「お前、留年な」
イキナリの御挨拶。
職員室に呼び出されたぼくは、御覧の通り留年を宣告された。
ぼくの目の前にいるのは数学教師にして、ぼくのクラス担任である武田先生。御年25歳の女教師だ。
スラリとした長身。短く切り揃えられた黒髪。整った顔立ちに切れ長の瞳。スーツを着こなし、颯爽と校内を歩く姿に多くの生徒が虜になっている。
ちなみに、ぼくもその一人。先生の御蔭でスラックスの良さに気付きました。
「ちょ、ちょっと待って下さい! どうしてぼくが!?」
「お前が数学で三回目の赤点を獲得したからだ」
「うぐっ」
ぼくの叫びは、無情な現実に斬って捨てられる。どうして数学なんてあるんだろう?
「はぁ……あのな、ちゃんと忠告はしておいたはずだぞ? これ以上赤点をとると進級できないと」
先生は頭を軽く押さえながら大きく溜息をつく。
そんな姿まで絵になるのだから、先生は本当に美人なんだと思う。
まあ、そんな姿をさせているのが、ぼくの数学の点数というのは誠に申し訳ないことだと思う。
「今までと違い、今回は授業も真面目に受けてたし、補講にも出席していたから大丈夫だと思ったんだが…………まさか半分近く白紙で出すとは思わなかったぞ」
「うっ……す、すいません」
「授業でわからないところがあったなら、ちゃんと聞きに来いとあれほど言っておいただろう?」
「…………」
そう、先生は本当に熱心に教えてくれた。それこそ「あれ、先生ってぼくに気があるんじゃ?」と勘違いするくらいに親身になってくれた。
それだけに今回の事は本当に申し訳なく思う。
「それとも体調が悪かったのか? いくらお前でも半分が白紙というのは腑に落ちん」
「いえ、その、実は寝不足で……」
「寝不足? 前日に遅くまで勉強していたのか?」
そんな真面目な理由じゃないんだよな~。
「あ~~~……実は、ですね」
「?」
言い淀むぼくに先生は怪訝な顔をする。
出来ることなら誤魔化したいが、先生は熱心に勉強を教えてくれたのだ。正直に答えるのが筋というものだろう。
「『戦車道特集』を見ていました! そのせいで寝るのが遅くなってしまったんです! すいませんでした!」
そう言ってぼくは頭を下げた。
TV見てて寝不足になりましたなんて情けなさすぎる。けど、どうしても見たかったんだ。なにせその日取り上げていたのはぼくが大ファンのチームだったから。
録画しておいてから後で見るという選択肢もあったけど、ファンとしてはやっぱ生で見なきゃダメだよね。
とはいえ、そんな理由が通るとは夢にも思わない。ぼくはそこまで馬鹿じゃない。
だから怒られるのを当然覚悟していたけど、先生の反応は意外な物だった。
「……お前、戦車道に興味があるのか?」
「へ?」
「だから、お前は戦車道に興味があるのかと聞いたんだ」
「あ、はい。興味を持ったのは最近、ですけど」
確かに興味をもったのは最近だけど、戦車道に対する情熱は我ながら本物だと思う。
「ほう……切っ掛けは?」
「えっと、聖グロリア―ナと大洗女子の親善試合ですけど……」
「ああ、あれか。あれは確かにすごい試合だったな。無名校がグロリア―ナをあそこまで追い詰めるとは夢にも思わなかったな」
「そうですよね!」
先生もあの試合を知っていることにぼくは嬉しくなった。
「大洗女子は20年前に戦車道が廃止になったんですけど今年突然の復活しかし当然ながら碌な戦車は存在せず経験者は当時Aチームと名乗っていた現あんこうチームの西住みほさんだけにもかかわらず巧みな戦術をもってして聖グロリア―ナを追いつめたのは素晴らしいの一言です確かに運が味方した部分もありますがそれでもぼくは西住さんが果たした功績が非常に大きいと――!」
「待て待て待て待て!」
「――どうしました?」
「いやもういい。お前が戦車道に、というか大洗女子に興味があるのはよく分かったから、もういい」
そんな! これからが良いところなのに……
って、なんですか先生その表情は。まるでぼくが戦車道の興奮と感動を分かち合おうとした時の友達と同じ顔してますよ。
あの時、引きつった笑みで「え、何コイツキモい」と目で語っていたアイツと全く同じ顔してますよ。
「そんなお前に、一つ良い話があるんだ」
「良い話、ですか?」
「ああ。もしお前がこの話にのってくれるなら、留年をなかったことにできるぞ」
「!? それは本当ですかっ!」
「こんな事で嘘は言わないよ」
先生はファイルから一枚の用紙を取出し、ぼくに差し出してきた。そこには簡単な地図が書かれている。
「先生、これは?」
「数年後、戦車道の世界大会が日本で開かれるのは知ってるな?」
「え、はい」
先生はぼくの質問には答えず話を続ける。
「それにともない、文科省は日本中の高校、大学に戦車道に力を入れるよう通達を出したことも知っているな」
「まあ、一応ニュースで……」
戦車道というのは華道や茶道と並び大和撫子の嗜みとして知られている。女子が学ぶべき作法の一つとして当然のように認知されているのだ。
だが、残念ながら最近はそういった格式ばったものを嫌がる風潮もある。女子だけでなく男子の中にだってそういった風潮は存在する。
戦車道の中には古くからある流派もあり、そういったところは特に厳格だ。TVで良く取り上げられるのはそういった流派が多いので、そのイメージ故に敷居が高いと感じる人がいるのも事実。
さらに礼儀作法や戦車の操縦法、細かいルールなども覚えなければならないため戦車道の競技人口が年々減少しているという調査結果も出ている。
それ故に文科省が戦車道に力を入れるようにしたのだろう。世界大会開催国なのに、選手が弱いならまだしも選手がいないみたいな事態になったら笑い話にもならない。
「あの、それが一体何の関係があるんです?」
「まあ話は最後まで聞け。文科省が戦車道に力を入れるように通達を出したんだが、これに合わせてかつて廃止された戦車道に関係する他の幾つかの種目を、試験的に部活として復活させようという動きが出てきた」
「廃止された他の種目?」
「ああ、以前の技術では競技者の安全を確保しきれない等の理由から廃止されたものが主だ」
「安全を確保できないって……大丈夫なんですか、それ?」
「今の技術なら問題ない。勿論絶対に怪我が無いというわけではないが、今の技術なら他の格闘技をやるくらいには安全らしいぞ」
その種目が何でいつ廃止になったのかは知らないが、今の技術を使って尚それなら廃止になったのは当然だ。
「我が校でもある武道を復活させることになったが、以前の経緯から入部する者が少なくてな。部員数は未だに4人という有り様だ。 ……というか、以前HRで話したはずだがな。新しい部活が出来ると」
そういえば、そんなことをHRで言ってたっけ。その時はまだ戦車道に興味なかったから聞き流してたんだよな。
「あの、この地図は……」
「部室までの地図だ。もしその気があるなら放課後部室を訪れてくれ」
言われてみれば、地図の端の方に『校門』と書かれている。目的地は……あれ?
「あの、先生、部室の場所間違ってません? ここ体育倉庫ですよ?」
地図に記された部室は校庭の隅、どの門からも遠い場所にある体育倉庫だった。
そこは体育の授業で使うものが入っている倉庫ではなく、主に部活で使われる道具が仕舞われている倉庫だ。
運動系の部活、というか部活そのものに入っていないぼくには全く縁の無い場所だ。
「いや間違ってない。活動内容が内容なだけに、いざという時に周りに被害が出ないように配慮してそこになったらしい」
いざという時? 周りに被害? あれ、安全はある程度確保されてるんだよね?
「まぁそんなわけで、お前にはその部活に参加してもらいたいんだが……どうだ?」
「いや、どうだ、と聞かれましても……」
正直返答に困る。
話を聞く限り、文科省の意向で復活させたはいいが部員が集まらないので多少の特典を付けたということなんだろうけど、それって逆に言えば特典を付けなきゃ人が来ないほど酷い部活ってことだよね。
ぼくの不安に気付いたように先生は嘆息する。
「多少なりとも危険の伴う部活動だ。私としても強制はできない。一応話は通しておくが、嫌なら入らなくてもいい。先程はああ言ったが、留年に関しては放課後や長期休暇中の補修で補えないことも無いからな」
そう言って先生は座り直す。安物の椅子がギシリと音を立てた。
確かに留年をチャラにする方法は他にもある。放課後や長期休暇が無くなるのは痛いが自業自得だ。
さすがに放課後や休暇中の自由のために危険に飛び込むのは――
「この部活に入って得られるメリットなんぞ、それこそ戦車道をしてる子たちと会える可能性がある――」
「やりますっ!」
「――くらい……って、おい」
先生はジト目でぼくを睨んでる。
はて、何か変なことでも言ったかな?
「お前、私の話を聞いてたか?」
「はいっ。西住みほさんに会えるんですよねっ!」
「まぁ、確かに会える可能性は有るっちゃ有るが……」
「なら何も問題はありませんっ! ぼくやりますっ! 放課後に部室に行けばいいんですねっ!」
「いや、そうだが……その、本当に良いのか?」
「はいっ!」
躊躇いは無い。西住さんに会える以上の報酬がこの世のどこにあるというのか!
「……そうか、じゃあ頑張れよ」
「はいっ。失礼しますっ!」
何処か疲れた様子の先生を尻目に、ぼくは職員室の出口へと向かう。
鼻歌交じりに歩いていき、ドアに手をかけたところで一つ重要なことを聞き忘れていたことに気付いた。
「そういえば、ぼくが入る部活はなんて言うんですか?」
「ん? ああそういえば言ってなかったな。お前が入るのは」
歩兵道だ――
ぼくは今、体育倉庫の前に来ている。
うちの学校はスポーツがそこそこ有名な学校で、インターハイに出場する部活も結構ある。そのため倉庫は意外と大きく、確かに部室として使えそうなのだが
「う~~~ん、早まったかな~~~」
ぼくはそのあまりの異様っぷりに少々後悔していた。
かつて見た倉庫は学校らしい清潔感を完全に失い、もはや別物と化していた。
今の倉庫を一言で表すなら世紀末。
壁のそこかしこには(理由は不明だが)鉄板が打ち付けられ強度を通常より遥かにに増している。ところで、隙間から微かに見える穴は何だろう? ひょっとして弾痕?
明かりを取り入れるための小さな窓には(これまた意味不明だが)容赦なく鉄格子がはめ込まれあらゆるモノの侵入を拒んでいる。あるいは逃亡を許さないだろうか?
止めとばかりに輝くのは、入口に掛けられた大きな看板。そこには達筆な文字でこう書かれていた。
『歩兵道とは死ぬことと見つけたり』
「死ぬこと前提かぁ~~」
冗談だと思いたいが、この場の空気が全力でその可能性を否定している。
「そりゃ誰も入部しないよね」
特典を付けても誰も入部しないんだからよっぽどだろうとは思ってたけど、まさかここまでの異界になっていようとは思はなかった。
とはいえ
「って、いつまでもこうしてたってしょうがないよなっ!」
いつまでも現実逃避しているわけにもいかない。
気合を入れ直す。この扉の先に、西住さんとの出会いが待ってるんだ。
ぼくは戸ってに手をかけると、輝かしい希望と微かな不安を胸に勢いよく扉を開いた。
「失礼します!」
「ふぅぅぅぅぅぅん!!!」←サイドリラックスで爽やかな笑顔のマッチョ
「ぬぅぅぅぅぅぅん!!!」←ラットスプレッドで爽やかな笑顔のマッチョ
「はぁぁぁぁぁぁあ!!!」←オリバーポーズで爽やかな笑顔のマッチョ
「すいません間違えました」←冷静にドアを閉める真顔のぼく
……ないな。うん、ない。あのマッチョたちの先に西住さんはいない。それだけは間違いない。
「さ、教室に行くか。今なら補習に間に合うだろ」
そうしてぼくは歩きだす。非日常から日常へ。平凡な人間であるぼくの居場所へ。
魔境に背を向ける。後は一歩踏み出し全力で走り抜けるだけ。
さあ、いつもの日々に帰ろう……
「何処へ行く気だ? 新兵ぇ」
逃走失敗。
いざ走り出そうと足に力を入れた瞬間、恐ろしいほどに野太い声とともにぼくの頭はガッチリと掴まれた。これ人の手? デカいよ!?
頭を掴まれたままなのにぼくの視界がゆっくりと反転する。どうやらそのまま持ち上げられているらしい。うわ~、足浮いてるよ。頭は……あんまり痛くない。ひょっとしてやり慣れてる?
反転しきるとついに声の主とご対面した。 ……正直、したくなかった。
眼光は鋭く……というか目つきが凶悪で顔がメチャクチャ厳つい。アゴなんか二つに割れてるし。2m近くはある身長に分厚い筋肉の鎧を身に纏い、まさに戦場で「軍曹ぉー!!」とか呼ばれてそうな男だった。スキンヘッドが驚くほど輝いている。
彼はパッと手を離すと、そのまま腕を組んでぼくを思いっきり睨み付ける。ものすっごく恐いです。
「貴様だろう? 今日から入隊することになった蛆虫はぁ」
入……隊? 入部じゃなくて? ってか誰が蛆虫だゴラァ! ……なんて恐過ぎて言えないけどNE☆
「いえ人違いです。私は通りすがりの「もやし(1袋分)」です。あまり日に当たると商品にならなくなるのでそろそろ帰ります。それでは」
シュタっと手を上げて去ろうとするが再び頭を掴まれ止められた。他に人を止める方法を知らんのかこのハゲは。
「ふん。少なくとも正確な自己分析は出来ているようだな蛆の湧いたもやしぃ」
蛆の湧いたもやし!? 腐ってんじゃん!! いやそこじゃない! 合体させんな!! ってか、もやしに蛆って湧くの!?
「だが安心しろ! そんなどうしようもない産廃の貴様でも、俺達と来れば立派な鉄砲玉にしてやる! ありがたく思えぃ!!」
「いえ結構です。ぼくの夢はもやしでありながら、麺を差し置いて焼きそばのメインに成り上がる事ですから」
「ほぅ……随分と大きな野望だな。戦場の主役になりたいとわなぁ! ならば! この俺も手加減はせん! 最初から地獄のホットラインを突っ走しるぜぇ!!」
「言ってない! 戦場の主役なんて一言も言ってない! 人の話聞けよこのハゲ! っては、離せ! 離してくれ! ぼくはこんなところに入る気はない! やめろ! 引きずるな!」
部室に退きづり込まれる中必死に抵抗するが、悲しいかな所詮ぼくはもやし。軍曹の腕はビクともせず
「ちょ! まっ! やめ! …………誰かぁ~~! 助けてぇ~~!!」
呆気なく、部室の中へ連れ込まれたのだった。
この日を境に、ぼくの西住さんをおっかける青春は、血と汗と銃弾に彩られたものへ様変わりしたのであった。
助け? 救い? 可愛い女の子? ……………………ないよ。
終わり。
歩兵道とは!
「歩兵道」それは婦女子の嗜みである戦車道の対となるべき漢たちの嗜み、否、生き様である!
その歴史は古く、石器時代にはすでに歩兵道を行っていたとの研究も発表されている。まさに漢たちの遺伝子に組み込まれた真の武道を言えよう。
彼らの役目は試合中の斥候、塹壕堀りは勿論、ある時は囮となって敵戦車の目を逸らし、ある時は肉の壁として戦車を守る。そして、またある時は特攻を仕掛け生身で敵戦車を撃破する。
戦車を活かし、戦車を守り、戦車の為に散る。これぞ歩兵道の神髄である。戦車のためにその身を、命を、人生を捧げた漢たちの武道、それが歩兵道なのである!
*今のところ生身で戦車を撃破した例は過去、現在において一切報告されておりません。
民戦書房~魁☆歩兵道~ から抜粋