第一報が横須賀鎮守府にもたらされたのは、十二月二十七日、ヒトフタマルマル丁度であった。
無線での連絡がふたつの基地と泊地につかない。なにかがあったらしい。
という実に曖昧なものであったが、だからこそ元帥は即座に動いた。即断に至らせたのは大湊からの連絡であったことだ。本来であれば、何かが起こったかもしれない状況で本隊を動かすことはない。まずは状況確認のために偵察隊を送り込む。
だが元帥は増援、救援部隊を横須賀、呉、佐世保からそれぞれ、トラック、パラオ、タタウイタウイに向けて練度が中ほどに至っている予備戦力を出撃するよう指令を出した。最もゲートが開く回数が多いのはショートランド近海であるが、海洋の要であるのはパラオである。ここを深海棲艦に奪われると南方からの輸送がことごとく止まってしまう、太平洋のへそであった。ゆえに奪われでもすれば世界に唯一残る海洋国家としての発言権が弱まり威厳が失われてしまいかねない。最高連度を誇る艦を送るほどではないが、深海棲艦が事実上支配している海での戦いは何があってもおかしくはない。
元帥の後ろを歩く副官も表情筋こそ動かしはしなかったが、かなり元帥の決断をいぶかしんでいるようである。元帥は小さく唇を弧にする。
大湊に棲まう無愛想な男は彼女に対して腹に一物を抱えている。今はまだ元帥である彼女に順じてはいるが、なにやら裏でこそこそと動き回っている節がある。しかもそれをわざと彼女に見せつけているかのようでもあった。
その大湊の男が平静のまま横須賀へ一報を寄越してきた。
ショートランドの提督は面白い人物であった。彼女の思惑をいとも簡単にすり抜け針の穴ほどしかない抜け道をこじ開けて想定していた予想をはるかに超えてゆく。さすが未来から来た人物、とでも評価してやればかの人物は喜ぶだろうか。否、わずかながらに知る人柄からして彼は困った顔をして眉を下げるだろう。
プロフェッサーが作ったというゲームをプレイしていたという。
本当にただ、それだけなのだろうか。届く戦果を見るたびに思う。元帥にもたらされる、ありとあらゆる情報はショートランドに送り込んだ男の非凡さが数字に姿を変え如実に現していたからだ。
提督、という階級にある者たちは知らない。
艦娘たちがなにから作られているのか、ということを。元帥は提督業に就く者たちにそれを教えるつもりもない。だからであろうか。だからこそ本能的に察してしまっているのか、ともおもう。人間のために戦い躯と成り果てる艦娘たちは本来、己らの命を脅かしていた異形を人の形に模したまがい物であると、だから使い潰していくのだと。
安直に決めてしまうのはよろしくはない。だがこの世界の人間ではない彼と出会ってからというもの、元帥の思考が乱れることがある。目的を果たすためにあらゆるものをそげ落としやると決めたのだ。それがときどき、ぶれる。
数字は嘘をつかない。改ざんされているならば話は別だが、人間が生態系の頂点であったのは最早過去となり、安全が担保できない時代にわざわざ死地へ近づく真似をする愚か者も数を減らしている。
この世界の生まれではないショートランド提督だからこそ艦娘たちを良く使いこなしているともいえるだろう。幾人かの提督たちもそれに倣い始めているとも報告が上がってきていた。彼が他に与える影響力によっては何らかの手を打たねばならないだろう、が。今はこの世界のためにプロフェッサーにより高められたその力で役に立ってもらわねば困るのだ。
「さて、続報を楽しみにしている。官邸へ向かってくれ」
元帥は用意されていた黒塗りの車へと乗り込んだ。無意識につぶやいたその言葉に副官はうやうやしく頭を下げ上官を送り出す。
元帥だけがみえている戦況に、副官はただその横で傍観者の如く見続けることしかできない。その心の内に浮かんだのは副官である彼の数少ない学友であった。どうか無事であれ。見上げれば続く蒼の、空の下に居るであろう親友に彼は祈る。空と海が同じ色をしているという南海のへそへと送られた友のために。
12月28日夕刻。
トラック諸島の本営に騒がしく要領を得ない無線が入電する。冬島の南にて哨戒にあたっていた潜水艦たちが口々に、矢継早に叫んでいたからだ。元々からしてにぎやかさが売りの潜水艦たちである。
「お前たち、う・る・さ・い。そろそろ順番に解りやすく順序立てろ。みんなして話すと意味がわからん」
春島の指令本部から柔らかいが厳とした声が飛ぶ。精悍な顔つきをした男が口元をひくつかせながら無線の前で座した大淀がくすくすと笑みを含んだ。
ヘッドホンの向こう側からは元気な潜水艦たちの掛け声が聞こえてきていた。どうやらじゃんけんで、いち、にい、さん、と順番を決め、水中ではなく水面上にて何かを曳航しながら本拠地へと帰島しているらしい。
「指令官、聞くでち!」初手は伊58になったようだ。
「うん、聞いてるよ」
「拾ったの!」と、二番手は伊19である。
「なにを拾ったんだい」
『飛龍ちゃん!』
いくつもの声が重なった。しかもはもっている。
はて。
トラック提督は無線の調子がおかしくなったのかと思い、もう一度、尋ねてみた。しかし答えは変わらない。深海棲艦と遭遇したという一報は届いていなかったはずだ。無線連絡報告書に手を伸ばし目で追うも、潜水艦部隊からの連絡はこれが出撃して最初である。
「いっぱい壊れてて」
「傷だらけなのぉ」
「ソナーの反応は」
「そんなものあるわけないでち」
彼はその場でそれもそうかと小さく息をつく。
先月初めから始まった、ラバウル沖のゲートから発生した深海棲艦の駆逐を補佐するため、このトラックからも多くの艦娘たちが出撃したが一体ですら戻ってきてはいない。装備も資材も、艦娘もすべてラバウルの海に沈んでしまった。そのため防衛に必要な数も足りなくなっているのだ。
彼は奥歯を噛み締める。がんと立ち向かえばよかったのだろう。しかし彼にも事情がある。
ブインやショートランドの若輩どもは目上を敬わずないがしろにし続けている。君はそうではないだろう。君の父親とは同期としてのよしみがある。
そういわれてしまっては出さないわけにはいかなかった。本土での、かのラバウル提督が握る利権は彼の父にとってかなり首を絞める件であったのだ。親は親、子は子だと彼には割り切れない縁もあった。
△▽△▽△▽△▽△▽△▽
鮮やかに舞う炎が幻影であったかのように、ほうほうの体で逃げ出したかの船は順調な航海を続けていた。
穏やかな波の音と蒼く広がる空を見上げれば、かの日が嘘であったかのようにも思えてくる。
ラバウル基地から出向したタンカーは無事、ビスマーク海を抜けマヌス島を左舷に目的地であるパラオに向け舵を切った。夕闇が迫る空の紅がタンカーを染め始める。船内では基地で負傷した多くの人間が苦痛の声をあげていた。護衛のために甲板に立つ飛龍が下唇を噛む。
艦娘たちは途方にくれていた。
この船には医療に関する物資がまったく載せられてはいなかったのだ。救急箱くらいはあるだろうと探してみた赤城であるが、姿かたちもなく、さらに艦船にあるべきはずの非常食すら備品室から消え去っていた。
備品の設置を怠っていたわけではない。確かに記載はあった。有事の際に使うため、備蓄されていたはずだった。だがすべて架空記載であったのだ、と気付いた時にはもう遅い。陸地は遠く船は海の上にあった。
艦娘たちの体は、本土から派遣されてきている将兵よりも強い。急激な自己再生はしないまでも、清潔な水で患部を洗いガーゼ等を当てていれば悪化はしなかった。だが本土から来た者たちは傷口から菌が入って悪化する。消毒液も無く、水も手当てに使えるほど多くは無い。飲み水として通用するのもあともって数日、それ以後は最低でも煮沸が必要となるだろう。
苦痛から発せられる唸りが止むことはない。
負傷者が集められた部屋には鼻をつくような臭いも漂い始めている。そもそもからしてラバウルは熱帯だ。そして向かう先であるパラオも同様である。現状において体に外傷を受けた者が生き残る確率はかなり低いと見積もれるだろう。
船に附属している無線からは、まだなにも聞こえない。救助支援を出してはいるのだ。しかしまったく反応してくれないでいる。なにが起こっているのか赤城をはじめ、加賀にもわからなかった。ただの無線封鎖であればいい。だが深海棲艦が今まで広域にかけて電波妨害をしてきたであろうか。いや、ない。無い、と言いきれた。ゲートが発生した海域に限っては電波が届きにくいという事例はあれど、まったく通さないというわけではなかった。
新兵器が投入された? まさか。
赤城は頭をふる。
生命は突然変異を繰り返し機能を増やし海から陸地へ順応するからだを手に入れていた。だが深海棲艦はゲートより現れる未知の存在だ。どんなに学者が解明しようと研究を重ねても正体が明らかにはならなかった。対峙できるのは大日本帝国の海軍艦として造られた船の名を継ぐ艦娘たちのみである。それはこの世の理であった。誰に言われるのでもなく深海棲艦を沈める術と方法を赤城をはじめとする艦娘たちは具現した時から手にしていた。
自身の境遇に対し疑問におもったことなどなかった。しかし現在の赤城は提督への信望を失い、個人として判断を下している。提督が戦死していない状況でこのような、事象を客観的に評価し決断を下すなど前代未聞だろう。
提督とは、赤城が知る艦長は、指揮官たちは誰もが死すときも誇り高かった。国を想い、その国に住まう民を想い、その民を導き率いる天皇陛下を想い、その礎とならんとした誇り高い人物だった。
だからこそ不思議におもった。なぜあれほどまでに無能な人間に従っていたのだろうか、と。あれは提督という名の皮をかぶったただの肉だ。どんなに無理無体な要求であってもできるだけそれに沿うよう努力した。出撃し、傷をかかえて帰還してなお、体に鞭を打ち身を幾度も捧げたこともある。そうしなければ若い、成ったばかりの艦娘たちが無体に嬲られかねなかったからだ。
だがそれは間違いだった。なぜ気づかなかったのだろう。なぜこのような状況になるまで、違うと思い込めていたのだろう。
О, если это - ошибка, которая протянула руку от дна моря, которое это тело глубоко, и мрачно для света, который ведет твердым быть хорошим для просто человека, и использует и выбрасывает человек; на скорее этой земле, определенный интервал ニ, темнота ニ, 引 рана пере - ムベキカ включая его. Личинка タチノ 為 ニ.
かくん、と赤城がその場で膝を付く。脳の奥が熱かった。熱いところがじくじくと痛む。
「赤城さん?!」
その身を支えたのは飛龍だった。傷の痛みが大分治まってきたため、警戒任務につきたいと意見具申に来たのだ。
【protocol/Prohibited-Lesson#Thought%PTNE.=BBsopoglom@Re-start……Memory+Adjustment……*seir…over……End】
「赤城さん、なにをつぶやいて」
あまりの速さに言葉のすべてを聞き取れなかった飛龍はぐったりと力を失った赤城を支える。
青白い顔色に限界まで疲労をためているのだと嫌でもわかった。誰もが皆、赤城を頼りにしている。正規空母でありラバウルで誰よりも経験値が高く、己が身を省みず多くの艦娘たちをその背に庇っているのだと知っているからこその信頼といえた。
飛龍は赤城を引きずる。赤城をしっかりと支えるのは飛龍ではかなり厳しい。
人間が艦娘を支えようと踏ん張っても、なかなか支え続けるのは困難だった。艦娘同士であったとしても赤城が倒れないように抱きかかえられるのは戦艦か、加賀くらいなものだろう。
だから、というわけではないがラバウル基地から共に脱出してきた官とすれ違っても助けを求められなかったのである。
ずりずりと引きずり、なんとか日陰へと赤城をもたれさせることに成功した飛龍は空を仰ぐ。
夜に近づいているはずなのに照り付ける日差しは強かった。
戦略的撤退、だと提督はこのタンカーの最も安全な場所で指揮を執り始めた。
だがその言葉を盲目的に信じ、動いている人員はどれくらいいるのだろうか。飛龍は両手を広げる。だがそれもすぐに握られた。
誰も、いない。
誰もが疲れきっていた。
人も、艦娘も共に疲弊していた。
しかし生き延びなければならなかった。艦娘たちにはそれぞれ目的があったのだ。
最低でも赤城や加賀と共に戦った飛龍は、ミッドウェー海戦の雪辱を晴らすまでは再び沈むものかと決めていた。艦娘がどこからやってきたのか、と興味からとある官に尋ねられたことがある。艦娘たちは意志を持たぬ鉄の塊であったころからの記憶を保持している。それはなぜか。詳しいところは自分自身でもわからない。だが、もし、あの海で、次々と沈んでゆく友軍の、三空母炎上の大惨事を悔いて悔いて己に乗り動かしていた人間たちの心残りが宿っているのだとしたら。
ショートランドから派遣されてきた艦娘たちが言っていた。
歴史が繰り返されている。けれど過去の結果そのままがなぞられるわけではない、変えられるのだ。その導きを、提督が下さる。
だからこそ最前線で戦える。生き残り今度こそ必ず果たすのだと、そう嬉しそうに語っていた。
ならば飛龍にもその機会が必ずやってくるはずだ。彼ら乗組員たちの魂が飛龍に意識を与えてくれたのだとしたら、もしもう一度、戦えるのならば今度こそは間違えない。必ずあの戦線を突破してみせる。
赤城が、加賀が、飛龍や蒼龍が待ち望む海戦をおもい、両手を握り締めた。
赤城がうっすらと瞼をふるわせる。
目を閉じていた時間は長くは無い。せいぜい20分程度だった。
飛龍は立ち上がろうとする赤城に手を差し出せば、儚い微笑を浮かべそっと手のひらを握ってくれた。それだけでなんだか飛龍は嬉しくなってしまう。歩き出し離れてゆく手を寂しくおもいながら、前線復帰の願いを赤城に伝えれば、即断却下された。思わず「えー!」と不満の声をあげてしまい慌てて口を両手で塞ぐ。
「まったく、仕方が無い子ね」
赤城は苦笑した。
あと数日、いいえ三日後からならば。
赤城は嬉しそうに笑みを浮かべた飛龍を見やり、小さく息をつく。
艦娘たちの傷は自然治癒しない。そのために入渠が必要であった。戦闘区域にて善戦し、疲労の色を濃くして戻ってくるラバウル所属の艦娘たちのために、少しでも痛みや苦しみが軽減するようにと薬剤を多めに入れるよう内密に指示していた。傷を治してはまたつくり、を短時間に繰り返したせいなのだろうか。入渠したとしても艦娘たちの治りが遅くなってきていた。そこへ今回の奇襲攻撃である。
艦娘たちの傷は塞がらず、開いたままだ。安静にし患部を密着させていると悪化はしないが直りもしない。艦娘たちが決して人間ではないと思い知らされる事象でもある。
しっかり休養します、と駆け足で去ってゆく二抗戦の背を見送ったあと赤城は艦橋に向かった。
状況把握のため甲板に下りた赤城に代わり、加賀が指揮してくれていたのである。
「赤城さん、困ったことになったわ」
聞いて絶句した。あってはならぬ事だった。この船に乗る多くの人間が助かるための生命線ともいうべきものだ。燃料が、タンカーに積まれていた、そうであるはずの重油が補給されていなかったと判明したのである。
「残量は?」
数字を聞き、赤城は筆舌に尽くしがたい感情に至る。
このままでは目的地であるパラオに到着することが出来ないだろう。現時点で確実に到着できる場所を急ぎ地図上で確認する。
「……トラック」
加賀は静かに赤城の言を肯定する。
生き残りをかけるならば、行き先を変更せざるを得なかった。
「舵を切りましょう」
赤城の言葉に航海長は頷く。提督に報告する義務をあえて放棄し、艦娘の判断に沿う。
ラバウルを出航し、二日目の白昼にタンカーはその船首の向きを変えた。
目的地を変え丸一日が経った雀色時(すずめいろどき)。
黄昏時を雀の羽色に例えた雅な言い回しであるが、赤く斜光する太陽に視野を狭められるため艦娘たちにとっては目にかかる疲労が最も大きくなる時間に入っていた。
深海棲艦の追撃も無く、タンカーは着実にトラックに近づいている。燃料がなくなり動けなくなるなどあってはならない。ゆえに経済速度しか出せず、かなりゆっくりとした動きとなっていた。
だがタンカーの内部では死のにおいが充満しつつあった。
傷の深いものから息を引き取ってゆく。熱さを逃がすために扇風機は動いている。だが冷暖房などという上等な機材はもとから積まれてはいない。まるで棺おけのようだった。船の形をした、鉄の箱だ。医薬品も無く、体力を消耗しきった負傷者から命を落としていった。艦娘たちは逝った人間たちを弔いの場までストレッチャーを使い移動させてゆく。黙々と作業をする艦娘たちに罵詈雑言が飛び、その最中に響く断末魔は聞くに堪えぬ言葉が放たれては消えてゆく。艦娘たちはただ、ただ無表情のまま与えられた仕事を繰り返す。
赤城と加賀は利根と筑摩を加え航路の選定と残存戦力について申し合わせを行なっていた。
重巡のふたりがそれぞれ調べ、書き出した物資の量はかなり少なくなっている。逼迫していた。それぞれが平等に手にした場合、平時の四分の一となりまとめたとしても六艦の出撃が難しくなっている。特に弾薬が足りなかった。 次に尽きかけているのは軽空母たちの矢だ。矢を撃たないわけにはいかない。航空機による偵察はこのタンカーの安全を確保するために必要であった。だが飛ばした空域から戻ってくるのは半数程度である。深海棲艦の待ち伏せにあっているのだ。
残機があるのは飛鷹と千代田の彩雲が三十機ばかりと天山、彗星が五十二機、九六式艦船が十二である。
それとは別に赤城と加賀が持ちだした紫電改二が八十一と飛龍、蒼龍が持つ流星と烈風だけだ。
どう考えても戦力が足りない。
回りこまれている、と考えるのが筋であろう。
無線はことごとく空振りに終わっている。国内に存在する四箇所の鎮守府は守りの要である。
この内のどれかにさえ連絡がつけば、このタンカーに生き残る全てが息をつけるだろう。
全員がため息を落とした直後だった。
「あのう、失礼します! 雪風です。司令官が赤城さんを呼んでます!」
のんびりとした声が艦橋に響く。
ラバウル提督が愛玩している雪風である。
先日、とうとう提督の手がついた。しかし、かの男は雪風だけでは満足できなかったらしい。
ことあるごとに赤城を所望していた。
だが赤城はその呼び出しをことごとく拒否していた。今までならば考えられなかった拒絶である。
しかし雪風の、駆逐艦から切なげに見上げられるのには心を揺り動かせられる。駆逐艦たちは赤城という存在を慕ってくれた。一航戦であるから、空母であるから、という理由をつけなくとも赤城という存在を大切にしてくれる。まるで他の基地にいる鳳翔のようだとおもったこともある。
ラバウルは立地的に、そして歴史的にも航空隊が多く配置されていた基地だった。
ゆえに赤城や加賀が作戦指揮を執っていたとしてもおかしくはない。なにが歯車を狂わせたのだろう。
ラバウル提督は政略に長けていた。立てる戦略はことごとく戦果を挙げた。そのぶんの消耗も激しかったが、開いたゲートを片っ端から消滅させ最前線から一歩ひいた立地にあれど、他の基地の背を守っているといっても過言ではない働きをしていたのだ。それがいつから狂い始めたのだろうか。
「わかったわ、雪風。行きます」
「…赤城さん」
「大丈夫よ、加賀さん」
赤城は気丈に微笑む。心配をかけてはならない。
まだ戦いは、撤退戦は続いているのだ。赤城を慕うものたちを守る責任と義務があった。
提督が生き延びている。これはある意味恵まれていること、といえた。艦娘という存在は従うべき提督が不在であると精神が不安定になりやすい。己の行動に対して正しいのか、そうでないのかの判断がつかなくなってしまうのだ。その傾向は幼子の姿をとるほどに顕著となる。
赤城はその場を加賀に任せ、縋りつく雪風がひくままに提督の篭もる部屋へと向かった。
ラバウル提督はタンカー船のなかで最も堅固な一室に居た。
負けたことのない男だった。政敵がどんな手を使ってきたとしても、それ以上の策を講じてつるし上げてきた。世界の守護者と同等の意である提督の任に就いたのも当然だった。男は請われてきたのだ。あの元帥がわざわざ男の元に何度も訪れ提督という重要な職務に就いてはくれないか、と。四回目の来訪時、男は憮然と頷いた。着任する鎮守府は当然、本土だと疑っていなかったが政治家を黙らせるために三年ほどラバウルにという懇願を受け、男は不承不承ながら赴任地へと赴いたのである。戻った折は呉の椅子を用意すると密約も交わしていた。気安くおもわれてはならない。気難しいくらいが重畳だ。相手が勝手に勘違いしてくれる。
男は与えられた資材を使って結果を出し続けた。
深海棲艦が現れるゲートが近海に感知されたなら、そのこと如くを粉砕する。簡単だった。
男にとって艦娘は道具だ。野望を成し遂げるための駒のひとつである。情は抱かなかったが欲は出た。艦娘たちは拒まない。教えた通りに振舞った。手塩をかけたのは赤城である。何でもいう事を良く聞き教えたことを忠実に守ったからだ。
本土から離れあと半年で三年という月日の期限がやってくる。
多くの鎮守府で得られていない雪風を建造にて引き当てた日、奇しくも国防を担う海外に任地を持つ提督に対し、天皇陛下より褒章が届いたのである。聞けばここ数年は誰も受賞していない。今年、名が挙がったのはラバウルだけだという。唯一だ。箔であった。
男は雪風を側に置いた。それからというものなにもかもが上手く回り始める。
仕込んだ赤城さえ作戦本部においておけば深海棲艦などどうにでもなるよう躾けてあった。
東京に戻れば拝謁の機会も与えられるだろう。
その前に、仕込が必要だった。今までもわずかではあるが利権や少なくは無い金銭を使い広げていた人脈であるがいよいよそれを使う時がきたのである。本土にある男の資産もラバウルに来る前と比べれば倍以上となっている。忌々しくおもっていた赴任も、こうして振り返ってみればそう悪いものでもなかったと男はほくそ笑んだ。
赤城は加賀と共にニ航戦たちをはじめ、入れ替わりの激しい軽空母や他の艦娘をよくまとめ続けた。そして男がなにもしなくとも実績と名誉を運び続ける。だからこそ男は提督業とは別の、もうひとつの仕事に集中できたといえよう。
だがそれも深海棲艦の夜襲と共にすべて無に帰した。警戒はさせていたはずだ。
あと一撃だった。
最終攻撃はラバウルの手柄であるべきだった。
ぽっと出のショートランドや堅苦しいブインの若造なぞに爪の垢ほども与えるつもりがなかったのだ。
だがしかし。ラバウルに夜襲がかけられたとき、いの一番に飛んでこなければならぬのは、その若造たちであるべきだった。 男が長年積み上げてきた資料を基に、飛躍をしたのだから当然であろう。
「指令官、赤城さんを連れてきました!」
男は耳に心地よい雪風の声に満足げに頷く。雪風は提督が座す椅子の横に向かい、床にぺたりと座り見上げるいつもの姿勢をとる。頬を寄せるのは提督の膝だ。
赤城はそんな駆逐艦の姿を痛ましくおもいながら、そっと瞼を閉じ開きながら提督を見る。
幸運艦として名高い雪風が本来の役目を果たせず愛玩されている姿を見るとなぜか胸の奥が痛む。だがそんな一航戦の胸中を知らない雪風は無垢な瞳を赤城へと向けた。
「赤城、状況はどうなっている」
「報告いたします。……経済速度にてトラックに、」
どういうことだ!?
提督の怒号に赤城はすべての言葉を言い切ることができなかった。
ラバウルの地に在るときはすべてを提督が仕切っていた。赤城も盲目的に提督を信じ、男の言を忠実に守り実行していた。
だが今は敗走だ。仲間が居る場所までなんとかしてたどり着かねばならない。ただその目的のためだけに赤城は日々考えるる最善を選択してきたつもりだ。
叱責が飛ぶ。至らない結果ばかり積み重なるのは赤城の罪だと、まるで法廷にて法を犯した犯人を追い詰めるがごとく男は赤城をののしった。
赤城は黙ってそれらを聞いていた。違う、聞き流しているといった方が正しい。
医療品がこの船に積まれていなかったのも、燃料タンクにあるはずの重油が抜かれていたのも、その始まりを指摘するのはたやすい。だが今ここで事実を述べたとしても提督は罪を認めないだろうし、癇癪(かんしゃく)がさらに悪化するのが目に見えていた。
「指令官、お腹すきましたね!」
「そうだな。よしよし、雪風。そこの赤城に取って来させよう。もう少し我慢しなさい」
雪風は提督のお気に入りだった。
雪風さえいればどんな作戦でも成功すると言い切っていたくらいだ。
雪風が幸運艦である理由は運勢が上がるからではない。類稀なる感知能力と判断力が下地にあってこそなのだといわれている。だが提督はなにをどう取り違えたのか、雪風を幸運のお守りのように扱っていた。
食べ物など、もう、ありません。
艦娘たちは昨日から食事を控えていた。官たちが口にできる量も減っている。わずかながらでも食せるのは日に幾人もの命が旅立っているからである。
無事、トラックにたどり着く心積もりであるが、缶詰などの保存食品も明日までもつかどうか。
人は飲み食いせねば餓死する。だが艦娘たちは食べなくとも存在することができた。最悪、海水でもいいのだ。赤城と加賀、そして蒼龍は出航した日からそれだけで生き延びている。
「全速を出せ! この際、トラックでもいい。あそこには級友の倅(せがれ)が居るからな。無線を使え、そして援軍を要請しろ。私が行ってやるのだ、盛大なもてなしをしろとな!」
赤城は唇を噛んだ。
頷けなかったのだ。全速を出せば目的地へ到着する前に燃料が尽きてしまう。
無線もいまだどことも繋がらなかった。進行方向のどこかに大きな群が居るのだ。こちらのほうが速度が遅い。ラバウルを襲った深海棲艦もかなり合流していると考えるのが妥当だろう。
爆音が響き渡る。この音は水しぶきだ。タンカーへ直接当たったわけではない。
赤城は船室から飛び出でて、誰でもいい、戦況をと叫ぶ。
「赤城さん、進行方向そのままに、距離5キロ先に正体不明の最上位個体が。数は百あまりを確認できたそうよ」
加賀の言を聞き、赤城は思考する。
着水しているのは威嚇のための砲撃か、それとも確実に戦闘機でタンカーを落とすための距離と機会を測っているのか判断がつかない。もっと詳しい説明を受けるために赤城は加賀と共に管制室へと向かおうとする。
「なんのための一航戦か。役立たずどもが! 敵が現れたなら、殲滅しろ! 突破だ! 突っ切らずなにが航空母艦だ!」
赤城が目を見開いて提督の部屋を振り返る。内部は見えない。閉めろ、と提督に命じられた雪風が扉を押したからだ。
そしてすぐに加賀の姿を探す。
「そう、提督はもう……、わかりました。赤城さん、いきましょう」
穏やかだった。
ありえないほど、あってはならぬほどの静かさだった。
言ってはいけない言葉がある。特に加賀に対しては。
なぜ今なのだ。
この世に舞い戻った航空母艦の中で一番苛烈な性格をしているのは、加賀であった。
きつ過ぎる物言いと滅多に感情を面に出さないため誤解されがちであるが、荒々しく時に殺伐とも言えるほどの激情を秘めているため、あえて能面のような表情を装っているのだ。だからニ航戦をはじめ、五航戦の姉妹も実のところ加賀を慕っている。つっけんどんとしながらも、気の配り具合は赤城よりも細やかだった。
「赤城さん、大丈夫よ。貴方を残して沈むなんて…しないわ」
△▽△▽△▽△▽△▽△▽
飛龍のやわらかな髪をそよ風が弄んでいた。開け放たれた窓には薄手のカーテンがかけられ、中に吹き込む風にゆらめいている。
飛龍はゆっくりと瞼をひらいた。見知らぬ天井にはくるくると回る三つ翼の扇がまわっている。ずいぶんと長く眠っていたらしく、目の奥が痛かった。
ゆっくりと上半身を起す。周りを見回せば処置室のようだった。清潔な白のシーツがかけられたベットがふたつ、横に並んでいる。おもわず上半身を起す。体に巻かれていたはずの包帯がない。傷跡もすっかり綺麗になっていた。
戦いの音が無い場所。耳を澄ませば声がいくつかの声音が交わっている。
それは窓の外から。楽しそうにはしゃぐ、聞きなれた舞風と、……聞きなれぬ、誰かの声が、した。
なんだ、夢だったのか。飛龍は再び体をベッドに横たえる。
『いってらっしゃい! 持ちこたえて待ってます!』
耳の奥、脳の端っこ、場所などどうでもいい。飛龍は慌てて飛び起きた。なぜ寝ているのだ。そんな余裕など、ありはしないのに!
戦況はどうなったのか、確認していなかった。
飛龍は厳命を受けた。タンカーの位置を、トラックに居る提督に知らせ援軍を願うこと。
ここはどこなのか。目的地に着いたのだろうか。装備がすべて取り外されていた。
飛龍が眠っているうちにタンカーが無事、トラックに到着したのかもしれない。そして対応されたのだ。
赤城や加賀は強い。そして蒼龍も多くの経験を積んでいる。再会してからずっといっしょだった。もう二度と離れ離れにはならないと、幾多の戦線を潜り抜けてきた。
そうでなければならなかった。あのタンカーに残ったものたちこそ生き残らねばならない。ゆいいつ残ったのが飛龍だけであるなど、そんなこと。
「よう、起きたか。痛みはどんな感じ?」
はっと息を飲み、顔を上げる。
気配を感じさせぬまま処置室に足を踏み入れたのは高雄型重巡洋艦三番艦の摩耶だった。落ち着いた雰囲気であるが、裏打ちされた実力による自信が笑顔に現れているかのようだ。会ったことがある、本土所属の彼女に一度だけ。
す、と伸びてきた手のひらは体がびくつく暇も与えない。
「熱も下がったな。疲れてるとこ悪いんだけどあたしらの提督がさぁ、起きてたら話しが聞きたいって言ってんだ。来てくれるか」
「え、えーと」
「あ、口が悪くてわりぃ。あたしらはみんなこんなもんだとおもうんだけどさ。鳥海がうるさくて気をつけてるつもりなんで勘弁してくれ」
飛龍は一瞬、ぽかんとした。そして訓告が口からこぼれそうになる。
ラバウルでは規律が厳しく、順序があった。
一航戦を頂きとし、航空戦艦、重巡、軽巡、駆逐艦と序列を決められていた。そのため飛龍は多くの艦娘から敬語で話しかけれていたのである。
両手で慌てて口を塞いだ。ここはラバウルではない。ラバウルでは『普通』であっても他の基地や泊地では違う場合もあると共同作戦を務めた艦娘たちに聞いていた。
郷に入れば郷に従え。
ラバウルに派遣された艦娘たちはしなやかに、状況を把握してラバウル式にしたがっていた。
ならば、飛龍もこの場所に倣わねばならない。
気にしないでください、と伝えつつ提督の元にすぐに連れて行って欲しいと飛龍は願った。
提督の執務室はすぐ隣だった。
飛龍は胸を撫で下ろす。どうやらトラックに無事、到着していたらしい。
この泊地の提督室はこの地に合った南国風平屋建てだった。どことなく木造校舎を思い出させる風貌であるがそこは日本海軍の出先機関である。最新の木造建築技術が使われていた。
海に囲まれたこの島では革製品がしけってしまってね。そう言う提督は木でできた椅子に座っていた。執務を執り行う机もラバウルにあったような有名商標が作った重厚感ある立派なものではない。秘書艦として立つのは大淀だった。本来は本営と基地や泊地を結ぶ連絡員であるが、猫の手も借りたいほど艦娘が足りてはいない泊地において、臨時の秘書艦に取り立てられていた。
摩耶や鳥海は泊地周辺の哨戒を代わる代わる行なっている。そこに秘書艦の業務を入れ込む隙間などなかった。どの艦娘も最低限の休息をとり己が出来る、割り当てられた役目に奔走していたのである。
そんなことを全くしらない飛龍は少しばかり不満げな表情をした。いつも蒼龍に、すぐに顔に出すのはやめておいたほうがいいよ、とは言われるのだがこれがなかなか難しい。飛龍は根っから素直なのだ。嘘をつくのも苦手である。
ちらりと飛龍が観察を続けた結果、この地の提督は思いのほか若い印象を受けた。四十は超えていないだろう。そして付け加えるなら凡庸である。
「単刀直入に言おう」
トラックの提督は遠まわしに物事を伝えるのを良しとしないらしい。
語られたのは聞きたくないいくつもの言葉だった。世界からゆっくりと色と音が遠ざかってゆく。
耳鳴りがした後、自覚もなくわななく唇が嘘だ、もっとよく調べてください。そう動く。飛龍は訴えた。負けるはずがない。赤城さんと加賀さんが、沈むわけがない!
タンカーは到着していなかった。
飛龍を保護した後、何かが起こっている、調べねば成らない。そう判断したトラック提督により哨戒に出た潜水艦たちが見つけたのは海面に広がる重油の跡だった。
かなり広い海域を調べたため、帰ってきた潜水艦たちはほうほうの体だった。それでも潜水艦たちはやりきった。トラックには正規空母がひとりもいない。提督の引き運が悪いのか、なかなかきてくれなかった。それでも根気強く資材を投入し、目覚めてくれた五航戦のふたりがこの泊地に戻ってくることはない。
軽空母たちが彼女たちの不足を埋め航空戦の要を引き受けていたのだ。軽空母は正規空母に比べて載せられる航空機の数が少ない。だからこそ数で補った。
あの日、前日とかわらない青空が広がっていた真昼。助けを求めるため、飛龍はタンカーから海原へと走り出た。
一番の最善策は、タンカーから出ず彩雲を飛ばすことだっただろう。だがあのタンカーに残っていた艦娘たちにはできなかった。補給も万全であり、気力も充実していたならば加賀であればゆうにここトラックにとどいていたに違いない。
食べ物も尽きかけていた。人間が食べる分を優先していた。
艦娘たちは、その存在を削りながらタンカーの護衛をしていた。
ラバウル所属の艦娘たちのなかで、もっとも軽症であったのが飛龍だった。だから赤城は飛龍に託したのだ。このタンカーの位置を、トラックの提督に知らせてきてくださいと。一航戦のなかで最も足の速いあなたならば。そう期待を受け、誇りをもって背負った。
飛龍であれば突破できる。敵の注意を赤城や加賀をはじめとする艦娘たちがひきつけたなら、眼前に迫った、見たことのない深海棲艦を守るようにして展開する群を突きぬけることができる、と踏んだのだ。
生き残るために。時間を止めぬために。すべての想いを受けて出撃した。
だが結果はどうだ。
目的は果たされず、飛龍だけが生き残ってしまった、という最悪の結果が横たわっているではないか。
アリエナイ。そんなこと、あってたまるものか。
「違う!」
飛龍は拳を握る。
トラックの潜水艦たちがもたらした情報が間違っているのだと反論するわけではない。
事実であるのだろう。波間に油膜が浮いていた、というのは。
だが残骸が残っているわけではなかったのだろう。潜水艦たちは海の上を滑るように移動するのではなく、潜ることができる。当然、海底まで調べたはずだ。水深もそんなにないにちがいない。
「なら、……そうだな。確かめに行くといい、自分の目で見て納得しろ」
トラック提督はそう飛龍に提案する。すれば飛龍が目を見開いた。
物資は他の泊地と同じく、余裕がさほどあるわけではない。
だが飛龍の気が現場を見て済むならば、そこまで行くためくらいの量は融通できた。
なぜ、どうしてそんなことを許してくれるのかと言いよどむ飛龍の姿に、ラバウル基地は聞いていた以上に艦娘に対する締め付けが厳しかったのだと、男は本当の意味で理解した。
男は、男にとって飛龍は特別な艦であった。
男の祖先を遡れば、飛龍に乗っていた記述が残っている。偉大な少将の影に隠れてしまい、薄い存在となっているが知るひとは知っている。とはいえ四代も前だ。太平洋戦争を生き抜いた祖父であるが全く父の姿は覚えていない。幼過ぎたのである。晩年にようやく出来た子だったという。
だから多少無理してでも飛龍の願いはかなえてやりたかった。曽祖父の願いを叶えた艦であったからだ。
飛龍が感情に揺れる双眸を男へと向けたとき、何度聞いてもけたたましい心臓に悪い警報が鳴り響く。
泊地がある海域に深海棲艦が出現したのだ。偵察任務を帯びた艦娘たちが慌しく作戦本部を通り過ぎ海へと向かう。
トラック泊地には戦艦や正規空母がいない。
全方位を海に囲まれ、最前線に補給物資を届ける航路を守っている要であるが、先の戦いですべてを失い守備兵力すら全く足りていなかった。大湊から譲ってもらった艦娘たちも、男の不甲斐なさによって何隻も海へと戻ってしまっている。最低限の艦娘たちしか残っていなかった。
「彩雲を、飛ばします。許可を」
「大淀、議事録に記載してくれ。一時的にラバウル所属、二航戦飛龍をトラックに転籍。艦載機の使用を許可する。工廠に行き、好みにあったものを使え。そのあと会議室へ来るように」
提督は案内を大淀に任せ、この泊地に残る艦娘たちが集う会議室へと向かう。
すでにこの泊地に残る艦娘たちのほとんどが集まっていた。姿が見えないのは哨戒任務に赴いた駆逐艦たちだけだ。全艦無事に帰投した艦娘たちに労いの言葉をかけ、報告を促す。
哨戒していた駆逐艦たちが見つけた深海棲艦はなにかを運んでいたという。進行速度は遅い。ただ向かっている方向が悪かった。
「瑞鳳、レーダーの調子は戻ったか」
「ううん、全然。整備班のみなさん剥げなきゃいいけど」
実は昨日の夜から一部機能が使えなくなっているのだ。
電波は正しく出ている。にもかかわらず敵影が映ると点滅してあちこちへ移るのだ。深海棲艦がまさか飛んで跳ねて移動しているわけでもなし、原因がわからず、壮年を迎えた整備班班長は形が良くわかる頭を掻き毟っていた。その激しさに瑞鳳は遠くをみて口元を引きつらせる。
泊地周辺を監視するレーダーが使えないとなれば、人海戦術しかない。
遠方を潜水艦たちに、近海を駆逐艦たちに哨戒させていた。第一報をもたらしたのは潜水艦たちである。その報を受け忍者が好きで好きでたまらない不知火がこっそり進行方向を割り出し近づいて敵影を映してきた。
飛龍を見つけた潜水艦たちの活躍はこの一日二日、かなりのやる気をみせている。泊地に戻ってくるまでの距離がもったいないとブルサック環礁に物資を持ち込み、寝袋に包まりながら付近を捜索していたのだ。
「話には、聞いたことがある」
不知火が持って帰ってきた映像はおぞましいものだった。
提督はゲートから出現した深海棲艦が大規模のものである場合、無線の電波を通しにくくなると。だが遮断ではない。通るには通るのだ。多少の聞き取り難さが発生するが、やり取りできないほどではない。
もしレーダーが使えないまで巨大な群が出現したのだと仮定すれば。物事は得てして心持ち悪しきほうへ傾けて判断したほうが上手く転がるものである。
艦娘たちに不安を与えたくは無い。
だがすでに不知火が持ち帰った映像は全員で見てしまったあとだ。しかも男はこの地で骨を埋めなければならないほどの失態を犯し、かつすでに、この泊地の艦娘たちに男としての尊厳などまるでない情けない姿を晒し済みだ。
数ヶ月前ラバウルの提督が無理難題を押し付けてきた。正規空母をすべて寄越せ、と。そうすれば助けてやらんことも無い、と。
何に対して要求を突きつけられているのか、男に解らないはずがなかった。
苦渋の選択だった。
いや、男は選択もしていない。
艦娘が、翔鶴と瑞鶴が往くことを許可してほしい、そう願い出たのだ。断固として否定せねばならない。ラバウルの戦況が不利だとしても、このトラックの守りを薄くして良いわけがない。行かせれば共倒れになる可能性もある。
『提督さん、私は幸運の空母瑞鶴。翔鶴姉ぇを守りながら戦うのは慣れてるし。ほら、言って』
『私たちはもどってきます、必ず。だから御命じ下さい。提督の役に立ちたいのです』
自信満々な瑞鶴とたおやかに微笑む翔鶴と約束を、した。
だがそれはあっけなく、果たされることなく散ってしまった。
囮役にもならなかったとラバウル提督は不満をぶちまけて無線を一方的に切断した。
トラックに配属されている技工士をはじめ仕官たちが呆気にとられた。そして怒りに打ち震え、歯を食いしばった。各地に赴任している提督たちに上下はない。対等な立場である。だがラバウル提督はトラック提督を下男のように扱った。
怒りに支配され、木製の机を叩き割り、人間同士では止められず艦娘たちの助力を得てようやく止まったトラックの提督が自身についてぽつぽつと語ったのはかなり複雑なお家事情だった。
巻き込むなと言いたい多くがいたが、この泊地に派遣された者たちはどうあがいても運命を一蓮托生となってしまう。
元からこの泊地に赴任した男は可もなく不可もなく平凡を地でゆく提督だ。華々しい大戦果も無い変わりに、致命的な失敗も無い。
男は年配の技工士たちから背中を幾度も叩かれた。しゃんとしろ、背筋を伸ばせ。ここではお前が俺たちのボスだ。
怒ってもなにも生まん。昇華させろ。二度と同じ失敗を犯すな。艦娘たちも、不安そうにしている。するべきことを成せ。
平均の何が悪い。安定指向、いいじゃないか。
人間、艦娘関係なくなだめられ、励まされ、男はばつの悪さを抱えながら否定しなかったものたちに支えられ、立ち直ろうとしていた……ということがありトラック泊地の提督という椅子に座す男は、すでに自身の弱さと不甲斐なさを基地に居る将官や艦娘たちに知られてしまっているのだ。
無様であろう。これ以上の羞恥はない。しかしもう、何も畏れることはない。素を晒し、全員に知られているのだ。
「大淀、潜水艦たちに戻るよう通達してくれ。これからトラックは迎撃準備に入る」
進路から予想するに深海棲艦の群はこのトラックに、間違いなく向かってきている。
目的はわからない。だがこのトラックを落とさせるわけにはいかなかった。攻める戦力が無ければ守りを固めるしかない。
レーダーも使えないとなると、最低でも目視出来る範囲内にきてもらわねばならないだろう。夜目が利く潜水艦たちの存在は必須だ。
幸運にも飛龍が彩雲を飛ばしてくれるという。
情報収集の後、やるべきことはただひとつである。
必ず守る。男は失ったものと得たものを交互に思い浮かべ、過去に背を向けた。
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トラック泊地に残る戦力は少ない。はっきり言って防衛線を張るにも絶対的に数がたりなかった。
それでも出来ない、とは言えない。なぜならば彼は提督であった。このトラックに赴任する者たちの長なのだ。責任とは果たすためにあるものだった。
とはいえ策などあってないようなものだ。こういうとき、かのショートランドの風雲児はどういう手段をとるのだろうか。そうふとおもう。真正面からぶつかっても勝機はない。無駄に沈む艦が出るだけだ。
しかしトラックは泊地とはいえ死守しなければならない太平洋の重要拠点だ。
ここを深海棲艦たちに落とされてしまうと、ここから南の海域がすべて敵陣になってしまい、日本はオーストラリアをはじめ南方への足がかりを失ってしまう。
敵の群れは一定の速度で東向かって迷わず真っ直ぐに進んできていた。トラックの東にはハワイがある。そこには深海棲艦の拠点がある、と言われていた。しかしまだ攻め入るまでの準備が本土に整っていないため、トラックの主な任務はそこからやってくる偵察部隊を潰すのと、周囲の警戒であった。
目的はなんだ。
男は何枚もの海図を広げ、深海棲艦がなにを求めているのかを思考した。
考えてもわからない、のではない。人間はさまざまな手段と方法、そして叶えたい目的がある。だから迷った。しかし深海棲艦たちの目的はとてもシンプルだ。この青の海から深海棲艦以外のすべてを排除することである。ならば行い為すことはとても簡単だった。見敵必殺(サーチアンドデストロイ)、ただそれだけである。
深海棲艦たちは海底に開いた深淵(ゲート)から出現する、と言われていた。事実であるかどうかはわからない。直接人間がその様を見たわけではないからだ。しかし深海棲艦は海からやってくる。しかしどこへ向かうのかはわかっていない。だが今回はわかっている。ハワイだ。予想線を何十と描いても行き着く先はそこしかない。
大淀が何度も計算した結果、トラック泊地から200キロキロ地点を深海棲艦の軍勢が通ることがわかった。
艦隊が組まれる。
軽巡由良を旗艦とし、駆逐艦不知火、漣(さざなみ)、初春、そして軽巡名取、一時的にトラック泊地所属として組み込まれた二航戦飛龍が出撃することになった。
「おおい、お前ら予備の弾薬ちゃんと詰めてけよ。って、痛い鳥海!頬っぺた抓んなよ!」
「漣ちゃん、雨は降らないと思うのよ?」
「えっ。お気に入りなんだけど、だめかな」
「月明かりの元では、それ、目立つわね?」
出撃前、飛龍はまるでどこかに遊びに行くような雰囲気をかもし出しているトラックの面々に愕然としていた。ラバウルとは違い規則もゆるすぎで出撃前だというのに緊張感の欠片もない。
飛龍は奥歯をかみ締める。
タンカーを、奪取しにいくつもりだった。あの中には赤城をはじめとする仲間たちが居る。負傷した人たちも苦痛をこらえて待っているはずだ。けれどこのトラックの面々は考えていないのだろう。良くて遠くから見物するだけだ、と。滑稽だった。提督が平凡で一般人レベルであるはずだ。役立たずと罵られても当然であろう。
飛龍は軽蔑の眼差しをトラックの艦娘らに送る。
ひとりでも、最後の一人になったとしても奪取してみせる。数々の戦いを超えてきた。生ぬるい、このトラックのものたちでは成しえない戦いを生き抜いてきたのだ。飛龍は静かに目を閉じる。ここの艦娘には頼らない。自分の仲間たちはあのタンカーに居るみんなだけだ。もう少し待っていて。助けにいくから、必ず。
「何してるの!? 危ない!」
名取が飛龍を突き飛ばし、迫り着ていた魚雷の直撃を回避させる。
深海棲艦の索敵範囲が思いのほか広かったのだ。今までとは違う。余裕をもって近づいたはずだったのに、気づかれてしまった。由良が指示を飛ばし、駆逐艦たちが連装砲を威嚇射撃する。撃ちもらしてもかまわない。名取が一体ずつ確実に仕留めていくからだ。数ヶ月前までは練度の高い艦娘たちが幾人もいた。それこそ宿舎がにぎやかさを通り越して煩いとまでおもえるほど居たのだ。それがラバウルからの増援依頼が続き、つぎつぎと実戦経験を豊富にもつ艦娘たちから居なくなっていった。
今や由良がトラック泊地の古参と呼ばれるようになってしまったほどだ。
戦況は悪かった。出来るだけ早くに由良はこの海域を離脱せねばならぬと判断を下す。だが飛龍が固まっていた。仲間が、ラバウルから共に脱出してきた仲間たちの末を眼前に突きつけられ茫然自失に陥っているのだ。出来るだけの助力をしてやって欲しい、そう提督から願われた由良は、気の済むまでタンカーを見送れば良いと考えていた。だが敵は部隊をいくつか差し向けてきた。当然応戦しなければならない。飛龍が納得するまで、この海域にいるつもりだったから。
仲間が喪われる。それは心の柔らかな部分がごっそりとそげ落とされるような、できれば経験したくない苦しさを伴った痛みがじわりじわりとやってくる。由良にも経験が、あった。だから飛龍がどんなに冷たい目を向けてきたとしても仕方がないとおもっていたが、これ以上はいけない。
はるか遠くに見える船影は揺らめいている。
ゆらりゆるり、水面を断ちながらそれは曳航されていた。
決めたはずだ。頼らないと、緊迫感のないお気楽なトラックの艦娘たちなど取るに足りないと。
それなのに、そうだというのに。
飛龍はがたがたと体を震わせていた。硬く結んだはずの誓いは、すでにずた袋のごとく引き裂かれてしまっている。
月明かり差す夜のはずだ。水面も空を映して闇色になっている。覗き込んでも太陽が頭上にあるときのように青く透き通ったゆらめきを見せない。
だというのに白く蒼くかがやく陽炎が立っていた。
鉄の塊と化したタンカーのようなものがゆらろりゆらゆらと揺れ動いている。飛龍の耳に怨嗟が、聞こえた。苦しみの声が、低く地響きのように鉄が立てる軋みとともに響いている。
時間が止まったかのようだ。知識の中だけにある、死者の行列を思い出す。おどろ恐ろしいあやかしたちの行進だ。あの中にみんなが居る。飛龍も加わらなければ。だって仲間であるのだ。いかねばならない。けれど足が、動かない。自分の息がひゅーひゅーと高く鳴っているのがわかる。
夜間に艦載機は飛ばせない。夜戦が出来る夜偵など持っていなかった。
それでもかの提督が艦隊に飛龍を組み込んだのは事実を事実として捉(とら)えるよう促すためだった。
不知火が映してきた映像にはひしゃげた船体がうつっていた。船の形だけを保っているだけの鉄の塊。周囲を異形が取り囲み意味のわからない音を立てていた。
信じたくなかった。
信じられなかった。
そうであるわけがない。
「はは、そんなこと、ない。みんな生きてる、生きてる……生きてるんだ! 絶対にッ!」
かなぎりごえが戦場音楽が奏でられる海にこだまする。
夜は始まったばかり、夜明けはまだ遠い。