何かを得るためには、何かを失うということ。
選択とは、他の選択肢を捨てるということ。
人一人が描く、人生という短くも壮大な物語は、そうしたことの繰り返しで紡がれていく。
それは、お弁当のおかずをどれから食べようか悩んだり、帰り道に寄り道を決意したり、他愛もないことでも構わないことがほとんどかもしれない。
けれど、人生の一大決心というやつは、唐突に降って下りてくる。
不安、畏れ。事の重大さに、その場で立ち竦む。
そのままでいれば、それは過ぎ去ってゆくかもしれないが、代わりに何も得られず、その選択で得るものを失う。
そこで得られるもの、それは私にとって、大切なモノ。
今までしてきた私の選択は、半分私の意志で、半分作られた意志でもある。
それは楽で、違和感を感じさせないほどの心地良さがあった。
でも、それ以上にも、それ以下にもならない。
本当に、不安でも私自身が手を伸ばし、選び取ったもの。
その大切さに、気付かせてくれたから。
私は、今の私を捨てて、あなたを選んだ。
***
本日最後の授業の終了を告げるチャイムが鳴り、担当の教師が挨拶を済ますと、教室は放課後のざわめきに溢れた。
部活に行く奴もいれば、連れと何処に遊びに行くかと盛り上がる奴もいる。それぞれのプライベートな時間。一日の約半分を費やした後の、解放的な気分。本校に上がっても、こうした風景は変わらないのだなと、実感する。
「朝倉君、帰ろう」
適当に教科書類を鞄に突っ込んで席を立つと、丁度ことりが声を掛けてきた。
「おう、今日はどっか寄って行くか?」
「そうだねぇ。じゃあ、公園にクレープ食べに行こう」
「甘いモノか、好きだな」
「そりゃもちろん、女の子ですから♪」
白河ことり。
風見学園本校一年三組。可憐な美貌を持ち主で、人当たりも良い性格。ある種の完璧性を持つ学園のアイドル的存在。というのが、彼女について知られるおおよその情報であろうか。
そして、目下、俺の彼女でもある。
「それじゃ、行くとするか」
「うん」
おどけた調子で微笑むことりに笑みを返し、二人連れ立って教室を出て行く。
ことりとは付属を卒業するときから付き合い出し、本校では同じクラスになれた。当初は主に男どもから敵意の視線が圧倒的に俺に寄せられていたが、今では二人は恋人と認知されているようだ。
「ふ、今日も仲睦まじいことだな、二人とも」
「げ」
廊下を歩く俺たちの前に、不敵な笑みを湛えた杉並が現れた。
「なんだ朝倉。その嫌なモノを見てしまった自分を認めたくないといった風な顔は」
「俺の心情を的確に表現するのはやめてくれ」
「杉並君も、帰りですか?」
「ことり、帰りも何も、こいつは同じクラスだぞ」
相好を和らげて尋ねることりに、俺は認めたくない事実を告げる。
「あ、そう言えばそうだね。なんだか自然に待ち構えられていた風だったから、勘違いするところでした」
ことりはバツが悪そうに笑って誤魔化そうとした。
「気にすることはない、白河嬢。それだけ普段、俺の隠密性が優れている証拠だ」
「何を訳の分らんことを……」
「何を言う朝倉! 本校でも俺の名を知らしめるため、日夜鍛錬を怠らぬ俺の心意気が分からんのか!」
「くだらんことをするのは止めないが、俺を巻き込むなよ」
「それは保障しかねる」
「……」
「ダメですよ杉並君! 今年から朝倉君は私のものなんですから、勝手に持っていってもらっては困るんですから」
「ことり!?」
無言で杉並を睨むと、不意にことりが俺の腕を自分側に引き寄せ、奴に向けて抗議した。その声が大きかったせいか、廊下を行く生徒の何割かが、こちらに視線を向けている。
「あ……なんて、ちょっと言ってみたかっただけ、だったりして!」
それに気付いたのか、ことりは顔を赤くして明らかな照れ笑いを浮かべる。そう言いつつも、腕はしっかり捕まれたままだ。
「やれやれ、青春だな、友よ」
ぽんと俺の肩に手を置き、何を納得したのか杉並は何度か頷いた。
「まあ、お前を一人欠いても問題はあるまい。今年から我が宿敵、朝倉妹は島の外……俺が学園を牛耳るのも、時間の問題というわけだ……くくく」
「えっと、あの……私も中央委員会に所属しているので、不穏当な行動は慎んで欲しいかな」
ことりは風紀委員ではないが、中央委員会に属しているため、学生内で不穏な動きがあれば、火の粉が降りかかることもあるのだろう。困惑と苦笑が入り混じった、複雑な表情だった。
「白河先輩! ご心配は無用です! 杉並先輩の悪行は、不肖この天枷美春が常に監視しております故!」
「おお! 美春、どこから湧いて出た!? バナナは持ってないぞ」
どこから話を聞きつけたのか、何時の間にか杉並の背後に美春の姿があった。わずかに息を切らせ、身に着けた付属の制服の襟元を扇がせている。
「酷いですね朝倉先輩、人をバナナ星雲の住民みたいに」
「頭にバナナが付けば、なんでもありだなお前は」
「えー、そんなことはありませんよ」
「じゃあ、嫌いなバナナを言ってみろ」
「え……あう、そんな殺生な。嫌いなバナナなんて! バナナのない美春なんて、ただの美春じゃないですか~!」
「もう、朝倉君。あんまり女の子を苛めちゃダメじゃない」
「いや、こいつの反応は楽しめるから、ついなぁ」
そう言って、よよよと泣き崩れる美春の頭を撫でることり。こうして見ると、飼い主と犬のようだ。
「天枷さん、元気出して。あ、そうだ、私たちこれから公園のクレープ屋さんに行くんだけど、一緒に来る?」
窺うように俺を振り返ることりの目は、少しだけ申し訳なさそうで、お願いの色を含んでいた。そんな顔をされて、逆らえるはずもなく。
「そうだな。財政は厳しいが、バナナクレープくらいなら奢ってやってもいいぞ」
「本当ですか!? いやぁ~、朝倉先輩も大人になったモンですね~」
「どういう意味だ」
美春の頭を鷲掴みにして、乱暴に頭をこねくり回す。
「ひええ! し、失言でした!!」
「判れば良し。で、一緒に来るか?」
「それはもち……あ~、いえ、非常に心残りというか、後ろ髪引かれる思いなのですが、今日は遠慮しておきます」
俺とことりを交互に見て、美春は急にしおらしくなった。こいつ、もしかして俺たちのことを気遣っているのか。
「いいの? 天枷さん」
「はい、お気遣いなく。美春には杉並先輩を監視し、風見学園の平和を守るという使命が……って、は! そうでした! 杉並先輩は!?」
杉並がこの場からいなくなっている事実にようやく気付き、美春が素っ頓狂な声を上げる。
「あいつなら、もうとっくに行方をくらましたぞ。姿を見失うと、追跡は難しいか」
「いえ、大丈夫です! なんといっても、美春には音夢先輩から受け継いだ情報が……は! これ以上は関係者以外には他言できませんので、あしからず! では!!」
不穏なことを言い残して、美春は杉並を追うためダッシュで去って行った。音夢め、美春に何を仕込んでいったんだ……。
「はは、気遣ったつもりが、気遣われちゃったみたいだね」
「だな。じゃ、気を取り直して行くか……の前に、いつまでそうしてるつもり?」
現状、ことりと俺の片腕は密着している。落ち着くとそれが急に気になりだしてしまった。というか、学園内なため非常に目立つ。相手が学園のアイドルことりなら、尚更のことに。
「この体勢、嫌い?」
顔が肩に乗るか乗らないかの位置あたりから、ことりが上目遣いで尋ねてくる。嫌いというわけではなく、むしろ押し当てられた柔らかい感触が気持ち良い。と、そんなことではなくて。
「……今、エッチなこと考えた?」
「え、あ、いや」
「心は読めなくても、朝倉君の今の表情は読めるよ」
「……面目ない」
「もう、しょうがないなぁ」
ことりは名残惜しそうに絡ませていた腕を解いた。その代わり、ことりの左手が俺の右手を掴んだ。華奢な細い指先が組まれ、温もりが伝わる。
「これなら、問題ないよね?」
「そうか……?」
どちらにせよ、好奇の目で見られることには変わりはないのだが、拗ねたように口を尖らせることりを見て、これ以上の抵抗は旗色が悪いと悟った。
「わかった」
「そうそう、私たち恋人さんなんだし、問題ないっすよ♪」
俺はそうして、ことりの手を引いて歩き出す。不意を突かれて、ことりは少し小走りに俺の隣に並んで微笑む。そうした彼女の仕草を、たまらなく可愛く思った。
***
桜公園の桜は、去年まで今の時期でも、というか年中咲き誇っていたが、今はすっかり散ってしまっている。
慣れはしたが、長年親しんだ風景であったため、それを偲ぶ心があるのもまた事実。
俺にとっては、それ以外にも偲んでおきたい理由もあったりするのだが。それはまた別の話だ。
「はい、朝倉君」
「ん、サンキュー」
ことりからアイスクレープを受け取り、二人並んでベンチに座る。季節は夏に移ろうとする過渡期で、アイスの時期には少し早いが、決して悪くはない。
「美味しいね」
「多少甘ったるいけどな。それに、ことりのそれを見ると気分が倍増するし」
ことりの両手には、味違いのクレープが二つ握られている。甘いものは別腹というが、本当なのかと信じてしまいそうだ。
「そうかな? これくらい、どうってことないっすよ」
「太るぞ」
「……」
「う、嘘。冗談だ」
一瞬ことりの冷たい視線に晒され、慌てて言い繕う。それに対して、ことりは悪戯っぽい笑みを作った。
「私も、冗談っす」
今のは本気の顔に見えたんだけどな……。
「それとも、朝倉君は、太った私は嫌い?」
「え?」
「今は見えざる努力でこの身体を意地しているわけですが、私が太らないという裏づけはないんですよ?」
からかい半分、本気半分といった感じだろうか。冗談と言いつつ、やっぱり気にしてるのかな。
俺は一つ深呼吸をして、ことりの目を見る。
「俺が好きになったのは、ことりだからだよ」
「それは、どういう意味で? 性格とか、体型とか、家族とか、全部ひっくるめた私?」
「難しい質問をするなぁ。まあ、なんというか、上手く言えないけど、決して太ってるとか、そんな端的な特徴を指してことりを嫌いになったりはしないさ。ことりと付き合って、そういう打算的な気持ちはないって言える自信はあるからさ」
「私は、朝倉君が太ったり髪が薄くなったりしたら幻滅するかも……」
「……マジ?」
「嘘。でも、恋する女の子は好きな人に振り向いて欲しいと思って努力してるんですからね。朝倉君も、私に愛想を尽かされないようにしてよね」
「ああ、俺が愛想を尽かすことはなくても、それは大いにあるかもなぁ」
「かったるい、ですか?」
「他ならぬ彼女のためなら、努力は惜しまないさ。俺の自慢だし」
「そ、そんな、自慢するほど大したものじゃないっすよ」
「いやいや、そんなことはないぞ」
クレープの最後の一口を放り込み、ふとことりの持つクレープに目をやる。
「ことり、早く食べないと垂れるぞ」
「え、ああ! もう、朝倉君が変なこと言うから!」
「俺のせい?」
慌てて溶けかけたアイスを食べながら、恨めしそうにことりは言った。
「そうだよ。太るとか、じ、自慢とか……」
そう言うことりの頬は桜色に染まる。何気なく言った言葉だったけれど、かなり利いたらしい。
「と言われても、本当のことだからさ。太るっていうのは冗談だけど、自慢っていうのは本心」
「もう、褒めても何も出ないんだから」
「何か期待しているわけじゃないって――ん?」
そのとき、ふと向かいのベンチに目が止まった。釣られて、ことりもそちらに視線を向ける。
「女の子……?」
そこに何があるのではなく、ことりは俺が何に気付いたのか尋ねたのだろう。だから、俺は頷いた。
目に止まったのは、ベンチの真中に一人ぼっちで座っている女の子だった。
見た目、まだ小学校に入るか入らないかくらいじゃないだろうか。俯けた顔から出来た影が、浮かない彼女の表情を更に暗くしている。今にも泣き出しそうな感じだ。
「……かったるいな」
「朝倉君?」
他人のことだと放って置いても構わないけれど、俺は腰を浮かして彼女の方へ足を向けた。見るに見かねるというやつだ。
「よお、どうしたんだ?」
明るいボケも浮かばなかったので、差し障りのない言葉で話し掛ける。顔を上げた女の子と目が合うと、しばらくしてその目尻から光ものが溢れてきた。
「お、おい」
「う……ひく……」
「朝倉君、ダメじゃない。何やってるの」
「ことり、いや、俺はただ」
悪いことをしたわけでもないのに叱られ、理不尽な気分だったが、俺は身を引いてことりを女の子の前へ通した。
「ごめんね、お兄ちゃんが怖がらせたみたいで。お願いだから、泣かないで」
膝を折って女の子と視線の高さを同じにし、ことりは優しく微笑んで女の子に話しかけた。すると、女の子はぐずついた表情のままだったが涙を止め、ことりと向き合った。
「私は白河ことり、こっちのお兄ちゃんは朝倉純一。あなたの名前は?」
「……沙世」
「沙世ちゃん、ね。これ上げるから、元気出して」
ことりはまだ手を付けていない方のアイスクレープを沙世に手渡そうと差し出した。沙世は何度かことりとクレープを交互に見たが、最終的に彼女はそれを受け取った。
「いいの?」
「うん、お姉ちゃんは、もう食べたから」
ことりの笑顔に安心したのか、沙世は遠慮がちに、おずおずとクレープのアイスを舐め始める。すると、次第にその表情が喜びに綻んできた。
「美味しい?」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」
笑顔を取り戻した沙世に、ことりの笑みも自然と深まる。その光景が微笑ましく、俺も自然と笑えていた。
うーむ、甘いものっていうのは、それほど女の子にとって効果的なものなのか。恐るべし。
「それで、沙世ちゃんは一人でどうしたの? 迷子?」
「ううん……そうじゃないの」
そして、ことりが肝心のところを聞くと、沙世はさっきまでとはいかないが、また表情を暗くした。
「お人形を、取られたの」
「苛められたのか?」
俺の問いに、沙世は黙って頷いた。
「誰に取られたのかな?」
「啓太くん……近所の男の子。わたし、よく啓太くんにいじめられるの」
「ふむ、そいつは、とんだ悪ガキだな」
「その啓太くんが、どこにいるか判る?」
「たぶん……まだ公園の砂場にいると思う……そこで取られちゃったから」
「わかった、朝倉君」
「皆まで言うな。俺から関わったことだし、ちょっと行ってくる」
「ううん、私も行く。沙世ちゃんも行こう。お兄ちゃんが、お人形を取り返してくれるって」
「……うん」
「よし、かったるいが、ここは任せろ」
「朝倉君、その台詞はちょっと締まらないなぁ」
「性分なんだ」
ことりの苦笑交じりの突っ込みを受けながら、俺たちは公園の先にある砂場へと向かうのだった。
***
砂場に着くと、沙世の言った通り、沙世と同年代の男の子が一人遊んでいた。その手には、可愛らしい少女の人形がある。
「……なんか、端から見るとおかしい光景だな」
「沙世ちゃん、あの子が啓太君?」
「うん、そうだよ……」
沙世が頷いた時、丁度こちらに気付いたのか、啓太が砂場から立ち上がってこちらに顔を向けた。
「あ、沙世! どこ行ってた!」
啓太が早足に歩き、俺たちに目もくれずに沙世を掴もうと手を伸ばした。俺は、咄嗟にその手首を掴んだ。
「って! なんだよアンタたち」
少し強過ぎたのか、啓太は顔をしかめて俺を睨んだ。少し加減するが、手は離さない。
「なんだはないだろ。お前、沙世の人形取ったんだろ? 男が女を苛めるのは、感心しないぞ」
「偉そうに説教すんな――むぐぅ!!?」
「ふふ、大人に対する口の聞き方がなっとらんようだなぁ、君?」
素早く啓太の首に手を回し、ヘッドロックを食らわせてやった。もがくが所詮は子供、力の差は歴然だ。
「ギブ! 判った、判ったから離せって!!」
「離せ? うむ、まだ態度が改まってないな?」
「……!! は、離してください!」
「よろしい」
勝利の感覚を掴み、俺は啓太を離してやった。
「朝倉君……顔が完全に悪役になってたよ」
「こういうのは、雰囲気が肝心だからな。ほら、その人形返してやれって」
「うう、くそ! 俺は悪くないぞ。苛めてなんかいない! 沙世が悪いんだ……」
「なんだと」
言葉尻は弱いが、啓太はまだ反抗の意志を見せていた。俺はもう一度すごもうと試みたが、先にことりが割って入った。
「待って、朝倉君。相手がどうあれ、言い分があるんだったら、まずはそれを聞いてみないと。ね、話してくれないかな?」
ことりに目を合わせられ、啓太は観念したように口を割った。
「……オ、オレが遊んでやろうって言ってるのに、沙世が人形で遊ぶって言うから……」
あ、それって、典型的なアレか?
俺と同じ事を考えたのか、振り返ったことりと目が合うと、彼女は子供二人には見せないように、くすりと笑みを漏らしていた。
「沙世ちゃん、啓太君はこう言ってるけど、沙世ちゃんはどうなの?」
「……わたしは、お人形さんも一緒に遊ばせてって言ったけど……啓太くんがダメって言うから……」
「なんだ、やっぱりお前が悪いんじゃないか」
「う……お、男が人形なんかで遊べるかってんだ」
「でも、だからってそれを取り上げて良いことには、ならないでしょう?」
「それは……」
「いい? 啓太君。沙世ちゃんも、少しお姉ちゃんの話を聞いてね」
「うん」
口ごもる啓太と、招かれて寄ってきた沙世の肩のそれぞれをそっと抱いて、ことりはゆっくりと話し出した。
「沙世ちゃんは、啓太君と遊びたくないわけじゃないのよね」
「うん……お人形さんも、一緒だったら」
「でも、啓太君はそれは嫌なのよね」
「ああ……」
「じゃあ、それはどうしてだと思う? お互いが、どうしてそう思うのか、一度考えてみてくれないかな」
「どうしてって……あ……」
啓太は何か思い至ることがあったのか、一度人形を見つめると、意外にもあっさりそれを沙世に手渡した。
「……悪かったよ」
「わたしも、ごめんなさい……」
「ん、二人とも、物分りが良い子だね」
優しく微笑んだことりは、二人の手を取って仲直りの握手をさせる。そして、立ち上がって俺の前まで来ると、小気味良く片手を上げて敬礼のポーズをとった。
「これで、万事解決っす」
「みたいだな。でも、どうして?」
どうして二人が急に仲直りしたのか、いまひとつ釈然としない。頭に疑問符を乗せる俺に対し、ことりは人差し指を口にあて、少し考える素振りそ見せた。
「そうだねぇ。二人が、ほんの少し自分の我侭に気付かなかったってことかな。あと、ちゃんと二人とも、他人のことを考えてあげられる優しい子だったってこと」
ああ、そういうことか。
ことりの言葉に、気持ちがすっきりと一本の線に繋がった気がした。
自分の気持ちだけを相手に向けて、我を通そうとする行為。
相手の気持ちが判らないから。自ら進んで判ろうとしなかったために起きた、些細な食い違い。
要は、そういうことなんだろうな。
「多分、幼馴染ってところなんじゃないかな」
「そういうことか」
「そういうことです。それじゃ、私たちの役目は終わったことだし、行こ」
「だな」
これ以上の介入は、逆にお節介。ことりはそう言いたかったのだと思う。最後に二人に別れの挨拶をして、俺たちは来た道を引き返していった。
***
「ところで、朝倉君。私にも、わからないことがあるんだけど、聞いて良い?」
「ん、なんだ?」
しばらく二人で桜公園を歩いていると、不意にことりが立ち止まり、俺の顔を覗き込むように見て尋ねてきた。
「大した事じゃないんだけど……どうして、沙世ちゃんに構おうとしたのかなって思って」
「ああ、それは……聞いても怒らない?」
「答える前に、そういう質問はずるいよぉ。私が怒るような理由なの?」
「ことりの寛容さによるかな」
「うんうん、ドンと受け入れちゃうから、どうぞ気兼ねなく話してくださいな」
ことりは余程引っ掛かってるのか、わざと陽気に振る舞ってせがんだ。俺は観念して、息を吐いてから口を開いた。
「あの子を見て、音夢を思い出したんだ」
「え……音夢を?」
「そう。あいつ子供の頃はよく迷子になったりしてたし、家に来た当時、俺たち家族に気遣って、あんな暗い顔してたんだよ。島の外に出て、新しい環境になって、またあんな暗い顔してないだろうなって、少し気になった。それだけだよ」
「そうだったんだ。やっぱり、朝倉君はなんだかんだ言って優しいんだよね」
「そんなんじゃないって……怒ったか?」
「え? なんで私が怒るの?」
「いや……こういうとき、音夢が相手だったら、怒りそうだなって、なんとなく思ったから」
俺の言葉に、ことりが吹き出す。何か変なこと言ったか?
「それは、きっと朝倉君が勉強不足なんだよ。私は、朝倉君の気持ち、ちゃんと理解しているから怒らないよ」
「そうなのか?」
「そうそう。それに、音夢は将来私の妹になるんだから、私も朝倉君を見習わないとね」
ことりの思いがけない言葉の不意打ちに、今度は俺が吹いた。
「おいおい、妹って」
「だってそうでしょ。同級生だけど、私のほうが誕生日早いし」
「そういうことじゃなくってだな……」
「じゃあ、どういうこと?」
「それは……」
なんだか策士に嵌められた気分だ。判っていて言わせようとしているのだろう。ことりの真っ直ぐな視線が痛い。
「朝倉君には、そういう気がないってことなの、かなぁ?」
「違う違う。俺はことりのこと真剣だし、そんなことは――」
慌てて言葉を探し、視線を宙にさ迷わせる。すると、ことりが声を出して笑い出した。
「ごめん、朝倉君。ついつい、調子に乗っちゃいました♪」
「ああ、そうか……冗談がきついぞ、ことり」
「冗談? 少なくとも、私が今言ったことは冗談じゃないよ?」
「あ、うん。それは、もちろんそうだが」
「本当に?」
「本当、本当」
「じゃあさ……」
頬を赤く染め、ことりは少し言い難そうに唇を動かす。なんとなく、俺は次に来る言葉を予想していた。
「確かめ合おう、二人の気持ち」
「……今、ここで?」
「そ、今、ここで!」
頷いて、本気の意をことりは告げる。公園だから人は通るだろうけど、ここは覚悟を決めるしかないか。
「わかった。それでは……」
「ん」
言葉で互いの気持ちを確認した。なら、後残る伝え方は、一つしかない。
唇に、愛しい人の温もりが重なる。
今日出逢った子供たちのように、些細な食い違いで喧嘩もするかもしれない。
将来の裏付けなど、人生は用意してくれはしない。
だから、自分の手で掴まなければならないんだ。
この気持ちを、いつまでも変わらぬ日々に。
そして、それを伝える言葉を、温もりを抱いて。
それさえ忘れなければ、きっと大丈夫。
心は読めなくても、確かめ合う術を知っていれば、迷うことはない。
二人は、どこまででも歩いていける。
今の俺たちには、それが信じられるから、こうしていられるのだと、胸だって張れる。
そうだろう?
キスが終わり、瞼を上げることり。
きっと、想いが伝わったはずだ。
なぜなら、彼女が向けてくれた笑顔は、またとない今日この日のために輝いていたから。
(終)