の工作員とつるむなど、国家反逆の罪に問われたいか」


 よほど肝が据わった人物でもない限り、反射的に萎縮してしまいそうな、恐ろしく強い語気。
 桐林はなんの反応も示さなかった。
 身動きが取れないほど竦んでしまったか、敢えて無視しているのか。
 後者と取った梁島は、兵士たちの一歩前へ。


「だんまりも良いがな。貴様の行動が、貴様だけに代償を求めると思うなよ。……貴様の家族、こちらが確保しているのだぞ」


 舞鶴事変の際、疋田 蔵人が保護した桐林の家族は、現在、全員が軍の監視下に置かれている。守るためではあったが、同時に彼らは人質でもある。
 桐林が祖国に反旗を翻した場合や、他国へ亡命する可能性が出た場合に、取引材料として使うためだ。
 これは前々から計画されていた事であり、いざとなれば、政府は彼の家族へと、容赦なく危害を加えるだろう。
 恐らく、殺しはしない。殺せば怒りが憎しみに変わる。
 だが、障害が残る程度に痛めつければ、怒りと共に罪悪感を覚える。自分があんな事をしなければ、と。

 無論、桐林が恭順の意を示すなら、そのような非道は行われない。
 統制人格と馴れ合い、人間以上に大切にする桐林であれば、こう言えば逆らうという選択肢を選べないだろう。
 梁島はそう判断し、外道に等しい脅しをかけたのである。
 ところが……。


「まさかとは思いますが、それが脅し文句になると思っているんですか」

「……何?」


 桐林はわずかに右眼を細め、冷たく吐き捨てるだけだった。
 予想外の反応を受け、梁島の眉間にシワが寄る。


「舞鶴での戦いで、得た教訓があります。
 それは……敵とはどこにでも存在し、いつ牙を剥くか分からないこと。
 だからこそ、相対したら容赦をしてはいけない。完膚なきまでに、叩き潰す必要がある」


 桐林は、己が手を確かめるように顔を伏せ、やおら歩き始めた。
 不穏な気配を察知した兵士が二人、彼を拘束しようと詰め寄る。


「“ヤツ”は自分から大切なものを奪った。
 だから、“ヤツ”を憎み、拳を振るった事に後悔はありません。
 万が一、また現れる事があったとしたならば、何度でも同じ事をしましょう」


 肩に手を掛け、腕を捻じろうとする兵士たち。
 だが、出来なかった。まるで、鉄パイプでも曲げようとしているのではと、そう思わせる異様な硬さだった。
 それだけでなく、歩みにも淀みが生じていない。


「でも、それは“ヤツ”が敵だからだ。大切なものを奪った、仇だったからだ」


 大の大人二人を引きずり、桐林は歩く。
 更に二人が加わり、背後からもまた一人、彼を引き止めようと纏わり付くが、止まる気配すら無かった。
 成人男性の平均体重を七十五kgとして、装備や服を含めれば八十kg。単純計算で四百kgの重石を物ともせず、ついに梁島の眼前へと。


「梁島提督。自分の敵にならないで頂きたい。
 今度は、何も分からずにではなく。己の意思で、“力”を振るいます。
 たとえ相手が、どのような存在であろうとも」


 両眼を見開き、桐林が梁島を睨み付ける。
 縦に裂けた瞳孔の奥に、奇妙な光を宿す赤眼。
 梁島は怯まなかったが、脇からそれを覗き込んでしまった兵士たちが、たたらを踏むように後退った。
 脅迫に対して、桐林はこう返したのである。

 もし、お前たちが大切なものを侵そうとするならば。
 この国の敵になってやる、と。

 梁島が鼻で笑う。


「稚拙な恫喝だ。貴様にそんな事をする度胸があるか?」

「度胸は、無いかも知れません。でも、二度とあんな思いをするのは嫌だ。瀬戸際に立たされたら、何をするか自分でも分かりませんよ」


 せせら笑う梁島に、左眼を閉じた桐林も、歪んだ笑みを浮かべた。
 まなじりが下がり、口端は逆に上がっている。
 ごく普通の笑みのはずが、どこか、焦点を合わせられないような、狂いを感じさせる。
 そうさせるのは異形の左眼か。あるいは、立ち昇って見えそうな戦意か。
 己の不安定さを逆手に取った、示威行動。
 少なくとも、梁島をして本気だと思わざるを得ない雰囲気があった。


「因果は巡る、ですか……。梁島殿、引きましょう。これでは私たちが悪者です」

「だが……」

「貴方も分を弁えなさい。貴方と彼、どこか違う所があるとでも?」


 このままではマズいと判断した桐谷が、梁島の肩を叩き、やや強引に下がらせる。
 桐林の前に立った彼は、意外にも最敬礼で謝罪して見せた。


「桐林殿、まずは謝罪を。ご家族のことを持ち出すのは卑怯でした。
 私も家庭を持つ身。憤慨するお気持ちは分かります。
 ただ、理解もして頂きたい。貴方はすでに、国一つ揺るがす存在なのですから」


 梁島の取った行動は、桐林が国外へ向かうのを阻止するための、あくまで最終手段。
 元よりそんなつもりは無かったと、桐谷がおためごかす。当たり前だが、本心ではない。
 梁島に屈するなら良し。そうでなければ桐谷自身が前に出て、妥協案を示す腹積もりだったのだ。
 どちらにせよ、桐林の身柄を保持したいが故の、苦肉の策である。
 そんな桐谷を見やり、桐林はまた笑う。
 不敵に。大きく。


「だったら、せいぜい揺るがしましょうか。Ms.フラン」

「はいはーい」


 桐林が振り返りつつ、背後に呼び掛ける。
 いつの間にか両脇を固められていた彼女は、身構える兵士を他所に、何処からとも無く小型通信機らしき物を取り出して、止める間も無くスイッチを入れた。


「ワタシ、フランチェスカ・ペトルッツィは、イタリア政府から桐林提督への公的援助を、正式に申し出るわ」

「受けます。どうか、戦争の早期終結に、ご助力願いたい」


 形式張った受け答えは、打ち合わせ通りといった様子で、簡潔に終わった。
 予想外だったのか、今度は桐谷の笑みが歪む。


「あ、貴方たちは、何を勝手に」

「何か問題でもありますか?」

「無いはずよ。表向き、彼の扱いは今まで通りで、正式なルートからも今頃、同様の文言が届いるはず。
 彼はそれに回答したの。日本政府が公布する、デジタルタイムスタンプ付きの音声証文。無視できるかしら。
 ああ、因みにだけど。この時間に作成された音声証文、三百件以上はあるはずよ。
 買収するとして、時間と手間とお金は、どれだけ掛かるでしょうねぇ?」


 余裕綽々なフランの態度に、彼女の用意周到さが伺える。
 科学技術が進歩した現代では、人間の声も簡単に複製可能だ。
 故に、デジタル音源の証拠能力は低くなりつつあるが、どうしても音声を記録し、証拠としなければならない場面もあった。
 その場合、旧式のテープレコーダーなど用いる他にも、デジタルタイムスタンプという物が考案された。

 国がインターネットを介し、標準時間と共に暗号化された情報鍵を公開。
 同期した機器で録音する事によって、音声データに情報鍵を内包させ、一分毎に変化する暗号が、証拠能力を高めるのだ。
 公平性を保つため、データは日本も参加する、国際司法機関運営のサーバーにも保存される。
 国が総力を挙げない限り、改竄は不可能だろう。

 加えて、日本政府は現在進行形で、管理体制の甘さを追求され続けている。
 例えば、今回の録音データをイタリア側が公表し、日本側が捏造された物だと反論した場合。
 デジタルタイムスタンプ自体は正式な物であるはずなので、国側が情報鍵を改竄するしかない訳だが、先程、フランは他にも音声証文が作成されたと言った。
 おそらく、彼女が用意させた物も含まれるのだろうが、不特定多数の同一する暗号鍵と、国が用意した暗号鍵。人々はどちらを信用するだろうか。
 軍部だけでなく、司法の分野でまで国民の信頼を裏切るような事は、流石に避けなければならない事態だ。

 国家が一丸となって隠蔽を計れば、この場を凌げるだろう。
 しかしそうなると、今後の諸外国との関係性が危ぶまれる事態となる。
 勝手な都合で情報を改竄する国など、信用できるはずがない。
 そして、隠蔽を計った場合、桐林はどちらに有利な証言をするのか。
 イタリア側なら、正義を貫く姿勢で、多少なりとも世論を味方につけられる。協力者は必ず現れるだろう。
 日本側なら、イタリアとの関係は危うくなっても、日本の尊厳を守ったという、大きな貸しを作れる。たとえマッチポンプであろうとも。
 フランにとっては危険な賭けを含むが、桐林には、どう転んでも得にしかならないのだ。


「独断で諸外国と協定を結ぶなど、認められる訳がないでしょう。巫山戯るのも大概になさい」

「これをお巫山戯としか取れないなら、あなたはその程度の人間という事になりますね。……過大評価していたんでしょうか、自分は」


 凄味を増した笑顔で詰め寄る桐谷だったが、桐林は彼を見上げながら、値踏みするように右眼を細めた。
 独自に伊国との協力関係を結ぶ。
 言ってしまえば簡単な事実だが、そう単純に片付けられる問題ではない。
 国を相手取る約束事という物は、基本的にギブアンドテイク。表面上は一方的な支援に見えても、そこには必ずなんらかの代償が発生するものだ。
 恩恵を受けるのが桐林だけであっても、彼が他国の援助を求めたという事実は、日本という国に大きな影響をもたらす。

 我先にと、同じような協定が持ち込まれるかも知れない。代償として、桐林の遺伝子情報を要求される可能性は低くない。
 申し込もうとする国同士が、日本国内で小競り合いをするやも。そうなれば、再びテロが起こる危険性を孕む。
 だが、拒んでしまえば、イタリアだけでなく、EU諸国を敵に回す可能性すら。
 仮に受け入れるとして、日本政府は大忙しとなるだろう。
 そして、舞鶴事変を経て、新たに高い地位を約束された桐谷も、無関係ではいられないはず。
 国葬を前に脱走を計った人間への、表立った処罰など、後回ししなければならぬ程に。
 イタリア側との関係性を考慮すると、処罰らしい処罰すら与えられない事まで考えられる。

 桐林の行動は、まさしく奇手。
 ワイルドカードだった。


「ふふふ。怖い、怖いですねぇ。どうやら、虎の尾を踏んでしまったようで。
 喰い殺されないうちに退散しましょう。細かい所を詰めなければいけませんしね。
 一応、本日中には施設へ戻って下さい。それだけはお願いします。仕事が増えてばかりですよ、全く……」


 ニコニコと、閉じる寸前まで目を細め、桐谷は背を向ける。
 会話のイニシアティブを取られ、仕切り直しが必要だと判断した為だ。
 細かい所を詰める、という部分を鑑みるに、桐林とイタリアの同盟、事後承諾されたようである。
 未だ輸入がなければ立ち行かないこの国には、他国を軽んじる選択肢は無かったのだろう。
 兵士たちもそれに続き、最後に梁島が、無表情で桐林を見つめた。


「どうして、お前には……」


 そこまで言って、梁島は歯噛みし、踵を返す。
 袋小路から、桐林とフラン以外の人影が消え去って一~二分。
 桐林は突然、その場にへたり込んだ。


「っはぁあぁぁ……。どうにかなった……」


 完全に気を抜き、疲れ切った情けない顔。
 どう見ても、ワイルドカードを切った勝負師と同一人物とは思えなかった。
 そんな彼に、フランが歩み寄って微笑む。


「お疲れ様。上出来だったわよ? あのとっちゃん坊やを狼狽えさせるなんて、誰にでも出来ることじゃないわ」

「……どうも。ハッタリや嘘ばかり上手くなって、不本意ですけどね」


 自嘲するような桐林の笑みに、フランはその肩を軽く叩く。
 彼女の協力があったとはいえ、交渉の場に於いて、千条寺家当主を引かせたという事実は、目覚しい成果である。
 事、交渉に関しては、白黒ハッキリと勝敗が定まる事は少ない。
 それどころか、全てを綯い交ぜに、灰色のまま決着がつかない事の方が多いだろう。
 だが、場合によってはその曖昧な決着こそが、望むべき結果をもたらす事だってある。
 桐林の狙いは、脱走者という現状を有耶無耶とし、かつ、今後も蔑ろにされないだけの理由を確保し、己の立場を未来へ繋ぐ事にあったのだ。
 この情勢下で、イタリアとの同盟という奇貨を、使いこなしたのである。


(全く。あの人が放って置けないわけね)


 彼は、答えを求めるフランに言った。
 自分は両方を選ぶ、と。


『日本を選べば、飼い殺される。
 かといってイタリアを選べば、仲間を捨てる事になる。
 だったら、両方を選んで、両方を拒む。Ms.フラン。自分と、同盟を結んで下さい』

『両方? それはちょっと、欲張り過ぎないかしら』

『ええ、欲張りなんです。ついでに言えば独占欲も強い。
 あの子たちは、他の誰にも渡しません。
 その為ならなんだってしますよ。例え借り物の“力”でも、最大限利用します』


 ほんの一年前まで、平凡な一大学生だった青年を、ここまで成長させた。いや、させてしまった。
 相変わらずあの人は――吉田 剛志という人は侮れない。
 けれど、同時に彼は危うい。
 異常な成長を遂げた桐林は、目を離すと何をしでかすか分からない、そんな危険性すら持ち合わせてしまった。
 これでは気になってしょうがない。
 本当なら、彼という人物を見極め……。あの人の孫弟子に相応しくないようであれば、骨髄までを搾り取って、闇に葬ろうと考えていたのに。

 そういう約束なのだ。
 日本という国が暴走し、人に害を為さんとするならば、その時はおヌシの手で滅ぼしてしまえ、と。
 それが、あの日。フランを見送りに来た……遅い初恋の人との、約束だった。
 ひょっとすると、彼はここまで見越して居たのだろうか。
 ……あり得そうで、恐ろしい。


「なんですか?」

「いいえ。帰りましょうか、送るわ」

「お願いします。道、分かりませんから」


 不思議そうに、己を見つめるフランに問いかける彼へと、手を差し出す。
 握り合ったそれは、互いの体温を確かに伝え合う。
 いつからか、雨は止んでいた。
 ビルの谷間に居る彼らは見る事が叶わないだろうが、空には薄く、虹も架かっている。
 決して手は届かないけれど、確かに見ることの出来る、淡い虹が。




















《異端の提督と舞鶴の日々 時・天津風は意地っ張り(+α多数)》





 一六○○。
 出撃を控え、二日間の完全休暇を過ごす桐林は、庁舎五階の自室にて、ある動作に没頭していた。
 眼帯を外し、上着も軍帽も脱いでベッドに寝転び、天井を見上げる彼の視界では、オレンジ色のゴムボールが上下している。
 右手で真上にボールを投げては、右眼でそれを追いつつ、受け止める。この繰り返しだ。
 無為な時間を過ごしているようにしか見えないが、そんな時、部屋にノックの音が響く。


「司令ー、アタシだけど入っていいー? ってか入るよー」

「……返事をする前に入るな」

「良いじゃん良いじゃん、アタシと司令の仲なんだし」


 パタパタパタ、と。無遠慮な足音が近づき、桐林の寝るベッドに誰かが腰掛ける。
 変わらず天井を見上げる視界へと割り込んだのは、一人の少女だ。
 白地に紺襟。前をボタンで留める長袖のセーラー服を着て、一部の毛先が白く染まった黒髪を、ショートカットにしている。頭には煙突を模した小さな帽子を乗せていた。
 彼女の名は時津風ときつかぜ。陽炎型駆逐艦の十番艦である。


「何してんのー? ボールで一人遊び?」

「……訓練だ」

「訓練? これが?」

「深視力を養うための、な。日常生活では、右眼しか使えない」

「そっかー。司令も大変大変、だねー」


 桐林の説明を聞き、時津風は「うんうん」と頷いている。
 その度に、毛先の白く染まった房が揺れ、まるで犬耳のようだ。
 なんらかの理由で片眼を失った人間は、物との距離感を測る能力が低下してしまう。
 桐林の場合、厳密に言うと隻眼ではないのだが、彼の左眼は、日常で使うには“見え過ぎる”。
 そのため、片眼でも生活できるように、一人で行える簡易訓練が欠かせないのである。


「さて……。唐突にドーン!」

「っぐほ」


 黙々とボールを投げる桐林。
 それを見ていた時津風は、ふと立ち上がり、かと思えば、いきなり彼の上へとダイブした。
 子供のような体躯とはいえ、人間大の物体の落下。
 衝撃に桐林が悶え、ボールを受け止め損なう。


「時津、風……っ」

「あのさあのさ、司令にお願いがあるんだけど」

「まず、降りろ……」

「アタシらさ、明日には舞鶴を出航して横須賀行くでしょ?」

「………………」

「暇してるなら、みんなに声掛けてあげて欲しいんだよねー。ほらほら、激励みたいな感じ」


 桐林の身体を這いずった時津風は、胸板の上で腕枕を作り、黒いパンストに包まれた両脚をプラプラ。非難がましい視線にも動じず、要件を勝手に伝える。
 しばらく険しい視線を向け続ける桐林だったが、時津風は「んー?」と眠たげな笑顔を浮かべるだけ。
 本当に、悪戯好きな仔犬のようだった。

 浦風の嘆願を受け、予定を調整した結果。二週間後の横須賀鎮守府にて、横須賀艦隊と舞鶴艦隊の合同演習が、再び行われる手筈となっている。
 日程としては、明日、時津風を始めとする十二隻の水雷戦隊が舞鶴を出発し、数日掛けて本州を回り込み、横須賀で一週間の演習を行う。
 次作戦の準備もある。今日を逃せば、彼女たちと顔を合わせるのは、二週間以上先になるだろう。


「……分かった。そうしよう」

「お、素直さんだー。良い子良い子ー」


 抵抗を諦めたのか、桐林は溜め息をつきながら起き上がる。
 必然的に時津風も起き上がるのだが、脚の間に落ち着いた彼女は、桐林を子供扱い。膝立ちになって頭を撫で回した。
 鬱陶しくそれを払いのけ、桐林はベッドを降り、時津風も続く。


「誰がどこに居るか、調べないとな」

「ふふふふふ。こーんな事もあろーかとー! 前もってみんなの予定は調べといたよー! アタシは優秀なのです! どうだー!」


 上着と眼帯。それと軍帽。
 身嗜みを申し訳程度に整える桐林が呟くと、時津風は懐からメモ帳を取り出し、「褒めろ褒めろー!」と言わんばかりに胸を張った。
 余談ではあるが、彼女の着ている衣装は、雪風や浜風の着ているそれと同じデザインであり、違う所と言えば、オレンジ色のタイと絡まる錨型ネックレスに、袖の長さくらいだ。
 勘の良い方はお気付きと思うが、実は雪風と時津風、普通のセーラー服のスカートを穿いておらず、上着だけをワンピースの様にして着ているのだ。
 同じ陽炎型でも身長には差があり、大した問題は無いようだが、時津風は更に、裾を左側で固結びして絞っている。
 オマケにもう一つ付け加えると、結び目のせいでキュッと上がった裾からは、白い紐が覗いていた。例えるなら、紐パンの結び目の、余りのような。純白の紐が。

 ……だからなんだ、と言われればそれまでなのだけれども。とにかく、これが時津風なのである。
 桐林は彼女から目を逸らし、また溜め息を。


「行くか」

「うんっ。行こう行こうー!」


 そして、仔犬を散歩に連れて行くが如く。
 時津風を伴い、気怠げに部屋を出るのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ふんふんふーん♪ はぁーっ……。良し、綺麗になったかも!」


 庁舎四階。中央エレベーター周りにあるサロンで、少女が一人、とても大きな航空機模型を、脚の低いテーブルに乗せ、丹念に磨いている。
 エメラルドグリーンと白のコントラストが美しい、ジャケットとスカート。
 白地を黒い線で縁取ったオーバーニーソックスを身に付け、ぴょんぴょん跳ねる銀髪のツインテールの先端には、錨型のアクセサリーが上機嫌に揺れていた。
 そこへ桐林たちがやって来て、声を掛ける。


「秋津洲」

「え? あっ、提督……と、時津風ちゃん! どうしたの? 遊びに来たかも?」

「うん、そんなとこー」


 桐林の姿を確かめた彼女――飛行艇母艦 秋津洲は、大急ぎで立ち上がった後、小首を傾げる。
 その視線は、桐林を見やり、そのまま上へと向かう。
 何故なら、そこに時津風の顔があったからだ。肩車をしているのである。


「……っていうか、なんで提督は時津風ちゃんを肩車してるかも?」

「へ? なんでって、そりゃあ……。あ、そっかそっか。秋津洲はいっつも日本海泊地だから知んないのかー」

「うんっ。二式大艇ちゃんの整備は、本土より泊地の方が効率良いかも!」


 たゆん、と胸を弾ませながら、秋津洲が先程の模型――艤装の一部である、笑顔のノーズアートが描かれた二式大艇を、頭上に掲げた。
 二式大艇。正式名称、二式飛行艇。
 空の戦艦とも呼ばれたこの機体は、全長約二十八m、全幅三十八mという大型飛行艇ながら、最高速度は時速四百km超。
 小型機並みの操縦性と高い防御力を合わせ持ち、六千kmを超える航続距離、多数の旋回機銃に合計二トンまでの爆装。航空魚雷なら同時に二本までと、凄まじい性能を誇っている。
 しかし、その性能故か、宿る使役妖精は非常に気難しく、史実での接点が多い秋津洲しか制御できず、同時に飛ばせるのも三機までという、大きな制限があった。
 それでも、飛んでいるかいないかで戦況が変わる程の、非常に大きな戦力であり、ここに居る秋津洲は、舞鶴航空部隊の主力と言っても過言ではない。

 そんな彼女が主な活動拠点としているのが、日本海泊地だ。
 多少ではあるが海域との距離を稼ぎ、迅速に出撃や補給、修理を行う為、秋津洲は殆どを泊地で過ごす。
 必要に迫られれば、護衛部隊と共に抜錨。洋上で二式大艇の補給まで行う彼女であるから、鎮守府の日常に疎いのも仕方がないか。


「ここねー、アタシの指定席なんだー。
 なんかさ、司令の頭を抱えてると落ち着くんだよねー。いい匂いするし。
 それに、美少女の太ももに顔を挟まれて、嫌な訳ないもんねー? ほーれ極楽極楽ー」

「喜んだ覚えはない」

「へ、へー。そうなんだぁ。……確かに、提督ってなんか、甘い匂いするかも」

「あ、ダメだかんねー。司令に肩車して欲しかったら、まずアタシを倒すのだー! 二式大艇無しで!」

「そんなつもり無いかもっ、というか、大艇ちゃん無しで時津風ちゃんに勝てるわけないかもぉ!」

「無視するな」


 得意気に肩車の心地を語る時津風。クンクンと鼻を鳴らしてから、慌てふためく秋津洲。
 桐林がちょいちょい所見を挟むけれど、聞こえていないらしい。
 上では主力と言った秋津洲だが、それは二式大艇に寄る所が大きい……いや、二式大艇のおかげであって、秋津洲自身に戦闘力は皆無だった。
 自衛用に十二・七cm連装高角砲と、二十五mm連装機銃を二基ずつ備えてはいても、そもそもが戦闘艦艇でないため、大艇無しの秋津洲は、艦隊で一~二を争う弱さなのだ。
 ちなみに、競合相手は工作艦の明石、給糧艦の間宮と伊良湖である。


「調子はどうだ」

「あ、はい。問題ないかも……じゃない、ありません! 体調バッチリ、気合十分!
 あたしと二式大艇ちゃんのコンビは、横須賀の正規空母にだって負けないかもっ!
 むしろ、あたしたちが居なくて、次の作戦は大丈夫かも? ちょっと心配かも……」


 では、なぜ今、その秋津洲が鎮守府に帰投しているのか。
 時津風が声を掛けて欲しいといったメンバーの中に、彼女が含まれているからだ。
 すなわち、次作戦は二式大艇を使わずに展開する、という事になる。
 主力メンバーの自負がある秋津洲としては、演習に参加していて良いものかと、不安を感じていた。


「ねぇねぇ司令。なんか勘違いされてない?」

「だな……」

「……んん? 何? 勘違い?」


 ところが、時津風と桐林は、気不味く呟き合うだけ。
 不思議そうにまた小首を傾げる秋津洲へと、桐林の代わりに時津風が口を開く。


「確かに第一艦隊の旗艦は秋津洲だけど、二式大艇はこっちに置きっぱって聞いたよ? 航空燃料も節約しなくちゃだし」

「………………えっ」


 次作戦では、グラーフ・ツェッペリンを含め、航空母艦が四隻、編成に組み込まれていた。
 ここに重巡や軽巡に載せる水偵などを加えると、かなりの数の航空機を実戦配備する事になる。
 焼け石に水かも知れないが、今後の事を考えれば、かさむ燃料費を考慮したくなるだろう。
 逆説的な考えをすると、既に更なる作戦展開を計画してある、という事にも繋がるのだが、てっきり二式大艇無双できると思い込んでいた秋津洲は、みるみる内に顔色を悪くした。


「そそそ、そんな……そんなぁ!? 大艇ちゃんが、二式大艇ちゃんが居ない秋津洲なんて、なんの役にも立てないかもぉ! 間宮さんたちにも及ばないミソっかすかもぉおおっ!」

「うわー、清々しいまでの自虐っぷり。よくそこまで……」

「はっ、分かった。そうやって秋津洲と大艇ちゃんを引き離して、その隙に手懐けるつもりかもっ! 秋雲あきぐもちゃんの描きそうなエロ同人みたいにNTRするつもりかもぉ!? そんなこと許さないんだからぁ!」

「誰がするか」

「っていうか秋雲、そんなもん描いてんの……? うぁー、やだやだー、そんなの勘弁だよー」


 涙ながらに自らの非力を訴える秋津洲であったが、途中から話が変な方向へ向かい、最終的に、陽炎型駆逐艦の末妹、秋雲への熱い風評被害が広がる。
 この秋雲、陽炎型でありながら乗組員は夕雲型だと思っていたり、珍妙な史実エピソードが多数あるのだが、統制人格の有り様も合わせ、詳しくは別の機会に紹介させて頂く。悪しからず。
 ここでは、その中にスケッチに関する事柄が記録されていて、故に彼女は絵を得意としている、と覚えて欲しい。
 そして、秋津洲は「描きそう」と言っているだけで、実際に描いているかどうかは不明であるという点も、一応覚えておくと良いかも知れない。
 話を戻そう。
 二式大艇を取られまいと、半泣きで威嚇し続ける秋津洲へ、ゲンナリ顔の時津風を乗せた桐林は、溜め息混じりに最後通告を突きつけた。


「これは決定事項だ。諦めろ」

「そんな……っ。お、お願いだから、大艇ちゃんと引き離さないで欲しいかもっ。秋津洲になら……。あたしにだったら、どんな酷い事しても良いかもっ! だから……!」

「うーん、なんだか悪役にされてる感じ……?」


 いよいよ顔面蒼白になった秋津洲。今度は己が身を差し出すのも辞さないと、桐林に縋り付く。
 事はそう重大でもないはずなのだが、二式大艇の運用を存在意義とする彼女にとっては、それこそ一大事のようだった。
 桐林の側に付いてしまった時津風の気分は、まるで悪代官に黄金色の菓子を渡す越後屋、といった所か。
 そして、か弱い娘をいい様に扱う悪代官――桐林が、それに見合う険しい顔付きで秋津洲を見つめる。


「秋津洲」

「は、はいぃ……っ」


 見つめるといっても、ただでさえ迫力のある桐林がそうすると、睨み付けられているに等しい。
 秋津洲は思わず身を竦ませ、直立不動に次の言葉を待つ。


「冗談でも、さっきのような事は言うな。次は許さん」

「はい! 申し訳ありませんでした! ……って、あの、どの部分のことかも……?」

「アレでしょ、アレ。あたしにだったらどんな酷い事してもー、って部分」


 ややあって、桐林は硬い声音で秋津洲を叱責し、反射的に彼女が頭を下げる。
 が、反射的だったせいで、彼の言う「さっき」の部分に思い至れない。心細い表情で秋津洲が聞くと、時津風がそれを補足した。
 彼自身も更に付け加える。


「以前、とある案件の融通や利権を代償に、君たちを差し出せと、暗に要求される事があった」

「……えっ!? そ、それホントかもっ?」

「ホントホントー。どこぞの脂ギッシュな役人が、視察と称して愛人見繕いに来た事あったんだってー。香取さんが言ってた。それ一回きりらしいけど」


 桐林の語った事実に、秋津洲は衝撃を受ける。
 そのような事が起きていただなどと、予想もしていなかったからだ。
 鼻白む時津風の様子からも、嘘ではないことが伺え、事実、下衆な官僚が舞鶴を訪れた過去はあった。
 桐林と現政権、並びに軍上層部とは、表向き密な関係を築いているが、裏で相当な確執があると、関係筋では実しやかに囁かれている。
 また、彼は独自の補給ルートを確立させようともしており、そこにつけ込む隙があると考えた者が居たのだ。
 権力者の歪んだ欲望というものは、本当に度し難いものである。
 もっとも、それらの企みが一切成就しなかったのは、現状からも明らかであり、桐林が胸を張って宣言する。


「だが、そんな要求を受け入れる事は有り得ん。例えどんな状況に陥ろうと、これからもだ。だから、二度とあんな態度を取るな。もしもの時に付け入られるぞ」

「……はい。分かったかも――ううん、分かりました。変なこと言って、ごめんなさい。……許してくれる、かも?」


 叱責が身を案じての事だと分かり、秋津洲は神妙な顔で、再び頭を下げた。
 緊張気味な上目遣いに桐林が頷くと、表情は一転、晴れやかなものへ。
 だが、ふと“ある事”に思い至った彼女は、若干頬を赤らめつつ、桐林を見上げる。


「あ、あのぉ、提督……? 怒られついでに一つだけ、聞いて良い、かも?」

「なんだ」

「あの……ね……。さ、さっきのアレ……。提督にとっては、二式大艇ちゃんより、秋津洲の方が大切って、事、かも……?」

「……? 当たり前だろう。何を言っているんだ」

「っっっ!?」


 言いながら、段々と俯き加減になっていく彼女へと、桐林は即答に近い速さで答える。
 今の彼にしては珍しい、心底不思議そうな顔だ。
 断言されてしまった秋津洲はと言えば、返答の意味する所を彼女なりに受け止め、沸騰してしまう。
 二式大艇を盾にされたら、脅迫にも屈してしまいそうだった秋津洲への叱責。
 それはある意味、「二式大艇より君が大切だ」という風に取れ………………なくもない。
 高性能とはいえ、換えの利く航空機と船一隻。当たり前と言えばそうであるし、少々先走っている感も否めないが、桐林の肯定により、秋津洲は間違った方向に確信した。

 あたし、提督に告白されちゃったかもぉおっ!? ――と。


「ああああああのっ、あ、あたしはっ、大艇ちゃんが一番で、その、提督の事は、嫌いじゃないけど、でも、あの……っ、ご、ごめんなさいかもぉおおっ!!!!!!」


 あれやこれやと身振り手振りを交え、なんとか返事をしようとした彼女だったが、結局、トマトのようになった顔を二式大艇で隠し、その場から逃げ去った。
 呆然と取り残される桐林に、先程とは別の理由で鼻白む時津風。


「……勘違い、させたか?」

「させちゃったねー。司令、今のはマズい、マズいよー?」

「………………」


 遅れ馳せながら、秋津洲の奇行の理由を悟った桐林は、時津風に両頬をツンツンされつつ、しかめっ面を作った。
 明日までに誤解を解ければ良いのだが……。
 まぁ、無理であろう。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 所変わって、庁舎の地下一階。
 桐林用のトレーニング施設が用意されている場所では、二つの影が交錯していた。


「うーりゃー! 子日ねのひアターック!」


 柔道の試合などでよく見かける、畳の敷き詰められた リングを蹴る少女。
 ピンク色の一本お下げが揺れ、飛び上がった拍子に、白いワンピースの裾と、胸元の赤いリボンがはためく。
 スパッツを穿いているようで、テーピングされた細い脚は、踵落としの要領で振り下ろされた。


「ふ。甘いわ、戯けめ!」


 それを扇子で受け止めるのは、紫色の髪を紙垂でポニーテールにまとめ、揃いのワンピースを着る少女。
 黒い長手袋とオーバーニーソックスが四肢を包み、眉は古式ゆかしく、太く短い形――俗に言う麻呂眉に整えられていた。
 先の少女と違ってスパッツは穿いていないらしく、上下運動の代わりに横への移動が目立ち、長いネクタイがたなびく。

 お下げ髪の少女の名を、子日。ポニーテールの少女の名を、初春はつはる
 順序は逆だが、初春型駆逐艦の一番艦、二番艦である。


「おー、やってるやってるー」

「うん? ……提督。それに時津風か」

「おはようございます……だと、遅過ぎるでしょうか。どうしてこちらに?」

「顔を、見ておこうと思ってな」


 桐林たちが姿を見せると、椅子に座って観戦していた二名が彼らに気付いた。
 黒いブレザー型の制服に、赤いネクタイ。
 ここまでは同じだが、クールな物言いの少女は茶髪のショートカットで、ジャケットの前を開けている。
 丁寧な言葉遣いの少女は、長い黒髪を先端で結い、折り目正しく制服を着こなす。
 彼女たちも初春型駆逐艦であり、名はそれぞれ若葉わかば初霜はつしもと言う。
 挨拶もそこそこに、桐林は初霜の用意した椅子へ腰掛ける。時津風は肩車のままだ。


「ふむ、そうか。珍しい事もあるものだ」

「若葉ったら。ありがとうございます、提督。気に掛けて頂いて。二人共ー! 提督がいらっしゃいましたよー!」


 無表情ながら、驚きを短い言葉に乗せる若葉。桐林同様、彼女は不必要な発言をしない。
 ともすれば、慇懃無礼にも感じられる言い方を和らげるのは、隣で苦笑いを浮かべる初霜だった。
 妹の呼びかけに、白兵戦の自主トレーニング中だった初春、子日も寄って来る。


「なになにー? 提督ー? あ、時津風ちゃんも居る! 二人、見学の日ー?」

「そー。見学見学ー。相変わらず、子日と初春の白兵戦スキルはスッゴイねー」

「ふふ、褒めても何も出ぬぞ? 時津風よ。まぁ、悪い気分ではないがのう」


 一風変わった口調の子日と初春は、統制人格の個人特性として、白兵戦への高い適性を持っていた。
 現在、桐林に課せられている任務の性質上、艦隊戦だけではなく、統制人格自身が敵艦へ乗り込み、白兵戦を行う必要性がある。
 こちらの詳しい事情も後述するが、舞鶴艦隊に属する中でも、彼女らは特に抜きん出ているのだ。
 残念ながら随一とは言えないけれども、それだけに訓練も怠らない、という訳である。


「調子は、悪くなさそうだな」

「おヌシ、誰に物を言っておる。体調管理は戦人の要諦じゃぞ? 妾は今すぐにでも出撃可能じゃ」

「子日もー! 今度こそ、作戦成功の日ー!」


 桐林の言葉に、初春はパッと扇子を開き、己を扇ぎつつ自身満々で答える。
 扇子には「常勝無敗(予定)」と書いてあり……。(予定)と付けたのは、謙虚さのアピールだろうか?
 ともあれ、子日も元気一杯に、明るい展望を期待して腕を振り上げている。
 この分なら、横須賀での演習でも活躍してくれる事だろう。


「せっかく来たのじゃ、手合わせを一本……と言いたいが、出撃前か。ゆっくり休んで貰わねばのう」

「でも、身体を動かすのは悪い事じゃないよ? ねぇ提督。今日はまだだったし、いつものアレ、やろーよ!」

「……ああ。時津風」

「ほーい」


 子日に誘われ、桐林は立ち上がってリングへ向かう。
 初霜が軍帽と上着を預かり、時津風も肩から飛び降りた。
 リング中央に並ぶと、彼らは一礼して精神統一。完全同調状態となり、ゆっくりとした演武を始める。昔から健康法としても広く知られる、太極拳の動きだ。
 健康維持の為でもあるが、桐林がこれを行うのは、主に身体制御の精度向上と、経絡学を取り入れた内的な修練を積むことで、“力”の制御効率も上昇が見込めたからである。
 他にも、護身用の実戦武術として、日本最古の古流武術、竹内流の小具足腰之廻に連なる格闘技――小太刀を用いた戦闘法まで修練しているが、使う機会は無い方が喜ばしいだろう。

 彼の身体能力は、これ以上の成長を望めない。
 “力”を発現する度に、肉体はある一定の状態へと戻って――再生してしまい、筋力トレーニングなどは無意味に等しいからだ。
 俗な説明をすると、Lv制のRPGで、最低値がLv.1、最高値がLv.100だったとしよう。
 桐林の現状は、Lvが80辺りで固定され、例え一時的にLvが上昇しても、ある特技を使用した時点で元に戻ってしまう、と考えれば良い。

 肉体的な成長が望めなくなった今、彼は精神修養を行う事で、急上昇した身体能力を完全に制御し、使いこなそうとしているのである。
 俗な説明を続けると、Lv上げは無理でも職業システムは生きており、使える特技や魔法を増やす事で強くなろうとしているのだ。
 子日と完全同調状態になったのは、いざ白兵戦を行う際、桐林の身体制御を受け入れる為である。
 戦うのは統制人格の身体だけだが、そこに桐林の意識を介在させる事で、統制人格が気付けない攻撃や、反応できなかった攻撃に対処出来るようになる。
 一対一より、一対二が強いのは自明の理だ。


「確か、次の作戦。捕縛は考慮しないはずだったな」

「うん。……殲滅戦になるだろう、だってさ。怖い怖ーい」

「それで、初春姉さんと子日姉さんが、編成から外されているんですよね。敵 統制人格と、白兵戦を行う必要がないから……」

「そのようじゃな。全く、難儀なものよ。敵を無傷で捕縛などと、無理難題を吹っかけよってからに」


 流れるように動き続ける桐林と子日を眺め、若葉、時津風、初霜、初春が語らう。
 現在、桐林の舞鶴艦隊が主目標としている事柄は、二つある。

 第一に、日本海で出現する深海棲艦、その根拠地と思しき場所――棲地を発見。撃滅すること。
 推測ではあるが、この棲地は日本海に一箇所、または二箇所ほど存在するのではないかと目され、また、常時移動を続けているのでは、とも考えられている。
 これを発見し、必要とあらば陸戦部隊も投入して、敵 根拠地を制圧。もしくは、完全に破壊することが第一目標だ。

 第二に、深海棲艦に搭乗する敵 統制人格を捕縛すること。
 存在解明、戦闘行為を行う理由、その他多くの副題を纏めて解決する為、生きた状態の敵 統制人格――最低でも旗艦種以上の捕縛が求められている。
 これを達成するのに適切なのが、初春などの白兵戦適性を持つ統制人格を、敵艦へと送り込む戦法である。吉田元帥がそうした様に。
 もちろん、艦隊戦の最中のこのような曲芸は行えず、敵艦を一隻のみ残すなどの条件を満たさねば、達成は極めて難しいだろう。


「だが、“ヤツ”が日本海に居座っていては、その捕縛も達成できそうにない」

「次の作戦はー、来たるべき日のー、下準備ー!」


 右脚を身体に沿って高く掲げ、その状態で静止した桐林が話を結び、数秒掛けて下ろしながら、子日が威勢良く発する。
 通常の演武よりも動作はゆっくりで、結構な負荷が掛かっているはずだが、二人は涼しい顔だ。
 寸分違わぬ胴捌き、脚運びが美しく、「アタシもやろーかな」と呟く時津風は、しかし本気ではなかったようで、思いついた疑問を若葉たちにぶつける。


「でもさでもさ。どーして急に、日本海だけに脅威度の高い深海棲艦が集まって来たのかなー? 前からこうだったっけ」

「違ったはずだ。大侵攻以前を含め、そもそも日本海での深海棲艦出現数は、他の海域に比べて少ない」

「じゃが今現在、出現しておる敵の脅威度は、数ヶ月前と比べ物にならぬと聞くぞ?」


 上で語った桐林艦隊への任務だが、元々は設定されていなかった。
 霊子力場発生能力の試験運用と、それに際する深海棲艦との戦闘で、今までとは日本海の状況が変化していると判断されたため、新たに用意されたのである。
 新編された桐林艦隊が出撃すると、それは誘蛾灯の如く敵を引き寄せた。
 選良種、旗艦種は元より、それ以上の……。自意識すら有すると思しき、全く新たな深海棲艦までをも。


「まるで、何かに呼応するかの様に現れる、選良種、旗艦種を含む深海棲艦……。それって、やっぱり……」


 初霜は不安に駆られ、預かっていた上着を抱き締める。
 考えたくない事だが、今回に限って、深海棲艦の行動は後手に回って見えた。
 人類側の動きを見てから、それに適した対処法をとっているような。戦力の出し惜しみのような。
 俗な説明の続きではないが、プレイヤーのLvに応じて、敵のLvが上がっているようにも思えるのだ。
 これを深読みすると、人類は深海棲艦に遊ばれている事になる。
 決められたルールに従い、それを基準として行動を決める。まるで、ゲームのように。

 沈黙。
 誰も口を開こうとはしない。
 そこへ、演武を終えた桐林たちが戻って来る。


「確証は“まだ”ない。口にはしないでくれ、初霜」

「は、はい。失礼いたしました……」

「演武終了ー。今日はこれで上っがりー」


 恐縮する初霜から上着と軍帽を受け取り、桐林はそれを身に付けた。
 涼しい顔をしているが、やはり体温は幾らか上がっているらしく、前は留めない。
 さりげなく初春が彼を扇ぎ、若葉が持ち込んだスポーツドリンクを二人へ投げる。
 地べたに座った子日が一気飲みし終える頃には、桐林も喉を潤して人心地。
 そして、彼は初春型の四人の顔を見回しながら、激励の言葉を掛けた。


「子日が言った通り、今度の作戦は下準備。君たちの出番はそれからとなる。
 横須賀へ行ってもらうのも、それを見越した訓練だ。
 臆せず、弛まず、己自身の力を確かめて来い。遠慮なんか、しなくていいぞ」


 相手は古巣の勇士たち。
 付き合いの短い初春たちと、一年近くを共に過ごした仲間。
 桐林の心境は複雑であろうが、それでも全力を尽くせと。あわよくば勝ってこいと言う。
 初春は思わず笑みを零した。


「言われずとも。性能の差が戦力の差ではないという事、存分に見せつけてこようぞ。妾に期待するが良い」

「うん! 子日、完全勝利を目指すの日ー!」

「私は、基本サポートに回るが……。初霜、ぶつかるなよ?」

「うっ。も、もうぶつからないったら……!」


 長姉に続き、子日、若葉、初霜も。それぞれに気合いを充実させる。
 改装前は、小柄な船体に重武装を施したトップヘビーな設計で、バランスを崩して転覆したり、船体強度が不足していたりと、問題も多く抱えていたが、限界近くまで改装・補修を行った今の彼女たちであれば……。
 史実で衝突事故を起こし、大破した経験を持つ若葉としては、その当事者である初霜の動向が気になるようだけれども、このタイミングでは笑みを誘う一因となる。
 加えて……。


「ねーねー、アタシには? アタシにはなんか言う事ないのー。ねー、ねーってばー!」

「……頑張れば良いんじゃないか」

「何その適当加減!? ひどいひどーい! ふこーへーい!」


 ぞんざいな扱いを受けた時津風が、まるで猿のように桐林を登り、ギャーギャーと喚く姿も、どこか戯けて見えて。
 決して狭くないトレーニングルームに、少女たちの明るい声が響いていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「あー! やっと見つけたー!」


 チーン、という音と共にドアが開くと、上下にタンデムする桐林たちを突然、大声が襲った。
 初春たちと別れ、再びエレベーターに乗り込んで、しばらく。
 目的の八階ではなく六階で止まってしまい、誰が乗り込んでくるかと思っていたら……である。
 眼前には、二人の少女の姿。
 真っ白な長袖のシャツに、赤紫色のサロペットスカート。首元では青いリボンが結ばれ、細い脚を灰色のパンティストッキングが包んでおり、編み上げブーツを履いている。
 これは夕雲型駆逐艦に共通する制服であり、それぞれ黒髪と銀髪を持つ彼女たちもまた、夕雲型であった。


「あれー。早霜はやしも清霜きよしもじゃん。どったのー?」

「ふぅ……。ごめんなさいね……。止めようとは、したのだけど……」

「そんな事より、ちょうど良いから降りて! こっち!」


 早霜と呼ばれた少女は、半ばから先端にかけて、白くグラデーションする長い黒髪が特徴だ。前髪も少々長く、右眼が隠れてしまっていた。
 物憂気に溜め息をつく姿は、まるで薄幸の寡婦の如き雰囲気を醸している。夕雲型の十七番艦だ。
 残る一方の清霜は、末妹の十九番艦。長い銀髪を黄色のリボンで襟足にくくり、左右へ分けて垂らしている。
 また、彼女の髪には珍しい特徴があり、外側はそのまま銀色なのに、身体に近い内側は、澄んだ海のように青い色をしていた。
 特殊な染め方をすれば、こういった配色を再現する事も可能なのだが、清霜は地毛である。
 オマケに、普段は屈託の無い笑顔が似合う元気っ子のはずが、なぜだか今は非常に険しい顔をしていた。
 桐林の手を引き、サロンへ連れ出した彼女は、その真ん前に立って「むんすっ」と腕を組む。


「司令官! 横須賀への遠征任務の前に、確認しときたい事があります!」

「……なんら?」

「時津風さん……。何があったのか、知らないけれど。指を放してあげて貰える……?」

「えー。しょうがないなー」


 妙な返事をする桐林だったが、それもそのはず。機嫌を悪くした時津風が、彼の両頬を引っ張っているのだ。エレベーターに乗り込む前からずっと。
 放っておけば気が済むと思ったのだろう、そのままにしておいた桐林だが、問答するには間抜け過ぎる。
 早霜にお願いされては仕方ないと、時津風が頬を解放した所で、清霜は仕切り直した。


「司令官っ」

「……なんだ」


 呼び掛けが今一度。右手で頬をさすりつつ、桐林も返事を。
 息を飲むような沈黙が数秒あって、ようやく口を開いた清霜は――


「向こうでMVP取ったら、戦艦にしてくれるって約束! 忘れてないよね? 清霜、ついに戦艦になれるのよねっ?」


 ――キラキラ輝く笑顔を浮かべ、夢見心地に桐林を見上げた。
 戦艦になる。
 駆逐艦として励起された、統制人格が。
 常識では考えられない約束事に、時津風は呆れ返る。


「……司令ー。なんて適当な約束してんのさ」

「いや、覚えが無いんだが」

「えっ」

「……やっぱり、清霜の早とちりだったようね……」


 しかし、桐林にも心当たりが無かったらしく、眉がひそめられた。
 清霜は驚いて目を剥き、早霜は逆に得心がいった様子だ。


「そ、そんな……。した! 約束したじゃない!? 横須賀への編成発表の後!」

「………………」


 悲愴な顔つきで縋り付かれ、桐林は記憶を振り返る。
 母港へ帰投している統制人格を集め、横須賀に向かわせる水雷戦隊の編成を発表した後……。
 実はこの時、とある駆逐艦と桐林の間でいざこざが起きたのだが、そういえばその後ろで、清霜が騒いでいたような気もする。
 確か、「長門さんや金剛さん、扶桑さんたちに会える!」とか、「やっぱり時代は艦隊決戦よね!」とか、「あ。そうそう司令官っ、私、戦艦になりたいんだけど、MVPとか取ればなれるかな?」とか。
 しかし、次の攻勢作戦に参加できないことを憤る、その駆逐艦への対処に苦心していた彼は、「考えておくから後にしてくれ」と……。これを約束と勘違いされたのかも知れない。


「清霜。あれを約束とは言えん。残念だろうが……」

「えぇぇええぇぇぇ!? やぁだぁー! 約束した、約束してくれたのにぃー! せーんーかーんー!」

「お、おい。抱きつくな」

「ちょっとちょっと! 清霜やめれーっ、アタシまでグラグラするぅー!?」


 流石に認める訳には行かず、桐林は容赦無く切って捨てるのだが、途端、駄々っ子と化した清霜が抱き着き、ジタバタジタバタ。割を食った時津風が慌てる。
 彼女はシブヤン海の戦いにおいて、あの戦艦武蔵の、凄絶な最後を見届けたという経験がある。
 それが、戦艦フリークとも言うべき個性となっているようなのだが、同作戦には浜風も参加。同じように武蔵の最後を看取ったはずなので、統制人格となった清霜個人の性質なのだろう。


「ううう……! もういい! 司令官なんて知らない! 司令官のアホーッ、嘘つきー!」


 ナシのつぶてである事を悟った清霜は、柔らかそうな頬っぺたをプクーと膨らませ、捨て台詞を置いてサロンの隅に。そのまま膝を抱えてしまった。
 完全に、不貞腐れモードである。


「ありゃりゃー、ヘソ曲げちゃったねー。司令、どうするどうするー?」

「……困った」


 子供らしい純粋さは、本来であれば愛でる点であろうけれど、こればかりは認められる筈もない。
 統制人格とは軍艦の現し身であり、その軍艦が持つ歴史や、軍艦そのものに対する人間たちの集積思念など、霊的なものが現世に固定化された存在である。
 そして、一度固定化された“魂”とでも呼ぶべき物は、簡単に形を変えない。
 清霜の言うような、駆逐艦を戦艦にするような技術など、そもそも存在しないのである。

 ましてや、日本における傀儡艦に適する戦艦を、桐林は全て励起済みだ。
 金剛や扶桑たちと被らないようにするには、今存在する清霜を解体し、そこから出た資材を新造の大和型へと組み込み、励起するしかない。統制人格に、かつて清霜だった者の意識が現れるかは、彼女次第か。
 けれど、大和型の二隻は、まだ誰も励起に成功していない。おそらく彼でも失敗するだろう。
 加えて、戦艦になりたいと熱望する彼女だが、その個性も、清霜という駆逐艦の統制人格だからであって、駆逐艦でなくなれば失われるはず。

 清霜の願いを叶えるということは、彼女を喪うのと同義なのだ。
 絶対に認められない。
 理解してもらう為に、どう言葉を尽くせば良いのか。悩みどころである。


「司令官……。少々、お耳を拝借しても……?」


 どうやら考えがあるようで、思案する桐林へと、早霜が寄り添う。
 空気を読んだ時津風は、ムッとしながらも肩から降り、二人は内緒話の体勢に。


(ああなってしまっては、仕方ありません。別方向から、あの子の機嫌を取る……というのは、どうでしょう……?)

(……プランは?)

(簡単です……)


 問い掛けに、早霜は儚げな声で囁く。


(……と、言ってあげれば良いんです)

(……だが、それでは……)

(あら……。もう何人も“その気”にさせている方が、今さら尻込みなさるの……?)

(………………)


 耳に口づけるような、吐息のくすぐったい距離だったが、早霜の言葉に桐林は躊躇いを覚える。
 しかし、彼女は少しばかり意地悪く微笑み、そっと身を離す。
 数分ほど迷った彼は、意を決したのだろう、重い足取りで清霜へ近付く。


「清霜」

「……ッスン。何よ……?」


 大きく鼻を鳴らした彼女が、ジト目で振り返る。
 目尻には涙が溜まり、僅かだが鼻水も垂れて。
 桐林はハンカチを差し出し、出来る限り静かな声で語り掛けた。


「仮に、戦艦になれる方法が見つかったとして。それを使ったら、清霜は、自分がどうなると思う」

「え? う~ん……。それはやっぱり、伊勢さんとか日向さんみたいな、大人の女になると思う! それから、大口径主砲で敵艦をやっつけて、大活躍するんだから!」


 先程までの落胆も忘れ、最高の未来予想図を思い描いた清霜は、無邪気にはしゃいでいる。
 それを受けて、桐林が更に問う。


「清霜は、今の姿が嫌いか?」

「へ? そ、そんなこと無い、けど……」

「そうか。自分も、今の清霜が……好きだ」

「………………ひぇっ!?」


 彼の言葉を直ぐには理解できず、清霜は間を置いて、どこぞの姉様大好き高速戦艦二番艦のような、奇声を発した。
 会話を盗み聞いていた時津風も「んなバカな」と愕然。早霜だけが、「ふ……」と微笑んでいる。


「戦艦だから必要とされるんじゃない。駆逐艦である清霜が居てくれなければ、出来ない事があるんだ。だから、今のままでいて欲しい。……駄目か」


 拭い切れていなかった涙を親指で払い、清霜の前髪を指で梳く桐林。
 ドクン、ドクン、と。
 かつてない強さで跳ねる胸を押さえ、今度は清霜が、上目遣いに問い返す。


「し、司令官、清霜のこと……。好き、なの?」

「……ああ」


 秋津洲にしてしまった事とは違い、桐林は直接的な言葉を選んでいる。
 もちろん嘘ではないが、これは早霜から言われたように、清霜の機嫌を取るための、おべっかに近い。
 純真無垢な子供を騙しているようで……。いや、間違いなく騙くらかしているのだ。
 常人であれば罪悪感を覚える事だろう。


「そ、そっか……。そこまで言われたら、仕方ないわ! 今回は諦めてあげる!」

「……助かる」

「えへへ……。あ、あのね? 清霜も、司令官のこと……。結構、好きよ?」

「……そうか。ありがとう」

「えへへへへへ……。あっ、お姉さまたちには、内緒よ? 約束っ。あと、いつかは戦艦にしてね?」


 頬を染め、とろけた顔で手に頬ずりする清霜。
 対する桐林は、それ以上答えない。逆手で彼女を引き起こし、残る手で顎先をくすぐるだけ。
 彼女はむずがり、「やぁだ」と笑いながら逃れる。
 向かう先に、何故かツヤツヤした顔の早霜と、未だに愕然とし続ける時津風。


「横須賀艦隊との演習、頑張ってくるからっ。期待しててね! 行こ、早霜姉さまっ」


 上機嫌に手を振った清霜は、今にもスキップしそうな様子でエレベーターに乗り込む。
 見送る桐林はと言えば、清霜の視線が外れた瞬間、わずかに顔をしかめる。
 どうやら、下種な行いをした自覚はあるらしい。


「ふふ……。司令官、悪い人ね……?」

「……軍人なんぞ、善人がなるものじゃない」


 そこへ、手弱女を装う早霜が歩み寄り、傷口に塩を擦り込んだ。自分から嗾けておいて、相当な悪女である。
 彼女の真意は何処にあるのだろう。
 純粋に、妹の幼い気持ちを応援し、愛にまで育てたいのか。それとも、妹をダシに楽しんでいるだけなのか。
 アロマ・シガレットに火をつける桐林を見つめ、彼女は、他の誰にも聞こえない音量で、またしても囁く。


「少し、嫉妬してしまいます……」

「……早霜?」

「あの子じゃありませんけれど……。もし、横須賀の先輩方に勝てたなら。……私にも、祝福を下さいね……」

「姉さまー。何してるのー?」

「今、行くわ……。では、失礼を……」


 ひょっこり。エレベーターのボタン前から清霜が顔を出し、早霜は一礼してから彼女の元へ。
 笑顔のまま、二人は閉じるドアの向こうに消えた。
 取り残される、アロマ・シガレットをふかす桐林と、ジト目の時津風。
 気不味い沈黙の後、時津風はヅカヅカと彼に詰め寄り――


「司令のぉ……。スケコマシ! ジゴロ! ロリコーン!」

「痛い、やめろ、蹴るな」


 ――全力で、三段スネ蹴りを放った。
 甘んじてそれを受けながら、桐林は思う。
 陽炎型は、怒るとスネ蹴りするのだろうか、と。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 場所は変わらず、庁舎六階のサロン。
 いくつか置かれている、背もたれの無いソファの両端に、桐林と時津風の二人はそれぞれ腰掛けていた。


「他のメンバーは、どこに居るんだろうな」

「つーん」

「……喉、乾かないか」

「べっつにー」

「……時津風……」

「つーんっ、ふーんだっ」


 明らかにご機嫌斜め……。いや、直滑降な時津風に、桐林は無表情のまま困り果てていた。
 設置された無料の自販機から、彼女の好きそうな瓶ジュースまで持ってくるが、受け取って貰えない。
 なんだかんだで、もうすぐ一七○○。いくら予定は調べてあるといっても、時間が掛かってはズレが生じるだろう。
 放送で呼び出すのは最終手段として、出来るだけ自然な形で接触した方が、声を掛けられる側としても気負わずに済む。
 どうにかして取り入りたい所である。


「あれ……? 司令官っ、お疲れ様です!」


 ふと、背後から労いの声が。
 桐林が振り向いた先には、声の主である、桃色の髪を左でサイドテールにする少女と、茶髪をツインテールにする少女、ほんのりと青味掛かった灰色の髪を一本に編む少女の、三人がやって来ていた。
 声の主は、白露型特有の黒を基調としたセーラー服。残る二人は、朝潮型のシャツとサスペンダースカートが合わさった衣装を身に纏っている。
 白露型五番艦、春雨。朝潮型五番艦、朝雲。同六番艦、山雲だ。


「春雨か。朝雲たちと……?」

「はい。対 横須賀戦に向けて、色々お話ししてました」


 ニコニコと微笑みながら、春雨が桐林の側へ。
 見た目は上記の通りだが、細かい点を補足すると、頭にはベレー帽を被っている。色は白で、長めの赤いリボンが巻かれていた。
 また、サイドテールの毛先が僅かに水色へとグラデーションしている。
 早霜や時津風がそうだったように、舞鶴艦隊の統制人格には多い特徴だ。後述する朝雲もそうである。


「まぁ、アレよ。演習とはいえ、ただ負けるなんて悔しいもの。やるからには勝つつもりよ」

「山雲もぉ~、朝雲姉と一緒にぃ~、頑張りまぁ~す」


 続いて、朝雲と山雲。
 まず朝雲だが、ツインテールと首元を水色のリボンで飾り、毛先が茶色から赤へとグラデーションしている。勝気な表情が印象的だ。
 対する山雲は、恐ろしくノンビリした喋り口が特徴で、お下げ髪と首元を緑色のリボンで結び、オマケに緑色のカチューシャまで乗せている。少し猫背気味なのは御愛嬌か。


「横須賀へ行くのは、楽しみか」

「はいっ! この前は、時雨姉さんと夕立姉さんが来てくれましたけど、今度は春雨が会いに行けますから。
 白露姉さん、村雨姉さん、五月雨ちゃんに、涼風ちゃん。早く会いたいなぁ……。
 司令官っ。改めまして、春雨を編成に組み込んで下さって、ありがとうございますっ!」

「……気にするな。朝雲は、どうだ」

「え、私? ……まぁ、一応。楽しみではあるかな。会ったことの無い姉妹艦も、居るみたいだし」

「そうねぇ~。姉妹艦と言ってもぉ~、実際に顔を合わせた事がある子ってぇ~、意外と少ないのよぉ~?」


 心の底から喜んでいるようで、春雨の向ける笑顔は、誰の目にも、感謝の念が込められていると分かる。
 朝雲も……。少々照れくさそうに、だろうか。笑みを浮かべている。革靴の爪先がカーペットを叩いているのは、ソワソワする気持ちの代弁であろう。
 残る山雲はと言えば、桐林の隣へ座り、目線で許可を得てから、置きっ放しだったジュースを飲み始める。マイペースな性格が伺えた。

 余談だが、山雲の言った通り、姉妹艦なのに顔を合わせた事が無い船がいる、という事態は、結構な頻度で起きていた。
 特に、姉妹艦の数自体が多かったり、大戦中期以降に就役した軍艦たち――陽炎型や夕雲型などに顕著だ。
 詳しい事情は歴史資料に譲る。興味があれば調べてみて頂きたい。


「ところで、司令官はどうなさったんですか? 今日はお休みのはずじゃ……」

「……そう、なんだが」


 春雨からの質問に、桐林は答え辛そうな顔で、山雲の向こうを見やった。
 三人がそれに追随して視線を向けると、様子を伺っていたらしい時津風が、「ふんっ」と顔を背ける。
 ワンコのように纏わりつく姿が常だった彼女の、滅多に見れない不機嫌ぶり。
 朝潮はまず無言で驚き、次に十割五分の確率で元凶であろう、桐林を見つめた。
 ちなみに、時津風が不機嫌になった元凶である確率が十割で、もう一つ、輪を掛けて機嫌を損ねかねない事を重ねてした確率が五分である。
 当たっていなくもない。


「なぁに、喧嘩? 珍しいじゃない、時津風があんな風にむくれるなんて。何したのよー?」

「……何も。清霜が騒いでいたから、宥めすかした。そうしたら、な……」

「ふぅ~ん……。そうなんだぁ~……」


 前屈みに腕を組む朝雲だが、表情は怒っているというよりか、珍事を楽しんでいるような、イタズラ娘の顔だ。
 そんな彼女に、先程までの如何わしい行為を説明する訳にもいかず、かいつまんで誤魔化そうとする桐林。
 しかし、隣の山雲は訝しげにジュースを傾け、小首も傾げる。


「……なんだ、山雲」

「司令さ~ん。本当にぃ、それだけぇ~?」


 下から顔を覗き込まれ、桐林の口元が一瞬、ごく僅かにヒクついた。
 思わず顔を反対方向へ向けるも、そこには不思議そうな顔をした春雨が居て、真正面は朝雲が固めている。
 逃げ場は無いようだ。


「何か気になるんですか? 山雲さん」

「時津風ちゃんがぁ~、あんな風になるなんてぇ~、とぉ~っても、珍しいと思うのぉ~。だからぁ~、もっと違う理由がぁ~、あるんじゃないかなぁ~ってぇ~」

「確かに、山雲の言う通りかも。ちょっと司令、隠し事は為にならないわよ? 正直に言いなさい!」


 ビシッと、桐林へ指を突き付ける朝雲。
 四面楚歌ならぬ三面楚歌状態に陥った彼は、どうにかしてこの場を切り抜けようと、清霜との約束を拡大解釈してみる。


「いや……。駄目だ。秘密にするという、約束だ。言えない」

「何よそれ、ますます怪しいんですけど。本当に何したのよ……」


 ……が、こんな言い方では、怪しさ大爆発なのも当然で。
 面白半分だった朝雲の表情が、段々と胡散臭いものを見る目付きに変化していく。
 さっさと口を割りなさい、と言わんばかりに睨む朝雲。
 頑なに口を閉ざす桐林。
 業を煮やした彼女は、オロオロし始めていた春雨に矛先を変え、顎でしゃくって時津風を示す。
 ビクリ。身体を震わせ、「え? わたし?」と、春雨は己を指差した。
 出来ればこのまま静観していたかったのだが、鷹揚に頷かれてしまい、仕方なくソファを回り込んで時津風の元へ。


「あの、時津風さん。もし良かったら、春雨に話して貰えませんか? 話すだけでも気が紛れる……かも知れませんし」

「んむぅ……っ」


 ようやく話の輪に加わった時津風は、しかし、への字口に不満たらたら。
 これは処置無しか、と誰もが思い始めたが……。


「あーっ、疲れるから怒るのやめやめー。司令が女っ誑しなのは、今に始まった事じゃないしねー」

「……女?」

「たらしぃ~?」


 彼女は唐突に脱力し、ソファへ横たわりつつ鼻をほじった。乙女にあるまじき行為だ。
 けれど、朝雲と山雲が注目したのはそこではなく、発言内容だった。
 女っ誑し。女性を言葉巧みに誑かし、意のままとする男性を指す言葉である。
 騒ぐ清霜。宥めすかす桐林。怒る時津風。
 これらを総合した朝雲の脳内に、あまり宜しくない光景が浮かぶ。


「ねぇ、時津風。それってまさか、司令が清霜を口説いてたって事なの?」

「さぁー? なんか秘密らしいしー? アタシの口からは言えない言えなーい」


 投げやりとも思える朝雲への返答は、間違いなく、「自業自得だもんねー」という拗ねた感情が込められている。
 まぁ、なんだかんだで桐林に懐いている清霜だ。本人も満更ではなかっただろうと、想像に難くない。
 問題は、それによって様々な悪感情が、そこかしこで発生してしまう事なのだから。


「司令さ~ん。司令さんが本気ならぁ~、山雲は応援しても良いんだけどぉ~……。浜風ちゃんとかはぁ、どうするのぉ~?」

「何故、浜風が出てくる。今は、関係無いだろう」

「……駄目だこりゃ~」


 山雲の指摘にも、桐林は硬い表情でトボけるだけ。
 おそらく、本当は彼も理解している。理解した上で、“まだ”答える訳にはいかないから、誤魔化すしかないのだ。
 今度こそ処置無しと判断した彼女は、「ご馳走様ぁ~」とジュースの空き瓶を残し、いずこかへ消えて行った。自室に戻ったか、間宮にオヤツでも食べに行ったのだろう。


「本人同士が納得しているんなら、私から言う事なんて何も無いんだけど。中途半端にしてみんなを傷付けたりしたら、許さないわよ。分かった?」

「……なんの事か分からんが、心しておく」

「なら良し。まぁ、時津風が嫉妬してるだけなんでしょうけど。程々にしてよね」

「むっ。ちょっとちょっと朝雲ーっ! 嫉妬って何さー!?」


 同じく朝雲も、分からないフリをする桐林に、鋭い釘を刺して立ち去る。
 流石の時津風もこれには噛み付くが、「付き合ってらんないわ」と、朝雲は脚を早めた。
 そして、最後に残った春雨まで。


「……え、ええっと、それじゃあ、私も。次の輸送作戦がありそうな気が、そこはかとなくするので……。司令官、ファイト! ですっ」


 若干、申し訳なさそうな雰囲気を出しつつ、ガッツポーズで応援っぽいものをして、そそくさと退散した。
 またしても二人、取り残される桐林と時津風。


「……部屋」


 意外にも、沈黙を破ったのは、俯せに寝る時津風だった。


「部屋に閉じこもってるはずだから。司令、行ったげてよ」


 あえて主語を抜かした言い方は、意地っ張りな彼女なりの気遣いだろう。
 そもそも、彼女が桐林を動かした理由だって、そこにあるはずなのに。


「……分かった。待っていてくれ」

「気が向いたらねー。ほら、ちゃっちゃと行った行ったー」


 立ち上がり、桐林はエレベーターへ。
 ぞんざいに手を振る時津風だったが、彼の姿がドアの隙間に消えた途端、ソファの上で仰向けに。


「アタシが嫉妬? ……んな、バカな」


 天井に埋め込まれた照明を見上げ、呟かれた言葉は。
 きっと、誰の耳にも届かなかった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 カーテンを閉めきり、薄暗くなった部屋。
 その隙間から、ほんの僅かに、夕暮れの紅い光が差し込んでいる。
 双方の壁際に二段ベッドが置かれる配置は、どこかで見たような既視感を与えた。
 そして、入り口から見て右側のベッドの下段に、膝を抱える影が一つ。
 コンコン、という唐突なノック音で、小さい身体がピクリと跳ねた。


「………………」


 だが、彼女は答えない。
 黒いセーラー服の上だけーー雪風たちと同じだが、色を反転させた物を着ている。
 もうすぐ顔を覗かせるだろう、月の光を思わせる、銀色の髪。
 時津風と同じデザインの煙突帽子を乗せ、豊かな髪量の一部を、ツインテールのようにしていた。
 それには紅白模様の吹き流しが通してあり、同色のオーバーニーソックスからは、黒いガーターベルトのような物が伸びる。服の下、首に巻かれたチョーカーを通って、煙突帽子まで繋がっているらしい。
 傍らに、島風が連装砲ちゃんと呼ぶ存在と同じ、連装主砲のディフォルメ体。白い手袋に包まれた右手がそれを撫で、左は素手のまま、膝裏に通される。

 陽炎型駆逐艦九番艦、天津風。
 次世代の艦隊型駆逐艦のために開発された、新型高温高圧缶のテストベッドを務めた軍艦の、現し身である。


「入るぞ」


 待っても無駄だと悟ったノックの主――桐林が、勝手に部屋へ入った。
 顔を膝の間に落とす天津風は、無作法を力無い声で責める。


「返事も待たずに入るなんて、マナー違反よ」

「……すまない」


 謝りながら、彼女のベッドに腰掛ける桐林。
 連装主砲のディフォルメ体――天津風曰く、連装砲くんが彼の身体をよじ登り、二本の砲身でペシペシと攻撃し始める。嫌われているのだ。
 暴れる連装砲くんを抱きすくめ、ようやく天津風が顔を上げた。


「どういう風の吹き回し? あなたが、統制人格の部屋に来るなんて」

「……少し、気になってな」

「そう……」


 桐林の部屋に統制人格が訪れる事はあっても、逆はほとんど無い。
 時津風と同じく、同室である野分が在室していれば、きっと驚いただろう。
 それきり、口を閉ざす二人。
 連装砲くんも様子を伺い、大人しくしている。


「天津――」

「ねぇ」


 このままではいけないと、桐林が呼び掛けた瞬間、天津風は声を被せた。


「あたしは。あなたにとって、なんなの? ……横須賀に居る子たちの、代わり……。島風の代用品、なの?」


 見上げる瞳は赤く充血し、眉が不安で歪み。連装砲くんを抱き締める腕も、細かく震えている。
 彼女は……。天津風は、横須賀の島風と似通った姿形を持って、この世に具現した。
 名前が違う。髪の色も違う。服装も、声も、性格もまるで違う。
 けれど、もし島風と天津風が並んだなら、誰もが思うだろう。姉妹のように似ている、と。

 いつか問われるだろうと思っていた事柄に、桐林は視線を逸らし、熟考する。気安く答えられはしない。
 十秒が経ち、三十秒が経ち。
 一分、二分と時間が過ぎて、彼はやっと天津風と向き合う。


「そう思われても、仕方ないのは分かっている。そういう役割を期待していた部分も、あっただろう」

「……そうよね。あたしたちは、そういう“物”だものね。別に良いの、それさえ分かっていれば……あっ」

「最後まで聞け」


 ある意味、予想通りの。期待通りの言葉が返され、天津風は声を震わせる。
 この姿は彼が望んだもの。懐かしい仲間の似姿。なら、仕方ないと。
 だが、桐林は俯く天津風の顎に手を添え、無理やりに視線を合わせた。
 連装砲くんが、また暴れ始める。


「君が島風に似ているのは、彼女のプロトタイプだから、というだけじゃない。間違いなく、不安定だった自分の心が、安定を求めた結果だ」


 大戦当時、海軍が新型駆逐艦に求める最高速度は、右肩上がりに上昇していた。
 敵 主力艦を駆逐艦で叩くには雷撃が一番であり、それを活かすにはどうしても速度が必要だったからだ。
 そこで、新たに計画された駆逐艦へ搭載する新型ボイラーを、陽炎型駆逐艦で試験運用する事となり、選ばれたのが天津風だった。
 高温高圧でありながら燃費に優れ、軽量化にまで成功した事を踏まえ、より出力を上げた物が、その駆逐艦――島風に正式採用される。
 つまり、天津風は島風のプロトタイプ。姉妹艦ならぬ、親戚のような存在なのである。

 ここまで条件が揃っていれば、統制人格の姿が似通っていても、仕方のない事かも知れない。
 だが、励起した人間が桐林である事と、この姿で励起された経緯が、天津風の心に濃い影を落としていた。
 彼女が統制人格として具現したのは、横須賀に戻る事を禁じられ、達成不可能に近い任務を背負わされ、オマケに、制御しきれない“力”に苦しめられている、危うい時期だった。
 心を許せる人物も側には少なく、己を痛めつけ続ける日々。
 無意識に、安らぎを求めてしまった事もまた、仕方のない事かも知れない。
 しかし、仕方ないでは済まされない事をしてしまったと、桐林は自覚もしている。


「もし天津風が、その事に憤りを感じるなら、謝る。自分の気持ちを押し付けて、済まなかった」

「え? ち、違う、違うわ! あたしは、そんな……」


 深々と頭を下げられ、天津風は慌ててしまう。
 思わず手を差し伸べてしまったついでに、彼の頭を叩き続ける連装砲くんも回収。
 距離が開いて、また、奇妙な沈黙が広がった。

 謝って欲しかったのではない。彼女はただ、忘れられないのだ。
 この世に生まれ出でた瞬間、手を握ってくれていた人が浮かべた、悔恨にまみれる表情を。
 ほんの一瞬だったが、目に焼き付いて離れなかった。
 それ以降、表面上は上手く取り繕えても、疑念が彼女を苦しめ続けた。
 生まれて来てはいけなかったのか。この姿は彼の傷に触れるのか。居ない方が、良いのではないか。
 そんな風に過ごすうち、島風の存在と、姿形を知って。
 横須賀へ演習に赴くメンバーとして選ばれて……溢れてしまった。
 編成発表の場で噛み付いてしまったのも、そのせいだ。

 誰が悪い、とは言い切れないだろう。強いて言うなら、巡り合わせが悪かったのだ。
 島風よりも、天津風が先に励起されていたら。
 横須賀から離されてさえ、いなければ。
 ボタンを掛け違えたようなもどかしさに、苦しむ事はなかった。
 だからこそ、桐林は今、それを正そうとしているのである。


「天津風」

「……なに?」


 静かな声に、天津風は桐林を見る。
 目が合った。
 薄暗い中だけれど、彼の右眼と、視線が重なる。


「確かに君は島風と似ている。それを重石と感じさせたのは、自分の責任だ。
 だが、共に過ごした時間で、確信もした。
 ……君は、天津風以外の何者でもない。何者も、君の代わりには成り得ない」


 天津風が息を飲む。
 それは確かに、彼女が欲しがっていたものだった。欲していた言葉だった。
 鼻の奥がツンとして。視界が狭まり、彼の姿がボヤけて。
 ただでさえ、平均よりも高い天津風の体温が、上がっていく。


「信じて、いいの……?」

「信じろ」

「……っ」


 力強い返事を貰い、天津風は桐林の胸へと縋り付く。
 しゃくり上げる彼女を、やんわりと抱き締め、また始まる連装砲くんの攻撃も受け止める。泣かせるな、と言っているようだった。
 桐林の言葉は、気休めに過ぎない。
 どんなに言葉を重ねられても、それはあくまで他人の言葉で、最終的に、天津風自身が折り合いを付けねば解決しない、心の問題なのだから。

 けれど、気休めで良いのだ。
 向き合う場は既に用意されている。
 必要だったのは、ほんの少しの後押し。居場所の確認。
 一時の安らぎこそを、天津風は求めていたのである。


「はぁ……。あは、泣いちゃった。情けないわね、あたし」


 攻撃に疲れた連装砲くんが、ベッドへ身を投げ出した頃。天津風の顔に、ようやく笑顔が戻った。
 やはり目は充血しているけれど、泣いてスッキリしたのだろう。表情は晴れやかだ。


「島風、あたしを見てビックリしないかしら」

「驚くだろうが、きっと良い方向にだ。だから、会って来て欲しかった」

「……だと、良いけど。あーあ、ずっと締め切ってたから、空気が淀んでるわ。換気しなくちゃ」


 勢いをつけてベッドから降りた彼女は、大きく背伸びをし、窓辺へ。
 締め切っていたカーテンを開け、窓も開ければ、そよ風と夕陽が小さな身体を包む。


「いい風……」


 そよぐ銀髪が、夕陽を反射して煌めく。
 目を閉じ、一身に風を浴びるその姿は。
 きっと絵画にも、写真にも残せない、刹那の美しさを宿していた。


「ねぇ」

「……なんだ」


 背中を向けたまま、天津風は呼び掛ける。


「後で自分でも言うけど……。お節介な妹に、ありがとう、って言っておいて貰えない?」

「……バレていたか」

「当たり前でしょう? そうでもなきゃ、あなたがこんな、気の利いた真似をするはずないもの」

「酷い言われようだ」

「自業自得よ」


 桐林を差し向けた張本人の姿を思い浮かべると、彼女の顔は自然と微笑む。
 おちゃらけて、気にする素振りなんか一切見せなかった癖に、こんな回りくどい手段で励まそうとする。
 全く、捻くれた妹が居たものだ。


「もう行く」

「ええ。あたしも、もう大丈夫だから。ね、連装砲くん」


 ベッドの軋む音に振り返れば、桐林が近くに立っていた。
 珍しく苦笑いを浮かべる彼に手には、離せー! と暴れる連装砲くん。
 それを受け取り、しっかりと抱き締め。
 天津風は、去っていく背中を見つめ続けた。


「ん……?」

「おいーっす」


 桐林が部屋を出て、ドアを静かに閉める。すると、すぐ側に人影があった。
 天津風と揃いの煙突帽子を被るその少女は、もちろん、時津風だ。
 流石に彼女も、このまま部屋へ突撃するほど空気が読めない訳でなく。
 二人は無言で、連れ立って部屋の前を離れる。


「いやはや、やっとこ一件落着、って感じかなー? 司令ー、ごくろー様々ー」

「……ああ」

「なんかお腹空いたねー。間宮行ってなんか食べよー。あ、でも夕飯前かー、悩ましい……」


 いつもだったら勝手によじ登り、強制的に肩車させそうな彼女だが、桐林の前を歩く後ろ姿は、どこか大人びていた。


「時津風」

「んー?」


 完全に気の抜けた返事。
 自身の事など、時津風はまるで気にしていないのだろう。
 天津風と同じ立場であるはずなのに。
 その後ろ姿は、桐林にとって、雪風と見紛うほど似ていると、知っているはずなのに。


「ありがとう」

「ふぁ? ……あ、あー、天津風のかー。いいっていいて、盗み聞きしてたからさ。そういうの、照れるし」


 唐突な礼に、時津風は目を丸くして振り返る。
 姉妹艦から頼まれた言葉だと気付き、彼女は照れ臭そうに手を振るのだが、桐林も首を振った。


「いや、天津風からだけじゃない。自分も、そう言いたかった」

「あ……。さ、参考までに聞くけど、なんで?」


 足を止め、桐林に対して斜めを向きながら、時津風が問う。
 すぐに返事は返ってくると思っていたが、彼はわざわざ真ん前に立ち、目を見据えて。


「君に言われなければ、天津風とどう話していいか悩み続けて、そのまま送り出していたかも知れない。それが、こうして間に合った。だから……ありがとう、時津風」

「……んぁーもう! 照れるっつってんじゃーん!」


 酷く真剣な表情で、そう言った。
 ポカンと、口を開けっ放しにする時津風は、しばらく俯いた後、頭を掻きむしりつつ桐林へ突進した。
 そうしないと、顔を見られそうだったから。


「なんでこんなタイミングで、そんなこと言うのさバカバカー!」

「……こういう気持ちは、感じた時に言わないと、後悔する。もう、嫌だからな。そんなのは」


 ボスボス、と胸や腹などを叩いてくる時津風を、天津風にそうしたように、桐林は受け止める。
 伝えたい言葉を、聞いて欲しい相手に伝えられないのは、とても苦しい事だ。
 後悔したくなければ、口にするしかない。
 どんなに恥ずかしくても、照れ臭くても。伝えられないよりは何百倍もマシなのだ。


「……そんなだから、司令は司令なんだよ……」

「は……? 意味が分からないぞ」

「分かんなくていいのー! このスケコマジゴロリコーン!」


 素早く背後へ回り込み、後ろから桐林の背中へ飛びつく時津風。
 彼の顔は見えない。迷惑そうな顔をしているか、はたまた、いつもの仏頂面に戻っているかも、定かでは。
 でも、それで良い。
 こちらが見られないなら、彼もきっと見られないから。
 この、弛みきった顔を、見られずに済むから。










『島風は、どうしてる?』

「はい。天津風ちゃんが来るの、すっごく楽しみにしてるのです。
 お姉ちゃん、って呼んで良いのかな? とか、駆けっこ勝負してみたい! とか」

『そうか……。仲良くなってくれると、嬉しいんだが』

「きっと大丈夫なのです。司令官さんの呼んだ子なら、天津風ちゃんもきっと優しい子なのです。仲良くなれるのです!」

『……ありがとう』

「………………」

『………………』

「……司令官さん」

『うん?』

「……御武運を、お祈りしています」

『ああ……。お休み』

「お休みなさい、なのです。……あと、ごめんなさい。止められませんでした」

『え? 今、何か言っ――』《ブツッ》

「……電は何も知らないのです」




















《オマケの小話 鹿島さんは太ももがエロいと思います》





「はぁ……。どうしよう……」


 二三○○。
 桐林艦隊庁舎、最上階。多層強化ガラスで覆われた広大なラウンジの一画で、鹿島は一人、黄昏ていた。
 イベントホールを兼ねたこの場所には、アルコールを楽しむバーカウンターなども設置されており、彼女が居るのはそこである。
 甘味処 間宮では酒類を出さないため、主に桐林や、香取を始めとする年長組。加えて、見た目は子供・胃腸は大人な統制人格も利用している。
 鹿島もその一人であり、お手製のマティーニが手元にあった。

 横須賀へ向かう水雷戦隊の出立式。
 甘味処で開かれていた、前祝いの食事会が終わり、後は風呂を済ませれば、今日という日を終える準備は完了だ。
 しかし、照明を点けず、アロマキャンドルのボンヤリとした灯りに照らされる彼女の顔は、憂いに満ち満ちている。
 何故ならば。


「最近、急激にライバルが増えてる気がします……」


 珍しく食事会に参加した、桐林の隣を取り合う少女の数が、目に見えて違っていたからである。
 浜風や浦風が、座敷に陣取る彼の隣を然も当然と確保したり。この二人が席を立った瞬間、谷風が滑り込んだり、磯風はそれを観察していたり。
 ユーが胡坐の上に腰掛けてしまったり、それを咎めたドイツ艦たちが周囲を固めたり。まぁ、ここまでは予想通りだ。

 が、妙に頬を赤らめた秋津洲が側をウロチョロしたり、清霜が「はいアーン」をしようとして、同じ事をしようとした天津風に邪魔されたり、ニコニコ顔の時津風が常時パイルダーオン状態だったのは、一体何故なのか。
 まるで、出来の悪いハーレム漫画のワンシーンを見せられているようだった。
 昨日までそんな素振り無かったのに、全くもって口惜しい。
 桐林の迷惑そうな雰囲気を察知し、空気を読んで初春たちや春雨、朝雲たちと談笑していた、己自身にも失望してしまう。
 不測の事態が起これば、恥も外聞もポイッと投げ捨てられるのに、どうしてああいう場面で、もっと積極的になれないのか。


「それもこれも、提督さんがいけないんですっ。やたらめったら、フラグを乱立させるから……っ!」


 あれこれ思い出すうちに、段々と腹が立って来た。
 仏頂面をしていたけれど、チヤホヤされて、彼も本当は喜んでいたに違いない。
 ……そう思わねば、やっていられない。


(今日はあんまり、お話しできなかったな……)


 今度は意気消沈し、背中に暗雲を背負う鹿島。
 どうして桐林は、この気持ちに気づいてくれないのか。
 いいや、彼だって馬鹿ではない。とっくに気付いているはず。
 なのに返事がないのは、答えるつもりが無いから? それとも、他に理由が?
 仕事が無ければ、ろくに接点も持てない。
 そんな自分に気付いて、鹿島は串に刺さったオリーブ弄びながら、深い溜め息と、ついでに恨み言も零す。


「はぁ……。提督さんの、バ――」

「呼んだか」

「ぅきゃあぁぁああぁぁぁ!?」


 ――予定だったが、吃驚仰天。
 背後に当人が現れ、鹿島がスツールを薙ぎ倒しつつ体勢を崩す。
 愚痴を零すのに夢中で、エレベーターの到着音に気付けなかったのだろう。マティーニを倒さなかったのは奇跡だ。
 あんまりと言えばあんまりな惨状に、桐林は手を差し伸べる。


「……そ、そんなに驚くか」

「ぉおぉお、驚きますぅ! 後ろから突然声を掛けられれば、誰だってぇ!」


 手を引かれて立ち上がりつつ、半泣きの鹿島は苦情を申し立てた。
 もしかして、聞かれただろうか? 言い切る前に声を掛けられたのだから、大丈夫……だと思いたい。


「すまない。頼み事があって探していたんだが……。またにする」

「えっ。い、いやいやいや大丈夫ですっ。この鹿島に、なんなりとお申し付け下さい!」

「……良いのか?」

「はいっ! いつだってオールOKです!」


 機嫌を損ねたと判断したようで、桐林は軽く頭を下げてから、鹿島に背を向ける。
 途端、別の意味で慌てだした彼女は、大急ぎで彼の横へ並び、引き止めようとアピールを。
 会話らしい会話を出来なかった一日の最後に、向こうからやって来てくれた。しかも、計ったように二人きり。
 このチャンス、是が非でも物にしなくては。
 そんな意気込みが通じたのか、少々迷っていた桐林も、素直に頼み事を口にする。


「一曲、頼みたい。時間はあるか」

「あ……。はい、勿論です。例えなくても、提督さんの為なら作っちゃいますっ」

「それはそれで、気が引けるが」


 胸の前で、両の拳を握る鹿島。満面の笑みに、これまた珍しく、桐林が苦笑いを浮かべた。
 一曲頼む、というのは、彼らの間で通じる合言葉のようなものだ。
 ラウンジの中央――雛壇のように数段下がったスペースにある、グランドピアノへと向かいながら、キャンドルを持った鹿島が背後に確かめる。


「それじゃあ……。まずはパッヘルベルのカノンで宜しいでしょうか」

「任せる」

「はいっ」


 少し離れた場所の、豪奢なベルベットソファへ座った桐林は、いつもの様に頷き返す。
 目の前にあるテーブルへキャンドルを置いて、鹿島は今度こそグランドピアノへ。
 横須賀時代には、音楽を聞くという習慣は無かったそうだが、一度、彼女が演奏して見せてからというもの、何かにつけて頼まれるようになった。
 嫌な事を忘れたかったり、どうしても眠れない時だったり。
 理由はその時々で様々なようだが、数少ない、確かに必要とされるこの瞬間が、鹿島にとっては掛け替えの無い時間だった。


(いつもみたく、ゆっくりと、強いリズムも控え目に)


 遠く、桐林が目を閉じるのを、統制人格の高い視力で確認してから、鹿島は鍵盤を優しく叩き始める。
 ドイツの偉大なる作曲家、ヨハン・パッヘルベルの、「三つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ、ニ長調」。通称、パッヘルベルのカノン。
 その名の通り、本来はヴァイオリン用である曲目だが、その美しい旋律から、他の楽器でも演奏できるよう、幾度も編曲されてきた。
 そして鹿島は、目を閉じても完璧に演奏できる程、音楽に秀でていた。
 子日や初春の白兵戦技能のように、鹿島固有の個人特性であるこれは、かつて、彼女に乗り込んでいた人々の記憶であろうか。
 真偽の程は定かでないが、少なくとも、奏でられる旋律には、聴く者の心を安らかに包む、深い優しさが込められていた。


「ふぅ……。ご静聴、ありがとうございました」


 程なく演奏は終わり、広大なラウンジに静寂が戻る。
 発表会やコンサートであれば、拍手喝采間違い無しの、素晴らしい腕前だったが、しかし、反響はない。


「……あれ? 提督さん?」


 いつもだったら、控え目ながらも拍手をくれる人は、微動だにしていなかった。
 恐る恐る近づいてみれば、一定のリズムで繰り返される、穏やかな吐息が。


(寝ちゃってる……。こんなに早いなんて、珍しい)


 桐林は完全に寝入っている。
 今までの経験からすると、三曲目辺りからウトウトし始めるのだが、今日はやけに早いような。
 食事会でも箸はあまり進んでいなかったし、栄養剤だと言って錠剤も飲んでいた。そうは見えなかったが、やはり疲れていたのだろうか。
 彼の眠りは深い。一度眠ってしまうと、耳元で空砲を撃たない限り起きてくれない程だ。
 その分、作戦展開中の仮眠などでは、ドアを挟んだ忍び足でも、意識が半覚醒するほど眠りが浅い。
 気を許している証だろう。


「………………」


 しばらく、前屈みに様子を伺っていた鹿島は、ソワソワと、誰も居ないはずの周囲を見回し、桐林のもたれ掛かるソファの端っこ。彼の右隣へ腰を下ろす。
 そして、ほんの少しずつ距離を詰め、一定の距離を置いて止まった。


(起こさないよう、慎重に、慎重に……)


 次に、彼の頭と身体を支えつつ、ゆっくりと横たえる。
 少し前、スヴェン・ジグモンディとの会談を控え、染めるのを手伝った黒髪が、膝の上に来るよう。


(ぃよしっ、膝枕状態、完成!)


 程なくして、世の男たちが昔から追い求める夢、膝枕がここに成った。
 今回の場合、どちらかと言えば鹿島の夢見ていた行為であるが、傍から見れば、桐林に妬み嫉みが集中するのは変わりない。
 極一部、鹿島へと嫉妬の念を向けそうな統制人格が居ない事もないけれど、この場に居ないのだからノーカウントだ。
 ちなみに、これまでは寝冷えしないよう毛布を掛け、寝ずの番という名の寝顔観察をするだけだったので、初膝枕である。


(……たまには、良いよね? 独り占めしても)


 右手で彼の軍帽を預かり、左手は、顔の傷に掛かった髪を整えて。
 かつてない充足感を味わいつつ、鹿島は穏やかな寝顔を見つめ続ける。
 今日という日を悔やんで終えるはずが、今はこうして、想い人と二人きり。世の中、何がどうなるか分からないものだ。
 許されるなら、この時間がいつまでも続けばいいと。叶ってはいけない事を願ってしまう鹿島だった。

 ところが、次の瞬間。
 背後から空気を読まない、エレベーターの到着音が響く。


「あ、鹿島秘書官。丁度ええとこに。あんな、提督さんどこにおるか――」

「っ!? し、しーっ!」


 どうやら、降り立ったのは浦風らしく、彼女は鹿島の後ろ姿へと声を掛けた。
 しかし、「静かにー!」と指を立てられてしまい、首を傾げながら前に回り込む。
 眠りこける桐林を確認して、ようやく納得した顔だ。


(……なぁんや、寝とったんじゃね?)

(そうなんです。なので、重要な案件でなければ、後日に……)

(ほんなら、仕方ないわな)


 浦風は破顔し、小声で鹿島と頷き合う。
 そのまま彼女は一旦姿を消すのだが、毛布を手に直ぐさま戻って来た。
 動けない鹿島の代わりに、持って来てくれたのだろう。
 優しく桐林の身体へと被せれば、もう他に出来ることもない。
 二人っきりに戻れる……はず、なのだけれども。


(……あの、浦風ちゃん)

(なんじゃ、鹿島秘書官)

(どうして座り込んじゃってるんですか?)

(いやな。こげな寝顔を見るんは、久しぶりじゃなぁと思うて。
 やっぱり、男は膝枕が好きなんやろねぇ。あん時もこないやったわ)


 何故か浦風は、テーブルとソファの間へしゃがみ込み、ジーっと桐林の寝顔を見つめている。無遠慮に頬っぺたをツンツンとまで。
 鹿島は思う。

 毛布を持って来てくれた事には感謝しますが、だからって居座られても困っちゃうんですけど。
 と言うか、今の「久しぶり」という発言はどういう意味ですか? 「あん時も」って、浦風ちゃんも膝枕したことあるって事ですか?
 ぐぬぬ……! い、今してるのは私ですもんねー! 絶対に譲りませんからねーだ!

 ……と。
 なんというか、見た目以上に子供っぽい対抗心である。


「ん゛……」


 ニコニコと寝顔を見守る浦風。表情だけは同じくニコニコしているが、心の中は穏やかでない鹿島。
 ほぼ一方的なピリピリムードの中、桐林が寝返りを打ち、身体の向きが反対に。
 服越しとはいえ、彼の吐息を下腹部に感じ、鹿島は悶える。


(んっ……。て、提督さんっ、そんな、ダメ……!? う、浦風ちゃんの前でなんて……っ)

(……単に寝返り打っただけと違う?)


 何か勘違いをしている鹿島に、浦風がジト目を向けた。
 勘違いしたくなる気持ちも分かるけれど、寝ながら間違いなど起こせないだろうに。
 彼女はやおら立ち上がり、ロマンティックを加速させようとしていた鹿島へ耳打ちする。


(鹿島秘書官。いっこだけ、注意しといて欲しい事があるんよ)

(はい? 注意?)


 現実に引き戻され、小首を傾げている鹿島。
 クスリと、色気を感じさせる笑みを浮かべ、浦風は続けた。


(その状態で前屈みになり過ぎると、提督さんが身を起こした時にやね。……顔で、持ち上げられてしまうんじゃ)

(へ。持ち上げ、って……あ)


 なんの事か分からず、更に傾く鹿島だったが、ふと、自身の重心移動で悟る。
 この体勢の桐林が起き上がろうとして、障害物となりそうな物など、一つしかない。……胸だ。
 はっきり言って、鹿島の胸も大きい。浦風と比べても差はほとんど無い。
 まぁ、駆逐艦なのに大きい浦風の方がおかしいのだろうが、それは置いておこう。


(そ、そうですね。気を付けます……)

(それが良え。変な声出てまうから。ほなら、うちはこれで)


 ロマンティックな妄想が好きな鹿島でも、実現する可能性が出てくるとなると、流石に尻込みしてしまった。
 恥ずかしげなその顔を見て、浦風も安心したらしく、背を向けて歩き出す。


(ん? そうなるのを知っているという事は……。まさか浦風ちゃん……?)

(……ふふふ。ノーコメントじゃ)


 ――が、またしても鹿島が気付いた。
 確かに、ちょっと冷静に考えれば、顔で胸を持ち上げられてしまう、という予想は立てられる。
 しかし、浦風の言い方だと、まるで自分自身が経験したような、そんな風にも思えるのだ。
 微かな呟きに反応した浦風は、肩越しに鹿島たちを見やり、茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべながら、唇に前で指を立てる。
 そして、その姿が視界から消えて三秒後。
 彼女の言った事は、現実となったのである。





「……ん゛? ……すまない、眠って――うぶっ」

「ひきゃうっ!?」




















 ヒャッハー! 春イベ直前だぁああっ!! 七海域ってなんだよ怖すぎるわチクショー!?
 そして何故イベント中に限って、家を空けなきゃいけない用事が発生するんじゃーい! 日数が、攻略日数が減ってしまうぅ……っ。
 ……まぁ、そんなどうでも良い事情はさておき。葬送の唄、完結編でした。
 これまで情けない所を晒してきた主人公ですが、ようやく覚醒しつつあります。
 そして、覚醒後である舞鶴編ではフラグ乱立。ついでに下からパフパフ。そこ代われや(血涙)。
 次回更新はイベント後を予定しております。主人公の覚悟を促す最後の一手は、もちろん……?
 それでは、失礼致します。


「さて……。いよいよ明日ガ、Operation決行の日デース。二人共、準備はOKデスか?」
「準備は出来てるけどさ……。私コレ着るの!? いや、確かに一度は着てみたかったけど、マジで……? ね、ねぇ、やっぱ違うのにしない? 金ご――じゃなくて、近藤さんだっけ、使う偽名」
「そのはずですよ、鈴――山さん。というか、なんで私まで? メイド服なんて似合いませんよ、私……。こういうのは睦月ちゃんとかの方が……」
「そういうキャラ設定なんだからしょうがないデス、ブッキーことMs.吹石! ワタシだってどっちかと言えばSuitよりMaid服着たかっタのに……。Patronの意向は無視できまセン」
「パトロンねぇ……。桐谷中将の娘さんとか言ってたよね。本当に舞鶴に入れんのぉ……?」
「私は追い返される方が良いです……。はぁ……。どうしてこんな事にぃ……」





 2016/04/30 初投稿







[38387] 在りし日の提督と安らぎとの決別
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/06/04 12:38





 一応、観艦式を無事に終え、数日が経過したある日。
 どっちゃりと、執務机に盛られた封筒の山を見て、■■■は首を捻った。


「なんですか、これ」

「聞いて驚け。なんと、君へのファンレターだ!」

「……えぇえぇえっ!?」


 ドヤァ、という顔付きの提督に、今度は思わず絶叫。目を白黒させてしまう。
 ファ、ファンレター?
 えっと、でも、全部積み上げたら天井を突き破るくらいありそうなんですけど?


「こ、これ全部、ですか」

「ああ。ホントにビックリだよ。まさかここまで反響があるとはなぁ。ちなみに、わたしへは呪いの手紙ばかりだった」

「……なんかゴメンナサイ」

「いいさいいさ。わたしが代わりに憎まれる事で、君が受け入れられ易くなったんだ、って考えるようにするから……」


 ちょっぴり、涙で瞳を潤ませる提督。
 嘘じゃなさそうだし、そんなに酷い内容だったのかな……。
 と、心配になってしまう■■■だったけれど、彼は直ぐに立ち直った。


「だが、喜んでばかりも居られない。早速で悪いんだけれども、君に新しい仕事がある」

「あ、はい。お仕事ですか。人前に出るような事じゃなければ、なんでもお言い付け下さい!」


 提督の言葉に、■■■は背筋を伸ばす。
 新しい仕事。
 幸い、観艦式は大きな失敗をせずに終えられたけど、■■■の失敗は即ち、提督の失敗。気を引き締めなくっちゃ。
 そんな気持ちが伝わったのか、彼も表情をキリッとさせ……。


「■■……」

「はいっ」

「超ごめん。人前に出る仕事なんだ」

「え」


 いきなり腰を九十度に曲げた。
 ……人前に出る仕事? またぁ!?


「君の名前の由来になった山にある、四大護国寺とかいうとこで、一日ずつ巫女さんをやるんだ。
 ほら、最近どこも過疎化が進んでるだろ? 地域活性化の一役を担って欲しいって、偉い坊さんに頼まれちゃってさ……」

「そ、そんなっ、急に言われても困ります! 観艦式でも死ぬほど恥ずかしい思いしたのに……」


 神妙な顔で説明する提督に、思わず涙目になる■■■。
 ええ。確かに観艦式で大きな失敗はしませんでした。でも、小さな失敗はしたじゃないですか。
 具体的に言うと、観艦式の最後の最後。
 いよいよ■■■が登場し、本体の艦橋から飛び降りるという、ウルトラCなアクロバットを成功させた直後。唐突に吹いた海風のせいで、カメラの前でパンモロしちゃったじゃないですか。
 どうにかその場は何事も無かった風体で乗り切ったけど、ネット上では■■■の純白パンツ画像が出回ってるみたいだし。正直もう死にたい。
 またあんな思いをする位なら、いっその事ボイコットを……なんて考えるほど、メディアに晒されるのは嫌になりました。
 という訳で、全身全霊でお断りしたい■■■でしたが、提督は顔の前で拝むように手を合わせ……。


「いやホントごめんっ。今後の事を考えると断るに断れなかったんだ。ちなみに明日からだから、今すぐ準備してくれ」

「はぁ!? な、なに考えてるんですか提督!? 今後の事とかなんとか言って、本当は■■■の巫女服姿を見たかっただけじゃありませんかっ?」

「ぶっちゃけそれもある!」

「言い切ったよこの人!?」


 急過ぎる日程に食って掛かるも、胸を張る提督に■■■はズッコケてしまう。
 ダメだわこの人、煩悩に塗れちゃってる。いや、そんな風に思ってもらえるのは、嬉しくない訳じゃないですが……。
 えー、ちなみに。四大護国寺とは多分、弥高護国寺、長尾護国寺、観音護国寺、太平護国寺の四つのお寺を総称した呼び名で、それぞれ、悉地院、惣持寺、観音寺、太平観音堂という呼ばれ方もあるようです。
 かの高名な役行者――役小角様が開基となったお寺も含まれる? そうですが、詳しい事は知りません。なんでこんなお寺の名前を知ってるのか、自分でも不思議。

 とまぁ、こんな感じで現実逃避しているですが。
 そんな姿を見兼ねたのか、提督は崩れ落ちる■■■の肩へ手を置いた。


「不安になる気持ちも分かるが、安心しろ■■。今回の犠牲者――じゃない、参加者は君だけじゃないんだ。入ってくれー!」

「提督? 犠牲者って言いましたよね今、犠牲者って。ねぇ」


 途中で言い換えたけど、明らかに言ったよこの人。もしかしなくても■■■、とてもブラックな鎮守府に捕まったんじゃ……。
 なんて不安増し増しになっていた所、執務室へのドアが静かに開く。
 入って来たのは、燻んだ金髪の少女と、キラキラ輝く笑顔がウザ――もとい。鬱陶しいイケメン男性。
 ■さんと、■■■さん?


「え、■さんも巫女体験するんですか?」

「不本意、ながら。ちょっとだけ、興味、あったし……」

「そしてそして! ■君が参加するならば、この僕も当然参加させて貰うぞ!
 あ、もちろん巫女じゃないよ? 女装しても様になるだろうけれど、世の男性陣を勘違いさせては可哀想だからね!
 ちなみに、僕ら二人は一般人を装う予定さ!」

「そーですかー。心強いなー」


 残念な方の戯言は受け流しつつ、■■■は■さんという巻き添えを得て、どうにか立ち直る。
 一人だったら心細いというか絶望的だったけど、知り合いが隣にいてくれるなら、なんとか……なって欲しい。切にそう願う。
 そんな■■■たちに、何故かニコニコ顏な提督が歩み寄り、あれよあれよと肩が組まれて。


「と、いう訳で……。いざ行かん、岐阜県と滋賀県の境目! 待ってろ飛騨牛、近江牛ー!」

「軍の払いで、食べ尽くす……!」

「はっはっは! 食い意地の張った姿も素敵だよ■君!」

「どう考えたってそっちが本命じゃないですかー!? もうヤダー!」


 なんとも軍人らしからぬ掛け声が、執務室に轟く。
 こうして、主に■■■だけが苦労する、食い倒れツアーが始まるのであった。
 とほほ……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 吉田 剛志元帥の国葬がしめやかに執り行われ、日本中が悲しみに包まれてから一週間後。
 自分は、京都府は日本海沿岸の某所にある、秘密港に居た。
 岩盤をくり抜いて作られたそこは、空からの目は元より、あらゆる情報網から隠された巨大施設だ。
 収容可能艦艇数、おおよそ二百。今も未来の傀儡艦が多く停泊しており、久しぶりに黒い詰襟を着る自分と、“彼女”を甲板に乗せる船も、そこにあった。


「すぅ……。はぁ……。すぅ……」


 自分の目の前で、大きく深呼吸を繰り返す、赤毛の少女。
 いつもの様に、鎮守府が指定する女性用制服を纏う彼女は、しかし普段ではあり得ない、様々な“部品”も付与されている。
 左肩と、左脚のオーバーニーソックスに沿う形で、装甲が付加。
 腰から背中、身体の右側へとせり出す艤装には、幾つもの小型クレーンが配置されていた。
 どうやら艤装本来は重いらしく、紫色の帯で右肩に吊るすようになっているだけでなく、簡易な台による支えも必要としている。
 アンテナ付きのPCも置かれていて、それだけが奇妙な異物感を醸し出す。
 統制人格のような格好をしているが、彼女は――主任さんは“まだ”人間だった。


「大丈夫ですか、主任さん?」

「いやぁ、やっぱ、緊張しますね……」


 視界に入る自分の白髪が鬱陶しく、使い捨て眼帯と一緒に直しながら声を掛けると、引きつったような苦笑いが返される。
 周囲から人払いはされているが、無数に設置された監視カメラは、つぶさにこちらの様子を伺っているだろう。
 これから、世界でも初めて励起実験が行われるのだから。
 人工統制人格の、本励起実験が。


「アタシ自身が作った物ですから、適合はするはずなんですけど……。感覚的なものなので、確実かは……」


 手ずから削り出したという艤装を撫でつつも、主任さんの表情は優れない。
 統制人格が持つ艤装という物は、ブラックボックスの塊だ。
 過去、感情持ちを説き伏せ、艤装を分解した事はあったようだが、およそ機械的な動作を期待できない構造にも関わらず、実際にはキビキビと作動するという、摩訶不思議な物体だったらしい。
 そんな物をどうやって作ったのかと言えば、単に鉄の塊を削り出し、それらしい形に貼り合わせ、ただ持っているだけ……のようだ。
 “ヤツ”の残した資料を精査した結果、この状態で励起を行う事で、鉄の塊が艤装へと転換するとのこと。

 しかし、これらの情報は全て、確証が無い。
 あの戦いで目にした、阿賀野型の人工統制人格たち。のちに回収された遺体を解析した結果も、どうやら芳しくないらしかった。
 そもそも、最初の成功例こそが主任さんであり、ここから先は未知の領域。願わくば、安定している今の状態を維持して欲しかったが……。
 本励起を望んだのは。人工統制人格としての完成を望んだのは、彼女自身だったのである。


「あの、主任さ――」

「はいストップ」

「――んむぐ」


 それがどうしても理解できず、問い掛けてみようとするけれど、いきなり唇を指でつままれた。


「その呼び方、ダメですよ? この励起が成功したら、アタシは工作艦 明石になるんです。そこら辺、キチンと認識して貰わないとっ」


 ニッコリと。微笑みながら注意を促す主任さんは、胸を張ってそう言う。
 屈託の無い、彼女らしい表情。
 これをまた見られるという事だけでも、奇跡なのだ。それなのに、どうしてその先を求めるのだろう。
 やっぱり、彼女の気持ちが分からない。


「……本当に、良いんですか。自分なんかの、船になっても」

「はい? 何を今更」


 卑屈な物言いに、彼女は握り拳をこちらの胸へと置き。
 そして、柔らかく微笑んでくれる。


「貴方以外は嫌です。貴方が良いんです。貴方だから、アタシは今、笑っていられるんです。胸を張って下さい。……提督」


 拳が開かれ、手の平が押し当てられると、その気持ちが直に伝わってくるようだった。
 でも、安心できた反面、主任さんの微笑みは、今まで見たことの無いくらいに、綺麗で。
 自分の鼓動の早さまで伝わりそうで、気恥ずかしい。


「はいっ。じゃあ練習してみましょっか。アタシのこと、明石って呼んでみて!」

「え? ……明石……さん?」

「うぐっ。なんでそこで“さん”を付けるかな……」

「いやだって、ずっと主任さんだったから、つい」

「ちゃんと呼び捨てにして下さいー。全くもう」


 変わらず微笑み続ける彼女を、馴染みのない呼び方で呼んでみるが、どうやら気に入らないらしく。
 そんなこと言われてもなぁ……。電たちならまだしも、普通の女の子だった人を呼び捨てって、今までした事ないし……。
 いや。これから彼女は、その“まだしも”の中に入るんだ。慣れておかなくちゃ。


「……ぁ、明石」

「はい、提督。何かご用ですか?」

「へ? あ、えっと、よ、呼んでみただけ、だけど」

「……そっか。そう、ですよね……」


 軽めに深呼吸をしてから、主任さんの――明石の目を見据え、呼び掛ける。
 すると、彼女は思いがけない返事をして、しどろもどろになってしまう。
 それが移ったのか、二人で気不味く顔を逸らしてしまい……。なんだか、頬が熱くなっているような感じがした。
 ど、どうにかしなくてはっ。


「あ、あははっ。なんだか、付き合いたてのカップルみたい、です、ね……」

「……アタシはそうなっても良いんだけどなー」

「んぇえっ!?」

「ふふふ。冗談ですよーだ。変なこと想像しました? 提督のエッチー」

「なっ、お、怒るぞ明石!」

「あははは! ごめんなさーい」


 半分からかわれているのだと分かり、拳を振り上げて怒ったふりをすれば、イタズラっ子は舌を出して頭を庇う。
 もちろん、本気で怒るわけが無い。
 きっとこれは、主任さ――明石なりの気遣いであり、事実、おかげで緊張感は軽くなっている。
 一番に不安を感じているのは、彼女のはずなのに。
 自分も、ウジウジなんかしてられないな。


「始めるか」

「了解です!」


 元気の良い返事に後押しされつつ、自分は右眼を閉じ、精神を集中させる。
 別段、変わった事をする必要は無いらしい。
 幾度も経験したように、普通に艦船を励起可能な状態を維持すれば、自分と彼女は魂でつながった存在となる……はず。
 PCの操作音が聞こえてきた。同時に、増震機の稼働による低周波も感じる。
 船に乗った状態で励起するのは初めてだが、むず痒いような、肌が痺れるような、そんな感覚だった。


「……なんだか、ちょっとだけ怖くなって、来ちゃいました……。
 あの、アタシの身体に触っておいて貰えます? いつ適合が始まるか、分からないので」

「は、はい」


 ふと、彼女が不安気な声を出す。
 無理もない。何もかもが初めてで、失敗すればどうなるのかさえ分からないんだから。
 自分は、集中を切らさぬよう心掛けながら、眼を開けて右手を伸ばす。
 必要かどうかも判然としないが、通常の励起で起きる事……。統制人格と能力者が肉体的に接触しているのを、再現しておこうという訳だ。
 さんざん迷った末、それは彼女の肩へ落ち着くのだが……。


「提督……」

「あ、ごめんなさいっ。でも肩がダメだと他に選択肢が」

「いえ、そうじゃなくって」


 どうしてだか、不満そうな顔がそこに。
 馴れ馴れしかった? でも、手とか頭とかは尚さら駄目だろうし……。
 とりあえず反射的に謝るが、今度は頬を染めて。


「で、出来れば、ですね? その……。あの時、みたいに。抱き締めてくれたら、安心できるんですけど……」

「えっ」


 ――だなどと、吃驚仰天なお願い事をしてきたのだった。
 PCから警告音。脳波が安定していないせいだ。
 いかん、落ち着け、冷静になれ。
 彼女はただ不安がってるだけなんだ。
 今さら励起を中止は出来ないし、これは、万全を期す為。やましい気持ちは捨てろ。
 ……ぃ、行くぞっ!


「わ、分かりました。では……」

「……ど、どんとこーい!」


 思わず敬語になりつつ、距離を一歩詰め、おずおずと細い身体を抱きしめる。
 ……と言っても軽くである。ほとんど力を込めず、腕の中に納めるだけ。
 彼女の方も、腕をこちらの背中に回している。戸惑っているのがその手付きから分かった。
 言葉は発しない。そんな余裕が無い。
 ちょうど、鼻のある高さで赤毛が揺れ、微かに甘い芳香が嗅覚をくすぐる。
 それだけでなく、肩口へ押し付けられた小さな頭が。その重さが、何故だか心地良くて。
 心臓は異様な早鐘を打ち、しかし、心は落ち着きを取り戻している。警告音も止んでいた。

 奇妙な安心感。
 先程の手の平もそうだったが、他人の体温を感じるというだけで、こんなにも安らぐものだろうか。
 なんだか、申し訳ないような……。罪悪感? も覚えるけれど、今しばらくは。彼女が望む限りは、こうしていなければ。


「――あっ」

「どうしました?」

「始まった、みたいです。あ、何、これ。何か、流れ込んで……」


 言い訳染みた事を考えているうちに、腕の中にある身体が小さく跳ねる。
 同時に、全身で感じる微動が、より強く。
 始まった。人間として生まれた彼女が、軍艦として生まれ変わろうとしているのか。
 ……でも、なんだ? この嫌な予感は……?


「いや、違う、だめ……。それは、アタシじゃ……。でも……う、あ……っ」

「主任さ……? 明石? おいっ」


 それを裏付けるが如く、彼女は熱に浮かされているように、うわ言を繰り返す。
 肩を揺すぶってみるけれど、眼の焦点が合っていない。
 此処ではない何処かを。今ではない何時かを見つめている。
 動くはずのなかった艤装も、不気味に蠢いていた。まるで、もがいているようだ。


「アタシが、消える。アタシが、塗り潰、され、て。アタシ、あ、アタ、ああ、ああああああああああああ」

「そんな……っ。ダメだっ、しっかりしろ! 呑まれるなっ!」

「ああ、あ、あああああ、あああ、ああああ」


 励起振動は最高潮に達し、通常であれば、統制人格が顕在化する頃合い。
 だが、彼女の様相は明らかに、悪い方向へ向かっている。
 工作艦の過去が刷り込まれようとして? でもこれは、“侵食”されているようにしか……。
 必死に呼び掛け続けても、虚ろな瞳から、どんどん生気が失われていく。
 もはや立ってもいられないのだろう。膝は崩れる寸前で、自分が支えていなければ、とっくに倒れてしまっている。
 どうして、こんな。
 ダメなのか? せっかく助かったのに、また?


(そんなの、あんまりじゃないか。なんで、この人にばかり)


 どれほど強く抱き締めても、抱き返される事はない。
 呼び掛けに返るのはうわ言ばかりで、彼女の眼に自分は映らない。
 消えていく。主任さんが。
 横須賀で散々お世話になって。
 死なせてしまったと思ったら、生きていてくれて。
 自分なんかの為に、船になるとまで言ってくれた、女の子が。

 そんな事、認められるかっ!


「……自分の船に、なってくれるんだろう?
 だったら、その命令に従う義務があるはずだ。
 勝手に消えるんじゃない。君が消えるのは、自分が死ぬ時だけだ。
 頼むから……っ。お願いだから、戻って来てくれっ!」


 脱力する彼女の身体を抱き留め。
 虚空を見つめるその視界を、頬に手を添えて無理やり正し。
 自分は全身全霊を込めて、叫ぶ。

 すると、地震かと思うほどに激しかった励起振動が、急に止まった。
 同時に、彼女が身に付けていた艤装も消失。糸が切れたようになる身体を、慌てて横たえる。
 この感覚は……。励起を終えた時に似ているが、確証を持てない。
 まぶたは硬く閉じられていた。
 胸の上下から呼吸を確認できるけれど、彼女の心が無事かどうかは、分かるはずもない。


「し、主任さん……?」


 恐る恐る、今まで通りの呼び方で、彼女を呼んでみる。
 実際には数秒だろうが、十分以上にも感じられる沈黙の後、ようやく、まぶたが開き始めた。
 眠りから覚めたばかりの、微睡んだ瞳。
 何かを探すように宙を泳いだ視線は、やがて、こちらの視線と重なる事で一点に定まる。
 薄桃色の唇が、わなないた。


「……もう。明石だって、言ってるじゃない、ですか……?」

「あ……。よ、良かった……」


 しょうがないなぁ、というような苦笑い。
 そのおかげで、彼女の心が無事であると理解できた。
 成功した。成功した、んだよな?
 艤装が消えてしまったのは、何故だか分からないけど、とにかく一安心、か。


「どこか、おかしく感じる所は? 痛みとかは?」

「いいえ。特には。変な感じは、変な感じですけどね。
 さっきまで、アタシという存在が消えちゃうかと思ってたのに。
 提督の呼ぶ声が聞こえた瞬間、なんというか……。引っ張り上げられた、ような」

「これで、工作艦に……」

「はい。それは確実です。こうだ、って説明はできないんですけど、アタシ自身がそう確信してます。
 人間としての過去と、工作艦としての過去が、分離しながらも同じ位置にある、というか……。う~ん、やっぱり難しいですね……」


 彼女を――明石を支えながら問い掛けると、立ち上がりつつ、彼女自身も首を傾げる。
 やっぱり、感覚的な物を説明するのは無理だろう。
 自分だって、能力を使っている時の事を事細かに説明しろ、と言われたらお手上げだ。
 上の連中はそれで納得しやしないだろうが、彼女はもう自分の船。しっかりと護らなければ。

 完全に復調したらしく、照れ臭そうに「どうも」と呟いた明石は、腕の中から逃れ、少し離れた場所で艤装を出し入れしていた。
 どうやらあの艤装、霊子化して体内へ格納されただけのようだ。
 詳しい原理なんて知らないが、本当に統制人格になったんだな……。


「とにかく、無事で良かった。一時はどうなることかと」

「あはは。ご心配をお掛けしました。それじゃあ、改めて……。
 工作艦、明石です。艦隊の修理は、これからもアタシにお任せ下さいね!」

「ああ。よろしく頼む」


 艤装状態で姿勢を正し、幾度となく見てきた笑顔を浮かべた明石が、右手を差し出す。
 改めるとやはり気恥ずかしく、ほんの少しだけ躊躇った後、自分はそれを握り返して、敬語は使わずに頷いた。
 今までずっと敬語で通してきたし、慣れるにはちょっと時間が掛かるだろうけど。
 きっとその方が良い。そう思う。


「……あ~、と……」

「……ど、どうかしました?」

「い、いや。特に、どうという事は、ないんだけど」

「……そう、ですか……」


 微笑み合いながら、繋いだ手を解くタイミングを見計らう自分たち。
 なんだろう。もう離しても良い頃合いだろうけど、なんだか、惜しむような気持ちが湧いてくる。
 いっそ、大井みたいに嫌がってくれたら、とも思うが、明石は顔を逸らすばかり。
 ……どうしよう。気不味い。

 と、そんな時。パチパチパチ、という拍手の音が背後から聞こえてきた。
 もうここしかない、と手をさり気無く解きつつ振り返れば、見覚えのあるセーラー服少女の二人組が。


「君たちは、間桐提督の……」

「はーい! なっちゃんです!」「むっちゃん、です。成功、おめでとう、ございます」

「あ、ご丁寧にどうも……。へぇ、この子たちが間桐提督の長門型なんですねぇ~」


 どうやら、人工統制人格の励起実験について知っていたようで、少女たちと明石は丁寧に頭を下げあっている。
 彼女たちがここに来るだなんて、どういう事だろう……?

 話は変わるが、Ms.フランとあの店を出た後、自分たちはまっすぐ例の施設へと戻り、元帥との最後の別れを済ませた。
 彼女も浅からぬ縁があったらしく、とても長く、静かに祈りを捧げる姿が印象的だった。
 本当は間桐提督にも会いたかったが、彼らは既に立ち去っていて、桐ヶ森提督も含め、顔は合わせられず終い。後ろ髪を引かれる思いで、自分は施設を後にしたのだ。
 その時点でMs.フランとは引き離されたが、後日、正式な連絡ルートが確保され、ちょいちょい雑談混じりの話し合いが持たれている。
 ひとまず、「なんか適当なイタリア艦をそっちに送るから、楽しみにしといて?」、とのこと。
 相変わらずアバウトな言動だったけれど、それがあの人らしいんじゃないかと、今ではそんな風に思える。

 そんな訳で、間桐提督の長門型……。略称は「ながむー」だったっけ?
 この子たちに会うのも数日ぶりなのだった。


「どうしてここに? 何か用なのかい」

「うん、お使いですっ」「桐林さんを、呼びに来ました」

「提督を? 一体、誰が……?」


 片膝をつき、視線の高さを合わせると、なっちゃんは元気よく、むっちゃんは淑やかな返事をした。
 明石は首を傾げているが、この二人を遣いに来させられる人物など、“彼”しか居ないだろう。
 ……流石に、二度もいきなり殴られるって事はないだろうが、どうしても身体が緊張した。
 そうとは知らない少女二人は、勿体ぶった笑みを浮かべ、小走りに駆け出す。
 タラップを降りていく背中を目で追うと、その先に居たのは……。


「間桐提督……。と、疋田さん?」


 少女たちに纏わり付かれている美男子――間桐提督こと、吉田 皆人と。
 明石と同じ制服に身を包み、細長いアタッシェケースを提げた女性――疋田 栞奈さんが、そこに居た。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 重苦しい雰囲気が漂う、移動用大型カートの中。
 沈黙を破ったのは、工作艦のあった第九ドックから、間桐提督の指定した第三ドックへ向けて運転する、疋田さんだった。


「えっと……。お、お久しぶりですね。桐林提督に、主任さん。……いえ、もう工作艦の明石さん、ですか」

「え? あ、あの、もしかしてアタシの事情、全部……?」


 三列シートの中央。自分の左隣に座る明石が、おっかなびっくり、といった様子で問い返す。
 彼女が人工統制人格であるという事実は、言うまでもなく最高機密に類する情報だ。
 知っているのは“桐”の数名と、海軍情報部の極一部。一介の警備員だった疋田さんが、知り得ないものである。
 自分の救出作戦に参加したという経緯を知っていれば納得だが、わざわざ明石にそれを教える人物も居ない。驚いて当然か。
 疋田さんの苦笑いが、バックミラー越しに見えた。


「ええ。救出にも立ち会いましたから、全部知ってます。ご無事で何よりでした」

「……はい。ご迷惑をお掛けしました。というか、その格好。アタシと同じ……」

「あ、これですか」


 明石が深々と頭を下げた後、話題は疋田さんの服装に移る。
 横須賀で彼女が着ていた制服と言えば、警備部の青いスーツだったはず。
 でも、今着ているのは明石と同じ……。鎮守府の庁舎などに勤める、若年女性職員用の制服。スカートの丈だけは少し長めになっているようだ。
 どうしてあんな服を着ているのか、自分も疑問だった。……いや、年齢的な意味じゃなくて。


「実は私、調整士の資格を取りまして。この度、正式に桐林提督付きの調整士として選ばれました」

「なるほど、そういう……。あ、調整士といえば、書記さんは? いつもなら提督の側に控えてそうなのに、ずっと姿が見えなくて。アタシ、気になってたんです」

「……あの人は、舞鶴で色々あって……。今は梁島提督の保護下に居るはずです」

「梁島の……!?」


 予想外の名前に、自分は前のめりになってしまう。
 疋田さんが調整士になったというのも驚きだが、書記さんが梁島の所に居るだなんて、聞いていない。
 どこまで本気だったか分からないけれど、自分を目の前にして、家族を盾にするような発言をした男が、あの人を。
 不信感を露わにする自分だったが、しかし、疋田さんは首を振る。


「安心して下さい。多分ですけど、提督の思ってるような事態にはならないと思います。あの二人なら」

「どうして言い切れるんですか。何か知って……?」

「私の口からは、言えません。信じて頂くしか」


 知らず、硬質な声をぶつけていたが、彼女は頑なだった。
 ……多分、自分の知らない、なんらかの事情を把握しているのだろう。
 正直に言えば、二度と関わり合いになりたくない相手だ。でも、そんな事を言ってはいられない。
 疋田さんを信じたい気持ちもあるけど、何か考えておかなくては。
 そんな、敵愾心にも似た感情を悟られたか、バックミラー越しの彼女の笑顔が、殊更に大きく花開く。


「とにかく保証しますんで! なんだったら、私のファースト・パイタッチを賭けてもいいです! 信じて下さい!」

「……それって賭けの対象になる事ですか? いやまぁ、確かに今の疋田さんはそういうお店の人っぽいですけど」

「桐林提督ヒドいっ!? 私だってコスプレっぽいの気にしてたのにぃ!? どうせこの女子メンバーの中じゃ最年長ですよぉぉおおおっ!」

「ちょっ、疋田さんスピードスピード! すみません謝りますから!」

「お、おいバカ! 飛ばすんじゃねぇ並乳女っ、気持ち悪くなんだろうがっ!?」

「パパ」「セクハラ」

「あはは、シリアスが長続きしないなぁ」


 どうやら地雷を踏んでしまったようで、大型カートは急激に速度を上げ始める。
 オマケに、車体があっちへフラフラこっちへフラフラ。置かれている資材コンテナと、何度もニアミスを繰り返す。
 明石は妙に楽しそうだけど、事故りそうで怖い!
 ホントごめんなさいっ、疋田さんまだ若いですからっ。
 少なくとも自分よりは歳下だし、イメクラっぽいけど可愛いですよ!?


「はぁ……。はぁ……。も、申し訳ありません。最近、ちょっと焦りを感じ始めてまして……」

「まだ焦るような歳じゃないでしょ……。そんなこと言われたら、未だに彼女居ない歴=年齢な自分はどうなるんですか……」

「あ、奇遇ですね。私も彼氏居ない歴=年齢です。けど桐林提督の場合、金剛さん辺りで妥協すれば、今すぐにでも脱喪男できるんじゃ?」

「いやいや疋田さん。アタシ、恋人って妥協して作るものじゃないと思いますよ? やっぱり初めての恋人って、お互いに好き合って結ばれたいじゃないですか」

「甘い! ダダ甘ですよ明石さんっ! そんな風に考えてたら、あっという間に歳食っちゃうんですからね!? 私みたいに!」

「なんの話をしてんだオマエらは。くだらねぇ……」

「だよねー。パパにはなっちゃんが居るもんねー」「そうです。むっちゃんが、正妻ですから」

「やめんかバカたれ共。憲兵が来たらどうすんだ」


 爆走して少しは落ち着いたらしく、カートのスピードは徐々に安全域へ。
 それと引き換えに、今度はカート内が騒がしくなってきた。
 疋田さんって、確か二十三歳だったよな。
 二十世紀に生まれた格言の一つに、「女はクリスマスケーキと同じ」という言葉があるらしいが……。男である自分も、焦った方が良いのだろうか。
 ふと気になり、最後列シートで、両脇に幼女を侍らせる間桐提督へ視線を向けてみると、バッチリ眼が合った。
 数秒の空白を置き、彼は「ふん」と鼻を鳴らす。


「オレは謝らねぇからな。何も間違ったこたぁしてねぇし」

「……はい。その必要はありません。おかげで目が覚めましたから。ありがとうございました」


 つっけんどんな態度にも、自分は頭を下げる。
 殴られたのは痛かったが、痛かったからこそ、結果的に色々な事を考えさせられ、己自身を見つめ直す事が出来た。
 あの一件を知らない明石と疋田さんは首を傾げているが、とにかく、感謝しているのは本当だ。
 一方、間桐提督は目を丸くし、驚いているのかと思えば、そっぽを向いて嫌味ったらしい顔を。


「殴られて礼を言うとかマゾかよ、変態野郎」

「パパって呼ばせてる人に言われたくないですねー。本当は喜んでるんでしょう?」

「はぁ!? だ、誰が喜ぶかこのドアホ! オレはコイツらの事なんかなんとも思ってねぇっつの!」

「うわ、酷い。なんて酷い言い方。なっちゃん、むっちゃん。大丈夫かい?」

「しくしく。大丈夫じゃないー、傷付いたー」「謝罪を、要求します。ひっく、ひっく」

「いや明らかに嘘泣きだろオマエら」

「謝れー、謝れー!」「ごめんなさいって、言いなさい」「ついでに土下座しろー」

「テメェやっぱ根に持ってんじゃねぇのかぁ!? ってか、なんでそんなに息ピッタリなんだよっ!?」


 流石に変態呼ばわりにはイラっとさせられ、ながむーちゃん'sと一緒になってやり返す。
 なんの躊躇いも、気遣いもない。これが、普段通りの自分たちだろう。二人のノリが良くて助かった。
 様子を伺っていた明石も何時しか微笑み、楽しげに呟く。


「意外と仲良いんですね。お二人って」

「そりゃまぁ。一応、友人だしね」

「っ! ……ふんっ」

「そっかぁ、ついに提督にもお友達が……。横須賀ではボッチだったのに、明石は嬉しいですよ……っ」

「ぼ、ボッチじゃないだろう? ほら、みんなが側に居たし、疋田さんだって居たし。ねぇ?」

「えっ? 私、友達枠に入ってたんですか?」

「何その反応。え、もしかして自分、勝手に友人だと思い込んでたの?」

「あ、違う違う違いますっ。てっきり知人とか、知り合い枠だと思ってまして。
 友達っていうには立場が違い過ぎるかなー、とか考えてただけで、決して嫌いじゃありませんから!
 時々、殴りたくなる事もあったのは事実ですけど」

「知りたくなかった事実をありがとう……」

「桐林さん、だいじょーぶー?」「泣いたら、めー、ですよ……?」


 まるで、息子の成長を見守る母のように、ハンカチを涙で濡らす明石。
 笑顔でグサっとくる新事実をブチまける疋田さん。
 自分はシートの背もたれにうな垂れ、ながむーちゃん'sに慰めてもらう。
 結構な温度差があってビックリですよ……。
 まぁ、自分だって逆の立場だったら、疋田さんと同じような反応をしただろうけどさ……。


「……ったく。アホくせぇ。んな事より、だ。テメェに渡すもんがある。おい」

「はい。明石さん、これ後ろにお願いします」

「あ、りょうかーい」


 寂しさを噛み締めていると、どこかワザとらしい溜め息をついた間桐提督が、疋田さんへ呼び掛けた。
 助手席を示した彼女に従い、明石が立て掛けられていた長いアタッシェケースを引っ張り出して、そのまま最後列へと橋渡し。
 彼はそれを受け取り、膝の上で開く。取り出されたのは、全く同じデザインの、二振りの刀だった。


「それは……?」

「オヤジの……。吉田 剛志の伊勢型二人が使ってたもんだ」


 訝しむ自分の呟きに、間桐提督が静かな声で返す。
 カート内の雰囲気は一変し、空気が重みを増した。


「遺言が遺されててな。舞鶴での戦いで使った伊勢型と、オヤジがもともと持ってた伊勢型を、オレらで分配する事になった」

「元帥の? まさか、それで第三ドックに?」

「ああ。古い方をオレに、新しい方をテメェにだとよ。全く、準備が良すぎなんだよ、あのクソオヤジ」


 伊勢型の分配。寝耳に水だった。
 そもそも、自分と明石が工作艦を降りた後、彼は「着いて来い」とだけ言ってカートに乗り込んだので、聞くタイミングが無かったというのもあるが……。
 元帥は、どこまで先を見通していたのだろう。
 自分自身が死ぬ事を織り込み、一体どんな未来を描いていたのか。今となっては知る由も無いけれど、底が知れない。

 遅まきながら畏敬の念を深くする自分へ、間桐提督は無言で刀を差し出している。
 何も考えず受け取ろうとしてから、本当に受け取る資格があるのかと、疑念が頭をよぎった。
 この刀は、いわば元帥と、伊勢さん、日向さんの形見だ。
 ただの刀と言ってしまえばそれまでだが、この二振り込められた意味は、果てしなく重いはず。
 ……やっぱり、今の自分には受け止めきれない。


「受け取れませんよ、こんな大切な物。それこそ間桐提督が……」

「勘違いすんな。これは温情でもなんでもねぇ。実験の残りカスだ」

「実験?」


 脈絡を感じられない言葉に眉をひそめると、間桐提督が一方の刀の鯉口を切り、刃を確かめる。
 美しい刃文の上を、光がなぞった。


「感情持ちの統制人格の艤装が、能力者と消滅した後も残るなんざ前代未聞だ。
 それを励起時に用いることで、ひょっとしたらテメェのように、最初っから感情持ちを呼べるんじゃねぇか、ってな」

「っ!? どうなったんですかっ?」

「半分成功で、半分失敗だ。明らかに意識の芽生えはあったが、テメェの統制人格程じゃなかった。ホントどうなってんだかな」


 カチン、とはばきを鳴らし、間桐提督が刀を鞘へ。
 苦笑いのような、己を皮肉っているような。複雑な表情だった。


「励起が終われば消滅するかと思ってた訳だが、何故かまだ残ってやがる。
 オマケに、どんだけ解析してもタダの刀としか判断できない。
 で、所有権はオレに移ったんだけどよ。宝の持ち腐れにしかなんねぇからな。
 ……だったら、少しでも“何か”を起こす可能性のあるヤツに、渡したかった」


 言い終えた彼は、押し付けるようにして刀を差し出す。
 穏やかな瞳。
 普段の彼を考えれば、青天の霹靂にも等しいそれだが、茶化そうなどとは思えない。
 明石を見る。
 微笑みを浮かべ、大きく頷いてくれた。
 なっちゃんと、むっちゃんを見る。
 ソワソワとこちらの様子を伺ったり、何か、期待するような眼差しを向けていた。


(変な気分だ……。あの時も、自分は)


 なんとなく、半年ほど前を思い出す。
 “桐”として初めて舞鶴へ向かい、間桐提督を始めとする同僚と対面した、会談の日。
 あの日、自分は元帥から、桐生提督の中継器を引き渡され、受け継いだ。
 それが今度は、単なる嫌味な棒人間だった間桐提督から、元帥の形見を……。
 運命。宿命。宿業。
 色んな言い方があるだろうが、そんなものを感じてしまう。


「さっさと受け取れやアホ。腕が疲れんだろ」

「……はい。確かに、受け取りました」

「ん」


 受け取った二振りは、思いの外軽く、しかし異様な存在感を以って、自分の手の内に収まった。
 なんの変哲も無い鞘が、何故だか暖かく思えた。


「それと、コイツもオマケに取っとけ」

「へ? ……っとと」


 感慨深く刀を眺めていると、そこにもう一つ、強引に渡される物が。
 伊勢さんたちのそれより短く、けれど、ズッシリとした重みを感じるそれは……。


「小太刀?」

「兵藤の三笠刀だ。梁島んトコからパチって来た。ソイツはオマエが持つべきだ。いや、持たなきゃならねぇ。分かるな」

「……はい」


 頷きながら、自分は小太刀を握り締める。
 ……初めて見た。
 梁島が自分を殺そうとした時、元帥が振るったという高周波振動剣は、先輩の持ち物であったと、話には聞いていた。
 拉致事件の際、“ヤツ”に折られた一振りと、“ヤツ”を貫いたとされる、もう一振り。
 双方共に回収され、特に後者からは“ヤツ”の血液サンプルなどが採取でき、詳しい解析をしているらしい。
 存在自体は知っていたものの、その所在については答えて貰えなかった。てっきり軍の所有物になったと思っていたが、まさか、梁島が秘匿していたとは……。


「三笠刀自体の切れ味は然程でもねぇが、高周波振動で戦車の前面装甲もブチ抜く。
 しかし本命は、電解ダマスカス鋼の鞘だろうよ。
 折れず、曲がらず、砕けず。護身用の武器としちゃあ一級品だ。使えるようにしとけよ」


 アタッシェケースを閉じつつ、間桐提督が言う。
 この重み。自分が感じている後ろめたさからでは、なかったようだ。
 高周波発生装置の分と、マーブル模様が特徴の鞘。合わせて五~六kgはあろうか。
 先輩が……。あの人が遺してくれた、武器。
 自分に戦闘技術は無い。基礎訓練でも苦手な分野だった。
 けれど、もうそんな事も言ってられない。
 これを使って、強くならなくちゃいけないんだ。自分で自分を守れる位には。


「はい、着きましたよー」


 疋田さんの声に、考え込んでいた自分はハッとさせられる。いつの間にか、カートも止まっていた。
 左手に刀を二振り。右手に小太刀を持ったまま、降車する皆に慌てて続けば、数十m先の右手に、二隻の戦艦が縦列して見える。
 扶桑型と比べると低いが、重厚感のある艦橋。
 船尾方向、第五砲塔のあった場所は、改修で格納庫と航空甲板に変貌していた。

 航空戦艦、伊勢・日向。
 “ヤツ”との戦いを経て、空っぽとなってしまった、魂の器だ。


「これが、元帥の……」

「ボサッとすんな。ほれ、始めんぞ」


 呆然と、真新しく見える船体を眺めながら、丁度、二隻の中間地点の延長となる場所で、励起の準備が進む。
 既に増震機は取り付けられているらしく、間桐提督はアタッシェケースを椅子代わりに、ノートPCを操作している。
 明石と疋田さん、長門型の二人は、遠くからこちらを見守っている。お喋りしているようだが、流石に聞こえない。
 しばらくすると、明石を励起した時と同じように、腹の奥に響く低周波が。


「あん? 浸透圧が妙に低いな……。増震機の出力を上げっか……」

「……いえ、必要ありません」

「は? お、おい」


 どうやら数値に異常が発生しているようで、間桐提督の悩まし気な声が背中に届く。
 しかし、自分はそれを気にも留めず、航空戦艦たちへと歩み寄る。
 不思議だが、確信があった。
 そんな物に頼らずとも、“彼女たち”は応えてくれる、と。


「はぁ……。すぅ……」


 大きく息を吐きながら、小太刀をベルトの後ろへ。
 次に、空っぽの肺を空気で満たしつつ、一振りずつ刀を手に。
 熱い。
 主を喪った刀と、異形の左眼とが、共鳴するしているような。

 そして、何故だか感じ取れる。
 “彼女たち”の内に潜む――いや。燻っている、熱情の残滓を。
 その残滓が訴え掛ける。
 早く起こして。早く呼んで。早く。早く。早く。

 ……勘違いかも知れない。
 自分がそう思いたいだけなのかも知れない。
 けれど、自分は急かされるまま、心の赴くままに、左右の刀を前へ差し出す。


「来い。伊勢、日向」


 名を呼べば、周囲を満たしていた低周波が一瞬で消え去り、代わりに、空間に“たわみ”が二つ生じた。
 その“たわみ”へと、光が集まる。
 段々と人を形取るそれらは、ゆっくりとこちらに近付き、やがて、臣下が礼を尽くすように跪く。
 片膝をついて、手の平を上に、両手を掲げる様は、まるで刀の拝領を待つ姿。
 迷う事なく、自分は二人の手に刀を置いた。
 刹那、光が爆発し、一瞬だけ目がくらむ。
 視界が回復する頃には、恭しく刀を拝領した女性たちが、凛々しく顕現していた。


「超弩級戦艦。伊勢型の一番艦、伊勢。参りました」


 赤茶色の髪をポニーテールにする女性――伊勢は、立ち上がりながら刀を右腰に差す。
 金剛たちと同じような、巫女服を改造したような出で立ちだが、余計な装飾は一切無く、スカートの落ち着いた色合いや草履が、侍のような印象を与える。
 左腕には航空甲板が据え付けられ、腰と肩の両脇へと迫り出す四つの砲塔は、その名に恥じぬ威圧感を放っていた。


「同じく、伊勢型の二番艦、日向。御前おんまえに」


 そして、ほぼ同じ立ち姿の日向も、同じように刀を差しながら謙る。
 髪は短か目に切り揃えられ、口上は伊勢よりも落ち着いて聞こえた。


「我ら、等しく御身の剣、御身の船となり」

「立ち塞がるモノを尽く斬り伏せ、撃ち砕いて御覧に入れよう」


 左腕を胸の前で構えた二人は、時代劇さながらの台詞回しで自己紹介を締め括る。
 その前に立つ自分はと言えば、ただただ、彼女たちの存在感に圧倒されていた。
 過去、なんらかの理由で高練度の統制人格が消滅した軍艦を、他の能力者が再利用する場合はあった。
 が、新しい統制人格に練度が引き継がれるという事も無く、完全に塗り潰されてしまうのが常だった。
 しかし、眼前のこの二人は違う。
 この世に生まれ出でたばかりだというのに、歴戦の勇士たる濃密な闘志を漂わせているのだ。

 何よりも、魂で繋がる自分自身が理解している。
 この伊勢と日向は、“伊勢さん、日向さん”とは違う存在だけれど、確かに“何か”を継いでいるのだと。
 自分に、御せるだろうか。
 あの人のように、臆せず戦えるだろうか。
 そんな不安を募らせる、情けない自分だったが……。


「……とまぁ、堅苦しい挨拶はこの辺で良い?」

「は? あ、ああ。構わないが」

「やっぱり、最初くらいはキチッとしとかないとね? 改めまして、伊勢よ。よろしく!」

「……よろしく、頼む」

「うんうん! いやぁ、そんな顔してるから性格も厳ついのかと思ったけど、話が分かる良い上司じゃない。ね、日向?」

「悪かったな、こんな顔で……」


 意外な事に、艤装を格納した伊勢は堅い表情を崩し、気さくに握手まで求めて来た。
 躊躇いながら手を差し出すと、ガッチリ握られ上下にブンブン。
 な、なんだろう、このフレンドリーな感じ。さっきの……威圧感みたいなものは、気のせいだったのだろうか?
 と思ったのも束の間。伊勢の隣に居る日向は、落ち着いた雰囲気を維持したまま、胡乱な眼をこちらに。


「君が、提督か? ふぅむ……」

「……不服か」

「さぁ。だが、一つ聞いておきたい。……君は、なんの為に“戦場ここ”に居る?」


 腕を組み、同じく艤装を格納する日向。
 それでも刀は腰にあり、いうなれば野武士、山伏のようだ。空気を読んだか、伊勢も手を離して距離をとった。
 自分がここに居る理由……。戦場に、身を置く訳?
 少し前の自分だったら、きっと答えに窮していただろうが、もう違う。
 迷うこと無く、答えられる。


「みんなの、居場所を……。
 誰かの安らぎになったり、営みが繰り広げられる場所を、守るために。
 自分自身がそんな場所と成る為に、ここに居る。力を貸して貰うぞ。伊勢、日向」


 黒い瞳を真っ向から見据えて、自分は答える。
 日向の眉がピクリと反応し、伊勢までもが大きく眼を見開いた。
 単に驚いているのか。はたまた、期待外れだったのか。
 どちらにせよ、この二人は自分にとって大きな“力”となる。
 是が非でも一緒に戦って貰う、と右眼で訴え続ければ、日向は瞼を閉じ、軽く溜め息を。
 少しだけ、微笑んでいる……?


「……まぁ、いいさ。その言葉を忘れなければ、君は……」

「はいはい、日向ってば真面目過ぎなのよ。もっと気楽に気楽にー」

「伊勢……。離れないか、全く」


 何かを言いかける日向だったが、伊勢に無理やり肩を組まれ、中途半端で終わってしまう。
 例えるなら、伊勢が柔、日向が剛、というような感じか。
 ……元帥と共に逝った“彼女たち”も、そんな風だった。
 何はともあれ、取り敢えずのお眼鏡には適ったらしい。
 この二人を――いや、この二人と明石、それに疋田さんを仲間に加えて、また新しい戦いが始まるのだ。……ここからだ。

 と、胸の内で決意を固めていた所へ、やたら大きな拍手が一人分。
 何故だろう。水を差されたような気分を引き起こす、それの主は……。


「お見事です。貴方の“力”、確実に階梯を昇ったようですね」

「……桐谷提督」


 変声機を使い、重低音の声で労をねぎらう男。“梵鐘”の桐谷提督だった。
 いつから様子を伺っていたのか、声もなく驚いている明石たちの更に後ろから、ゆっくりと歩み寄って来る。
 間桐提督が腰を上げ、敵意を剥き出しに凄む。


「テメェ、何しに来やがった」

「そう構えないで下さい。誤報告については謝罪したじゃありませんか」

「許した覚えはねぇ。今後許すつもりもない。……桐林、オレぁ先に帰るぞ。胸糞悪い」

「あっ、パパっ? えっと、えっと。ごめんなさい、またねー!」「挨拶は、またの機会に。失礼、します」


 吐き捨てるように、彼は一方的に別れを告げ、代わりに謝る少女たちと歩き去る。
 対する桐谷提督の顔には、やはり笑顔が貼り付けられていて。


「やれやれ。すっかり嫌われてしまいました」

「……自業自得ではありませんか」

「おや、手厳しい。貴方もですか。寂しいですねぇ」


 肩をすくめる姿が、どうにも胡散臭い。
 一応、大人としての礼儀は払うつもりだが、先日の一件で、自分の中では梁島と同様、敵に分類される男だ。余程のことがない限り、好意的な目で見るなんて不可能に近い。
 それを知らないはずの桐谷提督は……。否、知っていても大して行動を変えないだろう彼は、間桐提督の背中が小さくなるのを待たず、こちらに向き直る。


「それはさておき。デバガメしていたのは他でもありません。桐林殿、貴方の今後について、お話ししたい事があったからです」

「自分の、今後?」

「はい」


 立ち話でするには重要過ぎる内容に、思わず右眼を細めてしまう。
 自分の身柄は、あいも変わらず桐谷提督の監督下にある。
 イタリアとの同盟で、無下に扱われる可能性はかなり減ったはずだが、彼自身からは逆に恨みを買ったに違いない。
 それでも、国と千条寺家の利益を上げる為ならば、手厚く援助すらしてくれそうな人物だが……。


「貴方には、横須賀から去って頂きます」

「……何っ!?」


 桐谷提督が放った一言は、予想を遥かに超えて、自分の心を揺さぶった。
 左眼が、微かに疼く。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 船渠から秘密港内部施設へ繋がる、無機質な通路。
 多くの人が行き交ってもおかしくないのに、全く人影が無いそこを進みながら、自分は考え込んでいた。


(一体、どういう事なんだ)


 伊勢、日向の励起から、もう十数分が経っている。
 周囲の風景は段々と変化し、自動ドアや曲がり角の多い、居住ブロックに差し掛かっているようだ。
 所々、壁に設けられた案内図を確かめながら向かう先は、桐谷提督に指定された部屋。
 そこで待っている人が、居るらしい。


『貴方と梁島殿には、舞鶴鎮守府へと移籍して頂き、その再建を担って貰います』


 彼の話を意訳すると、テロやら何やらで損害を被った舞鶴鎮守府を、自分と梁島、二人だけを擁する隔離施設にしたい、という事だった。
 不穏分子に簡単に侵入され、あまつさえ爆破されるという失態を演じた人員を総入れ替え。
 そこへ、“ヤツ”との戦い――舞鶴事変と名付けられたようだ――で名誉の負傷を負った“英傑”を据える事で、民衆の不満を僅かなりとも抑える、と言うのが理由の一つ。

 もう一つの理由は、自分が得た“力”の影響を考えて、だ。
 自分はまだ、あの“力”を制御できているとは言い難い。
 そんな状態で、極めて練度の高い傀儡艦を用いた戦闘を行ったら、どうなるか。
 運悪く暴走し、その“力”が陸へ向けられてしまったら。
 万が一にでも、そんな事があってはならないのだと、彼は言った。

 きっと、他にも理由はあるだろう。
 舞鶴の再建は千条寺家が出資するだろうし、国に刃向かおうとした自分を監視し易くもなる。
 加えて、せっかく人類が手に入れた新しい“力”。研究もせずに放って置くわけがない。
 それらを考えれば、納得はできずとも、理解はできる。
 しかし、気になるのは別の事なのだ。


『不服にお思いでしょうが……。きっと貴方は、自ら舞鶴へ行くと仰ってくれますよ』


 事のあらましを説明し終えた後、桐谷提督はこう言って、とある部屋番号を示し、姿を消した。最後に、「お一人で向かわれた方が良いですよ?」と付け加えて。
 取り残された自分と明石、伊勢に日向、疋田さんは、しばらく気不味い沈黙を味わってから、疋田さんの運転で港を離れ、言われた通り、一人で地下施設を歩いている……というのが現状だ。

 何を企んでいる。
 一体、今度は何をさせたい。

 人通りの全くない通路を歩き、ずっと考え続けているが、答えは見つからず。やがて、目的の部屋へと辿り着いてしまった。
 表側から掛かる電子ロックの自動ドア。
 保護対象を守ったり、逆に危険人物を閉じ込めるために使われる部屋だ。
 自分を待っているのは誰だろう……。いや、考えていてもしょうがない。
 頭を振って迷いを振り切り、自分は静脈認証でロックを解除する。

 窓が無く、中央に応接セットがあるだけの、十六畳ほどの部屋。
 そこで待ち構えていたのは……。


「……司令官? 大丈夫なのかいっ?」

「響? 暁も……」

「そうよ、私も居るわ! ずっと心配してたんだからぁー!」


 酷く懐かしく感じる、仲間たちの顔だった。
 誰よりも早く立ち上がった響。抱き着いてくる涙目の暁。
 壁際に寄り掛かっているのは、天龍と龍田。そして、ソファに腰掛ける、双子のように似た少女――雷と、電。
 呆然と六人の顔を見渡す自分に、天龍型姉妹が歩み寄る。


「調子は悪くなさそうだな。安心したぜ」

「天龍……。すまない、心配かけた。龍田も」

「良いのよ~、気にしなくて。私は大丈夫だろうって思ってたから~」

「はは、そうか」


 盛大に溜め息をつく天龍は、やっと気を抜ける、というような。
 いつも通りの微笑みを浮かべる龍田も、どこか、いつも以上に柔らかい雰囲気の表情を見せてくれた。
 ……ああ、ホッとする。
 心から気を許せる相手と話せるのって、やっぱり安心する。
 その分、桐谷提督の言った言葉は気に掛かるけど、ひとまず置いておこう。横須賀の状況を確認しなければ。


「みんなは、どうしてる?」

「ハッキリ言って、酷い状態だね。横須賀の艦隊は、通常の半分ほどしか機能していないよ」

「金剛さんも、長門さんも、鳳翔さんも赤城さんも加賀さんも。司令官の事が心配で、仕事が手に着いてないの……」


 響たちの口から語られたのは、思いも寄らぬ惨状だった。
 金剛だけならまだ分かるが、赤城や長門までそんな状態になっているなんて。
 心配して貰えるのは嬉しいけれど……。やっぱり、横須賀へ帰らなくちゃ。
 早急に活動基盤を復活させ、今後、横槍が入らないよう立場を強化する必要がある。
 ……そう言えば。今まで面会など言語道断、という感じだったのに、みんなは何故ここに?


「一つ聞いていいか。君たちは、どうやってこの秘密港に来たんだ?

「あの図体のデカい野郎だよ。彼の事を考えれば、身柄は動かさない方が良い……とかなんとか言っててよ。
 怪我でもしてんのかと思ってたが、ピンピンしてんじゃねぇか。トンだホラ吹きだぜ、ったく」

「具体的に言うと~、桐谷提督が横須賀に連絡してきてね~? 代表者数名だけ、という条件で、面会させてもらう事になったのよ~。ケチ臭いわよね~」

「……それって、金剛が騒いだんじゃ……」

「オレらもそう思ったから、教えてねぇんだ。正直、後は怖いけどよ……」

「赤城さんたちが気を遣ってくれたのよ~。絶対に、会っておかなきゃいけない子が居るでしょう~?」


 ポン、と天龍に肩を叩かれたかと思えば、音も無く背後へ回った龍田に背中を押される。
 押し出された先には、ソファから離れた二人の少女たち。


「……雷。電……」


 距離にして、一m足らず。二~三歩ほど踏み込めば手が届く。
 しかし、彼女たちはもどかしい距離を保ったまま、儚げに微笑んでいる。


「痛い所とか、ない? また、無理して笑ってる訳じゃ、ないのよね?」

「ああ、大丈夫だ。少しずつだけど、この眼の使い方も分かってきてる。
 日常生活では使えないから、天龍みたいに、ちゃんとした眼帯が必要だな」

「良かった……。ホッとした、のです……」


 敢えて大げさに、使い捨ての眼帯を撫でながら苦笑いを浮かべると、目に見えて緊張を和らげる二人。
 左眼はもう元に戻らないが、顔の傷だけでも消した方が良いかも知れない。
 そうしないと、この子たちは何時までも気に掛けてしまうだろう。
 正直に言えば、消したくない。
 この傷は、先輩が自分を守ろうとしてくれた、証拠のように思えるからだ。異常な考え方だという自覚はある。
 でも、みんなにとってこの傷は、ただの敗北の証。要らぬ気苦労を掛けるくらいなら……。

 と、頭の中で考えを巡らせる自分だったが、不意に、天龍が物言いたげにしているのに気付く。
 何かを後ろ手に隠すような仕草。コツコツと絨毯敷きの床を叩く爪先。妙にソワソワしていた。なんだろう……?


「ほら、天龍ちゃん」

「う。わ、分かってるよ。……あ、あー、あのよ、司令官。今言った眼帯がどうの、ってヤツだけど、よ……」


 問い掛ける前に、肘で突かれた天龍が進み出る。
 どうしてだか顔を赤らめ、頬を照れ臭そうに掻くその姿は、時期的にはちょっと早いが、まるで意中の相手に、バレンタインのチョコを渡さんとする少女で。
 しおらしさに思い掛けずドキッとさせられるけれども、ぶっきらぼうに突き出された手が持っているのは、なんと眼帯だった。


「これ、やる」

「え……? これ、天龍のと同じ……」

「く、球磨のヤツがさ、いつの間にか、オレのを真似て作ってたみたいでよ。
 結構、凝ってるだろ? 木製だから軽いし、間に合わせに良いんじゃねぇかなって、思うんだ、けど……」

「うふふ。そういう訳だから、受け取ってあげて貰える~? じゃないと、せっかく頼み込んだ天龍ちゃんが可哀想で~」

「うおぁああっ!? た、頼んでない! 頼んでないからなっ! なに言ってんだよ龍田ぁ!?」


 背中から対物ライフルでフレンドリーファイアされた天龍が、眼帯をこちらに放り投げて龍田へ詰め寄る。
 反射的に眼帯を受け止めつつ、この二人は相変わらずだな、と、顔が勝手に微笑む。
 良い加減、使い捨ての物にも飽きていたし、わざわざ探さなくて済むし、丁度良い。有り難く受け取ろう。


「ありがとう、天龍。確かに受け取った」

「……お、おう。なら、良いや……」

「うふふふふ。それ、天龍ちゃんだと思って大事にしてね~」

「オマエは変なこと言うなよ龍田ぁ!?」

「きゃ~、天龍ちゃん怖~い」


 ズボンのポケットへしまい込み、素直に礼を言うと、天龍がまた恥ずかしげに俯いて、龍田の冷やかしで眉毛を釣り上がる。
 多分、天龍は素で、龍田はワザとフザケているんだろう。場の空気を和らげるために。
 けっこう長い付き合いだけど、ホント、この二人には助けられてばっかりだ。
 いつか、ちゃんとした御礼をしたいものだが、しかし、和やかな雰囲気も長くは続かなかった。


「ねぇ、司令官……。暁たち、これからどうなっちゃうの……?」


 いつの間にか、暁が隣に立っていた。
 軍服の裾をつまみ、不安そうな瞳でこちらをジッと見上げて。
 静寂が広がる。


「みんな、顔には出さないようにしているけれど、不安を抱えているはずだよ。……もう、司令官が帰ってこないんじゃないか、って」


 暁の肩を抱く響は、それこそ皆を代表するように、言い辛いであろう言葉を口にする。
 それに触発されたか、今度は雷が。


「そんな事、ないわよね? 今は、ちょっと離れ離れになってるけど。キチンと誤解が解ければ、また横須賀に帰ってこられるのよね? ね?」


 期待と不安が混ぜ合わさった、彼女らしくない……。頼りない笑顔。
 どう答えれば良い。
 舞鶴の再建を任された。しばらく横須賀を離れる。でも、必ず帰ってくるから。
 舞鶴の再建を任された。けど大丈夫だ。横須賀と行き来しながら両立してみせる。
 どちらにせよ、確証のない、無責任な発言としか思えなかった。
 答え、られない。


「……司令官、さん」

「電……」


 俯きかける自分の前に、電が立つ。
 雷とよく似たその顔は、より色濃く不安を映し出す。
 大丈夫だよ、と言いたかった。
 安心してくれ、と慰めたかった。
 自分は君たちの居場所で、君たちの側が自分の居場所で。
 だから、何も心配することなんてないんだ。
 そう伝えたくて、自分は電へと手を伸ばす。


「自分は……」

「――あっ」


 だが。差し出した手は、何にも触れられなかった。
 電が反射的に身を竦め、後ろへ尻餅をついたからだ。
 まるで、“何か”に怯えるよう、目を閉じ、頭を両手で庇っている。


(……ああ、そうか。そうだった)


 梁島の言った通りだ。
 なんとも都合の良い話だが、その瞬間、自分はようやく、あの夜の全てを思い出した。
 願いを尋ねる影。
 柘榴味の口付け。
 胸に渦巻く激情。
 怒り。
 殺意。
 呪い。
 邪魔を、するな。
 他の誰でもない。
 あの夜、一番に皆を――彼女を傷付けたのは。


(自分自身、じゃないか)





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ハッと気が付き、電は桐林を見上げる。
 彼は、腕を伸ばしたままの体勢で硬直していた。
 そして、顔に浮かぶ表情を確かめるや、己が何をしてしまったのかを、理解する。


「ち、違うのですっ。今のは、少しビックリしただけで……。司令官さ――」


 そんなつもりじゃなかった。
 怖がってなんかいないと、縋るように伸ばされた電の手は、空を掴んだ。
 桐林は手を引き、その手で己の顔を覆う。



「……ふ、っくくく……。ぁ、ははは……」

「し、司令官……?」


 掠れた笑い声に、暁が怯えて裾を離す。
 ほんの一瞬で、彼の纏う空気は固く、重苦しいものに変貌してしまっていた。


「自分は……。横須賀へは、帰らない」


 電に背を向け、桐林は吐き捨てる。
 水を打ったような静寂が数秒。
 やっと言葉の意味を理解した天龍が、軍服の肩を掴んだ。


「オイ、どういう事だよ。なんだよソレッ!?」

「嘘、よね? れ、レディーはそんな嘘に騙されないんだからっ」

「ふ、二人とも、ちょっと落ち着きましょう~?」


 声を荒らげるのは天龍だけでなく、暁もだった。
 怯えた事も忘れ、また裾にしがみ付いている。それ程までに、彼の一言に衝撃を受けたのである。
 龍田までもが普段の余裕を失い、二人を宥めるだけで精一杯という有様だ。


「司令官。説明を、して欲しい。ワタシたちを、納得させるだけの理由は、あるのかい?」


 辛うじて冷静さを保つ響が、頑なな背中に問う。
 ややあって、返されたのは冷たく、静かな声。


「横須賀の艦隊は、ほぼ完成されている。そこへ、どんな悪影響を与えるかも分からない自分が戻れば、最悪、艦隊が瓦解する事も考えられるだろう」

「そ、そんな事っ」

「無いと言い切れるのか。雷」


 へたり込む電に寄り添う雷は、強い語気で遮られ、言葉を失った。
 例えば桐林が、そのまま横須賀へ戻ったとして。今まで通りに艦隊指揮を執れるだろうか。
 また、あの夜のように暴走したら。
 憎悪に呑まれ、人ならざる“力”を振るったなら。
 仲間たちは、今まで通りに彼と接する事が出来るだろうか。
 それこそ、艦隊が機能しなくなる場合だって考えられる。
 だとするならば、横須賀の艦隊は、桐林を欠いたまま運用した方が。まだ役に立つ。
 何せ雷たちは、人間と同じように考え、自由に判断を下せる、感情持ちなのだから。

 納得なんて出来ない。出来るはずがない。
 けれど、彼の言うことは正しいと、頭で理解してしまう。
 電の顔はますます色を失い、雷が悔しさに歯噛みする。


「自分は舞鶴に居を移し、新たな艦隊を組む。もう伊勢型は励起した。海外からも助力を得ている。始まっているんだ」


 そして、桐林が横須賀に戻れないとなったら、国は彼をどうするのか。
 遊ばせておくなど以ての外だ。
 新たな地で、新たな艦隊を組み、“力”の制御・解明に取り組むのが妥当であろう。
 彼を知らない統制人格ならば、例え彼の“力”に巻き込まれたとしても、己が不幸を呪うだけで済む。
 今までの全てを捨て去り、見ず知らずの仲間を選ぶ事が、彼に求められる最善。
 決して、桐林自身が望んだ事ではないだろうと、想像がつく。
 逆らえないような状況に追い込まれ、無理やり言わされているのだと、思いたい。
 そんな気持ちが、天龍を乱暴に詰め寄らせる。


「なんだよ、ソレ……。オレたちを捨てるのか!? オレたちはオマエの! オマエの為だったから!」

「天龍ちゃん! お願い、やめて……」

「……クソッ」


 桐林の襟首を、今にも掴み上げそうな天龍だったが、悲愴な顔の龍田に縋り付かれ、悔しさを壁に殴り付ける。
 誰も。何一つ、言葉を口にしない。
 このような気持ちの行き違いは、これまで無かった。
 硫黄島作戦での霞の大破や、双胴棲姫との戦い。他にも、笑い話にしかならないような出来事は多々あったが、それらは全て、互いを想う気持ち故。
 こんな風に、一方的に切り捨てられるのは、初めての事だった。


「強く、ならなくちゃいけないんだよ」


 ダラリと下がっていた手を握りしめ、桐林は背中で語る。


「この“力”を使いこなせるようになれば、もう誰にも脅かされない。
 だれも、自分たちの居場所を奪おうとはしなくなる。
 でもダメなんだ。君たちの側に居たら、自分は強くなれない。
 君たちの優しさに甘えて、いつまでも、頼ったままで。それじゃダメなんだ」


 また例え話になるが、横須賀の統制人格たちが、あの“力”に晒されたとして。彼女たちはどう反応するだろう。
 心を蝕む激情に、恐れを抱くだろうか。
 掻き立てられた闘争本能に、荒ぶるだろうか。
 その結果として傷付いた場合、桐林を責めるだろうか。

 答えは否だ。
 魂を押し流すような激情にも、堪えようとする。
 闘争本能だけで、戦おうとはしない。
 己が身に傷を負ったとしても、心配をかけぬよう微笑む。

 それは、彼が呼び寄せた統制人格が、彼から引き継いだ、特性とでも言うべきもの。
 ……優しさ故だ。
 きっと曙や霞、大井ですら、なんだかんだと言い訳をつけてそうするだろう。
 けれど、その優しさは苦いのだ。
 自分自身が元凶だと分かっている結果を、誰にも責めて貰えないのは。自己愛で歪みきった人間でもない限り、暴言を吐かれるよりも、苦しめられる。

 だからこそ、彼女たちの優しさは、桐林にとって毒に他ならない。
 必要なのは気遣いでなく、無遠慮に叱咤し、文句を叩きつけ、憎んでくれるような存在。
 負の感情すらをも糧としなければ、人理を超えた“力”など、制御できようはずが無いのだ。
 優しさだけで全てが上手く回るほど、この世界は甘くないのだから。

 しかし、これはあくまで桐林の理屈であって、オマケに彼は口にも出していない。
 それに思い至れなかった、電が……。
 必死に引きとめようとする電が、彼と同じように拳を握り、立ち上がりながら叫ぶ。


「頼ることの、何がいけないんですか……?
 司令官さんに頼って貰えたら、電は嬉しいのです!
 司令官さんのお願いだったら、なんだって頑張れます! 
 ……大好きな人の為に、役に立とうって思う事が、いけない事なのですか!?」


 桐林の背中が、わずかに揺らぐ。
 初めてだった。
 大人しく、どこか引っ込み思案だった彼女が、感情に任せてとはいえ、こうもハッキリと好意を口にするのは。
 その想いが通じたのだろうか。
 未だに振り向かない背中の宿す雰囲気が、フッと和らいだ。


「何か、勘違いしてないか? 舞鶴へ行って、そのまま二度と戻らない、なんて言ってないぞ」

「え? ど、どういう事なの? 司令官、分かるように話して」


 先程までの冷徹な声ではなく、悪戯が成功した時のような、本当に普段通りの声。
 あまりの落差に困惑し、雷は反射的に聞き返す。
 すると、彼は右肩越しに後ろを振り返り――


「自分は強くなる。誰よりも。みんなを守れるくらいに。
 そして、いつか横須賀に帰るよ。
 新しい仲間たちを引き連れて、胸を張って、必ず帰ってくる。
 だから、待っていて欲しい。自分たちの家を、君たちに守っていて欲しい。
 だからさ。……笑って見送ってくれないか」


 ――彼女たちにとって懐かしい、力強い笑みを見せた。
 髪の色は白く変わってしまったけれど、それ以外に何一つ変わらない、本当に普段通りの、彼らしい横顔。
 もう、何も言えなくなってしまった。
 彼がああいう笑い方をする時は、既に心を決めていて、何を言っても揺るがない。
 電は、それを誰よりも、一番よく知っている。
 だから。
 彼女は震える手をどうにか抑え、鼻の奥がツンとするのを我慢し。
 精一杯の笑顔で、大切な人を送り出す。


「行ってらっしゃい、なの、です」

「行ってきます」


 右眼を緩やかに細め、なんの気負いもなく返事をした後、桐林は自動ドアの向こうへ消える。
 そこでもう、限界だった。
 背中が完全に見えなくなった途端、電は膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らす。


「……っ、う、ぁ……っ、司令、か、さん……! ひっく、ぅあ、あ……っ」


 後悔ばかりが、電の胸を埋め尽くしていく。
 行ってしまった。怖がってしまった。傷付けてしまった。触れる事すら、出来なかった。
 もう、自由に会う事すら叶わなくなるだろう。

 おそらく、彼も迷っていた。電が怯えてしまうその瞬間まで、舞鶴行きを拒もうとしていた。
 それを悪い方向へ後押ししてしまったのは、やはり電だ。
 制御できない“力”で電たちを傷付けるのを恐れ、彼は仲間から離れる事を選んだのだ。
 新しく励起した統制人格たちなら、傷付けて構わない? それも違う。
 今まで寝食を共にしてきた仲間と、これから出会い、苦難を共にする仲間。
 傷付けるならどちらが良いかと迫られ、彼は後者を選んだ。電が、選ばせてしまった。

 天龍は、苦虫を噛み潰したような顔で、また壁を殴る。
 龍田は、そんな彼女の拳を優しく握り締め、悲しげに瞼を伏せる。
 暁は、電を真正面から抱き締めて、一緒に泣いている。
 響は、帽子を目深に被り直す。つばを掴む指が、震えている。
 雷は、己の無力さを確かめながら、無気力に自動ドアを見つめている。

 誰もが皆を思い遣り、幸せを願った結果、訪れてしまった別れ。
 その苦味に、少女たちは無言で耐え続ける。
 いつか帰るという、儚い約束だけを信じて。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 同じ頃。
 疋田と明石、伊勢、日向の四人は、地下施設の廊下で桐林を待ち続けていた。
 彼と別れてから、まだ十数分。談笑するネタには事欠かないけれど、もどかしいような気持ちも感じている。
 壁に寄り掛かる日向が、彼の歩いていった方向を見つめ、呟く。


「しかし、彼は誰と会っているのだろうな……」

「さぁ……? ひょっとして、横須賀に置いて来た恋人だったりして。ね、明石はその辺りのこと詳しいんでしょう? こっそり教えてよー」

「い、いやぁ、恋人は居なかったような気が……。好きな子は、居るみたいですけど……」

「ついでに言えば、桐林提督“を”好きな子もたっくさん居ますけどね……って、戻って来ましたよ!」


 話題が桐林の噂になると、丁度、廊下の曲がり角から彼が姿を見せる。
 しかし、その雰囲気は異様だった。
 桐谷の登場で顔は険しくなったものの、まだどこか柔らかみを帯びていた雰囲気が消え去り、空気そのものを重くするような、名状し難い影を背負っている。
 何事か、と四人は言葉を失い、近寄って来る彼を待つ。
 表情を窺い知れる距離になって、タイミングを見計らっていた疋田が声を掛けた。


「桐林、提督? あの……」

「……少し、待って貰えますか」


 暗い声で返す桐林は、疋田を制しつつ、使い捨ての眼帯を外す。
 しっかりと、瞼の上にまで刻まれた傷痕を見て、伊勢が静かに息を飲み、日向は痛ましさに目を細める。
 それには大した反応をせず、桐林がズボンのポケットを探り、天龍からの贈り物を取り出した。


「それって、天龍ちゃんの……?」


 思わず覗き込む明石に、彼は答えない。
 顔を伏せ、左眼に眼帯を押し当てて、繋がる飾り紐を後頭部で結ぶ。
 誂えたようにピッタリだった。
 けれど……。


「行こう」


 真正面を見据え、颯爽と明石の左側を通り過ぎる、真剣な横顔は。
 白髪と顔の傷も相俟って、まるで別人のようにも見えた。
 なに馬鹿な事を、と頭を振り、明石は彼の背中を追いかける。
 どこへ向かうのかも知らぬまま、その後ろに疋田、伊勢、日向が続く。

 この日。この五人から。
 舞鶴鎮守府、新生桐林艦隊が始まったのだ。




















 二編合わせるとアルペジオ編並みの長さになってしまったので、今回は分割して更新しております。
 引き続き、もしくは休憩を挟んで、舞鶴編をお楽しみ下さい。





 2016/06/04 初投稿







[38387] 異端の提督と舞鶴での日々 進撃の眞理(杏瓊)
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/06/04 12:38





 大規模攻勢作戦を明日に控えた、五月某日。
 桐林は、艦隊庁舎二階にある、情報管理室に居た。一四三五を時計の針が指し示している。
 まだ外に日の光が満ちている頃合いだが、窓の無いこの部屋は薄暗い。
 光源と言えば、桐林が寄り掛かるデスクに埋め込まれた、投射ディスプレイ式PCの青いスクリーンセーバーだけだ。


「里帰りはどうでしたか、疋田さん」


 そして、その青い光に照らし出される人間が、もう一人。
 デスクに着き、疲れ切った表情を浮かべる、疋田 栞奈である。


「それがもう、散々でしたよ。
 再会してしばらくは口汚く罵ってた癖に、私が兄さんみたいな調整士になったって聞いた途端、手のひら返しちゃって。
 おかげで帰ってくるのに余計な時間掛かっちゃうし、あんなのが親だと思うと、恥ずかしいです」

「……そうですか」

「まぁ、ついででしたし。三行半も突き付けてきましたし。この話はやめましょう?」


 栞奈は今朝まで、艦隊運用の合間を縫い、故郷へと帰っていた。
 桐林の調整士は彼女が専属で勤めており、いつまた敵の襲撃があるかも分からない今、本来ならば休暇など許されるはずもないのだが、彼は強引にそれを推し進めた。
 故郷に錦を飾りたいだろう、というのは建前上の理由で、彼女自身が言った通り、本来の目的は別にある。
 栞奈は懐から、一・五cm四方のキューブ――この時代の諜報機関が用いる、特殊記憶媒体を取り出した。


「例の病院についての情報です。詳しい事はこちらに」


 コトリ。キューブがデスクに置かれると、キューブから情報を読み込み始めたPCが、スクリーンセーバーを終了させる。
 瞬く間に、デスクの上には多数のフォルダーが映像として投射された。
 偶然か、あるいは必然か。桐林がフランから受け取った情報にあった、兵藤と関係のあるらしい病院は、栞奈の生まれ故郷にあったのである。
 舞鶴艦隊が編成されて、早三ヶ月以上。上層部の監視の目も緩くなりつつあり、今が好機と判断した桐林は、兵藤 凛についての本格的な調査を開始した。
 無論、栞奈本人が動くと気取られてしまうため、実際に動いたのは別の人間……。舞鶴事変で浅からぬ縁が出来た、陸軍人三羽烏たちだった。栞奈は囮も兼ねていたのだ。
 ほぼ無償で働いてくれた彼らには失礼だが、三羽烏と三馬鹿が掛かっているのは言うまでもないだろう。


「すみません。貴方にこんな、諜報員のような仕事をさせてしまって」

「いえいえ、問題ナッシングです。私も覚悟決めちゃったので、毒を食らわば皿まで、ですよ」

「……助かります」


 元を正せば、栞奈はただの警備員。それが桐林の騒動に巻き込まれ、今では汚れ仕事の手伝いまで。
 心苦しさに、桐林は珍しく弱気な顔を見せるが、帰って来たのは朗らかな笑顔で、オマケに力こぶも作って見せる。
 この明るい人柄に、どれほど助けられているか。
 いくら言葉を尽くしても足りないくらいだが、一先ず礼を言うだけに留め、桐林は投射された情報の確認に移った。

 病院の写真や複製ホームページ、勤務する医療関係者や患者の情報など、纏め上げられた情報は多岐に渡る。
 しかし、どれもこれも極普通の情報ばかりで、これといって妙な点は見つけられなかった。
 唯一、桐林の目に留まったのは、とある入院患者と、その親族に関する詳細。
 注釈として、この患者が兵藤の肉親であった可能性が示唆されている。


「これが先輩の、本当の名前……」

「らしいですね。どうも、お爺さんが入院してらしたみたいですが、当時の関係者の足取りは追えませんでした。ほとんどが亡くなっているようです」


 明記されていた氏名を眺め、桐林は感慨深く呟いた。
 兵藤 凛という偽名とは似ても似つかない名前だが、真実かどうかは疑わしい。
 死亡した関係者も、小林 倫太郎が手を下した可能性がある。
 そうまでして隠蔽する必要があったのか、と言われれば、素直に頷けない部分も。
 情報は得られたものの、活かすにはまだ足りない状態だ。
 間近にある桐林の顔を見つめ、栞奈が尋ねる。


「どうします。まだ追跡調査しますか」

「いえ。とりあえず、ここまでに。明日は作戦の決行日でもありますから」

「ですね……。やっぱり、あの“力”を……」

「使わざるを得ないでしょう。覚悟しておいて下さい」

「……了解です」


 兵藤からも頼まれている。
 桐林が望むのなら、まだまだ働くつもりの栞奈だったが、首は横に振られた。
 優先すべきは軍務であり、ましてや次の作戦で、彼は間違いなく、あの“力”を使う。
 事前に様々な準備をしておかなければならないし、事後処理の準備にも手間が掛かる。
 万全の状態で挑むには、一先ず調査のことは置いて、戦いへと集中しなければ。

 互いに命運を預かる二人は、薄暗い部屋の中、静かに頷き合う。
 と、そこへノックの音が二回。


「提督、香取です。少々お時間を宜しいでしょうか」

「ああ。入れ」

「失礼致します」


 許しを待って入室したのは、クリップボードを小脇に抱える第一秘書官、香取だった。
 が、栞奈の姿を見つけ、はたと彼女は立ち止まる。
 そして、気不味く二人の様子を伺い……。


「……もしかして、お邪魔でしたでしょうか?」

「ちょ、なに言ってるんですか香取秘書官! 無いですから、提督が私に興味持つわけ無いです。ええ、あり得ません!」

「そこまで力一杯否定しなくても……」


 もしや、逢引の邪魔をしたのでは? と考えた香取なのだが、栞奈は椅子から立ち上がり、勢いよく両手を振り回して否定する。
 あまりの力説ぶりに、ひょっとして彼のことを嫌いなのかしら? なんて、今度はそう思ってしまう。桐林も微妙に寂しそうだ。
 ともあれ、本日の秘書官補佐である海風と、執務を代行しているはずの香取が、わざわざここまでやって来たのだ。
 重要な案件なのだろうと、桐林が話を戻す。


「何かあったのか」

「あ。失礼しました。それが、急なお客様が見えられまして……」

「お客さん? こんなタイミングで来るなんて、怪しいですね」

「はい。私も疋田さんと同じように思うのですが、何分、相手が相手ですから、対応に困っているんです」


 ほとほと困り果てた、といった風に、香取は頬に手を当てる。
 今ではどんなセクハラ親父にも、笑顔で折檻――もとい、対処できる香取にここまで言わせるとは、よほど厄介な客のようである。
 桐林は重ねて尋ねた。


「誰なんだ、その客は」

「……桐谷中将の御息女。千条寺 眞理杏瓊様と、お付きの方々が数名です」

「なんだと」


 予想外な名前が耳へ飛び込み、桐林の眉が露骨にしかめられた。
 千条寺 眞理杏瓊。
 襲名披露宴の裏で出会い、それきり会う事の無かった少女。
 以前の彼であれば、驚きつつも歓迎しただろうが、今の彼にとっては、酷く扱いに困る来客である。


「如何なさいますか。今は鹿島に応対させていますが、お帰り頂きますか?」

「……いや、会おう。会わずに帰しては、後が怖い」

「ですよねぇ……。桐谷中将、怖いですもんねぇ……」


 関わり合いになりたくない、というのが桐林の本音だ。
 しかし、実際そんな事をしたら、どんな嫌味を言われるやら、想像すらつかない。
 溜め息混じりに、彼はデスクから腰を上げる。
 栞奈もPCを休止状態とし、キューブを回収して席を立つ。
 左隣に香取。背後に栞奈を引き連れて部屋を出る桐林の足取りは、やや重かった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 程なく、桐林一行は庁舎一階の応接室に辿り着き、「失礼する」と一声掛けてからドアを開ける。
 アンティーク調の落ち着いた調度品が目立つこの部屋は、建設時に桐谷が手ずから用意した部屋だった。
 生憎と桐林の趣味ではなかったが、スヴェンを始めとする来客には好評であり、利用頻度も高い。
 入室する彼の姿を見るや否や、応対していたらしい鹿島が、涙目でソファから立ち上がった。


「提督さん! やっと来てくれたんですね!」

「鹿島! もう、お客様に失礼でしょう? 申し訳ありません、失礼な真似を」

「はっ。も、申し訳ありませんでした!」


 その有り様を見ると、よほど緊張していた事は如実に伝わってくるのだが、来客の前では不味い。香取に叱責され、鹿島も慌てて頭を下げる。
 対面のソファに座っていたのは、一人の幼い少女。若草色のワンピースの上に、細かい刺繍の施されたケープを合わせている。
 背後に三人の女性が立ったまま控えていて、内一人は紺のスーツにタイトスカート。残る二人はクラシカルなメイド服を身に纏っていた。
 鹿島たちの背後を周り、上座に置かれた一人用ソファへと腰をおろす前に、桐林が少女に向けて会釈を。


「お待たせして、申し訳ない。雑務を片付けていたものですから」

「いいえ。マリの方こそ、ごめんなさい。急に、来たりして」


 桐林に合わせて立ち上がった少女――千条寺 眞理杏瓊こと、マリも突然の来訪を謝罪する。
 出会った当初より幾分か背が伸び、髪も長くなっているようだ。
 セミロング、というには少し足りない長さだが、それをバレッタで後頭部に纏めている。仕草や上等な衣服などから、上流階級の人間特有の気品が漂っていた。
 手で「お掛け下さい」と示し、桐林は腰を下ろす。マリが同じように腰を下ろすと、視線は背後の女性たちへ。


「失礼ですが、そちらの方々は?」

「マリの、付き人です。挨拶、して」


 問い掛けに、マリは女性たちへの指示で返す。
 まず進み出たのは、スーツ姿の女性だ。


「お初にお目に掛かりますワ。ワタクシ、マリ様の教育係を務めさせて頂いている、近 藤、と申します。ドウゾお見知り置きヲ」


 桐林に向け、優雅に一礼した彼女は、微笑みながら眼鏡の位置を直している。
 髪は茶髪であり、後頭部でシニョンに纏め上げられていた。
 物腰は穏やかだが、どことなく鋭利な雰囲気を感じさせる。

 続いて進み出たのは、メイド服の女性二人。
 年の頃を見ると、女性というより少女と言った方が相応しいだろう。
 十代後半から二十代の、黒髪をポニーテールにする少女と、十代半ばといった年頃の、黒のセミロング少女が、ロングスカートをつまんで身体を低く。


「侍従の鈴山と申します。お噂はかねがね」

「ぉ、同じく、侍従のふぶ――っ!? ふ、吹石と申しましゅ! を、をみしゅりおきゅぐ……」

「あらあら。いけませんよ? 申し訳ありません、この子は新人なものでして」

「す、すみましぇん……」


 近 藤と名乗った女性に習い、鈴山と名乗る年長のメイドは、しっかりと挨拶をこなす。
 一方、年少のメイドである吹石は、辞書の「しどろもどろ」という単語に、参考映像として添付したくなる様子だ。

 上品な物腰の鈴山。窘められ、これでもかと萎縮する吹石。無言で微笑み続ける近 藤。
 三人の女性を、桐林がジッと見つめている。
 思う所があるのか、右眼は薄っすら細められており、ほとんど睨みつけているに近い。
 奇妙な沈黙が数秒ほどあり、吹石の顔色が土気色になり始めた頃、彼はようやく目礼した。


「どうぞ、よろしく。宜しければ、お掛けください」

「それでは、失礼しますワ」


 ソファを勧められ、近 藤がマリの隣へと。
 鈴山と吹石は、一礼するも、侍従ゆえに立ち続ける事を選ぶ。
 応接室に満ちていた緊張感が解けていき、その瞬間、付き人三人は目で通じ合った。


(……Yes! バレてないみたいデース! ワタシたちの変装Disguise演技Actingは完璧ネ! 鈴谷も良い味出してマスよ!)

(そりゃあそうっしょー。キャラ変えてる上に、私なんか髪を編み込んで、カツラも被ってるんだし。女は女優って感じ?)

(本当にそうでしょうか……。こっちを見る視線がものすっごく鋭かったんですけど……)

(それはブッキーがトチったからデース。緊張し過ぎは良くないですヨ?)

(そーそー。金剛さんみたく、この状況を楽しむくらいの余裕がなきゃねー。メイド服も意外と着心地良いし)

(誰のせいだと……。誰のせいだと思って……!)


 もうお分りだと思われるが、この三人、横須賀で待機しているはずの統制人格――金剛、鈴谷、吹雪であった。
 事の発端は数日前。
 なんの脈絡も無く電の放った、「司令官さんがまたフラグを立てたような気がするのです」という言葉にヤキモキし続ける、桐林OnlyLoveな高速戦艦の元へと、一本の連絡が届く。
 軍の秘匿回線を通じて届いたそれは、もちろんマリが発した物であり、要約すると以下の通りとなる。


『今度、桐林さんの所に突撃訪問、するんですが。……御一緒、しませんか?』


 なんともタイミングの良い申し出に、金剛は一も二もなく飛びついた。
 そして、横須賀艦隊を代理統括していた、赤城などの運営陣で話し合った結果、秘密裏にこの三名が送り込まれたのである。
 人選の理由だが、直接に連絡を受けた金剛は、強烈な自薦によって。
 鈴谷は単に暇だったからで、吹雪の場合、その常識的かつ真面目な性格から、ストッパー役を期待されて、だった。
 ……被害担当、と言い換えても良いだろう。

 ちなみに、どうしてマリが金剛に連絡をしたのか。
 襲名披露宴で桐林と接触した人間を把握しておく為、桐谷が記録させていた映像を、攻略の参考までに見た時。とても楽しそうに踊る彼女が、印象に残っていたからだ。
 彼女を味方につけておけば、後々、何かの役に立つかも知れない、という考えもあった。末恐ろしい幼女である。

 さて。
 このような経緯があり、金剛は家庭教師風なコスプレと役作りをし、鈴谷は熊野を参考に変装し、やる気のない吹雪は髪を下ろすだけという雑さで、舞鶴に乗り込んできた訳だが……。
 しっかりと騙しきれているのか、桐林はマリへと視線を向ける。


「本日は、どのようなご用件で御出でになられたのでしょうか」

「お父様を通じて、次の作戦が近いと聞きました。なので、げきれい? に来ました」

「……そうでしたか。お心遣い、ありがとうございます。皆も喜びます」


 少々、形式ばったマリの言葉に、桐林が頭を下げる。
 予告無しに軍事施設を訪れるなど、本当なら門前払いしたい所だが、相手はあの桐谷の娘。優先順位はこちらの方が高いのだろう。
 桐林の謝辞に続いて、鈴谷たちと同じく立ったまま控えていた香取、鹿島が進み出た。


「では、私共も改めてご挨拶を。舞鶴鎮守府、桐林艦隊の第一秘書官を務めさせて頂いております、香取型練習巡洋艦の一番艦、香取と申します」

「同じく、第二秘書官を務めております、二番艦の鹿島です。先程は失礼致しました。以後、お見知り置きをお願い致します」

「……あ、え? 私も? き、桐林提督付きの調整士で、疋田 栞奈と申しますっ。えっと、どうぞよろしく」


 無駄のない完璧な動作で、そつなく敬礼して見せる香取。
 かかとを鳴らし、力の入った敬礼が緊張を伺わせる鹿島。
 視線の集中を感じ、栞奈も慌てて最敬礼を。
 図らずも、横須賀コスプレ勢と相対するような構図になった。
 順繰りに舞鶴勢を見回した金剛が、素知らぬ顔で桐林へ声を掛ける。


「お美しい女性たちニ囲まれていらっしゃるのですネ。世の殿方たちモ、さぞかし羨んでいるでショウ」

「……身に余る環境ではありますが、それと軍務とは関わりありませんので」

「アア、これは失礼しました。そういうつもりデハ無かったんです。許して下さいマセ」


 男女関係の噂を暗に匂わされ、桐林が慇懃に返す。
 ワザとらしい大仰な謝罪は、嫌味な女という役作りの賜物である。
 事実、鹿島には悪い印象を与えていた。


(……香取姉。なんだか、ヤな人ですね、この近 藤さんって人)

(相手は千条寺家付きの教育係よ。色々と警戒する事も多いのよ。……教育係、ならね)

(え……?)


 コソコソと内緒話をする練巡姉妹だったが、含みをもたせた姉の言葉に、妹は首を傾げてしまう。
 三人を見つめる胡乱な視線は、まるで正体を疑っているようだった。
 というか、全く疑っていない鹿島が純粋過ぎるのだろう。無垢な心も良し悪しである。
 しかし、香取は舞鶴を代表する統制人格。
 内心の疑念を微塵も表に出さず、桐林から話題を継ぐ。


「あいにく、ほとんどの統制人格は泊地の方で抜錨を待っておりまして、次作戦に参加する艦艇は、母港には残っていないのです」

「そう、なんですか。残念です……」

「いえ、お待ちを。ほとんどはそうなのですが、諸事情でまだ母港に残っている者も居ます。宜しければ、お会いになられますか?」

「はい。会いたい、です」

「承りました。直ぐに呼び寄せますので、少々お待ちを……」


 残念な知らせに、気を落とすマリ。
 けれど、香取は直ぐさま代案を提示し、ハキハキとした返事を受けて、呼び出しを掛けようと壁際の通信端末へ向かう。
 が……。


「それには、及びません。出来るだけ、邪魔したくないので。マリが、会いに行きます。良いですか?」

「……提督?」

「構わないだろう」

「はい。では、合わせて鎮守府もご案内させて頂きます。こちらへ」


 マリはすっくと立ち上がり、自らの足で出向くことを申し出る。
 桐林も、同じく腰を上げながら香取の声に頷き、ソファを回り込んで、マリへと右腕を差し出す。エスコートさせて欲しい、という意思表示だ。
 当然のようにそれは受諾され、香取の先導の元、身長差はあるものの、二人は腕を組んで歩き始めた。


(わ。提督さん、自然にエスコートしてる。凄いなぁ。……良いなぁ……)

(……あれ? これってもしかして、私も着いて行った方が良い流れ? 明日の準備したいし、出来れば遠慮したい……けどタイミングが……)


 部屋を出る桐林を追いつつ、鹿島は羨望の眼差しをマリに向けていた。
 彼と腕を組む、というだけで羨ましさMAX。いつもなら歯軋りして悔しがりそうなものだが、マリと鹿島自身を置き換えた妄想を繰り広げているおかげで、実害は無い。
 そして、皆が歩き出すのに、なんとなーく追随してしまった栞奈は、己の間の悪さを痛感する。
 中座するにも、今そんな事を言ったら水を差すようで、これまたなんとなーく心苦しい。
 どうしかして脱出を試みねば……と考える、仕事熱心な調整士であった。

 一方、横須賀コスプレ勢はといえば。


(う~ん……。提督、あんま笑わないね。今までだったら苦笑いとか、愛想笑いとか浮かべてそうなのに)

(それより、身に纏う雰囲気そのものが全然違っちゃってますよ。なんというか、凄く話しかけ辛いです……)

(やっぱ、引きずってるのかなぁ……)

(……多分)

(相手はChild、ムキになったら負けデース……。Calm Downデスよ金剛……!)


 桐林の後を追うのは鹿島たちと同じだが、こちらは密かに暗い雰囲気を漂わせている。
 鈴谷と吹雪の中にある彼の印象と、現在、数歩前を歩く後ろ姿とでは、丸切り別人のようだった。
 一つも笑顔を見せず、目付きは異様に鋭利で、しっかりとエスコートまでこなす。歩く姿もブレが全く無く、外見だけ見れば正しく軍人そのものである。

 悪い事ではないはずだ。
 そのはずなのだが、どうにも、しっくりこない。
 彼がこうまで変わってしまったのは、やはり、兵藤や整備主任の死を、今でも悔やんでいるからではないか。
 鈴谷たちには、こうとしか思えなかった。

 事実は違い、整備主任は工作艦となって生き延びているわけだが、横須賀勢はこれを知らない。ここに居ない面々も含めてだ。
 唯一、知る機会があったのは、舞鶴で改二改装を受けた七隻の統制人格だけ。しかし彼女たちも、徹底した行動制限によって知れず終いだった。
 改装自体、明石は離れた場所から、身を隠して使役妖精に指示を出していたため、影を見ることすら叶わなかっただろう。
 加えて、兵藤という先達を失った事実だけは、変えようのない真実である。

 大切な人の死によって、変わらざるを得なかった桐林。
 その、頼もしくなった背中を見つめ、鈴谷と吹雪は、一抹の寂しさを覚えるのだった。
 幼い少女に激しく嫉妬心を燃やし、笑顔を浮かべながら、心の中で歯軋りしている高速戦艦も居るようだが、彼女の事は放っておこう。
 千条寺 マリの、舞鶴行脚が始まる。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「あ、提督。おは……よう、ございます」


 廊下を歩いていた浜風は、少女と腕を組んで歩く桐林を見つけ、一瞬だけフリーズするも、持ち前の精神力でどうにか持ち堪える。
 隣を歩いていた浦風も、目を丸くしていた。


「あれまー。提督さん、可愛らしい子とデートしとるんやねぇ。お名前は?」

「浦風さん、いけませんよ。この方は桐谷中将の御息女で、千条寺 眞理杏――」

「千条寺 マリ、です。よろしく」


 しゃがみ込み、視線の高さを合わせる浦風へと、マリの紹介をしようとした香取だったが、フルネームを出す前に遮られてしまう。
 来たるべき改名の際に必要な、通名使用実績の積み上げの一環である。涙ぐましい。
 そんな事情を欠片も想像していない浜風・浦風コンビは、マリが桐谷の娘であると知って襟を正す。


「提督からお話を伺った事があります。駆逐艦、浜風と申します」

「同じく、駆逐艦の浦風いいます。初めまして」

「えっ。……駆逐、艦?」

「はい。そうですが」

「なんやろ、おかしげなトコあります?」


 ところが、この二人が駆逐艦の統制人格であると知り、マリは盛大に首を捻る。
 変なことを言っただろうかと、彼女たちも不思議そうな顔をしていた。
 マリの気持ちを察している者といえば、背後でそのやり取りを見守っていた、横須賀コスプレ勢くらいだ。


(やっぱり大きいですもんね……。実際にこの目で見ても信じられない……)

(夕立の言ってた事、マジだったんだ……。もしかして、私よりデカいんじゃ?)

(グヌヌ……。あの駆逐艦'sから、テートクへのLoveいEmotionを感じマース……。要警戒デース)


 駆逐艦と言ったら、統制人格は少女を模す事が大多数であり、マリと面識のある電を思い出せば、確かにそうであろうと納得が行く。
 けれども、丁度、マリの顔と同じ高さで揺れる四つの“それ”は、明らかに駆逐艦の範疇を超えていた。
 まぁ、横須賀にも潮という例外は存在したが、それを知らないマリにとって、浜風・浦風コンビとの対面は、未知との遭遇だったのである。
 浜風の容姿を事前に聞かされていた、吹雪たちでさえ改めて驚いたのだ。然もありなん。


(さっきからコソコソと、何を話してるんだろう? この三人、怪しいです……!)

(うん、まぁ、怪しいのには同意するけど。というか、あの人たち……)


 そして、そんな横須賀コスプレ勢を密かに観察し、鹿島は不信感を覚え始めていた。
 今更かい! とツッコミたい栞奈だが、その不審者にも、妙に見覚えがあるというか、隠しきれていない人物が居るというか……。
 もうとにかく、早くこの茶番から退場したいと、願ってやまない元一般人である。

 それはさておき、挨拶を済ませた浜・浦コンビとマリ。
 話は来訪目的に移る。


「もしや、鎮守府の視察にいらしたのでしょうか」

「ううん。そうじゃ、なくって。作戦が近い、って聞いたから。応援に来ました」

「……そうでしたか。お心遣い、感謝致します」

「ほんなら、みんなに挨拶……いうても、こっちに残っとるんはオイゲンさんだけやろ? ……ああ、それで練り歩いとったんやね」

「そうなりますね」


 ポン、と手を打つ浦風に、香取が頷き返す。
 先ほど彼女が言った、諸事情で母港に残っているという統制人格は、プリンツ・オイゲンの事なのである。
 次作戦に出撃する艦艇数は総勢十八隻。中継器三台分だ。
 そのうち二台がドイツ国籍艦に載せられ、一つはグラーフ・ツェッペリンに。もう一つがオイゲンに……という予定だった。
 しかし、母港から出撃する間際に、中継器本体に不具合が判明。直すのにも時間が掛かるため、予備の中継器に載せ換え、ついでに船体の再チェックも行われて、出航が遅れたのだ。
 母港を出るのは夕方を予定しており、今は庁舎内で最後の休息を取っているはずだった。
 浦風がそれを証言する。


「オイゲンさんなら、ついさっき甘味処で見かけたけど……。のう、提督さん。ウチらも着いてってエエやろか?」

「浦風、駄目よ。お邪魔になります」

「ええからええから。な、邪魔はせんから。そっちの人らとも話してみたいし。な?」

「……好きにするといい」

「ん~、提督さんは太っ腹じゃね~。ありがと♪」

「全く……」


 上目遣いに、ウィンクしながら頼み込む浦風。
 桐林が仕方なく了承すると、マリとは反対側の腕に抱き着き、茶目っ気たっぷりな笑顔を浮かべる。溜め息をつく浜風など御構い無しだ。
 特に必要性が感じられないスキンシップを見せつけられ、金剛が内心で「ヲノレェエエ……!」と叫び、ついでに鈴谷も青筋を浮き立たせるのだが、顔は笑顔のままなので、察知した吹雪をビビらせるだけに留まった。
 程なく、浜・浦コンビは金剛たちと挨拶を交わし、表面上は和やかな雑談に花を咲かせる。


「教育係にメイドさんかぁ。やっぱ、あの子は貴族階級なんじゃねぇ」

「それはモチロン! 幼少の頃カラ様々な学問、芸術、武術に触れ、齢十歳にシテ、持ち得た段位を合計すれば十五を超える天才デス! 姉君様方にも負けない、千条寺家の星ですワ!」

「なるほど……。まさしく、英才教育を受けている訳なのですね」


 中心となるのはマリの事で、事前に打ち合わせた内容を、金剛が胸を張って語る。
 見た目はただの可愛らしい少女だが、マリは既に高等教育に相当する学位を収め、絵画、日舞、茶道、華道、空手、柔術、剣術や薙刀術でも、才能を遺憾なく発揮する稀代の才媛でもあった。
 二人存在する彼女の姉たちも同様に、多方面での才気に溢れており、それを娶る事が出来れば、政財界での成功を保証されるという側面からも、引く手数多の超高級物件なのである。
 一方で、手放しに喜べない部分もあるようで、猫を被った鈴谷は、少々顔を曇らせる。


「その分、市政の子供たちのような、自由な時間が全く無いのは、おいたわしい事ですが……」

「ですよね……。分刻みのお稽古スケジュールに、同じ年頃の友達だってほとんど……。私だったら息が詰まっちゃいそうです」

「はぁ……。お金持ちって大変なんだ……」


 裕福であるが故の苦境に、一般市民代表の栞奈が嘆息した。
 贅沢な悩み、と思われる場合もあろうが、十歳になったばかりの少女が好きに遊べないのは、確かに不幸か。
 と言っても、「幸福の形は似ていても、不幸の形は千差万別」という言葉があるように、何を不幸とするかは当人次第。一方的に哀れむのも失礼に当たる。難しい問題だ。
 暗くなりかけた雰囲気を察した鹿島は、金剛の発言にあった「姉君様方」という単語に注目。話題を変えようと試みる。


「そういえば、マリちゃ――さんって、何人姉妹なんですか?」

「姉君が二人と妹君が二人ノ、五人姉妹ですワ」

「へぇー。お名前は?」


 ビシリ。
 続け様の質問に、横須賀コスプレ勢が凍り付く。


「あ、あれ? 私、何か変なこと聞きました?」

「イ、イイエ、変なことデハない……はずなんですガ……」


 思わず足を止め、オロオロしてしまう鹿島。
 金剛は引きつった笑みを浮かべ、どうにかこうにか否定するけれども、明らかに前方を歩くマリを伺っている。
 歩き続けている所を見ると、こちらのやり取りには気付いていないらしい。
 鈴谷が声を潜め、内緒話の体勢に。


(教えるのは構わないと思いますが……。くれぐれも、過剰に反応しないよう、留意して頂けますか?)

(え。名前を聞いただけで、なんでそんな注意事項が?)


 首を傾げる栞奈の反応ももっともで、金剛と鈴谷が、「後は任せた」と言わんばかりに吹雪を見やる。
 なんで私!? と泣きたくなる被害担当者は、好奇心で輝く鹿島たちの視線に根負けし、溜め息混じりに囁く。


(ええっと、あの……。確か、一番上の方から順に……。
 英莉千賀エリーチカ様、愛理寿莉出瑠アリスリデル様、紅麗亜梨祢クレアリーネ様、絵羽伊漓透エヴァイリス様、だったかと……)


 その刹那。世界は時間を止めた。
 鹿島、栞奈、浜風、浦風の脳裏に、マリの顔が浮かぶ。
 愛らしいが、純日本人といった顔立ちの少女。
 しかし姉たちの名前は、まるで洋風世界観RPGのヒロインが如き、まばゆい名前。
 そういえば彼女、香取の紹介を遮らなかっただろうか。香取はマリの後に言葉を続けていなかっただろうか。という事は、マリの本名も……?


(ごめんなさい、ごめんなさい……っ。鹿島が、聞いた鹿島が悪かったですぅ……!)

(親からもらう名前ばっかりは、どうなろうになぁ……)

(マリさん。強く生きて下さい)

(お父さんお母さん、普通の名前をつけてくれてありがとう! そこだけは全力で感謝します!)


 悲しい現実に思い至り、舞鶴勢の四人は、めいめいの感情を露わにする。
 口を覆って咽び泣き、虚ろな瞳で天井を見上げ、力強く応援し、故郷へ向けて手を合わせ……。ちょっとしたカオスだ。
 距離があっても流石に気付いたらしく、香取が後ろを振り返った。


「鹿島? どうかしたの?」

「な、なんでもないです香取姉! 今行きまーす!」


 大急ぎで涙を拭い、鹿島たちは小走りに追い掛ける。
 幸い、桐林から次作戦の話を聞いているマリには、これも気付かれていないようだった。
 その後、一行は庁舎の中央エレベーターで一階へと移動し、マリに合わせた歩幅で歩いても、十分と掛からず甘味処 間宮へ到着した。
 暖簾をくぐると、木目調のテーブル席や、靴を脱いでくつろげる座敷席などが目に入り、横須賀勢が感嘆の声を上げる。


「ホウ……。ここが噂に聞く、甘味処 間宮デスか」

「まぁ、素敵なお店……。純和風な雰囲気にしてあるんですね」

「うわぁ、可愛いなぁ。鳳翔さんのお店に似て――ハッ!?」


 食事時を過ぎているせいか、やはり人影は見えないが、ついさっきまで、人でごった返していたような、暖かさの残滓を感じられる。
 それが吹雪の気を緩ませたらしく、彼女はうっかり口を滑らせてしまう。
 香取の眼鏡が光った。


「あら。横須賀へ行った事がおありで?」

「エ、エエ。とても有名なお店ですカラ、休暇頂いた際に、興味本位デ……」

「わ、わたくし共もそうなんですよ? 風情ある建物で、お食事も美味しくて。ねぇ?」

「ははははいぃ! ととととっても美味しゅう御座いましたっ!」


 引きつった青い顔に、無理やり笑顔を浮かべて誤魔化す金剛、鈴谷。
 二人は、見えない所で吹雪のお尻を抓っており、痛みに涙目となる吹雪が、心の中で「ごめんなさいぃ!?」と叫びつつ追随する。
 その声を聞きつけたか、入り口からは奥まって見えない座敷席から、二人の少女が顔を出す。
 長い黒髪と、茶髪にヘアバンド。磯風、谷風である。


「なんの騒ぎだ。……む、香取秘書官に、皆も?」

「おっ。提督ぅ、どったのさー? もしかして、この谷風さんに、会い、に……」


 どうやら、遅めの昼食を摂っていたらしく、磯風の口元にはご飯粒が。
 谷風は爪楊枝を片手に、桐林へと軽く手を上げるが、どうしてだか、声は尻すぼみに消えていく。
 その視線の先には、マリが居る。桐林と腕を組む、幼い少女が。
 谷風の導火線に火がついた。


「て、ててて提督がロリっ子と腕組んでるぅー!? まさか、誘拐? 拉致!? 憲兵すわぁーん!」

「谷風、少し黙ろうな。それに、あとで鏡を見た方が良い。……香取秘書官、これは一体?」

「実は、《かくかくしかじか》、という事なのよ。磯風さん」

「ふむ。なるほど、桐谷中将の」


 これはもう弄るしかない! とばかりに騒ぎ立てる谷風を捨て置き、磯風が説明を求める。
 香取が掻い摘んで事情を話すと、マリ、金剛、鈴谷、吹雪を順繰りに眺める彼女。
 切れ長の瞳が細くなり、一瞬、横須賀勢に緊張が走るも、杞憂だったらしく、かかとを鳴らして磯風は敬礼した。


「失礼した。私の名は磯風。第十七駆逐隊に属した駆逐艦だ。見知り置きを。そして、この五月蝿いのが……」

「五月蝿いって何さっ。ちょっとビックリしただけじゃないか……。
 オッホン。アタシは谷風。磯風や浜風たちと同じ、十七駆の一員だよ。
 中将の娘さんってこたぁ、パトロンみたいなもん? 世話んなってるね!」

「谷風! いけんやろっ、そない雑な口きいて……!」

「申し訳ありません。谷風は……アレです、躾がなっていなくてですね」

「オイぃ浜風。アタシゃ犬か」


 残る谷風は、まぁ、彼女らしい砕けた挨拶をしてしまい、浦風と浜風が慌ててフォローに。
 しかし、当のマリは楽しそうに微笑んでいる。


「気にしないで、下さい。ちょっと、ほっとしました」

「デスね……。ワタクシの知っている駆逐艦のImageが崩壊する所でしタ」

「全くですわぁ。『われ、あおば!』に掲載されていた写真は、ほぼ谷風さんと同じような感じでしたもの」

「あの、私もそう思いましたけど、流石に口に出すのは失礼なんじゃ……」

「どこの誰だか知んないけど、言ってくれるじゃないかい……。
 だがしかしっ、貧乳はステータスという由緒正しい格言がこの国にはあるのさ!
 谷風さんは揺るぎやしないよ! な、磯風?」

「そんな格言、私は一度も聞いたことが無いぞ。ついでに言えば、揺れるほどの物も持っていないような」

「おおう辛辣ぅ……」


 マリはともかく、吹雪以外の横須賀勢も若干気が緩んだらしく、谷風への気遣いはぞんざいな物になっていた。
 元来の愉快な性格のおかげか、谷風が全く気にしていないのは、不幸中の幸いか。
 だが、わざわざここまで出向いた目的は、この様な世間話をするためでは無い。
 香取はパンパンと手を打ち鳴らし、仕切り直す。


「はいはい、話を戻しましょう。谷風さん、磯風さん。オイゲンさんの姿を見かけませんでしたか?」

「オイゲン? いや、私は食事に集中していたから、気付かなかったかも知れない。谷風はどうだ」

「アタシも、ちっと分かんないなぁ。間宮さんたちなら知ってんじゃない? おぉーい、間宮さぁーん、伊良湖っちーぃ!」


 残念ながら、磯風たちから望む答えは得られなかったものの、代わりに谷風が店主である間宮を呼ぶ。
 間を置かず、両手で盆を持つ割烹着の女性と、同じく割烹着姿の少女が、厨房から姿を現した。間宮と伊良湖、給糧艦の二人だ。


「そんなに大声で呼ばなくても、聞こえてますよ? 谷風ちゃん」

「あと、わたしのこと変な風に呼ぶの、やめてもらえませんか? 普通に呼び捨てで構いませんし……」

「えー、いいじゃんいいじゃーん。親愛の証だよ、伊良湖っち!」

「はぁ……。もういいですぅ……」


 ビシッ! と親指を立てる谷風に、伊良湖は小さく溜め息を。
 以前、横須賀の水雷戦隊と合同演習をした際、北上が大井の事を「大井っち」と呼ぶのを聞いてから、この呼び方は始まった。
 伊良湖も本気で嫌がっている訳ではないのだろう。このやり取りが、彼女たちの定番になっているのかも知れない。
 そんな二人を優しく見守っていた間宮が、頃合いを見計らって桐林へと報告を上げる。


「失礼ですが、勝手に話は聞かせて頂きました。オイゲンさんでしたら、早めに整備を終えて、ここで軽食を摘んだ後、執務室の方へ向かわれましたよ」

「……入れ違いか」

「はい。せっかく御足労頂いたのに、申し訳ありません」

「君が謝る事じゃない。あまり遜るな、伊良湖」

「あ……。はい、提督」


 落胆したような声に、伊良湖は反射的に頭を下げてしまう。
 それを桐林から注意されるも、どこか彼女は嬉しそうに見えた。
 金剛、鈴谷の眉がピクリと動く。何かを感じ取ったらしい。
 その一方で、マリは桐林の服の袖を軽く引っ張り、所在無さげな視線を。


「この人たちは……?」

「あら、申し遅れました。舞鶴艦隊の烹炊を任されている、給糧艦 間宮と申します」

「同じく、給糧艦 伊良湖です。お詫びと言ってはなんですが、こちらをどうぞ。抹茶味のプチシュークリームです」

「わぁ……! 美味しそうっ。ありがとうございますっ」


 簡単な自己紹介を終えると、間宮たちは近くのテーブル席に盆を置く。
 上には幾つもの小皿とおしぼりが並んでおり、一口サイズのシュークリームが盛り付けられていた。桐林たちが来たのを確認し、あらかじめ用意していたのだろう。
 今まで、感情の動きをあまり見せなかったマリだが、甘いお菓子には弱いらしく、はしゃいでいる様子は実に子供らしい。

 立ったまま食べるような無作法はせず、各々、席に腰を下ろす一行。
 谷風、磯風も加えて、桐林が「頂きます」と声を掛ければ、そこかしこで喜びの花が咲いた。


「っ! うんわっ、これマジ美味し!」

「チョッ、Ms.鈴山っ、地! 地ガ!」

「……あ、あら失礼ー。とっても美味しいですわぁ」

「ですね~。幸せです~」


 ふんわりサクサクなシューを噛み締めると、内側から溢れ出すたっぷりのクリーム。
 抹茶のほろ苦さが甘さを引き立て、鈴谷の猫被りを剥ぎ取ってしまう。
 窘める金剛も、既にプチシューを平らげている有様で、吹雪はじっくりと疲れた心を癒している。

 甘い物は女性の心を和やかにするらしく、舞鶴勢、横須賀勢の区別なく、話が弾んだ。
 そんな中、厳しく行儀作法を躾けられたマリは、無言でプチシューを頬張っていた。
 眼差しは真剣そのもの。しかし、口元には笑みが刻まれ、誰の目にも上機嫌なのが分かる。
 三角形に盛られた五個のプチシューを食べ終わり、彼女はやっと口を開く。


「……っん。はぁ……。美味しかった、です……」

「気に入って頂けたなら、良かった。よければ、自分の分も」

「えっ! あ、でも……。桐林提督の、分ですから……」

「自分はいつでも食べられますので。どうぞ」


 隣に座る桐林からの申し出に、マリは表情を輝かせる。
 食べたい。とても食べたいです。と訴えかける瞳が、彼と小皿を行ったり来たり。
 けれど、食い意地が張っていると思われたくないのか、どうしても手が伸びない。
 仕方なく、桐林がプチシューを手に取り、小さな口へと運ぶと、ようやく諦めがついたのか、餌を待つ小鳥のようにアーンと。
 親鳥役がプチシューを放り込めば、可憐な笑顔がまた花咲いた。

 微笑ましい光景にしか見えないが、桐林の行動、否応無く取らされたものだった。
 彼が味覚障害を負っている事は、艦隊内でも知らぬ者の方が多い秘密だ。
 が、来賓の前で彼の分だけを用意しない、というのはおかしい。
 間宮も、桐林の分を誰かが食べると承知の上で出し、それがたまたまマリだった、というだけなのである。


(そ、そんなっ!? ナチュラルに提督さんにアーンさせるだなんて……! 千条寺 マリ、恐ろしい子……!)

(いや、鹿島さん? 相手は十歳くらいの女の子ですよ? 目くじら立てることじゃ……ないはずだよね……?)


 しかしながら、隠された事情を知らぬ鹿島が見れば、その光景は目を疑うものでしかない。
 あの桐林が。してみたいなぁーとは思っても、絶対にしてくれないだろうなぁーと諦めていた行為を、目の前で。
 鹿島は思わず一九八○年代の少女漫画風に戦慄し、栞奈もプチシューを「ご馳走様」しつつ、首を傾げる。
 色々と変わってしまった彼だ。間違いはまず起きないだろうけれど、その代わりに平然とフラグを立てまくっている節がある。また変な騒ぎが起きないと良いのだが……。

 そんな時である。
 香取が持っていた緊急連絡用の携帯端末に、《ピピピ》、と着信があった。
 最後のプチシューを頬張りながら立ち上がった彼女は、ものの二十秒ほどで通話を終え、テーブルへと戻る。


「提督。少しよろしいでしょうか」

「……ああ」


 かと思えば、今度は桐林に何かを耳打ち。
 彼が頷いたのを確認してから、鹿島を呼ぶ。


「鹿島。悪いのだけど、後をお願いできるかしら。ちょっと問題が発生したみたいなの」

「え? 大丈夫なの、香取姉……?」

「手続き上の齟齬だから、大した事ではないと思うんだけれど、ね……。とりあえず、浜風さんと浦風さん。お暇でしたら、執務室の海風さんを手伝ってあげて頂けますか」

「了解しました」

「ウチらに任しときー」

「磯風さんと谷風さんは、念の為、このまま私に着いて来て下さい。お願いします」

「えっ、アタシも? 拒否権は……あるわきゃないよねぇ……。うぁー、ゴロゴロさせておくれよーぅ」

「なぜ私は谷風と一括りにされるのか……。まぁ、香取秘書官の頼みとあれば、致し方ないか」

「あ、じゃあ私もそっち手伝いますね。調整士としては、そういう問題も把握しておかないと」

「ありがとうございます、疋田さん」


 テキパキと香取の指示が飛び、早めのオヤツを堪能した少女たちが、それぞれに色の違う表情を浮かべて立ち上がる。
 整理すると、香取、谷風、磯風、栞奈の四名が一行から離れ、浜・浦コンビが執務室まで同行する、という事になったようだ。
 勝手に話を進めてしまった香取が、目をパチクリさせるマリへと頭を下げる。


「マリ様。こう言うわけでして、申し訳ないのですが、私はここで中座させて頂きます。後の案内は妹が務めますので、なにとぞ……」

「分かりました。お仕事、頑張って下さい」


 やはり、歳の割に聡いのだろう。何も聞かずにマリは頷き返し、香取も再度の会釈をして、先んじて退店した。
 桐林たちもそれに続こうとするのだが、ふと、間宮が桐林を呼び止める。


「あの、提督。本日の御夕食は……」

「うん? ……任せる。いつもの様に、な」

「はい。では、その様に」

「今日も、腕によりを掛けて作りますね!」


 戦の前の、最後の夕食。
 作戦行動中は素食を心掛けるため、次に味わって食べるのは、数日は掛かるであろう作戦の後になる。
 何か希望の献立があれば……と尋ねたのだが、桐林は敢えて、「いつもの様に」という部分を強調して言う。
 なんでも良いという訳ではなく、間宮たちの考えた食事が良い、という意味だ。
 それを信頼の証と受け取った二人は、やる気に満ちた笑顔で桐林を見送る。
 そして……。


(ハッ!? 今、あの二人とテートクがeye contactしましタ! 間違いないネ!)

(……そう言われてみれば、何処からともなく芳しいラブ臭が漂って……。怪しい……)

(怪しいのは金剛さんのアンテナと、ラブ臭という単語の方だと、吹雪は思います)


 妙に通じ合う三人に、相変わらず金剛がヤキモチを焼き、鈴谷も鼻を鳴らして賛同した。吹雪は悟った眼で諦めている。
 この二人が、執務室に居るというオイゲンを目にした時、一体何が起こるのか。
 被害担当者は、まだ何も知らない。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 所変わって、桐林たちが目指す執務室。
 静けさに包まれているはずの室内は、意外な事にボヤき声が響いていた。


「は~あぁ……。わたしの提督レーダーは、確かに執務室を指したんだけどなぁ……」


 革張りの椅子の上で、膝を抱えて椅子ごとクルクル回る金髪少女。プリンツ・オイゲンの声である。
 長い時間をかけた中継器の再設置と、船体のフルチェックを終え、もう出発を待つだけなった彼女は、遅めの腹拵えを済ませたのち、愛しの彼に会っておこうと思い立つ。
 そして、提督レーダーと名付けた乙女の直感を頼りに、執務室へと出向いたのだが、なんと予想外の空振り。故に不貞腐れているのだった。

 当然の話だが、プリンツ・オイゲンという船に、提督レーダーなる新兵装が積まれているわけでは無い。
 彼女に積まれているのは、当時でも最高峰に近い性能を誇る、ドイツ海軍が開発したレーダー群である。射撃管制、逆探知、敵味方識別など、複数機を運用している。
 海戦では非常に頼りになる存在であろうけれども、流石に人間一人を探し出せるほどの精度は無く、ある意味、当たり前の結果であった。

 まぁ、不貞腐れるだけなら大した害もないのだが、そんな彼女を、困った顔で見つめる少女がもう一人、執務室には存在した。
 毛先に向かって青みがかる、長い銀色の一本お下げ髪。
 黒い生地と薄い水色の生地を組み合わせた、ノースリーブのセーラー服を着る彼女の名は、海風という。
 白露型駆逐艦の、七番艦である。


「オイゲンさん……。あの、提督の椅子で遊ばないで頂けませんか? その……」

「だって……。せっかく会えると思ったのに、居なくて寂しいんだもん」

「き、気持ちはお察ししますけど、でも……。正直、邪魔で……」


 細い手脚を、黒いアームウォーマーとオーバーニーソックスに包む海風は、その儚げな容姿と裏腹に、割とハッキリ「迷惑だ」と告げる。
 こう書くとキツい性格と思われるかも知れないが、急な来客のせいで、彼女は執務を一人でこなさなければならなくなった。
 その上、「てーとくー! 出発前に愛の抱擁を……って居ない!?」と騒ぎ立て、椅子を占拠するだけに飽き足らず、ボヤき続けて仕事を邪魔する不埒者が居れば、誰でもイラっとするだろう。
 キチンと言葉を選んでいるし、むしろ心根の優しさが伺える。

 さてさて。
 どことなく殺伐としつつも、緊張感は欠片もない、桐林艦隊の執務室。
 頬を膨らませてクルクルしているオイゲンを、どうやって諦めさせるか。ボールペン片手に悩む海風の耳に、背後にあるドアの開閉音が届く。
 振り返れば、そこには全ての元凶――もとい、この部屋の主である桐林と、来客のマリが立っていた。


「あ、提督っ。どうしてこちら……に?」

「えっ、提督っ!? やっぱり、わたしの提督レーダーは間違ってなかったのね!」


 やっと真面目に仕事が出来る、と安心しかけた海風だったが、桐林たちが腕を組んでいると分かると、その光景が信じられずに小首を傾げてしまう。
 彼の後にゾロゾロと入室する仲間たちや横須賀勢にも、反応を返せないほどビックリしていた。
 一方で、過剰に反応しそうなオイゲンは、己の直感が的中した事の方が喜ばしいのか、特に驚いてはいない様子だ。
 状況を理解していないだろう二人に、桐林はまずマリを紹介する。


「海風、オイゲン。こちらは桐谷中将の御息女で……」

「千条寺 マリ、と申します。初めまして」

「あっ、これはご丁寧に。白露型駆逐艦の七番艦。改白露型としては一番艦の、海風と申します。どうぞよろしく」


 マリの優雅な一礼に対し、海風は即座に再起動。深々と頭を下げて返礼した。
 続いて、オイゲンも挨拶しようと歩み寄るのだが……。


「へぇー、偉い人の娘さん……。だから提督がエスコートしてるのね、納得納得。
 あ、わたしの名前はプリンツ・オイゲン! 艦隊唯一の重巡洋艦ですっ。シクヨロッ!」

「ちょ、オイゲンさんっ! 言葉が砕け過ぎです、香取姉に怒られちゃいますからっ」

「あれ。谷風に教わった通りにしたんだけど、駄目だった? うーん、日本語の微妙な意味合いの差って難しい……」

「オイゲンさんの日本語、ほぼ完璧ですが、時々おかしな事になりますね。まだ」

「まぁ、谷風は後で締めるとして、慣れていくしかないやろねぇ」


 唐突にオイゲンの礼節は砕け散り、鹿島、浜風、浦風がツッコミを入れる。
 どこぞで谷風がクシャミをしていそうだが、自業自得であろう。浦風の雷で懲りてくれるのを祈りたい。
 公式の場であれば顰蹙物の挨拶だけれど、幸いにもここは非公式の場であり、マリは逆に好感を抱いたようで、顔には笑みが浮かんでいた。


「あんまり、気にしないで。次の作戦では、主戦力になるんですよね? この国に為にも、頑張ってください」

「了解です! 提督の指揮の下、暁の水平線に勝利を刻んじゃいます!」


 事前に桐林から聞いていた話のおかげで、オイゲンが舞鶴艦隊の主力であること、次作戦でも火力の一翼を担うと知っており、激励に力が込められる。
 対するオイゲンも、今度は真面目に、敬礼を以ってマリへ返した。
 キラキラと輝くその表情から、溢れ出る活力が如実に感じられ、頼もしいの一言に尽きる。
 しかし、不意にオイゲンの視線は横へと逸れ、顔付きが「元気一杯な少女」から「ヤる気に満ちた女」に変貌してしまう。


「……けどぉ、その為にもまずは~……。Admiralさんっ! 会えなくなる日の分だけ、い~っぱい、ハグして下さい!」

「お、オイゲンさん!? 駄目ですよっ、お客様の前で、はしたない……!」


 シュタッ、と桐林の前に瞬間移動した彼女は、これでもかと強気な笑顔で両手を広げて。
 海風が窘めるも止める気配はなく、桐林が盛大に溜め息をついた。


「……オイゲン。前から言っ――」

「ちょおぉおっとお待ちヲッ!!」

「うわぁ! ビックリしたぁ……」


 ――が、今度は別方向から大声が発生し、オイゲンがビクゥ! と飛び跳ねる。
 挙手しているのはもちろん、家庭教師ルックな金剛だ。
 ついでに鈴谷の目も据わっていた。傍から見て非常に恐ろしい。


「今、『テートクにHugして貰う』と聞こえましたガ、それはどういう事デスかっ!?」

「まさかとは思いますけれど、日頃から統制人格の方と、そういう行為をなさっているのですか……?」

「あ、あのっ、駄目です近 藤さん、鈴山さん! お二人とも落ち着いて……!」

『貴方は黙っていなさい』

「はいすみません黙ります」


 声高な糾弾と、低音の詰問。
 堪らず萎縮してしまいそうな高低差に負けず、吹雪は二人を宥めようと試みるが、爛々と輝く視線を向けられ、あえなく轟沈した。
 頼りない、なんて思わないであげて欲しい。それだけ凄まじい、嫉妬の炎が燃え盛っているのである。
 その裏で、怒り狂う二人と怯える一人に見覚えがなかった海風は、コソコソ鹿島へ近づいた。


「あの、鹿島秘書官。さっきから気になっていたのですが、あちらの方々は……?」

「マリさんのお付きで、教育係の近 藤さん、メイドの鈴山さんと吹石さんだそうです」

「教育係に、メイドさん……。海風、初めて見ました」

「実は私もです。けっこう可愛いですよね、メイド服」

「あ、いえ。そっちもですけど、別の意味も……」

「へ?」


 香取と同じような、含みのある海風の発言に、鹿島はまた首を捻る。
 あれを着れば提督さんの興味を引けるかなぁ……なんて考えていた彼女も悪いが、いいかげん鈍い鹿島だった。
 反対に、金剛たちの怒髪天な様子に全てを悟ったらしいオイゲンは、不敵な笑みで、たわわな胸を張り。


「ふ~ん、なるほどね……。さっきの質問に答えるけど、答えは当然! いつもして――」

「ませんね」「おらんわな」

「――ってぇ、なんで邪魔するのぉ!?」


 浜・浦コンビのカットインで体勢を崩す。
 非難がましい目に、呆れた目線が二対。


「当たり前でしょう。隙あらば外堀を埋めて、既成事実を積み上げようとする人に、遠慮はしていられませんので」

「流石にウチも、嘘つくんはいけんと思うんやわ。オイゲンさん?」

「うっ。……嘘じゃ、ないもん……。ギューって抱き締めて貰ったことあるし! ……ぃ、一回だけ、だけど」

「えっ!? ど、どういう事ですか提督さんっ? いつ、いつオイゲンさんを抱き締めちゃったんですかっ!? ズルいですっ!!」

「鹿島秘書官……。今はそこに食いつくタイミングじゃないです……」


 加えて鹿島まで参戦し、もはや場の空気はしっちゃかめっちゃかである。
 海風は溜め息をつき、桐林の右眼が遠くを見つめ、マリも眼を白黒させていた。


(ウウウ……! 確かにテートクのイケメン度はUPしてますガ、こうもLove勢が増えているなんテ、予想外デース!?)

(ホントだよ! あんな無愛想になっちゃってるのに、どうしてそこまで好きになれんの!? っていうか、私だって壁ドンくらいしかされたこと無いのに……っ)

(Hey、鈴谷。後でその壁DONについて詳しーく聞きマスから、覚悟しとくネ)

(え、あ、いや、その、違くて……)

(海風ちゃん、大変そうだなー。友達になれないかなー。このままじゃ無理だよねぇー)


 オマケに、横須賀勢の間では仲間割れまで発生しつつあり、事態の収拾は極めて困難となりそうだ。
 吹雪は諦めの境地に達している。いっその事、全部バラして楽になりたい、とも思っていた。哀れ也。
 混迷を極める執務室。だがしかし、ここで桐林が動く。


「……マリさん。オイゲンへの激励も済みました。この後、何かご希望は? お帰りになられるまで、出来るだけ善処しましょう」


 あ、逃げた。

 ……と、その場に居る全員が思った。
 動いたは良いが、なんとも後ろ向きである。逃げたくなるのも当然であろうけれど。
 熱視線が乱れ舞う中、マリは非常に居心地の悪そうな顔で、桐林に答えようとする。


「あの……。桐林提督。その事、なんですけど……」


 ところが、やけに弱々しい声を、《ジリリリ》、という着信音が遮った。
 発生源は、執務机に置かれる、見た目だけが旧式の通信端末。
 広がっていた混沌へも水が差され、海風がその合間を縫って受話器を取る。


「はい。こちら執務室。……あ、はい……。はい、分かりました。提督、香取秘書官からです」

「香取? ……代わった。何かあったか」


 受話器の向こうにいるのは香取のようで、どうやら代わるよう言われたらしい。
 桐林が海風から受話器を受け取り、しばし沈黙が続く。
 流石の金剛や鹿島も、秘書官からの連絡を邪魔しようとはせず、一時休戦、といった空気が流れ始めた。


「……そういう事か……」


 ややあって、桐林は重く呟く。
 その瞬間、執務室の雰囲気は急変。皆に緊張が走る。
 振り返った彼の右眼は、まるで日本刀のように鋭く細められて。
 射殺さんばかりな視線が、先程からずっと顔を曇らせている少女――マリへ向けられた。


「今、香取から知らせが入りました。……貴方の荷物が届いた、と」

「え? 荷物?」

「ど、どういう事なの……?」


 桐林の言葉に、鹿島とオイゲンは顔を見合わせる。
 荷物が届いた……という言葉に含まれた意味と、ここまで厳しい顔をする理由とが、まだ結びつかないのだ。
 対照的に浜風は全てを察したらしく、桐林と同じように左眼を細めていた。


「なるほど、真の目的はそちらでしたか。桐谷中将らしいやり方ですね」

「浜風、どういう事なん? 海風は分かる?」

「えっと、推測ですが……。マリさんが舞鶴を訪れた理由は、この庁舎に身を置く事にあった……んじゃないでしょうか。おそらく、桐谷中将のご指示で」


 得心がいった、という素振りを見せる浜風の横で、浦風が海風へと尋ねる。
 話を振られた彼女は、持ったままだったボールペンの頭を顎に当て、己が推論を述べた。
 それを、マリ本人が裏付ける。


「その通り、です。マリの身柄は、たった今から、桐林提督に預けられます。桐林提督の家族を、お父様が預かっているように」

「嘘……」

「……まさか、それって。人質って事ですかっ?」


 表情を殺し、事も無げに言ってのけられた内容が、オイゲンの顔を青く、鹿島を驚愕させた。
 桐林の身内が桐谷の預かりとなっている事は、艦隊の統制人格ならば周知の事実だ。
 加えて、険悪と言っていい彼らの間柄から、それは人質を取られているに等しいと、少し考えれば思い至れるであろう。
 沈痛な面持ちの横須賀勢が、更に補足する。


「何モ、珍しい事ではありまセン。この国では戦国時代カラ、似たような事が行われて来ましタ」

「提督の家族に危害を加えないという、御当主様の誠意の証……ですわ」

「これからの事を考えると、絶対に必要な措置、だそうです……」


 まだこの国を侍が闊歩していた頃の話だが、当時の武将たちの間では、あまり懇意ではない関係の家へも、時に子息を養子として出す場合があった。
 将来的に敵対するつもりがないという証であり、逆にこれから懇意な関係となった場合、相手の懐へ入り込んだりする為の、外交的な身柄のやり取りである。
 しかし、世情に流され、否応無く敵対関係に陥る事も多く、その場合、養子へ出された者は高い確率で亡き者とされてしまう。故に証となるのだ。

 マリが舞鶴へと送り込まれたのも、これに相当する思惑があったからであろう。
 わざわざ大規模作戦の直前という時期を選んだのは、対応を後手に回させ、済し崩し的に受け入れさせる為か。
 作戦に影響が出る程ではないが、荷物を送り返すのにも面倒な手続きが要る。集中したいなら、後回しになる可能性が高い。
 その間に各方面へと情報を流す準備を整えれば、包囲網は完成だ。公表するかはさて置き、実に桐谷らしい、意地の悪い方法だった。
 イタリアと勝手に同盟を結んだ際の、意趣返しという側面もあるかも知れない。

 いずれにせよ、今も昔も共通している点が一つ。
 こういった身柄のやり取りは、往々にして当人の意思を無視して行われる、という部分である。
 それに気付いたオイゲンが、義憤を抑えきれずに声を荒らげた。


「そ、そんなの酷い! 酷過ぎるよ! それじゃあ、この子の意思はどうなるの!?」

「オイゲンさん、駄目です。冷静に」

「だって……! 浜風はどうして落ち着いてられるのっ、こんなのって……っ」

「うん。オイゲンさんの気持ちはよう分かったから。な? まだ、提督さんがどないするか、決まってへんよ?」

「あ……。ごめん、浜風。わたし……」

「いえ、平気ですから。それよりも」

「……うん」


 落ち着かせようとする浜風にも食って掛かる彼女だったが、浦風の静かな声を聞き、三人で桐林を見やる。
 彼は片膝をつき、マリと視線の高さを合わせていた。
 しかし、眼差しは厳しいままで。声も氷のように冷たく、固い。


「君は、理解しているのか。これがどういう事か」

「理解している、つもりです。まだ、十歳ですけど。千条寺家の女、ですから」

「いいや、理解していない。
 いざという時、どんな扱いをされても文句は言えなくなるんだぞ。
 君は知らないんだ。人としての尊厳を無視される憤りを。気紛れに苦痛を与えられる恐怖を。
 一度でも染み付いたら……。もう二度と、落とせなくなる。それでも良いのか」


 マリの身体が、わずかに震える。
 己を見つめる瞳に、果てしない闇を見たからだ。
 激情と、諦観と、苦悶。様々な色が混じり合った結果、生まれてしまった漆黒。
 誰一人として、口を挟めなかった。
 実際に敵性勢力に拉致され、拷問と変わらぬ実験の被験者となった桐林の言葉には、そうさせるだけの重さがあった。
 逆説的に言えば、必要ならマリをそのように扱うと、彼は言っている。
 直接手を下さずとも、幼い身と心を砕くのに要する屈辱など、世に幾らでも転がっているのだから。


「分ったなら、今すぐに帰るんだ。君の居場所は、ここには無い」

「あ……っ」

「て、テートク。そんな言い方……」

「下がっていて貰おう。これは自分と、千条寺家の問題だ」


 桐林に突き放され、顔を伏せるマリ。
 金剛がやっとの思いで苦言を呈すけれど、彼も聞く耳持たず、といった様子だった。
 普通の小学生には通じない話だろうが、歳不相応に聡い少女だ。何を言われたのか、しっかり理解しているだろう。
 その証拠に、小さな手がワンピースのスカートを、クシャリと握り締めている。
 だが、少しの間を置き、ゆっくり上げられた顔には――


「確かに、マリは知りません。貴方の怒りも、苦しみも……。けど、代わりに信じている事が、ます」

「……信じる? 何を」

「お父様の、マリへの愛情を、です」


 ――強い、とても強い決意が滲み出ていた。
 およそ少女らしからぬ表情を、しかし桐林は鼻で笑う。
 嫌味ったらしく、ふてぶてしい顔で。


「自分の娘を人質として差し出すような男に、愛されていると? ロマンチックにも程がある。現実から目を背けているだけだ」

「他の人から見れば、お父様は歪んでいると思います。冷たい人だと、思われるでしょう。
 けど、マリは知っています。お父様が、どんなに“家族”を愛しているか。あの笑顔の裏で、どんなに泣いているのか」


 どんなに悪し様な言葉をぶつけられても、マリは折れない。
 桐林の視線を小さな身体で受け止め、対決している。
 己が矜持を示さんと、真っ向から。


「そのお父様が、貴方を選んだんです。
 だからきっと、マリは幸せになれます。幸せになってみせます。
 ……これが。千条寺家の女の、生き方なんです」


 胸を張り、たった十歳の幼子が、そう言葉を結ぶ。
 この道は、父が敷いた道。その上を歩くのが、千条寺家に産まれた女の宿命。
 けれど、そこには確かに想いが宿っている。
 そう信じているからこそ、絶対に、幸せになって見せる、と。

 桐林は目を丸くした。
 いや。彼だけでなく、執務室に居る全員が、マリの見せた予想外の強さに目を見張っていた。
 深く息を吐き、立ち上がった桐林が天井を見上げる。
 皆、固唾を飲んで彼の動向を見守り、ややあって戻された顔からは、先程までの暗い感情が消え去っていた。


「君は……。強いんだな」

「はい。目が眩みそうな名前のお陰で、鍛えられました」

「ふっ、そうか。……試すような真似をしてしまいました。どうか御勘弁を」


 呟きには軽口が返され、小さく微笑む桐林。
 海風や鹿島が、「提督(さん)が笑った……」と密かに驚いている横で、彼は頭を垂れる。
 互いに立場があるとはいえ、大の大人が子供相手に、脅迫染みた物言いをしたのだ。
 謝罪するのは当然としても、普通はプライドが邪魔をし、こう素直には。それだけ深く反省している、という証拠だろう。
 ところが……。


「嫌です。許しません」

「は……?」

「許して欲しかったら、マリのお願い、三つだけ聞いて下さい」

「……内容にもよりますが。善処はします」


 マリは謝罪を逆手に取り、不敵にも頼み事を要求してきた。
 この肝の太さ。確かに彼女は、桐谷の娘である。
 苦笑いする桐林に、まずは右手の人差し指が立った。


「一つ目。嫌われたくないので、別荘に帰りますけど。お父様には言い訳したいので、荷物だけ、置かせて貰えますか」

「構いません。まだ部屋は余っていますので。……鹿島、海風」

「……あ、は、はいっ。香取姉と連絡を取って、運び込んでおきます!」

「頼む」

「了解です!」


 唐突に名前を呼ばれ、鹿島は慌てながら頷き、海風も敬礼で承る。
 これからは舞鶴で過ごせ、と家を送り出されたマリだ。
 なんの成果も無く帰るのは問題だが、荷物さえ置いてあれば、いつでも生活を始められると言い訳は立つ。
 部屋を用意しておく程度なら、丁度良い妥協点である。


「二つ目。また、遊びに来ても良い、ですか?」

「……浜風、浦風、オイゲン」

「もちろん。是非お出で下さい」

「今度は、ちゃーんとお持て成しせなあかんね?」

「うん! 次の作戦が終わったら、本場のドイツ料理を作るから! 楽しみにしてて!」


 二本目の指には、浜・浦コンビとオイゲンが笑顔を返す。
 複雑な立場の少女だが、それ以外は……礼儀正しく、甘いお菓子に目が無くて、本名がちょっと痛々しいだけ。
 また会いたいという他愛ない願いを、どうして無碍に出来ようか。
 マリにもようやく笑顔が浮かび、彼女は最後の願いを口にする。


「三つ目。その時は、他にも人を呼んで、良いですか?」

「……金剛たちのように、ですか」

「ブフォア!? だ、だだだ誰デスか金剛ってー? そんな高速戦艦っぽい名前の人、ここっこには居まセンよぉ?」


 垂れ流される汗。泳ぎまくる眼。ズレる眼鏡と口調。
 本当の名を呼ばれ、金剛のキャラは色んな方向から崩れた。
 否定したい気持ちと反比例して、行動が肯定してしまっている。
 鈴谷が顔を引きつらせつつ、桐林に問う。


「……もしかして、最初っからバレてた?」

「バレてないと思っていたのか、君たちは」

「ですよねぇ……。そうじゃないかって思ってました……」


 ガックリ。
 吹雪は肩を落とし、「アハハ……」と乾いた笑いを零しながら項垂れる。
 金剛に下がっていろと言った時も、彼女が千条寺家の人間でないと確信していたから、あんな言い方が出来たのだろう。
 電と雷を一目で見分ける桐林だ。
 多少の変装で誤魔化せると思った、金剛たちが甘過ぎたのである。


「フッ……。バレてしまっては仕方ありまセン……。ワタシこそは!」


 ところがどっこい。
 バレたらバレたで腹が据わったのか、金剛は強気に不敵な笑顔を浮かべ、スーツの肩を掴む。
 空気を読んだ鈴谷、吹雪も同様に服の一部を掴み、一瞬の間。
 そして、勢いよく服を引き剥がせば、いつも通りの格好をした三人が立っていた。


「横須賀艦隊にこの船ありと謳われた高速戦艦、金剛デース! テートクへのLoveは、誰にも負けまセン!」

「同じく! 最上型航空巡洋艦の鈴谷だよ! やー、賑やかな艦隊だね、こっちも」

「特型駆逐艦のネームシップ、吹雪です。バレバレの見苦しい嘘をついて、すみませんでした……」


 分割袖の改造巫女服と、ブレザータイプの制服。二人が背中合わせに正体を明かす。
 その後ろで、脱ぎ散らかされた衣装を回収するセーラー服の吹雪は、一人で頭を下げまくっていた。なんというか、苦労人臭が凄い。
 あんまりと言えばあんまりな登場の仕方に、鹿島も大口を開けている。


「そ、そんな……。近 藤さんたちが、統制人格だったなんて……。ぜ、全然気付きませんでした……!」

「え。そうだったん? ウチ、一目で気ぃ付いたけど。なぁ? 磯風も香取秘書官も気付いとったやろうし」

「はい。谷風辺りは、面白そうだから黙っていたんでしょう。むしろ、どうすれば気付かずに居られるのかが疑問です」

「うっ。は、浜風ちゃん、そこまで言わなくても……。お、オイゲンさんと海風ちゃんは、気付きませんでしたよねっ?」

「あー、ごめん鹿島秘書官……。気付いてたけど、提督が何も言わなかったから、気付かないフリしたのが良いのかなー、って……」

「う、海風は、ですね……。ごめんなさい、普通にそうじゃないかと考えていました……」

「……気付かなかったの、私、だけ?」


 どうやら、拙い変装も鹿島だけは騙し通せていたようだ。
 この朴訥さで秘書官が務まるのかと、一抹の不安を抱く浜風たちであったが、金剛たちに害意が無かったからで、本物のスパイ相手なら、彼女でもピンとくるに違いない。きっと。多分。恐らくは。
 さてさてさて。
 シリアスが明後日の方向に吹き飛ばされ、ますます勢いづく金剛。
 彼女は、水を得た魚のように生き生きと、桐林へ人差し指を突きつけた。


「テートク! ここで会ったが百五十日ぐらい目! 大人しくHugさせるデース!」


 ――かと思えば、超高速の踏み込みで距離を詰め、ほぼタックルと同義の抱き着き攻撃を仕掛ける。
 だが、桐林は読んでいたらしく、マリを巻き込まないよう、左に大きくステップして回避。
 そのまま執務机に突っ込むと思われたけれど、しかし金剛は猫が如く身体を翻し、再び桐林へ跳躍。
 流石の桐林も驚いたものの、今度は倒れ込むように身体を低くし、金剛の下を潜り抜ける。


「ク……! テートク、腕を上げたようデスね……!」

「白兵戦の訓練は積んでいる。それより、金剛」

「問答無用ネ! 鈴谷っ、Back up!」

「へ!? りょ、了解っ」


 悔しそうな口振りだが、舌舐めずりする金剛の姿は、手強い獲物を前にした捕食動物さながら。
 諦めるという考えは微塵もなく、最低限の動作で体勢を立て直す桐林に、鈴谷を伴って三度目の強襲を謀った。
 統制人格二人を相手に、桐林も形振り構わず部屋を駆け巡る。

 金剛、鈴谷が時間差で突進してくるのを、桐林が机へ登って躱す。
 脚を捕まえようとする二人。跳躍し、壁際の本棚の前へ着地する桐林。
 そこへ鈴谷が再び襲い掛かるも、タイミング良く横にステップされて本棚に衝突。「ふぎゃ!」と変な鳴き声が。しかし、反対方向からは金剛が回り込んでいた。
 万事休すかと思われたが、桐林は「I won't Youー!」と伸ばされた手を弾き、横へズレながら一回転。金剛の背中を押しやり、鼻を赤くした鈴谷へと打っちゃる。
 またしても響く、「へぎゅ!?」「oops!?」という鳴き声に加え、衝撃で本が落下。追い討ちをかけた。
 ここで諦めてくれれば良かったのだが、いいように遇われて火が着いたのか、鈴谷が「あったま来た……!」と立ち上がり、金剛も眼を爛々と。

 長々と描写してきたけれど、掛かった時間は僅かに十秒足らず。
 瞬く間に執務室は荒れ果て、資料も床に散乱し、書類が木の葉と舞っていた。
 それをピョンピョン飛び跳ねて回収する海風が、困り果てた顔で叫ぶ。


「ちょ、あの、駄目です! し、執務室で暴れないで下さい! せっかく纏めたのにぃ!?」

「そうですよー。後で困るのは海風ちゃんと私たちなんですよー。もういい加減にしてー」

「お願い吹雪さん、もうちょっと頑張ってぇ!?」


 一応、吹雪も加勢っぽい事をするのだが、もう見るからにやる気が無く、ダラダラと書類を集めている。
 桐林が大人しくハグされていれば、こんな事にはならなかったのだろうが……。
 いや、ハグされたらされたで、今度は我も我もと、鹿島やオイゲンが騒いだだろうし、どっちにしろ迷惑千万だ。
 ちなみに、浜風は未処理の重要書類を。浦風は処理済みの物を重点的に回収しており、見事なコンビプレーを見せていた。慣れているようにも思える。
 鹿島はマリと一緒に窓際へ避難中であり、残るは一名。
 追いかけっこする桐林たちを、呆然と眺めていたオイゲンは、この事態を彼女なりに、面白おかしく考えた結果……。


「あ、分かった! これ、Admiralさんを捕まえればハグし放題っていう事ね!
 だったら、このプリンツ・オイゲン、参戦しないわけにはいきません! とう!」

「っ!?」


 何故か横須賀勢に加わって、桐林を追いかけ始めた。
 予想外にも程がある不意打ちを、彼はなんとか回避してみせるも、多勢に無勢の三対一。ジリジリと、部屋の角へ追い詰められていく。
 的確な表現ではないかも知れないが、まるで逆レ○プされる寸前だ。
 桐林の貞操の危機を前に、鹿島は思い悩む。


(ど、どうしよう。秘書官なんだから止めるべき、よね。けど、提督さんとハグもしたいし……。ううう、どうすれば良いのぉ!?)


 ここで止めに入れば、提督さんを助けられて好感度も稼げるよー、と。天使なチビ鹿島が勧める。
 かたや、悪魔なチビ鹿島はこう囁く。四対一なら流石の提督さんも捕まえられるし、そうなればハグし放題よー、と。
 胸の中でせめぎ合う、善なる心と悪しき心。
 目を輝かせ、「サーカスみたい、だった」と、なんでか喜ぶマリを庇いつつ、だんだん天秤が悪へ傾き始めた時――


「鹿島っ、窓を!」

「えっ!? あ、はい!」


 ――桐林からの唐突な指示で、鹿島の身体は勝手に動き始めた。
 刹那、その声を合図とし、三人の捕食者が獲物へ殺到するのだが、彼は三角跳びの要領で壁を蹴り上がり、彼女らの頭上を跳び越える。
 鹿島が防弾窓の鍵を開けるのと、桐林がゴッツンコする三人の背後に着地するのは、ほぼ同時。
 そして、立ち直られる前にまた駆け出し、開け放たれた窓の外へと身を投げ出す。地上三階の窓から、である。


「……ぇ、飛び降――!?」


 一瞬遅れてマリは驚愕し、窓枠へ飛びつく。
 流石に、このままでは大怪我をしてしまう! ……と、鳥肌を立てながら階下を見やれば、そこには何事も無かったように着地し、どこかへと走り去る桐林の後ろ姿があった。
 訳が分かりません、などと言いたげな表情で、小さくなっていく影を目で追うマリ。どうやら、桐林の異常な身体能力については聞かされていなかったようだ。
 更に、彼女の背後へと、間髪入れずに金剛、鈴谷、オイゲンが駆け寄り……。


「sit! 逃げられましタ! Hey,Girl’s! 後を追いますヨ!」

「当然っしょ! こうなったら、意地でも捕まえるかんねっ」

「もちろん、私も行きます! ビスマルク姉様の分まで、しっかり提督エナジーを充填しなきゃ!」


 勢いもそのまま、スカートを押さえて飛び降りていく。
 絶対に真似をしてはいけない光景が繰り広げられ、マリの脳は考える事を躊躇した。
 が、しばらくすると立ち直り、「そういうものなんだ」と、無理やり自分を納得させる。
 窓の外は海に面していて、その大きさに比べれば、今ここで起きた事の、なんと小さい事か。
 ……実際には相当おかしな出来事であろうけれど、彼女の精神衛生を保つ為、そういう事にしておいて頂きたい。


「噂には聞いていましたが、本当に台風のような方でしたね……。さぁ、皆さん。香取秘書官がお戻りになる前に、部屋を元通りにしましょう」

「せやねぇ。このままじゃったら、間違いなく雷が落っこちてまうわ。吹雪ちゃんと海風は、本棚を頼んでエエか?」

「あ、はい。分かりました。……結局、私ってこういう役回りなんですね……」

「吹雪さん……。身につまされますから、そんなこと言わないで……」


 視点を屋内へ戻すと、嵐が過ぎ去ったばかりのような惨状の中、乱痴気騒ぎに加わらなかった五人が、浜風の指揮の元、後片付けに勤しんでいた。
 散乱した文房具を正しい位置に。書類はまとめて分類。落ちた本も巻数通り。
 吹雪と海風に至っては、悲しみのシンパシーまで。常識人の苦労は、きっとこれからも続くのだろう。挫けないで欲しいものである。
 徐々に整頓されていく室内だったが、無言で作業していた鹿島は、ふと窓の外を見やる。
 その思わせ振りな視線に気付いた指揮官・浜風が、ジト目で声を掛けた。


「鹿島秘書官。まさかとは思いますが、追い掛けたいとか思っていませんよね?」

「えっ!? そそそ、そんな事あるはずないじゃないですかぁー。や、やだなぁ、浜風ちゃんったら……」

「ほんならエエんやけど。金剛さんらも、あと五分もしたら痛い目ぇ見るやろ。ほれ、早いとこ片付けんと」

「はぁーい……」


 ビクッ!? と飛び跳ね、抱えていた資料を落としてしまった鹿島。図星を突かれたに違いない。
 が、浦風は敢えてスルーし、何やら予言めいた呟きと共に、作業の継続を促す。
 仕方なく資料を纏め直す鹿島だったけれど、五分後、彼女は己の判断が正しかったと思い知らされる。
 何故ならば……。


『……何をしているんですか貴方達はぁあああっ!?』


 ――という姉の怒声が、鎮守府全体に轟いたからだ。
 反射的に直立不動となりながら、鹿島は思う。
 ああ、欲望のままに行動しなくて良かった、と。
 金剛を反面教師として、是非にも我が身を振り返って貰いたいものである。




















《オマケの小話 鹿島さん、対抗する》





「んぁー、メッチャ怖かったぁ……。まさか、舞鶴にも妙高さんポジの人が居るなんて、予想外にも程があるわ……」

「自業自得ですよ、鈴谷さん。私たちはいい迷惑だったんですから」

「だから謝ってるじゃーん。そんな怒んないでよ吹雪ー」


 時は過ぎ去り、二二○○。
 五時間におよぶ香取の説教&正座から解放された鈴谷は、吹雪の介護を受けながら夕食と入浴を終え、割り当てられた部屋のベッドの上で、のんべんだらりとしていた。
 下着の上に自前のワイシャツだけという、男にとってはなんとも嬉し恥ずかしな格好だが、この部屋に居るのは女性ばかりなので、然して問題ではないだろう。

 女性ばかりと言ったが、ワイシャツ姿の鈴谷と、雪花模様の白いパジャマを着る吹雪だけではなく、他にも数名の人影がある。
 ダボダボのTシャツに半ズボンの谷風。
 若竹色の、ゆったり目な作務衣を身に付け、髪をポニーテールに纏める磯風。
 髪を解いて、薄い水色のネグリジェを着た海風。
 海風と同様に髪を下ろし、金魚柄の浴衣を纏う鹿島の四人が、クッションに座り車座となっていた。
 中心にはお菓子やジュース類が所狭しと並んで、ちょっとしたパーティーのようだ。


「しっかし、アンタらもやるもんだねぇ。メイド服着てカチコミ掛けるたぁ、谷風さん恐れ入ったよ」

「うむ。あんな格好をする度胸は、私にはない。流石、特型のネームシップ。感服したぞ」

「あはは、褒められてる気がしないのはなんでだろう……」

「ですね……。あ、でも、姉の春雨とかは着たがるかも知れません。メイド服」

「確かに、可愛かったですよね。凄く似合ってましたよ、吹雪ちゃん」

「そうですか? なら良かったです。ちょっと恥ずかしかったですけど……」


 微妙に嬉しくない褒められ方で、吹雪の疲労感は一層強くなった。海風と鹿島のフォローが、唯一の救いか。
 あの後の経緯を説明すると、以下のようになる。

 執務室から脱出を果たした桐林は、香取が居るはずの資材搬入口へと向かう。
 着かず離れずの距離を保つ後ろ姿を、そうとは知らずに金剛たちが追いかけ、数分後。
 何故か立ち止まっている桐林に、三名は即席ジェットストリームアタックを仕掛けるのだが、彼は先頭の金剛を踏み台にする事なく、己の背後に隠れていた女性――香取と場所を入れ替えた。
 にっこりと微笑んだ彼女は、大きく息を吸い込み……。後はご存知の通りだ。

 冷たいコンクリートに正座させられ、まず一時間。
 犯罪者のように顔を隠し、連行されながら三十分。
 庁舎地下の反省房で、また正座させられつつ三時間半。
 そろそろ許してあげませんか? と、差し入れを持って来た間宮の執り成しにより、彼女らは説教地獄から解放された。間宮が女神へと昇華した瞬間である。
 ちなみに、オイゲンだけは任務のおかげで一時間半で済んでいる。ちゃっかりしているというか、ラッキーというか。
 同じ頃、マリも本物の付き人と別荘に向けて出発した。次回はキチンと連絡してから、という事なので、一先ず安心だろう。


「そういやぁ、金剛さんはどこ行ったんだい? 横須賀のみんな、香取秘書官の厳命で外出禁止だろ? 海風、なんか知ってる?」

「あ、はい。今は提督とご一緒のはずですよ。なんだか、色々とお話ししたい事があるみたいで」

「ふむ。そうか……。一年足らずとはいえ、共に死線を潜り抜けた仲だ。積もる話があるんだろう」

「いや、どうなのかな。明日には帰らされるから、真面目な話の振りをして、司令官と二人っきりになりたいだけかも知れないよ?」

「け、けっこうハッキリ言うねぇ……。吹雪ってもしかして、金剛さんこと嫌い?」

「そんなんじゃないよ、谷風ちゃん。ただ単に、巻き込まれるのが す っ ご く 迷惑なだけで」

「それは、ほぼ嫌いと言って良いのでは……?」

「磯風さん、駄目です。ちょっとストレスで攻撃的になってるだけですから、きっと……」


 ともあれ、今さら追い返すにも時間が遅い。
 仕方なく舞鶴で宿泊し、明日一番に立つ事となっている。
 横須賀勢が暴れ回ったのは、まだ庁舎に残っていた、相当数の統制人格にも知らされた。
 が、「これ以上、作戦前に騒ぎを起こしたら……」と教鞭をしならせる香取の笑顔に怖じ気づき、挨拶も出来ないようだ。
 ここに居るのは、横須賀勢の監視を命じられたメンバーであり、金剛は海風の言った通り、桐林と面会中である。
 そんな訳で、統制人格オンリーのパジャマパーティーが開催されているのだった。


「あの……。鈴谷さん?」

「ん、なぁに? 鹿島秘書官、だよね」

「はい。練習巡洋艦の鹿島です。改めまして、よろしくお願いします」

「あ、うん。えっと……。最上型の三番艦、鈴谷だよ……って、昼間も言ったっけ。よろしくねー」


 皆は思い思いに語り合い、普通の人間であれば即脂肪に変わるだろう、遅い時間のお菓子をつまみ、小さなパーティーを楽しむ。
 その中で、菓子の受け渡しをしつつ、鹿島と鈴谷が改めて挨拶を交わした。
 雰囲気的には、渋谷辺りをうろついていそうな女子高生と、お嬢様学校に通う箱入り娘の邂逅、といった所か。


「実は、折り入って御相談があるんですけど……。お話を伺っても良いですか?」

「へ。相談? まぁ、聞くだけならタダだし構わないけど、そんな堅苦しい話し方じゃなくってさ、もっと気楽にできない? その方が楽っしょ?」

「そ、そう、ですか? じゃあ……。鈴谷ちゃんに、聞きたい事があります! 教えて貰えませんか?」

「うーん、まだ硬い……。けどいっか。なんでも答えてしんぜようっ」


 気楽に、と言われても、若干の敬語が残ってしまう鹿島。
 真面目な子だなぁ、と苦笑いしつつ、鈴谷はベッドの上で胡坐をかき、偉そうに胸を張る。
 快諾を得た鹿島はホッと一息。どうしても聞きたかった事を、遠慮無く尋ねてみた。


「提督さんって、横須賀ではどんな感じだったんですか? 私、提督さんの横須賀時代をあんまり知らなくて……。だから、知りたいんです」


 知りたいのは、想い人の過去。
 数ヶ月前に起きた舞鶴事変と、それ以降の事はそれとなく聞かされているが、桐林が顔に傷を負う以前を、鹿島はほとんど知らないのだ。
 本人に聞いても、はぐらかされるか「つまらない話だ」と一蹴されるだけなので、こういった機会を逃したくないのである。
 加えて、残る舞鶴勢――谷風、磯風、海風も食いつく。


「ほっほーう。面白そうな話してるじゃないさー。アタシにも聞かせておくれよっ」

「ふむ。司令の過去か。特に気にしたことは無かったが、知っていて損でもないな」

「海風も、ぜひ知りたいです。今の提督とは随分違うと、噂に聞くだけなので」


 四人の眼は期待に輝き、吹雪、鈴谷の声を待っている。
 特に断る理由もなく、顔を見合わせる二人だったが、まず思い浮かぶのは、今の桐林と、彼女たちの知る桐林との差異だった。


「まー、確かに変わっちゃってるよねぇ……」

「全然笑ってくれませんでしたもんね……。いつも笑顔を絶やさなかったのに」

「提督さんが、いつもニコニコ……?」

「うぅむ……。想像がつかないな」

「むしろ怖くないかい? ニコニコしてる提督って、メッチャ怒ってそうだわ」

「そ、そんなこと無いと思いますけど……」


 首を傾げる鹿島に続き、磯風が難しい顔で唸る。
 舞鶴勢の彼女らにとって、桐林は自他共に厳しく、常に緊張感を孕む人物だった。
 まぁ、時々おかしな言動をする事もあったが、ユニークな側面として楽しめる程度だ。
 しかし、常に笑顔となるとその範疇を超え、谷風の言に頷くしかない。海風ですら、ああ言いながら「怖いかも……」と、密かに思っている。
 舞鶴勢のこんな反応を見て、今度は鈴谷が問い掛けた。


「逆に、こっちからも聞かせて? 鹿島秘書官たちの知ってる提督って、どんな感じ? 答えるためにも知っとかないとさ」

「私たちの知っている、提督さんですか……」


 鹿島の呟きを最後に、舞鶴勢は悩み始める。
 鹿島の中の桐林像は上記の通りだが、皆それぞれに思う所もあるようで、谷風を皮切りにそれが語られた。


「顔が怖い」

「良くも悪くも武人だな。堅物だが、好いている統制人格は多そうだ」

「とても仕事熱心な方で、尊敬しています。ただ、ご無理をなされていないかが、いつも心配で……」

「普段は無愛想に見えますけど、本当はすっごく優しくて、格好良くて、素敵な人ですよねっ」


 単なる感想から、心象、心配な部分、恋話と、四人の意見は多岐に渡る。
 ちなみに、谷風、磯風、海風、鹿島の順である。間違えようがないだろうが。


(鈴谷さん、どうしましょう。私たちの知ってる司令官と、似ているようで似てない気が……)

(……ふーん。鹿島秘書官って、やっぱそうなんだ……)

(あれ? 鈴谷さん?)


 話を聞いた吹雪は、自身の持っていた印象との差異に困惑し、鈴谷と話し合おうとするのだが、何かおかしい。
 ついさっきまで笑顔満天だった鈴谷が、妙に真剣な顔で鹿島を見つめているのだ。
 眼を向けられた鹿島も、頭の上に疑問符を浮かべている。
 気不味い沈黙。
 どうにかそれを繕おうと、吹雪が横須賀時代の桐林を語り出す。


「え、えと。私個人の提督への印象なんですけど。
 仕事や任務中はすごく真面目で、でも、それ以外は結構お調子者というか、そんな感じでしたね。
 あ、勤務時間中に雪合戦した事もあるんですよ?」

「え? 提督さんと、雪合戦ですか」

「はい!」


 目を丸くする鹿島に、吹雪は大きく頷く。


「去年、秋が終わって、冬になってから初めての雪の日でした。
 つい窓の外を眺めてたら、ちょっと強引に外へ連れ出されて……。
 そうしたら、庁舎のすぐ側で姉妹艦のみんなが、雪合戦してたんですよ」

「へぇ~、楽しそう……」


 瞼を閉じ、柔らかく微笑む吹雪に釣られ、海風も笑う。
 舞い散る雪。
 白い絨毯を踏みしめる二人。
 楽しげな少女たちの声。
 海風は想像するしかないが、吹雪の中には確かにある、在りし日の思い出だった。


「うん、楽しかった。後で妙高さんにコッテリ怒られちゃったけど。でも、本当に楽しかったなぁ」


 胸の前で両手を握り、吹雪は祈るように、暖かな日々を振り返っている。
 夢見る乙女……とでも題をつけたくなる姿が、谷風の心のアンテナに引っ掛かった。


(磯風、どう見る?)

(脈あり、だろうな。本人は気付いてなさそうだが、何か切っ掛けがあればコロッと行くぞ、アレは)

(提督さんと、雪合戦……。
 粉雪が舞う中、笑い合って。ふとした拍子に転んじゃって、助け起こされて。
 繋がれる手、見つめ合う瞳、近づく距離。
 そして、ついに唇が、か、重なって……とか! とか! 最高じゃないですかっ! きゃー!)


 ニヤついた谷風に問われ、磯風が彼女なりの分析結果を示す。
 きっと、間違ってもいないだろう。これからどうなるか、までは分からないけれど。
 それと関係無く、鹿島は雪合戦という単語からロマンティック回路を暴走させ、都合の良い妄想をしては、吹雪とは正反対の、不審な笑みを浮かべている。
 見た目が浴衣美人なだけに、残念さが酷く強調されていた。
 加えて、吹雪の話に強い衝撃を受けた人物が、もう一人居たらしく……。


「へ、へぇ。吹雪って、提督とそんな事、してたんだ……」

「あはは。なんか子供みたいですよね。ちょっと恥ずかしいです。鈴谷さんはどうですか? なにか、司令官との思い出とか」

「え゛っ、わ、私っ?」


 話を向けられてしまい、その人物――鈴谷が慌てふためく。
 落ち着いてさえいれば、別段慌てる事でもないと気付けたはずだが、吹雪が予想外に桐林と近かった事を知り、彼女は冷静さを欠いていた。
 そして、ろくに考えもせず、思い出という名の爆弾を投下してしまう。


「……か、壁ドン状態で口説かれた……とか?」

『えっ』


 驚きの声が五つ重なり、また気不味い沈黙が広がる。
 失言に気付いた鈴谷は、なんとか誤魔化そうと、身振り手振りを交えて弁明を開始した。


「い、いやっ、あのほら、わ、私から挑発したのもあったし、結局はフザケ半分だったんだけどさ? あん時は参ったなー。本気で、押し倒されるかと……」


 ――が、口から出たのは、弁明と程遠い何かで。鈴谷は混乱しているようだ。


(やばい。なに言ってんの私。
 口説かれてないじゃん。からかわれただけじゃん。
 早く冗談だって言わないと、後に引けなくなっちゃう……!)


 どうやら彼女も、自身の混乱ぶりは理解しているらしいが、訂正したいと思う心と裏腹に、口は動こうとしない。
 それどころか、微かに頬を染め、俯き加減に己を抱き締めるという行動は、発言の説得力を増すばかり。
 すっかり信じきった皆が騒ぎ出した。


「ほっほぉー、やるねぇ提督もー。こりゃ、いよいよ間宮さん・伊良湖っちとの三角関係も現実味を帯びてきたかね?」

「う、む……。いや、あの歳の男性だ。そういう経験があってもおかしくは、ないだろうが……。どうなのだろうな……」

「あの、鈴谷さん。参考までにお聞きしたいのですが、て、提督はどんな口説き方を……?」

「き、気になります。鈴谷さん、教えて下さいっ」

「えー? 吹雪までぇ? こ、困っちゃうってー。
 ……別に、普通の口説き文句だと思うけど。
 髪が綺麗だとか、戦ってる姿が格好良い、とか言われただけだし。
 っていうか、三角関係って何? どういうこと?」

「か、髪……」

「戦ってる、姿……」


 谷風は歓声を上げ、生々しくなった男女関係の話を、磯風が恥ずかしがる。
 海風と吹雪は更なる詳細を求め、鈴谷の答えに、己へと置き換えた妄想を始めた。三角関係を問い質す声も、全く届いていない。
 女が三人で姦しいと書くが、六人揃うと実に騒々しかった。
 ……いや、訂正しよう。一人だけ微動だにせず、黙りこくる少女が居る。
 一番に大きな反応をしそうだった、鹿島だ。


「あれ。鹿島秘書官が黙ってるなんて、珍しいね。ほれほれ、なんか言い返す事ないのかぃ?」

「え。あ……。その……」


 背後へ回った谷風に突っつかれ、ようやく正気を取り戻す鹿島。
 彼女は明らかに動揺しており、言葉に詰まっている。ショックを受けたのだと、誰の目にも分かる有様だ。
 それを見た鈴谷の心に湧き上がったのは、強い罪悪感と、後ろ暗い喜び。


「鹿島秘書官には何かあるの? 提督との思い出。吹雪みたいに何かしたー、とか」


 追い討ちをかけるように、鈴谷が問う。答えられない鹿島は、ただただ俯き続け……。
 彼を好いている女の子の前で、彼に口説かれたと自慢して、優位に立とうとしている。
 最低だ。なんて最低な事を。そう理解しながら、鈴谷は止められない。
 そうさせる感情を、どう呼べばいいのか知りながら、目を逸らす。

 二人の間に流れる空気の変化を悟り、谷風も磯風も、口を噤んでいた。
 吹雪たちは未だ妄想に浸っているので、狭い部屋は三度目の静寂に包まれる。
 ややあって、鹿島は鈴谷へと答えるために顔を上げる。浮かんでいたのは、とても穏やかで、儚い微笑み。


「……いいえ。特別な事は、なにも……」

「あれ? そうなんだ、意外。鹿島秘書官って可愛いし、提督の事だから、てっきり口説いたりとかしてるかと思ったのに」

「はい……。ピアノを聞かせて欲しいとお願いされたり、居眠りする提督さんに膝枕をして差し上げたり……。そんな、普通の事しかしていません」

「……うんっ!?」


 ところがどっこい。可憐な唇が言い放ったのは、宣戦布告に等しい内容だった。
 傍目には落ち着き払って見える彼女だが、その実、メチャクチャ対抗心を燃え盛らせていたのだ。
 勝ち誇っていた鈴谷が驚愕に目を剥き、鹿島はいつになく余裕な笑みを。
 バチバチと、目に見えそうな火花を散らす二人の“女”。
 戦慄した磯風が、退避しようと谷風に囁く。


(……谷風。不味いんじゃないのか、これは)

(うぃっひっひっひ! 提督を巡って争う、古巣の女と現地妻……。こりゃあしばらく、イジるネタには困らないねぇ、面白くなってきたぁー!)

(駄目だこいつ……。早くなんとか……もう手遅れか)


 だがしかし。賑やかし担当を自負する谷風は、別の意味でテンションがウナギ登り中。
 もはやこれまでと、磯風も匙を投げる。人生、諦めが肝心な事だってあるのだ。
 そんな外野を無視しているはずの鈴谷と鹿島も、何故だかボルテージを上げて。


「膝枕とかが、普通なんだ?」

「はい。とても穏やかな寝顔を見せて下さるんですよ。……見た事、無いんですか?」

「っ! あ、あるしっ。っていうか、それ以外にも色んなもの見てるし、されてるから、私」

「えっ!? ……ぐ、具体的には?」

「ぁ、えっと……。し、しつっこく頭を撫でられたり……あとは……き、着替えを覗かれたこともあった……かも……」

「着替……!? そ、そうなんですかー。……わ、私はっ! 胸に顔をうずめられた事があります!」

「えええっ!? 胸ぇ!?」


 ちょいちょい素に戻りつつ、ブラチラを大袈裟に言ってみたり、事故を故意のように言ってみたり。
 売り言葉に買い言葉の、見栄張り合戦が繰り広げられる。
 もう、実際にあった事でなくても、嘘でもなんでも良い。
 睨み合う二人の間にあったのは――


(この子にだけは、負けたくない!)
(この人にだけは、負けられない!)


 ――という、邪魔をすれば馬に蹴られそうな、乙女特有の感情なのだから。
 決着がつくまで、鈴谷と鹿島の戦いは続くのだろう。
 だが、彼女たちは知らない。
 激戦の続くその部屋に、ハイヒールの足音が近づいている事を。
 靴音の主の手には、教鞭が握られている事を。

 本日二度目の雷が、間も無く落ちる。









「wow! 眺めが良い展望Loungeですネー! こういう所に来るの初めてデース」

「……明日の朝には帰ってもらうぞ、金剛」

「Boo……。せっかく二人っきりでMoodyな場所に居るノに、そんな話しないでくだサイ。分かってマス……」

「………………」

「……テートク? 一つ、聞いてもいいデスか?」

「なんだ」

「テートクは今……。寂しく、ありまセンか」

「……さぁな。考えたことも無かった」

「あ……」

「……ただ……」

「?」

「今日に限って言えば、誰かのせいで考える暇も無かった、というのが正しい、かもな」

「テートク……。エッへへ……」

「笑う所か?」

「笑う所なんデース。ワタシは、笑いたくなったら笑って、泣きたくなったら泣くのデス。……誰かの分まで、ネ?」

「……好きにするといい」

「ハイ。好きにしマース」




















 イベントも終わったし戦果報告! 我、春イベを完走し、新規実装艦船も全てゲット! 難易度は甲丙乙甲甲丙丙でしたが、完全攻略を達成しました!
 Iowaさん強い! 神風ちゃん春風ちゃん大正娘っぽくて可愛い! ポーラちゃん呑んだくれ可愛い! 親潮君その下着は誘ってるんだろう? うん?(ガン見)
 ……まぁ、ネガティブな意見が溢れ返ってるのも妥当な内容でしたが、ユーちゃん二隻と三隻目のシオイちゃんを掘れたので、そこだけは良かったと思うようにしてます。他はタブっても嬉しくないラインナップだったので割愛。
 夏イベとAndroid版はバグ無しでお願いします! マジで! 母港解放するからホントお願いしますっ!

 さてさて。今回も無駄に長くなってしまいましたが、特に補足する点は特にありません。
 過去編は、吉田元帥の伊勢型を受け継ぎ、舞鶴事変の全てを思い出して、電ちゃんと離れる決意をする話。
 舞鶴編では、退場した先輩の代わりに幼女が参戦する話でした。オマケはいつものように鹿島さん推しです。

 ……あ。ひょっとしたらお気付きかも知れませんが、金剛の偽名の間には半角スペースを入れております。
 前回更新の次回予告では引っ掛からなかったのに、何故か今回はNGワードと認識されてしまったようでして。複数回連呼するのがいけなかったっぽい? 特定すんの面倒臭かったわ……。
 違和感があったと思われますけれども、ご了承ください。

 次回は丸々一本舞鶴編。ドイツ艦たちを始め、多くの新キャラがその勇姿を見せつけます。
 今回と同じくらいに長くなる予定ですので、気長にお待ち下さいませ。
 それでは、失礼致します。


「はぁ……。いよいよ明日、出撃かぁ……。作戦会議の時みたいに、失敗しないようにしないと……」
「気持ちは分かるけど、あんまり気負っちゃ駄目よ? まだたった二隻だけど、私たちは乙型駆逐艦。そのための力はもう頂いてるんだから」
「……そう、だよね。ウジウジしてちゃダメ、だよね。長十cm砲ちゃん、一緒に頑張ろっ」
「うん、その意気。私たちで、艦隊を守り抜きましょう!」






 2016/06/04 初投稿







[38387] 異端の提督と舞鶴での日々 “キガン”の渾名
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/07/09 12:32





 ヒュー、という墜落音。
 爆発。炸裂。炎上。
 赤。紅。朱色。橙色。臙脂色。
 陽光を受け、清浄なる青に満たされていたはずの海は今、正反対の色彩で染め上げられていた。
 無数の敵 航空機――人類側のそれとは趣の違う機体が、幾つも、幾つも、制御を失って海面へと突き刺さっているのだ。


「はぁ……。はぁ……。っう、は……」


 第一高射装置の傍らに立つ少女が、冷や汗を手袋で拭いつつ、乱れた呼吸を整えようとしている。
 白と黒のセーラー服に、胴を締める灰色のコルセット。
 短めに整えられた茶髪の明るさと裏腹に、その表情は焦りで彩られていた。
 身体の両脇へ迫り出した艤装の上。埋め込まれるような形で存在する、彼女が呼ぶ所の長十cm砲ちゃんも、葉巻を咥え、隻眼ライトを光らせて、二基それぞれが周囲を警戒し続ける。
 砲に狙われている? 違う。
 航空機の落下に巻き込まれないように? それも違う。
 彼女が警戒しているのは……。


照月てるづき、左ぃ!!」

「――え?」


 照月と呼ばれた少女の耳に、聞きなれた声が。前を進む姉、秋月の声が届く。
 同じセーラー服に身を包み、黒髪を高い位置でポニーテールとする彼女は、甲板を艦尾へ駆けながら叫んでいる。
 その声に従い、左舷へと視線を向ければ、人の域を超えた視力が、ある物を捉えた。
 波間で揺らぐ黒い影。
 やけに浅い位置を進む、細長いそれは――魚雷。
 二射線。直撃コース。


(……あ。間に合わない。当たっちゃう)


 己が運命を理解した瞬間、照月の世界は、時の流れを緩くした。
 沈みゆく敵 航空機の残骸。
 浮力のバランスが取れたか、浮かんだままの機体から上がる黒煙。
 仲間たちの息を飲む気配。
 それら全てを感じながら、彼女は肩を落とす。


(照月、また沈むのかぁ……。早かった、なぁ……)


 脱力していた。
 もう無理だと、諦めていた。
 機関を一杯にしても、逃げられない。
 この船体に、魚雷の直撃を耐える防御力は無い。
 一巻の終わり。
 未練は尽きないが、どうしようもないのだ。

 照月が瞼を閉じる。
 硬直する長十cm砲たちに手を添え、その時を待つ。

 果たしてそれは、爆音を伴って訪れた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 舞鶴鎮守府へと、変装した横須賀勢が訪れる前日。
 桐林艦隊庁舎、地下三階にある重構造会議室では、出撃を前にした最終状況確認が終わろうとしている。
 一九○○から始まり、現在時刻は二一○○。
 実に二時間も、張り詰めた空気の漂い続ける室内には、十八名もの統制人格が集められていた。
 航空戦艦の伊勢・日向を筆頭に、雲龍型航空母艦の三名、夕雲型駆逐艦が二名、阿賀野型軽巡洋艦が四名、秋月型駆逐艦が二名、ユーを除くドイツ国籍艦が五名。
 雛壇状の席で、めいめいに固まって座っている。
 ここに、彼女たちの視線を集める二名――演壇に立つ桐林と、投射型スクリーンの前で解説をしていた鹿島を加え、総勢は二十名。艦隊の三分の一ほどが集結しているのだ。


「……以上が、第三行動類型時の対応となります。ご質問のある方はいらっしゃいますか?」


 秘書官として、初めて会議の進行を任された鹿島が、内心でおっかなびっくり、表面上はそつなく話を纏めた。
 特に無ければこのまま会議は終わる。けれど、雛壇の向かって右側。ドイツ艦統制人格五名、伊勢と並んで座る日向が、おもむろに挙手する。


「発言を許して貰いたい」

「日向さん。どうぞ」


 許しを得た彼女は、挙手した時と同じく、ゆったりと腰を上げる。
 視線の集中を感じながらも、その背筋はピンと伸び、非常に堂々としていた。


「本作戦の主眼は、例の新型の撃破だという事は理解した。
 だが、重ねて問いたい。……何があっても、“絶対に”拿捕はしないんだな」


 細かい通常任務はさて置き、現在、艦隊に課せられた重大な任務は二つ。
 存在すると仮定された敵棲地の発見・撃滅と、敵 統制人格の捕縛だ。
 棲地の発見は、未だ手掛かりすら得られていない状態だが、捕縛に関しては違う。
 度重なる出撃と、それに伴う練度の向上により、極めて稀にではあるが、捕縛に成功しかける場面もあった。
 けれど、桐林の代理として作戦目標を語る鹿島の言葉に、「敵の捕縛」に関わる単語は一切無かった。即ち、捕縛任務は無視するという方針である。

 しかし、それを理解した上で問わねばならない事も、日向の頭には浮かんでいた。
 千載一遇の機会が巡って来た場合、行動方針を変更するのか、である。
 成功率が上がってきているとはいえ、無理無茶無謀を掛け合わせたような任務。
 達成可能な状況を作り上げられたのなら、そちらを優先するという選択肢もあるだろう。
 むしろ、周囲を黙らせる戦果を挙げる事は、軍部における発言力を増やす為にも重要である。
 彼女の言いたい事を過不足なく理解した桐林が、演壇に据えられたマイクのスイッチを入れた。


「場合によって、白兵戦に持ち込む可能性はある。
 しかし、拿捕はしない。どれ程の好機であろうと無視しろ。
 今回の出撃で、必ず“ヤツ”を――沈める」


 発せられた言葉に、迷いは微塵も見られない。
 鋭く光る右眼。会議室に緊張が走り、誰一人、異論を挟もうとはしなかった。
 小さな溜め息をつく日向も同じようで、焦げ茶色の瞳が細められる。


「あい分かった。君がそこまで覚悟しているのなら、もう何も言わない」

「戦場の習い、ってやつよね。敵に情けをかけられる程、今回の作戦は甘くないもの」


 席へ座り直す日向には、場違いに気楽な声が追随する。隣の伊勢だ。
 ともすれば、通夜の如く暗くなる雰囲気を、彼女なりに慮っての事である。
 そのおかげ……かどうかは分からないが、皆の顔からも緊張感が薄らぐ。
 けれど、当の桐林は表情を険しくしたまま、ある少女へ視線を向けた。

 オレンジ色のタイが目立つ、白と黒のコルセット付きセーラー服に、明るい茶髪。
 ヘアバンドの代わりに「第六十一駆逐隊」と金字で書かれたペンネントを巻き、三つ編みにした両の横髪の先端には、黄色いスクリュー型の髪飾りが一つずつ。
 艦隊防空の為に建造された、乙型駆逐艦――秋月型の二番艦、照月へ……である。


「照月。何か言いたい事があるのか」

「………………」


 彼女の、どこか遠くを見つめるような視線を見咎め、桐林が厳しい声を発する。
 が、照月は返事をしなかった。無視しているのではなく、そもそも気付いていないような、そんな素振りだ。
 桐林の右眼がますます細くなり、隣に座る一番艦の秋月が、慌てて妹を揺さぶった。


(照月、照月っ! 司令がお呼びよ!)

「ふぇ? ……あ、は、はいっ!」


 姉の切羽詰まった声に、照月はようやく状況を理解し、直立不動に立ち上がる。
 桐林が大きく、深い溜め息をついた。


「集中できていないようだな」

「え、あ、の、すみま、せん……」

「艦隊の護衛を務める者がそれでは、皆が背中を預けられん。……編成から外れるか」

「――っ!? ぁ、う……」


 ただでさえ冷や汗をかいていた照月だが、無慈悲な宣告で顔色は一層青くなり、目尻に涙まで。
 平素であれば、鹿島も恐る恐る諫言しよう桐林の態度は、しかし、作戦会議という場にそぐわぬ物ではない。
 何か言いたげに、桐林と照月へ目を配る鹿島だったけれど、結局は何も言えず黙り込んでいる。
 一方で、秋月は見ていられなくなったらしく、勢いをつけて立ち上がった。


「お待ち下さい、司令っ。照月はこの作戦が初出撃になります。
 少し緊張しているみたいですが、実戦での動きは、この秋月が保証しますので、何卒っ」


 踵を鳴らし、秋月は背筋を伸ばす。一拍遅れて、照月も同様に。
 服装は殆ど同じだが、浮かべる表情は全く似ておらず、凛々しい姉に対し、妹は叱られるのを待つ子供のようだ。
 細かい違いを挙げると、秋月はふちに黒いラインとスリットが入った、白のプリーツスカートを履き、照月は同じデザインであるものの、色を反転させた物を履いていた。
 鹿島を始めとして、皆が固唾を呑んで見守る中、不意に桐林は右眼を閉じる。


「言い訳は必要無い。実戦で力を発揮できるなら、な」

「他に、ご意見のある方はいらっしゃいますか? ……では、これにて終わりとさせて頂きます」

「我らの力を見せる時だ。一層の奮励努力を期待する。解散」


 どうやら、今回は不問に付すらしい。
 代表して鹿島がホッと一息。桐林の激励を最後に、会議は終了を迎える。
 彼は鹿島を伴って退室し、その背中がドアの向こうへ消えた瞬間、張り詰めていた空気が一気に霧散した。


「……ふぁうぅうぅうぅ、秋月姉、怖かったよぅ~」

「なに言ってるの。元はと言えば、照月が作戦会議中にボーッとしてるから怒られたんでしょう?」

「だってぇ……。作戦会議自体初めてで、失敗しないようにって考えてたら、逆にそればっかり気になっちゃったんだもん……」


 くにゃあ、とへたり込む照月を、困った顔の秋月が窘める。
 軍艦の現し身と言っても、こうして人の身を得た統制人格たちにとって、軍艦としての経験は、時に現実味が薄く、時に現実以上の真実味を持つ。
 照月には、こういった作戦会議自体が縁遠いものとして感じられるのだ。
 そんな彼女に、付近で固まっていた別の姉妹――雲龍型の三人が歩み寄った。


「災難だったわね。提督は、作戦行動に関わる事には厳しいから」


 第一声は、長女である雲龍。
 くるぶしまで届きそうな長い白髪を一本の三つ編みにする、妙に露出度の高い女性だった。
 白と緑を基調とした衣装は、膝までを覆う足甲、丈の短いミニスカート、これまた丈の短い――腹部を剥き出しにする、袖無しの上着で構成されているが、ボタンで前留めする形の上着は、胸部中央が開口し、地肌が剥き出しになっていた。
 飛龍型航空母艦の流れを汲み、日本唯一の装甲空母・大鳳の悲劇――格納庫内に気化した航空機燃料が充満、引火。大爆発した――を教訓に、格納庫の換気機能を向上させた事の現れだと思われる。
 誤解を恐れずに言うなら、水着をそのまま服としたような印象なのだが、本人にとってはこれが正しい格好らしく、至って平然としているのが彼女の特徴でもあった。
 ちなみに、巨乳である。


「にしたって、あの言い方は無いんじゃない? あんなだからキガン――“鬼眼おにめ”って言われちゃうのよ!」


 雲龍に続き、苦言を呈するのは三女の葛城かつらぎだ。
 うぐいす色を基調に、黒墨で松の木などが描かれた着物を纏い、雲龍とは違って露出度は控えめ。腰まで届く髪は烏羽色で、一房だけを頭頂部でポニーテールにしている。
 横須賀の正規空母たちのように丈が短い訳でもなく、純然たる着物姿の美少女だった。
 が、その端正な顔立ちは今、不愉快そうに歪んでしまっていた。桐林の冷徹な物言いが気に食わないらしい。

 余談だが、彼女が控えめなのは露出度だけでなく、胸囲もだった。
 史実において、本来積むはずだった機関部の製造が遅れ、陽炎型駆逐艦の機関部を代用して完成させたのが原因……かも知れない。


「もう、駄目よ葛城? そんな風に言っては。提督には提督のお考えがあるんですから」


 そして三人目。不機嫌な妹を宥めようとする次女、天城は、葛城と同様に着物美女だった。
 着物の柄から髪型まで、とてもよく似ているように見えるが、結び方が違うのか、茶髪のポニーテールはふんわりと広がり、真っ赤な椿の髪飾りが印象的だ。
 また、胸囲的な意味でも、悲しいかな、葛城とは区別がつけられる。
 彼女の機関部も、元々は別の艦に乗せられていたものであり、改鈴谷型重巡である第三百一号艦――仮称・鞍馬からもたらされ、雲龍と同じ出力になるよう調整された。三百号艦は伊吹だ。
 その割に、雲龍と並ぶと一回り胸が大きく見えるのだが、おそらく着膨れしているのだろう。

 ともあれ、並び立つ美人姉妹に見惚れそうになっていた照月は、葛城の口にした呼び方が気に掛かり、おずおずと問い返してみる。


「あのぉ……。葛城さん、『おにめ』ってなんですか? 提督、そんな風に呼ばれてましたっけ」

「へ? あ、そっか。照月はまだ、励起されて日が浅いんだったわね。知らなくて当然か」


 控えめな挙手に、葛城は目を丸くするものの、彼女がこの艦隊では新人である事に思い至り、今度は得心の入った顔を見せる。
 中堅である秋月の励起時期が二ヶ月半ほど前で、照月はまだ一カ月と少し。演習は繰り返し行っていたが、統制人格としては実戦未経験。文字通りの新米なのだ。
 話を聞いていた天城、雲龍が、照月に詳しい事情を解説する。


「照月ちゃんは、提督の渾名って知ってますか?」

「渾名……。確か、帰る岸辺って書いて、“帰岸”でしたよね。……あ! 『おにめ』ってもしかして、鬼の……?」

「そういうこと。漢字は別でも読みは同じだから。そんな呼び方をするのは、やっかんだ人間のみだけれど」


 中将となった桐谷が、正式に桐林へと与えた渾名――“帰岸”。
 表向きには、今までに一度も傀儡艦を沈めていない事から、彼女らを岸辺に帰す者。あるいは、彼女たちの帰る岸辺という意味を持つとされている。
 しかし、桐林と実際に相対した軍人は……。特に、彼の左眼を見てしまった者は、こぞって言う。

 あれは鬼の眼だ。
 奴は鬼を喰らったのだ、と。

 この誹謗中傷、桐林本人の耳にも届いているが、彼は言い返さない。
 反論した所で無駄だと分かっているからか。
 “力”と引き換えたように、かつて“鬼”と呼ばれた吉田 剛志が死んだのは、紛れも無い事実だからか。
 例え彼自身が納得していたとしても、実際に聞くと不愉快なのだろう。雲龍の黄色い瞳が細められた。


「ま、アタシは照月の気持ちも分かっけどなー」


 そんな折、照月たちの頭上から声が降ってくる。
 一段上の席に座る、サロペットスカートの少女――夕雲型駆逐艦四番艦、長波ながなみだ。


「提督の顔、やっぱコエーしさ。オマケに他人の目なんて全っ然気にしないし、鬼提督って言われても納得だよ。田中少将とは真逆だな」

「な、長波さん……。流石に鬼提督は言い過ぎじゃ……」

「そうでもないぞぉ? 夜戦の時なんか、マジで敵艦の鼻面まで行かされてだなぁ。いや、それが当たり前っちゃあ当たり前なんだけど」


 頬杖をつき、溜め息混じりに苦笑いする彼女の髪は、外側が黒、内側がピンク色の、二色を併せ持つ。清霜と同じ特徴だった。
 大戦時、二水戦の旗艦を務めた経験があり、長波に座乗する田中 頼三少将が率いたルンガ沖海戦での、日米で評価が一変する戦いでも名が売れている。
 夕雲型の中で最も長生きし、姉妹全員と面識があるのも特徴である。
 照月とは浅からぬ縁を持ち、特に気に掛けてもいるようだ。気の置けない遣り取りから、仲も良好なのが伺えた。
 しかし……。


「あらぁ、長波さんったら。それは提督への批判ですかぁ?」

「ひっ。い、いやいやいやいやいや、んな事ないって夕雲! ちょっとした言葉のアヤみたいなもんで……」


 横からの強烈なプレッシャーに、長波が凍り付く。
 大急ぎで取り繕う視線の先では、新緑の葉のような色をした髪を一本お下げにする、夕雲型の長女……夕雲が、凄味のある笑顔を浮かべていた。
 ミッドウェー海戦や、キスカ島撤退作戦にも参加した、歴戦の勇士である。
 照月と違い、その経験は彼女の中で生きているらしく、また、敬愛する人物を茶化された事もあり、誰もが後退ること請け合いの迫力だ。
 けれど、唐突に重圧は霧散。夕雲はコロコロと、楽しげに笑う。


「うふふ、分かってますよ。冗談です、冗談」

「嘘つけ……。半分本気で怒ってただろ、この提督Love勢め」

「あら。提督を敬愛して何か問題でも? それに、この艦隊に提督を心から嫌っている子は、なんだかんだで一人も居ないと思うけれど。ねぇ、葛城さん?」

「へっ? なんで私に振るの? あ、天城姉ならともかく、私はあの人の事なんて、別になんとも思ってないし……」

「相変わらず見事なテンプレだなー」

「本当に。ある意味、夕雲は羨ましいです」

「だ、だから! 本当になんとも思ってないんだからね!? 聞いてる!?」


 何故だか巻き込まれてしまった葛城が、顔を真っ赤にしながら、教科書に載っていそうなツンデレーションを発揮する。
 長波は頬杖をついて遠い目を。夕雲は頬に手を当て溜め息をつく。前者は乙女ながらどこか親父臭く、後者は左口元のホクロが妙に色っぽい。
 それがますます葛城をヒートアップさせるのだが、険悪な雰囲気は一切無く、むしろ、喧嘩するほど仲が良い、と言った方が適切であろう。


(秋月姉。葛城さんって、提督のこと好きなの?)

(う~ん……。本人の前で肯定するのもあれだけど、見たままというか、なんと言うか……)

(我が妹ながら、分かり易過ぎて申し訳ないわ)

(そ、そうでしょうか? と言うか、私ならともかく、ってどういう意味なんでしょう……? 確かに、その、尊敬はしていますけれど……)


 置いてけぼりを食らった照月たちも、彼女たちの言い合いを気楽に、生暖かく見守っている。
 さり気なく気持ちをバラされた天城だけは、頬を紅潮させて言い訳に苦心しているようだが、スルーされているのは不幸か僥倖か。
 さて。
 すっかり会議中の重苦しさが吹き飛んだ所で、夕雲は話を戻そうと、照月へ向き直る。
 微笑んでいるのは今までと同じ。しかし、瞳には真摯な感情が込められていた。


「照月さん。提督が厳しいお言葉を掛けて下さるのも、貴方に期待しているからこそ、ですよ」

「それは……。分かっているつもり、なんですけど……」

「もっと自信を持って下さいな。乙型駆逐艦と言えば、艦隊の主力 of 主力の夕雲型にも勝る、対空制圧力があるんですから」

「夕雲、よくそれ言うよな……。確かにアタシら、出撃回数は多いけどさ」

「当然よ。浜風さんたちには負けられないわ! 色んな意味で!」

「そ、そうなんですかぁ……」


 ……が、途中からまた話が脱線し、拳をグッと握り締め、夕雲が浜風+αへのライバル心を燃やす。
 どうやら、いつぞやオイゲンの言っていた事は真実だったようだ。
 いまいち納得の出来ない照月ではあったが、ここで反論するのも藪蛇。当たり障りのない返事で誤魔化した。
 すると、秋月もそれに便乗して、再び話の軌道修正を試みる。


「夕雲さんの言う通りよ、照月。今度は私も一緒。互いに守り合って、みんなで生き延びるの。良い?」

「……うん。ありがと、秋月姉。みんなも、ありがとう」


 優しく手を包んでくれる姉に、照月は大きな安堵を感じながら、指を絡めた。
 秋月と照月。同じ乙型駆逐艦姉妹でありながら、歴史上の接点は無きに等しい。
 同じ作戦に従事した事はなく、修理などのタイミングですれ違い続け、最後を看取る事すら許されなかった。
 それから数世紀。
 戦いに身を置かねばならないのは同じとしても、少女の身体を得て再会した奇跡は、気弱な心を温めてくれる。
 仲間たちの気遣いを一身に受け、この機会をくれた事にだけは感謝したいと、照月は桐林の顔を思い浮かべ……もっと優しくしてくれればなぁ、と苦笑い。


「でも、やっぱり提督は怖いかな……。もうちょっと笑ってくれれば、仲良くしたいって思えるのに」

「そんな事ないよー! 司令は怖くないもーん!」

「わっ。さ、酒匂さかわさん?」


 ガバッと、背後から襲い掛かる体温。
 照月に抱き付いたのは、色素の抜けたような髪をショートカットにする少女。
 阿賀野型軽巡洋艦 四番艦。末妹の酒匂という。


「酒匂、いきなり飛びついちゃ駄目じゃないの。照月ちゃんが驚いてるから」

「んーっ、だってさー」

「はいはい。提督のことが好きなのは分かったから、取り敢えず離れましょう」

「何よー矢矧ちゃんまでー!」


 酒匂の両脇を抱えて引き剥がすのもまた、阿賀野型の二人。二番艦 能代のしろと、三番艦 矢矧やはぎである。
 赤み掛かった茶髪を、二本の三つ編みにしているのが能代。黒髪を高い位置でポニーテールにしているのが矢矧だ。
 阿賀野型姉妹は、白い生地に紺襟の、ノースリーブのセーラー服と、赤いプリーツスカートを合わせて身に付けている。上着は丈が短いのか、全員ヘソ出しルックだった。
 胸元を飾る紺色のネクタイには錨が白く刺繍され、両手は白い手袋で包まれており、全員が左脚のみに、ガーター付きの黒いオーバーニーソックスを履いていた。
 最後にやって来た一番艦 阿賀野は、黒髪ロングをそのまま靡かせている。

 蛇足ではあるが、この阿賀野型姉妹。酒匂を除いて、非常に洗練されたプロポーションを誇っていた。
 いわゆる「ボン、キュ、ボン」を体現したような姿であり、男であれば十中八九、鼻の下を伸ばしてしまいそうな身体つきだ。
 なぜ酒匂の胸部装甲が、龍驤の如きフラットなシルエットになったのかは不明である。
 葛城のように機関部の問題があった訳でも無く、原因は一切分からない。本人が大して気にしていないのは、不幸中の幸いであろう。

 話を戻し、長女である阿賀野。
 とある事情から、桐林にひとかたならぬ想いを抱く酒匂の頭を撫でつつ、彼女は彼女なりのフォローを始める。


「ごめんねー、照月ちゃん。でも、阿賀野も酒匂と同じかなぁ? 提督さん、顔はヤ○ザ屋さんみたいだけど、ホントは優しい人なんだから!」

「……阿賀野さん?」

「ぴゃ!? ゆ、夕雲ちゃん、怖い……」


 のほほんと、控えめに貶しながらも桐林を褒める阿賀野に、夕雲の視線がまた鋭くなり、酒匂が怯えた。独特な鳴き声だ。
 そこから、「確かに顔は……」と矢矧が同意したり、「でも、私生活ではよく気遣って下さって」と能代がフォローしたり。各々、桐林への所感を述べ始める。


(提督が優しい、かぁ……。いまいち、信じられないなぁ……)


 様々な意見を耳にしつつ、照月はボウっと天井を見上げる。
 眼帯。顔の傷痕。黒かったり白かったりする髪。不機嫌そうに細められた右眼。眉間に常駐する皺。これが、照月の中にある桐林の姿だ。
 よくよく考えてみれば、笑っている所を見たことが無い。笑う所を想像できない。
 どうすれば、皆のように彼を信頼できるのだろう。
 信頼できたなら、この胸に巣食う感情は消えるだろうか。……戦いへの、不安は。
 雰囲気を壊さぬため、作り笑いを浮かべて、照月は夢想する。
 姉たちと同じように、いつか、彼を信じられる日が来てくれれば、と。

 そして、そんな彼女たちを、遠目に見守る仲間たちも居た。
 残る編成メンバー。伊勢型二名とドイツ勢だ。


「ふう……。あの子たち、作戦前っていう自覚あるのかしら……?」

「ま、いいんじゃない? ガッチガチに緊張して動けないよりはさ。戦場に出れば、嫌でも引き締まるんだから」


 ビスマルクが、下段の席で騒ぐ少女たちを横目に腕を組む。
 命懸けで作戦に挑むのだ、もう少し切実さというか、真剣さを以って臨んで欲しいと思うのである。
 かたや、伊勢は肩から力を抜き、緩い視線を向けていた。
 必要以上に緊張しては、持てる力を発揮する事は叶わない。何事も緩急が大事なのだ。
 ビスマルクも本気で呆れていた訳ではないようで、「一理あるわね」と呟き、退室しようと出口へ向かう。
 次々に席を離れようとする面々だったが、しかし、オイゲンは一人、腰を下ろしたまま考え込んでいた。


「むむむ……」

「オイゲン、どうしたの? 難しい顔して」

「何か、作戦について気掛かりな事でも?」


 それに気付いたレーベ、マックスが問い掛けると、彼女は背もたれに体重を預け、「はふう」と一息。


「作戦について、っていう訳じゃないんだけど、ちょっと悩み事……。でも、気にしないで? 個人的な事だし……」

「なら、無理には聞かないが。私たちで助けになれる可能性もある。良ければ話してみないか」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 いつも笑顔満面、天真爛漫なオイゲンが、珍しく沈んでいる。
 作戦に関係無いとは言っても、彼女にとっては重要な事なのだろうと、ツェッペリンは肩へ手を置く。
 同国出身というよしみだけでなく、作戦前にしっかり悩みを解決して、心置きなく任務を遂行して欲しいという気持ちからだ。
 手を伝う気遣いを感じ取ってか、オイゲンの顔にもようやく笑顔が戻り、助言を受けようと口が開かれた。


「提督を好きな子が多いのは良いんだけど、影が薄くなるのは嫌なのよね……。何か、出発前にめい一杯アピール出来る事ってないかなぁ、と思って」

「……は?」


 ところが、その内容は如何ともし難いもので、ツェッペリンの頬が引き攣る。
 オイゲンも、長波が言う所の提督Love勢に含まれるのは、前日までの一件で判明していた。けれど、まさかこのタイミングでとは。
 一人で相手取るには分が悪い。ツェッペリンは救援を求めて仲間たちを見やるが……。


「さ、ここはグラーフさんに任せて、私たちは出発の準備をしましょっか。遅れでもしたら提督が怒るよー」

「そ、それもそうね。伯爵、後は頼むわね」

「えっ。い、いや、伊勢? ビスマルク? 私も……」

「ツェッペリンなら大丈夫だよ。頑張って」

「はい。貴方の犠牲――おっほん。優しさは忘れません」

「……付き合ってられんな」

「レーベ、マックス!? ひ、日向まで……!」


 擦れ違いざまに肩を叩きつつ、薄情にも彼女たちは去って行く。
 その間にも、あーでもないこーでもないとオイゲンは語り続け、ツェッペリンはついに、逃げるタイミングを逸したのだった。
 どこの国にも、不憫な属性を持つ者は存在するのである。






 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 耳に馴染みの声が届く、ほんの数秒前。
 仮眠室で横になっていた桐林は、なんの前触れもなく意識を覚醒させた。


『提督。間も無く、艦隊が目標の海域へ到達します』


 スピーカー越しの調整士――疋田 栞奈の声を聞きながら、ベッドから降りる桐林。
 眼帯を着けたまま寝ていたらしく、黒髪もボサボサ。だらしないと感じられないのは、異様に鋭く細められた右眼が原因だろう。
 加えて、最適化でも行われたように鍛えられた筋肉が、黒いインナースーツに陰影を作り上げている。
 その上から白い詰襟を羽織り、ズボンを履いて、上着のボタンは留めず部屋を出る。
 横須賀と違い、自動ドアを一つ隔てた先に、調整室があった。

 無数のディスプレイと、コンクリートを這うケーブル類。
 壁際にあるコンソールでは栞奈が。部屋の中央、不自然に何もない場所には、香取が控えている。
 上着と眼帯を彼女に預け、桐林がそこに立つと、太いアームが床から伸び、腰や背中、大腿部、脹脛、手首などを掴んで持ち上げる。ちょうど真下に、新型増幅機器ブースター・ベッドのセットが埋め込まれているのだ。
 彼の身体はやや斜めに、SFロボットの搭乗員のような、浮かんだ状態で固定。
 アームの接触部分が、情報収集用プラグで増幅機器と機械的に繋いだ。痛みがあるのか、顔がわずかに歪む。
 次いで、専用に誂えられた上半身装具が天井から降りてくるのだが、その間に彼は栞奈へ声を掛けた。


「疋田調整士、報告を」

「はっ。十分ほど前に、梁島提督の艦隊は護衛を終え、当該海域から離脱しました。
 現在、我が艦隊は高速航路を降り、巡航速度で方位二二○○へと航行中。
 これまで敵影を確認できず、戦闘はありません。雲龍型の彩雲などが引き続き哨戒を行っています」


 淀みない報告を聞きながら、スムーズに装具を着けられるよう、桐林は身体を静止させる。
 通常の物より大きくなったそれは、胸部から二の腕、肘、そして頭部を完全に覆い尽くす。
 眼孔も無く流麗なデザインが、まるで西洋式甲冑のような印象だ。
 視覚と聴覚、呼吸をも妨げそうな装具は、しかし機械的補助でそれを補い、かつ、完全に戦闘へ没入も出来るよう設計されていた。


「不気味ですね。嵐の前の静けさ、でしょうか」

『……荒れてもらわねば困るがな』


 ディスプレイを遠目に、不穏な気配を感じる香取の声が、装具を通して桐林に届く。
 対する桐林の声はくぐもり、言葉に宿る温度と同じように、感情の隔たりを現している。


『艦隊旗艦、現状を報告せよ』


 桐林が意識を細めると、彼の視界は遥か彼方の海――安全領域最端である日本海泊地から、更に百五十海里の地点を捉えた。
 北西へ進む、十二隻と六隻。
 五角形の頂点と中央に、六隻を配する水雷戦隊。離れず随行する、二隻ずつが三角形となった打撃部隊。その後方数kmを進む、輪形陣の航空支援部隊の艦隊だ。
 それらのうち、中継器を積んだ旗艦の統制人格へ呼び掛ければ、彼女たちは直ぐさま応答する。
 一番手は、阿賀野型と夕雲型で編成された、水雷戦隊を率いる阿賀野。


「提督さぁーん! こちら、水雷戦隊旗艦の阿賀野でぇーす!」

『何か気掛かりはあったか』

「ううん、何にもっ!」

『………………』


 やたらと元気良く、第二砲塔の天板で飛び跳ねながらの返事に、幾分か期待を込めた桐林だったが、それだけに肩透かしを食らう。
 沈黙から落胆を悟った、しっかり者という名のフォロー担当。艦橋上部に立つ能代が付け加える。


《え、えと。能代、補足します。周囲に艦影はありません》

《続けて矢矧、報告します。零式水上観測機、視界良好。しかし、敵の気配はやはり無いわ。妙ね……》

「いつもだったら、もう食いついて来てそうなんだけどねー? どうしてだろ?」


 頬に人差し指を添え、阿賀野は身体ごと傾く。それに伴い、背負った艤装の電探部分も斜めに。後部フライングデッキで仁王立つ矢矧も、難しい顔だ。
 阿賀野型軽巡洋艦とは、水雷戦隊の旗艦を務めるために建造された、乙型巡洋艦――その最終モデルである。
 公式排水量七七一○トン。それまでの軽巡より船体は一回り大きく、十五・二cm連装砲三基六門、八cm連装高角砲二基四門、六十一cm四連装魚雷発射管二基、フライングデッキ一基を配備しており、彼女たちの背負う艤装も、それらが忠実に再現されていた。
 身体の右半身を艦首、左半身を艦尾とし、煙突と機関部、艦橋を融合させた構造物からアームが伸び、主砲を右に四門、左に二門。スティックレバーで操作する形だ。
 また、左足首にはフライングデッキが設置され、四隻それぞれに違う形状となっており、阿賀野の場合、木目調の甲板に航空機運搬軌条が刻まれている。
 言動は少々トボけているが、生まれる時代を間違えなければ、確実に大戦果を挙げられた軍艦の現し身。隙は見当たらない。


《探信儀にも感はありません。潜水艦は居ないようですね》

《けど、油断も出来ないしね。見かけたらボッコボコにしてやっかんなーっ》


 そして、五角形の前両翼に位置し、艦内で三式水中音波探信儀のブラウン管を確認。対潜警戒を行っていた夕雲と長波もまた、艦隊決戦随行に適した甲型駆逐艦として、申し分ない性能を有している。
 陽炎型のマイナーチェンジと揶揄される事もあったが、その細かい変更点が積み重なり、確実な性能向上を果たしているのだ。
 日本軍においては軽視されがちだった電探はもちろん、精度的な問題があるものの、対潜兵装や対空機銃をしっかりと備えた、艦隊型駆逐艦の決定版である。
 制服がそうであったように、夕雲型は艤装もほぼデザインが統一されていた。
 背中に煙突と機関部を背負い、細いマニピュレーターで対空機銃が繋がり、腰と大腿部の両脇には、爆雷投射機と魚雷発射管が二基。手には十二・七cm連装砲D型を持つ。
 勇ましくも愛らしい彼女たちだが、過去から得た戦訓に基づき、厳しい眼差しで警戒を続けている。

 報告から得るものは無かったけれど、水雷戦隊の戦意は十分に高い事が伺え、桐林は次の部隊へ意識を向けようとした。
 が、魚雷発射管の近くで口を噤んでいた酒匂は、それを引き止める。


《あのぉ……。司令? あの……》


 艤装から手を離し、モジモジと人差し指同士を絡ませる酒匂。
 もどかしい口振りが、なんらかの懸念を抱いているのだと物語っていた。
 桐林は微かに嘆息する。


『分かっている。あまりこちらを気にするな。……無用な心配だ』

《……うんっ!》


 返されたのは、突き放すようにも聞こえる言葉。しかし、酒匂は頬を綻ばせ、嬉しそうに何度も頷く。
 詳しい事は誰も口にしないが、彼らの間に“何か”があったのは確かだろう。
 事情を知っている三人の姉と夕雲型二人も、口を挟まなかった。

 酒匂の笑顔を確認すると、桐林は今度こそ次の部隊へ意識を移す。
 三角形の上を進行方向とし、オイゲン、ビスマルク。左にレーベ、伊勢。右にマックス、日向が配された、打撃部隊。
 主力にして旗艦の、オイゲンが視界を占領した。


「こちら、主力打撃部隊のオイゲンです! 周囲に敵影無し。アラドも上げてますが、同じく視界は極めて良好っ。変化があればすぐに報告しますっ!」


 右手で敬礼。威勢良く報告を上げたオイゲンは、甲板上で四基の連装主砲を細かく稼働させ、いつでも戦闘態勢に移れる事をアピールする。
 アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦とは、機関の信頼性と防御力に難があるものの、その他は高い水準で纏まった艦であった。
 主砲に、戦艦の砲と並ぶ射程を持つSK C/34 20.3cm砲四基八門、対空兵装として、同じく長射程のSK C/33 10.5cm高角砲六基十二門と機関砲多数、魚雷発射管を両舷に二基ずつ。
 中・近距離における打撃力と精度の高い対空射撃、駆逐艦に匹敵する雷撃力を併せ持つのである。
 ここに居るオイゲンの場合、ドイツ製の53.3cm三連装魚雷発射管から、日本の六十一cm四連装魚雷発射管に載せ換えられるよう、改修を施されている。また、主砲塔の天板は赤く塗られていた。
 必要に応じて機雷敷設も可能な設計となっており、機関の信頼性を下げていた部品強度などの問題も解決しているため、現代日本で運用されている重巡の中でも、トップクラスの艦だった。

 アラドというのは、彼女とビスマルクが運用する水上機の通称で、アラド航空機製造工場Arado Flugzeugwerkeの事だ。
 Ar196改と表記し、二十mm機関砲二門と五十kg爆弾二発を装備できる双フロート式の機体で、三機が零観と偵察を行っている。日本で改修を受けたため、改の一字が加えられていた。
 参考までに零式水上観測機――正式名称、零式観測機の性能と並べると、零観の武装は七・七mm機銃三門。内一門は後部旋回式で、翼下に三十kg爆弾を二発装備可能なだけであり、武装面では零観が見劣りする。
 しかし、最高速度の面では評価が逆転する上、格闘性能なども零観に軍配が上がる為、活躍するかは運用次第と言った所か。

 統制人格としてのオイゲンだが、背中の機関部から四本のフレームが伸びていて、背後でYの字に展開する二本と、腰の両脇に迫り出す二本の先端に、それぞれ主砲が据えられている。
 腰のフレーム上部には魚雷発射管が載せられ、手には高角砲を模した大型ハンドガン。
 技術大国らしい、洗練されたデザインが特徴だ。


《オイゲンちゃん、張り切ってるねー。あ、こちら伊勢。私たちも瑞雲を上げとく?》

『……いや、まだだ。指示があるまで待機させておけ』

《了解した。急いては事を仕損じる、とも言うしな》


 彼女に続いて発言するのは、航空甲板に座り込む、日本戦艦の二人。
 左手のミニチュア甲板をしきりに撫で、今か今かと本領発揮の時を待っている。
 現在はオイゲンを通じ、アラドの視界情報を得る事で周囲を把握しているが、その時が来れば、爆装した瑞雲をカタパルトから射出。爆撃と砲撃の二刀流で戦うのだろう。
 その一方で、航空機を扱えないレーベたちは、艦首の手摺りへ寄り掛かり、単装砲型ハンドガンを確かめながら、伊勢たちを羨む。


《こういう時、僕たち駆逐艦はもどかしいよ……。水上機は使えないし、単独だと有視界戦闘しか出来ないし》

《そうね。中継器から直接情報を得られるようになって、昔よりはマシになっているけれど、攻撃手段に乏しいのは変わらないわ》

《何を言ってるのよ。航空機が無くても、魚雷を積んでるんだから攻撃力はそう変わらないわ。そう言えば、提督。私もいつか積む予定なのよね?》

『ああ。まだ先の話だが、ビスマルクの第三次改装予定は組んでいる』

《そうなったら、本格的にオイゲンとの差異が見当たらなくなりますね。遠目で区別がつくかどうか……》

『配置まで同じになるとは限らん。詳しく知りたければ、帰って明石に聞け』

《僕たちも一度、改装を受けてるけど……。まだ強くなれたりするのかな。ちょっと楽しみだ》


 話の主題は航空機から改装へと移り変わり、レーベ、マックス、ビスマルクの三人が、やはり己の艤装を確かめて頷く。
 第一砲塔の真下で腕組むビスマルクの艤装は、オイゲンのそれと非常によく似ており、強いて言うと、魚雷発射管を載せていないのが違う点だった。
 主砲はSK C/34 38cm連装砲四基八門。副砲としてSK C/28 15cm連装速射砲六基十二門。オイゲンと同じSK C/33 10.5cm高角砲八基十六門などを備えている。
 レーベ、マックスの艤装については、オイゲンの物よりフレームがスリムで、腰回りの二本しかないのが特徴である。
 発射管はオイゲンと同じ改装が済んでいて、十二・七cm単装砲五門、SK C/30 3.7cm対空砲二基四門が主力兵装だ。

 彼女たちは、ドイツで建造済みだった予備戦力――悪い言い方をすれば払い下げ品であり、日本へやって来てから、明石の手による改装を受けている。
 艦首形状の変更による凌波性の改善、故障が頻繁した高圧缶の改良などが共通して行われ、ビスマルクは更に、姉妹艦のティルビッツが備えた魚雷発射管を、将来的に配備する予定だった。
 純粋な戦艦としての練度を上げ、それが極まった時、更なる攻撃力として搭載する予定なのだ。
 それも、まずは目前の戦いを無事に乗り越えてからなのだが、皆、当たり前のように帰った後の事を考えている。“帰岸”の渾名を信じている、のであろう。


「こちら航空支援部隊、旗艦グラーフ・ツェッペリン。現在、主力打撃部隊の後方、約五kmの安定海域を航行中。状況に変化は無し」


 ビスマルクたちの声が聞こえていたのか、支援部隊の旗艦として報告を上げるツェッペリンは、声色は厳しいものの、微笑みを浮かべている。
 輪形陣の最後列に位置し、前から順に雲龍、天城、葛城。その両翼を秋月型が固め、右を秋月、左を照月が守る形だ。
 右舷にある艦橋近くに立つ彼女の艤装は、形状自体はレーベたちの物と似ていたが、シルエットはより大きくなっていた。
 手にはレーダードームが加えられた高角砲ハンドガンを持ち、機関部と煙突があった場所からは太いアーム。そこに飛行甲板が接合され、必要時に展開するのだ。


《静か過ぎて、どうも落ち着かないわ》

《本当ですね、雲龍姉様……。平穏な海。喜ぶべき事なんでしょうけれど……》

《一応、発動機は回し始めてるし、いつでも発艦できるわ。正規空母の力を見せたげる!》


 ツェッペリンの前を行く三姉妹が、露天駐機された艦載機の傍らで空を見上げ、水平線を見つめ、薄い胸を張る。
 同型艦である彼女たちだが、その艤装は、共通項の多いドイツ勢と異なり、それぞれに差異が見られた。

 まず雲龍。腰を回り込むように、右へ大きく迫り出すフレームは、艦橋・高角砲・機銃が一体化していて、左右どちらにも向けられるようになっている。
 左手には巻き物と龍玉が飾られる旗竿を、右手には白い御札入れを持っており、式神術制御を行う事が分かる。
 次女の天城は、作戦会議の時と変わらず、およそ戦闘に不向きな着物姿だった。
 一応、雲龍と同様の艤装が展開され、背中には長い棒状の袋を背負っている。
 もちろん、このまま航空機制御を行う訳ではなく、まだ戦闘態勢に入っていない為だ。
 葛城も着物姿なのは天城と同じで、しかし袂や帯が微妙に緩まっており……。脱ぎ捨てるタイミングを見計らっているらしい。

 空母としての能力だが、改飛龍型という別名の通り、船体の寸法は飛龍とほぼ同じである。
 常用艦載機五十七、補用十二機。エレベーターも大型化しつつ数を三基から二基に減じ、正規空母の運用数としては少ないが、桐林舞鶴艦隊では十分過ぎるほどの攻撃力だった。
 それが証拠に、落ち着かないと言う雲龍も、切なく彼方を見やる天城も、不安に俯く事は無い。
 元より自信満々な葛城はさて置いて、そんな雲龍型姉妹の有り様が、照月の心に影を落とす。


(なんだろう。提督とみんなの間に、絆みたいなものを感じる……。信頼し合ってるんだ……)


 艦橋の更に上。高度な射撃指揮を行う為の、光学観測義の集まりである、九四式高射装置の前で、照月は目を伏せる。
 無愛想な桐林の言葉と、彼を信じているであろう少女たちの会話。
 取り立てて変わっているとは思えないそれが、照月には特別なものに感じられていた。
 声の抑揚。わずかな吐息。挟まれる間の間隔。
 とても小さい、気にする方がおかしいような事柄の裏に、しっかと込められる感情は。今の照月には、まだ抱けないもの。
 すぐ側に居るはずの仲間たちとの間に感じる、狭くて深い隔たり。
 照月は、疎外感を覚えているのだ。


(――月、照月! またボーッとしてる! しっかりして!)

(……あっ。う、うん。ごめん、秋月姉。ありがと)


 桐林に届かぬよう、直接照月へと向けられた秋月の声で、彼女はハッとする。
 また考え込んでいた。会議中ならいざ知らず、作戦行動中にこれではマズい。
 照月はペチペチと己の頬を叩き、気合いを入れ直す。
 その隙に、照月と同じ位置に立つ秋月が、桐林へ自身の現状を報告していた。


《司令、秋月です。
 長十cm砲四基八門、二十五mm三連装機銃四基、同単装十八基。全て完全に動作しています。
 高射装置二基も、もちろん稼働状態にあります。対空戦、いつでもお任せ下さい》


 海軍式の敬礼をする彼女の艤装は、腰から身体の両脇へと迫り出す艦首を模したフレームが、レーベたち、一九三四年計画型駆逐艦と似ている。
 しかし、共通点はこの一点だけで、そのフレームには長十cm砲のディフォルメ体が埋め込まれ、秋月に習って短い手をパタパタさせていた。
 背中には大型の魚雷発射管が据えられて、ポニーテールの上にミニチュア高射装置が加わり、右太腿のベルトには主砲の交換用砲身が差してあり、短い砲身寿命に対応が可能な事を表している。
 照月の場合、両太腿のドラム型弾倉とフレームが給弾ベルトで繋がっていて、高射装置は胸元に。ディフォルメ体は、何故だかダンディなのが特徴だ。
 葉巻をくゆらせ、右側の個体は左眼に相当する部分が塞がれ、左側の個体も、左右を反転させて同じように。照月本人も、どうしてそうなったのかは分からないらしい。


『照月。問題無いな』

《は、はいっ。長十cm砲ちゃんも絶好調です。やれます!》


 桐林に直接話し掛けられ、照月は思わず気をつけをしてしまう。
 対して、長十cm砲は余裕綽々。葉巻をピコピコさせているのが、どうしてか様になっていた。
 旧日本海軍が建造した駆逐艦の中でも、秋月型は最大級の大きさを誇り、公試排水量は三四七○トン。軽巡である夕張型にも迫り、統制人格としての身体つきでは軽く上回っている。
 その大きな船体に、十cm連装高角砲四基八門、三連装二十五mm機銃四基、単装十八基、一三号対空電探二基、二二号対水上電探一基を配し、まさしく防空駆逐艦と呼ぶに相応しい対空制圧力を持つ。
 また、史実では艦橋上部に一基しか装備しなかった高射装置を、第三砲塔艦首側にも正式に追加配備。人力で稼働していた頃は不可能だった、射撃の分火指揮を可能としていた。
 代償として魚雷発射管は一基しか持たないが、元来、秋月型とは直衛を主任務とする艦。些細な問題であろう。

 阿賀野型、夕雲型の混成水雷戦隊。
 ドイツ国籍水上艦と、伊勢型航空戦艦による主力打撃部隊。
 秋月型が守護する、改雲龍型とグラーフ・ツェッペリンの航空支援部隊。
 以上が、出し惜しみ無しの、新生桐林艦隊である。


「提督。もうじき、未踏領域が目視可能になります。このまま行ければ……?」


 報告の終わりを待っていた栞奈が、桐林へと期待の込もった声を投げる。
 これまでも、幾度となく出撃を繰り返して来た桐林たちだが、これほど順調に事が運んだケースは無かった。
 途中で梁島の護衛部隊が落伍したり、敵 潜水艦の奇襲雷撃や、新型深海棲艦との戦いで撤退を余儀なくされたりと、思うように版図を広げられずにいた。
 敵側に、とある“特殊能力”を有した個体が存在するせいでもあったが、とにかく、あと十数分も航海を続ければ、先行する偵察機が、今まで見ることの適わなかった日本海深部の現状を確かめる。
 前人未到の成果に、さぞや桐林も沸き立っている事だろうと、側で控える香取は、無言で彼を見守る。
 しかし……。


『全艦減速。微速前進しつつ、探信儀・聴音機でもう一度周囲を探れ』

「……? こちら阿賀野、よく分かんないけど了解でーす。みんなー、準備は良いー?」


 装具に顔を隠す桐林が、低い声で艦隊に指示を下す。
 受け取った阿賀野は、疑問を挟みながらも指示通りの行動を始め、対潜装備を備えた艦が続く。
 息を殺し、耳を澄ませること一~二分。
 能代の聴音機が異音を捉えた。


《こちら能代っ、微かな高速推進音を感知! 例の新型魚雷と思われます!》

『方位は』

《おそらく……全て○一○○からですっ》

『偵察機で航跡を確認。のちに回避行動、急げ』

《了解……っと、早速見つけたわ。全艦に位置を転送、お願い!》


 奇襲の報が、緊張感を一瞬で高める。
 運良く、偵察から戻りつつあった矢矧の零観が白波を見つけた。
 嫌に目立つそれは、巨大過ぎる敵の魚雷が残す航跡。舞鶴事変で小林 倫太郎が使用したような、必殺の威力を持つ代物だ。
 事前に航跡を見つけられれば回避は容易いけれど、駆逐艦なら直撃しなくとも大破確実。艦隊は、延長線上から一時的に散会する事でこれを凌ぐ。


《……あっ! し、司令あれ、あれっ!》


 そして、それを放った敵艦を探し始めるより先に、別の脅威が姿を現わす。
 矢矧の観測機とは別方向――艦隊の進行方向である北西に進んでいた、酒匂の観測機の遠目を埋め尽くす、航空機の点。海上には母艦であろう敵 空母の姿も。

 深海棲艦側空母に共通していた、両生類を思わせる外見から逸脱する、人類側空母を改造したようなシルエット。
 空母でありながら、舷側には戦艦級の大口径主砲が並び、全く発艦に適さない、岩肌の如き飛行甲板の中央からは、白い人影が這い出て来ていた。
 黒い硬質なリボンで括られた、白いポニーテール。同じく黒いノースリーブのセーラー服と、煤に汚れた白い肌。赤い瞳が弧を描き、砲と連動しているのだろう背部艤装は、巨人のかいなを生やす。
 上空に屯する艦載機は五十を越えるだろうが、数はまだまだ増え続ける。格納庫を空にしてから襲い掛かるつもりなのだろう。


「マイナーLQ、空母Ⅱ型。仮称、装甲空母鬼。この眼で見るのは初めてだな……。提督よ、どうする?」


 強敵の姿を中継器越しに確かめたツェッペリンが、不敵な笑みと共にその名を呼んだ。
 まだ日本国内でしか通じない、桐林と梁島の主観によるカテゴライズ。
 舞鶴事変以降に出現する、イロハ型を大きく凌駕する戦闘能力を持つ個体――おそらく量産型ではない敵艦への呼称は、道を阻む者として皆の意識に刻まれている。
 幾度も海へ漕ぎ出し、鉾を交え、なお討ち果たすことの叶わない、強敵だと。
 だが、桐林は怯む事なく、過度に奮起するでもなく。普段通りに号令を掛けた。


『全艦、戦闘用意。雲龍、天城、葛城。第一次攻撃隊、並びに烈風隊を発艦させよ。以降、第二、第三攻撃隊も順次発艦。防御の事は考えるな』

《了解。艦首を風上に。稼働全機、発艦始め》


 一番槍を任された雲龍が、白髪に緑の雷光を宿す。
 自艦の向きを西北西へと微調整。旗竿に吊るされた巻物――神社幟を解くと、中に描かれた飛行甲板が風に靡く。
 左手で竿を構え、先端を風上に向けたまま、彼女は右手の御札入れを額へ押し当てる。
 雷光が伝播し、ひとりでに宙に浮いたそれからは、式符がズラリと並び出て、神社幟の後端へ。
 同時に、露天駐機されていた流星改が発艦位置へ移動。十分に回転数を上げた所で、神社幟に描かれた甲板上に、二基の光の鳥居が建立する。
 滑り出す流星改と、鳥居を潜る式符の速度が同期。機体が飛び立つのと、式符が流星改を模るのも、全く同じタイミング。
 共に空へ飛翔した二つは、やがて影を重ね合わせ、雲龍の手足となった。
 

《続きますっ。天城航空隊、発艦始め、です!》

《同じく葛城、攻撃隊発進! 全力で行くわ!》


 続いて、攻撃命令を受けた天城、葛城が、鮮烈な光を纏う。
 紅と蒼。
 まばゆい閃光が治まると、二人は揃いの着物を脱ぎ捨てていた。

 雲龍のそれとよく似た、申し訳程度に胸と腰周りを覆う、開口部の多い衣装。
 天城は、背負っていた袋の中身――長柄の神楽鈴と、帯として偽装していた神社幟を組み合わせ、飛行甲板としている。
 シャラン、と涼やかな音が鳴れば、左手首に赤椿色の光が数珠繋ぎとなって現れ、神社幟の上にも同色の光の鳥居が。
 着物が転じた御札入れも光を宿し、長女とほぼ同じ制御スタイルなのが見て取れた。
 飛び立つ機体も流星改であり、一千kg航空魚雷一本、翼下六十kg爆弾四発の重武装は頼りに出来るだろう。

 一方、葛城は艤装からして趣が異なっていた。
 腰の艤装に銃火器の構造体は無く、甲板型の大きな木符が盾のように構えられ、裏には矢型の投擲武器・打根うちねが数本と、構造体の代わりであろう、小型の艦橋型銃器があった。
 甲板模様の手蓋てがいで包まれた左手に梓弓を持ち、手首には、三基の光の鳥居が輪で繋がり、ゆっくりと回転している。
 脱いだ着物は大きな、真四角の白い矢筒に転じ、十万四千度 御祈祷大幣おおぬさという文字の上から、空母葛城神社の御朱印が。
 浮かび上がる矢も大幣を模り、宙にばら撒かれた式符と結合。葛城がその矢尻を鳥居に通し、弓を引いて一拍。放たれた大幣が艦載機へと姿を変える。
 風がはためかせる黒髪は、毛先に蒼い煌めきを宿していた。
 機体は烈風。史実ではついに戦闘配備されなかった名機が、念の為、翼下に二発の六十kg爆弾を爆装して編隊に加わる。

 旗竿、神楽鈴、梓弓。
 神道の祭具を駆使して艦載機を上げ続ける雲龍の三人を横目に、ツェッペリンも指示を待つ。
 程なく、それは秋月型の二人と一緒に与えられた。


『ツェッペリンは艦載機の暖機を続けながら、レーダーでの戦況把握に努めるように。何かあれば逐一報告を。秋月、照月。警戒を厳に。特に潜水艦を見逃すな』

「承った」

《了解です!》

《りょ、了解っ》


 大型ハンドガンのレーダードームを回転させつつ。左舷、右舷に視線を配りつつ。三人はそれぞれに戦闘態勢へと移行した。
 発艦を続ける空母に随行しながら、目視で潜水艦を探すのは至難の技だが、心構えがあるか無いかだけでも、戦意への影響は違ってくる。
 特に照月は、史実において魚雷艇の放ったと思しき雷撃で沈んだという過去がある。縁遠い記憶とはいえ、生死に関わる事柄。眼差しは真剣そのものだ。


『オイゲン、阿賀野。第四警戒航行序列を維持。航空支援を待ちつつ、両舷前進・原速。全砲門、開け』

「了解ですっ。ビスマルク姉様、伊勢さん日向さん、行きましょう!」

「阿賀野も了解ー! いよいよ、阿賀野の出番ねっ」


 桐林の指令はまだ終わらず、打撃部隊、水雷戦隊の複合艦隊に更なる戦闘用意を命じる。
 敵に脅威度の高い空母が居るなら、第三序列――主力の六隻を複縦陣・残る六隻で周囲を囲む輪形陣へ移行するのが適切であろうが、あえて現状維持を選択した。
 被害を厭わずに突き進む……という訳ではなく、航空支援部隊が安全を確保すると確信しているからだ。

 ここで位置関係を整理する。
 まず、桐林艦隊の主力部隊二つは、日本海沿岸からおおよそ百五十海里の海を北西へ進んでいる。
 その三海里ほど後方を航空支援部隊が追従し、現在、西北西へと進路を変えつつ、攻撃隊を準備中だ。
 酒匂が発見した深海棲艦――装甲空母鬼は、主力部隊から更に北西へ、約三十海里ほどに単艦で待ち構える。
 まだ動きは見えないが、航空機同士がぶつかるのは中間地点となるだろう。

 最初に航空戦が行われ、それを潜り抜けた主力部隊が敵艦と砲撃戦。
 理想的な戦闘推移を予想させる配置だが、しかし、桐林の傍らで立ち尽くす香取は、この好機を訝しむ。


「……提督。何か、おかしくありませんか?」

『ああ。数が少な過ぎる。また高速航路で奇襲を掛けるつもりか……』


 第一に、敵の数。
 安全領域を出た時点で、深海棲艦はなんらかの形でその勢力を察知している。
 桐林艦隊だけで十八隻。梁島の海上護衛部隊十二隻も加えると、総数三十隻もの大艦隊。
 そんなものが侵攻してきたならば、少なくとも半数から同数以上で対抗するのが、これまでの通例だ。

 第二に、敵の艦種と位置。
 装甲空母鬼という名の通り、敵艦は空母。
 見た目から大口径主砲の存在は確実だが、魚雷を使用された事は一度も無い。方角も違う。
 なら、あの大型魚雷を放ったはずの敵艦は、どこに居るのか。

 第三に、襲撃のタイミング。
 梁島の艦隊と行動を共にし、ろくに身動きが取れない時ではなく。
 海上護衛部隊が離脱し、桐林艦隊が丸裸になった瞬間でもなく。
 今、このタイミングで攻撃を仕掛けてきた理由は? 注意を引きつけ、側面から奇襲するにしても御粗末だった。

 どう考えても、敵に踊らされているとしか思えない状況だ。
 けれど、対応しなければ主力が損害を被る。ひたすら警戒しつつ、相手の出方を見るしかないのだ。
 桐林の感じている歯痒さが、装具越しにも伝わる。
 そんな時、調整室に唐突な警報が鳴り響いた。


「計器に異常! 提督、“アレ”が来ます!」

『ち……っ、全艦に告ぐ。機関一杯、隆起物に注意し、動き回れ!』


 直ぐさま栞奈が報告を上げ、桐林の声に焦りが滲む。
 同じ頃、勧告の向けられた戦闘海域でも、周辺環境に異常が見られ始めていた。
 ズズズ……と、腹の底に響くような振動。
 空気を伝わる物とは違う。その振動は、船体と密接する流体から――海水から伝えられている。
 阿賀野やオイゲンなど、栞奈の言う“アレ”を経験済みの艦は、指示に即応。隊列が崩れるのも構わず、出鱈目に舵を切っていた。
 少し遅れて、今回が初出撃のツェッペリンと照月も機関出力を上げるのだが、彼女たちも、桐林の焦り様が然るべきだと、直後に思い知る。
 何故ならば、船体を掠めるように、突如として、海面から大きな岩が隆起したからだ。


「な、なんだ、これは!?」

《えっ、えっ? 何? 秋月姉、何が起きてるの!?》


 それも、一つや二つに留まらない。
 数十秒前に艦が存在した場所、これから艦が進むであろう場所、全く何も無い場所からも、剣山の針は突き出す。
 慌てふためく照月たちを宥めようと、秋月がこの現象を説明する。


《敵が引き起こす、局所的な地殻変動よ。動いていれば問題無いけど、止まってると串刺しにされちゃうから、ツェッペリンさんも照月も、とにかく動いて!》

《う、うんっ》

「了解だっ。……しかし、なんという光景だ」


 通り過ぎる隆起岩礁を眺め、ツェッペリンは驚嘆の吐息を漏らした。
 時間にして五分足らず。
 たったそれだけで、桐林艦隊は千々に分散させられ、支援部隊からは主力部隊の姿を目視する事すら不可能になってしまった。
 上空の味方 航空機を通じれば、まだ互いの位置は把握できるものの、合流は絶望的であるという現実を見せつける。
 幸い、支援部隊は編成を維持しているが、主力部隊と水雷戦隊は完全に引き離され、更にビスマルクとオイゲンが、別々に孤立してしまっていた。
 岩礁が間を区切り、近づこうにも近づけない。

 夕雲、長波が艦内から上甲板前部へ向かい、隆起現象の鎮静を確認。
 唯一の元凶に思い至り、夕雲は重々しい声で呟く。


《提督。これが起きるという事は……》

『ああ。“ヤツ”が居る』

《っへへ、なんだい。今日は重役出勤じゃないか。偉くなったもんだ》


 阿賀野たちの水偵から情報を引き出した長波が、見慣れてしまった船影を見つけ、不敵に笑う。
 ビスマルクとオイゲンを除く主力部隊のエリアに、雷巡チ級 旗艦種が一、軽巡ヘ級 選良種が一、同ホ級が一、駆逐ニ級 選良種が三、同ハ級 選良種が二。
 ビスマルクが単艦で取り残されたエリアには、戦艦ル級 選良種が二、新型の重巡ネ級 選良種が一。
 オイゲンの居るエリアにもネ級が存在したが、こちらは通常種であり、ネ級が量産型であることを示している。他に重巡リ級一、軽巡ト級二が待ち受ける。
 水雷戦隊が固まったエリアは迷路の如く入り組み、軽巡ヘ級 旗艦種が一隻と、駆逐イ級 選良種二隻が個別行動を取っているようだ。
 岩礁と共に涌いたとしか思えない敵の出現は、しかし長波を武者震いさせる原因ではない。

 岩礁地帯から北東北へ十海里の地点に、いつの間にか現れた一隻の影。
 装甲空母鬼や、他の深海棲艦と異なり、上下・左右・前後。どこを見ても鋭角な黒いシルエットだった。
 例えるなら、角を天に向け、細長い八面体の巨大鉄鋼をそのまま浮かべているような、常識的に考えてあり得ない船。
 だが、不意に八面体が“開く”。
 まるで花が開くよう、四枚の三角形は海面へ向かい、五面体へと変化する。内に覗いたのは、瓦礫の山と見紛う上部構造だ。
 そして、本当に船なのかと疑いたくなるそれの上で、鉄屑のベッドから身を起こす、白い少女が一人。


《バカ……メ……。ヤクタタズ ドモ……メ……。コンド コソ……シズンデ シマエ……!》


 白い髪。白い肌。白地のフード付きパーカーに白いブーツ。
 黒いレザーの手袋を着け、引き締まった脚を包むサイハイは、右が純白、左が灰色と白のストライプ模様になっている。
 額には黒鉄の鉢金を巻いており、左右で長さの違う角の装飾があった。

 ここまでなら人間と呼べる範疇だが、“それ”を怪異と判別せざるを得ない特徴が他にも見られる。
 橙光を宿す両眼と、腹部から這い出る二本の触手だ。
 特に触手は、加工されたゴムのような鈍い光沢を放ち、ナメクジの触覚に似た二本の砲身と、人間を一飲みに出来そうな口を、それぞれが有する。
 触手の本数も、着ているパーカーの色も違うが、“それ”は非常に似通っていた。
 舞鶴事変の中で、最悪の敵として立ちはだかった存在と。
 桐林の拳が、硬く握られる。


ライトキスカ・タイプLight Qisxa Type、重巡型。仮称、重巡棲姫。……今度こそ、決着をつけてやるぞ……!』


 何度も大破まで追い込みながら、逃げられた。
 大破させられた艦を守りながら、何度も撤退した。
 装具に阻まれ、表情の変化は窺い知れないが、彼の声は、尋常ならざる熱量を孕む。

 戦いの火蓋が、ここに切って落とされた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





《や、やっと治まった……? こんな、こんな事が出来るなんて……っ》


 同じ頃。隆起現象から逃げ切り、隊列へ復帰した照月は、周囲の光景に戦慄を禁じ得なかった。
 遮る物など何も無かった海が、今や小高い岩礁たちで埋め尽くされている。敵を侮るつもりはなかったけれど、まさか、これ程の天変地異まで引き起こすとは。
 ……本当は作戦会議中に説明されていたのだが、緊張しきりだった彼女の耳を素通りしてしまったようだ。
 ともあれ、状況は切迫している。
 隆起の影響を受けなかった、上空の攻撃部隊からの視界を得るツェッペリンも、狼狽を隠せない。


「これは……Admiral、艦隊が分断されているぞ!」


 支援部隊の近くでは、隆起岩礁は個々に乱立するだけだったが、少し距離が離れると状況は一変した。
 まるで行く手を遮るように、岩礁が隙間無く立ちはだかっているのだ。
 まちまちな高さ。しかし幅は数十海里にも及び、回り込むには時間が掛かり過ぎるだろう。

 現在、戦場は大きく四つのエリアに分けられ、順に北西から南東へ区切られる。
 北西に位置する装甲空母鬼と、北東北に位置する重巡棲姫が傍観を続ける第一エリア。
 阿賀野たち水雷戦隊が閉じ込められた、岩礁の密集する第二エリア。
 オイゲン、ビスマルク、伊勢型二隻に駆逐艦二隻と、寸断された主力打撃部隊が惑う第三エリア。
 そして、航空支援部隊が居る第四エリアである。
 装甲空母鬼たちと第二・第三エリアとの距離はかなり開いており、まだ触接までに余裕がありそうだ。
 逆に第二・第三エリアと第四エリアは近く、支援も可能と思われる。
 しかし、第二エリアは岩礁で完全に囲まれ、水雷戦隊の脱出経路が見当たらない。敵艦も三隻と少ない事から、優先順位は低いか。

 雲龍たちは、岩礁で乱れた風を考慮し、針路を西南西へ変更。中断していた艦載機の発艦を再開している。
 空母が主役である為、大きな影響は無いが、問題は他の部隊だった。


「プリンツ・オイゲン、報告しますっ。海底隆起により、打撃部隊は散り散りです! 私とビスマルク姉様が、それぞれ孤立状態で――わぁ!?」


 敵艦の猛攻から逃れようとするオイゲンが、至近弾の水飛沫を浴びながら現状を報告する。特に劣勢なのはこの第三エリアである。
 岩礁の隆起に上手く誘導されてしまった彼女たちは、先程から言っているようにオイゲンとビスマルクが孤立し、数の暴力に曝されていた。
 不幸中の幸いか、第三エリアを三等分する岩礁の密度は低く、慎重に進めば合流も可能だろう。
 伊勢、日向が先頭に立って救援に向かおうとしているけれど、敵もそれを理解しているのか、隙間を塞ぐように移動したり、雷撃で針路を塞いだりと思うようにいかない。


「あ、阿賀野も報告ー! 敵が、敵があっちこっちに隠れてて、現在進行形で襲われてるのーっ!」


 ある意味、単純明快な水上戦闘が行われている第三エリアに対し、第二エリアでは阿賀野たちが酷く困惑していた。
 比較的背の高い岩礁が壁のように立ち並び、しかも間隔は五十mほど。夕雲型を間に挟んだ複縦陣で進むのがやっとの狭さだ。
 壁といってもやはり岩礁で、所々に数mの切れ目があるのだが、そこから不意に砲撃を受け、混乱を助長する。敵は数の少なさを逆手に取り、遊撃を行っているのである。
 十字路などを利用して、移動しながら二機目の零観をカタパルト射出、空からの視界は確保しているけれど、三十kg爆弾では駆逐艦すら倒せない。
 桐林を介してこれらの情報を得た日向たちが、露骨に顔をしかめた。


《どうやら、各個撃破を狙っているようだな》

《ちょっと不味いんじゃない、これってば。提督、瑞雲の発艦は?》

『許可する』

《僕たちにも情報を流して貰えるかな。オイゲンたちの状況を把握しておきたいから》

《やられたわね……。完全に油断していたわ》


 許可を得た伊勢、日向がさっそく左腕の航空甲板を水平に。
 すると、実艦の航空甲板でエレベーターが稼働し、爆装を済ませた瑞雲が姿を現わす。
 敵 軽巡たちの砲撃が水柱を立てる中、運搬軌条を辿ってカタパルトへ乗った機体は、火薬の炸裂により速やかに射出された。
 一機を一分間で。二隻同時なので単純に倍加し、分速二機の割合で瑞雲が飛び立ち、編隊を組む。

 辛うじて膠着状態を維持する戦場。
 香取がディスプレイ越しに、手に汗握って推移を見守り続ける。声を発する事すら躊躇われる緊張感があった。
 と、そんな時、攻撃機の準備に勤しんでいるはずの雲龍が、桐林を呼ぶ。


《こちら雲龍。艦載機の発艦を続けています。が、南方より急速接近する艦影有り。敵 水雷戦隊かと》

《天城、第一攻撃隊は準備完了。間も無く、第二攻撃隊も準備が整います。……如何いたしますか?》


 桐林が意識を向けると、上空で待機する機体の視界に、確かに影が見える。
 距離にして十海里。ほぼ真南から急速接近するそれは、軽巡ヘ級、軽巡ホ級、駆逐ロ級二隻。いずれも通常種から成る水雷戦隊だった。
 高速航路を利用しているのだろう。異様に速度が速い。
 稼働状態にある攻撃隊を用いれば問題無く対処可能だが、そうするとオイゲンたちの支援が不足となる。
 逆に、このまま攻撃隊を支援に向かわせると、雲龍たちに雷撃が見舞われてしまう。
 守るべきはどちらか。天城の問いに、桐林は迷いなく答える。


『雲龍、天城、葛城はそのまま攻撃隊を発進。打撃部隊の援護を優先せよ』

《えええっ!? それじゃあこっちの守りはどうするのよ!? 何か考えがあるんでしょうねっ》

『落ち着け葛城。当たり前だろう。ツェッペリン、行けるな』

「うむ。攻撃隊、発艦始め! 蹴散らすぞ!」


 葛城の悲鳴にも冷静に対応し、いよいよ、指示を待ち続けていたドイツ空母に呼びかける桐林。
 ビスマルクたちの直掩に向かう攻撃隊をニヤリと見上げ、彼女は艦橋前から一歩前へ。
 腰に提げていたポーチから、艦載機の描かれた金属カードを取り出すと、背中の飛行甲板を展開。裏側のスロットに差し込む。
 ミニチュアエレベーター下部に位置していたそれは、実艦の電動エレベーターと同期しており、同じタイミングで描かれていた機体――彗星二二型を、発艦用トロリーバスに乗せて押し上げる。
 これは、彗星一二型の機体強度を上げ、伊勢・日向のカタパルト射出に耐えうるようにした機体である。胴体爆弾倉と両翼下に、計三発の二百五十kg爆弾を爆装していた。
 本来、エンジンを金星六二型へと換装した陸上爆撃機型――彗星三三型の爆装仕様だが、制限だらけだった戦時中とはエンジンの駆動効率もまるで違うため、継戦能力を考慮しての爆装だ。
 伊勢たちに搭載しなかったのは、単純に数が少なく、ツェッペリンの方が効率良く扱えたからである。

 トロリーは軌条に沿い、二基あるカタパルトの左側始点まで前進。ややあって、圧縮空気がスライドウェイと彗星を急加速、空へ飛び立たせた。
 その後、トロリーも可動域の終端まで移動し、スライドウェイがカタパルト軌条内へ戻り、牽引ケーブルが外れるのを待ってから、使役妖精たちの手動により、回収用プラットフォームを介し上部格納庫へと戻る。
 これを一つのサイクルとし、インターバルを置いて繰り返すこと八回。わずか四分ほどで彗星が編隊を組み、敵 水雷戦隊に向かう。


《提督、私たちは……?》

『秋月、照月は隊の左前方へ。ツェッペリン攻撃隊が撃ち漏らした場合は、敵 水雷戦隊が目視距離に入り次第、砲撃戦へと以降せよ。雷撃位置へ移動させるな。細かい対応は、秋月に任せる》

《了解しました。行きましょう、照月》

《う、うんっ》


 続いて、駆逐艦二隻への指示が下り、輪形陣の両翼から、秋月と照月が隊列の南に。
 艦首を東へ揃え、襲撃に備える。

 味方の水雷戦隊が居る第二エリアでも、駆逐艦たちが奮闘を続けている。
 敵がするのと同じく、中継器から零観の視界を得て、岩礁の隙間を縫って擦れ違いざまに砲撃。
 ヘ級 旗艦種に命中弾を出すが、夕雲の砲弾は局所的な力場障壁で阻まれた。


《く……っ! やっぱり硬い、雷撃に賭けるしかなさそうねっ》

《とは言え、こう隆起岩礁が多くちゃ、身動きするにも一苦労だな。こんのぉっ!》

《ぴゃーっ!? し、至近弾ー!》


 夕雲の対面へ砲を向ける長波も、タイミングを計ってイ級 選良種へ砲撃するが、こちらは命中せず。逆に複縦陣後方の酒匂へと至近弾が放たれた。
 相手が一枚上手なのか、阿賀野たちの射線が通らないタイミングを選ばれているようだ。もどかしい戦闘が続く。

 一方で、ビスマルクとオイゲンは苛烈な攻勢に耐え忍ぶ。
 持ち前の高速力と、三軸推進による操艦性、速度の緩急を活かし、選良種のル級二隻とネ級の砲撃をいなすビスマルク。
 上空を飛ぶAr196改が、同航戦を維持する敵艦上の統制人格を捉えている。
 両腕に盾型砲塔を構えたル級はいつも通りの姿だが、ネ級は重巡棲姫と同じく、腹部に二本の触手砲塔を有する。口こそ無いが、こちらは三連装砲を模していた。
 白い短髪。口元までを覆う黒いタイ。螺旋模様のオーバーニーは、ビスマルクは知らない事だが、鈴谷、熊野のそれと似ているようにも……。

 オイゲンと敵艦は一直線に並び、追い縋るネ級、リ級の砲撃を回避しながら、回り込もうとするト級二隻を第三・第四砲塔の砲撃で牽制。とにかく逃げ回る。
 よほど焦っているのか、砲の狙いは甘く、顔を冷や汗が伝う。


「姉様、姉様っ! 大丈夫ですか!?」

《そんなに慌てないの、オイゲン。この程度、ジョージやロドネイに囲まれた時と比べれば、なんて事ないわ!》


 焦燥感に叫ぶ妹分を、もっと酷い状況に置かれるビスマルクが宥めた。
 戦艦二隻と重巡一隻。
 これだけでも十分に危機的だが、史実において“戦艦ビスマルク”は、最初で最後の航海となったライン演習作戦の結果、太平洋に展開していた英国大艦隊を差し向けられた歴史がある。
 空母ヴィクトリアス、アークロイヤル。駆逐艦コサック、マオリ、シーク、ズールー、ピオルン。戦艦キング・ジョージ五世、ロドネイ。重巡洋艦ノーフォーク、ドーセッシャー……。
 様々な艦艇に数日掛けて追い詰められ、嬲られた記憶と比べれば、まだ希望はあった。
 いや、あると強がらなくては、最悪の結果が待っている。


《フフフ……。アキラ、メロ……。キサマラ ニハ、テツクズ ノ スガタ ガ、ニアイ ダ……》


 広大な海を跨いで、重巡棲姫の声が皆へ届く。
 嘲笑。
 双胴棲姫とは違い、明確な意思の下に発言しているが、呼び掛けても対話は成立しないと判明している為、誰も返事はしない。
 装甲空母鬼の艦載機群も、いよいよ前進を始めた。
 このままでは重巡棲姫の言葉が現実となるだろう。
 このまま、手をこまねいていたなら。
 桐林はそれを許すほど愚かではなかった。


『疋田調整士、準備を』

「えっ? ま、まだ早過ぎるのでは……?」

『準備だけだ。まだ使わんが、いざという時に使えないのでは意味が無い』


 呼び掛けられると、調整室の栞奈は驚いた顔で桐林を振り向く。
 まだ戦端が開かれて三十分と経っていない。これまでになく早い使用決定に戸惑っているのだ。
 しかし、彼の言い分も尤もであると判断したようで、すぐさまコンソールへと向き直り、彼を通じて統制人格たちに決定を伝える。


「……了解しました。全艦に通達。これより、艦隊は準 霊子戦闘態勢へ移行します。繰り返します。艦隊は準 霊子戦闘態勢へ移行」


 戦場に身を置く少女たちの顔が、一瞬、様々に変化して、また引き締められた。
 勧告と同時に、調整室の床が音を立てて開く。
 隠されていたのは、人間が余裕で入るほど大きなロッカーケース。油圧によって起き上がり、桐林の身体と平行した位置で止まる。
 それが自動で展開すると、中には上半身部分が欠損した部分鎧が納められていた。
 ロッカー自体にマニピュレーターが備わっており、これも自動で展開。桐林へと瞬く間に装着していく。
 機密され、指の一本まで隙間無く覆われたその姿は、まさしく甲冑を纏ったように見えた。


冷却服Radiator Suitの装着を確認。音声認証を願います。どうぞ」


 計器からのサインを確認。続けて栞奈が呼び掛ける。
 一時的に同調率が高まり、意思を統一した十九人が、声を重ねる準備を。
 まずは能力者と旗艦三名。桐林、阿賀野、オイゲン、ツェッペリン。


【色は匂えど】


 コンマのズレも許さない音声認証システムが、一段目のロックを解除する。
 後半を読むのは、あらかじめ三人ずつに振り分けられたグループ。


【散】
【り】
【ぬ】
【る】
【を】


 雲龍、ビスマルク、能代が。
 天城、伊勢、矢矧が。
 葛城、日向、酒匂が。
 秋月、レーベ、夕雲が。
 照月、マックス、長波が。流れるように既定文言を歌い上げる。
 二段目のロックも速やかに解除され、甲冑姿の桐林を宙に浮かべる調整室は、低い唸り声を上げ、あるシステムを稼働させた。
 目に見えないものの、彼が左眼を開けたという証拠だ。


「確認しました。補助システム起動。稼働限界は待機状態で四十分。実働二十分です。……御武運を」


 ディスプレイ端に表示されたカウントダウンを示し、栞奈は沈痛な面持ちで画面を見つめる。
 気付けるはずもないツェッペリンが、やや興奮気味に問う。


「これで、例の“力”とやらが発動したのか? 特に変化は感じられないのだが……」

『後で嫌でも分かる。触接を急げ』

「……了解した」


 少々ぶっきらぼうに返され、どことなく不満気に目を細める彼女だったが、今はそんな時ではないと気を取り直す。
 噂に聞いた、人類の中で桐林と梁島だけが持つ、霊子力場を発生、操作する特異能力。
 戦闘能力を格段に上昇させるらしいが、桐林が言ったように準備を整えただけで、まだ使うつもりはないようだ。
 けれど、同じ類いの“力”を宿す重巡棲姫はそれを悟ったのか、嘲りを深く。


《フフフ……。ムダナ コトヲ……。サァ……ヤッテシマエ……!》


 瓦礫の山から、比較的に平面を保つ甲板……らしき場所へ降りた重巡棲姫が、愛犬を撫でるように触手の肌を確かめた。
 ギシリ、ギシリ、と歯軋りが聞こえ、ほんの一時、悪鬼は可憐な花と変じる。
 が、右腕を掲げる頃には枯れ果ててしまい、応じた装甲空母鬼が、ビスマルクたちに肉薄せんと航空機を加速させた。
 触接まで、おおよそ十分。


《やらせはしない。天城、葛城。行くわよ》

《はい! 天城航空隊、お願いしますっ》

《格闘戦の練度なら、こっちも上がってるんだから!》


 対抗する雲龍たちの烈風が、流星改を置き去りにして第二・第三エリアの上空を駆け抜ける。
 オマケとばかりに、ビスマルクとオイゲンを追いかける敵艦へ六十kg爆弾を水平投下。命中こそしなかったものの、わずかに注意を逸らす。
 また、投下により空気抵抗が減ったおかげで、僅かだが速度も向上し、時速六百kmを超える速さで敵機に向かった。


『ビスマルク。どのくらい凌げる?』

《さぁ……っ? 一時間か、二時間か……。
 脚を殺されない限り、持ち堪えてみせるわ!
 ワタシの方はいいから、先にLQ二隻をお願い!》

『……雲龍』

《先に装甲空母鬼を仕留めれば、空を気にする必要も無くなる、か。了解したわ》

《ビスマルクさん、どうか御無事で……!》

《後味悪いから、沈んだりしないでよ? 絶対にだからね!?》


 味方の援護が近いと分かったからか、ビスマルクは軽口で桐林へ返した。
 イギリス海軍に破られた時は、フェアリー・ソードフィッシュという傑作雷撃機の航空魚雷を艦尾に受け、身動きが殆ど取れなくなった事が原因でもある。
 水上艦相手なら決して沈まないと、彼女は言い切ったのだ。
 過言でないと、これまでの戦闘経過が証明しているが、だからと言って放置など出来よう筈もない。
 雲龍型の第一攻撃隊――烈風 三十機、流星改 二十七機を装甲空母鬼に。第二攻撃隊――流星改 二十一機を重巡棲姫へと向かわせながら、桐林はオイゲンに意識を向ける。


『オイゲン。合流は不可能か』

「やって見せます! ……もうっ、邪魔しないでっ!!」

《オイゲン、落ち着いて下さい》

《そうだよ。照準を焦ったら、いくらドイツ製でも当たらないよ》


 彼女は苛立たしげにト級の雷撃を回避、らしくない恨み言を吐く。
 マックスとレーベの声も、届いているかどうか。
 事態を重く見た桐林が、たった今、駆逐ハ級とニ級を一隻ずつ撃破した航空戦艦を呼ぶ。


『伊勢、日向』

《分かってますって。瑞雲を先行させてるわ》

《本当なら、艦載機を放って突撃……したい所だが》


 ようやっと纏まった数になった瑞雲隊は、状況把握の為の数機を残し、指示を受ける前にオイゲンたちの援護を始めていた。
 六機ずつの編隊二つが、間を置かず、ビスマルクとオイゲンを追う敵艦に襲い掛かり、二百五十kg爆弾を垂直投下する。
 結果、オイゲン側のト級二隻を大破せしめるけれど、ビスマルク側の三隻にはまるでダメージを与えられない。戦艦級と新型重巡の力場障壁は、伊達ではないようだ。

 第三エリアが一進一退を繰り返す間、第二エリアの戦況も、徐々に変わりつつあった。
 幾度目かの至近弾を受け、服に穴を開け始めた阿賀野が泣き言を並べる。


「きゃっ!? あーん、もうやだ、提督さん助けてぇー!」

《阿賀野姉、しっかり! まだ直撃弾は貰ってないんだからっ》

「でもでも能代ぉ、このままじゃ私たち、何も出来ないままやられちゃうよー!」

《厄介ね。敵の位置は把握できても、射線が取れないんじゃ意味が無いわ》


 酒匂の隣で最後尾を固める矢矧は、零観からの情報を確かめながら呟く。
 自身の配置も、敵の配置も。鳥の視点があれば完全に把握できる。
 しかし、敵は単艦故の小回りを活かして動き回るが、複縦陣を組む阿賀野たちはそうはいかないのだ。
 ならば隊を分ければ良いのだろうが、そうなったら逆に集中攻撃を受ける可能性が出てくる。危険を犯すには、まだ何もかもが足りない。
 夕雲が使役妖精を肩に乗せ、悩ましく眉をひそめた。


《敵は見える。しかし射線が通らず、まともな砲撃は不能。もちろん雷撃も。手詰まりですね……》

《っかぁー! 一方的にヤられるなんて冗談じゃないっ! こうなったら山なりに魚雷でもブン投げて!》

《な、長波ちゃん、落ち着こうよぉ~……。いくら私たちでも、投げられるのは爆雷くらい――》

《あら。酒匂さん、いいアイディア。それで行きましょう》

《は?》

《え?》


 狭苦しい海路と戦況が相俟って、長波に短気を起こさせるも、夕雲は酒匂の言葉に光明を見出す。
 小首を傾げる酒匂と、冗談だったんだけど? なんて言いたそうな顔の長波。


《うふふ。嵐さん直伝の“アレ”、試してみる価値はあるんじゃないかしら?》

《……おぉ! “アレ”か! 確かにこの距離なら……。イヤ無理だろ!? 岩壁が邪魔だし、そもそも相手の脚が止まってないと……》

《そこは、戦術と腕で補いましょう? その為にも、まず……》


 くすり。口元に手を添え、上品な微笑みを浮かべる彼女が、空を見上げて行動指針を示す。
 視線が射抜くは、ヘ級 旗艦種が制御する、敵 水偵。
 増設された対空機銃の群れが牙を剥く。


《上から覗き見している悪い子を、追い払わないと!》

《よく分かんないけど、対空戦闘なら酒匂に任せてー! これだけは昔やった事あるんだ! 当たらなかったけど!》

《ホントに大丈夫かよぉ……?》


 対空射撃を始める夕雲に、酒匂の八cm連装高角砲が追随。長波も二十五mm三連装機銃、同連装機銃、単装機銃を駆使するが、なんとなく間の抜けた空気が漂う。
 一度、高度を上げて退避する敵 水偵は、けれど支援を続けるため、夕雲たちの上を旋回し続ける。
 終わる気配を見せない戦いが、皆を疲弊させ始めていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 乱舞する航空機と、入り乱れる艦船たちを五感で感じながら、強速――約十五ノットで進む重巡棲姫は苛立っていた。


(オマエハ、ナンダ……? ナゼ、アキラメナイ……?)


 戦闘の進み具合いがイマイチという事もあったが、不快感の理由は別にある。
 ヒトカタ共の向こう側に居るであろう、分霊を飛ばす者。
 親しみすら感じられる“それ”が、ただ戦えと命じられた重巡棲姫の、幼い心を掻き乱す。


(イライラ、スル……ッ)


 “母”に従い、戦った。
 何度も撃たれ、何度も撃った。沈めはしなかったが、仲間を沈められた。
 その中で、驚きや侮蔑、悲しみ、恥辱、怒りを知った。
 だが、知れば知るほど分からなくなる。

 何故“それ”の使うヒトカタは、こんなにも“濃い”のか。
 何故“それ”の分霊は、あんなにも苦しみに喘いでいるのか。
 何故“それ”の分霊は、あんなにも苦しみながら向かってくるのか。
 何故、“それ”と繋がっているはずのヒトカタ共は、気付いてやらないのか。


(ワタシ ナラ……。ワタシ、ナラ?)


 何か、おかしな事を考えようとしていると、擬似感情を宿す触手の頬擦りで悟り、重巡棲姫が首を振る。
 この依り代は戦う為だけにある。
 この知性は戦略の為だけにある。
 この心は憎悪する為だけにある。
 それ以外の機能など、持ってはならない。

 ――モッテシマエバ、ワタシ ハ。


(ニクメ、ニクメ、ニクメ……! ソレデ、ヤット……!)


 深く、深く、深く。
 己へと暗示を掛け、重巡棲姫は“敵”を睨む。
 それが……。それだけが役目だと、硬く信じて。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





(みんな、頑張ってる……。私がしっかりしなきゃ、みんなに迷惑が掛かっちゃう。ちゃんと、戦わなくちゃ!)


 ツェッペリンから雲龍攻撃隊の視覚情報を引き出し、そうとは知らず、重巡棲姫と同じ光景を見つめる照月が、密かに決意を固める。
 待つことしか出来ないのはもどかしいけれど、周辺の警戒も怠れないので、全く気を抜けない。
 そうこうする内、ツェッペリン本人の得る視覚情報に変化が現れた。
 彗星の遥か遠方。高速航路に乗っているらしい、異常な高速で進む四隻の影。


「見えた。敵 水雷戦隊を発見。これより攻撃態勢に入る。前進Vorwärts!」


 獲物の存在を嗅ぎ取り、臆する気色もなく機体を推し進める。
 腐っても二百五十kg爆弾。当たり所にもよるが、上手く使えば数を温存する事も可能だろう。腕の見せ所だ。
 と、微かに笑うツェッペリンに対し、桐林が割り込む。


『ツェッペリン、烈風を緊急発進。一四○○から敵 艦載機群が来る』

「――何っ!?」


 彼女の脳裏へ差し挟まれたのは、レーダーが得た情報を視覚化したもの。
 東にそびえる岩陰に紛れた、山椒魚のような外見の敵 空母――ヲ級 選良種の姿と、海面スレスレを疾走する、敵の爆装重視型航空機が見えた。


「どういう事だ。さっきまで影も形も……」

『高速航路で隆起岩礁の影を移動したか、新しく湧いたか。どちらにせよ対応は必要だ』

「了解した。全く、忙しいものだな……!」

『秋月、照月。対空戦闘用意』

《了解!》

《りょ、了解っ》


 ツェッペリンは予め用意していた戦闘機、烈風をカタパルトで撃ち出し、秋月型二名が凛々しく、躊躇いがちに主砲塔を稼働させる。
 予定外の敵増援だが、想定内ではある。十分、対処できるだろう。
 その傍ら。ビスマルクたちを追い越して、第一エリアに差し掛かった雲龍型攻撃隊も、敵機を捕捉した。


《こちら雲龍。間も無く空母棲鬼の艦載機群と接敵予定。例の新型が含まれている模様。留意して》

「新型? 確か、球状の航空機だったか」

《はい、そうですツェッペリンさん。とても機動が読み辛いので、複数機で当たらないと……》

《オマケに硬いのよねぇ……。キチンと狙わないと二十mm機銃でも弾くなんて、冗談じゃないわ》


 敵機の群れは、遠目に見てもそれと分かる球状をしていた。
 双胴棲姫戦で見られた仮称 飛行要塞を大幅に縮小したような外見で、ヒレを模した短い主翼を持ち、赤光揺らめく眼孔が穿たれている。
 通常の艦載機と七対三の割り合いで混ざっており、精鋭機であるという印象が強い。
 事実、眼孔や開口部を狙わねば、鏡面装甲が二十mmの銃弾を容易く弾いてしまう。やり辛い相手だ。

 そして、新たな脅威が続々と出現する中、ビスマルクも追い詰められていた。


《ぐぅ……! 当ててくるわねっ、攻撃する暇が無い……!》


 重巡棲姫の号令で本気を出したか、赤黒い霊子を纏ったル級とネ級の砲撃が、至近弾を連発。確実なダメージを蓄積させている。
 円を描くように回避行動を繰り返し、直撃弾を貰っていないのが奇跡に近い現状で、電気系統や計器にも不具合が出始めてた。いつ致命傷を負っても不思議ではない。
 瑞雲でル級たちに肉薄。注意を逸らそうと試みていた日向が、ビスマルクの劣勢を悟り歯噛みする。


《不味いな……。ビスマルクが保たないぞ》

《こりゃあ、こっちも二手に別れるしかなさそうね。敵 軽巡は私たちが始末するから、レーベとマックスはまずオイゲンちゃんを援護して。然るのちに――》

「いいえ、伊勢さん。わたしは大丈夫ですから、二人はお姉様の方へ!」

《何を言ってるのさ!? いくらオイゲンでも、多勢に無勢だよ!》

《そうですっ。むざむざ死なせるような真似、出来る訳がっ》


 隊を分けようと指示を出す伊勢に、敵 重巡と二対一で渡り合うオイゲンが口を挟む。
 ヤケになったのかと、レーベとマックスが悲痛な叫びを上げるも、彼女は朗らかに笑って。


「大丈夫。本当に危なくなったら提督が助けてくれる。あの人が後ろに居る限り、わたしは絶対に沈まない! ……信じて?」


 急速回頭。重巡二隻に反航戦を挑む姿からは、自暴するような気配は微塵も感じられない。
 無論、強がりも含まれての事だろうが、今は一分一秒が惜しい状況。レーベは信じて背を向ける。


《……うん。すぐに、ビスマルクと一緒に戻って来るから!》

《ご自身の発言には、責任を持って下さいね。嘘になったら承知しませんよ》


 後を追い、マックスも艦首を岩礁の隙間へ。
 当然のように、チ級 旗艦種を始めとする六隻の水雷戦隊が妨害しようとするが、立ち塞がるように伊勢、日向が砲撃。軽巡ホ級、駆逐ニ級を一隻ずつ仕留めた。
 引き換えとして、残る駆逐級二隻から直撃弾を受けたが、戦艦の装甲は破れない。


《悪いけど、ここから先は通行止めよ》

《どうしても通りたければ、押し通るといい。……通れるものなら、な》


 チ級 旗艦種、ヘ級選良種が、ニ級を伴い二手に分かれる。
 航空戦艦たちは、追いながら残していた瑞雲を全て発艦。少しでも早くオイゲンたちの増援に向かおうと、全力で叩くつもりなのだ。
 中継器でその様を感じているオイゲンも、決して無謀な行動は取らず、砲撃で牽制するに留めていた。


「まだ……。まだ提督に頼るのは早い。それまでは、生き延びるのが最優先……。あの戦いを切り抜けた、このプリンツ・オイゲンを、甘く見ないでね!」


 リ級、ネ級の攻撃タイミングを読み、先んじて砲撃。
 至近弾で無理やり照準を外させるという高等戦術を駆使し、オイゲンは継戦能力を遺憾無く発揮する。
 ドイツ海軍が展開した主要作戦の殆どに参加し、終戦までその身を維持できたのは、確かに幸運だった事も絡むだろうが、決して、幸運だけで生き延びた訳ではない。
 少なくとも、少女の身と成ってまで戦い続ける彼女に、道半ばで諦めるという選択肢は無かった。

 だが、奮闘するドイツ国籍艦たちの裏で、戦況は確実に傾き始めている。
 それが顕著なのは、阿賀野型率いる味方 水雷戦隊が逃げ惑う第二エリアだ。


「ううう、なんで当たらないのー! ……あいたっ!? お、お腹擦ったぁー!?」

《阿賀野姉、落ち着いて。あまり速度を出さず、慎重に行きましょう》


 自らの上をウロチョロする敵 水偵へと砲撃を加えつつ、ヘ級 旗艦種、イ級 選良種二隻の包囲から脱出を試みるが、狭過ぎる道筋が災いして、バルジを岩礁に擦ってしまう阿賀野。
 いつもの如くアワアワする姉に対し、能代は比較的冷静なまま対処しているが、やはり声音に焦燥が滲む。
 これが初めての戦闘でもなければ、追い詰められ、大破した経験だってある。
 しかし、命を賭けたやり取りに慣れるはずもなく、忍び寄る“死”の気配が、汗を握らせていた。
 複縦陣後方の三女・四女も同じはずなのだけれど、不意に矢矧は、酒匂がジッと空を見つめているのに気付く。


《酒匂、どうしたの? 砲撃が止まっているけど……》

《あ、うん……。なんだか、動き方にパターンがありそうな気がして……。もうちょっと見てて良い?》

《なるほどね。分かったわ、そのまま観察を続けて。夕雲、長波。そっちは問題ない?》

《あまり芳しくありません。お気付きですか? 先程から、段々と追い込まれているように感じます》

《ってか、かなりヤバいぜ。先回りされて魚雷でも撃たれてみろ、躱しきれん。タイミング合わせてドラム缶でも撒けば防げそうだが、あいにく持って来てないし……》


 膠着した戦況。何か一つでも突破口が欲しくて、矢矧は酒匂の行動を止めないが、危機は間近に迫っていた。
 複雑に入り組んだ岩礁壁の迷路を、零観から見下ろす事で、敵艦と鉢合わせしないよう進んでいる阿賀野たち。
 けれど、少し前から明らかに待ち伏せしたり、岩礁壁自体を攻撃して崩落させたりして、移動先を誘導されているようにも思えるのだ。
 もし、万が一にも丁字有利を取られ、その状態で雷撃された場合、彼女たちに逃げ場は無い。確実に、やられるだろう。


「提督さん……。阿賀野たち、大丈夫だよね……?」

『………………』


 敢えて悪い言い方をするなら、何も考えていないような気楽さが特徴の阿賀野ですら、不安から桐林を呼ぶ。
 彼は答えない。
 皆の行動が的確で、指示を出す必要が無いからだろうか。それとも……。
 視点は第四エリア。残った圧縮空気を全て使い果たし、十機の烈風を編成したツェッペリンに移る。


『ツェッペリン。攻撃隊をこちらで預かる。ヲ級との格闘戦に集中してくれ』

「それは、構わないが……」

『心配するな。あの程度ならば自分でも仕留められる。ヲ級の艦載機に抜かれる方が厄介だ。頼む』

「……了解。全機墜として置物にしてやるさ。秋月たちの出番は無いかも知れないな?」

《ふふ。ちょっと残念な気もしますが、その方が有り難いですね》

《が、頑張って下さい、グラーフさん!》


 急な申し出に戸惑うツェッペリンだったが、最後の一言に篤い信頼を感じ、強く頷き返す。
 航空支援部隊の間近へ迫るヲ級 艦載機群は、よくよく見れば艦戦型が混ざっていない。
 三十機対十機と、数の上ではかなり不利でも、彼女なら覆せると見込んでの指示だ。
 オマケに秋月たちの声援までつけば、心が奮い立とうものである。

 その一方、八機の彗星を預かった桐林は、奇妙な感覚を覚えていた。


(対空射撃がぬるい……。なんだ、この違和感)


 海面を撫でる様に飛行する彗星へと、単縦陣を形成する敵 水雷戦隊が機銃掃射するのだが、その密度が甘い。なおざりにも感じられる程だ。
 しかし好機は好機。桐林は彗星を二機ずつ、四つのグループに分け、その中で左右へわずかにズラしつつ、翼下の爆弾が縦に並ぶよう調節。右機体の左側爆弾と、左機体の右側爆弾の位置を重ねる。
 両側から二つのグループが敵側面に回り込み、微調整を繰り返し一度目の爆弾投下。間を置かず左右を入れ替え、同じく二度目。計二回の反跳爆撃を行う。
 十六発の爆弾は、水切りしながら敵艦へ。
 内、チ級 旗艦種に向けられた第一弾は運悪く迎撃され、海上で爆散したものの、他は第二弾も含め、全てが吸い込まれるよう命中した。
 ただでさえ、中型・小型艦艇には致命傷になり得る二百五十kg爆弾が、全く同じ箇所に集中したのだ。四隻から成る水雷戦隊は、無残な姿と成り果て、沈んでいく。


「軽巡ヘ級、軽巡ホ級、駆逐ハ級二隻。計四隻の撃破を確認。加えて報告。待機限界まで残り二十分です」


 栞奈が戦果を読み上げ、補助システムのタイムリミットも付け加える。
 桐林の“力”の根源たる左眼は、ただ開けているだけなら負担も少ないけれど、逆に言えば、ただ開けているだけで負担が掛かる代物。
 だからこそ制限を掛けられているのだが、戦いとは常に全力を出す側が勝つとは限らず、使い所が難しい。
 それに、彼を襲う違和感も、どんどん強くなっていた。


『おかしい……。“何か”が妙だ……』

「提督? 何か気掛かりな点があるのですか?」

『……分からん。皆、警戒を――』


 脳幹がスパークするような、微かな痛み。香取も怪訝な顔だ。
 虫の知らせや、第六感にも近いそれに従い、全速の彗星をヲ級に向かわせる桐林が、注意を促そうとしたその瞬間。


《バカメ……!》


 重巡棲姫の嘲りと共に、ヲ級から発艦した敵 艦爆が、赤黒い妖光を纏った。


「何っ!? 加速した!?」


 迎撃する予定だったツェッペリンの烈風を擦り抜け、艦爆は支援部隊を目指して進む。
 増速噴進器Rocket Boosterでも使ったような速度に、流石の烈風も追いつけない。
 中継器から漏れる焦燥感が、標的となった雲龍たちにも伝わる。


《やられた……! このタイミングで霊子戦闘を……っ》

《このままでは、二分足らずで私たちの直上に来ますっ!》

《嘘でしょ!? 烈風を完全無視なんて……。提督っ》

『一機でもいい、艦戦を上げろ。秋月、照月!』

《はい! 照月、行くわよ!》

《うんっ》


 雲龍、天城、葛城の三人は、程なく始まるであろう装甲空母鬼との航空戦に備えつつ、予備艦戦の発艦準備に入った。
 もちろん、備え付けの対空兵装にも、無数の使役妖精が配置に着く。
 そして、それを守るように東北東へ急速展開する、二隻の乙型駆逐艦。
 一定の距離を保ち、腹を敵機に見せて並んだ秋月と照月が、空を睨んだ。

 ――来る。


《この秋月が健在な限り、やらせはしません!》

《ガンガン撃って! 長十cm砲ちゃん、頑張ってぇ!!》


 轟音。轟音。轟音。

 海面を低く飛ぶ機体に。
 高度を稼いでいた機体に。
 側面を回り込もうとする機体に。

 三連装機銃で弾幕を張り、単装機銃で追い込み、長十cm砲でトドメを刺す。
 最大で一四七○○mの高さまで届く砲弾は、敵機を蚊蜻蛉の如く撃ち落としていた。


「凄い……。主砲の命中率が八割を超えてる? これが、乙型駆逐艦の力……」


 信じ難い光景を目の当たりにした栞奈が、思わず呟く。
 相対速度。重力。回避運動。その他もろもろの要素が重なり、命中率が低くて当たり前の砲撃が、八割がた的中している。
 これだけでも驚くべき事だが、二つの高射装置による分火指揮は、時に二機を同時撃墜するという離れ業をすらやってのけた。
 三十機の編隊は見る間に数を減らし、残った六~七機が、隊列も維持できず逃げ惑う。


『ツェッペリン、彗星を返す。……仕留めろ』

「……! 心得た」


 知らず惚けていたツェッペリンは、桐林の声に意識を引き戻される。
 翼下の爆弾を投下し終え、空気抵抗を減じた彗星が、ヲ級を眼下に捉えていた。
 早速、汚名返上の機会を与えてくれるらしい。
 転進して敵機を追ったり、ヲ級の予備機を警戒していた烈風を維持したまま、八機の彗星二二型が制御下に加わる。
 ヲ級はその場から離れようとしている。追加の艦載機を上げないのは何故だろう。沸くように出現した代償として、搭載数を減らしているのか。あるいは油断を誘うためか。はたまた……。
 いや、考えていても仕方ない。この機を逃す手は無いのだから。


「出し抜いたつもりだろうが……。我らを甘く見たな。報いを受けるがいい!」


 出来るだけ高度を稼ぐツェッペリン。
 一般的に単縦陣を組む爆撃隊だが、彼女は八機全てを分散させ、ヲ級を大きな八角形で囲む。
 爆弾倉の扉を胴体内側へ畳み、一機、また一機と、失速したかの様に降下を始める彗星。
 深海棲艦の中でも比較的鈍足なヲ級は、多方向からの急降下爆撃を力場障壁で防ごうと試みた。
 規則正しいタイルパターンに、桐林もかくやという正確さで、二百五十kg爆弾が一点に集中。
 一発目、二発目までは受け止めたが、三発目でついに崩壊し、続く四~六発の直撃を受け、一瞬のうちに炎で捲かれる。


「敵空母撃破! ッハハ、痛快だな!」


 海面スレスレで、彗星を復原させ、ツェッペリンが歓声を上げた。
 八機のうち二機の爆弾を残し、敵艦を完膚無きまでに叩きのめす。
 史実で未成艦だった彼女にとって、これが正真正銘、最初の戦果となる。この喜びようも無理はない。
 秋月、照月の乙型姉妹はと言えば、しっかり役目を果たした安堵に、ホッと胸を撫で下ろして。


《ふぅ……。どうにかなりましたね》

『まだ気を抜くな。照月、現在状況は』

《はい。敵 航空機隊は、ほぼ撃退。こちらの損害は皆無です。ちゃんと出来たよね? 長十cm砲ちゃん! ……あれ?》


 ダンディなディフォルメ体を褒めつつ、再び航空戦へ備える雲龍たちに代わって照月が報告する。
 五分も掛けず、三十機の編隊を壊滅状態に追い込んだにしては、お気楽な雰囲気が漂っていた。
 けれど、唐突に気付く。追いついたツェッペリンの烈風から逃げようとする敵 艦爆が、ガクン、と失速したのだ。
 恐らく制御者を喪ったからだろうが、その予想落下地点は……照月たちの上。


《あわわ、あ、秋月姉! 敵の飛行機が墜ちてくる!? 避けて避けてぇー!》

『……機関一杯。回避行動』

《は、はい。これは、ちょっと予想外です》


 期せずして、特攻を受ける形となった二隻が縦に並び、落下地点から離れようとスクリューを急速回転させた。
 誰にも制御されていないはずなのに、敵機は彼女たちを追うように次々と墜落。抱えたままの爆弾が衝撃で炸裂する。
 航空燃料へと引火したようで、海面が炎に揺らぐ。
 秋月の右舷間近に四機目が墜ちると、ようやく落着範囲からの脱出は完了し、今度こそ一安心と、二人は大きく溜め息をついた。

 ――暴音。


《きゃ!?》


 突然の衝撃に、秋月は膝をつく。
 一瞬遅れ、舞い上がった海水が雨となり降り注いだ。
 艦爆の爆弾が? それにしては衝撃が大きい。水柱の上がり方も違う。
 もっと大きく、威力のある物が炸裂したような。


《ば、爆弾……? 違う、これは……雷撃! 司令!?》


 ゾクリ、と背筋に走った悪寒が、秋月を叫ばせる。
 刹那、桐林は着艦の為に戻る彗星から視界情報を取得。“左眼”で情報を精査した。
 実時間にして僅かコンマ二秒ほど。秋月の右舷、およそ一・五kmの場所で、海面から突き出る頭が。
 異様に長い黒髪を身体に巻き付け、口元をガスマスクのような物で隠す女。その下には、百mはあろう船影も見える。

 深海棲艦、潜水カ級、選良種。
 海中のスナイパーと呼ぶべき存在が、そこに居た。
 先ほどの雷撃。運良く墜落する敵 艦爆が割り込まねば、秋月は沈んでいただろう。


『潜水艦……。無闇な吶喊はこれを隠す為か……!』

《せ、潜水艦って、こんな状況で!? た、退避……ううん、対潜警戒……ど、どうしたら……! ひゃうっ》


 まさかの伏兵に照月は狼狽し、アワアワと周囲を見回す。
 ヒュー、という墜落音。
 爆発。炸裂。炎上。
 艦尾近くにまた墜落。爆散した。


《はぁ……。はぁ……。っう、は……》


 冷や汗が止まらない。動悸は激しく、呼吸も乱れて。
 急転する状況で思考能力が落ち、ただただ、視線を海面へ滑らせる。
 離れた場所で、最後の敵機たちが同時に墜落。黒煙が上がった。
 何も。何も見えない。
 混乱が彼女の眼を塞いでいるのだ。


《照月、左ぃ!!》

《――え?》


 いきなり、秋月が悲鳴を上げた。
 彼女は艦橋から飛び降り、左舷を艦尾へ走り出す。
 反射的に示された方向を見れば、やっと混乱から醒めた瞳が、影を捉える。
 波間で揺らぎ、やけに浅い位置を進む、細長い二つの影。
 先のカ級とは別の個体が放ったのだろう、魚雷が二射線。直撃コースだ。


(……あ。間に合わない。当たっちゃう)


 己が運命を理解した瞬間、照月の世界は、時の流れを緩くした。
 沈みゆく敵 航空機の残骸。
 浮力のバランスが取れたか、浮かんだままの機体から上がる黒煙。
 仲間たちの息を飲む気配。
 それら全てを感じながら、彼女は肩を落とす。


(照月、また沈むのかぁ……。早かった、なぁ……)


 脱力していた。
 もう無理だと、諦めていた。
 機関を一杯にしても、逃げられない。
 この船体に、魚雷の直撃を耐える防御力は無い。
 一巻の終わり。
 未練は尽きないが、どうしようもないのだ。

 照月が瞼を閉じる。
 硬直する長十cm砲たちに手を添え、その時を待つ。

 果たしてそれは、爆音を伴って――――――ふざけるな。


(え。今の……提督?)


 暴音が発生する、ほんの一瞬前に、声が聞こえた。
 怒りにも感じられる激情を伴い、照月の脳内で反響している。
 気付けば彼女は、紅い光の膜で包まれていた。
 被雷による衝撃が、ない。


《何、これ……。凄く眩しくて、熱い光……》


 困惑しながら、照月は手を伸ばす。
 触れられるはずもないが、陽光とは違う熱が、細い身体を抱いている。
 また声が聞こえた。

 誰も死なせない。
 誰も犠牲になどしない。
 もう、誰一人として喪うものか。
 “俺”の眼が届く所では、絶対に。
 死なせたりなんか、して堪るか!

 声音も、温度も、一人称すら違う。
 けれど確かに、それは桐林の声だった。


「これ、は……Admiralの……? う……っ」


 彼の声は照月だけでなく、中継器を載せるツェッペリンにも届いていた。
 思わず、胸を押さえてしまう。
 そうさせるほどの熱量が、唐突に生まれたのだ。

 鋼のように堅い決意。
 悲しくも真っ直ぐな誓い。
 鉄面皮で冷淡としか思えなかった男が、一皮剥けば、途方も無い情熱を滾らせている。

 身体が熱くて、堪らない。


『全艦、霊子戦闘を開始せよ。……反撃だ』


 その声の主は、変わらず冷静さを保ち、しかし微かに声を震わせた。
 逆襲の合図が、少女たちへ伝播する――。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 まず最初に応えたのは、ツェッペリンと同じ熱さを胸に感じる、雲龍型の三人だった。


「あまり、この“力”には頼りたくなかったのだけど……。こうなったからには仕方ない。二人共、合わせるわよ」

「はいっ、雲龍姉様!」

「全くもう、本当に過保護なんだからっ」


 左眼に紅い光を燻らせ、姉妹は一本下駄の音を重ねる。
 艦戦の緊急発艦を中止し、攻撃隊の制御へと没入する為、舞うは神楽。
 雲龍が旗竿を手に反閇へんばい――足踏みによる邪気払いを織り交ぜ、天城が神楽鈴を鳴らし、葛城が梓弓の鳴弦で拍子を刻む。
 神楽殿で隣り合っている訳でもないのに、彼女たちの呼吸は完璧に一致していた。
 第一攻撃隊。烈風三十機、流星改二十七機の制御権が三姉妹で共有される。

 舞い踊る最中、雲龍は幻視した。
 装甲空母鬼の艦載機群と向き合う、紅に染まる烈風と流星改たちを。


「逃がさないわ」


 先行する烈風に対し、装甲空母鬼は球状艦載機を押し出す。
 数にして三十 対 四十五。
 劣勢を強いられるはずが、展開されたのは互角以上の格闘戦だった。

 絡み合うように擦れ違い、銃弾を浴びせる。
 三機に背後を取られた烈風は、けれど慌てることなく旋回回避に専念。注意を引きつけ、その前方から回り込んだ別の烈風が、敵機の開口部へ二十mm機銃を叩き込む。
 最後の一瞬で囮は落とされるも、引き換えに三機全てを墜落せしめた。
 機動戦以外にも、桐林から供給される霊子を機銃へ集中。増大した攻撃力で真正面から撃ち破ったり、集中砲火を受け、あわや撃墜という所を霊子障壁で防ぎ、反撃に移ったり。
 常識では考えられない戦い方を、雲龍の匠な制御が実現していた。

 しかし、残る通常型の敵機は百近くが抜けてしまう。
 流星改がまだ後方に残っているが、魚雷や爆弾を抱えたまま迎撃は不可能。
 ビスマルクたちに危機が迫る。
 それを踏まえても、艦攻を手繰る二人に焦りは無い。


「天城が参ります!」

「改飛龍型の本当の“力”、その身に焼き付けなさい!」


 流星改を、九機ずつ三つの編隊に分けて制御する天城と葛城は、大きく敵機を避けて下降。装甲空母鬼に機体を向かわせる。
 気付いた敵機の一部が追い縋るものの、紅い光芒を引く機体が、一時的に時速八百kmを超えるほどに加速し、瞬く間に目標へ。
 一旦、速度を落として航空魚雷を切り離したのち、また急加速した流星改は、正面から一編隊、両側面から二編隊が、不規則なタイルパターンを張る装甲空母鬼に襲い掛かった。

 両側面の二編隊は直ぐさま反跳爆撃を行い、当たりさえすれば良いと言わんばかりに爆弾を放つ。
 正面の編隊は急上昇。ほんの数秒で爆撃の高度を稼ぎ、宙返り。ほぼ垂直に落下しつつ、六十kg爆弾をバラ撒く。
 二十七機から四発ずつ。総数一百八発の多重爆撃に、力場障壁が砕かれる。そこへ漏れなく航空魚雷が殺到、炸裂。
 流石の装甲空母鬼も耐え切れず、文字通りの木っ端微塵と成り果てる。制御を失った敵機が、木の葉のように墜ち始めた。


「なるほど……。あの時の言葉は、こういう意味だったのだな。“公子”よ……」


 雲龍たちが装甲空母鬼を破る裏で、ようやくツェッペリンも立ち直る。
 未だ胸を焦がす彼の激情は、心を貫くと表現して不足ない。
 耳で聞いただけなら、きっと信じられなかっただろう。普段の言動からして有り得ないから。
 けれど、直接に感じた。この心で確かめた。これ程まで、彼は統制人格を想っていると。
 ああ、確かに。これは効く。

 左眼に光を宿しながら、ツェッペリンは己に出来ることを探る。
 最も憂慮すべき事柄……。逃げようとしている二隻の潜水級。位置は見失っていない。
 が、直ぐに使える機体は彗星が二機のみ。爆装も二百五十kg爆弾が一発ずつあるだけ。
 つまり、一発必中の精度で対潜攻撃を行わねばならない。
 出来るだろうか。


(……ふっ。なんだ、その程度)


 知らず、笑みが浮かんだ。
 爆弾が二発しかない? それで十分ではないか。
 確実に当てられるか? 当てられるに決まっている。
 何故なら。

 ――私は、彼の船Graf Zeppelinなのだから。


「肝を冷やしてくれた礼だ。取って置くが良い!」


 彗星を潜水カ級それぞれへと向かわせ、急速潜行するのを追い掛けるように、急降下爆撃が敢行される。
 遅延信管であるため、海中に没して数秒で爆発するはずだが、想定される有効危害半径を、既にカ級は脱していた。
 しかし、機体から紅い光を纏って切り離されたそれは、焼けた鉄杭でバターを刺すが如く、滑らかに海中を突き進み、カ級を叩き折る。直撃だ。
 海上に音は殆ど届かない。一瞬の閃光と、微かに盛り上がる海面だけが、カ級の最後を示す。
 圧倒的。
 いとも容易く窮地がひっくり返され、秋月は身を震わせる。


「やっぱり、凄い……。これが、司令の本当の“力”……」


 話には聞いていたし、映像を見てもいたが、今までの出撃は通常任務だけだったため、目にするのは初めてだった。
 魚雷の直撃をもいなす力場障壁。
 武装に纏化てんかすれば威力・貫通力・直進性などを向上させ、航空機そのものに纏化すれば、生き物のような格闘性能を発揮させ、機動性も著しく上がる。
 演劇におけるデウス・エクス・マキナ。
 物語を強制的に終わらせる為の、機械仕掛けの神にも通じる万能さ。寒気がするほどだった。
 その傍らで、照月はまだ呆然とし続けている。


「……生き、てる」


 へたり込む身体を襲うのは、撃沈を免れた事による虚脱。
 死ぬ所だった。いや、完全に死ぬつもりだった。
 それが運命だと受け入れて。そんなものだと、諦めて。
 でも、あの声が。ふざけるな、と憤る声が、耳から離れない。
 耳から脳幹を通り、胸と心臓を通じ、全身へ行き渡る熱さ。

 手が震えている。
 目の奥がジンとする。
 生きている事が、実感できる。

 長十cm砲のディフォルメ体を、包み込むように抱き締めながら。
 照月は、己の鼓動を確かめた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 雲龍が覚悟を決めたのと同刻。
 中継器を載せた阿賀野から漏れ伝う声を聞き、矢矧は悲しく眼を伏せた。


「提督……。そうよね。貴方は、そういう人なのよね……」


 吐息に紛れてしまう呟きは、想い出を懐かしむようでいて、自分たちの不甲斐無さを悔やんでいるようにも見える。
 彼女を始めとして、水雷戦隊の誰もが、沈痛な面持ちで立ち竦んでいた。
 けれど、阿賀野はおもむろに顔を上げる。
 最も強く、最も近くに彼を感じる少女が、固い決意を以って。


「みんな、聞いてー! あの“力”を使えば楽勝で勝てるけど、わたしたちは、わたしたちの“力”だけで戦おう!」

「阿賀野姉……。そうねっ。少しでも提督の負担を減らしましょう!」

「酒匂も能代ちゃんと同意見! 夕雲ちゃん、偵察機さえ落とせばなんとかなる?」

「はい。上からの視界さえ無ければ、どうにかなるはず……。いいえ、して見せます。ねぇ、長波さん」

「当ったり前ぇ! いい加減、撃たれっ放しってのも癪だしなっ」


 拳を握り、はたまた振り上げ。
 微笑みは嫋やかに、そして強かに。
 少女たちが勇ましく、己を奮い立たせる。
 皆の足手まといとならぬよう、精一杯。


「まずはぁ……。身の回りに注意しつつ、空で追いかけっこ! 阿賀野の本領……じゃないけど、とにかく頑張るんだから!」


 念話で周知された作戦を元に、阿賀野型姉妹の四人が、周辺情報の把握だけに使っていた零観を、敵偵察機へと差し向ける。
 武装は、機首に据えられた二挺の七・七mm機銃のみ。航空戦では豆鉄砲に等しいけれど、ヘ級の制御する偵察機にとっては有効だった。
 突如として格闘戦を仕掛けられ、敵機は退避行動を取る。
 しかし、一対四では如何ともし難いようで、左に大きく旋回しつつ、逃げ回るのが精一杯のようだ。
 それに合わせ、ヘ級、イ級の動きは鈍くなり、阿賀野たちも次に備えて動きを止めていた。
 敵機を背後から二機で追い掛け、一機が上を、一機が右を抑える。やがて、敵機は徐々に高度を下げながら、また大きく左へと旋回し――


「みんな、今だよ!」


 ――追い込まれているとも気付かず、水雷戦隊の真上を通るルートに出た。
 酒匂の合図で、六隻が一気に対空砲火を浴びせる。
 十五・二cm連装砲、十二基二十四門。八cm連装高角砲、八基十六門。十二・七cm連装砲、六基十二門。二十五mm機関銃はそれこそ無数。
 たった一機にこれだけの砲火をくべれば、命運など尽きたも同然である。
 程なく、敵偵察機は能代の高角砲が放った砲弾に貫かれ、爆散した。


「よし、仕留めた!」

「やったー! 能代、やっるー」

「さぁ、次よっ。散開っ!」


 敵の眼を奪った事で行動し易くなった六隻は、今度は矢矧の号令で隊を分ける。
 丁度、十字路のようになった所で、阿賀野と能代、矢矧と酒匂、夕雲と長波の三組が、それぞれ別の道を行く。
 敵艦も危機を感じ取ったか、すぐ近くに居たイ級同士が、縦に並んだ組を作り、ヘ級との合流を計ろうとしている。
 零観でその一部始終を把握していた阿賀野型姉妹は、進行方向を塞ぐよう、岩礁を砲撃で崩したり、丁字路の一辺に陣取ってまた砲撃、逃げる方向を誘導する。
 先程までやられていた事の意趣返しだ。もちろん、ヘ級の牽制も忘れない。

 ややあって、イ級二隻が異様に細長い一本道へ入った。
 両脇の岩礁は、駆逐艦程度の高さならギリギリ隠すものの、他と比べると低めだ。
 イ級たちは気付いていない。岩礁を挟んだ脇道で、夕雲と長波が並走しようとしているのを。


「御誂え向きの場所に逃げてくれんじゃない? そのまま、そのまま……」


 長波が後部甲板、第二砲塔の上で舌舐めずりし、忙しなく動く使役妖精たちを待つ。
 秋月型を参考に、少々無理やり増設した二基の九四式爆雷投射機。通称、Y砲。
 そして、彼女の足元に転がった、一抱えはあるドラム缶――太い鎖で雁字搦めになった、三つの二式爆雷。
 時限信管を設定するため、手の平サイズの少女たちが、あくせくと蠢いている。


「長波さん、やるわよ!」

「おう! 嵐直伝っ」


 ここ、というタイミングを見計らい、同じく第二砲塔の上の夕雲が、鎖の端を持つ。
 敵艦との距離。射出速度などから設定秒数を割り出し、三つ纏めた方は長めに。
 三つ合わせて四百八十kgもの爆雷を、二人はハンマー投げの要領で振り回して、数秒。
 遠心力が最大になった所で――


「爆雷直投げぇ……」「アターック、ってな!」


 ――山なりにブン投げる。
 二基のY砲からも、五十度の射角で交互に爆雷が投射され、夕雲のそれは前方の、長波は後方の駆逐イ級へ。
 二・五秒間隔で降り注ぐ爆雷の雨は、命中精度こそ低いものの、百kgの炸薬が至近距離で爆発し、岩肌のような船体を殴り続ける。
 加えて、両舷から文字通り投げ込まれた一塊の爆雷二組が、それぞれが目標とする敵艦の、魚雷発射管と思しき部位近くへと落着。僅かな間を置いて、大爆発を引き起こす。
 何が起きたのかも分からぬまま、イ級たちは真っ二つとなって轟沈した。


「うっし! ザマァみさらせ!」

「案外いけますね、この攻撃。超至近距離でしか使えないのは難点ですけど」


 長波は拳をかざしてガッツポーズ、夕雲は薄っすら汗ばんだ額を袖で拭い、自らの戦果に頷く。
 この戦法、陽炎型駆逐艦、十六番艦の嵐が、停船した英国籍タンカーに向けて爆雷を投射。砲撃で開いた穴へと放り込み、撃沈した逸話によるものだ。
 彼女も桐林艦隊に属しているが、詳しく語るのは別の機会としよう。


「よぉ~し。あとは阿賀野たちで片付けちゃおー! 行っくよー!」

「阿賀野姉、勢いに乗るのは良いけど、調子に乗るのはダメだからね?」

「軽巡ヘ級 旗艦種……。少し物足りない相手かしら。でも、能代姉の言う通り、油断大敵か。気を引き締めて行きましょう」


 残存する敵勢力は、軽巡ヘ級 旗艦種が一隻のみ。
 余程の不運がない限り負けないだろうけれど、戦いは水物。合流した四姉妹が、決意も新たに前進する。
 その最後尾で、酒匂はふと、鎮守府がある方向を振り返った。


(司令……。大丈夫、だよね? “あの時”みたいな無理、してないよね?)


 頭をよぎる、過去の記憶。
 爆撃。炎。遠い痛み。
 キュウ、と胸が締め付けられる。
 しかし彼女は首を振り、強い気持ちで前を向く。
 あの日に交わした約束を。無用な心配だと言い切った、彼の言葉を。
 心の中で繰り返しながら。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 時間を巻き戻し、残るは第三エリアのオイゲンたち。
 彼の声を聞いた瞬間、後方から追われる彼女の左眼に、燃えるような光が宿った。


「来た……。Admiralさんの“力”! 一気に決める!」


 雲龍たちと違い、全身から紅い光を噴出させ、オイゲンが全砲塔を右舷へ向ける。
 艦自体も右に急速回頭。複縦陣を組んでいた二隻――左側の重巡ネ級、右側の重巡リ級も、当然それに応じた。
 ネ級は回り込むために直進。リ級は同方向へと回頭したが……。


グラーツGrazブラウナウBraunau!」


 彼女は回頭を続けながら左手をかざし、第一砲塔、第二砲塔を稼働させていた。
 オーストリア地方都市の名を付けられた砲塔が、リ級に二十・三cmの砲弾を吐き出す。
 回頭中という事もあり、四発の砲弾はリ級から少し上へ逸れた軌道を描く。
 ところが、かざした左手を握った途端、四つの影たちが紅い光を纏い、軌道を変える。
 結果、リ級は直撃弾で側面装甲を破られ、黒煙に捲かれた。

 次なる標的はネ級。
 その砲撃による至近弾を力場障壁で殺しつつ、回頭を続けるオイゲン。
 砲塔は旋回させず、波の上下を砲身の仰角調整で無効化しながら、狙うは一瞬。
 速度を上げるネ級と、後部主砲の射線が重なる、その刹那。


インスブルックInnsbruckウィーンWien!」


 第三、第四砲塔が火を吹いた。
 始めから紅い光を浴びて押し出された砲弾は、狙い違わずネ級へと向かう。
 素人目にも分かる直撃コース。リ級と比べればかなり分厚い側面装甲が、まるで紙のように貫かれる。
 轟音。
 弾薬庫にでも引火したか、ネ級はリ級よりも早く沈んでいった。
 それを確認し、オイゲンがまた回頭。無言でビスマルクの支援へと。
 上空から瑞雲で見守っていた日向、伊勢は、彼女の無双ぶりに目を見張る。


「新鋭含む重巡二隻を秒殺、か」

「相変わらずトンでもないわねー、霊子展開状態のオイゲンちゃん」

「我々も向かおう。ビスマルクから敵を完全に引き剥がす」

「りょーかいっ」


 オイゲンに続き、この二人も艦首をビスマルクが居るエリアへ。
 レーベたちを送り出すために戦っていた、軽巡チ級 旗艦種、同ヘ級 選良種、駆逐ニ級二隻の姿は、もうない。
 瑞雲の爆装を使い切る代わりとして、退場願ったのである。
 制御が煩雑となるので、着弾観測用の数機以外は着水させ、後でクレーンを使い回収――俗に言うトンボ釣りをするつもりで放置。ハンカチを振る使役妖精の応援を背に、二隻の航空戦艦は加速した。
 そして、彼女らに送り出された駆逐艦たちも。


「……ねぇ、マックス。感じた?」

「ええ。微かにだけれど、感じたわ」


 灯った火を確かめるように、レーベとマックスは胸に手を当てる。
 微かな……。波音にも掻き消されそうな声だったが、それは確かに届いていた。


「意外だよね。あんなに熱い人だったなんて」

「そうね……。でも」

「応えなきゃ、ね」

「もちろん」


 隣り合って進む二人が、指先ほどの互いを見つめ、頷き合う。
 長く共に戦ってきたけれど、ようやく、彼という人物の一端に触れた気がする。
 勘違い。気のせい。そう言われれば、そうかも知れない。
 だが今は。胸に小さな火が灯っている間だけでも、信じていたい。
 二人は行く。未だ危機的状況に陥る仲間を、救い出すため。


《オノレェ……ッ! “オモチャ”ノ ブンザイ デェ……!》


 恐ろしい勢いで戦の天秤が傾き、傍観していた重巡棲姫が髪を逆立てる。
 この時点で、装甲空母鬼を流星改が滅多打ちにしており、まともに戦える戦力は、ビスマルクと同航戦で戦うネ級 選良種、ル級 選良種二隻のみ。陣形は単縦陣だ。
 焦りを覚えたのだろう、重巡棲姫は速度を第五戦速――三十ノットまで上げ、岩礁を砕氷船の如く砕きながら、第三エリアへと割り込む。
 アラドの視界でそれを確認したビスマルクが、敵艦に追われて尚、不敵な笑みを。


「あら。今さら焦り始めたの? ……遅過ぎるわ。何もかも!」


 ここで、待機していた雲龍たちの第二攻撃隊と、駆けつけたレーベたちが動く。

 まずは第二攻撃隊の流星改二十一機。
 十二機と九機の編隊に分かれ、前者がネ級たち、後者が重巡棲姫へ向かった。
 水平爆撃でビスマルクから引き剥がし、合流を阻止。然るのちに雷撃を行う予定なのだ。
 目論見通り、力場障壁の消耗を厭うネ級たちは距離を取るが、しかし、重巡棲姫は気にも留めない。
 瓦礫の山としか見えなかった上部構造から、丸みを帯びた白い主砲塔を二基“だけ”出現させ、対空射撃で流星改を出迎える。
 ネ級たちのそれが大した脅威でないのと反比例するように、重巡棲姫の砲は尋常ではない精度で、流星改を瞬く間に落としていく。発射間隔が長いのが唯一の救いか。
 加えて、ヒレが二重になった球状艦載機――専用の偵察機と思しき機体を、どこからか射出していた。

 一先ずビスマルクは窮地から脱し、レーベ、マックスもそこへ辿り着く。
 敵艦三隻に対して、後方から丁字有利を得る形で接近した二人は、挨拶代わりに雷撃を敢行。
 霊子によって雷速を上げた十六射線が、最後尾を行くル級の一隻を捉え、轟音と共に脱落させた。
 もうじきオイゲンと伊勢、日向もやって来る。
 そうなれば真に形勢逆転となるが……。


『ビスマルク。“………………”、行けるか』

「っ!? ちょ、正気?」

『正気だ。“ヤツ”にならば通用する。レーベたちへ砲が向く前に、仕留める』


 桐林が“ある事”を念話で伝え、驚いたビスマルクが中空を見上げた。
 言ってしまえば、やる必要の無い危険な行為だ。無茶にも程がある。
 が、彼が危惧している事も理解できた。霊子による性能の向上は、あくまで底上げであり、元の性能に大きく比例した。
 駆逐艦を巡洋艦に相当させたり、戦艦であれば不沈艦の如き耐久性を得られる。
 照月にそうした様に、一瞬だけならその範疇すらも超えられるが、連続して行使するのは不可能。
 もし仮に、重巡棲姫が執拗にレーベたちを狙い始めたら、庇いながら戦うハメになるだろう。見捨てて重巡棲姫を叩くという選択肢は無い。

 つまり、まだ戦況が流動的なのを利用し、重巡棲姫の一騎討ちを行おうと言うのだ。
 正直な所、ビスマルクは満身創痍だ。表面こそ無傷に近いが、至近弾の衝撃が蓄積し、実際には小破状態。
 桐林のサポートを得られるとしても、確実に勝てるとは言い難かった。

 けれど。


「ったくもう! 乙女を何度も傷物にしてるんだから、いつか責任取りなさいよね!」

『当たり前だろう。君の痛み、半分背負う。一人で戦わせはしない』

「そうじゃなくって……。もういいわよっ! このトーヘンボーク!」


 だからこそ、心の奥に奮い立つものがあった。
 結構な確率で無茶を言い渡されるが、不可能だった試しはない。
 いや、ビスマルクならば可能だと判断したから、こんな事を言うのだ。
 ならば、やってやろうではないか。
 彼女なりの精一杯である告白すら受け流す、この唐変木に、命を賭けるのも悪くない。
 惚れた弱みとかは言いっこなしだ。

 このやり取りが伝わっていたようで、遠目にネ級とル級を目視したオイゲンたちは、二隻の注意を引くように遠距離砲撃を加え、なおかつ最大戦速でビスマルクの元へ向かう。
 駆逐艦が相手取るには厳しい相手だが、航空戦艦と、底上げの係数が高い重巡洋艦ならば、問題なく戦力となるからだ。
 可能なら一騎討ちは待って欲しい、と思わないでもないけれど、桐林自身の活動限界も近付いている。早々とした戦闘終結が望ましかった。


《シズメ……ッ、シズメェエエッ!!》


 重巡棲姫がビスマルクに砲撃する。
 憤激に彩られた表情を隠さないまま、砲と連動して触手が蠢いていた。
 ビスマルクは、今までのような回避行動を一切行わずに、真っ向から立ち向かった。
 桐林の全霊を受け、艦全体を紅いモヤが包み込む。
 正鵠を射るような砲撃は、寸分違わず側面装甲を叩くはずだったが、直前で不規則なタイルパターンに弾かれていた。
 反撃は行わない。特に桐林と相性の良い重巡洋艦と航空母艦を除いては、力場障壁を展開している間に攻撃できないのだ。

 相対距離はどんどん縮まり、やがて二隻は擦れ違う。
 それこそ、霧島 対 サウスダコタによる近距離戦以上の、互いの乗員を目視できる距離で。
 ビスマルクが重巡棲姫を。重巡棲姫がビスマルクを見る。
 そして、重巡棲姫は目を疑った。
 擦れ違いざま、ビスマルクは己の頭を指で突いたのだ。

 当てて御覧なさいよ。
 当てられるなら、ね。

 重巡棲姫の奥歯が、軋む。


《ナメルナァアアッ……!》


 挑発に乗った重巡棲姫が、少しの距離を置いて急速回頭。ビスマルクも応じる。
 馬上試合と似た形。
 決闘前の緊張感は、急加速する二隻の波濤で掻き消された。
 二基四門の砲塔を、ビスマルクの艦橋へと照準する重巡棲姫。
 同じく、第一砲塔と第二砲塔を重巡棲姫に向けるビスマルクは、隠れて第三砲塔を左舷やや斜め前、第四砲塔も右舷やや斜め前に。方位にすると二○○○、一四○○だ。
 敵 偵察機が重巡棲姫にもそれを伝えるが、また擦れ違う時の保険だろうと捨て置く。

 再び距離は詰まる。
 互いに狙いも十分。あとはいつ砲撃するか。
 一秒。三秒。五秒。
 迫る。迫る。迫る。

 ビスマルクの力場障壁が消えた。


《オチロォオオッ!!》


 重巡棲姫が笑う。
 ビスマルクも無言で笑った。

 二隻の砲撃は、ほぼ同時。
 しかし、僅かに重巡棲姫の第一砲塔が早い。
 そして、ビスマルクの使った砲塔は――第三砲塔だった。

 轟音。


《ナニッ!?》


 確かに艦橋を狙った重巡棲姫の砲弾が、すり抜けた。
 ビスマルク自身が第三砲塔で至近弾を起こし、船体を大きく揺らした為だ。
 着発信管でも、時限信管でも不可能なこの自爆は、砲弾に込めた霊子を操作して、意図的に引き起こしたものである。


「ぐ……あっ……!」

『……っ』


 苛烈過ぎる衝撃に、ビスマルクと桐林を、巨大なハンマーで殴られたような衝撃が襲う。
 霊子が纏化された分、通常より衝撃も威力も大きい。艦中央部にあった副砲と高角砲が、片舷分丸ごと破壊された。
 あと少し爆破が遅れていたら、第一・第二砲塔にも被害が発生していたかも知れない。
 重巡棲姫は慌てて第二砲塔の照準を補正し、今回こそ艦橋目掛けて砲撃するも――


『残念だったな』

「当たってなんか、あげないわっ」


 ――ビスマルクの第四砲塔が炸裂した。
 海面と右舷デッキを大きくヘコませながら、艦の傾きが強引に戻される。
 重巡棲姫の砲弾は、またすり抜けてしまう。


《バ、カナ……》


 重巡棲姫の主砲は発射速度が遅い。
 新しく武装を構築するにしても、間に合うのは豆鉄砲程度。
 完全な無防備を晒していた。


「最後に見るのが“鉄血宰相”である事、誇りに思いなさい」


 煤に塗れ、薄汚れて。
 ジャケットを擦り切れさせながら、ビスマルクの瞳は一層に輝きを増す。
 呆気から立ち直った重巡棲姫が、全身全霊を込め、赤黒い力場障壁を張る。
 ビスマルク第一・第二砲塔にも紅い光が宿るけれど、趣はまるで違う。
 その光は、二人分の闘志と決意を受け、朱金の煌めきを放つ。


『Feuer!』
「Feuer!」


 桐林とビスマルク。
 砲撃を命じる声が重なり、四門の主砲から、四つの光弾が飛び出した。
 それは不規則なタイルパターンと拮抗し、せめぎ合い、貫く。

 爆音。


《――――――ッ!》


 霊子のコーティングが剥がれた砲弾は、勢いをそのまま、瓦礫の上部構造へと着弾。爆散する。
 重巡棲姫の断末魔が響き、途端、海域に乱立していた隆起岩礁も崩れ始めた。
 アラドで周囲を探ってみれば、ネ級 選良種とル級 選良種も、とっくに伊勢たちが始末をつけている。
 戦いが終わった。
 ビスマルクは脱力し、第一砲塔の前でへたり込む。


「っはぁ……は……ふ……。どうにかなった、わね……。
 貴方の無茶はいつもの事だけど、今回ばかりはヒヤッとしたわ。
 私が沈んだりしたら、本国にどう言い訳するつもり?」


 本当なら直接睨みつけてやりたいが、どこを見ていいのか分からず、結局いつも通りに中空を睨むビスマルク。
 重巡棲姫はプライドが高い。挑発すれば判断力を欠く。そこを突くぞ――と言われて、従った結果がこの有様。
 おかげで両の脇腹が痛い。喉は煤でいがらっぽいし、霊子戦闘後特有の疲労感も。無茶に付き合わされていい迷惑だ。
 ちょっとは労いの言葉を掛けて欲しいと思うのだが……。


戦艦きみが沈むはずないだろう』


 ――と、桐林はのたまう。
 なんたる傲慢さか、と普通なら激昂するだろうが、その言葉に込められる意味を知っている彼女は、柔らかく微笑む。
 戦艦だから沈まないのではない。
 自分が君を沈めるわけがないと。この面倒臭い男は、言っているのだ。


「……あーあ、全く。何を言っても無駄かしら。先が思い遣られるわよ」

『苦労を掛ける。が、付き合ってもらうぞ』

「分かってるわ。ワタシは、貴方の戦艦ものなんだから」


 問答無用、といった雰囲気に、ビスマルクが肩をすくめた。
 彼女は今、自身がトンでもない大胆発言をした事に、まだ気付いていない。
 そして、不意に鼓膜を揺らす異音により、永遠に気付くことはなくなった。


《――、レ……》


 活動を停止し、行き足だけで海を進んでいた重巡棲姫から、それは届いていた。
 荒野のように荒れ果てた甲板に、洞が穿たれている。
 そこから離れた場所で、身体をヒビ割れさせる白い少女が、もがく。


《オノレ……ッ。オノレェエエッ……!
 ニンゲン メ……。クグツ ドモ、メ……。
 ニクラシヤ……。ニクラシヤァアア……!》


 口から呪いの言葉を吐き。
 穴の開いた腹から、臓物の代わりに鉄屑を零し。
 ヒビ割れからは、正体不明の橙光を洩らして、少女が息絶えようとしている。
 二本の触手も力なく垂れ下がり、もはや戦うだけの力は残っていない。
 あるのはただ、憎悪のみ。


『好きなだけ憎むといい。
 お前の敵を。仲間の仇を。撃てと命じた男を。
 ……そうでなければ、釣り合いが取れない』


 儚くも聞こえる呪詛に、桐林は冷たく返す。
 憎悪の連鎖を肯定するような言い回しだが、もう素直に受け取れようはずがない。
 果たして彼の真意は、どのような形をしているのか。
 問われた所で、彼は口を閉ざすだけなのだろう。本当に面倒臭い男である。

 ともあれ、重巡棲姫は先の言葉を遺言に、静寂の中へ沈んでいった。
 最も強大な敵が姿を消した事で、ビスマルクの元に仲間が集まり始める。


「姉様っ、ご無事ですか!?」

「提督。こっちも片付いたよ。と言っても、最初の雷撃以外、僕たちは何もしてないけど……」

「残存勢力は無さそうです。……戦果を挙げられただけ、良しとしましょう。レーベ」

「ちょーっと飛行甲板が歪んじゃったけど、私たちも無事よ」

「ううむ……。まだまだ練度が低いようだ。精進しなければ」


 心配で心配で心配で堪らなかったと、表情や仕草が訴え掛けるオイゲン。
 大物食いを成し遂げた割に、どこか申し訳なさそうなレーベとマックス。
 いい攻撃を貰ったらしく、後部飛行甲板がめくれる様に破損した、伊勢に日向。
 戦艦三隻が少々ダメージを負っているものの、敵艦全てを轟沈せしめたのは大戦果だ。


「Admiralよ。どうやら、隆起岩礁が崩壊した事により、高速航路が戻りつつようだ」

「前の航路図が使えるかは分からないけれど、帰投するなら今しかなさそうね。どうしますか」


 会話が一段落したのを見計らい、次いでツェッペリンと雲龍が指示を求める。
 重巡棲姫には流星改を落とされたが、他の艦載機はほぼ無事であり、こちらも戦果は上々と言えるだろう。
 発艦させていた機を戻し、燃料と弾薬を補給して、念のためにまた攻撃隊を待機させ……。
 戦いは終わったが、まだまだ空母は忙しい。
 そんな中、流星改や烈風を着艦させる天城が、別の報告を上げてきた。


「あの、提督? どうやら、装甲空母鬼から艦が解放されるようです」

「へぇー、めっずらしいじゃない。っていうか、私の知る限り解放艦って初めて? 装甲空母鬼なんだから、出てくるのはやっぱり……?」


 桐林艦隊から遥か彼方で、単なる浮きと化していた装甲空母鬼が、復活した高速航路によって流されて来ていた。
 着艦を待つ葛城の烈風が様子を伺っていると、その残骸は黒い外殻をボロボロと剥がし、内から一回り小さな――人類にとっては適正サイズの、正規空母が現れる。これまでにない出現法だ。
 爆撃と雷撃のダメージが至る所に見えるが、これまで敵艦から回収された艦船のパターンからして、日本海軍が完成させた唯一の装甲空母であろう。
 収益から三カ月余りで、潜水艦に沈められてしまった過去があり、験を担ぎたがる能力者からは倦厭されがちな空母でもあったが、今の桐林艦隊にとっては貴重な戦力になる……かも知れない。


『全艦、泊地へ帰投せよ。解放艦の曳航は阿賀野たちが。梁島提督に引き継ぎを依頼しておく』

「りょうか~い! ねぇねぇ能代っ、この子ってもしかして……」

「多分、そうかも? 高速航路が完全に戻る前に、テキパキと片付けちゃいましょう!」

「マル四計画の仲間が増えるのね。期待できそうだわ」

「でも、上が励起を許すでしょうか……?」

「だよなぁ。あーヤダヤダ。いつの時代も、人の脚を引っ張んのは人ってな」

「ぴゃう~……。司令以外の偉い人って苦手ぇ……」


 撤退に関する指示を受け、まだまだ元気一杯な水雷戦隊の皆は、解放艦の曳航準備に入る。
 一応の話であるが、戦闘で得た艦船の所有権は桐林が持っている。
 空母建造・励起は制限されていても、入手・保持に関してなら別だとする約束を、苦心して取り付けてある今、この機会を逃す手はないのだ。

 その他、主力打撃部隊と航空支援部隊は、撤退に向けて隊の再編成を始めた。
 自爆至近弾で中破したビスマルクを中心に、オイゲン、伊勢、日向が前方を固め、直衛にレーベ、マックスがつく。
 秋月と天城、照月と葛城、ツェッペリンと雲龍の三組に分かれた支援部隊は、秋月組と照月組が間をとって前方部隊に続き、曳航する水雷戦隊が戻って来たら、ツェッペリン組で輪形陣を形成する予定だ。
 しかし、水雷戦隊が戻るまでに多少の時間が掛かるため、その間、雲龍たちは艦首を風上に。攻撃隊を再編して発艦させる。
 ツェッペリンも、圧縮空気を貯めつつ、彗星を通常発艦させていた。今度は対潜用の爆装が混ぜてあり、初陣を勝利で飾っても、油断はしていないと分かる。
 ちなみに、放置されていた瑞雲だが、使役妖精たち共々、回収済みなので安心して欲しい。こちらも再爆装して発艦予定である。

 束の間、緊張しているようでいて、逆に弛緩しているようにも感じられる、奇妙な空気が漂う。
 戦いと戦いの境い目。
 何故だか雑談も憚られるその時間に、桐林は敢えて照月を呼ぶ。


『照月』

「……へ? あっ。は、はいぃ!」


 ボウっと、ただ周囲の流れに任せて動いていた照月は、勢いよく立ち上がって背筋を伸ばす。場所は艦橋の上だが、作戦会議の再現だ。
 彼女の行動が単に同じだったという訳ではなく、これから桐林が、口にする事も含めて。


『何故、諦めた』

「っ!? ……そ、れは……」


 身を竦ませ、言い淀む照月の顔には、強い後悔の念が現れている。
 そう。あの時、照月は諦めた。
 何をしても無駄だと、全てを投げ出そうとしていた。
 日常ならいざ知らず、戦場において、能力者には統制人格の状態が手に取るように分かる。当然、桐林も。
 顔を見なくとも憤慨していると直感できる声で、彼は照月を叱りつける。


『もう二度と、諦めるな。その命は自分が使う。
 どうやって活かすかも、どうやって殺すかも、自分が決める。
 照月。勝手に死を受け入れるような統制人格は、必要無い。覚えておけ』


 言い終えると、桐林は早々に同調状態を切り上げた。増幅機器から降りたのだろう。
 反論する暇も無かった。
 そもそも、反論なんて出来るはずがない。彼の言葉は正しいのだから。
 照月を含める統制人格は、全て彼と国の所有物であり、いつ、どうやって死ぬかも、彼女自身には選べない。所詮、道具なのだ。


(でも、だったらあの声は……?)


 だが、素直に納得できない部分も、同時に存在する。
 力場障壁の展開時に聞こえて来た声は、まるで反対の事を言っていた。
 絶対に死なせない。必ず守ってみせる。
 思い出すだけで胸を熱くさせる、あんな言葉を叫んだ人が、打って変わって、冷たい言葉を吐き捨てている。訳が分からない。


「なぁーにが、“どうやって殺すかも自分が決める”、よ。格好付けちゃって! そんな気、これっぽっちも無い癖に」

「え……? 葛城さん、それって……」


 一人、肩を落として落ち込む照月に、葛城の不平が聞こえる。
 また艦載機を発艦させている彼女は、その合間に下駄を苛立たしく鳴らした。


「言葉通りよ。その様子じゃ、聞いたんでしょう?
 本当は護りたいのに、優しくしたいのに。
 無理して強い言葉を選んで、突き放して。
 ……本当、不器用なんだから」


 薄い胸を張り、怒り心頭といった顔付きだった葛城は、段々と声のトーンを下げ、最後は悲しげに呟く。

 どんな事をしてでも守る。
 最後まで有効に使い潰す。

 両方とも彼の言葉だが、葛城は前者こそが本心であると確信していた。
 けれど、提督という立場には後者こそが相応しく、彼はそう在ろうと努力している。
 人が、その在り方を立場に左右されるなど、悲しい事だ。そんな事を続けていたら、本当の在り方が歪んでしまうかも知れない。
 しかし彼は止めないのだろう。本当の意味で、皆を守る為に。堪らなく悲しかった。

 そんな妹の想いを感じ、同様に艦載機を上げていた天城が、自らの気持ちを付け加える。


「でも、だからこそ。私は、そんな提督を支えたいと思うわ。貴方は違うの?」

「べっ、別に、そういう訳じゃ……。とにかく、照月! あの人の言葉は、額面通りに受け取っちゃ駄目よ。覚えておいて損はないからっ」

「はぁ……」

「ふふふ」


 クルクルとポニーテールの毛先をいじり、俯いたかと思えば、誤魔化すように声を張り上げて、一方的に会話を終わらせる葛城。天城が「仕方ないんだから」と微笑んでいる。
 照月は困惑気味に、「これが秋雲ちゃんの言うツンデレなのかな……」と、暢気な事を考えていた。割と図太い。


「照月。本当に大丈夫?」

「雲龍さん。はい、大丈夫……だと、思います……」


 が、雲龍型の長女も心配性なようで、発艦を終えた所で照月に話し掛ける。
 応じる顔色は、桐林と話している時よりも、幾分か明るく見えたけれど、その分、表情の曇りが強く浮かび上がっていた。
 照月が、心の奥底で何を思っているのか。
 能力者ではなく、中継器越しに言葉を交わせるだけの雲龍には、分からない。
 分からないが、しばしの沈黙を置いて、彼女は語り出す。


「前に言ったわね。提督の二つ名……。表記の違う“キガン”について」

「え? ……はい」


 静かな声が、照月に記憶を辿らせる。
 桐林の渾名。
 帰る岸辺と書く“帰岸”。必ず岸辺に帰す者。
 鬼の眼と書く“鬼眼”。鬼の“力”を振るう者。
 二つの意味を持つ、“キガン”。

 それを踏まえて、雲龍はもう一つの……。
 艦隊に属し、彼の心に触れたもの以外は誰も知らない、第三の渾名を告げる。


「提督の左眼は、確かに“鬼眼”かも知れない。
 “鬼”と呼ばれるだけの、厳しい一面だってある。
 でも、その身で、その心で感じたでしょう。
 あの人は確かに、私たちの帰る岸辺。
 口には出さないけれど、私たちの無事をいつも祈って、心から幸せを願ってくれる人。
 だから、私たちは。思いの丈を込めて、こう呼ぶの」
 

 ――“祈願”の桐林、と。

 祈り、願う者。
 “帰岸”と比べたら他力本願に聞こえ、“鬼眼”と比べても弱々しい。
 だが、その呼び名は。
 彼が心の奥底に隠す。最も弱い部分を表すのに、一番相応しく思えた。


「おっまたせー! さ、舞鶴に帰ろー!」


 遠く、解放された空母を曳航する阿賀野が、殊更に元気良く叫ぶ。
 帰投準備は整いつつあった。


「帰りましょう。私たちの、司令の元に」

「……うん」


 甲板上で空を仰ぐ秋月に、照月が小さく頷き返す。
 両極端な言葉の、どちらが本意なのか。
 まだ、ハッキリとは言えない。でも、それで良いとも思う。
 きっと、これからなのだ。
 これからもっと彼を知り、共に戦い、その上で決めるべき事だろうから。
 だから今は、帰れる事を喜ぼう。
 あの岸辺へ、帰れる事を。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 戦いを終え、統制人格たちとの同調が切れた途端、桐林を包んでいた冷却服の関節部から、青いジェルが溢れ出た。
 待機していたロッカーケースのマニピュレーターが、役目を終えた冷却服を回収し、上半身を覆っていた装具も持ち上がって行く。
 解放された彼の顔は、肩口まで伸びた髪も、吐息すら含め、まるで蝋人形のように白い。
 手首から先は逆に、黒いインナーとの境目が分からなくなるほど変色してしまっている。皮膚全層の壊死――第三度の凍傷だ。
 全体から煙が湧き出て見えるのは、体温が異常なほど低くなっており、周囲の空気を冷やしているからであろう。
 二mは離れている香取にも、底冷えする冷気が襲い掛かっている。


「う、ぐ……っ、ぁあ……」

「提督! 大丈夫ですかっ? 提督!?」


 苦悶の声に、香取は今にも泣き出しそうな顔で縋り付く。
 彼を浮かべていたアームが床へ収納され、完全に支えを失う前に、彼女はジェルで濡れた身体を抱きとめる。
 冷たい。氷の彫像を抱いているようだった。


「問題、無い……。いつも通り、だ……っ、く……」

「それは、そうですが……っ。疋田さん、後をお願いします!」

「了解です、早く桐林提督をっ」


 気丈夫な返事をする彼だったが、益のない強がりである事は明らか。
 半艤装状態の怪力で桐林を背負う香取が、指揮を栞奈に預けて仮眠室へ。
 自動ドアをくぐり、更に奥の自動ドアをもう一枚。そこは浴室にも見える場所であり、バスタブが灰色の液体を湛えている。
 壁際のタッチパネルを操作すると、その液体は一瞬でジェル状となり、緑の蛍光色に変化。
 一度、バスタブの縁へ桐林を腰掛けさせ、動かすことの出来ない脚から、ゆっくりとジェルの中に浸からせていった。


「い゛ぅぐ!? あ゛ぁ、あ、あ゛……っ」

「我慢して下さい、すぐに良くなりますから」


 ピリピリと、香取の腕に微弱な電気が流れる。桐林が目を固く閉じ、歯軋りして耐えている。
 濡れた手で電池を触った時のような、本当に微弱な電流だが、今の彼にとっては、全身を針で貫かれているに等しい。
 そうしなければ、もっと長く苦しむのだと分かっていても、辛い仕事だった。


(やはり、霊子戦闘後の発作が少なくなった代わりに、凍傷の深度は深くなって来ている……。いくら再生すると言っても、これでは……)


 桐林が霊子戦闘を行う際、副作用として、急激に体温が上昇してしまう。放っておけば生死が危ぶまれる域まで。
 彼と梁島が得た人外の再生能力は強大だが、これが脳細胞にまで働くかは分かっていない。
 それ故、なんらかの手段で強制的に体温を下げた方が良いだろう、と開発されたのが冷却服であり、着用者を文字通りに強制冷却する機能を持つ。
 最初はただ、凍えたり霜焼けになるだけで済んでいた。
 しかし、一ヶ月ほどで霊子戦闘時の平均体温は著しく上昇し、それに応じて冷却機能も強化された結果、戦闘後には身動きが取れないほどの凍傷を負うようになったのだ。
 冷却服を循環していたジェルは、微弱な電気を流すことで温度を変化させる特性があり、桐林が浸かっている緑色のジェルは、その設定温度を通常の平均体温近くで固定、“傀儡艦用の高速修復触媒”を混ぜたものである。

 モルヒネすら効かなくなった代わりに、こんな物が効いてしまうほど、桐林は人間を逸脱した。
 情報収集用プラグが身体に開けた穴も、どす黒く変色していた指先も、二十分としない内に完全回復する。
 そして彼は今、傷が急速に治る事で感じる激痛と痒みを、無言のまま耐えている。傷付く時よりも、治っていく時の方が何倍も辛いと、香取も知っている。
 いつだったか、オイゲンから報告された共感性ゲシュタルト崩壊。
 ひた隠しにして来た己の意思が漏れ出していると、彼自身が気付けない理由は、彼女らが報告しないからだけではない。
 凍傷を負うほどの寒さに耐え、それが皆へ伝わらぬよう、戦闘指揮を執る事で手一杯だからだ。


「はぁ……っ、あ゛、は……う、ぁあぁ……」


 ゆっくりと血色を取り戻し、苦悶の表情から、疲れ果ててはいるが、穏やかな顔へと変わっていく桐林。
 香取の心は反比例して重くなっていくけれど、それをおくびにも出さず、彼女は紫色の手を両手で握る。


「提督。作戦は成功です。重巡棲姫の撃破、お見事でした」

「……成功……? どこが、だ……」

「え?」


 吐き捨てるような掠れ声に、香取が首を傾げる。
 個体数すら把握できていない、上位深海棲艦という存在。捕獲できなかったのは確かに槍玉に挙げられるかも知れないが、それは承知済み。
 立ちはだかっていた大きな壁を突破したのだから、喜んで良さそうなものを、何故。


「駄目なんだ……。こんな、“力”に頼る、ばかりじゃ……。使えば、勝てて、当たり前……。でも、それじゃあ駄目なんだ、よ……」


 微かに左眼を開け、すぐにまた閉じる。
 舞鶴事変で桐林が得た、恐らくは上位深海棲艦の瞳。起こり得ない奇跡を、無理やり引き寄せる“力”。
 そう。確かに勝てて当たり前だ。だが、なぜ彼がそれを言うのか。よりにもよって、“力”の代償に箝口令を敷いた彼が。
 奇跡に頼らず戦おうとするなら、まず話さねばならないのに。彼女たちの安全は、桐林が魂を削って確保しているのだと。
 これを知らぬまま、“力”に頼り切った現状を変える事など、出来るはずがない。


「分かっておいでなら、どうして皆さんへ御教えにならないのですか。こうまでして守っている事を。
 今の艦隊運用は、提督の御力を前提に成り立っています。それを御自身で否定なさるなど、矛盾しています」

「……そう、だな……。自分は、矛盾ばかり、抱えて。どうしようもない、馬鹿だな……」


 香取の鋭い指摘にも、桐林は苦笑を浮かべるだけ。
 矛盾。
 全てを貫く矛と、何物にも貫かれない盾。
 ぶつけ合わせれば砕け散ってしまうそれを、彼は両手で振るっている。
 なんとなく使った言葉であったが、今の彼を言い表すのに適切な表現だった。


「教えるのだけは、駄目だ。
 冷却服は、“力”を使い熟せていないから、使っている、だけ。
 もっと慣れれば、使わずに済む……。
 だから絶対に、何があっても知らせるな。今まで、通り」

「……どうして、ですか。どうしてそこまで……」


 痛みが和らいだのか、先ほどまでより幾分か明瞭に、桐林が言う。
 堪らず、顔をしかめて問い返す香取。
 しばらく、迷うように沈黙してから、彼は繋がれていた手を解き、香取の頬へと添える。


「その表情が、嫌いなんだ。出来れば、見たくない」


 まだ、人の体温にしては冷た過ぎる指。
 無骨な感触のそれが、色のついた体温調節用ジェルではなく、透明な雫――涙で濡れた頬を拭う。
 自分が泣いていると意識した瞬間、香取はいよいよ、我慢できなくなってしまった。


「また、矛盾していますよ……。お嫌いならっ、どうして御自分を痛め付けるように戦うのですか! 私は、私だって、貴方の苦しむ姿なんか! なんで……!?」


 添えられた手に己の手を重ね、香取が咽ぶ。
 この表情が嫌いだと言う。見たくないとまで言う。
 だったら、どうして改めてくれない。愛する人が自傷する姿を見せられて喜ぶ女なんて、この世界のどこに居る。
 私は含まれていないのか。私だったら泣いても、傷付いても構わないのか。
 そんなの、堪らない。こんな事、耐え続ける自信がない。

 溜め込んでいた感情が、好き勝手に言葉となり、爆発する。
 秘書官として。桐林の全てを知る者として、一人抱え込んでいたものが、時限爆弾のように。
 しかし、彼は。


「もう……。香取ぐらいにしか、甘えられないからな。頼らせて、欲しい。……駄目か」


 こんな事を、言うのだ。
 真っ直ぐに香取を見つめ、他の誰にも見せないであろう、弱々しい顔で。
 胸が苦しい。締め付けられたり、張り裂けたりするどころじゃない。
 なんて男。
 この気持ちを、知っている癖に。そんな風に言われたら、何も。


「貴方は、酷い御方です。卑怯です。最低です」

「あぁ……。すまない、ごめん。許、し……」


 眼を閉じ、大粒の涙を零し続ける香取に、桐林は微睡みながら、謝罪を繰り返す。
 やがて、身体が目に見えて弛緩し、疲労から眠りに落ちたのだと分かる。

 本当に、ろくでもない男だ。
 身勝手で、優しくて。
 秘密主義なのに、隠し切れなくて。
 真摯であるはずが、答えをはぐらかされてばかり。
 あぁ、それでも。


「提督」


 強くて弱い、彼が。
 どうしようもなく、愛おしい。

 顔がジェルに落ちないよう、香取は桐林の身体を支え。束の間の安らぎに揺蕩う彼と、額を合わせた。
 吐息と体温を、間近に感じる。
 あと十分もすれば、彼は目を覚ます。
 仮眠室へ戻り、出撃していた仲間たちが戻るまで、気を休めず待ち続ける。
 そして必要とあらば、また、手脚を腐らせながら戦うのだろう。


(せめて、今だけは。この一瞬だけでも)


 香取は祈る。
 たとえ束の間でも、彼の心が安らいでくれるよう。
 そう願わずにはいられなかった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 鈴生りの果実。
 恐ろしく暗い、海の底を思わせる場所に、その輝ける植物は生えていた。
 基準となる物が周囲に有らず、大きさすら判然としないが、強いて言えばマスカットに似た果実は、自ら光を発して存在している。

 どれ程の時間が流れたのか、不意に果実は明滅を繰り返し始めた。
 最初は全体が蛍のように。
 やがて根元から光が失われ、一つ、また一つと、果実自体もどんどん枯れていく。
 そうして、最後の一粒。
 先端に残された果実まで輝きを失うかと思われたが、しかしその一粒は、他の果実から養分を吸収でもしたのか、目を眩ませる閃光を放ちながら、肥え太る。

 果実の内側に、人影が見え始めた。
 人と呼ぶには、脈動する触手のような影が余計だが、とにかく急激に成長したらしい“それ”が、手脚を必死にバタつかせる。
 やがて、“それ”を覆っていた果実の膜が破れ、中身が溢れた。


「ッガフ!? ゴホ、ゴホ……!」


 常闇へと落ちる事もなく、存外近かったらしい床――なのかどうかも分からない漆黒だが――で、薄緑の粘液に塗れてえずくのは、腹から二本の触手を生やす、一糸纏わぬ少女。
 桐林とビスマルクが討ち果たしたはずの、重巡棲姫だった。
 自らの触手に寄り掛かり、どうにか立ち上がろうとする彼女だったが、脚は産まれたばかりの子鹿のように覚束ない。
 やっと立ち上がったかと思えば、粘液に滑ってまた倒れ込む。


「御無事ですか、重巡棲姫様」


 いや、倒れ込む寸前に、手が差し伸べられた。
 黒いコートの袖に包まれた腕の主は、重巡棲姫と似た雰囲気を持つ深海棲艦。戦艦レ級だ。


「アァ……。レ級、姉サマ。イラシテ イタノ、デスネ」

「はい。ずっと見ていましたよ。“彼”の戦いからは目が離せませんから」


 どこからともなく取り出した、純白のシーツで重巡棲姫を包み、彼女は微笑んだ。
 その手を助けに、今度こそ立ち上がった重巡棲姫は、シーツごと己の身体を触手たちで巻き上げる。
 肉を挽くような、布を裂くような、鉄を擦り合わせるような。奇怪な音が数秒。
 触手が解かれると、そこには桐林艦隊と相対した時と、寸分違わぬ状態の重巡棲姫が立っていた。


「依り代とはいえ、躯体を壊されたのは初めてでしたね。どうですか? 擬似的に“殺された”気分は」


 完全に甦生された事を確認し、レ級が慇懃無礼にも聞こえる問い掛けをする。
 が、重巡棲姫はその態度を責めるどころか、目上の者に対する礼儀正しさで返す。


「奇妙ナ、感覚デシタ……。
 何モカモ カラ解放サレル ヨウナ、浮遊感。ソシテ、魂ヲ囚ワレル ヨウナ、閉塞感。
 生キ還ル トイウノハ、コンナニ苦シイ モノ ナノデスネ……」

「その様で。世界でも僕らだけでしょうね、死ぬ事よりも、生き還る事の方が辛いと知っているのは」


 感慨深く、両の手を握り締める重巡棲姫。
 彼女は確かに死んだ。死にはしたけれど、双胴棲姫のように成熟直後では無かったのが幸いした。
 桐林との戦闘後に回収され、また産まれ直したのだ。他の深海棲艦には無いこの不死性が、“姫”の特徴でもある。
 北方棲姫はそもそも産まれる前だったので、この範疇には収まらない。


「それはさて置き。姉サマという呼び方は、どうにかなりません?」

「オ嫌、デスカ?」

「嫌という訳じゃないんですが、なんというか、こそばゆくて。先達ではありますけど、僕なんか下位の存在ですし」

「私ハ、ソウハ思イマセン。コノ素晴ラシイ躯体ハ、姉サマ ガ居ナケレバ産マレマセン デシタ。私ガ、活カセテ イナイ ダケデ……。モット姉サマ ノ、卑猥ナ触手捌キ ヲ学バナイト!」

(褒めてるつもりなのかな、この子は……)


 むんすっ、とガッツポーズをして見せる重巡棲姫に、レ級は酷く心外な顔だ。
 まぁ、艤装の動きを卑猥と評され、喜ぶ女(?)もそう居ないだろう。
 余談だが、重巡棲姫とレ級の関係は、人間で言う所の姉妹というより、親子に近い。
 未だ三分の二が空席である“姫”級。
 その座へとレ級の組成情報を流し込み、より純化。余計な情報を削ぎ落とした結果として、重巡棲姫が産まれたのである。
 また、重巡ネ級もレ級から産まれた存在であるが、あちらは劣化コピー、雑多なクローンと言った方が正しく、働き蟻に近い。


「というか、言葉に淀みが無くなってませんか? 前より抑揚がハッキリとしていますし、語り口も落ち着いてもいるような……」

「……言ワレテ ミレバ」

「きっと、“彼”と切り結んだのが原因でしょうね。“死”という経験によって、最適化が急激に進んだんでしょう」

「ナラバ、アノ男ト戦イ続ケタラ、私ハ……ドウナル ノ デスカ?」


 レ級からの指摘に、重巡棲姫と二本の触手が小首を傾げた。
 まだ、彼女が産まれてから三カ月。
 本来ならば不要な対話機構であるからして、数年、いやさ数十年を掛けて最適化が行われるはずが、わずか数回の交戦で、より人に近しい存在となっている。
 これは驚くべき事なのだ。
 例えるなら、人間の進化の過程からアウストラロピテクスを除外し、一足飛びに類人猿から人類へと進化したようなもの。
 意図的にではなくとも、間接的接触で、ミッシングリンクに類する突然変異を引き起こす、あの“男”。
 重巡棲姫の、純粋な好奇心と、微かな恐怖を混ぜ合わせた問い掛けには、しかし意外にも、悪い意味で適当な返答がなされた。


「さぁ、分かりません。
 “彼”こそ、不可能、不可解、不条理の結果らしいですからね。
 僕たちに対し、どんな影響力を持っていても不思議ではないでしょう」

「アノ男ハ、一体……?」

「いずれ、全てが明らかになりますよ。
 “母”の意思も、天変地異で人類をこの星に留める理由も、出来レースを続ける意味も。
 それまで僕たちは、ただ従っていれば良い。でしょう?」

「……ソウ、デスネ」


 彼女らの――深海棲艦の正しい在り方を説かれ、重巡棲姫は頷く。
 納得できていないという感情が、ありありと顔に描き出されている。
 それで良い。それこそ、レ級が求めた反応だ。


(この子の中には好奇心が芽生えている。
 北方棲姫もそうだったが、これは深海棲艦には無い仕様。
 もっと考えなさい。もっと疑いなさい。
 その先に、この星の未来があるのですから)


 触手と戯れる、妹とも、娘ともつかない少女を見守りながら、レ級はほくそ笑む。
 己の企みが、もしかすれば、“母”の思惑通りかも知れないという考えに至りつつ、なおも。
 全ては、輝ける明日の為なのである。




















《オマケの小話 月の光と日本酒と》※鹿島さんは出ません





(あ~ぁ……。どうしよう)


 重巡棲姫との戦いから二日後の、深夜の桐林艦隊舞鶴庁舎。
 黄色いスクリュー柄のパジャマの上に、薄手のカーディガンを羽織る照月は、一人、常夜灯が灯る廊下を歩いていた。
 理由は単純。眠れないからだ。
 出撃任務を終えた統制人格には、必ず数日間の休息を取る決まりになっている。
 あわや轟沈かという憂き目にあいつつ、死線をくぐり抜けた照月も、もちろん休息期間にあるのだが、昨日に続き寝付けない。
 そんな訳で、対面のベッドで眠る秋月を起こさぬよう、コッソリ部屋を抜け出し、トボトボと寂しく、当て所も無く散歩していたのだが……。


「ひゃっ。……あれ? 提督?」


 通り掛かった部屋のドアが突然開き、小さく飛び跳ねてしまう。
 現れたのは、頭一つ分以上も背の高い、白いワイシャツとズボン姿の男性。
 漆塗りの手桶を持った、桐林だった。


「なぜ起きている。休息を義務付けたはずだが」

「あう……。ご、ごめんなさい。私、帰ってから、その……。夜になると、目が冴えるようになっちゃって……」


 薄明かりの中、鋭く細められた右眼に、照月が萎縮しながら言い訳を始める。
 本当の事なので、言い訳と称するのは可哀想かも知れないが、どうにも、そういう雰囲気が放たれていた。
 秋月型最初の喪失艦となった彼女は、二三○○から○二四○にかけて、その身を海へ沈めていった。
 先の戦闘で致命的な雷撃を受け、この記憶がフラッシュバックするようになったのだ。
 言われずとも察したらしい桐林が、気不味く廊下で立ち竦む。
 照月本人も気不味い思いをしていたけれど、ふと気になり、手桶の中身に注視した。


「それ、お酒ですか?」

「ああ。寝酒にな」


 彼が持ち上げるその中には、様々な品が入っていた。
 五合瓶と小さな壺。金継ぎが施された江戸切子のショットグラス。ぐい呑み。おしぼり。小皿が二枚に箸一膳。
 これからどこかで、一杯やるのだと分かる。
 盃が二つあるのは変だけれど、特に、照月はショットグラスに関心しきりだ。
 細工の精妙さも然る事ながら、青い下地に不規則な金色の筋が入り、味わい深い盃へと仕上がっている。


「眠れないなら、付き合うか」

「へ? ……ええっ!? で、でも、私って一応、未成年的な見た目だし、お邪魔なんじゃ……」

「統制人格に飲酒の制限は無いだろう。……無理にとは、言わんが」


 それをどう思ったのか、彼は照月を飲みに誘う。
 意外や意外。予想外にも程がある誘いで、慌てふためく照月。
 しかし、言葉尻から微かな寂しさも感じられ、長々と迷った挙句……。


「そ、それじゃあ……。お供させて、頂きます」

「ん」


 全くもって興味の無い酒宴の誘いを、受けていた。
 桐林が満足そうに歩き出し、三歩後ろを照月が追い掛ける。
 エレベーターで最上階の展望ラウンジに向かい、そこから更に階段で上へ。万が一の襲撃に備え、直接庁舎内へ降りられないようにしてあるのだ。
 ヘリポート 兼 屋上に繋がるドアをカードキーで開けると、まだ肌寒く感じる夜風が、カーディガンを揺らす。


「私、夜に屋上へ来るの、初めてです」

「そうか。まぁ、鍵が掛けられるからな」


 庁舎の右と左で、二機同時に発着が可能なヘリポートを横目に過ぎ、監視用小型レーダードームが置かれる高台へ、桐林は軽々と跳躍。照月はえっちらおっちら、梯子を使って登る。
 見兼ねた彼が手を差し出し、その手を借りて梯子を登り切ると、眼下には絶景が広がっていた。


「わぁ! 舞鶴の街が綺麗……」


 雲が多く、あいにくと月や星は見えないが、代わりに地上の星が瞬いている。
 高層ビル。街頭。わずかな車のヘッドライト。
 特に意識したことは無かったけれど、この明かりを守る為に戦っているのだと思えば、一層輝いて見えた。

 感動する照月の背後で、桐林は酒宴の準備を進める。
 と言っても、手桶から五合瓶や壺、グラスに小皿などを並べるだけ。
 最後に、壺の中身である梅干しを小皿へ取り分け、ハンカチを敷いて照月の座る席を作れば完了だ。


「照月。ここに座れ」

「そ、そんなっ、ハンカチが汚れちゃいますっ」

「だからだ。付き合わせておいて、服を汚す訳にはいかない」


 恐縮する照月を他所に、桐林は地べたに腰を下ろしてしまう。
 断っては逆に恥をかかせてしまうと判断し、照月も彼の右隣へ。


(なんだか、お、大人のデートをしてるような気分……。って、私ってば何を考えてるの!? 提督が私なんかに興味を持つわけ、無いんだし……)


 夜景を眺めながら、二人きりで酒を酌み交わす。
 確かにデートと言えなくもないが、桐林はなんとも思っていないようで、ぐい呑みを無言で手渡してくる。
 反射的にそれを受け取り、透き通った液体が注がれる様を見つめる照月。
 彼もまた、ショットグラスに手酌。盃を掲げて乾杯の代わりとした。


「い、頂きます」


 一息でグラスを半分ほど空にした桐林。続いて、照月がぐい呑みを傾ける。
 果物のような香りが鼻に抜け、舌を奇妙な味が刺激した。
 甘味、辛味、まろ味……。複雑過ぎて、イマイチ美味しいと感じられない。


「何が良いのかよく分からない、か?」

「あ、えと、そんな事は……。ちょっと、だけ」

「安心しろ。自分も味が分からん」

「え。じゃあなんで?」

「冗談だ。段々と慣れて、ゆっくり分かっていくんだ」


 能面かと見紛う顔で、桐林が指でつまんだ梅干しを囓っている。
 そんな風に言われても、冗談だと分かる訳がないのに――と、同じく梅干しを囓り、照月は顔をしかめた。
 恐ろしく酸っぱい。何故これを平然と食べられるのか。


「一つ、言い忘れていたことがあった」

「はい。なんでしょう」


 梅干しの酸っぱさを日本酒で洗い流し、「あ、これは良いかも」とか思いつつ、照月が左を振り向く。
 片膝を立て、また手酌する桐林は、街の遠景を見つめたまま、素っ気なく言う。


「先の出撃での対空戦闘、見事だった。これから当てにするぞ」


 ぽかん。
 思わず、大口を開けて硬直してしまう照月。
 無反応を訝しみ、今度は桐林が振り向いた。
 そして、驚愕し続ける顔を見やり、眉をひそめる。


「なんだ。驚くような事か?」

「はっ。いえいえいえ、でも……。提督には、その、怒られた記憶しかなくって……」

「………………」


 ハッとし、慌てて片手を振りまくる照月は、俯き加減にその理由を呟く。
 出撃前の会議室での一件もそうだが、励起されてこの方、叱られたり怒られたりした記憶しかない。
 帰って来てからの反省会は元より、面と向かって褒められた事は皆無。驚くのも仕方ない、と思うのである。
 しばらく無言が続き、「また変なこと言っちゃった……」と照月が後悔し始めた頃、彼はようやく――


「別に、好きで怒っているんじゃない」


 ――と、ぶっきらぼうにグラスを呷った。
 なんとなく。本当になんとなくだが、その横顔は、不機嫌そうに見えて。
 いや、不機嫌だと少しオーバーか。不貞腐れる、とも違う。ならば……。


「……提督。もしかして、拗ねてます?」

「知らん」


 もしや、と尋ねてみれば、これまたヘソ曲がりな返事。
 拗ねている。どう考えたって、拗ねている。あの桐林が。
 驚き桃の木山椒の木、というのはこういう場合に使うのだろう。


(提督にこんな一面があるなんて、考えてもみなかったなぁ……)


 日本酒のおかげか、それとも夜景の美しさのせいか。
 今日の彼は、いつもよりほんの少しだけ、気が緩んでいるような気がした。

 誉れ高い軍人、“帰岸”の桐林。
 強面で、自他共に厳しい、“鬼眼”の桐林。
 誰より皆の無事を強く祈り、心から幸せを願ってくれるという、“祈願”の桐林。
 ショットグラスを片手に、拗ねながら梅干しを囓る、ただの桐林。

 色んな彼が居るのだと、そんな当たり前の事を知って、何故だか照月は嬉しくなった。
 段々と慣れて、ゆっくり分かっていく。
 悪くない。


「あ。雲が晴れて……」


 突然、周囲が明るくなったように思え、照月が空を見上げる。
 雲の切れ間から、満月が覗いていた。
 陽光を反射し、柔らかく地上を照らす、月が。


「……提督」

「なんだ」

「月が、綺麗ですね」


 気が付けば、見惚れながらそう呟いていた。
 少々ナルシストっぽい? とも思ったが、名前に同じ字が入っているだけだし、きっと大丈夫。……だと助かる。
 桐林も同じ物を見上げ、感嘆の吐息を漏らした後、微かに呟く。


「ああ。もう死んでもいいな」

「えっ!? な、なに言ってるんですかっ、死んだらダメです! そんなの絶対に、ダメですっ!!」


 ――が、その内容はあまりに唐突で、また驚いた照月は桐林へと詰め寄ってしまう。
 せっかく新しい面を知る事が出来たのに。
 やっと仲良くなれるかも、と思い始めたばかりなのに、そんなの困る。
 真剣に、大真面目に怒る彼女だったが、しかし彼は肩をすくめるばかり。


「やっぱり、君も知らないか」

「はい? あの、何を……?」

「後で秋月に、言葉の意味を聞いてみると良い。そら、もう一献」

「ぁ、お、おっとっと……」


 五合瓶を差し向けられ、照月が反射的にぐい呑みで受ける。
 誤魔化された? どうして秋月姉の名前が? というか今、笑っていたような。
 様々な疑問が頭をよぎり……。でも、この場で問い質すのは無粋な気もして、ぐい呑みを傾ける事で気持ちを紛らわす。
 どうしてだろう。
 美味しくなかったはずの日本酒が、味を変えているように感じた。




「ねぇ、秋月姉? ちょっと聞きたい事があるんだけど……。『月が綺麗ですね』って、何か特別な意味があるセリフなの?」

「ブッ!? な、ななな、何、を、突然……。まさか照月、貴方も司令にそう言っちゃったの!?」

「え、うん。『もう死んでもいい』って返されて、凄くビックリしちゃった」

「……あのね、照月。そのセリフはね……」

「ふんふんふん。ほうほう。へー、そうなん――――――ぅえぇええぇぇえええっ!?」




















 ピコンッ【照月との間に コ・ン・ヤ・ク・カ・ッ・コ・カ・リ が成立しました!】

 ……あああ妬ましい妬ましい妬ましいぃいいっ!!!!!!
 という訳で、お待たせしました。ガチバトル回です。艦隊戦は考えたり辻褄合わせしたりが疲れますわい……。
 内容的には、雲龍型三名、阿賀野型四名、夕雲と長波、秋月型の顔見せと、伊勢型、ドイツ勢(ユーちゃんはお預け)の活躍。
 色んな順番をすっ飛ばして登場したヴェアアアアさんに、脱げば脱ぐほど強くなる無口な露出狂さんと、久々に何か企んでるレ級(真)さん。
 そして、奇跡を引き寄せる“力”の代償について、時間を掛けて描かせて頂きました。

 大いなる“力”には、大いなる責任が伴うのと同じように、降って湧いた“力”で奇跡を掴むなら、苦痛と代償が必要です。
 しかしまぁ、命を痛みで買えるのならば、十二分にお釣りが来るでしょう。
 オマケと言っちゃあ羨まし過ぎますが、美少女相手にフラグ乱立してますし、香取さんもヒロイン度を急上昇させてるし。一回モゲれば良いんじゃないかな!
 あ、照月の「月が~」は説明不要だと思いますが、主人公の「死んでも~」はツルゲーネフの片恋が元ネタです。こっちも有名らしいですけど、一応ご説明をば。

 さて。次回はこれまで通り、過去編と現代編の同時更新に戻……ろうかとも思ったんですが、ちょっと色々ありまして、リアルが慌ただしくなりそうです。
 更新をブン投げる程ではないと思いたいのですが、ちょっと予測できないというか、予断を許さないというか。ハッキリしません。
 確かな事を言えなくて申し訳ないのですが、生活できないと趣味も続けられませんので、更新に間が空いたり、文章量が減っても許してチョンマゲ(ふざけないとやってられない)。
 ……五年後くらいには完結してると良いなー。

 それでは、失礼致します。


「はあぁぁ……。どうして私が、金剛さんたちを横須賀まで送迎しなくちゃならないの……? 確かに免許は持ってるけど、香取姉のいじわる……」
「そう不貞腐れないで下サイ。こう考えたらどうですカ? ワタシたちを横須賀まで送っていくのデハなく、Youが横須賀まで遊びに行くのだト!」
「……なるほど。それもそうですね! 向こうに行けば、提督さんの昔の写真とかもあるはず……。鹿島、頑張ります!」
「その意気デース! ワタシのテートクCollection、チョットだけなら見せてあげてもいいですヨ? Let's a Go!」
(う~ん……。いいのかな、この子とあの子を会わせても……。メッチャ修羅場りそうなんだけど。ねー吹雪、どう思う?)
(私は少しだけでも寝たいので話しかけないで貰えますかお願いします鈴谷さん)
(お、おぉ……。なんかゴメンなさい……)





 2016/07/09 初投稿







[38387] 異端の提督と舞鶴での日々、番外編 忠犬ヨシフの受難
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/10/22 12:41






「こちらが、飯島様から送られてきた追加報告書になります」


 舞鶴鎮守府。
 薄暗い情報管理室の机に着く主へと、香取は手書きの報告書を差し出す。
 古めかしい、Eyes Onlyとスタンプが押されたページを幾度か捲った後、彼――桐林は、椅子の背もたれを軋ませた。


「テロリストが数人と、残るほとんどが複数人による愉快犯か。世も末だ」

「全くです。自身の行為が、周囲にどのような影響を及ぼすのか。そんな事すら想像できない人間が多過ぎます」


 故 吉田元帥とも親交の深かった陸軍中将――太田 左京の秘書官である、飯島 翼少尉による報告は、給糧艦 間宮の艦上で行われた、一般市民との交流イベントの裏事情に関すること。
 表向き、統制人格と使役妖精が働く飲食店、甘味処 間宮の試験営業として開かれたこれは、舞鶴事変後の掃討作戦からも逃げ延びた、反政府組織残党を標的とする囮作戦だったのだ。
 今回の計画、一般へこそ実施を公開されていないが、あえて敵側に情報を漏らすなど、桐谷が強引に推し進めただけあって、一定の成果を挙げることが出来た。
 徹底的な排除により後が無くなったとはいえ、元が反政府組織。
 発見された爆発物は、火災目当ての遅延発火装置だけでなく、鉄片を混ぜた、身体に巻きつける手製爆弾などもあり、一歩間違えれば惨事が引き起こされていただろう。危険な賭けだったと言える。

 桐谷が何故このような強硬策に出たのか。
 理由は不明だが、無事に終わった事で発言力は確実に伸びつつあり、ひいては桐林の影響力も増してきている。
 しかし、苦く思う部分も少なくなかったようで、彼は側で控えていたもう一人の女性――間宮へと頭を下げた。


「済まなかった、こんな任務に巻き込んでしまって」

「いいえ、どうかお気になさらず。
 少しでも提督のお役に立てるなら、それが私たちの本望ですから。
 それに、多くの一般の方々に喜んで貰えるというのは、得難い経験でした」

「……助かる。だが、無事に済んだのは運が良かっただけとも言える。今後はもっと安全に配慮した、別の形での実施をさせるつもりだ」

「そうですか。了解致しました」


 対する間宮は、見る者を安心させてくれる、たおやかな笑みを浮かべている。
 元々、能力者に使役される為の存在ではあるが、人々の笑顔を間近に見るという事は、彼女にとって良い体験だったのだろう。
 けれども、一般人を巻き込みかねない作戦だったことも確か。桐林の「別の形」という言葉に、心なしか安堵したようにも見えた。

 間宮の返事を受け、桐林は報告書の後半へと視線を戻す。
 能力者の特権を羨んだ若者グループ。
 注目されたくて仕方なかったパイロマニアの兄弟。
 統制人格という存在そのものを否定したい自称リアリストたち。
 愚にもつかない連中の詳細ばかりが並んでいたが、報告書の最後の数ページだけは趣が違っていた。桐林が眉をひそめる。


「一人だけ、被疑者不明の案件があるな」

「はい。今回の報告はこれが主題のようです」


 桐林の問いに、報告書の内容を暗記した香取が頷く。
 間宮にとっても忘れ難い事柄だったようで、彼女は厳しい表情で話を継いだ。


「ご存知の通り、私のような給糧艦には強力な通信設備が備わっており、過去、無線監査艦としても活動していました。
 深海棲艦の出現で、一般において技術後退が起こっている現在、使用される携帯電話なども旧式となっていますから、報告にあった愉快犯の補足は容易でした」

「ですが、この案件に関しては痕跡らしい痕跡が全く残されておらず、完全に後手に回ってしまいました。陸軍の新鋭機器にも、不審な反応は無かったようです」


 作戦中の間宮と香取は、危険度の高い反政府組織の人員を陸軍に任せ、その他 愉快犯の検挙に貢献した。
 使役妖精たちの視界を介したり、特殊な改造を施した機器で、犯人同士が連絡し合う際の電波を傍受したり。
 笑顔で一般客の応対をしつつ、裏では諜報活動と不審者の警戒に努める。彼女らは事も無げに言っているが、大いに神経をすり減らす仕事だったのは間違いない。
 そんな中、警戒していたはずの区域で不審物が出た。さぞ肝が冷えた事だろう。


「端的に申し上げますと……。この物体は人類が知りえない、未知の鉱物でした」

「未知の鉱物?」

「確かに存在し、手に持つ事も可能なのですが、あらゆる計測機器に反応しないのです。あるいは、これが暗黒物質なのでは……という意見も出てきている程で」


 浮かない顔で、香取は曖昧な物言いを繰り返す。
 報告書には、一枚の写真と複数のスケッチが添付されており、写真が黒革のバックを、スケッチがその内容物を、多角的に描いているらしかった。
 バッグはごく普通の市販品だったようだが、その中身――何本かの黒い四角柱が複雑に組み合わさった物体は、一体なんなのか。想像もつかない。
 一つ、桐林の脳裏によぎったのは、深海棲艦が史上初の撤退をした、あの戦いだ。
 あの戦いで、一時的とはいえレーダーに映らない敵艦の存在が確認されたが、同様の存在は以降確認されず、のちに出現した双胴棲姫が欺瞞能力を有していた事もあり、深くは追求されずにいた。
 もしかしたら、これは深海棲艦が。しかし、なんの為に。利敵行為としか思えない。


「ですが、問題は不審物自体ではありません。これと根元を同じくすると思しき物が、過去に発見されていた事が問題なのです」

「どういう事だ」


 考え込もうとする桐林の意識を、更なる報告で引き戻す香取。
 細められる右眼には、間宮が返した。


「人類が宇宙進出を夢見て、月への移住を最終目標に建造が進められていた、洋上マスドライバー。その爆破テロは、人類史における大きな惨事としても、記憶に新しいと聞きます」

「まさか……?」

「情報封鎖が為されていましたけれど、崩壊したマスドライバー近辺で、今回発見された物と同様の、基盤のようにも見える板が発見されていたらしいのです」

「……となると、爆発物であった可能性もあるわけか。いや、形状が違うのだから、機能も別……。本当に人類淘汰会がやったのか、疑わしくなってきたな」


 桐林は天井を仰ぎ、深く溜め息をつく。
 人類淘汰会。正式名称、人類種淘汰推進委員会。
 舞鶴事変でも槍玉に挙がったテロ組織だが、三十年ほどに及ぶ彼らの活動で最も有名なのが、間宮の言ったマスドライバー爆破だった。
 完成を間近に控え、月を人類の受け皿とするべく考えていた人々は、大いに落胆し、彼らの名を記憶に刻まざるを得なかった。
 当時の淘汰会は国連も巻き込んだ作戦で壊滅。射殺を免れ逮捕された構成員まで、全員が死刑の判決を受けたのだが、こうした組織を徹底的に排除すると、往々にして善人ぶりたい愚か者が擁護に現れる。
 現在の淘汰会は、その者たちの支援を受けた二次団体なのだ。
 まぁ、その残党も今回の一件でほぼ駆逐した。もう煩わされる事はないだろう。

 問題なのは香取の言った通り、人智の及ばない物品が、双方の場で発見された事。
 爆破が淘汰会の犯行でなかった場合、それは不審物を置いた何者かによる犯行となる。
 逆に、彼らが実行犯であった場合、今回と同じく何者かが意図的に不審物を置いた事になる。
 前者であれば、間宮はおろか、イベントに参加していた全員が消滅していたかも知れない。地図が書き換わっていた可能性すら。
 後者であっても、危険だった事に変わりはないが、何故このような物を置いたのか、理由が判然としない。


(もどかしいな……。いや、ようやく情報が入り始めたんだ。焦らない方が良いか)


 兎にも角にも、まず情報が足りない。結論付けるのは先にした方が良いと思われた。
 気持ちを切り替え、桐林は予てからの気掛かりを香取に問う。


「硫黄島の方は」

「残念ながら、敵の手に落ちたようです。現在、衛星では存在を確認できません」

「……そうか。事態の推移は把握しているんだろうか」


 予想していた返事ではあったが、桐林は落胆を隠せない。
 住む人間はおらず、資源的に見て守る価値など無い場所だが、あの場所には歴史があった。どうにも気分が落ち込む。
 それに敢えて気付かぬふりをし、香取は続けた。


「報告書によりますと、第二次大侵攻――双胴棲姫との戦闘が勃発した際、監視人員の交代に齟齬が生じたらしく、気付いた時には……。記録してあるはずの映像も、クラッシュしています」

「やはり、か」

「提督? やはり、とは?」


 またしても予想通りの返事を受けた桐林が、やおら椅子を回転させ、背後の壁を向く。
 右手で眼帯へと触れ、ほんの少し意識を集中させれば、その視線の延長線上――舞鶴の港や工廠で働く、明石たちの存在を感じられた。
 普通の人間では絶対に感じ取れるはずのない、命の気配を。


「こうなってから、勘付いていたんだ、薄々と。
 人類の歴史の裏側には、“何か”が居る。
 深海棲艦……いや。近年、深海棲艦と呼称されるようになったモノが」


 かつて未来世紀と呼ばれ、夢の世界とされた二十一世紀を越えてなお、人類史は一進一退を繰り返している。
 先に挙げたマスドライバーへのテロを始め、アメリカにあるイエローストーン火山の超々小規模噴火、新生南アフリカにおける史上初のF6スケール竜巻の発生、第二次ツングースカ大爆発など、まるで人類の進歩を阻むように起きてきた、天災と人災。
 もしもこれらに、何者かの“意思”が介在していたとしたら。
 突飛な陰謀論としか聞こえない話だが、深海棲艦という存在が現れ、それに身体を侵された男が言うと、無視しきれない信憑性があった。


「戦争状態になる以前から、人類は深海棲艦の干渉を受けていた……」

「確証も何もないがな」

「しかし、今回は物証が得られました。これで何某かの進展が見られるのでは?」

「それを扱う部門に、“あちら側”の手先が居なければ、だが……」


 うつむく香取、楽観的な間宮に振り返るのは、諦観を秘めた眼差し。
 けれど、重苦しい空気を振り払うように、すぐさま首が振られた。
 思考を重ねる事は重要だが、それだけで物事が進む事もない。
 ひとまず棚上げとし、桐林が二人を労う。


「ともあれ、ご苦労だった。順序が逆になったが、二人とも、ゆっくり休んでくれ」

「はい。お心遣い、感謝致します」

「とは言え、鹿島が横須賀に行っている今、私が休む訳にはいかないんですけどね……」

「……苦労を掛ける」

「では、元気を出して頂くためにも、一服しませんか? お茶をお菓子をご用意しますので」

「あら、良いですね。是非お願いします、間宮さん。提督?」

「そうだな。執務は一息入れてからにしよう」


 窓が無い部屋では分かり辛いが、ちょうど時間も頃合いの一五○○。間宮の提案に、残る二人も頷いた。
 連れ立って管理室を後にし、陽光の差し込む廊下を歩きながら、桐林はふと、この場に居ないもう一人の秘書官を思い出す。
 突如として来襲した金剛たちを送り届けているはずの、鹿島の事だ。
 昨日の作戦の直前――早朝に舞鶴を立った彼女だが、留守電通りなら、当日中に着いたのは確実。
 横須賀へ残してきた面々の性格を考えれば、歓迎会やら横須賀見学やらの持て成しを受け、あちらを出発するのは最速でも明日か。
 一応、数日間の休暇も、という形で送り出したため、遅くなっても問題無いものの……。


(変な影響を受けないで、そのまま帰って来てくれれば良いんだけどな)


 一番の心配は、鹿島が妙な事を吹き込まれたりしないか、だった。
 励起当初と比べると、頭のネジが数本抜けて――もとい、雰囲気が緩くなっている事もあり、不安が残る。
 出来ることなら、自分の知っている鹿島のままで帰って来て欲しいと、桐林は無言で祈るのだった。
 淡い期待が、すでに全くの無駄になっていると、知る由もなく。

 事は、十一時間ほど前に遡る……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 唐突だが、自己紹介をさせて頂く。
 某は犬である。名前はヨシフ。もちろん、前世がスターリンという訳ではない。
 幼き頃、不運にも母と死に別れてしまった某だが、幸い、心優しい少女――暁殿の世話で生き長らえ、その姉妹である名付け親――響殿の計らいで、我が大殿である桐林様の家に厄介になっている。
 時の流れというものは、まさしく光陰矢の如し。拾われてから早くも一年近くが経過した。
 手前味噌ながら、某も逞しく成長したように思う。
 人で言えば二十歳前後。そろそろ犬生を共にする嫁が欲しい年頃なのだけれど、大殿の留守を預かる身。今は辛抱の時と、気を引き締めるばかりである。

 さて。
 斯様な状況に置かれている某が、いま何をしているのか。
 それは……。


「ぇへへ……。提督さぁん……。鹿島はぁ……。ふひ……」


 平たく言うと、食堂で雑魚寝している鹿島殿の、抱き枕任務である。
 アンティークとか呼ばれるらしい鳩時計の音によれば、現在時刻は○四○○。そろそろ空が白み始める頃だ。
 周囲には、大殿に付き従う少女たちが大勢、同じように雑魚寝している。
 舞鶴からやって来た鹿島殿の、歓迎会という名の宴会の結果だった。
 スカートやら上着やらが捲れ上がり、人間の男性であれば、色んな意味で催す光景と思われるけれども、あいにく犬なので興奮できない。
 損をした気分になるのは何故であろうか。

 某、犬を初めて見るという鹿島殿の希望で参加した……というか、抱きついて離れてくれなかったので参加せざるを得なかったのであるが、なんとも姦しい宴だった。
 長門殿の挨拶に始まり、鳳翔殿の手料理が並べられ、那珂殿が歓迎の歌を歌い、何故か赤城殿もアイドルソングを完璧に振り付きで踊って見せ、加賀殿の演歌には皆が聞き惚れた。ほぼ隠し芸大会であったな。
 加えて、金剛殿が舞鶴鎮守府から持ち帰ったという、大殿由来の品々を景品としたビンゴ大会まで開かれてしまい、ご覧の有様という訳だ。
 給された飲み物に、酒類は混ざっていなかったはずなのだが……。皆、明るい話題に飢えていたのだろう。
 これに目くじらを立てるなど、無粋というものか。


「むふふ。提督さん、意外と毛深ぁい。それにぃ、凄く筋肉質で……」


 ……とはいえ、鹿島殿のやけに艶かしい手付きと寝言は、どうにかならぬものか。
 内容から察するに、某を大殿と勘違いしているのは間違いない。
 しかしだ。某の好みはパツキンのチャンネーゴールデン・レトリバー辺りであって、人型生物と情欲を交わす趣味も無い。ぶっちゃけ迷惑だ。
 致し方無い。ここは一つ、皆を起こさぬ程度の音量で、鹿島殿に某が犬であると示してみよう。
 耳元に口を寄せて……。ワフ。


「やぁん……。最初からいきなり、ワンちゃんプレイなんて……。でも、提督さんが望むなら、私……」


 何故にそうなる。
 鹿島殿は目を閉じたまま、ますます頬を赤らめていた。
 抱きついていただけだったのが脚まで絡み、もはや逃げ場すら。
 いかん。いかんぞ。このままでは純潔が奪われてしまう。初めては同じ種族でお願いしたかったのに!
 と、密かに戦慄している某であったが。


「ん……あれ、ヨシフ君……? 提督さんは……」


 間一髪、鹿島殿は目を覚ましてくれた。
 いやはや、危ない危ない。あと一歩という所で助かった。
 俗に言うMK5……マジでキスする5cm手前という奴だ。某の純潔は守られた……!
 いやまぁ、他の娘たちとは、普通に顔を舐めたり風呂を共にしたりしているのだが、鹿島殿相手だと妙な危機感が……。


「もしかして……夢、だったの?」


 人知れず安堵の鼻息を漏らす某を置いて、鹿島殿は上体を起こし、辺りを寝ぼけ眼で見回している。
 ウィスキーの瓶を枕に眠る那智殿と隼鷹殿。寝たまま前髪を直そうとしている阿武隈殿と、同じく寝たまま妨害する北上殿。
 はだけた着物の合わせから溢れそうな蒼龍殿に、ビンゴで当てた使用済みコーヒーカップを抱きしめる高雄殿。
 その他諸々の少女たちを眺めた後、彼女は唐突に頭を抱えた。


「そ、そんなぁ……。すっごく良い所だったのにぃ……! 夢とはいえ、あと、あとちょっとでぇ……!」


 ふむ。この様子からすると、鹿島殿は夢の中で、大殿と睦んでいたようだ。
 いや、正確に言うなら睦みかけていた、か。
 女性に気を持たせる方だとは存じていたが、大殿よ。罪な男であるな……。


「まだ明け方なんだ……。どうしよう、完全に目が覚めちゃった。
 総員起こしには早過ぎるし、朝ご飯もまだ、よね。う~ん……」


 しばし落ち込んだ鹿島殿であったが、やがて窓の外を見やり、某の頭を撫でつつ独りごちる。
 普通ならば二度寝でも出来ようものの、彼女は客人。勝手知ったる我が家のように寛ぐのは無理な相談であろう。
 この状況で可能な事と言えば、皆を起こさぬように食堂を抜け出し、表を散歩するくらいのものだ。
 うむ、健康的で実によろしいな。ついでに、某の散歩も済ませてくれれば有り難いのだが。道具一式は某が持ってくるので。


「あ、そうだわ! 確かこっちには、提督さんの昔の私室があったはず……。
 昨日は色々あって言い出せなかったけど、今だったら誰にも知られないうちに!」


 ところがである。
 鹿島殿は不意に目を輝かせ、力強く拳を握りしめたのだ。
 ……大殿の私室? 確かに存在するが、忍び込むような場所ではなかろうに。
 もしや、よからぬ事を考えているのではあるまいな。だとしたら、番犬として見過ごせぬぞ……?


「起こさないように……。そぉっと……」


 即刻、用向きを問い質したい所だったが、あいにく人語は理解できても喋れない。
 ここはひとつ、後を追って直接この眼で確かめねばなるまいて。
 そう考え、ゆっくりと立ち上がる鹿島殿に続き、某も四つ脚で立ち上がる。
 睦月殿の「もう食べられにゃいぃ……」という寝言を聞き流し、「ぁふ……ん」という吐息が色っぽい陸奥殿をまたぎ、一人と一匹が開口窓の方へ。
 そして、鹿島殿の脚が球磨殿の側に降ろされた瞬間――


「球磨は普通の球磨に戻りたいんだクマー!」

「ひぅっ!?」


 ――アイドルの引退ライブが如き叫びが迸った。
 突如として起き上がった球磨殿に、思わずビクゥッ!? と硬直する某と鹿島殿。
 しかし彼女は数秒後、何事も無かったかのように再び横になる。
 枕代わりとされた多摩殿が、「重いにゃ……」と呟いていた。遠方からは、「那珂ちゃんは永久に不滅だもん……」という呻き声まで。
 きっと、球磨殿がやらされているクマ・レンジャーに掛かっているのであろうが、心臓に悪い。


「ね、寝惚けてただけかぁ……。ビックリしたぁ……」


 ホッと胸を撫で下ろし、鹿島殿はまた歩き出す。
 某も、フンス、と溜め鼻息を漏らしてから、姿勢を低くして後ろに張り付く。
 余談というか、むしろ蛇足であろうとは思うのだが、一応付け加えておこう。
 安産型の尻を包むのは、レースがたっぷり施される、純白の布地だった。
 雄犬には全くもってどうでも良い事なのだけれども、大殿を始めとする人間の男ならば、恐らく喜ぶのであろうなぁ……。
 話を戻そう。
 テラス席へと続く開口窓を出て、宿舎を軒下伝いに西へ歩けば、大殿の私室に続く渡り廊下が見えてくる。
 十数mのそれを渡れば、十六畳ほどの広さを持つ家屋はすぐそこだ。
 風呂・トイレ付きとの事で、この部屋が完成した時、大殿が大いに喜んでいたのを覚えている。学生時代の六畳間とは大違い、だそうである。


「ここが、提督さんの……」


 入り口であるドアの前に立ち、鹿島殿は感慨深く家屋の眺めている。
 ううむ……。昨日の宴会での言動から察するに、悪事を働くような娘でない事は分かっている。
 けれど、何かあってからでは遅いのだ。女所帯を守る唯一の雄として、心を鬼にせねば。
 そう決意した某は、ドアノブに手を伸ばそうとする鹿島殿のスカートの端を咥え、クイッと軽く引っ張った。


「きゃっ。ヨ、ヨシフ君? ついて来てたの?」


 そこでやっと某の存在に気づいたらしく、驚いた顔でこちらを覗き込む彼女。
 某はスカートを離し、白磁のような脚に纏わりつくようにしながら、段々と私室から遠ざけようと試みる。
 不審者相手であれば、噛み付いて引きずり回す事も可能だが、婦女子相手だと少々面倒であるな……。
 ともあれ、困惑する鹿島殿を押しやり、距離を取らせる事には成功した。これで某の意思を汲み取ってくれれば良いのだが。


「……? あ、そっか。仮にも提督さんのお部屋なんだから、警備システムがあって当然よね。迂闊に近づいたら危なかったわ……。ヨシフ君、偉い!」


 だから何故にそうなるっ。
 ポン、と小さく柏手を打った彼女は、満面の笑みで某の頭を撫で、斜め上の発言をした。
 いやいやいや違う、そうではないのだよ鹿島殿っ!?
 あまりの驚きに硬直してしまった某だったが、スキップしながら家屋を回り込もうとする後ろ姿を、狼狽しながらも追いかける。
 しかし、縁石を辿って追いついた頃には、すでに配電盤付近にある警備システムの操作パネルを見つけられてしまっていた。


「あった! ええと……。ふむふむ、単純な機械警備ね。システムの更新パッチを当ててない……。これなら、私でもクラック出来そう」


 どこからか携帯端末らしき物を取り出して、何やらゴソゴソと配電盤を弄っている鹿島殿。
 困った、某の位置からでは見えぬ。いい加減、強硬手段で止めねばならぬだろうか。
 だが、放っておいた所で大した事は起きないような気も……。
 あああ悩ましい、悩ましい事態だ。某はどうすれば……?


「伊達に、舞鶴鎮守府の秘書官はやってませ……んっと!」


 ――と、悩んでいる内に事が済んでしまったようで、鹿島殿は携帯端末をしまい、急ぎ足で玄関ドアへ戻って行く。 この行動力。流石は大殿の補佐役と言った所か。舞鶴でもさぞかし活躍しているのだろう。
 ……いや感心してる場合ではないぞ某よ! 全力で不法侵入しようとしているではないかっ!
 また慌てて追いかければ、今度はドアの前にしゃがみ込み、細い鍵棒のような物でガチャガチャやっている。
 さっきは日和ったが、これを止めねば番犬としての面目が立たん。いざ、網紀粛正っ。
 某は勢い良く不埒な婦女子へ飛び掛か――


「これで、よしっ。シリンダー錠で助かっちゃった。お邪魔しまぁす」


 ――る前に、開いたドアへ衝突してしまった。
 ズガン、と鈍い音。某も思わず「ギャウン!?」と鳴いてしまう。


「え? あ、ご、ごめんねヨシフ君! 痛かった? 痛かったよね。本当にごめんね」


 ヘバってうずくまる某の鼻を、鹿島殿は酷く申し訳なさそうに撫でてくれる。くうぅ、遅かったか……っ。
 というか、何故に解錠道具なんぞ持っているのだ。しかも使いこなしているのだ。本当に大殿の補佐役か?
 疑わしい眼を向ける某に気付かず、彼女は「一緒に入りましょうか」と室内へ。
 ……こうなっては仕方ない。またピッタリ張り付いて、妙な事をしないよう見張るしかあるまい。
 何も起こらなければそれで良し、見なかった事にしよう。某のダメダメな対応含め。


「清潔な空気……。使う人が居なくても、しっかりお掃除されてるんだ……」


 ドアの鍵を内から締め、スリッパを脱いだ鹿島殿は、畳間の中央に立ち深呼吸。
 もう太陽が顔を見せているからか、閉め切られたカーテンの隙間から差し込む光が、どことなく厳かな雰囲気を醸している。
 某も玄関マットで肉球を拭き、部屋へ上がらせてもらう。
 入り口脇の簡易キッチン。小型冷蔵庫。窓際の座卓。隅にあるクローゼット。押入れ。達筆過ぎて読めない掛け軸の掛かった床の間。
 何度か暁殿たちと入った事があるが、大殿が舞鶴へ行ってからは初めてだ。うむ、懐かしい匂いがする。
 そうしている間にも彼女は動き、薄明かりを頼りに、大殿の使っていた座卓へと近づいていく。
 何故かしばらく立ち尽くしてから、座椅子を引いてその上へ。


「座っちゃった……。これが、提督さんの見ていたもの、かぁ……」


 感慨深く呟いて、鹿島殿が座卓の上を指でなぞる。
 う~む。婦女子にとっては、普段は男が座っている場所に座るという事に、感じ入るものがあるのかも知れない。さっぱり理解できぬが。
 ついで、机の周りをキョロキョロと探り始める彼女だったが、最下段の大きな引き出しを開けた途端、ギクリと動きを止めた。
 気になって近づいてみると、広告の載った背表紙が上に向く雑誌があったようだ。


「ど、どうしよう。もしエッチな本とかだったら……っ。いいえっ、提督さんはそんな物……読んでなかったら不安かも」


 雑誌を手に取った鹿島殿は、困り顔を浮かべてはブンブンと首を振り、かと思えば急に落ち込んで見せ……。
 独り言も多いし、躁鬱の気でもあるのだろうか。色んな意味で心配になる娘である。
 そんな懸念を知らぬまま、彼女が意を決するような素振りで雑誌を表返しに。


「隔月刊 艦娘……。まぁ、これだったら健全な範囲、よね。うんう……ん?」


 印刷された表題を確認すると、目に見えて緊張を解く鹿島殿。
 そのままペラペラとページをめくり、ふと止まったのは……センターカラーの水着グラビア。といっても、犬である某には紫と青と黄色しか分からぬのだがな。
 文字も近眼であるが故に読めぬけれど、夜目は利くので、とにかく露出過多な女性の写真が載っているのは理解できた。
 なんだかんだ、大殿も女性への興味はあったらしい。実は男色家かと疑っていたのだが、金剛殿を始めとする皆には朗報だろう。


「そういえば私、水着って持ってない……。提督さん、どんな水着が好みなのかしら?
 あんまり露出が多いと、はしたないと思われちゃうだろうし、かと言って少な過ぎてもアピールできない……。難しい問題だわ」


 雑誌を置き、座卓に頬杖をついた鹿島殿は、悩ましげな吐息をこぼす。
 なるほど確かに。常に裸一貫の某たち犬と違い、日常のほとんどを着衣で過ごす人間にとっては、肌を見せるのが異性への訴えかけになる訳だ。
 しかしながら、人間には貞節やら何やらという概念もあるらしく、彼女が悩んでいるように、加減が難しいようだ。まこと、人間というのは難しい生き物である。
 だからこそ、全く違う種族である某にも、心を尽くしてくれるのだろうが。


「提督さんに選んで貰えたら幸せだけど、無理、よね……。
 うん、後でカタログとか見てみよっと。
 生まれて初めての夏は、提督さんとの関係を一歩進めちゃうんだから!」


 少しばかり難しい事を考えていたら、なにがしかの決意を固めたらしい鹿島殿は、雑誌を胸に明後日の方向を見ていた。とりあえず、頑張ってみて欲しい。
 その後、彼女はいそいそ雑誌を元あった位置へ戻し、はたと左の袖を捲る。時計を確認しているようだ。


「あんまり時間も残ってないし、見られるのはあと一箇所くらい……。となれば……」


 結構な時間が経過しているのか、気が付けば、部屋に入り込む光の量と強さが増していた。
 腹時計の具合いからして、おおよそ○四二○。バレない内に戻るつもりなら、あと十数分が限度か。
 次なる目標……いや、最終目標は決定していたのだろう。
 凛々しく表情を引き締め、鹿島殿が向かったのは……。


「目指すは、提督さんが使ってたお布団、ひいては枕!」


 なんと、押入れだった。
 音が出ないようにそろ~っと襖を開け、彼女は鼻息荒く中を覗き込む。
 布団? 枕? 何故にそんな物を目指す必要があるのか……。やはり理解できぬ。


「……あれ? なんで枕が二つ……?」


 不意に、後ろ姿の鹿島殿が小首を傾げる。
 某には見えぬが、何やら不測の事態が勃発したらしい。
 ゴソゴソと押入れの中を探り、振り返った彼女の手にあったのは、二つの枕。


「ど、どっちが提督さんのだろう……。どっちも無地で、色は緑と黄色……。可能性としては両方あり得るわよね。というか、両方とも提督さんのかな……?」


 ぺたん、と畳に正座し、二つの枕を前に腕を組む鹿島殿。
 ……ふむ。彼女にとっては、大殿が使用した物であるという事実が重要なのか。
 枕といえば、使用者の匂いが強く染み着くもの。某ならば判別は容易い。
 一肌脱ぐとしようか。


「こうなったら、匂いで確認を……ってダメ、ダメよ鹿島! そんなワンちゃんみたいなことっ。でも、他に方法なんて……っ」


 ……前言撤回。助けてやらん。
 身をよじって悶々する鹿島殿に悪意は無いのだろうが、微妙に犬の行動を恥と言われたようで不服なのだ。
 物の匂いを嗅いで何が悪いのか。匂いを嗅ぐという行為は、立派な自衛行動の一つなのだぞ? 全く……。
 それはさて置き、彼女は躊躇いがちに枕を手に取り、恐る恐る鼻を近づける。
 ヒクヒクと小さい鼻が動き、次にもう一つの枕を。


「ふむ。緑の方は、ちょっと野性味を感じる……。黄色の方は、微かにフローラルな香り……。つまり、提督さんの枕は黄色の方ね!」


 判定が下ったようで、鹿島殿は黄色い枕を両手で掲げた。
 ……うん? そうなのだろうか? 某は違う方だと思うのだが……。
 うむ。やはりこの距離でも分かる。床に置いてある方が大殿の枕で、彼女が持っているのはあの娘の……。
 と思った瞬間、有頂天だった視線が唐突に鋭くなった。キュピン! と擬音が入りそうだ。


「はっ、ちょっと待って。提督さんがアロマ・シガレットを吸い始めたのって、確か舞鶴鎮守府に移籍してから。
 今の提督さんは、常にアロマの良い香りを漂わせてるけど、横須賀時代は多分違うはず。
 つまり、提督さんが使っていた本当の枕は……。こっちの緑色の方ね! 私は騙されないんだから!」


 むぉ? い、いきなり正解を引き当てたな。
 詳細は不明だが、土壇場で正しい答えを導き出したという事は、それだけ大殿を深く想っている事の証左であろう。
 しかし、鹿島殿。騙す騙される以前に、女物の枕が何故にあったのかは疑問に思わぬのか?
 いや、本人が幸せそうというか、楽しそうだから別に良いのだけれども。


「ここにこうして……。よいしょ」


 某の複雑な心境を他所に、鹿島殿が畳へ大殿の枕を置き、身体の位置を変え、ポスン。
 頭を乗せて、静寂が十秒ほど。仰向けのまま彼女は呟く。


「なんでだろう。凄くイケナイ事してる気分。けど、なんか……良い」


 その表情は、実に恍惚としていて、かつ安らいでいるように見えた。
 なるほど。そういう事であったか。
 要するにこの娘は、大殿の使っていた物で、大殿の存在を近くに感じたかったのだな。
 某も、幼い頃は某だけで眠るのが怖く、暁殿の帽子の上などで寝ていた。当然ペチャンコになり、暁殿は涙目で某を叱り……。
 いやはや懐かしい。響殿の帽子にまで同じ事をしてしまい、「次やったら粛正エジョフシチナだよ」と微笑みかけられたのも、今では良い思い出である。
 怖くなかったのか? はっはっは。漏らしたに決まっておろう。響殿には絶対逆らいません。正直な話、大殿や暁殿より優先順位が高いのは秘密だ。


「……電さん、可愛らしい子だったな。やっぱり私じゃ、育ち過ぎなのかしら……。もう少し、色々と小さければ……」


 なんとなく隣に伏せてみると、鹿島殿はこちらへ寝返りを打ち、寂しそうに某の背中を撫でる。
 電殿。暁殿を長姉とする四姉妹の末っ子であり、大殿の“お気に入り”。
 確かに、鹿島殿と比べると一回り小さい体軀の持ち主だが、何故それが育ち過ぎという発言に繋がるのだろう。
 大殿が電殿を気に入っているのは電殿だからであって、身体の大きさは関係無いと思うのだが。女性というのは変な所で悩むものだ。


「ううん。挫けちゃダメ! 私には私の武器があるはず! 電さんには負けないんだからっ。頑張れ私!」


 しかし、意気消沈していたのも束の間。自分で自分を励まし、鹿島殿に笑顔が戻った。
 うむ。昨日知り合ったばかりだが、この娘は笑顔が良い。笑っていた方が素敵だ。
 横須賀の皆を知る者としては問題かも知れぬけれど、応援したいものである。


「さて、と。もうそろそろ食堂へ戻って……あ、一応誰か来ないか確認を……」


 大殿の枕を一頻り堪能し終え、二つ揃えて押入れに戻した鹿島殿は、部屋を出ようと玄関へ向かう。
 そして、いざドアを開けようとしてから、不法侵入しているのを思い出したのか、ドアスコープで外の景色を覗いた。
 うっかり誰かと鉢合わせでもしたら大変だ。慎重なのは良い事である。


(ん~……ん? な、なんで電さんがこっちに来るの!? かかか、隠れなきゃ!)


 ……なんですと?
 噂をすれば影が差す、という奴なのか。電殿がこの部屋へ向かっているらしい。
 これは不味い。とても不味いぞ。
 鹿島殿は一時の恥、お咎め無しで済む可能性もあるが、某はそうは行かぬ。
 番犬として宿舎の安全を守らねばならぬ者が、よりにもよって不法侵入を許した挙句、自分自身もそれに同伴したとあっては、皆の信頼はガタ落ち。今後の食事のグレードにも影響を及ぼす。
 ……逃げ場は無い。ならば隠れよう! きっとこれが最善手! ……だと良いが。
 とりあえず、右往左往しつつトイレへと駆け込む鹿島殿を、彼女が忘れたスリッパを咥えて追いかける。
 電殿が部屋のドアを開けるのと、トイレのドアが閉まるのは、ほぼ同時だった。


「お邪魔します、なのです……」


 電殿は控えめに声を発し、部屋の中へと上がったようだ。
 ふう……。なんとか身を隠せたな。
 音を出さぬよう鼻息を漏らす某。同じように深く溜め息をつく鹿島殿。
 すると、微かに襖が開けるような音が聞こえてきた。しばらくしてポスンと、さっき聞いたばかりの音も。
 やはり、大殿の物ではない方の枕は、電殿の物だったらしい。
 推察するに、自分の枕は普通に使い、大殿の枕は胸に抱えていると見た。
 なんとなくだが、当たっているような気がする。鹿島殿は緊張しまくり、まるで気付いていないが。


「鹿島さん、凄く綺麗な人だったのです……。あんな人が、いつも司令官さんの側に……」

(え? 私?)


 む。今度は電殿か。
 周囲が静かなせいか、小さな独り言はトイレの中にまで聞こえてきた。
 流石の鹿島殿もこれには気付いたようだ。自分の名前に驚き、耳を側立てている。


「きっと、あの人も……。やっぱり電じゃ、もう……。電は……」


 しかし、電殿の声は鹿島殿と違い、今にも泣き出しそうに聞こえる。
 潜伏中の鹿島殿ですら、心配そうな顔で様子を伺っていた。
 ……当然か。
 某が拾われてからはもちろん、それ以前からも、彼女と大殿は共にあったと聞く。
 どのような理由で、今の状況が作り上げられてしまったのか。某には考えすら及ばぬが、胸の内は理解できる。
 寂しくて、寒くて、叫び出したい程の虚しさを感じているに違いない。
 母を喪ったばかりの某がそうだった。暁殿と出会わなければ、どうなっていた事か。
 電殿は、大殿の枕に頼る事で、それをどうにか耐えているのだろう。
 枕を抱え、赤子のように丸まる姿を想像させられ、某まで寂寥感を覚えていた。恐らく、鹿島殿も……。

 ところがどっこい。
 次の言葉で、彼女は恐怖に顔を歪ませてしまった。


「枕から知らないひとの匂いがするのです」

(……くぁwせdrftgyふじこlp!?)


 両手で口を覆い、全身を硬直させる鹿島殿。
 叫ばなかった事を褒めるべきであろう。某、ちょっと漏らしそうだった。
 たった一度。ほんの数分間、頭を乗せただけの匂いを感知するとは、犬の中でも飛び抜けて優秀な……警察犬レベルでなければ無理だと思われる。
 電殿、恐るべし。


「今までこんなこと無かったのに……。侵入者……? 一体、誰が……」

(ぁわわわわ……。どうしよう、どうしよううううっ!?)


 パタパタと部屋を歩き回る足音から、電殿の警戒心がビシビシ伝わってくる。
 それに比例して、鹿島殿の混乱も深まるのが分かった。
 しかし――ガチャリ。隣のバスルームが開けられる音を切っ掛けに、ようやく動かなければならないと気付いたようだ。


(そうだわ、窓! とりあえず窓から逃げよう! この場を凌ぐ事さえ出来れば、なんとでも言い訳できるもの!)


 本当に最小限の、蚊の鳴くような声で呟いて、細心の注意を払いつつ、鹿島殿はトイレの窓を開けた。
 前座の蓋へと足を乗せ、できるだけ音を立てないよう、窓の外へ身を乗り出す。
 んが。


(あれ。あ、あれ? お尻が、つっかえて……!?)


 小柄な女性とはいえ、トイレの窓は狭過ぎたのだろう。
 鹿島殿の尻……というか腰が引っ掛かってしまった。
 ジタバタする度、窓枠が軋む。


「誰か、居るんですか?」

(ひっ!?)


 音を聞きつけ、電殿が呼び掛けてくる。
 鹿島殿は更にジタバタ。窓枠ギシギシ。尻がポユンポユン。
 これはもう、ダメであろうなぁ。
 さらば。某の番犬としての信頼度。
 さらば。三歳児までの健康をサポートしてくれるカリカリのドライフードよ……。


「御用改めなので……す?」


 バタン! と、激しい音を立ててドアが開く。
 立っていたのは、電球柄のイラストの描かれた、黄色いパジャマを着る少女。
 手に風呂掃除用のブラシを持つ、電殿だった。


「よ、ヨシフちゃんと……お尻?」


 彼女は厳しい表情を浮かべていたが、某たちを見て逆に困惑したようだ。
 スリッパを咥えてお座りしている犬と、ジタバタし続ける婦女子の尻。
 ……うむ。某であっても狼狽えると思う。


「そのスカート……。もしかして、鹿島さん、ですか?」

「っ!? ……ワ、私ハ鹿島ナド トイウ名前デハ アリマセーン。トト、トイレ ノ妖精デース」

「いくらなんでも、その設定は無茶なのです」


 正体を言い当てられ、鹿島殿が金剛殿っぽい抵抗を試みるも、あっさり切り捨てられる。
 それで諦めがついたのか、ジタバタしていた足がダランと垂れ下がり、下半身だけの姿から哀愁が漂い始めた。


「ううう、ごめんなさいぃぃ……。どうしても、提督さんのお部屋に入ってみたくて……。出来心だったんです……。謝りますから、助けて下さぁい……」


 きっと涙目になっているであろう鹿島殿の声で、電殿はなんとも微妙な顔付きに。
 苦味と酸味と甘味を一緒くたに味わったようなそれも、この状況では仕方ないだろう。
 方や、電殿には負けないと誓っておきながら、舌の根も乾かぬうちに醜態を晒すという有様。
 方や、大殿と離れ離れという苦境に立たされ、悲しんでいる真っ最中、窓枠にハマった桃尻を眺めている。
 酷い。改めて整理すると酷いぞこれは。


「えっと……。とりあえず、押せば良いですか?」

「は、はい。お願いしま――ぁんっ! ちょ、あの、お尻鷲掴みは、ひゃふっ!」

「すみませんっ、あ、あの、そんなつもりじゃ……!」


 とりあえず、某は無言でトイレの外へ。電殿と立ち位置を入れ替える。
 何はともあれ、鹿島殿の脱出に力を貸そうとする彼女であったが、手の置き場が悪かったか、艶っぽい喘ぎ声が響いた。
 ふむ。鹿島殿は尻が弱い、と。覚えたぞ。いや覚えてどうする某。


「じゃ、じゃあ、脚を引っ張ってみますから。う~ん……っ」

「ぐぇっ。ご、ごめんなさい、今度は胸が、窓枠につっかえ……!」


 それならば、と鹿島殿の両脚を脇に抱え、思いっきり引っ張る電殿であったが、尻に続いて別の出っ張りが障害となってしまったようだ。
 何故であろう。電殿の後ろ姿に、怒りの気配を感じた。触れないほうが良さそうである。


「すみません、鹿島さん。電だけでは、どうしようも無いみたいです。ちょっと人を呼んで――」

「お願いやめてっ!? なんでもしますからそれだけはっ!?」

「……な、なら、表に回ってみますね。あっちから引っ張れば、もしかしたら……」

「はい……。お手数をお掛けしますぅ……」


 某からすれば、別に見捨てても問題なさそうに思うのだが、人の良い電殿は最後まで付き合うようだ。
 腑に落ちない表情を浮かべつつも、某の横を通って部屋を出る。
 一瞬、ついて行こうかと思ったけれど、下手に動いて刺激するのは得策ではない。
 大人しく鹿島殿の尻を眺めて待とう。


「うう……。どうしてこんな事に……。宴会ではボロを出さずに済んだのにぃ……」


 何やら尻がボヤいているが、自業自得だと某は思う。
 ただ単に大殿の部屋へと入り、その枕に顔を埋めたかっただけなのだから、素直に鳳翔殿にでも言って入れば良かったのだ。
 犬だから理解できない部分なのだろうが、何故そうしなかったのか本当に理解に苦しむ。


「あ、電さん? とっても申し訳ないんですけど、出来るだけ早く、脱出……を……」


 ……ん? 鹿島殿の言葉が尻すぼみになったな。
 おそらく、電殿が外を回り込んできたのだろうけれど……?
 どうにも気になり、便座のフタの上へと移動。タンクに前脚をかけて窓の向こうを覗き込んで見れば、そこには電殿の頭と、予想だにしない人物がもう一人。


「どーもー。おはようございます、鹿島秘書官! 青葉型重巡洋艦の一番艦、青葉です! お困りのようでしたので、お手伝いに来ました!」

「ごめんなさい、一番見つかっちゃいけない人に見つかっちゃったのです……」


 ビシッと敬礼してみせる、セーラー服の彼女――青葉殿は、実に楽しそうな笑みを浮かべて鹿島殿を見ていた。
 電殿の顔は見えないが、声から察するに、きっと苦虫を噛み潰したような顔をしていると思われる。
 はて。どうしてそのような物言いをするのか。分からぬ。


「あ、青葉さんって、もしかしなくても、コラムを書いてらっしゃる……?」

「はい。そうですよ? けど、ご安心下さい! この事は内密にしますので。その代わり、鹿島秘書官と“お近付き”になれたら、青葉、とっても嬉しいんですが……」


 鹿島殿は、何故か身体を震わせつつ問い掛ける。
 対する青葉殿は笑顔を崩さず、朗らかに交友を深めようと申し出た。
 ほんの少し含みを感じた気もするが、気のせいであろう。青葉殿が妙なことをするはずがない。
 皆に隠れてオヤツをくれる娘は良い娘なのだ。うむ。


「も、もちろんですよぉ~……。宜しく、お願いします……」

「わーい! 青葉、感激ですー! それじゃあ、チャチャっと脱出しちゃいましょー!」


 鹿島殿の歯切れの悪さなど気にせず、青葉殿は満面の笑みで救出活動に移った。
 なんだかんだと騒がしい朝であったが、終わり良ければ全て良しとよく言う。
 某の失態も誤魔化せ、鹿島殿には友人が増えて、めでたしめでたし。
 この調子で、某を囲む少女たちのあれこれも、万事めでたく転がってくれれば良いのだが。
 四角いトイレの窓に切り抜かれる、明け方の空を見上げながら。某は、そう願ってやまないのだった。

 ……時に皆々様。
 朝食はまだであろうか? 某、お腹空いたでござる。





「うーむ。鹿島秘書官、身体の向きを変えてもらえますか? 横向きならなんとか……」

「じゃあ、電は下の方の手を引っ張りますね。鹿島さん、いきます!」

「お願いしま――あ、待って、スカートが窓の鍵に、ちょっと待、脱げ、脱げちゃいますうぅ!?」




















 皆様、お久しぶりです。色んな意味で世の中を呪いたくなる日々を過ごしていた筆者ですが、元気でやっています。
 身バレしない程度にフェイクを入れてお話ししますと……。

○勤め先でお世話になっていた上司が退職する事になり、送別会にフル参加。引き継ぎなどで忙しくなる。
○せっかく引き継ぎしたのに、以前からのゴタゴタで会社が事業を畳むことになってしまい、自宅警備員に強制ジョブチェンジ。
○しばらく呆然と過ごす。
○どうにか再就職先を見つけて、自宅警備員から再びジョブチェンジ。
○新人研修が終わったと思ったら、DQNカーに追突されて自家用車が全損。現在、弁護士を通じて話し合い中。

 ……という感じでした。
 合間合間に描く時間はあったはずなんですが、どうにもやる気が出ずに、三ヶ月近くも空いてしまいました。本当に申し訳ない。
 まだ新しい職にも慣れていませんので、次回の更新時期は未定ですが、とにかく執筆できる状態には戻りましたので、今後とも宜しくお願いします。

 それはさて置き……。ヒャッハー! 夏イベを通り越して秋刀魚漁、ひいては秋イベ(もう冬イベで良いんじゃね?)目前だー! 今回も無理せず攻略しまっせー!
 ちなみに、夏イベは甲甲丙乙でクリアし、新規艦娘も全員GET済みです。
 ウォースパイトちゃん美人。ニムちゃん水着全損とかエロい。そしてアンツィオ高校の学園艦さんが弱くてゲッフゲッフ調子に乗ってて可愛い。
 他の成果は、谷風除く十七駆がワンセットと天城葛城、江風が数隻と三隻目の海風(母港の都合によりカーンカーン)くらいですか。オイゲンさんは出ませんでした……。
 イベント前に二隻目の明石さんとか、イベント後に四隻目の大鯨ちゃんとかは掘っちゃいましたが。おのれ物欲センサー。
 浦波ちゃん? 実装三日目に、演習でネタバレ食らってモチベ直滑降した途端に来てくてました。……なんか、なんかこう、なんかさぁ!
 あ、基地航空隊は一つだけ開放出来ました。久々に5-3やってますけど、やっぱり夜戦マップはキツいっすわぁ。

 さてさて。今回は短いバカ話。肝心な所で心の機微が分からないヨシフ君が主役でした。名前は議長なのに武士っぽい。
 余談ですが、グラビアで水着姿を披露していたのは、吉田元帥の伊勢さんと日向さんです。
 伊勢さんが花柄の際どいビキニで、日向さんは一見、ホルターネックの白いワンピース。しかし背中はお尻辺りまでザックリ開いてます。
 んでもって、何故か水着姿でサーベル構えたり、バレーボールしたり。……好きな人にアピールする為とはいえ、よくやるわ。
 次回からはまたシリアス風味。初々しい香取姉と、まだ完全に振り切れてない主人公のお話となります。
 更に、某乳風さんと三方差分過多さん(実は古株)の初励起も描きます。少々お待ちくださいませ。
 それでは、失礼致します。


「いやー、今朝は大変失礼しました。それで早速なんですが、インタビューさせて貰っても良いでしょうか? 舞鶴艦隊の美人秘書官姉妹についてお聞きしたいんですけども……?」
「えっ。び、美人だなんて、そんな……。私なんか、香取姉と比べたらまだまだで……。でも……」
「でも?」
「お話しするの、食後の運動を終えてからで良いでしょうか? 無駄かも知れませんけど、ちょっとダイエットしてみたくて……」
「……あ、了解しましたー。ではまた後ほどー」





 2016/10/22 初投稿







[38387] 在りし日の提督と成功たる証・前編
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/12/10 12:09





「あの……。■■さん……?」

「なんですかー提督ー」


 控えめに声を掛けてくる提督へと、■■■は雑誌のページをめくりつつ、ぞんざいに返事をした。
 場所はいつもの執務室。来客用のソファに、うつ伏せに寝そべっている。
 普段なら怒られよう態度にも関わらず、彼はとても申し訳なさそうな表情。
 ま、当然ですけどね。これ、当てつけですし。■■■、怒ってますし。


「た、大変恐縮なんでありますが。……執務室で求職情報誌を見るのは、控えて頂きたいなぁ、と、思いまして……」

「えー。良いじゃないですか。どーせ転職なんて出来ないんですし。一生、提督の側でお仕えするしかないんですしー? ちょーっと夢を見るくらい、良いと思うんですよ?」


 足をパタパタ。
 微笑みと嫌味を叩きつければ、ますます青くなる提督の顔。
 滝のような汗まで流れ出し、重苦しい沈黙が広がった。
 やがて耐えられなくなったのか、おもむろに彼は席を立ち……。


「もうそろそろ許して下さい! たまのバカンスにハメを外しちゃっただけなんだ! 決して、決して意図的に君の事を忘れた訳じゃないんですぅううっ!?」


 見事なスライディング土下座を披露してくれた。
 どうしてこんな事になっているのかと問われれば、それは先日行われた、■■■の巫女体験が原因である。
 ■■■はですね、とっっっっっても不本意だったけど、提督のためならと思い、頑張って慣れない巫女服を着て、大きなお友達へ笑顔とおみくじを振りまいていた訳です。
 だというのに。だというのに! 提督はそんな■■■の事を忘れて食べ歩きしてたんですよっ。
 一緒に巫女やってた■さんたちと、一緒に合流してビックリ。明らかに体重が増えてたし。
 まぁ確かに? 飛騨牛と近江牛を使ったお料理は大変美味しゅうございましたが、疲れ切った■■■たちを出迎えた脂ギッシュな提督の顔が、どうにも憎たらしく……。
 という理由があって、■■■は現在、反抗期真っ盛りなのである。ふんっ。


「口ではなんとでも言えますよ、なんとでも」

「本っ当に、反省してますから! ええと、あれだ、ほら。巫女服似合ってたぞ! 超可愛かった、日本一。いや世界一。否! 宇宙一可愛かったですっ。結婚しよう!」

「だったら今すぐ婚約指輪下さーい。給料三ヶ月分の」

「うっ。も、持ち合わせが少々、心許なくて……。時間を貰えればなんとか……?」

「はぁ……。■■■、甲斐性無しの提督のとこじゃなくって、二佐のとこの子に産まれたかったなー」

「そんなこと言わないでさぁ!? 許して下さいお願いしますっ!」


 情けなさ過ぎる彼の土下座に、■■■は思わず溜め息をこぼす。
 最近ようやく分かってきた。この人、油断するとすぐに調子乗っちゃう人なんだ。
 別に本気で言ってるわけじゃないけど、■■■がしっかりしなきゃ、大変な事になりそう。これから先が思いやられる。
 と、悲嘆に暮れつつ転職情報誌を閉じた瞬間、代わりとばかりに執務室のドアが開いた。
 息を切らせて飛び込んで来たのは……■■■くん?


「■兄ちゃん大変だ! SMなんかしてる場合じゃない!」

「何を言うか少年っ、■■が新しい趣味に目覚めたらどうしてくれる!? 土下座プレイと訂正しなさい!」

「目覚めるわけないでしょうバカなんですか!? ……それで、■■■くん。何かあったの?」


 真顔で変なことを言う提督に雑誌を投げつけ、■■■くんへと問い掛ける。
 疑わしい瞳が、「やっぱSMじゃん」とか言ってそうだけど、無視しよう。
 ■■■くんも深くは突っ込まず、興奮気味にまた口を開く。


「まだオフレコの段階なんだけど……。■■■家の次期当主が、傀儡能力を得たらしいんだよ!」

「なんだって?」

「……はい? え? それって大ニュースなんですか?」


 提督がおふざけモードから若干引き戻された事から、衝撃的な情報なのは予測できたけれど、■■■にはいまいち伝わってこない。
 その割に、■■■家という単語に聞き覚えがあるような、ないような……。


「当たり前じゃんか──っつっても■■姉ちゃんには分かんないか。えっと、■■■家ってのは………………■兄ちゃんパス」

「少年、面倒臭くなったな? まぁ良いが。オッホン! それでは解説しよう。■■■家とは!」


 首をひねっていると、怪訝な顔をした■■■くんが提督に話を投げ、受け取った彼は立ち上がり、得意げに胸を張って話し始めた。
 要約すると、■■■家とは世界有数の資産家の一族であり、国防費も負担する、いわば■■■たちのパトロン。
 その現当主は、日本における傀儡艦第一号である■■■を、私財を投げ打って建造した傾奇者……らしい。
 ■■■家は血筋よりも能力を尊び、故に実の息子さんではなく、お孫さんが次の当主になるだろう、というのが関係者の見解だそうな。


「なるほど……。■■■を建造したのは■■■家の現当主で、そのお孫さんが軍に入るんですね」

「そのようだ。今までは、私や少年のように一般市民からだったり、二佐のような、もともと兵役に就いておられた方が、能力者として召し抱えられていた訳だ」

「政財界に関わる人間が入ってくるなんて、ロクなもんじゃないよなー。ぜってー嫌味な金持ちのボンボンだぜ?」

「しかし、少年。これが息を切らせて飛び込んで来るほどのニュースとは、流石に私も思えないんだが……? いや、大ニュースではあるが」


 今度は提督が首をひねり、■■■くんに疑問を投げかける。
 今まで縁遠かった政財界の偉い人が能力者に。
 物凄く気を遣いそうだし、■■■くんの言う通り、嫌な人だったら困るけど、仲間が増えるのは純粋に良い事だと思う。少なくとも、血相を変えて知らせに走るほど重大だとは……。
 図らずも同意見となった■■■と提督。
 ところが、■■■くんはあっけらかんと、更なる情報を口にした。


「そりゃそうだよ、本題は別にあんだもん。実は……。
 次期当主の教導官に爺ちゃんが選ばれてさ、そのボンボンが一時的に横須賀に配属されるらしいんだ。
 それに合わせて、現当主がここを視察に来んの! しかも今日!」

「んなっ、き、今日!?」

「と、突然過ぎません!?」

「いや、俺に言われても困るんだけど。とにかくそういう訳だから、色々と準備を──んぁ?」


 ■■■家の現当主がやって来る。
 それは即ち、職場に社長が突撃訪問するようなもの。確かに一大事だ。
 今度こそ、驚きで色めき立つ■■■たちだったが、しかしその時。開けっ放しだった廊下への扉から、人影がヌッと入り込んできた。
 豊かな白い髭を蓄え、紋付袴で杖をつく、腰の曲がったお爺さん。その後ろには、数人の黒服の男性も。
 祝いの席に出向こうとした、近所のお年寄りが迷い込んだ風体ながら、異様にギラついた両眼が、無視しきれない存在感を漂わせていた。
 だ、誰だろう、このお爺ちゃん……?


「ふぅむ。お前さんが、重巡洋艦■■。そして、そっちの若造が■■ ■■■だな」

「は、はい。そうですけど……」

「失礼ですが、貴方は? 所属と氏名をお聞かせ願いたい」


 お爺ちゃんは無遠慮にこちらへと近づき、■■■と提督を舐めるように値踏みする。
 思わず背筋がゾクっとしてしまい、そんな■■■を、彼は背中に庇ってくれた。
 いつもはダメダメなのに、こういう時はすぐに気が付いて、キリッとした表情をするんだから、ちょっとズルい。場違いだと分かっていても、つい背中に縋り付いてしまう。
 それをどう思ったのか、お爺ちゃんは「ふふふ」と悪役染みた含み笑いを浮かべ、カン、と杖で床を突いた。


「よかろう。ならば聞かせてやる。儂こそが、そこな■■の建造を主導し、国防資金の二割を負担する大財閥、■■■家の当代。■■■ ■■■であ──」


 メキッ。


「──ぐふぉ!?」


 ……の、だけども。
 ご自分の名前を名乗り、背筋を伸ばそうとした刹那。お爺ちゃんから嫌な音が。
 例えるなら、ギックリ腰をした時のような。いえ、経験無いですが。


「あ、あのぉ……。なんだか、物凄く嫌な音がしたんですけど……。大丈夫ですか……?」


 額に脂汗を滲ませ、プルプル震えるお爺ちゃんに、■■■は恐々、声を掛けてみる。
 すると、さっきまでの威圧的な雰囲気はどこへやら。お爺ちゃんは眼に涙を浮かべていて。


「すまんが、て、手を貸してくれんか。久々に威張ろうとしたら、腰やってしもうたわい……」

「えええ……」

「御老体……」

「歳考えろよ爺さん……」

「黙れ小童! 儂はまだ八十手前だぞ──ひぐぅ!?」


 ■■■、提督、■■■くんの順に呆れ返り、怒ろうとしたお爺ちゃんがまた、腰を押さえて悲鳴を上げる。
 どうしよう、これ。背後に控えていた黒服さんたち、めっちゃ汗かいてるんですけど。想定外の事態ですか?
 ……とりあえず、これだけは言わせて欲しい。
 ■■■の平穏な日常返して。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 闇が、這い寄ってくる。
 それは善意のようであり、愛情にも似て、しかし極上の悪意であった。
 嫌だ。止めてくれ。来るな、寄るな、離れろ。
 どんなに懇願しても、闇は音もなく忍び寄る。
 もがく事すら出来ない。この腕は。この脚は。冷たい寝台へと雁字搦めにされているのだから。
 やがて喉元に手が掛かり、顔らしきものに覗き込まれる。
 光の尾を引く双眸は、やがて単眼となり、突然、唇を塞がれた。
 体内へ侵入しようと、舌が唇を押し広げ、抵抗虚しく、闇が口内を這う。
 嫌悪感は最初だけ。
 甘美なる快楽を与えられ、次第に脳は麻痺していく。

 そして、“自分”は。


「やメろッ」


 渾身の力で闇を振り解き、組み伏せ、右の貫手を突きたてようと振りかぶる。
 人体はおろか、鋼鉄の板すらも容易く破れるであろう、必殺の意思を込めたそれが、女の形をした“影”へと──


「て、提督?」


 ──突き立てられる寸前で、止まった。
 違う。“これ”は、違う。
 淀んだ思考がそう訴えかけ、霞む眼を凝らしてみれば、自分は女性を組み伏せ、その胸元へ右手を突き付けていた。
 後頭部でまとめた、くすんだ色味の長い金髪。
 士官用の礼服を思わせる衣装に身を包み、フレームのない眼鏡の奥で、瞳を困惑に揺らす彼女は、確かに自分の知る人だった。
 伊勢、日向に続いて励起し、舞鶴の秘書官として任命した、統制人格。
 香取型練習巡洋艦一番艦 香取だ。


「……かと、り?」

「は、はい……」


 どうにかして声を絞り出すと、戸惑いながらも返事をくれる彼女。
 しばし呆気にとられ、それから辺りを確認。
 自分と香取が居るのは、壁際に据えられたベッドの上だった。
 家具らしい家具は見当たらず、ベッドの反対側の壁に埋め込まれたクローゼットがあるだけ。一つしかない窓から光が差し込み、朝である事を教えてくれている。
 まだ馴染みのない、舞鶴における自屋だった。広さは二十平米ほどか。


「起床時間に、なりましたので。起きて頂こうと部屋に入ったのですが、酷く魘されていましたので、それで……」

「……すまない。悪い事を」

「いいえ。問題、ありません。どうかお気になさらず」


 たどたどしい説明を聞き、そこでようやく、自分が彼女に危害を加えかけていたと気付く。
 香取は許すと言ってくれるけれど、気分は晴れない。
 横目にも分かる青空が、書き割りのような異物感を放っている。
 と、そんな時、背後で何かが蠢く気配を感じた。


「あのぉ、どうかしました? なんか変な声……が……ぉぉおお邪魔しましたぁ!?」


 ヒョッコリと顔を覗かせ、眼を丸くし、瞬く間に逃亡してしまったその人は、横須賀鎮守府の警備員から、調整士へと転身した疋田 栞奈さん。
 見事な慌てっぷりに、自分は困惑。なんとなく香取と見つめ合って、原因に思い至った。
 黒いTシャツとジャージのズボンを履いているだけの男が、朝から女性をベッドに組み伏していれば、そりゃあ勘違いするに決まっている。


「勘違い、されてしまいました、ね……」

「そうだ、な……」


 先程までと違う意味で気不味くなり、ぎこちなくベッドから距離を取る。
 身体を起こし、乱れた着衣を整える彼女の姿は、それこそ“事後”のような、いかがわしい雰囲気を醸し出していた。
 ……いや、自分の気のせいだ。あの感覚に引きずられているだけ。さっさと眼を覚まさなければ。


「え、ええと。朝食の御用意が整っています。お召し上がりになりますか?」

「ああ。みんなは……もう起きてるか、この時間じゃ」

「はい。皆さん、提督をお待ちになっています」


 背を向ける自分に、香取が問い掛けてくる。本来の要件はこちらのようだ。
 つい一週間ほど前に落成したばかりの、新生舞鶴鎮守府庁舎。
 梁島提督の方はどうだが知らないが、自分たちに用意されたのは、住居一体型の、高級ホテルのような建物だった。
 しかし、艦隊を構成する統制人格はまだ少なく、執務室に程近いフロアで、皆が集まって暮らしている。
 一つの階層で生活を完結させられる仕組みらしい。


「分かった、すぐ行く。先に戻ってくれるか」

「……はい。では、失礼致します」


 衣擦れの音で、香取が立ち上がり、深く礼をしたのが分かる。
 そのまま彼女が立ち去るのを待ち、部屋に備え付けの洗面所付きトイレへ。
 冷たい水を顔にかけ、滴るままに鏡を見つめた。
 自分の顔だ。左眼を閉じた、自分の顔であるはずだ。
 けれど、一瞬。
 見知らぬ“誰か”の顔が、オーバーラップしたように見えてしまった。


「夢……。あの時の……? 違う、その前に、何か……」


 起きる直前に見ていたのは、舞鶴事変の夢だ。
 ベッドの上で拘束され、見知らぬ人影を幻と思って、激情を吐露し。
 “左眼”を、経口移植された時の。
 珍しい事ではない。
 あのシーンを再現されたのは久しぶりだが、悪夢を見るのなんて何時ものこと。
 でも、今日に限って“何か”が違う気がした。
 悪夢を見るもっと前に。とても重要な“何か”を見たような……。


(……駄目だ。思い出せない)


 どうにかして思い出そうとするものの、定かなのは影との接吻までで、それ以上は遡れなかった。
 もう一度、鏡を確かめる。
 水を滴らせる、不機嫌そうな男がいるだけ。
 ……やめよう。
 みんなが待ってくれているんだから。

 己への不信感を、水気と一緒にタオルで拭き取り、自分は正装──黒の詰襟に着替えて部屋を出る。
 建物の中央へ向かって、豪奢な赤い絨毯を踏み、幾つかの部屋を通り過ぎ。
 数分と経たない内に、目的の部屋のドアを開く。
 階を移動するエレベーター近くにあるそこは、小さな定食屋が丸ごと収まりそうな部屋だった。
 意外にも純和風な室内。その奥座敷に、卓袱台を囲む複数の人影が。


「あ! もう、提督遅いー! お腹空いちゃいましたよーっ」


 真っ先に不満の声を上げたのは、主任さん──いや、明石だった。
 釣られるようにして、他の二名もこちらを振り向く。背筋を伸ばして正座する、伊勢と日向だ。
 あと二人ほど居るはずなのだが、多分、配膳の準備でもしてくれているのだろう。


「待ってないで、先に食べてても良いんだけど……」

「それじゃあ一つ屋根の下、一緒に暮らしてる意味ないじゃないですか。とにかく御飯! ごーはーんー!」

「分かった、分かったから」


 まるで子供のような振る舞いの明石に、自然と苦笑いを浮かべつつ、彼女と伊勢の間へ腰を下ろす。
 ほとんど間を置かないで、伊勢がお茶の入った湯飲みを出してくれた。


「おはようございます、提督。よく眠れました?」

「……あまり。夢見が悪かった、ような気がする」

「ハッキリしないな。覚えていないのか」

「思い出そうとすると、思考にモヤが掛かるんだ。思い出せるなら思い出したい。
 それと……遅くなった。おはよう、日向。伊勢と、明石も」

「うむ。おはよう」

「ふふっ、おはようございます。二回目ですけど、ね?」

「一番最初に声掛けたのに、名前出るの最後ですかぁ……? まぁ、おはようございます」


 湯飲みに口をつけ、斜向かいの日向と朝の挨拶を。
 次いで、伊勢、明石にも視線を滑らせれば、爽やかな笑みが返ってくる。
 こうしていると、最初の頃を思い出す。
 まだロクな艦隊も組めずに、小さな卓袱台を、“あの子たち”と囲んでいた日々を。


(……女々しいな。自分で捨てた癖に)


 お茶から昇り立つ湯気に浮かんだ過去を、息で吹き消した。
 今は駄目だ。過去を羨んでは、ここに居る“みんな”を、侮辱する事になる。
 もっと自分という存在を大きくして、全部を背負えるようになって。許しを乞うのはそれからだ。


「お、お待たせしました……」


 密やかな決意を緑茶と共に飲みくだしていると、盆に載せられた和定食が、目の前に運ばれてきた。
 配膳してくれたのは、割烹着姿の疋田さんだ。他は香取が、同じように膳を配っている。
 しかし、疋田さんの頬は妙に赤く、視線はあっちこっちに行ったり来たり。
 これは……。間違いなく、さっきのを引きずっているのだろう。
 早めに訂正しておいた方が良いな、うん。


「どうも。……疋田さん、さっきの──」

「いえっ、大丈夫です! 私は何も見てませんから!」

「ですから、疋田さん? 先程から何度も言っていますように、私と提督は何も……」

「そうですね、何もないんですよね、分かってますよーハイハイ」


 弁明は食い気味な声に潰されてしまった。
 見兼ねたのか、香取も疋田さんに声を掛けるのだが、反応は変わらない。
 ううむ……。相変わらず、変な所で暴走気味な人だな。どうしたものだろう……?


「え。なになに? もしかして提督ってば、朝から香取秘書官を押し倒しちゃったとか?」

「おい伊勢。やめないか、朝っぱらから下世話な」

「何よー、日向だって気になるでしょー。ほらほら明石、一歩リードされちゃったかもよ? そこんトコどうなのさー?」

「あ、伊勢さん。お醤油取ってもらえます?」

「あれーガン無視されてるー!?」


 首をひねる自分を他所に、テンション高く騒ぎ立てる伊勢。
 日向がそれをいなし、明石はマイペースを崩さない。
 ショックを受けたっぽい反応の伊勢だが、「はいどうぞ」と醤油差しを渡す姿を見るに、ノーダメージのようだ。
 大袈裟に過ぎると思わないでもないけれど、この明るさは有り難い。正直、救われる。
 と、そんな風に和んでいた所、配膳を終えたらしい香取が、パン! と手を打つ。


「はい、そこまで! 皆々様、そろそろ朝食に致しましょう。提督、音頭をお願いします」

「分かった。……では、頂きます」

『頂きます!』


 秘書官らしい……と言うより、委員長っぽい香取の仕切りで、ようやっと朝餉の時間が始まった。
 まぁ、先に焼き魚へと醤油をかける明石のフライングもあったが、とにかく食事だ。
 ワカメと油揚げの味噌汁、焼いた魚の干物、出汁巻き卵、納豆、海苔、お新香、白いご飯。
 当番的には、香取と疋田さんの作であるはず。味は期待できるだろう。
 さっそく焼き魚を口に運ぶと、香ばしく焼けた匂いが鼻に抜けて、美味しさを演出してくれる。
 他のみんなも、それぞれに舌鼓を打っているようだった。


「提督、今日は──っん、新しく統制人格を励起するんですよね?」

「そのつもりだ。あの二人を呼べば戦隊を組める。急拵えではあるけど、作戦行動も可能になるし」

「桐林舞鶴部隊、本格始動という訳か」

「やっと実戦で瑞雲を飛ばせるのねー。柄にもなくウキウキしちゃう!」


 ご飯を飲み込む明石への返答ついでに、今後の行動方針を軽く確認する。
 現状、舞鶴に属する自分の統制人格は四名。明石、伊勢、日向、香取だ。
 しかし、まともな戦闘行動が可能な艦に限ると、航空戦艦である伊勢たちのみとなってしまう。
 軍艦が二隻以上揃えば一つの戦隊だが、二隻だけで作戦行動を遂行させるなんて、無茶もいい所である。
 そこで今回、陽炎型駆逐艦一隻と、甲標的を運用可能な水上機母艦を新たに励起。編成する事で、最低限の戦闘をこなせるだけの戦力を整えるのだ。
 じきに、史実では搭載する事の叶わなかった瑞雲を、思う存分飛ばせられるようになるとあって、航空戦艦二名の顔は気合いに満ちていた。

 彼女たちを頼もしく思うと同時に、自分はふと、別方向からの視線を感じ取る。
 真正面に座り、遠い目で何かを妄想していそうな疋田さんではない。
 その隣──日向の反対側に腰を下ろす香取が、こちらをジッと見ていた。


「どうした、香取」

「あ、いいえ。なんでもありません。お新香、如何でしょう? 少し、塩の配分を変えてみたのですが」

「……うん。美味いよ。ちょうどいい」

「では、次回からもこのように」


 たおやかに、香取は微笑む。
 完璧で美しいそれを、しかし、素直に受け止められない。
 彼女は何を誤魔化したのだろう。
 静謐な眼差しに込められていた感情は、一体どんなものなのか。
 気になりはしたが、この場で問い質そうとは思わなかった。
 真面目な彼女だ。
 重要な事であれば、いつかきっと話してくれるだろうと信じて、彼女の作った漬物を噛み締める。

 この時の自分は。
 それが正しいと、愚かにも思い込んでいたのである。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ○九○○。
 必要な申請を終え、励起予定の二隻が停泊する乾ドックへ向かった自分たち五人を出迎えたのは、実に予想外な人物だった。


「遅かったな」


 自分と同じ、黒の詰襟を着る偉丈夫。梁島 彪吾、提督。
 “両手”が腰の後ろで組まれていた。今日は義腕を着けているようだ。


「何故、こちらに」

「そろそろ舞鶴にも慣れた頃合いかと思ってな。様子を見に来た」


 一礼してから問い掛ければ、然も当然と彼が答える。
 額面通りに受け入れる事が出来ないのは、自分が疑り深いだけではないと思う。
 しかし、今この時に限って言えば、それはどうでも良い事だった。
 もっと気に掛かる存在が、梁島提督の遥か後方……。励起時の情報を観測する機器群の側にあったからだ。
 細かい調整をしているのだろう、長い黒髪を持つ、その少女は。
 横須賀で、長く自分を支えてくれた、書記さんに違いない。

 無事だった。
 明石同様、丸っきり情報が入ってこなかったが、忙しなく動く様子は健康そのものに見える。
 舞鶴事変で負傷した、という事しか教えられていなかったし、ようやく胸のつかえが取れた気分だ。
 主任さ──明石も同じ気持ちらしく、無言ではあっても、表情が「良かったぁ」という気持ちを物語っていた。
 というか、すぐさま走り出して飛びついたりしそうな、そんな雰囲気もある。


「桐林。明石。貴様たちに一つだけ言っておく事がある。
 あの娘は、横須賀での記憶を失っている。そのつもりで行動しろ」


 ──が、しかし。
 冷たく硬い声が、喜びに水を差す。文字通り、心に冷や水を浴びせられた。
 記憶を、失っている。
 忘れている。
 自分たちの事を?
 にわかには信じ難く、けれど、梁島提督の顔を見る限り、嘘ではないだろうと理性が判断して。
 それでも、口に出さずには居られなかったのだろう。
 明石が彼へと、うわ言のように問い掛けていた。


「う、嘘……。じゃあ書記さん、アタシや疋田さんの事を……」

「ああ。あの娘の中では桐林でなく、無名の能力者に仕えていた事になっているのだ。
 それに合わせ、自分自身で記憶を改竄している節が見受けられる。そこの……明石の前についてもな」

「そんな……。一体、どうしてっ?」


 叫び出したいであろうに、明石は書記さんに気付かれまいと、声を殺して詰め寄る。
 今にも泣き出しそうな少女を前にして、だが梁島提督は全く動じなかった。


「誰も彼もが、現実をそのまま受け入れられる、強靭な精神構造を持っている訳ではない。あの娘にとって、舞鶴事変は防衛機制を働かせるに値する事だったのだろうよ」


 防衛機制。
 様々なストレスから自己を守るために働く、心の作用。適応機制とも呼ばれる。
 だが、舞鶴事変においての、書記さんの立ち位置をほとんど知らない──疋田さん共々、助けに来てくれた事しか知らない自分には、どうにも信じられなかった。
 何かを隠しているんじゃないのか。
 彼自身に都合が良いよう、肝心な所をボカして、本心を誤魔化しているのでは。
 覚えてはいないけれど、一度殺されかけた身としては当然の疑念だと思う。
 それが視線として、言葉として現れるのを、止めようと思わなかった。


「随分と他人事ですね。いえ、実際に他人事なのでしょうけれど、彼女を預けなければならない身としては、不安になります」

「……否定はせん。なじりたければ好きにしろ。だが、下手にあの娘を刺激すれば、今度こそ壊れるぞ」


 露骨な皮肉に、端正な顔立ちが歪む。
 けれどそれは、見間違いかと思わせるほどの刹那に消え、またも冷徹に事実を突きつける。
 一体なんなんだ、この男。
 自分を殺そうとしたり、明石とあんな形で引き会わせたり、書記さんを気遣う素振りを見せたり。
 梁島 彪吾の根底に根ざす、行動理念と言うべきものが、見えて来なかった。全く理解できない。
 理解できないけれど、それは、今考えるべき事でもないのだろう。
 気掛かりだけど。心残りだけども、“提督”のうりょくしゃとして優先すべき事がある。
 そのために、自分は感情を奥歯で嚙み殺す。


「話は、それだけですか」

「ああ」

「では、励起作業を行いますので」

「うむ」


 目線を外し、自分は歩き出した。
 隣には明石が小走りに続き、沈黙を守っていた伊勢、日向、香取、疋田さんの四人も。
 艦首をこちらへ向ける二隻の間で、変わらず作業をしている小さな背中が見える。
 近く影に気付いたのか、作業をしていた手を止め、背筋を伸ばしていた。
 初めて会う高官を、出迎えるが如く。


「提督……。あの、アタシ……」

「自分は大丈夫だ。……今は堪えてくれるか、明石」

「……はい。頑張って、みます」


 軍服の肘をつまみ、酷く不安げな上目遣いを見せる明石へと、振り向かずに言う。
 彼女を知っている。
 顔を。名前を。誕生日を。好きな食べ物を。苦手な物を。
 でも、知らないふりをしなければ、彼女が壊れてしまうから。
 そうと知られぬよう、密かに深呼吸。
 目の前で、見慣れた少女が、馴染みの動作で頭を下げる頃には、強い自分をイメージ出来ていた。


「お初にお目に掛かります、桐林大佐。私は、梁島提督の元で秘書官をしておりま──」

「初めまして、秘書官殿。早速ですが、準備のほどは」

「──あ。は、はい。既に」


 名乗ろうとする声を遮り、一瞥しただけで彼女から顔を背ける。興味が無い、という体で。
 聡い少女だ。以降は、作業と記録に関する注意点だけを簡潔に伝え、機械の側で控えた。
 これで良い。優しくして傷付けるくらいなら、突き放して守る方が、良いに決まってる。

 記録機械の起動を待つ間、気不味いような、息苦しいような沈黙が広がった。
 それを嫌ったのだろう。香取が一歩前に進み出て、右手に見える船──駆逐艦を見上げ、その名と経歴を諳んじる。


「陽炎型駆逐艦。十三番艦、浜風。
 ミッドウェー、ガダルカナル島、ソロモン、マリアナ、シブヤン海、坊ノ岬……。
 様々な海戦を生き抜き、数々の軍艦の最後を看取りながら、数千に及ぶ人命を救助した艦ですね。
 何か、狙いがあって建造を?」

「いいや、特にない。明石に任せただけだ。……香取と違ってな」

「そう、なのですか」


 自分の返答に、香取はそれとなく眼を伏せる。
 何かを問い質したくて、けれど出来ずにいるような、焦れったいもどかしさ。
 上手く隠しているように見えても、自分にはそれが分かってしまう。
 可能なら、この場で気掛かりを解消してやりたかったが、自分が口を開く前に、梁島提督が記録機器の側へと。


「伊勢、日向は増震機の補助が足りないまま励起したと聞いた。同じ事は可能か」

「……おそらく」

「ならば、今度は増震機を使わずにやって見せろ。興味深い」


 有無を言わせぬ雰囲気で、彼は励起の指示を下す。
 特に断る理由も無いし、命令口調に思う所も無い。
 今までは機械の補助を受けながら励起を行っていたが、今の自分ならば、無しでも励起可能だという確信があった。
 香取への説明を後回しにして、自分は駆逐艦に向き直り、意識を集中する。

 いつも感じていた、空気の震えはない。
 第六感の発露を導く、陶酔するような感覚も。
 だが、その代わりを果たす“左眼”が、自分にはあった。

 右眼だけで駆逐艦を見る。
 なんの変哲も無い、ただの鉄の塊だ。
 今度は眼帯を外し、“左眼”で駆逐艦を──浜風を見る。
 途端、船体から光の粒子が立ち上り始め、自分の眼前へ集まって来た。
 本来ならば眼に見えず、観測すら不可能なものが、感知された事によって、存在を確立するように。


「来い、浜風」


 呼び掛けと共に、手の平を上にして右手を差し出す。
 光の粒子が、単なる集合体から人型へと変化する。
 自分よりも小さな、少女ほどの背丈に固まったそれが、同じように右手を差し出し……繋がれた。

 光が弾ける。
 一瞬の眩みが治ると、そこには美しい少女が顕現していた。
 見覚えのある、紺襟の白いセーラー服に、胸元の黄色いリボン。
 しかし、記憶にあるそれと違って、袖の長さは半袖であり、灰色のプリーツスカートが合わせられている。
 くすんだボブカットの銀髪。長い前髪の隙間から覗く、青い左眼と視線が重なった。


「駆逐艦、浜風です。これより、貴艦隊所属となります。どうぞよろしく」

「桐林だ。その名に恥じぬ活躍を期待する」

「はっ」


 繋いでいた右手を解き、黒いタイツに包まれた脚を揃え、彼女は淀みのない敬礼を。
 短い言葉のやり取りからも、その生真面目さが伺える。
 正直な話、卯月みたくエキセントリックな子として現れる可能性も危惧していたので、これは助かった。
 いや、卯月もアレはアレで楽しかったし、可愛いと思うのだが。
 それよりも、雪風はやっぱりスカート履いてなかったのだろうか……。妙に丈が短いと思ってたんだよなぁ……。


「浜風さん、我等が艦隊へようこそ。提督の秘書官を務めている練習巡洋艦、香取です。よろしくお願いしますね?」

「はい。こちらこそ」

「同じく、工作艦 明石です。浜風ちゃんの船体を建造したのはアタシなのよ? よろしく!」

「そうでしたか。今後とも、お世話になります」

「航空戦艦、伊勢よ。期待してるから、バンバン活躍しちゃってー」

「ありがとうございます。暖かく出迎えて頂けて、浜風、感激です」

「日向だ。私たちも、まだ呼ばれて日が浅い。肩肘張らず、気楽にやろう」

「……はい。助かります」


 励起が無事に終わり、さっそく浜風の側に仲間たちが集まり出す。
 挨拶を交わすに連れ、柔らかな笑顔が伝播していった。
 この分なら、艦隊に馴染むのも早いだろう。
 自分も輪に加わりたい気分だったが、しかし、そうも行かない。
 梁島提督が興味深そうに、切れ長の眼を細めていた。


「ふむ……。上出来だな。もう一隻も同様にやって見せろ。貴重なデータだ」

「……了解」


 顎で使われているようで、流石に面白くなかったけれど、それを表に出すほど子供ではない。
 踵を返し、次に励起する船──水上機母艦へ向かう。


「水上機母艦、瑞穂。
 系譜を同じくする水上機母艦 千歳と、第十一航空戦隊を編成していました。
 史実での戦果はさて置き、甲標的を正式運用可能な、数少ない艦ですね」


 程々の距離で立ち止まると、いつからそうしていたのか、三歩後ろで控えていた香取が、浜風の時と同じように経歴を呟く。
 航空戦艦二隻と、駆逐艦に水上機母艦。艦隊とはまだ呼べないが、これでようやく、通常任務を遂行可能な戦隊を組める。
 多数の瑞雲で上空を守りつつ、砲撃戦は戦艦に任せ、低い雷撃力は甲標的で補う、という感じだ。
 これから励起する瑞穂を要とする構成であり、自然と気合いも入ってしまう。
 けれど、自分は敢えて肩から力を抜いた。
 気負わず、焦らず。あるがままの“彼女”を見ようと心を落ち着かせ、また、“左眼”を開ける。


「来い。瑞穂」


 先程と同じように、“左眼”で捉えて、呼びかけながら右手を差し出す。
 立ち上る光の粒子も、人型に集うのも同じ。
 唯一違う点といえば、こちらへ差し出される人型の手が、左手だった事くらいか。

 また、光が弾ける。
 顕現したのは、長い黒髪を持つ、色白な少女だった。
 明るい黄緑色の和袴を、深緑の大きな前帯で結んでいる。
 それだけなら和風少女なのだが、上半身は白い洋装の出で立ちで、胸元や分割袖に細やかなレースが仕込まれていた。
 白と黄緑のドレスカラーには錨を模った首飾りが付き、横髪を纏める同色の当て布は、朱色の和紐で結ばれる。日本の美称を名前の由来とする割に、和洋折衷な装いだ。
 不思議と違和感を覚えないのは、未だ目蓋を伏せる彼女の顔立ちが、それを些細な事と思わせる美しさと、柔らかさを併せ持っているからだろう。
 ややあって、伏せられていた目蓋が開き、灰色の瞳が露わになった。


「水上機母艦、瑞穂。すっ──!?」


 ところが、彼女はこちらの姿を視界に収めた瞬間、ビクッと身体を硬直させ、形の良い眼を真ん丸に見開いた。
 重ねられていた左手が震え、心の動きを表すように彷徨う。


「……推参、致しました。ど、どうぞ、よろしくお願い、申し上げます……」


 奇妙な間を置いて、しどろもどろに頭を下げる瑞穂。
 なんだろう、この初めての反応。
 金剛に一目惚れされた時とは、違う気がする。
 かといって、曙みたいに初対面で「クソ提督!」と罵るのを我慢している、ようにも見えない。
 う~ん。あれこれ考えるより、聞いちゃった方が早いな。


「どうした? 気分でも悪いか」

「い、いえいえいえ、とんでも御座いませんわ。この瑞穂、粉骨砕身の覚悟で、お仕えさせて頂きます……。で、ですから……」


 見た目通りの淑やかな動きで、しかし瑞穂は強張った笑みを浮かべる。
 そんな顔をさせる心当たりがまるで無く、思わず眉間に皺を寄せてしまうのだが、その途端、また彼女は身体を打ち震わせ──


「あまり、苛めないで、頂けますか……?」

「は……?」

「あああ、申し訳御座いません! 鈍亀な上、菊の御紋を背負っておいて、真っ先に沈んだ私なんかが生意気な口をきいてしまいました……。どうか、どうか平に御容赦を……っ」


 ──と、恐ろしく遜りながら、腰を九十度に曲げたのだった。
 あ、そっか。怖がられてたんですか、自分。
 そりゃあそうだよ。顔の半分に生々しい傷痕があって、しかも左眼は明らかな異形で。気弱な人なら卒倒も止むなしだ。
 明石や香取たち……。身の回りにいる人が全く気にしていなかったものだから、すっかり忘れていた。いや、気を遣ってくれていたのだろう。
 うわー。仕方ないとは言え、地味に落ち込む……。


「瑞穂さん、瑞穂さん。あのね、提督ってば、顔は怖くなっちゃってるけど、実は凄く繊細な人だから、あんまり怖がらないであげてくれる? アタシは明石。よろしくねー」

「は、はい。どうぞよろしく……え? でも、全身から放たれる、その……。
 霊気オーラのようなものが、とても加虐的な雰囲気を醸し出して……」

「あの、瑞穂さん。つい先ほど励起された私が言うのもアレですが、流石に偏見では? 確かにその、提督の御顔は……厳めしいですが」

「そ、そうですっ。例え、提督の御尊顔にどれだけの迫力があろうとも、心根はお優しい方です! ……きっと!」

「香取秘書官。残念だが、フォローとしては微妙だぞ」

「……っぷは!? あはははは! ご、ごめん提督、もう我慢できない! あは、あっははは! ひー!」


 明石、浜風、香取がフォローのような事をし、日向がツッコミを入れ、伊勢が腹を抱えて大笑い。
 なんと言うかもう、しっちゃかめっちゃかな雰囲気だ。
 というか、やっぱり浜風も怖いと思ってたのね。自分で消さない事を選んだんだし、自業自得だけど、うん、傷付くわぁ……。
 そんな自分たちを見て、クスクスと笑ってくれている書記さんが、唯一の慰めです。

 とまぁ、こんな事がありつつも、まだお仕事中な訳で。
 オッホン! という自分の咳払いを切っ掛けに、緩みきっていた空気が引き締まる。こういう時だけは強面が役に立つ。
 ……別に、怒ってはいませんけどね。ちょっと寂しいだけでさ。とりあえず眼帯は着けておこう。


「今後の予定だが、まずは香取。君を旗艦とした五隻で艦隊を組み、練習航海と演習を行う」

「はい。練習巡洋艦としての初仕事、しっかりと努めさせて頂きます」


 恭しく礼をする香取を筆頭に、今後の艦隊運用計画を、七人へと簡単に説明する。
 自信ありげな伊勢と日向。
 オドオドする瑞穂。
 直立不動な浜風。
 同じく姿勢を正す疋田さん。
 どことなく楽しそうな顔の明石。
 背後で作業しているはずの梁島提督と書記さんは、どんな風に自分を見ているのか。
 今は思考の外に置き、軍人としての“自分”を表に出す。


「確実に練度を上げたのち、旗艦は浜風へと移譲。
 伊勢、日向、瑞穂で四隻の戦隊を編成して、通常任務に当たる。留意して欲しい」

「私に、旗艦を? 香取さんは……」

「編成しない。艦隊戦には不向きだからな」


 驚いたのか、浜風は香取を見やる。
 視線を向けられる香取はといえば、戦力外通告にも等しい言葉を、粛々と受け止めていた。

 これは前々から話していた事だ。
 艦自体の戦闘能力で言えば、香取は瑞穂と互角……いや、香取に分があるだろう。
 けれど、それは瑞雲と甲標的の同時運用によって十分に補えるものであり、他艦との連携によって、総合的な戦力を著しく向上させられる。
 残念ながら、練習巡洋艦にそこまでの能力はない。出来て精々、対空機銃や爆雷投射機を増設し、固定砲台か対潜哨戒を可能とするくらいか。
 そして少なくとも、今の自分の艦隊に、練巡を戦力として数えなければならない任務は下されない。
 香取がどう思っていようと、これは決定事項なのだ。

 それを理解したのだろう。
 浜風が頷き、しかし今一度、伏目がちに口を開く。


「編成については理解しました。しかし、新参者の私が、皆さんを差し置いて旗艦というのは、やはり相応しくないのでは……」


 自信の無さ。いや、旗艦という責務への戸惑いを、彼女の表情が物語る。
 おそらく、戦史での経験を色濃く受け継ぎ、影響を与えているのだろう。
 だが、それでは困るのだ。
 過去がどうあれ、現在を生き抜くためには、強くあらねばならない。
 彼女だけでなく、自分自身も。


「新参か古参かなんて関係ない。旗艦に相応しくないと言うなら、相応しい存在になってもらう。……不服か」

「………………」


 固い決意を込め、浜風の瞳を見つめる。
 海の青さを湛えたそれは、しばしの間、思案するよう閉じられ──


「いいえ。ご期待に添えるよう、誠心誠意、努力致します!」


 ──凛々しい敬礼と共に、頼もしい眼差しが返された。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 数刻後。
 己以外の人影がない執務室にて、香取は西陽に照らされながら、書類の整理に勤しんでいた。


「これで準備は良し、と」


 専用に設けられた机で、ほう、と溜め息をつき、壁掛け時計に目を向ける。
 一六○○。
 つい先程まで一緒に居た桐林と浜風は、しばらく前、執務室を出て行った。
 今頃、密かに準備されていた歓迎会に、彼女が目を丸くしている事だろう。
 明石が率先して行っているこの歓迎会。香取の時にも催されたもので、豪華絢爛……とまではいかないものの、心の温まる催しだった。
 サプライズの為、香取は敢えて執務室に残り、後で合流するという手筈である。
 その空き時間を利用し、明日から行われる練習航海に向けた必要書類などを纏めていたのだが、もう終わってしまった。
 時間的にも頃合いなので、そろそろ腰を上げるべき、なのだけれど。


(浜風さん、随分と期待されていたわね)


 椅子の背もたれを軋ませ、つい、物思いに耽ってしまう香取。
 脳裏に浮かぶのは、背筋を伸ばして敬礼する、新たな仲間の姿だ。
 軍略において、駆逐艦が艦隊の旗艦を務める事は珍しくない。
 今回の場合は戦隊の旗艦であるが、極端な話、然るべき状況を見極めてさえいれば、どんな船が旗艦でも問題ないのである。
 潜水艦ともなると、流石に務まる状況は限られるが。

 香取は練習巡洋艦。練習航海や、演習における旗艦は務めても、実戦には赴かない。
 それが桐林の方針であり、異論を唱える余地などない。
 香取自身、己が艦としてどれだけの力を持っているのか、理解しているのだから。
 浜風へと旗艦を移す事に、不満はなかった。だが、他に考えてしまう事があるのだ。
 それは。


(“私”は、何の為に?)


 練習巡洋艦の香取ではなく、傀儡艦としての、香取の存在意義である。
 そも、練巡とは士官候補生を育成するため、彼らを乗せて海を行く船だ。
 海に慣れていない候補生たちを、一人前の軍人として成長させる場なのだ。
 しかし、この時代における軍人は才能に大きく由来し、船には乗らず、船を遠方から操る事に特化する。
 故に、普通の艦隊には練巡など存在しない。そんな船を励起した所で、無駄にしかならない。
 過去を遡ってみても、この、桐林が励起した香取以外に、練巡が能力者に使役された例は無かった。
 ならば、彼は何を思って、こんな船を励起したのだろうか。
 少なく見積もっても数億は下らない費用を費やし、練習巡洋艦を建造した理由は?

 今現在、香取が任されている仕事は、主に秘書官としての仕事のみ。
 統制人格にさせるよりも、普通の人間を雇った方が安く済む。
 信頼性といった意味でなら、命運を握られているという点で統制人格に分があるかも知れない。
 けれど、どうせ金をかけるなら、同じ金額を投じて人間を“調整”した方が、維持費という点で優れる。
 そんな事を可能とする技術力があると、香取は独自の調べで知っていた。
 一応、明日からは演習などの仕事が始まるけれど、それだって他の船が代行できる。

 詰まる所、練習巡洋艦を励起する理由が、全く見当たらないのだ。


(練習巡洋艦に、戦闘は求めない。なら、統制人格としての私に求められているのは、何?)


 染み一つない天井を見上げ、ひたすら香取は思考する。
 存在する理由を、意義を見つけようと。
 しかし結局、何も見つけられないまま、虚しく時間だけが過ぎ去っていく。


(やめましょう。きっと、提督には深い御考えがあるはず。私なんかでは思い至らない、御考えが……)


 かぶりを振り、香取は迷いを強引に振り払う。
 このままでは歓迎会に遅れる。一人だけ参加しないだなんて、あらぬ誤解も招いてしまうだろう。
 今はとにかく、執務室を出よう。出てしまえば、仕事のことで悩まずに済む。
 そう考え、席を立とうとした香取だったが、ポン、という軽い電子音が引き止める。
 埋め込み型のPCにメールの着信があったという知らせだ。
 生来の生真面目さからか、無視するという選択肢は香取にはなく、すっかり慣れた手付きで投射型スクリーンを立ち上げ、メールの内容を確認する。


「これは……」


 時候の挨拶で始まる、丁寧な文面のそれは。
 初めて名前を知る官僚からの、予定外の申し込みを伝えるものだった。





















《オマケの小話 重巡、高雄の苦悩》





「淹れてしまった……。とうとう、淹れてしまいました」


 ホカホカと、湯気を立てるコーヒーカップを前にした重巡洋艦 高雄は、後悔とも、罪悪感とも取れる感情にうな垂れる。
 時は二○○○。本日の服務もつつがなく終了し、食事も済ませ、自室にて寛いでいた所が、どうしてこうなったのか。
 その理由は、部屋の中央。共用の座卓の上に置かれる、コーヒーカップにあった。


「いくらビンゴ大会で、提督のコーヒーカップを引き当てたとはいえ、私、何をしているのかしら……?」


 そう。この飾り気の全くないコーヒーカップは、舞鶴にて桐林が使用していた(らしい)物なのである。二等賞だ。
 皆に無断で舞鶴へと潜入した金剛が、交渉の末に入手した品物だと説明されたが、十中八九、勝手に持ち出したのであろう。横須賀艦隊の共通見解だった。
 件のビンゴ大会では、他にも様々な物品が景品として並んだ。
 着古して適度に柔らかくなったワイシャツ、一度指を通しただけの手袋、適当に選んできたネクタイ、執務机の上にあった万年筆、コート掛けにあった赤い雨合羽などなどなど………。
 よくもまぁ、気付かれずに持ち出せたものである。
 当然の話だが、桐林由来の物品だけでビンゴ大会が盛り上がる訳もなく──ごく一部は鼻息を荒くしていたが──商品券や中古の32インチ薄型テレビ、掃除機なども用意してあった。
 金剛の自腹であったらしく、ここまで来ると褒めるべきかも知れない。

 蛇足であろうけれども、ここで各景品の当選者を紹介しよう。
 まず、第一のビンゴ成立者は雪風……ではなく白露だった。
 久しぶりの一番案件に大いに喜んだ彼女は、何も考えずに一等賞のワイシャツを受け取り、現在、扱いに困っているようだ。
 二等賞は高雄なので飛ばし、三番目の成立者は、今度こそ雪風……であるはずが、なんと陽炎だった。
 受け取った景品は手袋で、口では色々と言っていたものの、次の日から手袋を汚さないよう行動し始めたとのこと。
 四番目でようやく雪風……かと思いきや。ここで登場したのが、望月である。
 貰えるものは貰っておこうかな~的にネクタイを受け取りつつ、一応は大事に取ってあるというのが三日月の言だ。
 五番手は、もうお分かりだろうが雪風ではない。なんとなんと、扶桑であった。
 どうせ参加賞しか貰えないと思っていた彼女は、このビンゴ成立にいたく感激し、景品の万年筆を使い、何やら散文を始めたらしい。山城はそれをベタ褒めである。
 キリがないので最後の紹介となる六番目の当選者は、最上だった。
 可もなく不可もなく、実用に耐えうる雨合羽を貰い、地味に喜んでいた。

 蛇足の更なる余談だが、提督由来の品物がきれ、一般商品へと移った途端、雪風はビンゴを果たした。
 薄型テレビを申し訳なさそうに引き換える彼女に、「やっぱ雪風さんパねぇ」と、認識を新たにする皆だったそうな。
 また、ビンゴ大会の発起人である金剛だが、彼女はその特権を利用し、提督セットなる制服一式を、横須賀で用意した新品とそっくり入れ替えてきたのだと言う。
 かなりブカブカなそれを身に纏い、夜な夜な、比叡と提督ごっこをして遊んでいるとかいないとか。もちろん金剛が提督役である。
 どこまで行っても、金剛は金剛なのであった。


「提督は今頃、何をなさっているのでしょうね……」


 閑話休題。
 昨日の賑やかさに思い出し笑いを浮かべる高雄は、コーヒーの黒い水面を見やり、そこに、居て欲しかった人物を描く。
 今や日本でも、世界でも知らぬ者のない、“帰岸”の桐林。
 高雄の知る彼が居てくれたなら、きっと。楽しかった時間を思い出した後に、寂しさを感じる事なんて、なかったのに。
 どうにも、彼の声が。彼の笑顔が、恋しかった。


(恋しい……。恋? 私のこの気持ちは、恋、なのかしら)


 カップを両手で包みつつ、ふと、疑問に思う。
 己の胸に宿る感情が、人間で言う所の恋なのかを。

 本来、感情なんて持ち合わせずに生まれるはずの統制人格だが、桐林の励起した統制人格は、すべからく感情を宿して生まれる。
 そして、その多くが最初から、励起者である彼への好意を自覚しているという。
 大多数の統制人格は、生みの親や、気さくな上官への好意として。
 金剛を筆頭に、敷波や祥鳳、瑞鳳などは、間違いなく異性として。
 一部に毛嫌いするような言動をする者──大井や曙たちも存在するけれど、決して憎んではいないはず。
 統制人格とは、能力者への好意を設定されて生まれるのだろう。少なくとも、桐林の場合に限り。
 高雄自身、特に理由もなく彼を想い、その事に忌避感を抱いたりはしなかった。
 離れざるを得ない状況になって、ようやく疑問視し始めたのだ。

 人と違う生まれ方をする統制人格に、人と同じ物差しが当てはまるのだろうか、と。
 ひたすら真っ直ぐ、己の気持ちを信じられる金剛が、羨ましくなるほど。


(……いいえ。弱気になっては駄目よ。私は提督が好き。それで、それだけで良いじゃない。金剛さんに負けてはいられないわ!)


 陶器越しに伝わる暖かさを頼りに、高雄は強く決意する。
 例え、出処の不確かな気持ちでも。設定された感情だったとしても。
 彼と共に過ごした短い時間は、確かに幸せだった。
 今は寂しくとも、何も感じぬまま、機械的に戦うよりはマシだと、自分を納得させて。
 彼女は気付いていない。
 人として生まれた者ですら、単なる脳内電気信号であるはずの感情に、大いに苦しむのだという事に。
 そして、自分の気持ちにその悩む姿は、まさしく恋する乙女そのものだという事に。


「ん〜……。ただコーヒーだけで楽しむのも、アレよね。ええ、お茶菓子でも貰ってきましょう」


 少しだけ暗くなってしまった高雄だが、一先ず、降って湧いた幸運を楽しむ事に意識を集中し、ちょっとだけ後ろめたいそれを楽しむため、席を立つ。
 この時間ならば、まだ鳳翔が食堂にいるはず。作り置きのクッキーか何か、コーヒーに合う物を融通してもらおう。
 そうと決まれば、彼女は打って変わって上機嫌となり、スキップでもしそうな様子で部屋を出て行く。
 無人の部屋に、湯気を立てるコーヒーだけが残された。
 けれど、ほとんど間を置かず、再び部屋のドアは開かれる。


「高雄ー、戻ったわよー。……あら? 居ないのー?」


 入って来たのは高雄ではなく、入浴しに行っていた姉妹艦、愛宕だった。
 柔らかな金髪が湿り気を帯び、それ以上の柔らかさを持つであろう双丘が、バスローブの胸元を膨らませている。
 こんな格好でうろつくなど、桐林が居た頃では考えられない事だが、宿舎に男性の視線が無くなってからというもの、時には下着姿で出歩く者も現れていた。
 気が緩むのも仕方ないかも知れないが、香取辺りが見ていたら眉をひそめそうな有様だ。

 それはさて置き。
 返事がない事に不在を悟った愛宕は、「まぁいっかー」と、湯上りの気怠い身体をベッドに投げ出し、リラックスして大きく深呼吸する。
 と、鼻をくすぐる香ばしい香りに気付いた。
 目線を向ければ、座卓の上にコーヒーが置いてあり……。


「もう、高雄ったら。コーヒー出しっぱなしじゃない。というか、わたしのために淹れておいてくれたのかしらー?」


 むくり。起き上がった愛宕が、自分用のクッションを床に置き、その上へと腰を下ろす。
 なんの気無しにカップを手に取って、すぐ思い出した。例の景品だと。
 沈黙。
 長い熟考。
 暖かさから、淹れた時間を逆算し、時計を確かめ、また考えて、結論付ける。

 ──抜け駆けするなら、今しかない。


「ごめんね、高雄。という訳で、頂きまーす♪」


 一瞬、悲しげに顔を歪める愛宕。
 しかし、瞬きほどの時間で満面の笑みに変わり、ゆっくりと、唇がカップの縁へと近づく。
 クッキーを手に高雄がドアを開けるのと、愛宕が抜け駆けを果たすのは。
 悲しい事に、全くの同時であった。

 その日。
 横須賀鎮守府の某艦隊宿舎において、謎の爆発事故が発生する。
 ガスボンベを暖房器具の側に置き忘れてしまった事による、偶発的な事故であると報告され、疑う者は居なかった。
 が、事故の翌日に懲罰奉仕と称し、鎮守府全体の清掃を命じられた二人の女性が目撃されたようだ。
 この二名、某艦隊に属する重巡洋艦の統制人格と、容姿が瓜二つだったそうだが、同一人物かどうかは不明である。





「だからー、何度も謝ってるじゃなーい。そろそろ許してー?」

「謝ればいいってものじゃありません! 私の、初めての……か、かかか、関節……んもう! とにかく怒ってるんですからねっ」

「むぅ……。高雄のむっつりスケベ」

「あーたーごー!?」

「きゃあーん怖ーい♪」




















《掌編 吉田 皆人の華麗なる(?)一日》





 一○○○、佐世保鎮守府。
 “千里”の間桐──吉田 皆人の朝は、遅かった。
 打ちっ放しのコンクリートが剥き出しの、寒々しい地下室。
 端っこに据えられたベッドの上で、シーツにくるまった蓑虫を、セーラー服を着た少女二人──間桐の長門・陸奥が揺さぶる。


「パーパー! いい加減に起ーきーてー!」

「……ん゛……ウルッセェなぁ……まだ十時じゃねえかよ……」

「もう十時、です」


 一一○○。朝食の時間。
 長門・陸奥に無理やり起こされた間桐が、同じく地下にある飲食スペースへと引っ張り出される。
 テーブルに並べられたプレートには、マッシュポテトやハムエッグなど、洋風の朝食セットが。


「今日の朝ごはんは、なっちゃんが作りました! 献立はね……」

「オレは朝メシ食わねぇ派だって何回言えば分かんだよ。オマエらだけで食え」

「むっ。そんなんだからパパはいつまで経っても貧弱なのー!」「ちゃんと三食、食べなきゃダメ」

「マジでウルッセェなぁ……。オマエらはオレの母親かよ……」

「パパ、ママが欲しいの?」「おっぱい、吸う?」

「誰が吸うかセーラー服をめくるなヤメロォオッ!?」


 一二○○。食事を摂り、再び自室に。
 早速ベッドへ潜り込む間桐と、それを呆れた顔で見つめる長門・陸奥。


「さて……。二度寝でもするか。夕方まで起こすなよ」

「えー。パパ、お仕事は?」

「今日はやる気が出ねぇんだ」

「昨日も、そう言ってました」

「チッ。余計な事ばっか覚えてやがる……。どうせハンコ押すだけなんだから、オマエらがやれば良いだろ」

「女の子に働かせて、自分は寝てるだけ……」「ヒモ……」

「へーへー。どうせオレはヒモですよー」


 一三○○。変わらず自室。
 成長剤の副作用の痛みで眠れず、しかし決して気付かれまいと、平静を装って雑談する間桐。
 長門・陸奥は気付いているものの、気付かないフリをして書類仕事をしている。


「そういえば、パパ。パパの秘書官さんって居るの?」

「あん? 居るには居るが、急にどうした」

「まだ、会った事ない、です」

「そりゃそうだろ。オレも会ってねぇしな」

「え?」「なん、で?」

「あの微笑み熊男が手配した人間だぞ。信用は出来ても信頼できる訳がねぇからな。今後も会うつもりはない」

「そうなんだぁ……」「なんだか、寂しい、です」


 一四○○。同上。
 痛みがマシになって来たので、珍しく書類仕事をする間桐。
 長門・陸奥が微笑んで見守っている。


「パパは、調整士さんを頼んだり、しないの?」

「ねぇな。自分で出来るし、他人に預けるのもなんかな」

「ふーん。つまりパパは、なっちゃんたちを独り占めしたいんだ!」

「……面倒だからツッコまねぇぞ」

「パパ……。女の子相手に突っ込むなんて……」「お下品。セクハラ」

「オマエらの思考回路の方がよっぽど下品でセクハラじゃい!!」


 一五○○。オヤツの時間。場所は変わらず自室。
 飲食スペースから持って来たお菓子を、三人揃って、マグカップ片手にモッシャモッシャ。


「カステラうめぇ」

「飲み物は牛乳一択だよねー」「異議、無し」


 一六○○から一八○○。長門・陸奥のみ、佐世保の収容ドックへ。
 二人にカメラ付きPCを持たせ、吉田から受け継いだ伊勢・日向の統制人格の観察と記録をする。
 黒いブレザータイプの制服を着る、小学校高学年ほどの身長の二人が、本体である戦艦近くの掘っ建て小屋で佇んでいた。


「いっちゃーん、ひーちゃーん。元気にしてるー?」「様子を、見に来ました」

『……つっても、やっぱ反応ネェんだよなぁ。飯は食わねえし、眠りもしねぇし。
 の割に、本体から離そうとするとガン泣きするし。訳が分からん。というか、どっちがどっちだっけか?』

「あ。パパ酷ーい」「ポニーテールが、いっちゃん。おかっぱ髪が、ひーちゃんです。ひーちゃんと私、お揃い」

『そういやそうだったな。しっかし、いい加減に喋らんのかねー。おい、ながむー』

「はーい。二人とも、ちょっと遅くなったけど、オヤツ食べる?」「カステラと、牛乳です。鉄板のコンビ、です」

『……反応無し、か。どうせなら桐林んトコみたく、はっきり意思を示してくれりゃあ楽なんだが……ん?』

「あっ、食べた!? いっちゃんとひーちゃんが、カステラ食べてる!?」「驚き、です……!」

『マジか……。変なものに反応しやがるな……。お? なんか今、モゴモゴ言ってやがらなかったか?』

「あ、ホントだ」「何か、言いたいの?」

『……ちっ、マイクの感度が悪くて聞こえやしねぇ。おい、なんて言ってやがんだよ』

「え、ええっとね……。カステラ、うまー。……だって」「いっちゃんが、カステラ。ひーちゃんが、うまーでした」

『間違いねぇ。こいつらオレの統制人格だわ』


 一九○○。飲食スペースにて夕食の時間。
 またも引っ張り出された間桐の前に並べられる、数々の出来たて料理。
 長門・陸奥は得意げだが、間桐の額には汗が浮かんでいる。


「晩ご飯は、むっちゃんが作りました。スッポン鍋に、うな重に、麦ご飯と擦った山芋、ニンニクの素揚げ……」

「おい。無駄に精がつきそうなメニューなのはなんでだ」

「それはもちろん、いつも通りパパにハッスルしてもらうためです!」「枕は両面、Yesです」

「これまでそんな事実は無かったし、これからも無い! つーか胃がもたれるわっ」


 二○○○。押し切られる形で全メニューに箸をつけ、胃薬を飲み自室に戻る。
 暇を持て余し、間桐は自作のノートPCをベッドの上で取り出す。
 それを肩越しに覗き込む長門・陸奥。


「暇だな……。うっし、釣りでもすっか」

「え? 釣り? パパって釣りするの?」「意外な趣味、です」

「ヘッ。このオレが外出するとでも思ったか? ネットの釣りに決まってんだろ! 今日は、ありそうで実はない軍事あるあるネタだ!」

「……はぁあぁぁ」「ガッカリ、です」


 二○三○。場所変わらず。
 思ったような引きが無く、不貞腐れる間桐。


「飽きた。風呂でも入るか」

「はーい」「準備、します」

「分かってるとは思うが、オマエらは入ってくんなよ。絶対に、くるなよ!」

「分かってるってばー」「心得て、ます」

「……なら良いけどよ。物分かりが良いのも調子狂うな……」

「あれー? なんだか残念そうだよー?」「やっぱり、一緒に入りますか?」

「はっ!? やめろバカここで脱ぐなぁああっ!?」


 二一○○。浴室スペース。
 ゆったりと入れる湯船に、並んで浸かる三人。
 間桐はもちろん裸だが、長門・陸奥は水着を着ていた。
 ちなみに、長門が水玉模様のセパレートで、陸奥が白い旧型スクール水着である。


「下に水着着てんならそう言えやクソが……」

「えへへ。ビックリした? ビックリした?」

「……知らん。つーか、水着なんていつ買ったんだよ」

「貰い物、です」

「貰いモン? いったい誰から……」

「えっとねー。確か……」「兵藤提督、からでした」

「………………マジか」

「うん。なっちゃんたち嘘つかない」「表書きは、別人でしたけど。調べて貰ったら、そうでした」

「そうか。……あの女らしい置き土産、だな」


 二二○○。しんみりした空気の中、自室へ。
 携帯ゲームなどをやってみるが、どうにも集中できない間桐。
 長門・陸奥はパジャマ姿で、間桐のベッドの上をゴロゴロ。
 余談だが、彼女たちの自室は別に用意されており、二人とも極めて普通なパジャマである。悪しからず。


「あ~……。なんか、ふざける気分でもなくなっちまったなぁ……」

「パパ、おねむ?」「ベッドメイク、しますか?」

「いや、まだ寝ねぇけどよ……。っと、メールの確認忘れてら」

「メール? 来てるのー?」「見ても、いい?」

「別に構いやしねぇが……んぁ? 桐林から……」

「あ、ホントだ。実施予定の作戦についてだね」「統制人格さんの写真が、添付されてます、けど……」

「……クッソやっぱムカつくわぁああっ! なんでアイツばっかりぃいいっ!」

「えっ。パ、パパ? どこ行くのっ!?」「阿賀野さん、能代さん、矢矧さん……。軽巡、なんだ……。あれ。酒匂さん、は?」


 二三○○。自室。
 桐林の嫌がらせメールに「悔しい! でも(略)」してしまい、体力を無駄に消耗。
 疲労困憊となった間桐は、やつれた顔でシーツに潜る。


「疲れたから寝る……」

「じゃあ、むっちゃんも寝るー」「お休みなさい、です」

「……ごく自然にベッドへ入ってくるんじゃねぇぇえええっ!!」


 ○○○○。常夜灯のみが灯る自室。
 蹴り出しても蹴り出しても、諦めず吶喊してくる長門・陸奥に根負けし、“今日も”一緒に就寝。

 出撃がない限り、こんな日々が延々と続くのであった。





「もぐもぐ……むっ。なんだか、物凄く不当な理由で仲間はずれにされた気分!」

「んー? どうしたの酒匂ー? はっ。まさか、イジメ? イジメなの!? よぉーし、お姉ちゃんがなんとかしてあげるからね! あ、能代ー? カレーお代わりー!」

「阿賀野姉、落ち着いて。この艦隊でイジメとか、あり得ないから。それと、ほっぺたにご飯粒ついてる。全くもう……。
 あ、矢矧。カレーの味、どう? 明日は間宮さんの手伝いするから、厨房借りて作ってみたんだけど、提督、喜んでくれるかしら?」

「え、ええ。美味しいわ。とっても美味しい、のだけど。……やっぱり、朝からカレーを出すのは胃に重いんじゃ……」




















 戦果報告ー。我、リアルが変わらず多忙気味だったため、甲乙丙丙丙にてサクッと秋イベを攻略せりー。
 空気を読んでくれたのか、山風ちゃんも朝風ちゃんも攻略途中にお迎え出来たし、掘りで苦労しなくてよかった……。Saratogaさんもエロいし、中破したコマンタレブー? さんも異様に可愛いかったし。
 他にも二隻目の親潮とかオイゲンとか速吸とか、無数のビッグセブンに「ぴゃー」などなど、ドロップは濃厚だったと思います。
 E-5の装甲破砕ギミック? そんなの関係ねぇ! とばかりに旗艦に据えたカットイン仕様オイゲンさんが見事に随伴艦を蹴散らし、秋月・木曾さん・那智さんがギリギリまで追い詰め。
 満を持して、ケツに置いた連撃酒匂が……動く前に、雪風様が海月ちゃんを片付けてしまいました。流石は雪風様、色んな意味で容赦無い。「ぴゃ~……」
 長門さん? 大丈夫。決戦支援に使った気がするから(気がするだけ)。

 今回はクロスロードがモデルだったらしいし、特定艦船に何かあると予想しやすかったので、その点は良かったかと。今後も継続されるとしたら、札との相乗効果で酷い事になりそうですけど。
 あ、ダブルゲージは普通に許さん。実質六海域じゃねーですか!
 甲で全攻略した方には、いつもながら頭が下がります。冬イベは海域数詐欺が無いと良いな……。

 それはさておき、今回からは前後編の過去話+αをお届けです。
 舞鶴へと居を移したばかりの主人公。悪夢の裏に消えたもの。記憶を封じた書記さん。生真面目な浜風と誘いMな瑞穂。存在意義を自問する香取。
 不穏な気配ばっかりですが、香取さんのそれは次回でサッパリ解決します。しばらくお待ち下さいませ。
 それでは、失礼致します。


「……という訳で、香取姉は凄い人なんですっ。
 凄い人なんですけど、そのおかげで私は、あんまりお仕事でのアピールが出来なくて……。
 オマケに、日常生活でも妙に通じ合っているといいますか……。私、どうしたら良いんでしょう?」
「さ、さぁ……? 難しい問題です、よねぇ……(おっかしいなぁ。なんで恋愛相談に乗ってるんですか私。インタビューしてたはずなのに)」





 2016/12/10 初投稿







[38387] 突発的こぼれ話 駆逐艦 萩風による、姉妹育成計画
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2016/12/31 20:21





「……なぁ、萩。ぶ、ブラジャーって、どういう感じなんだ?」

「え?」


 休日の昼下がり。
 自室でまったりと寛いでいた、陽炎型駆逐艦十七番艦、萩風はぎかぜは、十六番艦である嵐の質問に、首を傾げてしまった。左で結った、紫色の短いサイドポニーが揺れる。
 カーペットの上にクッションを置いて座っている萩風の真正面で、嵐はベッドへと腰掛け、照れ臭そうにしていた。
 白い半袖のシャツに、黒いベスト。同じく黒のプリーツスカートを履いているのは変わらない。
 萩風は、背中にかかるほどの長い髪を持ち、襟首を細めのリボンで締めているのに対し、嵐は赤毛のセミロングで、跳ねの強い癖っ毛だ。
 また、ネクタイは適当に緩み、ベストの前も開けたまま。しかし、だらしないと言うよりかは、少年のような雑さが滲み出ている。
 だからこそ、嵐の口から下着に関する質問が飛び出るなど、予想だにしなかったのである。
 そんな姿を見て、嵐は誤魔化すように苦笑いを浮かべ、顔の前で手を振った。


「やっぱなんでもない! 今のなし! 似合わないこと聞いたよな、忘れてくれっ」

「う、ううん、違うの。驚いた訳じゃないから、安心して? 嵐」


 実のところ、読んでいた文庫本を座卓へ落とすほどに驚いたのだが、言ってしまえば傷付けるだろうと、萩風が取り繕う。
 そして、それが成功したのかを確かめる前に、逆に理由を問いかけた。


「でも、どうしたの? 急に。今まで、下着を気にした事ってなかったと思うんだけど……」

「別に、さ。大した理由じゃないんだよ。ただ……」


 普段のざっくばらんさを、どこかに置き忘れたのだろうか。嵐はもどかしそうに言い淀んだ。
 が、ややあって、ベッドからカーペットの上へと移動した彼女は、トスンとあぐらをかいて続ける。


「こないだの作戦、昔の俺がやったみたいに、爆雷で敵を倒したろ。その件で夕雲たちと、遊んだっちゅうか、騒いだっつーか……。あ、萩が近海警備に行ってる間な?」

「へぇ~、そうだったんだぁ。いいなぁ、楽しそう」

「ああ。けっこう盛り上がったんだぜ」


 嵐の言う作戦とは、重巡棲姫を撃滅せしめた、あの作戦の事だ。
 そして、作戦中に夕雲たちが取った行動が、史実における嵐のエピソードを元にしているのである。

 同型艦である舞風、野分、萩風と第四駆逐隊を編成していた当時の嵐は、南方──ジャワ島近海での作戦中、商船を爆雷で撃沈した事があった。
 既に船体に穴を開けた英国籍タンカーを相手取り、しかし駆逐艦の砲では致命傷も与えられず、業を煮やして魚雷を使おうとしたものの、勿体無いから爆雷を使っては? という水雷長の提案を司令が受け、見事に成功させたのだ。
 と言っても、この時は有効打を与えるのに三回の投射を行い、かつ二射目の至近弾で船体の穴が広がっていた為であり、その穴に三射目が入ったのも奇跡に近い。
 それ以上に困難であると予想できる、同航戦中の駆逐艦を相手にした爆雷直投げを成功させ、しかも撃沈するなど、よほどの練度がなければ 無理であろう。
 ちなみに、嵐に座乗していた司令官は、かつて駆逐艦 電へも座乗し、戦艦 大和の最期の司令官でもある、あの有賀司令だった。

 これらの活躍、直接関わらなかった統制人格にも情報は周知され、出撃した者たちの話を聞き、皆、大いに沸き立ったものである。
 さらにはドイツ本国へも、条約に基づいた形で情報提供がなされた。
 重巡二隻を秒殺するオイゲンや、己が身を呈し敵旗艦を討ち果たすビスマルクの活躍に、ドイツ軍人たちは諸手を挙げて喜んだ。
 決して、情報提供の際にどうしても付け加えざるを得なかった、中破したビスマルクの艶やかな姿は関係ない……と、思われる。思いたい。思った方が幸せだろう。


「んで、その流れで一緒に風呂入ったんだけど。夕雲に、えっと……。
 あら。上はサラシを巻いているのに、下は普通のショーツなんですね──って、言われて、さ」

「あ~、なるほどぉ……」


 話を戻し、対面する萩風と嵐。
 質問をするに至った経緯を聞いて、萩風はもっともらしく頷いた。
 女性用の下着と言えば、ブラジャーとショーツが一般的であるが、嵐の場合は違った。
 下はごく普通の、少女らしい純白のショーツを履きつつ、上はブラジャーではなく、白いサラシを巻いている。
 特に気に入っているからではなく、励起された当初から“こう”なのだ。
 対する萩風は紫色の上下一揃いであり、加えて、駆逐艦にしては大きい方である。浜風・浦風ほどではないが。
 ともあれ。サラシは嫌いでないものの、他人から言われると妙に気になってしまい、嵐はこうして、萩風を驚かせてしまった訳だ。


「やっぱ変なのか? 俺としてはこれが普通だったっていうか、これ以外に知らないし。で、ブラってどうなのかなー、と」

「私は変だとは思わないけど……。夕雲さんは変だって言ってたの?」

「うんにゃ。そういうのもアリですね、私もたまには変えてみようかしら──だと。でもなー。俺だけみんなと違って、それで萩とか、のわっちが変に思われるのもアレだしさ」


 なんとも気怠げな顔で、嵐は自分の膝に肘を立て、頬杖をつく。
 随分と遠回りしてしまったが、結局のところ、嵐が気に掛けていたのは彼女自身ではない。
 自分のせいで、妹が変に思われないか、と考えていたのである。
 少々過保護? とも思ったが、それも大切と想われているからこそ。姉の気遣いに、萩風は笑顔で返した。


「ありがとう、嵐。下着くらいで変には思われないと思うけど、そうね。良い切っ掛けなのかも」

「切っ掛けって、なんの?」

「オシャレする切っ掛け。もったいないなぁって思ってたの。嵐、せっかく可愛いのに、お化粧とか小物とか、そういうの興味なさそうだったから」

「ぉ、俺が可愛いとか、ないない。俺で可愛いなら、萩はどうなんのさ。天女か女神様になっちまうって」

「もう、嵐ったら。そんな事ないわ、私が保証する。まずは……うん。やっぱり、嵐が気にしてた下着。見えない所から始めてみましょう?」

「うへぇ、本気か? ヤブヘビだったかなぁ」


 萩風に押され、嵐は珍しく弱気な声を出す。
 けれど、決して嫌がってはおらず、むしろ楽しそうにも見える。
 姦しいと評するには一人足りないが、戦争の最中であることを一先ず忘れ、姉妹はああだこうだと語り合い始めた。


(嵐は男の子っぽいけど、鹿島さんに負けないくらい可愛いんだし、この際、本人にも自覚して貰わなきゃ。頑張ろ!)


 せっかく頼られたのだ。
 嵐を飛びっきり可愛くしてみせようと、かつての最後を共にした僚艦、萩風は密かに誓う。
 間近に夏を控える、穏やかな日であった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「司令! 少しだけ、お時間をよろしいですか?」


 数日後。
 雑務を終え、香取と連れ立って廊下を歩く桐林へと、背後から声が掛かった。
 二人が振り向いた先に居たのは、同じく連れ立つ二人の少女。
 どことなく意気揚々として見える萩風と、何やら落ち着かない様子の嵐だ。


「あら、萩風さん。嵐さんも一緒なのね」

「ぅ、うぃっす、香取秘書官……」

「すみません、お仕事中でしたでしょうか?」

「いいえ。もう執務室へ戻る所だったから、平気よ。宜しいですよね?」


 淑やかに微笑む香取へ、嵐はモジモジと俯き加減に、らしくない返事をする。
 いつもならもっとハキハキと、元気良く返事をするのだが、妙だ。
 不審に思う香取だったが、しかしそれを問う暇も与えてくれず、萩風が桐林に話しかけていた。


「司令。嵐のこと、よぉ~く見て下さい」

「……なんだ?」

「ええっと、理由は後程ご説明しますので、とにかく見てあげて下さい!」

「………………」


 強気に押し切られ、桐林は言われるがまま、嵐を見る。
 彼女は沈黙し、視線がチラチラと、桐林と床を行ったり来たり。
 明らかに様子がおかしかった。
 ざっくばらんで、男勝りな言動が常の嵐が、まるで借りて来た猫の如く大人しい。
 しきりに毛先をいじる姿など、意中の相手を前にした乙女のようだ。もしや……?
 いや無いな、と自身の考えを否定する桐林だったが、続く萩風の言葉に、背筋が凍りつく。


「どうですか? 嵐、いつもと違うと思いませんか?」


 来た。男にとって鬼門とも呼べる質問が、来てしまった。
 恋愛シミュレーションゲーム的に言い表すならば、正解を選べば好感度アップ。外せば好感度ダダ下がりな、指型アイコンを使う立ち絵の範囲指定イベント。
 そして、ボーイッシュな女の子相手に発生するこの手のイベントは、失敗するとルート断絶の危機もあり得る。
 別に桐林が嵐を攻略している訳でも、ギャルゲーのキャラと思っている訳でもないが、とにかく重大な選択肢を突きつけられたのだ。

 桐林は顎に手を添え、傍目にはとても真剣な顔で考え込む。
 そんな彼を見て、香取は「ああ、実はすっごく焦ってますね提督」と、生暖かい視線を送っている。
 しばらく時が過ぎ、場に緊張感が漂い始めた頃、桐林の前頭葉は白旗を上げ──


「……いつもより、雰囲気が柔らかい、ような……気が、する。より、女性らしいというか……?」

「んなっ!?」


 ──なんとも無難かつ、どうとでも取れる曖昧な発言で誤魔化した。
 が、上記の通り、嵐の反応は大きく、真っ赤な顔で後ずさりしている。
 一瞬、選択肢を間違えたかと狼狽えそうになる桐林。
 けれど、萩風にとっては正鵠を射る返答だったようで、彼女は満面の笑みで嵐の肩へ手を置く。


「ほら、言ったでしょう? 見えない部分でも、司令はきっと分かってくれるって。ね?」

「……な、な、な……」

「嵐? どうしたの? 嬉しくないの?」


 ところが、嵐の顔はますます赤くなるばかり。
 わななく唇。自らを庇うように抱きかかえる両腕。
 その姿はさながら、現在着けている下着の色と柄を言い当てられた、年頃の少女だった。
 もちろん、桐林にそんなつもりは毛頭ないのだけれど、実は慣れないブラジャーを──フリル満点の純白のブラジャーを着けていた嵐には、耐え難い指摘だったようで。


「なんで見てもいないのに分かんだよっ、司令のドスケベー!」

「あっ、嵐っ!?」


 一目散に、嵐はその場から逃げ出す。
 まぁ、偶然の一致というか勘違いというか、サラシからブラジャーに変わっている事を言い当てられた形になってしまえば、仕方がない。
 ボーイッシュな嵐から乙女な反応を引き出せたのだから、ある意味、大成功ではあるはずだが、乙女である故に耐えられなかったのだろう。
 普通に喜んでいた萩風が微妙にズレているのである。
 余談だが、嵐のブラを選んだのはもちろん彼女だ。
 自分には似合わないからと、完全に趣味に走った結果がこのように終わってしまい、流石の萩風も慌ててしまう。


「ご、ごめんなさい司令っ。
 えっと、これには深……くもないですけど、キチンと理由があって、あの、ブラをですね……とにかく、ごめんなさいっ。
 後でまたお詫びに来ますからっ、今は失礼しますっ。嵐ー! 待ってぇー!」


 名前の通り、嵐のように。萩の葉を巻く風のように、二人の少女は廊下を疾る。
 取り残された桐林と香取。
 耳に痛い静寂を破ったのは、能面のような顔で「ドスケベ……?」とショックを受ける彼ではなく、事の成り行きを面白おかしく──もとい、興味深く見守っていた秘書官であった。


「提督。今、『ゲームみたいにセーブ&ロード機能があればなぁ……』と思いませんでした?」

「そんな事はない……です」


 図星を突かれ、桐林は思わず素で答えてしまう。
 顔面に傷を負った強面の男も、恥じらう年頃の少女には敵わない。
 男にとって世知辛い仕組みを再確認した背中からは、隠しきれない哀愁が漂っていた。

 最後に余談を一つ。
 このあと嵐は、「やっぱ俺にブラなんて似合わねぇ、これからはずっとサラシ一筋だ! いっそ下も褌にしてやるぜ!」などという宣言をした。
 しかし、「お願い早まらないで! せめて下だけは普通のショーツにしましょ!? ね?」と萩風に懇願され、結局、今まで通りのサラシ&ショーツに落ち着いたようだ。
 また、今回の一件を機に、サラシに興味を持つ統制人格も現れたようだが、詳細はあえて省かせて頂く。悪しからず。





『ドスケベって言われた』

「……はい?」

『嫌な予感はしてたんだ、いつもと違うと思いませんか、だなんて。でも、だからっていきなりドスケベはヒドいと思わない?』

「状況がよく分からないので、なんとも言えないのです……。けど」

『けど?』

「司令官さんは、自分がドスケベじゃないって、天地神明に誓えますか?」

『………………』

「それが答えなのです」

『なんだか冷たくありません?』

「優しくして欲しいのでしたら、鹿島さんに優しくして貰えばいいと思いますっ」

『えっ、ちょっと待った、いなづ──《プツッ》』




















 おかしい。萩風がメインの掌編だったはずなのに、嵐を愛でる短編になってしまった。不思議だ(真顔)。
 なんだか部分的に早く仕上がってしまい、寝かせるのもなんだなぁと思ったので、短いですが投稿します。
 嵐の着けてる下着、上はサラシですよね? 筆者にはそう見えるんですけど、折り目模様のスポブラに見えなくもないし……。ま、この作品ではサラシという事で。
 あと、クリスマス球磨ちゃん可愛い。めっちゃ可愛い。とにかく可愛い。天使かと思うたわ。
 とねちく姉妹や鈴熊がエロいのは当然として、瑞穂さんもまた差分が増えたし。毛糸のパンツとは乙ですな。
 しかし、朝雲ちゃんと山雲ちゃんのクリスマス中破が、男を知っているような顔付きなのはどうした事だ。凄く凄く色っぽいんですが。
 まぁ、それは置いといて。今年も一年、拙作をお読み頂き、ありがとうございました。
 今年はこれにて失礼致します。





 2016/12/24 初投稿
 2016/12/31 次回更新がいつになるか分からないので、時間があるうちに御質問への返答だけ。
       一般にPCなどが流通しているかどうかですが、現代ほど一般的ではないものの、市場という形が残る程度には普及しています。
       筆者も知識としてしか知りませんけれど、1980年代後半のパソコン通信をイメージして頂ければ近いかと。
       では、よいお年を。







[38387] 在りし日の提督と成功たる証・後編
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2017/01/14 21:11





※ 注意書き 本編の途中、胸糞の悪くなる展開があります。
      最終的に解決しますが、念の為、ご注意下さい。





 執務室に、■■■家の御当主が来訪してから、しばらく。
 話があると提督が連れ出された後、一人取り残された■■■は、落ち着かない心持ちでソファに座り続けていた。
 ■■■くんも、提督と同じタイミングで出て行ってしまい、本当に一人ぼっち。
 こうなると、自分という存在を、どうしても考えてしまう。

 統制人格。
 傀儡能力者から生まれる、軍艦の現し身。
 戦いの為に。戦いの為だけに生まれた、無人制御端末。
 そんな■■■に、どうしてこんな事を考える意思があるんだろう。


(コギト・エルゴ・スム……。我想う、故に我在り、だっけ……?)


 元々は、■■■にも意思なんて無かったらしい。
 ただ、提督の命令に唯々諾々と従うだけの、ヒトカタだった。
 嘘のようにしか思えないそれが、■■■の真実。

 そもそも、意思ってどこから来るんだろう。
 人間だって、極端に言えば有機物の塊でしかない。
 蛋白質やらカルシウムやら、単なる有機物が集まり、人という形を持つと、何故かそこに意思が生じる。
 しかし、科学的に人間と同質の有機体を作り出したとしても、そこに意思が宿る事はない。そういうものだと“知っている”。

 意思。生命。──魂。

 形のない、あやふやな……概念とも言えるようなモノが、■■■を■■■足らしめている。
 けど。けれど、■■■を■■■だと感じさせる“意思”は、本当に人間と同じモノ?
 この時代、霊子を測る機械はあっても、心を確かめる方法はまだ無いって聞いた。
 確かめようのない、不確かで、あやふやなモノが、■■■を確固たる存在として意識させている。とても、不思議な感覚。

 そんな事を考えていると、不意に聞こえるドアの開閉音が、思考を現実へと引き戻す。
 どれだけの時間が経っていたのだろう。
 いつの間にか、提督が戻って来ていた。


「■■。今戻った」

「あ、提督! お帰りなさいませ。……あの、それで……?」


 大急ぎで駆け寄り、躊躇いがちに尋ねてみると、彼は肩から力を抜きつつ、笑いかけてくれる。


「そう緊張するな。悪い話じゃなかった。むしろ、私たちにとっては良い話さ。驚きはしたけど、な」

「驚いた、んですか」


 そこまで言って、提督はソファを顎で示す。
 二人、いつもの休憩時間のように並んで座れば、彼の溜め息は、天井に向けて放たれていた。


「色々と話されたよ。わたしの出自の事とか、君の建造に至るまでの経緯とか」

「提督の、出自……?」

「なんでも、断絶したはずの……なんとかっていう芸能系の傍流らしくてね。
 世が世ならワイドショーを騒がせただろうが、まぁ、そんな事はどうでも良いんだ」

「え、良いんですか?」

「うん。良いんだ」


 思わず聞き返してみても、提督の顔を見る限り、本当に興味がなさそうだった。良いのかな。
 よく考えてみると、■■■、彼の事をほとんど知らない。
 名前、年齢、好きな食べ物、趣味……。そういった事は知っているけれど、彼の家族に関する話を、聞いた事がない。
 何故だか、妙に寂しい気持ちになったものの、今は■■■の事より、話の続きが気になる。

 天井から視線を外し、膝に肘を置いて、彼は俯く。
 重々しい空気。固唾を飲んで待ち続けていると、ややあったのち、意を決したかのように口が開かれた。


「君の、妹の建造が決まった」


 その内容を理解するのに、■■■は少しの時間を要した。
 妹の、建造。
 ■■型重巡洋艦の、姉妹。
 それは、すなわち……。


「い、妹ってまさか、■■、■■の事ですか!?」

「ああ」

「本当ですか? ほ、本当に、■■に会えるんですか?」

「うん。そうだ。……喜んで、くれるか」

「当たり前じゃないですかっ! あぁもう、そんな顔をしてるから、てっきり悪い知らせだとばかり……。意地悪です!」


 苦い表情の提督と反比例して、■■■はソファを飛び立ち、クネクネしながら大喜び。
 自分でもおかしいと思うけど、とにかく嬉しくて仕方なかった。
 知識としてしか存在を知らなかった、妹という存在。
 改鈴谷型重巡洋艦二番艦、■■。ひょっとしたら■■という名前かも知れないけど、しっくりくるのは前者だから、■■■は■■と呼ぼう。
 どんな思惑があったとしても、あの子に会えるのだとしたら、それはもう、望外の喜びに他ならない。

 だからこそ、気掛かりだった。
 ■■■の喜びようを見て、また俯いた彼の事が。
 ……もしかして、意地悪って言ったの、気にしちゃってる?
 ど、どうしよう、本気じゃなかったんだけどな……。
 傷付けてしまったのかと、不安になる■■■だったけれど、しかし。


「……提督?」

「いやぁ、こういうのって溜めが必要だろう? 実際、驚いてくれたしな。大成功だ!」

「もう……。子供みたいなんだから。そんなんじゃ、いつまで経っても昇進できませんよ?」

「なにおう? ……ははは」


 次に見せてくれたのは、普段通りの、彼らしい笑顔で。
 だから、■■■は気のせいだと思ってしまった。
 子供じみた悪戯だったのだと、思い込んでしまったのだ。
 この時、彼が何を思っていたのかを知る機会は、ついぞ訪れないのだと、知る由もなかったから。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ダン、ダン、ダン──と。
 乾いた銃声が、舞鶴鎮守府 共有スペース地下に存在する、射撃レーンに響く。
 両手でホールドした回転弾倉式拳銃リボルバーから、想定していた通りの反動が三回。放たれた357マグナム弾も、同じく三発。
 間を置いて、ジーという駆動音が遠くから近づいてくる。
 原始的な人型のターゲットシートが段々と大きくなり、命中したか否かを、穴の数で教えてくれた。
 全弾命中。ただし、当たった箇所は、黒い人型から大きく外れた場所に二発。そして股間に一発。申し訳なく感じるのは何故だろう。


「控えめに言って、酷い腕だな」

「片眼で見てるんですから、仕方ないでしょう」


 肩を落とす自分に、背後から声が掛かる。
 負け惜しみを言いながら振り返れば、同じ格好──黒の詰襟を着る梁島提督が居た。
 浜風たちの励起以降、自分と彼は、定期的にこうした訓練を共にしている。
 今日の射撃訓練を始めとして、格闘技訓練、武器を使用した白兵戦訓練、鎮守府内に作られた専用施設を用いるパルクールなど、主に肉体面の鍛錬が主眼だ。
 ……いや。どちらかと言えば、鍛錬ではなく修錬か。
 舞鶴事変を機に激変した、身体能力を制御するための。

 ついこの間まで、ごく平均的な能力しか持っていなかった人間が、本気を出せば軽々とオリンピック選手を凌駕できるほどの能力を得てしまったのだ。ただ扱うだけでも一苦労だ。
 もっとも、本気を出さなければ先程の通り、特筆すべき事もない結果に終わるのだが。
 加えて、自分は片眼でしか対象を見る事ができない。近くの物ですら微妙な距離感を間違えるのに、十数mも離れていては尚更である。

 実戦に備えた修錬であるため、聴覚保護の耳当てはつけていなかった。
 “あの”襲撃で慣れたと思っていたが、撃たれるのと撃つのとでは、全く聞こえが違う。早く慣れなければ。


「見ていろ」


 有無を言わさぬ口調で、梁島提督が隣のレーンに入る。
 同じ型のリボルバーを右手だけで持ち、他人には「撃鉄を下ろしてから撃て」と言ったくせに、そのままダブルアクションで撃った。

 ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ダン。

 休む事なく、リズミカルに六発。
 ややあって近づいてくるターゲットには、心臓部分に穴が一つ穿たれているだけ。
 しかし、自分のように外したのではないと分かる。
 同じ弾痕に、五発全ての銃弾を通したのだ。ダーツなどでブルズアイと呼ばれるアレだ。初めて見た……。
 普通ならば歓声をあげて喜ぶ所だろうが、けれど彼は、さしたる感慨もなく振り返って言う。


「やれ」

「やれって……。いや、無理です。こうなる前だって、射撃は得意じゃ……」

「ならば、その“左眼”を使え。もはや“我等”に出来ぬ事などない。心から望み、本気で臨むなら、物理法則すら“我等”に従う」


 言い訳がましく、顔の前で手を振ったものの、呆れたように続ける梁島提督。
 真剣に、言っているようだった。
 出来ぬ事などない。物理法則すら従えられる。
 そう言われて、はいそうですかと信じられる人間が居たら、その人はかなり危ういと思う。
 ……けれど。自分自身に起こった数々の出来事が、彼の言葉に真実味を与えていた。
 舞鶴事変での海戦。八つ当たりで破壊してしまった車。数mを軽く飛び越えられる跳躍力。
 どれも、普通ではあり得ない事なのだから。


(心から、本気で……)


 レーンに戻った自分は、銃から弾倉をスリングアウトさせ、空になった三発だけを排莢。新たな銃弾を装填する。
 壁のボタンを操作し、ターゲットも新しい物に替えて、指定した距離まで離れるのを待つ。
 その間に、眼を閉じたまま眼帯を外す。
 どうせやるなら、梁島提督とは違う事に挑戦したい。正確に五角形を描いて、最後に中央を撃ち抜く、とか。

 無理だ。無理だろう。無理か? 無理、じゃない。やれる。やって見せろ。
 何度も、何度も。頭の中でそう繰り返し。
 集中力が高まった所で、自分は本能的に左手へと銃を持ち替え、左眼を開き、引き金を弾いた。

 ダン、という銃声が六発。
 何も考えず、ただ身体に任せた逆腕での射撃だ。
 よほどの熟練者でない限り、的にすら当たらないはずだが……。


「出来た……? マジ、かよ……」


 近づいてくるターゲットのど真ん中には、確かに五角形の穴が描かれていた。
 望んだ通り、最後の一発は中央に穴を穿っている。
 なんというか、分かるのだ。
 己の左手がどこにあって、銃口はどこを向いているのかが。
 いや、それだけじゃない。込められた銃弾の炸薬量の僅かな差や、射撃を行った事によるライフリングの摩耗と、空気抵抗による弾道の変化。
 その他諸々の、知覚し得ない様々な情報を、直感的に理解していた。
 だから、どこに左手を持っていけば良いのか。銃身をどのくらい傾ければ、狙った位置に当てられるか。そんな事まで分かったのである。


「上出来だな。心臓の上を狙っていれば満点だったが」

「………………」


 信じられない。
 自分でやった事だが、そこに至るまでの経緯が荒唐無稽すぎて、信じたくない。
 こんなの、おかしいじゃないか。
 才能に溢れた人間が、気の遠くなるほど長い時間を掛け、やっと習得するような技術を、まるで当たり前のように。
 こんなの間違ってる。こんなの、努力という言葉に対する冒涜だろう。
 何故だか、怒りにも近い感情が芽生えていた。

 そんな時、背後から、階段を降りる靴音が聞こえた。
 誰かが来たようだ。


「失礼致します。提督、お話が……?」


 言い淀む声の主は、おそらく香取。
 振り向くと、思った通りの人物が、思わぬ表情で立っていた。
 タブレット端末を片手に、なにやら怪訝な顔をしている。


「どうした、香取」

「あ、いえ。後ろ姿が、とても似ていらしたものですから。驚いてしまって」


 慌てて言い繕う香取に、なんとなく隣を見やる。梁島提督と目が合った。
 眉間に不愉快そうなシワが寄せられたが、きっと自分も、同じように顰めっ面をしていると思う。
 今更ながら身長も伸びないはずだけど、身体付きが変化したからかも知れない。
 自分の身体は、特に何もしていないのに逞しくなり続けており、これも“左眼”の影響だと考えられる。
 ビルドアップ自体は別に困る事じゃないのだろうが、自分の中で何か、不可解な変化が起きているという事実と、能力を認めてはいるものの、決して尊敬できない人物に似ていると言われた事が、ちょっと嫌だった。

 それはさて置き、香取だ。
 銃を一先ずラックにしまい、自分は彼女と向き直る。


「内務省次官補であらせらせる、宮野 裕史みやの ひろし様より御連絡です。内々に、舞鶴鎮守府・桐林艦隊の視察を行いたいとの事で」

「視察……?」

「視察自体は問題ないと思われるのですが、その。日程が……」


 差し出された端末の画面には、カレンダー機能を持つアプリが表示され、ある日時をマークが示す。
 それは、桐谷提督に指定されている精密検査と、丸被りしていた。


「御多忙なようで、この日にしか時間を作れないらしいのです」

「面倒な事になったな……」


 視察というだけで面倒なのに、それが別の用事とダブルブッキングするなんて。
 優先順位としては……いや、比べても仕方がない部類だ。どうしよう。

 内務省とは、かつて途方もない権力を誇った行政機関である。
 地方の行政財政、警察機構、土木、衛生、国家神事、果ては防空や国土計画までをも管轄した。
 GHQによって大戦後に廃止されたが、再び戦火に見舞われ、彼の国による支援を得られないと悟ったこの国は、生き延びるためにこうした機関を再建した。
 自衛隊が国軍に戻ったのもこの頃であり、色々と横槍を入れたがる連中も現れたらしい。
 けれど、彼らの言い分は妄言に近いものばかりで、現実を見据えず、自らの利益にしか興味がない事を晒すばかりだったため、程なく設立した内務省の初仕事により排除された。高校の社会史の授業でも習う事だ。

 かつては軍部と権力争いをした機関でもあるのだが、軍事国家に戻る事だけは避けたいと考えた当時の高官たちは、シビリアンコントロール──文民統制の維持を決定する。
 これによって、軍部は完全に内務省管轄となったのだけれども、かつての戦時とは何もかもが違う上、どんな事にも裏道は存在する。
 特に、世界有数の財力と影響力を持つ、千条寺家当主である桐谷提督は、内務省にまで手の者を配しているという噂だ。

 つまり、どっちを無視しても困った事になる。
 ……ホント、どうしよう。


「提督。今回の視察、私に任せて頂けませんでしょうか?」


 頭を悩ませていると、思わぬ助け船が出された。
 どういう事かと眼で問えば、彼女は再び端末を操作する。


「幸い、形式的な視察との事ですから、提督のお手を煩わせる必要はないと考えます。
 宮野様も、提督との正式な対面は、別の機会を設けたいとお考えのようです。……いかがでしょうか?」


 新たに表示されたのは、とあるEメールの文面だ。
 時候の挨拶で始まり、役人らしい回りくどい書き方がされているが、確かに香取が要約した通りの内容だった。
 自分には桐谷提督の息が掛かっている。
 内務省としても、事を荒立てないために気を遣っているのだろうか。
 正直、怪しいと思う部分が無い訳ではないけど……。


「分かった。前向きに考えておく」

「はい。では、失礼致しました」


 最終的に、自分は意見を取り入れる事に決めた。
 立ち去る香取の表情に変化は見られないものの、その足取りは幾分か軽くなっているように思える。
 本人に確かめては無いが、彼女には何か、思い悩んでいるような節が見受けられた。
 具体的な事は分からないまでも、彼女自身が言い出した仕事を達成できれば、何某か良い方向へと向かってくれるのではないか。
 しかし、そう願って後ろ姿を見送る自分に、我関せずを貫いていた梁島提督が話しかけてくる。


「厄介な男に目を付けられたな」

「どういう意味ですか?」

「自分で調べてみろ。これからは、自らの行動方針も自分で定める事だ」


 勝手に話を切り上げ、彼も階段を上って行く。
 厄介な男。宮野 裕史とかいう役人が……?
 知らない名前だし、もともと調べるつもりではあったが、そう言われて更なる疑問が湧き上がった。
 梁島提督に厄介とまで言わしめる男が、自分の艦隊を視察する。
 しかも、自分の居ない間。
 言い知れぬ悪寒が、首筋を這い回っていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 内務省次官補による艦隊視察は、桐林の予想に反し、滞りなく終了した。
 庁舎から工廠、ドックなどを巡り、また庁舎へと戻った香取は、革張りの椅子に腰を下ろす男に、誰にでも好感を与えられるであろう、完璧な微笑みを浮かべて見せる。


「本日は御足労頂き、誠にありがとうございました。お疲れではありませんか?」

「いえいえ。たいへん有意義な時間を過ごせましたよ、香取秘書官。まぁ、運動不足が祟って、歩き疲れてしまったのは否定しませんが」


 灰色のスーツを着る初老の男──宮野 裕史が、これまた人好きのする笑顔で香取に返す。
 丁寧に纏められた黒髪。髭はなく、中肉中背といった風態だが、身のこなしは機敏であり、所作の一つ一つが優雅な男だった。
 これぞ役人の見本、というべき人物である。少なくとも、これまでを見る限りは。


「お茶などいかがでしょう? 良い茶葉をご用意していますので」

「これは有り難い。是非お願いします」


 予定通りの申し出に、想定通りの返答。
 順調に事が進んでいる喜びを隠し、香取が準備していた紅茶を用意する。
 高値過ぎず、しかし決して安物ではない茶菓子も添えて出すと、当たり障りのない茶飲話に花が咲く。
 それがしばらく続いたのち、宮野は本日の締め括りとなる話題を切り出した。


「設立の経緯から、この艦隊に不安を抱く者も多かったのですが、杞憂だったようですね。今の所、と枕に付けねばなりませんが、適正に運用されていると感じました」

「そう言って頂けると、提督もお喜びになります」

「しかし、ただ一点。見過ごせない無駄がありますね。そこだけが不可解です」

「無駄……ですか。あの、差し支えないようでしたら……」


 一度は褒めておきつつ、本題を後出しにする。
 外交における初歩の手順と理解しながら、香取は食い付かざるを得ない。
 この艦隊は香取の居場所。
 それを一番に脅かすのは、敵である深海棲艦でなく、他ならぬ人間からの突き上げだ。
 艦隊の瓦解を未然に防ぐ為にも、外部からの意見は重要だ。
 何かの役に立つ可能性がある事ならば、どんな意見でも自分が把握しておかなければ。
 香取は真摯な想いで、宮野の言葉に耳を傾けていたが……。


「“貴方”です。練習巡洋艦という存在そのもの、ですよ」


 発せられた言葉は、その香取をこそ否定するものだった。
 息を飲み、問い返す事すら出来ない彼女へと、宮野は声高に論じる。


「戦争が始まって四半世紀。我が国はなんとか持ち堪えているように見えますが、その実、細い綱の上を歩いているようなもの。
 うっかり足を踏み外せば、そのまま崩壊への一途を辿るでしょう。
 経済、資源、貿易……。ありとあらゆる面で、日本という国は、昔から苦境に立たされている。
 だというのに、国の未来を守ろうという提督が、傀儡能力者が、全く益のない船を励起するだなんて。無駄としか言いようがありません」

「……な、何を仰るのですか。益が、ないなんて。提督には確かな御考えが──」

「あると言い切れますか?」


 詰め寄られ、香取は押し黙ってしまう。
 言い返す事が出来ない。
 正面切って戦えない軍艦である練習巡洋艦には。
 常日頃から、己の価値を自問していた香取には、答えられなかった。


「貴方は聡い。もうお気付きなのでしょう? 貴方が居なくても、この艦隊は回る。貴方がここに入る必要など、ないのですよ」


 笑顔で、残酷な事実を突きつける宮野。
 表情に一片の曇りもないのは、悪意なんて欠片もない、仕事人間としての言葉だからか。
 あるいは、そうするのが極自然な、悪意しか持たない歪んだ人間だからか。


「ああ、失敬。気を悪くされましたよね。これは私個人の意見です。
 桐林提督には、私の意見を覆せるほどの考えがあるのかも知れません。
 それに、貴方という存在の活用法は、幾らでもあります」

「私の、活用法……?」

「ええ。傀儡艦が使い物にならないのならば。……統制人格の方を使えば良い、という事ですよ」

「……っ!?」


 果たして、真実は後者であった。
 紳士然とした眼差しが一転、粘度を持って纏わりつくような、穢らわしい情動を孕む。
 宮野にまつわる黒い噂は、本当だった。
 資産家や政府高官に、どこからか“調達した女”を宛てがう、女衒屋であるという噂は。
 鳥肌を立たせながら、香取は嫌悪感を露わにしてしまう。


「貴方はっ、最初からそのつもりで……!」

「おやおや。心外ですね。私は私が思いついた考えを述べたまでですよ?」


 対する宮野の余裕は崩れない。
 新進気鋭と目される能力者の陣地に乗り込み、その所有物を手篭めにしようとしている。
 表沙汰になれば間違いなく拘束され、極刑も有り得る愚行をして、尚も。
 香取の中に反骨心が燃え、それが表面的な落ち着きを取り戻させた。
 激昂するなんて相手の思う壺だ。今はとにかく、話の主導権を取り戻さなくては。


「残念ですが、統制人格に女性としての機能は果たせません。貴方の望むような行いなど、そもそも不可能で……」

「ええ。ええ。そうでしょうとも。普通の統制人格ならば、ねぇ?」


 どうにか声を捻り出した香取だったが、すぐさま出鼻を挫かれてしまう。
 この男は知っている。
 能力者以外には、馬鹿げた噂程度にしか認知されていない事柄を。
 感情持ちとなった統制人格であれば、人間と性交渉を行えるという事を、紛うことなき真実だと認識している。
 無意識に慄く香取を見て、宮野は太々しく笑みを深め、ソファから立ち上がった。


「人間というものは、欲に塗れた、薄汚い生き物なんですよ。
 男は金と権力と女を。女は若さと美貌と愛を。
 どんなに文明を発展させようと、どんな危機に陥ろうと、これらへの欲求を捨て切れない。
 ましてやそれが、普通では手に入れられないモノとなれば尚更です」


 卓を回り込みつつ、もっともらしく語られる人の業。
 間違いではないだろう。
 時代がどれほど移り変わろうと、人間そのものは変化していない。
 常に何かを追求してきたからこそ、人類は星の覇者となったのだから。


「考えても御覧なさい。
 若く。老いず。美しく。そして、“どんな無茶をしても壊れない”。
 これこそ、男が昔から渇望してきた、都合の良い理想の具現です。
 金でそれが手に入るのならば安いもの。
 桐林提督に、どれほどの男たちが嫉妬と羨望の眼差しを送っているか、ご存知でしょう?」

「……し、知りません。そんな事、私は……」

「ふふふ。ああ、良い表情だ。桐林提督が羨ましい、貴方のような美女と、望むままに楽しめるのですから」


 弱々しく否定する香取の肩に、手が置かれる。
 いつの間にか、宮野が背後に立ち、間近から顔を覗き込んでいた。
 汚い。
 ゾッと悪寒が走り、香取は逃げるようにソファから離れる。


「ふざけないで下さい! 提督は、私の提督は、あなた方のような下劣な人間ではありません!」

「……でしょうね。彼がもっと穢らわしい人間だったなら、もっと早く潜り込めたでしょうから。
 しかし、ならば彼は、どうして貴方なんかを励起したんでしょうか。貴方のような、役立たずを」


 語気も荒く、桐林の清廉さを振りかざす香取だが、またしても言葉を失ってしまう。
 それは、彼女こそが桐林へと問いたかったこと。
 日々の仕事に誤魔化し、有耶無耶にしていた、己の核心。


「貴方も、薄々と感じていたのではありませんか。軍艦としての用を成さないのなら、いつか女として使われるのではないか、と」

「あ……。そ、そんな事、は……っ」


 香取は、知らず身体を震わせる。
 図星をつかれた。
 そんな事は起きないと己に言い聞かせてきたが、どうしても拭えなかった不安が、その可能性だ。
 先ほど宮野が言った通り、人間の欲は計り知れない。
 結果として、自らを滅ぼす事すら可能な“力”を──核兵器を作り出すほどに。
 あの桐林も一皮剥けば、どのような欲望を秘めているか、定かではない。
 数日前の早朝。ベッドに引きずり込まれた時など、表情は取り繕えたが、本当は恐ろしかったのだ。
 獣欲を満たすために身を捧げろと言われたなら、香取に拒む術は無いのだから。


「そう考えれば納得が行くでしょう。
 若くて美しくて賢い女を侍らせるという、男の歪んだ願望を叶えるのに、貴方は打ってつけだ。
 もしも貴方を供されれば、世の好事家たちは喜んで金や資産を差し出しますよ。
 あるいは、この艦隊の未来に役立つ、“何か”さえもね」


 絶望感に苛まれる香取の意識が、ある単語を切っ掛けに回り始める。
 艦隊の未来に役立つ、“何か”。
 まだ長くはない執務経験の中で、桐林が特に集めていた情報があった。
 それは、国内外の輸出入に関わる企業や人物、原油産出国の現状、海上輸送ルートの昨今などであり、一般の執務の範疇からは、少々逸脱した内容だった。
 と言うのも、それらは国が統括して行う事業で、能力者が直接に関わらなくとも問題ない事柄だからである。
 無論、把握しておくことでスムーズな燃料配給の受給は可能だろうけれど、こと舞鶴鎮守府においては二つしかない艦隊。受領が滞る事などあり得ない。

 これらが指し示すのは、桐林は独自の補給ルートを構築しようとしている可能性がある、という事だ。
 今現在、彼は政府に対して恭順しているものの、舞鶴に落ち着くまでには一悶着あったという。
 国家転覆を謀るとまでは行かないだろうが、腹に据えかねる物があり、自衛のためになんらかの手段を講じようとしている。これが香取の分析である。
 国に頼らず艦隊を維持する為、必要なものは多い。
 もしそれが、桐林が望み、求めるものならば。


「……例えばそれは、国に頼る事のない補給路も、ですか」

「あり得ます。権力者というものは、他者とのパイプを特に重要視します。
 彼らを抱き込めたなら、桐林提督はクーデターすら可能となる事でしょう」


 俯いたままの香取に、宮野は即答する。
 その気があるかどうかなんて関係なく、起こせるという事実が重要だった。
 内務省の役人も把握している危険性を、大本営が把握していないはずがない。
 守るべき祖国にすら危険視されているだろう桐林が、いつかを見越して対抗策を講じているのなら、彼と命運を共にする統制人格がすべきは、ただ一つ。

 ──この身を投じて、お役に立つこと。


「彼の船ならば、彼の為に働くくらい、なんて事ないのでは?
 もしそれを拒むのなら、貴方は本当に、なんのために存在しているのでしょうね」

「……わ、たし、は……っ」


 宮野の言い分は正しかった。
 少なくとも、香取には正しいと判断できた。
 けれど。けれども。心を持って生まれてしまったモノには、残酷に過ぎた。
 戦うために作られた存在が、その本懐を果たせないなら、他の事で身の証を立てるしかない。
 分かっていても、あまりに、悲しかった。


「その気がお有りでしたら、ここに御連絡を。私がお相手を見繕いましょう。良かったですね? 貴方は初めて、提督のお役に立てますよ」


 涙を堪え、折れそうになる膝を震わせる香取。
 憐憫の情も湧きそうな有様を前に、宮野は晴れやかな笑みを浮かべ、一枚のメモを机に置いてから、応接室を立ち去った。
 一人になった途端、香取は絨毯の上にくずおれる。
 視察を終えた役人が、見送りもなく一人で立ち去るなど、普通に考えればあり得ない事だが、見咎める者はない。
 桐林と疋田は精密検査に出向き、浜風はその護衛に就いている。
 明石は工廠で様々な作業を行っており、伊勢と日向、瑞穂もそれを手伝っている。
 庁舎に居るのは、香取だけ。
 少しでも皆の役に立とうと、単独での内務省次官補の接待を申し出た、彼女だけだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 数日後。
 誰にも相談できぬまま、思い悩んだ結果として、香取はとある高級ホテルの一室に居た。
 宮野のメモにあったアドレスへ空メールを送ると、時間と場所だけを指定する返信があり、それがここだった。
 どうやって鎮守府を抜け出せば良いのかと思ったが、出入りを監視する兵に金を握らせたらしく、簡単に外へ出られてしまった。
 建物自体が宮野の“仕事場”であるらしく、フロント係は無言で高層階の鍵を差し出し、今は一人、一糸纏わぬ姿でシャワーを浴びている。
 そうしろという指示書が置いてあったからだ。


(私は、何をしているのかしら)


 暖かい湯を浴びながら、香取は自問する。
 どうして、こんな場所に居る? この身体を売るため。
 どうして、そんな事をしようとしている? 自身の存在価値を見出すため。
 どうして、こんなにも心が冷え切っている? ……分からない。
 本当に、これで良かったのだろうか。
 いっそ桐林に全てを話して、助けて貰えば。
 まだ間に合う。今すぐにでも逃げ出してしまえば。


(駄目。それじゃあ、ただ迷惑をかけるだけ。なんの役にも、立てないまま)


 頭によぎる考えを、首を振る事で追い払う香取。
 それは弱さだと、彼女は思っていた。
 生まれた義務も果たせず、都合よく誰かに縋ろうだなどと、虫が良過ぎる。
 愚直なまでの自立心が、仲間に頼るという選択肢を選ばせない。


「これで、良いのよ。この位でしか、私は、お役に立てないんだから……」


 香取は小さく呟き、シャワーのコックを捻ってバスルームから脱衣所へ。
 水気をバスタオルで拭き取り、身体に巻きつけたまま、ドライヤーで髪を乾かす。
 それが終わったら、タオルを外すと同時に、統制人格として生まれ持った既定衣装の装着を済ませる。
 黄金比を描く裸体が礼装に包まれ、髪がシニョンに纏め上げられるまで、掛かった時間は一瞬だ。
 後はもう、その時が来るのを待つだけ。

 どんよりと、暗雲が立ち込めているような心持ちで、控えめな照明が灯ったスイートルームに戻る。
 一晩泊まるだけでも数百万は下らない、豪奢な部屋だった。
 こんな事でもなければ、一生お目に掛かれなかったかも知れない。
 そんな風に己を慰める香取だったが、程なく、室内にチャイムの音が響いた。宮野の用意した相手が来たのだろう。

 覚悟を決める時間も貰えないのかと、思わず顔を顰める。
 しかし、そのままでは不興を買うに違いないから。
 せめてもの抵抗として、完璧な微笑みを顔に張り付け、香取は部屋の入り口に向かい、金で女を買う下衆を迎え入れようと、ドアを開けた。

 けれど。
 廊下に立っていたのは、予想だにしない人物だった。


「……えっ。て、提督っ!?」


 白い髪。顔の傷。刀の鍔を模した眼帯。
 格好こそフォーマルな紺のスーツだが、間違えようもない。
 桐林、だった。


「どうした、香取。幽霊でも見たような顔だな」

「え……。あ……。あの……。え……」


 困惑する香取を見下ろし、桐林は仏頂面で室内へと押し入った。
 後ろ手に鍵をかけた彼は、そのままズンズンと歩を進め、香取も追いやられるように歩かされる。
 奇妙な歩みは、リビングを通り過ぎて、ダブルベットまで来てようやく止まる。
 桐林は言葉を発しない。
 気まずい沈黙が長く続き、その中で諦めがついた香取は、静かにベッドを軋ませた。


「提督……。どうして、こちらに……?」

「もちろん、独断専行した愚か者を叱責するために、だ」


 問いかけに対する桐林の行動は、迅速だった。
 ベッドへ腰掛ける香取の真正面に立ち、かつてない程の激情を右眼に燃やしながら、彼は叱責する。


「なぜ勝手に行動した。
 こんな事を自分は頼んだか?
 こんな事をされて、自分が喜ぶとでも思ったか?
 ……随分と安く見られたものだな」


 吐き捨てるような物言いが、桐林の怒りを表している。
 どのような手段を講じたのか定かではないが、香取がしようとしていた事は、全て把握しているようだった。
 普段の言動に比べれば、憤激している、と評した方が正解かも知れない。
 しかし、それも当然であろう。
 身内を差し出して見返りを得るなど、鬼畜の所業だ。
 香取の行動は、彼がそれを良しとする人間だと、そう思っていた証左に他ならない。

 香取自身、愚かしい行為だったという自覚はある。
 叱責されて、軽蔑されて仕方ないとも思っている。
 だが。


「……だって、私。他に何も、出来ないじゃありませんか。私は、まともに戦う事が出来ません。
 伊勢さんたちのような砲もないし、瑞穂さんのような特殊な運用能力も……。浜風さんのような機敏さも、雷装も!」


 真っ向から責め立てられた事で、香取の中に鬱屈していたモノも爆発した。
 嫉妬。羨望。劣等感。
 仄暗い、誰もが心の内に抱くモノを抑え切れず、彼女は声高に問う。


「なぜ、と仰いましたね? でしたら、提督はなぜ、私のような役立たずを励起したのですか?
 私は、ただの練習巡洋艦です。人を育てるのがかつての役目でしたが、この時代には必要とされない船です。そんな私を、なぜ?」

「……前にも言ったはずだ。香取には演習旗艦と秘書官の仕事を選任してもらうと」

「嘘です。統制人格なら誰にでも出来る任務の為だけに、船を一隻用意するはずがありません。
 本当の事を教えて下さい。私はなぜ、貴方に呼ばれたのですか? それを聞けない限り、私は……っ」


 ああ、ついに聞いてしまった。
 達成感とも、後悔ともつかない感情に、香取は俯いてしまう。
 淡い期待の通り、香取に予想もつかない壮大な目的があれば、救われる。
 けれど、もし理由なんてなかったら。
 通常の傀儡艦建造と同じように、“揺らぎ”によって想定外の船が建造され、単に気紛れで励起されたのだとしたら。
 怖い。知りたいと渇望していた答えを聞く事が、堪らなく怖い。

 どうか、私の迷いを否定して下さい。
 この身に存在し続けるだけの意義があると、お教え下さい。

 声もなく、ひたすら香取は祈る。
 それが、全くの無意味であると知らずに。


「予定外の、建造だった」

「……え?」


 残酷な真実を、すぐには受け入れられない香取。
 見上げる虚ろな瞳から視線を逸らし、桐林は尚も続ける。


「予定では、阿賀野型軽巡洋艦を建造するはずだった。
 でも、主任さんは……。明石は、自分自身の機能を制御しきれなくて。
 その結果、建造されるはずのない、練習巡洋艦が建造されてしまったんだ。
 だが、君の存在を失敗として知られる訳にはいかなかった。
 知っての通り、自分は酷く不安定な立場だ。
 普通なら不可抗力として許される結果でも、後でどんな風に足を掬われるか分からない。
 だから、解体を命じられる前に、大急ぎで励起した。
 それから、面目を保つため、秘書官としての任務と、演習旗艦という仕事を急遽用意したんだ。……これが全てだ」


 静かに、桐林が言葉を結ぶ。
 嘘ではないと、香取の理性は判断した。
 申し訳なさそうな声音も、苦々しい表情も、真実を言っていると教えてくれる。


「本当に、要らない船だったのですね。なんて、惨めな……」


 香取は再び俯き、誰に見せるつもりもなく、苦笑を浮かべる。
 結局、宮野の言う通りだった。
 この時代に練習巡洋艦の居場所は無い。
 無為に重油や鋼材を消費して生まれ、己の意義を求め、滑稽な独り相撲をしていた。
 どうしようもなく惨めで、愚かなヒトカタ。それが、練習巡洋艦、香取。

 けれど、希望を見出す事も出来た。
 起こしてしまった失態を隠すためだとしても。
 希望と呼ぶには、あまりに細く弱々しい、蜘蛛の糸のような事実でも。
 香取はそれを頼りに、生きるしかないのだから。


「腑に落ちました。私は、提督の未来の為に生かされていた。そして、これからも生き続けなければならない。よく、理解できました。
 戦う事も出来ず、なんのお役にも立てないと思っていましたが、ただ生きているだけで、提督の為になるのなら。……それで充分、です」


 桐林に向けられたのは、宮野にも見せた完璧な笑顔。
 整い過ぎて、作り物にしか見えない笑顔だった。
 彼の右眼が細められる。
 かと思えば、香取へと俄かに問い掛けて。


「なぁ。自分は、君たち無しで船を操れると思うか?」

「……は、い? 質問の、意図が……」

「いいから。忌憚なく答えてくれ」


 何やら、桐林の雰囲気がガラリと変わったように思えた。
 愚かな部下を糾弾するのではなく、まるで子供にでも言い聞かせるかのように。
 不可解かつ唐突な変化を訝しむも、求められれば応えるのが統制人格の役目。
 香取は逡巡の後、適切な言葉を選んで返答する。


「不可能、だと思います。提督の御力は存じていますけれど、統制人格を通さずに船を操ろうとすれば、脳が追いつきません」

「だろうな。じゃあ次だ。自分は、鎮守府の執務を一人でこなせると思うか?」

「……ええ、と。無理かと、存じます。提督には些かならず、事務処理能力が足りていない、ような……」

「分かっていたけど、直接言われると堪えるな……。まぁいい。じゃあ次は……」


 本当に忌憚のない意見を受け、桐林の頬が少し引きつる。
 いけない。無意識に反抗しようとしているのだろうか。
 そう思った香取は、質問を切り上げようと語気を硬くした。


「どういうつもり、ですか。こんな問答に、なんの意味があるというのですか」

「意味、か。意味ね……。この世に、真に意味のあるものなんて、存在するんだろうか。……どう思う?」

「……もう、おやめ下さい。提督が御自分を卑下なされた所で、なんの慰めにもなりません」


 なんの事はない。言葉遊びをしているだけと断じ、香取は眼を伏せる。
 自らの価値を貶め、それで対等だとでも言うつもりか。
 いや、どうせ気紛れだ。
 適当に受け流せば良いと、心までをも硬く閉ざそうとする香取だったが、桐林も諦めが悪く……。


「勘違いしないでくれ。これは確認作業だ。
 自分に単独で船を操る能力はない。一人で鎮守府を運営する事も出来ない。
 空だって飛べないし、他人の心を読む事も、時間を巻き戻す事だって不可能だ」

「当たり前です。おふざけになるのも大概に」

「大真面目だよ、生憎と」


 香取の隣へ腰掛ける彼の表情は、確かに真剣そのものだった。
 真っ直ぐに香取を見つめ、真っ直ぐに言葉をぶつけてくる。
 思えば、初めての経験かも知れない。自尊心を虚栄で飾らず、誰かと対話するのは。
 この意識が、練習巡洋艦に宿ったものだという事を悟り、周囲には正しい意味での軍艦が存在し、人を育てるという、かつての意義を果たせないと知った時から、香取は皆の前で仮面を被り始めた。
 自分には存在価値がないと。いつか見捨てられてしまうのではないかと、怯えている事実を隠すために。


「傀儡能力者と言ったって、出来る事なんて限られてる。
 むしろ、出来ない事の方がよっぽど多い。
 その事を悔やみ、悩んだりする。自己嫌悪だってしょっちゅうだ。
 でも、自分の存在に意味が無いとは思わない。絶対に」

「……なぜ。提督はそんなにも、お強いのですか。私には、とても……」


 それに引きかえ、彼はどうだ。
 伝え聞いた話だが、大切な恩師を立て続けに失い、まだ季節の一つも過ぎ去っていないというのに。
 確固たる意志を持ってここに在る彼は、どうして、こんなにも眩しい。


「自分の命は、自分だけの物じゃないからだ。
 自分が死ねば君たちは消える。
 電。赤城。天龍。北上。妙高。金剛。島風。横須賀のみんな。
 伊勢。日向。明石。浜風。瑞穂。そして香取、君も。
 この命は、君たちと繋がっている。それはとても、大切な意義があると思えるんだ。それに……」


 懐かしむように。愛おしむように、桐林は幾つかの名前を呼ぶ。
 そして、不意に右の手のひらを見つめ、自らの胸に置き。


「命懸けで、救ってくれた人が居る。
 こんな自分に、“何か”を遺してくれた人が居る。
 自分は、あの人たちの生きた証。
 そう思うと、ほんの少しだけ、自信が持てるんだよ」


 今にも泣き出しそうな顔で、微笑んだ。
 香取は、そこでやっと勘違いに気付く。
 桐林は強いのではない。
 強く在ろうとしているのだ。
 誰かの想いを通して、自らに意義を見出し、それに相応しく在ろうと。

 急に、息が詰まった。
 鼻がツンとし、眼の奥がじんわりと熱い。

 こんな自分、と桐林は言った。
 彼もきっと、香取と同じだったのだろう。
 自らの存在意義に迷い、思い悩み、時に間違えたのだろう。
 でも、彼にはそれを正してくれる人が居て、その想いを無駄にしないために生きている。
 だからこそ、桐林は今、こうして語りかけてくれるのだと、香取は感じた。
 かつて、彼自身がそうして貰ったから。


「出来ない事を数えるな。自分に出来る事だけを見つめろ。
 軍艦としてじゃなくたって構わない。
 誰かに与えて貰うのではなく、己の中に意義を見出せ。
 香取。“君”が“君”として、“君”らしく生きる道を見つけること。
 それが、練習巡洋艦に自分が与えられる、最優先順位の命令だ」


 膝の上で握った拳が、震える。
 寒い訳でもないのに、身体の奥から、震えが溢れ出て、止まらない。
 香取の肩へと、桐林が躊躇いがちに手を置いた。
 それが、どうしようもなく優しく感じられて。
 嬉しくなるほど暖かくて。
 涙が勝手に、溢れてしまう。


「私、は、ここに居て、良いんでしょうか……。まだ何も、出来る事を見つけられない、私でも……?」

「なら、これから見つければいい。自分なんかにも見つけられたんだ。君なら必ず見つけられる。必要なら、手を貸そう」

「……っ」


 気が付くと、香取は桐林の胸に飛び込んでいた。
 心の中に溜め込んできた不安を、全て投げ出すように。
 しばらくしてから、大きな手が背中に回る。
 こんなにも逞しいのに、存外、女慣れしていないらしい。
 落ち着きを取り戻し始めていた香取は、子供をあやすような、不慣れな手付きにそう思った。
 それくらい時間を置いての行動だったのだ。


(泣いたのって、これが生まれて初めてかしら……。本当に、スッキリするものなのね)


 そっと、惜しみながら腕の中から抜け出し、桐林に背を向ける香取。
 涙で顔がグチャグチャになっているのを、見られたくなかった。
 ベッドに備え付けのティッシュで顔を拭き、ついでに眼鏡もぬぐう。
 考えなしで抱きついてしまったから、ちょっとフレームも歪んでいるような。まぁ、すぐ直せるので問題ない。
 とにかく、女として最低限の身嗜みを整えたのち、香取は今一度、桐林へと向き直った。


「申し訳ありません、見苦しい所をお見せしてしまって……。恥ずかしいので、忘れて頂けると、助かります……」

「それは無理な相談だな。これを忘れたら、それこそ自分の居る意味が無い」

「……意地悪ですね、提督は」


 少しだけ、得意げにも見える桐林の表情。
 二人、自然と微笑み合っていた。
 やってみよう。
 彼の言った通り、自分に出来ることを探してみよう。
 練習巡洋艦の統制人格が、存在し続けるためのよすがとして。
 そして、それを極めてみせよう。
 練習巡洋艦を励起して良かったのだと、後世の人間に言わしめるだけの、成功たる証を立てるために。
 優しく微笑みかけてくれる、ちょっと強面な主人を前に、香取は胸の奥で誓った。


「あの……。宮野次官補は……」

「ああ。梁島提督に手伝って貰って、然るべき対処をしている。ツケは払わせるさ。……必ず、な」


 不意に思い出し、香取がそう問いかけた瞬間、深い闇を宿す桐林の右眼。
 背筋がゾッとした。純粋な恐怖からだ。
 つい数秒前まで、心の拠り所としたくなるほどの優しさを見せていた彼が、打って変わって修羅の如く。
 この様子では、宮野はその行いに相応しい、凄惨な末路を辿るに違いない。
 香取の外出を手引きした兵にも、恐らく見せしめとして、厳罰が下る事だろう。

 憐れみは覚えなかった。
 桐林ならば、きっと命までは取らないだろうから。
 もう二度と会う事はないだろうが、ただ一点。
 彼と心を通わせる切っ掛けとなってくれた事だけは、感謝しておくべきか。


「何してる。さぁ、帰るぞ」

「え? 帰るんですか?」

「え、そうだけど。……え?」


 話は終わったとばかりに、桐林がベッドから腰をあげる。
 が、何故か香取は、その背中を呼び止めてしまった。彼も困惑しているようだ。
 奇妙な沈黙。
 ややあって、香取は己の失言に気付く。
 これでは、部屋を出たくないと言っているようなもの。
 まるで、彼と関係を持つつもりだったと、言っているようではないか。


「ち、違うんですっ、あの、そういう事ではなくて、けど、決して嫌という訳でも……。あ、これも違う。ええっと、その……っ!」


 慌てて立ち上がり、ワタワタと言い訳を重ねる香取。
 それすらも上手く行っておらず、混乱は深まるばかりだった。
 ほんの十数分前まで、身を切る想いで、見知らぬ男に抱かれるつもりだったのに。
 舌の根も乾かぬうちに桐林を求めるような発言をするだなんて、ふしだらな尻軽女そのものだ。
 そう思われても仕方ない、馬鹿な事をしたのは事実だけれど、それを置いても否定したかった。
 彼にだけは、そんな風に思われたくないと。身勝手だと理解しつつ、思ってしまう。

 泡を食う姿を見て、桐林にも思う所があったのだろう。
 ワザとらしく「ゴホン」と咳払いをし、香取から目線を逸らす。


「……ま、まぁ、勿体無いと思う気持ちは分かるが、誰かに嗅ぎ付けられでもしたら大変だ。夜の内に帰ろう」

「は、はい。そうですね。心得ました」


 仕切り直す桐林に、香取は今度こそ、素直に頷き返した。
 やや急ぎ足で、部屋を出ようとする二人の間には。
 気恥ずかしさを物語る、微妙な距離があった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「糞、糞、糞……! こんな、こんな筈では……っ」


 練習巡洋艦、香取の籠絡が失敗に終わってから、更に数日後。
 高級外車の後部座席で、宮野 裕史はひたすら毒づいていた。


「おい神谷、もっとスピードは出ないのか!? デコイはそう長く保たんのだぞ!」

「無理を言わないで下さい……。この雨に加えて夜なんですよ? いくら車が少なくても、事故が……」

「チッ」


 相も変わらず言い訳だけは一丁前な運転手に、大きく舌を打つ宮野。
 窓の外には、車と同じ色が広がっている。
 窓を打つ大粒の雨のせいで、視界は良くない。時期外れの遠雷まで聞こえていた。

 この男は、他者を破滅させる事が好きだった。
 地位あるものを没落させ、能力あるものを挫折させ、幸福なものを不幸のどん底に突き落とす事が、堪らなく大好きだった。
 こういった歪んだ性質を、家庭環境やら生活環境やらに理由付ける医者も居るであろうが、宮野に限ってそれは当てはまらない。
 他人の苦しむ姿を面白く思ってしまうのだ。そういう精神構造に生まれついてしまったのだ。
 その証拠に、資産家に生まれついた彼が最初に陥れたのは、彼を愛してやまなかった両親なのだから。

 両親を破滅させた後、その財力とコネクションを完璧に引き継ぎ、宮野は華々しく政財界にデビューを果たす。
 そして、人間ならば誰しも翻弄される三大欲求を糸口に、時に弱みを握り、時に“注文”を受けて奔走し、内務省まで食い込むことに成功した。
 人心の腐敗も然る事ながら、彼自身に悪事の才能が漲っていた事にもよるだろう。
 順風満帆な人生だった。
 思いのままに他者を弄び、気紛れに破滅させ、絶望に喘ぐ様を眺めるのは、心を充実させてくれた。
 否、そうしている時しか、生きている実感が湧かなかったのだ。
 だからこそ、より大きな達成感を、充実感を求めて、統制人格にまで手を出そうとしてしまったのである。


「これから、どうなるんでしょうか……」

「どうもこうもあるか! 梁島に、あの男に目を付けられてはお終いだ!
 若造の方だけなら、どうとでもなると思ったのが失敗だった……。
 こうなっては、私もお前も、この国には居られんぞ」

「な、なんでわたしまで!?」

「散々お零れに預かっておきながら、自分だけは助かるとでも思ったか? この屑が!」

「わ、わたしはっ、宮野次官補に言われたから……!」


 鬱憤ばらしに、口汚く運転手を罵る宮野。
 悪事の天才である事を自負するこの男にも、天敵とする存在があった。それが、桐林の周囲にいた三人の能力者──吉田 剛志、兵藤 凛、梁島 彪吾だった。
 特に梁島という男は、宮野の扱う“商品”に微塵も興味を示さなかった。それどころか、宮野のような存在を露骨に嫌悪している節があった。
 今まで消されなかったのは、梁島の性格を逸早く見抜いた宮野が、細心の注意を払い、彼の視界へ入らないようにしていたからに尽きる。

 そんな折、梁島に千条寺の首輪がついたという噂が、内務省に届く。
 好機だと直感した。
 千条寺家は財界の重鎮。何より、当代の桐谷は“客”だった事もある。闇の商売の存在を知りつつ、決して排斥できない事を承知しているはず。
 背後関係が洗えず、得体の知れなかった兵藤も、潔癖で知られる吉田 剛志も死んだ。ならば、もはや誰に遠慮する必要もない。
 今まで誰も扱った事のない“商品”を仕入れる、絶好の機会が巡ってきたのだと判断し、その最適な供給源として、桐林に接触したのである。


(襲名披露宴で見かけた時は、単なるお人好しに見えた……。
 分不相応な“力”を得た、単なる凡人だったはず。それが間違いだったのか?)


 愚かな選択だったとしか言い様がない。危機感が鈍っていたとしか思えない。
 もしかしたら今回の一件、宮野を始めとした後ろ暗い人間を一掃するための、罠だったのではないか?
 そう感じてしまうほど、梁島の包囲網は細密かつ迅速だった。
 懇意にしてきた政治屋たちの反応がなく、遅まきながら異変を察知し、身を隠す事には成功したが、あと一時間行動が遅れていれば、宮野の存在は闇に葬られていただろう。
 恐らく今までの常連は、その悪行を認めて飼い殺しになる事を選び、宮野を贄として生き永らえようとしている。

 切り捨てられたのだ。トカゲの尻尾のように。
 負けたのだ。あの若造共に。
 ほぞを噛むとはこういう事かと、宮野は奥歯を噛み締めた。


「……ん? うわっ」

「ぬぉっ」


 ドスン、という重い衝撃。
 不快な急ブレーキの音。
 横滑りする車体。
 唐突な出来事に、宮野は何が起きたのか理解できない。
 車が円を描き、道路を塞ぐように停止して、やっと“何か”を轢いたのだと思い至る。


「何を、しているん、だ、貴様は……!?」

「ひ、人……。人が……。なんで高速に……」


 シートベルトをしていなかった宮野は、強かに打ちつけた頭を押さえながら、青い顔の運転手を罵る。
 進行方向に対して横を向く車の窓を確かめるが、電灯に照らされた左手側に変わった所はない。
 反対側は、節電の為に灯りが落とされているせいで確認できなかった。
 しかし、近づいていた雷雲が稲光りを発し、一瞬だけ道路の様子が浮かび上がる。
 二十~三十m離れた場所に、倒れ伏す人影があった。
 雨が視界を遮り、雨合羽を着ているらしい事しか判然としなかったが、あの速度だ。生きてはいまい。


「おい、ボサッとするな、早く逃げるぞっ。“あの連中”の船は待ってくれな……神谷?」

「……あ、あれ……あれ……!」


 自分以外の誰がどこで死のうと、心の底からどうでも良かった宮野は、硬直する運転手の肩を揺するも、様子がおかしい。
 人間を轢き殺した事に動揺しているのとは、違う。……恐怖している?
 視線の先を追ってみるが、相変わらず闇が広がっているだけ。


(……んん? いや、そんなはずは)


 稲光りが闇を切り裂き、遅れて雷鳴が轟く。
 倒れていたはずの人影が、立ち上がっていた。
 フード付きの雨合羽。顔は影に隠れている。色は赤、だろうか。
 体格からして男性であるのは分かるけれど、不規則な稲光りが照らすだけで、何もかもが不明瞭だった。


(なんだ。何が起こっているんだ)


 急激に気温が下がったような気がする。
 震えが止まらない。
 息が切れるのは何故だ。

 魔訶不思議な出来事に困惑する宮野が、唯一、正しく認識できたのは。
 人影の、恐らくは顔がある部分で、鈍い光を放つ──紅い単眼だった。




















 香取さん、実は超面倒臭い女性だった説。
 さて。二週間遅れの明けましておめでとうございます!
 そして、新年一発目の本編が後味悪くてスミマセン!

 今回の話は、これまでギャグなどで誤魔化してきた、世界に満ちる悪意の一つです。
 これらに対する主人公の明確な対応をこそ、今一度、キチンと描くべきだと考えておりました。
 性暴力に直結する内容ですし、不愉快に思う方が居らっしゃったら謝罪します。誠に申し訳ありませんでした。

 さてさて。それに合わせて描いたのが、練習巡洋艦の苦悩……。普通の軍艦に比べると、どうしても見劣りしてしまう戦力についてでした。
 ゲームでは様々な特性が付与されていますけど、作中の現実には当然なく、まさしく存在意義に乏しい船。
 その事を誰よりも熟知している香取さんが、どうやって第一秘書官として胸を張るに至ったかは、本文で語った通りです。
 何か一つ付け加えるならば………………モゲロこの野郎(オイ)。

 さてさてさて。言い訳がましくなってしまいましたので、ここいらで一旦、失礼をば。
 宜しければ、お口直しのこぼれ話をどうぞ。





 2017/01/14 初投稿+名前修正。NGワードチェックにテスト板へ投稿した時のままでした……。瓶様、ありがとうございました。







[38387] こぼれ話 水上機母艦 瑞穂の憂鬱  ※ 鹿島さんも出ます
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2017/01/14 21:12





「うふふ……。えへへへへ……」


 一一五○。執務室。
 雑務を片付ける桐林の傍らで、鹿島は花を咲かせていた。
 といっても、年がら年中、頭の中に咲き乱れている花ではない。見た目だけなら愛らしく美しい、彼女の笑顔のことである。
 残念な中身を知らなければ、大抵の男は確実に恋に落ち、女であっても胸を高鳴らせるような、本当に幸せそうな笑顔だ。

 二日間を横須賀で過ごし、舞鶴に帰って来たばかりの鹿島だが、運転などの疲れを鑑み、休養を申し付ける桐林の反対を押し切り、こうして執務机の側に控えている。
 香取も自分用の机に居るので、いつも通りの光景なのだが、こうも嬉しそうにされる理由に心当たりがなく、桐林は落ち着かない。


「随分と上機嫌、だな。鹿島」

「はい! それは勿論! 鹿島はいつでも絶好調なので!」

「そ、そうか……」


 丁度、仕事が一段落したタイミングで、問い掛けてみる彼。
 すると、鹿島は元気発剌、今にも「ファイトー! 百発ー!」と言い出しそうな意気込みを見せた。
 気圧されつつ、桐林は考える。
 そんなに舞鶴が恋しかったのだろうか。
 もしや、横須賀で嫌な思いでもしたのだろうか。
 いやいや、あの子たちが鹿島を邪険にするはずがない。ならば……?

 表情を殺し、アロマ・シガレットで一服するが、答えは出そうになかった。
 妙な所で鈍い桐林はさて置いて、今度は香取が妹へと苦言を呈する。


「舞鶴に戻ってからというもの、ずっとね……。気持ちは分かるけれど、浮かれ過ぎては仕事に支障をきたすわよ?」

「心配しないで、香取姉! 私、もうとにかく頑張っちゃいますから!」

(貴方が頑張ると言っていること自体が心配なのよ……。少し肩の力を抜くぐらいが、この子は丁度良いのに)


 鹿島の眼に燃える炎を感じ、静かに溜め息を零す香取。
 気持ちはよく分かる。
 たった二日とはいえ、懸想する相手の側から離れていたのだ。
 その隣に居られる幸せを再確認し、恋しかった気持ちが盛り上がってしまうのも、まぁ分かる。
 しかし鹿島が張り切ると、空回った分が遠心力で加速され、とんでもない方向へ飛んで行き、着弾点が酷い有り様になる可能性が高い。
 妹を落ち着かせる方法がないものかと、香取は頭を悩ませる。

 と、そんな時、執務室のドアがノックされた。
 控えめな音に香取が思い出す。
 そういえば、“彼女”を執務室へと呼び立てていたのだった。
 ひとまず鹿島の事は置いて、執務を優先させなければ。


「はい。どうぞ」

「し、失礼、致します……」


 香取がドアに声を掛けると、これまた控えめな声が返り、恐る恐るといった様子でわずかに開く。
 身を滑らせるように入室したのは、舞鶴艦隊唯一の水上機母艦、瑞穂だった。


「瑞穂。お呼びにより、参上致しました……。あの、い、如何様な、御用でしょう、か……」

「……み、瑞穂さん? どうして、そんなに怯えてるんですか? いつもはもっと、こう……?」

「あ……その……うう……」


 ──が、その立ち振る舞いに、鹿島は違和感を覚えた。
 俯きがちな顔。泳ぐ目線。モゾモゾと蠢く、身体の前で組まれた指。
 あらゆる所作から、落ち着きが失われている。
 普段はもっと優雅で華やか、かつ控えめで儚げな、薄幸の美女と評されるべき女性なのに。


「瑞穂」

「は、はい……っ」


 何を思ったのか、おもむろにアロマ・シガレットを灰皿へ置き、桐林が席を立った。
 名を呼ばれ、ピクン、と震える瑞穂の真正面で足を止め、数秒。
 どんどん顔色を悪くする彼女へと、桐林は溜めを作って言う。


「また、海図が使えなくなった。高速航路の、再開拓を頼む」

「……あぁぁ」

「あっ、瑞穂さん!?」


 フラッと崩れ落ちる瑞穂の身体を、すかさず抱き留める桐林。
 突然の事に鹿島は驚いているが、彼にとっては想定内の事のようだ。動きに慣れが見える。


「何故……。何故なのですか……?
 折角、二週間も寝る間を惜しみ、甲標的を使役し続けて作り上げた海図だというのに……。
 大きな戦いがある度、高速航路の分岐が変わってしまうだなんて……。
 深海棲艦の皆様は、瑞穂に何か、恨みでもお有りなのですかぁ……?」

「まぁ、敵同士ですし、ねぇ……」

「というか瑞穂さん? 提督さんとくっつき過ぎじゃ……」


 桐林の腕の中で、瑞穂は嘆き悲しむ。
 そこだけ切り取って見れば、悲劇のヒロインに相応しい、涙を誘う姿だった。
 けれど、香取の突っ込み、鹿島の横槍が入った瞬間、コミカルになってしまうのは何故だろうか。

 ここで、舞鶴艦隊における瑞穂の役割を解説させて頂く。
 初期こそ艦隊随伴任務をこなしてきた彼女は、ディーゼルエンジンとタービンエンジンを併用していた千歳型と違い、大和型のテストベッドとしてディーゼルエンジンのみを積まれたのだが、このエンジン、故障が多かった。
 詳細は省くが、出力にも制限を掛けねばならず、結果、大和型への採用は見送られる程であり、とにかく脚が遅かったのだ。
 長い時を経て、改良点を見つけ出しているはずの現代でも、瑞穂が最大船速を出そうとすると、何故か完璧に整備したはずの機関が故障してしまう。
 ちなみに、後継艦である水上機母艦 日進にっしんの機関部は、同じディーゼルエンジンでありながら最大二十八ノットの快速を誇っている。もしかして呪われてるんじゃ? というのは明石の談である。

 そんな訳で、雲龍型が艦隊に加わった頃から、彼女の任務は高速航路の開拓が主となった。
 横須賀で千歳たちが行っていた事とほぼ同じ内容なのだが、ただ一点、あちらとは違う部分がある。
 姫級の深海棲艦が起こす地殻変動により、たびたび海流の分岐が変化してしまうのだ。
 おそらく、日本海という特殊な環境がそうさせるのであろうが、海流が変化してしまえば、安心して高速航路を使う事も出来ない。
 故に、地殻変動の度に瑞穂は、寝食を惜しんで甲標的によるマッピング作業をしなければならないのである。

 何度となく手書きで海図を完成させても、敵の気紛れによって無為に帰す。この悲しみ、お分り頂けるだろうか。
 瑞穂と共に海図を描いた事のある桐林には、その苦労が理解できた。
 大学時代、サークル活動の一環としてアナクロゲームに没頭し、手動のマッピング作業をした事もある桐林には、痛いほど理解できた。
 しかし、瑞穂の作る海図が無いと、作戦遂行に支障が出てしまう。
 致し方なく、桐林は心を鬼にした。


「瑞穂。辛いのは分かる。
 苦しいのも悲しいのも、分かる。だが必要な事なんだ。
 この艦隊に、甲標的を扱えるのは君しかいない。……頼む」


 咽び泣く瑞穂の肩を支え、真っ直ぐに瞳を見つめる桐林。瑞穂もそれを見つめ返し、静かな時間が過ぎる。
 香取が素知らぬ顔で書類を整理し、鹿島が「いいなぁ……」と指を咥えて、しばらく。
 細い指で涙を拭った彼女は、桐林へと微笑んで見せた。


「分かりました……。他ならぬ提督からの御指示ですもの。全身全霊で、航路開拓に勤めますわ」

「ああ。宜しく頼む」


 承諾を取り付け、桐林は心の中でホッと溜め息をついた。
 現状、瑞穂には貧乏クジを引かせてしまっている。
 桐林が「やれ」と言えば、彼女はなんでもやってくれるだろうが、過剰に負担を強いるのは良くない。
 どうにか上層部を説得し、打開策を打ち出さなければと、決意を新たにする桐林であった。

 が、それは別として。
 可及的速やかに解決しなければならない問題が、現在進行形で起こっていたりする。


「……ところで、瑞穂」

「はい。なんでしょう?」

「そろそろ、自分で立って欲しいんだが」


 まるで甘えるように、しな垂れかかる体温。
 瑞穂はそれとなく、しかし確実に桐林へと、体重を預けているのだ。
 か弱い女性を抱き止めるというのは、実に男冥利に尽きる事ではあるのだが、そろそろ背後からの視線が痛くなってきた。
 鹿島の視線であろう。見える訳でもないのに、そう確信できた。慣れとは恐ろしい。
 けれど、その元凶たる瑞穂は、またニッコリと微笑んで。


「あら、申し訳ありません。誠心誠意を込めて作らせて頂いた海図が無駄になってしまったというのは、やはり衝撃的で……。お嫌、ですか?」

「……困る」

「お嫌ですかと聞いて『困る』と仰るからには、お嫌ではないのですよね?」

「………………」


 儚げなはずの笑顔に、どうしてだか迫力というか、有無を言わせぬ気配を感じ取り、桐林の目元が引きつる。
 出会った当初こそ、桐林に怯え通しだった彼女だが、共に航路を開拓した辺りから、如実に反応が変化した。
 自らの能力の成長度合いを確かめるため、桐林は瑞穂に直接乗り込み、数日間、増幅機器を使わずに甲標的を使役したのだが、それからのような気がする。というか絶対そうだ。
 記憶にある限りでは、初めて殿方を乗せただとか、土足で踏み荒らされただとか、内側を観察されただとか、こうなっては責任をだとか、そんな事を言っていたような。
 冗談にしては性質が悪い。本気だとしても良くない事態である。

 桐林が半歩ほど後退るも、瑞穂との間に距離は生まれない。
 むしろ、彼女は胸板に額を押し付けるようにして、より密着してくる。
 無性に口淋しくなり、桐林は今すぐアロマ・シガレットを吸いたいと感じ始めた。
 時を同じくし、我慢の限界を迎え、堪忍袋の緒を歯で噛み切った鹿島が、二人の間へと強引に割り込む。


「はいっ! そこまでです! それ以上の物理的接触は、執務中の秘書官として見過ごせません! 離れて下さいっ」

「やん。鹿島さん、何をなさるんですか? そんな風に割って入ろうだなんて、危ないです」

「むぅ……っ」

「うふふ」


 臨戦態勢の鹿島と、余裕を見せつける瑞穂。見えない火花が散っていた。
 桐林は窮地を脱したかのように思われるであろうが、実は今までと何も変わっていない。
 何故ならば、割り込んだドサクサに紛れ、今度は鹿島が腕の中に潜り込んだからである。
 先程までとは趣きの違う柔らかさを感じ、桐林は考えるのをやめていた。意識すると身体の一部がマズい事になってしまう。

 桐林に抱き着きながら、恋敵を睨む鹿島。
 儚い微笑を浮かべ、ヤキモチを焼く幼子でも見守るような風体の瑞穂。
 どうしてだろうか。いつもなら雷を落としそうな香取は、何も言わない。もはや、止めるものは誰も居ないと思われた。

 が、次の瞬間、執務室に再びノックの音が響く。
 返事も待たずにドアを開けたのは──


「や、司令。この間は変な風になっちまって、悪い事したよな? お詫びに、萩とカレーとか作ったん……だけど……」


 ──制服を着崩した赤毛の少女、嵐であった。
 突然の来訪者に時間を止める室内。
 朗らかに入室した彼女は、片手を上げて挨拶しつつ、桐林の姿を見つけ、少々遅れて硬直する。
 真昼間から男女が仕事場で抱き合っていれば、それも当然だろう。
 形の良い眼をパチクリ。
 見間違いかと擦ってみても、変わらず抱き合う桐林と鹿島。
 間違いなく現実だと認識した嵐は、腕を組んで思案。とある結論に至り、鹿島へと歩み寄って肩を叩いた。


「鹿島さん……。こんな事、俺に言われるのはアレだと思うけどさ……。仕事中に迫るのは不味いんじゃないか? 周りに示しがつかねぇっていうか、さ」

「えっ。ち、ちちち違います、違うんですっ、これは瑞穂さんが、あれ、でも、あれぇ?」


 生暖かい視線を浴びせられ、鹿島は慌てて桐林から離れるのだが、否定する要素を見つけられずに困惑してしまう。
 瑞穂が桐林に抱き着いていたから、鹿島はその間に割って入り、羨ましかったのでついでに自分も抱き着いて、そこを嵐に咎められる。
 どこからどう見ても、鹿島の自業自得であった。
 とはいえ、このまま見捨ててしまうのも憐れかと思い、無言を貫いていた香取が助け舟を出す。


「嵐さん。先ほど、カレーと仰っていましたが……?」

「お、おお。そうなんだよ。司令って、歯応えのある食いもんが好きなんだろ?
 萩がさ、健康にいい根菜カレーを考えてたんで、丁度いいからってな。俺も……サラ、ダ? っぽいの作ったんだ。
 そうだ。昼まだなら、香取さんや瑞穂さんもどうだい? 俺たちの部屋で。飯は賑やかに食った方が美味いに決まってんだし、ついでに鹿島さんも」

「まぁ! 実はお腹が空いていたんです。この瑞穂、是非とも御招待に預かりますわ」

「私はついでなんですね……」

「まぁまぁ、いいじゃんいいじゃん。ほら行こうぜ? 萩のカレーが待ってるぞー!」

「ちょ、ひ、引っ張らないで下さい嵐さん!? 私、まだ提督さんとのお仕事が……」

「あ。でしたら私が香取さんと一緒に後片付けをしておきますので、鹿島さんはお先にどうぞ?」

「んなっ!? そ、そんなの駄目っ、きっとまた、どさくさ紛れに提督さんと……。そんなの、私は認めません、認めませんからねぇええっ!」

「御機嫌よう~」

「あの子は、全く……」


 なんとも身勝手な叫び声を上げつつ、嵐に引き摺られて行く鹿島。
 瑞穂が手を振って彼女を見送り、香取は妹の醜態に頭を抱えた。
 桐林はまだOKを出していなかった訳だが、参加は決定事項らしい。
 今さら断る事も出来ないか……と諦める桐林だったけれど、しかし、別の事が気にかかる。


「……どうしたんだ、瑞穂」

「あら。何がでしょう」


 それは、らしくない瑞穂の言動であった。
 常日頃から謙虚で礼儀正しく、桐林に関わらない自己主張は控えめな彼女が、積極的に空腹を示すという慎みない行動を取るなど、少々おかしい。
 問われた瑞穂は、楚々と小首を傾げるばかり。
 それでも桐林が見つめ続けると、彼女はまた笑みを浮かべ、静かに一歩、距離を縮める。
 か細く、簡単に折れてしまいそうな指が、黒い詰襟の胸元に置かれ、そして、止める間もなく隙間から服の中へ滑り込んだ。


「お、おい」

「これは、瑞穂がお預かりします。よろしいですよね?」


 眼を丸くする桐林の眼前に、半透明なピルケースが突きつけられる。
 詰襟の内ポケットに仕舞われていた物であり、桐林も、まさか擦り盗られるとは思っていなかった。
 反射的に取り戻そうとするけれど、胸に抱え込まれては叶わない。
 当惑する桐林へと、瑞穂は微笑む。
 少しだけ、悲しみを滲ませて。


「私も、事情は承知しております。
 間宮さんほど味覚は鋭敏ではありませんが、提督との同調時間だけで言えば艦隊随一。代わりなら務められます。
 ……ですから。味覚を殺す為だけに服毒なんて、なさらないで下さいませ」


 言いながら、瑞穂は深々とこうべを垂れた。
 ピルケースの中身は、彼女が言った通り、特別に調合された神経毒である。
 常人であれば死に至る濃度の劇薬だが、毒物への耐性を得た桐林が服用すると、一時的に味覚を麻痺させる程度の効果を発揮する。
 変調をきたした味覚を誤魔化し、今後起こり得る、要人たちとの会食などを滞りなく行うために、事情を知った梁島が用意した物だ。
 時津風たちを見送る食事会で飲んでいたのも、これだった。

 味覚異常を隠すため、基本、予定外の食事の誘いは断る桐林だが、どうしても断りきれなかったり、出席する必要があると判断した上で、間宮を同席させるのが不自然である場合に、これを服用していた。
 味のない食事というものは、全く面白みのない、苦行に近い行為であったが、ただ味がしないだけならば、簡単に我慢できたのだ。


「一体、いつから……?」

「確信を抱いたのは最近です。
 私の知る限り、提督がこの薬を飲むのは、決まって間宮さん以外の方とのお食事でした。
 けれど、間宮さんも同席される場合には、お飲みになっていませんでしたので。
 あとは推測ですが、提督なら、“こういう事”もやりかねませんから」


 小さな子供を叱るように、瑞穂が桐林の鼻の頭をつつく。
 柔らかさを感じる微笑みは、まるで「駄目ですよ?」と言っているようで。
 どうやら、完璧に性格を把握されているらしい。
 これ以上は無駄な抵抗だと悟り、桐林は香取を見やる。
 すると、残る仕事を纏め終えた彼女も、穏やかな笑みを浮かべていた。


「私も共に参ります。一人よりは二人の方が、違和感なく食事を同期できるはずですから」

「まぁ。香取さん、頼もしいですわ。さ、提督? 嵐さんと萩風さんと、鹿島さんがお待ちになっています」

「早くしないと、待ちくたびれて迎えに来るかも知れませんね。特に鹿島は」


 右腕に瑞穂の左腕が絡まり、左には香取が控えている。後は、桐林が歩き出すだけ。
 ふと、吸いかけのアロマ・シガレットを思い出し、後ろを振り返った。
 執務室の上にあったはずの灰皿は、しっかり片付けられていた。きっと香取の仕業だ。


「……そうだな。鹿島が暴走してないか、気になるしな」

「本当に、私の妹は騒がしくて……。お恥ずかしい限りです……」

「いいや。……楽しいよ」

「そうですね。うふふ」


 後顧の憂いも無くなり、桐林はいよいよ、嵐たちの待つ部屋へ歩き始める。
 歩幅を合わせる三人の足取りは、軽い。
 ゆっくりとした歩みだけれど。
 とても、軽やかだった。





「司令、あの……。根菜カレー、味はどうでしたか……? 一応、味見はしてあるんですが……」

「……萩風」

「は、はい」

「お代わり」

「あ……! はいっ。すぐにお持ちしますね!」

「まぁ。流石は提督、健啖なのですね。あ、瑞穂ももう一皿、頂いてよろしいですか? とても美味しかったもので……」

「はい、もちろんです! すぐによそいますから、座っていて下さいっ」

「っへへ……。頑張ったもんな。良かったな、萩」

(うむむ、確かに美味しい。そして、提督さんへのそこはかとないラブ臭まで感じる……。萩風ちゃんも要注意だわ!)

(鹿島ったら、また変な事を考えている顔ね……。にしても、この福神漬けの美味しいこと。自家製かしら)




















 瑞穂さん、誘いMから下手攻めに属性転換するの巻。
 てな訳で、新年一発目のこぼれ話でございました。
 近いうちに拾うとか言っておいて年を跨いでしまいましたが、やっと主人公の飲んでいた栄養剤の正体が判明です。
 毒も薄めれば薬になる場合がありますけれど、主人公の毒に対する許容量は人の範疇に収まらず、こんな事態になっています。自罰的にも見えますね。

 ん? そんな事より、瑞穂さんの変貌ぶりが気になる?
 一緒にマッピング作業している間に、“何か”あったんじゃないですかねぇ。お風呂とかトイレとか、その他諸々が。
 鹿島さんはいつも通りなので割愛(えっ)。

 ここからしばらく、シリアスはありません。舞鶴編で溜め込んでいたバカ話の消化に移ります。
 名前だけ登場していた艦やイタリア艦の本登場、眞理杏瓊ちゃんの続報、横須賀勢の話などを更新していきますので、宜しければ今年もお付き合い下さい。
 それでは、失礼致します。


「ええっと、これがあれで、あれがそこで……」
「明日の準備かい。随分と念入りだね」
「当たり前よ! 艦隊を代表するレディーとして、“あの子”には負けられないんだから!」
「……ワタシたちは司令官に会いに行くんだし、“あの子”と張り合っても仕方ないと思うんだけれど」




 2107/01/14 初投稿+名前修正。







[38387] 異端の提督と舞鶴での日々 進撃の眞理杏瓊、第二章・お嬢様と日系二世
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2017/03/01 00:27





 梅雨の季節を間近に控えた某日。
 晴れ渡る空の下、桐林は母港を一望できる監視所に立っていた。
 眼下に臨むは、繋留された数多の軍艦たち。
 励起を待つその中でも、緑・白・赤のイタリア国旗をマストに掲げる船を確認し、桐林が後ろを振り向く。
 背後に控えていたのは三人の女性。練巡姉妹の香取・鹿島、工作艦の明石だった。


「明石。説明を頼む」

「了解です。では……」


 呼び掛けられ、明石が前へ。
 桐林の左隣に立った彼女は、イタリア国旗を掲げる船を指し示しつつ、その名前を列挙する。


「手前から順に、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦二番艦、リットリオ。同四番艦、ローマ。マエストラーレ級駆逐艦三番艦、リベッチオ。
 そして、ザラ級重巡洋艦一番艦、ザラ。同三番艦、ポーラ。
 更に更にっ、貨客船改装空母であるアクィラ型航空母艦一番艦、アクィラです!」


 航続距離を犠牲に、攻・走・守を高い水準で併せ持つ戦艦二隻。
 後のイタリア駆逐艦のベースとなった、風の名前を持つ駆逐艦一隻。
 重装甲と長射程砲を持ち合わせ、引き換えに雷装を持たない、一風変わった重巡二隻。
 そして、史実では未成艦ながら、正規空母に匹敵する性能を期待された空母一隻。

 計六隻の、かつてイタリア海軍に属した軍艦が、舞鶴の港に鎮座していた。
 その錚々たる威容を前に、鹿島は思わず感嘆の吐息を漏らしてしまう。


「わぁ……。これ全部、イタリア国籍の軍艦なんですよね?」

「その通り! いやぁ、ここまで揃えるの苦労しましたよー」

「そうでしょうねぇ。そうでしょうとも。……所で、明石主任」

「あ、はい。なんでございましょう、香取第一秘書官様」


 妹に続き、鷹揚に頷いている香取だったが、明石へと向ける言葉には、重い含みがあった。
 それに心当たりがありまくった明石は、背筋を正し、しおらしく次の言葉を待つ。


「先ほど提督が求めたのは艦の説明ではなく、どうして“命令にない艦を建造したのか”、という事への説明なのだと思われますが?」

「うっ。そ、それは、ですねぇ……」


 ビクリ、と肩を揺らす明石。助けを求めて桐林の方を見つめてみるが、彼は無言で頷くばかり。
 どうやら、香取は彼の心中を的確に言い表しているらしい。
 明石も流石に観念して、ポツポツと事情を語り始めた。


「あ、あのですね? フランさんからEメールで送られてきた設計図、あったじゃないですか。
 こっちで造ったのを送るより、そっちで造った方が安全で安上がりだし、取り敢えず主だった船の設計図あげるから役立ててねー、って」

「ええ。他国の軍関係者に、自国の軍艦の設計図と仕様書を丸っと投げてよこすとは、豪胆としか言いようがありませんね。流石はMs.ペトルッツィです」

「ですよねー。で、ですね。その設計図を眺めている内に、こう、造ってみたいなぁーという欲求が湧き上がってきたんです。
 しかし私は頑張った! 提督の命令には無かったから、建造するのは戦艦と駆逐艦だけだって、自分を抑える事に成功したんです!」

「ほう。成功したんですか」

「したんです! ……私は。でも、妖精さんたちが、妖精さんたちがぁ……っ」

「勝手に工廠の片隅で、資材をチョロまかしながら、重巡と空母を三隻も高速建造していた、と」

「ですです! そうなんですよぅ!」

「……はあぁぁああぁぁぁ……」


 今にも泣き出しそうな顔で、明石は言い訳をする。
 聞かされる香取はといえば、五秒近く掛けて、長〜い溜め息をつく。
 今朝方、持ち回りで鎮守府内を巡回警備していた長波から、「なんか、昨日までは無かったはずの船が増えてんだけど?」と報告を受けた時は、耳を疑ったものだ。
 が、現にこうして目の前に船はあり、下手人も自供した。
 ままならない現実は、激しい頭痛のタネとなって香取を襲う。


「え、ええっと。確か私たちの艦隊って、編成に厳しい制限がされているんでしたよね?
 特に、重巡洋艦と航空母艦に関しては、励起も許されない場合があるとか」

「その通りよ。おかげ様で、確実に戦力になるはずの装甲空母──大鳳も、励起できずにいるわ。
 なのに、隠れて重巡二隻と空母を建造していた、なんて事が露見したら、一体どうなるやら……」


 なんとか場を取り繕おうと、鹿島が話を継いでみるものの、どうやっても重苦しい空気は拭えなかった。
 桐林が予定していたのは、リットリオ、ローマ、リベッチオの計三隻であり、書類の申請上もそうなっている。
 彼の特異な“力”を警戒し、海外艦の建造・励起に対して神経質になっている上層部がこれを聞きつけたなら、十中八九、槍玉に挙げられてしまうだろう。
 その事実を重々承知していたはずの明石は、先程までと打って変わり、意気消沈した様子で頭を下げる。


「ごめんなさい……。私、一生懸命やってるつもりなんですけど、うちの子たち、昔よりも私の気分とか気持ちに、敏感になってるみたいで……。本当に、ごめんなさい」


 今は明石と呼ばれるこの少女が、人工統制人格として生まれ変わってから早数ヶ月。
 工作機械を使役する精度も、効率も、速度も。ただの能力者であった頃より、遥かに向上していた。
 けれど、それとは対照的に低下してしまったのが、使役妖精たちの持つ“揺らぎ”である。
 他の統制人格の協力を得て、建造や開発を行う場合には、より方向性が強く定められるという有用性を発揮する。
 逆に明石が単独で行う場合、失敗する確率や、想定しない結果を出す確率が上がってしまう。
 要するに、強大になった“力”を持て余している状態なのだ。

 御しきれぬ“力”を得た時、人がどんな気持ちになるのか。
 それを理解していた桐林は、明石の肩へ手を置き、頭を上げさせる。


「気にするな。起きてしまった事は変えられないんだ。なら、どうにかする。上は自分が納得させよう」

「……出来るんですか? そんな事が」

「やる。いざとなれば、命令書の粗を突くだけだ」


 力強く頷いてみせる桐林に、明石は声もなく驚く。
 失敗を責めるどころか、それを飲み込んだ上で、上層部への対処にも自信を見せる。かつての彼ではあり得ない反応だ。
 けれど、これも成長の証明。
 終始難しい顔をしていた香取は、桐林の言葉に諦めがついたのだろう。
 嘆息し、それからいつもの笑顔を浮かべた。


「提督がそう仰るのでしたら、私からは何も。鹿島、貴方はどう?」

「へ? ……あ! も、問題ないかとっ。提督さんの思う通りにやって下さい。私たち、全力でサポートしますので!」

「……助かる」


 急に話を振られ、鹿島は一瞬惚けるも、すぐさま気を取り直し、桐林へと微笑んでみせる。
 命令だから、というだけではない。
 たとえ上層部からの覚えが悪くなろうと、彼の支えになる事が二人の至上目的であり、それが皆の幸せに繋がると信じているからである。

 信頼の眼差しを向けられる桐林も、微かに微笑んでいる。
 ここ最近、鹿島の前でもよく見せるようになった顔だ。
 ちょっとは信頼度が上がったのかな? と内心でホクホクする鹿島であった。


「そろそろ良い時間ですね。提督、私は先に戻ります。お出迎えをしなくてはなりませんし」

「ああ、そうだな」

「あれ? お客さんでも来るんですか?」

「そういえば、明石さんにはお話してませんでしたよね。桐谷提督の娘さんが遊びにいらっしゃるんです。……横須賀の、方々を連れて」

「あー。そう、なんですか」


 腕時計を確かめ、先にその場を離れた香取の言葉に、首をかしげる明石。
 代わりに鹿島が説明するのだが、段々と、明るかった表情が落ち込んでいく。
 この明石が、横須賀に居た整備主任の少女であった事は、今以て最重要機密のままである。
 うっかり鉢合わせすれば騒ぎになる事も間違いないため、昔馴染みと再会する事も叶わない。
 居心地の悪そうな明石を、桐林が呼ぶ。


「……明石」

「あ、大丈夫です。分かってますから。私は工廠で色々と準備する事がありますし、また今度って事で」


 けれど、彼が何か言う前に、明石自身が話を終わらせる。
 どうしようもない事だ。
 いずれ解決しなければならない問題だが、今はきっと、その時ではないから。
 それでも、彼女の中に隠しきれない寂寥感を見つけた鹿島が、更に肩を落としてしまう。


「寂しい、ですよね……。今すぐにでも、本当の事を話せれば……」

「あはは。まぁ、そのうち会えるでしょ。だからそんな顔しない! ね? ほらほら、桐谷提督の娘さんが待ってますよ!」


 明石は大げさに笑い、桐林と鹿島の背中を押して、庁舎へと送り出す。
 監視所から降りる階段の所で、後ろを振り返る二人。
 小さく手を振って、笑顔を浮かべたままの明石。
 それが強がりであると分かっていても、それこそ、どうしようもない事で。


「行くぞ、鹿島」

「……はい」


 アロマ・シガレットを咥える桐林に、鹿島は続く。
 吐き出した煙は、明石の元へと届く事なく、消えていった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 執務室のドアを開けると、無人であるはずの室内には、予想外の人影が二つあった。
 白と灰黄色の和装。左腰に差した日本刀。
 航空戦艦、伊勢型姉妹である。


「あ、提督。戻って来たんだ」

「……伊勢か。日向まで、どうした」

「私たちも君の統制人格だ。執務室に居て、おかしくはないだろう」

「それは、そうだが」

「いやね。例の子が来るって聞いたから、一回顔を見ておきたくて。提督のお嫁さんになるかも知れない子なんでしょ?」

「そんな予定は──」

「なに言ってるんですか伊勢さん! 提督さんに結婚のご予定なんて“まだ”ありませんし! ですよねっ」

「……そう、だな」

「なぜ鹿島秘書官が答えるんだ……?」


 いつも通り飄々とした伊勢。
 言葉は少ないながら的確な日向。
 そして、結婚発言に「キシャーッ!」と噛み付く鹿島。
 入り口から執務机までの短い距離の間に、早速一悶着を起こしてしまう辺り、鹿島はある意味で安定している。
 その勢いに気圧されつつ、桐林は自らの席へ。
 伊勢も同じように机へと寄り掛かり、日向が窓辺に。
 落ち着きを取り戻した鹿島は、定位置である自分の机へと向かう。


「とにかく、この前は工廠の方に居たし、戻って来たら来たで、香取秘書官が接見禁止命令出してるし。興味あるのは本当よ。横須賀の子も来るんでしょう? 挨拶くらいは、ね?」

「私としては、扶桑型の二人と会ってみたいのだがな。同じ航空戦艦、通じるものもあるだろう」

「……そうか」


 めいめいに語る、伊勢と日向。
 マリの策略によって始まったこの交流会(?)だが、その影響は思いのほか大きいようだ。
 いつか、扶桑や山城と彼女たちが対面したら、どのような化学反応が起きるのか。
 少しばかり不安に思う桐林だった。

 と、そんな時、控えめに執務室のドアがノックされた。


「提督、香取です。千条寺 眞理──様が、お見えになりました」

「ああ。入ってくれ」


 来賓の到着を告げられ、執務室の空気は引き締まる。
 が、香取の言葉に妙な“引っかかり”を覚えた伊勢は、鹿島へ思念を飛ばした。


(……ねぇ、鹿島秘書官。なんか、名前と様の間に変な空白がなかった?)

(えっ。……き、気のせいじゃありませんか?)

(いや、私もそう感じた。香取秘書官は、何か含むところがあるのだろうか)

(ええと、あの、後でご説明しますから! とにかくあの子の名前はマリちゃんなので! そういう事でお願いします、お二人共!)

(……よく分からんが、承知した)

(私もりょうかーい)


 ビクリ。思わず頬を引きつらせるものの、鹿島はどうにか誤魔化した。
 言えない。言えるはずがない。彼女の本名が眞理杏瓊だなんて。
 途中から参加した日向など、明らかに納得してはいない様子だが、とにかく深い事情があるのは察したらしく、ゆっくり開くドアに居住まいを正す。

 香取に連れられて入室する、三人の少女。
 そのうちの一人──以前に来た時と同系統の、純白のワンピースに紺色のケープを合わせるマリが、執務机の数歩前で立ち止まり、丁寧な一礼を。


「桐林提督。本日は、御多忙にも関わらず歓迎して頂き、大変、嬉しく存じます」

「ようこそ、マリさん。どうか気を楽に。我々も、堅苦しい挨拶は好みませんので」

「……では、お言葉に甘えて。お久しぶり、です。桐林さん」

「お久しぶりです」


 一通りの挨拶を終え、マリが柔らかく微笑み、桐林は無表情ながら、しかし声に温かみを乗せる。
 彼にしては珍しい反応だ。
 心を許している……のかも知れないと、伊勢と日向は感じた。

 次いで、マリの同行者である二人──セーラー服を着る暁、響が進み出る。
 けれど……。


「し、ししし司令官! ごご、ご機嫌ようなのですわ! 本日は、お、お日柄もよく、晴天に恵まれまして……っ!」

「暁、落ち着いて。別の挨拶になっているよ。ほら、深呼吸。ひっひっふー」

「ひっひっふー、ひっひっふー。……ってこれラマーズ法じゃない!?」

「流石は暁。よく知っているね。Хорошо」

「バカにしてる? ねぇ響、バカにしてるでしょ!? 暁はお姉さんなのにぃー!」


 見事にテンパる長女と、冷静沈着に弄る次女。
 正真正銘のお嬢様であるマリに対抗したかったのだろうが、その様はまさしくコントであった。
 暁は「むきぃーっ!」と地団駄を踏み、対する響は雑な拍手を。
 静と動のコントラストが、伊勢の頬を緩ませる。


「あっははは、いやいや、本当に見事なノリ突っ込み。掴みはバッチリよ! あ、私は伊勢ね。航空戦艦の。よろしくー」

「同じく、日向だ。初めまして、になるな」

「私は数日ぶり、ですね。横須賀で会ってますし。元気そうで安心しました」

「うん。鹿島秘書官も、元気そうで何よりだよ」


 サムズアップしながら、響たちへと自己紹介する伊勢。
 日向、鹿島も続き、響が脱帽。マリは優雅に会釈で返す。
 ぜぃぜぃと息を切らしていた暁は一歩遅れ、不満げな顔のまま脱帽し……それが落ち着いた頃、おずおずと桐林を見つめた。


「司令官……」

「……暁。響」


 小さな呼び声に、桐林も静かな声で名前を呼ぶ。
 変わらない呼び方だった。でも、どこか……。
 ほんの少しだけ、胸を締め付けられるような。そんな感覚を、暁は覚えていた。


「あの……。あのね、司令官。えっと、えっと……」

「………………」


 必死に話しかけようとする暁だけれど、言葉に出来ない。
 話したい事があった。
 聞きたい事もあった。
 以前だったら気兼ねなんてせず、なんでも話せたはずなのに、しかし、なぜだか上手くいかなくて。
 部屋全体がもどかしさに染まり、暁を俯かせる。
 そんな中、あえて空気を無視したマリが、桐林に問い掛けた。


「桐林さん。今日は、まだ連れがいるんです。呼んでもいい、ですか?」

「ええ。どうぞ」

「ありがとうございます。では」


 桐林としても、この雰囲気は歓迎できなかったのか、一も二もなく頷き、確認したマリが香取へと目配せを。
 一礼し、一旦は執務室を出る彼女だったが、ほどなく、キャリキャリとキャスターの音を響かせながら戻ってくる。
 廊下に置いてあったのだろう。ベージュのカバーを掛けられたそれは、いわゆる鳥籠に見えた。
 ただし、人間が丸ごと入りそうな大きさの。
 桐林の右眼に、若干の焦りが浮かぶ。


「ま、マリさん。その中に、お連れ様が?」

「そうです」

「香取姉。私、目がおかしくなったのかな。それ、マリさん以上に大きく見えるんですけど」

「安心して、鹿島。本当にその大きさだから。ついでに言うと、けっこう重いわ」


 目を擦りながらの鹿島の問いに、香取が完璧な笑顔を張り付けて答える。
 あれは、地味に困っている時に浮かべる表情だ。
 一体、マリの言う連れとはなんなのか。
 執務室の雰囲気は、一種異様な物に変じていた。


「ご紹介します。この子が、マリの家族の一人……」


 皆が固唾を飲んで見守っている最中、マリは鳥籠のカバーをゆっくりと捲りあげる。
 重厚な鉄格子の向こうで、ギラリと青い瞳を輝かせていたのは。


「ハシビロコウの、パトリック・吉良・ヨシナカJr.です」

《クァッ》


 二本の足で直立する、人間大の鳥だった。
 鳥網コウノトリ目コウノトリ亜目コウノトリ下目ペリカン上科ペリカン科ハシビロコウ亜科に類され、大きな嘴が特徴である。
 滅多に鳴かない鳥であるため、貴重な第一声だ。
 が、予想外にも程がある御家族の登場で、皆の思考は一時停止している。


「は、ハシビロコウ……? っていうかパトリック? Jr.? 二世?」

「吉良ヨシヒサ。忠臣蔵の吉良上野介か。渋いな……」

「こ、この子、噛み付いたりとかしない? 触っても、大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ、暁さん。パトリックは、優しい子ですから」

「わぁ……。ハシビロコウさん、初めて見ました……。わ、私も撫でていいですかっ?」

「もう、鹿島? 余り馴れ馴れしくすると、パトリック……Jr.さんも、驚いてしまうわよ」

「……ぷっ」


 いち早く再起動を果たしたのは、航空戦艦姉妹の二人。
 興味深げにパトリック(以下略)を眺めたり、嘴を高速開閉して音を出すクラッタリングに驚いたりしている。
 ちなみに、このクラッタリングは威嚇行動などではなく、挨拶や仲間への合図に使用される行為である。安心してほしい。
 攻撃的な性格を持っていたことで有名で、かつてはレッドリストにも指定されていたが、今日こんにちにおいては個体数が回復し、飼育方法も確立され、高級ペットとして上流社会の好事家に愛されている。

 話を戻そう。
 変わり種に過ぎるパトリック(以下略)の登場で、場の空気は一気に楽しげなものへと変わっていくのだが、ただ一人、響だけは別の点に注目していた。
 それは、香取が迷いつつも、パトリック(以下略)にJr.さんを付けて呼んだ際、思わず吹き出してしまった人物。


「司令官。今、笑ったかい」

「なんのことだ」


 いつも通り、鉄面皮な桐林。
 だが、響は確かに見た。皆がパトリック(以下略)に注目している隙に、小さく吹き出してしまった所を。
 恐らく、ハシビロコウが和服を着て、烏帽子でも被っている姿を想像し、勝手にツボったのだろう。
 響に凝視されても、桐林は微動だにしない。
 認めたくないのか、名前を笑ってしまった事を恥じているのか。
 表情からその心中を測る事は難しかったため、響は賭けに出る。


「……吉良Jr.」

「ふ──っ!?」

「な、何? ねぇ響、司令官、なんで怒ってるの!?」

「いや。あれは怒っている訳ではないような気がするのだが……」


 クワッと見開かれる桐林の右眼。
 眉間に寄る皺。への字に結ばれる唇。
 暁が怯えるのも仕方ない、憤怒の形相にも見えるのだが、しかし。
 左手の甲には万年筆がグリグリと突き立てられていた。あれは相当痛いに違いない。
 暁をなだめつつ、そうまでして誤魔化したいものかと、呆れざるを得ない日向だった。
 そして、桐林の切羽詰まった様子に気付いたマリは、つぶらな瞳を怪しく光らせる。


「伊勢、さん? ちょっと、お耳を……」

「あ、はいはい。なぁに?」


 何やら伊勢を呼び立て、耳打ちするマリ。
 フンフン頷いていた伊勢は、ニヤリと天邪鬼な微笑みを浮かべ、またサムズアップ。
 執務机から少し離れた場所に立ち、マリが籠から出したパトリック(以下略)と相対する。
 唐突な二人と一羽の行動を、皆はまた固唾を飲んで見守った。
 ややあって、マリはパトリック(以下略)の影に隠れ、桐林から見えない位置へ。
 次の瞬間、伊勢は勢いよく刀を抜き放ち、上段に構え──


「おのれ、パトリック・吉良・ヨシナカJr.! 覚悟ぉ!」

「あいや伊勢殿。殿中でおじゃる、殿中でおじゃる」

《クェーッ!!》

「っぶはぁ!?」


 ──鬼気迫る表情で、パトリック(以下略)に迫った。
 赤穂浪士の仇討ちの物語を知っていれば分かる事だろうが、有名な“松の廊下”での一件を再現したのだ。
 加えて、桐林の中で吉良上野介が、もれなくハシビロコウの姿に置き換わってしまったのであろう。
 ついに耐え切れなくなった彼は、盛大に吹き出して机に突っ伏す。肩は大きく揺れていた。


「……っ、マリ、さん。ふざける、のは、止め──」

「おじゃ?」《クァ?》

「ぶふぅっ! ホントに……止め……ふくっう……」


 マリの声に合わせて首を傾げる、ハシビロコウのパトリック・吉良・ヨシナカJr。
 中に人が入っているのでは? と疑いたくなる練度の高さが、桐林のバイタルパートを打ち砕く。


「提督さんが……。提督さんが、お腹抱えて笑ってる……!?」

「千条寺 マリ、末恐ろしい方です……」

「意外な弱点が見つかったな……」

「ねぇ、なんで司令官今度は笑ってるの!? 暁を仲間外れにしないでよーっ!」

「落ち着いて、暁。まずは歴史の勉強をしようか」


 生まれて初めて見る桐林の大爆笑する姿に、鹿島と香取、日向は戦慄し、元ネタを知らない暁ばかりが置いてけぼりを食らう。
 響が忠臣蔵をどう説明しようかと悩む背後で、苦しそうでいながら、楽しげにも聞こえる笑い声が続いていた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 数時間後。
 広々とした湯船に浸かりながら、暁は不貞腐れていた。


「ぶっすぅ……」

「暁。そんなに膨れていたら、子供だと思われるよ」

「こ、子供じゃないわっ! 暁はレディー、なんだから……」


 響に指摘され、反射的に立ち上がって反論するものの、すぐまた湯船に身体を沈め、ブクブクと口から泡を吹く。
 タオルで髪を纏め上げ、一糸纏わぬ姿で二人が寛いでいるのは、桐林艦隊庁舎 地下一階に存在する、大浴場である。
 高級ホテルの一部と紹介されても通用する、高いデザイン性が特徴で、しかし利便性も損なわれておらず、心と身体を休めるのに最適だ。
 夕食前の時間帯であるが、他に人影はなく、貸し切り状態だった。居住フロアの各部屋に内風呂もあるため、そちらを利用している者も多いのだろう。


「舞鶴の大浴場も、なかなか良いね。温泉を引いているらしいよ」

「そうなんだ……。暁、よく分からないわ」


 湯気で視界は霞み、湯船の奥に据えられたマージャガーから吐き出される、お湯の音だけが続いていた。
 余談だが、マージャガーとは、下半身が魚になったジャガーの像である。
 そのまんま、マーライオンのパクリである。


「あれ。君たち、見ない顔だね」


 ボウっと天井を眺め続ける二人に、不意に声が掛けられる。
 湯煙の中に立っていたのは、ハンドタオルで前を隠す、白い肌を持つ二人組。
 ドイツ駆逐艦のレーベ、マックスだった。


「あわわ、が、外国人……!?」

「暁。ワタシも見た目だけなら外国人なんだけれど」

「……まぁ、外国人であるのは間違いないわね。レーベ。この子たちはきっと……」

「あ、そっか。横須賀の」


 唐突な未知との遭遇で、暁は響の後ろに隠れてしまう。
 本人の言う通り、響も日本人離れした容姿をしているのだが、姉妹という事もあって勘定に入っていないようだ。
 レーベたちはといえば、この状況と、かつて桐林から聞いた話を加味し、二人が統制人格であると判断。
 しっかり湯掛けをしてから湯船に入り、暁たちへと近づく。


「僕は、ドイツ海軍1934年型駆逐艦の一番艦、レーベレヒト・マース。よろし──」

「なっ、ないすつーみーちゅー! まま、まいねーむいず……っ」

「いや、あの。僕、日本語喋ってるんだけど……」

「すまない。暁は混乱しているんだ。生温かい目で見てあげて欲しい」

「……なんとなくだけれど、貴方たちの関係性が理解できた気がするわ。私はマックス・シュルツ。マックスと呼んで」

「ワタシは響。よろしく」


 またもやテンパる暁を横目に、滞りなく挨拶を済ませる響たち。
 少々ぞんざいな扱いにも思えるが、下手に慰めると更に拗ねることのが暁なので、本当に生暖かく見守るのが正解なのだった。
 事実、先程のダメダメ発音な英語の挨拶を無かった事にし、レーベと暁は握手を交わしている。
 と、そこへまた新たな人影が。
 第二次性徴期に入ったばかりの身体を一切隠そうとしない、千条寺 マリである。
 ワザワザ説明する必要もないだろうが、湯気や謎の光のせいで、見ようとしても見る事は叶わない。悪しからず。


「レーベさん。お待たせ、しました。暁さん、たちも」

「あ、マリさん。遅かったね」

「服を畳むのに、手間取って。すぐにシワになるので、ああいう服、本当は好きじゃない、です」

「そうなの? レディーっぽくて可愛いのに……」


 すでに脱衣所で挨拶をしていたのか、マリとレーベは気軽に言葉を交わす。
 彼女も簡単に湯掛けしたのち、湯船に入って「ほふう」と溜め息一つ。
 のんびりとした空気が漂い、しばらく。
 ふと、レーベは思い出したように話し始めた。


「そういえば、聞いたよ。提督が大惨事だったって」

「確かに、その言い方でも間違ってはいない、か……」

「驚いたわ。彼のあんな風に疲れた顔、初めてだもの」


 話の主題は、昼間の桐林の様子についてだった。
 執務室における松の廊下事件の後、マリたちは以前の約束を果たすべく、甘味処 間宮へ場所を移し、オイゲンの用意していたドイツ料理を堪能した。
 あいにく、レーベとマックスは演習が控えていたため参加しなかったが、その時の話をオイゲンから聞いたのだ。
 要約すると、「提督の笑い泣きする所、初めて見ちゃった」である。
 食事の最中にも、マリがちょいちょいパトリック(以下略)の吹き替えをしたせいなのだが、桐林の苦労が偲ばれる。
 そして、たまたま廊下で彼の顔を見かけたマックスは、その疲労困憊した横顔に、オイゲンの話が事実なのだと確信したのだった。
 今ごろ谷風辺りが、「ちっきしょー! なんでその場に呼んでくんなかったのさぁー!」と残念がっている事だろう。


「……ねぇ、レーベさん。マックスさん。やっぱり司令官は、笑わないの?」

「そうだね……。笑っていると目を引くくらいには、表情が硬いかな」

「ここ最近、柔らかい表情も見かけるようにはなったけれど、まだ珍しいと思うわ」

「そっか……」


 暁が問い掛けると、二人は湯船のふちに腰掛け、湯気に煙る天井を見上げながら答えた。白い肌が火照っている。
 桐林の表情は、数ヶ月前と比べると格段に豊かになった。
 油断するようになった……。余裕が出てきた、と言えるかも知れない。
 レーベたちからすると良い変化であり、けれど、暁たちにとっては、決して良くない変化でもだった。


「私ね。いろいろ考えてたの。
 司令官に会うまでは、あれを話そう、これを聞こうって。
 でも……。顔を見た瞬間、分からなくなっちゃった。
 雷や、電の分までって思ってたのに、全部……」


 湯に映る暁の顔は、物憂気な少女に他ならない。
 舞鶴へ向かう第二陣に選ばれ、あれこれと計画を練っていたのだ。
 横須賀を代表する淑女としてだけでなく、色んな事を我慢してしまう妹の代わりに、桐林に色んな事を言ってやろうと。

 ところが、いざ彼と相対した途端、全てが吹き飛んで。
 最初の挨拶に失敗したからでも、鉄面皮に怯えた訳でもない。
 ただ、酷く戸惑ってしまった。
 目の前に居る人物は、本当に自分の知る“彼”と同一人物なのかと、あらぬ疑いを抱いてしまった。
 この事実が、湯に浸かっているはずの暁を、凍えさせるのだ。


「桐林さんは、笑顔の方が、素敵だと思います」


 皆、一様に押し黙ってしまった大浴場で、マリの静かな声が反響する。


「あの方は、お父様に負けず劣らずの、優しい人。
 私は、無理やり笑わせる事しか、出来ませんでした。
 ……でも。お二人なら、違う方法もあると思います」


 両手で掬われた透明な湯が、指の隙間から少しずつ零れる。
 彫像から吐き出される湯の波紋と、雫が落ちた瞬間にできる波紋とがぶつかり、ほんの一瞬だけ、水面の波を打ち消しあう。


(司令官……)


 マリが何を考えていて、どんな想いで先の言葉を語ったのかは、暁には分からない。
 分からないけれど、無性に。
 “彼”と話したくて、仕方なかった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





(今日は、散々な目に遭ったな……)


 ○○二○。
 執務室での残務処理を終え、常夜灯だけが点く廊下を一人歩きながら、桐林は盛大な溜め息をついた。
 予定外のイタリア艦の建造に始まり、千条寺 マリ一行の来訪、ハシビロコウと伊勢による松の廊下事件、オイゲンの手作りランチ、マリの演習見学などなど。
 イベントが盛り沢山の一日だった。そして、非常に疲れる一日でもあった。
 桐林自身、何故あそこまでパトリック(以下略)の存在にツボってしまったのか分からないのだが、そこを的確に、かつ執念深く責めるマリの猛攻は、本当に辛かったのだ。
 一つ例を挙げるならば、マッシュポテトを頬張りながら「生魚が食べたいでおじゃるよ」とか。
 マリの背後に立つパトリック(以下略)のつぶらな瞳を思い出し、桐林はまた思い出し笑いを。もう何度目か、数えるのも馬鹿らしい。


(っはぁ……。あんなにエキセントリックな子だとは思わなかった……。
 今度から、彼女の相手は自分以外の誰かに任せよう。完全委任しよう)

 
 半日に満たない時間で、通常出撃と同じくらいの体力を消耗した気がする。
 心が休まったのは、間宮たちとの夕食ぐらいだった。
 ついでに、今回の一件を聞きつけた艦隊のお調子者共が、今後どんな悪さをするか。考えただけで頭が痛い。主に谷風とか、江風とか。
 自衛のためにも、次からは退避行動を取ろうと決意し、桐林が本日の寝床である部屋のドアを開ける。
 と、無人でなければならないはずの部屋に、見慣れた──懐かしい後ろ姿があった。
 ベッド脇に腰掛ける、錨模様の白いパジャマを着た、響だ。


「響? どうしてここに──」

「しっ。……静かに」


 声を掛けると、彼女は振り向きながら、唇に人差し指を立てる。
 桐林は怪訝に右眼を細め、その向こうを覗き込み、納得した。
 壁際のベッドの上で、安らかな寝息を立てている少女が居るのだ。


「……暁」

「くぅ……すぅ……」


 響と色違いらしい、ピンク色のパジャマを纏い、ナイトキャップを被った暁は、とても心地良さそうに眼を閉じて。
 静かにすべき理由は分かったが、しかし、何故この二人が部屋に居るのか。
 目線で響に問うと、彼女は暁の頭を撫でつつ、微かな声で答える。


「寝る前に、どうしても司令官と話したかったらしくて、待っていたんだ。でも……」

「待てなかった、か」

「謝りたかったんだよ。暁は」

「謝る? 何を……」

「執務室で、以前のように話し掛けられなかった事を、さ」

「そんな事を?」


 思わず、首を傾げてしまう桐林。
 彼自身はなんとも思っていなかった。
 少しだけ寂しい気はしたけれど、最後に会った時は、あんな別れ方をしてしまったのだ。
 わだかまりが残って当然だと、そう受け入れていた。


「そんな事が、暁には大切な事だったんだ。司令官なら、分かるはずだ」

「………………」


 しかし響は、桐林が簡単に受け流してしまった事をこそ、暁は気に病んでいたと言う。
 瞳に込められた“何か”が、それを真実だと直感させた。
 桐林の手が暁へと伸ばされ、ふと、怯えたように硬直する。
 逡巡。
 鼻で息を吸い込み、口からゆっくりと吐き出した彼は、伏し目がちにベッド脇へ膝をつく。


「もう遅い。部屋まで送ろう」

「……うん」


 起こしてしまわないよう。繊細なガラス細工にふれるよう、慎重に抱き上げる。
 響は、暁を横抱きにする桐林を遠い眼で見やるが、すぐに腰を上げ、両手の塞がった彼の代わりにドアを開ける。
 二人に割り当てられた客室は、幸い同じフロアにあった。時間も遅かったため、誰とも擦れ違わずに辿り着く。
 部屋に入り、ベッドルームへ。
 響がシーツを捲るのを待って、桐林は暁をダブルベッドに横たえる。どうにか、起こさずに済んだ。
 ホッと一息つき、そのまま立ち去ろうとする彼だったが、何かに引っ張られるような感覚を覚え、足を止める。


「しれい、かん……」


 暁の手が、軍服の袖を摘まんでいた。
 寝ぼけているのか、彼女は薄眼を開けて、潤んだ瞳で呟く。


「いかないで……。さびしい、よう……」


 普段の彼女からは絶対に聞けそうにない、素直な言葉。
 舌足らずなそれに、桐林は胸を突き刺されるようだった。
 反射的に膝をついて、小さな手を優しく握る。
 すると、暁は安心したように微笑み、また微睡みの中へ戻って行く。


「……なぁ、響。こんな事を頼むのは、非常識なんだろうが……」

「なんだい」


 後ろで見守っていた響に、桐林が囁く。
 口籠ってしまう彼を、響がいつもの様に促すと、彼は。


「朝まで、こうしていても、良いか」


 随分と頼りない口調で、そう願った。
 背後に立つ響は、彼がどんな表情をしているのか、伺い知ることはできない。
 第一、成人男性が同じ部屋で、眠る少女の手を握って朝まで過ごすなんて、非常識にも程がある。
 ……けれど。
 身の危険も、拒否したいという気持ちも、響の胸にはまるで湧かなかった。


「変な事をしないのなら、良いんじゃないかな」

「しない。誓うよ」

「……冗談さ。おやすみСпокойной ночи.


 クスリと笑い、リモコンで照明を常夜灯にしてから、響もベッドへ潜り込む。
 ベッドの反対側で眠る姉が、少々羨ましいが、きっとこれで良い。良いはずだ。
 久しく感じられなかった気配を背中に感じつつ、瞼を閉じる響。
 睡魔は、意外なほど早く訪れてしまう。
 この時間が過ぎるのを、惜しいと思ってしまうほどに。




















《こぼれ話 鹿島さんは挫けない》





 一日が終わり、もうすぐ明日がやってくる頃合の、舞鶴鎮守府 桐林艦隊庁舎。
 消灯時間を過ぎ、皆も寝静まっているだろう中、鹿島は自室で身嗜みのチェックを行っていた。


「髪型、よし。服装、よし。お化粧は……しない方が良い、わよね?」


 姿見に映し出されているのは、髪を一本に纏め、浅葱色の襦袢を着る鹿島自身の姿。
 少しキツめに締めた帯が身体のラインを強調し、うなじが艶やかな銀髪に見え隠れする。
 余計な装飾を一切取り払い、ただありのままが映されているはずだが、それは間違いなく美しかった。
 どうして彼女がこんな事をしているのか。
 当然、桐林にモーションを掛けるため、である。


「……つ、ついでに、下着もよし、と……。
 ちょっとお話したいだけだけど、見えない所の身嗜みは重要だものっ。
 提督さんに不愉快な思いをさせないため……。他意はないし……。
 ……お口のニオイとか、大丈夫、よね……?」


 チラリ、襦袢の合わせを指で開き、レースで飾られた純白のブラを確認。鹿島は頬を赤らめる。
 日本の伝統──というより、日本男児の幻想においては、和服を着る時は下着を着けないのが理想とされるのだが、流石にそこまでの勇気はない。
 ちょっとだけ、寝る前に桐林と話をして、あわよくば良い雰囲気になって、そのまま押し倒されたりなんかしちゃったり……。と、妄想してしまう鹿島だった。

 余談だが、同室である香取は夜間演習に出ている。
 こういう時は大概、工廠の方にある仮眠施設を利用するため、今夜は戻ってこないのだ。
 そうでなければ、間違いなく鹿島を止めてくれていたであろうに。


「さてと。いつまでも準備してたら、提督さんもお休みになっちゃう。
 ……行くわよ、鹿島。今日こそは、二人の関係を前進させちゃうんだから!」


 グッと拳を握りしめ、己に喝を入れた鹿島は、意気揚々と。しかし誰かに気取られぬよう、忍び足で部屋を出る。
 目的地はもちろん、桐林が本日の寝床とする場所。一つ上の階だ。
 万が一の適性勢力侵入に備え、階層毎に構造を変化させている舞鶴庁舎だが、中央エレベーターとその近辺にあるサロンだけは共通していた。

 周囲を確認しつつ、そそくさエレベーターに乗り込み、ボタンを押して待つこと数秒。
 ポーン、という音と共に自動ドアが開き、鹿島は桐林が居るはずの階へ到着した……のだが。
 背後でエレベーターのドアが閉まった瞬間、廊下の方から普通のドアの開閉音が聞こえ、慌ててサロンの観葉植物の影に隠れる。
 複数の足音。
 しばらくすると、発生源と思しき人物が視界に入って来た。


(あれ。提督さん……?)


 ゆっくりと、静かに歩いているのは、鹿島が恋しくて愛しくて仕方ない男性、桐林だった。
 それだけなら良かったのだが、なんと彼の腕の中には、眠りこける少女──暁の姿が。


(提督さんが、暁ちゃんをお姫様抱っこ……!? なんて羨ましい……!)


 クワッと眼を見開き、嫉妬メーターを一気にMAX近くまで上昇させる鹿島だったけれど、幸か不幸か、桐林が気付くことはなかった。
 そのまま桐林と暁、そして響を見送った鹿島は、「ふぅ」と溜め息をついて物陰から出る。


(お部屋へ送って行っただけ、みたいね。なら、ここで少し待って、提督さんが戻って来たら……!)


 予定外の遭遇をしてしまったが、鹿島は挫けない。
 すぐさま作戦を軌道修正し、サロンのソファで待ちの体勢に入る。
 夜中、一人でサロンに佇む美少女。
 どう考えても怪しさ大爆発なのに、当の本人は気付いていないらしく、瞬く間に十分が経過した。


(まだかなー)


 更に十分。


(……遅いなぁ。ううん、きっと響ちゃんとお話してるのよ。焦る女は見苦しいわよ、私!)


 更に更に十分が経過し、流石に不安になって来た鹿島が、ソファから立ち上がってサロンをウロウロとし始める。


(遅過ぎる……。まさか、あの二人と提督さんが……。
 そ、そんなはずないっ! 提督さんは紳士だものっ。絶対、そんな事ない……よね?)


 ブンブンと首を振り、邪な考えを振り払う。
 案外簡単に挫けそうになりつつも、どうにか踏みとどまって、また十分。


(ううう、心細い……。諦めようかなぁ……。いっそのこと突撃……。
 ダメダメダメ! そんな事したら、ただでさえ低い信頼度が右肩下がりに直滑降しちゃうっ。
 ……はあぁ。私って、駄目だなぁ。やっぱり、魅力ないのかな……)


 自分が桐林にどう思われているのか、少なからず自覚はあるようで、だんだん落ち込み始める鹿島。
 鬱々と時間は過ぎ、今度は二十分。累計で一時間が経過した。


(しりとり、リス、スイカ、カモメ、メダカ、カラス、すき焼き、金目鯛、イカナゴ、ゴリラ、ラッパ、パエリア、鯵、十手、提督さん……あ、終わっちゃった)


 落ち込むのにも飽きた鹿島は、暇潰しに一人しりとりを始めるのだが、二十秒足らずで終わってしまう。
 ソファの上で膝を抱え、ボケーっと真っ白な天井を眺める事、三十分。


「ぐぅ~……。す~……。提督さぁん……。もっと、強く……。あ……」


 いつの間にか、鹿島は睡魔に負けていた。
 一体どんな夢を見ているのか、無駄に色っぽく悶えたり、よだれを垂らしたり。
 香取がこの惨状を目の当たりにしたら、雷を落とす──いや。深く、深く溜め息をつくだけかも知れない。
 ともあれ、そんなこんなで時間が過ぎていき、翌朝。


「ぬおっ。……な、なんで鹿島が、こんな所に」


 約束通り、日が昇ってから暁たちの客室を出た桐林が、ソファで眠る鹿島を見つけ、素で驚く。
 自室のないフロアのサロンで寝ているのだから、それも当然だ。
 息を殺して近づいてみると、静かな寝息が聞こえてくる。


「……このままにするのも、可哀想か」


 放置して誰かに見つかったりしたら、皆の鹿島への信頼度が、そこはかとなく下がってしまうような気がして、桐林は彼女を部屋に送り届けようと決意する。
 暁にそうしたように、細心の注意を払い、鹿島を抱き上げる桐林。

 思いのほか、重かった。
 いや、直前に暁を抱き上げたからだろうし、鹿島の方が明らかに女性としての肉付きが良いし、決して鹿島が太ましい訳ではない。
 そんな事を考えつつエレベーターに乗り込むと、桐林の腕の中で、鹿島は幸せそうな笑みを浮かべて。


「んふふ。提督さん、大好き……」

「っ!? ……いや、自分は何も聞いてない。聞いてない……」

「えへへ……。らいしゅき……。ちゅ~」

「………………」


 視覚も味覚もおかしくなってしまった桐林だが、聴覚に関しては至って正常。鹿島からの愛の告白も聞こえていた。
 けれど、こんな形で伝わるのは彼女の本意ではないだろうし、何より寝ぼけている訳だし……と言い訳を重ね、猫のようにスリスリしてくる鹿島を無視する。
 手の平に感じる柔らかさも、襦袢越しに伝わる体温も、髪から匂い立つ微かな香りも、鋼鉄の理性で無視し続ける。
 かくして桐林は、精神的に疲弊したものの、無事に鹿島を送り届ける事に成功した。
 そして。


「んにゅ……? ………………はっ!? あれ、な、なんで私、部屋に戻ってるのっ!? あれっ!?」


 眼を覚ました鹿島は、自分がどうやって部屋へ戻ったのかを全く思い出せず、大いに首をひねるのであった。
 鹿島の挑戦と、桐林の受難はまだまだ続く。




















 鹿島さん、棚ぼたで告白に成功するものの、無かったことにされるの巻。

 悲しい事実はさて置き、ちょっと早いけど戦果報告ー! 我、甲乙乙で冬イベを完全攻略せり!
 いやー。久々に最終海域を丙以外で攻略しましたが、地味にキツかった……。
 信じて決戦支援に送り出した嫁一号が仕事しなかったり、嫁二号が昼戦でボスをスナイプしたと思ったら一点しかダメージ与えてくれなかったり、禿げ上がる思いでしたわ。
 まぁ、なんだかんだで対潜特攻が判明する前にクリアしましたが、露出狂空母さん方にはちょっと自重して頂きたいですな。かといってダイソン出ても困るし、口惜しい。
 最後はカットイン仕様オイゲンが締めてくれました。祈るしかなかったのはいつもの事ですね。もう慣れました(白目)。

 めぼしいドロは新規実装艦娘と、攻略中に二隻目の照月、タツヤ掘り中に三隻目の時津風・天津風、四隻目の高波くらいでしょうか。熟練監視員ウマー。
 それが終わってからはE-1Mを一日十回ほど掘ってますけど、現状、十七駆がもう一揃い完成し、瑞穂と浦波とまるゆが一隻ずつ加わっただけ。終了までに二隻目のニムちゃんは掘れるのか……。
 あと、ヒトミちゃんから迸る色気は堪らんです。削り中に来てくれたし、優しい子。
 中破絵を見て「これエロ過ぎるけど良いのか……?」と不安を感じ、数秒後に「あ、このゲーム十八禁だった」と思い出したのは秘密。
 でもイヨちゃんには全く色気を感じない不思議。脱げないから? MVP時のダジャレに頬が緩んでしまいます。

 というか、絶対出ないと思っていたのに、普通に出ましたね双子棲姫。オリ深海棲艦を出すと本家が再現してくれる不思議。
 うちのみたく戦艦じゃありませんでしたけど、初見の時は目を疑いました。おケツと浮いた助骨がエッチぃ。壊状態には罪悪感が……。
 E-3輸送、失敗しても彩雲消費はちょっとやり過ぎだし、壊固定に任務達成が必要なのも度が過ぎてると思いましたが、まぁ小規模イベだったし許容範囲ですかね。
 大規模でやられたら? 永遠に許さぬ。

 さてさて。今回は進撃の眞理杏瓊、第二回で御座いました。
 ハシビロコウさん流石やでぇ。そしてやっぱりネーミングセンスがおかしい一族なのでした。
 次回は過去の日常回になる予定。今しばらくお待ち下さい。
 それでは、失礼致します。


「うぅん……。寝ぼけて自分で帰った……? それとも誰かが運んで……?」
「もう、さっきから何を一人でブツブツ言っているの。早く書類を処理して頂戴」
「はぁーい。……あれ。この地名って、なんて読むんだろ……?」
「ああ、これはね。神の鳥の谷と書いて──」





 2017/02/25 初投稿
 2017/02/28 誤字修正







[38387] 在りし日の提督と密やかな決意
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2017/04/01 11:57





 その日も■■■は、工廠へと足を運んでいた。
 屋根付きの大きな建物の中、重機の動く音や、それに負けじと張り上げられる声とかが響いて、もうとにかく騒がしい。
 けれど、普段ならただの騒音にしか感じない音も、妹の産声の一端だと思えば、どこか愛おしく、楽しく感じられる。


(■■、どんな子になるのかなぁ)


 建物の壁沿いにある階段を登り、二階に相当する高さの足場で、まだ建造途中の■■を眺める。
 輪切りになった船体を見ていると、ちょっとだけ、自分が真っ二つにされているような気にもなるけど、もっと気掛かりなのは、提督に励起されるであろう■■のこと。
 今の■■■は、こうして思考するだけの意思を──知性を宿している。
 でも、かつては文字通りの操り人形で、けっこう長い間、その状態は続いていたと聞く。
 せっかく妹が産まれても、すぐには言葉を交わす事が出来ない。
 人間の赤ちゃんだったら、泣いたり笑ったりしてくれるのに。
 率直に言って、残念だった。ま、妹の誕生自体はもちろん嬉しいんですが。

 そんな風に、複雑な思いを抱えたまま、足場の手すりに寄り掛かっていると、騒音に紛れて二つの足音が聞こえた。
 この状況では、普通の人間は聞き取れないだろう、軽妙なリズムの一方と、落ち着いたリズムのもう一方。
 顔を向けてみると、こちらに歩いてくる人影が見える。
 白い詰襟。あれは、■■■くんと、確か……■■さん?


「あれ、■■ねーちゃん。また工廠に来てんの?」

「■■■くん、こんにちは。■■さんも、お久し振りです」

「ちわーっす」

「どうも。いやはや、本当に久し振りですね」


 笑顔で挨拶すれば、■■■くんは気楽に、■■さんは腰の低い返事を。
 ■■■くんとは結構な確率で会ってるけど、■■さんは何時ぶりだろう? あの会議室での顔合わせ以来?
 残念なイケメンさんのキャラが濃くて、正直忘れてたかも……。すみません。


「なんだか珍しい組み合わせですね」

「確かに。偶然、そこで出会っただけなんですけどね?」

「散歩してたんだよ。とにかく暇でさー。学校ないし、遊ぶとこもないし」


 足場の手すりから上半身を乗り出すようにして、■■■くんも工廠の風景を眺めている。
 言われてみれば、確かに交遊施設なんて近くにないような。
 軍事施設なんだから当然だけど、■■さんは大人として思う所があるようで、苦い顔をしていた。


「個人的に、■■■君くらいの子を軍人扱いするとか、はなはだ不適当だと思うんですが、時勢には逆らえませんしねぇ……」

「時勢、ですか……。えっと、■■さん、お子さんは?」

「娘と息子が一人ずつ。だから尚更ですよ」


 遠い目に浮かんでいるのは、きっと■■さんのご家族。
 当たり前の事だけど、普通の人間には血の繋がった家族が存在する。
 血の繋がり。血族。肉親……。
 ■■■にとって、船体構造をほぼ同じくする■■が、かつて姉妹艦として扱われた。
 改鈴谷型なのだから、鈴谷型、最上型も姉妹艦なんだろうけど、■■■としてはそういう感覚は薄い。
 だからこそ妹の誕生が待ち遠しいんだけれども、産まれたら産まれたで、きっと■■さんみたいに心配しちゃうんだろうなぁ。


「ご歓談中、失礼します」


 背後からの唐突な呼び掛け。
 心地良いバリトンボイスに振り向けば、■■■くんたちと同じく、白い詰襟を着る男性が立っていた。
 ■■■の提督よりもかなり若い……。まだ成人していないような印象を与える青年は、ニッコリと微笑んでいる。


「能力者の■■ ■■殿、■■ ■■■殿。そして、重巡 ■■の統制人格殿とお見受けしました。相違ありませんでしょうか」

「……はい。そうですが?」

「誰だよアンタ」


 ■■さんの曖昧な営業スマイルはともかく、■■■くんの警戒心満載な視線を受けても、青年の微笑みは崩れない。
 それどころか、ますます笑みを深くして、彼はキビキビとした敬礼を私たちへ。


「申し遅れました。本日付けでこちらに配属となった、■■■ ■■と申します。初めまして」


 優しげな声が告げた名は、つい先日、鎮守府へと現れた御老人と同じ名字。
 それは彼が、世界でも屈指の財閥である、■■■家の次期当主だという事を示していた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「はっ──!」


 気合一閃、右手に構えた短い竹刀を振り抜く。
 パァン、と小気味良い音。
 後退しながら受ける事で衝撃を流した伊勢が、竹刀を正眼に構え直しつつ、表情を歪めた。


「っくぅ……。ホント、提督の打ち込みは重いわぁ~」

「やはり、まともに打ち合うだけ損だな」


 伊勢の隣には、腰を低く、八相──右斜め上に竹刀を構える日向が立つ。
 その威圧感を前にして、自分は順手に持った右の竹刀腰溜めに、逆手に持った左の小太刀の鞘──電解ダマスカス製の鞘を、身体の前で地面と水平に構える。
 柔軟なトレーニングウェアは、その動きを遮ることはなかった。

 自分たちが実戦形式の立ち会いを行っているのは、舞鶴鎮守府の自艦隊庁舎地下にあるトレーニング施設。その中央にある、畳敷きの武舞台だ。
 太陽が中天に差し掛かるまで、もう少しの時間を要する頃合いである。
 舞鶴事変のような事態を未然に防ぐため、卓越した白兵戦技能を持って顕現した伊勢たちに、こうして指南を頼んでいる訳だが、自分でも意外な事に、楽しかったりする。

 以前の自分であれば、手も足も出せずに弄ばれ、不貞腐れつつ疲労困憊になるのが関の山だっただろう。
 が、異様なほど向上した身体能力は、基礎訓練で剣術を囓っただけの男を、剣の達人二人相手に立ち回らせている。
 頭で思い描いた通りに身体が動く。
 狙った場所に、正確に攻撃を打ち込む。
 放たれた鋭い一撃を、紙一重で回避する。
 アクション映画の主人公になったみたいで、純粋に身体を動かすのが楽しいのだ。


「どんどん強くなっちゃってまぁ。初心者相手に二人掛かりは心苦しかったけど、そうも言ってられないわね、日向?」

「ああ。私たちにも意地がある。……そろそろ、勝たせてもらおうか」


 何やら目配せをした二人は、言い終えるや否や、歩調を合わせて吶喊してきた。
 向かって右に伊勢。左に日向。対する自分は重心をやや後ろに、伊勢がしたような後退防御を想定して身構える。
 二振りの竹刀に、二振りの小太刀。
 数が同じなら、後はどう立ち回るかで勝負が決まる。

 八歩ほどの距離が、一瞬で詰まる。
 その勢いを乗せた突きと袈裟斬りが、伊勢、日向から放たれた。
 後退は、しなくても良いか。
 右の竹刀で突きを逸らし、左上からの袈裟斬りは鞘で受け止め、そのまま押し返す──つもりだった。


「うぉっ!?」


 けれども、攻撃を逸らされた伊勢は、自分の横を通り抜けながら、足払いを仕掛けてきた。
 伊勢の右脚に右の足首を弾かれ、逆に体勢を崩してしまう。
 日向が見逃す訳もなく、竹刀の先端がこちらの鳩尾に向けて突き下ろされる。
 が、自分は左脚のバネだけで横へ跳躍。数歩離れた場所に宙返りで着地した。
 これで一呼吸……と行きたいのに、間を置かず伊勢が迫り来る。


(右構え。胴を薙ぐ? いや、フェイント!)


 向かって左からの胴打ちと見せかけ、伊勢は直前で身を低くし、またも足元を狙ってきた。
 直感に従い、小さくジャンプして回避したのだが、それすら折り込み済みだったか、宙に浮いた自分を日向の逆胴──向かって右からの薙ぎ払いが襲う。
 どうにか間に小太刀と鞘を挟んだけれど、統制人格の膂力は容易く人体を吹き飛ばす。
 軽く数mは飛ばされ、背中から着地してしまうも、勢いを利用して逆でんぐり返し。
 すぐに立ち上がろうとするが、体勢を整える暇はなかった。


「ほらほら、どうしたの提督! 足元がお留守よっ?」

「剣道の試合ではないんだ。行動の選択肢を己で狭めるな。……ふっ!」


 連打。連打。連打。
 息つく間もない、流れるような連携攻撃に、自分は防戦を強いられる。
 電解ダマスカスの鞘は、竹刀に比べて遥かに重い代物だったが、今の自分の筋力を持ってすれば存分に扱えた。小太刀なら言わずもがな、手足のように振り回せた。
 しかし、それでも捌き切れないほど、体術をも織り交ぜた攻撃の密度は高い。
 というか……。


(目のやり場に困るっ)


 動きが激しくなるに連れ、彼女たちの穿いているスカートがヒラヒラと舞う。
 伊勢も日向も、その事に気付いているのか、あえて無視しているのか。惜しげもなく見せつけてくるのだ。
 いや、きっと当人にそんなつもりはないだろうが、男としては嬉しくも辛かった。
 もちろん、色気づいていて勝てる相手ではない。
 自分は煩悩を捻じ伏せ、二人の同時上段攻撃を受け止めたタイミングで攻勢に転じる。

 力で強引に竹刀を跳ね上げ、続け様に日向へと、短く踏み込んで肩から体当たり。意趣返しとばかりに吹き飛ばす。
 そして、伊勢と一対一の状況を作った後、横槍が入らない内に、撃退条件である有効打を狙う。
 戦線に日向が戻るまで、猶予はほんの二~三秒。充分だ。

 残り三秒。
 日向へ体当たりしている間に、たたらを踏んだ伊勢も体勢を立て直していた。
 畳み掛けるには、短い得物が有効な距離──至近距離での戦いを挑むしかない。
 二秒。
 自分は伊勢に向けて大きく踏み出し、またも正眼に構えられた竹刀へ、小太刀と鞘を交差させて噛ませる。強引に捻じれば、彼女の手から竹刀がすっぽ抜けた。
 その背後で、床に転がった日向が起き上がろうとしている。
 一秒。
 得物を失った伊勢は、捻じられた反動か、両腕を広げるように硬直。だが、しまった、という顔も一瞬。すぐさま格闘戦の構えを取ろうと。
 しかしながら、その一瞬で充分だった。


(貰った!)


 まだ構えきらない腕を掻い潜るよう、小太刀を伊勢の首元へ差し向ける。
 当てはしない。ただ突きつけるだけ。
 あとほんのコンマ数秒で、こちらの勝ち。

 そう、確信した刹那。


「甘いわよっ」

「──んグっ!?」


 顎に衝撃。
 伊勢が視界から消えた。違う、自分が天井を向いている。
 軽く意識が遠のき、自分は後ろへ倒れ込んでしまった。
 何が起きたのか分からないまま、ただ呆然と伊勢を見上げると、彼女の右手には、竹刀が逆手に握られていて。

 ……柄で、顎を打ち上げられた? そうか、日向の。
 理解した途端、全身を虚脱感が襲う。
 また負けてしまった……。これで十戦全敗、か……。


「竹刀にも打点は複数存在する。あらゆる使い方、使われ方を想像しておかなくてはな」

「やっぱり、固定観念はそうそう抜けないわよねぇ。大丈夫?」


 両手を空にした日向と、竹刀で己の肩をトントンする伊勢が、自分を見下ろしている。
 自分が王手を掛けたと確信した時、割り込むには遠いと判断した日向は、伊勢に向けて竹刀を投擲。それを見もせずに受け取った伊勢のカウンターを食らった。
 何が起きたのか整理するとこうなる。
 全く、恐ろしい達人も居たものだ。
 多分、統制人格同士のシンパシーみたいな感覚のおかげでもあるんだろうけど、勝てる気がしない。

 というか君たち、スカート穿いてるのを忘れてませんか?
 そんな至近距離で立ったまま見下ろされると、見てはいけない物が丸見えなんですけども。繰り返しになるが、目のやり場に困る。
 ……自分が起き上がれば良いだけか。
 バレないうちにさっさと……。


「あれ、足、が」


 自分では立ち上がろうとしているのだが、なぜか下半身に力が入らず、尻餅をついてしまった。
 何度か繰り返してみても、フラついては座り込んでしまう。
 お、おかしいな。


「脳を揺らしたんだ。いくら君でも、しばらくは立てないだろう。まだ寝ていた方がいい」

「い、いや。このくらい……うぐっ」


 日向は安静にするよう言ってくれるが、負けた上に気遣われるのはやはり悔しい。
 ちっぽけなプライドを満たしたくて、意地だけで立とうとするものの、よほど上手く揺さぶられたのだろう。やっぱり立てなかった。
 なんとか上半身だけは起こし、情けなさに打ちひしがれていると、背後に誰かが近づいて来る気配。
 振り返れば、そこには唯一の観戦者である秘書官──香取が立っていた。


「提督。今朝からずっと稽古をなさっているんです。そろそろ休憩を取って下さい」

「香取……」

「これは秘書官としての、正式な申し入れです。宜しいですね?」

「……分かった」


 すぐ隣へ跪き、タオルを差し出す笑顔の香取だが、有無を言わさぬ迫力のようなものがあり、しぶしぶ頷く。
 顔をフカフカなタオルに埋めると、確かに披露しているのを感じた。肉体的……というより、精神的な疲労だ。
 今の自分の身体は、あらゆる意味で規格外。やろうと思えば、三日三晩戦い続ける事も可能だと思われた。
 それが不可能なのは、精神が追いつかないから。

 この身体──“力”を使い熟せたなら、きっと自分は無敵になれるのだろう。
 ……無敵? 無敵になって、なんだ。
 自分は無敵になりたいのか? 違う。違うはず。
 でも、戦うには“力”が必要で。護るためには“力”が必要で……。
 ダメだ。やっぱり疲れている。思考が纏まらない。休まないと。


「いいお返事です。では、こちらへ」

「は?」


 不意に、身体を引き倒された。
 抵抗する気など起こさせない、とても優しい力加減は、自分の頭を柔らかいものに導く。
 天井と、それを遮るような香取の微笑みに、数秒経ってから思い至る。

 え。なんで自分、膝枕されてるんだ?


「ただ床に寝転ぶよりは、この方が良いと思ったのですが。……ご迷惑、ですか?」

「い、いや。迷惑では、ないが……」


 困惑が顔に出ていたようで、香取の方から意図の説明が。
 確かに、床で大の字になるよりも、膝枕の方が良いに決まっている。
 ましてや、相手が香取だ。
 街ですれ違えば、男女問わず99%の確率で美女と表するだろう、見目麗しい女性だ。
 喜んで然るべき状況、なんだろうけども。
 それより、新しいオモチャを見つけたように笑う伊勢と、珍獣でも見かけたような顔付きの日向からの視線が、とても鬱陶しい。


「なぁにぃ~? 提督ぅ、いつのまに香取秘書官と仲良くなったのよぉ~?」

「……元々、険悪な関係じゃない」

「そうは言っても、極自然に膝枕をする関係でもなかったように思うが?」

「………………」


 面白半分、興味津々な追及に、渋い顔で黙りこくるしかなかった。
 一方、香取は追及すら楽しんでいるような、そんな素振りで無言を貫いている。
 あの一件……。内務省次官補との一件以来、彼女は目に見えて笑顔を浮かべるようになった。
 自分の言葉で、香取が胸の内に抱えていた憂いを払えたのなら、それは本当に喜ばしい事だ。
 けれども、こんな風に……甘やかされてしまうと、対応に困る。
 今の自分に、応えるだけの余裕はない。もし応えてしまったら、きっと、香取に溺れるだろう。
 自分は弱いのだ。いくら強靭な肉体を得たとしても、そこに宿る精神が、ガラスのように脆い。
 一度溺れてしまえば、おそらく自力では這い上がれないだろうから。
 だから自分は、酷い事をしていると理解しつつ、ただ心地良い疲労感に身を委ねる。


「ぁ、あのぉ……」


 ややあって、酷く申し訳なさそうな声が聞こえてきた。
 いつの間にやって来たのだろう。声の主は、妙に身を縮こませる和装の少女──瑞穂だった。


「も、申し訳ありません。お邪魔するつもりはなかったのですが……」

「いや、いい。何かあったか、瑞穂」

「あ……」


 恐縮する瑞穂の謝罪を遮り、自分は上体を起こす。
 すでにフラつきは解消されていて、問題なく立ち上がる事ができた。
 ……香取の残念そうな吐息には、気付かなかった事にする。


「はい。執務室の方に、外部の……携帯、電話? から、直通連絡がありまして」

「直通連絡?」


 執務室に据え置かれている電話機へは、当たり前だが、番号さえ知っていれば誰でも掛ける事が可能だ。
 しかし、これまた当然の事ながら、その番号が外部に漏れる事はあり得ない。
 もし直通連絡可能な番号が漏れたりしたら、それこそ執務に支障をきたす大問題だろう。
 推測だが、桐ヶ森提督とか梁島提督の番号がバレた場合、ファンからの電話で回線がパンクするかも知れない。
 以上の理由から、掛けてきたのは軍関係者であろうと予測できたが、香取も秘書官として疑問に思ったのだろう、立ち上がって瑞穂へ問い掛ける。


「瑞穂さん。どなたからの連絡だったのですか?」

「それが……。名前をお尋ねする暇もなく、一方的に用件だけを告げて、通話を終えられてしまい……」

「あらま」

「随分と無礼だな」


 それぞれに訝る伊勢と日向。自分も、おそらく彼女たちとは違う理由で眉を寄せた。
 執務室の電話機は、執務室に置かれるだけあって高性能であり、逆探知機能も備えている。
 外部からの連絡ともなれば、即座に発信源の洗い出しが行われるはずなのだが、携帯からの発信としか分からないなんて。電子戦の防御法を心得ている?
 ひょっとすると、また良からぬ輩がちょっかいを掛けようとしているんじゃ……。
 嫌な予感を禁じ得ず、しかし緊張を気取られぬよう、平静を装って自分は質問を重ねる。


「それで、その通話の内容は?」

「ええと、確か……。
 あの日の約束を果たしに行くから。髪を洗って待ってなさい。
 ……だったかと。若い女性の声でしたわ」

「髪を……?」


 予想外の単語が耳に飛び込み、首を傾げてしまった。
 首を洗って……なら慣用句として通じるが、髪?
 若い女性の声。
 約束。
 髪。
 尊大な物言い。
 この三つの情報が導き出す、発信者の正体に心当たりは。

 ……あ。あった。
 居たよ、やたら髪にこだわる女の子が、一人だけ。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 シャワーで汗を流し、言われた通りに髪も洗い、黒い詰襟へと着替え、自分は執務室へ向かっていた。
 伊勢、日向は姉妹で剣術対決するらしく、瑞穂はそれを観戦したいとの事で、連れているのは香取だけ。とくに会話もないまま、歩を進める。
 両開きの重厚なドアへと辿り着くと、三歩後ろを歩いていた香取が前に。


「浜風さん、香取です。戻りました」


 ノックと共に室内へ呼び掛け、「はい」という返事を受けた香取がドアを開けた。
 至れり尽くせりで、なんだか落ち着かないけれど、とにかく執務室へ入る。
 出迎えたのは、秘書官用の執務机を借りて書類をまとめていた浜風だ。


「すまなかったな、留守番をさせて」

「いえ、これも職務ですので」


 労いの言葉を掛けると、彼女は背筋をピンと伸ばして立ち上がり、生真面目に敬礼で返す。
 今日は処理すべき案件も特になく、文字通りの電話番や、書類の整理くらいしか頼む事がなかったのだが、まさかそんな日に限って変な電話が掛かってくるとは、浜風も思っていなかっただろう。


「瑞穂から話は聞いた。問題ない、知り合いからの連絡だろう」

「そうでしたか。なら安心ですね。内容が少し不穏でしたから、何かの予告ではないかと、気を揉んでいました」

「……確かに、何も知らないとそう聞こえるな」


 ホッと胸を撫で下ろす浜風。対する自分は、苦笑いを浮かべるしかなかった。
 約束を果たす、待っていろ。
 下手したら、犯罪予告と取られてもおかしくない。
 もう少し落ち着いた表現を使って欲しいものだ。


「それにしても、何時にこちらへいらっしゃるのでしょうか。お出迎えの準備がありますし、困りました」

「そうですね。お茶請けや茶葉も、良い物を用意しませんと」


 顔を突き合わせ、浜風と香取は細かい段取りを話し合っている。
 瑞穂に聞いた限りだと、確かにいつ来るのか分からない。
 好きな食べ物の情報とかも持ち合わせていないし、待つ側としては困りものである。

 と、頭を悩ませていた所に、《コンコン》というノック音が聞こえてきた。
 伊勢たちはまだ手合わせ中だろうし、誰だろう……とか考えていたら、ノックからほとんど間を置かず、ドアは開けはなたれる。
 驚く自分と香取、浜風の視線を集める、その小柄な人物は。


「やっほー。来たわよ、桐林。さぁ、私に髪を染めさせなさい!」


 過去最高の笑顔を浮かべた、ゴッドバードバレーさん──もとい、桐ヶ森提督だった。
 やけに到着が早い……んじゃなくて、この分だと舞鶴に到着してから電話をかけたのか。
 大きなリュックを背負い、黒の軍服に身を包んでいる姿は、自分の知っている彼女と変わらないのだが……。
 この笑顔は一体、どうした事だろう?


「お、お早いお着きで、桐ヶ森提督……」

「あら。何時に行くか言ってなかったかしら? まぁいいじゃない、些細な事よ。それより、そっちの二人。見ない顔ね」


 全く遠慮せずに、ズカズカと執務室へ入ってきた桐ヶ森提督は、不躾な質問を香取たちにぶつける。
 不躾とか本来は使うべきじゃないだろうが、今回は適切だと思いたい。
 とにかく、話しかけられた事で驚きから立ち直った二人は、彼女に向き直って敬礼を。


「も、申し遅れました。桐林舞鶴艦隊、第一秘書官を務めます、練習巡洋艦の香取です」

「陽炎型十三番艦、浜風です。以後、お見知り置きを」

「ふぅん……」


 型通りの挨拶に、桐ヶ森提督が二人をジロジロと、上から下まで舐めるように観察していた。
 そして、視線が浜風の胸元辺りでピタリと止まり、およそ三秒。今度は自分の身体を見下ろし、「チッ」と大きく舌打ちする。
 ……気持ちはお察ししますが、浜風が異常に“素晴らしい”だけであって、貴方も普通にある方だと思いますよ。
 それから浜風。君は何も悪くないから、そんなに怯えなくても大丈夫だ。……だと嬉しい。
 実際、どうにか折り合いをつけたのだろう桐ヶ森提督は、何事もなかったように挨拶を返す。


「ま、よろしく。桐ヶ森よ。じゃ、早速で悪いんだけど、浜風。染めるの手伝って頂戴」

「はい? 手伝う……。あの、提督の御髪おぐしを染める、という事ですか?」

「そうよ。さっきそう言ったじゃない。前に約束したし」

「本気だったんですか……」

「当然。私、守れない約束はしない主義よ」


 然も当然と胸を張る桐ヶ森提督。
 言われてみれば、吉田元帥の葬儀の時に、そんな事を言われたような気もする。
 その後の騒動ですっかり忘れていたが、まさか本気だったとは……。
 別に嫌って訳じゃないけど、正直、裏がありそうでちょっと怖い。
 そんな気持ちが顔に出ていたらしく、香取が助け舟を出してくれる。


「あの、桐ヶ森大佐? そうは仰いますが、提督にも執務の都合が……」

「そのくらい、貴方一人でもなんとかなるでしょ。まだ艦隊規模は小さいし、通常出撃もしてないみたいだし。それとも無理?」

「……いえ。そのような事は、ありませんけれども」


 ──が、しかし。なんだか押しの強い桐ヶ森提督に、香取も言いくるめられそうになっていた。
 なんだろう。こんな物言いをする人だっただろうか。
 虫の居所が悪い? なら、さっきの輝かんばかりな笑顔は……?
 小さくない違和感を覚えたが、追及してみるにはまだ弱いとも感じ、自分は彼女の気紛れ? に付き合おうと判断。香取へ歩み寄り、小声で話しかける。


(すまない、香取。言い出したら聞かない人なんだ。実際、大した執務もない。今日は任せていいか)

(……分かりました。提督の御指示とあれば)


 香取も一応は頷いてくれるものの、顔には「面白くありません」と書いてあった。
 いや、傍目から見ると笑顔なのだが、なんとなく。
 ……これが済んだら、甘いものか何かで機嫌取ろう。


「話は決まったみたいね。さぁ、洗面台のある場所に案内しなさい! 毛染めのイロハを叩き込んであげるわ!」


 こちらが気を揉んでいるとも知らずに、まるで遠足前日の小学生みたいなテンションで、桐ヶ森提督は瞳を輝かせている。
 やっぱり少し変な気がするけれど、女性には気分が変わりやすい日もあると聞くし、変に騒ぎ立てないでおいた方が無難か。さっさと地下の大浴場へ向かおう。

 執務を香取に任せ、自分と浜風、桐ヶ森提督は人気のない廊下を行く。
 さっきから地下と地上を行ったり来たり。随分と忙しない。
 原因が他愛ない事なのは幸いだが、左隣を歩く浜風の表情は、どうにも今の状況を納得できない、と言いたげだった。


(提督。桐ヶ森大佐はなぜ、あんなに楽しそうなんでしょうか?)

(分からん。生来の髪の色にコンプレックスを持っていて、カラーリングにも一家言あるみたいなんだが、とにかく従おう。歯向かうと後が面倒だ)

(……腑に落ちませんが、了解しました)


 スキップでも始めそうな桐ヶ森提督に聞こえないよう、本当に小さな声で浜風と囁き合う。
 階級は上と言えども、初対面の人物に顎で使われるのだ。不服と思うのも当然だろうが、ひとまず形だけは納得してくれたようで、浜風もそれ以上は言わなかった。
 徒歩からエレベーター、また徒歩と介して、目的地である大浴場に到着。誰も使っていないのを浜風に確認してもらってから入室する。
 広大な脱衣所の、洗面台と鏡がズラリと並ぶ一角を目にすると、桐ヶ森提督が鼻息荒く進み出た。


「へぇ。なかなか広いじゃない。私のトコも、これだけ豪華だったら良かったのに……っと。あ、桐林。上着脱いどいて」


 リュックを降ろした彼女は、愚痴を零しながらも手際良く準備を進めている。
 複数ある洗面台のド真ん中に陣取り、周辺に取り出した新聞紙を敷きつめ、その上へ、気を利かせた浜風が持ってきたスツールを置く。
 次に、小さな小瓶と綿棒、シールが貼られた台紙を持ち、上着を脱いだ自分の側に。「袖捲って」と言われたので、また指示通りにすると、綿棒で小瓶の中身を少量腕に塗り、その上へ丸いシールを貼った。パッチテストだろう。
 それから、背中を押されてスツールに座らされる。
 上着を脱いで浜風に預けた桐ヶ森提督は、手首部分にゴムが入ったビニールの手袋をはめ、年季の入った割烹着姿に。
 自分も上着と眼帯を浜風へ頼み、次なる行動を待つ。


「さて、と。まずは塗る前の下準備と、現状把握ね。ちょっと髪を弄るわよ」

「はぁ……」


 床屋で使うようなケープを羽織らせ、何か、油っぽいクリームを生え際に塗りつつ、丹念に髪の毛を観察する桐ヶ森提督。
 最初は普通に優しい手付きだったのだが、やがて、髪をいじる手がプルプルと震え始めた。


「痛みはなし、キューティクルがしっかりしてて、張りも完璧……。何よこれ!? 一体どんなケアすれば、こんな健康で理想的な髪になるの!?」

「いや、あの、そう言われましても、特に何もしていないんですが……」

「アンタそれ嫌味!? 私が、私が日々どれだけ苦労していると……っ!」

「ぅご、おっ、ぐふっ」

「お、落ち着いて下さい、桐ヶ森大佐。締まってます、締まってますから!」


 何やら逆鱗に触れてしまったらしく、桐ヶ森提督がケープの首元を掴んで悔しがった。
 大して苦しくはなかったけど、浜風が間に入ってくれなかったらヤバかったかも知れない。
 まだ十代の女子だろうに、どんだけ酷いんだ……。


「はぁ、はぁ、はぁ……。わ、悪かったわね。
 ちょっと、胸の内に溜まっているものがあったもんだから……。
 オッホン。今度こそ始めるわ! まずは混合液の作成からよ!」


 やり過ぎたと自分自身で分かっているのか、彼女は割と素直に頭を下げる。
 そして咳払いを一つ。リュックから二本のプラスチックボトルと深めの受け皿を取り出し、気も取り直して作業を再開する。


「パッチテストも問題ないみたいだし、今回は私特製のオリジナルで行くわ。天然素材の高級品よ?
 作るときのコツは、とにかく丁寧に、念入りに混ぜること。混ぜ方が足りないと染めむらに繋がるから注意して頂戴。
 スプレータイプのでもない限り、普通は二種類の薬液を混合させて作るから、これが基本だと思っておいて」

「なるほど……。勉強になります」


 受け皿に移された黒と茶色の薬液が、刷毛で手早く混ぜられていく。
 浜風が興味深げに眺めているが、実際、見るだけで熟達していると分かる、見事な刷毛捌きだった。


「じゃあ、いよいよ塗っていくわ。慣れれば順番は関係ないけど、お勧めは後頭部、両サイドに天辺付近、最後に前髪と生え際が良いんじゃないかしら」

「ふむふむ……。手慣れていますね、流石です」

「苦労したのよ、これでも……」


 解説を交えつつ、桐ヶ森提督は言った通りの手順で刷毛を動かす。
 刷毛に適量の混合液を取り、一定のペースで毛先へ。
 やった事があるので分かるのだが、ただこれだけでも結構難しかったりする。自分じゃこうは行かないな……。
 オリジナルの薬液まで作れて、染めるテクニックも驚くほど高い。
 彼女の抱えているコンプレックスは、想像していた以上に根深いのだろう。
 少しだけ、後ろめたいような気分にさせられた。
 当の本人が、今は楽しそうなのが救いか。


「はい、塗り終了。後はしばらく放置して、ぬるま湯で濯いでからシャンプーとリンスね」

「なんだか、あっという間に終わりましたね。これなら私にも……」

「それは私の腕が良いから。普通はこの三倍はかかるし、慣れてなければ更に時間かかるから、覚悟しておいた方がいいわよ」

「う。り、了解です」


 感傷的なことを考えている内に、毛染め液の塗布は終わっていた。
 浜風が簡単そうだと思ってしまうのも仕方ないほどの、実に凄い手際だった。
 自分も浜風も、この域に達するには、まだ時間が掛かりそうだ。気長に修練を積もう。

 ビニールのキャップを被されて、しばらく。
 色素が定着したのを見計らい、桐ヶ森提督は次の作業……シャンプーに取り掛かる。
 理容院とかにある専用の台ではないため、かなり前のめりに頭を下げる。ちょっと窮屈だ。
 が、いざシャンプーが始まると、そんな事も忘れてしまうくらい快適だった。
 細い指が髪を梳き、丁寧に、労わるように頭皮を揉みほぐしてくれる。
 これは……。なんとも……。


「どう? 痒い所とかある?」

「いえ。凄く、気持ちいいです」

「そうでしょうとも。喜びなさいな、この私にシャンプーして貰えるんだから」

「……ありがとう、ございます」


 あまりにも心地良くて、素直にお礼を言ってしまった。
 誰かに髪を洗って貰うなんて子供の頃以来だが、なんだか落ち着く。
 頭を撫でられているようでもあり、こう……。癒される、というか。眠ってしまいそうだ。

 ワシャワシャとシャンプーが泡立ち、シャワーで洗い流しては、またワシャワシャ。
 最後にリンスを馴染ませて、しっかりと濯いでからドライヤーでブロー。
 夢見心地のまま、いつの間にか全ての工程が完了していた。


「さ、終わったわよ。一応、自分でも確認してご覧なさい」


 ケープを外す桐ヶ森提督が、改めて毛染め終了を告げる。
 真正面に据えられた鏡を覗き込めば、そこにはかつての自分が居た。
 まぁ、顔の傷とか、違う点は幾らでも見つかるけれど、それでも懐かしい風貌だ。


「おおぉ……。完璧に染まってる……。しかも、変に突っ張った感じが全くない」

「という事は、提督が御自分で染めた時には、そんな感じがあったのですか?」

「ああ。しかも、かなり強い臭いが残ってな……」

「臭いは使う薬液にも寄るわね。まぁ、私のは使用頻度も考えて、可能な限り無臭に近付けてあるわ。ほんのり香る程度に香料を足してもいるけど」

「言われてみれば」


 前に染めた時は、のっぺりと、明らさまに「染めました」と自己主張する黒さだった上に、薬液臭さも酷かったのに、今回はない。
 それどころか、髪をかき上げると微かに爽やかな……。男から匂っても違和感のない、柑橘系を思わせる香りが立つ。
 浜風に手鏡を持ってもらい、襟首なども確認するが、白い所は残っておらず、しかも自然な染まり具合。
 使う薬液もだろうけど、熟練者に染めてもらうと、こんなに違うんだなぁ……。


「どうよ! 前とは雲泥の差でしょ? たかが毛染め、されど毛染め、なんだから!」

「そうですね。正直、舐めてました。ありがとうございます」

「素直でよろしい。ふふ、どういたしまして」


 ドヤ顔で胸を張る桐ヶ森提督が、なんだか年相応に見えて微笑ましい。
 思えば、誰かとこんな風に、気兼ねなく笑い合うのは久しぶりだ。
 色々な……。本当に色々な事があって、心から笑うという事を忘れていた気さえする。
 感謝しよう。
 彼女のおかげで、自分はまだ大丈夫だと、再確認できたのだから。

 微笑み合う自分たちを、どう見たのだろう。
 二枚の上着を抱えていた浜風も、どこか優しげな表情を浮かべ、桐ヶ森提督を労った。


「お疲れ様でした。見ているだけで何も出来ませんでしたが、せめてお茶を用意しますので、談話室へどうぞ」

「そうね、頂くわ。でも、道具の片付けとかあるし、先に行っておいて貰える?」

「了解です。提督?」

「ああ、頼む」


 頷き返すと、浜風は上着をこちらへ返し、キビキビとした動作で脱衣所を後にする。
 その背中を見送りつつ、自分は上着を着直すのだが、どうしてだか、桐ヶ森提督の顔色は優れない。
 ……いや、優れないのとは違う。まるで仮面でも被ったかのように、表情が違って見えた。


「……ふぅ。これで、やっと本題に入れるわね」


 一つ、溜め息を吐いた彼女は、返された上着を隣の洗面台へと無造作に投げ、椅子に座ったままの自分と斜向かいに、台へ寄り掛かる。


「桐林。アンタに聞きたいことがあるの。答えてくれるかしら」

「……質問の内容にもよりますが、善処します」


 異様とも感じる変化を目の当たりにし、自分は知らず、身を硬くしていた。
 彼女にもそれは伝わったはずだが、全く意に介していないのか、真っ直ぐこちらを見つめて続ける。


「殺したの? あの男を」


 その言葉が耳朶を打った瞬間、頭の奥が冷えていくのを実感した。
 桐ヶ森提督の指す人物には心当たりがある。
 覚悟していた問いだ。
 表情筋を殺し、用意しておいた返答をする。


「なんの話か、分かりかねます」

「……某日、某所で発生した交通事故。
 乗っていたのは某内務省次官補と、お付きの運転手。
 雨でスリップして高速道路の高架から崖下に転落した、という事になっているわよね」


 彼女が諳んじる事件は、ほんの一週間ほど前に報道され、物議を醸した案件である。


「車は落下の衝撃で爆発炎上。でも、死体は見つかっていない。
 オマケに、高架の側壁に突き破ったような痕跡はなく、どうやって転落したのか、皆目見当もつかない。
 この話を聞いた後ろ暗い連中は、みんな怯えているわ。次は自分かも知れない、って」


 概要を語る桐ヶ森提督の瞳が、自分を射る。
 側壁も破らずに崖下へ落下。
 その状況を再現するには、クレーンか何かで車を釣り、上を超えるしかない。だが、現場に重機の痕跡はないと報道で聞いた。
 車一台を、なんの痕跡も残さずに崖下へ落とす方法など、それこそ尋常ならざる“力”を用いなければならないだろう。
 存在を認められているものの、未だ有効に取り締まる法のない、異能を用いなければ。


「その事故は不可解な事ばかりですが、怯えている人間には、怯えるだけの理由があるんでしょう。自業自得では?」

「……そ。あくまで、そういうスタンスなわけ。なら良いの。“アレ”がどうなったとして、胸が痛むはずもないもの」


 彼女は肩をすくめ、皮肉るように眼を細めた。
 “アレ”という呼び方に、明確な悪意──侮蔑を込めて。


「その、某内務省次官補に、思う所でも」

「無いと言ったら嘘になるわね。私も危うく“食われ”かけたし。
 どうせなら、この手で殺したかった。
 あ、言っとくけど未遂だからね。
 というか、守ってもらったんだけど。……兵藤さんに」


 ドクン、と。心臓が暴れる。
 予想だにしない名前が、脈拍を早めていく。
 自分の知らない、先輩の過去。
 知りたい。聞きたい。話して欲しい。
 そう思うと同時に、桐ヶ森提督は洗面台から離れ、硬直する自分の後ろへ。


「アンタは、変わったわね」


 両肩に手が置かれた。
 鏡越しに見る彼女は、思い出を懐かしむような、とても穏やかな表情で。


「悪い事じゃないはずよ。変わる事で守れるなら。けど、その中に……」


 声が近づく。
 後頭部から耳元。
 顎の付け根を降り、そして。


「アンタの守りたいものの中に、私は入ってる?」


 首元で、発生源は止まった。
 近い。とても近い。
 桐ヶ森提督の細腕が、絡まっていた。
 桐ヶ森提督に、抱きつかれている。

 ………………えっ。なんで?


「き、きき、桐ヶ森、提督?」

「こんな時くらい、藍璃って呼びなさいよ。ばか」


 より強く、しかし苦しく感じない程度に腕が締まる。
 当然、密着度も高まり、彼女の吐息を感じられた。
 顔は伏せられ、鏡でも確認できない。
 けれど、小刻みな震えは、確かに伝わってきて。

 っていうか、ホントになんでっ!?
 い、いつの間にかフラグでも立ててたとか?
 でも、今まで一切、そんな素振り欠片も見せませんでしたよねぇ!?
 どうすりゃいいんだ、これぇ……。と、とにかく何か、何か話さないと……!


「じ、自分、は、あの、あ……。ぁ、藍──え゛っ!?」


 しどろもどろに、どうにか会話を繋ごうとする自分だったが、錆び付いた動きで首を巡らせてみると、驚愕せずにはいられなかった。
 何故ならば、超至近距離にある桐ヶ森提督の顔は、今にも吹き出さんばかりの、すんごい笑顔で飾られていたからだ。
 ……もしかしなくても、からかわれた? や、やられた……っ!


「あっれぇー。どうしたのよー。続きはー?」

「き、き、き……君は……っ!?」

「ぷぷぷー。何よムキになっちゃってー。ついさっきまでその気だった癖にー」


 大慌てで腕の中から逃げ出すと、彼女は口元に手を当て、おかしくてしかたないといった様子で、狐のように眼を細めている。
 もう間違いない。確定だ。自分は、桐ヶ森提督にオモチャにされたのだ。
 今日の彼女は一体なんなんだ?
 妙にテンションが高くて、今までだったらしそうにない事までやってきて。訳が分からない。
 だが、困惑する自分を他所に、小悪魔な少女は親しげにこちらの肩を叩きまくった。


「アンタ、気負い過ぎなのよ。もっと肩の力を抜きなさい。
 それから、ちゃんと誰かに甘えなさい。
 相手は選ばなきゃ駄目だけど、そうねぇ……。
 さっきの秘書官、香取だっけ。彼女とか良いんじゃないの?
 見た限り、向こうも満更じゃないみたいだし」

「な、なんなんですか、急に。いい歳した男が、甘えるなんて」

「いいじゃない、いい歳した男が甘えたって。自分だけに甘えてくれる男って、女は嬉しいものよ」

「……それは、同じ女性としての意見ですか」

「さぁ? 単なる個人的見解。的外れかもねー」


 ジト目で問い返すと、なんとも適当な答えが返ってくる。
 やっぱり、分からない。
 今日の桐ヶ森提督は、いつにも増して理解不能だ。
 けれど、面白おかしく遊ばれたせいで、確かに肩の力は抜けていた。
 香取や浜風、明石相手だと、こうは行かなかっただろう。
 魂を重ねて戦う仲間ではなく、肩を並べて戦う仲間だから、なのだろうか。
 ……分からない。


「そろそろ行きましょう。浜風が待っていますから」

「はいはい。案内よろしく、ロリ林提督?」

「“はい”は一回でお願いします、ゴッドバードバレーさん」


 理由は定かでないにしても、この感覚は、不快ではなかった。
 決して、不快などでは。

 軽口を言い合いながら、自分たちは脱衣所を後にする。
 肩を並べ、歩幅を合わせて。
 ゆっくりと。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「それじゃ、私は帰るから。見送り、ご苦労様」

「いえ」


 茶飲み話に花を咲かせて、数時間後。
 桐ヶ森──神鳥谷 藍璃は、私用の小型電気自動車に乗り込みながら、香取、浜風を引き連れる桐林に声を掛ける。
 桐林は直立不動で返事をし、香取たちは敬礼を。
 運転席のドアを閉め、シートベルトを締め。そのまま出発しようとした藍璃だったが、ふと、ある事を思い出して窓ガラスを下げる。


「ああ、そうそう。言い忘れる所だった」

「なんでしょう」


 呼び掛けると、桐林が車へ歩み寄った。
 藍璃はドアに肘を掛け、茶飲み話の席で出た事柄を語る。


「アンタの艦隊増強計画に、潜水母艦があったわね」

「大鯨のこと、ですか」


 桐林の髪を染め終えた後、彼と藍璃と浜風は、一階にある談話室で様々な話をした。
 仕事の話。生活の話。食事や遊びの話……。
 途中からは香取や瑞穂など、桐林艦隊の皆が集まったのだが、その中で、これから励起する予定のある船の建造計画──艦隊増強の案も話に出た。
 そして、その中には潜水母艦という艦種の船があったのだ。
 藍璃にとって酷く懐かしい、胸をざわつかせる船の名前が。


「空母への改装も前提としてるんでしょうけど……。止めておいた方がいいわ」

「……それは、何故?」


 桐林は問い返す。
 大鯨とは、潜水艦隊旗艦として、物資の補給や、少ないながら艦載機の運用能力を持ち、空母としても改装可能な船である。
 空母となってのちは、計画した速度こそ出せなかったものの、祥鳳や瑞鳳など、改装空母として戦線に送り出された。
 抜きん出た性能を秘めていた訳ではないが、軽空母として一定水準の力を有し、桐林の艦隊でも活躍できるはずだ。
 それをわざわざ止めるのだから、理由が気になって当然だろう。
 彼の気持ちも理解でき、藍璃はなんでもない風を装って、自らの過去を明かした。


「“飛燕”の桐ヶ森が最初に沈めた空母なんて、縁起悪いでしょ」


 桐林の右眼が、わずかに大きくなる。どうやら知らなかったらしい。
 いや。もしかしたら既に調べていて、本人の口から聞くとは思っていなかっただけか。
 どちらにせよ、これから苦難の道を歩まねばならないのだ。験を担ぐ方が良いに決まっている。


「じゃ、もう行くわ。強要するつもりはないけど、頭の隅にでも入れて──」

「桐ヶ森提督」

「……? 何よ?」

「自分も言い忘れている事がありました」


 言いたかった事も伝えた事だし、藍璃はブレーキを踏んでエンジンのスタートボタンを押そうとするのだが、今度は桐林が引き止める。
 不思議そうな顔をする藍璃を見つめ、彼は言う。


「貴方も、入ってますよ」

「え?」


 それは、あの問いへの返答。
 単なるイタズラとして終えたはずの、弱々しい呟きへの答え。
 呆気にとられ、ややあってから、藍璃は緩やかに微笑む。


「生意気。私より弱い癖に」

「いつの話ですか。海の上なら、もう負けません。二度と、誰にも」


 また軽口を叩く藍璃に、桐林は一度、後ろを振り返ってから宣言した。
 彼が視線を向けた先では、香取がキリリと姿勢を正し、浜風が「何を話しているんでしょうか?」とでも言いたげに小首を傾げて。
 羨ましい。
 素直にそう思った。


「行くわ。またね」

「はい。お気をつけて」


 エンジンをスタートさせ、アクセルを少し踏み込む。
 少し進んでからルームミラーを確認すると、桐林は律儀にも、敬礼で藍璃を見送っていた。
 程なくその姿も見えなくなり、舞鶴鎮守府の出入り口にある、警備の厳重なゲートを抜け、車は京都の街中へ。
 通っている車はほとんどなく、しかも運転しているのが美少女とあれば、通行人の注目の的にもなりそうだが、窓ガラスには防弾加工だけでなく、特殊な偏光加工も施してあるため、藍璃の姿は誰にも見えない。
 また時間を置き、高速道路に乗った辺りで、藍璃はオートドライブを起動。合わせてタッチパネルも操作し、衛星通信を開始する。
 呼び出し音が数秒続き、やがて、スピーカーから特徴的なソプラノが流れ出した。


『珍しいですね。貴方からの直通連絡とは』


 通信相手は、“梵鐘”の桐谷であった。
 複数の国有衛星を経由して行われる通信は秘匿性が高く、特に桐谷が相手であれば、かなり安心して通話を行う事ができる。
 それを踏まえた上で、藍璃は特A級の機密情報について触れた。


「面倒だから本題だけ話すわ。例の計画、私を使いなさい」


 スピーカー越しにも、桐谷が息を飲むのが分かった。
 例の計画──赤の女王計画Project・Red Queenの被験者に、藍璃は名乗りを上げたのだ。
 梁島を介して説明を受けたのだから、危険性も重々承知している。
 だが、それでも必要なのだと、確信もしていた。


『正気ですか。確かに能力者は必要ですが、それは貴方でなくても──』

「失敗続き、なんでしょう。そして、その原因にも見当がついてる。私なら、クリア出来るんじゃない?」

『………………』

「らしくないわね。私に情でも湧いた?」

『……かも、知れません。とにかく、反対を表明させて貰います。桐ヶ森さん、貴方は貴重だ。まだ使い潰すには惜しい』

「やっとらしい口振りになったわね。でも余計なお世話。私の命は私が使う。何に賭けるのかも、私の自由よ」


 考え直すように言い聞かせる桐谷だったが、藍璃は頑として引かなかった。
 もう決めた。
 ……いや。ついさっき、決める事ができたのだ。


「アイツは、私を守ると言った。
 なら私も守ってあげなきゃ。
 だけど、隣に立つには足りないのよ」


 手の平を見つめ、そのあまりの細さに苛立ち、硬く握りしめる。
 ただ守られるなんて嫌だった。
 そして、“また”置いていかれるのも、嫌だった。
 しかし足りないのだ。
 今の藍璃では、今の藍璃のままでは、あの領域には手も届かない。
 なら、喰い下がらなければ。
 何もせず、指を咥えて黙って見ているだけだなんて、神鳥谷 藍璃の誇りが許さない。


「だから、私に可能性を寄越しなさい。そこから先は自分で掴むわ」

『……その自信は、どこから来るんですか?』

「あら、決まってるじゃない。私みたいな美少女が、こんな事で死ぬはずないもの。そんな世界的損失、運命が許さないわ」


 藍璃は胸を張って、桐谷に答える。
 もちろん本気ではない。
 こんな事を本気で言えるのは、頭のネジが全て抜け落ちたような間抜けだけだ。
 ただの強がりに過ぎない。
 こんな事で己を奮い立たせてきたからこそ、今の藍璃がある。
 もう、この在り方を変えるには、背負い過ぎた。


『自信過剰。いえ、誇大妄想も、そこまで行けば才能ですか。……お好きにどうぞ』

「そうするわ」


 悲しげにも聞こえる桐谷の呟きを最後に、通信は終了した。
 実に呆気なく、藍璃の運命は定まってしまった。
 どう転ぶのか予想もつかないけれど。
 引き返すことは、できない。


「あーあ。怖いなぁ……」


 運転席のシートをめい一杯に倒し、窓の向こうを─空を見上げる。
 まばらな雲が、やけに早足で視界を横切っていく。


「ねぇ。貴方は魂はどこに居るの? まだ、私を見守ってくれてるの? ねぇ、龍鳳りゅうほう……」


 懐かしい名を呼びながら、藍璃は瞼を閉じた。
 意識がまどろみに落ちるまで、そう長くは掛からなかった。




















《異端の提督と舞鶴での日々 駆逐艦 長波の秘密》





 舞鶴鎮守府へと、千条寺 マリが二度目の来訪を果たした、その翌日の夜。
 練習巡洋艦 鹿島は、またしても自室で気合を入れまくっていた。


「昨日は失敗しちゃったけど、今日こそ、今度こそ……!」


 瞳の奥で炎を燃やし、髪を普段と違うサイドテールに結び、取って置きのネグリジェの裾を確かめる。
 その姿は、どこからどう見ても「今夜は一線越えちゃうゾ♪」的な、ヤる気満々の肉食系女子であった。ちょっと怖い。
 こんな時こそ、ツッコミ役である香取の登場を期待したい所なのだが、こんな時に限って、明日までに片付けなければならない案件が重なり、執務室で缶詰めとなっていた。
 運命が味方になったとさえ思える幸運に後押しされ、鹿島は意気揚々と自室を出る。

 桐林の今夜の寝床は、鹿島の部屋がある階と同じだった。どうやら乱数も偏っているようだ。
 廊下を歩きつつ、誰かと鉢合わせしないよう、前後左右を厳重に警戒し、慎重に歩を進める鹿島。
 広い庁舎とはいえ、中央エレベーターを過ぎれば目標地点はすぐだった。
 が、丁度その部屋のドアが見えてくるだろうタイミングで、前方を歩く小さな背中を発見。鹿島は観葉植物の影に隠れる。


(あら? あの後ろ姿は……長波さん?)


 群青色の作務衣をまとい、黒とピンク、表と裏で色が変わる髪をポニーテールにする少女は、夕雲型駆逐艦四番艦の長波だ。
 彼女の部屋も同じ階にあり、廊下を出歩いていてもおかしくないのだが、何故かその脚は、鹿島が目指す部屋の前で止まった。
 しかも、緊張した面持ちで深呼吸を二度ほど繰り返し、ためらいがちにドアをノックまでして。
 少しの間を置き、中からはワイシャツを着崩す桐林が姿を現した。


「よ、よぉ、提督。夜遅くに、悪いな」

「……長波か。なんの用だ」

「何って、分かってんだろ? あたしだって、これでも女なんだからさ。言わせんなよ……」


 俯き加減に頬を染め、スリッパのつま先で床をトントンする長波。
 普段のざっくばらんとした言動しか知らない鹿島にとって、その表情は衝撃的だった。
 あれではまるで、純情な想いを胸に秘める乙女ではないか。


「……入れ。少しだけだぞ」

「おっ、サンキュー! やー、どうにも我慢できなくってさー」


 恥じらう乙女を前にして、桐林は小さく溜め息をつき、彼女を招き入れる。
 一方の長波は、満面の笑みで自らの腹部をさすりながら、そそくさと部屋へ入っていった。
 あまりの衝撃にフリーズしていた鹿島も、この事態にようやく再起動を果たし、無音の全力疾走という神業でドアの前へ張り付く。


(な、なに。なんなの、今の怪しすぎる会話!? ま、ままままさか、提督さんと、長波さんって……!?
 ううん、ダメよ鹿島っ。まだそうと確定した訳じゃないんだから! まずは情報収集、情報収集……)


 深夜の逢瀬。
 姉御肌な少女の恥じらい。
 意味深にさすられた腹部。
 我慢できなくて。

 これだけ条件が揃えば、鹿島でなくとも勘違いしてしまいそうだが、勝負をかける前に不戦敗など認められるはずもない。
 鹿島は首を振り、不埒な想像を頭から追い出してから、鬼気迫る表情で聴覚に全神経を集中した。


「そんなに気に入ったのか?」

「おう、そりゃそうよ! あの味を知ったら、他のじゃ満足できやしないね。自分でも色々試してみたけど、やっぱ提督のが一番なんだよ」

「……そうか。悪い気は、しないが」

「んな事より、早くしてくれよぉー。もう我慢できないんだよぉー。なぁー提督ぅー」

「少し待て。今、火をつけたばかりだぞ」

(ひを……? 火、ですって……!?)


 いつぞやの間宮、伊良湖と同じく、いかがわしくも聞こえる会話を重ねる桐林と長波。
 甘えるように“何か”をねだる長波の声と、桐林の火をつけたという発言に、鹿島の乙女回路はスパークした。
 これは、アブノーマルなSMプレイをしようとしているのではないか、と。


(ここ、これはダメ! 秘書官的に、絶対に見過ごせないわ! 今すぐ吶喊するのよ鹿島っ!!)


 脳内に、亀甲縛りされた長波と、低音ロウソクと革のムチを持った桐林を思い浮かべてしまった鹿島は、もはや我慢の限界と立ち上がり、しかしあくまで冷静にドアをノックした。


「て、提督さん? 鹿島です。夜分遅くにすみません、ちょっとお話が……」


 不自然にならないよう、用件がある風体を装う鹿島。
 傍目には楚々とした立ち姿にみえるけれど、その実、めっちゃ焦っている。
 どうしよう。声掛けちゃった。お話、何か聞くこと考えなきゃ……!? と。
 だが、妙に返事が遅い。
 部屋の中で、何やら忙しそうに動いているような気配も。
 まさか、当たって欲しくない予想が当たってしまったのだろうか。
 鹿島が不安に思い始めた頃、ようやくドアが内側から開く。


「どうした、鹿島。こんな遅くに」

「い、いえ。大した用事ではない、んです……けど……? あれ、エプロン? それになんだか、とても食欲をそそる匂いが……?」


 現れたのは、どうしてだか、シャツの上からシンプルなエプロンを着ける桐林だった。
 しかも、部屋の奥からは香ばしい匂いが漂ってきて……。
 想像していたのと著しく違う光景に戸惑っていると、長波にしたように、桐林は鹿島を招き入れる。


「入るといい。他の皆には秘密だぞ」

「あ、はい。お邪魔しまぁす……」


 ただ立っているのも気まずいだろうと判断し、鹿島はこれ幸いと部屋へ。
 相変わらず質素な室内だが、鹿島の記憶と違い、中央にあるテーブルには、作務衣を着る長波が居た。
 そして、彼女の前にはある料理の盛られた皿が。


「あっれ、鹿島秘書官も来たの?」

「長波さん。こんばんは……って、それはもしや……」

「おお、チャーハンさ! 提督お手製のな!」


 レンゲで料理を──チャーハンをがっつきながら、長波は非常に満足そうな笑顔を浮かべている。
 何がなんだか分からなかった。
 なんで長波はチャーハンをモリモリ食べているのだろう。
 なんで桐林はムチとロウソクを持っていないのだろう。
 理由を求めて鹿島が立ち竦んでいると、いつの間にか隣に立っていた桐林が、事情を説明してくれた。


「少し前、夜中に腹を空かせている長波と鉢合わせした事があってな。間宮を起こすのも悪いかと、自分が作ったんだが……」

「それがもうメチャ美味でさ?
 ご飯と卵と塩胡椒だけの超シンプルな黄金チャーハンなのに、今まで食ったどのチャーハンよりも美味かったんだ。
 んで、その味がどうにも忘れらんなくって、時々こうして作って貰ってんだ」

「そ、そうだったんですかぁー」


 分かってしまえば、なんて事はない。
 単に長波は夜食を求めていて、桐林がそれに応えただけ。
 またしても鹿島の勘違いだった訳である。まぁ、いつもの事なのだが。
 すると、気が抜けてしまったのか、鹿島のお腹が「くぅー」と鳴ってしまった。


「はうっ。わ、私ったら、はしたない……」

「無理もないって。夜中のこの時間に、チャーハンの香ばしい匂いとか、殺人的だよなぁ」

「ううう、それでも恥ずかしい……っ」


 長波は仕方ないと慰めてくれるが、仮にも桐林の前。
 実情などさて置き、慎ましくありたい鹿島は、隠すようにお腹を抱えて恥ずかしがる。
 ところが、当の桐林は大して気にしていないようで、食器棚から新たな皿を取り出し、まだ残っていたらしいチャーハンを盛り付け、テーブルに置く。


「え? 提督さん?」

「鹿島も食べるといい。遠慮するな」

「で、でも、ご迷惑じゃ……?」

「提督がいいって言ってんだから、甘えときなよ。……手料理を食うチャンスだぞ?」


 出来たてのチャーハンから、湯気が昇っている。
 卵をまとい、油でコーティングされた米粒は、見事な黄金色で見た目にも胃袋を刺激。よだれも出てきた。
 鹿島は悩む。
 正直に言えば、食べたい。
 桐林の手料理など、生まれて初めてなのだから。というか、料理ができるのも今知った。
 統制人格なら、この時間に食べても体形を気にする必要もない。
 だがしかし。慎ましやかな女性であれば、この時間の食事は敬遠するのではないか。
 かといって、この機会を逃すと、次のチャンスはあるかどうか。
 鹿島は悩みに悩み、悩み抜いて。


(世界中のダイエットを頑張ってる皆さん、ごめんなさいっ)


 結局、食欲に屈した。
 テーブルへ着き、レンゲを取って手を合わせ、早速一口。


「いただきま〜す……。ん、んんっ!? お、美味し、すっごく美味しいですっ!」

「だぁろぉ~? 提督のチャーハンは天下一品だぜ!」


 噛み締めた瞬間、卵の甘みが舌に踊り、炒められて生まれた香ばしさが鼻腔をくすぐる。
 絶妙な塩加減が後を引き、鹿島のレンゲは止まらない。
 新しいチャーハン仲間が出来たからか、長波も上機嫌でレンゲを動かす。
 桐林もまた、そんな二人をどこか得意げに、羨ましそうに見つめる。
 誰もが寝静まる中、秘密の会食は穏やかに続く。





「所で、鹿島。君の用件はなんだったんだ」

「はい? ……あっ。え、ええっとぉ……。なんでしたっけ? あまりの美味しさに忘れちゃいました」

「おいおい。そんなんで大丈夫なのか、鹿島第二秘書官……」




















《こぼれ話 千条寺の娘たち+パト》





 これは、千条寺 マリが舞鶴鎮守府を訪れる前日の事である。
 千条寺家が保有する膨大な物件のうち、舞鶴に程近い豪邸では、小さなパーティーが開かれていた。
 小さいといっても、千条寺家の主催。
 訪れるのは各界の著名人や、千条寺からの融資を引き出そうとする者たち。
 供されるディナーも、今では手に入れるのすら難しい、海外の食材が惜しげもなく使われる。だが、純粋に楽しもうとする人間は誰も居ない。
 互いの腹を探り、弱みを見つけようと躍起になる、冷たい戦場であった。

 そして、そんな人間たちから逃げ出してきた人影が一つ。
 煌びやかな廊下を走り抜けるその影は、とある部屋のドアを開けて中に駆け込んだ。


「はぁ……はぁ……っ」


 黒いドレスを着た、年頃の少女。
 明かりの灯らない部屋の中で、月の光が、長く艶やかな茶髪に天使の輪を作っている。
 控えめに言って、美しい少女だった。
 浮かべている悲しげな表情ですら、美しさを彩る一因にしてしまう程の。


「もう、嫌だ……」


 少女は俯き、堪えきれない激情に身体を震わせる。
 どれほど苦しかったのか、彼女は弾かれるように豪奢なベッドへ駆け寄り……。


「こったら動きづれぇ服、もう着てらんねぇべさぁああっ!!」


 一瞬でドレスを脱ぎ、ベッドへ投げ捨てた。
 比喩でもなんでもなく、着るにも脱ぐにも時間の掛かりそうなドレスを、である。
 少女の名は千条寺 英莉千賀エリーチカ。“梵鐘”の桐谷、その長女だった。
 ドレスを脱いだエリ(略)だが、身につけている肌着は、ブランド物の最高級品──ではなく、いわゆるババシャツと股引だ。
 もう少し歳を重ねれば、絶世の美女とも称されるであろう少女なのに、発展途上の瑞々しい肉体を隠すのが、ババシャツと股引。
 なんともコメントに困る有様だが、更に彼女はベッドへ向けて崩れ落ち、妙に野暮ったいごった煮方言で愚痴を吐きまくる。


「ううう……。早く旦那様のとこさ帰りてぇ……。もんぺ着て土弄りしとる方が、パーテーで薄っぺらい会話するよか、よっぽど性に合っとるだぁよぉ……」


 今年で十六になるエリには、父親である桐谷公認の婚約者が存在した。
 その人物は農耕に関する研究者であり、未だ三割を下回る食料自給率を向上させるため、新しい農薬や肥料の開発や品種改良に取り組んでいる。
 最初こそ一流の御嬢様然とし、千条寺家の事業の一環として婚約。彼と接していたエリだが、良くも悪くも研究者であった婚約者と過ごす内に、僻地での農民生活に言葉ごと染まってしまったのだ。
 エリ本人はそれを気に入っているのだが、引き換えにこれまでの上流社会生活が苦痛となってしまい、今に至る。
 千条寺家当主の長女として、皆を歓待するのが仕事であり、個人的に達成しなければならない目的もあるのだから、頑張らなければいけない。
 けれど、疲れるものは疲れる。「はぁ……」と、大きく溜め息をつくエリだった。

 そんな時である。
 エリ以外に誰も居ないはずの部屋の片隅から、ガサリ、という音がした。


「誰じゃ!? ここぁ親族以外立ち入り禁止……って、パトやんかぁ。びっくらこいたぁー」


 一気に意識を戦闘態勢へ持って行き、堂に入った空手の構えを取るエリだったが、のそりのそりと進み出てきたのは、人間大の身長を持つ、マリの家族。ハシビロコウのパトリック・吉良・ヨシヒサJr.であった。
 パトリック(略)はエリに歩み寄り、まるで慰めるように嘴を寄せる。
 エリも構えを解いてベッドに腰掛け、人懐っこいパトリックを優しく撫でる。


「なぁ、パトやん。なして人は、もっと自由に生きられねぇんだろなぁ」


 呟きに、パトリックは応えない。
 応える術を持っていないからではあるが、もし言葉を喋れたとしても、きっと沈黙していただろう。
 エリは、誰かへ問いかけたかったのではなく、己自身に問いかけているように見えたからだ。


「マリちゃんは大丈夫だべか……。オラみてぇに、ええお人が旦那様なら良かが、あん子は……」


 寡黙なパトリックを撫でつつ、その保護責任者──飼い主である妹へ想いを馳せるエリ。
 腹違いの五人姉妹は、複雑な生まれにも関わらず、キラキラネームという哀れな共通点から互いを慰め合い、良好な関係を築いていた。
 エリは比較的“あり”な名前を持っていたため、八つ当たりに等しい激情をぶつけられる事も、しばしばあった。それでもなおエリは手を差し伸べ、妹たちもやがて心を開いたのだ。
 そんなエリだからこそ、最近、とある軍人との仲が取り沙汰される三女のマリが、心配でならない……のだが、彼女の普段の言動を思い出し、エリは破顔する。


「よぉく考えっと、心配する必要なかとねぇ。マリちゃんは自由人じゃし。オラと違って、逆にお相手を振り回すかね」


 エリは婚約者に振り回され、結果として精神の自由を得たが、マリは産まれながらに自由だった。
 幼い頃から様々なペットを父にねだり、人任せにせず自分で世話をして。いつも楽しそうに、忙しくしていた。
 彼女であれば、どんな相手とでも上手くやれる。
 もし相手が悪人だったとしても、調教して真人間に戻してしまうかも知れない。
 自分の想像がおかしくて、「ふふ」と笑うエリ。ババシャツ股引姿ではあるが、その微笑みは品が良く、慈しみに満ちていた。


「さっさと帰りてぇ。帰って旦那様とラブラブしてぇ。
 んだども、ここで投げ出しては、旦那様と出会わせてくれた御父様に顔向けできねぇな。
 ……っし! 気合い入れんべ! まっててけろ、旦那様。キチンとスポンサーGETして帰っから!」


 すっくと立ち上がり、頬を叩いて気合を入れ直したエリは、クローゼットから別の青いドレスを取り出し、瞬く間に着替える。
 元々、お色直しという名目で逃げ出してきたため、着替えなくてはいけないのだ。
 そして、成功すれば食料自給率を5%は引き上げられるだろう、新種のサツマイモの研究費用を金持ち共から毟る──もとい、理解あるスポンサーを得るために、エリは力強く一歩を踏み出し、部屋を出る。
 かと思いきや、思い出したようにとって返して、「話聞いてくれてあんがとな」と、パトリックの嘴にキス。今度こそパーティー会場へ戻って行った。

 一人きり……いや、一羽きりに戻ったパトリック(略)は、部屋の隅っこにマリが用意した専用の巨大鳥籠(出入り自由、自動餌やり機能付き)に戻ろうと、のそりのそり。
 ところが、突如として背を向けていたドアが《ドバンッ!》と開き、驚いた様子で振り返る。
 するとそこには、エリとはまた違ったタイプの美少女が、怒り肩で立っていた。
 蹴破るような勢いでドアを開けたのは、間違いなく彼女であろう。


「あー、だるっ。チョーだるいわー。いい歳こいたオッサン共が、中学生を狙ってんじゃないわよ。死ねロリコン。できるだけ苦しんでから、生まれてきた事を後悔して死ね!」

「ねぇや……。ドア、こわれちゃう……」


 黒髪を短く切り揃え、浅黒い肌に白いドレスを映えさせる彼女の名は、千条寺 愛理寿莉出瑠アリスリデル。桐谷の次女だ。
 年齢は十四で、肌の色は日に焼けているのではなく、金で卵子を提供した、インド人の母親譲りである。
 楚々としていれば、エキゾチックな魅力溢れる少女なのだが、まるでヤンキーの如く悪態をつき、後ろ足にドアを蹴り閉め、ガニ股で歩く姿が残念感を醸し出していた。

 その背後に続くのは、今年で六歳になる四女の紅麗亜梨祢クレアリーネ
 綿毛のようにふわふわとした明るい髪。薄桃色のゴシック調ドレス。腕には大きなワニのぬいぐるみを抱え、幼いながらに整った顔立ちを、不安げに歪めている。
 余談になるが、彼女の母親は桐谷の調整士を務める女性である。

 今回のパーティー。表向きはアリス(略)の誕生日を祝う席であり、その実、彼女の婿探しを兼ねている。
 本人にその気がなかろうとも、周囲はそういう場であると認識していて、多くの実業家や政治家の子息などがひっきりなしに挨拶に訪れては、歯も浮くような美辞麗句を並べ立て……。
 アリスはヘドが出る思いで耐え続け、それに耐えきれなくなった今、「申し訳ありません、酒気当たりしてしまったようで……」と嘘をつき、クレア(略)と会場から逃げてきたのだ。
 そんな訳で、アリスは不機嫌そうにドスドスと足音を鳴らしながらベッドへ向かい、途中でパトリックの姿に気づき、ヤンキーモードを終了させた。


「あら、パトっちじゃない。おひさー。んー、相変わらず鳥臭いー」

「ヨっちゃん……? あ、くーちゃんも、さわる……」


 先程までの怒りを忘れ、アリスはパトリックに文句を言いながら、笑顔で抱きついている。
 クレアもチョコチョコと歩み寄っては、羽毛へ頭をうずめた。
 何かとストレスの多い上流社会であるが、楽しみも少なくはなかった。そのうちの一つが、妹であるマリのペットと触れ合う時間だった。
 マリにそのつもりがあるかどうかは分からないが、アニマルテラピーと同じような癒しを、アリスたちは感じているのである。


「あの子は良いわよねぇ、適度に年が近くて、しかも将来性抜群の軍人さんの所に決まったんだから」

「ぐんじん、さん……? パパと、おんなじ?」

「そうよ。同じ軍人で、同じ“桐”。ま、それも結婚前に戦死しなけりゃだけど」


 パトリックの手触りを堪能しきったアリスが、ベッドに背中からダイブし、やっかみ半分の独り言を呟く。
 今現在、二周り以上も歳の離れた初老の男たちに言い寄られている身としては、桐林は喉から手が出るほどの優良物件に思えた。
 本音を言うと、すぐにでも紹介して欲しいくらいなのだが、父である桐谷も、マリを桐林に当てがうと決めているようだし、叶わない願いだと知っている。
 知っていても、口に出さずにはいられなかった。


「はぁ……。この年まで贅沢させて貰ったんだから、パパに恩返しくらいはしたいけどさぁ。……普通に恋くらい、してみたかったな」


 好きな時に好きな物を食べ、欲しい物は大概手に入れられても、唯一、千条寺の女が手に入れられないもの。
 それが普通の恋である。
 桐谷自身が、権力者の恋愛結婚ほど不幸なものはないと実証しているため、望んではいけないのだと理解しているのだが、稀有な例であろう姉の姿を見ていると、もしかしたら……なんて、淡い期待を抱いてしまうのだ。


「ねぇや……。しっこ……」

「は?」


 唐突に、クレアがモジモジし始めた。どうやら催してしまったらしい。
 アリスはベッドから身を起こし、大きな溜め息を。


「アンタねぇ、今年で小学生になったのよ。トイレぐらい一人で行けるようになりなさいよね、全く」

「う……。ごめん、なさい……」

「ああもう、そんなすぐ泣かないの! 他の家のクソ女共に舐められるわよ!」


 クレアの眼に浮かぶ涙を、アリスは叱りつつもハンカチで顔を拭う。
 ついでにティッシュで鼻水も「チーン!」させ、部屋に備え付けのトイレへ。口は悪いが、面倒見の良いアリスだった。
 だからこそ、見た目通りに気の弱いクレアも懐いているのだが。
 諸々の些事を済ませると、二人は並んでベッドに腰掛ける。


「くーちゃん、もどりたく、ないな……」

「気持ちは分かるけど、行かなきゃダメ。
 絵本も洋服もお菓子も、好きなだけ買って貰えるのは、こういう事をキチンとやるからなのよ。
 それと、その言葉遣いもダメだかんね?」

「……はい。おねえさま」

「よく出来ました。……あ~あ、そろそろ戻らなきゃダメかぁ」


 ぐずる妹を窘め、そして褒めながら、胸の内で溜め息をつくアリス。
 千条寺家が開くパーティーは、常に一流の人間ばかりが出席する。
 彼らの目的はもちろん、アリスを始めとする桐谷の娘なのだが、しかし彼らを目的に出席する者も少なくない。
 権力争いに負け、二流三流に落ちぶれた家の娘が起死回生を狙うには、桐谷の眼鏡に敵わなかった男でも十分な場合がある。
 そういった男を狙う手合いは、まだ社交界慣れしていないクレアにとってストレスの対象でしかない。だから一緒に逃げ出してきたのだ。
 しかし、いつまでも目玉と言うべき二人の姿がなければ、千条寺家のパーティーだという事も忘れて婚活する女たちを増長させてしまう。そろそろ戻らねば。


「じゃあね、パトっち。マリによろしく」

「……ヨっちゃん。またね……?」


 アリスは素っ気なく、クレアはぬいぐるみの手を小さく振って、別れを告げる。
 パトリックがクラッタリングで応えると、二人は自然に手を取り合い、薄暗い部屋を後にした。


「パーティー、おわったら。えほん、よんでくれる?」

「えぇ? またぁ? メンドくさいわねぇ……。ってか、なんでアタシなんかに懐くのよホント……」

「ねぇや、やさしい、から」

「……どこがよ。ちゃんと御姉様って呼びなさい」

「ん。おねえさまが、いっしょなら。がんばる」


 部屋のドアが閉まるその瞬間まで、幼い姉妹は言葉を交わしていた。
 また一羽きりに戻ったパトリックは、ゆったりとした動作で窓辺へ寄り、雲に隠れそうな下弦の月を見上げる。
 彼が何を想っているのか。青い瞳からは読み取れない。

 しばらくすると、またまた部屋のドアが、今度は静かに開く。
 身を滑らせるように入室して来たのは、通っている学校のブレザーを着るパトリックの主、マリだった。
 翌日の桐林艦隊襲撃(誤字に非ず)に備え、一時的に預けていたパトリックを迎えに来たのである。


「パトリック、お待たせ。……行こ?」


 マリが手を差し伸べると、パトリックは《クァ》と一鳴き。自ら鳥籠へと入る。
 それを確認してから、マリは入り口に鍵をかけ、籠自体にもカバーを。最後に、鳥籠の足場に設けられた足踏みボタンを踏む。
 するとどうだろう。鳥籠がわずかに浮き上がった。目には見えないけれど、移動用のキャスターが展開された証拠である。
 子供の細腕にはかなり重たいはずだが、精一杯、渾身の力を込めて鳥籠を動かす。
 これから市内のホテルへ移り、そこで一晩を過ごした後、横須賀から送迎されて来る暁、響と合流。舞鶴鎮守府へと向かう予定だ。


「暁さんと、響さん。仲良くできたら、いいな」


 マリの呟きに、パトリックが《クァウ》と鳴く。
 途中で使用人が彼女らを発見し、交代を申し出ても、マリは己の手で押すことに拘り、オロオロする大人たちの中をひたすら進む。
 エリーチカ。アリスリデル。マリアンヌ。クレアリーネ。そして、まだ赤子の絵羽伊漓透エヴァイリス
 千条寺家に産まれついた少女たちは、日本人離れし過ぎた名前にも負けず、己が意思で歩いていく。
 いつか、千条寺の女としてではなく、この世界でたった一人の、自分自身の幸せを得るために。


 改名への道のりは、まだ長く、遠い。




















 くそう……。やっぱりステップアップ開発イベ開始後に着任したド新人司令官じゃ、月光ちゃんゲットまでが限界か……。媚びっ媚びな「にゃあ~ん」が可愛いぜぃ……。
 ん? なんの話かって? 急に新しいゲームやりたい病を発症してしまい、ついつい始めてしまったアプリ「ソラヒメ」の事でございます。
 中華版艦これの「戦艦少女R」は、コモン艦に手抜きを感じてしまってすぐ飽きちゃったんですが、いやはや、ソラヒメ面白いっす。
 後発のゲームですからシステム周りが優れているのは当然としても、鍾馗さんとかウォーホーク殿とかハチロクちゃんとかスピットファイア様とか、個性的な子ばっかりで侮れませんわ。
 今現在の最カワはSu-7です。損傷絵がたくし上げしてるみたいでエロいです。ひょっとしたら、艦これ以外のソシャゲで初めて課金するかも。
 ああ、早くトムキャットとか流星とかラファールとか銀河とかをゲットしたいなぁ……。

 それはさて置き、今回は「アイリたんマジ格好良い」「鹿島さん食欲に負ける」「パトリック・吉良・ヨシナカJr.さん大人気」の三本立てでお送りしました。
 桐ヶ森提督、人間側ヒロインのはずなんですが、精神がイケメン過ぎて、もはや主人公クラスの風格を醸し出しているような。それもまた良し、ですが。
 そして、興味のある方は少なかったかも知れませんが、桐谷の娘たち(エヴァちゃん除く)がお目見えしました。
 特に賢い可愛いエリーチカちゃん、凄まじいネタキャラになってしまいましたが、彼女はあれで幸せですので御安心を。ババシャツ愛好家ですけど。
 鹿島さん? いつも通りなので割愛です。

 本編とはあまり関係ありませんが、ついでにこの世界の車事情も。
 現実と同じようにガソリン車、ディーゼル車、電気自動車が主として存在しますが、ここにバイオエタノールなどを燃料にする車も加わります。
 一般に出回っているのは、日本国内でも生産可能な燃料であるバイオ燃料車なんですけど、作中で何回か言ってる天災やら人災でテクノロジーの停滞が起こっていて、ぶっちゃけ性能は良くありません。
 エンジンの構造が特殊で馬力が低く、最高速度もスクーター並み。
 なので、過去の遺物とも言うべきガソリン車などがまだ現役なのですが、化石燃料などはリッター当たりの値段がめっちゃ高く、電気自動車は燃費がすこぶる良好ですけども、代わりに車自体が最低でも四桁万円クラスなので、一長一短です。
 軍が使ってるのは、燃料供給の関係でガソリン車かディーゼル車が多くて、藍璃ちゃんが乗ってたのはガチの私物。
 作中の日本国内でも数台しか存在しないやつで、十八になったのと同時に買いました。ザ・ブルジョア。

 さてさて次回は、放ったらかしだった舞鶴遠征陣……。とっきーや天津風たちのお話。
 横須賀へ向かった彼女たちが、姉妹艦や古巣の仲間と出会い、どのように触れ合うのか。今しばらく時間をください。
 それでは失礼致します。


「……見えてきたわね。横須賀が」
「んぉー? なになにー? ……おー、ホントだー。いよいよだねー。楽しみ?」
「べ、別に! 島風と会うのなんて、アタシは楽しみになんかしていないわ!」
「いやいや、誰も島風の名前だしてないんだけど……。素直じゃないなー、全くー」





 2017/04/01 初投稿







[38387] 番外編 舞鶴遠征隊と横須賀艦隊
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2017/06/01 22:55





「……提督さん。本当に、やるんですか?」


 不安に駆られ、鹿島は桐林へと問いかける。
 大海原を臨む舞鶴鎮守府の護岸。
 陽光が反射し、眩しく輝く水平線を見つめながら、彼は一切の迷いなく答えた。


「先の作戦の成功で、上の空気は緩んだ。実行するなら今しかない」

「それは理解できます。ですが、装甲空母とイタリア国籍艦、全七隻の同時励起なんて……」


 桐林の視線から、わずかに逸れた先。
 鎮守府正面海域の中程では、合計七隻の軍艦が、正確な七角形を描いて停泊していた。
 先に明石が建造したリットリオ、ローマ、ザラ、ポーラ、リベッチオ、アクィラ。そして、日本海軍が唯一完成させた装甲空母──大鳳である。
 これらに加え、七隻を囲むようにして雲龍型航空母艦が三隻。極大の三角形を描いている。励起の失敗確率を少しでも下げるための、魔術的配置だ。

 しかし、七隻同時の励起など、世界的にも今までに類を見ない試みである。
 これだけの準備を整えたとして、成功するかどうかは疑わしかった。
 二隻同時程度なら当たり前で、失敗しても特にデメリットのない励起であるが、これ程の大規模励起となれば、何か反動があっておかしくない。鹿島はそれが気掛かりなのだ。
 けれど、その心配をおして尚、実行したい理由が桐林にもあった。


「無茶は承知だ。だが、この励起が成功すれば、舞鶴の航空戦力は一応の完成を見る。これからを考えるなら、上の都合に付き合っている暇はない」


 桐林舞鶴艦隊に掛けられた編成制限は、無期限のものである。
 いつか解除される可能性もあろうが、戦況は予断を許さない。
 仮称・重巡棲姫を撃破したからこそ、敵は桐林たちを差し迫った脅威と認識しただろう。戦力の増強は急務だ。
 しかしながら、正式な認可を受けていない励起でもある。
 間違いなく梁島が口を挟んだであろうが、今日は舞鶴を留守にしている。
 加えて、未励起の船を動かす理由として、メディア向けのスチル撮影を行うと申請もしているため、横槍が入る心配はない。

 その結果として、上層部から今以上に睨まれる事になるはずだが、それへの対抗策も同時進行している。
 問題は発生するが、励起は出来る。
 己の講じた策を信じ、従順な飼い犬としてでなく、命を刈り取る猟犬として力を蓄えるべきなのだと、確信していた。
 人間同士の小競り合いに付き合って、人外の敵との戦いに負けるなど、愚の骨頂だ。

 力強い言葉に、もはや止める手立てはないと悟ったのだろう。
 鹿島は溜め息をこぼし、けれど、いつになく真剣な表情で桐林を見つめる。


「……分かりました。
 でも、提督さんの身が危ないと感じたら、私は止めに入ります。
 第二秘書官として、これだけは譲れません」

「ああ。頼む」

「では、香取姉の所へ戻ります」


 敬礼し、鹿島は踵を返した。
 各艦に搭載された増震機を、調整室から遠隔操作しているはずの、香取の元へ向かったのだろう。
 その足音が聞こえなくなってから、桐林は右眼を閉じ、遠く海の上に居る雲龍たちへと意識を飛ばす。


「雲龍。天城。葛城。準備はいいか」


 俯瞰する鳥の視点から、一気に急降下。
 錨を降ろし、停泊する空母の姿が見えてくる。
 その上に立つ少女たちは、普段とは違う、煌びやかな装飾の巫女服に身を包んでいた。


「問題ないわ」

「い、いつでも行けます!」

「私たちに任せておきなさい。絶対に成功させてあげるんだからっ」


 甲板に特設された神楽殿の上で、静々、淑やかに、溌剌と。
 三者三様の意気込みを見せる姉妹は、桐林の励起に合わせて祝詞を挙げる役割を担う。
 七角形と三角形の、西洋魔術に則った魔方陣の配置。
 日本伝来の祈りの言葉。
 普通の人間なら何も効果を得られないが、能力者と統制人格が執り行ったなら、霊子の流れを気休め程度に整えられる。これも万全を期する為である。

 三人の姿を確認し終えた桐林は、まぶたを開けて深呼吸。精神の統一を計る。
 と、遠方からエンジン音が近づいて来た。
 振り向けば、護岸のすぐ側に上陸用舟艇──大発動艇が停泊する。
 操っているのは和装を纏う美女、瑞穂である。


「提督。お待たせ致しました」

「ああ。行こう」


 桐林を乗せ、大発動艇が離岸。七角形の中心へと向かう。
 仁王立ちする彼の周りでは、これでもかと使役妖精たちが暴れ回っているのだが、気付いていないのかそうでないのか、無反応だった。
 瑞穂が「どうしたものかしら」と悩んでいるうちにも船は進み、程なく励起対象艦が見えてくる。
 内側へ艦首を向ける七隻の間を通り、七角形のほぼ中央で、瑞穂は大発動艇を停め、錨を下ろす。


「提督。指定の位置に到着いたしました」


 瑞穂に無言で頷き、桐林が眼帯を預けた。
 しばらく両のまぶたを閉じたまま、微動だにしない彼だったが、やがて意を決したように左眼だけを開く。


「──っう!」

「提督っ!?」


 途端、手で左眼を覆い、崩れ落ちる桐林。
 眼を覆う左手の隙間から、紅い光が漏れていた。
 瑞穂が慌てて駆け寄ろうとするも、しかし彼は右手でそれを制する。
 フラつきながら立ち上がり、背筋を伸ばす桐林の左眼からは、もう光は漏れていない。
 ただ、異形の瞳孔が蠢いているだけ。


「これより、大規模励起実験を開始する。用意」


 桐林が意識を“啓き”、雲龍、天城、葛城、そして香取へと呼び掛ける。
 短く「はい」と、四人の声が脳裏で響いた事を確認し、彼は右手を高く掲げた。


『 ひふみ よいむなや こともちろらね 』


 ゆっくり、時間をかけて謳いあげるよう、雲龍たちがひふみ祝詞を唱え始める。
 同時に、励起艦に搭載された増震機を香取が起動。七隻分の重振動は共鳴し合い、大きな波のうねりとなって大発動艇を上下に揺さぶった。


『 しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか 』


 そんな中、桐林が右手を徐々に下ろす。
 するとどうだろう。荒れ狂っていた海面が、見る間に静けさを取り戻していく。
 加えて、二人しか居なかったはずの大発動艇の上に、人を象る光が生まれた。


『 うおゑ にさりへて のますあせえほ 』


 一人、また一人と。
 桐林と右手を重ねるようにして、ヒトガタが七人。
 成熟した女性を象るものが居れば、年端のいかない少女を象る場合もあった。
 ディテールは不明瞭だったが、それもすぐにハッキリとし、励起が完了する直前の、特徴的な高音が世界に満ちる。
 そして。


『 れ け ん 』


 人を象る光が弾けた瞬間、桐林の意識は暗転した。
 右手に暖かな体温と、急に騒がしくなる空気を感じながら、桐林は沈んでいく。
 底の見えない、深い闇へ……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 時を遡り、時津風、天津風を始めとする水雷戦隊が、舞鶴鎮守府を出発して数日後。
 晴天の広がる横須賀鎮守府、その桐林艦隊へと割り当てられた港湾施設では、数多の船がごった返していた。
 横須賀に属する桐林の傀儡艦と、横須賀へやって来た舞鶴所属の傀儡艦たちである。
 広大な母港が手狭に感じられるほどであるが、人影は逆に少なく、舞鶴の艦隊の側でたむろする少女たちの姿がとても目立つ。


「んぁー、やぁーっと着いたぁ……。時間かかり過ぎぃ……。疲れた疲れたぁー」


 白いワンピースセーラーに黒いパンスト姿の少女──時津風は、大きく伸びをした後、ぐでーっと猫背になる。
 傍らの黒いワンピースセーラーを着る少女──天津風は、対照的にピンと背筋を伸ばし、彼女を窘めた。


「だらしないわよ、時津風。私たちは舞鶴の代表なんだから、もっとシャキっとしなさい」

「えぇー? そんなこと言われても、巡航速度で丸々二日ちょっとだよー? ダレるに決まってるよー」


 舞鶴から横須賀まで、大雑把に計算して八百五十~九百海里。十八ノットで五十時間をかけ、彼女たちは横須賀へやって来た。
 本州を南回りに進んでいる間、やる事といえば、念話でしりとりをするか、対横須賀戦のイメージトレーニングをするか、たまたま擦れ違った漁船の漁師に手を振るか、ぐらいだった。精神的に疲れもしよう。ちなみに、漁師の方々には物凄く喜ばれた。
 ともあれ、そんなこんなで横須賀へと辿り着き、保安員の案内で艦を停泊させた後、横須賀艦隊の迎えを待つため、一箇所に集まっている訳なのだ。
 敷地に余裕がある舞鶴と違い、資材コンテナやら何やらで、せせこましい印象を与える港を、各々、物珍しそうに眺めたりしている。


「なぁーんか、舞鶴に比べると、すっごくゴチャゴチャしてるかも……。あ! みんなみんな、お出迎えの人が来たかも!」


 自分たちの方へ歩いてくる人影を見つけた艦隊旗艦、秋津洲が、舞鶴勢に手を振って整列を促す。
 軍艦だけあってその辺りの行動は早く、秋津洲を除いた五人・六人の複横陣がすぐさま完成した。
 近づいてくる横須賀勢も結構な人数であり、中でも先頭に立つ三人──時津風とほぼ同じ格好をした少女と、双子のように似たセーラー服の少女たちは、横並びに横断幕を掲げていた。


「舞鶴の皆様!」

「おいでませ横須賀!」

「なのです!」


 その三人。雪風、雷、電の後ろには、空母に改装された千歳、千代田。白露型駆逐艦や、朝潮型駆逐艦、妙にソワソワした様子の島風などが続いている。
 大人数の出迎えに、代表して秋津洲が敬礼で答えた。


「桐林舞鶴艦隊所属、水上機母艦の秋津洲です! お招き頂き、誠にありが──」

「時雨姉さ~ん! 夕立姉さ~ん!」

「って春雨ちゃん!? まだ挨拶の途中かもぉ!?」


 ……のだが、挨拶が終わる前に飛び出していく少女が一人。白露型五番艦、春雨だ。
 両手を前に駆け出す彼女を、名前を呼ばれた二人が迎える。


「春雨ちゃん、久しぶりっぽい~」

「元気だったかい?」

「はい! 春雨はとっても元気です!」


 三人は手を取り合い、輪になってその場でグルグルと飛び跳ねている。
 いかにも女子らしく、実に楽しそうな三人を、しかし白露型の長女である白露は恨めしそうに見つめた。


「ちょっとぉ! 二人ともズルいー! 今度こそ私が一番に挨拶するつもりだったのにぃー!」

「はいはい、怒らないの。 春雨ちゃん、横須賀へようこそ」

「あ、白露姉さんに、村雨姉さん、ですよね? ずっとお会いしたかったですっ。それに、五月雨ちゃんと涼風ちゃんも!」

「五月雨もお会いしたかったですよ! 春雨姉さん!」

「お、ありがたいねぇ。あたいの事も忘れないでくれるたぁ、嬉しいよっ」


 村雨、五月雨、涼風も春雨の側へ集まり、溢れんばかりの笑顔で談笑し始める。
 すると、朝雲と山雲の二人も、横須賀の朝潮型たちの元へ歩いて行き、何やら挨拶を始めて。


「なんか、勝手に親交が深まってるねー。仲良し仲良しー」

「ううう……。格好良く決められるかも、って思ってたのにぃ……」


 ガックリ。肩を落とす秋津洲を、時津風がのん気に慰めた。
 逆らうつもりはないのだろうが、従わせるには威厳が足りていないようである。
 しかし、逆に親近感は与えられたらしく、千歳型姉妹は秋津洲に笑いかける。


「うふふ。賑やかで楽しいじゃないですか」

「そうそう、鎮守府は違っても仲間なんだから。堅苦しいのはナシナシ」

「あ、ありがとうございま……。ううん、ありがと! 千歳さん、千代田さん」


 元は同じ水上機母艦同士という事もあってか、こちらでも順調に親交が深まっていく。
 軍記に則ると、良くないのかも知れない。
 けれど、これが“彼”の艦隊らしさでもあるのだろう。
 と言いながら約一名、睨みつけるような視線を天津風に向ける、露出“強”な少女も居るのだが、千歳はあえてそれを無視し、柏手を打って皆の注目を集めた。


「皆さん。舞鶴からの長旅、大変お疲れ様でした。演習は明日に予定されていますが、それまでの間、どうぞゆっくりと身体を休めて下さいね」

「食事会とかの準備もしてるから、楽しみにしてて! さ、移動するよー!」


 千歳型姉妹は、どこからか小さな旗を取り出し、さながらツアーコンダクターの如く、皆を引き連れて歩き出す。
 相変わらず白露型がキャピキャピと姦しく、朝潮型たちは大潮を除いて控えめに談笑を続けている。
 それらのグループから外れている時津風は、「そろそろいーかな?」と、同じ背丈、同じ服装の姉妹艦、雪風の隣へ。


「ねーねーねー。雪風、だよね?」

「あ、はい。陽炎型八番艦、雪風です! 時津風ちゃん、ですよね?」

「うん、そーそー。ふへ~……ほぅほぅ……」

「な、なんでしょう?」

「ん? やっぱ似てるなーって」


 歩きながらも、雪風の周りをグルグル。しっかり全方位から観察した時津風が呟く。
 正面から二人を比べると、髪型や細かい装飾、表情など、様々な違いを見つけられるが、やはり似ていた。
 姉妹艦なのだからある意味当然、けれど感じ方は人それぞれでもある。
 呟きを重く受け止めた電が、同じく双子のような姉妹を持つ者として問いかける。


「時津風ちゃんは、そういうの気にしちゃいます、か?」

「ぜーんぜん。アタシはアタシ。雪風は雪風だし。でも……」

「……?」


 
 時津風は全くもって平然と、あるがままを受け入れているようだが、その言葉尻には不安が宿っていた。
 小首を傾げつつ、電がその視線を追うと、そこにはまた双子のような少女たちが居た。
 金髪。露出度の高い白のセーラー服。
 銀髪。黒のワンピース型セーラー服。
 とてもよく似ているのに対照的な、島風型一番艦と、陽炎型九番艦が。


「貴方が、天津風……?」

「……そうよ」


 意を決したような島風の声に、天津風は足を止める。双方とも表情が硬い。
 島風からは極度の緊張が伺え、天津風からは警戒心が読み取れる。
 あれ程の熱視線を受けていた上での対面だ。警戒するのも仕方ないのであろうが……。


「わたし、言いたい事があります!」

「な、何よ」


 前のめり気味な宣言によって、二人の緊張はさらに高まってしまう。
 雷と電、そして時津風以外、この事態に気付いておらず、どんどん先に進んでいる。
 一触即発とも言える雰囲気が漂っていた。


「お……おっ……おぅ……っ」


 顔を伏せ、肩を細かく震わせながら、島風が何か言おうとして。
 あまりの力の込めようが、言わんとする内容を天津風に想像させる。

 お友達になりましょう。
 お前なんか認めない。
 オレサマ オマエ マルカジリ。

 なんだか妙なのも混じったけれど、とにかく覚悟はしておくべき。
 そう考え、天津風は心を固く閉ざさんと身構える。
 が。
 不意に身体身体力を抜いた島風は、頬を染め、上目遣いにこう言った。


「……お姉ちゃん、って。呼んでもいい……?」


 どきゅーん。
 と、心臓を撃ち抜かれたような衝撃が、天津風に襲い掛かる。
 不思議な事に、誰に聞こえるはずもないこの幻聴、周囲で見守っていた三人の耳にも届いていた。
 というより、あんな破壊力の高い告白をされては、たまったものではないだろう。
 現に天津風も一度、立ち眩みしたようにフラッと倒れかけ、すんでの所で踏み留まり、必死に平静を装っている真っ最中なのだから。


「べ、別に、構わないわ。……島風」

「ホント!? やったーっ! あのね、あのね、この子は連装砲くんっていってね。あ、後で駆けっこしよ!」

「わ、分かったわ。分かったから、落ち着きなさい。後でね」

「うん、絶対ね! じゃあ、先に行ってるね、お姉ちゃんっ!」


 髪をかき上げ、クールさを演出する天津風の前で、島風は無邪気に飛び跳ねて喜ぶ。
 どこからともなく連装砲くんまで呼び出し、もう大はしゃぎである。
 そんな、慌ただしい妹分を見送り、数秒。
 時津風の生暖かい視線を受ける天津風は、またワザとらしく髪をかき上げ。


「ふう……。可愛らしい子じゃない。変に構えて損しちゃったわ」

「天津風ー。鼻血鼻血、出てる、めっちゃ出てるよー」

「わっ、大変じゃない! はい、ティッシュよ、使って!」


 大量の鼻血で口元を染めるのだった。
 こうして、天津風は妹萌えの真理を体得した。
 ちなみに、雷の差し出したポケットティッシュを丸々使っても、鼻血は止まらなかったそうな。
 恐るべき島風の妹力である。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 所変わって、横須賀鎮守府は桐林艦隊宿舎。
 待機中の横須賀勢との顔合わせを終えた舞鶴勢は、歓迎会と称した立食パーティーに参加していた。
 時間的にも昼飯時なので、混雑した大衆食堂のようになっている。
 どうやら、舞鶴勢は幾つかのグループに分かれて行動しているようだが、その中の一つ──初春型と清霜、早霜が集まったグループは、綾波型駆逐艦姉妹と話し込んでいた。


「うっわぁー! すっごく美味しそー! これ、ホントに清霜たちが食べて良いの!?」

「モチのロンで御座いますよ。鳳翔さん方お手製の料理、ホッペが落ちてマントル貫通を保障いたします!」

「大げさに言い過ぎでしょ……。鳳翔さんの料理で地球がヤバくなるじゃない。まぁ、美味しいに決まってるけど」


 パスタや揚げ物、炊き込みご飯や手毬寿司、サラダにサンドイッチなど、ビュッフェ形式の定番とも言える料理を前にして、清霜が目を輝かせた。
 それに対し、何一つ手伝っていない漣が得意げな顔で胸を張り、呆れた曙が突っ込んでいる。けれど、どこか誇らしげなのは同じだった。
 鳳翔を始めとした空母たちと妙高型の四姉妹に加え、金剛型の四人──違った。三人が用意した数々の品は、もう見るからに食欲を刺激してくれる物ばかりだ。
 胃を刺激されたのは皆も同じで、さっそく舌鼓を打っている。
 周りから一歩引いた立ち位置を好む早霜も例に漏れず、榛名お手製のエビフライでご満悦である。


「美味しい……。間宮さんの料理に、負けずとも、劣らないわ……」

「気に入ってもらえたなら、良かったです。いつか舞鶴へ行けるようになったら、噂に聞く間宮さんのお料理、食べてみたいです」

「……ええ。きっと叶うわ、潮さん……」

「はいっ」


 隣に居た潮が、ホッとした様子で早霜と微笑み合う。
 引っ込み思案な潮にとって、しっとりとした雰囲気の早霜は、話しかけやすい相手として映ったようである。
 実際のところ、「この子も拗らせたら面白そう」とか考えていたりするのだが、知らぬが仏か。
 そんな二人の背後では、優雅な手つきで手毬寿司・祥鳳作を摘む初春が、綾波と交友を深めていた。


「にしても、これが横須賀の宿舎かや。随分、こじんまりしておるのう。これはこれで良いが」

「え? 舞鶴はもっと大きいんですか?」

「そうなんですよ、綾波さん。舞鶴では、庁舎と宿舎が一体化しているので、必然的に大きくなったんだそうです」

「へー。やっぱ色々と違うんだねー。ほい、初霜。これ食べなよ」

「あ、ありがとうございます」

「うむ。敷波よ、お主は気がきくのう」


 初霜が詳しい事情を説明すれば、敷波が料理を取り分けながら相槌を打つ。
 横須賀の宿舎と舞鶴の庁舎を比べると、おおよそ三倍~四倍の差がある。
 執務に関連する部屋や、横須賀にはない施設が併設されているのが大きな一因であろう。
 しかし、こうした学生寮のような雰囲気は舞鶴に無いものであり、初春はそれを羨ましくも感じるのである。
 その後も、物欲しそうなオスカーを綾波主導で可愛がったり、和やかに交流していた統制人格たちだったのだが、何気なくを装った曙の発言で、空気は一変した。


「ところでさ、清霜。……アイツは、どうしてるのよ」

「ふぁ? アイツって?」

「クソ提督よ、クソ提督! どうせ向こうでも情けない顔して、だらしなく過ごしてるんでしょうけど!」


 翔鶴謹製の野菜コロッケを頬張っていた清霜が、表情を凍らせる。
 いつも通り悪態をついただけの曙は、豪快に羽黒特製のかき揚げへと齧りついていて、彼女の変化に気付いていない。
 清霜は取り皿をテーブルへ静かに置き、数秒顔を伏せてから、硬さを宿す声で返事をした。


「知らない」

「は?」

「清霜の司令官は、格好良くて、頼り甲斐があって、厳しいけど優しい人だもん。
 だから、情けなくてだらしないクソ提督なんて人、知らないもん!
 知ってたとしても、誰かの事そんな風に言う子には、ずぇーったいに、教えない!」

「……はぁぁあああっ!?」


 思いがけず、真っ向から怒りをぶつけられ、曙の顔が驚愕に歪む。
 清霜は怒っていた。
 横須賀ではさして珍しくもなく、存在しても問題のなかった、曙を始めとする口の悪い統制人格は、舞鶴にはほぼ存在しない。
 多少反抗的な態度を取る者も、「あ、提督あなたの事を気にかけてる訳じゃないんだからね!?」と、教科書通りにツンデレる葛城程度だったため、侮辱されたようにしか聞こえなかったのである。

 加えて、曙の物言いを好ましく思わないのは清霜だけでなく、舞鶴勢のほとんどがそうだった。
 遠方で千歳たちと居た秋津洲などを除き、耳に届いた者は曙へ鋭い視線を送っている。例外は、睨み合う二人を見てオロオロしている初霜くらいか。
 集まる視線を感じ、一瞬たじろぐ曙だが、素直に謝れる性格であれば、そもそもあのような言い方をしない。
 引くに引けず、彼女は底意地悪く清霜を揶揄する。


「なぁに? アンタまさか、クソ提督のこと好きなの? 趣味ワル~」

「な、あ、すっ!? ……すすす、好きで悪い!? し、司令官だって……。清霜のこと、好きだって言ってくれたんだからっ!」

「え」


 ビシリ。
 今度は曙の表情が凍りつく。いや、曙だけではない。
 大声量の爆弾発言により、食堂全体の時間が止まってしまう。
 横須賀時代の桐林は、統制人格を褒める事は多々あれど、好きだの愛してるだのという言葉を、軽々しく使わなかった。
 電ですら面と向かって言われた事のない言葉を、清霜は貰っている。
 その事実に反応したのは、清霜と相対する、熱しやすい性格の曙──でなく、すぐ側に居た敷波と、どこからともなく現れた祥鳳、瑞鳳の三人だった。


「ちょおっとその話ぃ……」

「詳しくお聞かせ願えますか……?」

「ふぇ!? え、ええっと、あのあの……」

「私も興味あるなぁ……。卵焼きあげるから、ぜひ教えて?」

「ぁわわわわ……」


 敷波に右肩、祥鳳に左肩を掴まれ。
 そして、卵焼きの乗った皿を持ってニョキっと生えた──ように見える──瑞鳳に前を塞がれ、清霜が顔面蒼白となる。
 三人とも笑顔なのだが、笑顔なのが怖い。
 逃げようにも逃げ道はなく、卵焼きの香ばしい匂いに「あー美味しそうだなー」と現実逃避するしかなかった。

 と、そんな時。
 まさしく天の助けとなる声が、清霜の背後から掛けられる。


「コラ! 何をしている、お前たち!」

「うっ。な、長門さん……」

「あ、あのですね。これはその、清霜さんとお話ししていただけで……」

「そ、そうそう! 卵焼きのお代わりのついでに、ちょっとだけ雑談を……」

「そうは見えんから割って入ったのだ、全く。同じ提督に付き従う仲間同士ではあるが、親しき仲にも礼儀あり、だぞ」

『はぁい……』


 暴走する三人を叱りつけたのは、長髪長躯の麗人、戦艦 長門であった。
 横須賀では新参の部類に入る彼女だが、滲み出る威厳から御意見番的な役割を担っている。
 こうして窘めるのもその一環であり、三人はショボくれつつ、清霜に「ごめんなさい」と頭を下げて離れて行く。


「済まないな、清霜。あの三人も、提督と長らく会えていないからな。色々と鬱憤が溜まっているんだ。許してやってくれ」

「い、いえいえ。問題ない、です。はい……。ぅわあ……。本物だぁ……!」

「ん……? なんだ……?」
 


 改めて長門が謝罪すると、清霜は慌てながら両手を振り、次いで眼をキラキラ輝かせる。
 憧れに近い感情を抱いていた相手が目の前に居て、しかも会話を交わしているのだ。無理もない。
 それを知らない長門は少し戸惑っているようだが、悪意からの熱視線ではない事が一目瞭然なので、咎める気はないようである。


「う~ん、鳳翔さんの炊き込みご飯、おっいしーい! 子日、お代わりするー! ……あれ? みんな、どうしたの?」


 唐突で元気一杯な、お代わり宣言。
 周囲の視線を一身に集めたのは、本当に我関せずと食事を続けていた子日だった。
 無駄口が嫌いな若葉も、流石に溜め息をつく。


「ある意味、ありがたいな。お前の空気の読めなさは」

「はえ? なんだか褒められたー!」

「……もうそれで良い」

「あははー」


 無邪気に笑う子日の声が、今度こそ険悪な雰囲気を一掃した。
 場の空気も和らぎ、皆、ついさっきの出来事をなかったかの如く振る舞う。
 愕然と清霜を見つめる曙と、彼女を支えるように寄り添う、朧を覗いて。


「曙。落ち着いた?」

「べ、別に、誰も動揺なんてしてないわよ」

「なら、いいけど。……我慢、しないと。ね」

「だから、アタシは別に……」


 普段なら怒り出しそうな、子供をあやすような扱いを受けても、やはり曙に覇気はない。
 曙自身も驚いているのだ。清霜の言った言葉に、自分がこれほど衝撃を受けた事に。
 色々あって離れ離れになったが、清霜の様子を見る限り、桐林は統制人格に想われる、変わりない生活を送っていると思える。良いことだ。
 けれど実際、胸を締めつけられたような息苦しさを感じていた。
 こんな事は初めてだった。予想もしていなかった。
 今ほど寂しさを強く感じた事は、なかった。
 世界が色褪せて見える。


「そういえば、朝雲たちはどこへ行ったんだ? 姿が見えないが」

「ああ、あの二人なら、姉妹艦を探して港の方に行ったわよ」

「ん、そうなのか」

「ご飯は鳳翔さんに取り置きして貰っているので、安心してくださいなのです」


 そんな時、若葉がふと、知った姿が見えない事に気付く。
 舞鶴の数少ない朝潮型駆逐艦の二人、朝雲と山雲が居なくなっていたのだ。
 雷と電がその疑問に答えれば、なるほど、としきりに頷き、加賀の不本意な得意料理である焼き鳥の消費に戻る。
 以降は特に何事も起きず、他の横須賀勢との顔合わせを交え、楽しい食事会は長く続いた。
 少なくとも、表面上は穏やかに。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 再び場所を変え、桐林艦隊に割り当てられた乾ドック。
 連れ立って歩く朝潮型の七名は、入渠中の残り一名に会うため、食事会を後回しに歩き続けていた。


「ふーん、そっか。まだ夏雲と峯雲は、こっちにも居ないのね」

「ええ。そうなるわ」

「いつか会えると良いわよね~」


 朝雲が呟くと、先頭を進む朝潮は胸を張って答え、やや後方の荒潮がのんびりと微笑む。
 朝潮型に分類される駆逐艦は、朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霰、霞の全十隻。
 そのうち六隻が横須賀に在籍し、舞鶴には二隻が在籍している。
 ここに含まれない夏雲と峯雲が、桐林不在の間に励起待ち艦として解放されているのでは? と朝雲は尋ねたのだが、返答は上記の通りだった。
 少しばかり残念にも思ったけれど、桐林が舞鶴を動けない今、励起するにも色々と大変なのだから、これで良かったのだろう。朝雲はそう思う事にした。


「それでぇ~、霞ちゃんは近海警備に行ってたのよねぇ~」

「うん、そう! ちょーっと怪我しちゃったけど、もう治ってるはずだよ!」


 今度は山雲が、間延びした調子で確認。大潮が溌剌と肯定する。
 現在の桐林横須賀艦隊は、鎮守府近海の警備や船団護衛、各種資源の輸送、他能力者艦隊への航空支援や遠距離砲撃支援などを主な任務としている。
 桐林の指揮下にないため、大規模な活動を制限されているからであるが、その確実な仕事ぶりは評価されていた。
 霞は今回、利根、筑摩、長良と共に近海警備の任に就き、安全領域内へと深海棲艦が侵入しないよう目を光らせていたのだが、偶然にも敵の小規模水雷戦隊と遭遇。
 交戦した結果、敵を撃滅せしめたものの、霞の船体は軽微な損傷を受け、現在修復中……という訳である。
 名誉の負傷といっても良いのだろうが、しかし、一番後ろを歩いていた霰は、悲しげに眉を伏せた。


「でも……。あの事件が起きてから、霞は……」


 気掛かりなのは妹のこと。
 確実に治せる身体の傷でなく、深さを計ることすら難しい、心の傷。
 その原因に心当たりがあった山雲は、あえていつもの調子で問い掛けてみる。


「あの事件ってぇ~、舞鶴事変のことぉ~?」

「それ以外にないでしょ。……霞は、変わってしまったわ。悪い意味で」


 会話を継ぐのは満潮。霰の隣で、肘を抱きかかえて天を仰ぐ。
 とても不穏な言い方だったが、何故そのような言い方になったのか、理由はすぐ判明した。
 眼前に艦影が見えてきたのである。
 修復を終えたのか、撤去されていく工作機械を傍らで見守る、少女の姿も。


「誰。何か用」


 その少女──霞は振り向かなかった。
 冷たい声音ではない。むしろ温度を感じない、平坦な声。空虚、と言っても良いだろう。
 自他共に厳しく、辛辣な言葉を使ってでも周囲を叱咤していたかつての面影は、どこにも見られない。孤独な背中だった。

 舞鶴事変ののち、桐林が横須賀へ戻らないと判明してから、霞はその在り方を変えた。
 少しでも深海棲艦と遭遇する確率のある任務に志願し、戦闘が勃発すれば常に矢面へ立ち、一隻でも多くの敵を沈めようとしていた。
 まるで、癒えない心の傷を、身体の痛みで誤魔化そうとしているかのように。

 朝潮たちがどんなに言葉を尽くそうと、霞はやめようとしなかった。
 いっそ出撃制限を掛けてもらおうと掛け合いもしたが、なまじ戦果を挙げ、練度が高まっている事が災いし、駄目だった。
 吉田元帥の穴埋めという形で、横須賀に移籍した間桐──吉田 皆人いわく。


『喪ったもんを何で埋めるかは当人次第。口出しして一旦やめさせても、納得してなきゃ意味がない。フォローだけして、あとは好きにさせとけ』


 もちろん朝潮たちは納得など出来なかったが、彼もまた、舞鶴事変で大切な人を喪っている。
 言葉には無視しがたい重さがあり、結局、言われた通りに戦闘のフォローをするだけ。もどかしかった。
 こんな現状を打破するため、藁にもすがる思いで朝雲たちを案内したのだが、その甲斐あったか、朝雲は全く物怖じせず、霞の隣へと立つ。


「朝雲よ。分からない?」

「……ああ。朝雲。久しぶり、になるのかしらね」


 見知らぬ少女にチラリと眼をやり、淡々と呟く霞。
 この二人、一時期は第九駆逐隊の一員として編成されていた過去がある。
 久しぶりという言葉を使って、なんら間違いはないはずなのだが、やはり言葉に感動は見られない。
 朝雲は片眉を釣り上げ、腕組みして数秒考えた後、背後で見守っていた山雲に目配せをした。
 すると、彼女は「りょうかぁ~い」と唇の動きだけで返事をし、固唾を呑む姉と妹たちに話を振る。


「そういえばぁ、朝潮姉ぇ? 横須賀の工廠ってぇ、どうなってるのぉ~? 山雲ぉ、見てみたいなぁ~」

「え? ……そうね。案内するわ。みんな、行きましょう」


 かなり露骨な誘導だけれど、朝雲たちの意図する所を察した朝潮は、皆を促してその場を去る。
 姉妹艦の足音が消えてしばらく経っても、二人は無言だった。
 何をどう話すべきか、朝雲自身迷っていたのだが、意外な事に、会話の口火を切ったのは霞の方だった。


「ねぇ、朝雲」

「何よ」

「アイツは、また無茶してない?」


 主語の曖昧な問いかけを、しかし朝雲は正確に理解した。
 間違いなく、桐林の事を言っている。それ以外にあり得ない。


「アイツ、すぐに無茶するから。本当は辛い癖に、見栄張って頑張ろうとしちゃう、馬鹿だから。みんな、迷惑してるんじゃない?」


 己が船体を眺めつつ──いや、その向こうにある何かを見るような遠い眼で、霞は続ける。
 顔に浮かんでいるのは、人形めいた無表情から一変し、苦虫を噛み潰したような、今にも泣き出してしまいそうな、悲哀に満ちた表情。
 誰もが慰めようと考えるであろう、悲しげな少女を前にして、朝雲は。


「ふう……。同じような事、言ってる」

「……え?」


 溜め息ついでに、こう言った。
 霞が思わず眼を丸く、小首も傾げる。
 その仕草が妙に可愛らしくて、朝雲は小さく笑う。


「前にね、聞いた事があるのよ。横須賀に居る姉妹艦の事を。その時に、霞の事も司令が言ってたわ」


 思い出すのは、朝雲が山雲と共に励起され、少し経った頃。
 自分たち以外の朝潮型の現在を桐林に尋ねる機会があり、彼はその時、昔を懐かしむように語った。

 朝潮は常に礼儀正しく、皆の模範となる優等生。
 大潮はとにかく元気で、周囲を明るくしてくれるムードメーカー。
 満潮は少し口が悪いけれど、本当は心配性な気配り屋。
 荒潮は大人びた言動が目立ち、大潮とは違ったタイプのムードメーカー。
 霰は引っ込み思案だが、意外と茶目っ気のある子。

 ここまでは楽しく聞いていた朝雲だったのだが、ふとある事に気づく。
 順番的に考えれば霰の前へ霞が来るはずなのに、霞を飛ばして霰の事を話した。
 それは何故なのか、率直に問い質してみると、桐林は右眼を細め、珍しく苦々しい表情を浮かべて。


『霞は、責任感が強過ぎる所がある。辛い事も、苦しい事も。自分の中で処理して、どうにかしようとしてしまう、悪い癖がある』


 だから、心配なんだ。
 と、彼は言いはしなかった。けれど、表情は確かにそう言っていた。
 今でこそ人となりを熟知し、軽口も叩ける間柄だが、当時の朝雲にとって桐林は近寄りがたい人物であり、だからこそ、この事が強く印象に残っていたのである。


「アイツが、そんな風に……」


 朝雲の話を聞き、霞は一瞬、虚をつかれたような顔を見せ、次に難しい顔で俯いた。
 様々な感情の入り混じった表情だ。
 喜びと、寂しさと、ほんの少しの怒りと……後悔。
 朝雲にはそう見えたが、間違いかも知れない。
 しかし、正しいかどうかなど、どうでも良かった。
 今はただ、この面倒臭い妹の仮面を、引っぺがす方が先決だ。


「ねぇ。貴方たちって、なんなの? こんなに長く離れ離れになってるのに、同じように互いを心配しちゃったりして。もしかして夫婦?」

「……は、はぁ!? だ、夫婦……はぁああっ!? な、なに馬鹿なこと言ってるのよっ!? あり得ないからっ!!」


 伏せられた顔を覗き込み、半眼の朝雲が脇を肘でつつけば、顔を真っ赤にして否定する霞。
 狙った通りの反応がまた楽しく、自然と朝雲に笑顔が浮かぶ。


「やぁっと素の表情が出たわね。いいじゃない、私、そっちの方が好きになれそう」

「……も、もう! なんなのよさっきから! 馬鹿にしてるの!?」

「してないわよー。弄ってるだけー」

「やっぱり馬鹿にしてぇ!」

「あははは」


 霞が拳を振り上げ、朝雲は大きく笑いながら逃げ惑う。
 再会したばかりとは思えないほど、楽しげに。
 二人の姉妹艦はじゃれ合い続ける。

 ──けれど。


(なんでだろ。私、笑ってるはずなのに。どうして、こんなに胸がモヤモヤしてるの)


 桐林と霞の間にある繋がりは。
 絆と称すべき想いは、朝雲の幼い心に、確かな波紋を刻みつけたのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 視点を少しだけズラし、コンテナの影に隠れて朝雲と霞を見守っていた朝潮たち。
 だんだん近づいてくる怒声と笑い声を聞いた五人も、その明るさに笑みを零している。


「良かった……。霞があんな風に騒いでるの、本当に久しぶり」

「うんうん! 久々にアゲアゲな霞を見られて、大潮感激ですよ!」

「うふふ~。やっぱり~、霞ちゃんはああでないとね~」

「……うん。楽しそう……」


 霞の責任感の強さは美徳だが、自らを追い込むような最近の姿は、やはり見るに堪えなかった。
 どんな会話をしたのか定かでないけれど、これをきっかけに、彼女の背負うものが軽くなれば。
 そう願い、朝潮たちは二人の元へと駆けて行く。
 一人、山雲を除いて。


「ところでぇ~、さっきから盗撮してる重巡さぁ~ん? そろそろ出てきたらぁ~?」


 くるりと振り向き、誰も居ないはずの物陰に呼び掛ける山雲。
 当然のごとく沈黙が返るのだが、しばらくすると、観念したようにトボトボと歩み出る人物が。


「うう……。バレてましたか……。青葉、まだまだ精進が足りないようです……っ」


 ネックストラップ付きのカメラを構えるその少女は、御多分に漏れず青葉であった。
 実は青葉、朝潮たちが宿舎を出た時からずっと尾行しており、連れ立って歩く姿を余す所なく盗撮していたのである。しかも微妙にローアングルから。
 なんに使うつもりだと尋問したくなる所業だが、幸か不幸か、山雲はこの事実に気づいておらず、「初めましてぇ~」とニッコリ微笑む。


「そんな事ないですぅ~。山雲ぉ、ずうっと青葉さんとお話しするタイミングを探してましたしぃ~」

「ほう? それはなにゆえ?」


 面白そうな匂いを嗅ぎつけ、青葉の眼が光った。
 互いの存在は色んな手段で知る事ができたであろうが、歴史的な接点も少ない山雲が、重巡洋艦の青葉に興味を抱いた。もしくは、話をしなければならない理由を持っている。
 ジャーナリスト魂をくすぐられるシチュエーションだ。
 そんな青葉に対し、山雲は周囲を警戒しながら歩み寄り……。


「司令さんからぁ~……。極秘任務を預かってきましたぁ~……」

「司令官から……?」


 山雲以外、誰にも知らされていない機密事項を、青葉へ語り始めるのだった。
 その内容が明らかとなるのは、ほんの数週間後の事となる。










「みんなは、無事に着いたかな」

『はい。皆さん、少しお疲れのようでしたけど、無事にお迎えしたのです』

「そうか。……演習は明日、か。遠慮なく揉んでやって欲しい」

『もちろんなのです。司令官さんが大好きな清霜ちゃん相手でも、全力を尽くすのです』

「………………………………え?」

『なのです』

「……あ~……あれは、違う……そういう意味じゃ、なくて……」

『なのです』

「……お手柔らかにお願いします」

『なのです』

「あ、明日から大規模励起の準備するから、これで失礼します……」

『なのです』《プツッ》

「……死ぬなよ、清霜……」



















 しむしゅしゅしゅー!(戦果報告ー!) 我、2017年春イベを久々にオール甲で完全攻略せり!
 いやね、ぬるイベぬるイベと言われてましたが、筆者は普通にE-2で軽く沼りましたし、E-5では盛大に沼りましたよ。
 削り中は結構簡単に沈めてたのに、いざ割ろうとしたら、残りHP58の水鬼さんに雪風がカットインで15のカスダメ出したり、代打で入れた初霜は大破水鬼と大破ネ級の二択で、妖怪ソッチジャナイに二連続で惑わされたり、微妙に削りきれなかったり。
 大天使 速吸の洋上補給が無かったら、一体どうなっていた事やら。おかげで空母が大活躍しましたし、道中ダイソン並みに攻撃を吸ってくれました。
 第二旗艦で大破進軍してごめんね。そして超ありがとう。出番は近いよ。

 まぁ、沼ったおかげでドロ限定は全員攻略中にお迎えしました。
 神威さんエロい! ガングートさん改造すると名前長い! 春日丸ちゃんマジロリ赤城! 海防艦は鵜来型かと思ってたのに占守型かよでも可愛いよしむしゅしゅしゅー!
 ついでに二隻目の野分とか沖波とか藤波とかヒトミちゃんとかもコロッと出ました。水無月ちゃんと春雨ちゃんと明石さんはもう一杯でち。パーフェクト明石二隻分やで。最近ドロ率良過ぎて不安や……。
 しかし、難易度的には今回のイベント、とても適切なバランス調整がされていたように感じました。
 この調子で良いイベントを企画してくれると嬉しいのですが……。たまには激励の意見でも送りますかね?

 さてさて。今回のお話は、「天津風、妹萌えに開眼」「清霜、ラブ勢にケンカを売る」「山雲、青葉と何やら企む」といった感じでした。
 余談ですが、春雨ちゃんは白露たちと一緒に足柄の豚カツon the 金剛の英国式カレー をキャイキャイ騒ぎながら食し、天津風や時津風は妙高の豚汁+飛龍&蒼龍の肉じゃがを味わっています。筆者も食べたい。
 本当はこれに鳳翔さんの話とか、舞鶴潜水艦隊の話をくっつける予定だったんですが、イベクリア後からリアルがまた忙しくなってしまい、断念せざるを得ませんでした。
 つってもボツにはしませんので、近いうちにお目に掛ける予定です。ちょっとだけ待ってやって下さい。
 それでは、失礼致します。


「ふう……はあ……。ううう、やっぱり、緊張しちゃいますね……」
「もー、さっきからそればっかりだよー? 私たちを率いる潜水母艦なんだから、もっと堂々としてくれないと!」
「別の部分は、とても堂々としていますけど。アハトアハト越え……。恐るべし、です」





 2017/05/28 初投稿
 2017/05/31 作者名と誤字修正。朝潮ちゃんが影分身してたってばよ。朝雲ちゃん、申し訳ない。
 2017/06/01 一部修正。ちとちよは空母に改装済みでした。完っ全に頭からすっぽ抜けてました。本当に、重ね重ね、申し訳ない……。








[38387] 舞鶴潜水艦隊、初めての○○○○
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2017/07/30 17:33





 桐林が七隻同時の大規模励起に挑まんとする、その少し前。
 舞鶴鎮守府の三方向──海に面する北を除く東西南に存在する出入り口のうち、もっとも人目につかず、しかし警戒厳重な西口から、三人の少女が鎮守府外へと歩み出ていた。


「そ、それでは、行って参ります」

「行って参ります!」

「行って来ます」


 衛兵に対し、おずおずと頭を下げる黒髪の少女。元気よく敬礼する茶髪の少女。そして、やや事務的に挨拶する金髪の少女。
 皆、セーラー服を着ているのが共通点だが、それぞれ特徴的な外見を持つ少女たちであった。

 一人目のおずおずした少女は、セミロング程の長さの髪を、両の肩口で結んでいる。
 首元は青い勾玉を通した首飾りで飾られ、身体の前で組まれた手が、たわわに実った膨らみを強調していた。
 二人目の元気が良い少女は、茶髪をポニーテールに纏め、襟がオレンジ色のセーラー服で身を包む。
 健康的な小麦色に日焼けしており、快活さが表情からも見て取れる。
 三人目の物静かな少女は、後ろを左右で結んだ金髪のショートカットに青い瞳と、少々日本人離れした容姿を持つ。
 着ているのは至ってスタンダードなセーラー服なのだが、白いセーラー帽と眼鏡が知的な印象を与える。

 順に名を、潜水母艦 大鯨。潜特型二番艦 伊号第四○一潜水艦。巡潜三型二番艦 伊号第八潜水艦という。
 桐林が励起した、見目麗しい統制人格たちである。

 少女たちの挨拶に銃礼で返した衛兵は、「あああもっとお喋りしたい仲良くなりたいお突き合いしたい(誤字にあらず)」という煩悩を押さえ込み、彼女らの背中が見えなくなるまで見送った。
 そして、邪な念を向けられているなどと、露にも思っていない三人は。


「やっぱり、ちょっと緊張しちゃいますね……」

「ですね……。でもでも、ワタシたちだけで街に出るなんて、ワクワクもするよねっ。ね、はっちゃん?」

「そうね、シオイ。緊急買い出し任務。頑張りましょう……!」


 生まれて初めての市街へのお出掛けに、興奮冷めやらぬ様子であった。
 当たり前だが、なんの目的もなく統制人格を外出させるほど、現在の舞鶴は穏やかでない。
 この三名は、来るべきイタリア国籍艦と、装甲空母 大鳳の歓迎会の準備を任され、その食材の買い出しを任されたのだ。
 本来であれば、給糧艦である間宮が前もって仕入れておくのだが、万が一の事態──舞鶴の街が戦場となってしまった場合に備え、地の利を明確にしておくべきだと、定期的に統制人格が街へ送り出されていた。
 まぁ、これは桐林と香取が考え出した建前で、実際の所は、統制人格たちのガス抜きなのだが。
 幾ら設備や環境が整っていても、ひとつところに留まっていては水すら腐る、という訳である。
 余談だが、同じく潜水艦であるはずのU-511がこの任務に選ばれなかったのは、前日までに行った演習の休暇のためである。決して仲間外れにされている訳ではないので、どうか御安心頂きたい。


「それで、大鯨さん。何を買ってくれば良いんでしたっけ」

「ええっと、香取秘書官から預かったメモが……。あ、ありました」

「ふむ。どれどれ……」


 伊号四○一、通称“シオイ”の問いかけに、大鯨がスカートのポケットからメモを取り出し、伊号八、通称“はっちゃん、もしくはハチ”が横から覗き込む。
 流麗なボールペン字で書かれた内容は、簡素にまとめ上げられていた。


「本屋さんで、恋愛小説とBL漫画など。コンビニエンスストアで、お菓子を幾つか。
 お肉屋さんで、豚肉と鶏胸肉と牛肉。あと、八百屋さんで馬鈴薯とニンジンに玉ねぎ、ですね」

「へぇー。オヤツにカレーの材料だねー。……でも、BL漫画って何?」

「ボーイズラブ。いわゆる、男性同士の恋愛を描いた漫画ですね。おそらく、秋雲のリクエスト」

「ふへぇー。そんなのがあるんだー」

「だ、男性同士……。うわぁ……」


 再びのシオイの疑問に、ハチが眼鏡を光らせて答える。
 質問者であるシオイ自身は「変なのー」とあまり興味がないようだが、大鯨は頬を赤く染めて俯いている。思いのほか素質があるようだ。
 件の秋雲が知ったら、“こちら側”に引き込もうと躍起になるであろう。
 しかしながら、もっとも身近な知人男性である桐林と梁島が熱く見つめ合う妄想から、大鯨はなんとか自力で復活、気を取り直して意気込む。


「とにかく、私たちの素性がバレないように、気をつけてお買い物しましょう。お肉は傷まないように最後が良いですよね?」

「うん、良いと思います! それじゃ、舞鶴の街に出撃ー!」

「潜水艦隊、前進です」


 元気良く同意するシオイ、あくまで冷静沈着なハチが後に続き、三人の統制人格が楽しげに歩いて行く。
 なんとも微笑ましい光景なのだが、しかし、そんな彼女たちを背後から見つめる双眸が、電信柱の影にあった。
 長袖のシャツとサロペットスカート姿の、茶髪をポニーテールとする彼女もまた、桐林艦隊に属する統制人格である。


「こちら、お使い部隊見守り隊、隊長の風雲かざぐもです。対象の出発を確認。警備を開始します。終了」


 夕雲型駆逐艦三番艦である彼女が、襟元のピンマイクに向けて報告を上げる。
 お使い部隊見守り隊とは、文字通り、お使いに出る統制人格たちを影から見守って、必要に応じて然るべき対処を行うための、護衛部隊である。
 少々ふざけたネーミングではあるけれども、いずれ必ず必要となるであろう、桐林の護衛を見越した訓練も兼ねているのだ。
 その生真面目さを買われて隊長に抜擢された事もあり、風雲も大鯨同様に意気込み、背後に控えているはずの姉妹二人へと呼び掛けた。


「さ、巻雲まきぐも姉。朝霜あさしも。行こう」

「了解! たとえ妹に隊長の座を奪われても、巻雲は全力でストーキングしちゃいまーす!」

「このあたいがついてるんだ、大船に乗ったつもりでいなよっ。風雲の姉貴!」

「ちょ、わっ、大声は駄目だってばぁ!? あと巻雲姉、地味に怖い!」


 ──のだが、夕雲型二番艦 巻雲と十六番 朝霜は、やたらと元気に返事をしてしまい、風雲を大いに慌てさせる。
 そもそもがガス抜きの護衛であるせいか、空気は非常に緩かった。
 まぁ、然るべき対処と言っても、出来るのはせいぜい隠れて警察に通報する程度であるため、ある意味では仕方ないのかも知れない。
 ちなみにこの三人、身に纏っている制服は全く同じ物であるが、風雲だけは胸元の青いリボンがネクタイになっていたり、巻雲は服のサイズが合っていないのか、やけに袖が余っていたり、朝霜は袖捲りをしていたりと、細かな差異があったりする。
 また、巻雲の髪は鮮やかな桃色で、後頭部でお団子状に。朝霜の髪は長波たちと同じ表裏二色──表は銀髪、裏は紫色であり、風雲より低い位置でポニーテールとしていた。
 本人たちの整った顔立ちと相まって、街では悪目立ちすること請け合いだった。護衛が目立っては元の木網であろうが、これもある意味、仕方がないのか。

 それはさて置き、大鯨たちと風雲たちは、着かず離れずの距離を保って進む。
 程なく舞鶴市街へと入り、二組とも人々の色んな視線を集めつつある。
 内訳としては、大鯨たちには「なんだあの可愛い三人組」で、風雲たちには「なんだあの可愛い……けど不審な動きをする子たちは?」だったりする。
 特に大戦中、遣独潜水艦作戦に唯一成功したという過去から、この時代では珍しい外国人的な見た目を得ているハチが、多くの視線を集めていた。
 それから逃れるためか、先を行く大鯨たちが、そそくさとTATSUYAという看板を掲げる書店の自動ドアをくぐった。


「報告。対象は第一目標を大型書店に定めたもよう。遅れて入店します」


 もちろん風雲たちもそれに続き、コソコソと店内へ。
 後ろ姿を観察できるくらいに離れて本棚に隠れると、大鯨たちは初めて入る大型書店に感動しているようだった。


「うわぁ。本がいっぱいですねぇ」

「はい……! とても素敵なお店です……!」

「凄い、はっちゃんのテンションがうなぎ登り」


 物珍しそうに周囲を見回す大鯨と、これでもかと表情を輝かせるハチ。
 ハチは読書を趣味としているのだが、彼女にとっては桃源郷と言っても過言ではないのだろう。
 そんな様子がまた注目を集めているのだけれど、買い物に意識を集中しているのか、本人たちは気づいていないらしかった。


「ええと、目的の本は……。しらみ潰しに探すしかないでしょうか?」

「あ、ワタシ知ってるよ! こういう時は……お、あった!」


 ズラリ、並べられた本の数々。
 あまりの多さに大鯨は困り顔を浮かべるも、シオイがピシッと右手を上げ、店内をキョロキョロ。目的の物を見つけて小走りに近寄る。
 そこにあったのは、今では大型書店でも置いてある方が珍しい、タッチスクリーン型の検索装置だった。


「確か、こういうので置いてある場所を検索できるんだよねー。大鯨さん、本のタイトル教えて?」

「はい。了解です」

「これぞハイテク、ですね」


 大鯨からメモを借り、シオイが一本指で次々にタイトルを検索していく。
 萩風リクエストの恋愛小説。秋雲リクエストのBL漫画。能代リクエストの料理レシピ本など、結構な数である。
 検索を終えると、大鯨を先頭に店内を巡って、目移りしつつも対象の本をかき集め、約十数分後。
 ようやく目的の本が揃い、レジへ向かおうとするのだが。


「それじゃあ、お会計して次のお店に行き………………え?」

「どうかしました? 大鯨」


 振り向いた瞬間、目に飛び込んできた本の山に困惑し、固まってしまう。
 およそ一mはあろう、平積みされたそれを軽々と持つのは、ハチだった。本のせいで顔が隠れている。


「はっちゃん。その大量の本、買うつもり?」

「もちろんです。自分のお小遣いで買います。これこそが、はっちゃんが買い出し任務に志願した目的です!」

「言い切っちゃった……」


 大鯨と半分に分けて本を持つシオイが、唖然と問い掛ける。
 対するハチは堂々と己が真意を語り、シオイを呆れさせた。
 買い出し任務という点から考えると褒められない事だけれど、ガス抜きとして見れば正しいのだから、困ったものである。
 二人を置いてハチが先を行き、慌てて大鯨としおいも後ろに。
 物量でレジ係の目を丸くさせながら買い物を終え、三人は出口へ向かう。
 まだまだ、買わなければならない物があるのだ。


「と、とりあえず、本屋さんでのお買い物は完了ですね。次のお店に向かいましょうか」

「そうですねー。とりあえず、コンビニが近くにあるみたいだから、そっちに行きましょっか」

「そうしましょう。早く買い物を終えて帰りましょう。本、ゆっくり読みたいです」


 すでに遣り遂げた感を漂わせるハチを、今度は最後尾にして歩き出す三人。
 店員と客が唖然と見送り、立ち読みのフリをしていた風雲も、それを確認して続こうとする。
 ……のだが。


「次はコンビニか……。よし、私たちも……って、二人とも何を持ってるの!?」

「何って、本ですけど? 気になる男子を落とす108の方法! これで司令官様もイチコロですっ!」

「あたいは、ちょっとスポーツ漫画を……。立ち読みしたら、思いのほか面白くってさ……」

「仮にもお仕事中なのに、なんで普通に買い物しようとしてるのよっ! もう!」


 ちゃっかり自分たちまで品定めを済ませている姉と妹に、思わず地団駄してしまう風雲であった。
 そんな姿を見た人々が、「仕事? どう見ても女子学生なのに?」と頭に疑問符を浮かべている。
 なんだかんだ、緊張感の足りない姉妹である。

 さて。
 一方その頃、大鯨たちは書店のすぐ側にあるコンビニへと足を踏み入れていた。


「らっしゃーせー」


 やる気のなさそうな男性店員の挨拶と、エアコンの冷気が潜水艦隊三名を迎える。
 大鯨がカゴを持ち、シオイは「涼しー」と襟元をパタパタ。そして、我慢しきれず文庫本を歩き読みするハチ。
 傍目には、完全に休日を満喫する女子学生だった。


「なんだかコンビニって、清潔感が凄いってイメージがありますよね」

「あ、分かる、分かります! なんていうか、照明も床も真っ白ー、って感じで」

「それ、狙っているみたいです。イメージ戦略の一環、ですね」

「なるほどぉ」

「はっちゃん、さすが」

「えっへん」


 ハチの披露した雑学に、大鯨とシオイは小さく拍手。青い瞳が「ドヤァ」と細まった。
 実に楽しそうな声が耳へ届き、やる気のない男性店員は思う。混ざりてぇなぁ、と。
 どうでもいい心の声は置いておくとして、潜水艦隊は買い出し任務を遂行しようと棚を巡り始める。


「それで、買う物なんですが……。買い置き用の、百円の袋詰めされたチョコを幾つか、コンビニ限定のロールケーキ全種、ホッパー軍曹のチキンブリトー、ポテトチップスのナマコ酢味、だそうです」

「ふんふん。割と普通……ん? ナマコ酢味?」

「はい。これも限定商品らしくて、『食っとかなきゃダメでしょ、ネタ的に!』と、秋雲さんの注釈が……」

「またあの子ですか……。理解できません」


 なんの変哲もないラインナップに、さり気なく混ざるゲテモノ商品。
 頼んだのが秋雲であると知り、またハチは呆れ返る。
 色々と騒がしいのは鎮守府の誰もが知っているけれど、ここまでネタに走らなくとも良いだろうに。一体、何が彼女を駆り立てるのか。あまり理解したくもなかった。
 が、それはそれ。これはこれ。
 任務完遂のため、指定された品物を次々とカゴへ入れていく。
 あっという間に大鯨の持つそれは満杯となってしまったが、そうなると少し欲が出てきたのか、前屈みに棚の下段を覗き込みながらシオイが提案した。


「ねぇねぇ、ワタシたちも何かオヤツを買おうよ! せっかく街に来てるんだし、鎮じ──おっと。いつもは食べられないようなのを! いいですよね?」


 普段は間宮の作った手料理やオヤツが、シオイたちの空腹を満たしてくれている。
 もちろん文句のつけようのない、むしろ手放しで称賛したいほどの美味しさなのだけれど、だからこそ、普段は食べる事のできない物に興味が湧くのだ。
 少なからずその気持ちが分かるらしく、大鯨は顎に人差し指を当て、逡巡ののちに笑顔で頷いた。


「ん~……。お金は余るくらいに預かってますし、余ったら自由にしていいとも言われてますから、安いのを一つずつくらいなら、大丈夫だと思いますよ?」

「やたー! どれにしよっかなー」

「はっちゃんは、もう決めてあります。バウムクーヘンです。この大きさで百円、素晴らしいです」

「私はどうしましょう……? 目移りしちゃいますね」


 シオイは、セーラー服の裾からヘソが見えてしまう勢いで万歳。さっそく物色を始める。
 ハチの動きは素早く、手の平サイズにカットされたバウムクーヘンのパックを手に持っていた。
 大鯨も、あれやこれやと目移りしつつ、楽しげに悩んでいて。
 キャッキャウフフとでも表現したくなる雰囲気に、今の今までやる気のなかった男性店員は、改めて思う。
 退屈過ぎて辞めようかと考えてたけど、こんな可愛い子を眺められるなら、もう少しこの仕事続けてみよう、と。
 地味に一人の男の運命が変わった瞬間であった。


「ありがとうございましたー」


 若干やる気を取り戻した声に背を押され、ビニール袋を持った潜水艦隊がコンビニを出ていく。
 大鯨が持参した飛行甲板柄のトートバッグ──艤装の一部であり、内容量は見た目より遥かに多い──へと買った物を詰め、次は鎮守府に戻りながら商店街を通るルートを行くようだ。
 またも電信柱の影から、流れで買ってしまった女性週刊誌で顔を半分隠す風雲が、その後ろ姿を見つめ、背後に呟く。


「どうやら、商店街の方へ向かうみたいね……。後を追いましょう、二人とも」

「え? 風雲ちゃん、巻雲たちはコンビニ入らないの?」

「入れるわけないじゃない。見失っちゃうし」

「えー!? あたいらも入ろうぜー? ファ○チキ食いたい、○ァミチキー!」

「ダーメッ!! っていうか、あそこ○ーソンだから売ってないわよ、ファミ○キなんて。類似品はあるだろうけど」

「ぶー。風雲ちゃんのケチんぼー!」

「肉食いたい肉食いたい肉食いたい肉食いたい肉食いたいー!」
《肉食いたい肉食いたい肉食いたい肉食いたい肉食いたいー!》

「……ああもうっ、念話まで使わないでよ朝霜ったら! 分かった!
 私が二人の欲しいもの買ってくるから、代わりに尾行続けてくれる? それで良いでしょ?」

「わーい! じゃあ巻雲は、アンパンと牛乳! 尾行のお供と言ったらコレです!」

「あたいファミチ○! 二個、二個な!」

「だから売ってないってば……」


 相も変わらずマイペースな姉と妹に根負けし、風雲はゲンナリしながらコンビニの自動ドアをくぐった。
 会計の際、風雲がうっかり「フ○ミチキください」と言ってしまって赤面したり、それを見た男性店員が心の中で「コンビニ店長に俺はなる!」とか思ったりする一幕もあったのだが、本筋とは関係ないので割愛させて頂く。
 さてさて。
 場所は変わり、鎮守府に程近い、昔ながらの風情を残す商店街。
 賑わう人々の波を、潜水艦隊はアーケードの入り口で眺めていた。


「うわぁ。人がいっぱい居るねー」

「人混みは、苦手です」

「バレたら騒ぎになっちゃいますから、今まで以上に気を引き締めないと……!」


 実はいわゆる祝日であった事も手伝い、家族連れの買い物客が多く見られるのだが、それは人目が多いという事も意味する。
 ざっと見ただけで、鎮守府の仲間たちを集めても全く足りないと分かる人出。
 シオイはのん気だが、騒々しいのを嫌うハチは眉をひそめ、大鯨も両の拳を握って気合いを入れている。
 これだけの衆人環視の中で統制人格であるとバレた日には、天地をひっくり返す……とまでは行かないかも知れないけれど、とにかく大騒動になるのは必至だ。警戒するに越したことはない。


「……あら? でも、なんだか……。あまり注目されてもいないような……?」

「皆さん、買い物に夢中なのだと思います。変に構えていると、逆に注目されてしまいますよ」

「そうそう。自然体が一番ですよ、大鯨さん」

「そんなもの、なんでしょうか……」


 大鯨は緊張しながら商店街へ足を踏み入れるものの、思いの外、注目を集める事もなく進めてしまい、肩透かしを食らった気分になる。
 日本人特有の事なかれ主義というか、美少女揃いで逆に見るのが怖いというか、そんな感じなのだろう。
 ともあれ、任務に支障が出ないのは良いこと。意を決した大鯨が、手近な八百屋を覗き込む。


「こ、こんにちは~」

「へいらっしゃい! お、ベッピンなお嬢ちゃんたちじゃないか! 見ない顔だねぇ」

「あ、えっと、その。普段はこちらの方には来ないんですが、なんとなく足を伸ばしてみようかなぁ、なんて思いまして……」

「そうかいそうかい! なんにせよ、ベッピンさんなら大歓迎だ! 何が欲しいんだい?」


 初老の男性が威勢良く声を発し、それとなく話を合わせる大鯨。
 すかさず、シオイとハチも話に加わって行く。


「えっとねー。中くらいのジャガイモが六十個、ニンジンが十五本に、玉ねぎが二十個! ここだけで買えます?」

「……お、おう。随分と大量じゃねぇか。ないこたぁないが……。カレーでも作んのかい?」

「部活の買い出し、なんです。今度、合宿するので」

「ああ、なるほど! いいねぇ、青春だねぇ! よし、オッちゃんがオマケしてやろう! カアちゃんに殺されるからホドホドに、だけどな」

「わ、やった! オジさん太っ腹!」

「Danke schön。ありがとうございます、です」

「でも、本当によろしいんでしょうか? ありがたいですけど、奥様は……?」

「あっはっは! なんのなんの、俺の店だからいいのよ。それに、奥様って柄じゃねぇしな!」


 美少女三人に囲まれ、店主の男性は御満悦である。
 後で大目玉を食らうに違いないが、せっかくの好意。
 無下には出来ないと、大鯨たちは素直に甘える事にした。


「しっかし、こんなに買っても、持って帰れるか? お嬢ちゃんたちの細腕じゃあ……」

「大丈夫! こう見えてワタシたち、すっごく力持ちだから!」

「このくらいなら、余裕のはっちゃん、です」

「ほぉ~。人は見かけによらないもんだぁなぁ。っと、そうだ。カレーの材料だってんなら、肉はこれからかい?
 もしそうなら、この通りにある肉屋にも寄って行きな。ベッピンな三人娘が来たらオマケするように、電話しとくからよ!
 一応、名前だけ教えといて欲しいんだが、どうだい?」

「わぁ! ありがとうございます! 私の名前は大鯨──あっ」


 更なる申し出に感激し、素直に名前を名乗ってしまってから、大鯨は気付く。
 このような名前、普通の人間が持つ訳がない。自ら正体をバラしているようなものではないか。
 現に、店主は訝しげに眉を寄せていた。


「……たいげい?」

「あ、あの、ええとですね、ぉ、大きな鯨って書いて、その、潜水母艦……あうぅ……」

「あちゃ~……」

「やってしまいました、ね」


 焦った大鯨が言い訳しようと試みるも、それは言い訳ではなく解説となってしまい、どんどん涙目に。
 とても素直な性格は彼女の美点であろうが、シオイ、ハチも頭を抱え、どう誤魔化そうかと考え始めていた。
 ところが、そんな三人の様子を見るや、店主は腕組みをし、なんども頷いて。


「そうかぁ……。お嬢ちゃんも、軍艦ネームなんだな……。大きな声じゃ言えないが、隣の家の娘さんも、軍艦の名前をつけられて苦労しててなぁ……。大変だろう?」

「へっ? ……あ、そ、そうなんですっ。で、でも、特に苦労とかはしてなくて、ですね? だから、安心して下さい!」

「……なら良かった。いい友達に恵まれたんだなぁ。うんうん」

「あ、あはは……」


 どうやら、上手い具合いに勘違いしてくれているようだ。
 これ幸いと大鯨が話に乗っかり、店主は目尻に涙を浮かべ、自分の事のように嬉しそうに笑う。
 大鯨の胸は、罪悪感で弾けそうだった。もともと弾けそうなくらいに大きいが。


「それでは、これで失礼しますね」

「おう! 気が向いたら、また顔を出してくれよ!」

「オジさん、オマケしてくれてありがとねー!」

「Auf Wiedersehen。さようなら、です」


 これ以上の墓穴を掘る前にと、大鯨たちは大量の野菜を提げ、八百屋を後にする。
 笑顔で手を振ってくれる店主へ、三人で手を振り返しながら歩いて、しばらく。
 自分たちの姿が雑踏に紛れた頃合いを見計らい、大鯨は呟いた。


「良い方でしたね……」

「うんうん。でも、ちょっとヒヤヒヤしましたよー」

「大鯨、ウッカリですね」

「ううう、ごめんなさい……。気をつけます……」

「まぁ、終わり良ければすべて良し、なんて言うし、結果オーライ?」

「それもそう、ですね。気を取り直して、最後の買い物、済ませましょう」

「はい!」


 ちょっとしたアクシデントに見舞われもしたけれど、微妙な勘違いと善意に救われ、潜水艦隊は進む。
 次なる目的地へ向け、軽やかな足取りで。
 蛇足かも知れないが、その後は特に目立ったアクシデントも起こらず、無事に鎮守府へ帰投できた事を、ここに記しておく。

 そして、そんな彼女たちを見守っているはずの、お使い部隊見守り隊はと言えば。


「ねーねー君たち、同じ制服着てるけど、どこの学生さん? モデルとか興味ない?」

「えっ。ま、巻雲がモデルですかぁ? え~そんな~、困っちゃいますぅ~」

「ちょっと! 私の姉さんになんの用!? 変な勧誘ならお断りですからね! っていうかあの三人どこ行ったの!? このままじゃ香取さんに怒られるー!?」

「……え? 姉さん? 君、お姉さんじゃなくて妹さんなの?」

「おう、そうだぜ! 巻雲の姉貴は二番目の姉貴で、風雲の姉貴が三番目。そしてあたいは十九人姉妹の十六番目だ!」

「はぁ!? じゅ、十九人!?」


 芸能事務所のスカウトに引っかかり、見事に護衛対象を見失っていた。
 結局、彼女たちは潜水艦隊を再発見するには至らず、香取から大目玉を食らう事を覚悟しつつ、スカウトマンの名刺片手に帰投するのであった。
 夕雲型駆逐艦たちが、YGK19という名のアイドルとしてデビューする日は、そう遠くない、のかも知れない……?



















《微睡みの代償》






「提督さん……」


 舞鶴鎮守府は、桐林艦隊庁舎の地下にある、能力者専用の広い医務室。
 ベッドに横たわる桐林の寝顔を眺め、今日一日の服務を終えた鹿島が、寂しげな声で名を呼ぶ。
 安らかなそれと反比例するように、ベッド脇の椅子に座る彼女の心は、不安で溢れかえっていた。

 舞鶴鎮守府沖で大規模励起実験が行われてから、およそ一日半後。
 艦隊を混乱させぬため、桐林の昏睡は最重要機密とされ、予定外の励起に対し説明を求める上層部は元より、ほとんどの統制人格たちにも知らされていない。
 大規模励起による疲労。大事をとっての強制休養とだけ伝えてあった。
 もちろん軍部が納得する訳もないのだが、それを抑え込むために香取が奔走している。

 魂魄レベルで同期する統制人格が活動できている事から、桐林の精神、および肉体への重大な影響はないと思われたが、これまでにない形での意識喪失は、最悪の事態すらを予想させた。
 そんな事ありえない、と首を振っても、簡単には拭い去れない暗い影が、細い肩に押し掛かる。


「少し、お休みになってはいかがですか? 鹿島秘書官」

「リットリオさん……。でも……」


 健気に耐え続ける鹿島へと、優しく声を掛ける女性。
 リットリオと呼ばれた彼女は、つい先日、桐林が励起したイタリア国籍艦の一隻。ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の二番艦である。
 白いセパレートスリーブのシャツと赤いスカートに、腹部を締め付けるコルセットなど、全体的に引き締まった印象ながら、緩やかに纏め上げられた茶色の長い髪と、何より本人の浮かべる穏やかな表情が、柔らかい雰囲気を醸し出していた。
 そして、リットリオとほぼ同じ衣装を着る、もう一人のイタリア戦艦──ヴィットリオ・ヴェネト級四番艦 ローマが、姉に続くようにして眼鏡を光らせる。


「貴方、寝てないんでしょう。提督が目を覚まさない今、艦隊を纏めるべき立場にあるのだから、無理は禁物よ」

「……そう、ですよね。ごめんなさい、ローマさん。ご心配をおかけして」


 切れ長な、焦げ茶色の目に見つめられ、鹿島は力なく微笑む。
 桐林の昏睡を知るのは、励起された七隻の統制人格と、秘書官である香取、鹿島。体調管理を担う間宮だけ。性格的に嘘をつけないであろう伊良湖には伏せてあった。
 これらの内、香取は上で挙げた通りに奔走しているし、間宮は皆に事態を悟られぬよう、料理の大盤振る舞いで気をそらしているため、実質的に艦隊運用を任されているのは鹿島である。
 そんな鹿島が、いわば新人と言ってもいいリットリオたちに心配を掛けさせるなど、情けない事この上ない。


(本当は側に居たい。でも、そんな理由で仕事を疎かにしたら、それこそ見損なわれちゃうよね)


 正直なところ、今日は全く仕事に集中できなかった。
 暇があれば桐林の事を考え、報告に来た誰かに呼び掛けられて、やっと彼の空席を見つめている事に気付くほどだった。
 いつも通りの通常業務ですらこうだったのに、今後、桐林を害するために動き出すであろう、様々な“敵”への対処を考えれば、本当に無理などできない。
 慕情に浸るよりも、今は現実を見据えるべきと判断した鹿島は、椅子から立ち上がり、自分以外の“三人”へ頭を下げる。


「では、今日はもう部屋で休みます。リットリオさん、ローマさん、アクィラさん。後をお願いします」

「はい」

「ま、やれる事はやるわ」

「アクィラにお任せあれー。大丈夫、明日にはきっと目を覚ましてるから。ね?」


 リットリオ、ローマに続いて鹿島を励ましたのは、ウェービーな赤毛をポニーテールにした女性。
 かつて、地中海はジェノヴァで建造されていた、イタリア国籍の未成空母──アクィラである。
 大型の貨客船を改装した空母であり、その時代の名前はローマだったり、グラーフとは色んな意味で浅からぬ縁を持っていたりもするのだが、それは後日に語ろう。
 白を基調とするリットリオたちと違い、彼女は赤を基調とするフリルで飾られたドレスで身を包んでいた。首元を飾る羽飾りと緑のリボンが、白いインナーシャツに映えている。
 リットリオを慈愛、ローマを冷静と表現するなら、アクィラには陽気という言葉が相応しく、その明るさに幾分か救われた鹿島が、しかし、やはり力ない笑みを浮かべて、医務室の自動ドアをくぐる。


「彼女、よっぽど提督に気があるのね。あの時はとても冷静だったのに、意外だわ」

「伊達に秘書官はやってない、って事かしらねー? よしよし、って褒めてあげたいくらいだけど、そんな状況じゃないのが残念」


 ローマとアクィラが、消えていった背中を思い出しながら語り合う。
 彼女たちの励起直後。
 唐突に意識を失った桐林を前にして、大発を操縦していた瑞穂と七人は慌てふためくばかりだったのだが、連絡を受けた鹿島がそれを念話で一喝し、人目につかないよう医務室へ運ばせたのだ。
 その後も冷静さを保ち、香取と共に今後の対応までを決定する姿は、まさしく秘書官の鑑と評すべきだったのだが、一段落つくと、まるで恋人が事故にでも遭ったような表情を浮かべ、桐林の側を離れようとせず……。
 桐林に対し、鹿島が一方ならぬ想いを抱いているのは、火を見るよりも明らかであった。
 香取に言及されていないのは、鹿島と比べて感情の制御が上手く、己の気持ちを隠せているためである。
 表面上は冷静でも、心中は穏やかでなく、鹿島のように看病をしたいと思っているであろう彼女だが、それを抑えて職務を遂行しなければならないのが、第一秘書官の辛い所か。
 ともあれ、本来ならば要らぬ気苦労に違いない。
 責任感の強いリットリオは、自らが現在の状況を引き起こしたのではないかと、伏し目がちに自問する。


「やっぱり、私たちの励起が原因なのかしら……。精神の根幹。国と戦史を違える軍艦の励起が、提督の魂に負担を……」

「姉さん。考え過ぎよ。可能性は捨てきれないけれど、確証もないし。今は」

「……そうね。早く、目を覚まして下さると良いわね」


 口調はキツめだが、確かな気遣いの宿るローマの言葉に、リットリオが微笑む。
 戦艦としての意識を目覚めさせ、まだ一日と少し。
 人間であれば赤子に等しいけれど、遥かなる過去を──戦史を宿して生まれる桐林の統制人格に、心を成熟させる時間は必要ない。
 その心が言う。
 早く言葉を交わしてみたいと。
 顔に傷を持つ男性。日本人。提督。鹿島の想い人。眠り続ける人。
 どんな声なのだろう。どう挨拶をしよう。どんな風に語りかけてくれるだろう。
 尽きない問いを胸に抱え、リットリオは鹿島の座っていた席へ腰掛ける。
 すると、面会謝絶であるはずの医務室の自動ドアが、唐突にスライドした。
 三人がそちらへ視線を向ければ、日焼けしたローティーンの少女が、元気良く駆け込んで来ていた。


「みんなー! リベ、戻って来たよー!」


 赤毛のツインテールを弾ませ、白地に赤と緑のラインが入ったセーラー服を着る彼女の名は、リベッチオ。イタリア海軍、マエストラーレ級駆逐艦の三番艦だ。
 マエストラーレ級は風級とも呼ばれ、イタリアに向けて吹く風の名を与えられていた。リベッチオの場合、南西からの湿った風──リビアの風という意味になる。
 余談として、リベッチオの着ているセーラー服だが、サイドファスナーであるべき部分が完全に分かれており、紐で一箇所を結ぶだけとなっている。
 故に色々と無防備だった。
 桐林は眠っているので問題ないけれど、ちょっと屈めば見えてしまいそうで、とてもハラハラする風体なのだった。
 話を戻そう。
 名前の通り、風のように駆け込んだリベッチオだが、ゆっくりとその後ろに続く影が二つほど、重なり合って存在している。
 とても似通った容姿を持つ彼女たちもまた、かつてイタリア海軍に属した重巡洋艦であった。


「た、ただいま戻りましたぁ……。もう、ポーラ? 自分で歩いてったらぁ」

「んにゅふふ……♪ い~じゃないで~すかぁ~、ザラ姉様ぁ~。うぃっく。こぉ~んなに美味しいお酒ぇ、楽しまない方がぁ、罰当たりでぇすよぉ~?」


 波打つ金髪の少女が、同じ髪質の銀髪の少女を支え、ヨロヨロと医務室へ。
 ザラ級重巡洋艦。一番艦のザラが、妹を支える金髪の少女で、両手にワインボトルを持つ銀髪の少女が、三番艦のポーラである。
 身に纏うのはリットリオたちの衣装と似ていながら、姉妹それぞれでも細かい差異が見て取れるドレスだ。
 二人とも愛らしい少女であるのだが、ポーラは赤ら顔に酒気を漂わせており、完全に酔っ払っているのが分かった。
 統制人格はアルコールを自由に分解できるため、彼女は自分の意思で酩酊状態を選択しているようである。
 外見だけで判断するなら、まず飲酒をしてはいけない年齢層でもあるし、ザラの困り顔も致し方ない有様だ。


「あらあら、すっかり出来上がっちゃって。よっぽど楽しかったのねー」

「うん! 歓迎パーティー、楽しかったー! 日本の人たち、みんな良い人ね!」

「うふふ。良かったですね、リベッチオちゃん。ザラさん、お疲れ様でした」

「はい……。疲れました……。あ、楽しかった事は楽しかったんですけど、主にポーラが……」

「でしょうね。見れば分かるわ」


 迎えるアクィラに、笑顔でリベッチオが飛びつく。
 リットリオとローマから労われ、ザラもやっと一心地ついたようである。
 この三人は、一日遅れで、甘味処 間宮にて開催されていた歓迎会へ、主賓として参加していた。
 励起当日でなく翌日に開かれたのは、せっかく新しい船を迎えたのに桐林が出席しないのは、と皆が紛糾したからである。
 気を失っていては参加のしようもないのだが、それを伝えれば、きっと通夜のような雰囲気になってしまうと香取たちは判断。
 桐林はリットリオやローマ、アクィラと、今後の運用などを話し合っている事にし、遅れ気味ではあるが歓迎会を催したのだ。
 欠席してしまった事が気になるのか、リットリオがザラに問いかけた。


「それで、皆さんの様子はどうでしたか?」

「はい。ケガの、ミョウコー? と言いますか、ポーラが大騒ぎしてくれたおかげで、提督が眠り続けているのはバレてないみたいです」

「なるほど。不幸中の幸い、ってやつね」

「……んんん? どこか間違っているような気がするんだけど、何かしら……?」


 遠方で誰かがクシャミをしていそうな、微妙な日本語の間違いにアクィラだけが首をかしげるも、けっきょく正解は得られなかった。
 今回の歓迎会、元から付き合いの悪い桐林はさて置き、主役の半数を欠く事を気に掛ける者も少なくなかったが、そこは「あ、空らぁ」と地べたでボトルを揺するポーラのおかげか、うやむやになっている。
 その代わり完璧に出来上がってしまい、ボロを出す前に引き上げてきた訳だが、今も事情を知る大鳳は残っているので、きっと彼女が上手くやっている事だろう。
 厄介ごとを押し付けただけにも思えるが、まぁ、頑張っているであろう。きっと。


「提督さん、まだ寝てるのー? リベ、早くご挨拶したいのに……」

「そうね……。まるで、眠れる森の美女みたい」

「男なんだから美男子──って言うには迫力あり過ぎか。ゴクードーとか、ヤクーザっていうんじゃないの?」

「ローマ? 提督に失礼よ」

「本当の事じゃない」


 アクィラから離れ、桐林の眠るベッドによじ登るリベッチオ。間近に顔を近づけても、一切目覚める気配がない。
 まるで魔法でも掛けられたよう。
 リットリオはそう思うのだが、ローマが言うには、眠れる医務室のヤクザ。
 裏社会の匂いがプンプンする例えに、流石のリットリオも眉を釣り上がる。
 しかし、そこへポーラの気の抜けた声が割り込み……。


「眠れる森の美女ですかぁ~。じゃあ~、キスすれば目を覚ますかも知れないですねぇ~」

「あはは、まさかー。流石にそれは──」

「ほんとー? だったらリベ、やってみる!」

「──ってリベちゃん!? それはマズいと思うわ!?」

「あにゃっ」


 早速、自分と桐林の唇を重ねようとするリベッチオを、アクィラが大慌てで抱きすくめる。
 ギリギリだった。あとコンマ五秒遅れていたら、多方面に問題が発生する所だ。
 まだ桐林の女性事情に疎いと言えども、ポーラのうかつな発言をザラは咎める。


「もう、駄目でしょポーラ。リベちゃんは純粋なんだから!」

「え~? でもぉ、他に目を覚まさせる方法なんてぇ~、ひっく、あります~?」

「それは……。思いつかないけど……。けどキスなんて……」


 ぷはぁ、とボトルから口を離しつつ反論するポーラに、尻すぼみとなってしまうザラ。
 そもそもキスをすれば目を覚ます保証など、どこにもありはしないのだが、この場に居る六人の中では選択肢の一つとなっているようで、その前提で話が進んでいく。


「ね、眠っている殿方に、キス、ですか……」

「悪いけど、私は遠慮するわ。そんな安い女じゃないもの」

「うーん……。私は、どうかしら……。うーん……」

「リベはいいよー? した方がいい? する?」


 リットリオ、ローマ、アクィラ、リベッチオが、顔を赤らめたり、きっぱり拒否したり、抱っこしたまま悩んだり、抱っこされたまま目をキラキラさせたり。
 ポーラの何気ない発言は、思いもよらぬ形で皆に波及していた。
 大人組は本人の意思を尊重するとして、興味津々なリベッチオが特に危険である。同意があっても見た目が条例に引っかかる。
 なんとも居た堪れない空気に包まれる医務室であったが、またしてもポーラが、全く空気を読まずに挙手した。


「あ。ポーラ、いい事を思いつきましたぁ~。あんまり変わらないですけどぉ、ポーラだったら、ぜぇ~ったいに目を覚ます方法ですよぉ~。試してみますぅ~?」

「……ポーラだったらっていう部分が凄く不安だわ」

「うふふ~。ザラ姉様ひど~いですぅ~。地味に傷つきまぁ~す……」

「あ、ごめん」


 今度は真面目に発言したつもりらしく、懐疑的な反応に落ち込むポーラ。
 見た目的には、酔っ払いが適当な思いつきを否定されただけなのだが、ザラは素直に謝った。純朴な心根が伺える。


「では、せっかくですし、ポーラさんにお願いしましょうか?」

「無駄な気がするけど、何もしないのもアレだし、自己責任なら良いんじゃない」

「アクィラさんもお任せでー」

「うー、リベはダメなの……? してみたいのに……」

「と、とりあえずポーラに任せてみましょ? ね?」


 まだ内容を聞いていない状態だが、リットリオが音頭を取り、ポーラの案に賭ける事となった。
 藁にもすがる思いだったけれど、万が一にも桐林が目覚めてくれるなら、それこそ万々歳なのだから。
 皆の賛同を得られたからか、ポーラは赤ら顔を得意満面に、地べたから重い腰を上げる。


「じゃあ~、ポーラ、行っきまっすよぉ~。……んっく、んっく」


 そして、右手のワインボトルを呷りつつ、ベットに近づいたかと思いきや。


「んちゅう」

『あ』


 ぶちゅーっと、桐林にキスをしていた。
 いや。正確に言うならば、口移しでワインを飲ませていた。
 あまりにも突拍子のない行動を起こされ、ポーラ以外の全員が声を重ね、硬直している。
 たっぷりじっくり。
 二十秒以上の時間をかけて、彼女はワインを流し込む。
 恐らく、自分だったら眠っていても、お酒を口にすればたちまち目覚め、酒宴を楽しめるから……という自信があっての行動であろう。
 なんにせよ、常識外れには違いないが。


「──ゔっ!? っぐほ、ごほっ!?」

「んぷぁっ!? ……うう~、ビックリしましたぁ……。あ、でも、目を覚ましましたよぉ! ザラ姉様ぁ、褒めて下さぁ~い!」


 しばらくすると、ワインが気管に入ったのか、唐突に桐林がむせ返る。
 身体が跳ね、ポーラは驚いて唇を離してしまうものの、朧気ながら開いた桐林の右眼を確認し、無邪気に喜んだ。本当に意識が覚醒し始めているようだ。
 ところが、呼び掛けられたザラは俯き、肩を震わせるばかりで。


「な、な、な、な、な………」

「はい? ザラ姉様、どうかしましたぁ~?」


 姉の反応を不思議に思ったのだろう。ピョンピョンと跳ねるように戻ったポーラがザラの顔を覗き込む。
 すると、彼女は綺麗に整った眉を十時十分の角度に上げ、艤装を召喚する際に発生する、微かな燐光を伴いながら━━


「何をしてるの貴方はぁああっ⁉」

「へにゃ⁉」

『あっ』


 ━━巨大なハリセンを、ポーラの後頭部へ振り抜いた。
 しぱぁん、と小気味良い音が響き、重巡姉妹を除く四人がまた声を重ねる。
 ポーラは後頭部を押さえてベッドにもたれ、遠慮のないツッコミに涙を浮かべた。


「ザ、ザラ姉様……。それ、明らかにザラ級重巡の仕様外の艤装だと思うんですけどぉ……?」

「自分でもよく分からないけど、なんか出せた! というか、寝ている提督に対して何しちゃってるの⁉ くく、口移しとかもう、ホントに、もうー!」

「え~……。ポーラ、ちゃんと言ったですよぉ~? “あんまり変わらない”って。それにぃ、口移しじゃないと窒息しちゃうかもですし~。ねぇ、リットリオさん?」

「そ、それは、確かにそう、ですけど……」

「まさか、口移しでワインを飲ませるだなんて。想像できる方がおかしいと思うわ」

「むー! ずーるーいー! リベもしてみたいって言ってるのにー!」

「うーん。リベちゃんにはまだ早いような気がするから、とにかく落ち着きましょうかー。よーしよしよし」


 真っ赤な顔でハリセンを振り回すザラ。
 タンコブをさすりつつ言い訳するポーラ。
 いきなり話を振られ、口ごもってしまうリットリオ。
 額に手を当てて呆れるローマ。
 抜け駆けされて悔しいリベッチオと、頭を撫でて動物のように宥めるアクィラ。
 決して狭くない医務室は今、混沌の極みにあった。
 そんな中……というか、そのせいで桐林の意識は、確実に覚醒へと向かう。


「──し……は……。自分、は……?」

「提督っ!? ぁわわわわ……っ。ごごご、ごめんなさいっ! ポーラがごめんなさいっ! 私の妹がごめんなさいっ! こんなイタリア重巡でごめんなさいーっ!」

「ぶー。ポーラ、お役に立ったのに……。こうなったらヤケです、飲むしかないでぇす……」

「ねーねー。お酒ってそんなに美味しいの? 提督さん、どう? 美味しかった?」

「……は?」


 寝惚けているような桐林の声を聞きつけ、ザラは反射的に土下座。位置的に彼には見えていないのだが、とにかく必死に頭を下げる。
 一方でポーラは不貞腐れ、どこに隠し持っていたのか、缶チューハイらしき物のプルタブを開けていた。
 その横から、アクィラの腕の中を抜け出したリベッチオが身を乗り出し、質問をたたみかけて。
 目覚めたばかりの頭で理解するには、相当に酷な状況ではあったが、視界に居る五人の衣装に使われる象徴的な配色──緑・白・赤と、人類の平均レベルを優に超える美貌から、彼女たちが統制人格である事に思い至る。


「君たち、は……。イタリアの……」

「……わ、私、香取秘書官にお伝えして来ますね? あの、今は何も考えず、一先ずゆっくりなさって下さい」

「姉さん、私も行くわ。正直、説明しきる自信がないし。アクィラ、この場は頼むわね」

「ちょ!? ず、ズルいですよっ、私だってこんなの治めるの無理……ちょっとー!?」


 ……が、この場で最も頼りになりそうな、落ち着いた雰囲気の二人が退場してしまう。
 残されたのは、「ごめんなざいー!」とひたすら土下座を続けるザラ、「これも美味し~ですねぇ~」と缶チューハイを傾けるポーラ、「ねーねー」と桐林のシャツを引っ張るリベッチオに、冷や汗を無言の笑顔で誤魔化すアクィラ。
 それと、喉奥でかすかに感じるアルコールや、頭から消えていく夢の残滓のみ。
 何か、とても大切な夢を、繰り返し見ている気がするのに、ろくに思い出す事も出来ず、酷くもどかしい。


「なんなんだ、この状況……」


 知らず、桐林の呟いていた言葉には、隠しきれない疲労感が宿る。
 これからもっと疲れる出来事が、ごまんと待ち構えているのを、彼は知る由もないのであった。





「あっ、提督! 通りすがりにGuten Tag! ちょっとお話いいですかっ?」

「……どうした。オイゲン」

「最近、提督がイタリア重巡のノンダークレな方を、お酒の勢いで押し倒して、無理やりキスしたっていう噂が流れてるんですけど、本当の所はどうなんですか!?」

「なんでそうなる……。自分がポーラを押し倒した事実はないし、無理強いした事実もない。発生源は誰だ」

「いえ、それは私もよく分からないんですけど、谷風と秋雲が面白そうに話してて。でも良かったぁー、誤解だった………………あれ? キスしたって部分だけは否定してないような……」

「……話がそれだけなら、もう行く」

「え、あっ、待って下さい提督っ! なんで肝心な所を否定してくれないのぉー!?」




















 デスマーチ 終わった端から ヘルマーチ

 はい。更新遅れて申し訳御座いません。いつの間にか夏イベ目前で手が震えるぜぃ……。イベント開始数日後にはヘルマーチも終わるはずだけど、しんどいから素直に丙で行きますかねぇ……。
 さてさて、今回は大鯨ちゃんたちのお遣い話と、呑んだくれ重巡無双な話でした。○○○○にお留守番と入れてしまった人、憲兵隊に自首しなさい。一緒に行くから。
 ようやく名前だけだった潜水艦隊と、ついでに巻雲風雲朝霜も登場です。バレたら、美少女はだいたい桐林提督んとこの統制人格、という認識が舞鶴市民に広まりそうですな。
 夕(Y)雲(G)型駆逐艦(k)19は実現不可でしょうけど、なんとなく長波様がセンターやりそうな印象。強力なライバル出現やで那珂ちゃん……。
 んでもって、こっちもようやく本登場のイタリア組。
 誰も彼もが遠慮して出来なかった事を、ノリと勢いだけでやってのける。これがポーラちゃんの一番の強みであると考えます。弱みはもちろんザラ姉様です。
 寝ている間にセカンドキッスまで奪われてしまった主人公の反応は、また別の機会に。
 そして、一瞬で追い抜かれてしまった鹿島さんは、ここから卍解──違う挽回できるのか。乞うご期待!

 えー、今後の予定ですが、あと二~三回ほど緩ーい話を更新したら、過去編のちょいシリアス話。浜風との信頼関係を築くまでを描きたいと思っています。
 例によって不定期更新になってしまうと思われますが、お付き合い頂ければ幸いです。
 それでは、失礼致します。


(ふう……。提督が目を覚ましたのは吉報だけど、やっぱり昨日の歓迎会、一人で凌ぐのは骨が折れたわね……)
「……どうしようか……」
「……どうしましょうか……」
「あら? 貴方たちは確か、睦月型と吹雪型の……。どうかしたの? 二人で顔を突き合わせて。悩みごと?」
「えっ!? う、ううんっ、なんでもないよ!? 僕たち、悩んでなんかいないよっ?」
「そそ、そうですともっ。元気一杯、快眠快食です! ……そ、それでは、ちょっと用があるので……。これで失礼しますっ!」
「あ、ちょっと! ……怪しいわね。後を追ってみましょう」






 2017/07/29 初投稿
 2017/07/30 投稿してからどうにも違和感が強くなったので、激し過ぎるツッコミを修正しました。あと作者名も。







[38387] 装甲空母、大鳳は見た
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2017/09/16 12:01





 唐突だが、航空母艦 大鳳は気疲れしていた。


(ふう……。提督が目を覚ましたのは吉報だけど、やっぱり昨日の歓迎会、一人で凌ぐのは骨が折れたわね……)


 時刻は○五一○。まだ人気のない桐林艦隊庁舎の廊下を、嘆息しつつ歩く。
 身体の前面を白い胴着で隠し、露出してしまう背中と腕を包む上着も純白。
 胴回りは黒いプロテクターで守られ、赤いミニスカートからスパッツの黒い裾が覗く。
 横髪の長いショートカットを揺らしながら、しかし静寂を保つ足並みは、太ももまでを覆う防護タイツとセットである、重厚なブーツのおかげか。


(正直なところ、提督のことが気掛かりで、あまり楽しめなかったのが残念ね。……まぁ、それ以外にも楽しめない理由はあったけど)


 彼女の意識が、統制人格として覚醒してまだ一日ほど。その割に、内容は濃密だったように思う。
 目の前で桐林が倒れ、大慌てで医務室へと運び、その後の対応を話し合って……。
 中でも、桐林の意識が戻らないのを秘密にしたまま、歓迎会で笑顔を浮かべなければならないというのが、精神的に堪えた。
 途中からザラとポーラ、リベッチオが席を外し、色んな意味で出来上がっていた舞鶴艦隊の皆をあしらうのは、非常に大変だったのである。
 葛城が「一緒にご飯食べようと思ってたのにー!」とヤケ酒したり、ビスマルクが同調して「せっかくドイツビールを取り寄せたのにっ!」と自分で消費しまくったり。
 例を挙げれば枚挙に暇がないので割愛するが、とにかく疲れたし、律儀に付き合ったせいで深酒してしまい、やけに早く起きてしまった。
 散歩でもしようと部屋を出たが、今後は彼女たちとの酒の席は避けようと、心に決める大鳳であった。


「あら?」


 そんな時、ふと前方に人影を見掛けた。
 庁舎外の敷地へと続く広大な一階ロビー。
 その一角にある、まるで高級ホテルを思わせるラウンジで、人目を避けるように顔を付き合わせる二人は、先の歓迎会でも挨拶を交わした、駆逐艦の統制人格だ。


「……どうしようか……」

「……どうしましょうか……」


 ソファで斜向かいに腰掛ける、水色のショートカットの少女と、長い茶髪を三つ編みにする少女。
 名をそれぞれ、睦月型駆逐艦六番艦、水無月。吹雪型駆逐艦十番艦、浦波という。
 水無月は青を基調とした長袖のセーラー服を、浦波は吹雪型の共通デザインのセーラー服を着ている。
 歓迎会ではよく笑顔を見せ、明るい人柄を伺わせてくれたのだが、今は難しい顔で俯き、ひどく悩ましげだ。
 声を掛けづらい雰囲気だったけれど、散歩を考えるくらいには暇だし、大鳳は声を掛けてみる事にした。
 より早く艦隊に溶け込むには、こういった努力が大切なのである。たぶん。


「貴方たちは確か、睦月型と吹雪型の……。どうかしたの? 二人で顔を突き合わせて。悩みごと?」

「えっ!? う、ううんっ、なんでもないよ!? 僕たち、悩んでなんかいないよっ?」

「そそ、そうですともっ。元気一杯、快眠快食です! ……そ、それでは、私たち用があるので……。失礼しますっ!」

「あ、ちょっと!」


 ところが、二人は大鳳が声を掛けた途端、慌てた様子で立ち上がり、連れ立って外へ走り去ってしまう。
 何か、おかしい。明らかに何かを隠している。
 出会ったばかりの新人には話せない、個人的なこと?
 その可能性もあるだろうが……。


「……怪しいわね。後を追ってみましょう」


 どうにも気になった大鳳は、怪しい二人組を尾行してみる事にした。
 本当に個人的な内容だったら聞かなかった事にすればいいし、ひょっとしたら仲良くなるきっかけになるかも知れない。
 そうなったら嬉しいな、と淡い期待を込め、足早に庁舎を出る。
 遠目に背中を確認できる距離を保ち、物陰に隠れつつ追ってしばらくすると、二人は鎮守府敷地内に点在する東屋へと入る素振りを見せた。
 周囲に人気は一切ない。
 大鳳は近くの茂みに身を潜ませて、徐々に声の聞こえる距離まで詰める。


「っはぁあぁぁ……。ビックリしたぁ……」

「まさか、大鳳さんの方から話しかけてくるなんて……。噂をすれば影、って本当なんですね……」


 どうやら二人は大鳳に気付かず、息を整えているようだ。
 しかし、噂をすればという事は、彼女たちは大鳳の話をしていたという事になる。
 だったらあの驚きようも納得だが、どんな話をしていたのだろう?
 気になるところである。


「で、本当にどうしようか……?」

「難しい問題ですよね……。水無月さんはどう思います?」

「僕? う~ん、そうだなぁ。声をかけたくはあるんだけど……」

「今の所、浦波と水無月さんの、二人だけですもんね……」


 口振りを考えると、内容は相談事らしい。
 声をかけたいという言い方から察するに、何かに誘うつもりなのかも知れない。
 遊び、集まり、お出かけ。
 少なからず嬉しく思う大鳳だったが、続く二人の言葉に身を硬くする。


「人数が増えれば、それだけ心強くなるけどさ。やっぱり、僕たちと気持ちを同じくしてくれる子じゃないと」

「……バレたら、今後に関わりますしね。慎重に事を運んだ方が良いんじゃないでしょうか。大鳳さんの周囲には、雲龍さんたちが居ますし」


 明らさまに潜められた声は、重大で、後ろ暗い秘密を予想させた。
 統制人格の、今後に関わる隠し事。
 最悪の可能性は──


(まさか、反乱か何かの計画を……!?)


 あり得ないと首を振る大鳳だが、希望的観測こそ、あってはならない。
 通常の統制人格にはできない事も、大鳳を始めとする桐林の統制人格なら可能。
 例えば、励起主を裏切り、害する事すら。
 桐林を快く思わない誰かに買収されたり、あるいは脅されたり……。
 信じたくはないけれど、疑惑を笑って流せるほど、彼女たちを知っている訳でもない。

 いや、いくらなんでも考え過ぎだろう。
 現在の待遇に不満があって、桐林に陳情しようとしているのかも知れない。
 それを通すために人数が必要だとすれば、唐突な反乱よりも納得がいく。
 けれど、もし万が一があったら。
 歓迎会で軽く耳にした舞鶴事変だって、普通なら絶対にあり得ないと断ずる事の連続だったらしいし。

 どう判断すればいいのか、どう動けば最善なのか。
 手に汗がにじむ。


「それじゃあ、決を採るよ」

「はい」


 考えあぐねている間に、水無月が場の空気を引き締める。
 葉の間から覗くと、浦波も背筋を伸ばしていた。
 同時に、大鳳にも緊張が走る。
 これから聞く内容によっては、秘書官である香取や、桐林にも話をしなければ。
 だがそうなったら、艦隊に加わったばかりの自分を信用してもらえるだろうか。
 ただ耳にしただけで、録音も何もない。
 不安が唾を飲み込ませ、腰を浮かせる。やがて、水無月は意を決したように口を開き……。


「とても残念だけど、大鳳さんは『舞鶴鎮守府に姉妹艦が居なくて心細いけど、励ましあって頑張ろうじゃない会』に、まだ誘わない事にします!」

「はい! 浦波は賛成いたします!」


 大鳳は思いっきりズッコケた。
 額から派手にダイブしてしまったが、幸い気付かれなかったようだ。
 それよりも、問題なのはこの集まりである。


(か、悲しい……っ。なんて悲しい集まりなの……!?)


 舞鶴鎮守府に姉妹艦が居なくて心細いけど、励ましあって頑張ろうじゃない会。
 字面だけでも悲しいのに、構成員が二名しか居ないのが更に悲しい。
 その辺りは本人たちも自覚しているのか、水無月と浦波は深い、深ーい溜め息をつく。


「はぁ~あ……。なんというか、ぜんぜん仲間が増えないよねぇ……」

「ですねぇ……。大鯨さんには、なんだか誘いづらいリア充な雰囲気がありますし、秋津洲さんは『私には瑞穂ちゃんと大艇ちゃんが居るかもぉー!』って泣いて逃げちゃいましたし……」

「ツェッペリンさんからの返事もまだないし、困っちゃうよ」

「はい。いい返事が聞けると良いんですが……。アクィラさんにも、折りを見て声を掛けないと」


 大鯨と秋津洲。
 大鳳の記憶では、潜水母艦である大鯨の周囲には、いつも潜水艦の誰かが居た。本人の物腰も柔らかく、リア充と言われるのも頷ける。
 対する秋津洲は、歓迎会とほぼ同じタイミングで横須賀から帰還した統制人格だ。
 水上機母艦である彼女だが、当人曰く飛行艇母艦でもあるらしいので、水無月たちも声を掛けたのだろう。まぁ、逃げられてしまったようだけれども。
 海外空母であるグラーフ・ツェッペリンにまで話を持っていく所を見るに、二人の本気度は伝わってくるのだが、成果が出ていないのがやはり悲しい。


「みんな、特に姉妹艦とかの区別なく、普通に仲良くしてくれるから、それは嬉しいんだけどさ……」

「ふとした瞬間、気付くんですよね。夕雲型の皆さんや、陽炎型の皆さんの中に混じる、吹雪型の自分に……。考え過ぎだっていうのは分かっているんですけど……」

「こういうのは理屈じゃないよ。やっぱり僕、姉妹艦のみんなに会いたい。さっちんとか、もっちーとか、会って色んな話をしてみたいな」

「浦波もです。磯波姉さんに会いたいです。横須賀、行きたかったです……」


 悲嘆に暮れる……とまでは行かないが、水無月も浦波も、横須賀に居る姉妹艦の姿を思い浮かべ、残念そうに肩を落としている。
 大鳳としても、史実で姉妹艦が建造されなかった、大鳳型航空母艦の一番艦。姉妹が側に居て欲しい気持ちは、分からなくない。
 もし、まだ見ぬ装甲空母が、改大鳳型の空母が、新たに生まれたなら。釣られてそんな想像をしてしまう。


「でもさ、浦ちゃんはまだ可能性があるから良いよね? まだ三隻も未励起の子が居るし」

「何を言うんですか。水無月さんにだって、まだ夕月さんが残っているじゃありませんか! 希望を捨ててはダメですっ!」


 少しイジけるような言い方をする水無月を、浦波は強い言葉で叱咤する。
 吹雪型駆逐艦は、末妹である浦波を含めて十隻。対する睦月型は十二隻。
 大鳳が昨日のうちに確認した情報によると、吹雪型は東雲、薄雲、白雲の三隻。睦月型は夕月が未励起だったはず。
 まだ姉妹艦が呼ばれる可能性は捨てきれない。そう確かに言い切られ、水無月の顔にも希望が浮かぶ。


「そう、だよね……。僕、夢があるんだ。姉妹で同じ部屋で寝起きして、ときどき夜更かしとかしたり、同じベッドで寝たり……」

「あ、分かります、凄く分かります! 一緒にシーツに包まって、普段はしない恋バナとか、色んな話をするんですよね! 良いなぁ、憧れます……」


 東屋から離れ、明けた空を見上げつつ、瞳を輝かせる二人。
 あまりにも慎ましやかな願い事に、大鳳の眼には涙が浮かんでしまう。


(駄目、泣いては駄目よ大鳳……っ。泣いたら彼女たちを侮辱する事に……ううっ)


 結局、堪えきれずに咽び泣く大鳳だが、自分があの二人の仲間だと数えられている事を、もはや忘れているようである。
 幸か不幸か、水無月たちはまだ大鳳に気付いておらず、朝日をシルエットに友情を深める。


「でもさ……。姉妹艦が舞鶴に来てくれるとしてもさ? 一緒のタイミングが、良いよね。そうしたら、お互い寂しい思いをしなくて済むし」

「ですね……。でも、水無月さん。例え東雲や薄雲、白雲が来たとしても。……二人の友情は、消えたりしません、よね?」

「当たり前じゃないか、浦ちゃん! 僕たちの友情は、永遠に不滅だよ!」

「水無月さん……!」


 ガッシリと手を握り合い、見つめ合う水無月と浦波。
 不憫ではあるが感動的な光景を目の当たりにし、大鳳は、自分の考えが杞憂であると確信した。


(そっとしておきましょう……。無闇に立ち入ってはいけないわ……)


 逆光に陰る二人を横目に、大鳳はその場を後にする。
 いつか彼女たちが、姉妹艦と共に過ごせる日々が来る事を、祈りながら。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 数時間後。
 太陽が中天を過ぎた頃、大鳳は桐林からの招致を受け、執務室へと向かっていた。


「正規空母、大鳳。参りました」


 両開きのドアをノックし、キビキビとした動作で入室する大鳳。
 執務室には桐林ともう一人。彼の背後に、第一秘書官である香取が立っていた。
 ひとまず執務机から数歩前に立ち、しっかりと敬礼。それを受け、桐林が口を開く。


「先日は、要らぬ気苦労をかけた。済まなかった」

「い、いいえ、滅相もありません。お加減もよろしいようで、安心しました」


 予想外の謝罪に、慌てて大鳳が謙る。
 桐林の顔色は良かった。少なくとも、歓迎会の後に様子を見に行った時よりは、遥かに。
 体調は戻ったようだ。


「細々とした些事が済んだら、君にも我が機動部隊の一翼を担ってもらう事になるだろう。
 近く出撃する予定はないので、それまでは艦載機配備などの補佐を行って貰うが、演習などで練度は確認するつもりだ。留意しておくように」

「はっ!」


 簡単な今後の予定から始まり、具体的な艦載機の運用、戦闘における行動指針の確認など、話の内容は多岐に渡った。
 しばらく濃密な時間が続き、そろそろ話し合いも終わりだろうかという時、大鳳の頭に、ふとした疑問が湧いた。
 桐林と対面で話す機会が、またあるとは限らない。この機会にと、大鳳は質問してみる事にする。


「あの、提督。差し出がましい事だと思うのですけれど、一つお訊ねしてもよろしいでしょうか」

「なんだ」

「え、ええとですね。……今後の、艦隊増強の計画などは、あるのでしょうか?」


 大鳳が気になったのは、やはり今朝の出来事。舞鶴鎮守府(中略)頑張ろうじゃない会の事である。
 もし、新たに駆逐艦を増やす計画があるのなら。その中に、睦月型や吹雪型が含まれているなら、水無月と浦波に知らせてあげたいと、そう思ったのだ。
 が、この問いに対し、今まで簡単な補佐に徹していた香取が反応した。


「大鳳さん? それは、現在の艦隊の陣容に不安がある、という意味ですか?」

「い、いえっ。違うんですっ! そうではなくて、えっと……。その……」


 考えていたのとは違う意図に取られてしまい、どうにか取り繕おうとするが、下手をすると、あの二人の悲しい集まりを知られてしまうやも。
 今はまだその時ではないのだろうと思い直し、大鳳は自らの言葉を取り消す。


「すみません、なんでもないんです。忘れて下さい」

「……そうか。話は以上だ。下がってくれ」

「はっ! 失礼致します!」


 桐林も深く追求はせず、大鳳は退室のために改めて敬礼。
 回れ右でドアへ向かい、それを閉めてから激しく後悔し始めた。


(ううう、失敗した……。失礼な女だって思われたわよね? どうしよう……っ)


 もっと違う質問の仕方があったのでは、もっと打ち解けてからの方が、そもそも聞かない方が……。
 終わってから色んな考えが頭に浮かび、心象が悪くなったのではないかと、顔が熱くなって。
 これからの鎮守府生活が思いやられ、若干気落ちしてしまう、真面目な大鳳であった。


「大鳳さんは、何が言いたかったのでしょう……?」

「分からない。自分が留守の間に、探りを入れておいてくれ。
 些細な行き違いでも、戦場での致命的な事態を引き起こしかねない」

「はい。心得ました。……ですが……」


 一方で、桐林も大鳳の言動を気に掛けており、香取に対応を求める。
 しかし、一旦は頷くものの、歯切れが悪い。
 大鳳の事より、他に気になる事があるような素振り。
 桐林には心当たりがあった。


「心配するな。単なる査問だ。上手く立ち回るさ」

「そうは仰いますが、桐谷中将を始め、そうそうたる面々が揃うとも聞きました。一筋縄では……」

「……だろうな。だからこそ、良い機会でもある」


 先の無断励起は、軍令部で大きな問題となっていた。
 ただでさえ問題児扱いをされていた所に、更なる規定違反が重なった結果、桐林は最高軍令機関の査問を受ける事になったのである。
 普通に考えれば、査問を受ける事自体が大問題であり、軍人としての未来も危ぶまれる状況なのだが、桐林はあえて普段通りの態度を貫く。


「今現在、実質的にこの国を動かしているのが、どんな人物なのか見極める。大丈夫だ、香取。君たちの未来を、閉ざさせはしない」

「……は、はい」


 査問委員会を構成する人員には、現海軍の実権を握る、海軍大将も含まれる。
 己に首輪を付けようとし、手綱を締めようとする人間を、自分の“眼”で確かめるために。
 桐林は、静かに闘志を滾らせていた。










「それはそうと、提督。ポーラさんとの一件なのですが」


 ビクゥッ。
 と、面白いほどに桐林の肩が跳ねた。
 一瞬で闘志も萎えたようである。


「なんども言っているが、あれは人工呼吸のようなもの。
 救護活動に一応の礼は言ったが、それでどうにかなるつもりも、どうこうするつもりも無いっ」

「それは理解していますから、別にどうでもよろしいのですが」

「え?」


 割りかし強い語気で、ポーラとの色恋沙汰を否定する桐林だが、香取は全く気にしていなかったらしく、肩透かしを食らう。


「私が言いたいのは鹿島の事です。……どうなさるおつもりですか?」


 鹿島。
 この場に居ておかしくないはずの、第二秘書官。
 彼女は今、使い物にならなくなっていた。
 より正確に言うと、仕事は出来るのだが、いちいち桐林の事を涙目で見つめて来て、非常にやり辛いのである。なので午後休を出した。
 原因はもちろん、ポーラが行ったワインの口移しだろう。


「やっぱり、自分がどうにかしなきゃダメなのか……」

「提督以外がどうにか出来る問題ではないかと存じます」

「……なんか君も怒ってない?」

「さぁ。なんの事やら」


 先程は気にしていない様子だったが、言葉の端々に険を感じ、桐林がまた怯む。
 同業者には強気になれても、やはり女性相手だと弱腰になってしまうようだ。
 ややあって、桐林はアロマ・シガレットをふかし、溜め息混じりに承諾する。


「はぁ……。後でちょっと、行ってくる」

「はい。お願い致します」


 煙を燻らせつつ、渋い顔をする桐林に、さも当然と澄まし顔の香取。
 その様はまるで、夫を尻に敷く妻のようでもあった。










《鹿島さん、荒れる》





「う……ひっく……ふ、うっ……」


 鹿島の瞳から、大粒の涙が零れ落ちていた。
 はらり、はらりと。
 止めどなく溢れては、テーブルに跡を残す。
 桐林に休みを言い渡され、どれくらい経っただろう。
 敬愛する人物に戦力外通告された上、昨日、鹿島が気持ちよ~く眠っている間に、その敬愛する人物の、大切なものが奪われてしまった。
 ただただ、悲しくて、悔しくて。
 鹿島は握りしめていた拳を開き──


「どうして……。どうしてなの、提督さん……。っんく、っく……ぷはぁ! 間宮さん、ビールのお代わり、お願いしますっ!」


 ──勢いよく、ビールの大ジョッキを掴んで呷った。
 本日、三十五杯目である。
 時刻にして二二○○、場所は甘味処 間宮の座敷席。
 休みを言い渡されてから約九時間が経過しており、十五分に一杯は空にしている計算だ。
 鹿島の鬼気迫る姿に、いつもならまだ繁盛しているはずの店内に人影はなく、閑古鳥が鳴いている。
 出来るかぎり付き合おうと覚悟していた間宮と伊良湖だが、流石にもう我慢できず、鹿島を諌めようとした。


「あ、あの、鹿島さん? 今日はもうそろそろ控えた方が……」

「だって間宮さん、飲まずには居られないんですよぅ! 提督さんの、提督さんのおぉおおぉぉぉ……。伊良湖さんも悔しいでしょう!?」

「えっと、あの、お気持ちは分かりますけど、ビール自体が底を突きそうで……」

「だったら焼酎でもワインでもなんでもいいから、とにかくgive me アルコールー! この悔しさを忘れたいのぉーっ!!」


 テーブルに突っ伏し、空のジョッキでガンガン叩く鹿島。焼き鳥や唐揚げの皿が、その度に揺れて音を立てた。
 ポーラの口移し事件だが、事の詳細は省きつつも、ぶちゅーっとやってしまった事だけは、すでに鎮守府内に噂として駆け巡っている。
 発生源は、独自のルートリベッチオから情報を仕入れた、艦隊のムードメーカーにしてトラブルメーカー。鹿島の対面に座る谷風だ。


「まぁまぁ、そんなこと言わないでさ。気が晴れるまで飲ましてやろーよ? な? あ、水割りもういっちょー」

「ううう、谷風さぁあぁぁん……。私の味方は谷風さんだけですぅうぅぅ……。うぃっく」


 グデングデンな鹿島を谷風が庇い、場の空気は二対二。
 こうなったら、九一の割合で薄めた物でも出そう。付き合っていたら身がもたない。
 と、そんな風に考えながら、間宮たちは諦めて厨房の方へ引き上げていく。
 遠ざかっていく背中を見送った谷風は、スンスンと鼻を鳴らす鹿島を見やり、なんの気無しに呟いた。


「にしても、鹿島秘書官はさ……。なんてぇか、女の子してるよねぇ」

「はい? それはまぁ、女の子ですから……?」

「いや、そうじゃなくって」


 不思議そうな鹿島の顔を見て、谷風自身も不思議に思う。
 確かに、目の前の彼女は女の子だ。
 恋をして、思いがけない出来事に落ち込む、ごく普通の。
 まぁ、ビールの大ジョッキを三ダースも空にするのは普通じゃないけれど、それは置いておくとして。
 何も知らない人が今の鹿島を見ても、軍艦の現し身──統制人格であるとは思わないだろう。


(もし、アタシが急に女の子しだしたら、提督はどんな顔するかねぇ)


 なんとなく、谷風は考える。
 桐林の悪友というか、茶々を入れる立ち位置を確立している自分が、“本気”になったら。
 戸惑うのは当然として、受け入れてくれるのか、それとも拒絶されてしまうか。
 頭の中で、彼の反応を想像し……ようとして、瞬間的に思考を中断した。
 それは鹿島や浜風、その他大勢の統制人格が担う役目。

 ──アタシの仕事じゃ、ない。


「いやいや、なんでもない! さっ、もういっちょ乾杯と行こうじゃーないかぁー!」

「あ、はい。そうですね! では……」


 話を切り上げ、いつの間にか運ばれてきた新しいグラスを持った谷風は、乾杯を呼び掛ける。
 若干、腑に落ちないものを感じつつも、鹿島は新しく得たハイボール(極薄)のグラスを掲げ……。


「かんっぱぁああいっ!」

「かんぱーい!」

「カンパァ~イ」


 “三つ”のグラスが、姦しく音を立てた。

 沈黙。
 そして、驚愕が鹿島と谷風を襲う。


「……って一人増えてるしー!?」

「ぽ、ポポポポーラさん!?」

「コンバンワでぇ~す」


 いつの間にか、卓にはもう一人の少女が──イタリア重巡の飲んだくれな方、ポーラが居た。
 どうやって調達したのだろう、手には波々と赤ワインを湛えるワイングラスを持っている。
 予想外の天敵の登場に、鹿島はまなじりを釣り上げ、敵意を露わにした。


「な、何しに来たんですか、この……この……っ、こにょ泥棒にぇこっ!!」

「鹿島秘書官、噛んでる。思いっきし噛んでるよ……」

「なんだか、とぉ~っても楽しそうにお酒飲んでる気配を察知したので、来ちゃいましたぁ~」


 ……しかしながら効果は薄く、ポーラの笑顔は崩れない。
 悪態すら噛んでしまうのは、悪役に徹しきれない、鹿島の人の良さ故であろう。


「楽しくなんか、ありません……。物凄く、悲しくて、悔しくて、それを誤魔化すために、私は……っ」


 強い言葉を使ったものの、それは単なる強がりであり、段々と意気消沈していく鹿島。
 アルコールのせいで赤らんだ頬と、涙で潤んだ瞳。まるで恋に破れ、酒に溺れる女だった。
 経験豊富な人間なら、たかが一度、唇を重ねたくらいで……と言うのだろう。
 だが、そのくらいの事でも落ち込んでしまうほど、鹿島は真剣なのだ。谷風ですら茶化そうとはしない。

 静かで、切ない空気が漂う。
 そんな中、ポーラは変わらず笑顔のまま、ワイングラスを回しつつ語った。


「そぉですねぇ~。お酒は辛い事も、悲しい事も、まとめてぜぇ~んぶ流してくれます。
 だけど、流された後に何も残っていなかったら、寂しいって思いません?
 なのでぇ、色ぉんな事を洗い流した後は、楽しく笑顔で飲みましょ~。
 ポーラはぁ、みんなで楽しく飲むお酒の方が、だぁい好きで~す」

「ポーラ、さん……」


 にっこり微笑み、ポーラはグラスを傾ける。
 その表情には一点の曇りもなく、眩いばかり。
 思わず見惚れてしまう鹿島だったけれど、ここで谷風が正気に戻った。


「いやいやいや、良い話っぽく言ってるけどさ、事の元凶はアンタじゃないか! 別の意味で流されちゃダメだって、鹿島秘書官!」

「はっ、そうでした! 言葉巧みに取り入ろうだなんて、油断できない……!」

「え~。仲良くしましょ~よ~」

「ちょっ、なんでこっち来るんですかっ!? 谷風さん詰めて詰めて!」

「へっ? お、おぉ」


 谷風の言葉にハッとし、距離を取ろうとする鹿島だが、ポーラも負けじとにじり寄り、ついでに谷風も横へズレて、テーブルの周りでノロノロとした追いかけっこが始まる。
 遠目にそれを見守る間宮と伊良湖は思う。「あの人たち、本当は仲が良いんじゃ?」と。実際、深刻な雰囲気は微塵もなかった。
 奇妙な追いかけっこはしばらく続いたが、やがて飽きたのか諦めたのか、鹿島はムスッとした顔でポーラに向き直る。


「いい機会ですから、この場でハッキリさせて頂きます!
 ポーラさん! 貴方は提督さんの事、どう思っているんですかっ!?」

「提督の事ですかぁ~。ん~……。割と気持ち良かったですよぉ~?」

「何がですぅっ!?」

「うひぁあ、言うねぇ」


 またもや、あっけらかんと問題発言をするポーラ。鹿島が涙目でテーブルをバンバン叩く。谷風はもう観戦モードである。
 と、ここまでは笑顔を崩さなかったポーラなのだが、まだ話は終わっていなかったらしく、ちょっと困ったような顔で続けた。


「でもぉ、提督は違うみたいなんですよねぇ~。物凄ぉ~~~く渋い顔で、静かぁ~に怒られたですよ~……」

「え、そうなんですか?」

「なんです~」


 きょとん、と問い返す鹿島に、ポーラも渋い(と本人は思っている)表情で返す。
 自分がポーラの暴挙によって目覚めたと知った桐林の反応は、非常に事務的かつ冷静なものであった。

 意識を取り戻そうと努力してくれた事には感謝する。
 だが、婦女子がみだりに口移しなどするものではなく、自分も望まない。
 次からは控えてくれ。

 そう簡潔に言った後、彼は何事もなかったように、改めてリットリオやローマと挨拶を交わし、今に至る。
 統制人格は、容姿が整っている場合が非常に多い。
 ポーラもその御多分に漏れず、普通に考えれば、口移しされた事を喜ばない男の方が少ないだろう。
 しかし、桐林にとっては舞鶴事変を思い出させる行為に他ならず、塩対応をさせる原因となってしまっているのだ。

 余談だが、桐林は自分に起きた出来事を──舞鶴事変の最中、“左眼”を移植された時に見た人影の事を、まだ誰にも話していない。
 信頼できない人間には話すべきではないという忌避感が強くあり、小林 倫太郎に何かされたのだろうが、記憶が定かではない……で通している。
 監視カメラにも映像は残っていなかった。

 話を戻そう。
 ポーラの証言から、桐林が彼女に対して素っ気ないのを理解した谷風と鹿島。
 けれども、それはそれで問題だと気付き、声を潜ませる。


(ってぇこたぁ、何かい? 提督はポーラさんにゃあ丸で興味がない、って感じなのかねぇ?)

(分かりません……。でも、ポーラさんってかなり可愛らしい方ですし、ポーラさんにすら興味を持ってくれないなら、私どうしたら……)


 上でも言った事だが、ポーラは美人である。
 顔立ちは言わずもがな、緩くウェーブのかかった銀髪がより美しさを際立たせ、極め付けに、女性的な柔らかさにも恵まれている。
 飲んだくれな中身を捨て置くとして、豪華なドレスでも着せれば、一国の姫と称されてもおかしくないだろう。
 これだけの条件が揃った異性に、思わぬ形とはいえ口付けされても、めぼしい反応が見られないとなると、これから一体どうすればいいのか。

 ここで、鹿島の容姿を思い出して欲しい。
 顔立ちは美しく、髪は銀色。女性的な柔らかさに恵まれているのも同じ。
 つまり、方向性は違えども、条件自体はどっこいどっこいなのである。
 そんなポーラがキスをして、それで渋い顔されるだなんて、もはや打つ手がない。

 絶望的な現状に気付かされ、途方に暮れる鹿島。
 ところが、当のポーラは全く懲りていないようで……。


「けどけどぉ、ポーラは諦めませんよぉ~。
 提督からはぁ、隠れ呑んべえの匂いがプンプンしますからねぇ~。
 お酒の供給源のみトモを確保するためにも、どんどん迫っていくつもりで──」

「 ポ ー ラ ? 」

「ぅあひぃ」


 ピシッ。
 ポーラの表情が凍りつく。
 いつの間にやって来たのか、座敷席の上がり端にザラが立っていた。
 腕を組み、とても朗らかな笑顔を浮かべている。
 ついでに青筋も。


「……ざ、ザラ姉様? あのぉ、今のはですねぇ、艦隊に溶け込もうとする、ポーラなりの努力の形でぇ……」

「へぇ。そうなんだぁ。それはとても良いことね? 本当にそれだけなら」

「あ~……。あのぉ~……。ええっとぉ~……」


 貴方の考えている事なんてお見通しよ。
 たどたどしく言い訳するポーラを、鋭い射抜いていた。
 酒気を帯びて火照った顔が、見る間に青ざめ始める。

 ポーラは谷風を見た。谷風は目を逸らした。
 次に鹿島を見やり、また逸らされ。
 最後の希望とばかりに、厨房への戸口に立つ間宮、伊良湖を見つめるが、「頑張って下さいね!」という笑みを返される。
 助け舟は出ない。
 そう悟ったポーラは、悲壮に顔を歪ませた。

 ……かと思いきや、ポン、と手を打ち鳴らし。


「あっ、ポーラ、思い出しましたぁ~。こういう時はぁ、サンジューロッケー、ミゲル=西和で~す~」

「誰そのバンドロッカー!? もうっ、待ちなさぁーい!」


 意味不明な言葉と共に、スタコラサッサと逃げ出した。
 ザラは反射的にツッコミを入れ、律儀に鹿島たちへ頭を下げてから、妹を追いかけていく。
 後に残ったのは、ポーラが空にしたワイングラスだけ。
 三十六計逃げるに如かず、と言いたかったのだろうが、なんとも微妙な間違え方である。


「な、なんか、台風みたいに駆け抜けてったねぇ……」

「なんでしょう、この言い知れない敗北感……」


 酷く疲れた顔で、谷風と鹿島が呟く。
 ほんの十分足らずだというのに、気力をゴッソリ持って行かれた気がする。
 これから、あの強烈な個性の塊と、生活を共にしなければならない。
 色々な意味で先が思いやられた。

 そんなこんながあり、ようやく店内が落ち着きを取り戻すと、ひょっこり顔を出す人影があった。
 軍帽と、眼帯と、顔の傷。
 店への入り口の壁に半身を隠す、桐林である。


「ポーラは、行ったか」

「あら、提督? どうなさったんですか、こちらへお見えになるだなんて」

「……鹿島に用があってな」

「えっ。わ、私に?」


 間宮が声を掛けると、桐林は座敷席の鹿島を見つけ、ポーラの姿がない事をしっかり確認してから、真っ直ぐに歩み寄る。
 名指しされた鹿島は、反射的に身を硬くしつつも、若干の喜色を隠せない。「提督さんが来てくれた!」という感情が顔に出ていた。
 桐林が鹿島の対面に腰を下ろすと、伊良湖がすかさず、桐林でも普通に食べられる物──残り少なくなってしまったビールと、簡単な酢の物を並べる。
 更に、ついでだからと、少し気になった事を尋ねてみた。


「でも、提督。どうして隠れていたんですか? タイミング的に、ザラさんと一緒に来たのでは……?」

「そうなんだが……。ポーラの気配を感じて、先行して貰った」

「めっちゃ警戒してるねぇ……。ま、それもしょうがない、かぁ」


 ふぅ……と。桐林は重い溜め息をつく。
 その疲れた様子に、谷風は彼を労うように肩を叩く。
 ここに来る途中、ザラと偶然出会ったのは本当である。
 店内からポーラの声が聞こえ、無言のうちに目配せし、ザラが先行したのも本当である。
 しかし実を言うと、桐林が疲れているのは、唐突なバンドロッカーの登場にツボってしまい、必死に笑うのを堪えていたからだったりする。なんとも言えないすれ違いだった。

 それはさて置き。
 小さなコップでビールをチビチビ飲む桐林を見つめつつ、鹿島が話を切り出した。


「それで、なんの御用なんですかっ。私、お酒飲むのに忙しいんですけどっ」

「……鹿島」

「ふん、だ」


 一度は喜んでおきながら、ふくれっ面でそっぽを向く鹿島。
「不機嫌なんですっ」と言いたげな頬は、複雑な乙女心に比例して膨らんでいる。
 どうしたものかと桐林が悩んでいると、右隣にあぐらをかいた谷風が、ニヤニヤと肘で脇腹をつつく。


「モテる男は辛いよ、ってか。どうすんのさ、完全にジェラってるよー?」

「茶化すな」


 もう楽しくて仕方ありません。
 といった感じの谷風を雑に押しのけ、桐林は鹿島に向き直る。
 チラチラと様子を伺っては、そっぽを向き直す鹿島。
 下手な言い訳では拗れるだけ。桐林は素直に頭を下げた。


「すまなかった、鹿島」

「……何に対して謝ってるんですか。理由も分からずに謝るなんて、とっても不誠実なんですからねっ」


 が、やはり鹿島は御機嫌斜め。
 確かに、相手が怒っているから取りあえず謝るなんて、誠実さの欠片もない。
 彼女が怒り、酒で憂さ晴らししていた理由。
 その心当たりを、桐林は一つ一つ言葉にする。


「心配をかけて悪かった」

「はい。心配しました」

「今の今まで、放置して悪かった」

「はい。寂しかったです」

「ポーラとの事は……」

「……いいです。不可抗力ですし」


 やり取りを重ねるにつれて、鹿島の声から棘が抜けていく。
 桐林の手前、怒っていますアピールはしたものの、別に本気で怒っていた訳ではない。
 簡単に先を越されてしまった焦りを。
 色んなことが立て続けに起き、掻き立てられてしまったごちゃ混ぜの感情を、彼にぶつけていた。
 子供みたいに拗ねて、甘えていたのだ。


(私、何してるんだろ)


 なんだか、唐突にバカらしくなった。
 本当に悔しくて悲しくて、とても怒っていたはずなのに。
 ただ話しているだけで、あっという間に霧散していく。
 現金だなぁ、と笑ってしまう。


「提督さん。私、欲しい物があるんです」

「……? なんだ」


 全く意図せず、勝手に言葉が口をついていた。
 どうしてこんな事を言っているのか、鹿島自身にも分からない。まだ酔っているのかも。
 けれど、この機会を逃せば、きっと後悔する。それだけは分かるから。
 鹿島は座敷を四つん這いに、テーブルを回り込み。
 桐林の耳元で……。


「み、ず、ぎ、です」


 吐息を交えて、そう囁いた。
 桐林の表情筋が激しく引きつる。
 それがまた面白くて、鹿島は猫のように微笑む。


「私に似合う水着を、提督さんが選ぶって約束して下さい。そうしたら、明日からいつもの私に戻れる気がします」

「む……。分かった、どうせしばらくは動けなくなる。近いうちに時間を作ろう」

「わ、やった! 試着とか色々するつもりですから、期待してて下さいね? ……すっごく大胆なの、着ちゃうかも」

「……酔いすぎだ。アルコールを分解した方がいいんじゃないのか」

「嫌です♪ 酔ってなかったら、こんなこと言えません」


 鹿島がしなだれ掛かると、桐林は明らさまに右眼を泳がせた。
 今まで、何をしても大して反応してくれなかった唐変木が、いとも簡単に。
 酔いが覚めたら多分、自分の行動をはしたなく感じるのだろうが、どうせ酔っている間だけだ。
 ポーラみたいに、好き放題やってしまえと思う鹿島だった。

 しかしながら、鹿島と桐林がイチャついているのを面白く思わない人物が、まだ店内には若干名残っており。


「はーい空いたお皿下げますねー」

「うお」

「きゃっ」


 その内の一名である伊良湖は、わざわざ二人の間に割り込むようにして、問答無用の笑顔のまま皿を回収していく。
 手際が良過ぎて文句も言えないほどである。


「うふふ。鹿島さん、羨ましいわー。私も水着を持っていなくて……。ねぇ、伊良湖ちゃん?」

「そうですよねー。もう夏も真っ盛りなのに、とぉっても残念ですー」


 伊良湖と同じく、迫力満点な笑顔を浮かべる間宮が、白々しい小芝居を繰り広げる。
 何を言いたいかなど、考えるまでもない。
 私たちも水着欲しいなー、である。鹿島への牽制、宣戦布告である。


「……うふふ」

「ふふふ」

「あははー」


 鹿島 対 間宮・伊良湖の間で、目に見えない火花が、花火のように散っていた。
 蛇に睨まれたカエルの如く、桐林は動けない。動けるはずがない。
 一縷の望みをかけ、さっさと自分だけ安全地帯に避難しやがった谷風へと、眼だけで助けを求めるが……。


「諦めなよ、提督。あ、ついでだしアタシにもヨロシク~」


 谷風はそう言って、暢気にグラスを傾けるだけだった。

 もう、クールな軍人キャラ演じるのやめようかな。
 桐林は心の底から思った。




















 戦果報告! 我、初動は超遅れるも、なんとか終了一週間前に夏イベを完全攻略せり!
 難易度は甲乙丙乙甲乙丙。見事に波打ってます。スピットファイアがどうしても欲しかったんです。
 流石にE-1とE-5は軽く丙掘りしてからの攻略でしたが、先人の最適解を辿っただけあって、かつてないほどスムーズに攻略できてしまいました。
 E-4からE-6まではストレートで割れましたよ。こんなの初めて。やっぱ戦争は情報だね兄貴!(誰
 E-7も撤退なしでクリア出来ましたし、ルイちゃんは輸送装備を積まず、強引に呼んだ感じではありますが、ほとんどの新規実装艦娘を攻略中に呼べて、とても毛根に優しかったです。
 日にちが進む毎に胃はシクシクしましたがw

 狭霧ん太ももがエロい。天霧ちゃん眼鏡とは思わなんだ。旗風さん色気あり過ぎ。リシュリューさんセコムさ! 松輪ちゃん手とか柔らかそう。ルイちゃんはにゃはにゃ。
 そして、満を持してのアーク・ロイヤル様。超美人。みんながくっ頃くっ頃言うので脱がせてみたら超納得w 弩ストライクですわ。
 他にも山風ちゃんとか親潮ちゃんとか藤波んx2とか、高波風雲嵐春雨リットリオにリベッチオなど、大収穫でしたね。
 総掘り数も四十回行ってないですし、ジョブチェンジしてから妙に泥運が上がっているような? 母港MAXまで開放してたのにもうキツキツや。

 特に印象に残ったのは、様子見で行ったE-6のラスト。
 ギミック未解除、随伴にケツ姫とネ級が二隻、夏姫HP残り300オーバーな状況で、六隻目という舐めプ位置(後で変えるつもりでした)の連撃北上様が生き残り、見事に神スナイプしてゲージを叩き割ってしまった事ですかね?
 あと、E-7ボス前のケツ姫に開幕爆撃で1071ダメージ出したのも笑ってしまいました。
 全体的に空母が活躍したイベントだったと思います。E-6の空母マシマシ輸送で「圧倒的じゃないか我が軍は!」ごっこするの超楽しかった。
 さて、次は夜間戦闘機を配備しなきゃ……。今後は夜戦空母ありきの難易度とかなのか……? 5-5行きたくないなぁ……。

 次回は久々に“あちら側”の話を予定しています。
 が、諸事情により内容は変更される可能性がありますので、詳しい予告はなしという事で。
 それでは、失礼致します。




 2017/9/16 初投稿







[38387] 陰に咲く花
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2017/12/09 11:19





「う……ぐ……」


 暗がりに、呻き声が木霊していた。
 発生源らしき人影は、身体を横たえ、背中を丸めて蹲っている。
 フード付きの黒いコートに、有蹄類のような脚。
 戦艦 レ級だった。


「ふぅ……っく、ぅ……」


 歯を食いしばって、レ級は耐えている。
 腹部から広がり、精神を蝕む焦燥感を、必死に。


「食べ、たい……」


 その正体は、かつえ。
 レ級という個体の発生起源に刻まれた原始の衝動が、かつて人だった心を苛む。


「食べたい……。食べたい、食べたい、食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい……」


 ヨロヨロと、立ち上がりながらレ級が呟き続ける。
 あまりに弱々しく、しかし病的な響きを含む声は、漣の如く闇を震わせた。
 やがて、レ級はカッと目を見開き──


「野菜が食べたい。お肉が食べたい。カレーが、ラーメンが、ハンバーグが、アイスが、チョコレートが、もうとにかく、人間らしい食事がしたいいいいっ!!!!!!」


 天を仰ぎ、なんとも生活感あふれる叫びを上げるのだった。
 かと思えば、今度は突き上げた拳を落とし、「ううう………」と啜り泣き始める。
 明らかに情緒不安定なレ級。
 側で様子を伺っていた重巡棲姫が、髪型をサイドテールに変えようとしている空母水鬼へ問う。


「レ級姉サマ、一体ドウナサレタノデ ショウカ……?」

「気ニシナイ方ガ良イ。定期的ニ、アアナル」


 心配そうな重巡棲姫と対照的に、空母水鬼の反応は適当だった。サイドテールのバランス調整の方に気が向いているらしい。
 実際、レ級の発作はそう珍しくないのである。
 人間として培ってきた文化的生活の経験が、深海棲艦としての日々を憂鬱にしていた。


「もうお魚飽きた……。というか、お魚じゃなくって謎の深海生物なのが嫌だ……。こんな水底じゃ海藻も生えないし……」


 床(?)に仰向けとなり、レ級がシクシクシクと悲しみを吐露する。
 基本、深海棲艦という存在は食欲を持たず、栄養素を経口摂取する必要もない。
 ゆえに空腹感とは無縁なのだが、染み付いた生活習慣というものは恐ろしく、最低でも三日に一回は食事を摂らないと精神的コンディションを保てないのだ。
 しかし、深度数千mで入手できる食材は非常に限られ、文字どおり、エイリアンチックな深海生物しか入手できなかった。
 調理を試みたり、尻尾の口で丸かじりしてみたり、これまで色々と試行錯誤を繰り返してきたレ級だが、それも限界。
 かつての恵まれた食生活に思いを馳せ、鬱々と過ごしている。


「レ級姉サマ……。食欲ノ無イ私ニハ分カリマセンガ、空腹ナノデシタラ、コレデ ドウデスカ?」

「それケイ素植物じゃないですかヤダー! 僕が欲しいのはジャリジャリ・ゴリゴリな食感じゃなくて、シャキシャキな歯触りなんですー!」


 そんなレ級が可哀想になったか、どこからか鈴蘭に似た植物を差し出す重巡棲姫だったが、癇癪は治らない。
 先程、入手できる食材は限られると言ったが、この“領域”にだけは、辛うじて植物らしき物が自生する。
 けれども、咽び泣くレ級の言う通り、それは人知の及ぶ範囲には当てはまらない植物だった。
 不可思議な光を放ち、土ではなく鋼に根を下ろす。その生態は勿論のこと、味や食感など言わずもがなである。
 たとえ、深海棲艦にとって非常に役立つ薬効を備えた物であっても、肥えた舌には罰ゲームな食べ物なのだ。


「……姉サマ。教エテ下サイ。ナゼ、ソウマデシテ 動物ノ死骸ヤ、植物ヲ摂取シタガル ノ デスカ?」


 重巡棲姫の口から、ふと素朴な疑問が出る。
 情緒もへったくれもない言い方ではあるが、その問いには真剣さが感じられた。
 不貞腐れていたレ級は、やおら立ち上がって姿勢を正し、投げ掛けられた言葉へ向き直る。


「人間だった頃の習慣、いえ、本能の名残なんでしょうね。人は他の動植物を摂取、食べる事で栄養を吸収し、生き延びる訳ですから。時には、同族すらも餌食として」

「デスガ、今ハモウ ソノ必要ハナイ筈。我等ハ、タダ呼吸スルダケデ生キテイケル。命ヲ奪ウ トイウ事ハ、人間ノ間デハ罪ダト学ビマシタ」

「……確かに。人間の負う原罪から逃れても尚、僕は罪の中に囚われようとしている。あなた方には、奇妙に見えるかも知れませんね」


 原罪。
 キリスト教において、人間の祖であるアダムが犯した最初の罪──言い付けに背いて知恵の実を食べた事に由来する言葉。
 神はその事に怒り、アダムとイヴを楽園から追放したとされるが、もう一つの果実──生命の実を食べ、アダム達が神に等しい“力”を得る事を恐れて追放したという説も存在する。
 レ級としては、この本来の意味ではなく、他の生命を害する事でしか生きられない人間の在り方を、特に罪深いものとして評したつもりだった。

 が、しかし。


「でもそんなの関係ないんです! 僕は今、溢れ出る肉汁で、新鮮なお野菜で、添加物と合成着色料がたっぷり入った甘味でっ、味蕾を刺激したいんですよ!
 あえて断言します! たとえ“こちら側”が生命体として人間より遥かに進歩していたとしても、文化面については未熟であるとっ!!」

「姉サマ ガ燃エテイル……」


 小難しい哲学論争など、食欲の前では馬耳東風。
 真面目な雰囲気も一瞬で消え、拳を握るレ級の瞳に、重巡棲姫は熱く燃える炎を見た。
 いい加減にうるさく思ったのか、今度はツインテールに挑戦した空母水鬼が、レ級に提案する。


「ソレホド人間ノ食事ヲ求メル ノ ナラバ、マタ陸ヘ行ッタラ ドウダ? 変装スレバ イイ」

「それはそうなんですけど、あれはあれで苦労するんですよ……。
 ズボンで見た目は隠せたって、どうしても歩き方が人と違ってしまいますし。
 ああ、このカモシカのように引き締まった美脚が憎い……っ」

「自虐風自慢、鬱陶シイ」

「すみません。つい」

「姉サマ。一ツ、イイデスカ?」

「はい、なんでしょう」

「前ニ聞イタ時カラ思ッテイタノデスガ、下半身ヲ丸ゴト隠セル、ロングスカート ヲ 履ケバ良イノデハ ナイデショウカ」

「……あ」


 その発想は無かった、という表情。
 重巡棲姫が指摘したとおり、前回同様わざわざ緩いズボンなんて履かず、スカートで丸ごと隠してしまった方が楽だし、万全である。
 どうして簡単な事に自分で気づけなかったのか。レ級は顔を覆う。


「なんたる盲点……! 食欲だけに留まらず、過去の性別にまで囚われていたとは、不覚、不覚です……!」

「時々、姉サマ トイウ方ガ、分カラナク ナリマス」

「楽シソウ ニモ、見エルガ」


 首をかしげる重巡棲姫と、髪型変更を諦めた空母水鬼が、騒がしいレ級を不思議そうに、そして羨ましそうに見つめる。
 かつては人間でありながら、今では“こちら側”で最も忙しく動き回る個体。
 時が来れば最前線へ赴き、旧友相手に砲を向けるのを強いられるというのに、彼≒彼女は全力で人生を謳歌しているように見える。
 それが重巡棲姫には不思議であり、空母水鬼には羨ましかった。


「とにかく、これで解決策が見つかりました! 早速、適当な布地を構成して行ってきます! お二方は、何か欲しい物とかあります?」

「イヤ、特ニハ」

「私モ……。楽シンデ来テ下サイ」

「はい! では、行ってきま──」


 そんな二人をさて置き、天真爛漫な笑みを浮かべるレ級が、颯爽とその場を立ち去ろうとした瞬間。
 ドクン、と。世界そのものが脈動した。
 正確には違うのだが、そう感じさせるほど大きな“力”の波が、どこからか発せられたのである。


「今のは……」

「ドウヤラ、形ヲ成シタヨウダ」

「……新シイ躯体の誕生、デスカ。姉サマ ノ 様ナ」


 波の中心点の方を見やり、三人が顔を見合わせる。
 波動を感じた方角にあるのは、やはり闇。
 何も見通す事は叶わないのだが、その向こうに、深海棲艦にとっての聖域がある。
 いや、深海棲艦だけでなく、地球上に存在する、ありとあらゆる生命にとっての、聖域が。


「適性はやはり……?」

「オソラク、駆逐艦ダロウ」

「意外ですよね。僕的に、航空戦艦のイメージが強いんですけど」

「連レ帰ッテ来タノハ、ソノ“部分”デハナイ。昇華サレズニ残ッタ“モノ”ガ、躯体ヲ構成シテイル」

「なるほど」

「……?」


 誕生した躯体の由来を知っているレ級と空母水鬼は、先程までと打って変わり、真剣な顔で語り合う。
 重巡棲姫だけはイマイチ理解していないようだが、さしたる興味も無かったようで、口は挟まない。


「では、そちらはお任せしても?」

「問題ナイ」

「行ッテラッシャイマセ、姉サマ」

「はい。行ってきます」


 レ級にとって旧知の存在。
 出迎えたい気持ちはあったのだが、空母水鬼の言うところが正しいのなら、新しく生まれ直した躯体に、記憶は宿っていないだろう。
 寂しい思いもあったけれど、詮無い事だと諦め、二人に背を向ける。


(ついでに、“彼女”の所にも顔を出しますか。“彼”も近づいているようですし、ね。また埋もれてないといいんですが)


 レ級の足取りは軽く、表情も明るい。
 しかし、身に纏う気配は重く、暗い。
 隠し切れない波乱の予兆が、溢れていた。


















 “それ”は安堵していた。
 終わりゆく命の灯火を感じながら、己を振り返り、諦めようとしていた。


(──────)


 決して、満足のいく結末ではなかった。
 ああしていれば、こうしていればと、ひっきりなしに心残りが湧き出るけれど、もう終わった事だ。
 不甲斐ないなりに、けじめだけは着けられた。後を任せられる存在も居る。
 だから、自分はもういいのだ。もう頑張らなくてよいのだと、安堵していた。
 安堵したまま、“それ”は存在そのものを解こうとしていた。


(───、さま)


 だというのに。
 更紗から生糸へと解けていく心に、何かが、引っかかる。


(ごう──さ─)


 この手で討った、倫太郎の事では、ない。
 道連れとしてしまった、伊勢、日向の事でも、ない。


(──し、さま)


 懐かしい声がする。
 記憶の奥底に封じた、後悔の陰りを感じる。
 血を分けた息子を喪うという、耐え難い失意の中で出会った、最初の統制人格。


(ごうし、さま)


 ──ああ。秋月。

 どうして忘れていた。
 あれ程まで付き従ってくれた“彼女”を。
 どうして忘れていられた。
 伊勢たちのために自らを投げ打った、最初で最後の、あの笑顔を。
 どうして。どうして。どうして。どうして。どうして……。





「本当ノ後悔トイウモノハ……。例エ忘レ去ラレヨウトモ、幾度トナク蘇リ、心ヲ抉ル」

「許して下さい、なんて言いませんよ。先生。その情念、利用させて頂きます」





 “それ”は確かに、安堵していた。
 安堵していたが故に、思い出してしまった心残りが、濃厚な陰りとなって、消えゆく魂から零れ落ちる。
 “それ”は知る由もない。
 最後まで拭えなかった罪悪感が、胚子のように受肉してしまった事を。
 その胚子が、後世を託した若者たちの、大いなる災いとなる事を。
 けれど、輪廻の輪へと戻っていった“それ”には、もう、関わりのない事だった。
 どんなに望もうとも、関われない事だった。




















 二回連続の戦果報告! 我、甲乙甲乙にてスリガオ海峡を突破せり!
 いやー、一言で現すと面倒臭いイベントでしたね。
 最初からボスに直行できるマップが一つもない上に、E-3・E-4では防空無傷が必要とか、もう本当に面倒臭い。
 最終海域は紫電改四に釣られて乙を選んでしまったのですが、Z6とかは全く苦戦しなかったのに、ゲージ一本目がなかなか割れず。
 潜水デコイやら戦艦六隻やら色々と迷走しまくった挙句、普通に西村艦隊で突破しました。
 これでダメなら丙に落とそうと、ストレスフリーな精神状態になった途端クリアするこの現象。なんなのだろうか。
 しかも、駄々をこねる闇城さんを扶桑が、だっちゅーの(死語)姉サマを山城が殴り倒し、ドロップはそれぞれ扶桑型姉妹という芸の細かさ。思わずロックして二隻目の育成を始めちゃいましたよ。

 まぁ、エンジョイ勢にしては頑張ったと思います。
 なんだかんだと言いつつ、しまむら艦隊戦略が発見される頃にはイベント終えられたし、支援艦隊の重要性と給糧艦の有り難さも再確認しました。
 限定艦が両方とも呼べないままクリアしちゃったんですが、掘り始めたらすんなりお迎え。狙ってた雲龍二隻目も掘れたしで、戦果は上々です。
 でも、秋月とか松輪とか春日丸とかクナ尻とか、神風x3、春風、神威、あまつんとっきーやはギンギンなど、特に狙ってなかったダブり艦まで寄ってきて解放したはずの母港がまたヤバい。
 早いとこ高波風雲江風春雨牧場を終えて対空えs──もとい引退させなきゃ……。まるゆも欲しかった……。
 ところで、涼月のウィスパーボイスとロケット乙πが股間に来るのは仕様なんでしょうか?
 今更ながら秋月型の駆逐艦らしからぬシルエットが悩ましい。薄い本はよ。
 あ、シオンちゃんも佐渡っちも対馬んも可愛いっす。薄い本はよ(大事なことなのでry

 ……なんでこんなに遅くなったか? 色々あったんです。色々。
 そして、これから先も色々あるんです。色々……。the surgeの二週目とか完全版バイオ7とか。
 MGジャッジv2.0でブレード光波出すの楽しいっす。赤原さん家のクリス兄も早く使いたい。
 それでは、失礼致します。




 2017/12/09 初投稿







[38387] 航空母艦 鳳翔の悩み
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2018/01/03 11:23





「さてと。そろそろ夕飯の下拵えをしなくちゃ」


 航空母艦 鳳翔は、その日も宿舎の厨房に立っていた。
 着物の上から割烹着を着け、髪が落ちないように三角巾もしっかり結び、準備万端である。
 まだ日は傾き始めたばかりだが、数十人分の料理の下拵えとなると、相応に時間が必要となってしまう。
 自らも名を連ねる艦隊を構成する、健啖な少女たちの胃袋を満たすのも、今の鳳翔の勤め。「よしっ」と拳を握って気合を入れていた。
 すると、そんな鳳翔へ、背後から声をかける少女が二人。


「鳳翔さ~ん。球磨も手伝うクマ~」

「多摩も、お手伝いするにゃ」

「あら、当番じゃないのに、良いの? ありがとう、二人とも。助かるわ」


 語尾が特徴的な、球磨型軽巡洋艦の一番艦と二番艦が、鳳翔と同じく割烹着を着て立っていた。
 艦隊の烹炊が鳳翔の仕事とは言ったけれど、流石に一人で全てを切り盛りできる訳ではなく、当番制で手伝いをするようにと、提督によって決められている。
 具体的な案を出したのは重巡洋艦の妙高だったりするが、ともあれ、人出が足りなくなる事は滅多にない。


「今日の献立は何クマ?」

「和食は、なめこ汁と肉じゃが、鰆の幽庵焼きに、中華は麻婆豆腐にキクラゲと卵のスープと、洋食の方は、ポトフとハンバーグ。
 小鉢は、茹でて刻んだ蔓紫と空芯菜の和え物、キュウリとモヤシの酢の物、コールスローサラダから一つよ」

「サワラ……! 美味しそうにゃ」

「鳳翔さんが料理するんだから、どっちも美味しいに決まってるクマ~」

「それもそうにゃ。早く食べたいにゃ」


 ただ、「手伝って貰うのだし、一人で出来る事だけでも」と、鳳翔がいつも前倒しで下拵えを済ませてしまうので、当番制にあまり意味は無かった。
 しかしながら、鳳翔の世話になっている少女たちもそれを重々把握しており、暇がある時には、球磨たちのように自発的に手伝いを申し出るのだ。
 働き者過ぎる鳳翔にも、困ったものである。


「それじゃあ、球磨ちゃんはタマネギを。多摩ちゃんにはニンジンをお願いできる?」

「任せるクマー!」

「お茶の子さいさい、にゃー」


 ズラリと並ぶ食材を前に、球磨と多摩はガッツポーズ。
 鳳翔の指揮の元、美味しい夕食のために突貫する。
 ……のだが。


「あ、あれ? お、おかしいクマ。タマネギの皮が、思うように剥けない、クマ……ッ!?」


 早速、球磨がつまずいた。
 まずはタマネギの頭と根を落とし、皮を剥こうとしたのだが、ちょっと剥いてはビリッ。ちょっと剥いてはビリッと、小さく破けてしまうのである。
 料理をした事があれば、誰でも似た経験があるだろうけれど、あいにく、球磨はそれほどでもないため、初めてのもどかしさだった。


「きっと、乾燥しすぎて脆くなってしまったのね。そういう時は、水に浸せばちゃんと剥けるようになるのよ」

「本当クマ? ……おおお! マジだクマ、今度は破けないで剥けるクマー!」

「後は、頭の部分を落として、先に半分に割ってから、根の方をこうして切ると……ね?」

「おおー! こんな方法もあるクマかー。……よし、上手に剥けたクマー!」


 見兼ねて鳳翔が助けに入り、ボウルに汲んだ水の中で皮を剥くと、破けずに皮が剥けていく。
 次に、割ったタマネギの根の部分に、包丁のあごでく、り抜くように切れ目を入れ、そこから皮を一気に剥いて見せる。
 手際の良さに球磨は感動し、慣れない手つきながら、自分でも同じようにやってみると、今度は上手くいった。ドヤ顔である。


「流石は鳳翔さん、大人にゃ。経験豊富で憧れるにゃ」

「ふふふ。ありがとう」


 ニンジンをピーラーで剥いていた多摩は、姉妹艦を的確に指導してみせた鳳翔を褒め称える。
 瞳には純粋な憧れの感情が伺え、多少の照れ臭さを覚えつつ、鳳翔は微笑み返すのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 時は経ち、満月が暗い空を泳ぐ夜。
 今日一日を無事に乗り切り、純和風な自室にて、薄桃色の襦袢だけを身に纏う鳳翔は、意外にも落ち込んでいた。


「はぁ……」


 深く溜め息をつき、敷いてある布団の枕へ顔を埋め、しばらく。
 仰向けに寝返りを打った彼女は、天井を見上げて呟いた。


「大人、かぁ。私だって、女の子なんだけどな……」


 地味に気にしていたのは、多摩の言った一言。あの場では普通に嬉しく思ったのだが、一人、自室でくつろいでいると、妙に気落ちしてしまう。
 確かに、鳳翔の見た目は二十代前半から半ばの女性である。
 雰囲気も落ち着いていて、同じ年代の見た目を持つ戦艦や空母たちからも、敬意を以って扱われている気がする。
 軍艦の現し身に実年齢などなく、見た目や性格、喋り方などの雰囲気で対応を決めるのは、ある意味で仕方ない。
 仕方ないとは思うけれど、鳳翔にだって乙女心はあるのだ。
 たまには年上の女性ではなく、女の子扱いされてみたいと思う事だって、あるのだ。


「やっぱり、着物を着てるからそういう風に見られるのかしら。いっその事、私もセーラー服を……」


 ムクリと身体を起こし、鳳翔は自分が大人として扱われる理由を探る。
 まず、一番の理由と考えられるのは、やはり見た目。
 航空母艦としての装束である着物は、鳳翔自身も気に入っている、落ち着いた風合いの一品なのだが、それが外見年齢を上げている一因とも言えるだろう。
 試しに、鳳翔は違う衣装──駆逐艦や軽巡洋艦、重巡洋艦たちの衣装を着た自分を想像してみた。

 特型駆逐艦のオーソドックスなセーラー服。
 初春、子日、龍田のワンピースタイプに、朝潮型や陽炎型のブレザータイプ。
 天龍、球磨型、長良型、川内型、最上型の、それぞれに趣の違う学生服。
 そして、高雄型、妙高型が着る、働くお姉さんタイプなどなどなど……。

 一通り想像し終えて、鳳翔は。


「駄目だわ……。自分でもコスプレとしか思えない」


 布団に両手をついて更に落ち込んだ。
 想像している間、鳳翔の中の小悪魔が「ババア無理すんな」と言うほどだった。ちなみにその小悪魔は脳内で爆撃した。
 ともあれ、似合わないという感想だけは鳳翔も同意できる。
 何が似合わないって、もう全体的にとしか言えない。
 うっかり、島風の服を着た所まで想像したのがいけなかったのだろうか。
 あれは彼女だから許されるのであって、あんなの着たら通報されちゃうと、鳳翔は想像しただけなのに悶死しそうだった。


「せめて、髪型だけでも変えてみましょうか……?」


 しかし、乙女心は諦めが悪く、もう少し現実的に変化を起こせる場所……。髪型の変化に着目する。
 いつもの髪型は、いわゆるポニーテール。後頭部の、少し高い位置で結ぶのが鳳翔のこだわりだ。
 これを変えれば、ちょっとは見た目が若くなるのでは?
 試しに、化粧台で髪を解き、二つ結び──ツインテールにしてみると。


「なんだか、子供っぽ過ぎて違和感があるような……」


 確かに若くなったように見えなくもないが、これでは逆に、幼く見えてしまうような気もした。
 なんというか、中学生っぽい。
 流石に子供のように扱われるのは避けたい。ツインテールは失敗である。

 次に試すのは、密かに憧れていたシニヨン。
 艦隊の中でもこの髪型は少なく、イメージチェンジには最適だろう。
 また髪を解き、覚束ないながら、なんとかシニヨンの形に整えて、鏡を覗く。


「う~ん……。気分転換にはなりそうだけど、準備に手間取って朝の支度が遅れそうね」


 普段の印象とは少々違い、垢抜けた女性というか、モダンな雰囲気を得た気がする。良いかもしれない。
 けれど、この髪型にするには結構な時間が掛かり、早朝、身嗜みを整えるだけで一苦労しそうだった。普段からシニヨンにしている妙高の苦労が伺える。
 自分のワガママで皆に迷惑は掛けられないと、鳳翔はこの案も却下する。
 誰かが見ていたら、もっと自分のために時間を使って下さい! とでも言われそうなものだが、そういう部分で他人を優先してしまうのが、鳳翔の美徳でもあった。なかなか難しい。

 当の本人はその事に全く気付かず、今度は頭の横で髪を結ぶ、サイドテールに挑戦するも……。


「これじゃあ、加賀さんの真似にしか……」


 同じく航空母艦であり、艦隊の主力でもある正規空母、加賀とほぼ同じになってしまい、万事休すと肩を落とした。
 別に同じ髪型でも問題ないというか、加賀も文句など言わないと思われるが、ここで重要なのは、自分らしさを保ちつつ、女の子度をアップさせること。
 航空母艦同士での真似事は厳禁だと、変な所で生真面目さを発揮する鳳翔であった。

 そんなこんなで時間は過ぎ去り、今度は潜水艦である伊9。通称イクのトリプルテールを真似してみようとしていた時。
 唐突に、廊下へと続く引き戸がノックされた。


「鳳翔さん、遅くにすみません。少しいいですか?」

「っ!? て、提督!? は、はい、ただいま──あっ」


 男性の声。
 この時間に鳳翔を訪ねる男性は、物理的な立地を鑑みても一人しか居ない。艦隊の指揮を務める青年だ。
 まさかの人物の登場に、鳳翔は慌てふためき、とりあえず結びかけだった髪を解き、そのまま出迎えようと立ち上がってから襦袢姿なのを思い出す。
 これまた慌てて半纏を羽織り、戸を開ける前に一度深呼吸。いつも通りを装い、ようやく提督を迎える。


「お待たせしました……っ。何か?」

「あ……。はい、ええとですね。例の、お店の件で話があったん、ですけど」


 左手に軍帽とファイルフォルダーを抱えた提督は、鳳翔を一瞥した後、目線を逸らしながら要件を告げる。
 おそらく、鳳翔が責任者となる飲食店の、本格的な出店に関する話であろう。
 だが、なぜ目線を逸らす必要があるのだろうか?
 奇妙な反応に鳳翔が小首を傾げると、彼は何故だか、軍帽を目深に被って続けた。


「もしかしなくても、取り込み中だったみたいですね。着替え、とか。本当にすみません、時間も弁えずに」

「い、いえ、そんな。謝らないで下さい、提督。特に何もしていませんでしたから」

「そうなんですか? でも……」

「……?」


 髪型を変えて遊んでいました、とは言いづらく、適当に誤魔化す鳳翔だったが、何やら提督も歯切れが悪い。
 再び小首を傾げてしまう鳳翔に、彼は。


「その……。失礼を承知で、言わせて貰いますがっ。……む、胸元が少し、はだけていて、ですね」

「……えっ!?」


 実に恥ずかしげに、そう言った。
 驚いた鳳翔がバッと下を向くと、言われた通り、襦袢の衿が少し緩み、普段は隠れている肌が見えてしまっていた。
 慌てて身支度を整える間に、合わせがズレてしまったのだろう。


「すっ、すみませ……! ぉぉ、お見苦しいものを……」

「い、いえっ! 見苦しいとかは、あの、決して……」


 大急ぎで衿を合わせ、顔を真っ赤にして謝る鳳翔。
 恥ずかしい。恥ずかしくて恥ずかしくて、穴があったら入りたい。
 対する提督も同じように感じているらしく、二人の間には沈黙が広がった。


「あ、明日! 明日、改めて話しましょう!」

「そ、そうですね! その方が良いと思います!」

「ででで、では、おやすみなさい!」

「お、お休みなさいませ……」


 やがて、耐えきれなくなった提督の方から、明日に仕切り直そうと提案され、鳳翔は一も二もなく頷く。
 逃げるように去っていく提督を、頭を下げて見送り、ぎこちない動きで部屋に戻って、布団の上に正座し、数秒。


「ああ……っ。私ったら、なんてはしたない……!」


 鳳翔はまた枕へと顔を埋め、ジタバタしながら「私のバカ私のバカ私のバカ」と、自己嫌悪に陥ってしまうのだった。
 そして提督の脳裏には、いつもはポニーテールに結んでいる髪を下ろし、胸元を覗ける襦袢姿の鳳翔の姿が、しっかりと刻まれた事だろう。
 この事が二人に、どのような影響を与えるのか。
 それは、遠い未来の彼女たちだけが知る事である。




















 普段は落ち着いてる女性が慌てふためく姿とか可愛いと思います!

 はい。という訳で、明けましておめでとうございます。新年一発目の小話でした。
 鳳翔さんはいつでも可愛いですが、やっぱり羞恥に悶えてる時が一番クると、筆者は考えます。正月グラの中破姿も最高やで。
 今年はこんな感じの短い話を、出来れば月一で更新していきたいと考えております。
 次回は電ちゃんの予定で、その次からは未定ですが、今後とも宜しくお願い致します。
 ……本編はどうするのか? 今年中には更新しますよきっと(クロールする目玉)。
 それでは、失礼致します。






[38387] 駆逐艦 電の所望すること
Name: 七音◆f393e954 ID:7835a331
Date: 2018/01/16 21:25




「さてと。それじゃ行こうか」

「はい、なのです」


 早朝。
 白の詰襟に軍帽を揃え、ピッシリ身支度を整えた自分は、借家の玄関で振り返る。
 そこには、セーラー服を着て、長い茶髪をクリップで後ろに留める美少女が居た。
 駆逐艦、電。
 自分が初めて励起した、統制人格だ。
 かなり幼く……中学一~二年生くらいに見える彼女は、こちらへ優しく微笑みかけてくれている。
 ああ、やっぱ可愛ぇなぁ。


「あ、司令官さん。ちょっと待って下さい」

「ん? 何か忘れ物?」

「そうじゃないんですけど……。少し、屈んでもらいたいのです」


 玄関から出ようという所で呼び止められ、なんだ? と思いつつ少し屈めば、ほっそりとした指が首元へ伸ばされる。
 こ、これはもしや、行ってらっしゃいのキス、とかか!?
 んな訳ないわな。冷静に考えて。好感度も足りないだろうし。
 バカな事を考えている間に、彼女の指は襟をちょちょいといじって。


「襟のホックがズレちゃってました。これで大丈夫なのです!」

「あ、ああ……。ありがとう、電ちゃん」


 満面の笑みを、また向けてくれる。
 どうしてくれよう。このいじらしい愛され美少女。
 ここに来るまで色々あったけど、こんな可愛い子が新妻の如くお世話してくれるってだけで、ウン百万円単位のお釣りがくるよ……。
 と、幸せを噛み締める自分だったが、何故か電ちゃんは、物言いたげな表情でこちらを見つめる。


「電ちゃん? まだ、どこかおかしい?」

「あ、いえ。なんでもないのです」


 両手を顔の前でワタワタと振り、「行きましょう」と促す電ちゃん。
 ……どうしたんだろう。
 もしかして、明日から毎日ホックを留め忘れようって考えていたのがバレた? いや、そんな感じでもなさそうだ。
 実は昨日の夜から、こんな表情を幾度か見ていた。
 その度に声を掛けたが、彼女はさっきと同じように「なんでもないのです」と言うばかり。気になるな。
 気にはなるんだけど、このまま問答していたら訓練に遅れそうだし、とりあえず家を出よう。

 借家から一歩出れば、目前には見事な桜並木が通じていた。
 と言っても、まだ花は咲いていない。
 沢山の蕾が、今か今かと春の到来を待っている所だ。
 ようやく暖かくなった陽射しが心地良くて、自分は歩きながら伸びをする。


「あ~、やっと春めいて来たなぁ。桜が咲いたら綺麗だろうし、お花見したくなるな」

「お花見ですか。楽しそうなのです。電と、司令官さんと、書記さんや先輩さんも誘って……」

「いや、電ちゃん。書記さんまでは良いけど、先輩を誘うのはちょっとマズいと思うよ?」

「そう、ですか?」

「うん。酔ったふりして襲いに来そうだし。酒乱の気があるんだよ、あの人」

「そ、そうなのですか。ぜんぜん知りませんでした」


 あの先輩の事だ。花見にかこつけてビールとか大量に持ち込み、「酔っちゃったんだから仕方ないよね!」とか言ってセクハラ三昧になる。絶対になる。酔ってなくたってなる。
 だから酒乱というあり得そうな嘘で誤魔化すのだが、でも、電ちゃんの前ではまだカッコいい女性提督として振る舞ってるから、花見をしても礼節を保ってくれる可能性が微レ存?
 ……いや、どっちにしろ被害を受ける可能性の方が大きい。花見をする時は先輩に嗅ぎつけられないようにしなければ。

 そんな風に企みつつ、自分は電ちゃんの様子を伺う。
 特に変わりなく見え、小さい歩幅で、一生懸命に着いて来てくれていた。
 だが、やはり玄関での表情が引っかかる。
 電ちゃんは引っ込み思案な性格みたいだから、言ってくれるのを待つより、こちらから聞いた方が早いかも知れない。
 ……こ、こういう事には慣れてないし、緊張するな……。
 いや、男は度胸だ! 勘違いならそれで良いんだし、聞いてみよう!


「今朝の事なんだけどさ。本当に、大丈夫かい? 何か気になることでもあるんじゃない?」

「あ、えっと……。大したことじゃないのです。だから……」

「君にとっては大したことじゃなくても、自分にとっては重要なことかも知れないじゃないか。
 なんでも話してくれていいんだ。自分は、君の司令官なんだからさ」


 歩幅を合わせ、隣に並んで問いかけてみると、ゆっくりと足を止める電ちゃん。
 そよ風が吹き、桜の蕾たちを優しく揺らす。
 ややあって、彼女は俯き加減に、手をモジモジさせながら呟いた。


「き、昨日の、訓練の時。電のこと、呼び捨てにしてました、よね」

「……やっぱ嫌だった!? 馴れ馴れしかったよねゴメンナサイっ!!」

「はわっ!?」


 自分は反射的に、腰を九十度に曲げる。
 昨日の訓練……。初めて標的艦に砲弾を的中させられた、あの訓練の際、自分は電ちゃんを呼び捨てにした。
 自分に喝を入れるためであり、今までとは違う“自分”になるためでもあったが、やっぱり馴れ馴れしいのはダメだよなぁと、訓練が終わったら呼び方を元に戻したのだ。
 あああ、嫌がられるかもって思いながら、あの時は勢いで呼び捨てにしちゃったけど、こんな事なら非モテ男らしく──


「び、ビックリしたのです……。でも、そうじゃなくて、ですね」

「……へ? 違うの?」


 電ちゃんの否定の言葉を聞き、頭を下げたままに問い返してみると、彼女は。


「う、嬉しかった、のです。司令官さんが、電のこと、受け入れてくれたみたいで。
 だ、だからっ。出来れば、ですけど。……これからも、呼び捨てにして欲しい、のです……」


 薄紅に頬を染め、そう言ってくれた。
 こんな乙女チックな反応、生まれて初めてだった。


「ぃ、電?」

「……あ。はいっ、司令官さん!」


 姿勢を戻し、恐る恐る呼んでみたら、それこそ花が咲いたような笑顔を浮かべ、電ちゃんは──電は、答えてくれる。
 その笑顔に自然と頬が緩み、けれども、だらしない顔を見せたくなかった自分は、口元を隠して、近くの桜の木に手をついて深呼吸を繰り返す。
 落ち着けー。落ち着け自分ー。
 抱きしめたいとか思っちゃ駄目だぞー。今の心理状態じゃ、うっかり実行に移しちゃうからなー。


「し、司令官さん? どうかしましたか? どこか痛いんですか?」

「いやいやいや、なんでもない。大丈夫。むしろ絶好調になったよ。戦意高揚したよ。キラッキラだよ」

「……?」


 どうにかこうにか萌ゆる心を宥めた自分は、自分でも分かるほど快活な笑顔で返した。
 いやはや。
 女っ気のない学生生活で自分はモテないんだと思ってたし、ちょっとでも強気に出るとシッペ返しを食うって姉たちに調教されてたけど、これはあれだな! 人生初のモテ期が来たか!
 二十代半ばに差し掛かろうという今、やっと我が人生にも春が来たのだっ!

 ……とか調子乗るとマジで痛い目みるだろうし、電ちゃ──電が優しく、初心な子なんだという事にしておこう。
 それでも十二分に可愛くて、見てるだけで幸せですが。
 嘘です。やっぱり抱きしめたいです、はい。


「あ。司令官さん、あれ!」

「ん? ……あっ」


 ふと、電が頭上を指差した。
 釣られてその先を目で追えば、そこには一足早く咲いた、桜の花があった。
 まだ一輪だけで、少し寂しそうにも見えるけれど。
 確かな春を告げる、淡い桃色の花が。


「春だなぁ」

「司令官さん、さっきも言ってたのです」

「そうだった」


 思わず呟くと、電は小さく笑いながら、眩しそうに桜を見上げる。
 自分も彼女の隣で、同じように。

 つい数ヶ月前までは、何も考えず、ただ惰性で動き続けるだけの人生を送っていた自分が、今ではこうして、魂を分け合った少女と共に、戦いへの訓練を積んでいる。
 実感なんて今でもないし、これから獲得できるか、自信すらない。
 でも。それでも。
 この子が、電がこんな風に笑ってくれるなら、頑張れる気がした。


「行こう。電」

「はい。司令官さん」


 呼びかけ、視線を下ろすと、電もこちらを見てニッコリと。
 自然、並んで歩き始める。
 一緒に見上げた一輪の桜が、意外なほど気力を充実させてくれていた。

 今日も一日、頑張ろう!




















 知ってるか。この新妻ちゃん、一年後には電話越しに女(現地妻)の気配を察知してヤンデレるんだぜ。
 という訳で、新年二発目。可愛い電ちゃん話でした。今となっては皆懐かしい……。
 そろそろ本編でも電ちゃんのテコ入れをしたいんですが、その前に色々と書かなければいけない話があって、思うように筆が進まずヤキモキしております。だから息抜きのこっちが捗ってしまうんですけども。ナンテコッタイ。
 次回は年末年始が修羅場だったらしい某駆逐艦です。何気に初登場となりますが、今後はsage更新で初登場な艦娘が多くなると思いますので、あらかじめご了承下さい。
 それでは、失礼致します。




[38387] 駆逐艦 秋雲、驚愕する
Name: 七音◆f393e954 ID:7835a331
Date: 2018/02/03 11:48





「ああ、いたいた。おーい、提督ー!」


 唐突に、鎮守府の廊下に少女の声が響いた。
 一人歩いていた提督が振り返ると、何か、ケバケバしいビニールのパッケージを片手に駆け寄ってくる人影が。
 夕雲型の制服であるサロペットスカート姿の彼女は、意外な事に陽炎型駆逐艦の末妹、秋雲だった。
 茶色の髪をポニーテールにし、それを文字通り尻尾のように揺らす姿は、本人の容姿と相まって非常に愛らしい。
 ……はずなのだが、提督は実に嫌そうな表情を浮かべて対応する。


「なんだ、秋雲」

「ちょ、露骨に顔しかめる事ないじゃん。……やっぱダメ? 鎮守府から薄い本出すの」

「鎮守府を一体なんだと思っているのか、文書で提出してもらおうか」

「あっはっはっはっは、サーセン」


 額に青筋を浮かべる提督に凄まれても、秋雲に反省の様子は見られない。
 史実を反映したのか、彼女には絵心があり、実際、その腕前は確かなものである。
 しかし、いずれは同人誌の稼ぎで田園調布に白亜の豪邸を建てたい! と目論んでいる秋雲は、事あるごとに「艦娘ネタの薄い本描かして! みんなの許可は貰うし、相手は提督をモデルにするから! 健全なのにするから!」と言って、周囲を困らせているのだ。
 ごく一部、相手役が提督であるという部分に惹かれて許可しそうなのが居るという事が、更に問題を拗らせている。
 某練習巡洋艦などは、私費を投じてまで描いて欲しいと言い出しそうなのが怖い。


「薄い本への出演なら絶対にお断りだ。例え健全だろうと、相手が誰であろうとも、だ。前にそう言っておいたはずだが」

「あー、違う違う。流石の秋雲さんだって、四六時中薄い本の事ばっか考えてるわけじゃないって。そうじゃなくって……ほい、これ」


 てっきり、また薄い本出版の許可を求められるのかと思っていた提督だが、秋雲は顔の前で手を振り、代わりにパッケージ──ポテトチップスの袋を差し出す。


「これは?」

「期間限定、数量限定の激レアポテチ。ナマコ酢味」

「……何を考えてこんな物を」

「ウケ狙ったんでしょ、きっと。もしくは電波を受信したか」


 目を細め、ゲンナリ呟く提督と、パッケージに踊るやたらリアルなナマコを見て笑う秋雲。
 色んな方面で資源不足に悩まされている現代日本において、こういった嗜好品の類いはかなり高額になっているなずなのだが、随分と遊び心に溢れる企業があったものである。


「いやー、ネタになるかと思って買って来て貰ったんだけど、マッズいのなんの! あんまりにもマズいから、提督にも食わそうと思って」

「マズい物を食べさせようとするな」

「いいじゃんいいじゃん、記念に一枚。ほら」

「いらん」

「そんなこと言わないでさー。食べてくれたら……。パンツ、見せてあげたって良いんだよぉ……?」

「いらんと言っている。それにもう見飽きた」

「ヒドッ!? あ、あたしだって女なんだぞー! 流石にその言い方は傷つくわー!」


 ヒラリ、とスカートの端をつまみ上げ、色仕掛けしてみる秋雲だったが、にべもなく断られてしまう。
 普段は見なかった事にしてスルーしている提督も、秋雲のようにダシに使う統制人格相手には遠慮しないのだ。


「頼むよ提督ー、一枚だけでいいからー、それも嫌なら半分、いや先っちょだけでいいからー。マズいから捨てるのなんて勿体ないんだよー。てーいーとーくー」


 一方、諦め悪く周囲をグルグルしつつ、誤解を招きそうな言い回しで頼み込む秋雲。
 この分では、承諾しないとトイレまで着いてきそうである。
 仕方ない、と提督は溜め息をつく。


「……はぁ。一枚だけだぞ」

「おっ? マジで? よっしゃー! じゃあじゃあ、せめてあたしが食べさせたげるよ! ほい、あーん」


 一転、秋雲は喜色満面に歓声を上げ、ポテチをつまんで提督の口元に。
 正直な話、こんな風に誰かに物を食べさせられるのが苦手になっていた提督だが、男に二言はない。
 覚悟を決め、秋雲の手からポテチを食べる。


「………………」

「どうよ? マズいっしょ?」


 ザクザクザク。
 厚切りのチップスが、音で食欲をかき立てる。
 しかし、騙されてはいけない。このポテチはナマコ酢味なのだ。
 ジャガイモ本来の風味と塩気と、調整をミスったとしか思えないナマコ酢の酸味とエグみが絶妙に混じり合い、えも言われぬ地獄を醸し出しているのだ。
 当然、提督の鉄面皮も剥がれると予想し、その顔を記憶してイラストにしてやろうと、秋雲は考えていた。

 ところが。


「秋雲。もう一枚いいか」

「へ。あ、うん」


 何故だか提督はもう一度ポテチを要求し、戸惑いながら、秋雲がまた一枚。
 改めてポテチを咀嚼する彼は、それを確かに味わい、しっかり嚥下して。


「美味いじゃないか」

「ぇええぇぇえええっ!?」


 予想を裏切る感想で、秋雲を驚愕させるのだった。
 ナマコ酢味のポテチが、美味しい。
 秋雲ですら三枚も食べられなかったアレが、美味しい。
 にわかには信じられなかった。


「いらないと言うなら全部貰えるか。自分が食べる」

「ええぇ……。い、いいけどさぁ……。えぇ……。マジで言ってんの……?」

「大マジだ」

「うっへぇ……」


 けれど、提督は少年のように目を輝かせ、受け取ったポテチを一枚一枚、味わって食べ続けている。
 もしかして、提督ってば味覚障害かなんかじゃないの?
 そう思わずにはいられなかった秋雲だが、なんだか嬉しそうにも見える提督の鉄面皮に、言葉を飲み込んだ。


(想像してた反応とは違ったけど……。ま、いっか?)


 ちょっとばかり方向性は違うけれども、提督の意外な一面を見られたのは確か。
 これをイラストに描き起こし、仲間たちに楽しんでもらう。
 そうして外堀を埋めていき、同人活動開始への足掛かりとするのだ。
 薄い本の事ばかり考えてないと言いつつ、実は計算高い秋雲であった。

 後日、有り余る貯金をはたいて全国からポテチを買い占めた提督が、ポテチで満腹になって夕食を食べられず、間宮と伊良湖にキツく怒られるという珍事も発生するのだが……。
 それはまた、別の話である。



















 秋雲先生! 先生の18禁デビュー作の犠牲者には、やっぱり先生自身がピッタリだと思います!
 はい。てな訳で新年三発目。秋雲先生、デビュー目指して頑張るの巻でした。
 流石の秋雲先生も、無断で生モノ同人誌を出すほど非常識ではないようです。まぁ、ゆくゆくは不健全なのにも手を出すんでしょうけど。
 売り子にはぜひ浜風と鹿島さんと大鯨ちゃんを採用して頂きたい! ……風雲? そういえば居ましたね、専用グラ用意されたのに大して話題にならなかった子(酷い)。
 次回からはノープラン。そろそろ本編も描きたくなってきた頃合いですが、どうするかは決めてません。
 それでは、失礼致します。



[38387] 航空母艦 グラーフ・ツェッペリンの呼び方
Name: 七音◆f393e954 ID:7835a331
Date: 2018/03/04 19:26
航空母艦 グラーフ・ツェッペリンの呼び方





「私に愛称、だと?」


 唐突な提案に、コーヒーカップを傾けていたドイツ国籍の航空母艦 グラーフ・ツェッペリンは、怪訝に眉を寄せる。
 発案者は、目の前でニコニコと笑うイタリア国籍の航空母艦、アクィラ。
 演習上がりの午後。庁舎二階のテラスでテーブルに着き、優雅にくつろいでいた所だった。


「そう! みんなとより仲良くなるには、やっぱり呼び方って重要じゃない?」

「うぅむ、そういう物だろうか」

「きっとそうよ! という訳でぇ」


 日本以外の国籍の空母同士という事もあってか、アクィラはグラーフによく纏わりついていた。
 あまりいい言い方ではないが、常に冷静な物言いをするグラーフと、社交的かつ色んな意味でフワフワした雰囲気のアクィラが一緒に居ると、そんな風に見えてしまうのだ。事実、二人の関係は良好である。
 だからであろう、アクィラの提案にも「そんなものか」と思っていたグラーフだが。


「マミーヤにメヤースバコォを置いて、貴方の呼び方を募集してみましたー!」

「なんだと!? あ、アクィラ、何を勝手に!」

「まぁまぁ、落ち着いて落ち着いて」


 どこからか、手作りダンボール製らしい箱を取り出すアクィラには、流石に突っ込まざるを得なかった。
 飛び出た吹き出し部分に「グラーフ・ツェッペリンさんの愛称を大募集!」と書かれたそれは、ピンク色の包装紙で丁寧にデコレーションされ、おまけに二人のチビキャラまで描かれている。
 少し照れている様子のグラーフと、吹き出しを掲げているように見えるアクィラの絵は、恐らく秋雲の手によるものだろう。手が込んでいた。
 ちなみに、アクィラの目安箱の発音は、どう聞いても何かを殴打している擬音にしか聞こえなかった。特に後半が。
 それはさて置き。グラーフのツッコミを華麗に受け流したアクィラは、テーブルの上に中身をザバーっとひっくり返す。
 さほど大きな箱ではなかったのだが、中からは二つ折りになったアンケート用紙がこれでもかと溢れた。


「い、意外と多いな」

「ねー。みんな、貴方と仲良くなりたいのよ。これだけでも嬉しいでしょ?」

「ま、まぁ、な……」


 舞鶴鎮守府、桐林艦隊の総員は、おおよそで六十人から七十人近く。
 この量から察するに、ほぼ全員が案を投じてくれたと推測できる。
 図らずも、皆が自分を気に掛けてくれていると知り、こそばゆい喜びを感じるグラーフだった。


「よしよし、それじゃあ分類しましょうか。ぱっと見、被ってる愛称もあるみたいねー」

「そのようだな。これは、グラーフ。こちらもグラーフか」

「あ、貴方はまだ見ちゃダメ! こういうのはちゃんと集計してから発表するものなの!」

「そ、そうか。では、頼む」


 ついつい、手元に溢れてきた物の一~二枚を見てしまうツェッペリンだが、その手から慌ててアクィラが用紙を取り上げる。
 最終的に発表するなら構わないじゃないか、と思わないでもないけれど、アクィラは妙に張り切っているし、素直に従う事にした。
 ややあって、集計を終えたアクィラが「結果発表~!」と声をあげ、グラーフも申し訳程度に「わ、わ~」と拍手。案外ノリが良い。


「やっぱり、一番多いのはグラーフって呼び方みたい」

「うむ。私もしっくり来る。これ以上はないと思うのだが」

「待って待って、まだ結論づけるのは早いわ」


 仕分けされた用紙のうち、およそ半分近くを占めるのは、最も無難と思われる呼び方、「グラーフ」であった。
 無難とは言ったが決して悪い意味ではなく、用紙に添えられた意見欄には、「見た目の雰囲気と喋り方に威厳を感じるから」「呼びやすくてカッコイイ」「一番似合うと思うかも、です」など、好意的な意見が多い。
 余談だが、このアンケートは無記名投票なので、誰がどの用紙を投じたのかは分からない仕組みである。最後だけは特徴的な書き方(言い方?)で絞られそうだが。
 グラーフ自身、この呼ばれ方を好んでいた。
 しかし、他にも呼び方は投票されているようで、アクィラは次の用紙を手に取る。


「じゃあ次ね。こんなのはどう? グラーフ・ツェッペリン、略してグラッツェ! まるでイタリア語みたぁい♪」

「とても間抜けに聞こえるのは何故だ……? いや、イタリア語を馬鹿にしている訳ではなくてだな。遠慮したい呼ばれ方だ……」


 上機嫌に発表するアクィラと対照的に、グラーフは半眼でその案をやんわり拒否する。
 グラッツェ。イタリア語で言う所のGrazie……。「ありがとう」に通じる語感は、名前として呼ばれるとなると、どうなのだろう。
 意味合いとしては決して悪くないのだけれども、やたらめったら感謝の言葉を連呼されてもなんだか……である。
 またしても余談だが、一部の意見欄には「字面でピンと来た」「頑張って考えました!」「馴染みがあってぇ、とっても言いやす~いでぇ~すね~」と書かれている。
 最後のはおそらくポーラが書いたのであろうが、なぜ無記名投票なのにワザワザ自分の口調を文字で表現するのか。理解しがたいグラーフだった。


「えー。残念ねぇ。じゃあ次はぁ……これ! グラーフをもじって、グラたん! 美味しそうだわぁ」

「やめてくれ……。本当にやめてくれ……!」

「これもダメなの? じゃあ同じ感じのでぇ、グラリン!」

「ほとんど変わらないじゃないか!?」


 反応が良くないと見るや、二つの呼び方を続けて発表するアクィラだが、グラーフは頬を引きつらせながら、今度は明確に拒絶する。
 グラたん。野菜や魚介類、肉やパスタなどにホワイトソースとチーズをかけ、焼き目がつくまでオーブンで加熱するフランス料理……ではない。
 名前を縮めて最後に「たん」をつけて呼ぶというのは、日本の萌え文化において、お気に入りのキャラの名前をネタ的に表現する場合によく使われる。グラリンもそれに類する表現の一種だ。
 ない。これはない。例え善意で投票してくれたのだとしても、全力で御免被る案だった。
 こういうのに限ってちゃっかり無記名な辺り、むしろ笑いを取ろうという悪意を感じないでもないのだが。
 というか、なぜこのような知識が自分にあるのか、はなはだ疑問なグラたんもといグラーフだった。


「う~ん、困ったわねぇ……。なら、これからいくつか案を言うから、良さげなのがあったら教えて?」

「……分かった」

「じゃ、行くわよ?
 グラっち、グラグラ、グラっぺ、ペリちゃん、ペリカン、ペリっち、ペリリン、ペリー提督。
 どうかしら?」

「すまない。全部、全く呼んで欲しくならなかった。私は水鳥ではないし、ましてや開国を迫った事なんてある訳がない!」


 これならどうだ、とばかりに羅列するアクィラと、またも律儀に突っ込むグラーフ。
 ここまで来れば誰でも分かる。確実に遊ばれている。そうに違いない。
 先ほど感じたこそばゆい喜びから一転、これほど多くの仲間たちに遊ばれているという怒りが湧く。
 思わず、船体ごと過去にタイムスリップし、「開国するのだ、日本よ!」と高らかに叫ぶ自分を想像してしまったほどだ。恐ろしくシュールだった。
 実際の所、グラたん、グラリンと投票した人物が、無記名投票を良い事にイタズラした可能性も捨て切れないのだが、追求のしようもない。グラーフは仕方なく、怒りと共に飲み込む。
 一方で、せっかくの意見をずっと否定されてばかりのアクィラも、やはり面白くないようで。


「んもぉー、さっきから何? だったら貴方は、どんな風に呼ばれたいの?」

「だから、私は普通にグラーフと呼んでくれればそれでいいんだが……」

「けど、グラーフってドイツ語で伯爵って意味なんでしょ? それってつまり敬称で、距離を感じない?」

「む。ならば、提督のようにツェッペリンと呼べばいい。こちらはちゃんと人命だ」

「確か、ツェッペリン伯爵って男性なのよね。それは気にならないの?」

「ああ。むしろ誇らしいくらいだ」


 アクィラからの問いに対し、グラーフは胸を張って答える。
 ツェッペリン伯爵。
 本名、フェルディナント・アドルフ・ハインリヒ・アウグスト・フォン・ツェッペリンは、二十世紀初頭に実在したドイツ軍人であり、いわゆる硬式飛行船を実用化した事で有名な人物だ。
 かの陸軍中将を名の由来とし、背筋を伸ばす彼女の姿は、名前で遊ばれたから頑なになっているのではなく、心の底から自分自身を誇っているのだと、アクィラも感じ入るくらいに堂々としていた。
 こうまで言われて別の愛称を押し付けるほど、アクィラは独り善がりにはなれなかった。


「そっか。そこまで言うんだったら……あら? これって……」

「どうした、アクィラ」


 ──なれなかったのだが、ふと気づく。
 先ほど読み上げた一発ネタ用紙の中に、二枚重なり合った物があったのだ。
 確認してみると、それには「ペリーヌ。もしくはエリン」と、かなり真面目に考えてくれたであろう案が書かれていた。
 可愛らしい響きに、アクィラは目を輝かせて用紙をグラーフへ見せる。


「あらー! ねぇねぇ、この案はとっても良くない? キチンと貴方の名前から連想できる愛称だし!」

「あ、ああ。悪くはない、な」


 さしものグラーフも、不満要素を見つけられないようである。
 姓であるツェッペリン──Zeppelinをもじりつつ、女性らしい名前とした愛称。
 そんな風に呼ばれている自分を想像し、嬉しいような、気恥ずかしいような気持ちを感じたグラーフだったが、ややあって首を横に振る。


「……いや。この案をくれた人には申し訳ないが、私はやはりグラーフでいい」

「え? どうして?」


 驚き、今度は目を丸くするアクィラ。
 間違いなく好感触だったはずなのに、どうして? と言わんばかりだ。
 対するグラーフは小さく笑い、そして表情を引き締めてから続ける。


「私は軍艦だ。戦うために生まれ、敵を討ち滅ぼすために存在している兵器だ。
 ごく普通の女性のように名を呼ばれるだなんて、もったいない気がしてな」

「そんな事……」


 ないわよ、とアクィラは言いかけて、グラーフの上げた手に遮られ、口をつぐむ。


「すまない、違うんだ。私たちの在り方を憂いている訳ではない。
 ただ、今は戦う事に集中したい。
 この戦い、易々と勝てるものではないだろうからな」


 軍艦としての、兵器としてのグラーフ。
 それを扱うための統制人格として、女性をかたどって存在するグラーフ。
 矛盾するわけではないが、完全に両立するのは難しい。
 ましてや、戦いは現在進行形で続いているのだ。
 ならば優先すべきは軍艦としての己であり、本当の女性のような愛称など身に余る。
 そう言いたいのだろうグラーフの気持ちは、アクィラにも察しがつく。
 だからこそ寂しくて、より強い言葉で否定したかったアクィラだが、不意にグラーフが「しかし……」と付け加えた。


「いつか、この戦いが終わって。
 何か、奇跡のような事が起きて、私たちのような軍艦でも、一人の女として生きる事を許されたなら。
 私のようなモノを……ぁ、愛してくれる人に、出会えたなら。一度はそんな風に、呼ばれてみたいものだな……」


 遠くを見つめ、祈るように紡がれる願いは、言っているうちに照れてしまったのか、そっぽを向くようにして締めくくられる。
 アクィラが考えるに、「こんなセリフ私には似合わん」とか思っていそうだ。
 赤く頬を染めるその姿は、花も恥じらう乙女だと言うのに。


「大丈夫。きっと来るわ、そんな素敵な未来が。ううん、私たちで掴むのよ!」

「……ふふ。ああ、そうだな」


 二人は微笑み合い、これからも続くであろう、戦いへの気持ちを新たにする。
 確かな見通しは立たず、未来が明るいとも限らない。
 けれど、この仲間たちと一緒ならば。
 グラーフは自然と、そう思えた。










 数日後。
 甘味処 間宮に入ってすぐのコルクボードには、一枚のお知らせが張り出されていた。


「あ。呼び方、決まったみたいですね」

「そうらしい」


 足を止めた二人は、練習巡洋艦 鹿島と提督である。
 間宮たちの完全管理下に置かれ、一日一袋までと厳命されたポテチを求めて、わざわざ執務室から足を運んだオヤツ時の事だった。
 またしてもアクィラのお手製らしいお知らせには、「アンケートの結果発表~!」という表題の下に、集計結果が書き出されている。
 結果として、一番多く票を集めたのは「グラーフ」という呼び名だったが、一番下には彼女本人からのメッセージがあった。


『結果としてはこうなったが、強制するものではないので、好きに呼んでくれて構わない。これからもよろしく頼む』


 直筆のようで、少々角張った、まだ拙さの残る日本語だったけれど、それ故にグラーフの感謝の気持ちが滲んでいるように見える。
 少なくとも鹿島はそう感じたのか、楽しげに頷いていた。


「やっぱりグラーフさんかぁ。頑張って考えたのに……。
 でも、今までもそうでしたけど、凛々しい雰囲気がピッタリですもんね。
 私の案が採用されなかったのは残念ですが、納得です」

「ああ」


 言葉少なにではあるが、提督も鹿島と同じように頷く。
 こうしてアンケートをしたり、それに答えたりするのも、海外勢──グラーフたちが順調に艦隊に馴染み、皆が彼女たちを受け入れようとしている証拠。望ましい現状である。
 しかし、軽い足取りでお知らせを通り過ぎようとする鹿島をよそに、提督は少しばかり落胆した……様にも見える面持ちで呟いた。


「……いいと思ったんだけどな」

「はい? 何か仰いましたか?」

「いや、なんでもない」

「……? あ、分かった! 提督さんも投稿したんですね? どんな愛称を考えたんですか?」

「言わない。秘密だ」

「えー、なんでですかー。イジワルしないで下さいよー」

「絶対に言わない」

「むー。なら、教えてくれるまで、ずっと腕をツンツンしちゃいますよ?」

「……好きにするといい」

「じゃあ遠慮なく。えいえい」


 ポテチを求めて進む桐林に追いすがり、彼の腕を笑顔でツンツンする鹿島。
 じゃれ合うようにも見える二人の姿を遠目に、ポテチを用意しながら間宮たちは思う。
 イチャついてんじゃねぇよ、と。
 統制人格同士の仲は良好でも、提督が絡むと途端に火花が散る、舞鶴鎮守府の日常であった。




















 戦果報告! 我、相変わらずリアルがヤバいので、サクッと2018年冬イベを完走せりー!
 難易度は甲乙乙丙丙丙丁。せっかく実装されたのでE-7は丁を選んでみたんですが、超楽勝でしたw
 いやー、最終海域をあそこまでサクサク攻略できると、それまでのストレス発散になっていいですね。あまりに一方的過ぎて可哀想だったくらい。乙でもクリアできたか?
 ただし、ラストの長ゼリフは許さん。
 曲なんて流れなかったし、武蔵ので終わったと思ってタップする直前に「提督さん!」と呼ばれて、けっきょく間に合わず母港へ……。
 思わず「え、あ、うそ、ちょ待てよ!」とキムタクってしまいました。紛らわしいんじゃーい!
 これからクリアする方は、ぜひ気をつけて下さい。

 それはさて置き、今回は物欲センサーが優秀過ぎて、ドロ限定艦の入手に手こずりました。
 まぁ最終的には全員ゲットしたんですが、特に狙ってなかったレアドロのせいで、常に母港もキツキツ。イベント中はよくある事ですけども、海防艦はHP上げに使えるから解体できないし、一体何隻の夕雲型と海風と天津風と時津風と十七駆と大鯨を改修に使ったか。
 あ、二隻目のガン姉さんとかスパ子さんとか松風とか、三隻目のZ3とか大淀さんも拾いました(自慢)。
 あわよくばアイオワ二隻目とかサラトガ三隻目もゲットしたい所ですが、突破の時点で356隻で、三隈牧場を早く終えないと出撃すら出来ないという。
 お布施するからもっと母港を開放してー。

 とりあえず、日振・大東は先行公開されてたので省くとして、ガンちゃん(オクチャブリスカヤ・レヴォリューツィアじゃない方)可愛い。マジで可愛い。700円払ってでも嫁にしたい。
 タシュケントをたしゅけんのは時間掛かりました。浜波をたしゅけんのにはもっと時間掛かりました。具体的には二隻目のジャヴィ子ちゃん掘っちゃうくらい。
 誰か忘れてる? ああ、E-7突破報酬のF6F-3ちゃんですね。貴重なF6F-5の材料、助かります! ……どうしてこうなった……。

 さてさて、本編にもサラッと触れますと、アクィラさんとグラ子さん、なんだか仲良し。そして鹿島さんは通常営業。
 本編ではグラ子さんの事を「ツェッペリン」と表記していますが、こちらでは「グラーフ」と表記します。
 ブレた理由? 今更ですが、なんだか文字数稼ぎしてるみたいに思えてきまして……。
 主人公も基本的にこちらでは「提督」、あちらでは固有名詞でいきます。ご了承下さいませ。
 あと、流石に四話連続sage更新だとサボってると思われそうなので、ある程度の話数でageる事にします。
 次回更新は出来るだけ早めにしたいですが、ちょっと見通しが立たないので、確約は難しいです。申し訳ない。
 それでは、失礼致します。



[38387] 在りし日の提督と甲標的な日々
Name: 七音◆f393e954 ID:f9b9299a
Date: 2018/04/29 12:21





「その発言、聞き捨てなりませんね」

「こちらこそ、発言の撤回を求めましょうか」


 本来は憩いの場であるはずの、横須賀鎮守府の談話室では、二人の男性が睨み合っていた。
 元作家という奇妙な経歴を持つ傀儡能力者、■■ ■■さん。
 そして、世界でも指折りの大財閥である■■■家の次期当主にして、新しく同僚となった■■■ ■■さん。
 年長者としての貫禄と、若き傑物の持つ迫力とが、鋭い眼光を介してぶつかり合う。
 まさに一触即発。
 この二人の他に、■■■と■■■君しか居ないのをこれ幸いと、彼らは。


「いいですか? この世界で一番可愛い女性は、僕の妻です!」

「いいえ違います! ワタシの妻です! 元がつきますけども!」


 猫ちゃんが後ろ脚で砂をかけるような、立ち入り辛~いケンカを続けるのでした。
 ■■さんのちょっとした家族自慢を起に始まったこれは、■■■さんの意外な一面を■■■たちに教えてくれた。
 家族想いというか、奥さんラブな人なんだ、■■■さん。
 それは素晴らしい事だと思いますが、そろそろ止めて欲しいです。


(何やってんだろーなー、あのオッサンたち。いっせーの、に! ダメか……)

(意外と気が合いそうだけどね……。いっせーの、ゼロ! やたっ、■■■の勝ちー!)

(んぁー! また負けたー! 姉ちゃん強過ぎー!)


 真面目に取り合うのも面倒で、握り拳を付き合わせる■■■と■■■君。
 数字の合図と一緒に親指を立てたり立てなかったり、ちょっとした暇潰しにやる“アレ”も、もう二十戦目だったりする。
 ちなみに十五勝五敗で■■■が勝ち越し中。意外と才能あるのかな?
 とか思っていたら、一向に治まる気配のなかった妻帯者二人に動きがあったようで。


「なかなかやりますね……。ここまで僕に着いてきた人は初めてですよ」

「あなたこそ、なかなかに人間味溢れる人のようですね。色眼鏡で見る所でした」


 あ。握手した。
 なんか、互いの健闘を称え合う好敵手的な雰囲気になってる。
 無駄に笑顔が爽やかなのは何故ですか。


「失礼を承知でお尋ねしますが、そこまで愛しておられるのなら、どうして離婚を?」

「……単純に、収入面の問題ですよ。物書きとしての仕事が全くなくて、バイトやら何やらで食いつないでましたが、それも限界で。離婚した方が色々と国から援助して貰えますしね。お恥ずかしい話です」

「いえ。難しい決断をされたのだと思います。心中、お察しします」

「ははは、大丈夫ですよ。離婚はしましたが、家族関係は良好なので」


 やはり妻帯者同士という共通点があるからか、出会ったばかりなのに、かなり突っ込んだ話もしているみたい。
 というか、■■■さんの人徳? 常に人の良さそうな笑顔を浮かべていて、好青年に見える。
 笑顔のまま■■さんと言い合ってたから、若干怖くもあったんですが。


(なんか、めっちゃ仲良くなってない?)

(本当……。でも、険悪になるよりは良いんじゃ?)

(それはそうなんだけどさ。なーんか納得いかないっつーかさ)


 交流を深める二人を遠目に、■■■たちは声をひそめる。
 これから共に戦う仲間なんだし、反目し合うよりはずっと良いと思うけれど、■■■君は何やら思うところがあるらしい。
 そういえば、■■■君の事情とか、あまり知らない。
 彼自身が話さないというのもあるけど、小学生が軍人として戦わなきゃいけなくなったんだから、色々と抱えていそう。
 ■■■たち、大人が気を配ってあげなきゃ。まぁ、自意識が芽生えてからの時間で言えば、■■■の方が年下な訳ですが。


「ところで、そちらのお二方」

「げっ」

「は、はいっ!? ■■■の事でありますか!?」


 ヒソヒソ話をしていた所に、いきなり掛けられる■■■さんの声。
 驚いて、思わず直立不動になってしまう■■■がおかしかったのか、浮かべていた笑みを更に深く。


「ふふふ。そこまで畏まらなくても良いでしょうに。どうです? あなた方ともお話をさせて頂けませんか」

「え、ぁ、もちろんです。けど……」


 断る理由もないので、とりあえずは頷く■■■だったけれど、■■■君の存在を思い出し、躊躇してしまった。
 自然、三人分の視線が■■■君に集まり、居心地が悪そうに顔を背けた彼は……。


「オレ、部屋に戻る。金持ちは、キライだ」

「あっ、■■■君っ!」


 まるで、その場を逃げ出すように駆け出し、談話室を出て行く。
 止める暇なんて無くて、部屋には沈黙が広がった。
 それがあまりに気まずく、■■■は■■■君のフォローをしてみる。


「ご、ごめんなさい。普段は元気が良い子で、あんな事を言う子じゃ……」

「いえ、気にしないでください。僕も同感ですから」

「え?」


 変わらず笑みを浮かべ、穏やかに対応してくれる■■■さん。
 でも、その言葉の意味を図りきれなかった■■■は、知らず首をかしげていた。
 すると、彼は緩やかにまぶたを伏せ──


「同族嫌悪ですよ。僕も、金持ちは嫌いなんです。特に、死んだまま生きてるような連中は」


 ──事も無げにそう言った。
 変わらぬ笑顔が告げる、確かな憎しみが。
 ■■■の身体に怖気を走らせたのだった。
 この人は、一体……?





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 潮騒が聞こえる。
 ざぁ、ざぁ、と。寄せては返す波の音が。
 肌を撫ぜる風は心地よく、まぶた越しにも眩しい光が、肌を焼いている。
 ……自分は、どこかで日光浴でもしながら、眠っているらしい。
 断言できないのは、まだ寝ぼけているからだろうか。
 眠くて、眠くて、仕方ない。


「おーい。寝てるのかーい?」


 今度は、声が聞こえた。
 覚えのある声だ。
 親しみが湧いて、でも、どこか騒動を予感させる、楽しげな声。


「おーい、ねぇーってばー。寝てるなんてもったいないよー?」


 何故だろう。呼びかけてくる声に、涙が出そうになっていた。
 理由は分からない。
 ただ、切ないような、苦しいような、胸を締め付ける“何か”に、自分は喘ぎ……。


「どっせい!」

「ぬぉあ!?」


 次の瞬間、ひっくり返っていた。
 何か、ジャリジャリとした物に顔が埋まる。……砂?
 寝ぼけ眼で自分を確かめてみると、上半身は裸で、ゆったりとした短パンに薄手のジャンパーという、まるで海水浴にでも行くような格好をしていた。
 なんで? こんな水着、持っていただろうか。そもそも、どうしてこんな格好を?
 疑問符ばかりが頭に浮かび、ただただ混乱する自分だったが、ふと、間近に人の気配がある事に気付いた。


「やぁやぁ、やっとお目覚めかい。新人君!」

「……先輩?」


 顔を上げてみれば、そこには見知った顔が。
 赤いハイレッグのワンピース水着を着るその人は、兵藤 凛先輩。
 真っ青な空をバックにする中、得意満面な彼女を、自分は……。


「どうしたのさ? まるで幽霊でも見たような顔して」

「い、いや……あれ? 先輩……なんで……」


 頭がボーッとする。
 自分が誰で、先輩がどんな人で、自分たちがどんな“力”を持っているのかは、キチンと思い出せた。
 けれど、ここがどこだか、分からない。
 周辺に広がる砂浜と、空との境目が分からないほど青い海。海水浴場っぽいのは確かだが、どうしてこんな場所に?
 全く現状を理解できず、ひたすら困惑する自分を見て、先輩は同情するように肩を叩く。


「よっぽど働き詰めだったんだね……。今日はお休み! で、揃って海に繰り出したんじゃないか! ほら、みんな待ってるよっ」


 そのまま手を引かれ、無理やり連れて行かれた先には、見覚えのある少女たちが居た。
 横須賀鎮守府に在籍する、自分の仲間が。
 いつも通りの格好で、パラソルやビーチチェアなど準備をしている妙高型姉妹。
 ラムネを一気飲みしようとしてビー玉に邪魔される利根へと、隣でコツを教える筑摩。
 ヨシフと一緒に走り回っているのは、長良だろうか。その後ろを陽炎、不知火、黒潮が、笑いながら追いかけている。
 他にも、思い思いに休日を過ごしているらしい皆の姿が、確かにそこにあった。

 どうしてだろう。胸が苦しい。
 懐かしいような、寂しいような感情が、目尻から溢れそうに。
 毎日会っているはずなのに、どうしてこんな気持ちになる?
 ……分からない。
 分からないけれど、それを見られるのは恥ずかしい気がして、みんなに手を振る先輩に気づかれないよう、隠れて目元を拭う。

 程なくして先輩の足は止まり、自分も同じように立ち止まる。
 どうやら、そこはいわゆる海の家らしかった。
 奥で誰かが食事の準備でもしているのか、やたら美味しそうな匂いが漂ってくる。
 そして入り口には、二人の水着姿の少女が立っていた。


「やっほーい、雷ちゃんに電ちゃーん! 彼を連れて来たよー」
 
「あ、司令官!」

「もう大丈夫なのですか?」


 こちらの姿に気づくと、二人が──雷と電が、笑顔で駆け寄ってくる。
 雷は、白いセパレートタイプ。スポーティーな感じが似合っていた。
 対する電は、同じく白い色のワンピースタイプ。胸元の大きなリボンがポイントだろうか。
 この二人の水着姿を見るのは初めてだけど、これはなかなか……。


「普段は酔わない車に酔っちゃうなんて、本当に疲れてたのね。みんな心配してたんだから!」

「なのです。でも、顔色も良くなってるみたいで、安心しました。……司令官さん? どうか、しましたか?」

「……可愛いな」

「へっ。や、やだもう、司令官ったら……。そんな面と向かって褒められたら、照れちゃうじゃない……」

「な、なのです……。恥ずかしく、なってきちゃったのです……」

「え、あ、ごごごごめん! い、いやいやいやっ、違……くはないんだけどっ、ちょっと寝ぼけてて!」


 思わず口をついた感想に、真っ赤になってモジモジし始める雷電姉妹。
 い、いかんいかん! ナチュラルにセクハラ発言してしまった!
 自分は慌てて取り繕うも、隣に居た先輩の顔は、まるで獲物を見つけた猫のように。


「おやぁ。新人くぅん、いくら愛らしい少女の水着姿が目の前にあっても、本音ダダ漏れはマズいんじゃないかぁい?」

「う、あー、その……。あ! 先輩も水着が似合ってますね! 無駄な露出がらしいです!」

「思い出したように褒められても嬉しかないやい! でもエロかろう? 背中には自信があるのさ!」


 話題をすり替えるために先輩を褒めてみると、一旦は拗ねて見せたが、すぐさま得意げに背中を見せつける。
 何を隠そう先輩の着ている水着、一見普通のハイレグ水着だけれども、実は露出が超スゴイ。
 背中はお尻辺りまでザックリ開いてるし、体の両サイドも編み編みのスケスケ。
 提督生活で女体に耐性が出来てなかったらヤバかった。

 と、安心したのも束の間。


「Heeeeeey,テェエエトクゥゥゥウウウッ!!!!!! ワタシを放ったらかしてMs.兵藤とイチャつくとは、どういう了見デェスかぁああっ!?」

「うっ。その声は……」


 背後で、とても聞き覚えのある怒声が轟いた。
 この口調。間違いなく金剛だろう。また厄介な所を見られてしまった……。
 どう言い訳したものか、必死に考えつつ振り向けば、そこには金剛……じゃなく、榛名? が居た。なんか困った顔してる。
 彼女も水着を着ているのだろうが、上は白いパーカー、腰にパレオと防御は完璧だ。残念。
 両隣には比叡と霧島も立っていたのだが、こちらは雷と同じようなセパレートだ。健康的な肉体美が眩しい。
 しかし、金剛はどこに? まさか榛名が声真似した訳じゃないだろうし。

 ……あ。見つけた。
 榛名の後ろに隠れて、こっち覗いてるわ。


「なんで隠れてるんだ、金剛?」

「だ、だってェ……。テートクに水着を見せるの、なんだかんだで初めてデスし……。恥ずかしくテ……」

「まぁ、気持ちは分からなくもないけどさ。榛名も同じか?」

「は、はい……。こういった、面積の少ない衣服は、ちょっと……」


 金剛も水着らしいのだが、よほど恥ずかしいのか、すっかり榛名の影で縮こまっている。
 ふむ。恥ずかしがる金剛だなんて、珍しいものを見れた。
 いつもこのくらい大人しければありがたいのだが。


「その点、比叡は堂々としてるな」

「はい! 別に自信があるとかじゃないんですけど、私まで恥ずかしがっていたら、金剛お姉様も恥ずかしいでしょうし!
 ……そうなったら、いつまで経ってもお姉様の水着姿を堪能できませんし。どぅへへ」

「比叡姉様、本音が漏れてますよ」


 まるでセクハラ親父が如き発言と表情を浮かべる比叡。
 霧島のツッコミと共に、その場の全員がドン引きして距離を取るが、それでもニヤケ顔のまま。
 美少女じゃなかったらとっくに通報されてるぞ……。
 とまぁ、こんな風に騒いでいれば、周囲の注目を集めるのは当然で。


「おぉーい! 一緒にビーチバレーやろーぜー!」

「みんな待ってますよぉ~?」

「あ、てーとくー! ほらほら見て! わたし、ビーチフラッグで一番になったんだよ! いっちばーん!」

「う~、負けちゃったっぽい~……。次は絶対に勝つっぽい!」


 真っ白ビキニな天龍、黒いパレオをはためかせる龍田、お揃いのビキニで統一している白露や夕立など、水着少女たちが、けしからん物を揺らしながら手を振ってくれる。
 燦々と降り注ぐ光の中、彼女たちは太陽にも負けない笑顔を輝かせていた。
 いつの間にそんなに育ったのか……。全くもって嬉しい限りです。ありがとうございます。
 こんな美少女に囲まれたら、自分も頑張って楽しまなければなるまい!

 そう。
 楽しまなきゃ、いけないのに。


「新人君? どうかした?」

「……いえ」


 黙り込んでしまう自分を、先輩が覗き込む。
 短く返すが、それだけで精一杯なほど、胸が痛かった。
 楽しげな皆が作る輪に、飛び込もうと思えない。
 今すぐ逃げ出したいくらいに、居た堪れない。
 どうしてこんな風に感じる?
 どうしてこんな事を考える?
 どうしても言葉にできない、複雑怪奇な感情が、胸の内を占めていた。

 ……だめだ。こんなんじゃ。


「ごめん、まだ寝ぼけてるみたいだ。ちょっと顔を洗ってくるよ」

「そうなの? じゃあ、私たちは先に行ってるわね。さ、行きましょ電!」

「あっ、い、雷ちゃん、引っ張らないでほしいのですぅ!?」

「早く戻って来るんだよー新人くーん!」


 適当な言い訳をして、自分は先輩たちから離れる。
 皆に気づかれる前に、気持ちを切り替えなくちゃマズい。
 何も思い出せないけど、誰もがこの時間を楽しんでいる。壊したくなかった。

 店の奥、男女に分かれたトイレに入ると、清潔なタイル張りの壁の一画に、洗面台があった。
 少し多めに蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。
 そのまま、正面にある鏡を覗くと、冴えない顔をした男の顔が。


(……いかんいかん。気合い入れろ。みんなに心配されるぞ)


 濡れ手で両頬を叩き、軽い痛みで自分に喝を入れる。
 まだ頭はハッキリしない。
 しかし、気分は変えられた。
 そう思い込む事にして、備え付けのペーパータオルで顔を拭く。
 早く戻ろう。みんなと遊べば、こんな不安な気持ちは──


「何を笑ってる」

「……っ!?」


 ヒビ割れた、男の声。
 驚いて周囲を確認するが、人影はない。
 個室のドアも開いているし、聞き違いだろうか? いや、まさか。


「だ、誰か居るのか」


 返事はなく、ただ、不穏な気配だけが漂う。
 おかしい。ついさっきまで、店の外から皆の声が聞こえていたのに、今はもう聞こえてこない。
 何か、異常な事態が起きている。
 そう判断し、急いでトイレから出ようとする自分だったが、出入り口に振り返る途中で、ふと鏡が目に入った。
 なんの変哲もない、ごく普通の鏡だ。
 自分が映り込んでいる。
 “出入り口に向けて身体を傾けている自分”を、“直立不動で睨みつける自分”の姿が。


「──な」


 んだ、と続けようとして、胸への圧迫感に遮られる。
 鏡の中から這い出たもう一人の“自分”に、押しのけられたのだ。
 次に感じたのは、強い背中の痛みと、大きな破砕音。
 軽く押されただけで、自分の身体はタイル地の壁を突き破っていた。


「ぁ、ぐ……ッ、なに、が……!?」


 砕けたタイルと一緒に、砂浜へと投げ出される。
 理解が追いつかないまま、どうにか身体を起こすと、今度は周辺の景色に驚愕する。
 止まっていた。自分以外の何もかもが。
 空も、海も、思い思いに水着で遊ぶ皆も、宙に浮かぶタイルの一欠片まで、コントラストを逆転させたような世界で、一時停止している。
 訳が分からない。この状況に、思考が適応しない。
 そうこうしている内に、今度は喉に圧迫感が。


「ぁガ、お゛……っ」

「逃げるな。こんな夢に逃げるなんて、許されると思ってるのか」


 首を支点に、身体が浮く。
 いとも容易く、左腕一本で自分を持ち上げるのは、“自分”と似た怪物だった。
 顔の左半分に歪んだ傷を負い、紅い異形の左眼を輝かせ、白髪を陽炎のように揺らめかせる、鬼。
 その、血の涙を流す眼が告げる。
 全てが、憎いと。


お前オレのせいで、先輩は死んだ。
 お前オレのせいで、未来は奪われた。
 この光景はまやかしだ。もう二度と、こんな幸せは、得られやしない」


 自分は無意識に抵抗するが、怪物は微動だにしなかった。
 腕に爪を立てても、みぞおち目掛けて蹴りを叩き込んでも、全く怯まない。
 それどころか、空いた右腕がこちらの顔に伸び、親指が左眼の真上に。


「忘れるな。忘れるな。忘れるな。
 痛みを忘れるな。苦しみを忘れるな。憎しみを忘れるな。
 この未来を閉ざしたのは、他でもない……」


 反射的にまぶたを閉じたが、怪物はお構いなしに親指を押し込む。
 首への圧迫感も同時に強まり、呼吸もままならず、意識が遠くなっていく。
 メリメリ、ギシギシ。
 皮膚と骨が、悲鳴を上げている。
 もはや抵抗もできず、ダランと両腕を垂れ下がらせる自分の耳に、最後に届いたのは──


 「自分オレたち自身なんだからな」


 肉の潰れる音と、己への呪詛だった。


「──────ッッッ!」


 身体が勝手に飛び起き、次に、左眼と首元を確かめる。
 どちらも、潰されていない。
 夢。
 夢だった。
 そう理解した瞬間、自分は思い出したように息を吐き出す。


「はぁ……はぁ……」


 心臓は早鐘を打っていた。
 身体が熱い。しかし、腹の奥底は冷え切っているようで、朦朧とする。
 悪夢を見るのはいつもの事だった。
 いつもの事なのに、夢の中の自分は毎度必ずそれを忘れ、内容も手を変え品を変えなので、飽きる事すらできない。


「……あぁぁ」


 両手で顔を覆い、ベッドの上でうずくまる。
 気を落ち着かせないと、叫び出してしまいそうだった。
 寝汗が眼に入ったようで、痛くて堪らない。

 どれほど時間が経ったろう。
 しばらくそうしていると、控えめなノックの音が聞こえてきた。


「ぁ、あの、提督……? 瑞穂です。大丈夫、ですか……?」


 疲弊した精神に、一時の清涼感をもたらしてくれるような、可憐な声。
 自分が励起した水上機母艦の統制人格だ。
 おそらく、自分は目覚める時に叫び声でも上げていたのだろう。……また。


「問題ない。ちょっと、寝ぼけてベッドから落ちただけだ」

「そ、そうなのですか? それにしては……」

「それより、悪いんだが風呂を用意してもらえるか。寝汗を流したい」


 ドア越しに心配してくれる瑞穂だが、あえて話題をそらし、無理やり話を切り上げる。
 逡巡するような間を置き、やがて、諦めの気配を吐息に感じた。


「はい。分かりました。では、失礼致します……」


 ごく僅かな絹擦れの音が、瑞穂の気配と一緒に遠ざかっていく。
 人間離れした感知力も、今や普通に使いこなせている。慣れとは恐ろしい。
 ベッドから降り、改めて部屋を見回せば、そこは慣れ親しみつつある舞鶴鎮守府の自室……ではなかった。
 丸く切り抜かれた窓を覗くと、外には日の光を受ける、一面の海と水平線。
 ここは海の上。水上機母艦 瑞穂の船室だ。
 自分が乗り込むに当たり、船体と共に近代化改装を施された室内は、旧世代の技術しか使えないとはいえ、非常に快適に過ごせる造りとなっている。
 問題が、それを使う側にあるだけで。

 ふと、壁に掛けられた小さな鏡を見てみる。
 そこには、虚ろな眼をした自分が居た。
 顔の左半分に歪んだ傷を負い、紅い異形の左眼を細め、根元が白くなった黒髪をそのままにする、“自分”が。


「未練がましい」


 そう吐き捨てて、湧き上がる感情に任せ、拳を振り上げ。
 どこにも行き場を見つけられず、投げ出した。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 軽く寝汗を流し、眼帯を着け、瑞穂の用意してくれた軍服に袖を通した自分は、なんとか仕事を始めるだけの気力を取り戻していた。
 手狭な脱衣所を出れば、ずっと控えていたのだろう、瑞穂が通路に立っている。


「すまない。朝から手間をかけた」

「いえ。滅相もございません」


 淑やかな仕草で、瑞穂は首を振る。
 見目の美しさと相まって、普段の自分なら見惚れてしまうだろうが、そうならないという事は、まだ余裕がないのか。
 心配されるのも嫌だし、気づかれないようにしないと。


「朝食はどうなさいますか? すぐに御用意できますが……」

「早く仕事を始めたい。握り飯にして貰えるだろうか」

「承りました」


 仕事に没頭すれば気も紛れるだろう。
 そう考えた自分は、瑞穂に軽食を頼んで、一人先に上甲板へ。
 濃厚な潮の匂いと、眩しい朝日が出迎える。
 現在、瑞穂が停泊しているのは、日本海沿岸からおよそ四十八海里。安全領域の端近くにある人工島群、日本海泊地の付近である。
 何故こんな場所に居るかと言えば、もちろん仕事だ。
 自分と梁島提督が舞鶴鎮守府に配属され、本格的な日本海の深海棲艦攻略が開始された。
 その第一歩として上から命じられたのが、「日本海における高速航路の実用化」だったのだ。

 伊勢や日向、浜風に瑞穂と、一応は艦隊と呼べるだけの戦力が整ったが、だからと言って無策に打って出るのは愚の骨頂。
 太平洋と同じように張り巡らされているであろう、高速航路を利用できるように調査し、万全の体制を整える事こそが重要、という判断だ。
 この方針には自分も賛成であり、こうして瑞穂に乗り込み、甲標的の使役に勤しんでいる。
 まぁ、本当なら自分がここに居る必要はないのだろうが、もう一つの目的を果たすためには必要な事だった。

 新品同然の木の甲板をしばらく進むと、その場に似つかわしくない、上げ畳の置かれた四畳半ほどのスペースがある。
 柔らかそうな座布団の置かれたここが、甲標的の使役に集中するための場所だ。
 なぜこんな場所で同調するのかと言えば、増幅機器無しでの過同調を防ぐためである。
 陽光と風を浴びる自分の肉体と、冷たい海中を進む甲標的。
 二つの感覚を同時に受け取る事で、機械的リミッターのない状態でも、自分を見失わないようにする、原始的なやり方だった。
 最初こそ混乱したものの、今ではもう慣れ、普通に使役できるようになっている。
 
 ……改めて見ると、本当に場違いだな。
 そんな事を言っても今更どうしようもないし、とりあえず、座って瑞穂を待とう。


「提督。お待たせ致しました」


 座布団に腰を落ち着けると、程なく瑞穂が三方を持って現れる。
 完璧な作法で畳へ上がり、恭しく置かれた三方の上には、握り飯が三つと沢庵が、それぞれ小皿に載せられていた。
 加えて、小ぶりな水筒も。中身は……昨日と同じなら、焙じ茶だろうか。


「ありがとう。君も早く休むといい」

「お気遣い、有り難く存じます。ですが、瑞穂は提督にお仕えする身。主を差し置いて休む訳には参りません」

「……そう言って、もう三日だぞ。疲れていないはずがないだろう」

「いいえ。この程度、なんの事は」


 ごく当たり前に休息を固辞する瑞穂だが、実は彼女、日本海泊地近辺に停泊してから一睡もしていない。
 平然としていられるのは、やはり統制人格だからなのだろうけども、なんというか、居た堪れなかった。
 美女を侍らせ、身の回りの世話をさせるだけでなく、仕事もさせた上で一切休ませないとか、鬼畜の所業だ。
 そのせいで悪夢を……とは言わないが、心置きなく自分が休むためにも、瑞穂にはしっかり休んで欲しいのに、何度言ったってこの有様。
 もうこれは、アレか。ちょっと怒ったふりでもするしかないだろうか。
 うん。その路線で試してみよう。


「そんなに自分は信用ならないか?」

「え?」


 握り飯(中身は鮭)を頬張り、右眼をほんのり細める。
 すると、瑞穂は目に見えて動揺しだした。


「こうまで休息を固辞するのは、君が寝ている間に、自分が“何か”するかも……と怪しんでいるからだろう? 残念だ」

「ちっ、違いますっ! 瑞穂は、瑞穂は決して、そのような……っ!?」


 視線を逸らしつつ、悲しそうに沢庵をポリポリ齧れば、瑞穂は大慌て。弁解しようとにじり寄ってくる。
 その様子があまりに必死で、申し訳ないと同時におかしくなってしまい、早めにネタばらしする事にした。


「冗談だよ」

「……え……?」

「悪かった。あんまり頑なだったから、意地悪したくなっただけだ。君がそんな風に思ってないのは分かってる」


 話について行けなかったのか、目を白黒させる瑞穂。
 もう一度、「悪かった」と繰り返しながら笑いかけると、ようやく合点がいったらしく、表情を崩す。


「も、もう……。提督も、お人が悪いですわ」

「すまない。だが、休息を取ってもらわないといけないのは変わらない。
 いざという時、この艦を一番上手く動かせるのは君なんだ。
 自分が動けない時に、君が動けないのではマズいしな。
 だから休んでくれ。これは命令だ」

「……分かりました。申し訳ありませんが、瑞穂、少しだけ休ませて頂きます」

「ああ。そうしてくれ」


 命令とまで言われては、折れない訳にもいかなかったのだろう。
 素直に頷き、上げ畳から降りようとする瑞穂だったが、ふと何かを思い出したように、両手を皿にしてこちらへ。


「では、使役妖精この子を側に置いておきますので。何かありましたら、ご遠慮なくお声がけ下さい」


 瑞穂は、まるでそこに“何か”が居るよう振る舞い、「お願いしますね」と呼びかけてから、楚々とした一礼と共に去って行く。
 彼女が“何か”を下ろしたであろう場所を、自分は静かに見つめる。


「……そこに、居るのか?」


 呼びかけても、返事はない。何も見えない。
 左眼を使えば、そこになんらかの“力”が作用しているのは分かるだろうが、ただそれだけ。
 あの一件──霞を失いかけた戦い以降、見えるようになったはずの使役妖精たちは、舞鶴事変を境にして、また見えなくなってしまったのだ。
 原因は定かでないが、きっと、この左眼のせいに決まっている。


「もう、二度と見えないんだろうな」


 愛らしくて個性豊かな、あの小さな命と、もう会う事が叶わない。
 もともと見えなかったはずなのに、横須賀の面々との別離とも重なって、やけに寂しかった。
 ……止めよう。今は仕事に集中すべきだ。
 残りの握り飯と沢庵を焙じ茶で流し込み、「ご馳走様」と手を合わせてから、座禅を組む。
 右眼を閉じて意識を集中すれば、いつの間にか、空から自分を見下ろしていた。
 瑞穂の船体との同調が、増幅機器無しで完了したのである。

 自分がわざわざ瑞穂に乗り込んだのは、意図せず増大してしまった“力”の程度を測るためでもあった。
 元々、ある程度の練度を持つ能力者と統制人格同士でなら、増幅機器を使わずとも、物理接触しているだけで同調が可能だという。
 しかし、その有効範囲は狭く、艦から飛び立たねばならない航空機などは、ほんの数百m、長くても一千mで制御を失うらしい。
 中継機を使えばこの問題は解消できるようだが、今回、瑞穂には中継機も載せていない。
 素の状態で瑞穂と同調。甲標的を使役して高速航路を調査する事により、有効範囲がどれだけ広がっているかを確かめるのだ。

 調査の進み具合いは遅い。
 最初は、同時使役数の限界である十二隻の甲標的を、一千m間隔で並行して進ませ、異常潮流に遭遇した場合、記録しながら流れに身を任せる……という方法を取っている。
 有効範囲が通常の上限である一千mを超えている事は、この時点で確認でき、その後も最長距離を伸ばしていったのだが、いかんせん地道過ぎるのだ。
 何せ、数km進んでは異常潮流に引っかかって戻され、ようやく進める潮流を見つけたかと思えば、今度は数十m進んだだけで戻される、といった事の繰り返しなのだから。


(高速航路……。こんな物をごく当たり前に活用する深海棲艦。一体、どんな技術が可能にしているのか)


 元来、海中には複数の海流がひしめき合っている。
 黒潮や親潮といった暖流・寒流。
 潮の満ち引きに合わせて変化する潮流だったり、同じ場所でも深さが違えば、温度の差で変わってしまうと聞く。
 今回は水上艦が影響を受けるだろう喫水に深度を設定して調べているが、これが潜水艦だとどうなるか。
 ひょっとしたら、水上艦と潜水艦で、違う航路が必要となるかも知れない。面倒だ。


(今、考えても答えは出ない。甲標的に集中しないと)


 雑念を振り払い、進発させた甲標的群に意識を向ける。
 水深十m程を進む六隻は、今現在、奥へと進める潮流を進むため、三隻ずつの複縦陣を組んでいる。
 北西へ向けて安全領域を抜け、二海里で最初の異常潮流と出くわす。
 この手前で針路を真西へ変更。八海里で北西へ回頭し、一海里で真北へ。
 三海里ほど進んだら今度は北東へ進み、また一海里で北西に。
 まるで、正しい道順で進まないと入り口に戻されるダンジョンを進んでいる、そんな気分だ。


(千歳たちは、よくこんな地道な作業をしてくれたもんだな)


 横須賀での日々が、もう遠い昔ように感じられる。
 硫黄島へと向かうために航路を開拓してもらったけれど、いざ自分でやってみると、骨が折れるってレベルじゃなかった。
 幸い、甲標的から受け取った自分が情報は、使役妖精たちが勝手に読み取って紙へ書き出してくれるが、未踏領域に到達するまでも大変で、到達してからは更に忙しくなる。
 異常潮流発見のために気を張っていなければならないし、ぶつかったらぶつかったで、動力を最低限にしてどこをどう戻るのかを確かめ、かつ他の甲標的は進めなければならない。
 その上、新しい甲標的を脱落した分だけ発進させて、また面倒な道筋を行く。
 今更だけど、千歳と千代田をこれでもかと労いたくなってくる。


「二人は、どうしてるかな」


 千歳と一緒に晩酌したり、そこに千代田が乱入して、結局は三人で騒ぐ。
 時たま、那智さんが混ざったり、隼鷹は呼んでもいないのに来てツマミを食い散らかして。
 今は遠く、手も届かない、懐かしい光景ゆめだ。
 本当に、懐かしい……。


(……マズい。頭がボーッとしてきた。夢見が悪かったせいか……?)


 そんな事を考えていると、次第に思考が鈍くなっていくのを感じた。
 単純作業を長く続けているとなるような、身体は動いているのに、脳が勝手に休息し始める感覚。
 甲標的の視界が……。
 青い静寂の世界と、波間から差し込む陽光とが、意識を拡散させていく。


(しまった……。制御、が……っ)


 なんとか甲標的の使役を続けようと努力していたが、一隻、また一隻と制御を失い、水底へ沈み始める。
 マズい。このままでは、甲標的を無駄に損耗してしまう。
 休むにしても、瑞穂に同調を変わって貰ってからでなくては、ダメなのに。


「だ、め……。みず、ほ……」


 どれほど気力を振り絞っても、這い寄る睡魔には抗えず。
 自分の意識は、甲標的たちと共に沈んでいった。










 ただ、静かに落ち続けている。
 そこは、全身を暗闇に包まれる世界だった。
 身体を持ち合わせているのかすら危うくなる、何もかもが曖昧な、けれど心地良い、闇。
 恐怖と安心感がない交ぜになる、混沌。


(ドウシテ)


 不意に、声が聞こえた。
 声と言っても、鼓膜を揺らすものではなく、身体に伝わる振動でもない。
 精神に直接訴えかけるような、声だと感じる方がおかしい、あり得ない“音”だ。


(マダ、ダイジョウブ、ナノニ)


 落ちて行くにつれ、音が大きくなる。
 一つではない。二つ、三つ、四つ。いや、それ以上の音が重なり、結果、大きく聞こえているのだろう。
 ……痛い。


(ドウシテ、ソンナ、カンタンニ)


 痛い。痛い。痛い。
 鼓膜が破れる。頭が割れる。心が裂ける。
 音源に近づいているのか、もはや我慢できないほどに、音はさざめく。


(カンタンニ、ステラレルノ)


 光。
 上からでなく、下から差すその光は、紅い。
 やがて辿り着いた水底で、光と音を放っていたのは──










「提督、提督っ!」

「──っう──?」


 今にも泣き出しそうな瑞穂が、青空を背にしていた。
 さっきまで下を向いていたはずなのに、今は上を、空を向いている。
 ここは……。


「瑞、穂」

「はい。瑞穂はここに」


 混乱したまま名前を呼ぶと、安心したのか、目尻を拭う瑞穂。
 身体を起こせば、そこは間違いなく甲板の上だった。
 が、どうしても現実感が乏しく、ボウっとしてしまう。


「あの子が呼んでくれました。一体、どうなされたのですか? 明らかに尋常な状態ではありませんでした」


 そんな自分へ、瑞穂は問いかけるのだが、すぐには答えられない。
 彼女が愛おしげに撫でる肩口には、やはり何も見えない。どんなに頑張っても、眼の焦点が合わない。
 何故だか妙に心苦しく、畳と甲板の境目に視線を落とし、白々しいと分かっていながら誤魔化す。


「いや……。たまたま居眠りをして、たまたま夢見が悪かっただけ……」

「嘘です。提督はずっと、毎日のように悪夢にうなされているではありませんか」


 驚き、反射的に瑞穂へ眼を向ける。
 強い言葉で断言した彼女は、厳しい表情でこちらを見つめていた。


「分かりますよ。わたくしは、この艦──瑞穂そのものですから。その気になれば、提督がどこで何をしているのか、手に取るように」


 かと思えば、悲しそうにまぶたを伏せ、理由を明かす。
 考えてみれば当たり前だ。
 この水上機母艦は、瑞穂。目の前に居る彼女は、その現し身。
 人間は自分の体内を覗けないけれど、統制人格なら、使役妖精の眼を借りて、何時でもどんな場所でも、全てを把握できる。
 毎日の悪夢。魘されて飛び起きる朝。
 バレていたのに、気づかないフリをしてくれていただけ。
 なんだか、途端に意地を張るのがバカらしくなり、自分は胸の内を吐露する。


「いつもの事なんだ……。
 救えなかったはずの人が居る、もう実現しない、幸せな光景と、それを壊すもう一人の自分。
 飽きるくらい見たのに、そのつど忘れて、慣れやしない」


 悪夢を見るようになったのは、舞鶴艦隊が発足してしばらく経ってからだった。
 最初こそ数日に一回程度だったけれど、ここ最近は二日に一回は確実、運が悪ければ毎日の事で、睡眠不足を解消するための昼寝でも見る事があった。
 ただ、先程ような──水底へ沈み行く夢は、初めて見たのだが、続く瑞穂の問いかけに、思考は止まる。


「愛して、おられたのですか」

「え?」

「……兵藤、凛様。舞鶴事変でお亡くなりになられた、のですよね……。提督とご親交が深かったと、聞き及んでおります」


 ハッとし、申し訳なさそうな瑞穂の顔を見つめて、やがて、空へと視線を移す。
 愛していた。
 先輩を。
 自分が。
 まぶたを閉じずとも、簡単に思い浮かべられる、あの人の笑顔。
 愛していた?
 しっくり、こない。


「……分からないんだ。先輩の事を愛していたのか。そうじゃなかったのか。
 人並みに恋をした事もあったけど、もう分からなくなった。
 自分が恋だのなんだの言っていた物は、本物だったのかどうかすら」


 好きや嫌い程度なら、自信を持って断言できる。
 先輩の事は好きだ。いや、好きだった。
 家族や初恋の人。舞鶴のみんな。明石。書記さん。横須賀のみんな。……電。
 しかし、愛しているかと言われると、言葉にできない。
 気恥ずかしいとか、照れくさいとか、そんな理由じゃなくて。自分の気持ちが理解できない。
 きっと自分はもう、人として肝心な所が──


「大切だったとは思う。ああ、大切だった。
 大切だったから、あの人を喪ったと知った時、自分は」


 ──壊れてしまったんだ。

 そう続けようとして、でも、口にはできなかった。
 言ってしまえば、認めてしまうような気がした。
 自分はこんなにも弱く、脆い心の持ち主だと。
 駄目だ。
 みんなの命を背負うには、もっと、強くならなくてはいけない。
 弱い“自分”なんて必要ない。
 大切な誰かを守れないような“自分”なんて、消してしまえばいい。

 だから。
 何事もなかったフリをして、仕事に戻ろうとする。


「悪かった。つまらない話を聞かせたな。甲標的も無駄に失ってしまった。遅れを取り戻さなくては」

「………………」


 だが、瑞穂は答えてくれない。
 俯いて顔を隠し、ただ、沈黙している。
 やがて肩が震え始め、どうしたのかと手を伸ばすと。


「どうして、そうまでして心を偽るのですか。
 今の提督は、ただ徒らに、御自分を痛めつけているようにしか見えません。
 瑞穂はもう、見ていられません……」
 

 瑞穂は、大粒の涙を零していた。
 止めどなく溢れるそれを、どうすれば止める事ができるのか。
 今の自分に分かるはずもなく、時間だけが、無情に過ぎ去って行った。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……ご馳走様」

「お粗末様、でした」


 これでは仕事も出来ないだろうと、瑞穂と二人、艦内へ戻って数時間。
 自室で摂る遅めの昼食は、正に針のむしろに座らされている気分だった。
 お互いに、何を話していいのか分からないのだろう。
 必要最低限の言葉だけを交わして、目も合わせられない。
 まぁ、自分が瑞穂を泣かせてしまったのが悪いのだけは、間違いないけど。
 あと一週間は共同生活を送らねばならないというのに、気不味い。
 食後のお茶を出してくれる彼女へ、どう話しかけていいやら。


(本当なら、カウンセリングを受けるべきなんだろうな。けど、本当の事は誰にも言えない。それじゃあ時間の無駄だしな……)

 
 舞鶴事変以降……。先輩の死を知って以降、自分が心の均衡を保てていない事は、自覚していた。
 一人でいると、どうしてもあの事件の事を考えてしまうし、不意に、全てを投げ出し逃げたくなる事だって。
 だが、それは許されない。生き残った自分には、あの人の分まで幸せになる義務がある。
 ……まぁ、長期的な課題として、だ。すぐにどうこう出来る訳でもないし、まだ置いておこう。
 今問題なのは、そんな自分と瑞穂の間に、更に精神を擦り減らすような緊張感が漂っていること。
 可及的速やかに解決したい。


(何か突拍子のない発言でもして、無理やり空気を変えてみるか)


 何かきっかけが、会話の糸口が欲しかった。
 瑞穂はテーブルの食器を片付けている。
 豚の生姜焼き定食は凄く美味しかったが、そのまま部屋を出られては、次に会うのは夕食の時間となってしまう。
 こういった事は、後になればなるほど、解決が難しくなる。
 昼間は上手くいったんだし、なんでも良いから、とにかく話さないと。


「瑞穂。一ついいか」

「……はい。なんでしょう、提督」


 具体的な案も出ないまま、こちらに背を向ける瑞穂へと声をかける。
 やはり彼女も気不味いのか、振り向く事はない。
 数秒の沈黙があって、ようやっと自分は言葉を捻り出す。


「昼間、君は言っていたな。その気になれば、どこで何をしているのか手に取るように分かる、と」

「はい。それが……?」


 とっさに出た内容だったが、口に出してみると、それは確かに気になる事だった。
 この艦は瑞穂そのもの。
 この艦内で起きた事なら、彼女はどんな事でも把握できる。
 それはつまり……。


「という事は、だ。もしかして、自分の風呂や着替えも、見られていたんだろうか」


 どんがらがっしゃーん。

 言い終えるか否かといったタイミングで、瑞穂が思いっきり体勢を崩し、食器が見るも無残な有り様に。


「み、瑞穂? 大丈夫か……?」


 普段の落ち着きぶりからは考えられない失敗に、思わず身を乗り出して様子を伺う。
 すると、ギギギギギ、とでも音を立てそうなぎこちなさで振り返り、彼女は真っ赤な顔で、眼をバタフライさせながら言い訳を始めた。


「ななな、何をおおおお仰っているるるのか、理解ででできませんわわ……。みみみみ瑞穂は、そそっそそのような破廉恥なここここと……」

「そこまで狼狽えるなんて……。まさか……?」

「ちっ、違うんですっ! 瑞穂が覗こうとした訳ではなくて、あの子たちが! 見なくてもいいと言っているのに、勝手に情報を持ってきてしまって、で、ですからっ……!」

「……見たんだな?」

「ぇえぇぇええぇっと……。それは、ああ、あの子たちが……」

「経緯はともかく、結果として、見たんだな?」

「……申し訳、ございません。う、後ろ姿、だけですが、チラッと……」

「マジか……」


 適当に思いついただけの質問が、意外な真実を掘り当ててしまった。
 知りたくなかったよ、そんな事実。こういうのも墓穴を掘ったって言うんだろうか。
 舞鶴事変で不可解に引き締まったとはいえ、異性に裸を見られるとか恥ずかしいだけだ。露出狂でもあるまいし。
 あああ、なんと言えばいいのか……。質問する前よりも空気が重い……。


「……そんな事を仰るのでしたら、瑞穂も提督に責任を取って頂きたいです!」

「はっ!? な、なんでそうなるんだ!?」

「当然です。瑞穂の中を土足で踏み荒らし、色んな所をつぶさに観察したり、撫で回したりしただけに飽き足らず、か、厠や寝床としてもお使いになったのですから。もうお嫁にいけませんわぁ……。しくしく……」


 どうしたもんかと頭を抱えていたら、今度は瑞穂が言い掛かりをつけてくる。
 いや、言い掛かりでもないのか? 艦内で用を足したり風呂に入ったり、眠ったりしたのは間違いないし……。
 いやいや、やっぱり言い掛かりだ! そんなこと言われたら、もう何も出来ないぞ!?


「ちょっと待て! 確かに言ってる事は一字一句間違ってないけど、それは船体の方じゃないかっ。君の事をどうこうなんて……」

「私は水上機母艦 瑞穂の統制人格なのですよ? つまり、この艦とは一心同体に他なりません。なので、この身を汚されたも同然ですわ?」

「そんなの屁理屈だ!」

「いいえっ、当たり前な権利の主張です!」


 妙に強気な瑞穂と顔を突き合わせ、睨み合いが続く。
 そりゃあ、統制人格とその本体である艦は一心同体だろう。そこに異存はない。
 が、だからってあんな言われ方したら、納得出来るはずもないに決まっている。
 じゃないと自分、明石と瑞穂と伊勢と日向と浜風と香取の全裸を、常日頃からガン見してた事になる。自分はそんな変態じゃない! 見たくないとも言わないが!
 と、目線で火花を散らすこと数秒。
 何を思ったのか、瑞穂は不意に表情を柔らかくし、ポンと手を打ち鳴らす。


「いい事を思いつきました。提督? 瑞穂は今晩から、提督に添い寝をさせて頂きます」

「……はぁ!?」

「瑞穂が添い寝していれば、提督が悪夢に魘されたとしても、側に居ることが出来ます。
 そして何より、提督に御寵愛を賜ったのだという証拠にもなりますから。
 正しく一石二鳥ですわぁ。うふふふふ」

「いやいやいや、いやいやいやいや」


 うっとりと。誰もが微笑み返したくなる微笑を浮かべ、トンでもない事を宣言する瑞穂。
 この胸の高鳴りは、きっと恋ではなく不整脈であろう。
 どこまで本気だか分からないが、これはマズい。とにかくマズい。


「自分が悪かった。変な事を言い出したのは謝るから、とにかく添い寝だけは勘弁してくれ」

「あら。瑞穂では不足ですか? やはり浜風さんのようでないと……」

「どうしてそこで浜風が出てくる」

「殿方は小さくて、かつ大きい方がお好きだと、風の噂に聞きましたもので」


 頭を下げ、早急に話を切り上げようとするも、瑞穂は怒っているらしく、許してくれない。
 どちらかと言えば、怒るべきなのは覗かれた自分の方なのだけれど、こういう時に正論を言っても女性は頑なになるだけだと、姉たちで学んでいる。
 この場を収めるために、自分は嫌々ながら頭を下げる事にした。


「もう、本当に許して下さい。二度とあんな事は言いませんから」

「……本当ですか?」


 小首を傾げる瑞穂に、ブンブンと首を縦に振る自分。
 また見つめ合い、十数秒。
 やがて、瑞穂は鷹揚に頷いた。


「では、提督の発言はなかった事に致しましょう。そして瑞穂も、提督に対して何も言っておりません。なので添い寝もいたしません。それで宜しいですね?」

「あ、ああ……」

「食器を片付けます。提督? 今日はお早く休まれて下さいね」

「はい……」


 輝く笑顔でそう言い、見事な手さばきで割れた食器を片付けて、彼女は部屋を出て行く。
 その気配を感じなくなってから、ようやく自分は大きな溜め息をつき、ベッドへ身を投げ出した。


「……話題、間違った……」


 失敗。失敗だ。大失敗である。
 確かに最初の気不味さよりはマシかも知れないけど、これはこれで心に来る。
 もうちょい、女性の扱いが上手くなりたいと、そう思わずにはいられない自分だった。
 ……今日は本当に早く寝よう……。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 夜半過ぎ。
 全く人気がない代わりに、使役妖精たちがそこかしこに溢れる艦内を、瑞穂は歩いていた。
 彼女たちは何をするでもなく、ただそこに存在し、時おり戯れ、そして働いている。
 全くもって自由気ままな姿を横目に、瑞穂が向かう先は。


「……提督?」


 恐る恐る、声を掛ける。
 内開きの扉の向こうは、彼が平時を過ごすために用意された部屋だった。
 返事はなく、時間を考えれば、眠っているのだろうと判断できる。
 が、瑞穂は躊躇いながらも、その扉を開けた。


「……う……う、う……」


 部屋に踏み入った瞬間、苦しげな唸り声が耳に届く。
 簡素な室内のベッドの上で、彼はもがいている。
 顔を歪ませ、脂汗を浮かべ、拳を固く握り締めて。


「ちがう……せんぱい……じぶん、は……っ……」


 薄く開いた唇から漏れるのは、悔恨の念だろうか。
 何度も聞いた……聞かされた声だ。
 今も彼の周りで、心配そうにしている使役妖精たちが、否応なく伝えてくる。
 傀儡能力者には、使役妖精は見えない。
 だから、使役妖精も能力者を見ようとはしない。統制人格とだけ意思を通じ、それで事足りるのだ。
 でも。彼女たちは彼を見守っている。
 悲しそうに。
 寂しそうに。


「添い寝はしないと言いましたが……。側に居ないとは、言っておりませんから」


 彼を起こさないよう、細心の注意を払って、瑞穂はベッドに腰を下ろす。
 そして、手が汗で汚れるのも厭わず、彼の額へ乗せる。
 熱く感じるのは、瑞穂の手が冷たいからではないだろう。


「………………」

「提督……?」


 ほんのわずかだが、彼の顔が穏やかになったような。そんな気がした。
 彼が魘されていると、使役妖精たちが騒いで、瑞穂も休めない。
 だからこれは、自分自身のため。
 誰へともなく、そう言い訳をしながら、瑞穂は目を閉じる。

 良い夢を見れなくても。
 せめて今宵だけでも。
 どうか、悪夢から逃れられますように。

 祈りを言葉にしないまま、時計の針だけが動き続ける。
 夜明けは、まだ遠い。




















 瑞穂さん、紆余曲折ありつつも、最終的に良妻ポジに落ち着くの巻。

 という訳で久々の本編更新でございます。
 本当はもう少し早く更新出来たはずなんですが、まぁGod of Warが面白くて。アトレウス君マジ最強。君が居なかったらパパ上は何回も死んでるよ。居ても何十回と死んでるけど。
 今回やっと、主人公が妖精さんを見れない状態に戻ってしまっている事が確定しました。
 そして、瑞穂さんはここからヘタレ攻めへと再び属性変換していきます。楽しみですな。
 ……主題はそっちじゃないだろ? 本編が重いとふざけたくなるんですよ……。
 ま、sage更新で張っちゃける反動なので、ご了承下さいませ。

 というかですね。五周年記念任務で実装されたサムちゃん、可愛い過ぎてヤバないですか?
 ツイッターの部分アイコンにティンと来て、実装翌日にはGETしてしまいましたが、それだけの価値はありました。
 もしもまだお迎えしてない人が居るなら、「新任務めんどクセェ」とか言わず迎えに行ってあげて下さい。超可愛いですぜ。おへそ舐めたい(オイ
 あ、浜風浦風磯風改二はエロい。それ以外なんと言えばいいのか分かりません。

 二隻目のアイオワ? 二隻目のグラ子さんが来た時点で諦めました。
 嬉しかったけど! 嬉しかったけどさぁ! せめて夜戦能力の強化をぉおおっ!

 さてさて。
 次回こそは浜風のシリアス話に行きたいですが、その前に何回もsage更新すると思いますので、お手数ですが気になる方は要チェック。
 それでは、失礼致します。





 2018/04/29 初投稿






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