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[3920] 白銀武の娘がニートを目指しているようです(短編)
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/08/26 02:31
 これはニートを目指す少女と、それを阻止せんとする両親とが繰り広げる壮大な『あいとゆうきのおとぎばなし』である。

 嘘である。




[3920]
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/08/26 02:31




 現在、BETA大戦が終結してから数年がたった。
 などと数字を明言せずにいると、学どころか常識のない人を見るような目で見られてしまう気がするので、わたし自身の過去も交えてちょっとだけ詳しく語ってみようかと思う。

 地球上からBETAの脅威が完全に駆逐されたのは、いまから十年前のことである。といっても、それは教科書の中の知識。
 なにせ当時のわたしはまだ五歳。
 たまにしか家に帰ってこられない父さんに頬をぷにぷにつつかれて、パパと結婚しゆー、とかのたまいながら阿呆面を惜しげもなく晒していたくらいだ。
 だが、なにが起きたかわからずとも、なにか起きたということくらいはわかっていた。いまになって振り返ればそう思う。
 というのも、父さんが家にいるときの、周囲の人々の様子が明らかにおかしかったからだ。

 皆が皆、父さんを拝むのだ。
 たとえるならば、町内で『野良猫さま』と崇め奉られる、名前の通り野良な猫と同じ程度には。

 当時のわたしが抱いていた父さんへの認識は、母さんやわたしにはとことん弱くて、ちょっと抜けたところがあって、見上げるほどに背が高くて、グンジンというよくわからないけれど戦うお仕事をしていて―――というように、我がことながらあまりにもいい加減なものであったのだ。
 だから、ご近所に住む老人の方々がこれでもかと父さんに感謝の言葉を向ける光景は、随分と不思議に思えてならなかった。

 さて、ここで種明かし……にもならない事情説明を行えば、地球と月のハイヴを最も多く潰したのが父さんであったというオチになる。

 ―――Q.ハイヴとはなんぞや。

 この問に簡潔に答えれば、こうだ。

 ―――A.宇宙人の巣穴である。

 宇宙人。正式名称は、人類に敵対的な……敵対的な…………、えっと、略してBETA。
 そう。件の宇宙人は人類に敵対的なのであった。

 BETAは過去に地球侵略を目論んだだけでなく、危うく成し遂げかけてしまったという、まことに物騒な連中だ。
 現在は火星にのみ存在が確認されているらしいが、わたしが生まれる五年ほど前までは、人類滅亡まで秒読み段階であったというから、本当に危ないところから巻き返したのだろう。
 しかし、十億単位で数える世界人口の六割以上が死亡したと聞かされても、そこに実感やら危機感やらを覚えろという方が無理な相談だ。加えてわたしは、物心がついた頃にはBETAの脅威を身近に感じることのない環境ができあがっていた世代。それこそ空の向こうの赤い星を掴むような話である。
 だからお年を召した方々がいまでも、いや、いまは昔以上に父さんを褒め称えるという感覚には、まったくというほどではないにしても、わたしにはすずめの涙ほどしか共感できないのだった。

 共感できないのなら共感できないなりに、理解しようと頑張ったこともある。

 たとえば、ちょうどいま手元にあるコンピュータのキーボードをカタカタと叩き、検索サイトで『白銀武』という文字を入力。次いで検索ボタンをクリックすれば、BETAのごとく(この比喩は絶対に口に出さないことにしている)出るわ出るわ数多のサイト、太文字で強調された『白銀武』。
 ためしに一番上のリンクをたどってみる。
 まるで歩き慣れた散歩道のように、何度も何度も目を通したサイト。
 そこにはわたしの父さんではなく、国連軍所属の白銀武准将についての情報が連なっている。軍が発表した経歴やら、そこから読み取れる人間関係やら、行きつけの定食屋やら。

「む……?」

 不覚。定食屋に関してのものは、以前見たときにはなかった情報だ。
 誰でも情報を書き込み、あるいは修正できるという利点を生かしたこの手の百科事典的なサイトは、ゆえに無責任な誤情報も少なくない。
 が、今回加筆されたものはどうやら事実であるっぽい。
 どこの誰が嗅ぎつけたのか知らないけれど、おばちゃんに迷惑がかからなければいい、なんて考えながら修正修正。
 あっという間に文章は元通り。ちょっとしたおまけとして、公開されている顔写真にひげを描き足しておく。なお、これが原因でしばらく編集合戦が勃発するのだが、それはまた別の話。

 閑話休題。

 そもそも、なぜわたしがこんな昔語りから父親への複雑な心境までを語ったのか。
 それは、本日の本題に関係している。
 机の上に、白い紙きれが一枚ある。
 そこにはこう書かれていた。

 『進路調査』

 まだ桜の季節だというのに、三年生に進級したとたんにこれである。
 担任の教諭曰く、まだそれほど真剣に考える必要はない。
 だったらなぜこんなものを配るのか―――わたしみたいな人間の意識を進路へと向けるために決まっている。

 紙切れに目を通せば、そこには第一から第三までの希望を書く欄がある。

「うーん、困った……」

 選択肢はそれほど多くない。
 大きな枝分かれは、就職か進学か。さらに枝先が細かく分かれ、就職あるいは進学するなら、どの方面に進むのか。

 士官学校とか軍の訓練校とか、そういった軍隊関係は絶対に嫌だ。
 徴兵の基準が緩くなったこのご時世、国家と軍隊が等号でつながりかねなかった頃とは違い、BETA大戦終結を受けての軍縮の影響もあって、軍人という辛く厳しい自虐的な選択肢を手に取る女性はそれほど多くない。
 そんな流れに乗るという意味もあるが、それ以上に大きな理由がわたしにはあるのだ。

 理由―――父さんだ。

 一般の学校に通っていても、あらまあ白銀准将のご息女よきゃーきゃー、という展開になる。軍関係に身を進めれば、周囲の視線が気になって胃に穴が開いてしまうかもしれない。
 もちろん、貴様らのようなウジムシにも劣るクソにたかるゴミクズどもには平等に価値がない、ということを素でやるらしい訓練校のことだ、わたしが誰であったとしても、容赦なく笑ったり泣いたりできなくしてくれることだろう。
 それはいい。
 いや、全然よくないけれども、いいということにする。
 問題なのは、人づきあいである。

 日常生活の中で苦労するのは、もう嫌なのだ。
 自分ではまったく関与しえない、責任のないところで発生した面倒が礫となって飛んでくるのは辛い。
 父さんの娘ではなく、BETA大戦の英雄の娘としてしか扱われないのは、とても惨めな気持ちになる。
 友人の家に遊びに行って、そこのご両親やご老人にお礼をいわれるなんて、冗談でも笑えない。

 早くも人生に疲れた十五歳の春であった。

 そういうわけで、わたしは第一志望にこう書いた。

 『自宅防衛軍』

 つき合いがなければ、つき合いで苦労しない。一度死ねば二度と死なない、といった類の頭が痛くなる理論であるが、事実でもある。
 ところで自宅防衛軍には、入隊するために必須の項目が二つほどある。

 一つ、自宅防衛という労働に対する報酬を払うことのできる雇用者が存在すること。
 一つ、この時代にせよそうでないにせよ認められ難い自宅防衛軍への理解ある両親あるいは保護者が存在すること。

 これらを検討する必要がある。

 まずは雇用者。
 父さんは国連軍の将官だ。素面で閣下とか呼ばれ、国連軍の宣伝塔も兼ねているとくれば、お給料もかなりいいものを貰っている。少なくとも、そういう話を風の噂に聞いたことがある。この時代にしては珍しくも幸運なことに、かじる脛は大きいといえよう。よって一つ目の条件は満たしている。
 次に理解。
 父さんの説得は、パパリン閣下と結婚するから専業主婦になる、とかいえばたぶん大丈夫だろう。
 しかしすべてがうまくいくようには出来ていないのがこの世界なのか、そこらの岩よりよほど堅く、そこらの山よりよほど高い壁がそびえ立っていることを、わたしは嫌になるほど熟知していた。

 白銀家のラスボス。
 いい年してウサミミをピコピコさせている母。
 父さんと並べばどこか犯罪の臭いがするロリーな母さん。 

 父を容易く攻略するわたしの外見が、最大の障壁からそのまま引き継いだものであるというのは皮肉なことだ。
 しかも母の方は頭の中身の仕様も非常に優れており、初対面の人はまず信じないのだが、割と名のある学者先生でもある。
 正直、なにをやっても勝てる気がしない。
 現に、いまもこうして計ったかのような神懸ったタイミングで、風呂に入っていたはずの母が部屋の扉をノックする音。

「話があります」

 なにについての話かはいうまでもないだろう。そんな感じの口調。

 バルジャーノンやろうと思ってたのに。
 どうやらニートまでの道のりは長く険しいようである。





 やや唐突だが、白銀霞はいわゆる超能力者である。
 1973年のBETA地球襲来をきっかけに始まったオルタネイティヴ第三計画の要にして、その誕生には祝福ではなく役割のみが与えられた、第六世代目に当たる人工ESP。
 生きるためではなく、一から十まで計画のために生まれてきた生命。ゆえに彼女の命は彼女のものではなかった。
 当然、自身の思い出といったものなど存在しえなかった。

 そんな彼女は、多くの姉妹が散っていった後、オルタネイティヴ3の終了と共にオルタネイティヴ4に身柄を移すことになる。

 対BETA諜報員育成計画である第四計画は、他のオルタネイティヴ計画と同様、決してその存在が表に出ることなく進められた。当時まだ社霞だった幼い少女の存在も、歩く機密の塊として、決して公にされることはない。
 やはり彼女には、思い出を得る機会はやってこなかった。

 霞にとっての大きな転機は1999年に決行された明星作戦で、脳髄だけの状態でBETAの捕虜になっていた人物が発見されたことにより訪れる。

 ESP能力を用いた交信による、唯一生存していたその捕虜の名前の判明。その過程で、霞は捕虜――鑑純夏の思い出を共有することになったのだ。
 その思い出の中には、とある少年が多く姿を見せた。否、多くなどという言葉では到底届かぬほどに、埋め尽くされていた。

 少年は鑑純夏のすべてだった。

 ならば、鑑純夏に自身を投影していた霞が少年を思うようになるのは自然な流れで。
 社霞は、きっと出会う前から白銀武に恋をしていたのだろう。

 それからさらに時は流れ、やがて彼はこの世界にやってくる。
 そして、様々な物と引き換えについには人類の未来に一筋の光をもたらした一人の英雄は、結局、自分の世界に戻ることはなかった。

 現在とは、その過去に連なる未来のことであり―――

「…………」

 なにやら邪な色に塗られた意思が流れ込んでくる。ニートとか見えたような見えなかったような気がした。
 ESP能力――リーディング。決して望むものだけ見えるわけではない。
 人為的に能力の発現を阻止する装置も存在するが、入浴中は取り外している。

 天井から冷たい水滴が降って、鼻先に着弾した。
 霞は思わず瞬きしてから、ゆるりと背をもたれかけ、今度は浅く目を閉じる。

 どうやら娘はここのところ、何某かに心を悩ませているらしい。そしてそれは、恐らく将来についてだ。
 そのくらいはリーディングがなくともわかる。

 わがままに育った娘である。

 霞はともかく、武は娘にわがままを許した。
 いわく「オレたちは、子供がわがままの一つもいえる時代を作るために戦ってきたんだ」とのことで、彼は娘に限らず若い世代に恐ろしく甘い。代わりに、自分と同じく軍に身を置く人間には恐ろしく厳しい。
 これは彼に限らずある程度年を経た軍人、あるいは退役した元軍人、要するにBETAと戦闘経験のある人間によく見られる傾向である。

 娘が懊悩する日々を送ることを武が知ったなら、大いに悩めと優しく笑いながらいうだろう。
 彼が若い頃には、若者には悩む自由すら与えられなかったのだから。

 世界は豊かになった。

 身近なレベルでいえば、娘のわがままに始まり、食料、物資、エネルギー、あらゆる生活必需品の供給量に加え、嗜好品の類や娯楽までが現在進行形で発達している。いまこうして時間を気にせず風呂に入っていられるのも、軍属の家族の死に涙を流す人が減ったのも、悲しい事実ではあるが人間同士の争いが増えたのも、すべて豊かさの象徴だ。
 もちろん、霞はその幸せを否定したりはしない。
 自身もこの平和な世界の礎となる覚悟をした一人であり、人類のために命を差し出した多くの高潔を目の前に見てきたのだから、否定できようはずもない。
 だけれども、それでもときどき―――思うのだ。

 本当にいいのだろうか、と。

 娘は知らない。自分の父がどれほどの思いで歯を食いしばって戦い続けたのかを。
 平和の中に生まれてきた世代は知らない。どれだけの人々が心の底から生きたいと願ったのかを。
 これから生まれてくる人々は、先人の決死の覚悟ではなく、人生を楽しむ術を学び知っていくだろう。
 それがとても残念でならない。

 ―――生きるのならば、どうか必死に生きて、そして幸せになってほしい。

 霞が娘に望む、ただ一つのことである。

「少し、あの子と話をしてみます」

 霞は小さく呟いた。その言葉は誰に告げるものであったのか。
 声は響き拡散し、湯気に溶けて消えた。

 どうやら軽くのぼせたようだ。頭が重たい。それに、娘からますます怠惰な気配がゆんゆん飛んでくる。
 あの子は少々迂闊すぎる。飴と鞭でたとえるのならば、鞭の方が近いところにいるというのに。

 そろそろ湯から上がるとしよう。





 基地司令の仕事は多岐に渡るが、正直に告白をすれば、規模が一番大きな雑用係である。それが、いまや国連軍が保有する月面基地の司令の椅子に収まってしまった白銀武の意見だ。
 階級は准将。
 一衛士からの出世にしては出来すぎなくらいだが、自他共に認めるだけの功績を、多くの部下や仲間たちの挺身により上げているのも確かである。

 多くの英霊を背負っての地位であるからこそ、謙ることは絶対してはいけない。そんな失礼は絶対にできない。
 自分の功績を誇ることは、逝った仲間を誇らしく語るということなのだ。
 思えば、そんな流儀を教えられたのも随分と昔のことになる。
 武が一少尉だった時代を思い出そうとすると、もう二十年以上を遡らなければならない。

 人類史上最大のBETAへの逆襲にして、人類の勝利への第一歩である桜花作戦。
 彼の作戦の成功により、秘密裏に準備が進められていたオルタネイティヴ5は阻止され、逆にオルタネイティヴ4の中核たる香月夕呼博士は、比肩しうる者がないほどの発言力を手に入れた。しかしその時点で直属の特殊部隊員のほとんどを失っていた彼女は、更なるBETAへの追撃をかけるため、手駒の補充を図る。
 どういうわけかこの世界に残ることとなった武は、その部隊に組み込まれ、世界中のハイヴを狙い撃ちするがごとく、各地の軍に協力という形で極東国連軍から派遣されることになった。

 元より頭抜けて腕のいい衛士である。突撃前衛を率いてみるみる戦果を上げる内に階級も上がる。
 時間の流れとともに新OS、XM3も広まり、地球上のハイヴが姿を消していた頃には大佐となって連隊を率いていた。霞との間に子が生まれたのは、その五年ほど前のことである。
 ぶっちゃけできちゃった婚で、当時、夕呼に散々冷やかされたことを武はいまでもよく覚えている。
 それに対する仕返しではないが、子供の名付け親になってくれと霞と共に頼み込み、とんでもない名前を付けられそうになって冷や汗かいて撤退したことは、もっとよく覚えている。 

 そんな夕呼も、いまでは武の部下だ。
 副司令にいびられる司令というのも珍しい気がするが、とにかく上司部下の関係が逆転したのである。
 もちろん形の上では、なのだけれども。
 気づけば香月派などと呼ばれる人間の筆頭になっていた武だが、戦術機を率いて月のBETAを駆逐していたのが夕呼に命じられた雑用であるならば、月を取り戻してからの主な仕事、すなわち各所と交渉して環境を整えることも、夕呼の研究のための雑用なのだ。
 歳をとって戦術機から降りはした。しかし、やることは何も変わっていないのが現状だ。

 たぶん。
 武は思う。
 一生、いや、下手をすると死んでも夕呼先生には頭が上がらないだろう。

 夕呼はもう五十路も近いはず(基地司令の武でさえ閲覧が許されない機密情報なので、詳細な年齢は知らない)なのだが、頭は切れに切れ、いまでも背筋が凍るような天才っぷりを発揮している。
 いや、武が成長して彼女の恐ろしさを昔日よりも理解できるようになったせいで、背筋が凍るどころではない。
 雲を抜けてようやく頂上が見えると思ったら、実はバーナード星系のあたりまで伸びていたようなもので、出てきた感想は恥ずかしながら昔と同じ。

「すげぇよ、夕呼先生……」思わずこぼれる若かりし日の口調に、
「当ったり前よ。アンタにあれだけお膳立てされといて、失敗しました、なんてことになったら目も当てられないわ」在りし日と変わらぬ不敵な笑みを返す白衣の女帝。

 人類が数世代以内に太陽系からBETAを排除することは不可能。そう結論した夕呼は、しかしそこで足を止めることを好しとはしなかった。
 遥か未来の人間が、一抹の不安すら抱えることなく過ごせる世界を作るための足がかりを、彼女は作ろうとしている。ほとんどの人間が、地球と月を取り戻して安堵しきっているという状況の中で。
 かつてもそうだった。
 皆が地球上からBETAを排除することだけに全身全霊を注ぎ込んでいた時代の末期、人類の生みだした希代の天才は既に月の奪還をも視野に入れていた。あるいは火星奪還への足がかり、すなわちこの状況すらも想定内だったのかもしれない。
 その頃から変わらず、学者の戦いに武が協力できることはとても少なく、範囲は狭い。
 それでも、できることを全力で行う姿勢だけは変えようと思わない。

 ―――死力を尽くして任務にあたれ。
 ―――生ある限り最善を尽くせ。
 ―――決して犬死にするな。

 それはおそらく一生心を律する言葉。

 武と夕呼は、未だ戦争の最中にいる。
 香月派―――それは、平和な世界にあってBETA大戦を続ける人間たちの総称である。
 武のシンパには特に衛士、元衛士が多いため、最前線で戦いすぎてBETAの恐怖が抜けなくなった古い連中だといわれることもある。
 その通りだ。
 いつか真にBETAの恐怖を知らない人々が危機に瀕したときのために、いまできることは全てやっておく。後の人類がいらないと判断すれば、残された成果ごと捨てればいい。

「ん……やっぱりソビエトが渋ってますか」

 提出された資料に目を通しながら、武が呟く。
 対する夕呼は、見ればわかることを確認する問への返事は馬鹿のすることだといわんばかりにコーヒーを啜る。芳しい本物のコーヒーを存分に堪能できるというのも、地球を取り戻してよかったことの一つだ。

「そういえば」

 読み終えた資料から目を離し、武。

「ソビエトといえば、このまえ家に帰ったときに霞が謎のソビエト式対BETA拳法――ええと、暗黒ウサミミ拳だったか?――の構えをとってたんですけど、あれ、先生の差し金ですかね?」

 武は褐色の香ばしい霧に顔面を強襲された。
 苦しげに咳きこんだ夕呼は、呼吸を整えてから武を睨んだ。しかし顔を拭いている武は気づかなかった。

「はぁ……」

 夕呼は疲れたように溜息をつき、

「そんなわけないでしょ。いってたわよ、近所のおばあさんから大陸の拳法をどうとかって。健康体操だそうよ」
「あれ? オレが聞いたときは、大戦中にソビエトが研究していた、生身でBETAと戦うための拳法が流出したって」
「アンタ、それ誰に聞いたの?」

 目の前でつなぎを脱ぎだすいい男を見た普通の男の子のように、武はハッとした。
 夕呼は、それはもう嬉しそうにニヤニヤ笑っている。

「なかなかいいクソガキに育ってるじゃない」
「そんなに褒めないでください」

 間髪入れない切り返しに、夕呼は試すように問う。

「あら、なんで褒めてるってわかったのよ?」
「今年中学三年に進級したんですが、オレと違って学年主席ですよ」
「褒めたのはあの子じゃなくてアンタなんだけどねえ」
「きっと霞に似たんです。それにバルジャーノンが上手いのは、きっとオレに似たんですね。将来が楽しみだ」

 ついに子を持たない人間には通じない不思議な言語を使って喋りだした武に、夕呼は肩をすくめた。
 それからもう一度、勝手に武の執務室に置いてある自分のコーヒーを淹れなおす。
 カップを傾ける。
 夕呼は黒い水面に映った自分の顔を見て、歳をとったものだ、と密かに笑った。
 結局、どんなクソガキだろうと、夕呼にとっても娘―――孫のようなものなのだ。証拠に、十五年ほど前あたりから、武の喋る謎の言語が解析できつつある。
 どういうわけか、可愛くて仕方がないのは自分も同じらしい。


 二人が娘/孫のニート願望を知るのは、まだ少し先の話である。





~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

【辞書】

・とんでもない名前
 夕呼先生が武たちの娘につけようとした名前は『Б太○(べーたまる)』という、もはや人の名前ではない暗号のようなもの。
 あえて不吉な名前をつけて魔を払う慣習が云々、とかテキトーな演説ぶちかまして武たちを華麗に追い払った。

・バルジャーノン
 軍の技術も一般へと公開され、その一部が娯楽に回されるほどに世界は豊かになりつつある。
 もちろんそれは日本だからであって、未だに国土を食い荒らされたユーラシアの国々は大変だと思われる。

・暗黒ウサミミ拳
 各種BETAに対応した構えが存在するらしい。
 詳細不明。知れば消されるのは夕呼先生の年齢と同じ。
 



[3920]
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/08/27 06:47



 容姿が日本人のそれではないので、わたしは目立って目立って仕方がない。
 誰だって黒の中にうっすら輝く銀色の髪を見つければ、意識せずとも注意はそこに向く。といっても、わたしは自分の後頭部を見ることなどできないので、正確なところはわからない。
 が、果てしなく正確ではあると思っている。
 なぜなら、銀色の代わりに金色の髪を見ることができるのだから。

 黒髪の頭がニョキニョキ生えている中に、色も高さも目立つ頭。
 背が低いわたしの視界にも入ってくる。

 彼女はわたしの数少ないまともな友人(まともじゃない友人が多い、というわけではない)である。
 フランス系アメリカ人で、父の仕事の都合で一家で日本に越してきたのだそうだ。
 名前はとても変わっていて、クララ・ガ・クララ・ガ・タッターという。
 別に足は悪くない。でもよく転ぶ。腰の位置が高い彼女は、加えて大きな胸を装着しているために重心が高く著しく不安定なのだ。

「あ、クララ」

 いま気づいたという風を装って、友人のもとへと歩いていく。
 校門のあたりで手持無沙汰にぼんやり立っていたクララは、わたしと同じく友人が少ない。そういうわけで、特に用事があったりしなければ、先に教室を出た方がこのあたりで待ち伏せするのが暗黙の了解みたいなことになっている。
 家が別方向なら二人で繁華街の方に遊びに行くことも多いのかもしれない。でも、幸いなのかはよくわからないけれども家の方向は同じなので、大抵は合流するやいなや帰路につくことになる。
 もちろん今日もその通りで、やはりとりとめもない会話を交わしながらてくてく歩く。

「―――というわけで、このまえ母さんからよくわからない話をされたんだけれども」

 話があります、と母さんが部屋にやってきたときのことが、これといったきっかけもなく話題に上る。

 あれは一体なんだったのだろうか。
 お説教とは違うし、白銀無双英雄伝でもないし。
 母さんは普段からあまり多く喋る人ではないので、あのときも言葉は要点のみを綺麗に押さえた形だったのだけれども、だからこそわからない。その真意が。
 もしかすると自宅防衛軍入隊計画を気取られたのかもしれない。それで、もうちょっと真面目に将来のことを考えろ、といわれたのだろうか。

「クララはどう思う?」

 首を左に向ける。しかしクララはいなかった。
 振り返る。
 ずいぶん後ろの方で、地面にべちゃっとこぼれたアイスクリームのように倒れていた。やはり、どうにもバランサーに致命的な欠陥があるようだ。
 よろよろと起き上がるクララを回収しに戻る。
 それにしても、死ぬときは前のめりという言葉がよく似合う勇壮な死に様だ。彼女のように立派な子供が白銀家にあと十人もいれば、我ら自宅防衛軍の訓練兵はまだ戦えたはずなのに。

「大丈夫? あ、また膝」

 白い肌に、赤い血が筋を作って流れる。
 あと少しでかさぶたが取れるというときに限って転ぶので、見ていて痛々しい。

「うう……、痛いよ」

 目に涙をにじませながら、しかし刺身の上にタンポポの花を乗せる職人のような誇らしく迷いのない手つきでクララは血を拭い、取り出した可愛らしい絆創膏を貼った。
 絆創膏の絵柄はネコだ。わたしと彼女とが唯一思想を違える点がそれである。

 クララはネコ派。
 わたしはウサギ派。

 決して理解し合えない悲しき絶対運命が二人の間には横たわっている。
 わたしが幼い頃に母さんに貰った大事なうささんを、耳を掴んで振り回し、挙句の果てにはサンドバッグにしようとした罪は重い。あのとき、わたしは決してネコ派とはわかりあえないのだと後悔しながら悟ったものだった。
 いや、あのときはまだクララがネコ派だとは知らなかったのだったか。むしろ自分と同じウサギ派だと思っていたので、その油断がうささんへの突然の凶行を許したともいえる。

「それで、今回はなにに驚いたの?」

 実はクララ、うささんへの蛮行の事実を疑いたくなるほど気が弱い。
 驚くと跳ねる。
 で、そのあと高確率で転ぶわけだが、これがわたしをして彼女はウサギ派であると誤解せしめた大きな原因だ。

 問いに答えるように、涙を湛えた青い瞳が、向き合うわたしの肩越しに遠くを見た。
 つられてわたしも半身開いて振り向いて、クララの視線を追う。

 なんか赤いのがいた。

「―――斯衛、の赤。うわ、……信じられない」

 なにが信じられないって、赤を身に付けた斯衛軍人がこんなところに一人でいることよりも、あの服装で平然としていられることが信じられないのだけれども。
 赤白黄とチューリップみたいに鮮やかなことで有名な斯衛軍の軍服だが、全身赤色だと町中にあってあれほど目立つものだとは知らなかった。

「っていうか、もしかしてこっち見てる?」
「そ、そうだよぅ。だから私、びっくりして」

 跳ねて転んだ、と。

 さて、生まれながらのドジっ娘は置いておくとして、斯衛軍である。
 軍事大国日本が世界に誇る、将軍直属の護衛軍。
 古より日本の武の道の魂を連綿と受け継いできた現代の侍たち。
 もしかすると世界最強の軍隊かもしれない。そのようなことすら、世界最高の衛士と謳われた父さんの口から聞いた覚えがある。
 選良部隊エリートという意味では、自宅防衛軍の対極にして最大のライバルに当たるといえよう。
 きっと彼らは、

「米を野菜だと言い張る愚かなアメリカ人どもめ……ッ!」

 とか本気で怒り狂いながらいうのだろう。
 かくいうわたしも、日本人であることに誇りというほど大層なものは持っていないが、サラダにお米が入っているのを見たときは激憤しかけたことがある。であるならば、斯衛の人たちは憤死しても不思議ではない。

 日本人の中の日本人。宝石のように凝縮された誇りは、ときに強烈な排他意識を生むことがあるのだ。
 これもわたしにはわからない感覚なのだが、上の世代の日本人と同じく、彼らのアメリカへの悪感情はいまでも強烈だという。
 わたしもクララも日本人離れした容貌なので、目をつけられたのかもしれない。

「クララ。ここはわたしに任せて先に行って!」ひとり生存フラグを立てようとするわたしと、
「ダメだよ、一緒に逃げようよぉ……」抜け駆けさせまいと涙目で袖をひっぱるクララ。

 生き残りをかけた醜い争いをしている間に、ついに斯衛の人がこちらへと足を進め始める。
 見惚れるほど綺麗な歩みにわたしが目を奪われている内に、ついにクララは逃げ出してしまった。
 それを確認して、わたしは密かに安堵のため息をついた。

 彼女は中身はともかく国籍はアメリカンなので、本当に面倒事が起きる可能性があった。一方、わたしは父の名前を出せばどうにか逃げ切れるだろうという楽観、もしくは打算があった。
 こちらに歩み寄る斯衛軍人の女性は、見るに、U子せんせーと同じくらいの年齢。だとすれば、BETA大戦を戦った衛士である可能性が高い。
 国連と斯衛のトラブル云々以前に、衛士ならば白銀武の名を丁寧に扱ってくれるはずだ。
 意を決して口を開く。

「あの―――」
「久しいな。しばらく見ぬ間に随分と大きくなった」
「―――はい?」
「すまなかった」

 クララの去った方を見て、赤服さんがいう。

「どうやら友人との時間を邪魔してしまったようだ。本当は顔を見るだけのつもりだったのだが、警戒させてしまったようだな」
「あ、いえ、おかまいなく。……いや、そうじゃなくて」

 あなたはなぜいきなり友好的なのか。とか。
 あなたは周囲の視線が気にならないのか。とか。
 いろいろ思うことがあるのだけれども、それよりもまず、

「えっと……その、どちら様しょうか?」

 どうやら知り合いらしいが、覚えがないので尋ねてみる。
 すると赤服さんは目を丸くして、それからやたらと様になる苦笑をして見せた。

「覚えていないのも道理か」

 目を細めて、

「一度だけ、四歳の頃に会ったことがあるはずなのだが。あのときに思った通り、やはり母君によく似た」
「母さんのお知り合いで?」

 軍人なら父さんの方だと思ったのだけれども。
 そんな心を見透かしたかのように、赤服の人は首を振る。

「いや、どちらかといえば―――」ク、と喉の奥で笑うような気配。「父親の方だ。互いに立場があり表立って顔を合わせることはできないが、任務でこの近くに足を運ぶこととなり、そこでおまえの存在を思い出し、幸運を期待した」

 存在を思い出し、って……わたしの通う学校を知っていたってことなのでしょうか。
 細かいことは恐ろしくて訊けないので、はぁ、とか曖昧に頷いておく。
 それで満足してしまったのか、彼女は、

「それではこれで失礼する。友人にはすまなかったと伝えておいてほしい」

 颯爽と去って行った。
 もうわたしのことを忘れたかのように未練のない後姿。
 最後まで名前を告げなかったのは、忘れていたのかわざとなのか。

「はぁ……」

 あの人はまるで真水のように清涼な印象を見る人に与えるが、わたしにとっては台風だ。わけのわからぬ内に始まり、わけのわからぬまま過ぎ去っていってしまった。

 気を取り直して、家に帰ろう。
 それからクララに無事を伝えねばなるまい。

 バルジャーノンの特訓はそれからだ。





 白銀霞がESP能力を持つのは当然のことである。
 かくあれかし、という願いではなく、
 かくあるべし、という強い意志の後押しを受けて生まれてきたのだから。

 ―――もしも。

 霞は思う。

 もしも自分がもっと早い段階で生まれていれば。
 もしもオルタネイティヴ第三計画が止まることなく続いていれば。

 自分はESP能力者として使用されるだけでなく、次代のESP能力者の母として機能することも期待されていたのではないだろうか。

 歴史に『もし』という言葉はないという。しかし、霞の最も近しい人が体現しているのだ。ならば、ありえないとはいいきれない。
 どこか別の世界、どこか遠い世界では、自分の子供がかつての自分と同じように、思い出など得ることない冷たい時間を過ごしているのではないだろうか。
 一歩間違えれば、そんな想像が現実のものになることを霞は知っていた。

 霞の過去がモノクロ写真のように静かである原因は、それだけではないにせよ、彼女がESP能力者であるということが大部分を占めている。
 見えることを恐れる我。
 見られることを恐れる他。
 同じことを子が経験する可能性は多いに存在している。

 そう。
 彼女の娘はESPを受け継いでいたのだった。

 なるべくしてなった霞とは違い、娘の力は本人でさえ気づかないほど薄い。しかし、存在していると霞が気づく程度には濃い。
 リーディングもプロジェクションも、生活の中で無意識の下に使用されている。

 霞は自分の娘が人づきあいを厭うていることを知った。その原因が、無意識に人の心を読んでいるからだとも見当がついていた。
 今日まで、彼女は娘にESP能力について何一つ教えてこなかった。その存在も、使い方も、霞がそうであることも、そして霞がどのようにして生まれたかも。
 娘が力を持て余すことがない限り、能力についても、霞自身のことについても話さない。少なくとも、娘が大人になるまでは黙っておく。
 それは子供が生まれたときに夕呼と相談し、武と泣きながら決めたことだった。

 いまがその時なのかもしれない。

 最近、霞は娘と話をする機会を作った。しかし結果は無残だった。将来への熱意といった類のものは、娘の中に沸き起こることはなかったのである。
 理由がなくとも生きられる時代だ。生きようと思わずとも生かされる時代へと変わってきている。更に、娘には先天的なハンディキャップESPがある。
 仕方がない。そういって諦めるのは楽だろう。
 けれども霞は諦めたくなかった。
 人を好きになり、その人と結婚して親になり、生まれた子供をこれほどまでに愛している。
 かつての自分が、想像できただろうか。涙が出るほど幸せな日々を。
 娘は知っているだろうか。自分の前に拓かれたたくさんの幸福の可能性を。

 話をしよう。すべて話そう。
 とてもとても大切な、あいとゆうきのおとぎばなしを。
 娘に伝えよう。
 自分の見てきたすべてのことを。

 覚悟を決める。
 ぎゅっと握った手が震えた。
 大丈夫。
 きっと、大丈夫だ。
 自分の思いを彼に伝えようと決めたときも、同じように体が震えた。
 けれども自分は伝えられた。
 だからきっと、頑張れる。

 この日、白銀霞は決意した。





 風が吹き、桜の花びらが千と散る。
 視界一面を覆う薄紅色。
 幻のように美しい桜並木。
 きっと多くの英霊の魂を湛えて、こんなにも綺麗に咲いたのだろう。
 目の前で命を散らせて、基地に咲く桜となった戦友の最期を誇らしげに語り終え、それから武はいった。

「いつかオレたち全員三人が一人の人間として話をできる機会がくれば、存分に語りましょう。きっとその頃には色々なしがらみもなくなって、アイツのことを口に上らせても平気な時代になっているはずです」

 武にとって、この桜の前での約束は神聖なものだった。

「ああ。それはとても―――」

 気丈な人だと、そう思っていたけれど。
 武の目の前で頷いた赤い軍服の女性は、涙を堪えるような儚い笑みを見せた。

「―――楽しみだ」

 ざあ、と風。
 桜の木がくすくす笑うように枝を揺らして花びらを舞わせるのは、まさか月詠の表情に見惚れた自分の姿を皆が笑っているのではあるまいか。

 そうか。夢か。

 唐突に思い出す。この約束をしたときは、まだ、桜の季節には届いていなかったはずだ。
 ここにきて、武はようやく自身が夢の中にいると気がついた。
 同時に訪れる目覚めの気配。
 夜が明けるように、世界が白んでいく。
 薄い膜につつまれてぬるい水にたゆたうような幸せな時間はもう終わる。
 けれどもそれでいい。
 自分は生きることこそが地獄である世界を生き抜き、死後は恩師と共に地獄に落ちる覚悟をした人間だ。仲間たちと同じところへは逝けないのだから、彼らの気配を感じ取って幸せに浸ろうなどと思ってはいけない。
 ほとんど覚醒時のそれに近い自戒の意識を以て、武は眠りから這い上がる。

「―――あら、ようやく起きたの?」
「なにやってるんですか……」

 目の前にマジックの先端が伸ばされていた。
 大切なのは、犯行前なのか、犯行後なのかだ。
 武は己の顔をぺたぺた触ってみるが、残念ながら手の平は視覚を司る器官ではなかった。わかろうはずもない。
 仕方がないので、身だしなみを気にしなければならない立場となってから持ち歩いている手鏡を取り出し、

「オグラグッディーーーーーーッッ!!!」






「ああ、酷い目にあった……」

 ごしごし洗いすぎて赤らんだオグラグッディ面を拭きながら、恨みがましく夕呼を見る武に、

「あたしとの約束すっぽかして昼寝なんて、あんたも偉くなったじゃない」
「は……?」

 腕時計に目を向け、

「―――げ」

 武は顔色を一転、真っ青になった。
 約束の時間を一時間ほど過ぎている。BETA大戦が終結し時間的な余裕は大きくなったが、それでも夕呼の一時間はそこらの人間の一時間と決して等価ではない。
 しかもこの日の約束は、武から持ちかけたものだった。

 ―――嗚呼、これでまた真綿で首を絞められる素敵な日々がしばらく続くのか。

 項垂れた武の絶望感や、推して知るべし。

 だが、天は彼を見捨てていなかった。
 本日二人が会う約束をしていたのは、武が休暇を得て一時的に基地を離れるために仕事を調整する、という名目による。つまり、彼は近い内に夕呼の傍を離脱することができるのだ。
 香月夕呼は物理的な距離などものともしない怪物傑物ではあるが、いつでも直接顔を合わせられる距離にいるかいないかは、心の平穏に大きくかかわる問題であった。
 あと数日の辛抱だ、と気を取り直して、

「すみませんでした!」

 日本が世界に誇る最強の謝罪体勢、土下座スタイルを敢行する。
 そして、天は彼を見捨てた。

「失礼します。司れ―――」

 突如入室した武の秘書(♀)が、足を舐めんばかりに土下座する武と、それを嬉しそうに見下ろす夕呼とを見て固まった。
 だが硬直は刹那。
 すぐにカメラを構え、軽快に響くシャッター音。

「ボクはフリーのカメラマンさ!」

 彼女はよく訓練された愉快な秘書であった。

「待てそれは時報フラグ―――」
「白銀! 早く取り押さえなさい……ッ!!」






 ―――という恐ろしい夢を見た。

「閣下。じきに国連太平洋方面第11軍・横浜基地に到着いたします」
「―――あ、ああ」

 肩を揺すられて、武は悪夢から帰還した。
 息荒く眉間を押さえる上官に秘書が尋ねる。

「魘されておられたようでしたので失礼しましたが、お体の具合は大丈夫でしょうか?」
「ああ、……いや、問題ない。ありがとう」

 旧知の人物、その中でも特に夕呼と口を利くとお互い口調まで若返るが、平時の武は階級に相応しい言動をするよう心がけている。これは特に最近になって強く意識していることではあるけれども、実のところ幾度も昇進するまえからのことであり、きっかけは神宮司まりも軍曹の死だった。
 甘えを捨てるために、言葉を正した。
 ごく親しい仲間以外と接するときに乱れた言葉を使えば、神宮司軍曹の教え子は礼儀がなっていないと判断される。あの隊は無礼だと仲間全員が指を差される。
 それが許せないという思いもあった。

 果たして自分は、神宮司軍曹の教え子である、先に逝った者たちの仲間である、と胸を張っていえるようになっただろうか。
 彼女らが胸を張って、自分の教え子である、自分の仲間である、といってくれるほど立派になれただろうか。



 もういない彼女が胸を張って、自分の愛した男だ、といえるような人間であるだろうか。



 幸いにして、桜の季節だ。
 数年ぶりに、この時期の桜並木に面会できる。

 家族に会う前に、懐かしい面々に挨拶をしにいこう。






~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

【辞書】

・クララ・ガ・クララ・ガ・タッター
 名前は割とどうでもいい。大事なのはフランス系アメリカ人というあたり。
 うささんへの蛮行は、じっと見つめるうささんの目が怖かったから。窮鼠猫を、というやつである。
 実は足の代わりに脳にけっこう重大な損傷を負っており、そのせいでよく転ぶし、リーディングやプロジェクションが普通の人間以上に通じにくい。

・U子せんせー
 夕呼先生は武の娘に、自分は香月U子であると教えている。ロクでもない父親が女をたくさん囲っていて、21番目の子供だから21番目のアルファベットを名前に貰ったとかなんとか。
 武も霞も彼女の悪戯に気づいていないし、二人の娘も未だに嘘だと気づいていないっぽい。

・人類最高の衛士
 最強ではないのがミソ。
 たぶんXM3が世界中にばら撒かれ衛士の戦死者数を半減させたり、もりもりハイヴ潰してきたのが原因。

・月詠さん
 超かっこいいオールドミス。
 歳とって、昔よりも堅物になったとか。

 



[3920]
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/08/27 06:46



 リーディング。
 プロジェクション。
 自分に備わった二つの超感覚能力。それらを説明するために語られた、幾多の奇蹟。
 わたしがいまここに生きているのは、数え切れないほどの幸運が、まるで夜空に星々が輝くように奇蹟的な連なり方をしたからに他ならない。






 父さんが帰ってきた翌日、家族三人で出かけることになった。
 花見をしにいこう、と。少しおどけたようにいった父さんの表情を見て、なにか大事な話があるのだろうということは見当がついていた。

 そう。
 このとき表情を見て見当がついたと思っていたのだけれども、それだけではなかったことを、わたしは知ることになる。

 人の心を色として読み取るのがリーディングである。
 自分は他人よりも勘や観察力がいいと思っていた。しかし、それらの正体はESP能力であったのだ。

 母さんは、苦しげに語った。
 自分がまっとうな生まれ方をしなかったことを。
 自分がまっとうな人間として生まれなかったことを。
 そして、その力が娘であるわたしにも受け継がれ、それが原因となり人との関わりを厭うようになっているのであろうことを。

 それらに衝撃を受けなかったといえば嘘になる。
 だけれども、より大きくわたしの心を揺さぶったのは、語る最中の母さんの様子だった。
 母さんはまるで臆病な少女のように―――いや、事実臆病なのだ、人間なのだから―――手をぶるぶると震わせて、しかしその手を握ろうとした父さんの手を拒み、最後まで独りで言葉を紡ぎきったのだ。

 今度こそ、その表情と声だけで理解した。

 ―――ああ、この人はわたしと同じなのだ。

 しかもこの人は人間嫌いなわたしよりも重度の、人間が怖いという域にまで達しているのだろう。
 当たり前だ。
 戦争のために生まれてきて、道具として扱われ、だというのに自分を作った人たちに怯えられながら生きてきた。それは、わたしごときではどんなに正確に想像できたとしても決して現実には及ばないような苦しみを伴う経歴に違いない。
 父さんに出会うまで、母さんには誰もいなかったのだ。

 続けて父さんが語った、父さんや母さんを生かすために自らの命を差し出した昔の仲間たちの話。
 そして、遺体も存在しないその人たちが眠る地こそが、目の前にある桜の木であるという事実。

 だとすれば、母さんが父さんと出会い、二人ともが生き残り、戦争から解放され、いまここにわたしがいることの、なんと得難い可能性であったことか。
 わたしには最初から支えとなってくれる両親がいたことの、なんと幸福な奇蹟であったことか。

 わたしが父さんと母さんの心を読んだのか、それとも単なるもらい泣きなのか、そんなことはよくわからない。
 だけれども、心の中がぐるぐる渦巻いて、行き場のない嵐のような感情が、きっと涙となって外に出たのだろう。

 思えば両親に抱きしめられるなど随分と久し振りで、常の自分であれば赤面して文句をいいつつその腕から逃れたのであろうけれど。

 このときばかりはとても心地よかったことを、わたしは一生忘れないと思う。



 生まれてきてよかった。






 泣き疲れて寝息を立て始めた娘を見て、武と霞は目を細めた。
 柔らかい風が吹き、銀の髪を優しく梳る。

 娘が自分たちから巣立っていくのか。
 自分たちが娘から巣立っていくのか。

 親としての大仕事を終えほっと一息、どちらともなくついてから、武が口を開く。

「調子に乗って話したはいいけどなぁ……、これ、バレたらオレたち大目玉どころじゃないぞ」
「……はい」

 オルタネイティヴ計画は、その存在を知る人間の数は至って少ない。しかも、数え上げればその数字がほとんど正確にわかるほど厳重に情報を統制されている。
 それは計画が現役であった時代も現在もなんら違うところはない。
 オルタネイティヴ第四計画の中核を務めた二人であっても、部外者に口外したことが発覚すれば、洒落や冗談ではすまないレベルの処罰が確実に下る。
 教えた側がオルタネイティヴ計画を知るほどの重要人物であってもそうなのだ、教えられた一般人の運命など語るまでもない。

 直前までのメロドラマがごときやり取りなどいまや昔。
 大人二人と抱えられた一人は、そそくさとその場を辞すことになったのだった。

 それを苦笑しながら見送る者がいるとすれば、それは桜並木だけだろう。
 やっぱりタケルちゃんだ、なんて笑う気配を武が背中に感じたかどうかは、彼だけしか知らないことである。





「わたしは軍人になるぞぉぉぉ!! クララァァァ!!」
「それ、まえから聞いてるよぅ。スーパー救急自宅防衛超戦隊Zだっけ?」

 なんか知らない間にとんでもなくパワーアップしていたが、もはやそれは滅びた軍。負け犬に興味はない。
 わたしは父さんとU子せんせーのコネを使って国連軍でのし上がり、熱く生きるのだ。

 最初の頃こそ戸惑ったが、ESP能力も便利だといえば便利である。
 わたしは母さんとは違うやり方で異能との共存関係を築き上げてみせる。そうして母さんを安心させてあげるのだ。
 それでも疲れたときは、クララをつつきに戻ってくればいいだろう。どういうわけか、クララにはリーディングもプロジェクションもあまり効果がないようで、長い付き合いもあって、一緒にいて心安らぐ相手なのである。
 もちろんうささんの恨みは絶対に忘れないけれど。

「―――あ。進路調査の用紙、ボールペンで『自宅防衛軍』って書いちゃってるから消せないや」

 そのまま提出して、あなたはお父様の帰ってこられる家を守りたいのですね、素晴らしい家族愛を見せてもらいました、なんていわれてげんなりすることになるが、それはまた別の話である。





 そして季節は巡りめぐり、桜が咲き誇る春がまたやってきた。

 処は極東国連軍横浜基地の衛士訓練校。
 年を追うごとに数を減らしつつある訓練兵たちを前にして、教官となる軍曹があからさまに作り物めいた意地の悪い笑みを浮かべていた。

「私は今日から貴様たちの教官となる、涼宮茜軍曹である」

 それから一度、立ち並ぶヒヨコたちを眼光鋭く眺め渡し、

「まず最初に言っておく。私は貴様たちを出自、主義、思想などによって差別しない。なぜなら貴様たちのようなウジムシにも劣るクソにたかるゴミクズどもには平等に価値がないからだ。覚悟しておけ。貴様たちをたっぷり可愛がって、決して笑ったり泣いたりできないようにしてやる」

 よく通る強い声だった。
 それから彼女は訓練兵たち一人一人に何度も何度も大声で自己紹介させる。その度に律義に罵倒することも忘れない。
 何人もが屈辱に震える中、ついに銀髪の目立つ少女の順番が。
 少女は大きく息を吸って、

「白が―――」
「ほう、貴様が白銀か」

 遮るようにいって、茜は一瞬だけ遠くを見るように目を細めた。
 訓練兵の制服にすら着られるような少年少女らの群がざわめくが、泣く子も黙る鬼軍曹に戻った茜はそれを一睨みで黙らせてから言葉を発する。

「さっそくだが先ほどの発言を撤回する。貴様だけは特別扱いしてやろう。なにせ月面基地司令 白銀武准将と副司令 香月夕呼博士の連名で、思う存分可愛がってくれとの命が下っているからな」
「な、なんだってー!?」
「誰が発言を許した! 腕立て百回だ! 隣の貴様、白銀訓練兵の背中に乗ってやれ! どちらかわからないだと? ならば二人とも乗れ……!」

 自宅防衛軍入隊計画の漏洩と同じ経路でコネによる成り上がり計画があっさりバレて、月の二人にも伝わっていたことに少女が気づくのは、残念ながら彼女が立派な軍人となってからのことであった。

 どれほど覚悟を決めようと、少女は変わらず迂闊なままだったし。

 やっぱり今日も、いつかと同じように空は青いままなのだった。






~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

【辞書】

・軍曹殿
 桜花作戦後、夕呼直下の部隊を離れ帝国軍富士教導隊に出向、XM3の扱いを教え込んで十分に恩を売りつつ自身の腕も上げ、国連軍の衛士訓練校教官に。
 極東国連軍最強の鬼軍曹として名を馳せているらしい。

・白銀家の娘
 実はとんでもないファザコン兼マザコン。
 おつむのスペックこそ母親に似て高いが、その用い方は間違いなく父親の方から遺伝しており、とても残念なことに。
 最後まで明かされなかった名前は、桜とか桜花とか、そんな系統なのではないでしょうか。別にБ太○でもいいのですが。

・白銀武
 今日も今日とて夕呼先生に虐げられる日常を送っている。
 相変わらず慣れない司令の仕事とのダブルアタックに毎日ひぃひぃいっているとのこと。
 娘が軍人となったことでスパルタに転向。家にいるときはバカ親。

・白銀霞
 娘が訓練校に入り、家の中はますます静かに。
 暇なので暗黒ウサミミ拳を極めんと修行に励む日々。ときどき足の小指をタンスの角とかにぶつけて、あが~。
 なお、武が鞭になったことで、霞は飴へと属性反転した。

・香月夕呼
 死ぬまでBETA研究の最先端をいきつづけると思われる。
 BETAの代わりに溢れ返りつつあるクソガキには、戦車級に取りつかれてコックピットを破られた戦術機の衛士の通信記録でも見せてやればいい、とか過激なことをいったりも。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

あとがき

 まず、読んでくださった方々に感謝を。

 一話目は、この掲示板に綺羅星の如く連なる素晴らしいssたちに触発されて、カッとなって書いてしまいました。
 結局二話目、三話目と蛇に無理やり足を取り付けるみたいに書いて、最終的にはニート更生物語になりました。
 が、物語のテーマは変わらず、大戦終結を挟んだ世代間の温度差や、戦後の世界を切り抜いて描くということである。つもりです。
 妄想は膨らむばかり。すべてを形にできる筆力がなかったことを悔やむばかりです。

 



[3920] おまけ・とある訓練兵の日記
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/08/27 07:09
 ○月×日(晴)

 毎日毎日ボクらは軍曹の 罵声聞かされ 嫌になっちゃうよ♪

 もう数日、ずっと同じことの繰り返しで、昨日と今日の区別がつかなくなりつつある。日記をつけることにする。
 今日もひたすら走り続ける。もしかしたら国連軍は走る機械を作りたいのかもしれない。

 涼宮軍曹は間違いなくドS。



 ○月×日(晴)

 どうも初日から熱い視線を送ってくるゴリラがいるようだ。名前は知らない。幸いにして別小隊。
 野生動物は希少なのだから、最近できたという動物園とかいう施設に行けばいいと思う。

 ひたすら走らされる。
 あと四本くらい脚が欲しい。

 父さんはこんなところを一ヶ月半程度で易々と卒業。その期間中にXM3発案。
 怪物すぎる。



 ○月×日(雨)

 軍曹・今日の名言。
「貴様たち、雨の中を走りたいか? そうか、走りたいか。ではまず20キロメートルだ」
 独り言はほどほどにしてほしい。

 さば味噌定食、美味しい。



 ○月×日(雨)

 実はわたしは衛士訓練部隊の分隊長に任命されていたりする。
 でも隊員たちの名前が思い出せない。
 姓は涼宮軍曹が怒鳴りまくるので知っている。忘れないうちに書いておく。
 ・白銀分隊
白銀:♀:分隊長。わたし。
オウィシー:♀:変な笑い方をする。んっふっふっふっ。笑うな。
剛田(ごうだ):♂:性欲の対象が絵であるらしい。初日にカミングアウト。みんなドン引き。
瞬(またたき):♂:不能らしい。初日にカミングアウト。みんなドン引き。
所御須(しょごす):♀:なんかスライムっぽい。新種のBETAやもしれぬ。



 ○月×日(雨)

 軍曹・今日の名言。
「貴様は本当に人類なのか?」
 指示を守らない(守れない?)ゴリラを楽々張り倒す。すごい。
 ゴリラ泥まみれ。うほ。



 ○月×日(曇)

 雨がやんだ。
 今日も雨なら所御須が溶けていたかもしれない。
 うちの分隊、変な人が多い気がする。

 『ザガク』は『ザ・学問』の略称ではないことが判明。正しくは『座学』。
 U子せんせーに騙されていたらしい。危なかった。



 ○月×日(晴)

 屋上から見下ろす。町がまるでゴミのようだ。実際廃墟だらけ。
 連日続く雨で、桜の花が地面に落ちてしまった。



 ○月×日(晴)

 軍曹・今日の名言。
「貴様はBETAや敵を前に『生理だからちょっと待ってください』というのか? だったらいまここで死ね。それが嫌なら走って死ぬかお家に帰れ」
 オウィシーを容赦なく走らせる。

 連帯責任。オウィシーの代わりに分隊みんなで走る。意外と話がわかる軍曹。
 オウィシー、謝る。
 剛田、イインダヨー。
 瞬、グリーンダヨー。

 なんという連携。ちょっと見直す。



 ○月×日(晴)

 今日は連帯責任で距離追加されることを前提に体力配分を行おうと皆で決める。
 体力配分を考えられる程度に成長していた。驚き。
 オウィシー、謝る。
 剛田、友情は。
 瞬、見返りを。
 所御須、テケリ・リ。

 オウィシーに別の分隊の人間がからんできた。
 復讐するは我にあり。
 プロジェクションで一晩中クトゥルー系のイメージを送り続ける。これを書いているいまも送り続けている。
 明日が楽しみ。



 ○月×日(曇)
 貫徹。
 眠い。

 軍曹・今日の名言。
「眠いならここで寝ろ。二度と起きなくていいぞ」
 昨日絡んできた訓練兵と一緒にボろ雑巾み



 ○月×日(晴)

 昨日は書いている途中で寝てしまったらしい。追記はしない。

 今日は祝うべき日である。親愛なる軍曹殿にあだ名が生まれた。
 『アカネちん』
 どことなく卑猥でいい感じだ。
 剛田、初日にしていきなり本人の前で口を滑らせる。
 皆揃って顔面蒼白。
 アカネちんが、お礼をしたいから誰が考えたのか教えてほしいという。超笑顔。怖かった。
 皆にプロジェクション。オウィシーに絡んできた人のイメージ。
 こうして冤罪は生まれる。

 プロジェクションは苦手。

 残念ながらアカネちんの名言生まれず。



 ○月×日(雨)

 うささんの耳すりすり。



 ○月×日(晴)

 今日までさば味噌定食だけを食べてきた。そろそろ新しいメニューを開拓すべきだといわれる。
 あまり食にこだわりがないわたしを、皆が憐れむように見る。
 楽しみは食事くらいだ、とのこと。
 だけどそんなことはない。世の中にはバルジャーノンという素晴らしいものがある。でもここにはない。

 中華丼。味は忘れた。
 大陸には中華丼しかないのだろうか。
 日本丼という料理はない。



 ○月×日(晴)

 母さんから手紙が届く。
 わかっているとはいえ、検閲されているのは気分がよろしくない。暗号でもつくろうかしら。

 父さんが、近況報告の手紙を欲しがっているらしい。
 U子せんせーと連名でスパルタ指定したように、アカネちんに訊けばいいのに。

 クララがときどき家に遊びにくるとのこと。
 その度に母さんをわたしと間違える。
 もしや勝手にわたしの部屋を探索してはいないだろうか。アレを発見されると困る。



 ○月×日(晴)

 久し振りのアカネちん・今日の名言。
「脳みそかっぽじってよく聞け!」
 死ねということだろうか。



 ○月×日(曇)

 記念すべき100回目なので書く。父さんのことが話題になった回数。
 うんざりしつつ、100回目だと文句をいったところ、ファザコンだといわれる。
 大いに不満。






 日記はここで途切れている。
 以降白紙。
 わずかに半月しか続かなかった日記。微妙に三日坊主である。

 よくわからない単語も含まれているが、内容は大体理解できた。

「まったく……。白銀の娘、か」

 浮かぶ苦い笑み。けれども苦いだけではない。
 走る機械やら足があと四本やら、このあたりの奇抜な発想は父親から遺伝しているのだろうか。もっと違うものも受け継ぐべきだったろうに。

 つい数日前に任官して巣立っていった少女の父親。
 いまでは名を知らぬ者の方が少ない。軍関係者ならば、知らぬ者はいないだろう。

 彼は茜の古い知人である。

 片や人類の英雄、片や訓練学校の教官。
 それでも、お互い軍人として一番若かった時代を共に過ごした戦友である。
 当時茜が所属していた部隊は、人数が少なく外部に対して閉じていたため、あの時代からの戦友と呼べる人たちはもう数えるほどしかいない。それどころか、現役で軍に籍を置く者は既に彼と茜との二人きりだ。

 BETAを病に、戦争を医療にたとえるならば、戦場という臨床、XM3開発という研究。彼はこの二分野で名を上げている。
 ならば自分は教育の場で神宮司軍曹の血統を、姉や友や尊敬する先達から受け取ったものを、すべて後世に残していこう。いま茜は、その心で教官を務めている。

 腑抜けた少年少女ら相手に鬼軍曹を演じるのは意外と大変だと、茜はいまになって神宮司軍曹の苦労を理解していた。
 一方の彼は、きっといまになってラダビノッド司令や香月副司令の苦悩を味わっているのだろう。

 月からBETAを駆逐しきって、彼は戦術機を降りたと聞く。

 XM3の搭載を大前提とし、激しい三次元機動を突き詰めた第四世代機。
 月面での戦闘のために作られた第五世代機。

 いずれの世代の機体も、ハイヴ突入のスペシャリストなどと呼ばれた彼の部隊には常に最新型が回されていたらしいので、彼は茜が触れたことのない機体を多く経験している。
 茜は思う。いつか話す機会が訪れたならば、そのあたりのことを是非とも聞いてみたいものである、と。
 しかし、閣下などと呼ぶときに笑ってしまいそうな気がするのが、目下彼女の一番の心配ごとである。

 そんなことを考える涼宮茜は、やはりいまは亡き速瀬水月の影響を最も強く受けた一人なのであった。





 椅子に座り、こちらに背を向けたままのU子せんせーが片腕を軽く掲げてひらひらと振る。
 その手には、

「ななななんでU子せんせーがそれを……!?」

 働いた悪行が人目をはばかることなく赤裸々に書き記されている日記帳。
 プロジェクション悪用の自白など、然るべきところに届けられれば、父さんとU子せんせーがまとめて失脚してもなんら不思議ではない。
 そのくらいのことはわかるようになったからこそ、唐突にその存在を思い出した日記帳が見つからずに死ぬほど焦ったというのに。

「部屋に置き忘れていたのを、涼宮が回収しておいてくれたんですってぇ。感謝しときなさいよ~?」

 これでもかと粘着質な声。
 言葉だけで全身絡めとられ身動きを制限される錯覚。自分は本当に、ちゃんと呼吸できているだろうか。

 ごくり、と喉が鳴る音がやけに響いて聞こえた。

 正直、つい数日前まで世界最恐だと信じて疑わなかった涼宮軍曹の百倍は恐ろしい。面と向かっているわけでもないのに。
 もしかしてBETA大戦を戦い抜いた軍の上層部はこんな化け物だらけなのだろうか。
 というか、自分はこんな人をU子せんせーなどと気の抜けた声で呼んで慕っていたのか。火薬庫で、そうとは知らず火遊びしていたようなものだ。あな恐ろしや。

 やっぱりかつての夢であった自宅防衛軍に出向したくなってきた。辞表って誰に提出すればいいのだろうか。

 勇気を振り絞って、口を開く。

「じゃあ、その中身は―――」
「さあ? 親愛なる軍曹殿本人に訊きに行けばいいんじゃない? 喜んでたわよ。久しぶりに若い子に名前で呼んでもらえたって」

 訓練兵のときに見つからなくてよかった。

「えっと……」

 なんと返事をすればいいかわからないわたしに、

「これ、状況の説明と併せてあんたの父親に渡そうと思ってるんだけど。そのあたりのことどう思う?」

 こうして一人の奴隷が爆誕した。

 ちなみに、父さんには涼宮軍曹から説明が行くこととなり、結局ものすごく怒られることになりました、まる。






~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

【辞書】

・別の日記帳より抜粋
■白銀分隊
 わたし。分隊長。真人間。
 クラウディア・オウィシー。「んっふっふっ」って笑う女。笑うな。
 所御須 てけり子(ショゴス テケリコ)。なんかスライムっぽい。こいつ新種のBETAなんじゃなかろか。
 剛田 徹駆(ゴウダ テック)。禁書を男連中に配ってるらしい。自称・三次元には興味ない。本当だろうか。
 瞬 金太(マタタキ キンタ)。卑猥な名前。自称・不能。本当だろうか。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

 今度こそおしまいです。読んでくださった方、本当にありがとうございました。
 ゆちゃ様のご感想から『アカネちん』のアイディアをお借りしました。本当にありがとうございました。
 どう考えても涼宮軍曹にならむしろ罵られたいです。本当にありがとうございました。
 


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