両親や近所のおばちゃん達から神童と呼ばれていた兄と比較されてきた幼少時代。
歳が二つしか離れていない事も手伝って、何かと肩身の狭い思いをしたもんだ。
せめて違う道を歩めれば良かったのだろうが、厳格な軍人であった父……そして祖父の強い希望に逆らえなかった。
幼年学校から、士官学校へ。
そして仕官としての栄達の日々。
それは周囲にとっては輝かしい武勲と経歴のはずだったが、当の本人にしてみればあまり価値が見出せない。
その目の前には常に、超えられない背中があったから。
「……」
自分にとって目の上のたんこぶだった兄。
しかし憧れも存在した。
ずっと高みを駆け上がっていく身内の存在は、確かに誇らしかったのだ。
元々彼女の性格からして図太い事もあり、決定的な関係悪化のきっかけもなかった。
それに何事にも向き不向きがあるように、彼女も人様に誇れる特技を持っていた。
実際に自分を一番評価してくれていたのは、皮肉にもそんな兄だった気がする。
――いつか俺が艦隊総司令官に、お前が総参謀長に……
偶の休みが重なって飲んだ時には、そんな未来を語っていた。
何を夢のようなことを。
酒が強くも無いくせにぐだぐだに酔っ払った兄の妄想に相槌を打ちながら、適当な所でタクシーに放り込んでいたものだ。
そんな兄が鎮守府から大本営へと呼び出され、その移動中を深海棲艦に襲撃され、行方を絶ったのが一月前。
本当にあっけなく居なくなってしまった、未来の艦隊総司令官様。
そして彼が率いていた多くの艦隊……艦娘達も、それぞれ別の鎮守府に再編成された。
残ったものは働き者の妖精さん達と、放置された施設だけ。
「まぁ、こうして来てみると感慨深い所もあり、不安なような気もしなくもあり……」
僻地に近いこの鎮守府を見れば分かるように、おそらく兄は上層部からは煙たがられていたのだろう。
妹の自分が其処への転属を希望して、入れられたのもきっと無関係ではない。
不十分な資材と過酷な環境。
しかし責任者として赴任する以上、兄は此処を死守する義務があった。
そしてそれが失敗したとき、その責任を追及する形で本当の左遷をする。
そういうシナリオが出来ていたはずだ。
最も、あの兄がその程度でどうにかなるはずもなく……
軍上層部の思惑を無視して、連戦連勝を重ねた兄。
お偉方もさぞ困ったことだろう。
彼女は後一歩でこの僻地から脱出出来た男に哀悼の意を表すべく、目を閉じて一つ息を吐く。
「……」
兄が居なくなってから、彼女は一つの望みを持った。
もう居なくなってしまった、追いつけなかった人だけれども。
同じ場所で、同じ海を守ってみたい。
この鎮守府は近海が比較的平和であるが、一歩遠海に出れば戦艦級の深海棲艦が跋扈する、いわば鳥かごに近い立地である。
国としてはそれ程重要な拠点ではなく、一進一退を続ける深海棲艦との戦いの中で、偶々拡張した戦線のついでに確保した場所。
自分の兄は此処から這い上がったのだ。
ならせめて、這い上がることは出来なくても。
妹の自分はこの場所を維持するくらいは望んでも良いのではなかろうか。
「お? アンタが新しい司令官かい?」
「ん?」
唐突に掛けられた声に振り向くが、視線の先には誰も居ない。
「此処だ!」
「あぁ、妖精さんか」
工廠部の腕章をつけた妖精さんの一人が、気さくな笑みで声を掛ける。
彼女は後で知ったことだが、この妖精が工廠部の統括妖精をしているらしい。
「へぇ、なんか雰囲気が似てんな。兄妹か?」
「妹です。よろしく」
彼女は小さな妖精に向かい、座り込んで握手した。
差し出した指を両手で握るという行為が、握手と呼べればの話だが。
「工廠部の方に会えるとは運がいい。早速一人お願いします。秘書官を」
「秘書って初任者は本部から派遣されるはずじゃねぇ?」
「艦娘は人手不足ですからね。私自身は初任者ですけど、施設自体は兄が使っていた此処を引き継いでいるので、現地での調達を拝命いたしました」
「あるぇー……此処の資材も艦娘も、別の鎮守府に再配分されてるけど……」
「……えぇ。だから、資材は自費で持ってきました」
「……なんっつぅか、ドンマイ」
「見方によっては、あちらの息がかかった艦娘を寄越されても面倒だったのであまりごねなかったというのもあります」
「ま、俺ぁ資材さえ貰えりゃ仕事はするが……ご予算は?」
「初めは基本ですから。30.30.30.30で十分です」
もっとも、着任仕立ての彼女には現状手元に資材が無い。
既に購入して搬送待ちではあるのだが、着工は明日に見送られた。
「よぉーし、妹者の門出だ。今日一晩で構想練って、明日機材が届き次第、良いのを作ってやろうじゃねぇの!」
「よろしくお願いします」
「希望は?」
「そうですね、秘書官ですから、事務仕事を苦にしない、デスクワークで助けになる子をお願いします」
「よしきた! まかせときねぃ」
勇ましく応えた妖精さんを、頼もしそうに見守る彼女。
彼女はいまだに知らなかった。
妖精とは基本素直であり、人間と艦娘の手助けをする存在。
そして多分にいたずら好きであり、大雑把な性格でもある。
多くの提督達にとって、最後のボスは敵艦隊よりもこいつだったとまで言われる、しかし艦娘達と関わる上では切っても切れない不思議生物。
彼女はその本性を、就任翌日から思い知ることになるのであった。
§
「陽炎型八番艦! 雪風です。しれぇの秘書官になるべく建造されました。どぉぞ、よろしくお願いします!」
「……」
翌朝の司令室。
先任だった兄が特に整理が苦手だったわけでもなく、そのまま使える状態を妖精によって維持されていたその部屋に、一人の艦娘が入ってきた。
彼女は元気いっぱいに挨拶する駆逐艦をみやる。
可愛い娘である。
元気娘、いいじゃないか。
しかし自分は、秘書官として有能な人材を希望したはずである。
目の前の子は、この陽炎型……いくつだ?
ン番艦の雪風と名乗ったこの少女が、デスクワークが得意にはとても見えない。
いや、まだ一目あっただけである。
見た目の雰囲気に惑わされ、その本質を見誤っては鎮守府の提督としては落第である。
「雪風?」
「はい、しれぇ」
「ふむ……あなた、デスクワークはお得意?」
「いいえ! 書類作成とか物凄い苦手です」
「計算とか、そっちは……」
「手足の指の数からはみ出ると、ちょっと……」
「なるほど、分かりました」
司令官の椅子に深く腰掛けた彼女は、苦笑して頬をかきながら報告してくる艦娘を眺める。
彼女には何も罪は無い。
天真爛漫そうな、良い子じゃないか。
初めての駆逐艦。
自分の指揮下に入ってくれる最初の艦娘である。
長い付き合いになるであろうこの少女に、彼女は最初の任務を告げた。
「雪風」
「はい」
「工廠部の責任者を、此処へ」
「はい」
キリッとした表情で命令を受諾する様は、彼女が一瞬見惚れるほどに決まっていた。
其処にあったのは天然だけではありえない含蓄を備えた、一人の軍人の素が見て取れた。
いかに見た目が幼い少女だったとしても、ベースは彼女が生まれる前から前線で戦ってきた駆逐艦なのである。
雪風が一旦退室すると、彼女は図鑑を取り出した。
「えぇと……陽炎型で、八番か。戦歴……はぁ!?」
其処に記されていた雪風の戦跡。
大戦の主要海戦に悉く出撃し、ほぼ小破以上の損失を負わずに終戦までを生き抜いた叩き上げ。
終戦後は賠償艦として他国に譲渡されながら、その国の海軍では旗艦を勤めた幸運の船である。
奇跡の船。
しかし運だけで大戦を乗り切れるはずが無かった。
大戦艦巨砲主義から、物量の飽和攻撃主義への転換期であった当時。
戦争末期の帝国艦隊は敗北を重ね、物量はさらに差がつき、多くの命を特攻によって散らしていった時代。
雪風は確かに幸運を持っていたのだろう。
絶対に生存不可能な物量攻撃を、運がよければ生き残れるレベルに持ち込む実力と一緒に。
兄が生きていたら、随分気が合う子だったのではないかと思う。
彼も試行錯誤と努力によって『無理ゲーを運ゲーに持ち込む』のが大好きだったから。
「初めの一歩で手に入ってはいけない子のような気がする……でも資材は必要最低値だし、駆逐艦ならありなのか……?」
腕組みをして一人ごちる新任提督。
しばしの黙考の末に気にしないことにする。
秘書官はダメでも、最前線での指揮官としてなら雪風の戦闘経験が生かせるのではないか。
よく考えれば、提督は鎮守府の維持経営の任が主であり、艦娘と一緒に前線には立てない。
自分の手が及ばないところの第一人者を得ることが出来たとすれば、秘書官が不意になったとしても差し引き大きな赤字ではないかもしれない。
「雪風です。工廠部の部長をお呼びしました」
「入ってください」
「はい」
返事とともに一人の艦娘と、昨日の妖精さんが入室してくる。
雪風は妖精を案内して一礼し、席を外そうとしたのだがそれは止めた。
一応、彼女が自分の秘書である。
今後の方針を定める場には居て欲しかった。
「よう司令官。どうだいこの子は」
「素晴らしい武勲艦のようですね。私、艦娘には詳しくないんですが」
「かぁーーーーもったいねぇ! 他所の鎮守府の提督に聞けば、最初の一隻が陽炎、しかも八番とか殺してでも奪い取る! ってやつだ」
「私は秘書官として優秀な子を希望したのです。なんというか、この子どう見ても最前線のアタッカーじゃないですか」
「いいえ? 雪風は生き残るのは十八番ですけど、攻め落とすのは苦手ですよ?」
「……もうどうしましょうか」
資材は無限ではない。
一応の鎮守府である以上、毎日最低限の資材は大本営から配給される。
しかし本当にほぼゼロからのスタートである以上、優秀な艦娘が必要なのである。
彼女は組織運営は得意だったが、艦娘の造詣は深くない。
そういうのは軍艦マニアだった兄が大好きだった。
最も彼女がそっちを避けたのは、兄が好きだった方面だからという事情もあるのだが。
「部長、この鎮守府の生き残っている機能を上げてください」
「艦娘の生産ラインは二本。入渠のためのドッグが四本。艦娘の総数は、百人程が生活できる居住スペースがあるか?」
「ふむ……」
「しれぇ、大型建造プラントも生きていましたよ?」
「大型建造?」
「いや雪ちゃん、新米提督に大型は……」
「なんです? その大型建造とは」
大型建造とは大量の資材を投下して、普通の工廠では作りにくい船を作るための設備である。
何が出来るかはあくまで妖精さんの気分しだいだが、大物を狙うなら避けては通れない道のりでもある。
本当は資材が溢れている大物提督達の娯楽に近い設備なのだが、比較的解放条件が緩いこともあり、夢を見る新人提督は後を絶たない。
因みに、夢という文字に人がつくと儚いになる。
念のため。
「つまり大型建造すれば、戦艦さんとかが来てくれる期待値が上がると?」
「うん、まぁ可能性は上がるがな」
「しれぇは期待値信者さんですかー?」
「はい。期待値は裏切りません」
顔を見合わせる部長と雪風。
確かに大型建造の方が戦艦の出現率は上がるだろう。
しかしそれは同じ回数をまわせればという話である。
大型建造一回にかかる資材は、通常の工廠での戦艦狙いの四~五回分にもなる。
資材を実費で持ってきたというこの新任提督は、その点を理解しているのだろうか?
「……もしかして、しれぇは後方勤務専門の方……」
「……雪ちゃんの希少価値も理解してないから、多分いろいろ分かってねぇぞこれ」
顔を見合わせて内緒話に興じる妖精さんと駆逐艦。
そんな部下達の不安げな視線を他所に、頭の中で計算式を飛ばす彼女。
実際彼女は大型建造のリスクなど承知しているのだが、多分に男所帯で育ったせいでその価値観が毒されている部分がある。
要するに自称知性派の脳筋であり、期待値を信じているくせにリスクと書いてロマンと読んでしまう思考回路をしているのだ。
「まぁ、就任記念に一発派手にかましますか」
「しれぇ、多分その思考はダメ人間のそれですよぉ」
「……資材さえもらえりゃなんでもするが」
彼女はそろばんを取り出し、部長は指令のデスクによじ登って相談を開始する。
「大型の最低基準が1500.1500.2000.1000だ。炉を回したりなんなりで、どうしてもそれ以上にはおとせねぇ」
「一番の大当たりまでが視野に入る配分は、如何程になります?」
「そうさな……こんなところか?」
「ちょっとぼったくりが過ぎるでしょう? このくらいで……」
「お前さん馬鹿言っちゃいけねぇ。此処はこのくらいは見といてもらわねぇと……」
商談に入った上官達を見る雪風。
その耳に波の音が聞こえてくる。
司令室の窓から外を眺めれば、海鳥が渡るのが見えた。
良い天気であるが、少し風が強い。
船の中では珍しい事であるが、雪風は潮風というものが好きではない。
服が湿って透けるし、肌がべとつく。
しかし青空の下、広い海へ繰り出して適当に走るのは悪くない。
「しれぇー」
「だからこれは……あ、なんですか?」
「少し海上を流してきてもいいですかー」
「そうですね、あまり遠くへは行かないように」
「はぁーい」
一つ大きく伸びをして、司令室を後にする雪風。
去り際に上官に視線を送ると、彼女も自分を見返していた。
「晩御飯までには戻ってくださいね」
「はぁーい」
満面の笑みで敬礼する雪風に、彼女は小さく笑みを返した。
§
世界の海が深海棲艦に閉ざされてから、既に数世代。
各国の物流は寸断され、いくつもの国が干上がったのは最早一昔前である。
海の底から突如あらわれ、それまでの通常兵器では全く傷つかない未知の化け物。
初めは海路が寸断されただけだった。
やつらの使う妨害電波に計器類を使用不能にされはしたものの、人々は既に鉄を空に浮かべる技術を持っていたのだ。
人々は航空機動によって物流を確保していた。
しかしある時を境に、深海棲艦にも空母機能を有する者達が出現する。
海と空を抑えられ、混迷を極めた黎明期。
多くの技術や文化が失われ、人々は望まぬ退化を強いられた。
やがて何処からともなく現れた妖精さんと艦娘によって深海棲艦が初めて撃退され、何とか戦線を膠着状態に持ち込んだのがごく最近の事である。
今は深海棲艦も人類も、互いを確実に滅ぼす決定打を持たずに探り合いが続いていた。
「こんなに良い天気の時は、素敵な出会いがあるものです」
雪風が鎮守府を出て一時間。
真っ直ぐに沖を目指したところで、待っていましたとばかりに深海棲艦の水雷戦隊と遭遇していた。
囲まれて機銃の掃射を受ければ危険と判断し、距離を取りながらの牽制戦。
一刻近い交戦の末に周囲を囲まれはしたものの、雪風は未だに機銃の射程に相手を寄せ付けないでいた。
「しれぇが心配しますから、そろそろ終わりにしましょうかー」
深海棲艦の魚雷を鼻歌交じりに避けて見せる雪風。
お返しに背後から忍び寄る駆逐艦にノールックで魚雷を打ち込み、綻びた敵陣をすり抜けて包囲網を突破する。
すり抜けざまに機銃を打ち込んで手近な一隻を大破させ、包囲網の奥に居る遠い軽巡に魚雷を一閃。
雪風の魚雷は距離を頼みに小さな油断を見せていた軽巡の機関部に正確に命中した。
三隻をほぼ戦闘不能に追い込んだ雪風は、最早半壊した敵艦隊には目もくれずに離脱する。
深海棲艦は追いすがろうとしたようだが、機関部を半壊させた軽巡と装甲を大破した駆逐艦が追いつけるはずも無い。
逆探知されないように真っ直ぐに鎮守府方面へ走らず、近海を遠回りした雪風。
視覚と気配の双方が敵に存在を認識できなくなったとき、初めて肩越しに振り向いた。
「まだまだ、このくらいで幸運なんか使っていられないのです」
自分が運の良い船であることは十分承知している雪風。
いわば切り札である以上、それを切るのは最後の最後。
彼女はいつもそうやって生き延びてきたのである。
悠々と岸辺にそって海上を流す。
そうやって三回目の羅針盤妖精に仕事をさせた時、彼女の無線に救難信号が入ってきた。
「救難……? こんな辺鄙なところで……」
雪風が首を傾げたのは、此処が通常航路からかなり外れた地域だからである。
自分自身も敵と遭遇して居なければこんな海域には来ていない。
「ふーむ、これは幸運の女神のキッスかもしれませんね!」
敵の罠である可能性も考えないではなかったが、そうなったら逃げれば良いと楽観する駆逐艦娘。
入り江に分け入って救難信号の出所を追尾すると、自分と同じ艦娘が一人。
見たところ足を破損しており、急な轟沈は無いにしても早い入渠が必要だと思われた。
負傷した艦娘が雪風の姿を確認すると、右手を挙げて声を掛ける。
「うー!」
「うー! です」
言語的に意味は不明でも意図は通じたらしい二人の艦娘。
雪風は相手が上げた右手を取ると、緩やかに立たせる。
立ち上がる際にややふらついた相手の状態は、雪風が思うより悪いのかもしれない。
立たせると同時に自分はしゃがみ、背を向ける。
そんな雪風を見た艦娘は、やや首を傾げながらも大人しく背負われてくれた。
「とりあえずうちの鎮守府にご案内しますよー」
「うー!」
「しれぇに良いお土産が出来ましたー」
「ぅ?」
やっぱり、こんな良い天気の日には良い出会いがある。
先ほどからうーうー言っているこの艦娘は、自分と同じ駆逐艦らしい。
あわよくばこのまま僚艦になってもらおうと、雪風は鎮守府への海路を辿るのであった。
§
「しれぇ! ウサギちゃん拾いました」
「御免なさい。私にはそれがウサギに見えない」
「うー?」
損傷した艦娘を曳航し、帰路に着いた雪風。
その途上で一度、軽巡二隻と駆逐艦三隻からなる深海棲艦部隊と遭遇していたのだが、こちらは最初から逃げの一手で振り切ったのだ。
背中に張り付いて遅い遅い言うこの少女を、何度か敵陣に放り込んで捨てて行きたいとは思ったが。
「とりあえず、いらっしゃい。この鎮守府の司令官です」
「うー」
「先ずは損傷を癒して、お話はそれからにしましょう。ドッグの場所は分かりますか?」
「ん。知ってる」
「雪風が案内しますよ?」
「貴女は先ず、事情を説明していただきませんと……」
そういって息をつく提督。
こっそりと手元の図鑑を見れば、雪風が拾ってきた艦娘の正体も乗っている。
駆逐艦、島風型一番艦、島風。
なんという子を拾ってきたのだろうか、この幸運艦は。
島風と雪風。
この二人を編入して水雷戦隊を作れれば、それはどんなに強力な部隊になるか分からない。
少なくとも、新任の提督である自分がいきなり手に入れてはいけない子であることは間違いない。
彼女は自分が運の良い人間とは思っておらず、過剰な幸運はやがて、何らかの形でツケを請求に来るものだと考えているのである。
妖精に伴われてドッグに向かう島風に注ぐ視線は複雑なものになった。
司令室に二人きりになると、早速報告が行われる。
「しれぇ。あの子さっき、ドックの場所知ってるって言いました?」
「ですね……先任者の時に来たことがあるのか……というか、先ず此処に至る経緯をお願いします」
雪風は困ったように頬をかき、これ以外言いようが無いほど簡潔に告げる。
「外を流していたら救難信号がありまして、出所を探りましたら彼女を発見。損傷が見られましたので、回収して曳航し、帰還しました」
「彼女の所属や、損傷させた相手の情報はありますか?」
「近海に深海棲艦の水雷戦隊を確認しておりましたので、現場での聞き取りよりも確保と撤収を優先しました」
「なるほど、お疲れ様でした」
「はい、しれぇ」
「貴女自身に傷は無いようだけれど、装備が随分減っていますね。補給に向かってください」
「はい」
「戦闘結果は、後で業務日誌を提出してくださいね」
「えぇ~?」
「お返事は?」
「……はいです」
しょんぼりと肩を落とす雪風。
その愛らしい仕草につい手心を加えたくなるが、これも雪風のためと我慢する。
彼女の中ではこの先、雪風には何らかの艦隊の旗艦を勤めてもらうことを決めている。
つまり一個艦隊の長として書き物の仕事が多く求められる事は、ほぼ確定していたのであった。
先ずは簡単な日誌から徐々に慣れていって欲しいと思うのだ。
「そういえば、大型建造の資材量って決まったんですか?」
「えぇ、2500.2500.3000.1500で手を打ちました」
「大盤振る舞い! と見せて大型建造にしては、しけってませんかぁ?」
「むぅ、ちょっと気にしていた事を……」
「あぁ、すいませんしれぇ……」
「いいえ、いいのです。実は生産ライン二本を使い切るために、通常の建造も同時にやっていたのです。そっちにも資材を積んだので大型は控えめになりました」
「なるほど」
「戦艦さんが来てくださるといいんですが……雪風には、誰か希望する方はいらっしゃいます?」
「んー、そうですねぇ……」
雪風は駆逐艦であり、その本職は雷撃戦と夜戦である。
日中は索敵に留め、闇に乗じて敵機を沈める仕事を得意としていた。
よって日中の砲戦を得意とし、なるべく昼間に長く戦おうとする『戦艦』とは、基本相性がよろしくない。
きっとこの司令官は、その辺りの編成は分かっていない。
雪風が最初に感じた通り、後方勤務に専門の提督なのだろう。
それでも、願うなら、適うなら……
「比叡さんとは、もう一度……組ませてもらいたいなって思います」
「戦艦比叡……えぇと……金剛型、二番艦の方ですか……なるほど」
かつて雪風が護衛し、しかし守りきれなかった戦艦。
機関室全滅の誤報によって、他ならぬ雪風自身の手によって雷撃処分してしまった船である。
実際に雪風が沈めたという確証は無いのだが、それが雪風にとっての真実だった。
「最も、先方が組んでくださるかは、分からない……です。もう比叡さんは、雪風の顔も見たくないかもしれません」
「……そうなったら、素直に別の艦隊に編成させていただきますよ」
「謝りたいのに、会うのも怖い。かといって逃げていれば、いつかもっと後悔するんです。分かっている、分かっている事なのですが……」
苦痛表情で雪風が俯いた時、司令室にノックが掛かる。
「どうぞ」
「し、失礼します」
提督が声を掛けると、一人の艦娘が入室してきた。
おどおどとして腰が引けており、今にも泣き出すか逃げ出してしまいそうな雰囲気。
とても戦う事など出来そうも無い艦娘だが、装備している兵装は相当の重量感を感じさせた。
「み、妙高型重巡洋艦、四番艦、羽黒と申します。精一杯……その……がんば……」
「あぁ、しれぇの顔が怖いから泣いているのです」
「え、えぇ~?」
赤面から半泣きになっている羽黒に寄り添い、雪風が背中を擦ってやる。
言われるままに深呼吸し、その際一度むせ返りながらも決意を秘めた眼差しを上官に注ぐ。
「よ、よろしくお願いしますっ」
「あ、はい。よろしくお願いします羽黒さん」
彼女は手元の図鑑に目を落とす。
妙高型重巡洋艦、四番艦羽黒。
武勲。
ずらり。
「あの……」
「な、なんでしょうか、司令官さん」
「貴女、あの羽黒さんですか?」
「えぇと……『あの』とは……」
「あぁ、こちらへ。この図鑑のですね……」
「……あぁ! 懐かしいです」
「本物……か」
歴戦の重巡洋艦。
幸運の羽黒。
当時としてもやや旧型艦ながら、危険海域の曳航から強行輸送、艦隊決戦とあらゆる場面に活躍した、帝国海軍屈指の武勲艦である。
目の前の内気な少女からは想像も出来ないが。
「羽黒さんが一緒って心強いですー」
「雪風ちゃんもいたんだね。よ、よろしく……」
「お二人は、仲がよろしかったのです?」
「あ、しれぇ。あー……特別にという訳ではなかったんですけど、羽黒さんと一緒だったら……」
「ん?」
「いいえ、なんでもありません!」
雪風の表情に苦笑に近い影が過ぎるが、それはあまりにも一瞬であり提督に看破は出来なかった。
見取ったのは傍にいた羽黒であり、雪風に寄ると耳元で優しくささやいた。
「私は、沈まないから」
「……はいです」
多くの戦場に参加し、武勲を立てて生き残ってもあくまで敗軍。
彼女らの武勲の影では多くの戦没者をだしている。
沈んだ船から退去して生き残った人々は、唯一隻沈まない雪風を幸運と言う一方で、味方殺しの死神とも呼んで忌み嫌うようになっていた。
その幸運は雪風の乗員達ですら、僚艦が変わりに犠牲になっているのではと疑心暗鬼になったほどなのだから深刻である。
「羽黒さんは、どちらの工廠で目覚めたのです?」
「わ、私は一般工廠で建造されたようです」
「ふむ……では、雪風、羽黒さん」
「はい、しれぇ」
「は、はいっ」
「羽黒さんで空いた工廠に行って、最低資材30でもう一隻発注してください」
「承知いたしました」
雪風と羽黒が敬礼する。
敬礼するときの声だけは、羽黒も全く震えていない。
その様子に満足した提督は一つ頷き、決定を告げる。
「軽巡洋艦が居ないので羽黒さんを軸に、雪風さんを旗艦に水雷戦隊を構成します」
「はい」
「お待ちください、しれぇ!」
不穏な一言を聞き逃さず、雪風が待ったを掛ける。
「なんで羽黒さんが居るのに雪風が旗艦なんですかっ。水雷戦隊の旗艦は軽巡で、代わりに羽黒さんが入る変則艦隊とおっしゃるなら旗艦だって羽黒さんが当たるべきで……」
「え!? わ、私旗艦なんて無理ですっ」
「嘘です! 羽黒さんは巡洋艦隊第五部隊の中心で旗艦……あっ」
「旗艦経験って少なかったらしいんですよね、羽黒さんは。第五部隊の中核だったらしいですけど」
「そ、その通りです。それに雪風ちゃんは確かあれだよね、総旗艦!」
「ち、ちがっ! いや違いませんけどっ、あれはもう何でそうなったのか雪風にも分からないと言いますか……」
「期待してるよ雪風ちゃん」
「雪風ならやってくれるでしょう」
「えぅー……」
これ以上ごねても覆らないと悟った雪風は、やるせなく肩を落とす。
権限が増えるという事は負うべき責任も増えるということである。
お給料も増えるかもしれないが、代わりに預かるのが仲間の命であるこの職場では、割が合わないと思う雪風だった。
「部隊は雪風さん、羽黒さん、そして先ほどの島風さんが残ってくだされば彼女。そして次に新たに建造される艦娘を持って当たっていただきます。なにか、質問は?」
「しれぇ」
「はい?」
「最低機材でも妖精さんが本気だしたら、稀に潜水艦とか出来ちゃいますがそれでも?」
「え……うん……うーん……ま、まさか出ないでしょう」
「せ、潜水艦には、また独特の使い道があります、出来てから考えても……その……」
「そ、そうですね。大型建造で出来る娘の事もありますし、出来てから考えるとしましょうか」
その後工廠で建造されたのは駆逐艦夕立であり、島風もこの鎮守府に居座る構えを見せたため、無事に雪風の第一水雷戦隊が結成された。
結成にあたり、雪風は羽黒に旗艦の役を譲渡したい旨を今一度上申したが、司令官はこれを却下。
雪風は泣く泣く多くの艦隊日誌と格闘する日々を送ることになるのであった。
――雪風の業務日誌
うみをながしていたら、うさぎちゃんひろいました。
かえりみちでしんかいせいかんにいっぱいおいかけられました。
にげました。
こわかったです。
――提督評価
うさぎちゃんとは島風さんの事でしょうか?
出来れば万人に通じる表現を用いてください。
ウサギと書いて島風と読む人間を、私は兄しか知りません。
貴女で二人目です。
日誌には適切な漢字を使っていただけると読みやすくて助かります。
もう少し頑張りましょう。
後書き
始めまして、新任提督のりふぃです。
艦これとっても面白くて、妄想がはかどった挙句に下手なSSなど書かせていただきました。
主人公の雪風は、うちの鎮守府のエースです。
1-4で行き詰っているときに空母狙いで間違って建造された、個人的奇跡の子です。
彼女を旗艦に据えてお遊びで出撃をした時、本当に1-4をあっさり攻略してくれた為、戦術巧者なイメージが強い子です。
その辺りは次話で……
島風さんは2-4でレベル上げしている間に来てくれた子。
夕立さんは1-1で来てくれた子です。
羽黒さんは1-4で行き詰ってる時に来てくれた方だったと思います。
本当はメインで使っている艦娘さんは皆出したいのですが、作者の力量だと無理がある……