<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[38533] 【完結】Fate/retrospective ―第三次聖杯戦争黙示録―【前日譚】
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/18 17:33
・第三次聖杯戦争物です

・時系列は第二次世界大戦前夜

・ホロウ、コンマテなどで語られた第三次聖杯戦争の内容を遵守するよう書きます

・偉大なる原作に敬意を表し魂を賭けて書きます

・この作品はpixivにも投稿しています

・あくまでFate/stay nightの七十年前としての第三次なのでFate/Apocryphaにおける第三次とは異なる内容が含まれます

・「Fate」はもともと、セイバーの物語です





近況報告や次回作などについてTwitterで呟いたりしています。良ければどうぞ。
ユーザID→ユーザID→@L726gou



[38533] 第1話   始まりの日
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/28 23:34
 百五十年前の話である。
 永遠の雪に晒される常冬の地に〝アインツベルン〟という錬金の大家はあった。
 世に潜む数多の魔術師が他の魔術師の家と交わりながら脈々続いている中、アインツベルンは千年間――――十世紀もの間、純血を保ち外との交流を阻んだ一族である。
 その一族がただの一度、他の家と交わった。
 彼等は自らの悲願を叶える方法を見出すことはできたのだが、それを実行する術がなかったのである。
 自分たちに術がないのならば、千年の純血を破っても余所へ術を求めるしかない。
 アインツベルンはまず〝遠坂〟に声を掛けた。
 失った〝法〟を取り戻す大儀礼には適した土地が必要である。けれど地上のあらゆる土地は〝魔術協会〟と〝聖堂教会〟に暴かれており、彼等の目を掻い潜ることは不可能といって良かった。
 故に〝魔術〟という神秘から遠く離れた極東の島国、その霊地の管理者たる遠坂に目をつけたのである。
 次に〝マキリ〟に声を掛けた。
 アインツベルンと遠坂にはない〝呪い〟や〝契約〟が大儀礼のシステムには不可欠だった。

「――――始めよう」

 かくして宝石翁の立会いのもと大聖杯は起動する。
 アインツベルンは失った魔法を取り戻すために。
 遠坂は大師父の与えた命題へと辿りつくために。
 マキリはこの世全ての悪の根絶のために。
 三人の賢者が集い起動された大聖杯、七人の魔術師と七人の英雄が集いし大儀礼を――――聖杯戦争と呼んだ。

 そして現代の話である。

 日本という国を〝政府〟ではなく〝幕府〟が統治していた頃から聖杯戦争は繰り返されてきた。
 だが六十年の周期で過去二度に渡って開かれた聖杯戦争は、全て明確な〝勝者〟を一人として出す事なく、誰一人として己の悲願を叶えることなく終わった。
 一度目は戦いにすらならなかった。二度目は戦いの果てに全てが死んだ。
 そして三度目の戦い、聖杯は奇しくも世界に二度目となる大戦が起こる前夜に幕を開けた。
 常冬のアインツベルン城にてある儀式が行われようとしている。
 六十年前に聖杯戦争における魔術師の剣たる〝英霊〟が降り立った儀式場では、六十年前と同じく荘厳にして神秘的な雰囲気が立ち込めていた。
 アインツベルンに仕えしホムンクルスの侍従たちはみな畏まった表情で来たるべき刻を待っていた。

「いよいよだな。六十年前に果たせなかった悲願を、百二十年前に届かなかった悲願を――――成就させる時がきたのだ」

 玉座にて白髪の大魔術師が謳いあげた。
 アハト翁、アインツベルン八代目の頭首であり、第二次聖杯戦争を知る数少ない人物である。この儀式場に集った全てのホムンクルスの製作者であり父である彼は、アインツベルンという家における創造主、神と呼んですら差し支えないだろう。
 絶大な自信と覇気に頬を緩ませながら、アハト翁は自身の『最高傑作』に視線を向けた。

「はい。私はその為に生まれたのですから。粉骨砕身の決意をもって、聖杯と失われた第三法をアインツベルンへと帰します」
 
 アハト翁の側に控えた銀髪の女性は粛々と答えた。
 背負った責任の重さからか若干その表情には影があるが、それでも貴族としての気品と水仙の如き純白の美しさは欠片も色褪せることがない。いやその影が彼女の神秘的な佇まいをより際立たせてすらいた。
 アハト翁は銀髪の女性の返答に満足げ頷く。

「うむ。必ずやアインツベルンの失った第三魔法、天の杯を取り戻すが良い」

 第三法とは即ち第三魔法、あらゆる魔道の叡智が集まった魔術協会においてすら禁忌とされる秘中の神秘である。
 魔術と魔法は字面こそ似ているが、その実体はまるで異なるものだ。
 神秘の探究者たる魔術師は魔術によって火を起こすことができる。だが火を灯すという結果を成立させるなら、素直にマッチを使えばいいだけのこと。わざわざ魔術を使う必要性などなく、そちらに頼ったほうが効率的にも良い。
 時代は進んだ。嘗ては鳥のように自由に空を飛ぶという現象は、人間には手の届かぬ奇跡であったが、人間は既に進歩した科学力をもって鳥よりも遥かに高い空を飛ぶことができる。いずれ人類は大気圏の外、宇宙にまでその手を伸ばすことだろう。万人が等しく扱える科学が溢れた現代において、大抵の神秘は科学によって再現できるものだ。
 しかし〝魔法〟はそうではない。例えどれだけ時間を重ねようと、手を尽くそうと科学では再現することの叶わない神秘。それを魔法と呼び、それを担う者を〝魔法使い〟と呼ぶのだ。
 神代の昔は火を起こすこと一つすら〝魔法〟であったが、人類の進歩と共に次々に魔法は魔術へと失墜し、世に残った魔法は五つのみである。
 うち五つの魔法の第三席にある〝魂の物質化〟はまさしく人の手には叶わぬ神の御業と呼んでよいだろう。
 第三魔法はアインツベルンが嘗て保有していたが失われてしまった。
 聖杯戦争とは、アインツベルンにとって喪ったものを取り戻す手段なのである。

「アルラスフィールよ。お前であればアレを世に留めておくことも叶おう。アレが招かれる以上、我々の勝利は確定しているも同然だ」

 魔術師とは真理を求めるもの。戦う者ではない。
 しかし聖杯戦争とはその名が示す通り戦いであり、アインツベルンの魔術は些か以上に戦闘には不向きだった。
 実際六十年前の戦いでは、参加したアインツベルンの魔術師がまるで戦闘に耐えられなかったために無様な敗北を喫している。 
 だからこその三度目。
 アハト翁は考えうる限り最強のジョーカーを招きよせる決断をした。
 聖杯戦争において己以外の六人の参加者など邪魔者に過ぎない。その六人の魔術師を悉く殺す為に、人々の尊敬を一身に集めた英霊ではなく、人を呪うことに特化した最大級の呪いを顕現させる。 
 ゾロアスター教における最大の敵対者。悪性の化身、この世全ての悪。
 それこそがアインツベルンが招きよせようとしている悪神だった。

「けれど大丈夫なのでしょうか。聖杯戦争は〝英霊の座〟より英霊を招くもの。この世全ての悪など――――」

「その為のお前だ」

 呼び出すのが英霊ではなく、世界全ての悪を背負いしアンリ・マユとなればその維持は困難を極めるだろう。いっそ不可能とすら言って良いかもしれない。
 故に必勝を誓って生み出されたホムンクルスこそがアルラスフィール・フォン・アインツベルン。
 平均的な魔術師が百人集まっても届かぬ魔術回路と特別性の令呪を有するホムンクルスである彼女であれば、最悪の悪神すら制御することが可能だろう。

「――――始めよう」

 百五十年前に大聖杯の起動を唱えた賢者のように、アハト翁は両腕を羽ばたかせるように広げ宣言する。
 儀式場全体から、中心にある水銀で描かれた魔法陣へ魔力が集約していった。
 アルラスフィールはある種の諦観と覚悟をもって、魔法陣の前へと進み出る。
 城の外は既に日が落ち、闇が空を満たしていた。
 吹きすさぶ白雪すら黒く染め上げ、見ることを叶わなくさせる闇夜。アンリ・マユを手繰り寄せるには最高の厄日であろう。
 アルラスフィールが聖杯戦争を共に勝ち抜くための、そして今回に限っては敵の魔術師を一方的に屠るためのサーヴァントを招くための呪文を唱え始める。
 魔法陣を中心にエーテルが乱舞していった。
 そして―――――

〝この世全ての悪が現世に降臨した〟




 極東の島国、日本の更に地方。冬木市という霊地に聖杯を巡る闘争がある。
 アインツベルン、遠坂、間桐の始まりの御三家が手を組み作り上げ、遂には降臨させた〝聖杯〟はしかし、各地の伝承で語られる聖人の血を受けた杯ではない。いっそ贋作とすら呼んでいいだろう。
 けれどそのようなことは些末なこと。
 元より参加者にとって聖杯の真贋などは大した問題ではない。重要なのは聖杯のあらゆる願いを叶えるという『万能の願望器』としての機能であり、冬木の聖杯が実際に願いを叶える力をもっている以上、それが偽物であるということなどは問題になりはしない。
 そして聖杯に選ばれた魔術師はマスターとして〝令呪〟と呼ばれる聖痕を刻まれ、聖杯を巡る戦いに挑む機会と義務が課せられるという。
 以上のことをダーニック・プレストーン・ユグドミレニアは丁寧に説明し終えた。

「なるほど。君の話は中々に興味深い内容だった。……聖杯戦争か。各地の聖遺物を集める中で噂には聞いていたんだが、君の口振りだと真実のようだね」

 話を聞き終わった後、ロディウス・ファーレンブルクは落ち着いた仕草で、テーブルに置かれた紅茶を口に運んだ。

「日本にて行われる聖杯を巡る戦い、か。そういえば私が時計塔にいた頃だかにそんな話を聞いたような覚えがあったかな。いけないね。私があそこに居られたのは十年も前のことだ。記憶がはっきりしない」

 ダーニックが話をしているロディウスはダーニックと同じく『根源』と呼ばれる真理を探究する者、魔術師である。
 だがロディウスは魔術師の中でも変わり種中の変わり種といえるだろう。
 元々ロディウス・ファーレンブルクは時計塔で名を馳せた一流の魔術師だ。けれど十年前に魔術実験の失敗で何人かの一般人を犠牲にし、研究内容の一部が露見すると封印指定という、表社会でいう指名手配のようなものになり、時計塔から逃げ出した。
 封印指定された魔術師は大抵が協会の追っ手から逃れるためどこかに隠れ潜むか、または領地へ引きこもり更なる高みを目指そうとするものなのだが、ロディウスのとった行動はそのどれとも違うものだった。

「…………」

 ダーニックは視線をロディウスの腕へと向ける。そこには彼の所属を示す逆鉤十字(ハーケンクロイツ)の描かれた腕章があった。
 ロディウスは祖国であるドイツへ戻ると、自らの魔術師としての技量をナチスへと売り込み、今ではこうして大佐という階級と世界中の聖遺物を収集・管理する責任者の地位を手に入れている。
 ダーニックがロディウスと面会しているこの洒落な屋敷もロディウスの個人的なものだ。屋敷の規模を見ればロディウスがナチス内部においてどれほどの地位にいるか窺い知れるというものである。
 国家に所属し、頭脳を費やす魔術師という意味においては、アーサー王伝説におけるマーリンなどといった宮廷魔術師などと共通するかもしれない。

「此度の聖杯戦争に参加すると目されている遠坂家の遠坂冥馬(とおさかくらま)、間桐家の間桐狩麻(まとうかるま)は共に時計塔でもそれなりの名声を得た魔術師です。恐らくはその縁で聞いたのでは?」

「ん、あぁ! 遠坂の方は知らないが間桐は知っているよ。あれだ、あのKIMONOとかいう服を着ているフロイラインだろう。うちのスパイの寄越した写真に写っていた扇情的な姿は良く覚えているとも。
 私はあのキモノが気に入ってね。こうやって帯をくるくると回すやつがたまらなかった。よく死んでしまった妻に着物を着て貰うことをせがんだものだ。あはははははは、いや実に懐かしい」

「…………は、はぁ。私にはその趣味は分かりかねますが」

 封印指定を受けるほどの魔術師とはつまり奇跡と称されるほどに魔術を高めた魔術師ということだ。
 この中には純然たる能力以外にも『神秘は隠蔽するもの』という禁を破り、魔術を衆目に晒し過ぎた者もいるが、ロディウス・ファーレンブルクという魔術師は前者にあたる。
 そして飛び抜けた魔術師というのはえてして非人間的な精神をもつものだが、ロディウスはやたらと俗っぽい。
 ダーニックから見れば時計塔でロードと呼ばれた連中も外面だけ取り繕った俗物ばかりだが、このロディウスに至っては取り繕うことすらせずオープンに俗物だった。

「奥方を亡くされたのですか?」

 何気なしにダーニックが尋ねると、ロディウスは茶目っ気のある顔を解き、どこか過去を馳せるように遠い目をした。

「十年前にね。建設中のビルの瓦礫が落ちてきた事故だった。妻もそれなりの魔術師だったのだが、いやはや。突然の災害には魔術師も呆気ないものだ」

 ロディウスの悲嘆は本物だった。
 ダーニックの目が曇っているか、それともロディウスが稀代の大嘘吐きでもなければ、愛してもいない相手を想ってこんな顔はできない。
 魔術師というのは個人ではなく〝家〟という群体だからか、他人には冷酷な一方で懐に入れてしまった者――――身内には寛容なところがある。
 自らの魔術実験で幾人かを殺めたロディウスも、身内である妻には愛情をもっていたのだろう。

「そういう君は妻はあるのかい、ダーニック」

「――――いえ」

 妻というフレーズに胸に突き刺さるものがあったが、ダーニックは億尾にも出さなかった。

「生憎と縁に恵まれず、未だ独り身のままです」

「例の噂が尾を引いているのかな?」

「……どうやら、その口振りだと知っておられるようで」

「私のもとに魔術師が尋ねてきたと思ったら聖杯などと言い出したのだ。私とて君の身元調査くらいはさせるとも。私も他人に無能と後ろ指刺されたくはないからね。
 不愉快だと君は感じるかもしれないが、私も時計塔を追い出された魔術師として同情しよう。あんな根も葉もない噂をロードまでが信じ込むとは、時計塔も思った以上に駄目駄目だ」

「それは同意します」
  
 ダーニックにとっても忘れられるはずがない屈辱的な記憶。
 忌々しい過去は、目を瞑れば今でも鮮明に思い返すことができた。
 丁度ロディウスが時計塔から逃げ出したのと入れ違いあたりだろう。ダーニックは新進気鋭の天才として時計塔に華々しいデビューを飾った。
 あの頃のダーニックは正に絶頂期であり、時計塔の多くの貴族たちに縁談を持ち込まれるほどだった。
 しかし一人の魔術師の零したたった一つのデマが全てを狂わせた。

『ユグドミレニアの血は濁っている。五代先まで保つことがなく、後は零落するだけだ』

 根拠などなにもないダーニックの才能を妬んだものが流した噂話。本来であれば飛び交う数多の噂話に埋もれるだけでしかない誹謗。
 だがダーニックにとっては不幸なことに、その噂は時計塔中に広まってしまった。
 時計塔の魔術師は名を重んじる存在である。そしてそれ以上に〝血〟を重んじる。
 魔術という本来人間にない機能を極めるには、代を重ね魔術師としての血を濃くすることで、後継者をより魔術を使うに適した人間としなければならない。魔術師の貴族の縁談というのは自らの権威を高める以外に、純粋に魔道の探究という事柄においても有効なのだ。
 だからこそこの噂の蔓延はダーニックにとって致命的だったといえる。
 どれだけ事実無根だ、とダーニックが叫ぼうと意味などなかった。
 周囲は掌を返し彼を冷遇するようになり、彼と彼に続くユグドミレニアの魔術師達の未来は閉ざされたも同然だった。

「ですがファーレンブルク大佐、私に付き纏う噂を知りながらもこうして我が話を聞いて下さったこと。感謝のしようもありません」

 心底からの喜びを顔に現して、ダーニックは会釈する。
 ロディウスは肩を竦めながら苦笑する。

「なに。同じ時計塔に嫌な思い出をもつ者同士、シンパシーが芽生えただけだ。大体どれだけ君に対して良くない噂が飛び交おうと君という魔術師が変わるわけではないだろう。
 我々ナチスが求めているのは優れた才能で、私が求めているのは君という魔術師だ。噂など関係はない」

 さて、とロディウスが話を切り替える。

「――――君から説明された儀礼、聖杯戦争が面白いのは勝利者を決める方法だ。英霊の座から選ばれた七人の英雄を招き、七つのクラスに振り分け下僕として使役するなど。降霊を嗜んだ一介の魔術師として言わせて貰うが正気の沙汰ではないね」

「狂気の沙汰を正気にするのが聖杯です。信じられないのも無理はないことですが、過去二度に渡る戦いで実際に七人の英霊は召喚されています」

 人の身で人に余るほど偉業を成し遂げた人間。彼等は死後、常人とは違い〝英霊の座〟というこの世の摂理の外にある場所に招かれる。
 聖杯戦争が最も目につくところがこれだ。
 死後〝英霊〟となった彼等は本来、この世に現存する四人の魔法使いですら御することの叶わぬ神秘の塊である。
 そんな高次の存在をサーヴァントとして召喚させ、現界させるという奇跡こそ『聖杯』の力が本物であるなににも勝る証明といえた。

「ほほう。で、君の手に刻まれているのがサーヴァントを御する令呪だと?」

 ダーニックは鷹揚に首を縦に振るった。

「サーヴァントに通常の魔術師が使役する使い魔の常識は当て嵌まらない。英霊となるほどのサーヴァントは等しく我等魔術師より強大な存在です。
 そんな彼等を使役するための楔こそがマスター全員に三画与えられた令呪。三度のみの絶対命令権。私が掴んだ情報によれば、最初の聖杯戦争は令呪のシステムがなかったために、サーヴァントを御することができず有耶無耶のうちに終わったとか」

「好き好んで自分より格下の生命にかしずく英雄はいないだろうからね。うん、聞けば聞くほどに良く考え抜かれたシステムだ」
 
「マキリはロシア方面で活躍した使い魔の使役・契約を得意とする古い名家。遠坂は彼の第二魔法の使い手を大師父に頂く名門。アインツベルンに至っては言うまでもない。十世紀の歴史をもつ錬金の大家です。
 彼等が考案し構築した聖杯戦争――――いえ聖杯というシステムは神代の儀礼にすら匹敵する。聖杯を手に入れることができれば必ずやナチスと偉大なる総統閣下に千年の繁栄が約束されることでしょう」

「ダーニック、気になるじゃないか」

「なにがです?」

「聖杯戦争、サーヴァント、令呪。全て承知した。なるほど聖杯を手に入れれば大英帝国も、ソ連も、合衆国も敵じゃない。第三帝国の繁栄は約束されたも同然。君の言うことは至極正しい。
 だがそれほどの代物をどうして君は自分で手に入れようとしないのかな? 我々に協力を持ち掛け我々に聖杯を捧げる必要などない。
 令呪を宿ったのは我々ナチスではなく、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアだろう」

 ロディウスの鋭い指摘を浴びてもダーニックは自然体を崩さなかった。
 こういった腹の探り合いは権威主義の時計塔で慣れ親しんだものであるし、ロディウスがこのような質問をしてくるのも想定済みだ。

「仰ることは尤もです、大佐。ですが私は分の悪い賭けに自分の命というチップを上乗せするほど蛮勇の徒ではありません。万能の願望器、聖杯を手に入れることができたのならば貴方達ナチスの協力を仰ぐまでもなく、我がユグドミレニアの繁栄が約束されるでしょう。
 だがそれは結局のところ手に入れることができたら、という過程のもとに成り立つ絵空事に過ぎない」

「つまり独力で聖杯を手に入れる自信はないというのかね? 君ほどの魔術師が」

「私とて自分が世界最高峰の魔術師と憚っているわけでも、世界最強の魔術使いであろうと自認しているわけでもありません。恥ずかしながら私以上の魔術師など探せばいるでしょう。現に私の目の前に私以上に降霊術や霊媒に秀でた魔術師が座っています」

「人をおだてるのが上手いじゃないか」

 笑いながらロディウスが従者が新たに注いだ紅茶に手をつけた。軍服と同じように黒い髪の奥で黄色い瞳が淡く輝いている。
 
「おだて、などではありません。私とて魔術師、下らぬ噂で人を判断する愚昧には嫌悪を示しますが、優れた魔術師には敬意を表します」

 これはダーニックの本心である。
 最後にどうするか、はさておくにしてもロディウス・ファーレンブルクの魔術師としての実力はダーニックも尊敬していた。
 だからといって情に囚われることがないのがダーニックがダーニックたる所以でもあるが。

「聖杯戦争は七人の魔術師による闘争。勝利の末に手に入るのが『万能の願望器』となれば参加する魔術師も本気で挑むでしょう。
 召喚するサーヴァントにもよりますが、どれだけ高く見積もっても勝率は七分の一。命を懸けて挑むには勝算が低すぎるとは思いませんか? 聖杯が手に入れば良し、だが手に入らず死ぬことがあれば単なる無駄死に。逃げ延びても無駄骨です」

「戦争とはそういうものだろう?」

「ええ、その通りです。ですが事前に勝率を上げるよう努力するのが戦争でしょう? 勝率が低いならば上げる努力をすればいい。だからこそ私は貴方達に協力を求めた。私の勝率のために。
 勿論私とて魔術師です。等価交換の原則通り、私も貴方達に等価を求めるからこそこうして話をしている」

「ほほう。では君が我々に臨む等価とは、報酬とはなにかな」

「私が望むのは一つのみ。ユグドミレニアの繁栄です」

 ダーニックは下らぬ噂のせいで――――否、彼だけではない。彼と彼に続くユグドミレニアの魔術師達全員の未来は閉ざされた。
 諦めざるを得なかった、放棄せざるをえない状況にまで追い込まれた『根源』への到達という悲願。
 それを叶える為にダーニックは一族の繁栄こそを望む。
 派閥抗争と権力闘争において才幹を発揮し、弁舌・演技力・政治手腕によって信じる者、信じない者問わず思うが儘に操ることから〝八枚舌〟という渾名を頂戴したダーニックだが、これは嘘偽りない純粋な本心だった。

「日本では既に帝国陸軍が聖杯を御三家より奪うべく動き始めた、と聞き及んでいます。どうかお早い決断を」

「うむ。では挑もうか聖杯戦争に」

「――――ほう」

 急かしたのは自分だが、余りにもあっさりと自らの望んだ解答を得た事にダーニックも流石に驚いた。
 だが悪い驚きではないため、ダーニックは微笑みを浮かべながら手を差し出した。ロディウスも立ち上がって差し出された手を握る。

「我々は全力で君を援助しよう。英霊を召喚するための聖遺物、材料、戦うための兵士、武器。出来る限りのあらゆるものを用意しようじゃないか」

「ありがとうございます。貴方達の協力があれば、必ずや聖杯を手にすることができるでしょう」

「ふふふ。ところで帝国陸軍まで動いているとは我々も初耳だ。君はどこでその情報を得たのかな?」

「彼の国にもユグドミレニアの協力者はいるということです」

「恐いね。〝八枚舌〟と呼ばれるだけある。ともすれば私も君の舌先三寸に踊らされている道化かもしれないが、君の話を聞いた以上は踊るしかない。強かなものじゃないか」

 ダーニックは微笑みをほんの少し薄くしながら、目を細める。
 外では既に日が落ちようとしている所だった。




「監督役、ですか」

 日本の冬木市で行われるという聖杯戦争について一通りの説明を受けた言峰璃正は、どことなく現実味のない話に呆然とするのを堪えることが出来なかった。
 一大宗教の総本山、ヴァチカンにあるとある教会の一室にはカソックを一部の隙もなく着込んだ璃正と、フードを被った顔の見えない男の二人だけがいる。
 窓もないため明かりといえるのは青白い火を灯した蝋燭だけだった。

「そうだ。七人の魔術師と七人のサーヴァントによる聖杯争奪戦、魔術師という連中は時にとんでもない茶番を考案する」

 魔術師というのは璃正にとっては特段珍しいフレーズではない。
 一大宗教の裏側、吸血鬼などといった化物や魔術師という異端の術を操る者を屠る組織こそが聖堂教会であり、璃正と目の前の上司もそれに所属する人間だ。
 大衆にこそ秘匿されている魔術も、聖堂教会の人間にとっては有り触れたものに過ぎない。

「教会と魔術協会の間には表向きには一応不可侵の盟約が結ばれている故、本来であれば魔術師同士のいざこざになど知らんぷりを決め込めば良いのだが、奪い合うものが聖杯であるというのならば黙してもいられない。
 アインツベルンと魔術協会の要請もあり聖堂教会からは中立の立場、審判兼神秘漏洩を防ぐ者として監督役を派遣することになった。それが」

「私だと?」

 上司の男は口元を三日月のように歪めながら言った。

「君は彼の土地に土地勘があるだろう。第八秘蹟会における君の働きぶりも聞き及んでいる。適任は君しかいないと思ってね」

「…………」

 璃正が所属している第八秘蹟会は世界各地に散らばった聖遺物の管理、回収を任務とする部門だ。
 璃正自身、諸国に散った聖遺物の回収を自らの試練・責務と定め世界中を巡り歩いた過去を持っている。
 高まりつつある戦争気運もあって海外に出るのが難しい現代。こうして日本人でありながら遥か遠いヴァチカンにいることが、言峰璃正が自らの義務に生きているという証明でもあった。
 故にもしも本当に〝聖杯〟が冬木にあるのだとすれば、この身を賭して監督役の任につくのは何の疑問もない。寧ろ若輩の身でありながら『聖杯』という最高峰の聖遺物を目にする栄誉に歓喜しただろう。
 危険であることも理解しているが、己の義務のためならば百の悪魔の軍勢相手でも飛び込めるだけの精神を璃正はもっている。魔術師たちの血塗られた闘争であろうと臆するものではない。
 だがそれは聖杯が本物だった場合の話だ。

「二つ三つほど確認したいことがあります」

「なにかね?」

「貴方の仰った話によれば冬木の聖杯とは『万能の願望器』としての力をもつだけの紛い物。真の意味での聖遺物たる聖杯ではないとのことでしたが、ならばどうして我々が監督役などを派遣するのです。
 魔術師同士の争いであるのならば、魔術協会の者に監督させれば良いでしょう」

 万能の万能器とは表向きの話。璃正に伝えられた真の目的は節理の外、あらゆるものの原因があるとされる『根源の渦』へ到達することだという。
 聖堂教会は魔術師と魔術師たちの集団たる魔術協会とは敵対する立場にあるが、魔術師の目指す『根源』については一切興味がない。
 故に聖堂教会がわざわざ聖杯戦争に介入する必要などないのだ。

「一理ある。だがそれは君が考える必要のないことだ」

「――――――」

 大方聖堂教会、魔術協会、それにアインツベルンまで巻き込んだ政治ゲームが繰り広げられたのだろう。質問を無愛想に切り捨てられたのは好ましい対応ではなかったが、なるほど政治ゲームなど璃正からしたら全く興味も関わりもないものだ。

「それに聖杯の真の目的がどうであれ『万能の願望器』としての力を聖杯がもっているのは事実だ。『根源』などというものを目指す魔術師が勝利してくれるのならば構わないが、醜悪な望みを持つ者が聖杯を手に入れれば大参事が引き起こされる可能性もある。
 璃正。監督役には聖杯戦争による被害を最小限にするだけではなく、聖杯による被害も最小限にして貰わなければならない。
 真に聖杯を担うに相応しいマスター。それを選別するのも君の仕事だよ」

「……分かりました。不肖、言峰璃正。微力を尽くしましょう」

「ありがとう。君が引き受けてくれて私も肩の荷が降りたよ」

 代わりに言峰璃正の肩には大きな重責が圧し掛かってしまった。紛い物といえど、よもや自分が聖杯探索の列に名を連ねることになろうとは思いもよらぬことだ。
 魔術師一人だけでも節理から外れた存在だというのに、それが更に七人で英霊たるサーヴァントが七騎。
 これの激突が齎すであろう騒ぎを想像して――――止めた。魔術師の戦いならまだしも、神話や伝説の人物である英雄同士の戦いなど、言峰璃正という一介の信徒に想像できるものではない。

「冬木の管理者であり、始まりの御三家の一角。遠坂には既に話を通してある。遠坂は聖杯戦争前からこちら側とも繋がりのある家でね。細かいことは彼より聞いてくれたまえ」

「はっ」

 璃正は一礼してその場を辞する。
 上司から渡された書類に目を通すと『遠坂』は大日本帝国の帝都〝東京〟にあるホテルで待っているらしい。
 そこでアインツベルンから監督役に『聖杯の器』の引き渡しも行われると。

「励むしかないか」

 信仰と対極にある魔術師と慣れ合うのは個人的には好まないが、それでも聖堂教会から与えられた任務であれば、これもまた修練の一つ。
 修練であるならば信仰者たる璃正は全身全霊をもって挑むだけだ。



[38533] 第2話   遠坂との会合
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:42
 教会の伝手で鉄道や船を乗り継いで三日ほど。聖杯戦争の監督役としての任を仰せつかった璃正は漸く日本に足を踏み入れた。
 学帽を被って歩く男子学生、振袖姿の女子学生や着物で歩く人々を見ていると『帰ってきた』と実感する。どれだけ聖堂教会に所属する信仰者として海外を飛び回ろうと、こういうところは自分も日本人なのだろう。
 璃正にとっては三年ぶりとなる祖国であるが、帝都東京は三年前とは余り変わった様子はない。強いてあげるとすれば戦争気運の高まりが顕著なことだろうか。

「……む」

 道を行き交う人々の視線が璃正へと向いていた。
 璃正はさほど目立つ容姿をしているわけではない。顔立ちも日本人のそれである。となれば目立っている原因は璃正の着ているカソックだろう。
 このご時世だからというわけでもないが、教会でもない街中でカソックを着た男を見るのは珍しいはずだ。
 
(〝遠坂〟との待ち合わせ場所は『帝都ステーションホテル』だったか)

 教会で説法して注目を集めるならまだしも、このようなことで数多の視線に晒されるのは動物園の動物になったような気分がして些か気分が悪い。
 意図的に人目から外れやすくなる歩調で璃正は約束の場所を目指した。
 幸いにして帝都ステーションホテルは直ぐに見つかった。
 帝都ステーションホテルはここ東京においても一、二を争う施設で、各国大使や要人が宿泊することも多いという。
 神父として清貧を重んじる璃正は当然ながらホテルなどには詳しくはない。だがホテルの外面一つをとっても客人をもてなす心意気などを感じることができた。一流の芸術品が素人にも説明不可能な感動を与えるものならば、このホテルは一流の宿泊施設といっても過言ではないだろう。

「失礼。貴方が璃正神父かな」

 ホテルに入ろうとすると、こちらを外で待っていたのか、柔和な笑みを携えた男に声を掛けられた。
 年齢は璃正と同じくらいだろう。帝都を歩く多くの日本人が和服を着ていたのに対して、目の前の男は洒落な赤い洋服を着ている。
 しかも多くの洋服を着る日本人が未だ背伸びしている感が拭えないのに対して、この男は下手すれば白人以上に洋服を着こなしていた。
 この男の名前は教会から事前に渡された顔写真と資料により知っている。遠坂冥馬、遠坂家の四代目当主であり、此度の聖杯戦争に遠坂のマスターとして参加するだろうと目されている男だ。

「如何にも私が監督役を仰せつかった言峰璃正。そちらは遠坂の四代目当主にして聖杯戦争の参加者たる遠坂冥馬殿で相違ないですな」

 璃正としては当たり前の確認作業のつもりだった。
 だが冥馬はその質問を受けてばつが悪そうに肩を竦める。

「相違あり、だ。確かに私は遠坂の四代目当主だし遠坂冥馬であることも紛れもなく確かなことだ。だが残念なことに生憎と私には令呪が宿らなくてね。令呪が宿ったのは私ではなく、私の父上の方だよ」

 意外なことに璃正も目を白黒させる。
 冥馬は自分に令呪が宿らなかったことが残念でならないのか、今にも溜息を吐きそうだった。初対面の璃正がいなければ実際にそうしていたことだろう。

「令呪が宿ったのが父君ということはマスターとして参加するのは貴方の父ということですな。ですが遠坂殿――――」

「冥馬でいい。これから会う私の父も遠坂なんだ。遠坂殿じゃどっちがどっちなんだか分からないだろう」

「では冥馬殿。貴方は先代より四代目を継承したと聞き及んでいましたが、父君は存命なのですか?」

「ああ。父はかなりの高齢でね。七十に手が届いた時に第一線を退いて、私に魔術刻印と当主の座を譲って隠居したのだよ。……なのになんで聖杯は私ではなく父に令呪を宿したのだか。璃正神父、私はそんなにも聖杯に見放されるほど罰当たりな男に見えるか?」

「魔術師に罰当たりもなにもないでしょう」

 自分でも言ってから辛辣に過ぎたか、と後悔したが別に間違ったことは言っていない。
 教会からしてみれば神の奇蹟以外の神秘は全てが異端であり、魔術という神秘を操る魔術師はこれ全てが異端者である。
 罰当たりだからといって令呪が宿らなくなるのであれば、聖杯戦争に挑もうとする全ての魔術師が令呪を宿すことなく終わってしまう。

「それは確かに」

 一本とられたとばかりに冥馬はニヤリとした。
 冥馬に連れられてホテル内に入る。肌寒い外と違い、ホテルの中は気が休まるほどに温かかった。

「遠坂家は教会とも縁があると聞きましたが?」

「江戸時代の昔、うちはそちらの宗教を信仰してた信徒でね。当時は禁教だったから他の信者を守りつつ、幕府の目を忍んで祈りを捧げていたわけだ」

「ほう。素晴らしい精神ですな」

「はは。それでふらりと現れた大師父に勧誘されて魔術に傾倒したのが初代当主の遠坂永人。『根源』への到達への道を聖杯によってのものと見定めて今に至るわけだ。
 聖堂教会との縁っていうのもそれでね。冬木が時計塔から離れたここ日本にあることや、聖堂教会にも顔がきくこともあって美味しい思いをさせて貰ってるよ」

 遠坂の大師父というと噂に聞く第二魔法の担い手、宝石翁という渾名をもつ魔法使いだろう。直接会ったことは勿論あるわけないが、なんでも並行世界を行き来する術をもつらしい。
 他に彼は吸血鬼の王たる死徒二十七祖に名を連ねる人物でもあるが今は関係のないことだ。

「ちなみにアインツベルンやマキリと組む前の初代当主は、武術を極めて『無の境地』へ至ることで根源に触れようとしていたらしい」

「……それはまた、ユニークですな」

 根源への到達などまるで興味のない璃正だが、武術を極める、なんて方法が『根源』へ到達する方法だとは到底思えない。サッカー選手になるためにキャッチボールの練習をするようなものだ。はっきりいって致命的に進むべき道を迷走しているといえるだろう。
 冥馬の姿をしげしげと観察する。
 仮にアインツベルンやマキリと出会わないままだったのならば、璃正の前には筋肉隆々な武術家が佇んでいたのだろうか。いや聖杯がなければ、そもそも璃正が冥馬と知り合うことすらなかったわけだが。

「〝無の境地〟云々はさておくにしても、身体を動かすこと自体は私も好きだから、魔術の修練ついでにそちらも嗜んでいるが……と、あれが我が父だ」

 璃正は冥馬にならい歩く足を止めた。ソファに一人の男が座り、笑みを浮かべている。
 冥馬から聞いた通りかなりの高齢だ。だがその男がもつ巌のような佇まいがその男を『老人』と呼称することを躊躇わせていた。
 ホテルのロビーはそれなりに騒がしいというのに、その男の周囲だけは小川のほとりのような静けさがあった。
 それはその男の持つ厳粛な佇まいがそうさせているのかもしれないが、他にもこの空間に微妙な違和感を感じる。恐らくは周囲に人払いの魔術でもかけられているのだろう。

(便利なものだ……)

 これなら堂々とホテルのロビーで聖杯戦争関連の話をしても盗み聞きされる心配がない。
 璃正の姿を確認した男は立ち上がると一礼する。

「お初にお目にかかる、璃正神父。遠坂静重、元遠坂家三代目当主だ。此度の聖杯戦争では監督役の任、宜しく頼もう」

「丁寧な挨拶痛み入ります。言峰璃正、若輩の身でありながら大任を仰せつかって参りました」

 相手は魔術師で自分は若輩とはいえ監督役だ。畏まる必要などない相手だが、必要なくても畏まらせるだけの迫力が静重にはあった。
 あの子にしてこの父ありといったところだろう。冥馬以上に静重は洋服を着こなしていた。
 なにより冥馬の雰囲気が名優の演じる貴族だったのに対して、静重は自然体に貴族然としている。このあたりは年季の違いだろう。
 璃正は静重に促されてソファに腰を下ろす。
 冥馬の方は座らずに、まるで父の護衛のように静重の後ろについた。

「長旅ご苦労だったな璃正神父。第八秘蹟会での君の働きは儂も教会より聞き及んでいる。君ほどの人間を監督役として招けたのは、冬木のセカンドオーナーとしても幸いだった」

「買い被り過ぎです。私は自らの貸した責務に邁進していたのみ。此度も私がすべきことをするのみです。ひいては私のすべき責務の一つを行わせて頂きたい。
 遠坂静重殿。貴方が此度の聖杯戦争で遠坂のマスターとして参加することに間違いはありませんな?」

「百聞は一見にしかず、これを見てくれたまえ」

 静重は服の裾をめくる。
 腕に刺青の如く赤々と刻まれていたのは三度の絶対命令権――――令呪だった。
 冥馬の自分ではなく父に令呪が宿ったという話は事実らしい。

「確認しました。遠坂静重殿、監督役として貴方を第三次聖杯戦争に参加するマスターの一人と認めます」

「感謝する。もっとも本来であれば私ではなく、我が子である冥馬に宿るべきものだったのだがな」

「全くですよ。お陰で私が方々に手をまわして漸く入手したとっておきの聖遺物を父上にさしあげることになりました。
 聖杯戦争に参加するなら聖遺物は自分の力で集めろ、との父上から頂いた言葉も御自身が楽をするための方便だったと疑ってしまいます」

「寧ろ僥倖だろう。お前は才能は歴代でも随一だが詰めが甘い。聖杯戦争などという命を賭した決戦の場にはお主のような若者ではなく、儂のようないつ迎えがきてもおかしくない老骨が行くべきだろう」

 遠坂親子のやり取りには濁ったものがなく、和気藹々としたものだ。
 なんだかんだ言いつつ息子が可愛くて仕方ない父親と、そんな父親を尊敬している少しドジな息子。璃正の抱いたイメージはそんなところだ。
 案外聖杯が冥馬ではなく父である静重に宿ったのは、息子を戦場に赴かせたくないという親心が聖杯に届いたからなのかもしれない。
 なんの根拠もない推察であるが、璃正にはあながちそれが真実から遠く離れていないように思えた。

「璃正神父、貴方にはここでアインツベルンより『小聖杯』の引き渡されたのちに鉄道にて冬木へと赴任して貰う。これが冬木市の地図と冬木教会の見取り図だ。確認してくれたまえ」

「この資料によれば教会があった土地は、マキリの所有物だったとありますが?」

「そうだ。外国より冬木へと移植してきたマキリは始めそこに居を置いたのだが、後になって土地の霊脈がマキリの属性に合わないと判明してね。マキリが引き払った土地を教会が抑えた事になる。
 円蔵山にある柳洞寺、我々の領地である遠坂邸に次いで、そこは冬木市第三位の霊脈だ。監督役の拠点としてはうってつけだろう。
 聖杯戦争中は君はそこで待機し、教会のスタッフたちに神秘の秘匿のための隠蔽作業を指示し、敗退したマスターか戦意を喪失したマスターかがきたなら保護してくれたまえ」

「分かりました」

「本来なら魔術協会か御三家の者がするべきことなのだがな。それだとどうしても公平な立場で監督することができない。場合によっては君には無理をかけることになる」

「出来ればサーヴァント戦にしても魔術戦にしても、人目のつかぬところでやって頂きたい。我々の仕事が少なく済みます」

「善処はする。霊地の管理を任されたセカンドオーナーが率先して神秘の漏洩に加担するわけにはいかないのでね」

 遠坂の方は大丈夫だろう。責任感の塊ともいうべき静重なら、人目につくような戦いはしないと信じることもできる。
 だがそれは静重に限っての話だ。
 参加するマスター全員が静重のような者ばかりではない。性質の悪い魔術師がどれほどのものなのかは、仕事柄、璃正も良く知っている。魔術師の実験のせいで街が一つ滅びた、なんて事例も耳にしたことがあった。

「おや。待ちに待った客人が漸く来たようだ」

「客人?」

「ええ。お待たせいたしました。遠坂静重様、冥馬様、言峰璃正様」

 無機質な声に振り向くと、そこに白い古風なメイド服の女性が立っていた。
 頭をすっぽりと包むフードから覗く髪色は銀、瞳の色は濁りのない真紅。まるで変化のない鉄面皮もあわさりメイドというより、人の形をした機械のようだった。
 きっと璃正の抱いた感想は失考ではない。アインツベルンが得意とするのは錬金術、そして錬金術という魔術の中にはホムンクルスの鋳造も含まれている。
 彼女は純粋な人間ではなく、アインツベルンが生み出したホムンクルスなのだろう。
 璃正も本物を見るのは初めてだった。

「我等の主、アインツベルンより監督役に委ねる〝聖杯の器〟を持参しました。遠坂立ち合いのもとご確認を」

 声が無機質ならすることも機械的だった。
 最低限の挨拶を一方的にすると、無駄口もなく電話ほどの大きさの木箱をテーブルに置いた。

「では」

 璃正は一度だけホムンクルスのメイドの顔を伺ってから、木箱の蓋を開けた。

「――――――!」

 そしてそれを見た瞬間、言葉を失う。
 一切の無駄なく錬成された黄金、美しくありながら華美であり過ぎず、人の心を引きつけて離さぬ清純なる気配。
 息をのんだ。事前に聖杯がアインツベルンの用意した贋作であると知っていなければ、璃正は聖杯を目にした感動に滂沱の涙を流していたことだろう。
 生の聖杯を始めて見たらしい冥馬も、視線が木箱の中に釘づけとなっていた。
 ただ一人、前回の聖杯戦争から生きている静重だけが落ち着きを保っている。

「魔力、質、波長……うむ。どれも確かに〝聖杯の器〟そのものだ。この器ならば英霊七体の魂を収めることもできよう」

 聖杯を観察し終えた静重が言う。
 正しい聖杯の担い手を選ぶため、七人の英霊を殺しあわせるというのは外来の魔術師と召喚されるサーヴァント向けの話だ。
 アインツベルンが用意した聖杯は正に一級品、贋作でありながら真作に劣らぬほどの一品であるが肝心の『中身』がない。
 幾ら聖杯があろうと、中身たる魔力がなければ何の価値もない。
 聖杯戦争とは聖杯に中身を満たすための儀式であり、その中身というのが敗北したサーヴァントの魂、英霊なのだ。

「アインツベルンのご使者、ご苦労だった。さて璃正神父、出来れば我々が貴方を冬木教会までエスコートしたいところなのだが、公平を期す為にもそれは出来ない。我々がまず冬木へ先発し、その後に一人で教会へ来て貰うこととなる」

「承知しています」

 監督役は中立でなければならない。
 遠坂立ち合いのもとアインツベルンから聖杯の引き渡しが行われたのも、監督役とアインツベルンの間に第三者を置く為であるし、聖杯戦争が始まれば参加者たるマスターは、聖杯戦争に脱落しない限り冬木教会に入る事は許されない。
 戦地たる冬木へ戻る準備をするためだろう。静重が腰を上げた。その時、

「――――――そうかそうか。聖杯は本物か、幸先の良いことだ。では死ね」

 嘲るような男の声と、パチンと指が鳴る音。
 振り返る暇もありはしない。
 向けられた無数の銃口が容赦なく火を噴き、数えきれないほどの鉛弾が雨のように降り注いできた。
 いきなりの襲撃に璃正は反応できない。
 だが璃正が凶弾に貫かれることはなかった。
 璃正たちを守るように、紅蓮の炎が出現し弾丸が到達する前に焼き払ってしまったのである。
 炎を顕現させた男、遠坂冥馬は璃正たち三人を守るように、銃火器を構えた黒い軍服の集団の前に歩み出た。

「誰かと思えばナチの狗が大挙して何の用だ? こちらは重要な話し合いの真っ最中でね。この国に宣戦布告しにきたのなら、我々じゃなくて国会議事堂に乗り込む事だ」

 冥馬が集団の指揮官と思われる髑髏(トーテンコップ)の徽章付き制帽を被った男を睨みながら吐き捨てる。
 指揮官と思わしき男はサングラスを撫でながら吹かしていた煙草を床に落とし、足で踏みつけて火を消した。

「いやなに。極東魔術師の雑草くン。我々も君達の開催する聖杯戦争に参戦しようと思った次第でね。こうして君達を殺して、聖杯を奪いにきたわけだよ。
 ソイツ(聖杯)は君達のような猿共の手に委ねてやるほど安い代物ではないだろう? 聖杯は我々ナチスと総統閣下にこそ相応しい」

「待たれよ。ナチスが聖杯戦争に参戦することを咎めるつもりはない。だが真昼間の人目がある場所に兵士をもって仕掛けるとはどういうことか。
 諸君等のしている行為は場合によっては監督役権限における罰則も辞さない蛮行である」

 いきなり監督役なんてものに任命された戸惑いはあるが、任命されたのならば自分の仕事をしなければならない。
 璃正はいきなりルール違反をしてきたナチス兵士たちに向かって脅しをかける。
 だがこの世界に挑もうとしている狂った国家の兵士達に監督役の脅しなどは遠いものだった。
 サングラスをかけた指揮官はまるで気にした様子もなく、無造作に懐から銃を抜く。

「うるさいねアンタ、神父殺しは趣味じゃないんだけど……ま、いっか。死ねよ」

 再び兵士達の銃口が一斉に火を噴いた。
 璃正は動けない。一方の静重は動かない。
 静重は動く必要などまるでないと言わんばかりの余裕で、ナチス兵たちを眺めている。
 その余裕が真実であることは直ぐに分かった。

「――――なっ!?」

 突風が吹き荒れる。
 兵士達には断末魔の悲鳴すら許されなかった。彼等が銃弾を発射したと同時に、音速の速度の風刃が兵士達を横なぎにばっさりと屠る。
 一瞬の早業。
 上半身と下半身が永久にさよならした兵士達の返り血が、雨となって降り注ぐ。だが鮮血が璃正たちに届く間もなく火に振れて蒸発していった。
 これを無造作にやってのけた遠坂冥馬は名残惜しそうに右手にもったエメラルドを眺めている。

「はぁ。折角溜めに溜めたとっておきの一つだったのに、もう使い潰してしまった。宝石魔術に使う宝石は一発限りの使い捨てっていうのが難点だな。コストパフォーマンス的に」

「無駄口はそこまでにしておけ冥馬。まだ終わってない、連中ぞろぞろと来るぞ」

 静重の指摘通り第一隊が壊滅したことを知ったナチス兵たちがまた押し寄せてきている。
 いきなりのナチスの襲撃に璃正たち聖杯戦争の関係者を除く一般客の悲鳴がロビーのあちこちから挙がっていた。
 暴挙ともいえる襲撃に、璃正は手を握りしめる。
 聖杯戦争が時として罪なき者の命を奪うものであろうことは理解していたつもりだった。それでもまさかいきなり、真昼間に軍隊を投入して聖杯を奪いにくるなど想定外も想定外だ。

「――――璃正神父、奴等の狙いは聖杯の器と令呪をもつ私だ。奥へ行こう、ここの地下にある酒蔵が丁度魔力が溜まり易くうってつけだな。そこへ退避する。冥馬、お前はここへ留まり奴等を足止めしろ」

「分かりました、父上」

 なんでもないかのように冥馬は頷く。
 静重は言う事だけ言うとさっさとロビーの奥へ歩いて行ってしまった。

「息子さんを見捨てるのですか!」

 思わず璃正は咎めるように声を張り上げた。

「見捨てる? それこそまさか、命を投げ捨てるなら老骨の儂をまず捨てるさ。大切な後継者を儂なんぞのかわりに失ってたまるものかよ。
 これは我々全員の命を生き長らえさせるための一手だ。なに儂の息子は手練れだ。儂より遥かに才能溢れた魔術師だ。ナチの木端兵共相手に遅れをとることなんてありえんさ」

「布石、ですと?」

 静重は力強く口を開いた。

「本来であれば入念な準備をして挑んで然るべきことであるが、事態が事態故に止むを得ない。――――これよりサーヴァントの召喚を行う」

 魔術的なロックの施された鉄製の入れ物を握りしめながら静重は言う。
 その背中には自分の息子への絶大な信頼があった。



[38533] 第3話   血濡れた邂逅
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:43
「――――Anfang」

 冥馬はロビーに突入してくるナチス兵を睥睨する。
 軍隊らしい理路整然とした動き。後方で指揮をとっている者の能力が高いのか、それとも訓練が行き届いているのか。
 味方の第一隊が為す術なく殺されたばかりだというのに動揺した様子は見受けられない。
 なにより兵隊だけあって誰も彼もが銃火器で武装していた。
 常人であれば武装した兵隊の一隊に囲まれれば、出来ることといえば精々が白旗か両手を挙げるかだろう。だが遠坂冥馬は唯人ではなく魔道に生きる魔術師である。例え武装した兵隊に囲まれようと両手を挙げることはない。

(……さっき一つ使い潰したから、手持ちの宝石は残り五つ。家から持ってきた殆どは部屋の鞄の中。だがまぁ)

 心臓を握り潰すイメージ。通常の神経に張り巡らせた回路が、魔力を流すための回路へと反転した。
 遠坂冥馬の魔術回路に魔力が流し込まれていく。右手の人差し指に嵌めあるルビーの指輪が魔力の発露を認識して仄かな光を灯した。
 
「撃て!」

 ナチス兵が機関銃を冥馬に向けて放ってきた。
 冥馬は慌てない。元より魔術師とは自らの死を観念して然るべきもの。たかが無数の銃弾如き死に怯えることなどあってはならない。それが遠坂の四代目当主であれば猶更だ。
 しっかりと前を見据え、冥馬は口を開いた。

「Verbrennung!」

 冥馬の唱えた一節と同時に、魔術をサポートするための魔術礼装たる指輪は正しく機能し、鉄をも焼き溶かす業火を放つ。
 炎は璃正や父を守った時と同じように弾丸が冥馬に届く前に焼き尽くす。

「Nerve Recognition Rise(神経、認識、上昇)」

 多対一の戦いであれば、時計塔で宝石を買うための小金を稼ぐために死徒退治を手伝った事もあるため経験はある。そのため敵が軍隊であろうと冥馬は落ち着きを保っていた。
 もっとも飛び道具をもっていて、考える頭をもっている兵隊たちのほうが吸血鬼の下僕の『死者』などよりも余程厄介かもしれないが。

「Verbrennung!」

 迫る弾丸の悉くを炎で焼き払いながらナチス兵を駆逐していく。
 自分が倒しているのは兵隊だ。もはや死んでいて、単なる吸血鬼の操り人形と化した『死者』とは違う。そんなことは冥馬とて承知していた。
 だが冥馬は遠坂の当主であり冬木の管理者。ここは冬木ではないが、一人のセカンドオーナーとして一般人の前で戦いを始め、巻き込むような外道の魔術師は許せない。
 彼等はナチスの兵隊で魔術師ではないかもしれないが、魔術師の闘争に参加している以上は同じ穴のムジナだ。
 よって容赦なく焼き殺すことに躊躇いはなかった。

「――――ん?」

 自身の魔術によって五感を敏感に尖らせていた冥馬は、ナチス兵の一部が誰かと無線で連絡をとっていることに気付いた。

「Hearing……Gros zwei(聴覚、強化)」

 兵隊達を後方で動かしている者の手掛かりが掴めるかもしれない。冥馬は自分の聴覚を〝強化〟することで、無線で話している内容を聞き取ろうとした。

『……遠坂冥馬は炎を使う。例のものを使え、アレなら容易には溶かせないはずだ』

「!」

 指揮官の正体の秘密を探ろうとしたら、ナチス兵の隠し持つ奥の手を看破してしまった。
 無線の相手の指示を受けたからだろう。半分ほどの兵士達が冥馬を釘づけにするべく弾幕を浴びせてくるのに対して、もう半分の兵士達がその隙にと――――銃火器については殆ど知らないので良く分からないが――――中に入っている弾丸を別のものに入れ替えていた。
 聖堂教会と繋がりが深く聖骸布などを何度か見た経験のある冥馬だからこそ、それがなんなのか一目で分かった。
 兵士たちが新しく機関銃に装填している弾丸は『自分達の教義に反するものを否定する』という最も単純明快な概念で生み出された武装である。
 概念武装としての強度は下だが、あの弾丸ならば冥馬の炎でも容易に焼き尽くすことは叶わないだろう。
 十発程度であれば炎の密度をあげることで対抗できるかもしれないが、幾らなんでも数百発は不可能である。
 冥馬の左手の人差し指には『炎』ではなく『風』を起こすための指輪もあるにはあるが、アレが魔術全てを否定する概念武装である以上、炎でも風でも同じことだ。

「だとすれば……!」

 兵士達が弾丸の装填を完了させるよりも早く、冥馬は忍ばせていた六つの宝石の一つを取り出した。
 ルーン、錬金、結界など魔術には様々な種類があるが、うち遠坂が得意とするのは『転換』。魔力を始めとしたものを別のモノに移して定着させる魔術だ。
 特に遠坂は大師父でもある宝石翁の影響もあって『宝石』に自分の魔力を込める宝石魔術に秀でている。
 そして冥馬の取り出した大粒の宝石には何年もの月日をかけて冥馬が溜め続けた魔力が宿っていた。

「Dreiundzwanzig――――Starke seiner Beine Gros zwei!」

 宝石の中に溜まりに溜まった魔力、その全てが遠坂冥馬という一人の人間の脚力を強化するという方向に発揮される。
 遠坂冥馬という魔術師だけではそうそうに引き起こせない爆発的な身体能力の上昇。これも宝石の力である。宝石魔術師は魔力の溜まった宝石を用いることで、一流といえる魔術師でも長い詠唱をしなければとても発揮できないAランククラスの大魔術を、ほぼ一工程で行うこともできるのだ。
 冥馬の爆発の如き踏みこみがロビーの床を粉砕する。
 床を砕くほどの脚力は遠坂冥馬という人間を消した。いや、消えた様に見せた。
 魔術の〝否定〟たる概念武装を装填し終え、冥馬へ発砲しようとしていた兵士達は、冥馬の姿を見失ったことで混乱する。 
 その間に冥馬は兵士達の中を駆け抜け、彼等の後方へ躍り出ていた。
 
「う、後ろだ!」

 最初に冥馬に気付いた兵士が慌てて皆に警告を発するが、

「遅い!」

 遠坂冥馬は既に攻撃の準備を整えていた。右手と左手、両方の魔術礼装を同時に起動させる。
 両手から出現するのは高温の炎と、高密度の風刃。

「はっ!」

 両腕を振るう。
 炎と風、二つの魔術が兵士達を薙ぎ払った。
 しかし十人程度の兵士を殺したところでナチスの兵隊はまだまだ数えきれない程いる。そして彼等は味方兵士の犠牲を代償に弾丸の装填を完了していた。

「Zweiundzwanzig―――Feuer!」

 囲まれれば勝機はない。
 もう一つの宝石を爆発させて、兵士達の一角を吹き飛ばしつつ爆風を隠れ蓑に後退する。
 冥馬が背中を向けた時だった。
 背後から弾丸の雨が掃射される。幸い爆風で視界が塞がれているからか正確な射撃ではなかったが、弾丸が弾丸のため今までのように炎で溶かして防御、なんて真似もできない。
 仕方なく冥馬は手近にあったテーブルをありったけの魔術で強化して即席の盾とした。

「参ったな、これは。敵は底なしでこちらは底あり。――――いずれ押し切られる」

 傷一つなく多くのナチス兵を倒しておきながら冥馬の表情は暗い。
 宝石魔術の最大にして致命的ともいえる欠点が、宝石が一度限りの使い捨てということである。
 此度の聖杯戦争のために、十年以上もの月日をかけて魔力を込めてきた宝石のうち三つは今のでふいになった。
 そして現在手持ちの宝石は残り三つ。つまり冥馬がさっきまでとまるっきり同じことをしたら切り札を失うということである。
 表情の一つや二つ暗くなるというものだ。

(もっとも〝俺〟のするべきことは奴等の足止め。父上がサーヴァントを召喚さえしてくれれば――――巻き返せる)

 息子だけあって父がしようとしていることは当然のように承知していた。
 サーヴァントは人知を超えた存在である。
 その強さは並みの魔術師など足元に及ばないほど高みにある神話の具現。
 ナチスの兵隊などサーヴァントさえいれば一方的に蹂躙することもできるだろう。
 ただそれには不確定要素も多い。前提条件であるサーヴァントの召喚だが――――そもそもこんな場所でサーヴァントを呼べるのか、という問題が立ち塞がっているのだ。最悪サーヴァントを召喚できず仕舞いということも十分ありえることである。
 サーヴァントを呼べなければ冥馬含めて全員がここで死ぬかもしれない。
 魔術師は決してなんでもできる超人ではないのだ。そもそも魔術が万能であれば、科学によって五つの魔法を残して権威を失墜したりしないだろう。
 万能というのなら『誰でも平等に扱える』科学の方が余程万能だ。少なくとも科学を結集すれば『五つ』以外はなんでも出来るのだから。
 もっとも冥馬が知らないだけで、科学も科学なりに不便なこともあるのかもしれないが。
 冥馬がそんなことを考えていた時だった。

「ん?」

 考え事をしている最中、冥馬は自分に向けられる視線に気付く。
 生きている他の客はとっくに逃げ出してしまっている。というよりまともな神経の持ち主なら、ナチスの兵隊が銃をもって襲撃してきたら逃げるだろう。
 だから逃げないとすれば、それはまともな神経の持ち主ではないということだ。
 棒立ちしているのは聖杯を璃正神父に届けにきたアインツベルンのメイドだった。
 メイドがは逃げることもせず、身に迫る脅威に構えることもせず、ただ眼前で起こる戦いを他人事のように眺めている。

「……っ! アインツベルンのメイド、まだ……いたのか?」

「――――――」

 アインツベルンのメイドは何も反応しない。自分の直ぐ近くにある椅子が機関銃の掃射でバラバラになっても眉一つ動かさなかった。
 間違いなく心臓は動いているし、物事を考える知能を持っていというのに――――その振る舞いはまるでマネキン人形のようである。
 しかし銃弾が風のように吹く中、赤い双眸だけが遠坂冥馬を捉えて離さない。

「なにをしてる? 奴等の狙いは私か父上、それと璃正神父のもつ聖杯だ。お前は殺害対象じゃない。死にたくなければ早く逃げろ!」

「不要です。私は聖杯を監督役に届ける、という自らの存在意義を全うしました。後は大人しく滅びるのみです」

 死の恐怖を欠片も感じさせぬ無乾燥な声で、アインツベルンのメイドは言葉を紡ぐ。

「ただどうせ滅びるならば、と今後アインツベルンの敵となるかもしれない『遠坂』の戦いぶりの一部始終をお嬢様にお伝えしようと。こうして留まっています」

 赤い双眸の奥深く、そこにもう一つの視線を感じた。
 恐らく彼女のマスター、此度の聖杯戦争に挑むアインツベルンのマスターと彼女は視界を共有しているのだろう。
 つまりアインツベルンは安全なところから冥馬の足掻きを高みの見物しているというわけだ。

「勝手にしろ……!」

 苛立ち混じりに吐き捨てる。
 冥馬としても自分から死んでいい、なんて言う者を無理に助けようとするほどにお人好しではない。
 やがて弾丸の一発がメイドの腹を霞めた。
 一発当たると後は早かった。銃弾が容赦なくメイドの体を蜂の巣にしていく。

「まったく」

 冥馬の直ぐ横で聖杯を運んできたメイドは死んだ。
 義憤などするわけがない。憤慨などする価値もない。アインツベルンの生み出したホムンクルスは生きることを諦め、そして勝手に死んだのだ。
 だから冥馬の抱く遣る瀬無さというのは〝心の贅肉〟というものなのだろう。

「我ながら甘いな。だがお蔭で決心もついた。あんな姿にはなりたくないね、心の底から」

 あのメイドの姿は自分が敗れた時の成れの果てだ。自分がああやって死ぬかもしれないと思うと、どうしてもその死を遠ざけたくなる。
 死を観念するべき魔術師としては恥ずかしい事に――――どうやら自分は自分の命が惜しいようだ。

「しかし奴等の弾は底なしか」

 強化を施した机は弾丸など軽く弾くほどの強度をもっているが、それとて限度というものがある。
 否定の概念をもつ弾丸の雨に机は削れに削れ、もはや不細工な木の板になってしまっていた。
 もって後五分。五分後には遠坂冥馬を銃火から守ってくれている木の板は、ただのスクラップとなるだろう。
 覚悟を決めて打って出るにしても宝石三つでは心許ない。

「それにしてもナチの連中、こんな暴挙をしてきたにしては消極的じゃないか」

 ナチスの兵隊達は遠巻きから発砲し続けるだけで、一向に強行突破を仕掛けてこない。
 幾ら『個人』として遠坂冥馬がナチス兵たちを上回ろうと所詮は一人。多勢に無勢、兵隊全員が一斉に突撃してきたら今頃冥馬は全ての宝石を切らしていた頃だろう。
 どれだけナチスが国家権力を背景にしていて、世界の裏側に位置する戦いに挑んでいるとはいえ、他国で銃撃戦をするなど激しく問題のある行為のはずだ。
 ナチスの側からすれば一刻も早く聖杯を奪取し、退却したいはず。
 なのにナチスは積極的な攻撃を仕掛けてくることがない。まるで――――冥馬と同じように、足止めをしているような。

「まさか!」

 最悪の可能性に思い至り、目を見開く。
 もしもナチスの動きが積極的でない理由が冥馬の読み通りであれば、父と璃正神父の身が危険だ。

「Zwanzig、Neunzehn Flamme Mauer!(二十番、十九番、炎の壁)」

 宝石二つを使っての魔術の発動。例え『否定』の概念が込められた弾丸でも問答無用に溶解させる炎壁が顕現する。
 これでナチスは暫く足止めできるだろう。
 思い過ごしてあればいい。考え過ぎであれば良い。そう祈りながら冥馬は父たちのいるであろう場所へ急いだ。




 ホテルの地下にある酒蔵まで来た静重は、素早く最も自分に適した方角と位置を探ると、魔術で宝石を溶かして地面に垂らした。

「ぐっ……!」

 更にと、静重が自分で自分の手を切って血を宝石に垂らす。
 熱に溶けた宝石は静重の垂らした血液と混じり合って、自分の意志があるかのように動き魔法陣を形作っていく。
 素人目に見ても面倒な過程をすっ飛ばしたやり方だが、上で息子がナチス相手に奮闘している今では一分一秒が惜しいのだろう。

「英霊を召喚するにしては随分と簡易なものですね」

 英霊の座から英霊を呼び出すと聞いて、璃正はさぞ凄まじい儀式なのだろうと想像していたのだが現実は違っていた。
 静重の描いている魔法陣は通常の魔法陣と大した違いもなく、とてもではないが英霊降霊を可能とするようなものには見えない。

「実際に英霊をサーヴァントとして召喚するのは魔術師ではなく聖杯だよ。逆を言えば聖杯なんて代物がなければ儂ら魔術師が百人集まろうと英霊など召喚できん。
 言ってみれば我々マスターは聖杯が開いた英霊の座に、釣り糸を垂らして釣り上げているだけ。そして目当ての英霊を引き当てるための〝餌〟がこれだ」

 魔法陣を描き終えた静重は、鉄製の入れ物から――――小さな鉄の破片を取り出して、魔法陣の上方へと置く。
 ともすればガラクタにさえ見えるソレは、特定の英霊を呼ぶために必要な聖遺物、英霊の遺品だ。
 サーヴァント召喚のために必要となる詠唱と魔法陣以外のものがこれである。
 無闇やたらに餌をつけ釣り糸を垂らしても釣る魚は選べない。だとすれば目当ての魚しか食いつかない餌を用意すればいい。召喚の際に特定の英霊に縁ある聖遺物を用いることで、マスターは望んだ英霊を招きよせることができるのだ。

「冥馬の奴には感謝せねばならぬな。よもやこれほどの聖遺物を持ってくるとは、この儂もまるで予想していなかった。これを使えば必ずや最強のカードを引き当てられる」

 静重の口元が緩む。絶対的な自信をもって言うくらいだ。余程凄まじい英霊の聖遺物なのだろう。

「静重殿、その鉄屑はなんなのですか?」

「ブリテンに君臨した彼の騎士王、その鎧の破片だよ」

「―――――なんと」

 彼の王を知らぬはずがない。イングランドで最も有名な騎士道物語アーサー王伝説に登場する伝説の王、アーサー・ペンドラゴン。
 璃正をもってしても、これより招かれるのが彼の王であるということに驚きと、畏敬の念を禁じ得ない。
 
(確かに、彼の王ならば)

 聖杯戦争で召喚されたサーヴァントは七つのクラスという器に収められるよう召喚される。
 第一次聖杯戦争のおりに招かれたのはセイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、アサシン、バーサーカー、キャスターの七クラス。次の第二次では若干クラス変更があったそうだが、第一次のものが基本的なラインナップであることに変わりはない。
 そしてセイバー、ランサー、アーチャーの三つのクラスは『三騎士』と呼ばれ、クラス別技能に等しく全員が魔術への耐性たる『対魔力』を有する。
 嘗ての聖杯戦争でも三騎士は安定した活躍をみせ、特にセイバーのクラスは常に最後まで勝ち残った実績から最優のサーヴァントと呼ばれている。

「召喚されるのが〝騎士王〟ならば当て嵌まるクラスはセイバーしかない。最優のセイバーに伝説の聖剣を担いし王者を招く。……我が息子ながら、ここまで完璧な布陣を整えるとは末恐ろしいものよ」

 静重の言葉は誇張でもなんでもない。
 騎士王ほどの英霊に比肩しうるサーヴァントなど世界各地の伝承を紐解いてもそうはいないだろう。
 召喚した瞬間、勝利がほぼ確定する。そう言っても過言ではないほどだ。

「サーヴァントを召喚する触媒、聖遺物の方は問題ない。問題があるとすれば招く側、儂の方だ。
 如何にサーヴァント召喚に大がかりな準備は必要ないといえど、本来であれば然るべき霊地で然るべき刻限にて行うべきもの。このような慌ただしい召喚など前代未聞だ。首尾よく召喚できれば良いのだが……」

「やるしか、ないでしょう」

 ロビーで繰り広げられる銃撃戦の音がここまで響いてきている。
 万が一騎士王を召喚できなければ、殺到するナチス相手に孤軍奮闘する冥馬も、ここにいる静重や璃正も殺されるだろう。
 静重の召喚、それに三人の命運がかかっている。

(……よもや私が、魔術師の魔術の成功を祈る日がこようとは)

 人生とは分からないものだ。有り触れた日常が続いているようにみえて、少し先には思いもよらぬ出来事が待ち構えている。

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 静重がサーヴァント降霊の詠唱を始める。

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 イレギュラーなサーヴァントの召喚。霊脈・時間などの不足を静重は手持ちの宝石全てを使うことで補っている。
 それでも何かが起こるかもしれない。
 静重は御年七十五。上手くいったと確信して失敗してきた数は三十を超える。故に細心の更に細心の注意をもって召喚に臨む。
 
「――――Anfang」

 魔法陣の準備が整う。
 これより遠坂静重は参加するマスターではなく、ただサーヴァントを招くための部品となる。
 全身が混濁し、己の感覚だけが無重力地帯に投げ出されたような浮遊感を味わいながらも、静重はしっかりと両の足を地面に縫いとめていた。
 璃正からも汗が流れる。これから招かれる英雄に対する畏怖からか、手が微かに震えていた。
 だがいよいよ本格的な詠唱を始めようとしたところで、

「クライアントの懸念は正しかったようだ。よもや本当にこんなところでサーヴァントを召喚しようとするとは。始まりの御三家、やはり生半可な外来者とは違う、ということか」

「っ!」

 魔法陣に溜まる魔力が雲散しそうになるのを、静重は渾身の意志力をもって堪えた。
 動けない静重にかわり、璃正がいきなり出現した男を睨む。
 雪のように白い装束。そしてその装束に反するような艶のある黒髪。無愛想な眼鏡の奥には理知的な深い緑色の双眸がある。
 この酒蔵に繋がる唯一のドアは魔術結界で塞がれていた。結界が突破された気配はなく、普通に考えればこの男は最初からこの酒蔵に潜んでいたと考えるのが適切だ。
 けれどこの男がとても現代人とは思えぬ姿恰好をしているとなれば、考えられる可能性は一つ。

「サーヴァントか?」

「如何にも」

 璃正の問いかけに男は涼やかに返答した。
 サーヴァントはマスターの魔力によって実体化することができるが、基本的に彼等は死者であり霊体だ。よって実体化を解き壁を通り抜けて酒蔵に侵入するなど彼等にとっては容易いことである。

「サーヴァント召喚前にマスターを殺す……それも一般人の前で銃撃戦を始めるなど、定められたルールから大きく逸脱した行為だ。英霊の座に招かれたほどの英雄が、マスターの暴挙に目を瞑るのか?」

「さぁ。少なくとも今のところ私のクライアントは私の〝ルール〟には反していない。ギブ&テイクがしっかりしているなら私に言うべきことはないな」

 璃正の非難にもサーヴァントは淡々としている。……マスターは兎も角、相手が誇り高い英霊ならば、と一縷の望みをかけたのだが無意味だったらしい。
 ランサーは璃正と静重、二人を見据えながら口を開けた。
  
「『聖杯』にマスターとして選ばれながら戦いに挑むこともできずに終わるのは、まぁそちらにとっても屈辱だろうが、これもクライアントの命令でね。大人しく死んでくれ」

 男が眼鏡のずれを直しながら、その手に無骨な白い槍を出現させる。
 聖杯戦争で槍を使うサーヴァントといえば思い当たるクラスは一つ。

「ランサーのサーヴァント!?」

 男はにやりと笑みを深めただけだった。沈黙は肯定と、受け取っても良いだろう。
 
「――――告げる! 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 
 璃正が硬直する中、静重の行動は早かった。
 まるで自分達の近くにサーヴァントがいることなど見えていない様に、一心不乱にサーヴァントの詠唱を行う。
 ランサーが嘆息混じりに槍を静重へと向けた。
 詠唱中の静重は完全に無防備。ランサーの一突きを回避する術はない。
 だとすれば、

「墳ッ!」

 璃正のやるべき事は一つだった。
 生まれてからこの肉体に刻み込んだ武術をもって、目の前のサーヴァントを足止めする。静重がサーヴァントを召喚するまで。

「ほう。教会の坊主の癖して良い動きをする。……東洋の拳法か?」

 ランサーはなんでもないふうに璃正の拳を受け流す。
 自画自賛になるが璃正の八極拳士としての力量は相当のものだ。巡礼の中で悪漢十人に囲まれながら無傷でこれを制圧したこともある。
 けれどランサーは伊達に三騎士の一角を担うランサーとして招かれたわけではない。
 人間レベルにおける達人でしかない璃正と、サーヴァントであるランサーでは文字通り強さの格が違った。璃正がどれだけ拳を振るおうとランサーは鼻歌まじりにそれを回避していく。
 もっといえば、

「――――残念だったな、神父」

 璃正の拳がランサーの腹に命中する。相手が人間であれば、内部にまで振動が行き渡り内臓を破壊する一撃だったが、ランサー相手にはまるで効果がない。
 
「生憎だがサーヴァントは霊体。物理攻撃だろうと、銃とかいう品性の欠片もない不細工な鉄屑が頭に命中しようとダメージなど通りはしない」

 ランサーが無造作に璃正を蹴り飛ばす。
 それだけで戦闘ともいえない戦いは終わりを告げた。

「が、あ――――」

 蹴り飛ばされた璃正は酒樽に叩きつけられる。 

「よくやったよ、ただの人間にしては」

 ランサーが璃正に止めを刺すべく近付いてきた。
 静重の詠唱も完了してはいない。頭をうってしまったのか、璃正も頭がぐわんぐわんと揺れていて立ち上がることができなかった。
 終わり、そんな三文字が脳裏を過ぎる。

「待て、サーヴァント」

 しかしランサーが璃正に突き出そうとしていた槍は、璃正の心臓を穿つ前に静重の言葉で止められた。

「やめろ……彼は監督役だ。それともナチスドイツと君という英霊は中立の審判を殺すほどに品性がない輩なのかね?」

「言うじゃないか魔術師。なるほど、私のクライアントの品性は知らないが、中立の人間を殺すのは私も余り好まないところだ。
 更に言えば私は『聖杯』を奪取して、遠坂親子を殺せと命じられてはいるが、監督役を殺せというオーダーは受けていないな。
 良いだろう、魔術師。お前の嘆願に免じてそこの監督役は殺さない。だがお前は殺させて貰うぞ。私も報酬分働かないのは主義に反する」

「…………好きにしろ」

 それは苦渋に満ちた、諦めの言葉だった。
 
(まさ――――か?)

 信じられなかった。
 言峰璃正を救っても静重に利益などない。あのまま璃正を無視して詠唱してもランサーがいる以上、間に合うことはなかったかもしれないが、それでも助けることでメリットは発生しなかった。
 なんの利益にもならぬ行為遠坂静重は純粋に言峰璃正を助けるためだけに助けたのだ。

「璃正神父。こんなこと頼めた義理ではないが、聖杯戦争を頼む。しっかりと監督してくれ。そして願わくば、相応しい者に聖杯が委ねられるよう」

 声を出す事も、ランサーを止めることもできなかった。
 ランサーの白い槍が静重の体を貫通する。静重はごほっと血を吐きだしながら崩れ落ちた。
 背後のドアから響き渡る轟音。
 そこで璃正も力尽き、ゆっくりと意識を沈めていった。



 冥馬が酒蔵のドアを破壊して突入した時、全ては終わっていた。
 酒樽に叩きつけられ気絶している璃正、無傷で槍を突き出しているランサー。その槍に突き刺された自分の父親。
 その光景がここでなにが起きたのかを残酷なまでに告げていた。

「ランサー!」

「おや、息子の方の魔術師も来るとは手間が省けたな」

 ランサーが槍を引き抜く。父・静重は支えを失い地面に転がされた。

「しかし現代の兵隊というのも不甲斐ない。魔術師一人足止めできないとは。それもこれも不細工な鉄屑なんぞに頼っているからだ。もっと剣や槍を大切にしろ、軟弱者め」

 父を殺した相手に慈悲などかける気はなかった。問答無用に冥馬は炎をランサーに浴びせる。

「――――残念だがその程度の魔術は私には届かない」

 炎に包まれながら、なんでもないようにランサーが言う。
 ランサーのクラスによる対魔力だろう。冥馬の魔術は肉体の強度に防がれているのではなく、ランサーにまったく通じていなかった。
 白兵戦を得意とするランサー相手には、遠距離から魔術で攻撃するのが一番効果的だ。だというのにランサーには対魔力スキルがあるため、肝心の魔術が効きにくい。
 それが三騎士のクラスが優秀とされる所以であり、七クラス中で『魔術師』のサーヴァントたるキャスターが最弱たる所以だった。
 冥馬の見た限りだと魔術をもってランサーを害そうと思うのならば、ランクB以上の魔術をもって行う必要があるだろう。
 最後の一つである宝石を握りしめる。
 例え無茶だとしても、ランサーを倒す。そう意気込む一方で冥馬の冷静な思考は告げていた。

(終わったな)

 仮に運よくランサーを単独で撃破する快挙を成し遂げたとしても、後ろにはナチス兵たちが待ち構えている。炎の壁も少し経てば突破されるだろう。ランサーを倒したところで後に待つのは死だけだ。
 だからこそランサーは倒さなければならない。
 どうせ死ぬなら、せめて父親の仇くらい獲らなければ割に合わないだろう。

「誓いを…………此処に」

「なに!?」

 冥馬とランサーが奇しくも言葉を被せて驚きを露わにする。
 心臓を貫かれ死んだはずの父・静重。だがなんということだろうか。心臓を貫かれて尚も、静重は気力のみで現世にしがみ付きサーヴァントを呼び出そうとしていた。

「人は時に思いもよらぬ力を見せる。意志や愛で限界をこうも超えてしまう。魔術師、その姿に敬意を表するぞ。だがオーダーは変わらない。死ね!」

 ランサーが最後に残った意志すら殺さんと、静重へ疾走する。

「我は、常世…総ての善と…………成る者、我は常世総ての悪を敷く者――――」

 静重は詠唱を止めない。

「父上……!」

 父の覚悟、父の遺志、冥馬は確かにそれを受け取った。
 涙は見せない、見せるのは父から受け継いだ遠坂の魔術だけでいい。父の最後の魔術を完遂させるのが、今の冥馬ができる最大の親孝行であると認識した。

「うぉおおおおおおお!」

 最後の宝石の魔力を費やして、ランサーに体当たりする。
 ランサーがほんの一瞬だけよろめく。その一瞬で十分だった。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 果たして遠坂静重の魂を賭けた叫びは、節理の外にある『英霊の座』に届いた。
 エーテルの炸裂。そして〝彼〟は召喚された。
 稲妻の如く黄金の刃が振り落される。白い槍は黄金の前に弾かれ、ランサーは慌てて後退した。
 まず目についたのは夜空で光る星を思わせる金砂の髪。瞳は海のように青く、清廉な風を思わせる。
 がしゃん、と無骨な音が酒蔵に響き渡った。

――――息を呑んだ。

 見た目こそ人間の形をしているが、その身に宿す魔力の密度が桁違いだ。
 これこそがサーヴァント、人間の身でありながら魂を精霊の粋にまで昇華させた者。
 蒼と銀、二つを基調とした甲冑を纏う『騎士』は、神経質そうな目で冥馬と静重を見下ろしている。

「召喚されて出てきてみれば、いきなり心臓を突き刺されて倒れているとはな。これはまた随分なマスターに引き当てられたものだ」

 咎めるように、嘆くように、そして自責するように。
 黄金の剣をもった蒼い騎士は言った。



[38533] 第4話   受け継がれし刻印
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:44
「成功した、のか……?」

 僅かな光しか差し込まない酒蔵で、冥馬は安心の吐息を零す。
 イレギュラーの極み、準備も碌にしていなければ、ナチスの兵士達に背中を押されての慌ただしい英霊召喚だったのだが、どうやら無事にサーヴァントを召喚できたようだ。
 更に言えば蒼い騎士のもつ武器が『黄金の剣』となれば、聖遺物に縁のある英霊が呼ばれた事も疑いようのないことである。
 即ち彼こそがブリテンに君臨した騎士王アーサー・ペンドラゴン。
 
「……はぁ。こうして死んだ後に聖杯探索の機会に恵まれたと思えば、こんな光景が待っているとはな。運命の神とやらは性格外見共に狒々のような不細工女に違いない」

 蒼い騎士は憂鬱そうに空を仰いだ。
 侵略者との戦いの悉くを勝利で飾ってきた常勝の王とは思えぬ疲れ切った表情で、気絶している璃正、心臓を貫かれている己のマスター、父に寄りそう冥馬、そして慎重に様子を伺ったままいるランサーに視線を向けていった。

「喜べ俺を呼び出したマスター。聖杯戦争に勝利することは叶わないが、この分だと最速脱落記録はお前が独占できる。不名誉な形だが取り敢えずこの戦いの歴史には残ったわけだ。
 もっともその不名誉を知らずのうちに共に得ることになった俺は死にたいくらいだがな。マスターとサーヴァントは運命共同体らしいが、それは召喚された瞬間に死にかけているマスターにも適用されるのか?」

 蒼い騎士は不機嫌を露わに冥馬の父・静重を眺める。
 辛辣な言い方に頭が沸騰しかけたが――――蒼い騎士の立場にたってみれば、無理もないことだろう。
 聖杯を求めるのはマスターだけではない。サーヴァントとして召喚される英霊にもマスターと同じように聖杯に託す祈りがある。
 サーヴァントがこの世に現界するにはマスターという憑代と魔力供給が必要不可欠であり、マスターも戦いを勝ち抜くにはサーヴァントが必須。
 マスターとサーヴァントの間には利害の一致があり、だからこそサーヴァントは自分より劣る存在であるマスターに従うのを良しとするのだ。
 だというのに召喚されてみれば肝心のマスターが死にかけ。この時代の住人ではないサーヴァントが現世に留まるためには、この時代の人間、つまりマスターという憑代が必要。
 単独行動スキルをもつアーチャーなら大体数日はマスター無しでも活動できるが、それ以外のサーヴァントはマスターなしで活動できるのは精々数時間だ。
 つまり召喚早々にマスターを失っている蒼い騎士の脱落は定まったも同然。蒼い騎士からすれば自分のマスターに愚痴の一つでも言いたくなるというものだろう。
 
「まだだ……まだ、終わりじゃない」

 だが静重は肺から酸素を絞り出しながら、己のサーヴァントに告げる。まだ戦いは終わっていない、と。
 己のマスターの力強い眼光に、蒼い騎士が一転して真面目な顔つきになる。

「―――――――というと?」

「説明している余裕はない……。お前はランサーを足止めしろ……なんとしても、儂らに近づけさせるな……お前の、聖杯戦争は終わっていない…………」

「――――分かった。OKだ、承った」

 もしかしたら自分の召喚者の最期となるかもしれない命令を、蒼い騎士は受け取った。

「どうやら召喚前に死にかけた間抜けな召喚者――――というだけが、お前じゃないようだな。
 俺もここで終わるのは本意じゃない。なにをしようとしているかは知らないが、この命に賭けてお前のもとにランサーの槍は届けさせん」

 蒼い騎士が黄金の剣を構える。蒼い騎士は何人たりとも通さぬ不可侵の壁として、白い槍兵の前に立ち塞がった。

「その聖剣、見間違うはずもない。サーヴァント召喚を許したのは私の失態だが、出てくるのがよもや騎士王だったとは。これは私も私のクライアントも理解の外だったぞ」

 ランサーはあっさりと蒼い騎士の真名を言い当てる。
 英霊にとって真名は隠すべきものだ。英霊とは人類史において偉大なる活躍をした人物であり、彼等の伝承は歴史や伝承が記録している。
 真名を知れば相手の能力の全容を知ることもできるし、なにより伝承は彼等の『偉業』だけではなく彼等の死の原因――――弱点をも記録しているのだ。
 聖杯戦争に召喚されたサーヴァントがセイバーやランサーといったクラス名で呼び合うのもこういった事情がある。

「有名過ぎる英雄というのもそれ故に辛いものがあるな。こうして武器一つ見られただけで真名を看過されるとは」

 ランサーに真名を看過された蒼い騎士は驚いた様子はない。元よりこうなることは覚悟していたのだろう。
 英霊の座という時間軸を超えた場所に招かれたサーヴァントであれば『黄金の剣』を見てアーサー王という真名に思い至らないはずがないのだから。

「まぁいい。真名はばれたが、要はその口をここで塞げばいいだけだ」

「こっちもクライアントの追加オーダーだ。召喚されたサーヴァントの力量調査及び、そちらの死にかけの邪魔をしろ、と」

 美しい装飾が施された黄金の剣とは対極の、飾り気のない無骨な白槍をランサーは構えた。

「ふん。ではサーヴァントの肉体というもの、お前で確かめるとしよう。――――いざ」

 そう言って蒼い騎士はランサーへと斬りかかっていった。
 戦いが始まる。遠坂冥馬とナチス兵たちの戦いのようなチャチなものではない。英霊と英霊、サーヴァントとサーヴァントの死闘が。第三次聖杯戦争における第一戦が始まったのだ。

「はっ――――っ!」

「ふんっ!」

 ぶつかりあう剣と槍。響き渡る爆発したような金属音。
 魔力が滾り、火花が飛び散った。
 蒼い騎士の魔力の奔流が『炎』となってランサーを押し込んでいく。
 二騎のサーヴァントが剣戟を交わす度に神話と神話がぶつかりあう響きを聞いた。
 動き一つが速く鋭く、人間では一生をかけても辿り着けないであろう頂きにある。
 魔術師が分不相応にも両者の激突に横やりをいれようとすれば、自らの選択の過ちを命をもって支払うことになるだろう。

「せいッ!」

 蒼い騎士には自分の内包する魔力を武器などに纏わせるスキルがあるのだろう。蒼い騎士が振るう黄金の剣には紅蓮の炎が宿っていた。
 紅蓮は黄金に溶けて、さながら黄金の炎を纏った剣のようである。
 剣が槍にぶつかる度に、至近距離での爆発を浴びた様な衝撃をランサーは感じているだろう。

「はっ――――!」

「舐めるな、騎士王。そらっ!」

 蒼い騎士の振るう剣を、白い槍兵は槍をもっていなす。
 聖剣を烈火の如き勇猛さで振るう蒼い騎士も凄まじいが、白き槍騎士も負けてはいない。
 ランサーのもつ白槍は黄金の剣ほどの神秘はないが、こと丈夫さにかけては相当のものだ。
 黄金の剣による斬撃を浴びながら、その槍は折れることなく耐え凌ぐ。その頑丈な槍を武器にランサーは果敢に蒼い騎士に喰らいついていった。

「やはり素晴らしいな、その剣は」

 ランサーは剣戟の最中、心奪われたように蒼い騎士の振るう剣を観察する。

「ふん。さっきは召喚前に死にかかっていた召喚をなじりはしたが、よくよく考えればサーヴァントのいないマスターを仕留めきる事も出来なかったお前はそれ以上だな」

「耳が痛い。しかし貴様こそ騎士王にしては温い剣だ。もっと本気を出したらどうだ、騎士王?」

 ランサーから侮辱されても蒼い騎士は表情を変えない。
 けれど事実として蒼い騎士は聖剣の力によって優位に立ってはいるが、槍兵に致命的な一撃を叩き込めないでいる。
 蒼い騎士の剣はその肉を断つ直前まではいくのだが、その都度、ランサーは自分の得物と蒼い騎士の得物を比較した上で『最適』な躱し方をすることで、紙一重の回避を実現するのである。
 ランサーの動きが『最適』であるのならば、普通に斬りかかっても打ち破ることはできない。
 相手が常に『最適』だというのならば、それを打ち崩すには『最適』を超えた常識外の『極限』をもって挑まなければならないだろう。

「はぁぁああああッ!!」

 己の限界を超えるべく声を張り上げながら、それでも冷静な顔つきを失わずに、蒼い騎士はランサーの槍を払いのけると、その肩を両断せんと刃を振り下ろした。

「まだまだ、極限には遠いぞ!」

 確実に獲ったと確信させる一振りは、ランサーが新たに出現させた盾によって防がれる。黄金の剣は盾に阻まれてランサーへは届かない。 

「こんなもので……!」

 だが盾があるならば盾ごと粉砕すれば良いとばかりに、蒼い騎士は更に剣を押し込んだ。
 盾を剣で叩き切るなど蛮行に等しい行為だったが、今回に限ってはそれは効果的だった。

「選定の剣相手にこの程度の盾では保たないか」

 ランサーの盾にまるで蜘蛛の巣のように皹が入っていく。
 何の効果もくただ丈夫な白槍と違い、あの盾にはなにか特殊な効果もあるようだが、それが『黄金の剣』を相手するにはいけなかった。
 機能の全てを丈夫さにだけ尖らせた白槍と、別の機能を付け足した盾では強度において白槍が勝る。
 丈夫さを捨ててまで得た盾の『能力』も、黄金の剣の破壊力の前に発揮できていない様子だった。
 そしていよいよ盾が壊れるという段階になって、ランサーは盾を一時的に引込めると、地面を蹴り全速力で後退する。
 全クラス中〝最速〟と謳われるランサーの後退に、蒼い騎士は追撃の一撃を加えることができなかった。

「流石は選定の剣、カリバーンといったところか。私の盾がこうもあっさり役立たずだ」

 これ見よがしにランサーがボロボロになった盾を出現させる。
 サーヴァントにとって武器というのは共に伝説を築き上げた体の一部ともいうべきものだ。その武装たる盾をスクラップ一歩手前にされたとなれば、普通なら屈辱や怒りを滲ませるはずだ。
 けれどランサーにはそんな感情はまるでない。白いランサーにあるのは自分の盾を圧倒する『黄金の剣』へ対する純粋な敬意だけだ。

「だが解せん。英霊とは全盛期の頃の姿で招かれる。アーサー王にとって最も強き剣とは、星の光を束ねし最強の聖剣――――エクスカリバーのはず」

 蒼い騎士の眉がピクリと動いた。

「なのに何故お前は最強の聖剣ではなく選定の剣を振るう? よもや彼の王が聖剣を持ってないと言う事はないだろうに」

 ランサーの疑問は当然のものだ。
 聖剣の代名詞であり、聖剣というカテゴリーにおいて『最強』とされるエクスカリバーこそ彼の騎士王の象徴である。
 なのに召喚された蒼い騎士が振るうのは『黄金の剣』ではあるものの、エクスカリバーではなくカリバーンだった。
 ブリテンの王を選定するべく岩に突き刺さっていたソレは、優れた能力をもっているが、権威の象徴としての側面が強いため、武器として見た場合エクスカリバーと比べれば一段劣る。

「ククッ」

 ランサーの問い掛けに蒼い騎士は不敵に笑う。

「聖剣だと? 俺が最強の聖剣を振るうに足るのは、この俺に比肩、或いは凌駕するほどの英雄だけ。お前では聖剣を振るうには役不足も甚だしい」

 言外に蒼い騎士はお前は俺より格下だ、と告げていた。

「安い挑発だな、アーサー王。しかし度し難いことに私も一人のサーヴァントとして貴様の隠し持つ『最強の幻想』には興味が絶えない。
…………というより折角アーサー王が同じ戦いに招かれているというのに、ソレを見れず仕舞いでは死んでもしにきれん。私の意地にかけてもその聖剣はたっぷり鑑賞する。見せぬというのなら無理にでも引き出すまで」

 ランサーから理知的な雰囲気が失せる。かわりにその面貌に純粋なまでの好奇心と野獣の如き獰猛さを貼り付けた。

「はぁぁぁッ!」

 そして再び黄金の剣と白い槍がぶつかり合う。
 蒼い騎士は挑発として『自分より格下』などと言ったが、冥馬の見る限り蒼い騎士とランサーの力はほぼ互角といったところだ。
 しかしこの狭い酒蔵で振るうにはランサーの槍は長すぎる。
 勿論ランサーとてサーヴァント、狭い場所によるハンデなど些細なものだろうが、相手が同じサーヴァントとなるとその些細なハンデが大きいものとなってしまう。
 対して蒼い騎士の武器は剣。この狭い場所でも槍より遥かに十全に扱うことができる。
 結果としてランサーは蒼い騎士の烈火の攻撃の前に押されていた。
 本来なら冥馬はこの戦いを見守るべきなのだろう。
 遠坂の魔術師として、蒼い騎士の援護をするべきなのかもしれない。
 けれど今の冥馬にはするべきこと、否、聞かなければならない事があった。

「……冥、馬」

「父上」

 伸ばされた手を握りしめる。
 年老いても力強かった父の手はもう弱々しいものとなっていた。
 こうして死にかけといえど、父が生きているのは奇跡に等しい。
 なにせ心臓を貫かれたのだ。即死して当然、数秒息があれば幸運な方といえる。
 死んでいなければおかしい命を生かしているのは父の気力と、自らの魔力全てを体の治癒に費やしているからだ。
 それも限界が近い。
 今となっては治療も間に合わないだろう。
 遠坂家の家宝であり、初代当主から冥馬までが代々と魔力を込め続けてきた特別な『宝石』であれば、心臓を補填することで救えるかもしれないが、運の悪いことにその宝石は冬木の遠坂邸にある。
 家宝たる宝石が手元にない以上、冥馬に父を救う術はない。
 こんなことなら騎士王ではなく、治療に特化した英霊の聖遺物を見つければ良かったと冥馬は今更ながらに後悔した。

「冥馬、これを」

 父の腕に刻まれた令呪の刻印が輝いた。
 一瞬、令呪を使うのかと思ったが……違う。光が止んだ時、父の腕に令呪はなく、代わりに冥馬の手に宿っていた。
 自分の体からサーヴァント――――蒼い騎士に魔力が流れて行っているのを感じる。
 令呪の他人への移植。並みの魔術師ならば非常に難しいことだが、前回の聖杯戦争を知る者であり、こういった霊媒治療を得意とする父ならば不可能なことではない。
 けれど自分の魔力によって命を繋いでいる父が魔術を行使するというのは、自分の命を削ることと同義だった。

「うっ、がはッ――――!」

「父上……父さんっ!」

 口から血を吐きだして咳き込む。
 それでも朦朧としながらも視線だけは真っ直ぐに冥馬へ向けられていた。

「冥馬、私の代わりにお前が騎士王の主として戦いへ挑め……。あれを手に入れるのは遠坂家の義務であり、なにより魔術師であろうとするなら避けては通れぬ道だ」

 父は『魔術師』として、魔術師の後継者である遠坂冥馬に遺言を残そうとしている。
 だとすれば冥馬も一人の人間ではなく遠坂の後継者として父の言葉を聞かなければならない。

「――――はい、お任せください父上。聖杯は必ずや、手に入れます」

「…………励めよ」

 最期に不器用な応援の言葉を残し、父・静重は永遠にその目蓋を閉じた。
 丁度その頃、蒼い騎士と白い槍兵の戦いも一段落していたようだ。
 何合目かに分からぬ剣と槍の交差をもって、蒼い騎士と白い槍兵は互いに距離をとる。

「聖剣を引き出させるまで戦いたかったが。騎士王、ここは引き分けにしておかないか? 私のクライアントも撤収を告げているんでね。
 サーヴァントとして契約を結んだ身である以上、オーダーには従わなければならない」

「逃げる敵を見逃す手はないが、こっちのマスターも事情が複雑のようだからな。いいだろう、さっさと尻尾撒いて逃げることだ。俺も追いはしない」

「減らず口の絶えない男だ。願わくば次こそはその聖剣の威容を見たいものだな」

 ランサーの姿が薄くなり消えていく。恐らくは霊体化したのだろう。ランサーはここへ侵入してきた時と同じように、酒蔵の壁を擦り抜けて撤退していった。
 気付けば上の階段で鳴り響いていた音も消えている。サーヴァントではなくナチスの兵隊たちも退却したらしい。
 蒼い騎士が剣を消して、戻ってくる。
 
「それで魔術師、俺の召喚者はどうなった?」

「…………」

 冥馬は答えず、ただ息絶えている父に首を向けた。
 自分の召喚者の死を誰よりも早く目の当たりにした騎士はすっと目を細めた。

「そうか。俺が戻る前に死んだか。契約者だというのなら、せめて俺が戻るまで生きているべきだろうに」
 
 それは死んだ遠坂静重の不甲斐なさを呪うのではなく、マスターの死に目に間に合わなかった自分の不甲斐なさを呪っているようだった。
 棘のある口調といい、冥馬が想像していたアーサー王とは違ったが、やはり彼は忠勇高い英雄なのだろう。
 その目には確かな死者への哀憫が秘められていた。

「にしても妙なことがある。マスターが死んでいるにしては俺への魔力供給が絶えていない。そういえばランサーと戦っている間に一瞬ラインが妙な風になったが……ああそういうことか」

 蒼い騎士は直ぐに気付いたようだった。冥馬の手に宿った令呪の存在に。

「なるほど。こうして令呪を移譲しマスター権を移行すれば俺は脱落せずにすむ。見たところお前は召喚者の息子か。面構えが良く似ている」

「遠坂冥馬だ。父・静重にかわり君のマスターになることになった。宜しく頼むよ、セイバー」

 騎士王アーサーであれば召喚されているクラスは確実にセイバーだろう。
 そう思い何気なく言ったつもりだったのだが、セイバーと呼ばれた騎士は渋い顔をした。

「どうしたんだ、セイバー? まさかランサーとの戦いでダメージでも」

「そうじゃない。クァル、クゥラ…………おほんっ! 冥馬とか言ったな、魔術師。お前にとっては残念極まりないことだが、俺もサーヴァントの端くれだからな。訂正しなければならないことが一つある」

「訂正? なにを?」

 勿体ぶるように蒼い騎士は口を噤み、ため息交じりに言った。

「俺はセイバーのサーヴァントじゃなく、キャスターのサーヴァントだ。マスター?」

「なっ!?」

 あろうことか伝説の騎士王が収められたクラスは最優のセイバーではなく、最弱のキャスターのクラスだと名乗った。
 セイバー……もといキャスターの顔は真剣そのもので、とても嘘をついているようには見えない。
 遠坂冥馬の聖杯戦争に早くも暗雲がたちこめていた。



[38533] 第5話   論戦
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:45
「ちょっと待ってくれ。クラスがキャスターって本当なのか!?」

 自分をキャスターと名乗った蒼い騎士を問い詰める。
 訝しながらもう一度じっくりとキャスターの姿を観察してみた。
 蒼と銀を基調にした無骨でありながら流麗な騎士甲冑。頑強でありながら動き易さにも秀でているそれは間違いなく一流の人間による作品だろう。
 風に靡く金色の髪に蒼穹の如き青い目。手には選定の剣、カリバーン。
 やはり右から観察しようと、左から眺めようと、上から俯瞰しようと完全無欠な『騎士』がそこにいる。
 サーヴァントにもよるがクラスが『キャスター』ならば大抵のマスターはその雰囲気で相手が魔術師だと分かるものだ。なにせサーヴァントと違いマスターはすべからく全員が〝魔術師〟である。俗世間から離れた魔術師という群体は同類の臭いには殊更に敏感だ。
 しかし冥馬の前にいる〝キャスター〟には魔術師の英霊でありながら所謂魔術師らしさというのがない。
 キャスターの纏っている気配は工房の中で魔術に明け暮れる研究者ではなく、戦場を駆ける者のそれだ。

「お前も移植されたばかりといえどマスターの端くれだろう? マスターならサーヴァントのパラメーターを見るだけで確認できるはずだ。
 そして確かめればいいさ。残念ながらこの身は完全無欠にキャスターとして召喚されている。ステータス含めてな」

「……!」

 キャスターの言う通り、キャスターの姿を意識して注視する。するとE~Aまでのランクでキャスターのパラメーター表が頭に浮かび上がってきた。
 そのパラメーター表を見れば冥馬も納得せざるをえない。
 キャスターのパラメーターは魔力がA+と最も多く後はCランクとBランクばかりだ。剣の英霊とは基本的に筋力、耐久、敏捷といった白兵戦で役立つランクが高いもの。魔力が頭一つ飛び抜けて高いステータスは、とてもではないが剣の英霊たるセイバーのものには思えない。
 わざわざ自分がキャスターだと嘘を吐く理由もないだろう。
 蒼い騎士が魔術師のサーヴァントだというのは客観的に見ても疑いようのない事実だった。

「けどお前はアーサー王なんだろう? アーサー王がキャスターだなんて聞いた事がない」

 騎士王アーサーに最も相応しいクラスは全七クラス中、セイバーのみだ。
 最強の聖剣の担い手がセイバーではなくキャスターになるなど、魚類が自分を哺乳類だと自称して山登りを始めるようなものである。
 仮に……仮に、の話だ。セイバーのクラスがもしも別のサーヴァントで埋まっていて、アーサー王にセイバーのクラスを与えることができなかったのならば、聖杯は他に相応しいイレギュラーな席を用意するだろう。
 少なくとも剣の騎士と対極にあるキャスターなんていう器に押しこめたりはしない。

「……俺もだ。だが心当たりが皆無なわけじゃない。恐らく俺が魔術師になったのは、マーリンの影響だろう」

「マーリンだって?」

「ああ。俺はマーリンから魔術の手ほどきを受けたことがある。だから魔術は一通り使えるし、擬似的なものだがお前達で言う所の魔術刻印のようなものも持っている。キャスターの適正も俺にはあるんだ」

 マーリン・アンブロジウス、アーサー王の助言者にして、ブリテン国で最も恐れられた魔法使いだ。その名前は冥馬も知っている。

「教えを受けたって、アーサー王伝説にそんな話は残っていなかった気がするんだが……」

 魔術師は過去へ疾走する者であるからして、冥馬は世界各地の伝承や神話には一般人より遥かに詳しい。無論のことアーサー王の聖遺物を手に入れるにあたってアーサー王に関連する文献もよく調べた。
 だがアーサー王が魔法使いの弟子だった、なんていう記述は今まで見た事がない。

「それはそうさ。なにも伝承に記されたことが全てじゃない。伝承に伝わらなかった真実、記されなかった事実が『現実』には潜んでいるものだ。
 俺はマーリンから魔術の手解きを受けてはいたが、俺には魔術を使わずとも聖剣があったからな。結局、魔術を披露する機会に恵まれず、アーサー王が魔術師であったという事実は闇の中に葬られたというわけだ」

 確かにその通りだ。
 聖剣という魔術よりも強力な武器があるのに好き好んで魔術を使う必要などない。アーサー王たるものが、よもや冥馬たち普通の魔術師のように『根源』などを目指していた訳ではないだろう。
 魔術よりも敵を屠るのに強力な武器があるならばそれを使えばいい。
 結果として聖剣により使う機会のなかった魔術は、伝承に記されることがなかった。現代の戦争で弓矢や剣といった武器が銃火器の前に姿を消したのと同じように。

「というとキャスターには伝承にはないだけで魔術師としての素養があったからキャスターとして召喚されたと、そういうことか?」

「概ねその通りだ。ただ本来であれば〝アーサー王〟はセイバーのクラスで召喚されるべき英霊だ。それがキャスターになったのは今回の滅茶苦茶な召喚故だろう」

「……それを言われると、辛いなぁ」

 冥馬とて此度の英霊召喚がおよそ聖杯戦争の常識から外れたものだったということは重々承知している。
 キャスターがセイバーとして召喚されなかったのも、このイレギュラーな召喚が原因だろう。
 しかし無茶だとしてもやらなければならなかったのだ。無謀で道理を捻じ伏せていなければ、今頃冥馬はこのホテルを人生最期の土地としていたはずだ。

「キャスターにはすまないと思ってる。だけどクラスがなんであれアーサー王はアーサー王だ。心強いことには変わりない」

 ともあれアーサー王という最強の英霊を引き当てることに成功したのだ。
 剣術も魔術も両方扱えるサーヴァント、と思えば決して悪いカードではない。寧ろ上手く立ち回れば聖杯戦争のジョーカーになることも可能だろう。
 だがキャスターは嫌な笑みを浮かべると肩を竦めた。

「――――ふん。魔術師、お前はもう自分が俺のマスターになった気でいるようだが、俺はまだそれを認めた覚えはないぞ」

「なに?」

 キャスターの冷たい視線が冥馬を射抜く。
 並の人間なら萎縮してしまいそうな眼光だったが、冥馬は意地と気合で萎縮するを通り越して、こちらから威嚇するように睨み返した。

「キャスター、同じことをもう一度言わせないで貰いたいな。私、遠坂冥馬は父である遠坂静重より令呪の移譲を受けマスターになった。この令呪と君の身に流れる私の魔力がその証左であるはずだが、異論でも?」

「令呪? 移譲だと?」

 冥馬は出来る限り遠坂当主として、マスターとしての威厳を込めて言い放ったつもりだったのだが、キャスターは鼻で笑うだけだった。

「伊達に俺も『騎士王』を名乗っているわけじゃない。余程最悪なマスターでなければ、サーヴァントとして召喚された以上は最低限騎士として尽すさ。
 だが俺を召喚したマスターはお前の父であってお前じゃない。令呪を移譲されただけのマスターにまでこの俺が騎士として忠義を尽くす義理はないな」

「なっ! 俺の手にはしっかり令呪があるし、これは父上から受け継いだものだ。その理屈なら騎士として、亡きマスターの主君を支えようって意気込む所だろう!」

「見解の相違だな。生憎と俺は仕えた主が死んだからといって、その子供を主として認め剣を振るうなんていうのは御免だね。
 親子といえど所詮は他人。例え親の地盤をそっくりそのまま受け継ごうと、仕えるべき主君かそうではないかは俺が見極める」

「つまりキャスター、君は遠坂冥馬が自身のマスターに相応しくないというのかな?」

「おや、そう聞こえたかな。大正解だよ、俺はお前を俺のマスターとしては認めない」

「――――――」

 キャスターからのあっさりとした拒絶の意志。
 常に余裕をもって優雅たれ――――というのが遠坂家の家訓であり、冥馬も父からそうなるように教育されてきた。だが冥馬は今、被り続けた優雅さをかなぐり捨てたい衝動にかられていた。
 それでも自分で自分の首根っこを掴み、ぎりぎりのところで自制心を保つ。

「……ほ、ほう。言うじゃないかキャスター。けれどそうは言うが聖杯戦争に参加する以上、お前にも聖杯を求める理由がある。私をマスターとして認めないと駄々をこねたところで、君が戦うにはこの私をマスターとするしかない」

「怒りに身を任せて怒鳴るだけじゃないのは高評価だな。お前の言う通りさ。俺も死んでる身でこうして現世に這い出て来たんだ。願いの一つはある」

「だったら」

「だから取引しよう。俺はお前を仮のマスターとして認めるし、聖杯を手に入れればお前にもくれてやる。そのかわり戦いの指揮権はこの俺に委ねて貰おう。俺も、どこの馬の骨とも分からない輩の采配で従うのは不安と不満しかないからな」

 悪くない条件だろう、とキャスターはのたまった。

「――――――」

 今のでプチンと、冥馬の中にある自制心という鎖が引きちぎれた。
 いいだろう。キャスターがそういう態度に出るというのなら、冥馬にも考えがある。
 冥馬も大人の余裕で自分のサーヴァントの我儘の一つ許してやろう、と大海原のように広い心でいたが、このサーヴァント相手にそれはなしだ。
 この偏屈なサーヴァントには池――――いや雨の日の水たまりの広さで十分である。

「ふふふふふふっ。俺にそんな風な口をきいていいのかな? こっちにはコレがあるんだ」

 嫌らしく笑いながらキャスターに三画の絶対命令権、令呪を見せつける。

「それで? 令呪で自害させられたくなければ、大人しく言う事を聞けと脅すつもりか?
 生憎だが脳味噌の中に酒・女・戦いしか詰め込んでない馬鹿な騎士共と違って、俺はそんな下らん少し悪知恵をつけたガキのような脅し通じはしないぞ」

 ここでキャスターを自害させれば、サーヴァントを失った冥馬はナチスによって殺されるだけ。
 キャスターに言われるまでもなく冥馬もそんなことくらい分かっている。だからそんな脅しをするつもりは欠片もなかった。
 冥馬は賄賂を受け取る代官のような悪い顔でニヤリと笑うと、

「自害? はははははははは。俺がそんなこと命じるわけないじゃないか。自害なんて勿体ないことさせるなら、全力で金を稼いで来いとかもっと有意義な命令に使うさ」

「自害じゃないなら、なんだ。どうせ下らない命令だろう。悉く論破してやるからさっさと捻りだせ」

「ああ捻りだすさ。言う事を聞かなければ――――――国会議事堂の前で裸踊りして貰う」

「な、なんだ……と?」

 下らないを遥かに通り越して幼稚な命令に、あれだけ雄弁な振る舞いをしていたキャスターが絶句する。

「待て待て! 裸踊りだと、そんなことして何の意味がある」

「意味なんてないさ。強いてあるとすれば、キャスターが滅茶苦茶恥ずかしい思いをするってだけ。……しかし英霊にもなっておいて、現世に出てきてやることが裸踊りなんて。これはもう一生通り越して永遠の恥だな」

「……フッ。浅知恵で俺を屈服させたつもりか。俺はキャスターだが『二重召喚』のスキルでセイバーのクラス別技能を共有することができている。
 そして俺の対魔力のランクはB。俺の意地にかけても令呪の縛りに抗い、必ずや裸踊りに向かう途中で自害してみせる。死ねば令呪は無効だ」

「だったら俺は二画目の令呪で自害を禁じるだけだ。ふふふ、これでも俺の手には最後の令呪が残る」

「「…………………」」

 冥馬とキャスターは一歩も譲らずに睨み合った。冥馬としては世にも珍しい『二重召喚』のスキルのことなど、聞きたいことがあったが今は後回しだ。
 この武器なき戦いに勝たずして、遠坂冥馬は聖杯戦争に参加できはしない。
 遠坂のマスターとしてこの先を戦おうと思うなら、サーヴァントの一人御せずして勝利はないだろう。

「それとキャスター、お前さっき言ったな」

「何をだ?」

「仕えるべき主君かそうではないかは自分で見極める、俺を自分のマスターとしては認めないって」

「それがどうした? 文言にある通りだが」

「――――じゃあ逆に尋ねるが、お前は遠坂冥馬の何を知ってるんだ?」

「………………お前の、だと?」

「そうだ。俺とキャスターはこうして話して一日どころか一時間も経ってない。たった一時間で遠坂冥馬の全てを知ることができるとは、随分な鑑識眼をお持ちなことですな、アーサー王」

 精一杯皮肉るようにキャスターに自分の心の底にある苛立ちをぶつけてやった。
 人間の心なんて複雑なものである。普段は良い人間でも時々魔がさして悪事に手を染めることもあるし逆もまた然り。他の人には意味の解らない行動を突発的にとりたくなることもあれば、ちょっとした気分の違いで予定を変更することもある。
 そんな複雑な人間の心を、例えサーヴァントだろうとたった一時間やそこいらで見定められるはずがない。
 キャスターは自分の目で主君を見極めるといったが、まだ見極められるほどの遠坂冥馬という人間を見てはいないのだ。

「く、はははははははははは!」

 笑みを零したのはキャスター。
 キャスターはなにが可笑しいのか腹を抱えて大声で笑った。

「はははははははは! ああ、確かにお前の言う通りだ。俺はまだお前という人間を見極めてはいない。そんなお前をいきなりマスター失格などといったのは俺の間違いだった」

 ピタリと唐突にキャスターは笑いを止めて、真剣な眼で遠坂冥馬を見据えた。

「いいだろう。俺とここまで言いあえる奴も珍しい、お前を俺のマスターとして認めよう」

「ほ、本当か?」

 サーヴァントに自分のことをマスターとして認めさせる、なんて聖杯戦争の初歩の初歩のことだ。
 なのにこの偏屈な男に自分の事を認めさせたと思うと、少しだけ嬉しくガッツポーズしたくなる。

「だが勘違いするなよ。マスターとして認めるが別にお前の下僕になるわけじゃない。お前の采配に不満があれば俺は容赦なしに扱き下ろすから覚悟しておけ」

「サーヴァントの忠言を聞く度量くらいはあるつもりだよ」

 それにアーサー王といえば十二の会戦を全て勝利に導いた将としての側面もある。その戦術眼は非情に頼りになるものだ。
 サーヴァントは単なる使い魔ではなく過去の英雄、確固たる己の『考え』をもつ存在であることを忘れているつもりはない。
 ともあれ、遠坂冥馬は正式にキャスターのマスターとして聖杯戦争に参加することとなった。



[38533] 第6話   始まりの終わり
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:46
 璃正が意識を取り戻した時、もう全てが終わってしまった後だった。
 静重と璃正を追い詰めた白い槍兵の姿はどこにもない。地下の酒蔵には空気に染みついた酒の香りと、静寂があった。
 剣戟が響く音や、ロビーから聞こえてくる銃声などはもう過去となってしまっている。
 そして璃正以外の酒蔵にいるのは〝二人〟だ。
 静重はカウントしていない。心臓を貫かれ、物言わぬ躯となった人間を生者の列に加えることはできない。
 酒蔵にいる一人は遠坂冥馬。ナチス兵相手に大立ち回りをしたばかりからか、顔には疲労の残滓が垣間見える。
 だが璃正が目を剥いて注視したのはもう一人。冥馬の隣りにいる蒼い騎士だった。

「…………そうか。召喚できたのか」

 心から璃正は安堵する。魔術師ではない璃正には内包している魔力を計測するなんて真似はできないし、サーヴァントのステータスを見ることも叶わない。
 しかし言峰璃正は職業柄多くの聖遺物を目にしてきた経験があり、その経験則が告げていた。
 ここにいる蒼い騎士は自分が回収してきた聖遺物などとは隔絶した、神秘そのものの具現。過去に名を馳せた偉人そのものであると。

「目が覚めたのか、璃正」

 こちらに気付いた冥馬がやや急ぎ足で近付いてくる。
 冥馬は璃正を立ち上がらせるためにと手を伸ばしてきた。自分で立ち上がるから良い、と断ろうと思ったが、寸前に言峰璃正を庇った静重の横顔が脳裏を過ぎった。

「すまない」

 璃正は冥馬の手を借りて立ち上がる。本人の言っていた通り冥馬は武術も嗜んでいるのだろう。その手は魔術師にはない力強さがあった。

「なんで璃正が謝る?」

「……私は君のお父上を守ることが出来なかった。みすみすランサーの非道を許してしまった」

「それは璃正の責任じゃない。そもそも監督役は中立だろう」

 監督役は中立、そんなこと百も承知だ。中立というのはどちらにも肩入れしないこと、誰にも敵対せず誰にも味方しない無色の存在なのである。
 だから中立である監督役が特定の参加者の味方をするなんて有り得ないことだし、逆に参加者の足を引っ張るということもあってはならないのだ。

「私をランサーから庇う為、君の父君は召喚の詠唱を取りやめた。結果的に私はこうして生き恥を晒しているが、君のお父上は――――」

「構わない。父さんが璃正を助けようと決断したのなら、父さん自身の責任でしたことだ。璃正神父が気に病むことじゃない。……ただもし父上が今わの際になにか言い残していたのなら教えて欲しい」

「それは」

 璃正は神父だ。死者の言葉を、生者に伝える責任がある。
 目を閉じ、あの時の光景と問答を振り返りながら口を開く。

「聖杯戦争を監督することと、聖杯の正しい担い手を選定するよう。貴方の父君は私にそう仰られた」

「だったらそれを全うしてくれ」

「無論」

 特に『聖杯の正しい担い手を選定』すること、これは絶対に果たさなければならない。
 元々聖堂教会からも聖杯が良からぬ者の手に渡らぬよう目を光らせよ、と言付かっていたが、今回のナチス襲撃で改めて決意した。
 一般人がいる中でルールを踏み躙り、聖杯を奪取しようという蛮行。あんな連中に『聖杯』を渡せば碌な事になりはしない。それこそ世界に未曽有の災厄が振り撒かれる危険性がある。
 もしもあのような手合いが聖杯に指をかけたのならば、中立という立場をかなぐり捨ててでも止めよう――――璃正はここに監督役としての自分の『義務』を見定めた。

「しかし聖杯戦争の初代監督役が初日でいなくなるなんて悲劇は回避できて良かったよ。派遣された監督役が聖杯戦争開始一日目で死んでしまいました、なんて聖堂教会の手前とてもではないが報告できない。
 私もアインツベルン等と共に聖堂教会に監督を依頼した面子が丸つぶれになるところだ」

 素の自分を完全に奥へ引っ込め『貴族』としての優雅な皮を被りながら冥馬が言う。
 名優が演じる貴族、という璃正の見方は正しかったようだ。さっきまでのフランクな口調を使う冥馬が遠坂冥馬の被り物をしていない姿なのだろう。
 なんとなく素の冥馬と貴族としての冥馬のギャップが可笑しく、璃正は笑いそうになるのを必死で堪える。

「む。なにが可笑しいんだ璃正神父?」

 だが笑い声は抑えられても、顔には出てしまったらしい。冥馬が訝しんでくる。

「大した事ではありません。にしても口調といい言葉遣いといい百八十度変わるものなのですな」

「……仕方ないだろう。魔術協会であんまり地の自分でいると舐められるし、そもそも遠坂の家訓は『常に余裕をもって優雅たれ』だ。
 近世というより中世の貴族が掲げるような家訓だが、遠坂の当主たるもの家訓は守らなければならないだろう」

「そういうものなのか……」

「そういうものなんだ。お前は魔術協会がどういうところか見た事がないからそんな他人事で言えるんだよ」

「実際他人事ですから」

「璃正、最初は堅物だと思ったが意外とお前もアレだな」

 苦笑いしながら冥馬は首を振った。
 自分としたことが、らしくもなく悪乗りというものをしてしまったらしい。璃正は自分でも余り見ない自分の側面に驚く。
 どうにも第三次聖杯戦争の監督役を引き受けてからというものの驚いてばかりだ。

「ところで冥馬殿」

「冥馬でいいよ。もう俺も璃正って呼ぶから」

「では冥馬、そちらのサーヴァントは君が召喚したのか?」

「――――――」

 黙ったまま璃正たちの会話を伺っているサーヴァント、蒼い騎士へ視線をやる。
 ランサーの槍で静重が絶命した以上、他にサーヴァントを召喚できるマスターは冥馬だけだ。
 だとしたら――――璃正は気絶した故、想像するしかないのだが――――酒蔵に駆けつけた冥馬がランサーの隙を突いて、サーヴァントを召喚して、そのサーヴァントにランサーを追い払わせたのだろう。

「違う」

 璃正の推論は冥馬によって切って捨てられる。

「サーヴァントを召喚したのは父上だ。父上は心臓を貫かれながらもサーヴァント召喚を続行し、私に令呪を託した。これがその令呪だ」

「――――!」

 冥馬の手には静重の腕に刻まれていたものと寸分違わぬ形の令呪が宿っている。
 控えているサーヴァントが何も言わないということは事実なのだろう。

「本当、なのか……?」

「ああ」

「なんという精神力だ」

 璃正としても凄いと、賞賛するしか出来ない。
 人間を止めた化物なら兎も角、魔術師は魔術回路があるだけの人間に過ぎない。そして人間は心臓を貫かれれば死ぬものだ。なのに生きているとなれば、生物学には記述されていない要素、精神力の為したことだろう。
 無論ただの人間が精神力で己の命を繋ぎとめることなど出来はしない。
 遠坂静重は優秀な魔術師というだけでなく、きっと優れた精神をもつ人間だったのだろう。
 もしかしたら魔術師と神父という垣根すら超えて尊敬するに値するほどに。

「監督役の責務として改めて確認させてほしい。君の召喚したサーヴァントは、そこの騎士で相違ないか?」

「第三次からは聖杯戦争に参加するマスターは教会に届け出をするルールだったかな。だったらそのルールは遠坂が最初に果たすとしよう。
 相違なしだ。遠坂家四代目当主、遠坂冥馬。ナチスの凶弾により命奪われた父にかわりマスターを引き継ぐ」

 引き継ぐ、と言ったのは自分の令呪が父より継承したものであり、蒼い騎士の召喚者と最初のマスターは父だったという意思表示だろうか。
 なんだかんだで己の義務は遵守する性質の遠坂冥馬らしいといえばらしい。

「結構。では遠坂冥馬、そしてセイバーのサーヴァントよ。存分に戦い合い給え」

 形式上の開戦宣言。だが何故か当の冥馬は渋い顔をしていた。

「どうしたのだ? なにか問題でも?」

「――――それは俺が答えよう、監督役」

 ぶっきらぼうに割って入ったのは蒼い騎士だった。

「お前は俺をセイバーと言ったな。奇しくもそれはついさっき俺のマスターが通過した過ちだ。俺のクラスはキャスター、セイバーじゃない」

「……!」

 セイバー、もといキャスターから告げられたことは信じられることではなかった。
 しかしキャスターのマスターである冥馬を見ると、ばつの悪そうに苦笑している。冥馬の態度がキャスターの言葉が真実であるという一番の証明だった。

「キャスター曰く、強引な召喚のツケらしい。場合が場合だったからこういうことが起こるのも仕方ない。それにキャスターがアーサー王なのは間違いないし、魔術師としての力をもっているのは本当だ」

 アーサー王が魔術師としての側面をもつなど初耳だ。
 それにセイバーを引き当てられず最弱のキャスターを召喚してしまったことは、仕方ないの一言で済ませる範囲をオーバーしている。
 だがキャスターのマスターである冥馬が仕方ないというのならばそうなのだろう。
 本人たちが問題ないと認識しているならば、監督役である璃正が口を挟むことではない。

「いつまで経ってもここにいても仕方ない。ナチスは撤退したが、また襲撃を仕掛けてくるとも限らない。早くここを出よう」

「うむ」

「主従関係が成立して最初の命令が逃げろ、とはな。だが文句は言わないさ。正しい選択だ」

 冥馬の提案に璃正は頷く。キャスターも毒づきながらも合意した。
 魔術の漏洩に殊更気を使い、一般人に犠牲を出すまいとする冥馬とは異なり、ナチスは明らかに聖杯戦争に勝てれば何をしても良い、というスタンスで掛かってきている。
 ここに留まり続ければ、今度は戦闘機で特攻を仕掛けてくるくらいはやりかねないだろう。
 キャスターが霊体化する。
 冥馬の後に璃正は静重の亡骸を抱えて続く。……冥馬は自分で運ぶと言ったが、戦闘が起こる可能性を示唆して璃正は亡骸を運ぶのを譲らなかった。
 冥馬へと言った表向きの理由もあるが、それ以上に璃正は自分の命を庇った静重を自分の手を酒蔵から連れ出したかったのである。
 魔術師の遺骸を率先して運ぶなど、信仰心の厚い聖堂教会の同僚が見れば後ろ指刺されるだろうと理解しながらも。

「―――――――」

 地下から一階のロビーへ出ると、そこには戦場跡が残っていた。
 滅茶苦茶に破壊された椅子やテーブルなどの家具類。割れたガラスや花瓶、壁や床にある銃弾の痕。
 そして、

〝物言わぬ躯となった無辜の人々〟

 聖杯戦争に一般人の犠牲者が出ることなど分かっていた。
 だが一人の信仰者として、例え目の前で倒れている人々だったものが教会にとっての『異教徒』であろうと嘆かずにはいられない。その死を悼まずにはいられない。

「………………」

 冥馬は無言だった。無言のまま背中に銃弾を浴びて倒れている紳士と淑女たちのもとに腰を下ろす。
 女性が握りしめていたもの、それは結婚式場の案内だった。

「――――っ」

 その瞬間、遠坂冥馬にあったのは〝怒り〟だった。
 果たして純粋に非道に対して激怒していたのか。一般人を聖杯戦争に巻き込んだことに義憤していたのか。
 璃正には冥馬の心中を推し量ることはできない。ただ一つ言えるのは冥馬の怒りは本物だった。演技などではなく本気で怒りを宿していた。
 そしてそれは決して悪い怒りではないとも思う。

「魔術師は血の臭いを染みつけているものだが、お前はどこか甘いな」

 キャスターが霊体から現実へ干渉できる存在へ、実体化する。
 
「戦争に一般人を巻き込まないなんていうのは理想論に過ぎない。押し寄せてきた征服者が狙うのは抗う力をもたない弱者であるし、国が貧しければ戦力を整えるために己が国の民草から物資を徴用することもあるだろう」

 キャスターは冷徹な裁判官のような雰囲気で冥馬を見下ろしている。
 敵意こそないが、キャスターは遠坂冥馬という己のマスターに不信の目を向けていた。

「もっとも俺の国にも現実を理解できず、犠牲など要らずとも勝てるなどとほざく頭が宴会場になってる馬鹿もいたが、お前もそれと同じ類なのか?」

 キャスターの厳しい追及に冥馬は「いや」と答えた。

「聖杯戦争で一般人にも犠牲者が出ることくらい父から聞いていたよ。命を背負うなんて憚るつもりもない。英雄ともなれば違うのかもしれないが、人間の背中はそんなに沢山の命を背負えるほど広くない。
 ただ遠坂の後継者として聖杯戦争で失われた命を忘れることはしない。これは遠坂家の後継者である私の義務だ」

「ならばいい」

 その返答に満足したのかキャスターが再び霊体化して姿を消す。
 冥馬が立ち上がった。キャスターに語りかけている時も静かな声色だったが、横顔からはやはり怒りが消えていない。

「だが遠坂の義務として、ここまで虚仮にしてくれた借りは必ず利子含めて全額返却する。遠坂の利子は一日ごとに10%……いや、20%だ」

 冥馬と璃正はホテルのロビーから出た。
 異例な形であるが第三次聖杯戦争はここに開幕したのだ。



「戻ったぞ、ダーニック」

「ご苦労」

 白い槍兵、ランサーがダーニックが滞在しているホテルの一室へ戻ってきたのは丁度冥馬と璃正がホテルから姿を消した頃だった。
 帰ってくるなりランサーはずかずかとダーニックの前へ来て口を開く。

「お前のオーダー通りに働いてやったんだ。さっさと〝報酬〟を出せ。私は無償奉仕だとかボランティアが大嫌いなんだ。働いた分の報酬を出さないとストライキを起こすぞ」

 自分のマスター相手に無礼といえば無礼な物言い。しかしダーニックはその態度に怒ったりなどはしない。
 それは自分には三画の令呪がありランサーの生殺与奪を握っているからでもあるし、ランサーという英霊に対する敬意でもある。
 ダーニックは如何にマスター無しでは世に留まれぬ哀れな存在であろうと、英霊である以上、相応の敬意を払うことも吝かではなかった。とはいえそれは令呪があるからこその敬意であって、別にランサーという英霊に心底より畏まっているわけではないが。
 なによりこのランサーはマスターに報酬こそ要求するものの、報酬さえ払えばマスターである自分に忠実だ。
 主従関係の円満のためにもダーニックはランサーにある程度の自由と、望む報酬を与えていた。

「ストライキなどされては困るな。心配せずとも君の仕事ぶりに対する報酬、即ち代金は用意しているとも。
 だがそれは君の報告を聞いてからだ。戦いで得た情報を私に伝えるというのも仕事内容に含まれている。それともランサー、君は自分の仕事を全うしないままに依頼主に代金を求めるのかな?」

「馬鹿にするな、私は私の仕事には誠心誠意取り組む主義だ。ああお前の言う仕事を果たしてやるさ。あのサーヴァントのことだろう? 何が聞きたい?」

「セイバーの真名はアーサー王で間違いないのか?」

「選定の剣、カリバーンを振るう英雄が他にいるなら私が教えて欲しいものだな」

「ふむ」

 遠坂冥馬を倒せず、監督役から聖杯を奪うことこそ出来なかったが、聖杯戦争における最優のクラスたるセイバーの真名を知れたのなら無駄骨ではなかった。
 こちらが真名を知ったのに対して、ランサーの真名と能力に関する情報はまるで盛れていない。
 ナチスの兵士達が何人か犠牲になったが、それは大した損害ではないだろう。

「ただ一つ訂正だ。あのサーヴァントの真名はセイバーじゃなくキャスターだ」

「なんだと!?」

「退散する途中、興味本位で作った盗聴用のアイテムを落としてきた。聞くか?」

「……頼む」

 ランサーから黒色の耳栓のようなものを受け取り、耳に入れる。すると遠坂冥馬とキャスターの会話が再生された。

「なるほど。二重召喚によりキャスターとセイバーのクラス別技能を併せ持つとはな」

 ランサーの言うところの盗聴用アイテムから得た情報は非常に良いものだった。
 これでキャスターの真名だけではなく『二重召喚』という珍しい固有技能についても知る事が出来た。
 懸念といえばこの盗聴用アイテム――――最終的にキャスターと遠坂冥馬に気付かれ、破壊されたことだろう。
 二人も馬鹿ではないのだ。もう同じ手段で会話を盗み聞くことは不可能と考えて良い。

「どうだ? そっちのオーダーには応えたと思うが」

「申し分ない。完璧以上だよランサー。ご苦労、報酬は君に与えた部屋に用意している」

「これだけ働いたんだ。上等なものを用意しているだろうな」

「―――――それは私が保障するよ。ランサー、見事な働きご苦労」

 ダーニックの部屋にロディウス・ファーレンブルク大佐が拍手をしながら入ってきた。

「この堅物ダーニックの言う事じゃいまいち信憑性にかけるが、ロディウスが言うなら信じても良いな。じゃあな、ダーニック。またオーダーがあったら言え。報酬分は働いてやる」

 ランサーが霊体化して消える。自分の部屋に戻っていったのだろう。
 本来サーヴァントは魔力さえあれば睡眠も食事の必要もなく、一日中寝ずにマスターの身辺を警護するべきなのだが、ダーニックは他多くのマスターと違いナチス兵という護衛を既に持っている。
 わざわざサーヴァントに寝ている最中の護衛を任せる必要はない。――――というのは表向きで、ダーニックはナチスがいつ自分に牙をむいても良いように、寝ている最中も罠を張り巡らせているが、今はまだ関係のないことだ。
 
「はははは。とんだサーヴァントを召喚したものだね。よもやあそこまで欲の皮丸出しなサーヴァントとは私も召喚するまで思いもよらなかったよ」

「大佐等にはいらぬ出費をさせてしまい申し訳ありません」

「構わないよ。あれだけの報酬で英霊の座に招かれし者が我々の為に働いてくれるなら安いものだ」

「はい」

 ランサーが仕事を受けるかわりに要求している報酬というのは、人間の魂や生け贄の血肉だとかいう物騒なものではない。
 かなり信じ難いことだがランサーが求めているのは舌が蕩けるような御馳走やワインであり、この時代の娯楽だった。
 ランサーに『聖杯』を求める理由はなく、本人によれば『オーダーを受けたから来てやった』とのことらしい。
 なにはともあれロディウスの言う通り御馳走や娯楽程度でサーヴァントが忠実な駒となるのならば実に安いものだった。

「そういえばダーニック、帝国陸軍が派遣したマスターが分かったよ」

「……ほう。どのような手合いですか?」

 ナチスドイツと結託したダーニックと同じく、国家権力を背景に聖杯戦争に挑んできている帝国陸軍。
 それが選び出したマスターとなれば、ダーニックとしても興味のある事柄だった。

「名前は〝相馬戎次〟。帝国陸軍所属、階級は少尉。聖杯戦争のために日本が引っ張り出してきたとっておきの秘密兵器だよ」

「…………知らない名前ですね。一応魔術協会だけでなく、フリーランスの魔術師やこの国に根付いている魔術組織についても調べはしたのですが」

「事情が事情だから無理はない。相馬戎次、彼の家はえーと、トヨトニー・ヒデヨスィーだったか?」

「豊臣秀吉です、大佐」

「そうそう、そのひでなんとか。それがこの国のカンパイ? カンブツ? まぁいいや。王様的な立場だった時代から続く『魔術使い』の家の出身だ」

「魔術使い?」

 あらゆるものの始まり、根源を目指し探究するのが魔術師であるが、中には魔術を金や悪事などのため私利私欲に使う輩も存在している。
 そういった連中をダーニックたち魔術師は魔術使いと呼び嫌悪の対象としているのだ。だが魔術師の一族ならまだしも、魔術使いの一族とは聞いた事がない。

「私はこの国の歴史に詳しいわけじゃないんだが、この国の戦乱の時代に火縄銃を始めとした西洋の技術や文化が伝来したそうだが――――伝わったのがそれだけじゃないことは君も知っているだろう?」

 ダーニックは神妙に頷いた。
 そう。あの時代に日本に伝来したのはなにも西洋文化だけではない。今尚も世界で信仰されている一大宗教や、西洋魔術、更には吸血鬼などといった西洋の怪物も伝わって来たのだ。

「そのヒデヨスィーは教会を警戒する中、同じように伝来してきた魔術師にも警戒したらしくてね。万が一魔術師と事を構えても対策できるように、当時はこの国古来の魔術を使う家だった相馬家に西洋魔術を学ぶように要請したらしい。魔術を知らなければ、魔術に対策することは出来ないからね」

 そうして相馬家は歴史の裏舞台で西洋からの悪意ある来訪者を狩り、時に家名を捨て〝武士〟となり国の為に身を捧げてきたという。
 ロディウスの話を聞き終わるとダーニックは含み笑いをする。

「成程。大佐が魔術使いの一族と仰られた意味が分かりました。魔術師とはあくまで根源を目指す研究者。国を守るために魔術を身に刻んできた一族なのであれば、それは魔術師ではなく魔術使いの一族だ」

「彼には警戒がした方がいいね。真贋は定かではないが、聖堂教会の殺し屋――――代行者が十人は必要、なんて怖れられた死徒を、たった一人で殲滅したなんて情報もある。
 なんといっても日本という国家が必勝を期して送り込んできたマスターだからね。きっととんでもない奴に違いない」

「分かっています。相馬戎次について正しい情報を得るまでは彼とは戦わないようにしましょう」
 
 そもそもナチスがいる以上、ダーニックが前線に赴くなど余程のことがない限り有り得ないのだが、その余程は出来る限り避けようとダーニックは決めた。
 ロディウスが持ってきた書類、そこには適当に切りそろえられた黒髪に、刀のような鋭い目つきをした男の白黒写真が写っていた。、
 こうして第三次聖杯戦争、最初の一日は更けていく。



[38533] 第7話   黄金の記憶
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:46
――――酷い時代だった。

 終わらぬ戦乱、小国家に分裂してしまった狭い島。
 下から見上げても、上から見下ろしても響いてくるのは戦乱に喘ぐ悲鳴ばかり。
 切欠は永劫不滅と誰もが信じて疑わなかった帝国の衰退である。
 数多の蛮族の侵攻に見舞われた帝国は、その島国から軍を撤退させてしまったのだ。
 国とは家屋に例えることができる。ともすれば〝帝国〟という主柱を失った島がばらばらに分裂してしまうのは自明の利だったのだろう。
 そんな時代に彼は生まれた。
 父であり王に仕える〝騎士〟でもある老騎士の下で、彼は自分もまた〝騎士〟となるべく修練に励んでいた。
 修練といっても彼が学んだのは剣術だけではない。
 騎士とは王の剣として敵を屠る為だけにあるのではなく、時に王の助言者となり朋友となるべき者。
 素朴であった老騎士は真摯にそう言って聞かせては、彼に馬術や学問など多くのことを教え込んだ。

「兄君」

 ある日から自分の修練に一人の〝少女〟が混ざることとなった。
 月に濡れたような金色の髪と翡翠の瞳。そこに在るだけで空気が澄みきるような佇まい。もしも彼女がドレスで着飾れば誰よりも麗しい姫として、遍く騎士たちが目を奪われた事だろう。
 彼にとっては妹というべき少女。けれど〝少女〟は妹ではなく弟であり〝少年〟だった。彼は〝弟〟が少女であることを知っていたが、父である老騎士により彼女は彼として扱われていたのだ。
 だから剣を振るえる年齢となった彼女が、彼として修練に混ざるのも当然のことだった。

「私もこれより共に剣の鍛練に加わることとなりました。どうか、ご指導をお願いします」

 少女は幼さを残した顔立ちで、花の咲くような笑顔で微笑みかけた。

「――――」

 少女は美しかった。そして誰よりも真っ直ぐだった。
 ともすれば彼よりも、老騎士よりも純粋に、ひたむきに――――私心なく国と苦しむ人々の為に剣技を磨かねばならぬ、という使命感が宿っていた。
 その透き通った目で見つめられ、笑顔で頼まれたのである。
 万人が万人、少女の力となれる栄誉を歓喜と共に受け入れ、ただ一言「喜んで」と応えるだけだろう。
 しかし彼は生憎と万と一人目の人物だった。

「指導だと? どうして俺がお前の為に指導なんぞしなければならん。そもそも頼めば相手が教えてくれるなどというのはとんだ思い上がりだ」

 師事の拒絶が途轍もなく衝撃的だったのか、少女は目をパチクリしながら呆然と彼を見上げていた。彼はそんな少女に顔を向けることなく畳み掛ける。

「いいか、俺は俺の鍛練で忙しい。お前に構っている時間などはない。
 話は以上だ。どうしてくれる? お前のせいでもう十秒ほど無駄にしてしまった」

 彼は明確なる拒絶の意を告げると、少女を置いてさっさと自分の鍛練を続行しようとした。

「ま、待って下さい兄君!」

 当然少女はそんなことに納得できない。
 今日は所用で彼と少女の父である老騎士はおらず、その老騎士は自分に変わり〝彼〟に師事するように、と少女に申し付けていたのである。
 
「俺は忙しいと言ったはずだが?」

 実に大人気ないことだが、不機嫌さを露わに彼は少女を睨みつける。
 けれど少女も女の身でありながら男として剣の鍛錬に率先して混ざろうとする意欲と、自分の言ったことは曲げない頑固さがある。
 少女は一歩も退かずに頭の上がらない兄に立ち向かう。

「ですが父君は今日は兄君に剣を見て貰えと私に仰られました。兄君は父君の仰られたことを無視されるのですか?」

 一部の隙もない追及。
 彼もまた少女と同じく〝父〟より教えを受ける教え子である。彼はなにかと偏屈なところもあるが、自分のやらねばならない責務は守る人物だ。
 教師である父の託を無視することはできない、と少女は思っていたのだが、剣の才能ならまだしも、こと弁舌にかけて彼は稀代の人物だった。

「ふん」

 彼は馬鹿にするように鼻で笑うと、

「だったらお前の教師として本日の鍛練の指示を下す。――――休息だ。今日は休息日とする故、帰って寝ろ」

「ふざけないで下さい」

 あまりにも適当極まる対応に、さしもの少女も怒る。頬を怒気で赤く染めながら、牙と角が生えてきそうな勢いで彼に詰め寄った。
 彼は嘆息しながら、このままでは埒が明かぬと見て言った。

「父から俺に剣を学ぶよう教えられた? だからお前にせっせと剣の教導をしろだと? とんだ愚か者だなお前は。それだからいつまで経っても算術で俺に及ばないのだ」

「なっ! 確かに算術では兄君に遅れをとっていますが、その他の学問であれば……」

「喧しい奴だ。では逆に問うぞ。お前はいずれ騎士として……いいや将としてこの国の軍団を預かる立場に置かれた時、侵略者共に『貴方達の戦術が良く分かりません。教えて下さい』なんて間抜け顔で乞食のように頼みこむつもりなのか?」

「そんなことするわけありません! そのように頼んだとて、敵が己の手の内を晒すわけがないでしょう」

「教えてくれるわけがない。よし、正解だ。足りない脳味噌でよく平均点ぎりぎりの解答を捻りだした。分かったな、だから俺は教えないのだ。じゃあ俺は俺の鍛練を再開するから、さっさとどっか行け」

「……話を摩り替えないで下さい。確かに敵は教えを請われたところで情報を教えてはくれないでしょう。ですが兄君は敵ではなく、私の兄ではありませんか」

「――――!」

 初めて〝彼〟に動揺の色が垣間見える。兄を見つめる少女の双眸には濁りのない兄への敬愛と親愛だけが宿っていた。そこに疑念や疑惑といったものはまったく含まれていない。
 如何な偏屈者であろうと、こんな目を向けられては観念するしかないだろう。
 だが、否、だからこそ、だろうか。
 少女の兄である彼はより意地悪げに言う。

「この世界に不変なものなどはない。永遠だと信じて疑わなかった帝国すら、その繁栄は永劫のものではなかった。だったらなにを根拠に俺を味方だと断じる。時の巡り合わせによっては、俺がお前の敵となるかもしれないではないか?」

「兄君が敵……? いえ、ですが、そんなことは――――」

 少女は言葉を詰まらせた。
 反論を封じられたのではない。自分の兄が自分に敵対する、そんな未来など信じたくはないと、その悲しみが宿った横顔が告げていた。
 目に見えて悲しそうな顔をする少女に彼はそっぽを向く。
 少女が嫌いなのではなく、自分で自分の言った事が少し嫌になっただけだった。
 己の肺の中に溜まった毒を堂々と言い放つことに躊躇いなどない彼だが、だからこそ時には自分の言いたくないことも言ってしまうことが多々ある。
 少女と過ごしてから、そういう機会が増えてきたのを彼は自覚していた。

「なにを俯いている」

 気恥ずかしさからか、それとも他の理由からか。
 彼は顔を合わせない様にそっぽを向いたまま口を開いた。

「え?」

「頼んだところで敵はなにも教えてくれない。だったら教えを乞うのではなく相手のすることを盗むことだ」

「盗む?」

「今もそうだ。お前はこれまでなにをしてきた? 木剣を握ることが許されなかった年齢から、俺と父の鍛練を盗み見ては木の枝やらなんやらで見よう見まねの不細工な剣技をしていただろうに。
 だったら今回も同じことをすればいい。俺の教えを請うよりも、俺の鍛練を見て剣技を盗む努力をしたらどうだ?」

「――――!」

 彼はそう言い捨てると、今度こそ自分の剣の鍛練へ戻る。
 少女もそれ以上は食い下がることもなかった。彼から受けた最初の〝教え〟を胸に刻み、彼の剣技を見ては息を吸うように彼の剣技を盗み、それを自分のものに昇華しては、己の業として更に発展させた。
 幾年もの修練の月日。
 少女が〝彼〟を追い越すのにそう時間はかからなかった。
 最初に剣で負け、次に馬術で負け、その次は兵法や殆どの学問においても負けた。彼が少女に守り通したのは算術などといった細やかなものだけだった。
 自分より年下の妹――――否、弟に負けた悔しさがないわけではなかったが、それ以上に充実した日々だっただろう。
 修練は辛い事も多かったが、駒を使った遊戯や水浴びなどの楽しみはあった。

――――兄君。

 ある日、少女が凛とした面持ちで彼に言う。

「最初に兄君から教えを受けた日、兄君は時の巡り合わせによっては私達は敵同士になるかもしれないと言いました。あれは」

「阿呆」

 少女がそんな昔の他愛ない会話を覚えていることと、少女と同じようにそのことを覚えていた自分を馬鹿にするように笑う。

「俺が――――――、だろう」

 常日頃からまったく素直でない彼だったが、その時は思うことがあったのか心からの本心を告げた。
 少女は初めて兄の素直の言葉を聞いて面食らっていたが、やがて心からの嬉しさをそのまま表情に出して、太陽のような微笑みを浮かべた。
 暗転。
 彼と少女の遠い夢は、睡魔の退散により唐突に途切れた。




(…………う、なんだ。あの夢?)

 頭の中に居残り、ぐわんぐわんと踊りまわる眠気に負け、冥馬は再びベッドに体を預けたくなったが、どうにかギリギリのところでそれを堪える。
 カーテンの隙間から光が差し込む。外には昨日の激戦が嘘のような青い空が広がっていた。
 隣の布団では璃正が静かに寝息をたてている。
 
「ああ、そうか」

 自分の手に刻まれた昨日までは父の腕にあった令呪。これを見て眠気で朦朧としていた意識が一気にしっかりとする。
 ナチスやランサーの襲撃を躱すためホテルを飛び出した冥馬たちは、一般の宿泊施設に泊まるのは危険だと判断し、適当な家を見繕いそこで一夜を明かすことにしたのだ。 
 といっても馬鹿正直に『泊めて下さい』と家主に懇願したのではない。暗示の魔術で一日ほど旅行に行って貰い、誰もいなくなった家に転がり込んだのである。

(はぁ。出来れば一般人の魔術をかけるなんて真似はしたくはなかったんだが)

 魔術が当たり前であった神代、神秘がより密接だった中世はまだしも、科学技術が神秘した現代。魔術は社会における異物である。
 それこそ大昔であれば人一人が変な行動をとっても気にも留めなかっただろう。だが現代で一般人に暗示をかけて操ろうものなら、そうした不審な行動は徹底的に調べられ、表社会は魔術を知りはしないので『理由もなしに変な行動をした』という調査結果だけが残る。規模の大小など関係なく、一般人に魔術を使うのは神秘を漏洩することに他ならないのだ。
 故に魔術師は魔術を使いはしない。魔術は『根源』へ目指すための手段に過ぎず、魔術を使うことが魔術師の目的ではないのだ。
 当然、命の危険――――魔術の研究ができなくなるという最大の災厄を前にしては、魔術師も魔術を使うが、逆を言えば必要な時以外に魔術師が魔術を使うことはないのである。
 遠坂の〝魔術師〟である冥馬もそんな訳で一般人に暗示をかける、なんて事はしたくなかったのだが、止むを得ない状況であるのだから仕方ないと諦めた。

「つい昨日だ」

「キャスター?」

 椅子に腰かけながらキャスターが実体化する。

「ナチスとかいう軍隊の狗どもと、狗に首輪で繋がれた狗コロのランサーに襲われて死にかけた癖に、よくもまぁカバのような阿呆面で安眠できるものだな。その図太さ、中々真似できるものじゃない。一応お前の稀有な素養だな」

 紆余曲折あって冥馬はこのキャスターと正式に主従関係を結んだわけだが、キャスターの口の悪さが優しくなるということは皆無だった。
 キャスターはオブラートに包みこむという概念を知らないのだろうか。

「はいはい、一日中俺と璃正が眠っている間も見張りご苦労様。だけどサーヴァントは魔力供給さえしっかりしていたら寝る必要も食べる必要もないんだろう? だったらその特性を最大限に活かさないと。マスターとしては」

「人使いの荒いマスターだ。だがぐっすり安眠したなら昨日の疲れが残ってるなんて小便垂らした新兵のような泣き言はなしだろうな。
 準備が良いならさっさと行くぞ。そこの監督役と聖杯を冬木の地に届けなければ始まる戦いも始まらないだろう」

「分かってるよ。けれどそう焦る必要はない。こういう時こそ余裕をもって優雅たれ、だ。璃正を起こさないとならないし、朝食をとるくらいは良いだろう?」

 そういえば、と眠っている間に見た夢を思い出す。
 見渡す限りの草原も、古めかしい鎧甲冑に身を包んだ騎士も、そしてあの涼風のような少女も。どれも遠坂冥馬の記憶にはないものだ。
 そして夢の中にも出てきた〝彼〟は遠坂冥馬の目の前に佇むキャスターをそのまま小さくしたような姿をしていた。
 父から聞いた話なのだが、マスターは契約のラインを通してサーヴァントの過去を夢に見ることがあるという。
 だとすればアレは遠坂冥馬ではなく、キャスターの過去だったのだろう。

(しかし――――)

 チラリとキャスターの横顔を伺う。
 アーサー王が実は魔術師でもあった、と聞いた時も並々ならぬ衝撃を受けたものだが、今回は下手すればそれ以上に衝撃的だった。
 よもやアーサー王にあんな妹がいたなど、まったくの初耳である。

(おまけにその妹、アーサー王より強かったし)

 冥馬は夢で垣間見たのみであったが、剣術を本格的にやり始めた最初の頃は兎も角、成長するにつれてその技量は完全に後のアーサー王たるキャスターを上回っていた。
 魔術だけではなく武術も高いレベルで身に刻み込んだ冥馬だからこそ、猶更キャスターとあの少女の強さの違いがはっきり分かるのだ。
 別にキャスターが弱いというのではない。
 キャスターも英霊だけあって並みの達人など及びもつかないほどの剣技をもっている。剣ではなくとも、仮に身体能力を均一に設定した取っ組み合いでも冥馬はキャスターに勝てないだろう。
 キャスターが弱いのではなく、要は単にあの少女が強すぎる、というだけ。
 アーサー王伝説にアーサー王を超える少女騎士がいたなんて伝承はないので、恐らくは女の身であったが故に少女はその剣の才を戦場で振るうことなく歴史の中に消えていったのだろう。
 それを勿体ないと思う一方で、どこかほっとしている自分に気付く。
 我ながら困ったものだ。たった一度夢の中で見ただけなのに、あの少女に戦いなどには赴かず平穏無事に暮らして欲しいと思うなどとは。あの少女には容姿なんて外面的なもの以上に人の心を惹き付ける求心力や魅力というものがあるのかもしれない。
 そしてその可愛い妹をあそこまで適当に扱えるキャスターもキャスターで別の意味で凄まじかった。あんな妹がいれば冥馬なら猫可愛がりしていただろう。こういうところも流石はアーサー王、と言うべきなのだろうか。

「そういえば冥馬、一つお前に聞いておくことがあった」

「ん? 俺に答えられることなら大抵は答えるけど、そんなに改まってどうしたんだ」

 椅子から腰を挙げたキャスターは真剣な面持ちで冥馬を見据える。
 その目は一切の虚偽を許さぬ、と静かであったが鉄を焼き切るような熱があった。

「聖杯戦争の大前提、聖杯に託す願いだよ。冥馬、お前はこの戦いに期せずして参加することとなっただろう」

「ああ」

「ということは、他のマスターと違い、なにがなんでも聖杯を欲するにたる理由がお前にはない。気合と根性があればどうにでもなる、というような脳筋共の掲げる根性論を賛美するわけでもないが、戦いにおけるモチベーションというのは勝敗を左右する条件の一つだ。
 俺はお前のサーヴァントだ。サーヴァントである以上、戦う時はお前に俺の背中を預けることになる。その背中を託す人物が唯々諾々と流されるままに参加したような奴だと、俺も背中を守りながら戦う必要があるからな。まずはそこを確認しておきたい」

「聖杯を求める、理由か」

 はっきりいって冥馬には聖杯に託す願いなどない。
 魔術師の最終到達点『根源』を目指すために聖杯を使うのが正しい在りようなのかもしれないが、冥馬はそれをする気はなかった。
 『根源』への到達を諦めているわけでもない。
 時計塔で学んでいた頃も、遠坂の当主を継承してからも冥馬は大師父が『遠坂』に与えた〝課題〟をクリアしようと研鑽を続けている。
 しかし聖杯による『根源』への到達はする気はなかった。
 聖杯戦争には外来の魔術師やサーヴァントには知らされていない秘密がある。その一つが聖杯の使い道による『生け贄』の数だ。
 聖杯を願望器として使うのならば聖杯へとくべるサーヴァントの魂は六体で済む。だが世界の外にある『根源』へ到達するために使うのであれば、生け贄の魂は七体必要となる。
 そう、七体だ。
 自分のサーヴァントも含めた、聖杯戦争に召喚される全てのサーヴァントである。
 故に『根源』への到達を目指す魔術師は、他のサーヴァントを駆逐し終えた後に、己のサーヴァントを自害させるため令呪を一画残しておくのだ。
 だから冥馬が『根源』を到達することを目指すなら、他のマスターとサーヴァントを倒した後に、令呪をもってキャスターを自害させることになるのだが、
 
(それは遠坂冥馬の主義じゃない)

 努力や頑張りには然るべき報いと報酬があるべき、というのが冥馬の考えだ。
 勿論世界はそんな単純に出来ていない。努力は必ず報われるものではなく、頑張りに対して裏切りで返されることも多々ある。
 だが世界が不条理なものでも、自分もまた不条理を良しとして開き直るのは別だ。
 冥馬は平等主義者ではないが、物事は公平であるべきだとは思う。
 だから聖杯戦争を自分と同じように戦うサーヴァントを一方的に切り捨て、自分だけが報われるなどというのは少なくとも『遠坂冥馬』のやり方ではない。
 魔術師として人間性を捨てろというのならばそうするし、殺せと言えば殺そう。しかし〝自分〟を捨てる気は毛頭ない。
 父を殺したナチスには落とし前をつける気でいるが、それは聖杯戦争の過程の中で行うものであって、聖杯を求める願いではないだろう。
 『根源』への到達が却下で、父の復讐のためでもないとなると、他に聖杯に叶えて貰うような願いはないので、結局のところ聖杯に託す願望は〝ない〟というところに落ち着くのだ。

「…………そうまで悩むということは、やはり願いはないのか?」

「嘘を吐いても仕方ないから白状するけど、その通りだ」

「――――」

「だが聖杯に託す願いはなくても、聖杯を掴む理由はある」

「矛盾しているぞ。万能の願望器を求めるのに、願いがないなど」

「矛盾なし、だ。私は父上より遠坂家当主として聖杯を掴め、と遺言を受けている。〝聖杯〟を手に入れるのは遠坂を継ぐ者としての義務だ。だから義務を果たすため命を懸けて聖杯を求める」

「にわかには信じられないな。万能の願望器だぞ、その気になれば世界平和だとか世界征服なんて願いも……まぁ叶えられるかもしれんのに」

「世界平和に世界征服って。そんなアホらしい願いなんて生憎と生まれてこの方もってないよ。ああけど、聖杯に宝石一生分って頼めば山のような宝石が出てくるのか。いやそれよりもお金を……駄目だ。戦争気運が高まってる中、お金の価値は不安定だ。ここは山のような黄金を頼めば」

「――――はぁ」

 目の色を$とゴールドにしている冥馬に、キャスターは呆れた様な笑うような溜息を吐く。

「欲望じゃなく、己の義務のために命を賭けるか。……ふん。聖杯に託す願いがなかろうと、命を懸けて戦うのであればお前も他のマスターと変わらない。同じ地面に足をついて聖杯を目指す挑戦者だ。
 ま、及第点だな。俺も戦いの最中は背中は守らないことにしよう」

 キャスターはぶっきらぼうであったが、遠坂冥馬に背中を預けるという意志を伝えた。
 自分のサーヴァントにこうして信頼を示されたのは嬉しいが、聖杯に託す願いなんて話をふっかけられると冥馬としても気になることが出てくる。
 
「そういうキャスターはどうなんだ」

「なにがだ」

「聖杯戦争に参加しているのはキャスターも同じだ。人に願いはなんだって説教するなら、キャスターにも聖杯に託す願いがあるんだろう?」

「……………………」

 聖剣を抜いた王として、ブリテンを統一し外敵の悉くを打ち破った騎士王。しかしその最期は不義の息子の叛逆により息絶えるという悲劇的なものだった。
 そんなアーサー王がなにを願いにして聖杯戦争に挑んだのか。一人の人間として興味のあることだった。

「俺の願いなど大したものじゃない。俺の……アーサー王の救済、つまるところ幸せだよ」

「――――へぇ。それはまた」

「なんだ悪いか?」

「悪くないが、なんというか」

 イメージに合わない、の一言に尽きるだろう。
 自分の幸せを追い求めるのは人間として当たり前の行動原理だが、騎士の王とまで謳われた英雄の願いとしては想像以上に普通過ぎる。
 冥馬はもっと壮大なものをイメージしていた。
 
「選定の剣を抜いてから私情を完全に押し殺し、ブリテンの安寧のため身を粉にして働いてきたんだ。
 それでもって漸く国に平和が戻ったら、どこぞの馬鹿の不倫とどこぞの馬鹿の叛逆で国はバラバラ。最期は己も国も民族も纏めて滅亡だ。
 こうして全てが終わった後くらい自分の幸せを願っても罰は当たらないだろう?」

「はははは……」

「笑いごとじゃないぞ、冥馬。それともお前は俺の不幸がそんなに楽しいのか?」

「そうじゃない。ただ少しだけ英霊を身近に感じただけだよ」

 折角蘇った現世、だからこそ二度目の生を手にするチャンスを――――奇跡を掴まんとする。
 キャスターの語った願望は実にシンプルだが、それ故に万人が理解できるものだ。
 隣の布団でもぞもぞと動く音がする。恐らくは璃正が目を覚ましたのだろう。
 ここは冬木から遠く離れた帝都、東京。聖杯戦争を勝ち抜くにせよなんにせよ先ずは冬木市へと戻らなければならない。



[38533] 第8話   帝国の襲来
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:47
 冥馬と璃正は最低限の朝食を摂取し終えると、向かい合って今後のことを話し合うことにした。
 キャスターの姿はない。
 戦闘時と比べれば微々たるものであるが、サーヴァントの実体化を維持するために必要な魔力量は霊体化している時よりも多いのだ。
 遠坂冥馬の魔術師としての技量、そして魔力量は中々のものであり、サーヴァントを実体化させ続けたとて大したマイナスがあるわけではない。だが節約できるところは節約するというのが冥馬とキャスターの共通意見だった。一銭に泣く者は一銭に泣くのである。
 それに霊体化していても声を発することはできるし、どうしても物申したいことがあればキャスターの方から実体化するだろう。

「これからについてだが…………兎にも角にも、冬木へと戻らなければならない。これは遠坂家当主たる私と、監督役である璃正神父との間に共通するものだと認識しているが?」

 冥馬は遠坂家当主として慇懃な口調で切り出した。

「……はい」

 冥馬の確認に対して璃正もゆっくりと首を縦に振るう。聖杯戦争は本来、開催地たる冬木市で行われるべきもの。聖杯戦争を監督する立場である璃正にとって、冬木から遠く離れた帝都で戦いが繰り広げられるのは本意ではないだろう。
 なにせルール違反ということを度外視しても、地方の一都市でしかない冬木と、押しも押されぬ大日本帝国の帝都では様々な事情が大きく異なるのだ。万が一サーヴァントの戦いの余波で国会議事堂などの施設を破壊してしまえば、聖堂教会の隠蔽工作どころで済む問題ではなくなってしまうし、そもそも冬木と違い帝都では聖堂教会のスタッフによる隠蔽も余り期待できない。

「そこで遠坂家当主、遠坂冥馬殿に監督役である言峰璃正の名で要請したいことがあります」

 冥馬が遠坂の当主、聖杯戦争のマスターとして話しているように、璃正もまた『監督役』として口を開いた。

「本来であればアインツベルンより『聖杯の器』を委託された後、私は公平を期すため単身で冬木の地へと向かう予定でした。
 ですが昨日の襲撃からみてもナチスドイツが聖杯戦争のルールを無視してまで、私の手にある『聖杯の器』を奪取しようとしているのは明白。私もそれなりに腕っぷしには自信がありますが、軍隊が相手では分が悪いという他ない」

「しかもナチスはランサーを有している。サーヴァントなしで冬木に向かおうものなら命が百個あろうと足りないだろうな」

「ええ。だからこそ私は監督役として、貴方に冬木へ赴くまでの護衛を依頼したい」

 結局のところこれは『交渉』の名を借りた確認作業だ。
 璃正の手にある『聖杯の器』を奪われて一番損するのは遠坂冥馬であり他のマスターたちである。そして『聖杯の器』を奪われては、璃正も聖堂教会の与えた任務を全うできなくなってしまう。
 だからこその護衛の依頼。
 サーヴァントと戦えるのはサーヴァントだけだ。
 時計塔において高位と呼ばれる魔術師だろうと、特に戦闘に秀でた魔術師だろうとサーヴァントと戦っては勝ち目がない。これが聖杯戦争に参加する上で叩きこむべき鉄則だ。
 故にサーヴァントを有するナチスから身を守ろうとすれば、璃正もサーヴァントに護衛して貰う他ない。
 だが監督役である璃正はサーヴァントも令呪も持ち得るはずもなく、となればサーヴァントを持つマスターに己の警護を頼むしかないのだ。
 そして言峰璃正が護衛を頼める唯一の人間であるのが、こうして済し崩し的に共に行動している冥馬だ。

「さて、璃正神父。神父である貴方と違い我々は魔術師だ。魔術師に護衛を依頼する以上はそれ相応の対価が必要となりますが?」

 そこまでのことを全て承知しておきながら、冥馬はふざけるようにそんな事を言った。

「対価と言われましても私には貴方に払えるものなどはなにもない。いやはや受けて貰えないのであれば仕方ない。一人で向かえば十中八九『聖杯の器』を奪われてしまいますが、任務である以上、先に待っているのが死という暗闇であろうと、私は足を止めることは出来ませんからな。私は一人で冬木へ赴き、ナチスに聖杯を奪われることにしましょう。
 此度の聖杯戦争の勝利者は決まったも同然ですな。遠坂のマスターである遠坂冥馬殿」

「おやおやこれは困った。私としてもナチスに聖杯を奪われる訳にはいかない。これは代価がなくても貴方を護衛しなければならないようだ」

「要請を引き受けて下さり感謝の言葉もありません」

 茶番の交渉が終わる。
 ここにマスターである冥馬と監督役である璃正は一時的な協力関係を結んだ。
 特定のマスターに協力を求めるなど、中立としてはグレーゾーンもいいところだが、事態が事態故に止むを得ない。
 少なくとも冥馬はそう思っているし、言峰璃正も例外を例外として認められる判断力と度量がある人間だった。
 否。そもそもそういった判断力を認められたからこそ璃正は年若いながら聖杯戦争の監督役という大任を預かったのである。そういう意味で璃正を監督役に任じた聖堂教会の人事は優れたものだった。
 
「――――で、下らない茶番は置いておくにして、これから具体的にどうするつもりだ?」

 キャスターが実体化する。
 監督役との一時的な協力関係は締結された。そうなると次に問題となるのは、如何にして冬木市へと帰るか、だ。
 
「俺に考えがある」

「ほう」

 自信ありげな冥馬にキャスターは興味深そうに顔を向けた。璃正も良案があるならば、と期待を寄せる。
 二人の視線を集めたことを見計らい、冥馬は自信をもって自分の考えを告げた。

「――――――!」

 冥馬の『考え』を聞いた璃正とキャスターは唖然としてしまった。




 太陽の光が照らす昼時を、冥馬は璃正と霊体化しているキャスターを伴い堂々と歩く。
 聖杯戦争は神秘の隠蔽のためにも人が寝静まる夜中に行うべき、というセオリーがあるのだがそんなことはお構いなしである。
 人気のない裏道を進む、なんてこともなく寧ろ人通りが出来るだけ多そうな道を冥馬はぐんぐんと歩いて行っていた。

「……本当に、ここまで堂々と歩いて大丈夫なのだろうか」

 璃正が不審の目を冥馬へと向けた。
 無理もないだろう。ナチスの襲撃を警戒し、どのようにして発見されずに無事に冬木へ辿り着くか……という議論をしようとしていたというのに、冥馬の考えはまったくの逆。なんの警戒もせず堂々と大通りを歩いて、普通に電車で冬木市へ行く、というものだったのだから。
 常人を超えた英霊であるキャスターもこれには呆れ顔をまったく隠そうともしなかった。
 だが冥馬はなんでもないように返答する。

「寧ろ夜中にこっそり歩く方が危険だよ」

「というと?」

「昨日の件からいってナチの連中はどんな手段を使ってでも聖杯を奪取するっていうスタンスで挑んできている。そうでなければ一般客がいたロビーにいきなり銃撃戦なんて仕掛けてこない」

「だとすれば、こうやって歩いていれば襲撃を仕掛けてくるのでは?」

「そうとも言えない。もし正真正銘なんでもあり、だったならナチの連中はあそこで退却なんてせず、全軍を投入して一気に聖杯の器を奪おうとしたはずだ。
 幾らこっちにはキャスターがいるといっても、あっちには三騎士に数えられる〝最速〟の英霊が……ランサーがいる。俺だって消耗していたし、あそこで大部隊が来ていれば防げてかどうか怪しいものだ。こちらの勝ち目はどれだけ多めに見積もっても30%そこそこか。だからナチスが撤退を選択したのには、他に理由がある」

 キャスターがアーサー王という破格の英霊であったということもあるだろう。アーサー王ならランサーを倒した勢いで、そのままナチスの軍隊を全滅させるのも不可能ではない。
 しかしそれ以上にナチスはあれ以上暴れることが出来ない理由が他にあった。

「……どれだけ狂った連中だろうと、ナチスは軍隊だ。こうして聖杯戦争なんて裏側の戦いに首を突っ込んでいるといっても、表世界に影響力と知名度がある組織であることに変わりはない。
 表側に属する集団である以上、それ相応のしがらみというものが連中にはある。ましてやこの国は連中の元締めのドイツとは共に天を抱かんとする間柄だからな。同盟国であるこの日本であれ以上は銃撃戦なんて出来なかったんだろう。ましてや必勝が確信できてるわけでもない戦いで」

「ではこうして人目のある道を行けばナチスは仕掛けてこないと?」

 冥馬は頷いた。

「完全に襲撃してくる可能性がゼロになるわけじゃない。だが少なくとも夜中にこっそり歩くよりは安全なはずだ。
 もっともナチスにも狙撃兵はいるだろうし、今も遠くからこっちをスナイパーが狙っているとも限らない。だからその対策はしてある」

「対策?」

「俺の今着ている服は宝石を溶かしこんで作り上げた魔術礼装でね。大砲クラスは無理だが、銃弾程度ならまるで通しはしない」

 昨日の襲撃の際にも着ていればもっと楽に立ち回れたんだが、と冥馬は付け加えるようにぼやいた。

「……成程。だが冥馬、身体はその服で守るとして、その……頭はどうするんだね?」

 服というのは着るものであって被るものではない。
 冥馬の言葉が正しいのならば〝遠坂冥馬〟の体は服という魔術礼装に守護されているので、スナイパーの狙撃にもびくともしないだろう。一方で冥馬の頭はなににも覆われておらず、完全に無防備だ。長距離から音速で飛来する弾丸に対して人間の頭部はトマトのように脆い。
 これではスナイパーに『頭を狙え』と言っているようなものだろう。

「抜かりはない」

 その指摘を待ってましたと言わんばかりに冥馬が話し始める。

「実は銃弾すら弾く服なんて気休め程度のものだ。本当の対策というのはキャスターだよ」

「キャスター?」

 璃正は周囲を見渡すがキャスターの姿はどこにもない。あるのは伽藍とした街並みだけだ。

「キャスターがどうしたというのかね?」

「――――キャスターによれば、霊体化していても簡単な魔術くらいなら使用できる。だから今もキャスターに周囲を索敵して貰い続けている。
 魔術師のサーヴァントに選ばれるほどのキャスターの魔術だ。これの索敵から逃れられるとしたら、気配遮断スキルをもつアサシンのクラスだけだろう。
 人間のスナイパーの銃弾なんて、こっちに飛んでこようものなら即座にキャスターが実体化して弾く。ついでにキャスターは私達の周囲の『認識』をずらしているから、正確に脳天目掛けて弾丸が飛んできても、命中するのはそこいらの家の壁だ」

「確かにそれならば安心かもしれない」

 そもそも作戦に不満があれば憚ることなく不平不満をぶちまけるのがキャスターだ。そのキャスターが呆れながらも何も言わなかったというのは、キャスター自身が冥馬のアイディアを認めているからに他ならない。
 冥馬は偶に抜けたことをするが決して愚かではない。蛮勇と思われかねない冥馬の考えは、その実、完璧に計算された大胆な作戦なのだ。

「ところで冥馬。人目があるところならナチスは仕掛けてこないと君は言ったな」

「さっきからそう言ってるじゃないか」

 璃正が足を止める。そして普段は混雑しているであろう大通りを見渡した。
 呆れながら、恐らくは璃正よりも早く同じ異常を悟っていたキャスターが大通りでありながらも実体化する。こんな場所で実体化したキャスターを咎めようと口を開きかけた冥馬だったが、それよりも早くキャスターが鋭い指摘をする。

「冥馬、お前の顔についている目玉は飾りなのか? これのどこが人目のある場所なんだ?」

「は? 何言ってるんだキャスター。一昨日ここへ来たときもこの辺りは沢山の人で賑わって………………あれ?」

 そこで漸く冥馬も〝異常〟に気付いた。
 誰もいないのだ。普段であれば幅広い年齢層の人間でごった返しており、人々が忙しなく通る大通りに人っ子一人としていないのである。
 活気のある街並みは、まるで毒ガスでもばら撒かれたかの如く死んだように静まり返っていた。

「待ってくれキャスター。この周囲に人払いの魔術の類は仕掛けられてないはずだ。いや余程こういうことに秀でた魔術師なら、俺に気付かせずに人払いをするなんてことも出来るかもしれないが、幾らなんでもキャスターを騙せる訳がない」

 キャスターとてもし人払いの結界が張られていたのならば、念話を使い冥馬に警告を告げただろう。
 しかしキャスターは何も言ってこなかった。つまりキャスターも人払いの魔術を感知していないということだ。

「そうだな。俺もキャスターの端くれ。人払いの結界があれば、仕掛けたのがマーリンでもない限り、お前が気付かなくても俺が気付く。これはキャスターの名において断言するさ。この周辺に人払いは仕掛けられていない」

「なら……」

「だが此処に人払いを仕掛けずとも人払いをする方法なんて幾らでもある」

「――――!」

 人払いの魔術は依然として感じない。だが冥馬も璃正も気付いていた。三人を取り囲むように何かが物陰に隠れ近付いてきている。
 聴覚を強化して周辺を探る。間隔なく地面を進む足音。十人やそこらではない。正確な数は判別できないがかなりの数の集団だ。
 冥馬は宝石を握りしめ、璃正は拳法の構えをとり、キャスターは黄金の剣を出現させ――――いつ相手が仕掛けても対応できるよう準備を整える。

「キャスター、此処に人払いを仕掛けずに人払いを仕掛ける方法って?」

 油断なく全方位を索敵しながら冥馬が尋ねる。

「単純なことだ。例えば十字路であれば、四方の道に人払いの結界を張っておけば、中心である十字路は人払いがなくても結果的に人がいなくなるだろう?」

「理屈はわかるが、これほどの大通りから人っ子一人なくすなど魔術師一人では到底不可能だぞ。軍を引き連れて参加しているナチスですら難しい」

 璃正の言う通りだ。
 これほどの大通りから完全に人気を消そうと思えば、かなり広範囲に渡る地域の道を全て〝潰す〟必要がある。そんなことをするのは大勢の集団と、相応の土地勘が不可欠だ。
 自国であるのならばまだしも、他国の軍事組織にそのような土地勘があるわけがない。

(……ああ、そうか)

 他国の軍事組織にそのような土地勘の持ち主がいるはずがない。ならば簡単だ。他国の軍事組織ではなく自国の軍事組織であれば――――そういう土地勘の持ち主くらい探せばいるだろう。
 余所の国であるナチスすら聖杯を求めてはるばる海を越えて参加してきているのだ。ならばこの国の軍事組織が参加しない理由などどこにもない。
 
「――――来るぞ!」

 キャスターが警告を発する。
 冥馬の推測を裏付けるように、物陰から飛び出した帝国陸軍の兵士達が三人に発砲してきた。



[38533] 第9話   帝国との戦い
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/18 00:20
 四方八方から雨と降り注ぐ銃弾。
 だが銃弾が冥馬たちの体を貫くよりも早く、魔術師の英霊たるキャスターが動いた。
 キャスターは手を薙ぐ様に振っただけだ。たったそれだけでキャスターは並みの魔術師なら長い詠唱を必要とするランクBの魔術を起動させる。
 灼熱の炎が冥馬と璃正たちを守護するように吹きあがり、鉛玉を鼠を喰らう蛇のように呑み込んでいく。

「成程。サーヴァントは現代の知識を聖杯より与えられているが――――これが銃、この時代の兵士が使う弓か。
 弓矢など目じゃないほどの連射性と威力、精度がある。剣や弓が時代の遺物として取り残されたのも、この威力を知れば合点がいく」

 なんでもないように銃弾を防ぎきったキャスターは、なんでもないように防いだ銃という武器に高評価を下す。1000年以上も過去の王であるキャスターにとって、現代の主武装である銃は興味をそそられるものらしい。
 冥馬は周囲を見渡した。見えるだけでもざっと三十。帝国陸軍の軍服を着た兵士達に囲まれている。

「サーヴァントは狙うな! マスターを仕留めろ!」

 周囲の中から一際良く通る声が響き渡った。
 彼等の指揮官の声だったのだろう。命令を受けた兵士達がキャスターではなく、その銃口を冥馬の方へ集中してきた。
 だが慌てることはない。自分にはキャスターという心強い味方がいるのだから。

「キャスター、頼む」

「分かっている」

 冥馬に降り注いだ銃弾は、さっき起こった出来事をなぞるように炎に防がれた。
 陸軍の判断は正しい。どれだけ強力な銃火器を用意したところで、街一つを吹き飛ばすほどの爆弾を用いたところで霊体であるサーヴァントを倒すことはできない。
 霊体の中でも最上位に位置するサーヴァントを傷つけるには、特に霊体を殺すのに特化した武装を用意しなくてはならないのだ。
 だがサーヴァントとは違いマスターはただの人間。鉛玉が脳天に直撃でもすれば一溜まりもない。

「もっとも当たればの話だが。一掃しろ、キャスター」

「命令ばかりで良い御身分だな」

 文句を言いつつもキャスターは命令通り、炎の魔術の矛先を銃弾ではなく周囲の兵士達へと向けた。
 彼等軍隊が使用しているであろう火炎放射器よりも遥かに高温の業火が、冥馬たちを囲っている兵士達を焼き払っていく。

「奇襲は失敗だ。第一隊は退け! 第二作戦に任せろ!」

 生きながらに肉を焼かれる断末魔の中、指揮官の怒声が轟いて兵士達が撤退していく。だが退却できなかった兵士達は一人残らずキャスターの炎に焼き殺されていった。
 
「冥馬。聖杯戦争は国が派遣した軍隊同士が凌ぎを削る戦いだったのか?」

 どこか疲れた顔で璃正が皮肉を言った。

「いや。七人の魔術師が七人のサーヴァントを呼び出して殺しあう戦いだったはずだ。少なくとも六十年前はそうだったらしい」

 ナチスといい帝国陸軍といい、サーヴァント同士を戦わせるという聖杯戦争の常識をまるで無視してきている。
 これが一魔術師の勢力であれば監督役である璃正を通し、聖堂教会・魔術協会から警告を発することもできるかもしれないが、相手が国家となるとそうもいかないだろう。
 第三帝国と大日本帝国。共に世界に覇を唱える国家であり、聖堂教会や魔術協会の圧力を跳ね除けるだけの力をもっているのだから。

「二人とも喋っている暇があるのならば周囲を警戒していろ。……なにかが高速でこちらに近付いてきている」

「……! サーヴァントか?」

 こうして自分達を襲い掛かって来たということは、十中八九帝国陸軍もサーヴァントを召喚してきているはずだ。
 軍隊を投入してきているといっても、これが聖杯戦争である以上、最大の戦力は呼び出されたサーヴァントである。
 幾らただの人間の兵士を倒したところで意味など余りない。例えここにいる兵士を皆殺しにしたところで、陸軍には万を超す兵隊がいるのだ。
 冷酷なことを言えば兵士の代わりなど幾らでもいる。
 故に相手に致命的損害を与えるには変えの効かない存在を――――サーヴァントを倒さなければならない。
 相手がサーヴァントを投入してくるならば、なんとしてもそれを倒すのみだ。だが、

「違う。魔力が発せられていない。単に高速で近付いてきているだけだ。サーヴァントじゃない」

 キャスターは近付いてきているのがサーヴァントではないと言う。

「サーヴァントじゃないならなんだって言うんだ? あちらも銃やそこいらではこっちを倒せないなんて承知しているだろう」

「それは、もう直ぐ分かることだ」

 キャスターの言う通りだった。
 いよいよとなり冥馬の耳にも、なにかが高速で回転しているような喧しい音が響いてくる。

(ま、まさか……)

 冥馬の脳裏に接近してきているものの正体が思い浮かび、空を見上げる。そして冥馬は自分の想像が正しかったことを突きつけられた。
 プロペラを回転させながら空を穿つように飛翔しているのはゼロ戦――――科学や兵器には疎い冥馬すら知っている、日本の誇る戦闘機だ。

「ぜ、ゼロ戦!? 正気か、帝国陸軍の連中は。戦闘機を投入してくるだと!?」

「よもや、ここまでとは」

 冥馬も璃正も絶句するしかない。帝国陸軍が遊び半分で聖杯戦争に挑んできている訳ではないことは承知していたつもりだが、本気の度合いを測り違えていたようだ。
 まさか聖杯戦争に勝つために戦闘機を投入してくるとは流石の冥馬をもってしても予想できなかった。
 たった三人の人間を殺すためだけに空を飛ぶゼロ戦は、冥馬たちに機関銃を掃射してくる。
 戦闘機に装備されているほどの機関銃だ。その威力は歩兵が使う銃とは比べ物にならない威力である。冥馬の魔術では防ぐのは難しいかもしれない。
 けれどキャスターはそうではなかった。

「空を飛ぶ騎馬か。面白いものを投入してくる――――!」

 毒づきながらもキャスターは冥馬と璃正を守るように飛び出すと、透明な障壁を手より出現させて機関銃を全弾防ぎきった。
 キャスターが防いだ勢いでゼロ戦を撃墜すべく、高密度の魔力が凝縮された光弾を放つ。しかしゼロ戦のパイロットはかなりの腕らしく、キャスターの光弾を巧みに躱すと再び大空へ舞い上がっていく。
 それに回避しているだけではなかった。置き土産とばかりにゼロ戦は爆撃を加えてくる。

「チッ」

 舌打ちしつつキャスターが障壁を上方へと展開して、爆撃を受け止めた。

「……気を付けろ、冥馬」

 ゼロ戦を落とし切れなかったとはいえ、攻撃を全て防ぎきったキャスターだったが、顔に浮かんでいるのは苦戦している者のそれだった。

「どうしたんだ?」

「ゼロ戦といったか、あの戦闘機の名前は。さっきの爆撃といい機関銃といい……単なる兵器じゃない。魔術的な補強が……『強化』の魔術が加えられている」

「強化の魔術……!」

 魔術でも最もポピュラーな魔術のうちの一つ『強化』。その名の通り魔力を込めて対象の存在を強化する魔術だ。
 身体能力を強化すれば運動能力が上がるし、盾を強化すれば頑丈さが上がる。……そして機関銃や爆弾を強化すれば、ただでさえ高い破壊力を更に上げることになるだろう。

「見ろ、この障壁を」

「あっ!」

 キャスターの展開した障壁には蜘蛛の巣状の皹が入っていた。
 幾ら機関銃のような元々の破壊力が高いものを強化したところで、キャスターの障壁に皹を入れるほどの威力は生み出せない。
 だというのにここまでの破壊を実現したということは、強化した『兵器』だけではなく術を施した術者も強力だということだ。

「冥馬、キャスター。まだ来るぞ!」

 璃正が声を張り上げた。
 旋回してきたゼロ戦の機関銃が火を噴く。二度目の攻撃にキャスターは先程以上の魔力を込めた障壁をもって対応した。
 しかし今度はそれだけではない。
 キャスターがゼロ戦の相手をしているのを好機とみたか、兵士たちが再び銃撃を再開したのだ。
 璃正は咄嗟に『聖杯の器』が入ったスーツケースを自分の体で庇う。そしてそんな璃正を守るように冥馬が前へ立った。

「こんなもの、キャスターの手を煩わせるまでもない!」

 炎と風、二つを同時に出現させた冥馬は壁が迫るような銃撃を防ぎきる。
 しかしこのままでは防戦一方。魔力とて無限ではないのだ。このまま防御に徹していれば魔力をどんどん消費していくだけである。
 襲い掛かってくるのが生身の人間の兵隊だけなら、こうして防ぎながら相手の隙を見出すのがベストな選択肢なのだが、生憎とこれが聖杯戦争である以上そんな悠長なことはしていられない。

(相手はまだサーヴァントを投入してきていない……! もし消耗したところに強力なサーヴァントが出て来れば!)

 アサシンやバーサーカーならまだしい。
 しかしもしも帝国陸軍が擁するサーヴァントが魔術に秀でたキャスターには相性最悪というべき高い『対魔力』をもったサーヴァントであったならば。

「冥馬、俺はあのゼロ戦を落とす。だから俺がいないでも暫くは持ち堪えられるか?」

 現状はキャスターも良く理解しているのだろう。そんな提案をしてきた。

「人間相手ならば、一時間でも二時間でもいけるが、サーヴァントが出て来れば無理だ」

「OKだ。なら暫く持ち堪えていろ。俺はあれを落としてくる! なにかあれば令呪を使え」

 ピシャリと言い切るとキャスターは歩兵たちの銃撃など無視して、建物を足場にしてゼロ戦へと跳躍する。

「と、こっちはこっちで連中をどうにかしなければ」

 キャスターはキャスターでどうにかするだろう。
 冥馬も自分のやるべきことを、周りにいる兵士達を相手にしなければならない。仮にサーヴァントがいない隙を見計らい敵がサーヴァントを投入してくれば、少し勿体ないが令呪を使いキャスターを呼び出すまでだ。

「――――サーヴァントが遠坂冥馬より離れた。今こそ好機だ。行け!」

 新たな命令を受けた兵士達の目により直接的な殺意が宿った。物陰に身を隠しながら銃撃をしていた兵士たちが飛び出してくる。
 勝負に出たのだろう。兵士達が冥馬に発砲しながら突進してきた。
 右手の指に嵌めたルビーの指輪に魔力を流し込む。

「Verbrennung!」

 一喝。冥馬の手より出現した炎が、鞭のようにしなり兵士達を薙ぎ払った。
 しかし一方向から突進してくる兵士達を倒したところで、兵士は四方にいるのである。冥馬が焼き払った方向の反対側にいる兵士が、冥馬ではなく璃正へと襲い掛かっていった。

「璃正!」

 冥馬が叫んだ。
 兵士達の狙いは璃正ではない。璃正がもつ『聖杯の器』だ。その証拠に間違って『聖杯の器』を破壊せぬよう、銃ではなくナイフを構えて襲い掛かってきている。 
 
「帝国のため、聖杯は頂く!」

「くっ……!」

 冥馬は急いで璃正の援護に回ろうとする。だがはっきりいって冥馬のその行動は無意味といって良かった。
 別に冥馬の援護が間に合わないのではない。単に援護する必要がそもそもなかっただけだ。

「覇ァァァァッ!!」

 気付けば璃正に襲い掛かった兵士達が宙を舞っていた。
 並みの人間なら認識すら出来ないような早業だったが、冥馬の目はそれに追いつけていた。
 信じ難い事に璃正は強烈な一歩で兵士達の間合いに踏み込むと、目にも留まらぬ速度で三人の兵士に掌底を叩き込み宙へ飛ばしたのだ。
 璃正の掌底を喰らった兵士達はどさりと地面に落ちてきて、動かなくなる。死んではいないだろうが、完全に気絶していた。

「聖杯を奪いにかかってくるからどれほどのものと思えば、まだまだ功夫が足らなかったようだな。軍人よ、その程度では私の手より聖杯は奪えんぞ」

 主君を守る用心棒のような佇まいで璃正はすっと兵士達を見渡す。
 神業じみた璃正の動きに呆気にとられてしまったのか、兵士達の足は止まっていた。

「来ないのならば、こちらから行くまで」

 璃正が動く。兵士達が慌てて発砲するが、それよりも早く璃正の拳が兵士達の腹にめり込んでいた。

「はははは。これはたまげた。こっちも負けてられない!」

 忍び寄ってきた兵士を冥馬は裏拳で弾き飛ばす。遠くにいる兵士は炎と風で焼き払い、切り払いつつ、近くの兵士は鋼鉄へと変えた四肢の餌食とした。

「退け! 退け! 少尉でもなければ、そいつらに近付いて勝てはしない。ここは退け!」

 兵士達も冥馬と璃正を相手に接近戦を挑むことの愚を悟ったのだろう、銃を発砲しつつ後ろへ退いていった。
 冥馬と璃正は背中を合わせて逃げる兵士達を見据える。

「教会の神父が八極拳とは、聖堂教会の第八秘蹟会は一体全体どうなっているんだ?」

「そちらこそ魔術師が肉体をそこまで鍛え上げるとはどういうことか?」

「健やかな肉体にこそ優れた魔道は宿る。遠坂家では武術も魔術を刻む上での必修科目だ。そっちは?」

「聖地を巡礼し各地へ散らばった聖遺物を回収するには、病や疲労に負けぬ鋼鉄の肉体が必要。神父たるもの武術は嗜みの一つ」

「お前のそれは嗜みという次元じゃない。もはや達人だ」

「そちらこそ魔術師など止めて武術家になった方が良いのでは?」

「来世の職種候補に入れておこう。それより、キャスターの方も首尾よくやったようだ」

 キャスターの放った光弾を翼に直撃させたゼロ戦は、飛行能力を失い墜落していっていた。
 魔力を若干消耗していたものの傷一つないキャスターが冥馬たちのもとへ戻ってくる。

「……その様子だと、無事かと尋ねる必要はないようだな」

「お互いにね」

 戻ってきたキャスターは開口一番にぶっきらぼうに言う。
 厄介なゼロ戦も墜落させ、相手の兵士達の士気を折ることもできた。これをもって形勢は逆転する。

「日の丸を刻んだゼロ戦は地に堕ち、我が下には我が従僕が戻ってきた」

 威圧するために両手を広げて、尊大に冥馬は告げた。

「まだ戦うのか?」

 静かな威圧だが効果は覿面だった。息を潜めていても兵士たちが動揺しているのが伝わってくる。
 やがて兵士達は上官からの許可がでたのか、周囲から完全に撤退していった。

「やれやれ。出来れば邪魔なしにスマートへ戻るのが理想的だったがままならないもの――――ん? これは……!」

 兵士達の撤退は戦闘の終了を意味しない。
 撤退した兵士達と入れ替わるように、百人の兵士すら霞むほど濃密な殺意が突き刺さる。
 鋭利な槍に五臓六腑を貫かれたようだ。息すら出来なくなる程の殺気、そして隠しようもないほどの魔力の塊が付近に潜んでいる。

「本命のお出まし、だな」

「そのようだ。身構えろ冥馬、来るぞ」

 キャスターが言った瞬間だった。建物の屋根の上から黒い影が飛び出してくる。

「だ、っらぁぁああああああああああ!!」

 飛び出してきた黒い影は風車の如く回転しながら、空気を犯す妖気を秘めた刀をキャスターへ振り下ろしてきた。

「なっ!」

 驚愕しながらもキャスターはその刃を聖剣で受け止める。現れた黒い影とキャスターの間で鍔迫り合いが起こった。

「あ……ありえない……」

 そう、鍔迫り合いなど起こる筈がないのだ。
 相手がサーヴァントだというのならば、冥馬もキャスターも驚いたりなどはしない。当たり前のようにサーヴァントを警戒し、当然の如く対処しただろう。
 問題なのは――――キャスターと鍔迫り合っているのがサーヴァントではないということだ。

「は、ははは。凄ぇな騎士。強ぇ力だ」

 猛獣のように男は獰猛に笑った。その首級には日の丸のような赤い刻印が刻み込まれている。
 その刻印を見間違えるはずがない。それは聖杯がマスターに与える令呪だ。あろうことか男はマスターなのにサーヴァントであるキャスターと打ち合っているのである。 



[38533] 第10話  蘇りし英雄譚
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:49
「らぁあああああ!!」

「こいつは――――!」

 まるでバーサーカーの如く咆哮しながら、その男は光を反射して妖しく光る日本刀を武器にキャスターと切り結ぶ。
 異常といえば全てが異常だった。
 聖杯戦争に表側に属する軍隊が投入されるどころの話ではない。軍隊ですらただの人間ではサーヴァントには勝てないという聖杯戦争の絶対条件を崩すことはできなかった。
 だというのにこの男はマスターでありながら単体でサーヴァントと互角以上に戦うという異常事態を成し遂げてしまっている。
 
(そんな……馬鹿な!)

 余りのことに冥馬は目を見開いて、その戦いを凝視するしか出来ない。
 もしも自分のサーヴァントが白兵戦に優れないキャスターであれば、こういうことも起こりえる事の一つとして認識できていただろう。
 通常キャスターのサーヴァントは能力を『魔術』に特化させているため、接近戦の心得のある武闘派であれば、近接戦闘に持ち込んでしまえば或いは勝てないこともないかもしれない。無論自分が接近戦に弱いことなど魔術師の英霊であれば誰もが分かっていることなので、そう安々と接近を許すはずもないのだが。
 だが冥馬の召喚したキャスターは通常のキャスターの常識には当て嵌まらない。
 なにせキャスターの真名はアーサー王。ブリテンを統一させ、安寧を齎した騎士の王だ。
 魔術のみならず剣術にも秀でているのは、なによりもキャスターでありながら『セイバー』のクラスを併せ持つ特殊技能『二重召喚』が証明している。
 だというのにあの男はキャスターと互角……もしかしたらそれ以上に戦っているのだ。もはやそれは異常を超えて『偉業』と呼んですら差し支えない程の成果である。

「だらぁあああああ!!」

 キャスターの剣術が先達者が培った基本という土台に支えられた王道的なものであるのならば、男の剣術は己が本能を前面に押し出す野獣的な動きだった。
 時に周りの壁を足場と利用し、人間というよりは猿のような三次元的な動きでキャスターと斬り合っていく。
 しかし真に野獣であればキャスターと戦える筈がない。
 良く観察していると分かった。あの男の剣技は基礎など度外視した邪剣のようでいて、その実、剣の一振り一振りに濃密な基礎の積み重ねが垣間見える。

「璃正、もしかしてアレは剣の妖怪か何かなのか? それとも戦国時代の落ち武者の幽霊?」

「現実逃避したくなる気持ちは分かる。しかしアレから人外の邪気は感じない。アレは魔術師であれ我々と同じ人間だ。……たぶん」

 璃正の言葉には自信がない。
 首に刻まれている令呪といい雰囲気といい……あらゆることが彼が『人間』であると証明しているというのに、サーヴァントと互角以上に戦うという行動が、彼を人間ではなくサーヴァント的なものへとしていた。
 理論上は、有り得ないことではない。
 英霊というのは謂わばその時代における最強クラスの『人間』の別名だ。故に現代における最強クラスの『人間』であれば、過去の英霊であるサーヴァントと戦えないこともないのかもしれない。
 だが現代で英霊と戦えるほどの実力者など、それこそ世界に数人しかいない『魔法使い』か吸血鬼たちの王くらいだろう。魔術を戦闘に用いることに秀でた封印指定の執行者、その中でも最強クラスの連中ですら、サーヴァント相手では霞んでしまう。

「違う……それだけじゃない……」

 キャスターが優れているのは剣技だけではない。振るっている武器もまた英霊の武器としても最高峰の聖剣である。
 時代において名剣・名刀と謳われるほどの一品も、あの聖剣と比べればナマクラ同然だ。一度まともに打ち合えば、それだけで刀など折れてしまうだろう。
 だというのに黒衣の男が振るう日本刀はどれだけ聖剣と鍔迫り合っても折れるどころか皹が入る様子すらない。
 冥馬は日本刀をまじまじと観察してその理由を察する。
 黒衣の男の日本刀は単なる名刀ではない。
 こうして離れて戦闘を見守っていても、刀に染みついた血の臭いや怨念を感じることが出来る。
 アレはもはやただの刀ではなく、刀でありながら魔を断ち聖を斬る妖刀だ。内包する神秘の質は英霊の振るう武器と比べても決して見劣りはするまい。
 あんな妖気を発する刀など常人であれば掴むだけで精神が壊れそうなものだが、あの男には刀に精神を支配されている気配は皆無だった
 妖刀そのものがあの男を己が『担い手』として認めていなければ、ああはいかないだろう。
 〝村正〟という妖刀の銘が脳裏を過ぎった。

「まさかこれほどの使い手がマスターにいるとは……!」

 このまま斬り合っても埒が明かないと思ってか、キャスターが炎の魔術を放ち距離をとろうとする。
 まともな人間なら炎が目の前にあれば取り敢えず回避するだろう。だが男は違った。あろうことか男は炎を前にしてもまるで臆すことなく突進し、

「どらああああ!!」

 さながら海を割ったモーセのように、妖刀の一閃で炎を〝切って〟しまった。
 切り開かれた炎の中に男は飛び込み、鎌鼬の鋭さで刀を横なぎに振った。

「――――――!」

 これにはキャスターも声を失ってしまう。だが冥馬のように驚きながらも完全に動きを止めることはなかったのは流石というべきだろう。キャスターの双眸はしっかりと黒衣の男を捉えて離さなかった。

「英霊を舐めるな、魔術師」

 キャスターは黄金の剣で妖刀を受け止めると、がら空きの脇腹に蹴りを入れる。

「フゥ!」

 男はキャスターの蹴りを自分の足の裏で受けると、蹴りの勢いを逆に利用して後方へ飛んだ。
 蒼い騎士と黒衣の男が互いの得物を構え対峙する。

「サーヴァントと互角に戦うマスターなど、イレギュラーもいいところだな。どうなっているんだか……」

 苛々しながらキャスターが吐き捨てる。
 冥馬も璃正も全面的に同意見だった。冥馬たちもそれなりに肉体は鍛え上げているが、あくまでそれは人間の範疇であって黒衣の男のように英霊とガチで斬り合えるほどのものではない。
 だが黒衣の男はキャスターの発言に不満があったらしい。

「おいキャスター」

 低く怒気すら滲ませた声で男が言う。

「マスターじゃサーヴァントに勝てない? 誰が決めた? いつ決めた? お前等サーヴァントは死んで『英霊の座』へ行き英霊になった。俺は死ねば靖国へ逝き英霊になる。
 お前等と俺の違いなんて、今を生きてるか、とっくの昔に死んでるかだけだろう」

「――――!」
 
 黒衣の男は憚ることなく己を英霊と比肩しうる人間だと、未来に英霊となる人間であると言う。
 大言壮語だと嘲笑うことなど出来はしなかった。数多の人々の怨嗟を糧とした妖刀を振るい、古の騎士と互角以上に切り結ぶその姿は――――現代に蘇った〝英雄〟そのものだ。
 例えこの男が死した後に『英霊の座』に招かれたとしても、冥馬は不思議には感じないだろう。

「お前の言う通りだな……。お前がなんであろうと関係ない。一つ言えることはお前は聖杯戦争のマスターで、俺がサーヴァントだということだ」

 そして敵マスターとはサーヴァントにとって撃ち滅ぼすべきものに過ぎない。
 キャスターは刃を黒衣の男へと真っ直ぐ向けた。

「敵を前にして俺のやることは一つだけ。切り伏せることのみ。お前はここで消えろ」

「気が合うな……おめぇ。俺も同じ意見だ。おめぇがどこの国のどの英雄かは知らん。知らん……が、日本の敵は一人残らずそっ首切り落とす」

「良く吠えた魔術師。逆にお前の首を切り落として晒し者にしてやる」

 全く同程度の殺意をぶつけ合いながら、キャスターと黒衣の男は互いの隙を伺う。
 けれどこの時、冥馬と璃正……もしかしたら敵である黒衣の男すら失念していた。黒衣の男は確かにサーヴァント並みの強さをもっているが、マスターであることには変わりない。マスターである以上、召喚したサーヴァントは他にいるのだ。

「……これは!?」

 冥馬は肌を突き刺すような冷たい気配を感じて振り返る。
 黒衣の男の反対側。丁度逃げ道を塞ぐように一人の女が立っていた。
 女が微笑を浮かべる。ゾクリと冥馬の背中に悪寒が奔った。

――――その女は冷たかった。

 笑みが冷たいだとか、表情が冷たいとか、そういった次元ではない。女の存在そのものが凍てつくほど冷たかった。
 白雪を布に塗り込んで作り上げたような白い着物。極小の結晶を散りばめたような青白い長髪は、冷たい風に煽られれ水面のように揺れている。着物の胸元は開いており、生唾を呑み込むほど扇情的な色気を醸し出していた。
 なによりも内包している魔力が途方もない。
 こんな魂を凍てつかせるような冷徹な魔力を振り撒く女がただの人間であるはずがない。彼女は英霊だ。状況からして黒衣の男の召喚したサーヴァントに間違いないだろう。

「相馬戎次少尉殿ぉ~。私が来る前におっ始めちゃうなんて冷たいじゃない」

 雰囲気とは反した熱の籠った目で女は黒衣の男――――戎次に声を投げた。

「あ? 仕方ねぇだろ。ライダー、ゼロ戦が墜とされっちまったから、取り敢えず急いでこっち来たんだ。っていうかお前こそなんでこんな遅ぇんだ?」

「私はね、ほら。この辺りの土地勘ないじゃない、戎次と違って。特にこの辺り道が曲がりくねってて」

「なんだ。迷ったのか?」

「有体にいえば」

 聖杯戦争中とは思えないほど軽いやり取りをする二人。
 お陰で様々なことが分かった。一時は冥馬たちを追い詰めたゼロ戦のパイロットはそこの相馬戎次なる男で階級は少尉、白い着物の女はライダーのサーヴァントだ。 
 ライダーとはその名の通り騎乗兵である。白兵戦において三騎士に劣る分、強力な『宝具』に特化したクラスだ。そして三騎士ほどではないがクラス別技能として対魔力を備えている。
 魔術に秀でたキャスターとの相性は宜しくはない。

「……ま、いっか。んじゃ大尉の命令だ。こいつらのそっ首切り落とす。あと……アレを獲るぞ、アレ!」

「聖杯だよ聖杯。ひらがなでたった四文字なんだから覚えなさい」

 逆方向から戎次とライダー、二人がにじり寄ってくる。その雰囲気は決闘に赴く騎士というよりも、獲物を罠にかけた狩人のようだった。
 事実その通りである。
 相手がライダーのサーヴァントだけなら、冥馬たちはそこまで追い詰められてなどいなかった。
 だが『相馬戎次』。この男の存在がなにもかもを狂わせてしまっている。
 戎次がサーヴァント並みの強さをもっているのは嘘や冗談のようだが真実だ。つまり信じたくない事に、相手には二騎のサーヴァントがいるのと殆ど同じなのである。
 キャスターはアーサー王だけあって強力なサーヴァントなのだろう。だがこれまでのキャスターの戦いぶりを見る限り、二体のサーヴァントを同時に相手できるほどぶっ飛んだ強さはもっていない。
 それは冥馬も同じ。本来であればサーヴァントの相手はサーヴァントが、マスターの相手はマスターがするべきだ。
 しかし相馬戎次、あれを相手にするのは冥馬には出来ない。あれほどの剣技と妖刀をもつ男などと真正面から戦闘すれば、一分足らずで冥馬の首は胴体から離れることになるだろう。
 冥馬が一分間全力で戎次を抑え、その間にキャスターがライダーを倒す――――というアイディアが浮かぶが即座に却下する。
 ライダーはまだまったく自分の能力を晒していない。そんな相手をキャスターなら一分間で倒せると過信するほど冥馬も馬鹿ではなかった。
 だとすれば、

「Verbrennung!」

 例え無茶だとしても冥馬がライダーを抑えるしかない。勿論サーヴァント相手に時間稼ぎなど正気の沙汰ではないが、危険でもやらねば死ぬだけだ。冥馬が死ぬ気でライダーを抑えて漸く条件は互角となる。
 炎の魔術がライダーに向かっていった。

「ふふっ」

 ライダーは冥馬の魔術を前にしてもなにもしない。だらん、と両手を下げたままだ。
 炎がライダーに命中する。命中する、が……ライダーには何の効果もない。

「なぁにこのチンケな炎。こんな炎じゃ私を燃え上がらせることは出来ないねぇ」

 対魔力スキルによる魔術の無効化。冥馬の炎はライダーにまったくダメージを与えることが出来なかった。
 ライダーがつまらなそうに鼻を鳴らすと、全身から冷気を発して炎を消し去る。

「お返しにチンケな炎なんて出せなくなる本物の『冷たさ』を教えてあげる」

「ぐっ……!」

 ライダーが手を翳すと一瞬で全身が凍結するほどの冷気が発せられた。
 冥馬の炎だけではあの冷気に対抗することはできない。冥馬は懐からルビーを取り出すと、その魔力を自分の魔力に合わせた。

「Verbrennung!」

 宝石を費やしてのランクAに届く炎、それで漸くライダーが通常攻撃として放つ冷気と互角だった。
 炎と冷気がぶつかり合い、真下の地面を凍らせ、その凍った地面を更に燃やす。

「ふふふふふふふふっ。聖杯を生み出す御三家だけあって気張った炎も出せるじゃない」

 ライダーが冥馬の魔術を見て賞賛するが、それに喜んでいる余裕などはなかった。
 宝石で上乗せした分の魔力が尽きる。それと同時に拮抗状態も終わった。ライダーの冷気が完全に炎を上回り迫ってくる。

「冥馬!」

 キャスターが冥馬の援護に向かおうとするが、

「――――おめぇの相手は、俺だ」

 戎次がそれを許さないとばかりに、キャスターへ猛攻をかけてくる。

「チッ。邪魔な……!」

 キャスターは戎次の相手をしていて動けない。もしも無理にキャスターが冥馬の援護に回ろうと背を向ければ、戎次の刀はキャスターの首を容赦なく切断するだろう。
 それが分かるから冥馬もキャスターに「助けろ」という命令を出さない。今の冥馬に出来るのは全身全霊でライダーを相手にすることだけだ。

「まだ……まだ!」

 冷気が冥馬に到達するよりも早く、もう一つの宝石を取り出して火力を上げる。
 再び炎と冷気が拮抗状態へ突入した。だが〝拮抗〟とは程遠い展開に冥馬は歯噛みする。

(このままじゃ――――負ける!)

 恐怖でも絶望でもなく、冷静な判断のもと遠坂冥馬は自分たちが敗北するであろうことを悟る。
 キャスターは戎次の相手をしていて動けず、冥馬はライダーと拮抗する為だけに宝石を使い潰すことを強いられ、璃正は霊体であるライダーやサーヴァント級の強さをもつ戎次相手に抗う術はない。
 故に敗北は必定だ。勝ち目は皆無に近い。もしも現状を維持すれば、だが。

(これを引っ繰り返すには現状を打開する作戦が必要だ)
 
 財政的にも戦力的にも宝石に余裕があるうちに、逆転の秘策を思いつかなければならない。冥馬は嘗てない勢いで頭脳を回転させた。
 現状を維持するのは論外として、戦う相手をキャスターと交換するというのも難しい。
 相手が吸血鬼だろうと、それに類する化物でも冥馬はそうそう負けない自信はあるが……流石にアレの相手は不可能だ。
 なにせキャスターの魔術をぶった切るなんて妖刀を振るう相手である。宝石魔術をぶちかましたところで宝石ごと両断されかねない。
 宝石の魔力を全て身体能力のブーストに用いれば、ある程度は戦える自信はある。だがそれは所詮戦えるというだけで倒せるというわけではない。宝石の魔力が切れれば身体能力のブーストもなくなり、やはり両断されるだけだ。

(令呪を使う……?)

 三画の絶対命令権はサーヴァントを律するだけではなく、ブーストするにも効果的だ。
 例えば令呪でキャスターに『自分達を連れて逃げろ』と命じれば、包囲を突破して逃げられるかもしれない。
 これは中々現実的な作戦に思えた。戦っても勝てず負けたくないのなら、降参するか逃げるかするしかない。
 だが結局のところ可能性があるというだけでこれは一種の『賭け』だ。賭けに失敗すれば、令呪を一つ捨てることとなる。
 冥馬には令呪を使う以外にもう一つ案があったが……やはりこれも『賭け』の範疇を出るものではない。しかも下手すれば聖杯戦争がその場で崩壊しかねないほど危険なギャンブルだ。

「どうせ両方賭けなら」

 成功して旨味がある方を選ぶのが良い。
 そう決断した冥馬は炎で壁を生み出してから、一目散に璃正のところへ向かう。いきなり自分のところに向かってきた冥馬に璃正は目を剥いて驚愕した。

「く、冥馬!?」

「すまん。これを借りる!」

 驚いている璃正に構わず、冥馬は璃正が持っていたあるものを拝借した。
 そのままの勢いで冥馬はキャスターと戎次のところへ全速力で走る。背後で璃正がなにか言っていたが黙殺した。

「どけ、キャスター! 俺がそいつと戦う……!」

「馬鹿な! なにを狂ったことをしている冥馬、無駄死にするつもりか!」

「うおおおおおお!」

 キャスターの警告すら無視して、冥馬は戎次の前に立つ。
 一瞬面食らっていた戎次だが、サーヴァントより弱いマスターが己の前に立ったことに喜びを露わにした。

「お前の方から出てくるたぁ、嬉しい誤算だ。だが話が早ぇ。その首級、頂く!」

 風を切る速度で妖刀が冥馬の首級目掛けて振り落される。防ぎはしない、魔術も使わなかった。
 どうせ相馬戎次の妖刀の前に冥馬の魔術など気休めにしかならないのである。無駄な消費は魔術師として恥ずべきことだ。
 冥馬は真っ直ぐに敵を見据え、璃正から拝借したソレを前へ突き出した。そして、

「〝これは聖杯だ〟」

「!?」

 冥馬の告げた一言が戎次の耳に届く。
 瞬間、風を切る速度で振り落された刃は、大岩を動かす剛力によって引き留められた。ピタリと、聖杯の入ったケースに触れるか触れないかというところで刀が停止する。それは相馬戎次にとって致命的な隙となった。
 作戦会議もなければ会話もなかったが、キャスターは雷光の如き速度で冥馬の作戦を認識する。

「そこだぁあああ!!」

 キャスターの斬撃が戎次を襲う。普段の戎次なら躱せば一撃も、聖杯の前に刃を寸止めして隙を晒した戎次では回避不能のものだった。
 
「がっ、はっ……っ!」

 それでも戎次は自分で自分に魔術をかけて体を一時的に浮遊させつつ、更に全力で身をよじることで致命傷だけは防いでいた。だが肩から脇腹までが斬られており、しかも剣には炎が纏っていたので傷口からは火が上がっていた。
 戎次は吐血しつつも御札のようなものを傷口に押し当て消化する。けれど傷の方が消えることはなかった。

「はぁはぁ――――油断した。だがこんなもんまだまだよ。俺は生きてる。戦えるぞ。え? 魔術師!」

 常人なら気絶しても不思議ではないほどの重症。でありながら戎次の目から闘志はまったく消えていない。寧ろ傷を負いより燃え上がっていた。手負いの獣は獰猛というが、それは人間にも当て嵌まるらしい。
 戎次が今にも燃え上がる闘志を解放しようとする。だがその燃え滾る闘志を冷やすような声が頭上より降りかかった。

「――――そこまでよ」

 重症を負いながら尚も戦いを続行しようとした戎次を、空中を浮遊しふわりと戎次の隣りに降り立ったライダーが制止する。

「傷を負っても魔力さえ治れば直ぐに回復できる私と違って、貴方は一応カテゴリー的には人間でしょう? そんな血を垂れ流したまま戦ってたら死ぬよ」

「死ぬのは恐くねぇ。こんな傷なんざ屁でもねぇよ。……と言いてぇが、戦えてもこんな傷じゃあいつら倒せねぇかもな。逆に殺されるかもしれねぇ。分かった。退却すんぞライダー」

「はいはい。仰せのままに御主人。というわけだ、見逃すのは口惜しいけど退散させて貰うよ」

「………………」

 待て、と叫ぶことはできなかった。冥馬のセコイ作戦で戎次に重傷を負わせたとはいえ、消耗しているのはこちらも同じ。追撃をかければ返り討ちにあう可能性も高い。
 忘れてはならない。聖杯戦争はバトルロワイアルなのだ。
 もしここでライダーと戎次を倒す事が出来ても、万が一直ぐにナチスあたりが襲い掛かって来れば冥馬もキャスターも終わりだ。
 故にここは追わない、という選択肢を選ぶ。
 雪風がライダーと戎次の周囲を舞っていく。

「遠坂冥馬、キャスター。お前等の顔は覚えた」

 雪風の中、戎次は爛々と光る双眸で冥馬たちを睨む。

「首ィ洗って待ってろや」

 殺意に満ちながらも邪気のない笑みを浮かべた戎次は、そう言い残して雪風と共に宙へと消えていった。
 息を吐き出す。
 今回も紙一重だったが、どうにか生き延びることが出来たらしい。
 この分では遠坂の家訓たる『余裕をもって優雅たれ』を聖杯戦争で実践できるのはいつになることやら。
 前回といい今回といいまるで優雅さも余裕もありはしない。

「冥馬!」

「おお璃正。お互い壮健でなにより」

「なにより、じゃない!」

 物凄い勢いで詰め寄って来た璃正が、がしっと冥馬の肩を掴む。

「私から聖杯を奪うのみならず、聖杯を盾にするというのはどういうことだ!」

「はははははは。ま、別にいいじゃないか。結果オーライだったんだし」

「結果が良ければなんでも許されるわけじゃない。……やはり魔術師と私とは相いれないようだな。大体戎次が刀を止めたからいいものの、もしも止めていなければ今頃聖杯も君も真っ二つだったんだぞ。そうなれば聖杯戦争とて継続不能だ」

「そうなったら俺も死んでいるわけだから、聖杯戦争が続行出来ようと出来なかろうと遠坂的には関係ないというか……」

「ええぃ! それが本音か! 御三家なら少しは他の参加者のことを考えたらどうだね。それと私の管理下である『聖杯』を自らの作戦のために利用するなど、私でなければ協定違反と言って共闘も終わっていたところだぞ」

「ほほう。私でなければ、ということは今後も共闘関係は継続してくれるということで良いのかな?」

「む」

 思わぬ反撃に璃正の手が緩まる。その隙に冥馬は身体を捻り、璃正の手から逃れた。
 璃正がその態度にまた怒り心頭となり説教攻勢を仕掛けようとするが、

「そこまででいいだろう」

 キャスターが割って入って止める。

「この馬鹿マスターの猿知恵作戦に文句があるのは俺も同じだが、結果を出してしまっている以上は百の文句も説得力に欠ける。なにより冥馬のとった行動は馬鹿ではあったが愚かではなかった……。
 それよりも急ぐぞ。頭からっぽの馬鹿どものように戦いが終わった事で浮かれるよりも、先ずはここから離れるべきだ。騒ぎを聞きつけたナチス共ともう一戦したいなら無理にとは言わないが」

「そうだな。璃正、話は後だ。キャスターの言う通りいつまでもここにいれば、ナチスとランサーが漁夫の利を狙ってくるかもしれない」

「……うむ。致し方ないな」

 冥馬と璃正、年甲斐もなく学生のようなやり取りをした二人だったが、その精神は愚かなものではない。優先順位を測り違うことはなかった。
 キャスターの進言に従い、二人は急いで退散する。

「キャスター、なんで兵士を担いでるんだ?」

 走りながら何故か気絶していた兵士を担いでいるキャスターに尋ねる。

「襲ってきた連中の情報がこいつの頭の中に入っているだろう。拷問で口を割らない可能性もあるが、俺もキャスターの端くれ。頭の中にある情報を無理矢理に引き出す術は熟知している」

 キャスターの発言は物騒であったが、そういうことならばと頷く。
 冥馬はこの戦いで二個もの宝石を使ってしまった。情報の一つや二つ引き出さなければ採算がとれない。なにより今は情報が一つでも多く欲しい。
 キャスターに倣ってというわけでもないが、冥馬は地面に落ちていたお札を拾う。きっと戎次の使用していたものだろう。日本の呪術師が使うお札と類似していたが、そこに記されていたのは、なんともちぐはぐなことにルーン魔術に使用されるようなルーンだった。しかし時計塔で見たルーンとは微妙に違うような気もする。

(ルーンを専攻しておいて正解だったな)

 これも貴重な情報源である。後で調べてみれば分かることもあるだろう。

「行こう!」

 そして今度こそ冥馬たちは人払いの施された空間を離れた。
 激戦を思わせる大量の薬莢と破壊された町並みだけが後に残される。



[38533] 第11話  髑髏と太陽
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:49
 キャスターの懸念はある意味において正しかったといえるだろう。
 彼が警戒したナチスは――――確かに遥かな遠方から帝国陸軍と冥馬たちの戦いを眺めていたのだから。
 尤も懸念は完全に正しかった訳ではない。少なくとも現状で『ナチス』とナチスの援助を借りているマスターたるダーニックは、ライダーとの戦いを終えたキャスターたちに仕掛けるつもりはなかった。
 否、出来なくなったが正しいか。

「……凄まじい。あれは本当にマスターなのか」

 畏怖すら滲ませて、ダーニックは呟く。心なしか唇は僅かに震えていた。
 ロディウスよりの情報で『相馬戎次』という男が戦闘に特化した魔術使いで、油断ならぬ強敵だというのは承知していた。だから相馬戎次が強いだけならダーニックとて驚きはしない。ダーニックに誤算があるとすれば、想像を遥かに超えるほど相馬戎次が強かったことだろう。
 時計塔でロードと呼ばれる者達や、大魔術師と呼ばれる連中もあそこまで出鱈目ではない。
 魔術師として魔術の腕ならばダーニックも自信はあるが、戦闘という分野で相馬戎次と戦い勝利する未来を描くことはまるで出来なかった。
 客観的に彼我の戦力差を考察すればもって三十秒。三十秒たらずでダーニックは敗北し絶命する。この時間は縮むことはあれど伸びることはあるまい。
 魔術をも切る妖刀を振るい、サーヴァント並みの戦闘力で襲い掛かる戎次は魔術師からすれば悪夢の具現とすらいえた。

「はははははははははははは。世界は広いな、ダーニック。私もサイボーグだとか吸血鬼だとか、それなりに出鱈目な者を知っていたが、よもや己の肉体をあそこまで極限に鍛え抜いた現代人がいるとはねぇ!
 いやはや彼をもはや人間とは言えまい。彼は英雄だ、掛け値なしに英雄だ。なんというチート。帝国陸軍は英雄を二体擁しているぞ」

「笑い事ではありません、大佐」

 想定外なのはダーニックだけではなく、総統の命令でここ日本に軍隊を引き連れてきているロディウスとて同じはずだ。
 だというのにロディウスには本当に状況を理解しているのか、と二三時間ほど問い詰めたくなる程に気楽な態度を崩さない。
 その様には呆れや怒りを通り越してある種の尊敬すら抱いてしまう。

「同盟国ということで、日本の言葉をちょちょいと勉強したのだが……この国の諺には笑う門には福来たるというものがあるらしい。相手が二体の英雄なら、こちらはせめて幸運くらい味方につけておかなければ」

「味方につけられるのは幸運だけではないでしょう」

「というと?」

「相馬戎次とライダーは難敵、それに帝国陸軍の補助もあれば単独で撃破するのはほぼ不可能です。しかし飛び抜けて強い勢力が必ずしも覇権を手にするとは限らない」

 別に斬新なアイディアなどではない。大昔から西洋問わず多くの国でとられてきた戦略だ。
 飛び抜けて強い勢力があるのならば、なにも単独で戦う必要などない。例え単独では倒せない相手でも多対一であればそうではない。古来より小国同士が連合し大国を打倒した例は多くある。聖杯戦争でもそれは当て嵌まる。即ち他マスターとの『同盟』だ。
 勿論相手が魔術師である以上、同盟を結ぶのも簡単なことではないだろう。だが交渉や政治はダーニックの得意分野だ。それに調略の対象は必ずしもマスターのみとは限らない。
 
「同盟、共闘……。一応彼等は我が国の愛しい同盟国なんだけどねぇ。ま、これはこれから起こるだろう『第二次』じゃなく『第三次聖杯戦争』だ。
 髑髏の帝国に味方する太陽は、今は我々に敵対するマスターに過ぎない。どこぞの海賊じゃないが、太陽は堕とさせて貰わなければね」

 ぎらぎらとロディウスの双眸は妖しい光を灯していた。
 帝国陸軍のマスターがあれほど怪物染みた強さをもっていたのは想定外だが、だからといってナチスの優位が崩れたわけではない。
 帝国陸軍は軍隊と地の利はあるかもしれないが、ナチスには帝国陸軍を超える『叡智』がある。
 ランサーだけではない。ロディウスが擁しているナチスの科学力が生み出した結晶を用いれば、相馬戎次をサーヴァント無しで倒すことも可能だろう。

(もっとも今はまだその時じゃない)

 切り札を早々に出すなど愚の骨頂だ。
 ダーニックから言えば、相馬戎次の戦闘力は脅威であるが、彼のとった行動は愚かともいえる。
 なにせあれほどの力だ。来たるべき時まで温存し、ここぞという場面で投入すれば敵の戦力はサーヴァントだけと高をくくっている相手に痛烈なカウンターを見舞うことができるだろう。相馬戎次は序盤に戦線に出すエースではなく、終盤にこそ投入するべきジョーカーなのだ。尤も相馬戎次が早々に行動に出たのにも理由があるのだが。
 ダーニックとナチスは帝国陸軍と同じ轍は踏まない。
 ナチスが切り札を出すのは最後でいい。第一最大の『切り札』はまだ完成すらしてないのだ。これでは戦線に投入することもできない。

「問題はどこを彼等にぶつけるかだが、当てはあるのかな?」

 ロディウスの問いに、ダーニックはナチスの報告書により知った参加者のリストを思い起こしながら口を開く。 

「マスター・サーヴァント共に優秀な遠坂冥馬を当て、双方の疲労を狙うのがベストですが、彼等は我々ナチスの方にこそ遺恨があり、思うが儘に操るのは難しいと言う他ありません。
 アインツベルンは十世紀もの間、純血を保ち続けた錬金の大家。これもまた組み難い。そうなると必然的に――――」

「フィンランドから参戦してくるらしいエーデルフェルト家の若き当主たちか、間桐家の間桐狩麻か……もしくはまだ見ぬ七人目の参加者ということになるね」

「はい」

 帝国陸軍への当て馬にするにも、選別は慎重にしなければならない。
 下手な相手を使えば、帝国陸軍と組んで逆にこちらに噛みついてくるかもしれないし、弱すぎる相手では大した損害を与えられずに終わってしまう。

「しかし相馬戎次とライダーは早々に消してしまうには勿体ない。帝国陸軍と彼等には冬木でもっと暴れて貰わなければ……。彼等を消すのはその後です」

「ま、使える駒は使い潰さなければね。ただの駒に成り下がってくれるほどに甘い相手じゃなさそうだが。帝国陸軍を率いている少佐はさておき、相馬戎次はね」

「ええ。しかし七人の英霊を招くという戦いから、何か予期せぬことが起こることは想像していたが。まさかこれほどとは思いませんでした」

 ダーニックは肩を落とす。
 本当なら帝国陸軍と冥馬の戦いの後、疲労した方に襲い掛かり刈り取る算段だった。だがもしもここで冥馬に襲い掛かっていれば、帝国陸軍が反転してきて背後からナチスを襲う可能性もある。 
 ダーニックには帝国陸軍内部にも協力者がいるため、ある程度の動きを操作はできるのだが、あの鉄砲玉のような戎次をコントロールすることは難しいと言わざるを得ない。

「それに大佐。相馬戎次にばかり目をとられていましたが、そのサーヴァントであるライダーも脅威的です。空を自由に舞い、冷気などを自在に操る……。ライダーは騎乗兵のクラスですが、あのライダーはどうにも普通の英霊とは違う存在に見えます」

 白い着物を纏った水晶の髪をもつ女性。見た目のイメージでしかないが、ダーニックにはあのライダーがなにか乗り物を乗り回すような英霊には思えなかった。
 そして一番目を見張るべきは冥馬のランクAに迫る炎の魔術と拮抗した冷気。一見すると『魔術』に見えるが、あれは魔術とは似て非なるものだ。ランサーの対魔力もアレには役立たずだろう。

「ああ。確かにあれは凄まじい胸囲という他ないね」

「ええ。脅威です。本来はサーヴァントが前へ出て、マスターがそれを援護するものですが、あの主従に限ってはその立場が逆転している。早くその真名を確認するべきでしょう」

「やはり開いた胸元が何とも言えない。あそこまで露骨に誘われると、こっちも服なんて脱ぎ捨ててダイブしたくなる。本当にけしからん胸囲だ!」

「そうです……実にけしからん――――って、ふざけないで頂きたい!」

 時計塔の政治闘争などを経た甲斐あって、ダーニックの沸点は非常に高い位置にある。
 相手が自分の大切な協力者であり、優秀な魔術師だからこそ、どれだけロディウスがふざけた言動してもダーニックは我慢していたが流石にもう限界だった。
 
「怒るな怒るな。そんなに怒ると将来禿るぞ」

「怒らせているのは貴方でしょう! 大佐……貴方がこうして私の要請に応えて頂いた事には感謝していますが、聖杯戦争はもう始まっているのです。少しは真面目に振る舞って頂きたい」
 
 今頃サーヴァントとしての責務など忘れて遊廓で遊びほうけているランサーといい、真面目に聖杯戦争について調べていると思ったらエロ本を読んでいるロディウスといい、ダーニックの周囲には俗物ばかりだ。第三次聖杯戦争が始まってからというもののダーニックの胃が痛くなった数は七度を超える。

「私は真面目だよ。仕事だけは」

「仕事の真面目さを態度の不真面目で台無しにしないで貰いたいものです」

「ははははは。仕方ないじゃないかダーニック。実は私……十年間もご無沙汰でね。あとついでにKIMONOには並々ならぬ愛着をもっている男だ。
 そんな私があんな着物美人、しかも胸元はだけモードを目にして股間をモッコリさせるのを抑えられるわけないじゃないか」

「大佐。せめてオブラートに包んで下さい」

「包む? 私のナニは剥けてるぞ」

 ふと令呪を使いランサーを召喚して、隣にいるこの変態軍人魔術師を刺し殺させたい衝動にかられる。
 だがその湧き上がる殺意をダーニックは必死に抑え込み、表情に出さずに呑み込んだ。もしもダーニックに時計塔で屈辱的な噂で苦渋を舐めた経験がなければ、確実に羅刹の如き怒りが浮かんでいただろう。

「おっと。こうしてはいられない。湧き上がるこのなんともいえない感を封印して賢者となるため、私はこれからトイレに籠る! 後は任せたよ、ダーニック」

 前かがみになりながら、ダーニックがトイレに突進していく。

「…………はぁ」

 もはや溜息しかないとはこのことだ。
 協力を持ち掛ける相手を間違えただろうか、とダーニックはこれまでの自分の行動を振り返る。
 しかし何度繰り返しシミュレーションしても、ダーニックはナチスドイツ――――ロディウス・ファーレンブルクに助力を請うのがベストかつ、最も勝算をあげる選択だったという結果に行きついてしまう。

(これで彼が能無しであれば、とっくに切り捨てられているのだがな)

 ロディウス・ファーレンブルクは確かに性格や言動はアレである。だが実に腹立たしいことに能力そのものは極めて優秀だ。
 能力、というのはなにも魔術のことだけではない。
 政治・統制・根回し・人脈・人心掌握……そういったことが彼は実に巧い。同盟国である日本に、これだけの数の兵士を送り込めたのはダーニックの政治力によるところが大きいが、ロディウスの力がなければここまでの規模の兵力は流石に難しかっただろう。
 もし万が一ここでロディウスが死んだりすれば、聖杯戦争に派遣されたナチスは瓦解してしまう。そうなればダーニックも終わりだ。
 ダーニックが勝利するためにもロディウスには生きていて貰わなければならなかった。

「それに、ああいったタイプは新鮮でもある」

 政治闘争ばかりしてきたダーニックからすれば、自分の感情……というよりは劣情を恥ずかしげもなくぶちかますロディウスは未知の存在だ。
 ダーニックの人生は聖杯戦争で終わるのではない。寧ろ聖杯戦争は自分の悲願を成就させる第一歩、通過点に過ぎないのだ。そして己の悲願のために動こうとすれば、必然的に人と関わり政治をする機会も今以上に多くなるだろう。
 その時の為にロディウスのような変わり種と交流しておくのも悪くはない。ダーニックはワイングラスに街並みを映しながら、邪気のない笑みを浮かべた。



 相馬戎次の奮迅は遠坂冥馬のみならず戦いを遠方より監視していたナチスにまで鮮烈なインパクトを与えた。
 帝国陸軍が必勝を期して用意した最強のマスターが伊達ではないことは、遠坂・ナチス双方が認識しただろう。
 しかし一方で相馬戎次本人の顔は優れなかった。口元は真一文に結ばれ、眉間には皴が寄っている。
 その理由は戎次の負った傷にあった。キャスターとの戦いで、キャスターの黄金の剣に受けた傷は幸いそこまで深くはなく命に別状はなかった。
 これならば自分の治癒魔術で直ぐに全快できる。そう思っていた戎次は身を以て聖杯戦争の恐ろしさを知ることとなった。

「まさか切られた傷が回復しないなんてねぇ。あの黄金の剣からして真名はアーサー王で間違いないんだろうけど、聖剣に治癒不可の呪いがあるなんて聞かないし。どうしたんだろうね」

 自分のマスターが負傷しているというのに、戎次のサーヴァントであるライダーといえばまるで動じた風もなかった。
 ライダーはサーヴァント戦の直後だというのに、戎次の金を勝手に使って買ってきたかき氷などをパクパクと食べている。
 この寒い季節にかき氷など季節外れも良いところだが、ライダーによれば「あんまり縁のないものだから食べたくなった」とのことらしい。

「治癒不可じゃない。治癒阻害だ。治癒魔術はしっかり効いてる。ただ効き目が薄まってるだけだ」

 こうして話しながらも傷口には治癒の〝ルーン〟らしきものが刻まれた〝札〟が張り付けられており、魔術回路が肉体を治癒すべく全力で稼働している。
 だが傷の治癒は非常に遅々たる速度で、なんらかの異常によって治癒魔術の効力が阻害されているのは明白だった。
 もっとも完全な治癒不可ではなく治癒阻害であったのは不幸中の幸いだろう。不可であればどれだけ手を尽くそうと回復不可能であるが、阻害であれば手を尽くせば回復可能なのだから。
 戎次には今日一日は無理だが、四日もあれば傷を完治させる自信があった。

「どっちにせよ面倒な呪いにかかっちゃったわねぇ」

「こんな傷、銀シャリ食やぁ治る」

「いや治らないでしょ。そんな簡単に傷が治ったら病院には薬じゃなくてお米が並んでるよ」

 かき氷を口に運びながら呆れたようにライダーが言う。
 医食同源という四文字熟語の通り食事とは病気を予防するのに有効なものであるが、だからといって食べるだけでそう簡単に怪我が治ったりはしない。

「ねぇ。戎次、アンタも一応は魔術師の端くれでしょう。アーサー王の聖剣が治癒を阻害する呪いを孕んでた、なんて伝承あったっけ? 私は知らないんだけど」

「俺も知らん! 俺ぁ他の国の伝承とかあんま知らねえからな」

「……………私が言うのもなんだけど、魔術師としていいのそれで?」

 相馬戎次の生家たる『相馬家』はかなり特殊な家だ。
 日本に拠点を置きながら西洋魔術を身に刻んできた家は探せばそれなりの数が存在している。御三家の一角たる遠坂家などその最たるものである。
 しかし幾ら日本に拠点があるといっても彼等は正道な魔術師であることに変わりはなく、魔術の総本山たる時計塔側に属する者だ。そうでなくても時計塔にもどこにも所属しない者である。西洋魔術を身に刻みながら、帝国陸軍に属する魔術師などいはしない。唯一人『相馬家』を除けば。

「うちは魔術師になるために魔術を刻んできたんじゃない。魔術を知ることがこの日本の役に立つと信じたから歴史の影で魔術っつうもんを鍛えてきた。
 良く分からんが時計塔とかいうとこに所属するような魔術師は『根源』ってやつを目指すらしい。だが俺の魔術は日本を守るためのもんだ。『根源』なんぞ知らん。
 だからまぁ他の魔術師なら知ってるようなことも俺は知らんのだ」

「はぁ。頼り甲斐があるんだかないんだか分からないマスターだことで」

「じゃかしい! 俺は頭ァ使うのは良く分からん。お前こそサーヴァントなら他の英雄の知識あるんじゃねえのか?」

 英霊の座は通常の時間軸から外れた『世界の外』にある。
 故に例え相手のサーヴァントが自分より後の時代、または生前知りもしなかったような英雄でもその名を知っているし、一通りの知識を持っているのだ。
 ライダーとて同じ。
 やや特殊なサーヴァントであるライダーだが紛れもない〝英霊〟であることは疑いようはない。ならばアーサー王についても、西洋の伝承には無知の戎次よりも遥かに良く知っているはずだ。

「私が心当たりがないから戎次に尋ねたのに、私が知ってるわけないだろう。〝英霊〟としての私が知る限り、アーサー王にもその聖剣にも回復阻害の呪いを与えるなんて力はないよ」

「そうか。だが俺の傷はこの通りだぞ」

「もしかしたら伝承に記されてない能力でもあるんじゃないの?」

 素っ気ない返答だったが、有り得ない話ではない。
 戎次とてアーサー王伝説を読んだことはないが、アーサー王が『騎士王』と呼ばれる英雄であることくらいは知識として知っている。
 その騎士王があろうことかセイバーでもランサーでもなく、一番有り得ない魔術師のクラスで召喚された。伝承におけるアーサー王と、現実に召喚されたアーサー王に違いがあるというのは的を射た意見だ。
 問題となるのは果たして『治癒阻害』がキャスターの〝魔術〟によるものなのか、それとも。

「聖杯戦争の初陣見事な働きぶりだった――――と、言いたいが少尉も無傷で済まなかったようだな」

 軍服を隙なく着込んだ男が戎次の前に立つ。
 今回の聖杯戦争において前線指揮官を任されている木嶋少佐だ。
 兵士達への指示を一先ず出し終え、負傷した戎次の様子を見に来たのだろう。
 聖杯戦争に派遣された陸軍の前線指揮官ということは、彼は戎次にとって直接の上官といっても良い存在である。

「失礼しました。少佐」

 上官に非礼があってはいけない。戎次は立ち上がり敬礼しようとしたが、木嶋少佐はそれを手で制した。

「構わんさ。キャスターとの戦いで傷を負っているのだろう。君はマスターとしても我が軍の戦力としても貴重な存在だ。無理はするな」

「……はっ」

 上官にそう言われては戎次も従うしかない。上げかけて腰を再び下ろす。だが視線だけは真っ直ぐに上官へ向けた。
 相馬戎次は戦場においては猛獣が如き形相で敵を屠るが、決して社会秩序を弁えぬ野獣ではない。例え聖杯戦争の『マスター』が自分であろうと、上官への礼節を失いはしなかった。

「どうだ少尉。聖杯戦争は……サーヴァントは強かったか?」

「膂力が人間と比べものにならないほど強かった。魔術の腕でもあっちがたぶん上です。しかしキャスターの剣の癖は覚えました。次は獲ります」

「頼もしいな。流石は陸軍が誇る対化物・対魔術師の鬼札だ」

 無感情な瞳で木嶋少佐が微笑む。そこになんとなく嫌なものを感じたが、相手が上官であるため口に出すことはしなかった。

「それでは養生しろよ。兵士と違って、君は替えが効かないのだから」

「……………はっ」

 木嶋少佐はそれだけ言うと去っていった。
 この戦いでの消耗は少なくはない。兵士のみならずゼロ戦まで失ったのだ。前線指揮官である少佐は本部に色々と報告しなければならないことがあるだろう。

「なんだかやる気のない男だね。あんなんじゃ敵が雪だるまでも溶かせはしないよ」

 ライダーが木嶋少佐を嘲るような言葉を発する。
 上官への不躾な発言だったが戎次は咎めるようなことはしなかった。心の中ではライダーに同意していたというのもあるが、それ以上に木嶋少佐は戎次の上官であってライダーの上官ではない。ライダーが従うのは自分のマスターだけ。召喚された当日にライダーが言ったことだ。
 故に戎次には兎も角、ライダーが木嶋少佐に畏まる必要はないのである。もっともマスターである戎次相手にも畏まっているとはとても言えない態度だが。
 
「木嶋少佐は魔術とかはあんまり詳しくない。『万能の願望器』といっても良く分からんのだろう。存在自体疑ってるのかもしれん」

 生まれてからずっと魔術に関わり続けた戎次とは異なり、木嶋少佐はごく普通の家の生まれだ。
 魔術の存在すら聖杯戦争の前線指揮官に任命されるまで知らなかったくらいである。聖杯や万能の願望器と言われてもピンとこないのは仕方ないだろう。
 だが戎次には関係ない。
 例え直接の上官に熱意がなかろうと、『聖杯』を獲ることが日本のためになるならば身命を賭して聖杯を掴むだけだ。
 現代の人間でありながら、過去の英霊と互角に戦うだけの実力をもつ魔人はどこまでも純粋に前を見据えていた。
 その時、戎次の傷口になにか柔らかいものが触れる。

「ふふふふっ」

「うおっ! な、なにするライダー!」

 ライダーは何を思ったかたわわな双丘を戎次に押し付けてきていた。
 突然のことに戎次はらしくなく狼狽する。

「知ってる? 人肌のぬくもりって傷に効くのよ。あと私の体、冷たいし。傷を冷やすにも丁度良いじゃない」

「そ、そんなの自分でなんとかできらぁ! あと当たってるぞ」

「当ててんのよ」

 ライダーはからかう様に笑いながら戎次に胸を押し付けてくる。戎次にとっては災難なことに、英霊として召喚されたライダーの一番の娯楽は、マスターである戎次を弄って楽しむことだった。
 羅刹の如き奮迅っぷりが嘘のように、それこそ年端のいかぬ少年のように戎次は赤面する。
 人生の殆どを修練と戦いに費やしていた為だろう。戎次は戦いには強くとも、色恋沙汰には滅法弱かった。



[38533] 第12話  黒い影
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:50
 冥馬はキャスターの暗示による洗脳の力もあって、冥馬たちを襲ってきた陸軍の兵士から有益な情報を引き出すことに成功した。
 帝国陸軍が万能の願望器としての『聖杯』に目をつけ参加してきていること。聖杯戦争の前線指揮をとっているのが木嶋なる男であること。
 そして、

「相馬戎次、帝国陸軍の鬼札か」

 キャスターが連れてきた兵士の階級は一等兵。世界のどの国においても軍隊というのは、上官が絶対的な存在として君臨している組織であり、上層部の意向などが一々一兵卒に知らされることはない。それがとっておきの秘密兵器ならば猶更だ。
 そのため兵士から聞き出せたのは相馬戎次が『兵士が百人で襲い掛かっても倒せなかった豪傑』だの『どうも歴史ある名家の出身らしい』だのといった兵士が生で知った情報ばかりだ。相馬戎次が得意とする魔術系統や弱点、ライダーの真名などといったことを聞きだすことはできなかった。
 もっとも冥馬はそのことを特に残念には思っていない。寧ろ少しでも情報を得られただけでも儲けものだ。

「私もこれまで何度か聖堂教会の代行者の戦いを見た事はありますが、アレに匹敵するような使い手は未だ嘗て見た事がない」

 人混みを縫うように進みながら璃正が言った。
 代行者とは聖堂教会に所属する異端殲滅のプロフェッショナルである。主な標的は吸血鬼やそれに類する化物だが、魔術師も彼等の殲滅対象に含まれている。魔術師である冥馬としては余りお近づきにはなりたくない人種だ。
 
「それはそうだろう。あんなのが聖堂教会にウジャウジャいるんだったら今頃とっくに魔術協会は聖堂教会に滅ぼされているさ」
 
 苦笑しながら肩を竦ませる。
 誇張抜きで相馬戎次の戦闘力はサーヴァントクラスだ。
 聖堂教会の代行者が如何に異端殲滅のプロだろうと、英霊たるサーヴァントには到底及ばない。もしサーヴァントに対抗できる者がいるとすれば、冥馬も噂にだけ聞いている聖堂教会の鬼札連中だろう。

「……随分と余裕だが、君はなにか勝算があるのかね? 君が聖杯戦争の勝者たらんとすれば、彼等もまた倒さなければならない敵だろう」

「勝算、か」
 
 認めるのは癪なことだが、真っ向勝負では勝ち目は限りなく薄いだろう。
 相馬戎次にはアーサー王たるキャスターと互角に切り結べるほどの強さがあり、そのサーヴァントであるライダーも強力な英霊だった。そこに帝国陸軍によるバックアップもあるとなれば、遠坂冥馬とキャスターだけではまず勝てないだろう。
 勿論勝ち目がゼロというわけではない。家に残してある宝石を全て使い、三画の令呪を惜しげもなく使用すれば勝つ見込みは十分にある。
 だがそれは最終手段だ。聖杯戦争はあくまでもバトルロワイアル。敵を一組倒しても聖杯戦争に勝てるわけではない。本当に全てを使いきって戦えるのは生き残りが自分含めて二組となった時だけだ。
 十分余裕をもって〝余力〟を残し優雅に勝利する。それが聖杯戦争を制する上での理想的な勝ち方である。

「ナチスと帝国陸軍が潰しあってくれるのが一番良いんだが……」

「確かにそれは理想だが、そう上手くいくのかね?」

「可能性はなくはない」

 冥馬はつい先ほどの帝国陸軍の襲撃と、先日のナチス襲撃の両方を思い起こす。
 共に軍隊を投入して遠坂の命と『聖杯』を狙ってきたという点では同じだが、両者には一つ決定的な違いがあった。

「ナチの連中が神秘の隠蔽やら一般人の犠牲を半ば度外視して『聖杯』を奪いにきたのに対して、帝国陸軍の連中は目的こそ同じだが一般人に犠牲を出さないよう最大限取り計らっていた」

「真昼間の街中で攻撃してきた連中だぞ。あまり大差ないようにも思えるが」

「だが死傷者はゼロだ

 確かに帝国陸軍の攻撃で周囲の民家などにはそれなりの被害があった。その損失は少ないものではないだろう。
 しかし人的被害は皆無だ。当事者である兵士達は幾人か死んだが、聖杯戦争と無関係の一般人は誰一人死んでいないし傷もついていない。
 事前に入念な下準備を整えて、大々的な人払いをかけてから襲撃したお蔭だろう。
 聖杯戦争に国家に所属する軍隊を投入するなど暴挙にも程があるが、帝国陸軍の方は参加者としての良識を遵守している。
 だからこそ冥馬も帝国陸軍を脅威に感じることはしても、ナチスのように憎悪を燃やしてはいなかった。

「帝国陸軍のマナーがナチスより上等だったからか、それとも自分の国だからこその配慮なのか……。それは俺には分からない。だが前者であれば一般人への被害などお構いなしに振る舞うナチスに、帝国陸軍が待ったをかけるかもしれない」

 どちらにせよ可能性があるというだけで、ナチスと帝国陸軍の激突が確定しているわけではないが。

「最悪なシナリオはナチスと帝国陸軍が同盟して自分達以外のマスターに襲い掛かることだな。そうなったらもう手が付けられない」

 現状ナチスと帝国陸軍はお互いを牽制し合うことで膠着状態になっている節がある。
 だがこの二大勢力が手を結んでしまえば、彼等を押し留めるものはなにもなくなってしまう。人外染みた強さのマスター、相馬戎次。ライダーとランサー。ナチスと帝国陸軍の連合軍。その大攻勢の前に彼等以外の参加者は死を待つだけの身となるだろう。

「しかしナチスだけでなく帝国陸軍も参戦するなど寝耳に水だ。本当に聖杯戦争は魔術師の闘争なんでしょうな?」

「俺も同じことを思ってるよ」

 世界の裏側に潜む魔術師の戦いに表側の組織が介入することすら稀だというのに、それが二つとなればもう前代未聞だ。
 二度目の大戦が起こるであろう前夜故に表と裏の境界線が平時よりも薄まっているのかもしれない。

「ところで冥馬。我々はどこへ向かってるんだ?」

「ん」

 帝都から冬木市へ戻ろうとするのならば大まかに陸路か水路、その二つに一つを選ぶ必要がある。もっともナチスと帝国陸軍が虎視眈々としている中、水路での移動中に襲われれば、逃げ場もなく一溜まりもない。よって陸路を行くのはほぼ決定事項だ。
 だからこそ陸路で戻る場合に一番時間を短縮できる『列車』を帰りの足と選ぶのは正しい選択だった。辿り着いた場所に人っ子一人としていなければ、だが。
 冥馬に行き先を任せて歩いてきた璃正だが、流石に不安にかられたのか立ち止まり周囲を見渡す。しかしそこにあるのは静寂と不気味なほど静まっている貨物列車だけだった。

「……まさか冥馬、これに乗って行くとは言うまいな」

「勿論これに乗るんだよ」

「……………貨物列車だぞ」

「ああ。荷物と相乗りだな。中は荷物で狭苦しいかもしれないけど、かわりに普通の列車と違って騒がしくない。なにより無料だ。無賃乗車だからな」

 璃正が絶句する。
 といっても冥馬は単にお金を節約するために貨物列車に無賃乗車しようとしたのではない。わざわざ貨物列車を冬木への足へ選んだのは、しっかりと戦術的な理由あってのことである。

「普通の列車で行けば、下手したら線路に地雷でも埋まってて、列車諸共吹っ飛ばされないからね。まぁ『聖杯の器』を璃正がもっている以上、それを壊すほど派手な真似はできないだろうけど、途中で連中が襲来する可能性は十二分だ」

「――――確かに彼等ならば我々が列車で冬木へ戻ることを予想して、駅などを張り込んでいる可能性はありますな。いやほぼ確実に張り込んでいる」

 だからこその貨物列車だ。
 これなら張り込んでいる監視の目を躱すこともできるし、万が一途中でナチスや帝国陸軍に襲われても他の乗客を気にしないで済む。ついでにお金もかからないと正に一石三鳥だ。
 
「だがばれたらどうするのだ? 事情は分かったが、ばれれば違法だぞ」

「抜かりはない。キャスターが頑張ってくれたし」

「…………最近、体の良い便利屋として利用されている気がするな。少しは俺の力を借りずに自分でなんとかしたらどうだ? 他力本願は自堕落に繋がるぞ」

 実体化するなりキャスターが棘のある口調で文句を言ってきた。
 帝国陸軍の敷いた人払いの空間を抜けた後、キャスターがしたのはなにも兵士の頭から情報を引き出すことだけではない。見つかるのを防ぐため冥馬たちの気配を薄める魔術をかけて貰い、更にここへ入る時は係員などに一通り暗示をかけて貰った。
 だから貨物列車に荷物を運びこんでいる労働者も、貨物列車の運転士も冥馬たちがさも当然のように貨物列車に乗り込んでも『異常』を『異常』として認識できないのだ。
 戦闘力は三騎士と比べ劣るキャスターのサーヴァントだが、魔術に特化しているため補助にかけては並ぶものはいない。だからこそこういった細工はお手の物だ。
 普段はアーサー王がキャスターで召喚されたことを嘆く癖に、こういう時にはキャスターで召喚したことを有り難く思うのだから我ながら現金なものである。

「自分の力を使うべき時は使うさ。だけど宝石魔術は金食い虫なんだ。暗示くらいなら宝石無しでも出来るが、どうせ自分より上手く暗示をかけられる魔術師が味方にいるんだから、そっちに任せた方がいいだろう。適材適所というものだよ」

「ふん。口が回るものだ。ま、出費を最小限に抑えようという心意気は関心するがな……」

「それに第二案、キャスターは嫌なんだろう?」

「当たり前だ。幾らサーヴァントといえどマスターの馬に成り下がりたくはない」

 冥馬の言う第二案は列車も使わず、かといって水路を行く事もなく、走って冬木市へ戻るというものだ。
 走って、といってもなにも冥馬と璃正が冬木市へ全力疾走していくわけではない。そんな馬鹿げたことをしていたら冬木市へ戻る頃には聖杯戦争が終わっているだろう。
 だから走るのは冥馬たちでなくキャスターだ。
 キャスターの敏捷はサーヴァントとしてはさほど高くない。遅いというわけではないが、速いとも言えない平均クラス。最速の英霊たるランサーと比べれば二回りも劣るだろう。
 だがその平均とはサーヴァントの中での話だ。キャスターを人間として見た場合、その速度は途轍もないものである。冗談ではなく走って車と並走できるだろう。そして足の速さだけではなく筋力もサーヴァントは並みはずれている。大の男二人をおぶるなどキャスターにとっては難しいことではない。
 その抜群の身体能力を活かし、キャスターが冥馬たち二人をおぶって冬木市へ走る。これが第二案の全貌だ。

「俺はこれはこれで良い考えだと思うが」

「お前が良くても俺は良くない。そもそもお前達二人をおぶって走れば必然的に両手が使えなくなる。そうなったら突然の奇襲にも対応できやしない。
 ついでにこれは俺ではなくマスターに関わることだが、俺の姿を一般人の目に晒す危険性も高くなるぞ」

 第二案が廃案となった最大の理由がこれだ。二人の人間を背負い、車並みのスピードで疾走する甲冑を着た騎士など目立つの一言で済むものではない。
 魔術師である冥馬としてはそんな神秘を一般人の前で堂々と晒すような行動は避けなければならなかった。自分でも面倒だと思わないでもないが、これが魔術師として魔道を歩むと決断した冥馬が守らなければならない義務である。如何に聖杯戦争中だろうと己の義務を曲げることは出来ない。

「キャスターの言う通りだな。第二案はナチスやら帝国陸軍やらに列車を駄目にされた時の最終手段にしておくよ」
 
「それでいい。大体幾らサーヴァントの足が速いと言っても、列車より早く動くわけじゃないからな。俺が騎乗兵ならまた別だが」

「ライダーか」

 此度の聖杯戦争のライダーといえば戎次のサーヴァントである白い着物の女だ。
 雰囲気といい見た目といいとても『騎乗兵』とは思えなかったが、サーヴァントは人目によらぬもの。あれでなにか凄まじい乗り物を隠し持っているのかもしれない。油断は禁物だ。

「冥馬。もう直ぐ出発するようだぞ」

 璃正に言われてはっとする。折角キャスターに暗示を使わせてまで無賃乗車のお膳立てをしたというのに、列車を前にして乗り遅れたなんて笑い話にもならない。

「急ごう」

 冥馬は璃正と共に貨物列車の最後尾に乗り込んだ。キャスターも再び霊体化してその後に続く。
 やや荒削りだが冥馬のとった行動はベストに近かったといえるだろう。実際冥馬はナチスと帝国陸軍、両方を出しぬくことに成功したのだ。
 懸念通り両軍隊は帝都中の駅や港を張り込んでいたが、貨物列車にまでは目を向けていなかったため、ナチスと帝国陸軍は遠坂冥馬と言峰璃正を見失うことになる。
 そう、ナチスと帝国陸軍の二勢力の目に関しては欺いた。
 冥馬は知らない。キャスターすら気づかなかった。自分達がナチスでも帝国陸軍でもない『三組目』に監視されていたことを。

「キキ、キ――――」

 薄暗がりに体を溶け込ませた白い髑髏の面が嗤った。仮面の奥にある眼球は己が主へと届き、その主もまた嘲笑った。
 白い髑髏の主が命令を下す。命令内容は無論、敵マスターの殺害。そして今回に限っては聖杯の奪取がこれに加わる。
 髑髏が跳ぶ。誰にも気付かせることなく、気配を完全に断って敵の命を狩るため忍び寄っていく。
 彼が狙うはサーヴァントに非ず、サーヴァントを従えるマスターのみ。
 聖杯戦争において暗殺者のクラスを与えられたサーヴァントは、容易く標的が乗り込んだ貨物列車に侵入を果たした。 



[38533] 第13話  山の翁
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:51
 はっきり言って貨物列車の乗り心地は劣悪だった。
 客席なんて上等なものは当然ないため、床に座ることを強要され、しかも揺れる度に積み上げられた荷物が落ちてくることを警戒しなければならない。
 明かりもないため空間全体が暗闇に包まれており、息を吸えば空気と一緒に埃を吸い込んでしまう。
 帝都に来るときに乗った列車と比べたら雲泥の差だ。これが正規の手続きで乗り込んだのならば文句の一つでも言いたいところだが、非正規の手段でこっそり同乗している身ではそれも出来ない。
 結局はこれも聖杯戦争の一貫として我慢するしかないのだ。いや、するしかないはずだった。
 不幸中の幸いにもキャスターがぱぱっと明かりと埃についてなんとかしてくれたので、今はそれなりの環境で列車に揺れていられる。
 しかし明かりに関しては魔術なので良いとして、一年中ほったらかしにした倉庫のように埃まみれだった車内を、ものの数分で新築の家のように綺麗にしてしまったキャスターの掃除手腕には舌を巻くしかない。どんな口煩い姑もこのピカピカっぷりを見れば白旗をあげるだろう。
 ちなみにどうして王なのに掃除がこんなに上手だったのかと疑問に感じ、キャスターにそれを尋ねたところ、

「俺は王の子として生まれたが、王族として育ったわけじゃない。産まれて直ぐ俺はウーサーの臣下だったエクトルに身分を隠して預けられ、エクトルを実の父と思いながら育った。だから掃除くらいは当然できる」

 キャスターはさも普通のように語っていたが、この掃除っぷりは明らかに普通ではない。キャスターは嫌な顔をするかもしれないが、もうクリーナー(掃除人)の英霊を名乗っても良いくらいだ。或いはバトラー(執事)でも良いかもしれない。
 なんとなく冥馬は執事らしい燕尾服を着込んだキャスターを想像し、それがかなりマッチしていたので吹き出してしまった。

「そうだ。戎次とライダーの戦いで拾ったお札だが……」

「何か分かったのかね?」

 懐にしまっていたお札を取り出しながら声を掛けると、璃正が鉄面皮で応じてくる。敵マスターに関する情報にはキャスターも興味があるらしく実体化した。
 貨物列車に揺られて数時間。冥馬は何もしていなかった訳ではない。戎次が戦場に残していったルーンの刻まれたお札を冥馬なりに調べてみたのだ。その結果、分かったことが幾つかある。

「戎次の使っていた魔術は肉じゃがみたいなものだ」

「――――はい?」

「おい冥馬、まさか頭をうったのか?」

 璃正とキャスターが二人して心配したような視線を向けてきた。心外なものだ。自分は至って平静である。頭などうってはいない。

「はぁ。璃正もキャスターもユーモアというものを理解していないな。聞く所によれば東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューを、艦上食にしようと日本の料理人に作らせようとして生まれたのが肉じゃがの発祥らしい。つまりそういうことだよ」

「いや、だからどういうことだ」

 キャスターがツッコミを入れてくる。
 冥馬は鈍いな、と思いつつもキャスターのマスターとして物分りの悪いサーヴァントに懇切丁寧に説明することにした。

「東郷平八郎に依頼された料理人は困った。なにせその料理人はビーフシチューなんて知らないし、ビーフシチューを作る素材も手元になかったからな……。
 そこでその料理人は醤油と砂糖を使い東郷平八郎から聞いたビーフシチューのようなものを生み出した。そのビーフシチューのようなものこそが今に伝わる肉じゃがなんだ」

「……………だからそれと相馬戎次がどこをどういう風に関係しているのだね?」

 分かっていないのはキャスターだけではなく璃正もだったらしい。
 千年以上前の人物であるキャスターならまだしも、現代人である璃正すら分からないとは驚きである。
 璃正は聖堂教会の神父として聖遺物を回収するための苦行に身を捧げてきたと言っていた。そのせいできっとユーモアを解する心を育むことができなかったのだろう。
 冥馬は友人に語り聞かせるように優しい口調で続けた。

「戎次の魔術は肉じゃが誕生と同じということだよ。このお札はこの国古来からの神秘の担い手たる呪術師や陰陽師が使うものと殆ど同一だ。しかし奇妙なことにお札に記されているのは北欧などに伝わるルーンだよ。これをどう思う?」

「単にルーンを刻むものが他になかったから代用したのでは?」

 三人の中で唯一魔術師でない璃正はそんな事を言った。だがキャスターの方は漸くなにかに気付いたのか腕を組んで考え込む。

「聖杯戦争なんて命懸けの大一番、しかも帝国陸軍から参加してるようなマスターが、ルーンを刻む素材を用意できないなんてことはないだろう」

 先の戦いで帝国陸軍は大量の銃火器だけではなくゼロ戦まで投入してきた。昨日の戦いでの損失は、ルーン魔術師が一生で使うルーンを刻むものよりも多い。
 だから相馬戎次がルーン魔術師が使うようなルーン石ではなくお札なんてものを使ったのには他に理由があるのだ。
 
「それに奇妙なのはお札だけじゃない。ルーンもそうだ。俺も自分の研究ついでにルーンの方も専攻していたからルーンについてはある程度知っている。
 けれどこのお札に刻まれているルーンは俺の知るどのルーンとも合致しない。面影、のようなものは残っているが」

「面影?」

「……これはあくまで推測なんだが、奴の使う魔術には『魔術』だけでなく、まったく形態の異なる神秘。恐らくこの国の呪術が混在している」

「つまり彼は魔術師であって呪術師であると?」

 璃正の言葉に首を振るう。惜しいがそれだけでは不正解だ。

「〝両立〟じゃない。これは〝混在〟だ。俺も呪術に関しては門外漢だから偉そうな事は言えないが、これは魔術と呪術を混ぜ合わせて出来た魔術でも呪術でもないなにかだ。このルーンも呪術と混ざり合って独自発展していったものだろう」

 冥馬は時計塔で様々な魔術の一端を垣間見てきた。その中には背筋が凍てつくほど危ないものもあった。だがこれほど特異な魔術を見るのは生まれて初めてである。
 魔術と呪術、形態の異なる神秘を融合させ――――しかも真っ当な〝術〟の範疇に留める、これがどれほどの奇跡か、冥馬には良く分かる。例えていうならワインと日本酒を混ぜて、新しく美味い酒を生み出すようなものだ。

「だからこそ最初の『肉じゃが』発言に繋がるのか。言われてみれば西洋の料理を東洋の料理人が再現した肉じゃがと、戎次の使っている魔術と呪術が混在したソレは成り立ちにおいて似ているな。だが冥馬、お前のサーヴァントとして忠言する」

「なんだ?」

「ユーモアのセンス皆無だな」

「なっ!?」

 キャスターの失礼千万な言葉に憤慨して顔を赤くする。けれど遺憾なことにキャスターのみならず璃正まで腕を組んで頷いていた。

「ふっ。千年以上前の人間のキャスターには現代人のユーモアなんて分からないさ。この時計塔で私が培ったユーモアなど」

「すまない冥馬。君と同じ現代の人間である私も、君のユーモアはないと思う」

「り、璃正まで!?」

「お前のユーモアに笑う奴がいるとすれば鏡くらいだ。ああ鏡が笑うんじゃないぞ。鏡に映ったお前が一人で馬鹿面を晒すんだ。周りが冷めきっているのに気付かないまま」

「………………」

 それが止めとなった。
 二人にこうも全否定されては反論することもできない。反論を封じられた人間がとれるのは沈黙のみだ。
 キャスターが嘆息しながらお札を拾い上げる。

「もっともユーモアセンスはさておき分析能力は及第点だな。この短時間では上々だ」

「キャスター?」

「今後苦しめられるだろう難敵になるマスターの魔術形態について知ることができた……。スズメの涙ほどの情報だが情報には違いない」

 もしかしたらキャスターはフォローしてくれたのだろうか?
 無愛想な上に性格がひん曲がったサーヴァントだと思っていたが、素直じゃないだけで意外に根は良い奴なのかもしれない。

「と言っても情報が分かっても彼我の戦力差を覆す決定打にはならないわけだが」

 フォローして直ぐにキャスターが気分が落ちる事を言った。けれどキャスターの発言は否応なき真実だったので冥馬は神妙にコクリと頷く。
 魔術と呪術が混在したどちらでもないなにか――――そうは言っても、方向性としては魔術の側に傾いていた。ならば一応は〝魔術師〟という呼称で良いのだろう。
 これは相馬戎次の魔術行使を見ての推測だが、遠坂冥馬の魔術師としての技量は相馬戎次を上回っている。魔術をもって競い合えば冥馬は戎次に勝てるだろう。

(だが――――)

 当然この聖杯戦争は魔術のみを頼りとする戦いではない。表側の軍隊が投入されていることからも分かる通り、聖杯戦争はルール無用の殺し合いだ。
 そして魔術師としては兎も角、戦士としてならば相馬戎次は遠坂冥馬より遥かに高みにいる。

「やはりネックになるのは戎次の馬鹿げた強さと帝国陸軍だな。キャスター、戎次とライダーと帝国陸軍を纏めて吹っ飛ばせるような切り札でも持ってないのか? ほら宝具とかに」

 英霊とはそれ単体では英霊として成り立たない。英霊には必ず共に武勇譚を築き上げた聖剣や魔剣、または逸話や特殊能力などが付随するものである。それこそがサーヴァントのもつ宝具だ。
 宝具の中には常時発動し続けているタイプのものがあるが、殆どは宝具の真名することで初めて真価を発揮するものである。
 英霊の宝具はその全てが現代の魔術など及びもつかないほどの『奇跡』であり、英霊同士の戦いは宝具と宝具の激突といっても過言ではない。
 だが宝具とは即ち英霊にとっての『象徴』だ。宝具の真名を解放するということは英霊としての真名を教えることに等しい。真名を知られるということは、その英霊が滅びた死の原因や弱点すら知られるということ。そのためサーヴァントにとっては宝具の解放は文字通りの奥の手なのだ。
 キャスターが彼のアーサー王であるというのならば宝具となるのは聖剣エクスカリバーしか有り得ない。エクスカリバーほどの宝具であれば或いは、と一縷の期待をかけて尋ねたのだが、

「あるかそんなもの。無い物ねだりする前に頭を使って考えろ」

 そんな幻想はあっさりと切って捨てられた。
 
「……そうだな。そんな都合の良い話はないか」

 やはり相馬戎次を倒すにはキャスターの言う通り頭を使うしかないだろう。
 冥馬は腕を組んで考え込むが、キャスターが突然に声を張り上げた。
 
「伏せろ!」

 冥馬が何事かと反応した時には、キャスターが手元に黄金の剣を出現させ横薙ぎに一閃していた。
 背にしていた荷物が切り刻まれ破壊される音が響く。刃の一撃と同時に、暗く溶けた闇が蠢く。

「――――っ!」

 否、それは暗闇ではない。それの体躯が闇の如き黒を纏っているせいで、この風景に溶けてしまっているだけだ。
 積み重なった荷物や壁を足場に、蜘蛛のようにソレが跳ぶ。目についたのは色素を全て取り出してしまったような真っ白な仮面。髑髏を模したそれは獲物を嘲笑するかのように笑っていた。
 キャスターやランサーのように濃密なまでの魔力を放っているわけではない。その存在は異様でありながら陽炎のように薄い。
 それでも全身が悪寒で震え上がる。黒衣の白い髑髏は濃密な死の具現だった。
 気配が薄いのも道理である。死とは……死神とは誰にも見えることなくその背中に歩み寄り、無慈悲に鎌で命を奪う無貌にして無色なる狩人。目の前の存在は正にそれ。実体化した死神の化身だ。
 そのサーヴァントがなんなのかなど考えるまでもない。聖杯戦争において隠密行動とマスター殺しに特化したサーヴァント――――暗殺者(アサシン)のサーヴァントだろう。

「…………気配の遮断も、攻撃に移ればマスターは兎も角、サーヴァントを誤魔化せはしないか」

 異様な姿に見合わぬ理知的で落ち着いた声が反響する。白い仮面は嗤っていたが、その仮面の奥に性格すら包み込んだ暗殺者はどこまでも無感情にこちらを注視していた。
 キャスターが冥馬と璃正を守るように一歩前へ出る。

「ぬかったな暗殺者。攻撃に移るまでこの俺にすら気づかせなかったところは暗殺者の面目躍如だが、俺が冥馬の近くにいる時に仕掛けたのは過ちだったな」

「さて」

 暗殺に特化したアサシンにとって敵サーヴァントと真正面から対峙している状況は好ましくないはずだ。だというのにアサシンは落ち着きを失わず、まるで教え子を諭す老境の教師のような口調で言葉を紡ぐ。

「私の本分は暗殺。影に忍びマスターを仕留めるがアサシンの本領。故にキャスター、お前がいない機を狙うのが最も効率の良い方法だっただろう。だがそれはそんな機会があればの話だ」

「ほう」

「息を潜みお前達の会話は聞かせて貰った。そしてお前のマスターの人格と精神についてもある程度のイメージを固めさせて貰った。お前のマスターはそうそう自らのサーヴァントから離れ無防備な身を晒しはすまい」

 アサシンは敵である冥馬を評価するような事を言う。けれどそれは評価ではない。己のターゲットを確実に仕留めるためのプロファイリングである。
 そしてアサシンのプロファイリングは正しい。ナチスや帝国陸軍なんていう物騒な連中が聖杯を狙う以上、自らの居城である遠坂の邸宅以外ではキャスターと別行動はすまいと冥馬は決めていたのだから。

「故に今こそを狙った。どうせ一人でいる時を狙えないのであれば、この狭く冥い空間と、列車が人里から離れた今をもって、私はここが殺すべき場所であり殺すべき時であると判断した」

「どっちにせよ饒舌だな暗殺者。暗殺に失敗した暗殺者の末路は西洋問わず死刑というのがお約束。彼の山の翁が当主であればその鉄則は分かっているだろう」

「失敗したかそうでないか判断するのは貴様ではない。結果という産物のみだ。そして結果はまだ定まってはいない」

 アサシンの仮面が動いた。それを追うようにキャスターもまた動く。
 この狭い空間で下手に魔術を放てば視界が塞がれ、アサシンにマスター殺しの好機を与えることとなる。そのことを理解していたキャスターは魔術は使わず剣のみを武器にアサシンへ迫っていった。
 暗殺者の英霊であるアサシンは強力なサーヴァントではない。
 三騎士と騎乗兵が等しく備える対魔力スキルのためキャスターが最弱のサーヴァントと呼ばれるが、こと真正面からの対決においては下手すればアサシンはキャスター以上に貧弱だ。
 そして此度のキャスターに招かれし英霊は彼の騎士王。暗殺という分野であるならまだしも、向かい合っての殺し合いではアサシンを圧倒している。

「キキ、キーーーー!」

 けれどアサシンは最速たるランサーを超える敏捷性と蜘蛛のような動きを最大限活かし、キャスターの斬撃を巧みに躱し続ける。
 躱すのは自分の勝る部分を最大限活用するという意図もあるのだろうが、それ以上にキャスターと力勝負をしては勝てないと理解しているからだろう。
 とはいえ戦いそのものはキャスターが有利だ。攻撃しているのはキャスターばかりでアサシンはまるで反撃できていない。聖杯戦争始まって以来初めて経験する優勢というものだった。
 といってキャスターには油断は一切ない。
 攻撃をひたすら回避しながらも、アサシンは殺意を引込めてはいなかった。アサシンはどれほどの斬撃を前にしようと回避に徹し絶好の好機を待ち、キャスターは好機を狙うアサシンへの警戒を緩めない。

「……あれが伝え聞くアサシン、山の翁か」

 璃正が跳び回りながら戦うアサシンを見据えながらそう漏らした。
 他のサーヴァントと違いアサシンのクラスは始めから召喚される英霊が確定している。何故ならば『アサシン』というクラスそのものが、その英霊を招く触媒となるがためである。
 だから冥馬もアサシンの真名はこの聖杯戦争が始まる前から知っていた。
 アサシンの真名はハサン・サッバーハ。マルコ・ポーロの東方見聞録にも登場する暗殺教団の首魁であり『アサシン』という単語の語源にもなった人物だ。
 そしてハサン・サッバーハとは個人の名ではなく暗殺教団の歴代当主が襲名する名であり、これまでの聖杯戦争でも〝ハサン・サッバーハ〟という真名をもつ異なるハサン・サッバーハがアサシンとして召喚されている。

「はっ――――!」

 戦いに動きがあった。
 初めてキャスターの攻撃がアサシンに届く。剣を囮として繰り出された蹴りの一撃は、アサシンを弾き飛ばし壁に叩きつけた。
 仕留める好機とキャスターがアサシンに刃を振り下ろした。それこそがアサシンの策だと知らぬままに。
 王や将軍ならまだしも、騎士や武将であれば所謂考えなしの猪武者であろうとその武勇をもって英雄となることができる。
 けれど暗殺者はそうではない。暗殺に必要なのは百の兵を薙ぎ倒す武勇でも、如何な剣士をも切り伏せられる剣術でもない。暗殺者にとって必要不可欠な素養の一つは、目的達成のためにあらゆる手段をとる実行力及び執念だ。
 力において他サーヴァントを下回るアサシンは勝利の為には如何なる手段をも許容し利用する。それが例え己の主であろうとも。

「ふふっ」

 ここではない何処か。アサシンを通じて一部始終を眺めていた〝魔術師〟が微笑む。それが合図となった。
 貨物列車に積み込まれていた多くの荷物。箱にしまいこまれたフランス人形たちに殺戮としての機能が宿る。
 アサシンのマスターである人形師が作り上げたフランス人形は、殺人に特化させた機構を与えられてはいても正真正銘の〝人形〟だ。普段は何の魔力も宿っていないただの物である。だからこそキャスターもそれに気付くことができなかった。
 平時において単なる人形でしかないそれらは、作り手である人形師が命令を送った時、内部の機関から魔力が発現し自律稼働を始める。敵を殺すという至上命題を果たすために。

「――――っ!」

 覚醒した人形たちが背中を晒している冥馬目掛けて一斉に其々の殺戮機構を発揮する。
 ある人形はしこみ刀で、ある人形は胴体をぱっくり開けて放たれる無数の毒針で、またある人形は血腥い糸鋸で。数々の凶器が遠坂冥馬に牙をむいた。

「!」

 数瞬遅れてキャスターがそれに気付いた。だがキャスターはアサシンを仕留める為にほんの数メートル冥馬から離れてしまっている。
 たった数メートルと侮るなかれ。この瞬間、数メートルは遠坂冥馬という魔術師の命を確実に奪う絶壁としてキャスターに立ち塞がった。
 あらゆるものがスローモーションになったかのように錯覚する。
 キャスターは全力で後退し、冥馬を守ろうとし。冥馬はなにが起きているかも分からずに呆然としていて。アサシンはキャスターの助けを妨害するため己の〝宝具〟を解放する予兆を見せた。
 遠坂冥馬の纏うスーツは宝石を溶かし、衝撃の減衰と拡散の力を込めた魔術礼装である。攻撃ではなく防御に特化したソレは言うなれば最高品質の防弾ジョッキといえるものだ。ナチスや帝国陸軍の兵士達が使っている機関銃の弾丸でも楽々とストップさせるだろう。或いはアサシンが武器として雷光染みた速度で投擲する毒針すら防ぐかもしれない。
 だが人形使いがそこまで分かっていてなのかは分からないが、凶器の一部は冥馬の体ではなく首級へ向いていた。……そう、スーツに守られていない生肌に。
 当たり前のことだが銃弾を防ぐスーツも、覆われていない部位に関してはなんら意味を為さない。
 冥馬は如何に相手が正面切っての戦いで貧弱なアサシンといえど油断しているつもりはなかった。だが如何に父・静重より誇り高い精神を受け継いでいたとしても、冥馬はまだ三十にも満たない若輩だ。アサシンを後一歩というところまで追い詰めたことで、本人の知らぬ間に気の緩みが生まれていたのだろう。
 アサシンとそのマスターはそれを見逃さない。遠坂冥馬とキャスターの主従はここで脱落するだろう。もはやこの主従には脱落の運命を回避する術はないのだから。
 もしもこの場にいるのが冥馬とキャスターだけならば、の話だが。

「危ない!」

 だがここには冥馬とキャスター以外の人物がいる。
 キャスターから少し遅れて冥馬に迫った凶器を認識した璃正は、咄嗟に冥馬のことを蹴り飛ばした。

「がっ……ッ!」

 蹴り飛ばされた冥馬が列車の壁に叩きつけられた。そして冥馬の首を落としているはずだった凶刃は空振りに終わる。
 いきなり蹴飛ばされた事に文句を言おうとした冥馬は、自分が今さっきまで立っていた場所に殺到した凶器たちを見て口を噤む。

「……助けられたようだな璃正」

「なに。助けられているのはお互い様だ」

「……ふ。しかしこの人形、糸で操るタイプじゃないな。独自の動力を内蔵した自律型。なんでこんがものが貨物列車の積荷に」

 冥馬がこの貨物列車を使うことになったのは偶然が積み重なった結果である。だから事前に回り込んで罠を張ったという線は考えにくい。
 だとすればアサシンのマスターである人形師がこの貨物列車で『人形』を冬木へ運ぼうとしていた所に、偶然冥馬たちが乗り込んだと考えるのが妥当だろう。冥馬にとっては極めて運の悪いことに。
 冥馬を仕留められなかった人形たちが箱を突き破り這い出てくる。人形使いの趣味なのか、それは全て美しい造形のフランス人形だった。もし凶器をもっていたり、腹部が開いて毒針を放ったりなどの物騒な仕掛けがなければ、そのままフランス人形展に出展されてもおかしくはないほどの一品揃いである。

「――――どういうことだ」

 アサシンが咎めるように言った。

「どう、とは?」

「キャスターのマスター、貴様に言っているのではない。私はそこの監督役に向かって話している」

「私だと?」

「御主君より此度の聖杯戦争からは中立の審判として監督役が置かれると言った。監督役は中立故、私も危害は加えぬよう配慮したつもりだ。しかし何故中立である監督役が遠坂のマスターを庇う。これは監督役として越権行為に当たるのではないか?」

「……そ、それは」

 璃正が口ごもる。アサシンの指摘はその異様な見た目に反して非常に理に叶ったものだった。
 言峰璃正は聖杯戦争の監督役である。ナチスドイツや帝国陸軍から『聖杯の器』を守るため、一時的に冥馬と行動を共にしているが本来であればそれも好ましいことではない。
 監督役がマスターと接触するのはマスターの届け出をする時か、マスターが教会へ保護を求めた時だけに留めるべきなのである。
 これまでの戦闘ではナチスや帝国陸軍は冥馬とキャスターの排除だけではなく、監督役が管理する『聖杯の器』をも狙って来ていた。だからこそ監督役に敵対する彼等と戦い、冥馬と共闘するのは特に問題のないことだった。
 しかし今回はそうではない。
 アサシンは確かに冥馬を殺そうとしたが今の所は『聖杯の器』にはなんのアクションもしていなかった。或いは冥馬を殺しキャスターが消えてから、璃正のもつ『聖杯の器』を奪おうと計画していたのかもしれないが、それを指摘したところで何の証拠もない以上は意味のないことである。

「答えろ監督役。答えぬのであれば、貴様は中立の立場を放棄し、遠坂に肩入れしたと見なす」

「……………」

 璃正には深い考えがあった訳ではないだろう。ただ冥馬が殺されそうになっていたから咄嗟に助けてしまった。それだけだ。なにかこれはと思う理由があっての行動ではない。
 人助けに理由はいらない、と賢者は説く。けれど世界の大半の人間は賢者ではない。賢者たちが作っていない世界に賢者の道理は通じず、当然それは聖杯戦争でも同じ。
 だからこそ璃正もそんな言い訳をしなかった。堂々と胸を張って、やましさの欠片もない顔で口を開く。

「無論、聖杯戦争の管理のためだ」

「管理だと?」

「私が遠坂冥馬殿と行動を共にしているのは、監督役に敵対し『聖杯の器』を奪取せんと目論むナチス及び帝国陸軍からの護衛を依頼したからだ。本来監督役が参加者に協力を求めるなど有り得ぬことだが、サーヴァントから身を守るにはサーヴァントをもつマスターに頼るしかい。これは聖杯戦争を運営するにあたって仕方のない措置である。
 だが監督役として参加者に依頼をしたのだ。そのマスターには特別な褒章が与えられて然るべきだろう。そうでなければフェアではない。私が遠坂冥馬殿を庇ったのは、私と『聖杯の器』を警護して貰っている褒章の一貫だ」

「……屁理屈だな」

「だが理屈ではある」

 キャスターが刃を振り落す。アサシンは後ろへ跳ねて、それを回避した。
 人形による奇襲でアサシンの手品の種も尽きただろう。強いて言えば未だ隠し持つ『宝具』――――それがアサシンにとって唯一の形勢逆転の切り札だ。しかし宝具の発動の予兆はサーヴァントであれば察知できる。これ以上ないほどアサシンは追い詰められているといえた。
 自分の劣勢は悟ったアサシンの行動は早かった。
 ふらり、と力を失ったかのようにぐらついたアサシンは、次の瞬間には貨物列車から飛び降りていた。
 
「逃がさん」

 追撃しようとするキャスターに殺戮機構を備えた人形たちが立ち塞がった。人形たちを無造作に切り払おうとしたキャスターは驚愕する。
 人形たちはその身を挺してキャスターを足止めしようとしていたのではなかった。その身を投げ捨ててキャスターを足止めしようとしていたのだ。
 耳に届いたのはカチッという何かのトリガーが引かれた音。瞬間、人形たちの動力源が高速で逆回転を始め、動力ごと人形が爆発した。

「チッ」

 キャスターは舌打ちする。芸の細かいことに人形の爆発が撒き散らしたのは爆風だけではなかった。人間を殺すほどの毒煙までも撒き散らしたのである。

「くっ……降りるぞ!」

 毒煙に気付いた冥馬の行動は早かった。密閉された空間で毒煙は致命的である。 
 風の魔術で毒煙を防ぎつつ三人はアサシンを追って列車から飛び降りた。
 
「無事か?」

「なんとか、だが」

 璃正もしっかり『聖杯の器』を忘れずに飛び降りたようだ。冥馬が風の魔術で防壁を張った事もあり毒煙による体への影響はない。サーヴァントであるキャスターは言わずもがなである。
 髑髏の仮面の暗殺者は己を追撃した三人をじっと睨んでいた。
 月光が降り注ぎ、暗闇に隠されていたアサシンの姿を露わにする。
 
「これは」

 思わず声を零す。
 暗闇に紛れた事から仮面以外は黒装束で体を包んでいるのだろうとは思っていた。その予想は正しく、アサシンの姿で黒くない部分は白い髑髏のみだった。
 だから冥馬が目を剥いて注視したのは別の所。
 月明かりに照らされたアサシンは小さかった。小柄、で済む次元ではない。元からそうだったのか、サーヴァントとなったせいで特徴が誇張されてしまったのか。アサシンの背丈は冥馬の膝ほどもなかった。
 背が小さいといっても童話に登場するドワーフのようにずんぐりとした体型ではない。サーカスの軽業師のように洗練されたフォルムをしていた。
 戦闘において背丈が小さいというのはメリット以上にデメリットが目立つ。だが暗殺者としてならばその異常なまでの小躯は利点だった。
 なにせ体の面積が限りなく少ない。これに気配を断たれ、ランサー以上の速度で変則的に動くとなれば、アサシンに攻撃を命中させるのは至難の業だろう。事実キャスターの斬撃の悉くを躱したという実績がアサシンにはある。
 だからこそ好機だった。冥馬たちが飛び降りたこの場所は平野。暗殺者が潜むべき物陰もなければ、足場とする木々もない。アサシンにとっては最悪の地形だろう。
 暫しのにらみ合い。先に動いたのはアサシンだった。アサシンは背中を向けると、一目散にキャスターから逃げ出した。

「逃がすな、追ってくれキャスター!」

「分かっている」

 目を離してしまえば気配遮断により逃げ切られてしまう。
 だがキャスターが追撃に出る前に冥馬たちの背後から幼さを残した声が振りかかった。

「――――千載一遇の好機を得たと喜んだのに、上手くいかないものですね」

 アサシンのトーンの低い声ではない、生きた人間を感じさせる声色に驚いて振り向く。
 
「子供……?」

 小躯のアサシンのマスターはそれに合わせるかのように小さな子供だった。
 黒と白を基調としたゴシックロリータと後々に呼ばれるようなファッションに、色素の薄い長い金色の髪が風に靡いている。浮世離れした雰囲気と可憐さは彼女が使役していたであろうフランス人形とダブって見えた。

「失礼ですね」

 子供と言われた事に少女は憤慨したように目を細める。

「私はこれでも貴方より一回りは年上ですよ。遠坂のボウヤ」

「ぼ、ボウヤ!?」

 それなりに高位の魔術師であれば見た目の年齢をある程度操作するなど造作もないことだ。その究極が不老不死たる死徒であるが今は関係ない。
 少女の佇まいは確かに年端もいかぬ少女というより、洗練された淑女のそれだった。しかしそうと分かってもやはり十歳程度の子供にボウヤ呼ばわりされるのは違和感がある。それでもコホンと咳払いして気分を落ち着かせると冥馬は慇懃に言う。

「失礼したレディ。私は遠坂家当主、遠坂冥馬。こうして我が前に現れた貴女はアサシンのマスターで相違ないか?」

「ええ相違ないですよ。エルマ・ローファスと申します、遠坂の当主様」

 エルマと名乗った少女はスカートの端を持ち上げると優雅に一礼した。
 冥馬はエルマという名前には覚えはなかったが、ローファスという家名については知っていた。

「ローファス、まさか貴女はガブリエル・ローファスの縁者か?」

 ガブリエル・ローファス、時計塔では同期だった人形使いだ。フランスにおける人形使いの名門ローファス家の次期頭首とされていた人物で、最近父親の後を次いで正式に当主になったはずである。
 年齢が近かったことに席が近さが合わさって友人と言える程度には交流があった。

「ガブリエルは私の弟です。お世辞にも仲睦まじい姉妹とは言えませんが、聖杯戦争なんてものについて教えてくれたことには弟にお礼を言わなくっちゃいけませんね。
 だから貴方の事も聞いていますよ。遠坂冥馬、貴方という人間も貴方の得意とする魔術についても」

「……そういえば、彼に私の管理地で行われる儀式について話したことがあったな」

 口は災いの下とは言ったものだ。ガブリエル・ローファスは性癖に多大な問題を抱えているが、基本的には研究第一の典型的魔術師で、聖杯戦争などにはまるで興味を示していなかったが、どうやら姉の方は違ったらしい。
 冥馬は自分の不注意で敵を呼んでしまった事を今更ながら呪う。

「だが解せないな。ミス・ローファス、貴女はどうもサーヴァントであるアサシンを逃すためにこうして姿を現したようだ」

「ええ、そうですよ。お蔭でアサシンは逃げたでしょう」

 既に周囲を見渡してもアサシンの姿はない。霊体化した上に気配遮断を行ったのだろう。もはやキャスターの索敵でもアサシンを再発見するのは不可能だ。

「アサシンは逃げた。だが貴女がここにいる。アサシンを倒せずとも、アサシンのマスターを倒せば同じ事だ」

 冥馬の指摘を受けてもエルマ・ローファスは動じた風がない。そこに良からぬものを感じるが、だからといって見逃すことはできない。

「ミス・ローファス。私も無駄な血を流すことは本意ではない。それが女性であるなら猶更だ。令呪を用いアサシンに自害を命じて欲しい。さもなければ私もマスターとして、キャスターに貴女を討てと命じることとなる」

「やれやれ。さっきは毛虫にも少しくらいは見所があると褒めてやったが、やはりお前は肝心なところで抜けているな」

「キャスター? なにを」

 キャスターが冥馬などお構いなしにずかずかとエルマに歩み寄っていく。手にはこの地上のあらゆる金属と比しても固い聖剣。
 エルマの前に立ったキャスターは容赦なく剣を振り上げた。

「待っ――――」

 制止の声すら無視された。キャスターはなんの感慨もなく聖剣を振り下ろす。
 キャスターの突然の命令無視による凶行。けれどエルマという少女の体から血飛沫ではなく木片が散らばった事でキャスターの意図を理解した。

「これは…………人形?」
 
「列車内で襲ってきた自律人形よりも遥かに高度なものだがな。ある程度の自己判断力に人間としての気配に擬似魔術回路まで与えられているとは、現代の魔術師も侮れん」

 感心したようにキャスターが言った。
 人形は冥馬の分野ではないが、エルマ・ローファスとして現れたソレが途轍もなく高度な魔術理論で構築されたものであることは分かる。
 さしずめ人形を操る人形とでもいうべきか。そして人形ではない本物のエルマ・ローファスは安全な場所で今頃高笑いしているだろう。

「やられたな」

 終わってみれば結局アサシンの一人勝ちだ。エルマ・ローファスの人形を破壊することは出来たものの、肝心のアサシンを取り逃がしこちらが持っていた情報を無料で盗み聞きされてしまったのだから。
 それに最悪なことがもう一つある。冥馬たちが飛び降りた列車は既にどこか遠くへと行ってしまった。補足すればこの辺りには駅どころか民家すらありはしない。

「…………キャスター、第二案だ」

「そこはかとなく嫌な予感がするが、言ってみろ」

「俺達をおぶって冬木市まで連れて行ってくれ」

「――――――」

 十分間に渡る説得の末、漸くキャスターに了承をとりつけることに成功する。
 そして劣悪な環境であった貨物列車がどれほど素晴らしい環境だったかを冥馬と璃正は身を以て知ることとなった。



[38533] 第14話  暗殺者の主
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:52
 一番後ろの車両での騒動が止んで十数分。外の景色は平野から葉のないほっそりとした木々に変わっていた。少し前に雪でも降ったのだろう。木々には僅かに溶けかけの雪が被っていた。
 肌を刺すような冷たい風が吹いて来たので窓を閉ざす。雪を眺めるのは嫌いではなかったが、雪の中を歩くのは好きではなかった。というより寒いのが嫌いなのだ。冬の寒さは成長を忘れた体には堪える。
 人形ではない本物のエルマ・ローファスは儚げに吐息を零す。
 エルマ・ローファスは魔術師だ。特に自律人形(オートマター)の扱いにかけては並ぶ者はそうはいないだろう。もしもエルマ・ローファスの体に〝問題〟がなければ、ローファス家の次期当主になったのは弟ではなくエルマだったはずだ。
 エルマの人形は強力な武器であるが、人形たちはそれなりの数があり、そうそう気軽に持ち運ぶなんてことは出来ない。時計塔で権勢を誇っているようなロードであれば、独自のルートで人形を冬木市へ送ることができただろうがローファス家ではそれも出来ない。

(いいえ。ローファス家なら出来るでしょう。だけどエルマ・ローファスには出来ない……)

 ローファス家はフランスではそれなりの知名度をもつ人形師の一族であり、時計塔のロードたちにもある程度コネがある。そのコネを有効利用すれば『大量の人形』を冬木市へ送ることくらいはできるだろう。
 しかしエルマにはローファス家のコネクションを使うことは出来ない。エルマがローファス家とは関係なく自らの意志で聖杯戦争に参戦したというのもある。けれど仮に許可をとった上で参戦していたとしても、ローファス家がエルマを援助することはなかっただろう。エルマ・ローファスはローファス家からすれば鼻つまみ者なのだから。
 独自のコネクションもなく、強引な方法が不可能であれば頭を使う他ない。
 貨物列車の運転士に暗示をかけ、自分の人形を荷物として列車に積み込ませたのもその一貫である。
 御三家の一角たる遠坂冥馬と監督役である言峰璃正が、この貨物列車に乗り込んできたのは本当に偶然だった。サーヴァントとの視界共有で、アサシンからそのことを知った時、エルマは降ってわいた幸運に感謝したくらいである。
 だが網にかかった大魚を後一歩のところで逃してしまった。最後尾に積み込んでいた全ての人形とアサシンまで投入しての奇襲は失敗に終わった。
 自分の選択に間違いはなかっただろう。間違いがあったとすれば敵の戦力に監督役を勘定していなかったことくらいか。

「まぁいいです」

 気を入れ直す。
 遠坂冥馬とキャスターをここで殺すのには失敗した。けれど別に聖杯戦争に敗北したわけでもない。チャンスはまだ幾らでもある。
 それに完全に無益だったわけではない。遠坂冥馬たちの会話を盗み聞くことでナチスや帝国陸軍についての情報を得ることが出来た。これは千金に勝る戦果である。

「そういえば」

 チラリと隣に視線を移す。隣りにはこの貨物列車の運転士がエルマのことがまるで目に入っていない様に機械のように運転をしていた。
 偶然が積み重なり二人の魔術師から二重に暗示をかけられたせいで、その目は若干とろんとしている。尤も運転そのものはしっかりしているので、暗示を解除すればしっかり元に戻るだろう。命にも……『健康』にも別状はない。自分と違って。

「けどもう遠坂……じゃなくてキャスターの掛けた暗示は必要ないかな」

 エルマは小さくフランス語で呪文を呟いてから、運転を妨害しないよう優しく運転士の肩に触れる。それで〝キャスター〟の暗示は解除される。
 サーヴァントのかけた暗示の魔術なので自分で解除できるが少しだけ不安だったのだが、キャスターも運転士のことを考えてそう強い暗示はかけなかったらしい。お陰で『人間』に関しては専門外のエルマでも暗示をレジストできた。

「御主君。ただいま戻った」

 エルマの直ぐ隣りに黒衣のサーヴァント――――アサシンが実体化する。
 他のマスターにとっては死の具現であり、凶事の象徴でしかない暗殺者も彼のマスターであるエルマにとっては心強い味方である。エルマは微笑みながらアサシンを労う。

「お疲れ様でしたアサシン」

「労われるようなことはしていない。寧ろ私は魔術師殿に謝罪せねばならぬ。御主君の助力を得ながらも敵マスターを仕留めることが叶わなかった」

「いいです、そのことなら。代わりに面白いことも聞けましたし。それより怪我はないですか?」

「――――」

 アサシンは即答しなかった。エルマはもしや負傷したのでは、と心配になるがアサシンの体に傷を負った様子はない。アサシンは面食らったようにじっとエルマを見上げていた。
 見上げられる、ということに新鮮さを覚える。エルマは生まれながらの〝欠陥〟のため肉体の成長が止まっており、二十歳を超えても見た目は十歳程度の少女のそれだ。しかし十歳の少女も大人の膝ほどの小躯であるアサシンよりは高い。子供と触れ合う機会もなかったので、誰かに見上げられるというのは弟が五歳の頃以来である。

「どうしました? まさかなにか問題でも?」

 もしかしたら目には見えない所でなにかダメージを負ったのかもしれない。だがアサシンとのレイラインにもなにか異常は見受けられなかった。、
 
「失礼。慣れない言葉を御主君にかけられ驚いただけ。毒針を三本ほど消費してしまったが、全体からみれば大した損失ではない。キャスターの刃は鋭かったが我が身には傷一つとしてない。戦闘に支障はなかろう」

「慣れない言葉?」

 毒針を三本消費、というところよりもエルマには前半の方が気になった。
 アサシンは頷いてから答える。

「御主君。私にも聖杯を求める願いはあれど、今の我が身は御主君に仕えるサーヴァント。そしてサーヴァントとは戦うための道具。故に私に気遣う必要などない。御主君の使う人形と同列に考えて貰って結構だ」

「……………」

 沈黙。世界に冠たる偉業を成し遂げた英雄であれば、多かれ少なかれ己というものに誇りを抱いているものだ。少なくとも召喚した縁程度で己をその者の道具に甘んじるサーヴァントはいないだろう。
 だというのにアサシンはあっさりと自分を道具扱いしろと言ってきた。
 一にして全。己の素顔を剥ぎ取り〝なにものでもなくなった〟ことで『ハサン・サッバーハ』の名を継承した無貌の反英雄。他の英霊と違い、そもそも英霊ですらない英霊候補の群体。
 故にハサン・サッバーハに英霊としての誇りなどありはしない。あるとすれば暗殺者としての冷徹な判断力と、その仮面の更に奥に秘めた願いのみ。

「そう。アサシンがそう言うなら分かりました。でも意外ですね。最初は姿がその…………恐そうでしたので、もっと物騒なサーヴァントかと思ったのに、こんなに忠義者だったなんて」

「無理もなかろう。御主君の仰る通り歪な英霊たる我が姿は、正純なる正真正銘の英霊と比べれば見るに堪えないものだ」

 そんなことない、とフォローすることは出来なかった。アサシンが認めているという以上に、どこをどう取り繕うとアサシンの姿は不気味なものだ。
 無理にフォローしてもアサシンは何も感じないだろうし何の意味もない。エルマは正道な魔術師とはいえない人間だが、それでも魔術師らしい合理主義的な考え方をもっている。無意味なことはしない。

「それに私とて誰に対しても盲目に忠誠を誓うわけではない。こう言っては御主君は気を悪くされるかもしれぬが、我々の関係は互いに聖杯を求める理由がある故の相互利用である。
 聖杯戦争の形式上殆ど有り得ぬ可能性であるが、聖杯戦争に挑む気のない召喚者に仕えはしない。私が御主君に仕えるは御主君が聖杯を求めるからこそ……」

「だったらもし私が魔術師としてもマスターとしても五流で、戦いなんてまるで分かっていない人間だったとしても聖杯を求めているなら貴方は従うんですか?」

「左様。元より私には〝裏切る〟という行為が良く分からぬ。生前から私は一個の道具であったが故。道具が使い手に刃向うことはなかろう。私は命令があるのならばそれをこなすのみ」

 朗々とアサシンは言う。暗殺者であるアサシンだがその言葉はともすれば騎士のように真摯そのものだ。
 恥ずかしながらエルマの中にあったアサシンへの『恐れ』が雲散していくのを感じる。この暗殺者は自分が裏切らない限り絶対にこちらを裏切らないだろう。
 魔力量が平均的魔術師より下回っている為、魔力供給が少なくて済むアサシンのサーヴァントを敢えて選び召喚したのだが、その判断は正解だったらしい。

「あと最後にもう一つだけ聞いて良いですか?」

「何だろうか。私に答えられるのであれば答えよう」

「アサシンは……その、昔からそんなに小さかったんですか?」

「――――――」

 アサシンが沈黙した。白い仮面のせいで表情は分からないが、もしアサシンに顔があれば呆気にとられた顔を浮かべていることだろう。
 もしかしたらアサシンにとっては触れられたくない話題だっただろうか。エルマは慌てて言い訳をする。

「す、すみません! 私より背が小さい年上の人なんて初めて見たので……。あれ? アサシンは私より年上でしたっけ?」

 生まれた年数と死んだ年数がしっかり歴史に刻まれている英霊なら兎も角、無貌の反英雄たるハサンは生まれた年数も死んだ年数も不明だ。だからこの小躯の暗殺者がエルマ・ローファスより年下ということも考えられる。
 暫くの沈黙の後、アサシンは首を横に振った。

「死んだ年までで換算するのであれば、私は御主君よりも年上だ」

「あ、そうなんですか……」

「私が生前からこの体躯であったことも然り。他の英雄と違い暗殺者が狙うは目標の生肌のみ。岩を砕く怪力も、竜を縊り殺す腕力も必要ない。暗殺者が欲するのは命を正確に奪う得物と目立たぬ姿である。だから生前の私は自らの隠蔽力をあげるため自らの肉体を改造した」

「改造?」

 パラメーターに記載されていたアサシンのスキルに『自己改造』というものがあったのを思い出す。自身の肉体に、まったく別の肉体を付属・融合させることで能力を上昇させたり体を変化させる技術だ。ただしこのランクが上がればあがる程、正純の英雄から遠ざかっていくという。
 サーヴァントという殻に収められたことで与えられる『クラス別技能』とは違い、保有スキルは英霊が生前からもっていた技能・特性だ。
 自然にアサシンのような小躯の人間が生まれるとは考えにくい。だから生前のアサシンはこの技術で自らの体を異様に小さく変質させたのだろう。

「霊体化が出来るサーヴァントの身では余り意味のないことだが、生前の私はこの体の小ささを活かして普通なれば入り込めない場所にも僅かな隙間から侵入することができた。
 キャスターとの戦いで彼奴の攻撃を躱し続けたのも攻撃を受ける面積が少ないからというのもある。小さい身故に腕力には自信はないが、私の特性上、力の強さは余り意味のないことだ」

「ああ。そういうことだったんですね」

「むっ。なにがか?」

「こっちの話です」

 使用する聖遺物にもよるが、召喚されるサーヴァントは召喚者と性質が似通ったものが選ばれる傾向がある。その例でいうならアサシンの場合は歴代ハサン・サッバーハから自分に似通ったハサンが召喚されるのだろう。
 エルマ・ローファスとこのハサンは似ている。成功か失敗か。自分の意志だったか他者の意志だったかの違いはあるが――――エルマ・ローファスの境遇とハサンが自らを改造した経緯は似通っていた。
 きっとその縁があったからこそ、このハサンは自分の召喚に応じたのだろう。
 エルマはすっと目を閉じた。

「御主君?」

「寝ます。なにかあれば起こして下さい」

「……ミルクティーは飲まれたか?」

「貴方が戻って来る前に。あとアサシン、寝る前にミルクティーを飲むのは単に私がそういう習慣だからというだけで、飲まないといけない義務があるわけじゃありませんよ。薬じゃないんですから」

「御意」

 ガタガタと列車が揺れる。この分には微睡に身を任せ、目が覚めたた頃には冬木市に到着しているだろう。
 エルマはアサシンに眠りの警護を任せると、眠りの世界へ落ちて行った。



[38533] 第15話  赤き魔術師の帰還
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:52
 ちゅんちゅんと鳥が鳴いていた。青い空から降り注ぐ太陽光が街を照らしている。気温も……この寒い季節にしてはそれほどではない。時計の針が0を超えてから六時間後、日差しが目に入ったことで、冥馬は眠りから覚め目蓋を開けた。
 ナチスの襲撃という異常事態から始まった聖杯戦争だが、早いもので今日で三日目である。
 そして三日目にして漸く冥馬と監督役である璃正は冬木市の地に足を踏み入れていた。

「漸くの冬木市だな」

 感慨深く冥馬は呟いた。
 前回と前々回の聖杯戦争でも『冬木市に到着する』ことにこれほど苦労したマスターは他にいないだろう。ランサー、ライダー、アサシン。サーヴァントの数だけでも三騎、三体ものサーヴァントとここに来る過程で戦闘することになった。うち二つは軍隊のおまけつきである。遠坂冥馬の人生を通しても冬木市に辿り着くまでの二日間は最も濃密な時間だった。
 しかしこんなものは序の口。少なくとも冥馬の知る限りにおいて聖杯戦争の脱落者はゼロだ。ナチスと帝国陸軍ばかりに注意がいきがちになるが、遠坂と同じく御三家に名を連ねる『間桐』と『アインツベルン』も百五十年前からの因果に決着をつけるべく最強の主従を送り出してくるだろう。更にはまだ見ぬ外来の魔術師も、これはという英霊を呼び出して戦いに挑んできているはずだ。
 冥馬は隣りにいる璃正を見る。
 
「どうしたのかね?」

「いや」

 散々な結果に終わった前回の聖杯戦争の失敗を鑑み、被害と犠牲を最小限にするため監督役が派遣されはした。璃正の人柄と能力についてもこれまでの二日間で冥馬は良く知っている。言峰璃正なら並大抵の異常事態は問題なく対処できるだろう。
 だがそれはあくまでも並大抵の範疇に事態で済めばの話。七体の英霊と七人の魔術師、そしてナチスと帝国陸軍の激突――――これがどのような運命へ導くかは神ならぬ身でなければ分からぬことだろう。

「……ここが、冬木市なのか」

 帝都から離れた場所にありながら、港町として栄えた為にそれなりに近代的な街並みを眺めつつ璃正は言った。

「聖堂教会から渡された資料に冬木市の写真はなかったのか?」

「写真ではなく生で見なければ分からない事もある。それに写りが悪かった上に撮影した場所が悪かったのか写真が曖昧で、とてもじゃないが冬木市全体の様子なんて分からなかった」

「なるほど」

 最近の科学の進歩は魔術師である冥馬にとっても、否、魔術師だからこそだろうか。驚くことばかりだ。しかし写真というのは生で見る景色と異なり、色が白黒だけなせいでどうにも見難いのだ。
 尤もこの世界に五つを除いた神秘を追放した科学技術である。時代が進めば白黒ではなくカラーの写真を撮る技術も生まれることだろう。それがいつになるのかは科学者ではない冥馬の知ることではないが。

「それに――――とてもではないがこの街に七体の英霊を呼び寄せるような『聖杯』が眠っているとは思えない。至って普通の地方都市だ」

 璃正の発言には冥馬も同意である。この土地の管理者である冥馬の目から見ても冬木市はなんの変哲もないのどかな街だ。街中に謎の地上絵が浮かんでいるだとか、空が紫色になっているだとか。目に見える異常はどこにもない。
 
「聖杯戦争、それに魔術は秘匿するもの。まさか駅前に『聖杯戦争名物の地、冬木市』なんて大々的に張り出すわけにもいかないだろう」

「確かに」

 璃正が苦笑いする。そんな張り紙を出した日には冥馬だけでなく監督役である璃正も事後処理で大忙しになるだろう。
 聖杯戦争のことは魔術と関係のない一般人には絶対に漏らしてはいけないのだ。もしも一般人に聖杯戦争が露見すれば口封じに殺すか記憶を消すかしなければならない。

「三日ぶりだっていうのに遠坂の家が懐かしく感じるな。本当なら遠坂のマスターとしてさくさく敵を倒していきたいところだけど……今日は流石に疲れもあるから、一日休息を置くか」

「ふん。疲れたのはこっちだ。誰がお前達をここまで運んできたと思ってる? 夜の間マスターの御命令通り黙々と冬木市を目指し走っていた俺と違い、お前と璃正はアホズラ引っ提げて寝ていただろう」

 実体化したキャスターは貨物列車に置いていかれたせいで、体の良い足として使役されたことの苛々をぶちまける。
 キャスターの立場になって振り返ってみれば召喚された早々に召喚者が殺され、マスター権が譲渡され、一夜明けてからは怒涛の二連戦からの夜通しの全力疾走。余程人間のできたサーヴァントでなければ文句の一つや二つ言いたくなるのも無理もないだろう。

「はいはい。分かってるよキャスター。一番疲れているのは誰かってくらい。だからこそキャスターの為にも今日は休息にする。それで構わないな?」

「生前であればどんな理由があろうと馬車馬の如く働かせるし、俺も働いていたところだが、俺と違い貴様は脆い。一日に一度睡眠が必要なくらいに。休息くらいは認めてやる」

「いやいや。一日に一度睡眠をとるのは生き物としての基本だろう?」

「俺は一週間に一度の睡眠が基本だったが?」

「……なんだか、すまない」

 そういえばアーサー王が生きていた頃の当時のブリテンはかなり貧しい国だった。キャスターも生前は貧しい国の運営に日夜頭を悩ませ眠る時間などなかったのだろう。
 相手が英霊といえど、その労働環境を思い冥馬は心の中で同情した。
 
「そんな目で俺を見るな鬱陶しい。これでは俺が『私は可哀想ですよー』と自己主張する頭がファンタジーなお姫様みたいだろうに。俺はお前に心配されるために言ったわけじゃない。そもそも俺はお前とは体のできが違う。常人なら死ぬほどの仕事量も平然と乗り越えるからこその英雄だ」

 不機嫌を露わにキャスターが毒づく。 

「つまりなんだ。貴様に体調を崩されては俺の方が困る。聖杯戦争中に病人の介護なんて俺もしたくはないからな。だから冥馬、お前も今日は休むことだ」

 冥馬が返答する前にキャスターは言い終えたとばかりに霊体化して姿を消してしまった。試にキャスターを呼びかけても再び実体化することはない。
 口調はアレだったがキャスターはキャスターなりに冥馬のことを心配してくれていたのだろう。

「さて。それじゃ行くか」

「うむ」

 冥馬は璃正を連れ冬木市を歩く。こうして街を歩いてみても久しぶりの冬木市は特に変わった様子はない。サーヴァント同士の戦いの跡のようなものもなかった。
 聖杯戦争が開始して三日が経っているというのに、まだ間桐やアインツベルンがサーヴァントを召喚していないなんてこともないだろう。肝心の『聖杯の器』が冬木にないために動くのを躊躇っていたのかもしれない。

(だとすれば)

 監督役が冬木教会に到着し『聖杯の器』が冬木にあると、全参加者が確認した今日を切欠に戦いは激化するだろう。
 これまで冥馬は兎にも角にも『冬木市へ璃正を連れて戻る』ことを考えて戦ってきた。だから敵と遭遇しても先ず生き延びることを第一に考えてきた。
 だがこれからはそうもいかない。三日目ともなればそろそろ参加者が脱落してきても不思議ではない頃合いだろう。
 こうして璃正と呑気に冬木市の気候や特色について雑談しながら歩いている冥馬も、明日にはこの世にいないのかもしれないのだ。父・静重より受け継いだ令呪の刻印は重く冷たい。

「ここまでだな」

 冬木市にある高台にきて冥馬は足を止めた。

「ここが監督役の……教会?」

 冬木市の高台は他とは周囲が一変していた。
 元々は間桐が根を下ろしていた地だったそこは、今では高台の全てを聖堂教会が購入し教会の土地となっている。右を見渡しても左を見渡しても地面がしっかり人の手で舗装されており、その中心には荘厳と聳え立つ教会があった。
 神を信仰する者のみならず、神を信じない者にすらある種の畏敬を抱かせるその教会は『聖杯』を巡る争いを監督する者の家としては十分過ぎるほどのものだった。これほどの教会は日本中探してもそうはないだろう。

「驚いた。まさか私のような若輩者がこれほどの教会を管理することになるとは」

 璃正も想像以上に荘厳なる教会の威容には目を奪われているようだった。
 本当なら冥馬も教会の中まで同行して、この教会の建設工事にまつわるあれこれを話したいところだが、聖杯戦争の参加者という立場がそれを許してはくれない。

「ここでお別れだな璃正。ここから先は璃正一人で行ってくれ」

「ああ、分かっている」

 聖杯戦争のマスターが教会に訪れるのはマスターの届け出をする時と、戦いに脱落し保護を求める時だけ。
 例えここまで璃正を護衛していた冥馬だろうと、キャスターを従えるマスターである以上は教会に足を踏み入れることはできないのだ。マスターの届け出についても冥馬はとっくにすませてしまっている。

「成り行きとはいえ君には随分と世話になってしまったな……。冥馬、もしも君が――――」

「辛気臭い話はいいさ。俺も……いいや私も遠坂の当主としての義務を果たしたまでだよ。だがそうだな、聖杯戦争が終わりマスターでなくなればこの教会で呑気にティータイムと洒落こむのも悪くない。祈りを捧げろというのは勘弁願いたいが」

「ははは。魔術師であればそうでしょうな」

 遠坂冥馬と言峰璃正、出会ってから日も浅ければ性格的にも余り似ていない二人である。冥馬は普段人前では遠坂当主として一部の隙もない人間を演じているが、地は完璧な当主というよりは不良貴族だ。対する璃正は爪の先から頭の天辺まで神に仕える信徒。だというのに二人の間には十年来の友人のような和気藹々とした雰囲気があった。
 友人となる最も手っ取り早い方法は『共通』のことを見出すことであるが、共に死線を潜り抜けたという経験もまた立派な共通事項だ。

「迷惑ついでというわけでもないが、一つ私には懸念することがある。君の意見を聞いておきたいのだが良いだろうか?」

 穏やかな表情を消し、一転して深刻な顔で璃正が口を開く。

「懸念? なんだ?」

「ナチスと帝国陸軍だ。監督役は中立……だが彼等がその中立を破ってまで『聖杯の器』を狙ってきているのは君も知っての通りだ。この教会で聖杯戦争の管理を担うのは良いが、果たしてナチスや帝国陸軍なら『聖杯の器』を求めて中立を破ることは十分考えられる」

「彼等の襲撃を受けた身として全面的に同意だな」

 やり方に若干差異はあれど手段を選ばず聖杯を手に入れようとしているという点でナチスと帝国陸軍は同じ穴のムジナだ。
 そして連中が軍隊とサーヴァントを用いて教会に押し寄せて来れば、仮に教会が腕利きの代行者で警護されていようと何の意味もなさないだろう。
 冬木市に来るまでは冥馬が璃正を護衛したが、まさか冥馬が教会に留まり四六時中璃正の護衛をするわけにはいかない。冥馬が良くても間桐やアインツベルンが文句を言ってくるだろう。

「こういうのはどうだ?」

「ほう」

「ナチと陸軍の連中はアレだが、参加者全員が暴挙を容認しているわけじゃない。ことが『聖杯の器』ともなれば遠坂だけじゃなく間桐やアインツベルン、外来の参加者も黙っていないだろう」

「『聖杯の器』がどこか特定の勢力の手に渡るということは、己の勝利が遠ざかることでもあるから当然そうでしょう」

「そこで間桐やアインツベルン、ナチスに帝国陸軍。他に居場所を知れている外来の魔術師たちにも布告を出す。『もしもルールを破り教会に敵対行為に及んだ者がいた場合、それ以外の全ての勢力をもって違反者を倒すこと』と。これならばナチスや陸軍もそうそう暴挙には出れないだろう」

「言いだした本人である君はまだしも、他が聞くかね?」

「聞かざるを得ない。どこの勢力も他の勢力の手に聖杯が渡るのだけは阻止したいはずだからな」

 サーヴァントに追加して軍隊という戦力を抱えているナチスと帝国陸軍も、流石に六体のサーヴァントを相手にしては一溜まりもない。牽制としての効果は十分のはずだ。

「ありがたい。これで懸念事項が薄らいだよ」

「どういたしまして、これは貸しにしておくよ。さて、これで本当にお別れだな。それじゃ次に会う時は勝者として聖杯を取りに来るから、くれぐれも頼むよ」

「聖堂教会の意向とあらば全力で万進するが私の使命。言われるまでもない」

 自然に冥馬は手を差し伸べていた。一瞬璃正は面食らうが直ぐに苦笑しつつも手を握り返してくれた。
 短い握手。魔術協会と聖堂教会、相容れぬ組織に身を置く者同士なれど、奇妙な縁もあってこうして行動を共にしてきた。
 しかしこれからは其々の役目に戻らなければならない。暫しなのか永遠のになるか分からぬ別れの挨拶。この握手にはそういう意味も含まれている。
 
「では再会の日まで壮健で」

 握手を終えると冥馬は遠坂邸へ、璃正は聖堂教会へと歩いていく。冥馬の側にはキャスターが控えており、璃正の手には聖杯があった。
 冥馬と璃正が再び会う事があるとすればそれは聖杯戦争の大一番となるだろう。それまでどちらかが生きていればの話だが。 



[38533] 第16話  プリンス
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:53
 始まりの御三家は『大聖杯』を作り出すに当たり其々の持つ叡智を結集させた。
 アインツベルンは聖杯の器とサーヴァント召喚の基盤を。遠坂は冬木という聖杯降霊に耐えうるだけの霊地と、世界に孔を穿つ技術。
 そして御三家に名を連ねる最後の家――――マキリ。マキリが提供したのは聖杯の完成に必要不可欠のサーヴァントシステム、サーヴァントを従えるための首輪たる『令呪』だ。
 大聖杯の起動から150年が経過してもマキリは〝間桐〟と名を変えて、遠坂と同じくこの冬木市に根を下ろしている。
 もっとも同じ土地に居を構えながら遠坂と間桐が辿った道筋はまるで正反対だ。
 遠坂はこの地で辿ったのは〝繁栄〟だ。遠坂家の初代当主〝永人〟は魔法使いたるゼルレッチの弟子である。そのため時計塔の貴族と言われるほどの名門と比べ、歴史は浅いながら時計塔でも一目置かれてきた。更に魔術師となる前は、禁教の保護に尽力したために聖堂教会にも顔が効く。
 二つのパイプを活かし徐々に魔術師としての地盤を整えつつ、初代から始まり静重、冥馬と魔術師としての血と才能をより濃くしていっていた。若き天才たる遠坂冥馬が時計塔で名を馳せたこともあり、今の遠坂には嘗てない勢いがあるといっていい。
 だが遠坂とは正反対に〝間桐〟が辿って来たのは没落の一途である。元々そういう運命だったのか、それとも冬木の地が彼等に合わなかったのか。間桐は代を重ねるごとに〝魔術回路〟を減少させ続けてきた。それこそ後もう何代も重ねれば魔術回路そのものが消えてなくなるかもしれない。もしそうなれば聖杯という悲願を目の前にしながら、魔術師の家としては事実上消滅したも同じだ。
 それでも今の間桐が遠坂やアインツベルンと並んで御三家としての面子を保っていられるのは、大聖杯起動に立ち会った賢者たちの中で唯一存命しているという〝翁〟と、久方ぶりに生まれ落ちたそれなりに上等な魔術回路をもつ後継者の存在故だろう。
 間桐家の屋敷は比較的に遠坂の邸宅にほど近い場所にあった。
 魔術師の家らしく入ってきたものを逃がさない閉じた佇まいなのは遠坂の屋敷と同じだが、間桐の屋敷は財政的には管理者を上回っているためか、遠坂のそれより大きな造りとなっている。しかしその屋敷は遠坂以上に見るものに潜在的恐怖感を起こさせる異様な空気があった。
 その屋敷の応接間にあるソファに青い着物を着た女性が腰を下ろしている。テーブルには並々とワインが注がれたグラスがあったが手をつけた様子はなく、花瓶には青い紫陽花が挿してあった。
 青みを帯びた濡れ羽色の長髪と気品のある簪。白魚のような肌と端正な顔立ちも相まって着物美人という四文字を体現したような女性だった。しかし彼女の口元には外観の印象に反した嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
 彼女こそ間桐狩麻。間桐家から久々に生まれた上等な魔術回路の持ち主にして、今代の間桐の当主だ。
 御三家たる間桐の当主である彼女の左肩には着物で隠れて見えないが赤い刻印――――令呪があり、彼女が聖杯戦争に挑むマスターであることを示している。

「ふふっ。冥馬ったらやっと冬木市に戻ったら、こんな手紙を送りつけて来るなんて。相変わらずなんだから」

 今日使い魔により届けられた手紙をテーブルへ投げ出しながら狩麻は微笑を浮かべる。
 冥馬からの手紙、と狩麻は言った。しかし実際にはその手紙は監督役たる言峰璃正から全てのマスターへと宛てたものであって、送り主は『遠坂冥馬』ではない。
 だが恐らくはこの聖杯戦争で誰よりも〝遠坂冥馬〟に執着している狩麻だからこそ分かったのだ。その手紙に僅かにある遠坂冥馬が凝らした策謀の残り香が。

「監督役を迎えに帝都へ行ったら、そこで戦いに巻き込まれてサーヴァントを召喚した……こうして自分で言ってもにわかには信じられない推理けど、ドジな冥馬なら全然有り得るわね」

 遠坂冥馬の人格を知り尽くしている狩麻には、その後の冥馬がどういう経緯でこの冬木市に戻ったのか大体のところは推測できる。
 大方監督役である言峰璃正と一時的に協力でもして、敵の襲撃を回避しつつこの冬木を目指したのだろう。監督役に助言して聞き届けさせられるほどの信頼関係を育みながら。
 冥馬らしいといえば冥馬らしい、と狩麻は笑みを深くした。

(それに嬉しいわ。こうして貴方も聖杯戦争に私と同じマスターとして参加してくれたんだもの)

 間桐狩麻にとって遠坂冥馬は乗り越えるべき壁の象徴ともいえる男だ。
 狩麻には間桐家の魔術師としては才能がある方だが、全ての魔術師たちと比べれば精々が中の上程度。無才でも凡才でもなく秀才、それが客観的な狩麻の自己評価だった。
 けれど遠坂冥馬は違う。冥馬は一言でいえば天才だ。魔術回路の数と質、そしてなによりも凡愚では決して思いつかないことを思いつく発想力。
 あらゆる才能において遠坂冥馬は歴代随一だろう。歴代遠坂を見てきたわけではないが、自信をもって断言できる。
 だからこそ魔術師としても人間としても、遠坂冥馬は常に間桐狩麻の一歩前を歩いていた。
 努力をしなかったわけではない。自らの肉体を蟲の苗床とするという女の身にとって嫌悪感を催さずにはいられない魔術、それにどっぷりと傾倒しながらひたすらに遠坂冥馬を超えるための修練を重ねてきた。

(でもどれほど血の滲む努力をしても無駄。だって私が血の滲む努力をしても貴方も同程度の努力をしていたんですもの)

 単純な計算だ。努力の量が同じであればより才能のある方が進歩が早い。だから自らの家で修行に励んでいる時でも、共に時計塔へ留学してからも遠坂冥馬は狩麻の前にいた。
 無論魔術にも得意な属性があるため、間桐狩麻の属性に類する分野においてだけなら遠坂冥馬よりも上だっただろう。だが条件が同じであれば必ず遠坂冥馬は間桐狩麻の上をいく。魔術師としての評価、実力、その全てがだ。
 故に狩麻は令呪が宿るよりも前から、聖杯戦争において遠坂冥馬を倒すと決めていた。
 間桐狩麻の生き方の指針とは下剋上。秀才である自分が努力によって天才を超えることにある。時計塔にいた多くの天才はそうやって上回って来たが、最も身近にいた同族以外の魔術師を超えることは時計塔でもこれまでの人生でもついぞ出来なかった。
 だからこそ聖杯戦争で雌雄を決しようと思っていたのだが、

「――――最初、令呪が貴方じゃなく貴方の父に現れたと聞いた時はとっても憎々しかった。参加権を貴方から奪った貴方の父が、貴方を選ばなかった聖杯が、そして聖杯に見放された貴方が。
 もう馬鹿らしくってお爺様の言いつけなんて無視して令呪を破棄して時計塔に戻ろうかと思ったわ」

 マスターである自分がサーヴァントを用いてマスターではない冥馬を殺す、というのも考えはした。
 しかしそれでは駄目なのである。間桐狩麻が遠坂冥馬の上に立つには同じ条件のもとで戦い、上回る必要がある。サーヴァントのいない遠坂冥馬を殺しても、間桐狩麻は冥馬に遅れをとったままだ。
 だから遠坂静重が死に、遠坂冥馬がマスターになったという情報は狩麻にとって祝福だった。

「今では令呪が貴方じゃなくてあの老い耄れに宿ったことも、貴方が生きてマスターとなるためのものだったと誉めてあげたいくらい。ふふっ」

 間桐狩麻はマスター、遠坂冥馬もマスター。これで条件は互角。だとすれば勝敗を分けるのは魔術師としての能力、マスターとしての適性、サーヴァントの強さだ。
 この戦いで狩麻が冥馬に勝てば、それは間桐狩麻が遠坂冥馬の上をいった証明になる。

「随分と機嫌が良いようじゃの。狩麻よ」

 しわがれた声で声を掛けてきたのは大聖杯の起動に立ち会った者の一人にして、間桐家の事実上の支配者ともいえる間桐臓硯だった。
 狒々のように皴だらけの老人で如何にも好々爺めいた笑みを浮かべているが、この老人が人ならぬ〝妖怪〟であることは間桐の形式上の当主であり、この老人と同じ蟲使いである狩麻は良く知っていた。
 戸籍上この間桐臓硯は間桐狩麻の祖父ということになっているが、狩麻の記憶がボケていないのなら十五年ほど前は曾祖父だったはずだ。それがいつのまにか戸籍も周囲の認識も〝祖父〟ということになってしまっている。

「――――――」

 狩麻は知っていた。間桐臓硯は老人の姿をとっているが実際にはとうに人間としての肉体などは消え去っていることを。
 間桐臓硯という魔術師の形を作っているのは夥しいほど無数の蟲達だ。臓硯は人間の器を捨てて、器を全て蟲とすることで五百年もの月日を生き長らえてきたのである。
 常人なら吐き気を催すだろうが、ここまでくると狩麻は嫌悪を通り越して驚嘆すらする。体を蟲にして生き長らえるなど大凡正気とは思えない。どれほど生き汚い者でも蟲の群体に成り果てるくらいならば潔い死を選ぶだろう。
 間桐臓硯が常人を遥かに超えるほど生へ執着するほどの俗物だったのか、或いは妖怪と成り果ててまで生きねばならぬ理由があったのか。それは狩麻も分からない。
 だが一つ言えるのは間桐狩麻が間桐臓硯に対して良い感情を抱いていないということだ。
 狩麻は露骨に溜息を零しながら振り返る。

「なに、お爺様? 私は久しぶりに良い気分でお酒を愉しもうと思っていたの。邪魔しないで欲しいわね」

「呵呵呵呵呵、そう老骨を邪見にするでない。可愛い孫娘の門出を祖父として祝いにきたまでじゃて」

「らしくない。どういうつもり?」

 数百年も生きた人間というのは娯楽に飢えるのか。間桐臓硯という妖怪は極稀に本当に好々爺らしい優しさを垣間見せる時がある。
 だが狩麻はこれまで嫌々ながらもこの妖怪に教えを受けてきた身として今がその時ではないと察することができた。

「例外的に帝都において戦端を切った此度の戦いじゃが、遠坂の子倅と監督役の坊主の冬木到着をもって聖杯戦争は正常へ戻った。
 じゃが正常に戻りながらも今回には前回や前々回には見なかった珍客もおるようじゃのう。儂も過去の聖杯戦争は俯瞰してきたが、表側の軍隊が介入するのは初めてのこと。この戦いがどう転がるかは儂にも予想がつかん」

「だから――――今回も見送るの、貴方は?」

 ニヤリと臓硯は嗤う。それが応えだった。
 大聖杯起動に立ち会った賢者たちがそうだったように、聖杯戦争に挑むマスターたちがそうであるように。この五百年を生きた妖怪にもまた聖杯を求める理由と願いがある。
 様々な願いをもつ人間がいる中、間桐臓硯の願いとは実にシンプルなものだ。間桐臓硯は『不老不死』が欲しいのである。蟲から蟲へ、定期的に体を変え続けなければ体が腐り果ててしまう延命などではなく、悠久の年月を超えようと決して衰えぬ完璧な不老不死が。
 だが慎重な性格である間桐臓硯は必勝が期待できなければ戦いには参加しない。そうやって最初の聖杯戦争も前の聖杯戦争も見送ってきた。此度の第三回目もまた臓硯は見送ろうというのだろう。
 
「お爺様はこの家で眺めていると良いわ。この私が冥馬を倒して聖杯戦争の勝利者となる瞬間を。私が勝ってもお爺様には聖杯を渡したりしないから」

「ほほう。その意気込みやよし。よいよい、お主が独力で聖杯を手に入れたのであれば聖杯はお主の物。お主が好きに使うがいい」

「…………………………」

 そう言う臓硯だが腹の内は妖しいものだ。これは勘だが臓硯の予想に反して狩麻の指が聖杯に手が届けば、その瞬間、この妖怪は後ろから刃を向けてくるに違いない。
 遠坂冥馬の執着であれば狩麻は誰にも負ける気がしないが、聖杯に対しての執着であれば狩麻は臓硯の足元にも及ばないだろう。ある意味では狩麻が聖杯を手に入れるにあたり一番難敵なのは、敵のマスターやサーヴァントではなく間桐臓硯なのかもしれない。

「呵? これは監督役からの言伝かの」

 臓硯の目がテーブルに置かれた手紙に止まる。臓硯はその手紙をとると、その中身を読み上げた。
 既に内容には目を通していたので狩麻はなんのリアクションを起こすことなくそれを見送る。

「〝中立を破り教会に対し敵対行為に及んだマスターが出た場合、他の全てのマスターを結集しその違反者を排除する〟…………言峰璃正とか言ったか。聖堂教会から派遣された坊主というのは。中々どうしてやりおるわ」

 新しい娯楽を見つけたと言わんばかりに臓硯が嬉しそうに言った。

「一見すると単なるブラフ以外のなにものでもない。監督役とはいうけど、マスターには監督役を守る義務なんてないし、目的のためなら手段を択ばない合理主義者が魔術師。教会に定めたルールなんていざとなれば無視するし、いざとならなくても守る必要のないルールなら踏み躙る」

「ほう」

「けれど、監督役が『聖杯の器』を管理しているとなれば話は別。他の陣営に『聖杯の器』を渡さないために監督役からのこの言伝に従うしかない」

「上々上々。そこまで分かっておるのであれば儂から忠告することは何もないようじゃな。同じ血を分けた兄妹というに、霧斗の奴とは大違いじゃ」

「当たり前でしょう。私をあのノロマで愚図の霧斗と同じにしないで」

 間桐霧斗は臓硯の言う通り狩麻とは血を分けた兄妹だが、霧斗はそこそこの魔術回路をもちながら大した修行もせず、かといって間桐から出ることもせずに、間桐の財産を食い潰しているだけの寄生虫のような男だ。今も自分の部屋にこもって度数の高いアルコールを飲んでいるだろう。
 才能以上に努力をもって時計塔で生き抜いてきた狩麻からすれば、そんな兄は侮蔑の対象以外のなにものでもない。許されるのならば今すぐにでも二階へあがり首を締め上げ殺してやりたいくらいだ。
 殺してないのは単にあんな愚図の血で自分の手を汚したくないのと、臓硯に止められているからに過ぎない。

「お主がたゆまぬ研鑽により時計塔でも一角の魔術師として大成したのはこの儂にとっても鼻が高いことよ。だがの狩麻よ、遠坂の子倅にせよナチスにせよ陸軍にせよ。此度の聖杯戦争に挑むにあたり相応のサーヴァントを招聘しておるじゃろ」

「でしょうね」

 同じ御三家たる遠坂は言うに及ばず。ナチスも帝国陸軍も国を挙げて参戦してきているのだ。確実に名だたる英霊を呼ぶための聖遺物を手に入れ、強力なサーヴァントを召喚してくるだろう。
 特にナチスは聖杯戦争の兆しが見える以前より総統の命により世界各地の聖遺物を集めていると聞く。その中には英霊召喚にもってこいの品もあるはずだ。
 間桐狩麻が魔術師として優れていようとサーヴァントが三流では話にならない。けれど、

「心配性なご老体だこと。だけど安心していいわ。聖杯戦争を制するに相応しい英霊を私は手に入れているのだから」

 丁度二日前、間桐家地下の蟲蔵にて降臨したサーヴァント。知名度・霊格・強さ――――そして英霊の切り札たる宝具。そのどれもが一流のサーヴァントだ。あのサーヴァントと比肩しうるような英霊などそうはいないだろう。
 もっとも、
 
「あれが、か?」

 強さ以外の部分に激しい問題を抱えているのではあるが。

「そうよ」

「本当かのう」

 臓硯は疑わしそうな目で狩麻を睨んでいる。この老人には似つかわしくない疲労感が混じった恨みの視線だった。普段ならいけ好かないこの翁の苦しみは狩麻にとっては清々することでしかないのだが、なまじ狩麻には臓硯の気持ちが良く分かるせいでどうしてもそれを喜ぶことができない。

「しつこいようじゃが、あの英雄は強力なのじゃろうな?」

「ホントにしつこいわね。その通りよ。あれが強力じゃないんなら大抵の英雄は雑魚になるわ」

 後のことも考えて狩麻は臓硯に自分のサーヴァントの真名を告げていない。使用した聖遺物にしても見ただけで分かるといった類のものではなく、その英霊が嘗て使用したワイングラスという事を除けば単なるガラクタだ。
 故に間桐臓硯はそのサーヴァントの真名を知らない。その結果がこの疑わしい目だ。
 不気味なまでの沈黙が両者を漂う。

「あーはははははははははははははははははははははははははっ!」

 その沈黙は場違いなほどハイテンションな笑い声で終わりを告げた。
 閉鎖され陰気な雰囲気漂う応接間に何故だか知らないが赤い薔薇の花弁が舞ってくる。否、舞いすぎてもはや薔薇の台風だった。更にこれまた何でだか知らないが歌劇で響いてそうな愉快げな音楽まで聞こえてくる。
 
「…………はぁ」

 臓硯が深々と溜息をついた。五百年を生きた妖怪も流石にこのテンションは苦手らしい。

「マスター。おおマスター!」

 ドアがバンと派手に開いた。けばけばしく赤々とした衣装を着込んだ男がバレリーナのようにクルクルと回転しながら部屋に突入してくる。
 百の乙女を瞬き一つで陥落させるほどの美貌の男が、バレリーナのように踊り狂いながら部屋を進んでいき、狩麻の前まで来ると立ち止まってポーズをとる。

「麗しの僕のマイ・マスター。そんなところでムッシュ・ゾォルケンとなにを話してるんだい? この僕も君達の茶会に混ぜておくれよ!」

 バーンと比喩ではなく何処からともなく効果音が鳴り響いてきた。辺りの床中には赤い薔薇がばら撒かれている。自分で掃除するのは面倒なので部屋で引きこもっている弟にやらせようと決めた。

「〝アーチャー〟。貴方が勝手に自分の服を新調したりするのは構わないけど、現れる時に一々薔薇をばらまかないでくれないかしらねぇ。あと私はお茶会なんてしてたわけじゃないわ」

「おやそうだったのかい? 僕としたことが早合点して紅茶とお茶菓子を持ってきてしまったよ」

 何時の間にかアーチャーはマイ・テーブル&マイ・チェアーを用意し呑気にココアを呑みながら寛いでいた。本人の申告通りテーブルにはお茶菓子も乗っている。

「私がお爺様と話してたのはこれよ」

 アーチャーに監督役から届いた手紙を投げ渡す。アーチャーは手紙を掴むと内容にさっと目を通し、

「ふふふふふふふっ。この戦いに監督を引き受けたというシンプソン。この華麗なる僕のワルツを見届けるに足るだけの頭はあるみたいだね」

 流し見するだけでアーチャーは監督役の意図について完全に把握した。ハチャメチャな態度に騙されそうになるがアーチャーとて歴史に己の燦然たる名を刻みつけた英雄。間桐狩麻や間桐臓硯でも分かることが分からない訳がない。
 
「遠坂の子倅がこの地に戻り、いよいよ聖杯戦争は本格化するじゃろう。アーチャーよ、お主は自分が勝てると思うのかえ」

「愚問だね」

 臓硯の問い掛けにアーチャーは黒髪を掻き揚げながら立ち上がった。背景に薔薇があるような優雅な仕草……と思っていたら、本当に背後に薔薇があった。
 
「聖杯戦争、それは七人の英雄たちが己の悲願をかけて戦い合う華麗なる戦場。生前叶わぬ悲願、やり残した想い……それらを抱えて彼等英雄達はこの地に集う。その戦いに麗しい華を添え、魂を揺さぶる戦慄を奏でる薔薇の花こそがこの僕! そして可憐なるレディ、我がマスターに聖杯という勝利を捧げるのが、華麗なるプリンスとしての使命さ!」

 濃い笑顔でサムズアップするアーチャー。本人の語る使命とやらに、マスターに聖杯を捧げることが含まれていたのは幸いだが、色々と追及したいことが満載だった。
 一つ一つ追及していれば日が暮れてしまうので、一番気になった事を尋ねてみる。

「プリンスって、貴方は王子じゃないでしょう?」

「フフフフフフフ、そんなのは些細な問題だよ。生前は関係ない。英霊たちに果敢に挑戦し、歌と踊りを奏でる僕を表現するのにプリンス以外にピッタリな言葉はないよ。ンッ~♪ プリンス、なんて良い響きなんだ」

 臓硯はじとっと睨んできていた。言葉はなくとも「本当に大丈夫なのか?」と視線が雄弁に告げている。
 アーチャーの振る舞いを眺めているとマスターである狩麻も心配になってくるが、取り敢えず彼が掛け値なしの英雄であることは事実なのだ。問題はないだろう。たぶんきっと。

「ついてはこのお屋敷。広さはいいのだけどプリンスのサーヴァントたる僕が身を休めるのにはちょっと錆び臭いね。ここはもっとより優雅かつエレガントにリフォームでもしないかい?」

「せぬわ」

「あと勝手に自分のクラスを変えないで。貴方はアーチャーのサーヴァントでしょう」

 嬉しくもなんともないが十年ぶりに臓硯と意見が合致する。
 狩麻の召喚したこの英霊はアーチャーのサーヴァントだ。アーチャーとしての宝具もしっかりと持っている。だがこのアッパー気味の性格に振り回されているとアーチャーよりバーサーカーの方がらしい気がした。

「おやおや。ナイスな提案なつもりだったんだけどね。だけど僕もこうしてサーヴァントとして召喚された以上、令呪という鎖で縛られたマスターのナイト……。そう言われては仕方ない。僕も引き下がろう」

「あ、アーチャー……」

 召喚されてからというものの常に全力で聖杯戦争から脱線した行動ばかりとっていたアーチャーが、粛々と自ら引き下がった殊勝な態度に狩麻は感動すらしかける。
 しかしその感動は即座に打ち砕かれた。

「なら仕方ないね! 見た目を変えられないならせめて僕の歌と旋律でこの家を華麗に彩ろうじゃないか!」

「しなくていいわ! そんなこと!」

「照れなくていいよハニー。はいこれ、ムッシュ・ゾォルケンにも」

 人の話も聞かずアーチャーは薔薇のリングを狩麻とあろうことか臓硯の首にかけてきた。余りのことにあの臓硯が目を点にして固まっていた。
 間桐を支配し続けた妖怪が首にフラワーリングをぶら下げているというシュール極まる光景に、狩麻はアーチャーの叱責すら忘れて噴き出してしまう。
 それをアーチャーはゴーサインだと勘違いしたのか、

「マスターの許可も降りたようだし冬木に舞い降りた路傍のギタリスト、プリンスの旋律をお聞かせしよう!」

「それはいいわ。止めなさい、アーチャー!」

 制止の声も間に合わない。アーチャーはどこからともなく取り出したギターを手に取り。
 彼曰く、美しい旋律を奏で始めた。



[38533] 第17話  最弱のサーヴァント
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:54
 相馬戎次がキャスターから受けたダメージは自然治癒であれば一か月以上は完治しないものだった。魔力の殆どを治癒に回しても一週間は治らないだろう。
 だというのに相馬戎次の体に刻まれた深々とした傷は一日も経つと殆ど完治していた。体にはまだ傷痕そのものは残っているが戦闘にはまったく支障がない。
 これには戎次のサーヴァントであるライダーも驚きを通り越して呆れ顔だった。

「戎次。まさかとは思うけど貴方……ゾンビとかなんかなんじゃないの?」

「失礼なこというな。俺は人間だ。あンな怪我なんざ銀シャリ食って寝りゃ治る」

「そんな風邪じゃないんだからさ」

「風邪も怪我も同じようなもんだ」

「全然違うよ」

 体の調子を確かめるため戎次は木刀を一閃する。軽く時速100㎞は超える速度の一振りは、風を両断し、鼓膜を切り裂くような音を鳴らした。
 魔術回路の質と量において遠坂冥馬に一歩劣るものの、相馬戎次は戦士としてではなく魔術師としても優秀だ。その魔術回路の全てを回復に使ったのだから常人より体の治りが早いのは当然といえよう。
 だがそれにしても一日で完治というのは異常だった。相馬戎次の肉体には優れた魔術回路以外に回復を促進させるような機能はどこにもない。人外の血が混ざっているというわけでもなければ、肉体を人ならざるものへ改造しているわけもない。魔術回路を除けば純粋な人間だ。
 だから精神論を嫌う現実主義者が聞けば実に苦々しく思うだろうが、戎次の回復の異常な速さは『単純に生命力が凄いから』としか説明ができないのである。

「理由はもういいよ。体が治ったってことは聖杯戦争を続行するにも問題ないわけでしょう。どこ狙うの? 遠坂冥馬にリベンジでもするのか、それとも監督役のいる教会に聖杯を取りに行く?」

 そう言いつつもライダーはその可能性は低いだろうと考えていた。
 監督役からの通達は戎次たち帝国陸軍が一時の拠点としている冬木市外れの地までも届いている。元々帝国陸軍の前線指揮官たる木嶋少佐は好戦的な人物ではない。少なくともこんな序盤に、他の参加者全員を敵に回すリスクを犯してまで『聖杯の器』の奪取という賭けに出たりはしないだろう。
 戎次とライダーの主従であれば奪取に成功する可能性は低くはないが、その後が大変だ。戎次が幾ら強いといってもサーヴァント一体と互角に戦うのが精々。サーヴァントが二人以上相手ともなれば敗北の未来しかないのだから。
 遠坂冥馬を狙うのは五分五分といったところか。戦闘力で戎次に及ばないとはいえ、遠坂冥馬は優れたマスターである。またそのサーヴァントもアーサー王というEXランクに迫るほどの英霊。そして遠坂冥馬たちがいるのは自分の家たる遠坂邸である。
 戎次が特殊なだけで魔術師は攻勢よりも守勢に強い。魔術師の工房というのは城主にとっては鉄壁の城壁であり、侵入者にとっては地獄の試練そのものだ。遠坂冥馬も聖杯戦争に挑むにあたり自らの邸宅に何重にも渡る罠を仕掛けているだろう。
 帝国陸軍の力を使い邸宅を爆撃する――――という方法もあるにはある。だが冥馬のサーヴァントは魔術師の英霊たるキャスター。遠坂邸の防備はキャスターの手が加わってより極悪なものとなっているはずだ。ましてや冥馬は実際に戦闘機の爆撃に襲われたこともあるのだし、それに対しての警戒は万全だろう。
 手の内を知っている相手から消す、というのがセオリーであることには違いないが、遠坂冥馬を相手するとなればこちらも大量出血は間違いない。それだけの危険を冒して序盤に勝負に出るのもまた微妙なところだ。

「どっちでもねぇ。俺達が行くのはアインツベルンだ」

「へぇ」

 意外といえば意外な名前が出てきたことにライダーは少しだけ驚いた。
 アインツベルンが拠点を構えるは郊外にある森。まるでお伽噺のようなことだが、アインツベルンはその森に自分達の国にある城をそのまま持ってきたという。
 現状拠点が分かっているのはこの土地に元々の居城をもつアインツベルン、遠坂、間桐の御三家だが、ライダーは慎重な木嶋少佐のことだから、より狙いやすい間桐を狙うだろうと思っていた。なにせアインツベルンを攻めるには広大な森を踏破しその上で城を攻撃しなければならない。深山町にある間桐と比べ数段その防御は固いとみていいだろう。

「理由を聞いていいかい? 私は戎次みたく上官様の命令があれば、どうしてそういう命令がされたかも分からずに火の海に飛び込める類じゃないんだ」

「〝聖杯の器〟だ」

「ん? 器なら遠坂立ち合いのもと帝都で監督役に引き渡されたんだろう。今更アインツベルンを襲撃しても意味なんてないんじゃないかい?」

「木嶋少佐の受け売りだがな。聖杯の器を監督役に事前に引き渡すってのは聖杯戦争前に御三家とか教会とかが定めたルールらしい。けど少佐が言うにゃアインツベルンがそう簡単に聖杯を監督役に渡すのは怪しいらしいんだと」

「千年、だったかい。アインツベルンってのが聖杯を求めた年月って」

「うちの大体倍くらいだ」

 千年に渡る悲願はもはや妄執と呼んで差し支えない。それだけの年月をかけたということは、アインツベルンの聖杯に対しての執着は並外れていると考えていい。アインツベルンからしたら『聖杯』を他の参加者と同じく求め争うということですら許せないに違いない。むしろ聖杯は自分達の物であるという認識を抱いていても不思議ではないだろう。
 だから確かに、

「監督役に渡した〝聖杯の器〟は真っ赤な偽物で、本物の聖杯はアインツベルンが隠し持ってる可能性はあるって戎次の上官は言うわけだね」

「たぶん、そうじゃねえかと思う。つってもあくまで可能性だ」

 可能性、そう可能性でしかない。アインツベルンが本物の聖杯を隠し持っているかもしれないという可能性。証拠もなければ根拠もない。あるのは推理という根も葉もない枝木のみだ。
 しかしことが聖杯となれば探るだけの価値はある。もしも空振りに終わればそれはそれ。ビンゴであれば聖杯戦争の趨勢を握ることができる。リスクとリターンとを比べれば中々悪い案でもないだろう。
 
(なんだか気になるね)

 これが例えば遠坂冥馬のような若く情熱に溢れた人物が下した指示というのであれば、ライダーはなんの疑いも抱かなかっただろう。迷いなく気合いを入れて作戦に参加したはずだ。
 だがこの命令を下したのは聖杯戦争という戦いに対してイマイチ熱意のない木嶋少佐。これがどうにも引っ掛かるのだ。

(私は戎次が戦うってなら、一緒に行って敵を凍えさせるだけだけど)

 なにかの間違いのような偶然でこの現世にサーヴァントという体で現界したライダーだが、相馬戎次という男の我武者羅なまでの闘志は個人的に気に入っているし、力を貸しても良いと思う。
 勿論折角得た自由な体だ。こんな機会は二度とないので自分の好きなこともさせて貰うが、サーヴァントとして犯してはいけない禁忌を犯すまいとは決めていた。
 だからマスターの更にマスターともいえる木嶋という人物についてもライダーは思考を巡らすのだった。

「アインツベルンの召喚したサーヴァントについては何か分かってるの?」

「知らん」

 戎次の返答は簡潔だった。ここまでキッパリと言い切るということはサーヴァント以外のこと――――アインツベルンの城に張り巡らせられている結界や、マスターの強さなどについてもさっぱりと分からないのだろう。
 嘆息しつつ一応は戎次の忠実なるサーヴァントとして忠言をすることにした。

「あのさ戎次。彼を知り己を知れば百戦危うからず……って知らない」

「馬鹿にすんじゃねえ。親父から教わったぞ。ソンコとかいう奴が書いた兵法書だろ」

「ソンコじゃなくて孫子だよ。……要するに戦うなら相手の戦力を把握しておいた方が良いってこと。何にも知らないで攻め込むのは無謀なんじゃないの?」

「危なくなりゃ逃げる」

「そりゃ私と戎次に、兵隊たちの援護もあれば大抵の相手からは逃げられるだろうけどさ」

「逃げても死ななけりゃ負けじゃない。負けるのは死ぬことだ。心が死ぬのは心が折れた時だ。生きて心が折れてなけりゃ負けじゃない」

 国を守る、生まれた国を守りたい。たったそれだけの純粋な想いだけでマスターと参加した男は、淡々と自分の生きる指標を飾りもせず吐き出す。

「聖杯がなくても、アインツベルンを倒せなくても。攻めれば相手のことの一つや二つは分かる。それでも全然分からなけりゃ何度も挑む。そうやって挑んでればいつか相手の全部が分かる。そうすりゃ負けない」

「単純なことでいいね。けどいいよ。戎次が戦うっていうなら、私はそれに従うだけ」

 そろそろ日が暮れ始めている。完全に日が落ちた時が、聖杯戦争が動く時間だ。




 冬木市郊外にある森、その奥深くにこの日本には場違いな西洋造りの古城はある。常冬の地にあるアインツベルンの城をそのまま移してきただけあり、身を凍らせるほどの冷たさにも耐えうるだけの頑強さがあった。
 遠坂や間桐と違い冬木市に確固たる拠点をもたなかったアインツベルンが用意した城は、常日頃は人気のない幽霊城であるが六十年周期の聖杯戦争期間中のみ、ここは冬の乙女を城主に仰ぎ、サーヴァントという騎士を頂く城塞と化す。
 そして聖杯戦争三日目の今日。アインツベルンの城と郊外に施された全ての魔術結界が発動した。

「森に敷いた結界の起動、確認しました」

 主に魔術に特化させた機能をもたされたホムンクルスが、城の窓から森を睥睨しつつ言った。
 アインツベルンが満を持して送り出したマスター、アルラスフィールは隠しても隠し切れぬ憂鬱な面持ちで頷く。

「ご苦労様。貴女はもう休みなさい。活動時間もそろそろ限界でしょう」

「はい」

 一礼してホムンクルスのメイドが去っていく。
 頑強な城に万全ともいえるほどの魔術結界。今やこのアインツベルンの城は不埒な考えをもつ外敵にとっては命が百あっても足らぬ魔境と化した。半端な覚悟でこの城に踏み込んだマスターは、この城に辿り着く前に命を落とすことだろう。
 これらの魔術結界を構築させたアルラスフィールにはサーヴァントという存在さえいなければ、何人たりともこの森に入った魔術師を生かして返さないという自信があった。

「はぁ」

 だがこれほどの守りの固い場所に身を置きながらもアルラスフィールの顔色は優れない。
 主に魔術のサポートを担当するホムンクルスがいなくなって、ここに残ったのはアインツベルン現当主にしてある意味アルラスフィールの悩みの根源ともいえるアハト翁の手で鋳造された、戦闘用ホムンクルスたちだ。
 アハト翁という当代最高峰の錬金術師によって生み出された彼女等は比喩ぬきでサーヴァントに匹敵するだけの身体能力をもっている。彼女等が装備しているのは錬金術で生み出したオスミウム製のハルバートであり、戦いに秀でた魔術師でも彼女等一人にすら及びはしない。
 流石にサーヴァント相手にするのは無理だが、それも単体であればの話。単体しかいないサーヴァントと違い彼女等には数がある。数の暴威をもって一斉に襲い掛かればサーヴァントを足止めすることもできるし、低級のサーヴァントなら撃破も可能だろう。
 本当に万全なのだ。肝心なあるものさえ除けば、アルラスフィールは必勝の誓いをもって今頃夜の街にマスターたちを倒しに赴いていただろう。少なくともここで穴熊を決め込むことはなかったはずだ。

「――――ふーん、あんまり気分がすぐれないようね。アルラスフィール」

 人を小馬鹿にしたような高飛車な声がした。声の発生源はアルラスフィールの背後。

「何の用です、アヴェンジャー。用がない限り実体化するなと申しつけたはずです。アナタの実体化するにも魔力が必要なのですよ」

 アルラスフィールは振り返ることもなく、万全の布陣における最大の穴――――自分の召喚したサーヴァントに言った。
 聖杯戦争における基本七クラスどれにも該当しないイレギュラークラス、復讐者のサーヴァントはなにが面白いのかくつくつと笑う。
 その笑が自分のことを貶されているように感じてしまいアルラスフィールは不機嫌そうに眉をひそめた。

「なにが可笑しいのですか?」

「あはははははははは。だって可笑しいじゃない。神霊クラスのサーヴァントを使役できるほど特別性の魔術回路を与えられたアルラスフィールが、たかがこの私如きを実体化させるのに惜しむような魔力なんて消費しないでしょう。というより私の実体化に消費する魔力は、貴女が現在進行形で自然回復する魔力量を下回ってるはずよ」

 天真爛漫に穢れを知らない少女のように穢れの塊であるはずの〝ソレ〟は指摘する。
 アルラスフィールは黙り込んでしまう。それの……アヴェンジャーの指摘は真実だった。最強の反英雄を御するために生み出されたアルラスフィールは、アヴェンジャーのような五流未満の雑魚サーヴァントを実体化させたところで全く消耗なんてしはしない。
 初めてアルラスフィールは振り返る。
 アヴェンジャーとして召喚されたソレは明るい部屋にいるにも拘らず、アルラスフィールの目には輪郭のはっきりしない影にしか見えなかった。ただどうにかそれが人の形をしていて、大体自分と同じくらいの身長であることだけが分かる。

「貴女が私を実体化させたくないのは、私のことが嫌いだからでしょう」

「……っ」

 これもまた事実だ。召喚されたこのサーヴァントのせいでアルラスフィールが聖杯戦争を制するという未来が絶望的になった――――というのもある。だがそれに対しての不満はどちらかといえばアハト翁に向いており、召喚されたアヴェンジャーそのものには向いていない。
 アルラスフィールがアヴェンジャーを嫌うのは…………実のところ理由などない。単純にアヴェンジャーの存在そのものが気に入らないから嫌うしかない、というのがアルラスフィールの感情だった。
 上手く言葉にできないが、アヴェンジャーを見ていると自分の醜い部分を見せつけられている気がするのだ。

「だけど貴女も頑固よねぇ。私のようなサーヴァントを召喚しておいてまだ勝負を投げてないんだから。まともな神経の奴ならとっくに令呪捨てて逃げ出してるわよ。というより私なら今直ぐこんな私を招くようにした奴をぶち殺してるわ」

「黙りなさいアヴェンジャー。私はアインツベルンのマスターとして『天の杯』を成就させるという義務があるのです。それがアインツベルンと我が鋳造主ユーブスタクハイトの意志なのですから」

「ご立派なことね。お馬鹿さん。それじゃどうせ負けるんだしさっさと行って死んできましょう。それとも最後の晩餐に地下にある酒蔵のものを全部呑む?」

「――――黙りなさいと言ったはずです。いい加減に黙らないと私にも考えがあるんですよ」

「令呪? ふふふふ、使えばいいじゃない。命じるのは自害? それとも心中? 自棄になって無差別殺人っていうのも私は構わないわよ。寧ろ本領ね。夜の街を徘徊して、罪のない人々を一人ずつ殺して回りましょうか?」

「アンリ・マユ。黙りなさい」

 ソレの真名を告げて凄む。するとアヴェンジャーは漸く口を閉ざした。
 暴虐であるが故に英霊となった者もいるが、大抵の英霊は高潔な人物だ。少なくとも好き好んで無差別殺人などをやろうとはしない。
 だがこのアヴェンジャーは違う。このアヴェンジャーの真名は『この世全ての悪』。ゾロアスター教における悪神。英雄に倒されるべき反英雄の極致だ。
 英雄に拘わらず人間は時に同じ人間を殺すことがある。その中には大量殺人を行ったものもいるだろう。けれど大量殺人者は多くの人間を殺しただけでは化物になることはない。
 金品が欲しい、愛情が欲しい、憎かった、腹立たしい、気に食わない。どれほど下らない理由があろうと、人間は理由がない限り人を殺すことはないのだ。
 だが化物は別。化物が人を殺すのに理由はない。〝殺す〟という行為そのものが目的となる者、それこそが殺人鬼であり怪物だ。
 故にアヴェンジャーはどれほど脆弱であろうと真正の怪物である。理由などなくとも、この反英雄は息を吸うように人を殺す。だが、

「どうしてアンリ・マユたるサーヴァントが、これほどまでに弱いのだか」

 思わずアルラスフィールは天井を仰ぎながら愚痴を零してしまった。
 アルラスフィールの顔色が優れない原因、それこそがこのアヴェンジャーの想像を絶する弱さなのである。近くに控えている戦闘用ホムンクルスですら片手でこのアヴェンジャーを殺すことができるだろう。

「ごめんなさいね弱くって。まったく自慢にならないけど、全英霊を見渡してもこの私より弱いサーヴァントはいないわ。マスターは神霊を御せるほどの魔術師なのに、サーヴァントがこれじゃ勝ち目はゼロよゼロ」
 
「最弱にも限度があるでしょう。どんなサーヴァントにも弱いなら弱いなりに取り柄があるものです。基本ステータスが弱くとも宝具やスキルが優秀であったり、または癖のある能力をもっていたり。
 なのにアナタはなんです。ステータスはどれも最低。碌なスキルもない。極め付きには英霊の切り札たる宝具すら持っていないなんて」

「ふふふふ。気休めにしかならないけど取り柄ならあるわよ。確かに私は最弱、だけど人間相手なら私は最強よ。英霊とか真祖を指先一つで爆発四散させるような魔人も、それが人間である限り私には勝てない。速さで『犬』と『蜘蛛』には負けるけど。
 あ、けど純粋な人間じゃないホムンクルスは対象外だから私を襲わせたりしないでよ。負けるから」

 怪物・英雄・人間には三竦みがある。人間は怪物に敵わないが、怪物は英雄に打倒される。そして英雄は普通の人間によって殺される。
 多くの英雄譚や伝説においてもこれは同じ。人間を襲う怪物が現れ、それを英雄が駆逐し、人々は一時は英雄を賞賛するも、やがて人々は英雄を迫害するようになる。そして人々から忌み嫌われた英雄はそのまま殺されるか、嘗て自分が倒した怪物のように反転し、英雄に殺される宿命を背負う。
 そんな怪物の極致であるアンリ・マユがもつ人間に対しての絶対殺害権はその三竦みを象徴するものといっていい。
 だがこれは聖杯戦争。招かれたサーヴァントは誰もかれもが歴史に名を残す英雄だ。そして怪物は英雄により打倒されるのが宿命。
 よってアンリ・マユの特性は対サーヴァント戦においては完全に役立たずなのだ。
 故にアルラスフィールが勝つには戦闘用ホムンクルスの総力を結集し敵サーヴァントを足止めしているうちに、人間であるマスターを襲うしかない。

「〝人間を殺すことに特化したサーヴァント〟を召喚するという大御爺様のお考えはなったというわけですか。だけど人間殺しにしか特化してないサーヴァントなんて聖杯戦争じゃまったく使えない」

「手厳しいわね。事実だけど」

「こんなことなら大御爺様の御意志に従わず、自分で英霊の聖遺物を取り寄せていれば良かった。後悔など『魔法』をもたぬ私には無意味なことですが」

「だったら聖杯に私を召喚する前からやり直したいって願えばいいじゃない?」

「馬鹿なことを言わないで下さい。もしそんな願いを叶える機会があるとすれば、私は勝利したということですからアナタを召喚した選択が正しかったという証になるじゃないですか」

「それもそうね」

「大体さっきからアナタは―――――っ! この気配、侵入者……」

 アルラスフィールの神経はこの森に張り巡らせた結界と繋がっている。だから森に敵意をもった者が侵入すれば、直ぐにアルラスフィールには分かるのだ。
 突然の敵襲にアルラスフィールのみならず周囲の戦闘用ホムンクルスも無表情ながらに顔を引き締める。なにも変わらないのはアヴェンジャーだけだ。

「しかもこの気配は一人や二人じゃない。サーヴァントもいるけど」

 数えるのが億劫になるほどの集団がこの森に入ってきている。となれば侵入者は軍隊を投入して参戦してきているナチスか帝国陸軍のどちらかだろう。
 アルラスフィールはより神経を研ぎ澄まし侵入者が帝国陸軍の軍服を着ている東洋人ばかりな事を念視する。
 そして集団の中枢にいるのは黒い装束のサムライと白い着物の女だった。



[38533] 第18話  今昔戦火
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:55
 アインツベルンの森を睥睨しつつ、木嶋少佐は煙草に火を付けた。
 魔術については門外漢に等しい木嶋少佐には、アインツベルンの森に張り巡らせている結界がどれほど高度な術式で編まれたものなのかはまるっきり分からない。
 だが聖杯戦争の前線指揮官を任されるだけあって木嶋少佐は無能な男ではない。良く言えば慎重、悪く言えば臆病な性格も指揮官としては美徳にもなりうる。
 森の結界がどういうものなのか魔術師として理解できずとも、軍人として攻め難い敵陣地であるということは承知していた。

「我ながら馬鹿馬鹿しいことをしている。本当に……大人になりたくないものだ」

「は? どういう意味でしょうか」

「なんでもない。用意はできているな」

「はっ。ぬかりなく」

 副官として宛がわれた男とちょっとしたやり取りを済ますと、煙草を地面に落とし踏みつぶして火を消す。
 ここ冬木に派遣された軍の中で最も魔術に精通しているのはライダーのマスターであり、陸軍の誇る最強戦力である相馬戎次だ。木嶋少佐が副官や一部の兵士たちと共にいるのは、戎次お墨付きのトラップもなにもない安全地帯である。
 ライダーと戎次を含めた実行部隊は既に攻め込む準備を完了させているだろう。後は木嶋少佐の一言で作戦を開始することができる。

(聖杯なんて訳の分からないもののためにここまでの軍事力を投入するとはな。よっぽど上の方も余裕がないらしい)

 相馬戎次にしても帝国陸軍にしてもこれから戦争をしようという帝国にとっては重要な戦力となるはずだ。
 元々オカルトに傾倒しているナチスでもあるまいし、幾ら自国でのこととはいえ軍隊で介入するなど木嶋少佐からは陸軍の迷走にしか見えない。
 その圧倒的強さから兵士達の間で信仰染みた人気をもっている相馬戎次がいなければ、部隊の士気も低いものだっただろう。敵国の軍隊と国家をかけて戦うならまだしも、誰しも聖杯戦争なんて訳の分からない戦いで死にたくはない。
 
(ま、これはこれで私にとっては悪くない話だった)

 相馬戎次のように国の為に己の魂を捧げている愛国心溢れる男と木嶋少佐は違う。軍隊を自らの天職と定めたのは、家が貧しく学を得る為には軍隊に入るしかなかったからであるし、他人よりもっと上等な暮らしをするためだ。
 誰かに聞かれれば非国民とされることは確実なので決して口には出さないが――――愛国心や忠誠心など木嶋少佐にとっては無縁なものである。
 聖杯戦争における前線指揮官の任も断ろうと思えば断ることができた。だから木嶋少佐がこうして聖杯戦争なんてものに赴いているのは自分にとっても旨味のある話だったからに過ぎなかった。
 その旨味のためにも今は全力で御国の為に頑張らなければならない。それが自分の為にもなる。

「少佐。但馬中尉より配置についたと」

「よし」

 アインツベルンの森がどれほどのものかは知らないが、軍事的にいえば森に罠を仕掛けたゲリラのようなものだろう。
 相手が魔術師でなく森に潜むゲリラだというのならば、やりようは心得ている。

「少佐。相馬少尉によればアインツベルンとやらは十世紀もの間を聖杯探究のみに費やした一族だとか」

「らしいな」

「この作戦、連中に通じるでしょうか?」

「知らん。魔術師なんて訳の分からん連中を確実に倒せる作戦があるなら私が教えて貰いたいくらいだ」

「……私にはまだにわかに信じられません。魔術師なんて存在がこの世界にいたなんて。てっきり空想上のものだとばかり」

「奇遇だな。私もだ」

 副官と木嶋少佐だけではない。聖杯戦争に参加してきている兵士達の多くは『魔術』について何も知らなかった者ばかりだ。魔術についての知識があるのは相馬戎次含めた一部の人間だけである。
 木嶋少佐にしても最初にこの命令を受けた時、目の前で魔術の実演を見せられなければ聖杯戦争なんて荒唐無稽な戦いに参加などしなかっただろう。

「だが幸いなことにこの作戦は魔術師の相馬少尉と共に構築したものだ。魔術師である彼の意見を取り入れたものであれば、魔術師相手にも効果がある。そう信じたいところだよ」

「相馬少尉ですか。確かに彼ならば――――」

 副官が相馬戎次という人間が知ってからまだ二週間と経っていない。だが副官の声には相馬戎次という男に対する信頼が垣間見えた。
 相馬戎次は確かに強いが、単に強いだけではここまでの信頼を得ることはできない。だとすれば相馬戎次には人々を惹き付ける理屈ではないなにかがあるのだろう。
 こうして存在するだけで人々の畏敬を集めるような人間を或いは世界は英雄と呼ぶのかもしれない。

「それに我々の大多数は魔術について無知だが、連中にとっても同じだ。千年の歴史をもつ錬金術の大家といえば聞こえは良いが、言い方を変えれば千年間も世俗から離れて引きこもっていた世間知らず。現代の戦いがどういうものなのかを奴等は知りはしないだろう」

「……なるほど」

 そろそろ頃合いだろう。木嶋少佐は周りにいる兵士達を見渡しつつ口を開いた。

「引きこもり連中に現代の戦争を教授してやろうじゃないか。作戦開始だ。奴等を森から炙り出してやれ」

「はっ!」

 鶴の一声。嵐の前の静けさは終わり、森を焼き払う嵐が始まる。聖杯という西洋の秘宝を求めた東洋の兵士たちが一斉に動き始めた。
 事態が動き始める中、木嶋少佐は二本目の煙草に火をつける。数はこちらの方が優勢だが、先日の遠坂冥馬との戦いもあって魔術師という連中に人間としての常識が当て嵌まらないのは良く知っている。
 数の優勢など引っ繰り返され兵士達が大勢死ぬだろう。もしかしたら負けるかもしれない。だが木嶋少佐の心が揺れることはなかった。
 単純作業を延々と繰り返される労働者のように冷めきった表情で、一本目と同じように二本目の煙草を足で踏みつぶした。




「迂闊でした。ここまでするなんて……」

 アルラスフィールは歯噛みする。自分のサーヴァントが役立たずだったこともあって、アルラスフィールはより念入りに情報収集に励んでいた。だから帝国陸軍やナチスドイツが軍隊まで投入して参戦してきていることも知っていたし、参加しているマスターの名前や経歴についても洗い出していた。
 しかしアルラスフィールは読み違えてしまったのだ。軍隊という組織のもつ力を。
 決してアルラスフィールが愚かだった訳ではない。アインツベルンが必勝を誓い生み出したアルラスフィールには優れた判断能力を備えた頭脳がある。人間が紙に長々と計算式を書かなければ導き出せない答えも、アルラスフィールは暗算で出すこともできよう。
 だが生まれて以来の人生をずっとアインツベルンの領土で過ごしてきたアルラスフィールには致命的なまでに経験が足りなかった。
 軍隊のもつ力を知識として知っていても、軍隊という軍事組織が牙剥く時の容赦のなさを認識しきれなかったのである。
 その結果が自室の窓から見える森の景色だった。
 完全に日は落ちているというのに森は赤々と光っていた。森のあちこちでは耳を劈く爆発音が響いている。
 戦闘機による爆撃に加えての森への放火と破壊。今や郊外の森は火の海だった。

「あははははははははははははははははははははははははは! 凄い凄い、森が燃えてるわ!」

 不愉快なまでのアヴェンジャーの馬鹿笑いを叱責する余裕すらありはしなかった。
 結界に構築しておいた結界と罠を起動し操ることで、空を飛んでいた戦闘機は全て撃墜できたが、地を行く兵士達は戦闘機ほど容易くはいかない。
 どれほど厳重な罠を強いていても爆撃や大砲で術式を刻み込んだ地面ごと吹き飛ばされ、今や折角構築した術式の三割が崩壊してしまっている。

「どうするのアルラスフィール? このまま高みの見物するの? 私は別にそれでもいいけど」

「馬鹿を言わないで下さい。こんな暴挙を放っておいてはアインツベルンの名折れ。そもそも高みの見物などしていたら城の周りは焼野原です」

 森に構築した術式を使い消火をしているが、火が回る速度の方が早い。
 アインツベルンの城は周囲が煉獄と化したところで落ちるほどヤワではないが、森という天然の壁を失えば防御力を著しく低下させることになるだろう。

「だとすれば打って出るわけね。あ、もしくは尻尾撒いて逃げ出すのもアリかもね」

「……………アナタはっ!」

 緊張感のないアヴェンジャーを睨めつけるが、アヴェンジャーを怒りきれない自分がいるのは確かだった。
 意味のない仮定であるが自分のサーヴァントがアヴェンジャーではなくまともなサーヴァントなら迷わず打って出ただろう。そしてアインツベルンの領土に踏み込んだ不埒者にしかるべき制裁を下した。
 しかし自分のサーヴァントが聖杯戦争史上最弱のアヴェンジャーであることがアルラスフィールを押し留めている。

(帝国陸軍のサーヴァントはあの着物の女で間違いない……)

 三割の術式が吹き飛ばされたとはいえ、この森でのことはアルラスフィールに筒抜けだ。
 アルラスフィールの目には目の前にある景色以外に、術式ごと木々を凍らせながら悠然と歩く白い着物の女と、児戯の如く妖刀で魔術を切り刻んでいく黒衣の男が見えていた。会話を盗み聞いたところマスターの名前は相馬戎次で、サーヴァントのクラスはライダー。
 冷気を操るライダーというだけでは一体全体どこの英霊かは不明だが、かなりの強敵であることは瞭然だ。少なくともアルラスフィールのサーヴァントたるアヴェンジャーの一万倍は強いだろう。
 マスターもマスターでその戦闘力は超一流。並みの魔術師では歯が立たない戦闘用ホムンクルスを超えるポテンシャルをもっている。しかも武器の刀はサーヴァントの宝具クラスの神秘を備えていた。
 その脅威は拠点を放棄して逃げ出す、という屈辱的選択肢が脳裏を過ぎるほどのものだった。

「ほら早くしないと皆が来ちゃうわ。決めるなら急ぎなさい。アルラ」

「アナタも私のサーヴァントなら、少しはマスターを助けるための意見を出したらどうなのですか?」

「くすくす。無理無理。だって私、最弱の英霊だし。私が出来るのは人殺しくらいよ。建設的な意見なんて最悪の悪神様に求めないで欲しいわね」

「なにが最悪の悪神ですか。最弱の間違いでしょう」

「ご名答~♪」

 聖杯戦争は七騎の英霊を招くための大儀礼。そしてゾロアスター教の大邪神〝この世全ての悪〟は英霊ではなく正真正銘の〝神霊〟だ。
 神霊とは神話の時代で権能を振るい天地を割り、世界を創造するほどの力をもった超常の存在。無論、神霊の中にも英霊に劣るほど弱い者もあるが、その多くは『万能の願望器』としての聖杯すら超えるだけの力をもっている。
 それほどの存在を招くなど如何に〝聖杯〟であろうと不可能だ。そもそも神霊なんてものを呼べるほどの力があるなら、聖杯など不要とすらいえる。
 こんな初歩的なこと御三家の当主たるアハト翁なら分かっているだろうに、勝利を急ぎ過ぎたが故に無理をして〝神霊〟を呼ぼうとするから真名が〝この世全ての悪〟なだけの最弱英霊が出てくるのだ。

「仕方ありません。討って出ます。皆も準備なさい」

 アルラスフィールが命令を下すと、戦闘用ホムンクルスたちがさっとアルラスフィールの周囲を守るように立った。
 マスターとサーヴァントの間にあるラインにも似たものでアルラスフィールとホムンクルスたちは繋がっている。アルラスフィールにとっては彼女達は自分の体も同然だった。
 アヴェンジャーはそんなホムンクルスたちをぼーと見ていた。

「なにをしているのです。アヴェンジャー、アナタも来なさい」

「私なんて連れて行ってもどうせ役に立ちはしないし、ここに置いて行ったら?」

「人間相手には最強なんでしょう。アナタに対サーヴァント戦での強さなど欠片も期待していません。けれど周りの人間の兵士達を掃除するくらいは出来るでしょう?」

「うーん、それくらいならいけるわね。私、これでもアンリ・マユだし。だけど戦いの余波で吹き飛んで死ぬかも……」

「御託はいいです。行きますよ」

「はいはい。了解しました、マスター」

 アルラスフィールは戦闘用ホムンクルスたちと、ついでにアヴェンジャーを引き連れて敵に対して討って出る。
 本来であれば最大戦力のはずのサーヴァントをついで扱いしなければならないことが、アルラスフィールにとっては嘆きだった。



[38533] 第19話  アインツベルンの災厄
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 10:56
 アインツベルンは錬金の大家である。そしてアルラスフィールはアインツベルンの錬金の粋を込めて生み出されたホムンクルスであり、その魔術回路の質と量は、並みの魔術師の百倍以上はあるだろう。
 だが元来魔術師とは戦うものではない。あくまでも魔術はあらゆるものの因果たる最初の原因――――『』へ到達するための手段でしかなく、魔術師は無意味なものを目指して過去を疾走する求道者である。
 遠坂冥馬のように優れた魔術師でありながら、高い戦闘力を誇る男もいるが魔術師全体がそういうわけではない。優れた魔術師と強い魔術師は決してイコールではないのだ。
 特にアインツベルンはそれが顕著だろう。どれほど錬金に秀でていてもアインツベルンの魔術は戦闘には滅法向かない。過去の聖杯戦争においてもマスターの脆弱さからアインツベルンは遠坂や間桐、または外来の参加者たちに遅れをとってきた。
 故に第三次の準備の際、アインツベルンは最強無敵のサーヴァントを呼ぶことに固執した。マスターの弱さを補って余りある、敵対するサーヴァントを圧倒できるほどの駒を。
 だがその目論見は失敗した。
 〝この世全ての悪〟という神霊を招こうとしたルール違反のツケは、〝この世全ての悪〟を背負わされただけの存在の召喚をもって返された。
 戦闘力が皆無に等しいマスターに最弱のサーヴァント。もはや敗北以外の未来しか見えぬ状況。だが幸か不幸か『聖杯戦争に勝利する』という存在理由を生まれながらに魂に刻まれたアルラスフィールは諦めなかった。諦めが悪いのではなく、そもそもアルラスフィールは〝諦める〟ことを知らなかったのである。
 アルラスフィールは最弱のサーヴァントでも勝てる可能性を探った。それ以外に出来なかったといってもいいだろう。
 自分を鍛え上げるというのは論外だった。幾ら優れた魔術回路をもっていようとアルラスフィールには戦闘力などない。何もない真っ新な状態から聖杯戦争に挑むような魔術師と互角に戦えるまで仕上げるのには致命的に時間が足らなかった。精々が気休めになる程度だろう。
 だがここでアルラスフィールは発想を転換する。
 なにもマスター本人が強くある必要はない。自分が強くなれないのなら、強いものを用意してやればいい。
 その成果がアルラスフィールとアヴェンジャーの周囲を守るように一糸乱れぬ行進をする戦闘用ホムンクルスたちだ。
 アルラスフィールが『聖杯戦争に勝つ』ことを目的として生まれたように、彼女達は『戦う』ことを目標として誕生した生粋の戦闘者。戦闘用ホムンクルスの中の傑作たちを投入することにアハト翁は良い顔をしなかったが、これも聖杯戦争に勝つ為だと説き伏せた。
 事実彼女達をこうして引き連れてきたことで、アルラスフィールが聖杯戦争に勝利する確率はゼロでなくなったといっていいだろう。
 もっともゼロでないだけで確率が高い訳ではないのだが。

「あはははは。血腥い香りが近付いて来たわね」

「ええ。そうですね。あと減らず口は閉じておきなさい」

 下手すればこの中で一番弱いアヴェンジャーは余裕綽々といった風に笑う。
 だがアヴェンジャーの言ったことは本当だ。アルラスフィールの鼻にも木々が焼ける臭いと、無数の軍靴の音が届いていた。主たるアルラスフィールの緊張はそのまま戦闘用ホムンクルスたちに伝播する。ホムンクルスが一斉にアルラスフィールの向いている方へハルバートを構えた。
 行軍を止めて十数秒。それらは森の中から現れた。
 先頭にいるのは黒衣の男。曲者揃いの第三次聖杯戦争のマスターの中でもとびっきりのイレギュラー相馬戎次。隣りには灼熱の戦場を進んできたというのに、白い着物に汚れ一つとしてないライダーのサーヴァント。背後には相馬戎次と共に森に侵入した無数の兵士達がいた。
 相馬戎次とライダーにはダメージはないようだが、背後の兵士達はそうではないようで、血を流している者ばかりだった。彼等のうちの何割かはここへ到着する前に死んだのだろう。初めて聖杯戦争に連れてきたホムンクルスが死んだ時のアルラスフィール自身と同じ目をしていた。
 抜刀し相馬戎次がアルラスフィールに刃を向ける。その双眸は獰猛な獣染みているようでいて、理性的な人間のものでもあった。
 
「お前ぇらがアインツベルンか? うじゃうじゃいるけど誰がそこの良く分からねぇ影みてぇな奴のマスターだ?」

「他家の領地に侵入して非礼な言い草ですね軍人。この国の者は礼儀を弁えないのですか?」

「千年間引きこもってた魔術師ってのは古い挨拶が必要だったのか」

「さぁ。私、魔術師じゃないし」

 戎次の純粋な疑問にライダーは興味なさそうにしていた。サーヴァントであるライダーの注意はアルラスフィールの側にいるアヴェンジャーに注がれている。
 能力値において最低のアヴェンジャーだがその特異性においてだけならば随一。敵の注意を引く囮としての性能はあるようだった。

「良く知らねぇが名乗りが必要なのか。なら耳かっぽじって聞け」

 戎次はおほんと生真面目に咳払いしてから口を開く。

「グーテン……なんだっけな。モルガン? オルガン? 俺、相馬戎次。お前等殺しにきた。以上」

「品性がなければ学もない。仮にも同盟国の日常的な挨拶の初歩くらい軍人として知っておいたらどうです?」

「すまねぇ。以後気を付ける。あと分かった。お前ぇが一番偉そうにしてる。お前が〝マスター〟だ」

 戎次はあからさまな殺意を発したわけではない。口元を緩ませて挑発したのでもない。ただ視線をアルラスフィールに合わせただけだ。
 たったそれだけだというのにアルラスフィールは肉食獣に睨まれた草食獣の気分を味わう。

「少佐の命令だ。マスターはここでそっ首切り落とす。邪魔する奴も斬り落とす。死にたくない奴ぁ、今すぐ大将を置いて逃げろ。逃げる奴ぁ大将以外は殺しはしねえ」

 戎次とライダーが前に出てくる。背後の兵士たちがそれに続こうとするが、それを刀で制した。

「お前ぇらは手ぇ出すな」

「ですが少尉。アインツベルンの側には多数の……その、女の兵士がいます。我々も――――」

「アレは人間じゃねぇ。魔術だかで作り上げられた式神みてぇなもんだ。お前等じゃきつい。俺がやる。俺とライダーでやる。派手にやるから下がってろ。命令だ」

「――――はっ。了解です」

 強いだけでなく相馬戎次の見る目もまた確かだった。魔術師としてか戦士としてのものかは分からないが、第六感で戦闘用ホムンクルスの脅威を正しく認識した戎次は兵士達を下がらせたのだ。
 もしも戎次が兵士達を下がらせずに戦闘になっていたら無駄死にする兵士を増やしただけだろう。
 そのやり取りを見ていたアルラスフィールは相馬戎次への警戒を一段階上げた。

「女の首をとるのは趣味じゃねぇが命令だ。悪く思え」

 空気中の魔力が張りつめていく。相馬戎次が自分自身の肉体に〝強化〟を施した。ホムンクルスとして高度な魔術知識をもつアルラスフィールも全く知らない魔術式によるものである。この国土着の神秘だろうとアルラスフィールは当たりをつけた。
 
「くすくすくすくす……」

 マスターでありながらサーヴァントクラスの気配を放つ戎次を前にしながら、アヴェンジャーは他人事のようだった。誰のせいでマスターであるはずの自分が気苦労に気苦労を重ねたのだ、と怒りをぶちまけたい衝動にかられる。しかし敵が目の前にいる状況ではそんなことも出来ないので堪える。
 アヴェンジャーには後で叱責するとして今は現状を潜り抜ける方が重要だ。勝てるではなく潜り抜けると思考しなければならないのがアルラスフィールには腹立たしかった。
 
「前へ」

 たった一言、ラインで繋がっているため言葉など不要なのだが、それでも自分自身を決心させるためにも小さく命令した。
 戦闘用ホムンクルスが無機質な敵意を相馬戎次とライダーに剥き出しにして前へと進み出る。

「そっちのサーヴァントは使わねぇのか?」

「貴方如き田舎魔術師にサーヴァントは不要です」

 本当はサーヴァントが役立たずなだけだが、はったりのため、さも自信ありげに挑発する。なにも馬鹿正直にアヴェンジャーは宝具もなければ能力値も最低の雑魚だと教えてやることはない。
 
「分かった。なら先ずはそいつらから殺す」

 戎次はアルラスフィールの挑発に怒った様子はない。ただ優先順位を入れ替えただけだ。アルラスフィールを先ず殺すのではなく、邪魔な戦闘用ホムンクルスたちを殺してからアルラスフィールを殺すといった順に。
 
「――――そらっ」

 普通の主従であればサーヴァントが前へ出て、マスターが後方へ下がるものだが相馬戎次とライダーには例外が適用される。
 まるで自分がサーヴァントであるかのように戎次は妖刀をもって戦闘用ホムンクルスたちの集団に突進してきた。その速度はもはや人間の次元にはない。サーヴァントのそれだ。
 戦闘用ホムンクルスは同じホムンクルスであるアルラスフィールと比べてもシンプルな思考回路しかない。故に相馬戎次がサーヴァント並みの速度で突っ込んで来ようと動揺することはなく、冷静に目標の排除行動に移った。
 雷鳴の速度で戎次の脳天に白銀のハルバートが振り落された。それも一振りではなく三人のホムンクルスによる一斉攻撃。つまり三振りだ。
 ホムンクルスではなくハルバートも高度な錬金術で生み出されたオスミウム製の一品。霊的な処置を施されたそれはサーヴァントを傷つけるだけの神秘をも備えている。大魔術師が構築した防御といえどこの攻撃は防げないだろう。
 サーヴァントクラスの筋力をもつホムンクルスが最高峰の武器をもてば、何気ない一撃がまともな魔術師相手には必殺の一撃に化ける。

「だらぁぁあああああ!」

 しかし帝国陸軍が切り札として投入してきた相馬戎次はまともという言葉からは対極にある男だった。
 純粋な筋力勝負であれば分が悪いと悟った戎次はハルバートの柄を握りしめると、それを軸にして空中に回転しながら飛んだ。
 ハルバートを振り下ろしたホムンクルスには相馬戎次が瞬間移動したようにしか見えなかったのだろう。攻撃目標を失ったホムンクルスが一瞬動揺する。その一瞬が命取りになった。

「まずは首ィ三つ」

 ホムンクルス三人の首が地面に転がり落ちた。鮮やかなまでの早業。数瞬遅れて首を切られたことにホムンクルス三人の体が気付き、綺麗な切り口から血を噴水のように噴出させた。
 血の雨は戎次の体にも注がれ、その黒衣と肌を赤く染めた。

「ひぃふぅみぃ……まだまだいんな。大将首までは遠いな」

「なんて奴。なんですか……こいつ……!」

 余りにも想定外の極みだ。相馬戎次が強いことは知っていたが、その技量はアルラスフィールの予想を遥かに超えていた。
 
「―――――」

 あのアヴェンジャーすら完全に言葉を失っていた。酷薄な笑みも今は凍り付いている。この聖杯戦争でサーヴァントとしてイレギュラーなのは間違いなくアヴェンジャーだが、あれはマスターとしては最上のイレギュラーだ。
 相馬戎次は早々に敵の首を獲りながら全く油断を見せず、慎重に歩を進めてくる。限りなく純粋に敵の命を奪おうとする姿は、浴びた返り血も合わさって地獄の悪鬼をイメージさせた。

「さぁ。続きだ」

「っ! まともに戦っても勝てません。数の有利を活かして戦いなさい!」

 戦闘力のない自分では相馬戎次の間合いに入ればその瞬間に終わりだ。そのことを理解していたアルラスフィールはホムンクルスたちに総攻撃を命令した。
 アヴェンジャーも投入しようかどうか迷ったが却下する。今はまだその時ではない。

「面白ぇ! 行くぞライダー!」

「はいはい。これじゃどっちがサーヴァントなんだか分からないよ」

 戎次とライダーが同時に戦闘用ホムンクルスの軍団に攻撃を仕掛けてきた。戎次は周囲の木々を器用に足場にしながら、まるで猿のように三次元的動きで人外の身体能力をもつ戦闘用ホムンクルスたちを翻弄していく。
 ホムンクルスたちは生まれながら『戦いのノウハウ』を脳に刻まれているが、相馬戎次の非人間的な動きについては情報はなく、それ故に苦戦していた。更にその戎次をライダーが冷気や氷の結晶などで援護しているため隙がない。アルラスフィールは森中に刻み込んだ魔術式をも動員して、ライダーの冷気を抑え込んでいるが時間稼ぎにしかならないだろう。
 戦いの流れは完全に戎次とライダーのものだ。このまま続けてもアルラスフィールたちは悪戯に戦力を消耗するだけ。まともな指揮官なら勝ち目がないと判断して逃げる算段をしている頃だ。
 だがアルラスフィールはこの絶望的な状況にもまだ勝機を見失っていなかった。

「ねぇアルラ。もうあの人間型殺戮マシーン&サーヴァントの鬼畜ペアには勝てないなんて分かってるでしょう。どうせ勝てないんだから早く逃げましょう」

「――――黙りなさい。アナタの仕事はまだなのですから、今は黙ってなさい」

 アヴェンジャーを投入するのは〝まだ〟だ。
 ふと戦闘用ホムンクルスたち相手に見事なまでの殺陣を繰り広げている戎次と目が合う。

――――まだサーヴァントを使わねぇのか?

 相馬戎次の目は咎めているようで、願っているようだった。アルラスフィールはそんな視線に対して余裕そうに微笑むことで答えとする。
 絶望的なアルラスフィールにとってたった一つの勝機。それは相馬戎次が人間だということだ。
 確かに相馬戎次はサーヴァントと比肩しても劣らぬほどの人物である。生まれる時代を違え、優れた主君と巡り合っていれば歴史は彼を〝英雄〟として記録したかもしれない。
 けれどどれほど人外染みた強さをもっていようと、英霊のような精神力をもっていようと、相馬戎次は正真正銘の『人間』だ。
 これで相馬戎次が混血だとかの純粋な人間でなければアルラスフィールも諦めて撤退を選んだだろう。だが人間ならばとれる手段はある。
 戎次がホムンクルスの軍団の奥深く――――即ちライダーの援護が届きにくい地点に入った。そこをアルラスフィールは逃さない。

「アヴェンジャー!」

「はいはい。了解したわご主人様」

 これまで戦況を傍観していただけだったアヴェンジャーが初めて動いた。僅かな幼さすら残す可憐な声でありながら、その動きは獣そのもの。戎次のように獣染みているのではない。アヴェンジャーの動きは正真正銘、知恵なき獣と同じものだった。
 両手に出現させたのは黒い紋様が描かれた銀製の短刀。それはアヴェンジャーの悪性を反映してか野獣の爪のように奇妙な形をしていた。サーヴァントを相手にするには脆弱な武装だが、人間を殺すには申し分ない殺傷能力がある。
 
「RA、AAAAAA――――ッッ!」

 先までの可憐さなどかなぐり捨てた、本能を曝け出した叫び声。あれだけ退却しようと愚痴っていながら、いざ戦いとなればアヴェンジャーの脳には退くという思考は失せてしまうのだろう。
 アヴェンジャーは全身を歓喜と殺意に震わせながら、目の前の敵に突進する。
 転がっていたホムンクルスの遺体を、既に死んだ者になど興味がないと言うように、路傍の雑草のように踏みつけ。眼光を限りない殺意で血走らせながらアヴェンジャーが相馬戎次に襲い掛かった。
 そこには誉れ高い英雄の姿はなく、人間を殺す為だけの猛獣がいるのみだ。

「遂に来やがったな。アヴェンジャー……イレギュラーのサーヴァント」

 肉体の限度など超えた自爆覚悟の特攻の甲斐あってアヴェンジャーの速度は速いといえる次元に到達することができていた。
 だがその程度の速度では相馬戎次の目から逃れることなどできない。相馬戎次ほどの男の目にも捕えられぬ動きを実現するなら、最低でも小躯のアサシンと同程度の速さが必要だろう。
 悲しいかな。人殺しなら右に出る者のいないアヴェンジャーは速さで「犬」と「蜘蛛」には敵わない。
 けれど、

(勝機は十二分。英霊クラスの人間でも〝人間〟であるならアヴェンジャーは負けはしない……!)

 反英雄の究極。化物そのもの。対英霊戦でも対怪物戦でもアヴェンジャーは最弱だろう。だが対人間であればアヴェンジャーは無敵だ。
 
「ラァツッァアアア!!」

 形容できない雄叫びをあげ、アヴェンジャーが短刀を力任せに叩きつける。
 アヴェンジャーの本能に任せた一撃など、相馬戎次ほどの技量であれば楽に去なすこともできよう。だが今度ばかりはそうではない。アヴェンジャーの短刀は相馬戎次の妖刀を素通りして、その生肌を、

「ガ、ァアアラアアアアアアアアアア!!」

 切り刻むことはなかった。
 獣の断末魔をあげてアヴェンジャーが地面に転がる。左腕を失い、腹からどくどくと血を流す姿は手負いの獣そのものだった。
 アヴェンジャーが腹に突き刺さった『氷柱の尖端』を抜き取る。

「ライダー……!」

 この中で地面からサーヴァントを傷つけることを可能とする氷柱を生み出せる者など一人しかいない。
 アルラスフィールは後一歩のところで邪魔をしたサーヴァント、相馬戎次からすれば命の恩人でもあろうライダーを睨んだ。

「気に障った? けどね。私も英霊の端くれ。そこで転がってるソイツ、動きは雑魚そのものの癖して嫌な予感しかしないんだよ。悪いけどアンタの方もなんか狙ってたみたいだし妨害させて貰ったよ。その顔じゃどうやら正解だったみたいね」

「っ!」

 慌てて表情を元に戻すが時すでに遅しだ。アヴェンジャーのもつ『特権』の詳細までは知られてないだろうが、アヴェンジャーは人間が相手するのは不味いとライダーが認識してしまった。

「良く分からねぇが助けてくれたのか。ありがとな」

「マスターを助けるのがサーヴァントの役目だろう。私の仕事をしただけだよ。あとそこの黒い影っぽい奴には人間の戎次は近付かない方がいい。そいつ人間にはちょっとヤバそうだ」

「……分かった」

 種がばれてしまった以上、もはや同じ手は二度と通じない。
 主の危機を悟ったのか。戦闘用ホムンクルスたちが命令されてないにも拘らず戎次に襲い掛かっていく。けれどもう相馬戎次は攻撃を完了していた。

「悪ぃがもうお前ぇらは終わってる」

 相馬戎次が黒い手袋を嵌めた左手を引っ張る。薄暗がりのせいで見えなかったが黒い手袋には極小の鋼糸がついていた。そして鋼糸が巻き付いているのはホムンクルスたちの首だった。
 人間の肉を容易く切るほどの硬度をもった鋼糸。それを首に括り付け思いっきり引っ張ればどうなるか。そんなものは考えるまでもない。
 一瞬で十人以上のホムンクルスが物言わぬ躯へと変わった。
 首級から噴き出した鮮血は血の雨そのもの。アルラスフィールは生まれて初めて人間に『恐怖』した。

「…………逃げます。みな撤退の援護を。アヴェンジャーも立ちなさい。サーヴァントなら人間よりは頑丈でしょう」

「あはは、片手失ったサーヴァントに対して辛辣なことね」

 戦闘用ホムンクルスの三分の一が失われ、アヴェンジャーの特性についての情報も与えてしまった。もはやこれ以上、戦うことは百害あって一利なしだ。

「待て、お前ぇ等!」

 無論、待ちはしない。アイリスフィールが撤退の決断はアインツベルンの城にも届いている。城で待機していたホムンクルスたちは必要なものだけを持って、城を放棄して逃げているだろう。アルラスフィールと合流するために。
 相馬戎次も逃げる敵を見逃すわけはなく追撃をかけようとしたが、残っていた戦闘用ホムンクルスの一部が殿として残り奮戦した。

「日本人という連中は首狩り族なんですか……! まったく!」

 背後で息絶えていた首級を失ったホムンクルスの遺骸と、殿となったホムンクルスたちの首を刎ねとばして狂い舞う相馬戎次を振り向き思わずそんなことを言った。
 霊体化してアルラスフィールの後に続いたアヴェンジャーが苦笑する。

「馬鹿みたいって笑えないわね。あれ、人間の癖してスペックが人間止めてるわ」

 城を放棄し同じホムンクルスを殿としたことに屈辱を覚える心の余裕すらない。
 アルラスフィールとアヴェンジャーは聖杯戦争三日目にして拠点を失い逃亡した。



[38533] 第20話  黄金の思い出
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/28 22:36
 暖かな日差しに照らされた草原で、二人の騎士見習いの少年が木剣を交えている。近くの木には二頭の馬が繋がれていた。
 二人とも陽光のような金色の髪をもっているが、背の高い少年は海のように蒼い瞳で、もう一人は森のように深い翠色の目をしていた。
 本当は少女の身でありながら男子として育てられてきた少年は、共に剣を学ぶ修行相手であり、養父に並ぶ第二の師というべき兄を相手に木剣を振るう。
 如何に男子として育てられたとはいえ、彼女が実は女性であるという事実が覆るわけではない。体格において彼女は兄に劣っていた。
 だが体格の不利などものともせず、彼女は果敢に兄を攻め立てる。
 体格に差があるのならば別のもので補えばいい。修行してきた年月では劣っていたが、彼女は既に技量においては兄を上回っていた。

「はぁぁッ!」

「ちっ!」

 彼女の攻勢に兄が舌打ちする。体格の差を最大限に活かした兄の剣を、彼女は身に着けた技量と天性の直感、そして真っ直ぐな闘志で補って悉く打ち払っていく。
 初めて彼女が本格的に剣の鍛練より参加してより一年しか経っていない。一つの道を究める修練の道において『一年』というのは短すぎる期間だ。その短すぎる間に、彼女が兄を超えるだけの技量を身に着けたのは、天性の才能だけでは説明がつかない。
 彼女がこれだけの強さを一年間で得た理由を知っていた兄は、劣勢に苛々としつつも屈辱はなかった。彼女は隠していたつもりだろう。だが兄である彼は彼女が自分の十倍以上の努力を積み重ねてきたのを知っていた。
 しかしだからといって勝ちを譲るほど彼は素直な性格をしていないし、仮に素直だったとしても手を抜きはしなかっただろう。手を抜きわざと負けるなど、これまでの彼女の努力を侮辱する行為だ。彼女の努力への報い、それは本気の勝負での勝利によってのみ齎されるだろう。

「はっ――――!」

 遂に彼女の剣が兄を超える。小柄という不利を逆に活かして懐に潜り込んだ彼女は、木剣を振り上げることで兄の木剣を弾き飛ばしたのだ。
 本物の戦場なら兎も角、木剣による試合では武器を失った側の敗北である。
 初めて兄に勝てた喜びに高揚しながらも、養父からみっちりと礼儀について叩き込まれた彼女は露骨に勝利を叫ぶことはない。あくまで表面上は冷静にすっと自らの木剣を、丸腰になった兄へ向ける。

「ありがとうございました兄君」

「………………」

 彼女は自分と本気で戦った兄に偽りのない感謝を伝えた。木剣を弾き飛ばされた彼はじっと妹の目を見る。その口元はムッツリと真一文に結ばれていた。
 ひひん、と彼女が乗ってきた馬が主の勝利を祝うように嘶く。

「兄君。では、失礼ですが約束ですので後片付けをお願いいたします」

 木剣での試合で父が一緒の時は二人して片付けをするのだが、父がいない時は負けた方が後片付けをするというのが二人の間でのルールとなっていた。
 このルールは後片付けを面倒に思った彼が言いだしたことであり、毎度毎度、未熟な妹を負かしては後片付けを押し付け、自分はさぼっていたのだが、その立場はここに逆転する。

「ふん。随分と調子がいいものだな。ただの一度勝った程度でもう王様気取りか?」

 だが彼女は忘れていた。自身の兄の往生際の悪さと口の達者さを。
 木剣の試合において見事な完敗を喫しておきながら兄は、さも自分こそが勝利者のような堂々とした振る舞いで妹を見下ろす。

「あ、兄君……?」

「剣など所詮は目の前の敵一人を倒すだけのもの。敵一人を殺すための技術を磨いたところで、津波のように押し寄せてくる蛮徒の群れをどうにかできるものかよ。だというのにお前ときたら毎日毎日、月明かりを頼りに馬鹿みたいに木剣をふって……」

「兄君、知っておられたのですか!?」

 ばれないようにしてきた努力が実は兄にばればれだったという事実に、彼女が顔を赤くした。

「俺は努力を否定はせんさ。影での猛特訓、大いに結構。だが一年の血の滲む努力とやらでお前が得たのは、この俺を倒すというつまらん結果だけだ。お前はこの一年間、そんな下らん結果のために努力をしてきたのか?
 もしもそうだと言ってみろ。俺はお前を馬鹿にしてやるぞ。剣を振るう才能とやらを持って生まれた癖して、目標と背丈がミミズの如く小さい愚か者だとな」

「み、ミミズ!?」

 自分をミミズに例えられたことに、彼女は憤慨する。そんな彼女を彼は更に畳みかけた。

「で、どうなんだ。お前は何の為に修練に勤しんできた? 俺を倒して後片付けをやらせるという下らん目標のためか?」

「いいえ、違います。私はこのブリテンの未来をより良いものとするため、今は自らを高めなければと思い励んできました」

 兄に倒し後片付けを押し付ける、なんて下らない目標のためにひたむきに努力し続けることなどできない。
 彼女の胸中には常に戦果に喘ぐ国があり、苦しむ民草の姿があった。
 叶うのであれば皆を守りたい。けれど理想を口にするには相応の強さが必要である。今の彼女は弱く、そんな理想を口にする権利がなかったからこそ一年間をひたすらに自分を高めるために費やしてきたのだ。
 いずれ訪れる運命の日のために。

「馬鹿なりに悪くない答えだ。……だが、だというのにお前とくればなんだ? この俺を倒した程度で良い気になって、もう自分が国を守れるほど強くなったつもりか。笑止千万だな。アホらしいにも程がある」

「兄君の仰られることは分かります。ですがこの試合は私が勝って……」

「喧しい! 俺に勝つことと、この国を守ること。どちらが大事なんだ!」

「も、もちろん国を守ることです!」

「だったら俺を倒したくらいで勝つな。お前にとっての勝ちは、この国を背負って立ち、押し寄せる蛮族共を打ち払うほどの強さを身に着けた時だろう。木剣の試合における勝ち負けなど関係ない。お前は自分の望みに勝ててない以上、形式に勝っても自分に負けている」

「は、はぁ」

「分かったならさっさと後片付けをして来い! 早くしろよ。今日は父上が都から戻ってくる日なのだからな。遅くなる訳にはいかん」

「わ、分かりました」

 彼女は尚も言い返そうか一瞬躊躇したが……やめた。
 剣を交えての戦いであれば、彼女は兄に勝つための筋道を幾つも思い浮かべることができる。だが弁舌をもっての戦いで、兄に勝つための道筋はただの一つも思い浮かばなかったためである。
 結局、彼女はいつも通り兄の急かす声をBGMに自分で後片付けを済ませ家へと帰った。
 この日を境に彼女は兄との戦いで順調に勝ち星を増やしていき、やがては試合において負けることがなくなっていった。
 だがそれはあくまで試合の話。彼女が兄と戦うといつも必ず最後には口論となった。そしてもはや芸術的とすらいえる弁舌をもって、彼女が試合において圧勝しようと、勝負においては負けるという恰好にしてみせた。
 彼女が兄を見習い並みの口達者を閉口させる雄弁技能を身に着けようと、兄は更にその先を行った。
 結果、強さにおいて兄を上回りながらも、彼女が兄を打ち負かしたことは生涯で一度もなかったという。




 ラインを通じてサーヴァントの過去を見るのもこれで二度目だ。だからキャスターと思わしき少年と、凛々しく美しい少女が木剣で戦う夢を見た事に特に驚きはない。
 だが冥馬はげんなりとした顔でベッドから起き上がった。

「あれが未来のアーサー王……? 自信がなくなりそうだ」

 伝承と現実に差異があることは、この聖杯戦争に参加してとっくに分かっていた。
 しかし幾ら差異があるにしてもあれはない。年下の少女に完敗して、大人しく敗北を認めるならばまだ良いだろう。その潔さは英雄的でもある。だが後片付けが面倒だからという実に下らない理由で、口先で勝敗を引っ繰り返すなどもはやセコいとしか言いようがなかった。
 あのセコい姿は到底ブリテンに君臨した伝説の王とは結びつかない。アーサー王を敬愛する英国人や、誉れ高い騎士たちがあの姿を見れば発狂しても不思議ではなかろう。アーサー王を語る別人と言われた方がしっくりくるというものだ。

(アーサー王の鎧を触媒に召喚して、しかも実際に黄金の剣を持ってる以上、偽物なんてことは有り得ないことだけど)

 それにしても二度に渡ってサーヴァントの過去を共有するなど、遠坂冥馬は余程キャスターと性格的に似通っているらしい。
 アーサー王と性格が似ているなど四日前までは純粋に嬉しいことだったのだが、今では渋い顔になってしまう。しかしあながち間違っていないので強く否定することもできない。特にセコいというあたりが。

「違う。俺は……セコいんじゃない。ただ無駄な出費が嫌いで、勝つために手段を余り選ばないというだけで………」

「なにを朝っぱらからぶつくさ言っている。頭でもうったか?」

「きゃ、キャスター!」

 夢で少女と木剣を交えていた少年がそのまま成長した人物が、怪訝な表情で腕を組んで仁王立ちしていた。
 アーサー王であることを疑いたくなるような姿を先程見たばかりだが、こうしてキャスターを目の当たりにするとそんな考えも吹き飛ぶ。どれだけ過去にあんな姿を晒していたとしても、キャスターは遠坂冥馬を超える魔術の使い手で聖剣の担い手なのだ。自然体で立ちながらもその雰囲気が衰えることはない。
 
「お前が頭をうって猿なみの頭が鳥並みになろうと普段であればどうでもいいが、聖杯戦争中にそんなことになれば困るのは俺だ。調子が悪いならまだ休んでいるといい」

「だ、大丈夫だ。少し変わった夢を見ただけだ。問題はない」

「夢だと? 一応お前も魔術師だろうに。魔術師を狼狽させるなど一体全体どんな夢を見たというんだ?」

「べ、別に大したことじゃないさ」

「ならいいが」

 キャスターには自分がキャスターの過去を知ってしまったことは話せない。キャスターのセコさは普段の態度と夢からも知っているが、その口の上手さについても冥馬は良く知っている。
 英霊の座を探しても口先でキャスターを倒せる英雄は五人といないだろう。もしも自分がキャスターの過去を見てしまったことが知られれば、どんな嫌味を言われるか分かったものではない。
 一日を休息に費やした甲斐あって帝都からの逃避行の疲労は抜けきっていた。肉体面も精神面も、魔術回路の調子も問題ない。これならいつ戦闘になっても万全に戦えるだろう。
 レイラインを通して伝わるキャスターの状態も大丈夫のようだった。少なくともなにかダメージを負っているというようなことはない。

「ん? なんだ、この本は?」

 近くのテーブルに投げ出された本が気になって見てみると、それはこの世界で過去にあった出来事を記した書物。擁するに歴史書だった。こんなものを出した覚えはない。冥馬が出した覚えがないということは、これを読んだ人間として思い当たるのは一人。

「キャスターか? これを読んだのは?」

「ああ。英霊は時代を超えた知識をもっている。だがこうして歴史書を読み解くことで知れることもあるだろう。これも聖杯戦争のためだ」

「勉強熱心だな」
 
 キャスターの意外な勤勉さに関心しつつ、冥馬は自分が空腹を感じていることに気付く。
 冥馬はやや遅めの朝食をとることにした。普段なら朝食は家に務めている家政婦がすることなのだが、幾らなんでも聖杯戦争中に魔術を知らない家政婦を招くほど馬鹿ではない。
 自分で朝食の支度をするのは久しぶりだが、英国に長い間独り暮らしだったため一通りの家事は出来る。冥馬は手際よく朝食のサンドイッチと紅茶を食卓に並べた。

「ふぅ。やっぱり朝はパンと紅茶がないと始まらないな」

 朝に決まった朝食を摂る。細やかなことだが一日を円滑にするための秘訣だ。
 サンドイッチと紅茶を口に運びながら、なんとなく霊体化して側にいるであろうキャスターに声を掛ける。

「キャスターも食べるか?」

「……なんだと」

 なにもない場所に粒子が集まっていき、霊体化していたキャスターが実体化する。
 冥馬の何気ない食事の誘いにキャスターは怪訝に眉を潜めていた。
 
「サーヴァントである俺には魔力供給さえあれば食事は不必要。魔力が不十分であればほんの僅かに魔力の足しになる食事にも意味があるが、隙も多い男だがお前も一端のマスター。魔力供給に不足はない。
 そのようなこと今更俺が言わずとも知っているだろうに、どういうつもりだ?」

「特に深い理由があるわけじゃないよ。ただ人の食べる姿を眺めてるのも退屈じゃないかと思ってね」

「要らぬ世話だ」

 妥協の余地のない明確なる拒絶。キャスターはばっさりと冥馬の提案を切って捨てた。

「食事など生きるのに必要だったから仕方なく食っていただけ。食わなくても生きられるなら食おうとは思わん」

「キャスターの生前の食事って、まさか不味かったのか?」

「そうさな。生前の食事について簡潔に表現するなら……………雑だった」

「――――――――」

 華やかな英雄譚に隠れがちだが、アーサー王の時代のブリテンといえば作物の育ちにくく、財政も芳しくない貧乏な国だ。
 食事などそれこそ野菜を生のまま盛り付けただけとか、そういうものばかりだったのだろう。調味料などもあるだろうが、貧乏なブリテンでは如何に王族といえど贅沢はできない。

「苦労してきたんだな……キャスターも」

「こればかりは俺だけの苦労でもない。あの時代を生きた全員が共通して味わった痛みだ」

「だがキャスター、時代が進み発展したのは科学技術だけじゃない。英国はさておき、この国では食文化も発展していった。騙されたと思って食べてみれば、キャスターのいう雑な飯と比べて一目瞭然……いや一食瞭然のはずだよ」

「………発展した食文化に興味がないわけじゃないが、俺は無駄遣いだとか浪費が嫌いでね。不必要なものを摂るつもりはない」

「心配しなくても大丈夫。こうみえて俺は趣味で家庭菜園を嗜んでいてね……。このサンドイッチに挟まっている野菜も殆どはうちの庭でとれたものだ。
 それに私も無駄遣いは嫌いだが、サンドイッチ一つにかかるお金を惜しむほどケチじゃない。これから共に戦うサーヴァントへの、私なりの恩返しの一つとして受け取ってくれ」

「そこまで言うのならば」

 渋々とキャスターがサンドイッチを口に運ぶ。すると、

「ッ!?」

 いつもは鉄面皮か気難しい顔かの二者択一のキャスターの表情が驚きで固定される。サンドイッチを持つ左手は小刻みに痙攣していた。
 キャスターは未知のものに遭遇した冒険者のようにサンドイッチを見つめながら硬直している。

「あー、紅茶もいるかな」

 ピカピカのカップに新たに紅茶を注いで勧める。今度は有無を言わさずにキャスターが紅茶を受け取ると、ごくりと一気に飲み切った。
 紅茶の味をその舌で堪能し尽くしたキャスターは敗北感を露わにする。

「あの時、この味さえあれば、こんなことには……ッ!」

 本当に悔しそうにキャスターは言った。サンドイッチを食べ終えるとキャスターは敗北感に打ちひしがれながら霊体化する。
 アーサー王が悲劇的な最期を迎えたのは伝承で知っていたが、悲劇だったのは最期だけではなかったのだろう。
 時計の針が0を指し示し、昼の始まりを告げた。冥馬は皿に残っている自分の分のサンドイッチを見下ろす。どうやら朝食は昼食になってしまったらしい。



[38533] 第21話  淑女との邂逅
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 11:00
 明治維新によってアジアの中でも近代化が特に進んだ甲斐あって、日本の庶民の暮らしは向上している。勿論貧しい人間というのはどれほど恵まれた時代においてもなくなることはないが、少なくとも江戸の頃よりも遥かに良くなっている。
 もっとも冥馬は大正生まれのため明治や江戸がどういうものだったのかは知らない。江戸時代の街並みなどについては父である静重から聞いたことから想像するしかない。
 それは兎も角、冬木市は昔から港町として栄えていたため、近代化の波の影響も他の地方都市よりも多く受けている。これにはこの地が一級品の霊地であり〝遠坂〟という魔術師が根を張っていたからというのも大きいだろう。
 だがこの時代、どれほど近代的な街だろうと、日が落ちて夜になれば殆どの家からは明かりが消えて寝静まる。
 遅くまで起きている者も外出はせず、家で本などを読むのが精々だろう。そもそも外出したところで、外には真っ暗闇が広がるだけで何もありはしない。
 極普通の人間にとっては本来であれば寝ている時間でしかない深夜。しかし聖杯戦争の参加者にとっては最高の時間だ。なにせ魔術の秘匿に昼ほど気を使わないで済む。 
 昼間に無理にも戦おうとすれば、それこそ帝都で帝国陸軍がしたような大規模な準備が必要となるだろう。アインツベルン城がある郊外の森であれば、一般人など誰一人として寄りつこうとしないので昼間であっても戦闘は可能だが、そういう特殊な場所は冬木市内にそれほど多くはない。
 
(帝都から冬木に来るまでも密度のある時間だったが、こうして冬木に戻った今こそ本腰を入れなければ)

 冬木に戻って冥馬が最初に『やるべきこと』と定めたのは冬木市の調査だ。
 これまでの戦いで顔を見たマスターは二人。相馬戎次とエルマ・ローファスである。そして幼馴染で時計塔では良き好敵手だった間桐狩麻、彼女もこの戦いに参戦していることはほぼ確実。そうなると遠坂冥馬が顔を知るマスターは三人ということになる。他に顔は見ていないがナチスのマスターと軍隊が虎視眈々と聖杯を狙っていて、アインツベルンのマスターは郊外の森にある城いるということは掴んでいた。
 つまり現状で自分自身を除いた五組の情報については一通り持っているわけだ。けれどこれらの情報だけでは聖杯戦争を勝ち抜くには足らない。
 冥馬のサーヴァントが如何にアーサー王といっても、クラスは最弱のキャスターでパラメーターもそう高くはない。足らないパラメーターを補うためには、より詳しい情報が必要だ。
 未だに姿を晒していない第七のマスターとサーヴァント。ナチスのマスターが何者なのか。アインツベルンと間桐が用意してきたサーヴァントは何なのか。他マスターの拠点は何処か。調べなければならないことは山積みだ。
 そのためには地味であるが自ら屋敷を出て街を捜索するのが一番効果的だ。
 叶うのであれば未だに正体不明の『七人目』の参加者かアサシンの拠点、そしてナチスの居所について知りたいところだった。
 七人目については言わずもがな。
マスター殺しに特化したアサシンは一昨日の戦いからして隠密行動には優れていても正面戦闘には向いていない。アサシンの拠点を突き止め、こちらから攻め込めば圧倒的な優位を得られるはずだ。
 そしてナチスドイツ。冥馬としてはいの一番にこのナチスを倒したい。
 理由は多くあるが――――やはりあれだけ色々とやってくれたのだ。遠坂冥馬として、遠坂家当主としてきっちりと落とし前をつけてやらなければならない。
 冥馬は自分の手に刻まれた令呪を見やる。本来この刻印は遠坂冥馬のものではなかった。令呪を宿し、聖杯戦争に挑むはずだったのは父・静重。
 父は良い親だったかと問われれば、迷いなく冥馬は間違いなくと答えるだろう。父は厳格で常に厳しく接してきたが、それは愛情の裏返しでもあった。魔術師としてだけではなく、人間としても素晴らしい親だったと冥馬は確信をもって言える。
その父を殺したのがナチスのサーヴァントたるランサーで、真昼間のホテルのロビーで銃撃戦なんて始めたのもナチス。
 父を殺された怒り以上に、御三家の一人としてナチスを倒す義務がある。もしも居所が分かれば真っ先に狙おうと、既に冥馬は決めていた。
 本格的な戦いは情報を集め終えてから、というのが冥馬の方針だがナチスに限っては例外を適用するつもりである。
 手近なところから冥馬は遠坂邸のある深山町の調査から行うことにした。
 やはり遠くよりも足元を固めるのが先だろう。足元を疎かにすれば、つまらない石ころに躓いて転ぶというのはよくあることだ。というより冥馬自身、足元を疎かにして幾度となく失敗してきた。魔術実験で時計塔の教室一つ吹き飛ばしてしまったこともある。

(何気ない街並みも、こうして出歩いて観察すると普段と違う)

 あからさまな変化はない。ただ空気がいつもよりも淀んでいる。
 目に見える違いとしては偶に何者かの視線を感じることもあった。視線といってもマスターやサーヴァントが影に潜んで直接こちらを眺めているのではない。その多くは鳥や蝙蝠などといった使い魔だ。
 使い魔の使役と、視界共有による情報収集。聖杯戦争に参加するような魔術師としては初歩的なことであるが、単純故に効果的な手段だった。
 だがこちらの情報をむざむざと教えてやることもない。幸い冥馬のサーヴァントはキャスターである。キャスターの魔術で使い魔たちには強制的に退去して貰った。マスターたちが放った使い魔たちは今頃肥溜めでも永遠と観察している頃だろう。

「冥馬、最近俺のことを都合の良い便利屋として利用していないか?」

 近頃結界の調整や強化などの小細工ばかりやらされているキャスターが、やや口調に棘を含ませる。

「折角多彩なスキルがあるんだから活かさないのは勿体ないじゃないか。これからも期待してるよ、キャスター」

「…………人を使うことに慣れてる奴はこれだから」

 キャスターのそれは文句ではなく愚痴である。不満はあるが、戦術的に正しいことであるから否定はできない。だからキャスターは愚痴を零しつつも、反論などはせずに引き下がった。
 最初に冥馬がやってきたのは間桐の屋敷である。挑発しないよう間桐の領地の手前で足を止めた。
 不可侵条約が結ばれているため家に入ったことはないが、今代の当主たる狩麻とはそれなりに付き合いがあるので、何度か家の近くまで来た事がある。だからその屋敷にあるはずのない気配があることを見逃しはしなかった。

「キャスター、ここに」

「ああ。いるな、サーヴァントの気配だ」

 マスター同士が魔力を感じることが出来るように、サーヴァントはサーヴァントの気配に敏感だ。
 キャスターのお墨付きが出た事だし間違いない。この間桐邸にはサーヴァントが潜んでいる。
 暫く屋敷の手前で待機するが、間桐邸は静まったままで何のリアクションもない。

「どうやら狩麻はまだ我々と戦うつもりはないらしい」

 ほっとしたように息を吐いて肩を竦めた。
 聖杯戦争中で間桐家の警戒度も上がっているだろう。冥馬の存在に気付いていないということはあるまい。だというのに動きを見せないということは、狩麻の方に戦意がないことの証だ。

「こちらから攻めるか? 万が一にも敵が寝ていれば夜襲にはなるかもしれないが……」

「生憎と狩麻は夜型人間。この時間ならまだ起きているだろうし、今の段階じゃ勝負より情報集めに徹するのが方針だ。今日はこっちも手出しはしないでおこう。触らぬ神になんとやらだ」

「そうか」

 冥馬は狩麻の魔術師としての実力の程は良く知っている。やや自画自賛になるが総合的な能力では自分は間桐狩麻を上回っているだろう。だが魔術工房に仕掛けられている罠の性質の悪さにかけて狩麻は冥馬より一回りは上だ。
 時計塔時代、狩麻の工房に侵入した魔術師が白骨化した状態で発見されたなんて話もある。
 こうして敷地外から眺めている分には狩麻は静観しているだろうが、領地に踏み入ろうとすれば狩麻もサーヴァントを投入して迎撃してくるはずだ。
 相手のサーヴァントについて何も知らず、敵に圧倒的優位なフィールドで狩麻という魔術師と戦おうと思うほど冥馬は蛮勇の徒ではない。

「間桐にしっかりとサーヴァントがいるって確認出来ただけでこの場はよしとしよう」

「さっきからこの家の魔術師に対してやけに馴れ馴れしく話しているが、もしかして知り合いなのか?」

「幼馴染だよ。間桐と遠坂は不可侵条約を結んでいるから、普通は同じ地にあっても交流など皆無に等しいが、子供の頃は学校が同じでついでに学年も同じだったから、例外的に狩麻とは交流があったんだ。
 同じ魔術師同士だったこともあって他の一般人の子供よりは話もあったし、冬木を離れ時計塔に行ったのもほぼ同時期だったから幼馴染兼ライバルといったところかな」

「だとすれば間桐のマスターについては良く知ってるんだな?」

「勿論。弱点も良く知っている」

「心強いな」

「ただ、たぶんこっちの弱点も知られている」

「……心弱いな」

 間桐について話しながら街の巡回を再開する。
 外来の魔術師と違い御三家の方は拠点が固定されているので探すのが楽で良い。アインツベルンも例によって郊外の森に陣取っているだろう。

(郊外の森はまた次の機会にしよう)

 アインツベルン城がある森は深い。それに森中にはアインツベルンが魔術的な罠を仕掛けているはずだ。森を踏破しようとすれば丸一日、否、二日は費やす覚悟で挑まなければならないだろう。
 御三家の所在は探すのには全く苦労しないが、いざ攻め込むとなると、外来者の拠点より数段は厳しい。
 暫く深山町を練り歩き円蔵山の柳洞寺まで来た。
 柳洞寺はこの冬木における最大の霊地であり、外来の魔術師には秘匿されているが、その地下の大空洞には聖杯の本体たる大聖杯が眠っている。
 冥馬は石段の先に鎮座している柳洞寺の山門を見上げた。江戸時代よりも前からある歴史ある寺は、遠坂邸よりも旧く厳粛な雰囲気を醸し出している。
 柳洞寺には住職を始め数十人の修行僧がいる。だがこれほどの霊地にありながら柳洞寺には実践派の法術師は一人もいない。魔術などを使えば住職や修行僧を黙らせるのは難しいことではない。
 だからもしかしたら外来の魔術師がここにいるかもと思っていたが杞憂だったようだ。今のところ柳洞寺には魔術師やサーヴァントの気配はない。これからもここに目を付けるマスターがいないことを祈りたいものだ。
 
「ここも異常はないようだな。次へ行こうか」

「…………………」

「キャスター?」

「――――なんでもない。ここに誰もいないのであれば関係ないだろう。で、次はどこだ?」

「そうだな。深山町は一通り調べた事だし、新都の方へ足を延ばしてみようか」

 冬木市は中心に流れる未遠川により二つに分けられる。
 柳洞寺、遠坂邸、間桐邸などが立ち並ぶ深山町。そして冬木教会や鉄道などがある新都だ。御三家の周辺に陣取ることを警戒して、新都に陣取る魔術師は第二次聖杯戦争の例からみても多い。
 冥馬は暫く歩き大きな鉄橋まで辿り着いた。冬木大橋、深山町から新都へ行くにはここが唯一の陸路である。

「おい冥馬、止まれ」

「っ!」

 キャスターが実体化して手元に黄金の剣を出現させる。

「感じた事のない気配だ。いるぞ」

 緊迫した声。冬木大橋に冥馬の心情を現すような強い風が吹いた。
 手に刻み込まれた令呪の刻印が反応する。気配のした方向に視線を向ければ吹きすさぶ風などものともせず、一人の少女が悠然と立っていた。
 年齢は冥馬より数歳年下といったくらいだろうか。
 風に靡くオレンジがかった金髪は丁寧に縦ロールにセットされている。陶器のような肌に淑女の理想ともいうべき美しく可憐な顔立ち。一流の職人が高級な素材を用いて端正込めて作ったのが一目分かる優美な青いドレス。
 本来ドレスは着る者を引き立てるものだが、目の前の女性に限ってはその逆。彼女という最高の淑女を頂いたことで、ドレスを引き立てより輝きを増していた。
 そんな麗しの淑女を形にした少女であるが、その眼光は儚げな姫ではなく獲物を喰らうハイエナのそれだった。
 なによりも満ち溢れる魔力と、右腕に袖越しにも分かるほど輝く令呪の光が、彼女が遠坂冥馬の敵。聖杯戦争のマスターであることを如実に示していた。

「あら、極東の田舎魔術師は随分と貧層な顔をしていますのね」

「ひ、貧層!?」

 いきなり貧相と言われた冥馬は憤慨するも、聖杯戦争で消費した宝石に費やした金額を思い出すと憂鬱になった。
 だが眼上にいる少女は冥馬の様子など全く気にした風はない。

「私直々に手を下すには少し物足りませんが、こうして出会ったのも縁というものでしょう。喜びなさい、田舎者。この私が直々に貴方を屠ってさしあげますわ。私の手に掛かる光栄を感謝なさい

 少女は貴族的佇まいに似合った尊大な声色で言い放った。








【CLASS】キャスター
【マスター】遠坂冥馬
【真名】アーサー・ペンドラゴン
【性別】男
【身長・体重】185cm・70kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷C 魔力A+ 幸運B 宝具D


【クラス別スキル】

陣地作成:B
 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。
 “工房”を形成することが可能。

道具作成:D
 魔力を帯びた器具を作成できる。
 本人が物作りに向かないため余り精度の高い道具を作成することができない。

対魔力:B
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

騎乗:B
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。


【固有スキル】


二重召喚:B
 キャスターとセイバー、両方のクラス別技能を獲得して現界する。
 極一部のサーヴァントのみが持つ希少特性。

勇猛:A
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 また、格闘ダメージを向上させる。

心眼(真):B
 修行・鍛錬によって培った洞察力。
 窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。

高速詠唱:C
 背中に刻まれた擬似〝魔術刻印〟に記録されている魔術ならば、Bランク以上の魔術でも一工程で発動できる。

魔力放出(炎):C
 武器に魔力を込める力。キャスターの場合、燃え盛る炎が魔力となって使用武器に宿る。
 もっともこれは自身の魔術で〝とある人物〟のもつスキルを模倣した擬似的なものである。

【Weapon】

『勝利すべき黄金の剣』
 アーサー王が引き抜き王となった選定の剣。
 権威の象徴であり装飾も華美であるが、象徴故に武器としての性能はエクスカリバーに劣る。
 だがあくまで最強の聖剣たるエクスカリバーと比べた場合の話であり、宝具としての性能はトップクラス。



[38533] 第22話  地上でもっとも優美なハイエナ
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 11:05
 冥馬は慎重に相手の出方を伺う。
 令呪の輝きといい溢れんばかりの魔力といい、彼女の魔術師としての素養は一級品だ。貴族らしい振る舞いからして古い血筋の名門魔術師だろう。
 なによりも少女の右隣。未だに『実体化』すらしていないというのに、内臓が押し潰されそうな圧迫感を感じる。実体化せずにこれほどのプレッシャー、彼女のサーヴァントはどんな怪物だというのか。
 良くも悪くも安定している御三家の参加者と違い、外来の魔術師は実力や意気込みも千差万別だが、こと実力に限っては目の前の少女はとびっきりだ。恐らくは主従共に。
 隙を見せればアウトだ。冥馬は切り札たる魔力を込めて宝石を手にとり構える。

「あら」

 すると少女の目が冥馬の手に収まっているルビーに止まった。

「田舎魔術師にしてはそこそこ魔力が込めてある宝石を持っているんですのね。……ああ、そういうことですの。御三家の一つに私たちと同じ大師父を祖とする魔術師がいると風の噂で聞いておりましたが、その宝石を見る限り貴方が〝トオサカ〟のマスターでしたのね」

「同じ、大師父だと? まさかお前も――――」

 遠坂家の大師父とは即ち現代に残った五つの奇跡のうち第二魔法の担い手。宝石翁、万華鏡、魔道元帥など様々な異名をもつ魔法使いシュバインオーグである。
 少女はニヤリと笑うと大粒の宝石をこれ見よがしに取り出した。取り出した三つの宝石、その全てに膨大な魔力が込められている。それは彼女が卓越した宝石魔術師であり、自らもまた宝石翁の弟子の家系であるという名乗りであった。

「ご名答ですわ。傍流の田舎者といえ貴方も栄光あるシュバインオーグの系譜に連なる者。オープニングの相手として及第点と認めて差し上げます」

 パチンと少女が指を鳴らす。少女にとってはそれが戦いを告げるゴングでもあったのだろう。少女の隣に粒子が集まりサーヴァントが実体化した。
 彼女のサーヴァントが実体をもった瞬間、冥馬は感じていたプレッシャーが勘違いでなかったことを否応なく突きつけられた。
 
「■■■■……」

 人間味を感じさせない獣のような唸り声。凶暴性が剥き出しになった真っ赤な双眸。膨張し黒く変色した剥き出しの筋肉。手には人の身長ほどもある巨大な棍棒が握られていた。
 少女の隣に控えたサーヴァントは〝狂戦士〟そのものだった。主である彼女の命令にしか縛られぬ〝呼吸して歩く殺戮兵器〟。人間などアレに触れただけで蒸発してしまう。

「バーサーカーのサーヴァントか」

 狂化のクラス別技能により、理性と引き換えに地力を底上げするのがバーサーカーのクラスである。本来バーサーカーのクラスは弱い英霊を強化するためのものなのだが、あのバーサーカーは元々強い英霊を狂化で更に底上げしているのだろう。
 そんなことをすれば必要となる魔力供給も途方もないことになり、並みのマスターなら一日と保たず魔力切れで自滅してしまう。しかし少女の方はバーサーカーを実体化させていながらまるで平然としていた。十年に一度の才能と、並外れた魔力量が無茶を可能としているのだろう。或は魔力供給に関しては、彼女は自分の上をいくかもしれない。

「気を付けろキャスター。あいつ、とんでもない化物だ」

「……分かっている。あいつからはなんとなく、うちの馬鹿騎士たちと同じ臭いがする。頭はアレだが腕っぷしだけは出鱈目なタイプだ」

 馬鹿だとかは兎も角、強者揃いの円卓の騎士クラスだと、アーサー王直々の認定も出た。
 冥馬とキャスターが二人して警戒心を露わにしていると、少女がくすくすと小馬鹿にするように笑い始める。冥馬は少しだけムッとして口を開いた。

「なにが可笑しいのかな?」

「日本の魔術師は見る目がないんですのね。このルネスティーネ・エーデルフェルトのサーヴァントがバーサーカーなんて華麗さにかけるサーヴァントなはずがないでしょう?」

「エーデルフェルト……!」

 その家名には冥馬も心当たりがあった。巡り合わせが悪く面識はなかったが、時計塔に在籍していた頃、その実力に関する噂を何度も聞いた事がある。
 鉱石を計る天秤。湖の国フィンランドにその名も高き名門の一族。遠坂と同じゼルレッチの門下であるが、その歴史において遠坂を凌ぐ。
 特に今代のうら若き女当主は一族の誇りともいえるほど屈指の才能をもっているという。時計塔にはまだ在籍こそしていないものの、既に多くの革新的な魔術理論を発表し将来を期待されているほどだ。時計塔へくれば『王冠』の階位を得るのは確実だろう。
 聞く所によればエーデルフェルトの『当主』は三重属性。火と風の二重属性たる冥馬よりも属性が一つ勝っている。別に属性が多い程に優れた魔術師というわけではないが、才能を計る一つの目安にはなる。
 そして見たところ自分より若い少女の魔術師としてのスペックは遠坂冥馬以上だった。無論スペックで劣っても、技量で劣るつもりは欠片もないが。

「エーデルフェルトとかいったな、女」

「サーヴァントの癖に不作法ですわね。キャスターの英霊というのは礼儀を弁えて……あら、その黄金に光る剣。まさか貴方……?」

 ルネスティーネはキャスターの真名に気付いたようだ。
 絶大な知名度と強さを見込んでアーサー王を召喚したわけだが、有名過ぎるというのもそれはそれで面倒なことだ。剣一つ見られただけで真名がばれてしまう。
 だが秘匿すべき真名を知られながらもキャスターはどこ吹く風だ。侮蔑もまるで気にせずに問いを投げた。

「そこのデカブツがバーサーカーじゃないとお前は言うが、だったらその不細工な肉団子はどこのクラスだ。そんな知性皆無のアホ面を晒すクラスが、バーサーカー以外にあった覚えはないが?」

 キャスターの言う通りだ。獣染みた形相や原始人染みた剥き出しの上半身といい、彼女のサーヴァントが理性を失いバーサーカーと化しているのは明白だ。
 だというのにバーサーカーでないのならば一体どのようなクラスをあの狂戦士は得たというのか。

「愚問ですわね。地上で最も優美なるハイエナ……いいえ、ハンターに相応強いクラス! そんなものは最優と謳われるセイバー以外にありませんわ!」

「せ、セイバーだと?」

 冥馬の脳裏に表示されるパラメーターはどれもAランク相当。魔力以外のステータスが標準以上に届かなければならないセイバーのクラスと言われても、素直に頷けるものがある。
 その容姿や見た目などを度外視すれば、だが。

「■■ッ■■」

 バーサーカー……否、セイバーは実体化されてからずっと、己と同じサーヴァントであるキャスターを睨み続けている。マスターであるルネスティーネが抑えているからいいものの、近くにマスターがいなければとっくに襲い掛かってきているだろう。
 こんなものが最優のサーヴァントなのだとしたらセイバークラスの株価は大暴落。空前絶後の大恐慌だ。
 御三家出身の参加者として断言できる。セイバーにはサーヴァントをこんな野獣染みた姿に変貌させるような呪いなどありはしないと。とすれば考えられる可能性は一つ。

「成程。そのセイバーはクラス別技能としてではなく、元々保有しているスキルとして狂化をもっているのか」

 バーサーカーとして召喚されたから理性を失い狂化されたのではなく、最初から理性を失い狂化されているからどんなクラスで召喚されてもバーサーカー染みた風になる。そう考えれば全ての辻褄が合う。
 どっちにせよあのセイバーとルネスティーネ、両方ともトップクラスの実力者だ。

(聖杯戦争なんてさして知名度もない儀式に、まさかエーデルフェルトほどの名門が出てくるとは)

 エーデルフェルトは世界各地の争いに好き好んで介入しては美味しい所を掻っ攫っていくことでも有名な一族だ。万能の願望器を巡って、七人の魔術師が七人のサーヴァントを呼び出して殺しあう戦い。なるほど、エーデルフェルトが好みそうな儀式である。
 聖杯戦争は地上で最も美しいハイエナが新たに見出した新しい獲物ということか。

「お互いの銘を知って覚悟もできたでしょう。ミスタ・トオサカ、エーデルフェルトの手にかかる名誉と最初の脱落者という不名誉。同時に与えてさしあげますわ! やりなさい、セイバー!」

「■■■■■■■ーーーッ!!」

 主の許しを待ちわびていたとばかりにバーサーカー……セイバーが雄叫びをあげた。耳を劈くほどの叫びに思わず耳を塞ぐ。鉄橋全体が恐怖に震えているように振動する。
 セイバーは巨大な棍棒を木の棒のように軽々しく振り上げながら、真っ直ぐキャスターに突進してくる。理性のないバーサーカーに剣技やフェイントなど考える脳味噌なぞありはしない。あるのは目の前の敵を縊り殺すという純粋な破壊衝動だけだ。

「下がれ冥馬、巻き込まれたら死ぬぞ!」

「言われなくても……」

 あのセイバーはこれまで戦ってきたサーヴァント達とは格が違う。ランサーやライダーの時は、冥馬も切り札の宝石を使い行動の邪魔程度は出来ていたが、このセイバー相手にはそれも通じない。
 セイバーの埒外の強さの前に遠坂冥馬など鬱陶しい羽虫でしかないのだ。こと対セイバー戦において冥馬のできることは一つとしてない。セイバーとの戦いをキャスターに任せ、冥馬は後退する。そして、

「はぁぁああああああああッ!」

 そうしなくては対抗できないのか。肺から絞り出すほどの雄叫びをあげながら、キャスターがセイバーに立ち向かっていく。
 本来であれば魔術師の英霊たるキャスターにとって、七クラス中最高峰の対魔力をもつセイバーは最悪の相性だ。だが冥馬の召喚した此度のキャスターに限っては例外。
 冥馬のキャスターは魔術師でありながらセイバーの力を併せ持つ掟破りのダブルクラス。キャスターでありながら高い白兵戦能力をもっている。

「■■■■■■■ッ!!」

「ちぃっ!」

 セイバーの薙ぎ払いを受け止めきれず、キャスターの体が宙を浮く。
 出鱈目なまでの膂力だ。キャスターが特別貧弱というわけでないというのに、まるで歯が立っていない。キャスターは浮き飛ばされながらもしっかりと着地するが、セイバーの猛攻撃は止まらない。
 暴走機関車のように地面を砕きながらセイバーが棍棒を振り回す。
 
「大した馬鹿力だが、こっちはお前みたいな奴を相手するのには慣れている――――!」

 自分より強い相手、格上との戦い。それはキャスターにとって実に慣れ親しんだもの。幼い頃よりずっと共にあった妹、最初の一年を超えてから彼女は彼にとって格上の対戦相手であり続けた。その妹と、キャスターはずっと木剣試合を積み重ねてきたのだ。
 だから今回も同じこと。自分より強い相手との戦いとは即ち、キャスターの日常に他ならない。
 力勝負では勝てないと雷光の如き速度で理解したキャスターは、直ぐに真っ向勝負を止めた。
 どれほど意地汚くとも、小狡いと嘲笑されようと先ずは生き延びる。これがキャスターの戦いである。

「はっ! どうした肉団子、不細工なりに不細工な動きしかできないのか?」

「■■■■■■!」

 キャスターの挑発にも反応せずセイバーは我武者羅に棍棒を振り回すだけだ。棍棒一振りにざっと三十人は皆殺しにできるほどの破壊力が秘められていたが、それも命中しなければダメージは与えられない。
 筋力、速度、耐久。あらゆる面でキャスターはセイバーに劣っている。しかし勝っている部分もあった。
 セイバーのクラスに選ばれるからには、セイバーは並みの達人では及びもしないほどの剣技の持ち主なのだろう。棍棒を振るう動作に垣間見える剣気の残滓というものがその証明だ。しかし理性を失い怪物染みた力を得た代償に、セイバーはその卓越した剣技を失ってしまっている。
 理性がありし日はどうあれ、少なくとも今に限ってはキャスターの剣技はセイバーを上回っていた。
 この優位をキャスターは最大限に活かす。棍棒を直接は受けずに、剣で受け流し時に躱しひたすら回避に務める。
 
「■■■■■■■ッ!!」

 棍棒だけではキャスターを捕まえきれぬと悟ってか、セイバーが足や空いている片腕をも使い攻撃を仕掛けてきた。
 キャスターも回避しながら斬撃を繰り出すがセイバーには通らない。例え理性を失おうとセイバーには本能的な第六感ともいうべきものが残っている。その第六感がキャスターの斬撃を防いでしまうのだ。

「最優は伊達じゃないか」

 冥馬は眉間に皴をよせながら二騎の戦いを見守る。
 キャスターは単に回避や軽い斬撃ばかり繰り出していたのではない。キャスターの真骨頂というべき魔術も何度か打ち込んでいる。だがBランクのみならず、最高のAランクに届く魔術をぶつけてもセイバーはびくともしなかった。
 
(セイバーの対魔力がピカイチとは知っていたが、あそこまでは流石に反則じゃないか……!)

 ランクAの魔術が効果なしということは、セイバーの対魔力のランクはAなのだろう。
 ここまでくるともはや魔術の耐性どころではない。魔術完全無効と言っても良いくらいだ。英霊の座を見渡せばあの対魔力を超えることができる魔術師もいるかもしれないが、少なくとも現代の魔術師では誰一人としてセイバーを傷つけられないだろう。
 しかし対魔力スキルは完全ではない。魔術師の英霊たるキャスターはそれを見逃さなかった。

「ふんっ!」

 攻撃を捌きながら、キャスターは近くにあった手摺に魔力を送る。するとただの物体であった手摺が擬似的な命を得た。
 手摺が生きた蛇のように身をくねらせながらセイバーの足に飛びかかる。無論こんなチャチな手摺でセイバーを倒せる訳がない。セイバーも手摺など脅威にならないと判断したのか完全に無視してキャスターに襲い掛かった。

「■■■■■っ!」
 
 手摺がセイバーの足に絡みつく。
 対魔力スキルはあくまでも自分への魔術を無効にするだけであって、なにも魔術に触れたらその魔術を消滅させるわけではない。よって魔術そのものではなく、魔力を与えられた手摺を消滅させることは出来ないのだ。
 しかし所詮魔力を与えた手摺などセイバーにとっては糸に足を引っかけたようなものでしかない。溢れんばかりの力であっさりと足に絡みついた手摺を粉々に踏み砕く。

――――それで十分だ。

 ほんの刹那のロス。僅かな足止め。その間にキャスターはセイバーの真上に飛びあがっていた。
 キャスターは容赦なく殺意をもってセイバーの頭蓋に黄金の聖剣を振り落した。
 響き渡る金属音。

「な……に……!?」

 信じ難いことが起きた。
 キャスターの振り下ろした黄金の聖剣は防がれていた。……それはいい。いや、良くはないがセイバーほどの英霊であれば、寸前で棍棒によって聖剣を防いだとしても驚くに値しない
 驚いたのはセイバーの防ぎ方に対してだ。あろうことかセイバーは自分の腕を盾にして、聖剣を受け止め防いだのである。肌に止められた剣がぎちぎちと不協和音を鳴らす。けれどキャスターがどれだけ強く剣を押し込もうともセイバーの肌が傷つく様子はない。

「■■■■■■ーーーッ!」

 セイバーが腕を振り払うと、たん、とキャスターが後方へ飛んだ。

「そんな馬鹿な。そこいらのナマクラならまだしも、キャスターの剣で切れない肌なんてあるわけがない」

 キャスターの武器はアーサー王伝説にその名も高き選定の剣。権威の象徴としての側面が強いため、エクスカリバーと比べれば武器としての性能は劣る。けれどそれはエクスカリバーと比べればのことで、決して剣の性能が弱いわけではない。寧ろ英霊の宝具としてのトップクラスの性能――――切れ味がある。
 だというのにセイバーは武器でなければ防具でもなく、自分の肉体で聖剣を弾いたのだ。これはもう体が丈夫だとか硬いだとかいう次元ではない。なにか強力な神秘による防御がセイバーの肉体にあるのだ。

「無駄ですわよ、お馬鹿さん。私のセイバーにそんなチャチな一撃が通じると思って?」

 セイバーという絶対的な強者を従えたルネスティーネは華麗に笑う。

「聖剣の斬撃をチャチな一撃扱いか。ふん、文句は山ほどあるが今の貴様に言ったところで敗者の遠吠えにしか映りはしないだろう。忌々しいことだがな。
だが見てとったぞ。セイバーの肉体は通常攻撃を完全に無効化するほどの加護をもっている。それほどの守りだ。よもやただのスキルではないだろう。察するに自分の強靭な肉体そのものがセイバーの宝具なのか」

「ふふふふふふっ。一応アーサー王だけあって見る目はそれなりですのね。ええ、ご名答ですわ。セイバーの宝具は、例えそれが宝具によるものだろうと、ランクC+までのあらゆる干渉を減衰・無効化させる。
 ここまでくれば頭の悪いお猿さんでもお分かりでしょう。私のセイバーに勝てる者などおりませんわ」

「――――なんて、滅茶苦茶」

 冥馬はぎりっと歯噛みする。あらゆる干渉をC+まで減衰、C+に届かないものであれば完全に無効化する。
 要するにそれは通常攻撃を完全に弾く鉄壁の鎧だ。セイバーにダメージを負わせるには最低でもランクB+以上の攻撃でなければならない。
 そしてランクB+以上という破格の力を生む方法など、それこそ宝具くらいだ。

「圧倒的な力の差というものが理解できまして? 私も少々退屈してきましたし、そろそろ終わらせてさしあげますわ! セイバー、やっておしまいなさい」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

「生憎と簡単にやられるほど俺は諦めが良くない」

 雄叫びをあげながら棍棒を振り上げたセイバーにキャスターは果敢に挑んでいく。
 キャスターも馬鹿ではないのだ。セイバーがどれほど出鱈目な強さの英霊かは冥馬以上に良く理解しているだろう。しかしキャスターはセイバーの理不尽なまでの力にもまるで怯んでいない。

(……そうだな。サーヴァントが諦めてないのに、マスターが先に膝を屈するわけにいかないか)

 確かにセイバーは難敵だ。通常の攻撃手段で倒すのはほぼ不可能といっていいだろう。
 だがキャスターにもまだ切り札が残っている。通常攻撃ではダメージを負わせられなくても、宝具を真名解放しての攻撃であれば恐らくセイバーの守りを突破することも可能だ。
 それに、

(相手を倒す方法はサーヴァントを倒すだけじゃない)

 冥馬は余裕げにセイバーの戦いを眺めているルネスティーネに視線をやる。
 セイバーほどの英霊を更に狂化した状態で使役しているのだ。見た目には分からないがルネスティーネはかなりの魔力をセイバーに送っているはずである。それこそ並みの魔術師では指一本動かせなくなってしまう程の。
 対してキャスターはアーサー王という最上級の英霊でありながら、必要とする魔力はそれほど多くはない。宝具を解放すれば話が変わるのかもしれないが、少なくともセイバーと比べれば燃費は格段に良いだろう。
 遠坂冥馬とルネスティーネ。魔術の才であればルネスティーネは冥馬の上をゆく。だがセイバーに多くの魔力を供給している今、ルネスティーネは完全にその実力を発揮することができない。これならば条件は互角以上だ。

「キャスター! セイバーは任せた!」

「――――っ! いいだろう、任されてやる」

 冥馬がルネスティーネへ向かって駆け出したのを見て、キャスターは即座に狙いに気付いてくれたようだ。
 如何に通常攻撃で倒せない破格のサーヴァントだろうと足止めくらいは出来る。キャスターは己のマスターの下へ戻ろうとするセイバーを通すまいと、宝具を解放する予兆を臭わせながら釘づけにした。

「サーヴァント同士じゃ勝てないと知って、この私を狙うだなんて。悪くない判断と誉めてさしあげますが、それは私以外がマスターだった場合ですわ。セイバーのマスターがこの私、ルネスティーネ・エーデルフェルトだということをお忘れのようですわね!」

 突然の奇襲にも慌てず、ルネスティーネは冥馬に手を向ける。
 詠唱などない。たった一工程、指を対象へ向けるという動作だけで魔術が完成する。ルネスティーネの指から散弾銃のような魔力の塊が飛んできた。
 北欧に伝わる有名な〝呪い〟の一つであるガンド。本来は当たった人間の体調を悪くする程度のものでしかないが、ルネスティーネのガンドには明らかに物理殺傷力を備えていた。
 エーデルフェルトは代々ガンドの名手を排出するというが、これほどの技量であれば頷ける。

(威力だけじゃない。狙いも正確無比……!)

 しかし時計塔で金を稼ぐため物騒な仕事を請け負った日々と、聖杯戦争が始まってから幾度となく銃撃に身を晒された経験がここに活きてきた。
 ガンドと機関銃。魔術と科学という点で真逆ではあるが、起こるべき結果であれば大差はない。銃撃を掻い潜るように、足にありったけの魔力を込めてステップを踏む。
 軍用の銃でも楽々とストップする防御性を備えたスーツを着ているので、躱さずに受けても良いのだが、銃弾とは違い魔弾の場合は予想外のオプションがついている可能性がある。それに今後のためにもこちらの情報は出来る限り隠しておいた方が良い。

「私のガンドを躱したですって!?」

 余程ガンドに自信があったのだろう。特別な魔術行使もなくガンドを回避されたことに、ルネスティーネが初めて動揺を露わにした。
 冥馬としては千載一遇の好機。勝負をつけるべく踏み込み、

「させるか!」

 どこからともなく突き刺さる声。反射的に冥馬は飛び退いた。

「――――!」

 横から入った刃の一閃。もしも飛び退くのが遅ければ、冥馬の体はケーキのように真っ二つにされていただろう。

「なっ……!」

 目を見開いた。いる筈がない者が、いてはならない存在がルネスティーネを守るように立っている。
 精悍でありながらも、どことなく愛嬌のある顔立ち。月光に照らされ輝くように靡く銀髪は、黒い髪止めで結われていた。そして白銀の甲冑に身を包み白い外套を羽織った姿は王と神に忠義を捧げる〝聖騎士〟そのものだ。手には聖騎士に相応強い華美に鍛えられた輝煌の聖剣がある。

「ボンジュール、魔術師。後一歩で敵を倒せたところ邪魔して失礼。ルネスの方は俺のマスターじゃないが、美女を守るのは助けてタナボタ的に乙女のハートまで頂けるという、騎士道精神がウズウズする素敵イベント。よって颯爽介入させて貰ったぞ」

 調子よさげに聖騎士が言った。

「馬鹿な。こんなことが、ありえるわけがない」

 男の出で立ちは明らかにサーヴァントのそれである。全身に漲る魔力もそれを証明していた。
 だが有り得ないのだ。人間らしい表情をしているから一瞬分からなかったが、男の顔立ちは今まさにキャスターと戦っているセイバーとまったく同じものなのだ。

「ちっ!」

 事態の異常さを察して、セイバーとの戦いを中断してキャスターが冥馬のもとへ戻る。セイバーは追撃せず、ゆっくりとルネスティーネの側に歩いて行った。
 狂戦士と聖騎士が並ぶ。こうやって両方の姿を同時に視界に捉えると二騎のサーヴァントが同一人物なのは疑いようがなかった。狂戦士の方は鎧などなく、下半身に腰巻をつけただけという野性的なスタイルで、肉体も鉛のような色に変色している上に眼光は獣のそれだが、顔立ちは完全に同じ。
 そう――――丁度あの聖騎士がバーサーカーで召喚されたら、こんな風になるだろう。

「どういうことだ? 同じサーヴァントが二体も召喚されるなんて、そんなことはあるわけがない」

「下調べが足りなかったようね」

 凛とした声が上から降りかかる。ルネスティーネに似た声色だが彼女ではない。
 声のした場所を見上げると、鉄橋の上に血のように真っ赤なドレスを着た少女が優雅にこちらを見下ろしていた。
 顔立ちはルネスティーネと非常に似通っている。だがルネスティーネが縦巻きロールな髪形なのに対して、赤いドレスの少女は金色の髪をツーサイドアップにしていた。なんとなく勝ち気な雰囲気がする。
 少女は無造作に鉄橋から飛び降りると、ふわり、と聖騎士の背後に着地した。

「エーデルフェルトの当主は常に姉妹だと、貴方は知らなかったのかしら? ミスタ・トオサカ」

「!」

 異常なセイバーとルネスティーネの実力にうっかり失念していた。
 本来一子相伝を基本とする魔術師の家において『後継者が二人』という事柄が彼の家が〝天秤〟と呼ばれる所以。だとすれば、あのサーヴァントたちは。

「同一の英霊を別々の側面から其々召喚して使役しているのか。道理でその強さに反してセイバーの霊格が低いわけだ」

 キャスターは二騎のセイバーを見比べながら渋い顔をした。
 英霊とは時に多くの顔をもつ。若い日は騎士として、晩年は将軍として活躍した者。名君から暴君に変化したもの。
 聖杯戦争においてサーヴァントを召喚した場合、基本的にはその英霊の全盛期の姿で召喚されるが、マスターの相性によっては違う側面で召喚されることもある。
 しかし異なる二つの側面を別々に召喚するなど異例極まることだ。少なくともこれまでの聖杯戦争にはなかった。
 エーデルフェルトが〝姉妹〟という特異な魔術特性をもっていたからこそ出来たイレギュラーというべきだろう。良く見ればルネスティーネの右腕に令呪の光があったように、新たに現れた少女の左腕に令呪の光があった。
 どうやら二つに分割されているのはサーヴァントだけではないようだ。
 ルネスティーネにとっては味方が来たということなのだが、何故か不機嫌そうに表情を歪める。

「リリアリンダ、なにをしに出てきましたの? トオサカのような田舎魔術師、この私一人で十分ですわ。妹の貴女は引っ込んでなさい」

「妹として義理で助けてあげたのに、姉さんは好き勝手に仰るんですね。そんなんだからガンドを躱されただけでみっともなく狼狽えるのよ」

「なんですって!?」

「なによ」

「おいおい。そこにキャスターがいるんだから、こんなところで喧嘩は――――」

「「あ゛?」」

「恐ぇー!」

 どうやってこの場を切り抜けようか考えていると、何故かいきなりエーデルフェルトの姉妹が言い争いを始めていた。仲裁に入った聖騎士も鬼のような一睨みに一蹴されている。
 ルネスティーネといい新たに現れたリリアリンダといい魔術師としては高レベルにあるようだが、姉妹仲はかなり悪いらしい。
 そのお蔭というわけではないが、冥馬の脳裏にも一つ閃くものがあった。

「無敵の肉体、聖騎士と狂戦士の側面をもった……聖剣の担い手」

 一つ一つに該当する英霊は多くいる。だがその全てに該当する英霊といえば、思い浮かぶ名前は唯一つ。

「まさかシャルルマーニュ十二勇士筆頭、ローランか!」

「ん? 俺はローランだけどなにをそんなに驚いたふうに――――――あっ! 聖杯戦争で真名って隠すものだったな。そういえば」

 冥馬の追及に聖騎士としての側面で召喚されたセイバー、ローランはとぼけたようにポンと手を叩いた。
 円卓の騎士に並び多くの勇猛果敢で誉れ高い騎士が集ったシャルルマーニュ十二勇士。その筆頭であり最強と謳われたのがローラン。セイバーのクラス適正は言うまでもなく最高だ。
 そしてローランは狂えるオルランド――――理性無きバーサーカーとしての顔を持っている。察するに聖騎士として召喚されたのがリリアリンダのセイバーで、狂戦士として召喚されたのがルネスティーネのセイバーなのだろう。

「セイバー! アンタねぇ。真名は隠しときなさいって二日前に言ったばっかでしょう! なに普通にばらしちゃってるのよ! 少しは粘りなさい!」

「わ、悪い悪い。ごめん……。でもどうせばれたんだし、もういいじゃないか」

「よくないわよ!」

 リリアリンダが自分のセイバーを叱責する。狂戦士の方のセイバーは、そんなやり取りをただじっと地蔵のように固まって眺めていた。
 理性のないサーヴァントというのは普通なら扱い難いものなのだが、エーデルフェルトの双子姉妹のセイバーに限ってはバーサーカーの方が使役し易いのかもしれない。彼女たちほどの魔力のあるマスターならばという但し書きがつくが。

「おーほっほっ! 見苦しいですわよリリア。サーヴァントはマスターに似た者が召喚されると言いますわ。セイバーのおつむが残念なのは、貴女の方に責任があるんじゃなくて」

「はぁ!? だったらおつむ残念どころか理性すらないセイバー召喚したアンタはなんなのよ!」

「勿論、華麗なる私には従順なサーヴァントこそが相応しいという証に決まってますわ!」

「どうだか。本当はそっちのセイバーみたくアンタの頭もお猿並みなんじゃないの?」

「失礼なことを仰らないで! さっきから聞いていればなんですの? 妹ならば姉である私に敬意を払って話なさい」

「たった一時間生まれるのが早かったくらいで人生の先輩気取らないで欲しいわね。姉として扱われて欲しければ、姉らしい振る舞いでもしてみたらどう?」

 冥馬は何もしてないと言うのに姉妹の言い争いは段々と激しさを増していっていた。今はぎりぎりで口論で済んでいるが、放っておけばそのうち手が出るだろう。
 なんにしてもこれは好機だ。

「(キャスター)」

 こっそりとラインを通じてキャスターに話しかける。具体的な事を告げる前にキャスターはこくんと頷く。
 視線で心は通じ合っていた。ずばり、姉妹が喧嘩している今が逃げるチャンスだ。

「(俺が隙を作る。そこをついて一気に逃げるぞ)」

「(隙を作るって良い方法があるのか? それに逃げるといってもセイバーは足も速いぞ)」

「(大丈夫だ。なにも逃げ道は陸路だけじゃないだろう。幸いここは橋の上だからな)」

「(橋の上って、ま、まさか……?)」

「(いくぞ!)」

 有無を言わさずにキャスターが行動に出た。キャスターがなにか良く分からない玉を、言い争いを続ける姉妹たちの間に投げつけた。
 キャスターの投げつけた玉が弾ける。するとむわり、と茶色いなんともいえない煙が吹きあがった。それとほぼ同時に冥馬は、キャスターに首根っこを引っ張られて強制的に橋からダイブする。

「い、いやっ! なによこの臭い!」
 
「こ、これは……う、うんこだァーーーーッ! うんこの臭いだ!?」

「げ、下品なことを仰らないで……げほげほっ! ってリリア、一人だけ逃げるなんて狡いですわよ!」

「■■■■……」

 背後では阿鼻叫喚の叫びが上がっている。だが冥馬にはそちらに気を向ける余裕はない。
 
「あああああああああ~~!!」

 悲鳴すら遠い。冥馬とキャスターは氷のように冷たい冬の未遠川に真っ逆さまに落ちて行く。
 ばさん、と水飛沫があがる。冬の寒さで氷のように冷たくなった川の水が、冥馬の全身を包み込んだ。







【元ネタ】狂えるオルランド
【CLASS】セイバー
【マスター】ルネスティーネ・エーデルフェルト
【真名】オルランド
【性別】男
【身長・体重】190cm・80kg
【属性】中立・狂
【ステータス】筋力A 耐久A 敏捷B 魔力B 幸運C 宝具C+

【クラス別スキル】

対魔力:A
 A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。

騎乗:―
 騎乗スキルは失われている。
 
【固有スキル】

狂化:C
 幸運と魔力を除いたパラメーターをランクアップさせるが、
 言語能力を失い、複雑な思考ができなくなる。

戦闘続行:A
 生還能力。
 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

心眼(偽):B
 直感・第六感による危険回避。

【宝具】

狂煌の軌跡オルランド・フリオーゾ
ランク:C+
種別:対人宝具
レンジ:―
最大捕捉:1人
 強靭なる不死身の肉体。
 通常攻撃・宝具問わずランクC+までの物理属性ダメージを無効化し、ランクC+以上であれば減衰させる。
 ただし伝承により足の裏のみ不死性がない。



[38533] 第23話  姉妹喧嘩
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 11:06
 ルネスティーネとリリアリンダの二人が、キャスターが投げつけた臭い玉による混乱から冷めたのは冥馬が逃げてから数分が経った頃だった。
 数分間も敵である冥馬とキャスターが待ってくれるはずもなく、鉄橋の下の未遠川を見渡しても二人の気配はもう何処にもない。
 
「誇り高いエーデルフェルトに、このような……このような……っ」

 わなわなとルネスティーネの両肩が震える。全身からは冥馬とキャスターに対しての激怒が滲み出ていた。
 ルネスティーネはフィンランドに名高き貴族の生まれであるが、箱入りの御令嬢というわけではなく、魔術師としてそれなりに社会の負の側面というものを見てきている。
 だがそのルネスティーネでも冥馬とキャスターが逃走に使ったものはとてもではないが許容できない。

「この私に、あのようなものを……ぶつけるなど……あのような……」

「う○こだろ」

「黙りなさい!! 殺しますわよ!」

「ら、ラジャー」

 口にすることすら不潔極まる単語をあっさり口にしたセイバーを叱責する。
 理性がある聖騎士としてのセイバーは、あくまでリリアリンダのサーヴァント。ルネスティーネの命令に従う義理はないのだが、ルネスティーネの余りの形相に反射的に頷いてしまう。
 騎士として無敵の強さを誇るセイバーも、女性――――特に目上の女性は苦手だった。

「うっ。臭いがドレスにこびり付いてる……。もうこのドレス着れないわね」

 リリアが露骨に顔を歪める。庶民が聞けば目玉が飛び出るほどの値段のするドレスだったが例のアレの臭いがついてしまえば 最高品質のドレスもボロ雑巾のようなものだ。
 ルネスティーネとリリアも臭いを消すための魔術をドレスにかけてみたのだが、キャスターの道具作成スキルは伊達ではなかったのか。魔術を使っても臭いは消えてくれない。リリアの言う通り、このドレスは捨てるしかないだろう。
 逃げられたのみならず、自分のお気に入りのドレスを捨てる羽目になったことにルネスティーネは更に怒りを募らせた。これほど特定の誰かに怒りを抱いたのは妹であるリリアリンダ以外には初めてのことである。

「覚えていらっしゃい遠坂冥馬……! この私をここまで虚仮にした報い、百倍にして返して差し上げますわ!」

 どうしてアーサー王がキャスターなんて最弱のクラスに押し込まれているか、という最初に抱いた疑問は吹き飛んでしまっていた。
 ルネスティーネは遠坂冥馬への百通り以上もの報復を考えていく。

(コンクリートに括り付けてドブ川に放り込む……足りませんわね? 真っ裸にした後に公衆の面前で三回回ってワンとでも……。兎に角、始末するだけじゃ飽き足りませんわ!)

 いつものように他人の成果――――聖杯を御三家たちの手から華麗に掻っ攫っていくつもりで冬木に赴いたルネスティーネだが、聖杯入手以外に遠坂冥馬への報復という目的が新たに加わる。
 寧ろ『万能の願望器』などというつまらないものより、打倒・遠坂の方が比重において重くなっていた。

「あっそ。百倍はいいけど、まず私は館へ戻って熱いシャワーでも浴びさせて貰うわ。どこぞの姉のせいでキャスターも取り逃がしちゃったことだし、早くこの不快な臭いをとりたいし。行くわよ、セイバー」

「りょーかい」

 優雅に髪を掻き揚げると、リリアは去って行こうとする。だがただ一言、リリアはルネスティーネの地雷原を踏み抜いていた。
 ルネスティーネが怒りで顔を赤くして、館に帰ろうとする妹に向かって口を開く。

「待ちなさい、リリア!」

「なによ?」

 ルネスティーネに呼び止められたリリアが不機嫌そうに振り向いた。

「なによ、じゃありませんわ。リリアが負け犬のようにとぼとぼとチンケな屋敷に戻るのは一向に構いませんわ。寧ろ好きになさい。私の華麗なる戦いにリリアは邪魔ですので。それより私のせいでとはどういうことですの?」

「はぁ!? アンタの戦いのどこが華麗よ! 馬鹿みたいに力任せで火をぶっぱなしたり、風をぶちかましてるだけじゃない。邪魔なのはそっちでしょ」

「下品な言い方ですこと。これだから直情的なお馬鹿さんは。こんなのが私と血を分けた双子など、猿が人間に進化したレベルで不思議ですわ」

「ふふふふふふふ。嫌ですわお姉様。私の台詞を一言一句違わず代弁して下さるなんて。このファイヤードリル女」

「ど、ドリルですって!? この私の高貴な髪をドリルゥ! 今度という今度は許しませんわ! そこに直りなさい!」

「私が、素直に従うと思うわけ?」

 ルネスティーネとリリアリンダ、共に魔術師として最高峰の才能をもって生まれた姉妹は同規模の殺意をぶつけあいながら対峙する。
 互いにその手には自分の手で魔力を込め続けてきた宝石。遠坂家と同じく宝石魔術を得意とするエーデルフェルト家出身である彼女達は冥馬と同等、或いはそれ以上の宝石魔術師だ。
 仮に彼女達のもつ宝石の一つが破裂でもすれば、この冬木大橋に爆弾が爆発したような大穴があくのは間違いないだろう。

「おいおい。ルネスにリリア、一応お前達姉妹だし、戦うにしても最後だろ。ほら落ち着いて深呼吸すれば細かい事なんて――――」

「「あ゛?」」

「いつもながら恐い」

 サーヴァントとしての義務で渋々と仲裁に入ったセイバーは姉妹の一睨みで封殺された。リリアに至っては姉妹で分割したため一画しかない令呪を輝かせてまでの脅しである。

「おい、お前も黙ってないで手伝ってくれ。お前も俺と同じ俺だろ」

「■■■■……」

 困り果てたセイバーが自分と同じセイバー、狂戦士としての自分に助けを求めるが、そもそも理性を失っている彼が言語を話せるはずもない。
 自分自身であるセイバーが話しかけても唸り声を漏らすだけだった。これでセイバーが〝他人〟であれば敵意も一緒に向けられていたに違いない。

「唸り声じゃなんにも分からねぇよ! 我ながら肝心な時に使えない奴! フッ。自分に対して使えないなんて、これが本当の自虐ってやつか?
 やっぱり喧嘩とか殺し合いの仲裁なんて俺の仕事じゃないんだよ! 俺、肉体労働担当だろ! 助けてオリヴィエ!」

 慣れないことをしているストレスに、頭を乱暴に掻きながらセイバー生前の自分の親友に助けを求める。無論、とうの昔に死んでおり、聖杯戦争にも参戦していないオリヴィエが返事をしてくれるはずもなかったが。
 セイバーが生前から余り活用していなかった頭をフル回転させショートしかかっている間に、姉妹の争いもヒートアップしていた。

「もう一度仰って下さらないリリア。私、貴女という華麗さの欠片もない妹をもった心労で耳が遠くなってしまいましたの。一体全体どこの誰のせいで遠坂冥馬を逃がしたですって?」

「何度でも教えてあげるわよ。アンタが『おーほっほっ!』とかアホみたいな高笑いしながらあれこれ言ってきたせいで、遠坂に付け入る隙を与えたんでしょ。無能な姉をもつと、妹としては苦労が絶えないわよ。心底」

「異議ありですわ! 妹である貴女が過ちを犯せば、それとなく叱咤するのが私の義務。私の叱責に『分かりました』と言えない貴女が悪いのです」

「あれのどこをどうしたら〝それとなく〟になるのよ! それとなくの意味、今直ぐ辞書開いて目玉と脳味噌に焼き付けときなさい!」

「そもそも貴女のセイバーが真名をあっさりとばらしたのが全ての原因でしょう! サーヴァントすら御せないマスターなどマスターとして失格ですわ!
 さっさとサーヴァントと令呪だけおいてフィンランドへ戻りなさい。聖杯戦争はこの私が一人できっちりかっきりパーフェクトに勝利しますわ」

「はっ! アンタじゃ三日四日でどこかでおっ死ぬのがオチよ。帰るんならアンタが一人でめそめそ帰ればいいじゃない」

「………………」

「………………」

 先程の台風と落雷の激突のような口論が一転、二人は静かに黙って見つめ合う。
 だがそれが仲直りの合図でないことは瞭然だ。その証拠に二人の魔術回路にはありったけの魔力が流し込まれ、腕の令呪はその輝きを増している。
 これは嵐が静まったのではない。大嵐の前の静けさなのだ。
 溜まりに溜まった怒りと不満を、姉妹は一気に爆発させる。

「リリア、貴女とはいずれどっちが上でどちらが下なのか、はっきりさせなければと思ってました。聖杯戦争において聖杯を手に入れられるのは唯一組。貴女も例外じゃありませんわ。
 どれほど憎たらしくとも貴女は妹。姉としての温情で最後の最期まで残してあげるつもりでしたが、気が変わりましたわ。ここで白黒はっきりつけてさしあげます!」

「望むところよ。姉だからっていつも私より上に立ってる風になって正直苛々してたのよね。年功序列なんて時代遅れ。こっから時代は実力主義よ。
 セイバー! 準備は出来てるでしょうね。ここでルネスと雌雄を決してやるわよ。アンタの聖剣でルネスとそこの狂犬染みた肉達磨をぶった斬ってやりなさい」

「え? 肉達磨って、それも一応俺なんだぜ」

「早くやりなさい。令呪使われたいの?」

「ああもう考えるの面倒臭ぇ! 良く分からないがそこにいる姉と俺をぶった斬ればいいんだな。良く分からないし意味不明だけどとにかく分かった」

 聖騎士としてのセイバーが構えれば、自分と全く同じ闘気を感じ取った狂戦士としてのセイバーが棍棒を振り上げる。

「「やりなさい!!」」

 姉妹の声が重なる。二人の同一人物同クラスのサーヴァントが〝自分〟を殺すべく疾走する。
 ここに聖杯戦争史上最も不毛にして壮絶な姉妹喧嘩が始まった。



 全身の筋肉が軋みをあげている。鉛のように圧し掛かる疲労。許されるなら地面に大の字で倒れてしまいたかった。だが始まりの御三家にして聖杯の守り手たるアインツベルンとして、それは出来ない。
 自分で己を叱咤しながらアルラスフィールとそれに従うホムンクルスたちは夜の冬木を彷徨い歩いていた。
 帝国陸軍の大規模なアインツベルン城への攻撃から丸一日が経過している。
 主にサーヴァントの圧倒的な格差により、いきなり惨めな敗北を喫したアルラスフィールは拠点を失った。
 不幸中の幸いというべきか城に待機していたホムンクルスが、必要最低限のものを持ち出してくれた為に完全なチェックメイトにはなっていない。だがそれに限りなく近い状況といえるだろう。
 城から脱出しても帝国陸軍の攻勢は止むことはなかった。否、陸軍だけではなくナチスに襲撃されることもあった。
 隙あらばと襲い掛かってくる爆撃と兵士たちの襲撃。更には地面に埋め込まれた地雷の数々。
 アルラスフィールが勝利のために引き連れてきた戦闘用ホムンクルスとて万能ではない。戦闘用ホムンクルスたちの稼働時間は十二時間であり、それを超えることは命を削ることと同義である。
 しかし帝国陸軍の執拗な攻撃はアルラスフィールたちに休息を許さず、何体かのホムンクルスはそのために行動不能になったほどだ。アルラスフィール自身、襲撃以来ずっと睡眠をとっていない。
 戦闘用ホムンクルスではないアルラスフィールに、彼女たちのような稼働時間の制限はない。しかしアルラスフィールは体力的には華奢な女性のそれである。アルラスフィールの体力は限界に近かった。

「だからさー。もう戦いなんて止めて逃げちゃおうよ。私は弱い者殺しは好きだけど、強い者殺しは大の苦手なんだし」

 疲労困憊のアルラスフィールたちの中で唯一人ピンピンしている者がいる。
 言うまでもなくアルラスフィールのサーヴァントにして、彼女達全員がここまで追い詰められた最大の原因。アヴェンジャー、アンリ・マユだ。

「……………」

 普段であればアヴェンジャーの士気を削ぐような態度にアルラスフィールは叱責の一つでもしただろう。しかしもはやアルラスフィールにアヴェンジャーを怒る余力すら残っていなかった。

「へぇー。無視するんだ。ひどーい、一応私はアルラのためを思って言ってるのに」

 どれほどアルラスフィールたちが疲労し、戦闘用ホムンクルスの五分の四を失おうともアヴェンジャーがまったく疲れた様子がないのは、アヴェンジャー本人の性格と性質によるものもあるが、もっと魔術的な理由がある。

〝神霊を制御する〟
 
 その目的のためにアハト翁がもてる技術の全てを費やして生み出したアルラスフィールは、戦闘力はともかく内包している魔力――――マスターとしての素養は歴代でもトップクラスだ。
 アルラスフィールが幾ら疲労しようと魔力だけは今もアヴェンジャーへと送られている。そしてサーヴァントとは魔力供給が完全で体に魔力が満ちていれば、食事や睡眠どころか休息すら必要がない。
 ライダーとの戦いで失われた片腕も既に接合されており、ダメージも完全に治癒されている。要するにアルラスフィールたちが疲労困憊の中、アヴェンジャーだけは憎らしい程に万全のコンディションなのだ。

(アヴェンジャーの言う通り、なのかもしれませんね)

 耳元でずっと諦めを叫んでいたアヴェンジャーの怠惰が伝播したのか、この絶望的状況に皮肉にも人間としての苛立ちが芽生えたのか。アルラスフィールの脳裏に初めて諦めが過ぎる。
 最初アルラスフィールが考えていたのはアインツベルンの城にひたすら穴熊を決め込み、残り僅かとなった敵が森に侵入した時に全戦力をもって打倒するというものだ。
 しかしその目論見は帝国陸軍が真っ先にアインツベルンを標的と定めたことでふいとなってしまった。
 戦力の要たる戦闘用ホムンクルスも壊滅状態。他には対人間戦以外は役立たずのアヴェンジャー、魔術特化のホムンクルスが幾人か、戦闘力皆無のアルラスフィール。
 今すぐ目の前にマスターを失ったはぐれサーヴァントが都合よく現れるほどの奇跡でもない限り、アルラスフィールが聖杯戦争を制することはないだろう。

「……川があります。あそこで休みましょう」

 だがやはりアルラスフィールは逃げる、という選択肢をとることができない。
 アルラスフィールにとって『聖杯を手に入れること』は生まれてきた理由であり、存在理由。アルラスフィールの生きる目的だ。聖杯戦争を諦め逃げ出すということは、死ぬことと同じだ。命があったとしても、生きる意味や目的、生きる気力すら失えば、それは肉体ではなく精神の死である。
 故に皮肉なことにアルラスフィールは〝生きる〟ために〝死ぬような戦い〟を続けるしかないのだ。

(数時間前まで執拗に攻撃を仕掛けてきた帝国陸軍やナチスの気配はない。ここで一先ず休んで、それから――――)

「ぶはぁっ! 死ぬかと思った!」

 ばしゃっと水を撒き散らし、未遠川から全身水びだしの赤いスーツの男が這い上がってくる。
 アルラスフィールは休息が許されることはなかったのだと、安楽死前の老人のような不思議に穏やかな心境で悟った。
 
「あら。運命の神様も大悪神の私に似て性質が悪いわ。まさかもうお迎えがくるなんて」

「――――冥馬、しゃんとしろ。残念なお知らせだが、敵サーヴァントだ」

 最弱のサーヴァント、アヴェンジャー。最弱のクラス、キャスター。二体のサーヴァントが対峙する。
 遠坂冥馬はアルラスフィールの顔を見て一瞬驚いたように目を見開くが、直ぐに顔を引き締め戦闘体勢をとった。
 アヴェンジャーの言う通り、運命の神というのは性質が悪いのだろう。勝ち目が全く思い浮かばない。









【元ネタ】ローランの歌
【CLASS】セイバー
【マスター】リリアリンダ・エーデルフェルト
【真名】ローラン
【性別】男
【身長・体重】190cm・80kg
【属性】中立・善
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷C 魔力B 幸運C 宝具A+

【クラス別スキル】

対魔力:A
 A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。

騎乗:B
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。


【固有スキル】

勇猛:B
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 また、格闘ダメージを向上させる効果もある。

戦闘続行:A
 生還能力。
 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

心眼(偽):B
 直感・第六感による危険回避。



[38533] 第24話  英雄譚から茶番劇へ
Name: L◆1de149b1 ID:eb4c0470
Date: 2014/06/08 11:07
「はっくしょん!」

 未遠川から這い上がって来たばかりの冥馬は、日頃自身に徹している家訓すら忘れ大きなくしゃみをする。赤いスーツには冷たい水がしみこみ、全身がびちょびちょだ。
 幾ら強敵から逃げるためとはいえ、よもや聖杯戦争中に未遠川で寒中水泳をすることになるとは思いもしなかった。否、ただの寒中水泳ならまだ良かっただろう。
 どうもキャスターはイレギュラークラス『スイマー』のサーヴァントとして召喚されてもおかしくないほど泳ぎが達者だったらしい。冥馬が水中で体感したキャスターの泳ぐ速度は、地上でのキャスターの全力疾走とほぼ同じ程度だった。

(我ながら意識があるのが不思議なくらいだ)

 潜水艦にロープで首を繋がれて引っ張られたら、きっと同じような感覚を味わうのだろう。まともな人間どころか、人間としてまともではない魔術師でもこれを経験すれば水を大量に飲んで意識を飛ばすに違いない。
 冥馬がこうしてどうにか岸に這い上がる体力を残しているのは、日頃から体を鍛え続けた一つの成果だった。

「だが一難去ってまた一難というべきかな。アインツベルンの方々」

 水で濡れ目にかかった前髪を掻き揚げ、自分の目の前で警戒心を露わにしている一人の女性と、それを守る同じ顔をしたメイドたちを見回す。
 冥馬は帝都のホテルで一度アインツベルンのホムンクルスを見ている。そのホムンクルスと彼女達は起源を同じくするためか非常に良く似ていた。いや全く同じとすらいっていい。
 そしてメイドたちに守られる髪の長い女性がアインツベルンのマスターで間違いないだろう。確か事前に入手した情報によれば個体名はアルラスフィールだとか。
 令呪の反応もそうであるし、なによりも体に満ちる魔力が桁外れだ。あのエーデルフェルトの双子姉妹を足しても勝るほどの魔力が華奢な体に宿っている。
 冥馬とキャスターは既にエーデルフェルトと一戦交えたばかり。マスターとしての素養は断トツだろうアインツベルンとの連戦は望むものではない。
 撤退、という選択が脳裏を過ぎるが、

(待て。もしやこれは好機なんじゃないか?)

 良く観察すればアインツベルンが疲労困憊なのは明らかだ。
 着ているものは火花や返り血などで薄汚れ、顔には隠しても隠しきれぬ疲労の影がある。これが――――アインツベルンの集団で一番マシなアルラスフィールの状態だ。彼女の周囲を守るホムンクルスたちにはもっと酷いものもいた。
 冥馬たちも消耗しているとはいえ、宝具も使用していないため余力は十分にある。寒中水泳を慣行させられた冥馬は自分で戦うのは遠慮したいが、キャスターの方はあと一度の戦闘は問題なくこなせるだろう。

(試す価値はあるな)

 やるならば徹底的にが冥馬の信条だ。目の前に疲弊している強敵がいたならば叩いておくにこしたことはない。
 もし不利になるというのであれば急いで逃げればいいだけだ。幸か不幸か後ろには川もある。逃げ道には事欠かない。

「いけるな、キャスター」

「――――生憎と俺も気高い〝英雄〟の名を背負ってこの戦いに参戦している以上、泣き言を言うことはできないな。お前は下がっていろ。そこのホムンクルスたちは中々の代物だ。別に心配しているわけじゃないが、お前が死ぬとサーヴァントの俺も困るからな」

「分かった。戦いは任せる」

 黄金の剣に魔力が紅蓮の炎となって流れる。煌々と光る炎が近くのものには身を焼く熱を、遠くのものには身を温める熱を与えた。
 アインツベルンの全員がキャスターの武器を見た瞬間、凍りついたように固まる。アインツベルンの誰もがその剣を目の当たりにして理解したのだ。自らの敵が一体誰なのかを。
 思いもよらぬ強敵と遭遇した者の対応は大きく分けて三つだ。ランサーのように出会えた幸運に歓喜するか。ルネスティーネのように闘争心を煮えたぎらせるか。もしくはアインツベルンの者達のように恐れるか、だ。

「……アヴェンジャー、戦闘です」

 苦虫をかみつぶした表情でアルラスフィールが言った。
 彼女の命令を受けたキャスターと睨み合っているソレの口元が三日月を描く。

「はいはい。要するに死ねってことでしょう。了解いたしましたわ、ご主人様」

(こいつ)

 アルラスフィールのサーヴァントは上手く説明ができないのだが、なにかがおかしかった。
 復讐者――――アヴェンジャーという基本七クラスに該当しないことは特に問題ではない。前回の戦いのこともあるし、イレギュラークラスが召喚されるのは特に珍しいことでもないのだから。
 おかしいのはアヴェンジャーの存在そのもの。
 どれだけ目を凝らしても冥馬にはアヴェンジャーの姿が輪郭だけしかない黒い影にしか見えない。キャスターも冥馬と同じなのか怪訝な目をアヴェンジャーへ向けていた。
 しかもそれだけではない。
 初めて目にしてからというものの、何故か冥馬はアヴェンジャーに対して嫌悪感を抱いている。特に理由はないのに、説明できないなにかに押されて冥馬はアヴェンジャーを嫌悪していた。まるでそれが人として当然の反応であるかのように。

「冥馬。アレの力はどれほどのものだ? マスターであるお前にはサーヴァントの強さがある程度は分かるだろう?」

「……あらゆるステータスが最低クラスだよ。はっきりいって雑魚だ。だが」

「分かっている。こういう奴は得体が知れないなにかを持っていることが多い」

 英霊にとって宝具は己のシンボルであり、強さそのもの。サーヴァント同士の戦いは宝具と宝具の戦いと言っても過言ではない。
 故にアヴェンジャーの基礎ステータスがどれほど低くとも宝具が強力無比であれば、強力なサーヴァント足り得るのだ。
 なにせ相手は遠坂と同じ始まりの御三家にして、聖杯を十世紀にも渡り求め続けた一族。その一族が聖杯戦争に下手なサーヴァントを召喚するはずがないのだ。決して油断してかかって良い相手ではない。

「――――燃えろ」

 キャスターの背中にある擬似魔術回路に魔力が流し込まれた。擬似魔術回路が輝き、そこにインプットされた術式を自動的に『完成』させる。
 ぼぉっとキャスターの手に炎の剣が生み出された。キャスターは炎の剣を容赦なくホムンクルスたちへ投げつける。炎の剣が空中で広がりホムンクルスたちへ襲い掛かった。
 戦闘用ホムンクルスたちには対魔術の守りも施されていたが、マスターならまだしもサーヴァントであるキャスターの魔術を防げるものではない。
 ボロボロの身でありながら主を守るためにハルバートを構えたホムンクルスたちは、為す術もなく無慈悲な炎に焼き払われた。
 
「はっ――――!」

 陣形が崩れたと見るやキャスターの動きは早かった。黄金の剣を手に真っ直ぐにアヴェンジャーへ向かっていく。

「くすくすくす……」

 少女のように花咲く笑い声を奏でながら、アヴェンジャーは可憐な声に似合わぬ毒々しい奇形の短刀を出現させる。
 時に〝クラス〟というのは戦い方の目安にもなるものだ。セイバーやランサーであれば白兵を。アーチャーであれば弓による狙撃か、飛び道具による攻撃か。ライダーならば強力な対軍宝具。キャスターならば魔術。アサシンは暗殺。バーサーカーは猪突……といった風に。
 しかし基本七クラスのどれにも該当しないアヴェンジャーは戦い方もアンノウンだ。
 
「RAッAAAAAAAAAAA!!」

 バーサーカーよりも知性の感じられぬ、怪物染みた鳴き声をあげてアヴェンジャーが迫りくるキャスターを迎え撃つ。
 風を切り裂くように振るわれる聖剣と奇形の短刀。二騎のサーヴァントが交錯する。
 だがこんなものはサーヴァントにとって互いの実力を確かめ合うだけの挨拶のようなもの。これから人知を超えた英雄同士の戦いが、

「え?」

 始まることはなかった。

「ぎゃっ……がぁッ…………」

 アヴェンジャーの肩から勢いよく血飛沫があがった。聖なる剣による切り口はアヴェンジャーの表面だけではなく、内部までじゅぐじゅぐと浄化していく。
 一升ほどの赤黒い血を撒き散らせながらアヴェンジャーは苦悶の叫び―――――ではなく苦悶しながら薄気味悪い笑みを貼り付ける。
 冥馬もキャスターも余りの呆気なさに呆然としてしまう。
 本当に一瞬のことだった。ただ一度の交錯、それだけでアヴェンジャーは敗北しキャスターは勝利したのだ。それこそ雑兵一人が死ぬほどの容易さでアヴェンジャーというサーヴァントの一角を倒してしまったのである。
 或いはここからなにかアヴェンジャーの恐るべき能力が発揮されるのか、と冥馬は疑う。しかし霞みがかり消えていくアヴェンジャーの姿がその疑念を否定する。
 アヴェンジャーはもうなにも出来ない。信じ難い事にアヴェンジャーは完膚なきまでに負けたのだ。後は消えるだけである。呆れ果てるほどの弱さだった。

(アインツベルンはボケたのか? こんな弱いサーヴァントなんて前代未聞だ。なにを考えてこんな雑魚を召喚したんだか。……ん? アルラスフィールや残ったホムンクルスたちの姿もない)

 召喚したサーヴァントを失おうとも、マスターを失ったはぐれサーヴァントと契約すれば聖杯戦争を続行することは可能だ。だから前回からサーヴァントを倒した後はそのマスターも仕留めておくのがセオリーとなっている。
 そんなセオリーを知っていたアルラスフィールは己の危険を感じ、冥馬たちの狙いが自分に移る前に逃げ出したのだろう。
 肩を竦める。
 魔術師として血に濡れる覚悟はとっくにしているが、冥馬はなにも敵だからといって無差別に殺すつもりはない。第三次からは折角監督役なんてものがあるのだ。サーヴァントを失ったナチス以外のマスターは令呪を破棄させて教会に放り込むだけで済ますつもりだ。
 尤も頑として令呪を破棄しないのであれば殺すまでだが。

「…………なんだ、アヴェンジャー」

 霊体化ではなく真実この世から消えようとしているアヴェンジャーの視線は真っ直ぐ冥馬へ向けられている。
 暫くアヴェンジャーは冥馬のことを見つめていたが段々と口の端が釣り上がっていった。

「あはっ」

 アヴェンジャーが嗤う。

「アハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 ソレは何に対して嗤っているのか。ただの一合すら切り結ぶことすら叶わずに敗退した己が身か。はたまた自分なんて役立たずを召喚したアインツベルンか。もしくはこんな自分を倒してしまった遠坂冥馬にか。
 いやもしかしたら、それは過去・現在・未来における人間全てに対しての嘲笑だったのかもしれない。
 
「―――――!」

 ぞくりと断頭台にかけられたかのように首筋が冷えた。
 これは敗北者が単に意味もなく断末魔に笑い声をあげているだけに過ぎない。なんの脅威もないはずだ。だというのに冥馬は『自分はなにか取り返しのつかないことをしてしまったのではないか?』と思えて仕方がなかった。
 アヴェンジャーの嗤い声が小さくなっていく。嗤うのを止めたのではなく、単にアヴェンジャーの体が消えていったせいで声が現実味を失っていったのだ。
 聖杯戦争が始まって四日目の今日。アヴェンジャーと呼ばれたサーヴァントは此度の聖杯戦争で最初に消滅した。




 棒のようになる足に鞭打ちアルラスフィールはひたすらに走る。その後をもはや十人足らずとなってしまったホムンクルスたちが続く。
 果たしてどこを目指しているのかアルラスフィールにも分からない。当てなどなかったが遠坂冥馬とキャスターから逃げなければならない。
 レイラインからはもうアヴェンジャーの反応はなかった。キャスターの一撃で完全に消滅したのだろう。御三家に名を連ねるアインツベルン家がよもや最初に脱落したという事実は屈辱的であるが驚くには値しない。
 アヴェンジャーを召喚し、その能力について知った時からこんなことになるだろうとはなんとなく覚悟していた。

「サーヴァントはいない。……だけど、まだ終わりません……」

 聖杯戦争が進めばマスターを失ったはぐれサーヴァントも出てくるかもしれない。そのサーヴァントと再契約できれば、また聖杯を狙うチャンスを掴むことが出来るのだ。
 それにアルラスフィールの掌中には他の参加者にはない最後の切り札――――否、この聖杯戦争においてアルラスフィール自身の命よりも優先すべき代物がある。
 ホムンクルスの中でもアルラスフィールの『側近』ともいえる魔術に秀でたメイド、個体名はイーラという彼女。彼女が抱えている黒いケースの中身がソレだ。
 サーヴァントを失っても、これがあればまだ挽回は可能。アヴェンジャーという最弱のサーヴァントを失いながらも勝利を伺えたのは、アインツベルンがこれを握っているからだ。
 これを手にしているということは、それだけで他のマスターたちより優位があるということ。なにせこれは全てのマスターとサーヴァントが等しく望む『聖杯』を手に入れる唯一の鍵なのだから。
 分の悪い賭けであるが、サーヴァントがおらずとも黒いケースの中身さえあれば、他の参加者が勝手にサーヴァントを潰しあい『準備』を整えたところで、こちらで鍵を使い漁夫の利的に勝利を霞めとることもできる。

(冬木市中にはナチスや陸軍が徘徊している。アサシンだってどこに潜んでいるか分からない。サーヴァントを失い、戦闘を任せうるホムンクルスたちを失った私は、他の参加者からしたら恰好の獲物でしかない。
 これが他の参加者なら、監督役のいる教会へ向かい保護を求め身の安全を確保するのでしょう。……きっとあそこには温かい食事もある。雨風を防いでくれる屋根がある。けどその道はやはり選べない)

 教会に保護を求めれば、アルラスフィールの掌中にあるそれについて知られる恐れがある。

「はぁ……こんな時、アヴェンジャーならいい加減に諦めろと言うのかもしれませんね」

 アヴェンジャーは常々逃げたいだとか降参しようだとか諦めようだとか。アルラスフィールのやる気を削ぐことばかり言い続けてきた。
 こうしてアヴェンジャーを失ってみると、どうして自分がアヴェンジャーを憎んでいたのか分かる。
 アヴェンジャーの言葉はアヴェンジャーだけではなくアルラスフィールの声でもあったのだ。心の奥底で無意識のうちに思っていて、けれど己に課した矜持と義務故に言葉に出せない感情。
 心の奥底の声は本音と言い換えることができる。そして自分の本音ほど自分に対して甘く優しいものはない。だからアヴェンジャーの諦めは酷く甘美で、アルラスフィールはそれに流されぬようアヴェンジャーを嫌っていたのだ。 

(冬木市にいるのは危険ですね。分の悪い賭けですが、一時的に市外に逃げるしか……)

 冬木市内には監視の目が至るところにあるが、一度冬木市から離れてしまえば目は少なくなる。
 聖杯戦争が終わる頃まで市外で待機して、はぐれサーヴァントが出るか、聖杯戦争が終盤戦ともなれば冬木市へ舞い戻る。これが現状とれる最上の策だろう。というより他にとれる手段がまるで思いつかない。
 その時、一発の銃声が夜の闇に響いた。

「お嬢……様……」

「イーラ!?」

 アルラスフィールの隣りにいたイーラがお腹からどくどくと血を流している。
 生まれて以来、アインツベルンの領地から出た事のなかったアルラスフィールは所謂世間知らずであるが、聖杯戦争の数日のお蔭で世間の中でも最も陰惨にして壮絶なる側面についての知識は得ていた。イーラは遠方から狙撃されたのだ。
 アルラスフィールは見た。暗闇で顔も着ている服も上手く認識できないが、建物の屋上に数人の人影がある。
 人影の一つがパチンと指を鳴らした。それを合図として2mはあろうという大男が金属がこすれる音を響かせながら、アルラスフィールたちに襲い掛かって来た。
 それからの戦いは、もはや戦いとすら言えないものだった。
 疲弊したホムンクルスたちは大男には敵わず、一方的に殺戮された。更には――――

(アレを失ったら、私はもう……)

 それが意図的に引き起こされたのか、そうでないかは分からない。ただ恐らくは知らぬが故に起きてしまった事故だろう。
 アルラスフィールにとって最後だった『希望』であり聖杯戦争で最も大切だった〝もの〟まで大男の殺戮は蹂躙していった。聖杯戦争の肝心要というべきソレも、高度な魔術理論で構築されているだけで耐久性は良くはない。大男がばら撒いた鉄の板すら貫通する『たった一発』の流れ弾程度にも抗う耐久力はなかった。
 その殺戮からアルラスフィールは唯一人逃げ出した。もはや希望もなく生きる目的すらなくなったというのに、ただただ逃げ出した。
 彼女に従っていたホムンクルスが感情を露わに「逃げて下さい」と懇願したからかもしれないし、生命としての生存本能が芽生えたからなのかもしれない。答えはアルラスフィールにも出せないだろう。
 ただ一つ言えることは聖杯戦争四日目をもって七人の魔術師と七人の英雄によって紡がれる『英雄譚』は、道化と悪魔が笑う『茶番劇』と成り下がったということだ。
 銃火から逃げ冬木市を走り彷徨ったアルラスフィールは最後、神の家の光を見て意識を失った。

――――ここに七人の魔術師と七人の英霊による〝英雄譚〟は閉幕し、物語は語るに値せぬ〝茶番劇〟に堕ちる。

 願いを叶えるは〝聖杯〟に非ず。
 叶えるものがあるとすれば、それは――――








【元ネタ】ゾロアスター教
【CLASS】アヴェンジャー
【マスター】アルラスフィール・フォン・アインツベルン
【真名】アンリ・マユ
【性別】不定
【身長・体重】不定
【属性】悪
【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷E 魔力E 幸運E 宝具-

【固有スキル】

絶対殺害権:EX
 相手が純粋な『人間』であるならば必ず殺害することができる。



[38533] 第25話  ナチスの誘い
Name: L◆1de149b1 ID:81b3d3a6
Date: 2014/06/08 11:08
 この五日間、狩麻は直接他のサーヴァントやマスターと交戦したこともなければ、顔を合わせたことすらなかったが、決して意味もなく時間を浪費していたわけではなかった。
 冬木市に放っていた使い魔たる蟲達は狩麻とアーチャーをこの間桐邸から一歩も動かさずに、有益な情報を送ってきてくれている。それは十分に戦果と呼べるだけのものだ。

「あーははははははっ~♪ 僕は回る~♪ くるくる回る~♪」

 部屋で音楽にのって踊っているアーチャーを努めて黙殺する。アーチャー相手に下手な叱責なんてしても逆に面倒臭いことになるだけだ。
 狩麻はテーブルに置いてある苦い緑茶を口に含み、思考に没頭する。ちなみに祖父である臓硯はアーチャーと関わることを嫌って奥に引っ込んでいる。

「そこで華麗にジャンプ! ララーラー♪」

 アーチャーがスケートでもないのに四回転半しても無視だ。
 白状すれば狩麻は間桐の魔術も蟲も好きではない。自分の肉体を苗床として蟲を操る間桐の魔術は、魔術という異端の秘術の中でも特に見た目の悪いものだ。特に女である狩麻にとっては最悪だ。どれほど長い間、蟲と接しても生理的嫌悪感というものは消えてくれない。
 だが蟲たちの有用性は確かなものだった。これは魔術師として狩麻も認めるしかない。鳥などといった魔術師が扱う一般的魔術師と違い、間桐の蟲は兎にも角にも隠密性に長けている。中でも狩麻自身が交配させ、内部を弄り生み出した特別な〝蟲たち〟はあの臓硯すら認めるほどのものだ。

(冥馬が生き残っているのは〝やっぱり〟としか言えないけど、まさかあのアインツベルンがいきなり敗れるなんてね)

 始まりの御三家が聖杯戦争にかける思いは外来の参加者の比ではない。狩麻は聖杯戦争――――ひいては聖杯を求める妄執において間桐臓硯を超える者はいないと信じているが、アインツベルンも相当のものだ。
 聖杯戦争が始まって以来、アインツベルンはマスターの戦闘力の無さが敗因となっているため、此度の戦いではその失敗を糧にして、より強大な敵となって立ち塞がるだろうと危険視していた。そのため『アインツベルンが最初に敗退』したという事実は誤算以外のなにものでもない。
 尤も誤算は誤算でも『嬉しい誤算』だ。狩麻の目的は『聖杯』よりも〝遠坂冥馬〟といっていい。そのための邪魔者には一人でも多く消えて貰った方が良かった。

(常に私の上をいった冥馬を、私の足元に引きずりおろす)

「プリプリプリプリプリンス~♪ 僕はプリンス~♪」

 それこそが狩麻の目的。才能において勝る相手を自分に跪かせ高笑いする――――即ち〝下剋上〟こそが狩麻の生きる指針といっていい。
 臓硯は兎も角、狩麻自身は『聖杯』そのものは別に欲しい訳ではない。聖杯戦争に勝利したという結果があれば満足だ。無論、その道程は遠坂冥馬を倒して……という過程を経たものであることが大前提である。
 聖杯そのものに感心が薄いため、聖杯を使う用途も未だに決めていない。臓硯が恥を忍んで鼻水垂らして土下座でもしてきたら散々勿体ぶった後にくれてやってもいいくらいだ。
 命を懸けて聖杯戦争に挑みながら『聖杯』そのものは欲しない。奇しくもこれは狩麻が執着している冥馬と共通しているのだが、幸か不幸か狩麻はそれを知らなかった。

「前回は慎重を期して冥馬は逃がしてあげたけど、次は――――」

「アハーン!」

「いい加減に黙ってなさいよ、アーチャー! 馬鹿なの!? 死ぬの!?」

 飛んだり跳ねたり踊ったり歌ったりしても、努めて無視しようとしていたがもう限界だ。青筋を立ててアーチャーを睨みつける。
 アーチャーは狩麻の怒鳴り声を浴びて漸く踊ったり歌ったりするのを止める。

「おやマスターの思考が冴えるよう僕なりの方法で、マスターをリラックスさせてあげようと思ったんだけどお気に召さなかったかい?」

「召すわけないでしょう。貴方の音痴な歌なんて聞かなくても、私の思考はいつも冴えてるわよ。そもそも本当に私をリラックスさせる為にやってたの?」

「もちろんさ!」

「……はぁ。いきなりアインツベルンが脱落したっていうのに、いつまでも貴方は……。本当にあの英雄なわけ?」

 何度目かに分からぬ疑問を、遂に狩麻は口に出してアーチャーにぶつけた。

「ははははははは。心配しなくても僕は君が召喚しようとした英雄本人で間違いないよ」

 アーチャーは濃い笑顔で笑いながら親指を立ててサムズアップする。教えられた宝具といいスキルといい召喚された時の恰好といい、アーチャーがあの英雄なのはステータス上は確かなのだ。
 しかしアーチャーの普段の振る舞いはステータス上の事実に疑いをもたせるには十分過ぎるものだった。

「だったら、この状況をどう見ます?」

 そんなアーチャーを挑発する意味も込めて言った。
 幾らアーチャーが彼の英雄だったとしても、常日頃の不真面目な態度からするに生前の偉業もなにかの偶然の産物に違いない。そう思っていたのだが、

「アインツベルンが脱落したという情報はどこからのものだい?」

 いつものお気楽さはどこへやら。極めて冷静な口調でアーチャーが言った。表情には笑みがあるが、その眼差しは真面目なものだ。
 直感する。アーチャーの態度から彼の英雄としての功績はなにかの間違いだと感じていたが、それこそが誤りだ。ふざけているようでいて、アーチャーはしっかりと英雄としての表情を内側に隠していた。
 
「私の使役していた蟲からのものよ。冬木中に放っていた蟲の一匹が偶然……じゃなくて、戦闘が起こるであろう場所に予め配置していた蟲が、未遠川付近での戦闘を目撃したのよ」

「アインツベルンと戦っていたサーヴァントとマスターは?」

「昨日、この家に偵察に来ていた冥馬とキャスターよ」

「ああ。序盤で戦うには早いといって見逃した彼等だね。マスターご執心のムッシュ・トオサカについては知っているから良しとして、彼のサーヴァントについては? 戦闘は見れたかい?」

「ええ」

 蟲が冥馬とアインツベルンの戦闘を捉えて直ぐに、狩麻は蟲と視界を共有し両者の戦闘を覗き見ている。だから二人の戦いの顛末については一通り掴んでいた。流石に逃げたアインツベルンのマスター、アルラスフィールを追うことはできなかったが。
 狩麻は昨日の戦いを思い起こし、アーチャーに伝える。

「戦いそのものは本当に早く終わったわ。アインツベルンのサーヴァント、アヴェンジャーとかいうイレギュラークラスの黒い影みたいなのがキャスターと交錯して終わり。アヴェンジャーが一方的に切り伏せられ脱落。アインツベルンのマスターは護衛のホムンクルスたちと一緒に逃げ出したわ」

「へぇ」

 狩麻からの情報を聞くとアーチャーが驚いたように目を見開いた。
 サーヴァントとして召喚されるのは全てが英雄。セイバーとキャスターが白兵戦勝負をする、なんて極端なことにならない限り一瞬で勝負が決着するなんて有り得ないことだ。
 だというのにキャスターとアヴェンジャーの戦いは本当に一瞬で終わった。それこそ英雄が一兵卒を斬り殺すようにあっさりと。

「アヴェンジャー、復讐者という役目を与えられた英雄は如何な復讐をこの英雄同士の華麗なる戦いに求めたのか。プリンスとして是非ともアヴェンジャーなる英雄と相見えたかったよ。その強さ弱さに関係なく、ね。
 戦いに予想外のゲストはつきもの。ゲストは本来プログラムにない故に、それが会場に現れた時にどのような波乱を齎すのか分からない。して、そのアヴェンジャーはキャスター相手にあっさりやられるほど弱いサーヴァントだったのかい?」

「強いか弱いかって聞かれたら、弱そうだったわ。だけどアインツベルンの方はかなり消耗していたみたいだし……。けど一つだけ言えることがあるわ」

「なんだい?」

「キャスターの真名はアーサー王よ」

「――――!」

 今度は露骨にアーチャーの表情が変化する。プリンスを名乗っていた時の年中お祭り騒ぎの雰囲気は跡形もなく消え失せ、軍を率いる将軍としての顔が露わとなった。
 黄金に輝く聖剣を振るう英雄など思いつく名前は一つしかない。アーサー王、その余りに有名過ぎる英雄の名をアーチャーが知らぬはずもないだろう。

「フフフフフフ。これは……嬉しい話を聞いた。まさか騎士王ともあろう英雄が僕と同じサーヴァントとして、この聖杯戦争に参加していたとはね」

 召喚されて以来、お祭り騒ぎだったアーチャーが初めて敵サーヴァントへの闘争心を見せた。
 確信する。やはりアーチャーはあの英雄だった。その実力と才幹、共に疑いようがない。これだけが分かっただけでも狩麻にとっては幸運だった。幾ら自分が魔術師として優れていようと、肝心のサーヴァントが役立たずでは元も子もないのだから。
 そしてアーチャーであれば、例え相手がアーサー王だとしても決して劣るものではないだろう。

「――――あら」

 遠坂冥馬が間桐邸に偵察に来た時と同じものを狩麻の脳髄は察知する。アーチャーも同じものを感じたのか、顔の筋肉が引き締まって窓に視線を向けた。
 間桐邸に配置していた蟲との視界を通じて外を伺う。間桐の敷地の手前には人影が一つ。
年季の入った白い服にマントを羽織りステッキをもった貴族らしい佇まいの男だった。だがあくまで貴族らしいであって、その男は貴族ではない。

「あの顔?」

「心当たりがあるのかい?」

「ええ。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア、ちょっと前に時計塔で噂になった男で……本人の魔術師としての実力は高いけど、噂によれば優秀な子孫を残す力に欠けてるとかで立場は高くないわ。貴族との縁談も断られたっていうし。だけど蟲の一匹が見たわ。あいつがナチスのマスターよ」

 噂の是非はどうでもいい。子孫がどうこうなど聖杯戦争においてはなんら意味をなさないことだ。重要なのはダーニックという個人が優秀な魔術師で、その優秀な魔術師の背後にはナチスがいるということである。
 帝国陸軍とナチスドイツ。この二つはイレギュラークラスのアヴェンジャーどころではない真正のイレギュラーだ。意図は不明だがそのイレギュラーを率いるマスターの一角が、護衛の兵隊の一人も連れずに間桐邸へとやってきた。
 冥馬と同じように偵察しに来ただけというのはない。偵察など、それこそナチスの兵士たちにでもやらせればいいことだ。わざわざマスターであるダーニック自身が赴く必要性はない。

「兵隊という配下がいるにも拘らずマスターたるムッシュ・ダーニック本人がきた。魔術師の家には罠が張り巡らせている、なんて知らぬこともないだろうしねぇ。ああ一人じゃなくて正確には〝二人〟だね。僕と同じ聖杯戦争の花形を忘れるとは失敬失敬」

 蟲との視界共有では霊体化したサーヴァントまで視認することは不可能なのだが、アーチャーによればサーヴァントも連れているようだ。
 それも当然か。護衛の兵士ゼロに、サーヴァントすら連れずに敵マスターの拠点に侵入するなど自分で自分にギロチンの刃を落とすようなものだ。

「まさか戦いに……」

「戦いに赴いたのであれば、僕もこの歴史に記されぬ儚き戦いに招かれた華として、決闘の求めに応じぬわけにはいかないね。でもそれはないと思うよ」

「何で言いきれるのよ」

「戦いに来たなら兵隊を連れてこない筈がないじゃないか。そもそも時間だって悪い。今は正午近く、聖杯戦争は基本的に夜からだろう」

「それは、そうね」

 正論過ぎて返す言葉もないとはこのことだ。良く観察すればダーニックにも戦意らしきものはなく、寧ろその表情は『友人のお茶会に招かれた客』のそれである。
 八枚舌――――ダーニックがその政治手腕からそういう異名で呼ばれていたのを思い出した。
 ダーニックが蟲の一匹の存在を察知すると、にこやかに一礼する。そしてランサーを霊体化させたまま間桐の敷地に踏み込んだ。
 狩麻の中で頭が切り替わる。敷地内に『踏み入れ』たのならば、もはや知らんぷりはできない。
 
「アーチャー、着いて来なさい」

「イエス、マイ・マスター」

 芝居がかったお辞儀をしてアーチャーが狩麻に着いて行く。服装は相変わらずアーチャーが勝手に用意した赤いケバケバシイ服だが、その足の運び一つとっても隙がない。もしダーニックか、そのサーヴァントが襲い掛かってもアーチャーは瞬時に対応してみせるだろう。
 アーチャー曰く、ダーニックの方に戦意はないそうだが――――そんなことは知ったことではない。ナチスという軍事力をもつマスターが折角マスターとサーヴァントだけでノコノコとやってきたのだ。例え握手を求めてきても、機会があればここで仕留める。

「止まりなさい。ここを誰の屋敷だと思ってるの?」

 屋敷から出た狩麻は、冷たくダーニックに言った。間桐邸に潜んだ蟲たちや、狩麻のとっておき。そしてアーチャーにいつでもダーニックを襲わせる準備をした。
 ダーニックもサーヴァントを連れている以上、そう簡単に殺すことはできないが、四方八方からの総攻撃であれば可能性はある。
 昼に戦闘すれば近隣に住む誰かが騒動に気付く懸念も承知している。しかしそのあたりの処置は監督役に押し付けてやればいいことだ。

「聖杯戦争に参加したマスターで貴女とその家について知らねば、無知の誹りを免れぬものでしょう。私は全知ではありませんが無知ではないと自負しています」

 ピン、と背中を張りダーニックは邪気なく微笑みかける。
 これだけなら百人が百人ダーニックという男に対して『紳士的な好人物』というイメージしか抱かないだろう。しかし『好人物』や『腹黒狸』。はたまた『無能者』を自然かつ完全に演じ分けられるからこその〝八枚舌〟である。油断は禁物だ。

「お初お目にかかる、ミス・マキリ。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア、ユグドミレニアの長をさせて頂いています」

「名前の前に〝ナチスの〟とでもつけたらどうなの? 一人じゃ絶対に勝てないからってナチスの助力まで請うなんて、見境がないにも程があるわね。魔術師として神経を疑うわ。けどナチスの手を借りたって勝てないことに変わりはないだろうけど」

「これはこれは耳が痛い」

 狩麻の挑発にもダーニックは微笑を崩さない。
 ダーニックは魔術師にとって屈辱的な噂を流され、それでも時計塔にしがみついていたような男だ。この程度の挑発など動じるほど軟な精神をしていない。彼の八枚の舌の裏側には時計塔の喉元すら噛み砕こうとする叛逆の意志と牙が隠れているのだ。
 当たり前のことだが狩麻はダーニックがどういう人物で、どういう〝願い〟を腹の底へ隠し持っているかなど知りはしない。しかし間桐臓硯という妖怪と長い間、接してきたお蔭か、ダーニックの奈落のように底知れない腹の内を感じることはできた。
 
「それで何の用で来たわけ? 言っておくけど、私は貴方みたいなのに構っている時間はないのだけど。下らない用だったらこの場で蟲の餌にしてやるわよ」

「一つ提案がありまして」

「提案?」

 ダーニックはステッキをもう片方の手に持ちかえると、微笑みはそのまま抑揚に口を開く。

「打倒遠坂のため、手を組みませんか?」







【CLASS】アーチャー
【マスター】間桐狩麻
【真名】???
【性別】男
【身長・体重】172cm・60kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具A++

【クラス別スキル】

対魔力:D
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。



[38533] 第26話  人形使いと暗殺者の談話
Name: L◆1de149b1 ID:81b3d3a6
Date: 2014/06/08 11:09
 やるべきことを終えたダーニックは、霊体化しているランサーと共に間桐邸を後にする。
 間桐の屋敷からは未だにダーニックを注意深く監視する蟲たちが無数に潜んでいた。その数は一匹や二匹どころではなく、ダーニックどころかランサーの眼力をもってしても全ての蟲を把握することはできない。
 間桐狩麻は時計塔でもそれなりに名の知れた蟲使いだが、名声に恥じぬ実力を持っているだろうということは屋敷の守り一つからも見て取れる。

『人が折角映画を楽しんでいたのを中断させておいて結局は無駄骨だったな』

 霊体化したままランサーが面倒臭そうに言ってきた。
 冬木の地へ来て聖杯戦争が本格的に始まったというのに、このランサーの態度は変わらないままだ。〝聖杯戦争〟へなんら情熱ややる気を示さず、ただこの時代の娯楽ばかりを楽しんでいる。
 今日とてダーニックが同行を命じた時など『オフだからパス』だのとのたまってごねたものだ。
 ランサーの態度については、ダーニックは半ば諦めている。働く報酬に食事や映画などといった娯楽を要求するものの、報酬を支払う限りにおいてランサーは従順ではないが忠実だ。
 自分の力を貸すのに対価を求めるという精神性は『等価交換』を原則とする魔術師の思想にも合致するし、サーヴァントとしての最低限の一線は守っている。そういう意味では扱いやすいサーヴァントだ。

「無駄骨? 君にはそう見えたかな」

 自分の仕込みが成功したからか。ダーニックは普段より抑揚にランサーに応じた。
 言いながらダーニックは蟲たちの視線が感じられなくなったことに気付く。間桐邸から離れ、蟲たちの監視網から出たのだろう。
 通りに出ると一台の黒塗りの車が止まっていた。政治家や高級軍人が乗りそうな如何にもな高級車の側では、軍服ではなくスーツを着た護衛の兵士が待っている。
 ダーニックは軽く「ご苦労」とだけ労うと、車の後部座席に乗った。

『お前は間桐へ同盟しにいったんだろう。で、それを断られた。これが無駄骨じゃなくてなんという?』

「簡単なことだ。同盟が結べれば良し、結べなくても良し。どっちに転んでも私には成功なのだよ」

 ランサーの言う通り間桐狩麻への同盟、共闘の誘いはあっさりと断られた。だがダーニックからすれば同盟を断られるのは寧ろ予想通り、逆に同盟を受け入れられた方が驚いただろう。
 ダーニックの異名でもある『八枚舌』は、その異名が付けられる理由が理由のため、同盟の誘いなどをすれば確実に裏があるのではないかと疑われる。
 詐欺師にとって〝疑われる〟というのは致命的だ。詐欺師という烏が獲物にするのは、こちらを疑わない愚か者である。詐欺師は白鳥のような優美さで、或いは樹木のような無害さで獲物である人間に近付き信頼させ、その信頼を食い物にする。
 しかしダーニックは一流の詐欺師だ。一流の詐欺師は〝疑惑〟という不利すら逆に利用して、自分の思うが儘に獲物を操ってしまう。

「間桐狩麻はこちらと同盟はしなかったが、あの場で我々に戦いを挑みもしなかった。彼女は遠坂冥馬を倒すために、自分の力を温存していたいのだろう」

 聖杯戦争に単身で挑まず、ナチスの組織力の力を借りて参戦したのは正解だった。ダーニック一人では出来ないことも出来るようになるし、手の届かないものにも届くようになる。
 情報を制する者が世界を制する。情報の齎す優位は聖杯戦争においても不変だ。聖杯戦争を優位に運ぶためナチスは参戦するであろうマスターの詳細な情報について集めていたのだ。
 ナチスが集めたデータの中には参加するマスターの得意とする魔術などといったパラメーター以外にも、戦いに参戦するであろう動機や性格などについてもある。
 これらの情報によりダーニックとロディウスは間桐狩麻について一つの結論を下した。

――――間桐狩麻は遠坂冥馬に強い執着をもっている。

 遠坂冥馬に執着している狩麻にとって、遠坂冥馬は必ず自分の手で殺したい相手のはずだ。
 ナチスにとっても遠坂冥馬は明確にこちらの敵意をもつマスターであり、難敵の一角。出来ることならば早めに対処したい。だが冥馬のサーヴァントはアーサー王であり、単独で挑むにはやや不安が残る。

『そういえば、同盟は断られた癖にこちらの情報は無償で渡す……なんてこともしていたな。これも悪巧みの一貫か?』

「悪巧み? 謀略と言い換えてくれ」

『同じようなものだろう』

「ふっ。どちらにせよ間桐狩麻は放っておいてもいずれ遠坂冥馬に戦いを挑む。だが彼女がいつ戦いを挑むかは不明瞭だった。明日にでも遠坂邸へ攻撃を仕掛けるかもしれないし、最後になるまで狙わない可能性もあった。
 しかし直に接触して、こちらの情報を与えていれば間桐狩麻が遠坂冥馬と戦うタイミングをある程度は操作できる」

 ダーニックの見る限り間桐狩麻という女魔術師は蟲使いとしての力量は高いが、余り腹芸には向いていない。チェスは得意でも、イカサマは苦手な精神をしている。
 その精神は人間として美徳であって欠点ではない。だが戦時という非常時では平時の美徳が欠点となることもある。
 時計塔の魑魅魍魎たちを翻弄した稀代の詐欺師たるダーニックからすれば間桐狩麻は比較的扱いやすい人間だった。

(間桐狩麻は遠坂冥馬と戦う時のために力を温存しておきたい。遠坂冥馬は我々ナチスを敵視している。これに間桐狩麻が遠坂冥馬を自分の手で倒したいと思っているという仮説を加えれば……)

 狩麻がとるであろう行動はおのずと知れるというものだ。

「ところでランサー。狩麻の側にいた赤い男、アーチャーの真名に心当たりはあるかね?」

『ないな。奴の着ていたもの、あれは召喚された奴が元々纏っていたものじゃなくこの時代で新調したものだ。服の素材からこの時代の臭いがしたから間違いない』

「やはり戦ってもいないのに簡単に真名は知れないか」

『当たり前だ。お前はサーヴァントを全知全能の存在だとでも思っているのか? 私が神域に至っているのは一つのみ。これを活かすなら、せめてアーチャーの奴の武器の一つでも晒させなければ話にならん。そもそも服だとかは私のジャンルじゃない。服は服屋に聞け』

「……………………」

 ダーニックは狩麻の隣りで自分達を油断なく見据えていたアーチャーについて思い出す。
 一流の詐欺師として海千山千の狸たちと渡り歩いてきた経験則が告げていた。アーチャーは難敵だ。とぼけているようでいて、アーチャーの双眸はダーニックの指の動き一つ見逃してはいなかった。
 ふざけた態度は所詮はフェイク、ペルソナに過ぎない。きっと奥底に英雄としての牙を隠し持っているはずだ。
 戦闘している姿を見た事がないため、具体的な強さを推し量ることは不可能だが、名のある英雄であるに違いない。彼の騎士王ともアーチャーであれば十分に戦えるはずだ。少なくとも一方的に敗北を喫するという結果にはならないだろう。
 狩麻を対遠坂に利用する算段のダーニックにとってアーチャーが強い英霊であることはメリットであるが、その頭脳の方も明晰であるのはデメリットでしかない。間桐に対して謀略を仕掛ける際は狩麻よりもアーチャーを警戒した方がいいだろう。

(静かだな。とてもつい少し前に帝国陸軍による空爆があった街とは思えない)

 帝国陸軍がアインツベルンに大々的な攻勢を仕掛けたことはナチスも知るところである。そして御三家に名を連ねるアインツベルンが此度の戦いの最初の脱落者となったことも。
 運良くアインツベルンのマスター、アルラスフィールは冬木教会まで逃げ切り命は助かったそうだ。幾ら御三家とはいえ令呪を失ったマスターにもう聖杯戦争に参加する資格はない。故にアルラスフィールはもはやダーニックにとってどうでもいい存在となった。
 だがアインツベルンが真っ先に脱落したという事実、これは中々に興味をそそられる。

(帝国陸軍はアインツベルン城で城内の探索などをしている。それが終わるまで暫くは動かないだろう。私とナチスもまだ動くつもりはない)

 ナチスと帝国陸軍、軍隊を擁する二つの勢力が共に行動を止める。となれば今夜にでも血気盛んなマスターが動き始めるかもしれない。
 車窓から流れていく街並みを眺めつつダーニックはそう思った。


 

 偵察、それが己のマスターからアサシンが与えられた任務だった。
 気配遮断スキルをもつアサシンは戦闘行動に出なければサーヴァントにすらその存在を感知させない隠密性がある。
 闇に隠れ、敵の動きを探る。勇猛果敢にして世界に誇る名をもつ英雄であれば退屈極まりない仕事だが、生前から暗殺という汚れ仕事に従事し続けたアサシンにとっては与えられた仕事が退屈だろうと問題はない。
 そも直接の戦闘力において著しく欠けているアサシンが他のサーヴァントたちより優位にたてるのが隠密行動であり、それを活かした偵察行動なのだ。偵察の指示はアサシンにとっての望む所である。
 結果として暗闇に溶けて冬木の街を跳び回ったアサシンはアインツベルンの敗退、セイバーの真名と能力、キャスターの泳ぎの上手さ、間桐狩麻とダーニックの不穏な動きなど、聖杯戦争で起きたあらゆる出来事について掴んでいた。
 現状アサシン以上の情報をもつ主従はいないだろう。
 自分の為すべき役目を一先ず終えたアサシンは己が主君のもとへと帰還する。
 既に夜は明け、朝も終わり昼となっていたが霊体化している上に気配を断っているアサシンを目視することは魔術師にもサーヴァントにも出来ない。否、アサシンは例え霊体化せずとも太陽の照りつける青空で誰にも気づかれずに行動する自信があった。

「――――――」

 しゅたり、とアサシンが降り立ったのは深山町の外れにある錆びれた廃屋だ。腐りかけた木製の壁、雨漏りのする屋根。人の気配などありはしない、誰からも忘れ去られた墓場のような場所だった。
 念のためにアサシンは周囲を警戒し誰の目もないことを確かめてから、廃屋の中に入る。

「御主君。――――ただいま戻った」
、 
「お疲れ様です、アサシン」

 廃屋の奥に屋内の錆びた空気にまるで似つかわしくない見た目は年端もいかぬ少女の〝女性〟がいた。
 貴族などがダンスなどをする際に纏う舞踏服とヨーロッパの家政婦の服装を混ぜ合わせたような白黒のドレスを着た彼女は、くたばりかけの牡鹿のような廃屋で品の良い笑みを浮かべアサシンを労った。
 これが普通の人間同士ならばアサシンが調べた情報を主人に説明するところだが、契約のラインで結ばれているエルマはとっくにアサシンの見聞きした情報を知っている。
 マスターへ挨拶を済ませたアサシンは直ぐに霊体化した。他の英霊と比べ霊格の低いアサシンを実体化する魔力などたかが知れているが、その〝たかが〟が実戦では命取りになることもある。毒針が一本、たった一本足りなかったために苦戦を余儀なくされた経験もアサシンにはあった。

「素っ気ないんですねアサシン。ずっとこの何にもなければ埃だらけの廃墟で一人だったんです。話し相手くらいなって下さい」

 だがマスターにはアサシンの態度が不満だったらしい。エルマは僅かに頬を膨らませ、霊体化しているアサシンを見つめた。
 
「私などを話し相手にしたところで面白いものなどないと愚考するが?」

 あのセイバーのように生前に多くの女性をその美貌で蕩けさせた騎士であれば、女性であるマスターに気の利いたセリフの一つも言えるだろう。
 しかし生憎とアサシンは美貌どころか無貌だ。ハサンの名を襲名するにあたり顔など削ぎ落とし、誰でもない誰かになってしまっている。
 なんら恥じるものはないとはいえ、白い髑髏の仮面に黒装束という出で立ちは理から外れた魔術師の目にも異常そのもの。そんな自分が気の利いたセリフなどを言えば、それだけでホラーだ。
 そもそも生前から暗殺者として自らを徹してきたアサシンには、自分のプライベートで他人、特に女性と話したことなど数えるほどしかない。
 
「構いませんよ。一人で何も出来ずにいることに比べれば、誰か話し相手がいるだけで十分に退屈しのぎになりますから」

「……では一つ尋ねたいことがあるのだが、許されるか?」

「許します」

「御主君は何故このような場所を自らの体を休める場所とした。ここでなくとも他に良い場所は幾らでもあると思うが?」

 霊体化したままアサシンはじっとマスターを見つめた。
 今でこそエルマが自分の手でせっせと掃除したお蔭で、人が住む場所として本当にぎりぎりの及第点レベルにはなっている。だが最初に来た時は天井に張った蜘蛛の巣やら空気よりも充満していた埃やらで最悪なものだった。
 偵察で他のマスターたちの拠点を見てきたアサシンだが、ここより酷い所はなかった。

「ここが誰から忘れ去られていたからですよ」

 わざわざ故国より持ってきたティーカップに注がれたミルクティーを口に運びながら、エルマは続ける。

「私は魔術回路の本数も他の参加者より少ないし、魔力量だって多くない。だけど自律人形にはそこそこ自信があります。魔術師として私より遥かに出来の良い弟にも、自律人形の製造なら負ける気はしません。
 恥ずかしながら、私は家では厄介者でしたから……。時計塔の工房で一生涯引きこもっているような魔術師と比べたら荒事にも慣れています。私の可愛い人形たちは下手な吸血鬼なら滅ぼせるだけの強さがある」

 エルマの自負は紛れもない真実だ。
 アサシンは純粋な暗殺者故に自律人形がどれほど高度な魔術理論で編まれているかは分からない。しかし暗殺者としての視点から見てもエルマが操る自律人形たちの性能は中々のものである。
 運動性は並みの兵士のそれを超えているし、仕込まれた無数の殺戮機構の極悪さはアサシンも舌を巻くほどのものだ。しかも殺戮機構の幾つかにはアサシンが調合した毒を塗っているので、極悪さは更に増している。
 此度の戦いに参戦したマスターたちは誰も彼も一癖も二癖もある怪物揃いだが、エルマ・ローファスの殺戮人形たちは――――相馬戎次という例外を除けば――――強さにおいて劣ることはないだろう。

「だけど私の人形たちもナチスや陸軍の兵隊たちに襲い掛かられれば一溜まりもありません。アサシンも、その……」

「気遣う必要はない御主君。私が他のサーヴァントたちに戦闘力で劣っているのは私も承知していることだ。暗殺という分野であるならまだしも、正面戦闘という事態に陥れば私は最弱のサーヴァントだろう」

「……ですので、私は最低でもナチスや陸軍が敗退していなくなるかしない限り、絶対的に真っ向勝負は避けなければなりません。そのためには他のマスターたちに居場所を悟られないのが必須」

「だから、ここを?」

「ナチスや陸軍はとにかく他にはない組織力がありますから。普通に人気のない所に陣取っても発見されてしまうかもしれません。他に自律人形を置くだけのスペースも欲しかった。
 一つの条件に合致する場所は他にもいくつかありましたが、全ての条件が合う所はここしかありませんでした。
 冬木の市民からも、地図からも、そして御三家たちからも忘れ去られた廃屋。隠れ家としての性能ならここ以上のところはありません」

 この廃屋は帝都で遠坂冥馬とキャスターを襲撃するよりも前に、この冬木を下見していたエルマとハサンが偶然に見つけた場所だ。 
 サーヴァントであり諜報に長けたアサシンが〝偶然〟がなければ発見できなかった場所という事実が、ここが隠密性に優れているというなによりもの証明である。

「もう。私から話を振ったのに気付けば私ばっかり話してるじゃないですか。折角なんですから聖杯戦争じゃなくて、アサシンについて話して下さい」

 なんの面白味もない今後の戦略についての話はエルマはお気に召さなかったらしい。拗ねたようにエルマは言った。

「私のこと? はて、なんのことだろうか」

「アサシンがサーヴァントになる前、生前のことですよ。他には好きな食べ物とか趣味とか、なんでもいいです」

「御主君。何度も言うが私は――――」

「つまらなくても良いんです。こうして他の誰かと気兼ねなく話すだけで私には新鮮で楽しいんですから」

 マスターにそうまで求められては、アサシンも断ることはできない。
 生前もサーヴァントとなった今も女性が好みそうな面白おかしい経験などには縁がないが、なんでもいいというのならば話題はある。
 そしてアサシンは自分の愛用している針について熱弁を振るった。
 お世辞にも女性には受けない話の内容だったが、アサシンの熱弁を聞いていたエルマは終始ご機嫌だった。







【元ネタ】暗殺教団
【CLASS】アサシン
【マスター】エルマ・ローファス
【真名】ハサン・サッバーハ
【性別】男
【身長・体重】30cm・9㎏
【属性】秩序・悪
【ステータス】筋力D 耐久E 敏捷A+ 魔力C 幸運E 宝具C


【クラス別スキル】

気配遮断:A+
 サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
 完全に気配を断てば発見する事は不可能に近い。
 ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断のランクは大きく落ちる。

【固有スキル】

投擲(毒針) :A
 毒針を弾丸として放つ能力。

調合:C+
 材料さえあれば大抵の薬物や毒物を作り上げることが可能。
 現代に伝わっていない未知の薬物を作り上げることもできる。

自己改造:C
 自身の肉体に、まったく別の肉体を付属・融合させる適性。
 このランクが上がればあがる程、正純の英雄から遠ざかっていく。



[38533] 第27話  金色と真紅の激突
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/08 11:10
 ひょんなことで……いや普段と変わらずに起きたエーデルフェルトの双子たちの喧嘩は壮絶なものだった。
 今代のエーデルフェルトの当主たる姉妹はどちらも稀代の才能をもっており、両人が両人とも内心では「自分の方が強い」という自負をもっているが、客観的に見た場合、二人の実力はまったくの互角といっていいだろう。
 高い実力をもち尚且つ互角である二人の喧嘩という名の殺し合いはいつも大変な騒ぎに発展する。喧嘩がヒートアップした挙句に屋敷一つが炎で炎上したり、雷で消し炭になったりということも一度や二度ではない。
 しかし今回の喧嘩はいつもの比ではなかったといえるだろう。
 なにせ彼女達はどちらも最優とされるセイバーのマスターであり、彼女達は両方とも喧嘩に自分のサーヴァントを投入することを惜しみはしなかった。
 結果的に最優のセイバー同士の対決という最も不毛な戦いで、此度の聖杯戦争でも屈指の好カードが切られたわけである。
 姉妹の実力が互角であれば同名同クラス同人物たるセイバーたちの実力も互角そのもの。狂戦士としてのセイバーは狂化により底上げされた圧倒的な膂力で、聖騎士としてのセイバーは凄まじい技量と高い身体能力を組み合わせ名勝負を繰り広げた。
 だが完全に実力が同じ両者の戦いは終わる気配を見せず、最終的には夜明けが近付いてきたことに気付いたルネスティーネの「勝負は預ける」の一言で引き分けとなった。
 
「リリアときたら本当に腹立たしいですわ! なにが『貴女と行動するなんて暑苦しいから、私は勝手にやらせてもらう』ですって! 私が言おうとした事を先に言うだなんて、妹の癖に生意気な」

 深山町にある屋敷で体を休めながら、ルネスティーネは妹への怒りをぶちまけた。
 ルネスティーネが自らの拠点としている屋敷は、エーデルフェルトが聖杯戦争に参加するにあたり冬木に建設したものである。エーデルフェルトと相性の良い地脈の上に建設され、ルネスティーネが高度な魔術工房を建造したこともあって、仮住まいでしかない屋敷は遠坂の邸宅にも劣らない〝守り〟が施されてあった。
 ナチスや帝国陸軍を警戒して屋敷の真上には認識や重力場を歪める仕掛けが施されており、もし仮に爆撃が降り注ごうとこの屋敷は無傷だろう。
 聖杯戦争に参加する為だけにこれほどの屋敷を建造してしまうところにエーデルフェルトの財力は伊達ではない。もしも宝石代で頭を悩ませている冥馬が知れば「なんて勿体ない」と羨ましがることは間違いない。

「―――――――――」

 狂戦士として召喚されたため、理性が蒸発して失っているセイバーはルネスティーネの愚痴にも無言だ。
 
「はぁ」

 そんなセイバーをチラっと見てルネスティーネはつまらなそうに溜息をつく。
 ルネスティーネのセイバーが妹のリリアの聖騎士としてのセイバーであれば、ルネスティーネの愚痴に対して何か受け答えをしただろう。それに普段ならば執事やメイドが愚痴を聞いてくれた。
 だがここにはルネスティーネの愚痴を聞いてくれる人間は誰もいない。この屋敷で言語を喋れるのはルネスティーネだけだ。

(これなら身の回りの世話をさせるメイドの一人でも連れて来れば…………っといけませんわ。私のような魔術師なら兎も角、英霊同士の戦いに人間が巻き込まれては命が幾つあっても足りませんもの)

 ルネスティーネはフィンランドに名高い貴族として高慢ではある。高慢が時に傲慢へと増長してしまうことも多々ある。
 だが高慢なだけでは本物の貴族ではない。権力を笠に偉ぶっているだけなのはその実、貴族としての義務を放棄して権益のみを貪る寄生虫でしかない。
 そういった寄生虫とルネスティーネは違う。ルネスティーネは権力者として下々の人間に上から接しているが、下々があるからこそ自分があるということを忘れてはいないし、彼等に対して敬意をもっている。なにより自分の領民たちに対しては愛情すらある。
 身辺を世話するメイドや執事となれば、ルネスティーネにとっては友人以上に身近な存在だ。そんな彼等やまたは彼女達を危険な冬木に連れてくるというのは論外だった。

『――――認めたくはないけど、アンタとこれ以上戦えば私の方の消耗も馬鹿にならないわ。だからルネス、アンタは最後に潰す。
 どうせアンタも最初からそのつもりだったんでしょう? 他の参加者を潰して回って、最後の一人になったアンタを倒して私が聖杯戦争を制すわ』

「っ! 本当にムカつく妹ですわ……」

 妹が言い捨てていった言葉を思い返して、収まりかけた怒りがぶり返してくる。
 リリアの言葉がルネスティーネ自身の心情の代弁でもあったのが更に腹立たしい。
 令呪にせよサーヴァントにせよ元は一つだったとはいえ、別々になってしまった以上は別々のマスターでありサーヴァントだ。そして聖杯戦争に勝ち抜き聖杯を手に入れられるのは一組だけ。エーデルフェルトが勝利するには最終的には姉妹で潰しあうことになっていたのだ。
 これを不幸とも災難ともルネスティーネは思わない。というより渡りに船だ。
 姉と妹がどちらが上でどちらが格下なのかを知らしめるのに、聖杯戦争は相応しい大舞台である。もしも聖杯戦争が姉妹で二人一組で勝者となれるとしても、ルネスティーネはただ一組の勝利者となるために妹を叩きつぶそうとしただろう。
 
「ですが貴女の安い誘いに敢えてのって差し上げます。手袋を投げつけられて受け取らないという選択肢はエーデルフェルトにはないのですから。手袋を投げる前にどこぞの馬の骨にやられたらそれはそれで見物ですが」

 ルネスティーネが拠点としている屋敷の名は双子館〟。双子の名が示す通りエーデルフェルトが建造したのはこの屋敷だけではない。
 遠坂家や間桐家にほど近い深山町にルネスティーネの屋敷があるように、冬木大橋を渡った対岸。冬木教会の近くには全く同じ造りの妹の屋敷がある。そこにリリアと聖騎士としてのセイバーはいるのだ。

「メインディッシュは最後にとっておきましょう」

 なんだかんだ言いつつルネスティーネはリリアリンダの実力は認めている。
 好きの反対は嫌いではなく無関心。もしも仮にリリアが三流程度の才能しか持ち合わせていなければ、リリアがどれほど生意気な口を聞こうとルネスティーネは関心を示さなかっただろう。
 ルネスティーネが妹を憎らしく思い敵愾心を露わにしているのは、誰よりもリリアリンダを認めているという裏返しなのだ。勿論自分が格上であるということを譲る気は欠片もありはしないが。

「腹立たしいといえば――――」

 ルネスティーネが思い起こすのはそもそもの姉妹喧嘩が始まることとなった原因。遠坂冥馬だ。
 
(リリア並みに誰かに苛立ったのは、生まれて初めてですわ)

 遠坂冥馬、正しくはそのサーヴァントであるキャスターが投げつけた臭い玉はルネスティーネの体臭とプライドに激しいダメージを与えていた。
 お気に入りのドレスは破棄せざるを終えなくなり、身体から例の臭いを消すために魔術とシャワーを総動員して二時間も費やした。
 あの屈辱は遠坂冥馬をリリアと同じく『自分で倒す敵』と定めるには十分すぎた。

「決まりましたわ」

 即断即決。ルネスティーネは立ち上がり、まだ温存しておくはずだった対リリア用の宝石を幾つか手にとる。
 
「終曲はリリア、最初に仕留める前奏曲は遠坂冥馬……覚悟しなさい。エーデルフェルトの顔に泥を塗ったことがどれほど愚かしいことだったのか。田舎者に教えてさしあげます」

 冥馬を田舎者と嘲りつつも、ルネスティーネは遠坂冥馬を過小評価してはいない。品性はさておき遠坂冥馬は、下手すればリリアと同じく自分の敵となりえるだけの実力をもっている。
 そして遠坂のサーヴァントは魔術師のクラスに押しこめられたとはいえ彼の騎士王。エーデルフェルトのサーヴァントたる十二勇士最強の騎士ローランと互角、或いはそれ以上の英雄だ。
 決して一筋縄ではいかない相手。だからこそエーデルフェルトの相手としては相応強い。
 
「■■■■……」

 マスターの闘志を感じたのか、一瞬だけセイバーが実体化する。そして追従の姿勢を見せた。
 理性などない狂戦士オルランドには臭い玉というチープな手で逃げられたことによる屈辱などはない。そもそも矜持やプライドは理性ごと蒸発してしまっているのだ。
 だが仕留め損なった獲物を次は仕留めるという獣の本能は健在だ。
 セイバーが再び霊体化する。ルネスティーネが屋敷から出る。
 最強のサーヴァントを釣れた金色のハンターが今宵、同じ大師父を頂く赤き魔術師を屠るべく出陣した。



「――――――――」

 冥馬の視線の先では、なにやらキャスターが冥馬が貸した本と睨めっこしている。
 サーヴァントとして召喚された英霊は生前の記憶と人格を持ち合わせた確固たる自意識をもつ存在だ。だから別に現代の書籍などにサーヴァントが興味を示すのはおかしいことでもないし、冥馬はそれを咎めるほど狭量でもなかった。
 だからこうして家にいる間はある程度キャスターの自由にさせているのだが……。

(料理本をあそこまで熱を入れて読み耽るサーヴァントがいるなんて思わなかった)

 これでキャスターが読んでいるのが遠坂秘蔵の魔術書や、そうでなくとも著名な作家が書き記した名作であれば違和感などは感じなかっただろう。
 しかしキャスターが読んでいるのは料理本である。時計塔へ留学して一人暮らしをしていた冥馬がイギリスの不味い飯に耐えられず、食生活改善のため料理スキルを磨こうと購入した世界各国の料理本だ。魔力もなければ呪いも曰くもない何の変哲もない料理本でしかない。 
 彼のアーサー王が熱心に料理本を読んでいるなど、ロンドンのアーサー王研究会の連中が知れば目玉がぶっ飛ぶ衝撃を受けるだろう。こうして間近で見ている冥馬も少し信じ難い。

(余程昨日のサンドイッチが衝撃的だったのか?)

 サンドイッチ事件後のキャスターは……面白かった。暫く黙っていたと思えば突然にぶつぶつと呟きだし、唐突に「あっ!」となにかが閃いたように手を叩く。
 そして現在の料理本に熱中するキャスターだ。ついさっきまではイタリア料理に関する書籍を読んでいたのだが、いつのまにか菓子類に関するものに変わっていた。
 こうして観察していて気付いたのだがキャスターはどうにも読むのが早い。速読家というのだろうか。キャスターの目はページに記されている文字を追ってせわしなく上下左右に動いており、かなりの速度で文章を頭に叩き込んでいるのが良く分かる。
 しかもあれで流し読みではなく本人なりに熟読しているというのだから驚きだ。何気なしに読み終わった本の内容はどうだったかたと尋ねてみたら、本人の所感や不満点が流れる毒舌と共に出てきた時は仰天したものである。

(まぁキャスターがどんな本に興味をもとうとキャスターの自由だ。他人の趣味をとやかく言うこともない)

 冥馬はキャスターへ向けていた視線を戻すと、宝石磨きを再開する。
 帝都へ持っていった宝石と家に置いておいた宝石、それに父・静重が聖杯戦争のために用意していた宝石。これらが遠坂冥馬が戦う上で切り札とする最大の武器たちだ。
 父・静重が帝都へ持っていった宝石はキャスター召喚のために使い既に無く、冥馬も冬木へ帰還する過程で幾つか消費してしまった。
 しかし父子共々何年も何十年もかけて此度の戦いの為に用意した宝石にはまだ余裕がある。

(といっても無駄遣いは禁物だが)

 宝石魔術は相当の魔力が込められた宝石を用いれば、ランクA相当の魔術も僅かな工程で発動させられる優れものだ。
 それこそ現代の魔術をまるで寄せ付けない破格の対魔力をもつセイバーを除けば、冥馬の宝石魔術はサーヴァントにダメージを負わせることも不可能ではない。否、当てさえすればサーヴァントをも〝殺せる〟だけの魔力が込められた宝石すらある。
 だが宝石魔術の最大の欠点として『宝石は一度限りの使い捨て』というものがあげられる。
 冥馬の宝石たちも失えばもう帰ってはこない。少なくとも聖杯戦争での戦いに耐えられるほどの宝石は今ある分だけで、新たに補充するには何も魔力が込もってない宝石を購入して一から魔力を込める必要がある。事実上聖杯戦争中での補給は不可能だ。
 預金の多さに胡坐をかいて浪費を良しとすれば、在庫なんてあっという間に空となる。
 キャスターも無駄遣いは嫌いだと言ったが、これに関しては冥馬も同意見だ。
 使うべき所を誤らず、使わなくても良い所で使わない。これが冥馬が今後やっていくべきことだ。

「――――ん」

 遠坂家の敷地内に敷かれた結界に反応があったのを察知する。
 高い魔力の発露と高密度の存在感、なにより魔術そのものが弾かれている感覚。

「読書の時間も終わりか。この気配はセイバーだな。おい、王命すら忘れて女の尻を追いかけた挙句に発狂した馬鹿の野蛮人がきたぞ。どうする、奴の前に女でも吊り下げてやるか? もしかしたらどっか行くかもしれんぞ」

「生憎とこの家にいるのは私と君だけ。見女麗しい女性といえば、数年前に世を去った私の母の半世紀前の姿があるくらいだ」

 磨いていた宝石を忍ばせ、防御用の礼装たる赤いスーツを着込む。そして両手には攻撃用の礼装たる指輪を嵌めこんだ。

「ついでにここが遠坂の家である以上、逃げるという選択肢もナンセンス。だとすれば迎撃あるのみ」

 来訪者はルネスティーネと彼女のサーヴァントたる狂戦士としてのセイバー。不幸中の幸いかリリアリンダともう一騎のセイバーの姿はない。
 エーデルフェルトの双子姉妹は二人とも屈指の才女であるが同時に恐ろしく仲が悪いという噂を思いだす。使い魔調べによれば同じ家からの参加者でありながら別々の場所に屋敷を構えているというし、その噂は真実なのだろう。
 
「これは……もしかすればチャンスかもしれないぞ」

「ほう。俗世間から惨めに隠れて無意味なものを追い求める魔術師らしからぬ判断だ。セイバーは同じ英霊を別側面から召喚したサーヴァント。
 一見すると二人の英霊を使役する大反則だが、反則には相応のペナルティがある。一つの英霊を一つのクラスで二人召喚している以上、その英霊の霊格も半分になっている」

 エーデルフェルトの反則が英断なのか過ちなのかは判断の難しいところだ。
 10の力を半分ずつ召喚すれば5の強さをもつサーヴァントが二人となる。しかし戦いにおける足し算の答えは一定ではない。エーデルフェルトの反則は二つの力を巧みに連携させることにより5+5を20にも30にも出来る可能性を秘めている。
 しかし10の力を別個のものとして運用してしまえば、それは。

「各個撃破の機会だ」

 100対100での殺し合いであれば勝負の行方は分からない。だが100人の人間が一人ずつ100人の集団に挑んでいけば、勝利するのは100人の集団だ。
 はっきりいってエーデルフェルトは致命的な戦略ミスを犯したといってよいだろう。
 ミスを犯した相手にそのミスを忠告して反省を促すほど冥馬は甘くもないしお人好しでもない。敵がミスをしたならば容赦なくそこを突くだけだ。

「いくぞキャスター」

 冥馬もまた戦闘準備を整えて屋敷から出る。
 ここは遠坂邸。侵入者への仕掛けも万全。――――戦う上でこれ以上ないほど有利なコンディションだ。







【CLASS】ランサー
【マスター】ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア
【真名】???
【性別】男
【身長・体重】181cm・75kg
【属性】混沌・中庸
【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷A 魔力A 幸運E 宝具??

【クラス別スキル】

対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。



[38533] 第28話  悪魔と獣の戦い
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/08 11:11
「昨日ぶりですわね。遠坂冥馬」

「――――ようこそ、という挨拶も無粋か」

 遠坂の屋敷の庭で冥馬はルネスティーネと対峙する。冥馬の隣りにキャスターが控えているように、ルネスティーネの側には最強のサーヴァント、セイバーが闘争の時を今か今かと待ちわびていた。
 この屋敷には冥馬や亡き父が仕掛けた罠やキャスターが新たに追加した魔術防御が幾つも張り巡らせられている。しかし敷地のライン上に張り巡らせた罠の悉くは、セイバーの棍棒のただの一振りで破壊されてしまっている。
 並みの魔術師では侵入することすら出来ずに膝を屈する防壁を一瞬で台無しにするあたり、サーヴァントの出鱈目さには驚かされるばかりだ。人の身で魂を精霊の粋まで昇華した存在は伊達ではないということだろう。若干一名ほどサーヴァントとも思えない雑魚がいたが、それはそれだ。

「私の要件は言わずとも分かっているでしょう? 昨日の落とし前をつけにきましたわ」

「ああ。先日のう○こ爆弾か」

「げ、下品な言い方をなさらないで下さい!」

 キャスターのクラスには魔術師として魔力の込められた道具を作る技能、道具作成スキルが与えられる。
 冥馬のキャスターもその例に漏れず道具作成スキルを保有しているのだが……どうも本人が物作りに向かないらしく、そのランクはDと余り高いものではない。
 しかしたかがDランクされどDランク。昨日ルネスティーネや妹のリリアリンダに使った『臭い玉(う○こ爆弾)』のようなもの程度は簡単に作り出せる。

「万能の願望器なんてものが優勝のタイトルついでに与えられるんですもの。目先の利に囚われ魔術師の本分を忘れ外道に堕ちる者がいるかもしれないとは、この私も思っていましたわ。ですがあのような屈辱……あのような……」

 ルネスティーネは俯いたままプルプルと肩を振動させている。
 優美なるハイエナも戦場で糞爆弾を投げつけられ混乱している間に敵に逃げられるなんてことは一度もなかったようだ。無理もない。冥馬もそんな経験は一度もなかったし、昨日までそんなことが訪れるとも思いもしなかった。
 ちらりと隣を見ると、全ての元凶たるキャスターは全く気にせず堂々としていた。

「この私の生涯において、赤の他人にあそこまで虚仮にされたのは生まれて初めてですわ。本来であれば殺しても足らない非礼ですが、傍流とはいえ一応は貴方も偉大なる大師父を仰ぐ一族。
 私も慈悲深いので大人しく全面降伏して、遠坂の誇りも権利も家名も全てをエーデルフェルトに捧げるのであれば許すことを考えてやらないでもありませんわ」

「大した言い分だな、ツインドリル頭」

「きゃ、キャスター?」

 そんな条件が飲めるわけがない、と反論しようとした冥馬に先んじて嫌らしく笑いながらキャスターが言った。
 
「なっ! わ、私の優雅にセットされた髪をよりによってツインドリルですって!?」

「優雅にセットだと? 驚いた。そのハルマキみたいな髪形をわざわざ時間をかけてセットするなど随分と狂った服飾センスを持っているな」

「言いましたわねサーヴァント……! 先日の事に続いて今回のこの侮辱、この私への挑戦と受け取りましたわ」

「先日のことなら怒るのは間違いじゃないか。お前にぴったりの臭いを香水かわりにぶちまけてやっただけだろう。
 そら、とぐろを巻いて若干茶色がかっているところがそっくりだぞ。道端にあると邪魔くさい上に不愉快なところもそのままだ。お前の前世なんじゃないか?
 だが困ったな。例のアレの末裔だとすれば、踏み潰すのは簡単だが潰したら嫌な感じがしてしまう。勝っても負けても後味の悪い結果しか敵に与えないとは、ある意味で最悪の相手だな。お前は」

 怒髪天を突くとはこのことだった。ルネスティーネは地獄の鬼すら裸足で逃げ出す羅刹の表情を浮かび上がらせる。殺意を超えた鬼気を全身から滲ませた。
 ルネスティーネに対してこれでもかという侮辱をしたキャスターは逆にまったく涼しい顔をしている。羅刹を前にしてあの余裕、その勇敢さをこちらにも分けて欲しいくらいだ。
 冥馬もこれまで強敵といえる存在とは何度となく相対したが、あんなに恐いと思った相手は生まれて初めてだ。

「――――ふ、ふふふふふ」

 羅刹の面貌が一転、ルネスティーネは口元を抑え笑い始める。
 だが口は笑っていても双眸はまるで笑っていない。首をかみ砕き殺し、その後で死んだ獲物の腸を喰らう狩人のようにその目はキャスターと冥馬を見つめている。
 口端が吊り上り、鋭利な歯を覗かせた。

「はははははははは」

 何を思ったかキャスターまでが笑い始める。

「ふふふふふ」

「あはははははははははははははははははは」

「ふふふふ。おーほほほほほほほほほほっ! やりなさい、セイバー」

 笑いの後に間髪入れずに告げられた冷徹な指令。セイバーの棍棒がキャスターの立っていた地面を抉った。
 すたん、と後方へ飛んだキャスターが着地する。いきなりの攻撃だったが、キャスターも冥馬もルネスティーネやセイバーの動きには気を払っていた。先制攻撃程度で潰されるほどヤワではない。
 最初は激怒していたルネスティーネは次に笑っていた。そして今は完全に冷え切ったドライアイスのような無表情。

「セイバー、貴方はそこの小賢しいキャスターを八つ裂きにしておやりなさい。私はそこの遠坂冥馬をやりますわ」

「■■■■■■!」

 後方へ飛んだキャスターにセイバーが猛攻撃を掛けていく。キャスターはセイバーを近づけるまいと魔術を放つが、そのどれもがセイバーの対魔力に無効化される。
 キャスターは舌打ちすると、セイバーから離れるようにより後方へと飛んでいく。

「キャスター!」

「貴方の相手はこの私ですわ」

 キャスターの助けに入ろうとした冥馬だったが、それはルネスティーネのガンドの雨に阻まれる。
 ガンドの威力は昨日冬木大橋で戦った時とまるで見劣りしない。物理攻撃すら備えたフィンの一撃ともいえるほどのものだ。
 
(この屋敷には敵対者に重圧がかかる仕掛けがある。下手な魔術師なら魔術を発動することすら困難になるというのに。よくもまぁ)

 ルネスティーネ・エーデルフェルト、キャスターはああも酷く挑発していたがその才能と実力はやはり本物だ。
 狂化して魔力消費が激しくなっているであろうセイバーと契約していて、敵の領土内で、こうも平然と魔術を行使するなど並みの天才に出来ることではない。
 なによりハイエナなどという物騒な異名で怖れられるだけある。対魔術師戦にも慣れているようで、敵の領土にいても過度の緊張はなかった。
 だが己が領地内で負けるなどすれば、令呪を託して逝った父に――――いや、歴代の遠坂の当主たちに申し訳がたたない。聖杯戦争のマスターとしてではなく、今代の遠坂の当主としても負けることは出来なかった。

「Verbrennung!」

 攻撃の為ではなくルネスティーネの視界を塞ぐため紅蓮の炎が迸る。

「このような温い火で私を相手どれると思って?」

 人間の肌という肌を焼き尽くす炎を前にしてルネスティーネに動揺はない。嘲笑と共に三つの宝石を取り出すと、冥馬の炎が霞んで見えるほどの業火が放たれた。
 三つの宝石には全てAランクに迫るだけの魔力が込められていた。それが三つともなれば家一つを軽く吹き飛ばせるだけの破壊力である。宝石温存のためにもまともに受けるのは得策ではない。

「――――Neunundzwanzig.Starke seiner Beine Gros zwei(二十九番、脚力強化)」

 帝都のホテルでナチスから逃れるためにそうしたように、冥馬は宝石を用いて自分の脚力を強化する。
 地面を爆発させるような踏込。冥馬はこの一瞬のみ英霊に迫るだけの速度を得て、ルネスティーネの巻き起こす業火を回避した。

「はっ――――!」

 回避に費やした勢いのままに屋敷の庭に飾られた彫像に飛び、それを足場に強引な方向転換を行う。彫像は冥馬の勢いを完全に受け止められずに粉々に砕けたが無視だ。
 すっと宝石を二つ右手に持ち冥馬はルネスティーネ目掛けて飛んだ。

「ええぃ、ちょこまかと……! 大人しく喰らって死になさい!」

 ルネスティーネからすれば宝石三つを使っての魔術を放てば、どのような気位の高い相手も等しく恐れおののき許しを請うか逃げ出すかが常であった。だというのに恐れおののく気配の一つすらなく向かってくる冥馬に苛立ちを隠せない。
 苛立ちは失策を生み出す。ルネスティーネは突進する冥馬にガンドを放つが、鉄板を撃ち抜く威力の魔弾は冥馬のスーツに弾かれてしまい遠坂冥馬の肉体には一発として届かない。

「なっ!」

「これを、喰らえ!」

 二つの宝石を高密度の魔力の〝風〟へ変換。冥馬が宝石と共に右腕を薙ぐと、宝石に込められた魔力を全て雲散させることを代償に烈風が放たれた。
 この烈風にルネスティーネのように広範囲を焼野原にするほどの火力はない。しかし限界にまで薄く凝縮された高密度の風刃はあらゆる鉄を切る切断力をもっている。
 一人の人間を殺すのに何も大砲はいらない。首を切る切れ味があれば十二分だ。
 しかし流石にルネスティーネも一線級の実践派魔術師だった。宝石二つを用いた風の刃に、ただただ力押しで防ごうなどという愚策には奔らなかった。
 切ることに尖らせた刃が向かってくるのであれば、同程度の刃で鍔ぜり合うのがベストだとルネスティーネは即座に判断する。

「本当の宝石の使い方を見せてさしあげます!」

 冥馬が烈風に用いた宝石が二つならば、ルネスティーネが新たに使った宝石の数は六つ。単純な数だけではなく込められた魔力総量も冥馬の三倍。
 三倍の宝石を用いれば三倍の威力の魔術を生むのが道理。ルネスティーネが放つ風の刃は一瞬の均衡の後、容易く冥馬の刃を打ち負かした。
 だがその一瞬の間に、冥馬も風刃の射線上から離れる。風の刃は空を切り――――

「あ……ま、待て! そこは、やめろぉぉおおおお!!」

 あることに気付いた冥馬が絶叫するが、もうなにもかもが遅かった。
 ルネスティーネの風刃は真っ直ぐに遠坂邸の庭を突っ切り、冥馬が節約と趣味のため庭でせっせと世話をしていた家庭菜園を蹂躙する。

「あ、ああああああああ!!」

 心臓の音がドクンドクンと喧しいほどに鼓動する。余りにも直視しがたい現実に視界情報を認識することを脳髄が拒絶した。
 しかしどれほど今の光景を拒否しようとも、現実は変わってくれない。そこで起きてしまった惨状……否、惨劇が消えることはなかった。
 無慈悲なる風の刃は多くの命を奪っていった。まだ新たに生命の息吹を吹き込まれたばかりの命が、漸く成熟を迎えた命が……ただの一度の暴虐により踏み躙られた。

「一体なにが……」

 ルネスティーネは突然叫んだ冥馬に訳も分からず立ち竦む。だが冥馬の意識は背後のルネスティーネではなく、自分が精魂込めて育ててきて、奪われた命にのみ向けられている。
 イギリスで隣に住んでいたキャサリンに誘われて始めた家庭菜園。最初は単に食費節約のためだったが、いつしか自分にとって掛け替えのない命の洗濯、趣味となっていた。友人であり植物について造詣の深いマイケルとは家庭菜園の話題でロードの講義中でも盛り上がったものである。
 そんなこの遠坂邸における冥馬の癒しともいえるベストプレイスが、冥馬の目の前で死んだ。

「――――――おい」

 歴戦の戦士すら竦みあがらせるような絶対零度の声。
 
「な、なんです……の?」

 冥馬の視線がルネスティーネを射抜く。握りしめた冥馬の拳からは真っ赤な血が滲んで地面に血痕を落としていた。
 余裕をもって優雅たれ、が遠坂家の家訓である。けれどこの時のみ冥馬は優雅という仮面を砕き散らし、剥き出しの感情をルネスティーネへ向けた。
 どこまでもシンプルな怒りの奔流、地面の調子を確かめるように一歩一歩とルネスティーネへ向き直った。

「この世には絶対に触れてはいけないものがある。お前はそれを……俺にとって掛け替えのない命を踏み躙った……。
 一端の魔術師ならお前も死くらいはとっくに観念しているだろう。だから観念しろ、なんて言いはしない。俺がお前に言ってやるのはたった一言だ」

 キャスターに挑発されたルネスティーネが浮かべたそれよりも遥かに壮絶な笑みを冥馬は浮かべ、

「ここから生きて帰れると思うなよテメエ。ぎったんぎったんにしてやる!」

「二言じゃりませんのー!」

「知るか! とにかくお前は叩き潰す! ジャガイモやにんじんの仇討だ!」

「ジャガイモやにんじんでそこまで怒るなんて。どれだけ貴方は心が狭いんですか!?」

 ただ真っ直ぐにルネスティーネ目掛けて疾走する。
 精魂込めて育ててきた命を踏み躙られたことに激怒しつつも、冥馬は完全に我を忘れ冷静さを失ったわけではなかった。
 冥馬にとってこの場所はホームグラウンドということと、ルネスティーネの使役するセイバーの魔力供給の多さなどがあり、魔術師としての才能で勝るルネスティーネと冥馬の実力は拮抗しているといっていい。もしかしたら冥馬が上回っているかもしれない。
 だがルネスティーネは財力に物を言わせて手に入れたであろう大量の宝石がある。宝石魔術師同士の戦いで勝負を分けるのは何においても宝石の質と数。冥馬の全てを投げ打つ覚悟で対抗すればルネスティーネとも互角以上に戦えるだろう。だがこれからの戦いを考えれば今後の切り札となる宝石はまだまだ温存しなければならない。
 故に冥馬は中~遠距離での魔術合戦というテンプレートな戦いを放棄して、得意とする近接戦闘に持ち込む策に出た。

「猪のように真っ直ぐに突っ込んでくるなんて怒っても所詮は野蛮人は野蛮人でしかありませんでしたわね。いい的でしかありませんわ。穴だらけにしてさしあげます」

 ガンドを連射するルネスティーネだったが、その攻撃は無意味。赤いスーツが魔弾の全てを弾き返してしまう。

「私のガンドを二度も防ぐだなんて、やはりそれは魔術礼装。衝撃の拡散と反射と……あとは吸収、かしら? ガンドの威力を完全に受け流してしまうだなんて」

 通常のガンドでは効き目が薄いと感じたルネスティーネは、より高威力の宝石に込められた魔力を用いた魔術攻撃に戦術を切り替える。
 ルネスティーネの近くに炎と風が出現し、混ざり合う。炎と風が混じりあう炎風が冥馬に飛ぶその刹那、

「――――Auftrieb」

 一時的な瞬間加速。ルネスティーネからすれば冥馬がいきなり消えたように見えたことだろう。
 ルネスティーネの繰り出した魔術は既に冥馬のいなくなった場所を巨人がスプーンで掬ったかのように抉っていく。
 その間に冥馬はルネスティーネの至近に迫っていた。倒すべき敵はもはや目の前。冥馬はルネスティーネ目掛けて拳打を放ち、

「これで――――」

「掛かりましたわね」

 笑ったのはルネスティーネの方。冥馬の突き出した手をルネスティーネは慣れたように掴むと、

「せぇえええのッ! だぁああああああ!!」

 貴族の令嬢とは到底思えぬ雄々しい叫びをあげて、冥馬を投げ飛ばした。
 予想外の反撃に冥馬の思考に生まれる一瞬の空白。ルネスティーネは既に懐から必殺に足るだけの宝石を準備している。冥馬もまた自分の宝石で防御を試みるが、この鉄火場でその行動は致命的に遅れていた。
 ルネスティーネの手から出現する高密度のエーテルで構成された光の剣。

「死になさい」

 人間一人を滅ぼすには余りにも過剰過ぎる破壊の奔流が冥馬に襲い掛かる。
 防御も間に合わず、地に足をついていない状態では回避もできず。遠坂冥馬の体は光の奔流に呑みこまれていった。



[38533] 第29話  十二勇士、円卓にて
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/08 11:11
 竜と蛇の戦い、キャスターとセイバーの戦いは正にそれだった。
 個人の屋敷としては豪邸と呼べるだけの面積を誇る敷地をキャスターは縦横無尽に走り回る。それを追うのは狂気で肌を黒曜石と鉛を混ぜ合わせたような肌をした剣の英雄だ。

「■■■■■■ーーーーッ!」

 剣の英霊、というのは不適合の表現だったかもしれない。サーヴァントとしてのクラスは間違いなくセイバーなのだろうが、その行動や理性なき叫び声はバーサーカーそのものだ。
 今回の聖杯戦争にはアヴェンジャーというイレギュラークラスが召喚されたため、通常のラインナップではない。或いはこのセイバーは失われたバーサーカーというクラスを補填すべく、なるべくして狂戦士となったのかもしれない。

「ちっ。知能などない猿以下の癖して運動能力だけは馬鹿みたいにある。頭に回るはずのエネルギーを全部肉体面に回しているのか、あいつは」

 舌打ちしつつもキャスターは魔術を放つ。迫りくる魔術に対してセイバーは回避も迎撃もせず、己の肉体で受け止める。
 ありったけの魔力を込めた魔術であったが、セイバーの体にはまったくダメージ。セイバーの対魔力は伊達ではないと改めてキャスターは思い知らされた。あの調子では何度やろうと魔術でセイバーを傷つけることは出来ないだろう。
 遠坂の屋敷に仕掛けられた結界による重圧などの効果も、セイバーには無意味に違いない。
 逃げるキャスターをセイバーが追う。その動きは下手すれば最速の英霊と謳われるランサーを凌ぎかねないほど早く、キャスターのそれを完全に超えている。
 ダメージは与えられないが、目晦ましとして魔術師を放っているお蔭でどうにか捕えられずに済んでいるが、このままだと後数分も経たぬうちにセイバーはキャスターに追いつくだろう。
 
(〝一人〟の英霊を同じクラスに別側面から二体召喚するルール違反で召喚されたセイバーは、二体で召喚された代償に本来の霊格を半減させている。その影響は保有するスキルや宝具、それにパラメーターに現れているはずだ。
 だというのにこの高すぎる能力。こっちのセイバーに限っては狂化の影響でステータスが底上げされているのもあるんだろうが、それにしてもこの強さは異常だ)

 シャルルマーニュ十二勇士最強と謳われた騎士は、理性失い狂い霊格を半減させていて尚も最強だった。もしも本来の霊格で召喚されていたならば、勝利はほぼ間違いなくセイバーのものとなっていただろう。

(まともに戦っても勝ち目はない)

 キャスターはそう判断した。
 こうして聖杯戦争に召喚されるほどである。キャスターもまた一端の英雄だが、同時にキャスターは現実主義者だ。夢や浪漫になど命を賭けた事など無いし、勝算のない戦いはしないし、蛮勇や神頼みなどは論外だ。
 普通に戦っても自分ではセイバーに勝てないという冷徹なる現実を、しっかりとキャスターは受け入れる。

「■■■■■!」

 セイバーの棍棒を回避しながら後ろへ大きく飛び退く。右手に握るは数多の騎士達の中よりブリテンの王者を選び出した黄金の剣。
 普通に戦ってもセイバーには勝てない。だからといってキャスターの心は折れていない。しっかりとした規則正しい呼吸で自分を超える剣士を真っ直ぐに見据えていた。

「狂えるオルランド、大した強さだよ。だがお前が十二勇士最強のパラディンなら、俺はアーサー王だ。この名を背負っている以上、俺に敗北は許されない」

 まともに戦って勝てないのであれば、そもそもまともに戦わなければいい。
 自分より実力が勝る相手と真っ向勝負しても敗北するだけだ。幼いころの木剣を使用しての模擬試合で試合上では妹(弟)に敗北続きだった過去から、キャスターは誰よりもそのことを知っている。
 しかしキャスターは自分より実力の勝る妹と戦い、ただの一度も勝負で敗北したことはない。それはキャスターの口先の上手さによるものであるし、勝つ為には使える手は全て使ってきたからでもある。
 無論セイバー相手に同じことをするわけではない。理性なきセイバーに仏すら激昂させる罵詈雑言を浴びせたところで意味などはありはしないのだから。だが手は他にもある。

「はっ!」

 嵐が擬人化したようなセイバーの攻勢を、キャスターは回避と防御に全神経を投入することでどうにか凌ぐ。
 戦いは一方的だった。徹底して攻め続けるセイバーに対してキャスターは防戦一方。キャスターは生前多くの格上の騎士たちとの馬上試合を行ってきた経験を総動員しているものの、セイバーの棍棒と己の剣が打ち合う度に腕が痺れ、破裂しそうになる。
 セイバーの棍棒がただの一度でもキャスターに直撃すれば、それが戦いの終わりを告げる合図となるだろう。

「■■■■■■!」

 防御を度外視した攻勢を仕掛けているセイバーも普通であれば無傷では済まない。既にキャスターの斬撃・魔術が幾度となくセイバーの体に命中している。
 しかし並みのサーヴァントであれば致命傷になるような攻撃の直撃を浴びてもセイバーには傷一つとしてありはしなかった。
 
――――セイバーの宝具はC+まで攻撃含めたあらゆる干渉を減衰させる。

 以前にセイバーと交戦した時に、マスターであるルネスティーネの言い放った言葉がキャスターの脳裏を過ぎる。反則としか形容できないほどの能力だ。セイバーの強さは霊格を半減されて尚もキャスターの遥か上にある。
 だがどれほど実力に開きがあってもキャスターは果敢にセイバーに喰らいついていった。
 召喚者たるマスターが聖杯戦争を制するため強力な英雄を望むため、戦いに招かれるサーヴァントたちはセイバーのように一つの時代において無双とまで謳われるような猛者が殆どだ。しかしキャスターはそういった無双の騎士ではない。
 そもキャスターは『セイバー』のクラス適正をもつとはいえ、セイバーとしては及第点ぎりぎりというのが実情で強力なサーヴァントではありはしないのだ。
 剣技にしても同じ。才能がまるでないわけではない。無才でもなければ凡才でもないだろう。しかし剣の英霊に選ばれる英雄は言うなれば天才という次元を超えた天才だ。だがキャスターは天才ではなく秀才。それなりの才能はあるが、どれほどの鍛練を積み重ねてもセイバーほどの境地には至れない。
 天才ではなく秀才であり、自分より格上の騎士に囲まれていたからこそ体得したものもある。それがキャスターのスキルである心眼。特別な才能など必要ない、気が遠くなる程の努力と経験さえ重ねれば万人が至れる頂きだ。
 最強と謳われた騎士達の戦いをその目で見て、指の動き一つ見逃さずに〝観察〟した経験はキャスターの中に根付いている。キャスターの心眼はセイバーの戦いぶりを完全に記憶して頭に取り込み、その弱点を導き出す。

(セイバーの無敵性はルネスティーネの言うほど万能じゃない)

 狂えるオルランドの不死性の象徴たる宝具『狂煌の軌跡』が威力を減衰・無効化できるのはあくまでも物理ダメージ限定だ。
 物理攻撃に該当しない魔術によるダメージや、あの着物を着たライダーの冷気などは防げはしない。それにオルランドの伝承が正しければ、セイバーの足の裏にはあの不死性の範囲外だろう。
 ただしこれがまた曲者だ。

(バーサーカーならまだしも、狂っていてもこいつはセイバー。宝具の不死性は魔術で突破できるが、その魔術は常識外の対魔力で無効化される……)

 対魔力がないならば魔術で、物理攻撃に弱いのであれば通常の攻撃で。魔術と白兵、二つの別々の戦い方を切り替えられるのがキャスターの強味だというのに、物理攻撃・魔術攻撃の両方に対して不死性があるとなれば手の出しようがない。
 それに足の裏には不死性がないというが不死性が〝無い〟というだけで、別に足の裏を攻撃したらセイバーが即死するというわけではない。あくまでダメージが通るというだけだ。しかも足の裏を攻撃するなど下手すれば急所を狙う以上に難易度が高い。

(つまり――――ぐっ!)

「■■■■■■!」

 遂にセイバーの一振りがキャスターを捉えた。丸太のように巨大な棍棒を聖剣で受け止めるが、純粋な力比べとなるとキャスターがセイバーに勝つ目はまるでありはしない。衝撃を殺し切れず、キャスターは屋敷の壁に叩きつけられた。
 内臓から逆流してきた血を吐き出す。キャスターのダメージを察知して、背中の魔術回路が肉体の回復のために全開で稼働し始めた。
 セイバーの棍棒を受け止めただけでこの様である。防御なしに直撃していれば今頃キャスターの体は原型を留めぬほどにぐちゃぐちゃになっていただろう。
 キャスターが回復するのを待たず、セイバーが止めを刺そうと突進してくる。キャスターは本能的に横に飛び跳ねて、それを躱した。屋敷の壁が猛牛の群れが突っ込んできたかのように粉々に破壊されたが、これも聖杯戦争の必要経費と冥馬には諦めて貰おう。

「冥馬……冥馬か」

 マスターとサーヴァントの視界共有。通常のサーヴァントであればそれはマスターがサーヴァントの視界を見るという一方通行のものであるが、仮にもキャスターは魔術師だ。ラインを使い逆にマスターの視界を見ることは難しいことではない。
 遠坂冥馬の視線はしっかりとセイバーのマスター、ルネスティーネ・エーデルフェルトを見ていた。屋敷の反対側では戦いの音が鳴り響いている。自分がここで最強のサーヴァントと戦っている間に、冥馬も敵に一歩も退かず戦っている。
 キャスターは既に冥馬と合流するという選択肢を破棄していた。ルネスティーネが気付いているかどうかは知らないが、マスターとサーヴァントで戦線を分断されたこの状況はキャスターにとっては寧ろ好都合だった。
 聖杯戦争では勝つために必ずしもサーヴァントを倒す必要があるわけではない。サーヴァントを倒さずとも、マスターさえ倒してしまえば、現世への楔を失ったサーヴァントは大幅に弱体化して戦闘などとてもではないが耐えられなくなる。
 だから冥馬がルネスティーネを倒してしまえば、キャスターがセイバーを倒せなくても勝利なのだ。

(さて。冥馬の奴がセイバーのマスターを倒すまで、俺は死にもの狂いで時間を稼がなくてはいけないわけだが……俺も、らしくない)

 マスターを利用していることに対してではない。使えるものはなんでも使うのがキャスターの主義だ。だから仕えるべきマスターを自分の戦術に利用していることに罪悪感はない。
 だがいつものキャスターであれば、戦いの趨勢を自分のマスターに丸投げなんてしはしなかっただろう。マスターなど聖杯戦争における仮初の主、互いの目的のために互いを利用する相互扶助関係、その程度の認識だった。だというのに自分は遠坂冥馬という人間に自らの運命を委ねようとしている。
 客観的に考えて、どうやら自分という人間は遠坂冥馬というマスターを信頼し始めているらしかった。

「腹立たしい」

 それがなんとなく癪だったので、逆に苛々としてきた。
 セイバーを見る。どうしてあんな知性の欠片もないオークだか猪のような男にこうも一方的にやられなければならないのか。
 冥馬がルネスティーネに不甲斐なく敗れる可能性もある。冥馬が敗れた時の為に、やはり自分もこの狂った化物をどうにかしてやらねばなるまい。

「考えれば考える程に苛々してくる。脳味噌の99%が戦い・女・宴会でしか構成されていないお前みたいな奴に、どれほど俺が苛々させられたことか。
 それに俺が冥馬を信頼しているだと? それこそまさかだ。現代の魔術師にしては優秀であることは認めてやるし、愚か者でもないことは確かだ。だがそれくらいで俺が剣を捧げるものか。
 つもりに積もった鬱憤という鬱憤、丁度丈夫さにだけが取り柄の肉団子がいることだし、それで晴らすとしよう。ローストビーフにしてやる。レアとミディアムどっちが好みだ?」

 キャスターの掌の中に煌々と光る赤い炎が出現する。炎は黒い狂剣士の憤怒に固定された面貌を映し出した。
 低い唸り声を響かせながら、セイバーが敵を屠るためだけの野性的な構えをとった。これまでキャスターのあらゆる攻撃を無効化してきたからだろう。キャスターの手の中にある炎にもなんら警戒はない。
 セイバーの突進は戦車のそれである。キャタピラを回転させ突き進む戦車を生身の人間が阻むことはできない。生身の人間に出来るのはただただ逃げ惑うだけである。
 だが知るがいい。
 戦場において戦車は決して無敵の存在ではない。鋼鉄の四肢も地面を突き進むキャタピラすらない人間でも然るべき装備があれば戦車を打倒することができる。その装備をキャスターは持っていた。

「返答は無し。ならお前の内臓という内臓までドロドロに焼き溶かしてやろう」

 キャスターの手からセイバーに放たれる火炎放射。どうせ己がこれまで悉く無効化してきた魔術だろう、と思ってかセイバーは無警戒に突っ込んできた。
 その無警戒のツケは早々に支払われる。

「■■■ッ■■■ッ!?」

 これまでとは違う苦悶の叫びをあげるセイバー。セイバーは混乱したように無茶苦茶に両手を動かすが炎は蛇のように全身を這いまわり消えることはない。
 初めて、だ。これまでの戦いで傷一つ負うことなく敵を圧倒してきた狂剣士は初めてその肉体にダメージを負った。

「……もっとも焼いたところでお前のような歯ごたえの悪そうな肉、とても食えたものじゃないだろうからな。豚ですら焼けば食えるのに、食用にすらならん貴様は豚以下だな。デカブツ」

 セイバーを守護していた宝具も対魔力も今回ばかりは狂剣士を守りはしない。
 何故ならばキャスターの炎は物理攻撃でもなければ、魔術攻撃でもないのだから。物理攻撃・魔術攻撃に無敵といえる耐性をもっていたセイバーは、魔術ではない物理以外の攻撃には完全に無力だ。

「■、■■■■■■■――――――ッ!」

 けれどセイバーとて此度の戦いにおける最強のサーヴァント。己の守りを突破され、全身を高温に焼かれながらも内包した殺意は消えはしない。
 竜のように獰猛な瞳を見開き、キャスターへの進軍を再開する。

「宝具なしでも、打たれ強さは変わらないのか」

 炎が効いていないのではない。ただ狂剣士として強化された自然回復力が、並みのサーヴァントの平均を軽く超える速度でセイバーの体を自己治癒しているのだ。
 ダメージと再生を繰り返しながらセイバーが暴れまわる。キャスターはそれに付き合うほど蛮勇ではなかった。火炎放射で視界を塞ぎながら再びセイバーとの距離をとる。

(問題はここから、か)

 キャスターの手札の中でセイバーに安定してダメージを与え続けることができるのは火炎放射のみである。けれどセイバーのダメージ具合から判断するに火炎放射だけではセイバーを倒すことはできない。
 このまま離れたところの火炎放射をネチネチと続け、時間を稼ぐのも手ではある。だが、

(このセイバーは戦うことしか使いようのないどうしようもない能無し役立たずの肉達磨だが、逆に言えば戦うことにだけは滅法役立つ。
 理性はないが、こいつの獣としての本能は生きている。そして生き物には〝慣れる〟という有り難い特性がついている)

 火炎放射による攻勢にセイバーが慣れる時は必ずやってくる。それは数分後かもしれないし数十分後かもしれない。
 一つだけ言えるのはこのまま続けても、キャスターが不利になるだけだということ。

(セイバーが火炎に慣れ切っていない今のうちに倒すのがベストだ)

 問題は倒す手段だ。
 物理・魔術をほぼ無効化するセイバーを倒す方法は限られてくる。セイバーの防御を無視できる手段をもって、セイバーを殺すか。防御のない足の裏からサーヴァントを滅ぼせるような一撃を叩き込むか。或いは防御を超えるだけの物理・魔術による攻撃で滅ぼすか。
 幸か不幸かキャスターにはセイバーを倒す手段がある。しかしそれはキャスターにとって温存すべきとっておきの切り札。余り軽々しく出すようなものではない。
 切り札とは敵が知らないからこそ効果的なのであって、敵に知られた切り札はもはや切り札ではないのだ。無論、知ったところで対処不可能な究極の切り札というものもあるが、キャスターのものは情報さえあれば対処出来る類のものだ。
 
(結界は、上手く働いているか)

 遠坂の結界は外部からの使い魔含めた監視の目を阻んでいるようで、この場所を見ている者は誰一人としていない。
 つまりはここで切り札を晒しても、それを見るのはセイバーだけということだ。

「――――いいだろう」

 ここは勝負に出るところだ。キャスターは勝ち目のない戦いはしない。だが戦いを恐れ逃げ惑うだけではキャスターは英雄になどなっていない。
 確かな勝ち目があるのであれば、どれほどの危険があろうと身を投じられる勇敢さを持つからこそキャスターは英雄たりえるのだ。

「はっ!」

 最大出力の火炎放射を叩き込みつつ、逃げに徹していたキャスターが一気に攻撃に転じる。右手に持つ選定の剣は勝負の刻を告げられてか、数十の松明の炎よりも光を放っていた。
 キャスターがセイバー目掛けて跳躍する。ぎゅっと両手で力強く握りしめるは黄金の剣。
 もしもこの光景を見ていた第三者がいれば、蒼い剣士の背後に一瞬だけ金砂の髪の少女剣士を幻視しただろう。ブリテンの民草を導いた最高の王を選び抜いた聖剣は、キャスターの手の中にあって煌々と在りし日の輝きを灯す。

「■■■■■■!」

 セイバーとてそう安々とキャスターの攻撃を許すほどに尋常な英雄ではなかった。
 炎に包まれながらも巌の如き力強さは消えてなどはいない。視界が炎で塞がれてもその『心眼』はキャスターの姿を捉えていた。
 獰猛な雄叫びと共に棍棒を振り、キャスターを薙ぎ払う。

「戦うだけが能の馬鹿なら、馬鹿なりにそれくらいはやると思っていた」

 だが棍棒に薙ぎ払われグチャグチャになったはずのキャスターがあげたのは末期の断末魔ではなく、どこか人を食ったような勝利宣言だった。

「――――――」

 セイバーは理性なき頭脳で悟る。自分が薙ぎ払ったものはキャスターではなかった。キャスターが魔術によって生み出したキャスターの〝幻影〟だったのだ。
 いつもであれば肉なき幻影風情にセイバーが騙されることなどなかっただろう。だが身を焼くほどの高温の熱と、鉄を溶かす業火がセイバーの心眼を僅かに曇らせた。
 その僅かな曇りが、セイバーの敗因となる。

「勝利すべき――――」

 キャスターが選定の剣の真名を謳う。
 国中の騎士達が抜こうと挑み、その悉くが敗れ去った、たった一人の理想の王のためだけの剣を。
 
「黄金の剣――――!」

 真名の解放。聖剣は正しくその真価を発揮し、体を貫かれたセイバーの霊核を眩いばかりの黄金の光が滅ぼし尽くした。
 カリバーン。台座に突き刺さり、抜いた者を王とする選定の剣。最強の聖剣たるエクスカリバーには劣るが、その切れ味は尋常ではない。
 あらゆる剣戟を弾いたセイバーの強靭な肉体も、カリバーンの黄金の刃を弾くことはできはしなかった。
 台風が具現したかのように暴れまわっていたセイバーは、今では心臓を突き刺されたまま銅像のように固まっている。
 選定の剣が引き抜かれた。倒した相手を気に掛けるほどキャスターは暇ではない。完全にセイバーが敗れたことを確認したキャスターはその場を立ち去ろうとして、
 
「噂には聞いていたが凄まじいもんだな。そいつがカリバーン、アーサー王を王として選んだ選定の刃か」

「貴様、理性を取り戻したのか?」

 セイバーの目にはもうあの野獣染みた殺意はない。ただ戦いを終えた静かな武人の安らぎがそこにある。
 狂剣士として召喚されたセイバーはバーサーカーでないにも拘らず狂化に犯されていた。だがサーヴァントとしての肉体が滅びかけたことで、別の場所にいるもう一人の自分との境界が曖昧となり、こうして人間としての己を取り戻したのかもしれない。

「本来の担い手の手にないというのにその切れ味。俺がこんな姿じゃなければ、我が聖剣とどちらが上か競い合ってみたくはあったがな。それはもう一人の俺に任せるとしよう」

「気付いたのか?」

「戦ってるうちになんとなく。ま、あっちの俺は気付いていないだろうし他の奴等にしてもそうだろう。お前、アーサー王にしてはちょいと弱っち過ぎるからな」

「お前のような馬鹿と違って、俺は頭脳派なだけだ」

 セイバーは面白おかしそうに笑う。邪気のまったくない朗らかな笑みだった。

「お前の真名については、マスターには教えないでおく。そうすればルネスティーネを殺す理由もないだろ。死ぬのは馬鹿一人で十分だ」

「俺は良くても、俺のマスターがどうするかは分からないが」

「そこは祈るしかない。……この世の剣がどれもその剣のようなものばかりなら、俺もあそこまで馬鹿にならずに済んだのかもしれないな」

 最後に染みわたるような悔恨を呟いて、セイバーの体は消えていった。
 後に残るものはなにもない。先程まで破壊の権化として君臨していたサーヴァントはこの世から痕跡すら残さずに消滅した。
 これがサーヴァントの死。聖杯の力によって現代に再現された幻想は、消える時は幻想として夢のように消える。聖杯戦争に勝たなければ、いや勝っても負けても最後は自分もこうなるのだろう。
 キャスターはらしくなく感傷を抱きながら、セイバーのいなくなった場所を見つめていた。



[38533] 第30話  死闘
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:37
 地面を抉り大気を蒸発させるほどの戦い。古の伝説が再現された戦いも、終わってしまえば残るのは静寂だけ。パチパチと雑草を焼く火の音だけが厭に煩く感じられる。
 屋敷の裏側では未だにセイバーとキャスターの戦いが続いているようだが、それも直に終わることだろう。サーヴァントにとってマスターは魔力を供給するだけの存在ではない。現代のモノではないサーヴァントを現世に繋ぎとめるための依代。その依代がなくなるということは、サーヴァントにとって大地を失うようなもの。力は大幅に弱体化し、ただ消滅を待つだけのモノとなる。単独行動スキルをもつアーチャーであれば、マスターを失っても数日はもつかもしれない。だがそれでも弱体化を避けることは出来ないし、まして冥馬のキャスターにそんなスキルはないので考慮するに値しないことだ。
マスターを喪い弱体化したサーヴァントなど、セイバーほどのサーヴァントには雑兵に等しい。相手が最弱のキャスターならば猶更である。
 ルネスティーネはもくもくとあがる煙に視線をやる。
 冥馬は死んだ。
 屋敷に撃てば屋敷を、魔獣に撃てば魔獣を、吸血鬼に撃てば吸血鬼を滅ぼす特大の魔術を前にしては、人間の体など風雨に晒される紙人形のようなもの。酷く脆く容易く壊れる。
遠坂冥馬。始まりの御三家の一角で、ルネスティーネ・エーデルフェルトに屈辱を味わわせた男は跡形もなく消え去ったのだ。

「…………ふん。他愛ないですわね」

 それがルネスティーネには面白くない。
 自画自賛になるが、客観的な事実としてルネスティーネは自分が所謂天才であると自認している。先代の当主だった母も11歳の頃には追い抜いていたし、自分の五倍も魔術の研鑽に励んでいた師の一人も、13の頃には『もう自分の教えられることはなにもない』と言わしめた。
 遠坂冥馬はそんな自分に耐えがたい屈辱を味わわせた魔術師。自分に屈辱を味わわせたような男ならば、それ相応の張り合いがなくてはならない。そうでなくては面白くない。だというのにこんなにもあっさり死んでしまうなど、まったくの拍子抜けもいいところである。せめてもう少し御三家の意地を見せて欲しかった。
 ルネスティーネは少しばかり寂しげに目を細めると溜息を吐く。

「はぁ。やはりこの私と張り合えるマスターはあの憎たらしいリリアだけ。所詮は日本なんて極東に拠点を置く田舎魔術師など、栄えあるエーデルフェルトの相手ではなかった……ということですわね。
 ま、私のガンドを防御してみせたことだけは評価してさしあげます。この私にほんのちょっとでも評価されたんですもの。もう悔いはありませんわね」

 ルネスティーネは思考回路から〝遠坂冥馬〟を外す。死んだ相手にわざわざ思考回路を費やすなど知恵の浪費でしかない。
 あれだけ遠坂冥馬への怒りに燃えていた炎も、当の遠坂冥馬をこの手で殺してしまい急激に冷め、消えかかっていた。
 手持ちの宝石の量を確認する。普段の戦闘より幾分か多く消費したが、まだまだ全然余裕がある。相手が全員遠坂冥馬と仮定するのであれば後もう五戦、いや六戦はこなせるだけの宝石が残っていた。
ふと屋敷を見上げる。遠坂の残党たるキャスターを倒した後は、勝利の証として遠坂の屋敷にエーデルフェルトの家紋を刻むのもありだろう。
 ルネスティーネはセイバーのバックアップに回るため、その場を離れる。だが、

「決闘中に途中退場は、不戦勝として受け取るがいいのか?」

 思考回路が凍てつく。有り得ない声を聞いて、両足は石になったように硬直した。
この声を知っている。既に〝死人〟だと、とるにたらない〝敗北者〟だったと記憶回路の片隅についさっき追いやったばかりの男のものだ。ルネスティーネは悪霊に背後をとられた気分で、声のした方向に振り返る。
 ルネスティーネが人影を確認するよりも早く、煙の中から己が存在を示すかのように炎が奔った。咄嗟に炎レジストするルネスティーネだが、突然の事に100%の防御ができず、炎はドレスの袖の一部を焦がしていった。

「――そ、その声は……遠坂冥馬!? 生きていたんですの? あの一撃を受けて……!」

 心の中で張り合いのある敵を望んでいたのはルネスティーネ自身だ。遠坂冥馬がもっと手ごたえのある相手であって欲しいと思っていたのもルネスティーネだ。だが遠坂冥馬の生存はルネスティーネにとっては埒外の極みだった。
遠坂冥馬が生きている筈がないのである。自分が遠坂冥馬に喰らわせたのはそういう魔術だ。これまで数多の魔術師を一撃のもとに薙ぎ払った大魔術、使い魔として最上位のランクにあるサーヴァントすら直撃させれば問答無用に殺す大技。魔術師が生きている筈がないのだ。
 けれど聞こえた声は聞き違えるはずもなく遠坂冥馬のもの。
 煙の中から遠坂冥馬が一歩を踏み出し、その姿を晒す。
 酷い有様だった。洒落なワインレッドのスーツは所々が破け消し炭となり、まるで浮浪者の纏うボロ布と化している。セットされていた髪も乱れ、体の節々には傷もあった。
 しかしその様でも、瞳の奥で煌々と光る灯は消えてはいない。全身の魔術回路もより猛々しく脈動していた。煙をバックに立つ姿は、夥しい躯の上で微笑む武将を思わせる。

「クラウスやローレンスには感謝しないといけないな。共同開発したこれで、どうにか命拾いした」

 とんとん、と冥馬が小指で叩くのはボロ布と化したワインレッドのスーツの成れの果て。
 よもやそんなものが、あの大魔術から命を繋いだトリックだとは信じられずルネスティーネは瞠目した。

「私のとっておきの魔術を防いだのが、その情けないボロ布ですって! し、信じられませんわ……」

「ボロ布とは酷い酷い。これでもお前にこんな風にされるまでは優雅で洒落で、魔術礼装抜きにファッションとしても俺のお気に入りだったのに。
 お前のような貴族のボンボンならウン千万の宝石だってポンポン買えるのかもしれないが、うちはお宅のような成金と違って宝石代のやり繰りが大変でね。時計塔でも宝石代を稼ぐため執行者まがいのことをしていたが…………小金稼ぎで自分が死んでは元も子もない。魔術師にとって己の死は真っ先に覚悟しておくべきものだが、俺も遠坂の魔術を次世代に繋いでいく当主として簡単に死ぬ訳にはいかないからな。
 そこで時計塔の友人達と共同で作ったのがこのスーツ。軍隊が採用している現行のどんな銃弾だろうとストップさせるだけの防御力だったらしいのに、魔術一発でこうもおじゃんなんて寧ろ俺の方が驚きだよ。これ作るのに一万円(現代の価格にすると約6300万)もかかったんだぞ! どうしてくれるんだ!? 大赤字じゃないか!! 責任をとれ責任を!! あと弁償しろ!!」

「知った事じゃないですわ! そんなこと!」

 大赤字、と冥馬は言うがそれが命を守り切ったことを考えれば、決して悪い投資ではなかっただろう。どれほどの大金を費やしても〝死んだ命〟を取り戻すことは出来ないのだから。

「ここまで破壊されちゃもう修復は出来ないな。……なら、はぁッ!」
 
 ボロ布と化したスーツをべりっと破き捨て、上半身を露わにした。月明かりの下、遠坂冥馬は惜しげもなく鍛え抜いたその上半身を晒す。

「な、なんという鍛え抜かれた筋肉……!」

 冥馬が肉弾戦に心得があることは、冥馬の拳打をいなして逆に投げ飛ばしたルネスティーネも知っていた。されど冥馬の上半身を見れば、それが心得がある程度の生易しいものでないことが分かる。
 1gの無駄もなく限界にまで絞り込まれた筋肉は瞬発力に優れた軽量級のそれのようでいて、重量級のパワーをも秘めていた。ただ我武者羅に鍛えただけではこうはならない。人間の体と筋肉に対して深い知識と理解、そして厳しい鍛錬がこれだけの筋肉を作り上げたのだろう。

「どうやら私は貴方という魔術師を侮っていたようですわね。それほどの筋肉を得るのに、どれほど肉体を苛め抜きまして?」

「自慢じゃないが……俺は魔術の修練をサボったことはあっても、肉体の鍛練を休めた日はただの一度もありはしない。そっちこそ貴族育ちのお嬢様にしては見る目がある」

「愚問ですわ。格闘技は淑女の嗜み。……………ふふふふっ。つまらない戦いだったというのは撤回しなくてはなりませんわね。心躍ってきましたわ。手袋を受け取りなさい。貴方をこの私の、ルネスティーネ・エーデルフェルトの好敵手として認めてさしあげますわ」

 ルネスティーネが投げつけた手袋を、冥馬はこともなげに顔面の前でキャッチする。
 遠坂やエーデルフェルトが身を置く時計塔のある英国、ひいてはヨーロッパにおいて手袋を投げることとは即ち決闘の申し込み。そして投げつけられた手袋を『受け取る』ことは、

「喜んで。レディ」

――――決闘の受諾に他ならない。

堂に入ったお辞儀をしてみせる冥馬の姿は、貴婦人のダンスの誘いを受けた紳士のようですらある。しかしその全身からは溢れんばかりに湧き上がっているのは獰猛なる闘志だけだ。
 神経を焼き尽くすほどの真っ赤な闘志を真正面から浴びたルネスティーネはしかし、それに恐れ慄いて萎縮するなどということはなかった。
 冥馬が多くの戦いをその肉体と魔術で潜り抜けたように、ルネスティーネもまた世界各地の戦いに介入しては勝利者というタイトルを華麗に奪い去っていった生粋の闘士。遠坂冥馬という極上の闘士を前に、逆にその戦意を増した。
 ルネスティーネは猛禽類のように口端を釣り上げ、冥馬もまたニヤリと笑う。

「お前の魔術を防いでご臨終した魔術礼装(スーツ)は防御力こそ超一級だが、一つばかし欠点があってね」

「あら? なんですの?」

「重さだよ。あれ、凄く重いんだ」

 言いながら目にも留まらぬ速度で腕を一閃。屋敷の庭に迷い込んだ葉っぱが、居合の達人に両断されたかのように、綺麗に真っ二つとなった。
 速い、ルネスティーネは素直にそう感じる。先ほど自分が掴み取り、投げ飛ばした拳打とは初速から振り抜きのノビまで、何もかもが桁違いだった。

「身を守る鎧はなくなったが良い心地だ。心も筋肉も羽のように軽い。ジャンプすれば宇宙まで飛んで行けそうだよ」

 遠坂冥馬の纏っていた鎧――――魔術礼装であるスーツはざっと成人男性二人並みの重量があった。言うなれば冥馬は、成人男性をおぶりながら、銃弾と同等以上の速度のガンドを回避してきたようなもの。
 であればその重荷を捨て去り、身軽になった時の『遠坂冥馬』は如何程のものか。

「くすくす。大層なスーツですけど、重荷がなくなっただけで倒せるほどエーデルフェルトは軟弱ではありませんわよ」

「そっちこそ結構なドレスを着て、戦いについてこれるのか? 魔術師同士の戦いだ。俺は肉弾戦中心でいくが、そっちまで俺に合わせて遠慮することはない。好きに魔術でもなんでも使えばいい」

 ルネスティーネが魔術中心で来ようと、冥馬には己の肉体であれば対処する自信があった。だからこそ悪戯げに笑いながらルネスティーネを挑発する。
 
「ノープロブレム、心配無用ですわ」

 冥馬の挑発をそよ風のように受け流し、ルネスティーネは形の良い自分の唇に指を這わせ微笑を浮かべる。

「ドレスが動くのに邪魔になるなら、こうすればいいだけですわ!」

 冥馬がスーツをそうしたように、ドレスの袖を破きノースリーブにする。
 これで衣服の上でのハンデは消えた。ルネスティーネ・エーデルフェルトの正真正銘の戦闘モードである。

「勿体ないな。そのドレス、幾らした? 金持ちとはいえ、無駄に浪費するのは関心しないな」

「田舎者にしては結構な忠告痛み入りますわ。今度からは袖が着脱できるドレスを仕立てさせましょう」

 ルネスティーネの頭の中には最初からドレスをノースリーブにするという選択肢は存在しないらしい。
 だがルネスティーネとほぼ同じような思考回路の冥馬にも、その選択肢は元よりありはせず、それを指摘することはなかった。代わりに冥馬が注目したのはルネスティーネの白い腕だ。

「ほう。言うだけあって中々のものを持っている」

 女の細腕と侮るなかれ。ルネスティーネもまた魔術同様、格闘技の研鑽を片時も欠かさずに励んできた武闘派。妹という最大の競争相手が身近にいたこともあって、その熟練度は年不相応の頂きにある。
 その強さは重荷を背負っていたとはいえ冥馬の拳打を掴み、投げ飛ばしたことからも証明済みだ。
 一流は一流を見抜く。格闘者として一流にあるルネスティーネが遠坂冥馬の実力を見抜いたように、冥馬もまたルネスティーネの実力を見抜いた。

「だが璃正風に言えば、どちらの功夫が上だったかは仕合わなければ分からないもの。決着をつけようか」

「貴方は打撃、私は投げ技……異種格闘技戦はこちらこそ望む所です」

 遠坂冥馬、ルネスティーネ。二人が二人とも同時に魔術回路に魔力を流し込む。
魔術回路が魔力で満ち、全身の筋肉繊維の繊維にまで魔力を行き渡った。魔術における初歩の初歩。基本故に極めるのは難しいとされる〝強化〟の魔術である。
 前傾姿勢のまま両者は睨みあい、戦いのゴングを待った。規則正しい息遣い、二人の視線が交錯する。

――――ふと、二人の間に切り裂くような風が吹きすさぶ。

 それが合図となった。
風が通過した後、二つの影は同時に大地を蹴った。
 初速で上回ったのはルネスティーネ。豹のようにしなやかな動きで滑るように遠坂冥馬という好敵手を打破するために迫る。
 ルネスティーネが豹ならば、果たして遠坂冥馬はなんだったのか。

「ふーーーー」

 戦闘中でありながら、さも自室で思案に更けるが如き落着きをもって空気を五臓六腑に取り入れる。
 ありったけの空気を冥馬が吸い終えると遠坂冥馬は悪魔の御業でも使ったか、その場から消失した。

「ッ! 消えた……? 違う、後ろにっ!」

 気付いた時には冥馬の姿はルネスティーネの背後にあった。
 悪魔の御業に例えたが冥馬の使ったものは別に魔術や方術といった〝異能〟によるものではない。冥馬の使ったのは五体満足な人間であれば誰でも到達できる技術だ。スロースピードから一気にトップスピードへ加速することで、相手の認識速度を遅らせ、本来以上の速度に見せるテクニック。
 だがスローとトップの幅が余りにも大きく、更にトップスピードが埒外であれば、サーヴァントほどの規格外でもなければ瞬間移動に見えても不思議ではないだろう。
 並みの達人でも完全に敵を見失う技術を前にして、即座に背後に敵がいると察知したルネスティーネもまた一流の格闘者だった。けれど、

「は、――――!」

 初撃を回避することはできなかった。
 背後からの手刀による打撃を喰らったルネスティーネは、しかし倒れることはなく後方へ飛ぶ。まともな魔術師なら確実に意識を奪われていた一撃で、尚も意識を繋ぎ止められたのはルネスティーネのたゆまぬ鍛錬の成果であろう。
 だが敵の後退を冥馬が許す道理もありはしない。
 冥馬は知っているのだ。スローからトップへの速度変更による奇襲など、所詮は一発限りの手品のようなもの。盆暗相手ならまだしも、ルネスティーネ・エーデルフェルトに対して同じトリックの手品を二度使うことは命取りでしかないと。
 故に初撃を与えて怯んだところを果敢に攻め立てる。

「この、私をここまで……!?」

 身体能力を縛る鎖でもあったスーツを脱ぎ捨てた遠坂冥馬は、ルネスティーネの予測すら超えてべらぼうに強かった。
 ルネスティーネの繰り出すあらゆる技に対して、冥馬は時に教科書の手本のように規則的に、時に奇術師のように変則的に対処していき有効打を悉く防ぎきる。対して冥馬の繰り出す拳や蹴りは徐々にルネスティーネを追い詰めていっていた。
 もはや人一番プライドの高いルネスティーネでも認めるしかなかった。こと肉弾戦闘において遠坂冥馬はルネスティーネ・エーデルフェルトを上回っていることを。
 
「……――――!」

 自分より格上の相手を前にして、ルネスティーネは屈しない。一人の格闘者として手袋を投げつけた以上、ルネスティーネがリングですべきことは唯一つだ。
 即ち〝ベストを尽くす〟。リングに立った闘士には勝敗など関係なしに、自らの限界へ挑み壁を打ち破る義務と責任が課せられる。逆に言えばベストを尽くさない戦いなど、もはや戦う前から敗北しているに等しい。
 二人の戦いは何時の間にか大地より、屋敷の壁へ、屋根の上へと移っていた。月明かりをバックライトに、二人の闘士は共に己が全てを賭して、もう片方を抹消してやるとばかりに激しく喰らいあった。
 ふと猛攻に耐えきれなくなったルネスティーネが僅かな隙を晒す。冥馬の闘士としての本能はそれを見逃すことなく、勝機めがけて拳を突き出した。

「はァァァァッ!」

「ぐっ、あっ……っ!」

 まるで容赦のない岩盤をも砕く一撃がルネスティーネに直撃する。これで勝負ありか、冥馬の脳裏に過ぎりかかったその考えは、苦悶に端正な表情を歪めながら、肉食獣の笑みを浮かべたルネスティーネにより吹き飛んだ。
 がしっと逃がすものかと冥馬の腕が掴まれる。

「遂に、捕まえましたわよ……!」

 隙を見せたのは意図的なものだった。わざと隙を見せて敢えてそこに打ち込む。無論、冥馬の拳打を受けてはただではすまない。しかしルネスティーネも優れた魔術師。打ち込まれる場所が分かっているのならば、予めその箇所に魔力を重点的に込めておけば一撃を受けても死にはしない。
 その作戦は成功した。ルネスティーネは苦痛を代償に、漸く冥馬の腕を掴んだのだ。一度組み伏せてしまえば後は関節技の領分。今度はルネスティーネが勝利を予感し、

「こぉおおおおおおおおおおお! 覇ァァァアアアアアアッ!!」

 先の冥馬がそうだったように、あっさりとその予感を殺された。
 普通ならば逃れられぬよう組み伏せたはずだった。だがあろうことか冥馬は関節を敢えて自ら外すことで、決して逃れられぬ関節技の牢獄から脱獄してみせた。
 そも遠坂家はアインツベルンと出会い聖杯を知るまでは、武術によって『根源』へと触れようとしていた一族。だから遠坂家初代当主は優れた魔術師ではなかったが、武術の奥義を極めた武術家だった。その血は遠坂冥馬の中にもしっかりと流れている。
 確実に決まったと思った作戦を外したことで呆けたルネスティーネに、冥馬は無慈悲な蹴りをおみまいする。

「がぁ、このっ!」

 蹴られた衝撃でルネスティーネは宙を舞い、最高高度に達した時、逆に重力に引っ張られて地面へ落下していく。
 冥馬は屋根から跳躍し、落下中のルネスティーネに追撃をかける。

「させ、ませんわ!」

 体術では決して回避不可能・防御不可能の追撃。しかし忘れてはならない。ルネスティーネは魔術師だ。宝石を用い魔術の防壁を作り出すことで、冥馬の渾身の蹴りを受け止めた。
 蹴りの威力を殺し切れず障壁に皹が入る。このまま障壁諸共蹴り破らんと冥馬は更に力を込めるが、その前に重力がルネスティーネに味方をし、空中の二人を地面に戻した。
 ほぼ同時に地に足をつけた両者の行動は正反対だった。冥馬はルネスティーネを逃すまいと近付こうとし、ルネスティーネは逆に距離をとる。闘士としてルネスティーネに勝る冥馬だったが、手持ちの宝石においてはルネスティーネが勝っていた。
 宝石魔術で生み出した防壁を追加の宝石で修復と強化を同時に行い、それを殿かわりにどうにか距離をとることに成功する。

「本当に認めたくはありませんが……認めて、さしあげますわ」

 肩で息をしながら息も絶え絶えといった様子でルネスティーネが口を開いた。

「なにを?」

「こと肉弾戦というジャンルで、貴方はこの私より高みにある。貴方の……ご友人風にいうなら筋肉がどうのこうのですわね」

 筋肉ではなく功夫だ、と思ったが冥馬は指摘しなかった。

「だから悔しいですけれど、肉弾戦での勝ちは貴方に譲ってさしあげます」

「…………」

「けど忘れて貰っては困ります。私達は魔術師にして聖杯戦争のマスター。今からは私も魔術師に徹して相手してさしあげますわ」

 冥馬はほぉ、と息をもらす。
 ルネスティーネのそれはただの負け惜しみではない。宝石の量や魔術師としての才能ならばルネスティーネは冥馬に勝っている。肉弾戦において自分以上に優れる冥馬と肉弾戦で戦うより、敢えて肉弾戦を捨てて魔術戦に徹するというのは戦術的にも悪くない。
 だが、と冥馬は頭を掻きながら、どことなく気まずそうに笑う。

「なにが可笑しいんですの?」

「いいや、なに。魔術に徹する、結構なことだよ。実に結構」

 遠坂家当主としての猫を被りなおしながら冥馬が言う。

「ただなにかと運がなかった。それに尽きる。私もついさっきまで戦いに熱中してうっかり忘れていたのだが、魔術に徹するという言葉で思い出したよ」

「思い出した?」

「これを、だよ」

 最後は少しだけ素の自分を覗かせて悪戯っぽく笑う。

「ふぎゃぁぁああああああ!」

 瞬間、ルネスティーネの足元が爆発する。
 種も仕掛けもない大魔術――――では勿論ない。ルネスティーネが立っていた場所、そこは冥馬が魔術の実験のため気紛れ九割で埋め込んだトラップが埋まっていた場所なのだ。
 数年前仕掛けたっきり放置していたため作動しない可能性もあったが、結果からして杞憂だったらしい。
 トラップとしての性能ははっきりいって三流もいいところ。隠密性のみ気を使った挙句に、仕掛けた本人――――つまり冥馬が罠の近くにいなければ作動しないという、防犯としての能力には疑問しかない欠陥品だ。威力も精々人一人を気絶させる程度で、殺せるほどの威力はない。
 そんなトラップだが、なんの因果か凄まじく役立ってしまった。

「人生、なにが役立つか分からないものだな」

 トラップによる爆発で完全にノックダウンして倒れているルネスティーネを見下ろしながら、冥馬は苦笑九割勝利の嬉しさ一割で呟く。
 戦いの終わりを告げるように今年一番の寒風が吹く。

「ぶあっくしょん! う゛ー、寒い」

 二月の寒空で上半身裸でいた冥馬は、大きなくしゃみをした。
 ほぼ同時刻、屋敷の裏側で一人のサーヴァントが消滅する。
 ここに一つの戦いが終わった。



[38533] 第31話  三分の一の行方
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:38
 ルネスティーネを倒して暫くすると、こちらも戦いを終えたらしいキャスターが戻ってきた。
 ラインを通じて状態を確認したところ、深刻なダメージは皆無のようでなによりである。
 ルール違反のせいで霊格が半減していたとはいえ、セイバーの真名はオルランド。そこらへんに転がっている木の棒で竜を縊り殺すような化物だ。
 それを倒した負傷もなく倒すとはやはりアーサー王は伊達ではない。冥馬はキャスターの評価を上方修正した。

「お疲れ、無事でなによりだよ」

「俺は〝アーサー王〟だぞ。雑多な英霊ならいざ知れず、アーサー王があんな知性の欠片もない肉達磨に負けるわけにはいかないだろう」

「オルランドを肉達磨扱いか。恐ろしいな」

 労いの言葉に対してもキャスターの反応は素っ気ない。
 いい加減キャスターが筋金入りの天邪鬼だということは理解しているので、冥馬はそれを咎めはしなかった。

「……セイバーのマスター、倒したのか?」

 キャスターの目が大の字で倒れているルネスティーネに向けられる。足元のトラップに引っ掛かり爆風で吹っ飛ばされたルネスティーネは、体中からプスプスと黒い煙をあげていて目覚める様子はない。
 サーヴァントたるセイバーを失ったことで右腕にあった令呪の輝きも失われていた。

「強敵だったが運も加勢してくれてなんとか。賞賛の一つでもくれるのかな?」

 馬鹿な、とキャスターがそっぽを向く。

「そこで転がってるハルマキ女はな。ルール違反で本来の霊格を半減させてまで、セイバーを別側面から二体召喚しておいて、肝心のもう一人のセイバーとそのマスターの妹も連れずに挑んできた大馬鹿だ。
 しかもノコノコとやってきたのは、あろうか魔術師の工房ときている。おまけにバーサーカー染みたセイバーなんて生粋の魔力喰いをサーヴァントにしてる癖に、自分よりちょっと魔力量が下回っているだけの敵マスターに一騎打ち。
 ここまで馬鹿が馬鹿面下げて馬鹿みたいな行動をしる以上、勝って当たり前。万が一お前が負けるなんてことがあったら呆れるを通り越して大爆笑だ。死体見て笑ってやる。ハハハハハハハハハハハハハハ!!」

「……ルネスティーネが意識を失ってて良かったよ」

 もし意識があれば、これでもかというくらいにパッシングしたキャスターに激しい怒りを爆発させたに違いない。
 特にルネスティーネのようなタイプは、もし本気で激怒させれば屋敷一つ吹き飛びかねないのだ。時計塔での実体験から冥馬はそのことを良く知っている。
 
(だがキャスターの言う通りだな)

 今回はたまたま運が良かっただけだ。
 もしもルネスティーネのセイバーが正規の召喚をされていたら。
 もしもルネスティーネが妹と共に来ていれば。
 もしも戦った場所が遠坂邸でなければ。
 もしもセイバーの維持にかかる魔力が多くなければ。
 たったひとつの〝もし〟がなければ、ここで斃れていたのはルネスティーネではなく、遠坂冥馬だったかもしれないのだ。

「ところでセイバーのマスターをどうするんだ?」

「どうって」

「転がってるハルマキ頭はお前の敵で、お前は魔術師でマスター。聞き返す必要が?」

「……………」

「言葉にしなければ分からないほど、お前が鶏並みの知能の持ち主だったと仮定した場合を考えて言うなら、この女を殺すか殺さないかだ」

「分かっているよ」

 璃正やキャスターと談話していた時とは真逆の、冷めた目でルネスティーネを見下ろす。
 聖杯戦争において敵マスターは等しく殺すものだ。聖杯戦争は全てのサーヴァントがいなくなるまで続く。重要なのはサーヴァントを倒すことであってマスターを倒すことではない。
 だがサーヴァントを失ったマスターが警戒に値しないかと問われれば、それはノーだ。
 聖杯戦争でサーヴァントではなくより脆弱なマスター殺しを狙うのは戦いの基本であり、サーヴァントが存命でありながらマスターが死亡するなんてことは過去の戦いでも例のあることだ。そしてサーヴァントを失ったマスターと、マスターを失ったサーヴァントが巡り合えば――――再契約により、脱落者は再びマスターとして戦いに復帰することができる。
 故にセオリーに従うならルネスティーネをここで殺しておくべきなのだろう。

(殺す、か?)

 それがベストな選択肢だ。寧ろ殺さずに生かしておけばデメリットばかりで、メリットなどありはしない。
 殺気が漏れてか、冥馬の指がピクリと動く。今ならば詠唱すらなく、ただ右手と左手、どちらかの指輪に魔力を送るだけでルネスティーネ・エーデルフェルトという稀代の才能をもつ魔女を殺せる。
 ルネスティーネをどうするか。生殺与奪の全ては遠坂冥馬が握っているといって良かった。

「そこの女は何も知らない」

「キャスター?」

 ルネスティーネを殺そうと指を動かしかけたその時、意外なことにキャスターが止めに入った。

「俺は聖剣の真名を解放して、そこの馬鹿女の従僕を斬り殺してやった。だがこの屋敷には結界が張られているし、そこの馬鹿女にも俺の聖剣に関する情報は届いていない。この女が他のマスターの手に渡っても、俺の情報が知れることはないだろうさ。というより俺の真名などとっくに全方面にばればれ故、今更になって隠す意味があるとも思えないが」

「黄金の剣なんて持っていれば、仕方ないことだよ。……だがこうして考えると、もうキャスターの真名を知らない参加者はいないんじゃないかと思えてくるな」

 戦いが始まってからまだ直接は顔を合わせていない狩麻にしても、きっとなにかの手段を使ってキャスターの戦う姿の一つくらいは見ているはずだ。だとすれば黄金の剣という武器から、アーサー王という真名に辿り着くのは難しいことではない。

「それに殺したことでなくなるデメリットもあるが、殺して生まれるデメリットもある。姉が殺されたと知れば、まだ生存しているこいつの妹は姉の敵討ちにお前を狙うだろう。お前が父の仇討にナチスを狙っているようにな。
 今回はハルマキ女の愚鈍かつ蛮勇な諸々の馬鹿行動のお蔭で撃退できたが、基本的に魔術が通用しないセイバーと俺の相性は悪い。条件が互角なら十度戦って十度負けるだけだろう。百回も重ねれば一度くらい勝利をもぎ取ってやる自信はあるがな」

「…………復讐などない、とは断言できないか」

 傍目からいってもルネスティーネとリリアリンダ、二人の姉妹中は悪かった。というより最悪とすらいっていい。なにせ敵である冥馬の前で言い争いを始めるほどだ。
 しかし冥馬の目にはそれだけでないようにも映った。確かに仲は悪い。だが仲が悪いながらも二人はどこかでお互いを認め合っていて、良い競争相手、良き好敵手同士にも見えたのだ。喧嘩するほど仲が良い姉妹とは彼女たちのことを言うのかもしれない。
 なによりも魔術師というのは身内を大切にする。
 俗世間から外れた逸脱者たる魔術師にとって、身内は自分の分身と同じ。他人の命を平然と踏み躙れる魔術師でも、我が子や兄弟には情があるなんていうのは珍しいことでもないのだ。
 キャスターが指摘した通り冥馬も父の仇討のため、ナチスの居場所を熱心に探っているし、探り当てたら真っ先に殺しにいくつもりだ。
 そんなんだからルネスティーネを殺して妹が仇討にくる、というのは非常に現実味のある話だった。

(ルネスティーネも強かったが、妹のリリアリンダも優れた魔術師だ。……実力はまったくの互角と見ていい。
 セイバーだって強敵だ。狂っている方のセイバーは宝具を含めた能力を事前に知っていたが、あちらのセイバーについては宝具も未知数)

 聖騎士ローランの宝具となれば、やはり思い当たるのは聖剣デュランダル。三つの奇跡をもつとされるそれは、知名度においてもアーサー王のエクスカリバーと双璧をなす世界で最も有名な『聖剣』だ。英霊の宝具としても一級品の性能をもっているのは明白である。
 終盤ならまだしも、こんな中盤に事を構えたい相手ではない。出来ればどこぞの勢力と戦って、知らぬ間に脱落していて欲しい相手だ。
 冥馬の腹は決まった。

「第三次からは折角監督役なんてシステムが導入されたんだ。璃正のやつに仕事を作ってやるのも良いな。中身はともあれ外面は彫刻のように美しい美貌をもつお嬢様。璃正も目の保養になって満足だろうし」

「そうか」

 興味なさげにキャスターが相槌をうつ。

「にしても意外だな。キャスターが敵の命を助けるような発言をするなんて。俺はキャスターはもっとシビアな人間だと思ってた」

「その認識で間違っていない。殺す必要があるなら、そいつが女だろうと子供だろうと……村の一つだろうと殺してやるさ。
 だが殺す必要のない命を殺すのは勿体ないだろう。命はたった一つしかない貴重な財産なんだからな。殺すくらいなら無償で重労働でもさせて命の価値を絞り尽くしてやる」

「おお、怖い怖い。……まぁ、私も無料で見逃すわけじゃない」

「というと?」

「ふふふふ。キャスター、動けない敵が生きてこうして目の前にいるんだぞ。やることなんて決まってるじゃないか」

 手をわきわきさせながらルネスティーネに迫る。
 彼女のことは良く見ていた。彼女が遠坂冥馬をもってして涎が出るほど良いものを持っているのは疑いようがない。命を見逃す代償に、それくらいの役得があっても良いだろう。

「ま、まさかお前! いかんぞそれは。女を抱くのが悪いとは言わん。俺も独身なのを良いことに羽目を外したこともあるからな。だがお前のやろうとしていることは、叛逆と不倫の次の次くらいに恥ずべき行為だぞ!
 もしお前がその行為に及んでみろ。俺はお前を蛞蝓と同列に見るぞ。マスターとサーヴァントの主従契約も一方的に破棄だ。というか生前の鬱憤を晴らすためにも叩き切る!」

「なにか勘違いをしているようだな。俺はそんな品性を疑うような真似をする気はない」

 気絶している女性をナニするなど、それでは犯罪者ではないか。遠坂冥馬はこれでも余裕をもって優雅たれ、という家訓を胸に刻み生きるセカンドオーナー。そんなことはしない。

「ならなにを?」

「――――決まっている」

 ルネスティーネは先程の戦いでこれでもかというくらいバンバン宝石を使っていた。しかもその懐にはまだまだ多くの宝石を潜ませていた様子だった。
 そして冥馬はルネスティーネと同じ宝石魔術師。宝石魔術はとにかく金がかかる。聖杯戦争中であるし宝石のストックは多ければ多いほど良い。
 だとすればやることなど一つしかない。

「身ぐるみ剥がして宝石を奪う! 倒した敵のものは俺のものだ!」

「それは……」

 キャスターはポカンと固まり、

「それは…………………………いいな! 是非やろう。思えば蛮族共め。いっつも大した物資も持たずに攻め込んでくるものだから、殺しても殺しても一文の得にもなりはしなかった! どうせ攻めて来るならもっと物資を持ってこいというのに。その鬱積の数々、ここで晴らしてくれる!」

「キャスターが賛同してくれて嬉しい限り。じゃあ、やるぞ」

「ああ」

 冥馬とキャスターは二人してルネスティーネがドレスの中に持っていた宝石やらお金やらを全て強奪した。流石に着ているものまで全部奪う、なんて紳士から著しく外れた真似はしなかったが、とにかく宝石と金は全て奪った。
 そして略奪を終えると璃正に連絡し、迎えに来た監督役の使いにルネスティーネを押し付け、自分達は金の勘定に戻っていってしまう。
 後日。目覚めたルネスティーネの怒りが頂点に達したのは言うまでもないことである。




 聖杯戦争など極東の片田舎のマイナーな儀式。日本の魔術師など大海を知らぬ田舎者。そういう認識は改める必要がありそうだ。
 夜、紅茶を飲みながら使い魔を通じて遠坂邸の様子を伺っていたリリアリンダは、らしくなく目を丸くして驚きの表情を浮かべていた。
 姉と仲違いして完全に別行動をとることになったリリアリンダだったが、別側面からとはいえ同じ真名のサーヴァントを持つ者同士である。完全にその繋がりが消えるわけではない。
 なによりもルネスティーネの側がそうであったように、リリアリンダはなんだかんだで姉の実力を高く評価している。自分と張り合えるのはルネスティーネだけ、ルネスティーネを倒せるのは自分だけ、という奇妙な信頼をもっていたのだ。
 だからこその驚愕。
 ルネスティーネが遠坂に戦いを挑んだ。……それはいい。ルネスティーネからしたら、自分に屈辱を味わわせた遠坂冥馬は許し難い男だろう。ルネスティーネが戦いを挑まなければ、リリアの方が挑んでいたに違いない。
 しかし予想外だったのは戦いの結果だ。
 明日の朝には遠坂冥馬の死体が転がっていると半ば決めつけていただけに、遠坂冥馬の勝利という形で戦いが終わったことが意外であり驚きだった。
 戦いの内容を見ることが出来なかったのが惜しまれる。
 使い魔は遠坂邸近くにまでは接近できたのだが、内部の光景は結界に阻まれて見ることが叶わなかったのだ。
 ルネスティーネほどの魔術師と、最強のセイバーを倒すほどの遠坂冥馬とキャスター。今後の戦いを優位に進めるためにも、その戦いを見ることは金塊の価値があったことだろうに。

「あのセイバーを倒したなら、宝具だって使った事だし。こんなことなら無理してでも自分で観戦しにいくべきだったかしら?」

 宝具と対魔力によって物理攻撃・魔術をほぼ完全に無効化するという反則染みたセイバーを倒すほどのものとなれば、それは伝説に刻まれた宝具しか有り得ない。
 アーサー王の宝具となればやはり聖剣エクスカリバーなのだろう。セイバーの『狂煌の軌跡』をこうも突破するとは最強の聖剣の評判に違わぬものと見ていい。

「ま、いいわ。倒れたのはオルランドであってローランじゃない。ルネスのオルランドなんて所詮は前座よ前座。本命はこっちなんだから。
 ローランとアーサー王の戦いなんて、誰でも一度は考えそうな対戦カードだけど、私がマスターである以上、英仏の騎士対決はフランスに勝利して貰わないとね」

「うーん」

「どうしたの、セイバー? なにか悩み事があるなら言いなさい」

 腕を組んで、眉を八の字にしていたリリアリンダのセイバー、聖騎士ローランが難しい顔をしながら口を開く。

「言いたいのは山々なんだけどなぁ……なんていうか、言いたいことが纏まらないというか…………こう感覚的なもので、なんとなく変な感じはするんだけど、上手く形にならないというか」

「はっきりしなさい。なんなの?」

「いやぁ。俺はいいんだけど、アーサー王との対決っていうところにそこはかとない変な感じがあったというか。片割れが死んだせいか、その片割れの曖昧なイメージが流れ込んできたのか? ――――忘れてくれ。たぶん俺の気のせいだ」

「変なセイバーね」

 選定の剣を担う騎士など、彼の騎士王以外にいないというのに。どうしてそこに違和感を持つというのか。
 リリアはセイバーの疑念については思考の隅へと追いやる。

「それにしても遠坂冥馬、かぁ」

 不思議な気分だった。
 ルネスティーネ・エーデルフェルト、自分が倒すと決めていた姉にして好敵手。言ってみれば自分の獲物を奪われた形となったわけだが、リリアには冥馬に対する怒りや苛立ちというものは全くといっていいほどない。
 あるのはルネスティーネを倒すほどの魔術師・遠坂冥馬に対する純粋な興味だ。
 姉を倒したほどの魔術師がどういう人間なのか、どういう人格なのか知りたい。会って話をしてみたい。
 ルネスティーネがあっさりと敗退したせいで、期せずして自分の方が姉の上に立ってしまったことで目的を見失ったばかりのリリアリンダに、遠坂冥馬という魔術師への興味はすんなりと新しい目的として入ってきた。

(いいわ。これからは遠坂冥馬、貴方がルネスティーネに代わる新しい私の敵)

 ルネスティーネは自分の才能とセイバーの力に驕り、遠坂冥馬を極東の田舎魔術師と見下してかかったが、リリアはそんな失態はすまいと心に定める。
 それに、とリリアは笑みを深めた。ルネスティーネが敗退してくれたお蔭で、こちらのセイバーは失っていた力の一部を取り戻すことができるようになった。

「セイバー、儀式の続きよ」

「分かってるって。なにせ俺の片割れを倒したのがいる戦いだ。勝つ為にも、残りをしっかり取り戻さないと」
 
 ドクンッとリリアの左腕が赤い輝きを放つ。光の発生源は腕に刻まれたマスターたる証である令呪。ルネスティーネとリリアリンダ、エーデルフェルトの双子姉妹に一画ずつ刻み込まれた左右対称の聖痕である。
 キャスターはセイバーのことをイレギュラーな召喚のツケで霊格が〝半減〟していると言った。だがそれは誤りである。
 聖杯戦争においてマスターに刻まれる令呪は三つ。されどルネスティーネとリリアリンダに刻まれた令呪は一画ずつの合計二画。最後の一画が足らない。
 では最後の一画はどこにあるのか? その答えは単純だ。
 どこにもない。最後の令呪はこの世のどこにもないのである。
 最後の令呪――――残りの三分の一はルネスティーネとリリアリンダ、どちらに行くべきかを迷い現世の狭間を彷徨っていた。しかし片割れのセイバーがいなくなり、ルネスティーネが脱落したことで、遂に三分の一は自らの行き先を決めることができた。
 リリアリンダの左腕に最後の一画、三画目の令呪が刻まれていく。

「準備はできたぜ」

 セイバーがサーヴァントを召喚するための魔法陣の上に再び立つ。彼がここに立つのは初めて召喚された時以来のことだ。
 サーヴァントを召喚するにはそのサーヴァントに所以のある聖遺物が必要。だとすればそのサーヴァントそのものが魔法陣の上に立てば、この世の何にも勝る最高純度の聖遺物として機能する。

「“―――告げる。汝の身は我の下に、我が命運は汝の魔笛に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら―――”」

 この世の外側より、聖杯によりセイバーが置き去りにした〝力〟がセイバーという己の存在そのものに引かれて現世へと引っ張り出されてくる。
 イレギュラーな形ではあるが生涯二度目となるサーヴァントの召喚。しかし二度目といってもサーヴァントを招きよせるこの感覚は慣れるということがない。
 リリアは渾身の力を込めて、

「―――我に従え! ならばこの命運、汝が魔笛に預けよう……!」

「問われずとも、この身はとうに貴女の剣だ。マドモワゼル・リリアリンダ」

 芝居がかった騎士らしい仕草で跪くと、最後の召喚が完成する。
 リリアリンダの中でセイバーへと供給される魔力が多くなったのを感じた。セイバーの存在密度そのものが上がった為に必要とする魔力が多くなったのである。
 見た目には何も変わったことがないが、セイバーが置き去りにしていた第三の宝具は確かに聖騎士の手に戻った。
 ここに最優の聖騎士は最強の聖騎士へ生まれ変わる。



[38533] 第32話  監督役の一時
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:39
 新しいことを初めると大抵の如く思うのは『こんなに大変だったとは』だ。
 神に仕える信徒として、聖遺物回収の任に務める聖堂教会の神父として、言峰璃正は数多の苦行に挑み、その度に乗り越えてきた。
 100の苦難を乗り越え、1000の疲労を耐え抜き、10000の距離を踏破した。だが苦難に耐える精神があっても、苦難が苦しいことが変わるわけではない。そして苦難に挑む時に殆どの場合、最も辛いのは最初の第一歩だ。
 人間は便利なもので〝慣れ〟を覚えれば、普通では耐えられないことも耐えられてしまう。逆に言えば慣れている道理のない、新しい挑戦へ踏み出す第一歩はどうあったって辛いものなのだ。
 
「こうして多くの人間の上に立つ……責任ある立場に身を置くことが、これほど大変だとはな。傍からは椅子に座って指示しているだけに見えたのだが、やはり私もまだまだ修行が足りない」

 若くして聖杯戦争の監督役に任命された璃正だ。当然同年代の信徒の中でも群を抜いてタフな精神と、厚い信仰心と高い能力とを持っている。
 しかし璃正が如何に優れた能力をもった人材といえど、たった一人で聖杯戦争の管理運営が出来るはずがない。
 そも璃正は人間としての能力は高いが、対魔術師や対化物に優れているわけではないのだ。そのため璃正の下には聖杯戦争を運営するため聖堂教会・魔術協会の双方が派遣したスタッフが大勢いる。
 方向性は違えども両方とも魔術師に対して深い知識をもつ二大勢力の人員だけあって、彼等は極めて優秀だ。国家に属する表側の軍隊、ナチスと帝国陸軍の介入という過去に例のないイレギュラーな事態が発生しているにも拘らず、どうにか一般人への神秘の漏洩は完璧といっていいほどに出来ている。

(彼等の投入した軍事力が――――実は良く分からないタネが仕込まれているかもしれないが――――見た目としては純然たる近代兵器であることが幸いした)

 これでナチスや帝国陸軍が投入したのが武装した兵士達や戦闘機ではなく、ビームを連射する巨大ゴーレムやらアンデットの大軍だったのならば神秘の隠蔽は更に難航したことだろう。
 ただ慣れない仕事だったため普段の倍は疲労した。
 肉体労働者からしたらデスクワークなど生易しい仕事に映るかもしれないが、二つを経験したことのある璃正に言わせれば、両方とも違った苦労があり疲れがある。
 特に面倒だったのは聖堂教会のスタッフと魔術協会のスタッフの対立だ。表向きは停戦している二大組織だが、元来魔術師と教会の人間は相容れない存在。こうして同じ任務についても、殺し合いにならない程度の衝突は何度かある。そういう時は彼等の上にたつ璃正が仲裁するしかない。
 この仲裁がまた大変で教会側に肩入れすれば魔術師が「依怙贔屓だ」と叫び、魔術師側に肩入れすれば教会の人間が「神に仕える信徒が魔術師に組するとは何事か!」と怒る。……監督役の仕事が終わるころには、きっと体重が5kgは減っているだろう。

「神父から坊主に鞍替えするのは避けたいところだな」

 もしも次の四度目、順当にいけば六十年後にヘブンズフィール4――――第四次聖杯戦争があるのならば、これらのことは改善しておくべきことだろう。
 尤も六十年後のことなど璃正には分からない。聖杯戦争は此度で終了するかもしれないし、或いはこの冬木市が丸ごと戦争で吹っ飛ぶかもしれない。自分が生きているかさえ曖昧だ。というより生きていたならば幸運、というべきだろう。

「璃正神父」

「なにか問題かね?」

 サングラスをかけた男が璃正の部屋に入ってくる。申し訳程度にカソックを纏っているが、隠しても隠し切れない血と硝煙の臭いのする男だった。
 彼は代行者、魔術師や化物を殺すため彼等と同じ術を身に着けた異端殺しのプロフェッショナルだ。そして璃正の下に派遣されたスタッフの一人である。

「いえ。先日の戦闘に関する報告書です」

「例の件か」

「はい。昨日の戦いについてですが、ルネスティーネ・エーデルフェルトと遠坂冥馬の戦闘は遠坂の領土内で行われたため神秘が漏洩した痕跡はありませんでした。
 ただルネスティーネ・エーデルフェルトは脱落しましたが、未だ冬木には妹のリリアリンダが残っており、その妹もまたセイバーを使役しています。これは如何したものでしょうか?」

「どうにも出来んよ。それとも君はリリアリンダ・エーデルフェルトの屋敷に乗り込み、ルール違反だから君は脱落だと言うつもりかね?」

「言いに行け、と仰られたら私はどこにだろうと行くしかありません。ですがその前に紙とペンを頂きたい」

「何故だ?」

「友人とかに後のことを書き残しておなかければなりませんからね」

「分かっているなら宜しい」

 結局のところ幾ら中立の審判を謳おうと『サーヴァントに対抗するにはサーヴァントをもってするしかない』という聖杯戦争の大原則は崩せない。
 サングラスの彼以外にも対化物に特化した代行者はスタッフの中にいるが、監督役の下にある全戦力を投入してもサーヴァントの戦歴に細やかな花を添えることにしかならないだろう。それだけサーヴァントの強さは人間にとって埒外なのだ。
 サーヴァントと互角に戦う相馬戎次という参加者もいるが、彼は例外を五つ重ねた例外の極み。参考には値しない。

「参加者の七組のうち二組は軍隊を投入して、一組は同じサーヴァントを二騎召喚ときている。参加者の暴走を防ぎ戦いの公平性を期す為に、アインツベルンが汚い工作までして教会の人間を監督役として置いたというのに、ここまで公然とルールを無視されるといっそ笑えてきますね」

「表も裏も戦争なんてそのようなものだろう。別に聖杯戦争にはルールブックがあるわけでもないのだ。……そもそも、このルールを制定したのは我々監督役ではなく、御三家の頭首たち。元から公平性などあってないようなものだ」

「勝つ為にルールを破るんじゃなく、勝てるルールを作るというわけですか? ははははははは。成程これは確かに表も裏も変わりません。丁度枢軸の二国家が参戦してますしね。となると御三家は同盟国ですか? ナチスと帝国陸軍の連中は言うまでもありませんね」

「君はどちらが勝つと思う?」

「うーん。枢軸ですかね」

「理由を聞こうか」

「だってパスタ野郎がいないじゃないですか」

 璃正は苦笑してしまった。
 璃正としては友人……というには少し憚られるだろうか。奇妙な縁で聖杯戦争が始まってからなにかと世話になった冥馬に勝って欲しいと願う心はある。だが中立である監督役が露骨に依怙贔屓する訳にもいかない以上、璃正に出来るのは精々冥馬の勝利を祈るくらいだ。
 もっとも個人の感情抜きにすれば、一番勝利に近いのは帝国陸軍だろうか。軍隊を擁しているのはナチスと同じだが、帝国陸軍にとって聖杯戦争は自国での戦いである。兵力が減っても容易に援軍を呼ぶこともできるし、なによりも戦いにおけるジョーカーたる相馬戎次が恐ろしい。
 魔力供給・判断力・人格・戦闘力などの総合力で一番なのは冥馬かもしれないが、戦闘力という一点において相馬戎次はマスター最強だ。あれと一対一で互角に戦うことは他のどのマスターにも出来やしない。

「では私はこれにて。他の仕事が残ってますので」

「ご苦労だった。なにかあれば直ぐに私に連絡をして欲しい。連絡法は無線だろうと使い魔だろうとなんでも構わない」

「分かってます。ああそれと、本当にここに護衛はいらないんですか? 代行者の数人くらい今直ぐにでも都合できますよ」

「要らないよ。護衛が必要となるような事態になったところで、サーヴァント相手に護衛が護衛として機能することはないだろう。私も死にたくはないが、どうせ死ぬなら死者は少ない方が良い」

「……そうですか。璃正神父、貴方に祝福を」

 サングラスを外した代行者は、真っ直ぐな瞳で璃正を見ると真摯に璃正の無事を願った。
 それが少しだけ意外だった。この代行者とは以前仕事の関係で面識があるが、少なくともこういう風に人の無事を祈るような男ではなかった。命が危ない同僚がいるのなら「お前が死んだら、お前の家にある秘蔵の酒をくれないか?」というような性格をした奴である。

「らしくないな。どういう風の吹きまわした」

「だって貴方が死んだなら、私が監督役の仕事を引き継げって言われてるんですよ」

 またもや璃正は苦笑した。



 サングラスの代行者が仕事に戻り暫くして、璃正は漸く今日やるべき仕事については粗方片付け終えた。面倒な仕事を終えた爽快感で璃正はぐぐっと両手を伸ばす。
 だが仕事を終えたからといって休むわけにはいかない。この冬木教会は脱落したマスターの避難場所であり、聖杯戦争隠蔽の本部である。いつどんなことがあっても対応できるよう、監督役は常に教会にいるのが理想だ。
 職務に対して忠実であらんとする璃正には聖杯戦争中に『外出』するという思考はないも同然である。幸い部下ならば大勢いるため、なにか欲しいものがあれば部下に買ってきて貰えば良いだけだ。
 それでも人間であれば休息は必要である。
 璃正は息抜きのため、手頃なワインをグラスに注ぐ。あまり上等とはいえないワインだが軽く飲むならこれで十分だ。適当に飲んだ後は部屋に戻り一度仮眠をとるのも良いだろう。

「聖杯戦争が始まって五日間か」

 教会には今二人のマスター、否、元マスターがいる。
 一人は非情に憔悴した状態で教会の敷地で倒れていたアルラスフィール・フォン・アインツベルン。もう一人は冥馬が教会に押し付けてきたルネスティーネ・エーデルフェルト。
 監督役の仕事の一貫として彼女達は教会で保護した。今はマスターの為にと用意されていた奥の部屋で休んでいる。
 特にアルラスフィールは余程疲労していたらしく二日前に保護してから一度も目を覚ましていない。本来であれば医者にでも見せるべきなのだろうが、彼女は人間のようでいてその実、錬金術師がその叡智をもって生み出したホムンクルス。医者など呼んだところで効果は薄い。

「五日で二人のマスターが脱落した。このペースでいけば、戦いが終わるのはいつになるのやら」

 それにしても外来のエーデルフェルトは兎も角として、冥馬の遠坂家と並び御三家に名を連ねるアインツベルンが、四日目にして真っ先に脱落したのは驚きだった。
 魔術師の事情については詳しくないが、十世紀も聖杯を求めた一族だというのならば、さぞ強力なサーヴァントを召喚してくるのだろうと思っていただけに、この結末は意外である。
 なにか手違いがあったのか、それとも戦ったのが余程相性の悪い相手だったのか。答えを知っているのはアルラスフィールだけだろう。彼女に従っていたらしいホムンクルスたちに関しては、部下の報告により全員の死亡が確認されている。

「……ん?」

 璃正がグラスを片手に物思いに耽っていると、奥の部屋で物音がする。どうやらマスターの一人が眠りから覚めたらしい。
 足音が近付いてきて、璃正の部屋のドアが躊躇するようにゆっくりと開いた。
 最初に銀色の髪が目に入る。それで直ぐに起きてきたのが誰なのか分かった。
 アルラスフィールは戸惑うように部屋の中に入ると、視線がまず璃正へと向き、それからワイングラス、壁へと移り、また璃正へと戻ってくる。
 美しい、と素直に思う。だがこうして直接顔を会わせてみると、その美貌はどことなく作り物染みていた。

「目が覚めたようだな」

「貴方は、監督役の言峰璃正……? だとするとここは教会……なんですか。私は、あれから……」

「記憶が混乱しているようだな」

 職務を果たすべく淡々と事務的に璃正は口を開く。

「ミス・アインツベルン。一昨日の夜、貴女は一人で教会の敷地内に倒れていたところを私が発見した。
 調べたところサーヴァントを失っていたようなのでね。中立地帯に倒れていた貴女を、教会に保護を願ったマスターとして保護した次第だ。なにか質問はあるかね?」

 アルラスフィールは一瞬驚いて硬直したが、すぐに記憶が戻ってきたのか諦めたように両肩を降ろす。
 その様は――――女性に対しこんな事を思うのは失礼だが――――人生に疲れ切った老婆のようだった。
 彼女のその姿と表情を見ただけで、彼女にとっての聖杯戦争がどのようなものだったかは想像に難しくない。きっと彼女はこの戦いで一度も勝つことが出来ず、ただひたすらに敗北だけを重ねたのだろう。

「他の、私以外の者達は――――」

「ここにいるアインツベルンの人間は貴女一人だ。他の君に従ったメイドなどについては、生存が確認された者は一人もいない」

 隠しても直ぐに分かることだ。ならば、と璃正はアルラスフィールにとって残酷であろう事実をありのままに告げた。

「なんとなく、分かってました。ああ、そうか……やっぱり私一人が、生き延びてしまったんですね。聖杯戦争の為だけに生み出された私は、もう生きていても意味なんてないのに」

(ホムンクルス、か)

 ただ純粋に誕生を願う心で生まれる人間の子供とは違い、ホムンクルスであるアルラスフィールは『聖杯戦争に勝利する』という目的で〝製造〟された存在だ。
 聖杯を手に入れ願いを叶えるために集ったマスター達とは根底からして違う。彼女は聖杯を手に入れる、そのためだけに生まれた。敗北してサーヴァントを失うということは、生きる理由の喪失と同義なのだ。

「ミス・アルラスフィール。それほどまでに戦いに固執するのであれば、貴女にはここを出ていくという選択肢もある。……可能性は低いが、もしもマスターを失ったはぐれサーヴァントを見つけることが出来れば、再契約により戦線復帰も叶うだろう。
 もしも再戦の意志があるのならば言ってくれたまえ。ここは聖杯戦争における唯一の中立地帯。脱落者以外の戦う意志あるマスターを置いておくことはできないのでね」

「私なんて役立たずが、一人でここを出て行ったところで、ナチスや帝国陸軍のどちらかが情報欲しさに飛びついてくるだけです」

 アルラスフィールは俯き声を絞り出す。

「それに私の……いえ聖杯戦争はもう終わってるんです。戦う意味は、もうないの。私がこれからするべきことなんて、精々がこの戦いのことを事細かに当主に報告するだけ。それが終われば、本当にアルラスフィール・フォン・アインツベルンという女の価値は消えてなくなります」

 聖杯戦争は終わっている、というフレーズに妙な違和感を覚えるが言い様の問題だろうと深く気にせず、璃正は神父として迷える者に告げる。

「戦いの儀が終わるまでまだ暫くかかるだろう。なにもすることがないのであれば、それまで考えると良い。人間の価値など、ないようでいて探せば幾らでも見つかるものだ」

「理想論ですね。そう簡単に人間の価値など分かるはずないでしょう」

「そうでもない。例えば貴女が近所の公園に落ちているゴミ拾いをするという善行を積んだとすれば、貴女には公園の美観に務めたという細やかな価値が生まれる。
 この世の中、無価値なものは幾らでもあるだろう。だがそれ以上に価値あるものに溢れている。誰かの価値ある人間になるということは、やろうと思えば難しいようでいて簡単なものだ」

「一番難しいのは〝やろうと思うこと〟なんですよ、璃正神父」

「ふむ。それだけ喋れるのであれば体調に問題はないようで、なによ――――」

「どういうことですのこれはぁぁぁあああああああああああッ!!」

 教会中に野獣と聞き間違えんばかりの叫び声が轟いた。
 アルラスフィールの控え目な足音とは百八十度反対の、気位の高さと高慢さを現すような足音が近付いてくる。

「そこの神父!! 遠坂冥馬はどこですの!?」

「いきなりそれかね?」

 起きて早々に大騒ぎのルネスティーネ。同じ脱落者でもアルラスフィールとは大違いだ。ルネスティーネはオーラすら視認できそうな怒りの形相で璃正に詰め寄ってくる。
 だが毎度のスタッフ同士のいざこざを仲介し続けた璃正は悪鬼阿修羅の形相で女性が迫って来ても動じない。流石に少し職務放棄したくなったが。

「遠坂冥馬は君を教会スタッフに引き渡した後、聖杯戦争に戻った。彼自身はここには来ていない。それと君と君の妹がセイバーを二体召喚したことについてなのだが……」

「命だけ助けて恩を着せたつもりですの? し、しかも高貴なるこの私が長い年月をかけて溜めてきた宝石を、全て奪い自分のものにするなんて……! これだから極東の猿は下劣なのですわ! 田舎猿など魔術ではなく、動物園の檻の中でバナナの剥き方でも教わってればいいんです!
 人の成果を掻っ攫うのはエーデルフェルトの務め。ハンターの金品を奪い取る猿なんて聞いたことありませんわ!」

「はぁ。私も日本人なのだがね。それと冥馬、宝石を奪ったのか……」

 璃正は冥馬が宝石の出費についてあれこれ悩んでいる姿を何度か確認している。だがよりにもよって、こんな寝起きのライオンみたいな気性の魔術師から宝石を奪うとは、友人の剛毅さには呆れるばかりだ。
 しかし宝石を奪っておいて命は奪わなかったのがまた冥馬らしい。

「こうしてはおられませんわ! 待っていなさい、遠坂冥馬! リリアのセイバーをパチったら、今度はメッタメッタのボッロボロにして川に放り込んでやりますわよ!!」

「ま、待ちたまえ! まだ話が…………行ってしまった」

 止める間もない。嵐のように目覚めたルネスティーネは、嵐のように出て行ってしまった。
 サーヴァントを失ったマスターが街をうろつくことほど危険なことはないのだが、殺しても死なさそうな性格だったので心配は要らないだろう。

「とまぁ、君のように大人しい女性もいれば、彼女のように……あー、アグレッシブな女性もいる。様々な人間を参考にしつつ、今後のことを考えるといい」

 適当にアルラスフィールに言うと、璃正は仕事に戻る。
 教会で保護したルネスティーネ・エーデルフェルトが出て行った件について書類を書かなければならない。



[38533] 第33話  蟲の姫君の策謀
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:40
 間桐の家に一羽の鳩が舞い降りた。鳩は窓の近くに降り立つと、その嘴でノックするようコンコンとつつく。
 窓が割れぬように強すぎず、かといって音が屋敷の中に伝わる程度の絶妙な力加減。暫くすると人ならざる来訪者を聞きつけた間桐のマスター、狩麻が窓に近付く。

「へぇ。良い趣味してるわねぇ……ダーニックって男も。蜥蜴みたいな感じがするから好きなタイプじゃないけど」

 鳩はつぶらな瞳で窓の奥にいる狩麻を見つめながらポッポッと鳴いている。もしも鳥に人語を喋る能力があれば「窓を開けて欲しい」という言葉が聞けたことだろう。
 狩麻はダーニックのセンスに少し暗い笑みを浮かべつつ、鳩の首元に視線をやる。

「ご主人様に良い首輪をつけて貰ったわね。あなたが誰のペットか一目瞭然よ」

 鳩には黒い逆鉤十字の首輪。この時代、しかもこの戦いでハーケンクロイツとくれば思い当たる人物は一人しかいない。ナチスドイツのバックアップを受けて参加してきた八枚舌の渾名をとる魔術師、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。そして鳩の足には手紙が括りつけられていた。
 狩麻が鳩の足から手紙をとると、役目を終えた鳩はバサバサと羽音をたてて飛び去って行った。
 あの鳩からは魔術の痕跡らしきものをまるで感じなかった。どうやらあの鳩は魔術師に使役された〝使い魔〟ではなく純粋な伝書鳩らしい。使い魔を使えば楽だろうに、魔力探知を逃れるために伝書鳩を利用したのだろう。
 久しぶりに見た伝書鳩を見送りつつ、手紙を開く。差出人はやはりというべきかダーニックだった。

「ふーん。冥馬がねぇ……そろそろ私も、動こうかしら。ここでじっとしていて、冥馬が他の誰かに殺されちゃったらそれはそれで味気なさすぎるし」

 テーブルに置いてあったダーツの矢をとると、それを写真立てに向かって投げる。ダーツの先端は正確に遠坂冥馬の顔を貫いていた。
 薄明りに照らされ、不気味な雰囲気漂う部屋の中、狩麻は妖しく、艶やかに……それと、どことなく危うく口端を釣り上げる。
 魔女、その二文字を連想せざるを得ない佇まい。屋敷内に潜ませてある、狩麻の下僕たる蟲がかさかさと蠢き、

「あーはははははははははははっ! 麗しのバンビーナ! ミスタ・ダーニックからラブを綴ったレターが届いたのかい!!
 物調面と薄笑いが板についた彼がどんな愛の言葉を囁くのか、愛と情熱の騎士――――このプリンスの目で見定めてあげようじゃないか! さぁ僕にも見せておくれよ!」

 薄暗い雰囲気は頭が薔薇園と化しているアッパッパーなサーヴァントのせいで一瞬で台無しになった。

「はぁ」

 狩麻は疲れ切って溜息をつく。
 アーチャーが優れた戦術眼をもった英雄らしい顔を垣間見せたことで少しは見直したのだが、普段のアーチャーは相変わらずこんな調子だった。
 なにが面白いのか。そもそもどこから調達したのか知らないが、レコードでセルフBGMを奏でながら、タップダンスを踊りつつアーチャーが近付いてくる。
 アーチャーが自分のサーヴァントでなければ、狩麻は即座にこの馬鹿男を蟲の餌にしたことだろう。

「つい昨日、静かに行動しろと命令したのをもう忘れたわけ? 蟲に齧らせるわよ」

「おやおや心外だね。僕はマドモアゼル・カルマという冬木の地に咲いた一輪の花に蜜蜂の如く吸い寄せられ、忠義を誓った美しきナイト!
 その僕がマスターの命令を忘れるわけないじゃないか! マスターの下したオーダーはしっかりと僕のハートに永遠に残ってるし残り続けるよ! はーははははははははははははっ!!」

「別に永久に残さなくていいわよ。どうせマスターとサーヴァントなんて聖杯戦争が終わるまでの間柄なんだし。そもそもサーヴァントが消えたら、仮にまた聖杯戦争でサーヴァントとして召喚されても記憶は引き継がれないでしょう。
 だけど覚えているなら、今日のこれはどういうことよ。私は静かに行動しろ、と言ったのに全然静かにしてないじゃない。まさかあれ? 命令は聞いたけど、行動はしませんとかいうつもりぃ? だとしたら蟲の餌にしてやるわよ」

「え?」

 アーチャーはキョトンとすると難しい顔をして腕を組んでしまった。

「マスターの命令があったから、天井裏からスモークをたきつつ金色の舞台衣装で踊りながら登場しようとしたのを断念して、こうやって音楽に合わせてタップダンスするだけ、なんて地味な登場を演出したのに!!」

「何をする気だったのよアンタ!」

「……嗚呼、麗しのマイ・マスターはこれでもまだお気に召さなかったなんて。分かったよ、次からは音楽はレコードじゃなくて僕のギターですればいいんだね」

「しなくていいわよ。普通に登場すればいいの、普通に!」

「ギターじゃなくて歌声がお好みかい?」

「余計に嫌よ、あんな音程外れまくった音痴な歌。酔っ払いオヤジの歌声の方がまだ味があるわよ。歌も踊りも禁止、普通にノックしてから普通に入ってきて普通に話しかければそれでいいの。分かった? お馬鹿さん」

「勿論さ!」

「………………………」

 笑顔で親指たてられても、これまでの行動が行動だけに不安しかない。

「試に聞くけど、次はどういう風に登場するつもりだったわけ?」

「歌も踊りもギターも駄目。ならば……ここは一つ童心に帰ってハーモニカを吹きながら――――」

「全然普通じゃないじゃない。なによハーモニカって! 馬鹿じゃないの? ああいえ、馬鹿なのね。アーチャーじゃなくて馬鹿のサーヴァントなのね貴方は」

「褒め言葉として受け取っておくよハニー」

「侮辱と受け取りなさいよ馬鹿!」

「はーははははははははははははははははっ! そうさ、君という可憐なる花を前にしては、心ある男子ならば思考を溶かされ馬鹿となってしまうのも道理。うーん、その美しさに乾杯」

「はぐらかさないで!」

 肩で息を吐く。アーチャーを召喚して以来、何度目かになるか分からない激しいやり取り。
 聖杯戦争が始まってから未だに本格的な戦いをしていないというのに、戦いをやる以上に疲れた気がした。
 サーヴァントの召喚というのはこれだから不便だ。例え目当ての英雄に縁ある触媒を用意して、その英雄を召喚しようと、その英雄が想像通りの人物とは限らない。
 英雄の人格が記されているのは歴史書、或いは神話の中であるが、歴史の中のその英雄像が真実であるとは限らない。歴史書に記された事実が後になって誤りだったと判明することなんてよくあることだし、歴史上で高潔な人間と評された人物が本当に高潔なのかは、実のところ、その人物と実際に会って話した人間にしか分からないのだ。
 アーチャーが優れた英雄なのは間違い。それは彼が歴史に刻んだ偉業が証明している。だがもしこんな性格なのだと事前に知っていれば、狩麻は絶対にアーチャーを召喚しようとはしなかっただろう。

「ところで話を戻すけど、ムッシュ・ダーニックはなんて言ってきたんだい? 舞踏会のお誘いかな、お茶会のお知らせかな、それとも……婚約指輪が入っていたりとか」

「軽い挨拶よ。今現在、自分はこれこれこういうことをしていて、こういう場所にいますっていう挨拶みたいなものが耳触りの良いお世辞と一緒につらつらと」

 相手していても不毛なので、婚約指輪の下りは無視して答える。

「馬鹿みたいねぇ。こんな下らない褒め言葉で私が喜ぶとでも思ってるの? 本気で思ってるんなら、頭の中に蟲でも突っ込んで御目出度いことを考える脳味噌を虫食いだらけにしてあげるわ」

「場所? 彼は君に自分のいる場所を教えてきたのかい

「……流石に目の付け所はしっかりしているわねぇ。他でもないこの私のサーヴァントなんだもの。普段がアレなんだから、これくらいは当然だけど。
 そうよアーチャー。あいつはこの私に、ご丁寧に自分の場所を教えて来たわぁ。ナチスの連中と一緒に柳洞寺にいるんですって」
 
「柳洞寺、確かそこはこの冬木一番の霊地。それに周りには霊的なものを排除する結界か。悪くない場所に陣取るね」

 アーチャーの言う通り誰が張ったのかは知らないが、柳洞寺には霊体に強い効力を発揮する結界がある。この結界はサーヴァントにも例外なく作用し、正しい入口――――即ち山門以外の場所から柳洞寺に侵入すれば、能力の低下というハンデを背負うことになる。
 だがそれは侵入しようとすればの話。一度入ってしまえば柳洞寺は城塞とするには理想的環境だ。なにせ侵入経路を山門に絞り込めるし、最高の霊地であるあそこは魔術師が力を振るうには最高の環境だ。

「確か冥馬の父、あの堅物の静重はナチスに殺されたっていうし、これは利用できるわねぇ」

 狩麻はダーニックと同盟しているわけではない。この手紙もダーニックが勝手に寄越したものだ。ただ同盟はしないがダーニックに利用価値があるのなら、利用してやるのも吝かではない。

「遠坂冥馬は自分の手で倒したいんじゃなかったのかい?」

「くすくす、アーチャー。あなたも甘いわねぇ。私は冥馬と正々堂々と魔術師として雌雄を決したいんじゃないの。そもそも魔術師なんて正々堂々とは対極にあるような人種よ。魔術師同士の殺し合いっていうのはねぇ。命も、研究成果も、プライドも敵の一切合財を懸けた存在の喰らい合い。そのためならば、魔術師はありとあらゆる手段を使うわ」

「…………」

「だけどそれだけじゃ足りないわ。私より高い所で見下ろしている冥馬を、この私の全てをもって屈服させて跪かせないとならないのよ。魔術戦・サーヴァント戦・謀略戦・情報戦。全てのジャンルの戦いで私は勝つ。跪かせた後はどういうことをしてやろうかしら。足を舐めさせてやるのもいいし、ベッドに裸で拘束して見下ろしてやるのもいいかもしれないわね」

「戦略的勝利だけじゃなく、全ての戦術的勝利が欲しいなんて、これは凄いレディに召喚されたようだね、僕も。どこまでも高い壁を望む君だからこそ、僕のマスターに相応しいといえる。
 ただそれなら僕もマスターに忠実なる愛の下僕として忠言させて貰うよ。ナチス、ダーニック。彼等と組むのは止めた方がいい。それよりも遠坂冥馬と組んで、ナチスを排除するべきだよ」

「冥馬と組む? はぁ~~? 馬鹿じゃないの! なんで私が冥馬と組まなきゃならないのよ!」

「少なくともムッシュ・ユグドミレニアよりムッシュ遠坂の方が信用できそうだからね。他意はないよ。それに永久的に同盟関係を維持するわけじゃない。ただナチスとダーニックを冬木の舞台から退場願うまでの共闘さ。
 運命により引き裂かれ、殺し殺される関係となった旧き友情。ナチスを前に今再びその手を繋ぐ……ああっ! 美しいよ、マスター! 全米が泣いたッ!! うん、これでいこうじゃないか!」

 舞台俳優のように大仰な動作で、アーチャーが進言らしきものをする。目からは滂沱の涙。
 正直まともに進言するのかふざけるのかどちらかにして欲しかった。不真面目に真面目な提案をするものだから、果たしてどう対応して良いのか迷う。
 狩麻は頭を抱えながら口を開く。

「却下に決まってるでしょう。利用するなら兎も角、冥馬と協力するなんて論外よ。同盟なんかしたら私一人で聖杯戦争を制したことにならないじゃない。冥馬と手を組んだりなんかしたら私の勝利に冥馬と組んだから勝てた、なんてつまらない汚れがつくでしょう」

「変な所で純潔なんだね、マスター」

アーチャーは暫し考え込んでいたが、やがて明るい顔で言い放つ。

「その健気なる思い、このプリンス・オブ・アーチャー。確かに受け取ったよ! しからばムッシュ遠坂を倒すため、僕なりに力を振るうとするよ!
 優雅かつ華麗にムッシュ・ダーニックを利用ミッション開始だね! で、どうするんだいマスター?」

「作戦はあるのよ」

 そう言って狩麻は使い魔であるフクロウを呼び寄せた。
 ナチスに倣うわけではないが、狩麻は一筆したためるとフクロウの足に手紙を括りつける。

「行きなさい」

 フクロウはホーと鳴くと、遠坂の屋敷へと飛んでいった。



後書き

 Fate/Apocrypha三巻を見てきました。
 第三次について新しいことがちょろっと語られたりしましたが、どうやら今のところ致命的な矛盾は発生していないのでなによりでした。
 ちなみにこの作品は公式で第三次聖杯戦争を描く作品が出ると同時に存在意義を失うので消滅します。
 ついでにタイトルを変更……というより少し付け足しました。



[38533] 第34話  読み切れなかった感情
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:42
 序盤においてアインツベルンに大規模な攻撃を仕掛け、アルラスフィールとアヴェンジャーが早期脱落する最大の原因を作った帝国陸軍は、あれから元の拠点には戻らずにアインツベルン城に駐留を続けていた。
 帝国陸軍に組する魔術師勢によりアインツベルンに張り巡らせた結界も九割方が解除され、もはや碌に機能を発揮してはいない。かわりに陸軍によるトラップや結界が新たに構築され、順調にアインツベルン城は主の名前を変更しつつあった。
 とはいえなにも帝国陸軍は頑強な拠点欲しさにアインツベルンを狙ったのではない。ここ冬木に派遣された部隊が帝国陸軍上層部より受けた命令は『万能の願望器、聖杯の入手』である。
 リスクを犯してまでアインツベルン城を狙った大義名分とは、アインツベルンが『聖杯』を隠し持っている可能性を考慮してのことだ。

「それで結局のところ〝聖杯〟は見つかったのかい?」

 無作法にテーブルに腰かけたライダーが、愛刀や愛銃の整備をしている戎次に話しかけた。

「――――いや。木嶋少佐たちがずっと捜索してたらしいが、それらしいもんは見つかんなかったらしい」

 頭を上げず両手は整備を続けながら戎次は返事だけ返した。

「というとアインツベルンをやったのは完全に無駄骨?」

「そうでもねぇ。杯は手に入らなかった。だが代わりに〝城〟が手に入った。
 アインツベルンの方もこっから逃げた後で脱落したらしい。教会の神父に保護されるところを、うちの奴が放った使い魔が見た。首級は獲れなかったが、これで敵が一つ消えた。こんだけの戦果がありゃ無駄じゃない」

「だったらいつまた動くの? アインツベルンと一戦してから、戎次ンとこの大将。まったくやる気出さないじゃない」

「知らん。俺は一介の士官だ。戦う時を決めんのは俺じゃねえ。上官が戦えつったら俺は戦うだけ。戦うな、って言われりゃここにいる。あとライダー、木嶋少佐は少佐だ。大将じゃねぇ」

「ふーん。アインツベルン攻めはあれだけ強行だったのに。お宅の大将……じゃなくて少佐。普段はやる気がない癖に、突然令呪で命令されたみたいに強権発動するんだから面倒くさいよ。
ま、私はいいんだけどさ。この城は中々居心地が良いし、お酒もいいのあるし。私、日本酒は好きじゃないんだよねぇ」

 ライダーが地下の酒蔵から無断に拝借してきたワインを、グラスに注ぐこともなく豪快に口に含む。
 酔いのせいか仄かに頬が赤く染まり、これはどういう意図なのか知らないが胸元が僅かに肌蹴ているためどうにも艶めかしい。戎次は努めて自分の仕事に没頭した。
 銃の整備を疎かにしていれば万が一の時のツケは自分の命で支払うことになる。戎次には相馬家に戦国時代頃より伝わってきた妖刀という何にも勝る武器があるが、千変万化する戦場においてはサーヴァントすら殺す妖刀ではなく、どこにでもある平凡な銃が必要となる時もあるのだ。

「この城になかったっていうことは戎次の上官のそのまた上官たちが欲しがってる聖杯は、やっぱり教会にあるのかい?」

「たぶんそうだ」

 万が一アインツベルンが木嶋少佐の推測通り『偽物』を監督役に掴ませていたとしても、それなら確実に『聖杯』は自分の手元に置いておくだろう。
 だがアインツベルンの城をどれだけ捜索しても『聖杯の器』を見つけることはできなかった。見つかったものといえば精々がアインツベルン秘蔵の魔術礼装くらいだ。
 だとすれば――――アインツベルンが聖杯の偽物を用意したという仮定に基づくならば――――聖杯は城から脱出する際に一緒に持っていったと判断するべきだろう。そして『聖杯の器』を持っているであろうアルラスフィールは教会に保護された。
 聖杯が『偽物』だろうと『本物』だろうと結果的には教会にある可能性が一番高いのだ。ならば戎次たち帝国陸軍は当初の予定通り全てのマスターとサーヴァントを討ち取った後に教会へ赴けば良い。
 聖杯を手に入れれば戎次たちの任務は一先ず完了。その後、聖杯がどういう使われ方をするかに興味がないといえば嘘になる。だがそういうことは上層部の、自分より広い視野をもつ人間が決めればいいと戎次は思っていた。

「そういやお前ぇ、聖杯なんてまったく眼中にねぇような態度だけどよ。なんでだ?」

「なんでって?」

「サーヴァントって〝聖杯〟が欲しいからサーヴァントになったんじゃねぇのか?」

 記憶にある限り召喚されて以来、ライダーが聖杯戦争に対してある種の積極性を発揮したことは一度もなかった。
 別に戦闘で手を抜いているというわけではない。敵を前にすれば真面目に戦うし、命令しなくても戎次の援護をしてくれたこともある。ただ他のサーヴァントにはある聖杯が欲しいという意気込みがライダーにはないのだ。

「うーん。戎次はそういうけどね。私は聖杯が欲しいからこうやってサーヴァントなんて形で出て来たんじゃないよ」

「じゃあ聖杯以外になんか欲しいもんでもあるのか?」

「それもないね」

「……だったらなんで聖杯戦争に参加してるんだ?」

 聖杯戦争に参加しているのに〝聖杯〟が欲しいわけでもなければ、現代で仮初の生を得てやりたいことがあるわけでもない。
 戎次にはライダーがどうして戦いに参加したのかさっぱりだった。
 ライダーはワインをテーブルへ置き、考える仕草をすると。

「ないよ」

「は?」

「だから理由がない。聖杯も欲しくないし、特別やりたいこともない。戎次も知ってるでしょう。私が特殊な英霊だって」

「ああ」

 ライダーは時代において伝説を築き上げ〝英雄〟に至ったサーヴァントたちとは違う。
 人々を守ろうなどとは全く考えていなかったというのに、人々が勝手に祀り上げて偶像化しただけの存在。故に殆どの英雄が持ち合わせている自尊心や矜持なんてものはまるで持ち合わせていないし、どこか人間社会に捉えられない自由な雰囲気がある。

「他の英霊がどうだかは知らないよ。もしかしたら他の英霊には聖杯から戦いに参加するかどうかって問いがあって、それに答えたら召喚されるのかもしれない。だけど少なくとも私はそうじゃなかった。
 気付いたらこんな姿で魔法陣の上に立っていて、ライダーっていう役職に現代と聖杯戦争に関する知識が流れ込んできて、目の前には初心そうなご主人様がいたわけ」

「初心? 俺ぁ数百人の首級を獲ってきたぞ。初陣はとっくにやってる」

「そっちの初心じゃないよ。殺し屋とか兵士とかじゃなくて、人間的に初心ってこと。あんまり多くを経験してないとも言うね。まぁ私はそういう子の方が好きだけど」

 くすくすと口元を着物の袖で抑えて妖艶に笑う。ゴクリと思わず戎次は生唾を呑み込んだ。どれだけ国を守る戦士に徹していようと、戎次とて一人の男。そういった欲望を消し去ることはできない。

「とまぁそんなわけで、気付いたらいつのまにか戦いに参加することになっていた私は聖杯が欲しい理由がないってこと」

「良く分からねぇがたぶん分かった。じゃあなんで戦ってるんだ? やる気ねぇならさっさと元来たとこに帰っちまえばいいんじゃねえのか。俺は困るけど」

 サーヴァントがマスターに従うのは『令呪』という絶対命令権以上に自らも聖杯を欲するからに他ならない。しかし聖杯を求めぬライダーには、戦いに参加する必要もなければ、生きている理由すらないのだ。
 だというのにライダーはマスターである戎次とその上官である陸軍の意向にも比較的従順である。命令に不満や文句を返しても、命令違反や命令拒否はしたことがない。
 ライダーはまじまじと戎次を見ていると、やがてなにがどうしたのか唐突に笑い始めた。
 
「ははははははははははははははは!」

「なにが可笑しいんだ?」

「あはは、はははははははっ。やっぱり戎次、アンタは初心だよ。戎次ってさ、生きてる人間には生きる理由がないと生きていけないって思ってる?」

「良く分からねえ」

 相馬戎次にとっての『生きる理由』とは考えるまでもなく『国を守る』ことだ。相馬家の男子は代々そうやって生きてきたし、戎次もそうなるよう生きてきた。他の生き方なんて考えた事などなかったし、これからもする気はない。
 だが他の人間にとっての『生きる理由』がどういうものなのかは知らないし、稀に愛国心の意味を履き違えた馬鹿がするように『国を守る』という理由を他人に押し付けようとも思わなかった。
 いやきっとこれがライダーが初心と言う理由なのだろう。相馬戎次は普通の人間より碌に他人を知らないのだ。

「私は色々な時代の色々な人間を知ってるけどね。誰もが皆、アンタのように明確な『生きる理由』をもって生きているわけじゃないんだよ。
 自分のやりたいことはあるけど、諸々の事情でやれない。ただ惰性のままに毎日生きている。取り敢えず生きているからなんとなく生きている。細かいことは考えず、生きてるから生きてる。大抵の人間なんてね。そんなものなんだよ。
 実のところ、こうしてここでサーヴァントなんて形で存在している私も同じ口でね。サーヴァントとしてこうやって生きているわけだから、なんとなくサーヴァントとして戦ってるの。戎次のことが個人的に好きっていうのもあるんだけど」

「んじゃ聖杯がもし手に入ったらどうするんだ?」

「考えてないよ。獲らぬ聖杯の皮算用なんてしてもとれなきゃ意味ないし。けどそうだね。聖杯で願いが叶うなら……現状維持でも願うかな。今の自分はわりと好きだし。こんな機会なんて二度とあるもんじゃないしね」

「そっか」

 ライダーの言葉は多くの人間を俯瞰してきた神のそれで、所詮は一つの時代を生きているだけの人間たる戎次には七割も理解できなかった。
 けれどなんとなくライダーが信頼できる味方であるとは分かった。ならばこれ以上は追及することではない。
 戎次は止まっていた手を動かし始め、銃の整備を再開した。



 夕日も地平線の彼方へと沈み、そろそろ薄暗い空が真っ暗になるかという時間。冥馬は一人、自分の屋敷の安楽椅子に背中を預けてゆっくりと寛いでいた。
 一人、だ。他には誰もいない。魔術師らしく偏屈でありながら、人間としても出来た人だった父は既に亡く、聖杯戦争において最大の味方であるサーヴァント・キャスターの姿もありはしなかった。
 霊体化して待機しているのではない。本当に屋敷の中にいないのだ。
 といっても別に冥馬がヘマをしてキャスターが消滅してしまった、という訳ではない。キャスターは霊体化したまま偵察に出ているのだ。
 常道からいえば聖杯戦争期間中にサーヴァントとマスターが離れ離れになるのは好ましいことではない。
 だが魔術師と英霊がこの蠢く冬木では偵察任務を任せるのに単なる使い魔では心伴い。サーヴァント――――それも魔術師の英霊であるキャスターはこういった情報収集においてはアサシンに次ぐだけの能力を持っており、マスターとしてはこれを活かさない手はなかった。
 ただでさえキャスターは地力で他のサーヴァントに劣るクラスなのだ。こういったキャスターの特色を最大限に使っていかなければ勝てる戦いも勝てない。
 それに戦いは人目を避けて夜にするのがお約束だ。頭のネジが吹っ飛んだ馬鹿でなければ白昼堂々に屋敷へ襲撃をかけてくるなんてことはないだろう。キャスターにも夜になる前に帰還するように言い付けてある。
 もし万が一この時間帯に仕掛けて来れば、屋敷にある結界が反応するため直ぐに分かる。冥馬だけではなくキャスターも手を加えた結界だ。例えアサシンのサーヴァントでも完全に気付かれずに侵入するのは不可能である。
 敵が来れば――――その時は仕方がない。少し勿体ないが令呪を使ってキャスターを呼び戻せばいいだけだ。
 ルネスティーネとの戦いと同じく、自分のホームグラウンドで優位な戦いをすることができる。

「冥馬、戻ったぞ」

 丁度紅茶の三杯目を注いだ所だった。偵察に出ていたキャスターが帰還した。
 かしゃん、と甲冑が揺れる音を鳴らしながらキャスターは数体の鳩を見せる。

「帰る途中に結界外から屋敷を伺っている使い魔が数体いた。処分しておこう」

 キャスターがパチンと指を鳴らすと数体の鳥が驚いたように悲鳴をあげつつ一瞬で白骨化し、そのまま霧のように雲散してしまった。
 芸の細かい事だ。前に執事でもやっていけると思ったが、この分なら手品師でもやっていけそうだ。

(駄目だな。手品師のマジックには人間が実行可能かつ推理可能なトリックがないといけない。キャスターのマジックには少なくとも常人が見抜けるギミックがない。
 種も仕掛けのないマジックはミステリーじゃなくてファンタジックだ)

 冥馬は背凭れに預けていた背中をあげると、真面目な顔つきでキャスターに向き直る。

「それじゃ報告を聞こう。どうだった、偵察の成果は? 収穫はあったかな」

「良い報告と、もう一つ良いか悪いか不明な報告がある。どっちから聞きたい?」

「……良い報告と悪い報告なら悪い方から聞くんだが、不明とはまた中途半端なそれじゃ良い報告から」

「ナチスの居場所が分かった」

 ピクリと冥馬の眉が動く。それだけで目立ったリアクションはなかった。
 ただ見る者が見れば二つの瞳に危険な色が宿ったのを悟ることができただろう。そしてここに時計塔の冥馬の知り合いがいれば、今直ぐに荷物を畳み避難を開始したに違いない。

「どこだそこは?」

「柳洞寺。どうやら以前に俺達が見に行った後から潜り込んだようだな。寺の空気が様変わりしていた。坊主が念仏唱えるようなところに、硝煙の臭いが漂うなんてアンバランスも良い所だろうから直ぐに分かった」

「ナチスという確証は?」

「寺の外から軽く仕掛けてやったら黒い軍服とハーケンクロイツの腕章をした兵士がいた。ついでに修行っていう名目で寺から出された坊主にも確認済み。
 坊主たちには現代の魔術師にしてはそこそこの暗示がかけられていたがな。軽く解除して持ってる情報を吐かせてやった。聞く所によれば朝方いきなり兵士達が侵入してきて、指揮官らしい風体の奴に顔を覗き込まれ、それ以後の記憶はないだと。
 一々坊主どものアフターサービスするのは面倒だったから、連中の思惑通りの暗示をかけ直してから放り出しておいた。今頃は悟りを開くため皆で仲良く座禅でも組んでいるんじゃないのか? 暗示で操られている状態で悟りも糞もないと思うが」

「上々。見事な仕事だよキャスター」

 欲しくてたまらなかった情報の一つ、ナチスの居場所。
 冬木市最大の霊地であり、要塞とすればこれほど難攻不落な所はないという場所に拠点を置くあたり、ナチスの兵士達を操っている指揮官は中々の戦術眼をもっている。
 だがそんなものは関係ない。
 敵対する相手は徹底的に完膚なきまでに叩き潰すのが遠坂冥馬の流儀だ。特に尊敬に値しない個人的に腹立たしい敵へは情けなどかけず悉く皆殺しにしてきた。
 今回も同じ。帝都であそこまで虚仮にしてくれたナチス全員、生きてこの冬木市から出してやる気はない。

「それじゃもう一つの……良いか悪いか分からない報告は?」

「最初の使い魔と似たような件だが、鳥を見つけた」

「鳥?」

「ただこっちはお手紙つきだよ。宛名は間桐狩麻、お前の知り合いだろう?」

「狩麻の手紙、だって」

 キャスターが手を差し出すと、そこから足に手紙を括りつけた梟が出現する。蟲使いの間桐家出身の狩麻だが、鳥の使い魔に梟を好んで使うのを冥馬は長い付き合いから知っていた。
 理由が気になり尋ねたところによれば「梟の方が魔女らしいから」らしい。合理的ではない浪漫溢れるその言葉が可笑しく、笑ってしまったことを覚えている。ついでにその時の狩麻が恥ずかしそうに頬を赤く染めた表情も
 冥馬は足に括り付けられていた手紙を開いて中を見た。

「へぇ」

「なにが書かれてあったんだ?」

「ん? 見ていなかったのか?」

「マスターの手紙を渡す前に盗み見るほど俺は不作法者になったつもりはない。宛名や呪いなどがないか調べはしたが」

「そうか。……なに、パーティーの招待状だよ。開催場所は柳洞寺。こっちでオープニングの花火はあげるから、こちらには沸き立つ会場にゲストとして登場してダンスでもして欲しいとさ」

 キャスターに手紙を渡す。キャスターはすらすらと手紙を流し読みして、

「――――――というと、間桐も柳洞寺の居場所を掴んで、連中を倒すのに共闘しようと言ってきたわけか。
 信用できるのか? あの屋敷からは離れていても蟲の臭いがプンプンとしてきた。蟲っていうのは日の光のあたらない場所で人間様の迷惑をかけることに小さい脳味噌を働かせるものだ。謀られているかもしれんぞ」

「蟲が嫌いなのか?」

「当然だ! あいつらめ、所用で二日出ただけで俺が丹念に掃除した台所に住みついていたんだぞ。俺はああいう潰しても潰しても湧いてくる頑固な汚れが大嫌いなんだ」

 キャスターが綺麗好きなのは数日間一緒に過ごした冥馬が身を以て知っている。
 今では窓の淵を指でなぞっても埃一つとして付着しやしない。有り難い事なので放置しているが、やはりアーサー王としてはどうなのかと思わないこともない。

「心配はいらないさ。私は狩麻のことは昔から良く知っている。あれも聖杯戦争に参加するマスターなら大局を見誤ることはないさ」

 ナチス、あの連中こそが、この戦いで出来る限り早期に退場させなければならない存在だ。
 間桐狩麻は愚かな女ではない。そんな簡単なことはとうに理解しているだろう。狩麻を自分のライバルだと思っている冥馬はそう信じていた。

「俺は戦争に関しては…………なんでもない。指揮権はマスターにある。マスターに従うさ」

「それじゃ、そういうことで」

 冥馬の認識は決して間違いではない。冥馬の思っている通り間桐狩麻は無能でも考えなしでもなく、優れた実力と思考力をもつ魔女だ。
 もしこれが〝遠坂冥馬〟となんの関係もない戦いであったならば、狩麻はナチス打倒を最優先に動いただろう。
 しかし冥馬には幼馴染に宿る〝遠坂冥馬〟への執着まで見抜くことはできなかった。それが冥馬の考えを狂わせる。
 冥馬は気付かぬうちに蠱毒の中へと誘われようとしていた。



[38533] 第35話  髑髏と蟲の罠
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:43
 山門へと続く石段から、ある程度の距離をとった場所に冥馬はいた。
冬木最大の霊脈の上にある柳洞寺は寺院としての静謐さと、殺し合いの中心地点としての薄気味悪さがアンバランスに混ざり合いなんともいえぬ雰囲気を醸し出している。
不気味なまでの静けさだった。一見すると柳洞寺は以前キャスターと訪れた時となにも変わっていないように見える。だが封印指定の魔術師の工房に攻め入ったこともある冥馬は、柳洞寺を包み込む邪気を嗅ぎ取っていた。
 それもこれもナチスがここにいるという証左だろう。髑髏の軍団の居城とされた柳洞寺が、冥馬には悪魔の城塞に見えた。これで悪魔の一体でもふわふわ浮かんでいれば、ホラー映画の世界に迷い込んだと錯覚してしまうかもしれない。

「……………………」

 不気味さを感じとってか、霊体化して着いてきていたキャスターが実体化した。実体化したキャスターは周囲に気を配りつつ、冥馬を守るように一歩前へ歩み出る。
 凍てつくほど冷たい風が肌に染み込む。ザァザァと木々が揺れた。

「――――お前の友人、間桐狩麻とやらの合図はまだだな」

 キャスターが目を細めつつ、冥馬に言った。
 狩麻から送られてきた手紙には、自分のサーヴァントであるアーチャーが派手な攻撃を先ず仕掛けるから、その後ナチスが混乱した所を一気に攻め込んで欲しいと書かれていた。
 言うなれば狩麻とアーチャーが敵を大混乱させる爆弾、冥馬とキャスターが狼狽えた指揮官の頭を貫く弾丸というわけだ。
 そのため冥馬はこうしてナチスの居城の前に来ていながら、こうして石段から離れた位置で狩麻のあげる合図(花火)を待っているのである。
 
「臆病風に吹かれて逃げ出したか、もしくは連中にやられて花火を打ち上げることも出来ずに死んだか。それともまだ決行してないだけか。人を扱き下ろすのが俺の特技だが、良く知りもしない相手をどうこう言うことはできないな。無知によるパッシングは美しくない。
 そこで間桐狩麻という魔術師を知っている人間に訊くが、マスターはどう見る?」

「少なくとも狩麻はナチス相手に縮こまって作戦決行を放棄するような女じゃない。これだけは確信をもって断言できる。私と違って別に封印指定まがいのことはしてはいなかったが、ナチス相手に簡単に敗れるほど弱くもない。
 だからきっとまだ決行していないだけだろう。プライドの高い狩麻のことだからきっと盛大に――――」

 冥馬が言い終わる前に、耳を塞ぎたくなるほどの轟音が響き渡る。音だけではない。山門の上、柳洞寺からあがるのは黒い煙と火の手だ。
 耳を澄ませば山門の向こう側から兵士達がドイツ語で慌てふためく声まで聞こえてきそうだった。
 タイミングからいってこれが狩麻の合図に間違いはない。

「噂をすればなんとやらじゃないか。行くぞ、キャスター」

「オーケイだ。……花火の打ち上げが成功したといっても、ランサーはそうそう死んではいないだろう。油断するなよ、追い詰められた鼠は猫すら殺すものだ。しかもそれが軍団となると下手すると獅子すら殺す」

「承知しているさ」

 息を潜めるのはこれまで。
 狩麻の合図を聞いた冥馬とキャスターは真っ直ぐに石段を駆け抜けて一直線に柳洞寺へと突入する。石段を一段一段駆け上がる毎に騒音が近付いてきた。どうやら狩麻たちは境内でかなりの大立ち回りを繰り広げているらしい。
 山門の前。騒音が間近に感じられる。そして、

「キャスター! 兵士には構うな。狙うのはマスターとサーヴァントだけ……………なんだ、これは」

 言葉を失う。山門から境内に突入する直前まではあれだけ騒がしく響いていた戦いの音色。それが境内に足を踏み入れた途端、オーケストラの演奏者たちが一斉に演奏を止めてしまったかのように静まり返った。
 静寂。柳洞寺には戦火どころか、明かりすらない。雲から顔を覗かせ降り注ぐ月明かりだけが唯一の光源だった。
 良く見ると柳洞寺の奥からは黒い煙があがっていた。
鼻に漂ってくる火薬の臭い。柳洞寺で火薬が炸裂したのは間違いない。だというのに『合図』を打ち上げた狩麻も、それによって倒された兵士達もここには影も形もなかった。
 雷光の如き速度で冥馬は認識する。
 キャスターが舌打ちした。それと同時に冥馬が踵を返し叫ぶ。

「逃げるぞ! これは罠だ!!」

 急いで山門に戻ろうとするが――――その行動は致命的なまでに遅かった。山門の出口に無数の剣が突き刺さり、冥馬たちの行く手を塞ぐ。
 パンと音が鳴ると、柳洞寺から眩いばかりの人工の光が降り注ぎ、境内の明るさを昼夜逆転させる。
 本堂の前、酷薄な笑みを浮かべながら一人の魔術師が立っていた。白を基調とした服に身を包みステッキをもった貴族風の男。
 その顔に冥馬は見覚えがあった。

「驚いた。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア……〝八枚舌〟と呼ばれた男が、ナチスのマスターだったとはね」

 ダーニックの手で鈍い輝きを灯す赤い聖痕を見据えながら言う。
 自身の名前を看破されながらもダーニックは余裕げな態度を崩さない。或いはそれは遠坂冥馬という獲物を罠に嵌めたことによる慢心か。それとも勝利の確信か。

「ふふふふ。私のような時計塔の末席に座る者の名を、彼の宝石翁の末裔に覚えて頂けているとは光栄の至りです」

「心の籠っていない世辞など聞かされても嬉しくはない。それが自分の父親を殺した男のマスターとなれば猶更だ。しかしいつ詐欺師からナチの親衛隊に鞍替えした? それともお得意の舌先三寸でベルリンの伍長か金髪の野獣様でもたぶらかしたのか?」

「たぶらかすなど……。私はただ紳士的に誠意を込めてお願いして協力を仰いだだけですよ、ミスタ・トオサカ。恥ずかしながら貴方のような……あー、デア・フェリュックター(イカレ野郎)と戦って勝つために確実な方法を追及した結果です。私は貴方ほど好き好んで戦いに赴くような奇特な魔術師ではありません故、戦いは不慣れなものでして」

「人をバトルジャンキーのように言わないで貰いたいな。封印指定狩りの真似事は研究の費用稼ぎだよ。纏まった額を稼ぐのに危険手当が一番手っ取り早いから、それをしているに過ぎない。くたびれたパブでウェイターして同じ額が貰えるならそっちをやるさ」

「おや。時計塔の仕事でもないのにコーサ・ノストラを一つ壊滅させたのは何処の誰だったか」

「さて、私がやったのは酒場で絡んできた連中を追い払っただけだよ。その後にその連中が属していたファミリーが地上から姿を消したのは、きっとどこぞの敵対ファミリーに奇襲でもされたんだろう。それとも私が関与したという証拠でもあるのかな?」

 軽く牽制し合う。
 わざとらしく謙遜していたが、ダーニックは優れた才能と実力をもった魔術師だ。あの噂さえなければ、今頃は貴族の令嬢と結婚してロードに名を連ねていたかもしれない。
 おまけにどんな手品を使ったのか、ナチスなんて危ない連中を極東の街まで牽引してくるような男だ。言葉とは裏腹にかなり荒事慣れしていると考えて良いだろう。

「……で、勝つために呼んだナチの兵隊の姿が見えないが」

「必要とあらば彼等には協力して貰いますとも。必要があれば、ですが」

「分かり易い挑発だ」

 姿こそ見せていないが……いる。境内や木々の影に息を潜めた戦争犬の気配が何匹も。
 彼等を使わないのはダーニックの余裕か、もしくは何か良からぬことを考えているのか。相手は八枚舌と呼ばれた詐欺師だ。考え過ぎるということはない。
 冥馬は自分がダーニックと戦って負けるとは思わないが、謀略に関しては相手の方が一枚上手だ。
 キャスターが冥馬を守るように一歩前へ進み出る。

「〝私は狩麻のことは昔から良く知っている。あれも聖杯戦争に参加するマスターなら大局を見誤ることはないさ〟だったか。大した観察眼だな、冥馬」

「むぐっ!」

キャスターが咎めるような目を向けてくる。
反論したかったが、今度ばかりは自分の完全あるミスなので口をつぐむしかなかった。

「ふんっ。どうやらお前の長年の友人らしい女は、お前を殺す方が大局的見地に沿うと判断したらしい。これはそういうことだろう」

「の、ようだ」

 梟の寄越した手紙には間違いなく狩麻の魔力が感じられたし、筆跡も狩麻のものだった。
 狩麻がナチスに捕まって協力を強要されているのでもなければ、アレは100%狩麻の寄越した手紙だったのである。そして狩麻はそう簡単に捕まるような女ではない。だとすれば答えは一つ。
 間桐狩麻は遠坂冥馬を殺すためにナチスと組んで冥馬を嵌めた。

「弁解のしようがない。俺も狩麻がこんな馬鹿だとは思ってもいなかった。次から評価を下方修正しておくさ」

 世界中から大々的に聖遺物を収集し、時計塔の制御すら全く寄せ付けずに現代において現実と神秘の境界線を薄めつつあるナチス。
 それが冬木最大の霊地たる柳洞寺に陣取った。その意味を狩麻ならば予想できるだろうと確信していたが、残念ながらそれは過大評価だったらしい。
 間桐狩麻は本気の本気で遠坂冥馬を敵に回すのがお望みのようだ。

「ふっ。間桐狩麻女史には感謝しなければならないな。遠坂冥馬、聖杯戦争における優勝候補の一角を潰す好機をこうして得られたのだから」

 ダーニックが右手を軽くあげると、その隣から白い槍兵が姿を現す。
 自然と冥馬の目が細まった。ランサーのサーヴァント、冥馬にとっては父・静重を殺した直接的な仇だ。
 ランサーは眼鏡のずれを直しつつ、キャスターの正面に立つ。手には以前に見た無骨な白い槍とは異なる黒い槍。

「仕事だ、ランサー。手を抜くなよ」

 ダーニックがランサーに指示を伝える。ランサーは槍を肩で担ぐと、愉しげに笑った。

「心配無用。そちらがこちらの契約を遵守する限り、クライアントのオーダーには手を抜かずに応えるのが私の流儀だ。約束の報酬はしっかり用意してくれるのか、私の関心はそれだよ。で、そちらはどうなんだ?」

「しっかりと通常報酬と成功報酬を別々で用意している。用意したハイトマン大尉に後で礼を言いたまえ」

「結構。下がっていろダーニック、戦いの余波で支払い前に雇い主が死ぬのは私も困る」

 ランサーの進言通りダーニックはランサーから離れ、後退していく。
 どうやらダーニックはルネスティーネのように魔術師として敵マスターに魔術戦は挑まず、マスターとしてサーヴァントの援護に徹する構えだ。冥馬には逆にキャスターにランサーを抑えて貰い、ダーニックを襲うという手もあるが。

(無理にダーニックを攻撃すれば、潜んでいるナチスの兵隊がどう動くか不安だ)

 ランサーの槍を避けつつ、ナチスを無視してダーニックを襲うのはリスクがあり過ぎる。ただでさえ罠にかけられた現状、不用意な行動をするべきではない。もどかしいがここは安全策をとるべきだろう。

「任せたぞキャスター、ブリテン王の剣の冴え……見せてくれ」

「ふん。マスターの失態を取り返すのもサーヴァントの務めか。嫌な役回りだな。だがOKだ。どのみちお前が終われば、俺も終わる。精々そこいらに潜んでいる鼠共に気を付けろ」

 キャスターの手に出現するは黒銀の狂戦士をも下した黄金の刃。対するランサーの得物は黒い槍だ。
 それが不可解だった。
 英霊にとって自分の武器とは一心同体。共に伝説を築き上げた唯一無二のもののはずだ。ランサーのように戦いによって自分の武器を変えるなど、まともなサーヴァントならばやることではない。
 考えられる可能性は三つ。ランサーが自前の槍を出し惜しんでいるか、以前に見せた白い無骨な槍はフェイクでこちらの黒い槍が本命か、もしくはランサーがまともな槍の英霊ではないかだ。
 以前に見た白い槍は丈夫なだけで他に特徴のない武器だった。対するあの黒い槍は底知れない魔の気配を放っている。だとすれば二番目の可能性のように見えるが、

「……では、ゆくぞ。精々死ぬなよ」

 あくまで冷静かつ事務的に言うと、ランサーが真っ直ぐに突っ込んでくる。
単調な動きだ。サーヴァントではない近接戦に心得のある冥馬でも見切れる動き。それをサーヴァントであるキャスターが見切れない筈がない。
 眉間に皴をよせつまらなそうに刃を構えると、ランサーの槍と打ち合った。

「な――――っ! に、……?」

 キャスターに突き刺さる槍の穂先。起こる筈であった剣戟の不在。キャスターは驚愕して自分の脇腹を穿ち貫いている黒槍に視線を落とす。
 キャスターも冥馬も一体全体なにが起きたのかが全く理解できなかった。ただキャスターとランサーの武器同士が衝突したと思ったら、次の瞬間には黒い槍がキャスターを貫いていたのだ。

「先ずは一つ……円卓の騎士が身を任せた鎧も無意味。うん、上々な結果だ」

「チッ」

 舌打ちしたキャスターは、槍の柄を握り力づくで引き抜くと後ろへ飛んだ。ランサーは深追いせず、自分の槍の調子を確かめるようにぶんぶんと振り回し、再び槍の尖端をキャスターへ向ける。
 キャスターの受けたダメージはみるみるうちに消滅していった。キャスターの背中にある擬似魔術回路が負傷を察知してオートで治癒を発動させたのだ。
 だが傷が消えても傷を受けたという事実までもが消える訳ではない。キャスターは黒い槍への警戒心を二回り以上も増させた。

「気を付けろ。さっきの不可解な現象。あの槍がランサーの宝具みたいだ」

「らしい、な」

 冥馬とキャスターの会話を聞いたランサーが肩を竦める。

「この槍が私の宝具? 間違ってはいないが完全に正解でもないな。真実はもっと根源的な所にある」

「……どういうことだ?」

「サーヴァントが己の宝具を敵に教えるわけないだろう。知りたければ自分で探るのだな。そら、まだまだいくぞ。もっと試したいこともあれば見たいものもある。頑張って乗りきれ」

 繰り出される黒い槍。キャスターは全神経を集中させて槍の動き、ランサーの足運びから挙動の全てを凝視する。そして絶対に剣で防げるタイミングで選定の刃を一閃した。
 瞬間。キャスターは身を翻し、槍を回避する。

「刃を通り抜けた!?」

「ま、お前も英霊。二度目となれば気づくか」

 今度はキャスターもランサーの槍が引き起こした現象を見てとることが出来た。
 あろうことかランサーの黒い槍とキャスターの剣が接触した途端、槍と剣が接触せずに素通りしたのである。まるで幽霊が壁を通り抜けるかのように。

「調子は万全。であれば次は命を獲らせて貰う」

 自分の槍の調子を確認し終えたランサーが獰猛な攻勢に出た。
 怒涛の連続突き。まるで散弾銃のような刺突を、キャスターは黄金の剣で払い弾くことができない。
 決してキャスターの技量がランサーに劣っているわけではなかった。キャスターの技量が三騎士の及第点にぎりぎり届くレベルなのと同じように、ランサーもまた槍の英霊にしては技量はそこまで高くはない。
 勿論高くないといってもサーヴァントという枠組みでの話。人間の達人が三人がかりで襲い掛かってもランサーに傷一つとしてつけることは叶わないだろう。だが英霊に至るほどの騎士とは達人という人間の常識の最高峰を踏み越え〝極限〟の頂きにいるものだ。そういった極限の技量というものがランサーにはないのである。
 キャスターとランサーの技量はほぼ拮抗しているといっていい。
 それでもキャスターが防戦すらできずに回避する一方なのは、一重にランサーの槍のせいだった。
 白兵戦において武器をすり抜ける槍。地味な効果だが、それ故に脅威である。防御しようにも防御ができないのでは、キャスターは回避か、傷つく覚悟でのカウンターくらいしか出来ない。

(…………やはり駄目だ。何度打ち合おうとしても打ち合うことすらできない。あの黒い槍はキャスターのカリバーンを完全にすり抜けている)

 戦いを見守っていた冥馬はこれまでの槍の反応から一つの仮説を導き出す。

「キャスター! ランサーの槍、あれは武器や鎧をすり抜ける宝具みたいだ」

「そんなことは分かっている! 貴様もマスターなら猿みたいに呆けていないで、奴の真名でも考えていろ」

「真名……」

 そう、真名。伝説や歴史に刻まれた英雄豪傑は綺羅星の如くといえど、真に不死不滅の無敵の英雄などは存在しない。英雄であれば必ず死の原因や、或は弱点となる伝説がある。

「すまない、キャスター。さっぱり分からん」

だがどれだけ考えようと、ランサーの正体はさっぱりだった。キャスターは「役立たずめ!」と毒を飛ばすが、分からないものは分からないのだ。
武器をすり抜ける槍をもつ槍兵の英雄……宝具の効果は掴んでいるのに、該当する名前はゼロ。皆無だ。

「武器をすり抜ける槍か。良い着眼点だが67点しか与えられないな」

「……!」

 ランサーがキャスターの心臓目掛けて槍を突き出した。回避は難しいと悟ったキャスターは剣ではなく自分の手の甲を当てて槍の軌道を逸らそうとする。
 槍が攻撃を掻い潜る以上、キャスターの行為はただの悪あがきでしかない。しかし予想外なことに悪あがきが功を制してしまった。黒い槍は手の甲を剣のようにすり抜けることはなく、まるで普通の槍のように軌道を逸らされた。

「これは」

 目を剥いたキャスターは地面を蹴って、距離をとった。
 キャスターの手の甲には今もしっかりとランサーの槍のひんやりとした感触が残っている。そう……甲冑でしっかり覆われている手の甲で叩いたというのに、生の手に感触があったのだ。キャスターはハッとした顔でランサーを見た。

「とうとう貴様の槍のカラクリが分かったぞ。貴様の槍は武器や防具をすり抜けるんじゃない。お前の槍は生身の人間にしか触れられない槍なのか」

 槍の能力を看破されたランサーはニヒルに笑う。

「ご名答。黎命槍ルードゥス。生ある者、魂ある者にしか触れられない槍。お前の手にある〝選定の剣〟は宝具としての神秘も武器としての性能もAランク以上の代物だ。だがどれほどランクが高かろうと生なき無機物であることに変わりはない」

「お喋りが過ぎるぞ、ランサー。自分の槍を自慢するのもそこまでにしておきたまえ」

 ダーニックの叱責にランサーは苦笑する。
 深く考えれば分かることだった。槍が本当になにもかもをすり抜けるのであれば、そもそもランサー自身が槍を持つことができないし、キャスターを貫くこともできない。
 生ある者、生きている存在でしか触れられない槍。だからキャスターの剣も甲冑もあの槍の前では意味を為さない。あの槍を防げるものがあるとすれば命のある武器か、もしくは生身の肉体かだ。
 カリバーンのような破格の破壊力があるわけではないが、こと白兵戦においては非常に恐ろしい武器であるといえる。なにせ騎士たちが頼りとする武器がランサーの槍には絵に描いた餅でしかないのだから。
 気になることといえば『黎命槍ルードゥス』なる名前に全く聞き覚えがないことだが。

「だが槍が命ある者にしか触れられないなら、逆に俺の剣も防ぐことはできないというわけだな」

「さて。そう思うのなら試せばいい。私の槍がその程度の小細工で攻略できるような欠陥品ならそれで問題ないだろう」

「……………」

 ランサーは自信満々に胸を張った。余程自分の槍に自信があるのだろう。その顔には僅かな曇りもなかった。
 ただのブラフだと断じて切りかかるにはランサーの自信は危険過ぎる色をもっている。

「――――キャスター、切り札を使え」

「悪くないアイディアだ」

 ランサーの能力と宝具の性能を総合して、冥馬は冷静に判断を下す。
 このままランサーと白兵戦をしてもジリ貧だ。白兵を捨てて魔術戦を挑むにしても、相手は対魔術師に強い三騎士。キャスターの不利は否めない。
 ならば切れるカードは一つ。生半可な防御では防げず、槍の力など無関係な対城宝具クラスの圧倒的エネルギーによる破壊でランサーを宝具諸共消し飛ばす。
 選定の剣カリバーンが燦然と輝き、柳洞寺の境内を幻想的に照らす。

「……………カリバーン、か」

 本来であれば是が非にでもキャスターの宝具発動を阻止するべく動かなければならないランサーはといえば、何をするでもなく憮然とキャスターの様子を伺っていた。
 その挙動に不審を感じぬかと言えば嘘になる。しかしこの好機を逃すことはできなかった。

「勝利すべき――――」

 黄金の剣を振りかぶる。契約のラインを通じて冥馬の体から魔力がキャスターへ、そしてキャスターの手にある聖剣へと吸い上げられていった。
 ブリテンに集った腕に覚えのある騎士達の悉くが挑み、唯一人、アーサー王のみに自分の担い手となることを許した黄金の剣。古の伝説に刻まれた力が解放される。

「そうそうキャスター、お前が私の槍について知ったように、私もお前について気付いたぞ」

 いよいよ宝具が解放されるという段階になってもランサーは回避の構え一つとらずに突っ立っている。
 ただランサーの声を聞いたキャスターが一瞬表情を歪めた。キャスターは宝具の解放を急ぐが、ランサーが言葉を吐き出す方が早い。

「黄金の――――」

「お前はアーサー王じゃないだろう」

 瞬間、燦然とした星の輝きは流れ星のような速さで一瞬のうちに消え去る。
 後に残るのは無傷で立つランサーと、選定の剣を振り落しながらも真名解放が叶わなかった聖剣、苦渋に表情を歪めるキャスターと、呆然とする冥馬だけがあった。



[38533] 第36話  暴かれた真名
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:44
 キャスターの聖剣は発動しなかった。
 なにが原因かなど一々考える必要すらありはしない。ランサーが言い放った一言。お前はアーサー王ではない、という糾弾。あれが世に放たれた瞬間、キャスターは選定の剣の担い手である資格を失った。

「どういうことだ? キャスターがアーサー王じゃないだと」

「そのままの意味だ。そこの魔術師はアーサー王じゃない。アーサー王の名を騙る偽物だ。それがばれたことで、キャスターはカリバーンの担い手である資格を失い、真名解放は無効になった」

 宝具とは担い手だけのもの。担い手ではない者に宝具の真価を発揮することはできず、結果的に真名解放は無効となった。
 理屈の上では分かる。しかし冥馬には納得できないことばかりだった。

「馬鹿な……! 俺はアーサー王の鎧の破片を触媒にキャスターを召喚した。それにカリバーンだってアーサー王だけの剣だ。キャスターがアーサー王じゃないなんて、それこそ有り得ない!」

 英霊と一心同体である宝具だが必ずしも同じ宝具を持つのが一人の英雄だけとは限らない。
 例えば英霊が死んだ後、その宝具が息子や戦友に受け継がれることもあるし、聖杯に並ぶEX級の聖遺物たる『聖槍』は二千年前に神の子を殺して以来、多くの使い手に握られながらも結局誰一人として真なる担い手を持たなかった代物だ。
 だが選定の剣――――カリバーンはそうではない。
 カリバーンは数多の騎士たちの中からアーサー王だけを選び、ブリテンの王とした選定の剣。カリバーンを担う英雄も、担うことが出来る英雄も世界でアーサー王だけしか存在しないのだ。

「私も最初はお前と同じことを考えたよ。遠坂冥馬」

 肩で黒い槍を担ぎながらランサーが舐め回す様にカリバーンに視線を送る。ライトの光を反射して、眼鏡が目の色を覆い隠した。
 
「カリバーンの使い手たるはアーサー王だけ。時間軸を超えた場所にある『英霊の座』に招かれた英霊なら、そんなことは誰でも知っている常識だ。だから私も違和感を覚えつつも、伝承と現実の差異の一つだろうと納得していた」

「違和感……?」

「キャスターの技量だよ。英霊とはね、たった一人で集団を超える者。単独で多くに勝る者たちの名だ。魔術師なら魔術を、暗殺者なら暗殺術を、剣の騎士であれば剣術を。自らの剣を極限にまで使いこなす。
 だがな遠坂冥馬。そこのアーサー王を騙る偽物は彼の騎士王にしては余りにも技量がお粗末過ぎる。選定の剣を極限まで使いこなせていない? 命ある者にしか触れられない槍? ハッ! 本物の騎士王であれば、己が技量で武器の不利など容易く踏み越え、私に一太刀浴びせただろうさ」

「キャスター、本当なのか?」

「――――――――」

 ランサーの言葉は信じたくはない。しかしキャスターの苦渋に満ちた顔が、ランサーのそれが真実であることを告げていた。
 目を見開く。
 冥馬自身、完全に〝違和感〟がなかったわけではない。召喚されたクラス、自分より年下の少女に負けるキャスター、魔術を使うアーサー王。伝承に聞くところの彼の王との余りの違いに首を傾げたことは何度もあった。
 だがアーサー王の鎧の破片という、彼の王に直結する聖遺物を触媒としたこと。選定の剣カリバーンを持っていた事が『キャスターがアーサー王でないはずがない』と思考を停止させていたのだ。
 しかし冥馬の目は騙せてもランサーの目は誤魔化せなかった。ランサーのあらゆる隕鉄を見透かす観察眼は『カリバーンの使い手はアーサー王という固定観念』すらものともせず、キャスターはアーサー王ではないという真実に辿り着いたのである。しかし、

「ランサー、お前の推理には一つだけ穴がある。……お前の言う通り、キャスターはアーサー王らしからぬサーヴァントかもしれない。だが実際問題アーサー王以外にカリバーンを振るう英雄なんているわけがない。これをどう説明する?」

 アーサー王≠キャスターを証明する最後の疑問。カリバーンの使い手はアーサー王だけという大前提。
 これを崩さない限りランサーの言葉は、どれほど信憑性があろうと机上の空論に過ぎない。

「それはどうかな」

 これまで黙していたダーニックが、画期的な学術論文を発表する教授のように口を開く。

「ミスタ・トオサカ。いるじゃないか一人だけ。アーサー王伝説の序章において、アーサー王ではないのにカリバーンに纏わる伝説をもつ騎士が。
 その騎士は選定の剣を引き抜いたアーサーの姿を見、王の座欲しさにカリバーンを『自分が抜いた』と嘘をついた。もしその騎士がサーヴァントとして聖杯戦争に招かれたのならば、その騎士には『カリバーンを自分の所有物』であると偽る宝具が与えられるのではないかな」

「――――!」

 そこまで言われて、冥馬はアーサー王伝説に登場する一人の騎士の名に思い当たる。
 彼の騎士は最も長くアーサー王と生涯を共にした、アーサー王にとっては義理とはいえ唯一の兄にあたる人物。サー・ランスロットやサー・トリスタンなどよりも旧い起源をもつアーサー王伝説における最古参の騎士。
 卑怯にして姑息。強者揃いの円卓において唯一人の道化役(トリックスター)。「火竜も呆れて飛び去る」と謳われた稀代の口達者。

「そうだろう。サー・ケイ」

 ランサーがキャスターの真名を告げる。自分の真名を正面から看破されたキャスターは苦虫をかみつぶした顔をするかと思えば、逆に嘲るように口元を歪めた。

「馬鹿か貴様等は。どうして俺が貴様の推理に対して一々正解かそうでないかを答えてやらねばならん。ご自慢の推理を披露したければ戦いなど止めて書斎に籠もり推理小説でも書いていればいい。
 いや尤も退屈で欠伸が出るほどチープな推理ショーしかできぬ貴様等の書く小説など駄作だと決まっている。これから戦争が始まりそうだというのに、貴重な紙を浪費をすることはなかったな。
 すまない、これは俺が悪かった。全面的に忘れてくれ。無駄遣いは俺がなによりも嫌うことなんだ。その俺が無駄遣いを奨励するとはな。どうやらお前達の退屈極まる推理ショーを聞いたせいで、頭が寝ぼけていたらしい」

 キャスターの口調に容赦という二文字もなければ、遠慮という二文字もなかった。
 川を流れる水のようにスラスラと悪意ある言葉をダーニックとランサーに言い放つ。

「ははははははは、大した口先だよ。噂に違わぬといったところかな。サー・ケイ。君の言う通りだった……我々の推理などはどうでも良いことだった。
 一つ確かな事は君がアーサー王ではないとランサーに看過された瞬間、君はカリバーンの力を振るう資格を失ったという一点だけ。…………ランサー、自分の務めは理解しているな?」

 ダメージこそないがカリバーンを封じられたキャスターは力を大きく低下させてしまっている。
 ダーニックのサーヴァントであるランサーは得体の知れない男だ。全く知らない名前の『宝具』といい、まだ奥の手を隠している可能性が高い。
 決戦を挑むには余りにも分が悪すぎた。

「キャスター、お前には色々聞きたいことが山ほどあるが、今はそんな場合じゃないな。逃げるぞ!」

「OK。情けないが良い判断だ」

「私が、いや我々が君達に撤退を許すと思うのかね? 我々が勝利という結末を手にするにあたって最大の障害となるであろう君を。
 偉そうな物言いになるがね。遠坂冥馬、私は魔術師としての君の実力を高く評価しているつもりだ。敬意を表してもいい。だからこそ君にはここで消えて貰おう」

「まったく」

 ダーニックが右手を上げると、物陰に潜んでいた黒衣の兵士達が姿を見せる。
 境内の周囲にも、柳洞寺の屋根の上にも、そして退路たる山門前にもナチス兵がいて、冥馬とキャスターを睨んでいた。
 完全に囲まれている。ナチス兵たちはダーニックが合図すれば、一斉に銃口から火を吹かせるだろう。
 ここまでがダーニックの計画通り。
 ランサーとキャスターの白兵戦などは前座。本来の目的はこうして自分の陣地に冥馬とキャスターを誘き寄せ、完全に包囲したところでキャスターからカリバーンを奪い、兵士たちの物量とランサーとで殲滅すること。
 その為に狩麻を利用したのだろう。最悪カリバーンの力があれば大抵の障害は力技で突破できる――――と考えていただけに、カリバーンの使用不可という事態は重い。

「いけるな?」

 キャスターとアイコンタクトを交わす。
 不利は承知。だが例え邪魔者が立ち塞がろうと何が何でも突破するしかない。そうでなければ待つのは死。

「いくぞ!」

 柳洞寺が結界で覆われている以上、逃げ場は正規の出入り口たる山門以外にはない。もっともそんなことはダーニックも承知している。山門近くには重武装のナチス兵たちが待ち構えていた。
 兵士達の持つ機関銃から放たれる弾丸の暴風。冥馬とキャスターは暴風を避けようとはせず、逆に向かっていく。

「邪魔だ!」

 キャスターの手から灼熱の焔が放射される。……魔術ではない。伝説に記されるサー・ケイ卿がもつとされる超能力の一つだ。
 ダーニックは『自分をカリバーンの担い手であると偽る』のがキャスターの宝具と言った。だが、それは言うなれば他人の物を借りる能力であって、サー・ケイという英霊本来の力ではない。だとすればこの超常能力こそがキャスター固有の宝具なのだろう。
 サーヴァントの宝具としては平均以下にある火炎放射だったが、サーヴァントではなく魔術師でもない人間を相手にするには十分過ぎる。炎は弾丸を呑み込んで兵士を焼き尽くした。

「――――ロォ」

 ただ一人以外は。

「なんだこいつ!?」

 思わず冥馬は足を止めてしまう。
 仮にも宝具の力である火炎放射を受けても、一際大柄の兵士だけは肌を焼かれながらも他の兵士とは違い炭化することなく耐えていたのだ。
 大柄な兵士は炎を喰らいながら、痛みなど感じていないかのように無表情でキャスターと冥馬を見据えると、思いっきり体重をのせてタックルしてきた。

「チッ!」

 猛牛のような突進を横合いに飛び退いて躱す。だが大柄の兵士はそれでは止まらず、背中からとても人間には持ち上げられない巨大な剣を抜くと、全身の筋肉を使い真上から振り落してきた。
 冥馬を庇うようにキャスターが進み出て、もはやその真価を発揮することが出来なくなった黄金の剣で受け止める。
 轟音が響き、キャスターの足元の地面がめり込んだ。

「な……に……? なんだこのパワーはっ!」

 黄金の剣さ押し込まれていく。とても信じ難いことだが、この大柄な兵士は純粋なパワーに限ればキャスターを上回っていた。大柄な兵士はなにも映していない瞳で、無感動にキャスターを見下ろす。

(そんな馬鹿な。相馬戎次じゃあるまいし、サーヴァントとまともに力勝負できる人間なんてそういるはずが…………待て、あいつ――――)

 冥馬は大柄な兵士の首筋の肌がめくれて、そこから人間味のない鋼鉄が除いているのを見た。少し遅れてキャスターもそれに気付く。

「……!? まさかこいつ、半人半機……?」

「ロォォオアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 とても人間のそれではない雄叫びが答えだった。
 純粋な人間でもなく、されどサーヴァントのような英霊でもない。ナチスドイツの狂気の帝国が練り上げた科学の狂気が、人間をベースに生み出した狂気の産物。
 こういう科学の生み出した怪物を『サイボーグ』と言うのだと、冥馬は時計塔の友人から聞かされ知っていた。

「しかも、こいつの持っている大剣……これも宝具だと? 一体どうなっているんだ!?」

 キャスターが吐き捨てる。
 担い手でなくなったとはいえカリバーンが稀代の名剣であることに変わりはない。そのカリバーンとまともに打ち合う大剣もまた信じ難いことに宝具だった。

「兵士諸君。サーヴァントではなく遠坂冥馬を集中的に狙いたまえ。マスターさえ殺してしまえば、残ったキャスターなど幾らでも料理できる」

 サイボーグとキャスターの鍔迫り合いを観察していたナチス兵の銃口が一斉に冥馬へ向いた。
 一度ナチスと交戦している冥馬は、ナチスが魔術の影響を弾く『否定』の概念が込められた弾丸を保有していることを知っている。
 機械類には門外漢の冥馬だが、兵士たちが機関銃に込めた弾丸が特殊な儀礼を施したものであることは分かる。そしてその儀礼の気配は以前の戦いで見たものと寸分違わぬものだった。
 魔術を否定する銃弾が冥馬へ降り注ぐ。一工程で完了できる魔術では、この弾丸を防げない。最悪なことに『否定』の概念などお構いなしに弾くだけの防御力をもっていた防御礼装はルネスティーネとの戦いで喪失している。
 冥馬は宝石に込められた魔力で防壁を生み出そうとして、

「人を舐めるにも大概にしろ、ウスノロ」

 キャスターがサイボーグの後ろに素早く回り込むと、思いっきり熊のような巨体を銃火の前に投げ飛ばした。
 サイボーグが壁となって、冥馬を襲うはずだった銃弾を弾き返す。キャスターの火炎すら耐える鋼鉄の体を持っているだけあって、サイボーグは雷雨の如き機関銃の掃射も難なく耐えた。

「ふんっ」

 蒼い騎士は自分の手に炎を凝縮したボール状のエネルギーの塊を生み出すと、それを体から蒸気を出すサイボーグに投げつけた。
 流石にサイボーグの鋼鉄もこれには耐え切れず、サーヴァントと鍔迫り合うという成果を叩き出した科学の怪物は爆散する。

「こんなブ男で円卓に名を連ねた騎士を抑えられると高を括られるとはな。やはりお前の出版する推理小説は売れ残り決定だ」

「お言葉だがケイ卿。私は小説で名を馳せるつもりはないよ。今もこれからも」

「キャスター、気を付けろ。どうもあいつ、まだ何かを隠しているらしい」

 あのサイボーグがダーニックとナチスの秘密兵器なら、それが破壊されて焦燥の色が皆無なのは奇妙だ。
 海千山千の権力闘争を口先で翻弄してきたダーニックなら感情を完全に閉ざすことが出来ても不思議はないが、平静なのはナチスも同じ。

「正解だよ、遠坂冥馬! フフフフフフ、サー・ケイ卿。どうやら推理小説を売り出すべきなのは君のマスターのようだ。良い洞察力をしている。
そう……たかがサイボーグ一体をジャンクにした程度で満足して貰っては困るのだよ」

 ダーニックがステッキで地面を叩くと、山門の外側に電源をOFFにされて潜ませられていた七人のサイボーグが新たに姿を晒す。
 一体のサイボーグですらセイバーのクラス適正をもつキャスターと鍔迫り合うだけのポテンシャルを持っていたというのに、それが七体だ。
 七体のサイボーグは斧、槍、戟と異なる武装を装備して山門の出口を塞ぐ。

「ナチス第三帝国第13特務連隊旗下改造機械兵分隊。フフフフフ、ナチスの協力者としてナチスが保持する科学力の秘奥を垣間見てからというものの、一介の魔術師としては驚愕の連続だったよ。
 流石は我々の手から五つ以外の全ての魔法を奇跡の座から叩き落としただけある。魔術師としては哀愁すら感じるが、味方にすれば頼もしいものだ。サイボーグ一体一体が最高峰の魔術師が生み出すゴーレムに匹敵、いや凌駕するほどのポテンシャルを持っているのだからね」

「ああ。現代に生きる魔術師として同意見だ。そして味方のそちらと違って敵に回しているこっちは最悪の気分だよ。ローファスの奥方クラスが七体なんて」

「更に、こちらには」

 ランサーが黎命槍ルードゥスではない異形の戟を片手にふらりと冥馬とキャスターに近付いてくる。
 白い槍兵の新たな武器は形としては方天戟に近いだろう。方天戟は矛の穂の根本に『月牙』と呼ばれる三日月状の刃を取りつけたものだ。だがランサーの異形の戟には本来ならば一つのはずの『月牙』が九つもあり、矛の穂先を中心に正九角形を描いていた。

「ランサーもいる」

 目を伏せたままランサーが異形の方天戟を構えると、以前の戦いでも見せなかった暴力的な殺意を噴出させて。

「蹂躙しろ、九天牙戟」

 九つの牙もつ戟が粉々にランサーの殺意を受けた敵を粉々に破壊した。

『……!?』

 驚きはランサー以外の全員のものだった。
 柳洞寺の境内にバラバラに砕けてジャンクと化した鋼鉄の兵士の残骸が転がっている。機械である彼等は機械であるが故に、味方であるはずのランサーからの攻撃というイレギュラーに対応できず滅ぼされた。

「ど、どういうつもりだランサー! どうして味方のサイボーグを攻撃する!」

「どういうつもりか、だと?」

 ダーニックの叱責に、ランサーは怒気と共に顔を上げる。
 驚愕した。白い肌には赤い血管が浮き出て脈打ち、緑色だった目はレーサーサイトのような鋭い赤を放っていた。絹のような黒髪は猛獣のように逆立ち、猛禽類の如き形相を己のマスターに向ける。

「それはこっちの台詞だ――――ッッ!! どォいうつもりだ、ダーニックッ!!」

 ランサーの周囲に出現した無数の剣がダーニックの味方であるはずのナチス兵を串刺しにしていく。

「なに……?」

「貴様と契約する際に私は契約条件を提示したはずだ。私に不細工な鉄屑を見せるな使うな使わせるな、と!! まさか忘れたとは言わせんぞォ――――ッ!!」

「忘れてはいないが、優先順位を考えろ! 今こそが遠坂冥馬とキャスターを討ち滅ぼす絶好の好機! 君の契約に背いたのは我々の過失、それは認める。その分の追加報酬も出すとも。だから早く彼等を仕留めろ、令呪を使ってもいいのだぞ……!」

「矜持のない三流英霊ならいざしれず、たかが令呪程度で私を奴隷に成り下がらせると思ったなら大間違いだ!!
 勘違いしているようだからもう一度だけ言っておこう。ダーニック、私とお前は依頼人(クライアント)と契約者(コントラクター)の関係だが、私はお前の従僕となった覚えなどはしない。
 貴様が私の出した契約条件を破るというのならば、それもいいだろう。私も貴様との契約など知ったことじゃない。悪いがこれからストライキをさせて貰う」

「!」

「もう聖杯戦争など知らん。勝手にしろ」

「……やむを得ない、か」

 有言実行。ダーニックの手にある赤い刻印が光を灯す。ダーニックはランサーに命令を強要すべく令呪を発動しようとして、

「言っておくがお前が令呪を発動した瞬間、私がお前と交わした契約は完全に終わりだ。私は戦いから降ろさせて貰う」

「ッ! 聖杯の奇跡を前にしておきながら、聖杯を手に入れる機会をふいにするというのか?」

「それも契約の時に言ったはずだ。元から私は聖杯になど欠片も興味はない。私はただ召喚者が依頼をしてきたから、その依頼に応えただけのこと。
 お前が契約を打ち切るというのならば、奴隷に堕ちてまで現世に留まる理由などない。さっさと『英霊の座』へ戻るだけだ」

 ダーニックとランサーは睨みあうが、ランサーはまったく譲歩する気配がない。冥馬は同じマスターとして、親の仇でありながら少しばかりダーニックに同情した。
 だがこれは冥馬にとって千載一遇の好機である。

「今だ、キャスター。逃げるぞ」

「倒せ、なんて蛮勇な決断をしなかったのは評価できるな。OKだ、マスター」

 キャスターの肩につかまると、ひとっ飛びで蒼い騎士は山門を飛び越えていく。ダーニックは「追え」と命令しようとして、苦虫をかみつぶしたような顔でそれを断念した。
 そしてマスターの意向を無視してストライキを決め込んだランサーは、サイボーグたちの屍の上で一人呑気に逃げる冥馬たちを、他人事と決め込んで見送っていた。



[38533] 第37話  マキリとの遭遇
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:44
 ダーニックは自身のサーヴァントにこれほど苛立ちを覚えたことはなかった。
 普段の横柄な態度はいい。ランサーもまた武将や騎士ではないとはいえ、その名を神域の技術によって人類史に刻んだ英霊。いと弱き人の身で精霊の粋にまで魂を昇華させた英霊に、ダーニックも一人の人間として一定の敬意を持っている。
 令呪という三度の絶対命令権があるからこそとはいえ、ダーニックはランサーのサーヴァントらしからぬ行動を許すくらいの度量を持ち合わせていた。
 だからランサーが娯楽のみならず、休暇を求めたり、市井で遊ぶことを要求しても、それが聖杯戦争の障害とならない限り認めてきたし、ランサーの欲する報酬もしっかり払い続けてきた。
 しかし今回のことばかりはダーニックとしても度し難い。
 キャスターのサーヴァントたるサー・ケイはそう強力な英霊ではない。ランクにしてCかBそこそこ、キャスターとしてもセイバーとしても及第点ぎりぎりの強さしかない相手だ。キャスター単体ならばナチスの軍事力とランサーとで問題なく対処できる。
 だが問題なのはマスターである遠坂冥馬だ。
 直接の面識こそないが、冥馬がダーニックを知っていたように、ダーニックも遠坂冥馬を良く知っている。
 遠坂冥馬は魔術師としての才能に溢れているのみならず、判断力や決断力に優れ、屈指の戦闘力を備えた人物だ。
 魔力供給ではアルラスフィールが、戦闘力では相馬戎次が頭一つ飛び抜けているが、総合力においては此度の戦いで遠坂冥馬は最高のマスターだろう。
 単純に強いだけなら幾らでも対処のしようはある。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアはこれまでも自分より権力のある者や実力のある者を、その八枚舌で間接的に滅ぼしてきたのだから。今回も同じようにすればいいだけだ。だが遠坂冥馬を彼等と同じように滅ぼすのは難しい。

(遠坂冥馬は簡単には倒せない。……三年前、奴が時計塔で人脈を築き新派閥を作ることを警戒した老害の一人が、奴を貶めようと陰謀を企てたことがあった)

 その陰謀には――――仕掛け人も遠坂冥馬も知らないことだが――――ダーニックも影で一枚噛んでいた。

(私からすれば簡単な政治闘争だったはずなのだがな。奴はあっさりと老害を返り討ちにして、逆に時計塔から追放してみせた。まぁ奴が派手に暴れてくれたお蔭で私もそれなりの利益は得られたから、私の負けというわけではないのだが……この私が政治闘争において、遠坂冥馬を消すことができなかったのは純然たる事実として受け入れなければなるまい。
 そう、遠坂冥馬は強さ一辺倒の男ではないのだ。謀略を仕掛けたところでそう簡単に脱落してくれることはあるまい。あれは謀略を掻い潜るだけの強かさを持っている)

 だからこそ、ここで倒しておきたかったのだ。
 思えば帝都でナチス兵たちに監督役と遠坂親子を襲わせたのも、遠坂冥馬という魔術師を警戒したが故だったのかもしれない。
 間桐狩麻を利用した罠など、もう二度とは通じないだろう。だから此度は正に千載一遇の好機だった。

「それを……ランサーめ」

 この聖杯戦争のシステムを構築したのは間違いなく神域にある天才だろう。けれど神域の天才たちは致命的なミスを犯した。
 戦いの道具であり聖杯の餌でしかないサーヴァントに人格なんて面倒なものを付与したこと。これ以上の失敗はあるまい。
 ダーニックの苛立ちの原因たるランサーはといえば、今は霊体化して労働放棄を決め込んでいる。自分がまだダーニックにとって必要であることを理解した上で、令呪を使えば自害するなどと言うのだから性質が悪い。殺したいほど腹が立っても、今ここでランサーを失えばダーニックは終わりだ。
 ともあれダーニックには一連の出来事をロディウスに報告する義務がある。
 内心がどうあれダーニックにとってロディウス・ファーレンブルクは大切な協力者だ。ダーニックの計画のためにも今ここでロディウスの機嫌を損ねる訳にはいかない。彼の持つナチスの科学力も、第13特務連隊の兵力もダーニックの計画に不可欠の要素なのだから。
 ダーニックは無線機を操作すると、柳洞寺にいるダーニックのずっと〝真下〟にいるであろうロディウスに連絡が届く。

『やぁ、ダーニック。話は聞いているよ。遠坂冥馬とキャスターを取り逃がしたんだって? 残念だったねぇ~』

 南国でバカンスを楽しんでいるかのような陽気な声。このフランクで空気を読めない軽い態度は間違いなくロディウス・ファーレンブルクのものだった。

(食えないな。遠坂冥馬たちが離脱して、いの一番に無線に連絡してきたというのに既に何が起きているか知っているとは。彼の魔術師としての力量を思えば、部下に私より先に報告させたというより、なんらかの方法で地下より戦いを見物した可能性が高い、か)

 忘れてはならない。ロディウス・ファーレンブルクは時計塔に純粋な魔術の奥義によって封印指定を喰らった人間なのだ。
 人懐っこい態度など所詮は仮面。その奥には常人では及びもつかないほどの精神が眠っているに違いない。

『はははははははは。驚いた、まさかサーヴァントがストライキなんてね。いやはや本当に目玉が飛び出るかと思った』

「……大佐。貴方の兵を預かり、貴方の幻影魔術によるサポートを受けておきながら、遠坂冥馬を取り逃がしてしまい申し開きのしようもありません」

『謝る必要なんてないなーい! ランサーがよもやまぁあそこまで強情だなんて、君じゃなくても分かりはしないさ。ブルーなヴァルハラの霹靂ってやつだよ。やはり帝都のホテルで歩兵部隊とランサーを別々に襲撃させたのは正解だったわけだ』

「今では、逆にあの時に一緒に襲撃させてれば、と思います」

『ほう。何故だい?』

「そうしていれば、序盤の段階でランサーの融通の利かなさについて知ることができていました。もしもランサーの強情さを知っていたのならば――――」

『よせよせダーニック。〝もし〟なんてことを考えるのが建設的なのは遠坂やエーデルフェルトの大師父の宝石爺くらいだよ。
 未だに魔法使いに至れていない我々魔術師は、奇跡ではなく現実的な解決策を模索しなければならないからね』

「御尤も」

『或いは……〝魔法〟を手に入れるか、だね』

 この柳洞寺に陣取ってからの調査で、ダーニックは聖杯戦争が一体どういうものなのか裏の裏まで掴んでいた。
 聖杯を本来の目的で使い『根源』へ繋がる孔を開ければ、そこから〝魔法〟を持ちかえってくることが出来るかもしれない。
 ダーニックも魔術師。『根源の渦』とそれに繋がる鍵たる『魔法』には並々ならぬ興味がある。だがそれも全ては聖杯戦争が終わってからだ。

『遠坂冥馬が逃げたとなると、君の計画にも支障が出るかもしれないな』

「運が良ければ、という前置きがつきますが遠坂冥馬は逃げられていないかもしれません」

『ん? どういうことだね』

「間桐狩麻です。私見ですが、彼女は遠坂冥馬に対して並々ならぬ執着を抱いていました。柳洞寺から逃げた遠坂冥馬を待ち伏せている可能性は高いでしょう」

『着物を着ていたあのフロイラインかぁ。地下に籠もって作業するのも飽きた頃だし、見物に行こうか。もしかしたらKIMONOがはだけるなんてサービスシーンが拝めるかも。ひゃっほう!』

「…………………………………」

『沈黙はOKサイン、と受け取っていいのかな?』

「拒否と受け取って頂きたい!」

 ランサーといいロディウスといい、どうして自分の協力者は一癖も二癖もある人間ばかりなのか。ダーニックは月を仰ぐが、月はなにも応えてくれなかった。
 
(しかし間桐狩麻、か。さてどうなるか)

 間桐狩麻が遠坂冥馬を倒せば何も問題はない。ある程度の用意が整い次第、遠坂冥馬を倒した間桐狩麻を始末すれば良いだけだ。
 冥馬と違い間桐狩麻は比較的扱いやすい精神をしている。アーチャーがどんな英霊かは知らないが、間桐狩麻がマスターならば対処する自信はある。
 問題は間桐狩麻が遠坂冥馬に敗北した場合だ。

『君はどう見るんだい? 着物が素敵なフロイラインなんて前にしたら私なら裸足で狂喜乱舞するが、残念ながら全ての人類が着物の素晴らしさを理解しているわけじゃない。
 恐らく遠坂冥馬は相手が自分の幼馴染だろうと容赦なく戦うだろう。彼はたぶんそういう人間だ。フロイラインは遠坂冥馬に勝てると思うかね?』

「……五分五分といったところでしょうか」

『曖昧だね』

「魔術師としての強さなら遠坂冥馬が上でしょう。肉体面での強さも遠坂冥馬が上。ですが遠坂冥馬はこの聖杯戦争でかなりの消耗をしてきました。ましてや今の遠坂冥馬は一戦交えたばかり。疲労も残っているかもしれません。
 対して間桐狩麻は戦いが始まってから籠城を貫いてきていて、未だに手の内を晒してもいなければ消耗もしていない。故にマスター同士であれば互角でしょう」

『マスターが互角となると、後は』

「はい。間桐狩麻のサーヴァント、アーチャーがどの程度の強さによります」

 アーチャーがキャスターより強ければ狩麻の有利、アーチャーが弱ければ冥馬の有利。
 狩麻の召喚したアーチャーの強さが不明なため、それ以上の推測は難しい。

『フロイラインには期待しておくとして、君の計画も順調だよ。後二日か三日で準備は完了するはずだ。しかし流石は百五十年前に三人の賢者が生み出した大魔法陣。聖杯戦争という奇跡の大本だけあって、その起動式は私の脳髄で測れるそれを超えている。ダーニックも暇があれば一度見に来ると良い』

「機会があれば直ぐにでも。ですが先ずはランサーの機嫌を直さなければ始まるものも始まりません。ただでさえ細心の注意を払って事を進める必要があるのですから」

 ダーニックとロディウスが狙うのは聖杯だ。だが他のマスターのように馬鹿正直に『聖杯の器』を手に入れ、サーヴァントたちを炉にくべるつもりはない。

「――――大聖杯奪取作戦は」

 聖杯戦争を構築する根本、それを御三家より略奪することこそがダーニックの本当の狙いだ。




 柳洞寺から随分と離れたが、ランサーとナチスが追ってくる気配はない。どうやら逃げ切ることが出来たようだ。
 冥馬は深く息を吐き出す。
 余り大声で言えない事だが、はっきりって本当に終わりかと思った。もしランサーが冥馬には理解不能なポリシーから、ダーニックに反逆を起こしていなければ今頃遠坂冥馬は柳洞寺の境内に死体となって転がっていたかもしれない。
 九死に一生を得たというべきなのだろう。幸い魔力を幾らか消費し、キャスターも傷を負ったが致命的なダメージは受けていない。今後に尾を引くようなことはないだろう。

(いや……)

 尾が引くことが一つだけあった。
 アーサー王と信じて疑わなかったキャスターの本当の真名。それが看破されたことによる聖剣カリバーンの真名解放不可。これは十分今後に関わることだ。
 それに目に見えないことだが、冥馬とキャスターの間にある信頼も。

「キャスター、お前に一つ聞かなければならないことがある」

「……………ふん。口にする前から質問内容が顔に出ているな。どうして俺がお前にまで俺の真名を隠していたか、だろう」

「ああ」

 召喚されたサーヴァントは先ず初めに自分の真名、そして能力をマスターに開示する。自身のサーヴァントがどの程度の強さを持っているか知らなければ、戦術の立てようもないのだから当然だ。
 その例に漏れず、キャスターは状況が落ち着いて直ぐ自分はアーサー王だと名乗り、自分の能力や強さについて冥馬に説明した。だがそれは間違っていた。あろうことか名乗った名前すら別物だったのだ。
 違う名前を名乗るなど、はっきりいって信頼に唾を吐き捨てるも同様の行為。しかしある意味において裏切られた立場である冥馬は、キャスターのことを100%でないにしても信じていた。
 別に冥馬が人を疑うことを知らないお人好しなわけではない。ただ冥馬にはキャスターがマスターにまで真名を偽った理由について一つの仮説がある。
 それが冥馬とキャスターの信頼という鎖を繋ぎとめているものだった。

「本当の真名が敵にも知られた以上、もう偽る必要はないだろう。理由を教えて欲しい。もし教えないというのならば仕方ない。勿体ないが令呪を使わせて貰う」

「教えるさ。戦いは本業ではないが、一応俺も騎士だ。今生のみのものとはいえ、下らない理由で自分の名を偽った訳じゃない。だが教えるのは後だ。今は他に、やるべきことがある」

「――――!」

 キャスターの言う通り、どうも悠長に話し合いをしているような場合ではないようだった。
 太陽はとうに地平に沈み、夜の闇が支配する時間。月光のみが光源の寒空にカツカツと鐘の音のような足音が反響する。
 この特徴ある足音は冥馬にとって酷く聞きなれたもので、感じる魔力も良く知るものだった。

「二週間ぶりかしらねぇ冥馬」

 危うく、そして艶やかに笑いながら青い着物に身を包んだ女が姿を晒す。
 深層の姫を思わせる白い肌に血のように赤い紅。鼻孔を擽る白薔薇の香水の香り。

「いいや。正確には13日ぶりだ」

 遠坂冥馬にとっては子供の頃からの付き合いのある昔馴染みにして、魔術師としては腕を競い合う好敵手同士だった相手。
 間桐狩麻、御三家の一角たる間桐家の現当主。左肩から感じるは令呪の気配。
 共に冬木に居を構える魔術師の若き当主同士は聖杯を求め争う戦場で邂逅した。



[38533] 第38話  奇行子
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:45
 玲瓏な色気を振り撒きながら、狩麻が紅をさした唇をなぞる。獲物を前にして舌なめずりする様はカエルを睨む蛇だ。
 令呪がある以上、狩麻が間桐のマスターなのは間違いない。だが奇妙なことに狩麻の傍からはサーヴァントの気配を感じとることが出来なかった。
 まさか一人で敵である遠坂冥馬の前に姿を晒した訳ではないだろう。ナチスなんて連中と手を組んで、こっちを罠に仕掛けるほどだ。狩麻なりに周到な準備をしている筈である。
 恐らく狩麻のサーヴァントはどこかしらに潜んでいるのだろう。

「しかしお前がナチスなんかと手を組んで、俺を嵌め殺そうとするなんてな。悪い意味で期待を裏切られた気分だ。お前なら大局を見誤りはしないと思っていたが、俺の中でお前の株は世界恐慌真っただ中だよ」

「手を組む? 私がぁ? 馬鹿じゃないの。私があんな連中と仲良し小好しなんてするわけないじゃない。あれは単に貴方を殺すために利用してあげただけよ」

「利用しているつもりで連中にいいように利用されているだけじゃないのか?」

 狩麻は嘲るように笑みを深めた。

「利用? くすくすくす。それは群れなきゃなんにも出来ない様な奴だもの。あっちは私を利用しているつもりでいるでしょうねぇ。だけど私を利用してると思ってる連中を、私は利用しているの。
 貴方を殺したら連中は用済み。用済みになった鬱陶しい骸骨連中はさっさと潰してあげるわ。こう羽虫みたいにプチっと……ねぇ。私、ドイツ人って大嫌いなの」

「ナチスは兎も角、俺はドイツそのものは嫌いじゃないが……そこは好みの違いだな。まぁ利用云々は語るべきことでもないか。まだ、な」

 利用していると思っている者を利用していると狩麻は言うが、本当にどっちが〝利用する側〟だったのかは、どちらが生き残るかまで分かりはしない。
 尤も個人的には狩麻が利用されている側であるという確信が冥馬にはある。狩麻もそれなりに頭の回転は速いが、こと謀略や陰謀では八枚舌のダーニックには勝てないだろう。
 それは冥馬も同じ。冥馬も謀略勝負でダーニックを相手にするのは、分が悪いと言わざるを得ない。

(ああいう手合いは口より先に有無を言わさぬ暴力で叩きつぶすのが一番だ)

 ペンは剣より強し……という格言があるが、原始的な腕力が知略に勝ることも往々にしてあるものだ。

「だが狩麻。こうしてノコノコと俺の前に姿を現したということが、どういうことか分かっているんだろうな。お前は知ってるだろうが、敵は徹底的に叩き潰すのが俺の流儀でね。
 お前は俺を殺すために罠を掛けに来た。ナチスなんて奴等と手を組むなんて下策を使って。ならば手心を加える気は欠片もない。お前はここで――――」

「強がるじゃない冥馬。そんなちょっと小突けばふらふらしそうな足腰で、いつも通りの力が発揮できるのかしらねぇ。それに知っているのよ私は。貴方のサーヴァントがアーサー王じゃないって」

「――――!」

「どんなサーヴァントかと思ったら、よりにもよってサー・ケイ? あははははははははははははは。なぁにそれぇ? 円卓の騎士でも最低最弱の雑魚英雄じゃない! そんな弱っちいサーヴァントを引き当てるなんて同情するわ」

 瞬間、狩麻の頭上に灼熱の炎が叩き落とされた。
 冥馬の指に嵌るルビーのはめ込まれた指輪、魔術礼装であるそれに魔力が流され、炎の魔術が起動したのである。
 時間にして一秒未満の早打ち。狩麻はキャスターへの侮辱を言い終えた直後に炎に包まれた。

「お喋りが過ぎるぞ、狩麻」

 確かにサー・ケイは円卓の騎士にあって特別華々しい武功をたてた訳ではない。伝承において語られる馬上試合においても大抵は他の騎士の引き立て役に回ることも多い円卓の道化役とすらいえる。
 しかしキャスターはこれまで遠坂冥馬と一緒に死線を潜り抜けたサーヴァントだ。他人に自分のサーヴァントを貶されて良い気はしない。というより腹立たしい。どうやら気付かぬうちに自分はキャスターにかなり心を許していたようだ。

「貴方は手が早すぎるわね、冥馬」

 炎が払われる。
 凄まじい早業で繰り出された炎の魔術だったが狩麻によって〝主を守る〟ように調整された蟲達が、炎が襲い掛かった瞬間に狩麻の反射神経すら超える速度で狩麻を守ったのだ。
 冥馬の炎が焼いたのは蟲達の表面だけで狩麻には傷一つない。
狩麻を守るように無数の蟲たちの群が周囲を飛んでいる。余りにも数が多すぎて蟲の群はまるで黒い霧のように見えた。

「……炎に対しての耐性を施された蟲か。面白い玩具だ」

「戦いは戦う前から始まってるのよ。聖杯戦争前、貴方が呑気に封印指定もどきに出る時、私の蟲を潜ませて貴方の戦いぶりについては大体見てたの。だからその指輪が炎と風を放つための魔術礼装であることも分かっているし、切り札の宝石の数にも大体の予想はついているわ。
 だからそれの対策も事前に準備することが出来た。この蟲達もその一つ。群体の蟲たちに風の刃なんて無意味だし、炎の中でも生活できるくらい炎熱への耐性を持たせている」

「――――――」

「逆に私は貴方に対してこれっぽっちも自分の手の内を晒してない。貴方が分かってるのは精々私が蟲使いの魔術師だっていうことだけ」

 ナチスと手を組んだと知った時は、狩麻の評価を大幅に下方修正したが、少しばかり下げ過ぎたようだ。 
 戦う前から圧倒的な優位を確保する用意周到さ、貪欲に勝ちを求める愚直さ。それは冥馬も良く知る間桐狩麻のものだ。
 だからこそ狩麻からナチスを倒すまで一時休戦しての共闘を持ち掛けられても何の疑念も抱かなかったわけだが、なにもかもが理屈通りに事が運ぶ訳ではないということだろう。

「キャスター、連続で悪いがもう一度頑張ってもらう。気を付けろよ、狩麻のことだからそれなりのサーヴァントを用意しているはずだ。未だに姿を見せていないのが気がかりだが……」

「――――任された。元友人同士の殺し合い。まぁよくあることだ。特に女っていうのは愛がどうだの恋がどうだのと、実に下らん理由で動く生物の名前だ。
 特にこいつは酷い。自分の腹にあるものの正体について知らずに男に粘着するなど、今回ばかりは心底お前に同情する。こんな面倒臭い女に尻を追っかけられるなど、お前も大変だな」

「はぁ? 私が冥馬の尻を追いかけるですって? なんで私が冥馬の尻なんて追い掛けなきゃならないのよ! 馬鹿じゃないの?」

 不愉快さを覚えた狩麻が、顔を歪めてキャスターを睨んだ。だがキャスターは狩麻のそれよりも冷徹な瞳で睨み返す。

「――――独りよがりの感情で周りに迷惑を振り撒きながら暴走した挙句に、相応の末路を迎えれば自業自得な癖して見てくれが整った女だから、などという下らん理由で悲劇のヒロインと持て囃されて同情を集める。
 外見の美しさという免罪符を盾に、許されないことを許される頭がお花畑になっているヒロイン様。お前はそういう類の人種だよ。脳内メルヘン女め」

「っ! 馬鹿にして……! なんで私がアンタみたいな弱っちいサーヴァントにそんなこと言われなきゃならないわけ? 私は同情なんて下らないものは要らないわ! あんなのアンタみたいに弱っちい人間が欲しがるものでしょう」

「なら安心していい。はっきりいってお前は俺の一番嫌いなタイプの女だ。俺は性差別はしない主義でね。お前が当然のようにドブに埋まって可哀想オーラを前回にこっちをチラチラ見てきても、大爆笑してスルーしてやる。同情などするものか」

「減らず口を。アーサー王の義兄だからお情けで円卓に加えて貰った、口先だけが取り柄のケチで弱い雑魚英霊さんは黙ってなさい」

「喋るな女。これは忠告だがな、喋れば喋っただけお前は自分の価値を下げている。永久に口を閉じておくのが一番お前の価値を守る方法だぞ」

「なんですって!?」

 正面から貶されて怒りに顔を歪める狩麻だが、狩麻に貶されたキャスターはまるで動じた様子がない。
 余り狩麻の沸点が高い位置にないこともそうであるし、そもそも伝承に記されるほどの口達者であるキャスターに口論で勝てるわけがない。
 口先でキャスターに戦いを挑むのは、稀代の剣士に素人が剣で戦いを挑むようなものだ。

「もういいわ! この私を侮辱したこと、たっぷりと後悔させてあげる! アーチャー! そこの口喧しいサーヴァントごと冥馬を血祭りにあげなさい」

 狩麻が遂に自分のサーヴァントを呼ぶ。
 ずん、と狩麻の声に呼応して猛々しい魔力が解き放たれた。この魔力の質と鋭さは間違いなくランクA+以上はあるトップクラスのサーヴァントのそれだ。やはり狩麻はとっておきの切り札を用意してきたらしい。
 冥馬とキャスターはまだ見ぬアーチャーを警戒して身構えた。

「……?」

 しかし待てども一向にアーチャーが出てくる気配がない。

「狩麻?」

 何故か狩麻は遠い目で空を仰いでいた。ついさっきまであんなに妖艶な雰囲気を醸し出していたというのに、今では重労働を終えて泥のように座り込んでいる奉公人のような顔をしていた。

「アーチャーなら、たぶんもう直ぐ出て来るわよ……」

 狩麻が諦めたようにうなだれると、突然なにやら派手な音楽が鳴り始めた。

「は?」

 良く耳を澄ませば、流れているのは彼の有名な『威風堂々』の第一番だった。
 まるで意味が分からない。一体全体どうしてアーチャーが出てくると思ったら、代わりに大音響で音楽が流れ始めるというのか。
 口を開けばマシンガンの如き毒舌が飛び出すキャスターも今回ばかりは目を点にして固まっていた。

「なにがどうなっているんだ……」

「俺が聞きたい……」

 縋るようにキャスターに尋ねるも、返って来たのはそっけない返事だけ。
 近所迷惑だろうに。こんな夜中にも拘らず音楽はどんどん大音量になっていく。なにやら上から赤い薔薇までが降り始めた。
 冥馬の脳内に意味不明の四文字が軍勢を為して突撃してくる。これはなにかの幻覚か、と目を擦るが薔薇の花吹雪と大音量で流れる音楽が消える気配はない。

「あー、掃除するの大変そうねー」

 あらゆるものが混乱の渦に叩き込まれる中、唯一人狩麻だけが達観したようにぼんやりとしていた。
 やがて音楽と花吹雪が舞い狂う中、ハリウッドスターが歩くようなレッドカーペットがどこからともなく布かれる。同時に音楽も『威風堂々』からフランス国歌の『ラ・マルセイエーズ』に切り替わった。
 しかもレコードの奏でる音楽に混じり、なにやらハーモニカの演奏まで加わる。
 レコードの理路整然としたメロディーに、まるで音程のあっていないハーモニカの演奏が絶妙に混ざり合い、なんともいえない不協和音を醸し出していた。

「冥馬。耳を塞いだ方がいいぞ」

 キャスターの有り難い忠告に素直に従う事にした。両手で耳をしっかり抑え、音をシャットアウトする。
 しかし冥馬たちに構わず、眩いスポットライトが狩麻の後方を照らした。スポットライトに照らされたのは、全身をけばけばしい真っ赤な舞踏服に包んだ色男だ。信じたくないが男の醸し出す気配はサーヴァントのそれ。ということはあれがアーチャーのサーヴァント。弓兵というからには、きっと厳しい戦いや冒険を潜り抜けた勇者らしいサーヴァントなのだろう……という冥馬のイメージは木端微塵に粉砕された。
 アーチャーはハーモニカを華麗に空へ投げると、今度は背後で爆音が響き華々しい火薬の大輪が空に咲いた。こんな状況でもなければ、季節外れの花火に目を輝かせたかもしれない。
 ハーモニカを投げ捨てたアーチャーが次に取り出すはギター。新品ピカピカの高級そうなギターで、ギターの値段とはまったく釣り合わない音程の外れた音楽を奏でながら、アーチャーは舞台俳優のように一歩一歩、地を……赤い絨毯を踏みしめながら歩んでくる。

「ふっ」

 そして漸く狩麻の前にまで来たアーチャーは、その場でくるくると踊ると、口に薔薇を加え三回転半の捻りをつけてから華麗――――だと本人は思っている――――ポーズをとった。

「待たせたね!! 英霊の座に佇む麗しき薔薇の貴公子!! 七人の英雄集いし華やかなる聖杯戦争に招かれたプリンスのサーヴァント!! 我が可憐なる姫君、間桐狩麻の求めに応じてここに推参!! あぁーっはははははははははははははははははははッ!!」

「…………………………なんだ、あれは?」

「……………アホだ」

 キャスターに全面的に同意見だった。

「さぁ! ムッシュ冥馬!! そしてキャスター!! 悲しき運命に選ばれた永遠の好敵手たち!! 僕達の宿命の戦いをレッツ・スタートさ!!」

 サーベルを抜いてそう宣言するアーチャーだが、冥馬はもう家に帰って寝たい気分だった。
 これが精神攻撃を目的としたものだというのならば、アーチャーの戦術は実に効果的だったといえるだろう。戦う前から冥馬の戦意は完全に削がれてしまっていた。



[38533] 第39話  御三家激突
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:46
 呆気に囚われた。
 赤い薔薇を思わせる舞踏服、服と同じ真紅のキャップからは艶やかな黒髪が覗いている。形の良い唇の中には白い輝きの歯があった。
 狩麻が呼んで出てきたということは、これが狩麻のサーヴァントなのだろう。プリンスのサーヴァントだのと名乗っていたが、狩麻の言葉を信じるならクラスはアーチャー。
 三騎士クラスの一角を担うサーヴァントであり、セイバーやランサーのような高い白兵戦能力はもっていないが、強力なスキルや宝具をもっているのが特徴で、全クラス中最大の射程距離をもっている。
 それが赤薔薇の花吹雪と音楽の中で高笑いする変人だとは想像もできなかったが。

「……………」

 縋るように狩麻を見るが、狩麻は露骨に視線を逸らした。
 狩麻もあんなサーヴァントを召喚してしまったのは想定外で、きっと苦労してきたのだろう。ナチスの件で恨みもしたが、あのアーチャーを見ていると恨みなど雲散して代わりに同情の念が湧き上がってくる。

「おやおや! どうしたんだい我がマスターの好敵手たち。華麗に登場したのにテンション下がっているじゃないか! こんなんじゃ盛り上がらないよ。
 英霊同士が凌ぎを削るという時空を超えた夢の激突。前代未聞奇想天外四捨五入! 決して記されぬ華々しい闘争。その戦いでそんな顔をしていちゃ美しい戦いをより美しく出来ないじゃないか!」

「――――――俺はどう反応すればいいんだ」

 珍しくキャスターが言葉に困っていた。
 どうやらキャスターにとってもアーチャーのようなタイプとは未だ嘗て無縁だったらしい。
 冥馬も同じだ。人形を自分の妻にする変態や、自分自身に欲情する変態や、無限の性欲の先に『根源』があるなどと考えた馬鹿はいたが、アーチャーのようなハイテンションでド派手な人間とは未だ嘗て出会ったことがない。
 いやアーチャーみたいな性格の人間が世界にそう何人いても困るのだが。

「もしかして……音楽が気に入らなかったのかい?」

「「は?」」

 全く見当違いの答えに達したアーチャーに、冥馬とキャスターは二人して口をポカンと開ける。

「そうかそうか。確かにブリテン出身の君にフランス国歌じゃテンション下がるだろうね。だったらミュージック・チェンジといこう! ムッシュ・トオサカ、君はどんな音楽がお好みかな?」

「音楽か。王道だがラヴェルのボレロなんていうのが――――って、音楽はどうでもいい」

「どうでもいい!? ノンノン、それはいけないよ。音楽は心を豊かにする。美しい戦いを吟じるのもプリンスの嗜みだけど、時には音楽という波に体を預けるのも大切さ。そうでなければ心が荒んでしまうし、戦いという芸術(アート)から美しさも失われていく」

「滅茶苦茶なこと言っているのに、一理あるような気がする」

 上手く形容できないのだが、アーチャーには理屈など抜きに自分の言葉を信じさせる〝説得力〟のようなものがある。
 これはアーチャーの持ち前の魅力によるものか、それとも英雄として隠された迫力がそうさせるのか。判断に難しいところだ。

「いい加減に黙りなさい。誰が冥馬とお喋りしろなんて命じたの? これ以上ふざけるんなら蟲の餌にするわよ」

 苛立ちを交えた冷淡な声。アーチャーの暴走に対して遂に狩麻が止めに入った。
 登場する時も登場してからも暴走しっぱなしだったアーチャーも、流石に彼なりにマスターのことは尊重しているようだ。狩麻が言うと素直にアーチャーは口を閉ざし沈黙する。
 そうアーチャーの口は沈黙した。だがアーチャーは口の代わりにギターなどを弾いている。しかも下手だ。耳を澄ませばかろうじてベートーベンの第九に聞こえなくもない。

「アンタはあの口喧しい雑魚英霊―――――キャスターを血祭りにしてやりなさい。貴方ほどの英霊なら、サー・ケイなんて雑魚でしょう。私は冥馬をやるわ」

狩麻の氷の眼光が冥馬を射抜いた。

「くすくす。冥馬は私の獲物だもの。私直々に蟲の餌にして跪かせてあげるわ。あはっ!」

 玲瓏な美貌が一転して〝狂〟すら混ざった笑みに変わる。

「ンンっ~♪ マイ・マスター、余りそういう言い方は関心しないな。彼も気高き覚悟をもって美しき闘争に招かれし一人。即ちこの僕と戦う運命にあるライバルさ!」

「――――!」

 アーチャーがサーベルをキャスターに向けた。キャスターも自然と武器を前に出して、いつでも切り結べるような体勢をとる。
 息を呑む。傍目には芝居がかったようでいて、実戦を想定した構えでサーベルを向けるアーチャーには激昂したランサーほど獰猛な殺意はない。かといってライダーのような冷たい殺気もないし、アヴェンジャーのような悪意の具現もなかった。
 ただ何処までも華々しいまでの闘志は紛れもなく英雄と呼ばれた者のもの。
 どうやらアーチャーのことを侮っていたようだ。
 ハイテンション過ぎる振る舞いや言動は、一緒にいると疲れる面倒くさい男に過ぎないが、やはりアーチャーも歴史にその名を刻んだ英雄に他ならないのだ。
 
「だがマスターの命令には答えよう。僕がキャスターの相手を務めようか。マスターはその間に幼き頃に赤い糸で結ばれた宿命のライバルと雌雄を決すると良い」

「初仕事なんだから、しっかりしなさいよ」

「イエス、ユア・ハイネス」

「来るぞ、キャスター!」

 アーチャーが地を蹴り動いた。サーベルを突き出してくるアーチャーに対して、キャスターは黄金の剣で迎え撃つ。
 サーベルと剣が鍔迫り合い、蒼い騎士と真紅の騎士が己の膂力をかけて押しあった。
 単純なパワー勝負ではアーチャーが上。しかし武器の性能ではキャスターが勝る。

「フッ。担い手ではなくなったが、やはりいと気高きはカリバーン。まともな押し合いは不利だね」

 このままでは自分のサーベルが先に砕けると判断したアーチャーが、鍔迫り合いを止めて後方へ飛び退いた。

「逃がさん」

 キャスターも伊達に円卓の騎士に名を連ねているわけではない。セイバーと比べれば数段劣る技量しかもたないキャスターだが、剣士ではなく弓兵相手ならばそれなりに戦える。飛び退いたアーチャーに果敢な追撃を仕掛けた。
 ニヤリ、と笑うのは狩麻。

「キャスター!」

 冥馬がその笑みに良からぬものを感じて、キャスターに警戒を促した。
 瞬間であった。冥馬とキャスターはアーチャーがアーチャーのクラスで召喚された所以をしかとその目で見ることとなる。

「号砲を上げようか、ムッシュ」

「――――大砲!?」

 アーチャーの背後から出現したのは無数の大砲だった。既に弾を装填された大砲の照準は全てキャスターに向いており、その力が解き放たれるのを今か今かと待ちわびている。
 大砲が生まれるより前の時代の英雄たるキャスターも、聖杯により現代の知識を与えられているため大砲については知っている。その威力についても。
 真正面から砲火を浴びるのは不味いと判断したキャスターが慌てて大砲の照準から飛び退く。
 けれど弓兵のクラスで招聘された男の眼光は獲物を逃しはしない。

「ファイヤ!」

 アーチャーの号令を合図に巨大な咆哮をあげる大砲たち。一瞬の灼熱により押し出された砲弾がキャスターに降り注いだ。
 咄嗟に魔術障壁を展開するキャスターだが、砲弾は吸い込まれるようにキャスターに向かうと障壁を抉りながら炸裂した。
 ただの一発。恐らくはアーチャーにとってセイバーの剣の一振りのような単なる通常攻撃一つで、鋼を超える硬さの障壁に皹が入る。
 キャスターは全速力で砲弾から逃れた。たった一発の砲弾で皹が入るのである。これが二発目、三発目と続けばどうなるかは考えるまでもない。

「ファイヤ! ファイヤ! ファイヤ! ンンッ~♪ おおっ、ファイヤーーーーーーーーーッ!」

 ハイテンションに叫びながらアーチャーが「ファイヤ」を連呼してその度に大砲が火を噴いた。
 容赦のない連続砲撃。キャスターは正面から防ぐのではなく、魔術で器用に砲弾の進行方向を逸らすことでどうにか回避していく。

「見た目と性格は奇天烈でも、実力は出来過ぎか」

 キャスターの表情に現れたのは明らかな焦りだ。
 悔しいが認めるしかない。狩麻のアーチャーの実力は、遠坂冥馬の召喚したキャスターのそれを完全に上回っている。
 大砲なんて比較的最近の武器を使うということは、少なくとも神代の昔の英雄ということは有り得ないが、あの強さは最低でも上級クラス以上はあるだろう。となるとアーチャーの正体は余程高名な英雄か。

「呑気に自分のサーヴァントの戦いを見物だなんて良い身分になったものね。躍進を続ける遠坂の若き当主様は、私が生まれるまで落ち目だった間桐なんて目に入らないのかしらぁ?」

「…………狩麻」

 自身のサーヴァントの優勢で気を良くした狩麻が尊大に言い放った。周囲には静かな羽音をたてて狩麻を守る蟲たち。
 冥馬の〝炎〟も〝風〟も両方を防げるだけの防壁をもっているが故の余裕。それが狩麻の尊大さからは垣間見える。

「言ったでしょう冥馬。貴方は私の獲物だって。昔っからいつも私のことを上から見下ろして、その癖、自分は好き放題。……これまで黙っていたけど、はっきりいって鬱陶しかったのよねぇ」

「勝手に人のことを横柄で傲慢ないけ好かない奴みたいに言わないで欲しいな」

「あら違うの?」

「これでも余裕をもって優雅な振る舞いを心掛けてきたつもりだ。まぁ子供の時はメッキが剥がれることが多々あったが今はもうそんなこともない」

「なにそれ。じゃあメッキが剥がれたら傲慢ってことじゃない」

「メッキが剥がれたら節約が趣味の有り触れた青年が出てくるだけだろう。尤も付き合いの長いお前に対してメッキを用意するのも面倒臭い」

 荒野で決闘するガンマンのように、冥馬は油断なく狩麻とその手足たる蟲たちを伺う。
 自分が自分の出来る最速で炎を放ったとしても、狩麻の反射神経を超える反応速度で動く蟲たちが炎を防いでしまうだろう。
 風の刃にしても蟲たちを何匹か殺すのが精々だろうし、蟲たちは物理耐性もそれなりに与えられているので、蟲たちの守りを超えて狩麻を傷つけるのも難しい。

(厄介な相手だ、心底に)

 こちらの手の内が筒抜けというのは、それだけで面倒だ。
 狩麻の実力は以前戦ったルネスティーネと比べれば劣る。だがルネスティーネが遠坂冥馬について無知だったのに対して、狩麻は遠坂冥馬のことを調べ尽くし、その力の対策を事前に用意することで実力を補っている。
 無論その対策は狩麻の蟲への知識の深さあってこそ。落ち目の間桐家に振ってわいた才女は伊達ではないということか。
 だが考えたところで結局は、

「――――やりなさい」

「来るか!」

 狩麻がこちらに明確な殺意をもっている以上、殺し合う他ない。遠坂冥馬と間桐狩麻。御三家に名を連ねる若き当主同士がここに激突した。
 迫りくる蟲たちに炎を放つが、やはり炎へ耐性を与えられた蟲たちは普通のそれと違い燃えることはなく炎を受け止める。しかし炎だけでは効果がないなら、力を混ぜ合わせるだけ。
 左手の人差し指に嵌められた指輪にも魔力が送られ風の魔術が炎に加わる。
 炎と風が混ざり合った炎風が狩麻の蟲達を押していった。

「馬鹿力のごり押しなんて、らしくないじゃない……!」

「時に力は道理を強行突破するものだ――――Auftrieb!」

 狩麻が用意周到に相性の悪い蟲を用意してきた今、技術や技量などで上回るのは難しい。技術で倒すのが難しいながら、純粋なまでの力押しでゆくべきだ。
 間桐狩麻が遠坂冥馬を知るように、遠坂冥馬も間桐狩麻を知っている。自分と狩麻の魔術師としての腕は魔術師としてのジャンルが違いすぎる為、厳密に比べることは出来ない。だが自身の魔力量が狩麻よりあることは知っていた。
 だからこその力技。相性の悪さをありったけのパワーで捻じ伏せる。
 炎を耐え、風を受け流す蟲も炎と風の同時攻撃の前には流石に堪えたようだ。徐々にだが狩麻を守る蟲が押され、炎風が狩麻に迫っていく。

(しかし狩麻はこのくらいでやられる女じゃない)

 このまま押し切ろうとしたところで、確実になにか反撃を仕掛けてくるだろう。だから押し切る前にこちらの切り札で吹き飛ばす。
 
「Siebzehn、Sechzehn(17番、16番)――――Der Wind einer Flamme(灼風の刃)!」

 二つの宝石を用いた大技。これで反撃を許す時間すら与えずに蟲諸共に狩麻を消し飛ばす。
 だが冥馬が魔術を発動させるより一手先んじて、冥馬の両腕をなにかが貫いた。

「なっ!」

「駄目じゃない。魔術師なんだから一つのことばかり集中していなきゃ。貴方を倒すために用意した切り札が、私を守る蟲だけなんて言った覚えはないのだけれどねぇ」

 両腕に奔った衝撃と激痛のせいで、発動した魔術はあらぬ方向へ飛んで行き石壁を消し飛ばす。
 高速で襲い掛かった二つの物体に貫かれ、両腕にはぽっかりと穴が空いていた。
両腕からドクドクと小さな滝のように血が流れ出す。大人が泣き出すほどの痛みに、冥馬は多少表情を歪めるだけで耐えると、自前の魔術で応急処置をしつつ自分を襲った物体を探す。

「あれか!」

 そして見つけたのは、やはり蟲だった。だがただの蟲ではない。
 数えきれないほどいる狩麻を守る蟲たちと違い、その蟲は数でいえばたったの二匹だ。大きさは大体通常のハンドガンに採用されている平均的弾丸と同じほどだろうか。見た目には特徴といった特徴はない。
 だが速さが異常だった。二匹の蟲たちは常人には視認できないほど高速で狩麻の周りを縦横無尽に跳び回っている。
 あの蟲が魔術を発動しようとした冥馬の両腕を食い破って妨害をしたのだろう。

「どう? 碎弾蟲、私が培養したオリジナルの蟲よ。他と比べて速さがダンチでしょう。一匹作るのにかなりの時間と労力と資金が居るからそう何匹も用意できないのがネックだけれど、貴方一人を蜂の巣にするくらいなんでもないのよ」

「……………」

「あははは。ちょっと間違えちゃったかしらぁ。蜂の巣じゃなくて蟲の巣だったわね」

 他の蟲とは比べ物にならないほど超高速で動き、肉を食い破る蟲。さしずめ弾丸が速度を維持したまま自在に跳び回ってターゲットを襲うようなものだ。
 あんな代物まで用意するとは、狩麻の魔術師としての実力を更にもう一段階改める必要があるようだ。だが同時に、

「精神については、少し下げなければな」

「なんですって?」

「いきなり出さずに、ここはという時で使ったことを見るに、お前にとって『碎弾蟲』はとっておきの切り札だったんだろう。だがお前は致命的なミスをしている」

「私にミスですって? そんなのあるはずないわ。勝手なこと言わないで欲しいわね。生意気よ!」

「そうかな」

 両腕に空いた穴の処理を取り敢えず完了するまで時間を稼がなければならない。
 出来るだけ狩麻が食いつきそうな話をしつつ、いつでも動けるよう全身に魔力を張らせる。

「碎弾蟲は実際大したものだ。特にその速度と小ささを活かした奇襲性は脅威と言う他ない。だが同じ手品を二回連続で使うマジシャンは二流。同じ手っていうのは対策がされるから、絶対に初手より有効にはならない。
 なのにお前は絶対的に優位に立てる初手に、俺の頭じゃなく両腕を狙った。頭を貫いていれば今頃お前が勝っていただろうに、お前は俺の魔術で自分が消し飛ばされる恐怖に負けて、より確実に攻撃を防げる両腕を狙ったんだ」

「――――!」

「俺なら迷わず頭を狙っていた。腕がもげようと、内臓が弾けようとな。だから精神については下げた……そんなに俺は間違ったことを言ったかな」

「一々一々偉そうに……! 私、アンタのそういうところが大嫌いでたまらないのよ!」

「――――」

 狩麻に気付かれないよう小さく口元を綻ばせた。
 上手い具合に時間を稼ぐことができた。穴の開いた両腕はまだ自由には動かせないが、一応使い物になるくらいには動いてくれる。
 その時だった。一際大きな轟音が轟いて、キャスターが地面をけたたましく転がりながら吹き飛んできた。

「キャスター!?」

「……不甲斐ないな、どうにも……無様を晒した」

 キャスターが剣を支えによろよろと立ち上がる。
 無骨でありながら美しさを同居していた蒼い甲冑は、所々に皹が入っている。髪は火薬で汚れ、頭からは血が流れている。そんなキャスターの有様が戦いの凄まじさを物語っていた。
 幸い致命傷といえるものはないようだが、霊核にかなりのダメージを負っているのは間違いない。

「おやおや。すまないねマスター。君達の宿命の決闘に水を差してしまって」

 対して華々しくにこやかに笑うアーチャーには傷らしい傷はどこにもない。強いて言えば服の端が焦げていたが……それだけだ。
 キャスターは苦渋を露わにしながらも、闘志を折ることなくアーチャーと対峙する。認めたくはないが両者の戦いはアーチャーの圧倒的優勢だったのだろう。

「いいえ丁度良かったわ、いい加減、冥馬の腹立たしさに飽き飽きしていたことなの。貴方の宝具であいつら二人とも跡形も残さず消し飛ばしなさい!!」

「っ!」

 大砲を己の武器とする紅の制圧者。通常攻撃があれだけの破壊力をもつのなら、その宝具も途轍もない破壊力をもつことは確実。
 最低でも対軍宝具、最悪なら対城宝具が飛び出してくる公算が高い。
 冥馬はそっとキャスターの様子を伺う。

(駄目だ。カリバーンを失って碌に準備もしてない状態で対軍宝具クラスを防ぎきることは出来ない。となると)

 三画だけの絶対命令権、令呪。サーヴァントの意志に沿う命令であれば、魔法クラスの奇跡すら可能とする聖杯戦争の切り札。
 ここを乗り切るにはもはや令呪を使う他ない。

「ははははははははははははははは! 了解だよマスター。彼等は僕の宝具の大輪を咲かせるに相応強い相手だ。聖杯戦争の美しい祝砲を打ち上げようじゃないか!」

 狩麻の命令にアーチャーも乗り気だった。
 大気中の魔力がこれから解放される大いなる力に反応してか震える。アーチャーの全身に滾っていた魔力が宝具解放のため一点に集中していった。

「キャスター!」

「分かっている」

 冥馬も状況を打開するために令呪を発動しようとして、

「Untergang Donner speer(破滅の雷槍)!」

 突如として横合いから狩麻に高密度の雷撃が襲い掛かった。

「マスター!」

 雷速。狩麻と蟲達すら反応できない中、アーチャーだけが反応できた。アーチャーは狩麻を有無を言わさず抱き抱えると雷を回避して跳躍する。

「この雷は……っ! お前達」

 冥馬を守るように狩麻に雷を放った人物を見て、冥馬は思わず固まってしまう。
 パチパチと電気を奔らせながら数本の髪がぴんと跳ねた金色のツーサイドアップ。強気さを感じさせる猫のような瞳。

「あのルネスを倒した癖に、ちんちくりんな女相手に随分と苦戦しているみたいじゃない」

「リリアリンダ……エーデルフェルト。どうしてここに?」

 嘗て冥馬が下したルネスティーネの双子の妹、リリアリンダが自分の騎士であるセイバーを控えさせて木の上に立っていた。



[38533] 第40話  最強の騎士
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:47
 軽く飛んでリリアリンダとセイバーが地面にふわりと着地する。
 ファサッと髪をかきあげるとリリアリンダは悪戯げに笑いながら、冥馬とキャスターに近付いてくる。反射的に警戒するが敵意は見られなかった。
 いや敵意どころが戦いに介入したタイミングを考えれば、寧ろ。

「どうしたここにって? 貴方に負けて不甲斐なく国に逃げ帰ったルネスと違って、私はまだ聖杯を手に入れる権利をもつマスターの一人だもの。冬木市にいるのは自然なことでしょう」

「そういうことを言っているんじゃない。どうして今ここに居て、しかも姉を倒した相手を――――」

 助けるような真似を、とまでは言わない。もしそこまで口にすれば、明確にリリアリンダに「貸し」を作ったと認めることになる。
 リリアリンダの思惑が分からない内は下手な発言は出来ない。

「あら。貴方はこの私が姉を倒した相手に報復しようなんて考える殊勝な妹に見えるのかしら。だとしたらかなり不愉快ね。
あれはルネスが勝手に一人で突撃して勝手に自爆しただけよ。エーデルフェルトの顔に泥を塗った愚姉のために、どうしてこの私が敵討ちなんてしなきゃいけないの? 大体あいつ死んでないんだし」

「……………」

 口ではそう言うリリアリンダだが、彼女はどことなくキャスターに似ているところがある。外見や能力ではなく、その素直でない所が。
 仲が悪そうに見えて、もしも遠坂冥馬がルネスティーネを〝殺害〟していたら、本当のところどうなっていたかは分からない。
 尤もこのことも口にはしない。この状況下でわざわざリリアリンダの不興を買うような無思慮な発言をするほど冥馬も愚かではないのだ。

「だとしたら、こうして戦いに乱入したのはどういうわけかな。ミス・エーデルフェルト」

 一先ず頭の中を整理して、埃を払いながら毅然と尋ねる。

「簡単よ。私はこの戦いのメインディッシュにルネスを倒して、どっちが上なのかを白黒はっきりつける気でいたの。だけどその前に貴方がルネスを倒しちゃったわけ。
 分かる? 貴方がルネスを倒した以上、私がルネスよりはっきり上だって証明するには貴方を倒さなきゃいけないわけよ」

「理解はできるが……。聖杯と打倒姉、どっちが大切なんだ?」

「はぁ? そんなの打倒ルネスに決まってるじゃない。聖杯なんておまけよ、おまけ。勝った後に貰えるんだから貰えるってだけ。悪いのかしら?」

「いやリリアリンダ・エーデルフェルトという女性に好意が湧いた。俺も同じ口だからな」

「こ、好意って!? ふ、ふん。別にアンタのために来たわけじゃないわよ」

「良く分からないけど話は終わったのか?」

 全く興味なさそう、というより全く理解できなさそうに冥馬とリリアリンダのやり取りを眺めつつ、同時にアーチャーへの警戒を欠かしていなかったセイバーが言う。
 白銀の騎士の白い外套が風にあおられて揺れる。成程、最優のセイバーの背中が前にあるというのはこれほどの安心感を齎すのか。冥馬はぼんやりとキャスターに言ったらヘソを曲げそうなことを考えた。

「ええ。遠坂……冥馬で良かったわよね。ここは共闘、ということにしておいてあげる。異論は?」

「三騎士のうち二人を同時に敵に回すなんて愚行をするとしたら、そいつは余程の馬鹿だろう。そして俺は自分が馬鹿じゃないよう心掛けているつもりだ」

「OK。共闘成立ね」

「――――いきなり横から出てきて盛り上がらないでくれる?」

 不機嫌さを露わに狩麻がリリアリンダを睨みつける。だが狩麻には怒りだけではなく動揺の色もあった。
 狩麻とて考えなしではない。七クラス中最優と称されるセイバーと真っ向から戦うことが、かなりのリスクを伴うことであると承知している。ましてやセイバーに、七クラスで最も支援向きの能力をもっているキャスターが加わるということが、どれほど恐ろしいことなのか理解できないほど狩麻は凡愚ではない。
 本来であればにべもなく撤退すべき状況。けれど狩麻は自身のプライドと意地から、戦う前に逃げ出すという選択をとることが出来ない。

「エーデルフェルトだかなんだか知らないけど、私の邪魔をする奴は冥馬の前に叩き潰してあげる。アーチャー!」

「………………………………」

 陽気さを振り撒いていたアーチャーらしくなく、真剣そのものの顔つきで頷くと周囲に無数の大砲が出現する。
 キャスターが一方的にやられた大砲の砲先。それが向けられたセイバーは危機感のない、楽しみにしていた試合に挑むボクサーのような高揚した顔つきをしていた。

「で、マスター。話はどういうことになったんだ?」

「深く考えなくていいわ。今はキャスターが敵じゃないことと、目の前にいる敵を倒すことだけ頭に入れておきなさい」

「そりゃ分かり易い。―――――では、征こうか」

 騎士の如き爽やかさと野獣の如き獰猛さを同衾させた笑みを浮かべると、清々しいほど真っ直ぐにアーチャーに向かっていった。
 セイバーの接近と同時にアーチャーの大砲も火を噴く。

「ハッーーーー!」

 迫りくる鋼鉄の弾丸にセイバーは自身の愛剣たる〝絶世の名剣〟を振り下ろした。
 鋼鉄の砲弾は燦然たる名を伝承に刻み付けた聖剣により、まるで白雪のように両断される。だが中に火薬が詰まった砲弾を真っ二つにすればどうなるかなど分かりきった事だ。

「ぬ、おおっ!?」

 余りにも抵抗なく両断されたせいで、まるで勢いの殺されなかった砲弾がセイバーに直撃して爆発する。続く第二第三の砲弾が次々にセイバーに命中していった。

「あははははは! 粋がって出てきたはいいけど、貴女のセイバーはおつむが足りなかったようねぇ。自爆だなんて情けない」

「それはどうかしら」

「なんですって?」

 狩麻が嘲笑すれば、リリアリンダが余裕を醸し出す。二人のうら若き女魔術師は正反対な表情で睨めあった。

「等価交換って言うでしょ。セイバーの頭の中身が軽いってことは否定しないけど、頭の方が軽い分ね。戦うことに関して私のセイバーは飛び抜けているの」

「なっ!」

 爆風が晴れる。
 そこに立っているのは爆風を真正面から浴びて所々が焦げた白銀の騎士。けれどその両足はしっかり地面を踏みしめていて、顔には未だ剥き出しの闘争心。
 無傷ではない。しっかりとダメージは受けている。それもキャスターなら先ず立てなくなる程のダメージを、だ。
 だというのにセイバーは十分すぎる余力を残し立っている。
 理性を失っていたルネスティーネのセイバー、オルランドのような宝具による守りではない。オルランド側に〝不死性〟の宝具を譲ったセイバーは伝承に記された〝不死性〟を持っていないのだ。
 故にこれは宝具ではなく純粋にセイバーのタフネスさが齎した結果。

「これが大砲か。俺の時代にあった火縄銃なんてものとは比べ物にならないな。んじゃ今度はこっちのターンだ!」

「……! ふふふ。頑丈な体だね」

 アーチャーがサーベルを振り落とすと、それが合図となって再び砲撃がセイバーを襲う。
 しかしおつむが足りないなりに学習したセイバーは同じ過ちを二度とは繰り返さない。聖剣により切るのではなく、聖剣の腹で殴りつける。
 セイバーの膂力で殴りつけられる度に砲弾が爆発し爆風が肌を焼く。だがそんなダメージなどお構いなしにセイバーはひたすら前身を続けた。
 言ってみればただの猪突猛進。猪武者といえる愚直な特攻。
 けれどどれほど策を練ろうと個人に大雪崩を止められる道理はない。キャスターを圧倒していたアーチャーはしかし、じりじりと少しずつ後退していっていた。
 アーチャーが後ろに下がる速度よりセイバーの進軍する速度の方が早い。このままではいずれセイバーはアーチャーの前に到達するだろう。
 そしてセイバーとアーチャーが至近距離で切り結んだ時の勝敗など、もはや考えるまでもない。
 だがセイバーが英雄なように、アーチャーもまた英雄だった。

「マスター、撤退するよ」

「え、アーチャー! いきなり、なにを!」

 なんだかんだでマスターを立てていたアーチャーが、マスターの意見も聞かずに狩麻を抱き抱える。すると最後に大砲の斉射をセイバーではなくリリアリンダに仕掛けた。

「うおっ! 不味い、マスター!」

 快進撃を続いていたセイバーも、頭が悪いながら本能的に『マスターを守る』ことが一番大事だと理解している。
 突進を止めてセイバーが全力でマスターのもとに戻るが、

「ふん」

 セイバーが守りに入るよりも早く、キャスターが冥馬とリリアリンダの二人を抱えて砲弾の雨を回避した。

「助かった、キャスター」

「世辞は良い。どうせ俺が助けないでもセイバーは間に合ったさ」

「いやぁ。俺ばっかり狙っていたのに、いきなりマスターを狙って来たからひやっとしたぞ! ありがとうな!」

「あちらのサーヴァントはそんなことを言っているが?」

「知らん」

 そっぽを向くキャスターだが本心からセイバーを鬱陶しく思っているわけではないだろう。
 以前会った時はなんだかんだと貶していたが、気難しいキャスターにしてはセイバーに対して悪印象を抱いていないらしい。

「……鮮やかなものね」

 敵の逃げて行った方向を眺めつつリリアリンダが呟く。それが誰に対して向けられたものなのか冥馬も分かっていた。

「同感だな。敵わないと悟れば何の躊躇もなく、しかもマスターの許しすら得ずに撤退を選ぶ。ただの戦争馬鹿に出来ることじゃない」

 アーチャーはセイバーが敵として現れた瞬間から、自分の勝ち目が限りなく薄いことを理解していた。そして同時に自分のマスターが一戦も交えぬうちに撤退するなんてことを許さないであろうということも。
 マスターのプライドのため既に晒した手の内以上のものを晒すことなく戦ってみせ、セイバーにダメージを与えつつセイバーの実力について推し量る。
 更にセイバーが接近してきて、いよいよ本格的な戦いに発展しそうになった瞬間、マスターの説得という過程を省き撤退した。
 狩麻とアーチャーを追い払ったという意味ではこちらが勝者なのかもしれない。しかしこうも鮮やかに逃げられては、真の勝利者が誰なのかは分かり切ったことだった。

「それじゃアーチャーにはしてやられた形になったわけだけど、邪魔者は追い払った事だしこっちの要件を言いましょうか」

「要件……」

 少なくとも今のところリリアリンダの目にこちらへの敵対心は見受けられない。
 そもそもリリアリンダが遠坂冥馬をここで殺す気であれば、アーチャーとの戦いを見て見ぬふりを決め込むだけで良かった。そうしていればリリアリンダは労せずしてライバル一組の脱落という成果を得られ、更に消耗したアーチャーと狩麻を襲い漁夫の利を得られた可能性も高かっただろう。
 だがリリアリンダはそうしなかった。それどころかセイバーと共に戦いに割って入り、遠坂冥馬とキャスターの命を繋いだ。
 勿論〝姉を倒した遠坂冥馬は自分の手で倒したかった〟という理由があるのだろうが、彼女ほどの魔術師が、それだけが理由で動くとも思えない。

(となれば一番可能性として高いのは)

 白銀の聖騎士を傍に控えさせた紅い魔女は、可愛らしさの残る悪戯げな表情で、

「単刀直入に言うわ。手を組まない?」

「―――――――同盟、か」

 驚きはしない。冥馬もリリアリンダがこの提案をしてくるのは予想していたことだった。
 自分のマスターから発せられた同盟の二文字に対して、セイバーは特にリアクションをしていない。事前に知らされていたのか、それとも良く分かっていないのか。先のセイバーの言動を思えばどちらなのか判断に困るところだ。
 対してキャスターは油断なくリリアリンダを観察している。だが冥馬と同じようにキャスターもこの提案は予想の範囲内のことだったらしく驚愕の色はなかった。

「そうよ。といっても恒久的なものじゃないわ。どっちにせよ賞品の『聖杯』が一つっきりで、願いを叶えられるのが一組だけなんだから最終的に争うのは目に見えているしね」

「同感だな。すると同盟の期限がいつまでかということで、こちらの反応も変わるが」

「ナチスドイツと帝国陸軍、二つの勢力を冬木市の地図から消し去るまで……なんて妥当じゃないかしら?」

「成程」

 納得する。どうやらリリアリンダは自分と同じ考えを持っているようだ。

「ナチスと帝国陸軍、どっちもサーヴァントの他に〝軍隊〟という力を擁する勢力よ。私達も一度陸軍の奴等と挨拶代わりに軽く戦ってみたけど、あそこのマスターに相馬戎次って奴いるでしょう」

「あれは――――規格外だったな」

「まったくね。サーヴァント級の強さをもつマスターなんて常識外れもいい所だわ」

「常識外れなのは帝国陸軍だけじゃない。ナチスも、だ。連中ときたら、あろうことかサーヴァントとそこそこ戦えるサイボーグ兵士を擁している。さっき七人潰してきたが、あの分だとまだいないとも限らない」

「さ、サイボーグってあの!? 不味いわね。私もここまでとは思わなかったわ……」

 リリアリンダが口元を抑えて冷や汗を流す。
 冥馬も同じ思いだ。もし冥馬が逆の立場だったとしても今のリリアリンダと同じような反応をしたに違いない。

「けどだったら猶更よ。軍隊っていうプラスαと常識外れっていうプラスβがある以上、単独でナチスと帝国陸軍を叩くのは分が悪いってものじゃないわ。更に聖杯戦争でも枢軸国同士で同盟を結ぶなんてことがあったら最悪ね」

「だからこその同盟。ナチスと帝国陸軍以外のマスター同士で一時休戦、手を組むわけか。目下一番の邪魔者を消し去るために」

 リリアリンダは満足げに頷いた。
 はっきりいって願ったりの話である。冥馬もまたリリアリンダと同じ考えだ。ナチスを排除するにしても、帝国陸軍を潰すにしても自分達だけでは難しいものがある。
 今回のナチス攻めも狩麻から共闘の誘いがあったからこそ乗ったのだ。もし狩麻からの提案がなければ、冥馬もどこかしらの勢力と手を組んでから襲撃をかけただろう。実際には狩麻はナチスと内通していて、冥馬を罠にかけたわけだったが。

「………………」

「どうしたの? 貴方にとっても良い提案だと思うんだけど」

「同盟の誘いは嬉しい。俺も出来れば今直ぐにでも打倒・ナチス及び帝国陸軍のため握手をしたいくらいだ。しかし〝私〟にも直ぐに返事をできない事情がある」

「気になるわね。私からの誘いを断る事情っていうのはなんなのかしら?」

「断るわけじゃない。ただ私とキャスターとで話し合わなければならないことが一つある。その話を終わらせないことには、聖杯戦争を続行することも出来ない。話が終われば直ぐにでも良い返事ができるはずだ」

 リリアリンダの気の強い瞳がまじまじと腕組みをするキャスターを見つめる。

「話っていうのは今ここでは出来ないものなの?」

「他の誰もいない所で二人だけで話さなければならないことだ」

 どうしてキャスターはマスターである自分にまで己の真名を偽ったのか。
 どうしてキャスターは自分をアーサー王だと名乗ったのか。
 どうしてアーサー王の触媒を使っておきながら、アーサー王ではない英霊が呼び出されたのか。
 これらの事について先ずはっきりさせなければ、今後戦う上でしこりを残す。これからの為にも剣を鈍らせる可能性のある〝しこり〟は早々に取り除いておく必要がある。

「仕方ないわね。取り敢えず同盟についてはキャスターとの話が終わり次第、了承っていうことでいいのよね」

「そう受け取ってくれて構わない」

「そ。なら良いわ。明日、使い魔かなにかで私の屋敷に連絡を頂戴。それで場所を指定して、明日そこで落ち合いましょう。同盟するにしても、具体的にどうするかとか決めないといけないことは沢山あるし」

「分かった。ミス・エーデルフェルト」

「リリアでいいわ。これから同盟することになるんだから」

「分かったよ、リリア。では明日」

 話は終わった。
 リリアとセイバーに軽く別れを告げてから、冥馬は自分の拠点に――――遠坂の屋敷へ戻る。幸いというべきか、冥馬の留守中に誰かが屋敷に侵入した痕跡はなかった。
 冥馬は家に戻り早速、キャスターに事の次第を確かめようとして、

「――――む」

 無意識に両足がぐらついた。実体化したキャスターが、それを支える。

「冥馬」

「キャスター?」

「……俺はこれでもサーヴァントだし俺の真名が敵に露見した以上、もうマスターに隠し事をする理由はない。抱いた疑問には幾らでも答える用意はある。
 しかしお前もそれなりに消耗しているだろう。今日は早めに休むといい。お前が寝ている間に俺も治癒魔術をかけているし、自分の城たる霊地で眠れば体の治りも一層速くなるだろう。話は明日の朝にでも出来る」

「…………そう、だな。ああ、そうしよう。話は明日、起きてからで」

 情けないがキャスターの言う通り冥馬は魔力と体力をかなり消耗していた。
 キャスターのことは気になったが、無理して今日中に話をしてダメージが尾を引いては本末転倒。忠告に従い休むことにした。
 そして――――冥馬は三度目の、黄金の夢を経験する。



[38533] 第41話  黄金の誓い
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:48
 相次ぐ異民族の侵攻に喘ぎながら、自殺行為とすらいえる部族同士の内戦を繰り返す暗黒の時代。異民族に殺され、同国人同士の内戦で殺され、国中には数えきれないほどの怨嗟と死骸の山が積まれた。
 このまま何も変わらずに延々とこんなことを続ければ、いずれブリテンは異民族の侵攻に耐え切れず滅び去るだろう。そして国土に雪崩れ込んだ蛮徒によって女子供は犯され、男たちは皆殺しにされる。
 それは学があり文字を読める騎士のみならず、一日を農耕に費やし文字も読めない民草にまで分かるほど自明のことだった。
 だからこそ国に住む全ての騎士たちと民草が願っていたのだ。新たなる王の誕生を。
 ウーサーを継ぐブリテン王としてブリテンの皆を導き、蛮族たちを追い返せる――――そんな理想の王を。
 そして遂にその時はやってきた。

――――我こそが王たらんと思うものは集うがいい。

 今朝方、その報告がブリテン中を駆け巡った。ウーサーに仕えた清廉なる老騎士エクトルの下にも当然それは届く。
 だからというわけでもないが今日は日課となっている鍛錬も勉学もなく、エクトルもまた家を出ていた。
 静かな夜だった。
 いつもならば強く吹いている風もなく、空には雲一つない星空が広がっている。星々の海の中心には息を呑むほど美しい月が暗闇に明かりを灯していた。
 彼は一人、家の隣りにある木に背中を預けながら、煌々と光る星々と幻想的な月明かりを見上げる。
 明日の選定の儀。それでこの国の新しい王が決まる。
 まだ年若いとはいえエクトルの子息であり、幼い頃より厳しく教育を施されてきた彼には〝選定の儀〟に挑む資格があった。故にもしも彼が〝選定の儀〟で王に選ばれれば、彼こそが新たなるブリテン王となるのだろう。
 しかし彼は知って、いや確信していた。王に選ばれるのが誰であるかを。
彼は知らない。彼の弟として育てられてきた義妹が、この国で最も恐れられる魔術師より『ウーサーを超える最も偉大なるブリテン王となるだろう』と予言されていることなど。これを知るのは彼の父であるエクトルのみ。当の本人である義妹すら知らぬことだ。
 だが彼は自分の義妹こそが王となるだろうと確信していたし、義妹も〝王〟になろうと誰よりも腐心していた。
 騎士ではなく〝王〟として人々を導くには、武勇に秀でているだけでは意味がない。その点、彼女は非常に優れているといって良かった。エクトルの優れた教育により彼女は成人に達していないにも拘らず、聡明な大人を黙らせるほどの利発さを持ち合わせている。
 そして騎士としての武勇も彼女は天下一品だった。彼女が剣の鍛練を始めて一年半を超える頃には、不意打ちや罠などを弄しても彼は彼女と木剣による戦いでは勝てなくなっていた。彼の師であったエクトルは二年の月日で彼女に追い抜かされた。彼が悪辣極まる奇策を弄した時は勝利を収めたが、その奇策にしても一年後には通じなくなった。
 武勇に優れ知性に優れ――――だがそれだけではない。
 自ら王になろうという者の中に、心の奥底からブリテンを救いたいと思っている者は稀だろう。大凡の騎士などは王となることそのものに憧れる者たち、王になるために王たらんとする者ばかりだ。
 しかし彼女は王になりたいから王になろうとしているのではない。
 王になるのは一つの手段。戦火に喘ぎ苦しむ人々を救うには王となるしかない。だからこそ彼女は王になろうとしているだけ。もしも宰相になれば民草を救えるなら、彼女は迷わず宰相になろうとするだろう。
 彼は彼女以上に優しい人間を見た事がないし、彼女ほどブリテンを想っている人間も見た事はない。
 だから彼女がブリテンの王となるのは必然だ。
 なにせ彼女以上に王に相応しい者はいないのである。彼女が相応しくないのであれば、過去・現在・未来を探しても相応しい者は見つからないだろう。

「―――――――――馬鹿め」

 それは果たして誰に向けられた言葉だったのか。
 自分は王になれないというどうしようもない現実を受け入れ、こうして夜空を祈るように眺めている彼自身か。
 それとも家の中で一人震える少女に対してだろうか。
 王となる運命を背負った彼女は、彼の何十倍も『王になる』ことがどういうことか理解していたのだろう。
 誰よりも多くの人を救いたいという道は、誰かを救いたいという思いを心の奥に押し殺して、誰よりも沢山の人を殺すことなのだ。
 王となった彼女は誰よりも偉大なる王となるだろう。だがきっと多くの人に恐れられるのだろう。そして誰よりも嫌われ疎まれるのだろう。
 それが恐くないはずがない。だから彼女は誰も見ていないところで、その日が来ることを脅え震えているのだ。

「父上ならいざしれず、俺が気付かないとでも思ったか」

 夜は更けていく。
 恐怖に耐え一人で震える少女。だがきっと彼女は明日になれば震えるのは今日まで、と静かに選定の場に赴くことだろう。幼い頃よりずっと寝食を共にしてきたのだ。王やブリテンの未来について分からずとも、義妹のことくらいは分かった。
 その覚悟を尊いと思う。けれど、

――――そして朝がきた。

 広場には国中の領主と騎士達が王となるために集まっていた。
 だが選定の場にあったのは岩に突き刺さった抜き身の剣だけ。朝焼けに照らされ、黄金の名剣はじっと佇んでいる。
 剣の束には黄金の銘。

〝この剣を岩から引き出した者は、ブリテンの王たるべき者である――――〟

 それを見た誰もが驚いた。
 王となり騎士と民草を束ねるべきは最も優れた者。故に集まった者達は馬上戦による選定を予想していたのだ。
 集まった騎士の中で一際年若い彼だけが嘲笑する。
 馬上戦にて分かるのは騎士としての武勇と精々が礼儀作法だけ。王として政務をこなす賢さなどはまるで分かりはしない。
 しかし頭が良いだけの者に腕に覚えのある騎士たちは従いやしないだろう。そうなるとやはり馬上戦にて己が武勇を証明するのが王として選ばれる一番の方法といえる。
 だから彼が嘲笑したのは騎士達一人一人ではなく、この国そのものに対してだった。力が強い者が一番偉くなるなど、全くの時代遅れとすら思っていた。
 騎士達がざわめく。岩から剣を抜くなんていう全く予想外の選定に静まり返っていた者達が我を取戻し始めたのだろう。
 それからは早かった。一人また一人と剣を掴んだ。だがどれだけ騎士達が力を込めて剣を引っ張ろうと、岩に突き刺さった剣はうんともすんとも言わない。
 名のある領主が掴もうと、武勇において名を馳せた騎士が掴もうと頑として剣が応えることはなかった。
 彼はあの剣が待つ者の名を知っている。そしてその少女は今この場にはいない。だからこの場にいる者には決して剣を引き抜くことは出来ないだろう。
 そしてとうとう彼の番が来た。
 彼は自分より年上の騎士達が見守る中、ゆっくりと剣を掴む。
 果たして光の反射のせいか。それとも彼の手に残る彼女の手の感触を察してか、岩に突き刺さった名剣が淡く輝いた。
 騎士達が動揺するが、それも一瞬のこと。直ぐに剣は無口になった。

「――――――やはり、そうなのか」

 だがあの一瞬で彼は自分の考えが間違いでないことを悟る。
 やはり剣が待っているのは彼女、彼の義妹唯一人。他の誰にもこの剣は抜けないだろう。それでも諦め悪く彼は思いっきり手に力を込めるが、やはり剣はもう応えてくれなかった。彼は諦めその場を次に待つ騎士に譲る。
 そして遂に誰一人として剣を抜く者がでないと、騎士達は予め用意していた馬上戦による選定を始めに行ってしまった。
 先程は馬上戦による王の選定を内心嘲笑した彼だが、今度ばかりはそれも良いと考えていた。さっさと馬上戦で勝利者を決めて、適当な誰かが王になれば良いと思った。もしそうなればこの国が一年と保たないと知っておきながら彼はそれを良しとした。
 だが〝運命〟というのは人の身では抗いがたいもの。
 これより始まる馬上戦に沸き立つ中に、まだ騎士見習いだった少女がゆっくりと歩いてくる。その手に握られていたのは岩に突き刺さっていた選定の剣。
 彼は馬上戦による選定が間に合わなかったことを知った。自分の義妹が王として選ばれたことを悟ると、彼は馬上戦に湧く者達に背を向けて義妹に近付いていく。
 昨日まで少女だった顔にもう少女としての面影はなく、ただただ王たるものの威風がある。彼の義妹だったアルトリアはもはや消え、そこに立つのは国を牽引する騎士王だ。
だがまだ誰も――――彼以外の騎士は少女が剣に選ばれたことに気付いていない。
 彼はにべもなく強引に少女の手から選定の剣を奪い取った。

「剣が選びしは我なり!」

 奪い取った剣を掲げて、高らかに宣言する。
 別に王になりたい訳ではなかった。彼には致命的に人望がない。騎士達を黙らせるほどの武勇もありはしない。彼が玉座についても数日で臣下達は彼から選定の剣を取り上げるだろう。
 そうなれば死にゆくだけの国は本当に死を迎える。
 王となるのが他の者も五十歩百歩。死にゆくだけの国を救えるのは目の前にいる少女だけだろうと確信している。
 そうと知りつつも彼が妹から王座を奪おうとするのは、彼がこの国全ての命よりも――――

「故に俺が今日より新たなるブリテン王だ」

 瞬間、記憶に流れ込む。

「――多くの人が笑っていました。
   それはきっと、間違いじゃないと思います」

 そして彼は打ちのめされた。

「嗚呼……」

 彼女は彼が思った以上に全て知っていたのだ。魔術師が見せた未来の光景、あらゆる命が死に絶えた剣の丘。これが彼女の最期だとすれば、あまりにも哀し過ぎる。その最悪の末路を知りながらも、彼女は王になろうとしている。
 戦うと決めた。それが彼女の誓い。例え避けられない孤独な破滅が待ち受けていようと、それでも、戦うと決めたのだ。

「ケイ」

 いつの間にかそこに立っていた父であるエクトルが静かに首を横に振った。幼い頃より彼と彼女を見守り続けてきた老騎士には、彼女の覚悟も彼の嘘もお見通しなのだろう。
 だが父に言われるまでもなかった。彼女の気高い誓いを知って、どうして自分こそが王などと憚れよう。彼は黙って剣を義妹に返した。

「申し訳ありません、愚かな虚栄心から無礼を働きました。もしも王の慈悲を賜れるのであれば、臣は身命を賭して貴方に仕えましょう」

 昨日まで義妹だった王者に跪いて礼をした。彼がそうすると父もまた義娘だった彼女に跪いた。
 昨日までなら「恐れ多い」と恐縮したであろう義妹は当然のようにそれを受け入れる。

「良い。卿のことだ、卿なりの考えあってのことだろう。卿ほどの人物を我が臣に得られる幸運の前には、一時この剣を手にした非礼など泡と消えよう」

 人としての心を捨てた少女は、妹ではなく彼の王としての言葉を告げた。

「どうか貴方がブリテンの新しき王となったことを他の騎士達にも知らしめ下さい」

「忠言、感謝する。サー・ケイ」

 絵にかいたような王と騎士の会話。そこに人間としてのアルトリアもいなければ、人間としてのケイもいなかった。
 彼女が理想の王として人間を捨て去るのであれば、自分もまたそれに倣おう。先に待っているのが避けられぬ破滅だというのであれば、己が全てを賭してそれに抗おう。
 例え世界の全てが敵に回ろうとも、この身は永遠にアルトリアという少女の味方であり続ける。
 いずれ全ての責務を終えて、この国に平和が戻った時にこそ――――きっと彼女は穏やかに笑えるのだ。
 だからその時までサー・ケイは少女の義兄ではなく王に仕える一人の騎士。

「では行きましょう、アーサー王」

 あの小さな家で家族として育った兄と妹の運命は別れる。
 彼は口は達者な癖に腕っぷしは大したことのない道化役の騎士に、彼女は人々から畏怖され崇められる理想の王に。
 選定の剣を抜いたアーサー王と、義弟の抜いた剣を自分が抜いたと主張したサー・ケイ。
 二人の物語をプロローグに――――アーサー王伝説は幕を開けた。



 ラインを通してキャスターの過去を夢で見るのはこれで三度目だ。しかも今回はキャスターの真名を知っていたからか、より深い所を垣間見た。
 知らぬ者はいないという知名度をもち、英国では今もなお深く信仰されるアーサー王伝説。その序章を遠坂冥馬は生で見るという機会を得たのである。
 時計塔にいる歴史好きの友人がこれを知れば、きっと涙を流して悔しがるだろう。

「――――体の調子は問題ないだろうな」

 憮然と腕を組みながらキャスターが起きたばかりの自分を見下ろしている。冥馬としては甘いベッドの誘惑に負けて、もう一度眠りの世界へと旅立ちたい気分であったが、そうすればキャスターの聞きたくもない小言を聞くことになるので、そこはぐっと堪えて起き上がった。
 起きて直ぐに体の調子を確かめる。腕を伸ばし、折り畳む。手首を回し、指をパキパキと鳴らしながら折り曲げてみる。

「問題は……ないようだ。キャスターが寝ている間にかけていてくれた治癒魔術のお蔭かな」

「ふん。礼を言うなら言葉ではなく戦いでの働きをもってして欲しいものだな」

 狩麻の切り札だった蟲により食い破られ、小さくない穴の開いた手は完全とはいえないまでも塞がっている。
 勿論これはキャスターが治癒を施してくれたというのもあるが、それだけではない。冥馬の家である遠坂の屋敷がある場所は冬木第二位の霊地であり、遠坂家とはかなり相性の良い曰くつきの場所だ。
 遠坂の人間にとって、この屋敷とそうではない場所とでは体の回復も段違いなのである。いつかの夜、ルネスティーネとセイバーを撃退できたのも戦った場所がこの遠坂家の敷地内だったからというのが大きい。

「まぁ体も治ったところでリリアとの約束もあるし、昨日からの疑問を話そうか」

「……………………」

 寝室ではなんなのでリビングへと移動して腰を掛ける。キャスターにも座るよう勧めたが、キャスターはそっけなく拒否した。
 柳洞寺での戦いでナチスにより看破された真実。キャスターが吐いていた嘘。
 昨日はそのせいで冥馬たちはあわやというところまで追い詰められた。ランサーの暴走という誰もが予想していなかった異常事態が起きなければ、ここでこうしていることもなかっただろう。
 だからこそこの場で訊いておかなければならない。

「どうして自分がアーサー王だなんて嘘を吐いた? いや嘘を吐くのは別に悪いことじゃないんだ。真名を隠蔽するのがセオリーの聖杯戦争。本当の名前を隠すために、偽りの英雄の名を語るのは悪い戦術じゃない。
 私がお前に聞きたいのは、どうしてマスターである俺にまで嘘を吐いたのかということ。聖杯戦争が終わるまでの主従とはいえ俺とお前とは共闘関係……味方同士だ。そこを聞きたい」

 キャスターも昨日から冥馬の問いについては予想できていただろう。特に驚いた様子もなく組んだ腕を解き口を開けた。

「昨日ナチスの連中に看破された通り俺の真名はサー・ケイ。アーサー王じゃなくアーサー王に仕えた円卓の騎士の一人だ」

 伝承において『火竜も呆れて飛び去る』と称されるほどの毒舌家にしてアーサー王の義兄。
 アーサー王伝説の騎士といえば先ずランスロットやガウェインなどが思い浮かぶが、最もアーサー王に近く縁の深い騎士は間違いなくサー・ケイだろう。
 なにせサー・ケイはアーサー王が王となるよりも前から寝食を共にし、そしてアーサー王の最期まで付き従った忠義の臣なのだから。

「そして癪だが連中の言った通り俺の宝具の一つ――――――〝剣が選びしは我なり〟はカリバーンを自分の宝具とする宝具だ。
 いやより正しくは自分の物じゃない宝具を『自分の物』だと主張することでその宝具の担い手となれる宝具だがな」

「……興味深いな。つまり下手すればカリバーン以外の宝具、それこそ敵の宝具だって主張すれば自分の物にできることじゃないか」

 カリバーンの担い手となる宝具と、宝具の担い手になる宝具の違いは大きい。
 今後の戦いでもしも敵の手から宝具を奪い取ることができれば、キャスターはそれを自分のものとして扱うことが出来るのだ。
 無論、英霊と一心同体の宝具なんてそう簡単に奪えるものではないが、もし奪えれば今後の大きな助けとなる。

「そう上手くはいかん。この宝具には、致命的といえる欠点がある。弱点と言い換えても良い」

「弱点?」

「俺がその宝具の本当の担い手でないことが〝俺以外の誰か〟に露見した瞬間、宝具の効果は消失し担い手ではなくなる。しかもその他人には自分のマスターすら含まれる」

「っ! なるほど……それは、大きな弱点だ。キャスターがアーサー王だと名を偽った理由が一気に分かったよ」

 カリバーンを宝具とする可能性がある英霊は唯一人アーサー王だけだ。しかし余りにも有名過ぎる為、カリバーンを別の剣と偽ることは不可能といっていい。故にキャスターがカリバーンの正しい所有者であると偽るには、自分がアーサー王だと語るしかなかった。
 思い返せばキャスターは聖杯戦争のセオリーに反して、まるで真名を隠す努力をしてこなかった。敵から正体がアーサー王であると指摘されれば、常に馬鹿正直に肯定してアーサー王として尊大に挑発してみせた。
 それも自分の正体がアーサー王だと信じさせて、サー・ケイという騎士の名前から遠ざけようという戦術だったのだろう。

「だがキャスター。その戦術には一つミスがあるな」

「ミスだと?」

「サーヴァントを召喚する際に呼び出す英霊に纏わる聖遺物を触媒とするが、もし俺が最初からサー・ケイを召喚するつもりだったらアーサー王だなんて名乗っても直ぐに嘘だと分かったろう。そういう時はどうするつもりだったんだ?」

「簡単なことだ。自慢じゃないが俺は円卓の騎士で最弱だ。七人の英雄を呼び出して殺しあわせようなんて戦いに、わざわざ好き好んで最弱の騎士を召喚する馬鹿はいないだろう。
 だったら俺が召喚されたのは何らかのイレギュラーが働いたか、そもそも触媒そのものがなかったかに決まっている」

 頭を抑える。脱力したくなるが非常に説得力のある理由だった。

「……………本当に自慢にならないな。仮にも英霊が自分のことを最弱だなんて偉そうに言うのはどうなんだ?」

 そう冥馬が言うと、キャスターが露骨に溜息をついた。

「冥馬。お前もあれか? 強いのが偉いなんて考えているおめでたい頭の持ち主なのか? 剣の腕や馬術など所詮は戦場以外では羊皮紙一枚の役にも立たんもの。実際に国を運営し、政務をこなすのに必要なのはココのできだよ」

 とんとん、と自分の頭を指で叩くキャスター。円卓の騎士である以上に執事長として宮中を運営し、ブリテンの政治を支える国務長官としても辣腕を振るっていたサー・ケイらしい台詞だ。
 これが平時であれば冥馬もキャスターの言い分に頷いていたかもしれない。だが、

「聖杯〝戦争〟なんだから英霊としては兎も角、サーヴァントとしては強い方が望ましいと思うんだが……?」

「それはそうだろうさ。だが俺を召喚したのはお前――――――正しくはお前の父か。ともあれ俺は呼ばれたから来ただけ。俺が弱いのに俺に責任はない。俺を呼んだお前達の責任だ。
 弱い俺をサーヴァントにして、どうやって聖杯を手に入れるか考えるのはお前の課題。そしてお前の剣である俺の課題でもあるというわけさ」

 話はこれで終わりか、とキャスターは肩を竦める。

「まだある。これが一番の謎なんだが。私はね、聖杯戦争を勝ち抜くにあたりアーサー王の鎧の破片を聖遺物に選び、アーサー王を召喚しようとしていたわけだ。結果的に令呪が父に宿ったことで、手に入れた聖遺物は父に譲ったわけだが……」

 真っ直ぐにキャスターを見る。アーサー王の鎧の破片を触媒に召喚された、アーサー王と名を偽ったサーヴァントを。

「どうしてアーサー王じゃなくてサー・ケイが召喚されたんだ?」

 ストレートに残った最大の疑問をぶつけた。
 キャスターはいつものように嫌味を交えて即答すると思いきや、なにやら難しい顔をした。

「冥馬、あんまりなことだから黙っていたが……もう隠しても無駄か。そうだな、時には残酷な真実を教えるのもサーヴァントの務め」

「キャスター?」

「いいか良く聞けマスター。お前が用意したというアーサー王の鎧の欠片。あれだがな。あれは俺の鎧だ」

「は?」

 キャスターより伝えられた余りにも単純すぎる事実に、冥馬の目が点になる。

「ま、待ってくれ! あれは知り合いの伝手で購入した由緒正しいアーサー王の聖遺物で――――――」

「あー、要するに偽物掴まされたんだろう。残念だったな冥馬、もし本物を掴んでいたらとっくに聖杯はお前の手の中だったろうに。アーサー王の代わりに最弱の騎士を呼ぶなんてお前も大間抜けだな」

「…………………」

 聖遺物に使ったのがアーサー王の鎧の欠片――――と思い込んでいたサー・ケイの鎧の破片。ならば召喚して出てきたのがサー・ケイなのは至極当然。ドタバタとした召喚だったが、父はしっかり召喚をやり遂げていたのだろう。
 つまりアーサー王の召喚という聖杯戦争最初の大一番でポカをやらかしたのは、間違った聖遺物を掴まされた遠坂冥馬というわけで。

「衛宮ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーッッ!!!!」

 アーサー王の聖遺物を召喚した伝手でもある人物、時計塔の学友の名を叫びながら激怒する。
 暴力的で禍々しい魔力の発露に意志などないはずの部屋に飾られた調度品が震えあがった。

「あいつなにがアーサー王をセイバーで呼べば無敵じゃね、だ!! 聖遺物が偽物でアーサー王も糞もあるか馬ァ鹿野郎め!! 今度会ったらギッタンギッタンにしてから簀巻きにしてテムズ川に突き落としてやる!!」

 肩で息をしながらも自分の大ポカのそもそもの元凶に気炎を吐き出すが、流石に聖杯戦争をほったらかして時計塔に衛宮を締め上げにいくわけにはいかない。
 全く収まらない腹の虫をどうにか呑み込んで、平常心を取り戻す。

「……コホン。すまない。取り乱した。忘れてくれ」

「こればかりは俺も見なかったことにしておこう」

「感謝する。ところで昨日のリリアとの同盟の件だが、願ってもない話だし了承という方向で問題はないな」

 幼馴染であり最も共同戦線をとり易いと思っていた狩麻が、ナチスと組んで冥馬を罠にかけてきた以上、リリアとの同盟は今後のために不可欠のものだ。
 それはキャスターも良く分かっている。故にキャスターも頷いた。

「――――奴は頭こそ悪いが、俺の弟に並んでセイバーのクラスでも三本の指に入る英霊だ。分割召喚で霊格が落ちている以上、そこまでの力はないが〝最上級〟から一番上の文字がかけたところで強力なことには変わりはない。
 カリバーンの真名解放が出来なくなった以上、俺の火力は著しく低下している。マスターの力量もそこそこだし、セイバーとの同盟については俺も賛成だ」

「それじゃ決まりか」

 リリアリンダとセイバーとの同盟。
 これがナチスや帝国陸軍というイレギュラー蠢く聖杯戦争を打開する一手となる。

「ああ。それと俺が真名を打ち明けたことで俺のパラメーターもマスターには全て公開されただろう。セイバーたちと組む前に自分の忠実なる従僕の力量くらいは確かめておいたらどうだ?」

「なら遠慮なく。どれどれ……」

 マスターとしての権限で全てのスキルと宝具の詳細までを見て、流石の冥馬もどう反応していいか分からず声を失った。
 クラス別技能が四つあるのは良い。キャスターが〝二重召喚〟という特殊スキルの影響でセイバーのクラス別技能を持っていることは知っている。ならばセイバーの対魔力と騎乗スキル、キャスターの陣地作成と道具作成スキルをもつのは当然だ。伝承において魔法剣士と語られるキャスターにピッタリとすらいえる。
 宝具が二つなのも問題のないことだ。一つはさっきの話に出てきた〝剣が選びしは我なり〟。とはいえこれはもう効果を失っているので関係ない。今後の戦力となるもう一つは『巨栄の肖像(トゥルフ・トゥルウィス)』。サー・ケイの数々の超人的肉体能力が宝具となったものだ。
 これらのことは良いのだ。冥馬の目をひいたのは唯一つ。

「なんなんだ、この出鱈目な保有スキルの数は!?」

 クラス別技能と違ってサーヴァントが英霊として元々持っている技能。だが殆どのサーヴァントは保有スキルなんて精々二つか三つ。多芸と称されるサーヴァントも四つ五つ、かなり多くても六つが精々だ。
 だというのにキャスターときたら、

「保有スキルが11個って、滅茶苦茶じゃないか……!」

 クラス別技能も合わせれば合計なんと15。保持するスキル数なら間違いなく歴代最高だろう。
 しかし歴代最高のスキル数を誇る脅威のサーヴァントはつまらなそうに鼻を鳴らす。

「で、それがどうかしたか?」

「どうかしたかって、この数だぞ。これだけスキルがあれば―――――」

「なら逆に訊くが、これだけのスキルがあればセイバーやアーチャー相手に楽勝だと思うのか?」

「…………………………」

 鋭い指摘に冥馬は押し黙る。
 11の保有スキルは確かに戦う上での武器となりうるだろう。だがそれらのスキルの中に不利を有利に逆転してしまえるほど凶悪なものは一つとしてありはしない。

「確かに俺はクラス別技能も合わせれば15のスキルを持っている。恐らくは俺の宝具『巨栄の肖像』が様々な効果をもつ特殊能力なのと……あとは二重召喚の影響か。
 キャスターで召喚された場合には失われるはずだったスキルと、セイバーで召喚された場合に失われるはずだったスキル。その両方を持っているから必然的にスキル数が増えたんだろう。だがそれで?」

 自嘲するような響きが寂しく屋敷の床に染み渡る。

「俺は手から炎も出せる。肉体を操作し体を伸縮することも臓器の位置を入れ替えることも自在だ。魔術だって一通りは使えるし、剣術だってそこいらの騎士には負けない程度に強い。
 魔術と宝具を応用すれば変装だってお手の物。サーヴァントとなる前から七日七晩寝ずに行動できたし、水中で息継ぎせず九日間は潜っていられる。
 だが所詮はそれだけ。俺は大抵のことはなんでも出来るが、他のサーヴァントのように尖ったものは何一つとしてありはしないんだ」

 セイバーであれば埒外のタフネスさと十二勇士最強の剣技。アーチャーであれば正確無比な砲撃。アサシンであれば神出鬼没の暗殺術。
 彼等がそうであったように英霊であれば天才と呼ばれる人種が気の遠くなるほどの努力を重ねても到達できない〝業〟をもっている。
 けれどキャスターにはそれがない。決して弱いわけではないが、キャスターの持つ技術の殆どは人間であれば到達できるレベルのものだ。

「絵札の騎士を十枚と揃えても、たった一枚のスペードのエースには勝てないものさ。
 これからの為に覚えておくといい。持てる手札を最大限に使い、相手が不利で自分が有利な状況を作りだし、自分の手札の中で相手が最も嫌がるカードで叩く。これが俺の基本戦術だ。これが出来なければ勝ち抜くことはできやしないぞ」

「……よく記憶しておこう」

 時計を見れば丁度良い時刻だ。リリアリンダに同盟了承の意を伝え合流しなければならない。
 ナチスと帝国陸軍と互角に戦うにはリリアとの共闘をより密としなければならないのだから。




【元ネタ】アーサー王伝説
【CLASS】キャスター
【マスター】遠坂冥馬
【真名】サー・ケイ
【性別】男
【身長・体重】185cm・70kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷C 魔力A+ 幸運A+ 宝具E

【クラス別スキル】

陣地作成:B
 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。
 “工房”を形成することが可能。また

道具作成:D
 魔力を帯びた器具を作成できる。
 本人が物作りに向かないため余り精度の高い道具を作成することができない。

対魔力:B
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

騎乗:B
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

【固有スキル】

二重召喚:A
 キャスターの他にセイバーのクラス別スキルを保有できる。

高速詠唱:C
 背中に刻まれた擬似〝魔術刻印〟に記録されている魔術ならば、Bランク以上の魔術でも一工程で発動できる。

弁舌:A+
 口の上手さ。挑発・口論・弁明・説得の際に有利な補正がつく。
 キャスターは「火竜も呆れて飛び去る」と謳われる口達者である。

勇猛:A
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 また、格闘ダメージを向上させる。

心眼(真):B
 修行・鍛錬によって培った洞察力。
 窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。

戦闘続行:B
 往生際の悪さ。
 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

水練:B
 泳ぎの上手さ、水中で行動する能力。
 ランクB以上であれば水中でも陸地並みに行動できる。

仕切り直し:C
 戦闘から離脱する能力。
 不利になった戦闘を戦闘開始ターン(1ターン目)に戻し、技の条件を初期値に戻す。

魔力放出(炎):C
 武器に魔力を込める力。キャスターの場合、燃え盛る炎が魔力となって使用武器に宿る。
 もっともこれは自身の魔術と宝具で義弟であるアーサーの〝魔力放出〟を模倣した擬似的なものである。

変化:D
 外面だけ変身することができる。
 魔術により変身できるため〝変化〟となっているが、実質的には高度な演技力による変装術。
 変装・演じている者と属性を同じように見せる効果がある。

人間観察:B
 人々を観察し、理解する技術。
 心眼のスキルと合わせ、相手の弱点を見抜くことに長ける。

【宝具】

剣が選びし我なりロード・キャメロット
ランク:D
種別:対人宝具
レンジ:1
最大捕捉:30人
 自分のものではない〝宝具〟を自分が担い手だと主張することで担い手となることができる。
 ただしキャスターが本来の持ち主でないと露見した時、その効果は消失する。
 アーサー王の抜いた選定の剣を自分が抜いたと主張したエピソードの具現。

巨栄の肖像トゥルフ・トゥルウィス
ランク:E
種別:対人宝具
レンジ:-
最大捕捉:-
 サー・ケイの超人的能力。確認されている能力は全部で六つ。
 自身の与えたダメージに回復阻害の効果を与える。
 手から炎を出す。
 身体の伸縮や骨格の変形などを始めとした肉体操作。
 水中で息継ぎなしで行動できる。
 魔力不足・ダメージ以外で体力を消耗しない。
 体から熱波を出すことができる。



[38533] 第42話  嵐の前
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:49
 海外から取り寄せた絨毯の上に、割れた食器類やインテリアがぶちまけられていた。
 ともすれば泥棒でも入られたのでは、と邪推するような惨状。しかしこの家に限ってそんな事は有り得ない。
 なにせここは御三家の一角たる間桐の屋敷。立派な外観に誘われた泥棒などがいれば、屋敷内に入った途端に蠢く蟲たちの血肉となるだろう。
 だからこの惨状は外来者によるものではなく、内部の者。間桐の現当主でもある狩麻のやったことだった。
 怒り心頭。狩麻は肩を震わせながら、赤い花の入った花瓶を床に叩きつける。

「おやおや。非礼は承知しているけど貴女の忠実なるナイトとしてマイ・マスターに忠言させて貰うよ。物に当たるなんて美しくない真似は、マスターのような可憐なる一輪の花には似合わない。君に似合うのは怒った顔じゃなくそよ風のような微笑みさ!」

 白い歯をキラリと光らせるアーチャー。やや濃い顔なことを除けばアーチャーは十分に美青年だ。舞台役者のような大仰さに潜む獅子の気配を放つ男の口説きに、そこいらの女性なら一発でクラッときたかもしれない。
 だが狩麻がそこいらの女性に分類されるはずもなく、苛立ちを増しただけだった。

「忠実なナイトぉ? 随分と自分のことを過大評価するじゃない。貴方のどこが忠実なるナイト様なのよ。あの邪魔してきたセイバーを始末するのを放棄して、私の意見すら聞かずに逃げ出すなんてどういうつもりよ。事と次第によってはどうなるか分かってるんでしょうねぇ」

 思い出すと狩麻はまた苛々してきた。
 あの時、アーチャーが強引に自分を抱き抱え逃走に出た際、狩麻は当然ながら戻れと命じた。だがアーチャーは有無を言わさず狩麻の口を塞ぐと、命令を無視して全速力で間桐の屋敷に逃げ戻ったのである。
 冥馬を前にして逃げ出したこともそうだが、なによりも自分の命令を無視したアーチャーが最も腹立たしい。これまでフリーダムなようでいて、最低限サーヴァントとしての節度は守っていただけに裏切られた気持ちは強い。

「これは私の国じゃなく、現代でいうところの中華に嘗て存在した軍師の言葉だが……〝兵は神速を尊ぶ〟というものさ」

 アーチャーは話のテンポこそ普段通りだったが、瞳の奥には真面目で鋭い英雄としての光が輝いていた。
 無意識にその輝きに圧され、狩麻は口を噤みアーチャーの弁明を聞くことにする。

「もしも僕がマスターに相応しい力をもつ英霊なら、十二勇士最強の騎士とアーサー王の義兄君の二人の賓客を相手にして華やかな円舞曲を奏でられたろうけど、生憎と微力な僕の力では僕自身の鎮魂歌を奏でることになりかねない。……いや僕の命なんて大して価値のあるものじゃなかったね。僕が憂慮したのはもっと別の、ずっと大切なものさ」

「自分の命より大切なものがあるっていうの? なんなの、それ?」

 歴史にその名を轟かした英雄たるアーチャーが、自分の命以上に惜しむもの。それが何なのか興味があった。
 しかしアーチャーから返って来たのは予想外の答えだった。

「はっはははは! そんなのマスターに決まってるじゃないか!」

「え?」

「僕の命なんて大して価値のあるものじゃない。そんなものよりも、マスターの儚くも可憐な魂の方がよっぽど大切なものさ。その大切なものを守るためなら、サーヴァントの本分を破ってでも動かないとならないだろう?

「――――――」

 呆気に囚われた。
 アーチャーは嘘をついていない。そもそもこんなことに嘘を吐くほどアーチャーは小さな男ではないだろう。それはなによりも彼の偉業が証明している。
 にわかには信じられないことに、この稀代の英傑は本心から自分の命より遥かに上位にマスターである狩麻を置いていたのだ。

「不甲斐ないと君は思うかもしれないけど、セイバーとキャスター。二人の気高きナイトによるデュエットはマスターの身を危険に晒すほどの脅威だった。
 僕もマスターに事情を説明してから、その上で撤退を選びたかったんだけどね。セイバーの突撃の破壊力が予想以上だったもので、マスターに許可をとっていたらセイバーに剣が届く範囲まで近付かれそうだったのさ。
 マスターが命じるのであれば、僕はどんな敵とだって戦うけど、至近距離で十二勇士最強の騎士と競り合うのは、余りにも分が悪い賭けだったから、仕方なくマスターの許可もとらず勝手に撤退したんだ。ごめんね☆」

 芝居がかった口調で捲し立てるアーチャーだったが、こうして一通り理由を聞くと戦術的に間違った判断ではない。
 如何にアーチャーが優れた英霊といえど、接近戦でセイバーと戦えば敗北は目に見えているのだから。

「だけどマスターの命令すら聞かず勝手な行動をしたのは事実。マスターが望むのならこの僕の命を散らすことで許しを求めよう」

 気障に薔薇の花の香りを嗅ぎながらアーチャーが微笑む。
 随分と殊勝な態度だが、感心することはなかった。そもそも遠坂冥馬を倒すにせよ聖杯戦争に勝ち抜くにせよサーヴァントは必要不可欠。この段階でアーチャーを切り捨てられるはずがない。そんなことはアーチャーも承知しているだろう。だからこんなのはマスターの覚えをめでたくするためのフリに過ぎない。狩麻は努めてそう思い込もうとした。

「もういいわ。私の命を優先したっていう釈明に免じて許してあげる。やっぱりサーヴァントっていうのはマスターの従順な道具じゃなければねぇ」

「褒め言葉として頂戴するよ、マイ・マスター。その冷笑が素敵だ、バンビーナ」

 狩麻は『遠坂冥馬』が関わると感情的になり易いという欠点をもっているが、それを除けば物事の計算は出来る人物だ。故にアーチャーの説明に納得することができた。或いは言葉通りアーチャーのマスターを優先する態度に少しばかりの心の変化があったのかもしれない。
 兎も角アーチャーのことを一先ず許した狩麻だったが、すると今度は別の怒りがぶり返してくる。

「それより気に食わないのはあいつよ……! エーデルフェルトの小娘……! 後一歩で冥馬を跪かせられたのに、よくも邪魔を! あいつさえ……あいつさえ来なければ……!」

 ナチスを利用してまで得た遠坂冥馬を倒す絶好の好機。誰がどう見ても狩麻とアーチャーは完全に冥馬とキャスターを追い詰めていただろう。
 だがリリアリンダ・エーデルフェルトの乱入が全てを狂わせてしまった。

「もう直ぐ……あとちょっとで私が冥馬より〝上〟になれたのに。あの女……! 許さないっ」

 奥歯を噛みしめる。
 苛立ちを感じたのは一度や二度ではない狩麻だが、今度は過去に無い程の憤怒が渦巻いていた。
 リリアリンダが後一歩のところを邪魔したことが、リリアリンダが遠坂冥馬の味方をしたことが、リリアリンダが遠坂冥馬と肩を並べていたことが。
 あらゆることが気に食わない。腹立たしい。リリアリンダ・エーデルフェルトという女の存在が許せない。

「――――マドモアゼル・エーデルフェルトを討ちに行く気かい?」

「違うわ。あの女は心底腹立たしいけど、あんな脳筋サーヴァントの相手なんて御免よ」

 セイバーは頭は悪そうだが、戦闘力に限れば優秀なサーヴァントだ。姉妹による別側面からの分割召喚なんてルール違反などではなく、正規の方法で万全に召喚されていたら敵無しの最強のサーヴァントとして、聖杯戦争を圧巻していたことだろう。
 あのセイバーを相手にこちらの手の内を晒さずに勝利することは不可能だ。これまで隠してきたアーチャーの宝具、二つのうち一つを確実に晒すことになる。
 それは駄目だ。アーチャーの宝具は遠坂冥馬を確実に倒すために徹底して隠してきたもの。遠坂冥馬を倒さないまま、他の相手に宝具を使うなど狩麻のプライドが許さない。

「前に私の所に来たナチスをもう一回利用してやるわよ。あいつらだって冥馬とエーデルフェルトは鬱陶しいはずだし、冥馬を倒すためなら利用できるでしょう。
 あいつらにエーデルフェルトを襲わせている間に、私は冥馬に仕掛ける。それなら邪魔は入らない。今度こそ冥馬を屈服させられる……」

 エーデルフェルトはさておき、遠坂冥馬とキャスターの戦力については以前の戦いで大体掴むことができた。サーヴァントの強さに限ればアーチャーはキャスターを完全に上回っている。まともに戦って負けるということは有り得ない。
 魔術師の工房とは防御のためではなく侵入者を確実に殺すための城塞。こちらから攻めるとなると狩麻も不利を強いられるが、そこは強力な対軍宝具をもつアーチャーがいる。その気になれば遠坂の屋敷を地面ごと吹き飛ばすことも可能だ。

「余り賛成できないなぁ」

 だというのにアーチャーは狩麻の作戦に良い顔をしなかった。

「なんですって? サーヴァントの癖に私の命令に逆らう気?」

「そんなつもりは毛頭ないよ。さっき言ったじゃないか、僕はマスターの忠実なナイトだって。ただね、ムッシュ・ダーニックと組むのはどうかな。
 彼は気高き獅子じゃなく四方に糸を張り巡らせ獲物を狙う獰猛なる蜘蛛。麗しき姫君たる君は蜘蛛と組むべきじゃない。君が組むに足るのは……ムッシュ・トオサカだけじゃないのかな?」

「っ! 馬鹿じゃないの? 私は冥馬を私の前に跪かせるために、入念な準備をして聖杯戦争に参加したの! その私がどうして冥馬と手を組むのよ。そもそも――――」

 自分と冥馬は昨日戦ったばかり。しかも罠にかけた上で、だ。そんな自分が改めて手を組もうと持ちかけたところで冥馬が了承するとは思えない。
 はっきりいってアーチャーの進言は論外といって良かった。

「そうかな」

 窓の外から日の光が差し込む。アーチャーの姿が暖かな光に照らされた。光の中にいるアーチャーは暗がりにいる狩麻に手を差し伸べてくる。

「ムッシュ・トオサカは僕の目から見て聡い人物のようだ。彼なら懇々と利害を解けば、ムッシュ・ダーニックを倒すまでの停戦は呑むと思うよ。
 そしてマスターにとって邪魔な者達を一掃した後でムッシュ・トオサカと雌雄を決すればいい。その時は我が名にかけてマスターに勝利を捧げると誓おう。どうかな?」

 無意識に狩麻はアーチャーの差し伸べた手を掴もうと手を伸ばす。だが途中で自分にそんな資格はないとばかりに手を引っ込めた。
 アーチャーは自分のマスターの手を掴めなかった自分の掌に目を落とすと、表情を曇らせた。

「私の命令は、もう決定しているわ。今度こそ――――――冥馬を潰すわ」

 そう言った狩麻の瞳は病的な熱を帯びていながら、どこまでも純粋な色をしていた。




 きっと寒い季節なのだろう。双子館の屋根の上。見張りのためずっとそこで待機していたセイバーはぼんやりとそんなことを考えた。
 聖杯の奇跡により仮初の器を与えられ現世に蘇ったサーヴァントには感覚がある。痛みも感じるし、寒ければ寒いとも思う。
 だがそれは実体化すればの話。こうして霊体化して見張りをしている分には冬の寒さも他人事だ。
 とはいえセイバーはそんな細かいことなど考えていない。精々が「寒さを感じないなぁ」とぼんやりと思う程度だ。

「……………………」

 リリアより見張りを命じられて数時間、ずっとセイバーはここに一人でいる。
 この見張りが果たして有意義なものなのか、それとも無意味なものなのかセイバーには分からない。ただセイバーは自分が頭の悪いことを自覚している馬鹿だった。
 馬鹿な自分があれこれ考えるより、頭の良いマスターに任せた方が良い。自分はマスターが考えた事を信用して、マスターの言う通り力を振るえばいい。その方が性に合っている。セイバーのスタンスはこんなところだ。
 自分みたいな馬鹿が考えても碌な結果にならないなんてことは、セイバーは生前からの経験で良く知っていた。

「寒いなぁ、ホントに」

 一瞬だけ実体化したセイバーの全身に氷のように冷たい風が当たる。まるでセイバーのことを責めているかのように。
 嘗て戦いがあったのだ。聖杯戦争なんて街一つの小規模なものではなく、国と国、民族と民族の血戦が。
 偉大なる王の下に集いし十二人の勇士。その中にあってセイバーは最強だった。
聖騎士ローラン、十二勇士最強の騎士。
剣技において並び立つ者は一人としておらず、その鋼の肉体は剣や槍の悉くを弾き、聖騎士としての加護があらゆる魔術を跳ね返した。
 だがなまじ強すぎたのが過ちの元だったのだろう。訪れた戦いでローランは致命的なまでのミスを犯した。
 敵軍を捻じ伏せ援軍を呼び寄せる角笛を王より授かりながら、援軍を呼ぶのは武門の恥として角笛を吹く事を拒絶した。
 向かうところ敵なし。無敵を誇った事が過ちを生んだのだろう。
 自分が強いからといって、他の者が自分ほど強くないことが理解できなかった。自分が一万人の軍勢を単騎で相手取れるからといって、他の騎士がそうではないことに気付けなかった。どんな大軍が相手だろうと自分と友ならば勝てない者はいないと、手前勝手な考えを信じていた。

――――いやそれは致命的なミスではない。

 自分がどれほど馬鹿なことを考えていようと、それだけなら問題になるはずがなかった。
 ローランが犯してしまった最大の過ちは友の言葉に耳を貸さなかったこと。
 この世で誰よりも信頼していた騎士は血戦の前に言った。角笛を吹き、王の軍勢を呼び戻せと。
 自分より頭の良い友の言葉だったのに、この世の誰よりも信頼していた友の言葉だったのに――――愚かにも自分は友の考えより自分の考えを優先してしまったのだ。
 敵軍四十万に対して自軍は二万。如何にローランが万夫不当の豪傑だとしても覆せる戦力差ではなかった。
 二万の精鋭は獅子奮迅の活躍をみせ、ローランも敵の王の息子を討ち取り王の右拳を奪った。だが倒せど倒せど敵兵は尽きぬ。とうとう角笛を取り出し、自分の肉体が壊れるほど吹き鳴らしたところで全ては遅い。
 ローランとその友に率いられた騎士たちは湯水のように湧き出る異教の兵士により一人また一人と死んでいった。
 幼馴染で一番大切な親友だったオリヴィエも、友情の証として髪飾りをくれた騎士も、最期まで共に戦った大司教もみな死んだ。
 そして最後まで残っていたローランも、自分のせいで死んでしまった皆と同じように力尽きて死んだ。
 生き残った者は誰一人としていない。ローランが友の言葉に耳を傾けなかったばかりに、二万の命は無残に喪われたのだ。

「……セイ……」

 こうしてサーヴァントとして聖杯戦争なんてものに招かれた英霊は多かれ少なかれ未練を背負っている。
 だとすればこのことが英霊ローランが背負う最大にして最悪の未練といっていい。

「………バー」

 だからこそ、

「セイバー!」

「おっ、おおっと!?」

 いきなり自分の名を強く呼ばれて、屋根に座っていたセイバーはバランスを崩して倒れかける。
 慌てて声のした屋根の下を見下ろすと、そこには腕を組んで明らかに立腹している様子のマスターがいた。

「ふぅ。誰かと思ったらマスターか。敵かと思って冷や汗かいたぜ。で、どうかしたのか? エスコートの誘いなら喜んで……」

「どうしたか? じゃないわよ! 私が仮眠してる間、見張りをしといてっていったのに私が名前を呼んでも気付かないってどういうことよ」

「名前を呼ぶ? もしかしてさっきから何度も?」

 言葉にせずとも、じとっと睨むリリアの目が全てを物語っていた。

「悪い悪い。ちょっと昔のことを思い出しててうっかり……」

「はぁ。アンタも仮にも英霊なんだから、昔を思い出すなら見張りをこなしながらしなさいよ」

「いや~。生きてた頃から一つのことをしてるともう一つの事が考えられなくなる性質でさぁ。だけど大丈夫。これでも騎士だし、敵意をもってる奴が近付けば感覚的にモゾモゾくるから分かる」

「感覚的にって、敵には暗殺特化のアサシンもいるのよ?」

「ハサン・サッバーハのことだろう。心配しなくても連中のことは良く知ってる」

 知っているといってもサーヴァントとしての知識ではなく生前の記憶によってだ。
 例え深く考え事をしていたとしても、ハサン・サッバーハが近付けばセイバーは瞬時に戦闘体勢をとったことだろう。

「ふーん。ならいいけど。それより行くわよ」

「行くってどこに?」

「冥馬から連絡がきたの。同盟の件は了承するって」

「あいつ等かぁ」

 昨日共闘した遠坂冥馬とキャスターを思い出す。
 馬鹿の自分には細かい事は分からないが、取り敢えず胡散臭い感じはしなかったし、良からぬ気配もなかった。それに頭の良いマスターが同盟を組むことを提案したのなら、きっと信用できるのだろう。

「だから同盟の細かい打ち合わせのため会うことになったの。まさかセイバー、私を一人で行かせる気じゃないでしょう?」

「そういうことなら分かった。それで打ち合わせってどこでするんだ?」

「中立地帯の教会近くよ」

「教会?」

 思わず聞き返す。もし自分の記憶力が仕事をしていたのならば、監督役のいる教会は原則的にマスターとサーヴァントは立ち入ってはいけない場所だったはずだ。

「心配しなくても教会の敷地内には入らないわ。けど中立地帯の近くなら敵の目もあんまりないだろうし、あったとしても派手に仕掛けることは難しいはずよ。こういう内緒話をするにはもってこいってわけ」

「へー。色々考えてるんだなー」

 考えの深さに舌を巻きつつ、セイバーはリリアに追従する。
 大きな未練を背負わせた血戦だが、未練以外に教訓もセイバーに与えていた。その足取りに迷いはなく、リリアというマスターを信頼して己の舵取りを任す。
 そして一つの戦いが終わり、新たなる戦いが始まろうとしていた。



[38533] 第43話  冬の訪れ
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:49

 百五十年前。聖杯の奇跡のために極東の島国で手を結んだマキリ、遠坂、アインツベルン。だがこの世に降霊した聖杯がたった一人しか使えないことを知るや否や、聖杯の所有権を争い御三家は決別した。
 二回目において外来の参加者向けに表向きのルールを作り、三回目において聖堂教会の監督役まで招き『聖杯戦争』のシステムが出来上がってからもそれは変わらない。
 本拠地を欧州に置くアインツベルンは勿論のこと、同じ冬木に居を構える間桐と遠坂の間にも不可侵条約は結ばれている。
 互いの居城に足を踏み入れるのを許される時、それはたった一つの聖杯の所有者を決める為に相争う聖杯戦争期間中のみ。
 だから狩麻は遠坂冥馬の幼馴染ではあっても、冥馬の家に足を踏み入れたことは一度もなかった。それは冥馬も同じで、家の近くに来ることはあっても屋敷に〝入った〟ことは一度もない。
 そんないつも遠くから眺めるだけだった遠坂の領土に、間桐狩麻は初めて足を踏み入れた。

「へぇ。ここが遠坂の領地。セカンドオーナーなんていう割に間桐の御屋敷より小さいじゃない」

 退屈げに狩麻が呟く。
 もしも遠坂を上回るのが狩麻自身によるものなら得意気に笑えたのだが、屋敷が遠坂のそれより大きいのは狩麻ではなく臓硯の手管故である。狩麻は自分を誇ることはあれど、自分の家を誇るつもりは欠片もない。だから間桐が遠坂を上回っているという事実を発見しても、狩麻の反応は淡泊なものだった。

「マスター、余り一人で前へ出過ぎないように。ムッシュ・トオサカのことだ。自分の城を無防備にするはずがないんだからね」

「貴方に一々忠告されなくても分かってるわよ。私はね、自分が分かってることを偉そうに言われるのが嫌いなの。黙っていなさい」

 アーチャーに言われるまでもない。
 狩麻が間桐の敷地に迎撃用の罠を張り巡らせているように、冥馬も自分の屋敷に罠を張り巡らせているはずだ。
 さぁさぁと狩麻の周囲に蟲たちが滞空する。冥馬の早業といえる魔術すら防ぎきった防御用の蟲がいれば大抵の魔術は弾き返せるだろう。

(この蟲じゃ炎や風はまだしも、呪詛の類は防げないけど……冥馬はそういう系統は得意分野じゃないし、その分野に限れば私の方が上。どのみち恐れるようなものじゃない)

 それにいざとなればアーチャーの宝具を使えばいい。
 多少リスクを伴うが、アーチャーの宝具なら屋敷に張り巡らせられた罠ごと遠坂邸を消し飛ばすことも出来るだろう。
 狩麻はアーチャーを連れて遠坂の敷地を進む。途中、戦闘の痕跡らしきものを何度か見つけた。大方以前に侵入したルネスティーネ達との戦いによるものだろう。有利な場所での戦いだったとはいえ、エーデルフェルトの片割れとセイバーを撃破するとは流石は冥馬といったところか。
 無傷のまま狩麻はどんどん屋敷に近付いて行った。何度か仕掛けられた罠が狩麻を襲ったが、それらの悉くが狩麻の蟲による防御とアーチャーにより防がれていた。
 そして狩麻とアーチャーの二人が遠坂邸の前に立つ。

「冥馬っ!」

 屋敷の前に立った狩麻は、この家の主に聞こえるよう声を張り上げた。

「昨日の決着をつけにきてあげたわ。屋敷ごと消し飛ばされたくなければ大人しく出てくることねぇ。まさか気付いていないなんてことはないんでしょう?」

 魔術を使い自分の声音を拡大させるが、屋敷は眠っているように静かなままだ。どれだけ待っても冥馬が出てくる気配はない。
 沈黙が一分続いて遂に狩麻が痺れを切らした。

「……がっかりね。怖気ついたわけ? もういいわ。出てこないならこの屋敷を冥馬の棺桶にしてあげる。アーチャー! 宝具を使ってこの家消し飛ばしなさいっ!」

「待った。どうも様子がおかしい。この家に張られてる結界のせいで感覚が上手く作用しないんだけど……単に黙っているだけにしては人の気配がなさ過ぎる。ムッシュ・トオサカは返事をしないでいるんじゃなくて、屋敷を留守にしているんじゃないかな?」

「留守? ………獲物でも探して巡回にでも出てるってわけぇ? 間の悪い男。だから冥馬って気に入らないのよ」

「いや、そうかな」

 形の良い顎に手を当てながら、アーチャーがらしくなく深刻な顔をした。

「冥馬が出払ってる理由に心当たりでもあるの?」

「僕は愛と芸術に生きるプリンスだから魔術は門外漢なんだけど、魔術師っていうのは自分の目的遂行のためにはとことん合理的になる群体なんだろう?」

「それが……なに?」

「果たして魔術師のマドモアゼル・エーデルフェルトが敵のはずのムッシュ・トオサカを助けた。それにはきっと理由があるんじゃないかな。例えば〝遠坂冥馬〟と同盟を組むつもりだったとか」

「同盟!?」

 有り得ない話と切り捨てることはできなかった。
 アーチャーがこと戦争に関しては天才的な人物であることもそうだし、狩麻の理性的な部分が「その可能性は有り得る」と判断していたこともある。

「ナチスと帝国陸軍を警戒しているのはマスターたち御三家だけじゃない。ナチスと帝国陸軍以外の外来の参加者も、いや寧ろ確固たる拠点が冬木にない外来の参加者だからこそ……ナチスと帝国陸軍を脅威に感じるんじゃないのかな」

「――――っ!」

 だとすれば冥馬がいないのは敵マスターを探しに赴いたのではなく、リリアリンダ・エーデルフェルトと合流するために屋敷を出たというのか。
 ぐつぐつと煮えたぎる様な激情が狩麻の心中を渦巻く。少しの衝撃を与えれば噴火しそうな感情の溶岩。それを狩麻はどうにか抑え込む。
 やり場のない怒りをぶつけるのはここではない。
 冥馬を倒すことを優先してリリアリンダ・エーデルフェルトを放置したのが間違いだった。
 聖杯戦争が始まってから、初めて間桐狩麻の中での優先事項の順番が入れ替わる。
 先ずはなんとしてもリリアリンダ・エーデルフェルトを見つけ出して始末する。冥馬を殺すのはその後だ。

「エーデルフェルトの……妹がいる屋敷は冬木大橋を超えた向こう側だったわね……」

「うん。マスターが探っていた情報によるとそうらしいね」

「直ぐにそこへ――――」

 向かう、と言い切ることは出来なかった。
 物凄い轟音と共に屋敷の門が弾き飛ばされ宙を舞う。狩麻は考えるよりも先に反射的に身構えた。帯同していた蟲たちも狩麻を守るように全面に押し出る。
 屋敷の主――――冥馬が帰還してきたのであれば、門を弾き飛ばす必要性などない。だとすればこれは狩麻と同じように冥馬を倒しに来た第三者によるものだ。
 破壊した門を潜って姿を現したのは黒衣のサムライと白い着物の女。

「でっけぇ屋敷だ。イギリスかぶれなのがちと気に入らん。だがうちの本家と同じくれぇデケェ屋敷だ。あと……お前ぇら誰だ?」

「戎次、写真で見たのに忘れたのかい? あそこにいる着物の彼女は間桐狩麻。遠坂に並ぶ御三家、間桐の若き女当主様だよ。隣の奴は気配からしてそのサーヴァントってところでしょう。
 チンチクリンな恰好してるけど、なんだかどっかで会った事のあるような色男だよ。まぁ覚えはあっても覚えてはいないんだけどさ」

 やって来たのは最悪の連中だった。
 相馬戎次。帝国陸軍が投入してきた最強の刺客。人の身でありながらサーヴァントと拮抗する実力をもつ規格外。その隣に立つのは正体不明のライダーのサーヴァント。
 黒衣のサムライと白い着物の女は狩麻とアーチャーを観察するように見つめる。

「……木嶋少佐は遠坂へ行って首級ぃあげろって言ってたな。なのに遠坂ン所になんで他の奴がいるんだ?」

「さぁ。でも関係ないんじゃないの? 戎次の上官様が言ったのは『遠坂の屋敷へ行って敵の首級をあげてこい』だったろう。あげる首級が誰なのかは指定してないよ」

「それもそっか」

 相馬戎次が腰に刺さった鞘から禍々しい妖刀を抜く。
 魔術師が己の魔術の成果で生み出す魔術礼装とは、内包する神秘の濃度が違う。魔術師の魔術とは存在の密度が違う。数少ない現存する宝具。あの妖刀の正体はそれだ。
 狩麻は顔を歪めて叫ぶ。

「ふざけないで! 私はアンタみたいな原始人の相手をしてる暇なんてないのよ!!」

 冥馬の両腕を食い破ったとっておきの切り札。碎弾蟲が弾丸もかくやという速度で背後より戎次に迫る。
 碎弾蟲は従来の蟲とは段違いの速度で音もなく接近して襲い掛かる、完全戦闘用に調整された蟲。しかもその牙は象の腹を食い破るほど獰猛なもの。人間の肉など碎弾蟲にとっては紙のようなもの。
 それが真っ直ぐに相馬戎次の脳天に飛んでいき、

「なんだこりゃ?」

 冥馬の魔術の発動を超える早業だった。
 風のように疾い斬撃。それが一太刀で碎弾蟲たちを切り捨てたのだ。
 どれほど時間をかけて培養した蟲といえど宝具級の妖刀に斬られれば一溜まりもない。碎弾蟲はただの一振りで絶命していた。

「ちょっと見た事ないけど蟲じゃない? 間桐は蟲使いの一族だって資料にのってたんだし」

「おう。そうか」

「はぁ。アンタも同じ資料見たんだからもっと覚えておきなよ。私はアンタの知恵袋じゃないんだよ」

「そん、な」

 自分の切り札だった蟲が、まるで歯が立っていない。
 無理だ。相馬戎次は本物の怪物。人間が敵うような相手ではない。着飾ったプライドを忘れ、狩麻は震える足で後ろに下がっていく。

「次から気を付ける。ンだが先ずは」

 だが戎次の目が向けられた時、狩麻の足は凍り付いた。
消えかかった矜持を引っ張り上げて、どうにか構える。
相馬戎次の瞳には狩麻への敵意はない。悪意もない。あるのは純粋なる殺意だけ。日本刀のように鋭利な殺意に総毛立った。
 来るか、と頭で思った時には既に敵は踏み込んでいた。明らかに人間離れした速さで接近すると、禍々しい妖刀が狩麻の首級へと振られた。
 狩麻の反射神経を超える速度で、蟲達が狩麻を守るために妖刀に立ち塞がる。しかし灼熱と烈風を弾く蟲の壁も魔を断つ刀には通用しない。
 自分の敗北を直感し目を瞑り、

「おやおや。プリンスにしてナイトたる僕を無視してマスターに向かうなんて手が速いよ。……相馬戎次くん?」

 鳴き声のような鉄の音が嘶いた。
 アーチャーのサーベルが正面から戎次の刀を受け止めている。二つの鉄がぎちぎちと鍔迫り合い、赤い舞踏服の貴公子と黒衣のサムライは性質の異なる殺意をぶつけあう。

「――――――!」

 一合、二合、三合、四合、五合。出自の異なる刃がぶつかり合った。
 アーチャーと相馬戎次。アーチャーも強いがこと剣士としての実力ならば戎次が上。しかしアーチャーは剣士ではなくあくまでも弓兵。その真骨頂は強力無比な飛び道具にこそある。
 戎次と打ち合いながらアーチャーは背後に大砲を出現させた。

「大砲……!? 厄介なもんが出たな」

 セイバーと違い肉体の強度は人間でしかない戎次は、大砲相手に真っ向から突進するなんて無謀をすることはなかった。大砲が出現した瞬間、踏み込んだ速度と同じ速度で後退する。

「ファイヤ!」

 アーチャーの言葉と共に放たれる砲弾。人間を十人は軽く消し飛ばす砲弾は正確に戎次目掛けて飛ぶ。

「アンタが炎なら、こっちは氷だよ」

 だが砲弾が戎次に到達する前にライダーの冷気が砲弾を凍てつかせた。
 中の火薬まで凍結した砲弾は爆発することなく、重力に引かれて地面に落ちる。そしてそのまま役目を果たすことなく凍り付いた砲弾は、そのまま消滅してしまった。

「助かった。ライダー」

「サーヴァントとしてやることやっただけだよ。まぁアンタはサーヴァントのすることをやるマスターなんだけどさ」

 マスターでありながら前面に立つ戎次と、サーヴァントでありながら後衛で戦うライダー。
 本来の主従での役割があべこべだが、二人の間には確かな信頼関係が垣間見えた。

「……しゃあねえ。ライダー、アレを使うぞ」

「いいのかい?」

「首級あげろって言われたからな。あっちが大砲なら、こっちもアレが必要だ」

「仰せのままに、ご主人様」

「来るよ、マスター。気を付けて」

 アーチャーが警告を発した。相馬戎次がライダーになにを命じたのか。マスターである狩麻には分かった。あれは宝具を解放する兆しである。そうと分かりながら、狩麻は押しつぶされるプレッシャーでなにも出来ずにいた。

「我が身は白銀の空に、我が心は白き雪原に……」

 ライダーの纏っている空気が入れ替わる。体は世界へ己を浸透させる媒介として、唯一つの〝奇跡〟を行うための道具となった。
 サーヴァントとしての切り札であり英霊としてのシンボル。それが解放されようとしているのだ。
 背筋どころか内臓まで凍りつくような悪寒がする。早くこの場から逃げろと心臓が五月蠅いほどに鳴った。
 しかし相馬戎次とライダーの目が『絶対に逃がさない/ここで倒す』と告げていた。

「…………マスター」

 普段の気楽さや陽気さは消え失せ、静かにアーチャーが狩麻を庇うように前へ出た。
 比喩ではなく周囲の気温が低下していく。冬の寒さがより冷たい極寒に塗り替えられていった。
 気温だけではない。世界そのものが、ライダーという英霊の色に塗り潰されていっているのだ。

「――――冬将軍・雪原白牙(ジェネラル・フォレスト)」

 現れるは常冬の大雪原。あらゆる征服者の野心を凍てつかせ、絶望させた護国の化身。
 アーチャーの目が百年来の仇敵を見つけたかのように見開かれた。




【元ネタ】自然現象
【CLASS】ライダー
【マスター】相馬戎次
【真名】冬将軍
【性別】女
【身長・体重】170cm・50kg
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力D 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具B

【クラス別スキル】

対魔力:B
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

季節の乗り手:A+
 自然現象の擬人化、その具現たるライダーのもつ特殊技能。風や大気に〝乗る〟ことができる。
 また英霊でありながら自然霊にも近しい存在であるため、大気の魔力を自分のものとして吸収することが可能。

【固有スキル】

ナチュラル・ファンタズム:A
 自然現象を具現化させる。ライダーの場合は冬に因んだ凍結・冷気・雪などを具現化する。
 最上位の吸血種が行うという空想具現化に近い能力。魔術とは異なるスキルのため対魔力で無効化できない。

対英雄(征服者):B
 英雄を相手にした際、そのパラメーターをダウンさせる。
 ランクBの場合、相手のパラメーターをすべて2ランク下のものに変換する。
 征服者としての側面の薄い英雄には効果が薄く1ランクダウンとなる。護国者としての側面が強い英雄に対してはランクダウンはなく、ランクC程度のカリスマ性として作用する。


【宝具】


冬将軍・雪原白牙ジェネラル・フォレスト
ランク:B
種別:対軍宝具
レンジ:1~99
最大捕捉:1000人
 ライダーがサーヴァントとして発動する固有結界。大雪の降りしきる常冬の大雪原を展開する。
 自然現象の具現であるライダーそのものともいえる宝具であり、元々が精霊種に近いために世界の修正を受けず長時間の発動が可能。
 取り込まれたライダーとその味方以外のパラメーターを1ランク低下させ生命力・体力・魔力を奪っていき、カリスマ・軍略・皇帝特権などの王権・支配者・指揮官としてのスキルを無効化する。
 スキル〝ナチュラル・ファンタズム〟の力を増大させる効果もある。
 余談だが彼女が「白い着物を着た妙齢の美女」の姿をしているのは、明確な形をもたないが故に日本に根付いている雪女の伝承の殻を被って召喚されたため。ロシアで召喚された場合、ライダーは白髭の老将の姿になるという。



[38533] 第44話  白い牙
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:50
 今頃遠坂の邸宅で行われているであろうアーチャーとライダーの戦いの喧騒も、円蔵山の上にある柳洞寺まで届きはしない。
 夜空に浮かぶ月を見上げながら、ダーニックは影のある勝利の笑みを浮かべた。

「おっと」

 傍らに置いてあるナチスの無線機がザァザァという雑音を届ける。ダーニックはやや拙い手つきで無線機を操作すると、送られてきた電波をキャッチした。
 ナチスの無線機であるが、タイミングからしてロディウスやナチス兵たちからの連絡ではない。これは表向き敵対関係になっている者からの成果報告だ。

『……ミスタ…………ダー……ック』

 無線機から雑音混じりに聞こえてきたのはぎこちない英語で話す男の声。ダーニックが指で無線機を操作していくと徐々に声がはっきりしていく。

『ミスター。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。聞こえていますか?』

「ええ聞こえていますよ。木嶋少佐」

 無線機越しにも拘らずダーニックは人を安心させるような朗らかな笑みをする。
 無線機越しならどんな表情をしていようと相手には分からないのだが、だからといって油断して無表情に受け答えしていたら声にもそれが出るかもしれない。

『貴方の言われた通り相馬少尉とライダーを遠坂の屋敷へと向かわせました。間桐狩麻とアーチャーがそこにいることは黙っているようにとのことでしたので、彼等には屋敷にいる敵の首級を倒して来いとだけ命じましたがどうだったでしょうか?』

「問題ありません。十分ですよ、少佐」

『それは上々。私も貴方の御依頼を達成できて一先ずは安心といったところです。貴方の機嫌を損ねるのは私にとって不利益ですからな』

 相馬戎次の上官であり事実上帝国陸軍側の総指揮官である木嶋少佐と、ダーニックはまるで昔からの知り合いのように話し合う。
 聖杯戦争における二大ダークホースたるナチスのマスターと帝国陸軍の指揮官がこうして話している所を他のマスターが見れば、顔を青褪めるだけでは済むまい。あの狩麻ですら冥馬との戦いを中断してナチス・帝国陸軍以外の他マスターと一時休戦し共闘を選ぶはずだ。その果てに待つのはナチス・帝国陸軍の同盟とそれ以外という図式。
 だからこそ、このことは極秘のことだった。他の参加者たちや、木嶋少佐以外の帝国陸軍の面々には特に。

『他になにか御用がありましたら、ここで仰って下さい。私もそう何度も貴方と連絡をするわけにもいきません。他の目もありますので』

「おや。では遠慮なく。そろそろ始めますので、少佐も動いて頂きたい」

『…………………………大詰めというわけですか』

「はい。準備は滞りなく。貴方にとってはこれが最後のオーダーです。これが終われば約束は果たします」

『了承した、ミスター。ではこれにて。動くのであれば早く動くべきですからな。相馬少尉たちが戻る前に』

「ご武運を」

 通信が切れる。
 木嶋少佐と帝国陸軍についてはこれで良い。
 ダーニックとしては出来れば遠坂冥馬やリリアリンダ・エーデルフェルトという障害を排除してから動きたかった。だが御三家とて馬鹿ではない。これ以上時間をかけていたら御三家の誰かがダーニックとナチスがやろうとしていることに気付くだろう。そうなっては面倒なことになる。

「残念だねぇ。彼女を切り捨てるのかい?」

 ダーニックの背後から惜しむような男の声がした。

「…………ファーレンブルク大佐。黙って後ろに立つのは止めて頂きたいものです。咄嗟に攻撃しかけてしまいました」

「ははははは、許してくれ。驚かせるつもりはなかったんだ。ただ地下の大空洞にずっと篭っていると気分が滅入る。こうして散歩がてら月明かりの下に出て気分転換するのは必要だろう」

 ダーニックは所謂魔術使いではないし、特別戦闘に秀でているわけではない。〝魔術師〟としては兎も角〝戦闘者〟としてなら遠坂冥馬やエーデルフェルトの双子姉妹に劣るという自覚はある。
 だが時計塔で海千山千の権力闘争を勝ち抜いてきたダーニックは勝利の数だけ恨みも買っているし、だからこそ背中への警戒は欠かしたことがない。
 そんな自分からこうもあっさり背後をとったロディウス・ファーレンブルクという男。どうやら単に魔術師として優れているというわけではなさそうだ。ナチスへ亡命する際に、時計塔から差し向けられた封印指定の執行者十名を返り討ちにしたという噂を聞いたが、この分だと事実なのだろう。

「あの着物といい間桐家のフロイラインは私にとっては細やかな癒しだったのに、こんなことになってとても残念だ」

 これまでの言動から察するにロディウスはこの国における民族服たる『着物』に並々ならぬ関心を抱いているらしい。
 ダーニックには良く分からない趣味だが、ロディウスが間桐狩麻に対して関心を抱いているのも彼女が着物美人だからだろう。

「間桐狩麻は遠坂冥馬を倒す駒として利用してきましたが…………それも昨日まで。手負いの遠坂冥馬を殺せず取り逃がした時点で彼女は用済み。
 失敗した間桐狩麻を援助してまで遠坂冥馬を倒させるより、確実に間桐狩麻を消しておくほうが肝心です。これから御三家の度肝を抜く事を始めるのですから。石橋を叩き過ぎるということはない」

「ハイリスク&ハイリターンより安全策。面白味はないけど悪くない考えだ。〝聖杯戦争〟のことは君に一任している。フロイラインのことは残念の極みだが、君の好きなようにするといい。我々ナチスは君を全面的に信用して、君を全面的にバックアップする」

「御助力痛み入ります。もうしばらくお待ちください。これがなれば大聖杯は貴国のものに――――」

 この地にある聖杯は伝承で語られる聖杯とは違う贋作だが、真作に劣らぬ力を秘めた奇跡の結晶である。
 流石のナチスも真作の〝聖杯〟を見つけ出すことは出来なかったが、贋作の〝聖杯〟が本物に劣らぬ奇跡をもつのであれば関係ない。
 寧ろ本物故に担い手を選ぶ真作より、偽物故に担い手を選ばない贋作の方がナチスにとっては都合が良いだろう。

「ベルリンの総統閣下も聖杯入手の報を聞けばさぞお喜びになられるだろう。ナチスのもと世界は統一され、統一された世界で君はユグドミレニアの繁栄を約束される。まことに素晴らしいじゃないか」

 機嫌を良くしたロディウスは疲れを抜き出すかのように伸びをすると、背を向けて地下の大空洞へ戻っていく。
 この時ダーニックは気付くべきだった。先程のロディウスの言葉の中に総統とダーニックの幸福は含まれていても、自分自身の幸福が含まれていなかった事に。
 気付いたところで、どうすることが出来たかは分からないが。



 固有結界。
 術者の心象風景で現実を塗り潰すそれは魔術における大禁呪であり、魔術師にとって到達点の一つとも言われている。
 そんな才能ある魔術師が一生かけても到達できないような奇跡を、狩麻は目の当たりにしていた。狩麻の視界に広がるのは果てのない雪原。降り注ぐは冷気の結晶たる白雪。
 魔術の奥義を使いこなす英霊となれば、本来であればそのクラスは魔術師の英霊たるキャスターであるべきだ。
 だが敵はキャスターに非ず、ライダーのサーヴァント。
 魔術師ではないライダーが自身の心象風景で世界を塗り潰せるのは、そもそもライダーが心象風景そのものが具現した英霊だからだろう。
 ライダーの能力が固有結界ではないのだ。この固有結界そのものがライダーなのである。
 故にライダーの真名は〝冬将軍〟。幾多の侵略者を挫いてきた冬の極寒が、人々の想いにより人の形で起動した存在である。

「あ、アーチャー! 相手が悪すぎるわ……!」

 悲痛な声をあげる。
 ライダーの真名が〝冬将軍〟だというのならば、アーチャーにとっては相性最悪の天敵もいいところだ。なにせアーチャーは生前それに敗北した英霊なのだから。
 だが今更そんなことを言ってどうするというのか。
 此処はライダーの心象世界、固有結界の中だ。ここに取り込まれた以上、ライダーを倒すか自然に結界が消滅するのかを待たない限り逃げることは出来ない。

「相性が悪い、か。そうだね……マスターの言っていることは間違いじゃない。これは厳しい戦いになりそうだ」

「っ! 他人事みたいに言わないで! どうするのよ、もう……!」

 むかっ腹が立つ。冗談ではなく不味いのだ。狩麻にとって自分のサーヴァントがアーチャーである以上、このライダーは絶対に真っ向勝負してはならなかった相手だった。
 そのことをしっかり理解しているのかと文句を言いたくなる。

「目を背けるな、マスター。過去に思いを馳せるのも、安楽の未来に浸るのも無意味だ。賢者であらんとするならば現在に挑むべきだ」

「アーチャー?」

 豹変、と言う他ない。これまで間桐狩麻が見てきたお調子者のお祭り男はそこにはいなかった。
 吹き荒れる白雪で真紅の舞踏服を彩りながら、毅然と天敵を見据える横顔はたった一人で世界に挑戦した偉大なる英傑のそれだ。

「マスターの懸念は知っている。〝俺〟は嘗てアレに敗北した。我が挑戦の道程はアレにより打ち破られたといっていい。
 だが、以前に負けた相手に次も負けると決まっているわけじゃない。俺は自分が〝勝てる〟と信じている。これまでも、これからもそう信じて実際に〝勝って〟きた。マスター。君はこの俺の勝利を信じないのか?」

 不思議だった。あれほど絶望的な状況に敗北の二文字が刻銘に浮かんできていたのに、アーチャーならば例え最悪の天敵相手でも勝ってしまうのではと信じたくなる。
 きっと彼に付き従った者達も同じ気持ちだったのだろう。アーチャーの言葉には『この男ならやってくれる』という信頼を与えるだけの力強さがあった。

「……ったわよ」

「聞こえない。なんだ?」

「分かったわよ! そこまで言うんだから勝ちなさいよ! 負けるなんて許さないわっ!」

 狩麻の叫びがマスターの証たる令呪にも宿ったのか、その言葉が絶対命令という形をとって発現した。
 令呪の一角が失われ、その分の魔力がアーチャーの魔力となり守りとなる。

「――――その言葉を待っていた。征くぞ、嘗ての天敵。戦いだ、戦争だ」

「へぇ。記憶は曖昧なんだけどね。その口振り、アンタも生前に私にやられた口か。道理で見覚えがあるような気がした訳だよ。
 アンタの言う通りこれは戦争だ。冬を超えるか、冬に折れるか。この雪原を乗り越えて、私にキツい一発を喰らわせられるか試してあげる……!」

 水を一瞬で凍結させる冷気と、大地を抉る砲撃が激突した。
 自らの世界を展開して嫣然とするライダーと、自然の猛威に果敢に挑むアーチャー。奇しくもそれは人類史の一つの象徴的姿といえた。
 しかしマスターである狩麻には分かる。分かってしまう。
 アーチャーの動きが鈍い。以前のキャスターとの戦いで見せた動きのキレが失われている。
 原因を探るまでもなくこの固有結界の影響だろう。
 命があることを許さぬとばかりに荒れ狂う極寒は確実に生命力・体力・魔力……戦うためのあらゆる力を根こそぎ奪っていく。
 これこそがライダーの宝具『冬将軍・雪原白牙』の猛威。
 この固有結界に取り込まれた者は、冬の極寒に侵攻を阻まれた数多の軍勢たちと同じ痛みと絶望とを味わうこととなる。
 身を固めることなど気休めにもならない。魔術で体を温めようものなら、その魔術に使う魔力すら奪われて大した力を発揮できずに終わる。

――――アーチャーの言葉には『この男ならやってくれる』という信頼を与えるだけの力強さがあった。

 それは決して間違いではない。アーチャーであればどんな不可能が立ち塞がっても、諦めずに戦い抜き不可能を可能にしてしまうだろう。
 だが固有結界に取り込まれて十分も経っていないというのに、その信頼は揺らぎそうになっている。だとすれば

――――この雪原には、絶対の信頼をも奪い去るだけの絶望があった。

 過去・現在、そしてこれからの未来。
 この星に人類がある限り、永遠に侵略者の敵であり続けるソレは戦争の悪夢そのものだ。

「まだだよ」

 ライダーが右手を上げると雪原が盛り上がっていき、雪山でもないのに雪の津浪が押し寄せてくる。
 これまでの冷気による攻撃とは規模が段違いだ。それも然り、ライダーは人間霊に属する通常の英霊とは違い自然霊に近い存在。戦う場所が大雪原ならばライダーはその力を何倍にも増す。
 ましてやここはライダーの固有結界。全てがライダーの都合が良いように出来ている。

「照準――――」

 アーチャーの周囲に並ぶ無数の大砲。城壁をも砕く砲弾も雪の津浪という自然災害の前には微々たる力しかないだろう。
 しかし人間とて自然に敗北を重ねてきたわけではない。時に知恵を絞り、工夫を凝らして圧倒的な自然に人間は抗ってきた。
 アーチャーもそうやって常に強大なものに挑んできた英雄。雪崩を前にしてもその膝が屈することはなかった。

「――――撃てッ!」

 砲撃が雪崩の一角を突き崩す。
 狙い通り突破口を開いたアーチャーは強引に狩麻を抱き寄せると、マスターを抱き抱えたままその突破口に飛び込んだ。
 背後にて白い津浪がアーチャーと狩麻が先程までいた場所を呑み込んでいく。あのまま棒立ちしていればアーチャーは兎も角、人間である狩麻は白い牙の餌食となっていたことだろう。

「上手く逃げるじゃないか。まだまだいくよ!」

「っ! 着地地点に氷柱を……!」

 氷の柱の先は一流の刀匠が鍛えた剣よりも鋭く尖っている。こんな場所に着地すれば針山地獄を再現することとなるだけだ。
 着地の寸前、砲撃を氷柱に喰らわせることでバラバラに破壊する。これで着地地点に問題はなくなった。

「―――――――頂戴だァ!!」

 ただしそれはあくまで着地地点の話。
 この雪原もライダーのマスターには影響がないのか、相馬戎次は変わらぬ俊足でアーチャーに迫るとその首級目掛けて刀を振り落した。
 薔薇の舞踏服に身を包んだ騎士が動く。否、既に動いていた。疾風のような妖しき刃は、それよりも先に放たれていたサーベルに弾かれる。

「俺の首級、そう安々とは獲らせはしないぞ。相馬戎次……!」

 戎次が刃を振り落してから反応していたのでは間に合いはしなかっただろう。だがアーチャーはライダーの存在ばかりに目を奪われ、もう一つの脅威である相馬戎次を失念するという愚を犯しはしなかった。故にこの三段構えも事前に読んでいた。
 とはいえ読んだからといって防げるわけではない。相馬戎次との鍔迫り合いに押し負けると、アーチャーは狩麻を左腕で抱き抱えたまま雪原に叩き落とされた。

「うっ、ぁあっ!」

 全身を殴りつけられたよな痛みが狩麻に奔る。
 理解の追い付かない攻防に魔術で受け身をとるという判断が出来なかった。しかし状況は狩麻の理解を待ってはくれない。狩麻が寒さと痛みとに顔を歪めているその瞬間にも戦いは動いている。
 空から雹のように降り注ぐ氷柱。それに対するは大砲の一斉砲火。氷と爆炎が空中でぶつかり合い炸裂する。
 爆風の余波で狩麻は吹っ飛ばされた。

「マスター!」

 アーチャーの声が遠くから響いているように聞こえる。
 全身の痺れるような痛み。焼けるような冷たさ。着物から侵入した雪が白い肌をその冷たさで直に切り刻む。

「…………ぅ」

 意識が遠くなっていく。心が落ちていくにつれて、痛みも冷たさもなにも感じなくなっていった。自分に必死に語りかけるアーチャーの声も聞こえない。
 氷柱と砲弾の炸裂の余波であがった白煙。アーチャーは狩麻を抱き抱えると自分も体力を奪われているだろうに、逃げ場のない雪原の中、全速力でライダーたちから後退していった。
 うっすら残った視界に真紅が広がる。どうやらアーチャーが自分が着ていた真紅の舞踏服を自分に被せたようだ。
 それを最後に、狩麻は完全に意識を手放した。



[38533] 第45話  轟き咲く覇砲の大輪
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:51

 マキリは落ち目の一族だった。
 大聖杯の起動に立ち会った賢者の一人にして、マキリの支配者であり続ける老人。間桐臓硯、その真の名をマキリ・ゾォルケン。彼という傑物を生んだ後、マキリは衰退の一途を辿って来た。
 きっとマキリという一族はマキリ・ゾォルケンを生み出したその時に、成長という山を登り切り山頂に辿り着いてしまっていたのだろう。頂上に着いたのであれば後は下り続けるだけだ。
 二百年ほど昔、マキリという名を間桐という家名に隠し冬木の地に移り住んだことが止めとなった。冬木の土地は間桐とは相性が悪く、元々落ち目の家系は完全に没落の未来を決定付けられたのだ。
 そんな間桐の家に狩麻は生まれた。凋落するばかりだった一族に奇跡的に生まれた才能ある子として。狩麻は生まれたその瞬間より、間桐の翁の期待を一身に背負っていた。
 久方ぶりに後継者に恵まれた老人の喜びようは饒舌に尽くしがたい。自分の後継者を見出した翁は、まだ狩麻が幼い頃より厳しい修練を娘に課した。
 間桐の魔術の属性は水であり、その業は蟲である。間桐に生まれた女は生きながらに蟲の苗床となり、胎盤として扱われるのが常だ。用済みとなれば捨てられ、その血肉を蟲の餌とされる。
 その例を思えば、マキリにあって狩麻は破格の扱いを受けてきたといっていいだろう。
 決して死なぬよう修練には細心の注意を払われ、女としての体を穢しつつも、天寿を全うできるように育てられてきた。それは間桐臓硯という妖怪にとっての温情だったのかもしれない。だが僅かな温情があろうと拷問が拷問でなくなるということはない。
 蟲に体を犯され続けた狩麻は心身ともに限界だった。
 幼少期の狩麻は蟲蔵というおぞましい記憶に蓋をして、常に心を閉ざして膝を抱えて蹲っているだけの子供だった。そんな狩麻に友人など出来る筈もなく、狩麻に話しかけてくる者といえば間桐家の支配者たる間桐臓硯か、出来損ないの兄の霧斗くらいだった。
 だがもしも『魔術師』は皆がそんな境遇なのだろうと思うことができれば、まだ耐えられたかもしれない。自分は魔術師という特別な存在で、だから一般人と話す必要はないのだと思い込むことが出来たろう。
 しかし同じ魔術師でも、あの男はそうではなかった。
 遠坂冥馬。一族の期待を背負うほどの才能をもって生まれた魔術師であり、聖杯戦争のシステムを作り上げた始まりの御三家の後継者であり、同い年で、家も比較的近くにあった。
 言うなれば間桐狩麻と最も近い存在。だというのに遠坂冥馬と間桐狩麻はなにもかもが違っていた。
 自分は家にいる時は地下の蟲蔵で犯され、外では一人ぼっちだというのに。冥馬はいつも優雅で皆の輪の中心だった。狩麻の傍には誰一人いないのに、冥馬の傍にはいつも沢山の人がいた。
 厳しくも優しい父、沢山の友人たち。その全てが間桐狩麻がどれだけ欲しくても手に入れられなかったもの、持っていないものだった。
 こんなものは理不尽だろう。自分と同じ境遇の遠坂冥馬はあんなにも沢山のものを持っているのに、自分は何一つとして欲しいものを持っていないのか。
 妬ましい。羨ましい。
 これまで自分一人が特別だから抱かなかった嫉妬という魔物。それが遠坂冥馬という同じ人間を知って初めて牙をむく。
 間桐狩麻が変わり始めたのはその時からだ。
 遠坂冥馬という男を初めて見た瞬間、間桐狩麻は遠坂冥馬を自分の下に跪かせてやると決めたのだ。
 なにもかもで遠坂冥馬の上をいき、今度は遠坂冥馬に自分の抱いた感情を味わわせる。それが間桐狩麻にとっての遠坂冥馬への復讐。
 それからは嫌々していた魔術の修練に積極的に取り込むようにした。
 遠坂冥馬の上をいくのであれば、魔術師としても遠坂冥馬より優れなければならない。
 幸いというべきか恰好の舞台はあった。これより十数年後に開催されるであろう第三回聖杯戦争。
 恐らく聖杯戦争に冥馬はマスターとして参加するだろう。ならば自分もマスターとして参加して冥馬を倒せば、間桐狩麻が遠坂冥馬を上回ったというなによりもの証明となる。
 そうやって遠坂冥馬を跪かせることばかり考えていたら、自然と冥馬と話す機会も増えて行っていた。

「そんなに使い魔を自分の手足のように動かすなんて凄いじゃないか。マキリの魔術属性は水だったか。戒めに強制、それに吸収。
 俺はその手の魔術は得意じゃないから、なにかコツとかあれば教えてくれないか?」

「……馬鹿じゃないの。間桐と遠坂は不干渉だってこと忘れたの?」

「忘れてなんかないさ。だからこうやって会うことはあっても間桐の敷地に踏み込んだことは一度だってないだろう」

「だったらこうやって話しかけているのはなに?」

「いや魔術について話が出来るのは、父上を除けばお前くらいだからな。ついつい話しかけてしまうんだ。心配しなくても一線は守るさ。
 遠坂がマキリの業を盗む事を警戒しているなら心配しなくていい。俺も大切な友人を敵に回したくない。ただ少し使い魔の使役についてコツを教えて欲しいだけなんだ。魔術の原則は等価交換、こちらも対価は出す」

「―――――――」

 自分が冥馬より上だったことを発見した以上に、あの遠坂冥馬が自分に頼みごとをしてくるという優越感は何にも変え難かった。
 それを皮切りに魔術関連のことで話し合うようになり、時計塔に留学した時は共同研究などもするようになった。
 けれど冥馬と並び立つ魔術師となる代償に、女としてはどんどん穢れていった。
 恨みは積もる。妬みは尽きない。
 遠坂冥馬を跪かせる、それだけのために自分はあらゆるものを犠牲にしてきた。
 だからこんな所で負けるなんてあってはならないのだ。こんな所で終わってはきっと遠坂冥馬は間桐狩麻を置き去りにしていってしまう。
 遠坂冥馬にとって間桐狩麻が置き去りにした過去に成り下がるなど――――それだけは嫌だ。例え死ぬのだとしても、遠坂冥馬にとって間桐狩麻が忘れ得ぬ名前にならなければ死んでも死にきれない。

「ぐっ……ぅ……」

 視界が広がる。
 飛び込んできたのは真っ白な空、肌が感じたのは身を凍らす冷たさと僅かな温かみ。

「目が覚めたようでなによりだ、マスター」

 〝彼〟が顔を綻ばせた。狩麻は手を伸ばし、

「冥、馬?」

「すまないが俺は君の望む遠坂冥馬じゃない。君のサーヴァントのアーチャーだ」

 瞬間、頭がはっきりしてくる。
 自分はライダーの固有結界に取り込まれ、戦闘の余波で意識を失ったのだった。頭がズキズキする。全身にはまだ鈍い痛みが残っていた。
 しかも景色が大雪原ということはライダーの固有結界はまだ解けていない。
 痛みを堪えてライダーはよろよろと立ちあがった。

「私は、どれくらい眠っていたの……?」

「大体五分くらいだ。幸いこの固有結界は広くて視界も悪い。隠れる所には事欠かなかった」

 五分間。それを長いと取るか短いと取るかは人によるだろう。しかし狩麻は長いと取った。
 魔力がごっそりと無くなっている。ライダーの固有結界は眠ったくらいで逃れられるほど甘いものではない。狩麻が眠っている間にも『冬将軍』は魔力と体力を奪っていっていた。

「こんな所で、もたついてる事なんて出来ないのに……絶体絶命じゃないの……」

 この固有結界内では時間が経てば経つほどに魔力を奪われ不利になっていく。ライダーを攻略するには短期決戦を挑むのがシンプルにして最良の方法だったのだ。
 言い表せぬ絶望感が狩麻を包む。この状況での五分間のロスは途轍もなく大きな痛手だ。

「〝逆境〟はチャンスでもある。諦めたらそれまでだぞ」

「分かってるわよ……分かってる……」

 ここで負ければ遠坂冥馬を跪かせるどころではない。冥馬を倒すこともできず、この雪原で一人死ぬことになる。
 けれどそんな現実に抗うだけの気力も狩麻からは失われていた。
 敵がライダーだけならばまだ良かった。アーチャーの宝具で固有結界を吹き飛ばせたかもしれない。しかし敵にはマスターでありながら三騎士並みの白兵戦闘能力をもつ相馬戎次がいるのだ。
 極寒はそれ単体ではそこまで絶望的なものではない。アーチャーほどの英雄であれば幾らでも突破できるだろう。
 だというのに多くの英雄が極寒により敗れ去ったのは、極寒の中に寒さに強い敵軍がいたからだ。

「私は……冥馬を、跪かせてやらないと……あいつに私の気持ちを味わわせてやらないと、いけないのに」

「―――――マスター、それは本当にマスターの本意なのか?」

「なにを今更。私はそれだけが目的で聖杯戦争に参加したのよ。他に目的なんてありはしないわ」

「人の心ほど理解し難いものはない。それは自分のものも同じだ。だから自分の気持ちを完全に理解しろなんて言うつもりはないが、どうせなら自分が命を懸けて戦っている本当の動機くらいは知っておくべきだ」

「アーチャー?」

「俺もそうだった。僕から俺になり俺から余となり……世界なんて巨大な敵に挑むことに夢中になって、最初に命を懸けた切欠の理由なんて、あの島に送られるまで忘れていた」

 最初の理由なんて考えるまでもないことだ。……ない、はずだ。
 自分と同じはずなのに、自分の持っていないものを全て持っていた遠坂冥馬が許せなかったから、遠坂冥馬を自分の下に跪かせてやりたいと思った。
 本当に、それだけのはずだ。他に理由なんてありはしない。

――――そうなのだろうか?

 体力も魔力も奪われ、死という泥沼に命が引きずられているからだろうか。走馬灯のように狩麻の脳裏にこれまでの記憶がフラッシュバックする。
 冥馬を倒すためにナチスを利用した。
 彼の英雄の聖遺物を手に入れ、最高峰の英霊をサーヴァントとして手繰り寄せた。
 時計塔では分野は違えど冥馬と魔術の腕を競い合い、偶に共同でなにかすることもあった。
 時計塔に留学する前は他に話す相手もいなかったから、冥馬と話すことが多かった。冥馬に誘われて遊んだこともある。
 違う……これは冥馬と出会ってからの事だ。
 間桐狩麻が遠坂冥馬に執着した、その最初の理由は。

「野球をするのに一人足りないんだ。もし良ければ混ざってくれないか?」

 ずっと一人ぼっちだった。誰にも話しかけられず、暗い蟲蔵で魔術の鍛練をするだけの日々。
 そんな暗闇にいた自分に手を差し伸べてきた人が一人だけいた。それは手を差し伸べた方にとっては何気ない日常の一風景だったけれど、間桐狩麻にはなによりもの救いだったのだ。

「ああ……そうだったんだ」

 自覚すればすっと素直な感情が広がる。なにも難しいことなどではなかったのだ。
 間桐狩麻は遠坂冥馬が好きだった。
 魔術の腕を磨いたのも、冥馬に自分の魔術を褒めて貰えたから。冥馬にもっと褒められたくて、冥馬の隣りに並べるような女になりたくて、間桐狩麻は魔術の鍛練をし続けたのではなかったか。
 狂おしい愛が憎悪に反転したのはいつのことか。
 愛しい人に相応しい女となるために女を汚す。その矛盾した行動の果てに、最初に抱いた淡い恋心すら忘れ去ってしまった。
 真実はこんなにも簡単だったというのに、遠回りをし続けていたのだ。

「――――心は、知れたか?」

 これまで聞いた事のない労わるような声だった。
 アーチャーは現代で調達したものではなく、英雄としての自らの正装を纏っていた。
 獅子のような気高さと竜のような気品を備えた赤い外套、外套の中に着込むは黒地の軍服、頭に被るは二角帽。
 アーチャーが現代で纏っていた真紅の舞踏服は狩麻にかけられていた。少しでも寒さを和らげるためにアーチャーが被せてくれたのだろう。

「……ええ。やっと」

 コクリと頷いた。するとアーチャーは心底嬉しそうに、

「そうか。なら良かった」

 全身は未だに凍りつくように寒い。だが心には少しだけ温かさが灯っている。
 接近する敵の気配。とうとうこちらを見つけたのだろう。慎重な足取りで二つの影が近付いてくる。

「ようやっといたぞ。ライダー、お前のコレ。もっと見やすくならねえのか?」

「視界を良くするために吹雪を収めたら本末転倒じゃないか。これが精一杯だよ」

 相馬戎次とライダー、二人を目にするとさっき得たばかりの温かさまで消えそうになる。
 しかし狩麻が震えるよりも先に、アーチャーの全身に魔力が漲った。空気を凍りつかせる冷気が、灼熱の魔力に焼かれ息を潜める。
 アーチャーの纏う気配を敵も感じたのか戎次とライダーが身構えた。

「戎次、下がってた方がいい。アーチャーの奴……デカいのを出す気だ」

 前を見据えたまま、アーチャーが「マスター」と狩麻に声を掛ける。
 狩麻の返事はとっくに決まっていた。

「やりなさい、アーチャー」

 こんな所で死ぬことはできない。やっと……やっと自分の気持ちに気付くことができたのだから。

「ウィー、モン・メートル」

 大雪原と吹雪に真っ白に染まる空を吹き飛ばすかのように、数えきれないほど膨大な大砲が召喚されていく。
 十、二十、三十……数が六十を超えたところで狩麻は綺羅星の如きものを数える愚かさを知る。
 空を埋め尽くさんばかりの砲口が向けられるのは嘗てアーチャーの敗北した冬の化身。

「我が栄光の到達点を再び見よう。三帝織りなす戦場へ降り注ぎし祝福の光をここに」

 人口の増加、科学技術の発達により、単身で世界を相手取れる英雄は、過去の遺物として世界から一人また一人と姿を消していった。
 そんな時代に生まれ、己の才能を武器にたった一人で世界に挑戦した男がいる。あらゆる逆境に負けず、乗り越えた偉大なる男がいる。
 現代秩序の生みの親にして、近代最大級の英雄。その英雄の名は、

「勝利よ輝け、轟き咲く覇砲の大輪(ソレイユ・ド・アウステルリッツ)」

――――ナポレオン・ボナパルト。

 あらゆる逆境を跳ね除けてきた英雄の象徴であるこの砲火は、状況が絶望的であればあるほどに破壊力を増す逆転の一撃である。
 狩麻とアーチャーの置かれていた状況は絶体絶命。故にこの砲撃はあらゆる城壁を消滅させる太陽の輝きとなる。
 炎が吹き荒れる。地面が抉り取られる。目を開けることすら出来ない一斉砲撃が冬の世界そのものを消し飛ばしていく。
 そして世界が一人の英雄に敗北した。




【元ネタ】史実
【CLASS】アーチャー
【マスター】間桐狩麻
【真名】ナポレオン・ボナパルト
【性別】男
【身長・体重】172cm・60㎏
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具A++

【クラス別スキル】

対魔力:D
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。


【固有スキル】

皇帝特権:B+
 本来もち得ないスキルも素養が高いものであれば、本人が主張することで短期間だけ高いレベルで獲得できる。
 該当するスキルは騎乗、剣術、気配感知、陣地作成、算術、占術など。

カリスマ:B
 軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において自軍の能力を向上させる。
 カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。

軍略:A+
 一対一の戦闘ではなく、戦争における戦術的・戦略的直感力。
 自らの宝具の行使や、逆に相手の宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。

星の開拓者:EX
 人類史においてターニングポイントになった英雄に与えられる特殊スキル。
 あらゆる難航、難行が“不可能なまま”“実現可能な出来事”になる。


【宝具】


轟き咲く覇砲の大輪ソレイユ・ド・アウステルリッツ
ランク:A+
種別:対軍宝具
レンジ:1~100
最大捕捉:200
 類稀な才気によりヨーロッパを圧巻したアーチャーの英雄性の具現としての宝具。
 召喚・展開したグリボーバル砲による正確無比な集中砲火は、古今無双の精鋭ですら消し飛ばす。
 敵の戦力に自身の戦力を引いた分だけ破壊力を増す特性をもっており、その性質上、追い詰められれば追い詰められるほどの破壊力を増大していく。正に〝逆転の一撃〟である。


【Weapon】

『シークレットシューズ』
 自分の身長が低いことを気にするアーチャーが履いている靴。
 靴底の踵部分が厚くなっているので、自分の身長を大きく見せることができる。



[38533] 第46話  凶つ風
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:52
 大地を揺るがせ、世界を塗り替え、世界を吹き飛ばすような激戦も、終わってしまえば静かなものだ。
 戎次は敵のいなくなった遠坂家の庭を見回す。狩麻とアーチャーの姿はそこにはない。アーチャーの宝具により固有結界が消し飛ばされるや否や、アーチャーが狩麻を抱き抱え逃走してしまったのだ。
 本当に静かだ。戎次とライダーにより破壊された罠が壊れた時計のようにカチカチと鳴っているのを除けば、庭に動くものはなにもない。

「アーチャーの正体がナポレオン・ボナパルトなんてなぁ。流石にたまげた」

 余り日本以外の英雄について詳しくない戎次もナポレオン・ボナパルトのことは知っている。
 類まれなる軍事的才覚によりヨーロッパを圧巻した戦争の天才としても有名だが、その最大の功績は史上初の近代的法典であるナポレオン法典を制定した事であるとされる。
 こと世界的知名度においては三本の指に入るサーヴァントだろう。もしも開催地がより力を発揮できるヨーロッパだったら勝敗はどうなっていたことか。

「私を召喚して良かったかい?」

「……ああ」

 戎次は幸運を噛みしめる。
 もしも戎次のサーヴァントがナポレオンにとって最悪の天敵である〝冬将軍〟でなければ、恐らく戎次は今頃この遠坂邸で物言わぬ死体と化していただろう。
 それほどまでにアーチャーの宝具の破壊力は途轍もなかったのだ。
 固有結界の中での戦いだから良かったものの、外で戦っていればここには庭ではなく更地が広がっていたはずだ。

「解せないことが一つ。いい?」

「なんだ」

「どうして二人を逃がしたの? 確かにアーチャーの宝具の破壊力はとんでもなかった。幾ら対軍宝具だからって、相性最悪の私の固有結界を一撃で吹っ飛ばすなんて不可能をやってのけるくらいなんだしねぇ
 だけどそれまでだ。あの間桐狩麻ってマスターとアーチャーは完全にボロボロ。二連続で宝具を解放どころか、まともに戦えるかどうかも怪しかったよ。
 逆にこっちはもう一度固有結界を展開するくらい余裕だったし、そうでなくとも戎次と私なら普通に戦っても勝てる自信はあった」

 アーチャーの宝具『轟き咲く覇砲の大輪(ソレイユ・ド・アウステルリッツ)』は幾度となく劣勢を挽回してきた〝戦争の天才〟の象徴といえる宝具だ。その真価は追い詰められれば追い詰められるほどに発揮される。
 だが逆転の一手というのは、それが失敗した時により酷い状況に追い詰められる諸刃の剣。アーチャーの宝具も例外ではない。
 ライダーの固有結界で既に狩麻とアーチャーは魔力・体力共に限界だった。ライダーの言う通り二連続で宝具の真名解放をする余力など残っていなかったはずだ。
 或いは令呪という絶対命令権を使えば不可能を可能にしたかもしれないが、それでもライダーの固有結界を吹き飛ばしたほどの破壊力をもう一度撃てるとは思えない。
 故に戎次とライダーは逃げた狩麻たちを追撃するべきだった。追撃して確実に狩麻たちを討ち取れた確証はないが、少なくとも二人に痛手を与えることはできただろう。
 戎次は特別頭の良い人間ではないが、愚かではない。そんなことが考えられないはずがない。だというのに戎次は狩麻たちを追わずみすみす逃がした。その理由は、

「そりゃ首級ィ持ってこいって命じられてたんだ。俺も追って行きたかった。だが駄目だ。こいつが光ったからな」

「なにこれ?」

「お札」

「そりゃ分かってるよ。だからそのお札がどうしたの?」

 戎次がひょいとライダーに見せたのはお札だ。どこの国のものではない文字が描かれたお札。暗い闇の中、お札は淡い光を放っていた。

「こいつは二枚一組でな。魔術が使えねぇでも強く念じりゃ片方が光るようになってる。んでもう片方は木嶋少佐に渡しておいた」

「つまりそのお札が光ったっていうことは――――」

「撤退して本隊と合流しろっていう合図だ」

「…………………このタイミングで? なにかあったんじゃないの?」

「だがなぁ。敵襲だってんなら緊急用の赤い札を使うはずだし――――良く分からねえ」

 白いお札が発光する一方で、もう片方の赤いお札の方はまったくの無反応だ。
 こちらが無反応ということは、少なくとも木嶋少佐や帝国陸軍に緊急を要することは起きていないということである。
 だというのに、いきなりの作戦中止。なんとなくきな臭かった。

「ライダー、急いで戻るぞ。なんか嫌に気分が悪ぃ」

「同感だね。アーチャーは……また次の機会があるさ。幸い相性は抜群に良いんだ。私と戎次なら二回目も負ける気ないし」

 そうアーチャーがどれほど強力なサーヴァントだったとしても、冬将軍たるライダーとの相性は最悪。
 聖杯戦争の妙といえるだろう。知名度が高く強い英雄が必ず勝者になれるわけではない。相性如何によっては万の軍勢を倒す英雄が、一人も殺せないほど脆弱な英雄に負けることもある。
 ライダーとアーチャーはその典型例だ。

「いくぞ」

 ともあれ今は木嶋少佐のことが気にかかる。戎次は急いで帝国陸軍の拠点へ戻っていく。
 撤退中。ぞわりと、背筋に嫌な悪寒が奔った。




 ここまでくれば大丈夫だろう。
 アーチャーと共に必死に逃げていた狩麻は、大分遠坂邸から離れてから漸く足を止めた。
 夜ということもあり周囲には人の気配はない。聞こえるのは風にあおられた木々がざわめく音だけだ。
 よく周りを見回してみると、自分が立っているのがアインツベルンの森近くの郊外だということに気付く。遠坂の屋敷からここまではそれなりに距離がある。気付かぬうちにここまで来てしまうとは自分は余程焦っていたらしい。

「大丈夫かい、マイ・マスター。もうムッシュ・ジュウジとライダーはいないんだ。少し休むと良い。僕はここでマスターのために心休まる歌声を奏でるとしよう」

「……歌は結構だけど、そうね。休ませて貰うわ」

 歩くのを止めて近くの木に背中を預けると、これまでの疲れがどっと圧し掛かって来た。
嫌な汗が流れる。心臓がバクバクと動き、恐怖で身が竦みそうになる。
 魔術師にとって死とは魔術を身に刻む上で先ず初めに観念するべきこと。以前、冥馬はそう父に教えられたと言っていた事がある。
 属性も得意とする分野も違うが狩麻も冥馬と同じ魔術師であり、蟲蔵での修練の過程で死を身近に感じたことは何度もあった。命の危険に遭遇したことも一度や二度ではない。
 だがこれほどまでに死を隣り合わせに感じたのは生まれて初めてだった。
 隣を見れば今でも『死』がにっこり笑いかけているような錯覚すら覚える。
 ふとアーチャーに視線をやった。

「どうかしたかい、マドモアゼル。よしてくれ、君の物憂げな瞳に僕のハートはクラクラさ」

「…………………」

 ライダーとの戦いであれほど英雄らしい威風を放っていたアーチャーは、何時の間にかお気楽な狩麻の良く知るアーチャーに戻っていた。
 こうしてしげしげと見つめても〝あの〟アーチャーと〝この〟アーチャーが一致しない。実は二重人格だったとか、ライダーとの戦いだけ双子の弟と入れ替わっていたと言われた方がしっくりくるくらいだ。

「口調、戻ったのね」

 じっとしているだけだと、なんとなく不安になるので思い切って狩麻は疑問をぶつけてみた。
 アーチャーは直ぐに狩麻がなんのことを言っているか悟ると、

「アレは僕が英雄ボナパルトとしている時のものだよ。だがサーヴァントとして召喚された僕は英雄じゃない。一介のサーヴァント、マスターの忠実なるナイトさ」

「ナイトって、貴方は皇帝でしょう」

「昔が皇帝だろうと英雄だろうと関係ない。僕は聖杯戦争に美しさの三文字を書き連ねるために招かれたプリンス。マスターに全力の忠義を誓う一輪の薔薇。それ以上でも以下でもない。
 ライダーとの戦いは彼女が英雄ボナパルトの忘れ得ぬ宿敵だったからね。ついついマスターのナイトでありながら、英雄として戦ってみたくなったんだよ。ごめんね☆」

「いいわよ、別に。謝らなくても」

 寧ろ感謝するべきなのだろう。
 アーチャーがいなければ自分は生きてはいなかった。それに冥馬に執着していた本当の理由を思いだすことはできなかっただろう。恐らくは死ぬまで。

「それよりも私には貴方がどうしてそこまで、この私に尽くしてくれるのか不思議で仕方ないわ。今はサーヴァントといっても、貴方は世界を圧巻したほどの英雄の中の英雄じゃない。
 対する私なんて……ええ、悔しいけど認めるわ。私なんて貴方を召喚しただけの魔術師。そうよ……貴方が私のために尽くす理由なんて、どこにもないじゃない」

 ナポレオン・ボナパルト、彼がどれほど偉大な英雄なのかなど今更論ずるまでもないことだ。
 狩麻が彼に対し真摯に向き合い、彼によく報いてきたのであれば、召喚者に好意を感じて協力してくれることはあるかもしれないが、狩麻が彼に対してとってきた態度はspmp逆だ。
 アーチャーの奇天烈な行動や言動に度々叱責を飛ばすばかりか、アーチャーの忠言や献策を跳ね除けては、冥馬への執着を優先してきた。仮に狩麻がアーチャーの諫言に従い行動していれば、こんな無様を晒すことだってなかったはずだ。
 こうやって死にかけたのも言うなれば狩麻の自業自得。下手なサーヴァントならとっくにマスターを見限っていてもおかしくない。
 なのにアーチャーは狩麻のことを見限るどころか、あくまでも狩麻のサーヴァントとして狩麻に尽してくれている。

「フフフ、僕は英雄なんて大したものじゃない。僕はただの英霊だよ」

「……同じじゃない」

「いいや違う。英霊だのなんだのと言っても死者は所詮死者でしかない。この時代からすれば僕はただの稀人、単なる部外者さ」

 アーチャーはまた英雄としての顔を覗かせながら語る。

「マスターは英霊なんて過去の遺物じゃない。一人の想い人に執着して、自分の気持ちに正直になるのに臆病なレディだ。想い人に対して素直になれない奥手な女性だ。今を生きる立派な人間だ。これから先の未来を変えていく権利と力をもっている、ね」

 過去に生きていたナポレオン・ボナパルトという英雄は、或いは間桐狩麻という魔術師よりもよっぽど価値のある存在だったのかもしれない。
 だがサーヴァントとしてこの場に実体化している自分は、過去の人間、過去の遺物に過ぎないのだと現代秩序の生みの親は語る。

「どれほど世に有り触れた存在だったとしても、今を必死に生きている一人の人間の方が死んだ英雄よりよっぽど価値がある。だからマスター、僕の命なんて君と比べれば大して価値があるものじゃないんだよ」

 そう言って狩麻を見つめるアーチャーの瞳は、英雄というより子の未来を見守る父親のようだった。
 たった一人で世界に挑んだ人類史が生んだ稀代の天才。だがそんな天才は誰よりも今を生きている一人一人の人間の力を信じてるのだろう。
 間桐狩麻を通して人々を見据える英雄の目の奥には希望が満ちていた。

「貴方とこの数日一緒にいて、貴方みたいなのが本当にあの戦争の天才ナポレオン・ボナパルトなのかと何度も疑問に思ったわ」

 現代の人間が抱く過去の英雄のイメージが実物と異なることは良くあることだとはいえ、アーチャーは余りにも狩麻の抱いていたイメージと違い過ぎていた。
 皇帝の癖して自分をプリンスだのと言い始めたり、家の模様替えを始めたり、敵の前で歌い始めたり……もう狩麻の中で英雄ボナパルトに抱いていたイメージは滅茶苦茶に蹂躙されてしまったといっていい。

「フフフフフフ。僕は皇帝として偉そうにしたりしてるより、こうしている方が好きなんだけどね。だけど自覚はしているよ。マスターが僕が本物のナポレオン・ボナパルトなのかと疑問に思うのは至極当然のことさ」

 ナポレオン・ボナパルトは、いやアーチャーは特に気分を害した風もなく言う。しかし、

「……だけどこれまで一緒にいてボナパルトという人物は、私が思っていたよりずっと偉大な英雄だったんだって分かったわ」

 アーチャーが面食らったように目を白黒させ、やがて朗らかに微笑んだ。

「おや。そう手放しに褒められると嬉しくなるじゃないか! 美しい淑女からの賞賛、僕にとってはなによりもの褒美だよ」

「はぁ~。……ふふっ」

 溜息をつきながらも笑ってしまう。
 あれほど他の英霊を召喚していれば良かったと後悔しておきながら、今は心の底から彼を召喚して良かったと思っている。つくづく自分も調子が良い女だ。
 だが、そんな気持ちに浸っていられる時間はそう長く続いてはくれなかった。

「マスター。お休みのところ悪いけど招かれざる客人だ」

「……え?」

 疲労のせいで全く気付かなかった。神経を研ぎ澄まし気配を探ると――――なにかが近付いてきている。
 それも一人や二人ではない。狩麻の耳には十人以上の人間の足音が聞こえていた。
 咄嗟にナチスか帝国陸軍か、と考えるが、それにしては様子がおかしい。兵士ならばもっと規則正しい足音になるはずだし、体格の良い兵士にしてはどうにも歩幅が狭い。まるで小さな子供達が列をなして歩いているようだ。

「あれは……フランス、人形?」

 狩麻たちの前に現れたのはフランス人形の集団だった。糸もなく独りでに稼働している人形たちは、夜の闇と人形の無表情さが相まって酷く不気味だった。
 だが相手が単なるフランス人形の団体様ならば、如何に消耗していようと狩麻とアーチャーの敵ではない。問題なのはフランス人形一体一体がノコギリや鉈、何に使うのかも分からない拷問器具らしきものなど物騒な凶器を持っていることだ。

「フランス人形、それもオートマターとなると――――アサシンのマスター、確かエルマ・ローファスって名前の魔術師だったわね」

 狩麻の記憶が正しければナチスが一方的に寄越してきた情報の中に、アサシンのマスターであるエルマ・ローファスの名前があった。
 なにやら身体的にも魔術回路的にも問題があるらしく、後継者は弟に奪われたそうだが、戦闘に長けた自律人形造りにかけては中々の腕らしい。

「……相手がアサシンで助かったわ。ここに来たのがセイバーやランサーなら確実に終わっていたけど、真っ向勝負にかけてはキャスターと並んで最弱のアサシンならアーチャーの敵じゃない」

「マスター、油断はよくないよ。確かに暗殺なんて美しさの欠片もない行為だ。だけど、どんなに名を馳せた英雄だって、グラスに混入された毒物一つで簡単に死ぬものさ」

「分かっているわよ。けどアサシンの姿なんてどこにもないじゃない」

 狩麻の前にいるのは無数のフランス人形たちだけだ。何処を探してもアサシンの姿はどこにもない。

「きっと周辺の木の影にでも潜んでいるんだろう。僕の後ろから離れない様に頼むよ。マスター!」

 フランス人形が仕掛けてくる。だがフランス人形たちより遅く動きながら、アーチャーはフランス人形より早く攻撃準備をしていた。
 四つの砲口がアーチャーの周囲に召喚される。脆いフランス人形を壊すのにサーヴァントを相手にするような破壊力はいらない。
 ライダーとの戦いで消耗していたこともあって威力の抑えられた砲撃だったが、魔弾はただの数発でフランス人形たちを粉々に吹き飛ばしていった。

「あら。後ろからも?」

 どうやら前から現れたフランス人形だけで敵の兵隊は打ち止めではなかったらしい。左右に背後。三方向からフランス人形たちが襲い掛かって来た。
 フランス人形の生みの親である人形使いは、ここから離れた遠くにいるというのに、フランス人形たちは並みの兵隊よりも機敏に動く。
 だが戦えない程ではない。狩麻は自分の下僕たる蟲に指令を送る。

「マスターはいい! ここは僕がやる!」

「大丈夫よ。こんな奴等くらい、私一人でも十分。貴方は左右の敵を消し飛ばしなさい。私は背後をやるわ」

 言いながら蟲たちを飛ばす。蟲の半分は周囲に潜んでいるであろうアサシンの警戒のために見張りに。
 そして残りの半分が攻撃用だ。

「Insekten.Werden Sie mein Schatten(我が下僕。現世は浸れ、影は伸びる)」

 狩麻の操る蟲達が集まり、それが間桐狩麻と寸分違わぬ間桐狩麻を生み出した。
 蟲達により体を構成された〝間桐狩麻〟の分身は本物の狩麻を守るべくフランス人形たちに突っ込んでいった。フランス人形たちは分身の狩麻の体を切り裂くが、蟲の集まりでしかない分身に斬撃なんて大して意味のあるものではない。
 フランス人形の一体が口から炎を吐きだした。
 そんな仕掛けまで施しているのかと一瞬だけ驚くが、冥馬のそれと比べれば火力も速度も足りない。対冥馬用の蟲の防壁で楽に火炎放射を防ぐ。

「――――あの戦いの後に魔力を消耗するのは、きついわね……。だけどこれで終わりよ」

 纏めて倒すべく大技を繰り出そうとして、

「左様。終わりだ」

 倒れていたフランス人形の腹が開き、なによりも明確な〝死〟の運び手がぬっと現れた。
 アーチャーは一つ勘違いをしていた。アサシンは確かに隠れ潜んでいたが、それは周囲の木々の中にではない。
周囲を警戒したところで無意味。アサシンが潜んでいたのはフランス人形の中。フランス人形と同じかそれ以下でしかない背丈を利用し、人形の中で空気を遮断し潜んでいたのだ。アサシンが常識外の小躯であることを知らなかったが故に起きた思考の空白。そこを稀代の暗殺者は見逃さない。

「―――――っ!!」

 声にならない悲鳴。だがもう遅い。アサシンの指は既に狩麻の顔に触れていた。

「教えよう。貴殿の敗因、それは私のことを小物と侮ったことだ」

「アサシンッ!!」

 アーチャーがプリンスとしての顔などかなぐり捨ててアサシンに向かっていく。
 しかしアサシンはアーチャーを相手することなく、もう役目を終えたとばかりに撤退していった。
 そう。既にアサシンの〝暗殺〟は完了している。ほんの掠った程度の接触、それでこの稀代の暗殺者には十分過ぎる必殺だ。ならばもうアサシンがやるべきことはない。そもアサシンはサーヴァントを殺すサーヴァントに非ず。アサシンが狙うはサーヴァントを従えるマスターのみ。マスター殺しこそが暗殺者の本領だ。

「い、嫌よ……っ!」

 死が隣にいるどころではない。自分の頭に死が宿ってしまった恐怖が狩麻を駆け巡る。

「や、やっと……やっと自分の気持ちに気付けたのよ! い、いやっ! こんなところで死にたくない! 冥馬にもう一度会わないといけないの! 会ってあの時のお礼を言わないといけないの! いやぁぁぁああ!! せめてもう一度だけ、私の気持ちを伝えないと、死んでも――――」

「死ね」

 下されたのは無情な宣告。

「空想電脳」

 シャイターンの魔手。西洋魔術とは根元から異なる〝呪い〟が送り込まれていた狩麻の脳髄。
 アサシンがその呪いの真名を言った瞬間、脳髄に送られた呪いが起動し頭が爆ぜた。

「マ、スター……」

 降り注ぐ血飛沫。美しい顔を主人の返り血で濡らし、アーチャーは見る影もなくなったマスターを見下ろす。
 そこには新たな秩序を生み出した皇帝も、幾多の戦いを制した英雄も、陽気なプリンスも誰もいなかった。いるのはマスターを守れず、死なせてしまった不甲斐ないサーヴァントだけ。
 アサシンは再び気配を断ち、完全にその姿を晦ましていた。





【元ネタ】暗殺教団
【CLASS】アサシン
【マスター】エルマ・ローファス
【真名】ハサン・サッバーハ
【性別】男
【身長・体重】30cm・9㎏
【属性】秩序・悪
【ステータス】筋力D 耐久E 敏捷A+ 魔力C 幸運E 宝具C

【クラス別スキル】

気配遮断:A+
 サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
 完全に気配を断てば発見する事は不可能に近い。
 ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断のランクは大きく落ちる。

【固有スキル】

投擲(毒針) :A
 毒針を弾丸として放つ能力。

調合:C+
 材料さえあれば大抵の薬物を作り上げることが可能。
 現代に伝わっていない未知の薬物を作り上げることもできる。

自己改造:C
 自身の肉体に、まったく別の肉体を付属・融合させる適性。
 このランクが上がればあがる程、正純の英雄から遠ざかっていく。

【宝具】

空想電脳ザバーニーヤ
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:3~9
最大捕捉:1
 呪いの指。悪性の精霊シャイターンの憑いた左指であり、人間を呪い殺す事に長けている。
 対象の頭部に触れることで、脳に呪いを送り込む。呪いを宿した脳髄は爆弾へ変わり、呪いを炸裂――――爆破することで物理的防御を無視して相手を呪い殺す。
 爆発のタイミングはアサシンが決めることができる。
 空想電脳に対抗するにはCON(耐久)の高さではなく、 呪いを弾き返すほどの能力・MGI(魔力)の高さが重要となる。



[38533] 第47話  裏切り
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:53
 聖杯戦争もいよいよ七日目。初日より一週間が経過した。戦いは中盤戦を終え、そろそろ終盤戦へと突入しようという段階だろう。
 戦いが終わりに近付けば、これまで慎重策をとっていた者達も派手に動くようになる。温存していた宝具もばんばん使ってくるはずだ。
 そうなれば必然的に聖杯戦争を管理運営する立場である自分の仕事が増えることになる。璃正はそれに掛かる労力を想像し少しだけ憂鬱になった。
 とはいえこれも与えられた一つの修行なのだと割り切り、手始めに残っている仕事を片付けることにする。
 だが璃正が残りの仕事に取り掛かろうとした時、背後でドアをノックする音。
 目の前に仕事があるとはいえ璃正は自分が神父であるということは忘れてはいない。そして神の家は常に開かれてあるべきだ。
 神父としての本分を果たすべく璃正は腰を上げる。

「待たれよ。今開けよう。教会の門は常に開かれている」

 璃正が扉に手をかけようとした次の瞬間、

「いや。こちらが勝手に開けよう」

「―――――!」

 扉の向こう側から感じた殺気。
 璃正の動きは早かった。数多の苦行により培われた瞬発力で横合いに飛びドアから離れる。
 それと同時に教会のドアを貫通する鉛玉の豪雨。神の家に飛び込んだ弾丸が椅子や十字架などに風穴をあけていく。床を弾丸が跳ね、神聖な神の家に殺戮の弾がばら撒かれた。
 暫く璃正が息を潜めていると軍服を着た兵士達を引き連れた男が、ドアの残骸を踏み潰しながら入ってきた。

「冥馬はナチスよりは紳士的だと評していたが、やはり同じ穴のムジナだったということか」

 指揮官と思わしき男も、引き連れてきた兵士も白人ではなく東洋人だった。纏う軍服も黒ではなくくすんだ緑。そして指揮官の男には〝少佐〟の階級章があった。
 恐らくは相馬戎次の上官、この聖杯戦争で帝国陸軍を指揮する立場にいるであろう男だ。

「心配はご無用だ、神父様。我が帝国は神道国家。君達の信仰している神とは一切合財関係ないし私も信じていない」

「木嶋少佐」

「ああ、分かっている」

 部下の一人に急かされた木嶋少佐は、懐から抜いた拳銃を璃正の眉間に照準する。

「アインツベルンより移譲された〝聖杯〟を出して貰おうか。あれを手に入れることが我々の――――というよりは我々を派遣した上層部の目的でね。
 所属が聖堂教会といえど君も名前からして日本人だろう。同じ日本人同士、これも日本の為と思って大人しく渡してくれるとありがたい。
 聖杯を差し出せば悪いようにはしない。帝国としても聖堂教会との仲をこじらせるのは本意ではないだろうしなぁ」

 言いつつも木嶋少佐の向ける銃口は璃正の眉間から外れることはない。彼の引き連れてきた兵士も自動小銃を向けている。

「断れば容赦なく撃つ、か」

「そういうことだ……。どうするね神父様。神様の家とやらに神父の血が流れる悲劇を生むか。はたまた神様の杯の贋作を我々に渡すか。十秒だけ待ってやろう」

 聖杯を差し出せば撃たないというのは信じていいだろう。
 彼等の所属する国家、即ち大日本帝国とイタリアは同盟関係。ヴァチカンに本拠地を置く聖堂教会の神父を殺すのは避けたいはずだ。
 そもそも連中は聖杯が目的であって、言峰璃正を殺すことにメリットなどありはしない。

「10、9、8……」

 カウントが刻まれている。
 流石に本職の軍人というべきか。向けられている銃口は震え一つない。カウントが0を刻めば銃口は容赦なく火を噴くだろう。
 だが解せないこともある。

(聖杯を奪うならどうして帝国陸軍は、ここに相馬戎次とライダーを差し向けなかった。如何に私がただの監督役でサーヴァントのような戦力をもたないとはいえ、万全を期すならサーヴァントを投入するべきだ。
 なにか重要な別件があった? それとも私一人相手にサーヴァントなど要らないという油断か? はたまたなにか別の理由が……)

 いや、そもそもそれ以前に。

(連中は本当に聖杯戦争を制する気があるのか?)

 思い返せば帝国陸軍の動きは最初から奇妙だった。
 帝都での襲撃でも総兵力をもって一気に叩き潰すという単純明快にして最善の策をとらず、敢えて戦力を小出しにしてこちらの実力を測るような行動をとっていた。
 石橋をたたいて渡る、だけでは説明できないほど病的なまでの慎重さである。慎重が度を過ぎて石橋を叩き過ぎた挙句に破壊してしまう本末転倒さ。
 それにこうして対峙していても、木嶋少佐からは冥馬やルネスティーネにあった勝利を求める貪欲さが見受けられない。

(だが――――)

 例え木嶋少佐の心中がどうであろうと、木嶋少佐が部下を引き連れて教会に保管されている〝聖杯〟を奪おうとしているという事実は変わらない。
 そして聖杯戦争の監督役として璃正は違反者から〝聖杯〟を守る義務がある。

「5、4、3……」

 木嶋少佐のカウントがどんどんゼロに近付いていく。そしてカウントが2を告げようとしたその瞬間。

「覇ァッ!!」

 璃正の体が柳のように揺れ、次いで疾風のように動き、雷霆の如き掌底を叩き込んだ。
 だが聖杯戦争なんて場所に指揮官として派遣されるだけあって、相馬戎次という規格外には劣るものの、木嶋少佐も相応の実力者ではあった。非道にも隣りにいた部下を自分の盾として璃正の掌底を防いでいた。
 木嶋少佐の無傷を代償に盾となった兵士は地面に崩れ落ちる。

「やはり簡単に聖杯を譲ってはくれないようだな。この数を相手に暴挙だと思うが」

「そうでもない」

 璃正とて敵にサーヴァントがいるならば徹底抗戦という選択肢を捨て、〝聖杯〟を持って逃げるという選択をとっていただろう。
 サーヴァントがどれほど人間にとって理不尽な脅威なのかは一度ランサーと戦ったからこそ理解している。
 だが相手が人間。それも魔術師でもない兵士達というのであれば、言峰璃正でも交戦して勝つ可能性はある。

「大人しく聖杯を譲ってくれればこちらも無駄な労力を使わないで良いというのに。ままならないものだ」

「君達が国の命でここに来ているように、私も聖堂教会の命でここに来ている。君達軍人は目の前に敵がいるからといって敵前逃亡をするのかね?」

「成程。確かにそれは出来ない。軍人にとって敵前逃亡は銃殺だ」

 璃正と木嶋少佐の距離は二歩半。この距離であれば銃より拳の方が早い。璃正の技量をもってすれば、二歩半を縮めるのは容易いことだ。
会話しながらも、璃正は容赦せず怒涛の拳打を木嶋少佐に放っていく。
 けれど至近距離で八極拳士と銃で戦うことが愚であると木嶋少佐も承知していた。
 故に彼が抜いたのは銃ではなく日本刀。相馬戎次の持つ妖刀と比べればサーヴァントと切り結ぶことなど到底不可能な刀ではあるが、人間の武器としては十二分に上等な名刀である。

「本職を舐めるなよ神父」

 無感動に繰り出された斬撃。頸動脈を正確に狙う刃を、璃正は後方へ体を下げることで回避する。
 お返しとばかりに木嶋少佐に蹴りを喰らわそうと足に力を込める璃正だが、こと逃げに関しては木嶋少佐が一枚上手だった。璃正が回避に費やした僅かな時間で、自分は部下の兵士達の背後に引っ込んでしまっていた。
 部下の背後に逃げた木嶋少佐は前線で直接刃を交える兵士から、本分である指揮官の仕事に戻る。

「交渉は決裂だ。聖杯は神父を始末してから手に入れる。撃て」

 命令と同時に火を噴く銃口。だがその程度に璃正が臆することはなかった。

「ふんっ!! こんなもので!!」

 璃正は銃弾から逃げ出すどころか、逆に銃弾に真っ直ぐ突進していった。
 それは誰の目から見ても自殺志願者と見間違わんばかりの蛮勇であったが、璃正の纏う僧服が防弾仕様であるという一点が蛮勇を勇気に変える。

「うぉおぉおおおおおおおお!!」

 両手をクロスさせ、迫りくる銃弾を僧衣で弾きながら突進した璃正は、兵士達に自分の間合いまで近付くと三人の兵士をまとめて蹴り飛ばした。
 これには無感動を貫いてきた木嶋少佐も目を丸くする。
 接近された兵士はナイフを取り出し、または銃剣術で璃正に襲い掛かってくるが、兵士達の隙間を滑らかにすり抜けると、次々に手刀を叩き込み兵士達を失神させていく。
 ざっと二十人の武装した兵隊。彼等はおよそ数分のうちに言峰璃正一人によって沈黙させられた。
 あちこちが破壊された教会で立っている人間は二人。言峰璃正と木嶋少佐だけ。
 木嶋少佐は倒れた部下を見下ろすと、あることに気付き眉を潜めた。

「驚いた。全員死んでいないな」

 璃正によって倒された木嶋少佐の部下である兵士達。彼等の中には腕の骨が折れている者や椅子に頭から突っ込んでいる者などはいるが、誰一人として命を奪われてはいなかった。命が危うくなるほどの致命傷も受けてはいない。程度の差はあれ全員がゆっくり休んで療養すれば健康体に戻れるだろう。

「私とて聖職者の端くれだ。このような血腥い監督役に任じられたとはいえ、殺生に手を染めるわけにはいかん」

「ご立派な考えだが、甘いことだ。それともこんな連中を相手に殺す気になるまでもないという余裕かな?」

「――――信念だ」

 残る敵は木嶋少佐のみ。璃正の目算では木嶋少佐もかなりの使い手だが、それでも武術家としての強さであれば自分が上回る。
 兵士達を倒した以上、形勢は逆転している。璃正の方が木嶋少佐よりも優位に立った。
 璃正は残った木嶋少佐に、岩をも砕く拳を突き出した。

「なん、だと……?」

 驚きは璃正のもの。
 木嶋少佐へと突き出された拳は、古めかしい鉄製の盾により受け止められた。鉄を思いっきり殴った璃正の掌からは血が滲む。
 けれどそんなことは大した問題でもない。木嶋少佐を盾で守った人物、それが最大にして最悪の問題だった。

「何故だ……! 何故ナチスのサーヴァントが帝国陸軍の指揮官を庇う!?」

 璃正と木島少佐の戦いに割って入った白い影。それはランサーのサーヴァントだった。

「どうしてかだって? それがクライアントからのオーダーだからさ」

 ランサーは以前に会った時と変わらぬ飄々とした口調で言うと、手から出現させた無骨な槍で璃正を薙ぎ飛ばした。

「ミスター木嶋。迷惑かと思いましたが、丁度邪魔者のそちらの兵士達が消えてくれたようですので御助力させて頂きますよ」

 カツカツと規則正しい足音をたてて歩いてくるのはナチスドイツ側の魔術師、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

「いえいえ。彼は予想以上の使い手らしく、こちらの兵士達では持て余していたところ。御助力は望むところです」

 帝国陸軍の指揮官である木嶋少佐。ナチス側のマスターであるダーニック。本来ならば敵同士であるはずの両者はまるでそれが自然体のように並び立つ。
 その光景に璃正は自分の悪寒が正しいものだったのだと悟る。

「ま、まさか帝国陸軍は……いや木嶋少佐、貴方はナチスと裏で内通していたのかっ!」

「今更否定する意味もない、か。その通りだよ神父。こうして帝国陸軍の指揮官などを任されている私だが、ミスター・ダーニックとは取引を交わしたギブ&テイクの関係でね。無論、これは上層部も部下達も知らぬことだが」

「なんてことだ」

 つまり木嶋少佐は最初から聖杯を手に入れるつもりなどありはしなかった。何故ならば木嶋少佐はダーニックの協力者。表向きは帝国陸軍の指揮官として、帝国に聖杯を献上するため戦いながら、裏ではナチスの有利になるよう立ち回っていた。
 とんだ出来レースだ。まさか第三次聖杯戦争における最大戦力が裏では通じ合っていたとは。

「こうして姿を現してしまった以上、ここで気絶している彼等には悪いが……。宜しいですね、木島少佐」

「構いませんよ。貴方がやらずとも私がしていたことです」

 ダーニックの言葉に木嶋少佐が頷くと、ダーニックは一言「ランサー」とだけ言った。
 ランサーは面倒臭そうに了解の意を告げると、どこからともなく天井から剣が降り注ぎ気絶している兵士達を貫く。

「――――なっ!」

 一瞬の惨劇。璃正が決して死なぬように意識を奪うだけに留めた兵士たちは、その全てが凶刃に貫かれ絶命した。
 神聖なる神の家に真っ赤な血だまりが広がる。

「なんて、ことを……。木嶋少佐! 君は自分の部下を見殺しにしたのか!?」

「仕方ないだろう。私の裏切りがばれれば私が死ぬんだから。私の命と部下二十人の命。悲しいことだが、私の基準では私の命の方が勝る価値を持つのでね」

「――――!」

 木嶋少佐は迷いなく断言する。
 璃正は悟る。この男、木嶋少佐には義侠心や愛国心なんてものは欠片もありはしない。あるのはどこまでも自分の私欲を追及する我欲だけ。
 軍服を纏う資格などありはしない最低の裏切り者、獅子身中の虫。それが木嶋少佐の正体だ。

「無駄話が過ぎた。ダーニック殿、お願いする」

「分かりました。ランサー、仕留めろ」

「楽な仕事だ」

 ランサーは特になにもしなかった。したことといえば左手から出現させた剣をなにもない虚空に無造作に振り下ろしただけだ。
 だというのに璃正の体はまるで刀に切られたかのように割れて血を噴出させた。

「ぐっ……ぁっ」

 監督役としてナチスが帝国陸軍の指揮官を使って暴虐をしているということを、どうにかして他のマスターたち――――冥馬に知らせなければならない。
 そうでなければナチスを止められる者はいなくなり、聖杯は世界一危ない集団の手に渡ってしまうだろう。
 冥馬の父に『相応しいものに聖杯が委ねる』ことを託された身として、こんなところで斃れるわけにはいかないのだ。だというのに無情にも璃正の体はみるみると力を失っていく。
 だが無情にも流れていく血は、言峰璃正から大地に立つだけの力を奪い去っていく。
やがて立っていることすら出来なくなり、ばたんと床に倒れた。

(まだ、だ……)

 ただし強靭な意志力で、倒れながらも意識だけはぎりぎりで繋ぎとめる。
 冥馬ならばやがて騒ぎを聞きつけてここにやって来るだろう。その時のために、少しでも多くのことをこの眼に焼き付けておかなければならない。



[38533] 第48話  電撃姫の乱入
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:53
 極東の地方都市にある教会とは思えないほど立派だった冬木教会は、見る影もなく破壊されていた。
薬莢と破壊された椅子の破片が乱雑に散らばり、殺された兵士達の流した血が赤い絨毯を敷き、神父の体に剣が刺さったその光景は実に冒涜的だった。敬虔な信仰者がこれを見ればこの惨劇を齎したダーニックと木嶋少佐を正面から非難することだろう。
 しかし神ではなく魔術という神の奇蹟に反した力をもつダーニックと、そもそも無神論者である木嶋少佐には神の家で行った暴虐にも特に思うことはない。
 ダーニックと木嶋少佐は腰を掛ける場所を失った教会で、ランサーが目的の物を探し出してくるのを待つ。

「――――あったぞ。これだ」

 待つこと数分。教会の奥から出てきたランサーが脇に抱えていたのは、どこか清らかさを感じる木箱だった。
 流石にランサーは物を見る目に関しては超一流である。苦も無く教会にあるソレを探し出してみせた。
 これでTPOを弁えず銃火器を徹底的に嫌いぬく困った性質がなければ、それなりにマシなサーヴァントなものを。ダーニックは決して悟られぬよう何重にも覆い隠した内心で溜息をついた。

「ご苦労。確認のため見せてくれ、ランサー」

「そら」

 ランサーは死んだ兵士達の持ち物だった機関銃を足で踏みつぶし粉々にしながら、ダーニックに木箱を手渡した。
 木箱を開けるとそこに収められていたのは、心を溶かすほどの魔性の美しさをもつ黄金の杯。
 贋作とはいえ聖杯を語るだけはある。幾多もの政治闘争を潜り抜けてきたダーニックをもってして感動を表に出してしまうほどの一品だった。
 錬金の大家アインツベルンは伊達ではないのだとダーニックは改めて思い知る。

「美しい……」

 そう呟いたのは木嶋少佐だった。
 自分の私利私欲のために国を売るような男も、人並みの美観というものは備えていたらしい。

「同感です。正にこれこそ聖杯という出来栄えですね。監督役の神父はさぞ大切に保管したことでしょう。神の血を受けた正真正銘の聖杯ではないと頭では分かっていても、聖杯という名前でこれほどの美しさであれば聖職者として感動を覚えずにはいられない」

「私からすれば外面だけで中身の無いすっからかんの代物だがな」

 つまらなそうに聖杯を目の端で捕えながらランサーは酷評する。
 ダーニックや木嶋少佐と違い神域の眼力をもつランサーからしたら、この聖杯は感動どころか唾棄すべきものに過ぎないのだろう。

「君からすればそうだろう。しかし君ほどの目をもつ人間など現代には指で数えるほどしか……いや指で数えられる程もいないだろう。我々からすればこれは十分に〝聖杯〟足り得るのだよ……」

 ともあれこれで目的は果たした。ダーニックは笑みを深める。

「ところで教会で保護されているアルラスフィールは見つかったか? アインツベルンの知識を持つ彼女は出来れば押さえておきたかったのだが……」

 ランサーはゆっくりと首を振る。

「残念ながら。どうもあのホムンクルスは逸早く逃げ出したらしい。奴が保護されていたと思わしい部屋の窓が開いていた。貴様たちの無粋な鉄屑の雑音がトラウマになっていたんじゃないのか?」

「そうかもしれん」

 アルラスフィールは城を追われてから、夜通しナチスや帝国陸軍の兵隊による襲撃を受け続けていた。
 その結果彼女が銃声などの兵士を連想させるものにトラウマを覚えていても不思議ではない。

「まぁホムンクルスは止むを得ないか」

 どうせアルラスフィールの確保は念には念を入れて更に念を入れるレベルの保険に過ぎない。確保しなかったところで、計画に支障などは出ないだろう。

「どうにかここまでは計画通りに進められたな」

 遠坂冥馬という強敵を屠る絶好の好機を、ランサーの下らないプライドで妨害され失敗するというイレギュラーはあったが、聖杯戦争は概ねダーニックの思惑通りに進んでいる。
 今頃障害の一人である間桐狩麻は木嶋少佐の命令で向かわせられた相馬戎次とライダーにより仕留められているはずだ。
 仮に仕留められてなかったとしても、相馬戎次とライダー相手に間桐狩麻はかなりの消耗を強いられるのは確実。そうなれば他の陣営――――それも夜な夜なターゲットを求め徘徊しているであろうアサシンにとっては良い的となるだろう。
 間桐狩麻が今宵敗退するのは九割方確定していることだ。
 遠坂冥馬、リリアリンダ・エーデルフェルト、エルマ・ローファス。作戦決行直前に三組の主従を残してしまったのは少し痛いが、止むを得ない。時間が押しているのだ
 それに残った三組への対策の一貫として、こうしてわざわざ教会に保管されている聖杯を奪取するなんていう、ダーニックとナチスの計画では必要なかった寄り道をしたのだ。ここまでやって失敗するのなら、なにをどうしようと作戦成功は不可能だったと諦めもつく。

「それでは木嶋少佐」

「はい」

「貴方はこの聖杯を〝帝都〟へと持ち帰って下さい。他の連中が気付くよう出来るだけ派手にね」

「……私達が他の参加者たちを引き連れているうちに貴方は本命の大聖杯とやらを奪取すると」

 コクリとダーニックは頷いた。
 柳洞寺地下にある聖杯戦争システムのそもそもの大本である大聖杯。あれを奪取するのがダーニックの目的だ。
 正規の方法で聖杯を獲得し、願いを叶えようという考えはもはやダーニックにはない。
 そもそも聖杯戦争なんていうのは所詮御三家が仕組んだ出来レースでしかない。聖杯の正しい所有者を決める為にサーヴァントを召喚し争い合うなんていうのは、御三家が外来の参加者用に吹き込んだ出任せ。本来の目的は別にあるし、そもそも普通の参加者は聖杯が具体的にどのようなものかすら分からないのだ。
 故に冬木の聖杯戦争は最初からゲームマスターである御三家が最終的に勝利するようになっている。
 柳洞寺を拠点にしたことで偶然にも大聖杯の存在を知ったことで、聖杯戦争の裏事情をほぼ完全に理解したダーニックたちナチスといえど勝てるかどうか。仮に御三家のマスターを全て仕留めた上で、聖杯降霊に臨んでも、土壇場で勝利を予期せぬ誰かにかすめ取られるのではないかという懸念は消えてくれない。だとすれば、

「わざわざゲームマスターの望み通りのルールで、ゲームマスターの用意したゲームを戦ってやる必要などどこにもない。ゲームマスターを上回るためにはゲームマスターの定めたルールなど無視して、我々の勝手なルールでゲームそのものを引っ繰り返さねば」

 即ち聖杯戦争の根本である大聖杯そのものの奪取。
 今この場で聖杯を使えずとも大聖杯を奪って、御三家の手の及ばぬ遠い地で聖杯を起動すればいい。年月は相応にかかるが、今この場で大博打をするより勝算はある。

「冬木の聖杯には二種類ある。聖杯戦争を作り上げている大魔法陣としての大聖杯。そしてサーヴァントの魂をくべる小聖杯。
 そのうちの一つ。小聖杯が監督役の手から奪われたとなれば、どの陣営も血眼になって小聖杯を奪い返そうとするでしょう。そうすれば柳洞寺地下の大空洞で暗躍する我々に目を向ける余裕もなくなるはず……。
 木嶋少佐。我々の計略で貴方の果たす役割は重要だ。なにせ最大の障害である三組もの主従の視線を釘付けにして貰わなければならないのですから。期待していますよ」

「微力を尽くします。サーヴァントは愚か、時計塔や聖堂教会も干渉することの叶わぬ例の場所へ『聖杯の器』を移送すると言えば、誰も違和感など覚えはしないでしょう。寧ろ私の判断を賞賛されるかもしれない。
 ただ約束の報酬は用意してくれるんでしょうね。私はその為だけに貴方に協力しているのですから」

「海外に家政婦つきの豪邸と三十人が一生遊んで暮らせるだけの額を用意しています。心配せずともこの程度の出費を惜しんで、大聖杯奪取計画の大切な協力者の信用を裏切る真似はしませんよ」

「豪邸と大金をその程度の出費ですか。庶民の生まれの私からしたら実に羨ましい」

「貴方は金と財産が欲しい。私は金と財産では手に入らないものが欲しい。私の金と財産の一部を譲るかわりに、貴方は私の手に入れたいものを手に入れるための協力をする。ギブ&テイクというものです」

 正義や理想で動く人間より、金や財産で動く人間の方が信用できる。
 前者だとどれだけ大金を積まれても動かないこともあれば、時にダーニックが下らないと思う理由で裏切りを働くこともある。だが後者ならばしっかり報酬を出しているうちは裏切ることはないし、裏切るにしてもそのタイミングは計り易い。
 そういう意味で木嶋少佐はランサーと同じタイプといっていいだろう。いや木嶋少佐にはランサーのような美意識や美学がないため尚良いといえる。
 尤もそういう人間だと嗅ぎ分けた上で、木嶋少佐に取り入ったのはダーニックなのだが。

「恐いものだ。真実よりも真実らしく平然と嘘を吐く。報酬を貰ったら貴方にはもう関わりたくありませんね」

「誉め言葉として受け取っておきますよ。それにええ。事が終われば会わない方がいいでしょうね」

 偶然が重なり木嶋少佐は聖杯戦争に関わっているが、彼は軍人であることを除けば魔術師の家の生まれでもなければ魔術回路もない一般人だ。一般人がそう何度もこちら側に関わるべきではない。
 木嶋少佐もこちら側に踏み入る事を望んでいないだろう。一般人が不用意に魔術に足を踏み入れて良かった試などありはしないのだから。木嶋少佐はそのくらいのことは分かる人物だ。

「――――大の男が三人集まってなにヒソヒソ話しているのかしら? 獲らぬ狸の皮算用はするもんじゃないわよ」

 鈴のような軽やかさと、淑女らしい凛とした雰囲気が同居した少女の声。ダーニックと木嶋少佐が同時に顔を強張らせた。

「Elektrizitat!」

 少女の声で魔術の詠唱がなされると、破壊されたドアから苛烈な電撃が侵入してきた。
 ここで木嶋少佐を死なす訳にはいかない。彼にはまだやって貰うことがある。ダーニックは咄嗟に木嶋少佐を庇うように前へ進み出て防御魔術を発動させた。
 ダーニックとて時計塔で名を馳せた魔術師。魔力量を背景とした一小節のわりには中々の威力の電撃だったが、ダーニックの防御魔術を突破するには足らない。ダーニックとその背にいる木嶋少佐には傷一つなかった。
 教会にいる人間に襲い掛かった電撃はランサーにも直撃していたが、彼には自前の対魔力があるし、最上級の魔除けの指輪をつけている。魔力の一切はランサーに通用しない。

「ふーん。八枚舌なんて如何にも口先ばかり一流な異名持ちの癖して、実力の方も大したもんじゃない。そこいらの二流魔術師なら、あれ一発で黒焦げなんだけどね」

 カツカツと足音を鳴らし、さながら女王のような風格で姿を現したのはリリアリンダ・エーデルフェルト。エーデルフェルトが生んだ稀代の双子魔術師の片割れ。雷を手足のように操る魔女だ。
 そして若き女当主の隣りに控えしは白銀の甲冑に身を包んだ銀髪の騎士、セイバー。

「……リリアリンダ・エーデルフェルトか」

 ダーニックは眉間に皴を寄せる。
 世の中上手いことばかりではない。順風満帆の中にこそ落とし穴は潜んでいるもの。時計塔でそんなことはとうに学習したと思っていたのに、自分ともあろうものが運命の女神がどれほど性悪で不細工な女なのか失念していたらしい。

「不味いことになりましたね。ミスター・ダーニック」

 試す様に木嶋少佐が語りかける。
 リリアリンダは聡い女だ。教会のこの惨状を見ればナチスと木嶋少佐がどういった関係なのか直ぐに理解するだろう。つまり絶対に知られてはならない木嶋少佐のナチスとの内通が、強敵の一人に露見してしまったことになる。

「この聖杯もどきに魅入られてきたのはクライアントとその協力者だけじゃなかったらしい。不滅の刃の担い手とその主まで引き連れてくるとはな」

「ランサー!」

 不用意な発言を咎めようとするダーニックだが、どうせもうリリアリンダ相手に隠せるような段階でもない。
 叱責の言葉を声に出すことなくそのまま呑み込む。
 下手な発言をしてまたランサーにへそを曲げられでもしたら冗談ではすまないのだ。全てが終わるまではランサーに味方であって貰わなければならない。

「勘違いしないでくれる? 私が来たのはアンタ達みたいに聖杯をコソコソ掠め取ろうとしたからじゃない。
 ちょっと教会近くで殿方と待ち合わせていたら、喧しい銃声が鳴り響くものだから飛んできたのよ。伝手からアンタ達が監督役の持っている聖杯を奪おうとしたっていう話を聞いていたからもしやと思ってね。
 そしたら案の定。私達の目から隠れてこっそり聖杯盗もうとしていたみたいだけど残念だったわね。聖杯は聖杯戦争の勝利者だけが手に入れる資格をもつトロフィー。アンタ等みたいな奴に渡すわけにはいかないわ」

「ふっ。エーデルフェルトが横から掠め取るのを非難するか」

「あら、種無しユグドミレニアはエーデルフェルトについて理解が足らないようですね。私達エーデルフェルトが掻っ攫うのは優勝賞品と――――勝利そのものだってことを!」

 ピクリ、とダーニックの眉が動く。抑揚さは消え去り、瞳は抜き身の刀のように細まった。

「セイバー、出番よ! 容赦することはないわ。ここで叩きつぶしてやりなさい」

「任せておけ! あいつらを倒せばいいんだな? 簡単な命令で助かる。……おほんっ!聖杯を掠め取る盗賊共よ。その非道! 例え神が許そうと俺が許さん。我が剣の錆としてくれる! 俺の剣、錆ないけど」

 セイバーが〝絶世の名剣〟を手から出現させ、その刃をランサーへと向けた。
 ランサーはまじまじとセイバーの手にある聖剣を観察しながら「良い使い手の手にあるようだ」と嬉しそうに頷いていた。

「さて。向こうはやるつもりだが……ダーニック、クライアントはお前だ。お前がオーダーを出せ」

 ここでのベストとしてはリリアリンダとセイバーを排除してしまうことなのだろう。そうすれば木嶋少佐の内通が他に知られることもなく、今後の障害を一つ消し去ることにもなる。
 しかしそう簡単に排除できるというならダーニックとてとっくにやっている。
 リリアリンダ・エーデルフェルトとセイバー。聖杯戦争において最も厄介な敵の一人だ。特にセイバーはイレギュラーな召喚のツケで霊格が低下していて尚も強力なサーヴァント。その強さはダーニックのランサーを完全に上回っている。
 戦って勝つというのは難しい。それにモタモタしていたらリリアリンダの待ち合わせ相手もここに駆けつけてくる危険性もある。

「……止むを得ないか」

 パチンとダーニックが指を鳴らして合図すると、教会の天井を突き破り、ナチスが生み出したサイボーグが七体教会に降り立つ。

「なにこいつらっ!?」

 人間の肌色の中に明らかな鋼の色をもったサイボーグの出現に、リリアリンダが目を見開き吃驚する。
 あちこちの戦いに好き好んで介入し勝利を掻っ攫ってきたハイエナも、ナチスのサイボーグを直接に見たことはなかったようだ。
 ナチス上層部でも総統を含めた極一部の者しか知らぬことなのだから当然といえば当然だが。

「目的は果たした。退くぞランサー!」

「待ちなさい!」

 待てと言われて待つ義理はない。
 サイボーグたちがリリアリンダとセイバーを遮っているうちに、ランサーはカーテンくらいの大きさのある白い外套を自分とダーニック、木嶋少佐に被せる。
 擬似的な空間転移。白い外套が空気に溶けるように掻き消えた時、三人は教会ではなく柳洞寺の石段前に立っていた。
 一回限りの使い捨て。宝具もどきの外套だが、念のためにランサーに用意させておいて正解だった。お蔭でリリアリンダとセイバー相手にこうも容易く逃げることに成功した。
 尤もあの外套は一つしかない。二つ目を用意するならば最低六日はかかるので、恐らくもうこの聖杯戦争中は使えないだろう。

「いいのですか? ダーニック殿。リリアリンダ・エーデルフェルトを捨て置いて」

「我々の内通が彼女に知れたところで、マスターたちが貴方の手にある〝聖杯〟を奪還する必要があることに違いはありませんよ。
 それに今更になって計画を延期することも出来ません。木嶋少佐。貴方はこれから約束通り聖杯を帝都へ持ち帰って下さい。我々は計画通り大聖杯奪取作戦を続行します」

「……分かりました。では」

 これ以上の話し合いは時間の浪費でしかない。聖杯を脇に抱えた木嶋少佐は帝国陸軍本隊と合流するべく駆け足で退散していった。
 その後ろ姿を見送りダーニックも地下大空洞へ足を向ける。
 ユグドミレニアの繁栄という未来を切り開くために。



[38533] 第49話  安全地帯
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:55
 約束の場所にいつになってもリリアが姿を見せず数十分。もしかして約束すっぽかされたか、と懸念を抱きかけた時だった。リリアの使い魔の鳩が足に手紙を括りつけてやってきたのは。
 その手紙を見た冥馬は急いで冬木教会へと走ったが、冥馬とキャスターが着いた時には全てが終わってしまった後だった。

「冥馬……」

 セイバーと二人で散らばった木片を横に退かしていたリリアが、駆け込んできた冥馬に視線を向ける。リリアの瞳には冥馬を労わるような色があった。
 戦いがあったのだろう。厳粛にして神聖な神の家はそこにはなく、あるのは滅茶苦茶に破壊された残骸と無数の死体だけ。聖堂の十字架はなにか強い衝撃を受けたのか、根本からぽっきりと折れ、雷撃で黒焦げになっていた。
 血溜りと瓦礫を踏みながら、冥馬は無言のまま教会の中へ入る。
 鼻をつくのは血の臭いに混じった硝煙の臭い。そして転がっている死体が帝国陸軍の兵士達のものとなれば、ここでなにがあったのか大体の予想はつく。
 そして一番奥へ来て、冥馬は思わず目を瞑った。
 目にはしたくない現実。あって欲しくはなかったモノが冥馬の前にある。しかし聖杯戦争に挑むマスターとして、目を背けるわけにはいかない。
 冥馬は目の前の事実を受け入れるために、その瞳を開いた。

「璃正……」

 冥馬の眼前で横たわっているのは言峰璃正だ。璃正は目を瞑ったまま眠るように死んでいる。
 リリアが処置をしたのだろう。血止めが施されているが、璃正の腹には剣によるものと思わしき傷口があった。
 璃正の纏う僧衣は防弾仕様の優れもの。機関銃だろうとそう簡単に貫くことはできない。ということはこの傷が致命傷となったのだろう。
 気になるのは璃正と同じような傷が倒れている帝国陸軍の兵士達にもあったことだが。

「リリア……ここでなにがあった?」

「ナチスと帝国陸軍がグルだったのよ。グルといっても同盟関係とかじゃなくて、帝国陸軍の指揮官の木嶋って奴がナチスと内通してたってだけだけど」

「じゃあ帝国陸軍と璃正をやったのは?」

「ナチスのランサーよ」

「……!」

「そこの神父様も頑張ったみたいよ。なんてったって裏切り者の木嶋少佐以外の兵士達は全員のしたらしいんだから。おまけに神父様らしく、自分に襲い掛かった兵士達も殺さないで気絶させるだけで済ませてね。
 だけど一人だけになった木嶋少佐のところに、ナチスのマスターのダーニックがランサーと一緒に応援にかけつけてきて……もうここまで説明すれば分かるでしょう?」

「口封じか」

 裏切り者が最も恐れるのが裏切りの露見だ。
 帝国陸軍の指揮官という立場でありながら帝国陸軍を裏切りナチスと内通していた木嶋少佐も、当然帝国陸軍に自分の裏切りが露見することを恐れていただろう。
 だからダーニックのランサーに『自分とナチスが内通したことを知ってしまった可能性のある』部下達を殺させたのだ。

「璃正をやったのは聖杯を奪うためか」

 遠坂冥馬と言峰璃正の付き合いは短い。長さを測るならばまだ一か月どころか二週間も経っていない。だが友情が芽生えるのに時間の長さは関係のないことだ。十年間付き合おうと友人になれないこともあるし、出会って直ぐに友人になれることもある。
 自分と璃正は恐らく後者だっただろう。璃正はダイヤモンドよりも堅物で、心臓のかわりに信仰心で動いているのではないかと思ってしまうくらいに真っ直ぐな男だったが、だからこそ腹を割って話せる友だった。

(こんな事になるんじゃないかと思いながら、一方でお前なら大丈夫だと信じていた。それは俺の甘えだったのかもしれないな……)

 涙は流さない。璃正はきっと最後の最期まで自分の義務を果たそうと生き足掻いた。ならばそれを無駄にしてはならない。遠坂冥馬もそれに倣う。
 自身の義務、即ち外道の魔術師達。ナチスとそれに組する木嶋少佐を消し去ること。

「――――聖堂教会に聖杯戦争の監督をするよう持ち掛けたのはアインツベルンだが、遠坂やマキリもそれに一枚噛んでいる。だから俺がお前が死ぬ原因の一つだったといえるんだろう。
 だが謝りはしない。そんなことは監督役としての使命を全うすると誓ったお前自身への侮辱になる」

 冥馬はこの聖杯戦争を通して巡り合った友人に背中を向ける。
 軍隊を擁するナチスと帝国陸軍。この二勢力は外来の参加者でありながら、御三家を超えるほどの優勝候補だ。
 しかも一勢力でも厄介なそれらが裏では繋がっているときている。つまり璃正の仇討をしようとすれば、必然的にナチスと帝国陸軍の両方を敵に回さなければならない。
 だがここは冬木市、御三家のホームグラウンドだ。自分の生存を度外視した捨て身の攻勢であれば十分に勝ち目はある。

「短かったな、四代目当主の就任期間は」

「冥馬……貴方、死ぬ気なの?」

 リリアが呼び止めた。冥馬は振り返らないまま、

「忘れたのか。魔術は等価交換が原則。ナチスと帝国陸軍を一片に掃除しようっていうんだ。俺の命くらいは賭けないと釣りが合わないだろう。
 俺にはアメリカに弟がいてね。これがまた出来た弟で、俺が聖杯戦争中に死んだ時には弟の息子が五代目になることになっていた。
 だから大したことじゃない。俺が死んでも、俺のかわりに俺の甥が遠坂を継いでくれるんだから」

 自分以外の為に先を目指すもの。自己よりも他者を顧みるもの。…そして、誰よりも自分を嫌いなもの。それが父より教えられた魔術師の素養だ。
 しかしそんな人間は有り得ない。魔術師だなんだといっても人間である以上、自分のことが一番可愛いものだ。もしも本当に自分を度外視できる人間がいるとすれば、それはもう人間として致命的に壊れている。
 だが父の後継者として冥馬はそういうように生きてきた。
 死への恐怖がないかと問われれば、魔術師として表向きは無いと即答するだろう。内心では殺し切れない恐怖というものが残っているが、そこは勇気や気合や根性で乗り切る。
 遠坂冥馬は死の恐怖を克服できているわけではない。だが自分が死ぬ覚悟など、魔術師の道を歩むと決断した、その日にしていることだ。

「思えばナチスに俺の知り合いを殺されたのはこれで二人目か。一人目は父さんで次は友人。なら三度目はお前達の命と引き換えに、俺の命をくれてやる。いくぞ、キャスター! 璃正の敵討ちだ!」

 冥馬は気合を入れて教会から足を踏み出そうとして、

「……か、勝手に……人を…………殺すな」

 死んだと思っていた友人の言葉に心臓が飛び出しそうになった。

「り、璃正!? 生きていたのか!」

「死んだふりをしてやり過ごし…………なんとか……だが。いつつっ」

 よろよろと上半身を起こしながら、璃正が歯を食いしばって痛みを堪える。
 息は荒く肩で息をしている状態だったが、間違いなく璃正は生きていた。

「呆れたしぶとさよね。宝具級の剣に腹を貫かれて生きているなんて本当に人間なの? もしかして死徒の血が混ざってるとかいうオチはないでしょうね」

「生憎と私の両親はどちらも清く正しい人間だよ」

 冥馬が友人が生きていた事を素直に喜んでいると、キャスターが隣りで「ふっ」と鼻で笑ってくる。

(こいつ……。さては璃正が生きてることを知っていたな)

 璃正が生きているのを知っておいてマスターに黙っておくとは、つくづく性格の捻くれた男である。こんなのが義兄でアーサー王はさぞ苦労したことだろう。
 尤もキャスターは性格に難があるもののTPOを弁えない程ではないので、いよいよ冥馬がナチスに捨て身で突撃しようとしたら止めに入っただろうが。

「とはいえギリギリだった……。運良く急所を外れていたとはいえ、彼女の手当がもう少し遅ければ今頃私は血を流し過ぎて死んでいただろう。
 まさか神父である私が魔術によって命を繋ぐとはな。皮肉な運命もあったものだよ」

 自嘲するように璃正がふっと笑う。

「リリアが?」

「勘違いしないで。監督役やアンタに感謝される為に治療したんじゃないわ。あくまでナチスと帝国陸軍のことを聞きだすためよ」

 そっぽを向くリリアだが、耳が僅かに赤くなっていたのを冥馬は見逃さなかった。

「……分かった。じゃあそういうことにしておこう」

 触らぬハイエナになんとやらだ。これがプライベートな時間だったら、このことで突いてその反応を眺めたくはあるが……今は時間が惜しい。
 傷を負っている璃正には悪いが、彼からナチスたちのことを聞きださなければならない。

「璃正。話を戻すが、死んだふりをしてやり過ごしたということは――――」

「君の考え通りだよ……。私が死んだふりをしている間、しっかり彼等の行動には聞き耳を立てていた」

 剣で体を突き刺され身を焼かれるような激痛の中で、少しでも敵の情報を集めようとする姿勢。流石という他ない。常人であれば死んだように黙っていることすら痛みが許してくれないだろう。
 言峰璃正を聖杯戦争の監督役に据えた聖堂教会は英断を下したらしい。

「教えてくれ。奴等の目的はなんなんだ?」

「彼等は……教会からアインツベルンより預けられた『聖杯の器』を探し出し持っていった。内通者だった木嶋少佐は『聖杯の器』を帝都へ持ち帰るつもりだよ」

「聖杯を、帝都に?」

「木嶋少佐はサーヴァントは愚か時計塔や聖堂教会ですら干渉することの叶わぬ場所と言っていたが……すまない。そこが具体的に何処かは聞いていない」

「サーヴァントや時計塔にも干渉できない……? そんなところがあるの?」

 リリアの言葉に冥馬は答えを言うことはできなかった。
 確かにサーヴァントは強力無比な存在であるが、決して無敵というわけではない。真祖や吸血種の頂点に名を刻んでいる犬に蜘蛛あたりならサーヴァントを一方的に屠ることもできるだろう。
 しかしそんなのは例外中の例外だ。
 物理攻撃の一切が効かず、強力な神秘をもった攻撃でしかダメージを与えられないサーヴァント。例え魔術師が百年をかけて作り上げた城塞だろうと、サーヴァントならば楽に突破してみせるだろう。
 それにサーヴァントだけではなく時計塔にも聖堂教会にも干渉できないという所も気になる。
 時計塔も聖堂教会も裏社会で勢力を二分する一大組織。この二つにかかれば大抵の場所には、

「いやまてよ…………あったぞ! 一つだけサーヴァントどころか時計塔や聖堂教会も迂闊に干渉できない場所が!」

「本当なの!?」

「ああ」

 そう、この国に一つだけある。外敵の干渉の一切を許さぬ神聖不可侵の場所が。 

「それでそこは何処なの?」

「忘れたのかリリア。この国は大日本帝国なんだぞ。そして帝国の都で最も難攻不落にして侵入不可能な場所といえば―――――どこだと思う?」

「……ハッ! ま、まさか」

「そのまさかだ。連中め、聖杯の器を皇居に持っていく気だ」

 大日本帝国の中心、帝のいる皇居。そこに時計塔に所属する魔術師が足を踏み入れることは、大日本帝国という国家そのものに戦争を売りにいくようなものだ。
 万が一冥馬とリリアがサーヴァントと共に皇居に突撃などすれば、大日本帝国は国の威信にかけて、日本に根付いている魔術組織も駆り出して冥馬たちを抹殺すべく動き出すだろう。時計塔や聖堂教会に助けを求めようにも、無用な混乱を避けるため両勢力は冥馬たちを切り捨てる筈だ。
 つまりあそこに『聖杯の器』が運ばれてしまえばその時点でジ・エンド。冥馬たちの敗北だ。

「大変なことになったわね。下手すれば時計塔とこの国が全面戦争……いえ、下手すれば第二次世界大戦の引き金にもなりかねないわよこれ」

「降りたければ降りればいい。元々リリアは外来の参加者、聖杯にそこまで執着もないだろう」

「冗談。確かに聖杯が皇居に運ばれたらおしまいだけど、要は運ばれる前に帝国陸軍を叩きつぶせばいいんでしょ」

 下手すれば第二次大戦のトリガーとなる可能性すらある鉄火場に、リリアは臆するどころか獰猛に笑う。
 敵にすれば恐ろしいが、味方にすればこれほど頼もしいものはない。
 しかし冥馬にとっての厄ネタはそれだけではなかった。

「冥馬……それにミス・エーデルフェルト。皇居への移送、恐ろしい策略に見えるがそれだけじゃない。聖杯の器の皇居への移送は囮に過ぎないのだ……」

「なに? 聖杯が囮?」

 璃正に言われて気づいた。よくよく考えると、この作戦には帝国陸軍へのメリットがあってもナチスへのメリットが一つもない。
 ナチスの指揮官が帝国陸軍と内通していたというのなら、この構図も分かるが事態はそのあべこべだ。ということはつまり、ナチスには聖杯を囮にして別の〝なにか〟を企んでいるということになる。だが聖杯を囮にするほどの計画とは一体全体なんだというのか。

「聖杯の器を囮にするなんて。ナチスはそんな大それたことを考えているわけ?」

 リリアの問いに璃正は口を開く。

「円蔵山地下大空洞に安置されている大聖杯。それを奪取することがナチスの狙いだ」

 その余りにも埒外の計画に、遠坂冥馬は声を失った。



[38533] 第50話  二つの奪取計画
Name: L◆1de149b1 ID:61bdd0bf
Date: 2014/06/28 22:55
 円蔵山地下大空洞にある大聖杯。
 御三家の当主であればそれを知らぬ筈がない。150年前に三人の賢者が集まり作り上げた神域の大魔法陣。七人の英霊をサーヴァントとして世に降霊させるという奇跡を実現させている戦いの大本。
 まさかという他ない。当初からナチスは掟破りのことばかりをしてきたが、これは極め付きだ。よもや聖杯戦争を根本から破壊してしまうようなことを企んでいるとは。

「大聖杯……? なんなのそれは。教会にある聖杯以外にも聖杯があるの?」

 御三家当主である冥馬、監督役である璃正とは違いリリアは大聖杯のことについて知らない。だからその疑問は当然のものだろう。
 魔術師は自身の魔術を決して他にはばらさない。魔術師が自分の魔術の全てを見せるのは後継者に当主を譲る時のみ。
 これは聖杯戦争にも当て嵌まる。本来ならば外来の参加者に聖杯戦争の裏側を教えることは、魔術師として著しく外れた行為だ。だがことがこと故に止むを得ない。

「リリア。教えても良いが、これから話すことはオフレコで頼む。もしあちこちに言い触らすつもりなら、俺はナチス共を消し去った後、お前を殺さないといけなくなる」

「聖杯戦争なんてそういうものでしょう? 今更ね」

「……そうか」

 髪を掻き揚げながら挑発げに笑うリリア。
 冥馬は溜息をつく。彼女がそういうつもりならば惜しいが仕方ない。リリアの助力を諦めるか、それとも助力して貰った後に始末するか、ここで決めなければならないだろう。
 自分としては前者を選びたいが、状況を考えれば後者が正しい選択というやつだ。
 しかし冥馬が口を開く前にリリアがふっと笑う。

「冗談よ。聖杯戦争が殺し合いってのは冗談じゃないけど」

「冗談?」

「誰にもばらす気なんてないってこと。大聖杯のことは遠坂だけじゃなくて御三家全員にとっての秘密なんでしょ。そんな秘密をペラペラと暴露して回ったら、アインツベルンとマキリも私を許しはしないでしょうね。
 落ち目のマキリはまだしも、錬金の大家と全面戦争なんて幾ら私がエーデルフェルトでも御免蒙るわ。だから大聖杯のことは誰にも喋らない。勿論ルネスにも………というかルネスにだけは絶対に教えてやらないわ」

「なら良かった」

 ほっと今度は安心から溜息をつく。
 ナチスと帝国陸軍に追加してリリアまで敵に回れば、0.0001%ほどの勝機も消し飛んでいたところだ。

「それで教えてくれるんでしょ。大聖杯っていうのはなんなの?」

 冥馬は流石に外来の参加者に教えるには不味い深すぎる情報――――大聖杯の真の用途――――などは意図的に避け、取り敢えず大聖杯がどういうものなのかを説明する。

「大聖杯……その名前から察せる通り冬木にある聖杯の大本といえるものだ。聖杯戦争の原因といってもいい。といってもここにあった『聖杯の器』のように杯の形をしているわけじゃない。
 聖杯の正体は150年前に当時のアインツベルン、マキリ、そして遠坂の当主たちが集まり敷設した大魔法陣だ」

「大魔法陣ですって!?」

 黙って聞いていたリリアだったが、この地にある聖杯の大本が柳洞寺地下にある巨大魔法陣であることには驚きを露わにした。
 魔術師にとって魔法陣とは馴染み深いもの。サーヴァントを召喚するにも召喚のための魔法陣を描いている。
 だがだからこそサーヴァント七騎を召喚するほどの奇跡が魔法陣――――つまりは魔術式によるものだったことが信じられないのだろう。
 なにせサーヴァントは『魔法使い』ですら御することの出来ないほどの神秘の塊なのだ。

「円蔵山の地下大空洞、つまりは冬木市における最大の霊地に安置された大魔法陣は、六十年かけて七騎のサーヴァントを召喚するためのマナを土地から吸い上げる。
 そして七騎のサーヴァントを召喚するだけの魔力が溜まった段階で、マスターとして相応しい人物に令呪を授けていき『聖杯戦争』を開始する……。これが聖杯戦争システムだ」

「待って」

「…………」

 ピクリと冥馬が眉を動かす。

「大聖杯が七騎のサーヴァントを召喚するための魔力を集めるのは分かった。だけどそれだけじゃ肝心なことが分からないわ。
 聖杯戦争は英霊七騎を集めて殺し合わせるためにあるわけじゃない、あくまで聖杯の持ち主を決めるための戦いでしょう?
 だけどそれにしても解せないことがあるわ。聖杯がそもそも大魔法陣で『万能の願望器』があるなら、七騎の英霊を招くなんて大がかりなことしないで、魔術師だけで雌雄を決してから生き残った一人が聖杯を使えばいい。願いを叶えるという目的を果たすのに、七騎のサーヴァントを殺し合わせるというプロセスがまったくの無駄じゃない。
 ねぇ冥馬。教えてくれないかしら。万能の願望器――――〝聖杯〟っていうのはなんなの? そもそも〝聖杯〟はどうやって願いを叶えるのかしら」

 目を伏せ冥馬は苦笑する。
 やはりというべきかリリアは聡い魔術師だ。肝心なところを見落としてはくれない。余り話したいことではないが、ここまで気付かれているなら止むを得ないだろう。

「無駄どころじゃない。七騎のサーヴァントを殺し合わせる……これが聖杯戦争の肝とすらいっていい。アインツベルンは十世紀もの間『聖杯』を求め続けてきた一族だ。魔術師の中にあってあれほど『聖杯』を求めた一族は他にないだろう。
 そして十世紀の年月を『聖杯』に費やしたアインツベルンの技術はもう『聖杯』を自作する粋にまで達していた。『過程』をすっ飛ばして『結果』を実現させる神の器を」

「過程をすっ飛ばす……?」

「例え話をしよう」

 冥馬は手近にあった椅子の残骸、木片を拾い上げる。そして拾い上げた木片をそのままリリアに差し出した。
 リリアはいきなり木片を手渡されて「これは……?」と疑問符を浮かべたが、冥馬が「いいから」と言うと渋々と受け取った。

「リリア。お前は今からあの壁に木片を『当て』なければならない。さて、どうする? どうやって当てる?」

「そんなの……」

 半信半疑ながらリリアは木片を壁に向かって投げつける。木片は真っ直ぐに飛び、教会の壁に『当たる』とバラバラに飛び散った。

「他にも」

 冥馬はニヤリと笑い木片を蹴りあげると、そのまま壁にシュートした。壁に『当たった』木片はリリアが投げたものと同じようにバラバラに飛び散る。

「蹴り飛ばして当てるなんて方法もある」

「それがどうしたのよ?」

「だがこれが聖杯ならそんな『過程』はない。聖杯は投げることも蹴り飛ばすこともなく、ただ壁に『当たった』という結果だけを齎す。
 世界を救いたいと願えば過程もなんにもなく『世界が救われた』という結果が生まれる。人類滅亡を願えば過程なく『全人類の死体』が脈絡なく転がる。
 聖杯の魔力が許す限りならば理論や過程をすっ飛ばして成就させる願望器。それが過去二度の戦いで争いの中心になり、此度の戦いではアインツベルンから監督役に引き渡された『小聖杯』。聖杯の器だ」

「……!」

 リリアの頬を一筋の汗が伝う。
 アインツベルンが錬金の大家であることは知られることだが、よもやその業がここまでの代物だとはリリアも想像すらしていなかったのだろう。

「ちょ、ちょっと待って! アインツベルンが自分だけで聖杯を用意できるなら、それこそ聖杯戦争なんてする意味ないじゃない! 自分の領土で聖杯を造って、自分たちだけで願いを叶えればいいんだから……!」

「単純なことだ。アインツベルンが用意できたのは聖杯の〝器〟だけ。聖杯を万能器として使うための『魔力』を、中身を用意することは出来なかった。
 わざわざ大聖杯が六十年かけて冬木のマナを集めて七騎のサーヴァントを召喚するのは、戦いに負けたサーヴァントの魂を回収して聖杯の器を魔力で満たすためだよ。英霊の魂は高純度の魔力の塊。それが六騎もくべられれば、あらゆる願いを叶えるに足るだけの魔力が満ちるだろう」

「……ってことは聖杯の所有者を決めるなんて全部嘘っぱちで、私達マスターの役目はサーヴァントを呼び出しておしまいってことなの」

「そういうことになる」

 極論を言えば集まった七人のマスターがサーヴァントを召喚した瞬間に令呪で自害を命じれば戦う必要性すらないわけだ。
 もっとも自分を犠牲にして『聖杯』を特定の誰か一人に委ねる奇特な魔術師がいるはずもなく、聖杯争奪戦は第三次まで続いてしまっているわけだが。

「セイバー」

「ん?」

 これまでマスター同士の会話に入るのは騎士として無礼と思ったか、そもそも単に話が難しくて退屈だったからか。話に加わらず黙っていたセイバーが、リリアに名を呼ばれ顔を上げた。

「話しは聞いてたわね?」

「勿論だ。オリヴィエの長々しい説教を毎日聞いてきた俺だ。ばっちり聞いていたさ。……話の半分以上理解できなかったけど」

「……不憫な」

 キャスターがしみじみと呟いた。
 セイバーの頭が不憫なのか、それともこのセイバーに毎日説教していたというオリヴィエが不憫なのか。或いはその両方か。
 らしくもなくキャスターは心の底からの同情をセイバーに向けていた。

「アンタはどう思うの? 聖杯戦争はアンタたちの魂を生け贄に捧げて、万能の願望器を生み出そうっていう儀式だったみたいだけど」

「うーん」

 リリアは聖杯戦争の裏事情を知ったところで冥馬と事を構えるほど愚かではない。
 キャスターは言わずもがな。今さっきリリアに話したことなど、キャスターにはとっくに教えている。知った上で自分の願いのために戦っているのだ。問題が起こることはない。
 だがセイバーは違う。生け贄のために呼ばれた事に激怒して、こちらに刃を向けてくる可能性もある。冥馬はいつセイバーが動いても対応できるよう警戒した。

「まぁいいんじゃないか?」

 あっけからんと、なんでもないことのようにセイバーは言った。

「いいの。そんな適当で」

「良く分からないが、ようするに勝てば聖杯は貰えるんだろう」

 リリアが確認するように視線を向けてきたので、冥馬はこくりと首肯する。

「ならば問題はない。俺はマスターの意志に従い騎士の本分に乗っ取り剣を振るうだけだ」

「負けたら生け贄よ?」

「負けなければいいだけじゃないか。それに俺は元々生け贄になって当然の男だし。それはそれでいいんじゃないか?」

「ま、アンタがそう言うなら良いけど」

 ほっと一息つく。セイバーが理知的な判断を――――いや、理知的かはさておき短絡的な行動に出なくて一安心である。最悪この場でセイバーと戦うなんて余計な消耗を覚悟しなければならないことだった。
 だがセイバーがあっさりと聖杯の件を流してくれたお蔭で、取り敢えず対ナチス・帝国陸軍においてはセイバーという最強のサーヴァントは味方になってくれるということだ。
 これほど心強いものはないだろう。

「〝大聖杯〟のことについては分かったわ。話を戻しましょう。ナチスが大聖杯を奪取っていうけど、大聖杯は巨大魔法陣なんでしょう? それって移送とかできるわけ?」

「大魔法陣は冬木の霊脈からマナを集める機能をもっている……とはさっき言ったか。必然的に魔法陣は円蔵山の霊脈に根付いていることになる。
 それを移送するとなったら大聖杯ごと円蔵山をひっぺり返すようなもの。はっきりいってまともな思考の持ち主ならそんな馬鹿げたことをやろうとすら思わないだろうな。だが……」

「――――ナチスならやりかねない」

 キャスターが冥馬の言葉を代弁する。
 人目を憚ることもなく行われたホテルのロビーへの襲撃、帝国陸軍指揮官との内通、明らかに異常なスペックをもつサイボーグたち、サーヴァントの宝具は一人につき一つという常識に真っ向から逆らうかの如く無数の宝具を使い分けるランサー。
 これまでの戦いでナチスの異常っぷりは冥馬も身に染みている。
 どんな馬鹿げた作戦でもナチスならばやりかねない。そしてやり遂げかねない。

「御三家当主である俺の立場としては、ナチスへの対処を優先させたい。仮に帝国陸軍に『聖杯の器』を奪われても、俺の子かその孫が次の聖杯戦争に挑むだけ。それに俺の子孫なら聖杯なんぞに頼らずとも悲願を遂げるだろう。
 だが大聖杯を奪われれば次の聖杯戦争も、次の次の聖杯戦争もなくなる。強引な大聖杯の奪取が霊脈に影響を与えれば遠坂家もマキリのように衰退の道を辿るかもしれないし、冬木市全体に空前の大恐慌が訪れるかもしれない。
 父上の手前もあるし、俺には命を賭して聖杯戦争を制する義務があるが、俺個人に課せられた義務とこれから続いていく『遠坂家』と冬木市に対して果たすべき義務を思えば後者の方が重い」

 冥馬は自分の考えを皆に伝えるが、誰もそれに追随することはない。
 当然だ。キャスターもリリアもセイバーも、冥馬の協力者であって配下でも同志でもない。其々の理由から聖杯を求める協力者だ。
 冥馬と違い彼等にとっての聖杯戦争は今回限り。彼等からすれば『大聖杯』も『聖杯の器』も同価値のものなのだ。
 それに冥馬とて端から追従して欲しくて自分の考えを述べたわけではない。作戦会議を円滑に進めるために自分の考えを述べたまでのことだ。

「言うまでもなく私達がアンタだけのために動く理由はないわ。私が欲しいのは勝利だけだもの。なのに二匹の泥棒猫が持ち主の決まってない二つの優勝カップを盗み出そうとしている。だったらやることは一つでしょう」

「二面作戦か」

「そう」

 冥馬が聞き返すとリリアが優雅に頷く。

「戦力分散が愚策なんていうことは知ってるけど、どっちも奪われたら負けなんだからどっちにも勝つしかないわ。となると誰がどっちを当たるかだけど」

「順当にいくなら俺とキャスターがナチス、リリアとセイバーが帝国陸軍だな」

 リリアもそれが妥当だと首肯する。
 心情的にも戦力的にも相性的にもこの組み合わせがベストだろう。少なくとも組み合わせを逆にしたり、マスターと主従同士をあべこべにするよりは余程勝機がある。

「……本当に大丈夫なのか、それで?」

 荒い息で璃正が言う。リリアは気まずそうに「仕方ないでしょう。これが現状のベストなんだから」と答えるが、冥馬の方は口端を釣り上げると、

「いやどうせならよりベストな選択をとろう」

「他に……なにか良い秘策でもあるの?」

「秘策ってほどじゃない。どこの国でも当たり前に使われてきた戦争の基本だよ。要するに敵より多い兵力を集めるってあれさ」

「……!」

「わざわざ俺達だけで聖杯戦争存亡の危機に立ち向かうことはない。この冬木にはまだ狩麻とエルマ・ローファス。アーチャーとアサシンのマスターがいるんだ。彼女たちも引っ張り出そう」

「大丈夫なの?」

 心配そうに尋ねるリリア。アサシンといえばマスターの天敵とされるクラスで、アーチャーのマスターの狩麻はナチスと組んで冥馬を殺そうとした相手だ。
 お世辞にも背中を預けられるほど信頼に足る相手ではないだろう。リリアの懸念は至極当然のものといえる。

「聖杯戦争が崩壊するのはあっちだって望んではいない。俺達と目的は一致している。居所が掴めないアサシンのマスターは兎も角、大聖杯奪取を阻止するために一時的に協力しようって言えば狩麻の方もYesって言うはずさ」

 冥馬は自信をもって断言する。
 まさか狩麻ほどの魔術師がナチスのシンパになったわけはないだろう。御三家の当主として、そして聖杯戦争のマスターとして聖杯戦争を根底から揺るがす暴挙は許せないはずだ。
 狩麻はどうやら自分の命を狙っているらしいが、聖杯戦争崩壊の危機となれば一時的に矛を収めるだけの分別はある。だが、

「――――無理だよ。もうマスターはYesなんて言えないさ」

 どこか詩人を思わせる達観した声が教会に反響する。声のした方向に視線を向ければ、そこには以前交戦したアーチャーが立っている。

「だってマスターは僕の力足らず、先に逝ってしまったのだから……」

 仕えるべき主人を失い、はぐれてしまったサーヴァントは静かに告げた。その瞳に燃え盛る業火のような〝戦意〟を灯しながら。



[38533] 第51話  九番目の契約
Name: L◆1de149b1 ID:bb7961a4
Date: 2014/06/28 22:56
 冥馬たちの前に現れたサーヴァントは間違いなくアーチャーだ。
 だがその様子は一変していた。なにもそれは華やかな赤い舞踏服から英雄然とした姿になっているだけではない。その顔つきは貴婦人を蕩けさせる貴公子のそれから、幾多の戦いを制した威風堂々たる英雄のそれとなっている。
 アーチャーが教会の中に足を踏み入れる。瞬間セイバーとキャスターが万が一のために剣に手をかけた。
 通常サーヴァントはマスターという憑代なしには生きられない。平均的なサーヴァントもマスターを失えば数時間で消え去るだろうし、その力の5%も出すことができなくなるだろう。
 しかしアーチャーのクラスだけは例外が適応される。
サーヴァントが元々保有するスキル以外に、セイバーの対魔力やアサシンの気配遮断などに代表される、現界するクラスごとに付与されるクラス別技能。それは無論アーチャーにも備わっている。
そしてアーチャーのクラスに与えられるクラス別技能の一つこそが『単独行動』と呼ばれるもの。マスターから魔力供給なしでもある程度の自立行動ができるこのスキルは、レンジャータイプの多い弓兵には必須といえる技能である。
 そのためアーチャーはマスターを失い〝はぐれ〟となってしまった後も脅威といえるだけの戦闘力を維持することができるのだ。
 冥馬はじっとアーチャーを見る。
 マスターの権限でステータスを確認したところによれば、アーチャーの単独行動のランクはB。これほどのランクならば通常二日くらいは現世にしがみついていられるだろうが、

(消耗が酷いな。戦闘した後なんだろう……これじゃあ保って一日か)

 アーチャーの体からは魔力が殆ど消えている。単独行動スキルをもたない他のクラスであればとっくに消えていたはずだ。
 そしてその消耗がアーチャーの『狩麻は死んだ』という言葉に重い説得力を持たせる。

(死んだ……? あの狩麻が……っ?)

 冥馬の脳裏に狩麻と過ごした日々がフラッシュバックする。
 口が裂けても『親友』などと憚れるほどの仲ではなかったが、お互いに魔術の腕を切磋琢磨する掛け替えのない『好敵手』ではあった。
 その狩麻がもう魔術の腕を高め合うことのできない存在になってしまったのが信じられない。

「誰に、やられた?」

「直接マスターを殺したのはアサシンだよ。大量の自律人形に四方から襲撃されてね。自律人形のほうは軽く撃退できたけど、その小躯を活かして自律人形の内部に潜んでいたアサシンに不覚を取った」

「アサシン、ねぇ。どういうやつだったの?」

 狩麻のことを良く知らないため黙っていたリリアだったが、アサシンという単語が出ると目を見張らせる。
 リリアもマスターの天敵であるアサシンのことは少しでも知っておきたいのだろう。自分の命の安全のためにも。

「だから小躯だよ。大人の膝下くらいの、人形に潜めるくらい小さなね。宝具は『空想電脳』。そのアサシンが左手でマスターに『触れた』時にはもう全てが遅かった。アサシンが真名を解放した瞬間、奴の触れたマスターの頭部は……爆ぜた」

「っ!!」

「まったく。昔から暗殺者なんていう歴史の無粋者に対しては、警戒してきたつもりなんだけどね」

 左手で触れた頭部を爆薬にして爆殺する……それがアサシンの宝具。
 アサシンのクラスに召喚されるハサン・サッバーハは自分の暗殺の奥義を『ザバーニーヤ』という宝具として保有しているが、さしずめ此度の戦いに召喚されたハサンのザバーニーヤはそれだろう。
 一瞬狩麻の頭部が爆ぜる姿を想像してしまい、背筋が……いや、頭が凍り付く気分を味わった。
 しかし冥馬には気になる事がある。

「アーチャー、本当にただ不覚を取っただけなのか?」

「というと?」

「狩麻はかなりの使い手だ。それに君自身も相当の強さをもつサーヴァントだろう。その君達が単に不覚をとっただけでアサシンにやられるものなのか?」

「……相変わらず察しが良い」

 アーチャーは複雑な顔をしながら、どこか寂しげに笑った。

「実はアサシンと戦う前にライダーと一戦交えていてね」

 アーチャーは話し始めた。狩麻の命令で冥馬の邸宅に向かったところで相馬戎次とライダーと遭遇し戦闘になったこと。ライダーの真名と能力。そしてライダーとの戦いで激しく消耗し撤退したところをアサシンに襲撃されたことを。
 アーチャーから聞いた情報は驚くことばかりだった。ライダーの真名が〝冬将軍〟だということもそうだが、戎次たちと自分の家で遭遇したことが、なによりも冥馬を驚かせた。

「俺が偶然留守にしている間に狩麻が攻めてきて、そこを偶然同じタイミングで遭遇した相馬戎次とライダーと交戦。撤退した後はアサシンに狙われるだって? こんなもの」

「作為的な臭いしかしないね。大方帝国陸軍と内通していたムッシュ・ダーニックが陰謀を張り巡らせたんだろう。僕のマスターを確実に抹殺するためにね」

「……! ナチスと帝国陸軍が内通していたことを知っていたのか?」

「ここに来た時に君達の話をちょっとだけ聞いてね。後は帝国陸軍の兵士達の遺体が転がっていることから推理したまでだよ。
 それで君達はナチスと帝国陸軍を倒すために二面作戦をとろうとしている。わざわざ各個撃破じゃなくて戦力を二分させるのは、どっちか一方を倒してからもう一方を倒すんじゃ間に合わないから。違うかい?」

 思わずリリアやキャスターと目配せする。
 僅かな情報からこれから冥馬たちのとろうとしている行動の大まかな内容を掴むとは、やはりアーチャーは只者ではない。いやサーヴァントは歴史に名を馳せた英霊ばかりなので、只者なことこそ有り得ないのだが、アーチャーの知略は英霊の中でも飛び抜けている。
 武力一辺倒のセイバーは論外としても、どちらかといえば頭脳派であるキャスターもこんな僅かな情報から、ここまでの推理を組み立てることは不可能だろう。
 リリアがこくんと頷く。ここまできたらアーチャーにも事の次第を話した方が良い。冥馬もリリアと同意見だった。

「分かった。アーチャー、改めて君にも話そう。ナチスの目的を」

 冥馬がこれまでリリアとしたのと殆ど同じ内容を伝えると、アーチャーは特にリアクションを起こす事なく黙って聞いていた。
 大聖杯のことや英霊がサーヴァントとして召喚される真の理由を聞いても顔を歪めることすらない。もしかしたらアーチャーは既にこれらのことを察していたのかもしれない。

「話は分かったよ。そこで提案だ。ムッシュ・トオサカ……いいや遠坂冥馬、僕と契約しないかい?」

「!」

「……なんだと?

「再契約、それもキャスターと既に召喚している冥馬とですって?」

「?」

 セイバー以外の全員がアーチャーの提案に吃驚する。
 マスターを失ったサーヴァントが、サーヴァントを失ったマスターと契約するということはよくあることだが、既にサーヴァントと契約しているマスターと二重に契約するというのは、聖杯戦争のシステム上あまり例のないことだ。

「悪くない提案だと僕は思うよ。…………〝俺〟は狩麻のサーヴァントとして、狩麻を嵌めたナチスの企みをこの手で打ち砕きたい。そしてお前達は『大聖杯』の奪取を阻止するためにナチスを滅ぼさなければならない。
 お互いに目的は共通しているし、お前達も今は少しでも戦力が欲しいはずだ。ナポレオン・ボナパルトの助力は、それなりに君達の勝機をあげる要因となると思うが?」

「――――!」

 いきなりアーチャーが自身の真名を名乗った事と、そして告げられた真名が余りにも偉大な英雄のそれだったことに瞠目する。
 アーチャーの正体が英雄ボナパルトなどと、少し前なら名乗られても信じれなかっただろう。だが目の前に立つ英雄の威風を備えた男が名乗るのであれば、それは疑いようのない真実となる。

「いきなり真名を名乗るなんて、少し驚いた」

 滲んだ汗を拭いながら冥馬はやや緊張した語調で言った。

「僕はこの戦いでは一人の貴公子、たった一人のプリンス。一輪の花として振る舞いたかったんだけどね。マスターの命をみすみす奪われた以上、サーヴァントとしても英霊としても僕の全てを賭けて戦わなければならない。それにこちらの命を預ける証明として先ずは名前を預けなければ……」

 英雄としての威風を僅かに引っ込ませると、アーチャーはどこからか取り出した薔薇の香りを楽しむ。
 この変わりよう。まるで性格の正反対の一卵性双生児が一瞬で入れ替わったかのようだ。

「どういうつもりだ、アーチャー?」

 キャスターが厳しい目でアーチャーを睨みつける。
 聖杯が使えるサーヴァントは一人だけ。もし冥馬がアーチャーの提案通りアーチャーと再契約してしまえば、万が一にもキャスターが願いを叶えることができなくなる可能性がある。あくまで己の願いのために聖杯戦争に参加しているキャスターからすれば、それは許容できないことだろう。
 アーチャーはそのことを知ってか緊張を解すにように笑うと、

「心配しなくても僕の目的は帝国陸軍やアサシンを操って、僕のマスターを謀殺したナチスに報復することだけだよ。ムッシュ・トオサカのサーヴァントとなってから聖杯を狙う気なんてさらさらない。
 元々僕は聖杯なんてもの特に興味がなかったからね。面白そうな戦いがあったから、その戦いをより劇的により華々しく彩るために参上しただけ……。目的を終えればさっさと消えるよ。あくまで僕のマスターは間桐狩麻だけだ」

 狩麻の仇討のため冥馬のサーヴァント(配下)にはなっても、冥馬をマスター(主人)と認める気はない。
 マスターを失い令呪の縛りなどなくなりながらも、愚直に死んだマスターに忠義立てする。その有り方は戦争の天才、欧州を圧巻した皇帝ではなく中世の騎士を連想させた。

「解せないな。英雄ボナパルト、貴様ほどの男がどうしてあんな女に忠義を誓う?」

「何を今更。サーヴァントはマスターに忠誠を誓うものじゃないか」

 さも当然のことのようにアーチャーは断言する。キャスターは一瞬面食らっていたが、珍しく笑みを浮かべた。

「そうだな。お前の言う通り至極当然のことだ。あの円卓にいるとついつい忘れそうになるが、騎士が主君に忠誠を誓うのは当たり前のことだったな」

「まぁ個人的な愛もあるけどね。愛といっても親愛としての愛だけれど。サー・ケイ、永遠の毒舌家。君も僕と同じなんじゃないかな。今生か生前かの違いはあれ」

「お前こそ何を今更。金が欲しい。女が欲しい。人生が欲しい……。恋愛、人間愛、博愛、深愛、情愛、自己愛。この世に蔓延る大抵の願いなんてものは、つまるところ愛の一言で纏められるようなことばかりだ。
 人間の超越者、豪傑、偉人、天才。英霊を指し示す単語など腐るほどあるが、結局のところ人間であることに変わりはない。なら俺の願いが〝愛〟なんていうチープな一文字に集約されるのも必然だろうよ」

 二人して腹の探り合い――――いや願望の探り合い染みたことをするが、キャスターとアーチャーから最初の険悪なムードは掻き消えていた。キャスターもアーチャーのことを一先ず認めたらしい。
 アーチャーは改めて冥馬へ視線を向けた。

「僕の目的はこういうわけだ。それでも足りないなら、はいこれあげる」

 ゴソゴソと懐を探り、アーチャーが取り出したのは何の変哲もないメモ帳だった。
 用心しつつ観察したところによれば罠の類はなさそうなので、アーチャーの差し出したメモ帳を受け取りぱらぱらとページをめくる。

「これは?」

「ナポレオン・ボナパルト著。第二次大戦必勝法」

「ぶっ!!」

 思わず噴き出した。
 慌ててページを捲っていくと、そこには『戦争の天才』たるボナパルトの今後の未来予想図から、どこをどうすれば日本を始めとする国々が上手く立ち回り勝利できるかまでが記載されていた。

「あんまりこういうことするのは僕の主義じゃないんだけどねぇ。ムッシュ・トオサカなら悪用はしないだろうし。それにその必勝法は僕が独裁を振るえたらの仮定の上で成り立ってるから、それだけこの国の軍隊に渡しても勝機を5%くらい引き上げることにしかならないからね」

 確かにこのメモに記されている内容は、余りにも突飛かつ大胆不敵なアイディアが含まれていて、軍部も一枚岩ではないこの国では実現は困難極まるだろう。
 だがたかが5%、されど5%だ。彼のボナパルトの記した必勝法、どこの国家元首も涎を垂らして欲しがるだろう。

「ど、どうするのそれ?」

 リリアが躊躇いがちに尋ねてくる。

「どうするって……こんな世界の大爆弾が持っていることがばれたら、下手したら聖杯戦争以上の大騒動だ。大切に保管しておくさ」

「この国のお偉方に渡して、祖国の勝利に尽す気はないわけ?」

「ない」

 時計塔、つまり魔術協会があるのはイギリスでイギリスは連合国側である。
 そしていずれ連合国と戦争するであろう枢軸国は目下敵対中のナチス、聖堂教会の影響力も強いイタリア、それに日本だ。
 枢軸国が万が一にも連合国を完膚無きにまで打ち負かしてしまっては、裏側における勢力図も一転し、時計塔に所属している冥馬には困った事になってしまう。

「この国の一般人が聞いたらどう反応するやら」

「非国民は余裕をもって優雅かつスタイリッシュにやらなければ。泥臭いのは趣味じゃない」

 ただこのメモ帳はなにかと使える。それこそ冥馬なら枢軸に渡すなんていう使い方をせずとも、これを元手に聖杯戦争で消費した宝石を取り返す収入を得ることもできるだろう。
 やはり何事においてもお金という先立つものは必要だ。それにナポレオン・ボナパルト直筆のメモであれば、次の聖杯戦争で彼を召喚する触媒にもなりうる。

「満足して頂けたかな。ムッシュ・トオサカ」

「……分かった。契約しよう、アーチャー」

 サーヴァントとの再契約に大仰な魔法陣などは不要。令呪を宿したマスターと、契約意志のある未契約のサーヴァントがいれば事足りる。
 二体ものサーヴァントを同時使役するとなれば、魔力供給は単純計算で倍となるが、幸い冥馬の魔力量ならば二体程度は問題ではない。

「“―――告げる。汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら―――”」

 アーチャーは狩麻を謀殺された報復をするために、己の命を敵であった遠坂冥馬に預けた。
 だとすればそのアーチャーに対して冥馬がするべきことは一つ。

「―――我に従え。ならばこの命運、汝が剣に預けよう」

「アーチャーの名に懸け誓いを受ける。遠坂冥馬、貴卿を髑髏の野望を砕くまでの仮初の主人として認めよう」

 これは通常のマスターとサーヴァントの契約ではない。契約はあるが、それは主従ではなく対等の共闘者としてのもの。ナチスの野望を砕くまでの一時の同盟だ。
 そのことに否はない。アーチャーにとって間桐狩麻が唯一無二の主君だったように、冥馬にとっても狩麻は最も長い付き合いの好敵手だったのだから。アーチャーが報復のため剣をとるのであれば、遠坂冥馬も戦う理由に狩麻への鎮魂を添えるまで。
 ここに九番目の契約が結ばれた。



[38533] 第52話  出撃
Name: L◆1de149b1 ID:bb7961a4
Date: 2014/06/28 22:57
 アーチャーとの間にラインが繋がったことを確認する。
 これまでキャスターにだけ送られていた魔力が、目の前にいるアーチャーにも送られていた。霊格の差からアーチャーの方がキャスターへのものよりも供給する魔力量も多いが、冥馬の魔力であれば全く問題にならないレベルだ。
 冥馬からの魔力供給を受け始めたからだろう。連戦の消耗でやや疲労感の残っていたアーチャーの表情も良くなっていた。

「アーチャーと新たに契約して、これで戦力比は3対2……いや帝国陸軍の方にいるイレギュラーを数にいれれば3対3のイーブンか」

 キャスターが冷静に評した。
 ナチスと帝国陸軍を相手にする上で、忘れてはならない強敵が相馬戎次。マスターでありながら三騎士と互角に戦えるほどの高い戦闘力をもつ男である。
 冥馬やリリアも魔術師として優秀なだけではなく、その強さにおいてもかなりのものだ。だがしかし相馬戎次と比べれば一歩譲ってしまう。

「出来ればアサシンのマスターにも一時停戦という旨を伝えておきたいが……。アーチャー、アサシンの居場所に心当たりは?」

「残念ながら分からない。気配を断ったアサシンを追うだけの追撃能力は僕にはないよ。情けないことにアサシンに襲われてマスターを失った僕はかなり消耗していたしね」

「そうか」

 本当にアーチャーがアサシンの居場所を掴んでいる事を期待していたわけではない。ただの念のための確認作業だったため、冥馬は特に残念がることなく思考を再開する。
 冬木で大聖杯強奪に動くナチス、小聖杯を皇居へ移送しようとしている帝国陸軍。
 本来であれば戦力を一点集中して各個撃破をするのが戦略の基本なのだが、それをするには時間が許してくれない。多少厳しくても二面作戦を実行するしかないのだ。
 そこで問題となるのは、

「誰と誰がどっちに行くかね」

 もしもアーチャーとの再契約がなければ、大聖杯奪取をなんとしても阻止していない冥馬とそのサーヴァントであるキャスターがナチスを、外来の参加者であるリリアとそのサーヴァントであるセイバーが帝国陸軍を叩くという風に決まったはずだ。
 しかし再契約によってアーチャーという新たな戦力が加わったことで、話はそう単純ではなくなってしまった。

「マスターを基準に分けるなら俺とキャスター、それにアーチャーがナチスに。リリアとセイバーが帝国陸軍を……といったことになるが、どうする? 俺はそれでも一応問題ないが、リリアたちはそうじゃないだろう」

 冥馬はリリアとセイバー、そして自身のサーヴァントたるキャスターを見る。
 皮肉なことに冥馬を真のマスターと認めていないアーチャーと違って、間違いなく冥馬を主とするキャスターの目的は冥馬と一致していない。
 キャスターはあくまで『万能の願望器』としての聖杯を求めているのであって、仮に大聖杯奪取を阻止することができたとしても、小聖杯が奪取されて願いが叶えることができなくなれば意味がないのだ。
 その点においてキャスターは冥馬よりリリア側に立っているといえるだろう。

「ええ、そうね。ナチスの方には軍隊がいることを除けばマスターとサーヴァントが一人ずつっていう基本的な組み合わせ。だけど帝国陸軍にはサーヴァント級の戦力が二人。私としては陸軍を叩く方にサーヴァントが二人欲しいんだけど。いっそ組み合わせを丸ごとチェンジする?」

「出来ればそれは遠慮したいな。大聖杯へは俺が行きたい」

 冥馬たち三人が帝国陸軍を叩きに行けば戦力的な問題はなくなるのだが、今度はリリアが本来御三家だけの秘密である大聖杯に近付くことになってしまう。
 それは御三家遠坂の当主たる冥馬としては望ましいことではない。他にもナチスには個人的に多くの借りがある。冥馬としてはなにがなんでも自分自身が対ナチスの方へ赴きたいのだ。

「違うわよ。私がそう言ってるのはそういうことじゃなくて、マスターをそのままにサーヴァントだけそっくり入れ替えないかってこと」

「サーヴァントを? 成程。それも一つの手だな」

 冥馬の方にリリアのサーヴァントであるセイバーが、リリアの方にアーチャーとキャスターがつくというサーヴァントを入れ替えた組み合わせ。
 遠坂冥馬もリリアリンダ・エーデルフェルトもマスターとしての素養はAランク以上。三流ならいざしれず、冥馬とリリアであれば契約のラインは、帝都までいこうと途切れることはないだろう。
 万が一の懸念としてリリアが目的を果たした後、セイバーに冥馬を殺させるという危険性があるが、そんなことをすれば残ったキャスターとアーチャーに殺されるのはリリアだ。逆もまた然り。
 リリアの提案は突飛でありながら合理的でもあるものだったが、反対意見は意外なところから出た。

「悪いけどそれは遠慮願いたいね」

「アーチャー?」

 アーチャーが真剣な顔つきで冥馬に反対の旨を伝えた。

「僕は僕のマスターの鎮魂のため、ナチスの野心を打ち砕くために契約した。つまらない拘りといえばそれまでだけどね。俺は自分の手でそれを果たしたい」

 アーチャーの決意は固い。なにせ自分のマスターを殺された報復のためだけに、己の矜持を曲げて冥馬と再契約したくらいだ。
 生半可な説得では通じないし、強引に意志を変えようとすればアーチャーは独断で行動を始めるだろう。
 冥馬の手には未使用の令呪が三画残っている。これを使えばアーチャーに命令を強要することもできるが、令呪の強制力は永続ではないし万能でもない。令呪で強制したところで、本人がその命令に不服があれば、その戦闘力を削ぎ落とす結果になりかねないのだ。
 そんなナンセンスな策をとるほど冥馬は馬鹿ではないし、なにより令呪は今後の戦力となりうる切り札。こんな場所で浪費したくはない。
 冥馬は何気なしに腕を組んだまま黙り込んでいるセイバーを見る。

「セイバー、さっきから黙っているが君からはなにかあるか?」

「俺?」

「そうだ。君も当事者の一人だろう」

「話振られたところ悪いけど、俺はそういう作戦の立案とか無理なんだよ。俺は頭悪いし、考え通りに軍を動かして良いことなんてないぞ」

「別に戦略を君任せにしたわけじゃないよ」

 そもそもセイバーを軍師にして作戦を一任するなど、病弱な人間を最前線の司令官にするくらいの人選ミスだ。

「ただあくまで意見の一つとして聞いておきたい。なにかあるか?」

「うーん。俺には細かいこととかは分からないけどさ。行きたい奴が行きたい所に行けばいいんじゃないのか?」

「アンタねぇ。そんな適当に――――――」

「…………………」

 リリアは呆れて溜息をついたが、冥馬は天啓を得たかのように黙り込んだ。
 各々が行きたい方に行く。これだけ聞けば非常に単純な考えなしの意見のように思える。というより実際セイバーは特に難しいことを考えずに発言したのだろう。
 だがその行きたい方に行くという結果によって生まれる組み合わせはベストなものだった。

「よし。ならそれで行こう」

「く、冥馬!? いきなりなに言ってるのよ! セイバーの馬鹿みたいな提案に賛成するなんて!」

「ほえ? 俺の提案そのまま通ってるの? オリヴィエがいないからなにがなんだか分からないぞ。なにがどうなってるんだ、リリア?」

 ビシッとリリアに指を差されたセイバーだったが、寧ろ提案したセイバーが一番混乱していた。

「僕もセイバーの提案に賛成だね」

「アーチャーまで!?」

 戦争における第一人者の追従にリリアの混乱は極みに達する。アーチャーは二角帽を深く被り直しながら、ニヤリと口端を釣り上げた。

「マドモアゼル・エーデルフェルト。各々が行きたい所に行った場合、どういう組み合わせになる?」

「そ、それは私とセイバー……それにキャスターが帝国陸軍に行って……冥馬とアーチャーはナチスに…………ハッ!」

 漸く合点がいったとばかりにリリアが「あっ」と口元を抑える。
 そう。奇しくも冥馬とアーチャー、リリアとセイバーとキャスターという組み合わせは、全員の不満がない最もベストなものだったのだ。

「しかもこの組み合わせの妙は互いの不満を解消し、戦力を相応しい振り分けにしただけじゃないよ。キャスターがマドモアゼル・エーデルフェルトと共に行動することで、キャスターと冥馬のラインを通じて、どれほど遠く離れていようとお互いの状況を素早く確認できる」

「そして万が一こちらが危なくなれば、令呪で即座にキャスターを召喚することもできるわけか」

 冥馬がアーチャーの言葉の続きを予想して言うと、アーチャーは肯定するように頷いた。
 帝国陸軍へ二体、ナチスへ一体とみせて臨機応変にナチスへ二体に変更することができる。正に今現在とれる最良の戦略だろう。
 その戦略を導き出したのが、よりにもよって頭脳面ではまったく宛にならないと思われていたセイバー。無意味と思うようなことでもやっておくものだ。冥馬はセイバーの意見を聞いた自身の気紛れに感謝した。

「決まったわね。善は急げよ、直ぐにでも向かいましょう」

 リリアの言う通りこれは時間との勝負。冥馬はアーチャーと共に地下大空洞へ、リリアはセイバーとキャスターを引き連れ帝国陸軍のもとへ。
 だが五人の人間が慌ただしく動き出そうとした所で、五人より更に焦った様子のサングラスをかけた神父が教会に飛び込んできた。
 瞬間、三騎のサーヴァントが侵入者に剣を向ける。
 三騎のサーヴァントの敵意に晒された男は、恐れ慄いて両手をあげながら自分は敵でないと叫ぶ。

「し、失礼! 刃を向けないで貰いたい。いやはや怪しいものではありませんよ。私は聖堂教会の代行者で璃正神父の部下です。危急の要件があって報告を」

 ちらりと寝かされている璃正に目を向ける。

「彼の言う事は本当だ……。剣を下げてくれ。彼はジョリー・ジョリー・ジーサン。私の部下で間違いない」

 璃正の確認がとれたことで三騎のサーヴァントは剣を降ろす。
 ジョリーと呼ばれた神父は三騎の殺気から解放されてほっと一息ついていた。異端殲滅を仕事とする代行者であっても、三人の英霊から殺意をぶつけられるのは堪えるだろう。
 本来敵同士の間柄だが、冥馬はジョリーに同情した。

「失礼。危急の要件とは?」

「帝国陸軍が動きましたよ。連中『聖杯の器』を列車に乗せて帝都へ向かってます」

「本当か!?」

 思った以上に帝国陸軍の動きが早い。木嶋少佐の内通からして帝国陸軍の目的は囮。もう少し動きが遅いと予想していたのだが、或いは冥馬がそう考えることを看破した上でのこの動きなのかもしれない。

「陸軍に潜り込ませた教会の者の報告なので信憑性は高いですよ。どうするんですマスターの方々。このままじゃ間に合わなくなりますよ」

「心配ないわ。奴等が列車で帝都へ行こうと、私にはとっておきの足があるしね」

 ジョリーの慇懃無礼な口調も気にせず、リリアは優雅に微笑む。

「足?」

 ライダーのサーヴァントならば、なんらかの乗り物で列車を追撃することもできるだろう。
 しかしリリアのサーヴァントはセイバーだ。冥馬の知る限りリリアのセイバーは高速で移動する足になる宝具をもってはいない。
 一体リリアの言う足とはなんなのか。

「見れば分かるわよ」

 そう言ってリリアはセイバーを連れて教会から出ていく。
 リリアの『足』がなんなのかは知らないが、あれだけ自信ありげに言ってのけたのだ。信じていいだろう。

「璃正。それじゃあ行ってくる。俺達が戻るまでに怪我を治しておけよ」

「無茶を言うな。……死ぬなよ」

「努力する」

 短く璃正に別れを告げると、冥馬もキャスターとアーチャーを伴ってリリアに続く。
 そしてリリアに連れられた場所にあったものは、

「……おいおい」

「――――――――――」

 冥馬とキャスターが主従揃って目を点にしてしまう。
 鳥とは異なり羽ばたくことのない機械的な両翼。威信を背負うかのように機体にペイントされた日の丸。戦いのために生み出された兵器でありながら、どこか男心を掴んで止まない浪漫を感じさせる威容。
 帝都で冥馬たちに襲い掛かって来たこともある日本の戦闘機。零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦がそこにあった。

「り、リリア! い、一体これをどこで!?」

「前に帝国陸軍の拠点を襲った時にパチってきたのよ」

「いやゼロ戦は確か陸軍じゃなくて海軍のもののはずじゃ。――――いや、聖杯戦争なんてものに参加してくるくらいだ。陸軍だけじゃなくて海軍の方も一枚噛んでいても不思議じゃないか。だがパチったって……」

 リリアの言う足とはこのゼロ戦のことだったのだろう。確かに戦闘機の速度なら相手が列車だろうと追い付くことは難しいことではない。

「良し。なら俺とセイバーとキャスターで帝国陸軍を。リリアとアーチャーでナチスを、だったな。帝国陸軍は任せておけ」

「逆でしょ。貴方はナチスの方。これに乗って行くのは私よ」

「……少し惜しいことをしたな」

 ゼロ戦に搭乗するなど、これを逃したら二度とはないかもしれない。
 しかし好奇心のために戦略を無視することもできないため、冥馬は未練ありげにゼロ戦を見るに留まった。

「そんなに乗りたいなら戻ってきてから乗せてあげるわよ。パチったやつもう一機あるし」

「本当か!」

「真面目にやれ馬鹿」

「う。す、すまない……」

 辛辣なキャスターのツッコミに押し黙る。コホンと咳払いして改めてリリアに問い掛ける。

「操縦は出来るのか?」

「戦闘機は操縦したことないわね。だけどセイバーとキャスターには二人ともBランクの騎乗スキルがあるわ。これだけあれば戦闘機の操縦だって出来るでしょう。そこで」

 リリアが取り出してセイバーとキャスターに見せたのは地図だった。そしてマジックペンで冬木市と帝都を丸で囲むと、

「ねぇセイバー、それとキャスター。貴方達のどちらか一人がこのゼロ戦で帝都に追撃するわけだけど、貴方達はどうやって帝都まで行くか聞かせてくれるかしら?」

 セイバーとキャスターの騎乗スキルは二人ともB。パラメーターで見る分で二人に差はない。
 故にリリアは同じ質問を二人に投げかけることで、どちらのパイロット適正がより高いかを確かめようというのだろう。
 セイバーとキャスターはその意図を知ってか知らずか二人して口を開き、

「帝都って上の方にあるんだから上の方に飛んでけばいいんじゃないのか?」

「聖杯戦争の都合上あまり目立つわけにはいかないだろう。人気のない場所を飛びながら追撃する」

 セイバーとキャスター、二人の意見を聞き終えたリリアはたそがれるように鈍く笑うとポンとキャスターの両肩に手を置いた。

「任せたわ、キャスター。私たちを帝都に連れてって」

「良いだろう」

「え? 俺は?」

「アンタは行った場所で戦う事だけ考えてなさい」

「お、おう」

 妥当な決断だ。セイバーにパイロットを任せれば、帝都ではなく日の丸に飛んで行ってしまう。リリアにしてもセイバーにしても、好き好んでイカロスの気持ちを体験したくはないだろう。
 パイロットに決まったキャスターが操縦桿を握ると、リリアは身を屈めてその後ろに乗り込む。
 三人乗りはきついので、セイバーは霊体化して戦闘機にしがみついた。

「武運を祈る」

「貴方もね」

 二人のサーヴァントと一人の魔術師を乗せて、太陽の帝国の戦闘機は帝国に牙をむく為に飛び立つ。それを見送った後、冥馬はアーチャーに振り向いた。

「――――こちらも行くぞ」

「ああ」

 戦略通り冥馬とアーチャーは大空洞にいるナチスを討つために柳洞寺へ足を向けた。
 ナチスドイツ。第三次聖杯戦争が始まってからの因縁に決着をつける時がきた。



[38533] 第53話  契約書
Name: L◆1de149b1 ID:bb7961a4
Date: 2014/06/28 22:58
 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアは、合理主義的な者ばかりの魔術師の中でも殊更に用意周到な男だ。
 聖杯戦争開始前に予めナチスの助力を取り付け、帝国陸軍の指揮官を内通者にしておいたことなどが一つの証左といえる。
 ダーニック本人に聞いても決して頷きはしないだろうが、ここまで慎重なのは嘗て時計塔に新進気鋭の魔術師としてデビューしておきながら、たった一つの下らない噂で未来を喪ったことが影響しているのだろう。
 そんなダーニックだからこそ『情報』の重みはなによりも理解していたし、他の魔術師たちがそうであるように冬木市中に多くの『目』を放つこともしていた。
 そんなダーニックだからこそ遠坂冥馬とリリアリンダ・エーデルフェルトの二人が行動に出たことを、即座に察知することができた。

「遠坂冥馬とアーチャーがここへ、リリアリンダとセイバーとキャスターが帝国陸軍を……。敵ながら絶妙な配置だな。こちらに二騎のサーヴァントが来なかっただけ幸いといえるが、それも決して確定ではない」

 令呪というマスターに与えられた三度の絶対命令権は冬木市と帝都の距離すら〝ゼロ〟へ変える。
 敵にサーヴァントは一騎と侮ってかかっていたら、冥馬が令呪でキャスターを呼び戻し追い詰められることになるだろう。

「……にしても相馬戎次とライダーも案外と不甲斐ない。相手が彼の英雄とはいえ……いや彼の英雄だったというのに仕留めきれなかったとはな」

 ダーニックは相馬戎次からの報告を受けた木嶋少佐から、アーチャーの真名を聞いていた。
 ナポレオン・ボナパルト、近代最高峰の英傑にして現代社会の根幹たる『近代法典』を生み出した偉人。知らぬ者などいない、この聖杯戦争でも最大の知名度をもつサーヴァントだ。
 だがどんな英雄にも弱点はある。ナポレオン・ボナパルトはナポレオン・ボナパルトであるが故に、ライダー(冬将軍)との相性は最悪だ。
その最悪の相手からマスターを失いながらも生存を果たしたのは、相馬戎次たちの不手際か。はたまたアーチャー自身の底力か。アーチャーの真名を思えば後者であると考えておいた方が良いだろう。

「しかしどれほどの障害が立ち塞がろうと、私はこれを手に入れてみせる」

 ダーニックは恍惚感すら秘めた表情でそれを見上げた。
 まるで血管のように地脈に張り巡らせた回路と、それに流れる魔力。神々しくありながら禍々しくある魔性の杯の大本。繊細にして緻密。背徳的でありながら神聖さすらあるそれは大聖杯、聖杯戦争の原因たる大魔法陣に他ならない。
 恐らく天才と呼ばれる魔術師が千人集まり、この起動式を知ったところで、これを完全に再現することなどできはすまい。
 美しい、と改めてダーニックはそう零す。
 月並みな言葉であるが、どれほど相応しい美麗美句を辞書で探したところで大聖杯を言い表すには足らないだろう。だから人間にできるのはただ『美しい』と心を奪われることだけだ。

(これを手に入れれば、我がユグドミレニアの悲願は達成される……!)

 時計塔は聖杯戦争に対して余りにも無知だ。三度繰り返されたこの戦いを、極東で行われているマイナーな魔術儀式程度にしか認識していない。
 しかしこの大聖杯を見つけ、ロディウスと共に検証を続けてきたダーニックは、大聖杯が生み出された真の理由についても掴んでいる。その真の理由は魔術師にとっての悲願に直結するものでもあった。
 ダーニックの脳裏には既に『大聖杯』をユグドミレニアの領地に持ち帰った後の壮大な計画が組み立てられつつあった。

(だが)

 チラリと兵隊たちに用意させた椅子に座りながら、のんびりと珈琲を楽しんでいるロディウス・ファーレンブルクを見やる。
 大空洞なんて場所にアンティークなテーブルとイスが置かれたその光景が、なんともシュールだ。

「どうしたねダーニック。あんまり見つめないでくれ。……………ハッ! 私にそういった趣味はないぞ!」

「心配せずとも私にもありません」

 わざとらしく自分の体を守る仕草をするロディウスに、ダーニックは冷淡に言い放った。
 聖杯戦争のためナチスの協力を得たが、彼等はダーニックの同志でもなければ同胞でもない。あくまで相互利用の関係だ。ベルリンに移送しようとしている大聖杯を、ダーニックが横から掻っ攫う魂胆であると知れば、当然ナチスはそれを許さず襲い掛かってくるだろう。
 だが用意周到なダーニックは、しっかりとナチスを排除する用意がある。なんの違和感もなく絶対的に信じるに足る策だ。だからまだロディウス・ファーレンブルクを仕留めることはない。彼を殺すのは全てが終わった後だ。

「遠坂冥馬とアーチャーとがこちらに攻めて来るんだろう? しっかりと応戦頼むよ。我々はこれをベルリンの閣下にしっかりお届けせねばならないのだからね」

「御意に」

 恭しく、さも執事が主人にするかのように頭を垂れる。完璧なる礼儀に黒い殺意を隠しながら。
ダーニックはロディウスから離れると、ランサーの所へと足を運ぶ。
 自分がこの聖杯戦争において果たすべき最大の役目を終えたランサーは、大聖杯を前にしながら一人黙々と刀の調子を確かめていた。
 最初のキャスターとの戦いで使用した無骨な槍でも、次に使用した『生ある者』でしか触れられぬ槍でもない。
 ランサーというクラスともランサーの出自にも似合わぬこの国の剣たる刀。
 以前見たキャスターの黄金の刃も美しいものだったが、日本刀というものには西洋剣にはない独特の味がある。
 滑らかでありながら強靭に鍛え上げられた刀身。研ぎ澄まされた刃金。どこまでも機能を追求し無駄を排した造りでありながら、その造形には職人が生み出す陶器のような美を感じる。

「ランサー」

 短く呼びかけると、ランサーはカチャンと刀を鞘に収め振り向いた。

「――――新しいオーダーか?」

「遠坂冥馬とアーチャーが我々の計画の邪魔をするために動いている。お前は大空洞の入り口に待機し、二人が来たらその足止めをしろ。
 もう一度だけ言うぞ。あくまでも足止めだ。倒そうとは考えなくていい。時間を稼いでくれれば、我々の方で準備が整う」

「いいだろう。報酬は?」

「〝成功報酬〟なら言い値を払おう」

「ふん。失敗すれば報酬は無し、か」

「そもそもお前が失敗するということは、お前が死ぬということだからな」

「違いない」

 大聖杯から漏れる魔力光を反射し、ランサーの眼鏡が輝いた。どこか獰猛な笑みを浮かべると、ランサーは腰を上げる。

「おい、ダーニック。お前にこれをくれてやる」

「…………!」

 ランサーがダーニックに自身の日本刀を差し出した。
 一瞬だけダーニックは押し黙る。ランサーが差し出した日本刀は見た目はただの日本刀であるが、それは名刀などという生易しい代物ではなく、サーヴァントを殺すほどの神秘をもった宝具である。
 存在そのものが魔術より上にある神秘の塊にして、英雄と共に座に上がった伝説の力。
 サーヴァントにとって自身の宝具を他人に渡すなど、自身の半身を譲るも同じ行為だ。しかしこのランサーに限ってはその常識は当て嵌まらない。
 俗物的な話だが、ランサーの差し出している日本刀は巨万の富に匹敵する宝だ。それをくれると言われて断る理由はない。
 ダーニックはランサーより渡されたそれを受け取った。

「ありがとう、ランサー。だがどういうつもりかね? 君が私に刀を送るとは。しかも無料で」

「もしかしたらこれが私の最後の仕事となるかもしれないからな。餞別だよ。多少腹立たしいこともあったが、お前は気前の良いクライアントだったからな。職人としてはサービスの一つでもしたくなるというものだろう。
 それじゃあなダーニック。お互い死んでいなければまた会おう」

 ランサーは淡々とした別れを告げると、ダーニックの前から去っていった。
 見送りながらダーニックは考える。ランサーは他のサーヴァントにはない優秀な能力をもった英霊だが、通常の三騎士クラスほどの白兵戦闘力はない。
 あのアーチャーと真っ向勝負すれば互角ということは先ずないだろう。つまり足止めに失敗する可能性が高いということだ。

「――――本来であれば、どうにかしてランサーの勝機をあげようと策を凝らすところなのだがな。サーヴァントがいなくても、こちらにはまだそれを凌駕する駒はあるのだよ。アレも完成しつつあるところだ」

 ダーニックが目を向けた場所にはナチスの軍服を纏わされた2m以上はある大男が、静かに一切の口を聞くことも無く佇んでいた。




 柳洞寺の前に到着した冥馬は石段を登ることはなく、普段誰も立ち入らない円蔵山の木々の中に入った。
 遠坂家地下の工房で埃をかぶっていた古文書を頼りに草木を掻き分けていくと、そこに柳洞寺の住職も知らない、御三家当主だけの秘密の地たる大空洞への入り口があった。
 さながら円蔵山の掠り傷のような『入口』からは微かに漏れ出すマナを感じる。それに閉ざされた大空洞に潜む多数の人間の殺意もだ。
 やはり璃正の言った通りナチスが大聖杯の奪取という大それた計画を企てているのは確かのようだ。そしてこの大空洞の中にはナチスの全兵力がいるはずだ。
 聖杯戦争のマスターとしてではなく、御三家当主として負けが許されない鉄火場。
 緊張がないと言えば嘘になる。だが緊張を呑むかのように、自分の唾をゴクリと五臓六腑へ流し込むと、

「行くぞ」

 傍らにいるその男に告げた。粒子が集まっていき、なにもない虚空に魔力が一つの人影を作り出す。
 ナチスの計画を挫くため。敵同士でありながら今この時だけは、仮初の主従として契約を交わしたアーチャーだ。

「ウィー」

 二角帽を深く被り直し、アーチャーは神妙に頷く。歴戦の英雄だけあって、冥馬と違い緊張のようなものはまるで伺うことができない。
 英雄と魔術師云々以前に、これは潜り抜けた修羅場と地獄の差だろう。
 今だけとはいえ彼ほどの英雄が、自分の味方として傍らに立っているのが頼もしいばかりだった。
 キャスターに言ったら機嫌を損ねて白い目をされるかもしれないので、キャスターにはこんなことを言えはしないが。

「悪いがクライアントのオーダーだ。ここから先へ行かせることはできん」

 入口から大空洞へ侵入しようとした冥馬とアーチャーに、事務的で冷淡な声が降りかかる。
 行く手を遮るように立つのは白衣に身を包んだ玲瓏な男性。銀縁の眼鏡は大空洞で目一杯のマナを浴びたからなのか、白く曇っておりその奥にある瞳を伺うことはできない。

「ランサーか。それはまぁ連中がここを素通りさせてくれるわけもないか。マスターの兵士を殺した罰に、自害でも喰らっていたら嬉しかったんだがな」

「罰? 罰だと? なにを馬鹿な。あれは私が悪いんじゃあない。私はクライアントから下されたオーダーは『クライアントが私を裏切らない限り』守る主義だ。全ては私が召喚された時に渡した契約書にあった注意事項を破り、私の目の前で不細工な鉄屑などをぶちかまさせたダーニックが悪い!」

 ランサーが投げてよこした契約書のコピーを掴み取る。

「…………………」

『注意事項』
・私の目の前で不細工な鉄屑を見せない。
・私の目の前で不細工な鉄屑を使わない。
・私の目の前で不細工な鉄屑を撃たない。
・私の目の前で不細工な鉄屑を頼らない。
・私の目の前で不細工な鉄屑を使わせない。
・これらを破るとキレます。
・キレるとオーダーとか訳分からなくなります。
・最悪の場合だと契約破棄の可能性もあります。
・あんまり露骨に破るとクライアントでもうっかり殺してしまうかもしれません。
・オーダー1つにつきこちらの提示した報酬を払わないと働きません。
・お互いにとって気持ちの良いビジネスパートナーで聖杯戦争を終えることを期待します。

 ランサーの言う契約書というのはとんでもなく酷いものだった。
 普通サーヴァントとマスターは運命共同体として、共に背中を預け合って戦うものだというのに……いやビジネスパートナー的な付き合いというのは良いのだ。
 冥馬とキャスターの関係にしても完全な信頼関係が皆無とは言わないが『聖杯戦争に勝つ』という目的の為に戦っているのだから。
 しかし仕事を一つするのに報酬を要求し、おまけにご丁寧にこんな契約書まで用意するなど前代未聞である。
 この契約書通りだというのならダーニックとランサーの関係は主従というより傭兵と雇い主のそれと同じだ。

「召喚したのがキャスターだったのを感謝しよう」

 今度自分の先祖が聖杯戦争に挑むことがあっても、あのランサーだけは召喚しないよう言いつけておかねばなるまい。ただでさえ宝石魔術にはお金がかかるというのに、仕事一つに一々莫大な報酬を支払っていては、財政を更に圧迫させることになる。尤も冥馬は未だにランサーの真名すら掴めてないので、忠告のしようがないわけだが。

(ランサーの真名か)

 英霊の真名を探る一番の方法は宝具だ。
 真名解放をせずとも宝具の特徴や垣間見せる能力から、出身地やいつの時代の英霊なのか大凡は掴めるものである。だが、

(……やはりさっぱり分からない。ランサーは一体全体どこの誰なんだ?)

 生ある者にしか触れない槍、教会に乱雑に突き刺さった剣、九つの『月牙』がある異形の戟。
 洋の東西を問わずあらゆる意匠と造形の武器をランサーは使っていた。それに追加してあのサイボーグ兵までが使っていた宝具。
 別に洋の東西を跨いで活躍した英雄がいないわけではない。人類史上最大の征服者であるチンギス・ハンなどその代表例である。だがしかしそれにしてもサーヴァントの保有する宝具は基本一騎につき一つ。多くても三つ四つが精々だ。ランサーのように出自がバラバラの宝具を、十数個以上も保有する英霊などいるはずがないのだ。

「ランサー、一ついいかい?」

「――――なんだ」

 ギロリ、と。アーチャーの問いに、鋭くランサーが睨み返す。

「君達のクライアントのナチスは大聖杯を奪取しようとしている。そんなことをすれば聖杯戦争もオジャンになるわけだけど、君はそれで良いのかい?」

「あんな贋作の聖杯、元々興味などない。私はマスターから依頼を受けたから、娯楽という報酬を得るために来てやっただけだ。
 あの『聖杯の器』にしてもそうだ。この時代の人間が言うには一級品だそうだが、この私からすれば全然駄目だね。私ならあの十倍……いいや百倍は良いものを造れる!」

「成程ね。色々と分かったよ、ありがとう」

「!」

 アーチャーがにっこり微笑みお礼を言うのと、円蔵山に耳を劈く銃声が響き渡るのは同時だった。
 一瞬ナチスのスナイパーが潜んでいたのかと周囲を警戒する。だがスナイパーに狙われ慣れている冥馬には直ぐに分かった。狙撃にしては銃声が余りにも近すぎる。
 そう、この銃声はまるで自分の隣りから響いてきたような。

「あ、アーチャー?」

 漸く気づいた。アーチャーがまったくもって自然に、自分の目を擦るかのような動作で取り出していたのはアンティークな拳銃だ。
 拳銃の銃口からは煙があがっており、それがついさっき仕事をしたばかりだということが分かる。
 そしてその銃口が向けられていたのは、

「…………………」

 ランサーは沈黙していた。白い衣には丸い穴が空き、そこからはドクドクと血が流れている。
 銃を向けているアーチャーと、肩から血を流すランサー。誰が見ても、なにが起きたか一目瞭然だった。アーチャーが自分の拳銃で、ランサーの肩を討ち抜いたのだ。
 そう、よりにもよって拳銃で。

「あ、アーチャー!? お前、なんてことを……!」

「見ての通りだよ。問題があったかな?」

「大ありだ!」

 銃火器を『不細工な鉄屑』と呼び嫌悪の念を隠そうともしないランサーを、よりにもよって拳銃で撃つなど最悪の挑発行為に他ならない。
 冥馬の脳裏に蘇る柳洞寺の戦い。味方が銃を敵に撃っただけでバーサーカーが裸足で逃げ出す激怒ぶりを見せたランサー。
 これが自分が撃たれたとなれば、その怒りがどれほどまでいってしまうのは想像がつかない。否、想像したくもなかった。
 冥馬は恐る恐るランサーを見ると、

「ふっ。ふふふふふふふ、痛いじゃないか」

「へ?」

 そよ風に揺らぐ花のように爽やかに微笑むと、ランサーは自分の肩を治癒していく。
 怒っているようには見えない。ランサーは「ははははは」と周囲に花でも咲きそうな笑顔だった。
 確実に凄まじい憤怒がくると思っていただけに拍子抜けだ。冥馬がほっと一息つき、丁度それと同時にランサーの肩の治癒が終わった。
 瞬間。

「調子こいでんじゃねぇぇえぞォォオ! この餓鬼ァァァ――――――ッッ!!」

「っ!?」

 雷光と見間違わんばかりの速度で投擲された槍。
 あまりに突現のことに……いや、心の準備をしていても果たして見えたかどうか。それほどの疾さで投擲された槍を、アーチャーは自身の拳銃で受け止めていた。
 槍を受け止めた拳銃には蜘蛛の巣のような皹が入っていき、粉々に砕け散る。

「ダーニックは足止めに専念しろと抜かしていたが、そんなことはもォォォォォ関係ない。この私に不細工な鉄屑で不細工な傷をつけた罪は、無間地獄に堕ちても贖罪できぬ罪悪……。アーチャァァァッ! 貴様は楽には殺さんッ!!」

「というわけだ冥馬。もうランサーの目には〝俺〟しか映っていない。他の誰かに気を払う冷静な判断力は残っていないだろう。今のうちに君は先に進むと良い」

「まさかそのために敢えてランサーを怒らせて……?」

 返事は薄い笑みだった。
 やはり抜け目がない。ランサーの激怒までも自分の戦術に取り入れてしまうとは。
 マスターだけでの単独行動は危険だが、ここであの得体の知れないランサーに手間取っている時間が惜しい。ここはアーチャーの戦術にのることにした。

「頼んだぞ、アーチャー」

「任せて貰おう」

 アーチャーの背後の空間に魔力が集まり、彼の武器たる大砲が召喚されていく。
 サーベルを引き抜くとアーチャーは一介のサーヴァントとしてではなく、サーヴァント・英雄・皇帝という三つの顔を、己の全てを剥き出しにした。

「今日のボナパルトは自重しないぞ。ランサー、貴様の命と貴様の主人が企てる計画の崩壊をもって我が主人、間桐狩麻の鎮魂とする」

「ヌカセェェェエ! 小僧ォォォォォォォオォォオオオオッ!!」

 冥馬の背後で二騎の英雄がぶつかり合う。恐らく自分の背後では神話の1ページのような戦いが繰り広げられているのだろう。
 だが敢えてそれに背を向けて冥馬は進む。ユグドミレニアの野望を挫き、聖杯戦争を崩壊させない為に。



[38533] 第54話  追跡
Name: L◆1de149b1 ID:bb7961a4
Date: 2014/06/28 22:59
 中に入った途端、全身がささくれ立つほどの魔力の気配が肌を焦がす。
 入口こそ狭かったが、中へ入ってみると大空洞まで続く洞窟はそれなりの広さがあった。中の広さに対して、入り口があそこまで狭かったのは隠匿のためだろう。御三家以外の魔術師たちが、万が一にも〝大聖杯〟に気付くことのないよう、150年前の先祖たちも苦労したに違いない。

「…………」

 ゴクリと息を飲みこむ。
 父から当主の地位を継承してからそれなりの月日が経っているが、こうして大聖杯の安置されている大空洞に赴くのは初めてのことだ。
 この先に自分の祖先とその同胞たちが作り上げた奇跡の結晶がある。そう思うと緊張を隠し通すことができない。これほど緊張したのは父から魔術刻印の移譲を行われ始めた時以来だ。

「さて。急いで大聖杯の所まで行きたいところだが、どうも邪魔者がいるらしいな。出てきたらどうだ、戦争の狗さんたち」

 わざとらしく頭を抑えながら、岩の影に息を潜める者達に語りかけた。
 隠れているナチス兵たちは冥馬に指摘されても、物音どころか殺意すらも腹の中に呑み込んだまま無反応を貫いている。
 聖杯戦争なんて場所に派遣されるくらいだ。物陰に隠れるという動作一つをとっても、並みの兵士は練度が違う。敵ながら素直に賞賛したいくらいだ。
 だが今回ばかりは相手が悪かった。

「最後通牒だ。そこに隠れていることは分かっているんだ。大人しく出てくれば半殺しで済ませてやるぞ。」

 炎と風の二重属性の魔術師である冥馬は、風と熱を読むことでの気配感知に優れている。アサシンの気配遮断ならいざしれず、兵士たちが息を潜めたくらいでは、その気配感知から逃れることはできない。

「だんまりか」

 冥馬がなにか言おうと、返ってくるのは沈黙だけ。返答はない。あくまでも命令を遵守し、物陰からこちらの隙を伺っているのだろう。
 短絡的な行動は時に自分の身を危うくするが、今回は一分一秒が惜しい。多少のリスクは覚悟で、冥馬はこちらから動くことにした。
 冥馬は足元にあった小石をリフティングのように蹴りあげると、ナチス兵たちが潜んでいる岩に蹴り飛ばす。
 蹴り飛ばした石がぶつかる。瞬間、

「Feuer!」

 ナチスの兵士達が飛び出し、冥馬目掛けて機関銃を一斉に放つ。だが奇襲とは不意をつくからこそ効果を発揮するもの。予め分かっていれば対処も容易い。
 機関銃が放たれるタイミングも、その軌道も全てが冥馬には視えていた。そこまで分かっていれば後はサーヴァント並みの動体視力などは不要。見出した安全地帯に自分の体を潜り込ませるだけ。
鉛玉の雨をいとも容易く掻い潜りながら、冥馬は兵士たちと距離を詰めていく。
 これまで当然のように敵兵の命を奪い取った掃射を、なんでもないかのように対応する“人間〟を前に、兵士たちの間を動揺が奔った。

「っ! 落ち着け! 大佐やダーニック殿と同じだ! なにか妙な力を使っているぞ!」

 兵士たちの指揮官は自分にとって理解不能な現象を、自分にとって理解の及ばぬ魔術が原因だと決めつける。けれどそれは酷く狭い物の考え方だ。不思議な現象全てが魔術や魔法が原因ではない。寧ろこの世の多くの不思議は科学的に説明がつくことばかりだ。異能という人類にとって未知のロジックがなければ解けない事象はほんの一握り。
遠坂冥馬が機関銃の掃射を回避している方法もまた然り。冥馬が銃弾を回避するのに使用しているのは魔術ではなく、努力すれば万人が使える体術に過ぎない。

「魔術なんて一切使っていない。この先にまだまだ強敵が待っているんだ。お前たち相手に消費する魔力などない。お前たちを倒すのはこの肉体のみで十分だ」

「侮るな、日本人! 生身で武装した兵士に勝てると思うか!」

 兵士たちの一人が機関銃を撃ちながら叫ぶ。冥馬は全身に魔力を漲らせ程よく体を強化しながらニヤリと笑い、

「勝てるんだよ、それが。それと俺は侮っているわけじゃあない。俺は全身全霊で戦っている。ただ魔術を使っていないというだけ」

「詭弁を――――!」

「詭弁かどうかは拳で証明する!」

 ナチスのことだ。どうせ炎と風の魔術については、例の否定の概念を込めた銃弾で対策しているだろう。敵に対策されている魔術を、わざわざ使うことはない。
 魔術などなくても、遠坂冥馬には最も頼れる武器を、生まれたその日に親から与えられている。ならばそれを使うだけだ。

「はぁ!」

 鍛え抜かれた冥馬の脚力による踏み込みが、地面を爆発させる。兵士たちの視界から遠坂冥馬は消え失せ、数秒で彼等の背後へ回り込んだ。そして両腕を鞭のようにしならせると、体を回転させる遠心力を使い、鋭い手刀を二人の兵士の後頭部に叩き込む。
 徹底的なまでに鍛え上げられた手刀は刃物と同じ。ただの一撃で二人の兵士達は即死する。

「二人の兵士を一瞬で……! 化物め! どんな魔術を使った!?」

「だから言っただろう。魔術じゃない……武術だ!」

 近接戦闘で銃は不利と判断した兵士達が、ナイフを抜いて襲い掛かってくる。
 軍隊で仕上げられたらしい無駄のない、ただ敵を殺すための動き。ナイフの軌道も正確にこちらを一撃で殺すため急所を狙ってきている。
 実に良く訓練されているが、余りにも教本通り。馬鹿正直過ぎる。
 動きに嘘が皆無ならば、それを見切るのは難しいことではない。最小限の動きでナイフを躱すと、逆に五人連続で鳩尾に肘を叩き込んだ。
 人体の急所である鳩尾に強烈な一撃を喰らった兵士達は次々に死亡、或いは失神していく。

(いつもより体が軽い。まるで全身のバネというバネが洗われたかのように、なんというかスッキリというかハッキリしている)

 次々に兵士達を己が五体で鎮めながら、冥馬は自分のコンディションの良さを確かめていく。あの重いスーツを着ていないからというのもあるのだろうが、それを考慮しても冥馬の体は絶好調だ。
 思い当たる節はある。これまで自分は幾度となく、自分より格上の戦士の戦い。サーヴァント同士の殺し合いを間近で見てきた。格上の武人の戦いを〝見る〟ことはそれ自体が一つの修行。歴史に名立たる剣豪たちも、他の剣豪の技を見ることで、その技を盗み己のものに昇華してきた。
 古の武術家たちが見ることによって自分の武を練磨したように、冥馬もまたサーヴァントたちの戦いを見ることで、武術家として更なる高みへと上ることが出来たのだろう。これは嬉しい誤算だった。

「実戦の中でこそ、得られる経験値があるか。これだから武術は面白い!」

 何人目、否、何十人目かに分からぬ兵士達を前蹴りで宙へ飛ばす。蹴り飛ばされた兵士は空中で何回転もしながら、洞窟の天井に頭をぶつけると、重力に体を引っ張られて落下した。

「さて、と」

 冥馬が残った兵士達に視線を向けると、兵士達が怪物を見るかのような目で後退する。
 ふと冥馬の頬に血が一筋流れた。不覚にも銃弾が一発だけ頬をかすめていたらしい。この程度、治癒すれば元通りにするのは容易いだろう。

(だが敢えてそれはすまい)

こんな傷程度を治癒する魔力が勿体ないし、これも自分自身の修行不足の証明だ。甘んじて受け入れよう。
 だが逆を言えばたったそれだけだった。冥馬の負傷は。
 傷一つだけの冥馬に対して、残ったナチス兵士たちは息も絶え絶え。
 もはや勝負は着いたも同然だが、ナチスの兵たちにもプライドがあった。無手の男一人にここまでやられて、大人しく両手をあげて降参することなどできない。

「くっ……! 撃て! 撃てぇ! 弾が尽きるまで撃ちまくれぇ!!」

 生き残った兵士達で最も階級の高い男の叫びで、無数の銃口が一斉に火を噴いた。だが神経をより研ぎ澄ませた冥馬は、銃弾を回避しながら近付いていく。

「くそっ! なんで当たらない! 銃弾より速く動いて回避するなど本当に人間なのか!?」

「はは。馬鹿を言っちゃいけない」

 両足で地面を蹴り跳躍すると、更に天井を足場に二段跳躍を行い、兵士達の輪の中に着地する。
 そのまま兵士達が次の行動に出るのを先んじて、両足でしっかり重心を固定し、両手で兵士達の顎を粉砕していった。

「俺……おほん。私は銃について詳しい方じゃないが、弾丸の速度は大体秒速300㎞以上。サーヴァントならいざしれず、そんな速さで人間が動けるわけがないだろう。
 だが指の動きで発砲のタイミングを予想して、両手の動きと銃口の向きで弾道を計測すれば、銃を躱すのはそう難しいことじゃない」

 銃弾を発砲されてから回避することができないならば、発砲される前に躱してしまえばいい。
 相手の動きの予想……。冥馬のしていることを一言で表現すればそんなところだ。高度な武術家同士の戦いや、サーヴァント同士の戦いなら当たり前に行われているスキルの一つである。

「と、説明したが聞いている人が誰もいないな」

 時間にして十分ほどだろうか。ここに潜んでいた兵士達は全て片付いたようだ。
 片付けたといっても全員が死んでいるわけではない。中には運良く失神だけで済んだ者もいる。そんな人間には止めを刺さず先に行こうとして、

「よう。終わったようだな」

「!」

 ナチスの軍服に身を包んだ2mはあろうかという大男が、忽然と冥馬の行く手を遮った。
 左目はブルーの極普通の人間の瞳だが、右目は人間味のない機械的な義眼が緑色に発光している。背には宝具らしき気配を放つ巨大な剣。
 明らかにナチスのサイボーグだ。しかも人語を話すところからして、柳洞寺で襲い掛かって来たサイボーグとは一味違う臭いがプンプンする。

「随分な重役出勤じゃあないか。お前の同僚たちは、お前が出勤する前に殉職したぞ」

「木端兵たちにウロチョロされると戦いの邪魔になるんでね。お前が兵士どもを片付けるのを待っていてやったんだよ。俺に与えられた命令は、お前をここから先に通すなというものだけ。他の連中がどうなろうと関係ないからな」

「それはそれは豪気なことで」

 口だけではない。この男の気迫は並みの兵士の比ではなかった。
 宝石は出来るだけ温存しなければならないが、この男が相手となると一つ二つの消費は覚悟しておいた方が良いかもしれない。

「ではその命令、守れなくしてやる」

 先手必勝。冥馬は男の脇腹に蹴りを叩き込んだ。





 冥馬とアーチャーがナチス相手に戦いを始めたのと同時刻。
 キャスターをパイロットに、リリアと霊体化しているセイバーを乗せたゼロ戦は『小聖杯』を移送している帝国陸軍を追って帝都を目指していた。
 帝国陸軍の動きは迅速で既にかなり遠くまで行ってしまっていたが、不幸中の幸いと言うべきか教会側が聖杯の器に特定の気配を放つ聖遺物を仕込んでおいたお蔭で、追跡するのに支障はない。
 とはいえ問題のない飛行を続けるのは簡単なことではなかった。
 キャスターが自身の魔術で認識阻害をゼロ戦そのものにかけているが、それとて絶対的なものではない。ゼロ戦で都市を突っ切るなんて無茶をすれば、明日の朝刊の一面を飾ることになるだろう。
 故にキャスターは頭の中に叩き込んだ地図から、最も人気がないであろう進路を選びつつ、出来るだけ回り道をせず列車を追うという飛行をしなければならなかった。
 ゼロ戦のパイロットにキャスターを選んだリリアの判断は正しかったと言わざるを得ない。
 頭脳労働が苦手と公言して憚らないセイバーには、到底そんな器用な操縦はできなかっただろう。そもそも目的地に真っ直ぐ飛んでいくことすら怪しいのだ。

「まだ列車は見えないの?」

 いつまでたっても敵の見えない現状に苛立ちを覚えたリリアが、棘のある口調でキャスターに尋ねる。
 頭の中でより最短距離を検索し、手足を黙々と動かしながら思考の片隅を使ってキャスターは口を開いた。

「十二度目の問いだ、それは。馬鹿は同じ言葉を二度言っても分からないそうだが、十二度も同じことを言わせる貴様は馬鹿未満だな」

「…………キャスター。本気でセイバーけしかけて背後からアンタを切り殺したくなるから、ここでそういう敵対心丸出しの口調で話すのは止めてくれないかしら?
 一応私達は手を組んでいるんだし、友好的にいきましょう。ね?」

 ニッコリと微笑みかけながら脅しかけるリリア。だがキャスターはそれで態度を改めるどころか、逆に心外だと言わんばかりに。

「何を言う。仮にも共闘している仲だから、控え目かつ紳士的な忠告をしているというのに」

「あれで紳士的ってアンタはどんだけ口悪いのよ!」

「お前がこれまで会った誰よりもじゃないのか?」

 共闘者であるリリアと慇懃無礼に……いや、無礼に会話しゼロ戦の操縦をしながらも、キャスターの左目はラインを通じて冥馬の視界と繋がっていた。
 ナチスの兵隊相手に己の身一つで戦う冥馬はひたすらに圧倒的である。弾丸をいとも容易く躱しながら、片手と片足で無駄なく確実に敵兵の命を刈り取っていく。
 もし冥馬に危険があれば冥馬のサーヴァントとして、キャスターは操縦をセイバーに任せて戻らなければならないが、どうやら今のところその必要はなさそうだ。

「それに、もしも列車が見えたのならば、だ。いの一番にお前達に教えるに決まってるだろう。人が頭を回転させて『聖杯』を追っているというのに、今の今までなんにもせず空の旅を満喫していたお前達を相応に働かせてやらないと俺の気が済まないからな」

「う」

 自分がキャスターに運んでもらっているという自覚はあるためリリアは押し黙った。
 リリアは自尊心も高いし素直でないところもあるが、道理が分からない人間ではない。そして道理を弁えた人間とは往々にして正論に弱いものだ。

「だ、だけど仕方ないじゃない。私だって戦闘機の操縦は自信ないし、セイバーはアホなんだから」

『ん? なんか言ったか?』

「アンタは敵が見つかるまで黙ってなさいね」

『おぉ。じゃあ、また一人しりとりの続きをやって待ってるぜ。さっきはメロンで終わったから次はンから始まる言葉だな』

「…………………」

 霊体化したままのセイバーは必死になってンから始まる言葉を考えている。キャスターとリリアは呆れながら溜息をついた。
 天は二物を与えずとは言ったものだ。神はセイバーに一つの国の歴史において並ぶ者のいない『武勇』を与えはしたが、人並みの知略を与えることはなかったのだろう。

「だがまぁ。この戦闘機はお前が帝国陸軍から奪い取った戦利品。これがなければ連中を追うのにも一苦労だった。その点ではこうして俺が操縦しているので貸し借り無しか」

 気を取り直す様にキャスターが呟く。
 ナチスと共謀し『聖杯の器』を奪取した帝国陸軍の動きは迅速そのもの。戦闘機という空路を行く足がなければ追い付けたかどうか怪しいものだ。
 キャスターのフォローにリリアは意外な目をする。

「年中無休ひねくれっ放しの奴かと思ったけど、ちょっとは話が分かるじゃない。貸し借りなしなら私は遠慮なく空の旅を満喫してていいわけね」

「自由にすればいい。運転手に三十分おきに目的地にはまだつかないのかと尋ねるのが、名門貴族の御令嬢の姿であるべきだとお前が考えているのならばな」

「うぐ……! ホントにああいえばこういう」

「なにか言ったか?」

「あーもー。なんも言ってないわよ。私達を運んでくれてありがとう。敵が見えたらこの空の旅で育まれた鬱憤を全力でぶちかましてあげる。これで良いんでしょう?」

「上出来だ」

「もう二度とアンタとは口喧嘩しないわ……」

 リリアとの口喧嘩に勝ったことをまるで誇ることなく、素っ気なく言うとキャスターは再び意識を操縦のみに傾ける。

「最良の選択をとるためだったとはいえ、作戦会議に少し時間をかけ過ぎたかしら」

「時間を惜しんだ挙句に、碌な作戦もなく特攻する方が好みならそうだろう」

 焦りというのは判断力を鈍らせる。判断力が鈍れば普段なら絶対にしない些細なミスを犯してしまうもの。そしてその些細なミスが戦いでは命取りになる。
 例え時間が押していても敢えて時間を消費して、冷静に作戦を組み立てるのは悪いことではない。少なくともキャスターはあの作戦会議は決して無意味なものではないと判断していた。

「――――む」

 キャスターがピクリと眉を動かす。

「どうしたの?」

「いやなに。冥馬が少々厄介な敵と遭遇したようだ。ま、気にする必要もないだろう。この程度に負けるほど冥馬は弱くないし、そもそもこれでやられるようじゃどの道、先は長くない」

「冷たいのね」

「信頼してると言ってくれ」

 それに今は冥馬のことばかりに気を向けていられる余裕はない。
 このまま馬鹿正直に列車を追いかけても果たして追いつけるかどうか。

(多少リスクがあるが仕方ない)

 問答するのも面倒だったので、リリアには何も言わず内緒で当初予定していた進路を変更した。
 馬鹿正直に追って追い付けないのなら、やるべきことは回り道と昔から決まっているのだから。



[38533] 第55話  帝都進撃
Name: L◆1de149b1 ID:bb7961a4
Date: 2014/06/28 22:59
 聖杯の器に付着した魔力反応。ゼロ戦という足を使い、それを追ってきたキャスターは懐かしむように目を細めた。
 眼下に広がるのは木造建築ばかりだった冬木市とは違う、鉄筋コンクリートの近代的ビルが立ち並ぶ街並み。
 この国・この時代に顕現してまだ一週間程度でしかないキャスターだが、ここはキャスターにとって懐かしさを覚える場所だった。なにせここはサー・ケイという英雄が、サーヴァントとして今生の主君に見えた地なのだから。

「懐かしいな」

「懐かしい、じゃないでしょアンポンタン!! 思いっきり東京に突撃してどうすんのよ!」

 出来る限り人目を避けるとは一体なんだったのか。
 人目を避けるどころか、この国で最も人目の多い場所に突っ込んでいったキャスターに、リリアは気焔を吐いて威嚇する。だがキャスターは狼狽えることなく冷静に反論した。

「あのまま馬鹿正直に追いかけても、途中で追いつけるかどうかあやふやだったからな。奴等が確実に来る場所に先回りしただけだ。
 それに安心しろ。帝国陸軍だったか? 連中も神秘の隠蔽に関しては、監督役たちに負けず劣らず手際が良い。それは実際に帝都で襲撃に合った俺が保障する。今は夜でもあるし、連中の方でなんとかするだろう」

 リリアの怒りをさらりと流すと、キャスターはゼロ戦で東京の飛びながら地上を見下ろす。

「――――はぁ。ホントは文句は山ほどあるけど、今更言い争いしたところでどうにかなるもんじゃないわね」

 先回りが功を制して、どうにか『聖杯の器』が皇居に運び込まれる前に帝都に到着することができた。だが世の中そうなにもかもが都合良くいくわけはない。キャスターの探知が指し示す『聖杯の器』の現在地はそう遠くない。つまりキャスターたちと同様、既に『聖杯の器』も帝都に入っていた。
 小聖杯が『皇居』に運び込まれてしまえば、その時点でアウト。これまでの追撃は、全て無駄になる。
 帝国陸軍は小聖杯を『皇居』に送れば勝ち、リリアたちはその前に小聖杯を確保すれば勝ち。要はラグビーのようなもの。分かり易い勝利条件と敗北条件だった。

「ここまできたんだから、なんとしても聖杯は取り返すわよ。キャスター、聖杯に向かって全速前進よ! エーデルフェルトからお宝を掻っ攫っていったこと後悔させてやるんだから!」

「女にしては話が分かるな、お前は。だが――――」

「もうやってるから一々言うな、でしょう?」

 さっき散々と言いたい放題言ってくれたお礼だ。
リリアはニヤリと挑発気に口端を釣り上げる。
 だがリリアの期待とは裏腹に、キャスターは自分の台詞をとられてムッとする、なんてことはなく、

「いや実に的外れな発言をしているところ悪いが、俺は『連中もそう簡単には行かせてくれないようだ』と言おうとしたんだが」

「へ?」

 キャスターにそう言われてリリアも気づいた。前方から高速接近してくる飛行物体。直線的な翼、機首で凄まじい速度で回転しているプロペラ。帝国陸軍の戦闘機が七機、リリアたちの乗るゼロ戦に向かってくる。
 恐らくは聖杯戦争を知る帝国陸軍上層部の命令で来たのだろう。なんの威嚇も警告もなしに、七機の戦闘機は容赦なく機関砲の洗礼を浴びせてきた。

「舌を噛む、口を閉じろ」

 有無を言わさぬキャスターの警告。と、同時にキャスターは素早く操縦桿を動かす。機首が急激に上がり、竜巻のような横回転をしながらゼロ戦が機関砲を躱した。
 機関砲を回避した鋼鉄の鳥は最大速度で空へと逃げていく。自動車にも言えることだが、人間とは違い、戦闘機は急な方向転換は出来ない。人間のように急に立ち止まって、後ろを振り向くなんて芸当――――普通の戦闘機にできることではないのだ。
 だがサーヴァントという埒外の力が不可能を可能とする。

「それなりに負担をかけるから行きでは使わなかったが、もういいだろう。奔れ」

 奔れ、その言霊をキャスターが放った瞬間、キャスターの魔力が操縦席から翼の先まで伝わっていく。
 魔術師が覚える魔術としては基本中の基本であり、だからこそ極めるのが難しいとされる強化の魔術。その名の通り魔力を流したものの性能を強化する魔術だ。
 それがゼロ戦という空の騎士を、天空を支配する王者の座に押し上げた。
 魔術で風を操って、完全停止からの三百六十度の方向転換。そしてゼロ戦の砲口が向けられるのは、擦れ違ったばかりで背を向けている七機の戦闘機たち。

「堕ちろ」

 機関砲が火を噴く。
 比喩ではない。キャスターの魔力放出により炎熱を纏った砲火が、狼のように七機の戦闘機に喰らいついていった。
 頑強であろう装甲もまるで意味を為しはしない。
 サーヴァントという古の英雄が操る最新の兵器によって、七人の若いパイロットたちは自分達の敗因すら気付けず空に散っていった。

「こんなものか」

「全然こんなもんじゃないわよ……」

 しれっとしているキャスターに向かって、リリアはげっそりと言った。
 未だにリリアの心臓がバクバクと五月蠅く鳴っている。手は震え、口には胃の中のものが限界ぎりぎりのところまで競り上がってきていた。なんとも言えない、すっぱい味をリリアはどうにか呑み込む。

「幾ら緊急事態だからって、あんな無茶苦茶な空戦軌道しないでよ。死ぬかと思ったわ。うぅ、吐きそう……」

「吐きそうで済むならば十分上等だ。そら、本命のお出ましだ。腹に力を入れろ」

「本命……?」

 上空から降り注いでくる氷柱の雨。キャスターは空戦機動ではなく、魔術で炎の防壁を発生させそれを防ぐ。
 氷の柱による攻撃とくれば、それをやったサーヴァントは一人しか考えつかない。

「ライダーっ!」

 ぎりっとライダーを睨みつけるリリア。
風に乗って宙を漂うライダーは、リリアを見下ろすと艶やかに微笑む。白い着物に身を包み、きらきらと光る水色の髪を靡かせる形貌は天上の乙姫のようであった。
 ライダーのクラスは騎乗兵であり、ライダーのサーヴァントは大抵はなにかしらの乗り物を操るものだが、さしずめこのライサーの乗り物は〝世界〟そのものなのだろう。
 妖艶に微笑みながらライダーが口を開く。ゼロ戦で高速で動いているせいでライダーが何を言っているのか聞き取ることはできない。だがライダーの周囲にまた氷柱が出現していくのはリリアにも見えた。
 だが敵はライダーだけではない。
 キャスターが突然に左に機体を傾ける。それから僅かに遅れて魔力を帯びた機関砲がそこを通過した。
 ライダーを援護するように、猛然とこちらに接近してくる戦闘機。魔術師のサーヴァントと同じように戦闘機に魔力を帯びさせるなんて無茶。それをやる人間など一人しか思い浮かばない。
 相馬戎次。現代に蘇りし英雄譚の体現者、生きた英霊。大日本帝国陸軍最強戦力の御登場だ。
 相馬戎次もライダーと共にリリアたちの足止めにきたのだろう。聖杯の器を皇居へ移送するまでの時間稼ぎのために。

「不味いことになったわね」

 既に『聖杯の器』は帝都に入っているのだ。一秒だって無駄に消費することはできないというのに、相馬戎次とライダーという強敵と戦えば、短期決戦を挑んだとしても十分は釘づけにされてしまう。
 こうしている間にも聖杯が皇居に運び込まれてしまわないとも限らないのだ。ならば、

「キャスター、あんたって……飛べる?」

 唐突な質問。キャスターは機関砲と氷柱の掃射を巧みに回避しながら、簡潔に返答した。

「ああ」

 そっけない肯定の意思表示。これでリリアのとるべき行動は決まった。
 キャスターと視線が交差する。付き合いは短いが、キャスターはセイバーと違って頭脳派だ。リリアがやろうとしていることをキャスターも瞬時に理解する。

「セイバー!!」

 叫びながらキャスターが操縦席を開く。外と遮るものがなくなったせいで、冷たい風が操縦席に直撃するがリリアは耐えた。

「――――ん? なんだ?」

 セイバーがあろうことか機首の上に実体化する。しかしキャスターはそれを咎めることはなく、

「パイロット交代だ。お前はあそこにいる相馬戎次――――あの戦闘機をやれ。魔力は流したままにしてある。お前が全力で操縦しようと耐えられるだろう」

「そりゃいいけど、お前はどうするんだ?」

「俺はライダーを相手する」

 キャスターの背中に刻み込まれている魔術刻印が、傍目にも分かるほど強い輝きを灯す。
 伝承に記される大魔術師マーリン。彼が人々の理想たる王を守護するため、王の絶対的な味方たる騎士に与えたソレは、擬似的なものでありながら本物の魔術刻印以上の性能をもっている。
 まるで聖痕のような魔術刻印はキャスターの意志を読み取ると、刻印に刻まれた数多の魔術の中からキャスターが望む魔術を発動させた。

「凄い」

 思わずリリアは溜息を零す。
 キャスターの背中から噴出するのはオレンジ色に光る炎だ。ゆらゆらと揺らぐ炎は徐々に〝翼〟の形をとっていく。
 言い表すのであれば炎翼。それがキャスターの行使した魔術の正体だった。

「他は任せた」

 それだけ言うとキャスターはたん、とゼロ戦から飛び降りた。
 サーヴァントとはいえ物理法則が完全に通用しないわけではない。足場を失ったキャスターは重力という魔物に足を引っ張られ、地面に落下していく。
 だがキャスターの背に顕現した炎翼が羽ばたくと、蒼い騎士は重力をものともせずにライダーへ向かっていった。

「なんでも出来るんだな、あいつ」

 キャスターにかわって操縦席に座ったセイバーは感心しながらも、パイロットの仕事を完璧に引き継いでいた。
 元々知能に差はあっても騎乗スキルのランクに差はない。性格の違いからかセイバーの操縦はキャスターと比べると荒々しいが、十分に上手いといえるレベルのものだった。
 炎と冷気がぶつかりあう音が夜の空に響き渡る。ライダーはキャスターに抑えられていて、こちらを攻撃する暇はないようだ。
 だがリリアもいつまでもここでこうしてはいられない。

「セイバー、アンタはしっかりと相馬戎次を釘付けにしておきなさいよ」

「ん?」

 リリアはゴクリと唾を呑み込みながら、ゼロ戦から体を出す。
 キャスターがライダーを、セイバーが戎次を抑えている間に自分は『聖杯』の気配を追う。これが今とれるベストな選択だ。

「まさかマスター、空を飛ぶのか? キャスターみたいに」

「箒みたいな礼装なしに人が簡単に飛べるわけないでしょう! アンタはいいから、ぶんぶん飛び回ってる鬱陶しい戦闘機を倒すことだけ専念しなさい。頼りにしてるわよ」

「おう! 任せておけ!」

 セイバーに細かい作戦を指示している暇なんてないし、したところで意味はない。
 ピシャンと言い切ると重力制御の術式を唱え、飛び降りる準備をする。三重属性という稀有な才能をもつリリアにとって、重力制御で高所から飛び降りるなんてさして難易度の高いことではない。だがそれにも限度がある。
 沈没船からの脱出くらいならば経験したことのあるリリアだが、ビルより高い高度で空戦機動をする戦闘機から飛び降りるのは初めだ。
 少しでも術式が狂えば死ぬ。ここから落ちれば、人間の体など地面に落ちたソフトクリームのように原型も残さずにペチャンコになるだろう。そんな不安が脳裏を過ぎりかかるが、

「リリア。落ち着いていつも通りにな」

「セイバー?」

「力まないでもマスターなら大丈夫だろ。マスターは俺なんかよりよっぽど頭も良いしな」

 裏表のない快活な一言。
 我ながら単純だと思うが、今の一言でリリアの中にあった不安は吹っ飛んでしまっていた。

「そっちこそ。しっかりやんなさいよ!」

 パンと頬を叩き気合を入れると、迷いなく絶望的な高高度に身を投げ出した。
 瞬間。重力の重りが全身を引っ張っていく。
全身を強打する風圧。黒い巨竜が大口を開けてリリアリンダ・エーデルフェルトを呑み込もうとしているようだ。
しかしリリアは落ち着いて普段通り、重力制御の術式を発動する。
 相馬戎次の操る戦闘機がこちらを仕留めようと機関砲の砲口を向けてくるが、

「させるかぁ!」

 セイバーが放った機関砲に妨害され、それは失敗する。リリアは心の中で「ナイスアシスト」とセイバーに呟くと、ぐんぐんと地上へと堕ちていった。
 途中、重力制御の術式が起動する。暴力的な重力が緩み、リリアは宙に浮く羽根のようにゆっくりと降下していく。
 二人の騎士とサムライがドックファイトを頭上に、リリアリンダ・エーデルフェルトは地面にその両足をつけ着地した。



[38533] 第56話  武具百般
Name: L◆1de149b1 ID:bb7961a4
Date: 2014/06/28 23:00
 月明かりの下、枯れ木を散らせながら真紅と純白、二つの影がぶつかり合う。
 気難しいランサーの性分を察してか、大空洞の入り口周辺には誰一人として兵士やサイボーグなどは配備されていなかった。ダーニックは余程以前の柳洞寺の一件が余程堪えているのだろう。
 故にこれは正真正銘の一騎打ちだ。
 月光に照らされる戦いは伝説そのもの。出自も出身も生きた時代も異なる英雄同士の激突だ。円蔵山に張られた結界で霊体であるサーヴァントは重圧がかかっているというのに、刃を交え時に砲火を炸裂させる騎士たちには、動きが鈍った様子などどこにもない。
 気力で重圧を押しのけているというのも理由の一つではあるのだろう。だがそれだけではない。アーチャーもランサーもこの戦いに、重圧など消し飛ばすほどの嘗てない全霊をつぎ込んでいるのだ。
 ランサーは単純に燃え上がる憤怒から。アーチャーはサーヴァントと英霊、二つの意地から。

「ラァ――――ゴァアアアアアッッ!!」

「ふっ―――――」

気焔を吐きだしながら共に三騎士に名を連ねるサーヴァントたちは、互いの存在を喰らい合う。

「どうした! 逃げ回ってるだけでは私が殺せんッ!! 止まれェエエエイイイイッ!!」

「要求を却下する!」

 無茶苦茶なことを言いながら、怒りに目を燃やしたランサーが猛攻を仕掛けてくる。
 力任せの槍捌き――――というのはランサーの我を失ったかのような暴力的攻撃が生み出している錯覚。溢れんばかりの激怒に冷静な思考を奪われながらも、ランサーの槍捌きはアーチャーから見ても非常に理に叶った最適なものだ。
 アーチャーが臨機応変に大砲やサーベルを使い分け応戦しても、ランサーはその場におけるお手本のような槍捌きで迎撃してくる。

「そらそらそらそらそらそらァ――――――ッ!!」

「はっ――!」

 無骨な白槍とサーベルが火花を散らす。ランサーの技量がセイバーほど優れてはいないとはいえ、伊達に三騎士に収まっているわけではないらしい。
 弓兵であり砲兵たるアーチャーが如何に剣の心得があるとはいえ、ランサーと接近戦をするのは不利だ。
 アーチャーはサーベルで槍を回避しながら、後方へ大きく跳躍する。ランサーが逃がすものかと追撃を仕掛けてくるが、それは召喚した大砲による砲弾で妨害する。

「不細工な玩具が、私の邪魔だッ! 失せろォ!」

 憎しみを吐き出しながら、ランサーが砲弾を黒い盾で受け止める。
 ランサーが盾を取り出し砲弾を防いだ僅かな隙に、アーチャーはランサーから距離をとっていた。

「汚ェ尻見せて逃げてんじゃねえ、殺せねェだろォがぁぁァッ! そこに棒立ちしていろ小僧ォ!!」

 またしても無茶苦茶なことを叫びながら、ランサーは般若のように襲い掛かってくる。

「お前に殺されてやるわけにはいかないな。俺にはやるべきことがある」

 自身のマスター、間桐狩麻を謀殺したダーニック・プレストーン・ユグドミレニアへの報復。
 目には目を歯には歯を……。
 過度な復讐をするつもりはない。だがダーニック・プレストーン・ユグドミレニアが間桐狩麻の想いを謀によって踏み躙ったように、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアの野心を打ち破らなければ英雄が廃るというもの。

『アーチャー……』

 アーチャーの脳裏に過ぎるのは狩麻の横顔。
 力を求めているうちに、力を求めた最初の切欠を置き去りにしたまま歩いて来てしまった自分と同じ愚者。
 胸に秘めた想いを誰に知られることもなく知っていった彼女のために、せめてサーヴァントである自分だけは彼女のために戦わなければなるまい。それが彼女のサーヴァントとして契約したアーチャーの誓いだ。
 ランサーの槍を回避しながら、アーチャーはたんと枯れ木の上に飛び移った。

「悪いが、貴様の事情など知ったことではない」

 ランサーが無骨な槍を消して、九つの月牙をもつ異形の戟を取り出す。
 九天牙戟。九つの月牙に九つの異なる概念を秘めた暴虐の槍である。
 戟の束を強くランサーが握ると、それに応じて矛先が九つの月牙を巻き込み回転を始めた。
 その様はさながら鋼鉄の竜巻。ランサーの両眼が木の上に立つアーチャーを見据えると、体を捩じり己の体を弓へと変えて、異形の矛を投擲した。

「――――これは」

 音を抜き去る速度で放たれた九天牙戟は、獰猛な回転で枯れ木を食い荒らしながらアーチャーに迫ってくる。
 如何にアーチャーといえどあの回転に巻き込まれてしまえば、肉体など細切れになってしまう。アーチャーは枯れ木から跳躍すると地面に着地した。

「目標の回避は盛り込みつきというわけか」

 舌打ちしながらもアーチャーは感心する。
 九つの月牙の一つに『必中』の概念が込められていたのだろう。先程アーチャーが立っていた木を跡形も残さず細切れにしながら、尚も勢いを削ぐことなく九天牙戟がアーチャーに突進してくる。

(防御ができないのならば)

 真下への大砲の発射。爆風により自分の体を吹き飛ばしたアーチャーは、枯れ木の天辺に着地すると十三の大砲を召喚した。
 九天牙戟の突撃は猛牛のそれだ。一つの砲弾で撃ち落とすことは不可能といっていい。だが一つで駄目なら二つ三つと重ねるのみ。
 十三の大砲の照準が全て九天牙戟へと向けられた。

「小癪ゥ! 串刺しにしてやれ、無尽剣リヴァイテス!」

「……! あの剣は監督役の教会に突き刺さっていたのと同じものか!」

 ランサーが新たに取り出したのは飾り気のない西洋剣だ。だがランサーが西洋剣に魔力を送り込むと、異常は直ぐに現れた。
 剣が増えたのだ。それも一つ二つではない。十、二十、三十……宝具クラスの神秘を内包した剣がランサーの魔力で無尽蔵に増殖していく。
 いけ、というランサーの号令。
 三十を超える剣軍部隊が猛然とアーチャーに飛来する。

(不味いな、二つの攻撃に挟み込まれた)

 アーチャーの大砲は全て九天牙戟に照準されている。如何な九つの概念を秘めた異形の矛といえど、ランサー自身の技量が超越者のそれでないことも手伝い、宝具のランクほどの突破力はない。勿論直撃すれば死ぬが、アーチャーの砲火をもってすれば撃ち落とせなくない威力だ。
 だが大砲で九天牙戟を撃ち落とせば、ランサーが放ってきた無数の剣群をその身に浴びることになる。
 簡単に増殖するから、無尽剣リヴァイテスは九天牙戟の破壊力はない。だから回避する必要などないと考えるのは早計である。九天牙戟ほどの破壊力がなくても、英霊を滅ぼすに足る神秘が内包されているのは同じだ。
 一つ二つくらいが体を貫いても死なないかもしれないが、それが十を超えれば危ないかもしれない。死なずともかなりの消耗を強いられることは必至。
 だからといって砲火を無尽剣リヴァイテスの迎撃に向ければ、九天牙戟がアーチャーの肉体を食い破ることになるだろう。
 どちらを選んでも出血は不可避。
 自分の武器を知り尽くしていなければ出来ない見事な戦術だ。これを冷静さを失い、本能的にやっているというのだから恐ろしい。

「だが例えなにが相手だろうと――――ボナパルトは必ず勝つ」

 相手が無限のような手札をもとうと、決して心は折れない。勝利の意志を捨てはしない。アーチャーはずっとそうしてきた。そうやって勝利を掴んできた。これまでも、そして今回もだ。
 本来の目論見通り九天牙戟へ集中砲火を浴びせる。その砲火で九天牙戟が撃ち落とされたか確認することなく、アーチャーは全神経を迫りくる剣群へ傾けた。
 サーベルを抜刀。スキル皇帝特権により、剣術を発動。
 戦術とは、或る一点に最大の力をふるうことを言う。九天牙戟に対して大砲による最大の力を浴びせ迎撃した。
 ならば剣群に対しては騎士として最大の力をもって迎撃するのみ。

「はぁああああああッ!」

 気焔をあげながら、サーベルを振るう。
 雨あられと降り注ぐ宝具に一歩も退かず、まるで屈さず、ただ前と未来を見据えてアーチャーは敵を撃ち落とす。
 時間にして数秒の交錯。
 地面には撃ち落とされた九天牙戟と叩き落とされた無尽剣、そしてアーチャーの体を掠め血を啜った数本の刃が転がった。

「終わったと思って安心するんじゃねぇぞ!! ほぉら、まだまだァ!!」

 次にランサーが手にとったのは束に蛇の意匠が施された黒槍。
 九天牙戟に無尽剣リヴァイテス。冥馬が見たという黎命槍ルードゥスも合わせれば、これで四つ目の宝具をランサーは出したことになる。

「宝具の大盤振る舞いだな。万の剣を生産しようと、万の兵がいなければ持ち腐れだろうに」

 明らかにサーヴァントの常識を無視した宝具の数々。だがもしランサーの正体がアーチャーの予想通りなら、それもなんらおかしいことではないだろう。

「さて。鬼が出るか蛇が出るか」

 アーチャーは苦笑しながらも、ありったけの警戒を黒槍に向ける。
 数が多いだけではない。ランサーの使う武器はその一つ一つが、英霊の唯一無二のシンボルとなってもおかしくないほどの力をもった必殺の宝具だ。ならばあの黒槍も恐るべき能力を秘めているのは間違いない。

「ご自慢の大砲で、これをどう受ける」

 ランサーが槍を突き出した。

「――――!」

 意表を突かれる。ランサーが槍を突き出したのはアーチャーにではなく、自分の真下にある地面。
 まったくもって意味不明、錯乱した挙句の奇行にも見える行為。だが数多くの戦いを潜り抜けた歴戦の戦略家としての勘が、なにかが不味いと告げる。自分の生存本能が鳴らした警告であれば、それに従うのは是非もないこと。アーチャーは地面から跳ね飛び、転がっていた岩の上に乗る。
 瞬間、アーチャーは自分の勘に従ったのが正解だったことを知る。

「地面から槍が生えてきた……?」

 そう、ランサーが地面に突き刺したのと同じ黒槍が九本、さっきまでアーチャーが立っていた場所を串刺すように地面から生えてきたのである。
 アーチャーは知らない。ランサーが新たに取り出したのは『多幻槍ビリアーラ』と名付けられた黒槍である。
 多幻槍は多くの幻影の槍と書くが、現実には〝幻影〟などとは程遠い。地面から生えた九つの槍は全て分身した正真正銘、本物の槍だ。
 一つの刺突を十の同時刺突へと変えてしまう魔法の槍。通常の刺突では一の刺突に重なるような九つの槍を生むだけだが、地面に突き刺せば、さながら針地獄のように九つの槍が大地より襲い掛かる。

「逃がすかァ!!」

 ランサーはその場を動かず、狂気を顔面に張り付かせたまま槍を地面に突き刺していく。
 事情を知らぬ者からすれば、狂人の凶行にしか思えぬ行動。だが黒槍の力を知ったアーチャーは、それが齎す恐ろしさを知っていた。

「無差別攻撃だな」

 アーチャーの両足がついている場所から生えてくる九本の槍。アーチャーが逃げども逃げども、槍は執拗にアーチャーを追撃してくる。
 だが九つの槍が地面から飛び出し、次の九つが飛び出すまではタイムラグがある。そのタイムラグを計算し、ランサーが地面に槍を突き刺す瞬間を見計らってアーチャーはどうにか槍を躱していった。

(とはいえ――)

 地面から生えた黒槍は、アーチャーの行く道を塞ぐように連続に襲い掛かってくる。大砲を召喚して応戦しようにも、これでは召喚するタイミングがない。このままではジリ貧だ。

(厄介な宝具だ。だが俺の予想が正しければ、あの槍の力には穴がある)

 地面を蹴り跳躍することで黒槍を回避し、その勢いですたん、とアーチャーは枯れ木の枝の上に着地した。

「む――――!」

 ランサーの地面への刺突が止む。九本の黒槍は枯れ木を囲むように出現したものの、枯れ木から出現することはなかった。

「やはりそうか。どういう原理かまでは分からないが、その黒い槍は地面を〝突く〟ことで地面より九つの槍を生み出す代物。地面から生えてはいても、厳密に地面ではない枯れ木から槍を出現させることはできない。直接この俺の体から槍を出現できないのと同じで」

「小賢しい! 枯れ木に槍が生えないというなら、こォォォォォするまでのことだァァァァッ!!」

「……!」

 地面から出現する黒槍が次々にアーチャーの立つ枯れ木以外の木々を破壊していく。
 足場となる枯れ木を全て破壊して更地にしてしまえば、槍から逃れる安全地帯は消える。なんとも強引だが悪くない方法だ。
 しかしやはりランサーは戦士ではない。激昂し思考回路が〝敵を殺す〟ということに一本化され過ぎている。思考が一本道ならば、その行動は読み易い。
 アーチャーは自分が枯れ木を足場にすれば、ランサーがこういう行動に出ることを既に予想していた。
 故に――――

「征くぞ、ランサー」

 出し惜しみはない。この一瞬この瞬間に今の自分自身の最大を出し切る。魔力の集約と集中。その気配を嗅ぎ取ったランサーが地面への刺突を止めアーチャーを見た。
 岩石を砕き、地面を抉る砲撃などアーチャーにとっては所詮ただの通常攻撃に過ぎない。謂わばセイバーが剣を振るうのとなんら変わらないことだ。
 だがこれより解放されるのはそんなチャチなものではなく、アーチャーが頼りとする必殺の切り札だ。

「不細工な粗大塵を並べやがって……ッ! 貴様!! さては、血管を沸騰させて私を殺す気か!
 だが断じてそんなことは許さん! 私の血管が沸騰し破裂する前に、貴様の息の根を止めてやるのみ! 小童が、死に晒せェぇぇえッ!」

 黒槍の投擲。刺突ではなく投擲であっても槍は見事に与えられた機能を果たし、一つの投擲は十の投擲へと化ける。
 が、僅かに遅かった。既にアーチャーの背後が全ての〝砲門〟が召喚し終え、その力の解放の刻限を今か今かと待ちわびている。

「暗闇に勝利の日輪を咲かせ、華と散れ。轟き咲く覇砲の大輪」

 戦いという名のオーケストラ―を纏める指揮者が威風堂々とサーベルを振り下ろす。
 瞬間、ダムが決壊したように溜めに溜められたエネルギーが解き放たれた。大雪原を消し飛ばすほどの大砲火が、たった一人の槍兵に暴風雨の如く殺到する。
 十の黒い流星も日輪の炸裂に襲われれば成す術もない。哀れ黒槍は日輪に呑み込まれ滅び去ってしまった。
 迫りくる日輪に、ランサーは舌打ちする。

「銃社会なんぞ糞喰らえだ塵芥。既にマスターのオーダーはこなしている以上、死ぬのは一向に構わんが、不細工な兵器に殺されるのは我慢ならん!」

 並みの英霊であれば膝を屈する破壊の暴風。それを前にしてランサーは意地か矜持か。獰猛な笑みを深めた。
 ランサーの全身にある筋肉という筋肉が固まり、頭脳は自らの『宝具』の性能を完全に発揮するためだけに回転する。そして、

「森羅万象を弾くがいい、羅封壁ホーリアスッ!」

 ランサーの掌から出現する純白の九十九重壁。あらゆるものを通さぬ絶対防御の壁と、逆転の力を秘めた破壊の暴風が正面よりぶつかりあった。
 忙しなく鳴る砲火の轟音。九十九重なる壁の一枚が鏡のように割れ突破される。九十九が破壊されれば次は九十八の壁が、その次は九十七が。暴風が壁を壊しながらランサーに突き進んでいった。
 九十九重の防御壁たる結界宝具、羅封壁ホーリアス。これはランサーの宝具の中でも防御においては屈指の一品だ。並大抵の宝具は、この壁の半分を超えることなく力を喪失することだろう。
 しかし欧州を圧巻し数多くの戦いで勝利してきた、英霊ボナパルトの象徴たる砲火の暴風は『並大抵』には含まれない。
 壁は既に四十を破壊され、勝利の日輪は更に壁を呑み込んでいった。

「くっ……!」

 だが苦悶が浮かんだのはアーチャーの側。
 羅封壁ホーリアスは一つの宝具でありながら、九十九の壁は其々独立しておりその防御性に変わりはない。
 対してアーチャーの『轟き咲く覇砲の大輪』は違う。壁を一枚破壊すれば、壁一枚分の威力を削がれてしまう。
 そして優れた頭脳をもつアーチャーだからこそ分かってしまった。大砲火の暴風は、壁を十枚前後まで削り取ることは出来るだろう。けれど壁を完全に突き破り、ランサーの体へ達するには足らない。
 同じことをランサーも気付いたか、ランサーは逆に勝利の笑みを浮かべた。

「私の羅封壁ホーリアスをここまで削りきったのは腹立たしい限りだ。だが不細工がどれほど足掻こうと不細工は不細工。不細工な玩具で、私の芸術的な機能美をもった宝具には勝てない」

 自分の宝具の勝利を確信したからか、ランサーの激昂が収まっていく。
 これは決してランサーの驕りでも油断でもない。羅封壁ホーリアスが〝轟き咲く覇砲の大輪〟を突破できないのは動かしようのない真実である。
 奇跡があればどうこうではない。例え奇跡が起こっても僅かに届かない。これはそういう差だ。

「確かに俺の力はお前には及ばなかった。それは認めよう」

 アーチャーは悔しがることなく、ポツリと呟く。
 その時だった。暴風と白い壁が激突に目もくれず、木々の間から一つの小さな影が飛び出してくる。
 四肢を覆うのは闇に溶け込むための黒装束。面貌が白い髑髏なのは自身が死の運び手であるという自負か。

「なに? アサシンだと――――!」

 ランサーが新たなサーヴァントに気付くが、暴風を防ぐのに手一杯な彼には何も出来ることはない。
 なまじ優れた結界宝具だったのが仇となった。白い壁がアーチャーの砲火を防ぎきっているせいで、アサシンはなんの障害もなく自分の仕事を達成できる。
 アサシンは物音一つたてることなく背後からランサーに迫ると、白き槍兵の頭部に指を掠らせた。
 それで終わり。アーチャーは先程までランサーが浮かべていたのと同じ笑みを浮かべる。
 ランサーも〝それ〟で自分が死んだことを悟ったのか、つまらなそうに鼻を鳴らす。

「ふん。ダーニックが用意するという、とっておきの報酬にも興味はあったのだがな。アーサー王かと思ったら偽物だったことといい、この私の最期といい聖杯戦争というのはつくづく拍子抜けの連続だ」

 ランサーがだらんと両手をさげ苦笑した。

「ま、酒に女に美食に娯楽に。それなりに愉しませて貰ったさ。契約終了、マスターたちの幸運を祈る」

 空想電脳、と小さく呪言が唱えられた。最期に朗らかに笑うと、ランサーの脳髄に送り込まれた呪いが炸裂し頭部が爆散する。
 ランサーが死亡して盾から力が失われたのか、破壊の暴風は壁を呑み込みランサーのいた場所を蹂躙し尽くした。
 そこには既にランサーを殺した死神はいない。アサシンは離れた岩陰に隠れ、白い髑髏の面をアーチャーに向けていた。

「フッ。これで借りは返した」

「…………」

 アーチャーはそれだけ自分のマスターを直接殺したサーヴァントに言うと、冥馬の後を追って大空洞へ侵入していった。
 後に残るのは静寂だけ。アサシンは暫く大空洞へと続く横穴を眺めていたが、やがて風の吹く音と共に闇へ消えた。




『お疲れ様です、アサシン』

 ラインを通してマスターからの労いがアサシンへと届く。
 円蔵山の木々を目にも留まらぬ速度で潜りながら、アサシンは息を潜めた声でかぶりをふるう。

「……誉められることではありませぬ、御主君。恐らく私がランサーを討ち取ったのはアーチャーの掌で躍らされただけのこと」

 アーチャーの『借りは返した』という発言。
 彼の英雄のことだ。自分のマスターが殺された時のように、自分がどこか物陰に潜み虎視眈々と自分達の戦いを伺っているのを分かった上で、あのタイミングでの宝具解放に踏み切ったのだろう。
 ナチスに利用されてアーチャーのマスターを殺したアサシンを、今度は自分が利用してナチスのランサーを殺す。これがアーチャーなりの意趣返しといったところか。

『つまり私達はまんまとアーチャーに利用されたということですか?』

「左様。が、気にする必要はないかと。我はアサシン故、利用されるのは慣れた事、寧ろ本分。それになにがどうあれアーチャーのマスターとランサー、二つの命を摘み取ったことに変わりはない」

『それもそうですね』

 ナチスに利用され、アーチャーに利用されようと最終的な勝利者は最後まで立っていたマスターとサーヴァントだ。
 間桐狩麻とランサー。厄介な障害二人を労なく取り除けたのだと思えば悪いことではない。

「御主君。それよりもアーチャーを追って大空洞へ踏み込まなくて良かったのか? 大聖杯がナチスに奪取されれば、私も御主君の悲願も泡沫の夢と消える」

『……貴方の話を信じないわけじゃありませんけど、にわかには信じられない話ですね。大聖杯のこともそうですけど、ナチスが大空洞に安置された巨大魔法陣を奪おうとしているなんて。
 私のような一介の魔術師、いえそれ以下の失敗作の私からしたら話の規模が大きいで済む話じゃありません』

「しかし私が得た情報と、遠坂冥馬たちの動きを見る限り信憑性は高いと思うが――――」

『だから疑ってはいません。ただ大空洞のように逃げ場のない密閉した場所では、暗殺者の貴方は不利でしょう。私も貴方も、真っ向からの勝負じゃひ弱なんです。危険に飛び込んで身を晒すようなことは避けなければ』

「成程。大空洞へ赴きアーチャー等に加勢しようと、我々がやられてしまっては無意味。ならばいっそ戦いに手を出さずにいると」

『はい。それになんにもしなかったわけじゃありません。なにはともあれランサーを倒したのは貴方なんですから。助力はもう十分でしょう。後は彼等に任せましょう』

「では――――」

 アサシンは円蔵山周辺で待機。またなにか動きがあれば、臨機応変に行動する。ベストなのは遠坂冥馬とナチスが相打ちになることだが、そこまでは流石に望み過ぎだろう。 
 魔術師にとって死の化身たる暗殺者は、柳洞寺の山門の上に着地すると月を仰ぎ見た。




【元ネタ】???
【CLASS】ランサー
【マスター】ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア
【真名】???
【性別】男
【身長・体重】181cm・75kg
【属性】混沌・中庸
【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷A 魔力A 幸運E 宝具??

【クラス別スキル】

対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

【固有スキル】

狂化:D
 筋力と敏捷のパラメーターをランクアップさせるが、感情のタガが外れ、冷静な判断力を失う。
 ランサーの場合、彼の逆鱗に触れることをした時のみこのスキルの効果が適用される。



[38533] 第57話  燃える空
Name: L◆1de149b1 ID:bb7961a4
Date: 2014/06/28 23:01
 人間の欲望の結晶が満ちた帝都の街並み。だがその上空は未だ人の欲望に染められていない未開拓の領域だ。
何人も立ち入れぬ天空で、蒼い騎士と雪の精霊が火花と粉雪を散らす。
 空を自由自在に飛び回り冷気や氷結を飛ばすライダー。それに対するは炎の翼を背中から噴出させ、さながらジェット噴射のように追いすがるキャスター。
 炎と氷、相反する二つの属性を宿すサーヴァントたちは、お互いの全存在を抹消する意志を己が剣に込めてぶつかりあった。

「炎熱よ……狂い撒け!」

「熱い男は嫌いじゃないけど、焼かれるのは嫌いだよ!」

 宝具の力によって自分の手から火炎放射を飛ばすキャスター。ライダーはそれをありったけの氷結で迎撃する。
 二人の中心で炎と氷結が衝突し、混ざり合った。炎は氷結を削るように溶かしていくも、ライダーは冷気を操り氷結を巨大にしていく。炎と冷気に挟まれ、氷結が溶解と膨張を繰り返した。
 刹那の拮抗。だがキャスターの火炎放射は、最低ランクであるとはいえ宝具による奇跡である。氷結の膨張超える速度で、氷を溶かし遂には完全に呑み込んだ。

「ちっ」

 氷結を呑み込んだ炎は、勢いを増してライダーに喰らいかかっていった。
 ライダーは舌打ちしながら冷気の壁を生みだし、炎を堰き止めている間に自分は上空へ逃れた。

「逃がさん!」

 逃げるライダーを猛然と追撃するキャスター。火炎放射を飛ばしたのとは反対側の手に握られているのは黄金の選定剣。理想の王を選び抜いた勝利すべき剣。
 キャスターはナチスに正体を看破され、その担い手としての権利を失っている。だがキャスターが担い手でなくなっても、黄金の剣の力が衰えるわけではない。その切れ味は未だ健在。凡百のサーヴァントなど一太刀で斃す威力を秘めている。

(ライダーは冷気や氷を飛ばしての中~遠距離戦闘は得意だが、反面その運動能力は高いほうじゃない。近接戦に持ち込めば……!)

 必殺の一撃をもたず、極限の極限にまで鍛え抜いた究極の一も持っていないキャスターが他のサーヴァントに対抗するには、類稀な多才さを活かして相手の不利な状況に持ち込むしかない。
 けれどライダーとてただ棒立ちして、自分の不利を良しとするほど愚かではない。
 キャスターの目的に勘づいたライダーは、冷気の鎌鼬を飛ばしてキャスターを妨害する。

「こんなものがっ!」

 炎熱を纏った黄金の剣の一振りが、鎌鼬を切り伏せる。
 どれほど鋭い冷たい風刃も、炎と黄金の刃には及ばない。鎌鼬を突破したキャスターは今度はお前の番だ、とライダーに突き進んでいく。

「あんまり舐めないで欲しいね。……そんなチンケな火の粉じゃ、私を熱く蕩けさせられないよ。私はまだ最大出力ってやつを出していないんだからねぇ」

「負け惜しみか?」

「惜しむ必要なんてないだろう。負けてないんだから。ほーら、これが私の最大だよ!」

「――――!」

 さっき火炎放射に食い破られたものとは比べものにならない。
地上から遠く離れた天上に本来ありえぬ最悪の自然災害が、雪崩が具現化する。
 どうやら本当に負け惜しみではなかったらしい。先程までの冷気はこちらの力を測るため、威力を削いでいたのだろう。しかし自分の炎に圧され、手加減などできぬと悟って本気を出してきたか。

(いや)

 サーヴァントといっても、決してその力は無限ではない。限りがある有限だ。冬という季節そのものが、人の形で起動した存在たるライダーとてそれは同じ。
 自分のフィールドならばまだしも、雪が積もる筈がない天空に『雪崩』を引き起こすなどライダーの容量(キャパシティ)を超えたことだ。
 となればこの雪崩は、身を削る覚悟で繰り出した最大最高の一撃ということになる。

「随分とお前の脳味噌は御目出度く出来上がっているらしい。どれほど外面を取り繕ったとて、貴様は人智を知って一月も経たぬ無垢な赤子。赤子が駆け引きで大人に勝てると思うとはな」

「なんだって?」

「手を〝抜いて〟いたのが自分だけだと高をくくった――――それが貴様の敗因だ」

「っ!」

 ライダーの反応を見て笑みを深めると、キャスターはカリバーンを一時的に消す。
 この雪崩は正真正銘ライダーの全力。であればその全力を、こちらの全力をもって打ち破れば、勝利の流れを完全に我が物とすることができる。幸いにもサー・ケイは冬将軍との相性は頗る良い。

「喰らえ」

「っ! 両手……!?」

 右手だけではなく左手も迫りくる雪崩へと向けた。
 キャスターの宝具である『巨栄の肖像』は、伝承におけるサー・ケイの超人的能力そのもの。そしてサー・ケイがもつとされる能力の一つが、手から炎を出す異能。
そう〝手〟だ。別に片手だけと限定されているわけではない。両手からの火炎放射であれば威力は単純計算で二倍。本気を出したライダーの冷気の出力を上回る。

「さぁ。もう一度」

 重なる二つの火炎が僅かな拮抗の後、雪崩を貫いた。単純な破壊力が増したのもそうだが、炎と冷気では相性というものがある。空気を凍てつかせる冷気と、空気を燃焼させる炎がぶつかれば炎が勝つのは自然の定め。
 キャスターもそれは重々承知している。だからこそ相馬戎次の相手をセイバーに任せて、自分がライダーを担当したのだ。

「焼かれるのは嫌いって言ってるのにねぇ。まったく無粋。騎士様の癖して女の扱いがなってない男だ。少し傷つくよ」

「殺し合いに老若男女もないだろう。少しとは言わずに上半身と下半身を真っ二つにする勢いで傷物にしてやる。動くな、剣が外れる」

「お断わりだよ。アンタみたいなのは私のタイプじゃないんだ。傷物にされるわけにはいかないねぇ!」

 マーリンが魔術刻印に刻んだ魔術のお蔭でキャスターは飛行を可能にしているが、飛行速度では騎乗兵のライダーに分がある。
 破壊力で負けている分、ライダーはその速度でキャスターの攻撃を掻い潜っていった。
 ライダーとの速度の差を認識したキャスターは、馬鹿正直に火炎放射を使うのを止め、応用技を繰り出す。

「踊れ!」

 手からただ火炎を放射するのではなく、右手より鞭のように炎を生みだし振るう。炎の鞭は空間を暴れ狂いながら、蛇のようにライダーの喉元へ飛びかかっていく。
 氷や冷気で炎を防ぎながら、速度を活かして回避するライダー。そして隙あらばライダーに接近し、近接戦に持ち込もうとするキャスター。二騎の間で一進一退の攻防が繰り広げられた。
 キャスターとライダーをシンプルに強さで測るなら、ライダーの方が勝っているだろう。なんでもできる多才さだけで、極限に鍛え上げた一つをもたぬキャスターと違い、ライダーは〝極寒の具現化〟という誰にも真似できぬものを持っている。
 アーチャーより齎されたのはなにもアーチャーという戦力だけではない。ライダーの真名と宝具含めた具体的な能力についても、アーチャーによりキャスターたち全員に教えられていた。
 冬将軍。過去・現在――――そして恐らくは未来においても、名高き英雄の野望を打ち砕き、国を守護する護国の化身。
 力量のみならず〝冬将軍〟が人々より集める信仰と畏怖とは、円卓において最弱でしかないサー・ケイを上回っている。

「だが勝つのは俺だ」

 より相手より強い者が必ずしも勝つとは限らない。
 ライダーはキャスターより強い。近代の英霊でありながら、その破格の偉業により神代の英雄にも勝りうる霊格をもつアーチャーですら、このライダーは破ってみせたのだ。それが弱いはずがないだろう。
 けれど聖杯戦争において勝敗を分けるのは、英霊としての強さだけではない。もう一つ重要なものがある。
 それこそが相性。
 キャスターがアーチャーと戦えば十中八九敗北するだろう。現に一度戦った時はまったく歯が立たなかった。
 しかしそのアーチャーを倒したライダーは、決してアーチャーより強いというわけではない。ライダーがアーチャーに勝てたのは、アーチャーが世界的にも有名な〝征服者〟であり、征服者キラーというべきライダーとの相性が最悪だったことが最大の原因だ。
 しかしキャスターは違う。キャスターは征服者ではなく護国者側に属するが故に、ライダーの征服者への優位も通じない。しかも炎というライダーの不得手とする属性の攻撃を得意としている。
 キャスターはアーチャーに勝てないが、アーチャーを倒したライダーには勝てるのだ。

「ライダー。貴様がアーチャーの天敵だったように、この聖杯戦争において俺こそが貴様の天敵のようだな!」

 遂にキャスターの刃がライダーへ届く。

「――――!」

 薄皮一枚の切り傷。されど圧されていることの証明である負傷。
 ライダーは傷つけられた皮膚を自己治癒しながら、全速力で後退していく。

「何度同じことを言わせる。逃がさん」

 魔術回路にありったけの魔力を送り、背中の炎翼が勢いを増す。
 暗闇に赤い流星を描きながら、キャスターはライダー目掛けて突進していく。その手には炎熱を纏った黄金の刃。

「しつこい男は……嫌われるよ!」

「心配無用。元々俺は嫌われ者だ、喰らえ!」

 黄金の剣が上段から振り落された。
 ライダーは限界にまで小さく細く丈夫に凝縮した氷の剣を出現させ、黄金の刃を受け止める。
 鳴り散る金属音。

「ふふ……まだまだ」

 ライダーの生み出した氷の剣は炎に炙られながらも、その形を維持し持ち堪えていた。
 カリバーンの切れ味は氷の剣を両断するには十分すぎるほどのもの。カリバーンを振るったのが本物のアーサー王なら、こんな不手際は起こさなかっただろう。一刀のもとに氷の剣諸共、ライダーを両断していたはずだ。しかし剣を握るはアーサー王に非ず、剣を振るうはサー・ケイ。円卓最弱の武勇の騎士。例え剣の切れ味が落ちていなくとも、サー・ケイではカリバーンの性能を100%引き出すことはできない。ならばこの結果は必然だった。

「――――ふ、はは」

「……なにが可笑しい?」

 必然の結果。であれば自分の弱さを誰よりも理解しているキャスターが、その結果を予想できぬ筈がない。この状況は完全にキャスターの計算通りだ。

「まだまだなのは俺の台詞だ!」

 ライダーと鍔迫り合ったまま、両手で握っていたカリバーンから片手を離す。空いたその手に粒子が集まり顕現するは、カリバーンではなくサー・ケイが持つ本来の剣。
 武器としても権威の象徴としてもカリバーンに遥かに劣る無銘の剣であるが故に、これまでキャスターは真名を看破された後もカリバーンを使い続けてきた。だが決して自分の剣を捨てたわけではない。
 ライダーはいきなり現れたもう一つの剣に驚いて、動きを硬直させている。
 ほんのコンマ1秒の空白。その隙を見逃すキャスターではない。

「はぁぁぁあ!」

 氷の剣と鍔迫り合ったまま、もう一つの剣でライダーを切り裂いた。

「あっ……ぐっ!!」

 ライダーの肩から真っ赤な血が吹き出し、白い着物を朱に染める。
 宝具ではないとはいえキャスターの剣は英霊の武器だ。しかも高名な円卓の騎士たちが装備する鎧をも両断し、聖剣・魔剣と切り結ぶことをも可能とする無銘の名剣。
 流石に致命傷とまではいかなかったが、その一太刀を浴びてライダーはかなり霊格にダメージを負った。

――――このままでは負ける。

 否応なくライダーは悟った。
 彼女のマスターである相馬戎次がいれば幾らでもやりようはあるが、頼もしい彼は今はセイバーを相手取っているせいで手が放せない。
 だからこそ彼女は形勢を逆転するために自分自身ともいうべき宝具を解放する準備に入った。

「一つ教えよう。強力無比、万夫不当の〝宝具〟を攻略する最も簡単かつ手っ取り早い方法を。それは宝具を使わせないことだ」

「っ! これまで馬鹿みたいに放射していた火が――――」

 戦いの最中何度も冷気や氷結を焼き払った炎。ライダーの冷気は役目を終えると直ぐに消えたが、キャスターの炎はそうではなかった。
 ライダーは「どうして気付かなかったのか」と自分の失態を呪う。攻撃の残りカス、ただの残滓でしかなかった炎は、積もりに積もり帝都上空に巨大な魔法陣を生み出していた。
 満点の星空で煌々と光る炎のアートグラフ。その幻想的な光景にライダーは息を呑む。

「ちと準備に時間がかかるのが難点だが、これで用意は整った」

 黄金の剣ではなく、なんの変哲もない無骨な剣に魔法陣により集められた大気中の魔力、そしてキャスターの宝具による炎が凝縮されていく。
 銀色の刀身が太陽の灼熱に変わった。

「いくぞ――――」

 それは決して宝具というわけではない。準備に要する時間、労力、そして肝心の破壊力の全てで黄金の選定剣に劣るだろう。
 だが黄金の選定剣は、彼の王の借り物に過ぎない。英霊としてのサー・ケイにとっての切り札ではないのだ。
 故にこれこそがサー・ケイにとっての切り札。彼の王や円卓の騎士たちが担う聖剣に対抗するために、自分の持つ特異能力と擬似魔術回路を使い生み出した奥義。彼の王が持つという『最強の聖剣』を模した大魔術。

「儚く燃ゆる勝利の剣(エクスカリバー・ウルナッハ)!」

 限界にまで凝縮された炎が解放され、一気呵成にライダーへと殺到する。
 固有結界で世界を塗り替える時間すら与えられない。冷気や氷結など、聖剣を模した灼熱に敵うべくもない。
 抵抗らしい抵抗もできず、ライダーは炎の中に消えていった。

「……チッ」

 敵を消し飛ばしておきながら、キャスターは舌打ちした。
 手に命を刈り取ったという手応えがない。逃げられた。
幾らライダーが空での動きに優れているからといって、敏捷性だけで躱せるほどキャスターの大魔術は甘くはない。となれば、

「令呪で逃げたか」

 灼熱がライダーに直撃する寸前、なにか強力な魔力のようなものを感じた。恐らくそれが令呪の空間転移だったのだろう。
 本物の『聖剣』であれば例え令呪を使われたとしても逃がさなかっただろうに、やはりこれが偽物の限界といったところか。
 しかしライダーに深手を与えたのは間違いない。炎翼を羽ばたかせ、キャスターは相馬戎次とセイバーの所へ向かった。



[38533] 第58話  武術
Name: L◆1de149b1 ID:bb7961a4
Date: 2014/06/28 23:01
「効かねぇよ」

 先手必勝とばかりに喰らわせた冥馬の蹴りは、大男の強靭な二の腕によって防がれた。比喩ではなく鉄を蹴った感触がする。どうやら腕の中身もナチスの技術で改造されているらしい。
 サイボーグ、人類の生み出した科学的怪物。
 人類が生み出した科学技術は、たった五つを残し、あらゆる神秘を魔法の座から突き落とした。皮肉なことに科学者の対極たる魔術師だからこそ、科学技術の進歩の凄まじさを誰よりも理解できる。だがこんな代物まで作り出すとは、一人の人間として科学の秘めた可能性に戦慄せざるをえない。

「おらぁ!」

「ふっ!」

 大男が腕を薙ぐのと同時に、冥馬は上体を曲げて剛腕を躱す。しかし完全には回避しきれず、風圧が頬を切り裂いた。
 今の冥馬はルネスティーネとの戦いまで纏っていた防御スーツを着てはおらず、全身を縛り付ける重りは皆無だ。その冥馬が完全に回避しきれないほどの腕速。完全に回避しながら、風圧だけで人体を傷つけるパワー。正に化け物だ。
だが速度だけなら僅かに冥馬が勝っている。その僅かな差をどこまで活かせるか。それが勝負の分かれ目になってくるだろう。

(戦闘力を得るために、肉体を改造した人間か)

 肉体を弄るのは魔術師ではわりとポピュラーな技術だ。
 さる名家では少しでも後継者の魔術回路を増やすために、母体内で胎児に調整を施したそうであるし、自分自身の肉体を実験体として弄ることもある。知り合いの封印指定の執行者は自分の生命力を高める為、自分の内臓と化物の内臓を入れ替えるなんて荒業をしてもいた。
 極端な話だが封印指定にされた魔術師がホルマリン漬けの標本にされるのも肉体改造といえば肉体改造である。
 しかし同じことを科学や最新技術でやっているのを目撃したのはナチスのサイボーグが初めてだ。

(結局、魔術的狂気と科学的狂気……行き付く所は同じというわけか。魔術師だなんだのと言っても、人間っていうのは根っこのところで変わらないものなんだな)

 魔術も科学も最終的に到達するのは〝ゼロ〟だと言ったのは誰だったか。
 冥馬はその言葉の意味を、こうして科学の生み出した怪物と対峙することで噛みしめていた。

「…………」

「どうした? 来ねぇのか?」

 大男はニヤリと笑いながら、くいくいと指を折り曲げ挑発する。そんな挑発に乗る事はなく、冥馬は心を静めて隙無く相手を伺った。
 沈黙の中で赤いスーツを羽織った魔術師と、黒衣の軍服と赤い腕章をした鋼鉄の戦士が睨みあう。

「名前を聞いておこうか」

「あぁ?」

「名前だ。そちらだけ俺の名前を知っているのは不公平だろう。減るもんじゃあるまいし、名前くらい教えてくれたっていいんじゃないのかな」

「……分からねえ野郎だ。自分を殺す相手の名前くらい憶えておきたいってやつか? まぁいい。お前の言う通り別に減るもんじゃねえしな。……オリバーだ。」

「オリバー、か」

 柳洞寺で戦ったサイボーグは、どれも感情のないロボットのような表情をしていた。
 サイボーグとなる過程で兵器として不要な『人間の心』を消されでもしたのだろう、と推理していたが、このオリバーに関しては例外が適用されるらしい。
 尤も心の有無など、彼等を殺しに来た冥馬にとっては関係のないこと。相手が魔術師だろうがサイボーグ兵士だろうが、大聖杯を奪取しようとする盗人を叩き潰すのが御三家が当主たる遠坂冥馬の役目だ。

「…………………」

「―――――――」

 仕掛けず、小川のようにゆっくりと距離を縮めていく。オリバーが背負っている宝具級の神秘を内包した大剣に手をかけた。
 冥馬もぎゅっと両拳を握りしめ、いつでも踏み込めるよう半歩下がる。

「せいっ!」

 先に動いたのは冥馬。最初の蹴りは防がれてしまった故に、次に狙うは上半身ではなく下半身。下段からの回し蹴りがオリバーの足腰に炸裂する。
 並みの人間なら足の骨が砕け散って動けなくなるほどの破壊力だったが、サイボーグであるオリバーは骨まで鋼鉄で出来ているのか倒れることすらなかった。

「いってえじゃねえの。こいつは、お返しだッ!」

 オリバーが大剣を背中から引き抜くと、改めてその巨大さに圧倒される。2mもある大男より更に一回りデカいのだ。その大きさは如何程か。サイボーグの腕力であんなものを叩きつけられた日には、人間なんて粉々になってしまうだろう。
 その絶望を、冥馬は真っ直ぐ見据える。

「くたばりなッ!」

 オリバーが大剣を叩き下ろした。
 威力は途轍もないものがあるが、丸太のような大きさの大剣である。その重量は巨大さに比例して途轍もない。サイボーグの常識外の筋力をもってしても、その剣速は十分躱せるレベルだった。

(まだだ……)

 しかしまだ回避しない。ここで回避したところで、直ぐに体勢を立て直され振り出しに戻るだけだ。勝利を引き込むには、ただ躱すだけでは駄目なのだ。

(今だ!)

十分に大剣を引きつけてから、ぎりぎりの所で上半身を横に逸らす。
 必殺の一撃はギャンブルのようなもの。決まれば勝利だが、決まらなければ一転して窮地を招く。
 オリバーは大剣を振り落したことで隙が生まれている。冥馬は渾身の力を込めた正拳突きをオリバーへと叩き込んだ。
 元々の冥馬の超人染みた筋肉に魔力を纏わせての突き。だがそれを、

「残念、読めてるんだよ」

「……! これを躱すかっ!」

 オリバーは大剣の束から左手だけ離して、その手で冥馬の正拳突きを受け止めていた。
 必殺を外せば今度は自分が窮地に追いやられる。その意味を冥馬もまた同じように思い知ることになった。

「おらぁ!」

 地面を抉った大剣をその状態のままで打ち振る。大剣の腹に打たれ、冥馬はバレーボールのように吹っ飛んだ。

「ぐっ、ぁ!」

 上手く受け身をとり致命的なダメージを回避するが、あの質量とパワーで打ちつけられたせいで全身がボロボロだ。肋骨も何本かやられている。
 だがこれでもいい方だ。ありったけの魔力を全力で防御につぎ込まなければ、今の打撃で冥馬は見るも無残な姿になっていただろう。
 術者のダメージを察知して、魔術刻印の自動治癒機能が作動する。大聖杯の安置されている大空洞内部という、魔術師にとって絶好の霊地だからだろう。遠坂の土地並みに傷の治りが早い。
 にしても、

「これは……体内の魔力が、抜けている!?」

 魔力温存のために大それた魔術など使っていない。この戦いで使ったのは全身にかけている〝強化〟が精々だ。
 しかし冥馬の消費している魔力量は明らかに強化の魔術で消費した量とは釣り合わない。となると原因として思い当たるのは一つ。オリバーの大剣だ。

「ほう。その様子じゃ気付いたな。お察しの通りだ。この剣の銘は魔戒剣ギャリィオーゾ、魔力を奪い吸収する刃……。貴様等魔術師が作り上げ、操るという『魔術礼装』なんてものなんざ目じゃあない。正真正銘、本物の魔剣だ!」

「……ランサーといいお前の魔剣といい宝具の大量生産だな。ナチスが世界中から聖遺物を収集しているのは知っているが、如何なナチスとはいえそう幾つも宝具級の魔剣を用意できるとは思えない。となると秘密はランサーにあると見るべきか」

 言いながら冥馬は烈風と炎を飛ばす。

「効かねえよ!」

 炎と風が魔戒剣ギャリィオーゾの刃に触れると、オリバーの言った通り魔剣が炎と風の魔力を根こそぎ吸収してしまった。

「……魔力を奪うというのは嘘じゃなかったようだ」

「それを確かめるために魔術を使ったか。少しは信用して欲しいもんだね」

「みすみす敵の言うことを真に受けていては、キャスターに馬鹿にされる」

 余裕をもって優雅に――――外面上は振る舞うが、実際には少しピンチだった。
 魔力を奪う魔剣、シンプルな効果だが魔力を扱い奇跡をなす魔術師にとっては天敵とすらいっていい能力だ。
 あの魔剣が並みの魔術礼装であれば『神秘はより強い神秘に敗れる』の法則で、単純な馬鹿火力によるごり押しで突破し、剣を砕くこともできただろう。
 しかし魔戒剣ギャリィオーゾは上級ではないとはいえ正真正銘の宝具だ。魔術師の魔術礼装程度の神秘で、宝具の神秘を打ち破ることなど不可能だ。
 例え冥馬がもつ全ての宝石を使っても傷をつけるのが精々。最悪無傷で終わるだろう。
 そうなるとやはり、

「真に頼りとすべきは鍛え抜いた己が肉体ということか」

 相手が魔術の天敵たる魔剣をもつのならば、魔術ではなく武術をもって応戦するのみだ。
 オリバーの右目、緑色の義眼が鈍く発光する。

「いざ――――!」

「来い、遠坂冥馬!」

 魔戒剣ギャリィオーゾに触れれば体内の魔力を奪われる。とはいっても触れた瞬間に根こそぎ全魔力を奪われるわけではないし、そもそも躱してしまえば効果は発揮しない。
 冥馬は大剣の台風を躱しながら、オリバーの懐に潜り込もうとする。単純な力比べなら巨躯は小躯より有利だが、回避なら小躯の方が巨躯より有利だ。オリバーの大剣は冥馬を捉えることができず、空振りを続ける。

「そこだ!」

 冥馬とオリバーの距離は半歩。ここまでくれば剣技ではなく肉弾の距離だ。冥馬はストレートな前蹴りを繰り出した。
 オリバーの右眼がまたも輝く。

「ハッ! 無駄なんだよ! お前の動きはお見通しだ!」

「なに!?」

 あろうことかオリバーは完全に冥馬の動きを見切っていた。まるで先読みしたかのように、オリバーは冥馬の蹴りを掴む。

「死にな」

 パカッとオリバーの胸元が開く。人間にとって心臓があるべき場所から、サイボーグ用に改造されたゾロターンMG30機関銃が顔を覗かせた。

(不味い!)

 右足を掴まれて動けない冥馬はさながらまな板の鯉。このままではバナナみたいに吊るされたまま無残に蜂の巣にされてしまう。

「死ねィ!!」

「甘い! 足首を掴んでいなかったのがミスだったな。遠坂家秘伝、緊急離脱!」

 スポッと靴から足を抜いて脱出すると、横合いに飛び退く。少し遅れて機関銃の弾丸がぶちまけられた。

「ええぃ! 姑息な真似を!」

 オリバーが横合いに飛んだ冥馬を機関銃で追撃するが、宝具級の弾丸でないのなら例え『否定』の概念がこもっていても魔術で防御はできる。
 切り札の宝石一つ分を使った防御壁で、機関銃の弾を防ぎきった。

「はんっ! 見っともなく避けおって。だがよもや遠坂家の御当主様とあろう者が靴を脱いで逃げるとは、なんともマヌケじゃないか」

「みっともないのは承知しているが、体中が風穴だらけになって風通しがよくなることに比べたらマシだ」

「それはそうだ。だが同じ手が二度も通じると思うなよ。貴様のその動き……確かに我が脳髄に保存した」

 緑色の義眼が冥馬を見据えながら点滅する。よくそれを観察すると、なにやら瞳の中で奇妙な極小の文字列が浮かんでは消えていった。

「保存――――やはり貴様、その右目。俺の動きを……」

「ご名答だ。俺は対魔術師用に近接戦闘特化仕様の改造を施されたサイボーグ。俺の右目は相手の動きを逐一収集し、メモリーに保存する。その集めた情報により、俺は擬似的な先読みを可能としているわけだ。
 遠坂冥馬、貴様は強い。研究費用を稼ぐため封印指定の執行者の真似事をするだけはある。だが如何せんお前は自分の力を惜しげもなく晒し過ぎた。
 外道の魔術師や化物の討伐でお前が披露した戦闘技術。そしてこの聖杯戦争中でのお前の戦いぶり。全てこの目で記録保存させて貰った。俺にはお前の動きが手に取るように分かるぞ」

「ほう。だったら俺が次になにをしようとしたか当ててみろ」

「簡単なことだ。お前がこれからやる行動の候補は二つだ。
 一つは俺の撃破を狙う選択。お前はこれまで武術的に勝る敵には武術で、魔術的に勝る相手では武術をもって打倒してきた。だが俺に魔戒剣ギャリィオーゾと先を読む目がある以上、お前は近距離戦闘の武術、遠距離戦闘の魔術。どちらにおいても不利な戦いを強いられる。
 ならばその逆。本来なら肉弾戦を挑む距離たる近接で、敢えて魔術戦を挑む。これまで遠坂冥馬が一度としてやったことのない戦術であれば、俺のメモリーにも記録されてはいない。俺の先読みを無効化できる、とお前は考えている」

悪くない手、一見するとそう思える。しかし超至近距離での魔術戦は、ほんの微かなズレが死に直結する極限の魔術戦だ。余りにもリスクが高すぎる。

「…………」

「もう一つは撃破を狙わない選択。あくまで俺との戦いは時間稼ぎにのみ専念し、アーチャーがランサーを倒して駆けつけるのを待つか、或いは令呪でキャスターを呼ぶか。自身で勝てないのならばサーヴァントを使う道。
 だが時間が押している以上、お前としては一刻も早く俺を倒したい。故に前者の方に心が傾いていた。違うか?」

「――――――」

 見事なまでに大正解だ。これから冥馬がやろうとしてことを完璧といっていいまでに予測しきっている。
 少しばかりナチスの科学力を舐めていたかもしれない。よもやこれほどとは。

「…………」

 オリバーは遠坂冥馬のこれまで見せた戦闘データを完全に解析しきっている。
 今の今まで冥馬が使ってきたカードをどう組み合わせてもオリバーに勝つのは難しい。だとすれば、

「出し惜しみなど、してはいられない、か」

 丹田まで息を吸い込んでから、大きく吐き出す。
 呼吸を整える冥馬は、大地を蹴って再び2mの鋼鉄の巨人に真っ直ぐ突っ込んでいった。
 完璧にこれまでの『遠坂冥馬』のデータを収集しきっているオリバーは嘲笑する。

「これだから思考回路がアナログな奴は愚かなんだ。至近距離での魔術戦なら動きが読まれない? 浅はかにも程がある。例えお前が気近距離で魔術戦をしたというデータがなくとも、収集された格闘戦と魔術戦のデータから動きを予測することは可能だ!」

 完璧なデータによって叩き出される完全なる先読みとは異なる、最も可能性の高い未来を導く予測。だが数瞬先の未来が全てを決する近接戦において、未来予知ではなく未来予測でも十分脅威だ。
 だがそうと知りつつも冥馬は止まらない。破れかぶれ――――とオリバーには見えた――――特攻に、オリバーは嘲りの色を深める。

「はっ! 例え動きが予測されていたとしても、重い大剣での攻撃なら躱すことはできる――――と、思っているんだろうが、その考えはシュトーレンのように甘い」

 オリバーは〝魔力を吸収〟するという魔術師にとっては天敵となるであろう大剣を、敢えて背中に背負い直す。
 対魔術師のアドバンテージの一つを失う代償に、オリバーの両手がフリーになる。どれほど速い相手だろうと、両手が自由に使えて、しかも動きが予測できるのであれば捕まえるのは難しいことではない。脳味噌がハイテクなサイボーグらしい、非常に合理的で無駄のない行動だった。
 しかし、だからこそ読み易い。

「お前こそデータさえ集めればなんとかなるなんて、少し武術を舐めていやしないかい?」

「な――――」

 距離を詰めたところで唐突に冥馬の動きが完全に変わる。
 魔術回路は強化の魔術に費やしたまま。新たな魔術を使う予兆もない。だが冥馬がオリバーの知る『遠坂冥馬』のデータにはない動きをとった。
 さながら甲虫が蟷螂になるように。武術は変わらずに武術の種類だけがガラリと変わった。

「双纒手!!」

 オリバーの両手のガードを、門を開くようにこじ開けると、足腰の力を両手へと送り渾身の双打を喰らわした。

「な、がっらぁあああああああああッッーーーーーー!」

 流石はサイボーグ。オリバーは他の兵隊のように吹っ飛ぶことはなく、地面に両足を陥没させながら、その場でどうにか堪えた。

「ば……馬鹿な! 貴様の使う武術は遠坂家に伝わる古流武術のはず! それは言峰璃正と同じ八極の動き!? 何故貴様がその動きを! 貴様が八極拳を使った情報などどこにもありはしない!」

「自分の力を大っぴらに誇示するような馬鹿、魔術師としては三流だ。魔術師なら本命は誰にも明かさないものさ。そら、休んでいる時間はないぞ」

「クッ、フフフフフ。だが宛てが外れたな遠坂冥馬。お前が八極拳を使ったのにはちと驚いたが、八極拳は言峰璃正が修めた武術。そのデータも私の中には入っている。そのデータを用いれば、貴様の動きなど容易く再構築できる!
 これがナチスの生み出した最新のテクノロズィー! 最新の科学力によるデータ収集と、無駄なくプログラミングされた動き。これこそが最新のテクノロズィーによって生まれた最強の格闘術! 最強の武術!
 アナログな石器時代の遺物などに頼っているお前など、私からすれば――――――ぐぼぁ!」

 ペラペラと自分の性能を喋るオリバーの顔面に、八極拳でもこれまで冥馬の使っていた武術とも似ているようで違う蹴りが炸裂する。
 冥馬の父・静重から叩き込まれた武術と、大陸を放浪しながら身に刻んだ数々の武の合理。それらを混ぜ合わせて生まれた、どれでもない未知の技。冥馬が八極拳を使うことすら知らなかったオリバーに分かるわけがない。

「武術は魔術とも科学とも違う」

 自分で自分の呼吸を意図的に乱し、オリバーの計算にない動きをしながら鳩尾に肘を喰らわす。

「魔術のように最古の技法が新きに勝るわけではない、科学のように最新の技法が古きに勝るわけではない! 古きは新しきを取り入れ、新しきは古きを取り入れ、時代と共に千変万化する不変の術理! それこそが武術ッ!」

「ぬおおおおぉぉ! だ、だが私の全身の装甲は鋼! 拳では打ち砕けんわ!」

 最新科学の結晶であるオリバーは、怒涛の猛攻撃にも耐えきった。
 なるほど鋼の装甲であれば拳で打ち砕くのは至難の技だろう。ならあの装甲を打ち砕くに足る至難の技を使うのみ。

「この世に最強の武術などありはしない。もし武術の世界において最強があるとすれば、それは最強の武術ではなく最強の武術家のみ!」

 宝石に込められた魔力が、遠坂冥馬という人間にある種のエネルギーを纏わせる。
 極みに到達した真の魔拳士ならば天地と一体となり、大地の気を吸い上げただろう。だが冥馬にはそこまでの力量はない。故に足りないものは己の魔術の業で補う。
 オリバーに迫った冥馬は山を掻き毟る虎のような動作をとり、

「猛虎硬爬山ッ!」

 八極の絶招が一つ、目にも留まらぬ連続の攻撃。どれほど頑強な城門をも打ち破る奥義は、オリバーというサイボーグの鋼の鎧を完全に打ち破っていた。
 全身からスパークを撒き散らせながら、鋼の装甲をグチャグチャにされたオリバーは膝をつく。

「俺がこれまでの人生で見た限り最強の武術家の得意とした必殺の套路だ。どうだ? 人の肉体のみによる武術の味は?」

 オリバーは応えない。
 体からはオイルが漏れ出し、ギチギチと割れた部品が歯車に挟まるような音が響く。機械には疎い冥馬の目から見ても、オリバーという存在を、吸血鬼に勝るほどの怪人へと変えたナチスのサイボーグ技術は壊れていた。
 点滅を繰り返していた緑色の右眼が、やがて永久に光を失う。

「……まだ立つのか?」

 だというのにオリバーは立ち上がった。色を残した青い左目には、先程までの荒々しくも機械的だった殺意とは異なる、もっと澄み切った純粋な色が宿っている。
 オリバーの誇った最新技術は壊れた。これは間違いない。では機械を壊されて尚も立ち上がったオリバーに残っているものとは、果たしてなんだというのか。

「ふ、ふふふ。最強の武術はなく在るのは最強の武術家のみか。俺は――――強くなりたかった。誰よりも強く。だがどれだけ肉体を苛め抜いても超えられぬ壁にぶち当たり、その壁を壊すために私は己の体をナチスに差し出した。
 人間の体などなくなってもいい。俺の血管が脈動しない電線にかわろうと、俺の血が油臭いオイルになろうと、俺の心臓が物言わぬエンジンと成り果てようと、強くなれるならばそれでいいとな。
 だが不思議なものだ。そこまでやって〝力〟を手にしたというのに、その力をお前に打ち破られてどこか清々しい気持ちだ」

 オリバーは朗らかに笑うと、大地に転がる大剣を拾い上げて構えた。

「最期に頼みがある。ナチスのサイボーグとしてではなく、俺を人間として死なせてくれ」

「虫のいい話だ。人にモノを頼むのなら、せめて名前くらい教えて欲しいものだな」

「既に名乗っただろう。オリバーと?」

「嘘が下手だな。それはナチスから与えられたサイボーグとしての名前だろう。あるんだろう、ちゃんとした人間の名前が」

 オリバーは少しだけ驚いた顔をすると、懐かしむように口を開いた。

「ローレンツ、ローレンツ・オルトヴィーン・リバー」

「覚えておこう」

 自分のもてる全ての力を右手に込めて、冥馬は大地を蹴る。
 交錯は一瞬。オリバーが大剣を振り落すよりも早く、冥馬の右手はオリバーの体を貫通していた。自分の敗北を噛みしめたオリバーは、敗北の悔しさと敢闘の清々しさを浮かべると目を瞑る。
 冥馬は拳を引き抜き、倒れ掛かったオリバーを支え、ゆっくりと地面に寝かせる。

「………………」

 強さを追い求めた末に、己の魂と肉体をナチスに売り払った男は死んだ。最後の最期に人間としての尊厳を取り戻して。もしかしたら自分がこれまで破壊してきたサイボーグたちにも、なにか魂を売り払うほどの決意があったのかもしれない。

(いけないな。こんなこと考えても仕方ないというのに)

 らしくない感傷を振り払う。死んだ者達を悼んでいる時間はない。生きている自分は先を急がなければ。こうしている間にもダーニックの計画は進んでいるのだ。
脱ぎ捨てた靴を拾って履き直した。そして戦いのせいであちこちが破れてしまったスーツを脱ぎ捨てると、冥馬は空洞の奥へと進んでいく。
 その背で死闘を繰り広げた〝人間〟が爆発し、躯を天へ送った。



[38533] 第59話  不滅の刃
Name: L◆1de149b1 ID:bb7961a4
Date: 2014/06/28 23:04
 セイバーと相馬戎次の戦闘機によるドッグファイトは熾烈を極めた。
 帝都上空で本来この帝国を守るために造られたはずの戦闘機同士が、機関砲をばら撒きながら、交錯し踊り飛ぶ。
 地上から二つの鋼鉄の戦いを見上げた者がいれば、流星同士が飛び交っているように見えたことだろう。
 騎士として幾多の戦いで人馬一体となり戦場を駆け抜けた白銀の騎士と、現代の人間でありながら英雄に比肩しうるほどの天稟をもつ相馬戎次。
 二人の操る戦闘機は共に最新技術だけではなく〝魔術〟という本来科学と相反する力によって補強され性能を増幅させている。
 両者を比べた場合、パイロットとしての腕では経験者である相馬戎次に、機体性能でいえば魔術師の英霊たるキャスターが強化を施したセイバーに分がある。
 技量と性能。お互いがお互いに其々で一歩優位だからこそ、両者の戦いは完全に拮抗していた。
 だからこそ――――

「悪いねえ。助けて貰っちゃって」

 その均衡を崩す存在、即ち援軍の到着が勝敗を決定付ける。

「あれは」

 セイバーが目を見開く。
 相馬戎次の戦闘機の直ぐ横に空間をガラスのように割って、ライダーが出現した。
 空間転移、限りなく魔法に近いとされるそれが、魔術師ではないライダーのサーヴァントに出来る筈がない。ライダーが空間を跳躍したのは戎次の令呪によるものだ。
 ライダーの出現。これで数の上では1:2、だがそれは相馬戎次が有利になったことを意味しなかった。そのことを証明するように上空から戎次とライダーに火炎放射が襲い掛かる。

「フッ。待っていたぜ、キャスター」

 操縦桿を握りしめながらセイバーは口端を釣り上げる。
 二機の鋼鉄が戦う天空の更に上に、聖書に刻まれし神の炎(ウリエル)の如く炎翼を広げ蒼い騎士が戦いを睥睨していた。
 服は煤け明らかにダメージを負っているライダーと、五体満足でニヒルに笑うキャスター。セイバーが馬鹿でも、両者の戦いがどういうものだったかは一目瞭然だった。

「最弱のサーヴァントが騎兵を逃げ惑わせている間、そちらはマスター相手に見事な戦いぶりだな。流石は最優のサーヴァントだ」

「いやぁ。それほどでも」

「褒めてない。阿呆には皮肉も通じないか。……加勢する」

「おう!」

 キャスターの皮肉など気にすることも――――そもそも意味を解することなく、セイバーはキャスターと呼吸を合わせて同時に攻撃を仕掛ける。
 魔術の英霊の魔力を纏い炎熱を帯びた機関砲と、変幻自在に形を変える炎の蛇。直線と曲線の同時攻撃にはさしもの相馬戎次の腕をもってしても対処しきれない。
 ライダーが傷ついた体で作り出した氷壁もむなしく、戎次の戦闘機の動力に致命的な一撃が届いた。

「まだ、まだぁ……っ!」

「!」

 しかし相馬戎次もただではやられない。自分の乗る機体がもう保たないと瞬時に悟ると、全速力でセイバーのゼロ戦に特攻を仕掛けてきた。

「英霊だかなんだか知らんが、良く聞けフランスの。お前の乗るそれはこの国のもんだ。今直ぐ物理的に降ろしてやる!」

「げっ。避けきれ――――」

 鬼気迫る捨て身の特攻にキャスターの援護も間に合わない。
 戦闘機は最新技術の結晶、つまりは精密機械の塊だ。如何にキャスターが魔力を纏わせたといっても、戦闘機ほどの質量に突撃させれば中身が耐え切れない。
 空中でぶつかりあった二機の戦闘機は、お互いの弾薬と火薬とを巻き込んで爆発した。
 搭乗者たちが常人であれば、この特攻によって二つの死体が生まれただけだったろう。だが搭乗者はどちらも人間を超えた力を持つ者。機体同士が激突した瞬間、両者は機体から飛び降りていた。
 地面へと落下しながらも騎士とサムライ、東西の戦士たちの戦意は消えない。セイバーは聖剣を、戎次は妖刀を抜く。

「逃がさん!」

 キャスターは魔力で勢いをつけると、落下していく戎次を追撃する。
 だが流星となって落ちるキャスターを氷柱の雨が妨害した。

「女の相手をしている最中に他人に余所見ってのは紳士的じゃないね。ショックだよ」

「……人を寝取り男みたいに言わないで欲しいな。真に遺憾だ」

 絶好の機会に戎次を倒して勝敗を決めたいキャスターと、それを妨害するライダー。
 二騎のサーヴァントがぶつかる間にも、二人の男は落下しながら切り結んでいた。

「うぉぉおらぁあああああああ!」

「そらぁああああああ!」

 戦闘機の次は、空中で剣と刀の殺陣。
 相馬戎次は優れた剣士だ。現代の人間でありながら、その技量は並みの剣の英霊に引けをとりはしないだろう。
 だが変則召喚によるハンデで霊格が著しく落ちたといえど、セイバーはシャルルマーニュ十二勇士で最強と謳われた騎士。剣技で、単純な力で、剣速で相馬戎次を上回っている。

「そらそらそらーーーーッ!」

 セイバーは目にも留まらぬ高速剣で相馬戎次を圧倒する。けれど剣の腕が良い方が必ずしも戦いの勝利者というわけではない。
 戎次にとっては不幸中の幸いというべきか、人の利はセイバーにあっても地の利は戎次にあった。

「怨!」

 どこの国の言語とも一致しない文字が描かれた札が空中にばら撒かれる。
 ばら撒かれた札は戎次とセイバーを囲むように舞う。そして戎次はばら撒かれたお札を足場に、空中での跳躍を実現した。

「どらぁぁあッ!」

 空中跳躍から首を狙っての一斬。意表をつかれながらも、セイバーは聖剣でそれを受け止める。
 空に投げ出されれば落ちるしかないセイバーと、魔術を使い空中でありながら跳躍を可能にする戎次。この優位性が技量と力の不利を補い、再び両者を拮抗状態へと持ち込む。
 だがさっきまでの拮抗状態と違うのは終わりが見えていること。即ち地面という終着駅への到着だ。
 いよいよ地面が近付くと、戎次はお札を足場に跳躍することで距離をとり。セイバーはそのまま地面へと着地した。
 何の因果か。フランス最強の騎士と、帝国屈指の剣士が降り立ったのはこの国の政の中心。国会議事堂の上だった。

「無事かい?」

 戎次の傍に、頬に火傷のあるライダーが降りたつ。

「おう。親から貰った両手両足に頭に胴体。全部万全だ。ライダー、お前ぇこそ大丈夫か?」

「向こうの男に傷物にされちゃったから、近くで突いたり斬ったりは無理だけど遠くから援護するのは問題ないよ」

「―――――如何わしい表現はやめろ」

 眉間に皴を寄せて、キャスターもセイバーの隣りに着地した。
 キャスターにはライダーほどのダメージはないが、ライダーの必死な攻撃によるものだろう。氷柱がキャスターの腹に突き刺さっていた。
 眉一つ動かさず氷柱を抜いたキャスターは、自分の返り血の付着したソレを焼き尽くし処分する。

「二対二だな」

 魔術と剣を操るキャスターと、聖剣をもって戦うセイバー。
 魔術と刀を操る相馬戎次と、固有結界を駆使するライダー。
 似たような性質の強者と、性質の異なる強者による組み合わせ。
 自分で頭を使う事に向いていないセイバーは、マスターがいない以上、自分の剣を一時キャスターに預けている。そしてライダーのマスターは相馬戎次。
 戦いの指揮権をもっている二人の〝魔術師〟は油断なく睨みあった。

「ライダー……やれんな?」

 戎次が確認の質問を己がサーヴァントにする。張りつめた空気、察するに宝具発動の合図。

「フ。私を誰だと思ってるんだい。世界を一つや二つ塗り替えるのなんて楽勝だよ」

 世界が振動した。
 自然現象の具現たるライダーの宝具、常冬の大雪原という心象が世界を塗り替えていく。セイバーには良く分からなかったが、魔術師であるキャスターはその予兆を把握することができた。
 猛然と吹き荒れた冷風に目を瞑る。
 次に目を開いた時、国会議事堂というこの国の中心の上に立っていたキャスターとセイバーは、白い雪が腰までつもる雪原にいた。

「アーチャーからライダーの宝具については聞いていたが……さ、さむっ!」

 幾多の戦いを駆け抜けた万夫不当の騎士たるセイバーがもつ対魔力も、この極寒の寒さには意味を為さない。
 過去・現在・未来において幾人もの英雄の野心を打ち砕いた『冬将軍』は、その猛威をもって敵対者の魔力と体力を奪っていった。
 唯一人を除いて。

「こんなものか貴様の宝具は。だとしたら拍子抜けも良いところだな」

 キャスターは命すら凍てつかせる極寒にあって、まるでなんともないように平然と立っていた。

「ふん。やせ我慢かい? アンタは魔術師、体を温める方法くらいあるだろうさ。これが普通の極寒ならねぇ。だけどこれはただの極寒じゃない。キャスターのアンタなら分かるだろう」

 これはただの極寒ではなく、冬将軍が具現化した固有結界だ。体を温める魔術程度でどうこうなるものではない。
 魔術では、だが。

「ライダー、相馬戎次。お前の戦術は間違いじゃなかった。だが今回ばかりは相手が悪かったな」

「なんだって? …………なっ!?」

 パァとキャスターの体が淡く輝いていく。するとみるみるうちにキャスターの周囲の雪が溶けだし、寒風は温暖な心地よい風へと変化していった。

「おっ。寒さが消えたぞ」

「っ! 体から熱波を出すなんて。それがアンタの能力――――いや宝具!? そんな、私の固有結界をピンポイントで無効化する宝具なんて、そんな馬鹿なものが――――」

「擬人化した自然の化身であるお前は星の一部とすら言ってもいい存在だ。人の世で生きる者ではなく、人の世を包む存在。だからこそ知らなかったようだな。運命の女神っていうのは、不細工で性格の悪い糞みたいな女だということを」

 体が温かくなったことを喜ぶセイバーと、自分自身の猛威が無効化されていることに焦るライダー。剣士と騎兵、二騎のサーヴァントの表情は実に対照的だった。

「洗濯物を乾かすか暖房がわりに使えるだけの、戦いには一切役に立たない能力だと思っていたが。世の中なにがどこでどう役に立つか分からないものだ」

 アーサー王の義兄としてではなく、サー・ケイ自身の象徴。それこそがサー・ケイの特殊能力の具現たる『巨栄の肖像(トゥルフ・トゥルウィス)』である。
 自身の与えたダメージに回復阻害の効果を与え、手から炎を出し、己の身体を変幻自在に操り、水中で息継ぎなしで行動し、魔力不足・ダメージ以外で体力を消耗せず、そして体から熱波を出す。
 一つで全く別の複数の力を発揮する珍しい宝具だが、サーヴァントとしての武器としての性能は三流もいいところである。
 だが能力の一つ、体から熱波を出す。
この一見すると戦いにおいてまるで役に立ちそうにない能力が、厳しい冬の具現たる『冬将軍』を無効にするにはこの上なく有効だった。

「ライダーは怯んでいる。行くぞ」

「おう! 今度は俺の番だ、任せておけ!」

 円卓の騎士、十二勇士。時代の異なる二つの騎士道物語において、誉れ高い王に仕えた二人の騎士は、選定剣と聖剣を構えライダーに襲い掛かっていった。

「くっ! 幾ら寒さを無効にできるからって……」

 寒さが無効化されたからといって、この固有結界内はライダーにとって優位な地形効果だ。この固有結界に身を置く限りにおいて、ライダーは通常の倍の戦闘力を発揮できる。
ライダーは雪崩を引き起こして、キャスターとセイバーを呑み込もうとした。

「邪魔だ」

 だがキャスターが両手から炎を出して、雪崩を堰き止める。

「今だ、行け!」

 雪崩が堰き止められた隙をついて、セイバーがライダーに突っ込んでいった。
 狙うのは無論ライダー。キャスターに劣るライダーの白兵戦能力ではセイバーには勝てない。

「させっかァ!」

 だからこそセイバーと切り合える相馬戎次が、ライダーを庇うように前へと出た。
 相馬戎次の妖刀であればセイバーの聖剣とも打ち合える。相馬戎次の技量ならばセイバーとも切り合える。
 そう思っていた相馬戎次は、未だ聖杯戦争における真の戦いがどういうものかを理解してはいなかった。

「キャスターにばっかし良い格好をさせるわけにはいかないからな」

 これまでセイバーの手に握られ、数多の敵と切り結んだ聖剣。されどその聖剣は、これまでの戦いで一度たりとも真価が発揮されたことはなかった。
 その真価が漸く発揮されようとしている。

「天使より授けられ、王に賜りし輝煌の剣よ。我が祈りに答え、三つの奇跡が一つを示し給え」

 セイバーの全身が張りつめ、聖騎士の全神経がこの一瞬、聖剣を振るうためだけのモノとなる。
 戎次は咄嗟に妖刀を前へ突き出して防御しようとするが、防御などこの聖剣の一斬にはなんの意味もない。

「斬り屠る不滅の剣!」

 真名の解放。何の脚色もない。万理万象を〝斬る〟という概念が発動する。
 神秘とはより強い神秘によって破られるもの。であれば〝絶対に斬る〟という概念をもつ不滅の刃と、あらゆる者を死へ誘う妖刀とではそもそもの格が違った。
 これまで黄金の選定剣やアーチャーのサーベルと切り結んできた妖刀が、至高の一斬に両断される。妖刀は聖剣を受け止めることすらできず、その刃は振りきられた。
 返り血が舞う。

「なっ!」

 返り血がセイバーの鎧を染める。だがそれは戎次のものではなかった。
 白い雪を赤く染めた血は戎次からではなく、刃が戎次を斬る寸前で割って入ったライダーから噴出している。

「ライダー、お前ぇ」

「ふ、ふふっ」

 固有結界を維持していたライダーが深手を負ったからだろう。大雪原が消滅し、元の国会議事堂へと戻ってきた。

「悪いけど、戎次は殺させないよ。これでも私のマスターだし、ねぇ!」

「――――!」

 雪の竜巻、そう表現するしかない。雪風がセイバーを足止めすると、ライダーは有無を言わさず戎次を抱き抱え飛んで行った。
 セイバーは手に白亜の角笛を出現させて、逃げるライダーたちを睨むが、やがて出した角笛の力を解放することなく消し去る。

「どうして追わない?」

 キャスターが尋ねる。

「――――ライダーはもう死ぬ、助からない。なら……いいんじゃないか?」

「…………甘い男だ。だが確かに、死にかけの狼は五体満足の虎より恐ろしいものだ。無理に追うよりも、お前のマスターの方を助けに――――むっ!」

「どうした?」

「悪いが後はお前達でなんとかしてくれ。マスターが呼んでいるらしい」

 そう言うとキャスターの体が忽然と帝都から消滅する。
 これが何を示しているのか馬鹿なセイバーでも分かった。
 令呪の発動。大聖杯奪取を阻止するためナチスと戦っている冥馬が、キャスターを呼び出したのだ。つまり令呪を発動しなければならない抜き差しならない事態が、あちらで発生したということでもある。

「あっちは大丈夫なのかな?」

 キャスターが冬木に戻った今、セイバーの問いに答えてくれる者はいなかった。









【元ネタ】ローランの歌
【CLASS】セイバー
【マスター】リリアリンダ・エーデルフェルト
【真名】ローラン
【性別】男
【身長・体重】190cm・80kg
【属性】中立・善
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷C 魔力B 幸運C 宝具A+

【クラス別スキル】

対魔力:A
 A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。

騎乗:B
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。


【固有スキル】

勇猛:B
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 また、格闘ダメージを向上させる効果もある。

戦闘続行:A
 生還能力。
 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

心眼(偽):B
 直感・第六感による危険回避。


【宝具】


『斬り屠る不滅の剣(デュランダル)』
ランク:A+
種別:対人宝具
レンジ:2~4
最大捕捉:1人
 〝絶世の名剣〟による、あらゆるものを〝絶対に切る〟至高の斬撃。
 デュランダルの一振りの前にはあらゆる防御は無意味となる。
 この一撃から身を守るには剣に触れないか、剣の概念を上回るほどの神秘による防御が必要。



[38533] 第60話  秘密兵器
Name: L◆1de149b1 ID:39471b4b
Date: 2014/06/28 23:03
 対魔術師用近接戦闘特化サイボーグ、オリバーを撃破した冥馬は更に空洞の奥深くへと足を進めた。
 もう空洞にいた兵は全て倒してしまったのか、妨害する兵士たちが現れることはなかった。
 そして冥馬は遂に百五十年もの昔、三人の賢者が集まり『大聖杯』という奇跡を生み出した地に到達する。
 初代当主、遠坂永人とその娘。奇跡の誕生に立ち会った先祖から時が経ち四代目。遠坂冥馬は百五十年ぶりに聖域に足を踏み入れた遠坂の末裔となった。
 本当ならばこの地に踏み込むべき者は、御三家の悲願を遂げた者のみ。己の主義から聖杯をもって悲願を叶える気のない冥馬にとっては、生涯訪れるはずのない場所だった。
 奇妙な因果というものだろう。悲願を叶えるつもりのないマスターでありながら、悲願の成就を求めた数多の魔術師が到達することのなかった場所に、遠坂冥馬は来てしまっている。

「おっと。いけないいけない」

 感慨に耽ってはいられない。自分がここに来たのは、聖杯を鑑賞するためではない。遠坂の四代目当主として、ナチスドイツの暴虐を阻止するために来たのだ。
 冥馬は大聖杯の真下でそれを見上げている、白い外套を羽織った男に近付いていく。

「柳洞寺以来になりますね、遠坂冥馬殿。貴方ならばあらゆる障害を突破してここに至るだろうと、なんとなく予感していました」

 あくまでも背を向けたまま、聖杯戦争始まって以来の大泥棒は慇懃に言った。
 隙だらけ。まるで殺して下さいと言わんばかりの無防備。だがそれを真に無防備と見て襲い掛かるほど冥馬は短絡ではなかった。
 八枚舌と怖れられ魑魅魍魎渦巻く時計塔で生き抜いてきたダーニックともあろう男が、なんの対策もなく隙を見せるはずがない。
 もしも万が一冥馬がダーニックを殺すべく近付けば、その瞬間になにかが冥馬のそっ首を切り落とすだろう。

「ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア……まったく口惜しいよ」

「なにがです?」

「本当なら俺は遠坂静重の子として、父を殺したお前とナチスに報復をするつもりだった。お前等全員生きては帰さない、なんて決意すらもっていたくらいさ」

「それはまた穏やかではない」

「昔、父に一発殴られたら十発殴り返してやれと教わってね。今思えば冗談交じりの激励だったのだろうが、子供の頃の俺はそれを真に受けた。以来、大人になるまで子供の頃の父の教えを忠実に守り続けてきた。
 今回はほら、殺されたのが父親ときている。他人からすれば父などただの赤の他人だが、俺にとってはそうじゃない。人としては掛け替えのない親で、魔術師としては得難い師だった。
 そんな人物が殺されたんだ。これはもう殺した相手を皆殺しにするくらいしか報復のしようがないだろう。
 俺にこんな教えを授けたのは父上だから、文句があったのなら父へ言ってくれ」

「あの世で、ですか」

「そうかもな」

 とぼけたように冥馬は肩を竦める。だが明らかな殺意を向けられ、物騒な会話をしながらも、ダーニックが振り返る様子はなかった。
 その姿はさながら大自然の生み出す芸術に立ち会った旅人のよう。カメラをもたない旅人は、自然の奇跡をカメラではなく己の脳裏に焼き付けようと、他の一切を無視してそれを視ることに全神経を傾けるものだ。

「しかし貴方は遠坂静重の子として此処へ来たのではないのでしょう」

 漸くダーニックが振り返る。
 ギリシャの彫刻のような美しい顔立ちで穏やかに微笑むその姿は。とてもではないが追い詰められた人間のものではない。近いものをあげるなら、園遊会で談笑する紳士のそれだ。
 冥馬もダーニックに対抗するかのように、貴公子のように温かい笑みを浮かべながら、

「その通り。私は遠坂静重の子である以前に遠坂四代目当主だ。私は遠坂の後継者として、大聖杯を盗もうなんて企てる稀代の泥棒たちの野望を阻止しなければならない。それが父より当主を継承し、魔術の薫陶を受けた者に課せられる義務というやつだ」

 ポケットに入れてあった宝石を握りしめ、いつでも攻撃でも回避でもできるような構えをとる。

「お前達の企てもここまでだ。討たせて貰うぞ」

「ふっ、あはははははははははははははははははははははっ!」

 哄笑が大空洞に反響する。
 冥馬の目の前で対峙しているダーニックは薄笑いを浮かべているが、声に出して笑ってはいない。笑い声の発生源はダーニックの立つ場所より更に奥だ。
 余りにも自然に置かれているせいで、露骨に不自然だというのに気付かなかった。
 大空洞内にポツンと置かれたすりガラス。その向こう側では、男性と思わしき人影が椅子に腰かけながらこちらを見ている。

「お前は――――」

「いや失敬失敬。こうして話すのは初めてだねぇ。ミスタ・トオサカ。遠坂家四代目当主、遠坂冥馬。ロディウス・ファーレンブルク、ナチスでしがない大佐なんてやっている元時計塔の魔術師だよ。しくよろー」

「し、しく? なんだって?」

「知っての通りナチスは彼、ダーニックと協力関係でね。彼の望みである一族の繁栄を叶える対価に、こうして我が軍の力を彼に貸しているんだよ」

「…………」

 ダーニックが単独でナチスを操っているわけではないと思っていたが、こんな場所に親玉がいるのは予想外だった。てっきりナチスの軍隊を率いている親玉は、安全な所でぬくぬくとしていて指示を出しているだけだと思っていただけに驚きは一入である。
 ダーニックはロディウスの話しに割って入る非礼を警戒してか、静かに黙り込んでいる。

「一族の繁栄か。今のナチスが本気でバックになれば、魔術師の家一つを貴族にすることは難しくはないが……それはナチスが力をもっている間だけの仮初のものだぞ」

「そんなこと言われなくても、私も彼自身も知っているさ。だからこそ第三帝国が永劫不滅の千年帝国を築き上げ、ユグドミレニアの繁栄を盤石のものにするためにも、彼は我々にシンボルを――――大聖杯を手に入れさせようと奮闘しているんじゃないか」

「大聖杯をシンボルに……? ナチスの?」

「贋作とはいえ、それだけの価値と力がここの聖杯にはある。そうだろう? 三人の賢者たちの末裔よ」

「――――――」

 荒唐無稽な与太話と切り捨てたいのは山々だが、大聖杯のことを知る冥馬にはそれが出来ない。
 冬木の大聖杯は偽物だ。だが偽物であるが故に、持ち主を選ばないという一点において本物以上に優れている。
 世界各地から聖遺物を掻き集め、表ではなく裏世界においてもその権勢を広めつつあるナチスが大聖杯を手にすれば、千年帝国という夢物語が夢ではなくなるかもしれない。

「遠坂冥馬。これまでの君の奮闘ぶりは私も見させて貰った。確固たる決断力、臨機応変な柔軟性、魔術師としての才能、武術家としての力量。多少うっかり屋なところが玉に瑕だが、君の実力はべらぼうに高い。
 こんなことを言うとダーニックがへそを曲げてしまうかもしれないが、間違いなく聖杯戦争に集った魔術師たちの中で君は最高のマスターだろう。
 そこで提案なんだが、君もダーニックと一緒に我々の側につくというのはどうだい?」

「なに?」

 これはダーニックにとっても予想外だったのが、眉が動き両目をロディウスへと向けた。
 だがロディウスを立てたのか、ダーニックはなにか意見を言うこともなく沈黙する。

「君ほどの傑物なら親愛なる総統閣下も気に入るぞぉ。時計塔なんてかび臭い場所に閉じこもっていないで、私達と一緒に世界を相手に大暴れしようじゃないか。
 なによりも君が味方になってくれたら私たちの障害もなくなるし、我々としても楽ができる。どうだい、中々に良い提案じゃないかと思うのだが」

「断る」

「はっはっはっ。だと思った。じゃ、そういうことで」

 あっさりと冥馬の拒絶を受け入れると、ロディウスのいる所からパチンと指が鳴った。
 大空洞の天井に蜘蛛のように潜んでいた『ある物』がその音を察知して、地響きを鳴らしながら飛び降りてくる。

(こんなものが天井にへばり付いていたのか)

 大空洞に入ってからナチスには驚かされることばかりだ。
 降り立ったのは鮮やかな金色の髪をもつ青い瞳の男だ。だが大空洞の天井から着地するなんていう異常極まる身体能力からして、ただの人間ではなくサイボーグの一体だろう。オリバーより背丈は一回りほど小さく、またオリバーにはあった人間味も一切ない。あるのは他のサイボーグと同じ機械的な無機質さだけである。
 しかしダーニックが自分達を守る最終防衛線として用意したサイボーグだ。ただの量産型であるはずがない。

『製造番号KN451046、固有名称クリストファー・フリードリヒ。愛称クリス。現時刻02:22、おはようございます。ファーレンブルク大佐、ダーニック様。御命令をどうぞ』

 ナチスの軍服を纏う機械兵士は機械的な合成音で喋った。

「クリス、命令だ。大規模転移術式を起動し大聖杯の移送が完了するまで、移送を妨害するありとあらゆる障害を抹殺しろ。まぁ要するに……だ。
 遠坂冥馬とそのサーヴァントを皆殺しにしてくれれば万事問題ないんじゃないかな。ただ大聖杯は死んでも傷つけないように」

『承りました、大佐』

 ロディウスが指令をインプットすると、サイボーグ――――クリストファー・フリードリヒの両眼に強烈な光が点灯する。
 瞬間、クリスが掌から緑色の破壊光線を飛ばしてきた。

「っ!」

 クリスはあくまでも機械だ。人間やサーヴァントすら人を殺す時に殺気や殺意を発するというのに、栗栖にはそれがない。心のないサイボーグにとって殺人という行為はただの作業に過ぎないのだ。
 そのせいで冥馬の反応が一瞬だけ遅れる。

「ぐっ……!」

 腕を霞める光線。破滅の緑光は冥馬の右腕を僅かに食い破ってから、大空洞の壁に着弾する。振り返らずとも爆発音から光線が壁を抉り取ったのが分かった。
 万が一冥馬の反応があと少し遅れていれば、冥馬の右腕はこの世から消滅していたことだろう。

『第一射にて目標が未だ生存しているのを確認。目標のデータを検索……完了。遠坂家四代目当主、遠坂冥馬であることを認識。
 目標の戦闘データから、遠坂冥馬は射撃武器を躱す技能に優れていると推測されます。これより遠距離からの殲滅から、近距離での排除行動に移行します』

 クリスの背中の一部がパックリと割れて、そこからオリバーの背負っていたのと同種の二対のロングソードを抜いた。

『対象が魔術師であることを考慮し対魔術師に優れた武装を選択します。装着、魔戒双剣ギャリオージ』

 名前からしても気配からしても、あれはオリバーの魔戒剣と同様の性能をもつ剣なのだろう。だとすれば魔術による攻撃は効果が薄い。
 冥馬は宝石を一時しまい、いつでも回避ができるよう構える。

『排除開始』

「――――――!」

 そこで冥馬は己の間違いに気付いた。
 クリスは疾かった。ただ速いのではない。足の動かし方やスタートの瞬間まで、全てが人を殺すための人型人形として理想的な運動だった。
 最適の技術と埒外の運動力、これが合わさった時に生まれる速度は風そのもの。
 頭で考えたわけではない。ただクリスの埒外の――――下手すればランサーを超えるほどの――――疾さに、反射的に体が飛び退いていた。
 それは最良の判断だったといっていいだろう。

『第一撃……排除失敗』

 ランサーの速度で迫ったクリスは、セイバーの太刀筋で双剣を降りおろし、バーサーカーの腕力で地面を抉り取っていた。
 戦慄する。サーヴァントというマスターにとって最大の戦力を失いながら、ダーニックがあそこまで余裕のある態度を崩さなかった理由を、目の前の現実を見て聞いて感じて完全に理解した。
 なんのことはない。至極単純極まる理屈だ。
 サーヴァントを超える強さの化物を擁しているなら、サーヴァントが相手だったとしても臆することはない。

『これより目標が完全沈黙するまで排除行動を続行します』

 クリスが再稼働を始める。
 それを見た冥馬はラインを通じて状況を確認することもなく、ただ大きく魔力を張りつめながら叫んだ。

「来い、キャスター!」

 マスターに与えられた三つの絶対命令権のうち一つが雲散する。莫大な魔力の塊が魔法級の奇跡をここに実現し、

「随分と急な呼び出しだな、マスター」

 遥かな帝都・東京より、ここ冬木・大空洞に魔術師の英霊を呼び出した。



[38533] 第61話  皇帝来援
Name: L◆1de149b1 ID:39471b4b
Date: 2014/06/28 23:04
 いきなり帝都から大空洞に転移させられ、規格外のサイボーグと対峙させられながらも、キャスターには驚きはあれ取り乱した様子はない。落ち着き払って、正体不明の敵兵を見据えている。
 戦場に新たな標的が出現したことで、クリスの動きが一時的に停止し、その目線がキャスターへ向けられた。

『目標、遠坂冥馬を守る新たな敵影を確認。照合………敵の顔と装備がサーヴァント、キャスターのものと完全一致。目標排除のための障害として、新たにキャスターを排除対象と見なします』

「アサシンは兎も角として、聖杯戦争においてサーヴァントはサーヴァントを相手にするのが務めだというのに、またも機械人形の相手をする羽目になるとはな。しかし帝都からアポもなしで呼び出しとは、お前も中々サーヴァント使いが荒い」

「一々確認していたら間に合わなくなったかもしれないんだ。英断と褒めてくれ」

 キャスターは皮肉を言いながら、黄金の選定剣カリバーンと無銘の剣、双つの剣を構えた。
双剣――――二刀流というのは珍しくはあれ、そういう流派が存在しないわけではない。だが二刀流というのは、その殆どの場合において両方、または片方が小太刀などの短刀であることが多い。理由はシンプル。通常のサイズの剣を同時に操るなど、真っ当な人間の腕で出来るはずがないからだ。
持つことはできるだろう。振るうことも出来るだろう。だが十全に使いこなすことは不可能だ。満足に扱えぬ双つの剣を使うよりも、一つの剣を操ることを専念した方が遥かに強い。だがキャスターは円卓の騎士の一人として伝説に名を連ねる英雄。凡百の人間に出来ないことも、英霊の腕力をもってすれば可能だ。
それは科学の生み出した怪物たるサイボーグとて同じ。クリスもまた魔を簒奪する双剣を構える。
 双剣と双剣。現代どころか古の英雄同士が鎬を削った戦場においても、滅多に見ることのできない希少な構図がここに生まれる。

「気を付けろ。あいつはこれまで倒したサイボーグの比じゃない。速さ一つとってもランサー以上、膂力一つとってもバーサーカー以上の化物だ」

「――――!」

 あくまでもクリスを警戒しながらも、冥馬から告げられたクリストファー・フリードリヒの〝性能〟にキャスターは慄く。
 冥馬やキャスターは合わせて二回サイボーグとの戦闘を経験している。一度目は柳洞寺で、二度目はここ大空洞で。
 サイボーグの中には一部の能力が、サーヴァントに比肩しうる者はいた。けれどそれが同時に限界でもあった。パワーだけ、速度だけがサーヴァントに並んだところで、積み重ねてきた技と業をもつサーヴァントにそうそう敵うわけがない。
 だがクリストファー・フリードリヒはそうではないのだ。
 技量に限っていえば幾ら記憶回路に優れた剣技のデータを植え付けようと、生身の剣を操るサーヴァントには劣るだろう。
しかし技量を補って余りあるほどの運動能力があるとすれば。サーヴァントに比肩するスペックではなく、サーヴァントを超えるスペックがあるのだとしたら――――技と業なき機械人形はサーヴァントに匹敵、いや凌駕する正真正銘の怪物へと生まれ変わる。

『排除、続行!』

「っ!」

 クリスはサイボーグ。キャスターの出方を待つなんて悠長なことはしてくれない。どこまでも機械的に遠坂冥馬の殺害、それを邪魔するキャスターの殺害というプログラムを実行に移し始める。
 虚実も裏表もない突進は、赤いマントをひたすらに追う猛牛のようだった。

(……いや、違う!)

 猛牛などでは断じてなかった。
 例え突進することしか考えられなかったとしても、猛牛には血が通っている。生命を宿した骨肉がある。だがクリストファー・フリードリヒという血も涙もないサイボーグにはそれがない。
 自分の強さを誇ることもなければ驕ることもなく、淡々と自分自身の定めをこなす。迷う、逆らうという思考がそもそも存在せず、一度与えられた命令を果たすまで、自身の破損など構わずに動き続ける。改造人間ですらない。クリストファー・フリードリヒは正真正銘の機械人形だ。

「はっ――――!」

 キャスターとて及第点ギリギリとはいえ、剣のサーヴァントの素養をもつ英霊が一人。
 ランサーを超える速度だったとしても、反応できないということはない。それがなんの裏もない突進なら猶更だ。
 突進に対して敢えてキャスターは前へと進み出て、インパクトの寸前に体を逸らし回避する。
 クリスは回避されたことも淡々と受け入れると、人形みたいにその場で回転し、キャスターに双剣という稲妻を落としてきた。

「まるで教本通り。動きが見え見えだ」

 双剣をふわりと躱し、隙だらけの横腹にカリバーンを叩き込む。

『左脇腹に衝撃。損傷…………………………皆無』

「!」

 クリスを中心にその場で突風が起きた。暴力的なパワーで振られた教本通りの斬撃による風圧が、キャスターを弾き飛ばす。

「まさかパワーどころか防御力もオルランド並みとは。心底、驚いたぞ。ナチスとかいう連中の所には性悪モルガンの転生体でもいるのか?」

 鉄をも軽く両断する選定の刃。それを受けながらクリスは全くのノーダメージだった。
 破壊力、防御力、速度。その全てにおいて此度の聖杯戦争に集った英霊たちを凌駕する存在。サーヴァントですらないサイボーグがそこまでの性能をもつと一体誰が予想したことか。

『敵損傷皆無。これより目標が沈黙するまで排除行動を続行します』

 クリスの胸元に緑色の粒子が集まりだす。無数の緑色の球体がクリスの周囲に浮かんだ。

『発射』

クリスが言うと、球体は無数の弾丸となって散弾銃のように襲い掛かってきた。
 冥馬とキャスターが回避したところで、敵が動かなくなるまで殺し続けると決めたクリスは容赦の二文字がなかった。
 散弾銃めいた魔力の雨を降らしながら、緑の両目からは高密度・高エネルギーの光線を放ってくる。
 しかもクリスは固定砲台ではなく移動砲台。サーヴァントに致命傷を与えうる威力の攻撃をばら撒きながら、双剣を持って向かってくるのだ。
 その暴れっぷりは完全にこれまで戦ったサーヴァントたちを凌駕している。

「ちっ。デカブツが!」

 魔術では魔戒双剣に簒奪されてしまい、敵を利するのみ。そうと知ったキャスターは嘗てオルランドと対峙した時と同じように、手から炎を出すという戦法をとった。
 キャスターの両掌から噴出した炎は、意志ある蛇となってクリスに殺到していく。
 宝具による炎といえど魔力によって顕現しているという一点においては、魔術と変わりはない。魔戒双剣は火炎放射の魔力も吸収していくが、炎の蛇は這いまわるように動き双剣を掻い潜るとクリスの全身に纏わりついた。
 最大出力の火炎放射。獄炎がクリスの体を焼いていく。

「少しは堪えたか。屑鉄」

「いやキャスター。俺も目を疑いたくなることだが、あれは全然へっちゃらのようだぞ」

 宝具の炎に包まれながらもクリスは平然としていた。
 クリスの皮膚――――に擬態されたサイボーグの装甲は、キャスターの炎すら完全に防ぎきってしまっている。

『全身に高温の炎。検索……終了、該当魔術なし。炎の正体はキャスターの特異な能力、または宝具によるものだと思われます。被害皆無、戦闘続行問題なし。排除続行します』

 炎を浴びていることなどお構いなしに、クリスがこれまでと同じ攻勢に出ようとした。
 だが、

「炎が駄目なら砲弾はどうだ?」

 轟音を響かせながらクリスに襲い掛かる鋼鉄の十連弾。砲弾の勢いと炸裂による爆風が、クリスのパワーをもってしてもその場に踏みとどまることを許さず、その巨体を弾き飛ばした。
 冥馬は顔を綻ばせる。
この上なく頼もしい援軍だ。此度の戦いに大砲を自由自在に操るサーヴァントなど一人しかいない。

「アーチャー! 来てくれたか!」

「すまなかった。暫し……遅れた」

 ランサーとの戦闘でついた煤の汚れすら、英雄の精悍さを際立たせる装飾にしかならない。キャスターに少し遅れて、間桐狩麻に仕えた騎士。アーチャーが戦線に加わった。
まるで光芒に包まれているような安心感を感じる。絶体絶命の窮地に数万の援軍が駆け付けてきた指揮官は、きっと今の自分と同じ気分を味わったのだろう。

「帝都にいる俺が真っ先に駆けたというのに、一緒に大空洞に来ていたお前は遅刻か。皇帝というのはいいな。遅刻を叱る者がいないのだから」

「今の俺は皇帝じゃない。ただのボナパルト……否、一介のサーヴァントのアーチャーだ。その皮肉、叱責として受け入れよう。手始めにあの機械人形を打ち倒しす功績をもって、遅れた罰の相殺としようか」

 砲弾に弾き飛ばされたクリスがゆっくりと起き上がる。
 信じ難いことにアーチャーの砲弾十連発を喰らいながらも、クリスには一切のダメージが通っていなかった。

(オルランド並みの防御力というのは俺のミスだ)

 冥馬は静かに自分の過ちを認識する。
 クリストファー・フリードリヒはオルランド並みの防御力など持っていない。オルランド以上の防御力を持っているのだ。
 これには険しい顔をせざるを得ない。しかし、

「キャスター、アーチャー。いくぞ」

「オーケイだ、合わせろよ」

「――――任された。今日のボナパルトは本気を超える。ライダーと比べればそうおっかない相手じゃない。嘗て制した相手だ。この勢いにのれば必勝を確約しよう」

 キャスターとアーチャー。この二人のサーヴァントが手を汲めば、如何に相手がサーヴァントを超えるスペックの機械の怪物だったとしても負ける気がしない。
 本来敵同士の二騎は肩を並べて怪物へと立ち向かっていった。




 自動車に揺られながら、木嶋少佐はぼんやりと窓から流れゆく帝都の景色を眺める。
 朝から昼ごろは騒がしい通りも、太陽が完全に地平線に沈み夜の暗闇が支配する現在は完全に無人だ。
 だから陸軍の車両に護衛された自動車の行列が通ろうと、誰もそれを注視する者はいない。仮に見ている人間がいたとしても、その行列から漂う只事ではない雰囲気を察知して見て見ぬふりを決め込むだろう。

(どちらでもいいことか)

 空虚な視線を窓の奥の景色から、隣にある木箱へと移す。
 この木箱の中にあるものこそ小聖杯。リリアリンダ・エーデルフェルト、セイバー、キャスターが三人がかりで冬木から奪還しにきた聖杯戦争の鍵というべきものである。
 木嶋少佐は魔術を含めた裏の世界について知ってはいるが、魔術回路を一本も持っていない普通の人間だ。
 だから木嶋少佐には『小聖杯』もただの美しい杯にしか見えないが、本物の魔術師が目にすれば全く別の感想を――――感動を覚えるのだろうか。
 らしくもなくそんなことを思った自分が滑稽で、木嶋少佐は苦笑する。

「どうかされましたか、少佐?」

 そんな木嶋少佐を不審に思った部下の一人が尋ねてきた。

「なんでもない。それより目的地までは後どれくらいだ。相馬少尉からの最後の報告によれば、既に追っ手はこの帝都まで来ている。それもセイバーとキャスター、サーヴァントが二騎だ。
 急がなければ我々はサーヴァントを相手にすることになるぞ。それは君も嫌だろう」

「……………臆病者と罵られることを覚悟して本心を話すのならば。はい、相馬少尉とライダーを抜きにサーヴァントと戦うのは避けたいところです」

 当初サーヴァントなど所詮は過去の人間の再現、過去の英雄など最新の兵器で装備した軍隊にとって雑魚に過ぎない、とサーヴァントを見くびっていた兵士達もこれまでの戦いを通して考えを改めている。
 例え実体化していようといなかろうと魔力のない物理攻撃は一切効果がなく、毒ガスをばら撒こうと徹甲弾を打ち込もうと無傷で生還するサーヴァントは、兵士達からすれば悪夢そのもの。
 魔術師ではない木嶋少佐にサーヴァントシステムの詳細な仕組みなど欠片も理解できないが、ただ軍事的戦力として見るにサーヴァントは最強最悪の人型兵器だった。

(もっとも私の目的は既に完了しているのだがね)

 他のマスターとサーヴァントを引き付ける為に小聖杯をもって帝都へ行く。
 木嶋少佐がナチスと交わした取引はこれまでだ。皇居に聖杯を移送するなど、相馬戎次や部下達に上層部を納得させるための方便に過ぎない。
 この仕事が終われば木島少佐は、ナチスとダーニックから一戸建ての豪邸と大金を貰える約束となっている。
 付き従う兵士達や相馬戎次は純粋に国の為に戦ってきたのだろうが、木嶋少佐はこの国がどうなろうと知ったことではない。
 滅びるなら滅びれば良いし、どこかしらの属国になるなら属国にでもなればいい。少なくとも一人の軍人として予想するに、これから起こる戦争に勝利して日本が世界に覇をなすということは先ずないだろう。
 脱線事故を起こすと分かっている電車に乗り込む馬鹿がいないように、亡国を迎える可能性がある国は一刻も早く切り捨てるのが賢明な判断というものだ。
 が、賢明な判断をした者が必ず報われるとは限らないのが世界というもの。

「見つけた!」

 皇居へ向かう自動車の行列に、赤いドレスを着た一人の魔女が躍り出る。
 ツーサイドアップの金色の髪をなびかせ、少女は――――リリアリンダ・エーデルフェルトは三つの宝石を投げつけた。

「少佐! 伏せて!」

「必要ない。奴は小聖杯を取り戻しに来たのだ。小聖杯のあるこの車は狙われん」

 ただし狙われないのはこの車だけだ。
 宝石に込められていた魔力が消費され、金色の雷が木嶋少佐の車を護衛していた陸軍の車両を吹き飛ばす。木島少佐は眉をピクリとも動かすことなく命令する。

「車を止めろ」

「し、しかし……」

「命令だ」

「は、はっ!」

 自動車を止めさせると、木嶋少佐は小聖杯の収まっている木箱を小脇に抱え外へ出た。運転していた部下の兵士も躊躇いつつも銃をもって、上官の護衛のために車外へ出る。
 これも国への忠誠心というものだろう。木嶋少佐にとっては忠誠など唾棄するべきものに過ぎないが、忠誠心ある部下というのは実に使える。

「あら。小聖杯まで消し飛ばしちゃ不味いから、貴方の乗っている車は車輪だけ使えなくしようと思ってたんだけど、やけに素直に出てきたじゃない」

 敵兵は二十歳にも満たぬ外国人の少女一人。
 だというのに木嶋少佐を護衛する兵士は少女一人を圧倒するどころか、逆に圧されていた。
 単なる少女と侮るなかれ。リリアリンダ・エーデルフェルト、彼女は魔術師としての出力なら遠坂冥馬をも超える化物。サーヴァント程ではないにしても、その戦闘力は兵士一人とは比べ物にならない。

「少佐。こうなれば逃げられません。魔術師とはいえ人間です。捨て身の覚悟で挑めば、腕の一本くらいは奪えます。どうか命令を」

 部下の言葉など木島少佐は聞いていなかった。

「ここらあたりが頃合いだな」

「は? 今なんと?」

 護衛の兵士はここで特攻でもして名誉の戦死を遂げる覚悟なのかもしれないが、木嶋少佐はそれに付き従う気は毛頭ない。
 戦って確実に負けるとまでは言わないが、わざわざ魔術師という条理の外にある魔人に挑んだところで百害あって一利なしだ。
 木嶋少佐は懐から銃を抜くとリリア――――ではなく、自分を守る護衛の兵士の頭を背後から撃ち抜いた。上官に撃たれるなど想像すらしていなかった兵士は、頭を破裂させ地面に倒れる。

「っ! なんで味方の兵士を!?」

「余所見していていいのか。君はコレを取り返しに来たのだろう」

 木嶋少佐はニヤリと口端を釣り上げ、脇に抱えていた木箱を空中へ放り投げた。

「まさか小聖杯! まずっ!」

 アインツベルンが作った『聖杯の器』なのだから落下くらいの衝撃で壊れるほど脆くもないだろう。しかし万が一落下の衝撃で『聖杯の器』が壊れてしまえば、第三次聖杯戦争は終わりだ。
 リリアリンダ・エーデルフェルトは木嶋少佐から視線を逸らし、小聖杯の落下していく場所に走っていった。

「では、さようなら。フィンランドのお嬢様」

 その隙に木嶋少佐は止めていた自動車の運転席に乗り込むと、窓から目晦ましの煙幕弾を放り投げ車を発進させる。
 リリアリンダが『聖杯の器』を受け止めた時、そこにはもう木嶋少佐と車の影はなかった。



[38533] 第62話  革命
Name: L◆1de149b1 ID:39471b4b
Date: 2014/06/28 23:05
 アーチャーの大砲が火を噴き、キャスターの掌から火が噴出する。
 砲火と火炎による同時攻撃はしかしクリストファー・フリードリヒという規格外のサイボーグに傷一つ与えることができないでいた。

『キャスターに続き、こちらに敵対行動をとる敵兵を確認。照合………敵兵の顔と装備がサーヴァント・アーチャーと完全一致。目標排除のための障害として、新たにアーチャーをキャスターと同等レベルの排除対象と見なします』

 サイボーグであるクリスに動揺はなく、どちらも大の男が一人で扱うのがやっとという大剣二振りを風車の如く振り回しながら斬りかかってくる。
 アーチャーが加わったとはいえ、アーチャーにもこの埒外の化物と互角にやりあう力はない。大砲で弾幕を張りながら後退する。
 だが残念ながら弾幕は弾を浴びてダメージを負う者だけに通用する壁。砲火など物ともしない化物に弾幕など目晦ましにしかならない。
 弾幕をその装甲で完全に弾き、鋼鉄の怪物は瞳から緑色の光線を放ってきた。

「躱せ!」

「言われずとも――――」

 キャスターの言葉よりも早く、アーチャーは身を翻して光線を回避する。
 第一射は避けたが、拳銃と違い光線はエネルギーが尽きるまで弾切れというものがない。第二射、第三射、第四射、第五射。破壊光線の連射がアーチャーを、キャスターを、そして冥馬を襲う。

「くそっ。あいつのエネルギーは無限か?」

 キャスターが毒づく。
 クリスが放ってくるのは光線だけではない。全身からは紫電を放ち、肩部からはマシンガンのような魔力の塊をばら撒き、割れた腕の皮膚からは高圧のカッターが飛ぶ。
 世界で一番頭のおかしいトリガーハッピーでも、ここまでド派手なことはやらかさないだろう。サイボーグ一人というより、一個大隊の火力に晒されている気分を三人全員が共有した。

「……いや無限なんていうのは有り得ない」

「冥馬?」

 キャスターの言葉を、冥馬は猛攻撃を避けながら否定する。

「無限。言うのは簡単だが本当に無限のエネルギーなんてない。無限なんていうのは大抵、数を数えきれないほどの数に、数えるのを諦めた人間が生み出した幻想。この世にある大凡の無限はどこかに限界のある有限の中の無限ばかりだ。
 大体、擬似的なパチモノなら兎も角。正真正銘の永久機関なんていうのは魔法の領分。どれだけナチスの科学力が凄かろうと、そう簡単に魔法を魔術へ堕とせるほど、残りの五つは甘くない」

「…………そうだな」

 自身も魔術師であるキャスターだからだろう。冥馬の反論に更なる反論を重ねることもなく、自分の間違いを受け入れた。
 そう――――無限などはない。しかし無限はなくても無尽蔵ならどうか。尽きること無き莫大なエネルギー、有り過ぎて使いきれない程の力。それならば可能かもしれない。

「と、無限だろうと無尽蔵だろうと大して変わらないか」

 クリスの魔力が無限だろうと無尽蔵だろうと、この戦いの中でエネルギー切れを起こさないなら同じことだ。

「そうかな」

 だがアーチャーはそんな冥馬の言葉を否定する。

「俺は魔術師ではない。だが魔術師の事は知っている。魔術の原則は等価交換なのだろう。サーヴァントを死に至らしめるほどの魔力がある光線。それにどれほどの魔力が要るか、魔術師ならば俺以上に分かるだろう?」

「…………」

 アーチャーの言う通りだ。サーヴァントを殺すほどの光線など、そう易々と放てるようなものではない。冥馬の切り札である宝石を一つ使い潰して、果たしてサーヴァントを殺しうるだけの火力を生み出せるかどうか。そんなところだろう。
 仮に生めたとしても宝石一つにつき一発では、十数発も撃てばもう弾切れだ。だがこれまでの戦いでクリスは十数発どころか、五十連発以上の光線を放っている。宝石でいえば五十数個分の魔力を消費している計算だ。

「私見を述べさせて貰えば。ナチスとやらの技術はこれまでも見てきたが、これほどの魔力を生み出すほどの魔力炉を生み出す技術は連中にもないだろう。俺の知る最も優れた魔術師でも、これほどの魔力炉を造るなど不可能だ」

 世界で最も有名な魔術師を知るキャスターが言うと非常に説得力がある。
 最大の知名度を誇る騎士道物語における、最大の魔術師ですら不可能だという無尽蔵の魔力を生む魔力炉。それがクリストファー・フリードリヒの体内にあるのだとして、一体どこの誰がそんなものを作り上げたというのか。
 サイボーグなんてものを生み出したナチスでも不可能だ。ロディウスやダーニックという魔術師も有り得ないだろう。魔法使いならば例外が適用されるかもしれないが、現代の魔術師に彼の大魔術師に出来ないことが出来るはずがない。
 だとすれば、残る名前は一つしかなかった。

「ランサーだ」

 アーチャーがきっぱりと断言する。真実を確信している迷いない瞳で。

「ランサーだって? 神話の時代の英霊なら、こんな魔力炉を生み出せる奴がいても不思議じゃないが、ランサーは槍兵……。キャスターじゃないんだぞ」

「冥馬。俺はこの空洞の入り口でランサーと戦い、この目でしかと見た。宝具は一人につき一つという原則を真っ向から無視する、多種多様な宝具を次々に取り出しては操るランサーを」

「――――!」

 冥馬は柳洞寺の戦いを思い出す。生ある者にしか触れられない槍、九つの月牙をもつ戟。どちらも相当な神秘をもつ紛れもない宝具だった。

「それにあのサイボーグに、ここに来るまでに倒されていたサイボーグもそう。明らかに宝具と思わしき大剣を装備していた。サイボーグの宝具も合わせれば、ランサーはどれほどの宝具を持っているというのだ?」

「それは――――」

 数えきれない。例え倒したサイボーグを並べ、アーチャーが見たという宝具を一つ一つ足していっても、他にまだないとも限らないのだ。
 無限、ついさっき自分で否定したばかりの二文字が冥馬の脳裏に浮かび上がる。

「だがなにもおかしいことはない。ランサーの宝具は槍でもなければ、そもそも形あるものでもなかった。
 奴の宝具、それは宝具を生み出す能力そのもの。奴は宝具を生み出す宝具をもつサーヴァントだったのだ」

「っ!」

 宝具を生み出す宝具をもつサーヴァント。そんな宝具をもつサーヴァントが召喚されることなど前代未聞だ。だがしかし切って捨てることもできない。
 サイボーグが宝具を持っていたこと、ランサーが複数の宝具を使い分けたこと、クリストファー・フリードリヒの無尽蔵の魔力を生む魔力炉。
 ランサーの宝具が『宝具を生み出す能力』ならば、これらの疑問全てに説明がついてしまうのだから。

「道理で強いわけだ」

 キャスターが冷や汗を流しながら呟いた。

「俺達サーヴァントは過去の英雄。過去に猛威を振るった力の再現。だがあのサイボーグは英雄が跋扈した神話の力と、現代の最先端を更に先を行く科学。その二つの力が融合している」

 過去の力であるサーヴァントと、現代の力である戦闘機や戦車という近代兵器。
 その両方の性能を継承し過去と現在、双方において猛威を振るうことを許された究極の兵器。それこそナチスがこれまで投入してきたサイボーグたちであり、その一つの究極系がクリストファー・フリードリヒだったのだ。
 過去と現在の強さを併せ持つのは誇張でもなんでもないことは、単騎にてサーヴァント二騎士が圧倒されている現状がなによりもの証明だ。

『――――停止』

 ふとこれまで一個大隊の一斉砲火染みた火力を放出していたクリスが、全ての砲門を閉じて攻撃を止める。

『敵兵。射撃武器に対して高度な回避スキルを持っていると思われます。またこれ以上の中~遠距離武装での戦闘は、大佐の計画に支障をきたすおそれがあります。
 よってこれより白兵戦を主体とした近~中距離戦闘で敵兵の殲滅を開始します。殲滅開始』

 一瞬だけ故障と期待した冥馬は舌打ちする。
 なんのことはない。遠くからバカスカ撃ちまくる戦法から、近付いて切り殺すという、アーチャーが駆け付けるまでの戦法に戻したまでのこと。
 クリスの戦法が変わったところで、こちら側の不利は一切変わっていない。

「どうする? 相手の動力炉を生み出した奴が分かったところで、打開策なんてあるのか? ちなみに俺は必死に考えても全然思いつかないぞ」

「…………」

 沈黙。口達者のキャスターすら声を発することのできぬ戦力差。
 やはり最古と最新、二つの力を兼ね備えた怪物には、魔術師も英霊も敵いはしないのか。

「いや――――魔力炉がランサーの手によるものならば、余があれを止めよう」

「!」

 アーチャーが前ではなく後ろへ、これから自分のすることが決して妨害されないよう下がった。
 契約を通して冥馬に伝わってくるアーチャーの気配の変化。

(これは)

 垣間見たアーチャーの横顔はまたも一変していた。
 陽気で華麗なナイトでもなければ、威風堂々たる姿で幾多の戦勝を掴み取った英雄でもない。国を治め、万民を統率し、秩序を齎した帝王の気配。アーチャーが纏っているのはそれだ。

「キャスター! 一秒でも五秒でもいい! クリスの足を止めろ! 俺も援護する!」

 本能的に冥馬は叫んだ。

「チッ。アーチャーめ。俺達に奥の手を隠しておいたな」

 冥馬の切り札である宝石三つとキャスターの魔力も合わせての防御結界。濁流すら防ぐ防波堤だったが、クリスという雪崩を堰き止めることは叶わなかった。
 たった数秒で防壁が突破される。しかしその数秒でアーチャーの――――否、皇帝ボナパルトの準備は完了していた。

「余は回顧する。余の偉業は幾多の戦勝に非ず―――――我が法典こそ我が功績なり」

 アーチャーの掌から出現したのは辞書ほどの分厚さのある本だった。
 英霊にとっての宝具が己の誇りの象徴だというのならば、その本こそがナポレオン・ボナパルトが誇る真の切り札にして宝具。

「尊き革命の法典(コード・ナポレオン)」

 英雄ボナパルトの最大の功績。それは断じて幾多もの戦いに勝利し、ヨーロッパを圧巻したことなどではない。
 ナポレオン法典。またの名をフランス民法典。人類史上初の近代的法典の制定だ。
 彼の征服戦争が世界地図の勢力図を塗り替えたのであれば、彼が制定したこの法典はあらゆる国々に伝わり、人々の意識そのものを変革した。人類の歴史を次のステップへと進めたのだ。
 この偉大なる功績の前では、幾多の戦勝も征服の軌跡すらもちっぽけで取るに足らないものに過ぎない。

『動力炉に致命……的な……エラー……エ……ラー……ハッセ……』

 あれだけ縦横無尽に暴れまわっていたクリスの動きが停止する。
 尊き革命の法典――――ナポレオン・ボナパルトの真の切り札は真名解放により五つの奇跡を実現する力をもつ。
 その奇跡の一つ。人類の意識そのものを変革し、人類史を次の段階へとシフトさせた革新者としての力。

〝自身より過去の奇跡、即ち宝具の効果の瞬間解除〟

 ランサーからクリストファー・フリードリヒというサイボーグに与えられたとはいえ、これはランサーが生み出したランサーの宝具でもある。クリストファー・フリードリヒが魂をもつ人間であれば、その魔力炉はクリストファー・フリードリヒの宝具として扱われただろう。だが魂をもたぬ無機物が、宝具の担い手となることは有り得ない。
 そしてランサーはナポレオン・ボナパルトよりも過去の英霊であり、過去の伝説だ。
 宝具の効果は正しく発揮され、クリストファー・フリードリヒの魔力炉は完全に停止する。

「今だ、キャスター」

「言われずとも」

 完全に動作を停止したクリスにキャスターが斬りかかる。
 クリスの装甲は単純に硬いわけではない。クリスの内部にある魔力炉が生み出す膨大な魔力で、その防御力を格段に底上げしていたからこそ、砲撃すらものともしない鉄壁の耐久力を得ていたのだ。
 ならば莫大な魔力を生んでいた魔力炉が停止してしまえば、もはやその鉄壁はないも同然。
 黄金の選定剣は容赦なく最新科学と古の伝説の合成した兵器を両断した。






【元ネタ】史実
【CLASS】アーチャー
【マスター】遠坂冥馬
【真名】ナポレオン・ボナパルト
【性別】男
【身長・体重】172cm・60㎏
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具A++

【クラス別スキル】

対魔力:D
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。

【固有スキル】

皇帝特権:B+
 本来もち得ないスキルも素養が高いものであれば、本人が主張することで短期間だけ高いレベルで獲得できる。
 該当するスキルは騎乗、剣術、気配感知、陣地作成、算術、占術など。

カリスマ:B
 軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において自軍の能力を向上させる。
 カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。

軍略:A+
 一対一の戦闘ではなく、戦争における戦術的・戦略的直感力。
 自らの宝具の行使や、逆に相手の宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。

星の開拓者:EX
 人類史においてターニングポイントになった英雄に与えられる特殊スキル。
 あらゆる難航、難行が“不可能なまま”“実現可能な出来事”になる。

【宝具】

轟き咲く覇砲の大輪ソレイユ・ド・アウステルリッツ
ランク:A+
種別:対軍宝具
レンジ:1~100
最大捕捉:200
 類稀な才気によりヨーロッパを圧巻したアーチャーの英雄性の具現としての宝具。
 召喚・展開したグリボーバル砲による正確無比な集中砲火は、古今無双の精鋭ですら消し飛ばす。
 敵の戦力に自身の戦力を引いた分だけ破壊力を増す特性をもっており、その性質上、追い詰められれば追い詰められるほどの破壊力を増大していく。正に〝逆転の一撃〟である。

尊き革命の法典コード・ナポレオン
ランク:A++
種別:対衆宝具
 ナポレオンが「後世私が評価されるとしたら多くの戦勝でなくこの法典によるのだろう」とまで言った史上初の近代的法典。英霊ボナパルトの真の象徴にして切り札。
 彼が〝星の開拓者〟のスキルをもつ所以でもある。
 真名解放と共に五つのうち一つの効果を選択して発動する。
 一つ、宝具を除いた相手より下のパラメーターを対象となった相手と同一にする。
 二つ、神性などといった神々からの恩恵・祝福・呪いを全て無効化する。
 三つ、特定の宗教を弾圧した逸話のある相手のステータスと宝具のランクを最大4ランク下げる。
 四つ、対象または自身にかかった制約・呪縛・契約を解除する。発動には対象の同意が必要。
 五つ、宝具の効果を瞬間的に解除する。ただし自身より過去の時代の英雄にしか効果はなく、また神造兵器は該当しない。

【Weapon】

『シークレットシューズ』
 自分の身長が低いことを気にするアーチャーが履いている靴。
 靴底の踵部分が厚くなっているので、自分の身長を大きく見せることができる。



[38533] 第63話  皇帝退陣
Name: L◆1de149b1 ID:39471b4b
Date: 2014/06/28 23:06
 真っ二つに両断され、崩れ落ちた脅威のサイボーグ、クリストファー・フリードリヒ。
 あれだけ縦横無尽に暴れまわった狂気の怪物も、動力炉を破壊されてしまえば単なる鉄の塊だ。

「これが魔力炉か。こんなものが無尽蔵のエネルギーを生み出していたなんてな。実物を見ても信じ難い……」

 冥馬はクリスだった鉄屑の傍にしゃがみ込むと、完全に機能を停止した魔力炉を拾い上げる。
 壊れたとはいえサーヴァントの宝具によって生み出された正真正銘の宝具。魔力炉にはかなりの神秘の残滓が残っていた。
 とはいえこうなってしまえば完全にただのガラクタだ。核というものが破壊されていては、修復も不可能だろう。赤水晶のように美しい魔力炉を、冥馬はそっとその場に戻した。

「キャスター。大聖杯に仕掛けられていたっていう大規模転移術式の解除は終わったか?」

「九割といったところだな。こんなデカい魔法陣を土地ごと転移させるなんて発想は大胆不敵というか滅茶苦茶としか言いようがないが、術式そのものは緻密かつ繊細ときている……。
 大聖杯の冬木市に張り巡らせた地脈から魔力を吸い上げる機能を利用して、マスターの令呪の効果を大幅に増幅。サーヴァントとの回路を大聖杯の魔法陣に繋げることで、大魔法陣を自身のサーヴァントと誤認させ、令呪による空間転移を行う。
 この魔術式を構築した奴はかなりの腕前だな。術式に二人分の魔術式の痕跡が残っているから、恐らくはダーニックとロディウスだとかの共同制作だろう」

「ダーニックとロディウスねぇ」

 クリスを倒しナチスとの戦いに制した冥馬たちだったが、ダーニックとロディウスを捕えるないし殺すことまでは叶わなかった。

「ダーニックは戦闘中のドサクサで逸早く逃げ出したのだとしても、一体全体これはなんなんだろうな」

「…………」

 ロディウスの影が映っていたすりガラスの向こう側にあったもの。
 それは椅子に座ったロディウス・ファーレンブルク本人ではなく、ロディウス・ファーレンブルクの写真を頭部に張り付けただけのマネキンだった。マネキンにはマイクがついており、ロディウスはそのマイクで遠くから冥馬やダーニックと会話していたのだろう。
 ロディウス・ファーレンブルクは戦場にはいなかった。替え玉をたてて、遠い安全な所から戦場を見下ろしていた。これはそれだけの事のはずだ。しかし何故だろうか。死神に背後に立たれたような悪寒が消えてくれない。
 もしかしたら自分はなにか致命的なことを見落としているのではないだろうか。

(馬鹿馬鹿しい。大聖杯を奪う計画に完全失敗して、サーヴァントとサイボーグさえいなくなったマスターに何が出来る)

 サイボーグだけではない。ナチスはこの戦いでかなりの数の兵士も失った。
 ナチスがどれほどイカれた連中の集まりだったとしても、同盟国とはいえ他国の日本にばかすか兵力を送り込めるはずがない。外交上の問題もある。
 ナチスの兵力は今や物量のみでいっても当初の半分にも満たないはずだ。質でいえば五分の一か十分の一程度かもしれない。
 聖杯戦争において、ナチスはこれ以上ないほどの敗北をしたのだ。これは疑う余地のないことだろう。

「後はリリアが上手くやって小聖杯を取り返してくれれば、聖杯戦争は晴れて元通り。
 色々とおかしい相馬戎次にしてもライダーは倒したんだし、これからは軍隊の介入なんてない清く正しい聖杯戦争ができる。璃正も喜ぶだろうな、事後処理が楽になって」

「魔術師が清く正しく? 醜く汚くの間違いじゃないのか?」

「それは――――」

「中身が醜く汚いものほど、必死になって外面を美しく着飾るものだよ。戦争も女性もね」

 冥馬の言おうとしたことをアーチャーが先に言う。

「だろう? ムッシュ・トオサカ」

「仰る通りで、皇帝陛下」

「ノンノンノン。僕は皇帝じゃなくてプリンス。美しき青薔薇を守護するため遣わされた薔薇の貴公子さ!」

 悪戯っぽく笑うその横顔は、紛れもなく初めて見たアーチャーそのものだった。
 その横顔を見て、なんとなく冥馬はアーチャーとの別離を悟る。
 アーチャーは、ナポレオン・ボナパルトは偉大な英雄でありながら、あくまでも聖杯戦争において一介のサーヴァントとして振る舞っていた。だがそれは間桐狩麻に対してだけのこと。冥馬のサーヴァントとなってからは、一介のサーヴァントではなく、英雄・皇帝として振る舞っていた。
 きっとそれはサーヴァントとしてのマスターは唯一、間桐狩麻のみというアーチャーなりの不器用な意思表示だったのだろう。
 そのアーチャーが再びサーヴァントとしての顔を除かせたということは、間桐狩麻のサーヴァントに戻るという意志の発露に他ならない。

「ここでお別れだね。ムッシュ」

「……考えを変える気はないのか?」

「ムッシュ・ダーニックの願いを打ち砕くまでの契約、最初にそう言っただろう? 正者の従者は熾天の玉座を目指し、死者の従者は黄泉路へ還る。同盟期間が終わったのなら、速やかに元の形に戻らねば」

 生きる遠坂冥馬はサーヴァントと共に聖杯戦争の終幕へと。
 死した間桐狩麻のサーヴァントは、その人生の終幕に同伴する。
 それが正しい形であるとアーチャーは語った。

「ダーニックは生きているし、狩麻を殺したアサシンも生きているぞ」

「ふふふっ。復讐っていうのは危険だけど、甘美で甘く切ないもの。それ故に人を惹き付けてやまぬ黒き華。とはいえ行き過ぎた復讐は悲劇しか生まない。
 我がマスターの希望を摘み取ったダーニックはその野心(希望)を打ち砕き、マスターの命を摘み取ったアサシンにはその矜持(魂)に泥を塗った。
 僕の復讐はこれまでだ。これ以上やるのは悲惨な末路を招くだけだよ」

「……ほどほど、か。そうだな。確かに……その通りかもしれないな。教訓として覚えておこう」

 最初は逃げたダーニックに追撃をかけようとしていた冥馬だったが、アーチャーの心の言葉を受けて復讐という刃を収める。
 殺した敵兵は両手両足の指を合計した数を倍にしても足りない。これだけ殺せば十分すぎるほどだ。アーチャーの言う通り、父の報復にこれ以上固執しても悲劇しか生みはしないだろう。

「俺は君が味方でいてくれた方が心強いんだがな」

 本心からの言葉だった。
 ライダーが消え、ランサーが消え、帝国陸軍とナチスというイレギュラーが排除された今、聖杯戦争はあるべき元の形へと戻る。
 そしてアーチャーとキャスター以外に残っているのが、セイバーとアサシンの二騎だ。
 アサシンを相手するにしてもセイバーの打倒を目指すにしても、サーヴァント二騎が味方にいれば非常に心強い。

「聖杯で願いを叶えられるのは、勝ち残ったマスターとサーヴァントの一人ずつだろう。僕と契約を維持し続けたら、誰か一人が無駄働きをすることになるね」

「俺は聖杯戦争を遠坂が制したという事実さえあれば満足だ。願いはキャスターとお前とで分ければいい」

「魅力的な提案だね。でもやはり辞退するよ。僕も君と同じでね。叶えたい願いなんてものは特にないんだ」

「……なんでも良いんだぞ? 第二の生とか、復活してフランスに舞い戻るとか」

 冥馬の悪い癖だ。アーチャーという破格の英雄が惜しくて、ついつい無駄と知りつつも引き留めてしまう。しかも自分で分かるほどチープな提案で。
 アーチャーもそれに気付いてか、教え子のジョークを聞いた教師のように笑った。

「ははははははははははっ! 君ほどの魔術師が随分と貧困な発想をするんだね。そこまで僕のことを惜しんでくれるのは光栄だけど、ごめんねぇ~。やっぱりその期待に応えられはしないな~。僕は第二の生なんて興味はないし、それに――――」

「それに?」

「一人の英雄が世界を牽引する時代はもう終わった。これからは民衆の中から選ばれたリーダーが民衆と共に世を牽引する時代さ。僕のような英雄はもはやこの時代に必要ない」

「アーチャー……」

「英雄のいない世が、英雄の牽引していた時代より良くなるかは分からない。もしかしたら英雄の時代より悪くなったり、英雄の時代にはなかった地獄が生まれるかもしれない。
 だがそれは今を生きる君達の決めることだ。この時代はこの時代を生きる者達のもの。僕は次の時代にバトンを渡した過去の英雄の再生。君達の未来に手を出すなんて野暮な真似はしないよ」

 人類史において偉大なる功績を残した稀代の英傑は、そう言って朗らかに笑う。
 時代とは過去の人間達の積み重ねによるもの。今の時代に過去の時代の人間が関わってはならない、と。

「なら……仕方ないな」

 冥馬はアーチャーをサーヴァントとして引き留めることを諦めた。
 アーチャーほどのサーヴァントを、みすみす手放すことが惜しくないといえば嘘になる。だがそれ以上に、冥馬はこの稀代の英雄に対して敬意を示したくなったのだ。
 契約完了の同意を得たアーチャーは、自身の象徴たる法典を開く。

「我が永遠の偉業たる法典よ、第四の奇跡をここに示せ。尊き革命の法典」

 尊き革命の法典のもつ五つの奇跡の四番目。それは束縛からの解放。あらゆる制約・呪縛・契約を初期化し自由を得る理念の具現。
 それはサーヴァントの契約とて例外ではない。
 冥馬とアーチャーの間にあった契約のラインが消失する。アーチャーはマスターという鎖と楔を同時に失い自由の身となった。

「これで僕は君のサーヴァントじゃなくなった。どうする? 僕を殺すかい?」

「必要ない。その体ではもう保たないだろうし、再契約する気もないんだろう」

 アーチャーは最後の宝具使用で自分自身の貯蔵魔力をごっそりと使ってしまった。
 単独行動スキルを有し、マスターなしでも活動できる力をもつアーチャーといえど、貯蔵魔力がほぼ空っぽでは、保ってあと一時間が精々だ。

「感謝する。……ああ、最後に君に伝えるべきことがあった。どうか聞き流さないでいて欲しい」

「なんだ?」

 アーチャーは振り返り、

「我がマスター、間桐狩麻は君のことを異性として好いていた」

「……なに?」

 予期せぬ告白に冥馬は言葉を失う。しかしアーチャーの眼差しは真剣そのものだった。

「狩麻。消え果た君の想い、確かに届けたよ。……僕の役目はこれで本当に終わりだ。さようなら、遠坂冥馬。短い間だったけど君は中々良いマスターだった。間桐狩麻のサーヴァントとして、彼女の想い人である君の勝利を祈っている」

 アーチャーが霊体化してその姿を消す。だがアーチャーが立ち去った後も、冥馬は暫くその場に棒立ちして動けないでいた。



[38533] 第64話  安いチップ
Name: L◆1de149b1 ID:39471b4b
Date: 2014/06/28 23:06
 リリアと遭遇するや否やあっさりと『聖杯の器』を放り捨てて、逃げ出した木嶋少佐は揚々とした、だがどことなく影のある表情で自動車を走らせていた。
 敵前逃亡は軍人にとって最大の恥であり、死に値する重罪だ。
 それは聖杯戦争という、条理の枠から外れた軍務にあっても例外ではない。仮にこのことが上層部に知られれば、木嶋少佐は処分を免れないだろう。良くて左遷、悪ければ首を吊ることになる。
 だがもはや敵前逃亡なんて、木嶋少佐にとってはどうでもいいことだ。何故なら木島少佐は、この国とも軍人という立場とも今夜限りでお別れするのだから。

「ダーニックとの誘いで、こんな珍妙な戦いに参加し一時はどうなるかと思ったが、終わりは呆気ないものだったな。
 小聖杯の帝都への移送作戦は失敗したが、十分に帝都へ敵マスターとサーヴァントを引き付ける囮にはなった。後はダーニックが冬木で上手くやるのを祈るばかり……いや、もはや彼等がどうなろうと私には関係ないか」

 要求した財産・屋敷・土地。ダーニックがその全てを希望通りに叶えたことは、既に確認済みだ。
 後は港へ行き、事前に用意してあるチケットで船に乗り込めば、恐らく十年以内には敗戦国になっている日本からも、永遠におさらばできる。
 人生最後となる帝都の景色を、惜しむことなく車を走らせる横顔には、自分の私利私欲の欲望を果たすために、大勢の部下を死なせたことの罪悪感は欠片もありはしなかった。かといって実は罪悪感を乗り越えるほどの大義を抱いて行動している、なんていうオチはない。木島少佐の行動は100%完全に自分の我欲のためだ。

『金が欲しい』『贅沢がしたい』『長生きしたい』

 木嶋少佐にある欲望は大きく分ければその三つ。極めて俗物的で、それ故に万人が嫌悪しつつも理解できる欲の形。
 うち二つはダーニックとの取引で手に入れた。残り一つ〝長生きしたい〟という欲望は健康的な生活を心がけて生きていけばいい。それでも死に追いつかれたらその時はその時。寿命として受け入れればいい。

「……ん?」

 もう少しで帝都から出るという所で、木嶋少佐の懐が熱くなる。
 比喩的表現などではない。胸ポケットのあたりから紫色の光が漏れ、その部分が熱くなっているのだ。

「まさか――――もう来たのか」

 木嶋少佐は苦笑しながら胸ポケットにあるそれを取り出した。
 紫色の紙に何処の国の言語とも一致しない文字が描かれたお札。無論ただのお札ではない。帝国陸軍のマスターであり、帝国陸軍の最大戦力であり、木嶋少佐の部下だった相馬戎次。彼が魔術の使えない木嶋少佐に、と渡したお札の一枚だ。
 その用途は自分の記憶が間違いでなければ連絡・通話。一度限りの使い捨て小型無線機のようなものだ。それが輝いたということは即ち、

『逃がさねぇよ……』

 遣る瀬無い怒りと悲しみの滲んだ声がお札から発せられる。
 木嶋少佐は部下の――――否、元部下の声を聞いても驚くことも慄くこともなく、寧ろ最初から分かっていたように目を細めた。
 鳴り響く銃声。二発の弾丸が木嶋少佐の運転していた自動車のタイヤを正確に撃ち抜く。
 タイヤをやられた自動車は直ぐに操縦不能になり、木嶋少佐のハンドル制御もむなしく壁に衝突した。

「つくづく優秀な兵士だよ、君は。え? 相馬少尉」

 木嶋少佐は銃と自身の愛刀を握ると、自動車の扉を開けて車外へ出る。
 冷たい風が木嶋少佐を叩く。まるで木島少佐を責めているような風だった。
 風の向こう側には、黒衣に身を包んだ現代のサムライが木嶋少佐の行く手を遮っている。だが彼の愛刀である妖刀はどうしたことか鞘に納刀されており、代わりに手には兵士が標準装備している拳銃が握られていた。

「剣の達人、魔術使いとしての側面ばかりで君を評価していたがね。走行する自動車のタイヤを二発で左右二輪ずつ正確に命中させるとは、君はガンマンとしても優秀だな。
 江戸時代であれば剣客に、戦国の世であれば猛将に、西部劇なら良い保安官になっただろう」

 自分の自動車のタイヤを撃ち抜き、最悪の死の化身として立ち塞がる相手に、木嶋少佐は惜しみない賞賛を送る。
 つい少し前ならそれを畏まって受けただろう戎次は、今はただ不安定な感情を瞳の中で揺らすだけだ。

「だが上官の乗る自動車を銃で狙うとはどういう了見だね。上官反逆罪は重罪だぞ」

「しらばっくれんな。ネタはあがってるんだよ。お前ぇが部下を背後から撃つのを見てた奴がいた。そいつに聞いた。少佐が……お前ぇが小聖杯をほっぽりだして逃げたことをな」

「あれはほら。相手がいきなり私の護衛の車を電撃で吹っ飛ばすもので気が動転してね」

「まだ白ァきンのか」

「…………」

「ネタはあがってるって言ったろうが。お前ぇが金目当てにナチスと内通してたのも知ってんだよ。お前ぇ自身が車ン中でペラペラと喋ってくれたお蔭でなぁ」

「人の独り言を盗み聞きとは品がない」

「裏切り者よりはマシだ」

「それもそうか」

 盗み聞きをする者が品がないというのであれば、裏切り者の己はこの国にとって唾棄すべき売国奴。畜生にも劣る下衆だろう。
 上層部の信用も厚い帝国陸軍少佐が今では国を裏切った売国奴。木嶋少佐は落ちる所まで落ちた我が身を自嘲する。

「アンタのことは知ってる。俺の仲間でアンタの部下だった奴等に聞いたかんな。面白味はねぇが軍務に人一倍熱心な御方だって言ってたぜ。なのに何で裏切った? 金の為か?」

「そうだ。金の為だ」

「ッ!」

「他に理由が要るかね。それとも私が誰かを人質にとられているだとか、真意は別にあってナチスドイツに組したフリをしているだとかいう実に都合の良い『同情できる理由』があると期待していたかね?
 愚かなことだ。どんな理由があろうと己の為したことが変わる訳ではあるまい。例え愛情による殺人(復讐)であれ、正義による殺人(戦争)であれ、金のための殺人(略奪)であれ、殺しが殺し、裏切りは裏切り。そこに違いはない。
君の誤解を解くために断言しよう。私が祖国と国と上官と部下を裏切り、ナチスドイツと内通していたのは徹頭徹尾この私の金欲を満たす為であると」

「………………」

 木嶋少佐の指摘は戎次にとって図星そのものだった。
 如何に英雄に比肩しうる強さをもとうと、相馬戎次は偉業を為して死んだ英霊たちと比べ若い。人生を完遂した英霊だからこそもつ、ある種の達観と諦観。それを戎次は得てはいない。
 だからこそ自分の仲間だった木嶋少佐に、自分の納得できる裏切りの理由を知らずのうちに欲していた。しかしその期待は木嶋少佐の告白によりあっさりと打ち砕かれる。

「…………そうかい。そうかい、そうかよ木島少佐」

「そうだよ、相馬戎次」

 自分の上官が裏切り者だという事実を、相馬戎次は静かに受け入れた。
 もはやその目に迷いはなく相馬戎次は嘗ての上官を正眼で捉える。裏切り者に死の鉄槌を与えるために。

「理由はどうあれ、やることが同じなら違いはねぇって言ったな」

「言ったとも。それがなにかね?」

「関係ねぇ。アンタがどう思おうとアンタの勝手だ。だが俺はやることが同じでも、理由が違えば違うと思う」

「結果が同じでもかね。非合理的な考え……お得意の根性論かい。馬鹿らしい」

「ぐだぐだ五月蠅ぇんだよ。さっきから聞いてりゃ御託並べやがって。自分の中の良し悪しを計算で決めてんじゃねぇ! 己の善悪を決めンのは計算じゃねえ……自分の心だろうが!」

「心……?」

「お前ぇは己の欲望のために56人の部下を利用し死なせた。俺がアンタを殺す理由なんざそれだけで十分すぎる。その命、頂戴はしねえ。貴様のその命、奪わせて貰う」

「フフフ。やはり戦うしかないか。結局のところ最後に頼りになるのは己自身、か」

 木嶋少佐は使い慣れた愛銃をしっかりと相馬戎次に照準する。
 対して相馬戎次はサーヴァントを呼ぶでも、魔術を使うでも、妖刀を抜くでもなく無手。

「……ライダーはどうした?」

「セイバーとキャスターの戦いで――――死んだ」

「おや。私の勝率が少し上がったな。では妖刀をどうして抜かない? 魔術は使わないのか?」

「あれはセイバーの奴に真っ二つに折られた。魔術も使わん。お前ぇを仕留めんのは俺の拳だ」

「ははははははは! それはいい。勝率がぐぐんと上がった!」

 武士にしろ騎士にしろ、己の武器が手にない時のために徒手格闘戦技術の一つや二つ体得しているものだ。相馬戎次も例外ではない。
 無手であっても戎次はかなりの難敵。魔術を封じ、妖刀がなくとも木嶋少佐が勝利する確率は限りなく少ないものだろう。けれど妖刀があり魔術が使える万全の相馬戎次が相手だったのなら、勝ち目は完全なゼロだ。ならば数%でも高い確率と思うべきだろう。

「死ね」

 瞬きの瞬間を狙って木嶋少佐がトリガーを引き、鉛玉が戎次に飛ぶ。
 戎次の体が陽炎の如く揺らめく。弾丸が貫いたのは戎次の残像。戎次は地面を滑るように木嶋少佐に向かっていく。
 木嶋少佐が戎次を接近させまいと連続で発砲するが、戎次は物凄い脚力で壁を走りながら、全ての銃弾を掻い潜っていく。

「銃では倒せんか。ならば剣で勝負!」

 木嶋少佐は愛銃を捨て去ると、日本刀を抜刀し己の肉体に刻まれた剣技を振るう。
 壁を蹴り回転斬りを繰り出す戎次、それを斬る為に繰り出されたのは真っ直ぐな上段からの振り落とし。
 刃が貫通する。勝敗はただの一度の交錯で決した。

「――――フ……ごはぁっ!」

 木嶋少佐は口まで溢れてきた血を吐きだす。
 戎次に振り下ろした日本刀は、手刀で腹を叩かれてあっさりと折れ、木嶋少佐の腹を戎次の貫手が貫ぬいていた。
 鋼鉄の如く肉体を鍛えた者のみに許される槍の貫通力をもつ貫手。達人の手刀は刃物の如き切れ味をもつというが、相馬戎次の貫手は完全に木嶋少佐の命数を断ち切っていた。
 戎次が手を抜くと、支えを失った木嶋少佐は血溜まりに沈む。

「……………時に相馬少尉」

「なんだ」

「君はしっかり実家には戻っているかね?」

 自分の血溜まりに倒れた木嶋少佐は、とても末期の言葉とは思えぬ何気ない……本当に何気ない質問をする
 戎次は自分の手でその命を絶ち切った木嶋少佐を見下ろしながら口を開いた。

「ああ。休みを貰えた時にはちょくちょくと」

「そうか。なら私の言うことはなにもない」

「――――そういうアンタはどうなんだよ」

「心配は無用。私には両親も妻も子ももういない。だから」

 自分が死のうと悲しむ者は誰もいないし、身内が国を裏切ったと後ろ指刺されることになる者もいない。
 喪う者はたった一つ、自分の命だけ。
 もうなにもないから、木島少佐に出来たのは我欲を満たし、自分を幸福にすることだけだった。幸福にしたかった自分以外の人は、もういない。

「安いチップを懸けて大金を得ようなんて夢を見るものじゃないな」

 最期にそれだけ言うと、特に悔やむ様子もなく、木嶋少佐は永遠にその目蓋を閉ざした。



[38533] 第65話  敗北者
Name: L◆1de149b1 ID:39471b4b
Date: 2014/06/28 23:07
 大空洞を抜け出して、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアは一人で無人の道を走っていた。
 これまでダーニックの周りを守っていた兵隊達やランサーはもうどこにもいない。
 サーヴァントもサイボーグも、ナチスの兵士達も冥馬たちとの戦いにより喪なった。大空洞に置き去りにしてきた〝ファーレンブルク大佐〟も既に殺されているだろう。

「お、おのれ……後一歩のところで、遠坂冥馬め!」

 ここに至るまで幾つかのイレギュラーはありつつも全ては順調に進んでいた。
 後少し、ほんの後少しの時間があれば大聖杯奪取計画は成功し、あの神話級のアーティファクトはダーニックのものとなっていたのだ。
 ダーニックは自分の掌に視線を落とす。
 自分の指は確かに大聖杯に手をかけていたのだろう。だが手にかけて持ち出そうという段階になって、大聖杯は元の所有者に奪い返されてしまった。
 空っぽの掌を握りしめる。

「口惜しい。やはり……計画を実行に移す前に、奴だけはどんな手段を用いても殺しておくのだった」

 帝都ステーションホテルでの襲撃、柳洞寺での包囲網。遠坂冥馬を抹殺する好機は幾つもあった。
 しかしその両方でダーニックは冥馬を取り逃がしてしまった。一度目はキャスターの召喚で、二度目はランサーの癇癪で。
 もしあそこでああしていたら、こうはなっていなかった。冥馬達から逃れるため必死に足を動かしていたダーニックは、逃げながらそんなことばかり考える。

「フ、フハハハハハハハハ。情けない、私ともあろうものが。あそこでああしていたらなどと、負け犬の遠吠えをするなど」

 ダーニックは自分の心にある弱音を吹き払うように己を嗤う。
 動かしていた足を止める。焦りで時間の感覚が麻痺していて気付かなかったが、ダーニック冬木市の隣町まで来てしまっていた。ここまで来れば一先ず安全だろう。
 随分と遠くまで走ってきたものだとダーニックは自嘲しながら、近くにあったベンチに腰を下ろした。

「これから、どうする」

 腰を下ろすと気分も少しばかり落ち着いてきた。冷静になると過去を呪うのではなく、未来を思う余裕も出てくる。

「聖杯戦争は……口惜しいことこの上ないが、諦める他ない、か」

 ランサーがいればダーニックもマスターとして、乾坤一擲の覚悟で正当な手段で聖杯戦争の勝者を目指していただろう。
 だがサーヴァントを失い、ナチスという兵力まで失った一介の魔術師が、一人で制せるほど聖杯戦争は甘いものではない。
 帝都に放っておいたスパイからライダーは消滅したという確認はとれている。よってこれまでの経過から推測するに、残るのはセイバー、アーチャー、キャスター、アサシンの四騎。
 順当にいけばアーチャーとキャスターという二騎のサーヴァントを有する冥馬か、最優のセイバーを有するリリアリンダが聖杯戦争の勝利者となることは簡単に予想がつく。
 あの二人が相手では、ダーニックが八枚舌と渾名される雄弁を振るったところで利用するなど夢のまた夢。ましてや遠坂冥馬のサーヴァントはサー・ケイ。口達者っぷりで並ぶ者なき英雄だ。稀代の口達者に口先で勝負を挑むなど、ボナパルトに戦争で勝負するようなものだ。
 となるとダーニックが利用できる可能性があるのは、アサシンだけということになるが、こちらも絶望的だ。死の化身たる暗殺者は、ターゲットに対して寒気がするほど問答無用である。交渉に行ったところで、口を開く余地すらなく殺されるだろう。

「――――帰ろう」

 だから結局はそこに行き付く。
 聖杯戦争のことはすっぱり諦めるにせよ、マスターとサーヴァントが消え去った後で再び大聖杯を狙うにせよ、六十年後のヘブンズフィール4を想定するにせよ今現在のダーニックに出来ることはなにもない。
 ダーニックがとれる最善手は命を繋いでいる幸運を感謝し、ユグドミレニアの地へ戻り再起を図ることだけだ。
 幸いダーニックの政治力をもってすればナチスの力などなしに、日本国外へ出るなど難しいことではない。
 ベンチから腰を上げ列車まで行こうとして、ダーニックは幽霊でも見たように蒼白な顔で足を止めた。

「あな、たは……ッ!?」

「ん? ダーニック。私の顔になにかついているかい」

 ここにいる筈のない男、ロディウス・ファーレンブルクが柔和に微笑む。
 目を擦る。幻などではない。仕草から服装に至るまで、目の前にいるのは間違いなくロディウス・ファーレンブルクだった。

「何故だ! どうして貴方がここにいる、ロディウス・ファーレンブルク大佐!!」

「何故と言われても、ここでこうして生きているからとしか言いようがないなぁ」

「ふざけないで頂きたい! 貴方は大空洞にいたはず。そう、我々が遠坂冥馬たちに敗北した大空洞に! よもや遠坂冥馬が情けをかけて逃がした訳ではないでしょう。何故こうして五体満足で無事なのですか?」

「大空洞にいた私は私じゃなくて、私を模したマネキン人形だったんだよ」

「冗談を聞いているのではありません」

 マネキンなどではない。ダーニックは間違いなく『ロディウス・ファーレンブルク』という人間を大空洞で〝視て〟いる。
 常人であればいざしれずダーニックが本物とマネキン人形を見間違うはずがない。ということは、あれは本物のロディウス・ファーレンブルクだったのだ。

「冗談なんかじゃない。あれはマネキンさ、尤も君にはあれが私として映っていたのだろうけどね」

「なにを?」

「ま、それはいいんだ。そういうわけだからダーニック、君の役目はここまでだよ。ご苦労様、これまで本当にありがとうね。私は私の方で頑張るから、君も大変だろうけどこれから頑張ってくれたまえ。Magus, be ambitious! 魔術師よ、大志を抱け! はっはっはっはっはっ」

「…………なにを、何を仰っているのですか大佐」

「鈍いなぁ。だから、こういうことだよ」

 ガバッとロディウスは自分の胸元を開いて曝け出した。
 ロディウスの胸元に刻まれてあるものを見て、脳がそれを認識した瞬間、ダーニックは金槌で頭を殴りつけられたような衝撃を覚えた。

「そ……んな……な、なぜ……」

 ロディウスの胸元にある赤い刻印。それは紛れもなくマスターがマスターたる資格にして証明、絶対命令権たる令呪そのものだった。
 咄嗟にダーニックは自分の手の甲に刻まれてあるはずのソレを見る。
 ダーニックの手の甲にはロディウスの胸元にあったものと寸分違わぬ形の刻印――――令呪があった。

「――――あ」

 カチン、と音がして自分の頭にかかっていた〝なにか〟が解けた。
自分の手の甲に未だ赤々と残っている令呪に打ちのめされた。
 サーヴァントと令呪は繋がっている。令呪を使い果たしてもサーヴァントが消えることはないが、サーヴァントが消えれば令呪も消えるのだ。
 だというのにダーニックの令呪は残っていて、ダーニックと寸分違わぬ形をしたロディウスの令呪も残っている。
 何が起きているのかは分からない。だが自分でも分からない何かが起きているのは分かった。ダーニックは青ざめた顔でロディウスを見る。

「どういう、ことなのですか?」

「君には世話になったから黙っておきたかったんだけどね。ランサーを召喚して契約したマスターは君じゃなくて、この私なんだ。君の手の甲にある令呪は、私が私の令呪を元にでっちあげた偽物さ。サーヴァントを失った私に令呪が残っているのは、ほら、あれだよ。大聖杯のところでちょこちょこっとインチキをしてね。サーヴァントを失っても回収されないようにしたんだ。令呪の魔力は私の計画のために使えるからね」

「ッ!」

「まぁつまり、実は君は全て私の掌の上で踊っていたんだよ。いやぁ、申し訳ない」

 信じたくなかった事実を教えられ、ダーニックの顔がみるみる強張っていく。

「何故、そんな真似をした? 私が裏切るという警戒……いや、そんなはずがない。私が裏切ると分かっていたのだとしても、こんな回りくどい方法以外にもっと他の方法があっただろう!
 そ、それに今更なにをしようと遅い! 貴方が真のランサーのマスターだったとしてもランサーは消えたのだ。兵士やサイボーグだってもうない! 貴方がなにを考えていようと、貴方の計画は終わりだ。貴方が聖杯を手にすることは……ないっ!」

「いいよ別に。元から私は聖杯なんて欲しくなかったし」

「な、なんだと!?」

 これにはロディウスへの怒りすら忘れて、ダーニックは呆気にとられた。
 聖杯を欲しがらない者が、何重もの策謀を巡らし聖杯戦争の影で暗躍する。そんなこと余りにも辻褄が合わない。

「聖杯を手に入れることも一つの私の悲願の成就に辿り着く道筋なのかもしれないがねぇ。
だがよく考えてみろ。神話に名を轟かせる最強の英霊を招聘すれば聖杯戦争に勝利できるのか。武装した兵士達を戦線に投入すれば聖杯戦争に勝利できるのか。科学技術の結晶たるサイボーグを使えば聖杯戦争に勝利できるのか。
 否だ、否。全部まるっきり否だよ否。そもそも聖杯戦争なんて最終的に御三家が勝つよう仕組まれた出来レース。ギャンブルだってそうじゃないか。最終的には胴元が利益を得るような仕組みになっているのさ。
 故にどれほど勝利に近付こうと外来のマスターが聖杯を手に入れ、悲願を成就させることはできない。寸前でなにかしらの間違いが起こる。
 だから私は聖杯戦争に勝つ気なんて端からなかった。だがそれだと勘の良い連中に気付かれるかもしれない。だからこそ老獪な連中の目を誤魔化すために、私には君という真に聖杯を欲する者をマスターとする必要があった。聖杯が欲しくて欲しくてたまらない者がマスターとして指揮を振るえば、聖杯戦争に眼中がない私の気配を隠すことができるからね」

 胸元を直しながらロディウスは淡々と言霊を紡ぐ。

「私がランサーを召喚した時点で、私の計画の第一段階は達成していたんだ。聖杯の器を破壊し、その構造を入手することで第二段階も終了。第三段階もぼちぼちこなしたし、もう私には聖杯戦争が終結するまで何にもやることがなかった。
 それにぶっちゃけると君が大聖杯の奪取に成功したら成功したらでも良かったんだよ。君が成功すれば私の計画が別の方向にシフトするだけで〝結果〟は変わらないからね。
 だが君は失敗してしまった。だから我々ナチスが君に協力するのもこれまでだ。君の頑張りには感謝するけど、これでお別れだよ」

「き、貴様ァ!」

 たまらずダーニックはロディウスに襲い掛かった。
 全身に張り巡らせた魔術回路に沸騰しそうなほどの魔力が流れ込み、最大出力の魔術を発動させようとする。
 しかしダーニックが魔術を発動させるよりも早く、ダーニックがなにもないと認識していた場所から銃弾が飛んでダーニックの心臓を貫いた。

「な……に……?」

「私と君の戦いは二か月前に既に完了している。君は私の右腕を持っていったが、私は君の脳髄を支配した。だからもう戦いに意味はない」

 自分の作った血溜まりに倒れたダーニックは、そんな言葉を聞きながら意識を失う。
 ロディウスの周囲にはダーニックが認識できていなかっただけで、無数の兵士達がいてロディウスを守っていた。
 予備兵力として隣町に待機させてあったナチスの兵士達である。ダーニックも知らない、ロディウスだけが知る秘密の兵力だ。
 ダーニックを見下ろすロディウスが眉を吊り上げた。

「おや、心臓を撃ち抜かれたのにまだ生きているじゃないか」

 ランサーが餞別に、とダーニックに渡した刀。あれがダーニックに力を与えているのだろう。
 他者の命を奪う刃ではなく、命を守護する守り刀。それこそランサーがダーニックに渡した真刀・火韻の能力。

「どうしますか大佐殿? 御命令とあらば止めを刺しますが?」

「いい。ランサーの味な真似に応じよう。これは気前の良いクライアントを殺してくれるなという、彼なりのメッセージだ。それに彼の政治力がなければ、我々は他国にこれほどの兵力を送り込めなかったんだ。
 例え我々を最初から裏切り、出し抜くつもりだったとしても、ランサーの嘆願と彼の功績を鑑みれば殺すことはできん。行くぞ」

「はっ!」

 敗北者を置き去りにして、ロディウスは進む。
 壊れた舞台で、聖なる杯ではなく己の奇蹟を掲げるために。ロディウス・ファーレンブルクの計画は第五段階へと移行しようとしていた。



[38533] 第66話  皇帝退場
Name: L◆1de149b1 ID:39471b4b
Date: 2014/06/28 23:08
 相馬戎次は自分の手で殺めた木嶋少佐の亡骸の近くに腰を下ろして、開いていた両目を塞いだ。
例え木嶋少佐がナチス・ドイツと内通して私利私欲を肥やそうとした俗物で、軍人の風上にもおけない男だったとしても、死ねば仏。死者に鞭打つ気はなかった。
 それに木嶋少佐を完全に憎みきることも出来ない。彼の瞳の奥にあった投げやりな色を覗いてしまったが故に。

「相馬中尉……」

 両手を合わせて祈っていると、部下の上代軍曹が走ってくる。
 彼には上層部にライダーの消滅と、裏切り者である木嶋少佐の殺害完了を報告して貰っていた。
 上層部からの指令――――恐らくは撤退命令を伝えに来たのだろう。
 だが一つ気になることがあった。

「俺は少尉だ。中尉じゃねえ」

「いえ、上は木嶋少佐の裏切りを察知した功とこれまでの奮戦を認め、相馬少尉を中尉に昇進させるとのことです」

「……そうか」

 こんな時に昇進したところで嬉しさの欠片もないが、上層部がそうするならばそうすればいい。それに上の決定に異論を唱えられるほど戎次は偉くはないのだ。

「階級のこたぁいい。それより軍曹、報告はしたな」

「は、はい」

「なら戻るぞ。聖杯戦争は、もう仕舞いだ。これ以上やっても無駄死ににしかならねぇ」

 戎次は過信ではなく客観的事実として自分の強さを把握している。自分ならばサーヴァントとも戦える。キャスターと剣のみで戦えば勝てるとも。
 だがサーヴァントと同程度の身体能力があってもサーヴァントとは戦えない。
 霊体であり強力な神秘の塊である彼等と戦うには、親から貰った体だけではなく、サーヴァントの神秘に匹敵するだけの武装が必要だ。
 これまで戎次には妖刀があった。だからこそサーヴァントと打ち合うことも出来たし、サーヴァントを殺すことも可能だった。けれどその妖刀は既に戎次の手にはない。あるのは二つに折れた刀の残骸だ。これではサーヴァントと戦うことは難しい。
 しかも肝心要の戦力だったライダーはもうなく、指揮官だった木嶋少佐もナチスと内通していて、失った兵士達も数多い。
 これ以上、聖杯戦争を続けても勝算などないのだ。どれほど悔しくても、勝ち目がないなら恥を忍んで撤退を選ぶのも正しい選択である。

「それが……少尉。上層部は少佐が裏切り者だったのならば、追加の兵力はある程度都合するから中尉が臨時の指揮官となり聖杯戦争を続行せよと」

「な、なにぃ!?」

 だが正しい選択が分かる者が必ずしも正しい選択が出来るとは限らない。
 特に軍人は指示を下す者の目が曇っていれば、下の者の目が聡くとも意味はないのだ。そして木嶋少佐の更に上の上層部の目は生憎と近眼だった。

「しっかり報告したのかっ? サーヴァントの強さ、これまでの戦いで死んでいった仲間たちの数!」

「も、勿論です! 報告しました。ライダーが消滅したことも含めて全部!」

「だったら――――」

「上は兵力に損害を出したのは木嶋少佐が敵と内通し、碌な指揮をとらなかったからだろうと。サーヴァントについても過去の英雄を相手取るなど、一個小隊もいれば十分だろうと仰せです」

「馬鹿か!? 一個軍団は必要だ!」

 上層部はサーヴァントをただの過去の人間程度にしか認識していないのだろう。
 サーヴァントの宝具や万の軍勢を薙ぎ払うほどの奇跡を目にすれば、こんな楽観視などできないはずだ。
 聖杯戦争という条理の枠の戦いの現場を知らずに、人間の条理内で物事を考えているからこんな阿呆な判断をする。
 軍人という立場上、戎次は上層部を侮辱する発言は慎んだが、心の中では罵詈雑言の数々をぶっ放した。

「参ったなぁ、こりゃあよぉ」

 上層部の命令が不満であっても、軍人は上官の命令には従うもの。これはどこの軍隊だって万国共通。
 勝ち目がないと分かっていても、命令ならば戦うしかないのである。

(いけねぇなぁ)

 木嶋少佐が裏切って私欲に走った気持ちが分かりかけ、戎次は自省する。

「……一ついいか?」

「なんでしょう」

「追加の兵力は、俺が決めていいのか?」

「そう仰っておりました。といっても一個軍団は流石に」

「だろうな」

 一個軍団といえば数万の軍勢だ。これを指揮するとなれば将官の階級が必要となる。尉官の戎次どころか、佐官だった木島少佐にも指揮することは出来ない。
 中尉の階級で指揮できるのは中隊が精々だ。
 聖杯戦争に派遣された兵達の中には、木嶋少佐以外にも戎次より高い階級の者もいたが、彼等は全員が戦死してしまっている。中隊以上の兵力はあてに出来ないだろう。

「だがある程度は俺の都合を聞いてくれんならいい。やりようはある」

「ほ、本当ですか!」

「ああ」

 上代軍曹の表情に光がさす。戎次は彼に背中を向けると、

「報告しておいてくれ。過去の遺物共を倒し、聖杯を得ることなど我一人で十分。増援など無用と」

「ちゅ、中尉! 何を仰られますか!」

「どれほど上層部に都合して貰おうと勝ち目なんざねぇ。百人追加すれば百人、千人呼べば千人が死ぬ。だったら俺一人で行って俺一人が死ぬ。
 これから英米との戦争が待ってるんだ。帝国を守る兵士を無駄死にさせるわけにはいかねぇ」

 戎次とて死にたいわけでもない。
 とうの昔に国の為に生きると誓い、命を捨てる覚悟もしてきている。だが言葉にすれば臆病と罵られるから誰にも言いはしないが、やはり完全に死の恐怖を捨て去ることは出来なかった。
 だが死よりも恐ろしいものが無駄死にだ。死ぬにしても国の為に少しでも役に立てるなら良いが、なんにもできずただ死ぬのだけは絶対に御免だ。
 これから自分は死ぬが、自分の死で死ぬはずの人間が生きるなら決して無駄死にではないだろう。
 それに人を殺すために死ぬより、人を活かすために死ぬ方が、死に甲斐があるというものだ。

「中尉だけを御一人で行かせはしません。私も一緒に」

「駄目だ。軍曹、お前ぇ……来週、祝言をあげるそうじゃねえか」

「あいつも軍人の妻。覚悟はできています。それに妻ならば寧ろここで中尉のお共をしないことを怒るでしょう」

「俺はお前ぇの女房のために生きろって命令してんじゃねえぜ。これから生まれるお前ぇの子供のために生きろって言ってんだよ」

「!」

「命を懸けて子供を産むのが母親の義務なら、魂を懸けて女房を励まして子供が生まれたことを喜ぶのが父親の義務ってもんだぞ」

 これもなにかの縁。戎次は自分の父親に言われ、自分もまたいつか息子に聞かせようと思った言葉を送る。

「命令だ。来るんじゃねえ。逝くのは俺一人だ」

「うっぅぅっ! 中尉、無理は承知で言います。どうかご無事でっ!」

「死ぬ気で頑張る」

 泣きながら敬礼する上代軍曹を残し、戎次はたった一人で英霊たちの戦場へ――――冬木市へと戻っていく、

『私はいつだって国を守る男達の味方さ。長生きしてね、戎次。アンタが長く幸せに生きれば生きるほど、私が命を懸けた価値が大きくなるんだからさ。私の命を安っぽくしないでよ』

 戎次の脳裏に命懸けで戎次を守ったライダーの死に顔が蘇った。

「心配すんな。お前の命はこれから死ぬはずだった百人、千人を活かす。活きた百人、千人は万人の国民を守る。守った万人は十万の子供を産む。お前の命の価値は無限大だぞ」

 だからライダーが恥じることなどなにもない。
 一つ戎次に未練があるとすれば、自分も軍曹のように誰か好きな相手と結婚をしてみたかったというくらいか。
 けれど良い。ライダーと一緒にいた日々は短かったが、それなりに楽しかったし心も温かかった。その思い出があれば十分、自分は満ち足りている。これ以上、望むものなどありはしない。



 アーチャーはソファに腰を沈ませ、誰に聞かせるでもなく一人でギターを弾いていた。
 決して上手くもなく、寧ろ下手とすらいえるものだったが、不思議と物悲しい音色だった。

「なにをしているのかえ、アーチャー」

 奏でられている音色を聞いて地下の蟲蔵から出てきた翁、間桐臓硯はアーチャーに話しかけた。
 アーチャーは指で音色を奏でながら目線を上げると、ゆったりと微笑む。

「見て分からないかい? ギターを弾いているのさ」

「儂はここで何をやっているかではなく、何故ここでギターなぞ弾いているかを尋ねたのじゃがのう」

 間桐臓硯は伊達に500年を生きて、150年の聖杯戦争を見続けてきたわけではない。アーチャーが自分自身の貯蔵魔力を使い果たし、消滅寸前なことくらい臓硯には一目で見透かせる。
 その上、アーチャーにはマスターがいない。これではもはやアーチャーは消えるのを待つばかりだ。

「どうせ消えるならマスターの生まれ育ち、その思いを溜めこんできた場所で、マスターの鎮魂を祈りながら逝こうと思ってね」

「解せぬのう」

「亡き主人を悼み殉死するのは、従僕としてそれほどおかしいことかい?」

「ああ解せぬとも。サーヴァントにとってマスターなぞ世に留まる為の単なる憑代に過ぎぬじゃろうて。
 英霊の誇りとしてマスターに忠義を誓うのは分かるが、ちと忠義が行き過ぎじゃないかえ。英霊ボナパルトともあろう男が、そこまで尽くす価値が狩麻の奴にあるのかのう?」

 狩麻が頑として教えなかったアーチャーの真名。それを何処で聞いたのか臓硯は当然のように知っていた。
 だがアーチャーはどこで己の真名を知ったか聞く事はしなかった。間桐の支配者たる間桐臓硯である。狩麻から聞き出さずとも、アーチャーの真名を掴む方法など幾らでもある。

「狩麻はマキリの魔術師としては優秀な者じゃった。それはこの儂が保障するとも。じゃがのう、それはマキリという井戸の中での話よ。狩麻より才能溢れた者など探せば幾らでもいよう」

「表向きとはいえ、孫娘に随分な評価だね」

「呵呵呵呵。そう年寄りを苛めるでない。儂とて孫娘は可愛いとも。じゃが儂もマキリとしての矜持があるのでな。孫娘可愛さに、その才能を天下一などと嘯けぬわ」

 この聖杯戦争に集まった狩麻以外の七人のマスターたちにも、狩麻より優秀な魔術師は多くいた。
 エーデルフェルトの双子姉妹、アインツベルンのホムンクルス、八枚舌のダーニック、そして狩麻が誰よりも執着した遠坂冥馬。
 もしもアーチャーが魔術師としての狩麻に忠義を誓ったのなら、狩麻より格上の冥馬のサーヴァントになりながら、その下を辞するはずがない。信じ難いことにナポレオン・ボナパルト、この稀代の英傑はマスターとしてではなく、間桐狩麻個人に仕えていたのだ。

「ボナパルトともあろう男が、何故狩麻にそこまで入れ込むのじゃ。年寄りへの冥土の土産と思って聞かせてくれんかの」

「――――そうだね。言葉にできるほどシンプルな理由じゃないけど、一つには共感かな」

「共感?」

 狩麻とボナパルトに共感するような共通点など見受けられない。臓硯が首を傾げると、

「俺はどうも昔から大きな山を見たら登らずにはいられなくなる性分でね。一つの山を登り切ったら、もっと大きな山に兆戦したくなって、もっと大きなもっと大きなって登り続けていたら……いつの間にか自分を余なんて呼ぶようになり、周りからは皇帝陛下なんて呼ばれるようになっていた。
 最初はただ皆に認められたかっただけなのに、僕はその思いをセントヘレナという鳥籠に閉じ込められるまで忘れていたんだ。
 鳥籠は自由もなく退屈極まる場所だったけど、今は少し感謝している。お陰で自分が遥かな過去に置き去りにしていた忘れ物を取り戻すことが出来たからね」

 アーチャーは言い終えると目蓋を閉じる。もう目を開けている力すら惜しいのだろう。けれどその指はまだ動いて音色を奏でていた。

「英雄ボナパルトがロマンチストみたいなことを言うのう」

 そう言う臓硯の顔には嘲りは一切なかった。それどころかアーチャーの言葉を聞くと、何故か郷愁にも似た思いに囚われそうになる。
 サーヴァントの言葉に心動かされるなど不甲斐ない、と臓硯は郷愁を振り払う。

「ムッシュ・ゾォルケン。僕にも最後に教えて欲しい」

「なんじゃ?」

「君が此度の戦いに余り乗り気でなかったことは知っている。だけど狩麻は君にとっても大切な後継者のはずだ。なのに戦いについては、その一切を狩麻に丸投げして自由にさせていた。これはどういうことなんだい?」

「狩麻は一人の魔術師としては上等じゃったろう。じゃが狩麻は次代に魔術を継承する当主としては致命的な欠陥があった。なら聖杯戦争くらいは、狩麻の自由にやらせてやろうと思ってのう」

「……そういうことか。なんてことだ」

「この戦いで死んだのは、もしかしたら狩麻にとって幸せだったかもしれんのう。己が決して愛した男の妻となれぬ運命だと知らずに済んだのじゃから」

「――――それでも彼女は生きたいと願っていたんだ」

 からんころん、とアーチャーのギターが地に落ちる。
 臓硯は誰もいなくなったソファを一瞥すると暗い蟲蔵へと戻っていく。狩麻の映る写真立ての横には赤い薔薇が手向けられていた。



[38533] 第67話  黄金の欠片
Name: L◆1de149b1 ID:64131037
Date: 2014/06/28 23:09
 義妹が、否、義弟が選定の剣を抜き王となってから、ブリテンは目覚ましく変わっていった。
 異民族の侵略に喘ぎながら、自殺行為である同胞同士の争いを繰り返す死を待つばかりだった国は、たった一人の王の誕生によって再生していったのだ。
 同胞たちの争いは偉大なる王の下で平定され、迫りくる蛮族たちを王自らが陣頭に立ち、見事な用兵で撃退していった。
 騎士王、円卓の王、常勝の王、そしてアーサー王。彼女を称える呼び名は数多い。だが彼女を称するに最も相応しい呼び名はさしずめ〝完璧な王〟といったところか。

〝世の中に完璧なものなどない〟

 どれほど悪の人であれ、どれほど善の人であれ人間には心がある。いくら合理的かつ機械的になろうとしても、人間が人間である以上は合理性だけでは動いてはいられない。どうしても感情に引っ張られる。
 もしもあらゆる局面において、完全なまでに合理主義に徹する者がいるとすれば、それは人間としてどこか壊れたモノだ。王の義兄であり、王の秘密を知る者であり、王に最も近い騎士だった彼はそう考えている。
だがそこに例外があるのならば自分の義妹だろう、と彼は考えていた。
 それほど玉座にある彼女は常に完璧だった。
 最初は年端もいかぬ王など、と侮っていた騎士達も彼女の辣腕を知れば彼女が王であることを認めるしかなかった。
 戦においては幾度の戦場に臨み常勝無敗。
 政においては寸分の狂いなく国を治め。
 法においては寸分の違いなく人を裁いた。
 だがそれは茨の道である。完璧な成果を得るのであれば、何かを犠牲にしなければならない。
 軍備を調達するために一つの村を干上がらせるなんてしょっちゅうだった。
 より多くの十を救うために少数の一を切り捨てる。大勢を守る為に一つの村を焼き払う。
 王になるとはつまりはそういうこと。王とは一番多くの人々を救う救世主の真名であり、一番多くの人を殺す殺戮者の真名だったのだ。

「あの王は完璧過ぎる」

「王には人の心がないのではないか?」

「人の心が分からぬ王に、どうして人の世が治められようか」

 やがて王を非難する声がキャメロットに囁かれ始めた。
 戯けたことだ。王に完璧であることを求めたのは騎士達自身である。だというのにいざ王が完璧であれば文句を言うとは。そもそもブリテンは殆ど死んでいる国。アーサーという偉大なる王がいるからこそ、死ぬ寸前で保っているに過ぎない。王が一度でも〝完璧ではない采配〟をすれば、その瞬間に国は内外より滅び去るだろう。
 それを分からず王を非難することしか出来ない騎士たち、そして己もそんな騎士達と同じ穴の狢であるということも、なにもかもが戯けたことだった。
 彼女に心がないはずがない。彼女が元から心のない人間であれば、彼が魂を懸けて仕えることなどはしなかっただろう。
 そう、彼女はただ皆を守りたかった。
 だが皆を守るためには人の心などあってはならない。人々を守りたいという心があっては、人々を守ることなど出来はしない。彼女はその誓いを厳格に守り続けていた。
 彼女が王となってから、彼は彼女の笑顔を見た事がなかった。騎士達が武勇を語り合う円卓も、彼女が来た途端に静寂へと変わった。

「――――王も惨いことをする」

「自国の民草から物資を奪うなど、王はなにを考えておられるのか」

「この前の戦など、民草を囮に蛮族を焼き払ったのだぞ。あのような戦いは、騎士の行いではない」

「王には慈悲の心がないのだ」

 今日もキャメロットで王への反感が囁かれる。
 義妹は完璧なる王者だ。この反感にも眉一つとして動かすことなく、統治の一貫として組み込むことだろう。だが彼は円卓の道化役にして、騎士達を侮蔑し円卓の怒りを集める者。
 王であれば流したであろう反感に、彼は我が意を得たとばかりに口を開く。

「戦場にて数多の蛮徒共を討ち取り、貴婦人たちの羨望の的であろう騎士たちが、このような人気のない場所で女人のように陰口とはな。花のキャメロットも落ちたものだ」

「サー・ケイ!」

 王の義兄に王の反感が聞かれ、騎士達の顔がみるみる青く染まっていく。
 だが彼はまるで騎士達の顔色など気にはせず、言いたいことをありのままに紡いでいった。

「あ、いやすまない。女性を軽視する発言をするなど、騎士以前に人間として酷く愚かで低俗な行いであった。女人達も貴卿等などと同一視されては迷惑千万だろう。外面が立派な羽虫は、中身は脆いというがさて」

「サー・ケイ! 如何に王の義兄といえど無礼が過ぎませぬか!」

「その通り。我等を侮辱するおつもりか!」

「失敬。いやすまん。影に隠れて他人の悪口を囁く卿等と違い、私は誰に対しても悪口は面と向かって言うのでね」

 青かった騎士達の顔が、今度は怒りで赤くなっていくが、やはり彼は気にも留めない。
 彼等にとってサー・ケイは怒りを向ける対象なのかもしれないが、彼にとっての彼等は嫌いな無数の者達のたった二人に過ぎないのだから。
 今にもはち切れんばかりの彼等だったが、一応は彼等も騎士を名乗る者の端くれ。己が主君を批判する言葉を囁いたことに恥じを覚える心は残っていた。
 集まっていた者達で最も位の高い騎士が弁明を始める。

「誤解して貰っては困るな、サー・ケイ。我等はただ王に仕える騎士として、王の行いに嘆いていただけのこと」

「ほう」

 恥を知る彼等は恥を隠すために、また別の恥で塗り潰すという恥知らずの言い訳を始めた。

「王とは民草を守り慈しむもの。そして我等騎士達の象徴にして規範となられるべき御方。その御方が、守るべき自国の民草を焼き払うとはどういうことか。王であれば誰一人の犠牲もなく国を守るのが筋というものであろう」

「成程、素晴らしい意見だ。王であれば自国民全てを守るべき。いやいや私の不明を詫びよう。それができるなら君は王より優れた騎士だな。今日にでも王に貴卿に玉座を渡してはどうかと進言してみよう」

「分かって頂けたのならば良いのです。しかしサー・ケイ殿、買被りが過ぎますぞ。この私が王などと」

 王より優れた騎士と賞賛され、その騎士は満更でもない顔をする。記憶力の良い彼は、その騎士が選定の剣に挑みあっさりと敗れ去った有象無象の一人であると覚えていた。王の手前、謙遜してみせたが心の中ではどう思っているか分かったものではない。
 だが彼は恥知らずで愚かだった。よりにもよって彼の大魔術師すらやり込める国一番の口達者に言い訳などをしたのだから。
 彼は冷酷に騎士達を見つめながら嫌らしく嗤う。

「いやいや、決して買被りなどではない。玉座にはより優れた者が座るべきだ。我等の王は賢明であられる。己より優れた者がいるのであれば、迷いなく玉座を渡すだろう。
して……自国の民草から物資を徴用せず、満足に軍備が整っていない軍を率いて、どのようにして蛮族たちを打ち破るのか。王の行いを非難した貴卿であれば、当然その策もあるのだろうな。後学のため是非とも聞かせて欲しいものだ」

「ふっ。自国の民草を殺さずとも、我々ブリテン国の騎士達たちが一致団結すれば、数ばかり多い蛮族共など恐れるに足らぬ」

 それを聞いて彼は露骨に騎士たちを嘲笑した。

「――――話しにならん、馬鹿馬鹿しい。卿等の窮屈な頭蓋に閉じ込められた知識が泣いていよう。卿等程度の精神で蛮族を滅ぼせるなら、家畜共を戦線に投入すれば世界征服ができるな」

「き、貴様ッ! 王の義兄だと思って下手に出ていれば!」

「抜け、サー・ケイ! 我等の誇りを侮辱したのだ……決闘の覚悟はあろうな!?」

「気に入らないことがあれば直ぐに武に頼る。貴様等みたいなのばかりだから、我が国はアーサー王が玉座に座るまで不毛な内紛を繰り返してきたのだ。
 王の聖剣が万の軍勢を焼き払おうと、更に万の軍勢を防ぐには万の軍勢が必要。その軍勢が碌な装備も兵糧もない弱兵の集まりであれば、蛮徒共はたちまちのうちにブリテンの大地になだれ込むだろう。そうなれば焼き払われるのは村一つではなくこの国全てだ。
 誹謗中傷非難、大いに結構。だが王の行いに反対するのならば、反対するに足るだけの対案を持ってくるのだな」

「おのれ……。言わせておけば」

 騎士の一人が剣の柄に手をかける。
 だが激昂した騎士に斬られそうになりながら、彼は剣に手をかけるどころか何もせずに立っていた。

「なにをしている」

 剣呑な場に凛として堂々とした声が響き渡ると、騎士達が一斉に進化の礼をとった。

「こ、これは王! 何故このような場所に……?」

「サー・ケイが私に提出すると言った書簡を持ってこないのでな。時間が押している故に私から出向いたまで。サー・ケイ」

「これは失礼致しました、アーサー王。なにぶん彼等が物陰に隠れ王への不満を並べ立てていたもので。臣としては見過ごす……いえ聞き逃すことができず」

 騎士達の顔が蒼白になっていく。
 陰口を叩くということは、言いかえれば直接面と向かって反論する勇気などないという裏返し。騎士達とて完全に愚かなのではない。頭では王が自分達より遥かに優れていることを理解している。王の眼に見つめられた彼等は蛇に睨まれたカエルだった。

「お、王……。我々は……」

「楽にせよ」

「はっ!」

「卿等は戦場において良く働いてくれている。その卿等をたかだか我が身への非難程度でどうして罰を与えられよう。今後も卿等の奮闘に期待する」

「は、ははー」

 騎士達に視線を外し、彼女が去ると彼もそれに続く。これでいい。これでほんの少しは王への不満を自分への怒りに変えられたはずだ。
 口ばかり達者で人望がない己には、ランスロットやガウェインのように騎士達を纏めることなんて出来はしない。彼に出来るのはこうして憎まれ役でいることくらいだ。

「ケイ。例のものは?」

「これです、アーサー王」

 羊皮紙をアーサー王に手渡すと、サー・ケイは口を開いた。

「資金の分配に無駄が有り過ぎましたな。ただでさえ我が国は豊かではないのです。たった一本の釘ですら無駄にはできない。……こうして無駄を省くことが、転じて一人でも多くの命を救うことにもなるでしょう」

「……すまない。私は矢銭のやりくりは苦手でな貴卿には感謝している。これからもブリテンのため励んでくれ」

「御意」

 兄と妹ではなく、どこまでも王と騎士として二人は振る舞う。
 きっと彼女は王として在る限り、王として完璧であり続けるだろう。
 だがブリテンに平和が戻り、彼女が王としての使命をやり遂げた時、彼女は王としての責務は終わる今はまだ遠いことでも、いつかきっと彼女の戦いが終わる日がやってくるのだ。王としての責務をやり遂げた時こそ、彼女は人として安らいだ笑顔を見せてくれるだろう。
 だからいつか訪れるその日までは――――己はサー・ケイ。アーサー王に仕える一人の騎士だ。



 窓の外では小雨が降りしきっている。
 キャスターの過去を夢に見るのも四回目となれば驚きはない。だが驚きはなくても英霊の過去というのは、現代の人間からすればなにもかもが手の届かぬ遠き日の伝説。それは真理を追い求める魔術師であっても例外ではなく、驚くことはなくても慣れるということはなかった。
 こうしてソファでくつろいでいると昨日の激戦が嘘のようである。聖杯戦争も九日目まできて、いよいよ残る敵はセイバーとアサシンのみとなった。
 後二騎、たった二騎のサーヴァントが消えれば遠坂冥馬は『聖杯』を手に入れる初めてのマスターとなるだろう。
 だがその最後二騎はいずれも難敵だ。
 リリアとセイバーは勿論、アサシンとそのマスターもナチスドイツと帝国陸軍が爆撃の雨を降らし、いつ死んでもおかしくなかった戦場を強かに生き延びてきた猛者。
 決して侮れる相手ではないということは、あの狩麻がアサシンにより命を奪われたことが証明している。油断していれば自分も狩麻と同じ運命を辿ることだろう。

「狩麻……狩麻か」

 狩麻が自分のことを好いていた、アーチャーに最後に言われた言葉が耳から離れない。

「あの女のことで悩んでいるのか?」

 実体化したキャスターがいつもの顔つきで尋ねてくる。
 だが冥馬の目には心なしかキャスターは少しばかり不機嫌そうに映った。

「そういえばキャスターは狩麻のことが好きじゃなかったみたいだが……」

「ああ。元々俺は嫌いな人間の数が、好きな人間の数に勝るタイプでね。ああいう手合いは好きじゃない。いや、はっきり言うなら嫌いなタイプだ」

 キャスターのことを非難はしない。
 冥馬が好きな人間を嫌う人間がいるように、冥馬が嫌う人間を好きな人間がいる。他人を好きになるのが罪ではないように、他人を嫌いになることも罪ではない。罪なのは人を嫌うことではなく人を侮辱することだ。
 だからキャスターが狩麻を嫌っていても、それもまた一つの価値観。否定することはできない。しかし逆を言えば冥馬が狩麻に対してどういう感情を抱いたとしても、キャスターに批判することもまた出来ないのだ。

「俺は、狩麻のこと。そんなに嫌いではなかった。だけどまさか狩麻が俺のことを、なんて。全くそんな素振り見せなかったじゃないか」

「お前が気に病むことはないだろう。あの女がお前に思いを伝えることもできず、アサシンの手にかかり殺されたのは徹頭徹尾アイツ自身の責任だ。お前に一切の責任はない。
 間桐狩麻が聖杯戦争に参加したのはお前が頼んだからか? 間桐狩麻がお前へ思いを伝えなかったのはお前が耳を塞いでいたからか? 間桐狩麻が死んだのはお前が殺めたからか?」

 キャスターは慰めなどかけない。キャスターが語るのは自分が思った事、そして冷酷な真実だけだ。
 冷静かつ冷淡にキャスターは冥馬に責任が無い事、狩麻の責任を暴き立てていく。

「間桐狩麻の無念も、間桐狩麻の死も。全て遠坂冥馬は無関係だよ。あの女は自分の責任で戦いに臨み、自分の責任で死に果てた。これはただそれだけに過ぎん」

「……別に責任を感じているわけじゃない。ただ少し……自分が嫌いになっただけだ」

 間桐狩麻の中にある複雑に屈折し行き場を失っていた感情。それに遠坂冥馬が気付いていれば、或いは狩麻が死ぬことはなかったのかもしれない。チャンスはいくらでもあったのだ。なにせ間桐狩麻は、肉親を除けば冥馬にとって最も長い時間を共有した幼馴染なのだから。
 狩麻の死に責任は感じていないが、幼馴染で好敵手でもあった『友人』の心に気付かなかった自分がたまらなく厭だった。

「人の心が分からない――――嘗て他人にそう呼ばれた者がいた」

「キャスター?」

「だがお前はその者とは真逆だな。あいつは人の心が分かりながら、人の心をもたぬ完璧な者として振る舞わなくてはならなかったが、お前の場合は人の心が分かるようでいて実は人の心が分かっていない」

「……」

「間桐狩麻、あの女の性根は陰性だった。表向きの顔は自信満々の高飛車お嬢様のようでいて、その中身はコンプレックスの塊。劣等感に嫉妬に愛欲が屈折して混ざり合い、光が完全に閉じ込められている。
 対するお前は陽性だ。仮面である余裕をもって優雅な貴族としての顔も、本性の荒ぶっている顔にしても陽性。
 分かるか? 同じ仮面であってもお前達の仮面はまるで性質が異なるんだ。間桐狩麻の仮面は己が成りたいと思う理想の自分だが、お前にとっての仮面はお前の中にある一つの側面だけを現出した別の自分に過ぎない。
 被る仮面の質も素顔の性も正反対のお前では、間桐狩麻の心を知ることはできやしなかっただろう」

 キャスターの言う通りなのだろう。
 実際冥馬はアーチャーに狩麻の思いを伝えられるまで、まったくその心を知ることはなかった。もしアーチャーが教えなければ一生そのことを知ることはなかったはずだ。

「あの女のことはもう気にするな。もう過ぎた事だ。それとも聖杯であの女の復活でも祈る気か?」

「……いや」

 それは違う。言葉には上手く言い表せないが、なにかが違う気がした。

「なら深く考えず今は休め。昨日の戦いでお前もかなり消耗しているだろう。休める時に休まなければ、いざという時に力が出ないぞ」

 キャスターの忠告に従うことにした。
 狩麻のことは過ぎてしまった事。今更どうすることもできない。これから冥馬が狩麻にできるのは精々彼女の墓前に花を手向けることくらいだ。
 だから狩麻の墓に花を手向ける為にも、聖杯戦争を勝ち残り生き延びなければならない。
 ソファに背中を預けたまま、冥馬は目蓋を閉じた。



[38533] 第68話  当たり前への憧憬
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/06/28 23:10
 戦争というのは百の戦いに勝利したところで、重要な決戦で一つ負ければ敗戦するものだ。逆に百の負けを重ねても、重要な戦にたった一回勝つだけで勝利者になることもある。
 アサシンを召喚したエルマ・ローファスは軍人でもなければ、ましてや殊更実戦経験が豊富というわけではない。
 だがエルマ・ローファスの父であるダリス・ローファスは歴史好き、特に戦記や兵法といった『戦争』に関連したものを読むのが趣味だった。そして父親の意向でずっと家閉じ込められていたエルマの数少ない楽しみになったのは、皮肉にも世界で一番嫌いな父の本だった。
 こうして両親の下を離れ仮初の自由を得たエルマにとって、あの頃の記憶は忌まわしいものでしかないが、多くの戦記を熟読した経験が聖杯戦争で少なからず役に立っているのだから皮肉なものである。

「想定外のことは多かったけど、聖杯戦争も正道に戻ったようでなによりです」

 郊外の外れにある誰からも忘れ去られた廃墟で、さも我が家のようにくつろぎながらエルマは毎日飲んでいるミルクティーを口に運ぶ。

「貴方もご苦労様でした、アサシン。昨日はなにかと扱き使ってしまってすみませんでした」

「気になさることはない。我は御主君の敵に平等なる死を送る者、御主君の従僕であるが故……」

 何もない所から声が発せられ、エルマの耳に届く。
 声のした場所から大体の位置は察せそうなものだが、アサシンが不思議なトーンの声を使っているせいか、エルマにはアサシンが自分の左にいるのか右にいるのかも分からなかった。

「なら言い方を変えます。ありがとう、アサシン」

「私のような者には勿体なきお言葉」

 主君からの感謝を、姿を消したまま受けるのは非礼だと思ったアサシンが、エルマの目の前に実体化する。
 戦闘時も自律人形を派遣するにとどまり、基本的にここを動く事のないエルマだが、アサシンが情報収集のため日夜跳び回っているため現在の聖杯戦争の動向については大体認識している。
 アサシンは直接戦闘を不得手とするサーヴァントだ。エルマの自律人形にしても、それなりの強さをもつといっても、サーヴァント相手ではただの雑兵以上の性能を発揮することはない。正面からまともに対峙すれば、勝ち目などありはしない。
 だからエルマは徹底して他の参加者達から隠れ、隙を見せた背後を突くという方針をとってきた。
 けれどそんなエルマにとってもナチスの大聖杯奪取作戦と、帝国陸軍の小聖杯奪取作戦は想定外に過ぎた。
 影に潜み虎視眈々と背中を狙うのは聖杯を手に入れるため。勝利者が決まる前に賞品である聖杯が持ち逃げされてはなんにもならない。
 敵の勝利を喜ぶことなど本来は有り得ぬことだが、今度ばかりは遠坂冥馬たちが勝利してくれてなによりだ。

「……………」

「どうかしましたか?」

「いや私はただの一振りの短刀。黙って主に従うのみ。申し上げるべきことは特に」

「変なアサシン」

 エルマがミルクティーを飲んでいるのを見つめていたアサシンは恥じ入るように霊体化した。
 消えたアサシンは何処へ行ったのかと視線を彷徨わせながら、エルマは退屈げに頬杖をつく。
 エルマがこの廃屋に引きこもって既に一週間ほど。最初は埃が積もり過ぎて害虫の城だった廃屋も、エルマが掃除に精を出したこともあって、人間が生活するのに問題ないレベルにはなっている。
 だが過ごすのに問題がなくとも、こんな場所に一週間近くも缶詰というのは退屈過ぎて精神がすり減る。
 これが自分の工房であれば、エルマも魔術の研鑽に情熱を注ぎ時間を忘れただろう。だが聖杯戦争中に、魔術の修行なんてやっていられるわけがないし、かといって観光に来た訳ではないエルマは本などの娯楽品も持って来てはいない。
 自分自身で立てた戦略のためとはいえ、狭い廃屋に閉じこもって何もしないでいるというのは中々にしんどいことだった。

「アサシン、いますよね?」

「無論。御主君の命もなく外へ出ることなどはない。命令なき時の我が務めは御主君の警護なれば」

 退屈を紛らわすためエルマは、誰かと話すという最も手頃な暇潰しをすることにした。

「アサシンは……今の今まで聞いてなかったけれど、勝って聖杯を手に入れたらどんな願いを聖杯に託すんですか?」

 ちょっと失礼だろうか、と思いながらもエルマは聖杯戦争の参加者であるが故に共通する話題を振った。

「――――――――」

 沈黙が漂う。面食らっているのか、それともエルマの問いかけに不満を感じたのか。
闇に溶け込み、己の感情を自身の奥深くに包み隠したアサシンの心は、例えマスターであっても読むことは出来なかった。
だがもしかすると不機嫌を覚えているのかもしれない。大切なパートナーであるサーヴァントと、こんなことで不協和音を奏でるなんて百害あって一利なしだ。エルマは慌てて謝る。

「ごめんなさい。言いたくないことなら言わなくても構いません」

「…………いや、いきなりの問いかけ故に、どう応えたら良いか迷っていただけ。我が願いは、この巨大なる世界と比すればいと小さきこと。口に出せぬほど大それた願いではない」

 アサシンは淡々と、だがどこかこちらを気遣うように言う。

「なにより御主君は私のような暗殺者風情に、誠意をもって相手をしている。我が願いを聞かれて明かさねば、主人に対して非礼というもの。我が身の潔白のために御主君の問いに答えよう。我は黒装束故に潔白というのも妙なものだが」

 少しだけエルマは緊張して背筋を強張らせた。
 暗殺者であるアサシンは、他のサーヴァントと比べ霊格は高い方ではない。それは霊格が高いことによる魔力供給の多さを気にして、敢えてアサシンを召喚したエルマが誰よりも知っている。
だがアサシンとてサーヴァント。人を超えた神秘をその身に宿す存在、本来なら魔術師が従僕にできるはずもない死の化身である。
 そのアサシンの願い。魔術師もマスターも関係ない一人の人間として、エルマには興味があった。

「我が願い、それは〝英霊〟となること」

「どういうことです? なるもなにも貴方は英霊でしょう」

 英霊になるもなにも、七騎の英霊をサーヴァントとして使役する戦いに招かれたのだから、英霊になるなんて願いを叶えるまでもなくアサシンは英霊のはずだ。
 エルマがそう言うとアサシンは「それは違う」と首を横に振るう。

「我は英霊に非ず。御主君も知っての通り〝ハサン・サッバーハ〟とは私だけの真名ではなく、暗殺教団の教主が代々襲名してきた称号。
 私は顔を削ぎ無貌の『誰でもない者』になることで『ハサン・サッバーハ』となった19人の山の翁の一人に過ぎない」

 自分の顔を削ぎ落とし、誰でもなくなる。それがどれほどの苦痛で、どれほどの地獄なのかエルマには想像もつかない。
 歴史の影に隠れ表舞台には決して姿を現さぬ暗殺者。その一生は影ゆえに想像を絶するものだ。

「お分かりか、御主君。私には他の英霊が当たり前にもつ己の顔、己の名、己の偉業。その全てが〝無い〟のだ。私にあるのは〝ハサン・サッバーハ〟という他の十八人と共有する称号のみ。私だけのものが何一つ無い。
 だからこそ私は欲する。私の本当の顔を、私だけの名前を、私が私として成す偉業を。私は……私だけが、唯一人のハサン・サッバーハとなりたい。
 私の願望など他の純正の英霊と比べれば下らぬものだろう。英霊にとっては己の名誉を投げ捨ててでも、なにか叶えねばならぬ悲願があるのかもしれん。しかし私は英霊ではないが故に、英霊としての己の名誉を望む。
 申し訳ない。つまらない話をしてしまった」

「そんなことありませんよ。私と同じですね」

「御主君と?」

 コクン、とエルマは頷く。

「少しでも多くの魔術回路を持つ後継者を欲していた父は、母胎内にいる段階で胎児に手を加えて調整を施したんです。けど結果は失敗。産まれてきたのは当時の当主だった父の半分以下の魔術回路しかもたず、先天的に障害を抱えていた出来損ない」

 エルマは自嘲気に自分自身を指差した。既に二十歳をとうに超えながらも、未だ少女の姿のまま成長(老化)しない己を。
 もしも、などという仮定に意味はない。だがもしエルマの父が母胎内にいるエルマに手を加えたりなどしなければ、エルマは五体満足の健康体として生まれていたはずだ。

「お蔭で父からは人間扱いなんてされませんでした。名前で呼ばれるより、失敗作と呼ばれることの方が多かったくらいです」

「……そうか」

 エルマの壮絶とすら言える過去を聞かされたアサシンはしかし、慰めの言葉などはかけなかった。
 現代の人間からすれば成程エルマ・ローファスの境遇は悲惨の一言だろう。だが現代より遥かに死が身近だった時代を生きたアサシンからすれば、エルマの過去は世に溢れる不幸の一つでしかない。はっきり言ってアサシンはエルマ以上の不幸を強いられた人間など、両手の指で数えられないほど知っていた。
 別にエルマもアサシンに同情を求めていたわけでもないので、気にせず先を続ける。

「過去のことで父を呪っているだとか、そんなことはないんです。後妻との間に私みたいな失敗作じゃない出来の良い弟が生まれると、父もあんまり私には構わなくなりましたし、父が死んでしまえば私はそれなりに自由でしたから。
 けど失敗作の体だからでしょうか。ちょっと性質の悪い病にかかってしまって、医者からは余命は後一年が精々って診断されて……」

「御主君は魔術師であろう。医術で体に救う病魔を殺せずとも、他に方法があるのではないか?」

「魔術はそう便利なものじゃありませんよ」

 過去でれば魔術は医学では治せない病も治す事が出来た秘術だっただろう。しかし医学の進歩した現代では、医術で治せない病よりも魔術で治せない病の方が多いくらいだ。
 エルマが知らないだけで、封印指定を喰らう程の神秘の深淵に踏み込んだ魔術師なら、或いはエルマの病を治すことができるのかもしれない。
 だがエルマ・ローファスがその魔術師を知らない以上、そんな仮定など意味のないことだ。

「私は贅沢を望んでいるわけじゃないんです。ただ――――普通の人が当たり前に享受している健康な体、人並みの寿命、人並みの人生が欲しいだけ。
 だけど人として失敗作の私にとっては、当たり前の事を望むのに聖杯なんていう奇跡を頼らないといけないんです」

 弟には感謝をしている。弟が友人の遠坂冥馬から聞いた『聖杯戦争』について教えてくれなければ、エルマは一年後の死を座して待つしか出来なかっただろう。
 だが聖杯を知った事で僅かだがエルマには希望が見えた。これまで望んでも手に入れられなかった、人が当たり前に持つものを手に入れる機会を得たのだ。

「成程。私が御主君に呼ばれた理由に合点がいった」

 エルマ・ローファスは人間として当たり前のものを、アサシンは英霊として当たり前のものを。
 当たり前のものを欲する。
 それがエルマ・ローファスが十九人のハサンたちから小躯のハサン・サッバーハを召喚した最大の繋がりだったのだ。
 同じ願いを持つ者同士。その共通点がエルマとアサシンの間に奇妙なシンパシーを生む。
 だが……。

「っ!?」

 それに浸る間もなく、突然に天から小さな物体が流星の如く落ち、廃墟の屋根を突き破った。
 轟音と共に土煙が上がる。主君を守る使命を帯びたアサシンは、この突然の事態にも慌てず、屋根を突き破って現れたそれからマスターを守る為に立ち塞がる。

「……貴方は?」

 エルマが恐る恐る、それに問いかける。
 それはエルマの問いに答えることなく、野獣の双眸をエルマたちに向けた。

「――――集めた拠点候補の三番目、ここで当たりだったか。アサシンのマスターだな、お前ぇ」

 上官に裏切られ、サーヴァントを喪いながらも、国から戦いを続けることを命じられた男。
 相馬戎次が鬼気迫る貌でエルマ・ローファスとアサシンの前に現れた。命を奪いに来た敵として。



[38533] 第69話  士は己を知る者の為に死す
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/06/28 23:10
 投入できる兵力の限界、指揮官の裏切り、妖刀の破損、ライダーの消滅。
 帝国陸軍、いや相馬戎次が聖杯戦争に勝つ見込みは、もはや皆無に等しい。だからこそ戎次は生きて戻らぬという決意で、敢えて兵士達を帝都に置いて、単独で冬木に舞い戻ったのだ。
 しかしどうせ命を散らせる気で挑むのであれば、足掻けるだけ足掻きたい。やれる限りはやりきる。それが戎次の出した結論だった。
 今の自分ではセイバーを擁するリリアや、キャスターを擁する冥馬と戦っても勝つことはできない。せめて妖刀があれば、と思うが無い物ねだりをしても仕方ないこと。あるもので戦うしかないのだ。
 セイバーも駄目、キャスターも駄目となると、もはや狙うべきは残るアサシンしかいない。
 アサシンは気配遮断スキルをもちマスターの天敵と呼べるクラスだが反面、正面戦闘では脆弱なクラスだ。アサシンであれば或いは今の相馬戎次でも打破しうるかもしれない。
 不幸中の幸いか、陸軍の調査でアサシンとそのマスターの拠点については、幾つかの目星はついていた。
 一つ向かい空振りに終わり、二つ向かい徒労に終わり、三つ目で遂に正解を引き当てた。

「見ィつけたぜぇ」

 エルマ・ローファスと小躯の暗殺者と正面から対峙して、戎次は鋭い日本刀の刃を向ける。
 刀といってもこれまでの戦いで使っていた妖刀ではない。ありったけの魔力で強化を施した由緒正しい〝名刀〟だ。
 時代を経た物品はその存在した年数だけの神秘が宿る。真正の妖刀であり宝具であった嘗ての愛刀と比べれば劣るが、六百年前の名刀を魔力で補強すれば、サーヴァント相手にもそれなりに有効な殺傷力を得ることができる。

「……相馬戎次。サーヴァントも令呪も失った敗北者が、わざわざこの冬木に戻ってきてなんの用です?」

 エルマは自分の手足であり兵士となる自律人形に、自分の周囲を守らせながら油断なく言った。
 鋸や鉈に斧といった、生々しく猟奇的な凶器を装備したフランス人形たち。彼等の感情のない無数の視線が戎次を射抜く。
 だがこの程度の視線で臆する戎次ではない。正眼でエルマとアサシンを捉えながら口を開く。

「今日はアサシンの命を獲りにきたんじゃねぇ。アサシン、お前を貰う」

「……! 私から令呪とサーヴァントを奪う気ですか!?」

「ああ。俺はお前のアサシンと令呪が欲しい」

「サーヴァントを失ったマスターが、マスターを失ったはぐれサーヴァントと契約することがあるとは知っていましたが、サーヴァントを失ったマスターが、他のマスターを殺して、サーヴァントを奪おうとするなんていうのは初めて聞きました」

 アサシンをただ殺すのでは冥馬やリリアを利するだけに終わってしまう。
 しかしエルマの令呪とサーヴァントを奪い取れば、相馬戎次は正式にマスターとして戦線復帰を果たすことができる。
 戎次一人では逆立ちしても冥馬とリリアの戦力には及ばないが、戎次にアサシンの戦力が加われば、この絶望的な戦況にも一筋の光芒が差し込む。戎次にとってアサシンを奪うことだけが、聖杯戦争に勝利する唯一残された手だった。

「女で、しかも餓鬼とあっちゃ俺も殺したくはねぇ。令呪とサーヴァントを置いていけ。そうすりゃ俺は身命に誓ってお前には手出ししねぇ」

「思い上がらないで欲しいですね、軍の狗。それは私の台詞です。サーヴァントを喪失した上に、ご自慢の妖刀もない貴方が私達に勝てるとでも?」

 エルマが魔力を送ると自律人形の目が赤く発光した。
 自律人形たちは其々が個別の動力炉を備え、エルマが一々魔力を送り操作せずとも自己判断で動くことが出来る。だが近くに術者がいる場合、魔力を送りその動きを制御し、その戦闘力を格段に増大させることも可能なのだ。
 遠隔自動制御からエルマの手動制御に切り替わった事で、フランス人形たちの戦闘力が大体1.5倍に跳ね上がる。これにサーヴァントであるアサシンが加われば、そう負けることはないだろう。相手が人間なら尚更だ。

「勝てるか勝てねえかじゃねえ。俺がやンのは、勝つ気でやる。こんだけだ。征くぞッ!」

 空気抵抗を減らすため体を小さく丸め、弾丸の如き速さで疾駆する。戎次の狙いはアサシンでもフランス人形たちでもない。令呪を宿すエルマ・ローファス唯一人。
 だがアサシンもフランス人形たちも、己の主に食い掛かってくる狼を見逃すはずがない。
 フランス人形の半分はエルマの防衛のまま待機、残り半分が防衛から敵への攻撃へ転じる。攻撃を命じられたフランス人形たちは戎次を取り囲むように展開した。
 数の暴力、物量を活かした包囲からの袋叩き。古代、中世、近代。いつの時代でもそれは有効な戦術の一つだ。

「押し潰れなさい」

 冷たい命令。凶器をもつフランス人形たちが、殺人という狂気の命令をケタケタと狂喜しながら実行する。
 圧倒的物量による圧殺は確かに効果的な戦術だ。だが英雄とは単身で天地に刃向う者。圧倒的な物量を単騎で打ち破ってこその英雄。
 ならば人の身で英霊に肩を並べる強さをもつ相馬戎次が、フランス人形程度の物量に負けるはずがない。

「だぁらァッ!」

 牙のように鋭い歯を見せながら、戎次が雄叫びと共に刃を振るう。
 風を切り裂く刃。
 一人一殺、一対一を旨とする剣術では一体のフランス人形を切り伏せられても、第二第三の追撃により打破される。
 なればこそ相馬戎次の刀の切っ先が描くは直線に非ず。相馬戎次の立つ場所を中心とした円の形。
 竜巻のような斬撃はエルマが作り出した殺戮用自律人形たちを容赦なく巻き込んでバラバラに解体していった。

「――――!」

 無数の人形たちを切り伏せた余韻に浸る間も戎次にはない。
 攻撃の間を縫って、闇に溶けるよう黒く塗られた毒針が飛んでくる。視覚で捕捉することの困難なそれらを、戎次は第六感で感じ取って叩き落とした。

「やるな、軍人。我が針をこうも見事に躱すか」

 アサシンの賞賛は本心からのものだ。毒針の投擲、シンプルに思えるが黒く塗られた上に極小の毒針を視認することは、サーヴァントであっても困難極まることである。
 毒針を叩き落とせたのは戎次の常識外の技量と、よく鍛え上げられた第六感の賜物である。戎次と同じことを完全にこなせるのは、此度の聖杯戦争に集ったサーヴァントではセイバーくらいだろう。

「だが私は暗殺者、貴殿と正々堂々と技比べをする風情はない。しめやかに仕留めさせて貰おう」

 アサシンはその敏捷さで戎次の周囲の木々を跳び回り毒針を投擲する。
 別にアサシンが増えたわけでもないのに、戎次は二十人の暗殺者に物陰から毒針を投げつけられている感覚を味わった。
 そして――――。

「まだまだ私の人形たちは戦えますよ」

 アサシンの毒針を叩き落としながら戦う戎次に、更なる窮地を招く命令が下される。戎次に切り刻まれ壊滅したフランス人形の部隊。その生き残りに、エルマの護衛だったフランス人形が援軍として加わる。
フランス人形の群れたちは、毒針の回避に全霊を費やす戎次へ猛然と襲い掛かった。
 猛毒の塗られた毒針が人間の戎次に必殺なら、フランス人形たちの凶器もまた人間の戎次にとって必殺。
 必然。戎次はアサシンの毒針を回避しながら、フランス人形たちを切り伏せることを強いられた。

「貴殿のその刀、それなりの名刀であるが、最初の妖刀と比べればなまくら刀に等しかろう。なによりも貴殿の力に刀の強度が追い付いていない。いずれは内部より折れ、使いものにならなくなる」

「ふふふふっ。死ぬ気で掛かってくる敵と、わざわざ真正面からぶつかることはないでしょう。貴方が疲弊して武器を失ったところを狙わせて貰います」

 エルマとアサシンは距離をとり、戎次の攻撃が届かない安全圏に身を置きながら自分達は遠隔で戎次を攻撃する。

「ちっ……!」

 戎次は歯噛みする。
 敵が人形たちだけなら大技を使い即座に切り伏せることが可能だったろう。毒針だけならどうにか掻い潜る事も出来ただろう。
 だが大技を繰り出せない絶妙なタイミングを見計らって毒針の邪魔が入るせいで、戎次は行動が大きく制限されてしまっている。
 体力とて無限ではなく、用意した日本刀も負担を増していて限界が近い。戎次の体力が尽きるのが先か、刀が折れるのが先か。どちらにせよ、このまま続けていては相馬戎次はアサシンに殺されるだろう。
 だから戎次はこのまま戦うことを止めた。

「悪ぃが、俺の武器は剣だけじゃねえ」

 刀を振りながら戎次がばら撒いたのは無数の札。戎次が念と魔力を送ると、札にかかれた呪印がその通りの効果を発揮する。
 呪印の意味は炎。札が一斉に紅蓮の火種となってフランス人形たちを焼いた。

「うおおおおぉぉ!!」

 フランス人形たちを蹴り飛ばし、戎次が狙うはエルマ・ローファス唯一人。
 如何な暗殺者といえどマスターの危機となれば、戎次の行く手を遮るために立ち塞がざるを得ない。木々を跳び回っていたアサシンが、戎次の命を摘み取りマスターを守るため背後から追いすがる。
 ニヤリと口端を釣り上げ、戎次はくるっと反転する。

「かかったなぁ!」

「っ!」

「俺の狙いは、こっちだぁ!」

 百八十度、方向転換した戎次はエルマではなくアサシンに斬りかかる。
 マスターだけを狙おうにもアサシンがいてはそれは難しい。ならばアサシンに動けない程度のダメージを与えてから、エルマを狙うという風に戎次は方針転換したのだ。
 空気の壁を貫通する毒針を放つアサシンも、真っ向からの切り合いではフランス人形よりはマシという程度。
 戎次の繰り出した斬撃は飾り気のない剥き出しの武。これを回避することはアサシンには出来ない。

「躱して、アサシン!」

 アサシンの不可能を、エルマの赤き刻印が可能にする。
 神の操る糸に動かされたように突然にアサシンが左に飛び退き戎次の斬撃が躱されてしまう。
 そして必殺の斬撃を躱されたサムライなど、暗殺者にとっては恰好の獲物に過ぎない。アサシンは自分がマスターの令呪で救われたと認識するよりも早く、相馬戎次を殺すために動いていた。
アサシンの投擲した毒針が戎次の体に突き刺さる。

「……っ!?」

 針が刺さった痛みではなく、全身を駆けまわる毒の苦痛で戎次は顔を歪める。
 そこへ生き残った一体のフランス人形が、戎次の背中に人斬り包丁を突き刺した。

「うぉっ、ごぉぁはぁッ!」

 内蔵から溢れ出た血下呂を吐き出す。
 背中から差し込まれた人斬り包丁は、戎次の体を貫通し銀色の刀身を赤く塗っていた。

「令呪を使うほど追い詰められたのは流石としか言えませんね。だけど終わりです。毒が塗ってあるのはアサシンの毒針だけだと思いました?
 言う義理もなかったので言ってませんでしたけど、私の人形たちの凶器にもアサシンの調合した毒が塗ってあるんですよ。アフリカ象だって殺せる猛毒を。ねぇ、アサシン」

 エルマは人形の凶器に毒を塗った張本人、アサシンに話を振った。

「然り。魔術師、貴殿もよくやったがここまでだ」

 話している間にも戎次の全身には毒が回っていく。更に突き刺された人斬り包丁は内蔵の一部を貫いてもいた。だが、

「アフリカ、象? ひ、はははっははははははははははははははははは」

 相馬戎次が唱えたのは念仏ではなく笑いだった。

「何が可笑しいのですか?」

「ああ可笑しいねぇ。人間、舐めるなよ英霊。ンな毒なんざぁ、知るかァ!!」

「!?」

 戎次は自分を貫いていた人形の頭を鷲掴むと埒外の握力で握りつぶした。
 刺さっていた人斬り包丁を抜きとる。栓がとれたことで傷口から血が流れ出るが、戎次はそんなことは気にも留めない。
血を滝のように流しながら、相馬戎次は地獄から這い出した悪鬼の如き壮絶な笑みを浮かべた。

「ありがとうよ。武器が増えたぜぇ」

 フランス人形から奪い取った人斬り包丁を構える。
半死半生、死に足を引かれながら戎次はそんなこと知るかと言わんばかりに走った。
 その余りの壮絶さ。人間の生命の常識を超えた異様にエルマ・ローファスは封印したはずの恐怖の感情を呼び覚ます。

「っ! 私に近付かないで!」

 エルマにとって一つの切り札ともいえるフランス人形が戎次に真っ直ぐ突っ込んでくる。
 戎次はそれを己の刀で撃退しようとするが、その瞬間。

「空想電脳」

 アサシンの呪言により、フランス人形の腹部に隠された人間の生首が起爆した。
 体の内部で暴れる猛毒と腹に空いた穴。二つの重傷を抱える戎次に追い打ちをかけるように爆風が襲い掛かる。

「まだ、まだぁああああああああッ!!」

 だが尚も戎次は倒れない。
 もう人間ならば死んでいる筈なのに、それを気力で捻じ伏せて両足はエルマ・ローファスのもとへ行くために動いた。

「やっと、着いたぜ……」

 遂に戎次がエルマの眼前に立つ。
 たった数十メートル。それだけを踏破するのに戎次は毒に犯され、人斬り包丁に貫かれ、爆炎に身を焼かれた。

「あ、ああ――!」

「お前ぇの令呪、頂く」

「やらせぬ」

 戎次とエルマの間に割って入る黒き影。
 暗闇から人の命を刈り取る暗殺者は、この時は真っ向から主君を守り通す騎士となる。
 あらゆる脳髄を爆弾に変える魔指が戎次に迫った。が、魔指が戎次の頭に到達するよりも早く、腕ごと刀で斬りおとされる。自分の血で染まった戎次の黒衣に、別の血が混ざった。

「キ、キキーーーーッ!」

 苦悶に顔を歪めながらもアサシンは毒針を投擲し、遂にその針が戎次の心臓に突き刺さる。

「う、おおおおお……!」

 心臓を貫いた瞬間、戎次は人斬り包丁でアサシンの心臓のある場所を貫いた。
 そのまま懐に潜ませた妖刀の破片を、アサシンの体に押し込む。
 人斬り包丁や名刀とは違い、妖刀はサーヴァントを殺すに足るほどの神秘。それは折れて破片となっても変わるものではない。
 戎次の命を賭しての猛攻はアサシンに届いた。

「やっと……邪魔すんのが……いねぇ……ようになったなぁ。……次は…………」

「い、いや」

 止めどなく血を流し、顔面を青くし迫る戎次は鬼のようだ。
 エルマは恐怖で顔を歪めながら後ずさる。そして戎次は最後の力を振り絞り日本刀を振り上げた。

「暗殺者を……舐めるなよ人間」

 最後の力で振り上げられた日本刀は人を切ることなく空を切る。
 霊核をやられながら未だに息を保っていたアサシンが、刀がエルマの肉を切る寸前でエルマを突き飛ばしたのだ。
戎次はアサシンを幽霊を見たかのように見つめる。

「まだ……生きてンのかぁ?」

「暗殺者は決して、獲物より先には死なん」

「そうか……そりゃ……そうだよなぁ」

 星々を覆い隠していた雲から月明かりが覗いた。

「雪、か」

 戎次は自分の掌に落ちた白い粒を見つめながら零す。まるで涙のような雪を握りしめると、戎次は安らかに息を引き取った。
 だがこれより消えるのは戎次だけではない。アサシンもまた己の霊核を破壊され死を待つ身だった。

「失礼。御主君に聖杯を捧げると契約しながら、我が身はこれから滅びるようだ」

 自分の死すら他人事のようにアサシンは言う。
 アサシンとて確かな悲願をもって参加したサーヴァント。無念でないといえば嘘になるだろう。
 されど暗がりから死を運ぶ『死神』の道に生涯を捧げた暗殺者にとって、死とはなによりも身近なもの。
 無念を感じながらも自分が死ぬことを客観的な事実として、理性が理解して受け入れてしまっているのだ。

「勝手な事を、言わないで下さいよ……。貴方が死んでしまったら、もうおしまいじゃないですか」

 だがエルマは自分の敗北を客観的に受け入れ納得できるほど場数を踏んでいない。
 血溜まりに倒れ消えゆくアサシンにエルマは必死に縋りつく。

「ふむ。おしまいとは?」

「死ぬってことです! やっと……やっと当たり前の人間として普通に生きられるかもと思ったのに! 頑張って、最後の三人に残ったのに! こんなところで、私には傷一つないのに終わりだなんて……」

 それはサーヴァントや敵マスターに殺されるという意味ではない。
 既に医者から余命一年と宣告されたエルマにとって、聖杯という奇跡を手に入れられないということは死ぬことと同じこと。
 教会に駆け込めばこの聖杯戦争で死ぬことは免れるだろうが、聖杯戦争で負けて死ぬのも一年後に病で死ぬのも少し遅いか早いかだけで結果は同じだ。

「なんとかならないんですか。私には令呪が後二つも残っています。令呪の魔力で貴方の損傷分を補填できたら」

「不可。腕の損傷程度なら令呪で如何様にもできようが、私が彼奴に獲られたのは腕だけに非ず。彼奴が獲ったのは我が命、サーヴァントの心臓ともいえる霊核そのもの。
 死した人間が蘇らぬのと同じだ。心停止した者を蘇生することはできても、火に焼かれ骨になった者を蘇らせることはできまい」

「知っていますよ、そんなことは!」

 死者蘇生には時間旅行、並行世界の運営、無の否定いずれかの魔法が絡む。魔法使いではないエルマがそれを為そうとすれば、聖杯という願望器がなければ不可能だ。
 だがエルマがアサシンに言ってほしいのは冷徹な返答などではなく、大丈夫だという一言だったのだ。
 アサシンはそれを察しつつも、しかし夢想を抱かぬ暗殺者は根拠のない断定はしなかった。

「御主君よ。消えゆく我が身なれど最期に諫言させて頂く。我が身などに縋らず逃げよ。……が、教会に保護を求めるのは危険かもしれぬ。あの監督役は遠坂のマスターと懇意にしている様子。或いはなにかの取引が成立しているかもしれぬ。
 私の考え過ぎと言えばそれまでだが、慎重な行動が命を繋ぐ秘訣。御自身の体を労われよ」

「労わってどうなるんですか。どうせ私は一年後には死んでいるのに」

「御主君」

「なんですか? もう御節介は沢山です。逃げ帰っても真綿で首を絞められる恐怖を一年も味わうくらいなら、私は一思いにここで誰かに殺されます……。ここでじっとしていれば、いずれ誰かが私を殺すでしょう」

「それなのだが御主君。御主君は死なぬ」

「――――へ?」

 アサシンはふと、そんな良く分からないことを言った。

「御主君の病というのは、頭蓋の裏側に巣食った魔のことであろう。あの病であれば、私がその病の特効薬を調合する術を知っていたが故に治させて貰った」

「……え、治った……?」

「左様」

 突然アサシンから告げられたことが、余りにも衝撃的過ぎて理解が追い付かない。エルマの頭が漸く言葉の意味を呑み込むと、エルマはあたふたとしながら言う。

「う、嘘でしょう……? 私が、もう治ってるなんて!? 大体いつ私が特効薬を飲んだっていうんですか!? 私はそんなものを飲んだ覚えはありません!」

「御主君が毎日飲んでいたミルクティー。それに薬を混入していた……」

「あ」

 はっとエルマは驚き目を見開く。
 思い返せば確かにアサシンは『ミルクティーを飲んだのか?』とよく訊いてきた。それはミルクティーを飲んだかどうかの確認ではなく、ミルクティーに混ぜた特効薬を飲んだかどうかの確認だったのだ。

「それじゃあ私はもう……一年経っても死ぬことはないんですか?」

「左様」

「なんで私に黙って……」

「――――恥ずかしながら、利己的な理由故に」

「利己的?」

「私には御主君の抱える全ての問題、その体の成長などについては解決できぬが、御主君の抱える最大の悩みたる余命――――病を解決する術はあった。
 しかしもし病が治ったことを御主君が知ってしまえば、御主君は聖杯戦争を放棄して私との契約を切ってしまうかもしれぬ。
 マスターがなければ私のような暗殺者は消えるしかない。だからこれまで話せずにいた。非礼、謹んで詫びさせて頂く」

 エルマが聖杯戦争に参加したのは体のこともあったが、一番には一年間というタイムリミットをどうにかしたかったからだ。
 だからアサシンの言った事を「そんなことない」と否定することはできない。もし――――もしもアサシンが、病が治った事を告白していれば、自分はアサシンを裏切って命欲しさに逃げ帰っていたかもしれないのだ。

「だけど、それなら最初から私の病を治療したりしなければいいじゃないですか! どうして私の病を治してくれたんです?」

 だってアサシンにはメリットがない。
 エルマの病の治療を黙っていたところで、なにかの拍子にエルマがそのことに気付く可能性は十分にあった。
 アサシンからすればエルマを治療したことは、自身にとって何の益のない行為なのだ。

「御主君。貴女が私を一介の暗殺者として、ただの英霊もどきの亡霊として扱っていたのならば、私もただの道具、ただのサーヴァントとして貴女に報いただろう。
 だが貴女は私のような者を紛れもない英霊として遇した。ならば薄汚い我が身なれど、英霊として貴女に報いずにはおれなかった……。ただそれだけのこと」

 利己的な理由で治療を黙っていたあたり所詮は英霊もどきだが、とアサシンは自嘲しながら付け加えた。

「そんなことありません!」

 だがエルマは精一杯の感謝と共に薄れゆくアサシンの手を握る。

「例え他の誰がなんと言おうと、貴方は私の命を助けてくれました! 貴方は私にとって紛れもない本当の……英雄です!」

 そう、エルマ・ローファスは一年後に死ぬはずだった。だがアサシンは一年後に死ぬという運命を覆しエルマの命を救った。
 これだけは誰にも否定できない現実だ。

「そうか……余り自覚していなかったが、私は命を救ったのか。思えば生前も今も我が手は人に死を送るばかり。誰かの命を救うなど一度も経験したことがなかった。
 フフフ、そうか。感謝の言葉が胸に満ち、饒舌につくし難い感慨が心を潤ませる。これが……これが命を救う達成感なのか。
 悪くないな……もしも人として生まれ変わることがあるのならば、今度は暗殺者などではなく医者となるのも良いかもしれぬ」

 エルマには一瞬アサシンが微笑んだような気がした。
 黒衣の暗殺者が消えてゆく。その姿を見送ってからエルマは立ち上がった。
 エルマの左胸にはアサシンが救ってくれた命が脈打っている。

「ありがとうございます、アサシン」

 エルマは精一杯の感謝を共に戦った恩人に告げると歩き出した。
 これからの人生を存分に生きるために。



[38533] 第70話  黄金のリグレット
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/08/02 17:21
 もはや昔のことであるが。

 あの日、彼は彼女と出逢った。

 あの日から、彼と彼女はずっと一緒にいた。

 彼は彼女を愛していた、彼女も彼を愛していた。

 彼は彼女と生きると誓った、彼女も彼と生きたいと願った。

 その日、彼女は願いを零して死んだ。

 その日、彼は彼女の願いを叶えると誓った。

 彼は彼女の願いを叶えるため万進する、彼女はなにも言いはしない。

 彼は彼女の願いを叶えるため腐心する、彼女はなにも答えはしない。

 そして、この日がやってきた。




 彼の王が君臨してからのブリテンは破竹の勢いだった。十度の会戦において常勝不敗。円卓に君臨した騎士の王。無双の騎士達を束ね、民草を導く姿は正に人々の誉れ。その名声は地平の彼方まで轟き、彼の王の味方は喝采し、彼の王の敵は恐怖した。
 そして遂に王の余りの強さに恐れ慄いた蛮族たちは、王に和議を申込み、戦火に晒され滅びを待つだけだったブリテンは漸くの平穏を勝ち取ったのだ。
 やっとここまで来た、と王に仕える騎士として常に義妹と共にあった彼は喜ぶ。戦争は終わってからが肝心。平和を掴んだからといってまだ仕事は山と積まれている。
 だが義妹の手腕をもってすれば、残った仕事などはほんの些細なことに過ぎない。あと数年も王が辣腕を振るえば、ブリテンはその平和を盤石なものとするだろう。
 無論、恒久的な平和などこの世にありはしない。やっとの平和を得たブリテンも、またいずれ戦火に晒される日がくるだろう。しかし百年後の戦乱は百年後の君主の責務だ。今の王たる彼女の責務ではない。
 そして彼女が王としてやるべきことは、もう少しで完遂されるのだ。
 王となったその時、アルトリアという少女はこの世から消えた。
 王として国を守るには、人の心などもっていてはならない。だから人の心を捨て、少女だったアルトリアから理想の君主たるアーサー王になった。
 しかし王としての責務を終えれば、もう彼女が人の心をもたぬ〝王〟である必要はない。
 捨て去った心を拾い集め、またあの日のように笑えるだろう。
 だが彼は楽観が過ぎた。
 悲劇の足音は彼女の直ぐ背後に忍び寄っていたというのに、ことが起きてしまうまで彼はそれに気付けなかったのだから。

――――滅びの日がやってくる。

 果たして切欠はなんであったか。円卓で最も誉れ高き騎士の体現者とまで称された男が、理想の王妃と絶賛された女と内通したからか。それとも叛逆の騎士が円卓に加わった時か、はたまた大魔術師と対をなす魔女が誕生したその瞬間か。
 それはもうあの日を生きた誰にも分からない。一つ分かることがあるとすれば事実だけだ。
 カムランの戦い。
 アーサー王伝説の最期を飾るエピソードにして、アーサー王の終焉を紡いだ物語。
 不貞を働いたサー・ランスロットの討伐のため遠征に赴いたアーサー王。
 国の留守を預かっていたモードレッドは、王がいないのを好機と見るや王を僭称し国を奪い取った。
 かねてよりアーサー王に不満を抱いていた豪族と騎士たちはモードレッドにつき、一人の騎士の叛逆は国を真っ二つに分けた争いに発展する
 彼女がやっと掴み取った平和という黄金のキャンパスは、一人の騎士の叛逆によりどす黒い鮮血に染め上げられたのだ。
 激しくぶつかり合い、多くの死者を出した両軍は、遂にカムランの丘にて最期の戦いを始める。
 狂乱は最高潮に達していた。
 戦場の狂気に支配され平和の尊さを忘れ去った騎士達は、相手がつい少し前まで共に轡を並べた者同士だということすら忘れ殺しあう。
 従兄弟同士が互いの首を刎ね合い、杯を交わした朋友同士が嬉々として命を奪い合う。丘に積み重なる遺骸は死屍累々。烏が死体を食い漁り、丘は騎士たちの血を吸って朱に染まる。
 もしも、もしも地獄があるのならばここがそれだろう。

――――血を吸い赤く染まった大地を、彼は彼女の姿だけをひたすら探して駆ける。

 カムラン以前の戦いで三度魔剣に切られていた彼の体は、既に死んでいるも同然だった。
 内臓の四割は消し飛び、四割は働くのを止め、残りの二割もいつ止まるか分からない。
 いつ死んでも、ではなく既に死んでいなければおかしい状況。でありながら彼は気力のみで、死神の誘いを跳ね除け続けていた。

「どこだ……どこにいる……」

 血反吐を吐き出しながら、彼はこの戦場で今も戦っているであろう王の姿を探し求める。
 こんな自分が王の下にはせ参じたところで何の役にも立ちはしない。そんな理屈を思いつく力は、彼にはもう残っていなかった。
 ただ王を、否、義妹を助けたい。その思いだけを柱に、彼は走る。

「どこにいる、アルトリア……! 返事をしろ!」

 もはや彼には心を捨て去っている余力すらなかった。己を取り繕う気力もなかった。
 味方の騎士が隣で死んでいく。敵の騎士が後ろで死んでいく。左と右で味方と敵が死んでいく。味方と味方が相打ち、敵と敵が相打つ。
 だがそんなものは気にも留めない。
 彼は心を剥き出しにして、義妹の姿だけを探す。

「あれは――――!」

 皮肉なことに彼が見つけたのは何よりも守りたい義妹ではなかった。彼が殺し合いの中で見つけたのは、全身と顔を赤と銀の鎧で包み込んだ小柄な騎士。
 サー・モードレッド。妖姫モルガンがブリテンを呪うために生み出した、この戦いの原因ともいえる存在。
 王の義兄にあたる彼にとっては甥でもあるその騎士を見た瞬間、彼の心には想像を絶するほどの憎悪が噴出し――――だがその憎悪は海よりも深い〝愛〟により心より一蹴された。
 彼にとって大事なのは義妹を探すこと。モードレッドに構っている場合ではない。

「アーサー王! アーサー王は何処! 姿を見せろ、アーサー王! このサー・モードレッドと戦え!!」

 だがモードレッドの雄叫びが耳に届いた瞬間、彼のやるべきことは決まった。
 この騎士を生かしておいてはいけない。この騎士を義妹の下に行かせてはならない。魂がそう直感する。

「モードレッドォ!」

 憎悪ではなく、王の騎士としてでもなく。彼は兄として、妹を守る為に叛逆の騎士へ斬りかかる。
 そんな彼の咆哮に対して返されたのは叛逆者の刃ですらなく、背後からの無慈悲な槍だった。

「――――!」

 叛逆者に組した騎士たちに後ろから貫かれた彼は、残りの二割すら奪われた。全ての内臓が止まれば、もはや呼吸もままならない。己も他の騎士達と同じように斃れ、大地を染める一つとなる。
 命懸けで挑んだ叛逆の騎士は、彼を一瞥することすらなく、彼の体を踏みつけて王の下へと向かっていった。

(こんな……こんなところで……)

 彼の肉体は死んでいた。両手両足、内臓に至るまで死にきっていた。超えてはならぬ一線を越えてしまえば、もはや戻ることなどできようはずはない。
 だというのに彼が依然として意識を繋ぎとめていたのはどういうことか。
 伝説に刻まれることすらなかったが、それは正しく一つの奇跡だった。
 命を失いながら、意志のみで未だに意識のある彼は、地を這いながら赤く染まった視界で黄金の輝きを探す。
 一体どれほどの時間をそうしていたのか。
 彼はやっと探し求めていた妹の姿を見つけた。同時に彼は自分が間に合わなかったという絶望的現実を突きつけられた。
 モードレッドを倒しその愚かなる野心を打ち砕きながら、彼女もモードレッドの凶刃によって致命傷を負っていたのである。
 それも、もう助からないであろう傷を。

――――全て終わってしまった。

 騎士王と数多の騎士たちの死によって、蛮族たちは再びブリテンの大地に攻め寄せてくるだろう。そして蛮族たちは騎士たちのみならず、なんの罪もなく今を生きる民草の命をも蹂躙する。
 アーサー王の死は一人の王の死を意味しない。アーサー王の死とは即ち国の死であり、民草全ての死であり、民族の死なのだ。
 大地に倒れ、空を見る彼の心に去来するのは妹の死の原因となった者達への憎悪と、それに勝るほどの自責。

(不甲斐ない。いつかは、きっといつかは――――そんなことを唱えながら、辿り着いた結末がこの様だ)

 彼は王に悲劇が待ち受けることを知っていた。なのに『平和になればきっと義妹は笑えるようになる』なんて根拠のないことを妄信し続け、何の打開策も提示することが出来ず、王に仕える一人の騎士として振る舞っていたのだ。
 義妹を悲劇から守りたければ、無謀に思えるほど困難であろうと彼女を取り囲む不条理全てと戦うべきだったのだ。
 やり方はどうであれサー・ランスロットやサー・モードレッドたちは不条理に抗った。ならば彼等は、国を滅ぼす原因を作った愚か者であれ、悪逆の徒であれ――――負け犬ではない。
 しかしサー・ケイは不条理と戦うどころか、訪れるであろう不条理を先延ばしにし続けてきた。彼等が愚か者ならば己は度し難い負け犬に違いない。
 絶望と悔恨の中、彼は目蓋を閉じる。
 全て終わってしまったのならば、せめてこの絶望を抱き死ぬのがせめてもの償いだろう。だが、

「世界よ……」

 声が聞こえた。
 彼女の声、彼が国や民草などより守りたかった唯一人の者。義妹の透き通る声が頭に響く。

「我が死後を預ける。その対価に、私に聖杯を掴む機会を与えよ」

 消えゆく意識が覚醒する。
 世界に身を預け、その対価を貰う契約。それはやってはならぬことだ。
 その契約が成されれば最後、その者は永久に世界の奴隷として扱き使われるという絶望の日々が待っている。

「ふざ、けるな……!」

 そんなことが認められるはずがない。
 彼女は……義妹は……アルトリア・ペンドラゴンは、誰よりも国を守ろうと頑張っていたのだ。誰よりも最善を尽くしていたのだ。
 断言できる。最善を尽くした彼女で駄目だったのだから、誰がどうしようと国の滅びを避けられはしない。
 ここまで頑張って運命がこのような結末を彼女に返したのならば、せめて彼女はもう頑張ってはいけないのだ。もう自分を犠牲にしてはならない。
 けれど彼の叫びは丘の上に立つ義妹には届かない。

「させん……それだけは、させん……ッ!」

 血反吐を吐き出しながら、彼は感覚のない掌を握りしめる。

『最初に兄君から教えを受けた日、兄君は時の巡り合わせによっては私達は敵同士になるかもしれないと言いました。あれは』

『阿呆』

 もはや遠い過去の問答。妹の問いかけに、彼はこう答えた。

『俺がお前に刃を向けるなど、あるわけがないだろう』

 誓ったのだ。例えこの世全てが妹の敵にまわろうと、己だけは絶対に味方であり続けると。
 もしも世界との契約が成されれば、もはや彼の大魔術師をもってしてもどうしようもならなくなるだろう。如何な大魔術師でも、一人で森羅万象全てを内包する世界をどうにかすることなど不可能なのだから。
 ならば、

「世界よ……ッ!」

 必死になって彼は天に手を伸ばす。

「我が身など幾らでもくれてやる、如何様にもするがいい! だから俺にも寄越せ! 妹が聖杯を求めるならば、妹より先に聖杯を手に入れる機会を、この俺に寄越せぇぇえええッ!!」

 渾身の願いを振り絞る。それがサー・ケイという人間の正真正銘の最後の力だった。
 意志というか細い糸で繋ぎとめられた意識が、遂にこの世から消える。
 されどそれはサー・ケイという騎士の終わりを意味しない。
 世界は彼の願いをしかと聞き届けていた。
 彼が次に目を覚ました時、彼は騎士ではなくサーヴァントとして七騎の英霊が集う戦争に呼ばれていた。
 彼の視界には神父と血まみれで倒れる初老の男性。目の前で槍を向けるのは白衣のランサー。そして赤いスーツを纏った魔術師。
 そこは彼の願い通り正しく彼女が聖杯を求めることになる場所で、彼女がまだ訪れていない場所であった。

「召喚されて出てきてみれば、いきなり心臓を突き刺されて倒れているとはな。これはまた随分なマスターに引き当てられたものだ」

 この日、彼は運命に招かれた。



「ふぁ~あ」

 優雅さをかなぐり捨てた欠伸をかきながら、遠坂冥馬は聖杯戦争が始まってから九度目となる朝を迎えた。
 聖杯戦争の開幕を最初に戦闘のあった日だと仮定するのであれば、その始まりは冥馬たちが帝都のホテルでナチスに襲われた日だろう。
 それから九回の朝を迎えたので、聖杯戦争は十日目だ。

「うん。良い調子だ」

 大空洞でのナチスとの激戦。
 魔術と肉体の酷使に、サーヴァントたちの宝具の大盤振る舞い。これにより冥馬は体力・魔力ともに枯渇寸前だったのだが、昨日一日を丸々休息にあてたお蔭でコンディションは万全に戻っていた。
 喪なった宝石は戻らないものの、残った敵の数を思えば今後の戦闘回数は二回を超えることはあるまい。残りの宝石で十分に戦い抜ける筈だ。
 もっともあのセイバーとリリアを倒すのには全ての宝石を使い切り、奥の手を晒し尽くしても勝てるかどうか、といったところだが。
 言っても仕方のないことだが、つくづくアーチャーを手放したのが惜しまれる。

「にしても……これで五回目か。ラインを通して夢でキャスターの過去を見るのは」

 カムランの戦い。
 アーサー王伝説を少しでも齧った者なら、その戦の名を知らない筈がない。アーサー王とそれに付き従っていた騎士達の最後の戦いである。
 伝承によればカムランの戦いで謀反人であるモードレッドを討ち取りながらも、自身も致命傷を負ったアーサー王は、精霊の導きにより妖精郷(アヴァロン)へ行き、そこで傷を癒しているという。
 冥馬もアーサー王伝説を読んでカムランの戦いで悲劇的結末を迎えてしまうアーサー王に感動の一つも覚えたものだが――――現実のカムランの戦いは悲劇という一言では言い表しようのない地獄だった。
 一年前には共に笑い共に泣いた騎士達が、互いの返り血で鎧を汚しながら殺しあう。国を守るべき騎士達が、国を滅ぼす戦いに自ら溺れていく。

――――最悪だ。

 遠坂冥馬はアーサー王と円卓の騎士とは関係のない部外者だ。生まれた時代も国も違えば、主義主張も在り方も異なる、ただ円卓の騎士の一人をマスターにした魔術師というだけの男だ。
 だがそんな冥馬ですら目を覆いたくなる理不尽な結末。これまで冥馬は多くの不公平を見てきたが、これほどまでの不公平は流石に見た事がない。
 部外者の自分でこれなら、当事者だったキャスターやアーサー王の無念はどれほどのものか。

「酷いものだ……」

「ああ。実に酷いな。人の過去を勝手に覗き見するとは実に酷い。人間の風上にもおけん」

「っ! きゃ、キャスター!? なんでここに!?」

 カムランの丘で血の雄叫びをしていた張本人。キャスターは不機嫌さを露わに実体化していた。

「なんで、とは異なことを。俺はお前のサーヴァント。これでも俺は自分の仕事は責任をもって最後までやりきる主義でね。
 主人の寝所を守るも騎士の務めだ。それが例え心の中という絶対的プライベートの約束された場所でさえ、土足で踏み込んであれこれ覗き見るような類だとしても、マスターである以上はサーヴァントとして守らないわけにはいかん」

「……あー、その、すまなかった」

 辛辣な糾弾に反論したかったが、キャスター相手に反論したところで逆にやり込められるのは目に見えている。
 口の上手い相手には下手な言い訳をせずストレートに謝罪した方がいい。キャスターと十日間一緒にいて得た教訓の一つだった。

「ふん。まぁマスターがサーヴァントの過去を見てしまうことは、聖杯戦争ではよくあることの一つ。悪気があるのならば契約の解除も考えるところだが、不可抗力だというのならば仕方ない」

「許してくれるのか?」

「ラインを通して記憶を見た事は不問。いいな?」

「ああ、いいとも」

 壮絶な説教を覚悟していただけに、キャスターにあっさり許して貰えたのは嬉しい誤算だった。
 もしかしたら今日のキャスターは普段より優しめなのかもしれない。ならばこの機会に色々と質問するのも良いだろう。

「キャスター」

「なんだ?」

「お前は、英霊なのか?」

「…………」

 通常のサーヴァント相手ならば「何を今更」と鼻で笑われるような質問。だがキャスターは鼻で笑うことはなかった。
 数秒視線が交錯する。やがてキャスターは自嘲げに笑うと、

「その質問が出るということは本当に最期まで見たようだな。ご名答だ、マスター。俺は確かに英雄の末席を預かる存在だが、厳密にはまだ英霊ではない」

「ならやっぱりお前は」

「そうだ。俺はまだ英霊にはなっていない。カムランの丘で死んだ俺は、英霊の座に行かずに直接この聖杯戦争に呼ばれたサーヴァントだ」

 人の身でありながら人を超えた偉業を成し、人でありながら信仰の対象となった魂。その魂が行く先こそが英霊の座だ。
 そして英霊の座から英霊を降霊し、クラスという殻に押しこめサーヴァントとして使役する。それが聖杯戦争におけるサーヴァントシステムである。
 だがキャスターは『世界との契約』により、死後に魂が英霊の座ではなく、この冬木市にサーヴァントとして飛ばされてきたイレギュラーな存在だ。
 故にキャスター厳密には英霊ではない。死んでから英霊になる寸前で停止した、かなり不安定な存在なのだ。例えるならば半分英霊の半英霊といったところか。英霊としての宝具も能力も持っているが、英霊として時空を超えた知識は持っていない。あやふやな魂。
 そんな不安定な状態で、こうして己の死後を受け渡してまで聖杯戦争に召喚される。
 並大抵の精神で出来ることではない。世界との契約にしても、相当に強い意志がなければ不可能なことだろう。
 なにがキャスターをそこまで駆り立てるのかと問われれば、こっ恥ずかしいことだが愛というしかない。

「アーサー王の救済、つまるところ幸せ、か。あの日のお前の願いの意味がやっと分かった……」

「下らん雑談で交わされた会話などを覚えるとは、お前の脳味噌にはスペースが有り余っているようだな」

 キャスターはぷいっとそっぽを向いた。天邪鬼なキャスターにとって、自分の願いを看破されるのは面白いことではないだろう。
 だが冥馬には一つどうしても気になることがある。

「けどキャスター。お前の義妹、アーサー王は聖杯を求めていた。ならお前が聖杯を手に入れなくても、アーサー王自身が聖杯を使って自分を救済するんじゃないのか?」

 あれほどの不公平極まる結末を迎えてしまったのだ。
 例えアーサー王が私情を押し殺し国のために尽くしてきたとしても、いやだからこそ、最後の最期で自分の幸福を祈って聖杯を求めるのも当然のこと。
 それがどういう幸せの形かは分からない。現代に転生して普通の人間として暮らすことかもしれないし、起こった事をやり直すことかもしれない。ただ聖杯ならば一人の人間を幸せにするくらいは問題なく叶えられるだろう。
 だがそう言った冥馬に返って来たのは「ふん」と鼻で笑うキャスターだった。

「お前はアルトリア・ペンドラゴンをまるで分かってない。あいつが死に際になって自分に訪れた理不尽を呪う? 己の幸せを願う?
 ハッ! 見当違いにも程がある。舐めるなよ、遠坂冥馬。俺の義妹は骨の髄まで英雄で、心の髄まで王で、魂の髄まで国と民草のことを考えている〝人間〟だ」

 自分の義妹を心から賞賛しつつも、それを兄馬鹿と済ませられないのは、冥馬もアーサー王の偉大さを知っているからか、それともキャスターの声に己への自責が含まれているからか。

「ならお前には、アーサー王が聖杯にかける願いがなんだか分かるのか?」

「伊達に生涯を通してあいつの義兄をやってはいない。……あいつのことだ。王の選定のやり直しでも願おうとしているんだろう」

「歴史の改変……!? だが、それは、いやしかし……聖杯なら可能、か」

 歴史の変革という完全に魔法の領分であろうと、万能の願望器をもってすれば理論上は不可能ではない。
 だがよりにもよって『選定のやり直し』など、人間どころか普通の英雄でも望むはずのないことだ。

「なんで、そんな願いを」

「自分は最善を尽くした。最善を尽くして駄目だったのだから、選定の剣は間違った人物を王に選んでしまったのだろう――――たぶんあいつならこう考える。
 そして聖杯の奇跡で自分のように国を滅ぼさない、新たな王を選び直す。そうすれば国も騎士も民も救われる。己では出来なかった事を、己じゃない王がやり遂げてくれる」

「だ、だがそんなことをすれば『アーサー王』は消滅するぞ!」

 アーサー王の願いが叶えばブリテンは救われる。カムランの丘も円卓の分裂も起きず、キャメロットには平穏と幸福が満ち溢れるだろう。
 そしてアルトリアという少女は王にはならず、ただの少女として愛を育み子を成し老いて普通の人間として死ぬのかもしれない。正に誰もが幸福な理想郷だ。

――――だがその理想郷には唯一人の例外が存在する。

 他ならぬ誰よりも国を救おうとしたアーサー王だ。
 民草が救われ、国が救済され、少女だったアルトリアが幸福になろうと、選定の剣を抜いて王になったアルトリアはそうはいかない。アーサー王の頑張りの証明である名誉もなにもかも抹消され、誰からも称えられることも悼まれることもなく、死後も世界に奴隷として使役され続ける未来が待っている。

「だからお前はアーサー王を舐めている。己の名前をどれほど貶められようと、それこそ己の名前が消滅しようと、それで国が救えるのならば、あいつは迷いなくそうするだろう。何故ならあいつが欲しいのは名誉でも栄光でもなく、人々の笑顔なのだからな。我が妹ながらなんて無欲で、なんて強欲な魂だ」

 キャスターが義妹の為に魂を懸けて戦う理由の一端が分かった様な気がした。
 心を捨てて誰にも理解されなくとも、それでも皆を守ろうとする少女。そんな少女の幸せを一人くらい祈る者がいてもいいだろう。

「それが許せなくて、義妹の為に聖杯を求めたのか?」

「違う。義妹のためなんかじゃない」

 だが冥馬の問いを、キャスターは否定した。

「義妹は、アルトリアは一度だって俺にそんなことを求めていない。あいつの願ったのは選定のやり直し――――国の救済だ。己の救済ではない。俺のしていることは、あいつが最後に抱いた願いを踏みにじる行為。ただの自己満足に過ぎん。口が裂け国が裂けても、そんな自己満足を義妹のためなんて綺麗な言葉で包み隠せるものか。
 俺はただ俺の自己満足のために、義妹に救済を押し付けようとしているんだ。我ながら愚兄以外の何者でもない」

「…………」

「白状すると自分でも何が正しいのかなど分からないんだ。あいつの願いが叶えばあいつは地獄に堕ちることになるが、たった一人の犠牲で国も民草も全てが救われる。
 時間の改変はしてはならないこと、そう言う者もいるだろう。が、それは結局のところ賢者と強者の意見に過ぎん。少なくとも民衆がまず望むのは明日の食事と平和だ。王が地獄を見て自分達が救われるなら諸手をあげて歓迎するはずだ。果たして何が正しいのか、何が正しくないのか」

 時間を改変することの是非。そんなことは冥馬もこれまでの生涯で考えた事はない。
 普段もしあそこでああしていれば、とぼんやりと思うことはあっても本気で過去をやり直したいなどと思った事は一度としてなかった。
 だから冥馬に是非を決めることはできない。それを決められるのは恐らく、想像を絶する経験をしてそれを願った者か、それを願う機会を得た者だけだろう。

「俺には、分からない」

 らしくない弱音ともとれる言葉。それを咎める気にもなれない。

「だが、ああ……そうなんだ。度し難いことに俺にとって国や民草の全てより、アルトリアという義妹一人の命の方が重いんだ。やっと分かった。だから俺は万民の救いという願いを踏み躙って、義妹一人の安寧を願おうとしていたのか。救えないな、俺も」

 心に渦巻いた靄がとれたキャスターは、なんの偽りもない心から素直な笑みを浮かべた。
 国と民草の為に己を犠牲にする妹と、国と民草を救う願いを踏み躙り、己を犠牲に妹を救おうとする兄。これが妹の理想を支え続けた兄の、最後の反抗なのだろう。
 なにが正しいのか、なにが正しくないのか。それは冥馬も分からないが、唯一つだけ断言できるのは、願いを叶えられるのは唯一組の勝者のみということだ。
 だとすれば冥馬のやるべきことは最後一組になるために努力することだろう。
 冥馬が覚悟を新たにしていると、窓から伝書鳩が入ってきた。

「なんだ……教会からか」

 冥馬は伝書鳩の足に括り付けられていた手紙を流し読むと、その表情を強張らせた。

「――――キャスター、教会へ行くぞ」

「なにがあったのか?」

「アサシンが倒れた」

 アサシン、つまりそれは残っているサーヴァントがキャスターとセイバーの二騎だけになったということに他ならない。
 残る相手が一組だけなら、もはや残る戦いは一度のみ。 
 聖杯戦争最後の戦いはこうして始まった。



[38533] 第71話  等価交換
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/06/28 23:12
 教会よりアサシン脱落の報を受け取った冥馬の動きは早かった。直ぐさまかねてより用意していた戦闘に耐えうる全ての宝石を持ち出すと、キャスターを伴って冬木教会を訪ねた。
 中立地帯である教会の敷地は、原則的にマスターの届け出をする際かサーヴァントを失った場合、または聖杯戦争を放棄して棄権する時にしか踏み入ってはならぬ場所である。だが無論のこと冥馬もキャスターも白旗をあげ棄権するために教会へ足を運んだのではない。
 冬木にある聖杯は一般のイメージに伝わる通り万能の願望器、魔法の釡としての性能をもつ。だがその実態はイメージとは異なり、冬木の聖杯は物体ではなく霊体だ。
 聖杯戦争の勝者として聖杯をその手に掴むことを欲するのであれば、小聖杯とも呼ばれる『聖杯の器』に六騎分の英霊の魂を注ぎ、それをもって〝聖杯〟を降霊するという過程が必要となる。
 そして聖杯の降霊はどこでも出来るわけではない。聖杯を降霊する第一条件は相応の霊格を備えた霊地であること。
 冬木市内でその条件を満たすのは都合四か所。
 第一が冬木最大の霊格を備えた場所で、地下に大聖杯が安置されている柳洞寺。
 第二がセカンドオーナーこと冥馬の住む遠坂家の敷地。
 第三が監督役の拠点である冬木教会の建つ土地。
 第四が新都にある霊脈の加工によって後天的に霊地としての霊格をもってしまった場所だ。
 聖杯戦争が終わりに近づくと、その四つの霊地のうちのいずれかに魔力が溜まっていき、聖杯を降霊するための力場が形成される。
 如何に強力なサーヴァントをもとうと、この降霊地点と『聖杯の器』を抑えなければ聖杯戦争の勝利者となることはできないため、この段階になるとバトルロイアルだった聖杯戦争は、一転して陣取り合戦の様相をなしてくるのだ。
 文献によれば最初の第一次聖杯戦争における降霊地は柳洞寺、第二次では遠坂邸だったそうなので、此度は冬木教会が怪しいと睨んでいた冥馬の予想は正しく、使い魔を使っての調査で、既に教会の敷地に聖杯降霊のための『力場』が形成されているのを確認済みだ。

「冥馬。君の話しは分かった。しっかり理解できたとも。本来ここにマスターが立ち入るべきではないが、そういう事情ならば黙認もやむを得ないと認める。だがその上で聞こう。何をやっている?」

 リリアの宝石による治癒もあって、つい少し前に剣で串刺しにされた思えないほどピンピンしている璃正だが、流石に完全復活とはいかないらしく頭には包帯が巻かれている。
 そんな璃正が眉間に皺を寄せ、青筋をたてながら背後にいても、冥馬は全く動じずキャスターと二人して教会中に怪しげな刻印を刻み込んだり宝石を埋め込んだりしていた。

「なにって罠作りと陣地作成に決まっているじゃないか」

「勝手に私の教会を罠の巣窟にするな! 私は今回に限って教会での戦闘許可を出したが、好き勝手に罠を作る許可を出した覚えはないぞ!」

 璃正からしたら冬木教会はもはや自分の家も同然。救いを求める者は誰であろうと拒まない慈愛の家である。
 そんな場所に来る者を拒むを通り越して、来訪者を呪殺しかねない罠を埋め込まれたら、璃正でなくとも激怒したくもなるだろう。

「そうは言ってもなぁ。真正面から戦ってもリリアには勝てないし。な、キャスター」

「キャスターのクラスは陣地作成による防衛に優れたクラス。ただでさえ最高峰の対魔力をもつセイバーとは相性において悪いのだ。せめて即席でもなんでもいいから、奴等がここに来るまでに準備をせねば戦えるものも戦えん」

 ナチスと帝国陸軍と戦うために共闘した冥馬とリリアだが、いつの時代も同盟とは永劫不変のものではない。
 冥馬とリリアの同盟関係は、あくまでナチスと帝国陸軍というイレギュラーを聖杯戦争から排除するまでのもの。二つの組織が敗退した今、その同盟関係は終わっている。
 リリアリンダ・エーデルフェルトはもはや頼もしい味方ではなく、恐ろしい好敵手だ。

「し、しかしだな……」

「戦いは剣を交える前から既に始まっているもの。兵糧を集め兵力を揃え陣を作る――――この下準備で戦いの趨勢の八割は決するといっていい。
 監督役。お前は俺たちに教会においてセイバーとの戦いを黙認すると言った。ならばセイバーを倒す為の如何なる下準備についても、聖杯戦争のルールに抵触しない限りは認めるということだろう」

「むっ……」

「それともよもや、神に信仰を捧げる敬虔な神父様が、約束を違えるわけじゃあないだろうな?」

 璃正の反論はあっさりキャスターに封殺される。
 キャスター相手に口で挑んでも勝ち目などないから諦めろ、と冥馬は璃正の肩にポンと手を置いた。

「頼むよ、璃正。冗談ぬきでこうでもしないと戦力差をどうにかできそうにないんだ」

「……仕方ない。神父が嘘を吐く訳にはいかんからな」

「恩に着る」

 璃正の許可もとれたことで、冥馬はより一層、魔術工房の建造に精を出す。
 アサシンが敗退したという情報は、遠からずリリアにも伝わるだろう。リリアには聖杯戦争降霊のことまでは話していないので、リリアが冬木教会に気付くのにはまだ時間がある。それまでにどうにかしてセイバーに対抗できるだけの準備をしなければならなかった。
 だがこうして降霊地点の確保を成し遂げた冥馬だが、サーヴァントの力量を除外しても条件は五分五分である。

「土地は確保したが、器はあちらが抑えているからな」

 帝国陸軍からリリアが奪い返した聖杯の器。それをリリアは教会に大人しく返却などしなかった。それどころか「どうせ私が勝つんだから、それまで私が預かってあげる」などと言って返却拒否したのだ。
 教会側も幾度となくリリアに聖杯を返すように要請したが、リリアは逆に言葉巧みに帝国陸軍に聖杯の器を奪われたという過失を責め、遂には聖杯を取り返すことにより聖杯戦争の運営に協力した対価として、聖杯の器を預かることを認めさせてしまったのである。その手際にキャスターなどは「現代の魔術師もやるものだ」と他人事のように感心していた。
 そうして器はリリアの手に渡ってしまったわけだが、不幸中の幸いというべきかリリアが明確な対価を得た為に、冥馬も教会に対して対価を要求できるようになり、それを用いて本来中立の教会にアサシン敗退を報告させたのだ。

「こうしていると子供の頃を思いだす」

 ふと自分の魔力を地面に流し込んでいたキャスターが呟いた。

「子供の頃? 子供の頃、こんな物騒な罠を作って遊んでいたのか?」

「遊びじゃない。修行……あいつとの木剣試合でな」

「ああ」

 キャスターの言う〝あいつ〟とは、もしかしなくても彼の義妹のアーサー王のことだろう。
 日輪に照らされ一面に広がる緑色の地平。老騎士の厳しくも優しい眼に見守られながら木剣を交える兄妹の情景。冥馬も夢を通して何度かそれを見た事がある。それは後の華々しい騎士的名誉溢れた戦いと比べたらちっぽけな記憶かもしれないが、きっとキャスターにとってなによりも大切な思い出の一ページだったのだろう。
 心なしか木剣試合のことを語るキャスターの声はいつもよりも弾んで聞こえた。
 夢から覚めた今でも目を瞑れば太陽の下で元気よく木剣を振る少女と、熱心に罠を作る兄の姿が浮かぶようだ。

「……ちょ、ちょっと待った! 罠って、まさか義妹との木剣試合に、今作ってるような罠を仕掛けていたのか!?」

 戦争であれば、勝つために幾多の罠を戦場に張り巡らせることもあるだろう。特にブリテンは数において蛮族たちに劣っていたのだ。王道的ではない奇襲・奇策もキャスターの記憶に残る騎士王であれば率先して用いたはずだ。
 しかし戦争における戦いと木剣試合における戦いは、同じ戦いでも意味が全く異なる。木剣試合というのは互いの力量を高めあうため、殺傷力のない木製の剣を使っての模擬試合、武術における組手のようなものだ。ルール無用の殺し合いとは全く異なる。
 スポーツにルールがあり、そのルールに違反すれば罰があるように、木剣試合には木剣試合のルールが定められている。そこに罠を用いるなど、はっきりいって卑怯以前の問題だ。
 キャスターは「ふん」と鼻を鳴らすと、

「あいつの実力は一年と少し経つと完全に俺を追い越していた。血の滲む努力と天賦の才の相乗効果というものさ。一年でこうなのだ。二年も経てば俺がどう頭を捻ろうと、あいつに一太刀も浴びせることができなくなっていたよ。だがそれがどうした。俺はどんな手段を使ってでもあいつに負けたくなかった。だから勝つために策を用いたまで」

「後学のために聞いておくが、具体的にどんな罠を?」

「色々やったぞ。落とし穴も掘ったし、寝込みを奇襲したこともあったし、四方八方から矢が降り注ぐ仕掛けを作ったこともあった」

「……そ、そこまでやるか普通」

 血の繋がりがないとはいえ、年下の妹に負けて悔しい気持ちは分からないでもない。男なんて生き物は常に見栄を張っていたいもの。それが年下の家族であれば猶更だ。
 冥馬は新たなコミュニティーを形成することが億劫なため結婚願望は余りないのだが、弟の方が早く結婚し家庭をもった時は、何故か言いようのない悔しさにかられたものである。
 だが幾らなんでも妹相手に寝込みを奇襲だとか、四方八方からの矢の雨を降らすなどやり過ぎとしか言いようがない。

「大人気なくなどない。お前は猫の子を相手取る時と獅子の子を相手取る時に同じ対処をするのか? 違うだろう。猫の子には猫の子の、獅子の子には獅子の子の対応というものがある。
 俺の義妹はさしずめ竜の子だった。故に竜の子を相手取るに相応しい対応をしてきたまでのこと。実際あいつときたら四年も経つと、俺が百戦練磨の騎士もあたふたさせる極悪罠地獄に叩き込んでもケロリと生還したからな。しかもあいつ『兄君のお蔭で狡猾な罠を見抜く眼を養えました』だとか言ってお礼までしてきた。まったくもって可愛くない!」

「寧ろ俺にはお前の義妹の素晴らしさの方が良く分かったよ」

「それでむかついたからな。絶対に一本とってやろうと、三か月かけて家より広い三連巨大落とし穴を掘ったんだ。そうしたらどうなったと思う?」

「計画通りに妹を落とし穴に落とす事に成功したんじゃないのか?」

「違う。俺は準備万端で義妹を待ち構え、落とし穴に義妹が落ちるや否や、飛び出して脳天に木剣の一撃を叩き込んだんだ。だがあろうことかそれは義妹じゃなく、俺が夜中に出歩くのを注意しにきた父で――――」

「自業自得な結末を迎えた訳だな」

「ふん。翌日の父の怒りときたら天の雷鳴すら引っ込む勢いだったぞ……」

 拗ねたようにそっぽを向くキャスターだが、やはりその表情は明るかった。あらゆる命と願いが死に絶えた丘で、血が蒸発するほどの無念の雄叫びをあげた騎士と同一人物にはとても見えない。だが火薬の量が多ければ多いほど、爆弾はより激しく周囲に破壊を撒き散らすもの。キャスターにとって昔日の日常とはそれほどに尊いものだったのだろう。
 或いは――――キャスター本人に問うても間違いなく否定するだろうが――――彼が卑怯な手段を使ってまで義妹に勝とうとしていたのは、妹に対し勝者であることで、妹を後の悲劇から無意識に守ろうとしていたからなのかもしれない。

「キャスター。一つ、まだお前に教えてない事があったから、この機会に言っておく。リリアが来れば呑気に会話している余裕なんてないだろうし」

 罠を作っていた手を止め、周囲に璃正たち教会スタッフの姿も使い魔による目もないことを確認してから冥馬は口を開いた。声質から冥馬の真剣さを察したキャスターは、背中を向けたまま何も言わず冥馬の言葉を待つ。
 はっきり言ってこれから冥馬が話すことは聖杯戦争における最大級の秘密。大聖杯以上に知られてはならぬことだ。特に自分のサーヴァントに知られれば裏切りを招く類の。
 もしかしたら父・静重が草葉の陰で説教するかもしれない。だが例え父の意向に背くことがあっても、敢えて言うべきだと冥馬は決断した。

「聖杯はね。実は万能の願望器としての機能はおまけみたいなものなんだ。御三家が作り上げた聖杯の真の用途は、サーヴァントが座へと戻る力を利用し『根源』への道を開く事」

「そうか」

「あんまり驚かないんだな」

「伊達に俺も〝魔術師〟のサーヴァントとして呼ばれたわけじゃない。魔術師とは個人ではなく、子々孫々と続く血脈により『根源』という真理を追い求めることを目的とする群体。故に魔術師の行動はそのすべからくが『根源』に到達するためのもの……。
 だとすれば三つの魔術師の系譜が挙って作り上げたという聖杯が、万能の願望器としてじゃなく『根源』に到達するためのものだと教えられても至極当然と納得できる。それに俺は聖杯がどういう代物だろうと、聖杯が万能の願望器としての機能を持ち合わせているならば何の不満もない」

 義妹への愛情という一点を除けば、徹底した現実主義者のキャスターらしい言葉だった。けれど聖杯に隠された秘密はこれだけではない。

「本題はここからだ。万能の願望器として使うならばサーヴァントは六体……いいや五体もくべれば死者蘇生くらいの願いを叶えるには十分すぎるだろう。だが聖杯を真の用途で、つまり『根源』への到達に使おうとすれば、七体のサーヴァントを生け贄にしなければならない」

「……」

 七体のサーヴァントの生け贄、それが意味するところは一つしかない。敵の六騎のみならず、自分自身のサーヴァントをも生け贄に捧げる。
 これまでの聖杯戦争で一度もそこまで到達した者はいないが、もしも『根源』への到達を求めるマスターが勝者となったならば、そのマスターが最後に行うのは令呪をもって己自身のサーヴァントを自決させることだ。
 サーヴァントからしたら完全なる裏切りにも等しい聖杯戦争の真相。それを聞いたキャスターは意外なほどに静かだった。殺気を滲ますどころか、その佇まいは水面のように落ち着いている。

「どうして今になってそんな事を言った?」

 キャスターが己の感情をすっぽりと覆い隠しながら言う。
 遠坂冥馬は病的とまではいかないが秘密主義者である。うっかり口を滑らせるのが玉に瑕だが、それでも言うべきではない情報は漏らさないし、言うべき情報すら出し渋る事も多々ある。
 故にキャスターの疑問は当然のものだ。なにせ聖杯の真実などを喋っても冥馬にはなんの利益もない。これで万が一キャスターが離反してしまえば冥馬の終わり。百害あって一利なしだ。

「一つは俺には『根源』への到達を願う気がそもそも無いから。俺はアーチャーと違って人類は平等なんて唱えるつもりはない。ソビエトを見てきたら、押し付けられた平等の害悪さは嫌でも分かるからな。けど世の中は不平等に溢れているけど、出来うる限り物事は公平であるべきだとも思う」

「理想論だな。十の努力をして万人が十の対価を得られるなら、世界はもっと平和に廻ってるだろうよ」

「出来る限りって言ったろう。別に世界を全て公平に、なんて夢物語を聖杯に託そうなんて馬鹿みたいなことを考えているわけじゃない。ただ等価交換を原則とする魔術を学ぶ身として、不公平っていうのは腹立たしいものだから、自分は自分の出来る限り公平な対応を心がけようと努力しているわけさ」

 だから『根源』の到達に聖杯は用いない。同じように戦い、同じように勝者となったサーヴァントを裏切ることは余りにも不公平故に。
 それに自分の主義に嘘をついてまで聖杯に縋るなんていうのは実に優雅ではない。そんなことをするよりも聖杯などの手を借りずに独力で『根源』へ到達してみせる――――それが冥馬なりの余裕をもって優雅たる生き方だった。
 自分の代ではもしかしたら、大師父より与えられた課題、遠坂の悲願を成就させることは叶わないかもしれない。だが自分の次の代、またはその次の代であれば、必ず遠坂の悲願を成就させるだろうと冥馬は確信していた。

「お前の能天気さ加減は分かったが、それだけじゃ答えになってないぞ。そもそもにおいて、お前がこのことを話して得るメリットとはなんだ?」

「対価だよ。お前の過去を、俺は夢を通して無断で見ただろう。だからその対価に俺は聖杯戦争の秘密を教えた。これで公平だろう」

「…………っ」

 振り返りキャスターは驚きと呆れが入り混じった不思議な目で冥馬を凝視する。
 過去を見た対価として聖杯戦争の秘密を教えた冥馬だが、完全にそこに打算がなかったわけではない。キャスターは合理的で基本的に冷静な人間だ。聖杯戦争の秘密を知ったからといって逆上して斬りかかるなんてことはしないだろう。
 そして冥馬の話を全て聞き終わってから、やはり冥馬は信用できないと切り捨てる事もほぼ有り得ない。ここで冥馬を切り捨ててしまえば、単独行動スキルのないキャスターは大きくその力を削がれ弱体化する。そんな状態になれば、もはや聖杯を手に入れるどころではない。出会い頭にセイバーに打ち倒されるのがオチだろう。
 計算高いキャスターならば冥馬の話を聞き終え少し吟味すれば、冥馬を信用せずに切り捨てるより、冥馬を信用してサーヴァントとして仕え続ける方が勝ち目はあるという結論に至るはずだ。
 実際こうして遠坂冥馬は生きている。尤も冥馬自身、そんな打算とは別にキャスターが自分を信用してくれれば良いと思っていたのもまた事実であるが。

「とんだ食わせ者だな。ああ認めてやる、お前は大した男だよ」

「円卓の騎士に褒められるなんて光栄だね」

「ふっ。だがお返しに俺からもお前に一つ教えよう。マスターは契約を通じてサーヴァントの過去を夢で見ることがある。なら、その逆は?」

「逆? というと…………ま、まさか!」

 マスターがサーヴァントと契約を通じて繋がっているように、サーヴァントも契約を通じてマスターと繋がっている。だとすればマスターがサーヴァントの過去を夢に見るという逆の事象が起こり得ることは十分有り得る。キャスターのサーヴァントともなれば、それを意図的に起こすことも可能だろう。

「お前の考えなんて、全てお見通しだったんだよ、俺は。怒ってくれるなよ? ラインを通して記憶を見た事は不問だと決めたのだからな」

 道理で聖杯の真実を聞いても、キャスターがまったく驚いたり慌てふためかないはずだ。いつからかは知らないが、キャスターは冥馬が話す前から全てを知っていたのだ。最初から知っている事を口頭で言い直されても驚くはずがない。
 肩を落として脱力する。遠坂冥馬、聖杯戦争始まって以来の完全敗北であった。
 そんな冥馬を見つめながらキャスターは朗らかに笑う。
 厭な風が教会を中心に流れ込んできている。聖杯戦争最後の戦いはもう直ぐだ。



[38533] 第72話  円卓の騎士と十二勇士
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/06/28 23:13
 遠坂冥馬が冬木に放った〝目〟がそれを見つけたのは時計の針が両方とも5の数字を超えた時刻だった。
 赤い舞踏服を着こなして悠然と歩道を歩く少女。彼女の高貴な華やかさは無機質な道ですら赤絨毯に錯覚させるほど、香しい匂いを放っている。
 そんな絵に描いたような令嬢であれば、そこに従者が付き従うのも必然というべきだろう。白銀の戦化粧の武装は敵の刃を弾く無骨さと、騎士の誉れを見事に両立していた。後ろ髪で結った長い銀色の髪は、夜の闇に浮かぶ星のように美しく流れている。
 絵物語の中より抜け出してきたような姫君と騎士こそが、遠坂冥馬とキャスターが戦うべき最後の相手。即ちリリアリンダ・エーデルフェルトと最優の名を欲しいままにするセイバーのサーヴァントである。
 戦う前に万全ともいえる布陣を整えたが、冥馬とキャスターの勝率はそう高くはない。寧ろ低いと言っていいだろう。
 イレギュラーな召喚の影響でセイバーのコンディションが万全でないのが救いだが、それでもセイバーとキャスターの間には、そう安々と飛び越えられない差が横たわっている。

『セイバーは俺の義妹と並んで世界でも三本の指に入る剣の英霊だ。この俺じゃまともにやりあえば千回戦って千回この躯を晒すだろうよ』

 キャスターなどは半ば自嘲げに、半ば冷静にそう評したものだ。しかしそれを臆病と詰ることなど出来る筈がない。キャスターは良くも悪くも現実主義的人物で、決して的外れなことは言わない男だ。耳を削ぎ落したくなるような罵詈雑言にも、必ず納得せざるをえない理がある。だからこそキャスターは英霊屈指の弁舌家なのだ。
 故にキャスターがまともに戦って勝てないと断言したのであれば、なにをどうしようと絶対に勝てないのである。

 〝円卓の騎士〟と〝十二勇士〟

 共にたった一人の王に忠誠を誓った、誉れ高く勇壮なる騎士達の集った銘だ。時代を問わず七騎の英霊を呼び寄せる聖杯戦争で、円卓の騎士と十二勇士が同時に招かれたことには、ある種の因果を感じてしまう。もしも冥馬の呼び出したサーヴァントが正真正銘のアーサー王であれば、さぞや壮絶な決勝戦となったであろう。
 だが遠坂冥馬のサーヴァントはアーサー王ではない。アーサー王の名を騙ったアーサー王の義兄。円卓最弱と己を称するサー・ケイだ。
 対する相手はいと名高きシャルルマーニュ十二勇士において〝筆頭〟であり〝最強〟とされる騎士。これと戦うにはサー・ケイでは役者不足も甚だしい。

――――ならば勝てないからと尻尾撒いて逃げ出すか?

 それも論外である。
 勝ち目のない戦いに挑むのは馬鹿のすること、というありがたい教訓は冥馬もキャスターも心得ている。しかしながら勝ち目が僅かでもあるのならば、逃げずに戦うことは、決して馬鹿の行いではない。
 諦める、仕方がない――――これらの言葉を口にして負け犬にならないのは、そこに至るまで己のやるべき事を全てやった人間だけだ。自分の出来る最善を尽くしたのだから、もしそれが叶わなかったとしても時の運、是非もない。が、最善を尽くさずに諦めるのは怠慢に過ぎない。
 確かにセイバーは強い。基礎スペックにおいてキャスターを上回っているのみならず、セイバーだけあってその剣技も流麗にして豪壮。キャスターの義妹と比べても甲乙つけがたい素晴らしい技だった。
 更にはその手に握られている森羅万象あらゆるものを両断する聖剣。セイバーの剣技にこの聖剣があるとなれば、はっきりいって白兵戦という分野では無敵に近い。これでオルランド側にとられた肉体の不死性まであったら、本当に手がつけられなかったところだ。
 それにキャスターによれば、恐ろしいことにセイバーはまだ何か奥の手を隠しているという。
 サーヴァントが隠し持つ奥の手となれば、思い当たるのは三つ目の宝具一択しかない。その宝具が個人を相手取る対人宝具なのか、それとも集団を相手取る類のものなのか、はたまた何か特殊な効果を発揮するものなのか。それはセイバーの宝具を見ていない遠坂冥馬には分からぬことだ。しかしセイバーほどの英霊が頼みとする奥の手である。かなり強力無比な代物だと考えて良いだろう。
 これでマスターの方に隙があるのならば、冥馬が上手く立ち回ることで如何様にも出来たかもしれない。だがリリアリンダ・エーデルフェルトは口が裂けても弱兵などとは言えない相手である。姉のルネスティーネとほぼ互角の実力の持ち主だとされていたことからも油断ならぬ難敵だ。
 マスター、サーヴァント共に一級。しかも既にリリアたちはキャスターの真名にも心当たりがついているという。
 聖杯降霊地点を確保しているということを除けば、あらゆる不利が目白押しな冥馬とキャスター。
 けれどやはり勝算は皆無ではない。
 強い者が必ず勝つのか、弱い者は必ず負けるのか。

〝答えは否だ〟

 百の武人を薙ぎ倒す羅刹が、一瞬の油断で子供に命を奪われる時がある。名もなき一兵卒の我武者羅に突き出した槍が、無双の英傑の心臓を突き破る瞬間がある。
 まともに戦って勝てないなら、まともじゃないやり方で戦う。
 キャスターが大人気ない罠を仕掛けて、義妹から一本をとろうとしたことには呆れたものだが、これより冥馬たちがとるべき戦術は正にそれだ。
 格下が格上を倒すのには裏技を用いる他ない。強者が真正面から剣で一薙ぎするだけで得る戦果を、弱者が得ようとするのならば入念な下準備を重ねなければならないのだ。
 そして今。冥馬とキャスターは教会を背にして、じっとここに来る二人を待ち構えている。
 教会側のフォローで教会の敷地から半径100mには、人っ子一人近づけぬよう人払いが施されており、聖杯戦争の決勝戦をするには申し分ない戦場が出来上がっていた。
 しかしそれだけではない。聖杯の降霊に足るだけの歪みが、この土地に生まれつつあるのを良い事に、キャスターはその力の一部を己の強化に充てている。この土地内部で戦う限りにおいて、キャスターは円卓最弱の汚名を返上するくらいのスペックを発揮することが可能になるだろう。
 敷地のあちこちにはキャスターと冥馬が共同で作り上げた罠の数々。
 この戦いまでに冥馬とキャスターは、自分達のやるべきことは全てやり終えた。だからもし負ける時になっても言えるだろう。仕方ない、と。
 そして〝それ〟はやってきた。

「俺の後ろに隠れろ!」

 キャスターの鋭い指示と同時に、地平の果てにまで届きそうな音が鳴り響く。それはこれから起こる災害を伝える警報でもあった。
 張り巡らせた罠を容赦なく蹂躙し、キャスターの作り上げた陣地を犯し尽くすものの正体は暴風。空間そのものを極限にまで圧縮し、それを一気呵成に解き放ったならばこうなるだろう、と感じさせる日輪の如き熱をもった大熱風だ。
 古来よりの条理に外れることなく、自然の猛威を具現化した破壊の塊は、人の手による防波堤を破壊し尽くした。

「やってくれる……。セイバーめ!」

 剣を盾のように突き出して、自分と冥馬を守る結界を張ったキャスターが舌打ちする。キャスターの背にあり、どうにか暴力的な熱風から逃れた冥馬もキャスターと寸分違わずに同じ気持ちだった。
 対セイバー戦のために冥馬たちが張り巡らせた罠の、実に九割が息を止めている。〝歪み〟を利用した、キャスターへのバックアップが活きていることが不幸中の幸いだが、そんなものは気休めにもならない。
 明らかに人間の為せる次元ではない破壊。だとすればこれをやったのはサーヴァント以外には有り得ない。セイバーの聖剣には熱風を放つような能力はないので、この熱風を生み出したのはセイバーの第三の宝具によるものと判断して良いだろう。
 息をつく間もなく、破壊を生み出したであろう張本人を伴って、リリアリンダ・エーデルフェルトは優雅に戦場へやって来る。

「ハァイ。フライトの見送り以来ね、冥馬。元気で生き残っているようでなによりだわ」

 余裕をもって優雅たれ、は遠坂の家訓だというのに。リリアは遠坂顔負けの見事なまでの余裕と優雅さを醸し出す笑みを浮かべていた。
 隣には熱風で冥馬たちの陣地を破壊した張本人ことセイバーが、鞘から抜かれた剣のような気配で立っている。その顔立ちはとても教会でひょうきんなやり取りをした男と同一人物には見えない。さしもの剣の英霊も、己が悲願の成就を目の前にすれば神妙にもなるのだろう。

「いきなり熱風で人を殺しかけて言う台詞がそれか。元気に生き残っていた命を、いきなり消し飛ばそうとして良く言うな」

「あんな力をセーブしたそよ風で、貴方達が死ぬなんて思ってないわよ。仮にもルネスを倒した相手なのに、この程度でやられて貰っても興ざめだし。あれはほんの挨拶代わりよ」

「挨拶? あれが?」

 エーデルフェルト家では挨拶の度に、家屋を消し飛ばす熱風を放つというのなら、とっくにフィンランドは焦土と化していることだろう。

「あんまり怒らないで欲しいわね。貴方だってこれからお邪魔する家の前に、露骨に落とし穴が掘ってあったら、先ずは穴を埋めてからお邪魔するでしょう? 私はちょっと強引だけど同じことをしたまでよ」

「……成程」

 リリアも冥馬とキャスターが教会中に罠を張り巡らして、虎視眈々と待ち構えていることくらいはお見通しだった。普段のリリアなら最優のサーヴァントを味方にしている余裕故に、そんな罠など力で踏みつぶして進軍していたかもしれない。だが冥馬は運の悪いことにリリアの姉のルネスティーネを倒している。
 ルネスティーネ・エーデルフェルトは最強のセイバーを有しながら、自ら遠坂冥馬の陣地に乗り込んだことで真っ先に敗北するという恥辱を受けた。普段は険悪ながら誰よりもルネスティーネの実力を知っているリリアは、姉を倒した遠坂冥馬を誰よりも警戒し、冥馬に対して姉の犯した過ちはするまいと心に決めたのだ。
 だからこそこれまで温存してきた奥の手を使ってまで、事前に教会の罠を熱風で吹き飛ばすという強引な、しかし慎重な一手をうったのである。
 つくづく敵にすると厭な相手だった。

「キャスター、やれるか?」

「その問いは無意味だな。やれるか、だと? やるしかないんだろうに」

「ふっ。そうだったな。じゃあ、やれ」

 罠の九割が吹っ飛ばされたが、取り敢えず罠を張り巡らせた価値はあった。
 確かに罠は本来の機能を発揮する事なく沈黙してしまったが、セイバーはそれをやるのに己の奥の手を遂に解放したのである。リリアとセイバーは遠くにいたので、どんな形状の宝具を使ったのかも宝具の真名も分からなかった。しかし破壊痕や実際に見た光景から、ある程度の想像はつく。
 セイバーの奥の手は熱風により城壁をも破壊する対城宝具。呪いや防御ではなく純然たる破壊兵器だ。しかも最初の一撃は罠を破壊するに留めた威力を抑えたもので、本気で力を解き放った時の威力は未知数。
 あらゆるものを切る剣に対城宝具など、もはや反則と叫びたくなるような装備といえる。だが相手の奥の手が対城宝具と分かったのは大きい。一度きりの殺し合いにおいては目に見えている拳銃よりも、懐に隠した正体不明の武器の方が恐ろしいものだ。
 マスターの命令を受けた蒼い騎士は、己のものではない黄金の剣を手から出現させて白銀の騎士と対峙する。その背中には自分より格上の騎士を前にする緊張感はなく、ただ勝とうとする意志が滲んでいた。

「セイバー。泣いても笑ってもこれが最後の戦いよ」

「おう」

「相手は貴方より格下のサーヴァント。だけど油断しないこと。いいわね?」

「おう、任せておきな。俺は今も昔も戦う時は、目の前の敵を全力で切り伏せることしか考えてない。あれこれ考えては剣が鈍ると我が友に教わったんでね。
 一万九千九百九十九の無念を味わうために迷い出た戦い。最後の戦いの相手がオリヴィエにちょっと似た雰囲気がある奴だっていうのが、少し運命みたいなのを感じるが」

「ふん。俺はお前の友ほど優しくはないぞ。俺がお前の友なら、お前の無思慮さに我慢の限界がきているさ」

「だろうな。だが俺はその為に来たんだ。お互い望みはあるだろうし恨みっこなしともいかないかもしれないが――――精々死力を尽くせ」

「無論」

 十二勇士最強の騎士と円卓最弱の騎士。互いが握るは不滅の聖剣と黄金の選定剣。
 異なる時代、異なる騎士道物語において対極の称号を得た騎士が激突する。

「ゆくぞっ――――っ!」

「ふんっ!」

 堂々と進み出るセイバーを、鼻を鳴らし迎え撃つキャスター。戦いの趨勢を決するといっても過言ではない初撃、白銀と黄金の刃が鍔迫り合い大輪の火花を咲かせた。二発、三発、四発と炸裂する鮮烈な火花は、さながら小さな花火のよう。戦いを見守る冥馬とリリアは共にその美しさに息を飲んだ。
 拮抗状態は永久には続かない。膂力で押し負けたキャスターが弾き飛ばされる。くるりと空中で回転しながら着地したキャスターは、掌を突き出してそこから炎を噴出した。

「それは前に見せて貰ったぜ」

 してやったり、とセイバーは口端を持ち上げた。セイバーは頭こそ残念であるが、騎士としての実力は折り紙付きだ。誰かから教えられずとも騎士としての立ち回りを、感覚で理解している天然の戦士である。
 キャスターのように相手の動きを事細かに記憶した上で、その情報を下に修練で鍛え上げた心眼で受ける――――なんてことはセイバーには出来ない。されどセイバーは頭ではなく肉体全てで一度見たキャスターの戦い方を覚えとり、それの対処法もなんとなく見出す。

「そらぁああッ!」

 対魔力をもってしても無力化できぬ火炎。セイバーがそれを攻略するためにとった事は至極単純なことだった。
 即ち斬る。万物を切り伏せる絶世の名剣は、例え真名解放による奇跡を発揮せずとも、その切断力は並み外れている。デュランダルの刃は形なき炎ですらも両断してみせた。
 これこそがセイバーの剣だ。
 キャスターのように修得した多くの技能の一つなどではない。天賦の才と心眼を駆使し、幾度もの戦いの中で研ぎ澄ませてきた剣技。天才の中にあって天才と称される神童が、果てしない研鑽の果てに到達する究極の一だ。
 剣術、魔術、数多くの特殊能力。こと手数の多さでいえばキャスターは此度のサーヴァントたちの中でも随一であろう。逆にセイバーにあるのは剣だけだ。魔術を弾く肉体があろうとも魔術は使えず、特殊能力ともいえた不死性は半身にとられ失ってしまっている。
 されどセイバーのたった一振りの剣は、キャスターのあらゆる手数を真っ向から両断する。
 キャスターはセイバーの〝剣〟を見つめ、一瞬懐かしむように目を細めた。瞳の奥に映る人影は果たして誰であったか。セイバーが踏み込むと同時に、元の険しい顔に戻りセイバーと打ち合う。

「くっ……。やはり強いな」

 大方の予想通り、やはり真っ向勝負では圧倒的にキャスターが不利だ。否、勝ち目などないとすら言っていい。
 持ち前の生き汚さと、格上ばかりと戦ってきた経験則、土地のバックアップ、そしてセイバーの能力値の全体的な低下。これらの要素があるからこそ、キャスターはどうにかセイバーと切り結んでいられる。もしもこのうち一つが欠けていれば、今頃キャスターは真っ二つに両断されていたことだろう。それほど両者の実力には開きがある。
 ただ見ているしか出来ぬ己が不甲斐ない。だが遠坂冥馬程度の実力であの場に割って入れば、一呼吸のうちにセイバーの刃に両断されるのは目に見えている。だから口惜しくとも、今はキャスターの援護に徹するしかないのだ。

――――いや出来ることはある。

 聖杯戦争で戦力になるのはサーヴァントだけではない。サーヴァントと比べれば劣るにしても、魔術師であるマスター自身もまた一つの戦力なのだ。
 キャスターがセイバーと切り結んでいるならば、マスターである冥馬はリリアと戦えばいい。キャスターとセイバーとは違い、冥馬とリリアの実力はそう離れてはいない。寧ろ戦闘能力では冥馬の方が勝っているだろう。
 そのことを承知しつつも冥馬は戦わない。いや戦えなかった。
 リリアはセイバーとキャスターの戦う場所を中心に、冥馬の反対側の位置に立ったまま一向に動く気配がない。
 姉のルネスティーネなら今頃颯爽と手袋を投げつけてきたであろうに。この静けさが不気味だった。

「リリア。サーヴァントたちだけ戦わせていないで、こっちもこっちで雌雄を決しようじゃないか」

 探りを入れる為にも冥馬は不敵に挑発する。

「その誘い承りましたわ――――と、返答したいところだけど今日はパスしておくわ」

「地上で最も優美なハイエナともあろう者が戦いを避けるのか?」

「そうよ、その通り」

 あっさりと恥じる様子もなくリリアは返答した。

「貴方は強いわ。だってあのルネスを倒したんだもの。ルネス以上ということは、私と同じくらい貴方は強いんでしょうね。いいえ、もしかしたら私より強いかも。
 私もエーデルフェルトの当主として、遠坂家当主の遠坂冥馬を倒すことに興味がないわけじゃないけれど、貴方と戦うとなると勝算は多く見積もっても五分五分。ちょっと分が悪い選択よね。
 けど私と貴方が五分五分でも、お互いのサーヴァントはそうじゃないでしょう? キャスターを馬鹿にするわけじゃないけど、こと強さに限ってセイバーはキャスターを完全に凌駕している。
 だったら五分五分の戦いをするよりも、サーヴァント中心の戦術で戦った方が効果的よ。この戦い、絶対に私は貴方に近付かないし戦わない。
 賞品も栄誉も直接掻っ攫うのが私の趣味だけど、偶には自分では手を下さず敵を倒すっていうシチュエーションもエレガントで良いと思わない?」

「………………」

 近接戦に持ち込むために殴りにいけば、どうあっても中心にいるセイバーの近くを通る必要がある。そしてセイバーとキャスターが剣を交えるそこを、ただの魔術師が通ろうとすればどうなるかは語るまでもないことだ。
 冥馬も魔術師。宝石を用いた魔術で大火力をリリアにぶつけるという方法もあるにはある。しかしそこで問題となるのはリリアが持ってきている『聖杯の器』だ。
 小聖杯の強度がどれほどのものかは知らないが、ランクA相当の魔力が込められた宝石が炸裂すれば壊れるのは確実だろう。聖杯が壊れるということは聖杯戦争の瓦解をも意味している。かといって聖杯を壊さぬよう威力を調整した魔術では、リリアほどの魔術師を倒すことなど不可能。
 完全にお手上げだ。これでは遠坂冥馬はリリアリンダ・エーデルフェルトと戦えない。

(やはり聖杯戦争のフィナーレを飾るのはサーヴァント同士の戦いというわけか)

 お世辞にも強力とはいえないキャスターだが、聖杯を求める心の強さならば決して負けはしないはずだ。思いの強さがあれば戦力差など幾らでも引っ繰り返せるなどという根性論を信じているわけではないが、聖杯を手に入れる事に執念を燃やすキャスターが、ただセイバーに嬲られるだけなんて無様を晒す筈がない。
 故に冥馬は戦いを己のサーヴァントに任せ、無理にリリアに攻撃を仕掛けるということはしなかった。
 マスターの信頼を背中で感じたのかキャスターは苦笑すると、あろうことか目を瞑った。

「目を瞑った? なにしてるか良く分からないが……喰らえ!」

「待ちなさい、セイバー! もっと冷静に!」

「へ?」

 リリアの制止は遅かった。セイバーは既にキャスターに切りかかっている。今更後退しても間に合いはしない。キャスターは目を瞑ったままニヤリと笑うと、至近距離で光を炸裂させた。

「うおっ! 眩しっ!」

 キャスターの使ったのは光を灯すという、何の変哲もないただそれだけの魔術である。だがその変哲もない魔術はしかし、最優のセイバーには効果的だった。
 光は程度によれば闇を照らす導となるが、度を越せば目を焼く灼熱にもなる。対魔力がどれだけ高かろうと目がある以上、眩しさを防ぐことなどできはしない。
 目を瞑っていたキャスターは兎も角、戦いの中で目を見開いていたセイバーはこの不意打ちに完全にやられた。とはいえセイバーも並はずれた回復力をもつサーヴァント。光による目潰しなど数秒もあれば元通りに回復するだろうし、目が見えなくともキャスター程度の刃を凌ぐのはどうということはないだろう。
 しかしその数秒間はキャスターが後方に飛び退くには十分すぎる隙だった。

「待てッ!」

 視力の回復したセイバーが猛然とキャスターを追撃する。その行動がキャスターの予想通りだと気付かずに。

「かかったな」

 瞬間、セイバーの立っていた地面が陥没する。

「なっ! お、落とし穴……ですって!?」

 リリアが吃驚した。
 これこそがキャスターがセイバーを倒すために張り巡らした罠の一つにして生き残り。子供の喧嘩に狩猟、果ては戦争にまで古来より用いられてきた由緒正しいトラップである。
 落とし穴といっても、キャスターの落とし穴は通常のそれとは訳が違う。穴の面積だけでも小さな池ほどあり、その深さたるや底なし沼の如しだ。サーヴァントという怪物を拘束するために呪縛という呪縛を投入したそれに、人間が落ちるような事があれば、確実にその人間は永久に這い出ることは叶わないだろう。
 穴に落下するまで一秒、呪縛を振りほどくのに一秒、飛び出してくるのに0.5秒、そこから対応するのに0.5秒として三秒間セイバーを封じる事に成功した。
 たった三秒間、されど三秒間。三秒間の拘束など普通の戦いではまるで意味を為さないが、これが聖杯戦争であれば話は変わる。
 三秒間あればサーヴァントがマスターを殺害するのには十分な時間だ。

「冥馬!」

「分かっている!」

 この絶好の好機を逃す冥馬とキャスターではない。キャスターはリリアリンダ・エーデルフェルトの喉元に刃を突き立て戦いを終える為、強烈な踏込で跳躍する。冥馬もそれをアシストしようとして、

「――――マスターは、やらせん!」

 冥馬とキャスターの好機は、封じられているはずの白銀の騎士により打ち砕かれた。
 セイバーが落とし穴に落ちてからまだ一秒しか経っていない。これはキャスターが計算を違えたわけでは断じてなかった。セイバーが一瞬にして落とし穴から抜け出し、マスターを守れた理由。それはリリアの腕から失われた奇跡の一画にあった。

「令呪か……!」

 なんのことはない。リリアは未だ二画残る令呪の一画を使用したのだ。自分を守れ、と。
 令呪を使うにしてはシンプルな命令だが、それは正しい判断によるものだったと言えるだろう。リリアが令呪さえ発動しなければ、今頃キャスターの刃はリリアにチェックメイトをかけていたのだから。

「やっぱり油断ならないわね……。完全に圧倒されているようでいて、心の中で虎視眈々とこっちの命を刈り取るチャンスを伺っている。あの高慢ちきのルネスが負けるわけだわ」

 落とし穴に自身のサーヴァントを嵌められ、キャスターに殺されながらもリリアは狼狽することなく冷静さを保っていた。
 これでは令呪を一画消費させたことを喜ぶこともできない。実力で完全に上回れば大抵油断や隙を見せてくれるものだが、セイバーは兎も角、リリアは淡々と詰将棋のように戦いを進めるため文字通り油断も隙もありはしなかった。

「急いては事を仕損じるものだけど、貴方達を相手に戦いを長引かせるのは逆に危ないわね。セイバー、宝具を使って。これで仕留めなさい」

「――――承った、マスター」

 そしてリリアは王手をかけるため遂に切り札を切ってきた。
 大気中の魔力がセイバーの手にある『絶世の名剣』に吸いこまれていく。あの相馬戎次とライダーを一刀のもとに撃滅した聖剣が、再びその真価を解き放とうとしているのだ。
 不味いことになった。
 神秘を打ち破るのはそれに勝る神秘のみ。デュランダルの防御不可能の斬撃を防御するにはデュランダルを超えるだけの神秘が必要だ。
 だがキャスターは聖剣デュランダルを上回る神秘を何一つとして保有していない。強いて言えば黄金の選定剣はデュランダルに匹敵する宝具だが、本来の担い手としての権利を喪失したキャスターではカリバーンの力を発揮しきれないし、発揮できたとしても防げるかどうかは微妙なところだ。
 そうなると躱すしかないわけだが、セイバーの斬撃を回避する能力も、キャスターにはありはしない。

(少し勿体ないが、止むを得ない)

 令呪の使用。令呪をもって〝躱せ〟と命じれば、例え防御不可能の斬撃であろうと回避することはできるだろう。
 しかし令呪に魔力を送ろうとした冥馬を止めるように、キャスターがチラリと振り返る。

「キャスター……?」

 これまで共に戦い、共に語らっていたからキャスターの言わんとすることは分かる。なにか考えがあるのか、キャスターは冥馬に令呪を使うなと言っていた。
 キャスターが無策でこんなことを目で伝えるはずがない。とすればキャスターにはなんらかの策があると見た。

(分かった、キャスター。お前の判断を信じる)

 ただでさえ不利なのに、己のサーヴァントに疑問を持っては、ただでさえ低い勝率が限りなくゼロへと近づく。ならば冥馬はリスクを承知で全身全霊をもってキャスターを信じるだけだ。
 コクリと頷き「分かった」という意を伝えると、キャスターは足の裏で魔力を爆発させ、さながら飛行機のような速度でセイバーに突貫していった。
 それを見たリリアの顔には明らかな戸惑いが浮かぶ。防御不可能の必殺剣の攻略法は、ただ一つ回避のみ。なのにデュランダルから逃れるどころか、逆に自分から向かってきたキャスターの行動は想定外の極みだったことだろう。しかし想定外なのはリリアだけではない。

「ま、まさか! デュランダルが振り落される前にセイバーを仕留める気か!? む、無茶だ! やめろ、キャスター!」

 冥馬が叫ぶも、キャスターは止まらない。冥馬の制止を無視して、ひたすらに突っ込んでいった。

「――――」

 だがリリアと違い、セイバーは予想外の行動に戸惑うなんてことはなかった。否、そもそもセイバーは戦いにおいて予想などたてはしない。
 相手はこういう行動に出るからこうしよう、こうやった方が上手く戦いを運べる――――熟練した戦士なら当たり前にする駆け引きを、セイバーは一度もやったことがないのだ。そのようなこと一々考えずとも天稟が授けた本能が、勝手にとるべき行いをセイバーにとらせるのだから。

「しっ!」

 キャスターが自分本来の剣をセイバーに投げつけるも、白銀の騎士はそれを軽く手で払い、聖剣を1㎜も動かすことはなかった。
 もはや駄目だ。制止したところで、あそこまで勢いがついてしまえば止まることは不可能。さりとて令呪も間に合わない。
 セイバーはキャスターの動きを完全に補足し、不滅の刃をもってこれを迎撃する。

「ゆくぞ……。斬り屠る不滅の剣(デュランダル)!」

 天使から授けられた三つの奇跡をもつ聖剣は、ありとゆらゆるものを〝斬る〟という奇跡を正しく実現した。並みの剣を弾く鎧甲冑、サーヴァントの霊格。そのようなものなどデュランダルの前には紙同然。
 白銀の騎士はその一斬で、蒼い騎士の右半身と左半身を真っ二つに両断した。
 どしゃ、と厭な音をたててキャスターの亡骸が左右に崩れ落ちる。

「終わったぞ」

 セイバーらしからぬ簡素な声。白銀の騎士は聖剣を消して、マスターへ振り返る。
 それは戦いの終わりを告げる合図でもあった。



[38533] 第73話  はじめの言葉
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/06/28 23:13

 右半身と左半身を綺麗なまでに真っ二つにされ、蒼い騎士は大地に沈む。
 セイバーの繰り出した至高の一斬は、サーヴァントの霊核を完膚なきまでに破壊するに足るものだった。疑う余地などはない。キャスターは死んだのである。
 在りし日は鮮烈なれど、斃れれば後には何も残らず、ただ人々の記憶にのみ刻まれる。それが〝英霊〟というものだ。教会の地で躯を晒すキャスターも、直ぐにサーヴァントの摂理に従い、この世から幻のように消失するだろう。驚異的な再生能力があるならまだしも、通常のサーヴァントが、右半身と左半身を真っ二つにされて生存できる道理などないのだから。
 故にセイバーがキャスターを一瞥してから、己のマスターに勝利を報告するために振り返ったところで誰が責められようか。

「ッ!」

 どしゃ、と鈍い音をたててセイバーの腹から黄金の剣が飛び出した。その黄金の剣は明らかに選定の刃カリバーン。キャスターの義弟とされる偉大なる王の担う宝剣である。

「ま、まさか――――――」

 さしものセイバーも驚愕で顔を青くし、普段使わない思考回路が嘗てない勢いで回転する。
 生きている訳がない。真性の怪物であればいざ知れず、数多くの特異な能力をもつとはいえキャスターは純粋な英霊だ。体を両断されて生きているなど絶対にないのだ。
 だというのに、キャスターはそこにいた。

「隙あり……だ、な。セイバー」

 不敵に笑いセイバーの背中に剣を突き立てているのは、どこからどう見てもキャスター。右目を爛々と輝かせたキャスターは、右半身だけとなりながらも闘志を剥き出しにしていた。
 セイバーほどの騎士が背中に隙を見せるという最大の好機。これを逃してなるものかと、キャスターはより強くカリバーンを押し込んでいく。

「うっ……おおッ!」

 ここでどうして右半身だけで生きているのかと深く考えず、直ぐに背中に突き立てられた剣から身を抜くことに全霊を尽くしたセイバーの判断は賢明だったといえるだろう。僅かに回避行動が遅れていれば、選定の刃は完全にセイバーの命を奪い尽くしていたはずだ。
 キャスターも必死にカリバーンでセイバーの命を絶とうとするも、右半身だけでは完全に力も入らず、セイバーの後退を許してしまう。
 剣から逃れたセイバーは、リリアの前まで飛び退くと、妖怪でも見るような目をキャスターに向けた。
 右半身だけとなりながら、尚も命を保ち、牙をむく騎士。セイバーからすれば、そんなキャスターの姿は妖怪そのものにも思えたことだろう。それはリリアも同じだった。

「どういう、ことなの? 体を引き裂かれても蘇るなんて……まさか不死身!? だけどサー・ケイにそんな能力があるなんて有り得ない! それだけの力なら必ず伝承に残ってなければおかしいもの!」

 魔力を送りセイバーの傷を塞ぎながら、リリアはキャスターに最大限の注意を払う。
 キャスターの真名がサー・ケイだということに気付いてから、リリアもサー・ケイという英霊の伝承について調べ尽くしてきたのだろう。リリアの言葉には確信の色があった。
 キャスターの特殊能力はあくまで肉体操作、手からの火を放ち操る、水中行動、治癒不可の傷を与える、全身から熱気を放つなど小細工の域を出ないものばかり。
 彼の王ならばいざしれず、体を両断されてから蘇る不死性なんて神秘をサー・ケイはもってはいない。だが事実としてキャスターは生きている。

「体を真っ二つにされても死なない…………小細工……特異体質……まさか!」

 そこまで考えたリリアは、やがて一つの答えに辿り着いた。

「まさか……まさか肉体操作で自分の霊核全てを、右半身に移し替えていたっていうの!?」

「…………やれやれ。セイバーが体力馬鹿でも、それをマスターお目敏さが補うのだから性質が悪い」

「同感だよ。キャスターのマスターの俺も暫くなにがどうなっているのかチンプンカンプンだったっていうのに、ここまで早く答えに辿り着くなんて。大したものだよ、まったく」

 キャスターと冥馬は二人とも肩を竦ませた。
 霊核、それはサーヴァントにとって人間でいうところの命そのものだ。規模こそ桁違いながら霊というカテゴリーにあるサーヴァントは、人間と違って血を流しすぎて死ぬなんていうことはない。だがサーヴァントは決して不滅ではなく、霊核を傷つけることでダメージを与え、霊核を完全に破壊することで殺すことも出来る。
 といってもサーヴァントの霊核など、通常の魔術師では到底届かぬ神秘の塊。サーヴァントの攻撃を除外すれば、対霊体に特化した一級品の聖典でもなければ、傷つけるのは難しいだろう。
 ではどうすれば霊核により強力な損害を与えられるかと言えば、なんのことはない。人間霊の霊核を壊すには人間の急所を狙うのが一番。頭と心臓、ここを破壊されれば大抵のサーヴァントは死ぬ。
 だが仮に自分自身の肉体をある程度自由に操れるサーヴァントがいるとして、そのサーヴァントが内臓器官の位置すらも移動できたとしたら、心臓や頭を潰されても死なない不死身の英霊を再現することも不可能ではない。

「……さっぱり良く分からん。どういうことなんだ?」

「アンタは、ったく」

 リリアは溜息をつくと、唯一人なにも分かっていない自分のサーヴァントに説明する。

「いい? セイバーに切られる前にあいつは内臓諸々に脳味噌を全て右半身に移していたの。結果的にアンタの剣は右半身にある心臓や脳味噌にまったくダメージを与えられなかったわけだから、霊核にもダメージがあんまり与えられなくなる。これなら体を真っ二つにされても、理論上は生きていられるわ」

「へぇ。自分の体半分を囮にするなんて、とんでもない策を使うんだな。やっぱりオリヴィエに似ている。あいつもいざという時の根性はとんでもなかったしなぁ」

 キャスターは自分自身の治癒魔術で、なんにもつまっていない左半身を再びくっつける。
 体を真っ二つにされたのだ。幾ら小細工を弄したところで完全にダメージが皆無なわけではない。しかし黄金の刃で体を突き刺されたセイバーが受けたダメージと比べれば、キャスターの受けたダメージなど微々たるものだろう。

(惜しいな……)

 不利を悟られぬよう外面は余裕気に、心の中で冥馬は悔しさを滲ませる。
 キャスターがカリバーンの担い手としての力を失っているのが災いした。ただでさえ変則召喚の影響で霊核が落ちているセイバーである。キャスターが黄金の選定剣の担い手であれば、背中からの一撃でセイバーの霊核を破壊できていただろう。
 しかし背中に刃を受ける寸前に、セイバーが本能的に僅かに体を逸らしたのと、担い手ではないため僅かに破壊力が落ちたこと。その二つが重なりセイバーの命を奪うには足りなかった。
 肉体操作を用いての騙まし討ちなど、所詮は小細工を用いた奇策。そしてリリアとセイバーは小細工が何度も通じるような相手ではない。

(しかしセイバーにかなりの痛手を与えたのは確かだ。ここは――――)

 冥馬は決断し、キャスターに指示を下す。

「キャスター! このまま畳み掛けろ」

「――――承った!」

 リリアがマスターとして優れていることもあり、外面的にはセイバーのダメージは完治したようにも見える。しかしカリバーンほどの剣が貫通したのだ。即座に完全回復などできるはずがない。
 不利は承知だが悪戯に戦いを長引かせても逆にますます追い詰められるだけ。ここはリスクを承知で踏み込むべき時だ。

「やっぱり〝アレ〟を使わざるをえないわよねぇ」

 自分のセイバーがダメージを負いながらも、やはりリリアリンダ・エーデルフェルトは焦らない。リリアは手持ちの宝石を炸裂させて目晦ましにすると、セイバーと共に大きく飛び退いた。
 追撃をかけようとするキャスターだが、セイバーが持っている角笛を視界に修めると凍りついたように固まる。
 その角笛を戎次との戦いで一度見たキャスターも、そうではない冥馬も一目で直感する。あの角笛だ……あの角笛が、張り巡らせた罠の悉くを薙ぎ払った熱風の発生源。対人宝具たる聖剣とは、比べ物にならない火力を持つ対城宝具だ。

「切り札は温存しておくものだけど、使うべき時に使わないのは温存じゃなくて宝の持ち腐れだしね。なにより……内蔵の位置を自由自在に入れ替えるなんて相手には、剣でチマチマ斬りつけるより大砲で体ごと吹っ飛ばした方が簡単だし。
 セイバー、初っ端と違って全力の真名解放。いけるわよね?」

「当然。コレを使うべきタイミングは俺では測れない。故にマスターに任す、これを手にしたその時に言っただろう」

 セイバーがキャスターと冥馬を捕捉し、真っ直ぐ白亜の角笛を向けた。
 人造のモノでは有り得ぬ、完全なる清廉さをもった角笛は、セイバーほどの剛の者が吹けば万里の先にまで響き渡るだろう。
 セイバーの魔力と周囲の大気という大気が角笛の中で極限にまで小さく凝縮され、外へ出ようと凄まじい勢いで荒れ狂っているのが冥馬にも分かった。

――――嘗て、

 この星、或いは精霊は最も偉大なる三人の騎士に星の鍛えた宝物を与えた。
 イングランドにその名も高き騎士王には、星々の光を束ねた最強の聖剣を。
 北欧最大の英雄たる竜の心臓をもつ騎士には、太陽の灼熱を内包した最強の魔剣を。
 そしてフランスにおいて最強とされる聖騎士に、星々が送った神造の兵器こそが、万の軍勢を薙ぎ払い、万の軍勢を呼ぶ角笛。

「どこまでも遥かに戦場に反響せよ――――儚く遠き勝利の音色(オリファン)」

 真名の解放と共に角笛が吹かれ、一つの極音が世界を蹂躙する。
 極限にまで束ねられた大気が一気呵成に解放され、太陽の灼熱をも消し飛ばす熱風となり顕現した。

「――――!」

 津浪や雪崩といった大自然の猛威が個人に降りかかった時、人は恐怖すら覚えることができない。ただただ自然という偉大なる力を前に己の矮小さを思い知らされ、身動きもできず己の死を諦観するのみ。
 熱風を前にしたキャスターの心中も似たようなものだった。
 目が塞がっていても肌で、耳がなくとも叩きつける熱い匂いで分かる。これは防ぎきれない。
 最初の第一撃で教会の敷地中に巡らした魔術式が吹き飛んでいなければ、キャスターも『儚く燃ゆる勝利の剣(エクスカリバー・ウルナッハ)』で応戦もできただろう。だがそれにどれほどの意味があろうか。
 キャスターの灼熱の光は所詮、全て遠き日に心奪われた星の輝きを模倣したものに過ぎないのだ。
 虚構の光で星の暴威そのものに敵う道理などない。あの熱風を切り裂けるとすれば、それは星々の光を束ねた最強の斬撃以外にはないだろう。
 それは――――この熱風が最大出力でなかったとしても同じだ。
 驚くべき事だが、今まさにセイバーが繰り出した熱風は正真正銘の最大出力ではない。恐らくは最大出力を出そうとすれば己にもかなりの反動が返る上に、召喚の際のペナルティで反動に耐えうる肉体が弱体化しているからだろう。
 だがそれだけの不利がありながら、やはりキャスターにはどうすることも出来ない。
 キャスターも英霊の端くれ。凡庸な人間と違い足がすくんで動けなくなるなんてことはないが、なまじ優れているが故に『どうしようもない』という事実がよりはっきり分かってしまう。
 もはやキャスターが出来ることは、己の全魔力を防御に費やして背後のマスターを守ることだけだ。
 キャスターが命を懸けて防御したところで止められる熱風ではないが、冥馬の力量を思えば一割程度は生還の可能性もあるだろう。
 死して尚も聖杯にしがみ付いて現世に迷い出ておきながら、悲願を果たせぬとは情けない。
 そう自嘲しながらも両手を翳そうとして、

「――――キャスター。剣を構えろ」

「……冥馬?」

 顔面は蒼白で汗をびっしりとかきながら、尚も冥馬は戦意を喪失してはいなかった。
 今更剣を構えたところでどうするのか。そうキャスターの冷静な思考が囁くも、そんなものよりもキャスターはこれまで共に戦った遠坂冥馬の言葉を信頼することにした。

「―――――Anfang! Vertrag(令呪によって告げる)……! Bitte spielen Sie ein Schwert(再び選定の刃を担い給え)!」

 令呪の猛々しい魔力がキャスターに流れ込み、その魔術回路を魔力で満たす。三度だけの奇跡が、正しく奇跡を引き起こした。
 黄金の剣が脈打つ。正体を看破され、失ったはずの力がキャスターに戻ってくる。
 剣を握る両腕に、誰か別の――――金砂の髪を靡かせた少女の手が添えられる。それは果たしてただの幻か、それとも……。
 キャスターは自然と選定の刃の真名を叫んだ。

「勝利すべき黄金の剣――――ッ!!」

 最も偉大なる王を選び出した剣が、この地上に再び奇跡の光を生む。荒れ狂う破壊という概念は、黄金の剣の生み出した輝きにより薙ぎ払われていった。
 熱風が晴れる。破壊を撒き散らした教会に立つのはリリアとセイバー、そして満身創痍ながらも生を保っている冥馬とキャスター。

「嘘でしょう……! あれを耐えきったっていうの!」

「往生際が悪いんでね。主従共に……」

 冷や汗を流しながら冥馬は言う。
令呪によってキャスターに『勝利すべき黄金の剣』の担い手としての力を取り戻すという荒業を咄嗟に思いついたのが奇跡ならば、それが上手くいったのも奇跡だった。ぎりぎりで〝勝利すべき黄金の剣〟を解放し相殺できたから良いものの、あとほんの数秒でも真名解放が遅れていれば、冥馬もキャスターも跡形も残さず消し飛んでいただろう。
 
〝儚く遠き勝利の音色〟

 この宝具を使って仕留めきれなかったのは、リリアとセイバーにとって大きな痛手だろう。
 戦いは振り出しに戻った。
 元々宝具は連発できるものではない上に、あれほどの破壊力。それを使うのに必要となる魔力もまた膨大なもの。連続で三度の解放はない。
 それは冥馬の側もまた同様。令呪による担い手への回帰なんて荒業は保って十数秒。もう一度あれをやるとなると、残り一画の令呪を使うしかなく、例え使ってもまた同じように成功するかどうかの保証もない。

「キャスター」

「……ああ」

「セイバー」

「おう」

 四人全員が分かっていた。出せる手札は全て出し切った。
 ここまできたら後は気力の勝負。より強い気力を振り絞った方が勝利し、気力で劣る者が負ける極限の戦いだ。
 冥馬とリリア、キャスターとセイバーは負けじと睨みあい――――緊張の中で、時計の長針が6の数字を指示す。
 そしてそれが聖杯戦争の終わりでもあった。

「いやぁ、見事、実に見事な戦い。流石は聖杯戦争最終戦」

『!』

 6時になったことを告げる鐘の音色と共に、その男は戦場に姿を現した。
 まったく予想すらしなかった来訪者に四人全員が一瞬最終戦のことを忘れ、その来訪者に視線が釘付けになる。
 烏のようでもあり、悪魔のようでもある黒を基調とした軍服。腕章で所属を主張するは逆鉤十字。手には布で覆われた長い棒のようなものを持っている。
 ロディウス・ファーレンブルク大佐、ナチス・ドイツの指揮官であり、封印指定の魔術師でもあるという複雑な経歴をもつ男だ。

「貴様、なんでここに……。まさか聖杯を横から掠め取りに来たのか?」

「いえ、冥馬。それなら私と貴方の戦いが終わってから来るはずでしょう。このタイミングで割って入る理由がないわ」

「……確かに、リリアの言う通りだ。目的はなんだ、ロディウス!」

 ナチス・ドイツの聖杯戦争は、以前の決戦での敗北により完全に終わっている。ロディウス・ファーレンブルクは既に聖杯戦争における敗北者であり、それが変わることはない。彼に出来るのは冬木から尻尾撒いて逃げることだけ。
 そんなことは考えずとも分かることだ。だからこそ冥馬はアーチャーの『復讐はほどほどに』という言葉もあり、ナチスへの復讐心とそれによる執着を断ち切り、ナチスに対して執拗な追撃をかけることを止めたのである。
 なのに聖杯戦争の脱落者である筈のロディウスは、今日このタイミングで戦場に現れた。冥馬にはロディウスの意図がまるで見えなかった。

「私としてもセイバーかキャスター、片方が消えていた方がやり易かったんだけどね。儀式は……〝今〟じゃなければ駄目なんだ」

「儀式だと?」

「聖杯を降霊できるだけの〝歪み〟が発生している場所で地の利を得て、6と6と6の三つの6が並ぶ最も神を冒涜する時間により天の時を得て、この私という存在で人を得る。――――我は天を味方につけたり」

「っ! なにか不味い! キャスター、奴を止めろ!」

「させないよ。御三家の百五十年に、私の十年間を無駄にさせてたまるか。防げ」

 ナチスの軍人達が一斉に飛び出して、ロディウスを守る生きた防波堤となる。
 ただの人間による壁などサーヴァントの力をもってすれば突破は容易い。だがあろうことかその軍人達は全てがサイボーグ兵だった。大空洞で戦った連中ほど強力ではないといっても塵も積もれば山となる。サイボーグ兵はキャスターと、それに続いたセイバーの行く手を見事に遮った。
 その間にロディウス・ファーレンブルクは〝歪み〟へと到着する。ロディウスは歓喜の笑みを深めると、長柄の物にかかっていた布をばっと放り捨てる。

「―――――」

 声を失う。瞬きすら忘れ、視線がそれに吸い込まれる。
 ロディウスを止めようと、サイボーグたちを押しのけようとしていたサーヴァントたちも戦うのを止めた。改造を施され人格を喪失してしまったサイボーグすら、喪ったはずのものを呼び覚まし、それを一目だけでも見ようと振り返った。
 戦場とは程遠い、聖域の大聖堂のような清浄な雰囲気が世界を満たす。それをおかしいとは思えない。思えるはずがない。ロディウスの持つソレは存在するだけで、世界の気配を一変させてしまったのだ。
 ロディウスの持つ長柄の物の正体は槍だった。華やかでもなく、さりとて無骨過ぎるということはなく、ただひたすらに神々しい銀色の槍。
 一度も見た事がなくとも、誰に教えられなくても、それを見た瞬間にその槍の銘を本能が理解した。

「嘘、だろ。その槍は……その槍は――――ロンギヌス!」

 誰よりも早く、セイバーが驚きに満ちた目でロディウスを睨みつける。

聖槍ロンギヌス、その真名を天照らす神明の聖槍。二千年前に神の子を殺し、その血を受けたことで奇蹟の力を得た聖槍。神の子の血を受けた杯たる聖杯と起源を同じくする、最大級の聖遺物だ。

「やっぱり十二勇士の目は欺けないなぁ。そう、これこそが聖槍ロンギヌス。言っておくがこの地にある聖杯のような贋作じゃなく、この世にたった一つしかない紛れもない真作だ」

「何故……それをお前が持っている!」

 嘗て主君が持っていた槍を見つめながらセイバーは叫ぶ。

「ふふふ。心配しなくても〝聖槍〟が私のことを、世界を遍く照らす使命を帯びた聖人として、自らの担い手に選んだ、なんていう奇想天外なエピソードはないよ。
 我々の役目たる世界各地の聖遺物の収集。その過程で偶然にも見つけて入手したんだよ。ま、完全に破損していて、とても使い物にならない酷い有様だったけどね」

「破損……?」

 冥馬はもう一度、ロディウスの握る聖槍を見る。しかし槍はとても壊れているようには見えず、その清浄さはまるで衰えているようにも思えなかった。

「どうして壊れたのか、それは全ての過去を知る由がない私には当然分からないことだ。問題はこれが完膚なきまでに壊れていたことでね。これじゃあ例え明日にでも神の子が再臨したとしても、肝心の聖槍は役立たずだ。私の目的にも使えない。私の目的達成に必要となるのは聖槍の力であって、破損して力を喪なった聖槍じゃなかったんだよ。だから先ずは喪失した力を取り戻すことから始めなければならなかった。
 分かるかい? 私が聖杯戦争において求めていたのは『万能の願望器』なんてものじゃない。過去の英霊を呼び出し使役するというシステム――――それだけが重要だった。なにも聖杯を使って聖槍を修復してくれ、なんて頼み込む必要すらありはしない。聖杯で聖槍を修理せずとも、聖槍を修復できるサーヴァントを呼び出して修理して貰えればそれで済むだろう」

「馬鹿な。聖槍を修復できるような者がいるはずがない!」

 或いは二千年前の救世主であれば、槍を元通りに復元するなんて奇蹟を行うことができるかもしれない。
 しかしあの救世主をサーヴァントとして召喚するなんて、冬木の聖杯戦争システムでは不可能だ。魔術師が通常自分より弱い者しか使い魔として使役できないのと同じ。聖杯を超える規模の存在を聖杯で呼び出すことは出来ないのだ。だが、

「いるじゃないか、一人だけ。聖槍は神の子の血を受けて奇蹟の力を得た。破損したといっても嘗て受けた血は槍に残っていた。ならば後は神の子の血を受ける前に、その槍を鍛えた鍛冶師を呼び出せば良いだけ」

 瞬間、遠坂冥馬は理解した。これまでまったくの謎であったランサーの真名を。
 聖槍を鍛えた鍛冶師。神の子以外に神の子の聖槍を修復できる唯一の英霊。

「トバルカイン。カインの末裔、鍛冶の祖……!」

「その通り。それが彼の真実だ」

 確かに鍛冶の祖、神域の腕を持つトバルカインであればロンギヌスの修復も不可能ではない。思えば次々に繰り出してきた多種多様な宝具の数々も、全てランサーが作り上げた物だったのだろう。
 英霊の宝具は一人につき基本的に一つという常識を、平然と打ち破れたのも当然だ。何故ならばランサーは宝具の使い手ではなく宝具の製作者。その宝具は剣でも槍でもなく、鉄を鍛える腕そのもの。宝具を生み出す宝具をもつ錬鉄の英霊、それがランサーだったのだ。
 ロディウスが試験管に入った己の血液を垂らすと、血が意志をもつように地面を滑り、サーヴァントを召喚するための魔法陣を描き上げる。

「――――始めよう」

 百五十年前に大聖杯の起動を唱えた賢者のように、冬の城で悪神を招いた翁のように、ロディウスは高らかに槍を天に掲げ宣言する。
 ロディウスの胸元に刻まれた聖痕、令呪が天に昇るように雲散した。
 今宵、神聖なる神の家で神を引きずりおろす背徳の儀が行われる。

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。始祖には最初の人アダム。
 降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 サーヴァント召喚の詠唱と同じようでいて、どこか違う詠唱をロディウスは祈るように唱え始める。
 キャスターとセイバーどころか、冥馬とリリアも慌ててそれを止めようとするが、サイボーグたちは儀式を邪魔してなるものかと死力を振り絞った。

「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 人格なきはずのサイボーグが死力を振り絞る。きっと彼等も降りてくる存在に〝救い〟を求めているのだろう。だとしても、それの降誕を見過ごす訳にはいかない。アレは降りてきてはならぬものだ。
 だが冥馬たちの必死の奮戦も空しく、ロディウスは『英霊の魂』を修めた聖杯の器と酷似した杯を大地に置く。

「汝の身は汝を砕きし槍の内へ、汝が命運は我が手の内に。五つの魂を生け贄に捧げ、二千年の時を超えて地上に降臨せよ。人々に血肉を与えし救世者よ――――!」

 光が、溢れる。巨大な天を貫く光の柱がロディウスの立つ場所に注いだ。

「これはっ! 引っ張られる……!」

 光柱は五体の生け贄ではまだ足りぬとばかりに、近くにある生きとし生けるものを呑み込もうと手を伸ばしてきた。
 サイボーグたちが抵抗もせずに、どこか満ち足りた表情で呑まれていく中、四人は必死になって自分の立つ場所にしがみ付く。もしも呑まれれば、自分も人柱となってしまうだろう。

「はは、ははははははははははははははははははは!!」

 光の中心でロディウス・ファーレンブルクは笑っていた。狂笑でも邪悪な高笑いでもない、純粋な歓喜の笑い声。
 ふとロディウスの鋼鉄の義手が吹き飛び、そこから新たに瑞々しい血肉をもった腕が生えてきた。
 肉体の修復、復元呪詛、移植。そのどれとも違う。あれは再誕だ。生まれるという一度きりであるはずのそれ。でありながら再誕を果たした存在たる彼は、一体何者になったというのか。
 ロディウスは槍を強く握りしめる。

――――聖書曰く、はじめに〝言葉〟があった。

 世界創世の輝きが充満する。なにが起こったのか認識すら出来ない。
 光の中で喜びに震えながらも、ただ身近な所だけを見据えているロディウスの横顔を最後に、遠坂冥馬は意識を喪失した。 







【元ネタ】旧約聖書
【CLASS】ランサー
【マスター】ロディウス・ファーレンブルク
【真名】トバルカイン
【性別】男
【身長・体重】181cm・75kg
【属性】混沌・中庸
【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷A 魔力A 幸運E 宝具??

【クラス別スキル】

対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

【固有スキル】

錬鉄の眼識:EX
 鍛冶師としての眼力。
 武装としての宝具を目にした場合、高確率で真名を看破できる他、その武器の最適の運用法を実行できる。ただし銃火器類はこれに該当しない。

アイテム作成:A++
 魔力を帯びたアイテムを作成できる。
 ランサーが得意とするのは『武器』のカテゴリーにあるものだが、それ以外にも非常に精度の高いマジックアイテムを作り上げることが可能。

狂化:D
 筋力と敏捷のパラメーターをランクアップさせるが、感情のタガが外れ、冷静な判断力を失う。
 ランサーの場合、彼の逆鱗に触れることをした時のみこのスキルの効果が適用される。

【宝具】

始天の錬製スプレイマシー・カイン・ワークス
ランク:E~A++
種別:????
 鍛冶の祖とされるトバルカインの神域に達した鉄を鍛える腕。
 伝承に記されていない全く新しい〝宝具〟を生み出すことができる。宝具のランクは製作年月と材料に左右される。
 生み出した宝具は製作者であるトバルカインの宝具となるが、他人に譲渡することも可能。
 素材に現代の物を使っているのでトバルカインが消滅した後も、生み出された宝具は存在し続ける。



[38533] 第74話  最後の出陣
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/06/28 23:15
「ったく。あんな代物を出してくるなんて、ナチスのヤバさ加減を見縊っていた」

 ロディウスの掲げた聖槍より発せられた、生きとし生ける者を滅ぼす極光。あれに呑まれれば一介の魔術師など一溜まりもない。だが冥馬はキャスターが全力で結界を展開したお蔭で、リリアはセイバーが身を挺して庇ったお蔭で悪運強く生を繋いでいた。
 未だセイバーとキャスターの戦いとロディウスの襲撃により、破壊の痕が残る教会では、冥馬とリリア、そして璃正と教会関係者たちが顔を突き合わせている。セイバーとキャスターは霊体化しているが、その存在を感じることができた。
 こうして聖杯戦争の関係者が集まっているのは、言うまでもなくロディウスが聖槍を持ち出してきたからである。特に璃正を筆頭にした教会関連者は目の前に神が降臨したような興奮と、目の前で神が死んだような悲壮感を同時に漂わせていた。
 無理もない。ロディウスの聖槍は冬木の聖杯とは違って正真正銘、紛れもなく神の子の血を受けた聖槍。教会にとっては億の命に勝る価値をもつ最大最上級の聖遺物だ。

「……聖槍ロンギヌスは長い年月が経ち、ヴァチカンから散出し行方不明になっていた聖遺物の一つ。総統命令で世界中の聖遺物を収集する仕事に従事していたロディウスは、どこでどうしたかは知らないが破損していた聖槍を見つけ持ち帰ったのだろうと思う。私の推測でしかないが」

「だろうな。奴自身そんなようなことを言っていたし」

 璃正の言葉に冥馬は同意を示す。璃正は聖堂教会でも聖遺物の回収を旨とする第八秘蹟会の所属。聖杯戦争の監督役に任じられたのも、聖遺物に関してはかなりの知識があると見込まれたからでもあるし、聖槍についての情報にも精通している。
 だが偽物の聖杯争奪戦を監督するはずが、本物の聖槍と立ち会うことになるとは璃正どころか教会をもってしても予想できなかっただろう。

「聖槍ロンギヌスが本物で、ナチスがそれを手にしたというのは恐ろしいことだ。しかし解せないのは、どうして奴が聖槍を扱えるのかだ……。聖槍はこの土地にあるような聖杯とは違う。アレは誰にでも扱えるようなものじゃないはずだろう」

「璃正、お前の指摘は正しいよ」

 冬木の聖杯は偽物であるが故に、万人が扱える万能の願望器として機能する。対して聖槍ロンギヌスは本物であるが故に、選ばれた者しかその奇蹟を担うことはできない。
 脈々と続く人類史において、海を超え山を越えて、聖槍は幾多もの英雄の手を渡り歩いてきた。円卓の騎士やシャルルマーニュ十二勇士もその一つである。
 しかし誰一人として聖槍を担える者は現れなかった。力の一端を引き出せる者はいただろう。奇蹟の恩恵を得ることができただろう。だが力の全てを引き出した真の担い手は、人類史において未だに唯の一人も現れてはいない。
 もしも聖槍の担い手となれる者がいるとすれば、それは二千年前のあの救世者だけだ。

「ロディウス・ファーレンブルクという魔術師にして軍人が、救世主と並び立つほどに徳が深い偉人だっていうなら兎も角、まさかそんな筈がないだろう。〝ロディウス・ファーレンブルク〟ではあの槍を担うことは出来ない」

「だが奴は……」

「聖槍の力を完全に引き出していた、か? なぁに。不可能を可能にしているってことは必ずトリックがある。マジックだってそうだろう?
 元よりなければ他から持ってくるのが魔術師だ。魔術師本人に聖槍を扱う力がなければ、余所から扱える者を持ってくればいい」

「馬鹿な! 地上を隈なく探したところで、この現代に聖槍を担える者などいるものか! 地上にいない者を何処から連れてくるというのだ?」

「天からだ」

 冥馬は至極真面目に天上を指差す。あまりのことに璃正は口をポカンと開けて固まってしまった。

「天、だと……? 何時もの下手なジョークならよしてくれ」

「この期に及んで下手なジョークなど言いはしない。だけど少し比喩表現が強すぎたな。正しくは〝座〟からだ」

「座、まさかサーヴァントと同じ……」

 そう、この現代に聖槍を担える人間など要る筈がない。もし阿頼耶の確率でいたとしても、それはロディウス・ファーレンブルクではないし探す術もないことだ。
 けれどここは冬木市。冬木にあるは聖杯。聖杯が招くはサーヴァント。サーヴァントとは過去・現在・未来の英霊。であれば現代には存在しない槍を担える者を、過去か未来から呼び出せばいい。

「だ、だがやはり不可能だ。そもそも冬木の聖杯戦争で呼べるのは英霊だけだろう!? 槍を担える力をもつ救世主は、英霊ではなく神霊の域にある存在だ! 召喚など無理だ!」

「まぁ普通に聖杯戦争のサーヴァントとして召喚するのは無理だろう」

 例えば三国志で有名な『関羽』のように、人間でありながら死後に神となった英雄は数多い。そんな英雄を冬木で召喚した場合、神としてではなく英雄だった頃の姿で召喚される。
 二千年前に滅んだ救世主は無論神霊のカテゴリーにある存在。そんな救世主をサーヴァントとして呼び出すなど絶対に不可能だ。

「だがさっきも言っただろう。不可能を可能にする以上はトリックがあると。冬木のサーヴァントシステムじゃ神霊を呼び出すなんて無理さ。そもそもサーヴァントはとっくに七騎……あ、いや。セイバーが分裂してるから八騎か。それは兎も角、サーヴァントは全員出揃っている。追加でもう一体呼ぶなんて、神霊じゃなくても無理なことだ。
 だからロディウスはこの地の聖杯とサーヴァントシステムを利用しつつ、独自の召喚を行った」

「独自の召喚?」

「ロディウスのサーヴァント、ランサーの真名はトバルカイン。鍛冶の祖、こと〝モノを作る〟ことにおいては随一の英霊だ。その英霊が必要な礼装を作り上げ、聖杯の降霊が可能なほどの歪みがある場所で、そしてこれまで脱落した英霊の魂というエネルギーがあれば……神霊の欠片くらいは地上に降ろせるかもしれない」

 槍の柄にあった不自然に太い場所。あそこが『聖杯の器』と同じように、魂というエネルギーを溜める場所だったのだろう。
 トバルカインがロンギヌスに施したのは修復だけではない。本来なら選ばれた救世主のみにしか担えない槍を、万人が扱えるように改良(改悪)したのだ。

「冥馬、そこまでは私も分かってたわ。けどね、一つだけ腑に落ちないことがあるのだけど」

「エネルギー源になった英霊の魂か?」

「ええ。だって『聖杯の器』は私が持っているのよ。だったら英霊の魂は私の持つ『聖杯の器』にあるってことでしょう?」

 リリアは帝都で木嶋少佐から取り返した『聖杯の器』を見せる。蝋燭の灯を浴びて金色の光を反射する杯は、目を奪われるほどに見事なものだった。

「確かに『聖杯の器』をリリアが持っているなら、サーヴァントの魂を生け贄にするなんて出来ないだろうな」

「でしょう?」

「もしそれが本物ならば、だが」

「どういうこと?」

「直ぐ分かる」

「――――連れてきました!」

 教会のドアが勢いよく開き、サングラスをかけた神父が急ぎ足で入ってくる。その後ろにいるのは銀髪に赤目の、人間離れした美しさをもつ美女。
 アルラスフィール・フォン・アインツベルン、ヘブンズフィール3のためアハト翁が鋳造し送り出したホムンクルスにしてアインツベルンのマスターだ。いや、だったと言うべきだろう。彼女は聖杯戦争四日目にして、誰よりも早くサーヴァントを失い脱落しているのだから。

「ご苦労だった」

「ええ。璃正神父の御命令通り連れてきましたとも。爪先から脳天までアルラスフィール嬢です。どうぞご検分あれ。それでは私はこれにて」

 サングラスの神父は慇懃に頭を下げてその場を辞する。
 アルラスフィールは帝国陸軍とナチスによる教会襲撃に感づいて、教会から抜け出したが、ホムンクルスである彼女はいかんせん世間知らず。サポートのホムンクルスもいなければアインツベルンの地へ戻るのは難しい故、まだ冬木近辺に潜伏しているかもしれないという冥馬の推理の正しさが証明された。
 お陰で聖杯について最も知識ある人物から話を聞ける。

「遠坂家当主として単刀直入に聞こう。ミス・アインツベルン、君が監督役に預けた聖杯の器。あれは本物か?」

「……隠しても、今更意味もないでしょうね。そうですよ、遠坂冥馬。そこの監督役に渡したのは本物に似せて作った真っ赤な偽物。聖杯の器の贋作です」

「なっ! じゃあ私が命懸けで帝都へ行った労力はなんだったのよ!」

「ええと、日本語では〝無駄骨〟というのではないでしょうか?」

「っ! へ、へぇ……。エーデルフェルト相手に喧嘩売るなんていい度胸じゃない。真っ白な肌を黒焦げにしてあげましょうか?」

「気に障ることがあったらすぐに暴力に訴えるなんて、エーデルフェルトは実に野蛮ですね。末裔がこんな様では宝石翁もさぞ嘆くでしょう」

「なんですって!?」

「止めろ、二人とも。今はどうでもいい諍いをしている場合じゃないだろうに。燃やすぞ」

「君も止めろ冥馬。私の教会が焦土になる」

 武力介入をしかけた冥馬を含め、璃正が割って入ったことで、一触即発だったアルラスフィールとリリアはどうにか収まった。
 偽物を掴まされたという確執があるとはいえ、リリアもそこまで沸点が低すぎるわけではない。なのにいきなり喧嘩腰になるあたり、リリアとアルラスフィールは性格的に合わないところがあるのだろう。
 女三人寄れば姦しいとは言うが、リリアとアルラスフィールを二人っきりにして一時間も放り出しておけば、姦しいを通り越して大火災が発生するかもしれない。

「だけどおかしいですね」

「なにがかね……アルラスフィール」

「聖杯の器、本当にロディウス・ファーレンブルクが持っていたのですか?」

「……どうなんだ、冥馬」

「持っていたよ。前に見た偽物の小聖杯とは意匠が違っていたが、あの雰囲気は確かに小聖杯だった」

 自信をもって冥馬は璃正に返した。
 アインツベルンが監督役に提出した『聖杯の器』は気配や内部構造に至るまでが、本物と見分けのつかない途轍もなく精巧な贋作。その贋作と似た気配をもっていたということは、ロディウスの『聖杯』が本物であるという証明である。

「妙ですね……」

「妙?」

「あるはずがないんです。本物の聖杯の器なんて」

「本物が、ない?」

「はい。だって聖杯の器は戦いの最中、流れ弾でとっくに壊れてしまったんです。他らぬナチスの襲撃で」

「な、なんだと!?」

 璃正が目を見開いて仰天する。
 アルラスフィールが聖杯戦争から脱落したのは四日目のことだ。もしアルラスフィールの証言が正しいならば、この聖杯戦争は四日目の時点で既に有耶無耶に終わっていたということになる。
 四日目以降――――ルネスティーネや狩麻や帝国陸軍との戦い、その全てが茶番だった。
 自然、この場にいる全員がアルラスフィールに厳しい目を向ける。
 中立である璃正が代表して問いかけた。

「……どうして教会に保護された時にそれを言わなかったんだね?」

「下らない八つ当たりですよ。私はアインツベルンに勝利を捧げるためだけに鋳造されたホムンクルス。だというのに勝利どころか、あんな役立たずを押し付けられ、挙句の果てには城さえ追われた……。ならせめて他の参加者が茶番劇で踊っている様を笑ってやろうと思いまして……。ふふっ、アヴェンジャーが少しうつったかもしれません」

 四日目以降の戦いで死んだ狩麻の顔が脳裏を過ぎり、冥馬はアルラスフィールの人形めいた美貌をグチャグチャにしてやりたい衝動にかられる。だが魔術師としての理知的な部分がそれを抑え込み、結果的に冥馬は氷のような無表情になった。
 アルラスフィールにはまだ話して貰わなければならぬことがあるし、仮にもマスターだった者を教会で殺せば璃正にも迷惑になるだろう。

「聖杯の器が破壊されたのは特に問題にならない。いや寧ろ器が壊れた事はロディウスにしたら好都合だったかもしれないな」

「なに? どういうことだ、冥馬」

「アインツベルン製の小聖杯を真似して作るなんて、歴代遠坂に歴代間桐の当主たちを集めても無理なことだ。だが完成品の本物がモデルとしてあるなら寸分違わず同じ代物を作るのは無理にしても、劣化した代物を作るのは不可能じゃないだろう。
 ましてやランサーは鍛冶の祖だ。壊れたとはいえ『小聖杯』が目の前にあるなら、その構造を解析して、それ以上の代物を作り上げるのは難しいことじゃないだろう」

 このタイミングで嘘を吐く理由はないので、やはりアルラスフィールの言う通り『聖杯の器』は四日目に壊れたのだろう。
 だがロディウスはランサーに命じて、新たなる『聖杯の器』を作らせた。それならば辻褄も合う。
 これは冥馬の推理に過ぎないが、根拠がないわけではない。

――――五つの魂を生け贄に捧げ、二千年の時を超えて地上に降臨せよ。

 詠唱の中でロディウスは五つの魂と言っていた。
 しかしこれまでに脱落したサーヴァントの合計はアヴェンジャー、セイバー(オルランド)、ランサー、ライダー、アーチャー、アサシンで全六体。言葉通りに介錯すれば一体分がロディウスの持つ器にはなかったと考えるべきだろう。
 つまりアヴェンジャーが脱落し『小聖杯』が破壊されてから、ルネスティーネとセイバーが脱落するまで。その間にもう一つの聖杯は作られたということになる。
 そう冥馬が当たりをつけた時だった。

「言峰神父!」

 璃正の部下が慌てふためいた様子で駆けこんでくる。

「なんだ?」

「ロディウス・ファーレンブルクの所在が分かりました」

「なに! 何処だ、何処にいた?」

「柳洞寺です。我等の手の者が発見致しました。それとこれを。ここ冬木の上空写真です

「見せてくれ。…………これは、魔法陣か?」

「どれ。俺にも、確かに魔法陣だな。だがこれは――――」

 上空写真に写っているのは冬木市をすっぽり囲むように、あちこちに刻まれている魔法陣だ。その数はざっと数十。しかも数十か所所全てにナチスの兵隊たちの影が見える。この魔法陣を守る兵隊と考えるべきだろう。
 数十の魔法陣は他の魔法陣たちと繋がり、数千数万通りの意味を孕んだ大魔法陣となって外界と内界を隔絶させている。

「ロディウスめ。大聖杯強奪に聖槍に続いて、こんなことを仕出かす気か……!」

 冬木市中に描かれた魔法陣と、柳洞寺にロディウスがいるという事実。冥馬はそこからロディウスの企む恐るべき〝儀式〟について察した。
 冥馬の両手が小刻みに震え、冷や汗が流れ落ちる。もしこの儀式が成就などしてしまえば、この冬木市は破滅だ。

「不味いわね」

 上空写真を見たリリアも、冥馬と同じことに気付いて顔面を蒼白にさせる。
 しかし魔術師二人は気付けても、璃正にはなにがなんだか分からない。璃正は二人の表情からただならぬものを感じながらも口を開く。

「なんだね? ロディウスはなにを仕出かそうというのだ!?」

「冬木市にいる人間の皆殺し」

「っ!」

「無論ただ皆殺しにするわけじゃない。奴は冬木の地脈の中心である柳洞寺から、この冬木市にある全ての魔力を吸い上げる気だ。生命力っていう人間誰もがもつエネルギーと一緒に。もしかしたら魂もかもしれないな……」

「ば、馬鹿な! そんなことをして何の意味がある!」

「さぁ、そこまでは知らない。ただ桁違いの魔力がロディウス・ファーレンブルクの下に集まるのは確かだ。そして奴は嘗て封印指定を喰らった魔術師。なにか大規模な儀式を行おうとしていると考えるのが自然だろうな」

 儀式がどんなものかは想像もつかないが、伝説の聖槍に冬木市一つを地獄の釡にくべることで成されることだ。碌なものではないのは確実だろう。
 冥馬は溜息を吐きつつも、教会の扉へ向かう。

「何処へ行くんだ、冥馬!」

「知れたこと。柳洞寺だ」

 聖杯戦争は、もう駄目だ。教会の敷地にあった〝歪み〟もロディウスが神の子を降ろす儀式をしたことで消えてしまっているし、そもそも聖杯の器はとっくに壊れていて中身も使われてしまった。ヘブンズフィール3、第三回目の聖杯戦争は正しい聖杯の所有者を選ぶことなく終結したのだ。
 だが聖杯戦争が終わっても、遠坂冥馬が冬木市のセカンドオーナーであることに変わりはない。自分の領地にいる外道の魔術師を始末するのが管理者の務め。冬木市全ての命がかかっているというのであれば猶更である。
 個人の感情を超えた所でロディウス・ファーレンブルクを止めるのは絶対的な義務だ。

「時間がないんだ。それこそ次の瞬間にロディウスの儀式が始まって冬木市が焦土になるかも知れない。真っ直ぐ大将へ突っ込むことが危険だっていうのは百も承知だが、悲しいことに今からナチスの兵隊共を掃討して魔法陣を一つ一つ潰していく時間はないんだ」

「……確かに、そうだな。今からでは教会から援軍を呼んでも間に合いはしないだろうし」

 聖堂教会は埋葬機関というサーヴァントに匹敵するような化物達を擁している。聖槍やロディウスのことは、埋葬機関を派遣するに足る大事であるが、残念ながら如何な埋葬機関といえど海を越えてこの冬木市にやってくるのには時間がかかる。
 或いは世界中にコネクションをもつ聖堂教会であれば、危うい緊張下にある今の情勢でも一日あれば埋葬者を冬木に送り込めるかもしれない。けれど今度ばかりはその一日を待つ余裕がないのだ。
 幸いこちらにはサーヴァントであるキャスターがいる。聖槍があるとはいえロディウスは人間に過ぎない。戦えないことはないはずだ。

「行くぞ、キャスター」

 そう言うが、キャスターは教会の壁に背中を預けたまま追従しようとはしなかった。

「どうしたキャスター?」

「――――勝手に一緒に戦うものと決めつけるな。お前の話しだとこの聖杯戦争はもう終わっているんだろう? ならばどうして俺がお前に協力してやらなければならん」

「……そうか、そうだったな」

 サーヴァントが自分より力の劣る魔術師に従うのは聖杯のため。聖杯が欲しいからこそサーヴァントという身の上にも甘んじるし、マスターの剣として仕えもする。
 キャスターも同じだ。例え義妹の想いを踏み躙ることになろうと、義妹に人並みの幸せを与えたい、そのためだけにキャスターは死の淵で聖杯戦争に参加する機会を手繰り寄せた。
 だが聖杯戦争そのものが崩壊した今、もうなにをどうしようとキャスターが聖杯を得ることは叶わない。ならばもうキャスターが冥馬に従う必要はない。聖杯戦争の終了は、冥馬とキャスターの主従の終わりも意味していたのだ。

「分かった。なら俺一人で行く。さようならだ、キャスター」

 キャスターが霊体化して掻き消える。冥馬は苦笑しながらもそれを見送ると、単身柳洞寺へ赴こうとして……腕を掴まれた。

「一人じゃないわ。私も行くわよ」

「リリア……? しかし外来の魔術師のリリアに、冬木市のことは関係ないだろう」

「関係ならあるわよ。場所云々以前に外道の魔術師には腹が立つし、エーデルフェルトの獲物を横から掠め取っていった屈辱は、百倍にして返してやらないと気が済まないわ。セイバーもいいでしょう?」

 リリアはキャスターと同じく黙って話を聞いていたセイバーに問いを投げた。
 境遇としては、セイバーはキャスターと同じ。聖杯が手に入らない以上、もはやリリアのサーヴァントである必要などない。だがセイバーはキャスターと違い力強く首肯した。

「任せとけ」

「いいのか? 聖杯は手に入らないんだぞ」

「騎士とは剣だろう。俺はオリヴィエと違って考える頭はないから、これはという人物に我が身を剣として捧げ、その人物が振るうままに動くのみ。リリアがやれというのならやるし、やるなと言うならやらん。
 それに俺が聖杯に託そうとしたことなんて誰の利益にもならん必罰を通すことのみ。この街の人間全てとどっちが重いかなんて俺でも分かる。白状したら罰は恐いし」

 冥馬は念のために確認をとる。が、セイバーの意志が変わることはなかった。
 必罰を通す、そう言うセイバーの願いが具体的にどういうものなのか、どうしてそんな願いを抱いたのか。それは彼のマスターではない冥馬には分からぬことだ。詮索する気もないし、詮索して良いことでもない。
 ただセイバーという戦力が味方になってくれたことを喜ぶ。

「感謝する。璃正、聞いての通りだ。ロディウスは俺達でどうにかする。だからお前達は冬木中にいるナチスと魔法陣を頼む。あと市民の避難も」

「任された。有毒ガスが発生したと表向きにはしておこう。……死ぬなよ、冥馬」

「そっちこそ。俺も別の監督役と一から仲良くなるのは面倒で嫌だからな」

 別れの挨拶に握手をすると、璃正は自分の務めを果たすべく教会の者達に指示を飛ばす。
 魔法陣のことは璃正に任しておけばいいだろう。言峰璃正ほどこの件を対処するに適した人材はいないのだから。璃正がやって駄目ならば、誰がやっても駄目だったと諦めもつく。

「待って下さい」

 戦場へ向かおうとした所でアルラスフィールが冥馬とリリアを呼び止める。
 アルラスフィールは浮くような足取りで冥馬とリリアに近付くと、二人の体に触れて小さく呪文を唱えた。
 瞬間、冥馬の体に魔力が渦巻く。まるで海から川に水が流れ込んでくるようだ。吸い上げても吸い上げても尽きぬ魔力が冥馬に流れてくる。

「これは……」

「私と貴方達の間にラインを通しました。これで私の魔力が貴方達に流れます」

「どうしてこんなことを?」

「貴方達は二人とも優れた才覚をもつ魔術師。聖杯のバックアップなしにサーヴァントを維持するのは難しいことではないでしょう。
 けど戦闘となれば話は別です。戦闘で消耗する魔力は、ただサーヴァントを維持するだけに必要となる魔力とは比べ物にならないのですから。しかし私の魔力があれば、例え聖杯のバックアップがなくてもサーヴァントを十全に運用することが可能でしょう」

「いや俺が聞いているのはそういうことではなく」

「なんで私達が茶番劇で踊っているのを眺めて嗤ってたアンタが、今更になって私達に協力するのかってことでしょう?」

 冥馬の言わんとしたことの続きをリリアが引き継ぐ。
 聖杯戦争が終わってしまい、聖杯の補助が消えた今、アルラスフィールがバックアップしてくれるのは嬉しいことだが、さっきのアルラスフィールの発言を鑑みると裏がないのかと疑ってしまう。
 冥馬とリリア、二人から疑いの視線を受けたリリアは冷たく笑い言う。

「よくよく考えれば私が散々な目にあったのはナチスが原因ですから。この機会に仕返しの一つでもやらないと死んでも死にきれません。
 一応下手にロディウスを放置したら聖堂教会が大挙して押し寄せて今後の聖杯戦争すら終わってしまうという、実にアインツベルンのマスターらしい理由もありますけど、やっぱり一番はナチスへの報復です。
 アハト翁の失策中の失策のせいで全く役立つことなく終わった『神霊を御せるほどの魔力』です。どうぞ自由に使って下さい」

 冥馬が以前に見たアインツベルンのホムンクルスは機械的で、人の形をした機械のような存在だった。
 だがアルラスフィールは違う。人間の感情とは正しさのみに非ず。怒りや憎悪に嫉妬や恨み、これらの負の感情も人間の心を構成する一つ。
 負の感情を滲ませたアルラスフィールは人間そのものといっていい。
 ホムンクルスである彼女がどうして、こんな確固たる負の感情を獲得したのかに興味はそそられるが今はそんなことを気にしている場合ではない。

「行くか」

 教会の扉を開き、最後の戦いへと赴く。
 粉雪が空から注ぎ、一段と寒い夜。教会にある時計が11時になったことを告げた。



[38533] 第75話  無垢なる願い
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/06/28 23:16
 日は完全に落ち、月明かりだけが地表を照らしている。泣いても笑ってもこれが最後の戦いだ。
 冥馬はゆっくりと柳洞寺の石段を見上げる。聖杯戦争は終わったといいうのに、柳洞寺には蒸せるほどの魔力が沈殿していた。
 これだけ魔力が集中していれば空気が淀み、悪い気が漂うのが当たり前だというのに、柳洞寺にはそのような気配はない。むしろその逆。不自然なまでの静謐さがあの寺から匂ってくる。
 聖槍ロンギヌス、聖杯と並ぶほどの聖遺物がそうさせているのかもしれない。
 この先で〝敵〟は待っている。聖杯戦争をぶち壊した元凶たる存在が、己の願いを遂げようと準備をしている。
 聖杯戦争のマスターとして以上に、冥馬は管理者としてその暴挙を止めなければならない。

「行こうか」

「ええ」

 冥馬は気を入れ直して言うと、リリアと共に石段に足を掛けた。

「待て」

 と、同時に背後から聞きなれた声に呼び止められた。振り返るまでもなく、冥馬はその声の正体が分かっていた。なにせ聖杯戦争中ずっと隣で共に戦った騎士の声である。聞き間違えるはずがない。
冥馬は少しだけ愉快そうに笑いながら、むすっと腕を組んでいる蒼い騎士に振り返った。

「キャスター、来てくれたのか?」

「勘違いするな。お前の為に来たわけじゃない。ただ俺も聖杯戦争を横からぶち壊してくれた奴には腹が立っている。生産的行為とは言えんが、奴をこのまま放置していては俺の収まりがつかん」

「…………」

 なんとなく冥馬はキャスターのことだからなんだかんだ言いつつ加勢に来てくれるかも、と予感はしていた。だからキャスターが「自分は戦わない」と発言した時も、自分から契約を打ち切ることも、戦いへの同道を令呪で強制することもしなかった。
 しかしキャスターは口調こそ天邪鬼だが、根は面倒見の良い人間である。あの場で強く頼み込んでいれば渋々といった具合に首を縦に振ってくれていただろう。でありながらあの時にそうしなかったのは、心のどこかでキャスターに対し申し訳なさを感じていたからかもしれない。
 魔術師として誉められたことではないかもしれないが、自分という人間は、どうもキャスターに対して友情を感じていたらしい。そして夢を通してキャスターの過去を知り、聖杯にかける願いの強さを知った。
だからこそ冥馬は戦いに勝利して聖杯を手に入れることこそが、一緒に戦ってくれたキャスターへの最大の対価になると思っていた。しかし聖杯戦争が崩壊した以上、もはや聖杯を手に入れることは叶わない。キャスターへ対価(恩)を返すことはもう出来ないのだ。
 キャスターへの対価を返せない自分に、もはやキャスターのマスターである資格はない。その思いは、こうしてキャスターが来てくれても消えなかった。

「いいのか? お前が手を貸してくれるのは本当に嬉しいが、ここからはもう何にもならないんだぞ」

 ロディウスを倒し野望を打ち砕いたところで、キャスターに返るものはなにもありはしない。ただ単に冬木市に住む人々の命が救われるだけだ。遥かな過去の人物であるキャスターにとって、こんな極東の地方都市の人々の命など限りなくどうでもいいものだろう。はっきりいってキャスターにとってこの戦いは、自分になんら利益のない無駄な戦いなのだ。
 キャスターは「ふん」と鼻を鳴らす。

「なんの益にもならん戦い……確かにそうだ。報復なんて何の利益にもならんこと、その理屈には一部の誤りもない。だがそもそも利益を求める復讐などありはしないだろう。それに戦っても戦わなくても、俺が願いを叶えられずに消えることに変わりはない。だったら聖杯戦争をぶち壊した奴を不利益にさせてから死んだほうがマシだ」

「……感謝する」

 キャスターはその程度のことで激怒し復讐を誓うほど狭い男ではない。口ではそう言っているが、きっとキャスターは純粋に遠坂冥馬を助けるために戦うことを選んでくれたのだろう。
 故に冥馬は飾りない感謝を告げた。
 これからの戦いはもう冥馬とキャスターはマスターとサーヴァントではない。その関係は聖杯戦争が崩壊したのと同時に同じく消滅した。
 これからは冬木市のセカンドオーナーと、その責務を手伝ってくれる頼れる協力者だ。

「話は済んだようね。なら早く行きましょう。二分もロスしたわ」

 急かすリリアに頷いて応じる。二分……非常に短い時間だが、一分一秒を争う現在においては多大なロスと言えなくもない。
 気分を改めて冥馬たちは石段を登り始めた。

「いや~。しかしセイバーが加勢に来てくれて良かった良かった。俺一人じゃ不味い気もしていたし」

 石段を登る途中、実体化したセイバーがらしくない弱気を吐いた。

「シャルルマーニュ十二勇士最強がなに言ってるのよ。相手は聖槍を持ってるだけのただの魔術師じゃない。貴方の敵じゃないでしょう」

 聖槍ロンギヌスは最高位の宝具だ。そのランクは確実に規格外の領域にある。だが最強の聖槍を握るは古今無双の英雄ではなく、現代に生きる一介の魔術師。
 リリアはそんな人間などサーヴァントの敵ではないと思っているのだろう。

「うんにゃ。俺も生前に聖槍を見た事があるが、正しい担い手が持ってるわけじゃないのに途轍もないヤバさだった。その聖槍が完全に力を引き出すんだろう。俺も弱まってるし、きついかもしれない」

「俺もセイバーに同感だな」

 セイバーと同様、生前から〝ロンギヌス〟を知る一人であるキャスターが言った。

「そもサーヴァントの戦いとは宝具の競い合いに等しい。ロディウスの持つ聖槍はほぼ確実に規格外のランクEX。それだけの宝具であれば、担い手がただの魔術師という不利なんて覆して余りあるぞ」

 二騎のサーヴァントから続けて厳しい事を言われ、リリアの表情は否応なく硬くなる。
 それに二人の言葉だけではない。冥馬もリリアも一度見ているのだ。聖槍ロンギヌスの力を。

――――光あれ。

 それは祈りであり、懺悔であり、命令であり、なによりも言葉だった。
 ロディウスの言葉は正しく叶えられ、教会には光が満ち溢れ、冥馬とリリアは気を失うほどの衝撃を浴びた。もしサーヴァントがいなければ二人ともあそこで冷たい躯を晒していたことだろう。
 仮にあれだけの力を自在に引き出せるとしたら、使う人間がただの魔術師でもサーヴァントに対抗しうるだけの強さを発揮する。決して人間だからと舐めてかかっていい相手ではないのだ。

「――――――」

 隣を歩くリリアが何を考えているのかは分からない。いつもと同じ凛とした目つきで真っ直ぐ前を――――いや、上を見上げていた。
 ふとどうしてリリアがここでこうしているのか疑問に思う。人間を守るのが英霊だというのならば、騎士であるセイバーはその見本ともいうべき存在だ。だから彼が無辜の命を守るため剣をとるのは自然なことだ。
 しかしリリアは魔術師。自分の領地の人間でもない一般人を守るため命を賭ける理由なんてないはずだ。
 そこまで考えて、己の思考の無意味さを悟る。
 熟考する必要などない。リリアはきっとそういう女なのだろう。ならば仕方ない。彼女の参戦理由を言葉で言い表すなどそれこそ無粋。遠坂冥馬は最高の援軍を得られたことを感謝していれば良いだけだ。
 この場にいる全ての人間に感謝を。悲しいかな、感謝くらいしか益なき戦いに返せるものがなかった。
 もはや余計な感傷はなかった。頂上に到達し山門を潜る。

「――――!」

 刹那、神々の住まう天界へ足を踏み入れたと錯覚する。
 夜の帳が落ちたはずの世界は、この場所のみ純白の空気が蔓延していた。魔は呼吸できず悶え苦しみ、救いを求める者は歓喜の涙をもって安住の地と定める聖域。
 そんな場所に踏み入ったというのに、冥馬が抱くのは感動ではなく戦慄だけ。或いは人間でありながら、人道から背を向け魔道を行く魔術師だから気付けたのだろうか。
 魔術師としての根源を揺さぶる、なにか良くないことがここで起きようとしているのを嗅ぎ取った。

「早かったね、遠坂冥馬。リリアリンダ・エーデルフェルト。来なければ嬉しかったが、そうはいかないか」

 静謐過ぎる聖域に、漆黒の軍服に身を包んだ場違いな男がいる。その手に握られているのはこの聖域の柱たる聖槍。
 ロディウス・ファーレンブルクは全ての中心で『その時』を待っていた。

「大人しく降参しろ。此方にはサーヴァントが二騎いる。降伏すれば命まではとらん」

 無意味なことと知りつつも、形式のため冥馬はロディウスに言った。

「ふっ、ははははははははははははははは」

 冥馬の降伏勧告、最後通牒に返ってきたのは脳天気な笑い声。

「何が可笑しい?」

「相手が受けないと確信している降伏通牒。その裏の意味は一つ、宣戦布告だ。君達は決して退いてはくれないだろうし、私の方もそれは同じでね。ま、君達の宣戦布告に倣って私からも返答しよう。
 あの日以来、ずぅっとやろうとしたことがやれる日なんだ。あともう少しで『』への道が開かれるのだから、私の邪魔をしないでくれるかな」

 刹那、空気が凍りついた。冥馬もリリアも、ロディウスの語った目的に思考を奪われた。

「『』だと? 貴様、正気か?」

「その為の聖杯、その為の聖槍だ。冬木という霊地にて地の利を得て、神の子を引き摺り下ろし人の利を得て、神殺しの聖槍により天の利を得る。天地人の全ての利と理により私はあちら側の世界への扉を開く」

 魔術師が誰もが探す最終目標たる『』。全ての原因、真理、『根源』。だがそのどれもが『』を現しきれるものではない。
 人間が生まれ魔術師という概念が発祥し、幾百幾千年が経ったか。その間にどれほどの魔術師が世界の外側にある『』を目指しては死んでいったか。

「馬鹿なことを……! 『』への道を開くなど、世界が許すと思うのか? 世界に、抑止力に消されるぞ」

「なら『世界』を倒すまでだ」

「ッ!」

 冗談などではなかった。信じがたいことだが信じる他ない。ロディウス・ファーレンブルクは本気で世界そのものと戦い勝とうとしている。いや或いは彼は既に世界と戦って、勝利を重ねてきたのではないか。
 そしてロディウス・ファーレンブルクの宣言は揺るぎのない意志力にのみ裏づけされるものではない。

――――伝承曰く、その槍の持ち主には世界を制する力が与えられる。

 裏技を用いたとはいえ、有史以来初めて聖槍ロンギヌスを担うことに成功したロディウスは、間違いなく伝承通りの『世界を制する力』を得ていることだろう。
更に言えばロディウスは封印指定されるほどの〝魔術師〟として、抑止力を撥ね退ける自信をもってこの儀式に挑んでいるはずだ。

「魔術師ならば魔術師を志した瞬間に追い求め、己では到達できないと挫折する『』への探求。あちら側への到達。それを求める気持ちは痛いほど分かるが、冬木の管理者としてこの儀式を成就させるわけにはいかん」

「……ふ、ははははははははははははははは! さっきから君は的外れなことばかり言うね遠坂冥馬。視野が狭いぞ」

「なに?」

「いや。確かに私は『』への道を開くと言った。だが誰が『』への探求のために『』への道を開くなんて言ったんだい。君は非常に頭も良く判断力も優れているが、だからこそ足元を見落としがしだね。そんなんだからむざむざ幼馴染の恋慕にすら気付けず見殺しにするんだよ」

「っ!」

 反射的にロディウスの頭を吹き飛ばしそうになるが、咄嗟に自制できたのは前半の言葉が引っ掛かった故だ。
 封印指定になるほどの魔術師であれば自分の魔術を高めること、『』への探究心は並外れているといっていい。だからてっきり『』と聞いて、ロディウスの行動は魔術師故の探求行動だと半ば以上に決め付けていた。
 だが魔術師ならば誰もが『理解』できる動機は、ロディウス自身によってあっさり否定された。

「……どういうことだ? 『』が目的でないなら、どうして『』を目指す!?」

「男が命を賭ける理由なんて過去も未来も現在も三つだけだ。夢のため、友のため、そして女のため」

 ロディウスは前だけを向いてひたすらに生きる少年のように、涼やかな表情で言う。

「私の戦う理由は一番最後だ……〝女〟のためだ」

「女?」

 この場にいる唯一の女性、リリアがか細く反芻する。
 だがロディウスの目はリリアを見ていない。ロディウスの瞳は遥か彼方、或は遥か以前。もうこの世界にいない誰かを見ていた。

「私にとっての女とは私の妻のことだよ。のろけ話に聞こえるかもしれないが、私には勿体無いほどの妻だった。
 容姿はこの上なく私好みだったし、朝昼晩の三食出される食事はどれも絶品。私の我侭も笑顔で聞いてくれたし、我侭が過ぎればやんわりと嗜めてくれた。なにより彼女といると、なんというかね。説明はできないんだが、胸に幸福の感情が満ち溢れたんだ。いやプロポーズが成功したときには、周りが恥かしがるくらい喜んだものさ」

 冥馬はロディウスの妻の名前も知らなければ、性格も知らない。しかしロディウスの言葉の節々から素晴らしい妻なのだということは伝わってきた。

「だけど人間の生き死には分からないものでね」

 ロディウスの声色が変わる。昼の日差しのような暖かさから一転、冬の如き冷たさへと。

「十年前、妻が死んだんだ。不幸な事故でね。私が駆けつけた時には、現代の医術でも魔術でも取り返しのつかない状態だった。だが不幸中の幸いか一言、言葉を残すくらいの力は残っていた。彼女は私にこう言ったよ」

〝死にたくない〟

 死に直面すれば、誰もが抱くであろう願望。
 遺言が人が最後に残せる願いだというのならば、それは紛れも無くロディウスの妻がロディウスへ向けた願いの形だった。

「なら、お前の目的は――――」

 最愛の妻の死。在り来たりといえば在り来たり。珍しいどころか、既婚者の半分は経験することであろう。
 だが世界という全体にとって有り触れた一つの不幸に過ぎなくても、ロディウス・ファーレンブルクという個人にとっては大きすぎる悲劇だ。それこそ死者蘇生という『魔法』の領域にある奇跡を求めるほどに。
 一瞬、冥馬の脳裏に母の葬式で涙を流す父の姿が過ぎった。

「だが死者を蘇らせるなら、どうしてここまでまどろっこしいことをする。ここまで聖杯戦争を掌で動かしたお前だ。上手く立ち回れば『聖杯』を手に入れることもできただろうに」

 冬木の聖杯では『』へ行けるかどうかは怪しい。しかし聖杯の力をもってすれば死者を蘇らせることくらいは訳のないことだ。
 だというのにロディウスは聖杯ではなく、敢えて聖槍なんてものを使い『』への道を開こうとしている。それが冥馬には分からない。

「何度も同じことを言わせるな。早合点し過ぎだよ……君は」

「なんだと?」

「私の妻は〝死にたくない〟と言ったんだ。〝生きたい〟でも〝死にたい〟でもない」

 人がこの世に残す最期の言葉、遺言。
 彼は彼女を愛していた。彼女も彼を愛していた。故に彼は彼女が残した最期の願いを受諾した。してしまった。愛した女性の最期の願いを叶えてあげようと。

「死にたくない……その意味を何度も何度も頭で繰り返した。妻を生き返らせるだけじゃ妻の願いを叶えたことにはならない。人の命は脆く儚い。生き返らせたところで、病気や事故や或いは戦争で、またいつか妻は死んでしまうかもしれない。その度に妻は私に願うだろう。死にたくない、と。
 だとすれば『死』という生きる者であれば誰もがもつ約束された終末を打破しなければならない。『死』を打倒し『死』を克服し死を無くす。ほら、人間を永久に死から遠ざけるなんてこと。もう『』へ行って魔法の一つでも取ってこなければ叶えられないだろう」

「――――――」

 魔術師、悪魔、吸血鬼、英雄。不老不死と呼ばれ事実それに限りなく近付いた存在は数多い。しかしこの地上に完全なる不老不死が現れたことはただの一度もありはしない。
 この星や、星々を内包する宇宙ですらいずれは死ぬ。その死を永遠に打倒する――――確かにそれは〝魔法〟でなければ叶えられぬことだった。

「ただそれだけを求めてお前は『』を目指してきたのか?」

「そうだ。そのために魔術協会を利用し、聖堂教会を利用し、大英帝国を利用し、合衆国を利用し、ロシアを利用し、大日本帝国を利用しナチス・ドイツを利用してきた」

 ロディウス・ファーレンブルクは断じて狂ってなどいないし壊れてなどいない。
 彼の願いは酷く純粋無垢だ。

〝愛した妻の最期の願いを叶えたい〟

 ただそれだけのために、ロディウスは世界の理を捻じ曲げようとしている。ただそれだけのために世界そのものと戦おうとしている。
 その覚悟、そこまで一人の女性を愛した純真さに〝魔術師〟としてではなく一人の男として圧倒された。

「承知した。では戦おう」

 もはや語るべきことはなにもない。百万の言葉を重ねようと、ロディウス・ファーレンブルクの意志を変えることはできないだろう。
 そしてロディウスを止められないように、冥馬もロディウスの願いを叶えさせる訳にはいかない。
 冥馬の敗北は即ち冬木にいる全ての命の死である。冬木の管理者として、遠坂冥馬にはロディウス・ファーレンブルクを止める義務がある。
 いつの時代も変わりはしない。どちらにも譲れぬものがあるのであれば、戦いとなるは必然。

「やれやれ。話をもっと長引かせたかったのに、やっぱり私はダーニックほど口が巧みじゃないなぁ。あと三十分もたせれば私の勝ちだったのに」

「三十分ですって?」

 リリアが自分の腕時計に視線を落とす。
 現時刻は丁度11時30分、その30分後というのだからロディウスが待つのは午前0時。今日と明日の狭間、時間が最も曖昧となる瞬間。この世の外側にある『』への道を開く儀式をするには最適な時間だろう。
 儀式の開始が午前0時ジャストならば、冥馬たちの制限時間は30分。30分の間にロディウス・ファーレンブルクを倒し聖槍を奪取せねばならない。

「キャスター!」

「セイバー!」

「OKだ」

「御意」

 命令はなく、名を呼んだだけで二騎のサーヴァントはマスターの心を察する。
 円卓の騎士と十二勇士。共に最も誉れ高い騎士道物語に名を連ねる騎士同士は、今再び同じ陣営に立って同じ敵へと挑んでいった。



[38533] 第76話  黄金のユメ
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/06/28 23:16
 白銀の騎士と蒼い騎士が大地を滑るように動く。サーヴァントの埒外の脚力により齎された『踏み込み』はそれ一つとって超人業というべきもの。
 当然の社会に背を向けて『』を追い求めた魔術師といえど、人々が憧憬の念をもって信仰する英雄達に及ぶべくもない。
 サーヴァントと戦うことができるのはサーヴァントのみ。現代を生きる『人間』でありながら英霊の領域まで己の武を高めた常識外に、最古の鍛冶師の錬鉄と最新の科学の改造により生まれたサイボーグという想定外を除けば、その真理が動くことなどない。
 だからロディウス・ファーレンブルクはセイバーとキャスターによって、一合も刃を交えることも叶わず破れ散るはずだった。
 しかしそうはならなかったということは、例外に一つ加わるものがあったのだろう。

「なっ!」

 冥馬が絶句する。
 あろうことかロディウスは、人間には視認することなど出来る筈のない高速の斬撃を平然と槍で受け止めたのだ。まるで槍の英霊がそうするかのように。

「……ッ!」

 セイバーとキャスターが歯軋りする。より強烈なセイバーの刃は聖槍で、セイバーと比べれば劣るキャスターの一太刀は腰に差した刀で、ロディウスは完全に防ぎきっていた。
 聖杯戦争に最後まで勝ち残った二人の英霊は、負けるものかと全力と全体重をのせて刃を押し込もうとする。幾ら防がれようと単純な腕力であれば、英霊が人間を下回るなんてことはない。馬鹿正直な力技といえばそれまでだが、だからこそ効果的な戦法だった。

「ふ、英霊だけあって凄まじい力だ。昨日までの私じゃ到底勝てないな。だが今の私は前の私とは全然違うぞ」

 ロディウスが目を細めると腕に力を入れ、逆にセイバーとキャスターを押し返していく。
 有り得てはならない光景だった。こんなこと相馬戎次にもできはしない。サーヴァント二人を相手に力勝負を挑んで押すなど絶対にあってはならないことだ。
 だがそのあってはならないことが起きようとしている。初めて聖槍を担うことに成功した『人間』によって。
 やがて鍔迫り合うは不利と悟り、セイバーとキャスターが飛び退く。
 瞬間、まるで見えない誰かに突き動かされるようにロディウスが動いていた。
 剣の英霊たるセイバーをもってしても絶妙なタイミングでの追撃。聖なる槍の一突きがキャスターの左肩を穿ち貫いた。

「ぐっ……! 不甲斐ないっ!」

 人間に一撃を受けた自分を呪いつつも、キャスターは頭に血が上ってロディウスに無謀な白兵戦を挑むほど馬鹿ではなかった。
 手から火炎を放ちロディウスに喰らわせつつ、僅かに怯んだ隙をついてキャスターは後方に飛び退いた。

「大丈夫か?」

「ああ。大した傷ではない」

 冥馬は素早くキャスターに魔力を送る。アルラスフィールが仕込みをしてくれた甲斐もあって、キャスターの左肩の傷は直ぐに塞がった。
 聖槍ロンギヌス、またの名を神殺しの槍。キャスターが神の血をひいた混血であったり、魔物としての属性をもつ英霊であれば、ただの一突きでさえ深刻なダメージを齎しただろう。しかしキャスターは特異な能力を持ち合わせてはいるものの、神や魔物の混血というわけではない。
 セイバーもそれは同じだ。天使の加護を受けてはいるが、その程度のことで神殺しの属性は効果を発揮したりはしない。
 残った二人がロンギヌスが天敵となりうるサーヴァントでなかったのは不幸中の幸いといえるだろう。

「熱いじゃないか。火傷するかと思った」

「普通ならば死ぬはずなんだがな。サーヴァントの炎が直撃したら」

 キャスターの放った炎を、槍を無造作に一振りするだけで鎮火させたロディウスを苦々しく見据えながら冥馬は言った。
 全身を炎で炙られたというのに肉体は元より軍服までもが無傷。聖槍ロンギヌスはその名に相応しいだけの加護をロディウスに与えているようだ。
 恐らく今のロディウスの生命力は下手なサーヴァントを遥かに凌ぐだろう。

「―――――ふうむ」

 そしてそのことを『理解』したのは冥馬やキャスターたちばかりではない。聖槍を振るうロディウスもまた、自分自身について起きていることを理解する。
 聖槍を担うため入念に入念を重ねた下準備をしてきたロディウス。だがそのロディウスにしても聖槍の担い手になった者が過去にいないため『聖槍』の力を完全に引き出した時、具体的に担い手がどれほどの力を得るかまでは分かる筈がなかった。
 だからこうして戦いの中で聖槍を持つ自分の強さを確かめていっているのだ。さながら剣豪が新たな刀の調子を確かめるように。

「これならば、うん。いけるかもしれないな」

 暫し聖槍を眺め、その力を確認したロディウスは防御から攻撃に転じる。
 ロディウスが繰り出すのは〝突き〟だ。単純故に最強。長らく数多の武器の中にあって槍こそが『兵器の王』と称された真価がここにある。

――――疾い。

 人の身であるはずなのに、槍を突く速さと、踏み込みの疾さ。どれをとっても此度の聖杯戦争で招かれたランサーを上回っていた。
 最速のサーヴァントを超える速度で突かれた神速の突き。更にこれがセイバーとキャスターと鍔迫り合うほどの膂力をもって放たれるのだ。
 しかもただ単に速いだけではない。血飛沫が飛び散る戦場を潜り抜けてきたサーヴァントからすれば、ロディウスの槍捌きなど素人に毛が生えただけのものに過ぎない。如何に速かろうと、技術がまるで伴っていなければ幾らでも対処のしようがある。
 だがロディウスの槍捌きお粗末なものなのに、槍はまるで吸い込まれるように最も防御の弱い場所や、回避する地点を先回りするように飛んでいくのだ。

「ちっ!」

「うおっ!」

 されど強敵たちが参戦する聖杯戦争で、最後の二人まで生き残ったセイバーとキャスターの回避力も相当のものだ。
 セイバーは天性の心眼で、キャスターは修練によって体得した心眼によって。紙一重で槍の回避に成功する。

「どういうこと……! セイバーは最優の剣士なのよ! 幾ら槍のお陰で身体能力が馬鹿みたいに上がってても、魔術師相手に遅れをとるだなんて」

「それが槍の真の力なんだろう。世界を制する力、か」

 焦るリリアに表面上は冷静に冥馬が応えた。
 この世界を制するのになにが必要か、と問われたとしたら自分はどう答えるだろうか。
 運と答えるかもしれないし、武力と答えるかもしれないし、カリスマと答えるかもしれないし、それこそ天啓の閃きと答えるかもしれない。
 そして聖槍ロンギヌスはその全てを与える。
 担い手に加護を与え死なぬようにし、宇宙を創造する神霊を殺すだけの権利を与え。
 大勢を魅了するだけの魅力、行動を導く天啓、幸運を手繰り寄せる天運、そしてそれにより生まれる武力。
 ロディウス・ファーレンブルクはその全てを備えている。聖槍による借り物の力と言ってしまえばそれまで。だが人から借りた銃でも、人は殺せるのだ。
 誰がなんと言おうと、今この場における戦いにおいて借り物かそうでないかなどまるで意味をなさないこと。
 唯一つ確かなことは、

(ロディウス・ファーレンブルク。今の奴の力は最上級の英霊にも匹敵する)

 英霊も最上級となれば、限りなく神霊に近い力をもつ存在となる。そして神に限りなく近い彼等と同じように、ロディウス・ファーレンブルクも神に近い所に君臨している。
 否、或いは一部においては既に神を超えているといって良いかもしれない。それだけの規格外を前にすれば、もはやこちらも最大の一撃で一息に粉砕する他ないだろう。
 常であれば慎重にいきたいが、午前0時は刻一刻と迫っている。危険でもここは賭けに出るべき時だった。

「準備はいいか?」

 代表して冥馬が全員に確認すると、無言の首肯が返ってきた。
 セイバーが出現させるのは白亜の角笛、キャスターがカリバーンのかわりに出現させるは嘗て最強の魔術師から譲り受けた無骨な剣。

「もうリミッターをかける必要なんてないわ。〝本気〟で吹きなさい」

 リリアの命がセイバーに伝わった瞬間、二騎のサーヴァントは全く同時に動いた。
 周囲の空気どころか空間そのものがセイバーの角笛に吸い込まれていく。
 周囲に飛び交う火炎がキャスターを中心に複雑な魔法陣を描いていく。

「奥の手を使うのかい。であれば私も――――君達に合わせてみようか」

 角笛が空間を吸い込み圧縮するのであれば、聖槍はこの世に降り注ぐ〝光〟を集めていく。白銀の聖槍が太陽のように眩しく輝いた。
 聖杯ほどではないが、聖杯の機能により修復された聖槍は願望器としての性質をもつ。
 であれば担い手の〝願い〟に応じてその在り方を対人にも対軍にも―――対城、対界、対神にも変化させる。

「聖覇すべし神滅の明星」

 嘗て無銘だった頃の聖槍によって、神の子を殺した男の真名。それを唱えることによって、聖なる槍は破壊の槍となる。
 誰よりも強く美しかったが故に『傲慢』となり、遂には神へと反逆した堕天使。その堕天使と同質の極光が二騎の英霊に牙をむいた。
 しかしセイバーとキャスターはその極光を甘んじて受けるほど往生際が悪くない。
 例えその極光が神の裁きに等しくとも、神に挑む打ち倒すのは英雄の特権。であれば彼等が臆するはずがない。
 二騎のサーヴァントは呼吸を合わせ、己の必殺を聖槍の担い手に繰り出した。

「儚く遠き勝利の音色」

「儚く燃ゆる勝利の剣」

 あらゆるものを蹂躙する熱風に、星の輝きの模倣が加わる。
 セイバーとキャスターの最強の一撃の同時攻撃。如何な英霊であろうとこれを打ち破ることができようはずがない。
 ましてや今回セイバーはリミッターを外している。
 セイバーの最終宝具である『儚く遠き勝利の音色』は吹く強さによって威力を変化させる対城宝具。その最大出力は規格外といっていい。だが規格外の力は諸刃の剣。最大出力を出そうとすれば、セイバー自身にも相応の反動がくるのだ。事実伝承においてセイバーは、角笛を強く吹きすぎたせいで命を落としている。
 そのためこれまでの戦いでセイバーが『儚く遠き勝利の音色』を使用する際は、常に反動で致命傷を負わない限界のラインに出力を抑えてきた。
 しかしリリアはそのリミッターをセイバーに解除させた。それは即ちこの一撃で勝負を決めるという覚悟の現われ。
 必勝の覚悟をもって解放された熱風は、キャスターが決して届かぬ真なる星の輝きに並ぶだろう。

「―――――んっ! これは……」

 聖なる極光が熱風と星の模倣により払われる。
 もはやどうすることもできるはずがない。ロディウス・ファーレンブルクは回避などできるはずもなく、天の裁きを打ち払った熱風に呑みこまれた。
 あの直撃を喰らっては、もはや生きていることなどできない。不死身と呼ばれる生命体とて完全に死を克服しているわけではないのだ。この世の全てには等しく『死』があり、セイバーとキャスターの放った必殺はあらゆる命を死へ追放するに足るものだった。

「フフフフフ。痛い痛い、全身が消し飛ぶ痛みは初めてだ」

 故に――――その男は正真正銘の『不死』だった。

「嘘、でしょ……っ」

 リリアが顔を真っ青にするのも無理はない。冥馬やセイバー、キャスターですら唖然としているのだ。
 地面を溶解させ、大地をひっぺり返す天災。その中からロディウス・ファーレンブルクはなんでもないように平然と歩いてくる。
 散歩するような足取り。だがなんでもない筈がないのだ。
 頭部は半分が消滅している。右肩は跡形もなくなっている。五臓は灰となり、六腑は燃え尽きた。なにより肉体のみならず、霊体すらも完膚なきまでに引き裂かれている。
 死んでいないはずがないのだ。死んでいないのは摂理に反しているのだ。だというのにソレは生きている。

「そういう、ことか」

 遠坂冥馬は確信する。絶対に死んでいるはずなのに死なない理由。それを冥馬は理解した。
 なんていうことはない。ロディウス・ファーレンブルクには死が〝無い〟のだ。形あるものなら必ずある死という概念そのものが〝無い〟ならば死な無いのは当然のこと。

「不死という概念に守られた、死という概念のない怪物。それがお前か、ロディウス・ファーレンブルク」

「怪物とは酷い言い方だね。これは神聖なる力だというのに」

 全身が傷ついたロディウス・ファーレンブルクの肉体が『元の形』へと戻っていく。
 だがこれは回復でもなければ、ましてや時間の逆行でもない。最も近い表現を探すのであれば『修正』だろうか。
 不死不滅である槍の担い手は完全な姿でなくてはならない。故に完全ではない姿になった時、槍は自動的に不完全から完全へと修正するのだ。
 そしてそのことが示す残酷なる現実。必殺を繰り出して満身創痍なセイバーとキャスターに対して、未だに万全なロディウス・ファーレンブルクという構図。

「お返しだ。聖覇すべし神滅の明星」

 再び地上に顕現する原初の輝き。
 流石にあれほどの破壊力を連続で引き出すのは難しかったからか、その用途はより範囲の絞られた対城ではなく対人。されどその光の閃光はセイバーとキャスターを打ち倒すには十分すぎた。

「ぐっ……!」

「おおっ!」

 声を張り上げる間すらない。原初の輝きはあっさりとセイバーとキャスターを呑みこんだ。
 二騎のサーヴァントはその場に踏みとどまることもできず、柳洞寺の端まで弾き飛ばされる。マスターとしての契約が残る冥馬とリリアには、確認するまでもなくセイバーとキャスターが致命傷を負ったことが分かった。

「さて。まだやるかい? お二人さん。私はどちらでも構わんよ。なぁに、もののついでというやつさ」

 頼りの綱のサーヴァントはやられた。まったくロディウスにどうすることもできず敗れ去った。残る戦力はただの魔術師でしかない遠坂冥馬とリリアリンダ・エーデルフェルト。
 サーヴァント二体を圧倒する怪物に二人の魔術師が挑んで勝てるかと問われればNOだ。サーヴァントが勝てない相手に魔術師が勝てる筈がない。

「おや」

「冥馬……?」

 しかし遠坂冥馬はロディウス・ファーレンブルクの前へ出た。

「まさか特攻でも仕掛ける気? 止めなさい。気持ちは分かるけど無駄死によ」

「それこそまさかだよ。生憎、勝算が皆無な勝負に挑むほど俺は人間らしくはない」

 冥馬はちらりと背後を見る。セイバーとキャスターはかろうじて消滅はしていないものの、それも時間の問題だろう。やはりサーヴァントの助力は期待できそうにない。
 だからやはり最後は自分の力のみが頼りになる。

「リリア、バックアップを頼む。これは俺のモノ(魔力)じゃないから少しばかりジャジャウマでね」

「その宝石、ルネスの?」

「戦利品だよ」

 ルネスティーネを倒した冥馬が彼女から分捕った魔力が込められた宝石、総数40個。正真正銘、これが遠坂冥馬の奥の手だ。

「無茶よ! 宝石が幾つあったって、あんな怪物に勝てるわけないじゃない! さっきの見ていなかったの!? セイバーとキャスターの必殺が直撃しても、あいつを殺すことは出来なかったのよ!」

「承知している」

「仮に棒立ちしたアイツに40の宝石全ての魔力を叩き込んだとしても、あいつは即座に復活するわよ。いいえ、40個の宝石程度の神秘じゃ聖槍で『不死』の概念を与えられたあいつを傷つけることすら出来ないわ」

「承知している!」

 ロディウス・ファーレンブルクに傷を負わせられるとしたら、人の意志により生まれながら人とは関係なく生まれるもの。星の鍛えた神造兵器くらいだ。
 宝石40どころか1000の宝石があろうとロディウス・ファーレンブルクを殺すことはできやしないだろう。だが、

「心配するな。策はある」

 そう、策だ。たった一つだけ見出した突破口。

(ロディウスの強さは聖槍の強さ。ロディウスの不死性は聖槍の加護。……そもそも前提からして間違っていたんだ。ロディウスを倒そうとしても槍がある以上、ロディウスは不死身。ならば槍をどうにかするしかない)

 無論、ロディウスが倒せないから槍を破壊するなど更に無理難題だ。それこそ百万の宝石が手元にあったところで不可能だろう。
 しかし槍を破壊することはできずとも、槍を『奪う』ことはできるかもしれない。ロディウスの腕を断つことはできなくとも、その手から槍をすっぽぬかせることは出来るかもしれない。
 槍さえあればこちらのものだ。聖槍は決してロディウス・ファーレンブルクを唯一人の主と認めたわけではない。トバルカインによって『誰でも担える』ように改良されただけだ。
 ならば冥馬があの槍を奪ってしまえば、槍の担い手は遠坂冥馬となり、残ったロディウス・ファーレンブルクはただの魔術師に戻る。

「Anfang」

 20の宝石を全て身体能力の強化へ注ぎ込み、残りの20を過剰強化で自壊する肉体の維持に注ぐ。包丁で肉体を細切れにされる苦痛を下唇を噛む事で凌ぎ、冥馬は敵を睥睨する。
 総数40の宝石、これにより遠坂冥馬は五分のみサーヴァントに比肩しうるだけの肉体ポテンシャルを獲得した。

「ゆくぞ!」

 そして聖杯戦争改め聖槍戦争、最後の五分間が始まった。




 星を見上げる。
 傷ついた体は鉛のようだ。背を起こすどころか指を動かすことすら億劫で、こうして大の字に倒れたまま空を眺めるしかない。微かな星明りは霧に覆われた聖域を僅かに照らす。
 いつか見た星の輝きを忘れはすまい。このような様になってもこの身は全てを覚えている。
 彼女が家に来た時の無垢な顔を覚えている。彼女が教えを請いにきた初々しい姿を覚えている。彼女が運命を抜いたときの尊さを覚えている。
 だがそれも遠い過去の記憶の断片だ。
 彼は戻りたかったのかもしれない。
 まだ彼女が己の運命を知らず、彼も妹の運命を知らず、無邪気にただの兄妹として笑い合えたあの頃。
 彼女が王の責務をやり遂げれば、きっとあの頃に戻れると信じて、彼は彼女の側で『一介の騎士』として剣を振るい続けた。
 しかし結果は残酷に。魔術師の予言は外れることなく、彼女と彼女の国を無残にも切り裂いた。
 皆に裏切られた王は、それでも皆を恨むことはなく、最期に己の身を生け贄とすることで、皆を救おうとした。

――――認められるものか。

 そんなものが認められるはずがなかった。
 己の幸などはどうでもいい。あの頃に戻りたいという過ぎた願望も要らない。
 だが彼女が幸福でないのが許せなかった。少女はみんなの笑顔のためにみんなから恨まれる道を歩んだ。ならばせめてその最期は笑顔でなければならない。そうでなければ誰が許しても自分が許せない。
 つまりなんということはないのだ。彼にとって彼女の幸福がそのまま自分の幸福だったというだけ。
 だから彼は奇蹟を求めた。彼女よりも先に奇蹟を手にする、ただ一度だけの機会を手に入れたのだ。

「なんと情け無い有様だ」

 自嘲の声が響く。
 聖槍に傷つけられた体は半死半生。こうしてしぶとく形を保っているが、このまま暫く野に晒されていれば、やがて雲散し死者の残滓は泡沫の幻と消えるだろう。
 自分の身が滅びた後、自分がどうなるかは分からない。もしかしたら他の英霊たちと同じように『英霊の座』とやらに招かれるのかもしれないし、またどこかの聖杯を得る機会を得るのかもしれない。それとも誰に知られることもなく完全に消え去るか。
 どちらにせよもう自分は終わりだ。
 誰よりも近くにいたにも拘わらず、結局妹一人すら幸せにすることもできず死んだ騎士は、こうして時空の果てに馳せ参じても何にもできずに滅んだ。これはただそれだけのことだ。
 どうしようもない無力感が圧し掛かる。いっそそれに押し潰されてしまいたい気分だったが、自分の体はしぶとくまだ終わりを許してはくれなかった。

「まぁ義理は果たしたさ」

 自分をサーヴァントとして召喚し、共に戦い抜いてきたマスターである遠坂冥馬。
 思い返せば思い返すほど遠坂冥馬という男は訳の分からない人物であった。魔術師としての冷酷さを垣間見せたかと思えば、三流もしないような下らないミスで足元を掬われ、計算高いようでいてまったく打算的ではない行動原理で戦う。これまでの生涯で出会うことのなかった人間だ。
 素直に認めるのは癪なことだが、自分は彼にそれなりに恩がある。だがその恩も、自分にとって全く何にもならない戦いに手を貸すことで返したはずだ。
 故にもう役目は終わり。サーヴァントとしても騎士としてもやるべきことはやりきった。
 兄としてやるべきことだけは終ぞ出来なかったのが心残りだが。

「――――――――――――あ。ああ」

 暗転する視界。流転する時。光が満ち、光が消える。
 朝焼けの陽射しが零れる。静かに佇む森で、眠る偉大なる王がいた。手を伸ばす。しかしどれだけ手を伸ばしても、手が彼の者に届くことはない。
 当然だ。これは今の彼にとっては過去であり未来の光景。通り過ぎた事も経験したことのない景色だ。
 彼女を看取るのはたった一人の騎士。彼がなによりも幸せを願った大好きな妹。

 だが――――その顔は、彼が望んでやまなかったものだった。

 穏やかな眠り。
 妹は最期に、今まで得られなかった安らぎを得たのだ。

「は、はははは」

 知らず知らず嬉しさから涙と笑顔とが溢れる。
 なんということだろうか。自分が誰よりも救いたかった妹は、自分が救わずともどこかの誰かが救ってくれたらしい。
 妹を救ったのが自分でないことが少しだけ悔しかったが、それ以上に彼女の笑顔が嬉しかった。
 妹に安らぎを与えてくれた顔も知らない誰か、貴公に心からの感謝を。自分が終ぞできなかったことをやってくれてありがとう。

「……よう。無事か?」

 過去と未来の景色は終わり、現在へと戻ってくる。
 キャスターは閉じていた目蓋を開き、もう一度だけ空を眺めた。
 星はもう見えない。ただ不気味なほどに静謐な雲だけが空を覆っている。
 
「これが……無事に見えるのか?」

 聖槍にやられた傷は深い。皮肉るようにキャスターは言う。だが、

「さぁ。でも俺よりはマシだろう」

 隣で倒れていたセイバーを見て、キャスターは目を見開いた。
 体の下半分は跡形も無く消し飛び、左腕も原型を留めていない。サーヴァントだろうと人間だろうと、死んでいなければおかしい状態だった。
 いや実際セイバーは死んでいた。気力で現世にしがみ付いているが、もう一分と保たずセイバーは幻と消えるだろう。

「なんだか吹っ切れたような顔をしているな。キャスター」

「……夢を、見ていた。未来の夢を」

「そうか。良い夢を見ていたんだな。俺はただひたすら苦しい思いをしていただけだった。たぶん優しい神の子が節介をやいてくれたんだろう」

 お互いに体はボロボロ、セイバーに到っては死んでいる状態だったが、それでも二人の表情は晴れ晴れとしていた。
 心に溜まっていた『願い』が綺麗さっぱり飛んでいったからだろう。

「……俺はたぶんもう直ぐ消えるが、その前に頼みがある」

 ふとセイバーが懇願するように切り出す。

「なんだ?」

「戦ってくれ」

 誰と、などと聞き返す必要もない。
 こうしてキャスターとセイバーが話している間も、柳洞寺では遠坂冥馬とロディウス・ファーレンブルクが戦っていた。冥馬は聖槍という究極の反則をもつ相手に、よくも喰らい付いているがあれも長くは保たない。いずれ聖槍に穿たれ殺されるだろう。そして遠坂冥馬が死ねば、次はリリアリンダ・エーデルフェルトの番だ。
 だから戦ってくれ、と。セイバーはキャスターに頼む。今生にて忠誠を誓ったマスターを守る為に。

「いいだろう。だが一つ条件がある」

「条件?」

「魔術師の原則は等価交換。あいつをぶった切るために、お前は俺の言うことを聞いてもらう」

「分かった」

「随分とあっさりと応じるんだな。俺がお前を裏切ったら、とかは考えないのか?」

「そんな難しいこと俺が考えられるわけないだろう。お頭の足りない馬鹿な俺は『こいつは信頼できる』って思った奴を最後の最期まで信じることしかできん」

「ふ、そうか」

 というとセイバーの信頼できると思った相手には、もしかしなくてもこのサー・ケイも含まれているのだろう。
 一人の男にここまで捻りのない信頼を向けられては、騎士としてそれに応えないわけにもいかない。
 今こそ再点火の時。力を失った五体に活を入れ、再び生命力を漲らせてゆく。

「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 キャスターらしからぬ獣染みた咆哮。
 銀の騎士の想いを託され、蒼い騎士は戦場に舞い戻った。



 ルネスティーネから奪った宝石により、一時的にサーヴァント――――それも三騎士に匹敵しうるだけのスペックを獲得した冥馬だったが、どうにも攻めあぐねていた。
 人間、過ぎたる力をもてば往々にして力に溺れ、己の強さを過信しそこに油断が生まれるものだ。だが聖槍ロンギヌスにより圧倒的な身体能力と不死性をもちながら、ロディウス・ファーレンブルクにはそういった油断が一切ない。恐らくは聖槍により自身の目的を達成するその瞬間まで、ロディウスが気を抜くということはないだろう。
 そして冥馬はサーヴァント〝並み〟の身体能力を獲得しただけであって、別にサーヴァントを凌駕するほどの強さを得たわけではない。サーヴァントを二騎同時に相手して圧倒してみせたロディウスにとって、冥馬の猛攻をいなすなど難しいことではなかった。

(不味い……っ! このままだと限界が来る……!)

 ロディウスは冥馬の攻め手を避けながらも、自分から攻撃に転じることはない。
 冥馬が仮にもこうしてロディウスと戦えているのは、何年何十年かけて魔力を溜めた宝石があるが故。逆に言えば宝石がなければロディウスと戦うことなどできないのだ。
 ならばリスクを犯して攻勢に出る必要などない。何故ならたった五分間凌ぐだけで冥馬は宝石を失い継戦能力を喪失するのだから。
 冥馬も馬鹿ではない。ロディウスの魂胆などとうに気付いている。出来ればここで一旦攻撃を止めて、戦術を立て直したいところでもある。
 しかし今度ばかりは時間がない。儀式が行われるタイムリミットの午前0時は刻一刻と迫っている。
 戦術を立て直している時間などない。例え可能性が少なかろうと、このまま攻め続けロディウスから聖槍を奪うというか細い勝利の糸を手繰り寄せようともがくことしか冥馬には出来ないのだ。
 その時。

「――――、――――ッ!!」

 獣のような雄叫びを聞いた。
 心の器を引っくり返し満ちていたものをぶちまけたような、剥き出しの感情の放出。
 その猛々しさに冥馬どころか、あのロディウスですら一瞬気を取られた。その刹那、

「はぁぁああああッ!」

 雷光の如く速度で突っ込んできた蒼い騎士が、その手に握られた〝絶世の名剣〟でロディウスを切り裂いた。
 刃は不死の概念に守られたロディウスの体を断つことが叶わず、その肌で停止するも、その剣とそれを振った人物の組み合わせに瞠目する。

「それはセイバーの聖剣じゃないか。驚いたね、それをまさか君が振るうだなんて。キャスター!」

 ロディウスの言う通り聖剣デュランダルを握るのは、いと名高き白銀の騎士ではなく、玲瓏な雰囲気の蒼い騎士――――キャスターだ。
 その体は聖槍によるダメージで明らかな満身創痍。されど内包する戦気は寧ろ初めて刃を交えた時よりも増している。
 キャスターは〝絶世の名剣〟でロディウスの体を切れないことを理解すると、片方の手に握った黄金の剣で思いっきり殴りつけた。不死性をもちダメージをも通さないだけの加護をもっていようと、衝撃までが皆無になるわけではない。顔面を殴りつけられて体制を崩したロディウスを、追い討ちをかけるようにキャスターは蹴り飛ばした。
 左手には〝絶世の名剣〟。右手には〝黄金の選定剣〟。
 この世で最も高名な二人の騎士の愛剣を握った蒼い騎士は、堂々と冥馬の前に立つ。まるでそこが自分の場所とでもいうように。

「動けるのかキャスター? 傷の方は――――」

「ふん。お前がなにやらモタモタしているようだったんでな。放っておいても良かったんだが、仮にも今生で主君と仰いだ男が情けない負け方をしたら、そのサーヴァントだった俺まで物笑いだ。だから黄泉路に引きずり込もうとする死神を蹴り飛ばして戻ってきてやった。精々感謝しろ」

 いつも通りの嫌味な言い方で、けれど表情は晴れ晴れとキャスターは言う。
 だがその口ほどキャスターの体は無事ではないだろう。普通なら立っていることすらきついはずだ。なのにこうして地に両足をつけて刃を振っていられるのは、キャスターの並外れた意志力ゆえだ。

「そ、それよりその剣どうしたのよ! それはセイバーのものでしょう。なんでアンタが」

「人を盗人のように言うな、リリアリンダ・エーデルフェルト。この剣はお前の騎士から託されたものだ。あの男を倒すようにな」

 二つの刃を十字架のように交差させて、キャスターはロディウスを睥睨する。

「聖槍、神の子の力だったか。だが我が手には最も誉れ高き二人の騎士の魂がある。神の子であろうと恐れるものではないと知れ」

「――――は、はははははは。こいつぁ驚いた。これは予想できなかったなぁ。宝具の譲渡! 己の半身を他人の手に委ねる英霊がいるだなんてなぁ! こいつぁ想定外だ!
 それにアレを喰らってまだ立つなんて、これも世界の〝抑止力〟かな。世界そのものが私を阻もうとしているのか?
 だがそんなことは知ったことじゃない。世界が私を滅ぼそうとするのならば、私はお前達を倒してその背後にある世界を倒す。
 今を生きる人間が、死んだ人間に負けてやる道理はないぞ。来たまえ英霊。〝人間〟の強さを教えてやる」

 騎士王と聖騎士の刃、二つを向けられてもロディウスの意志は一切挫けない。
 キャスターの視線をロディウスは平然と睨み返して、己の手の中にある槍を構えた。

「今を生きる人間である以上、死んだ人間に負ける道理はないか。成る程、頷ける主張だな。英霊だのなんだのと言えど所詮我等は過去の人物の再生に過ぎない。
 例え受肉し仮初の肉をもとうとそれは変わらない。どれほどの強さを誇ろうと生者は最終的に死者を乗り越えるだろう。人間とはそういうものだ。
 だがお前こそ理解しているのか? 俺たちはただの英霊じゃない、サーヴァントだ。マスターの、今を生きる者の剣だ。剣に宿るのは剣の魂のみではない。それを振る担い手の魂を剣は宿すものだ。
 俺と義弟にローラン、そして我がマスターたる遠坂冥馬。俺の中には生者も死者も合わせて魂四つ分だ」

 キャスターの言葉にロディウスは面食らい、やがて大笑いし始めた。ロディウスの笑い声が柳洞寺に反響する。

「四つ分の魂かぁ。実に恐ろしいな、それは。私にはもう私しかいないからね。魂の量で負けてしまった」

「覚悟はいいか? 冥馬、行くぞ。決着をつける」

「無論だ!」

 呼吸を合わせる必要はもうない。自分が動いた瞬間に相手も動いているという核心が冥馬とキャスターにはあった。
 だからその動きは全くの同時。遠坂冥馬とキャスターは真っ直ぐに最後の敵へと向かってひた走る。

「させるか――――!」

 聖槍ロンギヌスがまた光を集め始める。
 これまでひたすらにこの儀式の完了だけを目指してきたというのに、最後の一歩で頓挫してたまるものか。
 言葉にせずとも、ロディウスの表情がその心を雄弁に語っていた。

「聖覇すべし神滅の――――ぬっ!」

 真名の解放により蹂躙はしかし、槍をもつ手に絡みついた鎖により妨害される。
 鉄ではなく宝石により作り出された拘束魔術。今この瞬間にこんなことが出来るのはこの場に一人しかいない。

「リリアリンダ、エーデルフェルト……!」

「レディを忘れるだなんて酷い殿方ですこと。ざまぁみなさい! 例えアンタの体をぶっ潰せなくてもやりようはあるのよ!」

 リリアはロディウスが遠坂冥馬とキャスターに注意を傾けたその一瞬をついた。
 鎖を破壊するロディウスだが、もはや真名解放をしている暇はない。敵はもう目の前に迫っていた。

「令呪にて命ず! 剣を担え!」

 遠坂冥馬に残された最後の命令が、キャスターに二振りの剣の担い手としての力を与える。ロディウスの目にはキャスターに『金砂の髪の少女』と『銀色の髪の青年』の姿が重なったように見えた。
 しかしそのせいでキャスターよりも早く自分の間合いに踏み込んだ遠坂冥馬への対応が遅れる。

「ぶっ飛べぇッ!」

 なんの虚飾もない無骨なまでの正拳突きはそれ故に最強の一撃だった。顔面に衝撃を受けたロディウスは崩れかかり、そこをキャスターが切りかかった。
 キャスターが狙うはロディウスの命ではない。聖槍を握るその右腕。
 聖槍をもつロディウスの肉体に死という概念はなく、その肉体には不死の概念が宿っている。だからその体に傷を与えることはできないし、腕を切断するなど論外だ。
 しかしセイバーの担う聖剣デュランダル、この剣のみは例外が適用される。

「斬り屠る不滅の剣――――!」

 何故ならばこの剣はひたすらに〝斬る〟ことに特化された対人聖剣。
 故にその剣に斬れぬものなどはない。それが例え聖槍の加護を得た肉体だったとしても。

「貴様――――!」

 ロディウスが手を伸ばす。しかしそれよりも早く、キャスターは最後の一振りを掲げた。

「勝利すべき――――」

「チェックメイトだ、ロディウス・ファーレンブルク」

 黄金の選定剣は星々の光を浴びて黄金色に輝き、

「――――勝利の剣!!」

 ロディウス・ファーレンブルクという一人の男の道程にピリオドをうった。
 聖槍を腕ごと喪失したことで加護を失い、黄金の剣により命運を断たれたロディウスは糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちる。
 自分の返り血の血溜まりに大の字に倒れると、ロディウスは満天の星空を目の当たりにした。

「は、はは。なんだ、後一歩だったのに……負けたのかぁ、私は」

 最愛の妻を永遠に喪失した時から、ロディウス・ファーレンブルクは妻の最後の願いを叶えるためにあった。そのためだけにこれまで生きてきた。
 だというのに後一歩でその人生を打ち砕かれたロディウスには悔しそうな表情はない。寧ろ心の底からの安らぎをやっと手に入れたような満ち足りた笑みを浮かべていた。

「あちらに逝ったら自慢できるぞ。ロディウス・ファーレンブルクは、最期まで君の願いを……叶えようとしたんだって。これで胸を張って会いに逝ける。ああ、なんて満ち足りた人生……満足満足」

 そうしてロディウス・ファーレンブルクは眠るように息を引き取った。
 彼の人生が正しかったのかは分からない。彼が幸福だったのかも彼自身にしか決められないだろう。だが唯一つ言えるのは、この男は自分の愛を貫き通したのだ。

「……ロディウス、お前は最期まで知らなかったみたいだな」

 安らかに眠るロディウスを見下ろして、冥馬は最後の令呪を喪なった手の甲を撫でる。

「男は夢や女や友のために命を賭けるとお前は言ったな。確かにそうだろう。だがな、人間は心の底から嫌で辛くても己の義務のために命を賭けることができるんだ」

 人によっては義務のために命を賭けるなどつまらない、と一蹴するかもしれない。
 しかし人がつまらないことを歯を食いしばってこなす――――その姿にこそ、人間の素晴らしさの一端があると冥馬は信じている。
 時刻が午前0時を刻む。どこか遠くで鐘の音が聞こえたような気がした。
 新たな日の訪れを告げたそれは、同時に冥馬とキャスターの戦いの終わりを告げていた。
 戦いがないのであれば、もうマスターとサーヴァントという関係もない。己の務めをやり遂げ、そしてお節介までやいてくれたキャスター。
 その別れの刻限がやってきたのだ。
 キャスターがセイバーの聖剣を、キャスターが倒れていた場所に突き刺す。地面に墓標のように刺さった聖剣は、主の後を追うように消滅した。
 セイバーが消え残るサーヴァントはキャスターだけ。そしてキャスターも、もうここに留まる理由はない。

「すまなかった。お前の願いは叶えられなかったのに、俺のやるべきことばかり助けてもらった。なんと礼を言ったらいいか分からない」

 心からの感謝と申し訳なさをキャスターに告げる。
 キャスターは聖杯を得る為に、妹を救いたいというたった一つの願いのためにサーヴァントとして冬木市に召喚された。
 ならばそのマスターである冥馬は、聖杯を勝ち取ることこそがキャスターに対する最大の報酬だったというのに、自分にはその正当な報酬を払うことができない。

「――――良い」

 背中を向けたまま、そっけなくキャスターは言った。

「俺の願いはどうやら俺が果たすまでもなく叶っていたらしい」

「叶っていた? それは、どういう――――」

「さぁ。理由の当てがないわけじゃないが、奇跡に理由をつけるのも野暮だろう。ああそうだ、奇跡だったんだよ全て。俺がここでこうしている事も、俺がお前というマスターと巡り合えたことも」

 奇跡とは万能の願望器たる聖杯にこそ相応しい言葉。しかしキャスターは寧ろこれまでの全てが奇跡だったと言う。

「正直、俺も自分が勝ち抜ける自信なんてなかった。知っての通り俺は他の騎士ほど戦いが得意じゃない。きっと戦術どうこうじゃどうしようもない奴と遭遇して負けるんだろうと薄々と思っていた。
 だがその運命を変えてくれたのはお前だ。お前というマスターがいたから、俺はここまで戦ってくれた。お前がいたから俺はこうして最後まで立っていられた。感謝するのは俺の方だな。お前が俺をこの場所に連れてきてくれなければ、俺は奇跡を目の当たりにすることは出来なかったんだから。お前がマスターで良かったよ」

 これまで本心をひた隠しにしてきたキャスターは、この時のみは偽りない本心をそのまま語る。
 それはきっと――――これが遠坂冥馬とキャスターの最後の会話だからだろう。

「俺は幸運な男だ。生前と今生で二度も命を賭して仕える主君に巡り合ったのだからな」

 キャスターが頭上に浮かぶ星々を眺める。
 懐かしむように星空を見上げるキャスターに、自然と冥馬は口を開いていた。

「いくのか?」

「ああ。死にきる前に良い夢を見させて貰った。もう十分だ、これ以上など望むべくもない」

 キャスターが振り返る。そこにいつもの仏頂面はなく、清清しい微笑みが浮かんでいた。
 心の底からの安堵に満ちた表情。過去/未来で彼の妹が救われたように、彼もまた救いを得たのだ。

「良い生涯だった」

 一際強い風が吹き目蓋を閉ざす。柳洞寺に立ち込めていた静謐な空気が雲散していった。
 次に目を開いた時、そこにもう蒼い騎士の姿はなくなっていた。

「まったく。なにが俺がマスターで良かっただ。それは俺のセリフだろうに」

 冥馬は無意識に夜空に浮かぶ星に手を伸ばす。まるでそこにキャスターがいるかのように。
 今日までのことを決して忘れぬように、冥馬は暫く果てなく広がる星空に手を伸ばし続けていた。



[38533] 最終話  旧き運命の終わり
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/06/28 23:20

「――やっと一段落つけるな」

 自分のやらなければならない仕事を漸く終わらせた璃正は、言い様のない開放感を味わいながら脱力する。
 十日前に終結した第三回聖杯戦争、ヘブンズフィール3。参加したマスターたちは、戦いが終われば自分の家に戻ってめでたしめでたしだが、運営者側である監督役はそういうわけにはいかない。
 聖杯戦争が終わったことについての報告を聖堂教会にしなければならないし、これまでの戦いの事後処理だってある。特に此度の戦いはナチスドイツに帝国陸軍という表側に強い影響力のある組織まで絡んできたせいで、事態をより複雑で面倒なものとしていた。
 ナチスと帝国陸軍には初っ端から散々苦しめられてきたが、戦いが終わってからも苦しめられるとは流石に予想外である。連中のお陰でこの十日間は目が回り過ぎて飛び出るほどの忙しさであった。

「ご苦労さん。紅茶でも淹れるか?」

「む? 紅茶か……ありがたい。お願いしよう」

「任された」

 労わりの言葉をかけてきた冥馬に、璃正は二つ返事で頷く。英国暮らしが長く本場の味を知っているだけあって、冥馬の紅茶を淹れる腕は確かなものだ。仕事終わりの疲れを癒すにこれ以上のものはないだろう。
 常人であれば一ヶ月はかかったであろう仕事量。それを僅か十日たらずで大半を片づけることができたのは、一つにはこの土地の管理者である冥馬が協力してくれたからである。
 冬木市に土地勘があり、人脈も豊富で、優れた事務能力をもっていた冥馬の協力は、璃正たちにとって非常に有難いもので、千の援軍を得た心地だった。もし彼が協力してくれていなければ一ヶ月は教会に缶詰だったことだろう。

「ところで」

 紅茶をコトン、とテーブルに置きながら冥馬が深刻な目で璃正を見る。

「ロディウスの奴が持っていた聖槍の方はどうにか穏便にいけそうか?」

「ああ。どうにか、だが」

 ナチスと帝国陸軍の介入以外に監督役の仕事が増えた原因、それこそがロディウス・ファーレンブルクの行おうとしていた『儀式』と『聖槍』だった。
 なんといっても聖槍ロンギヌスは聖杯に並ぶ最大級の聖遺物。それが見付かったともなれば十字軍が起こっても不思議ではない大事件である。
 不幸中の幸いというべきかロディウスのやろうとしていた『儀式』の方は魔術協会や聖堂教会に気付かれずに済んだものの、聖槍の方はそうはいかなかった。聖槍ほどの聖遺物のことを隠し通せるはずがないし、監督役以前に一人の信徒として隠せるはずがない。
 
「やはり聖槍の方がロディウス死後、直ぐに機能停止して崩壊していたのが幸いした。もしもあの聖槍が『誰でも担い手になれる』なんて状態のままだったら、それこそこの冬木市に埋葬機関の怪物達に代行者の軍団が大挙して押し寄せてきただろう」

「おお恐い恐い」

 原初の錬鉄者トバルカインによって修復され、更にその改良(改悪)によって担い手を選ばなくなっていた聖槍。だがそれは午前0時を過ぎて暫くすると元の『選ばれた担い手しか使えない』平常な状態へと戻っていた。
 本来選ばれた一人しか担えない聖槍を万人が扱えるようにするという無茶、さしものトバルカインでも一時的にしか出来なかったのか。

(それとも敢えてそういう風にしておいたのか)

 どちらなのかは璃正にも冥馬にも分からない。ロディウスとトバルカインが二人ともこの世にいない以上、真相は闇の中だ。

「ともあれヴァチカンとしては散逸して行方知らずになっていた聖槍を取り戻すことができて万々歳だろう。そのお陰かどうか知らないが、私も正式にこの教会を任せられることになったし、聖杯戦争の今後の運営についても援助を惜しまないと確約してもらえた」

「じゃあ結果オーライということかい?」

「うむ。一時はどうなることかと思ったがな」

 埋葬機関の重鎮と一対一で対面したことは一生忘れないだろう。あの交渉をしくじっていれば、今頃この冬木市は焦土と化していたかもしれない。
 謂わば冬木に住む全市民の命が言峰璃正の両肩にかかっていたわけで、その時の緊張感たるや巨岩が圧し掛かっていたようだった。
 全身に溜まりに溜まった疲労感を吐き出しながら、璃正は紅茶に手をつける。ほんのりとした甘味が喉を通っていくと、これまでの緊張が薄らいでいるようだった。
 ここ最近は忙しかったのであるし、暫くは落ち着いて静かに過ごしても罰は当たらないだろう。

「――――冥馬! いる!?」

 だが璃正の静かな時間は一瞬で打ち砕かれた。
 教会にやって来た突然の来訪者に璃正と冥馬は揃って目を丸くする。
 金髪をツインテールにした髪形、猫みたいに勝ち気な瞳、それに真っ赤なドレス。これまで多くの人間と出会ってきた璃正だが、これら全ての特徴を満たす人間は一人しか知らない。その人物と親しくしていた冥馬は驚き半分嬉しさ半分で目を見開いた。

「リリア! リリアじゃないか! フィンランドへ帰ったんじゃないのか? まさか姉のルネスティーネとまた喧嘩でも」

「あんな奴、もう姉なんかじゃないわ!」

 冥馬の何気ない問いかけにリリアは顔を真っ赤にして怒りを露にする。
 話を聞くとこういうことだった。
 フィンランドのエーデルフェルト家に戻ったリリアは『聖杯』を手に入れることこそ叶わなかったものの上機嫌だったらしい。というのも一緒に参加した姉のルネスティーネは冥馬にやられあっさりと早期敗退。対するリリアは紆余曲折あったものの蓋を開ければ聖杯戦争に最後まで生き残ったという好成績。ロディウスの暗躍で聖杯戦争はうやむやのうちに終わってしまったが、仮に順位をつけるなら冥馬とリリアが同率一位なのは疑いようがないだろう。
 そんなリリアはフィンランドに戻るや否や当然の如く自慢した。誰かなど言うまでもない。姉のルネスティーネにだ。
早期敗退したという無様な戦績による恥辱もあってか最初はリリアの自慢にも耐えていたルネスティーネ。しかしリリアの自慢にルネスティーネが敗退した原因である冥馬が絡みだすと、遂にルネスティーネの怒りが爆発した。
 フィンランドに巻き起こるは内乱の旋風。姉妹同士による仁義なき戦い。エーデルフェルトの領民たちは、あれに比べたら二度目の世界大戦なんてそよ風のようなものだったと後に述懐したそうな。
 七日七晩に渡る死闘を制したのはルネスティーネ。お家騒動に勝利したルネスティーネはリリアを放逐、エーデルフェルトの家系からリリアを抹消した。
 帰る場所を失ったリリアは姉への当て付けこみで、冥馬のいる日本へと舞い戻ったというわけである。

「なんというか……君達姉妹はお互いを協調しあうことはできないのかね?」

「失礼ね! 私は精一杯協調しているのに、ルネスが全然譲らないから争いになるのよ! 私のせいじゃないわ!」

「…………」

「たぶんルネスティーネも同じ事を言うんだろうな」

 冥馬のコメントに全力で同意見だった。
 本人達は絶対に認めないだろうが、ルネスティーネとリリアリンダは似た者姉妹なのだろう。だが似た者同士が仲良くなるという法則は残念ながらなく、互いに似ているが故に同族嫌悪に陥ってしまうと。そんなところだろう。

「なによ! 二人して溜息ついちゃって! ともかく、私も暫くこっちにいるから冬木の管理者である貴方に挨拶しておかなきゃと思ってね」

「やれやれ。これから騒がしくなりそうだな」

 冥馬は苦笑しながらも、リリアのことを受け入れる。
 ロディウスの件でリリアに借りのある冥馬にこの頼みを断れるはずがないし、そもそも冥馬もリリアが戻ってきた事を喜んでいるのは表情からして明らかだった。
 璃正は嘆息しつつも、自分の親友とその親友の良き好敵手であった少女を微笑ましく見ていた。



●ルネスティーネ・エーデルフェルト
 妹のリリアリンダとの戦いに勝利して、名実ともに唯一無二のエーデルフェルト家当主となる。
 自分に手酷い敗北を味わわせた遠坂冥馬を恨み、自分の娘や孫に「日本の地は踏まない」よう言いつける。
 結局姉妹が仲直りする日は来なかったが、妹の葬儀に変装して参列している姿を目撃されている。


●リリアリンダ・エーデルフェルト
 姉のルネスティーネとの戦いに敗北したことでエーデルフェルト家から勘当され、公的には第三次聖杯戦争にて死亡した扱いとなる。
 帰る家を失い一時的に冬木市へと舞い戻るが、最終的にエーデルフェルトの親戚筋であるテルヴァハルティラ家の養女となる形で落ち着く。
 その後は遠坂冥馬と背中を預けあう仲となり、やがては親密な関係となる。彼との間に子をもうけるも出産の七年後に父子に見守られる中、病でこの世を去る。



 一年ぶりに踏み入れた街はがらりと様変わりしていた。街並みが、ではない。街に漂う雰囲気がどことなく緊張したものとなっているのだ。
 つい少し前まで七人の英雄が集い殺し合うという『戦争』に身を投じてきたエルマには、これが戦争前の緊迫感とだと分かった。
 余り良い思い出のない祖国フランスであるが、これからここも戦争に巻き込まれるのだと思うと妙な寂しさを覚える。もしかしたら数年後にはフランスという国そのものが地図上から消えているかもしれないのだ。

「心配していたけど無事なようで良かったよ……聖杯は手に入れられたのかい?」

 街の景色を眺めていると、後ろから声をかけられる。
 色素の薄い金髪に病的なほどに白い肌、体は花の茎のように細く華奢だ。浮世離れした大学生……そんなイメージを彼のことを知らない人間は抱くかもしれない。
 彼はガブリエル・ローファス。フランスに本拠地を置く人形師の名門ローファス家の現当主だ。同時にエルマ・ローファスの腹違いの弟でもある。
 失敗作だったエルマと違い、ガブリエルは優れた魔術回路と才能――――見た目は不健康そうだが――――健康な肉体をもって生まれたローファス家始まって以来の奇才だ。時計塔でも遠坂冥馬を始め若き才能たちと友誼を結び、ローファス家の名を『色んな意味で』知らしめた。
 そんなわけでエルマとガブリエルには普通の姉弟にはない確執のようなものがあるわけだが、二人とも互いのことを90%の無関心と10%の肉親の情をもって接してきたため、エーデルフェルトの双子姉妹と違い仲はそれほど悪くはない。

「いえ。惜しい所まではいったんですが、運に恵まれず聖杯を手に入れることはできませんでした」

 弟の問いかけに、エルマはさらりと答える。

「…………そうか。それは残念だね」

「だけど人並みの命は貰えましたよ」

「……? 聖杯は手に入らなかったんだろう?」

「お節介なサーヴァントが治してくれたんです。私の体に巣食う病魔を」

 余命一年。あと一年しか生きられぬ命。それをどうにかしたくて、藁にも縋る思いで参戦した聖杯戦争。
 聖杯を得ることは叶わなかったが、アサシンがエルマの病を治してくれたお陰で完全に他の人と同じとはいかないまでも、普通の人と同じ『時間』を掴むことができた。
 アサシンのことを聞いたガブリエルは感心した様子で、

「良いサーヴァントを召喚したんだね」

「ええ。自慢の」

「上々。ローザ、エルマの荷物を持ってあげて」

「はい、旦那様」
 
 エルマに向けるものの百倍の親愛をこめて、ガブリエルが自分の隣に控えていた女性に促す。女性は恭しくほんのりと頬を赤らめて頷くと、淑やかにエルマの荷物を代わりに持った。
 風に流れるように靡く水晶のような髪。空を閉じ込めたような双眸。完璧なる均整のとれた体つきと、艶やかでありながら慈愛すら感じさせる美しい顔立ち。そして水を弾くような肌。現実離れした人形のような美しさをもつ女性だった。
 いや実のところ『人形のような』という表現は適切ではない。

「すまないね、僕のローザ。僕の世界一可憐な妻、僕のお人形。僕がひ弱なばかりに、こんな労働をさせてしまって」

「よいのです。私の命も体も旦那様のためにあるのですから。旦那様の仰ることであれば、私はなんでも致します」

「ああ。素敵だよ、僕のローザ……」

「…………」

 エルマを放っておいて完全に二人の世界に入るガブリエルとローザ。そんな二人をエルマは疲れ切った目で見つめる。
 そう、実はこのローザは人間ではない。ローファス家の生んだ奇才ガブリエル・ローファスが己の魂をかけて作り上げた『人形』なのだ。
 エルマの使役していた自律人形などとは格が違う。人間と全く同じような機能をもち、独自の意志と判断力、喜怒哀楽といった感情までも備えた最高峰の自律人形。人形作りもここまでくれば、もはや新たな生命の創造に近い。
 そしてあろうことかガブリエルは当主としての権力を最大限に活用し、生み出した人形に戸籍を与え、ローザ・ローファスという名で自分の妻としているのだ。

「相変わらず仲が良いんですね。これなら老後も幸せそうでなによりです」

「僕らに老後なんてないよ。僕とローザは永久に一緒なんだから。愛しているよ、ローザ」

「旦那様……」

 皮肉すら通じない。
 天は二物を与えずとは言ったものだ。父の施した調整はガブリエル・ローファスに優れた才能を与えはしたが、真っ当な精神までは与えなかったのだろう。
 しかし真っ当な精神をもたないからこそ、魔術の奥深くにまで足を踏み入れられるのだと思えば、逆に真っ当な精神を持たずして生まれたのは正解だったのだろうか。

「そういえば冥馬はどうしたか分かるかい?」

 ふと思い出したように自分の世界から戻ってきたガブリエルが訊いてきた。

「彼なら無事だと思いますよ。なにやら聖杯戦争終了後にまたなにかイレギュラーな事件が起きたようですけど、しぶとく生き残ったみたいですし」

「それじゃ次に会った時、冥馬は僕がエルマに聖杯戦争のことを教えちゃってカンカンだろうな。仕方ない、ほとぼりが冷めるまで二人で旅行へ行こう。付いてきてくれるかい、ローザ」

「旦那様の行く場所であればどこまでも」

「……はぁ。この数分で聖杯戦争やってるより疲れてしまいました」

 肩を降ろすも、エルマの顔には笑みがあった。
 自分を縛ってきた魔術の家の呪いも、一年しか生きられぬという負債ももはやどこにもありはしない。これからはエルマ・ローファスが思うがままに思うように生きることができるのだ。
 弟がこんな性格なのは少し不安だが、これまでも生きてこられたのだ。これからも生きていけるだろう。
 フランスの空はどこまでも遠くまで広がっていた。



●エルマ・ローファス
 アサシンに治療されたことで、余命一年というハンデを克服。
 弟の繋がりもあり聖杯戦争では敵同士だった遠坂冥馬やリリアリンダの友人になった。
 調整の失敗による障害が完全に消えることはなかったが、弟の援助もあり一人の人間として自由な生涯を送る。



 ルーマニアがトゥリファスにあるミレニア城塞でダーニックは体を休めていた。
 地獄の巨大釜を連想させる城塞は人口が二万人にも満たない街には不釣合いな雄壮さであるが、街の住民たちがここを観光名所にしようなどと欠片も思わないのは、この城塞がダーニック・プレストーン・ユグドミレニアという男の私有地であるが故である。
 このトゥリファスを一望できる丘で、ユグドミレニアはこの地のセカンドオーナーとして街の住民に畏怖の感情を与え続けてきた。
 畏怖といっても別にユグドミレニアが街の住民に暴虐を働いているというわけではない。だが城塞の物々しい雰囲気に『魔術師』が住んでいるとなれば、なにもしなくても常人はプレッシャーを感じるだろう。

「ふ、ふふ」

 十日ほど前を思い出すと、自虐の笑みが浮かぶ。
 周到に準備を進めた大奪取計画は失敗し、己の聖杯戦争への参戦すらもロディウス・ファーレンブルクという手の内だった。絵に描いたような敗北者。言い訳のしようもない。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアは完膚なきまでに敗退し、その野心を打ち砕かれたのだ。
 だが決して悲嘆することばかりではない。
 ダーニックにとって最悪の結末とは自分が死ぬことだ。親戚筋がいないわけではないが、ユグドミレニアに自分ほどの指導力と能力がある者は他にはいない。
 この幾重もの魔術防御が施された城塞が陥落しようと、一族が百人死のうと、ダーニックが生きていればユグドミレニアは何度でも蘇ることができる。しかし逆を言えばダーニックというカリスマを喪えば、ユグドミレニアの繁栄という野心は泡沫の夢と消えるだろう。

「ダーニック様、お呼びでしょうか?」

 老齢の執事が部屋に入ってくる。この男は魔術回路を一本も持たないただの人間でありながら、ユグドミレニアの裏の事情を知りながら何十年もユグドミレニアに仕えてきた男でダーニックからの信用も篤い。
 大聖杯奪取が成功していれば今頃は大聖杯をこの城塞地下に隠す作業の指揮をとっていただろう。

「ギルベルト、時計塔のファレイブル卿に連絡をとれ」

「ファレイブル卿ですか? しかし彼は処分する予定では?」

「事情が変わった。大聖杯奪取が失敗に終わった故に計画を修正する必要がある。ファレイブル卿は利益を貪ることしか能のない小物だが、奴の財力と家柄はそれなりに利用価値がある。
 大聖杯という旗印があれば用済みだったが、大聖杯がないため私にはあの男に用が出来てしまった」

「承りました。直ぐに」

 ラーナベルトが早足で退室していく。それを見送ってからダーニックは椅子に背を預け天井を仰ぎ見た。
 満を持して望んだ計画が失敗した以上、もう冬木の聖杯は諦めるしかないだろう。六十年後にある四回目の聖杯戦争に備える、という道もあるにはあるが現実的とはいえない。
 心配せずともこの世は広いのだ。聖杯ばかりが術ではない。聖杯が駄目ならば、他の方法を模索するだけだ。
 聖杯戦争の敗北者ダーニック。しかしその瞳には野心の火が未だ消えず爛々と輝いていた。


●ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア
 戦いを生き延び自分の領地であるトゥリファスに帰還を果たす。
 聖杯戦争で手酷い敗北を喫するも野心は消えず、並外れた政治手腕を駆使して、衰退が始まり魔術回路が枯渇しかけている一族や権力闘争に敗北し没落した一族などをユグドミレニアに吸収。魔術師連合というべきものを築き上げた。
 その後、魔術協会からの独立という野心のために半世紀以上に渡って暗躍することとなる。



「まったく。少し散歩しに行くと言ってどこへ行ったんだ?」

 璃正は教会周辺を歩き回り、遠坂冥馬の姿を探す。聖杯戦争の事後処理は終わったのだが、ついさっきセカンドオーナーのサインが必要な書類が回されてきたのである。
 言うまでもなく冬木のセカンドオーナーは現遠坂家当主である遠坂冥馬。他の仕事は兎も角こればっかりは冥馬がいなければ片付けることはできない。
 だが敷地中探しても冥馬の姿はどこにもなかった。ここまで探して見付からないとなると、散歩に出ていったまま家に帰ってしまったのかもしれない。
 諦めて教会へ戻ろうとすると、珍しい人物と鉢合わせした。

「あら、言峰神父。いないと思ったらこんな所にいたんですか」

「これは……ミス・アインツベルン」

 気品ある微笑みをかけてくる貴婦人は、アインツベルンのマスターだったアルラスフィールである。
 アインツベルン家は当主アハト翁の大失策のせいで、御三家に名を連ねる一族でありながら真っ先に脱落するという散々な結果に終わった。
 こんな無様な結果に終わってしまったのは言うまでもなくアハト翁のせいだが、実際にマスターとして矢面にたったのはアルラスフィールである。こんな最低最悪の結果でのこのことアインツベルンに帰還すればどんなことになるかは想像に難しくない。
 そのためアルラスフィールは本国にあるアインツベルンの領地へは戻らず、帝国陸軍の襲撃で破壊されたアインツベルン城の修復と、結界の張り直しという名目でここ冬木市に留まっているのである。
 最初は目的を果たすための人形然とした彼女が自分の保身を考えるほどの人間味を獲得したのは、自分の負の側面を現出したような存在と一緒にいたからか、それとも別の理由があるのか。

「教会になんの御用ですかな? ここには貴婦人を楽しませるようなものはなにもありませんぞ」

「アインツベルン当主アハトの手紙を届けに参っただけです。手紙は机の上に置いておきましたので暇な時にでも読んで下さい」

「御三家が一角、アインツベルン当主の手紙でしょう。今直ぐに拝見させて頂きます」

「いえ、そんなに真面目にされないで結構です。単なる愚痴がぐだぐだと書き連ねられているだけでしょうから。流し見した後は暖炉にでもくべて下さい」

「……はぁ。分かりました」

 自分が敗北した元凶だけあって、アルラスフィールのアハト翁に対する言動は辛辣だ。
 しかしアルラスフィールは無責任な女性ではない。大事な手紙なら大事なものと言うであろうし、彼女が単なる愚痴と言うからには本当に単なる愚痴なのだ。
 大方聖杯戦争に軍隊が介入するのはどういうことだ、だとかいう怒りのメッセージが書かれているのだろう。確かにそういう内容ならば気分が落ち着いている暇な時に見た方が良さそうだ。

「それでは私はこれで。ごきげんよう」

「ごきげんよう……あいや待った。ミス・アインツベルン、この辺りで冥馬を見ませんでしたか? 探しているのに見つからないのですよ」

「冥馬? ああ、遠坂の。彼なら教会の屋根の上で寝転がってましたけど」

「な、なんですと!? なにをしているんだ、冥馬は。……教えてくださりありがとうございました、ミス・アインツベルン。では」

 アルラスフィールに礼を言うと、璃正は急いで教会へ戻った。
 どうして冥馬がそんな場所にいるのか知らないが、本当なら直ぐに降ろさなければならない。



●アルラスフィール・フォン・アインツベルン
 帝国陸軍により散々に破壊されたアインツベルン城を元の状態に戻し、次のアインツベルンのマスターが戦うための環境を整える。
 結局アインツベルンの領地へ戻ることはなかったが、聖杯戦争のあらましなどはしっかりと報告した。
 遊び心で「日本人は首狩り賊」という真っ赤な嘘を伝えたが、アハト翁はそれを本気に受け取ってしまい、愉快な日本観に拍車がかかる。



「……本当にいたな」

 教会の屋根を見上げると、そこにはアルラスフィールの言った通り冥馬がゴロンと寝転がっていた。
 灯台下暗しならぬ灯台上暗しである。璃正が教会の敷地中を探し回っている間、冥馬はここでのんびりと空を見上げていたらしい。
 そう考えると少しだけ苛立ってきた。

「冥馬ーっ! そんなところで何をやっている! 早く降りてこないかっ!」

 苛立ちのせいか若干棘がある語彙で叫ぶと、冥馬はむくりと背を起こして手を振る。

「けち臭いことを言うなよ。減るものじゃあるまいし」

「減らなければ何をしてもいいと思ったら大間違いだぞ」

 冥馬の気の抜けた言い分を、璃正は断固とした正論で押し返す。飾り気の無いストレートな正論を返された冥馬は、苦笑しながらも屋根から降りはしなかった。
 そんな冥馬を見ていると真面目に反論している自分が馬鹿らしくなってくる。結局最初に折れたのは璃正だった。

「で。どうしてそんな場所にいるんだ? 理由は聞かせてくれるのだろうな」

「なに。珍しく良い天気だったから日光浴を。璃正も上がってきたらどうだ? 日の光がきもちいいぞ。冬の寒さも吹っ飛ぶ」

「遠慮する。神聖な神の家の屋根に土足で登るわけにはいかん」

「それって遠まわしに土足で屋根に上がるなって説教しているのか?」

「その通りだ」

「…………ふぅ。お前の真面目さには負けたよ」

 屋根の上から身を投じると、綺麗に地面に着地する冥馬。
 御三家当主として最大の仕事、聖杯戦争が終わったからか、冥馬は以前とは違いラフな服を着ていた。だがラフでありながらも、さりげなく高級レストランに紛れ込めそうな品があるあたり実に冥馬らしい。
 璃正は懐から今日届いた書類を冥馬に手渡す。

「これは?」

「セカンドオーナーのサインが必要な書類だ。頼む」

 頷くと冥馬は注意深く書類を最初から最後まで読んでから、すらすらとサインをした。
 友人から渡された書類にも気を抜かないところは、豪気に見えて用心深くもある冥馬の気性を如実に表しているだろう。

「これでいいのか?」

「確かに」

 冥馬からセカンドオーナーのサインの入った書類を受け取った璃正だが、なんとなく直ぐにはそこを離れずぼんやりと空を見上げた。
 どこまでも果てしなく青々と続く蒼天。蒼天の中心には暖かな光で地平を照らす日輪。
 成る程、と思う。こんなにも美しい空があるのならば、屋根の上で寝転びたくもなる。

「なぁ」

 冥馬がポツリと言う。

「なんだね?」

「俺の父は第二次聖杯戦争の頃はまだ子供で、戦いに参加することはなかったらしい。だがそれから六十年して次の第三次聖杯戦争で令呪を宿した」

「聞いている。ずっと前……あの日、私が君と初めて時に。それがどうしたのだ?」

「なに。人生五十年は昔の話。これから人の技術が進歩すれば人間の寿命はどんどん延びるだろう。もし六十年先にも俺が生きていたら、また聖杯戦争に参戦する可能性もゼロじゃないと思ってね」

「それは……」

 ない、とは言い切れなかった。
 六十年という期間は人間にとって長い。六十年あれば人間は成長し子供を育み死んで、一つの世代が終わることも当たり前だ。
 そんなこともあって聖杯戦争の歴史において二回連続マスターとなった者は存在しない。だがこれまでに前例がないから有り得ないなんていうのは狭い視野の物の考え方だ。現に第三次聖杯戦争では軍隊が介入するという前例のない出来事が起きたのだから。
 だから璃正もこう答えた。

「なら次の聖杯戦争の監督役もこの私だな」

「――おや。これは一本とられた」

 マスターと監督役で立場は異なれど、六十年後に年老いた自分と冥馬で再び聖杯戦争に挑む。それはなんと胸躍る未来であろうか。
 神父が戦争を望むなどあってはならぬことであるが、冥馬の隣にいるとそんな気がしないのだから不思議だ。

「じゃあ六十年後のマスターと監督役を目指して頑張って長生きするか」

「ああ」

 人間の一生など分からないもの。約束が果たせるかどうかは分からないし、果たせるかどうかなど関係ない。
 六十年という月日があれば人も社会も世界だって幾らだって変わる。しかし変わらないものだって世界にはあるのだ。
 璃正は未来を掴むように、空に手を伸ばす。
 旧い〝運命〟の物語はこうして幕を閉じた。



●言峰璃正
 聖杯戦争中に育まれた冥馬との友情は切れることはなく、魔術師と聖職者という垣根を越えて無二の親友となる。
 遠坂冥馬の死後も彼の息子と遠坂家を見守り続けた。
 ヘブンズフィール3の運営手腕が認められ、第四次聖杯戦争においても監督役に就任。相応しい者に聖杯が委ねられるよう、という遠坂静重の遺言のため冥馬の息子を勝利者とするべく協力するが、戦いの最中アクシデントにより命を落とす。


●遠坂冥馬
 世界で二度目の大戦が起こると、リリアリンダと共に放浪の旅に出かける。旅先で何度か死線を潜り抜けるも、戦争終結から一年後に日本へ帰国。それから紆余曲折あってリリアリンダとの間に子をなした。
 時計塔においては優れた論文や魔術式を数多く発表し、資金源と幅広い人脈を得て次の世代のための確固たる地盤を作る。
 自分の息子に家督を譲って二年後、魔術実験中の事故により帰らぬ人となった。遺体は発見されていない。















 もはや気の遠くなるほどに過去の話である。
 歴史に記されることもなく、時代の流れに消えていった村落に一人の英雄が出現した。
 その村落の教義がどう歪んでいたかは知らない。だが彼らは清く正しくあろうとした。村落という小さな世界ではなく、この世全ての人々が善であり、誰もが正しくあれる世を望んでいた。
 けれどそんなものは叶わぬ願いである。
 人間というものはどれほど清く生きようとしても、時に妬み苦しみ恨み――――悪を冒す。善性なき人間がいないように、悪性なき人間などなく、善悪両方を兼ね備えてこその人間である。
 だが彼等はそれでも『この世全てが善』である世を欲してやまなかった。その彼等の馬鹿げた願いは遂に一つの解決策を思いつく。
 この世全ての人間に善行を成させるのは難しい。かといって悪行を一度も犯さずに生きることも不可能。であればたった一人の人間に〝この世のすべての悪〟を押し付けてしまえばいい。この世のすべての悪をたった一人のモノにしてしまえば、それ以外の人間はどうあっても悪いことができない。
 愚かな考えであるが彼等はそれを信じていた。
 彼等は一人の青年を捕え、彼に人のなしうるあらゆる悪を刻み込み、彼を憎み、恨み、侮蔑し、奉った。
 自分達全員が善であるために、たった一人の青年が崩壊するまで彼を殺し続けた。
 この世全ての悪を許す免罪符。一人で黒を独占することで、他の全てを白くする救世者。たった一人で世界の全ての悪を押し付けられた哀れな生贄。
 そう、形は違えど彼は確かに人々を救った。

――――故に彼の真名は〝この世全ての悪〟

 拝火教における60億の悪性を容認する悪魔の王。
 なんの力も持たない、この世のすべての悪を押し付けられただけの一般人。


 二百年前の話である。
 永遠の雪に晒される常冬の地に〝アインツベルン〟という錬金の大家はあった。
 世に潜む数多の魔術師が他の魔術師の家と交わりながら脈々続いている中、アインツベルンは千年間――――十世紀もの間、純血を保ち外との交流を阻んだ一族である。
 その一族がただの一度、他の家と交わった。
 彼等は自らの悲願を叶える方法を見出すことはできたのだが、それを実行する術がなかったのである。
 自分たちに術がないのならば、千年の純血を破っても余所へ術を求めるしかない。
 アインツベルンはまず〝遠坂〟に声を掛けた。
 失った〝法〟を取り戻す大儀礼には適した土地が必要である。けれど地上のあらゆる土地は〝魔術協会〟と〝聖堂教会〟に暴かれており、彼等の目を掻い潜ることは不可能といって良かった。
 故に〝魔術〟という神秘から遠く離れた極東の島国、その霊地の管理者たる遠坂に目をつけたのである。
 次に〝マキリ〟に声を掛けた。
 アインツベルンと遠坂にはない〝呪い〟や〝契約〟が大儀礼のシステムには不可欠だった。

「――――始めよう」

 かくして宝石翁の立会いのもと大聖杯は起動する。
 アインツベルンは失った魔法を取り戻すために。
 遠坂は大師父の与えた命題へと辿りつくために。
 マキリはこの世全ての悪の根絶のために。
 三人の賢者が集い起動された大聖杯、七人の魔術師と七人の英雄が集いし大儀礼を――――聖杯戦争と呼んだ。


 七十年前の話である。
 一度目はそもそも戦いにもならず終わった。二度目なマスターの脆弱さ故に早々に敗退した。
 焦ったアインツベルンは三度目の戦いにおいて最悪の決断を下す。マスターが脆弱なのであれば、それを補って余りあるほど最強の駒を使えばいい。他の六人の魔術師と六人の英霊たちを問答無用に殺戮する最悪の魔をサーヴァントとすれば、必ずやアインツベルンの手は聖杯に届く。
 そうしてアインツベルンの呼び出したのは英霊アンリ・マユ。この世全ての悪を押し付けられただけの、なんの力もないただの青年。
 この世全ての悪を背負わされただけの人間に過ぎない彼は、英霊としての宝具も何も持たない最弱のサーヴァントだった。
 最弱のサーヴァントが目論見通り他のマスター達を殺しつくせる道理もなく、アインツベルンは戦いが始まった四日目にして無様な敗北を喫した。
 聖杯戦争は聖槍を掲げた聖なる怪物により崩壊し、三度目の儀式もまた消滅する。
 されどそれだけでは終わらない。
 聖杯とはこれ万能の願望器。あらゆる願いを汲む天の杯。この世全ての悪とは人々の想念がサーヴァントとして形を成したモノ。

――――受諾する。

 この世全ての悪であれ、という人々の願いは聖杯へ届く。
 大聖杯は黒く汚染され、聖杯戦争は決定的に歪み始めた。


 十年前の話である。
 三度に渡って無様を晒したアインツベルンは、とうとう形振り構わなくなった。
 十世紀に渡る純血を破り、外部から対魔術師に特化した魔術師を呼び寄せ、自分たちの血族と交わらせた。
 駒として招聘するは彼の騎士王。過去三度の戦いにおいて常に最後まで勝ち抜いた最優のセイバーに、剣の英霊として最上位に君臨する英傑を招く。その騎士王を使役するは魔術師を殺すことに特化した魔術師。
 アインツベルンが必勝の確信と共に送り出した主従は、目論見通り他のマスターとサーヴァントたちを悉く仕留め聖杯を掴む。だが聖杯の中にいるモノを識った魔術師殺しは、己のサーヴァントに聖杯を破壊させた。
 聖杯を破壊した英雄は、七十年前に聖なる怪物を打ち破った英雄の妹だった。

 そして現代の話である。

 監督役の任についた言峰綺礼は、口元を綻ばせ七枚のカードを床に落とす。
 剣の騎士、槍の騎士、弓の騎士、騎乗兵、狂戦士、魔術師、暗殺者。この冬木の地に七騎の英霊たちが再び集う。
 神父の傍らに立つは十年前に〝この世の全ての悪〟をたいらげて見せた黄金の英雄王。
 最後の大儀礼に招かれしは十年前に聖杯を壊した男の息子と娘、七十年前に聖なる怪物を打ち破った者の末裔達、十年前に聖杯を破壊した英雄。
 監督役に着いた彼は、七十年前と十年前に監督役を務めた男の息子だった。

「――――始めよう」

 百五十年前に大聖杯の起動を唱えた賢者のように、七十年前に悪神を招いた老人のように。
 言峰綺礼は両腕を羽ばたかせるように広げ宣言する。
 全ての運命が決着する〝運命の夜〟が始まった。



[38533] 設定資料集
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/07/06 23:12
『登場人物』


■遠坂冥馬
誕生日:2月2日/血液型:A型
身長:184cm/体重:75kg
イメージカラー:紅
特技:コネクション作り、異文化交流
好きなもの:節約、家庭菜園、放浪
嫌いなもの:無駄遣い、不公平
天敵:相馬戎次
『略歴』
 冬木市の管理者。遠坂家の四代目当主。
 第三次聖杯戦争にマスターとして参加する男と目され、そのための準備をしてきたが、結果的に令呪を宿したのは父・静重だったため入手した聖遺物を父に譲り、自分はマスターから外れる。
 しかし父・静重が致命傷を負ってしまい死亡したため、父の令呪とサーヴァントを引き継ぎ聖杯戦争に挑むこととなる。
『人物』
 紳士的で貴族風の青年という仮面を被っていて、本性はフランクなところのある青年……というのは誤りで実際には多くの顔をもつ人間。
 貴族然とした顔や、フランクな一個の人間としての顔に、魔術師としての冷酷で秘密主義者的な側面や、武術家としての闘争心などが同居している。
 明確に敵と定めた相手は冷酷に徹底的なまでに叩き潰すが、一方で凌ぎを削る好敵手に対しては倒しても命をとらないこともある。
 年をとるとそのあたりの極端な性格が上手い具合に纏まり、某ジョ○フ・ジョー○ターみたいな爺さんになる模様。
 インドアで自分の工房から一ヶ月以上出てこないなんて者が多い魔術師にしては珍しくアウトドア派。曰く、見知らぬ土地を歩いているとイントネーションが湧いてくる、とのことで研究に行き詰ると当てのない放浪に出る。放浪先は国・地域を問わず様々でそのために多くの外国語に堪能。
 宝石魔術師の例にもれず資金面で苦労しており基本的にはケチ。戦闘の際も宝石の値段を気にして宝石を出し惜しむこともしばしば。また魔術と違いタダで済むという理由から、戦闘でも肉弾戦に頼ることが多い。
 資金稼ぎのために封印指定の執行者の真似事をして金を稼いでいる。だが基本的に節約家でありながら、魔術の研究には金に糸目はつけない性格が災いして中々お金が溜まることはない。これはリリアと行動を共にすることで大きく改善される。ただ基本的にケチだが面倒見はあるので、友人に懇願されれば金を工面することもある。本当の本当に困った時だけだが。
 最初は節約のために初めた家庭菜園だが、もはや完全に趣味と化しており、その熱の入れようは家庭菜園を故意ではないとはいえ粉砕してしまったルネスティーネにガチギレするほど。
 取り寄せたアーサー王の聖遺物の真贋を確認しなかったせいでサー・ケイを召喚したり、屋敷に罠を埋めた後にそれが失敗だったと気付くなど遠坂うっかりエフェクトもしっかり持ち合わせている。その他、機械音痴なところもしっかり遠坂。
 平等主義者ではないが公平主義者。御三家当主、魔術師として『根源の渦』への到達という悲願を持ち合わせているも、自身の才能故に遠坂の力のみで到達してみせるという自負と、同じ労力を分かち合ったサーヴァントを切り捨てるという不公平さを嫌い、聖杯戦争で『根源』に到達するつもりはない。だがこのことは本人の中の魔術師としての顔が恥と思っており、キャスター以外の誰にも明かすことはなかった。
『能力』
 遠坂家始まって以来の天才と称されるだけあって量と質共に優秀な魔術回路、強い精神力をもった一流の魔術師。
 魔術礼装にルビーの指輪とエメラルドの指輪を両手の指に一つずつ嵌めており、炎と風の魔術を自在に駆使しつつ、切り札である宝石を使っての火力を叩き込むのが「魔術師」としての基本戦術。
 一流の魔術師でありながら一流の武術家としての顔をもっており、その強さは魔術のみの格闘戦で屈強な兵士の集団を無傷で鎮圧するほど。吸血鬼を肉体言語で撲殺したとかなんとか。実は武術家としても魔術師としても発展途上で、聖杯戦争が五年遅ければ相馬戎次とも戦えた。宝石によって身体能力を極限まで強化することで、一時的にだが三騎士とも張り合えるほどの戦闘力を獲得できる。
 武術と魔術を駆使してかなりの戦闘力を誇る冥馬だが、一方で魔術師の本職である研究分野でも優秀で、宝石剣や第二魔法に関わる研究を彼の代で大きく前進させた。
 純粋な戦闘力では生きている英霊というべき相馬戎次に、魔力供給ではホムンクルスであるアルラスフィールに劣るが、武術家・魔術師としての力量・判断力・サーヴァントとの連携などの総合力においては、間違いなく第三次聖杯戦争で最高のマスター。
 Fateといえば低階位のマスターと最強クラスのサーヴァントのペアというのがお約束だが、彼等の場合はまるっきり立場が逆転している。


■キャスター(第三次)
身長:185cm/体重:70kg
属性:秩序・善(正しくは中立・悪)
イメージカラー:蒼
特技:財政管理、論戦
好きなもの:義妹(本人は否定)
嫌いなもの:不倫・叛逆・無駄遣い
天敵:父親
『略歴』
 真名はサー・ケイ。円卓の騎士の一人にしてアーサー王の義兄でもある。義妹が王となってからは、国務長官として主に内政面で王を支えた。
 第三次聖杯戦争においてサー・ケイの鎧の破片をアーサー王のものと勘違いした遠坂冥馬により召喚される。
 本来サーヴァントはマスターに己の真名を告げるものであるが、宝具の効果のためにサー・ケイではなく敢えてアーサー王の名を語り聖杯戦争に挑む。
『人物』
 火竜も呆れて飛び去ると称された毒舌家にして、ブリテン国が生み出した一大のツンデレ。マスターである冥馬からは天邪鬼と評される。
 性格がそんななので本心をストレートに口に出すことは非常に稀。大抵の台詞には真意が隠されている。例えば本編中で「武勇など下らない」という旨の発言をしたことがあるも、本心では義妹を守り通せるだけの武勇を欲していた。
 ブリテンにおいては国務長官と執事長を兼任、主に内政面で主君であり義弟であるアーサー王を支えた。漢の三傑でいうところの蕭何のポジション。円卓には武勇に優れた武官は数多くいたが、政治面に優れた人材はあんまりいなかったせいで主君な妹共々非常に苦労していた模様。労働時間的な意味で。戦場で死にかけた数より、過労で死にかけた数の方が多いとかなんとか。
 財政管理のスペシャリスト、後方支援の達人である一方で人望の方は皆無。円卓ではアーサー王以外に彼に好意をもつ者はいなかったらしい。
 執事、芸達者、遠坂に召喚、魔術師など第五次聖杯戦争におけるアーチャーと多くの共通点をもつが、執事としてのタイプはどちらかというとセラに近い。
 家事全般に気配りの良さなど執事としてパーフェクトなスキルをもっているが、生また場所が場所のせいで料理スキルはない。ただし現世の料理に触れたことで執事魂が刺激されたことで、僅か数日で高い料理スキルを会得した。惜しむべきはそのスキルを生前に得ることができなかったことである。ただし芸術の才能はゼロ。
 聖杯に託す願いは「妹の救済」。ただし本人はこれは「妹のため」ではなく「妹に笑って欲しい」という我欲に塗れた願いと評する。
 最終的に聖杯を掴むことは叶わなかったが、聖槍により未来の景色を視ることで満足して逝った。
『能力』
 二重召喚の技能によってセイバーのクラス別技能とキャスターのクラス別技能の両方を保有する。
 またマーリンによって背中に擬似魔術刻印を刻まれており、これにより強力な魔術を詠唱なしで使えるほか、自己治癒能力にも優れる。保有スキルも数多く総数11という規格外の数を誇る。
 とはいえスキルの豊富さと強さは必ずしもイコールで結ばれるわけではなく、サーヴァントとしては強力とはいえない。本人の「円卓最弱」と主張するが、これは謙遜でもなんでもなく純然たる事実である。
 セイバーの適正をもっているが剣技の程もスペックも及第点ぎりぎり、キャスターとしても同様と剣士としても魔術師としても低級。豊富な手札を使い分けて、相手の苦手なところをつくことで初めて他のサーヴァントと戦うことができる。
 最大の欠点として決定力のなさがあり「剣が選びしは我なり」の効果が消滅して「勝利すべき黄金の剣」の担い手としての力を喪失してしまった場合、ただでさえ強力とはいえないのにその強さを更に低下させてしまう。
 一応「勝利すべき黄金の剣」のほかに切り札として大魔術「儚く燃ゆる勝利の剣」があるも対サーヴァント戦においてはやや貧弱。
 彼が結果的に聖杯戦争で最後まで生き残ることが出来たのは、マスターである冥馬の能力の高さと、彼との相性が抜群に良かったことが大きい。
 実は第五次聖杯戦争におけるセイバーと同じく、未だ正しい意味での英霊とはなっていないサーヴァント。だが死の直前で止まっているセイバーと異なり、彼は死んで〝英霊の座〟へ招かれる直前にサーヴァントとして召喚されている=既に死んでいるため霊体化は可能。ただし英霊としての時空を超えた知識はもっておらず、本編中で未来の英雄について知っているような口調だったのは、冥馬が寝ている間に歴史書などを読み解いていたからである。


■言峰璃正
誕生日:12月29日/血液型:B型
身長:179cm/体重:88kg
イメージカラー:燻し銀
特技:説法、中国拳法
好きなもの:信仰心、克己心
嫌いなもの:快楽主義者
天敵:木嶋少佐
『略歴』
 第八秘蹟会にて聖遺物の回収に努めていた神父だったが、冬木に土地勘のあることと能力を買われて、第三次聖杯戦争に監督役として派遣される。
 ナチスの襲撃、聖杯の帝都移送など多くのイレギュラーに襲われながらも聖杯戦争の運営を成し遂げる。
 聖杯戦争運営の功績と聖槍ロンギヌスの回収の功績で、正式に冬木教会を任されるようになる。
『人物』
 苦行により悟りを得ようとした修道士。信心深く真面目な人物だが、妙に波長があったのかタイプの異なる遠坂冥馬と深い友情で結ばれる。
 ご存知マーボー神父こと言峰綺礼の父親なわけだが、敬謙なる神父なのにどうして妻帯して子供を作ったかは不明。
 聖杯戦争の監督役として抜擢されるだけあって優れた事務処理能力をもっている。
 真面目だが一方で柔軟性もあり、聖杯が帝国陸軍に奪取された時などは、中立の立場でありながら冥馬とリリアリンダに聖杯奪還を依頼した。
『能力』
 達人級の八極拳の使い手。ただしあくまで自己鍛錬と求道のために積み重ねたものであり、代行者でない彼は殺人術の心得はない。
 また聖職者として「人は殺めない」と誓っているため、例え自分を殺そうとしてきた相手でも殺さずに無力化する。
 魔術師ではないため魔術に対しては無力だが、帝国陸軍の兵士相手には善戦した。
 聖杯戦争後、預託令呪を回収する。


■リリアリンダ・エーデルフェルト
誕生日:6月6日/血液型:O型
身長:159cm/体重:47kg
イメージカラー:赤
特技:レスリング
好きなもの:姉の悔しがる顔、格闘技
嫌いなもの:姉の勝ち誇る顔、姉の自慢話
天敵:姉
『略歴』
 エーデルフェルト家のご令嬢にして若き当主。
 御三家から聖杯を横から掻っ攫うため、姉と共にイレギュラーな召喚をして聖杯戦争に参加する。
『人物』
 ルネスティーネの双子の妹。凛の祖母にあたる。
 聖杯戦争に参加しながらも聖杯など二の次で、ルネスティーネを出し抜くことの方に重きを置いていた。
 ちなみに彼女は「遠坂」ではないので、遠坂うっかりエフェクトはもっていない。
『能力』
 地・水・空の三重属性もちの稀有な才能の魔術師で、特に雷を扱う術を得意としており戦いにおいては電撃をメインに戦う。
 フィンの名家出身なので未来の凛同様にガンド撃ちが得意。本来具合を悪くする程度の力しかもたないガンドに、弾丸なみの物理破壊力をもたせることができる。
 宝石魔術の使い手だが家が名門貴族なため冥馬のようにケチではない……のだがエーデルフェルトから出奔してからは、冥馬と一緒に資金のやりくりに悩むことに。
 格闘技が好きが長じてレスリングの達人でもあるが、武術家としては冥馬に数段劣る。


■セイバー(聖騎士)
身長:190cm/体重:80kg
属性:中立・善
イメージカラー:白銀
特技:肉体労働
好きなもの:友達、色恋沙汰
嫌いなもの:頭脳労働、実は男でしたというオチ
天敵:オリヴィエ
『略歴』
 真名はローラン。シャルルマーニュ十二勇士最強にしてその筆頭たる聖騎士である。
 エーデルフェルトの双子姉妹の分割召喚によって「聖騎士」の側面のセイバーとしてリリアリンダ・エーデルフェルトのサーヴァントとなる。
 姉妹同士の確執に困りながらもマスターの勝利のために戦う。
『人物』
 一言で言えば馬鹿、二言で言えば単細胞。三言で言えばアホ。
 同時に二つ以上のことを考えられず、戦う時は全力で戦い、笑う時は全力で笑い、泣く時は全力で笑うサッパリとした人物。だが馬鹿であるが故に誰よりも単純な真実を冷静に見据えてもいる。
 十二勇士筆頭の聖騎士という物々しい肩書きに反して、堅さはなく親しみやすい性格。騎士道や騎士としての振る舞いは実のところ「女性にモテる」という理由でやっているだけであって、あんまり騎士のなんたるかについては良く分かっていない。が、頭ではなく魂で把握しているので、その生き様は騎士そのものである。
 生前自分の判断から二万の軍勢を死なせてしまったことから、考えることは頭の良い人間に任せるというスタンスをとる。ただし誰の言うこともきくというわけではなく、自分で信頼できると思った相手でなければ命を預けることはしない。終盤でキャスターを信頼しその判断を仰いだのは彼が親友のオリヴィエに似たところがあったからとのこと。幸いマスターであるリリアリンダがセイバーにとって信頼できる相手だったので、主従関係は非常に良好なものだった。
 聖杯に託す願いは自分の判断ミスにより死なせてしまった「19999人の死の苦痛」を味わうこと。これはセイバーが死にたがりや罪の意識に苛まれ続けている……というわけではなく、罰を受けるなんて死ぬほど嫌だがあれだけの失態をしたのだから、このくらいの罰がなければならないと考えているため。
『能力』
 セイバーのクラスに恥じぬ技量とパラメーターをもつ最優のサーヴァント。
 本来であれば彼のアーサー王と肩を並べるほどの英雄。キャスターからは「俺の義妹と並んで世界でも三本の指に入る剣の英霊」と最大限の評価を下される。だがイレギュラーな召喚のせいで霊格が低下し大幅に弱体化してしまっている。
 それでも白兵戦において大いに効果を発揮する「あらゆるものを斬る聖剣」と「城壁をも消し飛ばす熱風を放出する角笛」は強力無比であり、弱体化しながらも第三次聖杯戦争においては最強クラスのサーヴァント。
 万全に召喚されていた場合これに「不死性」が加わり、パラメーターや角笛の最大火力も上昇するので更に手がつけられなくなる。


■ルネスティーネ・エーデルフェルト
誕生日:6月6日/血液型:O型
身長:160cm/体重:49kg
イメージカラー:青
特技:レスリング、
好きなもの:妹の悔しがる顔、格闘技
嫌いなもの:妹の勝ち誇る顔、妹の自慢話、遠坂冥馬
天敵:妹、遠坂冥馬
『略歴』
 エーデルフェルト家のご令嬢にして若き当主。
 御三家から聖杯を横から掻っ攫うため、妹と共にイレギュラーな召喚をして聖杯戦争に参加する。
『人物』
 リリアリンダの姉。血縁上はルヴィアの祖母にあたる。
 聖杯戦争に参加しながらも聖杯など二の次で、リリアリンダを出し抜くことの方に重きを置いていた。
 結局は姉妹の確執と遠坂冥馬を侮ったことで、聖杯戦争で二番目の脱落者となるという失態を演じてしまう。
『能力』
 火・風・空の三重属性もちの稀有な才能の魔術師で、特に雷を扱う術を得意としており戦いにおいては電撃をメインに戦う。
 フィンの名家出身なので未来のルヴィア同様にガンド撃ちが得意。本来具合を悪くする程度の力しかもたないガンドに、弾丸なみの物理破壊力をもたせることができる。
 宝石魔術の使い手だが家が名門貴族なため冥馬のようにケチではない。
 格闘技が好きが長じてレスリングの達人でもあるが、武術家としては冥馬に数段劣る。


■セイバー(狂戦士)
身長:190cm/体重:80kg
属性:中立・狂
イメージカラー:黒銀
特技:狂化している為なし
好きなもの:狂化している為なし
嫌いなもの:狂化している為なし
天敵:理性のある自分
『略歴』
 真名はオルランド。聖騎士ローランが理性を蒸発させ狂人となった姿。
 エーデルフェルトの双子姉妹の分割召喚によって「狂えるオルランド」の側面のセイバーとしてルネスティーネ・エーデルフェルトのサーヴァントとなる。
 狂化の影響で己の意志を表すことはなく、ただルネスティーネの手足となって動く。
『人物』
 黒銀の体躯の狂戦士。聖騎士としての爽やかな雰囲気はなく、ただ野獣染みた殺意を放つ最強のサーヴァント。
 キャスターに倒された際に元の理性のある人格が現れたが、そちらは聖騎士としてのセイバーと同一である。
 マスターであるルネスティーネとは理性のないバーサーカー状態だったことで一度も会話したことのない希薄な関係であったが、綺麗な女性は好きなのでキャスターにはルネスティーネの助命を頼んだ。
『能力』
 桁外れの膂力、鋼鉄の如き体をもつ最強のサーヴァント…………なのだが、もう片方のセイバーと同じく霊格の低下により大幅に弱体化している。
 作中では格下の英霊であるキャスターに敗北を喫してしまうが、これはEXTRA的に言うならHP三分の一、宝具も三分の一、宝具のランク低下、パラメーターダウン、宝具の能力低下など数々のハンデがあったからであって、本来はキャスターが敵うような相手ではない。
 万全に召喚されていれば最強クラスのサーヴァントとしての実力を遺憾なく発揮するが、理性のある自分自身と比べると総合力で劣る。


■間桐狩麻
誕生日:3月20日/血液型:AB型
身長:154cm/体重:43kg
イメージカラー:薔薇の青
特技:ストーキング、料理
好きなもの:下克上、冥馬観察
嫌いなもの:一人ぼっち、遠坂冥馬
天敵:サー・ケイ
『略歴』
 間桐臓硯が実質的実権の多くは握っているも、時計塔にも名の知れた間桐家の当主。
 自分より才と名声のある遠坂冥馬を倒し、自分の前に跪かせるという暗い願望を果たすため聖杯戦争に挑む。
『人物』
 着物萌えのロディウスが狂喜して踊りだすほどの着物美人。
 高飛車で自分の力への自信に満ちた女性だが、それは自分の理想像が生み出した仮面に過ぎず、その奥には臆病で孤独を嫌う素顔が隠れている。
 幼い日は女の身だったということもあって間桐の魔術を忌避していたが、遠坂冥馬に恋心を抱くと彼に近付くために自ら厳しい魔術の修練を課し、結果的に落ち目の間桐出身でありながら時計塔でも名の通るほどに成長する。
 しかし長い魔術の修練の過程で幼き日の恋慕が憎悪へと反転。聖杯戦争では歪な感情をもって遠坂冥馬を付け狙うことになる。
 想い人のサーヴァントにボロクソにパッシングされたり、ダーニックに嵌められたり、冥馬への想いに気付いてからアサシンにより爆殺されるなど作中でも屈指の不幸っぷりを誇る。とはいえ不幸の原因は大抵というより全部が自業自得だったりする。冥馬が狩麻の恋慕の情に気付かなかったのも、狩麻が一般的に奥手な女性が積極的に思えるほどの奥手だったからであって、冥馬が特別に鈍感だったというわけではない。
『能力』
 長年〝遠坂冥馬〟に執着してきただけあって、炎と風に対しての耐性をもった蟲を壁のように自分の周囲に展開させるなど対冥馬に四年がない。蟲による壁は炎・風以外にも機関銃くらいは防ぐだけの防御力をもっており、対冥馬以外においても非常に有効。
 他に蟲を使って自分の分身を生み出すことや、体の傷を修復させることすらできる。切り札として自分の手で培養した「碎弾蟲」があり、弾丸並みの速度で空中を自在に飛び回り対象を襲う。
 魔術師としての強さは相当のもので、聖杯戦争を制することも十分に有り得たが、遠坂冥馬への執着の余り視野を狭くしてしまい墓穴を掘る。


■アーチャー(第三次)
身長:172cm/体重:60kg
属性:秩序・善
イメージカラー:薔薇の赤
特技:戦争、数学
好きなもの:占い、ギター
嫌いなもの:身長測定
天敵:冬将軍
『略歴』
 真名はナポレオン・ボナパルト。英雄の代名詞的な人物で、日本においても屈指の知名度を誇る。その絶大な知名度と信仰から、近代の英雄でありながら神話の英雄に劣らぬ霊格をもっている。
 聖杯に託す願いはなく、聖杯戦争という舞台に一輪の華を添えるため間桐狩麻のサーヴァントとして馳せ参じる。
『人物』
 赤かったり、身長を気にしていて、皇帝特権もちで、音痴で、ジャイアンリサイタルするなど赤セイバーとの共通点が非常に多い人物。だが赤セイバーに似ているのは上辺だけで内面はまったくの別物。
 作中で僕、俺、余の合計三つもの一人称を使う。これはサーヴァントとして振舞う時は僕、英雄として振舞う時は俺、皇帝として振舞う時は余と使い分けているため。狩麻のサーヴァントでいる時は基本的に僕で統一されているが、自分の全てを賭して戦う時にも一人称が俺に変わったりする。
 フリーダムに暴れまわり制御不可能なように見えるが、マスターである狩麻の重要な命令や指示には自分の意見を言いつつも服従しており、実際には非常に従順なサーヴァント。これは死んだ英雄よりも今を生きている人間の方が遥かに価値がある、という考えによるもの。
 狩麻がナチスの罠で死亡した際には相応の報復をナチスとアサシンにして、自分は「マスターと運命を共にするサーヴァント」として狩麻に殉じた。
『能力』
 自分の周囲に大砲を召喚して、それをもって敵を砲撃するのが基本的な戦闘スタイル。Fate恒例の弓を使わないアーチャー。アーチャー以外にはセイバーとライダーのクラス適正をもっている。ただしセイバーの方は皇帝特権補正ありき。
 スキル〝星の開拓者〟と追い詰められれば追い詰められるほどに威力を上昇させる〝轟き咲く覇砲の大輪〟から自分より格上の相手を倒すのに長けている。
 切り札である〝尊き革命の法典〟は五つの異なる能力をもった特殊な宝具で、相手によっては能力を完全に封殺することも可能。またマスターが優秀であれば能力を複数同時発動することもできる。
 時代が時代なため知名度補正の恩恵は控え目だが、現代で召喚されていた場合、途轍もない知名度補正を受けてパラメーターやスキルの一部が上昇する他、彼の最も有名なセリフを冠した宝具が追加される。
 サーヴァントとして非常に強力な強さをもつアーチャーだが、実のところ最も恐ろしい事は戦闘力ではなく「戦争の天才」と称される戦略家としての才覚。
 作中で奇行が目立つアーチャーだが、それすらも世に伝わるナポレオン・ボナパルトと掛け離れた振る舞いをすることで、自分の真名に到達させなくするという戦術的要素があった。勿論本人の趣味もあるのだが。
 もしも狩麻がアーチャーのイエスマンに徹していれば、聖杯戦争を制したのは彼等だっただろう。


■ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア
誕生日:5月2日/血液型:O型
身長:182cm/体重:76kg
イメージカラー:白
特技:詐欺、謀略
好きなもの:一族の繁栄
嫌いなもの:根も葉もない噂
天敵:ロディウス・ファーレンブルク
『略歴』
 第三次聖杯戦争において、ナチスドイツ側の魔術師として参戦。
 その真の目的は「大聖杯」を奪取することで、そのために帝国陸軍の木嶋少佐と内通するなど、戦争開始前から多くの策謀を廻らせる。
 ランサーのマスターとして参戦した彼だったが……。
『人物』
 時代が時代なせいでほぼオリキャラだらけの本作品における数少ない原作キャラの一人。
 派閥抗争や権力闘争の場面において抜群の政治的手腕を発揮し、裏切り寝返りは当たり前、信じる者は勿論信じていない者まで利用する超一流の詐欺師として知られ、"八枚舌"のダーニックと呼ばれようになった。
 新進気鋭の魔術師として華々しいデビューを飾った彼は貴族の縁談を持ちかけられるほどの勢いがあった。だが「ユグドミレニアの血は濁っている。五代先まで保つことがなく、後は零落するだけだ」と、ある魔術師が流した噂が広まり、周囲は掌を返し彼を冷遇するようになった。それによって彼と彼に続くユグドミレニアの魔術師達の未来は閉ざされ、根源に到達するという夢を放棄せざるを得なかった。
 一族の繁栄という在り来たりであるが切実な悲願のため、あらゆるものを利用して勝ちにいく。
『能力』
 第三次聖杯戦争前の話なので、アポクリファでやっていたような他者の魂を己の糧とする魔術はまだ使えない。
 だがその政治的手腕は凄まじく、同盟国である日本に相当の数のナチス軍を遅れたのも彼の能力あってこそ。
 本人が戦うことはなかったが、帝国陸軍との内通や狩麻を手玉にとるなど一流の詐欺師としての力を遺憾なく発揮した。


■ランサー(第三次)
身長:181cm/体重:75kg
属性:混沌・中庸
イメージカラー:白
特技:作ること全般
好きなもの:優れた担い手、美食、美女、大衆娯楽
嫌いなもの:銃火器類とそれを使う者、贋作
天敵:使い手たち
『略歴』
 真名はトバルカイン。カインの子、鍛冶の祖。錬鉄の英雄としては頂点に位置する人物。ローランの聖剣の製作者でもある。
 聖槍ロンギヌスを欲するロディウスにより召喚されるが、表向きにはダーニックのサーヴァントとして振舞う。
『人物』
 旧約聖書に登場する人物であるが非常に俗な男。聖杯に託す願いはなく、ロディウスに聖槍修理の依頼を受けたから来ただけ。
 現世に召喚することの対価が聖槍修理なので、他サーヴァントとの戦いに対しては一々別の報酬を要求する。その関係はマスターとサーヴァントというより依頼人と傭兵に近い。
 ランサーの方は気前の良いダーニックをそれなりに気に入っていたので、サービスでお手製の刀をあげたりした。
 自分の生み出したものではない銃火器を嫌っており、見た瞬間にプッツンするほど。これのせいでスキル狂化が追加されているので洒落にならない。当然ながら銃火器類を主武装とする人間とは相性最悪。他にも真作の製作者として贋作と贋作者を嫌っている。
 銃火器類嫌いといい贋作嫌いといい衛宮親子とは相性が悪いらしい。
『能力』
 三騎士の一角たるランサーのサーヴァントであるが、彼はあくまで宝具の製作者であって担い手ではないためセイバーほど白兵戦に優れてはいない。
 スキルによって武具の最適の運用法を実行できるといっても、いうなればそれは教本通りに100%こなせるに過ぎず、教本を超えた極限の技量をもつ担い手には到底及ばないからである。
 そのため序盤は戦闘を避けつつ情報収集に努め、宝具を生み出す宝具により、相手に有効な多種多様な宝具を生み出していくのが基本戦術となる。短期決戦では脆弱だが、時間が経てば経つほどに強力になる長期戦型サーヴァントといえるだろう。
 製作する宝具の力は制作年月と材料に左右されるが、彼の場合は自分自身で有り触れた材料を加工して「優れた材料」を生み出せるので、結果的に有り触れた素材からすらランクCやB程度の宝具を生み出せてしまう。
 強さという点においては並み以下のランサーだが、錬鉄の英雄――――〝作るもの〟としては最上級の英霊。
 道具作成スキルがEXなことからも、武器以外にも基本的になんでも作れる。作中ではサイボーグの動力などすら生み出したりした。
 作者的に「ランサーが作った」といえば大抵の無茶はどうにかなるので非常に有難いキャラ。


■相馬戎次
誕生日:10月9日/血液型:B型
身長:176cm/体重:60kg
イメージカラー:夜の黒
特技:剣術、早食い
好きなもの:日本、家族、義理人情
嫌いなもの:汚職、不義理
天敵:ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア
『略歴』
 異国の魔術・怪異などから日本を代々守ってきた相馬家出身の帝国陸軍少尉。後に中尉に昇進。
 帝国陸軍の命によりライダーを召喚し、マスターとして聖杯戦争に参戦する。
『人物』
 セイバーと同じで基本的には単細胞。しかしセイバーほどではなく、それなりに頭の回転も良く考えを廻らせることもできる。ただし本人の性根が真っ直ぐ過ぎるので謀略や策略などは苦手。
 自分の家族や日本という国を愛しており、国と国民を守るためには死すら厭わない人格。
 だが一方で色恋沙汰には耐性がなく、ライダーのアプローチにやきもきすることもしばしば。
『能力』
 一言でいえば強い。べらぼうに強い。
 現代の英霊と称されるその実力は確かで、三騎士の一角であるセイバーとも白兵戦を繰り広げることができる。
 愛刀である村正は数少ない現存する宝具でもあり、魔を断つという性質から、魔術師の障壁など容易く切り裂いてしまうので鬼に金棒。
 魔術師としてはルーン魔術と陰陽道を融合させた異質な術を使いこなす。
 純然たる魔術師としての実力においては遠坂冥馬、間桐狩麻、エーデルフェルトの双子姉妹に劣るが、こと戦闘力のみに関していえば間違いなく第三次聖杯戦争最強のマスター。聖槍ロンギヌスを手にした状態のロディウスを除けばマスターで太刀打ちできる者は一人としていない。


■ライダー(第三次)
身長:170cm/体重:48kg
属性:中立・中庸
イメージカラー:雪の白
特技:防衛戦、雪だるま作り
好きなもの:熱情、カキ氷、おでん
嫌いなもの:中途半端な天気、束縛
天敵:サー・ケイ、木嶋少佐
『略歴』
 真名は冬将軍。冬という季節が人間が冬に対して抱いた〝冬将軍〟というイメージがサーヴァントとして起動したモノ。
 冬木の聖杯戦争においては日本に根付いた〝雪女〟のイメージが混ざり、白い着物を纏った艶やかな美女として顕現している。
『人物』
 束縛を嫌い自由を好む性格。自然現象の具現である彼女が、サーヴァントという一個の存在として世に現れることは滅多にないことなので、聖杯戦争の傍らで現世とマスターいじりを楽しんでいる。上品・下品問わず様々なことに興味津々。
 ただ冬将軍として「国を守る者の味方」というスタンスをもっているため、侵略者タイプのマスターとは相性が悪い。しかし彼女は侵略者を嫌っているわけではなく、寧ろ極寒にも負けずに挑む熱情をもつ英雄たちにはある種の敬意をもっている。
 実は本来ライダーのクラス適正はなく、彼女がライダーで召喚されたのはイレギュラーそのもの。
 というのも帝国陸軍は召喚システムに干渉することで「東洋の英霊は呼び出せない」という枷を外し、三種の神器の所有者でもある日本最強の英霊を呼び出そうとしていた。
 だがその企てはダーニックと内通していた木嶋少佐により、聖遺物を偽者に摩り替えられることで失敗。更には相馬戎次の魔術が魔術と陰陽道を混ぜた異質な代物だったこと、アインツベルンがルール違反でアヴェンジャーを呼んだことで聖杯に僅かな歪みが生じたことなど諸々の事情が重なり合って、最終的に相馬戎次の「護国の心」を触媒に冬将軍が召喚された。
『能力』
 切り札である固有結界を世界からの修正なく発動できるほか、自然霊に近い存在のため人間ではなく自然から〝魂喰い〟を行うことができるなど、サーヴァントとしては群を抜いて燃費が良い。
 正当なライダーでないため、通常のライダーと異なり乗り物をもたないが、変わりに風や大気に乗ることで空を自由に飛びまわることができる。
 特筆すべきは対征服者というべき能力で、カリスマ・皇帝特権・軍略などという王・将軍としてのスキルの無効化。対英雄スキルでのパラメーターダウンなど征服者キラーというべき能力を誇る。
 逆に征服者よりも国を守った英雄としての側面が強く、また炎を操るキャスターは天敵で、戦いでは一方的に押し込まれてしまった。
 良くも悪くも相性如何によって差が出るサーヴァントの一人。


■エルマ・ローファス
誕生日:9月23日/血液型:O型
身長:129cm/体重:31kg
イメージカラー:黒白
特技:人形作り、掃除
好きなもの:健康な体、人形、ミルクティー
嫌いなもの:父親、不健康な体
天敵:父親、
『略歴』
 フランスの人形師の名門ローファス家の長女。父親によって母胎内にいる段階で調整を施されるが失敗。子供の姿から成長しないという身体的異常と病弱な体をもって生まれる。
 聖杯によって多くの人間が当たり前に享受する「健康な体」を手にするため弟の紹介で聖杯戦争に参加する。
『人物』
 ホロウにもさらっとだけ語られた人形遣いの魔術師。
 生まれて早々に後継者から外され、娘でありながら下女同然の不遇な毎日を送っていた。父親から八つ当たりに暴力を振るわれることも多かった模様。
 そんな境遇であったが優秀な後継者である弟が生まれ父親の機嫌が良くなったこと、弟がそれなりに肉親の情をもつ人物だったこともあり待遇はある程度改善される。最終的に父親が弟に惨殺されてからは完全に自由の身となった。
 成長しない自分の体や病弱な自分にコンプレックスを抱いており、人形を好むのも人形が自分より背が低いからである。
 だから人形といっても1/1ラオウフィギアとかは苦手。
『能力』
 後継者から外されながらも、父親から念のための予備と自分のアシスタントのために魔術を教え込まれており、自律人形師としての腕前はそれなり。
 人形遣いであるが『根源』への到達は望んでおらず――そもそも望みを抱けるような環境ではなかった――ため魔術師というよりは魔術使いにあたる。
 生まれつき魔術回路の本数も少なく、マスターとしての適正は高くないが、自律人形を大量展開する物量戦によって魔術使いとしてはかなりの強さをもつ。


■アサシン(第三次)
身長:30cm/体重:9kg
属性:秩序・悪
イメージカラー:白黒
特技:薬の調合、一撃離脱
好きなもの:楽な仕事、忠義
嫌いなもの:見晴らしの良い平野
天敵:ローラン
『略歴』
 真名はハサン・サッバーハ。Fate/stay nightにおける真アサシンと同じく暗殺教団の当主〝山の翁〟の一人。
 魔力が少ないエルマ・ローファスに魔力供給が少なくて済むサーヴァントとして召喚される。
『人物』
 髑髏の仮面に黒いローブ、そして大人の膝ほどしかない小躯という異様な姿をしている。
 人間的に善人とはいえないが、マスターの方が裏切らない限りはどれほど劣勢になろうと絶対にマスターを裏切らない。ことマスターに対する従順さでいえば聖杯戦争随一。暗殺者であるが殺しはあくまで仕事でありそこの愉しみは求めない。
 義理堅い性格で己をただのサーヴァントではなく、一人の英霊として接したエルマに対しては英霊としてその恩に報いた。
 聖杯に託す望みは「唯一無二のハサンとして歴史に名を残すこと」「英雄になること」である。その望みは英雄ではない多くの人間が抱くもので、外見こそ異常であるものの、その内面はある意味において非常に人間らしい。
『能力』
 アサシンとして高い気配遮断スキルをもち、暗殺のみならず情報収集にも長ける。
 体が小さいせいで腕力はさほどではないが、変わりに敏捷性においては他のハサンと比べても相当なもの。
 宝具である空想電脳は相手の頭部に〝触れる〟という工程が必要となるため、決まれば一撃必殺であるが決めるのが非常に難しい。
 自分の手練手管を知っており、また空想電脳の呪いを無効化する加護をもつローランは正に天敵である。


■アルラスフィール・フォン・アインツベルン
誕生日:11月3日/血液型:A型
身長:168cm/体重:48kg
イメージカラー:純白
特技:錬金術
好きなもの:特になし
嫌いなもの:無責任な人間、責任転嫁
天敵:アハト翁
『略歴』
 アインツベルンのホムンクルスでありマスター。
 神霊を御せるほどの能力をもったマスターとして鋳造されたアハト翁の最高傑作。アハト翁の失敗により役に立たない三流未満の雑魚英霊をサーヴァントとして与えられてしまい、尻拭いのため権謀術数を駆使して聖杯戦争に挑む。
『人物』
 生まれながらに「聖杯戦争に勝利する」という生きる理由を与えられ、その目的達成のみを考える人形然とした女性。
 だが自分の負の側面というべきアヴェンジャーとの会話、璃正との問答、そして死の恐怖に晒され続けたことで「生きる」意思が芽生えることとなる。
 好きなものがないのは、好きなものをまだ見つけられていないから。
『能力』
 神霊を御せるというのは嘘ではなく、規格外の魔術回路と特別性の令呪をもっている。しかしサーヴァントがこれ以上ないほどに最低際弱だったため、マスターとしての規格外なスペックは一度も発揮されることなく終わった。
 本人はマスターとしての能力に特化されているため戦闘力は皆無だが、変わりにアインツベルン製のホムンクルスに自身を警護させている。
 最弱でありながら「対人間では無敵」という数少ないアヴェンジャーの特性を活かすため、多くの戦術を練るが、それも敢え無く帝国陸軍の襲撃によりおじゃんとなってしまった。


■アヴェンジャー
身長:???(アルラスフィールは168cm)/体重:???(アルラスフィールは48kg)
属性:悪
イメージカラー:暗黒
特技:???
好きなもの:???
嫌いなもの:???
天敵:???
『略歴』
 真名はアンリ・マユ。この世全ての悪なるものを肯定する反英雄の極地であり、元はその役割を一身に背負わされ、延々と蔑まれ、疎まれ続けた結果、「そういうもの」になってしまった普通の人間。生まれ育った村の呪いによって、人間であった頃の名前は世界から消失している。
 詳しくは原作Fate/stay nightなどの設定と同じなのでこれ以上は記述しない。
『人物』
 アンリ・マユに確固たる人格はないため、第三次聖杯戦争におけるアヴェンジャーの人格はアルラスフィールの暗黒面を現出させた存在に等しい。
 他人とアルラスフィールからはぼんやりとした黒い影のように見えるが、その姿はアルラスフィールとほぼ同じである。
『能力』
 人間に対する絶対殺害権をもっているが、他に特筆すべき能力はない。
 パラメーターもスキルもどれも最低で本人の「最弱のサーヴァント」という表現には一切の偽りはない。
 またホロウの時には所有していた宝具も、アルラスフィールのサーヴァントである現在はもっておらず正真正銘の役立たずである。


■ロディウス・ファーレンブルク
誕生日:5月10日/血液型:AB型
身長:185cm/体重:61kg
イメージカラー:黒
特技:計画立案
好きなもの:桃色空間、着物美人
嫌いなもの:死別、DV
天敵:死
『略歴』
 元は時計塔に所属していた魔術師だったが、異界よりとんでもないものを招こうとして街一つを半壊させたことで封印指定を喰らい逃走。アドルフ・ヒトラーに接近してナチスドイツ大佐となる。
 妻の最期の願いを叶えるため、ダーニックを表向きのマスターとして、自分は聖杯戦争で暗躍。聖杯戦争を瓦解させ、聖槍戦争を勃発させる。
『人物』
 本作のラスボス。なによりも愛する一人の人間の願いのために、たった一人で世界に挑んだ男。
 狂っているかと問われれば全くもって平常で、異常者かと問われれば全くもって健常者。
 世界でも人類でもなく、たった一人の人間のために命を賭ける、妻を愛していたただの人間。
 起源は〝無垢〟。異常なほどの頭脳と魔術の才をもっている一方で、その精神は子供のように酷く無垢で純粋。
『能力』
 純粋な実力から封印指定を喰らうほどの人物であり、魔術師としての能力はダーニックが敬意をはらうほど高い。
 霊媒を得意としており、本来は万物に等しく訪れる終わりたる〝死〟を通じて「」に触れようとしていた魔術師だった。
 本編中で魔術師としてロディウスが戦う場面はなかったが、強烈な憎悪や未練を世に残して死んだ怨霊・悪霊やエクトプラズムを操り戦う。イタコばりに霊を自分に憑依させるなんてこともできるとか。
 作中では描かれなかったが、聖杯戦争前にダーニックと死闘を繰り広げ、ダーニックに呪いを与えた代償に右腕を喪なった。
 非常に優れた智謀の持ち主で多くの計画を同時に進めており、事態が移り変わるにつれて、多くの計画を一本化していった。聖槍ロンギヌスによる『根源』到達も彼の張り巡らせた計画の一つでしかない。
 ランサーの力で聖槍の担い手になることに成功してからは二騎のサーヴァントを同時に相手どるほどの規格外の戦闘力を誇る。
 不死身の概念をもつ死の概念のない怪物と称される通り「正真正銘の不死不滅」を体現した存在。しかしその聖槍の力は死霊・怨霊を操るロディウスの魔術とは相性が悪く、聖槍と魔術を併用して戦うことはできない。
 また聖槍により神に対しての絶対殺害権、ランクEXの啓示、ランクA+のカリスマのスキルを得ている。



『用語』

■アーサー王
 ご存知型月のドル箱アイドルにしてFateの顔。我等が腹ペコ王セイバー。
 Fateはセイバーの物語、という前書きに違わずキャスターの過去回想で必ずといって登場するため出番は多い。
 主人公が男&男の主従で色気がない本作の清涼剤。サー・ケイは本作の裏主人公なので、彼の義妹であり戦う理由である彼女は真ヒロインといっていい。
 真もなにも、そもそもこの作品に正ヒロインっているの? は禁句。
 冥馬が召喚しようとした英霊であったが、聖遺物が違ったせいで失敗した。
 仮に冥馬が彼女を召喚していた場合、目を覆うほどのセイバー無双が始まり聖杯戦争は三、四日で終結していたので、物語的には召喚されなくてよかったと言う他ない。

■アイドル
 この作品における禁句。
 というのも当初アーチャーはどこぞの残念アイドルのようにアイドルアイドルを連呼していたのだが、暫くしてから「そもそも戦前にアイドルなんて単語なくね?」と気付き修正したため。
 なのでこの作品にアイドルはいません。

■兄貴
 我等が兄貴。カニファでGER喰らって死にまくってるボスが如く死にまくる兄貴。
 本編には欠片も登場しなかったが「英雄なんてのはな、二度目の生なんざに興味はねぇんだよ」の台詞が英霊を造形する上での一つ指針になった。

■アハト翁
 アインツベルンのA級戦犯。この人がアンリ・マユなんて召喚しなければ、聖杯は汚染されなかったしアルラスフィールだって頑張れた。
 まぁ仮にルーラー呼んじゃったらそれはそれで聖杯戦争オワタなんですけどね。

■アルラスフィール・フォン・アインツベルン
 アハト翁の被害者。私のサーヴァントがこんなに弱いはずがない。せめてもっとマシなサーヴァントなら頑張れたのに。
 容姿はアイリとほぼおんなじ。ただ聖杯の器ではないので、イリヤやアイリより長生きできる。 

■アンリ・マユ
 アルラスフィールが敗北した原因だが、彼/彼女が召喚されたのはアハト翁のせいなのでやっぱりアハト翁のせい。
 彼/彼女が関わるのは原作のSNやホロウなので、第三次では敢えて描写は少なくした。なのでアンリの活躍が見たい人は今直ぐホロウをゲットだぜ!

■色の左右対称
 登場キャラごとのイメージカラーだが、実は主従・姉妹・同一両側面のものが対照的になっている。
 例えばルネスティーネとリリアリンダは青と赤。ローランとオルランドは白銀と黒銀。冥馬とサー・ケイは紅と蒼という感じ。
 唯一ダーニックとトバルカインだけ白と白で対照的になってないが、これはダーニックが本当のマスターではないという暗喩である。

■う○こ爆弾
 ランクDの道具作成スキルでお手軽に作れる爆弾。対女性兵器。といっても相手が戦場を駆け抜けているタイプの女性だと、悪臭くらいは屁でもないのであんまり効果はない。
 臭いがきついだけで特に害はないが、こういうものに耐性のない人間にかなりの心理的ダメージを与えることができる。

■エクトル
 サー・ケイの実父であり、アルトリアの義父。
 清廉な老騎士でケイとアルトリアの二人を心・技・体まで立派に育てあげた人物。
 基本毒舌家のケイだったが、父親には弱かったらしい。

■衛宮
 冥馬の友人である魔術師で時間操作を得意とするらしい。サー・ケイの鎧の破片をアーサー王の鎧の破片と間違えて冥馬に渡した。
 本人に悪気はなかったのだが、後にプッツンした冥馬によって埋められた。南無南無。

■エルマ・ローファス
 一応ホロウにもアサシンのマスターである人形遣いとして語られてはいた。
 ホロウでは外見についての説明は出ていなかったが、フランス人形を使う=幼女という歪んだ方程式によって幼女になりました。後悔はしてない。

■エルマの父親
 調整の失敗によりエルマに身体的ハンデをもって誕生させるなど、エルマの不幸の元凶ともいうべき人物。
 最終的にガブリエルの対物性愛を止めさせようと強引な手を使おうとしたため、ガブリエルによって惨殺される。

■円卓の騎士
 チートの集い。だが強さがチートな分、相応に問題のある人物が多かった模様。
 現在まででベディヴィエール、ランスロット、ガウェイン、モードレッドが登場。名前だけはトリスタン、ガラハット、パーシヴァル。
 マーリンも合わせてそろそろ円卓オンリーの聖杯戦争が出来るノリである。

■オリヴィエ
 シャルルマーニュ十二勇士の一人にしてローランの無二の親友。勇ローランに対して智のオリヴィエとされる。だが決して弱いわけではなく、その実力は十二勇士でも屈指。正に知友兼備の将といえる。
 十二勇士きっての常識人で、他の騎士達の問題行動に頭を悩ませ続けてきた苦労人。ストレスへの耐性的な意味で鋼鉄の胃袋の持ち主。
 ロンスヴォーの血戦でローランが彼の言葉に従っていれば大敗はなかったとされる。
 ローラン曰く、サー・ケイは彼に少し似ているらしい。

■オルランド
 狂えるオルランド。バーサーカーのクラスを補填する存在。
 ローランは自分の狂っている姿を目の当たりにして微妙な感じになったらしい。

■家庭菜園
 燃やしちゃ駄目。ゼッタイ。
 もしも燃やしたら燃やされます。

■ガブリエル・ローファス
 アサシンのマスター、エルマ・ローファスの腹違いの弟。時計塔における冥馬の友人の一人であり、エルマに聖杯のことを教えたのは彼。
 豊富な魔術回路、才能、発想力などあらゆる面でエルマを上回る。姉より優れた弟は存在しました。
 対物性愛者で自分の作り上げた自律人形のローザを〝妻〟として連れ添っている。そのことから時計塔では「ピグマリオン」という渾名をつけられるが、本人は「彫刻を人間にするなんて愚かしい真似をした三流彫刻家と一緒にするな」とこの渾名を嫌っている模様。
 魔術師としては妻ローザを「完璧なる女性」とすることで、全てのオリジナルである「根源」に到達しようとしている。彼もただ変態だから人形に傾倒しているわけではない。だが「根源」よりもローザのことの方が大事なあたりやっぱり変態。
 人形を妻にする変態だが人間嫌いの社交性ゼロのコミュ障……というわけではなく、学生でありながら臨時講師として教鞭をとることや、友人と話すこともある。また魔術師らしく身内にはそれなりに甘い。ただしローザの敵は誰であろうと抹殺惨殺斬首刑。
 華奢な体つきをしているが、戦闘時は魔術で身体能力を強化して、どこぞの死神執事のように糸で敵を切り刻むとかなんとか。
 そのうち人形愛が長じた挙句に自分を人形にしたりする。第五次聖杯戦争後も若い姿のままで生存中。

■ガラハッド
 没鯖その1。不倫騎士……もといランスロットの息子。
 ランスロットの遺伝子をもとに生み出されたホムンクルスで、一部の隙もない完璧なる騎士……だったのだが自分の役目を終えて昇天したことで、これまで真面目一辺倒に生きてきた分、受験戦争を終えた受験生の如くはっちゃけて「童貞卒業をする」ことを悲願とするという非常に残念な騎士と化してしまう。童貞をこじらせるとこんなことになるという悪しき見本。
 とはいえエーデルフェルトのセイバーとしてローランより適切ではなかったのと、こんなキャラ出したらシリアスが木っ端微塵に壊れそうだったので没となった。

■木嶋少佐
 ナチスドイツと内通し、私利私欲のために帝国陸軍を利用したという絵に描いたような裏切り者。
 元々は職務に忠実で仕事熱心な軍人で、妻と子供と国を守るため必死に頑張っていた。だがその妻と子が軍の起こした事故で死んでしまったことで生きがいを喪失。妻と子、そして妻子を奪った国。守るものを一度に失ったせいで、これまでの自分に反抗するように自分の利益のみを追求する人間に変化していく。
 ダーニックはそんな木嶋少佐の心を見抜き、帝国陸軍の現場指揮官に仕立て上げ利用した。とはいえ現場指揮官になれたのは、ダーニックの政治手腕だけではなく木嶋少佐の能力によるところも多く決して無能ではない。また元は仕事熱心な軍人だったため彼を慕う部下も多い。

■救世主
 色々な意味で名前を呼んではいけない例のあの人。
 とりあえず立川にお帰り下さい。

■狂煌の軌跡
 オルランドの不死性。物理攻撃への強い耐性。
 変則召喚のためランクや能力が低下している。

■巨栄の肖像
 サー・ケイの象徴ともいうべき宝具。
 手から火炎放射やら水中行動に治癒妨害など様々な効果をもつが、これはという決定力に不足しており、対サーヴァント戦では大した脅威にはならない。

■斬り屠る不滅の剣
 絶世の名剣デュランダルの真名解放。あらゆるものを両断できるシンプル・イズ・ベストな力。
 ぶっぱするだけが聖剣じゃないやい、とローランは叫んだとかいないとか。

■空想電脳
 頭だけキラークイーンみたいなアサシンの宝具。だけど別に時間が戻ったりしない。
 ヒロインの頭を破裂させるという、絵的には実に宜しくない光景を生んだ忌むべき力。

■冥馬のスーツ
 ただの服ではなく一万円(現代の価格にすると約6300万)かけて作った冥馬の魔術礼装。
 戦車の鉄鋼弾すら一発くらいどうにかなるくらいの防御力を備えていたが、ルネスティーネの馬鹿財力&馬鹿魔力のコンボで一撃で臨終した。
 ただし成人男性二人分くらいの重さがあるので着用には要注意。

■冥馬の友人
 時計塔にいる冥馬の友人たち。人形に欲情する変態ガブリエルを始め、名門貴族の長男坊やら、新進気鋭の天才、奇人、超人、アホと非常にバラエティーに富んでいる。
 冥馬にその気はなかったのだが、友人たち全員がこれから名を馳せるであろう若手たちだったため、時計塔上層部の一部から警戒されてしまう。
 基本的に悪意ある干渉には徹底抗戦が信条の冥馬なので、ちょっかいをかけてきた相手はもれなく簀巻きにされてから吊るされる刑にされた。

■クラウス
 冥馬の友人。魔術が過去に向かって疾走し、科学が未来に向かって疾走するものなら未来の果てにも「根源」があるのでは、と考えた末に科学にも興味を示した奇才。
 優れた魔術師でありながら同時に優れた科学者でもあるという時計塔でも異色の人物。
 本人は魔術協会よりアトラス院に興味を示しており叶うのなら移籍したいとも思っているが、なまじ有能かつ優秀なせいで時計塔が手放してくれない。

■クリストファー・フリードリヒ
 ナチスの科学力、現代の魔術、トバルカインの技術。その三つで作り上げられた最強のサイボーグ。
 ランサー製の宝具を武装として持つ他、無尽蔵の魔力を生む動力炉をもっており、並みのサーヴァントを圧倒するほどの戦闘力をもっている。
 他のサイボーグと同じく、元は人間だったが、その強さのため人格は愚か魂すら消滅しただの兵器となってしまっている。結果として生物ではなく兵器となったことが、アーチャーの宝具にやられる隙を作ってしまった。

■クリスの動力炉
 最強のサイボーグであるクリスの動力炉。トバルカインお手製の宝具である永久機関。稼動すれば無尽蔵に魔力を生み出していく。
 ただし欠点もあり、動力炉を稼動させ続けるには相当の魔力を流し込まなければならない。大聖杯での戦闘時は、大聖杯を通して冬木中の霊脈を流し込んだお陰で運用していた。
 また魔力を流し込んでから稼動するのに時間がかかるので、なにかの力で動力炉が一度ストップしてしまえば一時的に戦闘不能になる。

■剣が選びしは我なり
 サー・ケイがアーサー王と名乗った原因である宝具。カリバーンを自分が抜いたという逸話が形となったもの。
 この宝具のランクが「巨栄の肖像」よりランクが高いのは、アーサー王伝説のプロローグを飾るエピソードがサー・ケイの特殊能力よりも知名度・信仰・神秘で勝るためである。

■項羽
 没鯖その2。作者の趣味により帝国陸軍がルール違反をやったという設定でライダーとして登場させようとした。
 だが中国史上最強はヤバい絶対無理ニーサン死ぬという切実な理由や、帝国陸軍がルール違反して東洋のサーヴァント呼ぶなら普通に日本の英霊呼ぶんじゃね、という当たり前のことに気付き没に。
 愛馬にのって音速を超える速度で縦横無尽に戦場を駆け抜ける他、生前の逸話により99回の戦闘で絶対に勝利する超絶チート宝具をもっていた。

■五大元素
 一般的な魔術師の属性。土、水、火、風、空がある。基本的に魔術師一人につき一つの属性だが、二重属性や三重属性と呼ばれる複数の属性をもつ魔術師もいる。
 余談だが遠坂冥馬の属性は火と風の二重属性で、リリアリンダの属性は土、水、空の三重属性。二人の属性を合わせるとアバレージ・ワンとなる。

■言峰璃正
 数少ない原作キャラのメインキャラ。燻し銀な璃正神父の若かりし頃。
 未来のマーボー神父を超える八極拳の使い手という設定を使えてなにより。

■サイボーグ
 ナチスの世界一の科学力が生み出した鋼鉄の戦士。冥馬からは科学の生み出した怪物と称される。
 ランサーの宝具で対英霊戦用に強化されているため、一体一体がサーヴァントと戦いになる程度の強さを誇る。
 ただし機械化により極一部のサイボーグを除いて人間性が希薄になっている。

■サー・ケイ
 Fate/stay nightのヒロインであるセイバーのニーサン……もとい義兄。
 実は第三次聖杯戦争物を書きたいと思う前から、サー・ケイを書いてみたいと思っていたので、この作品を書くにあたり一番最初に登場が確定した。
 円卓において最もアルトリアに近い騎士の一人だったサー・ケイを出す以上、彼を話の中心にいれるのは確定事項だったので、彼が主人公のサーヴァントとなったのも自然な流れだった。ただしそのせいで男&男という誰得主人公主従が誕生することとなる。
 義妹のために魂を賭して聖杯戦争に挑む彼はまごうことなきシスコンであるが、義妹へのそれは親が子供に向ける愛情と同質のものである。

■始天の錬製
 トバルカインの宝具であり、神域にある錬鉄の腕。
 宝具を生み出すというある意味反則な宝具。剣や楯のみならず、サイボーグの動力炉まで作ったりするなど、その力は底が知れない。
 専門ではないがカボチャの馬車やら空飛ぶ絨毯やらも普通に作れるらしい。たぶんタケ○プターも作れる。

■シャルルマーニュ十二勇士
 アーサー王伝説の円卓がモデルとされるシャルルマーニュの下に集いし十二人の聖騎士。
 アホの子ローランを始め、超絶方向音痴やら恋愛脳やら男の娘やらかなりの問題児の集まりでもある。
 これを束ねていたシャルルマーニュや常識人のオリヴィエの苦労が偲ばれる。

■ジョリー・ジョリー・ジーサン。
 冗談みたいな名前をしたグラサン神父。若いが多くの魔術師や化け物を屠った実績のある聖堂教会でも腕利きの代行者。
 聖杯戦争においては言峰璃正の補佐を任じられていた。一応は運営側のナンバーツーで、仮に璃正が聖杯戦争中に死亡した場合は彼が監督役を引き継ぐ手筈になっていた。
 非常に慎重な性格で魔眼対策が施されたサングラス、防弾チョッキ、聖骸布などを常に装備している。

■枢軸と連合
 この聖杯戦争の裏の図式。七人の魔術師と七人のサーヴァントによるバトルロワイアルのようでいて、中盤以降は時計塔側である遠坂冥馬、リリアリンダ、エルマ・ローファスによる連合国陣営。ナチス及び帝国陸軍の枢軸陣営に分かれての戦いに近くなった。
 第二次世界大戦前夜に開催されたヘブンズフィール3であったが、もしかしたらこれは第二次世界大戦の前哨戦であったのかもしれない。

■正義の味方
 この作品の禁句その2。アイドルと同じく、正義の味方という表現を書いた後になって「戦前に正義の味方なんて単語ねぇよ!」と気付いたので慌てて修正した。
 ちなみに正義の味方という単語の始まりは月光仮面からだそうです。

■聖槍戦争
 ロディウスの計画。
 冬木の聖杯戦争が御三家の出来レースだと見たロディウスが、計画を聖杯入手から聖槍完成に完全に切り替えたところから本格的に始動。
 計画を詳しく書くと以下のようになる。
 第一段階:ランサーに聖槍を修復・改良させる。
 第二段階:聖杯の器の構造を入手する。
 第三段階:第六段階の成功率を高めるため、冬木市中の魔力と命を吸い上げられる仕掛けを施す。
 第四段階:救世主の魂の欠片を降ろせるだけの生け贄が溜まるまで待つ。
 第五段階:聖杯降霊地にて救世主降霊の儀式を執り行う。
 第六段階:柳洞寺にて聖槍を真名解放、捉えた救世主の魂を解放しての一撃で『』への道を開ける。
 最終段階:『』を支配し、世界を改変する。

■セイバー顔化計画
 どこからか謎の電波を受けて発足した、セイバー顔のサーヴァントを出そうという計画。
 クラスがセイバーで十二勇士筆頭のローラン、赤セイバーと共通点がありまくるボナパルト、セイバーのニーサンのサー・ケイ、そして没鯖の一人がその候補だった。
 しかしローランをTSしてセイバー顔した場合、女にフラれて発狂した挙句に裸で彷徨うという伝承的にも絵的にもアウト過ぎることになったので没。
 ボナパルトはそもそもセイバーじゃないのにセイバー顔ってどうよ、という至極真っ当なツッコミにより没。
 サー・ケイはニーサンはニーサンだからこそ良いんであって、ネーサンにしたら魅力99%ダウンという魂の叫びにより没。
 没鯖の方は後述の事情で没。
 最終的に「そもそもセイバーはニーサンの回想でがっつり出すし」ということで計画そのものが没になった。

■絶世の名剣
 三つの奇跡をもつというシャルルマーニュが天使により与えられ、十二勇士筆頭ローランに授けた聖剣。
 どのような持ち主であろうと決して切れ味を落とさず、決して毀れず、あらゆるものを両断する。
 変則召喚でローラン/オルランドの宝具が軒並みランクを落としたのに、この宝具だけ免れたのは「切れ味を落とさない」という概念があった故である。

■ゼロ戦
 男の子なら皆大好きゼロ戦。戦闘機とかあんまり詳しくないけど皆知ってるゼロ戦。
 盗んだゼロ戦で飛び立つリリアとその愉快な仲間達。最後には帝都の街中に落っこちました。

■総統閣下
 某動画サイトなどでも御馴染のチョビ髭伍長。生きた英霊ならぬ生きた反英霊。ロディウスの上官で、聖杯戦争参加にGOサインを出した人物。
 一応プロット段階ではナチスがサーヴァントに総統閣下を呼び出して、総統閣下がラスボスとなるという狂った案もあったが、色々と歴史的に問題があったので没になった。

■相馬家
 相馬戎次の生家。元々は陰陽師の一族であったが、種子島や基督教のように外国から流入してきた〝神秘〟の対策のため、時の天下人・豊臣秀吉の命により魔術を学んだ。
 そのため魔術師の一族でありながら「根源」の到達は端から目指しておらず、その在り方は退魔一族のそれに近い。国を守るというスタンスから政府とも密着な関係にある。

■相馬戎次
 この作品で最強のマスター。マスターなのにガチでサーヴァントとやりあえるというチート。もはや人間じゃない。
 彼の元ネタは「生きている英霊」「鬼の分隊長」などの呼び名で知られる舩坂弘。ついでにアハト翁の日本人=首切り族の勘違いというどうでもいい伏線を介入するため、某薩人マシーンも元ネタにした。
 ちなみに当初は元ネタとかではなく舩坂弘御本人をマスターとして参戦させるという狂った予定があったが、流石にそれは不味いと判断した作者により没となった。

■ソ連
 いきはよいよいかえりはこわい。おそろしあ。
 たぶんこれからライダーこと冬将軍が降臨される場所。

■ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア
 璃正と同じく本作品における数少ない原作キャラ。
 設定上、ロディウスと一対一で戦い右腕を奪っているのだが、アポで彼の戦闘(サーヴァントと融合とか除いて)はなかったので、戦闘シーンはなかった。無念。

■中華産セイバー
 没鯖その3。イギリス、フランス、ローマ、日本とセイバー顔が増えたんだから今度は中華だろう、ということで「聖杯の概念のない英霊は呼べない」というルールを、母親が実は西洋人だったという根も葉もない説をでっちあげ、西洋縛りのルール突破&金髪であることの理由づけをして中華産セイバーとして登場させようとした。決して邪神セイバーのことではない。
 とはいえ流石に理由づけが無理過ぎるため、出したら聖杯戦争の設定そのものをぶち壊しかねないのであえなく没に。
 万が一この案が通っていた場合、この作品に恋愛要素が加わって本編が1.5倍くらいになったかもしれない。というより本編の内容が根底から様変わりしてたかも。

■中華ライダー
 没鯖ではなく、中華産セイバーの設定を作った勢いでそのまま作ってしまったサーヴァント。
 もちろんただのおまけなので、登場する予定は皆無だった。

■帝国陸軍
 大日本帝国陸軍のことであるが、木嶋少佐がダーニックと内通していたこともあって、ほぼ最初から最後までナチスにいいように利用された感がある。
 とはいえ聖杯を皇居に移送しようとしたり、チートマスターを投入したり、アインツベルンを火の海にしたりしたので下手すればナチス以上に暴れまわったといえなくもない。

■デストラクター
 没鯖その4。イレギュラークラス、殲滅者のサーヴァント。アーサー王やローランに比肩するだけの実力をもった最上級の英霊。
 第二次聖杯戦争を生き残ったサーヴァントとして、ロディウスと手を組み第三次聖杯戦争に波乱を齎す……予定だった。
 しかし前回の聖杯戦争の生き残りである八人目のサーヴァントがラスボスなんて、完全に金ピカの二番煎じだったのでプロット段階で消滅した悲運のキャラ。
 きっとFDで出番あるさ。FDなんてないけど。

■遠坂冥馬
 本作品の主人公。やられたらやり返す、十倍返しだ! という性格。
 凛の祖父だけあってやたらとハイスペックで、それと同じくらいおっちょこちょいでもある。
 ただ余りにも優秀過ぎてFate主人公としては異端だったかもと思ったり。
 主人公ポジというよりも、ライバルポジだった方がしっくりきたかもしれない。

■遠坂静重
 冥馬の父。第二次聖杯戦争を知る数少ない人物であるが、その頃はまだ子供だったので戦いには参加していない。
 序盤にて息子に令呪を託して死亡。父親としては人格者だったらしく、令呪が冥馬ではなく彼に宿ったのも「危ない殺し合いに息子を出したくない」という親心だった。

■尊き革命の法典
 ボナパルトの真の切り札。
 「万人の法の前の平等」「国家の世俗性」「信教の自由」「経済活動の自由」の四つを激しく過大解釈した特殊能力と、法典以前の歴史に属する宝具の無効化という力をもつ。
 一つで五つの異なる効果をもつ珍しい宝具の一つ。効果ごとに消費する魔力量も異なり、五番目の能力が一番魔力を消費し、他の四つの能力はその三分の一か二分の一程度で済む。
 優秀な魔術師がマスターであれば四つの能力を同時発動することも可能。

■轟き咲く覇砲の大輪
 逆転の一発。男なら一斉砲撃に燃えるものである。うん。

■トバルカイン
 ランサーのサーヴァント。最上位の錬鉄の英雄。
 キャスターは冥馬、セイバーは双子姉妹、アサシンは人形遣い、アヴェンジャーはアインツベルンというのは決まっていたので、必然的にナチスにはランサー、ライダー、アーチャーのクラスしか残っていなかったわけであるが、これが迷いに迷った。
 なにせ最初からラスボスはロディウスでいくと決めていたので、そのサーヴァントとなるとかなり重要な役になるのは必至。そうしてめぼしい英雄・偉人などをネットサーフィンしながら探していて、偶然このトバルカインを発見。トバルカインといったら某見敵必殺な漫画でもナチスに所属していたし丁度いい、ということでトバルカイン採用となった。
 トバルカインがナチスのサーヴァントになることが確定したお陰で、なし崩し的にロンギヌスとかの設定も出来たので、作品の方向性を決定続けたサーヴァントといえるかもしれない。

■ドラキュラ伯爵
 没鯖その5。モデルとなったワラキア公のヴラド・ツェペシュではなく、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」で語られる通りの吸血鬼。黒髪オールバックの紳士で処女の血を好む。
 ランサー、キャスター、アサシンの三つのクラスの適正をもつ反英雄であり人外の怪物。
 当初アポクリファのオマージュとして、ナチス及びダーニックのサーヴァントはドラキュラ伯爵という案があったが「第三次の時代には反英雄呼べへんやろ」ということで没となった。

■ナチス
 悪役の大御所ナチスドイツ。
 アポでは大聖杯を奪取して、本作では聖槍を持ち出すなど兎に角やりたい放題やる軍隊。

■ナチスの科学力
 サイボーグやら大聖杯の奪取やらの無茶苦茶なことを読者に納得させてくれる魔法の言葉。
 これにランサーが作ったを加えれば大抵の無理はなんとかなる。

■ナポレオンのメモ
 アーチャーことボナパルトが、冥馬の取引のために渡したメモ。
 これから起こるであろう第二次世界大戦における、各国がとるべきベストな戦略が記されている。
 書いた人間が書いた人間だけあって世に出れば途轍もない波紋を呼ぶ危険物であり、そのため冥馬はこれを表には出さず封印した。

■ナポレオン・ボナパルト
 アーチャーのサーヴァント。英雄の代名詞的存在である偉人。
 一人くらい誰でも知っている有名な英雄が欲しい、弓使わないアーチャーがいい、などの思いが廻る内にナポレオン・ボナパルト参戦となった。
 最初は銀英説のラインハルトみたいな、実にナポレオンらしい英雄然としたキャラだったのだが「それじゃ遊びがない面白味が全く足りない優雅じゃない」と自分にダメ押ししたことによって、こんなはっちゃけた愉快なサーヴァントになってしまった。
 ただ愉快なばかりではなく、締めるべき所は締める。ナポレオン=戦争の英雄というイメージだったので、本作品では敢えて史上初の近代法典の制定者という側面を強調したキャラにしてみた。

■ニーサン
 キャスターことサー・ケイの渾名。
 こんにちわ。国家円卓社会労働錬金術師でス。ローマ帝国を等価交換してブリテン王国を練成しに来ました。
 ニーサンだけど別に手パン錬成はできないし、鎧な弟はいない。けどビームぶっぱする妹とホムンクルスの甥(姪)はいる。
 ブリテンだとフルアーマーの騎士は不倫したり叛逆したりするので要注意。
 あとホーエンハイムはなんか黒髪幼女裏切って、平行世界の弟のマスターの下僕になってた。

■ニーサンの容姿問題
 読んで字の如く、というよりまんまニーサンをどういう容姿にするかの問題。
 色々と候補はあったが『セイバーが真相を明かされるまで貰われの子だと気付かなかった』というホロウにあった情報から、セイバーとサー・ケイは血の繋がりを疑うほど容姿が違わなかったと推測し、最終的に金髪碧眼に落ち着いた。
 容姿のイメージ的には目つきがキツめのプロトセイバー。

■儚く遠き勝利の音色
 ローランの最強宝具。聖剣でビームぶっぱしないかわりに、角笛でビームぶっぱするのがフランス流。
 変則召喚でランクダウンしていたが本来の最大出力は規格外に相当する。

■パーシヴァル
 円卓の騎士の一人。聖槍ロンギヌスを振った者の一人。
 ロンギヌスを使った騎士であるが、その力を完全に引き出すことは叶わなかった。

■秘密の部屋
 冥馬がロンギヌスの欠片、サー・ケイの鎧の破片、ナポレオンのメモ、トバルカインの生み出した宝具などを誰にも見つからないよう遠坂邸のどこかに封印、保管した場所。
 要らぬ危険を避けるのと同時に自分の後継者たちのために用意した遺産であるが、冥馬がうっかり部屋の場所を遺書に書き忘れたため本当に秘密の部屋になってしまった。

■ヒロイン不在
 この作品の欠点の一つ。男&男という誰得主従が生み出した悲劇。
 最初は冥馬とリリアのいちゃこらやらなどが予定されていたのだが、なんとなくこの二人は長年背中を合わせて戦っているうちに流れでそういう仲になるのが自然な気がしたので、恋愛要素はこの作品から完全に消滅した。

■冬将軍
 ライダーといえばおっぱいぷるんぷるん、という作者の偏見によって巨乳な着物美人として召喚されたライダーのサーヴァント。
 実はライダーを誰にするかは一番最後まで悩みに悩んだ。というのもサーヴァントが全員男じゃ味気ないから出来れば女性のサーヴァントがいい、帝国陸軍が外国の英霊を召喚するのは少しイメージに合わない、冬木の聖杯じゃ東洋の英霊は呼べないなど、ありとあらゆる事情が絡みつき全然決まらないでいた。
 そんな時、蒼天航路を見ていたら雪が降って撤退する曹操軍の描写に目が止まり――――本当に撤退したわけじゃなかったが――――冬将軍ならいけるんじゃね、ということに思い至った。
 これが決まると後はとんとん拍子で、雪女な冬将軍参戦と相成った。同時に騎乗兵なのに騎乗しないという問題についても諦めた。

■ヘクトール
 没鯖その6。ギリシャ神話に名だたるトロイア軍最強の大英雄。彼の大英雄アキレウスの友の仇にして、最大の敵対者である。ローランの持つ〝絶世の名剣〟の以前の所有者でもある。
 ランサーのサーヴァントでありながらセイバーの適正をもっており、槍と聖剣を巧みに使い分ける変則的な戦い方をする。
 Fateらしい悲劇的な末路を迎えた英霊+幸薄なランサーに相応しい不幸っぷり+Fateでも何度か語られたことがある+アキレウスとの因縁などから、かなり有力なサーヴァント候補であったが、ラスボスであるナチスのサーヴァントとしては突き抜け感が足りないことから敢え無く没になった。
 ただしもし登場していたらマスターがマスターなことや、生前の受難っぷりからかなり悲惨な目にあったことは確実なので、登場しなくて寧ろよかったのかもしれない。

■ヘブンズフィール2
 第二回または第二次聖杯戦争とも。第三次聖杯戦争の六十年前にあった戦いで、勝者が決することなく全滅したらしい。
 当時、まだ存命中だった新撰組三番隊組長の斎藤一が〝マスター〟として参戦し、サーヴァントたちと大立ち回りを繰り広げる……ということまで妄想したが、生憎そこで妄想力が尽きたので第二次聖杯戦争編はない。

■没鯖
 日の目を見ることなく消えた無数の英霊たち。名前だけ候補に上がったものも多いが、設定を細かく決めたりした上で没になったサーヴァントも多い。
 ちなみにここに名前が出ているのは全員ある程度の設定を作ってから没になったサーヴァントたち。はっきりいって没鯖だけでもう一つ聖杯戦争が出来る勢いである。

■間桐臓硯
 怪異バク爺さん。今代の当主である狩麻は魔術師としてそれなりに頑張ってきたので、彼女に対してはそこそこ優しい対応をとる。
 第三次聖杯戦争を狩麻の好きなように放任していたのは、ナチス・帝国陸軍の参加というイレギュラーに見送りを決めた以外に、彼女に対しての温情も含まれていた。
 なんだ爺さん優しいじゃん、と思うかもしれないが仮に狩麻が聖杯ゲットしたら掠め取る気満々だったあたりはやっぱり外道。

■間桐狩麻
 冥馬Loveのヤンデレ着物美人。間桐つったら遠坂に執着するもの、というイメージにより冥馬のストーカーになった。
 本作品でかなりアレな死に方をすることになった彼女だが、実は彼女の失敗は全て自業自得で、彼女がしっかりしていれば避けられたものばかりだったりする。 
 彼女もFDさえあればほのぼのとした恋愛イベントとかで輝けるさ。FDとかないけど。

■間桐霧斗
 狩麻の実兄。魔術師としての才能やその他諸々な要素で狩麻に劣る。
 しかし狩麻には魔術師の当主となるには致命的な欠陥があったため、臓硯より魔術の手解きを受け当主として養育されていた。
 ただし狩麻はこのことを知らず、霧斗のことはただの落伍者としか見做していなかった。
 狩麻死後、間桐家の当主を引き継ぐ。

■ランサーが作った
 ナチスの科学力と双璧をなす魔法の言葉。
 これさえ言っておけば大聖杯移送だとかサイボーグだとかいう無茶もなんとかなる。

■リリアリンダ・エーデルフェルト
 ぶっちゃけた話。容姿や性格などはまんまFate/stay nightにおける遠坂凛そのまんまである。
 ただし凛が黒い髪だったのに対して彼女は金髪。容姿的にはEXTRAの凛に近いかもしれない。

■ルイ=ニコラ・ダヴー
 ナポレオン・ボナパルトに仕えた将軍。戦争の天才ボナパルトを超える戦争の怪物。こいつに戦争で勝つには中華の生んだ白い悪魔でも連れて来るしかない。
 ちなみに戦争が強いといっても、英霊としては軍事以外にも比類なき功績をあげているナポレオンに劣るので、サーヴァントとして彼がナポレオンより強いかどうかは一概には言えない。

■ルネスティーネ・エーデルフェルト
 ぶっちゃけた話。容姿や性格などはまんまFate/stay nightにおけるルヴィアそのまんまである。
 自分に屈辱的敗北を味わわせた人間が、一番負けたくない妹にフラグをたてて二人で聖杯戦争を生き残る……という彼女にとっては悪夢のような結末を迎えたヘブンズフィール3だったが、似た者姉妹的な意味で立場が逆転することも十分あったりする。

■ロディウス・ファーレンブルク
 本作品のラスボス。着物萌えのナチス大佐。
 これまでのFateのラスボスは人類粛清、求道、人類救済、人類みんなでテクノブレイクなどバラエティーに富んでいたので、この作品は二番煎じにならないよう「一人の人間のために世界を殺す」タイプでいった。
 ハイテンションで空気を読まない発言で愛に関しては腹黒など男版キャス狐というべき性格……というよりキャラ造形にあたって一番参考にしたのがキャス狐。
 仮にキャス狐ほどの良妻系サーヴァントと巡り合えていれば、妻のことに区切りをつけて新たな人生を始める可能性が1%くらいあったが、そんな良妻系サーヴァントがそうそういるはずもなく、妻の最期の願いを叶えるという無垢な願いのために突き進んでいった。彼にとっての不幸は妻の残した願いが「死にたくない」だったことにつきるだろう。
 全人類・世界を投げ捨ててたった一人を救う、命を賭ける理由というのは作品全体のテーマでもあり、ロディウス・ファーレンブルクはそのテーマを体現したキャラでもある。
 一人の人間のために世界を捨てるというところはサー・ケイと共通する。しかし妹の願いを踏み躙って妹の幸せを望むサー・ケイと、妻の願いを叶えるため万進するロディウスは同質・同極にありながらも相容れない。

■ロディウスの妻
 魔術師の家系出身で、ロディウスとは幼馴染の間柄。ロディウスの着物好きにも応えてくれる素晴らしい妻だった模様。
 ロディウスとの夫婦関係がどういうものだったかについては、キャス狐が二人いるようなものといえば分かり易いだろう。

■ローザ・ローファス
 ガブリエル・ローファスが作り上げた最高傑作。人間と見分けがつかぬほど精巧に作られた自律人形。
 自律人形でありながら独立した思考回路と意志をもっており、創造主であるガブリエル・ローファスを心の底から慕っている。戸籍上はガブリエル・ローファスの妻。
 護身用と称してガブリエルよりかなりの戦闘力が発揮できるよう設計されているものの、いざ戦いになればガブリエルがローザを守る為に戦うので余りそれが活かされることはない。そもそもガブリエルは研究者肌の人間で、戦いに赴くことは皆無である。
 その他、完璧なる女性を目指しているため料理を始めとする家事など全てがパーフェクト。更には貞淑で美人などと正に理想の妻である。人形だけど。いや人形だからこそ。

■ローラン
 セイバーのサーヴァント。
 エーデルフェルト双子姉妹のサーヴァントは二つの側面から別々に召喚されている、ということから真っ先に思いついた英霊。
 ローランの歌の聖騎士としての側面と、狂えるオルランドの狂人としての側面で別々に召喚ということにすれば、アヴェンジャーのせいでなくなっているバーサーカーのクラスを補填できるし丁度良いということでキャスターの次に登場が確定した。

■ローレンス
 冥馬の友人である封印指定の執行者。
 執行者であるが〝戦う〟より〝作る〟方面に優れた人物で、戦闘向きの魔術礼装を多く開発している。

■ロンギヌス
 聖杯と同格にあたる聖遺物である聖槍。冬木の贋作と違い、これは正真正銘の真作。
 最高峰の聖遺物であると同時に、星が生み出した神霊に対する究極の抑止力でもあり、この槍を持つ者は神霊をその強さに拘わらず絶対に殺害することができる。神性スキルもちのサーヴァントに対しては、追加ダメージがある程度。一応神の祝福系の能力なら無効化できる。
 円卓の騎士、シャルルマーニュ十二勇士など多くの伝説に姿を現しながらも、終ぞ担い手たる英霊と巡り合わなかった。しかしトバルカインによって改良(改悪)が施され、槍の内部に〝神の子〟を降ろすことで本来選ばれた者しか担えないはずを「誰でも担える」という状態にされた。
 終盤でサー・ケイとローランがひょんなことに其々の願いを果たしたのは、聖槍が「誰でも担える」状態で「願いを叶える性質」をもつ真名解放をしたことで、二人の願いを聞き届けたため。
 流石に彼らの願いをそのまま叶えることはなかったが、サー・ケイには未来で義妹が救われる未来を視て、ローランには血戦の失態の罰に相応しいだけの苦痛を与えた。
 なんだかんだでしっかりと願いを叶えたあたりは真作の面目躍如といえるだろう。

■ロンスヴァルの血戦
 シャルルマーニュ十二勇士筆頭ローランとオリヴィエたちの最後の戦い。
 ローランは自分の不死身さと強さ故に、オリヴィエの言葉を跳ね除け援軍を呼ぶことを拒み、結果として自軍2万に対して敵軍40万の正面衝突という最悪の事態を招いてしまう。
 この敗戦の責任をとるためにローランは聖杯戦争に参加した。

■日本武尊
 帝国陸軍が呼び出そうとしていたサーヴァント。没鯖その6……と言いたいところだが、最初から出演予定はなかったので没鯖以前である。
 個人的に桜セイバーの正体はこの人だと思ってた。

■妖刀・村正
 相馬戎次の愛刀。〝魔を断つ〟という概念をもつ、数少ない現存する宝具。
 その性質上、魔術師にとっては天敵であり、サーヴァントを殺すだけの神秘を宿している。
 村正で蘇った英雄を倒すのはFateのモチーフにもなった魔界転生のオマージュ…………ではなく、ただの偶然の一致である。
 後にレンタルビデオ屋で魔界転生をレンタルした際にこれがオマージュになっていたと初めて気づきました。



『サーヴァント・パラメーター』


【元ネタ】狂えるオルランド
【CLASS】セイバー
【マスター】ルネスティーネ・エーデルフェルト
【真名】オルランド
【性別】男
【身長・体重】190cm・80kg
【属性】中立・狂
【ステータス】筋力A 耐久A 敏捷B 魔力B 幸運C 宝具C+

【クラス別スキル】

対魔力:A
 A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。

騎乗:―
 騎乗スキルは失われている。
 
【固有スキル】

狂化:C
 幸運と魔力を除いたパラメーターをランクアップさせるが、
 言語能力を失い、複雑な思考ができなくなる。

理性蒸発:B
 完全に理性が蒸発したことで発狂し狂人となっている。
 このスキルは「直感」も兼ねており、戦闘時は自身にとって最適な展開を感じ取ることが可能。

戦闘続行:A
 生還能力。
 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

心眼(偽):B
 直感・第六感による危険回避。

【宝具】

『狂煌の軌跡(オルランド・フリオーゾ)』
ランク:C+
種別:対人宝具
レンジ:―
最大捕捉:1人
 強靭なる不死身の肉体。
 通常攻撃・宝具問わずランクC+までの物理属性ダメージを無効化し、ランクC+以上であれば減衰させる。
 ただし伝承により足の裏のみ不死性がない。


【元ネタ】ローランの歌
【CLASS】セイバー
【マスター】リリアリンダ・エーデルフェルト
【真名】ローラン
【性別】男
【身長・体重】190cm・80kg
【属性】中立・善
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷C 魔力B 幸運C 宝具A+

【クラス別スキル】

対魔力:A
 A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。

騎乗:B
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

【固有スキル】

勇猛:B
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 また、格闘ダメージを向上させる効果もある。

戦闘続行:A
 生還能力。
 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

心眼(偽):B
 直感・第六感による危険回避。

【宝具】

『斬り屠る不滅の剣(デュランダル)』
ランク:A+
種別:対人宝具
レンジ:2~4
最大捕捉:1人
 〝絶世の名剣〟による、あらゆるものを〝絶対に切る〟至高の斬撃。
 デュランダルの一振りの前にはあらゆる防御は無意味となる。
 この一撃から身を守るには剣に触れないか、剣の概念を上回るほどの神秘による防御が必要。

『儚く遠き勝利の音色(オリファン)』
ランク:E~A++
種別:対城宝具
レンジ:1~99 
最大捕捉:1000人
 勝利を齎す角笛。人造による武器ではなく、星に鍛えられた神造兵装。
 吹いた者の魔力を内部で風へと変換、解放することによって城塞をも吹き飛ばすほどの熱風を生み出す。どれだけ強く吹くかによって威力は変化するが、ランクA++以上の破壊力を生もうとすると、使用者も致命傷を受けてしまい、直ぐに治癒を施さねば消滅の危険性すらある。
 本来この宝具の最大出力はEXであるが、セイバーの霊格が低下したことによって、最大火力を出すことは不可能となっている。


【元ネタ】旧約聖書
【CLASS】ランサー
【マスター】ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア
【真名】トバルカイン
【性別】男
【身長・体重】181cm・75kg
【属性】混沌・中庸
【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷A 魔力A 幸運E 宝具??

【クラス別スキル】

対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

【固有スキル】

錬鉄の眼識:EX
 鍛冶師としての眼力。
 武装としての宝具を目にした場合、高確率で真名を看破できる他、武器・防具などの最適な運用法を実行できる。ただし〝最適〟であって〝極限〟ではない。
 銃火器類はこれに該当しない。

アイテム作成:EX
 魔力を帯びたアイテムを作成できる。
 ランサーが得意とするのは『武器』のカテゴリーにあるものだが、それ以外にも非常に精度の高いマジックアイテムを作り上げることが可能。

狂化:D
 筋力と敏捷のパラメーターをランクアップさせるが、感情のタガが外れ、冷静な判断力を失う。
 ランサーの場合、彼の逆鱗に障ることをした時のみこのスキルの効果が適用される。

【宝具】

『始天の錬製(スプレイマシー・カイン・ワークス)』
ランク:E~A++
種別:????
 鍛冶の祖とされるトバルカインの鉄を鍛える腕そのもの。
 伝承に記されていない全く新しい〝宝具〟を生み出すことができる。宝具のランクは製作年月と材料に左右される。

『黎命槍ルードゥス』
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:1~6
最大捕捉:10人
 命ある者にしか触れることができない槍。
 どれほど高ランクの武器であろうと、生命体ではないものは悉く擦り抜けてしまうため、武器や防具による防御を無効化する。
 槍を防ぐには『魂と命を宿した生命体』によって防御するしかない。
 柄の一部には「命ある者しか触れない」ではなく「折れない」概念を与えられた箇所があり、相手の剣による攻撃はその箇所で防御する。

『九天牙戟』
ランク:A
種別:対人・対軍宝具
レンジ:1~20
最大捕捉:30人
 九つの月牙をもつ異形の戟。
 月牙は矛先を中心とした正九角形を描いており、九つの月牙それぞれが別々の能力を宿し、それが中心の矛先にて交わり補強し合しあう構造となっている。
 九つの月牙に与えられた概念はそれぞれ必中、屈折延命、否定、毒、報復、炸裂、無毀、増幅、貫通。

『無尽剣リヴァイテス』
ランク:B
種別:対剣宝具
レンジ:1~∞
最大捕捉:∞
 所有者の魔力の限り、無限に全く同一の剣を出現させる魔法の剣。
 最大補足が∞となっているが、あくまで所有者の魔力がある限り無尽蔵という、謂わば有限の中の無限である。
 ランサーは主に自分の周囲に剣を分裂させ、投擲武器として乱射するという使い方をとる。

『多幻槍ビリアーラ』
ランク:B
種別:対人宝具
レンジ:2~10
最大捕捉:10
 一度の攻撃で十つの攻撃を生み出す幻影の槍。
 便宜上、幻影の槍と銘打ったが、多重次元屈折現象によって生み出される十の槍は全て本物であり幻ではない。
 通常は槍の軌道に重なるようにして別の槍を生み出すが、地面に突き刺すことで地面から九つの槍を生やすこともできる。

『妖願剣ユーフィン』
ランク:A+
種別:対心宝具
レンジ:―
最大捕捉:―
 担い手の願望を映しだし、様々な効果を発揮する願望剣。
 一見すると万能と思える宝具だが、効果の規模は担い手の魔力と願望の強さに左右するため非常にムラがある。

『羅封壁ホーリアス』
ランク:A+
種別:結界宝具
レンジ:1~50
最大捕捉:10人
 絶対防御の九十九重壁。
 薄壁一枚一枚に「絶対防御」の概念がこもっているが、一枚破壊されるごとに一枚ごとの防御力は低下していく。
 大抵の攻撃を防ぎきるだけの防御力があるが破壊された壁は新たに製作しない限り再生しない。

『真刀・火韻』
ランク:B
種別:対人宝具
レンジ:2~4
最大捕捉:1人
 魔を断つ妖刀。
 火韻の刃金は物理的手段以外では防御することは叶わず、刃が刃毀れすることはない。
 妖刀・村正を参考に生み出された村正を超える妖刀である。

『魔戒剣ギャリィオーゾ』
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:2~8
最大捕捉:5人
 魔力を吸う魔剣。
 この剣の刃に魔術が振れれば、その魔力を吸収し消滅させる。
 直接人間が触れた場合、内蔵している魔力を奪う。吸収された魔力はさながら宝石魔術師の宝石のようにあらゆることが応用がきく。

【Weapon】

『魔除けの指輪』
 巡りあわせの悪さから本編で活躍することはなかった指輪。
 嵌めたものにランクEXの対魔力を付与する。

『トバルカインの眼鏡』
 ランサーがかけている眼鏡。別に目が悪いわけではなく、一種のファッション的な意味合いで装備している。
 作った人間が作った人間なので当然のことながらただの眼鏡ではなく、最上級の〝魔眼殺し〟の機能をもっている。
 この〝魔眼殺し〟は自分の魔眼を外界から閉ざすのではなく、自分を魔眼の影響する外界から閉ざすもの。
 簡単に説明すると強力な魔眼をもっている人間がいたとしても、この眼鏡をかけている相手に対してだけは魔眼殺しがかかっている状態となる。
 更にぶっちゃけると要するに魔眼を完全に無効化する眼鏡。
 ランサーは他にも魔眼の力を再現する眼鏡という、全く正反対の代物も作っている模様。


【元ネタ】史実
【CLASS】アーチャー
【マスター】間桐狩麻
【真名】ナポレオン・ボナパルト
【性別】男
【身長・体重】172cm・60㎏
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具A++

【クラス別スキル】

対魔力:D
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。

【固有スキル】

皇帝特権:B+
 本来もち得ないスキルも素養が高いものであれば、本人が主張することで短期間だけ高いレベルで獲得できる。
 該当するスキルは騎乗、剣術、気配感知、陣地作成、算術、占術など。

カリスマ:B
 軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において自軍の能力を向上させる。
 カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。

軍略:A+
 一対一の戦闘ではなく、戦争における戦術的・戦略的直感力。
 自らの宝具の行使や、逆に相手の宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。

星の開拓者:EX
 人類史においてターニングポイントになった英雄に与えられる特殊スキル。
 あらゆる難航、難行が“不可能なまま”“実現可能な出来事”になる。

【宝具】

『轟き咲く覇砲の大輪(ソレイユ・ド・アウステルリッツ)』
ランク:A+
種別:対軍宝具
レンジ:1~100
最大捕捉:200
 類稀な才気によりヨーロッパを圧巻したアーチャーの英雄性の具現としての宝具。
 召喚・展開したグリボーバル砲による正確無比な集中砲火は、古今無双の精鋭ですら消し飛ばす。
 敵の戦力に自身の戦力を引いた分だけ破壊力を増す特性をもっており、その性質上、追い詰められれば追い詰められるほどの破壊力を増大していく。正に〝逆転の一撃〟である。

『尊き革命の法典(コード・ナポレオン)』
ランク:A++
種別:対衆宝具
 ナポレオンが「後世私が評価されるとしたら多くの戦勝でなくこの法典によるのだろう」とまで言った史上初の近代的法典。
 彼が〝星の開拓者〟のスキルをもつ所以でもある。
 真名解放と共に五つのうち一つの効果を選択して発動する。
 一つ、宝具を除いた相手より下のパラメーターを対象となった相手と同一にする。
 二つ、神性などといった神々からの恩恵・祝福・呪いを全て無効化する。
 三つ、特定の宗教を弾圧した逸話のある相手のステータスと宝具のランクを最大4ランク下げる。
 四つ、対象または自身にかかった制約・呪縛・契約を解除する。発動には対象の同意が必要。
 五つ、宝具の効果を瞬間的に解除する。ただし自身より過去の時代の英雄にしか効果はなく、また神造兵器は該当しない。

【Weapon】

『シークレットシューズ』
 自分の身長が低いことを気にするアーチャーが履いている靴。
 靴底の踵部分が厚くなっているので、自分の身長を大きく見せることができる。


【元ネタ】アーサー王伝説
【CLASS】キャスター
【マスター】遠坂冥馬
【真名】サー・ケイ
【性別】男
【身長・体重】185cm・70kg
【属性】秩序・善(正しくは中立・悪)
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷C 魔力A+ 幸運A+ 宝具E

【クラス別スキル】

陣地作成:B
 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。
 “工房”を形成することが可能。

道具作成:D
 魔力を帯びた器具を作成できる。
 本人が物作りに向かないため余り精度の高い道具を作成することができない。

対魔力:B
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

騎乗:B
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

【固有スキル】

二重召喚:B
 セイバーとキャスター、両方のクラス別技能を獲得して限界する。
 極一部のサーヴァントのみがもつ希少特性。

高速詠唱:C
 背中に刻まれた擬似〝魔術刻印〟に記録されている魔術ならば、Bランク以上の魔術でも一工程で発動できる。

弁舌:A+
 口の上手さ。挑発・口論・弁明・説得の際に有利な補正がつく。
 キャスターは「火竜も呆れて飛び去る」と謳われる口達者である。

勇猛:A
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 また、格闘ダメージを向上させる。

心眼(真):B
 修行・鍛錬によって培った洞察力。
 窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。

戦闘続行:B
 往生際の悪さ。
 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

水練:B
 泳ぎの上手さ、水中で行動する能力。
 ランクB以上であれば水中でも陸地並みに行動できる。

仕切り直し:C
 戦闘から離脱する能力。
 不利になった戦闘を戦闘開始ターン(1ターン目)に戻し、技の条件を初期値に戻す。

魔力放出(炎):C
 武器に魔力を込める力。キャスターの場合、燃え盛る炎が魔力となって使用武器に宿る。
 もっともこれは自身の魔術と宝具で義弟であるアーサーの〝魔力放出〟を模倣した擬似的なものである。

変化:D
 外面だけ変身することができる。
 魔術により変身できるため〝変化〟となっているが、実質的には変装術に近い。
 属性を別のものに見せる効果もある。

人間観察:B
 人々を観察し、理解する技術。
 心眼のスキルと合わせ、相手の弱点を見抜くことに長ける。

【宝具】

『剣が選びし我なり(ロード・キャメロット)』
ランク:D
種別:対人宝具
レンジ:1
最大捕捉:30人
 自分のものではない〝宝具〟を自分が担い手だと主張することで担い手となることができる。
 ただしキャスターが本来の持ち主でないと露見した時、その効果は消失する。
 アーサー王の抜いた選定の剣を自分が抜いたと主張したエピソードの具現。

『巨栄の肖像(トゥルフ・トゥルウィス)』
ランク:E
種別:対人宝具
レンジ:-
最大捕捉:-
 サー・ケイの超人的能力。確認されている能力は全部で六つ。
 自身の与えたダメージに回復阻害の効果を与える。
 手から炎を出す。
 身体の伸縮や骨格の変形などを始めとした肉体操作。
 水中で息継ぎなしで行動できる。
 魔力不足・ダメージ以外で体力を消耗しない。
 体から熱波を出すことができる。

『儚く燃ゆる勝利の剣(エクスカリバー・ウルナッハ)』
 宝具ではなくキャスターが義妹の聖剣を参考に生み出した、その力を模倣した大魔術。
 自分の能力で生み出した炎で巨大魔方陣を描き大気中の魔力を集約。マーリンの作りだした礼装である剣に込めることで、刀身より炎の斬撃を放つ。
 大魔術であるが宝具としての性質をもつため対魔力スキルを突破することが可能。


【元ネタ】自然現象
【CLASS】ライダー
【マスター】相馬戎次
【真名】冬将軍
【性別】女
【身長・体重】170cm・50kg
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力D 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具B

【クラス別スキル】

対魔力:B
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

季節の乗り手:A+
 自然現象の擬人化、その具現たるライダーのもつ特殊技能。風や大気に〝乗る〟ことができる。
 また英霊でありながら自然霊にも近しい存在であるため、大気の魔力を自分のものとして吸収することが可能。

【固有スキル】

ナチュラル・ファンタズム:A
 自然現象を具現化させる。ライダーの場合は冬に因んだ凍結・冷気・雪などを具現化する。
 最上位の吸血種が行うという空想具現化に近い能力。魔術とは異なるスキルのため対魔力で無効化できない。

対英雄(征服者):B
 英雄を相手にした際、そのパラメーターをダウンさせる。
 ランクBの場合、相手のパラメーターをすべて2ランク下のものに変換する。
 征服者としての側面の薄い英雄には効果が薄く1ランクダウンとなる。護国者としての側面が強い英雄に対してはランクダウンはなく、ランクC程度のカリスマ性として作用する。

【宝具】

『冬将軍・雪原白牙(ジェネラル・フォレスト)』
ランク:B
種別:対軍宝具
レンジ:1~99
最大捕捉:1000人
 ライダーがサーヴァントとして発動する固有結界。大雪の降りしきる常冬の大雪原を展開する。
 自然現象の具現であるライダーそのものともいえる宝具であり、元々が精霊種に近いために世界の修正を受けず長時間の発動が可能。
 取り込まれたライダーとその味方以外のパラメーターを1ランク低下させ生命力・体力・魔力を奪っていき、カリスマ・軍略・皇帝特権などの王権・支配者・指揮官としてのスキルを無効化する。
 スキル〝ナチュラル・ファンタズム〟の力を増大させる効果もある。


【元ネタ】暗殺教団
【CLASS】アサシン
【マスター】エルマ・ローファス
【真名】ハサン・サッバーハ
【性別】男
【身長・体重】30cm・9㎏
【属性】秩序・悪
【ステータス】筋力D 耐久E 敏捷A+ 魔力C 幸運E 宝具C

【クラス別スキル】

気配遮断:A+
 サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
 完全に気配を断てば発見する事は不可能に近い。
 ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断のランクは大きく落ちる。

【固有スキル】

投擲(毒針) :A
 毒針を弾丸として放つ能力。

調合:C+
 材料さえあれば大抵の薬物を作り上げることが可能。
 現代に伝わっていない未知の薬物を作り上げることもできる。

自己改造:C
 自身の肉体に、まったく別の肉体を付属・融合させる適性。
 このランクが上がればあがる程、正純の英雄から遠ざかっていく。

【宝具】

『空想電脳(ザバーニーヤ)』
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:3~9
最大捕捉:1
 呪いの指。悪性の精霊シャイターンの憑いた左指であり、人間を呪い殺す事に長けている。
 対象の頭部に触れることで、脳に呪いを送り込む。呪いを宿した脳髄は爆弾へ変わり、呪いを炸裂――――爆破することで物理的防御を無視して相手を呪い殺す。
 爆発のタイミングはアサシンが決めることができる。
 空想電脳に対抗するにはCON(耐久)の高さではなく、 呪いを弾き返すほどの能力・MGI(魔力)の高さが重要となる。


【元ネタ】ゾロアスター教
【CLASS】アヴェンジャー
【マスター】アルラスフィール・フォン・アインツベルン
【真名】アンリ・マユ
【性別】???
【身長・体重】???
【属性】悪
【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷E 魔力E 幸運E 宝具E

【固有スキル】

絶対殺害権:EX
 相手が純粋な『人間』であるならば必ず殺害することができる。



『おまけステータス』

 需要があるかどうかは不明だが、諸事情により弱体化していたサーヴァントの本来のパラメーター。
 そしてロディウス・ファーレンブルクのパラメーターを公開。
 基本的にクラスはそのままだが、オルランドに関してはクラスをバーサーカーとしている。


【元ネタ】ローランの歌
【CLASS】セイバー
【マスター】リリアリンダ・エーデルフェルト
【真名】ローラン
【性別】男
【身長・体重】190cm・80kg
【属性】中立・善
【ステータス】筋力A 耐久A 敏捷B 魔力B 幸運A+ 宝具A++

【クラス別スキル】

対魔力:A
 A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。

騎乗:B
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

【固有スキル】

勇猛:B
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 また、格闘ダメージを向上させる効果もある。

戦闘続行:A
 生還能力。
 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

心眼(偽):A
 視覚妨害による補正への耐性。
 第六感、虫の報せとも言われる、天性の才能による危険予知である。

【宝具】

『栄煌の軌跡(ラ・シャンソン・ド・ローラン)』
ランク:C+
種別:対人宝具
レンジ:―
最大捕捉:1人
 強靭なる不死身の肉体。
 通常攻撃・宝具問わずランクC+までの物理ダメージを無効化し、ランクC+以上であれば減衰させる。
 同質の宝具である〝狂煌の軌跡〟とは異なり不死性のない場所は存在しない。

『斬り屠る不滅の剣(デュランダル)』
ランク:A+
種別:対人宝具
レンジ:2~4
最大捕捉:1人
 〝絶世の名剣〟による、あらゆるものを〝絶対に切る〟至高の斬撃。
 デュランダルの一振りの前にはあらゆる防御は無意味となる。
 この一撃から身を守るには剣に触れないか、剣の概念を上回るほどの神秘による防御が必要。

『儚く遠き勝利の音色(オリファン)』
ランク:E~EX
種別:対城宝具
レンジ:1~99 
最大捕捉:1000人
 勝利を齎す角笛。人造による武器ではなく、星に鍛えられた神造兵装。
 吹いた者の魔力を内部で風へと変換、解放することによって城塞をも吹き飛ばすほどの熱風を生み出す。どれだけ強く吹くかによって威力は変化するが、ランクA+++以上の破壊力を生もうとすれば使用者も大きなダメージを受け、威力に応じて消費する魔力も多くなっていく。
 規格外の出力を発生させた場合は使用者は致命傷を受け、直ぐに回復せねば消滅する危険性すら孕む。


【元ネタ】ローランの歌
【CLASS】バーサーカー
【マスター】ルネスティーネ・エーデルフェルト
【真名】オルランド
【性別】男
【身長・体重】190cm・80kg
【属性】中立・狂
【ステータス】筋力A+ 耐久A+ 敏捷A 魔力A 幸運A 宝具A+

【クラス別スキル】

狂化:B
 全パラメーターを1ランクアップさせるが、理性の大半を奪われる。

【固有スキル】

対魔力:A
 A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではバーサーカーに傷をつけられない。

理性蒸発:B
 完全に理性が蒸発したことで発狂し狂人となっている。
 このスキルは「直感」も兼ねており、戦闘時は自身にとって最適な展開を感じ取ることが可能。

戦闘続行:A
 生還能力。
 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

心眼(偽):A
 直感・第六感による危険回避。

【宝具】

『狂煌の軌跡(オルランド・フリオーゾ)』
ランク:C++
種別:対人宝具
レンジ:―
最大捕捉:1人
 強靭なる不死身の肉体。
 通常攻撃・宝具問わずランクC++までの物理ダメージを無効化し、ランクC++以上であれば減衰させる。
 ただし伝承により足の裏のみ不死性がない。

『狂輝の秘蹟(ドゥリンダナ・ディオニュシウス)』
ランク:B
種別:対人宝具
レンジ:1
最大捕捉:30人
 強化の魔術の発展系である〝変化〟の秘蹟。
 オルランドの周囲にあるものを竜殺しの属性をもつランクBの聖剣へ変貌させる。
 変化させられる聖剣の大きさは最大で15m、最低で50cm。既に強力な神秘が宿っているものを聖剣に変化させることは出来ない。

『慄き叫ぶ狂竜の手向け(マッサークロ・ディ・ドラゴ)』
ランク:B+
種別:対軍宝具
レンジ:1~300
最大捕捉:100人
 〝狂輝の秘蹟〟で生み出された竜殺しの聖剣を投擲し炸裂させる。
 聖剣の大きさにより威力が増大する効果をもつ。
 破壊力のわりに燃費は良く、生み出した聖剣を連続投擲するのがオルランドの主な攻撃方法の一つである。


【元ネタ】史実
【CLASS】アーチャー
【マスター】間桐狩麻
【真名】ナポレオン・ボナパルト
【性別】男
【身長・体重】172cm・60㎏
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷B 魔力A 幸運A 宝具A++

【クラス別スキル】

対魔力:D
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

単独行動:A
 マスターからの魔力供給を断っても自立できる能力。
 ランクAならば、マスターを失っても一週間は現界可能。

【固有スキル】

皇帝特権:A+
 本来もち得ないスキルも素養が高いものであれば、本人が主張することで短期間だけ高いレベルで獲得できる。
 該当するスキルは騎乗、剣術、気配感知、陣地作成、算術、占術など。

カリスマ:B
 軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において自軍の能力を向上させる。
 カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。

軍略:A+
 一対一の戦闘ではなく、戦争における戦術的・戦略的直感力。
 自らの宝具の行使や、逆に相手の宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。

星の開拓者:EX
 人類史においてターニングポイントになった英雄に与えられる特殊スキル。
 あらゆる難航、難行が“不可能なまま”“実現可能な出来事”になる。

【宝具】

『轟き咲く覇砲の大輪(ソレイユ・ド・アウステルリッツ)』
ランク:A+
種別:対軍宝具
レンジ:1~100
最大捕捉:200
 類稀な才気によりヨーロッパを圧巻したアーチャーの英雄性の具現としての宝具。
 召喚・展開したグリボーバル砲による正確無比な集中砲火は、古今無双の精鋭ですら消し飛ばす。
 敵の戦力に自身の戦力を引いた分だけ破壊力を増す特性をもっており、その性質上、追い詰められれば追い詰められるほどの破壊力を増大していく。正に〝逆転の一撃〟である。

『尊き革命の法典(コード・ナポレオン)』
ランク:A++
種別:対衆宝具
 ナポレオンが「後世私が評価されるとしたら多くの戦勝でなくこの法典によるのだろう」とまで言った史上初の近代的法典。
 彼が〝星の開拓者〟のスキルをもつ所以でもある。
 真名解放と共に五つのうち一つの効果を選択して発動する。
 一つ、宝具を除いた相手より下のパラメーターを対象となった相手と同一にする。
 二つ、神性などといった神々からの恩恵・祝福・呪いを全て無効化する。
 三つ、特定の宗教を弾圧した逸話のある相手のステータスと宝具のランクを最大4ランク下げる。
 四つ、対象または自身にかかった制約・呪縛・契約を解除する。発動には対象の同意が必要。
 五つ、宝具の効果を瞬間的に解除する。ただし自身より過去の時代の英雄にしか効果はなく、また神造兵器は該当しない。

『余の辞書に不可能という文字はない(インポッシブル・ネスト・パス・フランセーズ)』
ランク:A
種別:対人宝具
レンジ:―
最大捕捉:1人
 スキル〝皇帝特権〟の能力を大幅に増幅させる常時発動型宝具。
 このスキルの発動中、アーチャーの皇帝特権のランクはEXとして扱われる。
 全く素養のないスキルでも、本人が出来ると主張することで短期間だけ獲得できる。
 アーチャーの有名な名言が、人々のイメージによって具現化した宝具。

【Weapon】

『シークレットシューズ』
 自分の身長が低いことを気にするアーチャーが履いている靴。
 靴底の踵部分が厚くなっているので、自分の身長を大きく見せることができる。


【真名】ロディウス・ファーレンブルク
【性別】男
【身長・体重】185cm・61kg
【属性】中立・悪
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷A 魔力A 幸運EX 宝具EX

【固有スキル】

絶対殺害権:EX
 相手が『神霊』であれば確実に殺すことができる。

カリスマ:A+(E)
 大軍団を指揮・統率する才能。ここまでくると人望ではなく魔力、呪いの類である。
 ロディウス本人のカリスマはEランクだが、聖槍の力で呪いの魅力を手に入れている。

啓示:EX
 〝直感〟と同等のスキル。
 直感は戦闘における第六感だが、"啓示"は目標の達成に関する事象全てに適応する。
 根拠がない(と本人には思える)ため、他者にうまく説明できない。
 聖槍の力によって手に入れたスキル。

魔術:B
 現代において封印指定されるほど魔術を極めた。
 得意なカテゴリは霊媒、降霊、召喚術など。

【宝具】

『天照らす神明の聖槍(ロンギヌス)』
ランク:EX
種別:対人宝具
レンジ:―
最大捕捉:1人
 槍の担い手から〝死〟という概念を消し去り〝不死〟の概念を付与する。
 強力な概念による攻撃でしか担い手にダメージを与えることはできず、与えられたダメージは瞬時に回復する。担い手が槍を持つ限り、如何なる方法でも担い手を滅ぼすことはできない。
 回復効果を他者に受けさせることも出来るが、担い手のものよりは効力が低下する。
 〝所有するものに世界を制する力を与える〟という伝承があり、担い手であるロディウスには世界を制するに足るだけの能力を得ている。
 更にこの槍は「神霊」に対して星が生み出した最大の抑止力であり、相手が神霊であればその力の強さに関係なく絶対に殺害することができる。

『聖覇せし神滅の明星(ガイウス・カッシウス)』
ランク:A++
種別:対心宝具
レンジ:―
最大捕捉:1人
 〝天照らす神明の聖槍〟による神の子を殺した奇蹟の解放。聖なる極光は敵対する者を悉く滅ぼす。
 聖杯ほどではないが〝願望器〟として人の願いに反応する力をもっており、真名解放時の担い手の〝願い〟によって対人・対軍・対城宝具・対神宝具・対魔宝具など様々な形に千変万化する。
 願望器としての特性は修復の際に聖杯のシステムを取り込んだことで高まっており、破壊に限らず癒しの願いをもって放つことで、あらゆるものを死の淵より救う奇蹟を行い――――或いは世界の外への穴を開くことも不可能ではない。



『伏線回収』


 Fate/stay nightやFate/hollow ataraxiaなどのFate本編。Fate/Zero、Fate/strange fake、Fate/Apocryphaなどのスピンオフ、そしてコンマテなどで語られた第三次聖杯戦争の伏線。
 一応この作品の目的はそれらの伏線を回収しつつ第五次へ繋げることなので、出来る限りは回収するよう努めました。
 100%完全に回収できたと言うことはできませんが、一応回収できた伏線の一覧。


「ナチスと帝国陸軍が聖杯戦争に介入する」
 双方ともにサーヴァントを擁して参戦。

「第三次聖杯戦争は第二次世界大戦直前に開催される」
 大戦前に開催された。

「帝都で戦いが繰り広げられる」
 聖杯戦争が始まったのはナチスの帝都ステーションホテル襲撃から。
 また帝都上空でライダー、キャスター、セイバーが死闘を繰り広げた。

「地雷が使われた」
 主にアルラスフィールが被害に合った。

「空爆があった」
 アインツベルンの森にばら撒かれた。

「言峰璃正が監督役になる」
 監督役として頑張った。

「時臣の祖父がマスターとして参戦」
 主に戦ったのは冥馬であるが、最初に令呪を宿しサーヴァントを召喚したのは静重。
 遠坂冥馬はあくまで遠坂静重の令呪とサーヴァントを引き継いだ形。

「言峰璃正と遠坂時臣の祖父と誓いをする」
 序盤にて静重より〝聖杯が相応しいものに委ねられる〟よう頼む。
 また璃正もその頼みを遵守するよう誓う。

「アンリ・マユがアヴェンジャーとして召喚される」
 召喚される。ホロウでは士郎の殻を被っていたが、本作ではアルラスフィールの殻を被っての登場。

「第三次のアヴェンジャーは宝具を持っていなかった」
 所有していない。

「アヴェンジャーは四日目に早期敗退」
 帝国陸軍の襲撃で城を追われて逃亡している途中、遠坂冥馬とキャスターに敗れ敗退。

「エーデルフェルトの双子姉妹が参戦」
 参戦した。

「エーデルフェルトのサーヴァントはセイバーで、異なる側面から別々に召喚していた」
 セイバーは聖騎士ローラン、狂戦士オルランドの両側面から召喚される。

「バーサーカーが不在」
 狂戦士のクラスを補填するセイバーはいたが、バーサーカーのクラスそのものは不在。

「ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアがナチス側のマスターとして参戦」
 影でロディウスが操っていたが、表向きはマスターとして参戦していた。

「ナチスが大聖杯を奪取しようと画策」
 ダーニックとナチスが大聖杯を奪取するのはアポクリファの話で、別に回収する必要もなかったのだが、面白い話の種になるので回収。
 帝国陸軍との内通もあって計画は順調に進むも遠坂冥馬とリリアリンダ・エーデルフェルトの二人により阻止される。

「エーデルフェルトは姉妹で仲違いし早々に敗北」
 ルネスティーネとオルランドが冥馬とキャスターに敗れ、第三次聖杯戦争二番目の脱落者となる。

「エーデルフェルト妹は死亡するも、姉はどうにか生還」
 表向きリリアリンダは第三次聖杯戦争でルネスティーネより早く脱落したという扱い。

「聖杯戦争で手酷い敗北を喫したことでエーデルフェルトの日本嫌いが始まる」
 遠坂冥馬に倒された挙句、身包み(宝石)ひっぺらからされて教会に放り込まれるという屈辱的な敗北が原因。

「遠坂とエーデルフェルトが遠縁」
 リリアリンダがエーデルフェルトの遠縁のテルヴァハルティラ家の養女になり、冥馬と事実婚したことで血縁関係ができる。

「凛はクォーター」
 日本人である冥馬とフィンランド人であるリリアリンダの孫なのでクォーター。

「セイバーは過去の聖杯戦争でも悉く最後まで勝ち残った」
 聖騎士としてのセイバーは、〝聖杯戦争〟においては最後まで勝ち残る。
 最終的に最後まで残っていたのはキャスターであるが、その時は既に聖杯戦争は瓦解し終結している。

「第三次聖杯戦争はトラブル続き」
 帝都での開戦、アンリ・マユの召喚、アインツベルンへの空爆、聖杯の器の破損、大聖杯奪取作戦、聖槍戦争など。
 トラブル続きどころか、最初から最後までトラブルしか起こってない。

「第五次聖杯戦争に歴代最強のサーヴァントが揃う」
 場合にもよるが第三次と第五次で同クラス同士で総当たり戦をした場合、例外のアヴェンジャーを除いた6クラス全てが分が悪い。

「バーサーカーは魔力切れで敗退」
 そもそもバーサーカーは召喚されていないので、伏線回収不要。

「アハト翁の日本人は首狩り族という勘違い」
 別に回収する必要もなかったが、なんとなく気になったので。
 原因はだいたい戎次のせい。

「初戦の相手はランサー」
 別に伏線ではないが、Fateシリーズのお約束。
 本作でも第一戦の相手はランサーことトバルカイン。

「第三次の聖杯は無機物だった」
 無機物だった。

「聖杯の器が途中で破壊され、聖杯戦争は無効になって終わる」
 ナチスによって破壊される。

「聖杯降霊地は冬木教会」
 冬木教会において降霊のための力場が出現。

「聖杯は起動したが正しい所有者を得られないまま消滅した」
 大聖杯の機能により冬木教会に力場が生まれるも、ロディウスの介入により有耶無耶となる。

「アヴェンジャーにより大聖杯が汚染される」
 呪いの終幕は運命の夜にて。



[38533] 後書き
Name: L◆1de149b1 ID:4a7c33c2
Date: 2014/06/25 11:51
 設定資料集も公開し「第三次聖杯戦争黙示録」はこれにて正真正銘の完結です。思い返すと連載を開始した約九か月の長いようで短い時間でした。
 こうして終わってみると「やりきった」という感慨がありつつも、もっとキャラの掘り下げをするべきだったかな、もっとエピソードを挟むべきだったかな、と思ってしまったりします。
 書いている中で一番の未練は「肉体面でもサーヴァントと共融して擬似的な不死を得た」という伏線を回収できなかったことです。
 どうにかして回収したかったんですが、不死の能力をもつサーヴァントがオルランドくらいしかおらず、結果的にこの伏線を第二次に丸投げするような形となってしまいました。自分の不甲斐なさを呪うばかりです。没鯖の一人であるドラキュラが通っていれば、ダーニックが不死身の魔人となるというアポクリファ的な展開もあったのですが、ドラキュラ没と共にその案も泡と消えました。
 前述のドラキュラ伯爵を始め日の目を見ることなく没になったサーヴァントたちも、いつか活躍の機会を与えたいとは思っていますが、今のところ直ぐに次回作をどうこうするという予定はありません。
 一応アポクリファの世界線で言峰士郎(シロウ・コトミネに非ず)が新宿で発生した聖杯戦争に巻き込まれ、爺になった冥馬と一緒に戦うなんてストーリーの構想はありますが、あくまで構想で形にするほど妄想が溜まってないので。そもそもこれをやる場合だと時系列的にFate/Apocryphaの後の話になるので、Fate/Apocryphaが完結するまで出来ません。
 取りあえず次回作の前に、誤字脱字やおかしい表現などを修正していきたいと思います。
 では最後に私自身の「公式で語られるだけだった第三次を再現してみたい」という願望と「僕の考えたサーヴァントで聖杯戦争したい」という願望が合体して書き始めた本作品ですが、こうして完結させることができたのは読者の方々の応援のお蔭です。この場を借りて感謝を。
 本当にありがとうございました。またの機会がありましたら、応援宜しくお願いします。

追伸
ツイッター始めました。
ユーザID→@L726gou


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
3.0434620380402