「それでは内々ではありますが、今回のE領域攻略完了祝いと姉妹の絆の幾久しからんことを祈念いたしまして……」
ソロモン海から全艦隊が撤収し、金剛がここ佐世保鎮守府に戻ってきてから既に3週間。
今日は作戦が終了し、ラバウル基地で別れた姉妹が再び本土で集まる初めての日。
4つの白い腕が握るカクテルグラスの中では、薄い茶褐色の液体が早く飲めと急かすようにぱちぱちと無数の泡を弾けさせている。
「霧島、前口上が長いネ」
「はい、では以下略で―――」
『乾杯~!!』「デ~ス!!」
ヴィクトリア朝風の英国式内装が施された執務室に、グラスのぶつかり合う高い音と金剛型姉妹4人の姦しい唱和が響き渡った。
「ん~、ブランデー入りの紅茶もいいデスが、tea requireもtaste goodデース!! ラムネで割るとさらにexcellent!!」
真っ先にグラスを空けた金剛が、熱い吐息と共に熱弁を振るう。
「リンガ泊地の皆さんには本当に感謝です」
少し焦げたような苦みのある芳醇な酒の香りを楽しみながら、にこやかに相槌を打つ榛名。
ティフィン―――アッサムティーの茶葉を蒸留酒に浸けて作ったドイツのリキュールだが、これは巡潜3型2番艦、潜水艦『伊8』こと『はち』が潜水艦派遣遠征でドイツ第三帝国から持ち帰ったお土産の一つだ。
日本とドイツは直線で約9,000kmと、ジェット機ならば一日足らずで辿り着ける距離。
しかしジェットエンジンの開発は、深海棲艦の出現で人対人の戦いが途絶えたことから遅々として進んでおらず、極東の空ではローテクで安定したレシプロ機が未だ現役で飛び回っていた。
そしてレシプロ機は富嶽のような超長距離爆撃機でもなければ、神風号のように途中の中継基地が必要になる。
だが沿岸部はともかくユーラシアの内陸国については情報が少ないため、危険を承知で未だ軍閥が跋扈する戦乱の中国、粛清の嵐吹き荒れるソビエト連邦をまたいでヨーロッパに飛ぼうとする者は誰もいなかった。
では空路が駄目なら海路はというと、ある程度安定した船の行き来が確保できるのは、やはり大日本帝国の支配圏内―――西は大陸から南に細長く伸びるマレー半島とスマトラ島の東側、南シナ海まで―――でしかない。
はち、そして司令艦『伊58』こと『ゴーヤ』の管理するリンガ泊地は、西村提督とは別の特務提督が担当するブルネイ泊地と共にマレー半島とスマトラ島に挟まれたマラッカ海峡の東側出口を塞ぎ、周囲に睨みをきかせる海上交通の要所となる基地だ。
またこの場所は、同時に大東亜共栄圏の中で最もヨーロッパに近い拠点、西洋への玄関口でもある。
遠征で欧州へ向かう場合、リンガ泊地を出た潜水艦隊はマラッカ海峡を抜け、最初にC領域とD領域が混在するアンダマン海を進むことになる。比較的安全な沿岸部をつたい、そのままベンガル湾を西へ西へ。ビルマ、バングラディシュを過ぎ、インド、その南東にあるセイロン島までが、今のところかろうじて水上艇で進むことのできる範囲となっていた。
執務室の壁に飾られた50インチの有機ELパネル、スクリーンセーバーと共に表示されている世界海域図のインド洋には、マーブリングのように5つの色がでたらめにぶちまけられている。だがインド亜大陸最南端のコモリン岬を廻ってアラビア海に入った瞬間、そこから先は真っ黒―――不可侵のF:Forbidden領域に染められていた。
『あちらの海は色んな意味でお先真っ暗でち』
とは、二回目の遠征で伊8に同行したゴーヤの言葉。
送り役の高速艇と別れた潜水艦隊は索敵と潜水を繰り返しながら、バスコ・ダ・ガマのインド航路を逆回りにするようにしてアラビア海を横断。アフリカ大陸南端のケープタウン、喜望峰を過ぎれば、後はひたすら敵から身を隠しながら北上すること12,000kmあまり。
やっとの思いで第三帝国勢力圏、ヴィシー政権の流れを汲むフランス国ブルターニュ地方、軍港の街ブレストに辿り着いた潜水艦隊の面々は、しかしそのみすぼらしさに唖然とするしか無かったという。
淡い光の中で何十年も放置され朽ちゆくままになった何隻もの大型戦闘艦艇が、横たえたその錆びだらけの船腹にひたひたと寄せては返す波を受けている。立ち並ぶ家々は漆喰の壁に穿たれた茶色い銃痕もそのままに、窓には片方の蝶番が外れた鎧戸が西部劇の看板のように風に煽られて軋み揺れる。車も通らない道路には痩せた野良猫の子供が一匹、我が物顔で闊歩しているが、それを追い払おうとする市民の姿も見当たらない。
深海棲艦の出現によって植民地からの富や資源の流入が途絶えたヨーロッパ諸国は、緩慢な衰退の道を歩み始め―――歩み続けて早70年弱。
今の彼らに華やかなりし昔日の面影は、無い。
そうした中で唯一、第一次大戦の敗北で植民地を失ったドイツがその痛手に最も耐性があったというのは、『レモンの種が泣くまで』あらゆるものをドイツから奪い搾り取った戦勝国らにとって痛烈な皮肉でもあった。
そして第二次大戦開戦後の電撃侵攻でフランス、ウクライナといったヨーロッパの穀倉地帯を押さえていた第三帝国が、時間経過と共に物資の不足する周辺諸国を労せず影響下に収めていったのは、自然な流れだったともいえる。
今のヨーロッパではイタリアとフィンランド、またハンガリーなどの枢軸国以外は、かろうじてイギリスが抵抗を続けている程度で、それ以外の殆どは第三帝国の前に膝を屈する形に収まっていた。
「けれどもお姉さま、潜水艦隊の皆がせっかく苦労して運んできてくれたものなのに、こんなに盛大に飲んでしまってもいいんでしょうか?」
早くも一杯目を空けた金剛のグラスに、オレンジ色のラベルの瓶からどろりとした黒いティフィンの濃縮液を注ぎながら比叡が頸を傾けた。
「No problemデース。ゴーヤたちには近いうちにもう一度、潜水艦遠征でEuropeに向かってもらうことになっているネ」
次はミルク割りにでもするつもりか、白磁の小さな卓上ミルクピッチャーを構えながら自分のグラスから目を離さずに答える。
「遠征ですか……。しかし友軍とはいえ既にドイツと我が国に大した技術格差は無く、こと艦娘関連技術は我が国の独壇場です。このあいだ提供された出所不明の兵器設計図も、氷山空母やら自走回転爆弾やら、意味不明な粗大ゴミばかりでしたし……」
アルコール分が足りなかったのか、金剛の分を注ぎ終わった比叡からティフィンの瓶を受け取り自分のグラスに追加でどろりと垂らし入れながら尋ねる霧島。
「Benefit? そんなnarrow-mindedな話ではありまセン。今回潜水艦隊に運んでもらおうとしているものは、場合によってはEurope全体の未来を左右しかねない情報なのデース!!」
「ひえ~!!」
大げさに驚いて見せる比叡の反応に満足そうな笑顔を浮かべながら、金剛はミルクティフィンのグラスにその桜色の唇を近づけて一気に呷った。
「どういうことですか、金剛姉さま?」
霧島の眼鏡が輝いた。
「帝国海軍でも一部の人間しか知らない最上級秘匿事項デスが、今EuropeではBritain、German、Italyを中心に、人類の一大反攻作戦の準備が進んでいマース。名付けて『ジブラルタル海峡閉塞作戦』!!」
「海峡を閉塞……」
気を利かせた榛名が壁のモニターにヨーロッパの拡大地図を映し出す。
ジブラルタルはスペインのイベリア半島最南端にある港湾都市で、太平洋と地中海と繋ぐジブラルタル海峡に蓋をする古代からの交通の要衝、別名『地中海の鍵』。
ただその帰属は少々複雑で、位置的にジブラルタルはスペインなのだが、1713年のユトレヒト条約で英国に割譲されたことから、ここを支配・駐留しているのは英国海軍ということになっている。
深海棲艦が現れた後も親ナチスのフランコ政権下スペインにより何度か奪還が試みられたが、その都度英国海軍に追い払われてしまい、かの地では膠着状態が続いていた。
しかし共通の敵を前にして、大英帝国はついにドイツと手を結ぶことを選択する。
「不要な旧式艦艇をEurope全土からconcentrateし、海流に乗せて海峡が狭くなった場所で一斉に自沈。それをfloatにして大量の土砂とコンクリートを運び込み、一気に堤防をbuild up!! 出入り口を塞いで中に残った深海棲艦をeliminateしていけば、いずれ地中海は人類の手にreturnする予定、デシタが……」
「―――なるほど。今回泊地棲姫が陸上移動可能と分かったことで、閉塞作戦に水を差された、ということですか」
金剛が頷く。
「口止めされていたのですが、榛名の聞いたところによると、帝国海軍にはドイツから秘密裏に艦娘や工作部隊を中心とした戦力協力の依頼があったとのことです。けれども陸地から姫級の侵入を許しては意味がありませんから、このままでは作戦の延期は免れないと思います」
「電にそのつもりがあったのかは分からないデスが、今回のショートランド泊地閉塞作戦がいい予行演習になってくれマシタ……結果はso miserableデシタが」
「なるほど、陸上での対応策が必要となると、海軍だけの手には余りますね。確かに欧州に直接赴いてでも伝える価値のある情報です」
補足に合点がいった霧島は横で目を?マークにしている比叡を余所に、アルコール濃度の上がったカクテルで改めて自分の喉を湿らせる。
「それにしてもあの泊地棲姫は何だったんでしょう。これまで榛名たちが戦ってきた姫級は、それこそゲームのように同じ場所に留まり、戦力補充はするものの攻撃パターンは単純そのもの。数の点で不利になる場面こそありましたが、戦術的な意味での討伐自体は容易でしたのに……」
「私にもanswerは分かりまセンが、ちらっと電が漏らしていたのはfeed back――司令艦の活躍で人類側が優勢になり過ぎたせいで、戦力均衡を作り出すためにあのような個体が出現したのでは、ということデシタ」
「だとすれば今後はさらに強力な、しかも戦術を駆使する深海棲艦が現れる可能性も否定できない……」
面倒なことになりましたね、と霧島がため息を漏らす。
「That’s right. デスから皆、これまで以上に気を引き締めないとネ」
「ふぁ―――でもお姉さまがいれば安心です!!」
立ち上がって元気さをアピールする比叡。
「Thank you、比叡!! では立ったついでに、何かおつまみをお願いしマース」
はいっ、と元気よく答えてソファーから立った比叡は執務室の棚を慣れた様子で漁り始めた。霧島も舞鶴から持って来た錨と桜の海軍柄をした風呂敷包みをテーブルの上に載せ、その結び目を解く。
「金剛姉さま……榛名はこの世界がゲームの、『艦これ』の延長線上にあると考えていたのですが、正直なところ分からなくなってきました。劣勢を察したこと、それに合わせて戦術を変えてきたということは、彼らにも何らかの戦略目的があるのかもしれません」
自分の考えを整理しながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
グラスを持つ手を止めた金剛は、少し難しそうな顔をした後、
「榛名は朝潮たちが遭遇した泊地棲姫とのcommunication reportはもう読みましたカ?」
「はい。横須賀の阿武隈さんが由良さんと連名で書いた報告書草案のことでしたら、霧島と一緒に」
これみよがしに寮の談話室に置いてあったのを、飛鷹さんが慌てて回収したらしいですね、と付け加える。
「『守る愉悦も攻める歓喜も、皆ここにある』『記憶の汚名をここで雪ぐがいい』でしたか……抽象的といいますか、何の事やら榛名にはさっぱり……」
「けれども朝潮はその言葉に反応しましタ。正確には彼女の中の『駆逐艦・朝潮』が、デスが……」
「一体何が『朝潮』の琴線に触れたのでしょう? 今再びその言葉を聞いたところで榛名も、そして榛名の中の『戦艦・榛名』も、特に心動かされた様子はありません」
「『戦艦・榛名』はあの戦争で金剛姉さまと一緒に思う存分戦場を駆け抜け、本土で最期を迎えたのですから―――分からなくて当然です」
カタリ、と風呂敷から取り出した朱漆塗りの重箱の蓋を開けようとした姿勢のまま、手を止めた霧島が顔を上げた。
「霧島、それは……」
「1942年11月15日、第三次ソロモン海戦でサボ島沖に沈んだ『戦艦・霧島』には未練がありました……もしあの時私が上手く戦えていれば、その後の戦況は変わっていたかもしれない。そして私と一緒に沈んだ212の英霊の命も、失わずに済んだかもしれない……。ですからもし願い叶ってもう一度戦うことができたのなら……その時は……」
太平洋戦争で迎えた自分の末路を思い出したのか、最後の方は震え声になっていた。眼鏡が光って見えないが、その奥で彼女の瞳は潤んでいるかもしれない。
「Oh、霧島……don’t cry, my little sister……」
ソファーから身を乗り出した金剛が、慰めるようにそっと霧島の肩に手を置いた。
「―――今度こそサウスダコタのスベタを再起不能になるまでブチのめし、横槍入れくさった糞ビッチのワシントンを引きずり倒して顔面の凹凸が無くなるまで丁寧に叩き均して―――」
「そ、そうでした金剛姉さま、今日のスコーンは霧島と一緒に榛名が焼いたんです!! ラバウル基地でドライフルーツにしたパイナップルやパパイヤをいただいたので、小さく角切りにして生地に練り込んでみたのですが……」
慌てて榛名が霧島の手の中でピキピキと断末魔の破砕音を上げ始めた重箱を奪い取り、その中身を金剛の目の前に差し出す。
現れたのは白い体に薄茶色の焼き色を纏った1ダースほどの丸いスコーン。その横では銀紙に囲まれた鮮やかな橙色のペースト、手作りのマンゴージャムが独特の甘みのある濃厚な香りを放っていた。
さらに重箱の二段目にはピーナッツ、カシューナッツ、ピスタチオといったおつまみと、スコーン用のバターが小さく仕切られた部屋に詰め込まれている。既に室温で角が溶け始めているバターは、これも潜水艦遠征で手に入れた、塩気の効いたフランスはエシレ村特産の発酵バターだ。
「Great!! Well done 榛名!! 霧島もnice workネ!! さあブツブツ言ってないで、一緒に食べまショウ」
「はっ、失礼しました金剛姉さま!!」
誤魔化すように箱の中のスコーンを一つ取り、両手で持ってかぶりつく。途端霧島の顔が幸福感に和らいだ。女教師な出で立ちの彼女が小動物のようにスコーンと格闘する姿は、ギャップもあり微笑ましい。
「あっ、お姉さま。スコーンが出てきたのでしたら、普通の紅茶もお煎れしますね~」
取り出した『佐世保バーガーちっぷす』と書かれた袋を抱えながら、ティーセットの仕舞ってある食器棚に比叡が手を伸ばす。
「Yes, please!! ところで比叡、youは泊地棲姫の言葉に思うところは無いデスか? あの戦争での『戦艦・比叡』は……」
「どうとも感じません」
皆の視線が集まる中、表情も変えずにきっぱり言い切った比叡は、カチャカチャ音を立てながら人数分のカップを揃えている。
「あ、でも全くってわけじゃないですよ。あの日、探照灯を持っていたせいで蜂の巣にされたとか、機関が生きているのに見捨てられて沈んだとか」
「なら比叡姉さまはどうして……」
奮戦虚しく姉と同じ鉄底海峡に沈んだ霧島は少々面喰らったのか、食べかけのスコーンからゆっくり唇を離す。
「また金剛姉さまに、榛名と霧島に会えた。それだけでも充分幸せなのに、それ以上を望んだら……何だか夢から覚めてしまいそうで……」
いけませんね、と向こうを向いたままでずずっ、と洟をすする。
「比叡は優しい子デスネ……大丈夫、私はいなくなったりしまセン。No one can split us, anymore!!」
愛おしむような優しい眼差しで比叡を、そして榛名と霧島を眺める金剛。
「私たち金剛型は、帝国海軍のbattle shipの中で最も古い船デス。その長い艦暦はあの戦争での悲しいmemoryと同じくらい……いえ、それ以上に幸せなmemoryで埋め尽くされているネ。そんな私たちのheart and soulが、深海棲艦の戯言なんかに惑わされるワケがありまセン!! だからこそ並み居る超弩級戦艦の中でも、金剛sistersは最強なのデ~ス!!」
「お姉さまっ!!」
「はい、榛名もそう思います!!」
「ふふ、やはり金剛姉さまには敵いませんね」
姉妹の間に穏やかな空気が流れる。
「ですが……」
ふと榛名が疑問を挟む。
「そうなると朝潮が泊地棲姫の言葉に反応したのは……」
「誘惑に抗えるだけの何か、例えば私たちが持つ心の支えとなりうる記憶が、『駆逐艦・朝潮』には無かったということでしょうか」
姉の台詞を霧島が引き継ぐ。
「Exactly。もっともそれは、駆逐艦girls全般に言えることデス。素体となる少女の幼さ、艦歴の短い船霊の未熟さ……そし悲惨なlast memoryに傷ついた心は、甘い言葉に抗えない。『話すと深海棲艦に汚染される』、デシタか。上層部も上手いexampleを思いついたものネ」
いかにも処置なし、といった風に、比叡から渡されたお気に入りの白いティーカップの縁を爪先でチンチンと弾いて鳴らしながら金剛が嘆息する。
「でもお姉さま、少し揺さぶられたくらいであの真面目な朝潮が、報告書にあったように豹変するものなんでしょうか? 撲殺された泊地棲姫は原型を留めないくらいぐしゃぐしゃに頭部を破壊されて、髪の毛は皮ごと毟り取られていたらしいですよ」
いくらなんでもやり過ぎじゃないですか、ひえ~、といかにも恐ろしいと言った風に比叡が身体を震わせた。
が、金剛は首を振ってそれを否定する。
「むしろあれが朝潮の本性なのデショウ。電と雷があの戦争で助けたBritainの重巡『エクゼター』と駆逐艦『エンカウンター』、彼女たちを沈めたのが朝潮のcommander、水雷屋こと佐藤康夫中将デス。そんな猛将に指揮され、最期は撤退命令を無視して沈んだ反骨神溢れる『駆逐艦・朝潮』が真面目だなんて冗談、ヘソが紅茶を沸かしマス。けれどももし、『艦娘・朝潮』が真面目であることに何か理由があるのなら……」
「お姉さま、それは一体……」
3人の妹は息を呑んで姉の言葉を待つ。
「思うに『駆逐艦・朝潮』の船霊は、本来は忠犬どころか夕立と同じ狂犬デス。その上命令を無視した状態で沈んだことから、もはや軍規でさえ彼女をcontrolできまセン。だからこそ素体に生真面目な少女を使うことで、首輪を失くした狂犬に従順なpersonaを被せたのデショウ」
今回のbattleを見る限りrampageは抑えられていまセンけれども、と付け加える。
「そういえば朝潮は元の世界でも、普段は真面目で優等生と呼ばれながら、大事な局面では司令官に逆らうことも選びうる艦娘として描かれていました。理由が何であっても軍での命令は絶対だというのに」
「Everybody feels something is wrong with her。真面目なだけの朝潮は不自然だと、皆もどこかで思っているかもしないのデ~ス」
金剛は自分が話している間に比叡が煎れたノンカフェインのルイボスティーが湯気を立てるカップを持ち上げ、一息入れようと口元に運ぶ。
『♪God save our gracious Queen, Long live our noble Queen~』
突然金剛の巫女服の袖口から、LEDの青い発光と共に着信音のイギリス国歌が流れ出した。カップを置いた彼女はゴールドブラウンのガラケーを取り出してぱかっと開き、耳元に押し当てる。
「Oh、偵察の球磨からデ~ス。Sorry……球磨、どうしたデスカ?」
『こちら大井北上監視班だクマ。現在、佐世保鎮守府食堂に潜伏中。状況に変化無し。でもいつも通りなら、そろそろ大井が動き始める頃合いクマ』
『にゃにゃ!! 大井が北上に手を重ねたにゃ!!』
球磨型軽巡1番艦、クマー動物園園長こと長女の球磨が押し殺した声で報告する。その後ろで隠す気ゼロの2番艦多摩が、素っ頓狂な叫びを上げた。
「I see。But今の大井はlesbianの癖に妙にヘタレなところがあるので、もうしばらくは大丈夫ネ。引き続き監視をお願いするデース」
『了解だクマ!! 妹の貞操はお姉ちゃんが守るクマ!!』
『にゃー!!』
それを狙っているのもあなたの妹艦なんですけど、と霧島が突っ込む間もなく通信は切れた。
「全く、あの二人にも困ったものネ」
また邪魔されてもうっとおしいデース、とマナーモードに切り替えた携帯を袖に仕舞う。
「榛名たちが会っても不自然に思われないよう、佐世保と舞鶴は主力艦隊を姉妹艦中心に構成しているわけですが……彼女に関しては少し早まったかもしれません。今日も来る時『北上さんへのプレゼントです』とか言いながら大荷物を担いでいましたし、いまいち本心を掴み切れていませんし……」
「噂では先代の大井と北上は、パラオ泊地で特務提督を巡って泥沼の三角関係を演じていたらしいですよ。で、最終的に提督と大井が駆け落ちして、53cm艦首魚雷ガン積みにした北上が鬼の形相で追いかけようとするのを皆で必死に引き止めたんだとか……」
同じように見えても素体の女の子が違うと性癖も変わるものなんですね、と感心したような比叡。
「その反動でもあるまいし、あの執着ぶりは正直やっかいです。彼女たち重雷装巡洋艦が戦力として極めて優秀なことも含めて……」
はあ、と姉妹はそろって同時に深いため息をつく。
金剛、比叡、榛名、霧島の他に、佐世保第一艦隊の『球磨』『北上』『千歳』と舞鶴第一艦隊の『多摩』『大井』『千代田』はそれぞれ姉妹艦の関係になっている。また正規空母の『蒼龍』『飛龍』も蒼龍型1番艦、飛龍型1番艦と姉妹艦ではないが、同じ二航戦という意味では姉妹艦並に強い絆で結ばれた関係だ。
頻繁に佐世保と舞鶴、長崎と京都を行き来することに疑問を持たれないように、持たれてもそれが自分たちに集中しないように、互いに相手を訪ねる場合は擬装として数人の随伴艦を連れて行くのが彼女たちの常だった。
そして今日はラバウル基地にいる5番艦『木曾』以外の球磨型4人が、ここ佐世保で一同に会する日。これ幸いにと4番艦大井の歪んだ愛情が暴走しないように、金剛の命令で2人の姉が3番艦北上を後ろから隠れて見守っている。
「Well, well……気を取り直してお茶の続きを楽しむデース!!」
「はい、気合!! 入れて!! 食べます!!」
「いえ比叡姉さま、そこまででなくても……」
プレーンスコーンに厚切りバターをナイフで塗りたくる金剛の隣、腰を降ろした比叡が紅茶の入ったティーカップとトロピカルスコーンを二刀流で貪るようにして口へと運ぶ姿に、榛名と霧島は顔を見合わせて苦笑した。
約二時間後の二三三〇……執務室の板張りの床には未開封だったものも含めてティフィンが3本、空になった金剛秘蔵の日本酒『加賀美人』や『赤城山』の一升瓶に混じってごろりと身を横たえていた。
『わ~れは海の子~ し~らたきの~♪』
その床にぺたり、と座り込んだ真っ赤な顔した比叡と榛名が互いの肩を組み、普段からは考えられないような調子っぱずれな声で妙な尋常小学校唱歌をがなり立てる。
ソファには背もたれにぐったりと体を枝垂れかからせた金剛。彼女の膝枕には眼鏡を外した霧島が頭を預けていた。
「まったく……機関ユニットを起動させればアルコールも連動燃焼されるからって、比叡姉さまも榛名も飲み過ぎです」
呟く霧島のぼんやりした視線の先にあるマホガニー製アンティークテーブル。明治時代に英国から輸入されたものを金剛がわざわざ探し出し買い付けてきたものだが、その濃い琥珀色した分厚い天板の上で中身が半分に減ったオールドパー・スコッチ・ウイスキーの四角いボトルからこぼれ落ちた同じ色の雫が、フルーティな芳香で霧島の鼻腔をくすぐった。
「二人ともそこは弁えているはずネ、don’t worry」
薄目で天井を眺めたまま、ぽんぽん、と妹の肩を優しくなだめる。
「だといいのですが……」
んんっ、と気持ちよさそうに身動ぎする霧島。
「こんなに温かくて柔らかいのに、艤装を付ければ霧島はbattle shipとなって深海棲艦と互角以上に戦うことができるなんて、unbelievable」
「それも生体フィールド技術のおかげですね。原理はよく分かりませんけれど」
ユニット接続と同時に艦娘と装備を包むようにして展開される生体フィールドは、通常時は身体の恒常性を維持する水密隔壁だが、戦闘時は服と一体化して装甲ともなる。また機関ユニットで生み出された動力を少女自身や足元の主機に与える血管、逆に少女の意志を艤装や兵装に伝える神経としての役割も果たす。
この生体フィールドが健全な間は、艦娘の受けるダメージは機関ユニットのダメージコントロール領域に蓄積されることになる。ダメージが吸収しきれなくなった時点で中破判定となり、溢れ出した余剰エネルギーによる破壊が服に及び始める。
ある意味これが、引き時を間違えないよう艦娘の耐久力的な警告装置にもなっているのだが、艦娘たちにはすこぶる評判が悪い。いきなり洋上で全裸に剥かれるのだから、当たり前といえば当たり前すぎるか。ただ戦闘に没入すると自分のダメージを把握する余裕も無くなるので、装備の破壊は仲間が引き止める目印にもなっていた。それによって危険な海域から生還できた艦娘も多いため、この悪趣味なシステムに表立って反対する者は少ない。
この状態から戦闘を続け、さらに機関ユニットのダメージが大破レベルになると生体フィールド自体が不安定化し、戦闘力と防御力が著しく低下。
その状態で一撃を喰らうと、素体の少女が破壊され艦娘は轟沈することになる。
「生体fieldは艦娘にとっては命と同じ。けれども司令艦はfieldがvanishしてからもdamageに耐えられマス。それどころか朝潮は、轟沈した後で16万馬力の利根型以上のpowerを発揮しまシタ」
「機関や装甲を失ってからさらに強くなるなんて、まるで……」
姫級深海棲艦みたい、という言葉を霧島は途中で飲み込んだ。
二人の間を沈黙が支配する。
「勘の良い子は薄々気づいていることデスが……」
先にそれを破ったのは金剛。
「艦娘のmilitary conceptは深海棲艦。そこに使われているtechnologyも深海棲艦由来のもの。ならば朝潮に、私たちに同じ現象が起きても不思議ではありまセン。加えて本来の艦娘と違う形で生み出された司令艦なら、irregularは当たり前」
深海棲艦は通常兵器の効果が低い。
標的が小さく高機動のため砲撃が避けられてしまうことも理由の一つだが、それ以上に深海棲艦を既存の兵器に対して無敵の存在としていたのは、その船体を薄く覆うフィールドの存在だった。
時折立ち昇るオーラのようにも見えるそれは、特攻機や艦娘などど『人間性を持った兵器』の攻撃以外、どんな砲撃も雷撃も通さない。
その特性は、艦娘の生体フィールドのそれと同じ。
「なのでもし私や榛名にも何かあったら、その時は霧島……」
「分かっています……分かっているつもりです……司令艦の、秘書艦の役目は……」
柔らかい姉の太腿に顔を埋める。母に縋り付く子供のように。
『自分の司令艦に異常があれば他の司令艦に報告を』
『その変化が有害なものであれば各自の判断でこれを拘束、不可能であれば破壊を』
榛名に司令艦の秘密を打ち明けられた霧島が呉鎮守府で電に引き合わされた際、彼女から告げられた秘書艦の使命。
「でも、そんな未来には来てほしくありません……」
金剛は不安を露わにする妹を宥めようと言葉を探したが、それが何の意味も持たないと思い直し、黙って霧島のボブカットにした艶やかな黒髪を梳った。
比叡と榛名の歌う出鱈目な唱歌をBGMにして、しばらく穏やかな時間が流れる。
と、唐突に霧島が口を開いた。
「金剛姉さま、姉さまは電を信じられますか?」
「……それはどういう意味ですカ、霧島?」
真意を計りかね、質問に質問で返す。
「言葉通りです。今回の攻略作戦で、不利な状況でも怯まなかった電の指揮能力は認めます。ですが、彼女には秘密が多すぎます―――偽の提督をでっち上げて深雪を横須賀に送り込んだことも、連絡要員として朝潮と五月雨を向かわせたことも、私たちには一言の相談もありませんでした」
「それはそうデスが、きっと電にも色々とexcuseが……」
「金剛姉さまは平気なんですか!? 今後強力な敵が出現した場合、矢面に立たされるのは戦艦クラスの司令艦、金剛姉さまと榛名なんですよ!! なのにこんな……私は納得できません。納得したくない……」
金剛の服の裾をぎゅっと掴んで力を込める。
姉がどこにも行かないよう、引き止めるかのように。
「……確かに電には秘密主義で独断専行なところがありマス。それでもこの世界を深海棲艦から救い、司令艦を開放するという目的を彼女は決して忘れていナイ」
安心させるように自分の手を握った妹の手に重ねる。
「ですから彼女が私たちの与り知らぬ所で何をやっていたとしても、私の信頼は揺るぎまセン」
「でも、もし裏切られでもしたら……」
「霧島……信じるということは、裏切りの結末も含めて信じる、という意味ネ。Diceを委ねた時点で次にどんな目が出ても、私は何も言いまセン。それに……」
天井を仰いだまま、照明の光を遮るように両の瞳を腕で覆う。
「それにあの優しい子が提督を、提督の気持ちを裏切ることなんてありえない。絶対に……」
言ったきり、金剛は口を噤んでしまった。
霧島は知っている。
あの戦争を経てこの場所で艦娘となり、さらに司令艦という一種異様な存在となった明るく妹思いな金剛が、唯一提督と呼ぶ人物のことを。
仲間を守り、仲間を庇い、そして全てを仲間に托して今は抜殻となった女性を。
「金剛姉さま……それでも私は、姉さまのように電を信じきることは出来ません。けれども電を信じる姉さまの事は、何があっても信じ続けます。それがどのような結末になっても」
「……ありがとう」
ドンッ、ドンドンドンッ!!
と、ふいに執務室の扉が荒々しく叩かれた。
『榛名、そこにいるなら早く開けるにゃ!! 異常事態にゃ!!』
「えぇ~多摩ぁ? 少ぉしお待ち下さぃね……でも何でここにぃるのでしょうかぁ……」
呂律の回らない榛名が立ち上がると、その肩にもたれかかって寝息を立てはじめていた比叡の身体が、支えを失い倒れて床に激突。その衝撃で比叡は目を覚ます。
内側からガチャリと扉が開かれると、途端に紫がかった髪をショートカットにしたセーラー服の少女、多摩が顔を真っ赤にして飛び込んできた。
「大変にゃ!! 大変にゃ!! 大変にゃにゃにゃにゃっ!!」
「Yes yes yes, calm down kiddy cat。大変なのは分かったネ。それでWhat’s happen, TAMA? あの二人に何かあったのデスか?」
先ほどまでとはうって変わって金剛は、いつもの英語混じりのお気楽な調子で尋ねる。
多摩はハァハァと弾む息を整え、ゆっくりと喋り始めた。
「大井がとうとう強硬手段に訴えたにゃ!! それでいくら携帯かけても繋がらないから、多摩が直接呼びに来たのにゃ!!」
言われて自分の袂を探る金剛。取り出された携帯には着信を知らせるLEDランプがちかちかとまぶしく点灯している。
「Wow、気づきませんでした。Pardon me」
「けど球磨はどうしたんでしょうか? 二人で押さえ込めばいくら大井でも……」
榛名の言葉にぶるんぶるんと激しく首を振る多摩。
「そんなこと言ってる場合じゃ無いにゃ!! あのバカ娘、お土産とか言ってこっそり舞鶴から内火艇ユニットを持ちこんでいたにゃ!! 球磨が今必死で引き止めてるけれど、このままだと押し切られるのも時間の問題にゃ!!」
訓練や非常用に機関ユニットの代用品として使われる内火艇ユニットは、適性のある少女なら誰でも使える代わりに、出力は10馬力程度。5万馬力の駆逐艦と比べても悲しくなるくらいに弱い。
ただそれは艦娘と比べた場合の話。機関ユニットを外した生身の少女である球磨や多摩からすれば、十馬力を振るう大井はパワードスーツを着ているようなものだ。勝てるわけが無い。
「何ですって!! それは本当ですか!? あの変態女、大切な軍の備品を何だと思って……帰ったら折檻ね。あと多摩、あなたは軽巡でしょう!! 何で強制コードで緊急停止しなかったのですかっ!?」
「無理にゃ!! 内火艇ユニットは誰でも使えて出力も弱すぎるから、最初から指令コードは登録されていないのにゃ!! でもまさか陸で仲間相手に使うなんて、想定できるはずが無いにゃ!!」
霧島の怒声に半泣きの多摩が絶叫で答える。
「比叡、すぐに全館放送で皆を叩き起こすデス!! There’s no time left!!」
「は、はいっ、お姉さまっ!!」
寝ぼけ眼でふらつきながらも内線装置を起動させる比叡。
すぐさま深夜の鎮守府に、ピンポンパンポ~ンという場違いなメロディが響き渡る。
『緊急!! 緊急!! お姉さまから全艦隊に通達です!! 現在当鎮守府食堂で大井が北上を襲撃中!! 各員、至急現場に急行されたし!! 繰り返します……』
―――このあと全裸靴下に内火艇ユニットを背負い、「北上さん、私の処女を貰ってください!!」と叫びながら襲い掛かろうとしていた大井が佐世保の艦娘総動員で捕えられ鎮守府出禁半年を喰らうまで―――17分23秒。