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[39449] オリ主先生ドロま!
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/02/22 07:07
「オリッシュハー・ネルトキー・ガイ・ヤルキナイネンくんは居るかい?」

 ヨーロッパの深い森の奥地にて。白髪を逆立てたスーツ姿の中年男性、高畑・T・タカミチは、童話に出てくるオーソドックスな魔女の家の前で、使い魔の黒猫に話しかけた。
 黒く鬱蒼と生い茂る静かな森で、現代的な格好をしたタカミチは油のように浮いていた。
 家の前で寝ていた黒猫は、短く鳴くとガラスが割れている丸窓の縁に飛び移り、建てられてから優に一世紀は経過しているであろうボロ屋に入ってゆく。
 それから北欧の寒冷な空気の中で待たされること五分。腐りかけた木製の扉が、古びた音を立てて開いた。
 果たして、魔女の家から現れた人物は、長い銀髪を枝垂れさせた美しい男だった。ヨレヨレの黒いローブを纏い、整いすぎた目鼻立ちを笑顔で飾った男は、甲斐甲斐しい声で言う。

「お待たせして申し訳ございません。こちら何でも屋『テンセ・イシャ』。お客様、本日はどのようなご用件で?」
「先日も伺ったときと同じで、ウチで教師として働いて欲しいんだ」
「帰れ」

 扉が閉まる。あまりの勢いに扉の亀裂が深まり、木屑が散った。音もけたたましく、静謐な森に響き渡った騒音に動物たちが悲鳴をあげた。
 タカミチが扉をノックする。ささくれが肌に刺さった。

「はい。どうしましたか、お客様」
「麻帆良学園で教師になってみないか」

 今度は無言で扉が閉まった。再び扉をノックする。返事がないので扉が壊れる限界を見極めて強めに叩いた。

「帰れって言ってんだろこのボ――ぐはぁっ!?」
「あ、ごめん」

 ノック中に急に扉が開いたため、タカミチの拳が男の鳩尾を直撃した。腹をおさえて悶絶する男をタカミチが介抱する。
 決してわざとではないんだよ、と念を押す。そのどさくさに紛れて、室内に入ることに成功した。
 リビングは八畳ほどの広さであり、座ると派手に軋む古びた椅子と丸テーブルが置かれているだけで、それ以外は年季が入っている洋室という印象しかなかった。
 テーブルを挟んで対面に座る男――オリッシュハー・ネルトキー・ガイ・ヤルキナイネンは、椅子にふんぞり返って、横柄な態度で鼻を鳴らした。

「じゃぱにーず・ごー・ほーむ」
「最初はとても丁寧な対応をしてくれたのに、お茶も用意してくれないなんてひどいじゃないか」
「店と客は対等な関係なんだよ。どうしても飲みたいならセルフで飲め」

 指を指した方を向くと、ホコリを被ったティーセットが無造作に食器台に置かれていた。タカミチはお茶を諦めた。

「さて、本題に入りたいんだが」
「何度言われようと、オレは教師なんてやらねえぞ。オレは教師って生き物が大嫌いなんだ」

 腕を組み、端麗な容姿を嫌悪で歪めた。よくよく見れば、青と緑のオッドアイでアスナくんと同じだな、とタカミチは益体のない感想を懐いた。
 タカミチはカバンを漁ると、一枚の紙を取り出した。

「ここに契約書があるんだけど、内容に目を通して欲しい」
「あん? だからやらねえって――」

 ちらりと目を移したオリッシュハーの顔が、ムンクの『叫び』みたいに驚愕に染まった。
 しかし絵画ほどの悲壮感はなく、目が希望に満ち足りた色に輝いている。
 紙面とタカミチの顔を交互に視線が行き来し、やがてピタリとタカミチで止まった。

「……え? マジで?」
「学園長は、無事に任務を果たしたら、額面通りの報酬を渡すと仰っていたよ」

 世界的な不況の煽りをもろに食らい、金銭的に充実した仕事がなかった何でも屋『テンセ・イシャ』がこれまで稼いできた金額を遥かに上回る金額が提示されていた。
 仕事は一年間と長期だが、働きぶりによっては更なる上乗せも考える、とある。マジか、黄金の国ジパングは現代でも健在なのか。ごくりと生唾を飲む音が響く。

「――ハッ!? だ、ダメだ! オレは教師って奴が大嫌いなんだ! オレには昔、オレの才能を妬んだ教師に嫌がらせをされた悲しい過去が……!」
「衣食住もついて可愛い女の子がたくさんいるよ。隙間風も吹かない家も、温かい料理も、ブランド物の洋服もあるよ」
「よし、契約成立だ」

 サラサラっと契約書にサインするオリッシュハー。悲惨な過去もプライドも、目先の幸せの前には勝てなかった。
 手紙で打診した際には全く折れなかったくせに、出向いたらこんなにもあっさりと……
 タカミチの胸に安堵と拍子抜けした落胆が混じる。もう少し仕事らしい交渉を頭に描いていたのに、こんなに俗っぽい男で本当に大丈夫なのか。
 現代のぬらりひょんと名高い学園長の判断が正しいものか不安になる。

「よし、そうと決まれば出発だ! こんなボロ屋引き払ってさっさと日本に発とう! 待ってろよ、黄金郷!」
「やる気があるのはいいけど、君、パスポートはあるのかい?」
「……パスポート?」
「あと、その髪は社会人としてふさわしくないから、ちゃんと切ってきてきてね」

 伸び放題の銀髪は足元に届くまでになり、傍から見て不審者だった。
 オリッシュハーは叫んだ。

「個人の自由を尊重しない日本はクソだッ!」

 オリッシュハー・ネルトキー・ガイ・ヤルキナイネン。フィンランド生まれ、ウェールズ育ち。
 日本の麻帆良学園へ。










「ここが麻帆良学園か……」

 麻帆良学園に降り立ったオリッシュハーは、西洋風の建物で統一された麻帆良学園都市を見渡した。
 新調したダークスーツ姿の銀髪外国人は、行き交う生徒の視線を集めていた。細身のスーツは彼の長い手足とスタイルの良さを強調し、美麗な容姿と相俟ってモデルすら霞む。
 登校ラッシュで騒々しい生徒の波の間に立つオリッシュハーは、新天地を一望し、ふっと息を吐くと、

「気持ぢ悪い……」

 口を抑え、キャリーバッグに体重を預けた。オリッシュハーは、人のあまりの多さに酔っていた。

「なんだこの人混みは……混みすぎだろ……揺れすぎだろ……」

 人の気配の全くない森の中で暮らしてきたオリッシュハーには、日本の通勤ラッシュは地獄だった。
 ちょっと動くだけで人にぶつかる、揺れると隣の人に体重をかけられる、人で揺れる。かつて住んでいたウェールズは閑静な田舎町で、ここまで人口密度は高くなかった。
 噂には聞いていたが、さすがにこれは予想外だった。吐き気を堪え、キャリーバッグを引きずりながら歩き出す。
 ピークは過ぎたようで、人の去った麻帆良学園都市内を観光気分で見て回る。
 麻帆良学園都市はヨーロッパの街並みを参考に作られたようで、耐震性も考慮された造りの新しい煉瓦造りの建造物が多い。
 歴史も風情もヨーロッパに住んでいた自分には感じられないが、気分に浸りたい人には十分に思えた。

「しかし、アースクエイクが頻繁に起こるなんて、物騒な国だな。いま地震が起きたら吐いてしまいそうだ」

 朝の清涼な空気を吸って、ようやく気分が落ち着いてきたが、これから毎日あのラッシュを味わわなければならないのか、と思うと顔が曇る。
 麻帆良は自然を増やそうと努力はしているようだが、森で暮らしていたオリッシュハーにとっては空気も不味い。
 文明化の匂いがした。日本は恐ろしい国だ。オリッシュハーが戦慄していると、

「ヤバいヤバい遅刻遅刻―っ!」
「ぐおっ!?」
「あ、アスナ! 外人さん倒してしまったえ」

 曲がり角で女子学生とぶつかってしまい、その勢いに負けたオリッシュハーはバレエの如く二回転してから蹲った。
 文字通り疾走していたツインテールの少女は、道を引き返すと、蹲るオリッシュハーに声をかける。

「す、すいません。急いでて気づきませんでした。あの、大丈夫ですか?」
「日本語通じるんかなー?」

 ぷるぷると震えて応答のないオリッシュハーを心配し、相談する二人をよそにオリッシュハーは徐ろに立ち上がった。
 そして吐いた。

「おろろろろろろろろろろ」
「きゃああああああああああああああ!!!!!」
「アスナがゲロまみれにーっ!?」

 日本での教訓その一:人間は急に止まれない。





「災難やったなぁ、アスナ」
「ホントよ! 新年早々から、頭にあんなものかけられるなんて!」

 麻帆良学園でシャワーを浴び、吐瀉物を洗い落とした神楽坂明日菜は、ジャージで憤慨していた。
 朝から不快な液体をアスナに吐き掛けた外国人は、どうやら学園長室に案内して欲しかったらしく、非常にすっきりした顔で二人についてきた。
 その間、自分がぶつかった経緯があるから強めに出られないアスナは、酸味のある汚臭に耐えながら早足で歩いていた。
 制服のクリーニング代は出すと言われても、うら若い乙女に汚物をぶっかけた慰謝料は請求できない。
 アスナは未だに鼻にこびりついている不快な臭いを払うように鼻を鳴らす。

「でも、ウチの学園長に用事って何の用なのかしら」
「綺麗な外人さんやったなー。ひょっとしたら新しい先生とか教育実習生かもしれへんで」
「生徒の頭にゲロを吐く先生なんて真っ平ごめんよ。あたしは高畑先生以外認めないわ」

 「あぁ、高畑先生……」と、夢見心地でトリップするアスナを見て、木乃香は愛想笑いを浮かべた。
 彼女の年上好きには、親友で同居人である木乃香にもついていけなくなることがあった。
 教室に入る。彼女の所属する2-Aは問題児が集められたという噂が立つほどに騒がしいクラスだった。
 新年始めの学校であるのに騒々しいことこの上ない。

「皆さん! 他のクラスでは授業をしているのですよ! もう少し静かに自習できないんですか!?」
「固いこと言わない、いいんちょ」
「そうそう。あんまり怒ってばかりいると早死しちゃうよ?」
「あなたたちのせいではないですかっ!」

 いつものことながら、何やってるんだろう、こいつら。教室のドアを開けた途端に広がった光景に、引き笑いを浮かべるアスナに視線が集まる。

「お、アスナにこのか。遅刻だぞー」
「何でジャージなの?」
「正月ボケか?」
「なんか外国人の人と登校してたけど、何かあったの?」

 事件の匂いを嗅ぎつけた朝倉和美を筆頭に、生徒が取り囲む。アスナは落ち着いてシッシッと虫を払うように言った。

「何でもないわよ。道に迷った外国人を案内してただけ」
「英単語ひとつも憶えてないのに言ってることわかったの?」
「うっさいわね!」
「日本語話せたんよ」

 バカレンジャーレッドが英語を話せるわけがない。全員の共通意思に余計なお世話だと叫んだ。

「ははは、相変わらず騒がしいね、このクラスは。あけましておめでとう、みんな」
「た、高畑先生!?」

 そこに担任教師のタカミチが男臭い笑顔で入室したため、全員が蜘蛛の子を散らすように席につく。
 年明けに初めて見たタカミチに見蕩れていたアスナも木乃香に引っ張られ強引に着席する。
 教壇に立つタカミチは、挨拶も早々に切り出した。

「実はだね、今日から新しい先生が来ることになっているんだ」

 何の事前情報もない唐突な話にクラスがざわついた。揚々と盛り上がるクラスメートの中で、アスナの顔が嫌な予感に青ざめてゆく。

「入っていいよ」

 無造作にドアが開き、渦中の人物が登場した。ある者は容姿に見とれ、ある者は記事になると目を輝かせ、またある者は出来る……と瞳を眇め、そしてある者は全身から血の気が引いた。
 肩で切りそろえられた陽光に煌めく銀の髪、白色人種特有の混じりけのない白い肌、美麗な顔立ちと印象的なオッドアイ、非の打ち所がないスタイルを包むダークスーツ。
 思わずため息が漏れる美しい男は、頬にくっきりと紅葉を貼り付けて2-Aの前に姿を表した。

「彼がこれからこのクラスを担当してもらう、新任の先生だよ。自己紹介をして」
「初めまして。今日からこのクラスの担任を任せられたオリッシュハー・ネルトキー・“ガイ”・ヤルキナイネンです。ウェールズから来ました。教師も日本も初めてで、何かと及ばないこともあるかと思いますが、精一杯頑張ります。よろしく」

(寝るとき以外……)
(やる気ないねん……?)
(なぜ関西弁……?)

 何人かの生徒の頭に疑問が浮かんだが、殆どの生徒は新任教師のインパクトに万馬券が当たったかのように熱狂した。
 大歓声が教室を包み込む。他のクラスで授業中の教師が様子を覗き、なんだ2-Aかと帰っていった。

「はい、静かに。他の授業中だからね」
「はい、先生! 質問してもいいですか!?」

 報道部に所属するバイタリティー溢れる朝倉和美が挙手すると、タカミチが首肯して頷いた。

「何歳ですか!?」
「24歳です」
「身長と体重は!?」
「183cm、75kgです」
「学歴は!?」
「オックソフォード大学を飛び級で卒業して自営業をしていました」
「恋人は!?」
「いません。仕事が恋人です」
「好きな女性のタイプは!?」
「お淑やかな女性が好みです」
「その顔の紅葉は!?」
「さっきコケた拍子に源先生の胸に顔を突っ込んでビンタされました」

 和美に便乗して質問が飛び交う。身を乗り出して質問する生徒までいた。
 静かにしろ、と言ったのに万馬券が当たったかのような騒ぎの2-Aにタカミチが苦笑する。
 一時間目はオリッシュへの質問大会で終わってしまった。鐘が鳴り、退室するタカミチが去り際に言った。

「あ、そうだ。僕は出張で忙しくなるから、これからは全権をオリッシュくんに任せることにしたんだ。だからしばらくは会えなくなるね」
「えっ!?」

 アスナが凍りつく。クラスの面々は、寂しくなるねーなど口々に感想を呟いているが、元々タカミチは出張が多く、学校を留守にすることが殆どだったのでたいして変わりないという意見もある。
 だがアスナだけは別だった。彼女にとってタカミチは恋愛対象なのだ。その為にタカミチが顧問を務める美術部に興味もないのに入部したのに……会えなくなるなんて……
 アスナが灰になって散っていく。その間もオリッシュは生徒に絡まれていた。

「なんて呼べばいいんですか!?」
「気軽にガイ先生とでも呼んでくれ」
「なに教えるのー?」
「英語、次の授業だな」

 このままだと質問攻めで休み時間が終わる。時計を見上げて焦ったガイは、まだ質問しようとする生徒を制してクラス委員長のあやかを手招きした。

「委員長は雪広で合ってるよな?」
「はい」
「ちょっと話があるから来てくれ。すぐ済むから」
「分かりました」

 二人が退室する。空気を読んで誰も追ってこなかった。教室から二人が出てから、ガイが首だけを教室に戻して宣言する。

「あ、言い忘れてたけど、次の英語はみんなの実力が見たいんで簡単なテストするから」
『ええええーーーーーーーっ』

 生徒の悲鳴を背に、ガイとあやかが人気のない別教室で二人きりになる。

「んー、こんなところでいいか」
「先生、どんな話でしょうか」
「あー。大勢の前で聞きづらい話なんでな」

 前置きして、心なし小さめな声でガイが雪広に尋ねる。

「このクラスにいじめや不登校の問題はあるか? もしくはお前がされてるとかあるなら、他言はしないから教えてくれ」

 外国人とは思えない心配りの聞いた言葉に、あやかが瞬きした。
 新任の教師らしくない配慮にあやかはしばし驚いたが、すぐに取り繕う。

「いいえ。全員が元気で明るい良いクラスだと思います。その分、多少は騒がしいですが」
「本当か? 留学生が多いから文化的な問題があると思ってたんだが」
「皆さん、とても馴染んでますよ。あ、でも……」
「ん?」
「エヴァンジェリンさんは、けっこう休みがちかもしれません」
「あー、この子か」

 クラス名簿を眺め、白人の少女の無愛想な顔を見つける。

「でも、さっきは居たよな」
「学校には来ているようですけれど」
「なんだ? 保健室登校か?」
「いえ、言い方が悪いですが、サボタージュのようです」
「そうか。問題児だな」

顎に手を添え、何かを思案するガイの顔を見つめ、あやかはクスリと笑ってしまった。

「どうした?」
「いえ、心配症な方なのだと思ってしまいまして」
「日本の学校はだいたい単一民族で成り立ってるが、海外だと人種もバラバラだったりするからな。
 経験上、多民族社会は治安が悪くなるんだよ。ウチのクラスは留学生がいるから不安にもなる」
「ヨーロッパの移民問題ですか?」
「よく勉強してるな。まぁ、これは留学したアメリカでの話だ。興味があるなら聞かせてやる」
「是非、お願いしますわ」

 日本語も流暢で思いのほか気さくなガイにあっさりと打ち解ける。
 担任を任せられるには若すぎて不安だったが、人柄の方は杞憂で終わりそうだとあやかは胸をなでおろした。
 予鈴が鳴る前に教室に戻る。テストをやると聞いて、一部の優等生以外が緊張しているのを見て、テスト用紙を教壇にトントンと落として整え、ガイが言った。

「成績には反映しないから安心しろ。ただオレが英語の習熟度を見たいってだけだから」

 その言葉にバカレンジャーを筆頭に何人かが露骨に嘆息した。それを見てガイが続ける。

「ただし、手を抜いたり、あんまり成績の悪い生徒にはみっちりと指導するからな」

 容赦無い宣告にアスナがフリーズした。教室は阿鼻叫喚の地獄と化した。







「死んだ……」
「やっぱり解けへんかったんか」

 机に沈み、口から魂が漏れだしているアスナにこのかが苦笑した。
 テスト中、隣席のアスナは問題を見るや目を血走らせ、滝の汗を流してから頭を抱えて、その高度が少しずつ下がっていった。
 終わったときには顔が机に埋まっていた。周囲を見ると、成績の悪い面々は頭を抱えたり、難しかったーと叫んだり、顔を曇らせていたりと散々のようだ。
 成績上位者は余裕で平素な態度だったが、それ以外は新任の外国人教師の行う授業に戦々恐々という様子だった。

「くっ……ネイティブな英語で授業をされたら、あたしの学園生活は終わりよ」
「大袈裟やな。日本語上手かったし、その心配はいらんのちゃう?」
「甘いわね、このか。アイツは初対面のあたしにゲロを吐きかける変人よ。対抗策はいくら練っても足りないわ」
「先生に対抗策練ってどうするん」

 どういう努力の方向性なのか。なぜか授業ではなくガイの行動に対するシミュレートをしだすアスナにこのかが呆れた。
 その話を耳聡い椎名桜子や柿崎美砂ら賑やかな面子が嗅ぎつけて集まってくる。

「なになに? アスナぶっかけられたの?」
「嫌らしい言い方するな!」
「でも、あの美形の吐いたものか……」
「アンタらは美形なら何でもいいんか」

 面食いの節があるらしく、美形というだけで思慮に耽る美砂にジト目でツッコむ。
 どれだけ美形だろうとゲロは嫌だ。実体験なのでアスナは断言できた。
 新任教師が新年早々にやってくるというサプライズがあった授業初日は、ガイの話題性もあってか、あっという間に過ぎ去った。
 SHRの時間になり、ガイが教室に入ってくる。新任のくせに、妙に手慣れた様子で必要事項を報告すると、号令が済んでから帰り支度を始める皆を見て、思い出したように言う。

「あぁ、そうだ。神楽坂に近衛」
「はい?」
「なんですかー?」

 名前を呼ばれ、アスナは不審そうに、木乃香はポワンとした笑顔で答える。
 ガイは明後日の方向を向いて、

「学園長が呼んでるから、ちょっと来てくれ。二人に話があるそうだ」
「はぁ」
「じいちゃんが? なんやろなー」

 脳天気な木乃香と違って、アスナは嫌な予感がしてならなかった。
 何というか、ガイと出会ってからろくな目に合わない。第六感とも言うべき彼女の本能が、何故か警鐘を鳴らすのだ。
 そして、その勘は見事に的中する。





「という訳で、ヤルキナイネンくんを二人の部屋に泊めて貰えんじゃろうか」
「何が、という訳だジジイ!」
「何が、という訳ですか学園長先生!」

 場所は学園長室。二人の抗議の声が重なった。黒檀の机に両手を叩きつけて学園長に詰め寄る二人は、こういう時だけ気が合っていた。

「どういうことですか! 今日会ったばかりの成人男性と、おまけに教師と同居させるなんてなに考えてるんですか!?」
「どういうことだ! 未成年の少女、おまけに生徒と同衾させるとか、とうとうボケが始まったのか妖怪ジジイ!」
「これこれ、いっぺんにたくさん怒鳴らんでくれ。ちょっとはこのかを見習って落ち着いてみたらどうなんじゃ」
「これが落ち着いていられるか!」
「これが落ち着いていられますか!」

 一見、正論を言っているのは二人だが、学園長は蓄えた髭を撫で、飄然と笑いながら反論した。

「アスナちゃん。これは儂らだけの秘密じゃが、実は最近、周囲がきな臭くなってきてな。
 このかとアスナちゃんを護るために、教師と護衛の二役をこなせるエージェントを雇うことにしたのじゃ。それが彼なんじゃよ」
「え?」

 アスナが呆然とガイを見る。木乃香の家が凄い名家だということは知っていたが、まさかそれに関係する話なのだろうか、と信じてしまう。
 一方、ガイは「なに言い出すんだこのぬらりひょん」とシラけた視線を送っていた。
 そのガイには、学園長は一枚の紙を取り出し、ペラペラとガイの前でかざす。

「ヤルキナイネンくん。契約書に書いてあったじゃろう。教師の仕事には、『生徒を護ることも含まれる』と、『住居に関してはこちらの指定にしたがってもらう』とな」
「いや、だが……倫理的にも常識的にもダメだろう」
「君が手を出さなければいいだけの話じゃろうて」

 あれこれ屁理屈を捏ねて言い包めようとする学園長に、ガイが何かしらの意図があるのだろうと察する。
 そもそも契約の話を持ちだされると、ガイはどうしようもない。文書として契約が成立している以上、この場では契約書にある内容が優先される。
 裁判に訴えたら勝てるかもしれないが、日本では裁判の決定が下るより先に契約の任期が終わりそうだ。
 そして報酬の誘惑に勝てず、ガイは屈した。頼みの綱のアスナはというと、

「うー……このか、どうする?」
「ウチは別にええよ。じいちゃんはウチらを心配してくれてるんやし」
「……まあ、このかがいいなら」

 あっさり折れていた。ガイが内心、肩をがっくりと落とす。彼女たちが頑として抵抗してくれていれば、実現しない可能性もあったのに。
 気落ちするガイに、ビシッとアスナが指をさす。

「ただし! あたしたちに手を出そうとしたら問答無用で社会的に抹殺しますからね!」
「……あぁ、うん。安心していいよ……出さないから」

 こうして、年齢差十歳差の教師と生徒の同居生活が幕を開けたのである。
 教訓その二:目先の欲に負けて迂闊にサインしない。




あとがき
テンプレ終了。
タイトルは『ドロドロしたネギま!』の略です。

公約
・バトルなし
・恋愛以外でシリアスしない
・安易にホモネタに走らない

これを守って書きたいと思います。



[39449] 部屋とYシャツとたわし
Name: コモド◆82fdf01d ID:5820196b
Date: 2014/02/25 20:00

(……狭い)

 アスナと木乃香の部屋に入ったガイの第一印象がそれである。
 二段ベッドと学習机が二つ置かれており、部屋の中央にテーブルが、その近くにソファが置かれている。
 この部屋は二人部屋であり、三人が暮らすことは想定していないので当然だが、この過密空間で年下の女生徒と一年間過ごすと思うと、気が滅入った。
多感な年頃の同居人二人は、ガイ以上に相手を意識しているはずで、アスナは目に見えて緊張、警戒しており、キャリーバッグ片手に入室したガイを用意したクッションに座るように促す。

「どうぞ、お座りください!」
「悪いな、色々と」
「いいえ! お世話になっている学園長の頼みですからっ」

 やはり朝にゲロをかけられたことを根に持っているらしく、刺々しいアスナにガイは前途多難だな、と心の中で独りごちた。
 対して、木乃香はガイに好意的で、人を疑ったり、嫌うことを知らないのか、無防備な笑顔でガイを歓迎した。

「何もないから歓迎会とかできへんけど、よろしくなー先生」
「京都弁だったか。風情があるな。迷惑かける」
「ええよ。ウチらも護ってもらうんやからお互い様やし」

 アスナが警戒心と敵愾心を剥き出しなのに対照的で、身内の紹介ということもあり、このかはすっかり信用しきっているようだった。敬語を使わなくていいと言ったら、本当に使わなくなったあたり、ガイを心底なめているか根っこがフレンドリーなのかのどちらかである。
 粗茶ですが、とお茶が出される。若いのに家庭的な子で、これが大和撫子か、とガイが心の中で独りごちる。
 きっと、まだニンジャ、サムライ、ハラキリも実在しているに違いない。
 感動するガイに目を輝かせてこのかが言う。

「なぁなぁ先生。さっきじいちゃんが先生のことエージェント言うてたけど、もしかしてFBIとかCIAの特別な訓練受けた人だったりするん?」
「違うぞ。あれは学園長が適当についた嘘だ」
「はぁ!?」

 信じきっていたアスナが愕然と立ち上がる。このかが悪の組織に狙われているからと、断腸の思いで了承したのに、嘘だと言うのか。
 怒りのあまり続く言葉の出ないアスナに代わり、このかが尋ねた。

「ほなら、先生がオックソフォード出身っていうのも嘘なんか?」
「それは本当だ。アメリカに留学してMBAも取って、そのあとは自営業。で、学園長と高畑先生に頼まれてここで教師をしてくれと言われてな。待遇の良さに惹かれてきてみたらこれだ」
「高畑先生が?」
「へえー。先生って凄いんやな」

 タカミチが依頼したと聞いて、それなら信頼できるのかも、と考え出すアスナと経歴に感心するこのか。
 しかし、一回り近くも年も生活文化も性別も違う教師と生徒を同居させるとは、いったい何を考えているのか。
 ガイが思索していると、唇を尖らせたアスナが言った。

「結局、なんで同居しなきゃいけないんですか?」
「さぁ。学園長に何かしらの思惑があるとしか言えない。オレもさっぱりだ」

 お手上げと、両手を上げて降参のポーズを取る。とどのつまり、不満は同居にあるのだ。
 別に外国人教師だろうとゲロ吐きかけられようと、他人だから許容できるものが、身内になると溜め込まなければならなくなる。
 アスナの意を汲んだのか、ガイがバッグからペンと羊皮紙を取り出した。

「不安なら、これに誓約と契約を書いておこうか? 君たちに手を出したら強制解雇と違約金、ついでに牢屋にぶち込まれるように」
「たかが紙切れじゃないですか」
「アホ、契約をなめるな。サインしたら法的に成立するんだからな。紙だけで何百億って金が動くんだぞ。神と人間の関係だって契約で成り立っているくらいだ」
「そんな大袈裟にしなくても、約束してくれればええで。はい、ゆびきり」

 このかが小指を立て、それに首を傾げながらも真似てガイも小指を立てた。このかが指を絡ませて上下に振る。

「ゆーびきりげんまんうそついたらトンカチ千回落ーとす。指切った!」

 アスナが不審そうな目で二人の遣り取りを見ていた。何だかな~、とガイがちぐはぐな人間関係を見ていた。
 上着を脱ぎ、荷物を解いて空いているスペースに押し込む。基本的に生活必需品と衣類しか持ってきていないのだが、例外として魔法使いのイメージ通りの品のひとつ持ち込んでいた。
 掌大の球体紫水晶が床に転がり、それにこのかが目を留めた。

「あ、水晶や。先生も占いするんやな」
「ん? あー……金に困ったら物好き相手にやってたな」
「どういう商売してたんですか」

 水晶を手に持ち、占いに目がないこのかと、偏見から胡散臭い目で見るアスナ。
 ガイはこのかの手から水晶を取ると、テーブルの上に置いた。固定していないのに不思議なことにピクリとも動かない。

「失敬な。これでも本業だ。出血大サービスで二人を占ってやろう」
「ホンマ?」
「えー」

 これまた対照的な反応の二人を置いて、ガイが水晶に手をかざして集中しだす。

「……見えた!」
「どうなん? どうなん?」
「えーと、近衛は……この世界のお姫様だそうだ」
「? どういうこと?」
「あたしに訊かれても……」

 人差し指を口元に当てて、アスナに尋ねるこのかに急に問われたアスナが当惑した。
 続いてアスナの番だが、占っていたガイの顔が引きつっており、なかなか結果を言い出そうとしない。

「せんせ、アスナはどうなん?」
「あ? ああ……神楽坂は、別世界のお姫様だそうだ」
「は?」
「先生はロマンチックやなぁ」

 怪訝に眉をひそめるアスナと外国人なりのジョークだと思い、照れるこのか。
 占われた方も困惑していたが、占ったガイも頭を抱えた。

(マジか……まさか、学園長が頼んだ理由ってこれか)

 見えた結果に面倒になりそうだと嘆きたくなる。安請け合いし過ぎた。割りに合わない仕事だと、就任早々に暗雲が立ち込めたことに頭痛がした。
 ついでに言うと、同居生活も先が危ぶまれる初日となった。



「これが……日本食、だと……!?」

 このかが手料理をご馳走すると言い出して、鮭の塩焼きや味噌汁などの和食を作った。
 それをスプーンとフォークで口にして、愕然と打ち震えていた。

「どうしたんですか?」
「口に合わんかった?」

 外国人だから味が受け付けなかったのかと思えば、

「もう何年も、こんなに美味いものは食べたことがない……」
「は? 今までなに食べてきたんですか?」
「野草やきのこ、あとは野生の動物だな」

 どんな山奥で暮らして来たのかとアスナをドン引きさせ、

「シャワー借りたよ」
「はーい……って、何か着てくださいよっ!」
「あ、悪い」

 パンツ一丁で出てきたりするガイに、アスナはツッコミで大忙しだった。
 些細なことで驚かされるので心臓に悪い。

「なんや、ドキドキするなー」
「このかって案外図太いわね……」

 そして、親友はこの同居生活を学校の催しのように楽しんでいるので、アスナは何とも言えない気分になるのだった。







 厳冬の早朝は日が顔を見せず、小鳥のさえずりも聞こえなかった。
 アスナが起き上がり、ソファで寝ている異邦人を気にしながらも着替えを済ませる。
 そのガイはアスナに背を向けて、背もたれと向かい合うように横になっていた。
 急な申し出だったので布団も用意しておらず、どこで寝るか話し合いになった結果、ソファでいいとガイが言い出した。
 正味、あまり座り心地が良くなく、誰も使用しないソファだが、ガイはいたく気に入ったらしい。
 食事の件といい、いったいどんな生活を送ってきたのか、詮索する気も失せるほどに妙ちくりんな外国人だ。
 タカミチが外国から拾ってきたんじゃないか、とアスナが疑いたくなるのも無理はない。
 部屋を出ようとすると、そのガイが目を覚まし、むくりと起き上がった。

「どこに行く気だ」
「新聞配達のバイトです」
「そうか。寒いのに大変だな。滑って怪我するなよ」

 ひょっとして、最初から起きていたのだろうか。大きなお世話だと、べーと舌を出してバイトに向かう。
 自分の裸を見せることに羞恥心はないが、女性への気配りはできるらしい。
 デリカシーがあるのかないのか、よくわからない人だった。





「吐きそう……」
「ちょ、こんな所でやめてくださいよ!」
「エチケット袋あるよ」

 満員電車の中で、白い顔を蒼白にして口元を抑えた。近くにいたアスナが先日の悲劇を思い出して慌てふためき、このかが袋を手渡した。
 周囲は女生徒ばかりで、ガイは容姿と身長が頭一つ抜けていたこともあって注目を集めていたのだが、今度はチキチキゲーム的な意味で視線を集めることとなった。
 初めは両手を上げて、痴漢してませんよアピールをしていたガイだが、電車が揺れることと男旱な女生徒が面白がってぶつかってきたので、またしても酔ったのだ。
 深呼吸をして吐き気を静めるガイの背中をアスナが撫でる。

「くそ……噂には聞いていたが、これほどに苦行だとは……日本の通勤ラッシュは地獄だ……」
「東京と比べれば大したことないのにな~」
「どんな田舎から来たんですか……」

 満員電車で嘔吐するテロ行為を敢行されては堪ったものではないので、手厚く介護して状態を落ち着ける。
 もしかしたら虚弱体質なのかもしれない。外見は真っ白なので貧弱そうではあるのだが。
 そして、降りたら降りたで、麻帆良名物の登校ラッシュ第二弾が始まり、ガイはトイレに駆け込んだ。
 その速さは走る生徒の誰よりも俊敏で、体が弱いのか強いのかもわからなくなった。







「えー、早速だが、昨日やったテストを返却する」

 朝のHRが始まる頃には、吐いてスッキリしたらしくガイも復調していた。
 一時間目は英語で、授業開始までは、まったりと世間話や他愛ない話でガイも交えて盛り上がっていたクラスに悲鳴が飛び交う。
 名前を呼ばれ、出席番号順に答案を取りに行く。アスナの結果は惨憺たるもので、十点満点なら合格点と呼べる代物だった。
 気落ちしてテスト用紙を見たくもないが、紙面は赤で埋まっていて、よく見ると解答の解説やミスした理由なども赤文字で細かく記されていた。
 一晩でここまで書いたのかと、生徒なのに思わず感心してしまう。アスナは読んでも良くわからなかったが、周りを見ると、内容を読んで得心している者が多かった。

「採点してみた感想だが、このクラスは得意なヤツと苦手なヤツが極端だな」

 自分のことを言われているのだと思ったバカレンジャーが各々、苦笑いを浮かべたり頬を引き攣らせたりと反応を見せる。
 超や葉加瀬、あやかなどは満点で英語も日常的に話せる習熟度だが、バカレンジャーは文法を理解しているのかも定かではない。
 ちなみに最下位は名前だけ書いて白紙で提出したエヴァンジェリンなのだが、今日は出席していない。
 ガイは点数表から目を離してクラスを見渡した。

「だが、まぁ、これは仕方がない。日本語は複雑で奥が深いしな。英語を使う機会もないし、言語体系も全く違う。日本語では表現できる言葉が英語ではなかったりするし、とにかく解りづらい。
 それに国語では短歌や漢語まで習うんだからごっちゃにもなるよな」

 成績の悪い面子が、言いたいことを言ってくれた、とうんうんと頷く。こういう時だけ同意するアスナに都合の良い女の子だな、と冷めた視線を送りつつも、ガイは言った。

「じゃあ、オレから質問だ。お前たちが興味のある英語ってなんだ?」

 質問の意図が掴めず、何人かが首を傾げた。ガイが補足する。

「音楽でも映画でも文学でもいい。普通に生活していて、触れる機会のある英語はあるか?」
「あ、先生。わたし、洋楽好きです。アヴリル・ラヴィーンとか」
「よし。次の授業にCDを持ってきてくれ」
「へ?」

 思いついた事柄を挙手して挙げた釘宮円が、ガイの次の言葉に呆気に取られる。
 遠慮がちに聞き返した。

「あの、いいんですか?」
「英語の教師はオレだから許可する。教材として使用するから持ってきてくれ」
「それでは、肝心の授業が疎かになりませんか?」

 クラス全員の心配を代表してあやかが尋ねた。ガイは堂々と言った。

「なに言ってんだ、これも立派な授業だぞ。そもそも英語も日本語と同じ言語の一つなんだ。
 お前ら、洋楽を聴いているときに意味を考えたことがあるか? 何気なく音だけ聴いて満足してるだろ。壮大な曲調の楽曲だって、歌詞を読むとすっげえどうでもいいことが書いてあったりするぞ」

 思い当たる節があった円が愛想笑いを浮かべる。そして、ガイはニヤリと笑った。

「それにな」

 イタズラを思いついた悪ガキのような意地の悪い笑みだった。

「念仏みたいな英語を聞くだけの授業より、ずっと楽しいだろ?」
「あー! 先生、実は楽したいだけだな!」
「バレたか」

 鳴滝風香の指摘に頭を掻くガイに、教室は爆笑に包まれた。外国人の授業に緊張していた空気が弛緩して、いつもの2-Aに戻る。
 調子が戻って桜子や裕奈らムードメーカーが騒ぎ始めた。

「センセー! 次は映画持ってきてもいいですか!」
「十五歳未満のお前らが観られるものならな」
「気になってたんだけどさ、先生は何で名前じゃなくてガイって言うの?」
「マジック・ジョンソンみたいなニックネームだ。彼の名前はアーヴィンだが、みんなにはマジックって呼ばれてるだろ? それと同じだ」
「あ、知ってる! 先生もバスケ観るんだ!」

 それを皮切りに騒がしい通常運転の2-Aが思い思いの会話で賑わい始めた。ガイが手を叩いて静まらせる。

「言っとくが、聴くだけじゃなくて和訳したり、リスリングもするんだぞ。そんで、宿題はきっちり出すからな。十分くらいで終わる簡単なものだから安心しろ」

 宿題と聞いてブーイングが発生したが、簡単だと言ったら途端に止んだ。分かりやすいクラスだった。

「残り時間はテストの解説をするから。和訳はともかく英訳は苦手なやつが多かったな」

 その後、初めての授業は間違いが多かったところの解説で終わった。
 全部英語の授業をやると思っていたアスナは緊張が解れて机に突っ伏した。
 授業が終わると、美砂と円、桜子のチア三人組がガイの元に集まった。

「先生は洋楽好きなんですか?」
「洋楽つーか、ハードロックとかは好きだが」

 洋楽はガイにとっては地元の音楽なので意味は合っていても変な気分になる。ガイが活動していた北欧はヘヴィメタルが人気で、どちらかと言えば古い曲が好みのガイは趣味の合う友人がいなかった。

「私たちバンド組んでるんですよ」
「へえ」
「ベースは亜子をスカウトしてるんですけど」
「ええっ!? ウチ初めて聞いたで!」

 勝手にメンバーに組み込まれそうになっていた亜子が驚愕して、その反応がおかしくて周りが笑った。
 色物が多い2-Aで比較的普通の女子中学生をしている彼女たちには、ガイは馴染んできているようだ。
 まだ二日目だが、顔も良いし、授業も楽しそうだし、とっつきやすい。他のクラスでも話題になっているようで、ガイが来て愛しのタカミチが追い出される形になったアスナは面白くなかった。







 受け持つクラスの授業が終わり、職員室で人心地つく。生徒数二千人を超えるマンモス校である麻帆良学園は、当然教師の数も多い。
 新任のガイは源しずなが世話役として補佐する手筈となっていたが、初対面でガイが足を滑らせて豊満な胸に顔を埋めた事件から確執が生じ、学年主任の新田に変更になっていた。
 色々と気を使ってもらい、回ってくる仕事の少ないガイが、受け持っているクラスの仕事は自分でしようと授業で使う資料作成や書類の処理をしていると、隣席の瀬流彦が話しかけてきた。

「どうだった、2-Aは」
「極端で面白いクラスだと思います」

 アハハ、と曖昧に笑う。瀬流彦は年も近く、席も隣りで、魔法関係者ということもあって初日から会話が弾んだ。
 二枚目だが、どこか頼りにならない印象が漂うのは若いからなのだろうか。浮世離れした美貌と近寄りがたい雰囲気のガイを敬遠する一般教師と違って普通に話しかけてくる希少な人物だった。

「高畑先生でも手を焼いている生徒が多いからね、2-Aは。困ったことがあったらいつでも相談してくれていいから」
「はい、ありがとうございます」

 親切な言葉に社交辞令気味にお礼を言う。個人主義に走りがちなガイは、基本は自分で解決するスタンスなのでお世話になることはないだろう、と勝手に結論づけた。

「あ、あと」
「?」

 周囲を確認して、手を立てて耳元に顔を寄せる。

「君、派閥とかはどうするの?」
「派閥?」
「あ、もちろん魔法関係のね」

 ガイが眉をひそめる。組織に派閥は付き物だが、もしや必ず入らされるのか。
 そういう面倒事が嫌いなガイは、露骨に機嫌を損ねて低い声で言った。

「まさか入らなかったら嫌がらせされたりするんですか?」
「いやぁ、流石にそこまではしないと思うけど。君の雇用は学園長が強行したって話だったから、良くないって思う人もいるんだよ」

 麻帆良ほどの大規模な魔法都市にもなれば、それ相応の数で派閥が構成されていることは容易に想像がついた。
 しかし、雇われ傭兵のような非正規雇用のガイにまで勧誘してくるとは意外だった。
 若干、警戒心を強めて瀬流彦を見遣る。

「それで、瀬流彦先生はどこの派閥に所属しているんですか?」
「あ、僕はまだ決めてないよ。まだまだ新参者だからね。今回は勧誘とかじゃなくて、一応忠告しておこうと思ったんだ」
「……」

 何となく、彼が出世の出来なさそうな人間に思えたのは、ガイの気のせいではないだろう。
 敵は作らないタイプだが、味方もできない優柔不断なタイプと見た。
 だが、特に馴染む気もないガイには、頼りにはならないが気の置けない間柄にはなれそうな性格に思えた。
 背後に面倒なものがないし、仲良くして損はない。

「なら、オレと瀬流彦先生で派閥を作りましょうか。古い体質を一新する革新派とでも称して」
「アハハハハ、冗談でも魅力的に思えてくる申し出だね」

 軽口を叩いていると、上司の新田が咳払いした。そそくさと仕事に戻る。

(しかし、生徒と向き合う仕事で自分の利益を巡って対立し合うってのも、本末転倒でアホくせえな)

 過去に魔法学校で教師と対立して中退した経緯がある為、教師という職業への不信感が拭えないガイではあるが、仕事は仕事だと邪念を振り払った。
 言ってしまえば、ガイは、『先生』として教師の仕事を全うするつもりなど、始めからさらさらないのである。







 定時になり、部活の顧問を勤めている先生方の恨みがましい視線を無視して直帰する。女子寮の門からアスナとこのかの部屋まで、誰にも見つかることなく潜入すると、扉をノックした。
 「はーい」と長閑な声が聞こえたので入る。鍵がかかっていなくて、無用心だな、とも思った。

「おかえりなさーい」
「……」

 部屋に入ると、エプロン姿のこのかが笑顔で出迎えてきた。家に帰ると他人がいる違和感に、仏頂面になる顔の筋肉を咄嗟に緩める。
 何とか微笑んで返すと、「ご飯できてるえ」と甲斐甲斐しく言う。何かが間違っている。
 だが、指摘したら尊厳が崩壊する。気を取り直して奥を見ると、机ではパジャマのアスナが頭を抱えて唸っていた。

「勉強中か」
「うわ! 急に背後に立たないでくださいよ!」
「先生の出した宿題してるんよ」

 覗いてみると、まだ二割もできていなかった。確かに成績は悪かったが、ここまでとは。

「神楽坂、分からないところがあるなら、素直にオレに聞け。それか近衛に教えてもらえばいいだろうが」
「う……それは……」
「なんかな、意固地になってんねん」

 気まずそうに目を逸らして、ペンを回す。様々な因縁があり、頼ることに抵抗のあるガイに負けてたまるものかと、自力で勉強することにしたのだ。
 が、地力がないので全く捗らない。不器用というか、生き方が下手な少女に嘆息した。アスナの机の本棚から英語の辞書を手に取る。

「分からない文章があるなら、まず辞書を引け。単語の意味を調べて、それを日本語の文法で並び替えれば、それらしくはなる」

 アスナが躓いている部位を的中させて、その頁を広げてプリントの横に置く。
 答えが閃いて、表情を綻ばせたアスナだが、隙を見せまいとすぐに引き締めた。
 分かりやすい少女に先達として進言しておく。

「オレが気に食わないのは分かる。初対面で滅茶苦茶やったし、この現状も納得してないだろうしな。
 だけど、教わるのを躊躇ってはダメだ。分からないまま放置するな。
 お前らは金を払って教師に『教えさせてやってる』んだから、とことん束縛して教えてもらってもいいんだ。極論、利用するつもりで接してもいいんだぜ?」
「……いや、普通、先生にそこまで強気に出られないんですけど」
「じゃあオレが教えてやる。それで成績が上がらなかったら、オレが無能な所為だと学園長に訴えてもいい。とりあえず、訊け。
 間違えても馬鹿にしないし、努力してる人間を笑ったりもしない。教わっても理解できないならオレを殴ってもいい。
 他の教師はともかく、オレに対してはそういうスタンスでいいから。とにかく頼れ。いつでも教えてやる」
「……」
「おー」

 アスナは深甚にガイを見つめ、このかが感心して声をあげた。
 形はどうあれ、頭の悪さを馬鹿にしたりせず、真摯に接してくれる人が初めてだったので、ちょっとだけ驚いた。
 そこまで言うなら――と、手始めに問題の一つを手解きしてもらおうと、プリントを指差した。

「あの」
「その前に、神楽坂はパジャマの下に肌着か何か着ろ。胸元が緩いからチラチラ見えるんだよ」
「――ッ!?」

 ぶっきらぼうな物言いに、真っ赤になって胸元を隠した。
 アッパーがガイの顎を捉える。

「先に言ってくださいよっ!」
「そこで殴るか!?」
「殴りますよ!」
「仲ええなー」

 教訓その三:正しいことを言っても怒られる。



あとがき
タイトルが不評なので変えてみることにしました。



[39449] 帰りたくなったよ
Name: コモド◆82fdf01d ID:5820196b
Date: 2014/02/22 07:40
「待て、神楽坂。オレも行く」
「はい?」

 翌日の早朝になって、アスナがバイトに出ようとすると、ガイが声をかけた。

「昨日はそのまま行かせたが、よく考えたら女の子を暗い中で一人にするのは危険だ。暴漢に襲われでもしたらオレの責任になる」
「いやー、何年も麻帆良に住んでますけど、そんな事件全然起こりませんよ」

 麻帆良は神木・蟠桃の加護か結界の作用で非日常的な出来事に直面すると思考が麻痺するため、警察が必要になる事件が発生しない。
 恐らく、世界で最も治安が良いと言われる日本の中でも、犯罪が起こらないという点では楽園に近い場所である。
 が、海外で暮らしていたガイには、ここの住民は無防備に映るようだ。

「治安が良すぎて感覚がおかしくなるな……オレがアメリカにいたときは、カフェテラスで食事中にトイレを済ませに席を立って戻ってきたら全部なくなっていたぞ。
 道端に落ちている財布を盗まないで届けるし、どうなってるんだこの国は」
「良いことじゃないですか」

 むしろガイのような人間が、どのような環境で生まれてくるのかがアスナには謎である。
 昨晩はウォッシュレットを使い、驚天動地の大慌てでトイレから飛び出して下半身を女子中学生の前で露出させた。
 すでに犯罪だったのを、素っ頓狂な反応で大騒ぎするので可哀想になり、見逃してあげたのだが、どうもガイは羞恥心がない。

「すぐ着替えるから待っててくれ」
「だから女の子の前で脱がないでください!」

 寝間着代わりのYシャツを脱ぎ、上半身裸になるガイから目を逸らして、たわしを投擲する。
 たわしは見事な糸を引くような軌道でガイの頭に直撃した。同じ部屋で過ごしているのに、ガイは自分に無頓着だった。
 どうも女は男の肌を見ても何とも思わないと勘違いしている節がある。
 アスナも年頃の少女で、異性には興味がある。タカミチという意中の男性がいると言っても、造詣の妙を嘆ぜざるをえない銀髪オッドアイの美青年の裸を見て意識しないわけがなかった。
 今も女性が羨む白い肌と引き締まった肉体が目に焼きついている。仮にアスナが男子中学生だとするなら、妙齢の外国人の女性が部屋に上がり込んできて、その艶美な裸体を性欲旺盛な男子に間近で晒しているような状況だ。
 普段寝るときは全裸だから、これでも譲歩していると言い出した際にはさすがのアスナも呆れた。
 これがカルチャーショックなのだろうか。

「寒くないんですか?」
「別に。今まで住んでたところはもっと寒かったしな」

 真冬の早朝に一張羅のスーツだけで外出するガイを心配するも、会ってから一度も防寒着を着ていた試しがないことを思い出して、損した気分になる。
 日の出の遅い冬の朝は、まだ真っ暗で、意識すると少し怖くなった。しょせん思い込みで、そう思わせた張本人だが、それでも男性がいると心強い。
 まだ人が寝静まった中でも慌ただしい新聞販売店から、新聞入りのバッグを抱えて出てきたアスナを仏頂面のガイが出迎える。

「半分寄越せ」
「え? いいですよ、ちょっと手伝ってくれるだけで」
「いいから」

 半ば強引に手提げ袋に詰め、順路帳を受け取ると走り出した。昨日の駅での猛ダッシュで目撃したが、脚が尋常ではなく速い。
 惚けてしまい、遅れて軽くなったバッグを揺らしながら走り出す。

「悪い人じゃないのかも……」

 昨晩の真摯な言葉が、脳裏を過ぎる。耳元でリフレインした。
 教え方は丁寧で、伝え方も言葉を選び、アスナのレベルに合わせて宿題を手解きしてくれた。
 見かけによらず熱心だと感じたし、打算でこんな早朝から新聞配達なんて辛い仕事を手伝ってくれる訳もない。
 それにガイは、アスナが寝てからもこのかの質問に答えていたり、夜遅くまで起きて授業の準備をしている筈なのだ。

「……」

 だが、ゲロを吐きかけられた過去を思いだし、微妙な心地になった。
 容姿に誤魔化されてはならない。あれは奇人変人の類なのだ。

「終わったぞ」
「ひゃあああ! って、もう!?」

 まだ配り始めて数分も経っていない。不意を突かれ、背後に現れたガイに飛び跳ねる。
 空の手提げ袋を風に靡かせ、白い呼気を吐くガイに言う。

「……もしかして捨ててきたんじゃ」
「んなワケあるか。残りも寄越せ。さっさと帰るぞ」

 残った半分を手に取り、ガイの背中があっという間に遠くなる。やはり人外の類なのでは……アスナの中で、ガイはタカミチが欧州の秘境から拾ってきた野生児説が浮上した。



「新聞奨学生なのか?」

 配り終えてから、帰路の途中でガイが尋ねた。もう空は白みがかっており、小鳥のさえずりのBGMにして歩く。

「いえ、あたし両親いなくて、小さいころから学園長に面倒を見てもらっているんです。
 学費も出していて貰ってて……学園長はいいって言ってるんですけど、少しずつでも返していきたいなってバイトしてるんです」

 重い話をあっけらかんと語る。とっくの昔に割り切っているので、特に寂しいとも思っていない。
 この話をすると、大体の人が申し訳なさそうな反応をするのに、ガイは顔色ひとつ変えなかった。

「そうか。まぁ、オレもいないから分かるが、奨学金の返済は面倒だぞ。踏み倒せるなら踏み倒しておけ」
「そんな恩知らずじゃないですー。ていうか、あたしと同じなんですね」
「どうかねえ。学園長ってパトロンがいる分、神楽坂の方が恵まれていると思うがな。
 憶えておけ。奨学金の取立てってのは下手な借金取りより厄介だからな。タダで良いって言ってるんだから素直に甘えておけ。
 生徒に甘えられれば、コロッと落ちるだろ、あの妖怪も」
「それだと、あたしの気がすまないんです!」

 悪魔のささやきのような甘言を刷り込むガイに、全然先生らしくないと、先ほどまでの考えを改めた。
 寝惚けた頭が、驚きの連続で取り乱してしまったのだろう。ガイから視線を外して、山稜から顔を出した朝日を眺めていると、硬い声でガイが言う。

「言い忘れてたが、バイトに専念しすぎるな。それで学業を疎かにして学校をやめていった馬鹿を何人も見てきたからな。
 オレが今日神楽坂を手伝ったのも、その為だ。たぶん成績が悪い原因のひとつだぞ。浮いた時間で勉強を教えてやる」
「ええーっ!?」
「点数は毎日積み重ねるものだ」

 お節介が過ぎるが、煩わしいと感じつつも、どこかで嬉しかったのも否定できない。
 ――が、案の定、通勤で乗り物酔いしてドン引きさせてくれたおかげで、アスナの気の迷いは吹き飛んだ。











 ガイの授業は、主に以下の手順で行われた。
 まず、生徒の持ち込んだ教材を流す。今回は円が持ち込んだ流行りの海外アーティストのアルバムで、耳障りの良いメロディーと歌声にクラスメートは傾聴していた。
 その間に歌詞の一部をガイが板書し、聴き終わってから質問する。初回は持ち込んだ円に当てた。

「釘宮、この一文を和訳してみろ」
「は、はい。えーと……あなたは振り返った時、あなたは私の顔を……お、おぼえていますか?」
「正解だ。だが、ちょっと堅いな。女性が歌っているんだから、『振り向いたらアンタあたしの顔わかるの!?』とでも訳しておけばいいんだ」
「センセー、裏声気持ち悪いー」

 甲高い声でヒステリックな女のモノマネをするガイに教室が沸いた。アスナやこのかの部屋でのイメージと違って、授業中のガイは拍子のズレたことを言って笑いを取りにいく。
 そのギャップがアスナを引かせているのだが、お調子者の多い2-Aでは好評だった。あらかた和訳が終わると、ガイがまとめに入る。

「つまり、この歌は彼氏に振られた女の未練がましい愚痴だったわけだ。どうだ、釘宮。和訳してみた感想は」
「え? えー、そうですね。そんな歌だとは思ってなかったんで、ビックリしました」
「壮大なバラードかと思えば、今すぐ恋人と会ってイチャつきたいって言ってるだけの歌詞もあるからな。ポップな曲調なのに歌詞は卑猥だったり。
 まぁ、知らない方が純粋に曲を楽しめるのかもしれないが、何気ない英語の意味を考えてみるのも面白いぞ。それまでのイメージが崩れるからな」

 へえー、と何人かが関心したため息をつく。また何人かが苦笑した。
 英語圏育ちなのに、英語のイメージを壊そうとしているのがおかしかったらしい。

「あー、あと和訳や英訳する時に完璧に正解しようとして、答えるのを怖がるなよ。言葉なんだから意味が伝わってさえいればいいんだ。
 極端に言えば、“Hi”なんか『よう』でいいんだ。お前らは友達との挨拶に『こんにちは』なんて堅苦しい言い方しないだろ?
 もちろん、テストの時は標準語を使わなければいけないが、これはそう堅苦しくならなくていい。肩の力を抜いてリクリエーション感覚で受けていいから」

 そして、授業の終わりに教科書に沿った内容の解説プリントと宿題を配布する。
 生徒の自主性に任せて、英語に興味を持ってもらおうという狙いがあるようだった。
 実際、興味が湧いたのか、ガイ目当てなのか知らないが、授業が終わると数人が質問をしに集まるようになった。
 これで大丈夫なのか、と危機感を持った生徒が教えを請いに来ているのかもしれない。
 だが、勉強が苦手な中学生のあいだでは、ガイの娯楽で学ぶ英語は概ね好評だった。
 しかし、新任早々、さっそく問題が生じた。

「マクダウェルのヤツ、今日も来てねえな」

 出席簿を見ると、HRの時点ではいるのだが、授業はすべて欠席しているようで、ガイが手のかかる生徒がいることに肩を落とした。
 何が面倒かと言うと、ガイの記憶が正しければ、エヴァンジェリンは真祖の吸血鬼で多額の懸賞金がかけられた賞金首のはずだ。
 十五年前に突然懸賞金が取り下げられ、誰かの手で討たれたのだとばかり思っていたが……麻帆良に居たとは。
 まだ本物とは決まっていないのだが、魔法関係者の集う麻帆良でこの名を名乗って、容姿も酷似している点から、ほぼ確実なのではないかと考えている。
 だからこそ面倒臭い。

(学園長も何もいいやしねえ。事前に連絡がない上に高畑も全権を委任するって言ってたから、好きにしていいんだろうか)

 何て不親切な学校だろうか。赴任したら、生徒に幽霊と吸血鬼がいました。他にも凄まじい魔力を秘めた女の子だったり、魔法世界出身の女の子だったり、ロボットだったり、明らかに戦場を経験した雰囲気のある中学生に見えない娘までいます。
 ガイは、タカミチが手に負えなくなったので責任逃れに外部の教師に押し付けるつもりで雇ったのではないか、と勘ぐるようになっていた。
 聞けば、長期出張を繰り返していたタカミチは、魔法先生はともかく、事情を知らない一般の先生には評判が悪く、タカミチが放置した所為で2-Aが問題児の集まりと化したとまで言われていた。
 トカゲの尻尾切りされるくらいなら、いっそ開き直ってやるとガイが息巻いて屋上に向かう。
 エヴァンジェリンの行方をクラスに訊くと、絡繰茶々丸が「マスターはこの時間は屋上で寝ています」と親切に教えてくれた。
 吸血鬼が日光を浴びるのはどうなんだ、と疑問に思う。寒いのに。真祖ともなると規格外になるのか。
 屋上のドアを開くと、暖房の効いた室内とは打って変わって寒冷な風が吹いた。
 エヴァンジェリンを探すと、布団を敷いて毛布に包まって寝ているエヴァンジェリンがいた。
 イラっとして、つい脚が出た。

「起きろ」
「ふぐぅ!? な、なんだ貴様!」

 腹を踏むと、カエルの潰れたような声を出して飛び起きる。ガイはしゃがんで視線を合わせた。

「よう、学校に布団を持ち込んで昼寝とは、たいそうなご身分だな」
「き、貴様、いま私を足蹴にしたな!?」
「違う。間違えて踏んでしまっただけだ。決して暴力を振るったわけじゃないから訴えられても勝てる」
「同じことだ!」

 奇襲に加えて足蹴にされ、安眠していたところを叩き起されたエヴァンジェリンは、最初は取り乱していたものの、ガイの顔を見ると気を落ち着けた。
 上体を起こし、腕組みして不遜な態度を取る。

「誰かと思えば、ヤルキナイ先生じゃないか。不真面目な生徒をわざわざ探しにきたのか。意外と熱心だな」
「ヤルキナイネンだ。確認しておくが、お前は闇の福音で合ってるか?」

 質すと、エヴァンジェリンは鼻を鳴らして不敵な笑みを浮かべた。

「そうだ。爺かタカミチに訊いたのか? ヤルキナイ先生」
「あいつらはオレに全部丸投げした。で、その懸賞金六百万ドルの最強の闇の魔法使い様が、どうしてこんな所で女子中学生なんてやってるんだ?」
「なぜ貴様にそんなことを話さなければならない」

 不機嫌に目を細め、ガイの目を睨みつけるが、ガイは表情一つ変えなかった。

「まぁ、想像はつくけどな。立派な魔法使いだか何かの金にこだわらないアホに、ここで一般人やって更生しろとか言われたんだろ?
 で、魔力も封じられて、アホな女子中学生に囲まれる学校生活に嫌気がさしてサボりと。こんなところだろ」
「貴様……」

 大方、推論が的中していて、自分の恥部を言い当てられたエヴァンジェリンが凄むが、やはりガイは動じない。

「しかも肉体の推定年齢は十歳前後。魔力がないと肉体も虚弱そうで可哀想になってくるな」
「いい度胸だ。満月の夜は気をつけろよ、若造」

 ヒクヒクと怒りに引き攣る頬をどうにか笑顔に歪めて、エヴァンジェリンが脅迫する。
 生意気にも闇の福音と恐れられた私を哀れんだことを存分に後悔させてやる――
 そう意気込むエヴァンジェリンの顔の前に、試験管に封をされた血液が出現した。
 少量の赤黒い液体は、ガイが揺らすと波立ち、エヴァンジェリンの目を留めた。

「差し入れだ。採れたてのオレの血をやるよ」
「……どういうつもりだ」

 ガイの意図がつかめず、訝しる彼女にガイは事も無げに言った。

「お前が授業に来ないとオレの評価が下がるんだよ。かと言って、口で説得しても来ないだろ。
 だから交換条件だ。定期的にオレの血を提供するから、代わりに授業に出席しろ」
「ふん、貴様の血などいるか」
「とりあえず飲んでから決めろ」
「むぐっ!?」

 封を開けると、突っぱねるエヴァンジェリンの口に強引に突っ込んで流し込んだ。
 初めは暴れて抵抗していた彼女だったが、試験管を伝う血が舌に触れると、目を見開いて大人しくなった。
 芳醇な香りと濃厚な味が鼻を抜け、美酒を味わった時のような心地よい陶酔感が湧き上がり、人間に堕落した体に活力が満ちる。
 舌に乗せる程度の量でこの魔力の含有量。嚥下し、試験管が離れる。目の前の魔法先生を見る目が変わる。

「どうだ? こっちの条件を飲む価値はあるだろ? 何せ、オレの血だからな」
「……ふん」

 何故か人間の分際で味に自信満々な顔が憎たらしいが、確かにこの魔力量なら交渉の価値がある。
 ふざけた名前をしているが、学園長が推薦しただけはあって、中々の実力を持つ魔法使いのようだ。
 否定の言葉が出なかったので納得したと思ったらしく、ガイは羊皮紙とペンを取り出した。

「よし、じゃあ契約するか。供給する間隔と量は今から交渉して」
「ああ、いい。面倒だ。授業に出ればいいんだろう? 出てやるさ」

 手間を厭い、払いのけると、何故かガイは不満そうに瞳を眇めた。

「ダメだ。出る保証がない。悪の魔法使いなら違えるくらい平気でやるだろ」
「面倒な奴だな。私の名に懸けて誓ってやると言えば満足か?」
「……」

 信用ならねー、と胡乱な眼差しを向けるガイにエヴァンジェリンが犬をあしらうように言った。

「心配するな。約束は守る。裏の世界に生きる者にとって、取り引きで嘘をつき信頼を損ねるのは致命的な失敗だからな」
「……そこまで言うなら信じてもいいか」

 得心したのか、立ち上がって踵を返した。最後に思い出したように首だけを向けて、

「あ、今日は来なくていいぞ。もう授業ないしな。明日からは絶対に来いよ」

 ガイが屋上を去ったのを見届けて、エヴァンジェリンは邪悪に微笑んだ。我慢しようにもどうしても唇の端が釣り上がる。

「くくく……どこから拾ってきたのか知らないが、爺も掘り出し物を見つけてくるではないか」

 久しく胸中を満たす喜悦に哄笑が抑えきれない。まだ舐めた血の残滓が口内で舌を楽しませている。
 サウザンドマスターに呪いをかけられてから十五年。ナギの血縁の子供が麻帆良学園に来る予定だったのに、その子供が突然行方不明になり、代役としてどこの馬の骨とも分からない輩を学園長が雇ったと聞いた際には絶望したものだが――
 どうやら、若くして賢者の域に至った魔法使いが秘境で隠匿生活を送って居たのを、タカミチが三顧の礼で迎えたのが真相のようだ。
 タカミチがわざわざ文言で一度、二度も足を運んでまで連れてくる者だ。そして、先ほどのクラス一任発言、表に出さずとも血に秘められた圧倒的な魔力。
 カモがネギと鍋を背負ってやってきた。エヴァンジェリンにはそう映った。

「使えるな、これは。上手く行けば、次の停電の機を待たなくても……くっくっく。ふふふふ……あーっはっはっはっはっはっは!」
「マスター、布団から出ては風邪を引きます。人付き合いを面倒くさがらず保健室で寝ては」
「少しは空気を読め! ええい、巻いてやる!」
「ああ、ダメです。そんなに巻かれては……」



 で、約束のギャグをした翌日の英語の授業。
 桜子が持ち込んだ洋画鑑賞が行われていた。これも流行りの洋画で、世界的ベストセラー小説を映画化した作品らしい。
 夫を亡くした未亡人がセカンドライフを歩むラブストーリーなようで、悲劇なのにコミカルに描かれていた。
 話題作らしく中身は惹きつけられるものがあり、長い一日の暇つぶしにもなるため、約束通り出席したエヴァンジェリンも頬杖をつきながら観ていた。

(十五年も学生をやっているが、授業中に映画を観だすアホな教師は始めてだな)

 そもそも教師としての自覚があるのかも不明だが、生徒の授業への関心は高いように見える。
 物語の山がひとつ終わり、全員がストーリーに引き込まれたところで、ガイは一時停止ボタンを押した。

「えー! そこで止めちゃうのー!?」
「もっと見せろー!」

 ブーブーとブーイングが飛び交う教室に、ガキ共め……と呆れる。実はもうひとり、長谷川千雨も全く感想を懐いていたのだが、そこは割愛する。
 勿体振る仕打ちに非難轟々の中、ガイが苦笑して手を叩いた。

「はいはい。これを解けば見せてやるから。だいたいこの時間だけじゃ全部観られないんだから、どうせ次も観るんだぞ」

 鑑賞している間に板書していた長い台詞を指差す。エヴァンジェリンも確認するが、どう見てもこのクラスの学力で訳せる問題ではなかった。
 上位の連中くらいしか解けないのでは、とあくび混じりに考えていると、

「ってことで、マクダウェル、頼む」
「はあ!?」

 突然指名され、驚きのあまり立ち上がってしまう。一方ガイはニヤニヤと意地の悪い顔で黒板を指差して、英文を読み上げた。

「さて、この問題は見ての通りちょっと難しいんだが、せっかく何で留学生のマクダウェルに解いてもらおうと思う。マクダウェルはもちろん分かるよな?」
「当然だ!」
「じゃ、頼む」

 挑発されて、改めて英文を読むが――口にするのを躊躇ってしまう。

「ぬ、ぐ……」
「どうしたー。お前は英語圏で生活していたこともあるんじゃないのか? もしかして、解いてくれないのか?」
「貴っ様~……!」

 ニヤニヤと笑うガイに苛立ち、拳を震わせるが、可愛らしい幼女の形をした彼女にガイが怯えるはずもなく、ガイは嘆かわしいとかぶりを振った。凄まじく演技くさかった。

「みんな、海外に言ったらよく憶えておくように。欧州に行くと英語で質問しても、『英語を世界共通言語と思ってんじゃねー』と、フランス語やラテン語で返す人がいます。
 今のはマクダウェルはラテン語圏出身のようなので、英語を訳してたまるかと怒った訳ですね。海外に行ったときには、こういう心の狭い人もいるので注意しましょう」
「あー! 訳せばいいんだろう訳せば!」

 公然の場でからかわれ、大声で叫ぶ。

「あ、あなたは私の人生のすべてでした。しかし、私はあなたの人生の一部でしかない。これから新しい人生が始まる。愛することを恐れないでください。人生はいつか終わるものだから、サインを見逃さないで。追伸、愛してる……」

 言い終えた時には顔が真っ赤だった。訳しているときにもナギのアホ面が頭に浮かんで、羞恥と後悔でちょっと涙目だった。
 おおー、と歓声が上がる。大声を上げたエヴァと心のこもった台詞に自然と声が出たようだ。
 ガイも拍手する。

「はい、よく訳してくれましたー。見ての通り、マクダウェルも英語が堪能なので分からないところがあったらガンガン質問しましょう」
「ハァ!?」
「エヴァちゃんよろしくー」
「エヴァ先生よろしくねー」
「勝手に決めるな貴様―ッ!」

 殺す――約束を守って嫌いな授業に出てみれば、辱められた。
 闇の魔法使いの誇りを傷つけられた仕返しを誓うエヴァンジェリンだったが。







「えー、お前ら、何で居残りくらったかわかるか?」
「はい」
「はい、残れとも言ってないのに残った雪広」
「馬鹿だからですわ」
「違う。もっとマイルドに言え。成績が悪い奴らだ」
「そうでした。すいません、先生」
「帰れショタコン!」
「イタッ!? なにしますの、このオジコン!」
「キャットファイトはリングの上でやれ。あと神楽坂。雪広は善意で残ってくれたんだぞ。慈善活動を積極的に行う資産家の鑑だ。感謝して見習っておけ」

 放課後、教室には成績下位の面子が集まっていた。
 具体的には、学年順位四百位の村上夏美より下位の面々――明石裕奈、大河内アキラ、柿崎美砂、絡繰茶々丸、釘宮円、桜咲刹那、椎名桜子、龍宮真名、長谷川千雨、エヴァンジェリン、ザジ、そしていつものバカレンジャー五人である。
 付き添いや一緒に教えるとして、このか、のどか、ハルナ、あやかも残ったが、成績が悪いと言われた面々は不服そうだった。
 特にエヴァンジェリンは先の授業でからかわれたことに加え、居残りまで食らい、怒りのあまり体が震えている。
 殺気すら孕んだ視線を一切無視して、ガイは教壇に手をついた。

「まぁ、さっきのは冗談として。ここにいるお前らが居残りくらった理由は単純だ。
 ――お前ら、勉強しないだろ」

 全員が図星をつかれ、愛想笑いを浮かべたり、視線を逸らしたり、頭を掻いたりと誤魔化した。
 エヴァンジェリンは変わらず殺気立って睨めつけてきたが、完全に無視した。

「理由は分かる。遊びたい年頃だろうし、運動部で熱意をそちらに向けている者が多い。部活から帰ると、疲れて勉強が手につかないのも理解できる。
 だが、最低限、宿題くらいは出せ。お前ら英語だけじゃなくて他の授業の課題も未提出だろ」

 他の科目の担当教師に確認済みだ。もちろん、出しているのもいるが、上位組は完璧なのに対し、下位だけ提出率が低い。
 担任がタカミチではなくなって、新任のガイに変わったので遂に苦言が呈されるようになった。

「別に公立と違って、税金ではなく自分の金で学んでいる訳だし、エスカレーター式だから勉強しなくていいと思っているんだろうが、教養は身につけて置かないと苦労するぞ。特に大学以降でな」
「先生! ワタシは勉強しなくても後悔しないアル!」

 中国からの留学生、褐色の肌の古菲が元気に発言する。ガイは怒るかと思えば、逆に優しい声をかけた。

「クーか。まぁ、お前は大変だろうなと思っている。日本語と英語を両方習いながら、武術研究会のアホな男共の相手も朝から晩までしてるんだろ。憶えることが多くて苦労してるな」
「おぉ?」

 まさか労られるとは思っておらず、動揺したクーは放置し、ガイは他の面子に言った。

「でもな、お前ら中学生がそんなに忙しいか? 部活だって七時前に終わるし、それから飯食って寝るまでに宿題をする時間も取れないくらい慌ただしい毎日を送ってるか? そんなことないだろ?
 別に難しいことを言ってる訳じゃない。必要ないと切り捨てるんじゃなく、必要なんだと割り切れ。お前らぐらいの年齢には一日は長い。十分でいい。その間、集中すれば解けるものしか学校は作らないからな。
 それでも分からないなら、ここにいる優秀な連中やオレに訊け。いつでも手取り足取り教えてくれるぞ」

 雪広がオホホホホ、と高笑いし、このかがポワンと笑い、ハルナが決めポーズを取り、のどかは恥ずかしそうに身を縮めた。
 が、美砂は納得していないのか、うーん、と唸った。

「でもさー、先生。あたしたちが勉強しても社会に出て使う機会なくない?」
「そうだな。女性の社会進出が進んでいると言っても、大企業でも平均年収は三百万に満たない程度だ。女性は社員と結婚して、結婚できない女性は会社のお局様になるのが、よく見られるケースだ。
 まあ、男性社会の日本では、女性の社会的地位は低いままなのが現状だな」
「やっぱりそうなるのかー。センセー、結婚して養ってー」
「美砂、アンタ彼氏いるでしょ」

 冗談を言う美砂に笑いがこぼれる。弛緩しかけた空気の中で、ガイが堅い声が響く。

「ちょっと想像できないみたいだから、社会の現実を教えておくぞ。まあ、オレは日本に来て日が浅いから、アメリカでの話になるが、これは実話だ」

 真剣な声音だったので、エヴァンジェリン以外が姿勢を正した。

「アメリカは大量の移民を受け入れている国で、現在では様々な人種が入り混じって生活している。このような状態を何と表現するんだったか、憶えているヤツはいるか?」

 控えめにアキラが挙手する。

「はい、大河内」
「人種の、るつぼ」
「正解だ。アイルランド系、ユダヤ人、アフリカンアメリカン、ヒスパニック、アジア系等々、多種多様な民族で成り立っているのがアメリカ合衆国だ」

 だがな、と前置きして続ける。

「坩堝と言ってるが、実態は全然異なる。混じり合ってなんかいないからな。都市部を離れると、ヒスパニックはヒスパニックで、アジア系はアジア系で町を形成して、人種ごとに独自のコミュニティを形成しているのが現状だ。
 だからこそ差別も生まれる訳だが、多様な人種がいるからこそ、人種差別は絶対的にタブーなんだ。やれば社会的に非難もされるし、レッテルも貼られる。歴史を学んで、これがダメなことは分かるだろ?」

 何人かが首肯する。感覚的に理解できているようだ。

「そういう訳で、向こうでは、いることにはいるんだが、表立って人種差別をするヤツは少ない。だが、向こうじゃ人種差別はしなくても、職業で人を差別するんだよ。
 ブルーカラーとホワイトカラーって言ってな、作業員と管理職では待遇が違うんだが、これを代表として、向こうでは低賃金で働く人を蔑視する傾向が強い。なぜかわかるか?」

 質問しても誰も答えなかったので、ガイが言った。

「頭が悪いからだ。アメリカの社会では中卒は極刑扱いに等しく、高校を中退したらあとは軍隊に行って高卒認定を取るしかない。
 低賃金で過酷な仕事に就くのは、勉強をして来なかった奴らなんだ。向こうでは、努力をしない奴らは馬鹿にしてもいい、って傾向が出来上がっているんだよ。
 いいか、これは実話だぞ。アメリカに留学中にモクドナルドに行ったら、忙しなく働く店員を見て、中流階級の男性が子供に『お前も勉強しないとあいつみたいになるぞ』と言って笑ってた。
 教師は勉強しないと単純労働者にしかなれないぞ、と生徒に言いつけるが、その教師もアメリカでは負け組が就く職業だ。努力しないやつは這い上がれない。学歴社会、資本主義だと、どうしてもこうなるんだよ。
 お前らも見ず知らずの他人に後ろ指さされる人間になりたいか? 日本では職業に貴賎はないと教わるが、実際は待遇面で差があるだろ。そうなりたくないなら勉強しておけ。
 別に勉強が全てと言っている訳じゃないが、金で人生が決まる風潮が確かに存在している。稼いだ奴が偉いんだ。
 スポーツなどで有名な選手になりたいって言うなら、そっちに力を入れてもいいがな」

 しばらく静まり返った。エスカレーター式で大学まで受験もなく進めると余裕があったことと、中学生で社会に出ることの具体的なイメージがなかったから、ガイの口から語られる実態に驚いて、現実が怖くなった。
 さて、これからどうするかな……と、ガイも次の言葉が思いつかない中で、裕奈が手を挙げた。

「センセーはさっき、教師は負け組って言ってましたけど、センセーは何で先生になったんですか?」
「あ? あぁ、単に取れたから取っただけだ。それに、日本だと聖職者とか呼ばれて、高給で社会的ステータスも高いだろ」

 これは建前で、実際は雇われただけである。適当に塗り固めた嘘なので、綻びが生じそうなものだが、案の定つつかれた。

「あれー? 先生って有名な大学を出たんだよね? なのに何で自営業してたの?」
「あっ、それ私も気になってた! なにしてたんですか!?」

 桜子が目敏くガイの自己紹介を思いだし、ハルナが便乗する。ガイが視線を逸らした。

「……何でも屋って言ってな。文字通り何でもしてたぞ」
「何でも屋!?」
「それって何するの!? どんな仕事してたんですか!?」

 興味津々な生徒とは対照的に、どんどん気落ちしてゆくガイに、アスナも同情した。
 経歴は嘘ではないのだろうが、野草をついばむ生活を送っていたり、人混みや電車が苦手だったり、文明の利器に驚いたり、どう見ても未開の山奥に暮らしていた田舎者である。
 純粋な好奇心で勢いに乗る生徒に困惑するガイに、あやかが助け舟を出した。

「皆さん、今日は先生が教えたいことがあるからと、貴重な時間を割いてくれたのです。早く部活に行きたいなら、あまり先生を困らせてはいけません」
「あ、ああ……今日はもう終わりだ。とりあえず、宿題はしておけ。勉強について質問があるなら、オレにいつでも相談に来い。それだけだ」

(逃げた)
(逃げたな)
(逃げやがった)

 アスナ、エヴァンジェリン、千雨が心の中で突っ込んだ。全員が帰り支度や部活に行く準備をすると、ガイが言った。

「言い忘れてたが、綾瀬、神楽坂、クー、佐々木、長瀬は問答無用で居残りだ。高畑先生の居残り授業は継続してやる」
『えええええええええ!』
「あははは、バカレンジャーご愁傷様」

 他の部活動があるクラスメートが、去り際にバカレンジャーを笑って出て行く。
 それを見てガイが言った。

「ああいう勉強できない奴を見下す風潮が蔓延してるってことだ。お前らも馬鹿にされたくないなら、最低限の教養は身につけておけ。
 で、そんなお前らの手伝いをしたいと自ら名乗り出てくれた優しい人間が彼女たちだ。感謝するように」
「ささ、アスナさん。わたしが教えて差し上げますわよ」
「このかに教わるからいいってば!」
「……あれは仲がいいのか?」
「仲ええんよ」

 犬猿の仲に見えたが、バカレンジャーに勉強会を開くと言ったら真っ先に協力を名乗り出たりと、アスナを心配している素振りのあるあやかを見て、ガイが小さい声で尋ねる。
 どうやら小さいころからの親友らしい。仲が良すぎると素直になれなくなることもあるので、その典型例なのだろうか。
 アスナは任せても良いようなので、他のメンバーの世話を焼くことにした。

「佐々木、二ノ宮先生が嘆いていたぞ。あの子の演技が単調なのは新体操ばかりで視野が狭いからだ。もっと広い世界を知って欲しいってな。もうちょっと頑張れ。本を読んで多角的な視点を磨いてみるなり努力してみろ」
「えー。難しいよー」
「どこか難しいんだ。本を読むと、主観的な人間にならずに済むぞ。自分が如何に小さい世界で生きているか実感できる」
「先生、この本の和訳をお願いしたいです」
「綾瀬は哲学を学ぶ前に勉強の基礎をマスターしろ。それからなら教えてやる」
「先生は歩き方や所作が武道経験者のそれアルネ。手合わせ願いたいアル」
「いいぞ。勝負してやるから、その分勉強も頑張れ」
「ほんとアルか!?」
「それでは拙者も……」
「拙者? 長瀬、お前まさか……サムライか?」
「いやいや、世を忍ぶ者でござるよニンニン」
「ニンニン……ニンジャ? ニンジャ、やはり忍者か……あとで多重影分身の術を見せてくれ」

(やっぱり日本を勘違いしてる……)

 横目でガイの様子を窺っていたアスナが、楓に忍術の実演を頼んでいるのを見て呆れていた。

「ちょっとアスナさん、聞いてます?」
「あーあー! 分かってる、分かってるってば!」

 何だかんだで勉強会は捗り、以前よりも内容が頭に入ったことは、記述しておく。







 その夜は、ガイが学園長に呼び出され、帰ってくる時間が遅かった。
 八時を回っても帰宅せず、二人はパジャマに着替えて、アスナが就寝しようとしていた折に、徐ろにこのかがカバンから手紙を取り出した。

「何それ」
「おじいちゃんから先生に渡して欲しいって預かってたんよ。でも先生、帰って来んし、明日でいいかな?」
「はぁ? ガイさん、学園長に呼び出されてたって言ってたけど」

 入れ違いになったのだろうか。海外からのエアメールを手に取り、お洒落な便箋の絵柄を眺めるこのかを見て訝しる。
 確かに英語でガイの名前が綴られており、ガイ宛の手紙なのがアスナにも一目で分かる。
 海外に友達がいたんだ、と失礼な感想が出る。疑問にも思ったが、明日も早いので寝ようと立ち上がった。

「もう明日でいいんじゃない? あたしはもう寝るわ」
「うん。ウチが起きてる間に来たら渡せばええしな。……あ」

 おやすみ、と言おうとしたこのかの手から、はらりと手紙が落ちる。
 拾おうと手を伸ばしたこのかの手が手紙を掴んだ瞬間、あくびをして歩くアスナ足が手紙を踏みつけた。

「あ!」
「ん?」

 結果、どうなるか。手紙の封は破けて、嫌な音が響き渡った。
 切り離された手紙の残骸を手にするこのかと、何かを踏んだ感触に下を向いたアスナの顔が青褪める。

「や、ヤバ……!」
「ど、どうしよ。謝れば許してくれるかな、せんせ」
「ま、まず肝心の手紙が無事か確認して……」

 拾い上げると、破けたのは封だけで、便箋は無事だった。ホッと胸を撫で下ろし、間違えて破いたことを謝ればいいか、と思った矢先、開封された便箋が光った。

「え?」
「お?」

 未知の魔力を前にして、人というものはどうしても常識を捨ててしまう。
 その非日常的な光景を前にして、二人の倫理やマナーといった社会通念は吹き飛んだ。



「あれ? 返事がない……」

 ガイは、学園長から世間話やクラスの様子、日本で馴染めたかなどのどうでもいい話を延々とさせられて、やっと帰れたのにノックしても返事がないホームステイ先に首を傾げた。
 アスナが寝るのは早いのは知っているが、このかまで寝静まるのは、もう少しあとだ。
 もう一度繰り返しノックをしても返事がないので、ドアを開ける。鍵はかかっていなくて、無用心な所を不安に思いながらも音を立てずに入る。
 灯りはついていて、人の話し声も聞こえた。まだ起きているようだ。
 今のは無視されたのか、集中していて気づかなかったのか。テーブルに寄り添って何かを見ている二人の背後に足音を殺して忍び寄る。
 熱心に何を見ているのかと覗き込んで……ガイの顔が凍りついた。気配を殺すのも忘れて変な声が漏れる。
 二人もそれに驚き、勢いよく振り返って、面白いのか怖いのか、イマイチ判断がつかない表情でガイを見つめていた。

『ガイくんも立派な魔法使いの自覚をもって、先生の仕事を頑張ってね』

 手紙から浮き上がるネカネが締めの言葉を綴って消えていく。
 言い訳が思いつかなかった。魔法が、バレた。

 教訓その四:秘密にしたい郵便物は身内に預けず自分で受け取ろう。





あとがき
教師タイム終了のお知らせ。



[39449] 夢じゃない
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/02/25 19:59

「……」
「……」
「……」

 狭い室内を重い沈黙が包み込む。ガイはだらだらと滝の汗を流し、アスナは半信半疑で乾いた笑いを零し、このかは瞳を輝かせてガイを見上げていた。
 手紙に浮かぶ文字は『play』と『Japanese』が選択されており、再生が完了したことを示す『Replay』の文字が新たに浮かび上がった。
 どう見てもモノログの手紙にはない機能が備わっており、信じ難い言葉まで飛び交った。
 魔法――確かに結びにネカネは否定しようのない単語を口にした。ガイの目が据わる。
 アスナが恐る恐る話しかけた。

「あの」
「立体映像だ」

 質問を投げかけようとしたアスナを遮って、真顔のガイが言った。だが、どう考えても苦しい言い訳で、アスナは白い目を向けた。

「いまこの女の人、魔法って言ってたんですけど」
「この女は可哀想なヤツなんだ。自分が魔法を使えると思い込む心の病を抱えていてな……困ったことに知り合いのオレに脳内設定の妄想を送りつけて来るんだよ」

 ガイが悲嘆にくれる下手くそな演技で見苦しい言い訳を続けるので、アスナは巻き戻して問題の部分を再生した。

『ガイくんも立派な魔法使いとして』

 巻き戻す。

『ガイくんも立派な魔法使いとして』
『ガイくんも立派な魔法使いとして』
『ガイくんも立派な魔法使いとして』

「分かった! 分かったから再生をやめてくれ」

 ネカネの声で連呼され、ガイは取り乱してかぶりを振った。
 その後、力が抜けたようにソファに座ると、片手で顔を覆って、しばらくして顔を上げた。
 長いため息をつき、語りだす。

「そうだよ。オレは魔法使いだ。立派なんてものじゃなくて、学園長と高畑に頼まれて麻帆良で教師をすることになったフリーランスのはぐれものだがな」
「えっ! ほんま!? ほんまに魔法使いなん!?」
「ドッキリじゃないんだ……」

 手を合わせ感激するこのかと、そういえば思い当たる節があったと納得するアスナ。
 脚力に自信のあるアスナを遥かに凌駕する脚の速さや浮世離れしているところは、文明から離れた魔法使いだからだったのか。
 そして、ガイの言葉から連鎖的に気づいてしまう。

「あれ? って、ことは学園長と高畑先生も……?」
「ああ、アイツらも魔法使いだ。他にも何人かいるが」
「そうなん!? 全然気づかんかった」

 身内が魔法使いという非現実的な存在だと知り、ひゃー、と愕然とするこのかと複雑なアスナという構図が出来上がる。
 ガイがどこか投げやりになって、やさぐれているのが気にかかるが、ふと疑問が浮かんだので訊いてみることにした。

「それってあたしたちにバラしてもいいんですか?」
「ダメに決まってるだろ。一般人にバレたらオコジョにされて本国に強制送還される」
「ええっ!? せんせ、大丈夫なん?」
「知らん。だが、初めからバラさせる気満々だったんだろ、少なくとも学園長は。だから開き直ってやるさ」
「いや、ガイさんがオコジョにされるんじゃって言ってるんですけど」

 これまでの経緯から完全に、故意に孫娘とその親友に魔法の存在を知らせるつもりだったと判断し、驚きっぱなしのこのかと対照的にバレたガイは落ち着いていた。
 一応、心配しているのに、ガイは不敵に微笑した。

「はっ、オレを捕まえられる魔法使いなんて存在しない。自慢じゃないが、オレは世界最強の魔法使いだからな。誰が捕らえに来ても返り討ちさ」

 何か小物臭い……アスナが自信満々なガイを怪訝に見るが、このかは憧れの魔法が実在すると聞き、興奮が収まらない。
 瞳を煌めかせてガイに擦り寄る。

「なぁなぁ、先生。先生が魔法使えるんなら、ウチらも使えたりするん?」
「あぁ。つーか、近衛は魔法使いの素質だけなら世界最高クラスだ。鍛えればとてつもない魔法使いになれるぞ」

 だから無理やり接触させたんだろうとガイが辟易する。どうも踊らされているようで気に食わない。
 アスナが自分を指差す。

「あたしは?」
「神楽坂は……残念ながら魔法自体はそんなに才能がなさそうだ」
「ええー」

 アスナが落胆する。もっと重要な秘密があるのだが、ガイは面倒だから言わなかった。

「先生! ウチ魔法使ってみたい!」
「いいぞ。乗りかかった船だ。教えてやる」
「何でそんなあっさり……」
「才能があるやつが、それを活かさないのは罪だ。それにオレは学園長の考えが正しいと思っている。
 世間でも金を持っている奴は消費して金を回す義務がある。どの分野も同じだ。それで世の中は発展してゆくものだ」

 こんな自ら魔法を露見させるような真似をした学園長をガイが擁護する。

「推測でしかないが、魔法使いの家系の近衛に魔法が秘匿されていたのは、親の意向だろう。娘には一般人として幸せに過ごしてほしいとかが、尤もらしい考えだな。
 だが、近衛が一般人として生きるなんて不可能だよ。麻帆良にいる間は安全だろうが、外に出れば確実に攫われる。オレなら魔力タンクとして利用するな。
 だから遅かれ早かれ、魔法を習って自衛手段を会得しておくべきなんだ。学園長はその方針だったんだろうよ。
 オレを同室にしたのは護衛と、魔法を明かして師匠役をやらせるつもりだったんだろうな。……契約にあるし」

 誰とは明記されていなかったが、契約に魔法生徒の指南も熟せとあった。
 このかの魔法の存在を知ってからの関心度は非常に高く、自ずから魔法について教えを請うだろう。
 狙いが見え見えでため息を禁じえない。もう止められそうにないこのかに対し、ガイの話を聞いたアスナは、物騒な言葉に怖くなってきたようだ。

「あの、ガイさん。もしかして、っていうかもしかしなくても、それって危険なことなんですか?」
「そりゃあな。魔法は殺すつもりで放てば簡単に人を殺せるし、犯罪もバレずにこなせる。
 たとえば、今からお前らを強姦しても、記憶を消せば何もなかったことにできる。惚れ薬を作って感情を操ることも、気に食わない奴を行方不明にだってできるぞ」
「え……」
「安心しろ、神に誓ってやらないから。そもそも生徒に危害を加えられない契約だからな」

 さらに物騒な喩えを言い出すので、アスナが体を庇って距離を取った。
 ガイがフォローを入れるが、そこは女子中学生だ。未知の魔法という存在が恐ろしくもなる。
 これだけ聞いても、まだ興味津々なこのかを一瞥した。

「ねえ、このか。ちょっと考え直そうよ。話聞いてるとめちゃくちゃ危ないじゃない」
「え? 大丈夫やろ? だって先生が守ってくれるんやし」

 これまで箱入りで暮らしてきた弊害か、危機感がなく楽観的なこのかにアスナが怒ろうとしたが、ガイがこのかに続けて言った。

「その点は大船に乗ったつもりでいろ。オレがいるうちは、絶対に危険な目に合わせたりしねえよ」

 その言葉がやけに力強く、確信を持って口にするので、アスナも閉口してしまう。

「それに、いざって時には自分で自分を守れるようにならないとな。無力でいるより、力を持っている方が何億倍もマシだ。
 オレもずっと麻帆良にいられる訳じゃないし……ま、一年もあればお前らの素質ならそんじょそこらの魔法使いの何倍も強くなれるだろうから、それも含めてオレの仕事だな」
「え? 先生いなくなっちゃうの?」

 このかが目を丸くした。アスナも驚いたように小さく口を開けている。
 ガイは済まして言った。

「ただのビジネスだからな。一年経って、契約が満了すればお払い箱さ。これが終われば纏まった金が入るから、しばらくは悠々自適に遊んで暮らすつもりだ」
「へー……」

 正直、契約の話は詳しく理解できなかったが、ガイが一年後には麻帆良からいなくなるのは頭に刻まれた。
 瞑目し、肩の荷が降りたと言わんばかりに脱力しているガイが、気の抜けた声で言う。

「他に何か訊きたいことはあるか? もう隠すこともないし、答えられる範囲なら何でも答えてやるぞ」
「じゃあ、はい!」
「なんだ、近衛」

 元気いっぱいに挙手して質問するこのかを見て、大方魔法関係だろうなとタカをくくっていたら、とんでもない発言が飛び出した。

「先生ってアル中なん?」
「……は?」
「おまけにヘビースモーカーで」
「とどめに薬中ってほんまなん?」
「ちょっと待て! 何の話だ!」

 話題が飛躍してガイ本人の話になり、狼狽して声を荒げてしまう。
 このかは人差し指を唇に当てつぶらな瞳でガイを見つめており、アスナは軽蔑するような眼差しを向けている。
 ガイは諸悪の根源である手紙を取った。再生する。見慣れた服装のネカネが浮かび上がり、訥々と語りだした。

『ガイくん、久しぶり。今回はね、校長にガイくんが麻帆良学園で教師をしていると聞いてお手紙を出したの。
 人里から離れた森奥で引きこもってるガイくんが、やっと真面目に仕事をする気になったんだって、嬉しくなって。まずはそのお祝いね。おめでとう』

 頬に手を当て、小さく嘆息してから語りだしたネカネは、吉報に笑顔になり、胸の前でポンと手を叩いた。
 ガイの表情が歪み、凄まじい形相に変化してゆくが、データのネカネは構わず語り続ける。

『それと、嬉しい報せの後になんだけど、悲しいお知らせがあるの。……ネギが家出しちゃったのよ』

 今度は涙目になり、オロオロとしだした。ネギってなんやろ、薬味? と小首を傾げるこのかを放置して話は進む。

『しかもメルディアナ魔法学校の卒業を控えていたのに、突然いなくなって……タカミチさんや他の人も探してくれているけれど、一向に行方が掴めないのよ』
「知らねえよ。何でそんなことをオレに言うんだ」
『ガイくんのせいなのよ!』
「ハァ!?」

 タイミングの良すぎる声に、ちょっと驚いてしまった。ネカネはプリプリと怒りながらガイを非難する。どことなくお母さんを想わせる口調で、腰に手を当て、指を立てた。

『ガイくんが普段から素行不良でブラブラしてるから、あの子も悪い影響を受けちゃったのよ!』
「オレがアイツと最後に会ったの六年も前だぞ!? それに仕事もそれなりにしてたわ! お前の教育不行き届きをオレのせいにするな!」
『次代のサウザンドマスターなんて呼ばれたあなたが、魔法学校中退なんて良くない経歴までサウザンドマスターを真似るから、それに憧れてるあの子も影響されて同じ道を辿っちゃったんじゃない!』
「それこそオレ関係ねえだろ!」

 データと喧嘩をしだすガイに、その様子がおかしくてアスナとこのかは呆然として口出すことができなかった。
 ネカネは、ふぅとため息をついて、目を瞑りながら言う。

『あなたときたら、平日の昼間から酒を飲んでべろんべろんに酔っ払って、次の日の朝に外で凍死しかけてたり、煙草は紳士の嗜みだとか言って紳士の要素皆無のくせにスパスパ葉巻吸うし、このイボテン酸が美味いんだって毒キノコ食べて幻覚症状で暴れるし、そんな人に憧れていたらネギも道を誤るのも当然よね』
「……」

 過去を暴露され、言い返せずガイが冷や汗を流す。よもやこの馬鹿、要らん事ばかり吹き込んだんじゃあるまいな、と戦々恐々としていた。

『スタンさんのところに愛猫のポチを預けて日本に旅立ったんですって? ナギの二の舞にならんように手塩にかけて育てた二人が、揃いも揃ってナギに似てしまったってスタンさんが嘆いていたわよ』
「オレに酒を教えたのもあの爺だっつーの」

 ワナワナと震えだすガイだが、アスナは猫に『ポチ』とつけるセンスはどうなんだと呆れていたのは言うまでもない。
 ネカネはまだ言い足りないのか、嘆かわしいわ、とかぶりを振って口を動かす。

『そんなガイくんが日本で教師なんて勤まるのか、とても不安なのよ。日本の女性は大人しい人が多いと聞くわ。粗野なあなたに怯えて萎縮してしまわないかしら。
 短気で乱暴だし、そもそも人に物を教えるのが向いていないと思うの。何年も注意しても治らないんだもの。お願いだから問題を起こしてイギリスの評判を貶めないでね』

 ガイの欠点を羅列して、生徒の前で見事にガイの評判を貶めた彼女は、最後に可憐な笑顔で小首をかたむけて言った。

『でもね、それでもあなたは魔法使いとしての腕と頭の良さだけはサウザンドマスターにも引けは取らないと思ってるわ。
 私もネギ探しと魔法使いの責務を頑張って果たすから、ガイくんも立派な魔法使いとして、先生の仕事を頑張ってね』

 再生が終わると、ガイは無言で手紙をぐしゃりと握りつぶした。

「だあああッ! お前は年下のくせにウダウダうっせえんだよ! いつまでも保護者面してんじゃねえーっ!」

 鬱憤を爆発させて怒声を轟かせると、掌から炎が発生して手紙を燃やした。
 初めて目撃した魔法と豹変したガイに二人が「わっ」と驚く。
 肩で息をしたガイは、惚けている二人にゆっくりと振り返った。美麗な容貌が気難しそうに歪んでいる。

「……言いたいことがあるなら言え」
「その人って先生の恋人?」
「違ぇよ! 近所に住んでただけの幼馴染だ! だいたいオレとコイツのどこが恋人に見えるんだよ! ああ!?」
「だって、ねえ」

 今までは紛いなりにも大人で教師の威厳らしいものはあったのに、ネカネが出てからは子供のように喚いているので親しい仲なのかと勘ぐるのも無理はない。
 憤懣やるかたないという仕草でガイが再びソファに腰をおろして足を組む。

「お前ら、これまで一緒に暮らしてきて、オレがアル中、愛煙家、薬物依存症らしい行動を一度でも取ったか?
 酒と煙草は我慢して控えてるんだよ、仮にも教職について未成年と同居してるんだから当たり前だろ」
「毒キノコは?」
「それは他に食うものがなかったのと単純に美味かったからだ」

 威張って言うことなのだろうか。不遜に胸を張って断言するガイに心の中でアスナが突っ込む。
 不機嫌なガイに、だが恋バナが好きなこのかは頬を染めて深入りした。

「えー、でも綺麗な人やったやん。仲も良さそうやのに。本当に何もなかったんか?」
「何かあったらこんな生活してねえよ」

 喋り方が威圧的になったことに気づき、ガイは前髪をかきあげて気分を落ち着けた。
 できるだけ柔らかい声音で二人に言う。

「とにかく、ネカネが知ったかぶりしているが、オレは、仕事はきちんとやり遂げる質だ。
 身の安全は保証するし、自衛の実力をつける特訓も率先して手伝う。教師の仕事も真面目にやるし、困ったことがあるなら助けてやる。
 だから、信頼しなくてもいいが、信用はしてくれ」

 アスナとこのかが顔を見合わせる。アスナは、これまでの誠実な言動を思い出して、マイナスな面を加味しても信じてもいいか、と思える程度には、人となりに触れていた。
 何かとつけて二言目には契約を口に出すのは、女として嫌な気分になるが、逆に言えば約束は守るということである。
 このかはと言えば、祖父が大事な孫の護衛を依頼した人物というガイは既に信用していたし、ガイ自体嫌いではなかった。
 加えて空想の物語でしか味わえなかった魔法の世界に自分を導いてくれるとあって、高揚が収まらなかった。
 お互いに頷く。

「……分かりました。正直まだよくわかってませんけど、お願いします」
「これからは魔法でも勉強でも先生になるんやな。よろしくな、先生」

空気が和み、ぎこちなさが解消されて緩やかな雰囲気が部屋を包む。
前途多難だが、良い関係を築けそうだと思ったところで、

「アスナさん! 先ほど騒がしいですよ。時間を考えてくださ――」

 無遠慮にあやかがドアを開き、ソファに座るガイと目が合った。同時に時間が凍りつく。誰もが身動きが取れないなかで、あやかの顔だけが徐々に紅潮していく。
 あやかの背には、野次馬のクラスメートがぞろぞろと様子をのぞき見様と列を成していた。
 魔法に続いて、同居もバレた。

 教訓その五:共同住宅では静かにしよう。







「な、なな、が、ガイ先生……? どうしてアスナさんとこのかさんの部屋に……?」

 震える指でガイを示し、高価な生地だがシンプルなセーターとロングスカートという身なりのあやかが、ガイを糾弾する言葉を並び立てようとしていた。
 三人は乱入者に当惑し、上手い言い訳が思いつかなかった。やはり鍵をかけて置くべきだったとガイが悔やむが、時すでに遅し。
 あやかの背後にいるクラスメートまでもがガイを視認してしまった。正気を取り戻したあやかがガイを改めて指差す。

「ガイ先生! ここは男子禁制の女子寮です! なぜこの部屋にいるのか説明してくださいますか!?」
「どうしても何も、ここに住んでいるからだ」
「なぁッ!?」
「わーわー!」

 開き直るガイの口をアスナが塞ぐ。潔いが、詐称しないことはこの場では逆効果でしかない。
 ガイの開き直りを受け、裕奈や桜子、鳴滝風香の野次馬精神が燃料を与えられて炎上した。

「新任教師と生徒が同棲してるってどういうこと!?」
「アスナとこのか、どっちが本命!?」
「ガイ先生が異国の王子様で日本には嫁探しに来た説は本当だった!?」

 好き勝手に騒ぐが、ベレー帽を被ったハルナが鋭い眼差しで三人を観察した。
 低い声で、推理する探偵のような演技をしながら言う。

「待って……この部屋からはラヴ臭がしないわ。あの甘酸っぱい香りが微塵も感じられない。同棲説は却下ね」
「パルの嗅覚はいったい何を感知しているのですか」

 ゴーヤミックスなる紙パックのジュースを吸いながら夕映が冷めた目で突っ込んだ。
 あやかが思い思いに盛り上がるクラスメートに憤り、拳を震わせる。

「いい加減にしなさい! 恋愛どうこうではなく、成人男性と未成年の教師と生徒がひとつ屋根の下で共にしているのが問題なのです!
 面白がって茶化していいものではありません! ガイ先生、事情を説明してくれますか!?」

 アスナに「余計なことを喋るな」と羽交い絞めにされているガイを睨む。そのガイに代わってこのかが答えた。

「あんな、内緒にしてたけど、先生はウチらを守るためにお爺ちゃんが雇ったエージェントやねん。
 ほら、この時期に担任が変更になるなんておかしい思わんかった? 実はな、今までは高畑先生がウチらを悪の組織から守っててくれたんやけど、海外出張が多くなるからそれができなくなってん。
 その代わりに教師兼正義の使者としてお爺ちゃんが先生を連れてきてくれたんやえ」
「むむ、そういうことアルか! 道理で只者ではないと思たアル!」
「ふむ、納得でござるな」

(いや、おかしいだろ。何だよ正義の使者って。漫画やアニメの話じゃねえんだから)

 学園長の話を脚色して苦しい理由を説明すると、ガイの実力を見抜いていたクーや楓らが得心する素振りを見せた。
 彼女らは頭が足りないから騙されるのも千雨は分かるが、

「お爺ちゃんは過保護やから、孫のウチの部屋に先生を無理やり充てがって護衛を依頼したんよ。先生がいくら強い言うても、遠くにいたら襲われた時に対処できへんやん。
 先生も反対してたんやけど、事情が事情なだけに仕方ないってことで、今の形に落ち着いたんや」
「まあ……そのような事情があったのですか……」

(いやいやいや、何でいいんちょまで騙されるんだよ! 結局、男女の問題は解決してねえじゃねえか!)

 先ほどまで断固として反対していたのに、別人のように受け入れてしまったあやかに千雨が盛大に突っ込んだ。
 不自然な展開に、声を大にして訂正してやりたくなるが、誰も疑問に思っていない。
 おかしい。この学園はおかしい。気が狂いそうになるが、此処では千雨が少数派なのだ。
 現に、アホなクラスメートは、ガイ先生スゲー、実はターミネーターなんじゃない、エージェントってなに? と、このかのデタラメな説明を信じきっている。
 ダメだ……ここにいるとおかしくなる……いいんちょが容易く陥落した時点で詰みだったんだ……
 千雨がフラフラとした不確かな足取りで帰路につく。そのあいだもガイへの質問攻めは続いていた。
 魔法暴露に同居バレと、禁欲を科してストレスが蓄積していたガイは、あれこれ詮索する生徒に遂にキレた。

「ああ、もう面倒くせえ! お前らオレが生徒に手を出すと思ってるなら、オレに貞操帯をつけろ! 鍵は雪広が管理でもすればいいんだろうがッ!」
「いきなりなに言い出すんですか!」
「生活が気になるならこの部屋に監視目的で遊びに来い! 勉強や相談の面倒もここで見てやる! オレだって納得行ってねえが、これも仕事なんだよ! だが麻帆良にいる間はテメエたちの先生として接してやるからいつでも来いや!」
「ちょっとちょっとー!」

 アスナが口を塞ごうとするが、滑ったものは取り返しがつかない。
 担任公認で二人の部屋が溜まり場となり、魔法関係が周囲の人物にもバレたらどうするの、というアスナの心配もガイは汲みとる気配がなかった。
 自ら墓穴を掘る格好で開き直り、公然のこととする手法で認めさせる、麻帆良のおかしなところを利用した手法は、なぜか上手くいった。
 多分に麻帆良のノリとアホっぽさが影響したと思うのは、千雨だけではない筈だ。




あとがき
オリ主式多段階墓穴掘削法なるシロモノが存在するらしいです。



[39449] チェリー
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/03/01 14:30
「先生、今度出す同人誌の参考にしたいからヌード頼んでもいい?」

 朝のHR前に、早乙女ハルナが読書をしているガイに唐突に言った。周りにはハルナの他にアスナ、このか、夕映、のどかが集っている。
英語の授業が一時間目にあるので早めに教室に来たガイは、本から目を離して、教師に脱げとお願いした生徒を見た。

「早乙女、オレはヌーディストにも理解があるが、好き好んで脱ぐ趣味はない」

 嘘つけ、裸でいるの好きだろ、と会話を耳にしていたアスナが心の中で突っ込んだ。
 二人がいるので自重しているが、寝るときは裸が一番心地よいのだと常々公言しているガイである。
 渋い顔をしているが、本心では人類は裸に帰るべきなのだと思っていそうだ。裸族だし。
 反応が思わしくないにも関わらず、ハルナは歯を見せて笑った。

「違う違う。先生、これは私の趣味だけではなくて、学術、芸術のためでもあるのよ。先生が脱ぐってなったら、美術部の人も血相変えて申し込んでくるよ。ね、アスナ」
「何であたしに言うのよ」

 口実に美術部のアスナを巻き込むハルナにジト目を向けるも、ハルナはシラを切った。
 アスナとこのかはガイの全裸は既視であるので、今更感がある。
 学術、芸術の為と聞き、ガイが顔色を変えた。掌で唇を覆い、何やら思慮に耽る。

「そうか、美術部の練習に使うなら、考えないでもない」
「やりィ!」
「本当に来たら叩き出しますから」

 まんまと乗せられたガイに忠告する。あくまでプライベートでやってもらいたいものだ。
 愛しのタカミチが顧問を勤める美術部という聖域に全裸のガイが来たら、憩いの場が修羅の国と化す。
 そんなもの想像もしたくない。

「パル、アホなことに時間割くならとっとと退くです。先生、今日はこの本についてですが」
「またか。今日はなんだ」

 若干、辟易した様子を滲ませて、ガイが、夕映が両手で手渡した本の背表紙に目を通した。
 分厚い洋書を開くことなく、それを綾瀬に返す。

「『もうひとつの声』か。これは翻訳も出てるだろ。手に入るかは置いておくとして、理解したけりゃ図書館にでも行って来い」
「はい。ですが、先生の見解を一意見として伺っておきたいのです」

 フン、と鼻息あらく迫る夕映にガイが困ったように頭を掻いた。

「何でも相談に乗るとは言ったが、倫理だの哲学だのは専攻外でな。単位を取るために齧った程度の見識しかないが、それでもいいのか?」
「はい!」

 このやる気を授業にも活かせばな、と思わずにいられない。ため息混じりにアスナとこのかを見た。

「二人に問題だ。宮崎が不治の病に罹り、治せる薬は独自の開発に成功した薬屋のオレしか持っていない。宮崎の友人の綾瀬は薬を売ってもらおうと金を集めたが、薬が高価で手が出せなかった。
 友人が死んでしまうのでどうか薬を分割で、もしくは安く売ってください、と綾瀬はオレに頼んだが、オレは世の中金が全てだと拒否した。それに怒った綾瀬はオレの家に忍び込んで薬を盗み、宮崎は助かったが逮捕されてしまった。
 さて、綾瀬の行動は正しかったか」
「ガイさんが悪い」
「せやなー。盗んでしまったゆえも悪いけど、困った人がいるんやから、助けてくれても……」
「なぜでしょう。喩え話なのに自分が犯罪者にされていると妙な気分になるです」

 感情に任せて即答するアスナと、それに補足して同意するこのか、そして自分ならそうすると思ってしまう夕映であった。
 完全に悪者にされたガイだが、さして気にしたふうもなく、素っ気なく言う。

「このジレンマに置いて、女性は対人的同調を重視して、薬を売る人物に社会的な責任を果たすように訴える。
 要するに、感情的になり、人の命を救おうとしない薬屋に反感を抱く傾向があるんだな。『正義の倫理』に置いて、女性は発達段階が低く評価される傾向がある。
 『正義の倫理』は男性の価値観をもとに形成されていて、女性の考えは含まれていなかったんだな。
 それを『ケアの倫理』として糾弾したのが、この『もうひとつの声』という著書だ」
「なるほど」
「? ? ?」
「簡単に言うと、男と女では考え方が違うってことだ」

 興味深そうに頷く夕映だが、アスナは何を言っているのか理解できずにオロオロとしだしたのでガイが補足した。
 ハルナが面白いこと思い付いた、という顔で尋ねる。

「先生は綾瀬の立場だったらどうするの?」
「実際に同じ立場になったらどうするのか分からんが、これはどちらにせよ綾瀬の立場は苦しむんだよ。
 盗めば社会的責任の重圧に苦しみ、盗まなければ宮崎を見捨てた良心の呵責に押し潰される。
 オレなら……そうだな。まぁ、盗むだろうな、金を。薬屋以外の他の人から」
「センセーサイテーや」
「神楽坂なんかは、薬屋がオレだから反射的にオレを批難したな。本来なら、このような問いでは先入観を排した無知のヴェールで覆われた状態で行われるのが望ましいんだが……仮に薬屋が高畑先生なら、反射的に擁護していただろうしな」
「う……」

 言い当てられて、赤面して呻く。アスナの高畑ラブは、すぐにガイも知る所となった。
 ガイに散々成人と未成年云々と言っておいて、自分は禁断の恋に目覚めているのか、とガイが皮肉ったが、アスナも開き直った。
 その際にガイが、「高畑の何がいいのかさっぱりだ」と零して教師と生徒の喧嘩になったのであるが、このかがトンカチで仲裁した。
 まだまだ聞き足りないという夕映に、ガイが厳しい顔を向ける。

「綾瀬、続きは授業の頑張り次第で考えてやる。お前は本業を疎かにし過ぎだ。素の頭は良いんだから、ちょっと努力すれば成績も上がるだろ」
「勉強は嫌いです」
「なら、オレも不真面目な生徒に貴重な時間を割かれるのは嫌いだな。お前の趣味に付き合う度に、勉強熱心な他の生徒に勉強を教える時間が減る」
「むむむ……この人、性格が悪いです」
「勉強はしたくない。でも勉強しなければ教えてもらえない。簡単なジレンマだろ。お前次第だ」

 食い下がる夕映をつれない態度であしらって、ガイは会話に加わることなくハルナと夕映の背に隠れていたのどかを見た。
 特にガイに用事があるわけではなく、二人に付き添ってガイの側に来ていたらしい。
 ガイに視線を向けられて、その長い前髪の奥に隠された顔が困惑していた。

「宮崎、男が怖いか?」
「ひう! い、いえ―……そんなことは―……」
「無理しなくていい。見れば分かる。女子校育ちだと、男と接する機会が少ないからな。苦手になる子も良くいるんだ」

 突然話を振られ、ハルナの背に身を隠し、体を縮こませるのどかには、平素より幾分柔らかい声で言った。
 ガイは自分の長い前髪を指で遊ばせ、のどかの目を覆い隠す前髪に目を移す。

「余計なお世話かもしれないが、前髪は目にかからない程度に切っておけ。本を読む時には邪魔にならないが、目を悪くする。オレもそれで視力が落ちた」
「先生って今より髪長かったの?」

 ハルナが面白い話が聞けそうだ、と目を輝かせる。今も肩にかかる程であり、男性ではかなり長い方だが。
 ガイは懐を漁ると、一枚の写真を取り出した。

「オレがお前たちより少し下くらいの頃の写真だ。カレッジ時代に撮られたやつだな」
「うわ、これ先生!? 前見えないでしょこれ」
「でもかわいいやん」
(むしろ何でいま持って来てるのよ)

 ジーンズとTシャツとラフな格好で大学の敷地内を歩いているガイの写真だった。
 今と比べて小柄なガイは、髪が全方位伸び放題で、銀色の髪が鼻を隠し、後ろ髪は背中に到達していた。
 それでも端正な顔立ちが伺えるのが救いで、雰囲気的にはのどかに似ていた。
 ガイの昔の写真と聞いて集まってくる生徒をよそに、ガイはもう一枚の写真を取り出した。

「ちなみにこれが四年前に撮られた写真だ」
「ぶはっ! あはははははは! なにこれ!」
「え!? これ先生なん!?」
「見せて見せてー!」

 ガイの写真を見ようと雲霞の如く集りだす。その写真のガイは、黒いローブを着ていたが、髪は前も後ろも膝に届く程に伸びて、人相の判断もつかない様相を呈していた。
 どう見ても不審者であり、クラスメートはハロウィンの仮装だと思っているようだが、アスナには魔法使いの服装なのだと一発で分かった。
 まさか、このネタの為だけに持ってきたのだろうか。

「宮崎もこうなりたくないなら、髪は切っておけ」
「いや、普通はここまで放置しませんよ」
「ちなみに参考までに聞いておきたいんだけど、先生の今の裸眼の視力は?」
「2.0だ」
「必要ないじゃん!」

 アスナとハルナに突っ込まれる。クラスメートがガイの写真に夢中になっている間も、話に乗りきれないのどかにガイが言った。

「宮崎、今はいいが、苦手なままでいると社会に出てから苦労するぞ。世の半分は男だからな。
 あまり怯えられても困るから、次からは女装してきてやろうか?」
「え!? マジで!?」
「なぜあなたが真っ先に乗るですか、ハルナ」
「お願いだからもう黙ってください……」
「アスナが突っ込みきれずに泣いとる」

 突拍子もないことばかり口にするガイの相手に疲れて、肩を落として滂沱と涙を流した。
 ガイの無茶苦茶な提案を、前に出した両手を振ってのどかが拒否する。

「そ、そこまでしていただかなくても―……大丈夫ですから―……」
「そうか。まあ、こういうのは慣れだから、瀬流彦先生やオレで慣れておいた方がいいぞ。新田先生だと男じゃなくて鬼だし」
「のどか! どうしてそこで退いちゃうのよ! もっと熱く強請りなさいよ!」
「えい」

 気炎を燃え上がらせてのどかに迫るハルナに、このかのトンカチ制裁が下った。
 沈黙するハルナを夕映とこのかが連行し、ガイの写真で盛り上がるクラスを一応担任であるガイが仕切る。

「はーい、各自席につけ。その写真はあげるから授業には集中しろよ」
「ハーイハイ! せんせー質問!」
「なんだ、椎名」

 出席を取ろうとすると、桜子が底抜けの笑顔で言った。

「このクラスで先生好みの女の子って誰ですか!」

 笑顔で爆弾を放り込むものだから、一度は静まり返った教室が再び狂乱に包まれた。

「ナイス桜子!」
「ラヴ臭再び!」
「これは記事になる!」

 水を得た魚のように騒ぎ出すクラスを、ガイの手が教壇を叩く音が静めた。

「大人しくしろ! お前らが騒いで新田先生に怒られるのオレなんだぞ!」

(私情じゃねえか……)

 千雨の心の叫びも、肩を怒らせ顔をしかめているガイには届かない。
 自分の事情でキレたガイによって静まり返ったクラスメートに、ガイが仏頂面で質問に答えた。

「好みか……年齢が対象外だが、強いていうなら近衛、大河内、釘宮だな」
『おぉ~!』

 意外な答えに歓声が上がった。名指しされたこのかは照れて頬を染め、アキラは恥ずかしそうに俯き、円は「私?」と半信半疑に自分を指さした。

「先生! 理由を伺ってもいいですか?」
「近衛は清楚で料理上手だから。大河内は控えめで意思が強いから。釘宮は金にしっかりしてそうだからだ」

 朝倉和美の質問にも淡々と答える。完全に恋愛感情などない、生徒に好みのタイプを当てはめただけの回答だったが、効果覿面だったようだ。
 「ややわ、先生」とこのかは手を振り、アキラは面映そうに目を背け、円は「金……?」と怪訝に眉間にシワを寄せた。

「つまり、くぎみーは金にがめついってことだな!」
「くぎみー言うな!」
「黒髪がタイプなんかなー」
「大和撫子が好きってことか」

 囃し立てるクラスメートに円が反論したり、推論が飛び交う。
 ちなみに、この後、あまりの喧騒に新田が2-Aに苦情を呈し、英語の授業が終わったガイは新田に連れられ、職員室で説教を受けることとなった。
 子供の責任を取るのは大人なのである。







 げんなりとした様子で授業後にガイが退室した後で、クラスはガイの好みの話題で盛り上がった。
 人格の問題が浮上してきたガイだが、腐っても絶世の美男子である。恋に恋する年頃の女子中学生には、そのアクの強さもアクセントとして映えた。
 バツイチの刀子が男子高校生に人気があるように、容姿の美しさは多少のマイナス要素も眩ませてくれるのである。先生という立場も重要なファクターだ。
 学校という閉鎖された空間での年上の異性は、良くも悪くも特別な存在となりやすい。
 ガイは容姿、経歴、言動も含めて苛烈で異質な存在として生徒の印象に残った。
 そのガイの発言が、元々お祭り騒ぎが大好きな2-Aに波紋を呼ぶ。仲良しグループで固まって会話を積み上げていた。

「良かったじゃん、円。タイプだってさ」
「素直に喜べないんだけど」
「またまた~。嬉しかったくせにー」

 好みのタイプだと言われた円を美砂が肘で小突く。金にうるさそうと言われたも同然なので、心中は複雑であるが喜んだのも否定できなかった。満更ではない。
 面食いの気質があるのは自覚しているし、軟派な男が大嫌いだが、ガイは女生徒に一定の距離を置いており、同室のアスナ、このかに対してもどこか素っ気ない点が見られる。
 素が露呈してきたガイのどこか型破りな一面に惹かれている自分がいるのも自覚症状があった。タイプと言われてから、金の話になって落胆したのが良い証拠だ。
 また、彼女は気づいていないが、自分がしっかりしている分、ダメ男に入れ込む危うい下地が出来上がっていた。自身には安定を求めるが、相手には不安定さを求め、面倒を見ることで満たされる性質がある。
 早い話、売れないバンドの男などに騙されやすいタイプの娘だった。

「アキラがタイプかぁ。アキラ大人っぽいし、本気で迫れば先生も落ちるんじゃない?」
「どうかにゃー。生徒は眼中にないっぽいけど」
「私もそう思う」

 脳天気なまき絵が面白半分で話を振り、裕奈が冷静な意見を述べた。好みと名指しされたアキラも同意する。
 話のネタ程度のつもりで始めた話題だったのに、運動部四人組でひとりだけ、亜子がアキラを羨ましそうに見つめていた。

「アキラええなー。やっぱりスタイルやろか。ウチ背も胸もないし」
「亜子と変わらないこのかも好みって言ってるんだし、関係ないんじゃない?」
「それはそれで、性格とか女らしさで負けてる言われてるみたいでショックや」

 気落ちし、陰鬱な空気を漂わせて沈む。容姿やスタイルで中学生離れした者が多い2-Aで比較的普通な部類に入る亜子はコンプレックスが多く、それが今回で浮き彫りになった。
 親友に嫉妬する亜子に裕奈が白い目を向ける。

「ていうか亜子、サッカー部の部長が好きって言ってなかったっけ。もう乗り換えたんかい」
「あんま言わんといて。自分でも気が多いなー思って自己嫌悪中やねん」

 ますます机に沈み込む亜子に皆も追求をやめた。気持ちは分かる。それだけガイの印象は鮮烈だった。
 それによる感情の乱れが恋に結びついても不思議ではない。もっとも感情の動きに精神がついて行かず、心ここにあらずの状態だったが。

「アスナええなー。先生と一緒に住めて、守ってもらえるなんて」
「こっちは全然良くないからいつでも替わってあげるって」
「あ、亜子。わたしは同居嫌だからね! 先生勉強しろ勉強しろうるさいし」

 アスナがガイを譲り渡しそうだったので、亜子と同室のまき絵が拒否した。
 勉強が不得意なまき絵は、勉強勉強としつこく繰り返すのでガイが苦手だった。
 アスナの横では、このかとハルナ、夕映、のどかが集まって談笑していた。

「それにしてもこのかさんがタイプですか。割りと妥当な気がするですね」
「清楚やなんて……外人さんは褒めるの上手いなぁ~」
「ちょっと待って。黒髪で大人しい子がタイプって……黒髪ロングでおっぱい大きい文学少女の私なんて先生の好みドンピシャじゃないの!?」
「ハルナは一度自分の言動を顧みてみるべきです」

 トマトシェイクなるジュースを吸いながら夕映が辛辣にハルナを切り捨てた。
 どうやら教室に充満するラヴ臭に中てられてとち狂ってしまったらしい。
 ガイが赴任してきてからというもの、生徒の気持ちが浮ついている。それを一歩引いた立場で見ている者は察していた。
 那波千鶴は頬に手をあて、ため息をつく。

「うーん。みんな気持ちが浮ついちゃっているわね。こういう時に事故が起きやすいのよ」
「おぉ、ちづ姉のセリフだと含蓄があるね」
「夏美さん、あなたと私は同い年なのだけれど」
「――はっ!?」

 うっかり本心が漏れてしまい、千鶴の黒いオーラに夏美が呑まれた。
(そもそも教師と生徒じゃ犯罪だってのに何で付き合うとか恋愛の話になるんだよコイツら)
 
 千雨が苛立ち、机に一人で頬杖をつきながら毒づく。
俯瞰的な立場にいる真名は呆れた調子で眉尻を下げた。

「まったく、呑気なものだな。物騒な会話をしている奴もいるが」

 不意打ちして反応からガイの力量を推測しよう、など楓と相談している古菲の会話に汗が流れる。
 こういう時には同意してくれる相部屋の剣士が居たりするのだが、彼女はガイが退室すると同時に席を立っていた。

「普段はまとまりのなかったウチのクラスを統率できる手腕は見事です。オジコンのアスナさんを筆頭としたバカレンジャー等の不真面目な人にもやる気を出させているのですから。
 その分、余計な懸念は増えましたが」
「ごめん、いいんちょ。もう喧嘩する気力もない」
「ど、どうなさいましたのアスナさん!? お馬鹿なアスナさんが煽りに引っかからないなんて」

 朝からツッコミや羨望を一身に受けて疲弊したアスナが机に突っ伏した。
 なんだかんだ、ガイが赴任してから、ガイが中心にクラスが回っていた。







「先生、少しお話が」

 陰気な空気を漂わせ、新田に連れられ職員室に向かうガイを刹那が呼び止めた。
 振り向いて確認した小柄な少女の表情は真剣そのもので、足を止めた新田と顔を見合わせて目配せする。

「えーと」
「桜咲、それは今でなければ駄目なのか?」

 判断に窮したガイに替わって新田が刹那に尋ねた。刹那は静かに頷き、新田が堅苦しい空気を幾分弛緩させて言う。

「では、ガイ君は用が終わったら私のところに来なさい」
「はい」

 説教の時間が後回しになっただけなのだが、感情に任せた怒声は時間が和らげてくれるだろうと去ってゆく新田の背中を見届けながらガイが胸をなで下ろす。
 一拍おいて、自分の胸ほどしかない少女を見下ろした。

「で、どうした桜咲」
「ここでは人目につくので、こちらで」

 空き教室に連行され、何やらきな臭いと思い始める。刹那が片時も手放さない真剣に、まさか彼女はサムライの末裔なのでは、と考え始めるが、神鳴流と書いてあったのを思い出して気分が冷めていった。
 机や椅子はあるものの、無人の寂しい教室で対峙する。サイドテールの剣道少女は鋭い眼差しでガイを見上げた。

「お嬢様の護衛とお窺いしましたが」
「近衛のことか? ま、それも仕事だが」

 どうやら魔法生徒らしい。京都出身とあったのでこのかと繋がりがあるのかと邪推したが、当たりのようだ。
 ドライに答えるガイに刹那の視線がきつく細められる。

「本日はその件でご相談がありまして……」
「あー、うん」

 面倒な内容かとガイの気分がいっそう盛り下がる。麻帆良の魔法関係者は排他的で経歴も胡散臭いガイに懐疑的な者が多かったためだ。

「学園長は、お嬢様の護衛をわたしからあなたに鞍替えしたのでしょうか?」
「は?」

 だから、質問内容が想像を超えていて、頭が追いつかなかった。

「なんだそりゃ」
「わたしは西の長からお嬢様の護衛を依頼されて、この麻帆良に進学したのです。入学してから今までずっと影からお守りしてきました。
 ですが……学園長があなたを雇い、教師だけでなく護衛まで一任すると聞きました。それで、わたしに何か及ばないことがあったのではないかと、そう思いまして……若輩の身なのは自覚していますが、至らない所を学園長から、もしくはあなたから指南して頂ければ」
「何も聞いてないぞ。そもそもお前が魔法関係者だって言うのも、いま知ったくらいだ。お前も学園長から何か聞いてないのか」
「いえ、学園長からは、高畑先生に代わって凄腕の魔法使いの方が先生としてやってくるとしか」

 目に見えて気落ちして、肩と顔を下向かせる刹那を見て、ガイの脳裏をフォフォフォと笑う学園長が過ぎった。
 問題をガイに丸投げする気満々な学園長に苦笑いが浮かぶ。これくらい自分で解決しろとでも言うつもりだろうか。
 刹那の話をまとめると、刹那がこのかの護衛をずっと務めていたのに、その仕事を奪う者を対象の親族が雇ったということである。
 刹那が信用されていないと思うのも無理は無い。魔法関係の面倒臭さに、割に合わないとガイが肩を落とす。
 だが、仕事は仕事だ。ガイが外見だけは教師らしく取り繕って言った。

「別に信用されていないってことはないと思うがな。元々、護衛なんて一人でやる者じゃない。大統領の護衛だって一日に何人も交代でやっているし、何人いてもいいだろ。
 オレだって四六時中護衛できる訳じゃないんだから、オレが教師の仕事でいない間はお前が守ればいいさ」
「ですが……」
「ネガティブなやつだな。なら、オレがお前を信用して護衛を任せてやる。今日はたぶん帰りが遅くなるから、二人の部屋に行って護衛していてくれ」
「え、あ……すいません。わたしは影からお守りできれば、それでいいので……このかお嬢様の部屋に行くなど恐れ多いことは」
「そうか」

 面倒な奴だな、とガイは思う。複雑な事情があるのだろうが、ガイにはどうも自分の気持ちを押し殺しているように見えた。
 よく分かってないが、相談を受けたので後押しくらいはしてやろうと思う。

「だが、お前に頼みたいのは本当だ。オレも人間でな。羽目を外したいときもある。西の長直々に依頼されたお前なら護衛を任せてもいいだろ。
 オレがいないときはお前に近衛を任せる。非常時の連絡先を教えてくれ。雪広のしか持ってねえんだよ」
「は、はい」

 ケータイを取り出し、アドレスを交換する。そろそろ休憩時間がなくなったのでガイは一番知っておきたいことを訊くことにした。

「なあ、桜咲。お前の他に生徒で魔法関係者っているか?」
「学園長や高畑先生に教えてもらっていないのですか?」
「ああ、とても不親切な雇い主なんだ」

 放任主義というか、教育方針にも口出ししない、生徒の問題は丸投げ、生徒への魔法漏洩を進んでやるという何を考えているのか分からない学園長をここぞとばかりに小さく罵倒する。
 ガイの力を認めているのか、2-Aとはそういうクラスなのか。頭の痛くなる問題だが、桜咲もその一人のようだ。
 困り顔で言う。

「わたしの他では、龍宮は知っています。仕事仲間です。あとは、エヴァンジェリンさん、茶々丸さんくらいでしょうか」
「あの傭兵っぽい女か。意外だな、それしかいないのか」

 後の二人は既知であり、初めから当たりをつけていた真名の名前が出ても驚かなかった。
 楓やクーのような実力者は魔法について知っていないらしい。これが意外だった。

「すいません。他の関係者については、わたしも詳しくなくて」

 申し訳無さそうに刹那が体を小さくする。このかを想い、西から東に流れた彼女は云わば裏切り者であり、同じ境遇の刀子くらいしか頼れる者がいなかった。
 ガイもその辺りを察して、片手を振る。

「大丈夫だ。魔法関係者は一人くらいしか仲良くしてくれないからな。協力者がいるってだけで助かる」

 その一人が瀬流彦というのが頼りないのだが、口には出さなかった。
 僅かに顔を綻ばせた刹那を見とめて、ガイが言う。

「そろそろ次の授業が始まるから、急いだ方がいいな」
「あ、そうですね。では」

 そそくさと刹那が退室する。それを見届けて、ガイも新田の説教を受けに職員室に重い足を運ぶのだった。







「私も新任の君にうるさく言うつもりはない。異国の地で不慣れな言葉で授業を教えるというのは、想像以上に大変だろう。
 だが、生徒の礼儀を欠く行為を許容してはいかん。今はいいが、将来社会に出た時に恥をかくことになる。そうならない為にも私たちが教えてやらねばいかん。大人になると誰も教えてはくれないからだ。
 分かるね?」
「はい」

 職員室で椅子に座り、クドクドと説教する新田に粛々と首肯する。
 基本的に慇懃無礼で雇い主にも、雇用者と契約者は対等だとか抜かすガイだが、新田にはどうも頭が上がらなかった。
 理由は単純で教師として有能だからだ。新任のガイに回ってくる仕事を肩代わりしてくれたり、至らないところがあれば指摘してくれるので気づけば完全に下手に出ていた。
 新田も新田で、うるさく言うつもりはないと言いながらも、放って置けないのか手間のかかる者が好きなのか、事あるごとにガイの世話を焼いて叱りつけた。
 説教から解放されたガイを瀬流彦がフォローする。

「いやー、今日の新田先生の話は長かったね」
「段々と長くなっている気がするんですが」
「まあ、新人の頃は怒られて仕事を覚えるものだから。実際、一年目から担任を任せられているのに良くやっていると思うよ」

 本当かよ、と疑惑の目を向ける。瀬流彦は柔和な笑顔で言った。

「新田先生だって口ではああ言ってるけど、君が来てから2-Aが勉強するようになったって褒めてるよ。他の教科の先生だって授業態度が良くなったって驚いてたしね」
「聞こえているぞ、瀬流彦くん。君も私から見ればまだまだ新人だ。もっと小言が欲しいなら幾らでもくれてやるが」
「げっ」

 背後に立つ新田の威圧感に、瀬流彦の笑顔が引き攣った。
 ガイが「知ーらね」とそっぽを向く。瀬流彦は、あはは、と誤魔化すように笑った。
 未熟な二人の若者を見て、新田は大仰に嘆息した。

「仕方ない。今晩付き合いなさい。望み通り幾らでも説教してあげよう」
「え? いいんですか?」
「?」

 夜の付き合いってなんだ、とガイが首を傾げているのを見て、瀬流彦が耳打ちした。

「今晩一杯どうだってさ」
「一杯?」
「お酒のことだよ」
「酒!?」

 職員室に大声で酒と叫んだガイに慌てて瀬流彦が「シーッシーッ」と指を立てて黙らせた。
 ガイも声を潜めて瀬流彦に耳打ちした。

「え、いいんですか?」
「いいんじゃない。口振りからして新田先生も奢ってくれるだろうし」
「奢りっ!?」
「声! 声が大きいって!」

 酒と奢りという美味しいワードにガイが目を輝かせる。
 瀬流彦が口を塞ぐも、職員室からは冷ややかな視線が二人に突き刺さっていた。
 所在なさげに立つ新田は、手間のかかる外国人教師に、本当に大丈夫か不安になるのだった。



 その日の夕方、アスナとこのか、刹那のケータイに連絡が入った。同室の二人には、『今日は遅くなる』と。
 刹那には、『今夜の護衛は任せる。付き合いで遅くなる』と連絡した。
 そして翌日になってもガイは帰って来なかった。




――――――――――――――――――――――――――
ガイ先生の華麗なる一晩

19:00 新田、瀬流彦と居酒屋へ
20:00 瀬流彦を酔い潰す
20:30 新田を酔い潰す
22:30 ハシゴ先で追い出される
23:00 コンビニで酒を大量に購入
23:30 世界樹上にて一人で酒飲み開始
00:00 ガンドルフィーニ、高音、愛衣が回収
00:30 ガンドルフィーニに説教される
01:00 また酒を飲み始めたので没収される
02:00 説得虚しく交渉が決裂する、戦闘開始
03:00 ガンドルフィーニが酔い潰れる
04:30 寮に帰ろうとするガイを二人が健気にも阻止するが敗北する
――――――――――――――――――――――――――





 休日の早朝に叩き起こされたあやかは、とても信じられない話を耳にして眠気が吹き飛んだ。
 朝早くからランニングしようとしていた運動部組が、寮の前で寝ているガイを発見したという。
 どうすればいいか分からないので委員長の判断を仰ぎたい、と相談してきたまき絵に、クラスを纏める立場にある者としての責任感から立ち上がった。
 寝間着の上にコートを羽織り、寮を出てすぐのところに人集りが出来ていて、ガイの居場所はすぐに分かった。

「2-Aの雪広あやかです。通してください」

 ガイは有名人だったので、担当クラスの生徒が来たとあって皆あっさりと退いてくれた。
 急ぎ足で向かうと、裕奈とアキラがいた。

「あ、いいんちょ」
「これ、どうすればいいんだろ」
「どうすればいいと言われましても……」

 さすがのあやかも現場を見て困惑の声をあげた。
 真冬の空の下に、Yシャツ一枚で一升瓶を抱きながら寝ているガイと、その近くに後輩らしき麻帆良学園の制服を着た女の子と聖ウルスラ学院の制服を着た金髪の女子高生が倒れている。
 ガイはとても幸せそうな顔で寝息を立てており、女生徒の二人はなぜか毛布がかけられていた。ここにいる人が心配して用意したのかと思えば、初めからこの状態だったらしい。
 ますます意味が分からなかった。

「どうしたの?」
「アスナさん」

 新聞配達のバイトから帰ってきたアスナが、不思議そうに覗きこんだ。同居人の登場にアスナに期待が集まる。

「……朝になっても帰って来ないと思ったら」

 見たくない光景に、アスナの顔がげんなりとする。ネカネの心配は見事に的中していた。
 どこからどう見ても見本のような駄目な大人である。

「アスナさん。先生をどうすれば」
「いいんちょが起こして。あたしは他人の振りがしたい」

 顔を背けるアスナに釈然としないが、恐る恐るあやかがガイの肩を揺らした。

「先生、起きてください」
「おーい、せんせー起きろー」
「風邪ひくよ」

 裕奈とアキラも声をかける。すると、呻きながらガイが目を醒ました。
 半開きの眼があやか等生徒を見据える。

「なんだネカネか。安心しろ、オレは北極で寝ても死なない」
「ネカネ……?」
「誰?」
「さあ」

 寝惚けてあやかをネカネと見間違えたらしい。うっかり魔法のことをバラさないかと冷や冷やするアスナをよそに、ガイが再び目を閉じた。

「ちょ、先生!」
「うわ、また寝た。よく寝られるな」
「とりあえず、これは没収しとくわ」

 アスナがガイの懐から一升瓶を取り上げる。中身は空で、もしかしてこれを一晩で空けたのか、と強さに呆れた。
 愛しの酒がなくなり、ガイの手が忙しなく動く。

「先生! 起きないと本当に風邪引いてしまいますよ!」

 あやかが再度ガイを揺する。するとガイの手があやかの腕を絡めとり、胸に引き寄せた。

「――ッ」
「おぉ!」
「……!」
『おおぉぉぉぉ!』

 奇しくも実現した抱擁に野次馬が湧いた。抱き寄せられたあやかは、突然の出来事に硬直して何もできない。

「なにしてるんですか!」

 公然猥褻を働いた酔っぱらい教師に、アスナの一升瓶による鉄槌が下った。

 教訓その六:酒は飲んでも呑まれるな。




あとがき
そういえば麻帆良学園都市の魔法関係者ってよく深夜に戦ってますよね。


謎の暗号
せ⇔こ⇔あ⇔あ
の⇔あ せ⇔あ
の⇔ゆ あ⇔あ
あ⇔あ せ⇔え⇔あ



[39449] 遠くまで
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/03/09 21:53

「えー、今日は二人に魔法と気についての講義をしたいと思います」
「ガイさん、質問してもいいですか」
「はい、何ですか神楽坂くん」
「何であたしたち雪山に登ってるんですかーっ!」

 防寒装備をフルに着込んだアスナが魂の叫びを山中に木霊した。隣には同じくフル装備のこのかが肩で息をしている。
 足は積雪に膝下まで嵌まり、吹雪いてはいないが山の傾斜に加えて雪の歩きづらさが体力を奪った。
 体力馬鹿のアスナはともかく、図書館島で鍛えられているこのかでもしんどそうでアスナに寄りかかっていた。
 二人を麻帆良郊外の山脈に連れ出したガイは、雪山でも一張羅のスーツである。もう肉体の構造が根本的にホモ・サピエンスと異なるとしか思えなかった。
 アスナの疑問にガイはさも当然のように答えた。

「麻帆良で魔法がバレないような空間がなかったんだよ。人口密度が高いのも考えものだな」
「人が寄り付かなくなる魔法とか使えないんですか」
「それも考えたが、今日はちょっと危険な技を使うんでな。建物がある場所は危ない」

 時系列を説明すると、ガイが酔っ払って事件を起こした後、目を醒ました高音と愛衣に説教されて解放された直後、起きたこのかとアスナを連れて山に繰り出したので、今は昼だ。
 二日酔いと年下の学生に叱られる恥で機嫌の悪いので、アスナは練習場所をここに選んだと睨んでいた。
 何と心の狭い男なのだろう。疲れ果てたこのかがか細い声で言う。

「ウチ、もうアカン……先生、アスナ……もう眠ってもええ?」
「ダメに決まってるでしょー!」
「しょうがない。魔法の凄さを実演してやろう」

 ガイが指を振ると、穏やかな顔で力の抜けてゆくこのかに光が降り注いだ。
 アスナが初めての目の当たりにする魔法の現象に目を丸くする。光がこのかに吸い込まれたかと思うと、アスナに寄りかかっていたこのかが途端に自分の力で立ち上がった。

「あれ? 全然疲れとらん。むしろなんやろ、力が漲る?」
「おぉー」
「本来は呪文詠唱が必要になるんだが、オレクラスになると必要なくなる。効力は下がるが」

 むん、と力こぶを作るこのかに魔法の存在を実感する二人。はしゃぐこのかと感心するアスナにガイが言う。

「魔力は精神のエネルギーで気は肉体のエネルギーと、内外の力で効力も用途も異なる。近衛は魔力に、神楽坂は気に秀でているようだから別々に教えてゆく。
 あと、そこで盗み聞きしてるやつ、出てこい」
「え?」

 ガイが呼びかけると、その背後の木陰から忍服にマフラーを巻いた楓が頭を掻きながら出てきた。
 緊張感のない糸目の奥から警戒心が覗いている。

「いやー、参ったでござる。完璧に気配を消した筈でござったが」
「魔法って言葉を出すまではオレでも気づけなかった。その若さで大したものだ。流石はニンジャだ」
「何のことでござるかな」
「何で楓さんがここに……」
「土日は山に篭って修行しているでござるよ」

 正体を隠すつもりのない楓の登場に二人がポカンと呆けた。ニンニン、と忍法でお馴染みの印を結びながら話すだけで忍者に縁ある者か物真似好きな酔狂な女子中学生でしかない。
 ガイは魔法について聞かれたのに平然としていた。

「バレたものは仕方ない。長瀬、お前も付き合え。今日はこの二人の修行だ。ついでにお前にも稽古つけてやる。代わりにちょっと手伝え」
「あい、願ってもないでござる」
「あのー。簡単に魔法ばらしちゃってますけど、いいんですか?」

 アスナが怪訝に尋ねるも、ガイはさして関心もなく言った。

「別に構わねえよ。いっそ全員にバラしてもいい。意外と逸材ぞろいなクラスだしな」
「魔法って秘匿されるものやないの?」
「もうどうでもいいわ」

 このかがつぶらな瞳で疑問を述べるが、ガイは完璧に開き直っていた。今回はともかく、二人に関しては学園長が故意に魔法を露呈させたので、これも黙認されるだろうと踏んでいる。
 ガイは浮遊術で宙に浮いた。驚愕する二人を置いておいて、距離をとる。

「いいか。お前らには最初に、気を極めた者の力を見せてやる。オレは魔法も得意だが、気もマスタークラスの実力者だからな」

 言動から小物臭さが抜けないのはどうにかならないのか。呆れるアスナをよそに、ガイは上空数百メートルまで上昇すると、身を縮めた。

「見ておけ。これが最強クラスの力だ。ハアァァアアアアッ!」

 莫大な気が放出され、そのオーラが凝縮したかと思うと、ガイは全身を大の字に広げた。
 瞬間、爆発した。

「……は?」

 極大の爆炎と爆風が吹き荒び、アスナとこのかの体が浮いた。轟音と熱波で生樹が根ごと吹き飛び、雪が溶けた。
 光が収まった中からガイの姿が現れる。二人は楓が両脇に抱えて無事だったが、楓がいなかったら爆風に煽られて死んでいたのではないか。

「あー。ダメだ。二日酔いって感じ? ま、オレが全力ならこの辺りの地形が変わるからしょうがねえか」
「ちょっとー! あたしたち一歩間違えたら死んでたんですけど!」
「ホンマや」
「何と……規格外の御仁でござるな」

 何故か格好つけてため息混じりに首を振るガイに非難轟々である。楓も呆れていたが、実力差がありすぎて感覚が麻痺していたのかもしれない。
 それ程にガイが放った気の総量は圧倒的だった。スッキリしたと言わんばかりの晴れやかな顔でガイが降りてくる。溶けた雪でぬかるんだ土で靴がぬちょりと嫌な音をたてた。

「と、まあ極めればこんな規模の能力行使もできる。今のはただの自爆だが」
「あそこまでにはなりたくないです」

 人間はやめたくない。咄嗟にアスナの本音が漏れた。ガイが自慢気に今度は両腕を広げる。

「次は咸卦法を見せてやろう。これは究極技法と呼ばれる、通常相反する気と魔力の陰陽合一を果たした一つの到達点だ。ちなみに高畑も使える」
「え!? 高畑先生も!?」
「咸卦法も使えるでござるか……しかし、かの咸卦法に必要なのは魔力でござるか。武人が習得できないのも無理はないでござる」

 タカミチの名前を出され、張り切るアスナ、凄すぎて意味が分からない楓と疑問符を浮かべるこのかと構図が出来上がる。
 ドヤ顔でガイが両手に魔力と気を練る。

「左手に魔力、右手に気。それを合成すると……」

 ガイの全身から魔力、気単体とは比較にならない出力のエネルギーが放出され、その奔流に三人が目を細めた。

「なんかよく分かんないけど凄い!」
「フフフ……そうだろう。何せ、これの習得には天才のオレでさえ三日かかったくらいだ。凡人には十年かかっても辿りつけない境地だぜ」
「よーし、あたしもやってみよう」

 驚嘆する三人に気をよくしたのか、ガイが得意気に微笑する。
 アスナが見よう見まねで咸卦法を実践しようとするのを見て鼻で笑った。

「うーん。出ない……」
「そりゃあな。気も魔力の出力も感知できていないんだから当然だ。コツは左手に世界と右手に自己を置き、体をそれらの出入りする窓と認識することだ。表層意識は無にして心を空にするのがポイントだな」
「なに言ってるかサッパリや」

 基礎もないのに鍛錬の一つの到達点を見せているのだから、彼女たちが理解できないのも当然である。
 難しい顔で右手と左手に力を込めて手を合わせるアスナを見て、ガイはしたり顔で説明を始めた。

「先ず、神楽坂は気の発露から始めなきゃな。世間で達人と呼ばれる域になってようやく存在を感知できるのが気だ。おまけに咸卦法は魔力の発現に加えて、相反するそれらの合一も必要だ。それが最も困難で、これには場合によっては一生かかっても」
「あ、できた」
「――はい?」

 アスナが手を合わせると、微かではあるが総身から膨大な光が溢れた。規模はガイに比べて控えめであったが、素人目に見てもガイと同じ咸卦法であり、このかが感嘆の声をあげた。

「アスナすごいなー! 一発でできるなんて」
「あれ? もしかしてあたしって才能ある? これも高畑先生を想う恋のパワーのおかげだったりしてー」
「……」
「……」

 女子中学生が無邪気に喜んでいる横で、ガイと楓が無表情で立ち尽くしていた。
 この世の理不尽さを前にした人間は、皆こういう顔をするのかもしれない。

「神楽坂」
「はい? って、わわっ」

 無造作に、不意打ち気味に放たれた平手を反射的に上げたアスナの左手が弾く。
 その反応にガイの頬がひくっと動いた。武道経験者でもないのに身のこなしが洗練されており、無駄がない。
 何かがおかしい。訝しるガイだが、当の本人は生徒に攻撃してきたガイにぷんすか怒っていた。

「な、何するんですか!」
「長瀬。適当に神楽坂に稽古をつけてやってくれ。オレは近衛に魔法を教える」
「あい」
「え? ちょ、あたし素人ですってば!」

 楓が加減して繰り出す攻撃の数々を、ギャーギャー喚きながらも躱したり、手で防御するのを見て、ガイは頭を抱えた。
 教えることが殆ど無いのは、生徒として優秀なのか、教えがいがないので愛でることができないのか。
 複雑な気分になりながらも、ようやく教えてもらえるとあって黒曜石の瞳をキラキラと輝かせるこのかに向き直った。

「さっき神楽坂が咸卦法を使うアクシデントがあったが、あんなのはイレギュラー中のイレギュラーだ。近衛には魔力を掴む感覚から教えてゆく。
 ……近衛も使えるなんてことはないよな?」
「ないと思うえ」

 どうにも信用できず、ガイは小さな可愛らしい杖を懐から取り出した。先端がハートになっている練習用の杖をこのかに手渡す。

「プラクテビギ・ナル・火よ灯れ」
「火が出た!」
「真似してみろ」

 指先に火を灯すガイを真似て、何度もこのかが呪文を唱えてみるが、このかが杖をブンブン振り回してみても魔力の波動は全く感じられなかった。

「あーん。アスナは一発でできたのに~」
「それが普通だ。まぁ、才能があっても魔法はある程度の勉強は必要になるからな。少しずつ覚えていこう」
「あ、あれ!? ガ、ガイさん! 何かガス欠した! 凄いの出ない!」
「ちなみに、総量には個人差はあるが、どちらにせよ使えば減る。神楽坂は気も魔力の総量も大したことないから、すぐ使えなくなる。気と違って魔力量は才能に寄るから、近衛は魔力の操作を習得できればほぼ無尽蔵に使えるようになるぞ」
「へー」
「楓さん、タンマ! 体の動きが追い付かな……ぎゃー!」

 二人と楓の鍛錬が始まったが、アスナは初日で咸卦法の他にもう一つ学んだ。
 肝に命じる。ガイは本当に心が狭い。







 ガイが麻帆良学園に赴任してから二週間が経とうとしていた。その清涼な雰囲気や艶やかな美貌からは想像もつかないトラブルメーカーぶりで、アスナに幾度もツッコミ放棄させ、ガンドルフィーニら治安維持の為に日夜奮闘する魔法使いの頭を悩ませ、新田の口が酸っぱいを通り越し臭くなるほどに説教させる傍迷惑な一面を見せながらも、男に飢えた女子中学生には多大なる人気を有する彼は、彼に関わった者と同じように頭を悩ませていた。
 今日もその問題児の一人のもとに向かう。その一人である金髪のちびっ子は、寒空の下で仁王立ちして高笑いを轟かせていた。

「あーっはっはっはっはっはっは! 気分がいい。あの若造には感謝しなくてはな。微量の血液の摂取だけで満月の夜並みのスペックを維持できるとは。ちまちまガキ共の血液を吸っているだけでは到底不可能な回復量だ」
「ケケケ、オレモ動ケルヨウニナッタシナ」
「ククク……馬鹿とハサミは使いようだな。これなら、スプリングフィールド一族の血に頼らずとも、奴の血液の魔力含有量だけで私を縛る呪いを打ち破れるやもしれぬ。
 爺も十五周年記念に素晴らしいプレゼントを私に寄越してくれたものだ。どこに引き篭もっていたのか知らぬが、紅き翼クラスの魔法使いなど良く探して来てくれた。来る日には奴を打倒し、その血で闇の福音の復活祭を開くことにしよう」

 上機嫌なエヴァを頭の上にチャチャゼロを乗せた茶々丸がじーっと見つめていた。
 力が微量ながらも回復して、貧弱な人間の状態から脱却したエヴァを見つめる眼差しは、機械ではあるが嬉しそうだ。
 そのマスターの機嫌を損ねてはならないと判断していたが、危機が迫っているので報告することにした。

「あの、マスター」
「ん? どうした」
「背後にガイ先生が立っています」
「なにィ!?」

 遅すぎた報告にぎょっとして跳び引く。エヴァが振り向いた先には鬼の形相のガイがエヴァを見下ろしていた。

「誰が馬鹿だって? 自力で魔法も唱えられない元六百万ドルが偉そうに言うじゃねえか」
「貴様、いつの間に……!」
「マスターが高笑いした時には後ろを取っていました」
「早く教えんか!」
「鈍ッテンナ御主人」

 気が違ったように笑う自分の人形にも馬鹿にされる衰え具合に屈辱を感じるも、この男を前に負い目は見せられない。
 全力のエヴァに勝るとは思えないが、それでも偉大なる魔法使いと呼ばれても遜色ない魔力の持ち主だ。今の気配さえ察知できない動作をとっても、なぜ今まで存在が表に出なかったのか不思議なほどの実力者である。
 衰えていても結界内の侵入者を探知できるというのに……

「何の用だ小僧。貴様の要求は飲んでいる。ちゃんと授業には出てやっているではないか。なにか不満があるのか」
「有りだ。大有りだロリータ」
「あ?」
「あーん?」

 いちおうギブ・アンド・テイクの関係にあるのにどうしてこうも険悪なのか。腕組みして睨み合う二人をチャチャゼロが「ヤレヤレ、殺ッチマエ」と煽る。
 一般人なら腰が引けてしまう威圧感を放ち、メンチを切る両者だが、教師の立場にあるガイが渋々引いた。舌打ちして。

「テメエが何を企んでいようと、オレはどうだっていい。面倒を起こすまでは黙認してやる」
「ほーう。寛大な処置をどうもありがとう、ヤルキナイネン先生」
「その先生としての命令だ」
「ん?」

 きょとんとするエヴァにガイが無慈悲に言った。

「お前居残り」








「テメエ等、何で居残り食らったか分かるな」

 教壇に立つガイが苛立ちを隠しもせずに最前列に横一列で並ばされて座る生徒に問う。
 残された生徒は、ガイから見て左から千雨、刹那、エヴァ、真名、ザジである。
 申し訳無さそうにしているのは刹那ひとりで、あとは気まずそうにそっぽを向いたり、ふんぞり返ったり、堂々としていたり、なに考えているか分からなかったりでガイはますます憤慨した。

「長谷川ァ! テメエ何で宿題忘れたか言ってみろ!」
「やったけど家に忘れてきました」
「そうか。オレも同じ寮に住んでいるから直々に取りに行ってやる。感謝しろ」
「うげ」

 男性教師が女生徒と同居している事実を直視したくなくて記憶から消していたので、方便が効かないガイに胸に冷たいものが下りた。

「桜咲! お前は何で忘れた」
「すいません。その、仕事でやる暇がなくて」

 一般人がいるので大きな声で言えないが、このかの護衛である。ガイもそれは周知なので怒鳴りはしなかった。

「真ん中のない胸を張ってふんぞり返ってる幼女。理由だけは聞いてやるから言ってみろ」
「出席しろとは言われたが、課題まで提出しろとは言われてないからだ」
「揚げ足取ってドヤ顔かましてんじゃねえぞコラ」

 椅子に浅く腰掛け、契約内容を逆手に取り、鼻で笑うエヴァにガイの鼻がピクピク動く。額の血管が浮き出ていた。
 相手してられないとガイの視線がエキゾチックな褐色美女の真名に向けられる。問われる前に真名が答えた。

「刹那と同じく、仕事だ。稼ぎどきでね、勉学に勤しむ暇がなかった」
「お前が言うと、クリスマスが掻き入れ時のデリヘル嬢のセリフに聞こえるな」
「撃つよ」
「何でお前らはやってから言うのかな」

 口にした時には既に終わっているらしい。懐から取り出した拳銃でガイの眉間を撃つ。
 真名曰くBB弾らしいが、命中した箇所から煙が出ており、千雨の頬を汗が伝った。ガイは平気そうだが、威力は低く見積もってもゴム弾ほどはありそうだ。

「で、レイニーデイ。お前は」
「……」
「……」
「……」
「喋れや」

 口を開かない褐色の留学生にガイの口がさらに悪くなる。ガイがすっと目を細めると、ザジはカバンを漁ってチラシを取り出した。

「あー、なになに。サーカスの舞台があるから、その稽古と」

 頷くザジを見て、ガイはこれ見よがしにため息をついた。教壇に手をつき、かぶりを振る。

「バカレンジャーと呼ばれる面子も、オレの度重なる説得に折れて宿題を出すようになった。飛び抜けてアホな神楽坂と佐々木でさえ、オレや近衛、和泉に教えてもらって提出するようになったというのに、お前らときたら……」

 ガイは悲嘆に暮れるように手で顔を覆ってから、真顔で言った。

「ばーか」
「茶々丸、今の録音したか。爺に聴かせて来よう」
「ごめん、取り消す。だから消してくれ絡繰」

 言質を取られ、生徒に懇願する様は威厳もクソもなかった。教室の外でエヴァを待っていた茶々丸が「心配しないでください」と言ってドアを閉める。
 エヴァとしてもガイが去られると計画が崩れるので告げ口するつもりはなかったが、居残りさせられた溜飲は下がったようだ。
 頭を掻きながら、困り顔でガイが唸る。

「えー……今回は忠告だ。次から忘れたら提出するまで居残りさせる」
「面倒くさ……」
「長谷川、どっちにしろ出さなきゃならないものだ。家での時間がちょっと削れるのと学校でオレとマンツーマンで不正もできない中で問題を解くの、どちらが面倒か考えてみろ」

 呟く千雨の愚痴を耳ざとく聞き取り、正論で返す。肩を落としながらもガイの意を汲み、やる気にはなったようだ。
 態度では露骨にガイを鬱陶しく思っていたが。

「ザジも何とかなるな? 日本語が読めないって訳じゃないんだろ?」

 コクンと頷く。それを見て、真ん中のちびっ子は無視して刹那と真名の二人に目を行き来させた。

「お前らはどうするかねえ。学園長に行って仕事を減らすようにしてもらうか」
「え……先生、仕事はわたしの生き甲斐です。どうか奪わないでください」
「生き甲斐ではないが、金が入らなくなるのは困る。やめてもらいたいね」

 縋りつく勢いで哀願する刹那と素気ない真名の視線に、ガイも対処に迷う。
 刹那はガイの存在が自分のアイデンティティを奪う者と思っているし、真名は真名でアルバイトを禁止にされて怒る学生の目になっている。
 面倒になったガイは、生徒の機嫌を取ることにした。

「分かった。追々考えよう。だが、解けなくてもいいから名前だけ書いてでも出せ」
「なんてろくでもない教師だ。えこ贔屓しているぞ、この若白髪」
「ションベン頭は黙ってろ」
(教師と生徒のやりとりじゃねえだろ)

 お互いの艶美な髪を貶し合う外国人に千雨が突っ込む。もちろん口にはしなかったが、外見年齢十歳と二十四歳が繰り広げる会話の応酬は実に低レベルな罵り合いだった。







「ガイさん。なにしてるんですか」

 教員用の下駄箱で立ち尽くしているガイを見つけて、アスナが声をかけた。
 ガイは手紙を握りしめていて、アスナを一瞥すると気まずそうにカバンに仕舞った。

「それって……」
「いつもは帰っている時間じゃないのか、神楽坂」

 時刻は四時半すぎと、帰宅部には遅く、部活をしている者には早過ぎる中途半端な帰宅時間だ。まだ日が落ちる前で空は青く、教師のガイにしても早い下校である。
 陰りのあるガイとは対照的に喜色満面の表情で詰め寄るアスナは、ガイの手紙に興味津々だった。

「今のってラブレターですか? 相手は誰? 先生の誰か? もしかして生徒ですか!?」
「こういう時は、良い女は見て見ぬ振りをするものだ」
「あ痛ッ」

 デコピンされ、拗ねた顔でガイを見る。ガイが靴を履き替え、帰ろうとしたのでアスナも後を追った。

「ガイさんも帰るの早いですね」
「別件で行かなきゃならないところがあってな。そしたら神楽坂に見つかった。今日は厄日だな」

 疲れを滲ませるガイにアスナも唇を尖らせる。

「あんな所でラブレター片手に固まっているガイさんが悪いんですー。バレたのがあたしで良かったって感謝してくださいよ」
「そういうな。恋文なんて貰うのは初めてなんだ。驚きもする」
「えっ、貰ったことないんですか」

 ガイの容姿からは想像もつかない意外な言葉に目を丸くする。外気の冷たさも忘れてしまうほどだ。
 ガイは白い息をタバコの煙のように吐き、近くに人がいないことを確認してから言う。

「まともな学校生活なんて送った経験がないからな。魔法学校は中退だし、飛び級で進学したから周りにも馴染めなかったから、ろくに友人もできなかった。
 ショタコンな女にはモテたが……恋愛らしいものはした憶えがないんだよ」
「うわ、意外。あ、でもあの写真が本当なら異性は寄り付かなさそう」
「思ったことをそのまま口にしていると苦労するぞ、神楽坂」

 脳裏に浮かぶ変質者なガイの姿に当たり前か、と感想を述べるとガイの冷たい視線が突き刺さった。
 アスナは魔法の単語に思い出したように言った。

「ガイさんって何で魔法学校中退してるのに、どうして強いんですか?」
「魔法学校なんて基礎の基礎しか学ばない。居ても時間の無駄だと判断したから辞めただけだ。
 アメリカの大学でも本当のエリートは大学を中退する者が多い。学生の内から優秀な者を引き抜いたり、大企業の創始者だったりな。
 低レベルな講義に学ぶ必要性が感じられなくなるんだよ。オレにとっての魔法がそれだった」

 憎々しげに語る。ガイにとっての魔法学校時代は忸怩たるものがあったのだろう。
 本当のエリートという言葉にアスナが反応する。

「咸卦法を使えるあたしも、もしかしてエリートだったりします?」
「あぁ、超がつくレベルのエリートだよ。だからこそ、調子に乗るな」

 釘を刺すガイの語調は、究極技法と呼ばれる咸卦法をすぐに習得してしまった自惚れを冷ましてしまうほどに冷然としていて、取り付く島もなかった。
 以前の嫉妬とは異なる苦言にアスナも二の句が継げない。

「初めに言ったが、その力を使えば容易く人を殺せる。オレはいいが、危害を加える敵以外には暴力を振るうな。
 咸卦法を使えば、この寒さも凌げるが、常時使い続ければ咸卦法なしでの生活が苦痛になる。
 あくまで護身術の延長であることを忘れないようにしろ」
「……バレたらオコジョだからですか?」

 緊張して尋ねるアスナにガイは頭を掻いて、難しい顔で言った。

「それもあるが、どうも魔法は頼りすぎてもいけないものらしい。オレは天才だったからな、魔法で何でも出来たんだよ。
 そのオレに魔法学校の校長が言うんだ。『わしらの魔法は万能じゃない。わずかな勇気が本当の魔法だ』だと。その前に、嫉妬するしか脳がない無能を解雇しろと思ったが、年を食うと考えも変わってきてな。
 今は一理あると思わなくもないんだ」

 受け売りの言葉で説教をするガイは情けない顔をしていたが、アスナの胸には不思議と染みこんでゆく。
 話を聞くに、その校長は素晴らしい先生なのに、どうしてガイのような人間が育ってしまったのだろう。
 疑問と感動が綯い交ぜになった胸の内から、それを表現する言葉のないアスナに、ガイがあらぬ方角を指さす。

「たとえば、いま広場の階段から宮崎が落ちようとしているな」
「きゃー! 本屋ちゃーんっ!」

 五十メートルほど先で大量の本を抱えたのどかがバランスを崩し、高所から落ちてゆくショッキングな光景にアスナが叫ぶ。
 現在地の広場の噴水から走るが、とても間に合わない。アスナが思わず咸卦法を使おうとした時、ガイが風を起こし、落下したのどかがゆっくりと腰から音もなく着地した。
 本も傷まない速度でのどかの周囲に落ちて、目を瞑っていたのどかは、襲ってこない衝撃に目を開け、不思議そうに辺りを見渡していた。

「よ、よかった……」
「まあ、こういう人助けのために使うのならありだ。やむを得ない事情で使ってしまうときもある」

 胸を撫で下ろすアスナをよそにガイは踵を返した。

「よし、見つかる前に逃げるぞ」
「ええ!? ま、待ってくださいよ!」
「急げ! 生徒の記憶消していけないことになってるんだよ!」

 ダッシュでどんどんと遠ざかる背中をアスナも追う。
 アスナにこのか、楓と魔法がバレてしまったが、これ以上面倒事は増やしたくなかったらしい。

「あ……」

 見渡しても周囲に誰も居らず、そそくさと去ってゆく二人の背をのどかが見つけた。どうも、爪が甘かった。









 ガイが帰宅してから、押しかけてくる2-Aの面々がいなくなったあとで、このかへの魔法講座が始まった。
 アスナが聞いてもシッチャカメッチャカな理論や魔力を使う上での諸注意やコツが、ガイの口からポンポンと出てくる。
 アスナには感覚で大丈夫でしょ、という程度のものなのだが、本来はコントロールは慣れと鍛錬が必要になるらしい。
 それが終わったあとでこのかが室内で杖を使って練習が始まる。

「あーん、出えへん!」
「火を灯す練習は初歩の初歩だ。これが出来れば魔法の第一歩になる。気長に頑張れ」
「あのー、室内で火を出しても大丈夫なんですか?」
「オレがいるから大丈夫だ」

 どこからその自信が出るのか分からないが、ガイが居れば問題は起こらないらしい。魔法で何とかするのだろう。
 あれほど言っておいて、やはり魔法は万能だった。
 杖を上下に振って悔しがるこのかが半泣きになりながらガイにコツを聞いている。
 こういう光景を見ていると、咸卦法を習得できた優越感に頬が緩みそうになるのだった。

「言っておくが、オレがいないところで魔法や気の練習をするなよ。まだまだお前たちには危険なものだ。
 保護者がいないところで使うとどうなるか分からん」

 内心を見抜かれたようでアスナの心臓がひときわ大きく鳴る。
 分かってますよー、と返事をしてアスナはベッドに潜った。
 アスナが眠りについてからも、二人の魔法講座は続く。このかの魔法への憧れや執着は非常に強く、ガイに熱心に質問する。
 このかも成績がいいのでガイも気前よく教える。そういう時間が魔法バレしてから続くようになっていた。

「うぅ~。アスナは簡単にできたのに。せんせ、すぐに魔法が使えるようになる裏ワザあらへん?」
「あるにはあるが……」
「ほんま!?」
「あるんですか?」

 二段ベッドの上からアスナが見下ろす。眠気よりも興味が勝った。
 このかが詰め寄り、ガイに言う。

「お願いや、教えてせんせ。ウチも早く魔法使いたい」
「お薦めはしないが……お前ら、二人でキスしてみろ」
「は?」

 突拍子もないことを言い出すガイにアスナの空いた口が塞がらなかった。きょとんした瞳でこのかが尋ねる。

「アスナとウチがキスするん?」
「あぁ。魔法使いには従者っていうパートナーがつくことになっていてな。最近は専ら恋人探しにしかなっていないが、仮契約という形で従者関係を結ぶ儀式があるんだよ。
 その方法がキスをすることで、恐らくだがその際のショックで魔力に覚醒めるかもしれない」
「いやいや、待ってください。あたしたち女の子同士ですよ」

 キスという方法にアスナが拒否感を示す。ファーストキスだし、それはタカミチの為に取っておきたかった。
 このかが自分の唇に指を触れ、かわいく悩んでからアスナを見上げた。

「キスくらいならええよ。アスナー、一回ブチューっと。ウチの為を想って」
「ヤだってば! ガイさんとすればいいじゃない」

 迫るこのかを遠ざける為に咄嗟に出た言葉だが、口にしてから失言だと気づいた。
 親友に拒絶されたこのかは、恥じらいながらもソファに座るガイを見た。

「あ……そうやな。先生とならウチも別にかまへんし」

 占いや魔法のことなると目が変わり、とんでもないことを抜かす親友を止めようとする前に、ガイが口を挟んだ。

「自分で提案しておいて何だが、オレはする気はない。お前たちは生徒で、オレは教師だからな。
 仮契約の話も、お前たちが結んでおけば便利だから言っただけだ。
 神楽坂が拒否したんだから、近衛は地道に練習あるのみだ」
「あーん、アスナのイケズー」

 変わり者だが、良識のあるガイにホッとして布団を被る。このかが恨めしい声をあげていたが、目を瞑るとすぐに聞こえなくなった。




あとがき
原作の時間軸に入ります。
ホモマス始めようとしたらメンテナンスしててスマホ投げました。



[39449] 夢見る少女じゃいられない
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/03/09 21:39


「先生、私をオトナにしてください!」

 佐々木まき絵がガイに大声で言った。出合い頭に突拍子のないことを言われたガイの麗しい顔立ちが百面相のように歪む。

「ほう……佐々木、理由だけ訊いておいてやる。どうしてそれを、オレに、こんな場所で言うんだ……?」

問い質すガイの声と手は震えていた。現在地、職員室。時間は朝。朝礼前の長閑な一時をひとことでぶち壊したまき絵は、場の空気も読まずに半泣きで答える。

「身近な男の人が先生くらいしか思いつかなくてー」
「はーい。まき絵はこっち来ような」
「えっ、二ノ宮先生! 何で首根っこ掴むんですか……あぁ~」

 新体操部の顧問を勤める二ノ宮が、教え子がやらかしたのを見て、すかさず連行した。
 泣き喚くまき絵が職員室から去ってからも、ガイに周囲から冷たい視線が突き刺さる。
 隣の瀬流彦が乾いた笑い声をあげた。

「あ、あはは……ガイくん、モテるね」
「違うんです! あれは佐々木が勘違いして」
「ガイ先生、一時間目の英語が終わったら私のところに来なさい」

 広域指導員の新田が厳然とした声音でガイの肩を叩いて耳打ちした。
 ガイの肝が冷える。虹彩が色を失い、心なしか鮮やかなオッドアイも陰って見えた。
 隣席の瀬流彦が、ガイから漂う不穏な気配に寒気がして距離を取る。

(2-Aの担任って大変だなぁ。僕じゃなくて本当によかったよ)

 そう他人事のように安堵のため息をつくのだった。







「うぅ……」
「まき絵が落ち込んどる」
「珍しい」
「どうした、まき絵」

 二ノ宮にたっぷりお灸を据えられたまき絵は、HR開始ギリギリになって教室に帰ってきた。
 えぐえぐ、ぐすぐすと号泣しており、職員室に向かう前の何かを決意した凛々しい顔からの落差に仲良し四人組が心配していた。
 まき絵を囲んでアキラが質問すると、半泣きに落ち着けてから鼻声で返す。

「せ、先生に『私をオトナにしてください』って言ったら、二ノ宮先生にアホなこと職員室で言うな、って怒られた……」
「アホだ」
「アホがおる」
「何でそんなことを」

 止めてやればよかった。告白にしろ勘違いにせよ、頭が足らないまき絵の自爆を食い止めることができたのに。
 その予兆すらなかったのが幸いした。仲の良い三人に揃って呆れた目で見られたまき絵は、また泣きだした。

「だ、だって二ノ宮先生が、私はちょっと子供っぽくて色気が足りないって言うからぁ!
 でも大人になる方法が分からなくて、大人になるにはどうしたらいいんだろうって考えてみたら、先生に相談する以外に思いつかなくて」
「アカン、意味分かってへん」
「つーか、まき絵。あんた、それ職員室で言ったの? 絶対ガイ先生に告白したって他の先生の間でも話題になってるよ」
「うわーん! だって、二ノ宮先生も普段から先生のこと格好良い格好良い言ってるんだもん!
 先生以外に頼れる人いないんだからしょうがないじゃん!」

 泣き喚くまき絵をあやすように、アキラが「よしよし」と頭を撫でる。
 女性の教諭の間では、若く容姿端麗な外国人のガイは評判が良かった。名前は変だが、それ以外では仕事も真面目で酒癖の悪さくらいしか欠点がない。
 一般人には無理目の男であり、容姿で釣り合う者は少ないが、見惚れる美貌の持ち主なので観賞用としても重宝されていた。
 そのガイに自分の受け持つ生徒が迷惑をかけたので、二ノ宮の叱責も無意識の内に厳しくなっていた。
 尤も、まき絵がガイに爆弾発言をしたのも、元を辿れば女性教師がガイの話で盛り上がっているのをまき絵が耳にし、ガイ=色気のある異性と認識してしまったのが原因なのだが。

「どうしたの?」
「まきちゃんが先生に私をオトナにして! ってお願いしたらしいよ」
「はあ?」
「勇者だ! で、戦果は?」
「側近に負けたよ」
「先生は大魔王かい」

 騒がしいまき絵にアスナが訊くと、面白半分に話を聞いていた美砂、風香、桜子、円が順々に言った。
 妙な例えにアスナが半笑いになる。確かに実力だけならラスボスに相応しいかもしれない。
 本人の言動は序盤の盗賊で、威厳もへったくれもないのではあるが。

「くくく……だがまきちゃんはバカ四天王の中では最弱……」
「勘違いして玉砕するなど四天王の面汚しよ……」
「遂に私がバカレンジャーから除外されましたか」
「アスナ、クー、楓の順にやられて行くのか」
「勝手にあたしをやられ役にするな」

 ハルナと裕奈が悪乗りする。唯一、武闘派または体育会系ではないので除外された夕映が喜んだが、一緒にされたアスナには堪ったものではない。
 まき絵が盛大にやらかしたこととガイのラスボス扱いにクラスが賑わう。

「んー。でも、こう見ると先生って完璧超人だな。なにか弱点ないの?」
「酒」
「酒だろうね。酔いつぶれて道端で寝てるって報告けっこうあったし」

 和美の疑問にアスナが即答し、円が噂を口にする。最近になってようやくガイも人混みと電車に慣れてしまい、弱点が酒以外に思いつかなくなっていたのである。結果、お騒がせな面子が集ってガイの対策を練る意図不明な会議が始まっていた。

「むー、楓が言うには真っ向勝負では歯がたたないくらい半端無く強いらしいアル。倒すには酔わせて寝込みを襲うほかないアルか」
「どうだろ。なんか酔っ払いながらガンドルフィーニ先生とか武闘派の生徒を返り討ちにしてたって聞いたけど」
「私の弾丸が通じなかった。恐らく生半可な攻撃では傷ひとつつけられないな」
「拙者としては敵対しないことこそ最良であると思うでござる。ちょっと正攻法で勝てる場面が想像できないでござるよ」
(お礼参りでもするつもりかコイツら)

 クー、美空、真名、楓が真剣な顔で物騒な会話をし出す。美空以外明らかに常人離れした戦闘力を有する人外に千雨も心のなかで突っ込まずにいられない。
 酒のプールで溺死させると暴論を述べる風香に対し、史香が控えめに言う。

「色仕掛けなんてどうでしょうか」
「中学生の色気に落とされるかぁ?」
「ちづ姉とか龍宮さんが迫れば案外靡くかも」
「夏美ちゃんはどうしてか真っ先に私の名前を挙げるのよねえ。ホント、どうしてかしら」
「お、おっぱい! おっぱいが大きいからだよ!」

 無意識に地雷を踏む夏美の迂闊さは、どうにかならないものか。
 誰ならイケる、いや無理だ、新田先生なら、と好き勝手に騒ぐなかに、このかが新たな爆弾を投下する。

「そういえば、先生のアレ、すっごいおっきかったわ」
「……why?」
「って、もしかしてこのか見たの!?」
「ナニを!?」
「このかー!」

 頬をポッと染めて具体的に下半身のブツについて語りだしたこのかに教室がいっそう騒然とする。
 記憶から消去していたのに掘り起こされて、アスナが絶叫した。
 形状や大きさを根掘り葉掘り聞き出す性に芽生えた女生徒を尻目に和美とハルナが名探偵のような仕草で言う。

「やはり外人にナニで勝とうというのが間違いだったか」
「ナニを仰る、朝倉くん。我が2-Aには巨乳四天王が控えている。彼女たちならば、彼奴にも遅れは取るまいよ」
「いい加減にしろ」

 アスナの鉄拳制裁がハルナに下った。叩かれた頭を擦り、まったく反省していない笑顔でハルナが言った。

「でもさ~、アスナも感じない?」
「何が」
「学園に漂うラブ臭をッ!」
「しない!」

 グッと拳を握り、力説する。なぜかその意味不明な造語にクラスの数人がびくっと反応した。
 裕奈が嫌らしい微笑を浮かべてだんまりだったあやかを一瞥する。

「そういやいいんちょ、前に酔っ払った先生に抱きしめられてたね~」
「な……! そ、それがどうかしましたの!?」
「別に~。ちょっと思い出しただけ」

 口笛を吹いて、席を立って狼狽するあやかをあしらう。からかわれたあやかは顔を熟れたリンゴのように赤くして怒りに震えていた。

「アホらし。生粋のショタコンないいんちょが成人男性に靡くわけないじゃん」
「加齢臭がするオッサンにしか欲情しないオジコン娘がなにか言っていますわ」

 一蹴するアスナにあやかが喧嘩を売って、いつものキャットファイトが始まる。
 面白い見世物に、皆が賭けを始めて囃し立てる。そこにガイが入室した。

「座れ」

 そのひとことは有無を言わさず、逆らえない威圧が込められていた。
 ガイに反抗的なアスナでさえ、即座にあやかとの喧嘩を中止して着席する。
 重苦しい重圧の中でHRが始まり、出席を取り終わると一時間目の英語になった。
 誰も無駄話をしない違和感のある2-Aで、ようやくガイが口を開く。

「佐々木……」
「は、はい!」

 びくびくと戦々恐々としていたまき絵が涙目で返事をした。
 全員がまき絵のやらかしたことを知っていたので、間違いなく怒られるのだろうと同情していると――ガイは穏やかに微笑んだ。
 全員が呆気にとられた中でガイが優しい声音で言う。

「分かるぞ。お前たちくらいから、異性に性的な興味が湧き始めるものだ。おまけに女子校だし、手頃な男が担任のオレだけだからな。
 まあ、そういうこともあるだろう。困った奴だ」
「せ、先生……!」

 怒られなかっただけでまき絵が感激し、そのやりとりにアスナと千雨が違和感を覚えていた。
 どこか認識の食い違いがある。だが、イマイチはっきりとしない。
 どうしたものか悩む二人を置いて、こやつめハハハと朗らかに笑ってガイが続けた。

「オレもな、お前の悩みについて真剣に考えた。教師として、大人として、オレのIQ180の頭脳が導き出した結論がこれだ」

 ガイは大きく息を吸い、

「今からお前らに性教育を行う……!」
「アホかーッ!」
「英語の授業しろやぁ!」

 アスナが消しゴムを投げ、キャラも忘れて堪らず千雨も叫んだ。
 斜め上を往く稀代のアホっぷりにIQ180って絶対ウソだろと思わずにいられなかった。
 アスナが前の席のガイに匹敵、あるいは凌駕するであろう天才の超の肩を叩く。

「超さん! 天才のあなたならガイさんを論破できますよね!」
「んー……冷静に考えてみたら、ワタシIQテストしたことないから自分のIQ知らないアル」
「IQで勝ち負け決まるんですか!?」
「そういやオレも七歳以来計ったことないから今のIQ知らねえな」
「どう見ても劣化してんだろ!」

 とぼけた顔で頭を掻くガイに千雨が大声で言う。傍目にも酒で正常な思考力が鈍っているのは明らかだった。
 ガイが怒りに任せて教壇を叩く。

「うるせえ! 無知な教え子が誤った道に進まないように導いてやるのも教師の仕事だ! 保健体育じゃ習わない役に立つ生々しい大人の世界を教えてやるから覚悟しろ!
 佐々木、聞き逃すなよ!」
「はい、先生!」
「やる気になってんじゃねえーーッ! 個人的に聞けばいいだろうがァ!」

 一部の生徒の制止の声も虚しく、急遽英語の授業は保健体育の授業に変更になった。
 朝っぱらから行われる濃厚な授業にある者は感服し、ある者は絶倒し、ある者は耳を塞ぎ、ある者は絶叫した。
 ガイは授業を終えると、まっすぐに新田の席に向かった。その顔はとても晴れやかだったそうだ。
 付け加えると、説教後のガイの顔はピカソの画風に似ていたそうだ。







「教師ってのも楽じゃねえな。つーか、ウチのクラスが……他のクラスはそうでもねえもんなぁ」

 昼休み。ガイは学園の中庭で愚痴をこぼしながらアンパンを瓶の牛乳で流し込んだ。
 他のクラスでも英語を教えているが、今朝のまき絵のような騒動を起こす生徒も、アスナやこのか、楓、真名、刹那、エヴァのような魔法生徒を集中させているクラスは他にない。
 一年に愛衣がいたが、あれも稀有な例なのだろう。やたら敵意を向けられるので無視して存在を忘れていた。魔法先生はともかく生徒はそこまで多くない。
 2-Aが異常なのだ。ガイはタカミチが担任を投げ出したと認識していたので、その負担の大きさにため息をつきたくもなる。
 問題児を一極集中させたはいいが、管理できなくなってどうするのだ。

「いや、弱音を吐くな。金の為だ、金の為ならオレは神にもなれる」
「お、いた。おーい、センセー!」

 声のした方を向くと、ハルナ、のどか、夕映の図書館組が仲良く歩いてきていた。ハルナが手を振っている。
 ガイが二個目のアンパンに手をかける。

「寒空の下で牛乳とアンパンでお昼とは」
「先生寒くないの?」
「そうか? あったかいくらいだがな」

 伊達に寒冷な地方で過ごしていない。おまけにガイは酔い潰れては外で寝る日々を繰り返してきたので寒さに関しては異常な耐性があった。
 二人の影でオドオドとしていたのどかが、二人に引っ張りだされて前に出てくる。

「ほら、のどか」
「う、うん。あ……あの―……先生」
「ん?」

 行儀悪く、アンパンを齧りながら視線で次を促すと、のどかはおっかなびっくりに言葉を紡ぎだした。

「先生は……本はお好きですか……」
「好きかと言われれば、好きだが。それがどうした」
「いえ! えと、その、あ、あの……私も好きです」
「……そ、そうか」

 要領が得られず、そう問われるとこう返すしかない。
 男性恐怖症な割に会話を続けようと頑張ったと褒めるべきなのだろうか。
 対応に困ったガイの耳に、遠くから耳慣れた声が聞こえた。地面を蹴る音も聞こえた。

「――こんの」

 振り向いた先には、靴の裏が目前に迫っていた。

「迎えにくらい来なさいよアホガイがーーーーッ!」

 顔面にめり込んだ飛び蹴りにガイが吹っ飛んだ。長閑な昼休みを襲った襲撃者に三人の空いた口が塞がらない。

「きゃあああああ! 先生――――!」
「うーん」
「の、のどか!」

 ざっと十メートルは飛んでいったガイをハルナが追う。失神したのどかを夕映が支えていると、空中から見事に着地し、仁王立ちしているその小さな襲撃者はフン、と鼻を鳴らした。
 ハルナが地面に四つん這いになって動かないガイに駆け寄る。

「ちょ、先生だいじょうぶ!?」
「……が」
「え?」
「オレの、アンパンが」
(え、そこ?)

 あれだけ派手に吹っ飛んだのに痛がる気配もなく、地面に落ちたアンパンの残骸を見つめて絶望するガイに別の意味で驚く。
 やがてガイは勢い良く立ち上がると、貴重な昼飯を奪った不届き者を睨んだ。

「誰だオレのアンパンを殺した奴は!?」
「約束すっぽかした奴のランチなんて知るか!」
「はあ? ……何でお前ここにいんの?」
「ネカネお姉ちゃんが手紙で知らせたでしょー!?」

 魔法使いのローブと帽子をかぶった小柄な少女は、どこからどう見ても同郷出身のアンナ・ココロウァだった。
 赤毛のツーサイドアップはガイの記憶よりも長く伸び、昔の面影はそのままに幼児から思春期を迎える少女に成長していた。
 マジギレしている彼女は、再び飛び蹴りをかましてきた。ブーツに包まれたその足を華麗に掴み、ぷらぷらとぶら下げる。

「あ、コラ! 離しなさいアホ!」
「スマン、早乙女、綾瀬。オレは用事ができた。相談はまたあとでな」
「あ、はい」

 宙吊りにされながらガイの胴体を殴って抵抗する少女との関係性が気になったが、ガイが言うやいなや颯爽と学園長室に走り去ったので二の句が継げなかった。
 目的はのどかがガイと会話することだけだったので、特に要件はなかったのだが。







「どういうことだ!」
「いや、だってわしも知ったの最近じゃもん」
「可愛く言ってんじゃねえ!」

 アーニャを逆さ吊りにしたまま、ガイは学園長室に殴りこんだ。
 道中で問いただしてみれば、麻帆良学園で教師をやることが修行として出たのだと言う。
 まったく知らされていなかったガイが激高するのも無理はなかった。学園長が「てへ」と自分の頭をコツンと拳骨を落として茶目っ気をアピールしたのも反感を買った。
 ガイは狩った獲物みたいに片足を掴んでぶら下げたアーニャを学園長の前に突き出す。

「このちんちくりんが! 年上の同性相手に教師できると思うか!」
「誰がちんちくりんよ!」

 不安定な態勢ながらもガイに威勢よく拳で反撃する。腹部に何度も打ち込んでいるのだが、ガイに効果はないようだった。
 学園長は唸りながらも肯定する。

「しかし、ここを修行先に決められてしまったものは仕方ない。立派な魔法使いになる為にはやり遂げねばならんのう」
「……これだから魔法使いって連中は」

 片手で額を抑え、痛む頭を抱える。ガイが目を瞑った隙にアーニャが振り子の要領で全身を揺らし、全力の右アッパーをガイの股間に叩き込んだ。

「いい加減に――離さんかい!」
「はぅあ……ッ!?」

 男性にしか分からない激痛に股間をおさえて悶えるガイが膝をつく。
 手放されたアーニャは猫のように着地したあと、腕組みして頬を膨らませた。

「ガイはいつまで経っても、全っっっ然! レディの扱いがなってないわ!」
「イギリスには男性の股間を攻撃するレディがおるんじゃな」

 男として同情してしまう光景に学園長が冷や汗をかく。見ているだけで肝が冷える。
 しばらくして、復活したガイに改めて学園長が言った。

「アーニャくんは空いている2-Aの副担任を勤めてもらう。担当科目は英語でヤルキナイネンくんの補佐じゃな。
ヤルキナイネンくんには、アーニャくんの世話役を頼むとしよう」
「……また重荷が増えるのか」
「甘くみないでよね。先生の仕事くらい簡単にできるわよ」

 面倒そうに首を重力に従わせるガイにアーニャが嘯く。そういやコイツ、昔からやたらとませてたな、と過去に思いを馳せた。
 そして、今に戻って最初の言動を思い出す。

「迎えってなんだ?」
「ネカネお姉ちゃんの手紙にあったでしょ!」

 アーニャの怒りの原因と思われる齟齬を埋める手紙は既にガイが燃やしている。もしかして他にあったのかと、転移魔法で開封していない手紙を手元に召喚した。
 カラフルでかわいらしい手紙が数十枚ほど束になっており、ガイの手に収まる。

「……お主、モテるのう」
「気のせいです」

 もう盛りの過ぎた齢なのにガイに僻みの視線を向ける学園長を適当にあしらいつつ、手紙の束を捲る。
 すると、他のラブレターとは毛色の異なるエアメールを見つけた。ガイの頬を汗が伝う。
 アーニャのジト目が突き刺さる。

「見てみなさい」
「……」

 無言で封を切り、手紙を再生する。笑顔のネカネが浮かび上がった。

『ガイくん。また突然ごめんね。いきなりで申し訳ないんだけど、アーニャがそっちの麻帆良学園で先生をすることになったの。
 十歳のアーニャに先生なんて無理だって校長に言ったんだけど、決まったことだからって止められなくて。
 だからガイくんにアーニャのお世話を頼みたいの。異国の地で知り合いがいれば心強いでしょ?』

 アーニャの目が見られない。学園長も白い目をガイに向けていた。面倒事を押し付けてきたネカネと結果的に見つめ合う形になる。

『それと、アーニャの師匠もお願い。ガイくんは火炎系の魔法得意でしょ? 魔法に関しては天才のあなただもん。アーニャの師匠に打ってつけじゃない。
 アーニャの先生もお願いね。ガイ先生』
「は? こいつの師匠までやらなきゃいけねえのかよ」
「まで、って他に教えておる者がおるのか?」

 白々しくもとぼけた顔で学園長が尋ねてきたのでガイは無視してネカネを見た。

『アーニャは○△日の夕方に成田空港に日本時間の三時に着く予定になってるから迎えに行ってあげて。意地悪しちゃダメよ?』

 到着予定時刻は昨日だった。アーニャが地団駄を踏んだ。

「あんたが来なかったせいで空港で一夜過ごして電車乗り継いで麻帆良まで来たのよ! どうしてくれんのよ!」
「いや、昨日は仕事が入ってたし」

 ゲシゲシと脛を蹴り、置き去りにされた恨みをぶつける。事実、学園長に頼まれて仕事をしていたので約束通りの時間には迎えに行けなかった。
 思えば、あの書類はアーニャに関係する書類だったのだろうか。学園長は意図的にガイへの情報を遮断している節があるので確信出来ない。
 だが、すっぽかしたのは間違いないので渋々と謝意を表する。ため息をついて。

「はいはい、悪かったよ。師匠役も任されてやるから、そう怒るな」
「そういえば。ネカネお姉ちゃんが、ガイが全然返事をよこさないって言ってたわよ」
「あ?」

 言われて、再度手紙の束に目を通すと、未開封のネカネからのエアメールが二通出てきた。
 ガイの現実逃避に遠くを見つめる。それをアーニャがふんだくって再生した。

『ねえ、ガイくん。返信が来ないけど、ちゃんと手紙読んでるの? ズボラで面倒くさがりなのは昔から治ってないのね。
 今まではそれで良かったと思うけど、社会人、それも先生になっても治さなかったら苦労するわよ』
「あー、うん。よし、燃やそう」
「あ!」

 指先から熱光線を照射して手紙を燃やす。日頃から説教をくらっているのにネカネにまで手紙で説教されては心身が持たない。
 あっという間に消し炭になったネカネの手紙を風で撒いて、大人げないガイを睥睨するアーニャに屈んで目線を合わせた。

「しかし、お前が魔法学校を卒業して修行とはな。オレの記憶じゃ、まだオシメも取れない赤ん坊なのに」
「いつの話してんのよ」

 爪先でガイの脛を小突く。人体の弱点を突いているのにガイは痛くも痒くもないようだった。
 平然としているガイにアーニャが思い出したように言う。

「ネカネお姉ちゃんとスタンお爺ちゃん、あとママもたまには村に帰って来いって怒ってたわよ。全然顔を出してないみたいじゃない」
「年明けにスタンの爺には会ったぞ。だいたい二年前には一回帰っただろ」
「ろくに仕事してないんだから顔くらい見せろってことよ。どうせこっちでも毎日飲んだくれて喧嘩しっぱなしなんでしょ」
「あいにく、ここでは真面目に仕事してんだよ。そもそも喧嘩は村のアホ共が吹っかけてくるのが悪いんだ。ガラの悪い連中ばかり集まりやがって」
「いや、ヤルキナイネンくんは頻繁に深夜に暴れて始末書を書かされているじゃろ」

 懐郷の話に花を咲かせる二人に学園長のツッコミが入る。ガイがあさっての方向を向いたのでアーニャが図星か、と嘆息した。

「仕方ないわね。相変わらず人間失格のクズっぷりは治ってないみたいだから、私が面倒見てあげるわよ。ここにネギもいるんでしょ。出しなさいよ」
「時代錯誤のローブ着て来といて良く言えんな。あと、ネギはいねえよ」
「はあ!?」

 驚愕して大口を開けて屈んだガイの胸倉を掴む。

「嘘つくんじゃないわよ! ここにネギいるんでしょ、あのボケネギをさっさと出しなさいって言ってんの!」
「いないもんは出せねえよ。まず、何で行方不明のアイツがここにいるって思ったんだ」

 唾をかけられて、うんざりとしながらガイが答えると、アーニャは気まずそうに言った。

「ネカネお姉ちゃんと校長が、ネギが家出するとしたら絶対ガイの所に行く。そしてガイはネギがいることを面倒臭がって私たちにひた隠しにするって」
「本当に信頼されていないんじゃな、お主」

 ある意味では悪い方面では絶対的な信頼を得ているとも言える。ネギがいないと分かってさらに逆上したアーニャは、ガイの胸倉を掴んだままガクンガクンと揺さぶった。

「あー、もう! 全部あんたの所為よ! あんたみたいなアホにボケなネギが憧れちゃったから、『魔法学校にいても意味ない』とか『先生は僕より弱い』とか捻くれてウェールズ飛び出しちゃったのよ!
 責任とんなさいよこのアホーッ!」
「アーニャ……お前も知ってるだろ? オレがこの世で一番嫌いな言葉は、『責任』と『利子』と『返済』だって」
「威張って言うな!」

 喚き散らすアーニャを脇に抱えて、ガイは学園長室をあとにしようとした。

「あ、コラ! 離せアホガイ!」
「そう怒るな。今日の夜は食通の先生に教えてもらった美味しい日本料理の店を奢ってやるから」
「え! ホント!?」
「あぁ、ホントだ」

 一転して子供らしく好奇心いっぱいに表情を綻ばせるアーニャに頷くと、アーニャは噂の日本料理に思いを馳せた。
 アーニャを落ち着かせたガイは、学園長室の扉に手をかける。

「じゃあ、オレはアーニャを他の先生方に紹介してきます。おい、ちゃんと挨拶しろよ」
「誰に言ってんのよ」

 ギャーギャー口喧嘩しながら退室する二人を見届けて、学園長は深い溜息をついた。


教訓その七:返事はしっかり書こう。






「えー、急な話で申し訳ないんだが……いや、オレも急すぎてついていけないんだが、とりあえず今日付けで赴任することになった副担任の先生を紹介する。
 はーい、自己紹介しなちゃいねー」
「アンナ・ココロウァです。イギリスのウェールズから来ました。信じられないでしょうが、これから先生として精一杯勤めさせていただきますのでよろしくお願いします。気軽にアーニャとお呼びください」

 子供扱いするガイの太ももを後ろ手で抓りながら、かわいらしい笑顔で自己紹介をアーニャが2-Aの生徒の前でした。
 帰りのHRでのことだった。自分たちより幼い小学生くらいの女の子レディーススーツに身を包んで教師をする光景に目を見開いた。そして絶叫した。

『かわいいーーーーーっ!』

 立ち上がって詰めかける面々をガイが手で振り払って席に着かせたため、揉みくちゃにされなかったが、その反応に千雨が机に突っ伏した。
 アスナも怪訝だったが、ウェールズと聞いてガイの知人だと悟り、魔法関係だと気づいて何も言わなかった。
 笑顔のまま固まっていたアーニャが、ガイの袖を引き、ガイが屈むと耳に顔を寄せる。

「ねえ、この人たち本当に十四歳なの……?」
「あぁ、どう見ても人妻みたいな奴や幼稚園に通っていても不思議じゃない奴もいるが、まだ中学二年生の女子だ」

 絶句するアーニャがそっと自分の胸に手を当てた。

「気にしなくても十歳のお前ならまだ成長する。十五までは成長期だから安心してネギに揉んでもらえ」
「ネ、ネギは関係ないでしょ!」
「先生せんせい! アーニャちゃんとは仲良さそうですけど、親戚ですか?」

 朝倉が記者魂を漲らせて質問してきたので、いつものやる気なさそうな態度で答えた。

「こいつとは同じ村出身でな。見ての通りガキなんで多少の失礼は多目に見てやってくれ」
「先生の知り合い!?」

 異色の経歴の外国人であるガイの過去を知る人物の登場に教室が湧いた。
 桜子と裕奈が立ち上がる。

「はいはーい! 今日の放課後にアーニャ先生の歓迎会しませんかー!」
「新任の先生を出迎えてやらなきゃね!」
「賛成―! 誰が買い出し行く?」

 騒ぐのが大好きなクラスなので、企画はトントン拍子に進んだ。
 ガイを無視して進行する歓迎会の企画をぽつんと眺めながらガイが呟く。

「オレ、歓迎会されてなくね?」
「……あ」

 忘れてた。クラス全員の心が一致した瞬間だった。







「ねえねえアーニャちゃん。ガイ先生って村だとどんな感じだったの?」
「アホよ、アホ。毎日酒飲んで喧嘩してネカネお姉ちゃんに叱られてたわ」
「そのネカネって誰?」
「私とガイの間くらいの年齢の女の人よ。美人でしっかり者で村の女神」
「その人とガイ先生の関係は!?」
「お前らいい加減にしろ。人のことを根掘り葉掘り探りやがって」

 用意したジュースとお菓子で盛り上がりながら、今日の主役であるアーニャに質問攻めする和美やハルナ、裕奈ら色恋沙汰に興味津々な連中にガイが釘を刺した。
 睨まれた連中はバツが悪そうに頭をかくが、全く反省していない。
 結果的にアーニャとガイの歓迎会となったパーティで、同性で幼いアーニャを囲んでガイの過去の詮索が始まったので流石のガイも黙っていられなくなった。
 せめてアーニャのことを訊け、とガイも思わなくもない。
 そしてペラペラとガイのことを喋るアーニャにそのオッドアイを向けた。

「お前も気安く人のことを話すな。女ってやつは本当に口が軽いな」
「ふん。噂されるようなだらしない生活おくってた奴が悪いのよ」
「あー、そうかい。それならオレもお前の秘密を話してやる。アーニャが最後におねしょをしたのは八歳の――」
「きゃあああああ!」

 顔を真っ赤にしてガイに飛びついて口を塞ぐアーニャに笑いが響く。
 その微笑ましいやりとりに、少し離れたところで飲み食いしていたアスナとこのかは苦笑いを浮かべていた。

「なにやってんだか」
「でも、何か新鮮やな。先生、あんまウチらと積極的に話さんし」
「そう?」

 むしろ、うざがっているアスナには良く話しかけられている覚えがある。面倒を見てもらっているからか、お節介焼きな印象もある。
 成績が悪いものには自分からコミュニケーションを取っているようだが、言われてみれば、自分たち生徒と話す時と距離が近い気がする。
 アーニャとは同じ村で育ったと聞いたが、それが理由なのだろうか。少なくとも、生徒と接するときよりも楽しそうに見えた。
 八歳までおねしょしてたの? と、裕奈にからかわれ、赤面して騒いでいるアーニャを置いて、ガイがアスナたちの元にやってくる。

「ったく、ガキのお守りも楽じゃねえ」
「そんなこと言うて、先生も楽しそうやったやん」
「そう見えるか?」

 聞き返すと、首を傾げて、自問自答し始めた。それから、なぜか躊躇いがちに言う。

「まあ、なんだ。アーニャはオレがお前らくらいの年に生まれたからな。子守もさせられたし、妹というか、娘みたいなものなんだよ。
 それが半人前とはいえ、社会に出ると、面映ゆくもなる」

 そう語るガイは普段のデタラメぶりからは想像もつかない大人な男性の哀愁が漂っていて、二人は何と声をかけらればいいか分からなかった。
 そして、腕組みして唸る。

「しかし、ネカネといい、アーニャといい。オレが面倒を見ていた奴はどうして世話焼きに育つんだ?」
「ガイさんがよっぽどだらしなかったからじゃないですか?」

 考える必要もない原因を指摘され、ガイが口を閉ざす。ガイがアーニャから離れたのを見て、亜子とまき絵がガイの手を引いた。

「先生、こっちで飲もうよ」
「そうや。アスナばかり贔屓してズルいて」
「そんなことないってば」

 同室だからか、やっかみを受けてアスナが反射的に突っ込む。運動部組に連れ込まれるガイを見てため息がこぼれた。
 視線を外した拍子に、近くにいたハルナがテーブルに突っ伏しているのを見つけて声をかける。

「どうしたのよ、パル。また徹夜明けの疲れ?」
「……ラブ臭がすごいのよ。甘酸っぱい匂いに鼻が曲がりそうなのぉ」
「またアホなことを……」

 ガイが美形なのは認めるが、2-Aでガイに好意があるのは、アスナの見たところでは亜子と円、そして彼氏持ちなのに外国人に興味津々の美砂くらいである。
 彼女たちは面食いの側面があるのでアスナも変化に気づけた。そういえば、ガイは先日ラブレターをもらっていたが、他のクラスでの人気は凄いのだろうか。
 なら、ハルナの言う正体不明の疑わしいラブ臭とやらの原因もそれなのかもしれない。

「……」

 アーニャがじっとアスナを見つめていたのに気づいて、目が合った。気が強い者同士で相性が微妙に思えて、若干気後れしながらアスナが声をかけた。

「どうしたの、アーニャちゃん」
「……? 似てなくもない? ごめん、なんでもないわ」
「そ、そう?」

 年下なのに先生と目上の立場にあるアーニャとどう接したらいいか分からない。
 年下の上司を持ったら、こんな感じになるのかもしれなかった。
 再びガイを見る。まき絵が「もうお前の胸は成長しない」と言われて半泣きになっていた。
 経緯は不明だが、セクハラ発言をするガイにとりあえずツッコミをいれた。
 同時に、アーニャが飛び蹴りをガイの顔面に食らわした。
 さすがにそれは少し引いた。



教訓その八:昔馴染みが一番怖い。



あとがき
ロリ・ショタコンプの為にアーニャ投入。
いないとこれから厳しくなるので。



[39449] 守ってあげたい
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/03/18 21:27
 アーニャはすぐに職員室に馴染んだ。ガイは未だに距離を置かれているのに、だ。
 幼く、猫を被っているアーニャは愛嬌もあり、愛想も良いので、文字通り猫可愛がりされていた。
 あの新田ですらデレデレである。ガイは人知れず職員室で「ケッ」と苦湯を飲まされていた。とことん器の小さい男だった。

「アーニャ、教師の仕事が終わったらオレと一緒に詐欺師にならないか。お前なら幾らでも金持ちの男を誑し込めるぞ」
「私、立派な魔法使いになるって言わなかった?」

 よほど癪に障ったのか、寮に向かう途中で悪質な冗談まで口にする始末である。
 まだ小学校に通っている年齢なのに七時過ぎまで仕事をこなす点は、やはり魔法使いであり、凡庸ではない。
 暗い夜道を並んで歩く。肌を刺す肌寒さも、もっと寒い地域で育った二人には屁の河童だった。

「ねえ」
「あん?」
「何であんたもこっちに来るの?」
「それは後で言う」

 学園長に告げられた住居に向かっているアーニャと並行しているガイに疑問を抱く。
 歩幅がだいぶ違うのでアーニャが早足になっているのはご愛嬌。美味しい日本食が食べられてアーニャもご機嫌だったので深く追求しなかった。
 寮についたガイは、あやかに電話すると、帰宅していた2-Aの面々をロビーに集めた。
 なんだなんだと相変わらず賑やかな彼女たちにガイが手を挙げて言う。

「はい、皆さんに集まってもらったのは他でもありません。学園長の杜撰な受け入れ体制のおかげで、アーニャの泊まる部屋がないんです。
 だから、皆さんの中で、このちんちくりんと一緒に住んでもいいよって懐の深い女の子はいませんかー」
「……はい?」

 目が点になったのはアーニャだった。まさか自分の部屋が決まっていないとは思ってもいなかった。
 自分が家なき子だったとは思わず、プライベートルームを持てない現実に置いてけぼりになるアーニャを放っておいて、話はトントン拍子に進む。
 相部屋の者同士で話し合い、善良なお人好しが多いのか、殆どがOKを出した。
 現実に帰ってこないアーニャにガイが声をかける。

「ほら、アーニャ。お前を泊めてあげてもいいって言ってるお姉さんがこんなにいるぞ。お前が決めていいそうだ」
「子供扱いするな!」

 品定めに入る。アーニャの意思に任せるらしく、アーニャの直感で住む部屋が決まることになった。
 こういう際に、アーニャの基準となるのは、胸の大きさである。

(敵ね……この人も敵。こっちは仲間だけど、片方は敵……)

 ペアを見比べて、胸のサイズで敵味方の区別をつけてゆく。そうして、亜子とまき絵、夕映とのどかの部屋に絞り込んだ。

「うーん」

 視線が行き来する。快活そうな亜子とまき絵と比較して、夕映とのどかは大人しそうに見えた。
 それが決め手となった。

「あなたたちの所でお世話になることにするわ。よろしく、ノドカ、ユエ!」
「う、うん」
「やりましたね、のどか」

 亜子とまき絵が悔しがる。ガイと親しいアーニャとお近づきになり、ガイの話を聞こうという打算が見え見えだった。
 アーニャとしては、どうしても年上の見知らぬ同性と住まなければならないとなれば、気の弱そうなタイプでないと喧嘩してしまいそうだったので、そういう意味ではまだガイの方が慣れている分、気が楽だったのだが。

「わざわざ集まらせて悪いな。要件はこれで終わりだ」

 解散させて、ぞろぞろと部屋に帰り始める生徒に混じってガイも寮に入ってゆく。
 夕映とのどかがアーニャを案内しようと残っていた中、ナチュラルに生徒に溶け込んでいたガイをアーニャが見咎める。

「ちょっと。何であんたも寮にいるのよ。ここは女子寮なんだから、用が終わったら帰りなさい」
「いや、オレもここに住んでるから」
「は?」
「ウチとアスナの部屋に一緒に住んでるんよ」
「……は?」

 驚きの連続で、感覚が麻痺しているのかもしれない。だが、未成年女子の中に成人男子がひとりという環境でも、アーニャ以外誰も動じていないのを悟り、ガイに詰め寄った。

「な、なに考えてんのよ! あんた二十四でしょうが! 男女七歳にして同衾せずって日本語で習ったわよ! 犯罪じゃない!」
「難しい言葉知ってるな、アーニャ。日本語の勉強がんばったな」
「茶化すなぁ!」

 麻帆良学園はおかしい。アーニャの常識が警鐘を鳴らしていた。幾ら魔法使いが非日常的なものと言っても、こればかりは人間としてのモラルの問題だ。
 だが、そのモラルが麻帆良の住人は壊れているようだった。ガイの同居について誰も文句を言わない。
 中には千雨のように不満を持つ生徒もいるのだが、口にはしない。乾いた笑いが込み上げて、アーニャのローブが肩からずり落ちた。





「ふむ、先生はどうしようもないアホで村でも問題児扱いされて育ったと」
「らしいわ。私が物心ついた頃には毎日酒飲んで暴れまわってたし」
「す、好きなお酒とかは―……」
「さあ……アルコール含まれてるならメチルアルコールでも飲むんじゃない? 前にネカネお姉ちゃんから禁酒令出されたとき、薬品から酒自作してたわよ」

 そこまでして飲みたいのか、と子供心にドン引きする。普段は粗暴性が見え隠れするが、生徒に真摯に向き合っている先生で悪い印象はなかったのに。

「まぁ、一応感謝はしてるんだけどね。それ以上に迷惑かけられてるから、プラスマイナスで言えば圧倒的にマイナス」
「そんな事より浮ついた話しようぜ!」
「……ねえ、ユエ、ノドカ。私、二人部屋って聞いてたんだけど」
「すいません、ハルナは面倒臭がって下りて来なかったので……」

 ぺろっと舌を出し、親指を立てたハルナがガイの女絡みの話を聞き出そうと迫る。
 荷物を持って入ってみたら、ハルナは机に向かって猛烈な速度で筆を動かしていた。巨乳なので敵愾心を燃やすアーニャだが、居候なので強くは出られない。
 荷解きして小休止に世間話を始めたら、手を止めてハルナも加わってきた。知り合ったばかりの二人の共通の話題として、自然とガイの話になる。
 ズイと身を寄せると、ハルナの豊満な胸がアーニャに押し寄せた。

「ガイ先生ってイギリスで恋人とかいなかったの?」
「留学してた時はともかく、村で恋人がいるって話は聞いたことないわ。親しい女の人もネカネお姉ちゃんとウチのママくらいだと思う」
「ほほう、アーニャちゃんのお母さんとね」

 キュピーン、とハルナのメガネの奥に隠された瞳が怪しく光る。呆れた調子でアーニャが返した。

「ちっちゃい頃のガイの世話してたってだけよ。そんな年も離れてないし、確か親がいないガイの育ての親だって自分で言ってた」
「両親がいないのですか」
「別に気にしなくていいんじゃない? ガイも微塵も気にしてないと思うし。心配するだけ心のスペースの無駄よ。
 ま、その繋がりで私の子守とか、ネカネお姉ちゃんの子守とかさせられてたわけ。いま思うと恥だけど」
「そういえばガイ先生がアーニャちゃんのオシメ取り替えてたって言ってた」
「蒸し返すな!」

 あのろくでなしに世話されていたのが黒歴史らしく、アーニャが近くにあったティッシュの箱をハルナに投げつけた。
 ガイの口から漏れでた過去がアーニャを辱める。嬉々としてアーニャの子守話を口にするハルナを黙らそうと奮闘する彼女の明日はどっちなのだろうか。
 ハルナが疲れ果てて肩で息をしている横で、まだ余裕のあるアーニャが傍観していた二人に言った。

「というか、ガイのことばかり訊くけど、あなたたちもしかして……」
「男嫌いののどかが初めて異性に興味持ったんだよね~」
「うわあ!?」
「復活早ッ!」

 恋話の匂いを嗅ぎつけて、むくりと起き上がったハルナが説明した。仰天するアーニャと夕映の側で、のどかが顔を赤くして俯いていた。
 その様子を見て、アーニャが難しい顔で唸る。

「あー、うーん……やめておいた方がいいんじゃない? だってあいつどうしようもないアホボケクズアル中だし、絶対苦労して後悔するって」
「ところがどっこい。もう何人かはホの字よ、アーニャちゃん。露骨なメンバー除くと委員長や桜咲さんが怪しいね。
 同居しても頑なに高畑先生ラブを貫くアスナの偏愛が強調されてるくらいよ」
「むしろ、あんなに高スペックな人がモテないのが不思議なのですが。あれほど綺麗な男の人は銀幕スター含めても初めて見たです。海外では好まれない容姿なのでしょうか」
「いや、あいつ日本に来る前は顔が見えないくらい髪長かったから」

 歯を見せて笑うハルナにネギミルクなるジュースを飲む夕映が追従する。
 アーニャもスタンとネカネに髪を切ったガイの人相を魔法で見せてもらわなければ、人目で判別できなかった。
 あの不審者然とした容貌ではなく、今の紛いなりにも社会人らしく振る舞うガイだけを見ていると、気の迷いを起こしてしまうのだろうか。
 判断に困るアーニャだった。









 日が明け、そしてアーニャの初めての授業となる。担当科目は同じなので、並んで廊下を歩いていると、アーニャが尋ねた。

「私は悩んでる人にアドバイスしてればいいのね?」
「あー。オレの授業方針で、英語に関心持ってもらうことを目的でやってるからな。たぶん暇だと思うぞ。オレも授業中の半分は暇だし」

 抜け抜けと手抜きを公言するガイに、やっぱり教師に向いてないとアーニャは思う。
 魔法学校を飛び級した秀才のアーニャの方が、人間失格のガイより上手く教えられる自信もある。
 ネカネや校長曰く、天才すぎて二周半回って馬鹿になったガイが、自分より覚えの悪い生徒に付き合えているのか。
 疑問は意外と早く氷解した。授業は、最近日本でも流行りだした魔法使いが学校に通うファンタジー小説の原本の和訳だった。
 内容は、アーニャには童話より稚拙に思える日本の英語の教科書より遥かに難解だが、流行や興味あるものには女子は食いつくものらしい。
 2-Aの授業への関心は、アーニャにも高いように見えた。ガイが黒板に板書した英文を和訳する生徒を順々に回ってアーニャもヒントを出す。
 2-Aは生徒の学力差が激しく、英語で論文が書けるものから文法が滅茶苦茶なものでは様々だった。
 そして、みんなが集中している中、教壇の所まで回ってきたアーニャが、ちょいちょいとガイを手招きしたので、身を屈めたガイにアーニャが耳打ちする。

「このクラスってアホが多いのね」
「……お前、それ絶対に生徒に言うなよ」
「痛っ。言うわけないでしょ!」

 デコピンされ、涙目で睨み返す。前方で騒ぎ出した二人をからかう声が飛び交う。
 どうも、アーニャとガイのやりとりが親子か兄妹の微笑ましいそれに映るようだ。
 それはそれで屈辱だった。





「アーニャちゃんってもう火よ灯れーって使えるん?」
「え?」

 放課後になり、ガイを追って職員室に向かおうとしたアーニャをこのかが呼び止めた。
 小さい声で囁かれた内容が非日常的なものだったので、暫し固まる。教室には雑音で満たされていて、小声の先程の発言は拾われていないようだった。
 アーニャも耳を寄せる。

「あなたも魔法知ってるの?」
「うん。ガイ先生に教えてもろてるで」

 火よ灯れは、魔法を習う際に最初に教えてもらう初歩の初歩の魔法だ。恐らくガイが来てから魔法について習い始めた、もしくは魔法に携わるようになったのだろう。
 このかがガイと同居しているのは知っていたので、魔法バレしたのだと推測する。
 あのアホ、と心の中で罵りつつ、手招きして場所を移す。校舎を出てすぐの広場は人気がなく、誰かが来ても分かるので会話を拾われる恐れもない。
 勝ち気でお転婆なアーニャには、天然で寛容な性格のこのかは、年上だが接しやすかった。逆もまた然り。

「ここならいいか。コノカはガイに師事してるの?」
「うん。最近から魔法習い始めたんやけど、まだうんともすんとも言わないんよ。ガイ先生に訊いても、『オレは一発で出来たから分からん。自力で掴め』って理論しか教えてくれなくて。
 アーニャちゃんはコツとか知らない?」
(これだから感性で生きてるアホは……)

 天才だからこその凡人の感覚が分からない弊害が出ていた。世間的には十分天才の部類に入るネギやアーニャですら、魔法を覚えるのにある程度の練習は必要だったのに、校長が言うにはナギとガイは練習をする必要もなく自然と使えたと言う。
 才が余りあるのも考えもので、一人は英雄、一人は若くして隠居と破茶滅茶な人生を歩んでいる。自分もこれからその天才を師と仰がなければならないのか、と思うと頭が痛くなってくる。
 だが、今回はガイが正しい。

「コツと言われてもねえ。魔法の始動キーと同じで、人の魔法を使う感覚は個人個人で違うのよ。
 だから私の話を聞いても参考にならないと思うわよ。教えられるのはガイと同じ理論だけ」
「えー。う~、そうなんかぁ」
「ま、気長にやればいいわよ。私だって最初は杖をブンブン振って覚えたんだから」

 近道がないことに落胆するこのかを励ます。アーニャたちは魔法使いの村に生まれたので、生まれてすぐに子供が積み木で遊ぶのと同じ感覚で魔法に接していた分のアドバンテージがある。
 その差はそう簡単には埋まらないが、ガイが目をかけているのならば、光るものがあるのでは。
 少し教師らしく振る舞うアーニャは、せめてもの餞別としてアドバイスを贈った。
 属性が火なので普通の魔法使いよりは、この初歩について習熟していたつもりだった。







「また忘れたのか、桜咲」
「すいません……」

 担当クラスの生徒で唯一、宿題を忘れた刹那を居残らせ、教壇と最前列の普段はあやかの席に座る刹那と二人きりになる。
二度に渡って注意したにも関わらず、未だに提出しないことに憤りを覚えながらも、思いつめて深刻な顔で殊勝に頭を下げる刹那に怒鳴りつける気にもなれない。
成績は悪いが、刹那は不真面目という訳でもない。単に勉強が手に付かない心理状況にあるのが原因であって、それが解決すれば宿題もきちんとやると思うのだが、果たしてどうすればいいのやら。
ガイからすれば、今の刹那の何も手に付かない状態は甘えでしかなく、同室の真名も手伝ってくれてもいいだろうにと転嫁したくもなる。
友人らしいが、女子中学生の割にドライな関係なのかもしれない。真名が異様に大人びていることもあり、人間関係も割り切っていそうだ。
こういう局面に立った時、ガイは日和見を選ぶ傾向がある。

「分からないところがあれば教えてやるから、提出してから帰れ。すぐ終わるだろ」
「はい」

 声に陰りが見えながらも返事はしっかりとしていて、すぐに取り掛かる。
 なぜこれが寮に帰ってからも出来ないのか。教壇に頬杖をついて見守っていたガイだが、すぐに刹那の手が止まった。
 恥ずかしそうに、申し訳無さそうにしながらガイを見る。

「あの、先生」
「ん、どれだ」

 立ち上がり、机の前に移動して刹那の宿題に目を通す。英訳で躓いており、担当クラスでも全体的に苦手なものが多いのだが、成績が下位の者はそれが顕著なので対策はしていた。
 解き方を教えると、答えを思い付いて顔色を明るくしてみるみる解答欄が埋まってゆく。
 課題の量自体はそう多くないので、十分足らずで終わってしまった。
 書き終えたプリントを回収して、刹那に気づかれないように小さく息を吐く。

「溜まった分の宿題は今度でいい。やれば出来るんだから、ちゃんとやってこいよ」
「先生……お窺いしたいことが」
「なんだ」

 席を立ち、竹刀袋を背負った刹那がガイを見上げる。しきりに視線を上下させ、やっとのことで声を絞り出した。

「このかお嬢様は、元気でしょうか」
「元気すぎて困るくらいだ。あれは無意識無自覚に人を困惑させるタイプの天然だな」

 毎日毎日、魔法について積極的に質問して、爆弾発言をしてアスナを疲れさせているこのかを思い返して、ガイが頭を掻く。
 このかの話題になると人が変わるようで、毅然とした顔で言い返してきた。

「このかお嬢様はお優しいお方です。人を困らせようなどと、邪なことなど思いつきもしない汚れない人です」
「かもな。世間知らずが過ぎるきらいがあるが……そこまで理解してるなら、自分から仲良くなってみたらどうなんだ?」

 そう言うと口を閉ざして、静かに首を横に振った。どのような事情があるのか分からないが、面倒な女の子だと思う。
 ガイを経由してこのかの近況など訊かずに、自分で話しかければ良いのに。この二年間、彼女は何をしていたのか。
 西の長に接触を禁じられている訳でもなかろうに――

「そうか。あまり思いつめすぎるなよ」

 頷いたのを見て、教室を去る。子供に仕事を押し付けるわけにもいかない。アーニャが来てからというもの、逆に負担が増えていた。








「君は些か、生徒に甘すぎるようだ」
「はぁ……」

 職員室に帰って待っていたのは新田の叱責だった。新田の苦言を吐息混じりに受け止める。
 実際、その通りなので反論する気も起きない。厚いメガネの奥の眼光が鋭くなった。

「違反を侵した生徒に口頭で注意する程度で済ませては、生徒はいつまで経っても改心しないものだよ。
 態度で反省したように見せても、心の中では軽く済んでラッキーと思い、また過ちを繰り返してしまう。
 上に立つ者として厳しくしなくては下は纏まらない。分かるね?」
「そんなこと言って、新田先生もアーニャ先生にはデレデレじゃないですか」

 二ノ宮がからかうように言うと、職員室から失笑が聞こえた。新田がアーニャに対して強めに出られないのは周知だった。
 顔を赤くした新田が誤魔化すように咳払いをする。

「んん! とにかくだ。教師には、どうしても怒らなければならない場合もある。私も人間だ。
 感情に任せて怒鳴りつけることもあるが、それは倫理に反する事柄を目にした時に限られる。
 子供は、時にとんでもないことをしでかすものだ。そして、それが悪いことだと気づけない。
 無知だからこそ、大人が導いてやらなければならない。それが我々の義務だ」
「怒ったりするの、好きじゃないんですよね」

 ポツリとガイが本音を零す。学生時代に苦い思い出があるために、それを生徒に押し付けたくなかった。
 新田が視線を逸らしたガイに眉をひそめた。

「君は生徒に好かれようとしているようだが、生徒に好かれる先生が良い先生とは限らんぞ。
 私だって怒りたくて怒っている訳ではない。だが、そうでもしないとこの年頃の子供は分からないのだ。
 自分で分かった時には、手遅れになっていることが多い。そうなる前に教えてやるのも先生の仕事だ。
 先生の仕事は、勉強を教えるだけではない。それは塾の講師でもできる。この仕事になぜ免許が必要になるのか。
 君もまだまだ若い。少し自分で考えてみなさい」

 新田が席に戻ってから、漠然と自分の魔法学校時代を振り返ってみた。
 やはり、どうしようもなく濁っていて、先生など誰でもなれるものだと思えた。







 今日は珍しくアスナが美術室に顔を出すとのことで、寮の部屋にいるのはこのかだけだった。
 タカミチが長期出張に出ていて、久しくタカミチの顔を見ていないのが我慢ならず、少しでも彼の成分を味わいたいとのことで、顧問を勤めている美術部に向かったらしい。
 忘れないうちに作品を仕上げたいとも言っていた。殆どの生徒は容姿端麗なガイを歓迎したのに、一人だけ反抗しただけあり、生粋のオジコンである。
 親友だが、趣味だけは理解しかねる。倍以上も年の離れたタカミチと十も違うが二十代のガイなら、普通はガイを選ぶだろう。
 このかにとってのガイは、容姿、学力に優れた担任だけではなく、魔法の世界に導いてくれる空想世界の住人だった。
 おまけにボディガードまで兼ねる、不思議だらけの先生でもある。そして何より優しい。
 壊滅的に勉強がダメだったアスナに嫌な顔ひとつせずに丁寧に教える姿勢は、魔法について無知なこのかにも同様だった。
 内容はチンプンカンプンで噛み砕いて教えてくれても要領を得ないが、覚えの悪い生徒に怒鳴ることもせずに見守ってくれる。それが申し訳なくもあり、嬉しくもある。
 アーニャへの態度からもそうだが、面倒見が良く、兄貴分なのかもしれない。だから、少し焦っていた。
 同じくガイに習い始めたアスナは、咸卦法と呼ばれる最も難しい術を早々にマスターしてしまった。
 対するこのかは、初歩で躓いている。遅れを取り戻したい。早る気持ちが抑えられなかった。

「あ、光った!」

 ガイの理屈とアーニャに教わったアドバイスを意識して呪文を唱えると、杖の先に淡い光が灯った。
 何度も繰り返してようやく進歩が見られたことにはしゃぐ。今まで何も変化がなかったことに比べれば、格段に進んでいる。
 ガイによれば、これで魔力の変換を学ぶとのことだった。つまり、これさえ出来れば、もっと先に進めるということ。
 そう思うと俄然意欲も湧いてくる。よし、と意気込み、鼻息荒く呪文を唱えた。



 最近、ため息が増えた。帰宅するガイは今日の自分を振り返って、つくづく実感させられた。
 これまでの隠遁生活が懐かしく思える。毎日酒を飲み、好きな時に寝て、好きな時にタバコを吸って、金に困ったら適当に仕事をこなした日々。
 大金に目が眩んだのが運の尽きか。嵌められている気がする。日本の環境についてもう少し学んでおくべきだった。
 仕事をしているだけでも人間関係が知らず知らずに深まってゆくし、そうでなければ潤滑に事が運ばない。
 枠組みに収まってゆく自分が嫌で仕方がなかったが、それも仕事だ。多少の手間は割り切る他ない。
 しかし、肉体的な疲れはないのに、精神的な疲労を癒やす術が飲酒しかないのはどうにかならないのか。
 娯楽の無さを嘆きながらドアを開けると、赤い火に照らされた壁が目に入った。
 慌てて中に入ると、リビングの中央で右往左往するこのかがいた。手に持つ杖からは、このかの上半身ほどの大きな火が立ち上っていた。
 本来はライターほどの火力の魔法が、このかの魔力によって加減を超えて燃え盛っている。
 手放すわけにもいかず、目一杯熱さから逃れるように腕を伸ばして杖を離していたこのかが、血相を変えているガイに気づいた。

「あ、せ、せんせ! これどうすればえーんやろ」

 全て言い切る前に、炎の上からガイが杖の先端を握り締めると、火は消えた。
 このかが安堵の息を吐く。

「よ、よかった――」

 危なくなると駆けつけてきてくれたガイに感謝の言葉を口にしようと、見上げた瞬間の出来事だった。
 乾いた音が部屋に響いた。気づくとこのかの顔は横を向いていて、遅れて左頬が熱を持った。

「オレがいないところで魔法を使うなと言わなかったか!?」

 そうガイに言われて、注意されていたことを思い出した。今回は火災探知機が作動しなかったが、作動していればこのかは問題を起こしたことを責められることになった。
 このかが愕然とする一方で、ガイも呆然と固まっていた。我にかえり、このかの頬を叩いた掌を見つめる。

(……あれ?)

 背中を冷や汗が伝う。生徒に危害を加えてはいけない契約になっていた。
 だから体罰など絶対にするつもりはなかったし、説教や怒鳴る真似も嫌だからしたくなかった。
 だが、無意識に手が出て、気づくと大声を出していた。自分でも訳が分からない。
 動揺するガイの前にいるこのかは、黒真珠の瞳に涙を湛えて、体を小さく震わせながら自分を叩いたガイの右手に触れた。

「ごめんなさい、先生……手、平気?」
「え? は? え? あ、あぁ、平気だ平気。マグマに触れても何ともないからオレ」

 気が動転しているガイが適当なことをのたまう。すると、このかが泣き始めた。頬を涙が伝う。

「ごめんな、せんせ……先生もウチのこと嫌いになった?」
「ならないならない! 嫌いになんてならない! それよりゴメン! ほんとゴメン! 叩いたりしてゴメン! 許してくれ!」

 それからこのかが本格的に泣いてしまい、ガイはオロオロとして慰めた。生徒に懇願する様は、とてもみっともなかった。
 このかが落ち着くのを待ち、ガイがいつも寝て専有しているソファに腰を下ろす。
 ガイも泣きたかったが、このかの前で情けない真似はできなかった。
 泣き腫らして、目を赤くしたこのかが訥々と語りだす。

「ウチな、せっちゃん……桜咲刹那さんとは、幼馴染だったんよ。一緒に遊んで、ウチが溺れた時は必死で助けようとしてくれたり、仲よかったんや」

 内容は、遊び相手がいなかった頃に出来た刹那との思い出と、その刹那と中学で再会できたのに疎遠になったことだった。
 先ほど、刹那と話したが、やはり刹那の気持ち次第で、このかは友達に戻りたいと願っている。
 何が胸につかえているのか定かでないが、思春期というものはとにかく難しい。女になると尚更だ。
 おずおずとこのかが不安そうにガイを上目遣いに見上げる。

「せやから、先生もせっちゃんと同じでウチのこと嫌いになって離れていくんやないかって思って、怖なって」
「嫌いになんてならない。近衛は、自分のことよりも他人のことを気遣える優しい子だ。
さっきも叩かれて怖かっただろうに、オレの心配をしてくれた。近衛を嫌う人なんていないよ。オレが保証する」

 口調は素っ気なかったが、ガイのこのかへの褒め言葉は枚挙に暇がなかった。
 本心であったのだが、このかは顔を寄せて、より深く覗きこんだ。

「ホンマ? 先生はウチのこと好き?」
「本当だ。というか、さっきは叩いて済まなかった。頭に血が上って……いや、言い訳にしかならないか」
「ううん、ええんよ。ウチが悪いんやし、痛くもなかったし」

 本気で焦っているガイに頭を振って擁護する。見かねて、このかが無理に明るい顔で話題を振った。

「あのな、せんせ。ウチ、魔法使えるようになったんよ。あとで見てな」
「あ、ああ……よく頑張ったな。だけど、オレの目の届かない場所では練習するなよ」
「うん!」

 これからどうするか、身の振り方を考えるガイの顔を見て、不意に表情を綻ばせた。

「えへへ……ウチも先生のこと好きや」

 ガイは深い意味はないと思い、特に言葉は返さなかった。悩むガイと泣き腫らした目で破顔するこのかという奇妙な絵面が形成されている室内にアスナが帰ってくる。

「……このかに何かしたんですか?」
「いや……」
「アスナ! ウチとうとう魔法使えるようになったんやえ! 見て見て!」
「え、ホント!?」

 ガイが話そうとしたのを遮って、このかが軽快にアスナの元に向かって、ガイの前で『火よ灯れ』を唱えた。
 今度はライター大の火が発生して、「おぉ!」とアスナが感嘆の声をあげた。
 見ているガイの表情は暗かったが、このかは嬉しそうだった。



あとがき
ちょっとエッチになるかもしれません。



[39449] マシンガンをぶっ放せ
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/03/20 23:44


 翌朝になって、ガイは学園長室に足を運んでいた。黒檀の机を挟み、ガイと対峙する学園長だが、やたらと雰囲気が重苦しいので髭を撫でる手を止めた。

「どうしたんじゃ、こんな早くに」
「実は、契約違反をしてしまいまして……」
「ほ?」

 珍しく敬語で、粛々と語るガイに驚きの声をあげてしまう。傲岸不遜で人目も憚らない平素の彼からは想像もつかない態度だ。
 目の色を変えて、ガイの苦々しい顔で口を噤むガイに先を促す。

「一先ず、話を聞かなければ対処しようがない。詳細に報告してもらいたいのう」
「はい。お孫さんの近衛に魔法の指導をしていたのですが……」

 これを聞いても学園長は驚きもとぼけもせずに、片目を開けて耳を傾けるばかりだった。
 言い辛そうに、何度も口ごもりながら言う。

「昨夜、寮の部屋に帰ると、近衛が魔法を使い、危うく火事になる所でした。事なきを得ましたが、私の言いつけを破って魔法の練習をしていた近衛に、その……
 つい、カッとなってしまい、ですね……えー……平手で頬を叩いてしまいました」
「ほう」

 溺愛しているこのかに暴力を振るったのだ。間違いなく学園長は激高すると思い、覚悟もしていたが、髭を撫でてガイをみるだけであった。
 閉じていた目を開いて、落ち窪んだ双眸がガイを見つめる。ガイが頭を下げた。

「契約に反しましたし、解雇するも減俸するもどうぞご自由に。煮るなり焼くなり好きにしろよ爺」
「理由はどうなのじゃ。叩くにも動機があった筈。処分はそれを聞いてから決めよう」
「動機?」

 どうせクビだと決め込み、最後に粗野な一面を表に出したが、学園長が意外に冷静なのでガイが戸惑ってしまった。
 視線を斜め下と上を行き来させて、思い出したくもない昨夜の出来事を思い返す。

「危険だからオレが監督していない時には魔法の練習を禁じていたのに、近衛がそれを破り、大問題に発展しかねない状況を見て、頭に血が昇りました」
「ふむ。このかは、その後、何と言っておった」
「……自分を嫌いになったのかと泣かれました」
「怪我や経過はどうじゃ」
「しばらくは叩かれた左頬が赤くなっていましたが、朝になると引いてました。それ以後は、近衛は気にした風もなく」

 報告を聞き終えた学園長は、暫し黙考した後、髭をゆっくりと上から下に撫でた。

「そうじゃな。ヤルキナイネンくん、この場で処分を言い渡そう。今回は不問に付すとする」
「は? いいのか?」

 素で答えてしまう。学園長は枯れた小枝のような人指し指を立てて言った。

「先ず、この件に関しては、このかに非がある。見方を変えれば大事件になるのをガイくんが止めてくれたとも取れるしのう。
 手を出して叩いたことは確かに契約違反じゃが、指導の一環と今回は甘くみよう。この麻帆良では不良が空を飛ぶなど日常茶飯事。このかに怪我もない、事件性もないので暴力とも呼べん。
 そして最後に、これで君をクビにしたりすれば、わしは孫に嫌われてしまう。あれは君をだいぶ慕っておるようだしのう。君の代わりもおらんし、辞められては困るんじゃ」
「最後、私情じゃねえか」
「この程度で済ませたことに感謝してもらいたいものじゃがのう。今の御時世、モンスターペアレントがうるさいぞ」

 そして、特撮に出てくる宇宙人のように笑った。ガイは首を捻り、疑問を抱えながらも、最後には受け入れた。
 金は捨てがたかった。

「分かりました。寛大な処置に感謝します」
「うむ。流石に、このかが傷物にされておったら娶って近衛家に婿に入ってもらわざるを得んが」
「ありえねえし、未成年に手を出しもしねえから安心しろ」

 処分が下るや否や、素を出して吐き捨ててから早々に退室した。
 ガイがいなくなった静謐な室内に、しわがれた声が響く。

「手を出してもらわねば困るんじゃがな」







「Hold on little girl~♪」
「はい?」

 突然、英語で歌を口ずさみ始めたガイに、アーニャがとうとうアルコールで頭がイカれたのかと不安がる。
 学園長室から戻ってきてからのガイは妙にテンションの浮き沈みが激しく、朝のHRのために教室に向かう最中でのこれにアーニャも無視せずにはいられなくなった。

「遂に妄想と現実の区別がつかなくなったの?」
「オレは鼻歌唄うだけで病人にされるのか」

 アーニャが重体の患者を見るような目で見つめてくるので、ガイも首を捻って言った。

「いや、昔流行った曲の歌詞でしっくり来ない曲があってな。『Waited on a line of greens and blues』は、お前なら日本語にどう訳す?」
「え? うーん、前後が分からないから何とも言えないけど……愛している人と青臭い人の後ろで待っていた、とか?」
「案外ロマンチストなんだな」
「何よ、カラーセラピーっぽく当てはめただけじゃない」

 てっきり直訳すると思っていたらしく、目を少し見開いてアーニャを見るガイの視線に恥ずかしくなり、アーニャが顔を逸らした。
 ガイは前を向きながら、歩く片手間に言う。

「オレは嫉妬と憂鬱の線を引いて待っていた、だ。お前とは少し違うな」
「失恋の歌?」
「いや、悲恋の歌だ。簡潔言えば、オレがお前を好きなのに、ネギと付き合っているお前の恋愛相談を受けて悩む内容だ」
「気持ち悪い例えやめて」

 平然と自分をロリコンに例え出したガイを突っぱねる。ガイはそういった感情は持ち合わせていないようで、アーニャに拒絶されても全く反応しない。

「人と人の感情のすれ違いっていうのは面倒なものでな。心が読めればいいんだが、普通の人はそう上手くいかないだろ。
 オレもお前も魔法を使って額に触れれば相手の考えていることは分かるが、滅多にやらないし、何よりキモい。
 気持ちの行き違い、衝突、和解までが恋愛小説だと面白いんだが、現実だと物語のように綺麗に収集つかないんだよ」
「あんたって恋したことあるの?」

 ガイについて問い質された後だったので、アーニャも興味があった。アーニャとしては、真面目に働いてネカネとくっついてもらうのが理想なのだが、ガイにネカネは勿体無い気もする。
 ガイは頬を掻いて、

「多分、あったぞ。もう十何年も前だけど、一度だけな」

 アーニャの生まれる前の出来事を仄めかした。問い詰めたが、ガイはそれ以上を語らなかった。
 やっぱりコイツ、アメリカではモテなかったんだな。と、不審者な風貌だった頃の人間関係は察せたので、少しは進歩があった。







「アーニャちゃんとガイ先生、どう思う?」

 昼休みに中庭でバレーボールを使い、いつもの仲良し運動部四人組で遊んでいると、裕奈が切り出した。
 まき絵がボールをレシーブして返す。

「アーニャちゃんは、まだ来たばかりだから何とも」
「でも、英語を教えるの上手」
「そら母国語なんやし。それより日本語上手い方がびっくりや」
「先生とたまに英語で喧嘩してるよね」

 思い出し笑いに、ボールが逸れた。慌てて移動したまき絵が新体操の要領で頭に乗せる。
 英語を理解している超やあやか、葉加瀬が苦笑したり、くすくす笑っているが、分からない人にはガイが罵倒されているのが伝わってくるだけだ。
 アーニャは先生と呼ばれず、ちゃん付けな辺り、年下の女の子としか見られていないのが分かる。
 そしてガイの話になると、亜子とまき絵の目の色が変わった。

「ガイ先生は格好良いよね! ハリウッドスターみたい!」
「まき絵、あんたは動機が不純すぎ。先生のことAVの教材みたいに思ってるでしょ」
「そんなことないよ!」
「ウチもまき絵がなに考えてるのか分からなくなるわ」

 オトナ騒動以来、変な方向でガイを慕っているまき絵に懐疑的な視線が突き刺さる。
 どうも恋愛感情ではないようだが、先生というより指導者、もしくは見本としてガイを見ている節がある。
 色気のある大人がガイだと認識してしまったので、ガイを師匠として敬っているようだ。
 ガイは容姿が優れているだけで人間性は尊敬できる代物ではないのだが、上辺だけ見ると気づけないらしい。
 亜子が何気なく言う。

「ガイ先生は格好ええよなぁ。見てるだけでドキドキしてまう」
「うん……顔は、綺麗だと思う」
「そういや、D組の子が先生に告白したらしいよ。振られたらしいけど」

 裕奈が思い出したように言うと、亜子が肩を落とした。

「やっぱ中学生には興味ないんかな」
「十も違うとね。でも、私が先生だったら生徒に可愛い男の子いたら好きになっちゃうと思うけどなー」

 まき絵が自分に置き換えて発言すると、また裕奈のジト目が飛んだ。

「あんた、委員長と同じでショタコンのケがあるんじゃない」
「えー、違うと思うけど」
「先生はアキラみたいなコがタイプやって言ってた。ええなー、アキラ。ええなー」
「いや……たぶん、私が告白しても振ると思うよ」

 コンプレックスを爆発させる亜子をアキラが宥める。ガイに一目惚れしてからと言うもの、ガイと自分を比較したり、アキラやこのかと比較したりで気落ちしている亜子は、情緒不安定気味だった。
 亜子とまき絵の部屋は普段はどんな感じなのだろうと想像して裕奈が頬をひきつらせる。

「まぁ、そのいいんちょも最近、ボーっとしてること多いよにゃー。具体的には先生に抱きしめられてから」
「うん、意識してる感じ」
「ショタコンって言うても、性癖と好きになる相手は別やろし」
「あはは、性癖って」

 裕奈が腹を抱えて爆笑する。ガイが来てからクラスは桃色の空気一色なのに、あまり変化のない裕奈に亜子が怪訝な顔を見せた。

「裕奈はファザコンでアスナはオジコンやん。正直、一番危ないと思うで」
「え、なんで!?」
「お父さん以外の異性に興味ないから、じゃない?」

 アキラが補足する。なんで、おとーさんかっこいいじゃん、と叫ぶ裕奈を無視してボールを遊ばせた。

「アスナも馬鹿だよねー。今は若いけど、私たちが大人になる頃には先生もアスナ好みの渋い男性になってるのに」
「まき絵に言われたくないやろけど、アスナはあれ筋金入りやろ。ライバル増えてほしくないし、変わらないでほしいわ」
「あはは。亜子もアーニャちゃんくらい幼かったら先生ももっと優しかったんじゃない?」
「ふん、どっちもガキじゃないの?」
「え?」

 そこに、何か高校生が乱入して一悶着あったそうだ。
 経緯は割愛して、ガイが呼ばれる事態になった。貴重な休憩時間を邪魔されたガイはすこぶる不機嫌だった。
 怪我をしたまき絵と亜子が半泣きで助けを求めてきたので、急いで駆けつけたらアキラと裕奈を女子高生が寄って集っていびっていた。
 そこに先に参上したアスナとあやかが女子高生を煽り、乱闘騒ぎに発展する始末。
 ガイは頭を抱えて割って入った。

「はい、そこまで」

 揉み合っているアスナとあやかの手を女子高生から引き剥がし、両者の間で額に片手を当ててため息をつく。
 女子高生が教師の登場でたじろいだ。何人かが噂の美形教師に顔を赤らめている。
 ガイが来て安堵する2-Aだが、アスナだけは不安そうに疑惑の目を向けていた。
 そしてそれは的中する。
 不機嫌そうに眉をしかめていたガイは、不躾に聖ウルスラの女子高生たちを見渡して言った。

「おい、お前ら何歳だ」
「はい?」
「じ、十七ですけど」
「十七?」

 聞き返すと、ガイは大仰に肩を竦めて嘆息した。人の神経を逆撫でさせる、この上なくウザい仕草だった。

「な、なにこの人……」
「何で先生がっかりしてるの?」
「恐らく、イギリスでの成人が十八歳からだからではないかと思います」

 英子がイラッとし、つぶらな瞳で尋ねるまき絵にあやかが推測で返した。
 アスナがガイに任せていいのか自問自答していると、ガイが2-Aを向いた、

「そもそも何でお前ら喧嘩してたんだ?」
「あっちが、私たちの方が大人なんだから場所をよこせって強引に……」
「オトナぁ?」

 ガイが訝しげに言うと、さすがに非があることは自覚しているのか、高校生が狼狽する。
 が、ガイはなぜか2-Aを手招きした。

「雪広、大河内、カモン」
「?」
「なにする気ですか」

 アスナが訊いてもガイは聞こえない振りをした。言われた通りにあやかとアキラがガイに連れられ、英子とスタイルの良いもう一人の高校生と並べさせられた。
 並んだ四人を交互に眺め、ガイは満足気に頷くと、あやかと英子の手を取った。

「WIN」

 あやかの手を上に掲げる。今のはスタイルの勝負だったらしい。ガイはあやかとアキラの背を押して引き返した。

「よーし、帰るぞ」
「ち、ちょっと待ちなさい!」
「なんだよ。こっちも穏便に済ませようとしてやってんのに」

 ガイが気怠そうに振り返る。三つも下の中学生に負けたのが気に食わなかったらしかった。
 胸に手を添え、声高に主張する。

「そんな小娘より、私たちの方が色気も美貌も勝っているわ! その二人がちょっと凄いだけで平均では圧勝よ!」
「そんなのあんたたちが無駄に年食ってんだから当たり前でしょ!」

 それを皮切りにギャーギャーと聞くに耐えない罵声が飛び交うので、ガイはケータイを取り出した。
 もう片側の耳に指で蓋をしながら誰かに言う。

「あのさぁ、ちょっと中庭まで来てくんない? うん、おたくの生徒が騒いでてさぁ。うん、うん。え、知ったことじゃない? そんなこと言わずに」

 ガイをそっちのけで口喧嘩していた面々は、何を言っているか分からなかったが、しばらくして聖ウルスラの制服を着た金髪の女子高生がやってきた。
 2-Aはまた敵が現れたと思い、女子高生組は後輩が来たことに動きが止まる。
 その聖ウルスラ女子の現一年生、高音・D・グッドマンは頬をヒクヒクさせてガイに言った。

「いきなり呼びつけて何の用ですか……?」
「見ての通り、お前んとこの生徒がウチの生徒にイチャモンつけてくるんだよ。どうしてくれんのよ」
「知りませんよ! 先生なんだから自分で解決してください!」

 何か嫌な思い出があるらしく、半泣きになりながらガイに叫ぶ。
 クレームをつける消費者かヤクザのようだったガイは、気まずそうに頭を掻いた。

「いや、オレは麻帆良女子中の担任だし、広域指導員でもないから高校生相手にどう処理したらいいか分かんないんだよ。
 実はオレ、中学高校まともに通ったことないから、こういう時どう対処すればいいのかも分からないんだ」
「普段から生活態度がなってないからです! 毎晩毎晩飲み歩いて、それを処理する私たちの身にもなってください!」

 それから、なぜかガイが高音に説教され始め、ガイが低頭気味で劣勢になった。
 ヒステリックに怒鳴る高音の肩に、ポンと手を置いてガイが言う。

「ま、そう怒るなよ。オレとお前の仲じゃないか」
「誤魔化さないでくださいッ!」
「何を騒いでいる」

 ガイと高音が言い争い始め、他の面子が呆気にとられているところにガンドルフィーニがやってきた。
 騒動が長引いたので、他の生徒が先生に連絡したようだ。ガイがガンドルフィーニを見つけて気さくに手を挙げた。

「ご無沙汰してます、ガンドルフィーニ先生」
「君か……どうやら、ウチの生徒が迷惑をかけたようだが」
「いえ、そんな大事じゃありませんよ」

 今度は高音そっちのけでガンドルフィーニと世間話を始める。外野を置いてけぼりにして勝手に盛り上がった二人は、最後にお互いの肩を叩き合った。

「今度また飲みに行きましょうよ」
「はは、私も妻子ある身で懐が寂しいんだが」

 そして笑って踵を返した二人は、それぞれの生徒をまとめ始めた。ガンドルフィーニが小言を混じりに高校生組を帰し始める。
 生徒が不満を溜め込んでいるのに、一人だけ晴れやかな顔をしたガイにアスナがジト目を向けた。

「あの二人はなんなんですか」
「夜に飲んでたら仲良くなってな。高音と佐倉はまだツンケンしてるが、ガンドルフィーニ先生は飲み友達だ。
 一度酒を飲ませてみたら泣き上戸でな、仕事と家族サービスで板挟みになっていると嘆いたんで『分かるってばよ……』と励ましたら和解できたんだ。ニンジャってすごいな」

 お前が原因じゃねえか。アスナの突っ込みは届かなかった。
 生徒が知らないところで、ガイの周りに妙な人間関係が形成されているようだった。







 体育教師の二ノ宮が出張でいないので、代わりにガイが体育の監督を務めることになった。
 見ているだけなのでスーツ姿で生徒より一足先に屋上のコートに向かう。そこに、先ほど一悶着あった聖ウルスラの英子らがいた。

「なにしてるんだ。ここは次の授業でウチが使うぞ」
「私たちは自習で、レクリエーションとしてバレーをしようと思って」
「残念だが、割り当ては決まっていてな。別の場所でしてくれ」
「そう言わずに。いいじゃないですか~せ・ん・せ・い」

 英子が色っぽい声音でガイの腕に抱きつく。婀娜っぽい仕草で上目遣いにガイを見つめた。
 だが、ガイは動じない。

「もう高校の最上級生になるんだろ。世の中、思い通りにならないこともあるんだ。我慢しろ」
「つれないこと言わないでよー、せんせー」
「うわ、なんだお前ら!?」

 効果が無いと見るや、他の女子高生もガイに抱きついた。腕に胸に背中に、ベタベタとくっついてくるので鬱陶しくなり、少し強めに振り払う。

「きゃっ」
「あ……わ、悪い」

 そんなに力を込めていなかった筈だが、英子が尻もちをつく。先日のこのかの件もあり、生徒への暴力に敏感になっていたガイが直ぐ様、手を差し伸べる。
 ガイの手を握って立ち上がった英子は、ニヤリと笑った。その手を自身の胸に押し付ける。

「いっ!?」
「きゃあああ! 先生のエッチ~!」

 わざとらしい大声をあげ、比較的大きめの乳房にガイの手を両手で抑えつけ、揉みしだかせる。掻き回すように手を動かされ、その大胆な行動に驚いていたガイにフラッシュが焚かれた。
 見ると、ポラロイドカメラを構えた生徒がいて、写真が印刷されているところだった。
 英子を見る。ほくそ笑む、東洋の魔女がいた。ガイがバッと手を離す。ワナワナと震えるガイに英子が得意げに言った。

「せんせー、これを学校に見せたら、どうなると思います? 淫行教師の烙印を押されて社会的に死んじゃいますよー?」

 ピラピラと現像された写真をガイに見せつける。写真は、嫌がる英子の胸をガイが揉んでいるような構図で写っていた。

「くっ」

 ガイが咄嗟に奪おうとするが、英子は制服の胸元を開いて、写真を胸の谷間に隠した。隠し場所にガイが手を出せなくなったのを見て、くすくすと笑う。
 ガイが冷や汗を流して、肩を落とした。

「な、何が望みだ」
「フフフフフ……」

 女子高生に完敗したガイには、もう立派な魔法使いの面影などなかった。
 いや、初めから威厳など存在しなかったのだが、今のガイは情けないことこの上なかった。





「ガイ先生には、もう少し社会人らしく振る舞ってもらいたいですわ」

 あやかが頬に手を当て、嘆息する。問題を解決するどころか悪化させ、有耶無耶にさせて解散させる手法を取ったガイに多少なりとも幻滅したらしい。
 手を握られた際に、胸が高鳴ったのも否定できなかったが。まだあやかの手にはガイの男らしい逞しい指の感触が残っていた。
 亜子が曖昧に笑う。

「先生って変わっとるわ。外人さんだからやろか」
「飛び級したから普通の学生生活してないんじゃなかったっけ」
「つーか、あの写真がホントなら人付き合いできないんじゃ」

 まき絵と裕奈が続く。自営業がどういう仕事をしていたのか憶測が口にされる中、アスナも首を傾げた。

「そういえばあたしたちも聞いてないわね。このか、ガイ先生って実は悪い仕事してたかもしれないわよ。
 強盗とかテロリストの手伝いとか」
「えー。先生はそんなことする人やあらへんよ。冗談でもそういうこと言ったらアカンえ」
「そうかなー」

 魔法関連の仕事の想像がつかないので、武力が物を言う世界を思い浮かべたが、このかがいつもより強めに否定する。
 あたしが金を持っていてガイに依頼するなら邪魔者の排除だな、と益体もないことを考えてジャージに着替える。
 そこに赤い長袖のジャージを着たアーニャが入ってきた。

「早く着替えなさいよー」
「アーニャちゃん。どうしたの、その格好」
「今日は二ノ宮先生がいないから、代わりに私とガイが体育を見ることになってるの」
「マジ? やりぃ!」

 裕奈を筆頭に何人かがガッツポーズをして喜ぶ。ガイなら口うるさいことを言わないので、好きに遊べると思ったからだ。
 アーニャが腰に手を当てて不満そうに口を尖らせる。

「舐められてるわね、ガイのやつ」
(お前みたいな幼女が副担任やってるからだよ)

 千雨が着替えながら、口に出さずに突っ込んだ。ガイはまだしも、彼女は完全に法律違反だった。
 全員が着替え、屋上に向かう。扉を開けると、そこには聖ウルスラの女子高生と、彼女たちと親しそうに振る舞うガイがいた。

「あ! あんたたちは!」
「ふっ、また会ったわね」
「ていうか、ガイはなにしてんのよ」

 因縁のある相手にアスナたちが身構える。何があったか知らないアーニャが、女子高生と遊んでいるガイに尋ねると、ガイは不自然な笑顔で答えた。

「じ、実は、今日からオレはこのコたちのモノになったんだ」
「ハア!?」

 アーニャを始め、2-Aの全員が耳を疑った。頭がおかしくなったのか思う彼女たちに、英子がガイの肩にしなだれかかりながら言う。

「聞いての通りよ。ガイ先生は、あなたたちより私たちの方が良いんですって」
「女子高生の方が魅力あるから当然よね」
『ハアァ!?』

 大口を開けて、疑問の声が轟かせた。女子高生に囲まれ、ベタベタとされているガイはにこやかにだらしなく笑っているように見える。
 実際は脅迫されてぎこちなく笑っているのだが、敵愾心のフィルターがかかっているのでそう見えてしまった。

「ちょっとガイさんはウチの担任でしょ!? なに寝返ってるんですか!」
「先生はションベン臭い小娘共より、食べごろの私たちの方がいいのよね~。ね、セ・ン・セ」
「そ……そうですぅ! 僕はお前ら何かより美人揃いの聖ウルスラ女子高生の方がいいんですぅ~!」

 半ばヤケクソになりながら、ガイが宣言する。何人かがその様子を不審そうに見ていた。

「あの不遜な先生が……おかしいな」
「買収でもされたでござるか」
「先生が……いや、そんな」
「あれ何か握られてんじゃねえのか?」

 真名、楓、刹那の武闘派な面々が訝しがる横で千雨が呆れながら呟く。
 だが、直情的なクラスメートはそうはいかなかった。アーニャが恐ろしい声音で呟く。

「殺す」
「あたしたちの味方だって言ってたのに裏切るなんて」
「どうやら、先生の目を覚まさせてあげなければいけないようですわね」

 アスナ、あやかが業を煮やし、拳を震わせる。それを見て、英子が挑発的に嘲笑した。

「そうは言ってもねえ。先生はとっくに私たちの虜だし」
「ぶん殴って目ぇ覚まさせるだけよ! ガイをこっち寄越しないババア!」
「バ……! んだとこのガキ!」
「英子、落ち着いて」
「ぐっ……そ、そうだった」

 アーニャが腕まくりして挑発してくるのに乗りそうになる英子をツーサイドアップのしぃが諫める。深呼吸をした英子が話を切り出した。

「ふふっ、そんなに先生を返して欲しかったら、私たちと勝負しなさい」
「勝負?」
「ええ。勝負方法はドッジボール。ハンデとして、あなたたちは何人参加してもいいわ。ただし、こっちにはガイ先生を入れさせてもらうけど」
「は? ちょっと! 何でガイさんが」
「だって先生は私たちのモノなんだし、当然じゃなーい?」
「上等よ! ガイも纏めてぶっ飛ばしてやるわ!」
「あ、アーニャちゃん!」

 完全に逆上しているアーニャを羽交い締めにして、後ろから囁く。

(ガイさんって半端無く強いけど、大丈夫なの?)
(チームプレイなら何とかなるでしょ。あたしもいるし、こっちも精鋭を選べば問題ないって)
(あ、そうか)

 アーニャも魔法を使えることを思い出し、程度は不明だがそれなら対抗できるかもと思い直す。
 あやかも怒っていて、ガイの心変わりに疑問を抱かず、クラスメートに振り返って声高に宣言した。

「聞きましたか皆さん! あの年増のオバサン方をギャフンと言わせて、先生を取り返しましょう!
 そこの武道四天王の方々は強制参加ですわよ! 2-A総力を挙げて打ちのめしますわ!」
「おお! 先生と戦えるアル!」
「……まあ、先生の実力を知る良い機会か」
「ニンニン」
「……」

 普段は体育でやる気を出さない生徒も駆り出され、対聖ウルスラ2-D+ガイのメンバーが選出された。
 真名、クー、楓、刹那の四天王に加え、アスナ、あやか、裕奈、亜子、アキラ、美空、まき絵、超の運動が得意な生徒に、なぜか立候補したエヴァだ。

「ふん、数で優位に立とうとはしなかったようね」
「ま、どっちにしろ私たちには敵わないけど」

 英子たちがニヤニヤと笑う。女子高生に囲まれているガイは死んだ目で棒立ちだった。

(オレ、生徒に危害加えていけないんだけど、スポーツならいいのかな)

 女子高生に手玉に取られた大人なのに、こういう心配をするあたり、やはりズレていた。





あとがき
ガイ「やれば返していただけるんですか」
英子「おう、考えてやるよ(返すとは言ってない)」



[39449] 三日月ロック
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/03/31 12:02


「ギッタンギッタンにしてやるわ!」
「お手並み拝見アル!」

 ドッジボールが開始され、特別参加のアーニャとクーが息巻いてガイを睨めつける。
 長身の楓がジャンパーを務めたジャンプボールは2-Aに軍配が上がった。ボールを取ったアスナが抜群の身体能力を活かしてボールを当てる。
 まず一人減り、ウルスラは残り十一人となった。

「よーし、やれるやれる!」
「年で体が動かないんじゃないの!」

 野次が飛び交う。2-Aも鬱憤が溜まり、それが如実に口に出ていた。
 しかし、ウルスラ組は得意な競技である余裕から得意げに鼻で笑ってあしらう。

「ふ……神楽坂明日菜はそこそこやれるようね」
「雑魚は出なかったようだし、ここは定石通り弱そうな奴から行きましょう」

 英子が助走をつけて、出場しているメンバーで一番ひ弱に見える亜子に狙いを定め、ボールを投げた。
 その加速は素人のものではなく、経験の乏しい亜子が取れるものではなかったのだが、突然亜子の前に現れた楓が軽く受け止めた。

「あ、ありがと長瀬さん」
「いやいや」
「いま消えなかった?」
「まさか……」
「ほう……」

 楓が一瞬で移動したようにざわめくウルスラの生徒の真ん中でガイが神妙な表情で口を覆う。
 続いて、楓が投げたボールは、あろうことか二つに分裂した。

「え!? う、ウソ!」

 物理的にありえない変化に目を瞬いた生徒が反応できずにアウトになる。
 また一人減ったが、今度は先の異常な出来事を目に焼き付けていた為、ウルスラに不穏な雰囲気が漂い始めた。

「……ねえ、いまボールが」
「き、気のせいよ。目の錯覚でしょ」
「ニンジャの忍術なら、これくらい容易いだろう。奴らは印を結ぶことで千を超える超常現象を引き起こせる」
「先生はマンガの読み過ぎです」

 真面目な顔で唐突に語り始めたガイがひとことで一蹴される。ボールは大きく跳ね返り、再び2-Aの手に渡っていた。

「先生、勝負アル!」

 クーがボールを拾い、投げようとしたところでアーニャが止める。

「待った。ガイは最後よ」
「なぜアルネ。センセと勝負する良い機会アルのに」

 不満そうに唇を尖らすクーに指を立ててアーニャが説いた。

「アイツに下手にボール渡したらこっちが不利になるからよ。それに、一人なって追い詰められてガクガク震えてるガイを倒した方がスーッとするでしょ」
「お~。合点がいったアル」
「性格が悪すぎじゃね? 誰だよアイツ育てたの」

 ガイを警戒するのは分かるが、その理由の下衆さに、さすがのガイも口を挟まずにいられなかった。
 そして、噛ませ扱いされた関東大会優勝ドッジボール部黒百合のプライドに火を点けた。
 腰を低く落として捕球態勢を取り、顔つきも怒りを滲ませ、真剣になる。

「私たちを前座扱いなんて、舐められたものね」
「関東最強の私たちの戦い、見せてあげるわ」

 あ、噛ませっぽい。味方のガイが一抹の不安を抱いた、次の瞬間だった。

「行っくアルよー!」

 と、呑気な掛け声で放たれたボールは、ショートカットのビビが腹で受け止めると、ビビの体が後方に吹き飛んだ。
外野まで飛ばされたビビは、ボールは離さなかったが、背中から落ちてしまう。

「な、なな……」
「エリア外での捕球は反則です。2-Aボール」
「反則も何もあるかぁ!」

 冷静にジャッジを下す夕絵に英子が大声を出す。ビビはいちおう無事なようで、よろよろと外野に移動したが、今のはどう見ても女子中学生の、というか人間がボールを投げて起こりうる現象ではなかった。
 投げた当の本人は快活に笑って踊っていった。

「にょほほほ」
「すっげえ、クーちゃん!」
「あんなん初めて見た!」
(人ってあれ食らっても無傷でいられるんだな)

 大砲を撃ちだしたような威力に湧く中学生を、苦虫を噛む表情で見るしかない。千雨が遠目に見ても半端ない飛び方をしていたのだが、人は意外と頑丈なようだった。
 常識はずれの馬鹿力を目にし、ウルスラ組に動揺が走る。

「あんなの取れないよ……」
「くっ……先生!」
「あー?」

 突っ立っていたガイが気の抜けた返事をする。英子たちはガイの背中に隠れ、小さい声で言った。

「お願いします。私たちを守ってください」
「えー。お前ら関東大会優勝の実績あってホームで勝負挑んだのにそれかよ」
「事情が変わったんです! 仕方ないでしょ!」

 マークするのはアスナとあやかくらいだと思っていたら、人間の範囲を超えた動きをする女子中学生が混じっていたのだ。
 形振り構っていられなくなるのもやむを得ない。ガイは肩を落としながら前に出た。

「しょうがねえな。オラ、来いや」
「先生、お覚悟を!」

 あやかが長い髪を乱しながら前面に出たガイ目掛けボールを投げる。女子の割に速いが、ガイにはあくびが出る程度のそれを余裕の笑みで捕ろうとして、

「へぶッ!?」
「きゃあ!」

 顔面から派手にコケた。ガイが転倒したため、ボールは不意打ちで背後にいた生徒に当たる。

「なにやってるんですか!?」
「いや、足が……」

 ガイが足首と手首に絡みついた見えない糸について説明しようとして、エヴァと目が合う。
 心底愉快そうに悪どい微笑を浮かべるエヴァにガイの額に青筋が立った。英子が内野に転がったボールを拾う。

「このやろう……」
「くっくっく、どうしたヤルキナイネン先生。何もない所で無様にすっ転んで。麗しいお鼻が赤くなっているじゃあないか」
「お、そういう態度取るのか。やんのかコラ、やっちまうぞ」
「試合に集中してください!」

 ダメだ、この人。英子は夕映がタイムを計っているのに舌打ちして、外野にパスした。

「トライアングルアタックよ!」
「OK!」

 素早いパス回しが展開され、アスナら一般生徒が翻弄される。ボールに目が追いつかなくなる頃合いに、隙だらけになった相手を仕留める。
 狙いは、途中からボールを追わなくなったアーニャのガラ空きの背中だ。

「小さいから狙いたくはなかったけど、事情が変わったの。ごめんね!」

 加減して弾かれたボールがアーニャの背に向かう。誰が見ても間に合わないタイミングでの攻撃だったが、アーニャは信じられない動きを見せた。
 振り返ったアーニャは、バク転するように足を振りかぶって宙に浮くと、移動するボールのベクトルに合わせて思い切り蹴っ飛ばした。
 単刀直入に言うと、オーバーヘッドキックである。

「死ねえ、ガイッ!」
「あいたっ!?」

 ガイの顔面に一直線に放たれた弾丸シュートは、エヴァと口論していたガイに当たる直前で、ガイがひょいと首を傾けたために外れ、またしても後ろにいる生徒に当たった。
 十歳の少女が見せた神がかったサッカーのスーパープレーに唖然とする。そのアーニャはクーに詰め寄られていた。

「ちょい待つアル! 先生は最後て言ったのに自分は先生狙うなんてズルいアルよ!」
「今のは咄嗟の出来事だったから、偶然ガイの方に飛んだだけ。それに結果的に他のやつに当たったからセーフよ!」
「嘘アル! 先生死ねって言ってたアル!」
「な、なんてガキなの」

 いち早く正気に戻った英子がボールを拾おうと手を伸ばす。が、ボールが宙に浮いて手をすり抜けていった。

「え、ちょ!」

 小刻みに移動してボールは2-Aの内野に飛んでいき、真名の手に収まる。

「ちょっと待ちなさいよ! 今の反則でしょ!」
「何がだ? 私にはあなたがファンブルしたように見えたが」
「2-Aボールでスタートです」
「何でよ!」

 抗議虚しく、証拠もないので2-Aにボールが渡った。糸で手足を封じられているガイにエヴァが言う。

「BB弾を指で弾いてボールを動かすとはな。フッ、一般生徒相手に意地悪いことをする」
「なあ、これ切っていい?」
「せ、先生!」

 糸を指で触り、腕組みして偉そうにしているエヴァに質問するガイの元に、切羽詰まった様子の英子が駆け寄った。

「遊んでないで本気出してください! 協力してくれるんでしょう!?」
「んー。よく考えると、オレにお前らの味方する理由なくね? お前らウチの生徒いじめるし、面倒事増やすし、担当だって違うし。
せめてもうちょっと子供らしい愛嬌あれば助けようと思うけどさー、中途半端に大人っぽいから可愛くもないんだよなー」
「んな……! そ、そんなこと言わずに……あれ、ばら撒かれたくないですよね?」

 ボロクソに貶され、少し傷ついたが、写真を盾に取ってボソリと呟くとガイも嫌々重い腰を上げた。
 真名が投げたボールを片手で捕り、鼻で笑う。

「はっ、大したことないな。所詮はちゅうがくせ……鬱陶しいわ! やめろ龍宮!」
「ちっ」

 BB弾をペシペシとガイの顔に当てていた真名が舌打ちして手を背中に回した。
 反抗的な生徒を見てガイの目が据わる。敵陣を見渡して、心ここにあらずの状態だった刹那に肘から先だけのスナップで投げると、投げたことにも気づかなかったのか、呆けなく肩に当たった。

「らしくないな。いつもなら目を瞑っても避けられただろう」
「すまない、ボーっとしていた。……まあ、外野がいないから、今の私がここにいるより役に立つさ」
「乱れているでござるな」
「刹那でも隙ができるアルネ」
「ふむ」

 刹那の背中に淡々と真名が声をかけ、刹那だからカバーする必要なしと見逃した楓とクーが思い思いに見送る。
 超は興味深げに事態を観察していたが、積極的に参加するつもりはないようだった。
 ガイが刹那に当てたことにこのかが声を張る。

「せんせー、せっちゃんいじめんといてー!」
「いやいや、いじめてないって。痛くもないし。かるーく投げたから。な、桜咲?」
「え、ええ……」

 内野の端まで寄って弁解すると、刹那も気まずそうに顔を背けながら頷いた。
 その隙にアスナの投げたボールがウルスラ組を一人減らした。落ちたボールは、また真名のBB弾で2-Aに戻ってゆく。

「先生! 真面目にやってくださいと何回言えば分かるんですか!?」
「なあ、思ったんだが、あの写真見られても『ガイ先生はモテるなー』で済まされそうな気がしないか?」
「そんなことある訳ないでしょう!」
「いや、ほら。オレって顔良いし。こっちに来てからモテてる自覚あるから」

 さらりと自信家なセリフを吐く。が、事実なので言い返せない英子は歯噛みした。
 ガイはさらに表情を変えずに続けた。

「それに、問題を起こしても揉み消してくれると思うんだよね」
「ッ!? まさか……」

 ガイが悪い顔をした。英子がガイの背後に強力なコネがあると思い込む。
 事実、麻帆良最大の権力者である学園長はガイを特別視しており、孫のこのかを叩いて契約に反しても罰されなかったことから、今回も立ち回ってくれるだろうと踏んでいた。
 完全に虎の威を借る狐だったが、ガイは形成が逆転したことを悟った。
 ガイ抜きの両者の戦力差は圧倒的で、真名、楓、クーの三人が無双して、遂にウルスラは英子とガイを残すのみとなった。

「龍宮さんたちすっご……私ら出る幕ないじゃん」
「一方的過ぎて申し訳なくなってくるわ」

 ほぼ立っていただけの裕奈たちが、弱い者いじめをする気分に陥っていた。
 ガイにある程度の実力を見せてもらおうとクーと真名が張り切り、ウルスラを排除してゆくので、もう相手になっていなかった。
 非情なことにガイは、糸を絡めてくるエヴァと口論をしていて、ゲームに混ざろうともしない。
 外野の刹那が転がったボールを拾い、残る英子が手を挙げる。

「タ、タイム!」

 夕映が認め、ガイを目と鼻の先で睨む。周囲に聞き取られない小さな声量で英子が言う。

「お願いします、本気出してください。先生は強いんでしょう!?」
「だってさー、子供の喧嘩に大人が出張るのも格好悪いしー」
「神楽坂明日菜と雪広あやかを見てくださいよ! あいつら私を殺す気ですよ!」

 半泣きになってガイに頼む。その二人は、ガイと英子が何やら親密そうに話しているので露骨に苛立ちを表情に出していた。
 アーニャも「ガイ殺す」と呟いていたりするのだが、英子に害はないので置いておいた。
 ガイは力のない瞳で英子の不安を煽る。

「大丈夫大丈夫、平気だって。目立たないところに青アザつけるくらいで済ましてくれるでしょ、あいつらも。死ぬわけじゃないから平気平気」
「平気じゃないです! お願いします、助けてください先生。何でもしますから!」

 自分が一番相手を煽っていた自覚がある分、その仕返しが怖くなった英子は、ガイに懇願してしまった。
 ガイの口角が釣り上がるのを、頭を下げた英子以外のその場に居合わせた人は見た。

「じゃあ、あの写真とネガ渡せ」
「は、はい」

 胸元からくしゃくしゃになった例の写真を取り出し、参加しなかった女子からネガをもらってガイに手渡す。

「もうないな?」

 英子がオドオドと頷いたのを確認して、ガイはスーツから取り出したライターで燃やした。
 不快な匂いを発して証拠が散っていく。燃えカスを風に乗せて、ガイは手を叩いた。

「あの、これで――」
「ああ、オレを縛るものはこれでなくなった」
「へ?」

 助けてくれますよね、と口にしようとした英子を抱え上げ、腕と胴を左脇に挟んで動きを封じた。

「な、何を」
「オレが人を脅すことがあっても、人がオレを脅すことは許さん」

 口上と共に右腕を振り上げ、無防備な英子のお尻に振り下ろした。

「ひぎ……っ!」
「もう一発じゃオラァ!」

 スパーンスパーンと寒空の下に小気味良い音が響く。スパンキングのたびに英子は悲鳴を上げて全身を跳ねるのだが、ガイの馬鹿力に抑えつけられて身動きが取れない。
 痛みと同級生、啀み合っている後輩の前でお尻を叩かれる屈辱に涙目な英子が精一杯首を巡らせてガイに叫ぶ。

「こ、こんなの体罰じゃ……きゃうん!?」
「違う。愛のムチだ。教育的指導であり、人倫に反した生徒への指導の一環だから問題ない。
 人はな……痛みを伴わなければ学習しないんだよ」
「くっ……この私に何てことを……絶対に許さな――」
「まだ反省し足りないみたいだなァ!」
「きゃあああああああ!」

 段々とコント染みてきたやりとりを呆れた眼差しで見ていた2-Aの面々は、少しずつ事情が把握できてきた。

「えーと……つまり、ガイさんは裏切ってないってこと?」
「そのようですね」
「やっぱ強請られてたのか」

 ようやく状況を理解できたアスナがあやかに問い、心持ち安堵した表情であやかが首肯する。
 遠くから見ていた千雨が、ガイの様子が不自然だった理由に納得が行き、辟易した吐息を漏らした。

「う……ひぐっ、ぐすっ……」
「ッシャア! かかって来いや教え子共!」

 お仕置きを終えた英子が四つん這いで泣いている横で、ガイが掌を拳で叩いて挑発した。
 まるで檻から解き放たれた獣のように活き活きとしていて、もう一人の消沈する英子との対比が虚しい。
敵ながら英子が不憫に思えてきて、ターゲットがガイに切り替わる。始めからやる気満々の真名、クー、アーニャの目の色が変わった。

「クー、私がサポートする。弱点は不明だが、人間なら必ず死角が存在する筈だ。徹底してそこを狙え」
「いや、ここは正々堂々と正面から当たって砕けるアルネ」
「あいつの弱点は股間よ。ピンポイントで狙い撃てば殺せるわ」
(あれ? 何で先生殺すことが前提になってるの?)

 物騒なクラスメートと年下の先生にアスナも置いてけぼりになる。彼女たちはドッジボールがスポーツであることを失念しているようであった。
 ガイもガイで、端正な顔を邪な笑みで歪めて生徒を見下していた。

「ははは、力量差も分からないのか。言っておくが、股間はオレだけの弱点じゃない。男はみんな弱いんだ」
「再開しまーす」

 夕映が手を挙げてゲームをスタートさせた。ガイはまだ余裕を崩さずに微笑を浮かべている。

「くくく……おい、超。天才のお前の頭で本気を出したオレにお前らが勝てる確率を求めてみろ」
「計算する必要もなく、もうワタシたちの勝ちアルヨ」
「は?」

 首を傾げた瞬間にエヴァがガイの腕に巻きつけた糸を引き、転ばされてなるものかとガイが全身に力を込めた。
 そして身が強張った一瞬に、背中にポンと柔らかい感触が当たった。振り返ると、刹那がボールを投げていた。
 ガイに当たって転がったボールが、バウンドしてコロコロと離れていき、やがて止まった。

「……」
「……」
「い、いえ、その……五秒ルールがあったので仕方なくボールを投げて……」

 尋常じゃなく白けた空気の中で刹那の慌てふためいた声が空に吸い込まれてゆく。
 付け加えて言うと、ガイは狙われないのをいいことにエヴァと喧嘩していたのでゲームの成り行きを見ておらず、中断する前に刹那がボールを持っていることすら知らなかった。
 拳の振り下ろす先をなくした真名たちと、大言壮語を吐いたのにあっさり敗れたガイの醸す何とも言えない雰囲気に呑まれ、刹那がペコペコと頭を下げた。

「す、すいませんすいません!」
「しゅーりょー」

 そのまま時間切れで試合が終わり、夕映が笛を吹く。全員不完全燃焼で試合が終わってしまった。

「グス……お家帰る……」
「これに懲りたら悪さすんなよー」

 半ベソかいてぞろぞろと帰るウルスラ組に声をかけるガイの元に、アスナとアーニャがやってきた。
 目を向けると、無言で脛を爪先で小突いた。

「なんだよ」
「知りません!」
「死ね!」

 ガイは全く痛がらなかったのが不況を買ったようで、二人はそっぽを向いた。
 エヴァがそれを見て愉快そうに腹を抱えていたのに腹が立ち、未だに巻き付いている糸を引っ張って転ばせた。
 案の定、また脛を蹴られた。その夜、ガイはガンドルフィーニと一緒に酒に溺れた。







「アスナ、起きて」
「ん~? 何よ、このか。まだ日付変わってないじゃない」

 聖ウルスラの英子たちとの一悶着もあり、疲れていたアスナが夜中に起こされて寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる。
 いつもは彼女も寝ている時間なのに、起きていたこのかが申し訳無さそうに言った。

「起こしてごめんな、アスナ」
「別にいいけど、どうかしたの?」
「えとな、先生まだ帰ってきてへんねん。たぶん、また外で寝てるから部屋に入れたげようかなって」

 二段ベッドから下りて月明かりに照らされた部屋を見ると、まだガイは帰ってきていなかった。
 恐らく、酒を飲んでいるのだろう。ガイは趣味と言えるものが殆どなく、唯一の楽しみが飲酒のようで、三日に一度は帰って来ない日がある。
 それ以外は部屋に来る生徒に勉強を教えたり、二人に魔法を教えていたりと多忙なガイの心休まる一時らしく、朝になって発見されるとたいてい泥酔している。
 酒に酔った状態で一般生徒と接触しないようにしているようで、ガイは酔いが覚めてからシャワーを浴びに来るまで寮に戻らない。
 酒の匂いを撒き散らされても困るのでアスナは助かっているのだが、このかは不満なようだった。

「先生は平気やって言うてるけど、やっぱり真冬の夜に外で寝るのはアカンえ。体壊されたらアーニャちゃんもウチらも困るやん」
「うーん。言われてみればそうだけど……でも、ガイさんだしなー。酔っ払って襲われでもしたら」
「そうなったら襲われるのは下のウチやし、大丈夫やえ」
「あ、そっか……って、いやいや。全然大丈夫じゃないわよ! 止めましょう、このか。今日はガイさんの所為でややこしい話になったし、それに放って置いたって死なないって、あの人」

 これまでも平気だったし、今日に限ってはガイにいつもよりご立腹なアスナが手を振って拒否する。
 寝惚けているのか、このかもいつにも増してとんでもないことを口走るし、早く寝た方が良さそうだ。
 だが、このかは口を尖らせる。

「アスナ。アスナも先生に毎日勉強みてもらって、自分の仕事もあるのに時間割いて魔法も教えてくれてるのに、少し薄情やない?
 お酒飲んだ日に帰って来ないのもウチらに気を遣ってやろ? ウチらの為に色々我慢してくれてるんやから、ウチらもこれくらい許してもええやん」
「う……」

 自分のことを言及されると、アスナも言い返せなくなる。クラスで一番目をかけて貰っているのが、恐らくアスナだからだ。
 勉強に修行に護衛、バイトの手伝いと、教師と生徒の関係より深い干渉をガイはアスナにしていた。
 タカミチ恋し、ガイ憎しで行動していたアスナもありがたいという理由で受け入れていた為、改めて思い返すと申し訳なく思えてきた。
 部屋を貸していると言っても、ガイは安い座り心地の悪いソファで寝ているし、窮屈でプライベートのない部屋で暮らしているとガイも鬱屈としてくるだろう。

「うー……しょうがないなぁ。まあ、襲ってきても咸卦法で追い払えばいいか」
「ありがとなアスナ」

 このかの笑顔を見ると、和んでしまう自分がいた。防寒着を着こみ、外に出ると、黒衣の夜想曲を纏った高音と感涙している制服の愛衣、そして操影術で簀巻きにされて爆睡しているガイがいた。

「まったく、ガンドルフィーニ先生まで悪酔いするなんて、魔法使いとしての自覚が足りません」
「ふぇぇ……でもお姉さま。私たち……強くなりましたね……」
「……そうですね、不本意ながら……」

 これまでガイに散々からかわれてきた過去を思い出し、泥酔状態ながらもガイを捕まえられるまでに成長した道程を振り返ると涙が止まらない。
 その涙が綺麗なのかはともかく、感動で前後不覚だった二人は、ガイを寮の前に捨てようとして、ようやくアスナとこのかに気づいた。

「あっ!? が、学生!?」
「……待ちなさい、愛衣。先生と暮らしている神楽坂さんと近衛さんよ。二人には魔法がバレていると聞いてるわ」

 コスプレしているとしか思えない派手な格好の高音にポカンとしていた二人も、真面目な声に我に返る。

「こんな夜中にどうしたのですか」
「え、えと……ガイさんを探しに来たところで」
「外で寝てたら風邪引いちゃうから、中に入れてあげようと思ったんです」

 事情を説明すると、高音も得心がいったようで頭上に掲げていたガイを地面に落とした。
 アスナが爪先で突いてみるが、幸せそうに眠っているガイは反応すらしなかった。

「飛びかかられたりしないよね?」
「一度寝たら朝まで起きないから大丈夫ですよ。それより、酒臭くなりますがいいんですか? この人は北極に放り出しても死にませんよ」
「あー、いいんです。外で寝させるのが申し訳なくなってきたんで」
「そうですか」

 素っ気なく言って、高音は踵を返した。愛衣もペコリと頭を下げてから高音の後を追う。
 二人が見えなくなってから、アスナが腰を下ろしてガイを持とうとした。

「うわ、酒臭っ」
「見たことないくらい気持ちよさそうな顔して寝とるな」

 見つけたはいいが、自分の1.5倍は体重のあるガイをどうしようか悩む。意識のない人間は想像以上に重いのだ。しばらく思索してアスナが閃いた。

「もしかして、あたし一人で運べる?」

 気を纏ってガイをお姫様抱っこすると、軽々と持ち上がった。

「おお!」
「アスナ凄い!」

 あまりの軽さにガイをお姫様抱っこしたまま、くるくるとその場を回ってしまう。
 以前から馬鹿力の持ち主だったが、ガイの修行の成果で普通の人間の範囲を超えていた。
 発泡スチロールを持っているような感覚に浮かれていると、物理的に振り回されていたガイが呻いた。

「ネカネ……やめろ……ぶっ飛ばすぞ」
「まーたネカネさんと間違えてる」
「仲良かったんやな」

 現状、アスナの耳元で呟いているガイだが、今の自分の格好を思い出してアスナの頬が熱くなった。
 何で女の自分が年の離れた男をお姫様抱っこしているのだろう。普通、逆じゃないのか。
 またガイが囁く。

「ぶっ飛ばすぞ……スカートを」

 寝言と分かっていても腹が立ち、つい手を離してしまった。地味に高い位置から落ちたのに、ガイは起きる気配すらない。
 このかがアスナを見咎める。

「アスナ」
「はいはい、分かってるって」

 再び抱え上げて、寮に入る。酒気が漂っているのに、思ったより不快ではないのは、泥酔しても視線を下げたときに目に入る寝顔が美しいからだろう。
 タカミチが泥酔していたら――想像できないが、間近にある精緻な美貌のように見応えのあるものではないのは悟れる。
 天は二物を与えたが、完璧には仕上げなかったのがガイなのではないか。容姿を台無しにする現状に引き笑いになる。
 ソファに寝かせると、もう日付が変わっていた。あくびをしてベッドに入る。

「あたしは寝るわ。このか、襲われたら大声で叫ぶのよ」
「うん。わざわざ起こしてごめんな、ありがとアスナ」

 ガイの酒の匂いが離れていても香る室内でも寝付きの良いアスナは、すぐに寝息を漏らした。

「アスナ、もう寝た?」

 アスナが寝たのを確認して、足音を消してこのかがガイの側に寄る。
 開いたカーテンから差し込む月明かりに照らされた銀髪は、宝石を散りばめたように煌めいて、赤らんだ白い頬にかかった。
 息を呑む。この男は、粗野な言動で誤魔化されるが、絶世の美男子なのだ。
 中腰のこのかがゆっくりと手を伸ばす。

「ごめんな、アスナ。先生を心配なのは半分本当やけど、本当はこうしたかったんよ。酔ってる先生でもないと、きっと起きるやろし」

 ペタペタとYシャツ越しの胸を触る。モデルのように見栄えの良いスタイルをしているのに、女の自分と比べると遥かに逞しい。
 慎重に、ガイの反応を確かめながら好奇心に突き動かされて手を動かす。初めて接する男の感触は、父と違って艶かしかった。
 視線が再び、ガイの顔に移る。今度は、焦点が唇に。男にしては瑞々しく、薄く色づいた緋色を前に、胸が鷲掴みにされた。
 ため息が漏れ、自然と吸い寄せられる。呼気の酒精さえ媚薬に思えた。

「先生。ウチ、前に言ったこと、ホントなんよ。先生とならキスしてもええ。ううん、キスしたい」

 アジア人とは毛色の異なるガイの美貌に始めから悪い印象はなかったが、共に暮らす間に感情が熟成されていった。
 変わっているが、悪い人ではないのはすぐに分かったし、先生として頑張っている姿を毎日間近で見ている。
 その仄かな恋心が、先日のガイの失態から決定的になった。嫌われたと思うと悲しくなり、本気で泣いて、好かれていると分かると胸の内が暖かくなった。
 初めての異性と蠱惑的な美貌に中てられているのかもしれない。だが、ガイは軽薄な言動とは裏腹に、生徒と教師の線引きは頑なで、正面から好意を示しても拒絶するだろう。
 だから、ズルくなった。

「先生とキスすると、パートナーになれるんやろ? ウチ、なりたい。先生、好きや。好き……」

 髪を掻き上げ、僅かに開いたガイの唇に自身のそれをくっつけた。想像以上に柔らかく、想像よりもドラマチックでもなかったキスに呆気無く思いながら、高鳴る心臓の音をBGMに唇を離し、ガイの顔を見る。
 起きる気配はなく、酒臭かった後味が残った。

「これでパートナーになれたんかな。でも、何も……」

 魔法らしい現象が起きないことに疑問を抱く。キスすればいいとは聞いたが、仮契約について詳細は教えられていなかった。
 不安になり、また瞳に唇が映る。

「ちゃんとせなアカンの? 先生、もっとしてええ?」

 一度目よりも深く唇を押し付ける。食むように、唇でガイの上唇を吸った。動かすたびに形を変える柔らかさが愛しく、夢中になる。
 酒気に中てられたのか、全身が火照った。知識でしか知らないことを試してみたくなる。進んでみたく思う。

「ん……ふ……先生……」

 荒くなる鼻息が、ガイの肌に触れ、再び自分の肌を舐めた。自分がこんなに興奮しているのに驚きながら、それでも止められない。
 ちろりとおっかなびっくりに、はしたなく伸ばした舌がガイの唇を割り、歯に触れ、歯茎に届いた。
 酒の味がする口内を舐り、舌に触れる。くすぐったい感触と、親友が寝ている部屋で、泥酔して起きる気配のない教師の立場にある想い人とキスしている背徳感が、このかの行為を加速させて性的な興奮を高めていた。
 慣れてくると、水音が鳴った。血が上った頭は熱く、思考を鈍らせて、余計なことが浮かばなくなっていった。
 




あとがき
アウトじゃないからセーフ。



[39449] Let's Talk About Love
Name: コモド◆82fdf01d ID:13ef3069
Date: 2014/07/13 21:42


「……何でオレは部屋で寝ているんだ」

 重い瞼を開いて首を巡らすと、もう見慣れてしまった部屋だった。アスナは部屋に居らず、バイトに出ているようだ。
 ガイの声に目を醒ましたこのかが同じく眠そうに目を擦りながらガイを見る。

「おはよ、せんせー。外で寝させるのも悪い思って、昨日アスナと部屋に運んだんやえ」
「そうなのか。酒臭かっただろうに手間かけたな」
「別に謝らなくても……ウチもアスナも先生には感謝しとるし、先生も疲れてるやからお酒くらい自由に飲んでええよ。なんやったら此処で飲んでも」
「さすがに宅飲みはダメだ。お前らの口に入るかもしれないし、酔ったオレが何かしないとも限らないからな」
「えー」

 何故か残念そうにするこのかに、やはり変わったコだと認識が固まっていく。
 起きてから時間が経っても寝惚け眼でウトウトとしているこのかは珍しかったが、ガイを連れてきたことで寝るのが遅くなったのだろう、と自戒をこめて納得した。
 それ以外ではいつものこのかだった。朝食の準備をしてくれているこのかが、料理の片手間に言う。

「先生って凄い酒飲んでるのに二日酔いせーへんな。お酒強いと二日酔いもせんの?」
「いや、するぞ。赤ワインやウォッカを飲むと必ず二日酔いする。だが、テキーラだと幾ら飲んでも二日酔いにならないのさ。
 これは豆知識だ。大人になってから試してみろ」
「ホンマ?」

 怪しい知識だが、酒を口にしたことのないこのかは信じてしまう。
 酒を飲んだ翌日の口内とは違う匂いに微かな違和感があったが、誤差だと忘れて、このかの英国風日本食を味わった。
 かつては酔っ払っているのが当たり前だから二日酔いを経験したことがないのだと、飲酒の経験がないこのかにはアル中の常識は理解できなかった。







(うーん)

 英語の授業中に、授業の様子を後ろから眺めていたアーニャが眉根を寄せて声に出さずに唸った。
 黒板の前では、ガイが問題の解説をしていた。認めるのは癪だが、ガイの教師としての問題は殆どない。
 教え方は丁寧で、生徒のモチベーションを保つのも上手く、生徒を授業に集中させる手法と話術も何処で学んだのか身につけている。
 ガイが教師をするのに懐疑的だったアーニャも、その手腕に感心させられていた。生徒の評判もすこぶる良い。
 質問や相談をすれば、分かるまで懇切丁寧に、親身になって考えてくれると慕われている。
 今や麻帆良女子中の生徒には一番人気があるかもしれない程だ。だが――

(何か、上の空の人が多いような)

 授業を後ろから眺めていると、集中している人といない人はすぐに判別がつく。
 うたた寝をして船を漕いでいるエヴァのような不真面目な生徒は、まだアーニャにも分かる。
 どこにでも反抗的な行動を取る生徒はいるものだ。アーニャも呆れるだけで何も思わない。
 だが、授業を聞くわけでもなく、ガイをボーっと、熱っぽい眼差しで見つめている生徒は何なのだろうか。
 具体的には、亜子、円、あやか、のどかだ。ほんのり赤く色づいた肌とトロンとした瞳でガイに見蕩れていたかと思えば、ふと我に返って授業に集中して、気づけばまたガイに見蕩れている。
 普遍的な美的感覚の持ち主ならガイに心を奪われても無理からぬものだが、それがアーニャには受け入れがたい。
 しかし、彼女たちの心境も同性だから理解できなくもない。理解不能なのは、良からぬ妄想に耽って涎を垂らして淫らな空気を醸している美砂とラブ臭に包まれて邪悪な雰囲気を放っている同居人のハルナである。
 煩悩が炸裂している二人の肩をさり気なく指で突いて現実に戻す。片手を立てて曖昧に笑い、謝意をアーニャに示すが、絶対に反省していなかった。
 このような惨状でもマシな方であるのが悩みの種で、他の担当クラスでは心ここにあらずの生徒の割合はもっと高い。

(これで良いのかしら……いいえ、絶対良くないわよ)

 個人としては、質問に来る生徒がガイに集中していて、アーニャには殆どいないことが気になっていた。
 年下の同性に頼るのが情けなく思っているのだろうか。気持ちは分かるが、悔しい思いは否定出来ない。
 一応、教師として来ているのに、ガイのおまけでしかないことが我慢ならない。
子供だから、未熟だからとガイにおんぶに抱っこの現状に納得出来ない。私はもっとできるのだと示したかった。

「授業中よ。起きなさい」

 周りに気取られないよう、小声で熟睡していたエヴァを起こす。すると、眠そうに目を細めているエヴァがゆっくりとアーニャを見定めた。
 気怠そうで、だが傲岸不遜な声で囁く。

「アンナ・ココロウァか。貴様如きひよっこが、この私に偉そうな口を聞くとは。二十年早いわ」
「は? なに言ってるの?」

 年上とは言え、自分とさほど体格差のないエヴァに言われ、カチンときたアーニャが、柳眉を逆立てる。
 エヴァの認識では小娘以下のアーニャの威嚇など屁でもないのか、憤る子供先生を鼻で嘲笑った。

「私の名前を聞いて何も思わない世代が生まれたとは、時代の流れを実感するよ。学校で習わなかったのか?
 闇の魔法使い、ダークエヴァンジェリンの名を」
「え、エヴァンジェリン……って、あの闇の女王……!?」

 名簿で名前を見た時は、不吉な名前をつける親もいるものだと偶然に驚いた。まさか本物だとは毛程も思わず、本人だと名乗られてもとても信じられない。
 だが、アーニャの言葉に肯定するように微笑するエヴァの瞳に身震いする底抜けの闇を感じて、アーニャが慌てて距離をとろうとガイの方に足を踏み出した。
 そこにエヴァが糸を放ち、アーニャを転ばせた。

「ぴぎゃっ!」

 顔からすっ転び、教室がざわつく。全員の視線が集まる中、アーニャが涙目になって振り向くと、不吉な笑みを浮かべるエヴァにガクガクブルブル震えてしまう。

「おい、大丈夫か?」

 転んだアーニャを見てすかさず駆けつけたガイが片膝をついて、アーニャの脇に両手を入れて立ち上がらせた。

「ガ、ガイぃ……」

 普段は強気に振り払うアーニャが涙目になりながらエヴァを指さすので、ガイもすぐに事態を察した。
 あやすように頭を撫で、アーニャとエヴァの間に立ち位置を変えて言う。

「あまり先生をいじめるな、マクダウェル。若さに嫉妬するババアじゃねえんだから」
「んなっ、誰がババアだ!」

 永遠の若さを保っていられるエヴァだが、ババア呼ばわりは堪えたらしい。
 立ち上がって怒鳴るが、その沸騰したヤカンのような急変が面白かった2-Aが騒ぎ出す。

「そうだよ先生、女の子にババアは酷いよ」
「エヴァちゃんの容姿なら幼女が正しいよねー」
「よ、幼女? 幼女だと!?」

 ババアと言われるのも嫌だが、成長することなく十歳のままな体を揶揄されるのもコンプレックスを刺激されるようで、エヴァはまたしても激高した。
 それを皮切りに活気づいた面々が盛り上げる喧騒に、なぜかペースを握られて、エヴァは終始からかわれた。
 授業が終わる頃には、業を煮やしたエヴァの視線がガイに突き刺さっていたが、ガイは完全にスルーした。
 この図太さは見習っておかなければと、アーニャは、ちょっとだけ感心した。





「ええい! あの若造め……人が下手に出ていればつけあがりおって……!」
「人ジャネエケドナ」

 揚げ足を取る従者を忌々しく睨むが、ガイを睨む以上に効果が無いのは分かっている。
 律儀に約束を守り、授業に出ているエヴァには暇になる時間は休み時間しかない。先の授業で散々な目に合わされた怒りを鎮めるべく、寒空の下、屋上で二人の従者と束の間の自由を満喫していた。
 腕組みして足を忙しなく動かしているエヴァは、近寄りがたい雰囲気を放っていた。
 口を開けば、あの男の憎まれ口がついて出る。

「近頃、貢物の血の量が少ないんじゃないか。奴め、出し渋っているのではないだろうな」
「検量の結果は毎回数分違わず同じです、マスター」
「マダマダ足リネエ。首掻ッ切ッテ吸ッチマオウゼ御主人」
「そうしたいのは山々だが、今の魔力では満月でも心許ない。万全を期して停電を待つ」
「日和ッタナー、ツマンネ」
「黙れ」

 らしくなく気弱なエヴァだが、それが客観的に戦力を分析した結果だった。
 猟奇的な人形のチャチャゼロが敬意の欠片もなく煽るのを、力ない強制で閉口させるしかない。
 全盛期ならいざ知らず、今のエヴァの回復具合は、やっと薬品の補助なしで魔法を唱えられるようになった程度だ。
 下手に手を出せば封印される可能性もある。それを考えると、生徒の血を吸って力を蓄えるのも憚られた。
 ガイは一般的な魔法使いと違い、何を考えているか分かりづらいので、やり辛いことこの上ない。懊悩するエヴァに茶々丸が言及した。

「マスター。ヤルキナイネン先生は、他の生徒と比較して、マスターを目にかけているように思えます。ですから、敵対するのは得策ではないかと」
「む?」

 意外な諫言に黙考して従者の考えを読む。が、人工知能の思考を当てるのも馬鹿らしかったので直に聞いてみることにした。

「どういう意味だ?」
「悪の魔法使いとして著名なマスターにデメリットを承知で血を提供している点と、マスターに対する人当たりがとても砕けている所から、ヤルキナイネン先生はマスターに気を許していると考えられます。
 こちらから友好的に歩み寄れば、向こうも懐柔されるのでは」
「あいつが? ……いや、ないな」
「タダ馬鹿ナダケジャネエノカ」

 笑顔で語らい合うエヴァとガイを想像して、すぐさま否定する。人間性からして信じるに値しない。
 笑顔で近寄ってきて影で刃を研いでいる二面性がないのは確かだが、信じるたびに裏切られてきた過去が、他人を信用することを拒ませた。
 側に置くならば、決して裏切らない人形が良い。心がなければ離れてゆく恐れもないのだ。

「そのような情けない手段を用いずとも、奴の血と魔力は直に私のものになる。下僕にして観賞用にするのも良いな。
 容姿だけは非情に私好みだ」
「マァ、ソノ下僕候補二血ヲ貰ッテナケリャ貧弱ナ餓鬼ノ御主人ガ一番情ケナインダガナ」
「チャチャゼロ! 貴様、誰の味方だ!?」

 口の悪い従者にキレるも、イマイチ迫力のないエヴァが、ますますチャチャゼロに笑われる。
 目下最大の敵の施しで人間状態の病弱な体を克服出来ている事実には変わりないことが、エヴァに不甲斐なさを自覚させた。女子中学生に笑われる程だ。
 長年従者を務め、共に辛酸を嘗めてきたチャチャゼロには、殊更無様に映っていることだろう。
さらに怒りを貯めているところに超が現れた。開け放たれた扉が不用心に風に揺られ、短く結ばれたおさげがパタパタと、彼女のゆるんだ頬を叩いている。

「お困りのようネ、エヴァンジェリン」
「何の用だ。あいにく、今の私はすこぶる機嫌が悪いぞ」

 伸びた爪を示威するように見せるも、超は満面の笑みを浮かべるだけだった。
 殺気を放っても効果がなく、そこまで我が覇気は衰えたのかと嘆く。だが、敵意はないと誇示しているかのようにも見えた。

「まあまあ、落ち着くアル。ワタシはあなたを敵に回すつもりはないヨ。むしろ茶々丸の生みの親として、味方になってあげる気満々ネ」
「あげる、か。上から目線が気に食わんが、いったい何だ。要件を話せ」

 頭脳だけは一目置いている超から持ちかけられた話に渋々耳を傾ける。超は指を立てた。

「ちょっと茶々丸を貸してくれれば、学園結界を解いて全力でガイ先生と戦わせてあげられるネ」
「なに?」

 容易には信じられない話に語尾が上がる。不信感を露わにするエヴァに超が続けた。

「信じられない、という顔ネ。でも、ワタシには可能ヨ。さすがに何時間も解放は無理だケド、一時的に停電させることは今すぐにでも可能アル。
 茶々丸はこちらで使わせてもらうから、ガイ先生と戦うのなら、そこのお人形さんと二人になるけれど、闇の福音なら十分アルネ」
「……何が目的だ」

 この天才が不可能な話を自分にする筈がない。しかし真実だとして、超の目的が不明だ。
 利用されるのは好かない。何を考えている。目を眇めるエヴァに超は、だが微笑んだ。

「ワタシも実を言うと困てるネ。あの人はイレギュラーすぎて、このままだと色々と支障をきたす恐れが出てきた。
 でも、今の内なら修正が効く。ワタシはデータが欲しい。あなたは機会が欲しい。
 どちらにもお得な商談だから提案しているネ」
「ふん」

 エヴァも鼻で笑った。十四のガキにしては、2-Aは肝が座っている変わり種が多い。
 その中でも異彩を放つ超は、同じ匂いのする刹那と同様に自分好みの人格をしていた。

「聞かせろ」

 ガイの知らないところで、反ガイ同盟結成。







 昼休みになり、学食で昼食を摂っていたアスナに亜子が怖ず怖ずと言った。

「アスナ。今日の夜、二人の部屋行ってもええ?」
「? いいけど」

 テーブルにはこのかの他に図書館組と運動部組もいた。お昼の喧騒をBGMに、箸を加えたアスナが不思議そうに頷く。
 いつもは事前に連絡もなしにやってきては騒ぐのに、今日に限ってなぜだろう。
 疑問は次の言葉で氷解した。

「ほんなら、泊まっても平気?」
「ダメに決まってるでしょ。ガイさんもいるのよ」

 ガイ目当ての亜子をジト目で咎める。ガイが生徒に淫行をはたらくとも思えないが、建前として、また条件反射的に断ってしまった。
 そのやりとりを隣のテーブルで昼食を摂っていた美砂が耳にして、ニヤつきながら会話に割り込んできた。

「いいじゃんアスナー。アスナとこのかは毎日寝食を共にしてるんだし、ちょっとくらいお裾分けしてくれても」
「それとも、泊められない理由でもあるの?」
「う……」

 円が続く。声は冗句でも言うような軽やかさだったが、顔は笑っていなかった。理由と聞いて、魔法関連のことが思い浮かび、口ごもってしまった。
 アスナがたじろいだのを見て皆が目の色を変える。

「え、マジなの?」
「ち、違う違う! 如何わしいことなんてこれっぽっちもしてないってば! ね、このか!」
「え? あ、うん」

 返事に間が空き、言い淀んだこのかの様子がいつもと異なるのに気づかないほど浅い付き合いではない。
 全員の目が懐疑的な色に塗り替わる。肉体関係があるとまでは思っていないが、少なくともこのかの心情の変化を察した。
 二人はクラスメートに秘密にしている何かがある。それがガイに由来する事柄で、強気のアスナが気後れし、天然で、かつ芯の強いこのかの手綱が緩む代物だと。
 ……何か、居心地が悪い。微妙に空気が重くなった中で墓穴を掘ってしまったアスナが気まずい思いをしていると、裕奈が指を立てた。

「ほら、そろそろ期末テストが近いじゃん? だからアスナたちの部屋で勉強会しようよ。ガイ先生も混ぜて徹夜で」
「お、いいわね。明日は土曜で休みだし」
「勉強するって名目なら先生も断れないでしょ」

 このかから漂うラブ臭にメガネの奥の瞳をぎらつかせていたハルナが真っ先に乗る。
 それを皮切りにトントン拍子に話が進む。明らかに二人の部屋では手狭なのだが、皆は乗り気で断れない雰囲気が出来上がっていた。
 アスナもテスト期間中はバイトを休む手筈になっていたので、個人的な理由を行使できない。
 このかはこのかで、今日は上の空の時間が多かった。時折、白い頬を赤らめ、指でその上品な唇をなぞっているのをアスナは目にしている。
 普段のほんわかとした空気を漂わせているこのからしくない、婀娜っぽい仕草。
 らしくないと言えば、今の空気も2-Aには似つかわしくない。色気づいているとでも言うべきか。
 口を開けばガイの話題が真っ先に浮かび、身を乗り出して食いついてくる。
 たびたび、女の品性が疑われる下品な話題も公然の場で嬉々として話すので、その蓮っ葉な会話には混ざれないアスナは、タカミチについて語る自分も他人にはこのように見えているのかと思い、気持ちが沈んだ。
 普段なら、2-Aのたがが緩んだ時には、あやかが注意してくれる。この恋に魘されているみんなを止めてくれと、期待を込めて少し離れた席で食事を摂るあやかに視線を送った。
 が、あやかはアスナと目が合うと、気まずそうに目を逸らした。目線を下ろし、オロオロと俯きがちになる。
 同席についていた千鶴と夏美が、どうしたの、と尋ねる。何でもありませんわ、と紅潮した頬で手をブンブンと振るあやかにアスナは首を傾げた。

(いいんちょ、こっち見てたよね)

 もしかして、聞き耳を立てていたのだろうか。あの堅物なあやかが?

(ないない)

 思い浮かんだ見解を即時に却下する。小学校からの腐れ縁だ。お互いの好みは熟知している。
 何かとつけて対立してきたのは、好みが正反対だからだ。ガイはあやかのタイプではない。
 口を挟んで来なかった理由は、お昼だから騒ぎを大きくしたくなかったとか、そのようなものだろう。
 堅物のあやかに、まさかそのような変化が訪れるなど、ありえない。

(いいんちょはともかく、何かみんな怖い。あたしとこのかへの風当たりが強くなってるし、ガイさん何とかして……くれるわけないか。
 ガイさんモテるけど恋愛は疎そうなのよね。自分で言ってたし)

 同居に抵抗していたのは最初だけだった。実際に住んでみると、ガイはこちらを異性として意識していない態度が目立った。
 ガイは世話やきで何かにつけてアスナに手を貸してくれたが、それは自身に振り被る責任や評価を気にしてのものと思わしき言動が多々見られ、とても褒められた人格の持ち主ではない。
 通路を挟んだ隣席でよく話す美砂に至っては彼氏持ちなのに夢中になっている。同じテーブルに着き、同じ食事を口にしているのに言いようのない疎外感を感じて、焦燥で胸が寂しくなった。

「柿崎、あんた彼氏持ちでしょ。なのに寝ても覚めてもガイさんガイさんって、彼氏に申し訳ないと思ったりしないの?」

 取り残されたくなくて口を尖らせながらの、咎める意味合いもあった質問に美砂はきょとんとしてから、そして当たり前のように言った。

「え、どうして? 先生かっこいいじゃん」
「いや、どうしてって、そんな疑問に疑問で返されても。普通に浮気じゃん」
「別に先生と付き合ってるわけじゃないし。あんな人が身近にいたら目移りしちゃうのもしょうがないじゃん?」
「しょうがなくないわよ。好きな人への裏切りでしょ」

 異性と付き合った経験がなく、一途な恋をしているアスナには気の多い美砂が不潔に感じた。
 美砂の自慢話でしか知らない彼氏が不憫に思えた。最近は聞かなくなったが、付き合い始めの頃は鬱陶しがっても毎日のように惚気けてきたのに。
 美砂は肩を竦めて、まるで反省していない様子で、アスナを言い包めるように、

「仕方ないなー。いーい、アスナ? 例えば、アスナが高畑先生と付き合ってるとするでしょ。
 でも付き合っている内にさ、段々と嫌な部分も見えてくるの。店員に偉そうにしてたり、言動のガキっぽさに幻滅しちゃうわけ。
 そうなると盲目的だった熱も冷めて、周りに目が向いちゃうようになんのよ。言っとくけど彼氏もまだ好きなのよ?
 でもそれ以上に好きな人ができちゃうから仕方ないじゃない?」
「ええー、言い訳じゃん。それに高畑先生は偉そうにしたりガキっぽくもないし。それに別の人が好きになったんなら、きっぱり別れればいいのに」
「いやあ……そこ突かれると痛いんだけど……打算的な? ガイさんに相手されなかった時に手放してたら独り身になって嫌だし」
「うわあ……」

 アスナが軽蔑の眼差しを向ける。要するにキープくんなのだ、今の彼氏は。聞きたくなかったリアルな駆け引きとリスク管理は、乙女なアスナには受け入れなかった。
 だが、話を聞いていた他のクラスの別れても彼氏が途絶えた期間のなかった恋多き子などは美砂に同調していて、こんな恋愛はしたくないとアスナが思う。
 生涯で恋をすることなど一回で十分だ。運命の人が隣にいれば、それでいいんじゃないの?
 さすがに引かれて拙いと思ったのか、美砂が額に汗を浮かべて言った。

「けどさー、高畑先生ラブのアスナもハリウッドのダンディな俳優が先生として麻帆良に来たら心変わりするかもしれないじゃん?
 高畑先生に振られるか、好きじゃなくなったりしたらさ」
「縁起でもないこと言うなっ!」
「でも好みの男がいたら見惚れたりもするでしょ?」
「う……まあ、そりゃー」
「でしょー?」

 美砂が畳み掛けて同意を求めた。それは男女問わず、人並みに異性に関心があるならば当然の反応なのに美砂の術中にはまってしまう。
 憧れの渋いハリウッドスターが教師として来日した日々を想像して上の空気味のアスナに、顎に手を添えた美砂が真面目な顔で言う。

「それに気になるじゃない? ――外国人とのエッチ」
「ならないっ! 全ッ然ならないからっ!」
「またまた~。カマトトぶらなくていいってば。アスナは見たんでしょ、先生のカ・ラ・ダ。いいなー、私もいっぺんでいいから拝んでみたいわー」
「気持ち悪……」

 胸元で手を組み、陶酔するようにして語る美砂にアスナの冷めた眼差しが刺さる。
 違う生き物を見ている気分のアスナだが、クラスメートは美砂に便乗して話を盛り上げる一方だ。
 猥談で上がった体温に眩んだのか。首を力なく左右に揺らして、テレテレとした亜子が色素の薄い頬を赤らめ、目尻を下げる。

「柿崎のエロトークはついていけんわ。ウチはあの……オッドアイって言うんやっけ? 左右の色違いの目に見つめられるだけでアカンわ。
 頭がどうにかなってしまいそうになる」
「あのー、あたしも一応オッドアイなんだけど」
「あーやばいよね。肌も真っ白でちょー綺麗。マジやばい」
「あのー」
「髪もさらさらで銀色だよ、銀色! マンガの世界から抜けだしてきたみたい!」
「足も長くて顔もちっちゃくて、人種の違いを感じるわー」
「……」

 ガイを礼賛するクラスメートをぽつんと見つめているアスナの胸に開いた空白が、より大きく、強く、心を苛んだ。
 自分だけ話題についていけていない。みんなから取り残されている。置いて行かれる。
 知らないあいだに異世界に紛れ込んでしまった。そんな痛痒と疎外感と、それに伴う焦りが一層アスナの唇をかたく結ばせる。
 何もアスナだって、ガイを醜男だと思っているわけではない。男性の趣味がちょっと、ほんの少しだけ特殊なだけで、皆と同じ価値観は持っている。
 ガイの面貌が奇跡の産物としか考えられないほどに整っていることも、間近で見たなめらかな肌がアスナも羨むほどに白く毛穴が確認できないくらい精緻なことも、全くケアをしていないにも関わらず光沢のある艶やかな細い髪が、流れるたびに怪しく輝くことも。
 睫毛と眉毛が髪色と同色で長いことも、仕事を終えて帰ってきたガイから薫る汗の匂いが決して不快ではないことも、ネクタイを緩める手慣れた仕草と指先の逞しさも、勉強のできないアスナに丁寧に、粘り強く教えてくれる薄く瑞々しい唇も。
 アスナは他の誰よりも身近で、毎日、幾度と無く見続けてきた。そのアスナがどうしてガイとのことで皆との距離感に悩まなくてはならないのか。
 ガイに最も近いのは自分とこのかで、魔法も教わり、現実的な物事でも非現実的な事象でも二人が生徒で一番深くガイを知っている筈なのに――親友のこのかが、今はすこし遠い。

(あたしが変なの? オジコン、ショタコンでみんなと好みがちがうのは分かってたけど)

 いまアスナが感じている疎外感は、流行に取り残されている感覚に似ていて、奇妙なことにみんながアスナにそのままでいることを望んでいるから、乗り遅れたまま、置いてけぼりにされているのだ。
 仮に……もし仮に、「あたしも最近ガイさんが気になってて」と口走りようものなら、戸惑いと拒否感の入り乱れた顔で、「え、なんで?」と、言われるにちがいない。
 良く話す友達が、真名や楓のように色恋沙汰を割り切れる、常人離れした面子ならアスナも寂寥感を抱かずに済んだだろう。
 だがクラスの中心メンバーの話題の折々にはガイがいる。異性への興味が尽きない思春期の只中にいる彼女たちに、突然現れた美形の若い男性教師の存在は蠱惑に過ぎる毒だった。

(やだな……ガイさんが振ってくれれば元に……戻らないか)

 恋愛絡みになると遺恨が残りそうで、ガイがますます嫌いになった。







 もうしばらくすれば春一番が訪れ、冬の終わりを告げてくれる季節になった。しかし肌寒さは変わりなく、期末テストも待ち構えており、余裕のない生徒が必死に追い込みをかける姿が目立った。
 放課後になると空には重厚な鈍色の雲が積み重なり、薄暗い時期が続いている。夜の色が広がっていた。
 この日も濃灰色の曇り空で、四時過ぎなのに灯りを点けて居残り授業をガイは強行していた。生徒は依然変わりない。
 教卓で頬杖をつき、特に何をするでもなく視線を斜め下と生徒を行き来させているガイと、時折眉根を寄せ、最前列のあやかの席で黙々とシャーペンを動かしている刹那だ。
 またしても、ガイの度重なる注意も、懇切丁寧な教えの甲斐もなく、刹那は課題を忘れてきた。量も多くなく、さほど難しいわけでもないのに、だ。
 ガイに落ち度がないのは、バカレンジャーの面々もきちんと提出していることから明らかで、どうして刹那だけが忘れ続けるのかガイには分からなかった。
 解けないはずはないのだ。現にこうして、一人でもそれなりに解答できている。態度も真面目だ。提出物を出さず、内申を気にしない素振りを真面目と言うのもおかしいが、少なくともガイの前では、とても問題があるとは思えない。
 だから、ガイも困っているのだ。

「先生、できました」
「あ? ああ……」

 いつのまにか教卓の前に立ち、A3サイズの課題を差し出す刹那に我に返る。目を通し、問題がないことを確認すると、机にプリントを置いて不安げな刹那を見上げた。

「よし、帰っていいぞ」
「あ……はい……」

 が、刹那はなかなか動こうとしなかった。ガイが立ち去ってもよかったが、刹那が何か言いたげにカバンと夕凪を抱えて所在なく立っている。
 ガイは彫りの深い目を眇め――諦めたように目を伏せて、小さく息を吐いた。

「どうした?」

 声はため息に遅れて漏れ出た。視線を落としたのは、安堵と刹那本人は気づかない微かな喜びが滲んだ顔を見ないためだった。

「はい、その……今日のお嬢様は、少しボーっとしていることが多いようでした。風邪でしょうか?
 試験前なのに勉強に集中できないなら大変です。先生はなにか伺っていませんか?」

 その微差のないあまりに予想通りの質問に、ガイの忍耐も限界を迎えた。プリントを机に置き、視線を上げる。
 整いすぎているが故に表情に顕著に現れる機嫌が、眉間に寄ったしわと目つきから判然としていて、初めて怒りを向けられた刹那に怯えがはしった。
 低く、感情を押し殺したガイでさえ始めて聞く声で、

「お前……いいかげんにしろよ。そのくらい自分で訊けばいいだろうが。まさか、それを聞くために課題を忘れてきているのか?
 自分のことも満足にできないのに近衛の心配している場合なのか?」
「あ……い、いえ、その……違います」
「お前にこうして付き合っている時間が、お前の大切なお嬢様を護る時間を無駄にしているんだぞ。
 ただでさえ期末で忙しいのに、お前一人のために他の生徒の質問に答える時間も、自衛手段の魔法を教える時間も減る。何度も何度もオレは言ったよな、課題を出せ、と。
 学校の部活を遅くまでしてる連中でも滞り無く終わらせられるこの程度の課題で差し支えるなら、護衛なんてこなせるわけがないだろ。
 だいたい、近衛の学業の心配をしている余裕がお前にあるのか? オレにはお前は――」

 その先を口にする前に、黒い瞳に涙を湛えた刹那が目に入り、ガイは失態を嘆くように口を噤み、手で覆った。
 そのまま顔を滑り、両眼を閉ざして頭を振る。なにを口走ろうとしていたのだ、オレは。
 心臓から冷たい血が滴り落ちる感覚が自己嫌悪として全身に滲みた。刹那は薄い唇を硬く結ばせて、頭を垂れていた。
 顔が見えず、視線を落として刹那の体を見ると、酷く脆そうな肩と華奢な腕が震えている。年の割に精強な気と筋力を有していると言っても、同年代と比較して小柄な刹那は、気落ちしている今、とても小さく映った。
 彼女は宿題のひとつも満足にこなせない問題児だ。だが、十代の半ばの移ろいやすく、精神的に未熟で脆い年頃の少女でもあるのだ。
 そんな問題児を正すために自分は心を鬼にして叱りつけてやらなければならない。けれど、不安定な年頃の女の子を感情的に怒鳴りつければどうなる?
 天才児だった自分とは、彼女たちはまったく違う。
 彼らは、彼女たちは自分のことで手一杯なのだ。だから、自分を叱る教師の配慮を慮る余裕などないし、褒められれば素直に喜び、怒られれば反発する単純な、言い換えれば素直な精神性が残っている。
 その愚鈍さにイライラしてどうする。酒が恋しくなったわけでもあるまいし。
ガイは無様に手を漂わせ、張り詰めた空気を吹き飛ばすようにだらしなく振るった。口を突く暴言を堪えるような間を空け、雰囲気の変化にきづいた刹那が顔を上げたタイミングで、

「……済まなかった。失言だった。そうだよな、桜咲にも事情があるんだ。オレはバカだな、許してくれ」

 宙を掻いた手で目を覆い、ガイが謝った。驚いたのは刹那である。表情の見えないガイの前で、かわいそうなくらいに取り乱した。
 抱えた荷物のことも忘れて両手を振り乱して、教卓の脚を夕凪が叩いた。その失態に気づく余裕もなく、腰を屈めて、

「そんな! 悪いのは先生の言う通り、全部私です。私が……」

 非を認めても、改善しようと踏み出す勇気を刹那は持っていなかった。私が弱いからです、とか細い声で呟きながら、小さな肩が震えている。
 ガイはこめかみに走る頭痛に目を細めながらも、努めて優しい声を絞り出した。

「良い。気にするな。どれだけ出来が悪くても、今のお前はオレの生徒だ。卒業するまで面倒は見てやる。
 子供のうちは大人を頼ってもいいんだからな。だが、迷惑はかけないでくれ。
 勘違いするなよ。頼られるのは迷惑じゃない。愚かな失敗の尻拭いはしたくないって意味だからな」
「……先生からすれば、私は愚かに映るのでしょうか」
「ああ、覚えの悪いところも含めて手間のかかる生徒だ。危なっかしくて他の先生に任せられないくらいのな」

 痛快な愚痴と素直に喜べない建前に、刹那は情けなくなり自嘲した。ガイから目を落とすとそれは微笑となり、自分を嘲笑して嫌悪になった。
 婉曲な言い方でお茶を濁されるよりも、はっきりと批判される方が、より自分を嫌いになれる。だからダメな自分を肯定してもらえたようでどこか嬉しかった。
 授業や生徒の質問に受け答えする表面上の顔ではない、素顔をさらしたガイの怠惰な声がする。

「……まあ、その、なんだ。あまり気負うな。お前が思うほど近衛は弱くない。麻帆良は平和で、オレがいる限り危険もない。
 だからな、桜咲は自分の心配だけしていればいいんだ。日本語じゃ気の利いたことも言えなくて悪いが」
「いえ、そのとおりです……先生は正しいです。何で、私はこう、バカなのでしょう。お嬢様や先生のように賢ければ、割り切れたのでしょうか」

 どうも、内罰的で過度に自分を責める傾向のある子であるようだった。行き過ぎた自虐は見る側にも不快で、刹那はそれを俯瞰する術も知らなかった。
 重そうな睫毛を押し上げて、ガイが言う。

「人の言動すべてに意味があると考える連中がいる。犯罪心理学とか特定の対象への熱狂的なファンとかにな。
 一文を深読みして御大層に一言一句から深淵な意図や背景を読み取って、したり顔で解説を始めるが、オレから言わせれば小説の読み過ぎだ」
「……? はあ」

 何が言いたいのだろう。目を白黒させる刹那にガイは続けた。

「小説だと意味があることだけを描写するからな。ミステリーだと伏線やミスリードが散りばめられてる。
 だから人間の発言すべてに意味があると勘違いをして、テレビで的はずれな推論垂れ流してるコメンテーターとかいるが、人間ってそうじゃないだろ。
 深く考えもせず、意味もなく行動したりするさ。お前に怒ったオレも含めてな」
「……え? 意味もなく、ですか?」
「あぁ、教師だってそこらの大人と同じで感情的になるし、別に生徒を大切に思ってたりもしねえよ。
 今だって感情的になってお前にあたってる。お前になにか言ったあの爺なんてボケが進んでろくに考えもしてねえだろ。
 だから過敏に気に病むな。お前が思ってるほど、周りの奴らはお前を気にしてねえよ」

 支離滅裂な物言いだった。慰めようとしているのかも、諭そうとしてるのかも定かではない。
 あるいは言葉のとおり浅慮な吐露に過ぎなかったのかもしれない。言い終えると、ガイは肩の力を抜いた。

「ま、これもアル中の戯言だ。真に受けることなんてない。テキトーに受け流せばいい。
 自分に有益なことと無益なことを取捨選択して、かしこく生きろ。敏感だと辛いぞ」

 少女の屈曲した心に、ガイは不思議とまばゆく映った。
 自身の生き甲斐を奪った魔法使い、敬愛するこのかに信頼されている男、生徒を大切に思っていないと告白した教師と刹那のあいだには、目上の者に芽生える不信感と叛逆の兆しが垣間見えるはずなのに。
 異国の地で生まれ育った異性に親近感と痛快な心情がわだかまり、刹那の胸の内で徐々に大きくなっていく。

「先生はすごいですね。私は無理です。人に胸の内を明かすなんて勇気のいること、とてもできません」
「何がすごいんだよ。鳥や虫だって求愛行動くらいできるだろうが」
「それがすごいことなんです。私も……あなたのようになりたかった」

 嫉妬と憧憬が綯い交ぜになった沈鬱な面持ちで、歯噛みしながら、刹那は心の奥底を打ち明けた。
 ガイは、自分の学生時代を思い返していた。







「はあ……」

 職員室の第二学年担当教員の末席に並ぶ机で頭を抱える、とりわけ派手で衆目をあつめる二人は、仲良く重鬱なため息をついた。
 銀と赤の、鮮明な頭髪の眩さとは裏腹に、その背中には重厚な黒い霧が伸し掛かっているように見えた。
 テスト期間に入り、部活の顧問からも解放された教員が放課後になり、ひと心地ついて談笑している光景が点在している。
 マンモス校であり、抱える教員の数も比例して多い麻帆良学園職員でも、どうしても彼らは目立ってしまう。
眉間を中心に掌で額を支えているガイが独りごちる。

「思い通りにいかねえ……怒鳴りたくないのにどうしてもイライラする……」
「なんであんな正真正銘の悪の魔法使いが、こんな極東の島国で中学生なんてやってるのよ……おかしいわよ……」

 両手でつぶらな瞳を覆い隠していたアーニャも続く。つい一月前まで学生だったアーニャは元より、社会人経験のないガイも教師として働いてみて、ようやっと実感した躓いた感触に憤りと挫折に困惑しているようだった。
 二人は魔法使いとしても、学生としても抜群に優秀であった経緯から物事が上手く運ばない経験を味わった試しがなく、発散しようのないストレスを積み重ねる体験もまた始めてだった。
 麻帆良の教員は遠巻きに、「外国人先生ズが悩んでるな」と滑稽そうに眺めており、干渉しようとしない。
ガイのとなりでその負のオーラにあてられていた瀬流彦が頬の端っこで無理やりに笑いをつくって話しかける。

「お、お疲れみたい、だね?」
「セルヒコって女子生徒によく質問されてるわよね? コツとかないの?」
「え? コツ? うーん、どうだろ」

 アーニャは幼さと外国人だから、という曖昧な理由で、無礼な、よく言えばフレンドリーな言動が許容されていた。
 呼び捨てにされることに抵抗も怒りもなく、思い当たる節のない質問に頭を捻る。
 そこに横からガイが口を挟んだ。

「瀬流彦先生が若い男で、顔もそこそこ良いからだ。人当たりも丁寧だしな。
 お前に人望がないのは、年下のちんちくりんで生意気なくせに頭の良い癪なガキだからだ」
「……薄々わかってたけど、改めて言われるとムカつく! あんたに言われるとなおさらムカつくわ!」

 椅子を軋ませてガイに向き直ると、ゲシゲシとガイの太ももを蹴りつけた。全く意に介していないガイが頬杖をつき、呆れた眼差しを向ける。

「逆におまえが生徒の立場だったら、年下の分際で飛び級で大学を出てる、同性で外国人のガキに教えを請うか?」
「……しない、けど」
「そういうこった。環境が悪かったな。男子校ならちやほやされてたかもしれないが、相談して欲しかったら頑張って信用積み重ねるしかねえよ」
「うー……」

 真っ当に生きている人物ならいざしらず、その怠惰な生活態度と人柄を熟知しているガイに言われると、正論でも納得しかねた。
 自分より優秀な年下で、異性のネギにも劣等感をいだいていたアーニャである。同性なら嫉妬に変わり、憎悪の対象になっていたやもしれない。
 が、正論なのは承知しているので潤んだ目で上目遣いに睨むのが精々だった。ははは、と場を和ますように笑って瀬流彦はガイに話を振った。

「ガイ先生はどうして悩んでたの?」
「まあ、何というか。学生時代から思っていたことなんですけれど、オレのようなガキの相手なんてしたくないないな、と。
 今になってそれがやはり正しかったと思い直しまして」
「……あー。それ分かるなー。僕も中学生のときに『先生になりたいか』って聞かれて、同じことを思ったよ」

 間を置いて、瀬流彦も同意してしきりに頷いた。首をかしげているアーニャを見とめて、覇気のない声でガイが補足する。

「おまえ、自分みたいなガキの教師なんてしたくないだろ? たとえ給料が良くても休みが生徒の面倒を見ることで潰れて、親と揉めるわ、おまえみたいな反抗的な生徒はウザいわ、こんなキツイ仕事やってらんねえよ」
「いちいちあたしを悪い例えに使うんじゃないわよ!」

 脛に蹴りを繰り出しているアーニャを無視して、ガイはくるりと瀬流彦に向き直った。アーニャは背中を蹴り始めたが、ガイは構わず言う。

「結局、良い生徒って言うのは大人に従順な子どもなんですよね。扱いやすいから。
 でも型に当てはめるのを教育とは言いたくないし、かと言って不真面目な生徒にかかりきりになると他の生徒に手がまわらないという」
「型に当てはめて何が悪いの? 間違ってるんだから正してやるのが先生じゃないの?」
「それは教育でも指導でもなく、洗脳っていうんだ」

 やや興奮気味に詰問するアーニャを、振り返らずに黙らせる。

「やれ自己犠牲は美しいだの、周囲に合わせることを徹底して叩き込んで個性を殺すだろ。
 全員が中産階級になるならいいかもしれないが、実態はちがって企業の都合の良い駒に仕立てあげてるように思えてくるんだよ。
 けれど、その方がオレらにも楽だから嫌になる。超のような生徒ばかりだと楽なんだが」
「超くんが一番の問題児なんだけどなー……」

 ガイの基準がつかめず、瀬流彦は同意も反論もせずに言葉を濁すしかなかった。
 やられてばかりで眉間にしわを寄せたアーニャが、頬もふくらませて言う。

「まどろっこしいわね。まとめて分かりやすく言いなさいよ」
「教師の仕事が学校という工場で生徒を加工して社会に出荷する作業に思えてきた。
 その生徒が社会に出て問題を起こしたり、過労死したり自殺した際の責任の一端でも負うのが嫌だ。
 そして思ったより年頃の女の子は扱いづらくて困ってる。自由に酒が飲めた隠遁生活が恋しい」
「あんた……本当にクズだわ」

 柔らかな髪を掻きむしり、十歳ちょっとの少女に蔑みの視線で射抜かれながら、椅子にもたれかかった。廉価な椅子の背もたれは、嫌に派手な音をたて軋んだ。

「アホか。ちょっと小金に事欠くようになったところに簡単に大金が入るウマい話が転がり込んできたから乗っかっただけじゃねーか。
 それが思ったよりも辛かったものだから悩んでるんだろ。生徒がオレみたいなクズなら割り切れるんだけどな。
 毎日が同じことの繰り返しに感じてくるし禁欲も重なって鬱になるぜ、まったく」
「欲に目が眩んだアホじゃないの」

 じゃれあう二人をよそに、先のガイの意見に感じ入るものがあったのか、瀬流彦が真剣味を帯びた声音と表情で語りだした。

「僕にもあったよ。仕事でミスした時とか、生徒の陰口聞いた時は登校拒否したくなったなぁ。教師なのに」
「陰口か……オレはどうなんだろうな。神楽坂やこのちんちくりんは面と向かって罵倒してくるけど」
「人の悪口ばかり言ってるから自業自得よ」

(ガイくんの悪評は魔法関係者以外からは殆ど聞かないけどなぁ。そのすべてが酒絡みだし)

 ギャーギャーと時折英語も交えて罵り合う二人を遠い目で眺めて、ガイの大人気なさとアーニャの背伸びを微笑ましく思う。
 が、瀬流彦の安穏もそれまでであった。不意に肩を叩かれる、

「お疲れ、瀬流彦くん。で、あの件どうなった?」
「二ノ宮先生」

 振り向いた先には、新体操部顧問の二ノ宮がジャージ姿で立っており、期待をこめた笑顔を浮かべていた。

「あの件? ……あっ」

 何の話かと一瞬考えた瀬流彦だが、記憶の底に沈殿していたエピソードが埃のように浮上した。
 その表情に失念していたことを察した二ノ宮女史は硬い笑顔で詰め寄ると、瀬流彦の首を腕の内側に巻き込んで締めあげた。

「せーるーひーこくーん?」
「す、すいません! テストとか色々あって、その!」
「どうしたんですか?」

 醜い罵声の応酬を繰り広げていた二人も、瀬流彦の切羽詰まった様子に口を止め、虚をつかれた顔で見入っていた。
 声をかけたガイを見て、瀬流彦の顔が陰画のように暗く、二ノ宮の顔が陽画のように晴れやかになる。

「いや、えーと、その、これはだね」
「ガイ先生、これから暇? よかったら飲みに行かない?」

 どうにかしてはぐらかそうとした瀬流彦の意を汲まず、二ノ宮が怜悧と評判な美貌を緩ませて尋ねた。
 身を乗り出したぎらついた瞳には、ボーイッシュな風貌に似つかない火が灯っているように見えた。

「飲み?」
「そう。明日は土曜日だしテスト期間で部活も休みでしょう? だから寂しい男女で飲みに行こうって企画してたのに、頼んだ瀬流彦くんが忘れてるから」
「わ、忘れてなんかいませんって。ちゃんと誘いましたよ」
「肝心のガイ先生が誘われてないみたいなんだけどっ?」
「……あ、あはは」

 瀬流彦にだけ聞こえる小さな声で囁かれた難詰の抑揚のなさに血の気が引くのを感じていた。
 二ノ宮が瀬流彦に頼んだ内容は、「合コンを開くから独り身の教員を集めること」であり、彼が選抜された理由は、命令しやすい下っ端であることと、ガイと親しい教員であることだった。
 魔法関係者には頗る嫌われているガイだが、一般の教師、生徒には嘘のように評判が良い。若い女教師にも絶大な人気を誇っていたが、気高く映る容貌に気後れし、同僚以上の関係を要求する者はいなかった。
 が、高嶺の花と分かっていても手が届くならば摘みたいと思ってしまうのが性であるので、手折る機会を窺っているものもいた。
 二ノ宮の無言の圧に瀬流彦は全身の毛穴が開くのを感じた。

(ガイくん狙いなのは知ってたけど、酒癖悪いガイくんを連れてくのは勘弁してほしいんだよね)

 初めの一件以来、ガイとの酒席に連ねることを逃げまわっていた瀬流彦は、二ノ宮の狙いが分かっていてもガイを誘わない手筈でいた。
 ガイの耳に入れずに、最悪、ガイと連絡がつかなかった、彼は他に先約が会って、とか嘘をでっち上げてでも呼びたくはなかった。それくらい嫌だった。
 が、

「飲みですか。なんだ、それなら大歓迎ですよ。瀬流彦先生も冷たいな、いつでも声をかけてくれてもいいのに」
「あ、あはは、あはは……」
「ィよーし! 決まりねっ」

 瀬流彦の想いも知らず、ガイが拗ねた子どもじみた表情と声をあげた。
 瀬流彦が砂漠の砂のように乾いた笑いを虚しく響かせ、二ノ宮は誰にも聞こえない、見えないように渾身のガッツポーズを取り、花も恥じらう微笑を浮かべた。
 昨夜もしこたま飲んだガイが、酒精の陶酔に早くも顔を綻ばせていると、未成年で話題に取り残されていたアーニャがガイの袖を引いた。
 緩んでいたなだらかな頬が不機嫌そうに締まり、首だけを巡らせて振り返る。

「なんだよ」
「あたしも行く」
「はあ?」

 聞き分けのない女子そのものなアーニャの鼻先に指を突きつけ、ガイが言う。

「ダメだ。この国じゃ二十歳以下のお子ちゃまは飲酒を禁じられてる。十歳のおぼこは帰って寝ろ」
「お酒を飲まなきゃいいんでしょ? それに子ども扱いすんな! レディは丁重に扱えっての!」
「はは、どこにレディがいるんだ? オレの目には、お転婆で蓮っ葉でじゃじゃ馬な暴力女しか見えないぞー」
「キーッ!」

 瞳をうるませたアーニャにポコスカ殴られる。アーニャは教師という立場にいながら仲間はずれされるのを嫌がっただけだろうが、瀬流彦に天啓が降りてきた。

「アーニャ先生も独身の女性だし、同席させてもいいんじゃないですか」
「そうですね。仲間はずれにするのもかわいそうですし」
「え……」

 アーニャにガイの相手をさせようとした瀬流彦。そして狭量でないことをアピールしたかった二ノ宮が瀬流彦を援護した。
 思いもよらぬ意見にガイの面貌が引きつる。

「いや、でも酒の席でしょう? 未成年のコイツがいたら入店できなかったり、雰囲気が悪くなるんじゃ」
「子連れOKな店ですから大丈夫ですよ。それにこんな可愛らしい花が来てくれるなら、仕事で疲れてるみんなの心も安らぐと思うしね」

 幹事の二ノ宮が了承したため、渋々とガイも折れた。
 殴りかかってくるアーニャの両頬を横に広げて遊んでいた手を離し、しかめっ面で、

「二人が良いと仰る以上、オレもついてくることに異論はない。だが、次の約束は守れ。
 酒は一滴も飲まないこと、九時には寮に帰ること、ハシゴしないこと、店で暴力を振るわないこと、先生方に迷惑をかけないこと。
 この五つだ。守れるか?」
「普段から人に迷惑かけまくってるアンタが言えたセリフじゃないでしょ、それ」
(本当だよ)

 自分のことをここまで棚上げできるのもある意味すごいな、と瀬流彦が心なしか安堵した顔つきで毒づいた。
 事前に話をつけていた男性陣を脳裏に浮かべ、このメンツなら、さしものガイも暴れられないはず。と、瀬流彦は安心しきっていた。

 その夜、勉強会を開いていた2-Aのアスナに「帰りが遅くなる」との旨を伝えるメールが届き――ガイは帰ってこなかった。




あとがき
(*^◯^*)

(*^◯^*)

(*^◯^*)



     
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