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[39510] 【ネタ・短編】D.C.~ダ・カーポ~ 短編集
Name: 尾多悠◆fdb0865a ID:3f60d38a
Date: 2014/02/22 01:10

はじめまして。尾多悠(おたはるか)と申します。

このスレッドでは、ゲームD.C.、D.C.IIの短編をいくつか投稿させて頂きます。

基本的には、ネタバレ有りの単発話が主となります。
今更このゲームでネタバレもないと思いますが、その上の知識前提で書いている部分もあります。


拙作ではありますが、よろしくお願い致します。



[39510] 伝える想い(メイン:白河ことり)
Name: 尾多悠◆fdb0865a ID:3f60d38a
Date: 2014/02/22 01:14

 何かを得るためには、何かを失うということ。
 選択とは、他の選択肢を捨てるということ。
 人一人が描く、人生という短くも壮大な物語は、そうしたことの繰り返しで紡がれていく。
 それは、お弁当のおかずをどれから食べようか悩んだり、帰り道に寄り道を決意したり、他愛もないことでも構わないことがほとんどかもしれない。

 けれど、人生の一大決心というやつは、唐突に降って下りてくる。

 不安、畏れ。事の重大さに、その場で立ち竦む。
 そのままでいれば、それは過ぎ去ってゆくかもしれないが、代わりに何も得られず、その選択で得るものを失う。
 そこで得られるもの、それは私にとって、大切なモノ。
 今までしてきた私の選択は、半分私の意志で、半分作られた意志でもある。
 それは楽で、違和感を感じさせないほどの心地良さがあった。
 でも、それ以上にも、それ以下にもならない。
 本当に、不安でも私自身が手を伸ばし、選び取ったもの。
 その大切さに、気付かせてくれたから。
 私は、今の私を捨てて、あなたを選んだ。


***


 本日最後の授業の終了を告げるチャイムが鳴り、担当の教師が挨拶を済ますと、教室は放課後のざわめきに溢れた。
 部活に行く奴もいれば、連れと何処に遊びに行くかと盛り上がる奴もいる。それぞれのプライベートな時間。一日の約半分を費やした後の、解放的な気分。本校に上がっても、こうした風景は変わらないのだなと、実感する。

「朝倉君、帰ろう」

 適当に教科書類を鞄に突っ込んで席を立つと、丁度ことりが声を掛けてきた。

「おう、今日はどっか寄って行くか?」
「そうだねぇ。じゃあ、公園にクレープ食べに行こう」
「甘いモノか、好きだな」
「そりゃもちろん、女の子ですから♪」

 白河ことり。
 風見学園本校一年三組。可憐な美貌を持ち主で、人当たりも良い性格。ある種の完璧性を持つ学園のアイドル的存在。というのが、彼女について知られるおおよその情報であろうか。
 そして、目下、俺の彼女でもある。

「それじゃ、行くとするか」
「うん」

 おどけた調子で微笑むことりに笑みを返し、二人連れ立って教室を出て行く。
 ことりとは付属を卒業するときから付き合い出し、本校では同じクラスになれた。当初は主に男どもから敵意の視線が圧倒的に俺に寄せられていたが、今では二人は恋人と認知されているようだ。

「ふ、今日も仲睦まじいことだな、二人とも」
「げ」

 廊下を歩く俺たちの前に、不敵な笑みを湛えた杉並が現れた。

「なんだ朝倉。その嫌なモノを見てしまった自分を認めたくないといった風な顔は」
「俺の心情を的確に表現するのはやめてくれ」
「杉並君も、帰りですか?」
「ことり、帰りも何も、こいつは同じクラスだぞ」

 相好を和らげて尋ねることりに、俺は認めたくない事実を告げる。

「あ、そう言えばそうだね。なんだか自然に待ち構えられていた風だったから、勘違いするところでした」

 ことりはバツが悪そうに笑って誤魔化そうとした。

「気にすることはない、白河嬢。それだけ普段、俺の隠密性が優れている証拠だ」
「何を訳の分らんことを……」
「何を言う朝倉! 本校でも俺の名を知らしめるため、日夜鍛錬を怠らぬ俺の心意気が分からんのか!」
「くだらんことをするのは止めないが、俺を巻き込むなよ」
「それは保障しかねる」
「……」
「ダメですよ杉並君! 今年から朝倉君は私のものなんですから、勝手に持っていってもらっては困るんですから」
「ことり!?」

 無言で杉並を睨むと、不意にことりが俺の腕を自分側に引き寄せ、奴に向けて抗議した。その声が大きかったせいか、廊下を行く生徒の何割かが、こちらに視線を向けている。

「あ……なんて、ちょっと言ってみたかっただけ、だったりして!」

 それに気付いたのか、ことりは顔を赤くして明らかな照れ笑いを浮かべる。そう言いつつも、腕はしっかり捕まれたままだ。

「やれやれ、青春だな、友よ」

 ぽんと俺の肩に手を置き、何を納得したのか杉並は何度か頷いた。

「まあ、お前を一人欠いても問題はあるまい。今年から我が宿敵、朝倉妹は島の外……俺が学園を牛耳るのも、時間の問題というわけだ……くくく」
「えっと、あの……私も中央委員会に所属しているので、不穏当な行動は慎んで欲しいかな」

 ことりは風紀委員ではないが、中央委員会に属しているため、学生内で不穏な動きがあれば、火の粉が降りかかることもあるのだろう。困惑と苦笑が入り混じった、複雑な表情だった。

「白河先輩! ご心配は無用です! 杉並先輩の悪行は、不肖この天枷美春が常に監視しております故!」
「おお! 美春、どこから湧いて出た!? バナナは持ってないぞ」

 どこから話を聞きつけたのか、何時の間にか杉並の背後に美春の姿があった。わずかに息を切らせ、身に着けた付属の制服の襟元を扇がせている。

「酷いですね朝倉先輩、人をバナナ星雲の住民みたいに」
「頭にバナナが付けば、なんでもありだなお前は」
「えー、そんなことはありませんよ」
「じゃあ、嫌いなバナナを言ってみろ」
「え……あう、そんな殺生な。嫌いなバナナなんて! バナナのない美春なんて、ただの美春じゃないですか~!」
「もう、朝倉君。あんまり女の子を苛めちゃダメじゃない」
「いや、こいつの反応は楽しめるから、ついなぁ」

 そう言って、よよよと泣き崩れる美春の頭を撫でることり。こうして見ると、飼い主と犬のようだ。

「天枷さん、元気出して。あ、そうだ、私たちこれから公園のクレープ屋さんに行くんだけど、一緒に来る?」

 窺うように俺を振り返ることりの目は、少しだけ申し訳なさそうで、お願いの色を含んでいた。そんな顔をされて、逆らえるはずもなく。

「そうだな。財政は厳しいが、バナナクレープくらいなら奢ってやってもいいぞ」
「本当ですか!? いやぁ~、朝倉先輩も大人になったモンですね~」
「どういう意味だ」

 美春の頭を鷲掴みにして、乱暴に頭をこねくり回す。

「ひええ! し、失言でした!!」
「判れば良し。で、一緒に来るか?」
「それはもち……あ~、いえ、非常に心残りというか、後ろ髪引かれる思いなのですが、今日は遠慮しておきます」

 俺とことりを交互に見て、美春は急にしおらしくなった。こいつ、もしかして俺たちのことを気遣っているのか。

「いいの? 天枷さん」
「はい、お気遣いなく。美春には杉並先輩を監視し、風見学園の平和を守るという使命が……って、は! そうでした! 杉並先輩は!?」

 杉並がこの場からいなくなっている事実にようやく気付き、美春が素っ頓狂な声を上げる。

「あいつなら、もうとっくに行方をくらましたぞ。姿を見失うと、追跡は難しいか」
「いえ、大丈夫です! なんといっても、美春には音夢先輩から受け継いだ情報が……は! これ以上は関係者以外には他言できませんので、あしからず! では!!」

 不穏なことを言い残して、美春は杉並を追うためダッシュで去って行った。音夢め、美春に何を仕込んでいったんだ……。

「はは、気遣ったつもりが、気遣われちゃったみたいだね」
「だな。じゃ、気を取り直して行くか……の前に、いつまでそうしてるつもり?」

 現状、ことりと俺の片腕は密着している。落ち着くとそれが急に気になりだしてしまった。というか、学園内なため非常に目立つ。相手が学園のアイドルことりなら、尚更のことに。

「この体勢、嫌い?」

 顔が肩に乗るか乗らないかの位置あたりから、ことりが上目遣いで尋ねてくる。嫌いというわけではなく、むしろ押し当てられた柔らかい感触が気持ち良い。と、そんなことではなくて。

「……今、エッチなこと考えた?」
「え、あ、いや」
「心は読めなくても、朝倉君の今の表情は読めるよ」
「……面目ない」
「もう、しょうがないなぁ」

 ことりは名残惜しそうに絡ませていた腕を解いた。その代わり、ことりの左手が俺の右手を掴んだ。華奢な細い指先が組まれ、温もりが伝わる。

「これなら、問題ないよね?」
「そうか……?」

 どちらにせよ、好奇の目で見られることには変わりはないのだが、拗ねたように口を尖らせることりを見て、これ以上の抵抗は旗色が悪いと悟った。

「わかった」
「そうそう、私たち恋人さんなんだし、問題ないっすよ♪」

 俺はそうして、ことりの手を引いて歩き出す。不意を突かれて、ことりは少し小走りに俺の隣に並んで微笑む。そうした彼女の仕草を、たまらなく可愛く思った。


***


 桜公園の桜は、去年まで今の時期でも、というか年中咲き誇っていたが、今はすっかり散ってしまっている。
 慣れはしたが、長年親しんだ風景であったため、それを偲ぶ心があるのもまた事実。
 俺にとっては、それ以外にも偲んでおきたい理由もあったりするのだが。それはまた別の話だ。

「はい、朝倉君」
「ん、サンキュー」

 ことりからアイスクレープを受け取り、二人並んでベンチに座る。季節は夏に移ろうとする過渡期で、アイスの時期には少し早いが、決して悪くはない。

「美味しいね」
「多少甘ったるいけどな。それに、ことりのそれを見ると気分が倍増するし」

 ことりの両手には、味違いのクレープが二つ握られている。甘いものは別腹というが、本当なのかと信じてしまいそうだ。

「そうかな? これくらい、どうってことないっすよ」
「太るぞ」
「……」
「う、嘘。冗談だ」

 一瞬ことりの冷たい視線に晒され、慌てて言い繕う。それに対して、ことりは悪戯っぽい笑みを作った。

「私も、冗談っす」

 今のは本気の顔に見えたんだけどな……。

「それとも、朝倉君は、太った私は嫌い?」
「え?」
「今は見えざる努力でこの身体を意地しているわけですが、私が太らないという裏づけはないんですよ?」

 からかい半分、本気半分といった感じだろうか。冗談と言いつつ、やっぱり気にしてるのかな。
 俺は一つ深呼吸をして、ことりの目を見る。

「俺が好きになったのは、ことりだからだよ」
「それは、どういう意味で? 性格とか、体型とか、家族とか、全部ひっくるめた私?」
「難しい質問をするなぁ。まあ、なんというか、上手く言えないけど、決して太ってるとか、そんな端的な特徴を指してことりを嫌いになったりはしないさ。ことりと付き合って、そういう打算的な気持ちはないって言える自信はあるからさ」
「私は、朝倉君が太ったり髪が薄くなったりしたら幻滅するかも……」
「……マジ?」
「嘘。でも、恋する女の子は好きな人に振り向いて欲しいと思って努力してるんですからね。朝倉君も、私に愛想を尽かされないようにしてよね」
「ああ、俺が愛想を尽かすことはなくても、それは大いにあるかもなぁ」
「かったるい、ですか?」
「他ならぬ彼女のためなら、努力は惜しまないさ。俺の自慢だし」
「そ、そんな、自慢するほど大したものじゃないっすよ」
「いやいや、そんなことはないぞ」

 クレープの最後の一口を放り込み、ふとことりの持つクレープに目をやる。

「ことり、早く食べないと垂れるぞ」
「え、ああ! もう、朝倉君が変なこと言うから!」
「俺のせい?」

 慌てて溶けかけたアイスを食べながら、恨めしそうにことりは言った。

「そうだよ。太るとか、じ、自慢とか……」

 そう言うことりの頬は桜色に染まる。何気なく言った言葉だったけれど、かなり利いたらしい。

「と言われても、本当のことだからさ。太るっていうのは冗談だけど、自慢っていうのは本心」
「もう、褒めても何も出ないんだから」
「何か期待しているわけじゃないって――ん?」

 そのとき、ふと向かいのベンチに目が止まった。釣られて、ことりもそちらに視線を向ける。

「女の子……?」

 そこに何があるのではなく、ことりは俺が何に気付いたのか尋ねたのだろう。だから、俺は頷いた。
 目に止まったのは、ベンチの真中に一人ぼっちで座っている女の子だった。
 見た目、まだ小学校に入るか入らないかくらいじゃないだろうか。俯けた顔から出来た影が、浮かない彼女の表情を更に暗くしている。今にも泣き出しそうな感じだ。

「……かったるいな」
「朝倉君?」

 他人のことだと放って置いても構わないけれど、俺は腰を浮かして彼女の方へ足を向けた。見るに見かねるというやつだ。

「よお、どうしたんだ?」

 明るいボケも浮かばなかったので、差し障りのない言葉で話し掛ける。顔を上げた女の子と目が合うと、しばらくしてその目尻から光ものが溢れてきた。

「お、おい」
「う……ひく……」
「朝倉君、ダメじゃない。何やってるの」
「ことり、いや、俺はただ」

 悪いことをしたわけでもないのに叱られ、理不尽な気分だったが、俺は身を引いてことりを女の子の前へ通した。

「ごめんね、お兄ちゃんが怖がらせたみたいで。お願いだから、泣かないで」

 膝を折って女の子と視線の高さを同じにし、ことりは優しく微笑んで女の子に話しかけた。すると、女の子はぐずついた表情のままだったが涙を止め、ことりと向き合った。

「私は白河ことり、こっちのお兄ちゃんは朝倉純一。あなたの名前は?」
「……沙世」
「沙世ちゃん、ね。これ上げるから、元気出して」

 ことりはまだ手を付けていない方のアイスクレープを沙世に手渡そうと差し出した。沙世は何度かことりとクレープを交互に見たが、最終的に彼女はそれを受け取った。

「いいの?」
「うん、お姉ちゃんは、もう食べたから」

 ことりの笑顔に安心したのか、沙世は遠慮がちに、おずおずとクレープのアイスを舐め始める。すると、次第にその表情が喜びに綻んできた。

「美味しい?」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」

 笑顔を取り戻した沙世に、ことりの笑みも自然と深まる。その光景が微笑ましく、俺も自然と笑えていた。
 うーむ、甘いものっていうのは、それほど女の子にとって効果的なものなのか。恐るべし。

「それで、沙世ちゃんは一人でどうしたの? 迷子?」
「ううん……そうじゃないの」

 そして、ことりが肝心のところを聞くと、沙世はさっきまでとはいかないが、また表情を暗くした。

「お人形を、取られたの」
「苛められたのか?」

 俺の問いに、沙世は黙って頷いた。

「誰に取られたのかな?」
「啓太くん……近所の男の子。わたし、よく啓太くんにいじめられるの」
「ふむ、そいつは、とんだ悪ガキだな」
「その啓太くんが、どこにいるか判る?」
「たぶん……まだ公園の砂場にいると思う……そこで取られちゃったから」
「わかった、朝倉君」
「皆まで言うな。俺から関わったことだし、ちょっと行ってくる」
「ううん、私も行く。沙世ちゃんも行こう。お兄ちゃんが、お人形を取り返してくれるって」
「……うん」
「よし、かったるいが、ここは任せろ」
「朝倉君、その台詞はちょっと締まらないなぁ」
「性分なんだ」

 ことりの苦笑交じりの突っ込みを受けながら、俺たちは公園の先にある砂場へと向かうのだった。


***


 砂場に着くと、沙世の言った通り、沙世と同年代の男の子が一人遊んでいた。その手には、可愛らしい少女の人形がある。

「……なんか、端から見るとおかしい光景だな」
「沙世ちゃん、あの子が啓太君?」
「うん、そうだよ……」

 沙世が頷いた時、丁度こちらに気付いたのか、啓太が砂場から立ち上がってこちらに顔を向けた。

「あ、沙世! どこ行ってた!」

 啓太が早足に歩き、俺たちに目もくれずに沙世を掴もうと手を伸ばした。俺は、咄嗟にその手首を掴んだ。

「って! なんだよアンタたち」

 少し強過ぎたのか、啓太は顔をしかめて俺を睨んだ。少し加減するが、手は離さない。

「なんだはないだろ。お前、沙世の人形取ったんだろ? 男が女を苛めるのは、感心しないぞ」
「偉そうに説教すんな――むぐぅ!!?」
「ふふ、大人に対する口の聞き方がなっとらんようだなぁ、君?」

 素早く啓太の首に手を回し、ヘッドロックを食らわせてやった。もがくが所詮は子供、力の差は歴然だ。

「ギブ! 判った、判ったから離せって!!」
「離せ? うむ、まだ態度が改まってないな?」
「……!! は、離してください!」
「よろしい」

 勝利の感覚を掴み、俺は啓太を離してやった。

「朝倉君……顔が完全に悪役になってたよ」
「こういうのは、雰囲気が肝心だからな。ほら、その人形返してやれって」
「うう、くそ! 俺は悪くないぞ。苛めてなんかいない! 沙世が悪いんだ……」
「なんだと」

 言葉尻は弱いが、啓太はまだ反抗の意志を見せていた。俺はもう一度すごもうと試みたが、先にことりが割って入った。

「待って、朝倉君。相手がどうあれ、言い分があるんだったら、まずはそれを聞いてみないと。ね、話してくれないかな?」

 ことりに目を合わせられ、啓太は観念したように口を割った。

「……オ、オレが遊んでやろうって言ってるのに、沙世が人形で遊ぶって言うから……」

 あ、それって、典型的なアレか?
 俺と同じ事を考えたのか、振り返ったことりと目が合うと、彼女は子供二人には見せないように、くすりと笑みを漏らしていた。

「沙世ちゃん、啓太君はこう言ってるけど、沙世ちゃんはどうなの?」
「……わたしは、お人形さんも一緒に遊ばせてって言ったけど……啓太くんがダメって言うから……」
「なんだ、やっぱりお前が悪いんじゃないか」
「う……お、男が人形なんかで遊べるかってんだ」
「でも、だからってそれを取り上げて良いことには、ならないでしょう?」
「それは……」
「いい? 啓太君。沙世ちゃんも、少しお姉ちゃんの話を聞いてね」
「うん」

 口ごもる啓太と、招かれて寄ってきた沙世の肩のそれぞれをそっと抱いて、ことりはゆっくりと話し出した。

「沙世ちゃんは、啓太君と遊びたくないわけじゃないのよね」
「うん……お人形さんも、一緒だったら」
「でも、啓太君はそれは嫌なのよね」
「ああ……」
「じゃあ、それはどうしてだと思う? お互いが、どうしてそう思うのか、一度考えてみてくれないかな」
「どうしてって……あ……」

 啓太は何か思い至ることがあったのか、一度人形を見つめると、意外にもあっさりそれを沙世に手渡した。

「……悪かったよ」
「わたしも、ごめんなさい……」
「ん、二人とも、物分りが良い子だね」

 優しく微笑んだことりは、二人の手を取って仲直りの握手をさせる。そして、立ち上がって俺の前まで来ると、小気味良く片手を上げて敬礼のポーズをとった。

「これで、万事解決っす」
「みたいだな。でも、どうして?」

 どうして二人が急に仲直りしたのか、いまひとつ釈然としない。頭に疑問符を乗せる俺に対し、ことりは人差し指を口にあて、少し考える素振りそ見せた。

「そうだねぇ。二人が、ほんの少し自分の我侭に気付かなかったってことかな。あと、ちゃんと二人とも、他人のことを考えてあげられる優しい子だったってこと」

 ああ、そういうことか。
 ことりの言葉に、気持ちがすっきりと一本の線に繋がった気がした。
 自分の気持ちだけを相手に向けて、我を通そうとする行為。
 相手の気持ちが判らないから。自ら進んで判ろうとしなかったために起きた、些細な食い違い。
 要は、そういうことなんだろうな。

「多分、幼馴染ってところなんじゃないかな」
「そういうことか」
「そういうことです。それじゃ、私たちの役目は終わったことだし、行こ」
「だな」

 これ以上の介入は、逆にお節介。ことりはそう言いたかったのだと思う。最後に二人に別れの挨拶をして、俺たちは来た道を引き返していった。


***


「ところで、朝倉君。私にも、わからないことがあるんだけど、聞いて良い?」
「ん、なんだ?」

 しばらく二人で桜公園を歩いていると、不意にことりが立ち止まり、俺の顔を覗き込むように見て尋ねてきた。

「大した事じゃないんだけど……どうして、沙世ちゃんに構おうとしたのかなって思って」
「ああ、それは……聞いても怒らない?」
「答える前に、そういう質問はずるいよぉ。私が怒るような理由なの?」
「ことりの寛容さによるかな」
「うんうん、ドンと受け入れちゃうから、どうぞ気兼ねなく話してくださいな」

 ことりは余程引っ掛かってるのか、わざと陽気に振る舞ってせがんだ。俺は観念して、息を吐いてから口を開いた。

「あの子を見て、音夢を思い出したんだ」
「え……音夢を?」
「そう。あいつ子供の頃はよく迷子になったりしてたし、家に来た当時、俺たち家族に気遣って、あんな暗い顔してたんだよ。島の外に出て、新しい環境になって、またあんな暗い顔してないだろうなって、少し気になった。それだけだよ」
「そうだったんだ。やっぱり、朝倉君はなんだかんだ言って優しいんだよね」
「そんなんじゃないって……怒ったか?」
「え? なんで私が怒るの?」
「いや……こういうとき、音夢が相手だったら、怒りそうだなって、なんとなく思ったから」

 俺の言葉に、ことりが吹き出す。何か変なこと言ったか?

「それは、きっと朝倉君が勉強不足なんだよ。私は、朝倉君の気持ち、ちゃんと理解しているから怒らないよ」
「そうなのか?」
「そうそう。それに、音夢は将来私の妹になるんだから、私も朝倉君を見習わないとね」

 ことりの思いがけない言葉の不意打ちに、今度は俺が吹いた。

「おいおい、妹って」
「だってそうでしょ。同級生だけど、私のほうが誕生日早いし」
「そういうことじゃなくってだな……」
「じゃあ、どういうこと?」
「それは……」

 なんだか策士に嵌められた気分だ。判っていて言わせようとしているのだろう。ことりの真っ直ぐな視線が痛い。

「朝倉君には、そういう気がないってことなの、かなぁ?」
「違う違う。俺はことりのこと真剣だし、そんなことは――」

 慌てて言葉を探し、視線を宙にさ迷わせる。すると、ことりが声を出して笑い出した。

「ごめん、朝倉君。ついつい、調子に乗っちゃいました♪」
「ああ、そうか……冗談がきついぞ、ことり」
「冗談? 少なくとも、私が今言ったことは冗談じゃないよ?」
「あ、うん。それは、もちろんそうだが」
「本当に?」
「本当、本当」
「じゃあさ……」

 頬を赤く染め、ことりは少し言い難そうに唇を動かす。なんとなく、俺は次に来る言葉を予想していた。

「確かめ合おう、二人の気持ち」
「……今、ここで?」
「そ、今、ここで!」

 頷いて、本気の意をことりは告げる。公園だから人は通るだろうけど、ここは覚悟を決めるしかないか。

「わかった。それでは……」
「ん」

 言葉で互いの気持ちを確認した。なら、後残る伝え方は、一つしかない。

 唇に、愛しい人の温もりが重なる。

 今日出逢った子供たちのように、些細な食い違いで喧嘩もするかもしれない。
 将来の裏付けなど、人生は用意してくれはしない。
 だから、自分の手で掴まなければならないんだ。
 この気持ちを、いつまでも変わらぬ日々に。
 そして、それを伝える言葉を、温もりを抱いて。
 それさえ忘れなければ、きっと大丈夫。
 心は読めなくても、確かめ合う術を知っていれば、迷うことはない。
 二人は、どこまででも歩いていける。
 今の俺たちには、それが信じられるから、こうしていられるのだと、胸だって張れる。
 そうだろう?

 キスが終わり、瞼を上げることり。
 きっと、想いが伝わったはずだ。
 なぜなら、彼女が向けてくれた笑顔は、またとない今日この日のために輝いていたから。


(終)



[39510] 花見をしよう!
Name: 尾多悠◆fdb0865a ID:3f60d38a
Date: 2014/02/27 00:28
 ――お花見をしようよ!

 唐突に提案される、さくらのその一言が、今日の出来事の始まりだったことを覚えている。

 初音島に帰省し、風見学園に編入して日が過ぎた頃、この幼馴染は久しぶりに島の桜を満喫したいという理由で俺と音夢を花見に誘ってきた。
 他にも幼馴染どうしで旧交を温めようとかなんとか理由を言っていた気がするが、要は遊びたいから付き合えというものだ。
 正直桜なんて年中見ているし、そんなものを見るくらいなら家でゴロゴロしていたい。適当にあしらって断ろうと思っていたのだが、甲斐性なしだの家族サービスしろだの、さくらがブーたれ始めた頃、運悪く話を聞きつけた杉並がやってきてしまった。

「話は聞かせてもらった。後は俺に任せておけ」

 不穏な言葉と共に、そこからは話が杉並主導であれよあれよと決まってしまい、何故か大規模なお花見企画が立ちあがってしまったのだった。


***


「あ~ぁ、まったくもって、良い天気だよなぁ」

 青天白日とはこのことかと思うほど、輝く空。こういう日に二度寝をすると、たまらなく気持ち良いだろうなと、怠惰的な想像をしてみる。

「そうだね、絶好のお花見日和だよ♪」
「要するに、遊ぶ口実が欲しかったんだろ?」
「えへへ、まあそんなところかな。でも、お花見をしたかったのは本当だよ。久し振りに、初音島の桜を満喫したかったしね」

 左隣で肩を並べて歩くさくらは、少し首を傾けて屈託のない笑みを浮かべて言った。

「まぁ、確かに改まって桜を見物するというのも、面白いかもしれないわね。ね、兄さん」
「あ、あぁ、そうだな」

 そして、右隣で肩を並べる義妹の音夢。花見のことが決まり、音夢は今朝から妙に機嫌が良い。こういうときの音夢は、俺にとって何か都合の良くないことを企んでいるケースが多いため、少し不安になる。

「兄さん? 私、何か変ですか?」
「い、いや、別に。時に音夢、その手提げ袋のはいったい……」

 不安を噛み殺しながら、俺は音夢が持っているそれを見て、尋ねてみた。音夢とて女の子、何かと入用なものがあるのかと思ったが、どうも違うらしい。
 その手提げ袋は、例えるならそう、丁度弁当サイズほどの膨らみが見て取れるのだが。

「え、ええと……兄さん、怒らない?」
「怒るようなことをしたのか、お前は……」

 嫌な予感的中。音夢よ、兄は悲しいぞ。

「弁当はいらないと、昨夜あれだけ言ったというのに」
「だ、だって、食事は皆で持ち寄りなんでしょ。私たちだけ、何も持っていかないのは、ルール違反でしょ!」

 朝倉家の食事事情を知っているからこそ、免除された特権なのだが、我が家の料理で人を殺せる暗殺者にとっては、お気に召す話ではなかったようだ。

「ま、大丈夫ですよ。昨日は兄さんの監視の目があったからできませんでしたし。早起きしたけど、今朝からでは兄さん一人分しかご用意できませんでしたから」

 しかも、何気にさらりと死刑宣告までする始末。一瞬、世界が反転した色に見えたのは気のせいか。

「もう、お兄ちゃん。あんまり呆っとしないでよね。今日は目一杯楽しむんだから」

 と、ガシッと俺の腕を掴んで、構ってオーラを出したさくらが口を尖らせて見上げてくる。

「ちょっと、さくら、離れなさい!」
「えー、これくらいスキンシップの範疇だよ。したいなら、音夢ちゃんもすれば良いのに」

 さくらは俺の腕にしがみ付いたまま、半身を乗り出した姿勢で音夢へ言い返す。すると、音夢は火が点いたように顔を赤くした。

「な……! そ、そういう問題じゃありません!」
「ったく、朝っぱらからかったるい……ほらほら、さっさと行くぞ」

 さくらの腕を解いて、二人の頭に押さえつけるように手を置いて掻き回す。そして、虚を突かれて呆然とする二人を置いて、一人先を歩く。

「ちょ、兄さん! 待ちなさい!」
「待ってよ! お兄ちゃん!」

 二人の声と、追い掛ける足音を背中に受ける、こそばゆい感覚。
 俺、朝倉純一としては、これ以上今日の時間がかったるくならないことを祈るばかりだ。


***


 桜公園の入口が見えてきたところで、同時に見慣れた帽子を被ったことりの姿が見えた。ことりは俺たちに気が付くと、笑顔で手を振ってきた。

「こんちはっす。朝倉君、両手に花で登場ですね」
「ははは、こいつらはそんな大層なモノじゃあな――!」
「兄さん、何か仰いましたか?」
「何も聞こえてないよね、音夢ちゃん?」

 言い終わる前に、音夢に踵でつま先を踏まれ、さくらに腕を抓られる。なんでこいつら、こんなときだけ息がピッタリなんだ。

「ええっと、それじゃ、行きましょうか」

 困ったような苦笑を浮かべて、さあどうぞと言った風に手を広げて道を示す。

「白河さん、もう皆来てるの?」
「ええ、あとはお三方だけですよ」

 さくらの質問に、ことりは頷く。音夢とさくらのやり取りに付き合っているうちに、時間を食ってしまっていたみたいだ。

「すいません、わざわざ迎えに来てくれたんですね」
「いえいえ、性分なので気にしないでください」

 申し訳なさそうに言う音夢に、口元に手を当てて人当たりの良い笑みを浮かべることり。彼女のそうした仕草と表情を見ると、なんとなく安心する。癒されるっていうやつか。

「それじゃ、行くか」
「はい、皆さんお待ちかねですので、ちゃっちゃと歩いちゃいましょう」

 弾ませたことりの声に導かれ、俺たちは揃って歩いた。見慣れた桜も、今日は特別な日なのだと意識することで、不思議と新鮮に見える。
 普段見慣れているという意識から、特別意識して見ようとしていないせいだろうか。青天に映える鮮やかな桜色の景色は、とても綺麗だった。


***


 初音島の枯れない桜の中心となっている大木。今回の花見の場所はここだった。
 桜が年中咲き誇るようになってからは、わざわざ場所取りに躍起になる必要もなくなった。というか、現状初音島で花見をしようって言うのは俺たちくらいのものかもしれない。

「朝倉! 遅いわよ!」

 現場にたどり着くや否や、拳を固めて立ち上がった眞子の怒鳴り声を食らった。確かに、集合時間を多少過ぎてはいたが、まさか最後だとは思わなかったため、返す言葉がない。

「まぁまぁ眞子ちゃん。せっかくのお花見なんですから、怒っていては勿体無いですよ」
「さすが先輩は、話がわかる」
「はぁ、もう……しょうがないなぁ」

 眞子の隣で正座している萌先輩に毒気を抜かれ、眞子は大人しく再びシートに腰を下ろした。この人の言葉には、人を萎えさせる力がある。

「音夢せんぱーい! お待ちしておりました! ささ、どうぞこちらに!」

 さて、何処に座ろうかと思った矢先、美春の威勢の良い呼び声がした。音夢は「もう」と少し照れ臭そうに言うと、美春のところに歩いていく。

「美春、あんまり大声で呼ばなくても聞こえるから」
「いえいえ、美春の音夢先輩への愛は、この程度で収まる程の物ではありませんので、せめて声だけでもと思いまして。どうぞお構いなく」
「私は構うの! もう……隣、良いよね?」
「もちろんです! 朝倉先輩も、芳乃先輩もどうぞー!」
「――うむ、そういうわけで早く座れ。皆、宴の始まりを待っているのだからな」
「どわ、杉並!」

 と、いきなり杉並が背後から湧いて出てきた。相変わらずこいつの登場パターンは予測がつかん。

「朝倉、お前の言いたいことは判らんでもないが、そのような疑問を持つことは愚と知るが良い」
「……付き合ってられん」
「そうだ朝倉、杉並にいちいち付き合ってやる必要なんてないんだから、早くしなさい」
「へーい、って、暦先生っ!?」

 慣れ親しんだ担任の自然な口調に危うくスルーするところだったが、寸でのところで顔を振り向かせる。ことりの隣に座っているのは、間違いなく暦先生だった。

「ん? どうした朝倉。鳩が豆を打ち込まれたみたいな顔して」
「い、いやぁ、あまりに意外な方がいらしているのだなぁと思いまして……」
「なんだい、私がいちゃ都合が悪いのかい? 何かよからぬことでも企んでいたんじゃないだろうね?」
「いえ、滅相もないです」
「ふ、冗談だよ。今日はことりに誘われてね。これだけ数が揃うと保護者も必要だろうってね。ま、今日は教師としてではなく、ことりの姉としてお邪魔させてもらうつもりだから、変に緊張しなくても良いからね」
「は、はあ」

 どこか不敵な感じのする笑みを湛える暦先生。なんだかちょっとした集まりのつもりが、かなりの規模に膨らんでいるような気がしてきたぞ。

「ふぅ、それじゃ、失礼するぞ」
「やっと落ち着けるねぇ」

 そして、ようやく美春たちが陣取るシートに座ることができた。ちらほらと桜の花びらが舞い落ちており、雰囲気が出ている。

「先輩……こんにちは」
「あ、月城も来てたんだな」

 美春の右隣、今俺の居る位置の正面には、マリオネットを抱えた月城アリスが座っている。

「そうですよ、美春がお誘いしたんです」
「もう、兄さん。今日来る人も知らなかったんですか。月城さんに失礼ですよ」
「いやぁ、あまりにも済崩しというか、勢いで決まったようなことだったし。悪い、月城」
「『うん、アリスは気にしてないってさ。今回は許してあげるよ』」

 と、月城から発せられている言葉なのだろうが、月城とは別の声でマリオネットの「ぴろす」が喋り出す。
 いわゆる腹話術というやつなのだろうが、月城本人はそれを認めるような発言はしないため、ぴろすのことはそういう解釈で皆通していた。
 しかし、判っているとはいえ本当に生きているみたいにリアリティがあって、不意を突かれると未だに驚いて現状を認識するまでしばらく固まってしまうのだが。

「……大丈夫ですから」

 周囲の空気を感じ取ってか、少し顔を赤くして、月城本人が消え入るような声で呟く。

「そ、そうか……なら、良かった」

 月城はまだ何か言いたそうに一瞬俺を見たが、すぐに視線を反らして黙ってしまった。

「――さて諸君! 本日は花見の席に集まってくれたことを感謝する! まぁ初音島の住人の諸君等にとっては感慨もないかもしれんが、目的の大本は大いに騒ぐことだ。それでは、各人に飲み物が行き渡ったようなので、乾杯といこうっ!」

 杉並が仕切り、花見の開幕の音頭を取る。皆待ちかねたかように回された紙コップを手に取り、一斉に声を揃えた。

「それでは、乾杯っ!」
「「カンパーイっ!」」

 そうしてコップに口をつけて程なくして、俺は異変に気付いた。

「――っておい、杉並!」
「ん? どうした朝倉」
「お前、これ酒だろっ!」

 一見ジュースに見えるが、口をつければ微かにアルコール独特の匂いがする。杉並は知れたことと言わんばかりの顔つきで不敵に口端を持ち上げていた。

「何を言う朝倉。酒がなくては宴は始まらんではないか」
「そういう問題か!」
「そう怒鳴るな。何もビールや日本酒を飲まそうというわけではないのだ。せいぜいジュース感覚で飲めるもので害はない」
「まぁ良いじゃないか朝倉。そこまで目くじらを立てることじゃないよ」
「暦先生、あなたはそれでいいのか」

 意外にも杉並へ助け舟を出す暦先生。仮にも教師が教え子の飲酒を見過ごしていいのか。

「言っただろ。今日は非番だ。こういうのは、本人の自覚の問題だからね。ま、ほどほどにしとく必要はあるから、危なそうだったら止めるように気をつけることだ」

 それで良いのか。誰も文句を言っていないようなので、これはこれで良いのか?

「兄さん、落ち着いて座ってください。恥ずかしいんだから」
「あ、ああ。音夢、お前平気なのか?」
「あ、うん。本当にジュースみたいだったので、つい勢いで飲んじゃった」

 音夢はバツの悪そうな笑みを浮かべながら言う。音夢の紙コップを満たしていた液体は、半分以上なくなっていた。

「杉並先輩、これのバナナ味はないんですか?」
「うむ……そうくると思ったのだが、不覚にも入手することはできなかったのだ……」
「あぅ~、それは残念です……」

 こいつはこいつで乗りが良いし。

「みなさ~ん、お鍋が煮えてきましたので、どうぞ召し上がってくださ~い」

 そして、こんなときでも萌先輩は鍋を忘れない。物珍しそうに、皆鍋の周りに集まり出す。

「あたしは止めとけって言ったんだけどねぇ……」

 先輩の隣では、眞子が身内の恥でも晒しているような面持ちで、片手で顔を覆って溜息をついていたまぁ、折角なのでご相伴にあずかることにしよう。

「ああ! シャケが入ってますよぉ」
「はい、今回の鍋は石狩鍋なんですよ」

 と、鍋の中を見て感動に打ちひしがれている巨大なピンク色のクマがいた。本人は平気なのだろうが、見ているこっちはそれだけで暑苦しくなる存在だ。

「シャケにこのような楽しみ方もあったとは、地球人の知恵も侮れないものがありますね」
「そうですねぇ。鍋を始めに考えた方を尊敬します。そもそも、石狩鍋というのは――」
「ふむふむ、お鍋一つを取っても、様々な歴史があるんですね」

 そして、その隣で気が付けば、ななこが萌先輩の鍋談義を熱心にメモしているし。なんというか、本当に好き勝手な面子が揃ったものだ。

「んー、お花見に鍋って言うのも乙ですなぁ」
「本当にお前は、順応が早いな」

 躊躇うことなく鍋をつつき始めるさくら。こいつはこいつなりに、しっかり楽しんでいるようだな。

「うん、ボクお鍋好きだし。一つのものを皆で共有するってところが良いよね。心も、身体もポカポカ暖かくなるよ」
「そうですねぇ。団欒というのも、鍋の醍醐味の一つですから」

 そうして、皆も持ち寄った食料を披露し、わいわいと賑やかな時間が過ぎて行く。さくらの言う通り、こういう皆一つで同じものを共有するっていうのは、悪くないものだなと思う。

「ねぇ、兄さ――」
「あ、ことり、それ貰ってもいいか?」
「ええ、どうぞ。工藤君がつくったお弁当もありますから、そっちも食べてあげてくださいね」

 ことりが用意してきたランチボックスに収まった洋風のおかず類に対して、工藤の弁当は重箱で、中身は純和風といった顔ぶれだった。重箱なぞ正月でおせち料理を食うときぐらいにしか見たことがない。しかも、そこはかとなく高貴というか、上品な雰囲気を漂わせている。

「ね、兄さ――」
「へぇ、工藤は料理もできるのか」
「なんだ、朝倉は料理できないのか?」

 いや、できることならできるが、この料理を前にするとそういう見栄も言えなくなるというものだ。

「ちょっと! 兄さん!」
「ぐはっ!」

 不意に襟首が引っ張られ、首に容赦ない力が加わる。ああ、判っていた。判っていて、あえて気付かない振りをしていたのだ。

「ど、どうした音夢。トイレか?」
「違いますっ! もう、どうして無視するんですか」

 激怒していたかと思えば、拗ねたように潤ませた瞳を上目遣いに見上げてくる。そういう顔をされると、正直弱い。
 しかし、騙されてはいけない。ここで気を許してしまうことは、音夢の持つ弁当を食わねばならんということだ。命は惜しい。だって人間だもの。

「他の方の料理を召し上がるのもいいですが……その、そろそろ私のお弁当も食べて欲しいのですけれど、よろしいでしょうか?」

 皆が居る手前、裏モード全開の笑顔で問い詰めてくる。それは怒りよりも、無言も迫力よりも恐ろしいものがある。食わねばヤられるし、食ってもヤられる。選択肢は違うが、バッドエンディングは免れない状況だ。

「なあ、音夢。俺はノーと言える日本人になりたいんだ」
「そうですか。では、私も兄さんの言い分に関しては、全て却下させていただきますので、そのつもりで」

 隊長! 防衛線は僅か三秒で崩壊しました!

「さ、とりあえず戻ってお弁当をいただきましょう」

 腕を絡めて逃がさぬと意思表示をする音夢。ここまでか。まぁ、何度も音夢の料理は食べているし、死ぬことはないだろう。気構えさえしっかりしていれば、多少のことで意識は落ちまい。


 ――そうだ。そう思わなければ、この逆境を乗り越えることなど不可能なのだ。


 しかし、こう周囲の空気が妙に他所他所しいのは気のせいだろうか。皆一緒にいるはずなのに、何故か俺と音夢の周りだけ見えない壁がそびえたっているような気がする。新手の苛めかっ!?

「朝倉!」
「な、なんだ眞子?」

 何故か距離を置いて呼び掛けて来る眞子に答えると、奴は右手を突き出し、親指をグッと立てた。

「介錯が必要なら、いつでも言いなさいよ!」
「爽やかな笑みを浮かべていうことかぁっ!!」
「あ、あの、朝倉様」
「今度は環か。いったいどうした?」

 環は何故かこの世の終わりでも立ち向かうような真剣な表情で、俺を真っ直ぐに見据えていた。

「これから、お食事をなさるのですよね?」
「え、まあ、そうなるかな」

 このままの流れだと、不本意ではあるが、音夢の手料理を食べることになるのだろう。

「その運命を、朝倉様のご意志で変える事はできないのでしょうか?」
「う、運命? それはつまり――」

 音夢の誘いを断れと言うことか。だが、さっきの会話で既に退路は断たれている。どう足掻いても、音夢は俺に手作り弁当を食べさせる気なのだ。

「環、残念だが、俺の力じゃその運命というのには逆らえない気がするぞ」
「そ、そんな! それでは朝倉様が――」

 悲壮な表情で声を上げる環。が、それがマズイと思ったのか、環は咄嗟に口を押さえて俺から視線を反らした。

「な、なんだ? 俺がどうするっていうんだ?」

 当然、そんな態度を取られたら気になる。俺は尋ねるが、環は首を横に振った。

「いえ、失言でした。どうか、お気になさらないでください」
「いや、それは無理ってもんだろう。さわりだけでもいいから、教えてくれ!」

 あくまで俺とは視線を合わせず、難しい顔つきをして環は言う。それは、本当に未来を見ているかのような感じで、強迫観念に駆られる。

「朝倉様。運命が変えられないというのなら、私はせめて、あなたの無事をお祈りしております。ご武運を」

 最後にどこか達観した瞳で俺を見て、環は俺の元を去って行った。ああ、環よ。お前には何が見えているんだ。そんなに俺は酷い目に遭うとでも言いたいのか!?

「さあ兄さん、お覚悟を」
「なんで食事をするのに腹を括らねばならんのだ……くそ、その前にちょっとタンマだ。トイレに行かせてくれ」
「はぁ、もう、仕方ありませんね。早く済ませて戻ってきてくださいよ。くれぐれも、逃げようなどとは考えないように」

 絡まった音夢の腕が解かれ、一時身軽になる。もちろん、トイレとは時間稼ぎの方便でしかない。
 折角覚悟をした気持ちが、環との会話で崩れ出したせいだ。今、朝倉純一が生存権を賭けて行えることといえば――

 1.もう一度音夢を説得する
 2.逃げ出す
 3.他人を巻き込み自分の被害を抑える

 1……いや、ダメだ。意固地になった音夢を説得することは、自分の首を余計に絞める結果にしかならない。
 では、2ならどうだろう。やはりダメだ。仮に逃げ切れたとしても、帰る家が一緒なのだ。後でどんな報復があるかわからない。
 ならば、残るは3だ。今俺を遠巻きに見物していやがる連中の中から、誰か説得して巻き込むのだ。
 今朝、音夢は弁当は一人分だと言ったが、それでは俺の意識の致死量を超える。それはマズイ。非常にマズイ。

「――そういうわけで、さくら。ちょっと付き合え!」
「うにゃぁっ!?」

 鍋を囲むさくらの腕を掴み、問答無用で引き摺っていく。お隣さんどうし、仲良く地獄を見ようじゃないか。

「お、お兄ちゃん、いつになく積極的だけど、どうかしたの?」

 で、さくらをとりあえず皆から遠ざけたところに連れて来た。さくらは何事かと、きょとんとした表情で俺を見つめている。

「背に腹は代えられぬという言葉を知っているのなら、何も聞くな……さくら、俺のことが好きか?」
「にゃ!? う、うん、好きだけど……」
「よし、では俺と共に死ね」
「……お兄ちゃん、それはそれで一つの美しさはあると思うけれど、ボクには無理だよ。ボクは生きて愛を感じたいし」
「おお、さくらよ! お前には俺の痛みが判らんというのか!?」
「大袈裟に言ってもダメだよ。お兄ちゃん……ボクには地獄を見る勇気はないな」

 さすが付き合いが長いことあってか、さくらは今の会話で俺が言わんとするところを理解したようだ。

「それに、音夢ちゃんが可哀想だよ。一生懸命お兄ちゃんのために頑張ったんだろうし、受け止めてあげなくちゃ」
「うう……さては、お前音夢の刺客か?」
「にゃはは、ボクを頼ってくれたのは嬉しいけど、今は音夢ちゃんの味方になってもいいかなって思っただけだよ。頑張ってねお兄ちゃん。これ以上待たせると、音夢ちゃん本気でヘソを曲げちゃうよ?」

 そう言って、さくらは俺の背を叩いて戻るように促す。これ以上説得しても協力は得られそうにないな……。

「わかった……さくら。俺は孤独に戦うことにする」
「はは……大袈裟だなぁ。気持ちは判らないでもないけどね」

 悲壮な俺の決意に、さくらは苦笑で応える。ああ、見事散って見せるぞ。


***


 ザアザアと、浜に打ち寄せる波を思わせる音を立て、桜の木が揺れている。
 無限とも、閉鎖的とも取れる曖昧な世界に充満する、狂おしい程の桜の香気。

 ――ああ、これは夢だ。

 むせ返るように、漂う意識はその中で覚醒した。
 他人の夢に紛れ込み、その中を見ること。俺の持つ変な特技の一つだ。
 誰の夢と限定はできず、それはただ漠然と目の前に流れる情報に過ぎない。
 けど、俺はいつ眠ったんだ?
 皆と花見をしていたところまでは覚えているのだが、前後の記憶が抜け落ちている。変な感覚だった。

 ――そりゃそうさ。お前は眠ったんじゃなくて、意識が落ちたんだからね。

 夢の中に響き渡る声。
 そして、目の前に現れる、さくらに良く似た少女。
 だが、その実質は少女なんてものじゃない。
 あれは魔女だ。
 面倒臭がりで、子供っぽい願いを持っていて、それを願って桜の木を植えた魔女。
 その桜の木の下で花見をしていたのだ。この人が覗いていても、不思議なことではないだろう。

「で、ここは誰の夢なんだ?」

 彼女は少し考えるように首を傾げ、次に横に振った。

「夢というか、深層心理ってやつかな。お前の落ちた意識を吸い上げて、こっちの意識側に持ってきたんだけどね」
「はぁ、要するに、ここはあんたの意識の中ってことでいいのか?」
「そういうことさね」
「で、何で俺を呼んだわけ?」
「いやね、礼を言っておこうと思ってね。久々に、楽しい思いをさせてもらったよ」

 その見た目少女の魔女は、年季の入った笑みを浮かべた。今の俺に意識だけでなく、身体もあったなら、肩でも叩かれていただろう。

「そうか、騒々しいって怒られなくてよかったよ」
「ああ、でもゴミはきちんと持ち帰るように。でないと、また夢に出るからね」
「了解、他に何か聞いておくことは?」
「いや、取り立ててはないよ。お前をここに呼んだのも、気まぐれだしね。呼び出そうと思えば、いつでもできるしさ」
「そう何度も呼び出すなよ。そんなんじゃ、ありがたみがなくなる」
「おや? お前はアタシを有り難く思ってくれているのかい?」

 俺の言葉に、魔女は意外そうに目を丸くした。
 ああ、そうか。俺はこの人を、そんな風には言わないな。

「いや、かったるいから、なるべく呼び出さないでくれると助かる」
「ははは! それでこそ、お前だ。かったるいなりに、アタシに代わって、音夢とさくらを宜しく頼むよ」
「それなら、あんたがやればいいじゃないか。俺に話しかけることができるんだから」
「夢は覚めれば忘れるものさ。それに、アタシはもうそっちにはいない。いなくなった人間が、そう何度もお節介をするわけにもいかないだろ」

 よく言う。この桜の木の魔法こそ、あんたが焼いた一世一代のお節介ではないか。
 本質的に、俺とこの人は似ているんだろうなと思う。でも、この人の方が俺の何倍もしたたかだ。生きてきた年数が違うのだから、当然といえば当然の話。結果、貧乏クジを引くのは俺というわけだ。

「つまるところ、結局あんたもかったるいって話か」
「そういうことさね。それじゃ、あまり長居されてもアレだから、そろそろ目覚めなさいな」

 ザアザアと、桜の花びらの波が押し寄せる。カメラのレンズが塞がれるように、意識がそれに覆われ、暗くなっていく。

 ――それに、直接話すのは気恥ずかしいからね。その点では、お前には感謝しているよ。

 その夢で聞いた最後の声は、少女の声だったか、幼い頃によく聞いたしわがれた祖母の声か。
 まぁ、どちらにしても、その本質は変わらないのだろうけどな。


***


「――はぁッ!!」
「――ッ!!?」

 目覚めたと同時に、背中にズドンとハンマーにでも殴られたかのような強い衝撃が圧し掛かった。
 危うく再び夢の世界へ落ちかけそうになる意識をなんとか持ち直させて、俺は背後の容疑者を振り返る。

「あ、朝倉。目、覚めたみたいね?」
「眞子、一つ尋ねる。今のは俺に止めを刺すつもりでやったのか?」

 容疑者氏名、水越眞子と断定。というかこんな遠慮のない馬鹿力で俺を殴るのは、こいつしかいない。

「やあね、あたしは単に気付けをしようとしただけよ」
「こっちは死ぬかと思ったがな……」
「まあなんにせよ良かったではないか。朝倉が倒れたままでは、おちおち花見もできんからな。では、続きといこう!」
「何事もなかったかのように仕切るなぁッ!!」

 杉並の合図で、皆良かった良かったと談笑を再開し始める。なんとも不遇な扱いだ。拗ねるぞ。

「あの、兄さん……大丈夫?」
「音夢か。ああ、なんとか命は繋いだよ」
「お兄ちゃん、一気に音夢ちゃんの料理食べて、一気に倒れたもんねぇ。まさに怒涛の勢いでしたーって感じ」

 記憶が曖昧だが、どうやら俺は苦しみは短い方が良いと判断し、大量の毒を一身に受けた衝撃で倒れたようだ。やはり、意識の致死量は超えていたか……。

「兄さん、何か自分に感動しているようですが。私にとって物凄く不名誉なことを思っていませんか?」

 心配の顔から一転、じと目で睨んでくる音夢。いや、流石にそれは俺の口からは言えないぞ。

「はぁ、とりあえず俺は少し休む。お前たちは、適当に楽しんで来いよ」

 万歳をする形で仰向けに倒れ込む。なんだかどっと疲れた。皆には悪いが、しばらくこうしていよう。

「ん、じゃあボクも」

 俺に倣うように、ゴロリと俺の左隣に寝転がるさくら。顔を向けると目が合い、さくらは幸せ一杯といった感じの笑みを浮かべる。音夢は俺の右隣に座り、俺とさくらの様子を何か言いたげに眺めていた。

「ま、なんだ……また、来ような」
「「え?」」

 二人は同種の疑問の声を上げ、俺を見つめる。

「また、こうやって馬鹿やってさ。花見でもできたらいいなって。そうだな……今度は、この桜の木が、うるさいって迷惑に思えるくらい、派手に騒げたら上出来かな」

 頭上に広がる満開の桜を見上げる。瞬間、風が吹き、舞い散る花びらの群れが宙に踊った。

「うわあ!」
「凄いです!」
「ほう、これは中々」

 次々と上がる感嘆の声。世界は、この一瞬だけその光景に支配された。
 風に運ばれる桜の香。それは、夢に見た光景と酷似していた。

「あは、それは面白いかもしれないね。ううん、きっと楽しいよ!」

 舞い踊る花びらを見て、さくらは悪戯っぽく笑いながら俺の意見に賛同する。

「そうですね。兄さんがそう言うなら、悪くないかも」

 苦笑に近い微笑みで、音夢も賛同してくれた。なら、決まりだな。
 ゆっくりと、蝶のように舞い落ちる桜の花びら。
 それは、あの人なりに礼を言っているのか、どんと来いと挑戦的なものなのか……多分、両方だろうな。
 なんにせよ、好意的な意味だけは感じ取れたので、それで問題ないだろう。

 手を天に突き出し、広げた掌に花びらを一枚受け、握り締める。
 申し訳程度に感じる、太陽の光が残した微かな温かさ。
 やっぱり、かったるいかもな。
 などと、さっきの自分のらしくない発言に苦笑する。
 けれどまあ、なんとかなるだろう。
 根拠のない理由を信じ込んで、その日を思い浮かべながら、深く息を吸い込む。
 俺たちは元気にやってるから、一応見守っておいてくれよな。

 そしたら、また次の季節で、こうして騒げるはずだから。
 桜は年中あるから花見はいつでもできるが、年に一回ってことにしよう。その方が有り難味があるだろう。
 風に揺れる花びらの中に、夢で見た少女の影が笑っている。
 それは錯覚ではない。
 なぜなら、この桜、願いこそ彼女のお節介。残した想いなのだから。

 桜が舞う。
 その中で、俺たちはこれから始まる春の日を思うのだった。


(終)



[39510] 願わくば、幸多き日々を(メイン:桜内義之、朝倉音姫)
Name: 尾多悠◆fdb0865a ID:3f60d38a
Date: 2014/03/02 09:01

 ――願わくば、幸多き日々をあなたに。


 願い終わり、俺は桜の木の幹に当てていた額をそっと離し、既にその花を散らした桜を見上げる。

 夕暮れに染まるその姿は、どこか物悲しい。


 ――あなたは、幸せでしたか?


 語り掛ける相手はいない。声には出さず、今はいないあの人を想う。

 答えはなく、桜は冷たい風に枝を揺らすだけ。

 心に、懐かしさに似た淋しさが募る。その重さに負け、下げた額をもう一度幹に当てる。

 そっと、慈しむように。

 そうすれば、より深くこの願いが届く気がしたから。

 そして、胸に堆積する寂寞の想いを噛み締めながら。


 ――ありがとう。


 謝れば怒られることは目に見えている、だから、せめて礼を言おうと思った。

 心に免罪符を求めるように、ただ、ひたすらに。

 やがて、微かに夜気をまとった冷たい風が肌に吹きつけ、現実に戻る。

 まるで、もういいから早く帰りなさいと言われているようだった。


 ――あなたは、幸せでしたか?


 沈んだ顔を上げることができず、声に出さない問いを繰り返す。


 ――ありがとう、俺は今、幸せです。


***


 朝というやつは、いつも決まってやってくる。
 当たり前のことを思って、「ああそうだな」と、当たり前のように納得する。
 要するに、今日という日の朝がやってきたのだ。

「兄さん、いつまで寝ているですか? いい加減起きてください」

 寝ぼけた頭で益体もないことを考えていると、ズカズカと俺の城に土足で入り込んでくる足音と声が聞こえ、朝のまどろみの時間はあっさりと打ち破られた。

「兄さん?」

 声が間近になる。ここで負けるものかと、俺は布団を頭まで被り、無言で徹底抗戦の意志を示す。
 その俺の絶対に起こされてたまるかという意思表示に、案の定「はぁ」と、かったるそうな溜息が聞こえた。

「起きているのは判ってるんですから、さっさと起きてください」

 ゆさゆさと、多少強引に布団越しに揺すられる。だが、そんなことで突破されるほど、俺の防衛線は甘くはないぞ!

「まったく――それっ!!」

 が、敵が本腰を入れて掛け布団を引っ張ると、あえなく防衛線は崩れてしまった。

「うわああ、眩しい、溶ける」
「ワザとらしい演技をしなくてもいいですから」

 白日の下に晒されて身悶える俺に、由夢の冷たい視線が突き刺さった。

「くそ、由夢。お前なら二度寝の素晴らしさを理解してくれると思っていたのに」
「や、それとこれとは別問題ですから。お姉ちゃんも朝ご飯用意して待ってるよ」

 そう言うと、制服姿の由夢は口元に手をあて、可愛らしく欠伸をする。大方、こいつも音姉に二度寝を阻まれた口なんだろう。
 枕元の時計を見れば、まだ目覚ましの鳴る五分前だ。つまり、俺の実力ならば後五分は眠れるということになる。そういうわけで、由夢には悪いが――

「あ、そうだ、兄さん」

 俺が奪われた掛け布団を再び被ろうとしたところで、部屋を出て行こうとした由夢が振り返る。そして、

「あんまり遅いと、お姉ちゃんに『兄さんはお姉ちゃんの朝ご飯より睡眠が大事だ』って言ってたと伝えますから」

 と、澄まし顔でとんでもないことを口にしやがりました。

「あの、由夢様?」
「兄さん、早く支度して下りてきてくださいね」

 ニヤリと顔に貼り付けた脅迫の笑みを見せると、由夢は制服のスカートを翻し、どこか優雅な仕草で去っていく。扉が閉められる音と、トントンと軽やかに去りゆく足音が耳に残響した。

「……しゃあない、起きるか」

 音姉のことだ。由夢の言うことが嘘だとわかっていても、それを想像してしまうだろう。音姉に拗ねられると、後が困る。
 一度大きく伸びをし、眠気を打ち負かすように俺はベッドから跳ねるように身を起こして降りた。

「さて、今日も一日を始めるとするか」


***


「おはよう」

 居間に入ると、既にテーブルにはご飯に味噌汁、鯵の開きと青菜のおひたしと、和食の朝食が並んでいた。

「弟くん、おはよう」
「おはようございます、兄さん」

 音姉と由夢はそれぞれ向き直り、朝の挨拶をする。早速三人で食卓を囲み、朝食を始めることにした。

 四月になって俺が風見学園の本校に入り、およそ一ヶ月くらいが経った。
 こうして、音姉と由夢と芳乃家で朝食を食べるのも、違和感がなくなっている。
 とはいえ、一年前までは一緒に暮らしていたし、夕飯は年の半分くらいは一緒だったから、食卓に二人が居るのはそれほど違和感のある光景というわけでもないのだが。
 きっと、気の持ちようってやつだろう。
 ちらりと、隣の音姉を盗み見る。

「ん? どうかした弟くん?」
「あ、いや、なんでもない」

 俺の視線に気付いた音姉は、口を付けかけた味噌汁のお椀を離して尋ねてくる。首を振ると、少し怪訝な顔をしながらも朝食を再開した。
 と、今度は逆に俺が視線を感じる。振り返ると、由夢がどことなく棘のある視線を俺に向けていた。俺と目が合うと、ワザとらしく「ふん」と顔を背ける。なんだ、いったい?

「そういえばさ、どうして今朝は由夢が起こしに来たんだ?」

 俺としては何気ない疑問を口にしてみただけなのだったが、音姉が「そうなのよ!」と、何やら喰いつき良く話に乗ってきた。

「私が起こしに行くって言ったんだけど、由夢ちゃんが『今日はわたしが起こしに行く』ってきかなかったのよ」

 音姉の口振りは明らかに非難の色があった。それに対し、由夢はあくまで冷静に、

「それはほら、お姉ちゃんは朝ご飯の用意もしているし、兄さんを起こすくらい、わたしがやっても良いと思っただけで」
「嘘つけ。お前は居間でゴロゴロしながら飯を待ってるというのが定番だろ」

 由夢のぐーたらは筋金入りだ。それも朝という状況で、ただでさえ寝起きの悪い由夢が自発的に姉を思いやって手伝いをかって出るなんて、万に一つもあってたまるものか。言ってて悲しくなってくるが、それが朝の日常というやつだ。

「む……わたしだって、いつまでも兄さんみたいに呆けているわけじゃないんですからね。それに、お姉ちゃんが兄さんを起こしに行くと、大抵イチャついて遅くなっちゃうし」

 そう言って、逆に今度は由夢が非難の目を音姉と俺に向けた。反撃を受けた音姉はバツの悪そうな、誤魔化しの笑みを浮かべて視線を由夢から外している。

「まったく、のろけるなら二人だけのときでやってよね。わたしまで、優雅に朝食を取る時間を取られるのは嫌なんですから」
「だ、だって仕方ないじゃない。弟くんの寝顔だよ! すっごく可愛いんだよ!」

 音姉は焦った口調で言い訳を口走るが、まったく説得力がなかった。というかお姉様、俺は愛玩動物か何かですか。

「音姉、俺の寝顔をいつも見てたのか?」

 それはそれで俺に対して失礼というか、まぁ相手が音姉だと思うと多少こそばゆい気もするけれど、一応問い質してみる。

「え、えーと、うん……ダメ、だったかな?」
「いや、そういうわけじゃないけど、なんか改めて見られたって思うと、なんか照れる」

 音姉は上目遣いで、申し訳なさそうに訊いてくる。そんな訊き方されたら、元から怒っていたわけではないけれど、怒りも行き場を失うだろう。

「はいはい、ごちそうさま。二人とも、早く食べないと遅刻しますよ?」

 白けた目で俺たちを見ながら、コホンと咳払いをした由夢が宣告する。由夢は既に朝食を食べ終えており、席から腰を上げると食器を纏め手持ち上げ、台所へと向かった。

「はぁ、結局こうなるんだから。わたしは先に行くからね」
「わ、由夢ちゃん、ちょっと待って! ほら、弟くんも早く食べちゃって!」

 時計を見て慌てだした音姉が、俺を急かす。確かに、このままのんびり朝食を楽しむという選択をする時間はないようだ。

「もう! みんな弟くんがいけないんだからねっ!」
「え!? 俺のせいになるわけ!?」
「そ! みんな、弟くんのせい!」

 そう言いながら急いで朝食を食べる音姉の表情は明るい。そんな音姉の顔を見ていると、一方的に悪者にされる理不尽さも、どことなく楽しいものに変わっていくような気がした。


***


 そんなこんなで、少々慌しくもあったが、俺たちは三人で学園まで向かうことができた。
 冬の寒さはもうなく、春の暖かな陽気に包まれた桜並木。ただ今までと違うところと言えば、桜の花が散っているということだろう。

「桜、やっぱり枯れちゃったね」

 俺と音姉の数歩先を歩く由夢が、名残惜しげに呟いた。きっと、初音島に暮らす人なら、もしかしたらと一瞬でも思ったことだろう。

 桜は咲き続け、枯れないのではないのかと、思わなかったはずはない。

 四月の初頭、桜は季節の巡りによって花を咲かせ、そして散った。
 それが正常なことだと判っている。
 けれど、暖かいはずなのに、やっぱり桜並木は、どこか寂寞としていると思った。

「仕方ないよ。それにほら、花は散った方が、咲いたときの美しさが増すから」

 それに感化されたのか、そういう音姉の声も寂しさを含んでいた。

「そうだね。でも、わたしは枯れなくても綺麗だと思うな。それが、真っ直ぐであるのなら。ねぇ、兄さんはどう思う?」

 振り返り由夢が訊ねてくる。音姉も、興味ありげに俺の方を見た。

「そうだな……」

 音姉の言う通り、花は散ってこそ本来の美しさを取り戻す。けれど、由夢の言うことにも頷ける。例え散らなくても、その本来の美しさは決して薄れるわけではない。それに慣れ切ってしまった人の心が、それを当たり前と捉えるか、そう感じるだけなのだから。

「桜の花の美しさは普遍だから、俺たちがそれをしっかり覚えていれば、散っても散らなくても、それは綺麗なままだと思う。そりゃ、今のままの方が本来の姿で正しいんだろうけど、綺麗かどうかって点においては、変わらないんじゃないかな」

「……」
「……」

 答えて見ると、二人とも何故か意外そうに俺の顔を凝視していた。俺、何か変なこと言ったか?

「……あの、二人ともどうかした?」
「あ、や、兄さんが意外にもまともな意見を言ったなと思って」
「なんだそりゃ。自分から質問しておいて、酷い言い草だな、まったく」
「そうか……いつかは終わっても、その美しさが損なわれることは、ないものね。散れば、それで終わりってわけじゃないか。うん、弟くんにしては、上出来だと思うよ」
「音姉までそんなこと言って」

 おかしそうに笑う二人を見て、肩の力が抜けた。二人の中での俺の評価って、いったいどれくらいのものなんだろうかと不安になる。
 まぁ、確かに以前の俺なら、こんなこと口にはしなかっただろうな。

 けれど、今なら判る。そこになくても、、美しさは変わらない。散ったとしても、変わらない想いが、願いがあるように。

 ふと思い立って、隣を歩く音姉の手を握った。

「え……」

 一瞬驚いた顔をしたけれど、頬を少し赤く染めながら、表情はすぐに嬉しそうな笑顔に変わった。

 大切な想いは、変わらない。この絡み合う指から伝わる温もりが、これから先も途切れないように。
 変わらない日常が愛しい。仲間たちがいて、大切な人が隣にいてくれる、毎日の営みが、今自分が幸せなのだと教えてくれる。

 けれど、桜の花が枯れるように、時は移ろう。
 変わらない日常なんて、本当は幻なんだ。
 何故なら、俺たちの日常は確かに変わってしまったのだから。

「兄さん? どうしたの、呆っとして。五月病には気が早過ぎるよ」

 つい物思いに耽っていると、由夢が「まったく」といった呆れ顔で俺を見ていた。

「はは、いくら本校に上がったからって、それはないぞ」
「ま、そうですね。兄さんですからね」
「うん、弟くんに限って、それはないね」

 またしても、この姉妹は意味深な言葉の連携を交わしてくる。なんなんだ、いったい。

「ね、弟くん」

 音姉が手を握り返してくれる。見上げてくる顔は、俺を勇気付ける笑顔だった。
 何もかも見透かされたようで、自分の未熟さに顔が熱くなる。

 今から数ヶ月前、俺と音姉は恋人同士になった。
 そして、色々とあった。言葉で語るには足りない想いがあり、今もこの胸の奥に詰まっている。
 感傷、といえばそうなのだろう。
 けれど、この想いを振り切るつもりはなかった。これはずっと、これから先抱き続けなければならないことでもあると思うから。

「何?」
「提案なんだけど、桜を見に行かない?」

 あくまで穏やかに、けれど何か意図を含んだ言い方で、音姉は俺を見つめたままそう言った。

「桜って言っても、枯れてるけど」
「それでもいいの。弟くんの言う通りなら、今だって、あの桜は綺麗なはずだから」

 桜は花を散らせても、その美しさを枯らすことはない。
 なら、その美しさを見に行こうと、音姉は言っている。
 その意味は、きっと俺にしか判らないだろう。
 音姉も知っている。俺がどんな気持ちでいるのか。
 だから、敢えて提案してくれたんだ。俺に発破をかけるために。

「わかった。時間はどうする? 生徒会の仕事あるんだろ」
「大丈夫だよ。弟くんが手伝ってくれれば、それだけ早く終わるし。そしたら、一緒に帰れるから一石二鳥だよ」
「さいですか……」

 そうして、何にせよ音姉に逆らえるはずもなく、俺は放課後に音姉と付き合うこととなった。


***


 枯れない桜。
 そう呼ばれていた場所に、俺と音姉は連れ添ってやってきた。
 俺が再び初音島に戻ることができてからは、改めて訪れることはなかった。
 いや、避けていたとも言えるかもしれない。
 俺が生まれた理由、そして、今もこの初音島に生きていられる理由を考えると、省みることが怖かったのかもしれない。

 ああ、それでも。
 やはり、この場所は温かいのだと思った。
 様々な思いが咲いては散り、今その機能は失われているけれど、確かにここは人の想いが溢れている。
 歩み寄り、夕暮れに赤く染まるその幹に手を添える。
 そして、桜を見上げ、遠い空に想う。
 願いが叶うというのなら、この想いを、もう一度あの人の元へ。
 別れは済ませた。全てを込めて抱き締めて、そして、送り出してくれた。

 けれど……。

 想えば想うほどに、もう一度会いたいと願う。叶わぬ願い、だからこそ、強く願ってしまう。
 あの人も、そんなやりきれない気持ちだったのだろうか。

 想いが通じれば、奇跡は起こる。願いは叶う。
 そのはずなのに、何故今の幸せから零れ落ちた人が居る。
 それは何故か。

 答えは簡単だ。そもそも、個人の願いなんてものは、自分を優先してしてしか生まれない。
 だから、その願いによって優先順位を下げられるモノが、どうしたって出てくるのだ。
 一番という言葉の定義は、その下があるから生まれる。一番の幸せを掴み取るものがいれば、掴み取れなかったものがいるのは道理なのだ。

 誰も彼も、願えば幸せになれるなんていうのは、夢物語に過ぎない。
 願いというのは、本来そうした性質を持つものだから。
 そんなこと、あの人はとっくに気付いていたに違いない。
 皆を幸せにすることはできない。願いは、他人の願いを排斥して叶えられるものだから。

 それを努力でなく奇跡で価値もなく叶えてしまうことは、とても危ういことなのだから……。

 それでもあの人は願った。矛盾していると悟りながら、間違っていると判っていながら。
 だってそうだ。皆の幸せを一番に願うのなら、まず最初に自分の願いを叶えようとするものか。
 結局あの人は、自分自身のことを救いたいという想いに負けたんだ。
 間違いと判りきった夢を見続けることを選んでしまった。
 それを責めるつもりはない。人として、自分のことを優先するのは、当然だから。
 そして、その間違いから生じた歪みに捕らわれてしまった。

 きっと、誰よりもその願いが叶えられるはずがないと知っていたから。
 それでも、あの人は自分の望む夢を、少しでも長く見ていたいと願ったから。
 だから、あの人は懸命に駆け抜けたのだろう。少しでも長い時間、夢と過ごすために。
 現実では、決して叶うことのない奇跡を望んだ代償が、それなのか。
 哀しいと言えば、哀しい末路。自業自得と言えばそれまでの話。けれど、例えようもなくに悔しかった。

 誰よりもその矛盾を知っていて、願って、間違いと判っていたけれど、その願いは正しいものだと信じていた。
 そんな人が、幸せになれないなんて、おかしい。
 誰もが幸せになれるわけではない、けれど、あの人が幸せに選ばれないなんてことは、おかしいんだ。

「さくらさんは、幸せだったかな」

 その呟きは、誰の救いを求めるものだったのか。自然と口から零れ落ちた。

「当たり前だよ。さくらさんは、幸せだった」

 音姉は、そんな俺の気持ちを見透かしたかのように、はっきりと口にしてくれた。

 それは、何故?

 きっと、それは百人中百人が幸せだと言える結末ではないはずだ。
 それでも、あの人は幸せだったと、断言できるのだろうか。

「弟くん、私を見て」

 振り返り、音姉と目を合わせる。音姉の顔は真剣で、そんなこともわからないのかと、俺を叱るようだった。

「魔法は、何でも叶う力じゃない。人が扱う以上、それは時として間違った方向へ進むこともあるのは、仕方のないことだよね。弟くんを生み出したことは、世の中の摂理から考えれば、きっと正しくないことだった。でも、さくらさんはそれを押し通してまで、自分の幸せを願って魔法を使った。その結果が、桜内義之……弟くんという存在でしょ。さくらさんを幸せにしたのは他でもない弟くん、君自身じゃない」

 間違った願いから生まれた、俺がさくらさんを幸せにしていた。

「全てを込めて、送り出してくれたんだよ。だから、弟くんが、さくらさんの幸せの形なんじゃないかな」

 何故なら、俺自身が、さくらさんが望んだ、彼女が見ることの出来なかった幸せの形だったから。

「そう、なのかな」

 自信を持っていいのだろうか。

「うん、絶対にそう。弟くんは、ここにいるよ」

 音姉が俺に寄り添い、二つの影が重なる。
 温もりは、互いの存在を否が応でも思い知らされる。

「それに、弟くんは、私の幸せでもあるんだから。言ったでしょ。弟くんが側に居てくれさえいれば、私は笑っていられるって」
「ああ、俺も、そうだ。音姉は、俺にとっての幸せだ。だから、俺は今幸せでいられる。それで、いいんだよな」

 都合の良い考えかもしれない。けれど、現に俺がここにいる以上は、側にいる大切な人を悲しませてはいけないから。

 俺は精一杯彼女を笑わせ、幸せにする。そして、俺も幸せにならなければならない。

 その存在がこの世から失われないように、何があっても守り抜く。

「私も、守るよ。絶対に、二度と離さないって決めたんだから」
「ああ、俺だって、絶対に離しやしないさ。なんたって、俺たちは一心同体だからな」

 俺の言葉に、はにかんで音姉は頷く。子供で意味も判らなかった言葉だが、今はそれが何よりも頼もしい誓いだった。

 過去に誓い、現在に願う。そして、未来永劫果たしてみせる。

 俺はあなたが願い、過ごした幸せの日々を守り続ける。

 だから――

 願わくば、在りし日に安らぎを。

 そして願わくば、これから先の道に、幸多き日々を。


(終)



[39510] 桜の下の約束 前編(メイン:朝倉音夢、芳乃さくら)
Name: 尾多悠◆fdb0865a ID:3f60d38a
Date: 2014/03/09 14:06
 静かに、雪のように桜の花びらが舞い落ちている。
 そして、目の前の女の子が、涙を溜めた青い瞳で見つめている。
 幼い日の思い出。桜の木の下で交わした約束。

 夢。

 これは夢だ。
 俺は、この光景を知っている。
 かったるい約束をしたものだと、我ながら思う。
 けれど、守らなきゃいけないって思った。

 ――リン……

 桜が舞い散る中、微かに聞こえた鈴の音。
 それと同時に、花びらは吹き荒び、狂ったように踊り始めた。
 同時に、女の子は幼い日の姿を変え、現在の彼女になっていた。

 ――リン……

 むせ返るような桜の香。
 澄んではっきりと聞こえる鈴の音に、俺は現実へと誘われる。
 夢が覚める。
 最後に、夢の中の彼女は俺に語り掛けた。

 ――約束して……ボクと、この桜の木の下で。

 あのときと同じ瞳、同じ言葉で。


***


 けたたましく鳴り響く目覚ましの音が、耳の奥で響いた。布団を被ったまま、その音がする方へ向けて手を伸ばし、手探りで探し当ててスイッチを切る。

「かったる……」

 今は春休みの真っ最中。休みとは、好きなだけ惰眠を貪れるという、至極の贅沢を満喫できる有り難い日なのだ。
 って、なんで目覚ましが鳴ってるんだ?
 学校に行く必要もないし、目覚ましをセットしておく必要などないはずなのだが……

「まあいいか。おやすみ……」
「しないでください」

 目に見えずとも、閉じた瞼越しに背筋を凍らせる殺気を感じた。瞬間的に瞼を開けたが、時既に遅し。
 頭蓋にめり込むかのような重厚な音が俺の頭に沈み込み、やがて意識が混濁の彼方へと……。

「――って死ぬわっ!」
「おはよう、兄さん」

 チリン。
 跳ね起きる俺の目の前で、小首を傾げた義妹の音夢が爽やかな微笑みを浮かべていた。

「……音夢、これは何だ?」
「何って、広辞苑ですよ。兄さん知らないんですか?」

 重力に従い俺の頭に落ちてきた物体を手に取ってみると、確かに広辞苑と書かれている。家にこんなもんあったっけ?

「違う。俺が知りたいのは凶器がなんであるかではなく、それを使用した動機だ」
「……こほん、とにかく春休みだからといっていつまでも寝ていられると困ります。それに、今日は用があるじゃないですか」

 音夢は俺の質問を咳払い一つで誤魔化した。広辞苑をベッドの隅に置き、ベッドから下りる。

「なんだ、用って? かったるいな」
「兄さん……そんなこと言ってると、さくらが怒るわよ」
「さくら? なんでさくらが……ああ、そうか」

 信じられないと言った風に、ジト目で睨んでくる音夢。そこで、ようやく思い出した。

「今日だったか。さくらが帰ってくるの」
「うん」

 俺と音夢の幼馴染、芳乃さくら。
 さくらは、まだ俺が小さい頃アメリカへ引越し、今から約一年前、風見学園付属を卒業間近にいきなり編入しという形で俺たちの前に戻ってきた。
 そこでまあ色々とかったるい事件に巻き込まれたのだが、現在俺と音夢は恋人という関係となっている。詳細はここでは語り尽くせない。音夢はその事件の影響で一時体調を崩していたが、今は快復して本校に通えている。
 さくらは本校へは進まず、アメリカでやり残したことがあると言って、再び別れた。もともと、無理矢理に近い状態でこちらに戻ってきていたらしい。
 そして時が過ぎ、向こうの用事がひと段落した幼馴染は、この度帰省することになっていた。それが今日。

「しかし、まだ朝だぞ。迎えに行くのは昼のはずだ。というわけで、俺はもう一度寝る」
「待ちなさい」

 欠伸をしながら伸びをして、再びベッドへ舞い戻ろうとしたが、音夢に襟首を捕まれた。何故かこういうときだけ、音夢は怪力になる。

「放せ音夢。睡眠は人間の欲求なんだ」
「今度は鉄アレイでも落としましょうか?」
「起きさせていただきます」
「よろしい」

 恋人とは思えぬ言葉を、笑顔を崩さないまま放つところが恐ろしい。泣く泣く俺は睡眠を諦めた。

「朝ご飯が冷めてしまいますから、早く着替えて下りてきてくださいね」

 やれやれと息を吐いて、恐怖の大王は部屋から去っていった。それから着替えようとして、ふと窓の外を見ると、満開の桜が目に止まる。

「ま、確かに一年に一度しか見れなくなったわけだが」

 一年前まで、ここ初音島の桜は、年中咲き乱れていることで有名だった。
 島の住民に取っては既成の事実というやつで、特に気にして暮らしてなどいないのだが、一年前に桜は枯れた。
 まるで魔法……実際魔法だったわけだが、枯れることのなかった桜。枯らしたのは、さくらだ。
 桜が枯れて、目に見える変化はほとんどなかった。
 しかし、何かが変わったのも確かなことで。
 少なくとも、魔法が見せる夢から覚め、多少なりとも前向きに歩き出せているはずだ。俺たちは。
 さくらも、成長しているだろうか。
 あいつの場合。精神面ではなく、身体的な成長の方が深刻かもしれないが。

 ……。

 やめておこう。さっさと下りないと、音夢がうるさいからな。
 一瞬想像した姿を打ち消して、手早く着替えて階段を下りてリビングへと入る。優雅に朝食と洒落込もうではないか。

「あ、お兄ちゃん、おは~」
「ああ、おはよう」

 ソファで寛いでいるさくらと挨拶を交わす。そして、朝食を取るためテーブルへ――

「――っておいっ!!」
「うにゃぁ!?」

 あまりにも自然な形で挨拶をしてしまったため、危うく流してしまうところだった。

「……」
「……にゃ?」

 俺は突如現れたさくら(と思われる)をしばらく見つめていた。うさぎの耳のように立てた青いリボンで長い金髪を両サイドで結んだツインテールの髪。夏の空を思わせる青い瞳。服はばあさんの形見の黒を基調とした魔女衣装だ。

「お前、本当にさくらか?」

 たっぷり間を置いたあと、質問する。

「うに……失礼だなぁ、お兄ちゃん。ボクはボクだよ。そういえば、前に再会したときも、そんなこと聞いたよね。ボクって印象薄い?」

 いや、むしろ強過ぎる。だから思考が飛んでまともな考えが浮かばなかったりする。

「だって、全然成長してないだろ」
「わわっ!?」

 さくらの両脇に手を伸ばし、そのまま持ち上げてみると、多少力は必要だが、それほど苦にせず宙に浮かすことができた。やはり、全く成長していない。

「ちょ、兄さん! 何をしているんですか!?」

 キッチンに居た音夢がリビングにやってきて、慌てた様子で割って入ってきた。実証はすんだので、俺は大人しくさくらをソファに下ろす。

「いや、さくらの成長具合を確かめただけだ」
「はぁ……で、結果はどうだったんです?」
「全く変わっとらん」
「むぅ~。いきなりレディに対して失礼だよ、お兄ちゃん」

 レディと言われても説得力のないちびっ子が、頬を膨らませて抗議する。

「どうやら、本物のようだな」
「あったりまえだよ。拙者、逃げも隠れもしない、嘘偽りない芳乃さくらでござるよ」
「そうですよ、兄さん。今朝帰ってきたそうです」
「音夢、お前知ってて隠してたのか?」
「あ……えっと」

 俺の質問に、音夢はバツが悪そうに視線を逸らした。

「てへへ、本当はベッドに忍び込んで『おはよう』ってするつもりだったんだけど、音夢ちゃんに止められちゃった」
「当たり前です!」

 そうか。よくぞ止めてくれた、我が義妹よ。

「まあ、驚いたのは癪だが、とにかくアレだな」

 さくらの頭にポンと手を置き、笑う。

「お帰り、さくら」
「うん! ただいま、お兄ちゃん。やっぱりボクは、ここが一番落ち着くよ」

 俺の腕にしがみ付いて、さくらは満面の笑みを浮かべる。やっぱり、何も変わってないな、こいつは。

「はいはい、積もる話もあるでしょうが、早くしないと朝食が冷めてしまいますよ。さくらも食べて行く?」
「ほぇ? いいの? 音夢ちゃん」

 さくらは音夢の申し出に意外、といった顔をして尋ねた。

「ええ、久しく訪ねて来た隣人を無下にはできませんから」
「うーん、じゃあ、お言葉に甘えちゃうよ。今朝の献立は何かな?」
「ご飯とお味噌汁です。おかずは昨日の残りだけど、それで良かったら」

 何?

「全然OKだよ。日本人の朝と言えば、ご飯と味噌汁だよね! ……あれ、どうしたの? お兄ちゃん」

 何も知らずに、さくらが無垢な瞳で俺を見上げてくる。自分の顔が強張っているのが自覚できた。

「……さくら、日本の心をしかと味わっていけよ」
「え? え?」
「昨日の晩飯は、音夢の手料理だ」

 何かのスイッチが入ったかのように、俺を掴むさくらの腕がビクリと震えた。

「昨日は兄さんが沢山残すものだからどうしようかと思っていたんですけど、これで安心ですね」
「お、お兄ちゃん」

 捨てられた仔猫のような目で見つめるさくらに対し、俺は子を谷底へ突き落とす獅子の親のごとき目で見返す。

「うにゃ~……」

 意気消沈して猫化するさくら。そのうなじを掴み、俺は食卓へ向かうのだった。


***


 音夢の手料理は、簡単に言えば毒物というか、この世で見る地獄というか。
 その味たるや、一度味わえば二度目はないと思わせるほど……つまり、魂が飛んでいきそうなほどの衝撃を受ける。無論、マイナス方向の意味で。

「さくら、大丈夫か?」

 回数を重ねて慣れるものではないが、毒をもって毒を制すという言葉通り、俺にはまだ音夢の料理に対して若干耐性がある。
 しかし、さくらは普段このような料理を味わうことなどないだろう。朝食を終えたさくらは、さっきまでとは打って変わって覇気が感じられなかった。

「もう食べられないよ……」

 そう言ってソファに背を預け、腹を労わって撫でている。満腹だからそうしているわけでは決してない。

「いや、お前はよくやった。優れた弟子を持って俺は幸せだぞ」
「オス……師匠。ボク頑張ったよね」
「二人とも、何か失礼な会話をしてませんか?」

 片づけを終えた音夢がリビングにやって来た。針で刺すような視線が痛い。

「音夢、精進しろよ」
「余計なお世話です!」

 いや、その余計な世話をしなければ命が危ういから言っているのだが。

「にゃ、それはもういいとして……お兄ちゃん、音夢ちゃん。今日はこれから暇?」
「ん? まあ、昼にお前を迎えに行く予定だったから、暇と言えば暇だな」
「そうですね」

 自分の命の危険をそれの一言で片付けられる事態なのか、改まった口調で訊いてくるさくらに、音夢と俺は苦笑して答えた。

「迎えに行く手間が省けて助かったからな」
「にゃはは、お兄ちゃんのモノグサは相変わらずみたいだね。そんなお兄ちゃんにお願いなんだけど、暇ならボクと付き合ってくれないかな? 音夢ちゃんと一緒に」
「私も?」
「そうだよ。ボクを迎えに来てくれる予定だった時間を、そのためにまわしてくれたらいいんだよ。久し振りだからね……少し島を見て回りたいんだ」
「そうだな。ま、かったるいがいいぞ」
「ほんと!?」
「ああ、いいだろ? 音夢」
「そうですね。私は構いませんよ」
「やったね。じゃあ、一度家で用意してくるから、また昼に来るね!」

 そうと決まると、さくらは荷物を引っつかんで慌しく駆けて行った。

「音夢ちゃん、ご馳走様でした~!」

 バタンと玄関の戸が閉まる音を最後に、リビングは音を無くしたように静まり返った。やがて、どちらからか、あるいは同時だったのか、俺と音夢は笑みを漏らした。

「変わらないね、さくらは」
「ちゃんと玄関から入るようにはなったみたいだけどな。しかし……」

 俺は微かに感じていた疑問を音夢へ向けた。

「反対しないんだな」
「え?」
「いや、その……なんだよ。さくらと俺がな」
「あ……」

 俺の言いたいことを察したのか、音夢は欲しいモノを前に出されるが遠慮する子供のように、少し困ったような、それでいて嬉しさを噛み締めているような顔をした。

「兄さん、寂しいの?」
「そんなんじゃないっつーの」

 以前の音夢は、どことなくさくらを避けているような節があった。さくらのこととなると、むきになったり、時には嫌悪に近い、そんな思いすらあったような気がする。

「さくらと、何かあったか?」
「それは秘密です。私だって、いつまでも子供じゃいられないんだよ、兄さん」
「子供じゃない……か」

 風見学園付属を卒業して、俺たちは今年で本校の二年になる。
 そして、来年には卒業。そろそろ、進路とか、それなりに将来のことを漠然と考え出す時期だ。
 気の早い奴なら、もう既に自分の将来に対する計画でも立てているのだろう。
 少年、少女の時代が終わりに近づき、大人へと変わっていく過渡期に俺たちはいる。
 友達とバカをやったり、こそばゆい恋愛なんかもしてみたり、様々な想いを経て変わっていく。そんな時期。

 幼い子供のときは何かと大人に憧れを抱いたものだ。大人は子供にできないことが沢山あると。
 しかし不思議なもので、大人に近づくにつれて、大人になって出来ないことの多さに唖然とする。そして、子供のままでいたいと願うようになる。
 大人はかったるいことが山積みだ。大人になるってことは、現実が如何に面倒でつまらないものなのか、思い知らされる通過儀礼なのではないかと思ってしまうほどに。
 自覚はなくとも、時は移ろい変わってゆく。それに気付かぬ振りをして、気が付けば変わらずに振る舞おうとしている自分がいる。

「子供じゃなくなるが、まだ大人ってわけでもない。頼りないよな」

 足場が不安定で、どっちつかずで揺れ易い。ふとした切っ掛けで壊れてしまいそうな脆さ。
 音夢の変化に、俺が少なからず疑問、戸惑いを覚えたのは事実だ。
 それは、今の音夢が俺よりも一歩大人ということなのだろうか。

「兄さん、不安なの?」

 いつの間にか、音夢は俺の正面に立って上目遣いで見つめていた。
 不意に感じたのは、不安というより微かな恐れに近いかもしれない。
 一年前に、俺たちは新たな始まりをきった。
 季節が移ろうように、夢はいつか覚めるように。
 始まりも、いつかの終わりへと弛まず変化し続けていくものならば。
 俺たちは変わらずに、この想いを抱き続けることができるだろうか。

 コツン。

 背伸びをして近づいた音夢の額が、俺の額とぶつかる。
 完全な不意打ちだ。

「日課、まだだったから」

 照れ臭そうに音夢は笑った。潤んだ瞳が目の前にある
 その瞳に吸い込まれるように、自然と唇が重なっていた。
 魔法はなくなったが、こうすると音夢と気持ちが重なる。
 変わること。
 新しい自分になること。
 それは、今までの自分を捨てること。
 その自分を受け入れてもらえるのか、不安になる。
 だから、いつまでも変われない。
 しかし、変わらないわけにはいかない。
 桜は枯れ、夢は覚めたのだから。

「兄さん、私ね。夢があるの」

 互いに名残惜しそうに唇を離し、切なげな声で俺に言った。

「そういえば、前にも言ってたな」
「うん」

 桜が枯れて、音夢が衰弱から快復した日、そんなことを言っていた。そのときは詳しいことを聞かなかったが。

「それは、俺に叶えられることなのか?」
「ううん……この夢は、私が叶えないといけないこと。でも、応援ならできるかな」
「そうか……」
「私ね、看護士になりたいの。そのためにね、初音島を出ようと思うんだ」
「看護士?」
「うん。私、病弱だったからね。病院の看護士さんに憧れてるんだ。私はいつも助けられてばかりだから、誰かを助けることができることをしたい。これが、私の夢」

 音夢は、俺が思うよりもずっと大人になっているのだと、そのとき気付いた。
 はっきりと、自分の将来を見つめている。それを語る音夢の強い想いが、痛いほど伝わる。

「あ……もちろん、今すぐとか、そういう話じゃないけど。卒業したら、そうしようと思ってる」

 そして、俺はガキなのだと思った。
 正直、止めたい。
 かといって、俺の側から離れるなとか、そんな歯の浮いた台詞なんて言えるわけもない。
 だから、代わりに抱き締める。
 甘ったるい砂糖菓子のような、言葉にするのもむず痒い。温もりが、二人の気持ちに直接繋げる架け橋となるように。

「お前が自分で決めたことだ。兄として、喜んで応援してやるぞ」
「……じゃあ、恋人としては?」
「言えるか、バカ」
「くす……兄さん可愛い」
「言ってろ」
「でも、安心した」

 音夢の手が俺の背に回り、抱き締め返してくる。
 髪を手で梳いてやると、甘い音夢の香りが鼻の奥くすぐる。
 俺は本気で音夢が好きなのだと、再認識させられた。

「兄さん、卒業までは、目一杯兄さんに甘えたいよ」
「かったるいな……」
「うん、知ってる」

 照れ隠しの素っ気ない台詞も見透かされ、音夢は可笑しそうに笑みを零し、鈴を鳴らした。

「早く妹離れしてくださいね、兄さん」
「卒業までにはな」

 変わるってのは、こんなにもかったるいことなのだな。
 俺はもう一度音夢にキスをした。
 だが、この気持ちだけは変わらない。
 互いのことを想いに想ってこの結果だ。
 そう簡単に変わるはずがない。変わらせるはずがない。
 離れることになっても、気持ちまで離さない。
 かったるいが、それが俺の誓いだからな。


***


「何のかんのと、ラブラブってやつだね、二人とも」

 はぁ、やっぱり、もうボクが入る余地はないのかな。
 判っていたことではあるけれど、少し残念かな、なんて思ったりしてみたり。
 ま、いつまでも女々しいことは言ってられないよね。そうと決まればレッツゴーだよ。
 勝手知ったる麗しの我が家。和室は落ち着くね。
 とりあえず、荷物を整理して……といっても、すぐ帰るつもりだからそんなに大したモノ持ってきてないんだけど。

「うにゃ~」
「あ、うたまる!」

 ふと縁側を見たら、うたまるがボクのことを見ていた。

「久し振りだね~、元気にしてた?」
「うにゃ~、にゃにゃ」
「はは、そうか。君も大変だったね」

 うたまるも、ボクとの再会を喜んでくれているみたい。うん、少し元気でたよ。

「お兄ちゃんたちと、これから出掛けるんだ。だから、また今度遊ぼうね」
「にゃ~」
「うん。いい子だね、うたまるは」

 はらり。
 うたまるを撫でるボクの手に、桜の花びらが一枚舞い降りた。
 まるで、温かく微笑んでくれているかのような、柔らかな感触。
 それは、変わらずお帰りって言ってくれている家族みたいだ。
 もしかすると、春の訪れと一緒に、ボクを誘いに来たのかもしれない。

「ごめんね。ちょっと惹かれるけど、決めたことだから」

 大切にその花びらを両手に包み、掲げて風に乗せる。
 春の薫りが懐かしい。
 ふと感傷的になる。
 それは変わり、進み続けなければならないからだろうか。
 でも、そうだね。
 この移ろいは、ボクが望んだことなんだから。
 ボク、頑張るよ。
 だから、最後にもう少しだけ見守っていてね。


(続く)



[39510] 桜の下の約束 後編(メイン:朝倉音夢、芳乃さくら)
Name: 尾多悠◆fdb0865a ID:3f60d38a
Date: 2014/03/15 08:52
「お花見~お花見~」
「お花見ね……見飽きてるがな」

 桜公園は現在、その名の通り満開の桜たちで賑わっていた。上機嫌で俺と繋いだ右手をぶんぶんと上下させながら、さくらは俺の隣を歩いている。

「でも、ずっと桜が咲いているのが当たり前だったから、すごく久し振りだな気がするね」
「まあ、それもそうかもしれんが」

 そして、隣で並んで歩く音夢が、その桜たちを慈しむような目で見つめていた。音夢はさり気なく、俺がさくらと繋いでいない方の腕を取って、自分の腕と絡めてきた。

 枯れない桜が枯れて、四季相応の色付きをするようになった初音島。それが世の理に従った姿だとしても、この桜を当然と受け入れてきた者にとって、この風景は素直に綺麗だと思うと同時に、どこか懐かしい気分にさせてくれる。

「ねえねえ、お兄ちゃん」
「ん、どうした? 腹でも痛くなったか?」
「もう、そんなんじゃないよ。かけっこしようよ!」

 景気良く提案され、さっと白い指先が高台へと続く道を指し示す。

「かったるい。なんで俺が走らにゃならんのだ」

 公園の高台と言えば、町を一望する風景が人気のデートスポットとして知られている。が、そこを行き来するための階段の上り下りが面倒だったりする。

「まあいいからいいから。後生だよ武士の情けだよお願いだよ~」
「ええい、擦り寄るな! わかったわかった。ったく、一回だけだぞ」
「やった! それじゃあ行くよ! レディーゴー!」
「あ、おい! いきなりかよ!!」
「甘いよお兄ちゃん! 勝負に油断は禁物なのだ~!!」
「く、すまん音夢。男には引いてはならないときがあるんだ!」
「あ、兄さん!」

 ああいう風に言われれば、否が応でも負けん気を刺激させられるというものだ。
 俺は音夢の腕を振りほどき、勢い良く地面を蹴った。スタートダッシュを切ったさくらの背は、さほど遠くはない。加えて、さくらの足は決して速くない。まだ抜き去ることができる。

「はぁ、さくらに甘いのは相変わらずだな、兄さん……」


***


「うにゃ!? 追いつくの早いよお兄ちゃん!!」
「ふははは! 残念だったな、さくら。お前は俺の実力を過小評価していた!!」

 さくらの背が間近に迫るのに、そう時間は必要としなかった。そろそろ、高台への階段が見えるあたりだ。

「むー、ならばこちらもスピードアップっ!」

 小さい身体を懸命に振り、さくらの速度が若干上がる。ラストスパートに入ったか。

「片腹痛いっ!!」

 それに合わせて、俺もスピードを上げる。あと少しでさくらと肩が並ぶ!

 そう思った瞬間、重い衝撃と共に俺の身体は向けていた方向とは反対へと引っ張られ、視界が白黒に明滅した。身体全体に鈍い痛みが広がる。

「何をやっとるんだ? お前は」

 徐々に痛みが引いていき、俺の視界には空を背景に杉並の顔がドアップに映されていた。

「俺は、走らなければならないんだ」
「はぁ? 春一番で頭がおめでたくなったのかは知らんが、通行人にぶつかっておいてそれはないんじゃないか?」

 服の汚れを払いながら、含みのある笑いを浮かべてバカが言う。さくらはとっくに高台に着いたのか、姿はとうに消え失せたいた。

「ああ、悪い。ったく、かったる……」

 真剣になっていたことが、不意に崩れてもうどうでもよくなってしまうような喪失感。そんな気分だった。

「ふむ、事情は定かではないが、今しがたお前の前を走っていた金髪少女は、もしや芳乃嬢か?」
「なんだ、見てたのかよ」
「あれだけ印象強いキャラクターもそういまい。もしやと思ったが、やはりそうか……これは噂の信憑性も高まってきたな」
「噂?」
「ん? あいや、なに、こっちの話だ」

 思わせぶりな台詞に問い返したが、杉並は咳払いをして誤魔化した。が、奴の口の歪み具合からして、わざと臭わすようなことを言っているに違いない。

「そうか、じゃあ俺は行くぞ。ぶつかって悪かったな」
「うむ、また新学期にな。共に学園の歴史に名を刻もうぞ」
「かったるいからパスだ」
「連れないな。しかし俺の情報によれば、お前の学園生活は穏やかなものではなくなるぞ」
「気味の悪いことをぬかすな。っていうか、何が言いたい?」
「いずれ分かることだ。朝倉、精進しろよ」

 俺の質問には答えず、杉並は颯爽とその場を去っていった。

「なんなんだいったい……?」

 あいつの情報の出所は未知というか、不可解過ぎるため、変なことを言われると信じるとか信じない以前に不安に陥るモノがある。俺が何かしたか?

「バカの言葉をいちいち気にしていても仕方がないな……」

 とりあえず、不純物の混じったような気持ちを押し込み、さくらが待つ高台への階段を上り始めることにする。まったく、余計なことに時間を潰してしまった。


***


「お兄ちゃん、遅いよー!」

 途中まで上ったところで、頭上からさくらの声が下りてきた。顔を上げると、階段の終点でさくらが覗き込むように身を乗り出してこちらを見ていた。

「ったく、しかたないな」

 足に力を込め、一段飛ばしに階段を駆け上がる。そして、さくらの隣に最後の一歩を踏み込んだ。

「ボクの圧勝だったね」
「アクシデントがあったからな。気付かなかったのか?」
「勝負は時の運だよ。これが武士の真剣勝負だったら、お兄ちゃんはバッサリやられてたね」
「変な例えで俺を勝手に殺すな。っていうか、お前にバッサリやられるのは情けなさ過ぎるぞ」
「うーん、ま、ボクもお兄ちゃんをバッサリやっちゃうなんてできないけどね」

 にゃははと猫笑いをして、さくらは高台の奥へと歩き出した。俺もその後をついていく。

「でも、勝負は時の運なら、恋の勝負も時の運なのかな」

 ポツリと、水面に小石を投げ入れるような呟き。それが静寂のきっかけであったのか、そのまま俺たちは言葉を交わず、微妙な距離を保ったまま歩いた。
 その言葉に気まずさを感じたのは、さくらが普段使う喜びとか、甘えとかそういう明るい感情ではなくて、もっと深い、寂しさとか、およそ明るさとは無縁の感情を含んでいたからだろう。

「なあ、さくら――」

 町を一望できる場所まで歩き、柵に肘を乗せて寄り掛かり、その風景を眺める。

「ボクね、お兄ちゃんにどうしても聞いておきたいことがあるんだ」

 俺が言い終える前に、それを代弁するかのようにさくらは言葉を被せてきた。
 次にさくらが言う言葉を、俺はなんとなく予想していた。

「お兄ちゃん、ボクのこと、好き?」

 さくらの視線を横顔に感じる。沈黙を吐息で解いて、その目に応える。
 金色の髪が一本一本細やかな絹糸のように風になびき、幻想的だと思った。

「俺は音夢の彼氏だぞ」
「うん、そんなこと百も承知だよ。でも、それは答えじゃない」

 逃がさないと真剣さを帯びていて、それでいてどこか怯えているようでもあって。
 まるで時が止まったかのように静かだ。これが魔法であるのなら、俺の言葉が解く鍵なのだろう。
 正直、こんなことを言うのはかったるい。
 しかし、それでも言わなければならないのだろうな。

「お前は、俺の大事な妹分だ。嫌いなわけがない。けど、俺の気持ちは音夢にある。だから、ごめんな、さくら」
「やっぱり、そうだよね……でも、ボクはお兄ちゃんのこと好きだよ。それは、今も変わらない」
「それでも、俺は音夢を選んだんだ」
「わかってる。それを、ボクは聞きたかったんだ。自分の気持ちにケジメをつけるために、聞いておきたかった、夢から覚めたお兄ちゃんの言葉で」

 枯れない桜が見せる夢。さくらが見る夢。願いが叶う場所。ここ、初音島。

「本当は、願えばお兄ちゃんの気持ちをボクに持っていくこともできたかもしれないんだけど、それってフェアじゃないし、ボク自身がそれを望まなかったっていうのもある。ボクの魔法は、それだけ強いから……」

 肘を折り、組んだ手の甲にちょこんと顎を乗せた姿勢で町を見下ろし、さくらは独り言のように語り始めた。

「お兄ちゃんは、ボクの魔法を知ってる?」
「いや……お前って、俺と違って色々できるみたいだからな。特定できるようなモノあったか?」

 何もないところからイメージした和菓子を出すという、本当に役に立たない俺の能力。それと違って、さくらの能力は強い。ただ、漠然とそんなイメージしかなかった。

「そう、色々できちゃうから問題なんだよ。まぁ、それは桜の木を通じて叶えられるモノだったから、今となってはもうできることはないけどね。ボクの望みは、桜の願いが叶えてくれる。有り難いようで、本当にお節介な魔法だった」

 嬉しさと寂しさがごっちゃになって、どっちが本当の感情なのか判らない。さくらは複雑な表情で笑っていた。

「それに、欲しいモノは自分の力で手に入れたいし。努力の分だけ、実りは充実しているから。テストで百点取った感覚かな」

 その例えは、俺にとっては無縁なものだ。

「望めば手に入る。でも、それは魔法の力。だから、ボクは望まないようにしていた。でも、これって変だよね。望むから努力するのに、その裏で望まないように気持ちを背けるなんて」

 ああ、そうか。
 さくらの心の深くに潜むモノ。望むモノ、望まないモノ、中途半端に絵の具を混ぜ合わせたような、酷く歪で曖昧な世界。
 そんな世界に放り込まれたら、人はどうなってしまうだろうか。
 例え相手が望んでくれても、それを疑い拒絶してしまう。素直になれず壁を作り、そうしていくうちに出来上がった壁の多さと、孤独を知るのだろう。
 それでも矛盾を抱えた気持ちのまま、望もうと足掻いている。果たしてそんな報われることのない世界に、希望を持っていられるのか。

「小さい頃、ボクがアメリカに行く前に約束したよね。枯れない桜の下で。一つは、必ず再会すること。もう一つは、ボクが本当に助けを必要としている時は、助けに来てくれること。そして、最後の一つ」

 ずっと忘れていて、心の底で固く結ばれていた紐が、静かに解ける。
 子供の頃のこと、と言えばそれまでの話。当時子供の俺が、どんな気持ちでその約束を交わしたのか、今の俺には正直はっきりしない。一方的に交わされただけなのか、二人の合意の下のものなのかも。

「その顔は、思い出したんだね。単にお兄ちゃんが忘れっぽいのか、ボクが望まないうちにお兄ちゃんの記憶を閉ざしたのか、その辺りは判断できないけど」
「でも、お前、おかしいぞそれ。精一杯我慢して、頑張って、全部嘘モノだって手放すなんて」

 約束を守ればよかったんだ。なんで素直にならなかったんだ。
 言ってやりたかった。けど、今更そんな言葉をかけることは、さくらを傷付けるだけだろう。俺は音夢を選んだのだから。

「いつかは魔法を、桜を枯らすつもりだったからね。そのとき、それまで手に入れてきたもの、全部なくなっていたらって思うと怖かったから。もしかしたら、それまでに培ってきたボクという存在すら、危うくなりそうで。そういう意味でも、ボクは心から望むことを恐れていた。変わって、成長していくことができなかった」

 こいつは、この小さい身体にどれだけの本音を隠しているのだろう。
 自分の存在の否定までして、何を望みにするというのだ。

「ボクが勉強を好きなのは知ってるよね。勉強すれば、確実に結果を残せるし、それはボクが記憶する確かな証明だからなんだよ。ボク自身の記憶は、嘘をつかないからね。桜の影響のない島の外では、ずっと勉強してた」
「勉強なんて、学校だけで充分過ぎるだろ……」

 そんなことよりも、もっと望むものはあったはずだろうに。
 こいつは、決して一人ではない。こいつの周囲はそれほど冷たくはない。
 けれど、自分がその輪に望んで入ることで、その周囲の環境に嘘の種を植えることが怖いのだ。
 だから一人孤独の殻に逃げ込む。本当の意味で、気持ちを開くことはない。

「そんな後ろ向きな気持ちだったけれど、それじゃいけないから、こうして桜を枯らしに来たわけだったんだけど……再会できた幼馴染との約束は破っちゃうし、色々と踏んだり蹴ったりだよ」
「悪かったな……」
「ううん、お兄ちゃんが謝ることじゃないよ。全部、ボクが自分で蒔いた種なんだから。この結果は、厳粛に受け止めるよ。ボクの夢は終わり、恋も終わった。恋心はまだ続いているけれど、それは大切な想い出として留めておくつもり」
「そうか……そういや、桜が枯れたあと、夢の中で婆ちゃんに会ったぞ」
「え? お婆ちゃん!?」
「ああ、それで言われたんだ。願いを叶える桜の木は、子供たちが巣立つためにある、自転車の補助輪みたいなものなんだと。そして、俺は補助輪を外したとき、後ろから支えてやる人なんだってな」
「うん」

 補助輪をなくして、今ふらつきながらも必死で前へ進もうとしている奴がいる。そのために、俺がしてやれることなんて、こんなことくらいしかないんだろうな。

「だから、すっ転びそうになったら、俺を頼れよ」

 自然と手が伸びて、さくらの頭を撫でる。

「駄目だよ。そんなこと言われたら、今にも抱きついちゃいそうだよ」
「だったら、そうすればいいだろ」

 ああ、面倒だ。いったい、俺は何をしようとしているんだ?
 自問しながらも、俺はさくらの肩をひっつかんで、無理矢理引き寄せていた。

「お、お兄ちゃん!?」

 もがいて離れようとするが、しっかり掴んでいるので、力の差から離れる道理はない。
 身近に寄せて分かったが、さくらの身体は小さく震えていた。バカだ。魔法がなくなって、ようやく素直になれるっていうのに。

「恋人じゃないからって、さくらが自分を捨てる必要はないだろ。少々かったるいが、お前は俺の大事な妹分だ。大事な人が悲しそうで、放って置いたらそれこそ最低だろうが。それと、最後の約束は守れなかったが、他の約束なら守るぞ。っていうか、約束する必要なんてないんだったな」
「うん……そうだね。お兄ちゃんは、ボクが助けて欲しいときには助けてくれる。やっぱり、大好きだよ、お兄ちゃん」

 背中が、ぎゅっと小さく強く締め付けられる。さくらの顔を押し付けられた胸に、微かに濡れた感触があった。

「これで、お前が一人立ちできるっていうなら、安いもんだ」
「そうだね……充電完了。これで、きっともう大丈夫」

 色を取り戻した、そんな気がする、さくらの笑顔。
 つられて俺も笑っていた。

「ん?」

 ポケットに入れた携帯がメールの着信音が鳴る。ディスプレイを見ると、音夢からだった。

『兄さん、見たいドラマを思い出したので先に帰ります。さくらをよろしくお願いしますね』

 ――リン……

 そのとき、不意に鈴の音が聞こえた。顔を上げて音のした方を見るが、誰もいない。気のせいか……?

「お兄ちゃん、どうかした?」
「いや、何でもない。音夢は、先に帰るってさ」
「あ、そうなんだ」
「音夢にも、何か話があったんじゃないのか?」
「ん、そうなんだけど、今はいいや。じゃあ、ボクたちも帰ろうか」
「もういいのか?」
「うん、ボクはもう平気」
「なら問題ないな」
「ノープロブレムだよ。もう一つ伝えたかったこともあるんだけど、それはまた今度発表する」
「なんだ、まだ何かあるのか? かったるいのは止めてくれよ」
「それは保障しかねるけど、お兄ちゃんの心持次第、かな? これから、楽しい一年になるよ」

 意味深なことを言って、さくらは踵を返して歩き出す。
 そういや、杉並もなんか訳の分らんことを言ってたが、何か関係あるのか?
 ただでさえ、面倒な奴等に囲まれているっていうのに、これ以上面倒が増えるっていうのかよ。
 心の中で独りごち、さくらの後に続く。

 支えになるってのは、思いの他面倒だ。
 しかし、支えを必要としなくなれば、俺の役割は終わり。
 きっと、さくらも自分の道を歩いていくんだろう。俺にできることは、もうなくなる。
 音夢が夢を語ったように、皆それを実現させるため、ひたすら前へ進んでいくのだから。
 なら、必要とされなくなった支えである俺はどうするべきか。
 そこで、ふと気付く。
 偉そうに支えなんて役回りをしているが、俺だってろくに歩き出してはいないってことを。
 支えながらでも、役目を終えたときに歩けるようにしておかないとな。
 あるいは、支えながらも共に歩くか、支えなしで一緒に歩くか。
 どこまで道が続いているかはわからないけれど、時に出会うこともあるだろう。
 そして、時には足を休めに帰ることもあるだろう。
 ひょっとすると、大人になるってことが、夢から覚める合図なのかもしれない。
 永遠のような夢物語を子供は繰り返し、大人になって仕切り直し。
 人生を一つの曲とするなら、ダ・カーポを抜けて、終局へ向かう節が始まる。
 ささやかな夢や願いを叶えてくれた礼ってわけじゃないが、俺たちにできることは、これから始まる道を前向きに歩いていくことなんだろうな。
 転んでも、立ち上がり方は誰でも知っているから。
 きっと、俺たちは大丈夫だ。
 空を仰ぐ。
 桜の花びらが、流れる雲のように晴天に舞っていた。


***


 その日の夜、私は夢を見た。
 夢の中で、あの桜の木の下で、幼馴染の少女が微笑んでいる。

 あなたは、さくら? それとも、別の誰か?

「ボクはさくら。音夢ちゃん、聞いていたでしょ?」

 この人懐っこい笑み、さくらだ。でも、どこか雰囲気が違う。

「さくら、変わったね」
「それはお互い様。成長した証ってことで」
「そっか」

 照れ臭そうな笑いにつられて、私もクスリと声を漏らした。

「うん、聞いていたよ。私、知っていたから、さくらの気持ち」
「それがどこまでかは聞かないよ。さてさて、当面ボクの気持ちはお兄ちゃんに釘付けなわけですが、見事振られたんだよね。結果は火を見るより明らかだったけど、これでスッキリした」
「私、卑怯だったね。さくらは魔法を使おうとはしなかったのに、私は無意識に魔法に頼っていたから……」
「それは違うよ。元を辿れば、それもボクが蒔いた種なわけだし、音夢ちゃんはある意味被害者かな。辛い想いをさせたし、お兄ちゃんも傷付けることになったし。それに、過ぎたことを議論しても仕方がないよ。敗れた恋だから、今は応援するよ。頑張って、音夢ちゃん」

 つま先立ちをして伸ばしたさくらの手が、私の頭に触れる。

「何よ、それ」

 似つかわしくない、アンバランスな構図に思わず苦笑する。

「ボクはお兄ちゃんの従姉、つまるところ、音夢ちゃんの姉貴分でもあるんだよ。少しはこう、お姉さんっぽく振る舞いたかっただけ」
「従姉なのに、お兄ちゃんっておかしいよ」
「それは、お兄ちゃんにも言われたよ」

 口を尖らせて、さくらは手を離した。

「お兄ちゃんお姉ちゃんっていうと、守る立場じゃない。きっとボクは、守ってもらいたかったんだね。だから、純一君はお兄ちゃんなの。音夢ちゃんに対抗したかったっていうのも、あったかもしれないけど……ボクがお兄ちゃんの傍に居たのに。お兄ちゃんの隣はボクの居場所だった。そう思っていたのになあ」

 恨みがましい口調などではない。純粋に過去を懐かしむように語る口調。さくらに、しがらみはもうないんだと、私は感じた。

「これは嫉妬。望めば叶うボクだけど、それは他人の不幸に繋がるから。お兄ちゃんの妹になることで、ボクの望む場所にいつも居続けることができる音夢ちゃんが、疎ましいとどこかで思っていた。それが我侭だって、わかってるよ。でもね、人の気持ちって、抑えて誤魔化そうとしても、消したことにはならないから。そんな気持ちのまま、お兄ちゃんや音夢ちゃんと、一緒にいることなんてできなかったんだよ」
「私にとって、兄さんの隣が唯一安心できる場所になった。それ以外縋るモノがなかった。手を差し伸べてくれた兄さんだから」

 魔法なんて、得体の知れない力で兄さんを奪われたくない。気持ちに暗い影が下りる。自分はそんな気持ちを相手に向けたくなんてない。それでも、想えば想うほどに、膨らむ気持ちがあった。

「お互い、譲れない場所だったんだよ。もちろん、今でもそれは変わらないのだけれど、勝負はついたから。今のお兄ちゃんは、音夢ちゃんをしっかり見てるよ。音夢ちゃんも、お兄ちゃんをしっかり見てる。信頼してる。それが判ったから、もういいんだ。お兄ちゃんは大好きだけど、恋人にはなれないしね。出来損ないの魔法使いは、お役御免なのだ」
「さくら……」
「ゴメンはなしだよ。音夢ちゃんは悪いことなんてしてないんだから、胸を張ってお兄ちゃんと歩くんだよ。でないと切腹モノなんだからね!」
「うん、ありがとう。頑張るね」

 私は、笑えていただろうか。
 縛って塞ぎ込めていた気持ちが、氷解する。
 溶け出した水が涙になる。

「泣く必要はないよ……これから、ボクたちは一杯幸せになるために歩くんだからさ。泣き顔は似合わないよ」

 どうして、そこまで赦せるのだろう。
 何故、この少女は私を赦してくれるのだろう。
 ずるくて、卑怯なこの私を、どうしてここまで受け入れてくれるのか。
 何も求めず、笑って赦してくれるくらいなら、いっそ罵られた方が気が楽なのに。
 その優しさが、深く心に突き刺さって痛い。

「ボクたちは、親友だよ」

 そっと涙を拭い去る小さな手。
 私を見つめる無垢な笑顔。
 それが、理由。
 今まで聞いたどんな言葉よりも、説得力があった。
 そして、裏切ってはいけないと思った。

「うん……そうだね。恋敵でもあり、親友でもあった」
「いい勝負だったよ、うん。これからもよろしくね、音夢ちゃん」

 差し出されたその手を、ささやかな願いを込めて握り返す。
 伝わっただろうか。
 いつまでも、この関係は変わらずにいようね。

「そうだね。でも、公私混同はしないから、先生としては厳しくいくからね」
「え? 先生?」

 きょとんとする私に、さくらは悪戯な笑いだった。例えるなら、小悪魔的な……。

「そうだよ。来年度から、ボクは風見学園の講師に正式採用されたのだ!」
「え……えー!?」
「あ、ちなみにこれはオフレコだから、お兄ちゃんには内緒ね。びっくりさせたいから」
「ちょ、ちょっとさくら!?」
「それじゃ、ばいばい音夢ちゃん。向こうの研究が落ち着き次第、また戻ってくるからね! お楽しみにー!」

 嵐の予感を告げ、嵐のように吹き乱れる桜の花びらの中に吸い込まれるように、さくらの姿は掻き消えていった。
 その姿を捕まえようとして、空を掴んだ手の平をしばらく呆然と見つめ、しばらく経って脱力する。
 これが真実であるならば、風紀委員の仕事がまた一つ増えることになるかもしれない。
 早急に対策を立てなければ。
 私の中で、言い表しがたい使命感が突貫工事で急成長していった。
 兄さんも、大変だね。
 他人事のように思うが、すぐに自分にも関わる事だと気付き、溜息をつく。

 親友の笑い声が、夢の奥から聞こえた気がした。


(終)



◇◇◇◇◇

 音夢END後想定の話ですが、実際に書きたかったのは、さくらメインなお話でした。
 ゲームの劇中では、音夢とさくらって特別仲良い描写ってないので、その辺のわだかまりみたいな話を書いてみようかと思たのがきっかけです。
 音夢とさくらのパート分けする意味もあり二つに分けましたが、一本でも良い文章量だったなと反省してます。

 また、アニメを正史にすると設定上の矛盾がありますが大目に見て頂ければありがたいです。申し訳ありません。

◇◇◇◇◇



[39510] どっちが好きなの?
Name: 尾多悠◆fdb0865a ID:3f60d38a
Date: 2014/03/26 00:15
「兄さんは、ショートヘアの女の子って好きですか?」

 夕飯の席で、唐突に由夢がそんなことを尋ねてきた。

「ん? 何でそんなこと聞くんだ?」

 どことなく畏まった顔をする由夢に、俺はおかずを摘みながら聞き返す。
 今日も例によって音姉が夕飯を作りに来てくれて、皆で芳乃家の食卓を囲む。まったくもって日常的な光景だ。普段留守にしがちな家主のさくらさんもいるため、四人で夕飯を食べている。

「こらこら、弟くん。口にものを入れたまま喋らないの」

 食べながら話す俺に、すかさず音姉の注意が飛んできた。

「ああ、ごめんごめん」おかずを呑み込んで謝る。「音姉の料理は美味しいからさ、中々箸が止まらないんだよね」
「そ、そうかなぁ? えへへ……って、もう! そんなこと言っても誤魔化されないよ!」

 音姉は嬉しそうに顔を綻ばせるも、すぐに頬を膨らませてしまった。流石に単純に矛先は逸らせないか。

「にゃはは。義之くん、あんまり音姫ちゃんをからかっちゃダメだよ~」

 楽しそうな笑い声を上げて、さくらさんが俺を軽く窘める。しかしながら、その口調はあくまで楽しげで説得力は無いに等しい。

「からかってませんよ。音姉のご飯が美味しいのは本当だし」

 だからそれに乗っかって、悪気はないと主張して見せる。

「そうだねぇ。久し振りに美味しいご飯を皆で食べれて、ボクも嬉しいよ。ありがとう、音姫ちゃん」
「いえいえ、そう言って頂けると腕の振るい甲斐があります。どんどん食べてくださいね」

 しみじみと感謝の言葉を笑顔で言うさくらさんに、音姉も相好を崩して返す。うんうん、やっぱり食事は笑顔でするのが一番だよな。

「あの、お兄様。わたしの質問に答えてくれます?」

 そんなわけで食事を再開しようとした俺の足を、がすがすと由夢が蹴ってくる。座っている場所的に、音姉とさくらさんの位置からは死角になっているため、二人からその様子は見えていない。

「すまんすまん。えーと、なんだっけ?」
「だから……、髪の短い女の子は好きかっていう話です!」

 ああ、そんな質問だったか。

「急にどうしたんだ?」

 とはいえ、いまいち質問の意図が読めずに、やはり同じように聞き返す。聞きたいことは分かるのだが、何故由夢がそんなことを聞くのかという意味で。

「や、特に深い意味はないよ?」何故か由夢は言い訳から入った。「たまたま、今日学食で、男子のグループがそんなことを話題にしていたのが聞こえたから」
「ふーん、どんな話題だったんだ?」
「詳しいところまでは分からないけど、ショートとロング、どっちが好みか、みたいな話。で、まあ一応一男子として、兄さんの意見も聞いてみようかと思いまして」

 なるほど。男が女子の容姿について話題にするには、ありがちと言えばありがちな話ではある。

「もしかして、ロングヘアが好みの男子が多かったのか?」
「それは重要じゃないでしょ。わたしは、兄さんの意見を聞いてるんだから」

 由夢の声は少し硬い。やはり図星か。由夢の髪は短い方だし、それを気にしているのだろう。

「ていうか、そんな浮ついた話を気にするなんて、お前らしくないな」
「む……別にいいじゃない。いいから答えてよ」
「ええー、そう言われてもなあ」

 こうも食い下がられてしまうと、逆に答えたくなくなってしまうというか。というより、正直どちらか好きかと言われても困るし。

「もう、相変わらず鈍いなぁ、弟くんは」

 俺が適当にはぐらかそうと曖昧に返事を濁していると、音姉が「しょうがないなあ」と言いたげな顔で言った。

「鈍いって何が?」
「由夢ちゃんも女の子なんだから、気になる人の好みを知りたいって思うのは当然でしょ?」
「ちょっ……! お姉ちゃん!!」

 両手でテーブルを叩いて、由夢が腰を浮かせる。その衝撃で、お椀の味噌汁が波打った。

「うわっと」驚いた声を上げ、さくらさんは自分のお椀を支える。幸い中身が零れることはなかった。「由夢ちゃん、危ないよ」
「あわ……す、すみません。でも、今のはお姉ちゃんが悪い」

 座り直すもお冠のようで、由夢は顔を赤くして音姉を睨んでいた。そんな視線も慣れたものと、音姉は「ごめんね」と軽くかわしている。

「それにほら、私も弟くんの意見は気になっちゃうし」
「そうだね。ボクも女の子としては気になっちゃうね」

 援護射撃とばかりに、会話に乗ってくる音姉とさくらさん。さくらさんを女の子の範疇に含めて良いのか疑問を感じたが、言えば藪蛇になること確実なので口には出すまい。

「気になるって言ってもな……」改めて質問者の由夢に言う。「だったら、なおさら俺に聞いても仕方ないんじゃないか?」
「え?」
「だって、その男子のグループの中に、由夢の気になる相手がいるんだろ? だったら、俺の意見を聞いても意味ないだろ」

 まあ、そういうことなら、由夢にも少しは女の子らしさというものを身につけてもらいたいものだな。などと妹の心境の変化に兄として微笑ましく思っていると、

「……」
「……」
「……」

 どうしたんだろう。楽しいはずの夕食の空気が、いつの間にやら冷やかなものに代わっている気がする。主に俺以外の三人が。

 由夢は見た目は白けきった顔をしているが、良く見ればこめかみ辺りをひくひくさせており、どうにか怒りを抑えているご様子。きっと、さっきの音姉の言葉に反応したときのことを反省してのことだろう。
 音姉は口を開けて唖然としている。言葉にできない気持ちを表情から察するに、「弟くんはいったい何を言っているの?」みたいな顔だ。
 そして、さくらさんからに至っては何故か憐みすら感じる。何か俺いけないこと言いましたか?

「あの……皆様いかかなされたのでしょうか?」

 とりあえず俺が悪者っぽい空気だったので下手にでてみた。

「はぁ……なんだか急にバカらしくなってきた」

 怒りを発散するように息を吐いて、由夢は俺から視線を外して食事を再開してしまった。

「なんだよ、質問はもういいのか?」
「結構です。まったく……兄さんに聞いたわたしが悪うございました」

 拗ねて嫌味を言われてしまうも、ここで言い返せば喧嘩になるだけだ。折角さくらさんもいるのだし、これ以上嫌な空気にはしたくない。
 助けを求めるつもりで音姉を見るが、目を合わせたところ、「駄目でしょ、弟くん」と無言のお叱りを受けてしまった。

「ごめんよぉ、由夢ちゃん。義之くんが、ここまで唐変木だとは……」

 さくらさんは芝居掛かった調子で何か言ってるし。

「大丈夫ですよ、さくらさん。所詮は、兄さんですし」
「そうだね、弟くんだしね」

 謎な団結力を見せつけられ、反論のしようもない。理由も分からず悪者にされるのは釈然としないが、ここは折れるしかないのだろうなあ。

「――で、義之くんは、音姫ちゃんと由夢ちゃん、どっちが好きなの?」
「は?」

 と、ようやく話題が終わったと思った矢先、さくらさんがそんなことを聞いてきた。

「だからぁー、髪の長い子と短い子、どっちが好きって話でしょ?」

 ああ、そういう意味か。確かに音姉は長いし、由夢は短いしね……って、そういうことじゃなくて。

「さくらさん、わざと言ってますよね?」
「んん? 何のことかな? ボクは由夢ちゃんに代わって義之くんに聞いているだけだよ?」

 笑いを噛み殺しながら言われても説得力がない。絶対確信犯だよこの人。

「……」
「……」

 そして、俺の両サイドから、さっきの空気とは比較にならない圧力が無言で押し寄せ始めていた。

「もういいじゃないですか、そんなこと。ほらほら、早く食べないとご飯が冷めるし」

 今更ながらそんなことを言って誤魔化してみようと試みるが、

「そんなこと?」

 音姉の普段より一段低い声に俺の反抗心は無条件降伏をしてしまいました。お姉様、怖いです。

「そうですね。そんなことで片付けられては困ります」

 貼り付けたような笑顔で由夢が凄んでくる。お前はもう質問は良いんじゃなかったのか。

「で、どっちなのかな? 義之くん」
「勘弁してください……」
「ダメだよ。義之くんは、ボクのことを女の子として見てくれてないみたいだからねー」

 さくらさんは表情を一転させてむくれる。先ほどのやり取りの中で表情に出ていたのか、いつの間にか心の中を読まれていたっぽい。

「まあまあ、いいじゃん。義之くんも男の子なんだし、好みの一つや二つないわけじゃないでしょ?」

 それはまあ、ないことはない。しかし、もはやこの質問の論点は髪型ではなくなっている気がする。
 そうなると、どちらかを選んでも地雷を踏むことになりそうな気がする。かといって、さくらさんに退路を断たれてしまって逃げることもできそうにない。

「……わかりましたよ。俺が好きなのは……」

 覚悟を決めて口を開く。音姉と由夢に真剣な顔で見られている。そして、俺はまっすぐに、

「さくらさんです」

 散々茶化してくれたその人に視線を向けて言った。

「はにゃ!?」

 不意打ちが功を奏し、さくらさんは声を上げて目を白黒させている。

「だからつまり、髪の長い方ってことで」

 音姉も由夢も驚いている内に、とりあえず付け加えるように言っておく。由夢には悪いが、さくらさんを立てておけばそうそう怒るまい。

「ふーん……そうかそうか、義之くんはボクが好きなのかぁ。しょうがないなぁ」

 さくらさんは、顔を赤くしてはにかんでいる。さくらさんは家族みたいなものだし、好きなのは事実なのだが、そんな顔をされると、改めて口にしてしまったことが気恥ずかしくなってくる。
 その幸せそうな笑顔にあてられて、音姉も由夢も表情を崩し始める。とりあえず、落とし所としては上出来だろう。

「よーし! 良い子の義之くんには、頭をなでなでしてあげるよ!」
「え!? ちょっと、さくらさん!?」

 それが果たして気分が高揚し過ぎた結果なのか、わざとなのかはわからないが、席を立ったさくらさんが俺に飛びついて来る。落ち着いて夕飯を食べるには、もう少し時間が掛かりそうだった。


***


「――ということがあったんだが、どう思うよ?」

 昼休み、購買から調達したパンを教室で食べながら、昨日の夕飯時に起こった騒動を掻い摘んで話し終える。話を聞き終えた渉はしばらく目を瞑って考える素振りをしていたが、やがて俺の両肩を掴み、

「よっしゃ、とりあえず屋上行こうぜ」

 肩を掴む力は指が食い込むほど強く、ちょっと抜け出せそうになかった。

「痛いって、離せよ」
「うるせえ! お前は学園で人気を博する朝倉姉妹との楽しい夕食の一コマを俺に話して優越感に浸ってんだろ? そうなんだろ!? ああ! ちくしょう! 羨ましいじゃねえか!」
「うわ、唾飛ばすなよ。汚いな」

 顔を仰け反らせるが、肩を掴まれているため回避できず、渉の唾が顔にかかってしまった。

「だいたい、別にそんなつもりで話したわけじゃないぞ」ポケットからハンカチを出して顔を拭く。「俺が言いたかったのは、どうすれば角が立たなくなるかと言うことだ」

 あの後、ひとまず夕飯は乗り切ったが、今朝、結局本音はどっちなのかと由夢に聞かれてしまったのだ。どうも誤魔化されたことが気に食わなかったらしい。音姉も一緒のため如何ともし難く、ダッシュで登校して逃げてきたのだが。

「知るかよ。どうせそのハンカチも、音姫先輩から持たされたりしたんだろうが」

 ひとまず屋上行きは諦めたようで、渉の手が離される。やはり、相談する相手を間違えたか。

「杉並はどう思う?」

 無駄だとは思うが、杉並にも振ってみる。こいつは話の途中から興味をなくしたようで、サンドイッチを片手に怪しげな雑誌を読んでいた。

「ふむ、他をあたれと言いたいところだが、仕方ない。一つだけ答えてやるか」

 雑誌を閉じてこちらに体を向けると、やたらと恩着せがましく言ってくる。一応、話は聞いていたのか。

「争いは良くないからな。ここは一つ、『どちらも好きだ!』とでも愛を叫んでおけば問題なかろう」
「問題ありすぎだろ……」

 案の定、話は聞いても真面目に答える気はないようだ。

「ったく、何にせよ贅沢過ぎる悩みだぜ。おーい、雪村、んなわけで、このイチャコラ野郎をどうするよ?」

 遠巻きにこちらを見ていた杏たちに、渉が声を掛けた。正直この手の話に加えたくはないから渉と杉並とで飯を食っていたのだが、あいつらが話に入ってくるのは時間の問題だったのだろう。待ってましたとばかりに、砂糖に群がる蟻のようにやってきやがった。

「ふ、ふ、ふ~。話は全て聞かせてもらっていたわよん」

 まっさきに噂好きの茜が寄ってくる。抑え目に話していたつもりだったのだが、こいつの地獄耳には勝てなかったらしい。

「義之くんの本命がどっちかって話だよね~」
「違うっつーに」
「似たようなものでしょ」

 俺の突っ込みに、杏が更に突っ込みを被せてきた。

「それにしても、義之が愚鈍なのは今に始まったことではないとはいえ、それが際立った酷い話だったわね」
「ぐ、愚鈍?」
「それとも、ニブチン?」

 言い直されたが、意味は一緒だった。とりあえずバカにされていることは伝わった。

「小恋、お前も俺を笑いに来たのか?」
「もぅ、何いじけてるんだか」

 この二人と話しても禄な返しが期待できなかったので、雪月花の良心的存在である小恋に振ってみたが苦笑で返される。こいつの返しも連れなかった。

「月島、同情することなんかないぜ。こいつは一回爆発すべきなんだ。そして俺に詫びろ!」
「爆発したら死ぬだろーが。そしてお前に詫びる必要はない」

 小恋にいらんことを吹き込もうとする渉に突っ込む。こいつらの会話の舵取りは骨が折れる。

「で、結局義之はどうしたいわけ?」

 と、杏が急に真面目な顔で尋ねてきた。

「なんだ? 真面目に話を聞いてくれるのか?」
「さあ? 聞くだけならタダだし」

 その物言いだと、俺に話をタダで提供しろという風に聞こえるんだが……。

「いいじゃない。どうせ、義之と渉には女心なんて分からないでしょ。美少女三人が相談に乗って上げるって言ってるんだから、感謝なさいな」

 自分で美少女とか言うやつのことをどこまで信用できるのか怪しいものだが、もはやこうなってしまうと強制に近く、逃れるには話す他ない。

「俺としては由夢が意固地になる理由も分からんし、どう答えれば穏便に済むかなと……」
「不憫な兄を持つと妹は苦労するのね……」

 杏が呆れ顔で、わざとらしく溜息を吐いた。ここまでバカにされた態度を取り続けられると、流石にちょっと腹が立つ。

「なんだよ。杏には由夢の気持ちが分かるってのか?」
「ま、当たらずとも遠からずといったところかしら。大体の予想はつくわ」

 即答だった。

「というか、茜と小恋も同じでしょ?」

 目配せする杏につられ、茜と小恋を見る。二人ともうんうんと頷いている。

「本当かよ……」

 当事者でもないのに話だけを聞いて人の気持ちって分かるものなのだろうか。兄としての自信を失くしそうだった。

「じゃあ教えてくれよ。俺はどうすれば良いんだ?」
「それは、私が言っても仕方ないわ。義之が自分で気付かないと」
「それが分からんから相談してるんじゃないか」
「答えだけ聞いても意味がないでしょ。問題はまず解き方から覚えないと、今後同じような問題が起きても対処できないじゃない」

 それは一理あるが、勉強はそこまで得意ではない。そこは普通に教えてくれても良いだろうに。

「そうだよ~。義之くんは、もう少し勉強してもらわないとね」

 しかし、茜もノリノリなところを見る限り、楽に解決できる見込みはなさそうだ。というか、完全に楽しんでいやがる。

「そうね。これを機に義之の鈍感さが少しでも改善されれば、小恋の負担も軽くなるでしょうし」
「えぇ!?」

 急に名前を出された小恋が、素っ頓狂な声を上げた。

「負担ってなんだ?」
「それを聞いているから義之はダメなのよ。空気を読みなさい」
「もう、杏! 余計なことは言わなくていいから!」

 杏の肩を掴んで小恋が何やら喚き出した。

「ま、小恋ちゃんは義之くんのそういうところも含めてだもんね~」
「いや……流石にそれはないというかいい加減辛いところがあるんですけど……」

 そして、茜の言葉に霞んだ声でごにょごにょと何か言っている。残念ながら聞き取れなかった。しかし、言われているこっちはさっぱりである。

「さて、小恋の話はさておき」肩に置かれた小恋の手を払い、杏が前置きする。「そろそろ問題を始めましょうか」
「いろいろと突っ込みたいところではあるが、まあいい。始めてくれ」
「では、問題その一。由夢さんは義之にどうして質問をしたのでしょう? 理由を述べよ」

 その一ということは、まだ先があるのか。ずいぶんと最初の話に戻ったが、これが解き方とやらに繋がるのか?

「男子が噂をしてたから?」

 とりあえず話を思い返して答えてみる。

「それはとっかかりであって、本題ではないわ」
「ん……でもこれ以外に理由なんてあったか?」

 男子が髪型の好みの話をしていたことが発端で間違いないはずなのだが。

「桜内……自分の話だというのにその理解力のなさは、もはや狙っているとしか思えんぞ」

 悩む俺に、やれやれと杉並の嘆かわしげな声がかかる。一応話の輪には加わる気はあるらしい。

「じゃあ、お前には答えが解ったのか?」
「わからいでか。答えは朝倉姉が言っている」

 音姉が?

「『相変わらず鈍いなぁ、弟くんは』」杏が微妙な声真似をして言った。「ここまで言えば分かるでしょ」

 妙に背筋が寒くなりながらも、その前後の会話を思い出す。こいつ、既に俺より話を記憶してるんじゃないか……。

「えーと……由夢には気になる男子がいたから?」

 確かそういう方向だった。その後の会話で空気が変わってしまったので、その線はないと思っていたのだが。

「正解ということにしておくわ」

 が、どうやらこれが正解だったらしく、仕方ないと言いたげに杏が頷く。そうなると、やはり話が見えてこない。

「解答その一。由夢さんには気になる男子がいました。学食での話では、ロングヘアが好みの男子が多数派だったようなので、それを気にした彼女は義之に髪型の好みの話を持ち掛けました」
「ではでは問題その二ね~。その気になる男子とはいったい誰のことでしょう~?」

 と、次は茜が問題を提示する。

「おっと、いきなり本題ね」
「もたもたしてると、お昼休みが終わっちゃうからねぇ」
「っていうか、それって俺が答えられる問題なのか?」
「そりゃそうよ。これまでの話を問題範囲とするなら、答えは一つしかないでしょう?」

 じっと目を見つめながら杏に言われる。いつものように、人を食ったような色のある目だ。
 鈍い鈍いと言われ放題ではあるが、ここまで言われると流石にこいつらが言いたいことは分かる。
 それはつまり、由夢の気になる男子っていうのは、そういうことで……。
 冗談だろ?

「その顔は正解にたどり着いたみたいね。自覚がないのは本人ばかりよ」
「いやいや、それはお前たちの方が勘違いしてるって」

 だって、由夢だぞ。家族みたいなものだし。妹だし。

「信じる信じないは任せるわ。これ以上言うのは色々と問題がありそうだから言わないでおくわね」

 否定する俺にそう言って、肩を竦めた杏は俺に背を向けた。

「おいおい、話は終わりかよ」
「昼休みも終わりだしね。次は移動だし、準備しないと」

 そう言われて携帯で時間を見ると、確かに昼休みも終わりだった。

「なんか、結局俺はどうすれば良いのか聞けなかったんだが……」
「杏ちゃんなりの宿題じゃないかなぁ。義之くん、後日提出よろしくね~」

 茜も杏と次の授業の準備を始めてしまう。いつの間にか宿題にされていた。どうしろっていうんだ。

「はぁー……。結局、義之がいかに恵まれた環境か聞いただけかよ」
「俺に自虐する趣味はねえよ」
「お前の身内話が自虐になるかよ。杉並、一緒に移動しようぜ」
「よかろう。桜内には考える時間も必要なことだしな」

 連れ立って去りゆく杉並と渉。わざとらしく俺を除け者にするとか、ちくしょう、拗ねるぞ。

「はいはい、腐ってないで準備する」最後に残った小恋が急かしてくる。「わたしたちも行くよ」
「へいへい」

 予鈴が鳴り、気が付けば周りの連中も移動し始めている。さっさとした方が良さそうだ。

「ところで小恋、やっぱり、お前も杏と同じ意見なのか?」

 連れ立って廊下に出ながら、少し前を歩く小恋に尋ねてみる。

「どうかな……杏も確証があって言ってるわけじゃないんだろうけど、まあ、概はね」

 小恋は顔を振り向かせ、多少濁しながらも肯定し、隣に並んだ。

「うーむ、やっぱり腑に落ちないな……」
「そこまで深く考えることないと思うけどなぁ。ちゃんと質問に答えてあげればいいだけだよ」
「いや、一応答えるには答えたぞ」
「話を聞く限りじゃ、適当にはぐらかしたようにしか聞こえなかったけど? それじゃ、答えたとは言わないよ」

 小恋にしては珍しく力んだ声だった。そう言われてしまうと、昨夜のことは真面目に答えたとは言いにくい。

「義之はさ、由夢ちゃんのこと好き?」
「は、はい?」

 思いがけない質問に、声が上擦った。

「真面目に答えてよ?」
「そりゃ好きか嫌いかで言えば、嫌いなわけないだろ。長い付き合いなんだし……音姉だってそうだし」

 そりゃ家族同然に暮らしてきたし、軽い言い合い程度の小競り合いなら日常で遠慮のない関係とも言える。改めて聞かれれば逆に返答に困るくらいだ。
 でも、今の小恋の質問のそれ……杏や茜、女子の言う好きか嫌いかっていうのは、そういうことじゃないんだろうなぁ。

「あはは、そうだね。義之はそんな感じだね」
「そうそう。それに、そういう意味じゃ、小恋だって好きだし」
「ふぇ」

 と、唐突に小恋が変な声を上げて固まった。足を止めて見ると、頬を赤くした小恋と目が合う。

「えーと、どうした?」
「な、なんでもないよ!? いや、そうじゃなくて、えと……その、義之……それって」

 小恋は視線を逸らし、両腕をせわしなくばたつかせた。なんというか、動きがコミカルで小動物っぽい。

「ううん、やっぱりなんでもない」

 深呼吸して平静を取り戻したようで、再び隣に並んで歩き出す。だが、まだ小恋の頬は紅潮していて、その横顔を見ているこっちも、なんだか妙な空気になってしまいそうだった。

「ちっ……そこで押さなくてどうするのよ、まったく」

 会話を繋げようと考えていると、背後から不穏な舌打ちが聞こえてきた。振り向くと、柱の陰に杏と茜がいた。半身程度しか隠れきれていない上に、がっつりと目が合ったのでバレバレだ。

「あちゃ、ばれちゃった」

 わざとらしく舌を出した茜が、笑みを浮かべながら茜が杏と一緒に近づいてくる。

「お前ら、先に行ったんじゃなかったのかよ」
「そう見せかけて、実は気を利かせて二人だけにしてあげたのに……チャンスを活かせない憐れな子羊なのであった……」
「子羊って……もしかしてわたし!?」
「あんたの他に誰がいるのよ」

 小恋の腰辺りを叩きながら杏が言う。何故か若干不機嫌そうだった。

「言質を取ったんならあとは既成事実を作ればこっちの勝ちでしょうに」
「もう! そんなことできるわけないでしょう!?」

 杏に絡まれた小恋が声を荒げる。さっきまで感じていた妙な空気は、いつの間にやらいつもの他愛ないものへと戻っていた。

「やれやれ、義之くんも大概だねぇ」

 茜が俺の肩を叩いて大仰に溜息を吐いた。

「どういう意味だよ」
「いやさ、成長して欲しいとは思うけど、天然さんは良くないってこと。言葉は相手を見て選ばないと、身を滅ぼすよ?」
「はあ……?」

 俺がいつ天然になったのか問い質したくは思ったが、後半の言葉を妙に重く感じてしまい、言葉が続かなかった。

「やれやれ、ニブチンさんの義之くんには、仕方ないから私から一つだけアドバイスしてあげるね」

 茜は貸し一つとばかりに人差し指を立てて笑った

「今の義之くんに足りないのは真摯さね。真面目に聞かれたのなら、真面目に答えなさいってこと」
「どの口が言うんだよ」

 真面目さが足りないのはお前らの方ではないのかと、声を大にして言いたいところだ。

「それはそれ。小恋ちゃんにも言われたでしょ。ちゃんと答えなさいって。そうすれば上手くいくって」
「そんなもんかね……」

 結局のところ、質問にはちゃんと答えろという至極全うで、全う過ぎで逆にどうすりゃ良いんだという気持ちにさせられる回答を頂いた。元を正せば由夢に適当に返事をしようとした俺が悪いのは明白ということなのだろうが、いかんせん気まずいことこの上ない。
 とはいえ、このまま気まずい空気を引き摺ることも面倒なこともまあ確かなことで。
 さしあたって、今晩由夢と顔を合わすことは確実だろうから、どうやって乗り切るかと、少しばかり前向きに考えることにした。


***


 そんなわけで、昨日と同じく音姉と由夢は芳乃家にやってきて、夕飯を一緒に食べる流れとなった。さくらさんも一緒だ。
 結局のところ、雪月花三人娘の相談もとい野次馬根性から言われた諸々は、活かされることはなかった。
 というのも、昨夜の話について、由夢から蒸し返してくることがなかったためだ。

「兄さん、醤油取って」
「ほい」
「ん……ありがと」

 いや、由夢が明らかになんでもないように振る舞おうとしているのが分かっていた。家と学園で顔を使い分けしているくせに、こういうところは不器用なやつである。
 そういう態度を取られてしまった以上は、こちらとしても何も言うまい。話題の俎上に載らないのであれば、手を出す必要もないからな。逆に俺が話して変な空気になるのも嫌だし、ここは事なかれ主義でいくとしよう。

「こほん、ところで兄さん」

 と、平和に考えていると由夢が声を掛けてきた。わざとらしく咳払いをして、何やら神妙な面持ちをしている。

「……なんでしょうございましょうか?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 第六感的に嫌な予感がしたので、一先ずおどけてみたものの、素で無視されてしまった。

「昨日の話の続きか?」

 やっぱり蒸し返すのかと思いつつ、諦めの気持ちで尋ねる。

「や、それはもういいです。それとは別のことです」

 俺の思いとは裏腹に、由夢はあっさりと切って捨てた。となると、一体なんだろうか。

「しょうがないな。俺に答えられることか?」
「ええ、まあ。その、また学食で男子が話題にしてたんだけど」
「また好みの話か? よくよくその男子たちってのも暇なんだな」

 そういう話をするのは別に構わないのだが、芳乃家に爆弾の火種を撒かないでもらいたいと、本気で願う。

「年頃の男の子が話すことなんて、そんなモノじゃないかな? で、今度はどんな話だったの?」

 さくらさんが一時食事の箸を止めて話に入ってくる。気付けば音姉も興味を持ったようにこちらを見ていた。

「……やっぱり、止めておきます」

 振られて少し考えた後、由夢はそう言った。

「なんだよ、気持ち悪いな」
「どうせ、兄さんは聞いても真面目に答えてくれないだろうしね」
「おいおい、決め付けるなよ。答えられるものなら答えるぞ」

 顔を背ける由夢の言葉から、真面目に答えろという小恋の言葉に真実味が帯びた気がした。なので、一応そこは真面目に返す。

「本当?」
「本当本当、お兄さんに聞いてみなさい」
「そういう言い方が嘘っぽいんだけど……じゃあ、思い切って聞くね」
「おう、どんとこい」

 そこまで覚悟がいることなのか、心なしか由夢の頬が赤い気がする。その態度にあてられたのか、無駄に見栄を張って言ってしまった。まあ、どうせ昨日のような他愛ない質問だろう。

「兄さんは、胸の大きな女の子って好きですか?」

 が、そんな俺の希望的観測は打ち砕かれた。
 いや、他愛ないと言えばそうなんだが……正直言って、この話題はまずい。
 背中に嫌な汗を感じながら、ちらりと音姉へ視線を向ける。

「どうしたのかな? 弟くん」

 顔は笑っているが、目が笑っていなかった。その明るいけれど冷えた声を聞いただけで、寒くもないのに体が震える。

「……ジーザス」

 凍り付いた空気の中、視線を自身の胸に落としたさくらさんの悲哀に満ちた呟きが響く。

 芳乃家の食卓に、昨夜を遥かに勝る修羅場が訪れたのは、言うまでもない。


(終)



◇◇◇◇◇

特に山もなく落ちもなく。ただの日常会話を書いてみたかっただけのお話です。
由夢も好きだが作者は音姉派。そしてそれ以上に、さくらさんが好きです。

◇◇◇◇◇


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