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[3967] 【完結】Revolution of the zero ~トリステイン革命記~【ゼロの使い魔 二次創作】
Name: さとー◆7ccb0eea ID:8607c7aa
Date: 2010/09/17 19:40
Revolution of the zero ~トリステイン革命記~【ゼロの使い魔 二次創作】


            /⌒\
          /  i⌒i \
         /  ト、 ∨ .イ \
       / .この作品には \
      / ヽ革命的シーンや 7 \
    / - プロレタリアートな表現が - \
  /   ∠ 含まれています。 =-    \
  (      7 へ 、 , へ \       )
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

はじめまして。さとーと申します。
この作品はやまぐちのぼる氏著の「ゼロの使い魔」の二次創作です。
一部、性格改変のような所やご都合主義に近い所があるかもしれませんが、そのような描写が嫌いな方は読まないほうが良いかもしれません。
オリジナル設定・解釈についても同様です。


上記項目に耐性があり、なおかつ駄文でも良い、という方は読んでいって下さいませ。


以下、追記。

08/12/21
新板創設に伴い、ゼロ魔板に移動しました。

09/02/20
※このSSは一部の方から“ダーク”系であるとのご指摘を受けています。
※同じく、“牛乳だと思ったらヨーグルトだった”との評価を受けています。

09/08/12
※このSSは一部の方から“ゼロ魔の名前を使った羊頭狗肉”であるとのご指摘を受けています。
※同じく、“腐れアンチ”系との評価を受けています。

09/08/27
改訂版始めました。

09/09/29
改訂作業一応完了しました。

10/01/30
この作品は基本的に16巻までの設定に準拠して書かれています。
以後の続刊での公式設定に関する矛盾点はご容赦下さい。

10/06/11
※このSSは一部の方から“作品の舞台とキャラの名前だけ借りた別物”であるとのご指摘を受けています。
※同じく、“作者は気持ち悪い”との評価を受けています。

10/08/07
二回目の改定を行いました。

10/09/17
※このSSは一部の方から“文章から偏った思想の臭いしかしない”とのご指摘を受けています。
※同じく、“もうこんなの魔法じゃない”との評価を受けています。


読まれる方は上記の点にご注意下さい。










[3967] プロローグ
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 21:44
 ――――――――――――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは必死だった。


桃色がかったブロンドの髪と、透き通るような白い肌。
身長はそれほど高くはないけれど、目鼻立ちの整った気の強そうな顔を見れば、どこに出ても恥ずかしくないような美少女である。
しかし、そんな優れた容姿を持つ少女は、その手に持った自らの杖を強く握り締めていた。

今日はトリステイン魔法学院の2年生昇格の為の試練、使い魔の召喚の儀が行われる。
共通魔法(コモン・マジック)を使ったその儀式は通常、なんら困難を伴わない通過儀礼に等しいものであったが、その少女にとっては人生を左右する大きな壁として立ちはだかっていた。


(……大丈夫。私は出来るわ。そう、出来る筈だもの!)

そう強く心の中で呟くのも数十回……いや百回を超えていたかもしれない。

「おおっ!風竜だ!――タバサが風竜を召喚したぞぉ!」

誰かが召喚した使い魔が珍しいものだったのか、召喚者の周りを取り囲んでいる生徒たちが一斉に驚きの声を上げた。
そんな生徒たちの声を聞きながらルイズは再び心の中で自らとハルケギニアで信仰されている唯一神、始祖ブリミルに祈る。

(……大丈夫。きっと私も召喚できるわ。始祖ブリミルよ、私を御守り下さい)

その自らへの暗示にも似た祈りは、40代にして悲惨な状況にある頭皮を持つ中年教師――ジャン・コルベールが声をかけるまで続いた。
どうやら、いつの間にか使い魔を召喚していない生徒は自分一人になっていたらしい。

「ミス・ヴァリエール」

研究熱心で知られ、人情に富んだ人柄をもつ教育者と周囲から評価されているこのトライアングル・メイジは、自らの良心に従って、白くなるほど杖を握り締めた右手をしたルイズの姿を見て声をかける。

「ミス・ヴァリエール、緊張することはないですぞ。深呼吸して落ち着きなさい。そうすればきっと君にふさわしい素晴らしい使い魔を召喚できますぞ」

しかし、周囲の生徒にはそんな大人の心遣いが理解できなかったらしい。
一人が嘲口をはやし立てると、彼女を取り囲む生徒達が次々と嘲りを飛ばし始めた。

「ゼロのルイズはどんな使い魔を召喚するんだろうな」

ある生徒のそんな問いに契約したばかりの使い魔をあやしながら他の生徒が答える。

「さぁ?そもそも召喚出来るのかしら?あの娘、コモン・マジックすら成功したことないんでしょ?」

使い魔となったばかりの小さなカエルを手にした少女がそう言うと、さらに彼女の隣にいた大きな目玉のような生物を肩に乗せた少年が

「……なにやってもダメな“ゼロのルイズ”が召喚なんて出来るわけないだろ?」

彼の声に同調するようにあちこちから似たような声がルイズを遠巻きに取り囲んだ生徒達の間で囁かれる。
中にはルイズの使い魔に全く興味がないのか、「お腹空いた~! 今日の夕食はなんだろうな?」と叫ぶ小太りの少年もいる。
貴族社会が生み出した自由奔放――ある意味でゆとり教育とも言える環境の中で育った彼らは他人をあざ笑うことを自重などするはずもない。
しかし、そうした嘲りの中にルイズには看過できない事実を含んだ言葉があった。

「――召喚できなかったら留年だな」

ある一人の少年の発したその言葉の意味こそが、ルイズの怯えの原因だった。
そう、このトリステイン魔法学院では2年生への進級の条件として『使い魔の召喚(サモン・サーヴァント)』と『使い魔との契約(コンクラト・サーヴァント)』の実施が掲げられているのだった。
一般的に“メイジの実力を見る為にはその使い魔を見よ”と評される様に、それらの儀式は魔法学院にとって生徒の力量を測り、その後の教育に役立てるために実施される。
また、メイジの終身の友となる使い魔を召喚することによって、生徒には上級生としての誇りと責任を実感させることにもなる。
故に、今日の使い魔の召喚の儀は2年生への昇級の際の必須科目となっていた。



『召喚できなかったら留年』


それはルイズにとって破滅的な意味合いを持つ言葉でもあった。
トリステインで最大の領地を持ち、権勢を誇るヴァリエール公爵家。
その由緒ある家系の三女として、万が一にでも留年なんてことになったなら――魔法学院を退学させられ、残りの一生を公爵家屋敷の片隅で目立たないようにひっそりと暮らす、なんてことにもなりかねない。

そんな未来は嫌だった。
だからこそルイズはこの使い魔召喚に失敗するわけにはいかないのだ。

精神を集中して、召喚の為のサモン・サーヴァントの呪文を唱える。
集中力が杖の先に集中するのを感じる。
もはや、周囲で囃し立てる級友の声など届かない。
堅く握り締められた杖が振り下ろされた瞬間、杖の先に集中した精神力が魔力に転換され――



爆発した。



――やはり、今までの他の魔法と同じように、サモン・サーヴァントの魔法も爆発した。
しかし、それでも――という希望にすがり付くように立ち込めた爆煙をかきわけるようにしてルイズは自らの使い魔の姿を探した。
前方には爆発によって生じたクレーターが煙の薄まりにつれて姿を現すが、使い魔の姿は見えない。

(……お願い、成功していて)

縋るように祈るルイズの願いは叶わなかった様で、ネズミやイモリでも良いから――出来ればもうちょっとマシな使い魔であってほしいと内心のどこかで願っていたが、そんなもののかけらの姿すらない。

周囲からは「また爆発かよ!」という魔法の行使に対する不満と「あの爆発じゃ召喚出来ても生きちゃいられないな」といった嘲笑が再びルイズに浴びせられる。

しかし、ルイズにはいつものように反論する余裕は無かった。
サモン・サーヴァントが失敗したという現実を認識すると頭の中が真っ白になり、次の瞬間には希望の無い未来予想図が現実のものとして浮き上がる。
しかし、数秒後にはそんな絶望を振り払うように杖を構え、再び呪文を唱えた。



爆発。

―爆発。

――爆発。


ルイズの魔法は確実に爆発を引き起こし、大地に巨大なクレーターを穿っていく。
しかし、本来の魔法の目的である筈の使い魔の姿は影も形もない。


ルイズの内心に絶望の色が濃くなっていく。


――自分はやはり「ゼロ」なのか。


そんな思いが彼女の胸中に去来する。

彼女は魔法が使えない。
トリステインの名門貴族の娘として、幼い頃から魔法の英才教育を受けてきたにも関わらずである。
何人ものエリート家庭教師が魔法を教えようとして、その同数がさじを投げた。
そんな彼女は魔法学院に入学してからも、「ゼロ」な実技を補うために学業は常に誰よりも努力してきた。

――なのに。
目前にはもはや嘲笑することすら飽きたのか、自らが召喚したばかりの使い魔と戯れる同級生の姿。

その姿を自らの頭を振ることによって、脳裏から追い出した。
彼女は再び目前の詠唱に集中し――






気付いた時には、日は既に西に傾き、空を赤く染めていた。


「ミス・ヴァリエール」

生徒達を先に魔法学院に返した後、一人でルイズに付き従っていたコルベールが声をかける。
その先を言われるまでもなく、コルベールが何を言いたいか理解したルイズは続けようとするコルベールを制し、悲壮な声で叫んだ。

「まだ、やれます!」

彼女は泣きそうな声でそう訴えた。
それは彼女にとって心からの叫びだった。
そんな様子の彼女に教師であるコルベールは優しく諭すように答える。

「ミス・ヴァリエール。もう日も遅いし、君は精神力を使い果たしているのではないですかな?」

しかし、ルイズは聞き入れようとしない――いや、彼女にとってはその真意を聞き入れられる筈がない。

「ですがっ!」

反論しようとするルイズを今度は先にコルベールが制し、続ける。

「ですが、十分な状態で召喚出来ないというのに、これ以上召喚を続けても成功するのは困難でしょう」

――それは客観的に見た事実だった。
しかし、そんなことはルイズ自身にとっても十分過ぎるほど判りきっている。
それでも……それでもここで引くわけにはいかないのだ。

「……もう一度、もう一度だけ召喚させて下さい」

ルイズは必死に懇願する。
その悲壮さに打たれたのか、教育者としての感性がそうさせたのか、コルベールは柔らかいが芯の篭った声で答えた。

「良いでしょう、もう一度だけ召喚しなさい。ですが、それまでです」

その声を受けて、ルイズは決意を持って杖を掲げる。

「宇宙の果ての何処かにいる私の僕よ!私は心より求め、訴えるわ!我が導きに答えなさい!」

精一杯の願いと共に唱えられた呪文の結果は――



巨大な爆発だった。



それも今までの爆発を二回りは上回る大爆発だった。
猛烈な爆風と地響きがコルベールはおろか、遠く魔法学院までをも揺さぶる。

それを見ていたコルベールは心底感謝した――主にルイズの精神力が尽きかけていたことに。
もし、ルイズに精神力が十分あり、周囲に他の生徒達が居たならば、死人が出ていたかも知れない。


一方、ルイズはそんな爆風をものともせず、未だ熱と土煙の立ち込める自らの作り出した爆心点に駆け込んでいた。
全ては使い魔を探すために。
使い魔を見つけて、自身の未来を切り開くために。
あるいは召喚魔法の今までに無い変化――主に威力の点で――に希望を託したのかも知れない。
未だ立ち込める爆煙の中、ルイズは必死に召喚されたであろう使い魔を探す。



――しかし、結局彼女の使い魔は現れなかった。



煙の晴れた後、コルベールが目撃したのは――呆然と立ちすくみ、杖を落としたルイズの姿だった。
顔面は白を通り越して、既に蒼白。
爆風と破片を受けたのか、制服は所々破れ、血が滲んでいた。
全身に無数の怪我を負っていながらも、彼女は爆心地に穿たれたクレーターを見つめながら、ぼそぼそと何かを呟き続けていた。


(……これは!)

今は教育熱心な教師として知られているコルベールのあまり知られていない二つ名は“炎蛇”である。
かつて、およそ今の姿とは似ても似つかない『炎蛇のコルベール』としてハルケギニア各地の戦場を紅蓮に彩ってきた彼には、今のルイズの姿と似た光景を目にしたことがあった。

――それは、かつて村を焼いたときの光景。
ただ一人生き残った少女の姿。
その少女は、助けを求める言葉を口にすることなく、どこか遠くを見つめ続けていた――

全てを失い、完全なる絶望に打ちひしがれる姿。
その姿にとてもよく似た目前の光景が過去の幻影を呼び起こさせる。

(……いかん!)

コルベールはその押し寄せる過去の記憶を教育者としての意思で振り払う。
同時にルイズに向かって走り寄り、腕を掴んで、叫ぶ。

「ミス・ヴァリエールッッ!」

返答は無い。
しかし、何度も体を揺すり、何度も叫ぶと徐々に反応が戻ってくる。
そしてなんとか、激しく落ち込んだ程度にまで回復した段階でコルベールはルイズに告げた。

「ミス・ヴァリエール、今日はもう休みなさい。……明日の午後、もう一度召喚の儀を行なうことを許可します」





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回はRevolution of the zero ~トリステイン革命記~(以下、「トリ革」)をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。

改訂版始めてみました。
終盤を書いていたら、最初書いた部分の誤字脱字・描写の稚拙さが目に付きすぎたので修正したついでに色々と加筆して統合する予定です。

……前半10数話までの世界名が全部古生代の某生物名になっていたなんてのは秘密。

一応今までに書いた本筋への影響は無いようにするつもりです。
今までに頂いた皆様のご意見も参考にして修正していきます。

応援して頂けたら幸いです。



10/08/07
二回目の改定を実施





[3967] 第1話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 21:51
 ――――――――――――平賀才人は憂鬱だった。


現在、高校2年生の才人は学校が終わった後で渋谷区の某大手予備校の本校に通っている、いや、通わざるを得なくなったと言うべきか。
元来、楽天家でどこか抜けている、と評されている彼としては、これから臨むべき受験戦争なんかに興味は全く無かったが、成績が振るわなかった彼を見かねた両親――主に母の主張――が彼をそこに送り込んだのだった。
さらに、その予備校が彼のレベルを遥かに超えたレベルの学生が集う場所であったことも彼の憂鬱さをさらに高めてくれる一因となっていたのだった。

今、そんな才人の心の中心を大きく占めていたのは昨日の夜に登録した出会い系サイトだった。
昨日、自身のノートパソコンが秋葉原の修理店から帰ってきていたのである。
期待に心を震わせ、普段なら些細なことにでも興味を示す才人がわき目も振らずに自宅に直帰した、といえば彼の期待の大きさが知れるだろうか。
だからこそ、自宅に直帰できない今日の予備校の存在は才人の憂鬱さをより増幅させていたのだった。


時刻は夕方、午後4時を回ろうとしていた。
駅前を過ぎれば、才人にとってのあまり気の進まない場所――某大手予備校の超高層ビルが見えてくる。
各種教科書や参考書、資料集と筆記用具一式の詰まった重いカバンを背負いながら、馬車に乗せられるドナドナのような心境で歩を進めながら混雑し始めた駅前にたどり着く。

「派遣労働で搾取された労働者の権利を――」
「もはや資本主義社会は――」
「今の政府は――」

某公安監視対象な政党が駅近隣に本拠地を持っているからだろうか、駅前では某政党による街頭煙説が行なわれ、何本もの赤い旗が林立し、ビラ撒きが行なわれていた。
もっとも、多くの人は無関心に一瞥することなく通り過ぎていく。
そして、才人もその一人であるはずだった――20代初頭で眼鏡を掛け、知的ではあるがどこか余裕のなさそうなお姉さんに声をかけられ、ビラを差し出されるまでは。

出会い系にまで手を広げる思春期の青少年(17)がそんな機会を拒否するはずも無く、ビラを受け取る。
そして当然、そんな才人の目線と注意力は手渡してくれるお姉さんに向けられ――
次の瞬間、正面に現れた「光る鏡」の中に吸い込まれるようにして、平賀才人はこの世界から姿を消した。


……後に、才人が最後に接触したのがその政党構成員だったため、彼の捜索には公安組織まで動員されることとなったが、それはまた別の話である。






午前中の授業、ルイズは魔法学院入学以来、初めて授業をサボった。

いや、授業の存在自体を忘れていた、と言った方が正しいかも知れない。
昨日の召喚の儀の後で、ようやく精神の常態を取り戻したルイズは医務室で水メイジの治療を受けながら、疲労と精神力の不足が原因で意識を失った。
――気が付いたのは朝。
まだ普段の起床時間には早く、早朝と言っても良い時間帯であった。

柔らかいベッドの上で縮こまりながら、ルイズはサモン・サーヴァントについて再び想いを馳せた。

(……今日こそは、今日こそは成功してみせるわ!始祖ブリミル、ちい姉さま、どうか私を御守り下さい)
(……きっと召喚できるわ、そうすれば!)
(……でも、もし失敗したら)

――ルイズの想いは徐々に萎縮していく。
それは前もって最悪の状況を予測して自らの精神を守ろうとする自己防衛本能の働き。
いつのまにか朝食の時間も過ぎ、昼近くになってから、ルイズの理性はその自己防衛本能をようやく圧殺することが出来た。
そして、午後に迫った刻限に向けて、ルイズは意志の力でむりやりに体を起こし昼食に向かった。

昼食の間も周囲のことは気にならなかった。
食欲は無いが、それでも無理やりに詰め込む。
詰め込まなければ、召喚するための体力が持たないと頭のどこかで理解していたから。
いつも嘲りをかける級友の存在自体が気にならない――いや、気にしている程の余裕は無かった。
当然、キザな振る舞いで知られている級友が巻き起こした二股騒ぎすら彼女の意識に引っかかることなく、ルイズは午後を迎えた。




午後の授業を終えた魔法学院教師、ジャン・コルベールは先日の約束通りに校外の召喚場所へと向かっていた。
昨日、ミス・ヴァリエールに告げた言葉が思い出される。

何故自分はあの時、再召喚の場を用意すると言ってしまったのか。
奉職している魔法学院の規則によれば、昨日の時点で彼女は既に留年が決まってしまっている。
何故か――

答えは分かりきっていた。

――あの時、そう言わなければ、確実に彼女は“壊れて”しまっただろうから。

絶望に打ちひしがれる者に、その運命を受け入れさせてしまえば、後に残るのは「無意味」か「死」のどちらかしかない。
彼自身の経験が語る。
戦場で絶望に打ちひしがれた者は、狂うことによって自らの存在を無意味なものと化すか、無理やりに意味を見出して死を選ぶ。
それを避けるには一時的にでも希望を与え、戦いが終わるまで耐えさせるしかないのだ。

――しかし、どうであろうか。
コルベールは自問を続ける。

一時的に希望を与える――
聞こえは良いが、結局は問題を先送りにするだけではないのか。
今度こそ召喚に成功してくれれば良いが、昨日のように失敗すればどう対処すれば良いのだろうか。
彼女――ミス・ヴァリエールが直面しているのは、かつてコルベールが駆けた戦場という一時的な恐怖や絶望ではない。

どんな戦場でも終わりが来る。

問題はその期間であった。
彼女が直面している戦場とは、このトリステイン――ハルケギニアの社会全てであって、それは彼女自身が生き続ける限り続くものであった。
彼女が戦場を去る、ということは彼女の“意味のある”人生が終わる時ではないのか。

ならば、かつての贖罪として、教育者として人を生かすと誓った私はどうすればいいのだろうか――そうコルベールは思った。







「宇宙の果ての何処かにいる私の僕よ――!」

日が傾き始めた頃、ルイズの詠唱が始まった。

「神聖で、美しく、そして強力な使い魔よ――!」

(……本当は神聖でもなく、美しくもなく、強力でなくても良いから)

力強く詠唱される呪文とは裏腹に、ルイズの内心は縋るような気持ちで一杯だった。
――たとえミミズやオケラであっても、召喚に応じてさえくれたなら、この絶望しかない暗い未来から逃れることが出来るのだ。
そんな思いと共に彼女は心から呪文を唱え続ける。

「――私は心より求め、訴えるわ!我が導きに答えなさい!」

(……お願い、何でも良いから応えて!)

詠唱が終わると同時に、彼女は魔法を発動させるために杖を振り下ろした――



結果は――昨日と同じく、爆発。


(……やっぱりダメなの?)

もうもうと立ち込める爆煙を前に、ルイズの全身から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
彼女の頭の中は真っ白になった。
最後に得た機会もまた、失敗に終わってしまったのだ。

真っ白になった思考の中で、ルイズはただぼんやりと同じことを思い続けた。

(……やっぱりダメなのね)

目前にもうもうと立ち上る爆煙を見つめながら、彼女は膝を付く。
今日こそは――最後のチャンスとして挑んだ使い魔の召喚。
しかし、それもまた失敗に終わった――
ルイズはそう考えていた。

(……そうよね、私はやっぱり「ゼロ」なのよね)



「ゼロ」。


そこには何もない。
何も持たない。

魔法の担い手としての存在によって、その地位を誇っている貴族主義のこの国では“魔法の使えない”貴族というものは存在しない。
逆説的に言えば、彼女は「魔法」が使えないだけではなく――貴族として、その存在があってはならない存在であるということにもなる。
そうした諦観のなかで、自らの運命を半ば受け入れ始めたその時、

「うわっっ!」

ルイズは煙の中から間の抜けた人の声と――直後に何かが地面に衝突する音を聞いた。
最初は聞き間違いかと思った。
しかし続けて、

「――痛ってぇ!」

という声が聞こえた瞬間、ルイズは声のする方向を目指していまだ立ち込める爆煙の中に向かって駆け出した。




「うわっっ!」

突然、地面の感覚が無くなって体が自由落下することに驚かない者はごく少数派だろう。
当然、平賀才人もそんな一般人的感覚に従って驚きの声を上げた。
――おまけに数秒前の彼はそんなことが想像することが出来ない駅前に居たのだから。
そして、「落下する」ということは、いつかは地面に叩きつけられる、ということでもある。
物理法則に従って、彼の体は1mほどの高さから地面に向かって落下した――不運にも顔から。

「――痛ってぇ!」

地面に叩きつけられた顔を上げて、才人が発した最初の言葉はしごく普通のものだった。
しかし、次に口からこぼれた言葉は、普通でありながらも“異常”を認識した上で発せられた。

「何が起こったんだ?」

周囲は砂煙に包まれ、つい先ほどまで居たはずの駅前とは似ても似つかないものだった。
彼自身の思考の及ぶ限り――異世界への転移とか、何処かの戦場へタイムスリップとか――数秒間考えた上で一番現実的にありえそうなものが脳裏によぎる。

(……もしかして、爆弾テロとか)
(……いや、埋まってた不発弾が爆発したとか、ガス管の爆発って可能性も――)

それならば、この目前の光景の説明もある程度付くだろう。
――なにしろ周囲の地面は大きく抉られて、すり鉢状になっているのだから。

とりあえず、自身の体に異変がないことを確かめながら、ゆっくりと立ち上がろうとして――

彼は一人の少女と出会った。







――ルイズは視界のあまり無い煙の中を走り続けていた。
走りながら、必死になって視界の利かない周囲を見回し、自らの使い魔の姿を探していた。
昨日から幾度となく爆発を受け続けた大地はあちこちに無残な傷跡を残し、ルイズはそれに何度も躓きながら、そのたびに必死になって立ち上がり、走り続けた。

全ては彼女の召喚した使い魔に出会うために。
全ては最悪の未来から逃れるために。

そして爆発の中心地であろう場所――煙が一番残っている所――にたどり着こうとした瞬間、目の前で何かが急に立ち上がり――彼女はそれまでの勢いのまま、“それ”に激突した。

「きゃっ!」
「うおっ!」

思わず尻餅をつく形となったルイズは立ち上がることも忘れ、不意に目の前に出現した“それ”を観察した。

――そこに居たのは一人の少年だった。
自分と同じく尻餅をついた、変な格好をした少年。
ハルキゲニアでは珍しい黒い髪、日焼けをした、というには少し違和感を覚える黄色っぽい肌の色。
そして、その服は埃にまみれ、顔には泥が付いていた。


――みすぼらしい。

ルイズは彼女の常識に照らし合わせて、そう思わずには居られなかった。
いや、そう思ってしまった。
そして、それが彼女の抱いた才人への第一印象となった。

それでも、ルイズにとって見ればようやく成功した召喚である。
ならば、確実に契約を成功させねばならない――彼女の将来の為にも。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ――」

気を取り直したルイズは、立ち上がってコンクラト・サーヴァントの呪文を唱える。
トリステイン魔法学院での2年生昇級の課題は、使い魔を『召喚(サモン)』して『使役』出来るようになること。
その使い魔を『使役』するための根本的な『契約(コンクラト)』を成功させて初めて、次の学年へ進級することが出来るのである。
詠唱を終え、ルイズは才人に近づき、

――気付いた。

(……コ、コレって私のファ、ファーストキスよね!?)

そう、確かにコンクラト・サーヴァントなる『契約』に必要な過程には術者と使い魔との接吻が必要とされ、――実際のところ、使い魔を使役するためには術者から使い魔へのパスを繋げるための微量の体液の接触が必要とされる。
他者の精神構造の内部にまで術者への服従という要求を書き込むためには最低限必須な条件である。
そして、その行為は一般的にキスと呼ばれていた。

(……こ、こんなどこの犬とも知れない平民なんかに、わ、私のファ、ファーストキスを!)

正直ゴメンだった。
ルイズとしては、“初めて”はもっとロマンティックな――例えば、月夜の晩餐会の後にテラスで――なんてハルケギニアの貴族としては年相応な願望を抱いていたのだから。

――しかし、目の前に居たのは薄汚れた平民の少年。
場所は爆風で吹き上げられた砂煙の舞う、穴だらけの大地。
ロマンティックのかけらもないこの場所で、このシチュエーション。
正直、本当に遠慮したかった。


(……でも、進級出来なかったら!)


しかし、ルイズの脳裏に浮かんだ悪夢がその躊躇を断ち切った。
ルイズは決意の重さを示すかのように、ゆっくりと少年に近づく。
いまだ尻餅をついたままの少年に覆いかぶさるようにして自らの顔を召喚された少年の顔に近づけ、軽く唇を触れるか触れないか程度に重ね――

―――初めてのキスの味は土の味がした。






「ぐあ! ぐぁああああああ!」


砂煙の中、突然出会った美少女にキスをされた。
そこまでは良いとして――その直後、体がとてつもなく熱くなった。
いや、熱いなんてものじゃない!体の中で何かが燃えているような感覚だった。
不意に襲ってきた異常事態に才人は呻きながら、体を抱えて地面の上を左右に転がった。
数秒後にはなんとか収まったが――才人は何が起きているのか全く分からずに混乱していた。
そんな中、傍らで少女の声がした。


「――終わりました」

先ほど無理やりにキスをした少女が、いつのまにか傍にいた中年男性に声をかけた。

「サモン・サーヴァントは何度も失敗しましたが、コンクラト・サーヴァントはちゃんと出来ましたね」

口ぶりからして、少女より上の立場にあるのであろう中年男性は少女が初めて魔法を成功させたことに心底嬉しそうに答えると、興味の対象を才人に変えた。
そして、その中年男性は混乱した才人の方に近寄る。
中年男性は才人の左腕を掴み、尻餅をついた状態から引き寄せる――

(……まさか、こんなおっさんにも!?)

さすがにそんな趣味の無い才人はなんとか離れようと抵抗するが――見かけ以上に力強い中年男性の握力はそんな自由を許さなかった。
しかし、才人の不安は数秒で終わった。
中年男性は才人の左手の甲を見つめ、呟いた。

「ふむ――珍しいルーンだな」

―――へ?
ルーン?なんだそれ?
才人は自らの左手の甲をまじまじと見つめる。
そこには今まで無かったはずの、ミミズののたくった様な刺青――っぽいものがあった。

「なんじゃこりゃあ!!」

――70~80年代の派手な演出で知られた某刑事物ドラマの真似をしたわけではないが、思わず叫んでいた。
そんな声に反応したのか、少女が苛立たしげな声で言った。

「うるさいわね。ただの使い魔のルーンじゃない」

「ただのルーンってなんだよ? 大体、こんなの入れられたら恥ずかしくて外に出れないだろ――」

少女にそう反論しながら才人は気付いた――周囲の風景が一辺していることに。
いつのまにか周囲を覆っていた砂煙がおさまっていたらしく、遠くの風景が見えるようになっていた。
広い草原を囲むようにして周囲には高い山が聳え立っている。
その盆地の中心にはロケットのような形をした石造りの塔が数本、立ち並んでいた。

「――ここ、どこ?」

そう才人は尋ねた。
明らかに先ほどまで居た駅前では無い。
というか、明らかに日本では無い。
強いて言うならば、ヨーロッパに近いイメージだろうか――当然、才人自身はヨーロッパに行ったことなんてないのだが。
そんな質問に対し、少女は仕方ないわね、といった風情で答える。

「トリステインよ。そしてここは、かの有名なトリステイン魔法学院――」

――どこの国だよ?
それに『トリステイン魔法学院』なんて学校、聞いたことも無いし。
有名な学校と言えば東大や京大、ムリをしても映画でよく出てくるMITやハーバードくらいしか知らない程度の才人は思った。
大体、映画やファンタジー小説でもあるまいし、「魔法学院」ってなんだ?
そんな非現実的なことを告げられた才人に対して、少女はさらに追い討ちをかけるように、告げた。

「――そして、私はルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。今日からアンタのご主人様なの。良く覚えておきなさい」






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。

ご心配をおかけしました。
改訂と言っても内容は殆ど変わりません……たぶん。
全部消したのは全体の合計話数が変わったからというのが一番の理由です。
……もしかしたら伏線とか小エピソードがこっそり追加されるかもしれませんが、基本的に同じにするつもりです。
ですので、早め早めに更新して元のところまで戻りたいと思ってます。はい。

それでは至らない文章ではありますが、これからも宜しくお願い致します。


※今回の話の中での某政党の表現は私の妄想です。
代々木駅前を本拠地とする某政党の主張とは一切関係ありません。嘘っぱちです。



10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第2話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 21:44
 ――――――――――――平賀才人は目前の少女が何を言っているのか、理解出来なかった。


当然だろう。
ある日、突然に見知らぬ場所に放り込まれて、

「今日からアンタのご主人様なの。良く覚えておきなさい」

――なんて言われて、「はい、わかりましたご主人様」と答える人間はそうは居ないだろう。

暴力と混沌に満ち溢れた未開国家に育った人間ですら、そんなことを従順に受け入れることはまず無い。
ましてや、権利意識の発達した現代日本の中で自由奔放に育った才人が納得する筈も無かった。



「はぁ? 何言ってるんだよ。――大体、トリステイン魔法学院とか使い魔って意味がわかんねーよ!」

当然ながら、今まで与えられた状況の中で理解不能なものを列挙していく。
そんな才人の疑問に答える代わりに半眼で睨みつける少女から飛んできたのは、辛辣な言葉だった。

「――アンタ、平民が貴族にそんな口訊いて良いと思ってるの?」

そうルイズは反論を許さない強い反語表現で問いかけた。
逆にそんな彼女の内心は、無事に“契約”を終えた興奮と感動の中で、天にも昇ったような心境だった。

――当然、昨日の召喚失敗や何処のものとも知れない薄汚い格好をした少年にファーストキスを捧げなくてはならなかったことを割り引いても、である。

これで、先程まで怯えていた留年という恐怖から解放され――自分の人生が開けたのだから。
同時に、これまで萎縮していた貴族としての誇りが湧き上がっていくのを感じていた。
……ルイズ本人は“誇りに満ち溢れる”と言うよりは“砂埃に塗れる”と言った方が良い状態ではあったが。

さらに、ルイズにとって、これまで成功したことの無かった魔法が始めて成功した――しかも連続で、という事実は彼女の長年の悲願が叶ったことを示していた。
――中にはその事実を否定する人間も居るかもしれない。
しかし、ルイズには魔法が成功したという証拠があった。

その“証拠”とは、目の前に居る少年の姿であり、その左手に刻まれた使い魔のルーンであった。
つまり、この瞬間にルイズの目の前に居るこの少年は、彼女の新しい人生を保障する基礎となったのだ。



人間は欲を持つ動物である。
一定の欲望が満たされれば、人間は次の欲望を満たす為に行動を起こす。
特に、満たされた欲望が得がたいものであればあるほど、次の欲望は大きなものとなる――人は前の満足より小さなものでは満足しなくなるのだから。
それはこの異世界――ハルケギニアの魔法使いとて例外ではない。

「初めての魔法の成功」という悲願を成し遂げたルイズの脳裏に次に浮かんだのは――「自らの実力を他者に認めさせること」であった。

――彼女にとっては当然かもしれない。

それまで、トリステイン王国の中では並ぶことの無い権勢を誇ったヴァリエール公爵家の三女として――魔法の使えない「ゼロ」という渾名(二つ名ですらない!)を着せられ、この召喚が失敗していれば、自身が確実にヴァリエール公爵家の生きた汚点としての存在になったであろうことを考えれば。
ルイズとしては、是非にでも返上したい汚名であろうことは言うまでもない。

そして、使い魔の召喚と契約の成された今、彼女はようやく級友と同じ場所にたどり着いたことを意味する。
ならば、そこから自身を他者に認められるにはどうすれば良いか?
可能ならば、名門ヴァリエール家の一員として、自らによって失った公爵家の誇りをも回復させなければならない。
その時、ルイズは思い出した。

――トリステイン魔法学院での2年生昇級の課題は、使い魔を召喚して“使役”出来るようになること。

課題として挙げられているのは、召喚して“契約”することでは無い。
使い魔を召喚して“使役”することである。

つまり、彼女自身の実力を認めさせるためには。
――品評会までに、他の誰よりも完璧に使い魔を“使役”出来るようになれば良い。

(……やってみせる! そして、私が伝統あるヴァリエールの名に連なる者として恥じないものであると証明してみせるのよ!)

そうルイズは心に誓った。

同時に、自らの輝かしい未来を目指すルイズの脳裏からは、「使い魔はメイジにとってパートナーである」、「メイジと使い魔の信頼関係」といった言葉は消えうせていた――







「はぁ、腹減ったなぁ……」

才人はお腹を抱えて、塔の入り口にあった階段に腰掛けていた。
ルイズに逆らった才人は当然――才人にとってみれば当然ではないが――食事抜きという目にあっていた。
彼の『ご主人様』であるルイズにとって見ればそれは当然の扱いだった。

魔法の成功した今、彼女の頭の中は今までに受けた汚名を返上すべく、自らの使い魔を完璧に使役することで一杯だった。
彼女が求めていたのは“人間”としての才人であるはずもなく、今の彼女の目に才人の姿は従わせるべき“使い魔”でしかなかったのだ。
そんなルイズに反発した才人は部屋から――半ば懲罰目的で彼女に放り出されるようにして――逃げ出したのだ。

天を仰ぐように両手を後ろに付きながら、空を見上げた才人の目に映るのは巨大な2つの月。
そして、その月を背景に空をゆく飛竜らしきモノも居た。
それを見ながら、才人は実感する。

(……ホントにここ、地球じゃないんだな)

そうした実感と共に、召喚されてからのストレスが才人の胸に込みあがってくる。
いくら美少女とは言え、才人は犬猫扱いされて喜ぶような性癖を持っているわけでもない。
いや、犬猫“扱い”なら少しはマシだったかも知れない――実際に彼はルイズに人間として認識されていなかったのだから。

「くそッ……」

「――どうなさいました?」

思わず罵りの声を上げた直後、背後から声がした。
――振り向いた先には素朴な格好をした、いかにも「メイド」という感じの少女が心配そうな表情をしていた。

「いや、その……」

さすがにお腹が空いて困っている――なんて子供じみたことを言うのは、才人にとって気が引けることだったが、
そんな表情を見て、少女は察してくれたらしい。

「お腹が空いているんですね」

才人は見透かされたことに赤面しながら頷いた。
それを見たメイド少女は笑顔を示しながら、「こちらです」と、才人を伴って塔の裏口へと歩き出した。



「――おいしい」

才人は本塔の中にあった厨房で出されたシチューを堪能していた。

才人にとって召喚されてから実に丸一日ぶりのマトモな食事である。
……ルイズから出された食事は才人にとってカウントに入っていなかったのだ。
空腹は最高の調味料と言うが、それを割り引いても十分においしい、と言える味だった。
才人はそんなシチューを貪る――にしては丁寧な作法で完食する。

「よかった。賄い食ですけど、気に入ってもらえたみたいで。お代わりもありますよ」

そんな才人の姿を見て、メイド少女が優しく声をかけた。
厚意を有難く受け取り――二杯目のお代わりを貰う前に、いまさらながら才人は自己紹介が済んでいないことに気付き、お代わりを受け取りながら、少女に名乗った。

「ありがとう。――遅くなったけど、俺は平賀才人。よろしく」

「あら……変わったお名前ですね。私はシエスタって言います」

そう答えながら、シエスタはそれまで気になっていたことを尋ねた。

「才人さんって、『あの』ミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう――」

「ん――そうらしいよ?」

シチューを食べながら他人事の様に答える才人。
才人自身にとっては「使い魔」なんて存在になる、と同意した訳ではないが、どうも周囲からはそう受け取られているのだから仕方が無い。

「……そうらしい、って自分のことでしょう?」

あきれたような顔で――実際、あきれていたのだが――シエスタは言った。
そんな言葉に対し、才人はシチュー皿から顔を上げて答える。

「そりゃ、そうだけど。大体、人をいきなり拉致して、『今日から私がご主人様で絶対服従』なんて言われて、誰が納得するんだよ?」

ルイズのことを思い出したらしい。
「俺は納得なんかしてないぞー!」という態度で答える才人。

「……それはそうですけど――そのせいでご飯、貰えなかったんでしょう?」

それに対して、同情を含みながらも「この世界」の常識人としての発想で答えるシエスタ。
そんな、「この世界」の常識的発想に対して才人は――激高した。

「俺は犬じゃないっ――!」

机を叩く音。
直後に椅子の倒れる音と食器が机にぶつかる音が響く――
シエスタは才人の行動に驚きと怯えを同時に感じていた。

才人は、突然立ち上がって机を叩いた才人に怯えたシエスタに謝りながら、次の語を継いだ。

「――ごめん。……でも、俺は人間であって、犬や猫じゃないんだ。それなのに――」






才人の激情の発露は数分に渡って続いた。
どうやら才人は自身を犬猫扱いされたことに怒って飛び出してきたらしい。
――スプーンもなく薄い具無しのスープの夕食を床の上で食べさせられ、寝床は床の上に置いた藁束。
挙句の果てに女性物とは言え、使用済みの下着を顔に投げつけられたと言う。
いや、一番気に食わないのはそんな扱いをするルイズ本人に対する怒りだろうか。

それを聞いているシエスタは頷きを返しながら、同情するような表情を浮かべていた。
時折、才人の故郷に関する話だろうか――彼女にはよく分からない部分の単語もあったが、彼の言いたいことはよく分かる。

この世界に召喚されてから、才人の頭の中では彼自身の今後に関する不安感とルイズ――如いては昼間に会った貴族というものに対する強い拒絶感がひしめいていた。

ルイズが言うところによると――

“才人を召喚したサモン・サーヴァントと呼ばれる魔法で、元の場所(世界)への送喚する魔法は存在しない”
“使い魔の契約は主人か使い魔どちらかが死ぬまで有効であり、解除は出来ない”
“使い魔とは、主人たるメイジの手足であり、生涯に渡って主人、すなわちルイズに尽くすモノである”

どうみても奴隷だった。
かつて、アメリカに売られた奴隷はアフリカの海岸から無理やり拉致してそのままアメリカへ運ばれ、そこで売り払われるとあとは死ぬまで労働させられたという。
才人の居た境遇はまさにそれとそっくりだった。


そんな事情を背景に才人は今後のことを考える。

――パソコンがしたい。
――テリヤキハンバーガーが食べたい。
――家に帰りたい。

それらが意味することは即ち、「元の世界」に戻りたい。
勿論、それが最終的な目的にはなるが、とりあえず当面のことも考えなくてはならない。

ルイズの下には戻れない――少なくとも才人に戻る気は無い。
奴隷のように扱われることは願い下げだった。
――だからこそ、才人はルイズの部屋を飛び出したのだから。

そんな才人の前に居たのは同じくらいの年頃のメイド少女。
同年代にも関わらず、既に労働に従事して家計を支えるその姿を見た才人の頭の中に何かが思い浮かぶまでに、そう大した時間はかからなかった。

「決めた――!」

「何をですか?」

突如として立ち上がった才人の姿に驚きつつ、シエスタは才人の発言の本意を尋ねた。

「俺、働いて、自分の力で生きていくんだ――そして、元の世界に帰るんだ」

まるで反抗期の少年のような宣言をする才人。
シエスタにとって意味の分からない「元の世界」云々の後半部はさておき、当然……というか、「この世界」ではごく当たり前のことを決断されたシエスタは戸惑うこととなりながらも、彼女なりの疑問を抱き、再び尋ねた。

「では、どうなされるんですか?……仕事のアテも無いんでしょう?」

その言葉はハルケギニアでは重要な意味を持っていた。

――中世的社会構造を持つ「この世界」では見ず知らずの他人を雇うことは外見の重視される水商売を除けばほとんど無いと言っても良い。
一般的な求人は事前に知人の紹介が必要で、その保証があって初めて雇用される。
故にどれだけ才能があろうとも、普通なら決して雇ってもらえないのだ。

その事実を聞かされ、落ち込んだ顔をした才人の顔を見たシエスタは哀れに思ったのか、やれやれといった仕草をしながら言った。

「仕方がありませんね。私が紹介してあげます」







魔法学院に食材その他を運搬する荷馬車の荷台から、遠くに「王都」トリスタニアの遠景が見えた。

小高い丘の上にそびえる中世風の城のような壁に囲まれた王宮。
その丘の斜面に沿うように周囲に広がる豪華絢爛な貴族のものとしか思えない屋敷。
そして川を挟んで反対側にはその数十倍の密度で無数の木石混交で立てられた家々が見える。
毎日学院に食材その他を配達するために出入りする荷馬車の帰りに忍び込んで――といっても、貴族や衛兵に見つからないようにするため――便乗していた才人は思わず、何度目になるか分からない言葉を呟いた。

「俺、本当にファンタジーの世界にいるんだよなぁ――」

そして、才人はここまで便乗させてもらった荷馬車にお礼を言って別れ、ついに「王都」に降り立った。

トリステイン王国の都、トリスタニアは人口8万人とハルケギニアでは長大な歴史とそれなりの規模を持つ街――無論、ゲルマニアやガリアといった大国の首府と比べるなら、その規模自体はささやかなものであったが――であった。
人口300万余りの国家の首都としては十分以上の規模を誇ると言えるだろう。

しかし、人口1000万単位の近代的な超巨大都市圏で生まれ育った才人にはそんなことが分かろう筈もない。
見た目は清潔そうに見える貴族の屋敷の裏では汚泥と雑多なゴミが溢れ、トリスタニア一の「大通り」と称される通りすら数メートルの幅しかない。(ちなみにタヌキしか通行者が居なくても日本の国道の幅は最低でも6mはある)
当然、それ以外の街路の幅は擦れ違うのも困難なほど狭く、密集した建物の間にあるじめじめとして薄暗い通りの裏には貧困者が暮らし、その一部はスリを初めとした犯罪などの反社会的行動に走る。
才人にはわからないが、始祖以来6000年もの歴史を誇るが故に支配階級である貴族と平民との格差もハルケギニアの中で特に顕著に現れる。
――中世的な特権階級と被支配階級の明暗がはっきりと表れる場所。

それが、才人の降り立った“ファンタジー”――「王都」トリスタニアの現実だった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第3話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 21:44
 ――――――――――――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの機嫌は最悪だった。


と言っても、低血圧な彼女の寝起きの機嫌が悪いのはいつものことである。
しかし、今日に限っては別の筈だったのだが――やはり彼女の機嫌は悪かった。

理由は部屋の中にあった。
昨日、部屋を飛び出した“使い魔”の寝床として用意した藁束は昨夜と変わらずに室内に散乱していたし、洗っておくように命令した筈の彼女の下着も床に転がったままだった。

「あんの使い魔ッ――平民の分際で言い度胸じゃない!」

そう呟きながらも彼女は自身の将来について極めて楽観的に捉えていた。
もちろん、その原因は彼女の初めての魔法の成功――使い魔の召喚――だった。

(これで私がメイジであること――つまり、魔法成功率「ゼロ」のルイズでないことを証明出来たのよ!)

数百回の失敗の上とはいえ、確かに彼女の魔法は成功したのだ――ならば、時間はかかってもいずれ魔法が使えるようになる。
“使い魔”を召喚した後に幾度かのコモン・マジックを失敗してもさえ、彼女はそう信じていた。

(……やってみせる! そして、私が伝統あるヴァリエールの名に連なる者として恥じないものであると証明してみせるのよ!)

先日、ルイズ自身が心に誓った言葉が思い出される。
そのためには、手始めに――他の誰よりも完璧に使い魔を『使役』出来るようにしてみせる。

故に、ルイズは、自らが召喚した使い魔――彼女自身は決して才人のことを少年とは認識しようとはしなかったのだ――が半ば彼女に追い出される様にして自室を飛び出した時、彼女はこう思っていた。

「ちょうどいい機会だわ――いずれ私の下に泣きながら帰って来ないといけなくなるんだもの!」

才人が未知の場所――当然、異世界であるとは思っていない――から召喚されたということであれば、彼自身の生活を保障できるのは主人たるルイズでしかない。
故に彼女に縋らなければ彼女の使い魔はこのトリステインで生きていくことなど出来ない筈、というこの世界の常識が彼女の考えの背景にあった。

(せいぜい持って3日……その後はご主人様にきっちり服従するように躾けてやるんだから!)

しかし、彼女は気付いていない。
それまで「魔法の使えない貴族など居るはずがない」というハルケギニアでの“常識”に怯えていた彼女が、『サモン・サーヴァント』の成功によって再びハルケギニアでの常識に縋ったのだということに。







王都、トリスタニア。
彷徨ったあげくに、何度目かの見覚えのあるような気もする何処かの通りに出た才人は途方にくれていた。

「あれ……どっちだろ?」

昨夜、シエスタというメイドさんに、

『私の親類がやっているお店なんですけど――』

と、紹介された店は「大通り」というには狭く、舗装もされていない道――というか、舗装された道路なんてものはこのハルケギニアではほとんどない――を通り抜け、いくつもの複雑な街路を抜けた先にあるらしい(こうした複雑な街路というのは、このトリスタニアの平民街がきちんと整理された上で作られたものではなく、自然発生的に無軌道な拡張に継ぐ拡張を繰り返す間に形成されたものであったことを示していた)。
もちろん、才人のいた世界とは異なって通りの名前を示す標識なんてものは立っていない。
いや、仮に立っていたとしてもこの世界の文字の読めない才人には判らないのだ。
当然の如く、初めての街中で才人は道に迷っていた。

時刻は既に昼を過ぎ、食料品や雑貨を扱う店も無い通り――その通りにあったのは薬屋っぽい店と武器屋らしき店などの非日用品を扱う店だった――は徐々に人通りもまばらになりつつある。
仕方なく才人は人に道を尋ねることにした。

「すみませーん、ちょっと聞きたいんだけど――」



タバサ――シャルロット・エレーヌ・オルレアン――は驚いていた。
――当然、尋ねられた内容のことではない。
彼女は、「貴族に平民が気安く話しかける」という事について驚いていたのだ。
しかも、その理由が道を尋ねるということであったからなおさらであった。

「えっと、『魅惑の妖精』亭ってところに行きたいんだけど――」

普段なら無視してもおかしくない――そもそもそんな状況に陥るはずが無い(仮にも貴族なのだから)――状況で彼女が頷いてしまったのは、その衝撃で混乱していたからなのかも知れない。
さらに、その少年の格好――黒髪に黄色がかった肌、そしてジーンズにナイロンパーカーといういでたち――も彼女の興味を引いた。
そんな状況で彼女は目の前で困った顔をした少年に言った。

「――こっち」

「案内してくれるのか?ありがとう」

少年はお礼を言いながら、彼女の後に付いて来る。
その態度を伺いながら、衝撃から立ち直った彼女は疑いの眼差しを抱いていた。

第一に、貴族に道を気安く尋ねる平民――そんなものがハルケギニアに存在するはずがない――という点。
つまり、彼女自身を狙って話しかけてきたという可能性。

第二に、異常に目立つ格好をした異国の少年であるという点。
それは彼女自身も知らない、何らかの使い手である可能性を秘めていた。

常に命を狙われる危険性と共に暮してきた彼女はそれだけの思考を一瞬で済ませ、少年を案内する仕草をしながら、自身が最も得意とする『ウィンディ・アイシクル』の発動の準備を整える。
しかし、少年はそれに気付いた様子もなく、彼女の後を付いて来る。
それを確認した彼女は、人通りのある大通りを外れて脇の薄暗い路地に入り、同時に彼女は歩く速度を徐々に上げていく。
そんな彼女の行動に黒髪の少年は疑うことなく、きちんと彼女に付いて来る。
さらに路地を曲がって――その瞬間、彼女は熟練者のみに出来る滑らかな動作で、先程までよりも僅かに開いた距離を生かして一瞬のうちに体を入れ替え、少年の背後を取る。
――その路地の先は行き止まりだった。

「へっ――?」

少年が驚きと疑問の入り混じった声をあげた直後、彼女は杖を突きつけながら、その二つ名にふさわしい、感情を排した冷たい口調で問い質した。

「貴方は何者?」

「えーと、俺は平賀才人っていうんだけど――」

驚きと困惑の混じった反応を返す少年の姿。
しかし、彼女はその言葉に対して詠唱の終わっていた『ウィンディ・アイシクル』を顕在化させながら、再び同じ質問を繰り返した。

「……貴方は何者?」

「だから、俺は平賀才人……、強いて言えば――高校生、かな?」

――顕在化した魔法に驚いたのか、少年はやっと自身の名前(と思われる)以外の言葉を口にした。

「……コウコウ、セイ?」

思わず、聞きなれない言葉を反芻する。
「コウコウセイ」とは何か――裏の世界についてはある程度知っている筈の彼女自身も知らない秘密結社か?
あるいは、少年の格好からすると、遥か東――ロバ・アル・カリイエ――に存在する何かだろうか。

「そう、高校生……ってわかる?」

彼女の反応に少し安心したのか、少年の声に安堵の色が含まれていた。
しかし日々命を賭し、あるいは狙われていた彼女に安心の色は無い。

「コウコウセイとは何?――答えて」

「高校生ってのは、学生の一種で――」



――問答が次第に会話形式になっていくにつれ、才人の説明は徐々に真実性を帯びていった。

才人の言う「コウコウセイ」とは学生のことであり、それ以前にも多数の教育課程があるらしい。
当然、彼女は彼女自身の常識から見て疑問を抱く。
彼はどうみても平民――少なくとも有力者の息子というわけでも無さそう(彼女はその立場上、有力者の子息の醜悪な点を多数見てきている)――であり、そんな平民が幾種もの教育機関を受けられる世界があるのだろうか、という疑問。
――同じ世代の男女すべてを教育するとなれば、膨大な施設と教師が必要となるが、それをどうやってそろえているのかという疑問。
その他にも彼女の常識からすれば信じられない――むしろ信じるほうがどうかしている――様な疑問。
しかし、才人の説明はぎこちないながらもそれらの疑問に次々と答えていく。

(少なくとも嘘ではない――)

彼女はそう判断する。
嘘というものはどれだけ積み重ねても、どこか薄っぺらなものであり、ここまで詳細にその状況を語れるものではない。
また、目の前の少年は聞かれた以上のことを答えない。
嘘や妄想を話す人間は、必ずといっていいほど聞かれた以上のことを話してしまう。
作り話はいつか必ずボロを出すものであるが、彼の話にはソレが無い。

――そして、何より彼の話す世界のことは彼女の知的好奇心を誘い、同時に彼女の心を揺らす。

「生まれの貴賎に左右されず、誰もが自由かつ平等に暮らしている社会」
「王権が無く、政治は平民の支持で選ばれた代表者が行なう社会」
「魔法がなく、魔法使いもいない社会」

目の前の少年の言う「社会」があれば、彼女自身は今のように縛られず、自由に暮らせたのではないか。
王権なんてものが無ければ、優しい父様は死なずに済んだのではないか。
魔法なんてものが無ければ、美しい母様もまた心を狂わされることも無かったのではないか。

そうした自問自答を繰り返すうちに、いつしかの彼女の目には涙が溢れ出していた。
……しかし、彼女はそれに気付かない。
そして、何時の間にか少年に突きつけていた杖を降ろしていることにも気付かなかった。


彼女が変化に気付いたのは、自身が何かに抱きしめられている感覚を覚えた時だった。
反射的に彼女は身を強張らせ、降ろしていた杖を再び握りしめる。
そんな彼女の耳に聞こえたのは――

「ごめんな」

――心配でも包容でもない言葉。
そこにはただ、謝罪の言葉があった。

「何故――?」

――貴方が謝罪する必要は無い筈、と言葉を継ぐ前に少年が言った。

「ごめんな。嫌なこと思い出させて」

その一言を聞いた瞬間――杖を握り締めた手の力が抜け、地面に杖が落ちる。
同時にそれまでこらえていた感情が堰を切ったようにあふれ出した。



――いつまでそうしていたのだろう。
彼女にとって、その間は数分の間だったようにも、数時間だったようにも感じられた。
日は既に傾き始め、日中でも薄暗い路地はさらに暗くなり始めていた。

「それで、『魅惑の妖精』亭って所を教えてくれると助かるんだけど……」

彼女が落ち着いたのを見計らって、少年が尋ねてくる。
そういえば、最初のきっかけは道を尋ねられたことだったと思い出し、彼女は苦笑する。
そして、彼女は彼女の苦笑の意味が分からないという顔をした少年を促し、比較的大きな通りに出てある建物を指し示した。
彼女の指し示した先には、いかにも「RPGに良く出てきそうな酒場」風の木造二階建ての建物があり、入り口の上には大きな看板がかけられていた。
何故か言葉が通じるようになっても、この世界の文字が読めない才人には何のことだかわからないが、そこにはハルケギニアの文字でこう書かれていた――「トリスタニア一の名店『魅惑の妖精』亭」と。

「えっと――ここってこと?」

未だ、彼女の仕草を理解しきっていない少年が尋ねた。
それに対して彼女も小さく頷き、肯定の意を返す。

「そう」


それを聞いた少年は彼女の方へ向き直り、言った。

「そっか、ありがとう。えっと――」

言葉の続きを口ごもりかける少年の反応を見た彼女は彼の意を察して、言葉を継ごうとする。

「タバ――」

彼女はそう言い掛けて、直後に口ごもる。

――彼は嘘を言わなかった。

少なくとも、私は彼の話は真実だと信じる。
ならば、彼にも私の真実を伝えたい。

――人形としての名前ではなく、一人の人間としての名前を。

そう彼女は決意し、言葉を紡ぐ。


「……シャルロット。シャルロット・エレーヌ・オルレアン。それが、私の名前」


その言葉を受けて、少年は先程の言葉の先を継いだ。

「そっか、ありがとう。シャルロットが居なかったら――俺、ずっと迷ったままだったと思う」

「――ありがとうな」そう言って少年は彼女の頭を撫でた。
蒼いサラサラした髪が少年の手の動きに合わせて揺れる。
その感覚は、かつて彼女が「シャルロット」だった頃に味わったものと同じ感覚。

そして、「じゃ――」と片手を挙げて別れを告げると、少年はゆっくりと酒場に向けて歩いていく。
そんな後姿を眺める彼女をオレンジ色になりかけたばかりの夕日が照らしている。
――風が出てきたらしい。
柔らかな風が彼女の蒼い髪をかすかに揺らす。

髪が彼女の視界を一瞬さえぎった直後、少年の姿は建物の中に消えていた。






ルイズの使い魔は五日目の朝になっても帰ってこなかった。

「……おかしいわね」

そう呟いた彼女はこの数日間、他の誰よりも完璧に使い魔を『使役』出来るようにするために、どんな「おしおき」を主人として与えるべきか考えながら過ごしていた。

(さすがにそろそろ姿を現しても良い筈よね?)

しかし、彼女の使い魔はそんな彼女の予想を裏切るようにして姿を現さない
人間は3、4日程度絶食した程度で死ぬとは思わないが、さすがに彼女も一度も姿を見せないことに異変を感じたのだ。

そして、自身の使い魔の様子が気になった彼女は学園の中を探すことにした。

「ねぇ、私の使い魔しらない?」

ルイズがそう最初に尋ねたのは、隣室の褐色の肌を持つ17歳にしてはいささか発育の良すぎる少女だった。
その少女――キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー――は早朝というにはあまりにも遅いにも関わらず、ネグリジェにけだるげな態度でルイズに応じた。
そして、いまだに眠たげな態度で、昨夜はペリッソンとスティックスとギムリとどうとか呟いていた。
――さらに、肝心なルイズの質問に対しては。

「あなたの使い魔ぁ?……知らないわよ」

使い魔?なにソレ?と言わんばかりの態度でキュルケは答え、

「――寝不足は成長と美容の敵よ、まぁルイズみたいにぺったんこじゃ発育の余裕もないでしょうけど」

と、いつもの軽口を加えるのも忘れない。
……しかし、キュルケがそう答えたときには、既に彼女の前からルイズの姿は消えうせていた。



「何だったのかしら?」

自室の扉の前に一人、ネグリジェ姿で取り残されたキュルケは眠たげに呟いた。
そんな彼女の目に数冊の本を抱えて廊下を歩く知り合いの少女の姿が写った。

「あらタバサじゃない! 相変わらす朝が早いわね」

そんな問いに青髪の少女は扉の隙間から覗く彼女の部屋の窓を指し示し、単調に告げる。

「もうすぐ昼」

「『もうすぐ』ならまだ朝じゃない! そんな朝から図書館に行くなんて貴女よほど本が好きなのね」

そう返すキュルケの視線の先にはタバサと呼ばれた少女が抱えた本があった。

「ええっと……『有史以前のハルケギニア』? タバサ、あなたそんな本をどうする気なの?」

表紙に書かれたタイトルを見て浮かんだ疑問を尋ねるキュルケ――彼女には思い浮かんだことをつい軽く口にしてしまう悪癖があった。
しかし、そんな質問にもタバサはやはり淡々とした口調で答えた。

「……これは個人的なもの」

そう言いながら、早く自室で読みたいのか、そわそわとした仕草で「要件は何」と言いたげな素振りを示している。
そんなタバサの様子にキュルケは邪魔をするのも悪いと思ったのか、「悪かったわね」と謝りながら彼女を見送る。
数冊の本を抱えた少女の背中を見つめながら、キュルケは先程のルイズの質問をタバサに聞きそびれたことに気付いた。

「まぁ、どうでも良いわよね……」

しかし、次の瞬間にはそんな思いを完全に忘れ、そう呟いてキュルケは再び眠りにつくために自室の扉を閉じた。





キュルケの部屋の前を飛び出したルイズは、廊下の角を勢いよく曲がって――柔らかいものにぶつかった。

「「きゃっ!」」

思わず尻餅をつくルイズ。
――彼女がぶつかったのは籠に山と盛られた洗濯物の塊だった。
直後、その山が崩れると同時に黒髪のメイドが姿を現した。

「申し訳ありません、ミス・ヴァリエール――」

「ちゃんと前見て歩きなさいよね!――まぁ良いわ。ところで、私の使い魔知らない?」

鬼気迫る様子のルイズを見て、黒髪のメイド――シエスタ――は「私が逃がしました!」なんて言える筈もない。
――言えば当然処罰されるのは目に見えているし、別に恩がある訳でもないのに、そこまでして貴族連中や目前の少女に肩入れする義理も彼女には無い。
さらに付け加えるならば彼女はつい先日、一人の貴族学生が引き起こした二股騒ぎに巻き込まれて、とばっちりを受けたばかりでもあった。

「――さ、さぁ。私は存じませんが?」

昨夜、ほとんど眠っていないこともあって、血走った目をして迫る美少女。
顔の整った人物が怒ると恐い、という言葉を体現するような姿に少々怯えながらシエスタは誤魔化した。

「そぅ……もういいわ、行きなさい」

機嫌が悪いせいもあって、ぶっきらぼうに言い放つルイズ。
その言葉を聴いたシエスタは「失礼します」と言って、すばやく洗濯物をかき集めてその場を去っていった。


その後もルイズは才人の捜索――というにはあまりにも稚拙なもの――を続けた。
しかし、その成果は芳しいものではなかった。
彼女が使い魔を召喚した事実は、召喚の儀の翌日、立会人がコルベールだけの状況で召喚したこともあって、一部の人間――世話をする立場の使用人の間や一部の教諭の間――にしか知られていなかったのである。
当然、その事実を知らない、あるいは興味の無い級友からの答えは非情なものとなった。

「……君の使い魔? 知らないなぁ」

そう答えるのは少数派であり、大半の級友からは、

「使い魔? そもそもあなた召喚出来てたの?」
「いないものを探しても見つかる筈ないだろ、ルイズ?」

といった答えが返ってくる。
挙句の果てに、キザな仕草が特徴的なある級友はこんなことを言ってのけた。

「――必死なのは分かるけど、逃げ出したことにして学院に居残ろうとすることには感心しないな」


……その時、学舎が吹き飛ばなかったのは、偏にルイズ自身の忍耐力に負うところが大きかった。
普段のルイズなら問答無用で激高していただろうし、最悪の場合、決闘になってもおかしくなかった。
しかし、この一言が彼女に与えた衝撃はあまりにも大きかった。
それはつまり、ルイズが「使い魔を召喚できなかった事実を隠そうとしている」と言われたのだ。
しかも、その動機は“学院に残りたい”が故だと言ってのけたのだ。

その一言をここで否定するのは容易い。
しかし、彼らに自らの使い魔を示さなければ、その一言を本当に否定することにはならないのだった。
故にルイズはその場から背を向けて早足に歩き出した――自らの使い魔を取り戻すために。
誰も自らの使い魔の存在を信じてくれない――ルイズが使い魔を召喚したと信じない――ならば、自分の力だけで探し出してみせる。
あの使い魔は彼女自身の将来を保証してくれる存在でもあるのだ。
故に、彼女自身の将来の為にも、実家である名門ヴァリエール公爵家の為にも、何が何でも自らの使い魔を探し出して、連れ戻す。
――必ず使い魔を連れ戻し、この屈辱を晴らしてみせる。
そして、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールという人間を認めさせてみせる。

そう決意するルイズの歩調は徐々にその歩く速度を増していく。
いつの間にか駆け出していた彼女は、自らの使い魔の捜索を再開した……誰の手も借りずに。


絶望の淵にいたルイズという少女に与えられた唯一の希望。
それが「あの」使い魔だったのだ。
それまで望んだもの――主に物的な面で――は全て与えられてきた少女は、その使い魔の存在が当然であると思っていた。

“一度与えられたモノが彼女自身から奪われることなどありえない”

トリステイン一の権勢を誇るヴァリエール公爵家に生まれた彼女にはそんな思い込みがあった。
そして、貴族制度というハルケギニアの身分秩序もまた、そんな彼女の思い込みを補強していたのだ。

しかし、そんな彼女の使い魔は“別の世界”の常識を持った存在だった。
そんな彼が“この世界”の常識にすんなり従うことなどありえない――


そして、深夜まで続いた捜索でも、彼女の使い魔の姿を見付け出すことは出来なかった。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第4話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 21:45
 ――――――――――――シエスタは暗闇の中を必死に走っていた。


暗闇の中を既に数時間もの間走り続けた彼女の足の裏には、石や小枝を踏みつけたために出来た無数の傷が出来ていた――そう、彼女は裸足だったのだ。

履いていないのは靴だけではない。
少女は申し訳なさげに体を覆う露出度の高い下着姿だった。
一応、体を覆うようにぼろぼろになりつつある大きな布――シーツだったもの――を体に巻きつけてはいたが、それが一層彼女の逃走を阻害していた。
ならば捨ててしまえば良いと思われるかもしれないが、いかな夜の闇の中とは言え思春期の少女にはそんなことをする気は全くない。
ある意味で体に巻きつけられたその布切れこそが彼女を精神的に守る最後の一線でもあったのだから。

時折、少女はそのシーツの残骸に足を取られて転倒するが、すぐに立ち上がる。
――そして彼女はただひたすらに「王都」に繋がる道を走り続けた。





才人はトリスタニアのある大通りを歩いていた。

彼が“この世界”に召喚されてからちょうど一週間。
根がマジメな彼の『魅惑の妖精』亭での生活はすこぶる安定していた。
店長は……ちょっとアレだが、娘さんであるジェシカには良くして貰っていたし、お店で働く少女達とのコミュニケーションにも慣れた。
そんな中、今朝はちょっとした買い物――洗い物に不慣れな才人が割った代わりの皿の購入――を頼まれて、とある通りにある店に向かっていた。

と、才人は通りの先に人だかりが出来ているのに気付いた。
取り囲む人々から漏れ聞こえる「……行き倒れだって?」「どこかの屋敷から逃げ出してきたんだろう――」といった声。
――当然、好奇心の旺盛な才人は人だかりの中に潜り込んでいく。
そこで見たのは彼の見知った少女の変わり果てた姿だった。

「シエスタ――!」

思わず才人は飛び出して、シエスタの体を起こす。
その拍子に、彼女の体を申し訳なさげに覆ってたボロボロになった布が滑り落ちかけ、少女の体の傷があらわになった。

「――サ……サイ、トさ…ん」

自らを抱き起こした才人に気付いたのか、少女はかすれかけた声で少年の名を呼んだ。

「一体どうしたんだよ――! 何があった?」

才人は自らのパーカーを手早く脱ぎ、少女にかけてやりながら、何がなんだか分からない、と言った様子で尋ねる。

「わた…し――」

そう何かを伝えようとするシエスタ。
しかし、同時に体を起こされた少女の目に、こちらに向かってやってくる馬車の姿が映った。
それを見た少女は怯えるように体を震わせ、そう尋ねる才人の声に対して、言った。

「――助…け……て」

そう、か細い声で懇願した直後、彼女は再び意識を失う。
そんな彼女に才人がさらに声をかけた直後、人だかりの背後で二頭立ての馬車のいななきが響いた――



人だかりを突っ切るように現れた馬車から降り立ったのは、豪奢な衣装をまとった中年のメイジだった。
周囲の群衆は男が降り立つと、まるで怯えるように左右に分かれて道を形成していく。
男は周囲の人々の存在を無視したかのように悠然とした態度で、気を失ったシエスタを一瞥して、こう言い放った。

「こんなところに居たか――全く平民風情が手をかけさせおって!」

その声色には不機嫌と侮蔑、そして諧謔の色があった。
――その男の声を聴いた瞬間、才人はこの男こそが自身の腕の中の少女を追い詰めたものだと直感的に理解した。


「テメェ! シエスタに何をしやがった――!」


才人は目の前に居る豪奢な男に問いただす。
男はその声を聞いて、初めて才人の存在に気付いたようにして、言った。

「小僧ッ――言葉遣いに気を付けよ! ワシを誰だと思っている、『王宮勅使』ジュール・ド・モットであるぞ!」

「そんなの知るかよ! メットだかポットだか知らねーけど、テメェ、シエスタに何しやがったんだよ!」

「答えやがれ! 返答次第ではただじゃおかねぇ――」という勢いの才人に対して、モットは困惑する。
平民が貴族に対して公然と反抗する――初めての経験とも言える出来事に困惑したモットは、いつもなら相手すらしない筈の平民に対して言い放った。

「その小娘は、使用人の分際で貴族であるワシの頭に傷を負わせたのだ! 相応の代償を支払わせるのは当然であろう! それにワシの名前は――」

――そう高らかに言い放つ言葉に対して、周囲の群衆の誰かが野次を飛ばす。

「どうせこの娘に目を付けて、手篭めにしようとしたんだろう――!」


それはトリステイン――敷いてはハルケギニア全域――の貴族の間で昔から行なわれていた悪習であった。
貴族がその地位を利用して、平民の少女を使用人として雇い入れ、手篭めにする。
――当然、そこには平民である少女には拒否権は存在しない。
もし万が一、問題になっても僅かな手切れ金と共に放り出せば良い――自身の領地での不介入権、裁判権を持つ封建貴族にはそれが出来る。
しかも、このモット伯爵は『王宮勅使』の地位を利用して、魔法学院のメイドを幾度と無く手篭めにしてきていたのだった。


真実を衝かれて顔を真っ赤にしたモットの姿を見て周囲の群衆からはさらに辛辣な言葉が投げつけられる。

「――その頭の傷も手篭めにしようとしたときに反抗されて出来たんだろう!」

――図星だった。
事実、この男はシエスタを手篭めにしようとして彼女に覆いかぶさった瞬簡に、抵抗した彼女が偶然手にした壷で頭を殴られたのだった。

「えぇい! 黙――」

モットが様々な野次を飛ばす周囲の群衆を黙らせようとして魔法の詠唱を行なおうとした瞬間。


「ふざけんじゃねぇ――!」


――その声とともに強烈な右ストレートがモットの顎を捉え、男はそのまま地面に崩れ落ちた。





さきほどまで様々な野次が乱れ飛び、批判の熱狂すら飛び交い始めていた周囲の群衆は一転して沈黙していた。
誰もが呆然とし、そして徐々に平静を取り戻すに従って中心から遠ざかるようにして距離を取りはじめる。
――彼らの視線はトリステインでは珍しい黒髪の少年と、地面に伏している貴族に注がれていた。

「貴っ様ぁ――!」

その沈黙を破ったのは、地面に殴り倒された貴族だった。
地面に叩きつけられたため、埃塗れになりながらもゆっくりと立ち上がる。
――しかし、その体は今まで経験したことの無い屈辱と怒りの為に小刻みに震えていた。
文字通り、真っ赤になった顔には一部だけ青くなった部分。
それがまたユーモラスなのだが、周囲の誰も笑うことは――否、笑える筈も――無い。

直後、強烈な水弾が才人の腹に直撃し、彼の体を道に面した店舗まで吹き飛ばした。
――才人を攻撃したのは言うまでも無く、モットの魔法である。

「言い忘れたが、ワシの二つ名は『波濤』! トリステインに名高きトライアングル・メイジである!」

才人を弾き飛ばしたことによって平静を取り戻したのか、そう高らかに宣言する。

「小僧――! 今、伏して謝罪すれば命だけは助けてやろう!」

モットが「――無論、五体満足では返してやらぬが」と言いかけたとき、巻き込んだ商品の山が崩れて才人の姿が現れた。
頭から血を流しながらも、才人は「――今のが魔法ってやつか」と呟きながらなんとか立ち上がり、男に向かって叫んだ。


「誰がテメェみたいなクソ野郎に頭下げるかよ――!」







――その数分後、幾度と無く魔法によってなぎ倒された才人の体はボロボロだった。

相手が水系統のメイジである為、致命的な傷を負わすに済んでいた――これが攻撃力の強い火系統のメイジや風系統のメイジだったりすればとっくに彼の命は無かっただろう……が、何時倒れこんでもおかしくない、そんな状況だった。
何度目だろう……再び魔法の直撃を喰らい、才人は地面に叩きつけられる。

それでも才人は立ち上がる。
――立ち上がり、目の前の男を殴り倒そうとするが、すでにその足取りもおぼつかなくなっている。
ふらつきながらも数歩前進し――男の魔法によって再び先程までと同じような位置まで吹き飛ばされる。

(絶対に許さねぇ――!)

その強い意志だけが才人の行動を支えていた。



一方で、モットの側にも問題が生じていた。
貴族である自分が殴り倒された、という屈辱は当事者である小僧を嬲る、ということによって多少なりとも解消されていた。
このまま、小僧が泣きながら命乞いをすれば、ある程度モットの名目も立ち、全てを収める事が出来る。

……そういう筈だった。


しかし、目の前の小僧は何度も魔法によってなぎ倒されながらも、そのたびに立ち上がってくる。
依然として結末の見えない状況にモットは困っていた。
時を増すごとに騒ぎを聞きつけた周囲の群集の数は増える一方であり、このまま騒ぎが大きくなれば王都警備隊が駆けつけてくるのも時間の問題だろう。
そうなれば、「王都の平穏を乱した」として政治問題となるのは間違いない。
――しかも、それが「平民を手篭めにしようとした末の騒動」となればなおさらだった。

しかし、理由無く手打ちにすることも出来ない。
このまま小僧を殺してしまえば、問題は表沙汰にならざるを得ないし、これだけの群集が居る状況ではその隠匿もまた不可能に近い。
彼自身の名誉の為にも、この事態を収めるには「小僧が過ちを認め、謝罪する」ということが絶対に必要であったのだ。

――しかし、こうしている間にも衛士がやってくるかもしれない。
モットの焦りは秒針が時を刻むごとに濃くなっていく。
追い詰められた彼は、“最終手段”を使うことにした。

「そこの武器屋――! この小僧に武器を貸してやれ!」

何度目になるかわからない魔法を放った後、モットは通りに面した武器屋の店主に言い放った。

――平民が貴族に武器を向ける。
それは紛れも無い敵対行為であり、貴族は自衛の為に平民を殺しても罪には問われない。
それならば、メイジの側も「理不尽な暴力ではない」とされ、ある程度の言い訳を得られる。
そう考えての行動だった。

当然、そんな狙いは指名された店主にも手に取るようにわかった。
おまけに「武器を貸してやれ」ということは金を払う気もないのだろう。
あからさまに渋る様子の店主に対して、仕方なくモットは言葉を継いだ。

「何をしている! 金なら払ってやる――それとも客であるワシの言うことが聞けんとでもいうのか!」

貴族であり、かつ客であることを強調した言葉。
その命令に対して、苦々しげに状況を眺めていた店主は仕方なく剣の選定にとりかかろうとする――とはいっても、一番安い剣を刺していた樽の中の一本を引っつかもうとした。
――その時、その樽の中から声が聞こえた。

「おもしれーじゃねーか! おい親父、俺をもってけ!」

その声はボロボロに錆びた片刃剣から発せられていた。


インテリジェンスソード。
製法は未だに分かっていないが、ハルケギニアの各地に散在する「知性を持った剣」である。
大部分の人々には何処かの魔法使いが偶然作ったもの、と信じられているが、実際に系統魔法でインテリジェンスソードを作ったメイジは確認されていない。
さりとて、貴重品――という訳でもない。
その存在自体は貴重かもしれないが、自力で動くことの出来ない武器に知性を持たせたところで性能が上がるわけでもない――というか、ぶっちゃけあんまり役に立たないし、鬱陶しい。
すなわち、この世界の住人にとっては「珍しいけれども、とりたて貴重というわけでもない」というレベルの代物だったのだ。


「小僧――! 未だ楯突く気ならその剣を取るが良い!」

――モットの挑発に対して、才人は店主から差し出されたインテリジェンスソードを握った。
その瞬間、左手に浮かんでいた文様が輝くと同時に才人の体から痛みが消える。
さらに、体を動かすのもやっとだった筈の体が羽毛のように軽くなった。

「おでれーた。てめ、『使い手』じゃねーか!」

才人が自身の体に起こった変化に驚きを表す暇も無く、彼の手の中に納まった剣はそう語りだす。
しかし、当然というべきか才人自身には『使い手』云々の意味以前に剣がしゃべることの方が問題だった。

「しゃべる…剣?」

「おうよ! 俺様はデルフリンガー。ま、古びちゃいるがこれでも6000年ばかり生きてる伝説の剣ってやつさ!」

――そう誇らしげに語る声とは裏腹に、刀身はおろか声の出所である付け根の金具まで錆びついている。
しかし、才人はそんなことは気にしなかった。
それまで全身にあった痛みが消え、おまけに体が軽い。
これならば、やれる!そう感じたのだ。

「じゃぁ、デルなんとか――」

「デルフでいいぜ! 相棒!」

才人の言葉に反応したデルフリンガーが答える。
――その直後、少年は駆け出すと共に叫んだ。

「――いくぜっ!」






軽い――
まるで羽でも生えたかのように才人は地を駆ける。
驚いた顔をしたモットが慌てて魔法を唱えるが、生み出された水の刃の速度はさきほどまでの水弾とは比べ物にならないくらい遅い――実際は水弾よりも早いのだが――少なくとも才人にはそう感じられた。
才人は襲い来る水の刃を側方へのステップでかわしながら、モットへと突き進む。
その行動に恐怖を感じたのか、先の魔法によって稼がれた僅かな時間を利用してモットはさらなる詠唱を行った。

「ならば! これならどうだ!」

――その直後、目の前には巨大な波が出現する。
モットの最大魔法――二つ名である「波濤」の由来ともなった――が才人に向かって襲い掛かった。
それは、それまでの水弾の点、水刃の線とは異なる面としての攻撃。
近距離ならば回避不能のその攻撃を前にして、モットは自らの勝利を確信し――


「相棒! 俺を前に構えな!」

――波濤の向こうから響いたその声の直後、モットの確信は驚愕へと変わった。

巨大な波の中心を割るように、剣の先端が姿を現す。
同時に、剣を中心に波自体がまるでそもそもそこに存在しなかったように雲消し――いや、刀身に吸い込まれていく。
そして、消滅した波の向こうには先程までと同じように剣を構える少年の姿。
――その剣もまた、先程までの錆び付いたものではなく、鈍い鋼色に輝いていた。


「相棒! 今だ!」

何が起きたのか理解できず、呆然とする両者の沈黙を破ったのは才人が手にした剣自身だった。
その声に反応したのか、自分を取り戻した才人は再び駆ける。

「うおぉぉぉぉ!」

その吶喊の叫びと共に才人は手にした剣を下段に構え、突き進む。
――その目的はただ一つ、目前の卑劣な男を倒すことのみ。
才人に遅れること数瞬、モットもまた、新たな魔法の詠唱に取り掛かろうとし――


――杖を掲げたモットの腕を、杖ごとデルフリンガーが斬り裂いた。










―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。

改訂版の2~4話をお届けします。
第1話のあとがきにも書きましたが、今回の改訂は加筆訂正と誤字修正をメインにしたものです。
よって再構成とかではありません。誤解を招いたのでしたらお詫び申し上げます。

個人的にはさっさと改訂前の旧29話まで進めて、そこからまた進めて行きたいと考えております。
改訂したとは言え、今後ともつたない部分など多いかとは存じますが、どうか生暖かくご支援いただければと考えます。



10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第5話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 21:47

 ――――――――――――ジェシカは目の前で震える少年を見つめていた。


実質的な『魅惑の妖精』亭の経営者であり、優れたプロポーションと黒い髪によって隠れた店のナンバーワンでもあった彼女であったが、その一方で年齢に相応しく、噂や騒動が大の付くほど好きだったのだ。
騒動を聞きつけた彼女が人ごみを掻き分けて目にしたのは、全速力で遠ざかる馬車と何人かに介抱された従姉の姿、そして息も荒く震えながら嘔吐の気に耐える自分や従姉と同じ髪の色をした少年の姿だった。

周囲の群衆からおおまかな事情を聞いた彼女は、ようやく駆けつけたらしい衛士を周囲の群衆の協力で明後日の方向に追い払いながら、シエスタと才人を『魅惑の妖精』亭へと運び込んだのだ。
――幸い、シエスタは極度の疲労による衰弱以外は足の擦り傷だけであったので、命に別状は無い。
才人のほうも、数箇所の打撲と全身の切り傷で済んだため、一週間ほどの安静でなんとかなりそうだった。


そんなこんなでジェシカは才人の部屋として割り振られた屋根裏部屋に居た。
ほとんど何も無い部屋の端にポツンと置かれた古びたベットの他には、簡単な机とイスが一脚しかない埃っぽい部屋――元はただの物置だったのだ。
唯一つのベットの上には当分の間、安静を言いつけられた才人の姿。
その姿を眺めるように、イスの背に組んだ両肘を置くようにして彼女は座っていた。

「――あんた、何者なの?」

その目には普段には無い鋭さが浮かぶ。
その一方でどこか申し訳なさげな声色を含ませながら、彼女は尋ねた。

「シエシエを助けてくれたことは感謝してる、本当よ。ここに居る子はみんなワケありだから、他人の過去を詮索しないのがここのルールなんだけど――」

――さすがに今回のことは別、と言外に含ませる。
彼女が聞いたところによると、目の前の少年は貴族――しかもトライアングルを打ち倒したのだ。
ならば表向きには報復はなくても、その貴族の手のものがひっそりと報復に来るかもしれない。

彼の居所がばれるくらいなら未だ良いが、『魅惑の妖精』亭の「正体」までが露見することは何が何でも避けねばならない。
その為ならば、目の前の少年を監禁するくらいのことはしてみせる――
全ては彼の返答次第だが、とジェシカは一転して決意に満ちた視線を少年に向けた。





――才人は自分がよっぽど不思議に見えるんだろうか、と漠然と思った。
何人かの群集に担がれるようにして『魅惑の妖精』亭に帰り着いた彼はようやく衝撃から立ち直り、精神の均衡を取り戻し始めていたのだった。
そんな状況の中で、「あんた、何者?」と聞かれた彼は、そういえば前にも同じことを聞かれたっけ――と何処か他人事の様に考えていた。

「――答えて」

そんな才人の意識を現実に引き戻したのは、彼の目の前で椅子の背を挟んで腰掛ける少女の声だった。
その顔にはいつもなら絶えることの無い明るさは無い。
そんな彼女の気迫に押されるようにして、才人は彼女の質問に答え始めた――



「……つまり、あんたはどことも知らない場所からその暴力貴族に召喚されて、逃げ出してきたってワケね」

「大体はそうだけど――どことも知らない場所じゃなくて、日本の東京だって!」

ジェシカのまとめに対して才人は大筋を認めながらも、抗弁した。

「誰も知らない国なんてどことも知らない場所と同じじゃない」

そんな才人の抗弁を正論で軽くいなす少女。
しかし、その彼の言葉の中には彼女の脳裏に引っかかる言葉があったが、彼女はそんなことをおくびにも出さず、質問を続ける。

「――もう一つ、教えて頂戴。あんたが貴族を追っ払ったっていう剣技、それはどこで習ったの?」

彼女が騒動の見物人に聞いた“事実”では、目の前の少年が魔法すら打ち消す程の剣技でトライアングル・メイジに手傷を負わせて勝利した、ということになっていたのだった。
その問いに対して答えに詰まる――実際、才人自身にも分からないのだ――状況を打開したのは先程から壁に立て掛けられていた剣だった。

「――相棒は『使い手』って奴さね」

その言葉に二人はそれぞれ驚きを示した。

ジェシカは剣がしゃべることに対して。
才人は自身の疑問に対しての答えを持っている、と主張したことに対してだった。

「『使い手』ってなんだよデルフ?」

デルフリンガーの発した声に対して最初に反応を返したのは、「剣がしゃべる」ことを知っていた才人だった。

「当然、このデルフリンガー様の『使い手』、つまりは伝説の使い魔ガンダールヴってことさ」

おでれーた、自分の状況も知らねーのか?といった感じで答える剣。
そんな剣に対して、才人と剣のやりとりを見ていたジェシカが尋ねた。

「で、あんたは何者なの? それからガンダールヴって何?」

「俺? 俺様は魔剣ってやつさ……あとは忘れた」

その発言に話を聞き入ろうとしていた二人から一斉に力が抜けた。
直後に立ち直った二人を代表して才人が突っ込みを入れる。

「どうして覚えてないんだよ!?」

その突っ込みに対して、デルフリンガーは胸?――剣にそんなものはないが――を張って答えた。

「――そりゃぁ6000年も経てば、いくら俺様だってそんなことくらい忘れるだろうよ」

カチカチと鍔元の金具を鳴らしながら、細かいこと気にする連中だねぇ、と豪勢に笑うデルフリンガー。
どうやら細かいことは気にしない性質らしい。
その自信に溢れた声にもはや聞く気もなくしたのか、ジェシカがもう一つの問いについて尋ねた。

「ガンダールヴって何なの?」

「相棒の左手にルーンがあるだろ?そいつが『神の左手』ガンダールヴの証だ。ガンダールヴはありとあらゆる武器を使いこなし――」

そこでデルフリンガーは唐突に言葉に詰まった。

「……ところで相棒、相棒のご主人様は何処にいるんでい?」


「そんなの居ねぇよ!」

その言葉に対して強い語気で才人が答える。
デルフリンガーの問いは彼がしばらく思い出さないでいた不満と憎悪に対してあまりにストレートだったのだ。
その言葉を聴いた瞬間、彼の脳裏に桃色がかったブロンドの少女――彼をこの世界に連れ込んだ元凶――の姿が浮かぶ。

「俺は誰かの使い魔でも、従者でもない!平賀才人だ――!」

――特にあんな女の使い魔なんて願い下げだ。
そう心から叫ぶ。
その言葉にデルフリンガーがさも驚いたかの様な声で言った。

「おでれーた! 主人から逃げ出した使い魔なんて、初めて見たぜ!」

やっぱり細かいことには気にしない性質らしい。
おでれーた、と笑いながら繰り返すインテリジェンスソードを眺めながらジェシカもまた驚いていた。
彼女は、彼が「召喚された」という事実に対して――貴族の手先ではないかという――不安と疑義を抱いていたのだった。

確かに、才人は貴族と争い勝利した――その時点で“勝利”が仕込みであるのではないかということを彼女は疑ったのだ。
通常、唯の平民が貴族に勝利する(特に一対一で)ことは不可能に近く、それを可能とするのは「メイジ殺し」と呼ばれる様な凄腕の傭兵しか居ない。
だからこそ、先程の彼の発言は重要であり、彼の言葉に嘘は無いと判断した彼女は才人を信用に足るものであると認識したのだった。

「わかったわ」

彼女はそう納得すると――さっさと寝た寝た、とばかりに少女はそのまま部屋を後にする。
彼が信用に値する人間であるとするなら、彼を守る為にいくつか手を打たねばならない。
事の詳細について早急に調べる必要がある――そう心にしたのだった。

一方で才人にとって見れば、あれだけの剣幕であった彼女が何故すんなりと納得したのか疑ってもおかしくない筈なのだが、未だ正常な精神状態に復帰しきっていない彼にはそんなことを考える余裕も無いまま、彼はそんな彼女の後姿を見送った。




――扉が閉まり、部屋の中で「一人」になると同時に才人は薄暗い部屋の中で震えだした。
目を閉じると先程の光景がまるで映画のワンシーンの様に脳裏から消えずに鮮明に思い出される。
同時に、両手に剣で人間を斬る感触が蘇る。
さらに自身に降り注いだ男の血液の温度までを思い出すことが出来たのだ。

先程まで抑えていた恐怖が一斉に押し寄せるのを才人は感じた。
才人は自分自身が恐ろしい、と思った。

――いかに相手が悪人であろうとも、自分の力によって他人を傷つけたのだ。
無論、喧嘩程度でなら人を殴ったことはある。
むしろ同年代に比べれば、その喧嘩っ早い性格からそうした経験は多いほうだと言ってもいい。

しかし、相手に対して明確な殺意を持って取り返しのつかない大きな怪我を負わせたことはなかったのだ。
だからこそ、逃げるモットに止めを刺すことはなかったし、男が逃げた後に緊張の糸が緩むと才人は震えながら何処からとも無く襲ってきた猛烈な吐き気に耐えていたのだ。

「相棒――怖いのか?」

そんな才人の様子を見て先程までとは一転して沈黙していたデルフリンガーが尋ねた。
才人はその問いに対して、小さく同意の呻きを漏らす。

「人を斬ったのは初めてか――?」

才人は答えない。
その沈黙を同意と取り、デルフリンガーはさらに続ける。

「相棒がどんな場所から来て、どんな生活をしてきたかは知らねー」

元々ただの剣の俺には分かんねーし、興味もねーからな、と前置きしてデルフリンガーは言った。

「相棒のやったことは間違っちゃいねーよ。あの時相棒が戦わなきゃ、あの娘っ子は間違いなく酷でー目に遭わされてた」

しかし、才人はそれに答えない。
ただじっと暗い天井を眺めながら震えていた。
沈黙した才人の姿を眺めながら、デルフリンガーは小さく呟いた。

「――こりゃあ、重症だな」



そんな才人の状態が改善されたのは二日後のことだった。
大分回復してきたのか、一人で歩けるようになったシエスタが才人の部屋となっている屋根裏部屋を訪れたのだ。
その間、才人はほとんど眠らずにいた――眠りに就く度にあの光景が思い出されたため――のだった。
人の目がある間だけは気丈に振舞う彼であったが、体も回復していないのは明らかであった。
そんな才人の様子に心配したジェシカから聞いたのか、彼女自身も未だ癒え切っていない体を推してやってきたのであろう――服の端々から覗く体の一部は痛々しげに包帯が巻かれたままだった。
そんな状態の彼女は入室直後にこう言い放った。

「サイトさんは悪くありません――!」

そして、「何を恐れているんですか」と逆に強い口調で尋ねる。
そこには自身が発揮した力に怯える才人を非難するかのような色までが込められていた。
彼女は自身の危険を顧みず、身を挺して助けてくれた少年に心底感謝していた。
――だからこそ彼女は言う。
自身を守る為に戦ってくれた少年が“あんな男”の為に苦しむなんて許せない。

「もしあの時、サイトさんが助けてくれなかったら――」

最後の部分を言葉に出すのがはばかられ、消え入りそうな声になるが、それでも続けようとする。

「シエスタ――」

才人がその真意を読み取って、気遣うような声で少女の名を呼ぶ。
その声に反応してシエスタは叫んだ。

「それに、あの時そうしなければサイトさんも生きていられなかったんですよ!」

それまで堪えていた物が堰を切った様にあふれ出したのか、彼女は続けた。

「だから、サイトさんは何も悪くありません! 悪いのは全部あの男で、あんな男を貴族にした連中で――!」

始祖が魔法なんてものを持ち込まなければ、魔法使いなんて存在しなかったのに!
魔法なんてなければ、貴族なんてものは存在しなかったのに!
貴族なんてものが居なければ、平民は苦しめられずに暮らせるのに!

彼女はそうトリステイン――ハルケギニアの社会の問題について吐露する。
無論、それは彼女達平民からみた視点ではあるが、そうであるが故に深刻さと暴虐さについては真実味を帯びていた。

「私たち平民が貴族に比べて弱いのは仕方ありません。でも、弱いのは悪いことじゃないんです――」

――だから、力のある人は弱い人を助けて欲しい。
サイトさんにはその力があるし、それを行なっただけ。

そして、彼女は告げた。

「正しい理由の無い力は暴力でしょう。でも何かを守る為の力は暴力じゃありません!」

そう言い放つと同時に彼女は目の前のやつれた少年を抱きしめた。
そして、そのまま優しく諭すように言葉を継いだ。

「――だから、サイトさんの振るう力は暴力なんかじゃないんです」

だから、怯えることはないんです。
怖がらなくても良いんです。

そう彼女は優しく言った。
その言葉を聴いた才人の瞳にかすかに光が戻り始める。
同時にそれまで感じなかった疲労が彼の体に一斉に押し寄せる。
そうして少女に抱かれたまま、いつしか才人は血に塗れた悪夢に怯えることなく眠りに就いた。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施





[3967] 第6話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 21:55

 ――――――――――――ギーシュ・ド・グラモンは浮かれていた。


使い魔召喚の翌日に香水を取り落としたことによって発生した二股騒ぎの後、初めて当事者の一方である少女――ケティ・ド・ラ・ロッタが話に応じてくれたのだ。
ようやく二週間ぶりに口を利いてくれたことに、元々お調子者であるギーシュの気分は最高潮に達したのだった。
ここぞ、とばかりにギーシュはこの一つ年下の少女と遠乗りに出かけることを提案した―――歯の浮くような美辞麗句と共に。
その目論見は見事に成功し、ケティは顔を赤らめながらその誘いに応じたのだった。

当初、学院から少しはなれた湖畔で二人の愛について語らう予定であったのだが……
その湖畔では浮かれに浮かれていたギーシュによる独演会が開催されていた。
もちろん、聴衆は彼の隣にいる少女のみ。
そんな状況で薔薇をあしらった杖を掲げるキザな金髪少年の話は続く。

「――だからね、僕は彼にこう言ってやったのさ! 『君は貴族として恥ずかしくないのかい?』ってね」

滔々とギーシュは彼の持論である貴族についてを語り続ける。
そんな自慢話に当初はきらきらと目を輝かせていた少女であったが、さすがにそれが二時間も続けば、内心で正直うんざりし始めていた。
だからこそ彼女はギーシュが次の自慢話を始めようとする一瞬の隙を狙って言葉を挟んだ。

「ねぇ、ギーシュ様、お聞きになりました?」

彼女が持ち出したのは最近のトリスタニアでの話題だった。

「――なんでも最近、王都で貴族が平民の剣士に負けたそうなのです」

モット伯爵が負傷した事件――平民に負けて命からがら逃げ帰った――は、モット自身による懸命な隠蔽工作にも関わらず、数日のうちにトリスタニア中はおろか、王都近隣の地域にまで広まっていた。
人の噂が広まるのは予想以上に早い。
それがたとえ中世的な情報伝達システム――例外的に飛龍による官用郵便があるが――であってもだ。
特に、『平民が貴族に正面から打ち勝った』といった平民の鬱憤を晴らすような話題ならなおさらだった。

「はっはっは、冗談はよしてくれたまえ。そんなことがある訳ないじゃないか――」

そんなケティの振った話題をギーシュは一笑した。
彼にとっては貴族がただの平民――平民に落ちぶれたメイジなら別だが――に敗れることなど存在する筈が無い、そう考えていた。

「ギーシュ様、それが本当にあったそうなのです――トリスタニアのティー・ハウスでもその話で持ちきりだったのです」

そうは言いながらも「私も怖いのですぅ」とギーシュに枝垂れかかるケティ。

彼女の二つ名は『燠火』。
その言葉通り、表面はなんでもないように見えるが、彼女としてはこの機会にギーシュのもう一方の恋愛相手であるモンモランシー――先日の「事件」で発覚した彼女の競争相手――を出し抜くことをふつふつと熾る炭のようにじっと待っていたのだ。

彼女のそうした行動の背景には、貴族の子弟の集う魔法学院の別の事情も作用していた。

トリステイン――ハルケギニア全体で魔法学院はただ単に貴族に対する魔法や教養、作法を学ばせる場所ではない。
それは貴族の子弟が唯一自由恋愛を楽しめる場所であると同時に、家柄の低い貴族が高位の貴族と結婚する唯一の機会を提供する場所でもあったのだ。

通常、ハルケギニアでは遅くとも20歳までに結婚するのが普通であり、その頃には親族の手で結婚相手が決まっているのが常であった。
当然、その結婚の多くは“家柄に応じた政略結婚”であり、自身の家柄に見合った相手との結婚を余儀なくされる。
しかし、その一方で恋愛結婚による婚約も認められていた。
その場合は当事者間の合意があれば、よほどのことが無い限りそのまま婚姻関係が認められる。

ならば、家柄の低い貴族は考える。
……この慣習を逆手に取って、自らの家柄よりも高位の貴族との間に婚姻を結べないか?
血統を重んじる彼らにとって、そうした関係は利益こそあれ、不利益になるようなことは殆ど無い。

そうした考えに基づき、魔法学院は家柄の低い家の子女にとっての「狩場」となっていたのだった。

今まさにギーシュに甘える少女の行動もそれに習ったものだった。
ギーシュの家はあまり裕福で無いとはいえ、トリステインにも数人しか居ない元帥を務めるほどの軍人の家柄であった。
ならば、ロッタ家にとってそう“悪い”話ではない――ギーシュ自身は四男坊とはいえ、間違いなくグラモン家の一員だったのだから。

そうした考えに基づいた行動を取る彼女が見せた「怯え」に対して、軍人一家の出であるギーシュは言った。

「そんな顔をしないでくれたまえ、君の美しい顔が台無しじゃないか――仕方がない、この僕が君の不安を取り除いてあげよう!」

そう大げさに振舞う少年の言葉に従って、二人は人気の無い湖畔から王都へと馬を走らせた。






「ぎゃッ!」

轟音とともに薄い扉を破るようにして人間が宙を舞う。
続けて、柔らかいものが地面に叩きつけられるような音が響く。
その音が響くと入れ替わりに店の内側から現れたのは、華美な装飾を施された金属のゴーレムだった。

「――おやめ下さい、貴族様!」

そう叫んだのはこの店の店主の妻だった。
店主の妻は青銅のゴーレムを操る金髪の少年の裾に縋りつき、なんとか止めて欲しいと懇願する。
しかし、その行動が少年の癪に障ったらしく、少年は声を荒げた。

「うるさいな――! 汚い手で僕に触れるんじゃない、服が汚れるだろう!」

「そうなのです! 平民の分際でギーシュ様に触るのなんて許せないのです!」

そんな行動を彼の傍らにいたケティの声が支援する。

「退きたまえ!」

そう言って「青銅」のギーシュは縋りつく店主の妻を振り払った。


始まりは些細なことだった。
『貴族を打ち倒した平民の剣士』を探し出して、ケティの前で打ち倒して見せれば彼女の気を引ける、そういうつもりだった。
彼にとって見れば、“平民の剣士”は噂の人物でなくても良かった。
そう、本気で噂を信じていない彼にとっては、彼が倒すべき者は平民の剣士であれば誰でも良かったのだ。
……しかし、彼が聞きに訪れた店の店主にとっては違った。
トリスタニアに店を構え、情報の行き交う飲食店を経営する彼は「噂」ではなく「真実」を知っていたのだった。
彼はその行動がいかに危険で無謀であるかを説明しようとした。
しかし、軍人一家の出身であり、気位の高いギーシュにとって――いや、平民に対して圧倒的な力を持つ貴族全体にとってそれは侮辱以外の何者でもなかったのだ。
そして、そんなギーシュの傍らには「怯えた」様子で寄り添うケティ。
しかも、彼は彼女に“不安の元凶を取り除く”と約束してしまったのだ。
――そんな状況でギーシュが引ける筈もない。
故にギーシュの行動を止めようとした店主は彼の逆鱗に触れてしまったのだ。


血のあぶくを吐きながら路上で身動きすら出来ない状態の店主に青銅のゴーレム――ワルキューレが近づく。
他人に殴られたことさえロクにない彼は人間というものが如何にもろいものかということを理解していない。

ワルキューレはギーシュの意志に従って、その哀れな店主の腹を蹴飛ばす。
そして、実際に金属製ゴーレムで人を傷つけた経験を持たない(魔法学院ではあくまで模擬戦ということで実際に相手を殴ることは無い)ギーシュは自身の持つ「力」がいかに他人を傷つけるか、ということを知らなかった。
そんな考え無しに放たれたその手加減無しの人間離れした力――ゴーレムは通常人間の数倍以上の力を持つ――によって店主は向かいの店の壁に叩きつけられ、ピクリとも動かなくなる。
――その光景を目の当たりにした店主の妻の絶叫が響く。

「どうだ! なんとか言ったらどうなんだい?――『申し訳ありませんでした』ってね」

しかし、自身の「力」に酔ったギーシュは、その声もまるで聞こえない様なそぶりで高々と言い放った。
初めての“実戦”で興奮した彼は店主が既に声を挙げることすら出来ないということに気付かなかったのだ。

「ほら! 何か言いたまえ!」

そして、全く反応しなくなった店主の様子を探るべく、彼がワルキューレを近づけた、次の瞬間。
――何かが彼の自慢のワルキューレを直撃し、側方に弾き倒した。






ガン! という衝突音と共にギーシュのワルキューレを弾き倒したのは、少々大きめの拳大の石だった。
その恐るべき速度を持った石を投擲した方向にいたのは―――剣を背負った黒い髪の少年と少女だった。

黒い髪の少年――才人の怪我がようやく癒えたと判断したシエスタが、才人を外に出したがらないと渋るジェシカを強引に説き伏せたのだ。
さらに「おもしれー、俺も連れてけ!」というデルフリンガーの声もその行動を後押ししていた。
最もジェシカが許可を出した背景には、才人に対するシエスタの気持ちを後押ししたいという感情以上の理由――先日の事件があまり問題となっていないという事実があった。
そうして半時間に渡るシエスタとジェシカの問答の末、久方ぶりに外の空気を吸おうと飛び出した街路で二人と一本は“事件”に遭遇した。


扉を蹴破るような破壊音が街中に響く――
そして、音の発生源の方を見ると、壁に叩き付けられ、血のあぶくを吐きながら横たわる男の姿。
そんな無抵抗な男に迫るように立つ無機質な金属製のゴーレム。

その光景を目にした才人は、傍らに居たシエスタが反応する前に、とっさにゴーレムを阻止する為の行動――傍に転がっていた石を手に取り、投げた――を起こしたのだった。
――ガンダールヴのルーンは「武器」に対して反応し、ルーンの保持者の身体能力と技量を強化するという性質を持つ。
しかし、事態を目撃した才人が手にしたのは傍に落ちていた大き目の石だった。
別に投擲用に加工された石、というわけでもない唯の石。
それでも、「武器」として使用する、という意志にガンダールヴのルーンは発動した。
思えば、人類が始めて手にした武器は石であったのかもしれない。
そして、ルーンの恩恵により、才人は拳大の石をメジャーリーガー級の速度とフォームで目標に投擲し、見事に命中させたのだった。


「何ッ――!」

自身のゴーレムが示す圧倒的な暴力によって愉悦の笑いを漏らしていたギーシュの顔に驚愕が浮かぶ。
――彼の自慢の種だった青銅のワルキューレが打ち倒されたのだ。
さらに、その美しい装飾を施されたゴーレムの頭部側面に大きな凹みと亀裂が生じていたことによって、彼の整った顔に憎悪の念が浮かび上がる。
彼にとっては自身の魔法によって作られた美意識の塊であるワルキューレを傷つけられたということはプライドを直に傷つけられたのと同じことだった。
彼はすぐさま自身のゴーレムを傷つけた犯人を捜し、言った。

「き、君は自分のしたことが分かっているのかい?」

表向きは薔薇の形をした杖を優雅に口元に寄せながら平静を装うギーシュ。
しかし、その言葉の端々から押さえきれない怒りと困惑がにじみ出ていた。
それに対して、才人はそれには答えずに店主に駆け寄り、安否を確かめる。
しかし、店主の首はありえない角度に折れ曲がり、理不尽な暴力を理解できないという形で見開かれた目からは既に輝きが失われていたのだった。

「――どうやら、君は貴族に対する礼儀というものを知らないらしい」

幾度もの問いかけを全て無視されたギーシュの言葉が変化する。
唯の平民に侮辱された上、彼の自慢の種を傷つけられたのだ。
ここで引けば、彼の貴族としてのプライドが許さない――たとえ人を殺してしまったとしても。
彼にとって、貴族としてのプライドは平民一人の命よりも遥かに重いものだった。
故にギーシュは貴族としての誇りをかけて引くわけには行かない。

「見たところ、君は剣士のようだね。ならばかかってきたまえ」

決闘で教育してあげよう!――そうギーシュは言い放つ。
彼女を「怖がらせる要因」である平民の剣士を何人か叩きのめせればそれで良い筈だった。
――それならば、目の前で貴族たる自分に公然と反抗する剣士の存在はちょうどいい。
彼のゴーレムを傷つけたことと併せて、討ち果たしてしまえばいい。
怒りと貴族としての見栄、そして殺人という人生で初めての経験で混乱し、周囲の見えなくなっている彼の思考は既に道徳を捨て去り、いかにこの場での保身を考えるか、という段階に到達していたのだ。
そして、彼がその選択をとった背景には傍で自身を思慕の眼差しで見ているケティの姿があったことも原因だった。

その言葉に反応したのか、才人は店主の遺骸をゆっくりと横たえると、背中に背負ったデルフリンガーを抜いた。
彼の脳裏には先日のモットの傲慢な姿が思い浮かぶ。
他人を平気で傷つけ、その命までをも奪って恥じない存在。
そんな連中の一端として、彼と同世代の少年が存在していることが彼には理解できなかった。
そうした思いを抱きながら才人は剣を正眼に構えると、静かに、しかし決然とした口調で言った。

「――貴族だか知んねぇけど、テメェはそんなに偉いのかよ!」

その質問に対して、さも面白そうにギーシュは笑いながら返す――否、返さざるを得なかった。
貴族である彼からすれば、それは当然のことであり――そこを否定することは貴族たる彼のプライドが許さなかった。
と、同時にそんな質問を受けたのは初めてだった。
“貴族が偉い”――というハルケギニアでのごく当たり前の常識。
その常識に疑問を持つものがいるとは――
だからこそ彼は怒りながらも笑みを作り、自身が信じる貴族という存在を誇張するようにあえて芝居がかった口調で言ってのけた。

「あぁ、当然だね。君のような平民は僕のような貴族の為の存在に過ぎない。僕は君のような無能な平民を統治するために始祖ブリミルから魔法という力を与えられた高貴な存在なんだよ――」

だが、それがいけなかったのかもしれない。

「――てめ、ふざけてんじゃねー!」

その言葉に反論したのは才人ではなかった。
才人の手に握られたデルフリンガーが吼えたのだ。
デルフリンガーもまた憤りを感じていたのだろう。

――平民だけでなく、錆びたボロ剣にまで食って掛かられる。

その言葉を聞いたギーシュはもはや付き合っていられないとばかりに、やれやれと言った感じで、「さて、おしゃべりはここまでだ――はじめよう」と告げ、薔薇を模した青銅の杖を掲げた。
その行動を受けて、才人はデルフリンガーを握り締める。
同時に握り締められた剣に反応して左手のルーンが輝きを放ち、才人の体が軽くなった。
体に震えは無い。

「相棒、あんなやつやっちめぇ!」

そう手の中のデルフリンガーが告げる。
才人の心の震えはすでに頂点に達していた――「他人の存在そのものが自身の為のもの」「他人を家畜の様に扱うことがさも当然」と言ってのける者達に対する怒りという感情によって。
その言葉に答えずに才人は目の前に立つ頭部の凹んだワルキューレを見据える。
その青銅の篭手に握られているのは先程まで使用しなかった青銅の剣。
一瞬しか現れない魔法の刃と違って、目に見える形での凶器。
しかし、その凶器を前にしても才人は引かなかった。

自らの目の前に立ちはだかるワルキューレの先には自らを絶対安全と考える「倒すべき敵」がいる。
ワルキューレが剣を振り上げ、彼を狙う動きを示した瞬間、才人は駆け出す。
ゴーレムを操作することは出来ても、それを動かすのは剣術を知らない素人のギーシュ。
その隙だらけの胴体にデルフリンガーの一撃を打ち込んだ――

青銅とはいえ、一応は鎧を模した胴体をバターの様にデルフリンガーの刀身が切り裂いていく。
通常の剣ならいくら青銅相手とはいえ、折れてしまうであろう胴体を軽々と切断する――デルフリンガーの魔力吸収能力がワルキューレを構成する魔力そのものを吸収しているのだ。
そして、返す刀で今度は袈裟斬りをかける。
四分割されたゴーレムを尻目に真なる目標をめがけて旋風のように才人は駆けた。

「ふん、やるじゃないか!」

しかし、その光景を見てもギーシュは慌てなかった。
素早く杖を振ると、才人の前に6体のワルキューレが現れる。
ドットとはいえ魔法戦闘の上位者であるギーシュは知っていた――彼の誇るワルキューレの優位性は複数ゴーレムの同時使役にあることを。
ワルキューレを1体倒したことには驚いたが、それでも複数の同時攻撃を受けては目の前の剣士に勝利は無い。
しかも、ゴーレムであるがゆえに牽制の攻撃は通じない――1体を犠牲としても、他のゴーレムが目標を討ち果たすのだ。
そんな彼の魔法戦闘の真髄を示すかのように彼のワルキューレ達は青銅の槍を構えて目の前の剣士に突撃していく。

――しかし、それが失敗だった。
才人に向かっていくワルキューレの武装は槍――しかも華美に装飾を施した先端が細まっていく刺突専用のもの。
故に、その攻撃は点。
しかし、先程のゴーレムの剣術と同様に魔法に依存した結果、武芸に秀でるとは言えないギーシュの腕ではその攻撃を担うには余りに稚拙過ぎた。

突き出されるワルキューレ達の槍を才人は斜に構えてかわし、その隙に1体目のがら空きとなった胴をデルフリンガーで切り裂く。
そのまま崩れゆくワルキューレを盾にするようにしながら、才人は突き出された槍をかわすためにしゃがみこむ。
そして、しゃがんだ勢いを生かすように、今度は大きく飛び上がりながら2体目のワルキューレを下から切り裂いた。
3体目と4体目は簡単だった。
2体目をしとめた才人を囲むように挟撃しようと左右から突撃したワルキューレ達の攻撃を才人は難なくかわした――結果、2体のワルキューレは突撃の勢いのままに互いの体に激突したのだ。
その隙に5体目を切り裂いた才人に、ただ1体、ギーシュを庇うかのように守っていた最後の1体が襲い掛かる。
しかし、それまでに複数体の襲撃を難なく回避した才人にとってはそんな直線的な攻撃は簡単に回避できるものだった。
突き出された槍そのものを無視するかのようにして、正面から才人はデルフリンガーをその6体目のワルキューレの腹に突き刺した。

そうして6体のワルキューレを無力化した才人がギーシュに迫る。
その光景とこれまで経験したことの無い、自身に迫る明確な殺意に初めてギーシュは怯えた。

「うわぁぁぁ――ぁ! ま、まいっ――」

しかし、その言葉が最後まで紡ぎ出されることはなかった。


才人はここ最近の自身を襲った不条理に怒っていた。

突如として自身を奴隷にしようとした存在。
他人の人生を狂わせることになんの躊躇も感じない存在。
そして、他人の命までも奪って恥じない存在。

そんな怒りに満ちて心を震わせる彼の耳に、目の前の貴族少年の叫ぶ言葉は入らなかった。
そして、彼はその怒りをその一撃に叩きつけたのだ。

才人は冷静に怒ったまま、下段から目の前の少年を切り上げた。
以前にも感じたことのある刃が肉を斬る感触。
同時に、むせ返るような血の臭いが嗅ぎ分けられた。

――しかし、不思議と前回の様に吐き気は襲ってこなかった。

そして、一つだけ理解したことがあった。
才人の世界には存在しなかった「貴族」という存在。
正確には在ったかも知れないが、他人を力と恐怖で支配し、傷つける存在は彼の住んでいた世界(と言っても才人は外国に行ったことなんて無い――つまり日本では)では過去の遺物であり、歴史の苦手な彼が、制度としての名称はともかく、当時の実情なんて知るはずもなかった。

しかし、今は違う。
魔法使いの居る「ファンタジー」の世界。
そこは彼の想像していた空想世界――誰もが幸せに暮らす世界――とは似ても似つかない世界だった。
彼が想像だにしていなかった差別と貧困、そして暴力に満ちた世界。
そして、「この世界」の人々は嫌々ながらも――時には命までも奪われるかもしれないのに――貴族に従っている。
貴族は自らの持つ「魔法」という力で人々を従わせている。
才人はそう理解して、こう思った。

―――気に入らねぇ。

そこにあったのは、純粋な怒り。
何故、こんな連中に皆は従わなければならないのか。

―――気に食わねぇ。

そこに、この「ファンタジー」に対する純粋な憤りが加わる。
彼の知っているファンタジーの世界では魔法使いはその魔法によって人々を助け、守っていくはずだった。
嫌なこと、筋の通らないことの嫌いな才人の思考は一つの方向に向かって収束してゆく。

―――なら、ぶっ壊そう。

彼をこの世界に呼び出したのが貴族なら。
彼に優しくしてくれる人々を苦しめるのが貴族なら。
彼が元の世界に戻る方法がないのなら。

そうして才人は一つの結論に到達し、決意する。

―――この理不尽な連中を許しておけるもんか。





「……嘘ですよね?」

ケティには目の前で起こった状況が理解できなかった。
“錬金”で作られたワルキューレが軽々と黒髪の少年によって切断され、破壊されていく。
その予想外の行動にギーシュが急遽6体のゴーレムを形成するが、それもまた一瞬の間に無力化されていく。
ギーシュの「彼女」である彼女にはその異常さが理解できた。

――ギーシュのワルキューレは単純だが、極めて厄介な魔法戦闘法である。
青銅という柔らかい金属素材で出来たゴーレムは平民の剣撃に対して、たいがいの攻撃をはじき返し、あるいはその柔軟性によって食い込んだ剣自体を折るほどの防御力を持つのだ。
そして、彼の最大のアドバンテージであるそのワルキューレによる同時攻撃。
死を恐れないゴーレムによる同時攻撃を防ぐことは遠距離から撃破しない限りほとんど不可能な筈なのだ。
平民では1体倒すのも困難なそのゴーレムを一瞬の間に、たった一本の剣を頼りに次々と打ち倒していくその少年の姿はまさに「異常」だった。
そして、その異常な存在は今まさに全てのワルキューレを破壊して、彼女の恋人たるギーシュの下へ向かっていく。

「ギーシュ様!」

そう叫んだ直後、彼女の目に映ったのは、彼女の“恋人”が“モノ”へと変化していく光景だった。
――倒れ伏したモノは彼女にとって既にそれは一人の人間でなく、赤いナニカに塗れた唯の物体としか認識できなかったのだ。
そして、そのモノの先に在ったのは彼女のギーシュをそんな存在に変えた少年の姿。

そんな光景が目に飛び込んできたにも関わらず、彼女は声を上げなかった。
――いや、正確には声が出なかったのだ。

ケティは呆然として立ちすくんでいた。
その直後、彼女は「とんっ」という軽い衝撃を背中に感じた。

「えっ……?」

突如として自分に引き戻された彼女はようやく声を上げた。
しかし、それは彼女の「彼」だったモノに対してではなく、彼女自身の体に起こった感覚に対しての疑問であった。
衝撃と共に、彼女の腹部から熱い鉄の棒が突き刺さったような感覚が生まれたのだ。
何事かと視線を自らの腹部にやった彼女の見たものは――自身の腹部から突き出た長包丁の刀身だった。

「あっ、ぁ――」

声にならないうめき声を上げながら、彼女は自らの背後を振り返えろうとした。
――しかし、彼女が最後に見たものは振りかざされる骨切り包丁とそれを振り上げる鬼気迫った顔をした店主の妻の姿だった。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施





[3967] 第7話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 22:03

 ――――――――――――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは自らの部屋に閉じこもっていた。


彼女の使い魔が姿を消してから既に半月以上が経過していた。
彼女自身による使い魔の捜索はついぞ成果を挙げることなく、無為に時間のみが過ぎていったのだ。

――そして、現在。
ルイズは一人、自室のベッドの上で膝を抱えていた。
昼間だと言うのに、貴族用の日当たりの良い筈の部屋はカーテンが閉ざされ、薄暗い。
その姿はかつての輝くような美しさとは一転して、病的なまでにやつれ、幽鬼じみた雰囲気まで醸し出し始めている。
彼女をそんな姿にした原因は、彼女の使い魔の“失踪”――少なくとも彼女には理由も無く姿を消したものとして受け止められていた――だった。

ルイズにとって、初めて召喚に成功した“使い魔”とは、二つの意味を持つ。
一つは彼女が魔法を使えるということを証明する存在であるということ。
そして、もう一つはヴァリエールの家名を貶めない――魔法学院を無事卒業する――ために絶対に必要なものだった。
そんな自らの将来を約束する筈だった、使い魔の失踪により追い詰められ、ルイズは絶望の淵に立たされていた。
故に、彼女はその薄暗い部屋の中で一人呟き続ける。
その言葉の羅列を一言で表現するならこうなるだろう。

「――どうして?」

どうして、自分は魔法が使えないのか。
どうして、自分が召喚した筈の使い魔は居なくなったのか。
どうして、自分はこんな状況に陥らなくてはならないのか。


級友の誰もが使い魔を召喚して楽しげに過ごす光景を思い浮かべて、ルイズは泣きたくなった。
希望に彩られた将来を誇示するような級友の姿の幻想に対して、彼女の現状は絶望に塗りつぶされていた。
そうした衝動に流されたのか、自然と自らの杖を取り出し、憎たらしげに眺める。

でも、……それでも諦めきれない。

絶望の中で何かに縋るようにして、おもむろに彼女は部屋のランプに対して『灯り』の魔法を唱えた。
次の瞬間、ランプの心棒部分が爆発し、その余波を受けて装飾の施された高価なランプ台全体がバラバラに吹き飛ぶ。
その破片が彼女の頬を掠め、一筋の傷を付けた。

思わず傷口を押さえた彼女の手に暖かい液体の感覚が感じられ、彼女は再び絶望の中に叩き落された。

――あぁ、コレが私に与えられた運命なのね。

頬を伝う液体の感覚に彼女は「死」というものを明確に感じた。

(……いっそ死んでしまおうかしら)

脳裏にふとそんなことを思う。
しかし、「生」への欲求がその究極の逃避への欲求から彼女を引き戻し、再び彼女を絶望へと引き戻す。
そんなことを繰り返しながら彼女はぼんやりと考え続けた。

始祖ブリミルは貴族たるメイジに魔法を与え、私にはその魔法を与えなかった。
私にあったのは、この「爆発」という能力だけ。
その瞬間、誰かから受けた屈辱が脳裏に蘇る。


『魔法も使えない、使い魔も居ないんじゃ、もう平民とおんなじだな』


平民と同じ。
仮にもトリステイン貴族の頂点に位置する筈の公爵家令嬢の私が平民と同じ。
魔法の使えない貴族はもはや貴族でもないのだろうか?

『敵に背中を向けない者』こそ貴族だと母から習ってきた彼女の理想が揺らぐ。
“メイジでなければ貴族にあらず”というトリステインでの常識が彼女の心を痛めつける。

――では、そもそも貴族とは何なのか?

そう彼女は自身に問いかけてみた。
メイジとは始祖ブリミル以来の血統と系統魔法の担い手たるもの。

では何故、メイジが貴族で居られるのか。
貴族と平民――その関係は人間の人間に対する支配関係に他ならない。
支配者としての貴族。
被支配者の平民。

ならば、その差異はどうして生じるのか?
――それは他の平民よりも強い「魔法」を使えるから。
そう、平民は貴族に「勝てないから」従っているに過ぎない。

自らの経験から、そう答えを出した彼女はさらに自問自答を繰り返す。
――ならば、支配階級としての貴族の中ではどうなのか?

強力な使い魔を召喚して使役することが出来れば優秀。
魔法の系統を足せる数が多ければ優秀。

馬鹿馬鹿しい。
それならば、弱々しい使い魔しか持たないあの学院長はどうなるのだ。
それに、様々な魔法を放てるスクウェア・メイジだって、戦闘に特化したドットに敗北することだってあるのだ。

平民が貴族に「勝てない」から従っているのに対して、貴族はその小手先の技の多さを競っている。
そう気付いた彼女は“他人が決めた尺度”の中で認められようとしていた自分が余りにも愚かに思えた。
他のメイジと違って使い魔の居ない自分。
トリステインに並ぶ者の無い公爵家の令嬢としての自分。
――他者から与えられる評価を気にして生きてきた自分が余りにも矮小に思えた。

では、被支配者である平民は暴力でメイジに「勝てない」からこそ、その支配を受けているのに対して、何故支配階層である貴族の間ではその持てる暴力によって地位を認められることはないのか。
彼女は今までに見てきた様々な貴族を思い浮かべる。
中にはどう見てもその地位に相応しくない連中も居た――というよりも大部分がそうだった。

そこでルイズは気付いた。
連中はその「実力」ではなく、「家柄」や「メイジの区分」によって自身の地位を守っているに過ぎない。
支配者階層に存在する貴族は互いにそうした尺度や規範によって互いの利益を守っているのだ。

――被支配者たる平民を、支配者階層たる貴族の魔法という力によって押さえつけながら。

そして、それは連中が既得権益を守るために作り出した規範として、このハルケギニアの「社会制度」という形を形成している――魔法の使える「貴族」社会という社会制度として。

そこまで思いを進めた彼女は絶望の中に一縷の光が射した気がした。

暗闇の中で彼女は呟く。

「――なんだ、簡単なことじゃない」

そう言って彼女は笑った。

貴族と平民の違いは、それぞれが持つ「力」によって生まれる。
権力、財力、そして地位――それら全ては根源である「暴力パワー」によって作られ、支えられている。
全ての秩序は暴力によって作られ、支えられ、壊される。
これこそがこの世界の根源的原理なのだ。

そして、貴族であるメイジの保有する暴力とはつまり魔法のことに他ならない。

――魔法を使えなくては、貴族として認められない?

否、認められない筈が無い――だって、世界は暴力で成り立っているのだから。
ならば、魔法でない「力」でも認められる筈なのだ。

私は私自身で自身の未来を切り開く。
もう誰にも――使い魔なんてものに支えられた尺度にも――頼らない。
私の力によって、実力もないのにのさばっている連中を叩き潰そう。
反抗する連中には、私の力を示せばいい――それも誰も反抗できないほどの。

――そうすれば、誰もが私を認めざるを得ないもの。

その結論にたどり着いた瞬間、ルイズはそれまで以上に笑い出した。







夕食を運んできたメイドに用意させた湯で身を清めた――彼女は一週間近く部屋から出ていなかったのだ――ルイズはゆっくりと部屋を出た。
身を清めた、と言っても数日間手入れされていなかった髪は癖が付き、肌は荒れていたが彼女は気にすることも無い。
偶に擦れ違う生徒もまた、その異様な姿と彼女の置かれた環境に顔をしかめ、誰もが彼女をまるで存在しないかのように気付かないふりをして遠ざかっていく。
そうして、人気の無いヴェストリの広場に着いた彼女は「魔法」を唱えはじめた。

初めは『ファイアー・ボール』。
――離れた壁で爆発が起き、壁に亀裂を入れる。

次は『エア・ハンマー』。
――中空の爆発地点から強力な爆風が彼女の髪を揺らす。

さらに続けざまに『錬金』を唱える。
標的としたのは広場中央にある大きな石造りの噴水塔。
――その噴水塔が内側から弾けた様に粉砕され、爆風と共に周囲に石の破片を撒き散らした。

それを確認した彼女の口元に小さな笑みが浮かぶ。
小さな破片を受けたのか、額に切り傷を作ったルイズだったが、彼女はそれを気にするでもなく、新たな“標的”を探す。
彼女の目に留まったのは、粉砕された噴水塔に居たとおぼしき一匹のカエルだった。

――そして、その系統魔法の最後の一つを唱え終えた時、彼女は心の底から笑い出したのだった。




モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは彼女の「彼」を探していた。
金髪の立てロールにそばかすの浮いた顔を持つこの少女は、他国から「嫉妬深い」と評されるトリステイン貴族の評価に恥じない行動を起こしていた。

「まったく、どこに行ったのかしら」

彼女はそう呟きながら、彼女は学院中を巡っていた。
その嫉妬の原因――彼女の彼氏であるギーシュ・ド・グラモンと、彼女が密会相手だと見当を付けたケティ・ド・ラ・ロッタの不在は、彼女の精神に強烈な打撃を与え、それは不機嫌という形で彼女の態度に表出しているのだ。
その傾向は現在も尚、続いている。
いや、夜になっても二人が部屋に帰ってこないという事情によって、より強化されていた。

そんな時、一瞬自らの使い魔からの視界が開け、消えた。
ほんの一瞬だけ見えた光景は魔法学院の中庭の一つであるヴェストリの広場のものだった。

「えっ?」

――ロビンに何か起こったの?
その視界を目撃したモンモランシーの心の中には不安とも焦燥とも言えない感情が沸き起こっていた。
そして、彼女はギーシュの居そうな秘密のデートスポット巡りをしていた足を止め、脳裏に映し出された映像を元に、自らの使い魔の居場所へと向かって駆け出した。


息も荒くヴェストリの広場に到着した彼女が見たものは、まるで内側から爆発したようにバラバラになった自らの使い魔と、その変わり果てた使い魔の姿の傍にクスクスと笑いながら立つクラスメイトの少女の姿だった。
しかし、自らの使い魔を発見した彼女はそんな少女のことを気にする余裕もなく、自らの使い魔に走り寄る。

「ロ、ビ…ン?」

自らの使い魔の「残骸」に跪きつつ、その現実の衝撃を受け入れたくないとでも言うかのように呼びかけるモンモランシーのその姿を眺めながら、傍らに立つ少女はさも面白そうに言葉を投げかけた。

「あら、ごめんなさい。アレ、あなたの使い魔だったの――?」

――私、カエルが嫌いなのよね。
そう顔に笑みを貼り付けつつ、少女は言葉を継いでいく。

「そう。なら新しく召喚しなおせば良いじゃない――『洪水』のモンモランシー?」

その言葉にモンモランシーは「残骸」から顔を上げ、その声の主を見上げる。

彼女の二つ名は『香水』である。
それをその声はあえて間違えて見せた。
さらに、目の前の少女は笑いながら「――『ゼロ』の私とは違うんでしょ?」と続ける。

「アナタ――!」

そう言ってモンモランシーは激高しながら立ち上がった。
しかし、彼女の剣幕を受けても、そのルイズの顔色は変わらない。

「どうしたのかしら?モンモランシー?」

何か問題でもあるの?と言わんばかりの態度を示す少女の姿。
そんなルイズにさらに興奮したモンモランシーは怒気を大量に含めながら問い詰めた。

「どうして!? どうしてロビンを殺したの!」

学院内にはメイジたる学生が召喚した様々な使い魔が暮らしている。
それは巨大な竜からロビンの様なありふれた生き物まで召喚主たるメイジの特性に合わせて多彩だった。
魔法学院の学生はそんな事情を考慮しなければならない筈だった。

しかし、ルイズは自らの行いを悪びれる様子も無い。
にらみ続けるモンモランシーの姿をしばらく見つめ続けた後、ようやく理解したかのように言葉を発する。

「へぇ、憎いんだ?」

そう茶化すように言った後、ルイズは自らの使い魔を失った少女に向けて驚くべき言葉を投げかけた。

「なら、決闘しましょう――わたしと」

モンモランシーの忍耐も限界だった。
決闘は魔法学院の規則で禁じられているが、元来、負けず嫌いな性質である彼女はここまで言われて黙って引き下がるなんてことは出来なかった。

相手は魔法の使えない『ゼロ』のルイズ。
そんな相手が自ら決闘まで持ち出して、彼女を挑発している。

そんなことは彼女のプライドが許さない――!

ロビンの仇も含めて、目の前の少女を後悔させてやる。
そう決意したモンモランシーの前で決闘を持ちかけたルイズは何が楽しいのか、クスクスと笑い続けている。

「ええ、受けて立つわ!」

思わず、感情的にその決闘を受けるとモンモランシーは宣言した。
しかし、その言葉に対しても余裕を崩さない異様な姿に若干の気味悪さを彼女は感じた。
それでも、魔法の使えない『ゼロ』のルイズが何を出来るというのか。
改めて気を取り直したモンモランシーは自身の魔法詠唱に集中しようとして――

「――遅いわ」

その声の直後、彼女の掲げた杖が手の中で弾け飛んだ。


「―――えっ、」

モンモランシーは何が起こったのか理解できなかった。
彼女が魔法を唱えようとした瞬間、自身の杖が弾け飛んだのだ。

――当然、握っていた手の指を巻き添えにして。

激痛に耐えながら負傷した右手を抱え込んで、跪く様な姿勢のまま、彼女は恐怖した――今まで経験したことのない痛みに。
しかし、真の恐怖はすぐ傍に迫っていた。

「怪我をしてるじゃない――大丈夫、わたしが『癒して』あげるわ」

そうクスクスと笑いながら彼女に迫る存在。
傷みよりも、その“存在”に恐怖したモンモランシーは声を上げようとした。

「ま、待っ――」

「――『治癒ヒール』」

しかし、その言葉を言い終える前にルイズが杖を振り下ろした。
そして、目の前の「少女」がそれを唱えた瞬間、彼女の右手――肘から先――が弾ける様にして“爆発”した。

「―――ぁ、―――っ!」

激痛と理解不能な現象――そして自らの顔に降りかかった自身の血液を前にしてモンモランシーはパニックに陥り、同時に声にならない絶叫を上げた。

それでも彼女は本能に従って、ルイズの前から逃げ出した。
……今にも狂わんばかりの痛みに苛まれつつ無残にも弾け飛び、肘から先の無い右手を抱えながら。

このときの彼女の脳裏を占めていたのは唯一つ――恐怖からの逃亡だった。
一秒でも早く、一歩でも遠くあの“少女”の傍から逃げ出したかった。
数秒――彼女にとってはその何倍もの時間に感じられた――後、彼女の耳に笑う少女の声が聞こえた。

「あら、どこに行くの――決闘はまだ終わってないわよ」

その声と共に足元でナニカが爆発する感覚と共にモンモランシーは倒れこんだ。
必死で起き上がろうとするが、何故か立ち上がることが出来ない。
彼女は首を回して自身の下半身を見つめ――自身の足がありえない方向に折れ曲がっているのに気付いた。
そして、彼女の視界にはゆっくりと彼女に歩み寄る少女の姿が映る。

「ひ―――! ぁ、―――た、たす、ケ――て」

初めは恐怖から、そして後半は本能から来る言葉だった。
特に後半部は半ば裏返った様な声で、本当に通じたのかも分からない。
そんな彼女の必死の声を聞いた少女は心底楽しそうに、告げた。

「ダメよ。――『参った』って言わないと、決闘は終わらないんだから」

そう言いながら、ルイズは次の呪文を紡ぐ。
紡がれた呪文は『治癒』。

――そして、決闘は事実上、終わりを告げた。





かつての級友の成れの果て、となったモノを眺めながら、彼女は心の底から来る嬉しさを抑え切れなかった。
『ゼロ』と呼ばれ続けた彼女が人生で初めて自覚した「力」。
そして、彼女の力は無力では無い――むしろ、貴族の権力の根源たる魔法すらも圧倒することを証明できたのだ。


『――絶望に打ちひしがれる者に、その運命を受け入れさせてしまえば、後に残るのは「無意味」か「死」のどちらかしかない』

それは召喚に失敗したルイズを目にしたコルベールが危惧した彼女の将来の姿だった。

しかし、ハルキゲニアの社会制度という戦場で絶望の淵に居た少女は狂うことで自身の存在を無意味化することも、死を望むことも無かった。
絶望という無形の暴力に晒されながらも、彼女は「生」を望んだのだ。
彼女が生きる限り存在し続ける、このハルケギニアという戦場で生き延びる為には何が必要なのか。
その回答を彼女は導き出した。
――そう、答えは常に傍にあったのだ。

そんな絶望の中で射した一筋の希望の光――そして、少女はその光に縋りついた。
絶望が深ければ深いほど、人は最初に見つけた光に縋り付こうとし、さらにその欲求は強くなる。
暗い闇の真っ只中にいた彼女に射した光は、今まさに彼女の眼前の光景と共にその強さを増し、彼女を導くものとなっていったのだ。

内側から弾けた様な赤黒い残骸を見つめながら、彼女は改めて決意する。
力の無い貴族連中が作り上げたこのハルケギニアの社会制度は私を認めることはない。
ならば――私の存在を認めさせる新しい社会制度せかいを作ってしまえばいい。

――そう、私は私の為の世界を作り上げてみせよう。
この、私の「力」によって。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第8話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 22:09

 ――――――――――――広い草原の中を走る街道をゆっくりと馬車が進んでいる。


平賀才人はシエスタの故郷、タルブ村に向かっていた。
自らの不貞を隠そうとしたモット伯の時とは違い、さすがに魔法学院の生徒を殺害したことによって、才人がトリスタニアで自由に活動することは不可能になると予想された結果だった。

事件直後に才人の行動をシエスタから聞いたジェシカは才人の部屋となっていた屋根裏部屋で言った。

「これからのことなんだけど――」

その言葉を聞いた瞬間、才人は追い出されることを覚悟した。
あれだけのことを仕出かした自分が居れば、『魅惑の妖精』亭に迷惑がかかる。
場合によっては自身が衛士に突き出される可能性すらある。

――才人としては、もしそうなれば大人しく従うつもりだった。
彼は自身の力で自分を助けてくれた人達を傷つける気には到底なれなかったのである。


「……トさん、聞いてます?」

そんな思いにふける才人を呼ぶ声が聞こえた。

「もう! 大事な話って言ったじゃないですかっ! ちゃんと聞いてましたか?」

そうシエスタが怒気を含めた声で言った。
その勢いに少し圧倒されながら、才人は素直に謝った。

「ごめん、なんだっけ?」

「ですから――」

「あんたには今すぐにこの『魅惑の妖精』亭から出て行ってもらうってことよ」

そう続けようとしたシエスタを遮ってジェシカが言葉を継いだ。
覚悟していたとは言え、その言葉に才人は衝撃を受けた。
当然の対応、いやむしろ衛士に突き出されないだけマシかもしれない。


「そっか。……迷惑ばっかりかけてたけど、今までお世話になりました」

そう言って才人は『魅惑の妖精』亭を出て行こうとした。
そんな彼の姿を見て、慌ててシエスタが彼を呼び止めた。

「ちょっと! 一体どこに行くんですか?」

「えっ?」

困惑した表情を浮かべた二人――才人の行動に驚いたシエスタと、呼び止められた理由の分からない才人――の様子を眺めていたジェシカが突然笑い出した。

「あんた、やっぱり話を聞いてなかったでしょう――」

そう言ってケラケラと笑うジェシカ。
しばらく笑った後、彼女は話の内容を再び才人に告げたのだった。






――空は快晴、気温は少々高いがそれでも時折吹く風によってむしろ爽やかさを感じさせる。
そして、路面の凹凸によって生じる周期的な振動が人を眠りに誘う……筈だった。

しかし才人は荷台を覆う帆布の下で泣きそうになりながら鼻を摘んでいた。
才人の隣には大きな壷が複数あった――というよりも才人を囲うように壷が配置されていたと言うのが正しい。
中身は農村で使われる肥料――すなわち人間の糞尿だった。

トリステインで人糞が肥料として使われる様になったのはここ50年程のことであった。
それまでは連作によって土地が不作になると、農民は土のメイジに頭を下げ、高額の金銭と引き換えに土壌改良を頼み込む以外に手段はなかった。
しかし、50年程前にトリステイン南部から人糞を肥料として使用する方法が広まり、人糞の需要が農村の供給量を越えると、都市で発生した人糞を運んで売る商売が成り立つ――当然そのコストは貴族の魔法に頼るよりもはるかに安い――こととなったのだった。

無論、王都であるトリスタニアには下水道がある。
しかし、下水道は専ら貴族の館の為に存在するものであり、トリスタニアの住民の大部分を占める平民用にそんな設備がある筈もない。
よってトリスタニアから周辺の農村に肥料として大量の人糞が搬出されるということは都市の住人からすれば一石二鳥であり、日常のごく自然な光景――むろん余り近付きたい代物ではないが――となっていたのであった。

そんな輸送馬車の荷台に才人は忍んでいた。
当然、それを手配したのは『魅惑の妖精』亭の実質的な経営者であるジェシカであり、隠れる方法を指示したのはシエスタであった。
そうして王都から西部に向かう街道を進む輸送馬車は、その臭いに辟易した衛士によっておざなりな――事件が未だに発覚していないということもあったが――検問を受けつつも、無事に通過することが出来たのだ。


「サイトさん、もう外に出ても大丈夫ですよ」

出発してから数時間後、そう告げるシエスタの声を心底ありがたく感じながら才人は潜んでいた帆布を捲って外に出た。
才人には生き生きとした周囲の風景が荷台の臭いを隠してくれるような気がして大きく深呼吸しようとし、現実に引き戻されて止める、といった事態もあったが、トリスタニアからの脱出は無事に成功したのだった。


そうして才人は丸1日も馬車に揺られていた。

シエスタと荷馬車の御者が料理と寝床を作る間に才人は焚き火に使う枯れ枝を捜していた。
暗さを増し始めた森の中で才人は枯れ枝を拾い集めながら背中に背負ったデルフリンガーに尋ねてみた。

「なぁデルフ――俺、皆にこんなに世話になってばかりで良いのかな?」

その声色にはこれからの将来に関する不安と現状に対する申し訳なさが過分に含まれていた。

「だからと言って、今の相棒は傭兵なんかにはなりたくはねーだろ?傭兵なんて貴族の下っ端みてーなもんだからよ」

その質問に対して、他に道がねーんだから仕方ねーよ、と笑うデルフリンガー。
ハルケギニアで傭兵を雇えるほどの存在は少数の例外を除けば貴族でしかない。
過去の経歴は問われない傭兵ならば才人が自活していくことも可能かも知れないが、少なくとも才人自身に貴族の手下になる気はない。
結果として、彼としてはジェシカとシエスタの厚意に従うしかないというのが現状だったのだ。

そっか、と答える才人の声を聞きながら、デルフリンガーは内心で思う。

(……それに、あのメイドっ娘や看板っ娘は何か隠してる感じだったがね)

そうデルフリンガーは感じていたが、それに気付いていない才人に言う気にはならなかった。
――言ったところで何の解決にもならないし、確証も無いただの勘に過ぎないのだから。




「サイトさん、村が見えましたよ」

そう御者の隣に座るシエスタが大きな声で言った。
その声に反応して、馬車の荷台に後ろ向きに座っていた才人は首をめぐらせてタルブ村を眺めた。
トリステイン王国南西部に位置するタルブ村は周囲を大きな草原に囲まれた村であった。

村の特産品はワイン。
周囲を森で囲まれた草原地帯の真ん中に広大な葡萄畑と小麦畑、それに野菜を作るための畑が混在している。
そして、人家の密集した中心地近くには採れた葡萄をワインに加工するための醸造所がちょうどランドマークとなっていた。
しかし、何処からどう見ても西洋風にしか見えない村なのに才人には何処か懐かしく感じられた。
それは野菜の植え方や用水路の配置のような目立たない部分であったが、何処と無く才人が子供の頃に帰省した田舎を思わせたのだった。

タルブ村に到着した才人がまず初めに案内されたのは村の名所となっている寺院だった。

「私のひいおじいちゃんが『竜の羽衣』を祭るために建てた寺院なんです」

――最も誰もこれが空を飛ぶところは見たことないんですけどね。
そう言って、シエスタは寺院にしては大きな扉の横にある人間用の扉を開いて才人に入るよう促した。

そこに鎮座していたのは一機の航空機だった。
深緑色に塗られた機体上面と側面。
機体下部は薄青色に塗られ、飛行中の地上からの判別を困難にしている。
三枚羽のプロペラを備えた機首のエンジンカウルには所属部隊を示すものと思しき大きく「辰」の文字。
幅の広い大きな主翼からはその機体が戦闘用航空機であることを示すかの様に機関砲の砲身が突き出していた。

―――零式艦上戦闘機。

才人が生まれるおよそ50年前に採用された日本の海軍主力戦闘機。
世界最強と言われた開戦時の栄光に包まれた時代から、僅か4年でカミカゼという敗北の象徴となった機体。

その機体が確かに才人の目の前に存在していた。
それは才人の生きていた“時代”から半世紀以上も前の存在であったが、確かに才人の“世界”の存在だった。

「ゼロ戦だ――」

重く、押し出すように呟かれたその言葉は、才人が静かに興奮していることを示していた。
そして同時にこのゼロ戦のパイロットであったシエスタの曽祖父が帰れなかった、ということを実感させるものでもあったのだ。

「ぜろせん、ですか?」

聞きなれない言葉に思わずシエスタが聞きなおす。
その言葉に答えずに才人は目の前のゼロ戦を食い入るように見つめながら、大きな声でシエスタに尋ねた。

「シエスタ!」

「はい――なんですか?」

突然大きな声で呼ばれた彼女は少し驚きながらも答える。
そして、才人の出した質問は彼女を当惑させることになる。

「――シエスタのひいおじいさんの残したものってほかに無い?」




才人がまず案内されたのはハルケギニアには珍しい――才人に分かる筈もないが――長方形っぽい形の大きな石を立てた墓だった。
そして、その表面に刻まれた墓碑銘にはこう記されていた。

―――海軍少尉 佐々木武雄 異界ニ眠ル

才人はその墓碑銘を読んで、自身と同様に召喚されたシエスタの曽祖父が元の世界に帰れなかったことを実感した。
村の雰囲気やシエスタの容姿に何処か懐かしさを覚えたこともこれで説明が付く。

「なぁシエスタ、その髪と目、ひいおじいちゃん似って言われただろ?」

その事実に驚きながらもシエスタは曽祖父の遺品を示すために彼女の家へと案内してくれた。
そして、彼女は遺品を示しながら、言った。

「ひいおじいちゃんの残したものは『竜の羽衣』を除けば、ここにある変なメガネとこの変な銃、それに誰も読めない日記と、あとは――」

そこで一端、彼女の言葉が途切れる。

――これ以上先を言ってしまっても良いのだろうか。

もうこれを知ってしまえば彼は後には引けなくなる。
私達も彼を野放しに出来なくなる。
最悪の場合、目の前の少年を殺してでも、秘密は守られなくてはならない。

「あとは、何が残ってるんだ?」

彼女の言葉の先を求めて才人が尋ねる。
その言葉には何かに縋るような色があった。
そして、その目にはもう引けない、貴族の存在によって全てを失った少年の思いが凝縮されていた。
そうして彼女は意を決したようにゆっくりと言葉を紡いだ。

「このことを聞いてしまえば、もう後には引けません。それに貴族に命を狙われることになるかも知れません――その覚悟はありますか?」

「……俺はこの世界の貴族とかって連中のせいで勝手に召喚されたうえに使い魔とやらに仕立て上げられて、おまけに帰る方法もないと言われた。それに、そんな境遇の俺を助けてくれる皆を傷つけたり力で従わせたりする連中を俺は許せねえ。それに俺、決めたんだ――」

そう才人は言って金髪の少年貴族を斬り裂いた時の決意を思い出す。
魔法とかいうファンタジーの世界の癖に才人の居た世界以上に理不尽な世界。
そんな連中、そんな世界が許せない。

“―――この理不尽な連中を許しておけるもんか”

その思いを改めて口にする。

「あの貴族だからと言って平然と他人を傷つける奴らをぶっ倒して見せるって――」


その答えを聞いたシエスタは仕方ありませんね、と言った様子で目を閉じてゆっくりと息を吐いた。
そしてはっきりとした声で才人に言った。

「――コミン・テルン」


「こみん…てるん?」

聞きなれない単語に今度は才人がその言葉を反芻する。
それに対してシエスタは先程までの重々しさとは一転して解説するかのように説明調で言った。

「ええ、私のひいおじいちゃんが作った組織なんです」



「――ひいおじいちゃんが人間は生まれながらにして平等だ!って言ったときは誰もが驚いたそうですよ。誰もが生まれる前から貴族こそが偉くて、私達平民は絶対に敵わないんだって信じてたんですから」

そう語るシエスタの目が輝いている。
おそらくはその言葉の意味を理解したときの感動を思い出しているのだろう。

「人間は生まれながらに自由になる権利と自由に関わる権利があって――」

シエスタの思い出話は続く。

「わたし、神さまも、始祖ブリミルも、王さまも何も信じていないけど……ひいおじいいちゃんのその言葉――その理想だけは信じています」

そして、そんな説明を聞きながら、才人はシエスタの曽祖父の墓碑銘に刻まれたもう一つの言葉についても理解した。
苔の生えた墓碑銘の左下にはひっそりとこう刻まれていた。

―――革命、未ダ成ラズ。






魔法学院の生徒二人の行方が分からなくなってから二日後、王都の下水道で無残な状態になった遺骸が発見された。
そして、その直後からトリスタニアでの警戒と犯人の捜索が始まった。

特に犯人の捜索は昼夜問わず熾烈に行なわれ――貴族としての尊厳の核心に関わることであったのだ――貴族に指揮された衛士が無理矢理に民家に押し入っては家捜しを始めるという状況であった。
ある捜索隊を指揮する下級貴族は食事時の料理屋にずかずかと入り込み、風の魔法で店内をぐちゃぐちゃにかき回してして客と店主を威圧してから捜索を行なわせた。
またある貴族は捜索の成果が上がらないと、八つ当たり気味に平然と平民の家や家具を壊すなどの狼藉を行なっていた。

その一方で実際に捜索を担当する平民の衛士の士気は低い。
貴族に使いまわされる彼らからすれば、同じ平民の家をかき乱すような行為が好ましい筈もない。
その結果として捜索の成果は上がらないという結果に終わる。
さらに、捜索を受けた平民の大半がその横暴ぶりによって非協力的になるという悪循環すら生んでしまっていたのだった。
そして、貴族のその様な振る舞いによって蓄積した不満は、ある不幸な事件によって暴発することとなる。


――トリステインで平民による革命が始まろうとしていた。





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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


この作品は本来、原作をちょっと深刻かつ現実的に捉えてみよう、という発想から生まれたものなのですが、書いていく間に興が乗って調子に乗ってたら、いつの間にか暴走して元キャラが壊れていく形になってしまいました……。
よって、各キャラのファンの皆様(特にギーシュとその彼女方のファンの方)にお詫び申し上げます。
当初予定ではこんなにスプラッタになるはずじゃなかったのにw
……ああ、ほのぼのとした話が書きたい(汗)


「コミン・テルン」について。
 原作にある、貴族による革命組織「レコン・キスタ」(本来ならレ・コンキスタなのに…詳しくは原作wikiを参照して下さい)が良いのなら、同じ節で発音できる「コミン・テルン」も良いんじゃね?ということで勝手に平民による革命組織の組織名にしちゃいました。勿論モチーフは世界的な共産主義者の国際的連帯を謳った第三インターナショナルの別名であるコミンテルンです。
この作品ではシエスタの曽祖父、佐々木武雄海軍少尉は学徒出陣で動員されたインテリという設定となっています。インテリであるが故に大学で当時禁止されていた自由主義・共産主義思想に嵌ってしまい、果ては召喚されたハルキゲニアの貴族制度の酷さにあきれ果て、平民の解放と平等な社会を作ることを目指した秘密組織を作るに至った、というムダ設定が付いてますw(厳密には共産主義思想は資本主義社会が行き着く先に発生するものなので、コミン・テルンは自由主義革命を目指す組織ということになります)


09/01/05追記。
共産主義と自由主義について。
資本主義と自由主義を混同されている方が居られるようなので解説をば。
共産主義革命は自由主義革命の一種です。自由主義革命は中世的な貴族階級(特権階級)という身分による統治制度から人間を解放するというものであり、「国家からの自由(自由権)」と「政治への参加の自由(参政権)」を求めたものです。
 資本主義思想は自由主義革命によって保証された「財産権(個人の財産の保証)」の末に生産の為の資本を持つ資本家と何も持たない労働者という階級を生み出しました。共産主義思想(本来のマルクス思想)はその自由主義思想から発展した資本主義思想の矛盾を解決するために誕生したもので、貴族などの特権階級が無くなっても(存在している場合もあります)、資本家と労働者という階級闘争が発生していることに対する矛盾の解決として、資本の共有(国家所有―私有財産の否定)を目指して発生した思想だと私は理解しています。(専ら使われる「共産主義」とはレーニンによって改変された「マルクス・レーニン主義」や「スターリン主義」的なイメージを持っておられるかと思います)
 よって共産主義も資本主義も元をたどれば自由主義思想に端を発したものであるとの認識でこの作品は描かれています。(つまり、先に階級からの自由を求める自由主義革命ありきで、資本からの自由を求める共産主義革命が発生する、ということとなります―――これ以上はこれから先の展開に関わるのでご容赦下さい)


10/08/07
二回目の改定を実施



[3967] 第9話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 22:12

 ――――――――――――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは馬車に揺られていた。


しかし、その心にかつての絶望は無い。
むしろ希望の光に満ち溢れていると言うべきだろうか。
車窓から差し込む初夏の日差しを浴びながら、彼女は自らの進むべき道について思いを馳せていたのだった。


あの“決闘”の後、彼女が罪に問われることは無かった。
何故なら、モンモランシーの死因と彼女の「力」との因果関係を誰も立証出来なかったためである。
それは当然かも知れない。
魔法学院の教員ですら誰も“体の内側から弾けた様な遺骸”を作り出す魔法など知らなかったのだから。

そして、最大の決め手となったのは、ルイズは「魔法」が使えないとされていた事だった。

『「魔法」の使えない彼女が手を触れずにあのような形で人間を殺せるはずが無い――』

そんなメイジとしての常識が結果として彼女を守ることとなった。

事件翌日、教員達によって行なわれたルイズに対する喚問の際の彼女の行動もまた周囲を煙に巻くものだった。
乱れた服装と髪のまま学院長室に現れた彼女は、まるで周囲の全てが――学院長や教員達を含めて――まるでくだらない物を見るかのような態度で過ごしたのだった。

――いや、実際に彼女にとってはくだらないものだったのだ。
この場に居ることも、教養を重視した魔法学院の授業も、そして彼女が殺めた少女の存在もまた、彼女にとっては取るに足らない出来事に過ぎないと感じられた。
しかし同時に彼女の高度な知性はフル回転を続けていた。
誰も信用せず、誰にも油断しない。
そんな彼女が自らを処断しようとする目の前の連中に隙を見せる筈も無かったのだ。

そうした彼女の行動に、その場に居た教師全員が気味悪さを覚えた。
自身の常識と相反する思想を持った異形の者に対する恐れと言っても良いかも知れない。
同時にハルケギニアの身分秩序に囚われた彼らは公爵家令嬢に対して遠慮せざるを得なかったという点もあった。
その結果として喚問は成果を挙げぬまま流会となったのだった。

「……コルベール君が居てくれたらのう」

学院長室で一人、そうオールド・オスマンは呟く。
唯の教育者・人格者としてだけでなく、おそらく彼が隠し通そうとしている経歴を持った彼の視点からならば、ルイズの変調や「魔法」について何か答えを出せていたかもしれない――特に彼は貴族としての権威よりも教育者としての人徳を多く持った人間だったのだから。

しかし、彼は先日から休暇届を出して何処かに出かけていた――おそらく新しい研究の為の調査か何かに出かけたのだろう。
「肝心な時に居ないんじゃから」と学院長として口には出しながらも、個人として内心では居なくて良かったとも思っていた。

――人を生かす為に教育者となった彼がこの事態を知ればどれだけ後悔することだろうか。

そんなことを思い至りながら、オスマンとしてはおそらくルイズがこの“事件”を引き起こしたのだろう、という確信があった。
しかし、彼はルイズを罪には問えなかった――なにしろ具体的な証拠が何も無いのだ。

状況証拠だけならいくらでもある。

ヴェストリの広場に向かうルイズの姿を目撃した学生の証言と、同じく現場に向かったモンモランシーについての証言。
広場のほうから自室に向かうルイズの姿を目撃した生徒の存在。
そして何より、ルイズの異変。

彼女がこの“事件”に関わっていたのはおそらく間違いない。

しかし、そんな状況証拠だけで「あの」ヴァリエール公爵家令嬢を犯人であると決め付けたところで誰も彼女を罰することはできないだろう――特に今代のヴァリエール公爵は子煩悩で知られていたのだから、明確な証拠も無く娘を犯人扱いされることを許しはしない。

当然、現状のままでは彼女が罪に問われることも無いだろうし、我々にはこれ以上出来ることもない。

(――本来なら貴族の金蔓から子弟の教育費用としての金を集める算段をしていれば良かった筈なのじゃが)

そう思い悩むオスマンに更なる問題が突きつけられた。
「失礼します」と入室した彼の秘書、ミス・ロングビルが報告した。

「――生徒が二名、昨日から行方が分からなくなっているそうです」







最終的にルイズは「自主退学」という形となった。

無論、“事件”に対する処分ではない。
彼女に与えられたのは「使い魔との契約不十分」による2年生への進級の不許可、すなわち「留年」か「自主退学」という選択肢だった。
つまり、学院側としては全てをうやむやのままに終わらせようとしたのだった。
……原因不明の生徒変死事件として。

学院側から提示された選択肢のうち、ルイズは迷うことなく自主退学の道を選んだ。
それは彼女にとって当然の選択だった。
彼女はもはや魔法学院に何の価値も感じていないのだから。

その一方で、彼女の実家であるヴァリエール公爵家も彼女の将来について手を打っていた。
彼女の自主退学と同時に、彼女を許婚であるワルド子爵のもとに預けることとしたのだ。
故に、彼女の乗った馬車はヴァリエール公爵領ではなく、彼女の婚約者であるワルド子爵領へと向かっていた。

彼女の父であるヴァリエール公爵としては、直ちに実家に戻すよりも彼女の気持ちが落ち着いてから会うことを期待していたのかも知れない。
しかし、そんな親心は当のルイズには逆に受け取られた。

――すなわち、彼女の家族もまた、彼女を遠ざけておこうとしている、と。





彼女の婚約者であるジャック・フランシス・ド・ワルド子爵は若くして王室守護の任を持つ魔法衛士隊のうちの一隊――グリフォン隊――の隊長に任命されるほど優秀な男であった。
彼の所領はトリステイン北部、ゲルマニアとの国境付近を所領とするヴァリエール公爵領の南東に接する位置に存在し、ヴァリエール家とは比較的近い仲であったと言える。
しかし、ルイズの実家であるヴァリエール公爵家とワルド子爵家との婚約を巡っては余りにも不釣合いな婚約だと見られていた……少なくとも今までは。

その理由としては、いくら三女とは言え、公爵家――しかも男子の直系が存在しない――の婚約者として、子爵というのはあまりに相手として位階、すなわち家の格式が低いということだった。
と言うのも、トリステイン王国での位階制度(貴族階級区分)としては公爵を筆頭に――クルデンホルフ大公国のように大公爵という階級も存在するが、事実上の独立国であるために例外――侯爵、その下に伯爵、次いで子爵、男爵、準男爵、さらにその下に所領を持たない「シュヴァリエ」に代表される騎士爵という階級と定められていた。
すなわち、彼女の実家である公爵家からすれば三階級も格下な家であったのだ。
さらに問題となったのはワルド子爵家の所領である。

ワルド子爵家の所領は1100戸余りだった。
その所領1100戸余りというのは、子爵として見るならまずまずと言う範疇であるが、3万戸を超える所領を持つヴァリエール公爵家の30分の1程度でしかない。

……考えてみて頂きたい。
いかな末娘とは言え、自分の家の30分の1の財産しかなく三階級も格下の家に嫁ぎを出すのはあまりにバランスが悪すぎる。
その上、今代ヴァリエール家の子息は娘が三人だけ。
末娘であるルイズの上には、いささか行き遅れの感がある長女エレオノールや病弱な次女カトレア――おまけに自家を興しているため公爵家の継承権は消滅している――がいるのみであった。

トリステインで男爵以上の位階を持てるのは男性のみであることを考えれば、ルイズの婚約者は次期ヴァリエール公爵家頭首となってもおかしくない筈なのである。
次期ヴァリエール公爵ともなれば、トリステイン王国の中でもかなりの政治権力を手にすることとなる。
その可能性を秘めた者がただの子爵、しかもルイズとは10歳近く年の離れた男であると言うのは異常であり、婚約決定の時から政治的問題とすらなっていたのだった。

そんな結婚を後押ししたのはヴァリエール公爵夫人、カリーヌ・ド・デジレであった。
公爵夫人――前マンティコア隊隊長「烈風のカリン」は、両親を早くに失った青年に過ぎなかった新人グリフォン隊隊員の才能を見抜いていた。
そして、そのトリステイン最強と呼ばれた風のスクウェアの強力な後押しによって、ルイズとワルドとの婚約が決定されたという事情があったのだ。

――しかし、今、こうした過去の長いいきさつを問題にする者は居ない。

当然だろう。
名誉を重んじる貴族として、いかな公爵家三女と言っても、「魔法学院中退」という経歴を持つ少女を好んで受け入れる者がどこに居るのだろうか――

仮にルイズを受け入れる者が居たとしても、魔法の使えない――と見做されていたルイズの血統からではその子孫までもがメイジとしては望み薄となるだろう。
トリステインでは魔法の才能はその先天的資質――如いては血統的な資質に頼るものであると考えられていたのだから。

すなわち、公爵家に一時の恩を売る代わりに後代のメイジとしての地位をすべて失ってしまう可能性すら存在するのである。
いわんや特にメイジとしての血統を重んじるトリステインにおいては、彼女を好んで迎える家があろう筈もない。
そんな周囲の風潮の中で、彼女の自主退学を聞いた周囲の貴族たちからはこう見られていた。

――すなわち、ワルド子爵は「ババ」を引かされたのだ、と。





「久しぶりだな! ルイズ、僕のルイズ!」

ワルド子爵家の今代当主、ジャック・フランシス・ド・ワルドはそう言いながら、到着したルイズを出迎えた。
その顔には心からの笑顔が浮かび、走り寄らんばかりの勢いで彼女の傍に向かってくる。
その姿を一瞥した後、ルイズはゆっくりと馬車から降りて、答える。

「――お久しぶりでございます、ワルド様」

そう言って彼女は顔を上げ、目の前に居る自らの婚約者の姿を見つめながら思う。

(この男の目的は何だろう――?)

いくら許婚とは言っても、彼女としては現在のトリステインでの価値基準の中で今の自分にそれほど価値があるとは思えなかった。
魔法学院で「ゼロ」と呼ばれた存在。
表向きは負の価値になりさえこそすれ、決して評価されない称号のはずだった。
――そして、唯一彼女が価値在るものと認めた彼女の「力」については彼女しか知らない。
そんな中、わざわざ休暇まで取って自邸で彼女を出迎えてくる存在。

彼女はトリステイン王国の常識からすれば、ワルドにとっても彼女はむしろ邪魔な存在の筈だった。
それなのに目の前の男は自主退学後の彼女を引き受けるとヴァリエール公爵に直談判までしたと言うのだ。
人間は目的の無い行動はしない――それが貴族ならなおさらの筈である。
意識の有無に関わらず、行動は目的の存在によって成り立つのならば――

そう考えながら、彼女は婚約者の挙動を観察する。
逞しい体格にトリステインでも数少ない風のスクウェアという実力の持ち主。
銀の髪に整った顔立ちはまさに生まれながらの支配者然とした風貌を醸し出している。

「相変わらず軽いな、君は! まるで羽根のようだね!」

ワルドが彼女を抱き上げ、そう言葉をささやく。
しかし、彼女は仮面のような微笑を貼り付けたまま、自身を抱き上げた男の顔を間近で眺めながら考え続ける。

ワルドは若くして魔法衛士隊の内の一隊、グリフォン隊を率いるにまでなったトリステイン有数の風の使い手である。
ということは目の前の男はそこまで無能ではない――トリステインに三つしかない魔法衛士隊の隊長はただのおべんちゃらの得意な男が就任出来るような地位ではないのだ。

すなわち彼女の現状での価値を理解できない男では無い筈である。

単なる情に動かされるような男であるとも思えない。
現にその目には、知性に支えられた野心と自信に満ち溢れた眼光があった。
そして同時に、先程から語り続ける彼女を迎え入れた声色には隠し切れない喜びが過分に含まれているのも事実である。

(……この男は私に何の価値を見出したのだろうか?)

そう考え続けるルイズをようやくワルドは地面に降ろした。
そして、彼女の婚約者はまるで宝石を扱うかのような丁寧な仕草で彼女に自らの館を案内し始める。

――心に秘めたルイズの思いに気付かぬままに。





子爵領到着の一件以来、彼女は常に婚約者の動きを観察していた。
そんなある日、ついにルイズはワルドの不審な行動に出くわしたのだった。

夕食後、ワルドと共に彼の執務室で寛いでいたルイズは窓をコツコツと叩く音を聞いた。
その音を聞いたワルドは素早く立ち上がり、窓を開く。
直後、ワルドの肩に一匹の大きな梟――当然、誰かの使い魔なのだろう――が羽を休める。
ワルドは慣れた仕草でその梟の足の結わえつけられた文章筒を外し、内部に収められた文を素早く読み取った。

――そこまでならば特に不審にも思わなかったかもしれない。

しかし、読み終わったワルドは急に立ち上がり、届けられたばかりの手紙を傍らの執務机に納める。
貴族のたしなみとしては、立場上語れない内容である場合を除いてこういう手紙が届いたときにはその相手や内容を同席者に簡単に伝えるのが礼儀である。
しかし、彼女の婚約者はその慣習――親密な相手に対しては特に重視される――を行なわなかったのだ。

「何の連絡でしたの?」

そう探りを入れるルイズに対してワルドは軍務に関わることだから、と言明を避けた。
彼女もまた、深く追求はしない。
相手の“目的”を探し出す前に必要以上の不信感を持たれては困るのだ。

そうして、誰もが寝静まった深夜、彼女はこっそりとワルドが文を仕舞った机の引き出しを開ける。
そこに仕舞われた手紙を一瞥して彼女は公用の文章ではないことを確認する。
トリステイン王国で用いられている公用文章ならば、封をされた場所に王国紋章を模った花押が押されている筈である。
しかし、その手紙にはそんな花押は無く、蝋で封がされていた痕があるだけであった。
それだけでもワルドが彼女に嘘をついた証拠となる。

だが、そんな事は大したことではない。
――問題は何故嘘を吐く必要があったのか、と言うことである。

彼女は封を切られた便箋に仕舞われた手紙に記された内容に目を通す。
そして、その手紙にはより重大なことが記されていた。

――レコン・キスタ。

その手紙の差し出し元を理解した彼女の口元に笑みが浮かぶ。
アルビオンに於いて旧来までの王権を打ち倒し、貴族による新たな社会制度を打ちたてようとする組織。
彼女の婚約者であるワルドはその組織の一員だったのだ。

彼女の口元の笑みが大きくなる。
彼女自身の為の世界を作り上げるという彼女の目標。
その為の第一歩が既に準備されていたと言っても過言ではないのだから。





「――ねぇワルド様? 何か私に隠していらっしゃいますよね?」

翌日の夜、二人きりになった彼女はワルドにそう問いかけた。
内心では全く敬意を払う必要は感じていない彼女であったが、落ち着いた丁寧な声で尋ねる。

「――ッ、どうしてそう思うんだい?」

唐突に投げかけられた言葉にワルドはまず驚きを示し、次いで警戒の色を持って答える。
そんな様子を眺めながらもルイズは平静なまま、詰問者を演じ続ける。

「私、見てしまいましたのよ」

そう言いながら、彼女は懐から例の手紙を取り出す。
それはワルドとレコン・キスタの繋がりを示すこれ以上は無いという証拠に他ならない。
もしこれが公になればもはやトリステインにワルドの居場所は無い。
しかし、そんな証拠を突きつけられたワルドはまるで悪戯を見つけられた子供の様な笑顔で言った。

「悪い子だな」

そう言って笑うワルド。
そこにはこの事実が公表されることに対しての恐れは全く無い。
そんなワルド様子に対して、戸惑った様に見えるであろう顔を作り上げながらルイズは続ける。

「これがどういう意味を持つかはお分かりですわね」

そんな彼女の“脅迫”に対してワルドは答えた。

「そうだな、いずれ君には話しておこうと考えていた。これは今、君に話せという始祖のお告げなのかもしれないな」

そう言ってワルドは一転して真剣な顔を作ると、ルイズに“秘密”を語り始めた。

「僕はただの魔法衛士隊の隊長で終わるつもりは無い。いずれは国を……、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」

そう心の底に秘めた決意を口にするワルド。
彼は話の途中でその決意に至るまでにさせた理由の数々についても語った。
早くに両親を失った青年時代に受けた屈辱。
実力も無いのに位階の差を盾に身分秩序を強要する無能な上位貴族への不満。
それらの動機が彼を秘密組織であるレコン・キスタに走らせたのだ――彼を現在よりもより高い地位に上らせるという欲望を満たすために。
そして、最後にワルドはそれまでの独白から一転して彼はルイズの方へ向き直り、彼女の両手をとって、言葉を継いだ。

「――そのためには君の力が必要なんだ」


その言葉を聞いた瞬間、ルイズは確信した。
目の前の男は「彼女」をなにがなんでも必要としている。
不要であるならば、とっくに手紙を奪うなり口を封じるなりの行動を起こしている――「魔法」の使えない彼女相手ならなおさらだ。
それはすなわち、

――目の前の男は彼女について、彼女自身も知らない情報を握っている。

ということに他ならない。

そして、その確信は彼女の行動計画を少々修正させることとなる。
ならば、それが何なのかを知るまでは目の前の男の茶番に付き合ってみよう、と。





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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第10話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 22:15

――――――――――――ジャン・コルベールはトリステイン魔法学院に奉職して10余年、御歳43歳の中年教師であった。


彼の趣味――と言うよりもライフワークは研究であった。
それも歴史から発明まで、むしろ知識という知的興奮を引き出すもの全てに興味があったのだ。
彼の究極の目的は「人を生かす」こと。
そのために人を富ませ、苦痛から解放するモノの“研究”に興味があったのだ。

そんな研究成果の中でもとりわけ傑作と自負するのが「飛び出すヘビくん」に代表される動力機械の存在であった。
これが現実のものとなれば、魔法がなくても人の力では動かすことの敵わないものを動かすことが出来る。
……尤も、そのアイディアを示された魔法学院の生徒の誰もがそんなものに価値を見出そうとはしなかったが。


そんな彼は山がちな道を抜け、トリステイン南西部にあるタルブ村に向かっていた。
目的は伝説のマジックアイテムである『竜の羽衣』であった。

伝承ではその『竜の羽衣』はメイジでなくても使用でき、飛竜よりも高速で遥か東の彼方から飛行してきたという。

その話が本当なら、魔法の使えない平民が魔法に頼らなくてもメイジ以上の能力を持てることになる。
果たしてそんなモノが実在するのだろうか?
あるいは、もしそんなモノが存在するのなら、是非実物を見てみたいものだ。
そう心に思いながら彼は一人、馬車の手綱を操って――その過程で一人の少年と「再会」した。






「おや? 君は確か――」

村人に『竜の羽衣』の場所について尋ねて案内された先でコルベールは才人と再会した。
そんなコルベールに対し、才人は彼のことを覚えていたらしく、敬称で答えた。

「先生――」

「――ミス・ヴァリエールの使い魔の…」

そう呟いた――いや呟こうとした彼の言葉を目の前の黒髪の少年は突如として言葉を遮った。

「やめて下さい!」

その声には明確な拒否の色があった。

「何故かね?」

目の前の少年の真意に気付けなかった彼は素直に尋ねた。
そんな質問に才人は心の底から押し出すように重く、ゆっくりとした声で答える。

「俺は人間です――平賀才人という人間であって、あんなヤツの使い魔でも奴隷でもありません!」

その答えに込められた決意はあまりにも固く、揺るぎそうにもなかった。
コルベールを見つめ続ける才人の目には彼が急に直面することになったハルケギニアの暗部とでも言うべき光景が浮かび、決して消えてはくれなかったのだ。

――当然だろう。
未だ少年の部類に入る才人は圧倒的な暴力によって支えられた階級秩序や極度の貧困とは無縁の世界から召喚されたのだから。
その戸惑いは自身が他人に究極の暴力――殺人を犯しても消えることはなかった。
いや、むしろ彼をより困惑へと陥れたと言ってもいいだろう。
そして、その困惑は彼の内心の大部分を占める不安に結びつき、彼をこんな状態に陥れた原因である貴族の暴力を目撃したことで憎悪という形で噴出したのだった。

同時にシエスタの曽祖父の帰れなかったという結末は一種の諦観という感情も生み出した。
貴族に対する憎悪と自身の運命に対する諦観、その二つが存在する目を同様に見つめたコルベールは、才人に対してゆっくりと諭すような声で言った。

「サイト君と言ったね。……君は人を殺したね?」

その言葉に才人はビクン、と震えるように反応した。
絶望の淵に追い込まれたルイズに危険を見出したのと同様に、コルベールは目の前の才人にも何かを見出した。
あの時、召喚されたばかりの彼の目にはそんな色は何処にもなかった。
召喚直後の彼の目にあったのは、困惑と不安――ただそれだけだった。

しかし、今の彼の目に浮かぶ憎悪と諦観という表面上の強さの裏には彼が突如として遭遇したことの無い経験に晒されたのだろうとコルベールは思った。
コルベールの経験上、これほど短時間でそもまで人を変えるものは一つしかなかった。
だからこそ、彼はそう言い切ったうえで才人の真意を確かめようとした。
故に、彼の真意を確かめるにはそれを覆い隠すその強がりの部分を突き崩さねばならない。




「――魔法なんかなくたって、人は生きてゆけます!」

「しかしそれでは病気や怪我も治らないし、作物も実らなくなるのではないですかな?野獣に襲われても身を守ることも出来ず、治安も守れない――結局の所、魔法を使えるものに頼らざるを得なくなるのではないですかな?」

もう以前の生活にも、平穏にも戻れない。
ルイズのところには帰らない。
せめて彼を助けてくれた人たちの為に、彼らを圧制と搾取から救いたい。

そう思いのたけをぶつけてくる才人にコルベールは魔法の重要性を示すそんな質問を投げかけた。
――貴族制度の否定は魔法使いであるメイジの権威を否定することと同じであり、魔法がなければ誰しもの生活が成り立たなくなることではないのかと。
そう質問を投げかけたコルベールに答えたのは、今まで傍で成り行きを見守っていたシエスタだった。

「その魔法を使える貴族が何をしてくれたって言うんですかっ!」

そう彼女は激高して言い放つ。
彼女がそんな行動を起こした背景には彼女や彼女の知人――如いてはトリステインの平民が今までに味わった様々な苦難があったのだ。
そんな不満が彼女の叫びに現れる。

「病気や怪我をしても、不作になっても、その度に高いお金を払わないと治療してくれない。機嫌が悪いというだけで平民の物を壊し、挙句の果てに理由もなく傷つける。裁判にしたって貴族に有利な判決を言い渡のは日常茶飯事。そんな貴方たち貴族が私たち平民に何をしてくれたというんです?」

そう言って彼女は言ってのけた。

「治安が守れない? 私たちはそんな粗暴じゃありません、むしろ貴方たち貴族が自分の利益のためだけに、私たち平民が毎日毎日必死に働いて貯めた蓄えを暴力で奪っていくからこそ、生きていけない人たちが罪を犯すまでに追い詰めているだけじゃないですか!」

それはつまり、治安を乱す原因を作っているのは貴族の方であるというのだ。
あまりに一方的な視点と言えなくも無いが、彼女自身その虐げられてきた平民なのだから仕方がないのかも知れない。
その間にも彼女の不満の発露は続く。

他人から物を奪った人は追われて捕まれば罰を受けます――でも貴族は堂々と私達が苦労して作り上げたものを奪って罰せられない、どうしてですか?
貴族達は私達に何もしてくれないのに。
貴族達は私達に苦痛しか与えないのに。

「自分たちでその原因を作っておきながら、それから守ってやるですか? 偽善もいい加減にしてください!」

私達は貴族が居なければ生きていけない、なんてことはありません。
杖が無ければ暮していけないこともありません。
――貴族が居なければ、私達はもっと幸せに暮らせた筈なのに!

ある意味で感情的にそう叫ぶ少女に対して、今度はコルベールが口を開いた。

「確かにそうかもしれない。ですが、貴族も黙って君たちが自立することを許しはしないですぞ――そうなれば必ず戦いになりますぞ。それは君たち平民と貴族との戦いに。そして最終的にどちらが倒れるかは分からないが、確実に双方が傷つくことになる。
――それに、君の言う倒すべき貴族にも彼らの家族が居る。そのことは分かっているかね?」


「分かってます――」

そう答えたのは才人だった。

彼は苦悩しながらもゆっくりと言葉を継いだ。
先程のシエスタの激情は逆に彼を落ち着かせ、彼の真意を顕わにする効果を発揮したらしい。
――いや、彼女の叫びこそが彼の殻を打ち破ったのだ。

「それでも、俺はみんなを守りたいんです。本当は誰もが傷つかずに救われれば一番良いのは分かっています。でも、現実はそうじゃなかったんです。俺の世界にも、『抵抗しなければ傷つかない』と主張する人たちが居ました。でも、それじゃあ唯の奴隷のままなんです。そこで与えられている『自由』は奴隷の自由でしかないんです!」

最初はゆっくりと、最後には心の底から押し出すような強い声で彼はそう語った。

――その言葉に迷いは無い。
この問題の原点は貴族による平民の支配という構造そのものなのだ。
平民がこの社会構造そのものを打ち破らない限り、貴族による搾取という構造は変わらない。
すなわち、現状の維持とは平民に出血を強い続けることに他ならない。
直接は暴力を振るわなくても、支配者である貴族の家族もまたその平民の流した血を啜ることによって暮らしている――それは間接的に平民から搾取しているということそのものに他ならない。

「……だから、俺達は武器を持ってでも闘わなきゃいけないんです!」

――貴族の支配から脱するために。
――本当の『自由』を手に入れるために。

そう才人は続けて、沈黙した。
そんな少年の目を見つめ続けるコルベール。
その目には先程までとは違って表面上だけの強さではなく、何者にも屈しない内面の強さが現れていた。






「真の『自由』とは何か?」目の前の少年に突きつけられた命題はコルベールにとって強烈な衝撃を与えた。

目の前の少年は現在の平民に与えられているのは「奴隷の自由」だという。
そんな自由に支えられた生活は本当の自由ではなく、ただの虚偽だと言ってのけたのだ。
――ならば、真の『自由』とはなんなのか?
その答えを見出せないままコルベールは魔法学院への帰途に着いた。

コルベールはあの少年をミス・ヴァリエールのところに連れ戻そうとはしなかった。
彼にミス・ヴァリエールのところに戻る意志が無い以上、彼を連れ戻すという行為はただの人攫いでしかない。
それはあの少年を文字通り奴隷にすることに他ならないのだから。
そして、思い悩みながら魔法学院に帰り着いたばかりの彼に知らされたのは、四人の教え子の「不在」だった。

学院長にその事実を告げられた後、彼は自身の研究室に篭り込んだ。


おそらくミス・ヴァリエールは狂うことによって自身を無意味なものとしてしまったのだろう。
彼女の一件と顛末を聞いた彼は一人研究室の中でそう考える。

“――戦場で絶望に打ちひしがれた者は、狂うことによって自らの存在を無意味なものと化すか、無理やりに意味を見出して死を選ぶ”

故に彼女は狂った――いや、狂わざるを得なかったのだ、と。
彼は自らの経験からそう導き出した。

彼女は一度絶望的な状況に追い込まれ、救われたと信じた直後に再び絶望に突き落とされたのだ。
その衝撃は一度目よりも遥かに大きな衝撃であったのは間違いない。

“――絶望に打ちひしがれる者に、その運命を受け入れさせてしまえば、後に残るのは無意味か死のどちらかしかない”

おそらく彼女は、その運命を受け入れてしまったのだろう。
彼女の使い魔召喚の時、自分は彼女を救おうとして再度のサモン・サーヴァントを認めた。

――あの時はそうして彼女を救うことが出来たと思った。


……一人の少年の人生を犠牲にして。

彼の脳裏には先日再会した黒髪の少年の姿が思い浮かぶ。
いや、彼一人だけではないだろう。
彼にも家族や友人・知人は居たはずだ――場合によっては婚約者すら居たかもしれない。

そして、彼や彼の家族は「この世界」に召喚されることによって大切なものを失ったのだ。
誰か一人を救うために、他の数人、場合によっては十数人の人生を犠牲にしてしまったのだ。
彼個人にも「殺人」という、以前の世界ではほとんど経験しないであろう出来事を経験させてしまった。
そんな経験をした以上、決してそれまでの彼には戻ることは出来ない。

彼が全てを失い、人生を修復不可能なほど捻じ曲げられたのも、私が彼女に再度の召喚の機会を与えたからではないのか?
あの時、私が彼女に機会を与えなければ、あの少年は今も自由で幸せな生活を送っていたのではないか?

彼の自責の念が絶える事は無い。

自主退学させられたミス・ヴァリエールもまたそうだったのではないか。
あの時、再びサモン・サーヴァントの機会を与えなければ、より深い絶望に落ちることはなかったかもしれない。
おそらく、彼女は暗い絶望のなかであの少年という存在によって再び希望の世界に引き上げられた。
――彼女にとっては“使い魔”としてのあの少年こそが希望の光だったのだ。

しかし、一度救い上げられた少女は再び暗黒の絶望の中に叩き落された。
そして、彼女はその絶望の中で何らかの結論と手段によって“事件”を引き起こすまでに至ったのだろう。
それはすなわち、人を「生かす」ために行なった自身の行為が、結果として人を「殺して」しまったということに他ならない。


その一方で、コルベールの頭には少年が逃げ出さなければ全て丸く収まったのではないか、という逃げにも近い感情も生まれる。
しかし、彼は頭を振ってその疑問を直に捨てた。

その選択肢はあの少年の一切の権利を奪い、奴隷とするようなものである。
誰かを犠牲にするような平穏は真の安寧ではない。
少年の言うように“人間は人間”であって、決して“貴族と平民”でも“主人と奴隷”でもないのだ。

同時にコンクラト・サーヴァントの時、相手が平民であったからと事態の本質の重要性に気付かなかった自身への自責の念も高まっていく。
――平民だから、貴族の使い魔にしても問題ない。
契約後とは言え、無意識にそう考えた自分自身と、ダングルテールを焼き払えと命令した人間との違いはなんだろうか。


かつて貴族の支配に叛旗を翻した「無神教」のダングルテール地方。
彼は一つの村を完全に焼き払った――「致死性の疫病」の流行という話を信じて。
少数を犠牲にしても他の多くの人々を救うことを願い、家々をことごとく焼き払ったのはコルベール自身であった。

しかし、その話は嘘であった。
トリステインで最も貧困な地域であったダングルテール地方。
その地の平民達は過度の重税をかけ、従わないものは痛めつけるという貴族の支配に叛旗を翻したのだ。

そうしてコルベールはあの時の光景を思い出す。

焼け落ちる村の家々。
民家が、井戸が、納屋が――その全てが炎の中で崩れ去っていく。
そこに住んでいた筈の人々は声すら挙げることも出来ずに焼き尽くされた。

――まるで地獄のような光景。
それを作り出したのは他ならぬ彼自身であった。

そしてぽつん、と残された一人生き残った少女の姿。
その表情には憎悪ではなく、全てを失って絶望に打ちひしがれる姿があった。


ダングルテールを焼き払えと命令した人間は、相手が“貴族”に従わないから焼き払ってしまっても問題ないと考えたのだろう。
それはつまり、彼に命令を下した人間は、少数の支配者の為に他の多くの何の罪もない人々を犠牲にしたということを意味する。
――それに反発したからこそ、彼はあの実験部隊から逃げ出し、人々を救おうと考えたのではなかったのか?

そこまで思いを進めて、彼は思った。
今の自分はかつて家々を、そして無辜の人々を焼き払えと命じた人間と同じである、と。

自分は他人の人生を好き勝手に捻じ曲げ、取り返しのつかないところにまで追いやってしまったのだ。
そして、その人間は今も安穏として暮らしている――今の自分のように。


そこまで思い至り、再びあの黒髪の少年の語った彼の「世界」についての話を思い出す。

誰もが身分秩序に自身の権利を疎外されず、『自由』に振舞える社会。
魔法という選ばれた人間だけがその利益を享受するのではなく、誰もが普遍的な「科学」というものによって利益を享受できる社会。
そして、その社会に生きる人々はこの星を離れ、遥か天空に浮かぶ月にまで到達したという。

そんな社会は個々人の『自由』が重んじられ、誰もが他者の権利を尊重することによって成立する。
しかし、現在のハルケギニアでそんな風潮を持つ国は存在しない。

貴族は平民にそんな権利を認めようとはしない。
平民もまた貴族の権利を尊重するのではなく暴力によって認めさせられ、従わされているに過ぎない。
その最大の差異は貴族の持つ「魔法」という力。
その力の有無がこの社会の差異を生じさせているのだ。


誰もが幸せに生きられる世界を実現したいと教育者となった自分。
「人を生かす」人間を育てたいと思って教育者になったはずなのに、気付けばそこに存在したのは一人の人間の人生を狂わせて平然としていた自分だった。
――そんな人間に教育された人間が他人の権利を尊重することがあるはずも無い。

彼らは自分が好き勝手に振る舞い、他者を見下すという『自由』しか知らなかったのだ。
その結末が、自分の失敗を自分より格下の身分に押し付け、平然と人を殺してしまう自身の教え子の存在だったのだ。

結局は、教育者となるというあの時の決断も問題を先送りにしただけなのかもしれない。
ミス・ヴァリエールを救おうとして再召喚を認めた時のように。
……あるいは自分を満足させるために嘘を吐いていたのかもしれない。

このハルケギニアで教育を受けられるのは主に貴族しかいないのだから。

そうして彼は思った。

結果として自分は「魔法」を教えることによって貴族が平民を支配するという階層秩序を守る為に働いてきたことになるのではないか?
彼は火のトライアングル・メイジであり、その才能を見込まれて自身の望んだ教育者となることが出来たのだから。


誰もが他者の権利を尊重できる社会。
そんなものを今の貴族が認めるはずが無い――それは彼らの特権を奪うものであるのだから。
その社会を実現するためには一度、何処かで現在の社会秩序を壊し、新たな社会秩序を打ち立てなければならない。

――火が司るものは『破壊』。

そうハルケギニアでは言われ続けていた。
故に彼は自身の魔法を使うことを自制し続けてきた。

しかし、破壊した後には人々が平和に暮らせる『創造』が無ければならない。

「火が司るものが『破壊』だけでは寂しい」

そう考えていた彼の心に、少年の語った「火によって生まれた」豊かな世界への理想が溢れる。
その世界は燃料を燃やすことによって、様々な道具や機械を動かして豊かさを生み出しているという。
魔力がなくても空を飛べるというあの奇妙な金属で出来た「ひこうき」とやらもその産物なのだという。
――それは、「火にはもっと別の可能性はないのか?」という彼の理想の究極の姿だと思えた。

「魔法なんかなくたって人は生きていけます!」

そう彼に伝えた少年の言った「誰でも使える」技術。
彼が「科学」と言ったその力はその差異を埋めてくれるだろう。
そして何れは誰もが――たとえメイジであっても「魔法」よりも「科学」に価値を見出すにちがいない。
我々が魔法によって6000年かかっても到達出来なかった地点まで、科学はわずか500年程で到達したというのだから。

そうとも。
――私は「火」によって新しい理想の世界を目指すのだ。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


この作品には、「誰もが他者の権利を尊重できる社会」という様な言葉がもう嫌と言うほど繰り返し出てきます。
既に5回は出したでしょうか(笑)
ここまでこの言葉を強調するのは、ゼロ魔世界では貴族達は近代的な「自由」という概念を知らない――自分勝手に行動する、という「自由」はあるみたいですが――というのがあります。よってその真の「自由」の意味を知った時の衝撃はとてつもないものになると私は考えるからです。
原作で才人が、シュヴァリエという貴族の地位を捨ててまでタバサを救出しようとしたことによって、ルイズを初めとして皆が貴族の地位を放棄する(・・・後に復位してますが)ことになりました。その時のアンリエッタの驚きは、彼女がその行動の意味を理解できなかった――一件身勝手にも見える才人が取った近代人としての「自由」の行動の意味を知らなかったということに他なりません。

「自由」は、一般的には自らの行動を自分で決定するということですが、同時に「責任」という負担も付随するというのが私の考える近代の「自由」です。だからこそ、原作で才人は他人(女王や王国)に迷惑がかからないように――すなわち自身が責任を負う――ということで貴族の地位を捨てたのだろうと思います。しかし、原作の貴族を見ていると、少数の例外を除いて貴族としての地位こそが重要であると見做しているのかな?という印象を受けました。
また、Wikiによると、近世までの「自由(freedom)」は「民衆の持ち得ない権利を有している」という「特権」のことだとあります。
近代に至り、貴族階級よりも裕福で思慮に富んだ人間が現れるようになると、その中層階級は「市民」と呼ばれるようになりました。そして、その「市民」達は自分達の持たない権利を求めて立ち上がりました。これが「市民革命(自由主義革命)」です。
そして、そこで市民達が獲得した「特権(自由)」は個人に与えられた特権であると同時に誰しもが持っている特権でした。故に、その個人間の特権の衝突を防ぐために「誰もが他者の権利を尊重できる社会」という概念が登場することになるのです。

―――故に貴族制の国家に対しての革命を目指すこの物語では外せないエッセンスなのです(笑)


10/08/07
二回目の改定を実施






[3967] 第11話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 22:19

――――――――――――アンリエッタ・ド・トリステインは数年ぶりに幼馴染の少女と再会した。


いそがしい政務の間を縫った、お忍びという形で彼女はワルド子爵領を訪れていた。
そして、現在の彼女の目の前には膝を付き、控えるような形で跪くルイズがいる。
そんな状態でルイズを待機させたまま、アンリエッタはまるで舞台の上の俳優のような大げさな振る舞いと共に傍らの少女に話しかけた。

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ――!」

しかし、目の前の幼馴染はそんな彼女の姿を一瞥することなく、じっと黙ったまま傍らに控え続ける。
そんな姿を眺めたアンリエッタはまるでそれに気付かなかったような素振りで言葉を継ぐことにした。

「ああ、ルイズ!ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめて頂戴! わたくしとあなたはお友達、お友達じゃないの!」

そんな言葉を投げかけても、目の前の幼馴染の少女の反応は返ってこない。
むしろ、身じろぎもせず、じっと目を閉じた状態でまるで耐え難いほどにくだらないものを見せられているかの様だった。
そんな少女の様子に気付いた風も無く、彼女は再び目の前の幼馴染に話しかける。

「――昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまでそんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ! 幼い頃、一緒になって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって――」

しかし……いや、やはりと言うべきか、依然として跪き続ける幼馴染からの反応は帰ってこない。
――沈黙。
そして、数十秒にも感じられた沈黙の後、ようやく彼女の幼馴染は思い出したかのように一言、言った。

「もったいないお言葉でございます、姫殿下」

まるで目の前のルイズ自身でなく、何処か遠いところから聞こえてくるようなどこか乾いた冷たい声に驚いたものの、アンリエッタは一応の反応が返ってきたことに安堵した。
そんなルイズの反応を確認した彼女はようやく本題に入るべく、演技を継続した。

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの忠臣面をして寄って来る欲の皮の突っ張った宮廷貴族達もいないのですよ――ああ、もうわたくしには心を許せるお友達はいないのかしら?」

言外にあなたしか居ないのよ、と含ませる。
そんな彼女の思惑に彼女の幼馴染は平然と――そして依然として黙ったまま傍らに控え続けていた。

「ルイズ・フランソワーズ――?」

そう彼女は声をかけた。
本当なら、既に“感動の再開”を果たし、悲劇の王女の心労について彼女が心配して声をかけるという筋書きだったのだ。

(ルイズが変ってしまったというのは本当だったのね……)

彼女はそう心の中でひそかに思う。
ならば、と彼女は過去の麗しき思い出から、現在の自身に直面した“悲劇”について語りかけた。

「結婚するのよ、わたくし――」

「……おめでとうございます」

もの悲しいものを含ませたアンリエッタの言葉に対しても、やはりルイズの声はどこか無機質なものだった。
アンリエッタの嫁ぎ先が、以前からルイズが「野蛮な成り上がり者どもの国」と侮蔑し続けていたゲルマニアだと言ってもその様子は変わることはない。
――同様に「王国の為の道具とされた」“悲劇の”少女についてもルイズが感情を顕わにすることはなかった。

そんなルイズの態度に諦めたのか、アンリエッタは単刀直入に言い放つ。

「あなたに頼みたいことがあります――アルビオンでわたくしが以前したためた手紙を回収して頂きたいのです」

そう言って彼女は現在のハルケギニアの国際関係について説明する。

アルビオンで「聖地」の回復を目指す貴族の叛乱によって王制が滅びようとしていること。
アルビオンの王権が倒れれば、彼らは次にこのトリステインを狙うであろうこと。
そんな彼らによるトリステイン侵攻に対処するため、ゲルマニアとの同盟が必要であること。

そう簡単に説明した後、彼女は続けた。

「その手紙が敵に渡れば、トリステインは一国で強大なアルビオンと対峙しなければならなくなるでしょう」



―――くだらない。
ルイズとしては、このくだらない演技に付き合う気はさらさら無かった。
たとえ国が滅びるのだとしても、滅びるのなら勝手に滅べば良い、とすら思っていた。

そもそも全ての元凶は彼女の目の前で悲劇の王女を気取っている女のせいではないか。
王女と言う地位にありながら、他国の皇太子に勝手に恋文を書く。
それは自身の地位に見合う責務を果たしていない象徴ではないか――尤も地位に見合う責務を果たしていないのはこの国の貴族全般に当てはまることだけれども。

そして今、目の前の幼馴染は自身の地位を守る為――恋文の件が露見した上で同盟を組めるのはせいぜい彼女を廃嫡した後くらいなものだろう――にわざとらしい演技までして、手紙の件を闇に葬るべく動いている。
それも彼女の心境を察した下々の者の自発的な動きという形を整えて。

そう、まさにこの国にしてこの王女あり、というわけだ。

アンリエッタが彼女に何かを依頼するために訪れたのはわかっていた。
でなければ、いかな幼馴染と言えど、ここまで会いに来る必要がない。
彼女と王女は既に数年もの間、会っていなかったのだから。

――しかし、彼女としてはこの「依頼」を自身の目的に利用するつもりでいた。
そう、彼女は既にレコン・キスタの一員なのだから。
よって彼女は不機嫌でも耐え続けていたのだ。



「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。直に件の手紙を返してくれるでしょう。それから、これを――」

そう言って彼女は自身の填めていた指輪を外して彼女に手渡した。

「この任務にはトリステインの運命がかかっています――よろしく頼みますわね」

そんな言葉にルイズが返答をする前に、突如として部屋の扉が開き、そしてワルドの姿が現れた。

「――子爵!?」

その姿を見た瞬間、ルイズは内心で舌打ちをした――が、表情には出さない。
そんなワルドの様子にアンリエッタもまた戸惑いを隠せない。
しかし、入室したワルドはそれに臆した様子も無く、言葉を発した。

「その任務、この私めにも仰せ付けますよう、お願い申し上げます」

その言葉が意味するものは、すなわち彼はルイズとアンリエッタのやりとりを全て聞いていたということに他ならない。
絶句するアンリエッタに対してワルドは畳み掛けるようにして、言った。

「婚約者に命じられた任務は私の任務も同然!――それとも、私のことは信じられませんかな?」

そうワルドはアンリエッタに語る。

現グリフォン隊隊長にして、トリステインでも数少ない風のスクウェア。
任務に対して忠実で、事実上トリステインの内政を仕切るマザリーニ枢機卿からも信頼されている若手実力派貴族の筆頭。
――彼ならば信用しても良いかもしれない。

どうせ、危険なアルビオンに魔法の使えないルイズ一人を派遣するわけにはいけないのだ。
だとするならば、少数でも腕のいい護衛としてなら使えるかもしれない。

「――わかりました、ではルイズ・フランソワーズとワルド子爵の二人にお願い致しますわ」

そう言って、彼女は改めて目の前の二人を眺めた。
その言葉を受けて、ワルドが跪きながら答えた。

「ご安心下さい、我が婚約者であるルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと私、ジャック・フランシス・ド・ワルドは見事に姫殿下のご期待に答えることでしょう!」

そう言いながら、ワルドは隣のルイズに促す。

「君からも一言、姫殿下にお伝えしたほうが良いんじゃないかな?」

そんなワルドの声を受けて、彼女は内心で吐き気のするような気持ちを抱く。
そして彼女は憮然としながらも、仕方ないといった様子で答える。

「……謹んでお受けいたしますわ――アンリエッタ・ド・トリステイン姫殿下」

そう、彼女はまるで初めて接する他人に答えるように返したのだった。



「ワルドさま、どうしてあなたはあの時に入ってこられたのでしょう?」

アンリエッタの馬車を見送りながら、ルイズは彼女の婚約者に尋ねた。

「あの時、とは何時のことだい? 僕のルイズ――」

そう言って、いつもの様にあいまいに誤魔化そうとするワルド。

「私と姫殿下の会話の最中のことですわ」

王族が臣下に下した密命を盗み聞きする。
それは本来ならそれだけで死罪に相当する罪である。
あの時、アンリエッタが改めて命じたから良い様なものの、本来なら黙っていてもルイズに任務が命じられた筈なのだ。

それをあえて闖入するというリスクを犯したワルド。
その真意は何処にあるのか――彼女にはそれが気がかりだった。

「君のことが心配だったからね」

そう答えるワルド。
――そこには「何に対して」心配だったかという理由をあえて語らない。

「そんなにも私が信用できないのかしら?」

彼女は尋ねる――ルイズがレコン・キスタを裏切るのではないか、という疑問を持っているのではないかと。
そんな問いをワルドは大げさな身振りで否定して見せた。

「とんでもない! 信用できない相手に僕は秘密を語るほど堕ちたつもりはないさ」

そう語ったワルドは、次に一転して彼女の目を見つめながら、悪戯っぽく語って見せた。

「ところで信頼の証として、一つ僕の任務に協力してくれないかな?」







『――初夏のアルビオンの程、素晴らしいものはない。遮るものもなく、広大な大空から乾いた柔らかい風が吹き、旅するものに暑さを感じさせない。大陸塊から遥か下の広大な海に零れる川は途中で霧となり、高空の強い太陽の日差しを浴びて虹を描き出す』

そう謳われる浮遊大陸の片隅――三方を崖に囲まれ、まるで空中に突き出すように築かれたニューカッスル城。
数百年前に作られたこの古城は既に数十年もの間使われること無くただ朽ちるに任されていた筈だった。
しかし皮肉なことに、打ち捨てられた後にようやくこの城は城砦としての機能を発揮していた――アルビオン王朝最後の拠点として。

そんな古城の礼拝堂、その祭壇の前にルイズは追い詰められたアルビオンのテューダー朝最後の継承者と共にいた。
彼女が身に纏うのは清楚さを表す純白のドレスに、永遠に枯れない花をあしらった王家に伝わる新婦の冠。
傍らのワルドもまた、正装に白いマントを羽織り、傍らに佇んでいる。

「では式を始めようか――」

そんな声と共に、ウェールズは中央の演台にコトリ、と古びたオルゴールを置いた。

「殿下、それは!?」

其処に置かれたものを見てまさか、と驚いた様子で尋ねるワルド。
そんな反応に対して、「ああ、これか」といった調子でウェールズは答えた、

「『始祖のオルゴール』さ――アルビオンでは王族が婚姻する時に、このオルゴールの前で永遠を誓うのさ」

「――トリステインでは『始祖の祈祷書』の前で誓うのだろう?」と皇太子は笑った。
そう言いながら、ウェールズはオルゴールの蓋を開け、宣言した。

「これより式を始める――新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして妻とすることを誓うか」

「誓います」

ワルドは重々しく頷き、宣言した。
その誓いを確認したウェールズはにっこりと微笑みながら、新婦の方へ振り返り――

――呆然と立ちすくむ少女の姿に気付いた。



「新婦?」

そう呼びかける皇太子の声も無視して、彼女は先程から聞こえ続ける『声』を聞き続けていた。

『――これを聞きし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐ者なり。またそのための“力”を我より担いし者なり』

そう『声』は彼女に向かって語りかける。
そんな言葉に対して、彼女は小さく呟いた。

「……ふざけんじゃないわよ」

――アンタが私に「力」を与えた?
違う!
この「力」は常に私と共にあった。

彼女の脳裏にこれまでの辛い思いが思い起こされる。

――魔法を使えば必ず爆発する。
思えば、彼女の魔法が爆発する理由を、誰も言わなかった。
両親も、姉たちも、先生も……、友人たちも……、ただ『失敗』と笑うだけで、その爆発の意味を深く考えず、魔法の使えない彼女をなじった。

そんな中で、唯一私が持っていたこの「力」が始祖に与えられたものだという。
つまり、今までの彼女の不幸もまた、始祖によって与えられたものだったと言うのである。

「――ふざけんじゃないわよ」

彼女は再び呟いた――先程よりは少し大きく、はっきりと聞こえる声で。

『――志半ばで倒れし我とその同胞のため、異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ』

彼女の脳裏に響く言葉は、この「力」は異教と闘う為に神から与えられた「力」だという。
そしてその『声』はルイズに6000年前に死んだ自分の意志を継げ、という。

「――ふざけんじゃないわよ!」

そして、彼女は叫んだ――その叫びは心からの絶叫だった。
私は始祖の奴隷でもなければ、異教と戦うための戦闘兵器でもない。

今まで「ゼロのルイズ」と呼ばれ、虐げられてきたのは、始祖とその後継者とやらが作り上げた魔法至上主義のせいではなかったのか?
私は始祖の為に、そんな連中の為に戦うことを生まれながら宿命付けられていたとでも言うのだろうか?

――そんなことは認めない。
絶対に認めない!
コレは私の「力」なのだ!

その思いと同時に彼女は自らの杖を掲げ、誰も止める間もなく呪文を紡ぐ。
そして、完成した「魔法」で彼女はその『声』の元――『始祖のオルゴール』を粉々に吹き飛ばした。


「ラ・ヴァリエール嬢、君は一体何を――」

「――チッ!やむを得んか」

そう舌打ちすると、ワルドは自身の杖を抜き放ち、『エア・ニードル』の魔法と共にウェールズに襲い掛かる。
しかし、その攻撃はルイズの異変によって警戒心を取り戻していたウェールズの衣服の端を切り裂くに留まった。

「ワルド子爵!?」

「ウェールズ殿下、悪いが貴方の命、貰い受ける!」

その言葉と共に、ワルドは魔法を纏わり付かせた鉄杖をウェールズの胸に突き立てた。

「貴様はッ…貴族派だったのか――?」

口から鮮血を吹きこぼしながら、最後の力を振り絞ってウェールズは問いかけた。
そんな問いに乱れた衣服の端を直しながら、なんでもないという風にワルドは答える。

「いかにも僕はアルビオンの貴族派『レコン・キスタ』の一員さ」

「トリステイン貴族である貴様が何故――」

ウェールズの問いはそこで途切れた。
顔から血の気が失われ、その蒼い瞳からは輝きが失われていく。
そんな皇太子の亡骸に向かって一人ワルドは答えた。

「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟――ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ」

そう、死にゆく者への手向けとして語るワルド。

しかし、彼は気付いていなかった。
――その傍らにそんな目的を欠片たりとも信じていない少女がいることに。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第12話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 22:36
――――――――――――トリステイン王国宰相、マザリーニ枢機卿は目の前の論争を黙ったまま、じっと眺め続けていた。


アルビオン王室が最後の抵抗拠点としたニューカッスル陥落の知らせは事前の予測もあって、ある程度の諦観をもってトリステイン王宮関係者に受け入れられていた。
しかしその直後、アルビオン王家滅亡をも遥かに上回る知らせが届いたのだった。

『――アンリエッタ王女に不義密通の証拠あり』

アルビオン王家を滅亡させたレコン・キスタはそうハルケギニア各地に向けて発表した。
当然、その発表は同盟条約と引き換えにアンリエッタが輿入れする筈だったゲルマニア皇帝アルプレヒト三世の下にも届いた。

ゲルマニアという国は始祖ブリミルの後継者が統治するというハルケギニアにおいては異質な国だった。
トリステインの10倍近い国土と数倍の人口を誇りながら、その統治者は純然たる始祖の血を受け継ぐ者ではなかった。
よって、大国の『皇帝』でありながら、外交上の扱いでは他国の『王』に劣る扱いを受けてきたのだ。

今回の婚姻でゲルマニアはかねてから切望していた「始祖の血統」を手に入れ、一挙に国内・国外における威信の拡大を果たす筈だった。
さらに、現在のトリステイン王家に「始祖の血統」を受け継ぐものはアンリエッタしかいない。
故に、今回の同盟婚姻は実質的にトリステインそのものをゲルマニアの影響下に置かせることも目指した国家戦略の一環でもあったのだ。
もちろん、それほどの利益が無ければ他国の為に同盟を結ぶはずも無いのではあるが。

しかし、その期待は見事に裏切られた。

こともあろうにその始祖の直系であるトリステイン王女のアンリエッタの始祖に誓った愛の手紙がアルビオン皇太子に送られていたというのである。
新任のアルビオン大使――すなわち、レコン・キスタのメッセンジャーからその手紙の現物を示された皇帝アルプレヒトは激怒した。
このまま婚約を受ければ、彼の権威は地に落ちる――もちろん、受け入れなくても十分以上の恥辱であるが。
よって、ゲルマニアはこうトリステインに通達した。

『ゲルマニア皇帝、アルプレヒト三世はトリステイン王国王女、アンリエッタ・ド・トリステインとの婚約を見直し、同盟条約の締結を無期限延期する――』

それは事実上の条約締結の拒否に他ならない。
唯でさえアンリエッタの恋文についてのレコン・キスタの発表で騒然となっていたトリステインは、この通告によって一層の混乱に見舞われたのだった。
直ちにその知らせを受けて重臣たちが結集した王宮の中心部――大広間では激論が交わされていた。


「この際、一挙にアルビオンに侵攻すべきだ!――レコン・キスタが政権を奪ったばかりの今なら、奴らが態勢を整える前に攻撃をかけることが出来る」

そう先程から強く主張しているのは軍務卿であった。

レコン・キスタが何を送ったかは知らないが――アンリエッタは沈黙をもって事実上手紙の存在を認めていた――王国の防衛を一手に担う職に就いている彼からすれば、ゲルマニアとの同盟がご破算になった今、トリステインの安定を守る為には先制攻撃によるレコン・キスタの打倒、最悪の場合でも敵に損害を与えて自国への侵攻を防ぐという攻勢防御しかない、という考えがあった。

そんな彼の意見は戦争による自身の利益拡大を狙う軍や有力諸侯などの武闘派貴族からも支持を受けていた。
しかし、その意見に真っ向から反対する人間もいた。

「今のトリステイン王軍だけの戦力でレコン・キスタに勝てるとは到底思えませんな――相手は5万もの戦力を持っておるのですぞ! それに対して我がトリステインの懐事情では全軍合わせて4万がせいぜいといったところでしょう」

相手よりも数が劣るのに攻勢などかけられるか、それが財務卿の考えだった。
王国の財務を預かる彼からしてみれば、人口300万人のトリステインで侵攻軍に最大限編成できる戦力は約4万人が限度であると判断していたのだ。

しかも、相手は大洋上に浮かぶ「浮遊大陸」アルビオン。
その侵攻の為には地上侵攻以外にも大量の艦船とその支援の為の人員が要求される。
戦時体制に入ったとして、王国防衛の為の最小限の防衛戦力も考えるなら、唯でさえ正面戦力に勝るレコン・キスタの5万もの軍に国力の劣るトリステイン軍が勝てるとも思わなかったのだ。

そんな財務卿の意見に対して軍務卿が反論する。

「しかし、今攻撃しなければ、我々はいずれ『聖地回復』を訴えるレコン・キスタの総攻撃を受けてしまう。そうすれば国土は荒れ、多大な被害をもたらすことは必定ではないか! それとも財務卿はレコン・キスタの杖にかかるまで金勘定でもしているお積りか?」

「一時的な支出と仰るが、戦費として必要な額を考えれば……」

「――必要なら平民から徴収すれば良かろう。それに、一時的な支出など連中に勝利すればいつでも取り返せるのだ! 畏れながら、アンリエッタ姫殿下は始祖よりの血統を失ったアルビオンで一番血縁の近い御方。よって勝利の暁にはアルビオン一国が丸々我らの手に入るのだ! その利を考えれば、一時的な支出などなんとでもなるではないか!」

彼の言葉の後半部分は周囲に集う諸侯に向けたものだった。
その言葉をきっかけに様々な意見が噴出していく。

「財務卿! 我ら伝統あるトリステイン貴族が内紛で半減したアルビオン貴族に劣るとでもいうのですかな?」

「し、しかし……」

財務卿が言葉に詰まったのを見た軍務卿が好機とばかりに畳み掛ける。

「おぉ、正統な領主の居ないアルビオンを制すれば、統治の為にここに集う有能なる諸侯のお力が必要となるに違いないでしょうな!」

その軍務卿の発言を機に一挙に侵攻支持派の貴族が増えていく。
基本的に対外戦争の機会がほとんどないトリステインで領地が増える機会などめったに無いために、形勢は一挙に傾いていく。

そんな光景を見つめながら、マザリーニは内心で思う。
確かに、今は無きアルビオン王国皇太子ウェールズとトリステイン王国王女アンリエッタは従兄妹の間柄。
それは王朝の血縁が途絶えれば、他の地域の一番血縁の近いものを王として迎え入れるという古来からの慣習にも適合していた。
そして同時に今回の政治的失点を招いたアンリエッタの地位を保全する――彼女の存在こそアルビオン領有の大義名分なのだ――ことにもなる。
さらに、アルビオン全土が手に入るのならば、一時的な支出(と言っても1000万エキュー単位の莫大な額が必要になるが)も回収出来るかもしれない。
――無論、統治後のアルビオンが平穏であるのならば、という但し書きが付くが。


「――マザリーニ枢機卿、貴殿はどのようにお考えか?」

軍務卿派の侵攻論に追い詰められた財務卿は傍らで先程から沈黙を続ける事実上の宰相に助けを求めた。

政治家としての彼の目には、強大な軍事力を誇るゲルマニアとの同盟交渉が決裂に至った今、レコン・キスタがトリステインに攻撃をかけてくるのは火を見るよりも明らかであった。
攻撃してくるのが明らかであるのなら、先に叩いてしまえば良い――確かにそれは軍事に携わる者の間では常識的な戦術論でもあった。
しかし、軍人ではない彼としては財務卿の主張する防戦論の方が好ましいようにも思えた。

財務卿の言うように、敵軍は最低でも5万、それに対してトリステイン軍は4万がやっとというところで同数がぶつかり合ったなら到底勝てるとも思えない――おまけに一般的に不利と言われる攻撃側ならなおさらだった。
さらに戦時体制ともなれば必要となる戦費を調達するために新たに戦時課税を制定し、平民から税を徴収するしかない。
王軍の主力は治安維持の為の僅かな常備軍を除けば大半を傭兵団に頼っているのだから、その為に必要な額は莫大なものとなる。
そしてその為の支出は、王国財政はもとより王国の経済そのものの正常な形を害する――普段なら必要ない傭兵に大量の金が流れ込み、その異常に合わせて兵員の供給源である農村や傭兵相手の商売をする都市ですらもそれに応じて変化せざるを得なくなる――ことにもなる。

しかし、軍務卿の言うようにこのままレコン・キスタの侵略を座視することも出来ないこともまた事実――自国領で敵軍と決戦となれば戦場周辺に大きな被害を出すことは明白だった。
――おまけに相手は準備を整えた後に少なくとも5万もの軍で侵攻してくるのだ。
そんな彼が答えを出せずにいた、その時、

「諸卿の皆さん」

彼らの上座に一人伏し目がちに掛けていた筈の少女の声が聞こえた。
その声を聞いた全員が押し黙り、耳目をその少女に集中させる。
そして、注目に晒された少女――トリステイン王国王女アンリエッタは目前に集う人々に告げた。

「確かに、今回の同盟失敗はわたくしの不始末が引き起こした事態です。トリステイン王女として誠に申し訳なく思っておりますわ」

そこで彼女は一端言葉を切る。
そう語りかけた彼女の脳裏には、未だ帰ってこない――そしておそらくきっと帰ってこない幼馴染の顔が浮かんで、消えたのだ。

そして次に浮かんだのは彼女が愛を語らい、恋した皇太子の姿。
その想いを胸に、彼女は周囲に居る貴族を一瞥し、続けた。

「しかし、そもそもの事態は始祖よりアルビオンの統治を託されたテューダー家を裏切った不遜なるアルビオンの貴族にある筈です――レコン・キスタの始祖をも恐れぬ所業は断じて討たねばなりません!」

そして、彼女はゆっくりと息を吸い込むと、大広間に集う有力諸侯達に告げた。

「――わたくしは、アンリエッタ・ド・トリステインはトリステイン王国王女としてアルビオン侵攻を命じます。レコン・キスタを叩き潰し、アルビオンに再び正統なる血縁による統治を復活させねばなりません!そのために、諸卿の力をわたくしにお貸し下さいませ」

その王女の声を聞いた閣僚達がざわめき出す。
或る者は侵攻軍司令官のポストを獲得するために有力諸侯と語りだし、また気の早いある者は自領で軍を編成するために足早に部屋を立ち去っていく。

そんな喧騒の中、マザリーニはぽつりと呟かれた王女の声を聞いた。

「……ウェールズ様――愛しき貴方の無念、わたくしが晴らして見せますわ」

そんな声を聞いたマザリーニは上座に腰掛ける王女を見つめ、気付いた。
――彼女の目に明確な憎悪と復讐の炎が宿っていることに。






平賀才人は店の端から呆然とステージの上を眺めていた。

既に事件から2週間が経ち、貴族による捜索は王都から周辺の地域へと移り始めた今、その隙間を縫うようにして再び才人はトリスタニアに戻ってきていた。
そんな彼は今、コミン・テルンの中枢に居た。
演台――といっても普段は店に備え付けられたただの簡易ステージなのだが――の上には一人の男……らしき人物が熱弁を奮っていた。

その人物の名はスカロン。
40台前半の中年にしてこの『魅惑の妖精』亭の経営者だった。

「――アタシはメイジも平民も差別しない!」

コミン・テルンは創設者であるシエスタの曽祖父の死以来、純ハルケギニア人だけで運営されてきた。
しかし、その実情は貴族への反骨精神はあっても、その組織力と行動力を生かせないでいたのだった。
その背景には20年前、コミン・テルン最大の決起であったダングルテール蜂起が王政府の特殊部隊によって武力鎮圧された――すなわち事実上の虐殺が行なわれた――ことがあった。

「――アタシは金持ちも貧乏も差別しない!」

ダングルテールの虐殺は彼らに大きな挫折と衝撃を与え、さらにその数年後にシエスタの曽祖父が亡くなったことにより、加速された。
組織の精神的指導者であり、理論的指導者でもあった彼の死は組織全体に大きな衝撃と失望感を与え、コミン・テルンは組織崩壊の際まで追い込まれることとなったのだ。

「――アタシは男も女も差別しない!」

そんな組織を救ったのは、シエスタの従姉であったジェシカの父親である壇上の人物であった。
その姿は一見してマトモではない。
特徴的な黒い髪をオイルで撫でつけ、大きく胸元の開いたシャツからは逞しい筋肉と共に胸毛が覗いている。
鼻の下と割れた顎に髭を生やしたその男の姿からは、香水の香りと共に誰もを注目させる有無を言わせぬ何かが溢れ、その誠実な人柄は経営者として――そして指導者として周囲の誰からも信用されていたのだった。

「だって人は生まれながらにして平等で、そしてアタシは両方アイしてるから――!」

そう叫んだ直後、店中の人々から一斉に歓声と拍手が沸き起こる。
その拍手を手で押さえる仕草をして、店内を収めると、一転して悲しそうな表情を浮かべ、続けた。

「さて、まずは人民会議議長ミ・マドモワゼルから悲しいお知らせ。トリステイン王政府はわたしたち平民に『戦時特別税』をかける事を通告してきました。ご存知の通り、最近アルビオンで王政を倒した『レコン・キスタ』なる下賎な貴族たちに対抗して自分たちの利益を守るため、わたしたちの財産をうばいつくすつもりなのよ……。ぐすん……」

そんな中年男に対して周囲の人々が声をかける。

「泣かないで! ミ・マドモワゼル!」

「そうね! 貴族の圧制なんぞに負けたら『コミン・テルン』の看板が泣いちゃうわ!」

そう叫ぶと、スカロンはテーブルの上に飛び乗った。
と、同時に激しいポージングと共に続けた。

「『コミン・テルン』の目指すもの!ア~~~ンッ!」

その声に周囲の人々が唱和する。

「何人にも奪えない自由な権利の回復!」

「『コミン・テルン』の目指すもの!ドゥ~~~ッ!」

「誰もが等しく扱われる真の平等の実現!」

「『コミン・テルン』の目指すもの!トロワ~~~ッ!」

「人民の人民による人民の為の国家の樹立!」

「トレビアン♪」

その唱和が終わると、満足したかのようにスカロンは微笑んだ。
そして、次に再び新たなポーズを決めると、周囲の人々に語りかけた。

「さて、今度は同志たちに素敵なお知らせ。今日はなんと新しいお仲間ができます!」

店内にどよめきが満ち、その直後に拍手が満ちる。

「じゃ、紹介するわね! サイトちゃん!いらっしゃい!」

そう言って、スカロンは舞台下の端でシエスタと共にひっそりと立っていた才人を手招きした――ウインクしながら。
その仕草に吐きそうになりながらもシエスタに背中を押されて才人は舞台の上に上った。

才人は緊張していた。
シエスタに勧められるまま、トリスタニアに戻ってきたのはともかく、こうしてコミン・テルンの本部とも言うべき会合にいきなり参加させられるとは思っていなかったのだ。
――特に彼が驚いたのは、その組織のリーダーが「あの」スカロン店長だったことだったが。

会合前にそのことを紹介された才人は思わずちょっと引いたが、直に持ち前の純朴さで気付いた。
……思えば、見た目はアレだがこの世界につれてこられて困っていた彼を雇い、治療し、匿ってくれたシエスタやジェシカの裏にいたのはスカロンだったのだ。
それについて礼を述べた才人に「あらん……そういうコ、私好きよぅ」と言われたのにはもっと引いたが。


「サイトちゃんはある日突然、貴族にさらわれて無理矢理使い魔にされそうになったんだけど、間一髪逃げ出してきたの。とっても可哀想なコだけど、とってもスゴイ子なの―――」

そう前置きしたうえで、スカロンは才人がここ一月ほどの間に行なってきたことを、まるで傍らで見てきたかのように饒舌に、そして熱く語りだす。
それはルイズ――無論だれもそんなことを知らなかったが――から逃げ出したことに始まり、『魅惑の妖精』亭での真面目な働きぶり、モットを追い返してシエスタを救い出したこと、そして取るに足らない理由で彼らと同じ平民の命を奪った少年貴族を倒すことまで続いた。
そして、そこまで言うと、スカロンは新たなポーズを決めながら、続けた。

「サイトちゃん、じゃ、お仲間になる同志たちにご挨拶して」

その言葉にあまりこうした紹介に慣れていない才人は不安げに周囲を見回しながら舞台の中央に向かって進みながら、心底緊張していた。
しかし、才人は気付いていなかった。
先程のスカロンの紹介の間に、それまで彼の若さに心配げに見つめていた人たちの顔が徐々に期待に目を輝かせていったことに。
そして、そんな状況の変化に気付かぬままに才人としてはとりあえず、自身の思いつく限り無難そうな言葉を選んで話すことにした。

「は、はい―――え、えぇと、平賀才人です。ふつつかものですが、よ、よろしくお願いしますっ!」

「はい、拍手!」

そんな、なんとも珍妙な挨拶をした才人をフォローするかのようにしてスカロンが促す。
その声と同時に周囲から大きな拍手が響く。
そして、その拍手が静まる時を待って、スカロンは興奮した声で宣言した。

「さぁ、始めましょう!―――最初の議題は王政府が通告してきた『戦時特別税』に対する私達の方針について」

なにはともあれ、こうして才人は無事コミン・テルンの一員となったのだった。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


この作品を思いついたのは、らっちぇぶむ様の『運命の使い魔と大人達』を読んだことでした。
その時に思ったことを感想掲示板に書き込んだことが今回のアルビオン侵攻を決定する場面に生かされている……のかな?と思います。

『運命の使い魔と大人達』は名作ですので、読んでいらっしゃらない方はこの場所には居られないかと思いますが、是非ご一読をオススメします。


10/08/07
二回目の改定を実施





[3967] 第13話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 22:36

――――――――――――マチルダ・オブ・サウスゴーダは久方ぶりの自由を満喫していた。


彼女が居たのはうらぶれた酒屋のカウンターだった。
やや薄暗い店内で飲むワインは、お世辞にも彼女が「勤務」している魔法学院で出されるものより美味いとは言えなかったが、誰の目も気にせず存分に飲めるという開放感はそれにも増してを彼女に幸福感を味合わせていたのだった。

「おやじ、もう一杯おくれよ――」

そう注文した彼女の声に反応するように中年の店主は新たなワインを注ぎ、差し出した。
この世界の酒屋は特殊なサービスが無い限り昼は飯屋、夜は料理も出す酒屋というのが基本形態である。
当然、昼ともなれば大勢の人々が食事を取りにやってくる……筈なのだが、店内の客はぽつんと数えるほどでしかない。
異常ともいえる――少なく見ても今までのトリスタニアには無かった光景だった。
まぁ、昼間から一人で酒を注文している妙齢の女性というのも異常なのではあるが……。
そんな店内を一瞥して、誰とも無しに彼女は一人呟く。

「しっかし、ひどい寂れようだねぇ」

そんな呟きに閑古鳥の鳴き始めている店の主はムッとしたのか、無言で答えてこない――当然、彼女もそんなことを期待してはいないが。
しかし、そんな彼女に背後から返答があった。

「――同感だな」

驚いて振り向いた彼女の視界に入ったのは、凛々しい顔をした剣士だった。
胸を覆うプレートに小麦色の髪をショートカット……というよりはざっくばらんに切りそろえたと言うべき髪型をした剣士は砕けた調子で言葉を続ける。

「しかたないさ、今、トリステインはアルビオン侵攻の為に動員令を発しているからな。手近な男どもはみんな諸侯軍に駆り出され、ハルケギニア各地の傭兵団も王軍に引っ張りだこ、さらにはクルデンホルフが空中装甲騎士団まで派遣するそうだ」

そう言いながら、剣士はマチルダの隣の席に腰掛け、軽食を注文した。
マチルダは、ほう――と隣に腰掛けた剣士の姿を見ながら答える。
剣士の話の前半部は誰もが知っている話であるが、後半部はその道に属したことのある人々しか知らないことだったからだ。

「へぇ、あんた中々詳しいじゃないか? と、見たところあんたもその傭兵団の一員、ってとこかい?」

そうマチルダは尋ねた。
その質問に店主が運んできた出来合いの食事を受け取りながら、剣士は謙遜して答える。

「まぁ、そのようなものだ――まだ雇い主は決まってはいないがな」

そう言うと剣士はてきぱきと運ばれてきた食事を食べ始める。
彼女の答えを聞いたマチルダは前を向いたまま、目を細めて言った。

「なに、あんたほどの使い手なら直に見つかるさ。傭兵団どころか王軍にだって入れるだろうさ」

よほど貴族連中が無能でない限りね、と彼女は続けた。
彼女の隣で食事をする剣士の腰には数丁の短銃がホルスターに吊るされている。
さらにはあまり防御に重点を置いたとも思えないプレートや体の動きを疎外しない軽量の鎖帷子。
通常の――平民同士の殴りあいという白兵戦闘を重視する傭兵とは一味違った装備を持つ剣士の風体。
そこからマチルダはおそらく隣の剣士が、いわゆる『メイジ殺し』であろうと見当をつけていた。
兵力の不足に困る王政府がそんな逸材を放って置く筈も無い……よほど無能でない限りは。

いや、無能といえば無能か――とも彼女は思った。
ここ一月ほどの間に起こった王都での騒動。
その結末を見れば、自身の実力を他者と見比べることも出来ずに身分差や権威でしか物事を判断出来ない連中が大手を振って歩いているのは明らかであった。


「貴殿はあの噂をどう思う?」

そんな彼女の内心を覗いたのか、剣士が彼女に話しかける。
それはトリスタニアの平民の間では持ちきりの――平民の剣士が暴行を働いた貴族を打ち倒したという噂だった。

「色狂いの伯爵が平民の剣士に追っぱらわれて、傲慢ちきな貴族のガキが2人ほど川に浮かんでたって話だろ」

なんでもないかのように彼女は答えた。
その答えを聞いた剣士はほう、とおもむろに肩眉を上げる仕草をして、尋ねる。

「あの噂は真実だと?」

剣士の指摘した噂とは、何の代償も要求せずに平民を守った黒髪の剣士の存在だった。
ハルケギニアで金も貰わずに――わざわざ好き好んでお尋ね者になりたがる輩はいない――権力の象徴たる貴族に喧嘩を売る存在など今までに存在しなかったのだ。

「嘘か本当かは問題じゃないさ、少なくともあの偉ぶった連中が痛い目を見たというのが大切なのさ」

そう言って彼女は笑った。
無論彼女は自らが口にしたことが事実であることを知っている。
その答えを聞いた剣士もつられたかのように笑いながら答えた。

「まるで『イーヴァルディの勇者』のようだな」

――それが本当ならもっと愉快だねぇ、とマチルダは応じながら木杯に残った酒をあおった。

貴族の象徴たる「杖」ではなく、「剣」と「槍」をもって様々な悪を打ち倒したという『イーヴァルディの勇者』。
その物語は伝承、口伝、、詩吟など様々な形でハルケギニア全土に知られている。
しかし、その物語は貴族支配に不満を持つ平民が適当に生み出した御伽噺だと言われてきていた。
……この世界で最も強い武器は魔法である、と信じられてきたのだから。
と、同時に主人公であるイーヴァルディが貴族ではないという理由で、一時は禁書扱いになったこともある物語でもあった。

そして、短髪の剣士が言った「まるで『イーヴァルディの勇者』のようだな」という言葉には、事実としての公証性よりも、「人々を苦しめる悪が討たれた」という聞き心地の良い話を優先して求める人々の感情のことについての皮肉が込められていたのだった。
それに対してマチルダの返答には暴虐な「悪」を打ち倒す勇者の登場を待ち望むかのような響きがあった。


「――さて、私はそろそろ行かせてもらう」

そう言って何時の間にか食事を終えた女剣士は立ち上がる。
店主に数枚のスゥ銀貨を手渡しながら身支度を整える。

「そうかい、そりゃ残念だね。いい話し相手になると思ったんだが」

マチルダはそう立ち上がった剣士に言った。
剣士はその言葉をさも名残惜しそうにうなづくと、思い出したかのように告げた。

「それは私も残念だ。そう言えば自己紹介がまだだったな――私の名はアニエス」

「ああ、あたしは……マチルダとでも呼んどくれ」

そう咄嗟に彼女は名乗った。
そんな彼女に颯爽と剣士は挨拶した。

「では失礼する、ミス・マチルダ」



「やめてくだせぇ、それは商売道具でさぁ。それがなくちゃ、これからの商売が出来なくなっちめぇます――」
「やかましい! 税が金で払えないなら現物で支払うのが当然であろうッ!」

――店を出たアニエスが目撃したのは、店の前で繰り広げられる騒動だった。
貴族の男と平民の男がなにやら言い争っている様だった。

「そんな、今までの税はきちんと納めてきたじゃねぇですか」

そう貴族の服の裾を掴んだ平民の男が懇願する。
それに対して大き目の天秤を抱えた貴族の男――どうやら徴税官らしい――が余裕たっぷりに言い放つ。

「貴様、王国が新たに制定した『戦時特別税』を知らんのか? その納税がまだだろう?」

「一戸あたり100エキューなんて家族が一年食っていける額じゃねぇですか、そんな金、安商売のうちにはあるはずもありゃしませんぜ」

男の反論は真実だった。
事実、このトリステインの中でも最も物価の高いトリスタニアですら120エキューもあれば平民一家が一年間特に不自由することなく暮らせるのだ。

「やかましいッ! この平民が――」

そんな、あくまで食い下がる男を前に貴族の男は怒声を発した。
貴族の男が杖を懐から取り出し、魔法を唱えようとしたその時、咄嗟にアニエスはよく通る声で周囲にあえて聞こえるようにして言った。

「――ほう? 一戸あたり100エキュー?それは随分と高額だな」

その声に周囲の群衆は思わずざわめく。

「なにぃ! 誰だッ」

そんな声を聞いた貴族の男が声の主を探し出そうとする。
それと同時に周囲の群衆がアニエスの進む道を空けるかのように割れていく。


「おや、失礼した。だが、私の聞いた『戦時特別税』の話とは随分違うな、と思っただけのことだ」

彼女の余裕に満ちたその答えに貴族の男の顔色が変わる。
そんな姿を眺めながら、アニエスは続けた。

「確か、王政府が課した『戦時特別税』は一戸あたり50エキューだったはずだが?」

彼女が告げた内容に一斉に周囲の群衆がざわめき立つ。

「へ、平民風情がでたらめを言うなッ! 貴族たるこの私が100エキューと言ったら100エキューなのだ!」

その反応を聞いた貴族の男は慌てたように彼女のそれを上回る大声で怒鳴った。
しかし、その怒声をまるで風か何かのように受け流した彼女は続ける。

「ほう? 王政府からの通告ではそうなっている筈だが?貴様――貴族たる人間が自分より弱い平民を騙して差額を懐にでも入れるつもりか?……おまけにそれに逆らう平民に魔法を使うと?」

――魔法を使えば表沙汰に成らざるを得ないぞ、とアニエスは脅しをかける。

彼女の言っていることは真実だった。
トリステイン王政府は戦費捻出のために一戸あたり50エキューの『戦時特別税』をかけることにしたのだった。
それを水増ししていることが明らかになれば、いかな貴族とて無事ではすまない。
そして、『メイジ殺し』として幾度ものメイジとの戦闘を経験したことのある彼女は、相手が貴族だろうと決して引かない堂々とした態度で目前の男を睨み続ける。

そんな彼女の視線に徴税官の男は耐えられなかった。

「ええい、黙れッ! 貴様は平民の分際で貴族たるワシに文句でもあるのか!――とりあえず、これは現物納税として預かっていく、返して欲しくばきちんと特別税をこのチュレンヌさまのところに持ってくるが良い!」

そう言って、肥満した体を重そうに揺すりながら去っていく徴税官。
その背後で崩れ落ちた男がぽつりと呟いた。

「畜生、あの貴族の野郎、俺達を食い物にしやがって! 商売道具を取り上げて、明日からどうやって生きていけというつもりなんでぃ――」





数日後、魔法学院の宝物庫から無事に『破壊の杖』を盗み出したマチルダは王都で一人祝杯を挙げていた。
もちろん、無事目的を達した自分に対してのちょっとした祝いのつもりだった。

マチルダは一人、木杯を傾ける。
トリスタニア中の居酒屋が『戦時特別税』とやらのおかげでより安価な低品質のワインに切り替える中で、ここ『魅惑の妖精』亭のワインは産地から直接取り寄せているだけあってまだ上質だった。
しかし、そんな些細な慰めは彼女の心を十分に慰撫するには不足だったようだ。

「しっかし、これはどうしたモンかねぇ――」

一人小声で愚痴る彼女の背後に背負われた背嚢の中には魔法学院の宝物庫から奪った『破壊の杖』が仕舞われていた。
杖と呼ぶには少々太く重い、全長30サントほどの棒状のマジックアイテム。
固定化の恩恵によって製造されてから30年近く――最もマチルダはもとよりこの世界の誰もがわからないが――経った筈の本体は新品同様の輝きを維持していた。
しかし、マチルダには使い方はおろか、ガラス繊維強化プラスチックで出来た外装の材質が何で出来ているのかすらわからないという代物だったのだ。

「全く、魔法学院の教師ってのも臆病者の集まりってわけさね」

彼女がそう愚痴るのは、盗んだは良いものの、使い方のわからない『破壊の杖』を何とかする為に仕掛けた作戦のことだった。
しかし、その作戦は成功することはなかった――作戦を見破られたのではない、誰も『破壊の杖』の捜索に志願しなかったのだ。
その結果、『怪盗フーケ』と『破壊の杖』の捜索は王室衛士隊に委ねられる事ととなったのだった。

せっかく伝説のマジックアイテムを手に入れたのに、その使い方が判らなければ碌な値も付かない。
しかし、これ以上の作戦は彼女の正体を露見する危険性が高まる。
ただでさえ、距離の問題で往復時間が合わないというミスを犯したばかりであったのだから。

――出口の無い行き止り。
その表現がぴったりと当てはまる状況だった。



そんな思索に耽る彼女の背後ではまた新たな騒動が浮上していた。
徴税官である下級貴族が自らの権限を盾に様々な要求を店に求めて来ていたのである。

「おい、誰か酌をせい! この店はそれが売りなんだろう?」

店の真ん中のテーブルででっぷりと太った腹を揺らしながらチュレンヌはそう要求するが、どの店の女の子も男の相手をするのを嫌がって出てこない。
そんな状況の中でチュレンヌは周囲を見回し、一人の緑髪の女性を見つけた。

少々年は食っているがまぁ良いだろう。
そう思い、チュレンヌは相変わらず一人で酒を呷り続けるマチルダに声をかけた。

「そこな女、ワシに酌をせい!」

しかし、声を掛けられた当人たるマチルダは聞いていない。
二度、三度声を掛けられても動く気配すらない。
頭にきたチュレンヌは「客に迷惑を掛けられては困る」と押しとどめようとするスカロンを押しのけて、マチルダの傍らに歩み寄った。

「このチュレンヌさまの言うことが聞けんと――」

当のマチルダとしては、唯でさえ不機嫌なのに、これ以上偉ぶった貴族に顎で使われることは願い下げだった。
あまつさえ、近寄ってきたチュレンヌの息が臭い。
故に、彼女は肩にかけられた男の手を振り払うと同時に、こう言ってのけた。

「やかましいね!臭い豚が人間様の酒場に来るモンじゃないよ!」

彼女の肩に手をかけるチュレンヌの手を振り払おうとした拍子にテーブルが揺れ、料理の載った皿と彼女の背嚢の中身が零れる。
その中には手に入れたばかりの『破壊の杖』もあった。

床に叩きつけられた食器の割れる音が響く。
その直後――

「いい加減にしろよな、おっさん!」

そう言って貴族に食って掛かったのは厨房の奥で皿を洗っていた筈の才人だった。
そして、熱くなり易い才人を抑えるようにしてスカロンが間に割って入る。
そんな中、彼女は先程の言葉の一部が聞き覚えのあるような気がしていた。


チュレンヌ?……何処かで聞いたような気が――
先日の事が思い出される。

『――確か、王政府が課した『戦時特別税』は一戸あたり50エキューだったはずだが?』
『へ、平民風情がでたらめを言うなッ!貴族たるこの私が100エキューと言ったら100エキューなのだ!』

そう、確か店の外でそう叫んでいた徴税官の名がチュレンヌだった。
その事実を思い出した彼女は一転して楽しげに甚振る様な声色で黒髪の少年と言い争っている貴族の男に言った。

「……そういえば、あんたチュレンヌって言ってたね?なんでも税を水増しして溜め込んでるそうじゃないかい?」

彼女のその言葉に離れて状況を伺っていた平民客の剣幕が変わった。

「オイ、税を水増しってどういうことだ!」
「あの野郎――威張り腐るだけじゃなくて、俺達の金で私服を肥やしてやがったのか」

いつもなら平民達はとっくに逃げ出していたかもしれない。
しかし、酒の入った人々はその自制心が緩くなっていたこともあり、一斉にチュレンヌに詰め寄った。

「やかましい!貴様ら、このワシに逆らうとは――」

そう言って懐から杖を取り出そうとするチュレンヌ。
しかし、掲げようとした腕に背後からひっそりと近づいたシエスタがワインボトルを叩き付けた。
その拍子に懐から細身の杖が零れ、落ちた勢いのまま転がっていく。

杖の無い貴族は無力。
その常識に従い、あわてて杖を拾おうとして屈み込んだチュレンヌだったが、あと一歩というところで彼よりも先に杖を拾った者がいた。

皮をなめしたハーフパンツに大きく胸の開いた派手な色のランニング。
その上にはつやつやとした胸毛と整えられた顎鬚が見える。

一転して逃げ出そうとしたチュレンヌの周りには、既に彼を取り囲むようにして殺気立った人々が集まっていた。
――周囲を囲む人々のすぐ後ろに見える出口が遠い。
実際はたった数メイルの距離にあるにも関わらず、チュレンヌにとってその距離は永遠にも等しい距離の様に感じられたのだった。

そんな状況に思わず彼は、懐から財布を投げだしたと同時にそのまま伏して叫んだ。

「許して! 命だけは!」

そう懇願するチュレンヌにスカロンは拾った杖をへし折りながら、一言告げた。

「あらん……お楽しみはこれからよん♪」



なにか柔らかいものを殴りつける音を聞きながら、マチルダは先程散らばった背嚢の中身を拾い集めていた。
そんな彼女を何時の間にか群集の間から抜け出してきたらしい黒髪の少年が手伝おうとして、気付いた。

「これは……ロケットランチャー?」

どうしてこんなものが「この世界」にあるのか。
驚きとともに疑問が脳裏に浮かんだ才人は反射的にその『破壊の杖』に手を伸ばした。
驚いたのはマチルダも同様であった――彼女の場合は才人の発言に対してだったが。

「――あんた、これが何だか知ってるのかい?」

思わず無意識と言っても良いまま尋ねた彼女に対して才人は答える。

「あぁ……これは『M72ロケットランチャー』とか言った武器だ」

左手のルーンが輝き、彼の手の中の『破壊の杖』の正体が流れ込んでくる。
そんな聞きなれない言葉に対してマチルダはつい、口走ってしまった。

「ろけっと…らん…ちゃあ?――はぁ?これは『破壊の杖』じゃないって言うのかい?」

慌てて口を噤むが、既に彼女の周囲にはジェシカを初めとする『魅惑の妖精』亭の女の子達が片付けの為に集まっていた。

「『破壊の杖』って昨日魔法学院の宝物庫から盗まれたっていう伝説のマジックアイテムじゃない!」

そう言い放ったのは傍らで割れた皿を片付けていたジェシカだった。
魔法学院に保管されていた『破壊の杖』が奪われたことは魔法学院が王室衛士隊に捜索を依頼したことによってあっという間にトリスタニア中に知られていたのだった。

「それを持ってるってことは、あなたがあの『怪盗フーケ』?」

さらにそれを手伝う店の女の子が巷で噂の怪盗の名を口にする。

そんな中、ある意味呆然としていた才人は彼の手の中にある円柱状の物体を見て漠然とした思いを抱いていた。
――『破壊の杖』。確かにそう言われれば、その様に見えなくも無いな、そう才人は思った。
彼の手の中にあるM72ロケットランチャーは、もともと戦車を破壊するために作られた兵器だったからだ。
もし、発射された時を見たものが居るのならば『破壊の杖』と名付けても仕方ないのかも知れない。
そう自身を納得させた才人は目を伏せたまま、告げた。

「これは、マジックアイテムなんかじゃない――俺の世界の『兵器』だ」

しかし、そんな彼の呟きは周囲の女の子達による「フーケってあの怪盗の?」「うん、そうそう」「へぇー!この人が怪盗フーケなの?」と言った声にかき消されてしまったが。
さらに、そんな周囲の女の子達のおしゃべりを沈黙させたのは才人に遅れること数十秒でチュレンヌを取り囲む群衆の中から抜け出してきたシエスタの一言だった。

「あれ?ミス・ロングビルさんじゃないですか?」

そんなシエスタの発言に思わずジェシカが聞き返す。

「あれー?シエシエ、この人知ってるの?」

「ええ、確かにこの方は魔法学院の秘書をされているミス・ロングビルさんですけど――」

マチルダは項垂れた。
大勢の人間に顔を見られたことに加えて、前の職場で彼女のことを詳しく知っている人間にまで正体が露見してしまったのである。
もう魔法学院には戻れない。
最悪の場合、ハルケギニア全土に懸賞金付きの似顔絵が出回ってしまう可能性すらある。
そんな彼女にシエスタが笑顔で語りかけた。

「――大丈夫です、私たちはあなたの味方ですから」





――その数日後、トリステインはアルビオン侵攻準備を完成した。

動員された兵員はおよそ8万人。
自国防衛用の2個連隊、約8000人の徴集兵とアルビオン艦隊の排除及び渡洋輸送にあたるトリステイン艦隊に約1万2000人が割り当てられた結果、直接地上侵攻兵力は軍輜重を除けば王軍・諸侯軍を合わせて約5万人と決定された。
それ以外にも侵攻軍の後方支援として数万人の人々が本業から鞍替えして物資輸送や支援に当たることとなっている。

軍の規模が財務卿の当初見積もりの倍近くにまで膨れ上がった理由としては、同盟の締結を拒否したゲルマニアとの関係が悪化していたことに加え、王女の発言を受けて攻勢防御からレコン・キスタ打倒によって勝利を目指すということに戦争目的が変化したのが理由であった。
これでもレコン・キスタの5万に対して攻勢で勝利を目指すには少ないが、国を二分した内戦の結果、実質的にメイジの半減したレコン・キスタに対して倍以上の比率のメイジを動員することによって補えると判断された――そのために魔法学院の男子学生にまで動員をかけることが決定されたのである。
ある王宮関係者はこれらの動員についてこう評した。

「此度の戦はトリステインの総力を挙げた『総力戦』である」と。

―――後にアルビオン継承戦争と呼ばれることとなる戦争の始まりだった。








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第14話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 22:41

――――――――――――アルビオン貴族、サー・ヘンリー・ボーウッドは眼下に展開する艦隊を眺めていた。


アルビオン侵攻を開始したトリステイン艦隊はいかにも寄せ集めと言った様相を呈していた。
眼下に展開する艦隊の先頭にはかねてからトリステイン艦隊旗艦を勤める『メルカトール』号。
続く数隻の艦は識別表で見慣れた『メルカトール』よりも若干小型の戦列艦群が続く――そこまではそれまでのトリステイン艦隊と同様だった。
しかし、その背後には多種多様な戦列艦が列を成していた。
ある艦は新造間もないためか、雲に溶け込むように塗られた塗装が逆に反射してその艦影を浮き上がらせていたかと思えば、その後ろに続く艦は見るからに老朽化した旧式艦だった。

「トリステインの連中、幾分に努力したと見える」

そう呟いた彼の隣に居た若い青年貴族が彼に向かって叫んだ。

「艦長、そんなことを言っている場合ですか! 早くあの始祖に背く連中を叩き落す命令を発するべきです!……それとも臆したとでも言うのですか?」

そうがなりたてる青年の顔には興奮と恐怖――そして狂信があった。
そう、ボーウッドの隣で先程から意味も無く好戦的な台詞を吐く青年はレコン・キスタ中央評議会から派遣された貴族議会議員、つまりクロムウェル議長のお気に入りだった。
それは政治的地位においてボーウッドよりも遥かに上位にある存在であることを意味する。

それに対して、上官がレコン・キスタに付いた結果として叛乱に加わらざるを得なくなったボーウッドの政治的地位や信頼性は低い。
政治が全てに優先するというレコン・キスタの下では能力よりもその政治的信頼性とやらが常に優先されるのだ。
だからこそ、彼は傍らで自らの地位の優越性と好戦性をわめき立て続けているこの青年の侮辱に耐え続けていた。

「まぁ、落ち着きたまえ。決戦を前に貴族たる君が常に冷静沈着に振舞うことを忘れる筈はないと私は信じているよ」

年長者として、そう言葉を返しながらボーウッドは『ロイヤル・サヴリン』があれば随分と頼りになっただろうに、とひっそりと一人ごちた。
――いや、今は『レキシントン』だったか?まぁどうでも良い事だ、と彼は自嘲した。
艦長としての経験よりも政治的信頼性を重視して任命された男に指揮された、あのアルビオン王権の象徴だった優美なフネはニューカッスル陥落の際に損害を省みず突撃してきた『イーグル』の体当たりを受けて失われていた。
彼はその瞬間を自らが指揮していた『レゾリューション』の最上甲板から目撃したのだった。

「――旗艦より信号! 全艦戦闘配置に就け! 旗艦の砲撃開始と同時に全砲門開けとのことです!」

そんな彼の思索を断ち切るかのように、前方を航行する旗艦を注視し続ける見張員から報告が届く。
その報告を聞いたボーウッドは長年空の上に居た人間しか発することの出来ないよく通る声で命令を発した。

「本艦はこれより戦闘に入る――総員戦闘配置ッ!」

ボーウッドの命令と共に、自身の持ち場に就くために周囲の兵員が駆け出していく。
同時に主メインマストに応答の信号旗がするすると登っていく。
彼の『レゾリューション』に続く後方の各艦も同様の動きと共に応答の信号旗を掲げる。
その応答を確認した、前方を行く旗艦『ノーザンバーランド』は降下しながら速度を増し、前下方のトリステイン艦隊に向かっていく。
――そして、トリステイン史上最大の艦隊戦が始まった。





衝撃とともに船体が揺れ――そして舷側の何かが破壊される音が響く。
彼のフネに命中した砲弾は舷側の木製装甲を突き破り内部の壁に当たってようやく勢いを失うが、高熱を持ったまま内部の可燃物を引火させる。
まだその直撃で押しつぶされた者は比較的幸運と言えるかもしれない。
着弾と同時に砲弾によって粉砕された甲板や船体の一部が即席の杭と化して周囲のあらゆるものに突き刺さる。
それは人間とて例外ではない。
不幸な水兵のうち、数人がその木片をまるでハリネズミのように全身に突き刺して断末魔の絶叫の声を上げていた。

「損害報告!」

「右舷第二砲甲板に被弾! 砲2門喪失! 兵員12名死傷!――戦闘航海支障なし!」

彼の求めに対して直に反応が返ってくる。
彼のフネは軽微な損傷を負ったものの、戦闘には支障が無いようだった。

そんな報告を聞いて、敵は寄せ集めにしては中々やるものだ――彼はそう思った。
本来、艦隊搭乗員というものは専門職の集まりのようなもので、艦は直に建造できても船員の急な養成は不可能であるというのが常識である。
現在彼の『レゾリューション』が相手する艦はトリステイン常備艦隊に属するフネだが、急遽集めた多くの艦を運用するために熟練船員を引き抜いたにしては練度が高く、数斉射で彼の乗艦に砲弾を叩き込んだのだった。
――無論、単なるラッキー・ヒットだったのかもしれないが。

まぁ良い、それも直にわかることだ……彼はそう思い直した。
相手の艦は74門装備の二等戦列艦、しかしこの『レゾリューション』も備砲数では若干劣るものの70門の砲を装備した同じ二等戦列艦だ―――そう簡単にやられはしない。

「砲撃を続けたまえ――」

そう命令する彼は、先程まで傍らでうるさく喚いていた青年貴族のことをすっかり忘れていた。



既に戦闘開始から10数分が経過し、数隻の敵艦が炎上、あるいは隊列から落伍して数を減らしていた。
そのうち2隻は彼の指揮する『レゾリューション』の戦果だった。
もう何度目になるかわからない斉射の轟音と反動による船体の揺れを感じながら、ボーウッドは一人思う。

――ふむ、我がアルビオン空軍もまだまだ大陸人に劣るものではないな。

その時、見張員の絶叫が響いた。

「艦長! 『ノーザンバーランド』が!」

その声にボーウッドは前方の旗艦のほうを振り向き、目撃した。
前方を航行する旗艦は多数の艦に標的にされたためか、炎上しながらさながら断末魔の状況を呈していた。
敵に向けられている右舷側は酷く破壊され、高度と速度も急速に低下していた。
さらに消火に当たる水メイジも戦死したのか、既に手が付けられないほどにまで燃え広がっていた。
そして次の瞬間、火薬庫に火が回ったらしい――大爆発と共に一瞬のうちに内部から風船のように膨れ上がり、直後に空中で爆散する。
バラバラになった船体、いや残骸があっという間に遥か下の大海へと落下していく。
そんな光景に誰もが呆然とするなかで、誰よりも早く自分を取り戻したボーウッドは傍らに立つ伝令員に告げた。

「後続各艦に伝達!――旗艦喪失につき、これより本官が艦隊の指揮を執る! 運動旗一旒!」

その信号を受けた各艦からは次々と応答が帰ってくる。
これで艦隊としての戦力は失われずに済んだ――当面の問題は去ったと彼は安堵した。
戦闘中にも関わらず、彼の思考からは常に余裕が失われることはない。
それがこのアルビオンの空で生きてきた彼の誇るべきものだった。
いや、真に誇るべきはこの状況でも粛々と自分の任務を果たし続ける水兵諸君だな、と彼は思う。
……しかし、彼のフネには異分子とでも言うべきその例外が一人居た。

「か、艦長! 直ちに艦を敵から離して私の安全を確保したまえ――! このままではわ、私の身が危険だ!」

戦闘開始前の強気から一転して弱気に転じた青年貴族がボーウッドに向かってわめき立てる。
しかし、彼の傍らにはその青年の姿はない。
彼はこの艦が初めて被弾してからというもの、共に上甲板に一人で立ち続けるボーウットから離れ、物陰に隠れた状態で縮こもっていたのだった。

そんな青年の姿に“貴族たるもの、勇敢であれ”と謳われたかつてのアルビオン貴族の栄光は全く見えない。
――祖国の防衛よりも自身の身の安全こそが大事か。
アルビオンの貴族とやらも落ちたものだ。

「艦長! 聞いてい――」

轟音とともに船体が揺れ、船体が破壊される音が響く。
と、先程から続いていたわめき声が突然途切れた。
同時に一瞬鼻を突く血のにおい――しかし、たちどころにその臭いは圧倒的な硝煙や木材の焦げる臭いに取って代わられた。

――ふむ、これで君も革命貴族とやらの意義を示したわけだ。

傍らで全身に無数の即席の木杭を突き立てた青年だったものを一瞥して彼は思った。
青年が遮蔽物としていた壁に砲弾が命中した結果だった。

と、同時に彼は自艦に対する被弾状況を確認する。
――むしろ最大の問題は数の差だろうな。
青年貴族に対するつかの間の哀れみ、という贅沢から思考を切り替えた彼は思った。
かつての強大なアルビオン空軍は内戦によって失われ、今あるのは彼の指揮する艦も含めて十数隻でしかない。
それに対してトリステイン側は寄せ集めとはいえ、ざっと見ただけで30隻を超える。
ある程度の損害は与えられるだろうが、マトモに戦っていれば何れは物量に押しつぶされてしまうだろう。
ならば、採るべき方策は一つしかない。
トリステイン艦隊が守るべきもの――すなわちアルビオン上陸部隊を搭載した輸送船団に出来るだけ損害を与え、地上部隊が有利になるように仕向けるしかない。
もちろん、輸送船団にも護衛は付いているだろうがその数は現在交戦中の主力艦隊よりは少なく、旧式である筈だった。

「全艦に伝達! これより本艦隊は敵輸送船団の襲撃を敢行し、可能な限りの損害を与えんとす――」

彼は命令を下した。
……当然そこには自身の帰還という考えは無い。
未だ敵艦隊が戦闘力を保持したまま(しかも自軍よりも優位な)の状態で敵の後方にいる輸送船団を攻撃するということは自分から挟み撃ちの状況を作り出すことに等しい。
戦術としては下策であり、無能と言われても仕方がないかもしれない。
仮に輸送船団に攻撃を掛けることができたとしても、追撃してくる敵主力艦隊によって自軍の大半が撃破されてしまうだろうということはボーウッドにもわかっていた。

それでも、敵が侵攻してくる本土を守る為にはやらなくてはならなかった。
彼はあまりレコン・キスタの事を好んでは居なかったが、彼は彼なりに自身の故郷であるアルビオンを愛していたのだから。
そして、彼の挙動を注意深く見つめていた水兵達に強く、そして何処か柔らかな声で言った。

「アルビオンは諸君の奮闘を期待する!」





アルビオン上空での勝報は直ちに王城にいるアンリエッタの元に届けられた。

トリステイン艦隊はレコン・キスタに支配されたアルビオン艦隊の多数を撃破、と言う知らせである。
アルビオン艦隊は一時トリステイン主力艦隊を突破して輸送船団に向かって突撃したが、最終的に数に勝るトリステイン艦隊に押しつぶされるようにして壊滅した。
――アルビオン空軍は主力艦7隻を失い、残りも大破という損害と引き換えにトリステイン側の主力艦12隻を撃沈、輸送船団に7隻の損害を与えて壊滅したのだった。
無論、不用意に王女や侵攻反対派に不安や休戦への願望を抱かせないように、味方に関する損害の部分は伏せられ、「これでアルビオン上陸の阻害要因となるものは無くなった」という戦略的状況のみが記されていたが。

しかし、その知らせを届けるために、長躯飛竜を駆ってきた伝令が見たものは、焼け落ちた貴族の館や後処理に追われる衛士と言った王都での巨大な騒乱の痕だった。



その事件はどんよりと曇ったある初夏の日に発生した。
直接的な原因は誰にもわからない。

あるものは先日まで行なわれていた貴族殺害の犯人捜索時の貴族の横柄なふるまいがそうだと言い、またあるものはアルビオン侵攻に伴う戦時課税や貴族の腐敗が原因だと言う。
戦時体制とそれによる食物価格の高騰が原因であると言う者も居れば、あるいはその日が休日である「虚無の日」であったことに原因を求める者も居る――平日であれば人々は自身の労働に精を出し、そんな騒乱に参加する余裕を持たなかっただろうと言うのだ。

いずれにせよ、貴族に対する平民の限界がある一線を越えたのは確かだった。

それは誰もが持つ横暴な貴族に対する不満という共通意識を土台として、さらにその周囲の人々から外周に向けて同種の影響を与え、その意識はまるで伝染病のようにして瞬く間に人口の密集したトリスタニアの街中に広がっていく。
誰かが今まで内心で圧殺していた不満意識の噴出をこらえきれなくなったのだ。

そうした意識がまるで連鎖反応でも起きたかのように、膨れ上がる。
集った人々は誰しもが貴族に対する不満を隠さない。
そんな場所を求めて多くの人々が集いはじめると、必然的に密集した人々はさらに広い場所を求めて動き出す。
さらに移動先の人々を流れに取り込んでさらに広い場所を求める。
その数はあっという間に1000人を突破し、直にその2倍、4倍と膨れ上がる。
そうして発生した群集は自然発生的な流れとなって貴族街へ――そして、王城の方向へと流れ出した。


王都トリスタニアは大きく分けて二つの町――いや、二種類の町から出来ている。

一つは当然のことながら、住民の住む平民街であり、経済の中心地として人口の大半はそちらに居住している。
しかし、その平民街の居住環境は劣悪であった。
代表的な大通りとて街路幅は数メイルの幅であり、当然舗装もされていないので雨が降ると泥水が溜まる。
おまけに出店用の資材が休日でも道の両端に置かれており、実際の広さはかなり狭いのが現実であった。
その街路の間を埋め尽くすかのように密集して建てられた木製の家々は風通しも悪く、まるで迷路のようなじめじめとしてかび臭い路地裏を構成していたのだった。

そして、もう一つは平民街と川を挟むようにして存在する貴族街である。
貴族街には当然、貴族の壮麗な館が立ち並び、王城といった官庁もこちら側に配置されている。
所領を持つ貴族はこの貴族街に大きな屋敷を持ち、事実上ここで暮らしているものも多かった。
そんな貴族街には彼らを快適に過ごさせるため、下水道を初めとした各種設備が整えられ、馬車が行き交うという理由で限定的ながら石畳による舗装も敷かれていた。
また、平民街と違って、大通りには出店が立ち並ぶことが許されていないため、書類の上では同じ道幅ながら実質的には遥かに広く整然とし、かつ庭付きの貴族の王都別邸によって広々とした全く別の町並みが形成されていたのだった。

そして、そんな平民街から貴族街の中心を貫き、王城へと至る大通りは数え切れないほどの人々で埋め尽くされつつあった。

「――ワシらの家を滅茶苦茶にした横暴な貴族様を処罰してくだせぇ」
「――戦争税をなんとかしてくださいませ。唯でさえ食べていくのがやっとなのに、これでは死ねというのも同然です」

人々は口々に現在の苦境を訴え、そして不満を表明しつつ、トリステイン一の大通りたるブルドンネ街からゆっくりと広いほう、広いほうへと進み、王宮へと繋がる貴族街を進み続ける。
いつしか、人々の目指す場所は王宮前広場となっていた。

彼らが目指すものは彼らが信じる始祖ブリミルの直系。
トリステイン……いや、ハルケギニアでは始祖ブリミルを崇拝することが定められていた。
それは、支配者たる国王が始祖の直系を自称しているという政治的事情もあったが、なにより始祖ブリミルは魔法を伝えることによって、人々を富まし、凶悪なオークと言った野獣から守ることを実現した存在であると信じられてきたのだった。
その直系――人々を守るとされた始祖の血を引き、『トリステインの花』と謳われたアンリエッタ王女なら、自分達平民の苦しみがわかってくれると誰もが信じていた。
故に、現在の生活に苦しむ人々は普段立ち入ることさえ憚られる石畳の道を進み続けた。



「下がりたまえ――!」

トリステイン王都警備隊の華美な制服に身を包んだ当直士官が叫んだ。
かつて優美な立ち振る舞いを常に心がけていた彼であったが、今はそんな片鱗も見えない。

彼は一月ほど前、可愛がっていた5つ年下の弟を失っていた。
魔法学院に在籍していた彼の弟は、彼が守る王都トリスタニアの平民によって殺されたという。
――弟は貴族としての誇りを守る為に戦った。
彼は父や兄からそう聞かされていた。

しかし、今はどうだ?
下賎なる身分にも関わらず、彼の弟を奪った平民共は、今度は王政府の権威までも犯そうとしている。
目前の光景は、少なくとも彼の眼にはそう写った。
決して許されることではない――今一度、この平民共に我々貴族の力と権威を示さなければならない。
……それこそが貴族としての誇りを守る為に死んでいった弟の名誉をも守ることになるだろう。

ゆっくりと迫り続けてくる困窮した人々を前に彼はそう決意した。

そんな当直士官の姿に最初に気付いたのは先頭近くにいた30代の女性だった。
彼女は「下がりたまえ――!」と警告する彼に向かって強い口調で請うように言った。

「貴族様……お願いします、そこを通して下さいませ。私達はあの美しい王女様にお話したいことがあるだけなんです」

しかし、そんな懇願をする女性の隣では60歳を遥かに超えるような老人が傍らの孫のような青年に支えられながらもあらん限りの大声で叫んでいた。
その願いの対象は貴族である当直士官ではなく、遥か彼方の王城に居るはずの王女に向けられていた。

「王女様……どうか無益な戦争など止めてくだされ」

さらにその背後に居た20代後半くらいの女性が大声を上げる。
しかし、その頬はげっそりとやせこけ、まるで50代のように見えるほどやつれていた。

「こんなに麦の値段が上がっては生きていけません! 子供たちも飢えております……王女様、どうか私達の生活をお守り下さい」

そんな彼女の叫びには、平民の生活に対する深刻な現状があった。
戦時体制に伴う兵員への食糧供給の為に主食である小麦の価格が上昇していたのだった。
特にそれは各家に一年分の備蓄のある農村部に比べて、基本的に自宅で食料を保存することの無い都市部で顕著だった。
そして、戦時体制に伴う物資不足はトリステインで一番物価が高く、最も人口密度の高い王都トリスタニアで最も深刻な状況を作り出していたのだった。


当直士官はそんな懇願をする人々に向かって大声で告げた。

「君達はよほど痛い目に遭いたいのか? 平民の分際で姫様に会えるわけが無かろう! それに王都を騒がすなど言語道断であるぞ!」

これでいつもどおり、平民どもは怯えながら解散するだろう――彼はそう思った。
それでも理解しないのなら彼の魔法を数発、空に向かって放つだけで蜘蛛の子を散らすように逃げ出すだろう。

しかし、そんな彼の予測は覆された。

「アンタみたいな下級貴族に用はねぇ! 俺達はアンリエッタ王女様にお願ぇをしにいくだけなんだ!」

何処からか聞こえたその叫びが彼の耳に届く。
さらに、彼がその声の主に反論する前に前方の群衆の中から同意の声が無数に上がる。
そしてその熱狂は人々を更なる批判へと駆り立てた。

「貴族の面子を守る為の戦争なんてやめちめぇ!」
「貴族どもは俺達を殺す気かっ!」
「アンタみたいな貴族が居るから私達はいつも苦しめられるんだ!」

そんな批判に対して、初めは彼らが何を言っているのか判らなかった。
――平民がここまで堂々と貴族や政治を批判することなどありえなかったからだ。

しかし、次第にその事実と意味を理解すると彼は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「黙れッ!――貴様らッ!」

そう怒鳴り返しながらも、彼は困惑していた。

今までならこんなことは無かった筈だ。
そして自身はこの現状にどう対応すればいいのか。
しかし、彼が困惑するその間にも人々はまるで波打つようにして彼の立ちはだかる広場に向かってゆっくりと進み続ける。

そんな光景を眼にして彼に従う平民の衛士たちもこの状況の異常さに気付いた。

異変に気付き、怯えるような眼を向けてくる自身の部下の前で逃げ出すわけにはいかない――もし逃げ出してしまえば平民ごときに怯えて逃げ出した貴族という汚名を受けることになってしまう。
武名の誉れ高いグラモン家に連なる者としては、それだけは避けなくてはならない。

彼は混乱したまま、この場で唯一縋ることの出来る自らの職責の義務にしたがって叫び続けた。

「下がれと言っているのが聞こえないのかッ!」

しかし、群集は止まらない。
いや、仮に先頭が止まったとしても、後方の何も聞こえない群集は進み続ける。
そうした圧力に押される形で全体としての群集は決して止まることなく進み続ける。

数千……もしかすると万の単位にまで膨れ上がった人間の動き。
いままで一度に見たことも無い様な数の人間が正面に立つ自分に向かって進んで来る。

そんな光景を前にして彼はパニックに陥った。

どうしてこんなことになったのか。
何故彼らは止まらないのか。
――この状況から逃げ出したくても逃げ出せない現状。
ならばどうすればいいのか。
そもそも何故こんなことになったのか。

出口の無い堂々巡りの中で彼は弟のことを思い出した。
可愛い弟……あの優秀だったギーシュもまたこんな状況に直面したのだろうか。
だとするならば、同じような状況に置かれている自分の身は――

彼は背筋に寒気を覚えた。

先日、彼の弟を奪った平民。
その平民が大勢で、今も彼の元へと進んでくる。
徐々に彼には弟を殺したという平民と、押し寄せる非武装の群衆との区別がつかなくなっていった。

そして、弟を奪った憎悪と彼自身の生命の危機感は、彼に一つの行動を取らせる。
それは本能的な行動だった。

「――く、来るなぁ!」

その叫びと共に、彼は自身に向かって進み来る人々に向けて魔法を放った。



どんよりと曇った夜空を紅蓮の炎が赤く染めていた。
空を赤く染め上げていたのは数軒の貴族の邸宅や衛士詰め所等であり、その炎に照らされた石畳にはどす黒く変色した液体が染み付いていた。

半日をかけて、日が暮れた頃に騒乱は鎮圧された。
直接的な責任を負う王都警備隊だけでなく巨大化した騒乱を抑えるために、王城警備を担う3つの魔法衛士隊――グリフォン隊・ヒポグリフ隊・マンティコア隊までもが投入された結果だった。
王政府側の死者は27名に上り、負傷者も98名に達した。
うち、士官である貴族の死者は2名。
そこにはあのグラモン家の次男の名前もあった。

それに対して、この騒乱に加わった平民の犠牲者の正確な数は分からない。
確認できた遺体は300体以上、負傷者については見当もつかない。

発生原因もわからなければ、その正確な被害もわからないというこの事件。
しかし、一つだけ確かなことがあった。


――王家や王政府は平民を守らない。


ハルケギニア初と言ってもいい平民による大規模騒乱は、ハルケギニアの統治体制の根幹たる「王権神授説」を平民レベルとはいえ、否定した――いや、少なくともそう認識されるという結果をもたらしたのだった。
そうして、この事件は後にこう呼ばれることとなる。

『赤い虚無の日』事件、と。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第15話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 22:55

 ――――――――――――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは首都ロンディニウムの議会議事堂、その一室に居た。


彼女の隣に居たのは、彼女の婚約者たるワルド。
表向きは死んだことになっている彼らは、改めて自分達の所属する「国家」の最高指導者と会見するためにここにいたのだ。
そして、彼らの待つ絢爛きらびやかな宝飾に飾られた部屋には革命の象徴である三色旗が飾られていた。

「神聖アルビオン共和国護国卿、オリヴァー・クロムウェル様の御成ぁり~!」

護国卿とはアルビオン王朝亡き後、王権の代わりに国家の最高統治権を担う担当官職として作られた役職である。
その護国卿に就任したのは片田舎の司教であった男であった。
うだつのあがらない風采に野暮ったい神官服。
その傍らには顔が隠れるほどのローブを纏った女性が付き従う。
かつて、王の座所として作られた玉座にクロムウェルはゆっくりと腰を降ろすと、前に控える彼女達に視線を注ぎながら口を開いた。

「良く参られた、ワルド子爵そして……ミス・ヴァリエール殿」

そして、クロムウェルはワルドに視線を向けると、先の皇太子暗殺についての手柄を褒め称えた。

「ワルド子爵。このたびのウェールズ皇太子暗殺、そしてアンリエッタの恋文の件、見事であった」

そんなクロムウェルの言葉に対し、ワルドは頭を下げたまま答えた。

「いえ、さしたる難題ではありませんでした故、そのようなお気遣いは無用に存じます」

「いやいや、ウェールズ皇太子と言えば、あの若さでトライアングルという使い手。それを敵地で討ち果たすことが出来るのはハルケギニア広しと言えども貴殿くらいの者であろう」

そう称えるクロムウェルに対し、ワルドは光栄至極とばかりに頭を下げた。
そんなワルドの反応を確認したクロムウェルは、次に興味の対象をワルドの傍らにいた少女へと向けた。

「さて、ミス・ヴァリエール殿――」

そう言ってクロムウェルはワルドの傍らで黙り続けるルイズに視線を向けた。

「――特にあなたはトリステイン王族に連なる血統の方と聞き及んでおる」

その言葉にルイズは反応した。
彼女としては自身の生まれを否定することも、自身の能力を否定することも無い。
――彼女が否定するのは彼女を否定するモノだけだった。

「あら? 王族に連なる血縁はお気に召しませんかしら?」

彼女は逆に問いかけた――それが一般にはとてつもない非礼であることを知りながら。
それは目前の男がどの程度の男かを確かめるためでもあった。
――もしクロムウェルが怒りの余り彼女を処罰することが出来るのであれば、それは彼がこのレコン・キスタで逆らうことの出来ない唯一の超越者であるということ。
だとするならば、目の前の男は彼女にとって倒すべき「敵」ということになる。
と、同時に彼女もまたクロムウェルにとっての非服従者、すなわち「敵」であるということになる。
もし、そうでないとしたら――

「ルイズ――!」

そう挑発的に答えたルイズを制するようにしてワルドが声を上げた。
しかし、そんなワルドを窘めたのは苦い顔をしたクロムウェル自身だった。

「いや、あなたはワルド子爵の婚約者として此度の任務の実現に大いに貢献したと聞いておる――それに王族に連なる血統といえば、正当なる始祖の血縁。あなたほどの方がレコン・キスタに居られれば、聖地の回復も近いことであろう」

その言葉にルイズは内心ほくそ笑んだ。
自分達の手で「正統なる始祖の血縁」を滅ぼしておきながら、王族の血統であった・・・彼女を誉めそやす。
それは彼らが担ぐべき「神輿」を探していることに他ならない。
ならば当然、神輿を担ぐ理由が必要となる。
――そう、おそらくはレコン・キスタは王権の崩壊後の明確な方針が無い。

「聖地の回復」などという誰もが否定しない大目標を掲げる一方で、王から権力を奪った後のことについてなんのビジョンも存在しなかったに違いない。
そう思い至ったルイズは目前の神輿である男の背後に何があるのかと思った。

一方、その言葉は傍らで控え続けるワルドにとっては不可思議だった。
普段はプライドの高いクロムウェルが何故ここまで好機嫌なのか、何故ルイズの無礼を通り越した発言に対して彼女を持ち上げるような発言をするのか、と言った疑問だった。
彼のそんな疑問は謁見が終わり、奥の間に下がろうとクロムウェルが立ち上がった瞬間に頂点に達した。

「――誠に失礼かと存じますが、閣下が私にお命じになられた理由として挙げられた『彼女の力』とは一体何なのでしょうか?」

「……」

思わず問いかけられたワルドの質問に対し、クロムウェルは答えない。
いや、答えられない。
彼もまた、目の前の傲岸不遜な美少女がどんな価値を持つか知らなかったのだ。
それを知るのは彼の背後に控える「彼女」だけ。

――沈黙を続けるクロムウェルの代わりに答えたのは先程からじっとルイズを見つめ続けていた女官だった。

「貴方が知る必要はありませんわ――子爵」

口元を僅かに歪めてそう言い放つと、女官はクロムウェルと共に奥の扉へと姿を消していく。
後に残されたのは閉ざされた扉を見つめ続けるワルドと、そんな彼の姿を冷ややかな目で眺めるルイズの姿だった。



クロムウェルとの謁見を終えた彼女は、ここロンディニウム近在の諸侯を集めたパーティに招かれた。
既にトリステインとの戦いが開始されているにも関わらず、彼らが首都に留まっている理由は、より遠隔地の諸侯が自身の領地で軍を編成して集結するのを待っていたためであった。

王権が滅びた後も、アルビオンの統治体系の根幹は封建制であった。
貴族階級たる各貴族の所領は王権派貴族の処断によりその所領を増し、教会の所領もまた維持されていた。
しかし当然、王が滅びた以上、王という最大諸侯の編制する「王軍」はもはや存在し得ない。

代わりにレコン・キスタの主力となったのは、各地の諸侯が率いる諸侯軍だった。
しかし、傭兵を主力とする王軍に対し、徴収兵を主力とする諸侯軍の動員速度はきわめて遅い。
さらに各地の所領で編成された軍が首都に集結するのにも時間がかかる。
それはアルビオンに成立した「共和政」というものが有力諸侯の寄り合い所帯に近いためでもあった。


「おお、子爵殿――」

そう言ってワルドに近づいたのは首都近郊に所領を持つ40代の伯爵だった。
そしてそのまま、なにやら談笑を始める二人。
その間、ルイズは一人考え続けた。

――彼女の意識は先のクロムウェルとの会見での発言に集中されていた。
唐突に発せられたワルドの焦りを含んだ質問とそれに対するクロムウェルの反応。
一見、上位者の驕りとも思えるクロムウェルの反応に彼女は気付いていた。
クロムウェルもまた、『彼女の力』が何なのかを知らない。
彼女の力について彼女以外で知っているのはクロムウェルの背後に立っていた、あの女官だけ。

形の上とは言え、この国の最大権力者すら知らないことを知っている女――そう、あの女こそがクロムウェルという神輿、いやレコン・キスタそのものを牛耳る存在なのだろうか?
……いや、それはただの思い込みに過ぎないのかも?
そんな彼女の思考は突然に中断を余儀なくされた。


「失礼。ワルド殿、この女性を紹介して頂けないでしょうかな?」

唐突に声が聞こえた。
彼女が考えていた間に傍らのワルドと伯爵の話は終わったらしい。
そんな声に応じてワルドもまた上機嫌で答えた。

「ええ、ご紹介しましょう。彼女は私の婚約者のルイズ、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです」

「ほう、ヴァリエールと言えばトリステイン一の高名な貴族。そこなご息女で在らせられるあなたはさぞ強力な『使い手』なのでしょうな――」

そう言って伯爵はルイズの方に視線を向ける。
そんな伯爵の質問に対して、彼女はまるで茶化したかのように笑顔で答えた。

「……伝説の『虚無』の系統ですわ」

そんな彼女の一言に伯爵は良く出来た話を聞いたかのようにして笑った。

「はっはっは、ご冗談がお得意のようで――おっと、申し遅れたが私は火のトライアングルでしてな」

そう言って、さらに問い続けた。
それは他者の実力を知っておくという貴族独特の社交辞令の一つでもあった。
そんな伯爵の重ねた質問に対して、ルイズは笑顔を保ったまま答える。

「いいえ、私系統魔法は使えませんもの」

しかし、その目は笑ってはいない。
ルイズはただ、冷ややかな目で目前のトライアングル・メイジを眺めていた。

「――失礼」

その視線に耐えられなかったのか、貴族はさっと立ち去っていく。
このハルケギニアで『虚無』とは失われた系統。
その使い手は唯一人、レコン・キスタの代表であるクロムウェルだけの筈。
そして、彼女は「系統魔法」が使えない、と自ら言ってのけた。
そんな言葉の意味するところを察して、男は去り際にひっそりと一言呟いた。

「いくら名門の血筋とは言え、魔法もロクに使えないものが……」

しかし、そんな言葉も今の彼女には気にならない。
今のルイズにとってはそんな儀礼には何の価値も無い。
当然、「ゼロ」の少女にとってはトライアングルやスクウェアといった区分には興味はなかった。

――力の無い貴族連中が作り上げたハルキゲニアの社会制度は私を認めることはない。

かつて、魔法学院の庭での誓いが思い出された。
しかし、その為の手段として接近したこのレコン・キスタの内部では未だに彼女の拒絶する「区分」が厳然として存在している。
それはその組織の構成員が区分を求める貴族達であるから。
護国卿とやらも所詮はそうした連中に担がれた神輿に過ぎない。
ならば――

そこまで思い至り、彼女は僅かに口元を歪めた。






「平民達が、まさかこんなことを起こすとは……」

トリスタニアの王宮で、そう呟いたのは財務卿だった。
周囲には急遽集められた、トリステインの政治を司る高級貴族達で溢れていた。

「そんなことはどうでも良い! 問題はどうやってこの事件で傷ついた王政府の威信を取り戻せるかということだ!」

軍務卿の大声が大広間に響く。
その声に普段から居丈高な振る舞いで有名な貴族が吠えた。

「――簡単なことだ、あの愚昧なる平民どもに今一度我らの力を示してやれば良い!」

そう叫んだ彼の金襴緞子で知られた王都の屋敷は、先日の騒乱の中で焼け落ちていた。
彼の威勢の良い言葉に続くようにしてそうだそうだ、と周囲の貴族から賛同の声が上がった。

しかし、そんな同意の声を遮るようにして響いたのはマザリーニの声だった。

「いけませんな、そんなことをすれば再びあのような騒乱を招くことにもなりかねん」

トリステイン最高の政治権力を握る彼の発言に真っ向から反論できる人間はほとんど居ない。
一転して沈黙した大広間の中で、マザリーニの意見に反論したのは以外にも集まった貴族の中では下級に位置する貴族だった。

「貴族たる我々の威信を示さなければ王都の治安維持は不可能です!」

彼は現在の王都警備隊の長として、治安回復と維持のためには貴族の権威回復が必要であると主張したのだった。
実際に取り締まりに当たるのは平民である衛士だが、犯人を捕らえ、治安を守らせるといったものの根拠となっているのは「貴族」という権威による正統性である――それが今回の騒乱で泡と消えてしまったのだ。
それは彼が職責を果たす上で、必要であると考える最低限のものだった。

「なに、我々が平民風情の相手をする必要はない。平民相手ならあの……先日殿下が創設なされた、あの平民連中にやらせればよいではないですかな?」

そんな彼の意見を聞いていたある貴族がふと思い立ったかのようにして発言した。

彼の言う「平民連中」とは新設されたばかりのトリステイン銃士隊のことであった。
アルビオン侵攻に伴う戦時体制の中で、特にアンリエッタの肝いりで作られた新設護衛部隊。
その兵員の全てが平民出身の女性であり、魔法ではなく銃を主に装備する部隊として編制されている。

その貴族はその部隊を王都の治安維持の為に使用してはどうか、と主張したのだった。

「それはいい考えですな、平民相手ならあの粉引き風情ラ・ミランでも十分でしょう」

名案だ、とばかりに周囲の貴族達が一斉に賛同する。
銃士隊を治安維持の担当として据え付ける――平民の不満の対象は自分達貴族ではなく銃士隊に向けられる。
万が一損害を出すことがあったとしても、そこで失われるのは自分達とは関わり無い平民なのだ。


「……しかし、あの戦時特別税はやはり重過ぎるのでは?」

大広間の中の空気が銃士隊による王都の治安維持に決まりかけた中、財務卿が再び発言する。
彼は気付いていた。
――治安維持の担当をこれまでの貴族による王都警備隊から平民主体の銃士隊に移管する。
それはこの問題の本質をわざとぼかしたものに他ならないことに。

治安維持の担当を替えたくらいで今回のような事件が起こらなくなる、ということはない。
それは行政機関の中での業務の移管であって、王国と平民との関係には何の変化も無いのだ。
そして、王国の財務を預かる彼としては、今回の戦時特別税は余りにも重過ぎると考えていた――しかし、最終的には侵攻に必要な軍事的・財政的な要求が優先され、統治に関する要望は軽視されていたのだった。

そんな財務卿の発言の真意を理解したのか、軍務卿は慌てたようにして必要以上の声で叱責する。

「いまさら戦いを止めろとでも言うのか――もしやこの戦は殿下の勅命によって決まったことをお忘れか?」

これ以上は反逆罪に触れる、という可能性を示唆して彼は財務卿の発言を阻もうとする。
彼の一族はこのアルビオン侵攻に多大な投資をしているのだった。
そんな事情を財務卿は知っている。
しかし、財務卿もまたこの王宮で政治家を務める程の男、ただ答えるだけでなく少々当てこすって見せた。

「もちろん存じておりますとも……しかし、軍人の方々にはもう少し節約と言うものをですな」

そう彼が言ったのは戦費として計上した額の一割以上が、戦地に居る貴族の享楽の為に使われているという事実だった。
実際に戦場に居ながらにして、上級貴族はそれまでの本土での暮らしと変わらない生活を送っていたのだった。
そこには彼らの世話をする使用人や嗜好品なども含まれ、それらは全て軍の物資や金、すなわち戦費によって賄われていた。

「それは戦場で戦う我らへの冒涜だぞ!」

財務卿の発言に対し、軍務卿が遮るようにして大声で反論する。
その声に同調したのか、一族を戦場に派遣している貴族達が一斉に反対し、大広間は喧騒に満たされた。

「皆様、お静かになされい!姫様の御前でありますゆえ」

マザリーニの声が響く。
その声には前半部は叱責するような、後半部はまるで諭すような響きがあった。
宰相の一喝で静粛を取り戻した貴族達が一斉にアンリエッタを注視する。
そして、注目された当の本人たるアンリエッタは玉座に掛けながら、いささか疲れた顔をしていた。

「もう結構です……それに銃士隊は私の近衛ですわ。諸卿の意見は参考にさせて頂きますが、決めるのはわたくしです」

そう言ってアンリエッタは広間に集結した宮廷貴族達を解散させた。




「姫様」

誰もが退出し、がらんとした大広間の中でぽつんと佇むアンリエッタに声を掛けたのはマザリーニだった。
そんなマザリーニの声にアンリエッタはそっけなく答えた。

「なんでしょう」

「銃士隊を王都の治安任務に出して頂きたいのです」

単刀直入にマザリーニは用件を切り出した。
それは先程の論争の中で、唯一宮廷貴族達の間で合意に近いものが得られた意見だった。

「いえ、彼らはわたくしの護衛ですわ。王都の警備などに回している余裕はありません」

しかし、彼女はその提案を直に拒絶した。
彼女がそれまでの魔法衛士隊に代わる近衛を組織した理由は唯一つ。
――貴族は信用できない。
彼女の血縁であるテューダー王朝を滅ぼしたアルビオンでの貴族の叛乱や、今回の戦役を巡る貴族達の利権争いを直に見てきた彼女としては、もはや宮廷貴族など信用に値するものではないと改めて実感させられたのだ。

「護衛ならば魔法衛士隊が居るではありませんか」

そんな彼女の思いに対して、気付かぬフリをしながらマザリーニは答える。
しかし、アンリエッタはにべも無く拒絶の姿勢を示したまま、何も答えない。
彼女としては信用ならない貴族に常に付きまとわれることが「不安」なのではなかった……彼女は貴族が付きまとうことに「我慢」ならなかったのだ。
それが今回の銃士隊設立の遠因ともなっている。

沈黙を続ける彼女の内心を推し量りながらも、マザリーニは続けた。

「だからこそ、なのです。今、姫様に対する貴族達の信頼を確実なものにするためにも、なにとぞ彼らの意見を取り入れる姿勢を示して頂きたいのです」

政治家としてのマザリーニは王国の非常時――アルビオン侵攻や今回のような騒乱――であるが故に、王国の軍事・統治を担う貴族とアンリエッタの関係が円滑でなければならないと感じていた。
彼からすれば、あのアルビオンでの叛乱も数年前のモード大公事件によって、王と貴族との関係が悪化したことがきっかけであるとすら思っていたのだった。
だからこそ、彼はアルビオンの轍を踏まないために進言したのだった。

「あのような者たちをどうして信頼せよと言うのです!?」

その言葉にアンリエッタは秘めていた感情を顕わにする。
彼女が生まれてから毎日のように見聞きしていた貴族達の権益を巡る謀略の数々。
そして、彼女の愛したアルビオン皇太子ウェールズが同じく貴族達の叛乱によって命を失ったこと。
後者は直接的には何の関係も無いのだが、目の前で自らの利益を貪る貴族達を彼女はいつしか無意識のうちに同一視しつつあったのだ。

「王族たるものは、お心の平穏より、国の平穏を考えるものですぞ――」

そんな彼女の隠された本音を聞きつつも、マザリーニは優しく諭すようにして言った。
そのマザリーニの声に、アンリエッタは憮然として、黙り込む。
そして、数秒間の沈黙を置いて、か細く、搾り出すかのような声で答えた。

「わかっております」

そう答えた彼女は、もう見たくも無いと言わんばかりにマザリーニからあからさまに顔を背けて、自身の護衛隊長である銃士隊の隊長を呼んだ。

「アニエス――アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン」

「はっ、御前に」

そう答えたのは、先ごろ王宮に登用された一人の女性だった。
その胸にはかつての薄汚れた胸当てではなく、今は繊細な装飾の施された光り輝くようなプレートメイルがあった。

「あなたと銃士隊にはこれから、わたくしの護衛だけでなく王都の治安警備にもあたって頂くことにしました……大変ですが、よろしくお願いしますわね」

「はっ、了解致しました」

そこまで指示を終えると、――これで宜しいですわね、と彼女はマザリーニの方へ向き直った。
当のマザリーニは感謝の言葉を述べて退席していく。

ぽつんと大広間に残ったアンリエッタは傍らで控えるアニエスに向き直り、何かを望むような声で告げた。

「銃士隊には王都警備隊と同等の権限を認めます。それから――」

彼女は『サイレント』の魔法を唱える。
ここから先は彼女とアニエスとの間にだけしか知られてはならない。
だからこそ彼女は王が臣下に命ずるのではなく、まるで友人の様に話しかけた。

「――アニエス、あなたに一つ頼みたいことがあります」






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


ワルドって微妙な存在ですよね?
原作ではルイズの力を知っている様なそぶりの一方で、クロムウェルの偽虚無も信じてるっぽい感じでしたし。
そもそも片手を失ってどうやって風竜に乗ってたんでしょう?(さらに杖を使ってたしw)
……気合、でしょうかね?


10/08/07
二回目の改定を実施






[3967] 第16話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 23:03

 ――――――――――――ルネ・フォンクは愛竜ヴィルカンと共に、夏のアルビオンの空を飛んでいた。


先の海戦でからくも勝利を得たトリステイン軍は上陸地点から先に30リーグほども進出した平原を進軍中。
この街道をさらに北に向かって250リーグほど進めばアルビオンの首都であるロンディニウムに至る。
その途中には南部アルビオンの中核都市、人口4万人程のシティ・オブ・サウスゴーダがあった。

無事、上陸に成功した兵力は約4万2000人。
アルビオン南部の主要軍港であるロサイスの制圧と輜重に1万2000人を割いたため、実際の戦闘兵力は3万人程度であった。
各部隊は中隊ごとに縦列を形成して余り広くも無い道を装備と糧食とともにひたすら歩くことで進む。
道幅は3メイルほど――トリステイン一の大通りであるブルドンネ通りの半分程度しかない。
しかし、これでもこのハルケギニアではかなり整備された大街道に入るのであった。

――ならば、道をはみ出して進めば良い、と思われるかもしれない。
街道はただ平原に走っているわけではない。場所によっては森や山中を通過しているため、道幅以上の幅で進んだ場合、そういった地形障害ですぐに大混乱に陥ってしまう。
代表例としては川にかかる橋が挙げられるだろう。
橋の幅以上の隊列で進んだ場合、どうしても橋を渡る順番を巡って混乱が起き、かえって進軍速度が低下してしまうのだ。

だからこそ、トリステイン軍は長い隊列を作りながら、可能な限り急いで――といっても実際の歩行速度は彼の飛竜に比べれば遥かにゆっくりとしたものだが――攻略目標であるサウスゴーダを目指し続けていた。
そんな隊列は上空を飛行するフォンクからしてみれば、まるで蟻の大群であるかのような印象を受けた。


トリステイン軍は急いでいた。
それは秋の収穫の時期までに戦争を終わらせたいという戦略的要求――すなわち、それまでに終結の目処が立たなければ労働力不足によって、税収の根幹を占める収穫の大規模な減収が予測されていたからであった。
税収が減少すれば、それは直接来年度の予算に影響する。
それはこの渡洋作戦によって既に限界に達しようとしている王国財政が破断の境界を越えることを意味していた。

また、それ以外に純軍事的要求もあった。
兵力に劣るトリステイン軍の最大の優位点は侵攻側であるということだった。
それは既に戦略的レベルにおいて戦闘準備が完了していることであって、既に兵力の集中もなされていたことを意味する。

それに対して、防衛側のアルビオン軍は総兵力の点では優位に立つものの、その優位を形成するためには各所領からの軍勢の集結を待たねばならない。
故に、封建領主である各貴族はその集結が完了するまでの間、侵攻軍に自領を蹂躙されるがままにしておくか、それとも敵よりも数の面で劣勢であっても所領を守る為に戦うかを選ばざるを得ない。
トリステイン側としては、そんな状況での各個撃破を目指していたのだった。



「急げ! この砲兵の遅さはなんとかならんのか?」

アルビオン侵攻軍司令官ド・ポワチエ大将は手近に居た部下に怒鳴った。
彼はかねてから出世欲の強い人物として知られ、あまり部下のことを気にかける人間ではないとして知られている。
王都トリスタニアではこの度の戦役の最高司令官という職を彼が欲したのは、かねてより求めてやまなかった元帥称号を求めてのことだと噂されていた。

「と、仰られましても砲兵の行軍速度自体は如何ともし難く――」

不幸にも彼に付けられた内の一人である参謀貴族は軍事的には常識であることを答えた。
自走の可能な砲亀兵でも居ない限り、いわゆる鉄の固まりを人力で搬送する砲兵の速度が遅いことは仕方ない。
そう黙示する参謀に対して積もった苛立ちをぶつけるかのようにしてポワチエはさらに声を荒げた。

「搬送に当たる平民どもをもっと働かせろ、と砲兵指揮官に伝えておけ!」

そう叫んだ彼がさらなる八つ当たり対象を求め、首をめぐらせた時、一人の竜騎兵が司令部の近くに降り立った。
竜騎兵は自身の竜から飛び降りると、上空からの偵察結果をポワチエに知らせた。

「諸君、始祖の血に逆らった愚かなるアルビオンの反逆者どもがやってきたようだ――」

報告を受けてポワチエは全軍に戦闘態勢を取らせる。
しかし、実際には「戦闘準備!」と聞いて直ちに戦闘が始められる訳ではない。
戦闘を始めるためには全軍を(少なくともある程度纏まった数の部隊を)横陣に展開させる必要があるためであった。

進軍中の軍はそれぞれが所属する部隊ごとに行軍隊列を組んで、一番遅い砲兵の速度に合わせてまるで蛞蝓のようにゆっくりと進んでいる。
そのため、戦闘準備を完成するためには後方を行軍する部隊が前方を行軍する部隊に追いつくまで待たねばならない。
そんな中、ド・ポワチエは内心で自らの幸運に感謝した。
たまたま彼の率いる侵攻軍主力の前衛が進軍していた場所は、それまでの森を抜けた平原だったのだ。

「ピカルディ連隊とジョンザック連隊は中央、ナヴァール連隊は左翼へ。ヴェッソー連隊とアンジュー連隊は右翼、コンデ騎兵隊とド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊は司令部予備に指定する」

ポワチエの命令を受けて、傍らにいた参謀長のウィンプフェンがさらに細かい命令を下す。
彼は慎重に万事全てのことを整えてから問題に取り組むことが大好きな、実に参謀向きな男であった。
その指示を騎乗した伝令将校が直ちに目的の部隊へと伝達していく。

「シノフィル戦列歩兵大隊はピカルディ連隊とナヴァール連隊の間に、リーノー軽歩兵大隊はジョンザック連隊とヴェッソー連隊の間に展開せよ。ニエーヴル志願兵連隊は両大隊の移動後にピカルディ連隊とジョンザック連隊の間に占移させる――砲兵部隊の配置はどうなってる?」


慌しく戦闘準備を整えるトリステイン軍の目の前に出現したのは、アルビオン貴族デヴォンシャー公の率いる南部諸侯連合軍1万8000人だった。
大人しく自身の財産の大半である所領を敵に明け渡すことを良しとしなかった彼らもまた、防衛戦という地の利を生かしてトリステイン軍が隊列を整える間に同じく陣形を整えていた。
勿論、倍近い相手に対する不利は承知していたものの、郷土防衛戦という戦いの意義から旺盛な士気を保持し、中央の分厚い横隊隊列を形成して、侵略者に対抗するつもりのようだった。


「ナヴァール連隊、アンジュー連隊の展開が完了。……全ての歩兵連隊が配置を終えました」
「各連隊砲兵は現在配置中、一部は砲陣地の構築を開始しています」

騎馬伝令によって各連隊の状況が次々と司令部に伝えられる。
そんな報告を受けてポワチエが命令を下す。

「全軍前進せよ!」

その命令が下されると参謀長であるウィンプフェンが慌ててポワチエに尋ねた。

「閣下、まだ砲兵の展開が終わっておりませんが……?」

このハルケギニアの砲は基本的に前装式――すなわち大きな金属の筒の片側を塞いだものである。
砲弾もまた同様に単なる鉄の塊である砲弾が主に使用される。
当然ながら砲や砲弾は重量物であり、運搬には非常な労苦が伴う。
また砲は一度撃てばその反動で大きく後退してしまうため、それを円滑に使用するためには発射前に地面を掘り、砲陣地を構築しなければならないのだった。
そんな参謀長の声をものともせずにポワチエは答えた。

「かまわん、敵は我が軍の半数ほどではないか! 一挙にもみ潰してくれるわ」



司令部から攻撃命令が発せられると、全軍にそれを伝えるべく大音響を発する喇叭が一斉に吹き鳴らされた。
誰も聞き違えることの無いように独特な旋律で構成される音を聞いた横隊への展開配列の終わった各部隊が前進を開始する。
同様にアルビオン側もまた前進を開始している。
双方の部隊が100メイルになろうか、という段階になって、アルビオン側の隊列からマスケット銃を抱えた兵がばらばらと飛び出し、一斉に銃撃を加える。
連続した紙風船の破裂するような音とともに、早足で前進を続けるトリステイン軍の横隊前列がぽろぽろと倒れていく。
しかし、そんなことは気にも留めないかのようにして隊列は前進を続ける。

戦闘、といえばN○K大河のような全員が全力疾走のうえ、思い思いに勝手に切り結ぶ、と言った戦場を思い浮かべる方が多いかもしれない。
あるいはアクション映画の様に誰もが物陰に隠れて攻撃の機会を伺う、と言ったものかもしれない。
しかし、実際に、長槍を持ったパイク兵、あるいは弓、といったものを主力とした軍隊で最大の戦闘力を発揮するのは隊列を整えた集団戦闘である。
集団化することによって、互いの死角を限定し、かつ数の暴力によって練度や装備を補完することが出来るのだ。
よって、思い思いに切り結んでいる最中に無防備な背中を刺されることはないし、物陰に隠れて前方を伺っている間に背後に忍び寄られることもない。

再びアルビオン側からの発砲――
前回と同じようにトリステイン側の隊列が僅かに乱れるが、それをものともせずに横隊は進み続ける。
そう、隊列を構成する彼らにとって自身の隊列が大きく乱れることは自分の命をより危険に晒すことと同義であるのだった。
そしてそれは、双方の横隊の先頭――長槍を抱えた隊列同士が接触する直前までその光景は続いた。

「フレイム・ボールッ!」
「エア・カッター!」

双方の隊列が接触する直前、それまで詠唱を続けていた両軍のメイジが魔法を放つ。
それは敵の隊列を乱し、少しでも相手の集団戦闘能力を削ぎ落として味方に有利な状況を作り出すための戦術であった。

「叩けっ!」

その直後、下士官の号令と共に隊列を構成していたパイク兵たちが一斉に手にした槍を敵の隊列に叩きつける。
敵味方の横隊が互いにパイクを叩きつける間、手の開いた貴族達は相手の貴族をめがけて魔法を放つ。
手直にメイジが居ない場合は近くの敵の隊列に対して魔法を放ち、敵の横隊に突破口を開こうとする。
そうした魔法攻撃やパイクによる打撃・斬撃によって、敵味方を問わず次々と兵士達は倒れ、傷ついていく。
――さらに戦いは地上だけでなく、上空でも繰り広げられていた。



「ヴィルカン、上だっ!」

フォンクはそう叫んで自らの騎乗する愛竜の腹を蹴った。
彼の愛竜ヴィルカンはその指示に従って翼を折り畳みながら体を左に傾ける。
その直後、上空の飛竜の姿がすさまじい勢いで大きくなる――逆落としになって急降下してきたのだ。

「……くぅぅっ!」

彼は騎竜から振り落とされまいと手綱をしっかりと握り締め、歯を食いしばった。
先程まで暢気に友軍の地上部隊が展開していく姿を見物していた彼であったが、今の彼もまた戦場の真っ只中に放り込まれたのだ。
かろうじて敵竜のブレス攻撃をかわした彼が見たものは、そのまま高速で降下しながら離脱する竜騎兵の姿。
それはハルケギニア最強と呼ばれたアルビオン竜騎兵に他ならない。

――そう、相手は唯の・・竜騎兵ではなかったのだ。

降下して離脱したと思われたそのアルビオン竜騎兵は、突然竜の翼を広げて急減速した。
そのまま彼の後ろ下方を飛行していたフォンクの僚騎に火炎ブレスを浴びせる。
そのブレスを浴びて、全身火達磨になって落ちていく僚騎の姿。
勿論、その背に乗っていた筈の――彼の部下であり、友人であったモノもまた盛大に燃え続けていた。





「よし、良いぞ!」

眼前の優勢な味方に気を良くしたポワチエが叫んだ。
彼の指揮するトリステイン軍は数の優位もさることながら、こちらよりも少数の敵を包囲するような形で両翼の部隊が敵の側面を脅かしていた。
このままうまくいけば、敵軍を包囲殲滅できる……それは世界の軍人達ならば一度は夢見る完全勝利。
つまり、このままうまくいけば総司令官たる彼の名はトリステイン――如いてはハルケギニア全土の歴史に稀代の名将として燦然と刻まれることになる筈だった。

「司令官閣下、あれを!」

しかし、栄光に包まれた将来についての夢想を楽しむ彼に水を差したのは参謀長であるウィンプフェンだった。
ポワチエは一転して不機嫌そうにして参謀長の指し示した方向を眺める。
ウィンプフェンの指し示したのは、優位に戦闘を進める地上ではなく――上空だった。

「なんだと?」

少々浮かれていたとはいえ、彼もまた大将まで上り詰めた軍人である。
参謀長の言いたいことはすぐに理解できた。

――空を自在に舞っていたのは数騎のアルビオン竜騎兵だった。

先程まで上空を飛行していた筈の味方の竜騎兵の姿は何処にも無い。
驚きの表情で空を見上げる彼らの目に新たな竜騎兵部隊がやってくるのが見えた。
その数は一個中隊、12騎の竜騎兵。
翼には白百合の紋が描かれ、友軍であることを示している。
しかし、そんな彼らもまた、熟練したアルビオン竜騎兵の前では竜に狙われた鳥同然だったらしい。
あっという間に3騎が叩き落とされたかと思うと、残りの竜騎兵達もどんどんと追い詰められていく。

「12騎の竜騎兵がたった5分で全滅だと!?……アルビオンの竜騎兵は化け物かっ!」

なす統べも無く撃墜されていく味方の竜騎兵の姿を眺めながら、ポワチエは呆然と呟いた。
空を片付けたアルビオン竜騎兵達はその翼を翻し、地上の劣勢におかれた友軍を救うために地上への攻撃を開始しようとする。
そのうち1騎が彼らの居る天幕に向かって突撃してくるのが見えた。

「閣下! 早くお逃げください――」

そう叫んだ参謀貴族が低空をプライパスする飛竜のブレスに捕らえられて絶命する。
そんな光景にポワチエは必死に逃げながらも叫んだ。

空中装甲騎士団ルフトパンツァーリッターを呼び寄せろ! 今すぐにだ!」



一個大隊の空中装甲騎士団によってアルビオン竜騎兵達が駆逐されるまでにおよそ30分程の時間を必要とした。
その間にトリステイン側が失った最大のものは戦機の流れだった。
敵を押し気味に前進していたトリステイン軍部隊がアルビオン竜騎兵の攻撃により、混乱に陥ったことによってその間に部隊を立て直したアルビオン軍がなんとか方陣を組み上げたのだった。

「うぬぬ……小癪なッ!」

そう憮然として言い放ったのは、自慢の派手な軍服に泥を付けたポワチエだった。
先程の竜騎兵による司令部襲撃や地上攻撃による部隊の一時的な混乱によって、彼の完全勝利という野望は露と消えてしまったのだ。
おまけに方陣が組み上がってしまった以上、司令部予備として後置していたコンデ騎兵隊は戦力としての価値を失ってしまった。
さらに悪いことにはアルビオン軍によって組まれた方陣はかつてない防御効果を発揮し、騎兵だけでなく歩兵相手にもかなりの損害を与え続けていたのだった。

「何故だ、何故近寄れんのだ?」

そう怒号するポワチエに対してウィンプフェンは冷静に諭した。

「砲兵の再配置が完了するまでもう暫くお待ち下さい……そうすれば」

とはいえ、参謀向き、と称された彼にとっても、いかな防御向けの方陣とはいえこれほどの防御力を持つものは見たことも聞いたこともなかった。
本来なら急増された方陣であれば、大砲がなくても50メイル程度の距離まで接近したメイジによる魔法の一斉斉唱で粉砕出来る筈だった。
しかし、現状ではそのメイジが有効射程まで接近出来ないでいる。
全ては密集して組み上げられた方陣から放たれる、銃兵による射撃の影響だった。

「ぐぬぬ……」

そんなウィンプフェンの進言をポワチエは歯軋りして受け入れた。
彼の忍耐は約15分後に配置に付いた砲兵によって報われることとなる。
少数の例外を除けば、メイジの大半――すなわち軍所属の貴族の大部分を占めるドットやラインの射程は50メイル程度しかない。
それに対して、砲兵の装備する大砲の射程は500メイルから2リーグに達する。
それはアルビオン側の銃兵やメイジの射程をはるかに上回る。
しかも相手は防御力を重視するあまり機動力をほとんど持たない方陣であり、固定式の大砲であっても十分に目標として捕らえられるものだった。

「調定、良し! ……撃てッ!」

砲に取り付いた下士官の号令と共に砲弾が発射される轟音が断続して響く。
……とは言っても、発射後は砲確認・再配置・再装填・再照準と一度撃つと次回の発砲までは数分、長ければ10分近くの時間が必要とされる。
それを数で補いつつ、今度は別の大砲が火を噴く。
その音の数秒後に砲弾はアルビオン軍の方陣の一つに着弾し、隊列を形成していた人間を一列に吹き飛ばす。
偶に外れて盛大に土砂を巻き上げる砲弾もあったが、大半の砲弾は動きの取れない方陣に着弾して何らかの損害を与えていく。

徐々にアルビオン軍の方陣で空隙が目立ち始めていく。
方陣には次々と櫛の歯が欠けたような部分が生まれ、それを補うべく新しく配置についた兵士をさらに砲撃が容赦なくなぎ倒す。
そんな攻撃に晒されたアルビオン軍の方陣は徐々に陣形を崩していく。
それを見逃さなかったトリステイン側の勇敢な部隊が前進して可能な限りの射程で魔法攻撃を浴びせながら突撃を開始した。

そして、トリステイン軍はアルビオン軍の方陣の一つを突き崩すことに成功した。
その勢いのままに、同様の残る方陣もまた綻びた場所から崩されていく。
そんな光景にアルビオン軍の士気は急速に低下し、崩れた方陣の中からは武器を捨てて逃げ出すものまで現れた。
いつしかアルビオン側の各部隊は敗走から壊走へと移っていく。

――ここに、トリステイン軍は地上戦でもレコン・キスタから勝利を獲得した。
しかし、その戦闘による損害はこれまでの戦争とは大きく異なった様相を呈し始めていた。
その最大の特徴は下級士官の損害が著しく増大した点だった。
これまでの戦争での貴族の戦死者は最前線で敵と魔法戦闘を繰り広げる一部のみ――しかも相手にとどめを刺さずに身代金を獲得する、という形態が主流――だったのに対してこの戦闘では戦死者が数倍にも上昇していた。
その犠牲を出した原因は大多数のメイジを上回る射程を持つ銃を武器とした平民兵の存在だった。
面制圧能力こそ劣るものの、初めて大量に投入されたメイジよりも遠距離から攻撃できる平民用装備はハルケギニアの戦争に新たな何かを持ち込んだのだった。

そしてポワチエを始めとして誰も気付いてはいないが、単なる平民が魔法の担い手たるメイジに対抗できる力を得たという事実はこれからハルケギニアで起こる何かを予兆している様でもあった。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


今回の話はぶっちゃけ無くても話が通じる予定です……orz
と言うのは、単に私が一度戦争について真面目に書いてみたかっただけです。
あと空中装甲騎士団を出したかった、ということもあります(笑)

……だって空中装甲騎士団ルフトパンツァーリッターですよ!?出さないわけにはいかないじゃないですか、名前的に考えて!

内容は特に無いですが、私なりに「ゼロ魔」世界での戦争、というのはこんな感じではないかな?というのをイメージしてみました。
個人技としての魔法というのはものすごい火力になると思うんですが、戦争における魔法の意義というものについて私なりに考えた結果、こんな感じになっちゃいました(´・ω・`)

それではこれからも宜しくお願い致します。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第17話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 23:11

 ――――――――――――『赤い虚無の日』。


誰が名づけたとなく、そう呼ばれた騒乱から数日が過ぎ、王都トリスタニアは平穏を取り戻しつつあった。
と、言っても状勢はそれまでとは一変していた。

王都ではかつて通りを賑わした出店の数は激減し、誰の顔も暗い。
戦争による戦時特別税で家産を失った者は王都の周辺でもともとあった貧民街よりもさらに粗末なバラックの立ち並ぶスラムを形成するか、徴集で奪われた労働力を補うべく労働力を求める農村に仕事と食を求めて流出していった。
貧困と不満――貴族に対する憎悪が誰の口からもはばかることなく出され、それらの不満を抱いた平民を王都警備隊……そして、新たに治安任務も加わった銃士隊が追い散らすことによって更なる怨嗟を生み出す。

そんな中に上質ではあるが、質素なデザインのシャツ、そしてフリルの無いスカートに身を包んだ少女が居た。
つややかな髪を高めのところで結い上げ、町娘が良くしているような髪型に整えた彼女の傍らには露払いをするかのようにして、同様に目立たない服装に身を包んだアニエスが控える。



「アニエス、あなたに一つ頼みたいことがあります」

事の発端は先日の王宮でのそんなアンリエッタの一言だった。

「わたくしは平民たちの本音が聞きたいのです」

そのアンリエッタの言葉にアニエスは戸惑いながら答える。

「はっ、直ちに調査させますが……そのようなことであればお人払いをされる程のこととは思えませんが」

「ええ、わたくしは直接彼らの生活を見ながら、彼らの意見を聞きたい、と申しているのですわ」

それは彼女にとって予想外の言葉だった。
王女自らが平民の――しかも実生活を直に見たいという。
そんなアンリエッタの要望にアニエスは慎重に言葉を選びながら答えた。

「……しかし、今平民街は先の騒乱の後、治安が急速に悪化しております。姫様がわざわざお出向きになられるには危険かと」

そう彼女は答える。

『元』平民である彼女は知っている。

いまや王都であるトリスタニアに過去の繁栄と安寧は無い――いや、それ以前であっても王族が知るべきことではないような事柄が数限りなく存在した。
そして、それは同時に平民の王族に対する忠誠や敬意とは縁の無い世界でもあった――先日の一件で一般の平民すら王族(貴族は既に論外であった)への敬愛が離れている中となってはなおさらであった。
そんな彼女の言葉に対してアンリエッタは叱責の色を込めた口調で反論した。

「アニエス、その為のあなたであり、あなたの銃士隊であるのでしょう。ならば何を恐れることがありましょうか? それともあなたはわたくしを守りきれないとでも言うのですか?」

そうまで言われてはアニエスには反論の余地は無い。
アンリエッタの質問を否定することは彼女が銃士隊長としての責務を果たせないことと同義だったからである。
その言葉に彼女は絞り出すようにして答えるしかなかった。

「……はっ、お心のままに」



先日の『赤い虚無の日』事件は彼女の思考になんらかの影響を与えたものらしい。
今までに貴族の欲に取り付かれたような行動を見せ付けられてきたアンリエッタは彼女の周りにいる貴族の全てが信用出来なかった。

――それは常に彼女の傍らで政務を取り仕切るマザリーニでさえ例外ではない。
いや、むしろ彼こそが彼女の貴族不信の原因だったのかも知れない。

年頃の少女として彼女が興味を示す事柄に対してあれやこれやと理由をつけては口を出す王国宰相。
いまやその権勢は王族たる彼女をはるかにしのぎ、王国の問題については彼女よりも彼が決定することが多い。
彼女は彼の決定した事項に対してただ承認のサインをするだけ。

『トリステインの王家には美貌はあっても杖がない。杖を握るは枢機卿』

そう平民の間で流行っていた小唄を耳にして彼女はいつも思っていた。
――宰相が全てを決定しているのに、何故彼は私をこうも拘束するのでしょう?
父である先王の急死によって「王とは何か?」という教育を受けられずに育った彼女はそうしていつも悲嘆に暮れていた。
そんな彼女のマザリーニに対する不信の極めつけはトリステインの安全を守る為にマザリーニが進めたゲルマニアとの同盟だった。

国の為に自ら政略結婚の『道具』として遥かに年の離れたゲルマニア皇帝に嫁ぐ。
政治的には正しい――そんなマザリーニの推進した政治的婚姻は、彼女には全く理解出来なかったのだ。

それまで「トリステインの花」と謳われ、花よ蝶よと何不自由無く育った彼女にとって、自身にとっての拒否権の無い婚姻とは自身が唯の道具にされているとしか感じられなかったのだ。
いや、実際に彼女は『道具』でしかないのだ。
王族は普段の豪奢で特権的な生活の代償として、国家という共同体の安全の為に自らの体を犠牲としなければならない。
それこそが彼女を王族たらしめる社会的契約であり、国民の守護者としての王権神授論の根拠であった。
しかし、彼女はそうした王族という地位にあるものとしては当然とも言えるべき「高貴なる者の責務ノブレス・オブリージュ」について、殆ど理解していなかった。

そう、ほんの少しでも理解しているならば、彼女は決して他国の王族に勝手に恋文を書くことはなかっただろう。
つまりのところ、彼女は無自覚ではあるが、彼女自身が嫌っている余りにも長い平和と贅を尽くした生活に慣れきった貴族達と本質的には変わらない……いや、それ以上に自身の立場というものを理解していないのだった。

それでも、彼女はその騒乱が何故起こったのかを知ろうとした――その結果が今回の計画の発端だった。
……尤も、その動機の殆どは彼女の周囲を取り巻く宮廷貴族への反発心からであったが。





街路に面したレンガ造りの壁には大きな文字で様々なことが書かれていた。

税金の値上げに対する不満をつづったもの。
あるいはどこそこの貴族に対する悪口。
そして一番数が多かったのはやはり先日の『赤い虚無の日』以来行方不明になった人々の消息を尋ねたものだった。

大部分は見回りの貴族や衛士の手によるものだろうか、消された痕跡が残っていたが、そこに書かれた一つを読み取るのは簡単だった。
壁に書かれた文字の僅かに残った部分にはこう記されていた――『自由を!然らずんば死を!』と。

「アニエス? これは……」

「はい、姫様。最近王都の各地に記されるようになった落書きの一つでございます」

小声で周囲に間断なく警戒の視線を送りながら、アニエスは答えた。
消されてはいるが、これほど過激なものを見回りの来ないうちに記すということは唯の平民の仕業とは思えない。
……それは即ち、反貴族主義を掲げた組織が活動しているということになる。
同時にアニエスはその大規模な叛乱煽動組織の存在の証明となるべき数枚の粗末な紙を懐から取り出し、主人に向けて恭しく差し出した。
アンリエッタがそこに書かれた文字を読み出したことを確認してアニエスは続けた。

「これが最近市中に新しく出回っている新聞です――勿論、内容には多くの誤りが存在しますが」

ハルケギニアにはそれまでも新聞が存在していた。
それらは無論、日刊などではなく月に数回、数枚程度の代物であり内容も貴族向けの半ば官報に近いものから平民向けのゴシップに溢れたものも多かった。
しかし、アニエスの差し出したものは今までのものとは明らかに異なっていた。

『“真実プラウダ”』と題されたその新聞には今までの新聞には決して存在しなかったような、過激な政治的な主張が満ち溢れていた。
そんな様々な主張に混じって、ある一つの記事がアンリエッタの目を惹き付けた。
彼女の手の中にある粗末な紙にはこう書かれていた。

『……アルビオン沖での空戦で墜落した輸送船に乗っていた平民達は全て見殺しにされた。その一方で魔法を使える貴族は全員が無事友軍の艦に収容されたという。二度と帰ってこない数千人もの我ら平民の命とはなんだったのだろうか? 私達は貴族の為の道具ではない、人間である筈なのに……』

そこに書かれたことは、彼女の心に何かを思い起こさせた。
その間にもアニエスの説明は続く。

「噂話以外に大した情報源が無い平民達にとって、ここに書かれている“事実”は“真実”ということなのでしょう……それが大量に配られている、おそらくは何らかの組織が王都――いや、トリステイン全体で活動しているということだと考えられます」

そんなアニエスの説明を聞きながら、アンリエッタは、かすかな声でぽつりと呟いた。

「……いいえ、おそらくはここに書かれていることが“真実”ですのよ」

そう呟いた彼女の内心には、この粗末な紙にびっしりと写された文字の一文が脳裏から離れなかった。

『私達は貴族の為の道具ではない、人間である筈なのに……』

その言葉は政略結婚の『道具』とされた彼女にとって、まさに自分自身にぴったりと当てはまる言葉に思えた。





「そろそろお昼ですわね」

遠まわしに空腹を訴えた彼女に対して、アニエスは「では城に戻りましょう」と答えた。
しかし、当然の如くそう答えた彼女にとって、自身の主君である少女の返答はあまりにも驚くべきことだった。

「あら、せっかく城下に来たのですから平民たちと同じところで食べれば宜しいではありませんか」

そう言って彼女は譲らない。
彼女としては『民情視察』という名目はつけたものの、生まれて初めて自由に行動する王都というのは余りにも魅力的過ぎたのだった――たとえそれが大規模な騒乱の直後であったとしても。

そんな彼女に対してアニエスは困惑した。
既に王都では平民向けの食料ですら不足している。
……その状況下で王族の口に合うようなシロモノが存在しているはずも無い。
現に平民向けの店ですら開店している店はほとんど無いのだ。

「……しかし、姫様のお口に合うパンがありますかどうか」

さりげなくアニエスはおそらく彼女の主君が考えているであろう食事について掣肘する。
そう、もはや王都では王族や貴族が主食とする白パンなど手に入らないということを彼女は知っていたのだ。
せいぜいが黒パン、運が悪ければ塩で味付けしただけの小麦の粥といったところであろう。

しかし、そんな彼女の言葉に返ってきたのは彼女の常識を超えた返答だった。

「あら、パンがないのならケーキでも構いませんよ」

そう彼女の主君は何の疑問もなく答えた。
そんな答えに彼女はしばらくの間呆然と主君の顔を眺めていた。

「アニエス、どうしたのです? さぁ案内してくださいな」

そんな彼女の顔を見て、「わからない」とばかりに彼女の主君は更なる追い討ちをかける。
衝撃から立ち直った彼女が逡巡する間もアンリエッタの要望は続く。
その圧力に折れた彼女は、開店している食堂を探しながら王都を彷徨うこととなった。


「……はっ、ではここでお待ち下さい。物見してまいります」

そう言ってアニエスはようやく見つけ出した営業中の店――『魅惑の妖精』亭と掲げられた食堂兼酒場の内部を確認するために店内へと姿を消す。
本来ならば、護衛対象から目を離すべきではないのだが、今の彼女にはそれを成すべき人員が居ない。
いや、護衛は居た。
しかし、彼女達は「隠密に」というアンリエッタの一言で解散させられていたのだった。
そんな状況下で、仕方なくアニエスは先行して内部を確認し、改めてアンリエッタを招き入れようとして――

「どうやら大丈夫なようです……姫様?」

いつもの生真面目な表情に何処かほっとしたような色を付け加えたアニエスが店の戸口から顔を出した時、彼女の表情は凍りついた。
そこには本来居るべき筈の人物が居ない。
いや、決して見失ってはならない筈の人物が居ない。

そう、ものの10秒程の間にアンリエッタの姿は忽然と掻き消えていたのだった。





「――あら、ここは?」

そう言ってアンリエッタは周囲を見回した。
アニエスが店内を窺っているほんの一瞬の間に、一人きりになった彼女は何時の間にか見知らぬ――といっても平民街そのものがほとんど生まれて初めてなのだが――場所に居た。
きっかけは路地に見えた子供の姿。
今まで街中でほとんど見なかったその姿を物珍しく追ううちに彼女は見知らぬ場所に居たのだった。
さらに、大通りから外れた路地に往路を気にせず進み続けた結果、周囲から人の影も消えつつある。
しかし、彼女はそんな事は気に留めない――勘を頼りにさらに路地を進み続けた。

彼女は今まで自分が失敗というものをしたことが無い、と信じていた。
少なくとも周囲からたしなめられることはあっても――それが王族故の間接的な叱責であるとは知らなかった。
だからこそ、彼女は自分を信じていけば必ず物事がうまくいく、と信じていたのだ。
……周囲の人間が彼女の希望を実現するために準備を整え、頼まれた人間も王族相手という立場ゆえに応じざるを得ないということを知らずに。
同様に、彼女はその身分から自身が道に迷ったという経験をしたことが無い。
それは何時も御付の者が彼女の案内をし、交通手段を整え、あるいは常に探しに来るものであった為だった。
――しかし、今はそれが無い。

「あら?」

そのことに彼女が気付いたのは狭く暗い路地裏で行き止まりに突き当たった時だった。

「……またですわね」

直にそれまで来た道を戻った筈なのに、また行き止まりに突き当たる。
それまでの興奮が一転して不安に転化する。
そして、不安はさらに未知への恐怖へとして彼女を襲った。

「ああ、もう帰れないのかしら……」

――怖い。
生まれて初めての経験に彼女は怯えた。
平民に偽装するために杖を持たなかった結果、彼女の無力感は大きくなる。
微かな物音に怯え、日光の入ってこない路地裏は不気味さを増していく。
何時の間にかその目には僅かに光るものまで浮かび始めていた。
そんな状況の彼女に救いの手をさし伸ばしたのは――

「……どしたの?」

彼女の真後ろの扉を開けて現れた、背中に剣を背負った黒髪の少年だった。





「わたくし、こんなに楽しい経験をしたのは初めてですわ!」

そう言ってアンリエッタは笑った。
道に迷った末、たまたま出会った才人に持ち前の――といっても本人の自覚は無いが――強引さで街を案内させていたのだった。

「そう? そういって貰えると嬉しいな。俺もこの街に来てそんなに経ってないからあんまり紹介できないけど」

少し照れながら笑う才人。
そんな“担い手”に応じたのか、彼の背中に背負われた剣からも声がする。

「俺様も相棒と出会ってもう2,3ヶ月ってとこか」

――早いもんだ、と笑うデルフリンガー。

そのデルフリンガーの笑いに才人も「そうだなぁ、この街に来てもうそんなに経ったのか」と思い出すようにして呟いた。
しかし、その声にはどこか暗いものも混じっていた。
その瞬間、才人の脳裏にはつい数か月前まで暮らしていた東京の自宅の姿が思い出されたのだった。

「あら、サイトさんはどこからいらしたのですか?」

そんな才人の様子の変化に気付かないままアンリエッタは無邪気な声で尋ねた。
その問いに対して才人はすっと空を見上げ、答える。
昼間でも消えることなく空にうっすらと浮かぶ二つの月を眺めながら呟かれた声は心なしか寂しさが混じっているようにも思われた。

「遠いところ……ずっと、遠い遠い場所なんだ」

そう才人は口にした。
「――もう二度と帰れない」という言葉を内心に飲み込んで。
たとえ『月が一つしかない別の世界』と言ってもきっと誰も理解してくれないだろう。
それ故に何処か誤魔化したようで気が引けた。
しかし、そんな曖昧な答えに対するアンリエッタの返事は違った。

「――サイトさんはまるで別世界から来た人の様ですのね」

そう彼女はどこか憧れるような笑顔を浮かべていた。
そして、そんな彼女の答えに驚いた才人が何か反応を返す前に彼女は続ける。

「サイトさんたちが羨ましいですわ。ああ、わたくしもどこまでも自由に旅をしてみたい――鳥籠に閉じ込められた鳥のようにあんな狭い場所に閉じ込められているのはもうたくさん! わたくしもサイトさんの様にどこまでも自由に羽ばたいてみたい! そうすれば――そうできればきっと素敵で楽しいことでしょうね」

毒気の無い心からの素直な憧れの宿った声。
そんなアンリエッタの声に才人はどう答えれば良いのか判らなかった。
しかし、そんな彼女の言葉に才人は答えずに済んだ――才人が彼女に答える前に、命令調の大きな声と馬蹄の響きが通りを圧したのだ。

「どけ、どけいっ!」

下級貴族が馬に乗って通りを駆けていく。
そしてそれは上級貴族の露払いに他ならない。

「相棒! 避けろ」

才人が背中に背負ったデルフリンガーの声が聞こえた。
次の瞬間、才人の体が覆いかぶさるようにしてアンリエッタの体を押し倒す。

「きゃっ――!?」

その直後、市街地内部にも関わらず、擦過音と共にものすごい速さで高級馬車が二人の傍を駆け抜けていく。
狭い路地にも気にするような風もなくそうして通過する馬車は時に、いや貴族の多いトリスタニアでは頻繁に事故を起していたのだった。
物損ならまだいい。
当然、人身事故もあるが――そこにある被害者と加害者の関係は一定であり、加害者が罰せられることはほとんどない。
結局は被害者――すなわち平民が一方的に被害を受け、泣き寝入りするしかない。
それを避けるためには、先程の才人の様にとっさに飛びのくしかないのが実情だった。

「大丈夫?……あ!ゴ、ゴメン。怪我してない?」

才人は突然押し倒されたことに驚く彼女に謝りつつ、ある方向を指し示す様に睨んだ。
高級馬車ではあるが、無紋であるそれは何処かの有力貴族がお忍びで外出する際に良く使われるタイプのものだった。
アンリエッタはその馬の馬具に付けられた文様に覚えがあった。
その馬具にはトリステインの司法を担当する高等法院の紋が刻まれていた。

……しかし、才人の手を借りて立ち上がったばかりの彼女にとってはそれどころではなかった。

何しろ、生まれて初めて男性に押し倒されたのだ――しかも公道で。
彼女が息を吸うたびに才人の体臭が彼女の鼻腔をくすぐる。
同時に才人の体温もまた触れ合った部分から伝わってくるのである。
彼女の心拍数は急上昇し、彼女自身も顔が赤くなっているのを自覚していた。

――それが恥ずかしさからなのか、それとも興奮からなのかは彼女にしかわからないが。





王都郊外の有力貴族の館から帰る馬車の中では二人の貴族が揺られていた。

「アルビオンとの休戦を模索せねばならん。このままでは遠からずレコン・キスタが敗北してしまう。そうなれば、連中と私のつながりを示すものが明らかになりかねん」

――それは困る、とリッシュモンは吐き捨てるようにして言った。
その発言の背景には、サウスゴーダ近隣でアルビオン侵攻軍がアルビオン南部諸侯軍を撃破したことを受けてのものだった。
方陣を組んだアルビオン軍をようやく配置についた砲兵と数に勝るメイジの火力で押し切った結果の勝利。
その結果として、レコン・キスタは総兵力の約2割を失っていた。

「しかし、どうされるおつもりですかな?」

そんなリッシュモンに対して向かい合わせに座った男が尋ねる。
開戦前ならともかく、勝利を重ねている現状でいまさら休戦というわけにはいかないのは明らかであった。
戦場で勝利している相手に無条件の単なる休戦で満足するものは居ない。
ならば、休戦するに値する理由が必要だった。

「軍の集積所を一つ二つ焼き払うのだ――平民の仕業に見せかけてな」

皮肉げな笑みを浮かべながら陰謀を口にするリッシュモンはおもむろに懐から琥珀製のパイプを取り出した。
琥珀製のそれはたった一本で下級貴族の年収に匹敵するシロモノだった。

「ほう?」

それを聞いた男はおもむろに肩眉を上げる仕草で返す。
そんな男に対してリッシュモンは続ける。

「卿も知っているだろう、先の王都での騒乱を。あれ以来、平民どもがまるで天下を取ったような傍若無人な振る舞いを続けている――奴らにその襲撃の責任を負わせてしまえば良い」

そう言いながら、リッシュモンは杖を取り出して咥えたパイプに魔法で火をつけた。
それに対し、男はその提案を聞いて名案だ、とばかりに膝を打つ。

「アルビオンから我が軍が現状のまま撤退し、付け上がった平民どもに我々貴族の“力”を見せ付ける、まさに一石二鳥と言ったところですかな?」

そして、男の得心したような表情を見てリッシュモンは鼻から盛大に煙を噴き出しながら笑い、答えた。

「使える物は何でも使ってしまえばよい……特にそれが大した価値も無い物ならなおさらだ」








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。

またサボってましたorz
ごめんなさい。

09/04/25追記。
※ルイズとワルドの扱いについて。
 本編では書いてませんでしたが、ルイズとワルドはMIA(任務中行方不明)という扱いになっている、という設定になっています。ぶっちゃけ書き忘れです。ごめんなさい。その点を含めて15・18話をほんの少し加筆訂正しました。

※ルイズと実家の関係について。
 対アルビオン侵攻戦争の前には一応、知らせているということになってます。…まぁ書いてませんが。それが公爵家のアルビオン派兵拒否に繋がっているという裏設定があったりなかったり。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第18話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 23:23

――――――――――――アルビオン首都ロンディニウム郊外。


見事に晴れ上がったアルビオンの秋空の下、突然――ドシャ、と何かが地面に叩き付けられる音が響いた。

「ひっ!」

小太りした体を新しさの抜けない軍服に袖を通した少年は目の前に落下してきたモノに怯えた。
それはハルケギニア最強と呼ばれたアルビオン竜騎兵――その残骸だった。
落下と激突によって原型をとどめない黒焦げになったその遺骸から、あたりに肉の焼ける臭いが漂う。

「――うっぷ」

その凄惨な光景と、なんとも言えない臭いに彼――マリコルヌ・グランドプレは嘔吐した。
彼が配属されたのはド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊――この戦役の為にかき集められた傭兵によって構成されたトリステインでは珍しい「銃」を主力とした部隊だった。
茂みに向かってげえげえと吐き続けるマリコルヌ。
その大隊司令部付の学生士官、というのが今の彼が置かれた立場であった。

彼の所属する大隊は未だに戦闘を経験していない。
先のロサイス近郊の会戦ではド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊は司令部予備に指定されたため、戦場に出る機会がなかったのだ。
当然、彼は戦闘に関わることなくそれまでを過ごして来た。
そんな彼の目前に落下してきたのは撃墜された竜騎兵。

――そう、彼は人生初めての戦場に居たのだった。





「――始祖は我らと共に在るのだ! 我らが負ける筈が無いッ! 驕れる敵を粉砕するのだ!」

彼の為に設えられた演台の上でクロムウェルは叫んだ。
それに呼応するように、周囲の兵士達が一斉に叫ぶ。

「驕敵粉砕! 神聖アルビオン共和国万歳ッ! 万歳ッ! 万歳ッ!」

その声に彼は片手を軽く上げて応じると、傍らに佇む諸侯に頷きながら演壇を降りる。
そんな彼の仕草に、彼の周りにいた諸侯は一斉に立ち上がって、それぞれの部隊に帰っていく。
最後の一人が出て行くと、彼の為に張られた巨大な天幕の中にクロムウェルは一人戻った。


「……しかし、本当に大丈夫だろうか」

一人になった個人用天幕の中でクロムウェルは一人ごちた。

先のロサイス近郊での会戦で、レコン・キスタは手痛い敗北を帰していた。
そしてレコン・キスタがようやくのことで体勢を立て直し、壊乱した軍を再編するまでにはかなりの時間を必要とし、その間にレコン・キスタはアルビオン南部の中核都市シティ・オブ・サウスゴーダを初めとする様々なものを失っていた。
特に軍における士気の低下が著しく、それを立て直すために本来ならロンディニウムにいるはずの彼がこうして戦場に赴かなければならない程のものだったのだ。

しかし、彼の実態は傀儡である。
他国からはアルビオンの支配者であるかのように見られている彼であったが、実際の領土の統治権は彼でなく各地の有力諸侯の手にあった。
そんな彼に与えられたのは『神聖アルビオン共和国』の代表である護国卿という名誉だけであった。
故に傀儡。
実際には、彼の実権はトリステインのマザリーニ枢機卿にすら及ばない――その政治的能力については比較するまでも無いというのが実情だったのだ。

そして、彼が最も頼りにしたあの・・女官が居ない。
片田舎の一司教に過ぎなかった彼を、名目上とはいえアルビオンの支配者にまでのし上がらせた彼女の不在は彼の不安を嫌が応にでも高めていた。
その上、彼の不安を高めていたのは先日ロンディニウムで開かれていた軍議の光景であった。


「クロムウェル閣下、我がプランタジネット家が始祖に歯向かう愚か者どもに鉄槌を下してみせましょうぞ!」

ヨーク公が意気軒昂に言った。

「いや、その役割は我らこそが相応しい!」

そう叫び返したのはランカスター伯だった。
両者ともに王家の系緯であったが、テューダー王朝の時代には不遇を囲っていたという事情があった。
しかし、その一方でランカスター伯は伯爵でありながら6つの伯を兼ねるアルビオン最大の諸侯であった一方、ヨーク公は公爵家でありながらそのランカスター家よりも少ない領地に甘んじるといった負い目を抱えていた。
その対立はテューダー王朝が滅んだ後も継承――無論両家ともに滅んだ諸侯の領地であった土地を加増されていたが――され、事あるごとに対立を深めていた。

ロンディニウムでは彼の女官がその対立を見事に収めてくれたものの、戦場を間近にした現在でも両者の間にはそのしこりが残っている。
そして、そのしこりを解きほぐす為には名目上とは言え唯一彼らの上に立つことのできるクロムウェルの仲裁が必要となり、彼は精神をすり減らしていたのだった。



「クロムウェル閣下、敵が前進を開始しましたぞ――」

その声に彼は一時の安息の地であった天幕を出て、好きでもない戦場を眺めなければならなかった。
唯一の救いは彼の周りで何時もやかましく対立している諸侯――特にランカスター伯とヨーク公が居ないことだ、彼はそう思った。

「閣下、我が軍も前進を開始致します」

その声と共に吹き鳴らされる太鼓や喇叭の音が変わり、レコン・キスタ軍も前進を始める。
――しかし、彼はその時異変に気付いた。
左翼のランカスター伯の部隊が前進を続ける一方、右翼を任されたヨーク公の部隊は遅々として前進しない。
そのレコン・キスタ側の連携の乱れに付け込む様に、敵の精鋭であろう中央部の部隊が銃兵からメイジに至るまでの持てる火力全てを注ぎ込んで中央に圧力をかける。
さらには同様の遠距離火力が前進していたランカスター伯の部隊にも叩き込まれ、その前進衝力を削いだ。


「閣下、前線が――」

30分ほどの戦闘の間に、進出の遅い右翼軍に合わせるようにした中央部と猛然と前進した左翼軍の間の間隙を突いたトリステイン軍が戦闘を優勢に進めていた。
遅れて進出しようとした右翼もまた遠距離火力と敵の槍兵によって防がれ、集中攻撃を受けて前進衝力を削がれた左翼が中央から切り離されるように押し返された為、特にレコン・キスタ側の中央部が大損害を受けていた。
特にメイジの数の上で有利なトリステイン側の集中攻撃を受けたレコン・キスタ軍の正面中央部はかなり押され気味で突破されるのも時間の問題であるかのように思われた。

クロムウェルはその報告を受けて周囲を見回した。
その顔からは血の気が失せ、額には脂汗が浮かんでいる。


馬鹿馬鹿しい――

ルイズは慌てふためくクロムウェルの傍らから、戦闘の状況を見てそう思った。
彼女とワルドはトリステイン諸侯で在るが故に、この戦いでは自前の兵力を持っていない。
よって総司令部でクロムウェルの護衛を務めることになったのだ。

そんな中でレコン・キスタ中央の情景を見続けてきたルイズには判った。
おそらくヨーク公が部隊の前進を遅らせたのは、敵の攻撃を左翼のランカスター伯の部隊に集中させるためだろう、と彼女は見当を付けた。
彼よりも所領の多いランカスター伯の部隊を先に敵に削がしておけば、ライバルよりも兵力の少ない彼の部隊でも同等、あるいはそれ以上の戦果を挙げられる――そう考えたに違いない。

連中は誰も彼もが自身の利権のみに固執し、最後には全てを失ってしまうことに気付かない。
別にそれは良い。
それは彼女にとってどうでも良いこと――むしろ自業自得だと思っていた。


「…っ、ヨーク公は何をしておられるのか!」

とうとうクロムウェルが不満を爆発させた。
しかし、その言葉を伝令によって当人に伝える気は無いらしい。

(……無様ね)

特にそんな連中の思惑に乗せられたクロムウェルに対しては、そんな思いすら抱いていた。
何もすることの出来ない指導者。
そして今にも逃げ出しそうな小男。
所詮は“神輿”でしかなかったクロムウェルの限界を見極めた彼女は思った。

――自らの「力」の源泉を他者に依存してはいけない。

依存した結果が彼女の目の前にいる互いにいがみ合う有力諸侯の対立に翻弄される哀れな男の姿そのものなのだから。
そう、自分自身に力が無いのなら――決して担がれてはいけないのだ。

だけど、気に入らない。
同時に別の次元で彼女は強くそう思った。
彼女はこの場にいる自分自身がこの連中と同じだと思われるのが気に入らなかったのだ。

「ル、ルイズ! どこに行くんだい――?」

唐突に席を立ったルイズを追ってワルドも立ち上がる。
そんなワルドの問いにルイズは答えた――奥に居るクロムウェルとその取り巻きたちに聞こえるように。

「私は絶対に敵に背中を向けないわ!」

そう言って本陣を飛び出したルイズとそれを追いかけていくワルド。
一転して静かになった本陣の中は沈黙が支配した。

それは気まずさからではない――ルイズが見せた幼げな行動は、本来ならむしろ冷笑の対象ですらあった。
しかし、彼らに残された最後の戦力があんな少女とその婚約者であったという事実を認識させられたことが、彼らに沈黙を余儀なくさせていたのだった。


「か、閣下! いくら子爵殿が風のスクウェアであるとて、アレだけの軍勢を止めるのは困難かと……」

ぽろり、と臆病風に吹かれた側近の一人が進言する。
しかし、クロムウェルは答えない――いや、答えられない。
今ここで不用意な返事をすれば、それは彼が今まで積み上げてきたもの全てが崩れかねない。

「閣下、お逃げくださいませ――閣下さえ居れば軍は、革命はまた直に再興できます」
「――我らがここで虚無を失えば、聖地回復もままなりませんぞ」

既にそわそわと腰の定まらなかったクロムウェルはその側近達の言葉に流された。
このままでは自身が戦場の露と消えかねない。
そんな生命の危機に加え、撤退する名目――革命を守るという、政治的正当性を見つけたのだった。

「ふ、ふむ、そうであるな」

そう言ってクロムウェルはついに席を立った。

「私の馬をもてい!」

そう側近に命ずると、クロムウェルとその取り巻き達は一斉に逃げ出したのだ。






「銃兵! 構えッ――放てぇ!」

ニコラの指示で第2中隊の銃を持った傭兵たちが一斉に引き金を引いた。
敵の中央部に一番食い込んだ部隊である彼の中隊は、既に敵の第1列を突破して第2列に猛烈な攻撃を加えていた。
連続した破裂音と硝煙の煙の後に乱れた敵の第2列の姿が見える。

――いける、そうニコラは思った。
このまま切り込めば目下のところ最大の脅威である敵メイジの魔法はこれ以上飛んでこなくなる。
よしんば飛んできたとしても、メイジの少ないアルビオン側は彼らの突撃を一撃では破砕出来ない……彼はそう確信した。

「中隊長殿、今なら切り込めますぜ」

そう言って彼は傍らの指揮官に次の指示を出させた。
軍隊における指揮統制システムが未発達であるハルケギニアでは中隊本部とは中隊長と最先任下士官である彼のたった二人でしかないのだ。
そして彼の所属する第2中隊に配属された指揮官は魔法学院から徴集された学生士官で戦争について何も知らない。
必然的に中隊最先任である彼が事実上の指揮官となっていた。

「よ、よし! 槍兵前へ――白兵戦闘じゅ、準備!」

その命令と共に先程発砲した銃兵が銃を置き、腰に下げた両手剣を引きぬく。
ハルケギニアでは未だ銃剣は発明されていないため、接近戦となれば各々が腰に下げた剣に持ち替えねばならないのだ。
既に前列には護衛として付けられている短槍兵が展開し、あとは中隊長の号令を待つばかりになっていた。

「突撃用意! 目標っ、前方の敵隊れ――」

中隊長が命令を発しようとする。
その言葉が終わらないうちに彼も手にした剣を掲げ、敵に向かって飛び出そうとした瞬間。
――轟音と共に彼の肉体は周囲の仲間と共に粉々に砕け散り、彼の中隊は突撃の目標を冥府へと変えた。




轟音と共に大地が揺れる。

「な、なんだ!?」

突然発生した大地の振動によってマリコルヌは頭から転倒した。
見習いとは言え、貴族士官らしくそこそこ華美に纏められた軍装が泥まみれとなる。
そして数秒後、泥だらけになりながらようやく立ち上がった彼は目撃した。

先程まで敵を圧倒していた筈の最前線が大混乱に陥っていた。
――いや、大混乱に陥っていたのは大隊の両翼部だけで、中央に存在していた筈の大隊主力の第2大隊は忽然と消え失せていた。
第2大隊の兵士たちの居たはずの場所には巨大なクレーターが穿たれ、その窪みの周囲には手や足、それに胴体といった人間だった・・・ものの残骸が散乱していた。

「なっ?……今のはなんだ!?」

彼の隣にいた大隊長が呆然と叫んだ。
勿論、大隊長からも前方で起こった惨事の状況は見えている。

数十メイルもの幅を吹き飛ばす攻撃。
……彼はそれを魔法だとは思わなかった。
いや、思えなかった。
魔法とは、どれだけ強力でも結局は個人技――すなわち対人戦闘技術である。
ドットメイジ1人で平民兵10人に匹敵すると言っても、10人全部を一撃で吹き飛ばせるわけではないのだ。


「ミスタ・グランドプレ! 至急、司令部に――」

そう大隊長は傍らのマリコルヌに叫んだ。
先の会戦での竜騎兵の襲撃に怯えたポワチエは司令部を遮蔽物の多い後方に布陣させていた。
必然的にそれは戦場を見渡すことが出来ない――つまり迅速な指示は望めないということでもあった。
その為、こちらから連絡して指示を請う必要があったのだ。

爆発。
今度は最前線からやや後方に展開していた予備兵力である第4中隊の半数が吹き飛ばされる。

「『我、敵ノ正体不明ノ強力ナ攻撃受ク、一時撤退ノ許可求ム』と――」

そう大隊長は言った。
現状で彼のド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊は突撃衝力を失っている。
それにこのままでは遠からず戦闘力そのものをも失うことになってしまう。

爆発―

彼の予測を肯定するかのように、先程の爆発に生き残った第4中隊の幸運な傭兵たちが吹き飛ばされ、数十秒遅れで戦友たちの後を追った。
そして、巨大な爆発は最前線に残存した味方をさらに吹き飛ばしながら、徐々に彼らのいる場所へと接近していた。

「――以上だ、このことを直ちにポワチエ閣下にお伝えしてくれ」


爆発――

轟音と振動の中で、将校伝令を任されたマリコルヌは必死に首を縦に振って命令を受け取った。
そして、その言葉を鸚鵡返しのように呟きながら一目散に司令部――後方に向かって走り出そうとした。

その直後、爆風が彼をなぎ倒すと同時に、何か柔らかいものが彼の背中にぶつかった。
と同時に頭上からなにか生暖かい液体が土砂に混じって降り注いだ。
下半身の筋肉が弛緩して力が抜け、同時に柔らかな温かみが広がるのを感じる。
しかし、彼はそんなことを気にしている余裕はなかった。
爆発によって彼の体に降り積もった土の中で、もがくようにして立ち上がろうとする。
そして、なんとか立ち上がろうとして膝を起した彼の背中から、先程ぶつかったものが転がり落ちた。
付け根部分に指揮官の象徴であるきらびやかな肩章の付いた腕。

――それは先程まで彼の傍にいた筈の大隊長の左腕だった。

「ひ、ひゃぁぁぁぁあ――!」

そう叫んで逃げ出した彼の背後で再び爆発が起こり、彼は再び地面に叩き付けられ――そこで彼の意識は一端途絶えた。





次に彼が気付いた時、目の前には彼が良く知った少女が居た。
指揮所の置かれていた小さな丘の上に佇みながら、彼女は僅かに口元を歪めながら周囲の情景を眺めていた。

「う、ぁ――」

吹き飛ばされた衝撃で打撲でもしたのだろうか?
全身が悲鳴を上げるような痛みの中でマリコルヌは不思議と静かな周囲に驚き、首を振って周りを見渡そうとした。
周囲に味方は誰もいない――生きているものは全て後方に逃げ散った様だった。

「あら、気が付いた?――久しぶりね」

そんな彼の耳に声が聞こえた。
声のした方に目をやると、それまで周囲を見ていた少女が視線を転じて彼を見下ろしていた。
その姿を見た彼は思わず尋ねる。

「き、きみはルイズ? ルイズなのかい!?」

そう言いながらマリコルヌは心から安堵した。
目の前の人物がルイズなら――彼は学院退学後のルイズがどうなったのか知らなかった。
トリステインの貴族である筈のルイズが彼の傍にいるなら、今の彼は無事に危機を脱したのだろうと思った。
しかし、彼女の次の言葉を聞いた瞬間、その期待は裏切られた。

「ええ、私はルイズ、そう『ゼロのルイズ』よ」

その声が聞こえた瞬間、彼は異常に気付いた。

――おかしい。

彼の知るルイズとは自分から『ゼロ』なんて言う様な相手ではなかった筈だ。
だとするなら、目の前のルイズそっくりの少女はなんなのか。
改めて目の前の少女を見る。
そこには、まぎれもなくつい先日まで級友だった人物にそっくりの姿があった。
全身から脂汗を流しながら、必死に考えるマリコルヌを他所に、少女は続ける。

「今思えば、私の本当の才能を見抜いてくれていたのはあなただけだったのかもしれないわね」

そう言って彼女は視線をマリコルヌから上げた。
楽しげに周囲の光景を眺めるルイズそっくりな少女。
まるで風光明媚な名所にでも観光に来たかの様な振舞いのその少女の周りには、彼女自身が作り出した無人の・・・荒野が広がっていた。
そんなこの場に不相応な振る舞いは彼に恐怖を抱かせる。
――そして、周囲に味方は誰もいない、ということがさらに彼の不安を煽る。

「あなたの付けてくれたこの渾名、今はとっても気に入っているのよ」

そう言って、目の前の『ゼロのルイズ』は再び視線を周囲の光景から彼に移してにこやかに微笑んだ。
魔法の成功確率『ゼロ』。
彼女の魔法の結果はそこには存在しない――いや何も存在しないことこそ・・・・・・・・・が彼女にとっての結果なのだ。

「誓うわ――『ゼロ』の名に賭けて、誰一人として生きて返さない!」

その言葉の意味するところを理解したマリコルヌは必死に後ずさろうとする。
彼の全身からは汗や涙は勿論、鼻水に至るまでのありとあらゆる液体が流れ出していた。

「だ、助けて――」

「――あら、ダメよ? さっき言ったじゃない、『誰一人として生きて返さない』って」

本能が命ずるまま、無意識のうちに思わず命乞いした彼の言葉に、目の前の『ゼロのルイズ』は杖を掲げてにこやかな笑顔のまま『魔法』を紡いだ。


ぶしゃぁり、と何か柔らかいものが弾けたような音が丘の上に響く。
無人となった、その丘の上に一人立つ少女。
丘の上には彼女以外誰も居ない。
そこに立つ小柄で流麗な顔立ちをした少女の服を染めているのは無論、彼女自身の血液ではない。

そして、少女は一人哂い出した。
いや、哂わずには居られなかった。
その理由は彼女自身にも判らない。
嬉しかったのか。
それとも悲しかったのか。
心の奥底から表現することの出来ない想いの命ずるまま、自身の作り上げた光景を眺めながら一人哂い続けた。

それは、まるで自分自身が成したことを確かめるかのように眺めながら。
眼前の光景を噛み締める様に確かめながら、彼女は哂い続けた。

あるいは、彼女は必死に自分の「力」を確かめようとしていたのかも知れない。
まるで、目の前の光景が『ゼロ』と呼ばれていた過去を否定でもしてくれるかの様に。
彼女の心にぽっかりと開いた隙間を埋めてくれるかの様に。

無人の荒野を作り出した彼女の「力」。
それこそが彼女にとって唯一信じられるもの。
それこそが彼女にとって唯一感じられるもの。

――その時、彼女は自身の頬に暖かい何かが伝う事に気付いていなかった。





「これは……」

眼下の光景を見つめながら、クロムウェルは息を呑んだ。
いち早く逃げ出した彼であったが、追っ手がこないことをいぶかしみ、そろそろと隠れるようにして前線に戻ってきたのだった。


「クロムウェル閣下、我が軍の大勝利のようですわね」

突然、背後から声が掛けられた。
その声にまるで電気が走ったかのように驚きながらもクロムウェルはゆっくりと背後を振り返る。
そこに居たのは数日前から姿を消していた彼直属の女官。
いつもローブで目立たないように顔を隠しているはずの彼女は珍しく顔を顕わにしていた。
そんな彼女にクロムウェルは馬を降り、何故か敬語で話しかけた。

「うむ、やはり始祖のご加護に恵まれた我が軍の勝利でありました」

そこに先程まで逃げ出そうとしていた男の姿は無い。
……その点ではクロムウェルは優秀な政治家であった。

「一時はどうなるかと思いましたが、このままトリステインの連中をアルビオンから追い落として見せましょうぞ!」

「それだと困るのよ」

意気軒昂に大言壮語するクロムウェルの言葉。
その言葉に対して、クロムウェル付の女官――シェフィールドは不機嫌そうに言った。

「……あの御方私の主人(は戦争が続くことを望んでいるのだから」

「は?――今なんと?」

シェフィールドの言った言葉の意味を理解出来ずに、クロムウェルは思わず聞き返した。
そんなクロムウェルの問いに答えずに、彼女は言い放った。

「まぁいいわ。どうせ貴方の役目はここで終わりなのよ」

その言葉と同時に彼女は懐から短刀を素早く、何気ない仕草で取り出して用済みとなったクロムウェルの胸に突き刺した。
ゆっくりと崩れ落ちていくクロムウェル。
決して閉じられることない見開かれた目には決して解かれることのない疑問が浮かんでいた。


「さて、どうしようかしら」

とある酒場での冗談をきっかけに護国卿にまで伸し上った男の遺骸を見ながら、シェフィールドは呟いた。
トリステイン軍の敗北は防げたが、かといってこのままレコン・キスタが崩壊して貰っても困る。
かと言って目の前で物言わぬ躯となった男ではもはやレコン・キスタを維持できない――戦場で逃げ出した指導者など、もはや誰も信用しないからだ。
彼女の主人の目的を達するためには双方にさらなる戦乱を維持してもらう必要がある――そのためには。

「新しい英雄が必要よね――」

彼女の視線の先には無人となった荒野の丘で一人哂い続ける少女の姿があった。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第19話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 23:31

――――――――――――草むらに伏せながら、才人は前方の状況を伺っていた。


彼が背中に背負うのは既におなじみとなった大振りな片刃剣、デルフリンガー。
そしてもう一つ、ハルケギニア製の銃が背負われていた。


『銃』。
それはこのハルケギニアでは500年ほど前に原型が作られた、比較的新しい武器である。
片側を塞いだ鉄の筒の中に粉末状にした木炭・硝石・硫黄を混合して作られた火薬と鉛の弾丸を挿入し、火薬の爆発力で鉛の弾丸を打ち出すというものであった。

一般に、多少の銃創は治癒魔法を使えるメイジにとっては直に治療可能なものであり、大きな脅威にならないと言われていた。
しかし、メイジもまた人間である。
頭部はもとより、胸部などの急所に被弾した場合、即死することには間違いない。

同時に銃の利点はその弾丸の速度が上げられる。
火薬の燃焼エネルギーを受け取って打ち出された弾丸はそれまでの弓やクロスボウと言った道具で射出される矢よりも遥かに小型で高速だったのだ。
目で目視することが可能であり速度も遅い矢での襲撃は、たとえ奇襲であっても魔法を使うメイジをしとめることが困難であったが、音速にほぼ等しい初速を持つ銃弾は(飛んでくる銃弾自体が目視不能であり、矢を上回る運動エネルギーによって)その有効射程内ならば、(急所に命中した場合)ほぼ確実に相手をしとめることが出来るのである。
さらにその射程はそれまで対メイジの有効武器足りえなかった弓には若干劣ることもなく、魔法の単体射程に匹敵する50メイル以上を誇る――それは一部のスクウェア級を除けば、メイジの大多数を占めるドットやラインの射程外、少なくとも同程度の距離から攻撃するには十分すぎるものでもあった。

それまで平民の磨いた牙と呼ばれた剣や槍に比べて遥かに長距離から、より簡単にそれまでの戦場の支配者であったメイジを排除できる武器――
それが、この世界における魔法使いに対する『銃』の意義であった。

ハルケギニアの戦場において、そのような位置を確保した銃であったが、才人が背負っている銃はさらに特別だった。
――施条銃ライフル
未だ前装式ではあるが、銃身内部に線条を施した新型銃であった。

この銃が完成するきっかけはコルベールとの出会いだった。
彼はゼロ戦に搭載された機関砲を目にしてその精密な構造と性能に興奮し、その研究に没頭した。
その中で一番初めに注目した点は後装式による速射性であったが、その次に気付いたのは銃身内部に刻まれた線条だった。
その研究は弾丸が空中で飛行する状況の実験からいかに固い鉄の筒に線条を刻むか、といった問題まで多岐に渡る。
そして、その試行錯誤の結果が今才人の手の中にあった。

「サイトさん、どうしますか?」

そう小声で尋ねるシエスタを手で制しながら、才人は再び視線を前方に向ける。
才人が草むらに伏せている前方100メイルほどを一人の少年が逃げていた。
全身泥だらけになりながら、何故か必死に逃げようとしている。

――その背にはボロボロになりながらも、貴族であることを証明するマントがなびいていた。






「我が軍が敗北したですと!」
「それで我が軍はどうなったのです?」

「それよりも平民どもがラ・ロシェーシェル近郊の集積所を襲ったという話は誠なのか!?」

「新しく発表されたレコン・キスタの中央評議会議員の名にヴァリエールの名があるが一体どういうことですかな?」
「我がトリステイン貴族がレコン・キスタ中央評議会議員に名を連ねているだと!」
「それも『サウスゴーダ会戦の英雄』とはどういうことだ!?」

――トリステイン王宮の謁見の間は大混乱のさなかにあった。
最初に入った一報は、アルビオン首都ロンディニウム近郊に迫ったトリステイン軍が敗北したとの報告だった。
ある意味、単なる敗報であればここまで混乱は起きなかったかもしれない。

トリステイン側としては王女の勅命によってレコン・キスタ打倒を目指すことになったものの、元々は敵の侵攻する前に機先を制する「攻勢防御」ということが目的だったからだ――ある意味、敗報は誰しもが内心で薄々予想していたのだった。
しかし「最悪の出来事は悪い時にやってくる」の言葉通り、その知らせはトリステインの諸侯達が悲嘆に暮れている時にやってきた。

“ロンディニウムの救世主”
“サウスゴーダ会戦を勝利に導いた英雄”

そんな言葉と共に一躍浮かび上がったのは事もあろうにトリステイン最大の諸侯、ヴァリエール公爵家の令嬢だったのだ。

『ロンディニウムの守護者にして革命の守り手、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢、レコン・キスタ中央評議会議員に就任!』

アルビオン全土に勝利の知らせと共に広がったこの知らせはアルビオンだけでなく、トリステインの中央政界に激震を与えていた。

「ともかく、ご息女の動向についてご説明頂けますかな?」

そう尋ねたある貴族の問いにヴァリエール公爵は答えない。
……いや、答えられない。


彼は内々にアンリエッタ王女から娘とその婚約者の消息について聞いていた。

『ルイズは――ルイズ・フランソワーズとその婚約者は私が内々に命じた任務の途中で消息を絶ったのですわ』

彼が密かに呼び出された王宮で、アンリエッタは今にも泣きそうな表情でそう告げた。
その言葉を告げられた時の彼の驚きと悲しみは天を割かんとするばかりであった。
子煩悩で知られる彼にとって、その王女の口から出た知らせはまるで転地が逆転したかのような衝撃だった。
それでも……それでも王女の直接依頼した密命、すなわち王家の為ならば、と彼は涙を呑んで耐えた。

その娘と婚約者がこともあろうに敵の中枢にいるというのだ。
当然、彼も混乱の中――いや、この広間に集まった人物の中で最も混乱していた。

(あの子はどうしてしまったのだろう――)

周囲の諸侯から責められる彼の心の大部分は、彼の娘が魔法学院を中退してからずっとその想いで一杯だった。
しかし、政治家としての彼の理性はこのことを周囲に語る訳にはいかないと感じていた。

公爵は、(王女に聞かされて)彼の娘とその婚約者が何故アルビオンに向かったのかは知っている。
……逆に言えば、それ以外については何一つ判らないのだ。

しかし、それを公表することは自家の者に任務を託した王家の――アンリエッタの信頼を裏切ることとなる。
それも、失敗した任務のことである。
アルビオンの王族に愛を誓った手紙を出しただけでなく、さらにそれを回収することにも失敗したという事実が明らかになれば王家の信頼はさらに低下することになる。
この非常時に王権の失墜、それだけは避けたい。

『――トリステインでヴァリエールに逆らってはいけない』

彼の一族がそれほどの権勢を誇っていたのは王家の系譜であることもあったが、第一にその王家に対する忠誠の高さがその根源であった。
時に失政を行なった王家を支え、王権に対する信頼を守ってきたからこそ、彼の一族は王家から無比の信頼を寄せられてきたのだ――それこそがトリステインにおけるヴァリエールという存在。
それがトリステイン王家に連なる者としての彼の意思だった。

――故に、彼は王家の泥を被ることにした。



「公爵殿ッ!お答え頂きたい!」

ヴァリエール公爵の沈黙は続く。
しかし、そんな彼に対して周囲から詰め寄る声が響く。
声の主――ヴァリエール家の系統ではない彼らにしてはまたとない政敵を追い落とすチャンスなのだ。

「――まさか、公爵殿はレコン・キスタに内通でもしておられるのか?」

何処からかそんな声が聞こえた。
それも強烈な威力を持った直球だった。

「いや、そのようなことは……」

さすがにヴァリエール公爵は否定する。
しかし、その答えを聞いた後もざわざわとその“疑惑”についての言葉が乱れ飛ぶ。

「公爵殿がアルビオンに出兵されなかったのはそれが理由ではないか?」
「それならば婚約者と共に姿を消したのも納得できる」
「――やはり公爵殿は…」

周囲の眼差しがそれまでの遠慮から疑いの目に変わり、そして確信へと変わっていく。
そんな空気の中、声を挙げたのはリッシュモンであった。

「公爵殿には暫く王都の屋敷で謹慎して頂くしかありますまい――」

彼としてはほぼ同時刻に“発生”した「平民による王軍への襲撃」という事件の方がより深刻な状況であると主張したかったのだが、この状況ではそうも行かない。
彼はヴァリエール公爵への言葉を口にしながら、内心ほぞを噛んだ。
しかし、そこにはトリステイン最大の諸侯であり、王家にも近いヴァリエール一門を失脚させることが出来るという予想外の自体に対する喜びもあった。

「トリステインの高等法院を預かるものとしては、とりあえずヴァリエール公爵殿には真相が明らかになるまで王都で謹慎でもして頂くのが最良であると思いますが、いかがかな?」

場内がざわめく。
それはまるで裁きを待つ罪人扱いではないか――そんな声も上がるが、ごく一部に留まる。
古来より由緒ある名家の貴族が罪に問われた時は必ず王都の屋敷に留め置かれるのが慣わしとなっていた。
自領に帰る事を許さないのは叛乱を防ぐため。
しかし、貴族にとって見ればそれは平民を衛士詰め所の土牢に閉じ込めているのと代わりが無い。

罪人には罰を――それも身分に見合ったものを。

貴族に対しての自宅謹慎とはそういうものだった。
そんなリッシュモンの判断に対して、当事者であるヴァリエール公爵は一瞬瞑目すると、

「……判り申した」

そう言って彼は退出していく。
彼の周囲には数人の他の諸侯に連なる貴族がまるで逃亡を防ぐかのように公爵を囲みながら退出していった。



マザリーニはそんなヴァリエール公爵の後姿を眺めながら、かすかに息を吐いた。
彼は感謝していた――自家の名誉を犠牲にしてまで、王家の尊厳を守ったヴァリエール公爵家の忠誠に。
ヴァリエール家の三女とその婚約者であるグリフォン隊隊長に与えられた任務の事は彼も王女から聞いていた。
しかし、彼がそれを知らされたのはニューカッスル陥落後、手紙の件が公になる直前のことであった。

――もっと早くに言ってくれれば、他に執る手もあっただろうに。

マザリーニはそう思ったものだ。
その尻拭いは王国宰相の扱いを受けている彼がこなさなければならない。
そして、その尻拭いはついに彼の手を越え、ヴァリエール公爵にまで達したのだった。

当然、マザリーニはヴァリエール公爵に対する処遇をいくらかマシなものにすることも出来た。
しかし、そこで彼が口を出せば、公爵の守ろうとしたものを無下にすることとなる。
だから、彼は口を出さなかったのだ。

もちろん、彼にもヴァリエールの末娘やその婚約者が何故レコン・キスタの中央評議会議員に名を連ねているのかはわからない。
判らないのだが……王家は彼の忠誠に報いなければならない筈だった。
そうして彼は玉座に腰掛ける王女へと目線を向けた。

王女は何故か先日から呆けた様にため息を吐いていることが多い。
以前もため息は多かったが、今のため息とは質が違うようにマザリーニには思えた。

現に今も窓の外を――何処か遠くを見つめるように眺めている。
今まさに目の前で示されたヴァリエール公爵による身を切るような王家への忠誠の表明にもまるで興味が無い、と言うかの様に。
そして彼女はほうっ、というため息を吐いた。
……マザリーニには、その時の彼女の顔が少し赤らんでいるようにも見えた。



謁見の間での会合を終えたリッシュモンは門の前で待たせてある自身の馬車に向かっていた。
彼の機嫌は良い――予想外の事態ではあったが、ヴァリエールという大物を失脚させることが出来た為であった。
そんな彼にに側近の一人が駆け寄って耳打ちする。

「死体を確認したところ、一名足りません……どうやら逃げられたようです」

その報告にリッシュモンは内心舌打ちした。
顔には出さずに、密かにこう思った。
――全てが上手くいくわけではないものだ。
しかし、彼は直に気を取り直して傍らで待つ側近に淡々とした口調で指示を出した。

「竜騎兵を出せ。決して生かして返すでない」







「あぶっ――」

地面から顔を出した石に躓いてレイナールは水溜りに倒れこんだ。
しかし、彼は構うことなくその泥水を口にすると、背後を振り返って確認して、また走り出した。
そう、彼は今まさに逃走の最中だったのだ。

2日前の夜、彼はラ・ローシェル近郊に急遽設置された第16補給廠で当直に当たっていた。
彼に与えられた任務は各地の補給廠から集められてくる物資を蓄積・集計し、ラ・ローシェルへと運び出す輸送隊に引き渡すことだった。
そんな中、同じく当直にあたる同僚の――級友でもあるギムリに断って近くの茂みで小用を足していた時に異変は起こった。

彼が小用を足していると、先程唐突に乗りつけてきて、「司令と話がある」と言って天幕に入って行った筈の貴族が飛び出すようにしてきたのが木陰の隙間から見えた。
そんな行動に異変を感じたのか、貴族に一人だったギムリが話しかけようとして――彼の背中から貴族の杖が飛び出したのが見えたのだ。

「―――!」

彼はその光景に声を上げることが出来なかった。
――そして、それは彼にとって幸運だった。

血に染まり、倒れこんだギムリを無視して貴族は小さなファイアー・ボールを打ち上げた。
次の瞬間、あちこちで悲鳴や断末魔の叫びが上がり始める。
時折、降伏しようとして命乞いをするものや、逃げ出そうと背中を向ける者もあるが、貴族とその従者達は容赦をしなかった。
たちどころに血飛沫を撒き散らして絶命していくレイナールの同僚である学生士官や部下である平民兵達。
その光景を目にして、彼は理解した。

鏖殺みなごろし。

あの連中はこの場所に居た人間を生かして返す気が無いのだ。
そして、一通りの悲鳴が収まると、貴族とその従者達は死体の数を数え始めると同時に山積みになっている物資に火を放ちはじめた。
レイナールはその圧倒的なまでの暴力的な行為に呆然としながらも、犯人達の行動の意味を理解出来た。
連中は自分達が殺害した人間の数を数えている。
であるならば、彼がその中に含まれて居ないことも直にバレてしまうだろう。
そうなれば、連中は自分を消すためにあらゆる手段をとるのは明らかであった。

そして、彼は本能に従って行動した――すなわち、逃げ出したのである。




「――それで、ここまで?」

才人の声に一応の説明を終えたレイナールは頷いた。
そのまま倒れこみそうになるのをあわてて才人は支えて、携えていた水筒から水を飲ませた。
この話が本当なら――おそらく追跡者がこの少年を狙って来るだろう。
誰もがそう考えていた時、その判断を肯定するかのように声が上がった。

「サイトさん、あれを!」

そう言って空の一点を指し示したのはシエスタだった。
彼女の肩にも才人と同じくコルベールの魔法によって線条の刻まれた銃が背負われていた。
いや、彼女の背負った銃は才人や周囲の仲間たちが背負っているものとは少し違った。
――銃身が他のものより長く、照星や照門がより精密に作られた、狙撃仕様(原型は狩猟用)のものだった。
そんな彼女が指し示した先には大きな鳥のようなものが一直線に彼らの元に向かってきていた。

「あれは……鳥?」

「竜騎兵です!逃げましょう!」

竜騎兵に対抗するには同じく竜騎兵しかない。
火炎ブレスの能力を持つ火竜はもちろん、その能力のない風竜であったとしても、地上の人間からすれば十分以上の脅威となる。
そもそも、ある程度発射後の制御・誘導の出来る魔法ですら対抗困難なのだ。
当然、無誘導な弓では歯が立たない――弾幕が出来るほどの射撃ならば別かもしれないが。
それはアルビオンでわずか数騎の竜騎兵がトリステイン軍を一時大混乱に陥れたことからも明らかであった。
そんな存在が襲撃態勢で才人達のもとへ向かって急降下を開始していた。

「伏せろ!」

才人が叫びながら、隣にいたシエスタを抱えて倒れこむ。
その直後、彼らの頭のあった位置を飛竜の翼、そして鋭い足爪が通過していく。
時速200リーグ近い速度で突っ込んでくる飛竜はそれだけで十分以上の脅威だった。


「畜生!」

そう才人は毒づく。
ほんの一瞬だったが彼は見たのだ――飛竜に乗った竜騎士の顔に自身の圧倒的優位からくる愉悦の色が浮かんでいることを。
同時に彼の心は怒りと復讐心で震えた。

「相棒!」

「おうよ!」

その声と共に才人はデルフリンガーを抜き放つ。
彼の心の震えに呼応するかのようにデルフリンガーの刀身は新品のような輝きを示していた。

才人は旋回して再び向かってこようとする竜騎兵に飛びかかろうとして――

「うわっ――!」

風圧に吹き飛ばされた。
急降下してきた飛竜に切りかかるどころか、近寄ることすら出来ない。
それに高速で飛行する飛竜の翼はかすっただけでも人間にとっては致命傷――頭部をプティングのように潰すほどの威力を持つ――になりうる代物だった。

「相棒、これじゃいけねーよ」

そう言ってデルフリンガーも匙を投げる。
仮になんとか飛竜の翼をデルフリンガーで切りつけられたとしても、おそらくその硬度と慣性エネルギーによって弾き飛ばされるのがせいぜいだろう。
そもそも才人の握力があの巨体とデルフリンガーとの衝突の衝撃を支えきることが出来ないのは明らかであった。

デルフリンガーの言葉に才人は同意して鞘におさめる――鍔の部分は出したままにして。
入れ替わりに才人が手にしたのは同じく背中に背負った『銃』だった。

「相棒、いけるのか?」

そう尋ねたデルフリンガーに才人は答えた。

「――やるしかないだろ!?」

そう怒鳴り返して才人は膝射姿勢で手にした銃を構えた。
チャンスは一度――再装填にやたら時間のかかる前装式の打石式施条銃フリントロックライフルではそれが限界だった。

「来たぞ、相棒!」

デルフリンガーが叫ぶ。
その声に応えるようにして、狙いを接近してくる竜騎兵に定めた才人は引き金を引いた。

少し甲高い銃声。

才人を狙って一直線に向かってくる竜騎兵、その飛竜を狙って放たれた一弾は見事に飛竜の胴体に命中して――その硬い鱗に弾かれた。

「嘘ッ!?」

マジかよ、と驚愕する才人に対して、襲撃態勢に入った竜騎兵があっという間にどんどんと近づいてくる。
才人の手にした銃にはもう弾丸が残っていない。
次に撃つためには再装填が必要だが、彼が手にしている前装式の銃ではあらゆる武器を使いこなすガンダールヴと言えども20秒近い時間が必要なのだ。
進退窮まった、というその時――

「サイトさん、これを!」

そう言って傍らに居たシエスタが装填済みの自分の銃を才人に投げ渡す。
その銃を受け取ったと同時に才人の左手が輝きを取り戻し、才人は熟練者でも難しそうな流れるような動きでその銃を構えなおした。

竜騎兵はもう、すぐ傍にまで迫っている。
今から逃げたところで間に合わない。
だから、才人はその一弾に賭けた。

才人は銃床を肩に押し付けるようにして構えた銃の照星と照門を一致させて竜騎兵を睨んだ。
狙うは飛竜ではなく、それを操る竜騎兵そのもの――竜の鱗は破れなくても、それを操る人間相手なら倒せる。
それが才人の狙いだった。
一見、必中だと思われた照準だったが、冷静に才人は僅かに照準を左にずらす。
これもガンダールヴの恩恵か、彼には銃弾の予測弾道がまるで見えるかのように感じたのだ。
竜騎兵が才人に衝突する――誰もがそう思った瞬間、彼は引き金を引いた。

先ほどよりもさらに甲高い一発の銃声が響く。

「うわっっ!」

その直後、才人は発射の衝撃を殺すことなく、後ろに倒れこんだ。
彼の眼前を巨大な飛竜が通過していく。
そのまま上昇する飛竜の背中からドサッ、という音と共に鞍から放り出された竜騎兵が地面にたたき付けられ、乗り手を失った飛竜は悲しげな声と共に何処かに向かって飛びさっていくのが見えた。

その光景に何処かほっとした様子で才人は息を吐いた。
その直後――

「すごいです!サイトさん」

そう言ってシエスタが才人に抱きつくようにして称えた。
周囲の仲間達も彼女と同じように生き残った喜びと才人の見せた偉業を称える。
そんな中、才人は一人別のことを考えていた――シエスタの胸に押しつぶされそうになりながら。





「貴族が王軍の集積所を襲ったってのは本当なの?」

「本当なんだ、信じてくれ」

ジェシカの問いに憔悴したレイナールは答えた。
彼は既に自身が狙われていることを理解していた。

予定を一時中断した才人達とともに、ようやくトリスタニアまでたどり着いた彼は見てしまった。
宮廷貴族である彼や彼の親族の家は既に衛士隊によって封鎖され、門前には魔法衛士隊から派遣された魔法衛士が警戒にあたっている。
――何時の間にやら、リッシュモンの手によってレイナールは襲撃犯の手引きをした者としてお尋ね者とされていたのだ。
実際の犯行がどうであったにせよ、リッシュモンはその政治力と司法の長という地位を利用して、平民組織の弾圧とトリステイン軍の戦力吸収を進めようとしていたのだった。

「おそらくこれを理由にわたしたちへの弾圧を正当化するつもりなのね、きっと」

悲しげなポージングと共に発せられたスカロンの声を聞いて、会議の場では「否定する声明を出すべきだ」という意見が噴出する。
幾ら、ここ最近で急成長したコミン・テルンとは言え、ここで貴族に本腰を挙げられてはたまらない。
大勢が「襲撃否定」に傾きつつあった時、声が上がった。

「いいえ、その必要はありません」

そう言い切ったのはシエスタだった。
当然、それまで襲撃を否定する声明を出すことに賛成していた者からの反論が出る。

「しかし声明を出さなければ、むざむざと貴族達の思惑に乗るようなものじゃないか」


「ええ、だから・・・連中の思惑に乗ってやるんです」

その反論に対してシエスタはあっさりと「貴族の思惑に乗る」と宣言した。

「なるほどね」

真っ先にシエスタの言っている事の意味を理解したマチルダがつぶやく。

「連中はこれ以上、トリステイン軍・・・・・・・に勝利されては困る、ということさね」

マチルダのその答えにシエスタは満足そうな笑顔を浮かべる。

「そういうことです。恐らく襲撃したのは、同じ貴族でも『レコン・キスタ』の連中でしょう。だから、相手の思惑に乗るんです――私達がこれほどにまで活動出来ているのは戦争のおかげですから」

そう言って、シエスタは襲撃犯の貴族がレコン・キスタであるという理由を挙げていく。

一つ、戦争中にも関わらず、自国軍の集積所を焼き払ったこと。
――戦争中に大量に必要とされるものをわざわざ焼き払ったということは、トリステイン側に敵対するものの仕業であるという証拠である。
二つ、平民を叩くための正当性として、「貴族」を殺害していること。
――襲撃された集積所に居た人間は皆殺しになり、、被害者の中にはいくら下級とは言え、当然将校たる貴族も含まれている。
つまり、血統集団を大事にする――それが他人の血統であっても(良くも悪くも血統主義とはそういうものである)――トリステイン貴族の恨みを買っても問題の無い立場の人間の犯行、ということである、ということ。


「それに、『平民が軍の集積所を襲った』というのも悪くないじゃない?」

どうやら同様に理解したらしいジェシカもまた生真面目な表情で言った。
そこにはいつもの『魅惑の妖精』亭での笑顔は無く、コミン・テルンでトリステイン中の情報を取りまとめる少女の姿があった。

「今の私達には軍の集積所を襲う、なんて力はないんだから」

そう言っていたずらっぽい笑顔で彼女は笑った。
確かに、現在のコミン・テルンの行なっている活動は今回のようにせいぜいが協力者によって荷抜きされた物資を貧困に苦しむ人々に振舞うことで構成員や協力者を増やすといったレベルでしかなかった。
当然、正規軍やメイジの集団である魔法衛士隊を相手にすることなど出来るはずもない。

しかし、コミン・テルンで中心的に情報を扱う彼女としては、この事件を逆に組織拡大の為の宣伝として使うつもりだった――それは敵に対する威嚇であると同時に、自分達が明確に貴族を相手として戦っていることを貴族に対して不満を持つ人々に対するアピールにもなるからだ。
上手くすれば、今まで貴族の力に怯えていた人々を組織に参加させることが出来るかもしれない。

そんなジェシカの考えに「どうせ何を言ったところで貴族はこれを理由に私達を狙ってくるでしょうからね」とシエスタは同意した。

一転して会議の場が明るくなる。
そんな中、誰かがぽつりと呟いた。

「でも、戦争の終結は私達平民達の願いでもある」

「……そして再び貴族による支配の下にでも戻る気かい?」

そんな呟きにマチルダが皮肉げに噛み付いた。
そこには自身の目的を否定された怒りがあった。
「貴族による支配の打破」――それこそがここに集う全員の願いであり、目的であったのだから。
一変した空気の中でシエスタが問題を前進させようと言葉を紡いだ。

「……私たちの目的は、『貴族制を倒して』私たち自身の権利を勝ち取ることです。その為に必要なものがあります」

その声にさらに噛み付こうとしていたマチルダは口を噤み、周囲の人間もシエスタに注目する。

「それは、時間です。私たちコミン・テルンが活動し、この国を革めることが出来るまでの時間、それを稼ぐ為の方法が必要なんです」

戦争状態を続けさせて、貴族制を倒すまでの時間を稼ぐ方法。
確かにこの戦争によって軍事的に空白地帯となったトリステインで組織は急速に拡大したし、銃や弾薬といった普段なら手に入りづらい物資も横流しによって大量に手に入った。
この調子なら確かに『貴族制』を倒せるかもしれない。
しかし、そんな都合のいい方法があるのだろうか?
……一同の間に沈黙が広がる、そんな時。


「――船だ」

唐突にそれまで沈黙を続けていた才人が言った。
その声に全員が一斉に振り向いた。

「アルビオンってのは海の向こうにあるんだろ?なら船が無ければ帰ってこれなくなるんじゃないか?」






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


ついにこの作品でも異世界技術の導入をしてしまいました><

…私がこの作品を書くにあたっての個人的テーマとしての一つに良くありがちな技術革新ではなく、「異世界に『現代の思想(っぽいもの)』を導入したらどうなるか?」ということがありました。
と、いうわけでこれまで余りゼロ戦だのの活躍はしてきませんでした。

……そして多分これからも活躍はありません。期待していた方、ごめんなさい。
あと2~3個の科学チート…にならないくらいのものが出るくらいかと思いますので、宜しくお願いします。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第20話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/07 23:36

――――――――――――マリー・ガラント号はアルビオンに向かっていた。


「アルビオンってのは海の向こうにあるんだろ?なら船が無ければ帰ってこれないんじゃないか?」

才人のそんな一言からコミン・テルンでは「時間稼ぎ」の為の計画が開始されていた。
初めてトリステイン側の主要港となっていたラ・ローシェルに向かった才人の感想は「何で港に行くのに岩山に登るんだ?」というものであったが、空に浮かぶ“船”を見てからは疑問を挟まなくなった。

(……そういえば、ここってファンタジーの世界だったんだっけ?)

最近は無意識に受け入れることが多くなっていたが、改めて才人はこの世界が彼の世界とは違うのだと実感させられていた。

「サイト、アルビオンが見えたよ」

そう言ってマリー・ガラント号の貨物室に備えられた小窓から外を指し示したのはマチルダだった。
協力者の手引きによって密航するという計画の必要上、補給品が山と積まれたこの貨物室に居たのは才人を除けば何故かアルビオン行きにこだわったマチルダとアルビオン側との連絡を担うシエスタだけ。
残りの人員はトリステイン側でこの計画の実行に当たっていた。

その声に、才人はマチルダの指差した方向を見つめて、言った。
周囲にはマリー・ガラント号と同様にアルビオンへの物資輸送を担う輸送船とその護衛の軍艦。
その遥か下には白い雲がどこまでも続いていた。

「どこにも陸地なんて見えないけど……」

そう答える才人。
彼が再びファンタジーを思い知らされたのは、呆れたようにして才人の視線の方向を変えさせたシエスタの言葉だった。



ロサイス軍港はこの戦争初期にアルビオン侵攻の為の拠点としてトリステイン側が真っ先に強襲・占領した拠点だった。
軍港の中核をなす4隻の大型戦列艦を係留して同時整備できる尖塔式桟橋を初めとして、輸送船団から降ろされた物資や部隊の一時展開を可能とする広さはもちろん、慰労の為の小規模な歓楽街すら備えたアルビオン南部における主要軍港の一つであった。
そして、才人達が到着するなり計画の準備が着々と整えられようとしていた。

「全ての船を一斉に燃やしてしまうの。そう、トリステイン側でも同じようにして準備をしています」

才人達が立てた計画の骨子は「トリステイン軍をアルビオンに留めておくこと」だった。
リッシュモンの計画とは異なって、才人達にとってはトリステイン軍が勝とうが負けようが関係ない。
革命を実現するまでの時間を稼ぐために、トリステイン軍の輸送手段を破壊して、その地上軍の本土帰還を妨害する――それが最大の目的だった。

その手段は至極単純。
アルビオンに渡ることの出来る「船」を出来るだけ多く破壊することだった。

と言っても、全ての輸送船舶は常にトリステイン側とアルビオン側の両側に展開して、荷積み・荷揚げ・輸送のどれかの任務に当たっている。
仮にトリステイン側の「船」だけを焼き払っても、アルビオン側と飛行中の「船」を含めて半数以上の船舶が残されてしまう。
そのまま中途半端に実行すれば、物資不足を理由に逆に主力軍が戻ってきかねない。
それを避けるためには、トリステイン・アルビオンの両側で同時に、派遣軍が撤退不可能になるほどの大打撃を与えることが必要とされたのだった。


「ええ、そういうことです。その準備と実行をお願いしたいの――そう皆に伝えて」

シエスタがそう計画を話す相手は彼女の弟であるジュリアンだった。
とある戦列艦の見習い従兵として乗り込んだ彼は今、コミン・テルンにとってアルビオンでの取りまとめ役、と言った様な立場にあった。
そして計画の詳細を伝えられたジュリアンは、僅か16歳の少年がそのような地位にあるのを納得させるかのような聡明さで答えた。

「わかったよ、姉さん。ただし、その準備には2~3日程かかると思う。その間、姉さんとマチルダさんは酒場の女中のフリをしてもらうとして――」

そう言って才人の方を見るジュリアン。
その目にはシエスタから聞かされていたのだろうか、何処か才人に対する憧れの様なものと共に困ったような色も含まれていた。

「――え、俺?」

そう才人が自分を指差した。

「サイトさんは目立ちすぎるんです――」

そんな才人にシエスタが苦笑しながら教えてくれた。
剣を背負った黒髪の少年の噂は当然の如く、アルビオンに派遣されたトリステイン軍の間でも広がっていた。
王都での騒乱以来、トリスタニアの平民街や裏道ならば普通に出歩くことの出来る(さすがに貴族街付近は不可能だが)ようになった才人であったが、ここは後方とはいえ戦地。
つまり、協力者やシンパを除けば――と言っても主に警戒しているのは士官以上の貴族達だけであろうが――周囲の全てが敵であったのだ。

「えっと、なら俺はどうしたら良いんだ?」

そう困惑する才人。
そして同じく困ったように顔を見つめあうシエスタ姉弟の姿。
そんな情景の中、相談するようにしてマチルダが口を開いた。

「――そのことなんだけどね」

そう言って、彼女は自分の家族の話を切り出した。





ロンディニウムに戻る途中のルイズの目の前に突如として現れた女は言った。

「素晴らしいわね、ミス・ヴァリエール」

そう彼女を褒め称えたのはあのローブを身に纏ったあの女官だった。
まるでエイの様な形をした飛行魔法具に乗りながら、彼女はルイズを見下ろしていた。

「……アンタ誰?」

見知らぬ人物に見下ろされながら褒め称えられる。
その一見矛盾した行動を前にとたんにルイズは不機嫌になった。

「私はシェフィールド。貴女と会うのは二度目になるかしらね」

その言葉にルイズは目の前の女の正体に気付いた。

「…で、その専属女官様が『魔法』も使えない私に何の用かしら?」

謙遜するようにして答えるルイズ。
しかし、彼女の目には決してそんな色は存在せず、むしろ煙たがっているようにも見えた。

「いいえ、本当に素晴らしいわ……“偉大なる虚無の担い手”の一人としてはね」

そんなルイズに対して、シェフィールドは事も無げにルイズ自身しか知りえない筈の事を告げた。
と、同時にその言葉はルイズの逆鱗に触れるのには十分すぎるものでもあった。
その言葉を聞いて、睨みつけるルイズの視線を他所に、彼女は続けた。

「ところで、私は今少し困ったことになっていて――新たな「担い手」が必要なのよ。以前の様な、紛い物ではない真の担い手がね」

「……何が言いたいの?」

回りくどいシェフィールドの言い回しにルイズの語気が強まる。
目の前の女は全て自分の都合について語っているのだ――苛立たない筈が無い。
そして、ルイズの刺すような視線を流すようにして、シェフィールドはある「提案」を持ちかけた。

「――私に従いなさい、そうすれば貴女を本当の貴族にしてあげる。貴女は誰にも恥じることの無い、真の虚無の担い手として誰もが認める存在になれるわ」

「いやよ」

ルイズの答えは拒絶だった。
彼女はさらにそれだけでなく、その拒絶の言葉に続けて目の前の女官の正体を看破して見せた。

「……アンタの主人・・の傀儡なんて願い下げよ!」

「断る、とでも言うのかしら?――今まで無能と呼ばれ続けた『ゼロのルイズ』が?」

自らの正体――神の頭脳、ミョズニトニルン――であることを見透かされたシェフィールドは動じた様子も見せずに言葉を継いだ。
彼女としてはその程度の事が看破されるいことは織り込み済みだったのだ。
――そして、おもむろにシェフィールドは指を弾いた。

パチン。

その音と共にルイズの周囲に数体のガーゴイル――自律式の魔法人形が姿を現す。
それらのガーゴイルは人間を十分以上に傷つけることの出来る武器を手にして彼女を囲む。
――虚無の「担い手」であるルイズには、今その盾たるべき「使い手」が居ない。
さらに何時も彼女と行動を共にするワルドもまた、彼女とは別行動をとっていた――いや、別行動になるようにシェフィールドが仕向けたのだ。
目の前の少女は「盾」の無い無防備。
シェフィールドはそういった状況を作り上げていた。

自身の「力」によってルイズを従わせようとするシェフィールド。
しかし、そんな彼女に対してルイズは怯えることなく言い放った。

「ええ、そうよ。私は自分の力で掴み取ってみせるわ!――私が欲しいものは、誰かに与えられたものなんかじゃないのよ!」

次の瞬間、彼女は短小節の魔法を紡ぐ。
直後、ルイズの正面――シェフィールドの真下に居たガーゴイルが爆発音と共に粉々に砕け散った。
そして、続けて10秒に満たない間に彼女の魔法人形が次々と爆砕されていく。
目の前の少女に比べて、彼女自身の身体能力はそれほど強くは無い――だからこそのガーゴイルなのだが、それが成果をあげることなく、次々と失われていく。
そんな光景を目にしてシェフィールドは予定の変更を余儀なくされた。

「そうね、今日の所は引いてあげる。どうやら私は貴女の『力』を甘く見すぎていた様でもあるし――」

実際に目の前の少女の戦闘力は驚くべきものだった。
術者の精神力によって一括形成されるゴーレムとは異なり、それぞれが完全な素材を組み合わせて作られたガーゴイルを倒すのは生半可なことでは困難だったのだ。
ゴーレムならば、系統魔法の相性があるものの、おおむね術者の精神力以上の魔法をぶつければ壊れる。
それに対して魔法人形はその素材そのものの強度を越えない限り撃破するのは困難だったのだ。
――ましてや、彼女の扱うガーゴイルは性能を極限まで上げて作られた魔法大国ガリアの特注品。
いくら『虚無』とは言え、そんな威力の魔法を一小節で放つ少女はあまりにも異常だった。

「黙りなさい!」

彼女の言葉を遮るように、ルイズの叫びと共に彼女の乗っていた飛行魔法具が爆発する。
爆発の前に既に魔法具から切磋に飛びのいていたシェフィールドは姿を隠しながら、呟いた。

「――貴女の代わりが必要だもの」





サウスゴーダ近郊、ウエストウッドの森。
アルビオン軍とトリステイン軍の勢力の入り混じった広大な森の中の一角にある小さな小屋を見つめながら、シェフィールドは期待と安堵の含まれた声で呟いた。

「……見つけた!」

――今のレコン・キスタに必要とされるのは英雄。

ルイズを取り込むことに失敗した彼女の目的は、新たな“偉大なる虚無の担い手”を探し出すことだった。
迷い込んだ者が皆、何故か記憶を無くして帰ってくるという情報を得て既に数日もの間、彼女は広大な森の中を捜索していたのだ。
そして、その成果が彼女の目の前にあった。
捜し求めていた4人目の担い手が彼女の視界に居たのだ――遠見の魔法具による視界であったが。
しかし、彼女の安堵は一瞬にして雲消した。

「あれは……」

捜し求めていた「担い手」の傍にいたのは数人の子供達と二人の女性――そして、左手にルーンが刻まれた少年だった。
――ガンダールヴ。
神の左手といわれる最強の「盾」が何故ここに居るのだろうか。
ガンダールヴを召喚した担い手はルイズであったと思い込んでいた彼女は混乱せざるを得なかった。

そして、彼女が目的の少女を良く確認しようと思った次の瞬間、彼女の目はさらなる驚愕のために見開かれた。
その原因は何かを説明するかの様にガンダールヴの前で帽子を脱いだ担い手のとがった耳だった。

――エルフ。
遥か東のサハラにしかいない筈の『エルフ』が何故西の果てにあるアルビオンにいるのか?
彼女がさらなる混乱に大いに戸惑ったその直後――

「チッ!」

彼女は舌打ちしてそれまで使っていた『遠見の鏡』から目を離し、その気配の方向に振り向いた。

「ヴィンダールヴッ!」

振り向いた彼女は、その視線の先にいた、風竜にまたがった神官服の男に向かって叫んだ。

「また私の邪魔を――!」

「何をする気かは知らないが、畏れ多くも始祖の作り給うたこのハルケギニアを乱す異端者は我が主に代わって処分する。それが僕の仕事でね――アズーロ!」

そう言ってヴィンダールヴの飛竜――アズーロがシェフィールドに向かって顎を向ける。
勿論シェフィールドも黙ってはいない。
懐から新たな魔法具を取り出して反撃の用意を整える。
――そして、二つの月明かりに照らされた中で、「使い手」同士の戦いが始まった。



そんな中、ルイズもまたウエストウッドの森に居た。
――勿論それは偶然ではない。

ロンディニウムに帰還して以来、中央評議会議員就任の準備や式典の間にもルイズは活発に行動していた――そんな彼女の努力がようやく形になったのだ。
彼女を従わせようとしたシェフィールドの動向をワルドに探らせ、自らもまたシェフィールドに先を越されない様に動いた。
その結果だった。

「遅かったみたいね」

もぬけの空となった小屋の中でルイズはそう呟いた。

シェフィールドと名乗ったミョズニトニルン――額の文様と様々な魔法具を行使していたことから彼女はそう見当を付けていた――が虚無の担い手を手に入れたがっている、ということを知った彼女もまた、シェフィールドの動向を監視していた。
そして、迷い込んだ者が皆、何故か記憶を無くして帰ってくるという不思議な情報と、シェフィールドがウエストウッドの森近辺に出没するという情報を手に入れたルイズは、森の中で不審な小屋を見つけたのだった。

壁に沿って積み上げられた薪の山に何故か開いたままの扉。
誰かが生活をしている痕跡があるにも関わらず、その小屋は無人だった。

――シェフィールドに先を越されたのだろうか?

人気の無い室内の様子にルイズはそう考えた。
あらゆる魔法具を使いこなすというあの女の能力なら彼女よりも先にここを見つけるのは容易いだろう。
むしろ、森を貫く側道沿いに来た彼女がこの小屋を見つけられたことこそが幸運だったのだ。
もし、シェフィールドに先手を取られたのならば――そこで彼女は違和感を覚えた。

「ルイズ? 遅かったというのはどういうことだい?」

そんなルイズの思考を断ち切るかのようにワルドが質問を挟んだ。

「ワルドさま、少し黙って――」

しかし、彼女はワルドの質問をぶしつけに断ち切った。
彼女の視線の先には調理場に置かれた食材があった。
まな板の上におかれた食材は――まるで先程までここで料理をしていたよう。

――おかしい。

彼女は思った。
シェフィールドに先を越されたというのにしては何かがおかしい。

良く見てみれば、周囲には外出用の道具が無い。
部屋着はあるのに、旅装はない。
もしシェフィールドが連れ去ったのであれば、そんな道具や旅装を使う必要など無いではないか。

そして、ルイズは確信した――シェフィールドに先を越されたわけではない、と。

「まだ、間に合うわ!」

そう呟いてルイズは小屋を駆け出し、馬に跨る。
この森の北はいまだレコン・キスタの支配圏。
この小屋の住人がシェフィールドの手に落ちていないというのであれば、進む方向は一つしかない。

二つの月明かりの下で、彼女は直に南に向かって馬を走らせ――そして、少年と少女は再会した。





「アイツは――」

ルイズが思わず声を挙げた。
彼女が粗末な小屋を飛び出して、馬で2時間。
広大なウエストウッドの森を抜けた先に見えたものは草原――そして、何処までも続く星空だった。
アルビオンという浮遊大陸の果て。
草原を突如としてぶつ斬りにした様な断崖絶壁の遥か下には広大な大洋が広がっている。

そんな草原を連れ添って南端――ロサイスの方角に向けて歩き続ける十数人の一団がいた。
一団の構成は10人近い子供と、それよりは年上と思える数人の人間。
しかし、彼女の視線を奪ったのはその人々の中にいる筈の「担い手」では無かった。

黒髪の少年。

ルイズはまるで吸い込まれたかの様に、その少年の姿を見つめ続けた。
服装こそ召喚当初の珍妙奇天烈な格好ではなかったが、その姿はかつて彼女が召喚し――そのまま彼女の目の前から姿を消した「使い魔」の姿に間違いなかった。

「待ちなさい!」

そんな少年の姿を前に、ルイズは反射的に叫んで駆け出す。
――そして、彼女の頭上では、先程まで晴れわたっていた空が急速に曇り始めていた。



「待ちなさい!」

突然響いたその言葉に才人を初めとして、全員が一斉に声のしたほうに振り向いた。
そこには馬に乗った男女の姿があった――そして、彼らの背には貴族であることを示すマントがたなびく。

「あの人達は――」

そうティファニアが口走る間に、才人達は一斉に反応していた。

「シエスタ! ティファニア達を頼む――!」
「ここはアタシとサイトに任せて早く船へ!」

そう叫んだ才人はそのまま二人組みの貴族達に正対するかのようにして立ち塞がろうとする。
さらにその背後ではマチルダが援護するかのように杖を構え、詠唱の準備を整えていた。
しかし、徐々にその貴族達が才人達の方へ接近してくるに連れて、才人の目が見開かれた。

「お前…!」

そう言って才人のデルフリンガーを握り締めた手に力が入る。
彼の目に写るのは、小柄な桃色がかったブロンドの美少女。
――何故あの少女がここに居るのか。
才人にはそれが理解できなかった。
彼の全てを奪い、こんな苦境に彼を引き込んだ元凶が――

「あいつ、かなりの使い手だね」

既に互いの顔が見える位置にまで相手が近づいたことを受けてマチルダが言った。
しかし、彼女が指し示したのはルイズではなく、その傍らに居たワルドであった。
歴戦の彼女には鍛え上げられた体と経験を持ったように見えるワルドこそが最大の敵であると思えた。
何より、傍らの少女はまだ子供ではないか――魔法学院時代、ルイズと大して面識の無い彼女はそう思った。

「サイト?」

しかし才人はその声に答えず、デルフリンガーを手にしたまま自らを召喚した少女の前に相対した。
――それは、最強の敵が傍らのワルドでなく、目の前の少女であるかのように。


「ルイズ、ここは僕が引き受ける」

そんな才人の前にルイズを守る様にしてワルドが立ちはだかる。
しかし、ルイズはその申し出を拒絶した――今の彼女の目には目の前の「使い魔」だった・・・少年しか映らない。

「嫌よ! アイツの相手はわた――」

彼女がそう主張しようとした、その時、

「ほらほら! よそ見してんじゃないよッ!」

その声と共にマチルダの土魔法が真下から二人を襲い、戦いの火蓋が切って落とされる。
彼女にとっては隙丸出しで相手が言い争っている状況は絶好のチャンスに見えたのだ。

しかし、ルイズ達もそんな奇襲程度でやられる相手ではない。
地中から飛び出した巨大な手の攻撃を二人は素早く跳んで回避する。

「いいわ、認めてあげる――だけど」

彼女の言葉を邪魔した張本人を睨みつけながら、しぶしぶとルイズはワルドの提案に対して妥協することにした。
ルイズは才人を示しながらワルドに向かって言った。

「アイツは私の使い魔なの。だから、殺さずに私の所に連れてきて」

彼女がそう言った直後、雷鳴が鳴り響き、とうとう雨が降り出した。
――どうやら今夜は嵐らしい。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第21話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/08 22:57

――――――――――――トリスタニア平民街、チクトンネ街付近。


先の『赤い虚無の日』以来、王都トリスタニアの治安は悪化を続ける一途であった。
市中からはつい数ヶ月前にあった活気の殆どが失われ、陰鬱とした空気が平民街全体を覆っているようだった。

そんな中、まるで迷路のように無秩序に走る平民街の街路を周囲に警戒の視線を配りながら進む一団があった。

――トリステイン銃士隊。
アルビオンでの戦争に合わせて組まれた特別予算で編成された王女の近衛隊である。
近衛といえば様々な式典や儀礼の場で華麗な衣装を身にまとい、王国の晴れの舞台に現れる――そんな印象があるが、今の銃士隊が果たす任務の姿は全く異なっていた。

『平民街の警邏巡回』

トリスタニアの大部分を占めるそんな場所を巡り、流言鄙語や王国や貴族に対する不満を口にする平民を取り締まる。
それが今のアニエス率いる銃士隊に与えられた任務だった。



街路の雰囲気は異常だった。
無論、戦争が始まってからというもの、王都の平民街の空気が変質しているのは誰しもが知っている。
しかし、あえてそう表現したのは彼女達が進むこの地区の雰囲気は特に異様だったからだ。

銃士隊がこの地区へ足を踏み入れた途端、誰しもが彼女達の姿を遠目に見るや否や、そそくさと家や店のなかへと入り、扉を閉ざしてしまう。
しかし、そうした建物の中からは常に無数の刺すような視線が彼女達に向けられていた。

「隊長――」

なにやら不穏な感覚を覚えたらしい。
常にアニエスのすぐ傍について周囲に警戒の視線を配っている副隊長のミシェルが彼女に告げた。

「いやな雰囲気です」

そんなミシェルの言葉は直に現実のものとなった。
先程の場所からさらに前方に進んだ場所には道を塞ぐように、100人を越える人々が彼女達の行く先を阻んでいるのが見えたのだ。
ありあわせの廃材で作られたバリケードと共に。

本来、トリスタニアでこうした多くの人々が集まることは禁じられている。
統治者である貴族からしてみれば、平民は粛々と働き、彼ら自身の労働にのみ専念することこそが最良の統治だと考えていたのだからなおさらだ。
また、彼らの手には武器は握られていないが、つい先日の『赤い虚無の日』もこうした人々が集まった結果として発生したのだから、アニエス達銃士隊が警戒するのも当然だろう。
そして、トリスタニア――その平民街の深部とも言える場所で銃士隊と平民達にらみ合いが始まった。

銃士隊はここで引くわけには行かない。
元々禁じられている無許可の集会――そもそも許可される集会などないが――を前にして王政府から任務を命じられている銃士隊が引けるはずも無い。
彼女達に与えられた任務は「王都の治安維持」なのだから当然だ。

「貴様らッ! 何をしている! ただちに解散しろ!」

そう発せられたアニエスの命令。
しかし、そんな命令に対して平民達は引く気配を見せない。
さらに悪いことに時間を経ることにその人数は徐々に増えているようだった。

一触即発のにらみ合い。
そんな状態がしばらく続く。

膠着状態に終止符を打ったのは、物陰から銃士隊の様子を覗いていたのはまだ10歳にも満たないであろう子供だった。
薄汚れた粗末な服に痩せた体。
往来でにらみ合う銃士隊と大人達の姿を建物の物陰から眺めていたその子供は緊張感に耐え切れなくなったのだろう。

「帰れっ!」

その子供はそんな言葉とともに銃士隊に向かって手にしていた小さな石を投げつけた。

その言葉がきっかけとなった。
にらみ合っていた前方の平民達が雪崩を打ったように、一斉に彼女達に罵声を浴びせかけた。

「何しに来やがった!」
「貴族の狗は帰れ!」

そんな言葉と共に、平民達は周囲に転がっていた石や木片などを銃士隊に向かって投げ始める。
大声の罵声で状況の変化を知ったのだろう――そんな動きに呼応するかのように、彼女たちのいた通りの両側からも様々なものが投げつけられる。
平民街にはありふれた石や木片。
あるいは日々の生活で生じるゴミ。
果ては汚物までもが投げつけられた。



一斉に投げつけられた様々なものから身を守ろうと、銃士隊員たちはそれまでの威圧するような横に広がった隊形から防御用の密集隊形に切り替えた。

「投石を止めろ! 全員チェルノボークの監獄へしょっ引くぞ!」

そんな中でもアニエス自身は自身の身を守るそぶりすら見せず、平民達を一喝する。
しかし、平民達の投石が収まる様子は無い。
再びアニエスは制止するための声を挙げようとする。
――そんな時、投げつけられた石の一つが、周囲で自身とアニエスを守ろうとする銃士隊員の防御をすり抜けた。

「くッ――」

アニエスの口から一瞬、呻きが漏れる。
そんな上官の様子を心配するようにして、一人の若い銃士隊員が駆け寄った。

「隊長! 大丈夫ですか!?」

石を受けたのだろう――右の額から血を流したアニエスの姿。
そんな彼女は駆け寄った隊員を安心させるように優しく「大丈夫だ」と告げた。
しかし、その間も彼女達銃士隊に向かって様々な物が投げつけられていた。

「このおっ!」

止む気配を見せない投石に我慢がならなくなった若い隊員の一人が銃を構える。
しかし、そんな隊員を制したのはアニエス自身だった。

「やめろ!」

そんな言葉にその隊員は一瞬動きを止めた。

「落ち着け、いいから撃鉄を戻せ」

そんな隊員にアニエスは冷静だが優しい声で銃を仕舞うように告げる。

「しかし――!」

それでも興奮した隊員は止まらない――何しろ彼女を含む銃士隊は新設部隊であり、マトモに戦場に出たことはないのだ。
戦闘を経験したことのあるのは隊長であるアニエスを初めとした数人の者だけ。
それも全て個人的な戦闘経験しかないのだ。

そして、初めての戦闘――と呼べるのかはわからないが――に興奮したその隊員は引き金を引いてしまった。

ガチン。

撃鉄が打ち付けられる音が響く。
しかし、本来それに続くべき乾いた破裂音がしない。

不審に思ったその隊員はふと手にした銃の機巧に目を向けた。
そんな彼女の目に映ったのは、撃鉄の打ちつけられる火蓋を覆うように差し込まれたアニエスの手だった。

彼女たち銃士隊の携えている銃は、燧石式マスケットと呼ばれる種類――ハルケギニアにある最新型の銃である。
従来型の火縄銃との違いは点火方式の違いだった。
点火薬に直接火種を押し付けるそれまでの銃と異なり、火打石を金属製の火蓋にぶつけ、生じた火花で点火するという方式を採用した銃だった。
その最大の利点は発砲に火を必要としないこと。
これによって切迫した状況でも直ちに発砲することが可能になったのだ。
しかし、それを実現するために火打石を金属製の火蓋にぶつける撃鉄に組み込まれた発条はかなり強力なものとなった――それこそ火縄方式とは比べ物にならない程に。

そして、そんな強力な撃鉄と火蓋の間に手を差し込んだ場合、唯で済むはずがない。
現に、目の前にある撃鉄と火蓋の間に挟まれたアニエスの手の甲には先の尖った火打石が突き刺さり、血が噴き出していた。
突き刺さった深さもかなり深い――それこそ骨にまで達しているのではないかと思わせるほどの深さだった。

「隊長!」

目の前で起こった異変にその隊員はおもわず叫んだ。
しかし、アニエスは一言の苦痛の声すら発することなくそのまま彼女の銃を降ろさせると、傷を負った手を気にする様子もなく副隊長であるミシェルに指示を出した。

「ミシェル! 後退するぞ、前衛は任せる!」

アニエスはそう叫んで撤退を開始させた。
当然のごとく、部隊の最後尾には投石が集中する。
しかし、そんな中でもアニエスは身じろぎもせずに自身の部下が撤退するのを確認してから、最後に現場を後にしたのだった。




「さて、明日の巡回予定だが」

臨時の銃士隊本部として王都郊外に立てられたテントの中でそうアニエスは切り出した。
本来なら王女の近衛である彼らにはもっとマシな住居が宛がわれても良いのだが、平民出身の彼女を妬む一部貴族の差し金によって彼女達には古い軍用テントしか用意されなかったのだ。
しかし、そんなことを気にする風でもなく、アニエスはテントの中にある唯一の机の上に広げられたトリスタニアの地図を睨みながら続けた。

「――チクトンネ街から西、この地区を巡回する。勿論、私が率いる」

そう告げる彼女の本音としては少しでも部下の休息と訓練に充てたいと思っている。
しかし、王都での情勢はそんなことを許してくれるような状況ではなかった。


本来、彼女の銃士隊はアンリエッタの近衛として編成されていた。
その目的はアンリエッタの安全を守ること。
当然、銃士隊が想定していたのはアンリエッタを襲う者を排除することであった。

王族たるアンリエッタを襲う者と戦うのであるから、銃士隊は攻撃してくる者に対して容赦なく反撃することを目的として訓練されていた。
たとえ相手が貴族であっても、王族の命を狙う者ならば容赦なく仕留める。
メイジが相手だった場合に備え、常に相手一人に対して複数人の同時攻撃をかける。
それが本来の銃士隊の戦闘姿勢であり、メイジ殺しでもあるアニエス自身のスタイルでもあった。

しかし、現在の任務で求められるスタイルはあまりにも異なっていた。
王都の治安維持。
――そこにあるのは襲い来る襲撃者を倒すことではない。
今日、彼女達を傷つけた人々は倒すべき相手ではなく、守るべき人々でもあるのだ。
元々数の優位で相手を圧倒することを目的とした彼女達銃士隊にとって、この任務はあまりにも不適だった。


もし、今日あの隊員が発砲していたら――

そうアニエスは最悪の事態について思いを廻らせた。
おそらくそれに怒った平民達はさらなる勢いで彼女達に襲い掛かっただろう。
そうなれば、銃士隊に課せられた任務は完全に失敗に終わる。
その代わりに治安を「維持」することではなく、治安を「回復」するために制圧することが必要となるだろう。

そして、王都には多くの血が流れることになるだろう。
そう、あの『赤い虚無の日』のように。

それだけは避けたい。
王女殿下もそのようなことは望んでいない。
彼女はそう確信していた。


その傍らで「明日も自らが巡回の指揮を執る」とアニエスに告げられたミシェルは驚きを隠せない様子だった。
彼女は思わず声を挙げた。

「隊長、隊長は負傷されています。どうか明日は我々に任せて療養に専念してください」

しかし、アニエスはミシェルのその申し出をにべもなく拒絶した。
彼女はあくまで銃士隊員達と共にその最前線に立つつもりだった。
いつ再び今日のような事態が起こるかはわからない――もし、彼女が療養している最中に最悪の事態が生じれば悔やんでも悔やみきれない。
ならば、隊員達を守るためにも出来うる限り彼女達と行動を共にしたかった。
そんなアニエスの答えにミシェルは言葉を返す。

「隊長、どうしてそうまでして――」

しかし、ミシェルはそれ以上言えなかった。

本当はこれ以上巡回をしても無駄だと言いたかった。
今日のことは単なる偶発的な事件ということだけではない――程度の差こそあれ、平民街では同様の事件が何度も報告されていた。
そして、そんな事件の当事者となった王都警備隊はやる気を失ったのか、最近は専ら貴族街の警備にあたると称して平民街の巡察を行なっていない。
そう、本来王都を治める筈のれっきとした貴族が任務を投げ出しているのである。
だとするならば、所詮貴族に使われる者に過ぎない彼女達がわざわざそんな危険な場所に行く意味は何なのか。

さらに言えば、負傷したアニエス自身がどうして出る必要があるのか。
確かに明日巡回予定の班はあまり練度の高い班では無いが、アニエス自身が出る必要はない――負傷しているのであればなおさらだった。

「おや、不穏当な発言だな」

彼女の思いを知ってか知らずかアニエスは「まぁ、聞かなかったことにしよう」と茶化しながら続ける。

「それが我ら銃士隊に与えられた任務だからだ」

そう口にするアニエスの額や右手の甲には包帯が巻かれている――手の甲に関してはうっすらと赤い染みが見えるほどだった。

指揮官であるアニエスは本来なら優先的に水メイジの治療が受けられるはずだった。
しかし、彼女達の部隊にはメイジはいない――軍の規則に従うなら、治療にあたる水メイジが臨時に配属されて然るべきであるにも関わらず、だ。
全ては昔ながらの権威に固執する貴族に彼女達銃士隊が嫌われていることが原因だった。

そんな扱いを受けているのに、どうしてそこまで貴族達から命じられた任務をひたむきにこなし続けるのか。
顔は笑ったまま――しかし、その目には強い決意を込めて語るアニエスの考えをミシェルはどうしても理解出来なかった。



「――はぁ」

ミシェルが天幕を出た後、独りになったアニエスはそう息を吐いた。

「『どうしてそうまでして――』か」

そう呟いてアニエスは彼女の記憶の中に残る最古の記憶を思い出した。
余りにも幼かった故にその記憶が本物なのか、それとも後から何度も魘された夢として思い描いたもので補われているのかもわからない。
高名な劇作家の手にかかったように、彼女自身だけでなく、あの村に居たであろう様々な人々の目にしたであろう光景が何度も彼女の脳裏に強制的に描き出す悪夢。

しかし、その悪夢の内容はいつも同じだった――生まれ育った村が焼け落ちる光景。
民家が、納屋が、そして人が一瞬で焼き尽くされる光景。

そんな彼女にはその直後の記憶が無い。
どうして彼女が助かったのかも覚えていない。

彼女の内には唯一つの思いがある。
もう二度とそんな光景は見たくない。
あの悲劇を二度と発生させたくない。

そんな思いがあったからこそ、孤児院を出た彼女は自身を鍛え続けた――燃え上がる村の悲劇を繰り返させないように。
まるで、最早存在しない生まれ故郷の村を守ろうとするかのように。

彼女はずっと捜し求めていた。
――彼女の、帰るべき場所を。








トリステイン西部の港町、ラ・ローシェル。
一見海に接しているようには見えないこの都市は西部トリステインにおける交通の要衝であった。
傍目には単なる岩山を切り出して作られたように思えるこの都市が交通の要衝となっているのには理由がある。
一つは町の中央部にそびえる古代樹の枯れ木を刳り抜いて造られた桟橋の存在。
そして、もう一つはその桟橋が岩山の頂上付近に存在していたという点だった。

空を飛ぶフネにとって最も重要なのは、船体の内部に備えられた風石である。
エルフの支配するサハラで採掘されるその風の魔石無しにフネは空を飛ぶことが出来ないのだ。
当然、民間の船主達はそれを節約するために――風石はそんなに安いものではないのだ――可能な限り高度を一定に保とうとする。
その点でこのラ・ローシェルは最適だった。
高度3000メイルに存在する浮遊大陸に渡るのならば、風石の消費量を減らすために出来るだけ高いところに船着場があったほうが望ましい。
そして、そんなフネを十数隻も繋留することの出来る大樹がここにはあったのだ。

今、ジェシカはそんな古代樹の姿を眺めていた。

彼女の視線の先にある大樹では今も無数の労働者がアルビオンに向けて運ばれる大量の軍需物資――小麦粉の大樽から貴族用のワインに至るまで――をフネに積み込み続けている。
これらの物資はトリステイン各地から集められ、各地の補給廠を経由しながら運ばれてきたものだった。

それを今夜、彼女達は燃やさなければならない。
彼女と同じ平民達が汗水たらして必死の努力で作り上げたものを。
この計画を成功させるためにはどうしても必要だとは言え、そう思うとあまりにもやるせなかった。

だから、彼女はその手を握り締めた。

「どうしたの?」

そんな彼女の内心を知ってか知らずか、そう声をかけたのはレイナールだった。
このラ・ローシェル近郊で起こった事件の唯一の生き残りである少年は、何故か古代樹を見つめて悲しそうな顔をしたその少女の行動を純粋に不思議に思ったのだ。

「別に……なんでもないわ!」

そんな問いに対してジェシカは怒気を含めた声で答えた。
そもそも彼女はレイナールがこの計画に参加することに納得しているとは言い難い。

確かに、才人達に保護されてトリスタニアに帰り着いたレイナールにはもはや帰る場所はなかった。
彼は補給廠襲撃に協力した「裏切り者」としてトリステイン中に指名手配されているのだ。
そして、もし彼が捕まったとするならば、彼の行く末は良くて絞首台――悪ければそれ以前に「消される」ことは間違いない。
トリステインの司法を司る高等法院のトップであるリッシュモンからすれば、そんなことは赤子の手をひねるよりも簡単だったのだ。

しかし、行き場を失った彼を放り出す訳にもいかない。
彼はコミン・テルンの本拠地とも言える『魅惑の妖精』亭の場所はおろか、その構成員である彼女達のことを知ってしまったのだから。

もちろん彼を閉じ込めておけば良い、という意見もあった。
しかし、そんな声は彼をここに連れてきた才人の意見によって否定されたのだ。

そして、自らの進退を問われたレイナールは決断した。
元の家には帰れない。
それは『魅惑の妖精』亭で働く多くの女の子と同じだった。
そして、レイナールはコミン・テルンのメンバーに加わることとなった――自分の居場所を作り出すために。
ある意味では、彼はコミン・テルンの人々と同じく自分の権利を回復する為に戦うことを決意したといえるかもしれない。
リッシュモンの手によって奪われた、彼自身の生きる権利を回復するために。

そんなことを思い出しながら、ジェシカは歩き始めた。
彼女達の目の前にあるのは巨大な古代樹――それを利用して建てられた巨大な船着場。
この国を「革める」ために必要な時間を稼ぎ出すために、彼女達はこの古代樹を舞台として戦わなければならないのだ。
そして遥か空の向こうでもシエスタを初めとする“同志”達が同じく準備を整えている。
遠く、黒い雲に覆われたアルビオンのある方向を眺めながら、ジェシカは一人計画の成功をひっそりと願った。



「火事だ!」

そんな声が寝静まった筈のラ・ローシェルの町中に響き渡る。

「どこだ!? どこが燃えているんだ?」
「物資集積所の方らしい――」

そんな声が警備を担当する貴族士官の間で交わされる。
そんな内の一人が大声で叫んだ。

「早く消せ! 警備兵を総動員しろ――あそこにはアルビオンに送る物資が保管されているんだぞ!」


古代樹の中ほどに造られた船着場に立つジェシカの顔を、燃え上がる物資の炎が赤く照らしていた。
スカロン自身が率いた陽動部隊が無事、第一段階を成功させた証拠だった。

今回の作戦は大まかに二段階で構成されていた。
第一段階として、古代樹で警備にあたる貴族や兵士を可能な限り減らすための陽動。
第二段階として、作戦の目的である輸送船舶の破壊だった。
――今、その第一段階が見事に成功し、作戦は第二段階へと移っていた。

彼女の足元――古代樹の根元から轟音が響く。
それは一定のタイミングで徐々に彼女のいる中段へと向かってくるようだった。

このラ・ローシェルではフネは古代樹の枝にぶら下がるように吊るされて停泊している。
そうした場所でフネを破壊するならば、単にフネを支えているケーブルを切断すればいい――風石を節約する為、停泊中のフネはその力を発揮させていないのだ。
また、あえて火を用いないのは古代樹自体が燃え上がることを防ぐためでもあった。
そして、臨時に軍属とされた船員達は命令に従ってその殆どが消化作業に動員され、殆どもぬけの殻となったフネを支えるケーブルを切断すべく、3人に細分化された複数のチームがこの古代樹の枝でそれぞれに任された目標に当たる。
――しかし、その全てが上手くいくわけでもなかった。

ミシミシとなにかが軋み、引きちぎられる音が響いた。

その音に彼女はとっさに上を見上げた。
彼女の担当した船着場――さらにその上方にある船着場に付けられた一隻の輸送船がゆっくりと傾いていく。
船体を補助的に支える数本の補助ケーブルが次々と弾け飛び、支えを失ったその輸送船は滑り落ちるように落下を開始した。

「どうして!? 早すぎるじゃない!」

思わずジェシカは叫ぶ。
計画では上部からのフネの落下によって作戦が阻害されないように、時間差をつけて下部からフネを支えるケーブルを切っていく計画だったのだ。
しかし、最後に切断するはずだった主ケーブルが古かったのか、重さに耐えられなくなったフネが現に彼女の頭上百数十メイルから巨大な船体とともに落下を始めていた。
途中、枝から落下したそのフネは途中に張り出した別の枝に衝突したが、それでも落下の勢いは止まらない

「きゃぁ――!」

自らに迫り来る巨大なフネの残骸。
それが自身の方向に落ちてくるとわかっても、彼女は動くことが出来なかった。
ゆっくりと迫る残骸に思わず彼女は目を閉じた。

そして、破片が月の光を遮り、彼女の姿を覆い隠そうとした瞬間、

「危ない!」

その声と共に彼女はどん、という衝撃とともに側方へ突き飛ばされた。

――ごろごろと転がる感覚がジェシカを襲う。
しかし、不思議と痛みは感じない。

転がりが収まり、ようやく通常の感覚を取り戻した彼女は自身を覆うように誰がに抱き締められているのを感じた。
思わず見開いた彼女の目の前にあったのは、先日出会ったばかりの人物――レイナールの顔だった。
そう、レイナールを信用出来なかった彼女はあえて彼を彼女自身の率いるチームに組み入れていたのだ。

「アンタ――!」

思わずジェシカは叫んだ。
そんな彼女の無事を確かめるようにレイナールは何故か苦しそうな声で言った。

「大丈夫かい?」

「ええ、なんとか大丈夫だけど……アンタは?」

そう尋ね返したジェシカにレイナールは少し苦しそうに答えた。

「どうやら足をやられたみたいだ――」

そう答えるレイナールの視線の先には妙な方向に曲がった彼の右足があった。

ジェシカはレイナールの傷を確認すると、次に周囲を見回した。
本来、彼女達が担当する筈だったフネは上から落ちてきた残骸に飲み込まれるようにして落下していた――もう一人の仲間を巻き添えにして。
思わずジェシカは彼の冥福を祈った。

しかし、今はとにかく逃げなければならない。
船着場での異変――古代樹に吊るされていたフネが次々と落下しているのだ――に気付いた貴族や衛兵達がやってくるのは時間の問題だからだ。

足を怪我したレイナールはジェシカに肩を借りるようにしてなんとか立ち上がった。
額には痛みを堪えているせいか、脂汗が滲む。
それでもジェシカに支えられたレイナールは右足を引きずるようにして階段を下りていく。

「ほら!頑張って!」

そう彼を支えているジェシカが声をかける。
ともすれば、倒れそうになる彼を支えてジェシカは階段を下る。
いかに日常の労働で鍛えている彼女であっても、さすがに自身よりも大きな男性一人を支え続けるのは困難だった。
そんな少女の姿を見たレイナールは言った。

「いい。もう置いていってくれ」

このままだと君も捕まってしまうから、と言ってレイナールは彼女の助けを拒絶した。
捕まったなら死ぬことが明らかである彼はこの黒髪の少女まで巻き込むことは出来ないと思ったのだ。

本当なら自分はあの補給廠で死ぬ筈だったのだ――それが何の因果かこんな場所で少女の肩を借りている。
死ぬ前に珍しい経験が出来た、レイナールはそう思うことにした。
しかし、そんなレイナールの言葉に帰ってきたのは驚くべき言葉だった。

「そんなこと、出来るわけないでしょ!」

そんな明確な拒絶の言葉を言いつつ、ジェシカは彼の重みにふらつきながらも歩みを止めようとはしない。
そう、彼女は自分を犠牲にして助けてくれた人間を見捨てるなんてことは出来なかった。
刻々と時間は過ぎ、彼女達の身に危険が迫っていく。
――しかし、そんな彼女達に幸運が訪れた。
自身の担当するフネを落とし終わったコミン・テルンの仲間たちと合流することが出来たのだ。
そこでジェシカとレイナールは彼らの力を借りて、無事に古代樹を離れることに成功した。

無事に隠れ家に帰りついたレイナールに与えられたのはジェシカを救った勇気ある行動に対する賞賛だった。

「よくやった坊主!」
「ジェシカちゃんを守るなんて大した度胸じゃねーか!」

そんな言葉が彼に次々と投げかけられる。
そして、最後に進み出たスカロンはよく通る大きな声で叫んだ。

「やるじゃない! イイわぁ――やっぱりアタシの目に狂いは無かったわん♪」

そう言ってスカロンはレイナールの体に抱きついた。
堅くゴワゴワとした胸毛と汗臭い胸板に覆われつつも、レイナールは今までに経験したことも無かったほどの嬉しさと充足感を感じていた。
それは彼を一人の人間として――そして尊敬すべき仲間としてコミン・テルンの“同志”達から認めたということでもあった。

確かに、レイナールは一度、リッシュモンの陰謀によって全てを失った。
それは彼の帰る家であり、日々を暮す世界であった。
残されたものは自分自身の命だけ――その他には何もなかった。
そして、彼は生きるための行動を始めた。
このトリステインで全てを失った彼は、ただ自分自身の生きることの出来る世界を求めていた。

そして、レイナールは見つけたと言えるのかもしれない。
――彼の、帰るべき場所を。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施



[3967] 第22話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/08 23:07

――――――――――――かつての「使い魔」の姿を見た瞬間、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの思考は停止した。


いや、突如として沸き上がった心の奥底に秘めていた思いによって支配されたと言う方が正しい。

――取り戻せる。
――やり直せる。
――後悔させてやる。
――思い知らせてやる。

アルビオン大陸の端で雨に打たれながらもルイズの心の中は自らの「使い魔」のことで一杯だった。
その思いの前では滝のように降り注ぐ雨粒で全身が濡れそぼっていることすら気にならない。

かつて彼女自身の手から滑り落ちていったもの。
彼女自身を転落させたもの。

「使い魔」が居なくても自分を認めさせて見せる、と決意した彼女であったが、それでもその失ったものを再び目の前にして求めずにはいられなかった。

執着。

そう言われればまさにそうだろう。
彼女はこの期に至っても「使い魔」に執着していた――あるいは錯乱していたと言えるのかも知れない。

少し理性的に考えれば、彼女がもう戻ることの出来ない分岐点を越えていることははっきりわかる。
そしてその分岐点を踏み越えたのは彼女自身の意思だったのだ。
しかし、それでも彼女は縋らずには居られなかった。


「アイツは私の使い魔なの。だから、殺さずに私の所に連れてきて」

そうワルドに告げた彼女の心は目の前の「使い魔」のことで一杯だった。

ガンダールヴに限らず、「使い手」に刻まれたルーンは、その主人たる「担い手」への親愛を植え付ける。
担い手が使い手の事を思えば思うほどその信頼は高くなり、親愛もまた高まっていく。

そう、担い手が使い手のことを思っていれば・・・・・・

才人が召喚され、契約をさせられた直後、彼女の心の中には才人に対しての関心は全く無かった。
――その時の彼女の心の中にあったのは、ただ使い魔を完璧に「使役」する自分の姿。
つまり、その時の彼女は彼女自身のことにしか興味が無かったのだ。

しかし、今は違う。

「いくわよ!」

そう言ってルイズはマチルダの方へと向き直り、杖を掲げる。
しかし、その目に映るのは目の前に立ち塞がるマチルダの姿ではなく、自らの「使い魔」だった黒髪の少年の姿。
そこには執着といえるまで才人に関心を示すルイズの姿があったのだ。

“愛”の対義は“無関心”ではない。

召喚当初のルイズは彼女の「使い魔」のことに無関心であったが、才人にとっては違っていた。
突然に彼を奴隷扱いして勝手に拉致した存在。
そこにあったのは、彼女やそれを是認する周囲の貴族という存在に対する“憎悪”。

――そう「憎悪」こそが「愛」の対極形なのだ。

そしてこの場で杖を掲げるルイズの心に存在するのもまた“憎悪”。

(…アレがちゃんと私に従っていたなら!)

彼女は、今の自分自身の現況を招いた才人を“憎悪”していたのだ。
だから、彼女は「魔法」を紡ぐ。


「ファイアー・ウォール!」

本来のファイアー・ウォールはライン級の「火」と「土」の属性を付加した防御系の魔法であるが、トライアングルになると、さらに「風」の属性を添加した攻勢防壁へと変化する。
しかし、彼女の魔法は違った。
まるでクラスター爆弾が降り注いだ様に無数の小爆発で形成された壁がマチルダに向かって迫る。
それはまるで小爆発による壁だった。


それを目にしたマチルダは辛うじて間に合った詠唱で土の防御壁を構築して防ぐ。

彼女は幸運だった。
彼女が防御魔法を紡ぐことが出来たのは、初手として彼女の放った『土の手』が目の前の少女に文字通り粉砕された光景を目にしていたため。
そして、もし彼女が「土」でなく、「風」や「火」系統のメイジであったとしても、とっくに彼女の命はなかっただろう。
「風」や「火」と言った実体の無いものでは目の前の少女の「魔法」――と呼べるのかどうかさえ判らないが――の攻撃をしのぐことすら出来ないと思わせるほどの威力を誇っていたのだから。

無論、彼女もまた防御一辺倒であったわけではない。
歴戦の彼女は「土」の系統という彼女の特性――その大質量という特性を生かして、目の前の少女が破壊しきれないほどの大量の土砂で反撃を試みる。

「これでどうだい!」

詠唱したのは彼女が得意とする巨大ゴーレムの魔法。
しかし、彼女は途中で意識的にゴーレムの形成を止めた。
その結果、ゴーレムになりきれなかった大量の土砂がルイズをめがけて降り注ぐ。
彼女にとってはそうした魔法の応用はお手の物だった――盗賊などという稼業をしていた彼女にとってはキチンと規則に基づいた魔法など不合理この上ないものだったのだから。

しかし、ルイズを生き埋めにしてしまおうとしたマチルダの攻撃はルイズの「爆発」によって周囲に吹き飛ばされ、お返しとばかりに紡がれたさらなるルイズの「爆発」を防ぐためにマチルダは防御の為の魔法詠唱を余儀なくされる。
そんな「魔法」の応酬が幾度と無く繰り広げられる。

しかし、戦闘の決着はつかない。

土の魔法で攻撃するマチルダの魔法は防御の時の魔法と異なって、土砂を遠くに飛ばすために離れた場所に居るルイズを攻撃する時には必然的に能力が落ちる。
ルイズもまたかつて戦場で敵の隊列を吹き飛ばした時とは異なって自身を守るものが無いため、あらゆるものを吹き飛ばす程の長い詠唱が必然的に出来ない――その結果、いまだマチルダ相手に決着をつけることが出来ないのだ。

広々とした草原だった筈の場所はマチルダの魔法によって吸い出された大量の土砂によって掘り返され――ルイズの「爆発」によって周囲に撒き散らされる。
そんな戦いが既に数十度も繰り返されている。

しかし、その光景を前にルイズの内心には焦りが生じていた。

どうして?
なぜ?

今までの彼女に倒せなかった相手は居ない。
メイジだろうと、「神の頭脳」だろうと――そして正規軍の一個大隊が相手だとしても。
しかし、目の前の女は防御不可能だったはずの彼女の攻撃を防ぐどころか反撃までしてくる。
そんな現実を前にして、傍らでワルドと命をかけた剣舞を繰り広げるあの「使い魔」への強い思いとともに、無意識のうちに彼女の攻撃はより単調になり、さらにそれがさらなる悪循環を生み出す。

「邪魔するんじゃないわよ!」

そんな叫びと共にルイズはさらに魔法を紡ぎ――さらに戦いは激しさを増していく。






ルイズとマチルダの争いが巨大な精神力によって争われる遠距離魔法戦闘であるとするなら、才人とワルドの間で繰り広げられる戦いは互いの身体能力をフルに生かした近接格闘戦だった。

「でやッ!」

「フッ!」

振りかぶられたデルフリンガーの一撃をワルドは『エア・ニードル』を纏わりつかせた鉄杖を斜に受けて逸らす。
そのまま鋭く才人の脇腹を狙って繰り出された刺突をデルフリンガーで払うことによって才人はなんとか回避することに成功した。
しかし、次の瞬間の才人はデルフリンガーを構えなおし、辛うじて攻撃をかわしたという事実を忘れさせるほど、力強く、大胆な攻撃を繰り出した。
そこには自身の生命の危機に対する恐れもなく、ただ目の前の「敵」を倒すという意思だけがあった。

そんな才人の心の中にあったのはあの桃色ブロンドの少女の姿だった。

唐突に目の前に姿を現した少女。
それは彼を『この世界』に放り込んだ元凶だった。
「憎しみ」という感情が才人の心の底からふつふつと沸き上がる。
その感情は巨大な心の震えとして左手に刻まれたルーンに流れこみ、輝きを増していく。

そして才人の心にあったのは、ルイズに対する憎しみだけではなかった。

タルブに腰を据えることとなったコルベールから彼は聞いていた。
――召喚する魔法はあっても、送還する魔法は無い。
すまない、と頭を下げるコルベールの姿を眺めながら、才人はしばらく呆然としていた。

もしかすれば、それは知られていないだけで、本当は存在するのかもしれないが、それを知る方法の無い状況では同じだった。
それに、仮に帰る方法があったとしても、才人はもはや全てを投げ出して帰るなんてことは出来なかった。
頭を下げ続けるコルベールを眺める才人の背後にはシエスタを初めとする彼を助けてくれた人々の姿があったのだ。
そんな彼らを放り出して、自分一人勝手に逃げ出すことなんて出来ない。

帰りたい。
帰れない。

そんな才人の行き場の無い思いがさらに心を震わせる。
そして、そんな心の震えは左手のルーンに流れ込み、さらに輝きを増すと共に、彼の身体能力を飛躍的に高めた。


「うおぉぉぉぉッ!」

金属が擦れ合う音と共に、ワルドは才人の気合と体重の乗った上段斬りを余裕のあるように見える仕草で受け流す。
一方で一撃をかわされた才人は隙だらけのその姿勢から片足一本の脚力で無理矢理にデルフリンガーを振って再びワルドに斬りかかる。
常人なら不可能な攻撃方法であっても、左手のルーンから溢れる力を供給されるガンダールヴだからこそ可能な強引な攻撃だった。
そんな一撃を杖で受け止めたワルドが才人を挑発した。

「ハッ! 所詮その程度なのかい?」

しかし、そんな言葉とは裏腹にまたワルドも焦っていた。
いや、本来なら魔法衛士である彼ならとっくに魔法によって決着をつけている筈なのだが――


彼の得意とする魔法は『遍在】。
それは精神力によって自身と同じ存在を作り上げるスクウェア級の魔法であり、こと近接戦闘においては圧倒的な威力を誇る魔法であった。
しかし、天候が災いした。
降り注ぎ続ける雨という存在は「風」系統の彼にとって天敵と呼べる存在だった。
一瞬だけ効力を発揮すれば良い『エア・ハンマー』や『エア・カッター』と異なり、比較的長時間維持し続けなければならない『遍在』は大量に降り注ぐ雨の中では使えない。
それは『遍在』を構成する空気が降り注ぐ大量の雨による衝撃を受けるためだ――それは晴天時に比べて数十倍以上の精神力を消耗してしまう。

それは同様に『ライトニング・クラウド』にも当てはまる。
伝導体である水滴が周囲に無数に降り注いでいる状態では目標に誘導することはおろか、雷を発生させる雷雲を生成することが出来ないのだ――そして、それ以前にルイズから「生かしておく」という依頼がある以上、殺傷能力の強すぎるライトニング・クラウドは使えないという事情もある。

そんな状況にワルドの焦りがさらに高まっていく。
何しろ、目の前の平民は素人にしか見えないその技量とは相反して、一太刀ごとにその速度と鋭さを増していくのだ。
ガンダールヴのルーンは「心を震わせる程、その力を増す」――つまり、才人が「心を震わせる」ほど、一撃当りの速さや重さが増すということでもある。
それに対して、普通の人間は戦闘によってその体力を徐々に失っていく。
それはつまり、魔法使いであっても「普通の人間」であるワルドの攻撃は戦闘が長引けば長引くほど徐々に鋭さを失っていくのに対して、才人の攻撃は戦闘中の興奮によって徐々に鋭さを増していくということである。
それを示すかのように、才人の攻撃はそろそろワルドの技量ですら交わし切れないほどの鋭さと威力を備えはじめ――そして、すぐに限界点を越えた。


ガキン!という鉄の砕ける音と共に才人の渾身の一撃がワルドの脇腹を抉ったのだ。

「ぐっ――!」

余りの激痛にワルドは苦痛の呻きを漏らす。
当然、ワルドとてとっさに鉄杖を盾にして防御した――いや、それで防げる筈だったのだが、ルーンの力によって人間の限界を超えた速度で叩き付けられたデルフリンガーが固定化のかけられた鉄の杖を叩き折ったのだ。

(クッ! この僕が平民相手にこんな――!)

そう内心では思っても、冷静に自身の不利を察したワルドは撤退することを決意する。
本来、エリート意識の高い彼のプライドは平民風情に対して逃げるということなど認めるはずもないのだが、メイジ唯一にして最強の武器たる杖を失ってはどうにもならない。
渾身の力を振り絞り、なんとかワルドは才人から距離を取る。

「ルイズ、引くぞ!」

脇腹を押さえながら、杖を失ったワルドが苦しそうにルイズに叫ぶ。
傷口を押さえるワルドの左手は徐々に自らの血液で赤く染まり、彼の傷が浅からぬことを示していた。
しかし、ルイズはワルドの申し出を拒絶する。

「嫌よ! 私はアイツを――」

そしてルイズは杖を振り下ろそうとして――
……突如として地面に罅が走っていくことに気付いた。

「え――?」
「な、何だ!?」

才人とルイズの驚きの声を他所に、罅はそのまま大きな亀裂となり、そして巨大な地割れと化していく。
その罅割れはちょうど彼女とマチルダ、そしてワルドと才人の居た場所の中間に開いていた。

「土」の魔法によって大量の土砂が地中から吸い出されるということは、当然として内部に空洞が生じるということでもある。
その結果、ルイズとマチルダの境界線上にある岩盤はまるでスポンジのようになっていた。
そして、ルイズの「爆発」による断続的な振動が決め手だった。

最初に結合のもろくなった岩盤がその重量を支えきれなくなる。
これが地上のど真ん中なら何の問題も無い――その下にある岩盤が崩壊しようとする岩盤を支え続けるからだ。
しかし、ここは浮遊大陸…それも岩盤が最も薄くなる大陸の末端だったのだ。
当然、彼らの下に岩盤を支えるさらに下の岩盤など存在しない。

支えを失い、崩れた岩盤は才人とルイズを乗せたままに遥か下の海面を目指して落下していく。

「――サイト!?」
「――ルイズ!?」

ワルドとマチルダが同時に叫ぶ。
しかし、それぞれの叫び声は漆黒の崖下に向かって消えていった。






「此度の不手際、誠に申し訳ありません」

そうシェフィールドは自らの主人に謝罪した。
ウエストウッドの森で4人目の担い手を見つけ出したのは良いものの、その直後のヴィンダールヴとの戦闘の間に担い手が姿を消してしまったのだ。

おまけに彼女は負傷してもいた。
如何に神の頭脳と呼ばれる力を持った彼女であっても、単独でハルケギニア最強の兵科である飛竜を思いのままに操るヴィンダールヴ相手では荷が重かったのだ。
無論、ただ一方的に負傷させられた訳ではない――相応の手傷をヴィンダールヴに負わせても居たが。

しかし、数ヶ月もの歳月をかけて彼女が見つけ出した筈の新たなる担い手――しかもエルフだった――を見失ったという事実の前には何の慰めにもならない。

「……ミューズ」

彼女の主人である王の姿を模った人形から彼女を呼ぶ声が聞こえる。
それは紛れも無く遥か遠くのヴェルサルティルに居を構える彼女の主人の声だった。

「はっ」

「申せ」

遥か彼方にいる彼女の主人――ガリア王ジョセフは面倒だとでも言うように、言葉を惜しんだ。

「トリステインの虚無の担い手の戦闘力は予想以上でした――おまけにアルビオンの「担い手」を一度確認しておきながら見失うという不手際、誠に…」

「よい、良いのだミューズ」

謝罪を続けようとするシェフィールドを制して、王の姿を模った人形の口を通したジョセフは何でもないかのようにして、言った。

「お前の手駒で足りないというならば、俺の手駒を使えばいいだけの話だ」

そう言って「……大臣を呼べ」と人形からかすかに聞こえるジョセフの声。
どうやら小姓に軍務大臣を呼び出させたようだった。

小姓が部屋を出て大臣を呼びにいく間、ジョセフのまるで悪戯をする子供のような呟きが人形越しに彼女に聞こえる。

「――王とやらの権威というものがどこまで通じるかを試してみようではないか」







次に気付いた時、ルイズは岩棚にいた――どうやら幸運にも彼女は大陸からそのまま海に落下する前にこの場所に引っかかってくれたらしい。
それでも全身を岩に叩き付けられた衝撃は計り知れない。
幸い、骨折などの大きな傷を負ってはいないようだったが、それでも全身のあちこちが疼くように痛む。

そんな状況で、彼女はすぐに傍らの人影に気付いた。
黒い髪に黄色い肌。
どこか冴えないが、整った顔立ちは彼女が先程まで追い求めてやまなかった、彼女の「使い魔」だった。

その事実に彼女は杖を振り上げ、「魔法」を唱えようとする。
そう、目の前の「使い魔」は先程まで彼女と戦っていた相手なのだ。

しかし、余りにも至近距離すぎた。
彼女の杖は振り下ろされることなく、握り止められる。

「やめろって。そんなことしたら俺たち、今度こそ海に吹っ飛ばされるだろ」

そんな状況で、ルイズはかけられた声にゆっくりと周囲を見回すことしか出来なかった。
彼女の目の前の「使い魔」の背後には彼女達が落下してきたらしい断崖絶壁。
そして彼女の背後にあるのは空の暗さとは異なった、どこまでも続く漆黒の大洋だった。

「ならどうしろって言うのよ?」

ルイズは不安だった。
周囲の光景は先程までの興奮状態から一気に冷や水を浴びせられたような衝撃を彼女に与えたのだ。
その上、唯一信じられると思ってきた自身の「力」が全く役に立たない・・・・・・状況。
あのヴェストリの中庭で、そしてロンディニウム郊外の戦場で、彼女を支え続けた彼女の「力」。
それこそが彼女にとって唯一信じられるもの。
……確かめなければ不安に押しつぶされてしまいそうだったもの。

――それが今、役に立たない。

自らの使い魔であった少年の言うように、今この場で彼女の「力」を使えば、二人もろとも今度こそこのアルビオン大陸塊から落下してしまうだろう。
隣の少年は使い魔であって、魔法の使えない平民。
そして、彼女もまた『飛行フライ』などの魔法を使うことは出来ない。

そんな不安や孤独感に押しつぶされそうになった彼女は、これ以上雨に濡れない様にと身を寄せた岩陰の隣に座っていた「少年」に話しかけた。

「アンタ名前は?―――名前くらいあるんでしょ?」

それは彼女が初めて才人を「使い魔」としてではなく、「人間」として見た瞬間でもあった。

「才人……平賀才人、それが俺の名前」

そんな彼女の問いに帰ってきたのは余りにも聞きなれない名前。
だから、彼女は率直な気持ちを伝えた。

「変な名前」

「うっせ」

そう言って不貞腐れる才人。
崖から落ちたという衝撃は、興奮の極みにあった才人の心理状態を一転させて落ち着かせたらしい。
そんな才人にルイズは内心の不安をぶつけた。

「これからどうなるのかしら」

その言葉はルイズの不安の表れだった。

「そんなの知るかよ」

しかし、才人はルイズの言葉に取り合わず、そう言って傍らにある崖を見つめる。
そこは断崖絶壁になっていて、到底登れそうに無い――雨に濡れているならなおさら不可能に見えた。

「俺、寝るわ。――寝て誰かが助けに来てくれるのを待つ」

それは楽観的と評された彼があえて装った余裕だったのかもしれない。
しかし、その言葉を真に受けたルイズは悲観的な予測をした。

「無駄よ、今まで誰も助けに来ないことを見ると……みんな私達が大陸から落ちたと思っているんでしょうね」

そうぶつぶつと呟く様にしてルイズは言い放つ。
そんな言葉にそれまで大人しく黙っていた才人の怒りが爆発した。

「ああ! もううるせーよ!」

「うるさいとは何よ! 大体アンタが黙って私の所に戻ってこないからこんなことになったんでしょ!」

「ふざけんなよ! お前が勝手に人をこんな世界に連れて来たんだろ!」

売り言葉に買い言葉。
その言葉にぴったりと当てはまるように、二人の間に口論が始まる。

「知らないわよ! 召喚したら勝手にアンタが出てきたんじゃない!」

「はぁ? 少しは召喚されるほうのことも考えろよ! そのうえ人を奴隷みたいに扱いやがって!」

「当たり前じゃない! 召喚しないと留年なのよ?それに召喚された以上、アンタは私に従うのが当然じゃない!」

「なんでだよ!? 俺にも権利ってものがあるだろ?なら今すぐ俺を元の世界に返してくれよ!」

その才人の言葉にルイズは驚いた。
平民が自身の「権利」を主張する――それも以前と同じ『世界』に戻せという。
彼の言う『世界』とは何かはわからないが、彼がそれまでと同じ生活を過ごす・・・・・・・・・・・・・という「権利」を奪われたのは彼女にも理解出来た。

それまでと同じ生活。
目の前の少年のそれまでの生活はわからないが、彼女にとってのそれまでの生活なら理解出来る。
それは『貴族』として生きること。
そして『貴族』として生きるために必要とされるのは、魔法学院で2年生への昇級の条件である『使い魔』の召喚と使役。
そして、彼女は気付いた。

そう、この少年は彼女と同じ・・境遇に居るということ。


ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは突然に目の前の少年から全てを奪い――

――平賀才人は突然に彼女から全てを奪ったのだ。


「大体、貴族なら他の魔法使いみたいに空飛べば良いじゃんかよ」

突然に沈黙したルイズの様子に驚きながらも才人は口論の内容を少し建設的な方向に向けた。
それは彼もまた、彼女が召喚を行なわなければならなかった・・・・・・・・・・・・という事実を理解したためでもあった。
しかし、その問いに帰ってきた回答は才人にとってさらに驚くべきものであった。

「無理よ……私、魔法なんて使えないもの」

その言葉に才人もまた困惑した。
目の前の少女は唯のわがままな『貴族』ではない――いや、『貴族』ですらないと言う。

それは才人が今まで出会った『貴族』=『メイジ』という印象的なものが原因であったが、それは彼にとって重大な意味を持っていた。
それは、自分をこんな世界に召喚した存在と、彼が許せないと決めた存在が別物だということを意味する……少なくとも彼はそう理解した。
マチルダと出会ったことによって、平民の中にもメイジはいると知っていた才人であったが、貴族の中にメイジでないものが居るということは知らなかった――メイジでない貴族など、伝統を重視するトリステインでは存在しない筈だったのだから。
つまり、才人の『貴族』=『メイジ』という理解に従えば、出来ないことを「貴族だから」という理由でさせられた目の前の少女もまた、“貴族主義”の被害者とすら言えたのかもしれないのだ。

唐突にそれまでの怒りのやり場を無くして沈黙する才人の傍らでルイズの言葉は続く。

「そうよ――魔法なんて……」

先ほどまでとは一転してルイズは消え入りそうな声で繰り返す。

そう。
彼女は「魔法」が使えない。
彼女が使えるのは「虚無」だけ――共通魔法コモン・マジックである『飛行』や『浮遊』すら使えないのだ。
そして今の彼女は「虚無」を使う気はない。

『メイジでなければ貴族にあらず』

かつて彼女が否定した言葉が今、彼女に圧し掛かる。
だとするならば、目の前の平民の少年は魔法の使えない平民でありながらどうして悠然としていられるのだろうか。
その少年の姿は、まるで彼女がそうありたいと思った『敵に背を向けない者』そのものではないのか。
そう彼女はふと思った。


そんなルイズの思考は才人の直球のような質問によって中断を余儀なくされた。

「…じゃあ、何が使えるんだよ」

そのぶしつけな才人の声はルイズの心の傷をグサリと深く抉った。
そして、ルイズは苦虫をかんだような表情で、微かに呟くようにして答える。

「……爆発」

余りに小さすぎて聞こえなかった才人は思わず目の前の少女に尋ね返した。

「はぁ?」

「だから爆発よ! 爆発って言ってんでしょ!」

よほど腹に据えかねたらしい。
そう怒鳴りながらルイズは才人の首を絞め始める。
――しかし、ルイズに首を絞められながらも、才人の頭脳には一つ閃くものがあった。






嵐の一夜が過ぎ去り、ようやく朝を迎えたらしい。
しかし、明るさを取り戻したとは言っても、アルビオン大陸を常に取り囲む雲の中のこと。
周囲はもやに包まれ、視界は数十メイルがやっとと言ったところだった。
そんな二人は真っ白なもやに包まれた岩棚で才人は力強く尋ねた。

「良いか? いくぞ!」

「いつでも良いわ、それより失敗しないでよね!」

そう言ってルイズは杖を掲げる。
その言葉に才人は手にしたデルフリンガーを握り締めることで答えた。
才人の左手のルーンが輝く。

「行くわよ!」

ルイズがそう叫んで杖を振り下ろした直後、才人の後ろの“空間”が爆発した――


「うおぉぉぉッ!」

その衝撃に才人は痛みを食いしばって耐えながらも目の前の断崖絶壁を駆け上る。
才人が考えたのは、ルイズの「爆発」を利用して「崖を登る」ということだった。
当然、ただ吹き飛ばされるだけでは今度こそそのまま遥か下の海に落下してしまう。
――必要なのはその爆風のエネルギーを利用して「駆け上がる」ことだった。
「爆発」の勢いと、崖を「駆け上がる」ことの出来る身体能力。
その二つがそろえば、この窮地から脱せるかもしれない。

「いいぞ相棒!、あと少しだ!」

そしてその二つが此処に存在した。
ルイズのマントを裂いて作った紐で才人の体にルイズをくくりつける。
ルイズは才人の後方に魔法を放つ必要上、互いに抱き合ったような体の正面同士を向かい合わせる形で体を固定し、才人もまたデルフリンガーを握る必要性から両手を自由にする形でルイズの体を固定した。
その状態で断崖絶壁を駆け上る。
常人ならどう考えても不可能な状態を可能にする「力」がそこにあった。

アルビオンを取り巻く雲に覆われた部分を越え、二人はぐんぐんと崖を駆け上っていく。
しかし、崖の上まであと少し、という時、才人の駆け上る勢いが徐々に低下していく。
そして、その勢いの不足はそのまま二人の生還の可能性に反比例するのだ。

「やべ、少し足りねー!」

その才人の叫びにルイズが怒鳴り返す。
彼女としてもこの一度のチャンスに全てをかけているのだ、相手を気遣う余裕もない。

「なんとかしなさいよ!」

しかし、言葉だけで物理法則がなんとかなる筈もない。
ルイズの声とともに、ついに才人の体が前に進む勢いを失った、その時――

「嬢ちゃん、もう一発ぶっ放せ!」

――デルフリンガーの声に従う様にしてルイズは「魔法」を唱えた。



「うあっ!」
「きゃぁ!」

最後の爆発の勢いのまま、才人とルイズは地面に叩き付けられる。
そのままゴロゴロと草原を転がって、止まった。
体を重ねたままの二人の間に荒い息を吐く音が響く。

「……俺達――助かった、みたい、だな」

頬に触れる草、そして大地の感触を感じながら才人が呟いた。
同様に、いまだ才人と繋がったままの少女もまた荒い息を吐きながら答える。

「……そう、ね。…でも、こんな、こと、二度と…ゴメン、よ」

「……俺も、そう、思う、よ」

互いの息と鼓動を感じながら、二人は心底同意した。
そこからしばらく、才人とルイズは二人をしっかりと繋ぎ止める紐を外す力もないまま、抱き合ったようにして草原の上に横たわっていた。

数分もそうしていただろうか、ようやく先に息を整えたルイズの視線の先には昨夜の嵐はどこに行ったものか、見事に晴れ渡ったアルビオンの秋空が見えた。

「きれい――」

思わずルイズは呟いた。
今までほとんど気にしたことも無かった周囲の風景がすべて瑞々しく、青々として見えた。
しかし、彼女はそんな澄み切った空の一点に動くものに気付く。
徐々に大きくなっていくその点は徐々にフネの形をとり、そしてその帆には大きくトリステインの紋章が示されていた。

「……アンタのお迎えみたいね」

そう言ってルイズは才人の背後から徐々に近づいてくる船を示した。
しかし、紐で繋がった状態では才人は真後ろの光景を見ることは出来ない。
だから才人は二人を繋ぐ紐を解こうとした。

「ちょっと待てよ……解けないな」

しかし余りにも堅く縛られた紐は中々解くことが出来ない。
そう言って才人は諦めたのか、デルフリンガーの刃で彼とルイズを繋ぐ紐を一本一本と切っていく。

「――よし、切れた」

ようやくに二人を繋いでいた紐が切れると、ルイズの肌から才人の体の感覚が離れていく。
それは彼女にとって何かを失った様な、どこか空寂しいものを感じさせた。

そんな彼女の動向に気付かないまま、才人は厳しい目で近づいてくるフネを見つめ、その甲板にいたのが知り合いの少女達であることに気付いてようやく安堵したようだった。
しばらくそのフネのほうに手を振っていた才人だったが、ふと気付いたように、彼はルイズの方に向き直る。
そして、才人は短く、一言、彼女に言葉をかけた。

「行けよ」

それは昨日お互いの命をかけて戦った相手を見逃すということ。
しかし、その言葉を聞いたルイズは逆に自嘲気味に言い返した。

「良いの? 私をトリステインに連れて帰ればアンタは英雄よ」

――知ってる?私はこれでもレコン・キスタの英雄らしいのよ?と、皮肉げに呟く。
そこにはさらに、「私を連れて帰れば、帰れないとしてもアンタは死ぬまで楽に暮らせるのよ」と言った意味も含まれていた。
しかし、才人から帰ってきた答えはそんな提案を一蹴するものだった。

「知るかよ――大体あんな貴族なんかに誰が協力するかって」

そんなことには興味が無い、と言わんばかりの態度で服に付いた土を払い落としながらゆっくりと才人は立ち上がる。
いや、むしろ“貴族”という言葉を口にするのも嫌と言った口調だった。


「サイト――」

その時、初めて彼女はその少年を名前で呼んだ。

「何だよ?」

そう言いながらも才人の視線はゆっくりと着陸態勢を整え始めたフネに注がれている。
そんな彼の姿を眺める彼女の目には昨日まであった才人に対する執着や憎悪の色は無い。

「ううん、何でもないわ」

そう言って彼女は背を向け、ゆっくりと内陸に向かって一人歩き始める。
周囲の山林は先程と同じく輝いて見えた。
それまで自分を“貴族”と認めさせるために抗ってきた時には気にもしなかった美しさだった。
そして、その美しさに気付いたことと平行して新たに気付かされたこともあった。

そう、自分の目的の為に使えるものなら全て使う――たとえそれが自分の毛嫌いしているものでも。

現に、才人は自分自身の「力」で足りない所を彼女の「力」で補った。
彼女一人ならそこから脱することは不可能だっただろう。
それは才人にとっても同じだった。
しかし、そんな一人ひとりの「力」では不可能であった状況を、才人はゼロを二つ掛け合わせることによって解決して見せた。

つまり、有用なら・・・・たとえそれが平民だろうと何だろうとあらゆる手段を使うことが正しいのだ。

ふと彼女は紐を作るためにほとんど丈の無くなった彼女のマントを眺める。
それは既にマントの態をなしておらず、遠目に見れば彼女は平民のようにも見えるだろう。

「そうね――」

そう、それで良い。
誰しもが「力」を持ち、その力の強弱で個人の価値が評価される。
生まれや見かけ、あるいは礼儀作法なんてもので分ける階級の区別なんてものには何の価値も無い。
――つまり、メイジだろうと平民だろうと、そこには同じ「人間」が存在しているに過ぎないのだ。


そして、彼女の中でそれまでパズルのようだったピースが徐々に噛み合い始めた。
彼女の内心からは才人に対する憎悪は消えたかもしれないが、「貴族社会」に対する憎悪が消えたわけではない。

新たに組み合わされたピースが指し示すものとは、彼女の否定した現在のハルケギニアの貴族制度に代わる新しい社会制度の姿。
彼女があれほど憎み、そして憧れた“貴族”と“平民”と言った関係ではなく、全てが同じ人間というカテゴリで分類される社会制度。

そう、彼女が行なうべき行動はこれまでのように「貴族」と認められる範疇で抗うことではない――“貴族”や“平民”を超越した範囲という社会制度を創り出すということなのだ。
そのためにはあらゆる手段が正当化され、利用される。
貴族とかメイジだからと言ったそれまでの「区分」は意味を失わなければならない。
それが実現されて始めて、“貴族”でも“メイジ”でも“平民”でもない彼女は居場所を見つけることが出来る――いや、勝ち取ることが出来る。

再びその支配者をレコン・キスタへと代えたシティ・オブ・サウスゴーダにたどり着くまでの間に、彼女の考えは大きく転換を果たしていた。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施



[3967] 第23話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/08 23:13

 ――――――――――――「『トリステインで叛乱を煽動している黒髪の男を消してこい』だとさ」


そう言ってプチ・トロワの中に存在する一室でイザベラはぶっきらぼうに命令した。

無論イザベラとて「無能王」と評されている父親の言っていることをそのまま信じているわけでは無い。
名目上とは言え、ガリア王国の秘密工作部隊たる北花壇騎士団の長を務めている彼女である。

(……今度は何考えてるんだろうね、あのクソ親父は)

内心でそう思いながらも口には出さない。
いや、普段は思ったことを口に出す彼女であっても、今彼女の目の前にいる「北花壇騎士7号」の前だからこそ決して出そうとはしない。
何よりも、この従姉妹の前では自身が無能だと絶対に思われたくなかったのだ。

彼女はいつも北花壇騎士団の命令について説明を与えられない。
そう、彼女は父親であるジョセフと北花壇騎士団をつなぐ、単なるメッセンジャーでしかなかった。

そんな彼女の不満は今度の両用艦隊の出撃命令と共に出された彼女への指令によって頂点に達そうとしていた。
その思いが先日のグラン・トロワでの情景を思い起こさせた。


「ああ、イザベラか――お前に北花壇騎士団の長として命を与えようと思ってな」

先日、急遽召し出された彼女に対して、それがジョセフの告げた最初の言葉だった。
口調こそ軽いものの、ぶっきらぼうなその言葉には娘のことを全く気にかける様子もない。
そんないつもどおりのジョセフの様子に、イザベラは一人歯噛みした。

「ああ、あれだ。そう、トリステインで叛乱を煽動している黒髪の男を消してくるのだ」

思い出すのも億劫だ、とでも言いたげに告げる王の言葉はそんな彼女をさらに困惑させた。
トリステインではアルビオン侵攻以来、平民による大規模な叛乱の前兆とも言える様々な事件が起こっていた。
2ヶ月前には王都であるトリスタニアで数百名もの死者を出す大きな騒乱が発生し、つい先日は王軍の補給所を襲うまでになったと彼女は報告を受けていた。
このままなら、そのうちトリステイン王権は倒れるのではないか、と思わせるほどの状況下で何故いまさら叛乱組織に打撃を与えようとするのか――目の前の王は他国に恩を売るほどお人好しの人間ではなかった筈なのに。

「しかし、お父様――」

暗に「トリステインが滅びるならそれは構わないのでは?」と尋ねた彼女に対して父である王の答えはいつもながら意味のわからない言葉だった。
そして、彼女の言葉を聞いた瞬間、ジョセフの顔は何処か期待するような表情からどこか哀れむような表情へと変化したことに彼女は気付いていた。

そうして、最後に彼女の父はこう言って彼女との会話を終わらせた。

「もう良い、理解出来んのならば黙っていろ。王勅は以上だ、下がれ」

グラン・トロワをまるで追い払われるようにして退出した彼女の機嫌は最悪であった。
嘲笑されるのはまだ良い――哀れまれることが一番彼女にとっては腹立たしかったのだ。


そして、彼女は今『北花壇騎士7号』の前にいる。
才能の無い、と評された彼女とは異なって幼い頃から周囲にその才能を評価され、羨望の目で見つめられてきた少女。
とある事件をきっかけとして、そんな彼女と少女の立場は大きく変化したが、それでも少女の誰からも称えられたその才能は変わらない――いや、彼女と少女の差は広がるばかりだった。
命令を聞き終えて下がっていく、かつての遊び相手であり――従姉妹であった少女の背中を見て、彼女は唇を噛んだ。
いつもの様に、少女に罵声や嘲笑を浴びせても、もはや一時的な優越感に浸ることも出来ない。
いや、彼女の機嫌は直るどころか悪くなるだけ。

――惨めだった。

決して彼女は認めようとしないが、先程まで無抵抗――いや、無反応の少女を辱めていた彼女自身がそう思っていた。
誰からも理解されず、誰からも認められない。
だからこそ、目の前の従姉妹――『北花壇騎士7号』に嫉妬した。

辛うじてマシだったのは、彼女はそれでも魔法が使えたこと。
王族として――オルレアン家が廃嫡された今となっては唯一の王位継承者として認められている彼女ですらそんな状況なのだ。
無能王と評され、マトモな魔法の一つも成功したことの無い彼女の父ほどではないが、彼女もまた十分以上に自らの「無能」さを恨めしく、そして憎んでいた。
そんな思いを抱えながらも他者を気遣える聖人君子の様な人物はどの世界にもごく少数しかいない。
――そして、残念ながら彼女はその多数派に属していた。

「ああ――このッ!」

そう叫んで彼女は傍らの侍女に手にした「標的」についての資料を投げつけた。
そんなイザベラの行為と同時に、周囲から彼女に対してさらに哀れむような視線が寄せられる。
それがさらに彼女の機嫌を悪化させるという悪循環を招いていく。
行き場の無い怒りのままに、まるで駄々をこねる赤ん坊の様に暴れ続けるイザベラ。
そんな彼女がが投げつけた資料を覗き込むものが居たとすれば、次の様なことが読み取れただろう。

『――標的の特徴は、黒髪。そして妙な動きとポーズをとることが多いという未確認情報あり』







「大体あんな小娘の言うことなんて、わざわざおねえさまが聞く必要なんてないのね~!」

トリスタニア上空で自らの背に乗った少女に向かって青い飛竜が話しかける・・・・・
しかし、先程からその背に身を預けている少女は無言のままだ。
そんな主人にぶつくさとなにやら文句を言いながらも、その風韻竜は主人たる少女の指示した場所に到着したことを告げる。
そんな風韻竜に無言で感謝の意を示すと、彼女は必要最小限の語句で簡潔に次の指示を与えた。

「上で待ってて」

そして少女――『北花壇騎士7号』ことシャルロット・エレーヌ・オルレアンは自らの使い魔たるシルフィードから飛び降りる。
周囲は既に真っ暗で、月明かりを頼りにおぼろげに浮かぶ自身が先程選んだ待ち伏せの場所に、彼女は落下の勢いを利用しながら、必要最小限の魔法を駆使してふわりと着地した。

その彼女の姿を目撃したのは彼女の使い魔ただ一匹。
かつて夜遅くまで人々で賑っていた王都トリスタニアの繁栄はもはや無い。

人通りの無い王都の中で彼女の選んだ場所、それはとある民家の屋根の上だった。
トリスタニアの何処にでもある安っぽく、明らかに傷みの激しい屋根の上で、彼女は街路に対して屋根の尖った部分を盾にするようにして、姿を隠すと同時に頭だけを出して様子を探ることにした。

そして、彼女が降り立った頃には未だ登っていなかった二つ目の月が彼女の頭上に昇る頃――
少年は再び彼女の前に現れる。



彼女の視界に一群の人間の姿が写った。
7~8人程の人数で、街路の周囲に警戒しながら駆ける様にして行動し、時折、立ち止まりながら目立つところにビラを貼り付け、そしてまた次の場所へと向かっていく。
その誰もがローブや頭巾で目立たないように顔を隠していた。

――そんな中に彼女は見つけた。
一人、背中に剣を抱えた少年らしき人物が彼女の眼下を気付かずに通り抜けようとしたとき、僅かに黒い髪が風になびいていることを。
ハルケギニアではほとんどいない黒髪。
それを見た彼女は詠唱を完了していた『ウィンディ・アイクシル』を放つと同時に全力で屋根蹴って宙を舞った。



襲撃に最初に気付いたのはデルフリンガーだった。
魔力を吸収するという特性を持つこのインテリジェンス・ソードは、同時に周囲の魔力の動きにも敏感だった。

「相棒、敵だ!」

その声と共に、才人は襲撃者の方向に体を向けつつ、デルフリンガーを抜こうとした。
しかし、「敵」の方が早かった。
襲撃者は魔法を放つと同時に全力でそれまで自分の居た屋根を蹴り、一直線に彼に向かって体当たりした。


彼女の放った『ウィンディ・アイクシル』は唯の牽制。
本命は彼女の手にした一本のナイフだった。
彼女に「何故メイジが刃物を持つのか」と聞かれれば、彼女はこう答えただろう。

『そのほうが合理的』

魔法至上主義に陥りがちな貴族は刃物を携帯するのを嫌がる傾向があるが、彼女にとっては何の抵抗も無い。
いや、むしろ接近戦闘において刃物は魔法以上に有効な場合がある。
それは彼女がある「ナイフ」に出会った経験から学んでいた。


「うっ!」

屋根から全力で飛び出した襲撃者の体当たりを正面から受けて、才人は一瞬息を詰まらせた。
肺の中の空気が押し出されると同時に、一瞬の間才人の体の自由を奪う。
そのまま、才人は襲撃者に圧し掛かられるように倒れ、尻餅をついた。

彼が数秒後に意識を向けた時、才人の目に映ったのは空に浮かぶ白い満月と、その光を遮る襲撃者の上半身だった。
しかし、目の前にいるにも関わらず、逆光となった月明かりと垂れ下がった前髪によってその顔をうかがい知ることは出来ない。
それでも微動だにしない一切の感情を排したようなその姿に、才人はまるで人形のような印象を抱いた。


才人の首には襲撃者の手にしたナイフが当てられている。
襲撃者が少しでも手を動かせば、才人の喉は一瞬で切り裂かれるだろう。
そして、その状態では才人自身や周囲にいる才人の仲間が反撃に動くよりも確実に早く実行に移せるだろう。
才人はその瞬間に備えて覚悟した。

しかし、数秒――もしかしたらそれ以上かも知れないが――経過しても、予期していた瞬間は訪れない。

(……なんで)

そう思った瞬間、才人は自らに馬乗りになった襲撃者の体が強張っているように見えた。
そして、自身の首に当てられたナイフが必要以上に堅く握り締られていることにも気付く。
相変わらず月の逆光と前髪に隠れて表情は伺えないが、目の前の襲撃者は明らかに動揺しているように思えたのだ。

才人がそう思った次の瞬間、襲撃者は押し出すようにして声を発した。
その小さな声は才人が先程人形のようだ思ったその影とは異なって、どこか感情の篭った声だった。

「―――」


その一瞬の隙をデルフリンガーは見逃さなかった。

「相棒、今だ!」

デルフリンガーの声に一瞬全く場違いなことを考えていた才人は咄嗟に反応した。
馬乗りになった襲撃者の腹を全力で蹴り上げる。
その衝撃で襲撃者の体がふわりと浮き上がり、才人の首に当てられていたナイフも薄皮一枚かすっただけで、彼の首を掻き切る前に殺傷範囲から外れる。

(軽い!?)

才人は蹴り上げた瞬間の感覚に戸惑いながらも才人は全身の筋肉を使ってバネのように立ち上がる。
しかし、襲撃者も只者ではないらしい。
襲撃者は一瞬の間に体勢を立て直し、今度は一転して距離をとった。
手にした武器もまたナイフから杖に持ち替え、さらに魔法の詠唱を行なおうとする。
才人もまたデルフリンガーを構えなおし、襲撃者を睨みつけ――

「……あれ?」

そんな気の抜けた声を発した。
そこで杖を構えていたのは、かつて“この世界”に召喚されたばかりの才人に道を教えてくれた少女だった。
忘れようも無い。

数ヶ月前にも才人は彼女に魔法を突きつけられていた。
それでも最後に彼女は『魅惑の妖精』亭への道に迷った彼を助けてくれた――そして、『魅惑の妖精』亭にたどり着けなければ、才人もまたこうして生きていくことも出来なかっただろう。

しかし、初対面のトリスタニアで珍しい少年に突然声をかけられた時に見せた脅しとは異なって、先程の攻撃は明らかに才人を狙った攻撃だった。
一瞬でも遅れれば、才人の命は無かっただろう。
そして、そんな彼女の行動とは矛盾する先程の一瞬の躊躇。
だから才人は尋ねずには居られなかった。

「なんで俺を襲うんだよ? 教えてくれよ!」

しかし、才人の問いに帰ってきたのは先程までの冷静さ取り戻したシャルロットの冷たい声だった。

「命令だから」

その声は才人に告げたものであったが、何処か口にした彼女自身に言い聞かせるような響きがあった。

「誰の命令だよ!?」

「……」

シャルロットは答えない。
返答の代わりに繰り出されたのは鋭利な風の刃だった。
その攻撃をデルフリンガーで受払いながら、才人は大声で尋ねる。

「もしかして、あの時俺を助けてくれたのも命令だったとか言わないよな?」

才人のその質問は彼女の心を揺さぶった。
そう――先程、絶好の機会に才人の喉を掻き切ることが出来なかったのは、あの日の光景が脳裏に浮かんだから。
夕日に包まれたトリスタニアの路地で、彼女にもはや得られないかつての感覚を思い起こさせてくれた少年の姿があったから。
揺れる心の動揺を打ち消すように彼女は更なる詠唱を行い――魔法を放つ。

「くっ!」

辛うじて魔法をかわした才人が毒づいた。

「相棒、なんか心が震えてねーな」

そんな才人の様子にデルフリンガーが彼?なりの視点で助言する。
しかし、デルフリンガーは知らない――目の前の襲撃者が、才人にとってこの世界で「二番目に助けてくれた人間」であるということを。

「あたりまえだろ!」

もし襲撃者が彼の見知らぬ人間であれば、才人は容赦なく反撃に転じただろう。
あるいは、彼の知人に害を与えようとする人間であっても。
しかし、たった今才人の命を奪おうとした「敵」は彼にとって知人――いや恩人とも言える相手だった。
突如としてハルケギニアに召喚された彼を助けてくれた相手――それがたとえ道案内程度でも――いや、だからこそ自衛の為とはいえ、理由も知らずにそんな相手を傷つけようとは思えなかったのだ。


「でもよ相棒、あっちはそろそろ決着をつける気みてーだけどな」

デルフリンガーのその言葉に才人は再び襲撃者を見つめた。

そう、シャルロットは内心の動揺を無理矢理に押さえ込むかのように、彼女にとって最大の攻撃魔法を唱え始めた。
この戦いに終わりを刻むべく紡がれた魔法の名は『アイス・ジャベリン』――彼女の得意とする『ウィンディ・アイクシル』の上位魔法だった。
小さな少女の周りに空気中の水蒸気が収束し、その武装たる鋭利な氷柱を形成する。
しかし、形成されつつある氷柱はこれまでの「アイクシル」よりも遥かに巨大――まさに「投槍ジャベリン」の名に相応しい代物だった。

その氷の投槍を前にして、才人もまたデルフリンガーを構えなおす。
そして、シャルロットが杖を振り下ろそうとした瞬間、才人は心から叫びながら跳んだ。

「理由を教えろよ!?――シャルロット!」

その叫びに彼女は動揺した。
彼女のほかは数人しか知らない、彼女の本当の名前。
人前では誰も呼んでくれない――いや、呼ぶことの許されない名前。
その呼び声を聞いた彼女の次の行動への対応が一瞬遅れてしまう。
それでも『アイス・ジャベリン』は既に振り下ろされた彼女の杖に従って猛烈な勢いで迫り来る少年に向かって放たれる。

放たれたジャベリンは才人の手にしたデルフリンガーによって砕かれる――それは彼女も織り込み済みだった。
一本目の影に隠れるようにして至近距離から放たれようとする二本目こそが彼女の本命だった。

「うぉおおおっ!」

しかし、彼女の詠唱がほんの少し遅れた――わずかな動揺がその遅れにつながったのだ。
未だ完成していないその本命の『投槍』をデルフリンガーでなぎ払いながら、才人はシャルロットにその勢いのまま体当たりする。
ガンダールヴのルーンが生み出す常識離れした勢いのままに、二人はもつれ合うようにして地面を転がった。
そして、なんとか立ち上がろうとするシャルロットの目前にデルフリンガーの刃が突きつけられた。
それはまるで先程までの才人と襲撃者の状況をそのまま入れ替えた様。
それでも彼女が新たな魔法を紡ごうとすると、才人は両手で握ったデルフリンガーを彼女の喉に突き立てようとして振りかぶり――

ドスン、という衝撃音が響く。

――しかし、その刃が彼女に届くことはなかった。
才人の握ったデルフリンガーは、彼女の首のほんの少し脇の地面に深々と突き立てられていた。

「……どうして?」

そんな彼女の問いに才人は答えない。
ただ、悲しそうな目で彼女の顔を見つめている。

彼の行動は、絶好の機会にも関わらず彼の首を掻き切ることが出来なかった彼女の躊躇とは似て非なるもの――少なくとも彼女にとってはそう感じられた。
剣をそれほど深く地面に突き立てたのでは次に素早く振るうことが出来ない。
そう思った直後、才人の行動はさらに彼女の常識を超え――彼女の目が大きく見開かれる。
その視線の先では、ゆっくりと、力が抜けるようにして才人がデルフリンガーから両手を離したのだ。

「……なんでだよ」

ポツリと押し出すようにして呟かれたその声はシャルロットに大きな衝撃を与えた。
かつて、彼女は彼の正体について尋ねたことがあり――それを信じた。
それは彼にとっても同じだったのだろう。
彼は自分の命を顧みることなく、彼女の行為の理由を知りたがった。
――それは、この期に及んでも彼女を信じ続けたということ。

「わたしは――」

そう、言葉を紡ごうとした直後、彼女の視界に動く影が見えた。

「きゅいぃぃ~!!!」

風斬り音とともに現れた巨大な風韻竜――シルフィードがその気の抜けた咆哮と共に才人を襲おうとしている。
その咆哮に気付いたのか、彼女の視界から才人の姿が消える――とっさに横に飛びのくことによって避けたのだ。
しかし、シルフィードの目的は才人への攻撃ではなかった。
――シルフィードの真の目的は才人に組み伏せられていたシャルロットの救出だった。

切磋に飛びのいた才人を一顧だにすることなく、シルフィードはそのまま擦れ違いざまに彼女のマントを咥えて上空へと飛び去っていく。
ぐんぐんと高度を上げていくシルフィードの影がトリスタニアの夜空に消えるまで、才人達はその姿を呆然と眺め続け――後に残された場所には、彼女の傍に突き立てていたデルフリンガーがぽつんと取り残されていた。





「おねえさま、大丈夫だったのね~?」

シルフィとっても心配したのね~!と、先程彼女の危機を救ったシルフィードの気遣う声がする。
そんな気遣いに「ありがとう」と答えながらも、彼女の思考を支配していたのは先程の少年のことだった。

――どうして?

(どうして彼はわたしを殺さなかったのか――わたしは彼を殺そうとしたのに)

最後に彼女が放った『アイス・ジャベリン』は確かに殺意を持って放ったものだった。
明確な殺意を放たれても、彼は彼女を傷つけようとはしなかった。
そう、彼に圧し掛かられたあの瞬間、彼は確実に彼女を殺せた筈なのに――

――どうして?

(どうしてそこまで彼はわたしを信じようとしたのだろうか――)

わからない。

その思いを胸に、彼女は少年のことを考え続ける。
そんな時、声が聞こえた。

「あの黒髪、おねえさまになんてことするのね! 今度会ったらシルフィが食べちゃうんだから!」

ぷんすかと、そんなことを口走るシルフィードの頭をシャルロットは手にした杖でポカリと殴りつけた。

「な、なんでなのね~!?」

シルフィードの困惑と悲鳴に近い声が響く。
その声を聞きながら、彼女自身も何故だろうと思った。

「わかったのね! もう食べないのね!?」

気が付けば、シルフィードが泣きそうになりながら必死に謝っている。
どうやら無意識に暫くの間シルフィードの頭を殴り続けていたらしい――あわてて彼女は殴るのを止めた。
そして、再び黙りこくることとなった主人に半ば無視される形となったシルフィードの声が虚しくトリスタニアの夜空に響いた。

「明日のご飯はお肉にして欲しいのね~~!」






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


お待たせしました~!
みんなのアイドル、タバサさんの登場ですw
……実に20話振りという久々の登場ですけど(汗)

これ書いてる途中に何故かシルフィードの口調が桃鉄の貧乏神に思えて仕方ありませんでしたw

「お姉さま!オルレアン公屋敷を500万エキューで売っちゃうのね!」

なんと シルフィード は オルレアン公屋敷 を 500万エキュー で うってしまった!


※盗作問題について
09/6/15日付けでROM猫◆48342247様より本作品の10話がコピペされているとご連絡頂きました。
私の方でも確認させて頂きましたが、確かに10話前半部分のコピーであるようです。
しかし既にROM猫◆48342247様によって削除依頼が出されておりますので、管理人の舞様による削除手続きがなされるかと存じます。
またコピペをされた方はそれまでの経歴から見て皆様の反応を見て楽しむ愉快犯の様です。
従いまして、読者の方々におかれましても安易に挑発に乗らず、粛々と舞様の削除を見守って頂けると有難く存じます。

最後に、ROM猫◆48342247様、迅速なご連絡及び削除依頼有難う御座いました。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第24話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/08 23:18

 ――――――――――――ガリア、ヴェルサルテイル。


人口1500万の大国の首府としてシレ川の両岸に広がるようにして広がる首都リュティス。
その郊外に作られた人工的な政治都市としてヴェルサルテイルは存在した。
1000アルパンを越える広大な敷地に造成された人工の森に囲まれたこの地におかれたのはたった一つ、ガリア王宮のみであった。

俗にヴェルサルテイル宮殿と呼ばれるこの王宮は大きく言って二つの施設群に分けられる。
一つは王の住まいである『グラン・トロワ』。
もう一つが王位継承第一位の住居として使用されている『プチ・トロワ』だった。

今、その『グラン・トロワ』の主人であるガリア王ジョセフは『プチ・トロワ』の主である実の娘、イザベラからの報告書に目を通していた。
その報告書によると、彼女が任務を与えた『北花壇騎士7号』は標的に襲撃をかけたものの、目的を果たすことに失敗し、その後再度任務に向かう動きを全く示さないという。

ジョセフがトリステインで叛乱を煽動している『黒髪の男』を狙わせた理由は二つ。

一つはアルビオンでのミョズニトニルンの工作が失敗したことを修正する為の時間稼ぎ。
シェフィールドが工作に失敗したことを受けて、彼の「手駒」が動員されることが決まったが、さすがに両用艦隊主力を動かすとなると一朝一夕ではどうしようもない。
その計画の遅延を補う為にかれはこの任務を下した。

そして、もう一つはオルレアン家唯一の血筋である『北花壇騎士7号』へ与える任務としての存在。
これまでの吸血鬼や竜退治と同様にあわよくば直系以外の王位継承者である彼女を処理してしまおうというのだ。
しかし、その困難さはこれまでよりも高い。
いくら平民相手とはいえ――ジョセフにはそんな驕った意識は無かったが――組織の中で護衛に囲まれた標的をしとめるということは単独行動を取る吸血鬼などに比べてもはるかに危険が大きいのだ。

さらに穿った見方をするとすれば、ジョセフとしては王の系譜の者が、平民に返り討ちに遭うということを望んでいたのかもしれない。
実のところ、彼女に与えることの出来る任務は他にも多数あったのだから。

そんな事情はともかく、彼の命じた任務をあのシャルルの娘は拒絶したらしい。
――それも一度襲撃後に拒絶を示したことから、ただの怯えを理由としたものでもない。

しかし、目の前のジョセフはそんな事情を特に気にする様子も無い。
いや、むしろ喜びに近い感情があったと言えるだろう。

今回の任務の失敗によって、公式にオルレアン家を潰す口実が出来た、ということにするのだ――王命の拒絶は王に仕える貴族として処断するのに最高の理由となる。
無論、未だガリア国内に潜んだオルレアン公派は猛烈に反発するだろう。
最悪の場合、ガリア国内での内戦にまで発展する可能性すらある。

いや、それこそがジョセフの狙いだった。
そう、彼はアルビオンとトリステイン――いや、このハルケギニアの全てが同時に・・・倒れることを望んでいたのだ。




自らの主人の歪んだ笑みを眺めつつ、シェフィールドは何処か遠くから眺めるような気持ちで思った。

(……狂っている)

彼の計画を知っている――いや、その実行担当官である彼女から見てさえ、目の前の王は狂っていると思った。
狂王の目に宿る光は鋭い光を宿している。
しかし、その鋭い眼光が睨みつけるのはいつも目の前で謙る貴族達ではなく、このハルケギニアそのものへと向けられていた。
それはアルビオンの森の中で彼女と戦った「担い手」の少女と似ているようで、何処か違っていた。

彼女の主人であるジョセフとあの少女の違い――
両者は共に魔法至上主義であるハルケギニアでは無能と呼ばれ、蔑まれてきた。

片や人身位階を極めたハルケギニア最強国の王。
片や魔法学院を追放され、貴族階級による叛乱に身を投じた少女。

両者の違いは自身の「力」に気付いた時点の違いではなかろうか。
そうシェフィールドは考える。

ジョセフが自身の『虚無』に気付いたのは、初めて土のルビーに指を通した戴冠式のことであった。
それまで無能、と蔑まれてきた彼は王となったその時に初めて、自分がそれまで魔法至上主義者達が望んでも得られなかった伝説の力を得ていることを知った。

それに対して、あの少女――ルイズは『虚無』を認識する前に自分の「力」を知った。
ルイズも彼女の主人同様、無能と蔑まれていた。
彼女の不幸は、ジョセフが曲がりなりにもガリア王太子としての扱いを受けたのに対して、彼女は公爵家令嬢といえども単なる三女であったという点であったのではないだろうか。

公爵家令嬢ともなれば、一般の平民からはどれだけ望んでも届かない存在であるが、貴族階級からしてみれば政略結婚の商品としてもどちらかと言えば場末な存在であったとも言える――とシェフィールドは思った。
普通ならば娘、という時点で公爵家の継承権は存在しなくなる。
ヴァリエール公爵家には娘しかいない、という点を割り引いても、彼女の上には二人の姉がおり、彼女の継承権は遠いもの(次女のカトレアは自家を興したため、継承権は消失しているが)として見られていた。

王太子を表立って嘲笑する輩は居ない。
しかし、公爵家とはいえ、単なる貴族の令嬢ならばどうだろうか。

――片や王家直系の王太子、しかも長兄。
――片や継承権の無い公爵家三女。

彼女の主人は魔法が使えなくても、その血筋だけで――いや、血筋のみによって存在を認められた。
それに対してあの少女には何もなかった。
少なくとも彼女の主人ほどの血筋を持たなかった。

その違いこそが両者の求めるものの違いだったのではないだろうか。


「……ミューズ」

傍らの王が彼女を呼ぶ声がするが、彼女は気付かないまま、思索を続ける。


なるほど、始祖ブリミルとやらが魔法を持ち込んだのはその当時としては正しかったのかもしれない。
魔法の力は人々を富ませ、同時に襲い来る外敵から身を守る術を与えた。

しかし、その男の死んだ後の6000年の間に世界は歪んでしまった。
人々を富ませるはずの魔法の担い手は人々からその富を奪い、人々を守るはずだった魔法は人々を傷つけるための道具となった。

歪んだパズルはリセットされなくてはならない。

――全てを『ゼロ』に戻し、次の世代に委ねよう。

それは彼女の主人である王の孤独な思い。
あるいは、全てを『ゼロ』に戻せば本当の意味で彼の存在が認められるかもしれない。

それは生まれた時から「ガリア王太子」としてしか評価されなかった彼が求めてやまなかったもの。
彼自身の考え、行動ではなく全てが出生の血統のみで判断された彼の無言の叫びだったのかもしれない。


「……ミューズ?」


少々、物思いに囚われすぎたらしい。
ジョセフの声に彼女はその思索を中断して主人に応じた。

「申し訳ありません……」

そう謝罪する彼女のことを見て、ジョセフは未だアルビオンでの失態を悔いているのだとでも思ったらしい。
いつもぶっきらぼうなジョセフにしては珍しく、つとめて明るく、気にするな、とでも言いたげに彼はシェフィールドに声をかけた。

「アルビオンのことはもう良いのだ!――それに、このガリアでもカタを着けなければならないことが残っていたではないか」

その言葉に彼女は顔を上げる。
目の前にはどこかすまなそうな顔をしたジョセフの姿。
それは彼女にかつて見た光景を思い出させる。

(……この方は未だに悔やまれているのか)

召喚された直後、目の前の狂王は彼女に伏して謝罪したではないか――彼女の人生を取り返しの無いほどに狂わせたことに。
物質的には恵まれていたものの、周囲の貴族達から常に人間以下の扱いしか受けなかった彼女に青年だった目の前の王は跪いて許しを請うたのだ。

ハルケギニアに峻厳として存在する魔法至上主義という名の貴族支配。
そこでは彼女のように魔法を使えないものは、貴族によって支配されるために存在する生き物に過ぎないとさえ言って憚らないものも多い。
だとするならば、狂っているのは目の前の王ではなく、この世界そのものではないのか?

(……ならば、私はこの方の計画を実現するために戦おう――たとえこの世界の全てを敵にしても)

誰かを呼び出そうと子供のように大声をあげるジョセフの姿を眺めながら、シェフィールドは改めて決意した。



「ビダーシャル! ビダーシャルは何処だ?」

ジョセフはどこか様子のおかしいシェフィールドに声をかけると、今度は一転してまるで子供の様に誰にも憚らない大声である人物を呼び出した。

「ここだ」

そう言って突如として現れたのは長身の金髪の男。
しかし、その耳には特徴があった。
エルフ――砂漠の民にしてハルケギニアに住む人々の共通の敵として恐れられた種族に属する男は、その尖った耳を隠そうともせずに不遜な態度で佇んだ。

「おうおう、そこに居たか! 貴様にひとつして貰いたいことがある」

しかし、ジョセフはそんなことを全く気にする風も見せず、小間使いに対するように気安く話しかける。
そんな姿勢はこのエルフもまた同様だった。

「貴様が我らとの約束を守るなら、私も貴様との約束を守ろう」

両者の間には王に対する敬意もエルフに対する畏怖の色も存在しない。
まるで友人に気安く頼みをするかのようだ。

「なに、簡単なことだ。オルレアンの系譜を終わらせて貰いたい」

そうジョセフは簡単に言ってのけた。
もし、その言葉を聞いたものが居たとしたら顔色を変えただろう――たとえそれが現王であるジョセフ派の貴族だったとしても、だ。
あるいはオルレアン公派の貴族だったならば間違いなく杖を片手に斬りかかるであろうほどのことだ。


「良いのか? 貴様らは血の繋がりこそを尊ぶと聞く――それを」

その当りの事情を「知っている」――あくまで知識としてだが――このエルフはあえて確かめるようにして尋ねた。
しかし、その言葉は判っていると言いたげなジョセフの言葉によって途中で遮られた。

「だからこそ、だ――どれだけ無能でも王とやらが居なければ人間は纏まれないものらしいからな」

そう、楽しげにジョゼフは答える。

オルレアンの血統が途絶え、そしてガリア直系である王家までもが失われれば、正統なる王家の血筋は完全に途絶える。
そこに残るのは各諸侯による王の座を巡る争い。
しかし、そこには独力でガリア全土を切り従えられるような諸侯は存在しない――いや、そうなるように彼が仕向けたのだ。

『ガリア王は無能ではあるけれども、褒美については惜しまない』

彼がそう評されたのは、伝統的で広大な領地を持つ大諸侯に対抗できるように、新興貴族を初めとする下級貴族に力をつけさせた結果だった。
それぞれの有力諸侯の力を均等に――しかもそれぞれが対立するように、まるでモザイクのように領地が配置され、隣り合う諸侯達はそれぞれが憎しみ合うようになっていた。

「ならば貴様はどうやって我らとの約束を守る気だ?」

そんなジョゼフに怪訝そうな顔でビダーシャルは聞いた。
彼の内心では「目の前の男は本当に信用出来るのか?」といった疑念が浮かび上がっていた。
しかし、ビダーシャルの内心を見透かしたかのように、ジョゼフは当然だ、という表情で答える。
王の口から出たのは驚くべき言葉だった。

「決まっている、この国を外に構っていられなくすれば良いだけの話だ」



現ガリア王家派とオルレアン公派。
旧教徒派と新教徒派。
伝統貴族と新興貴族。
そのそれぞれが王という存在の不在をきっかけに、いつ衝突しはじめるかわからない。

どこかで一度火がつけば、その炎は連鎖的にガリア全土に拡大することは間違いない。
そこにもたらされるのは巨大な破壊。
そして、その連鎖反応チェイン・リアクションはこれまでガリアが歴々と築き上げてきたその全てを破壊するだろう。

それこそが彼の計画の目的。
他の始祖の血を引く王家があったならば、代わりに他国から王を受け入れることによって貴族達はその争いを収めてしまう。

だから・・・、彼はまずアルビオンを崩した。

遥か大洋の上にあるアルビオンならば、艦隊という輸送手段を持たない諸侯が勝手に攻め込むことも無い――諸侯に求められる軍役はあくまで地上戦力の供出であり、巨額の投資と統一運用の必要な艦隊は主に王の直轄軍として整備されていたのだから。

だが、陸続きのトリステインは違う。
今、トリステインの王制が終わってしまっては困る。
それはガリア貴族が一目散に無主となったトリステインになだれ込まないとも限らないからだ。
そして、それは彼の望む火種ではあるが、同時に彼の計画を乱す不確定要因でもある。
つまり、彼の希望に従えば――あくまで、「最高のタイミングで」トリステイン王家が滅びることが必要なのだ。
ゲルマニアやロマリアについても同様の工作が行なわれている。

いや、ロマリアでは既に始まっていた。
彼が密かに支援したロマリア各地の新教徒達は既に宗教庁の異端審問部隊と戦いを始めているのだ。
そして、都市国家の集まりに過ぎないロマリアでは異端審問を口実に堂々と他国の主権に対して介入を行なう聖堂騎士団――さらにそれを派遣した宗教庁との間に対立が深まっていた。



ビダーシャルとシェフィールドを下がらせた後、ガリア王宮の最深部で無能王ジョセフは一人グラスを傾ける。
一本で屋敷が買えるほどの最高級の酒と共に紡ぎ出される彼の言葉はもはやこの世にはいない人物に向けられていた。

「なぁ、シャルルよ、こんなにも無能な俺はお前に最後の言葉も告げられなかった――俺は知っていたのだ! こんなにも無能な俺を王にしたいという貴族どもがお前を殺そうとしていたことを! 俺にそれを止める気がなかったことも!」

それは彼の父である先王が死ぬ直前に残した遺言がきっかけだった。

彼は王になど成りたくはなかった。
むしろ彼は弟であるシャルルが王になるべきだと信じていた。
若くして有能、周囲の人間からの信頼も厚い。
そんな弟こそがこのガリアという国を導いていくべきだと思っていたのだ。

しかし、そんな思いは実現することはなかった。
彼は聞いてしまったのだ――彼に取り入ろうとした貴族達の会話を。

『ジョセフ様こそ次代の王に相応しい。あの無能者が王であるならば、我々も色々とやりやすいだろう』
『いかにも。ジョセフ様しか王となる人物はおられません――そう、もう間もなくそうなるでしょう』

既に遠い過去の記憶――しかし、決して消えることのない記憶を脳裏に彼の独白は続く。

「そして、俺は終わらせる。このハルケギニアという盤上で6000年もの間行なわれ続けてきた貴族どもの私欲に塗れたゲームを!そう盤もルールもその全てをぶち壊してやるのだ!――お前の妻と娘を生贄としてな」

そして、空になったグラスを傍らに置いたジョセフは豪華な装飾の施された天井を眺めながら呟いた。

「憎め――シャルロットよ、俺がお前とお前の母を殺すのだ」

そう、王である俺が――このハルケギニアの王というシステムそのものがお前の母を殺したのだ!
そして血の繋がった一族すべてを犠牲にして彼は何を手に入れるのか。

「それでも俺は知りたいのだ――」

そう彼は自分に改めて言い聞かせるかのように呟いた。
始祖ブリミル以来、魔法という力の下で築き上げられてきたその全てを突き崩せばそこには何が残るのか。
それぞれを縛り付ける血筋という存在の価値がなくなればどうなるのか。
彼は確かめたかった。
そこに残るものを確かめることによって彼自身の存在を確かめるかのように。

――あるいは、それこそが彼にとっての復讐のなのかもしれない。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第25話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/08 23:23

 ――――――――――――アルビオン、ロンディニウム議会議事堂。


白の国と称されるアルビオンの首都ロンディニウムは中心部を流れるプロワニダ川の河口域にへばりつくようにして発展した都市である。
その中央域にそびえるのはホワイトホールと呼ばれる真っ白な石造りの城砦で、かつてテューダー朝の王城として機能していたが、今はこの国を支配することとなったレコン・キスタの本拠地が置かれている。

「何故ガリア艦隊が!」

「彼らは敵なのか? それとも味方なのか?」

その本拠地であるホワイトホール内部に置かれたレコン・キスタ革命評議会中央評議会――実質的なレコン・キスタの指導部は大混乱に陥っていた。
名目上の最高議決機関である革命評議会はレコン・キスタに参加した全貴族が評議会議員となっている。
しかし、それではさすがに迅速な意思決定は困難であるとして、かつては護国卿が、そしてクロムウェル亡き後にはその下部組織であった中央評議会が実質的な国政運営に当たっていた。
無論、かつてのクロムウェル側近のポストであった時代とは異なって、現在中央評議会議員となれるのは一握りの大貴族――血筋ではなく、主要な軍事力を握っているということが必要条件――だけであり、先のサウスゴーダ会戦勝利の立役者としてのルイズ・フランソワーズもまた、そんな中央評議会議員に名を連ねていた。


「ガリア艦隊から通告です!――『タダチニ降伏セヨ』と」

塔の上で当直に当たっていた士官が部屋に慌てて駆け込んでくるやいなや、息を切らせて報告する。

「なんだと! それではガリアは敵に回ったと言うのか!?」

「そんな筈は!?」

「もうだめだ! 降伏だ、降伏するしかない!」

さらなる混乱に陥った会議場――といっても使用人や付き人を除けば10数人しか居ない豪奢な部屋の中でルイズは冷徹にそんな中央評議会議員の姿を眺めていた。

先のサウスゴーダ会戦でなんとか首都防衛に成功したレコン・キスタであったが、その指導者であったクロムウェルを失っていた。
……と言ってもクロムウェルは味方の劣勢に怯えて逃げ出した途中で敵の手のものに掛かって横死、ということになっているが。

そんな不名誉な死に様でありながら、やはり名目上とはいえ指導者であったクロムウェルの死は残された革命貴族の間での混乱を生んだ――彼こそが欲に塗れた貴族達を取りまとめる仲介役であったのだから、なおさらであった。
その結果として、勝利の勢いにも関わらずレコン・キスタ軍はトリステインに奪われていたシティ・オブ・サウスゴーダを奪回しただけで一旦、軍を首都であるロンディニウムへと引き上げざるを得なかったのだ。
そして、クロムウェル亡き後の地位や利権配分を巡る争いを続けることに2週間もの貴重な時間を費やすこととなったのだが――そこにガリア艦隊襲来の知らせが舞い込んだ。



「いや、しかし無条件で降伏しては、我々はどう扱われるかわかったものではない――そうだ! 一戦交えてからでも…」

「何を言っているんだ! 勝てるわけないではないか」

大混乱の中で突如として思いついたかのような言葉が飛び出すが、それも別の常識的な意見によって覆される。
そう、彼らの集うこの城の外に浮かぶ艦隊はこのアルビオン全土に残された全ての軍事力を二周り程も上回る戦力を誇っているのだ。
そんな中で一人の貴族が席を立ち、外に向かってそそくさと歩き出した。

「ランカスター伯? 貴殿は何処に行かれるのか?」

「……私は所領にて所用があるゆえ、失礼するよ」

「逃げるというのですか!?」

悲鳴にも似た声が響く。
そんな声に「その様な言い方は心外だ」とばかりの強い声色でランカスター伯は反論する。

「めったなことを申されるでない! 私は所領で所要があるためにやむなく・・・・失礼すると言っているのだ!」

誰がどう見ても詭弁だが、周囲の空気はそんなランカスター伯を非難するどころか、次々と同様の行動を引き寄せてしまう。
アルビオン最大の諸侯――すなわちアルビオンにおける最大の軍事力の担い手――として知られた彼の態度がこんなものであるため、周囲の大諸侯の気持ちを一斉に浮ついたものとしてしまったのだ。

「そう言えば私も――」
「ワシも所領で――」

そう言って、次々と怯唾の情に取り付かれた貴族達は逃げるようにしてそそくさと立ち去っていく。
この瞬間、アルビオンの国家指導部としてのレコン・キスタは崩壊した。




ガラン、とした部屋の中に残されたルイズはただ一人佇んでいた。
しかし、表面上は冷静に見える彼女の内心は怒りで煮えたぎる熱湯のようになっている。

ここまで好き勝手しておいて、最後には逃げ出した貴族達。

確かに逃げ出すのも判らないではない。
「敵」はハルケギニア一の大国、ガリア。
それが相手とならば、指導者不在でせいぜいが諸侯の集合体でしかないレコン・キスタが勝てるはずもないだろう。
しかし、彼女は引かない。
引いてしまえば、彼女もまた逃げ出した者達と同列になってしまうのだから。

そして、我慢なら無いと言わんばかりの勢いで彼女は一人塔の上へ登る階段を目指して駆け出した。
そんな彼女に部屋の外で待機していたワルドが声をかける。

「ル、ルイズどこへ行くんだい――!?」

そんなワルドの声を他所に、ルイズはどんどんと塔の内側に沿うようにして作られた石造りの螺旋階段を登っていく。
そして、破壊音に近い音と共に開かれた扉の先には抜けるような晩秋の青空と――それを覆うように展開する巨大な空中艦隊の姿があった。



ロンディニウムの沖合には見渡す限り、数十隻の大型戦列艦とその周囲を取り囲むように無数の中型・小型艦が展開していた。
さらに、その背後には遠く輸送船団らしきガレオン船で構成された艦隊の姿も見える。

中央に浮かぶ旗艦は超大型戦列艦――『シャルル・オルレアン』。
アルビオン最大の戦列艦だった『ロイヤル・ソブリン』を全長で約10メイル上回る船体には三層の砲甲板があり、艦合計で120門もの砲を備えたハルケギニア史上最大の船。
今は亡き王弟の名を冠されたその巨艦は、アルビオン空軍の滅んだ今、名実共にこのハルケギニアでは最強の存在であった。

そんな巨艦に率いられた、ハルケギニア最大の艦隊『ガリア両用艦隊バイラテラル・フロッテ』。
その120隻を越える全力がアルビオンの沖に浮かんでいる。


これこそがジョセフの打った第二の手。

彼女の使い魔たるシェフィールドは、アルビオンで一人の担い手を手に入れることに失敗し、そしてもう一人の担い手をも見失った。
ならば、双方を確実に手に入れるためには、アルビオンそのもの・・・・を手に入れてしまえば良い。
――アルビオンそのものを手に入れてしまえば、レコン・キスタの一員として行動している担い手は彼の手からは逃れられないであろうし、見失った「エルフ」もまたアルビオン中を捜索すれば確実に手に入るだろう。

単純な前提条件の変更。
しかし、常人には打つことができない巨大な一手でもあった。

本来、彼は直接的にアルビオンを支配しようとなどは決して思っていなかった。
無論それには理由があったが、それを変更させるほど担い手という存在は重要だった。
それは使いようによっては“たった一人”でこのハルケギニアを変えることが出来るかもしれない存在であるから。
また、担い手は唯一彼に対抗することの出来る存在でもある。
彼に対抗出来るということは、彼の計画を阻害することも出来るということ。
そして、なにより正統なる始祖の後継者ということは、新たなる「王」の候補となりうる存在でもあった。

故に、文字通り彼の計画の“手駒”としてガリア両用艦隊はアルビオンの沖に浮かんでいる。



ルイズはその巨大な艦隊の姿を前に一人ほぞを噛んだ。
先程まで見張りをしていた筈の衛兵達もまた他の貴族達と同様、逃げ出したらしい。

彼女は塔の頂上でたった一人、艦隊を見つめる。
そんな彼女の内心にあるのは無力感。

彼女が使えるのは「爆発」のみ。

その威力は一撃で1個中隊を粉砕するほどの威力を誇る。
当然、その威力なら中型戦列艦を一撃で葬り得るほどのものであるが、さすがにあれほどの距離と数を持つ艦隊を相手にしては、せいぜい数隻を葬り去るのが限界だろう――それ以上は攻撃する前に砲撃によってこのホワイトホールごと文字通り粉砕されてしまうのが目に見えていた。

(――“力”が欲しい)

かつて魔法学院でいつも感じていた無力感が再び蘇るかのようにして彼女を再び苛む。
それまで必要十分だったと思えた自らの“力”が再び無力になってしまった様に感じる。

そんな時。
圧倒的な「敵」を前にした彼女の耳に、破壊した筈の『始祖のオルゴール』から聞こえたものと同じ『声』が何処からとも無く聞こえた。

「どこ!? 出てきなさい!」

そう叫んでルイズは周囲を見回すが、周囲には誰もいない。
その間も『声』は彼女に向かって、かつてニューカッスルの城で彼女に告げた言葉と同じ言葉を紡ぎ続ける。

『―――これを聞きし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐ者なり。またそのための“力”を我より担いし者なり』

それはまるで呪文のようであり、また歌のようでもある、無意識のうちに吸い込まれそうになる『声』だった。

当然、彼女はかつてのように、その『声』を拒絶する。
しかし、その『声』に抗いながら、彼女の脳裏に浮かんだのは、雨の断崖であの黒髪の少年の成したこと。

あの少年は決して諦めなかった。
絶望的な状況に際してさえ、冷静に状況を把握し、使えるものなら全て利用して目的を果たそうとした。
そして、少年――才人はそれに成功した。


「ええ、そうよ……」

ルイズは決意した。

――たとえ手段が自分の毛嫌いしているものだったとしても、目的を実現する為にはありとあらゆる手段を使うことが正しい。
つまり、『目的は手段を正当化する』のだ。
そして、彼女の目的は未だ途上にあり、彼女は“力”を必要としている。

「――使ってやろうじゃない!」

その目的を果たす前に逃げ出すなんて絶対に許せない。
目の前に展開する大艦隊はその目的を果たすための単なる障害物でしかないのだ。
ならば、何を躊躇することがあるだろうか。


「――――エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

目の前を圧する大艦隊を見つめながら彼女は『声』に従うように、聞こえてくる古代語の詠唱を始めた。
彼女の体の中に波が生まれ、さらに大きくうねっていく。

「ベオースズ・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ」

全身の力を吸い取るようにして波は大きくなり続け、そして彼女の掲げた杖の先に向かって収束していく。

「ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……」


そして、長い長い詠唱の後、呪文が完成する。
その瞬間、彼女は自身の詠唱した「魔法」の威力を本能的に理解していた。
この「魔法」は一介の人間が扱うには過ぎるモノであると。
そんな彼女の脳裏に『始祖のオルゴール』から聞こえたものと同じ『声』が彼女に選択を突きつけた。

――殺すか、殺さないか。
――壊すべきは何か。

そう囁きかける『声』は彼女にある「一線」を守ろうとさせるようでもあり、同時に越えさせるようでもあった。

選択を突きつけられた少女の脳裏にある光景が浮かぶ。
それは、魔法学院の中庭であり、ロンディニウム郊外の戦場であった。

彼女は質問を一笑し、決断した。

「殺すわ――」

破壊すべきものはこのハルケギニアの社会制度そのもの。
故に彼女の邪魔をする者には容赦はしない。

――そう、この“力”を自覚した時に決めたではないか。

そうして、彼女は遥か彼方に展開するガリア両用艦隊に向けて杖をゆっくりと振り下ろした。





「……しかし、『レコン・キスタ』とやらからの返答はありませんな」

旗艦『シャルル・オルレアン』の甲板上。
待ちくたびれた、と言わんばかりの表情で線の細い参謀長が艦隊総司令であるクラヴィルに話しかけた。

「なに、おおかた降伏を巡って長々と議論でもやっているのであろうよ――そうだ、リュジニャン君! 暇潰しに一杯やろうではないか」

「宜しいのですか? いくら勝利は間違いないとは言え、一応は宣戦布告をしたばかりですが……」

気楽な表情をした司令に参謀長のリュジニャン子爵がたしなめるかのような声を挙げる。
しかし、彼が声を挙げたのはあくまで参謀長という立場によるものが大きい。
内心では彼も司令と同様の気持ちだった。
どんなに抗おうとも、この大艦隊の前ではその抵抗は鎧袖一触で粉砕されることが目に見えているのだから。

「なに、心配はいらんさ! 見たまえ、王城の衛兵までもが逃げ出しておるわ!」

そんな気持ちを代弁するかのように、クラヴィルは王城――今は評議会議事堂と名を変えているが――の屋上を指し示す。
そこには先程まで呆然とこちらを見上げるように眺めていた筈の衛兵達の姿すらない。

「まぁ、のんびりとやろう。何せ陛下はこの『アルビオン一国を我らに与える』と仰っておられるのだ!――勿論、君の取り分もたんまりとあるであろうからな!」

そう言ってクラヴィルは内心から溢れる欲を抑えきれないかのような表情で笑う。
『アルビオン一国』という褒賞は武人と評された彼にとってすら魅力的過ぎる存在だった。

「いやはや、艦隊に配属を命ぜられたときはどうしたものかとも思っていましたが、やはり陛下は考えておられましたな」

それは参謀長も同様で、普段は「無能王」と言って憚ることの無い彼もまた手放しにジョセフを褒め称える。

「ははは、もう『根無し草』とはおさらばだな」

彼がそう言ったのは、艦隊勤務は所領からの軍役を要さないために、必然的に所領が少ないということを揶揄したガリア流の皮肉だった。

「これで妻にも文句を言われずに済みますな!」

そう参謀長も応じる。
そこに、命令によって艦内のワイン蔵から一本のワインを手にした従兵が現れ、彼らの手にグラスを手渡す。
――その直後、クラヴィルは手にしたワインのグラスに銀色に光る小さな球体が映っていることに気付いた。

「ん? なんだ――」

その言葉を最後に、彼の肉体は蒸発した――彼のアルビオン支配の野望と共に。





突然走り出したルイズを追って、ワルドは懸命に塔の階段を登った。
と言っても先日の戦闘で受けた脇腹の傷はいかな魔法の秘薬の力をもってしても完全に塞がりきっておらず、壁に手を付きながら息も絶え絶えな状況で、だった。

そんな状況の中でワルドは今後について考えていた。

――ルイズの勘気癖にも困ったものだ。

彼の心の底にはそんな想いがある。
おそらく、部屋を飛び出したルイズは我慢ならなかったのだろう――それは先日のサウスゴーダ会戦でもそうだったし、それ以前にも同様の行為をしていたことからも判る。
しかし、彼女はその度に自らが招いた苦境を乗り越えても居た。
だが、さすがに今回はどうにもならないだろう――

目の前にはハルケギニア最強のガリア両用艦隊。
先の会戦とは異なって味方になる戦力はほとんどおらず、その大半が既に逃げ出し始めている。

(……逃げるか?)

そんなことを考える。
しかし、彼の婚約者の名前は既にハルケギニア各地に知れ渡っており、彼女の婚約者である彼自身もまた同様だった。
当然、トリステインでは彼の所領は召し上げられているし、ルイズの実家であるヴァリエール家も当主であるヴァリエール公爵自身がトリスタニアの屋敷に留め置かれたままとなっている。
この状況下で彼が逃げ込めるのはゲルマニアかロマリアくらいのものだろう。

(とりあえず、暫くの間は隠遁するしかないだろうな――)

――その前に、とワルドは思う。
その前にワルドは彼女について手を打っておく必要があった。
彼の逃亡に必要な準備として、ルイズの口を封じなければならない。
万が一にも彼女が敵に捕らえられ、彼がレコン・キスタで果たした役割をはっきりと知られてしまえば追及の手は厳しくなる――アルビオン皇太子ウェールズを討ったのは彼自身なのだから。

彼女を『処分』して、その後にワルド自身の死を偽装すれば、その後の逃亡は遥かに容易となるだろう。
そのためにはどうしても必要だ、と彼は決意する。


固い決意とともに、ようやく展望台にたどり着いたワルドが見たものは、今まさに杖を振り下ろすルイズの姿。
彼女が杖を振り下ろした直後、ガリア両用艦隊の上空にまるで小さな太陽がもう一つ出現したかのように直視できないほどの強い光を放つ球体が現れる。
最初は小さくも強い光を放っていたその光球は次の瞬間、急速に膨張しガリア両用艦隊を包み込み、さらにワルドの視界を光で埋め尽くすと同時に彼の視界を数秒間奪い尽くした。


「な――!?」

―――数秒後、ようやく視力を取り戻したワルドが見たものは、粉砕され、炎上しながら落下していく巨大艦隊の成れの果てだった。
直接の標的とされたらしい主力戦列艦部隊は文字通り完全に消滅し、その周囲に展開していた護衛艦群は猛烈な圧力と熱量に耐えかね、ばらばらになって炎上しながら墜落していく。
無数の破片――もはや船の形を成していない残骸からはさらに小さな破片が零れ落ちていく。
それらは丁度人間くらいの大きさで、あるものは火達磨になって、またあるものはそのままぽろぽろと船だったものから零れ、落下していく。


目の前の光景をワルドは信じられなかった。
あれだけの巨大艦隊がたった一撃で文字通り「殲滅」されたのだ。
――100隻を越える大艦隊が。
――数万に達するであろうその艦隊の乗員が。

そんなことが起り得る筈がない。

(…これは、夢か!?)

いや、確かに目の前の光景は現実だった。
目の前の光景を受け入れられずに、ワルドは呆然として立ちつくす。
しかし、そんな彼の意識は直後に他の存在によって引き戻された――いや押しつぶされたというべきか。

傍らに立つ少女が笑っていた。

静かに――しかし、心底楽しそうな表情で彼女は笑い続けていた。
そんな彼女を凝視するワルドの存在に気付いたのか、彼女はゆっくりと彼のほうへ歩み寄って、言った。

「見て、ワルドさま。人がゴミのようですわ――――」

そう言って再び少女は笑い出す。

その姿にワルドは本能的に怯えた。
日に日に強くなっていく目の前の婚約者の“力”。
目の前でこれ以上無いほどに示された、婚約者の“力”に恐怖したワルドはそんな少女の姿を見て、思った。

――もはやどんな貴族も、この“力”の前ではちっぽけなものでしかない。

それは人間の範疇を越えている。
そう、まさに『神の領域』であるとしか思えない。

それまで停止していた彼の頭脳がその年齢と地位に相応しい速さで回転し始める。

そう、この少女の“力”があれば、アルビオンだけではない。
このハルケギニア全てを支配することも可能なのだ――

そんな思いを内心に秘めながら、ワルドは目の前で笑い続ける少女の姿を見つめていた。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


09/07/06追記。
「虚無」の伝承等について
 ガリア王家やルイズの「虚無」についてご質問がありましたので、本作品の中での設定について説明させて頂きます。

 まずジョセフの「虚無」についてですが、原作でやたら貴族主義とやらに拘るトリステインで『始祖の祈祷書』や『水のルビー』の扱いが比較的テキトーだったことを考えると、ガリアの「虚無」について秘密もそれ以下の扱いだったとしても問題は無いのではないかと考えます。実際にこの作品の中ではそんな設定です。
……原作でもアンリエッタに至ってはそんな大事なアイテムを無雑作にルイズに与えて「旅費に困ったら売り払って下さい」とまで言っている訳ですし(笑)

 またジョセフがルイズの「エクスプロージョン」について知らなかったという点ですが、実際に『虚無』を使ってみるまでどんな魔法なのかわからないというのが原作設定(原作一巻参照)ですし、本作品内では『始祖のオルゴール』が無いのでジョセフは未だ「エクスプロージョン」の存在を知らなければ、習得もしていません。彼が今使えるのは『始祖の香炉』で覚えた「加速」だけ…の筈なので核攻撃なみの「虚無」を受けるとは知らなかった、ということにしてください(汗)


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第26話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/08 23:37

 ――――――――――――朝夕の寒さを増し始めたタルブ村。


その外れにある寺院の隣には新たに一軒の粗雑な建物が建てられている。
その中から顔を出した一人の中年男が声をかけた。

「やぁ! 久しぶりだね、サイト君!」

「お久しぶりです、コルベール先生」

そう才人も声を返す。
魔法学院を辞したコルベールはここで「エンジン」と名付けられた動力機械を初めとする“科学技術”の研究を行なうこととしたのだった。
古材を使って立てられた研究所の入り口にはこう看板が掲げられていた――『コルベールひみつ研究所』と。
なんでも『ひみつ』の部分にこだわりがあるらしいが、幸か不幸か未だハルケギニアの文字の読めない才人は気付かない。
そんな才人にコルベールは楽しそうに、頼まれていたものが完成したことを告げた。

「例のモノ、完成しましたぞ」

「本当ですか!?」

その声に才人は嬉しそうに反応する。
才人がコルベールに頼んでいたのはかつて襲撃された竜騎兵に対抗するための武器だった。

「正直言って私は自分の才能が恐ろしい! 前方に『ディテクト・マジック』を発信する魔法装置を取り付け、燃える火薬で推進する鉄の火矢を作り出してしまうとは!」

コルベールは饒舌に『空飛ぶヘビくん』と名づけた新発明について滔々と語り続ける。
既に魔法を利用して科学技術の応用や、役に立つ機械をいくつか発明していた彼だったが、どうもその発明のどこかに「ヘビくん」と付けなければ気がすまないらしい。
話が発射装置の所に入ったところで、なにやら思い出したらしい――ちなみにここまで20分以上が経過している。

「ああ、長くなってしまいましたな! そうそう、お預かりしていた『破壊の杖』……いや『ろけっとらんちゃあ』でしたかな? お返しいたしますぞ」

そう言ってコルベールは一度研究室の中に戻り、直に『M72ロケットランチャー』を抱えて出てくる。
と言っても大きさは全長で30サントに満たない筒状の物体でしかない。
そんな小さな筒を手渡しながら――いや、これも凄いものでしたぞ!とまた話し始めるコルベールに才人は少々うんざりした顔をした。


「やっとみつけたのね~!」

さらに15分ものコルベールの説明を受け続けた結果、少しやつれ気味の才人が受け取ったロケットランチャーを背中に背負った背嚢に仕舞った直後、彼の背後から妙に甲高い声が響いた。
そこに居たのはボロ布一枚を纏った20歳くらいの蒼髪の女性だった。
しかし、見た目の年齢に似合わず、どうも挙動や仕草が幼く感じたことを才人は不思議だな、と無意識に思った。

「…お知り合い、ですかな?」

努めて平静を保った表情でコルベールが尋ねる。
しかし、そこは教育者としての人格なのか、彼の視線は横にそらされ露出している女性のあられもない白い肌を出来るだけ見ないようにしていた。
そんなコルベールの気遣いを全く無視したまま――あるいは気にしていないのかも知れないが――蒼髪の女性はがっちりと才人の手を掴むと強引に引っ張っていく。

「いや、知りませんけど――っておいこらやめろ! ちょっと!」

「引っ張るなって! どこに行くんだよ!?」という才人の声が聞こえる。
そんな才人の質問を聞いているのか、いないのか、「こっちは急いでるのね~! もう、このまま連れて行っちゃうんだから!」と言った声も聞こえる。

「ちょっと! 当たってる、当たってるって!」

何が当たっているのかはともかく、そんな蒼髪の女性に才人は引っ張られ、コルベールの研究所の前にある開けた場所へと向かっていく。
徐々に遠ざかっている若干修羅場っぽい声を聞きながら、何処か遠い目でコルベールは思った。

(……私もそろそろ嫁を迎えたいものだが)

既に中年に達した彼もまた研究に残った生涯を捧げるつもりでいた。
しかし、実験に使う各種の薬品の異臭や騒音のせいか、未だに彼の生涯の伴侶は現れる気配は全く無い。
そうコルベールが周囲の喧騒を忘れて、自分の世界に閉じこもりそうになりながら思う――その直後、蒼髪の女性の姿は消え、「ぼぅん」という煙と音と共に10数メイルもの大きな風韻竜が姿を現した。
その瞬間、彼は嫁のなり手の居ない中年のおっさんから研究者へと変身を遂げる。

「なんと! 風竜だったとは――いや、先程言葉を話していたところからすると伝説の風韻竜ですかな? これは珍しい!」

コルベールはまずその大きさよりも風韻竜が未だに存在していたということに驚いたらしい。
彼が呆然と目の前の事態を眺めているうちに、変身した風韻竜は才人の服を咥えて飛び上がって東の空へと遠ざかっていく。
古い木材で作られた彼の研究室の前で一人取り残されたコルベール。
そんな彼は未だに事態を良く理解できないまま、ポツリと呟いた。

「……しかしあの風韻竜、ミス・タバサの使い魔にそっくりでしたな」






「おいっ! 降ろせってば!」

そう叫びながら才人は暴れた――と言っても彼の体は既に空中にある。
本来なら見知らぬ人間には警戒するようにしている才人であったが、当人の挙動や言葉遣いの幼さから警戒心が薄れていたらしい。
突如として現れた謎の蒼髪の女性? に引っ張られたかと思うと、次の瞬間には正体を現した飛竜に服を咥えられて空中へと連れ去られてしまっていた。
ちなみにある程度適合したものの、未だハルケギニアの常識に精通したとは言えない才人は竜がしゃべる光景を目にしても「しゃべる竜も居るんだな」くらいの認識で軽く受け止めていた。

「もう! 暴れないでほしいのね! ちょっと力を貸して欲しいだけなのね!」

手足をばたばたとさせて暴れながら怒鳴る才人にシルフィードもさすがに辟易したのか、少々怒り気味に答える。
――そして、シルフィードはその直後に気付いた。
彼の服を咥えて飛んでいる中で、言葉を発するとどうなるかということに。


「殺す気かよ!」

さすがに才人は本気で抗議の声をあげた。
事態に気付いたシルフィードが急降下して背中で受け止めたから良かったようなものの、数百メイルもの高さからパラシュートも無しでノーロープバンジーを強制的に決めさせられては堪らない。

「ちょっとした『うっかり』なのね! 細かいことは気にしないで欲しいのね!」

きゅい、きゅい! と鳴き声を上げるシルフィード。
……悪気はないのは判っているが、ちょっとした『うっかり』で人を殺しそうになるのもどうか、と才人は思った。
と、言っても今の彼に自力で地上に戻る術は無い。
仕方なく、才人は何か事情がありげな相手の話を聞いてみることにした。

「――で、どんな事情があるんだよ?」

そんな才人の言葉にようやく本題を思い出したかのように、シルフィードは一挙に騒ぎ出した。

「そうそう、大変なのね! 大変なのね! 大変なのね――!」

そこまで言ってシルフィードは言葉を一旦切った。
……どうやらそのあたりがシルフィードの肺活量の限界らしい。
そしてシルフィードは改めて息を吸い込み直すと懇願するように言葉を続けた。

「おねーさまが危ないのね! おねーさまを助けて欲しいのね!」

「おねーさまって誰だよ?」

そんなシルフィードの言葉に才人も誰かが危地にあるらしいことを理解したらしい。
まずは「誰が」どんな状況にあるのかを知ろうとして、先程までよりも真剣な表情で尋ね返す。
しかし、返ってきた答えは彼の知らない人物の名前だった。

「おねーさまってのは普段はタバサって呼ばれてるのね!」

「……だから、誰だよ?」

しかし、才人には「タバサ」と呼ばれる知り合いに心当たりは無い。
おまけにシルフィードはそんな才人の質問を聞く気は無いらしい。

「とにかく、相手はとっても強いのね! このシルフィやおねーさまが全く歯が立たないくらい強いのね!」

だから、と前置きしてシルフィードは自分の発想を誇らしげに答えた。

「おねーさまよりも強いヒトを連れてくればなんとかなると思ったのね!」

きゅい! きゅい! と再び自慢げに鳴き声を上げるシルフィード。
その言葉の意味を尋ね返した才人に返ってきた答えは、またもや彼にとって全くもって身に覚えの無い答えだった。

「もう! このまえおねーさまを組み敷いたことを忘れたとは言わせないのね! だいたいあの時――」

そう言いながら相変わらず遥か東のガリアを目指すシルフィード。
そんなシルフィードと背中に乗る才人の遥か下には王都トリスタニアの姿が見えた。






王都、トリスタニア――トリステイン王宮。
その中央部にある謁見の間では秋の収穫を祝うささやかな会食を兼ねた会合が開かれていた。
もちろん、「ささやかな」というのは言葉の比喩であり、テーブルの上には美食の極みに達した多くの料理が並んでいる。

しかし、広間に集まった貴族は誰もその料理に手を付けようとしない。
彼らの顔は皆一応に暗かった。
本来なら、領地持ちの貴族(すなわち有力諸侯)にとっては最大の収入となる出来事だけに賑やかな会合となるはずなったのだが――

「ことに今年の農産物の出来高は――」

淡々と担当官が読み上げる今年の収穫高はトリステイン史上過去最低を記録していた。
領地を持つ貴族にとって、所領での農産物の収穫の増減はそのまま彼らの収入の増減に直結する。
それは突き詰めれば巨大諸侯に過ぎないトリステイン王家にとっても同じだった。

ことに財務卿の顔は暗い。
彼にとって見ればこの結果はある程度予想していたものの、ここまで悪化するとは思っていなかったのだ。
……彼がこのアルビオン侵攻で計上した予算は約5500万エキュー。
うち、一戸あたり50エキューの戦時特別税で計上された総額が約3750万エキューであり、残りは今年度予算の流用や各諸侯などからの借財で賄っていた。
しかし、それだけの額をかき集めても賄えるのは決定された侵攻軍の規模に比べるなら僅か2ヶ月半に過ぎない。
――そして、戦争は既に4ヶ月目を迎えようとしていた。


「――誠に失礼ながら、貴族の方々にもさらなる負担をお願いしたい」

重苦しい雰囲気の中、決意したように重い声で財務卿が声を挙げた。

元々、トリステインでは人口比の中で貴族の数が多い。
その人口比は平民に対して1割以下、と言われているが、逆に言えば支配層だけで1割近くもいるということである。
つまり、トリステインは総人口に対して非常に高い比率の貴族を持つことによって、ガリアやゲルマニアと言った大国相手に対等に接することの出来る発言力を維持していたと言える。
そうした貴族や聖職者には免税特権が認められているから、もし貴族に追加で課税することが出来れば大きな収入となることは間違いない。
しかし、その免税特権こそ統治機構の上では貴族が貴族であるための統治権限に直結する最大の関心事の一つだった。

「財務卿! 何を言っておられるのか!」

予想通り、あちこちの領地持ちの諸侯達から彼の発言に対しての反発が挙がる。
中には、「貴公は初代国王陛下より認められた貴族の権利というものをなんと考えておられるのか!」とまで言い放つ者もいる。
貴族に認められた特権とは各領地の統治権(徴税権・裁判権・不介入権等)であり、王政府の命令に従い、一定額を納めている限り決して犯されるものではないとされていた。
いくら戦時中で財政難であるからとはいえ、その権利を一時的にでも破るとすれば、領地持ちの貴族にとって悪しき前例を作ることととなる。

そんなことを認めるわけにはいかない。
そんな事情によって、あまりにも加熱する財務卿への批難にあわてて軍務卿がとりなすようにして話題を変えた。

「そんなことよりも、艦隊の再建はどうなっているのか?」

財務卿と双璧を成す彼にとって大切なのはあくまで圧倒的な数によって自派の意見を通すことである――感情に任せて財務卿の失脚などという政変を起させては堪らない。
何よりも、統制の取れない烏合の衆など逆に不都合極まりない、と彼は軍人独自の感覚で捉えていた。

「――艦隊の補充については先に成立した戦列艦50隻分の予定のうち建造分の……」

攻め立てられる財務卿を庇う様にして彼の傍らにいた財務担当官が答える。

トリステインは先日、ラ・ローシェル及びロサイスで同時多発的に発生した輸送船舶襲撃によって使用可能な外洋船舶のおよそ半数を失っていた。
襲撃そのものはおそらく戦争中のアルビオンの手の者によって行なわれたと思われていたが、一部トリステインの平民が関与していたとの噂もあった。
しかし、実行犯達の国籍の真偽はともかく、その襲撃がもたらした結果は甚大だった。

戦闘が起こっていないとは言え、アルビオンにはレコン・キスタ討伐の為の侵攻軍が駐留している。
その数万に及ぶ戦力を維持するためだけでもかなりの量の物資を日々トリステインから遥かアルビオンにまで送り込まなければならず、今回の船舶大量喪失の結果としてその補給量すら満たせないという状態に陥ったのだ。
それでも必要な補給は続けなければならない。
でなければ数万人の兵たちが飢えてしまう――そうなればもはや戦争どころではない。
結果、艦隊の主力艦までもが急遽引き抜かれ、輸送任務に従事させられていた.。
そして戦争初期に受けた損害を未だ回復仕切れて居ない上に主力を引き抜かれた艦隊は事実上行動不能に陥ってしまったのだ。

そうした事実を職責上知らぬ筈のない軍務卿は苛立たしげに不運にも政争の犠牲者となることとなった財務担当官に噛み付いた。

「それも全部ガリアの艦隊再建とやらで持っていかれたそうではないか!」

その指摘は事実だった。
軍務卿が指摘していたのはアルビオン侵攻でかき集められる予定だった戦列艦50隻のうちの新規建造分の抱える問題についてだった。
確かに、トリステインは今回の戦役に当たってガリア国内の造船所に新規建造分の戦列艦として20隻近くの軍艦を発注し、そのうちの10数隻は建造が開始されていた。
しかし、その建造中だった艦艇は殆ど全てがアルビオンで壊滅した両用艦隊再建の為にガリアに抑えられてしまっていたのだ。
そもそもトリステイン国内に大型艦を建造する施設が無いため、戦争中のアルビオンや関係の悪化したゲルマニア以外で大型艦建造技術を持つのはガリア一国しか存在しなかったための結果だった。

「しかし、ガリアの付けたべらぼうな値を越えて買いなおすとするとやはり予算が……」

担当官の声は暗い。
軍艦は当然であるが、それ以外にもアルビオンの派遣軍に物資を運ぶ輸送船の損害はあまりにも痛手だった。
そもそもトリステインは戦争中であり、攻撃される危険性のある軍需物資の輸送に当たる民間輸送船の数はそれほど多くは無い。
しかし、アルビオンへの兵站補給を実現するためには必要とされるだけの輸送船をかき集めなければならない。
その為にトリステイン軍は通常の数倍もの高値をつけたのだが――今回の被害に対する補充にはさらなる高値をつけなければならず、必然的にかかる費用もさらに増大するだろうと予測されていた。
そう苦しげに答える財務担当官を横目に、先程まで一方的に詰られていた財務卿がおもむろに口を開いた。

「――そもそも、この戦を終わらせればこれ以上の出費をすることは避けられますな」

もはや諦めたのだろう。
何処か他人事のように財務卿が放言する。

短期決戦、という前提で組み上げられた臨時予算は既に大幅にオーバーしている。
おまけに先の輸送船舶の大量損失で現在のトリステイン商船隊の輸送能力は現在アルビオンに留まる兵力への補給物資の運搬すら満たせない、というところにまで低下していた。
これでは到底攻勢に出ることは出来ない。

おまけに3000メイルという高空にあるアルビオンではそろそろ降雪が始まる頃でもある。
つまり、現在のトリステイン軍はアルビオンでの冬営に入らねばならない状況に置かれつつあるのである。
しかし、どう見ても今の王国財政に派遣軍を越冬させる程の余裕は無い。

「馬鹿な! この戦争は王女殿下のご命令によって下された、いわば勅命ですぞ! それを貴公の一存で終わらせるなど出来るはずもないだろう!」

当然、戦争を終わらせるという財務卿に対して周囲の諸侯達は反発する。
アルビオン侵攻に対して多額の投資をしている彼らからすれば、撤退による戦争終結はそれまでにつぎ込んだ投資の持ち出しに他ならない。
貴族の中でも貧乏な者の多い軍人層にとって、それは決して受け入れられるものではない。

「――ならば仕方ありませんな」

そう言って財務卿は上座にある玉座の方に体を向ける。
本来なら王位継承者であるアンリエッタが腰掛けているはずの玉座は空っぽだった――彼女は体調不良との理由で臨席を拒否していたのだ。
財務卿の体はその空いた玉座の傍らにいつものように佇むマザリーニに向けられる。

「マザリーニ枢機卿に申し上げます――どうか私めの職を解いて頂きたい」

そう、彼は言葉を発した。



「……申し訳ありません、マザリーニ枢機卿」

評定が終わり、大広間に接した小部屋で二人きりとなった財務卿――いや、前財務卿デムリ侯爵はそうマザリーニに謝罪した。
彼はこのタイミングで職を辞すことを必ずしも良しとしていなかったが、王室財政を預かる財務卿としてこれ以上の歳出を認めるわけにはいかない――激務の狭間で数日間、悩みに悩んだ結果の辞任だった。

「いや、貴公はよく王国を支えて下さいました。今は所領でゆっくりとなされるのが良いでしょう」

そんなデムリ侯爵にマザリーニは恨み言を言うどころか、聖職者らしい温和な表情でその労をいたわった。
しかし、その顔からは赤みが失われ、顔に刻まれた皺の数は明らかに増していた。

「枢機卿――いや、宰相閣下こそお体の方は大丈夫なのでしょうか? 見ればここ数ヶ月でさらにお顔がやつれたように見受けられますが……」

そんなマザリーニの姿にデムリ侯爵は心配した様に声をかける。
元々、痩せていた彼の体は以前と比べても明らかに痩せ細り、白髪の数も増えている。
デムリ侯爵自身もここ数ヶ月の激務と心労で倒れそうになることもあったが、それ以上に目の前の枢機卿の姿はやつれて見えた。

「大丈夫です……」

そんな気遣いの声に、気丈な風を装ってマザリーニは答える。
誰が見ても嘘とわかる答え。
――実際に彼の御付の水メイジは休養を勧めていたが、彼はその忠告を無視して日々の政務に当たっていたのだ。
決して彼の助言を受け入れようとしないという意思を持ったマザリーニの目を前にして、デムリ侯爵は諦めて話題を転じることにした。

「王女殿下のご様子はいかがでしょうか?」

それは今日の廟議に唯一出席していなかったアンリエッタの様子について尋ねたものだった。

「いや、体調が優れぬとの仰せでありましたが、御典医によると至って健康とのことで――」

余計な勘ぐりをさせるわけにもいかず、マザリーニは率直に答える。

「やはり、ヴァリエール公爵殿の三女の件ですかな?」

「かの者はアンリエッタ殿下の幼少の頃よりの遊び相手であられましたから――おそらくはそのことに心を痛めておいでなのでしょう」

デムリ侯爵の質問に、そうマザリーニは誤魔化して答えた。

彼の知る限り、アンリエッタに健康上の問題は存在しない。
むしろ、最近は自室で詩集を読んだり窓の外を眺めたりと自由気ままな生活を送っている。
その一方で、彼女は自室を中心とした王族専用区画に立てこもるようにして公儀の職務を遂行することを拒否していたのだ。

王族専用区画ではいかな聖職者であるとは言え男性である彼が踏み込むことは出来ない。
こういった時に頼りになる筈の銃士隊長は悪化の一途を辿る王都の治安任務に忙殺――文字通りほとんど手が離せないまでに至っている。
しかし、この戦争を終わらせるためにはどうしても王女の詔勅が必要なことは変わりない。

マザリーニが暗い表情で沈黙に移ったことを察したデムリ侯爵は一転して声を沈め、言った。
それは財務卿を辞して単なる一諸侯となった彼が出来る最大のトリステイン王国への奉公のつもりだった。

「既に王都の平民達の心は王国から離れております」

もはや残された猶予は少ない、そう暗にデムリは告げた。
王都の平民達はもはや貴族や王国に対する嫌悪感を隠そうともしない。
あちこちで集まっては不平や不満を互いに言い合い、王国や貴族から命じられた任務を拒み、あるいは王国や貴族の権威を汚して回る――今のところは本格的な蜂起に至っていないのが不幸中の幸いだった。

そんなデムリの言葉を百も承知だったマザリーニは天井を仰いだ。
仰ぎながら聖職者らしく始祖の言葉を引用して彼は答えた。

「――我らが出来ることを速やかに成すしかありますまい」

彼の視線が向けられた豪華な装飾の施された天井、その遥か先には王女の居住区があった。



しかし、比較的現実的にトリステイン王国の危機を受け止めている彼らですら気付いていない問題があった。

その問題とは農業生産物を貨幣へと交換することの出来る市場である都市の荒廃だった。
トリステインでの納税は通常、金銭納付である。
よって農民は収穫した作物のうち、一年間の生活に必要な分を除いた余剰の作物を都市で現金化することによって金銭を得るか、都市の商家や貴族の屋敷で奉公することで現金を得て、納税を行なう。
貴族や王政府はその税収を使って作物を都市から購入し、彼らの生活物資や軍の糧食として消費していた――その結果、収められた納税はある程度ではあるが平民に還流することとなる。

しかし、余りにも高額の課税は都市から農作物を購入する原資としての資本を奪い、都市の荒廃を招いた。
その結果、農民は納税に必要な現金収入の根幹としての市場を失い、納税そのものを不可能とさせていく――さらに、凶作による売り払うべき余剰作物そのものの少なさが状況をさらに悪化させた。

それでも王政府はその活動のために収入を必要とし(何しろ戦時中なのだ!)、腐敗した貴族達の一部はそれに便乗して私腹を肥やそうとする。
彼らの一部は現金が無いのならば、とその代替品としての収穫物そのものの差し押さえを始めていた。
市場というツールを介さないその徴税は決して平民に還流されることはない。
その結果、発生したのは――徴税という名を借りた原始的収奪・・・・・だった。

そうして、都市に続いて農村部――すなわちトリステイン全域――でも不満が急速に高まっていく。
ついに、革命の鼓動は都市だけでなく農村へさえも広がり始めたのだ。





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作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施



[3967] 第27話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/20 21:53

 ――――――――――――砕け散った氷の発した雪煙と共に、シャルロット・エレーヌ・オルレアンは壁に叩きつけられた。


「――っ!!」

そのまま彼女は声にならないうめき声と共に壁にもたれかかるようにして地面へとずり落ちた。
彼女の目の前には金色の髪と病的なほどの白い肌――そしてなにより尖った耳を持つ長身の男の姿があった。

エルフ。

ハルケギニアで最も恐れられ、言葉に出すことすら憚られる存在がそこにはいた。


「無駄だ――いかに野蛮な法を使おうとも、その刃は決して私に届くことは無い」

そう、目の前のエルフは告げる。
彼女の放った魔法はことごとく弾き返され、現に彼女は全身傷だらけで壁に背を預けるようにして倒れていた。
それでも彼女は辛うじて残った意識の糸を繋ぎとめ、手にした杖を握り締める。
シャルロットは決して引くわけには行かない。
――そう、彼女が守ろうとする人が彼女の背後にいたのだから。

体に残された僅かな力を振り絞り、彼女は立ち上がり、呪文を紡ぐ。
しかし、その特大のウェンディ・アイクシルは突如として中空に静止したかと思った直後、術者であるシャルロットに向かって弾き返されたのだ。

『反射』。

先住魔法と呼ばれる精霊の力を借りたエルフの守護の力。
それはハルケギニアに存在するあらゆる攻撃を弾き返すだけの力を持った障壁だった。

そんな先住魔法によってシャルロットは再び壁に叩きつけられる。
薄れ行く意識の中、彼女は彼女を守ろうと窓を破壊ながらエルフに襲い掛かるシルフィードの姿を見た。
しかし、シルフィードの牙がビダーシャルに届く瞬間は訪れない。
シャルロットの魔法同様、シルフィードの牙もまたエルフの目前で見えない壁に阻まれたのだ。

「韻竜よ。私はお前とは争うつもりは無い――“大いなる意思”はその様なことを望んでいないからだ」

しかし、見えない壁に阻まれながらも、シルフィードはエルフに襲い掛かることをやめない。
それは彼女の主人であるシャルロットを守る為だけに、たとえ無駄であろうとも戦うという意志がそうさせたのだ――たとえ敵が自身より圧倒的な力の使い手だとしても。

「魂まで蛮人に売り渡したか。使い魔とは悲しい存在だな」

その言葉とともにエルフは片手をシルフィードの頭に向かって伸ばし、告げた。

「明日、お前はそのシャイターンの残した野蛮な法による頚木から解き放たれる――“大いなる意思”よ……、このような下らぬことに“精霊の力”を行使したことを赦したまえ」

その言葉とともに、シルフィードは弾き飛ばされる。
――そんな光景を目撃した直後、シャルロットの意識は途切れた。





それからどのくらいの時間が経ったのだろう――
轟音と同時に何かが破壊されるような大音響が旧オルレアン公爵邸を襲った。
そして直後に堅牢な造りの筈の屋敷が大きく揺れる。

その衝撃と破壊音でシャルロットはゆっくりと失っていた意識を取り戻した。

「おねーさま! 助けにきたのね~!」

ほとんど真っ白でぼんやりとした視界は未だ完全に意識を取り戻していないことを示していたが、彼女の耳は確かにそう叫ぶ声を聞いた。
それは間違いなく彼女の使い魔たるシルフィードの声だった。


(……どのくらい気を失っていたのだろう?)

朦朧として混濁した意識の中、彼女はそんなことを考える。
彼女が意識を失う前に最後に見た光景はシルフィードがあのエルフによって弾き飛ばされる姿だった。
だとすれば、彼女が気を失っていたのはわずか数分なのか――それとも1日以上も経っているのだろうか?
徐々に回復しているが、未だうすぼんやりとした彼女の視界には破壊された窓の破口から室内に突っ込むようにして飛び込んできた自らの使い魔の姿が辛うじて見える。

――そしてシルフィードの背後にあるもう一人の姿。

その人物の姿を見た瞬間、彼女は目を見開いた。
そして、その驚きによって彼女の意識は一挙に覚醒する。

(……どうして?)

――どうして彼はここに居るのか。
彼女はそう思わずには居られなかった。
そして、そんな思いを抱いたのと同時に、彼女の体を猛烈な痛みが襲う――それまで意識を失うことで切り離されていた痛覚が意識を取り戻したことで一挙に彼女を襲ったのだ。
しかし、その痛みを彼女は僅かなうめき声を漏らしただけで耐えきった。
それでも彼女の全身は少しでも痛みを押しとどめようと強張り、その拍子に体の上に積もっていた瓦礫の破片の一つが転がり落ちる音が響いた。



「さぁ、さっさとおねーさまを助け出して欲しいのね!」

シルフィードに半ば拉致されるようにして連れてこられた才人は破片塗れになりながらも、なんとかシルフィードの背中から降りて無残にも破壊尽くされた旧オルレアン公爵邸の一室に降り立った。
今は装飾品が失われ、無残に散らかった室内。
それでもその室内は建物の造りの良さを示すように、広々とした空間が広がっている。

そんな中に一人、異質な空気を発している存在がいた。
部屋の中央に身じろぎもせず立つ、長身で白い肌、そして金髪の髪を持つ耳の尖った男。
少々うんざりした表情をしたその男について、才人は尋ねずには居られなかった。

「お前、何者だよ?」

そう尋ねる才人に対して、答えは彼のすぐ傍から返ってきた。

「エルフなのね! あいつが相手なのね!」

そう答えるシルフィード。
「さぁ、さっさとやっちゃうのね!」と言わんばかりのシルフィードに対して、才人の背中に背負われたデルフリンガーの声は深刻だった。

「相棒、悪いことは言わねー。アイツはヤバイ! この俺様が言うんだから間違いねーよ!」

「……? どうしたんだよ、デルフ」

そんなデルフリンガーの珍しい声に才人は尋ね返そうとして――
才人の耳に瓦礫が転がる音と少女のうめき声が聞こえた。

その声のした方向に目をやると、そこには見知った少女が壁にもたれるようにして倒れている。
その姿に才人は弾かれたようにして駆け寄った。

「シャルロット!? 大丈夫か?」

彼女の体に僅かに圧し掛かる天井板の破片をどかしながら才人は声をかけた。
壁に叩き付けられたまま、身動きすら出来ない彼女を抱き起こし、壁にもたれさせる。
そんな少年の姿にシャルロットは混濁した意識の中で辛うじて言葉にした。

「……逃げて」

彼女は彼女が出しえる最大限の声で才人に言った――と言ってもその声は微かなものにしかならない。
それでも彼女は目の前の少年に逃げるように告げた。
それはこの戦いで誰にも傷ついて欲しくないという彼女の意志の現れだった。

しかし、その言葉を聞いた後の才人の行動は彼女の内心に大きな衝撃を与えた。

――どうして彼は自分の手当てをしているのか。

目の前では彼女の下半身に圧し掛かっていた天井の化粧板をほうり捨て、苦しげに呼吸する彼女の首を圧迫していたブラウスのボタンを外す才人の姿があった。

わからない。
全身の痛みを堪えながら、才人に尋ねようとした彼女を制して才人が告げる。

「しゃべるなよ?――じっとしてろ」

そこには彼女の忠告を無視して、彼女の体を心配する少年がいた。

「心配」。
それは彼女にとってかけがえの無いものだった。
無論、彼女の体を気遣う者達は今も沢山いる――旧オルレアン公派の筆頭とも言える東薔薇騎士団団長のバッソ・カステルモールなどがその代表例だ。
しかし、その気遣いはあくまで彼らが忠誠を誓った旧オルレアン公爵の系譜である「シャルロット・エレーヌ・オルレアン・・・・・」という人物に向けられるものであって、シャルロットという少女に向けられるものは少ない。
そして、今目の前で彼女の手当てを行なう才人の姿は、彼女にとって家庭というものを失ってから程遠いものとなっていた“愛情”というものがあるように思えた。


そんな時、必死に彼女の介抱――といっても大半は才人がこの世界に来てから覚えた応急的な治療――をする才人の背後から声が聞こえた。
先程の才人の質問に対する返答のつもりなのだろうか?――男はここが戦闘の結果として荒れ果てた部屋の中で似つかわしくない仕草で名乗りを挙げた。

「わたしはエルフのビダーシャル」

しかし、才人は答えない。
相変わらずビダーシャルに背を向けたまま、シャルロットの介抱をし続ける。
そして、一通りの治療――傷口に携帯していた包帯を巻きつける程度だが――を終えた才人は彼女を抱え上げようとする。

軽い。
つい先日、トリスタニアの路地で感じた彼女の軽さはそこにあっても変わらなかった。

(……こんな体で)

そう才人は思う。
ここまでの道中、彼女についての事情をあらいざらい――シルフィードの知る限りのことを聞かされていた。
ゆっくりと、まるで壊れ物を扱うかのようにシャルロットを抱え、才人は立ち上がった。
そのままシルフィードのもとに向かおうとして――

「待て、そこな娘を連れ去ることはならぬ。我はそこな娘に用事があるのでな」

その言葉と共に、才人の前に先程の男が立ちふさがった。
シャルロットを取り返したくば、自身を倒していけとでも言いたげな傲岸不遜な姿。

「……用事ってなんだよ!?」

相手がそこを通す気が無いのが分かった才人はシャルロットを抱えたままビダーシャルのほうへ向き直って尋ねる。
その言葉には明確な敵意があった。

「何、用事は直に済む。そこな娘を哀れな女と同じところに送ればな」

そう言ってビダーシャルは破れた窓から覗く月の位置を確かめる。
――ジョセフはオルレアンの系譜を終わらせるという依頼にいくつか条件をつけていた。
その一つが刻限の設定だった。

その言葉を聞いた瞬間、シャルロットは狂ったように暴れ出し、彼女の母が眠る寝台へと駆け出そうとする。
しかし、傷む体は彼女の思うように動かず、立ち上がろうとした小さな体はそのまま才人に抱きとめられた。

「おい! 大丈夫か?」

急に暴れ出した彼女を気遣う才人の声を聞きながらも、シャルロットは本能で感じた。
――おそらく、あの寝台に眠る母はもうこの世のものではないということを。

その事実を前に全身から力が抜け、先程まで暴れていた彼女の体は呆然と糸の切れた操り人形のように才人の体に寄りかかった。
才人はそんな彼女の体を抱きかかえ、ゆっくりと彼女を部屋の荒れ果てていない場所へと横たえると、背にしたデルフリンガーを抜き放ち、ビダーシャルに向かって正対した。
そんな才人に対してビダーシャルはエルフ全体が一般に持つ人間に対しての明確な蔑視と侮蔑を込めた眼光で才人を見つめる。

「立ち去れ、蛮人の戦士よ――お前では決して我に勝てぬ」

そうビダーシャルは優越種としての視点から冷酷な言葉を告げる。
しかし、そこには単に相手をするのが面倒だ、という事以上の思いも込められていた。
そもそもこの依頼は彼にとって気の乗るものではなかったのだ。

『――そうだな、こんな趣向はどうだろう』

彼が取引に応じた後、ジョセフのその言葉に続いて紡ぎ出されたのは余りにも残酷な条件だった。
それは目の前の少女に母の死を見せ付けること。

与えられたものとは言え、そんな任務に乗り気になれるはずもない。
だからこそあえて少女の母の死を口頭で告げた。
最後に母の死んだ姿を見せずに最後を迎えさせてやる。
それこそがビダーシャルの出来る唯一の手心でもあった。

そして、同時に彼はエルフの代表として少女の叔父から与えられた依頼を果たさねばならない。
故にビダーシャルは才人の前に立ちはだかった――王との約束を果たすために。



「相棒、やめとけって! アイツには絶対に勝てねーよ!」

本気で焦った声で才人に忠告するデルフリンガー。
目の前の男が何らかの力を持っているのは才人にもわかる。
しかし、彼は引かない。
引けば目の前のエルフとやらはシャルロットを殺すのだろう――それは才人にとって絶対に受け入れられない。
それは単に彼女が才人の恩人だった、ということだけではなく、目の前の男が自身の持つ圧倒的な力でほとんど無抵抗な彼女を傷つけようとすることが許せなかったためでもあった。

そして、目の前の男が決して逃がさない、という意思を示している以上、彼女を救って逃げ出す方法は唯一つ――目の前のビダーシャルを倒すことしかない。
その決意と共に、才人はハルケギニアで最も忌み嫌われ、恐れられる『エルフ』という存在と対峙した。

「うるせぇ長耳野郎。誰が蛮人だよ。俺はお前みたいな、偉そうに余裕を気取った奴が一番嫌いだ」

確かにそうしたビダーシャルの姿はどこか傲慢で彼の嫌いな貴族達と重なって見えるところがあった。
そして、才人が告げた言葉は同時に彼の不退転の決意を示したものでもあった。

そんな才人に「俺はどーなっても知らねーからな?」と、しぶしぶ戦うことに同意を示すデルフリンガー。
そして、次の瞬間、左手のルーンの輝きと共に、才人は弾かれたようにしてビダーシャルに吶喊した。


「でやぁぁぁぁっ!」

気合と共に才人はビダーシャルに向かってデルフリンガーを振りかぶって斬りかかる。
しかし、ビダーシャルは守るどころか、避ける素振りすら見せない。
ビダーシャルの体まであと少し、となったその時、速度と重さを兼ね備えた才人のその一撃は何か不可視の壁に当たったかのようにしてはじき返された。

「うわっ!?」

その衝撃で弾き返され、ごろごろと床を転がる才人。
それでも才人は直に飛び上がるように立ち上がり、デルフリンガーを構え直しながら呟いた。

「痛ってぇ……なんだあいつ?目の前に見えない壁があるみたいだ」

そんな才人の呟きに答えたのはデルフリンガーだった。

「ありゃぁ『反射カウンター』だ。魔法すら弾き返す、えげつねぇ先住魔法さ」

俺は先住魔法は吸い込めねーからな、と何処か投げやりな声で返すデルフリンガー。
そして、あの先住魔法を突破する方法は「虚無」しかないと才人に告げる。

しかし、当然ながらこんな場所に「虚無」なんてものは無く、そして才人は引くわけにも行かない。
彼は改めてデルフリンガーを構えなおすと、ゆっくりとシャルロットのほうへと歩き始めたビダーシャルに向かって再び立ち向った。

「お、うぉおおおおおっ――!」




母親の死という事実に直面して呆然としながらも、シャルロットは目の前で繰り広げられる戦い――と呼ぶにはあまりにも一方的なものをぼんやりと眺め続けていた。
彼女の目に映る才人は、防がれても、防がれても、諦めずにビダーシャルへと立ち向かっていく。

(……どうして?どうして彼は戦うのだろう)

そんな光景を見たシャルロットは心の底から思った。

彼女が今まで何をしてでも守りたいと思った母はもういない。
だとするならば、もはや彼女に戦うべき理由――いや、生きる理由など無い。
そして、あのエルフは彼女を殺そうとしている。
ならば――何故あの少年は戦い続けているのだろうか。

彼女がそんなことを考えている間にも、才人はビダーシャルに斬りかかる度に『反射』によって弾き返され、荒れ果てた屋敷の床を無残に転がっては立ち向かうことを繰り返す。

意味の無いこと――彼女は倒れ、そして何度でも立ち上がる少年の姿を見て思った。
殺されようとしている彼女自身が死を望んでいるのに、どうして彼は抗い続けるのか。
決して勝てない相手に。
戦わなければ傷つくこともないのに。

そう思ったとき、才人の攻撃は再び弾かれ、彼は地面に転がった。
それでも才人は立ち上がる。
全力で斬りかかった攻撃が弾かれるということは、才人の体はその衝撃を逆に受けている筈だった。
ふらふらになりながらも手にしたデルフリンガーを杖代わりに才人は立ち上がり、ビダーシャルに挑み続ける。
そんな光景を前にして彼女は思う。

(……どうして? どうして立ち上がるの?)

しかし、少年は今も傷つき、抗い続けている――彼女を守る為に。
そんな才人の背中を見つめ続けた彼女はついに声を発した。

「……やめて!」

しかし、疲労と傷の痛みのせいで彼女の声はあまりにか細く、心を奮いたたせて全力で戦い続ける才人には届かない。

「無駄だ、そのようなものでは決して我には届かぬ」

尊大な言葉とともにビダーシャルは悠然とシャルロットに向かって歩き続ける。
そんなビダーシャルを押し止めようとするかのように、才人は通じないとわかってもデルフリンガーを振るい続けた。

才人は徐々に追い詰められていく。
それでも、才人はシャルロットを守るかのように、彼女とビダーシャルの間に立ちはだかり続ける。
そんな才人の姿を見ながら彼女は思った。

どうしてそこまでして彼は私を助けようとしてくれるのか?

以前にほんの数度だけ会ったことがあるに過ぎない私を。
家族でもない私を。
そして、――かつて彼を殺そうとした私を。



彼女のところまであと10メイル、となった時、それまで『反射』を頼りにただ進み続けていたビダーシャルは初めて能動的な行動をとった。
ビダーシャルは右手をかざすと才人の方へ振った。

「相棒、あぶねぇ!」

デルフリンガーの警告の声が上がるが、既に時は遅く、その声と同時に才人は勢い良く弾き飛ばされる。

「ぐわっ……!」

彼女が横たえられた場所のすぐ傍の壁に叩きつけられる才人。
弾き飛ばされた拍子に手にしていたデルフリンガーもどこかに転がっていったらしい――もはや才人の手には戦うための武器すらない。
何度と無く床の上を転がり、擦り切れてボロボロになった才人の姿。
しかし、それでも彼は立ち上がろうとする。
立ち上がろうとして思わずふらついて床に手をついた彼の姿を見ていられなくなったシャルロットは残された全力を振り絞って哀願するように叫んだ。

「もうやめて!」

その声に反応したのか、才人が彼女の方に意識を向ける。
なんとか立ち上がろうとする才人の目には明確な拒絶の意があった。
そして次の瞬間、才人は両手を床に着きながらも一転してビダーシャルの方を睨みつける。

――そんな才人の手に触れるものがあった。
それは、シルフィードに拉致される直前にコルベールから渡されたものだった。



才人が『M72ロケットランチャー』を手にとってもビダーシャルの顔色は変わらなかった。
無駄なことだ、とばかりに首をかしげたビダーシャルを前に才人は素早くインナーチューブを引き出し、射撃姿勢をとった。
勿論、噴射ガスの排気方向の確認を怠ることも無い――左手のルーンが全てを教えてくれる。
装填されている砲弾は一発きり。
デルフリンガーもどこかに弾き飛ばされた今、才人の手に残された武器はたったそれだけだった。
しかし、ビダーシャルの姿は目の前にある――これならば外すことはない。

「――これでも喰らいやがれっ!」

縋るような思いでそう叫んで才人は発射レバーを押し込んだ。
同時に内部に装填された砲弾の推進薬が点火され、白煙と共に発射機から飛び出した――同時に尾部から高温のバックブラストが噴出する。

「無駄なことを」

才人の行動を目撃したビダーシャルは呟いた。
彼からすれば、銃弾よりも遅い飛翔体など取るに足らない。
戦列艦の主砲ですら軽々と弾き返す精霊の加護――『反射』の先住魔法――からすれば、蛮人風情の使う武器は魔法も含めてエルフの敵ではないのだ。


砲弾は白煙を引きながらビダーシャルに向かうが、やはり見えない壁に阻まれる……かに思えた。
弾頭が不可視の障壁に激突し――押しとどめられる。
しかし、そこで終わりではなかった。

――信管に圧力を感知した弾頭は内部の円柱状の炸薬を発火させた。
そして前部が漏斗状に凹んだ炸薬が急速燃焼を起こし、膨張すると共にさらに前部にある同様の形をした金属製のライナーを前方に向けて押し広げる。
押し広げられたライナーはユゴニオ弾性限界と呼ばれる金属の変形限界を超えると同時にノイマン効果を発揮させ、超高速のメタルジェットとなって前方の障害物に叩きつけられた――現代装甲板・・・換算で300㎜以上を貫通するエネルギーとなって。
弾頭から発せられた膨大なエネルギーは、ハルケギニア最大の攻城砲の直撃にも耐え得る『反射』を軽々と貫通する――まるで障壁など元から無かったかのように。

言葉にすると長いが、その全ては秒間に満たない間に行なわれた。

確かに、エルフの先住魔法は彼に襲い来るあらゆる攻撃を阻むであろう――それがハルケギニアに自然としてあるものならば。
しかし、第二世代MBTを仮想敵として開発されたM72の弾頭はそんな精霊の守護を軽々と打ち抜いた。

糸の切れたマリオネットの様に、ゆっくりと男の体が崩れ落ちる。
膝を付き、そして前方に倒れた男の体は腰から上が忽然と消失している――超高速のメタルジェットに吹き飛ばされたのだ。

そんなエルフの最後を眺めた才人は誰にも聞こえないような声で、ぽつりと一言呟いた。

「人間ナメんな。ファンタジー」



シャルロットは目前で起こった光景を信じられなかった。
彼女は見たのだ――壁に阻まれた砲弾から放たれたオレンジ色の閃光と共に、あの「エルフ」の上半身が消し飛ぶ瞬間を。
余りにも想定を超えた光景の衝撃に呆然とした頭の中でシャルロットはふと思った。

――どうして彼は助けに来てくれたのか。

この場で才人の姿を見て思った疑問の答えがわかったような気がした。

『おお、イーヴァルディよ。そなたは何故、恐ろしい竜の住処に赴くのだ? あの娘は、お前をあんなにも苦しめたのだぞ――』

それは『イーヴァルディの勇者』の一節。
勇者イーヴァルディに嫌がらせをしていた少女が攫われたと聞いて、「助けに行く」と宣言した彼に告げられた言葉。
しかし、そんな言葉を気にすることなく、イーヴァルディは作中でこう言っていた。

『わからない。なぜなのか、ぼくにもわからない。でも怖さに負けたら、ぼくはぼくじゃなくなる。そのほうが何倍も怖いのさ』

そんな一節が、先程声をかけたときの才人の目に示されていたように思えた。
どんな力にも屈さない、自立した心を持つ人間――それは自身の死という怖さを前にしても変わらない。
そして、そんな心を持った彼は自分の知る人間を助けるために自分自身が傷つくこともいとわない。
――そう、彼は彼女を守る為だけに戦ったのではない。

彼自身の信念を守る為に戦っていたのだ――

そう心に思いながら、彼女は疲労の為に再び意識を失った。





「ああサイトさん!良かった、帰ってきてくれたんですね!」

『魅惑の妖精』亭に帰ってきた才人をまず出迎えたのは閉店後の店内で飛び回るようにして、てきぱきと指示を下していたシエスタだった。
良く見れば、シエスタだけでなく店内のその全てが慌しい――こんなにも大勢の人々が集うのは才人がシエスタに紹介されてこの店にやってきた頃のかきいれ時以来のことかもしれない。
と言ってもアルビオンとの戦争が始まって以来、営業中でも閑古鳥が鳴いているに等しい状況だった。
――そして、閉店後ともなればここに集まるのは当然、コミン・テルンに属する人々以外にありえない。

一体何が起こったのか、分からないという顔をした才人にシエスタは才人が帰ってきたことに対する嬉しさ半分、深刻さ半分と言った様相で言葉を継ごうとして――才人の背中に背負われて眠る少女の姿に気がついた。

「ええ、それが大変なんです!――ところで、その子は?」

シエスタはそう言って才人の背負った少女を示す。
そこには全身の痛みと疲れからまるで死んだように眠る少女の姿があった。
そんな少女の目尻には涙のあとがくっきりと残る。

「えっと、俺の知り合いなんだけど……」

そう答えかけた才人の一言でその少女について何かワケありと察したシエスタが機先を制するようにして答える。

「わかりました、ならその子は私の部屋に寝かしておきますね――とにかく今は一人でも多くの助けが必要なんです」

そう言って才人から預かるようにしてシエスタはシャルロットを抱きかかえ、早足で彼女の部屋へと向かっていく。
普段とは異なった、あまりにも性急で慌てた様子のシエスタの振る舞いに、普段鈍いと言われる才人でも何かが起こっていることを感じていた。

「――何があったんだ?」

そう尋ねる才人にシエスタは深刻な声で告げた。

「……マチルダさんが捕まりました」









―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


今回の話はArcadeia伝統?の「モンロー・ノイマン効果」のお話でしたー(笑)
……ちなみに私は「とどく」さんの作品が大好きですー!単行本化おめでとーございます!

原作初登場では「あらゆる攻撃、魔法を跳ね返す…」と書かれていましたが、ヨルムンガントの「反射」の焼入れされた装甲はティーガーの88mm戦車砲(もしくはアニメ版の88mm高射砲)によって貫徹されていたことを思い出してM72を使っちゃいました。……というかこれ以外に勝つ方法を思い浮かばなかっただけですが(笑)
 とりあえず原作での「あらゆる攻撃、魔法を跳ね返す…」とはハルケギニアにある魔法や兵器のレベルでは不可能、ということにしておこう……なまじビダーシャルの防御がヨルムンガントより堅かったとしても、88mm砲よりも威力の高いM72(原作で使用されたティーガーⅠの主砲は射距離2000mで84mm、M72は射程に関わらず300mm以上)ならなんとかなるのではないのかなーという事にしてください(汗)


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第28話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/08 23:50

――――――――――――『竜を倒したイーヴァルディは、奥の部屋へと向かいました』


そこまで読み終えた時、アンリエッタの部屋の扉を叩く音が響いた。
その音に気付いた彼女は本から顔を上げ、「どうぞ」と答える。

扉を開ける音が響き――王宮で見慣れた白髪が目に入った瞬間、アンリエッタの顔が一瞬驚きに歪んだ。
侍女のものでも、アニエスのそれとも違うその姿は、彼女が内心で最も嫌っていたマザリーニ枢機卿その人だった。

「王女殿下、お話があって参りました――」

そう声をかけられた時、アンリエッタは珍しく混乱したような顔をしていた。

一般に王宮というものは大きく二つの構造からなっている。
前にあるのが、「表」と呼ばれる政務や儀式を司る場としての王宮。
そして「奥」にあるのは本当の意味での王族の住まいであり、そこに「表」の人間は立ち入ることは出来ない。

彼女が戸惑ったのは、ここがトリステイン王宮でも奥の奥――王族たる彼女の私室だったからだ。
そこに臣下が彼女の許可無く入ってくることなどありえない。
いや、あってはならない筈なのだ。

「……なんでしょう?」

暫くの沈黙の後、そう返したアンリエッタの言葉にはそうした事情に対する不満と叱責の色が明確に込められていた。
しかし、彼女の言葉にひるまない――いやひるんでいられないほどの深刻さがマザリーニの顔には表れていた。

「非礼の程は十分承知いたしたうえで参上させて頂きました」とまずマザリーニは詫びた。
と言っても、男性であるマザリーニが単に思いつきでここまでやってこれる筈は無い。
おそらく、彼女の母であるマリアンヌ王妃の許可があるのだろう。

しかし、そんなことをおくびにも出さず、妙にやつれたマザリーニは本題を持ち出した。

「殿下の勅を頂きたいのです」

そう言ってマザリーニはアルビオン侵攻の中止と撤退について、彼女の許可を求めた。
彼はつらつらとその理由について挙げていく――そうした才能において、彼はやはりトリステイン一の政治家であった。
曰く、冬を前に短期間での勝利が困難であること。
曰く、既に戦費が不足しているということ。
そんなマザリーニの進言を途中で遮るかのようにしてアンリエッタは答えた。

「――わかりました。撤退を認めますわ」

そんな彼女の答えにマザリーニは驚いた。
いつもならば憂鬱そうなため息と共に何らかの反論が来るのが常であったが、今日の彼女は妙にすんなりと彼の求めに応じたのだ。

「では、明日の廟儀で奏上させて頂きたく……」

そんな驚きを内心に隠し、マザリーニは実務的な段取りについて説明を始めた。
――もし彼が健康を崩していなければ、アンリエッタのどこか投げやりな様子に気付いただろう。

「ええ、そうなさりたいのでしたら」

マザリーニの説明に適度に頷きながらアンリエッタは答える。
そう、彼女にとってはどうせ何時ものようにマザリーニの案が通ってしまう(特に今回は母であるマリアンヌまでもが内々に彼を支持しているに違いない)のだから、その理由を聞くことに時間を費やすことが面倒だ、という想いがあった。

だからこそ、彼女は精一杯の抵抗のつもりで政務に携わるのを拒否して、自室に篭っていたのだ。

(……わたくしは籠の中の鳥のようなもの。ただ求められた時に鳴くだけ)

彼女はマザリーニの説明を受けながら、そう自嘲する。
そうした思いは翌日の廟議に出ても変わらなかった。



翌日。
謁見の間では広い室内を二分する激論が交わされていた。

一方は以前と同様に軍務卿を中心とした一派であり、冬営に入る前になんとか攻勢を再開して勝利を掴みたいと言う。
もう一方は前財務卿の主張していた撤退を支持する一派で国家の経済的破断を防ぐために即時撤退を求めていた。
無論、デムリ侯爵の辞任に象徴されるように軍務卿派の勢力の鼻息は荒い――しかし、いつもの様に一方的に詰られる撤退派という予想に反して今日の情勢は違っていた。

「もはやアルビオンになぞ構っている余裕は無い! 貴殿達はご存知ないのか?近頃の平民共の驕りぶりを!――アルビオンで勝利を望むのは良いが、自領の平民ごときを従えられんようでは夢物語にすぎん!」

それまで中立勢力として超然と議論を眺めていた高等法院長、リッシュモンの一派が撤退派に組するようになったのだ――賛成した理由は別にしておいて。
そうした主張は軍務卿の一派に睨まれるが、さておき出兵費用をこれ以上捻出できそうにない中小諸侯の支持を集めていた。
それでも、「一時的」という枕詞がつくものの、撤退派が盛り返したことに変わりは無い。
これによって、今マザリーニの前では戦争継続派と撤退派が拮抗するようににらみ合っていたのだ。

「王女殿下の裁定を頂きたく思います」

もう十分だろう――目の前での激論を眺めながら、マザリーニは思い、謁見の間に集まった諸侯に告げた。
その声に先程まで二つに分かれて対立していた貴族達の間での喧騒がやみ、視線が上座に集中する。
そこには久方ぶりに姿を見せたこの国の最高権威者が座っていた。

「今回の出兵において、わがトリステインはアルビオンを簒奪したレコン・キスタに対して十分な警告を与えたとわたくしは思います。しかし、冬が迫り戦場に派遣された将兵の疲れは高まり、これ以上長期の戦争をわたくしは望みません――もちろん、これまでの諸卿の皆様方の忠勤には感謝しておりますわ」

そう彼女が告げると、一斉にざわつきが広がる――と言ってもざわついている大半は軍務卿を中心とする戦争継続派の貴族達だったが。
先日、撤退派の中心人物であった財務卿を辞任に追い込んだ彼らにとって見れば、今回のリッシュモン派の撤退論支持に始まり、アンリエッタの撤退命令が下されたということはまさに晴天の霹靂であったのだ。

――そして、彼らの一部は思った。

枢機卿だ。
このトリステインにおいて、これほど急に政策が転換される程の政治的根回しが出来るのは蟄居を命ぜられているヴァリエール公爵を含めて数人しかいない。
しかも、王女たるアンリエッタにまで及んでいるとなれば、それは枢機卿でしかありえない。

そして、そう思った大部分の諸侯はこのアルビオン侵攻に莫大な投資をしていた。
中には高利の借財をしてまで派遣費用を捻出した者もいる。
そして、この下された勅命によって彼らの投資した額のほとんどが一瞬にして露と消えたのだ。



アンリエッタは撤退についてマザリーニから言い含められた裁可を下した後、ゆっくりと玉座に腰を下ろした。
目の前で再開された喧騒を他所に彼女は長いため息を吐き、窓から外を眺めようとした。

大きな窓にはいくつもに区切られた窓枠にあわせて十数枚のガラスがはめ込まれている。
ガラスの向こうでは晴れ渡った晩秋の空を鳥が自在に飛んでいる。
何も無い様で、明確に外界と区切られた境界線。

……今の彼女にはそれが彼女を閉じ込める檻のように思えた。

『――そこには一人の少女が囚われていました。
「もう大丈夫だよ」
イーヴァルディは少女に手を差し伸べました。
「竜はやっつけた、きみは自由だ」――』

彼女はふとそんな一節を思い出した。
それは先日マザリーニが彼女の部屋にやってきた時に読んでいた英雄譚の一説。

彼女はまさに求めていた――彼女をこの退屈な牢獄から解き放ってくれる、勇者を。





『白の国』。
この国がそう呼ばれるのは浮遊大陸から落下する大量の水が海洋に達することなく、空中で霧となって大陸の周囲を覆っていることである、と言われていた。
しかし、この名前の謂れにはもう一つ理由がある。
それは文字通り、雪に覆われた国としての側面――高度3000メイルに浮かぶ浮遊大陸、アルビオンの冬は早く、そして長いということがあった。
しかし、冬を迎えたアルビオンはそうした理由とは違った意味で『白の国』と呼ばれてもおかしくない状況が続いていた。


サウスゴーダは奪回したものの、未だ国土の一部を敵に占領され、平民は長期の内乱や戦乱に伴う極度の貧困と重税に喘いでいた。
そんな中、権力を握った筈の革命貴族は直接杖を交えることはなかったもののお互いに相手の隙を伺い、自らの権益拡大に奔走していたのだ。

しかし、そんな期間も長くは無かった。
先の首都防衛戦であったサウスゴーダ会戦で、そんな貴族の調整役としてなんとかレコン・キスタを取りまとめていたクロムウェルを失い、「聖地奪回」というお題目すら失ったレコン・キスタは分裂寸前だった。
そして、強大なガリア両用艦隊を前にして――戦わずしてレコン・キスタは事実上崩壊したのだ。

これによって一昨年の内戦勃発以来、長く戦乱の続いたアルビオンはわずか数ヶ月という短期間で再びその主を失い、混沌の中に叩き落されることとなる。
統治者の存在しない、『空白の国』。
それは大空に浮かんだ浮遊大陸をもじったアルビオン流の皮肉だった。

――そして、再びアルビオンではそんな空白の座を巡っての争いが繰り広げられようとしていた。



「おお、ワルド子爵! 貴殿もこの戦に加勢してくれるというのかね?」

レコン・キスタが事実上崩壊してからというもの、最もアルビオンの王家に近い血筋を持つヨーク公爵は自らの所領で軍備の再編成を進めようと躍起になっていた。
と言うのも、革命以来――いや王権との争いを続けている最中でさえ――このアルビオンでは自らの武力こそが最大の発言力となっていた以上、自らの派閥と領地を維持するためには軍備に手を抜くことは許されなかったのだ。
そして形式上とはいえ、クロムウェルという調整者が居なくなり、レコン・キスタが崩壊した現在では自らの所有する軍備の重要性は以前にも増して高まっていた。
特に、現在のアルビオンで最高の血統を持つ彼の命を狙ってアルビオン最大の諸侯であり最大の政敵でもあったランカスター伯が今まさに彼の領地に攻め込もうとしている状況ではなおさらだった。

慌しく要塞化されつつあった彼の自邸を訪れたワルドは通された客間の中で、そう声をかけたヨーク公に慇懃な声と仕草で応じた。

「ええ、私も微力ながら加勢させて頂きたく参上致しました」

「それは有難い! 風のスクウェアである貴殿が参戦してくれるとなると、もはや我が方の勝利は決まった様なもの! そうそう、貴殿にも所領の配分をせねばならんな――どこか希望する土地はあるかね?」

ワルドの示した紹介状――それはヨーク公に連なるとある諸侯からの紹介状だった――を検めながら、彼は応じた。
どうやらこの元トリステイン貴族は彼の勝つほうに賭けたらしい。
実際の所、所領の広さ――すなわち兵力で劣る彼は味方を喉から手が出るほど欲していたのだ。

おまけに目の前の男は風のスクウェア。
その能力を持ってすれば、ランカスター伯に組する者を暗殺することすら不可能ではないだろう。
――無論、失敗したところで彼には何の損失も無い。
そんな計算を内心で行ないながら彼は手紙から目線だけをワルドに向けた。

「そうですな」

目の前の男はさも思案するかのように天井を仰いだ。
おそらくこの元トリステイン貴族の脳内では新たに有すべき領地についての思案が巡りに巡っているのだろう。

そう思った彼に告げられたのは、驚くべき言葉だった。

「――ああ、貴殿の首・・・・などというのは如何でしょう?」

次の瞬間、彼の背後に控えていた護衛の貴族達が倒れる音が聞こえた。

「な、なんだと!? 貴様は――」

しかし、そこで彼の声は途絶える。
背後から切りかかったワルドの遍在、そのまるで閃光のような一撃がヨーク公の首を切り飛ばしたのだ。

「さて……」

頭部を失ったヨーク公爵の死体を一瞥したワルドは呟いた。

「ああ、領地なら頂きましょう!――このハルケギニア全てをね」




「やぁ、ルイズ! 元気にしていたかい?」

ロンディニウムに帰り着いたワルドはそう自らの婚約者に声をかけた。
そんなワルドにルイズは愛想を振舞うこともなく、確認するかのように尋ねた。

「ワルドさま、例の件は終わりました?」

「ああ、終わったさ。これでアルビオンの始祖の系譜も途絶えた」

そう答えるワルドの心境は複雑だった。

彼の目的は『ハルケギニアを動かすような貴族となること』だった。
しかし、彼の婚約者はそんな彼の“助言”にはほとんど目もくれず、まるで貴族全てを憎んだかのように次々と刺客を差し向けてはまるで平民を殺すかのように淡々とそうした古くからの血統を途絶えさせていた。
いくら敵対したとはいえ、相手は由緒正しき貴族である。
平民ならどんな死に方をしたとしても気にしない彼であったが、伝統と格式ある貴族をまるで平民同様に扱う婚約者の方針に少々反発も覚えていた。

(――我ら貴族はそうそうに使い潰して良いものではないのだ!)

そう内心に思う彼は婚約者に一言言ってのけた。

「なぁ、ルイズ。もう少し穏当には出来ないものかな?」

「あら、ワルドさま。彼らは単なる裏切り者でしかありませんわ」

そんな彼の問いに彼の婚約者はそう淡々と答えた。

裏切り者――確かにガリア両用艦隊を前に逃げ出した彼らはそう呼ばれても仕方が無いかもしれない。
事実、彼の婚約者はそう見做しているようだった。

「しかしだね――」

そうワルドは彼女の言葉に反駁した。

確かにルイズの言っていることは事実でもある。
ハルケギニアにおいて、裏切りが事実であると証明された者に対する公式な処罰とは極刑以外の何者でもない。
そんな前例に反して貴族の助命を願うということは、ワルドもまた魔法や血統という古典的な価値観から抜け出せなかった、ということだった。


――それに対してルイズは違っていた。

ガリア両用艦隊をたった一撃で撃滅したルイズならば、一度崩壊したレコン・キスタを再建するのは容易だっただろう――真の虚無の担い手であり、王家に近い血統を持つ彼女ならばそれは出来た筈だった。
しかし彼女がレコン・キスタの盟主とならなかったのは単にそれを望まなかったからだ。

ルイズにとって、アルビオンを支配していたレコン・キスタの盟主となることは、単に既存の秩序の頂点に彼女が座るということでしかない――それはクロムウェルと同じということでもある。
彼女からしてみれば、クロムウェルは単なる貴族のお飾り、せいぜいが神輿に過ぎなかった――彼に与えられていた権限は単に有力諸侯同士の権力争いの調整するものでしかなかったのだ。

彼女が望むのはそんな貴族の代表者ではない。
いや、貴族制こそが彼女が最も憎むものであり――壊すべきものであると考えている以上、彼女に『皇帝』や『護国卿』と言った貴族制における既存の地位に付く気はなかった。
そして同時にそんな血統や魔法の技量に固執する貴族共のいる場所を無くし、階級による差異を無くすことこそが彼女の目的でもあった。
そのためには、自らの権力と地位を守ろうとする貴族との対立は不可避となる。

今の彼女が目指すものは、超越者――国家を一手に支配する国家の頂点というべき存在だった。
超越者でなければ、望むままに全てを変革することは出来ない。
そして、それまでの秩序を超越した唯一の頂点こそがその下部構造を変えることができるのだ。


――人間は欲を持つ動物である。
彼女はそう思っている。
そして、人間の欲望は果てしない。
そして、限られた財を巡って互いに奪い合う闘争が発生する――そう、「万人の万人に対する闘争」とでも言うべきものが。

今のハルケギニアでは各貴族同士が自分達の利害の為に食い争っている。
平民に比べて魔法という“力”のあるメイジはそれらの所領にある平民達を力で押さえつけ、自分達の地位を貴族と位置付けるとともに、自らの欲を満たしている。
そして同時に、自らの所領内での平民による「あらゆる人間によるあらゆる人間に対しての闘争」を抑止しているのだ。
ならば、その貴族間での闘争もまた更なる“力”によって押さえつけられるべきなのだ。

そして、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールという貴族でも、平民でもないとされた少女の望む社会制度の姿が完成した。

当然、そこには“貴族”も“平民”も無い。
――そこに存在するのは、唯の人間という階級。
階級が無くなるのならば、各地の無数に分割された治外法権を持つ諸侯領は存在してはいけない。
――そこに存在するのは、唯一つの国家。
そして、唯一つの国家を統治するのはレコン・キスタの様な無秩序な議会ではなく唯一人の人間。
――そこに存在するのは、唯一人の統治者。

彼女が目指しているものはクロムウェルのような「調整者」ではない。
当然、全てをうやむやのままにしてしまう中央評議会のような無秩序な「共和制」でもない。

これまでハルケギニアに存在した階級社会の壁。
その打破は彼女の自ら認められようとする意思と“力”を持った者達をから引き上げることを意味する。
そんな意志と“力”ある者達――そう、彼女のような存在――を導く存在となる。

彼女の目指すものは、自らの地位を自らの力で勝ち取る意思を持った者が認められる社会。
そして、『自由』という「特権」を得ようとする者――それら全てを統べる「指導者」であるべきなのだ。


ワルドの言葉にルイズは答えない。
彼女からしてみれば、貴族も平民も関係ない――そう、自らの意思で行動する者こそが価値ある者として遇されるべきだと考えていた。
故にそうした者にのみ、自らの存在に対する権利が認められるべきなのだ。

生まれが貴族だからと言ってそれだけで特別扱いなんてする必要はない。

「……ええ、そうね。考えておきますわ」

そう答えながら、ルイズは思った。

(そろそろ潮時かしら――やはり私自身の方針に従う部下が必要ね)

新しい社会制度を打ち立てようとする彼女にとって、貴族の権威というものに固執するワルドの存在はもはや必要の無いものだったのだ。
そう心の奥で決意したルイズの様子に気付かずにさらに言葉を継ごうとするワルド。

しかし、ワルドが言葉を継ぐ前に横からルイズに向けた言葉が響いた。


「任された仕事は終わったぞ、雇い主さんよ」

「あら、メンヌヴィル?」

そうルイズは彼女の方へ進み来る、筋骨隆々とした男の名を口にした。
その男の顔には酷い火傷のあとがあった――それも顔全体の左半分を覆うほどのものだ。

「ちゃんと終わったのかしら?」

「――勿論、きっちり全員消し炭にしてやったさ」

「折角殺すんだ――当然だろう?」と答える男の目には光が無い。
どうしたものか、その男はそんな状態でありながら、迷うことなくルイズの方に進んでいく。

そんな男の左手にはアルビオンにおける最大諸侯――ランカスター伯のものらしき杖が握られていた。
そして、メンヌヴィルはその手にした杖をルイズの方に放り投げると同時に自身の杖を振り上げた。

「こんな風にな!」

直後、ワルドとルイズの目の前で放り投げられた杖が燃え上がる。
白い炎に包まれた杖は一瞬の間に灰も残さずに消滅した。


「少しは慎め、傭兵風情が!」

ワルドがそんな不遜な態度を示すメンヌヴィルを叱責した。
彼からすれば、貴族たるワルドとルイズが話している途中に口を挟む平民など認められるはずも無い。
ワルドにとって、メイジであることと貴族であることの間には絶対的な壁があるものなのだ。

「良いのよ」

さらに言葉を続けようとしたワルドを制したのはそんな彼を眺めていたルイズ本人だった。

「私は厳しいけど平等よ。決して差別を許さない。貴族、平民、メイジ、傭兵――その全てを見下さないわ」

そんな言葉にワルドは面食らったような表情をして絶句した。

彼の婚約者は彼の誇りたる貴族の血統が――魔法使いたるメイジの血統が、どこの馬の骨とも知れない平民と同じだと言ってのけたのだ。
驚愕と言っても良い衝撃が彼を襲う。

戸惑いのままに彼はルイズの顔を窺った――その言葉の真意を確かめる様に。
そんな彼の前にあったのは、決して揺るがないルイズの瞳。

その瞳を前にしてルイズの顔を覗き込んだ彼は一転して視線を逸らした。
それは彼女が自分の考えを変えることが無いということを本能的に理解したためかもしれない。

高貴なる“貴族”という存在に憧れ、そしてその地位に相応しくないと見做した存在が自分より高位にいることに反発してこの戦いに身を投じたワルドにとって、貴族という地位の否定など認められない。
いや、受け入れられないのだ。

そして、彼はさっと身を翻すと無言のままに立ち去ろうとする。
それは今の彼に出来る最大限の譲歩だった――もしその言葉を発したのがルイズで無ければ間違いなく彼は殺しにかかっただろう。
彼にとって、その言葉はそれほどの衝撃を持っていたのだ。

そんな、立ち去っていくワルドの後姿を眺め続けるルイズに、傍らのメンヌヴィルがまるで楽しむかのようにして声をかけた。

「その理由を聞かせてもらおうか」

メンヌヴィルの問いに彼女はワルドから視線を動かさずに淡々と答える。

「ええ、全て平等に価値が無いから・・・・よ」

そう言うと、彼女は「そうでしょ?」と一転して振り返り、メンヌヴィルに同意を求める。
そんな返答に今まで無数の人間――貴族、平民、メイジ、傭兵――その全てを焼き尽くしてきた男は心底楽しそうに答えた。

「そうだな! 肉の焼ける臭いと断末魔の叫びにはメイジも平民も違いが無いからな!」

『白炎』のメンヌヴィル――それが、彼女がこのアルビオンで最初に手に入れた私的な軍事力を率いる男の名前だった。



ルイズの前を離れたワルドは変わりつつあるルイズの様子に思いを馳せていた。
当然、彼の内心は自身の世界観を完璧に否定されたことで煮えくり返ったようになっている。

それでも彼が自身の衝動を抑えたのは、その相手が彼の婚約者だったからだ。
彼の計画では、彼の婚約者たるルイズの“力”を利用してこのハルケギニアを制する――彼はルイズを影から操ることでこの「世界」を手に入れるつもりだった。
そのつもりで彼はかねてから顔を繋いでいた若く、優秀な貴族達を仲間に引き入れようと動いていたのだ。
そんな彼がヨーク公の暗殺に同意したのは、彼以上に求心力を持つ者がいては困るためであり、逆に言えば彼が仲間たるべしと認めた若手貴族をヨーク公やランカスター伯の様な有力諸侯に引き抜かれないためでもあった。
そんな彼の計画は順調に進展していると思われたのだが――

“力”を自覚したルイズは徐々に彼の手を離れ、独自の行動をし始めていたのだ。
あまつさえ、彼女は彼の知らない間に様々な人間を登用して自らの手足として使い始めている。

それは彼にとって大きな誤算――というよりは気に食わない出来事だった。
先程、ルイズと彼の会話に割り込んだ盲目の元傭兵隊長などはその典型といえる。
貴族の位階を持たぬ下賎な身でありながら、その男は子爵たる彼に口答えまでして見せるなど、貴族という地位の信奉者でもある彼の許せるものでは無かったのだ。

(……やはり片付けるべきか)

そこまで思い至り、ワルドは首を振った。
いや、まだ早い。
彼の婚約者は少なくともこのアルビオンを制するつもりでいる――それからでも遅くはあるまい。
そのためには……

ワルドは決意した。
彼にもまた手駒が必要だった。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


09/09/06付けでNa◆fbc1ffc4様から「とりあえずWWWC的に普通のタグ打ってくれないかな」というご要望を頂きました
しかしながら、私の無知の致すところではありますが、ご要望の真意がわかりませんでした。
……ググってみると「WWWC」は巡回ソフトのことらしいということまではわかりましたが、「普通のタグ打って」という部分が未だわからないままです(ちなみにこの作品で使用している「タグ」というのはルビタグのみです)
つきましては、Na◆fbc1ffc4様、あるいはこのご要望の意味のわかる方がおられましたらご連絡いただければ幸いです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第29話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/08 23:58

――――――――――――『怪盗フーケ』いや、マチルダ・オブ・サウスゴーダは深くため息を吐いた。


吐き出された息は空気中で冷やされて白く見える。
そう、この場所には暖房などというものは備わっていないのだ。

牢獄の中には、粗末なベッドがぽつんと一つあるだけ。
食器も全て木製で、武器になりそうなものはほとんど無い。
逃亡を防ぐためだろうか、周囲の壁には強力な固定化がかけられている。

こんな状況ではたとえ杖があったとしても脱獄することは困難だろう。
唯一壁よりは薄いと思われる鉄格子付きの扉を破れたとしても、そこから外までは幾重もの扉と下級とはいえ何人もの貴族の警備が付いているのだ。

「……さすがはトリステイン一を謳われた監獄だねぇ」

彼女はそう皮肉を言い放つ。
その指摘はあながち間違いではない。
ここチェルノボーグ監獄はトリステインでは王城に次いで警戒が厳重な場所であったのだ。



彼女が捕まったのは、トリスタニアにおけるコミン・テルンの勢力区を広めるべく、今までよりもより警戒の厳重な貴族街に近い地域で活動しているときのことだった。

それまでのように、トリスタニア平民街の深部近くで活動していたのならば、そのようなことは起こりえなかっただろう。
コミン・テルンの聖域とでも言うべき平民街の深部は王都の治安を守るはずの王都警備隊や銃士隊という訓練された兵士達ですら無事にたどり着くことが困難な場所となっていたのだから。

無論、頑丈な壁や堀に囲まれているわけではない。
そこにはトリステインの現体制を憎む数万人の平民がただ暮らしているだけ。
そんな場を貴族の狗として見られている彼らが無傷で通り抜けることが出来ない――如いてはかつてのような統治を行なうなど不可能であるという意味で、その地区は王国の権力の及ばない場所となっていた。
そして、そうした認識は、王都警備隊や銃士隊が自らの血を持って知らされた現実でもあった。

しかし、マチルダ達の目的はそんな安全地帯に閉じこもっていることではない。
彼女達の目的は、何時いかなる時でも隙あらば貴族達に搾取された人々を解放すること。
――そして、最終的にはこの国を貴族の支配から解き放つことであった。

故に彼女達の行動は防衛ではなく常に攻撃となる。
そんな攻撃に常に晒される銃士隊の行動は手勢の少なさもあって常に後手後手となっていく。
まるで堤防が破れそうな場所を見つけて土嚢を積み始めるが、その間にも他の場所で新たな亀裂が走るように、徐々に銃士隊――すなわち王国の統治の及ばない地域が広がっていったのだ。

それはつまり、既にトリステイン王国が叛意を抱く平民たちを押しとどめるのではなく、受身にならざるを得ないほどに追い詰められ始めているということでもあった。





未だに雪は降っていないものの、暦の上では冬を迎えたばかりのトリステインは人の身を凍えさせる。
天頂に達した太陽の放つ陽光によって幾分和らいだとは言っても未だに人の身を寒さが覆う。

しかし、5000人近い平民に取り囲まれたこの場所だけは別だった。
王都から東に4リーグという場所にあるこの場所は普段だれも寄り付かない――寄り付きたがらない場所だった。
しかし、今この場所はあらゆる計測器でも測りきれない“熱気”に包まれていた。

「準備は?」

そんな場所で才人は傍らで準備に追われるシエスタに聞いた。
才人達の周りは多くの人々で溢れている――全ては王政府の発表した『怪盗フーケ捕縛』という知らせが王都近郊のこの場所に反貴族的な思いを持つ人々を集めさせたのだ。

そんな人たちは口々に『怪盗フーケ』の解放を求め、この国を支配する者たちに対する不満の声を挙げる。
貴族に反感を持つ彼らにとって、日頃の鬱憤を晴らしてくれる存在として『怪盗フーケ』という存在は英雄視されていたという事情も関連している。
――無論、それを煽動しているのは平民達の間で指導的な立場にいるコミン・テルンの活動家たちだった。
彼らはもはや単に貴族に不満を持つ平民の集まりではなくなっていた。

「もうすぐです!それに王都の警備隊と銃士隊はジェシカとレイナールさん達が昨日から予定通り引き付けてくれています」

そんな才人の質問に全ての状況を把握しているらしいシエスタがはきはきと答える。

普段、誰も寄り付きたがらないこの場所に5000人近い人々が集まっているのと同様に、王都ではジェシカ達によって誘導された平民達が貴族街ギリギリで王都警備隊とアニエス率いる銃士隊や魔法衛士隊と睨み合っていた。
彼らは『怪盗フーケ』が解放されるまで決して解散しないとされていた――決して暴発しないように注意しながら。

それだけではない。
コミン・テルンはこの戦争に乗じて勢力を広げた地域――その各地に造られつつあった地区組織を動員して同様の行動をとっている。
戦争が始まって以来、単に反貴族的な噂やビラを流すだけではなく軍需物資の横流しによって手に入れた糧食を用いた炊き出しや貴族たちに指名手配された人物の保護などを行なっていた。
勿論、そうした糧食の手配や運搬などの段取りを行なうためには高度に組織化されていることが必要であり――トリステイン各地の農村にまで伸びたコミン・テルンの手は未だ小さいながらも確かに王国全土に広がっていた。
そして現に人民会議コミン・テルンの承認を受けて、決して蜂起と呼ばれない程度に王国各地に分散して駐留している貴族、そして軍の注意を逸らす動きが行なわれていた。


「でもどうやってあの壁を越えるんだ?」

才人はそう内心の疑問をシエスタに投げかけた。
才人達の前には水掘に囲まれたチェルノボークの高さ30メイルにも及ぶ防壁が聳え立っている。
元々トリスタニアを守る要塞として建造されたここチェルノボークは8本もの塔を繋ぐように一体化した壁を持つ巨大な施設であり、単に包囲されたくらいでは簡単に落ちないように作られていたのだから。

そんな才人の質問にシエスタは淡々と答える。

「正面の門は中にいる味方がタイミングを合わせて開いてくれることになってますから――」

そんな会話を交わす才人とシエスタ。
マチルダが捕まったという知らせの入った数日後、コミン・テルンの工作員がチェルノボークに駐留している部隊の指揮官と接触を持ち、協力の約束を取り付けていたのだった。
怪盗フーケ――いや、マチルダ・オブ・サウスゴーダという“同志”を救うためにコミン・テルンもまたあらゆる手を打っている、そんなことを示すかのように。
無論、彼女の活動がコミン・テルンの活動費の一部を支えているという側面もあったが。

そんな二人の前にジュリアンが小走りで駆け寄った。

「姉さん! サイトさん。準備、終わったよ」

ジュリアンの声にシエスタは頷き――才人に視線を送った。

ある意味で王城よりも平民に対する威圧感を示すその構造物は平民達にとっても怨嗟の的――当然そこに収監されるのは平民のみであり貴族は自宅に軟禁される――であったチェルノボーク。
その姿はまさに貴族支配の象徴だった。
強固に閉じられた正門の鉄扉はまさに今の貴族体制の強固さを示すかのようでもある。
そんな監獄を前にした才人は背中に背負ったデルフリンガーを掲げ――

「よし、いくぞ!」

その言葉と共に才人は駆け出した。
デルフリンガーの刀身が弱い陽光を浴びて煌く。
その姿はまさにトリステイン――ハルケギニアに住まう平民全ての英雄と言うべき姿でもあった。

何時の間にかトリステイン各地で反貴族・平民の味方の象徴の様になってしまった才人に続くように手に武器を抱えた突入隊が続く。
そして、才人の言葉とともにチェルノボークを取り囲むようにしていた平民達――正確には平民達の中に紛れ込んでいるコミン・テルンの構成員達が一斉に鬨の声を上げ、監獄に向かって進み始める。
その声に興奮した多くの平民達が雪崩を打ったように監獄に二箇所設けられた門に向けて押し寄せはじめた。

「扉を開けろ!」そんな声が押し寄せた平民達の間から無数に響く。
しかし、そんな声とは反対に堅く閉ざされた扉は全く開く気配が無い。
――この牢獄に配されているのはせいぜい10数人の下級貴族とそれに従う200人程度の衛士でしかないため、貴族側は扉を閉ざして持久することに決めたのだ。
当然、固定化のかかった鉄扉を外側から開けることは簡単ではない。
いくら平民達が怒号や呪詛を吐こうとも、その扉はびくともしない。

しかし、暫くするとその分厚い扉の向こうから大きな音が響き始めた。
怒鳴り声、剣の打ち合わされる音、そして銃声。
時折、悲鳴までも聞こえる。
そうした音の中、良く通る澄んだ声が扉の向こうから響き渡った。

「扉を開け!」

そして、その声に合わせるように堅く閉じられていた正門が重々しく開いていく。
1000人以上の平民達でさえ開かせることの敵わなかった扉が僅か10数人の内部の味方の手によって開いたのだ。

開いた扉の隙間から真っ先に飛びこんだのは、やはりデルフリンガーを握った才人だった。
目の前では10数人の衛士同士が争っている――いや違った。
才人の目に映ったのは、鉄鉢を被った男の衛士と戦う鎧姿の女性達の姿だった。

そんな光景に才人は一瞬戸惑いと覚える。
どちらがシエスタの言っていた味方なのか、それがわからない。
立ち止まった才人に向かって、正門の警備担当者なのだろうか――1人の下級貴族が襲いかかろうとした。

「相棒! 後ろだ!」

デルフリンガーの声に従って才人は襲い掛かってきた下級貴族の攻撃を避けるべく、横に飛ぶ。
直後、才人の横を人間の頭くらいの大きさの火球が通り過ぎていく。
しかし、才人はそのままの勢いで貴族の命令を受けて襲い掛かる衛士を次々と打ち倒し、先程の魔法を放った貴族へと駆ける――左手のルーンを輝かせながら。
そして、堰を切ったように次々と押し寄せる突入隊の平民達も才人の姿を見て一斉に男の衛士達に向かっていく。

乱戦模様となった……いや、圧倒的多数の平民達の濁流に押し流されていく衛士達。
コミン・テルンの突入隊以外の大多数の平民は手に武器と呼べるものを持ってはいないが、その圧倒的な数を前にして立ち向かえるものはそうはいない――いや、傭兵に近い存在である衛士の職業意識は元々それほど高いものではないのだからなおさらだ。

『勝ち目の無い戦いはしない』
『命あっての物種』

そんな考えがこの時代の戦闘に携わる者達の考えの主流を占めている。

当然だったのかもしれない。
貴族という名誉――あるいは各種の特権による実利――がある貴族たちはその特権を守る為に、それを与えてくれる国家の命に従う。
逆に言えば国家の与えた名誉という価値は、その恩恵を受ける者達を国家の為に働かせるための物であるのだ。
――ならば、国家から何の特権も与えられていない平民の兵士や衛士達が好き好んで国家の為に危険に身を晒そうとするはずが無い。

そして、才人が指揮官である下級貴族を倒したことによって、そんな衛士たちの士気が一瞬で打ち砕かれた。
元々やる気の無い衛士達を戦わせているのは指揮官の統率力であり、ハルケギニアの中世的社会構造の下でそれを支えているのは個人的武勇――平民では決して勝てないと言われてきた「魔法」という能力を持つメイジという権威である。
彼らは逃げ出す部下を処断する権限を持ち、配下の平民達を戦わせている。
つまり、「指揮官に殺される恐怖」をもって「敵に殺されるかもしれない恐怖」を打ち消させ、戦わせているのだ。

その頚木から解き放たれた衛士は一斉に手にした武器を捨てて逃げ出しはじめる。
中には前からの味方であったかのように逆に抵抗を続ける者に向かい始める者まで現れる。
もはやチェルノボークでの戦いの形勢は誰の目にも明らかであった。

そんな中、周囲の敵を一掃した才人に声がかけられた。

「こっちだ!」

そこに居たのは銃士隊の格好をした若い女性だった。
青みがかった髪を短く整えたその姿は凛々しいと評するしかないと言える。
彼女の手には血に濡れた鋭剣が握られていた。

「ミシェルさんですか?」

そう才人はシエスタに教えられた協力者の名前を確認した。
才人の質問に軍人らしいきびきびとした動きと声で女性――銃士隊副隊長、ミシェルは「そうだ」と才人の質問を肯定した。

「『フーケ』が収監されているのは、最上階の第5階層だ」

そう続けるミシェル。
監獄本棟の入り口は彼女の部下が既に確保している。
彼女はそのことを手短に才人に伝えた。

「行こう!」

そう叫ぶと、才人を先頭とした武装した平民達が上層へと続く階段に向かって駆け出していく。
そんな才人の後に続きながら、ミシェルは思った。

本当にこれで良かったのだろうか。

その思いは裏切りを決め、今まさに平民達に加わってこのチェルノボークを落とそうとしている現在でも彼女の内心にあった。

隊長は――アニエスは自分を信頼して一個小隊を任せたのだろう。
現在の銃士隊の3分の1に相当する戦力を。

そんな信頼を与えられながらも、彼女は王国を――アニエスを裏切ったのだ。

いや、裏切ったのはどちらだろう――彼女はそう思いなおした。
彼女が自らの“力”を欲したのは彼女の両親を殺した者に復讐するためではなかったのか。
少なくとも両親が死に至った経緯を知った彼女はそう決意した筈だ。

彼女の両親を殺したこの国に復讐する。
その為に必要なら何だってしてみせる――たとえ一時的に貴族に使われることになろうとも。
そんな思いがあったからこそ、彼女は銃士隊に入隊し――そして接近してきたコミン・テルンの工作員の求めに応じたのだ。


「衛士だ!」

先頭を行く平民の一人がそう言って警告の声を挙げる。
彼らの目の前には外部の情勢を読みきれなかったのか、やる気の無い動作で通路を阻むように展開し始めている衛士の一部隊があった。

「でやぁぁぁあッ!」

しかし、次の瞬間には左手のルーンを輝かせた才人の峰打ちを受けて一人が倒れたかと思うと、残りの数人の衛士も返す刀で蹴散らされる。
そして、そんな崩れた陣形の隙間に殺到する様に、続く平民達が残りの衛士達を制圧していく。


そんな光景を眺めながら、彼女は改めて首を振った。

彼女は知っていた。
アニエス自身も何か取り憑かれたように過去の記録を調べていること――そしてそれがダングルテールの虐殺についてのものであることも。
そこから彼女はアニエスが自らの復讐のために銃士隊に入ったのだと信じていた。

しかし、実際に銃士隊の隊長として指揮を執るアニエスの姿を前にした彼女は違和感を覚えていた。
自らの復讐を果たすため――当然その相手は貴族の筈だった――にしては余りにも彼女は命じられた任務に忠実だった。
それはまるで彼女達が平民達から浴びせられる嘲笑――「貴族の狗」という言葉を体現するかのように。

最初はアニエスの性格によるものかと思った。
彼女は「鉄の塊」と評されるほど頑固で剛毅な人柄を持っていたのだから。
しかし、先日のトリスタニアでの出来事を経て、疑問は疑念へと変わった。

『この人はもう復讐などは諦めているのではないか?』

そんな思いが彼女の脳裏に浮かび上がる。
銃士隊の隊長として姓と名を与えられ、貴族となったアニエスはもはや復讐など忘れて彼女達平民とは違った存在となったのではないか、という疑念だった。
平民から貴族となったアニエスは旧来の貴族達からの妬みを受けつつも、確かにトリステイン貴族となった――そしてトリステインで貴族に与えられる特権はかなりのものがあったのだから。

そして、一度浮かび上がった疑念は消えることなくどんどんと大きくなる。
彼女の中で、彼女の両親を奪った憎むべき貴族とアニエスの姿が重なる。
しかし、それと同時に彼女達銃士隊の隊員を救うためにアニエスが何度も危険に身を晒したことも知っていた。

矛盾。
そして生まれる迷い。

しかし、彼女はもう戻れない。
そう――後戻りの出来ない一歩を踏み出したのだから。

最上階である第5階層への最後の一段を登った時、彼女は誰にも聞こえない程小さな声で一人、呟いた。

「隊長……私は貴女の考えが理解できませんでした」

そう呟く彼女は傍らに倒れた貴族を倒したものが魔法によるものであったことに気付かなかった。





「なんだい? さっきからうるさいね――」

そうマチルダは愚痴った。
外を除き見ることも敵わないこの牢の中ではその日の天気もわからないのだ。
聞こえるのは大勢の人間が発する声。
その声が徐々に大きくなっていることに彼女は気付いたのだ。

「ああ、まったく騒々しいことこの上ないな」

そんな彼女の声に応じたのは暗い廊下を歩いてくる一人の男だった。
気取った羽帽子に腰から下げた杖――そして背には貴族の象徴である黒いマントが翻っていた。
しかし、彼女を驚かせたのはそんなことではなかった。
その貴族――と思しき男――は顔全体を覆う、白い仮面をつけていたからだ。

「アンタは――!」

思わずマチルダは驚きの混じったで尋ねた。
監獄の中で素顔を隠して歩く男――そんな男がマトモなはずが無い。
おそらくは彼女が散々コケにした貴族達の誰かが派遣した刺客なのだろう。
普通、仮面を付けたような男が監獄の中を歩くことが認められることなどあるはずが無いのだ。

そんな彼女の問いに答えることなく、男は牢獄の見張り窓から確かめるような仕草とともに声をかけた。

「『土くれ』だな?」

感情の無い声。
そんな声を前にしても、マチルダは怯えることなく堂々と答え返した。

「誰が付けたか知らないけど、確かにそう呼ばれているわ」

そう答えるマチルダの耳に時折散発的な銃声が聞こえた。
その音は先程よりも少し大きくなっているかのように思われた。

「話をしにきた」

しかし、仮面の男はそんな音も聞こえないかのような態度のまま、単刀直入に言葉を続ける。

「率直に言おう。かつての地位を取り戻したくは無いか?」

――私は優秀なメイジを必要としているのだ。
そう仮面の男は傲岸不遜に言った。

男の問いに対してマチルダは興味は無い、と言わんばかりの態度で答える。

「アタシはもう貴族なんかじゃないさ――それに自分の顔も出さないような男じゃ話を聞く気にもならないね」

そんなマチルダの言葉に仮面の男は一瞬考え込むような仕草を示した。
そして、ゆっくりと顔に手をやって仮面を外す――その姿は紛れも無くアルビオンで才人と戦っていた男の姿であった。

「ならば、もう一度貴族にしてやろう」

そう仮面を外した男――ジャック・フランシス・ド・ワルドはゆっくりと告げる。
彼がマチルダに目を付けたのは、絶対にルイズに引き込まれない手駒を必要としていたためだった。
その点、目の前の『土くれ』は合格だった。
土のトライアングルという優秀さ――その優秀さはトリステイン各地で貴族の屋敷から様々な宝物を盗み出したことが証明している。
さらに、あのルイズと一度戦い、引き分けているという点こそが最大の魅力だった。
互いに殺しあった相手をそうそう簡単に受け入れないだろう。
そして、それは決してルイズの側へ転ぶことの無い彼の手駒として機能することを意味していた。


相手の正体と予想外の答えにマチルダは戸惑った。
「――もう一度貴族にしてやろう」そんなことを言われるとは思いもしなかったのだ。

その間にも先程からの銃声がより多く、近づいてくる。
そんな音に支えられるように、彼女は虚勢を張ってぶっきらぼうな声でワルドの提案を一蹴した。

「アタシはあんたみたいな貴族は嫌いだし、貴族の地位なんかにゃ興味がないわ」

そんな答えにワルドは急速に反応した。
表情こそ変えないものの、体から発する雰囲気には明確に殺意というものが含まれるようになった。
彼女の答えを聞いた彼は腰に下げた長い鉄杖に手をかけ、言葉を継いだ。

「『土くれ』よ、お前は選択することができる。貴族という絶対的な強者として生きるか――平民という負け狗としてここで死ぬか、だ」

それは事実上の脅迫だった。
仲間になれば甘い汁を吸わせてやる。
仲間にならなければ、殺す。

そんな問答の間にも、物を破壊する音と銃声、そして大勢の鬨の声はもうそこまで近づいてくる。
そして、ついに牢獄入り口の扉が破られた。

「貴族だっ! 貴族が居るぞ!」

ワルドの立派な衣服とマントを一瞥した突入隊の平民が叫ぶ。
その声を聞いた周囲の平民が一斉に銃を構えようとする。

しかし、ワルドは手にしていた長い鉄杖をまるで閃光のように引き抜くと、エア・ハンマーで彼に銃を向けようとした平民達を吹き飛ばした。

「平民風情が我々貴族に勝てるとでも思ったか――!」

そう叫ぶとワルドは再び鉄杖を構え、押し寄せる平民に対してさらに魔法を詠唱しようとする。
そんなワルドの叫びに対して、静かに、しかし、断固とした声でマチルダは答えた。

「――勝てるさ」

「ほう? どうしてそう思う?」

さらなる詠唱を続けながら、ワルドはマチルダに尋ねる。
――先程の詠唱方式は魔法の種類と長さを完全に隠し切るトリステイン魔法衛士隊独自の詠唱方法。
となると、この男はトリステインの貴族でありながらレコン・キスタに組しているのだ。
彼女はそんな男の余裕が気に入らなかった。

彼女がコミン・テルンに加わったのは周囲の状況に流されたから、ということだけではない。
彼女も平民として暮らしていた間に数多くの差別や屈辱を経験している。
そして、彼女は周囲の「同じ」平民に助けられて生き延びてきたのだ。
そんな平民が自分達で自身の権利を勝ち取ろう、としていると聞いた時、彼女は決断した。

彼女もまた、“平民”であったのだから。

目の前の男は生活の保障された特権階級である“貴族”でありながら、さらなる富と権力を欲するという。
彼女は気付いていた。
先程、彼女が「貴族の地位なんかには興味がない」と答えた時に、目の前の男が密かに激高していたことに。

平民が自らの生存を賭けて戦おうとしている時に、自らの利益の為だけにさらなる欲求を表して恥じない男。
だから、彼女はそんな男の余裕を突き崩さずには居られなかったのだ。

「――アタシも平民・・だからさ!」

そう言って彼女は懐から「杖」を取り出す。
といっても以前から使っていた杖ではない。
当然ながら、ここチェルノボーク監獄に入れられる前に持っていた杖は全て取り上げられていた。
彼女の手に握られていたのは木のスプーンを壁にこすり付けることによって杖状に加工したもの。
そして、彼女はそこにありったけの魔力を注ぎ込んで素早い詠唱を行なおうとする――そんな彼女の視界の端に見慣れた黒髪の少年の姿が見えた。

盗賊として名を馳せた彼女は多くの貴族達が好む複雑な魔法をあまり好まない。
高度な魔法が必要な時を除いて、掛け合わせを多くするよりは、単一の魔法に強大な魔力を注ぎ込んだほうが強力であると知っていたのだ。

「チッ――!」

しかし、ワルドは舌打ちすると、詠唱の完了した魔法を彼女に向かって放とうと杖を向ける。
その隙をマチルダが捕らえられている牢獄に面した廊下にたどり着いたばかりの才人は見逃さなかった。
ワルドに向かって飛び上がるように駆け出すと同時にデルフリンガーを上段に振りかぶる。

「うおぉぉぉお――!」

そして、才人はその叫びとともにマチルダに向かって杖を突きつけようとしているワルドにデルフリンガーを振り降ろした。

「ぐおっっっ!」

ワルドの絶叫が響く。
同時に周囲の壁に自らの血液を撒き散らしながらワルドは倒れこんだ。
とどめ、とばかりに才人はさらにデルフリンガーを倒れたワルドに突き立てる。
――しかし、そこに何か柔らかいものを貫く感覚は無かった。

致命傷を負ったはずのワルドは血を撒き散らしたまま、うっすらと消えていく。
奇妙な光景に思わず才人は疑問を口に出した。

「消えた――?」

「ああ、おそらく『遍在』ってやつだね」

そう答えるのはマチルダだった。
結局彼女の手にしたスプーン改造の「杖」では魔法は発動しなかったのだ。
そんな役立たずの「杖」を床にほうり投げると、彼女は才人を安心させるように続ける。

「とにかく、本体はここには居ないし、新たな『遍在』を送り込むには時間がかかるだろうさ」

そう答えるマチルダ。
そんな言葉に安心したのか、才人は周囲を警戒する視線を転じて彼女の捕らえられている頑丈な扉に目を向けた。
代わりに、周囲には遅れて飛び込んできた多くの平民達が警戒の視線を送っている。
才人は扉を押してみた。
二、三度揺すってみても扉はびくともしない。

「離れて――」

彼女が捕らえられた牢獄の鍵を外そうと、才人がデルフリンガーを鍵に向かって振り上げる。
そして、頑丈な錠前をデルフリンガーが破壊する音が響いたその瞬間――

「―――感謝してるよ」

そう彼女はひっそりと呟いた。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


前回の更新でお聞きしたWWWCの件についてなのですが、感想欄の皆様、ご教授有難うございました。
私自身の環境がIEなので今まで全く気付きませんでした。思えば感想欄321の名無し◆91472858様に指摘されていたものの、当時は三点リーダーのことだと勝手に勘違いしていたり……(汗)
以後、気をつけて正規のW3Cにて表記させて頂きます。
過去分もおいおい直していくつもりです。

もし表示がおかしければ連絡をお願いします。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第30話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/09 00:11

――――――――――――リッシュモンは焦り、そして怯えていた。


彼のその感情は先日、アルビオンで起こった変事に起因している。
レコン・キスタの崩壊後、事実上無数の諸侯領に分裂したアルビオン。
その報がようやく彼の耳に届いたのだ。

あれほど強大なガリア両用艦隊を殲滅した一方でレコン・キスタが崩壊するなど夢にも思っていなかった彼はその事実を知った時、彼は心から恐怖した。
実際のレコン・キスタの崩壊はガリア両用艦隊壊滅とほぼ同時であったのだが、明確にレコン・キスタが崩壊したことが確認されたのはガリア両用艦隊壊滅の数週間後――ヨーク公とランカスター伯の独立と対立が明確になってからだった。
彼の恐怖の源泉はその無数に分裂した諸侯達のうち、誰が彼の裏切り――レコン・キスタに組していたか――を知っているかがわからない、という点にあった。
もし、アルビオンで内戦が発生し、所領を失った者が庇護を求めてロサイス近辺で陣を構えているトリステイン軍に逃げ込みでもしたら――そして手土産代わりに彼の内通を告白でもしたのなら。

(……終わりだ)

そこに残るのは失脚などという生易しいものではない――ほぼ確実に反逆者として処刑されることになるだろう。
だからこそ、彼は先日の廟議でマザリーニと前財務卿達の示したアルビオン撤退に賛成したのだった。

そんな彼の恐怖はさらに高めていたのは、崩壊したレコン・キスタの中で重要な役割を果たしていたと思われるヴァリエール公爵の末娘の消息がわからないことだった。
領地持ちの諸侯ならその居場所と現状はおおむね把握することが出来る――しかし、アルビオンで領地を持たないヴァリエール公爵の末娘とその婚約者の行方を知ることは困難だったのだ。
トリステイン王国にとって純軍事的には彼女の存在は無視して構わない(未だにトリステインでは「魔法」の使えないルイズがどんな役割を果たしたかを知らなかった)ものだった。
しかし、彼にとっては違った。

ヴァリエール公爵の三女。
もし彼女がリッシュモンの内通を知っていれば――あるいは知る事となったなら――その事実をトリステインに伝え、彼を破滅の道に追いやるかもしれない。
なにしろ、彼は彼女の父であるヴァリエール公爵自身を失脚に追いやった張本人の一人でもあるからだ。

彼は決断した。
彼がこのトリステインで生き残るためには、この国で一番の権力者にならねばならない――少なくとも彼の家を潰す程の戦力を彼以外の諸侯閥に与えてはいけない。
彼が政治的に他者を圧倒出来る地位を手に入れたならば、たとえこの事実が明るみになったとしても少なくとも時間を稼ぐことは出来る。
リッシュモンは彼と彼に味方する諸侯の手勢が他の政治的ライバルよりも大きいのならば、最悪の場合軍事力でもみ潰してしまうことすら彼は考慮に入れていた――それは事実上の国家転覆に近いものであるが、政治的正統性さえ手に入れてしまえば不可能ではない。

何しろ、彼は一度国を売ったのだ。
もし権力を握ったのなら、彼が成り上がり者共の国と蔑むゲルマニアにこのトリステインを売りつけても良い。
たとえゲルマニアがそれに応じなかったとしても、あの拝金主義者どもがこのトリステインを貪っている間に逃げるための時間が稼げればそれで良い。
彼にとっては自らの暮らしと家系の維持と興隆こそが最も重要だった。
故に、まずは彼に比肩する政治的能力を持つ者達を潰す必要がある――彼が生き残るために。

まさに最悪の貴族的思考そのものだった。
そして、彼はその貴族的思考に沿って動き始めることにした。





―――ヴィリエ・ド・ロレーヌはトリスタニア郊外から貴族街に至る間の民家の傍らで寒さに震えていた。
雪がしとしとと降り積もる中、彼は廃屋の影に身を隠すようにしてただその時を待っている。
彼の周囲には誰もいない――いや、彼と同じくその時を待つ者たちは彼と同様に近くの廃屋の影に隠れ、この寒さを一人呪っている。
しかし、そんな寒さに凍える体とは対照的に彼の心は内心から湧き上がる怒りによってふつふつと煮えたぎっていた。

彼の怒りの元凶はマザリーニ枢機卿が取りまとめようとしている貴族制度の改定案だった。
改定案と言えば聞こえは良いが、実態はゲルマニア流の位階制度をそのままコピーしたようなものだ。
すなわち、『自由』という権利を求め始めた平民を慰撫するために、それまで禁じられていた平民の土地所有を解禁し、また一代限りとはいえ実際の政策立案・執行を行なう貴族への登用を可能にするという改定案であった。
いや、平民を永代貴族として取り入れるのでは無いあたり、制度立案者の苦悩が伺える(当初はさらに急進的な平民議会を作るという案もあった)ものであったと言える。

……伝統あるトリステイン貴族に平民風情を取り入れるだと!?

そんな改定案の内容を初めて聞かされた彼は激高した。
そんなことは彼のプライドが許せるものではない。
今まで自身よりも遥かに劣ると信じてきたあの連中が自分達と同等、もしくはそれ以上の地位に並ぶとでも言うのか?

トリステインでは貴族と平民との間には決して越えられない壁がある。
しかし、その改定案では永代貴族と一代貴族の差があるとはいえ、その壁を取り払うという。

彼の脳裏にかつて魔法学院で出会った蒼い髪の庶子の姿が蘇る。
――あの小娘は偽名で出自を隠さなくてはならない身でありながら、それまでトリステイン魔法学院一との評を受けていた自分に恥をかかせたのだ!

そんなことがブリミル以来の伝統を守り続けてきたこのトリステインで許されて良い筈もない。
ましてやそれよりも劣る平民風情が!
彼はそう信じていた――その“義憤”が単なる自身の“私憤”に過ぎないことに気付かずに。

「ふッ――!」

その怒りを原動力に、寒さに耐えるド・ロレーヌは息を吐いた。
彼の心に恐れはない。
そう、彼がこれから行うべき行為は“正しい”と信じていたから。
さらに付け加えるならば、彼は一人ではない――そのことを思い出して彼は自分の心を落ち着かせた。
ヴァリエール公爵領からの帰路にあの「鳥の骨」がこの道を使うと、直々に彼に教えてくれたのはトリステインの司法の長であるリッシュモン高等法院長だ。
つまり、自身の“義挙”は王国上層部にも支持されている。
成功の暁には大いに賞賛されることは間違いないだろう。

彼の唇の端が自然と吊り上がる。
そう、この“義挙”は6000年の長きに渡って維持されてきたトリステインの伝統を守る為であるのだ!

そう彼は自身の行動を結論付け、改めて納得したのだった。



――殿下にも困ったものだ。
そうマザリーニは一人ため息を吐いた。
その息に曇る車窓のガラスには真っ白な頭髪と顔に複数の深い皺を貼り付けた彼の顔が映っていた。
先王逝去以来、実質的な宰相としてトリステインの政治を担ってきたその激務が彼の姿を他人よりは20歳も老けさせてしまったと言われていた。
しかし、ここ半年で彼はそれまでの老け込みようをさらに倍するかのように老け込んでいた。
戦争、そして騒乱という王国で起こった様々な事件のストレスが今急速な勢いで彼の体を蝕んでいたのだ。

再び、ため息が車窓を曇らせる。

『王族たるものは、お心の平穏より、国の平穏を考えるものですぞ―――』

半年程前に王女に進言したことを思い出す。
その時、姫様は「わかっております」と答えた。
しかし、現状はどうだろうか?

後に明らかになった姫様の恋文の奪還失敗――あろうことか任を託した相手が裏切り者だったのだ――をはじめとして、あの激情に流されたとしか思えないアルビオン侵攻命令。
そして王都での『赤い虚無の日』とチェルノボーク監獄の襲撃。

特にチェルノボークの襲撃はもはや騒乱という段階を超えている――もはや革命と呼ぶべき出来事であった。
トリステインは貴族と平民という階級の間で完全なる対立状態に陥っていると見ていい。
それなのに姫様はどこか他人事のように聞き流している。

――トリステイン王国の存亡の危機だというのに!

あの御方は判っておられない。

そう彼が思うここ数日の間にも各地での平民達の不服従運動や一揆の知らせが入ってきていた。
それまで王都や地方都市を中心としていたそうした活動がついに農村――すなわちトリステイン全域――にまで拡大しつつあるのだ。
中には食料をごっそり溜め込んだ領主の館を占拠したり、警備の手薄な軍の補給所や輸送隊を襲って食料を奪い返すといった過激な事件の報告も数件含まれている。
言うまでも無く、そのきっかけはチェルノボーク監獄の襲撃であり、平民が貴族に「勝利した」という「事実」がそれまで不満はあっても躊躇していた平民達を動かせる原動力となったのだ。

だからこそマザリーニ自身は急きょ立案した貴族制度の改定案を、娘の不祥事を受けて隠居することになった――さらに王家に対する忠誠を示すために、という名目で領地の大幅縮減を強いられた――とはいえ、血縁というトリステインでは最も重視される資産を持つが故に、依然としてトリステインでは大きな政治力を誇るヴァリエール公爵の同意をしぶしぶながら取り付けたのだ。

マザリーニは彼がこの改定案についての賛同を得るために訪れたヴァリエール公爵邸で公爵の示した顔が忘れられない。
彼がチェルノボーク襲撃についての顛末を語った(謹慎隠居であるため、公爵は外界の情報と接することが困難であった)時、ヴァリエール公爵は思わず彼にこう尋ね返した。

「枢機卿――これは暴動ですか?」

その声には縋るような色がありありと浮かんでいた。
そんな公爵にマザリーニはこう答えた。

「いいえ公爵殿、これは暴動ではありません――『革命』です」

そう突きつけられたヴァリエール公爵は意気消沈したかのようにマザリーニの改定案について消極的ながら賛同することを約したのだった。

ヴァリエール公爵との会談の光景を思い出したマザリーニは再び現実へと意識を引き戻した。

この改革案が実施されれば、平民の反抗心をある程度抑えることが出来る。
しかし、逆を言えばトリステインが平民にしてやれることはその程度でしかないということでもあった。
戦争によって大量の出費を強いられたトリステインでは飢えた平民に施しをすることや、税を減免することすら侭ならないのだ。
平民に王政府が与えられるものは無形の名誉のみ――伝統的権威から発せられるそうしたモノの付与こそがトリステインに残された最後の政治的資源だったのだ。

……勿論、新しく貴族に登用された平民は常に他の貴族からのやっかみを受けるだろう。

それでも実際に実施されればトリステインの大きな壁が打ち破られる――平民の土地所有を初めとする各種権利の承認は反体制へと傾いた平民達にとって、王国に対する姿勢を再考させるものとしてくれるだろう。
いや、この方策は反体制の動きの下に結集しつつある平民達に対する切り崩しでもあった。
平民達の体制に対する不満を煽動する一部の者達とそれに乗せられている平民達――両者の間をこの改革によって切り離すことが目的だった。

マザリーニは信じていた。
そうすれば残った過激派を取り締まるだけで、きっと現在の混迷した情勢からは脱却できる筈だと。
あらゆる時代の偉大な政治家がそうであるように、彼は敗北が決定されるまで決して諦める気は無かった。

――そう、それがたとえ、それが僅かな希望に縋るようなものであったとしても。

そして、同時に彼は気付いていた――これ以外にトリステインの王政と伝統を守る方策がない、と。
皮肉なものだ、と彼は内心でひっそりと呟いた。

平民との混血であると噂された彼が、ハルケギニアで最も貴族の血統を重んじると言っても過言ではないトリステインの貴族制度に手をつける。
それは高名な貴族が“上から”発表するよりも、より平民達に受け入れやすいであろうし、貴族達の間でも内紛を招き辛いであろうと考えていた――それはつまり彼が貴族すべての敵になるということでもあるが。

まさか、「鳥の骨」と揶揄された渾名がこんなところで生きるとは。
彼は皮肉げな笑みを浮かべて自嘲する。
――勿論、彼は代々ロマリア宗教庁の要職を務める由緒正しき神官の家柄の出身だった。

「ゴホ、ゴホッ……!」

唐突にマザリーニは咳き込んだ。
慌てて口元を抑えた服の袖には赤黒い染みが残る。

――もう永くはない。

お付の水メイジの治療も最近は余り効果が無い。
おそらくあと1年も持たないだろう。
たった1年。
しかし、このトリステイン王国を守る為に絶対に必要な1年。

なればこそ、遣り甲斐があると言うものだ――私一人の命でこの国が救えるのなら。
そう思い直し、彼はうっすらと雪の積もる王都の見える車窓へと視線を向けた。



「――来た!」

ド・ロレーヌはそう小声で一人呟いた。
雪の中、馬車のガタゴトという振動音と馬のいななきが聞こえたのだ。
時間はリッシュモン高等法院長から告げられた刻限に近い。
……やって来る馬車の姿は――マザリーニの馬車なのか?

彼は反対側に潜むスティックスに合図を送り、視線を交わして目標が近づいていることを確認した。
雪の中をやってくる馬車の姿を彼は改めて確認する。
アンリエッタ王女の馬車と並ぶ、トリステインでは他に二つと無い立派な馬車。
――王女の馬車と違うところは、その大きな車体のあちこちが磨り減り、使い古されていることだけ。

(……間違いない、あれは枢機卿の馬車だ!)

そう確認した彼は改めて馬車が至近を通るまで身を潜め続ける。
同時に魔法の詠唱を行なって、いつでも放てるようにしておく。
あとは……あの売国奴を始祖から与えられた神聖なる風の刃で切り裂く、ただそれだけだった。

(まだか!?)

たった十数秒の時間がその何倍にも感じられる。
再び自らが潜む廃屋の片隅から馬車のやってくる方を覗いて確認する。
そんなことを数度も繰り返しただろうか――馬車がようやく自らの潜む廃屋の直傍に迫ったことを確認した彼は詠唱を完了していた魔法を放った。

放たれた魔法は『ウィンド・ブレイク』。
あらゆるものを吹き飛ばすとされるその魔法は彼の狙い通り、枢機卿のものと思われる馬車を直撃し、大きな馬車を横倒しに吹き飛ばした。


「ハッ――! やったぞ!」

眼前で横転し、大破した枢機卿の馬車を目にしたド・ロレーヌは思わずそう叫んだ。
感情の命ずるままにそれまでの待ち伏せで凍えきった体の血流が増し、赤くなった顔で彼はその光景を眺める。
暫くの間、その光景を満足そうに眺めていた彼は未だ自分が枢機卿の死を確認していないことに気付いていなかった――そんな彼の精神を現実に引き戻したのはもう一人の仲間であるペリッソンの声だった。

「……お、おい!? 本当に死んだのか? 確認したほうが良いんじゃないか?」

その声にド・ロレーヌは一瞬醒めた目をした後でゆっくりと頷いた。
彼の内心では馬車を破壊した達成感と万が一相手が生きていた場合の恐怖が混ざり合っていた。

いつでも魔法を放てるようにしたペリッソンと共にゆっくりと彼は横転した馬車に近づく。
最初に目に付いたのはやはり負傷して暴れる牽馬の姿だった。
足を折った馬は勿論、横転した馬車に索具がつながれたままのために幸運にも負傷していない馬までもが暴れている。
そのすぐ後ろ――馬車の最前部に乗っていた御者は彼の放った『ウィンド・ブレイク』の直撃を受けて投げ出されていた。
当然、彼は無傷で済む筈もなく、頸をあらぬ方向に折り曲げた形で倒れていた。

「――大丈夫だ、死んでる」

そうペリッソンが御者だった男の様子を確認して答える。
しかし、ド・ロレーヌは気が気ではなかった。
一歩、横転した馬車に近づくたびにあの時の恐怖が蘇る。
――それはかつて、魔法学院であの蒼い髪の庶子との決闘で覚えたあの感覚。
今まさに彼の下腹部についた器官は体にめり込まんとするほどに縮みあがっていた。

そんな彼の耳に横転した馬車の中から声が聞こえた。

「う――、ぁ――」

そのうめき声に傍らにいたペリッソン共々思わず背筋に電撃が走る。
彼らは横転した馬車の上に上り、砕けた扉の隙間から中を覗き込んだ。
そこには白い神官服に身を包んだ老人にしか見えない男が頭から血を流して倒れている――そう、トリステインでは知らぬものの無いマザリーニ枢機卿だった。

「――マ、マザリーニ枢機卿だな?」

彼は思わず確かめるように尋ねた。
そんな彼の言葉には内心の怯えが表れるかのように一種の震えが含まれている。

「ト、トリステインの伝統を壊そうとする奸賊め! 汚らわしき平民の血の混じった『鳥の骨』に始祖に代わってこのぼくが裁断を下そう!」

そう震えながら高らかに宣言するド・ロレーヌの声をマザリーニは遠のく意識と共に聞いていた。
ともすれば持っていかれそうになるその意識の中でマザリーニは彼を断罪する若い襲撃者の声を聞いた。

曰く、始祖以来6000年も続くトリステインの伝統を破壊しようとする罪。
曰く、平民の血の混じった存在でありながら『貴族』を僭称した罪。

そうした言葉を聞きながらマザリーニは目の前の少年貴族を哀れに思った。
愚かなことだ――目の前の少年は貴族の地位を守ることこそがこの国を守ることだと信じている。
確かに彼にとって血統による『貴族制』こそが彼の暮してきた世界であって、その世界を変えようとする存在である自分は世界の破壊者であるのだろう。

哀れな少年。
自分の経験からしか物事を判断できない存在。
彼は安逸に暮してきた社会の中で自身の矮小な自尊心を満たすためにこうした行動に走ったのだろう――彼の信じるあるべき姿の世界という幻想を守る為に。
そう、おそらく彼はこの無自覚な愚挙についてトリステインにとっての“義挙”であるとでも考えているのだろう。

愛国者というわけか。

マザリーニはそう意識の片隅で思った。
そう、彼は愛国者なのだろう――彼にとっての「国」とはマザリーニ自身が信じる「国」というものとは大きく異なっているとしても。
そして、自身が愛国者だと信じている愚者ほどやっかいなものは無い。

一方的な断罪を終え、今まさに処断するために魔法を唱えようとする少年の姿をただ見つめながら、マザリーニは聖職者として最後に始祖に願った。

願わくば、この愚かな若い愛国者をお救い下さいますよう――

しかし、その願いが言い切られる前に風の刃が彼のやせ細った体を切り裂いた。





数日後。
昨日行なわれたヒポグリフ隊アルビオン出征式典の華やかさとは対照的に、マザリーニ枢機卿の葬列が貴族街の中央を通るブルドンネ通りの石畳の上を静かに進んでいた。
天候も昨日の式典とは対照的に冬のトリステインでは珍しく、何物をも白く覆いつくす雪ではなくて冷たい雨がしとしとと降りすさび、街路の裏に残った雪を消し去っていく。

道の両側に人の姿はない。
平民は勿論、雨の為に道の両側に屋敷を構える貴族すら見送るものの無い寂しい光景の中、棺を載せた馬車がゆっくりと進んでいく。
本来なら王国主要諸侯が勢ぞろいした中で行なわれるべき――事実上の宰相と言ってもいい地位にあった人物なのだから――葬儀としては恐ろしく慎ましやかなものとなっている。
しかし、その光景はトリステインの貴族達にとって、彼がどういう人物だったのかということを明確に示してもいた。

基本的に血族集団であるトリステイン貴族の中で宰相として辣腕を振るってきた彼は、ロマリア出身だった。
当然、他の諸侯の血族集団のような派閥を形成することは困難であり、そんな状況で彼が政治を担ってきたということは、その指導力が並々ならぬことを意味する。

『杖を握るは枢機卿』

そう町唄に謳われた彼は家柄や財産などによってトリステインでの権力を握ったわけではない――彼の才能そのものが彼の政治基盤であったのだ。

そしてマザリーニが死んだ今、この葬列の姿が現在のトリステインのおかれた政治状況を明確に示している。
彼の死後、当然の如くそれまで対立していた軍務卿を中心とした一派やリッシュモンの一派などが廟議における主導権を握ることとなった。
逆にそれまで枢機卿に組していた諸侯達はその拠り所を失い、彼らは一転して廟議で隅に追いやられる。
そんな状況で枢機卿の葬列を見送る勇気のある者――これ以上リッシュモンや軍務卿に睨まれることを望む者などいるはずも無かった……のだが。

一人の貴族が雨の中、その葬列を見送っていた。
あえて従者も付けずに一人その葬列を眺めていたのは前財務卿――デムリ侯爵だった。

「枢機卿――」

デムリ侯爵はそこまで口にすると伏し目がちに黙り込んだ。
彼の内心には盟友とも言うべき存在であったマザリーニに対する思いが浮かんでいる。
その余りにも寂しげな情景を眺めながらデムリ侯爵はこの国の将来を不安に思った。

(……一体このトリステインはどうなるのか?)

しかし、たとえそう思った所で彼には打つべき手段が無い。
既に病を理由に財務卿の座を退き、そのうえ軍務卿の一派との対立によって彼が中央政界に復帰するのは不可能ではないにしろかなり困難な状況でもあったのだ。
そして、マザリーニ亡き後の中央政界――廟議の場では軍務卿とリッシュモン高等法院長の派閥が双璧をなしている。
先頃起こったチェルノボークでの騒乱に対する対処を議論する場では、軍人であり強硬策に傾く傾向のある軍務卿は勿論、それ以上に強硬な対処――弾圧を主張するリッシュモンの一派が廟議を支配していると言っても良い。

トリステインは平民との関係を修復しようとするどころか、全く逆の方向に向かって突っ走っているのだ。
それは長年、王国の財務を預かり、トリステイン――いやハルケギニアの経済というものを誰よりも理解している彼にとって最悪の手であるようにしか思えない。
しかし、ヴァリエール公爵の一派が失脚し、そしてマザリーニの一派が崩壊した今、そんな彼に出来るのはただ事態を眺めることだけだった。
そんな周囲にはただ雨の降りしきる音と棺を乗せた馬車を引く音だけが響き渡る。
その光景はまさにこれから起こる悲劇を予感させるような光景でもあり、彼のそんな予感は直に的中することとなる。





二週間後、王都トリスタニアに近い寒村、オラドゥール。
そこは今、地獄と化していた。

「そっちに行った――ペリッソン! 逃がすなよ!」

財務卿失脚後、過激化する貴族至上主義に対する唯一の歯止めとなっていたマザリーニの死によって、もはやトリステイン貴族派とも言うべき派閥に属する彼らの行動は誰も止められないものとなっていったのだ。

特に、ワルドがレコン・キスタに転じたことが発覚して急遽解隊されたグリフォン隊に代わる魔法衛士隊としてマザリーニ死後の廟議を取り仕切るようになったリッシュモンの主導で結成された水精霊オンディーヌ騎士隊の傍若無人ぶりは時に貴族主義者ですら眉をひそめるものだった。

「はははッ、逃げるやつは叛乱分子だ! 逃げないやつは良く訓練された叛乱分子だ!」

そう叫びながら、ド・ロレーヌは『エア・ハンマー』を唱え、逃げ惑う人々に叩き付けた。
やせ細った人々が『エア・ハンマー』の直撃を受け、常識では想像できないほど軽々と弾き飛ばされる。

彼は今、数百年ぶりに再建された魔法衛士隊である水精霊騎士隊の隊長となっていた。
当然、彼が実力で勝ちとったものではない――リッシュモンからのマザリーニ暗殺に対しての褒賞を兼ねた口止め料として与えられたものだった。
無論、彼はそんな事実に気付いてすらいない。
唯ひたすら自分自身の能力が認められたのだと思っていた。
そもそもこの水精霊騎士隊自身をリッシュモンが復活させた目的は、“叛乱”した平民を鎮圧するためという名目で自身の所領以外で使える軍事力をリッシュモン自身が欲したからに他ならない――そのために彼は軍務卿の主張した魔法衛士隊の一隊であるヒポグリフ隊のアルビオン派遣まで承認した(抜けたヒポグリフ隊の穴埋めとして水精霊騎士隊の創設を認めさせた)のだ。

そんな水精霊騎士隊を構成するのはトリステイン本土に配属されていた学生士官達だった。
彼らが選ばれた理由は勿論、様々な既得権益や政治・血縁関係の絡む既存の魔法衛士隊とのつながりが薄い、という点だった――他の魔法衛士隊から士官を引き抜けば、当然そこには元部隊の影響が現れてしまうのだから。
リッシュモンがそうしたつながりを求めない以上、彼が新設を望んだ部隊は必然的に経験と教育の不足した若者を中心とすることとなったのだ。
その結果、今この場所では無数の悲劇が繰り返されている。

「はッ! 平民の分際で――」

現在の水精霊騎士隊に与えられた任務は『先に起こった食料庫強奪の犯人の捕縛、もしくは処罰』。
当然そこで求められる行動は犯人を捕まえることであって、犯人を殺すことではない――現地の司法に関してはその土地の領主に付与されている領主裁判権に基づいて裁かれるはずなのだ。

しかし、ド・ロレーヌはそんなことに思いを馳せることすらない。
無抵抗な平民達を相手に、ひたすらに自らの“力”――魔法のもたらす暴力に酔い、高ぶった血の命じるままに哀れな犠牲者達に向けて振り撒いた。
まるで、その“力”を確認するかのように。

「おい、本当に良いのか? 俺たちの受けていた命令は――」

そんな彼に恐る恐る声をかけたのは同じく魔法学院出身のスティックスだった。
しかし、そんな正論も興奮状態の極みにあったド・ロレーヌには届かない。
ド・ロレーヌは何を言うか、と言わんばかりにスティックスを睨みつけながら「どうでもいい」とでも言いたげな素振りで答える。

「構うものか!――平民どもに自分達の身分と立場というものを教育してやるのも貴族としての努めじゃないか!」

さらにド・ロレーヌは「この薄汚い村ごと全部焼いてしまえば少しは平民どもも自分達の立場というものが判るだろうさ!」と続ける。
そんな言葉にスティックスも言葉が出ない。
そこにド・ロレーヌの言葉が響く。
それは隊長として、拒絶を許さない意味を込めた言葉だった。

「さぁ、さっさと君の火の魔法で焼き払ってくれ給え!……まさか君は平民どもに味方でもするつもりなのかい?」

そうまで言われてはスティックスも引くことは出来ない。
ド・ロレーヌの命に従ってスティックスは傍らの小屋――彼からすれば単なる小屋にしか見えなかったのだ――に魔法を放った。
火は直に小さな家を燃やしつくし、隣家に燃え移る。

赤々と燃え上がる村を眺めながらド・ロレーヌは満足げに呻く。
彼の脳裏にあったのは、やはりかつて魔法学院で彼に屈辱を与えた青髪の庶子の姿であり――彼はその姿を逃げ惑った平民や燃える村の姿に重ね合わせていた。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施





[3967] 第31話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/11 21:32

 ――――――――――――ここはどこなのだろうか?


少女――シャルロット・エレーヌ・オルレアン――はぼんやりとそう思った。
薄暗い部屋の中で彼女は申し訳程度の大きさの灯り窓から差し込む光に浮かび上がった天井を見上げる。
天井といっても天板がはめ込まれている訳ではなく、古びた屋根板や梁がむき出しになっている。
そんな光景に彼女は未だはっきりとしない意識の中でふと子供の頃に潜り込んだ屋敷の屋根裏のことを思い出した。

――そう、あれは従姉妹が彼女の屋敷に遊びに来た時の思い出。
魔法の不得意な従姉妹とかくれんぼをして、彼女はこっそりと屋根裏に潜り込んだのだ。
結果はもちろん彼女の勝利。
あの従姉妹は結局、最後まで彼女を見つけられなかった。
年齢相応の大声で泣き喚いた従姉妹の傍には若い頃の伯父とやさしい父様――そして、心を失う前の・・・・・・母様がいた。

「――母さま」

思わず、彼女は思い出の中の母に声をかける。
そんな彼女にすぐ隣から声がかけられた。

「あ、気が付いた? よかった、もう3日も眠っていたから……目覚めないかと思って心配してたの」

そこにいたのは親しみやすい雰囲気を持った一人の少女だった。
整った長い金色の髪を額の中心で左右にわけ、申し訳程度に開けられた屋根裏部屋の明り窓から差し込む陽光がそのブロンドの髪をきらきらと輝かせている。
――そして、その長い髪の隙間から尖った耳・・・・が覗いている。

その瞬間、シャルロットは反射的に寝かされた粗末なベッドから跳ね起きるようにして目の前のエルフから距離を取ろうとした。
しかし、数日間眠り続けた体は彼女の思うように動かない。
そのままバランスを崩してベッドの下に倒れ落ちそうになった時、

「だ、だめですよ! まだ大人しく寝てないと――」

そう言いながらエルフが彼女の体を支えようとする。
しかし、弱っている彼女の力では大して力強くもない筈のそのエルフの体を跳ね除けられなかった――逆に言えばそこまで彼女は弱っていたということを実感させられたのだ。
彼女は再びベッドの上に押し倒される。
しかし、次の瞬間には慌てた様子でそのエルフが彼女から離れていくのが感じられた。
どうしたのか、という戸惑いと共にまともに体の動かない彼女は辛うじて顔をエルフの方向に向けた。
そんな彼女に投げかけられたのは自己嫌悪を含んだ謝罪の言葉だった。

「ご、ごめんなさい。やっぱり私って怖いですよね」

シャルロットの様子に逆に驚いたような顔にどこか自嘲の影を残した表情でエルフは呟く。
よく見れば、その姿には未だ少女の色を残しているし、あの「ビダーシャル」の発していた何処か蔑視を含んだ超越者のような雰囲気も感じられない。

「あなたは――エルフ?」

そう尋ねた彼女の声に素朴な格好が人の良さを示すような少女はあわてて答える。

「そう、エルフ。私は“混じりもの”だけど……」

その言葉の中に含まれた“混じりもの”の意味を彼女は即座に悟った。
かつて存在した人間とエルフとの交流の中で生まれた「彼ら」は人間がエルフと決別したことによって忌み嫌われる存在となり、今はほとんど存在しないとされている。
そして、人間とエルフの双方から見放された「彼ら」は“混じりもの”としてどちらからも受け入れられず、砂漠でも人里でもなく誰も入ろうとしない森の奥でひっそりと暮らしている、といわれていた。

「――すまなかった」

そのことを思い出したシャルロットは率直にそう謝罪した。
そんな言葉を聞いて、彼女の前のエルフは慌てた様子で言葉を紡いだ。

「い、いえ、私こそ……あ、そうだ。私、ティファニアって言います」

自分の名を名乗ったエルフの少女は改めて心配そうな表情で言った。

「大丈夫? 包帯、きつくない?」

「――大きな傷は直したんだけど……」そう言ってやさしく彼女が暴れた時に乱れた毛布をかけなおす。
そんな問いに黙って頷くシャルロットの様子を見て安心したのか、ティファニアはふと思い出したかのように明るい声でシャルロットに、と言うよりは自分に言い聞かせるように言って立ち上がった。

「えっと、お腹すいてません?わ、私何かとってきますね!」

そう言ってティファニアは外界へ繋がる廃材で作られたような唯一の木製の扉を開いた。
開いた扉からは外の光が彼女の視界を圧倒するように流れ込んでくる。

「……少し、聞きたいことがある――」

逆光の中に浮かぶ人影に向かって彼女は尋ねる。
それは先日、オルレアン公爵邸であのエルフと戦うことをやめなかった才人に尋ねようとしたのと同じ言葉。

そんな問いに美しいブロンドを透かしたことによって金色の光に包まれたように見えるその少女はさも不思議そうに思える表情を浮かべながら返答を紡ぎ出した。

「――困っている人を助けるってそんなに変なことですか?」

そう答えると「ちゃんと寝ててくださいね」と一言口にしてティファニアは廊下へと姿を消した。
ぱたん。と扉が閉じられると、彼女の寝かされた屋根裏部屋は再び元の薄暗い世界へと戻る。

そんな場所に一人取り残された彼女は困惑していた。

ハルケギニアでは、それまで他人の不幸は余り気にしない、という傾向が多かった。
いや、むしろ自分の安全を守る為ならば他人をどれだけ犠牲にしても良いという風潮さえあった。
それは自分たちの都合しか考えない貴族達の間だけではなく、平民達の間でも変わらない。

彼女の脳裏にかつてサビエラ村で目撃した光景が思い起こされる。
あの時、サビエラ村の住人達は吸血鬼から自分達の身を守る為に、疑わしいという理由だけで年老いた占い師を焼き殺したのだ。
彼女の中で蘇ったあの時の記憶――それに今の言葉はあまりにも矛盾しているように思えた。

それに、ティファニアの残した言葉も気にかかった。
彼女は「困っている人を助けるってそんなに変なことですか?」と言った――もしこれが「困っている人を放っておけない」ならシャルロットは困惑することはなかっただろう。
「困っている人を放っておけない」という言葉ならば、単なる個人的な正義感の表れと考えることが出来る。
しかし、「困っている人を助けるってそんなに変なことですか?」と言うのならば、それは彼女が当然と受け止めているということであり、彼女の周囲もそれを当然かくあるべきとしているとしか考えられない。

彼女の中に生まれた疑問は膨らみ続ける。
だとするならば、これまでのハルケギニアには存在しなかった“常識”は何処で生まれ、ティファニアとその周囲の人々がその“常識”を受け入れている原因はなんなのか――彼女の思考がそこまで至った時、閉じられた扉をやさしくノックする音が響く。

その音に彼女は思考を止め、意識を向けて「どうぞ」と答えた。
どうしたものか、開く扉の向こうから現れたのはティファニアではなく――数日前、無謀にも単身彼女を助けに来た黒髪の少年――才人だった。

「……ごめん、もしかして起こしちゃったか?」

彼女の為のものだろう――滋養の良いものを混ぜた小麦粥を手にした才人はそんな言葉を発した。
そんな言葉に彼女はふるふると首を振って答える。

「そっか」

そう答えた才人の顔には安堵の色がはっきりと現れる。
才人のそんな様子にシャルロットはあのオルレアン公爵邸で感じた“心配”というものを再び感じずにはいられなかった。
この数年間、一人の友人を除けば殆ど感じることの無かった他人からの気遣い。
百人を超えるの生徒がいた魔法学院で過ごした一年でたった一人しか手に入れることの出来なかったその思いを彼女はこの場所でほんの少しの間に複数の人から受けているのだ。
困惑に近い感情の命ずるままに、あの時尋ねようとした言葉が口をついた。

「どうしてあなたは私を助けてくれたの?」

今、彼女の脳裏に思い浮かぶのはあのボロボロになってもエルフに立ち向かい続けた少年の姿。
目の前の才人を前にして彼女は尋ねずにはいられなかった。

――自分が死んでしまうかもしれないのに。
――助けてほしいと望んだわけでもないのに。

しかし、そんな彼女の問いに返ってきた答えは簡潔なものだった。

「誰かが苦しんでいるのを助けるのに理由なんかいらないだろ――」

才人のその言葉を聞いて彼女はあの衝撃的な光景を前にしたときにふと考えたことが正しかったことを確信した。

彼はどんな力にも屈さない――それは自身の死という怖さを前にしても変わらない。
それが彼の信念であり、自分の知る人間を助けるために自分自身が傷つくこともいとわない。

おそらく彼はあの筒の様な『武器』がなくてもエルフに向かって立ち向かったのだろう。
――あの剣を弾き飛ばされた時にそうだったように。

そして、それを確信した彼女は思った。
ここには今まで彼女を苦しめ続けた――隙あらば王家の血を引く彼女を亡き者としようとする陰謀も、文字通り死線を潜り抜けるような努力で手に入れた彼女の力を妬む悪意も無い。
そうしたものに取り囲まれた彼女は誰にも頼らず、心を許さず、全てを一人でやってきた。
しかし、この場所、この人にはそんな陰謀も悪意もない。

ふと、彼女の目から暖かな液体が零れ落ちた。
しかし、彼女はそのことに気付かない。
今の彼女は頬を伝う暖かな液体のことよりも、冷え切っていた心の中に広がる懐かしく暖かな感情に驚いていたのだ――それはあの事件が起こって以来、久しく忘れていた気持ちだった。

安堵。

一言で表現するならばそう表現されるべき感情の命ずるまま、暫くの間才人の胸の中で彼女は泣いた。
――まるで数年もの間、閉じ込め続けた自身の感情を解放したかのように。







「あ、そう言えばこれを持って来たんだ」

目の前の少女が落ち着いたことを確認した才人はふと思い出したかのように数冊の本を彼女の前に差し出した。

「ずっと寝たままじゃ退屈だろ?」

そう思ってシエスタ達から借りてきたんだ、と才人が続けようとした時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

「サイトさん?」

そう扉越しに尋ねる声をシャルロットはどこかで聞いたことがあるように感じた。
その声に応じるように才人は静かに、しかし素早く椅子から立ち上がると扉を開けて廊下で待っていた黒髪の同年代の少女に応じた。
扉が完全に閉じていないせいか、時折才人と交わされる会話の一部が漏れ聞こえてくる。
辛うじて彼女が聞き取れたのは「……水精霊騎士隊」「オラドゥール……」という単語でしかなかったが、声の調子からかなり悲痛な様子であることを彼女は理解した。

「ごめん、シャルロット。ちょっと用事が出来た――」

廊下での話しを終えた才人は優しげに彼女にそう言って扉を閉めて階下へと降りていく。
一人取り残されることとなった彼女はふと小さなテーブルの上に残された本に目をやった。
そこに置かれた本は『メイドの午後』『バタフライ伯爵夫人の優雅な一日』――そして『イーヴァルディの勇者』。
ハルケギニアにありふれたそうした本の中で彼女はその一冊を震えるような仕草で取り上げた。

『イーヴァルディの勇者』。

少年イーヴァルディの冒険物語。
彼女に読書の面白さを教えたその本を手にして、ゆっくりとシャルロットはページを開いた。
彼女はただひたすらにその物語を読み進める。
既に幾度となく読み続け、暗誦出来るほどであるにも関わらず彼女は『イーヴァルディの勇者』を読み続けた。

何度読み返しただろう――それすらわからないほど読み返していく中でふと気付いたことがあった。
イーヴァルディという主人公を描いたこの話の中で彼女はずっと疑問を感じてきた。
それは本来なら「勇者イーヴァルディ」ではないのかと。
しかし、違うのだ。
「勇者」とはイーヴァルディ本人のことではなく、彼の心にある衝動や決心を示したものなのだ。
そして、衝動や決心であるのならば、その「勇者」はイーヴァルディという一個人のものではなく、今を生きる全ての人間に存在している筈なのだ。

そもそもこの物語の主人公――勇者イーヴァルディ――の姿に決まった特徴は無い。
その主人公は物語の語り手によって様々な人物に姿を変えてきた。
旅をする少年だけでなく、壮年の男性であったり妙齢の女性であったりする。
ある時は神の息子であり、その妻であったりもした。
またある時には幼い少女であったりもするし、何の力も持たないただの老人として登場したこともある。

それらの異なる主人公の姿はこれまで貴族達によって平民の蒙昧さの現れだと嘲笑されてきていた――曰く、平民どもは主人公の姿すらわからない物語などを有難がっている、と。
それは始祖の使った炎の姿を追い求めるアカデミーに代表されるように、貴族からすれば理解不能なものでもあったのだ。
しかし、語り手によってそれほどまでに多様な主人公を持つ『イーヴァルディの勇者』は驚くべきほど共通したストーリーを持ち合わせている。

主人公である「イーヴァルディ」はこのハルケギニアで最も強い武器とされる「魔法」ではなく剣と槍を持った平民であるという点。
そんな主人公が平民はもちろん、魔法の使えるメイジですら敵わない巨大な竜を倒すというのだ。

巨大な竜からさらわれた娘との関係を問われた勇者イーヴァルディはこう答えている。

『なんの関係もない。ただ立ち寄った村でパンを食べさせてくれただけだ』

確かにひとつの恩義ではある。
しかし、ハルケギニアの常識からすれば果たして自らの命を危機にさらしてまで返すべき大恩では決してない。

そしてあらゆる時代、あらゆる人々によって語られた「勇者イーヴァルディ」という少年少女から老人にまで至る無数の異なる主人公の姿。


彼女はふと思った。
それは単なる語り手の語り間違いなどではない・・・・・・・・・のではないか、と。

もし――無数の異なる主人公が、本当に・・・主人公であったのだとしたら。

旅をする少年。
壮年の男性。妙齢の女性。
幼い少女。
そして、何の力も持たないただの老人。

そんな人々が「勇者」という衝動や決心を抱いたのだとすれば――

昼間に見たティファニアや才人達の姿が思い出される。
そして、彼らの仲間もおそらくそうした衝動や決心を抱いているのだろう。
彼らは才人の様にそれぞれがお互いの不幸を救うために自分達の“力”を提供することを惜しまない。
――たとえそれがどれだけ小さな“力”であったとしても。

確かに平民の“力”は「魔法」という力を持つメイジに比べれば小さいかもしれない。
しかし、その小さな力は団結することによって、個人でしかない貴族を超えることが出来る。

『いいかイーヴァルディ――力があるのに、逃げ出すのは卑怯なことなんだ』

勇者イーヴァルディが自らに言い聞かせた言葉。
その中に彼女は答えを見出した。

そう、誰にも“力”はあるのだ。
才人に助けられるまで、彼女はここで示された“力”とは他人よりも強い力のことだと思っていた。
しかし、イーヴァルディは竜を超える力があったから戦ったのではない――本来なら竜という種は生半可なことで倒せる相手ではないのだ。
それはどれだけ弱くとも、自身の持てる“力”で誰かを救いたいという強い意志。
自らの血を流してでも「敵」に立ち向かおうとするその思い。

――そんなイーヴァルディはどんな時でも直面する「敵」に背を向けない。

そして、シャルロットはふと、思い至った。
『イーヴァルディの勇者』は実在したのではないのか、と。

かつて、無数の「勇者」が居た。
彼らは少年であり、大人であり、老人であった。
彼らは男性でもあり、女性でもあった。

そんな「勇者」たちはそれぞれが持った“力”をもって「敵」に立ち向かった。
一人ひとりでは到底その「敵」に及ばないと知っているにも関わらず、「勇者」という決心や衝動を持った人々は誰か――あるいは自分自身を含めて――救うために命の危険を顧みず戦った。

そう考えればこの『イーヴァルディの勇者』がかつて何度となく焚書の憂き目にあった理由も理解出来る。
人々を虐げる「敵」からしてみれば、自身の持てる“力”で誰かを救いたいという強い意志を持った「勇者」など邪魔な存在でしかない。
それを今のトリステイン――いや、ハルケギニアに当てはめるならば、その「敵」とは支配階級である貴族に他ならない。
かつて「魔法」の“力”によって人々を守り、“貴族”という敬意を表される地位を得た彼らはいつのまにかその地位が当然であるべきだと考え始めた。
そして、何時しかその“貴族”という地位は世襲のものとなり、逆に“貴族”に敬意を払わせることをを強制するようになった――かつて人々を守る“力”であった「魔法」によって。
一対一では平民が決して敵わない「魔法」という暴力を持って現在の支配を成り立たせている彼らが剣と槍を手にして戦うこの『イーヴァルディの勇者』を嫌う本当の理由がそこにある。

――かつてトリスタニアで才人と初めて出逢った後、彼女はハルケギニアの歴史について調べてみたことがあった。
そこに書かれた歴史はそれぞれの王家や名家がいかに活躍したかを描いた、いわば一種の物語であったが、彼女はその中で所々不自然な言葉で繕われた部分があった。
それはある特定の地域や国において血筋の豊富だった名家が突然断絶していることが度々あったということである。
他者に比するもののない自家の“繁栄”を誇り、同時に王国にとってかなりの貢献を成した名家の血が途絶えたとしても、本来ならばその家名を惜しんで他家からその名跡を継ぐ者がいたとしてもおかしくない筈であるのに。

それは、つまり――
そして、彼女は一つの結論に到達した。

『イーヴァルディの勇者』は実在したのだ。
かつて人々を苦しめる「敵」を相手に戦い――そして破れたが故に焚書の憂き目にあった。
その物語を研究しようとするものは時に異端として処分され、またあるときは愚か者として社会的な地位や生命を絶たれた。
そこまでして貴族達はその“事実”をなかったものとしようとしたのだ。
それでも虐げられた人々は『イーヴァルディの勇者』を忘れなかった。
本が焼かれれば詩吟として、詩吟が禁じられれば口伝として、虐げられる人々の間で世代を超えて守り伝えられてきた。
――そこまでして守りたいもの、いや守らなければならないものがあったのだ。

そして今、彼女の直ぐ傍には「勇者」がいる。
虐げられた人々――そこには彼女も含まれる――を守るために自らの“力”を提供することを惜しまない才人やティファニア達と言った存在が。
そして、「勇者」という言葉が衝動や決心であるならば、それはこのハルケギニアに住まう全ての人々に存在し得る。
勿論、彼女自身もその例外ではない。


ずっと彼女は自分一人で戦ってきたと思っていた。

二度と父のような悲劇を繰り返さないために。
そして再び母と自分が心から自由に笑える暮らしを取り戻すために。

しかし結局、一人では何も出来なかった。
残された母が死んだ時、彼女は本当に一人ぼっちになってしまったと感じた。
だからこそ、あのオルレアン公爵邸で彼女は死を望んだのだ。

しかし、今彼女のいるこの場所では違った。
才人も、ティファニアも自分自身が持てる“力”で彼女の為に戦ってくれた。
そのお陰で彼女は今もこうして生きている。

今この場所で自分は一人じゃない。
そう、一人ぼっちじゃないことを知ったのだ。

ならば、彼女がとるべき道は――
再び一人ぼっちにならないために――私の為に自身の“力”を貸してくれた人の為に。
そして私の為に自身の持てる“力”を貸してくれた人に、さらに“力”を貸してくれるであろう無数の人々の為に。


そして彼女は自分自身に誓うことにした。

先日、私の命を救うために戦ってくれた才人の様に。
皆が自由に笑って暮せる世界を作るために。

――私は才人達と共に生きる、と。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


今回のテーマはスバリ『友愛』です(笑)
最近は某国の首相のせいか胡散臭く感じられる言葉ですが、これまでに出た「自由」「平等」と並んで外すことの出来ないテーマでもありますので。


09/12/17追記。
イザベラさんがシャルロットよりも年下ではないとのご指摘を受けてその部分を修正しました。
ご指摘を受けて原作を読み返したのですが結局どっちが年上なのかわからずじまいorz
個人的におでこ姫はシャルロットより精神的に幼い?印象を受けてたので年下と勝手に想像した結果が……という感じです。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第32話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/09 21:14

――――――――――――ミシェルはその光景を前に立ち尽くした。


その村は――いや、村だったものの残骸が彼女の目の前にあった。
家が燃え、崩れ、かつて百人を超える人々が暮していた場所だとは思えなかった。

「これが人間のやることかよ!」

そう叫んだのは才人だった。
彼の周囲にいるシエスタやジュリアンもまた口にこそ出さないものの、同じように沈痛な表情を浮かべている。

おそらく、その才人の叫びはコミン・テルン、いやこの光景を目撃した全ての平民にとって共通の思いだっただろう。
事件が発生してから既に数日が経過しているにも関わらず、それほどまでにこの場所の光景は凄惨であった。
全てが焼け落ちた村はつい先日まで貧しいながらも多くの人が暮していた場所の筈なのだ。

ふとミシェルは足元に落ちているものに気付いた。
所々焼け焦げているそれは傍目には単なるゴミにしか見えなかっただろう。
しかし、彼女は気付いた――それがかつて布切れを縫い合わせて作られた粗末な人形であったことに。

震える手で彼女はその人形を手にとった――いや、とろうとした。
しかし、彼女の手がそれに触れた途端、焼け焦げたその人形だったものはぽろぽろと崩れ落ちる。
反射的に彼女はその人形の残骸を両手で胸の前で包み込んだ。
怒り。
憎悪。
恨み。
そうした様々な感情の中、彼女の心の中に暗く、燃え立てるような感情が生まれた。

何故この村の住人は死ななければならなかったのか?
生きることすら侭ならなくなった彼らが貴族の屋敷に蓄えられた作物で生を繋ぐことが罪だとでも言うのだろうか――そもそもその農作物は彼らが生きる為に作ったものではないか!

彼女の中の暗い部分が膨れ上がる。

貴族の対面を保つためだけの無意味な戦争――それがトリステインでは収穫に大きな影響を与えた。
戦争による徴集のため、トリステイン全土で労働力が不足したのだ。
必然的に夏季の農作業――秋の収穫を上向かせるために非常に重要な意味を持つ――が不十分なままに終わり、それがハルケギニア全土の不作を殊にトリステインで悪化させた。
あえて極端な表現を用いれば、例年ならば「不作」で収まったものであろうものが、戦争によって「凶作」となったといえばわかりやすいだろうか。
平民達がそんな状況の中でこの村の領主は徴税と称して目前に迫った冬を越すための作物すら奪ったのだ。

彼女は思った。

貴族が自分の利益の為に平民から作物を奪うのは良くて、平民が生きるために貴族から作物を取り返すのは死罪に値する罪だとでもいうのだろうか?
それが罪だというなら――我々平民は生きることすら貴族によって決定されねばならないのか!?

その思いはさらに彼女自身も両親を貴族によって殺されたという事実を持って留まることなく溢れ出る。
いや、そもそも彼女がコミン・テルンに参加したのはその復讐を実現したいという欲求からだったのだからなおさらだった。
そんな彼女の内心で復讐心がこれまでに無く膨らんでいく。

そして、彼女は思った。

ならば、この恨み誰が晴らそう。
彼らが“平民”だからという理由で貴族が彼らを殺したならば――我々にとって貴族どもはただ“貴族”であるというだけで死に値する存在でもありうるのだ。

目には目を、歯には歯を。
生者の為にはいたわりを――死者のためには復仇を。

誰もが悲憤に暮れる中で彼女はそう決意した。



オラドゥールの凄惨な光景は人々の口々を通してトリステイン――いや、ハルケギニアの各地に向かって伝わった。

実際に反抗したものかどうかを確認することもなく、おそらく関与しているであろうという理由だけで村一つ――村人のそのほぼ全員を――焼き払うという暴挙。
その苛烈な行いは人の理性ではなく感情に訴えかける。
無論、コミン・テルンという革命集団に参加する人々はその感情を制御して「自分達の手によってより良い社会や国家を作る」という理念に向かって進むことを目指している。
と、同時に人間集団である以上――その集団に属する人間の価値観は全く均一ではないし、誰もが本質的に貴族を否定する感情を持っている。

この戦争開戦以来、コミン・テルンは急速に拡大していた――組織の急速な拡大とは文字通り参加する人々の数の増大を意味する。
その背景には戦争が始まってから急速に顕在化した貴族の腐敗、王家に対する不信、そして人々の生活が戦争によって疲弊し尽したということが挙げられる。
そして、風潮とでも言うべきこうした流れに乗ったコミン・テルンは組織拡大と同時に、内部にそれまでの方針――スカロンを中心とした主流派の「貴族制度」の否定――とは異なる考えを持つ者をも加えさせた。

異なる考えを持った新たな構成員――彼らの大部分が心のうちに抱くものは貴族そのものへの復讐心であった。
そうした人々の心の内側にあった憎悪や怨恨の矛先は彼らを苦しめた貴族個人に留まらず、貴族階級全体への復讐へと結びついていく。

「貴族制度」の否定と「貴族そのもの」の否定。
似ているようで全く違ったその二つの観念。
オラドゥールの出来事がもたらした感情は人々をさらにその二つの観念に引き付けると同時に、その二つの観念の境界線をあいまいにした。
無論、それはコミン・テルンに所属する人々の中でも例外は無い。

ミシェルが心に秘めていた両親の仇である「貴族」への復讐の思い。
そんな個人的な思いがコミン・テルンの掲げる「貴族制度」の否定という思想と混ぜ合わされ、そしてオラドゥールの惨劇を触媒として、それは貴族階級に属する人々の存在の否定・・・・・・・・・・・・・・・・へと転化した。
そして彼女はそうした彼女の考えに同調する一部の人々と共にさらなる“悲劇”を引き起こすこととなる。
――それは彼女が中世的な社会構造の破壊を目指す思想を持つ革命集団に参加しながら、無意識のうちに身につけた中世的な意識から逃れられなかったことの証拠でもあった。

そして、人々はその感情の突き動かすままに革命を急速に新たな局面へと向かわせていく――





アルビオン――アルバ地方デネット。
大洋の空に浮かぶ浮遊大陸の北の端、そんな村の近郊にぽつんと忘れ去られたように存在するやや小ぶりな屋敷の中に彼はいた。
元トリステイン王国魔法衛士隊グリフォン隊隊長ワルド子爵――いや、子爵だった・・・男がそこにいた。

今の彼は既に「子爵」ではない。
彼が婚約者とともにアルビオンを支配していたレコン・キスタに身を投じたことが明らかになったことによって彼の所領と位階は既に剥奪されている。
しかし、その一方で彼は今のアルビオンにおける最高権力者に二番目に近い地位にあった。
では何故そのような地位にある男がたった一人で雪に囲まれたアルビオン北端にいたのだろうか。

彼は人を待っていた。
ある人物が差し向かわせている筈のメッセンジャーを。

彼の周囲には誰もいない――いや、この屋敷の中には使用人すらいない。
元々この屋敷はクロムウェルの隠れ屋敷だった。
かつてこの近郊の村の一司祭に過ぎなかったクロムウェルが権力の座にあったときに密かに作らせたものだ。
彼の死後、使用人達が逃げ散ってしまったために無人となって残された、かつての権力者の遺産。
そんな場所にいるうちにふと彼の中に暗い過去が蘇った。

――かつて彼は婚約者にこう語ったことがある。

『僕はただの魔法衛士隊の隊長で終わるつもりは無い。いずれは国を……、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている』

彼がそう語った理由の中には青年時代に受けた数々の屈辱があった。

早くに両親を失った彼は若くして所領1000戸余りのワルド子爵家を継がねばならなかった。
封建社会の下で家を継ぐ、ということはそう簡単なものではない――数例を挙げるならば、自領の安定的な統治、同じトリステイン貴族との社交、そして王家が貴族に課した義務の履行と言ったものが挙げられる。
それらを実行するために、彼は子爵家当主として他の同年代の者達よりも遥かに早く大人の世界に放り出されたのだ。
幸い自領の統治に関しては、今は無き彼の両親が懇意にしていたヴァリエール公爵家が助力をしてくれた。
そして、彼は王家が貴族に課した義務――領地持ち諸侯である彼が進むべきとされたのは軍役――を果たすために軍に入ったのだ。

軍で過ごした最初の数年間は屈辱の連続だった。
本来なら魔法学院卒業後にそれぞれの家で受けるべき進路に合わせた立ち振る舞い――魔法学院で行なわれるのはせいぜいが魔法・社交に関する基礎教育でしかない――を受けるのだが、彼にはそんな時間の余裕は無かった。
そんな彼が士官候補生なら誰でも起こしうる些細なミスを犯した時、彼の周囲は必要以上に批難した。
彼が同期の士官候補生よりも数歳年が違っていたのが原因だったのかもしれない――以後、彼らは一人だけ歳の違う彼を事あるごとに中傷するようになった。
同年代の頼れる者がいない中、彼はじっとその屈辱に耐え続けた。
無論単に耐えるだけでなく、礼儀作法や軍事技術を人一倍優れた才能で受け入れ、身に付けた。
しかし、一度染み付いたレッテルを剥がすことは難しい――その後も彼は周囲からの難癖を受け続けなければならなかったのだ。

そんな彼の心の支えとなったのが、魔法の才能であった。
『最強』と言われる風の系統。
日頃受けた屈辱を晴らすように彼はひたすらに魔法の才能を磨いた。
そして、文字通り血の滲むような努力の結果としてメイジの中では最高ランクであるスクウェアまで上り詰めた彼は若くしてトリステインに三つしかない魔法衛士隊の一隊――グリフォン隊の隊長を任されるまでに至った。

しかし、魔法衛士隊の隊長――直接戦闘に関わる武人としての頂点を極めた彼であったが、そこで彼は大きな壁に直面することとなった。
魔法衛士隊の隊長となった彼に立ちはだかったのは位階の壁だった。
子爵――トリステインにおける位階制度においては下から二番目という位階の低さが彼の将来の前に大きく立ちはだかったのだ。
いくらその実力を見込まれて魔法衛士隊の隊長に納まったとしても、いずれ次代の者にその地位を引き継がねばならない――永遠にその地位にしがみつける訳ではないのだ。
軍人としていずれ実戦部隊から身を引かねばならない彼に望めるのは王国軍部での栄達であるが、軍司令官や軍務卿と言った役職に就くには彼の子爵という階級はあまりにも低かった。
そうした役職に就くには通常侯爵以上――せめて伯爵であることが内々に求められたのだ(でなければ王軍とは別に諸侯軍という軍務を受け持つ他の諸侯が従わない――たとえ就任できたとしても家柄の劣る子爵の命令に侯爵や伯爵がすんなりと従うだろうか?――全てはそういうことであった)
位階というのは家の伝統であり、領地持ち貴族にとっての誇りの源であるのだから。


彼の絶望はどれほどのものだっただろう――
ただひたすらに自身の栄達を望んだ彼は位階という区分にそれ以上の栄光を掴み取ることを拒否されたのだ。
そこでは彼が血の滲む努力で得た「スクウェア」の称号も何の役にも立たない。
その傍らでたかだか「ライン」程度でしか無い者が「スクウェア」の彼を差し置いて、家柄を理由に上へと登っていく。
そんな光景を幾度も目にした彼は憎悪した。

子爵という領地持ち貴族としては低い(…と言っても領地持ち貴族自体は貴族全体の中でも少数派なのだが)「位階」という階級と「スクウェア」というメイジとして最高位の称号。
そんな区分の中で彼は「位階」という区分を否定しながらも、彼のプライドを支える「スクウェア」という区分――その「スクウェア」という区分は当然メイジのみに適用される区分であるから、彼の内心には当然の如く平民と貴族という区分が残存した――に縋った。
結果として彼の抱いた思いは必然的に平民と貴族という区分を保持しながら、貴族内部での区分をメイジとしての区分に合わせる、という歪なものとなった。
無論、本能的に彼自身もそれがどこか歪んでいることを理解している。
しかし、そうでなければ彼の内心のプライドが許さない。
感情は理性に優越する――大多数の人間にとってそうであるように、彼もまた自分自身の幻想を守る為にその矛盾を無意識のうちに押し殺した。

そして、ワルドのそんな歪な考えに適合する組織が現れたとき、彼は迷わなかった。
当然、レコン・キスタの考えが彼の願望と完全に一致した訳ではなかったが、それでも彼はそこで目指された新たなものを追い求めて身を投じた。
風の「スクウェア」としてかねてから称えられていたその手腕を存分に発揮した。
彼の実力はレコン・キスタの議長であったクロムウェルが直々に賞賛するほどのものであり――彼の栄達を阻むものは何も無いかに思われた。

しかし。

そこで彼は舌打ちをした。

あの任務から全てがおかしくなった。
そう――彼が婚約者をレコン・キスタに引き入れる任務を与えられた時から。
プライドの高いあのクロムウェルが下にも置かない扱いをするなど、レコン・キスタ上層部における彼の婚約者の扱いは何処か異常だった。
それと同時に彼の婚約者自身も常に彼の予想を上回る行動を示していたのだ。

彼女が彼にレコン・キスタから送られた密書を示した時もそうだった。
彼女はその密書を見つけた後、すんなりとレコン・キスタに組することに同意した――まるで彼からの誘いの言葉を待っていたかのように。

――果たしてあの少女はそんな行動を示す存在だっただろうか?

いまさらながらに彼の中に疑問が浮かぶ。
かつて彼が知っていた婚約者は頑固かつ強情で国家への裏切りなど絶対に座視しないであろう性格をしていた。
それが、あの様な行動を示す、ということは――ワルド子爵領で再会するまでの数年間の間にあの少女の中でどんな変化が起こったというのだろうか。

そう思った彼の内心に苦々しい思いが広がる。

あの少女はメイジとしてはロクに魔法も使えない少女だったが、その一方でトリステインでは絶対に不足しないであろうものを持っていた。
それは、公爵家という家柄。
まるで彼の対極にあるかのような存在があの少女だった。
彼にとって、彼の栄達を支えるための道具に過ぎなかった筈の存在。
そんな存在が今、彼の築き上げてきた幻想を打ち砕きつつある。

そう、ルイズだ!

どこか粘ついた感情の命じるまま、そう彼は内心で叫んだ。
彼の内心にどっかりと腰を据えたその感情に近いものを挙げるとすれば、それは「嫉妬」に似ていたと言えるかもしれない。
初めてあの少女に出逢った時、彼は少女を侮蔑すると同時に何処か羨んでいた。
魔法の使えない公爵家の少女と風のスクウェアでありながら家柄の低い青年。
そんな彼の対極にあった筈の存在は今や公爵家という血統を捨て、自身の持つ“力”によってアルビオンを得ようとしている――それは彼がこの10年間ひたすらに取り組んできたはずの方法と同じだった。
その事実を気付かされた彼は明確に断じざるを得なかった。

あの少女――ルイズ・フランソワーズこそが現在の彼に立ちはだかる壁なのだ!、と。

そして、彼はその壁を前にして現在の場所で諦めるつもりは無い。
彼の望みは『ハルケギニアを動かすような貴族となること』。
それを実現するためには――出来ることなら何でもやってみせる。

『フーケ』の手駒化には失敗した後、彼は幾人かの手駒を手に入れたが、結局のところ「それなり」でしかない。
その間にもルイズとそれに従う勢力――無論、それまで野にあった平民階級が中心――は日々その力を増し続けている。
既に3年以上にもわたる内戦と戦争によって疲弊した民心もまたそれぞれの所領の領主ではなく「英雄」としてのルイズに心を寄せ始めていた。
そうした事実は封建制秩序にとってあまりにも危険な兆候だった――自らの主人で有る筈の地方領主ではなく、所詮一個人でしかない筈の人間へ超えてはならない筈の壁である“所領”を超えて希望を抱くという状況は人為的に作られた境界である領地という単位を基盤とする封建主義社会ではあってはならない事態であるからだ。

そして、このままではアルビオンの貴族制はルイズの一派に押しつぶされてしまうかもしれない。
仮にルイズがアルビオンを得たとしても、そこに“貴族”というものが無ければ彼の望みは果たされない。
いや、貴族の居ないそんな国に何の価値があるというのだろうか?

だからこそ、こうして今アルビオンの片田舎である人物を待っている。

表で飛竜の羽ばたく音が聞こえた。
しばらくの間を待って扉が開き、一人の少年が現れる。

「遅くなってしまったね――」

金髪に白い神官服。
端正に整った顔に左右の違った瞳の色が目立つその少年は時代がかった挨拶を交わして、言った。

「ロマリア宗教庁助祭枢機卿、ジュリオ・チェザーレ――教皇聖下の命を受けて参上した、って所かな」








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施



[3967] 第33話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/20 22:03

――――――――――――トリステイン魔法学院。


周囲数リーグにわたって平原が広がるこの場所はこれまでトリステイン各地で起こってきた平民と貴族との対立と隔てられてきた。
その理由は唯一つ、魔法学院の周囲には人家というものがまるで存在していないためだった。
比較的近い村というのが徒歩で半日、馬なら四時間といった次第なのだ。
そんなトリステインの現状や政治とは遠く離れた場所で魔法学院は眠っていた。
――いや、眠っているのは貴族だけであった。

未だ太陽が顔を出す前から魔法学院に起居する彼ら数十人の平民階級に属する奉公人は起き出し、働いていた。
各廊下には蝋燭による灯りが灯され、魔法学院で生活する貴族が起きだしてくる前に廊下や広間の掃除がこなされていく。
その名の通り、小さな人形の彫像アルヴィーズが踊る食堂の隣に作られた厨房では100人近い大人数の朝食の下ごしらえを行なうべく10人を越える奉公人達が立ち回っていた。
そんな彼ら奉公人の指示を行なうのが料理長であるマルトーの仕事だった。


「今日も貴族様はこんな“ささやかな糧”とやらを気に入らないとでも抜かすのかね?」

厨房の中で肉の下ごしらえをする一人の男がぼやいた。
こうした皮肉は貴族に仕える平民の間で何時しか日常的に囁かれる様になっていた。

「……あの人達にとってみれば偉大なる始祖と女王陛下からの贈り物なんだそうですよ」

そんなぼやきに隣で野菜を洗っていた若いメイドの一人が答える。

「へっ!その始祖とやらはよっぽどクソな野郎だな!――俺たち平民は食うや食わずやでいろってのにあんなガキどもには毎日こんな“ささやかな糧”をお恵みとはなぁ!」

そう男は嘲笑して新たな肉の塊にダン!と包丁を叩きつけた。
そんな男の行動を見咎めたのか、マルトーは静かに、しかし圧しの利いた声で言った。

「――おい、食材は大事に扱え」

そんなマルトーの声に男は素直に「へぃ」と答えて黙り込んだ。
しかし、そう言ったマルトー自身、いくら憎んでも憎み足りないほどに燃え上がった憎悪の火を抱いていた。
以前から貴族嫌いで知られていた彼であったが、半月ほど前からじっと黙り込むことが多くなっていた。

「マルトーさん、これはどこに?」

そんな彼に別の使用人が大きな木箱を抱えて指示を尋ねた。

「それは例の場所に運んどいてくれ――当直の貴族に気取られるなよ?」

「大丈夫でさぁ、当直のバァさんは今日も自分の部屋でぐっすりですから」

指示を受けた奉公人の一人はそう答えて次々と両手でようやく抱えられるほどの箱を次々と馬車から降ろして運び込んでいく。
その後ろ姿を眺めながら、彼の口は侮蔑の表情を浮かべて思った。

貴族ってのはいつもこうだ――普段は義務だの名誉だのと口にしている癖に、自分に課せられた仕事すら放り出してグウスカと惰眠を貪っている。
本来ならば夜通し正門前の詰所で当直に当たって居なければならないはずなのに。

――そこまで考えて彼の憎しみはより高まった。

逆に言えば、彼はその程度の連中に仕えなければならないのだ。
しかし、悪いことばかりでもない。
貴族共が自身に課せられた仕事を果たさないということは、彼を含む奉公人達が行なっている行動の意味を知られることも無い。

そう思った彼は振り返って厨房のさらに下の階にある物置に箱を運び込む奉公人達の姿を見つめた。
今、奉公人の一人が運んでいった箱の中身はつい数ヶ月前に滞在していた銃士隊の副隊長だった女性が手配してくれたものだ。
それは毎日魔法学院に食材を運搬する馬車に紛れ込ませて運ばれてきたものであった。
いまや平民の多くが日々の食に困っている中でそれまでと変わらない豪華な食事をしている貴族にとってこれ以上無い皮肉になるだろう――そして、今までの飽食と怠惰のツケを貴族自身に支払わせるのだ。

そして、彼は自らが担当する今日の朝食の下ごしらえの作業を何時ものように手早く終えた。
魔法学院の外の人々が飢えているこの状況でも彼の目の前には丸々と太った七面鳥などの豪華な食材が並んでいる。
そんな光景を前に彼は自分の半生とはなんだったのかとふと思った。

若くして貧しい家を飛び出し、彼は密入国同然で隣国ガリアに旅立った。
ようやくたどり着いたリュティスでの辛い下修行の日々。
今は下級貴族を上回る高給取りとして知られている彼であるが、きちんとした職に就くまでその生活は惨め――他の同世代のように耕すべき農地や売り運ぶべき商売を持たなかったのだから当然――なものであった。

そんな彼には自慢の種があった。
極貧生活を送っていたリュティスで知り合った妻との間に生まれた一人娘だった。
流行病で妻を失ってからはたった一人になってしまった家族。
未だ一人前の料理人として認められていなかった彼が懸命に育て上げた、彼の人生の結晶のようなものであった。

そんな彼の娘はとある村に住まう青年の所に嫁いでいた。
その村の名は――“オラドゥール”と言った。

今日も彼は身につけたその調理技術を駆使して貴族の為の食事を作っている。
あのミシェルという女性から彼の娘の住んでいた村を焼いたのは魔法学院の生徒を寄せ集めた「水精霊騎士隊」であるということも聞いていた。
つまり、彼の半生は自分が苦労をかけて育てた娘を殺した貴族の小僧共に日々の食事を作るためにあったようなものだとも言える。
――狂っている。
彼はそう思った……いや、そう思わざるを得なかった。
だからこそ、彼はこの大量破壊計画に協力した――そう、彼は自らの手で“狂った”世界を壊そうと思ったのだ。

狂気と恨み。
大なり小なり、そうした考えを持つ人々は今のこのトリステインには不足しない。
彼もまた、そんな多くの人々の中の一人であった。






数日後――トリステイン魔法学院、寮塔内。

「退屈ねぇ――」

そう言って誰の目も惹きつけずにはいられない抜群のプロポーションと魅惑的な褐色の肌を持つ少女、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは誰の目を憚ることなく大きなあくびをした。
目の前には冬を迎えたトリステインの大地が窓越しに広がっている。
雪に覆われた山や平原、そして魔法学院の姿を眺めた彼女はふと故郷を思い出した。
同じ冬という季節であったとしても彼女の祖国であるゲルマニアではこのトリステインの何倍もの雪に包まれているであろう。
そんなことを思いながら、彼女は視線を他の生徒が講義を受けている筈の本塔に向けた。

現在、講義室のある本塔では貴族の子女を対象にした「心得」の講義が行なわれていた。
「心得」の講義といっても何のことはない。
以前に一度派遣されてきた――しかし直に引き上げを命令された――銃士隊による護身術の講義と同じように、夫や息子(…といっても将来のことだが)を戦場に送り出す「妻」としての心得を教え込む、ということらしい。

『ずいぶん古典的ね』

その講義内容を告げられた時、彼女はそう思った。
彼女の祖国であるゲルマニアにはそんな心得はない。
有能なものであるのならメイジであろうと平民であろうと貴族に取り立てることによって、辺境の地を開拓し、小勢力が乱立していた地方を纏め上げ、国力であのガリアをも上回る国家を作り上げたのだ。
当然そこには“男”も“女”も関係ない。
軍人一家の娘として育った彼女は将来のゲルマニア軍若手指揮官の一人として有望視されていたのだから。

「ホントに退屈よね―――」

再び同じ言葉を呟きながら彼女は再び初冬の平原を眺める。
ゲルマニアからの留学生である彼女はトリステイン子女の「心得」などに興味はない。
と、同時に外国人でもある彼女はそうした授業を担当する教師からも受けが良くない。
故に授業をサボった彼女を叱責する者もいない。

さらに悪いことに、彼女の友人であるタバサも居ない。
以前から彼女は一人で何処かに旅立っていくことがあった。
今回はその期間がいつもより長いことに気付いてはいたが、その行き先を知らない彼女には友人を探す方法もない。
よって、元々ゲルマニアからの留学生ということ(そして日々の奔放な生活のせい)でトリステイン出身の同世代の女子学生から受けの良くない彼女はこうして自室で黄昏ているのだ。

(……全くタイミングが悪いわね)

彼女はふと内心でそう思った。
アルビオンでの内戦が始まって以来、ハルケギニアは大きく変わろうとする歴史の流れに押し流されるように変わり始めていた。
それはこのトリステインでも顕著であり、それまでの貴族至上主義に凝り固まっていた王政に反発した平民達が毎日のように騒乱を起している。
だとするならば、彼女の祖国であるゲルマニアもそうした流れに無関係ではいられないだろう。

「……平民の平民たちによる国、ね」

思わず彼女はそうつぶやいた。
果たしてそれはどんな国なのだろう。

誰もが『自由』にふるまえる国。
それはお題目としては立派――レコン・キスタの示した『聖地奪回』よりも遥かに理想、いや夢想的かもしれない――だがたとえ彼らを押さえつけている身分制度が崩したとして、“力”の無い彼ら平民が自分達の国を守り切れるのだろうか?
そこには平民が「国」というものを運営出来るかという疑問は含まれない――彼女は故郷であるゲルマニアで並みの伝統貴族よりも経営手腕に優れた平民出身貴族を多く目にしていたし、ハルケギニアで「国」というものが果たす機能は第一に外敵からの防衛、すなわち外交と軍事でしかない。
そして軍事においてメイジの能力は重要ではあるが決定的なものではない――結局のところ、アルビオンの内戦で示された様に未だハルケギニアの戦争では戦場で兵力の多い側が勝つのだ。
しかし、そんな事情を考慮し平民に対する蔑視観の薄い彼女でさえ、果たして彼ら平民が「国」というものを維持できるのかという点では大きな疑問を持っていた。

貴族の持つ“力”とは単に魔法の力だけではない。
始祖以来のメイジの血統という伝統に裏打ちされた一体感――時に派閥を組ませる原因でもある――そこから生み出される一種の親近感がハルケギニア諸国の間で戦争を抑止する一種の“力”として作用しているのだ。
互いの王族や貴族が血縁を持って結ばれ、互いが親族であることにより血みどろの戦争を抑止する。
その点を示すかのように、かつてのトリステイン-ゲルマニアの戦争の原因はそうした互いの血統の薄さ(そしてトリステインの重視する血統主義と実利を重視するゲルマニアの制度の違い)がその原因ともなっていた。
だからこそ彼女の実家であるツェルプストー家はヴァリエール家の婚約者の血統を狙った(それが数度の国境紛争の一因となっていたことも事実だが)のだ――血縁となった他のトリステイン貴族たちによってヴァリエール公爵家を抑えることが出来るために。

そして、そうした血統という“力”を持たない平民達の国は他の血統を重んじる国との戦争を自然に抑止する能力を持ってはいない――必然的に彼らはハルケギニア全てを相手に戦わなければならなくなる。
そうなれば、たとえどれだけ平民達が抗おうとも抵抗は効を成さない。
トリステインが小国であることを考えれば、確かに彼らは国内で多数派ではあるが、ハルケギニア全体という視点からすれば彼らは少数派に過ぎないのだ。


そう考えていた彼女の視界に変化が起こった。
突如として数台の馬車が砂煙を蹴立てて一斉に走り出す姿が見えたのだ。
まるで逃げ出すかのような勢いで馬車列は魔法学院から猛烈な速度で走り去っていく。

……何かあったのかしら?

まるで逃げるように走り去る馬車を眺めた彼女がそう思った次の瞬間――彼女は歴史の目撃者となった。


魔法学院の本塔の基礎部分にある一室には大量の箱が積み上げられていた。
其処は物置として使用されていた部屋であり、時折やってくる使用人のほかに近づきたがるものは少ない。
そんな埃に塗れた部屋の中には半月もの時間をかけて天井にまで積み上げられた無数の箱があった。
その箱の中にはぎっしりと火薬が詰められている。
何故、この戦争が始まってから大量に必要とされていた物品が魔法学院に溜め込まれていたのか。

――この大量の火薬の正体は盗品だった。
先日、王都からアルビオン侵攻軍に輸送するためにラ・ローシェルに向かっていた輸送隊から強奪されていたものである。
劣勢の戦力で大勢の戦力を誇るレコン・キスタ-アルビオン軍に対抗するため、トリステイン軍は士官の大半――“メイジ”である貴族を侵攻軍に大幅に増強した。
そのために魔法学院の生徒まで徴用して代用士官として運用――実際にはその士官そのものの不足も相まって第一線に魔法学院生徒を送り込まなければならないほど(ろくな軍事教練を受けたことも無い単なる魔法学院二年生が中隊長――中隊とはおおむね百~二百名もの兵が所属する戦闘部隊の編制――に任命されていたという事実はトリステインの人材不足とその国力に比較して大きすぎる侵攻軍を編制したことの象徴だった)であった。
同様に、ついこの間まで学生、しかも戦場に送られなかった魔法の成績の良くない生徒――すなわち才能が無いか、向学精神の薄い者――が輸送隊の指揮官、あるいは輸送部門の管理者として配属されていたのである。
そのため、トリステインではアルビオンに輸送される大量の物資が、実際に物資を取り扱う平民兵によって横流しされたり、防備の不十分な輸送隊が襲撃されて物資を奪われるという事態が多発――前者に至ってはむしろ日常茶飯事と化していたのだった。
――そして勿論、銃や火薬といった特殊な物資を大量に必要としている者は、トリステインには軍以外に一つしか存在しない。


本塔の基部から閃光が煌く。
その光と共に慌しく走り去る馬車に関してのキュルケの疑問は吹き飛んだ。

「何!? えっ――きゃっ!」

そう叫んで魔法学院の中央に立つ本塔の方を振り返った彼女の声を追うようにすさまじい轟音が魔法学院の周辺に響き渡る。
同時に爆風の衝撃が彼女の部屋の窓ガラスを打ち砕き、思わず彼女は小さな悲鳴を上げた。
そして、やや遅れるようにして彼女のいる寮塔自体が巨人の手でシェイクされたように大きく揺さぶられる。

そんな中、彼女は目撃した。
強固な石造りの本塔の基礎が一瞬膨れ上がったかのようになったかと思うと、その直後に巨大な本塔が一瞬浮き上がったかのように彼女には見えた。
――いや、実際に浮き上がっていた。

黒色火薬とはいえ約1万リーブル――才人の世界の単位で5tもの火薬の燃焼エネルギーはその燃焼と共に猛烈な圧力を作り出し、その解放を求める。
しかし、その膨張するエネルギーと圧力は天井にまで達したところで障害に直面し、それ以上の拡散を阻まれた。
その結果、密閉空間である室内内部にすさまじい高圧が発生し、強固な固定化のかけられた外壁を弾き飛ばすと同時に、同様に固定化のかけられた天井を何層も突き破りながら本塔そのものを数メイル程、浮き上がらせたのだ。

魔法という存在によって組み上げられた建造物は頑丈に作られていると思われがちであるが実はそうでもない。
確かにレビテーションや固定化に代表される各種の魔法は魔法学院の本塔に象徴されるように巨大な石造建築を実現した。
しかし、その一方で魔法という存在によってハルケギニアの建築技術の進歩は妨げられ続けてきたとも言える。
なまじ不可能を可能にする魔法の存在によって、外見を重視した内部構造の弱い建築物が作られ――そして維持され続けたのだ。
各々の石はレビテーションの魔法によって塔の上へ上へと積み上げられた。
形の合わない石は風の魔法によって成形され、本来は使用に適さない筈の柔らかい石は『硬化』や『固定化』の魔法によって固められた。
未発達の建築技術の中でそうした石材は互いにかかる圧力を分散するのではなく、単に下の石材が上の重量を支えるだけの構造――極端に表現するならば、まるで積み木のようなかたちで積み上げられた。
しかし、そんな構造であってもこれまで問題は無かった。
塔全体はその大質量のおかげで風雨に抗えたし、このハルケギニアには地震など滅多に起こらない。
土メイジの巨大なゴーレムですら――そもそもメイジが魔法教育の拠点であるこの場所を襲うことなどありえないと考えられていたが――塔全体の大きさを考えるならば数体がかりでも破壊できるようなものでもなかった。

しかし、今この塔が直面したのは建造当初想定すらされない内部からの猛烈な衝撃と圧力だった。
魔法によって組み上げられた塔であっても、その重量を支えるのは構造材そのものとしての石である。
お互いの重量や位置を支えあうのではなく、そして固定されているわけでもない構造材は単にその重量によって自らの位置を確保し、上部の重量を支えていた。
ならば、塔全体を支えている基部が無くなればどうなるか――その答えが今彼女の目の前で示されようとしていた。

一度浮き上がった本塔は物理法則に従って落下する。
その過程の中で外壁はもちろん、爆発の衝撃に耐えて原型を残していた内部に存在する全てのものが傾き、崩れ、砕かれていく。
ハルケギニアの中でも有数の高さを誇る塔であっても、それは変わらない。
崩れる石材の発する轟音と振動――そして巻き上げられるすさまじい砂埃の中で巨大な塔は横倒しになりながら地面に吸い込まれるように消えていく。

そんな光景をキュルケはただ呆然と眺めることしか出来なかった。
そして、幸運にもその日授業を欠席していたことが、彼女をハルケギニアの歴史上、初めて平民が・・・貴族に対して行なった大量破壊の目撃者の一人とさせた。

この日、コミン・テルン中央から分派した平民主義過激派とでも言うべき勢力は魔法学院を初めとしてトリステイン各地の王立施設や貴族の所有する施設、数箇所に同様の攻撃を実施した。
被害は魔法学院を初めとして3箇所以上が甚大な被害を受け、残りも少なくない損害を出している。
貴族の死者は全てを合計すると350名以上――そのほとんどが施設の倒壊による圧死だった――に上る。
数日後、この大規模破壊を受けて王政府はトリステイン全土に戒厳令を布告――トリステインが事実上の内乱状態に陥ったことを公式にハルケギニア全土に知らしめた。





王都トリスタニア――その貴族街の一角からは黒い煙と土ぼこりの入り混じった煙霧が舞い上がっている。
つい数時間前に発生した爆発によって立ち上ったその煙は初期消火に失敗――なにしろ消火に当たるべき者自身が救助を要求する側となったのだ――したこともあって今も濛々と立ち上っている。
その煙は急遽集まった才人達のいる『魅惑の妖精』亭の二階からもはっきりと見えた。

「――姉さん、サイトさん!」

そう叫びながらジュリアンが駆け込んで来る。
彼は会議場とされた『魅惑の妖精』亭の中の一室で、彼の姉と才人の姿を見つけると、

「あいつら――ミシェルさん達のやってることは滅茶苦茶だ!」

荒い息をつきながら、意気も絶え絶えにそう叫んだ。

「ジュリアン、落ち着いてゆっくり報告しなさい。今度は何があったって言うの?」

ジェシカのその叱責にジュリアンは深呼吸して答えた。
しかし、その口調は彼の内心での混乱を示すかのように乱暴で整っていないものだった。

「ミシェルさんの仲間が魔法学院を、学院ごと全部ふきとばして――」

「な――!」
「なんだって!」

この場に居る全員の口から驚愕の声が漏れる。
スカロンを初めとしてこの場に居る誰もがその意味を理解していた。
魔法学院――未だ統治者と成って居ない貴族の子弟を対象とした教育機関を襲撃するということは、つまりのところ貴族であることを理由にその命を奪うということを意味する。
それは貴族による統治――すなわち“統治者”に対して反発してきたこれまでのコミン・テルンの方針とは大きく異なるものだった。

そんな中、一人部屋の中から駆け出す者がいた。
それに気付いた才人が声を上げる。

「おい、ちょっと待てよ!」

しかし、シャルロットはその声に耳も貸さずに早足で部屋を後にする。
そんなシャルロットを追って才人も部屋を出ようとした。
その時――

ドタドタと床板を蹴り上げるようにして走る数人の足音。
同時にカチカチという装具の擦れ合う音も響く。

「動くな――!」

蹴破るように乱暴に扉が開かれ、つい先程飛び出したシャルロットと入れ違いになるように、手に武器を抱えた数人の平民達が部屋の中に押しかけた。

「全員静かにしろ、妙な動きを見せたなら――その時は命の保証はしない」

狭い部屋を一瞬の間に制圧した平民達の指揮官らしい若い女性がそう全員に聞こえるように告げた。
腰には短銃、手には細い長剣を手にしているところから見ておそらくミシェルと共に加わった元銃士隊の者なのだろう。
彼女は余裕の無い顔つきのままで室内にいた全員にゆっくりと告げた。

「我々はこれまでに貴族によって殺された平民達の仇を撃つためにさらなる武器を必要としている。だから、その武器の保管場所を教えてもらう必要がある」

そう告げると共に、彼女は自らの行動の正当性を述べ挙げる。
どうやらミシェル一派はさらなる報復の拡大の為により多くの武器と物資を必要としているらしい。

「わたしたちが目指しているのはそんなことじゃないわ!」

そんな言葉と共に元銃士隊員の前に進み出たのは冬にもかかわらずハーフパンツにレザージャケットを羽織ったスカロンだった。
一時は壊滅寸前だったコミン・テルンを建て直し、その中心的指導者となっていた彼には決然とした理想があった。

「コミン・テルンが目指すものはわたしたちを苦しめる“統治者”としての貴族制度を無くすことであって、貴族に復讐をすることなんかじゃないわよ!」

大きく腕を振り回し、誰もをひきつけるような調子で語るのはコミン・テルンでは見慣れたスカロンの姿だったが一点だけ違うところがあった。
いつものオカマっぽい声色ではなく、おそらくは地声であろう声で彼女は心の底から訴える。
――それは彼の半生にわたる貴族との戦いの中で妻を失った彼が私怨を捨て、理想の為に生きた証でもあった。

「復讐の為に誰かを殺したって――」

「うるさい! 黙れッ!」

何かを殴りつけるかのような音が響き、そこでスカロンの声は途絶えた。
柔らかいものが堅い床板に倒れこむような音が響く。
衝撃で机の上に置かれていた安物のカップが床に叩きつけられて割れる。

「お父さん――!」

傍に居たジェシカが叫んで駆け寄る。
倒れこんだスカロンを抱き起こしたジェシカに向けて元銃士隊員は叫んだ。

「オマエは仇を討たずにただ耐えろと言うのか!? だとすれば殺されたものの恨みはどうなる?それとも平民1人の命は貴族1人と等価でないとでも言う気か!」

そして彼女は室内にいる全員に向かって言い放った。

「我々は行動する! いままで貴族達によって受けた苦しみと屈辱を奴らの血で贖ってやる! 我々平民の生血を吸って暮してきたあの吸血鬼どもを今度は奴ら自身の血の海に沈めてやる。それこそが“正しい”――そう、我々は“正義”を実現するために行動するのだ!」

そう叫ぶ彼女の目は血走り、何人にも反論は許さない、という色が浮かんでいた。
そこまで言って女性が室内を見回した時、彼女は部屋の隅にいた一人の人物に気付いた。

「――どうして貴族がここに居るッ!?」

そう声を挙げた彼女の視線の先にはレイナールの姿があった。
その声に一瞬、襲撃者達の注意が才人達を離れてレイナール一人に向けられる。

「……そうか、そういうことか」

彼女はそう呟くと、腰に吊るしてあった短銃を手にとり、ゆっくりとレイナールにその筒先を向けた。
彼女の心の中では目の前の光景によって全てが一つの結論へと繋がった様だった。
あわてて才人達が飛びかかろうとするが、目の前に剣先を突きつけられて動きを封じられた。

「貴様らは、とっくの昔に貴族どもとつるんでいたんだなぁぁぁッ!」

その叫びと共に彼女は引き金を引いた。
撃発機が作動し、打石が点火薬の満たされた火皿に叩きつけられる。

「――やめて!」

ジェシカがそう叫んだ瞬間、紙風船の弾けるような乾いた音が響いた。


血飛沫が飛び散り、同時にレイナールが床に崩れ落ちる。
そして、床の上に崩れ落ちたレイナールの苦悶の声が漏れた。

「が――、うぁ――」

そう意味の無い叫びを漏らすレイナールの肩口があっという間に血に染まり、傷口を押さえる右手も血に濡れる。
そんな光景を一瞥した元銃士隊員は軽く舌打ちをすると「連れて来い」と一番近い位置にいた男に命じた。

男は命令通り部屋の奥に倒れこんだレイナールの元に近づくために一歩を踏み出そうとして――次の瞬間、そんな男の足をシエスタが引っ掛けた。

「サイトさん!」

男がもんどり打って倒れるのとシエスタが声を挙げるのは同時だった。

「おう!」

そのシエスタの行動を合図にしたかのように、弾かれたように才人が男の取り落とした剣を拾い上げる。
左手に刻まれたルーンが輝き、体が羽根のように軽くなる。
一瞬後にはシエスタが足を引っ掛けた男を含めて3人の乱入者が床に倒れ落ち、立っているのは指揮官らしき元銃士隊員一人だけとなっていた。

「―――ッ!」

反射的に若い元銃士隊員は腰に吊るした短銃に手をかける。
しかし、そこに吊るされていた銃は先程の一撃で装填されていないままだった。
慌てて右手に手にした長剣を構える――しかし、ガンダールヴのルーンによって加速された才人の体重の乗った一撃を受けきることが出来なかった。
彼女の手にした細身の長剣は砕け散り、そのまま背後の壁に叩きつけられて彼女は意識を失った。



「大丈夫か?」

相手を無力化したことを確認してから才人はレイナールの方に駆け寄った。
先程まで床を血で濡らしていたレイナールをジェシカが抱え込むようにして止血するための傷口の圧迫を試みていた。
一方、スカロンの方はジェシカの代わりにシエスタがそっと床に寝かせているところだった。
そんな才人の声に自らの衣服もまたレイナールの血に染まったジェシカが圧迫包帯にするためにスカートの端を引きちぎりながら答える。

「良かった、弾は抜けてるわ――これならなんとか出血は止まると思うわ」

そのジェシカの答えに「うん」と頷いて才人は周囲を改めて見回した。
机は脚が折れて片方の辺が床に着き、椅子が壊れながら散乱している。
壁の一部には穴が開き、何よりも赤黒いペンキのようなものが壁に毒々しい色合いを添えている。
そこから発せられる鉄の様な匂いと薄まったものの部屋の中に広がる硝煙の臭い。

そんな中、再び廊下を数人が走ってくる足音が聞こえ、慌てて才人は手にした剣を構えなおした。
手にした剣の柄にじっとりと汗が滲む。
廊下と部屋を隔てる壁越しに才人は相手が部屋に入ってくるその瞬間を待ち――その振り上げた剣を慌てて止めた。

「どうしたんだい!?――ってなんだいこりゃ?」

そう叫んで駆け込んできたのはマチルダだった――どうやら『魅惑の妖精』亭の前で銃声を聞いて駆け込んできたらしい。
慌てた様子で彼女がレイナールの治療の為にティファニアを呼びに行ったことを確認して才人はほっと一息吐く。
そんな才人の様子を見て、声がかけられる。

「でも、これで終わったわけじゃないですよ」

そう声を挙げたのは襲撃者を縛り上げていたジュリアンだった。
確かにこの場での危険は終わったかもしれないが、ミシェルと彼女に同調する一派の行動が終わったわけでは無い。
才人の耳には今は気を失って後ろ手に縛られている元銃士隊員の言葉がはっきりと残っていた。

『我々は行動する! いままで貴族達によって受けた苦しみと屈辱を奴らの血で贖ってやる! 我々平民の生血を吸って暮してきたあの吸血鬼どもを今度は奴ら自身の血の海に沈めてやる』

その時の彼女の目に浮かんでいたのは彼女が掲げた“正義”に対しての純粋な熱狂だった。
その正義を実現するためにはさらに多く――文字通りどちらか一方が絶滅するまで――の血と犠牲を必要とする。

「やめさせないと!」

そう声を挙げたのはレイナールだった。
彼も元魔法学院の生徒として内心忸怩たる想いがあるのだろう――傷口が開くことを恐れずに体を起して彼は言った。

「これじゃあ、唯の殺し合いだ――」

「――それだけじゃありません」

そんなレイナールの言葉を受けて次に口を開いたのはシエスタだった。

「こうも無計画に大切な武器や火薬を使われてはこれからの活動に大きな支障が出てしまいます」

彼女は組織内部での物資や装備の手配、各細胞組織への活動を指示するための書類作成に至るまでのあらゆることを管轄していた。
反政府組織に書類。
一見不釣合いに思えるかもしれないが、組織が規模を拡大するにつれ、どうしても個人間の伝達では不都合が生じるのだ。
書類作成と伝達にかかる時間と、口伝えで指示していく組織。
組織が小規模なうちは後者のほうが有利だが、組織が大規模化していくにつれて前者が優位に立っていく。
情報の確実性――口伝えでは情報の正確度や手間という必ず限界が来る――という面でも前者が有利だった。
さらにそれらの中で装備や糧食の手配までするとなると、事務が出来る人間は必要不可欠だった。
そして、コミン・テルンはそうした事務を必要とする組織となるに至るまで成長し――シエスタはその担当となったのだ。
それらの書類を管理する最高責任者としての彼女はトリステイン中の何処に、どれだけの物資が備蓄され、
それを誰が管理し、あるいはそれが何のためにそこに保管されていたのかを当然知っている。

――そんな彼女の言葉には大きな意味があった。

つまりのところ、ミシェル達の行動は社会的・道徳的影響だけでなく今後のコミン・テルンの闘争活動に大きな影響を与えるものでもあったのだ。
このまま貴族統治ではなく貴族そのものを敵とした無秩序な戦いを行なえば、結果的にコミン・テルンが目指す革命そのものが遠のく可能性がある――シエスタはそう言っているのだ。


「――サイトさん」

そうシエスタは才人に促した。
コミン・テルン――いや、トリステイン中の平民から高い人気を持つ才人が立ち上がれば、人々が無秩序に過激な貴族襲撃に走りつつある状況を圧し留めることが出来るかもしれない。
そして、逆に才人達がミシェル達の掲げた過激な貴族排斥主義を止めることが出来なければ、文字通り“血で血を洗う”闘争が始まることとなる。
絶対にそんなことにはさせない――いや、決してさせてはならない。

そう才人は決意して答えた。

「ああ、ミシェルさんを見つけて――止めさせる!」









―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


10/08/07
二回目の改定を実施






[3967] 第34話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/09 21:26

――――――――――――トリスタニア郊外、路上。


周囲に森の迫った道の上を一台の四頭立ての大きな馬車が進んでいた。
大きな馬車であるにも関わらず、その馬車には所属を示すものが無い。
文字通り、上級貴族――その多くが領地持ちか王国の要職に付いている――の忍びで使われるその馬車は夜間、ひっそりと王都トリスタニアを離れたものだった。

とは言っても、ここ最近王都を離れるそうした馬車は珍しくもなくなっていた。
その馬車の持ち主は多くが領地持ちの貴族達であり、自らの所領に帰るためにそうした無紋の馬車に揺られていたのだ。
今や王都では軍務卿派と高等法院長を務めるリッシュモン一派との対立が激しくなっている。
一瞬でも隙を見せたならば、蹴落とされるという状況の中でどうして高い地位にあるはずの彼ら領地持ち貴族がこっそりと所領に戻っているのか――その答えはトリステイン各地に広がった革命騒ぎに起因している。

トリステイン――ハルケギニアにおいて、貴族というものは大きく二つに分類される。
一つは言わずと知れた封建貴族。
彼らは所領を持ち、王家から託されたとするその所領とその統治に関して絶対的とも言えるほどの権限を持つ。
もう一つは宮廷の法衣貴族である。
彼らは専ら宮廷での雑事――と言っても儀式や儀礼といったものを取り仕切り、彼ら自身が物品を運んだりする訳ではない――や勅令の発布等の行政を担当する。
彼らの生活は毎年定額が支給される王家からの年金によって賄われる(収入を王家からの年金で賄うという意味では軍人もこのカテゴリに属すると見ても良い)。

では、封建貴族の収入とは何なのか。
それは文字通り、王家から付託された領地そのものである。
彼らは王家――その正統な統治権者であるとされる者――から領地の支配権を譲り受け、その領地の統治権限を代行する一方で、その領地から自らの生活の為の金を徴税する権利を与えられている。
当然、単なる無人の土地を与えられても収入には結びつかない。
その収入は与えられた土地で生活・労働している領民となった平民階級が生み出す富から徴税されることになる。
つまり、封建貴族はそんな自らの所領に生きている平民の生み出す財貨によってその生計を立てなければならないということでもあった。

その領地で革命騒ぎが広がる、ということは王家から信託された――すなわち王命として期待された領地の統治という職務を果たせないということだけを意味しない。
すなわち、自分の収入源そのものが危機に晒されているということでもあるのだ。
勿論、そうした封建貴族の大半はどのような騒乱が起ころうとも最終的に王軍のような巨大な力の前にはそうした叛乱が成すすべもなく倒れるであろうことは理解している。
だが同時に彼らは自らの収入源となる領地を自分で守る必要性もあった。
例えばヴァリエール公爵家は身内の不祥事によってその所領を大幅に返納させられた。
ならば、自らの所領で起こった騒乱がもし王家に――あるいは宮廷政治に大きな影響力を発揮する近隣の諸侯に――いらぬ面倒をかけたとするならば、それこそヴァリエール公爵の二の舞になりかねない。
いや、ヴァリエール公爵家なら縮減されて猶、その生活に不自由することの無いほどの領地を持っているが、多くの諸侯はそうはいかない。
文字通り、彼らの所領は一枚看板であり、大諸侯であるヴァリエール公爵家と比べるべくも無いのだ。

トリステインの多くの貴族の間に昔から言われてきた言葉の中にこんな言葉がある。

『伝統を守る為には金がかかる』

そんな声の真意を問うならばこう答えが返ってくるだろう。
――自分達の体裁を守れないものに伝統あるトリステイン貴族である資格は無い、と。

彼らにとっての体裁とは、王家より委任された所領での『安定した統治』は勿論、時候の区分に合わせた各貴族への贈答品の格式や貴族として恥ずかしくない見栄え良い装束を取り揃えることに他ならない(ちなみに、ここで云われている『安定した統治』とは平民の生活の安定を意味しない――それは文字通り、騒乱等を起して王家や他の諸侯に迷惑をかけない、といった意味合いを持つ)。
特に比較的下級の封建貴族にとっては、後者である格を示すための衣装を着て時候の贈答品を贈る――特に所属する派閥の長や要職にある高位貴族に金銭や贈答品を送って自らの立身出世を目指す――といったことが宮廷内における『政治』の大半であるのだから、彼らの『伝統』を守る為の金を生み出す所領が如何に重要かということを示している(所領の無い法衣貴族では自らの権限を私的に流用して平民から上乗せ徴税を行なったり、公金を横領してまでその資金を捻出する者すらいた)。
そうした事実を示すように、事実上の独立国としてトリステインの政治から切り離されたクルデンホルフ大公国はそうしたしがらみからも離れ、その家産が豊かなことで知られていた。

そんな状況ならば、諸侯にとっての収入源が領地である以上その領地を繁栄させることによって収入を増せばいいのではないかという考え方も生まれそうなものだが、以外なことにトリステインでは所領の『経営』と言ったものに興味が振り向けられることは少ない。
一部の大諸侯を除けば多くの諸侯が豊かではない――尤も彼らの視点からすればだが――中ではその収入の大半は上記のような「貴族としての体裁」を守り、維持するために使われるのだ。
さらに言えば、領地の繁栄というものは確実に成功するものでもない――言い換えるならどこか賭博にも似たものでもあるし、その投資そのものにも莫大な額が必要となる。
さらに、成功しても元本を回収するのにどれほどの時間が必要とされるのかもわからない。

無論、過去にもそうしたリスクを踏まえた上で領地に投資した者もいる。
一例を挙げるならば、代々水の精霊との交渉役を務めていたモンモランシ家という貴族が10年ほど前にある湖の干拓を企てたことがある。
しかし、結果は水の精霊の機嫌を損ねて干拓は失敗――そして代々務めていた水の精霊との交渉役という役職すら他の貴族に奪われるという結果に終わったのだ。
表向きは水の精霊との交渉役でありながらその協力を得ることに失敗したことを理由として、その代々勤めた役職から追われることになったとされているが、実際のところ当時の貴族達の間では干拓失敗による莫大な損失の為に「貴族の体裁」を守れなかった――高位の貴族に贈るべき贈答品に金をつぎ込むことが出来なかった――からであると噂された。
そしてその役職を継いだ別の貴族が「貴族の体裁」を守ることに熱心な者であることを知らぬ者は誰もいなかったからなおさらだった。

そうした失敗の事例に加え、そもそもが『経営』という概念を理解していない――領地そのものが彼らの「家産」であり、家計と領地経営は不可分であるという認識を持っている――以上、封建貴族達が宮廷政治に必要な原資である領地を守る為に王都を離れるのは仕方ないものとして受け止められていた。
勿論、必要以上に貴族の体裁を傷つけないようにひっそりと、という形であるが。



そんな忍び仕様の馬車の周囲には10人を越える数の騎乗した下級貴族の護衛が共に駆けている。
いかな下級貴族とは言え、周囲を10人以上ものメイジの護衛が付くというのは並大抵の事ではない――たとえそれが戒厳令下であってもだ。
そんなメイジ達に守られた馬車の豪勢な詰め物の入ったクッションに身を預けていたのは今や亡きマザリーニ枢機卿や隠居を余儀なくされたヴァリエール公爵を凌ぐトリステイン一の権勢者となった高等法院長リッシュモンだった。

彼は今、編成を行なっている彼の所領軍を率いるために自領に向かっている。
魔法学院を初めとして王都を含めた各地で平民による大規模な襲撃や騒乱が頻発している今、王都での主導権を完全に握るためには彼の手勢を入れることが必要不可欠であると彼は考えたのだ。
名目は「王都を叛乱した平民から守る為」。
戒厳令が発せられた今、王都に彼の手勢を入れてさえしまえば大抵のことは可能となる。
たとえそれが彼の優勢がほぼ確定しつつある今も、未だ彼に完全に従おうとしない軍務卿一派の粛清であってもだ。

幸運なことに彼は未だ高等法院を取り仕切る地位にいる――いや、マザリーニ亡き今彼を事実上の宰相に、という声も多かったのだが彼はその地位に固執したのだ。
彼にとってトリステインの司法を一手に握っているということはそれなり以上に都合の良いことでもあったためだった――司法を握っているということは政敵を蹴落とすにも都合が良い。
疑惑の提起に始まり、証拠の捏造、そして罪状酌量も全て彼の裁量次第ということでもあるからだ。

だとするならば、彼の政敵に残された最後の武器は彼の握っていない軍事力――彼と彼に味方する諸侯を一斉に急襲して拘禁するという手段――ということになる。
それを阻止し、あるいは思いとどまらせるだけの戦力を整えることが現在の彼にとっての至上命題となっている。
そのためには彼の手勢である所領軍を王都に入れるのが最も手っ取り早い。
と同時に所領軍と共にいれば彼自身を狙う軍務卿一派の襲撃から身を守ることにも繋がる――そのために一時的に王都を離れ、彼は自領に向かっていた。
途中、彼の手勢たるリッシュモン所領軍は同じく彼がその政治力によって編制した水精霊オンディーヌ騎士隊とも合流し、たとえ軍務卿一派がその手勢を先に王都に入れたとしても対抗出来る戦力を整えることになっていた。

最大の政敵たる軍務卿を排除さえしてしまえば、あとは王女であるアンリエッタを傀儡としてこのトリステインという国は文字通り彼の手に握られる。
その王女であるアンリエッタが一向に政治に関心を持たない――トリステイン中央政界がこのような状況にあってもだ――現状ではそれを実現することは容易い。
その場合、唯一彼の邪魔になりそうな者は王女の近衛である銃士隊とそれを指揮するあの粉屋の娘ラ・ミランぐらいであろうがせいぜいが1個中隊程度の平民の集団に何が出来るものでもない――彼は平民出身者で編制されている銃士隊をそう評価した。

そして、彼がこの国を握ったならば――
彼が輝かしい未来を思ってほくそ笑んだ時、その幻想を破るかのように彼の馬車列の先頭を行く貴族の頭蓋が吹き飛び、馬上から崩れ落ちた。




「襲撃だ!」

どさり、と先頭を行く貴族が頭蓋とその中身を周囲に撒き散らしながら落馬したのに一瞬遅れて、彼を護衛する任を受け持った下級貴族達は暴れる乗馬をなだめると共に、一斉に警告の声を挙げた。
次いで彼らは困惑しながら一斉に周囲を見回し、銃撃してきた場所を探そうとした。

本来ならそんなことをする必要は無い。
銃撃というものは発砲時にどうしても大きな銃声が響くものであり、銃声のした方向を辿れば直に発砲した場所がわかるものなのだ。
しかし、先程の先頭の貴族を撃ち倒した銃撃は完全な無音だった。
命中した一弾の他に少なくとも10発以上の銃弾が撃ち込まれ――そして目標に命中せずに外れた――にも関わらず、である。

そんな異変に混乱しているうちにリッシュモンの行列は再度の斉射を受けた。
移動中の貴族を狙った1斉射目に対して停止中の行列を狙った2斉射目の命中率は高く、さらに二人の護衛貴族が乗っていた馬と共に血飛沫を撒き散らしながら路上に崩れ落ちる。
しかし、二度目ともなるとさすがに護衛の下級貴族も銃撃地点を見つけることができた。
相変わらず発砲音は聞こえないものの、彼らが視線を向けた森の一部には発砲に際してどうしても隠すことの出来ない発砲の閃光マズル・フラッシュと燃焼した装薬の放つ煙を明確に見ることが出来たのだ。
さらに銃口から発砲と共に漏れ出た煙は一度目の銃撃の際の硝煙と混じりあうことによって色を増し、確かにその場所が銃撃地点だと今なお明確に示している。

「あそこだ!」

そう一人が指し示すと、周囲の護衛貴族達も一斉に銃撃地点を狙って魔法を唱えようと杖を構える。
その瞬間、今度はその側面から一斉に銃声が響き、同時にこぶし大の黒い球状の物――擲弾が数個投げ込まれた。
擲弾と呼ばれるその原始的な手投げ爆弾は先日の魔法学院爆破以来トリステインの各地で起こった貴族を対象とした襲撃で多用され始めた武装だった。
その爆弾の構造はきわめて単純――火薬を詰めた容器に短く切られた導火線を繋げ、導火線の火が弾体の火薬に到達すれば爆発するというだけのシロモノだった。
しかし、いかに単純で原始的な代物だとしても遮蔽物の無い状態なら半径数メイル以内にいる人間は無傷ではいられない。

側面から受けた銃撃にさらに数人の下級貴族が倒れる。
一拍置いて、地面に転がった擲弾が次々と爆発して銃撃を受けて倒れた貴族に駆け寄ろうとした他の下級貴族達をなぎ払った。

「挟撃だと!?」
「一箇所に固まるな! 固まると集団で殺られるぞ!」

護衛の貴族達の間で混乱が広がる。
その間に最初の一撃をかけた襲撃者達はさらなる攻撃を行なうために身を晒して一斉に接近を開始した。
その光景を前に攻撃を受けて混乱していた貴族の一人が身を晒して接近する襲撃者の手に握られていたのは杖ではなく銃や剣であることを見て取った。

「おのれッ! 平民風情が――」

攻撃に激高した貴族の一人がそう叫んで『飛行フライ』の魔法で宙を舞う。
一見遮蔽物の無い空中に舞うというのは自殺行為の様にも見えるが、そうでもない。
空中で浮遊していれば少なくとも擲弾の攻撃は防げるし、空中を移動する物体を銃撃するのはかなり困難なものでもあるのだから。
そんな下級貴族の思惑通り、ふわふわと空中に身を晒した彼に対する銃撃はその予測照準の困難さもあって命中することなく彼の周囲の空間を飛び去っていく。
飛び上がった下級貴族はそのまま眼下で突撃を加えようとしている襲撃者達に向かおうとした。
しかし、その直後――その貴族はファイアーボールの直撃によって打ち落とされた。

「な、メイジだと!?」

先程宙を舞った貴族が文字通り火達磨になって大地に叩きつけられた光景を前にして、さらなる驚愕が護衛貴族達の間に走った。
メイジもいるのならば、先程までの無音の銃撃も理解出来る。
銃兵の周囲に『サイレント』の魔法をかけていたのなら、確かに無音の銃撃が可能であろう。
しかし、彼らにはそもそも平民の攻撃の補助として魔法を使用するという概念が欠落していたのだ――ハルケギニアで最強の武器と言えば魔法そのものであったのだから。
そんな彼らの推理を肯定するように、先程まで無音であった場所から銃声が響き、放たれた3斉射目の銃弾が彼らの体を貫いた。

そんな中、リッシュモンもまた混乱していた。
手近にいた護衛の貴族に怒鳴るようにして尋ねかける。

「軍務卿の手勢か!?」

そんなリッシュモンの疑問にその下級貴族もまた答えるべき答えをもたなかった。
襲撃者達の中にはメイジが混じっているのは確定しているが、その攻撃の主体はあくまで魔法ではないのである。
軍務卿の一派ならこういった襲撃に平民を混ぜなければいけないほどメイジの数に困ることはないだろう――暗殺というものはその詳細に関わった人間が少なければ少ないほど成功の度合いが高まるのだから。

「わかりませぬ! しかしながら、一刻も早くこの場からお逃げください! 我らがこの場で防ぎます故――」

そう答える護衛貴族の声に「当然だ! 何のために今まで良い目を見させてやったと思っている!」と怒鳴るようにリッシュモンは答えた。
彼にとっては護衛の10数人の貴族――今は既に数人に減ってしまったが――など使い捨てても問題ないという程度の価値しか無いと思っていた。
いや、彼にとって自分の命とその享楽な生活以外に真に価値を認めるものなどなかったと言えるかも知れない。
そんなリッシュモンは馬車の御者に向かって「行け!」と命じた。
しかし、馬車は進まない――前方にはそれまでの銃撃で倒れた貴族達の遺体が横になったままなのだ。

「しかし――」

そう御者は抗弁した。
当然、前に走って逃げようとすれば馬車はその遺体を踏み潰していかねばならない。
平民の死体ならともかく、高貴なる者である貴族の遺体を馬蹄と車輪で踏み潰すなどという行為はハルケギニアの常識からすれば誰しもが躊躇するだろう。
御者を仰せ付かったのが彼の護衛の中でも最も下級の貴族――高位の貴族は馬車の手綱など取らない――だったがためにその躊躇は誰よりも大きかった。
しかし、その間にも襲撃者達は突撃を開始し、リッシュモンの身には危険が刻一刻と迫る。
銃声の音よりも剣と杖をぶつけ合う音が聞こえ出し、それが次第に断末魔の声にとって変わられる。
喚声が徐々に近づき、剣戟の発生源が彼の馬車に迫る。
そんな状況で一向に走り出そうとしない御者に向かってリッシュモンは怒鳴った。

「かまわん、行け!――死体など踏み潰せ!」

「は、はっ!」

意を決して御者が牽馬に鞭をあてた時、馬車の下に数個の黒く丸い物体が転がり込む。
直後、轟音と共にリッシュモンの乗った大きな馬車は下から突き上がるようにして宙を舞った。






「副隊ちょ、ゴホン!――同志ミシェル、制圧完了しました」

銃士隊以来の部下がついそれまでの癖で彼女を呼ぼうとして――あわてて修正しながら答えた。
そんな部下の報告にミシェルは気にする様子も無く「損害は?」と尋ねた。
コミン・テルンの中で最も集団戦闘に優れた部隊とその部隊指揮の才能を持つ彼女にとって見ればこの程度の戦闘なら大した損害も無くこなすことが出来る。
そんな彼女の評価を肯定するように、彼女に伝えられた損害は重傷が二名、軽傷が六名というものだった。
重傷者と言っても最も重い者でさえ腕の骨折であり、生死に関わるものではない。
いくらほぼ完全な伏撃とは言えメイジの集団相手にこれほど少ない損害で相手を殲滅するというのはやはり彼女の能力が並大抵ではないことの証拠だった。
彼女がこの襲撃で率いていたのはせいぜいが1個小隊程の戦力でしかないのだから。

「これほどの護衛だ、乗っていたのはよほどの大物だったのだろうな?」

そう尋ねたミシェルは改めて戦場となった路上を見つめた。
彼女達が王都から離れたこんな場所にいたのは、この近隣にオラドゥールの惨劇の実行犯――水精霊騎士隊がいるらしい、との報告に基づいてのことだった。
彼女としては彼女なりにその復讐を果たそうとしたということなのだろう。
でなければトリステイン全土で一斉に貴族襲撃を開始させた者達の事実上の張本人自らがこんな場所に居るはずがない。

今、彼女の視線の先に在る路上には様々なモノが散乱していた。
あちこちに人間と馬の死骸が転がり、そんな死骸の前では逃げ延びた者がいないかどうかその数を彼女の部下達が襲撃直前の数と比べるために数えている。
特に外部から数えることの出来なかった馬車の中に関しては徹底して確認が行なわれているが、数度の爆発によって原型を留めていない馬車の内部に乗っていた人間の数を数えるということは困難でもあった。

「身なりからはかなりの高位貴族と思われますが……」

――さすがにあの状況では誰だったかを判別するのは難しい、と彼女の部下は苦笑いして答えた。
馬車自体を文字通りバラバラに粉砕した攻撃に加え、その後も安全確保の為に続けて数回投擲された擲弾の爆発によって馬車の中身は肉片と構成部品だったもので入り混じり、果たしてそれが人間だったかすら判別するのも困難な状況だった。
そんな答えに「まぁ、仕方が無い」とミシェルは答えた。

そしてミシェルは視線を頭上の太陽に向ける。
南に低くかかった冬の太陽は既に中天に達している。
これ以上、水精霊騎士隊の探索に時間をかけると、次の計画の初動に支障をきたすかもしれない。
彼女の内心で水精霊騎士隊を追いたい気持ちと指揮官としての義務がせめぎあう。
数秒の沈黙の後、ミシェルは彼女の指揮下にある部隊に命令を下した。

「負傷者を担げ! トリスタニアに帰還するぞ!」





ミシェル達がトリスタニアに帰り着いた時は既に日も沈んで文字通りの暗闇が都市全体を覆う頃になっていた。
と言っても暗闇に覆われていたのは平民街だけで、対照的に襲撃に怯える貴族街には無数の篝火が焚かれ、まるで昼間のように明るい。
彼女達がその本拠地としていた場所はかつてトリスタニアを中心とした広大な管区を持っていたジュノー教会。
とは言ってもロマリアから派遣された聖職者達が彼女達を匿っているわけではない。
『赤い虚無の日』以来、頻発する平民の反発に怯えて司祭たちが逃げ出し、空家となっていた建物を接収したのだ。
しかし、司祭たちが逃げ出したのも仕方が無いことかもしれない。
このハルケギニアで聖職者の見入りとは住民からの布施ではなく、寺院税という税金の形で徴集されるのだ。
無論、税金である以上、平民に拒否権は存在しない――それ以前にブリミル教徒である以外の選択肢など無いが。
言い換えればハルケギニアの平民階層はその上に、王家あるいは封建貴族とロマリア宗教庁という二種類の権威を背負わされている。
そしてその両者が統治の正統性について相互に補完しあっているのだから王都での騒乱に際して司教が逃げ出したのは当然の帰結と言えるかも知れない。

一流の料理人でもいるのだろうか?と思うほどに素材は粗末なものながら妙に美味しい夕食を兵士特有の速さでかきこんだミシェルに告げられたのは各地での貴族襲撃の成果だった。

「モット伯爵、シャレー伯爵……」

ここ数日の間に戦果はさらにそれまでの倍近くに膨れ上がり、下級貴族も含めれば1000名の大台に達しようとしていた。
この勢いであればあと1週間もしない内に2000名以上に達するだろう。
無論、襲撃した側である彼女達にも損害が出ている――それはつい先程の襲撃でも明らかだった。
しかし、それでも彼女達の士気は衰えない。
誰かを喪ったならば、その死すらさらなる復讐の為の糧として次の戦いに挑む。
動けるのであれば、剣をその手に持ち最後の一人までその『復讐』を果たすべく突き進んでいく。
まるで誰も彼もが狂気という酒に酔ったかの様だった――いや、革命というものが一種の酔いであるとすれば彼女達はその『復讐』という銘柄の酒によって泥酔していたと言えるのかもしれない。

しかし、いくら酔ったとしても現実の制約というものから完全に離れることは出来ない。
その一例を示すかのように、物資について取りまとめを行なっていた部下の一人が申し訳なさそうに報告した。

「ミシェルさん、次の襲撃の件ですが」

彼女が報告したのは予想以上の速度で消費されていた武器の量だった。
特にその消費は彼女が平民による対貴族の主力とした銃に必要不可欠な火薬において特に激しいものだった。

「――火薬が足りない? 『魅惑の妖精』亭から火薬を受け取る予定だったと思ったが?」

そうミシェルは不満げに尋ねた。
元々、彼女の配下と同調者達の管理していた武器はそれほど多くは無い。
特に必要最小限以外の火薬といった特殊な物資はその多くがスカロンを中心とした『魅惑の妖精』亭派とも言うべき者達によって管理され、各地の秘密拠点に蓄えられている。
戦術上の基本原則に従い、第一撃にその多くをつぎ込んだ彼女としては、続く第二段階の襲撃に必要な分量は彼らから譲渡によるものとしていたのだ。

「それが、説得に向かった班は全員拘束されてしまった様です」

帰ってきた答えにミシェルは失望した。
彼女としては本来コミン・テルンが組織を挙げて行なうべき貴族との戦いに必要な武器をあくまで正当な目的・・・・・に則って要求したつもりでいたのだが――実際に『魅惑の妖精』亭に押し掛けたあの元銃士隊隊員もその正当な目的の為に要求していた――その彼女の要望をコミン・テルンの中枢を占めるスカロン達は蹴ったらしい。
――勿論、彼女の言う「正当な目的」とはオラドゥールを初めとして犠牲になった平民達の復讐であることは言うまでもない。

「……武器の保管場所はどうだ?」

しばらくの黙考の後、改めてミシェルは尋ねる。
とは言ってもその声は一転して重く、慎重だった。
彼女はトリスタニア各地にあるコミン・テルンの武器貯蔵庫について尋ねている――つまり、彼女は警備の手薄な武器貯蔵庫から貴族との戦いに必要な武器を運び出せないか?と聞いていた。

「それが、こんな指示書が各地の保管場所を担当する者達に配られて以来――」

そう言いながら、彼女の副官格とでもいうべき銃士隊以来の付き合いのある女性が一枚の書類を差し出した。
そこにはトリスタニア中の武器貯蔵庫にスカロンの許可が無い限り武器を運び出すことを禁じる、ということが記されていた。
また、搬出の際には指示書だけでなく必ず署名者の立会いによる確認を受けるようにとの二重確認まで含まれている。
そしてミシェルは指示書の最後に書かれた署名に目を向けた。
リストの最上位には人民会議の議長――名目上のコミン・テルン代表であるスカロン。
次いでジェシカ、マチルダと言った名前が並び、続いてこの指示書の発行者でコミン・テルンの事務を総括するシエスタの署名。
さらに酷く下手な文字で見慣れない『ヒリガット・サイトン』という署名まである。

「……ヒリガット?」

思わず珍妙な名前をミシェルは呟いた。
そしてその瞬間、彼女はああ、と言った表情でこの署名の人物が誰か理解した。。
おそらく、この『ヒリガット・サイトン』というのは才人のことだと見当を付けたのだ。
彼女の推測は当たっていた。
シエスタに薦められるまま、才人は読むことは出来るように――と言っても理解した瞬間に日本語に置き換わってしまうのだが――なったガリア語の文字で自身の名前の読みに合わせた署名をしていたのだった。
そしてトリステイン中の平民から英雄視されている才人の連名があるということは、それだけでこの革命闘争における正統が『魅惑の妖精』亭派の手にあるということを意味しかねない――それだけの支持と知名度を才人は持っていたのだ。

「これが配られて以来、各地の武器保管庫の周囲は厳重に『魅惑の妖精』亭派ががっちりと固めています。おそらく……」

一戦を交えずして武器を手に入れることは出来ないでしょう、と彼女の副官は続けた。
その答えにミシェルはゆっくりと頷いた。
とは言え、その内心では彼女の目的に同調しない『魅惑の妖精』亭派に対する苛立ちが燃え上がっている。

彼女が『魅惑の妖精』亭派の様に武器や物資を横流し等で手に入れられないのには事情があった。
彼女の「正当な目的」に同調したのはコミン・テルンの構成員の中でも多いとは言えない――トリステイン全土でせいぜい3000名と言ったところだった。
一見大きな戦力のように見えるが、王都だけで数万人の支持・協力者を持つコミン・テルンの中では大した数ではない。
そして、彼女の目的に組しない『魅惑の妖精』亭派はコミン・テルンの残りのほぼ全てを取り仕切っているのだ。

さらに悪いことに彼女に同調した者達の多くが家族や友人を貴族によって失った者達――すなわち怨恨を最大の理由として組織に加わった者であった。
彼らの中にはこの戦争――アルビオン継承戦争の開始前から個人的に貴族に対して戦いを挑んでいた者も少なくない。
そうした点において、彼女の率いる部隊はコミン・テルンの中でも武闘派とも言うべき存在であった(特に元貴族のメイジ――その多くが親族を殺された経験を持つ――の比率は他の何処の部隊よりも高かった)が、その一方で物資の調達や協力要請といった細々とした行動には適していなかったのだ。
特に表面上は貴族の命令に従いつつ、1000リーブルもの単位で物資の横流しを行なったり、重要な情報を集めるといった行動はその大規模な組織力と求心力が問われる以上、彼女の部隊には決定的に向いていなかった(皮肉なことに彼女の率いる元銃士隊の小規模部隊としての組織力は極めて高かったが)。
また求心力の面でも平民の間に絶大な人気を持つ才人に比べて、Exとは言え平民達の間で貴族の犬と悪名高い銃士隊出身の彼女達は劣る面があった。

「次の計画はどうされますか?」

ふつふつと湧き上がる内心の苛立ちを堪えつつ今後の展開について思慮を巡らすミシェルに副官が尋ねた。
勿論、副官にも彼女達の置かれている状況はわかっている。

「……予定通り続けさせろ」

そう押し殺した声でミシェルはゆっくりと答えた。
現状の手持ちの武器は不足している――しかし、持てる全量をかき集めれば次の計画を実行するのに最低限必要な量を整えられる。
それに愚図愚図していてはアレも『魅惑の妖精』亭派に抑えられてしまうかもしれない。
次の一撃はようやく自分たちが絶対安全でないことに気付いた貴族共に決定的な衝撃を与えるためのものなのだ。
そして、彼女の作り出した光景を眺めた時、貴族達は否応無しに気付かされることになるだろう――自分たちは決して超越者などではなく、今まで虐げてきた平民と同じ存在であったことに。

彼女の脳裏にオラドゥールでの惨劇が生々しく浮かび上がる。
あの光景を今度は貴族共で再現してみせる。
理不尽な暴力というものの本質を奴らに見せ付けてやる――そのためには。

「渡さないというのならば、奪うしかない」

彼女はそう決意して呟いた。
感情は理性に優越する。
その言葉のままに彼女は彼女の目的を果たすために動くことを決意した――その目的を果たす邪魔になるのなら、つい先日までの“同志”を踏みにじってでも。



――そんな彼女の声をはっきりと記憶した少女がいた。
ミシェル達がが拠点にしているこの空家でミシェル達の世話をしていた少女。
未だ幼く、武器を使えないがために襲撃に参加しなかった少女の視点はミシェル達とは異なったものだった――あるいは襲撃に参加して血に酔っていないが故の思いだったのかもしれない。
この少女もまた家族を貴族の為に失っていた。
しかし、この少女が完全にミシェル達の主張に同調していたかといえばそうでもない。
仇をとるのは良い――この少女も子供心に家族の仇が果たされることを望んでいたし、そうなって欲しいとも思っていた。
しかし、同時に子供特有の醒めた部分では自分の家族が決して帰ってこないということもどこか理解していた。
だとするならば、帰ってこない家族の為に人を殺し続けることは『正しい』のか?

ミシェルの声を聞いた少女は走り出した。
少女が求めていたものは『復讐』でもあったし、身寄りを失った彼女を受け入れてくれるこの『居場所』でもあった。
しかし、それらの『正しさ』が先程のミシェルの一言で揺らいだ。
――果たしてつい先日まで行動を共にしていた仲間を犠牲にしてまで行なうミシェル達の言う“正義”とは『正しい』のだろうか?
ミシェル達についていく様に共にコミン・テルンと袂を分かっても、今も付き合いのある彼女の友人や知人は『魅惑の妖精』亭派の中にたくさんいた――いや、むしろそちらの方が多かった。
彼らを犠牲にしてまで自分は『復讐』を果たすという“正義”を望んでいるのだろうか。
ミシェル達と共に築いた『居場所』。
しかし、この少女にとっての居場所の中には今は袂を分かった筈の人々も多く含まれていたのだ。
そんな思いに押される様に彼女の足は速まる――そして少女の足が向かう先には『魅惑の妖精』亭という看板の掲げられた一軒の居酒屋があった。


度重なる過激な闘争は人を引き付けると同時に遠ざけることもある。
ミシェルがオラドゥールで貴族の行なった行為によってこの行動を決意したのと同様に、そんな報復だけを求める行動に対して違和感を覚える者に行動を覚えさせた。
それは、ある意味で裏返しであり――当然の結末でもあった。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


すみません、この連載が終わった後に書こうと思っていた上条×麦のんのSSの原型を書いてたら遅くなりました。
おまけに超電磁砲本誌でVS麦のんが始まったのでしばらく放置&修正予定(涙)

キュルケさんのことは……原作初期から改変してるのでそれほど気にかけてはいなかったとでもしておいてください。原作のように一緒に冒険した訳でもなく、才人を取り合った訳でもありませんので(汗)


10/08/07
二回目の改定を実施



[3967] 第35話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/09 21:46
――――――――――――トリスタニア貴族街前面。


「よし、行くぞッ!」

その言葉と共に10数人の襲撃部隊がトリスタニア貴族街に一番近い平民街の廃屋の中から駆け出した。
彼らの駆け出す先は貴族街を守る為に王都警備隊が展開している広場だった。
10数人という数は、ひっそりと行動する少人数にしてはある程度の相互支援が可能であり、何よりもメイジの一撃では決して全滅せずに反撃が可能であるという経験から編成された人数。
そのメンバーの何れもが貴族に復讐をするためならば、自らの命を惜しまないという彼らは今、一団となってまるで亀のように貴族街に引きこもっている王都警備隊に一撃を加えようとしていた。

「撃てぇっ!」

その号令と共に10丁程の銃が王都警備隊に向かって放たれる。
無論その数では大した損害は与えられないが、今回の目的を達成するにはそれで十分の筈だった。

「よし、撤退だ――」

指揮官の男はそう言って撤退を開始させようとした。
今までの経験から言えば、実弾を装填しているのは歩哨に当たっている数人の衛兵だけで残りの衛兵は急な襲撃に対応するまでに様々な準備を必要とする。
唯一、脅威となるのは単独で行動する貴族の存在だったが彼らはそれに対する対応策も持っている。
フライで飛来してくるメイジは先程発砲しなかった数人の銃撃で一時的に抑え、改めて装填し直した後で対応すれば同等――いや、こちらが複数であることを考えれば同等以上に闘えるのだ。
勿論、貴族が飛び出してこなければ、その合間に自分達は悠々とその場を離脱することが出来る……筈だった。

しかし、この時は勝手が違っていた。
手に銃を持った多くの衛兵が即座に射撃姿勢を取り彼らに向けて応射を行ったのだ。
本来なら指揮官の命令なくして決して射撃姿勢を取ることなどありえない。
それは襲撃された際の混乱した状況の中で味方撃ちを行なわないための行動であり、特に一斉射撃ともなれば指揮官による目標設定が必要となるのだ。
それを行なったということは最初から王都警備隊が即座に対応できる状態にあったということに他ならない。

油断していた襲撃者達の体を無数の銃弾が襲う。
その一撃で襲撃者達のおよそ半数がなんらかの傷を受けて地面に倒れ伏した。
そんな彼らに向けて今度は剣や槍を手にした王都警備隊の衛士達が切り込んでくる。
同じ平民階級である彼らとしても自分達の命を狙われた以上、彼ら襲撃者達に同情や共感などを挟む余地は無い。
たちどころに乱戦模様――いや、数としては圧倒的に少ない襲撃者達を衛士達が制圧していく。

そんな襲撃者と衛士が入り乱れ、争い合う中には杖を掲げた指揮官である筈の貴族士官の姿さえ見える。
普段ならば決して平民同士が殴りあう戦線の前に立つことのないその存在――メイジ最大の強みは魔法という遠距離戦闘能力にあるのだから――が戦場、それも平民との乱戦の中に立つという状況が意味するものは一つ。

「畜生、まるで俺たちを待ち構えていたみた……」

彼に向かってくる衛士達と斬り結ぶ男がそう吐き棄てようとして――
その言葉を言い切らないうちにその貴族士官が振るった杖の先から生み出された風の魔法が彼の体を真っ二つに切り裂いた。



風に乗って遠くから無数の銃声が響き渡り、そして多くの人間の発する喚声が聞こえる。
その音を聞きながら、この騒乱を仕掛けた張本人であるミシェルは自らが拠点としている棄てられた教会の中で彼女と志を同じくする仲間と共に『計画』の用意を整えていた。

「同志ミシェル、襲撃部隊から連絡です――『貴族街前面で初期の目的を達成、しかし敵の猛烈な反撃を受く』とのことです」

その知らせにミシェルは頷いた。
彼女には徐々に小さくなっていくその騒音からその場での勝敗が決したことが分かっていた――当初の計画では一撃を加えた後、直ちに離脱する予定であった襲撃部隊が戦闘に巻き込まれ、そしてその喚声が徐々に小さくなるということは彼らが敵に制圧されたことを意味する。
普段なら今回のような小規模部隊による散発的襲撃に迅速に対処することの出来ない貴族側の軍事組織が対応出来たということは、おそらく事前に情報を掴んでいたか、たまたま何らかの理由で迅速に対応することが出来たのだろう。
そう彼女は自分の中で結論を出した。

しかし、それでも構わない。
彼女の立案した『魅惑の妖精』亭派からの物資強奪計画にとって、この襲撃はあくまで陽動――それも『魅惑の妖精』亭派に対するものなのだから。

仮に襲撃部隊が全滅しようと結果的に貴族街前面で貴族派と『魅惑の妖精』亭派との間に衝突が発生すれば計画に齟齬は発生しない。
彼女の計画では、今や王都における貴族達の支配領域が殆ど貴族街に限られていることを前提として立案された。
貴族街前面で貴族側と平民との騒乱を起せば既に貴族街に押し込められている筈の貴族派の注意はトリスタニア前面に向けられる。
当然、その衝突は『魅惑の妖精』亭派にとっても座視できない。
ほぼ間違いなく大規模な衝突に備える――あるいはそれを阻止するために『魅惑の妖精』亭派は手持ちの戦力を衝突の起こったトリスタニア前面に向かわせなければならない。
その隙に彼女達は手薄になった『魅惑の妖精』亭派の握っている秘密武器庫から今後の戦いに必要な物資を強奪するという計画だった。

そして、その物資を握った後は――未だ貴族に尻尾を振る者と目的を忘れた裏切り者共にこの闘争の本質を見せ付けてやる。
誰もが彼女の行なおうとしている第二撃きょうふに恐れ慄くだろう。
それこそが……そう、それこそが復讐であり、まるでモノのように壊されていったオラドゥールの人々に対する鎮魂でもあるのだ。

あの全てが灰になった村を目にした時から決して消えることなく、彼女の心の中でくすぶり続ける思い。
その思いの命ずるままに、彼女がもう何度目か分からない決意を再び刻もうとした時、駆け込んできた伝令が彼女に思いがけない報告をもたらした。

「ほ、報告します! 敵が――王都警備隊と銃士隊が平民街に向かって前進・・してきています!」





「銃士隊、前へ!」

その号令と共にアニエス・シュヴァリエ・ド・ミランの率いる銃士隊は今や未知の領域と化しつつあるトリスタニア平民街に向かって前進を開始した。
かつての繁栄を誇った姿はそこにはない。
通りを圧するかのように立ち並んだ無数の出店の姿は既に消えて久しく、喧騒と活気に満ち溢れていた平民街の表通りには人の姿すらない。
一見すると、まるで打ち棄てられた街のようにも見える。
しかし、そうでないことは明らかだった。
彼女達銃士隊の前は道を塞ぐようにして築かれた巨大な障壁――無数の廃材を寄せ集めて作られたバリケード。
脆そうに見えるそのバリケードは見た目は悪くとも、実際に彼女達の行動を阻害して食い止める力があるのだから。

「バリケードを排除しろ、かかれ!」

人為的に造られた障壁を前に、アニエスは彼女の指揮下にある銃士隊の各隊に命令した。
同様の行動が数百メイルから1リーグ離れた場所でも王都警備隊によって開始されていることだろう。
リッシュモン不在の今、一時的に軍務卿の下に指揮系統が一本化された王都の治安維持にあたる王都警備隊と銃士隊は先ごろから激化した貴族の無差別襲撃に対抗するために叛乱組織の中枢・・を武力によって排除するという強硬手段に打って出たのだ。

トリステインではこの革命騒乱で貴族に多くの被害を出していた。
無論、それまでに叛乱した平民達への討伐隊を率いた貴族が逆に返り討ちにあったり、上級下級を問わず日頃平民達から怨嗟を買っている悪名高い貴族が殺され、あるいは資産を奪われる事件は何度もあった。
しかし、先日の魔法学院爆破テロ以来そうした『憎まれている』貴族だけでなく、温厚で領地の平民から慕われている貴族や腐敗に関わっていない清廉潔癖な貴族までが被害に遭うようになっていた。
――それはまるで『貴族』という階級に属する人間全てを憎み、この世界から消し去りたいが様に。

「そーれっ! 曳け、曳けえっ!」

彼女の目の前でバリケードに使われている廃材に縄がかけられ、障害を乗り越えるための侵入路が造られていく。
数百メイル離れた場所では軍務卿の肝いりで増強された王都警備隊が同様に――いや、彼女達銃士隊には居ない貴族の魔法を使ってバリケードを突破していく。
あっという間にバリケードを破壊し、平民街の内部に侵入してく王都警備隊を尻目に彼女の率いる銃士隊もまた着実に正面の障害に取り組んでいた。
巨大に思われたそのバリケードの中央に徐々に侵入路が開け、作業にかかる人員以外の銃士隊員たちはバリケードの先に向かって間断無き警戒の視線と装填済みの銃口を向けている。

「突入路が開けるぞ! 全員バリケードから離れろ! 第1小隊は開口部から突入して警戒態勢!」

その言葉と共にアニエスの率いる銃士隊を初めとして、総計で約2000名――王軍の一個連隊相当――にも上る貴族側戦力が叛旗を翻したトリステイン平民街へと侵入を開始した。





「何者かが貴族街前面の王都警備隊に銃撃をしたって――」
「どういうこと? 誰がそんなことを!?」

『魅惑の妖精』亭は混乱の最中にあった。
先日、ミシェル派が武器入手の為にコミン・テルンが蓄えている武器や物資を狙っているという情報を入手してからというものの、才人達『魅惑の妖精』亭派は何時もなら貴族街に接するバリケードを守っている者達まで動員して各地の秘密武器庫の周辺を固めていたが、それが裏目に出たのだ。
しかし、単に貴族側を襲撃しただけならばここまで混乱はしなかっただろう。
問題は続けてあちこちから入ってきた報告が引き起こしたものだった。

「ブルドンネ通り前面で銃士隊が前進を始めています!」
「ラスパイユ通りから報告!――『王都警備隊が平民街に侵入を開始した』と」

トリスタニア各地から寄せられる報告の数々は確かに貴族側の平民街侵入が事実だと示していた。

「銃士隊は第一のバリケードを既に突破、前進中!」
「王都警備隊はマジャンタ通りを前進しながら避難する平民に向けて杖を向けています!」

続報が入るに連れて状況の深刻さがどんどん明らかとなっていく。
貴族側の目的はコミン・テルンの誰もがその程度であって欲しいと思っていた威力偵察といった次元をはるかに超え、トリスタニア平民街を再び制圧しようとでも言うかのように前進の勢いは止まらない。
抵抗を続ける平民達は容赦なく排除され、そしてその過程で無数の悲劇を生み出していく。
特に都市市街戦において戦闘員と非戦闘員の区別が困難な状況の中で、安全を求めて避難しようとする平民にまで貴族の杖は向けられた――猛烈な反撃に遭っている貴族の側からすれば、そんなことを識別している余裕などないのだからある意味起こり得るべくして起こった悲劇でもある。

「早く助けに行かなくちゃ!」

ジェシカがその場にいる全員に向かって言った。
しかし、直後にシエスタがそれを押し留めるような声を挙げる。

「待ってください!……もしかしたら手薄になった武器庫を狙うのがミシェルさん達の狙いかもしれません」

シエスタはそうミシェル達の目的を推測した。
今彼女達が即座に動かせるのは『魅惑の妖精』亭や武器庫の警備を行なっている部隊だが、それらを送り出してしまえばミシェル達の襲撃を阻止することは出来ない。
と言ってごく少数の人員を残していくという方法も執る事は出来ない――唯でさえ単一の部隊戦闘にかけてはミシェル達の方が上なのだ。
だからと言って極少数の部隊を銃士隊や王都警備隊に向かわせるのは戦術上の原則からしても下策だと断言できた。
しかしそれが分かっていても受け入れられない、とジェシカが反論する。

「でも、今貴族達と闘ってる人たちを見捨てるなんて出来ない!」

「――アタシは行くよ、やられっ放しってのは性に合わないからね」

椅子から立ち上がり、今にも飛び出して行きそうな表情でマチルダがそう言い放つ。
建物の外では彼女と同じように血気にはやるトリスタニアの住民達がたいした武器もないのに銃士隊や王都警備隊に向かって集まり始めていた。
彼らをそのまま行かせてはさらに大きな被害が出るのは明白だった――しかし、このままトリスタニア平民街を明け渡す訳にも行かない。
それぞれがコミン・テルン――如いては平民による革命を実現するために最良と信じる意見をぶつけあう。
その一方で貴重な時間が刻一刻と過ぎ、その間にも自発的に貴族側と闘う平民達の血が流れていく。
そんな時、部屋の一番奥に座っていたスカロンが部屋の中に良く響き渡る声でコミン・テルン議長として口を開いた。

「店は焼けてもまた建てられるし、武器もまた集めれば良いわ……でも人は生き返らない! だから――」

そうスカロンは呟いて、結論を下した。

「皆を助けに行くわ。動ける人全員で、よ!」

その言葉と共に周囲の仲間たちが一斉に準備を始める。
店の地下蔵に隠されていた大量の武器が運び出され、剣や槍は勿論、銃や擲弾までもが次々と平民街を守ろうと『魅惑の妖精』亭の前に集まった者達に配られる。
受け取った者達は次々と戦闘の行なわれている場所に向かって足早に駆けていく。

――この瞬間、トリスタニアで貴族派と平民派の全面衝突が始まった。





「頭を上げるな!狙われているぞ!」

アニエスがそう警告の声を上げた直後、彼女自身のすぐ傍を数発の銃弾が霞め飛ぶ。
当初あっけなくたどり着けるかと思われた平民街への突入は、今や城砦攻略にも等しい困難さとなって彼女の率いる銃士隊の前に立ちはだかっていた。

「くそ! まるでフルコースだ。投石に弓、それに煮えたぎる熱湯。何もしないうちにやられていく!」

もう何度目になるか分からないバリケードの前でアニエスの隣にいた副隊長代理が怒鳴るように悪態を吐いた。
トリスタニア平民街に侵入した頃は抵抗の少なさに安堵を覚えた彼女達だったが、今やその認識が見込み違いだったことを思い知らされていた。
無人だった最初のバリケードは唯の警戒線に過ぎなかった。
次のバリケードに迫る頃には既に100人を超す平民が彼女達の侵入を阻もうと集まってきていたし、それを突破した先にはさらにその数倍の平民達が集まってきていた。
彼らの手にした武器も当初は投石がせいぜいだったものが徐々に槍や弓矢、さらに銃弾までもが彼女達を狙って無数に放たれ、通りの両側にある二階建て以上の家屋の上層階からは投石や銃撃は勿論、煮えたぎる熱湯までが彼女達に向かってぶちまけられる。
まるで無数の迷路のような路地からはどこをどう回り込んだものか、側面や背後からの奇襲を受けることも度々あった――とは言ってもその大半は個々人の判断で行なわれたような統制の取れない散発的なものだったのが救いだった。

その全てを排除して銃士隊は前進を続ける。
しかし、百メイルほど前進するたびに新たな障壁に直面し、新たに集まってきた平民達との争いは続く。
おそらくこの抵抗は彼女達銃士隊だけに向けられたものではなく、同時に平民街に突入した王都警備隊にも同様に向けられている筈だった。
しかし、その攻撃は全く衰えを知らない――どころかますます苛烈になっていくと言っても良い。
特に平民街最深部に近づけば近づくほど、銃や手投げ弾などの対処の難しい厄介な相手が増えていく。
そんな攻撃に彼女達の前進速度は徐々に低下していく一方だった。
副隊長代理であらずとも悪態の一つも吐きたくなるのも当然だろう。
そんな彼女に合わせるかのように第1小隊長代理――正規の小隊長は負傷して後送されていた――も一人呟く。

「無数のバリケードの次は剣の山に槍ぶすま――銃撃の次は手投げ弾、おまけにメイジの魔法……」

そう、彼女達には貴族ではない平民メイジの魔法までもが降り注いでいる。
そんな攻撃に対してなにやら悪態を吐こうとした第1小隊長代理の視界の端に何かが写った。
直後、彼女ははそこで急に声色を変えて全員に警告した。

「熱湯、来るぞ! 防御!」

その言葉の直後、彼女の声の届く範囲にいた銃士隊員たちは一斉に頭上に盾を構えた。
本来なら装備することの無かったはずのこの盾は今や彼女達銃士隊には無くてはならないものとなっている。
そして、今もまたこの盾によって彼女達が食い止められているバリケードの横にある建物からぶちまけられた熱湯はなんら損害を与えることなく地面へと染み込んで行く。

「火薬を濡らすな――制圧射撃! 撃てぇ!」

その号令と共に数丁のマスケット銃が一斉に熱湯が放り出された二階の窓を狙って放たれる。
しかし、その瞬間を狙い済ましたかのように反対側の建物の中から銃撃の為に身をさらした銃士隊員を狙って銃撃が放たれた。

「くっ――あぁっ!」
「――第2小隊、小隊長が負傷!」
「誰か! この子の傷口を押さえて!」

銃声が過ぎ去った直後、銃士隊のあちこちで一斉に悲鳴や怒号が飛び交う。
横からの伏撃に銃士隊は一時的な混乱に陥る。
しかし、そんな状況であってもアニエスの一声で銃士隊は平静を取り戻した。

「負傷者は後送しろ! 装填ッ!」

遠くまで良く通る彼女の声に一斉に銃士隊員たちは自らの使命を思い出し、各々の為すべきことに向かって再び取り掛かる――彼女達の多くは隊長であるアニエスを信頼していたし、その指揮に従うことが最も彼女達銃士隊の損害を減らすことに繋がると理解していた。
しかし、そんな銃士隊の先頭からさらに悪い警告が発せられる。

「隊長! 前方に敵の新手が――」

しかし、その警告が言い終わられる前に火球ファイアー・ボールが叫びを挙げた銃士隊員を包み込む。
さらに側面の建物に陣取った敵が再装填を終えて筒先を彼女達の方に向けるのが見えた。

「また来るぞ! 全員伏せろ!」

再び銃声が響き渡り、何名かの銃士隊員が斃れる。
しかし、それに臆することなくアニエスは命令を下す。

「銃士隊、射撃用意! 目標――前方の敵メイジ!……撃てェ!」

号令と共に無数の銃声が響き、次なる魔法を唱えるために身をさらしていた平民メイジが赤いモノを撒き散らしつつ膝を折って倒れる。
彼女達銃士隊にとってもやはり最大の脅威は魔法という高い遠距離攻撃能力と火力を持ったメイジなのだ。
そして、相手が同じ平民であれば訓練を積んだ彼女達銃士隊は半ば素人同然の相手に互角以上に戦える。

「前方の敵、突入してきます!」

銃撃の行なわれた側面の建物を制圧した第3小隊長が警告の声を挙げる。
その声を聞いた彼女は誰もが身を低く屈めた中で一人立ち上がり、腰に下げた鋭剣を抜き放つ。
中天に登った太陽の光を鈍く反射する自らの剣を手に、彼女はその場にいた総員に聞こえるように叫んだ。

「総員抜剣! 白兵戦に備えろ!」





――トリスタニア平民街は無数の銃声と喊声、そしてうめき声と断末魔の叫びによって包まれていた。
今、コミン・テルンの本部たる『魅惑の妖精』亭を目指して部下と共にトリスタニアの裏道を進みつつあるミシェル自身が引き起こした無差別貴族襲撃を皮切りとして、貴族側の銃士隊と王都警備隊の平民街侵攻――そして『魅惑の妖精』亭派の反攻に伴う大規模な衝突の真っ只中に彼女はいた。

「ミシェルさん、『魅惑の妖精』亭派はその殆どが貴族側の襲撃に対抗するために貴族街側に集結しています」

ミシェル自身がトリスタニアのあちこちに散らせた偵察員からの報告を聞きながら、彼女は部隊を率いて『魅惑の妖精』亭へと向かう最後の角を曲がる。
直後、一軒の居酒屋から大量の物資が運び出されている光景が目に入った。
大量の剣や銃と言った武器は勿論、どう使うつもりなのか火薬を収めた火薬箱までもが『魅惑の妖精』亭の地下やその周囲の建物から運び出され、前線で戦う人々に向けて運搬するための馬車に積み込まれつつある。
そしてその運搬に当たっている人々の多くは使用可能な武器を手にしていない――片手に武器を抱えた状態で大量の物資を運ぶなどということは非効率極まりないためである。
勿論、武器そのものは目の前に無数にあるが、彼らはそれを即座に使用することは出来ない――例えば剣は運搬・保存しやすいようにしっかりと鞘に収められているし、燧石式のマスケット銃を装填した状態で荷車に積み込む者など誰もいないからだ。

「残っているのは残った武器を前線に運び出している一部の部隊だけです」

傍らで同じく状況を確認した仲間のその言葉にミシェルは計画の成功を確信した。

「よし、一個分隊を率いて輜重の前方に回れ」

副官格の仲間にそう指示を飛ばすと彼女は駆けるのではなく、わざと威圧するように隊列を整えて『魅惑の妖精』亭の前に進み出て腰に吊るしていた短銃の一丁を手にとり、上空に向けて引き金を引いた。

「全員動くな!」

乾いた銃声の直後、『魅惑の妖精』亭の前にミシェルの声が響く。
その直後、搬出に当たっていた人々の多くは突如として出現した武装集団を目にして誰もが凍りついたようにその動きを止めた。
しかし、一拍を置いて自らが襲撃されたという状況を理解した一部――『魅惑の妖精』亭から貴族街方面に向かう方向にいた荷馬車の一部が鞭を大きくしならせて走り出そうとした。
そんな彼らに向けられたのは前方に回りこんだ別働隊の銃口だった。
今度は短発ではなく連続した銃声が響く。

「動くなと言っただろう!」

未だ銃口から硝煙の漏れる短銃を片手にミシェルが改めて告げた――それは従わなければ次は容赦しないという警告でもあった。
しかし、そんなミシェルの前につかつかと足を進める人物がいた。

「あなたは今自分が何をしているのか分かっているんですか!?」

そうミシェルに詰め寄るシエスタの声は堂々とした響きだったが、そう言ったシエスタ本人の体は恐怖故かかすかに震えている。
それでも彼女はその場――『魅惑の妖精』亭から搬出に当たっている人々の代表者としてミシェルを初めとする襲撃者達に立ち向かった。

「当たり前だ、我々は今も平民の為に闘っている」

そんなシエスタにミシェルが答える。
ミシェルからすれば貴族への復讐はオラドゥールを初めとして今まで無数に苦しめられた平民達の恨みを果たすための正当な行為であり、貴族を殲滅すれば必然的に平民はそれまでモノのように扱われ搾取されてきた階級社会から解放されることになる、ということになる。
そして、そのためにはもっと大量の武器や物資が必要であるからこそ、彼女はこの行動を起したのだ。

「――シエスタ、貴様もあの貴族どもを守るというのか?」

そんなシエスタにミシェルは尋ね返した。
勿論、そこでシエスタが「そうです」などと言おうものならミシェルは即座に腰に下げた鋭剣を引き抜くもりだった。

「勘違いしないで下さい! 貴族なんて正直どうでもいいです!」

そう思われることは心外だ、とばかりにシエスタが強い言葉で答える。
言うまでもなく、彼女が守りたいのは貴族などではない。

――彼女が本当に守りたいのは人々を守るコミン・テルンの理想だった。
人は生まれつき自由に生きる権利を持っている。
しかし、自分の力だけで自身の権利を守ることが出来るの人間はごく一握りの人間でしかない。
同じ人間だけの社会の中でさえそうなのだから、オーク鬼や吸血鬼と言った強い外敵を持つハルケギニアではさらにその数は限られる。
だからこそ、弱い力しか持たない人々は“自分達の権利を守る為に政府を組織する”、と彼女の曽祖父は言っていた。
そして、コミン・テルンはそんな弱い人々――すなわち現在の王政府に権利を奪われている平民階級のための政府として創られたのだ。
そんなコミン・テルンに一度は参加したミシェル達が今はその手にした武器という“力”を持って貴族という人間を無差別に襲う、という行為が決して許せないだけなのだ。

しかし、そんなシエスタの言葉を誤解したのかニヤリと笑みを浮かべたミシェルが口を開く。

「ならば簡単なことだ、我々に武器を引き渡してもらおう」

そうミシェルはシエスタに告げた――もちろん、我々は新しい“同志”を歓迎する、と付け加えて。

「お断りします、と言ったらどうなるんです?」

ミシェルの誤解に肝が据わった、いやさらに怒りの度を増したのか――先程よりもさらに強気な態度でシエスタがそう問いかける。
シエスタの質問に意外そうな顔をしてミシェルはさっと右手を掲げた。

「構え!――撃てッ!」

直後、ミシェルの背後から響いた号令と共にトリスタニアの平民街の最深部――『魅惑の妖精』亭の前で連続した銃声が響き渡る。
次の瞬間、あまり質が良いとは言えない木造の壁に無数の穴が穿たれた。
加えて壁との衝突で勢いを減じたとは言え、未だ十分なエネルギーを持った銃弾が内部の装飾に被害を及ぼしたのだろう――建物の内部からは家具やガラスの砕ける音、さらに怯えた誰かの悲鳴も聞こえる。

数秒後、薄まった硝煙の向こうに一瞬のうちに無残な様相を呈することを強制された一軒の居酒屋が目に入った。
――壁には無数の銃撃痕が穿たれ、かつて“トリスタニア一の名店”と銘打たれていた面影は感じられない。
それを示すかのように、店の入り口付近に掲げられた古びた看板は今やただの木片と化し、穴だらけとなった看板はその自重を支えきれずに一拍を置いて、他の粉々になった破片とともに地面へと落下した。



「今のは……銃声?」

侵攻してくる貴族派を食い止めるべく貴族街方面に向かって進んでいた才人は背後から響いた無数の銃声を聞いてふと立ち止まった。
無論、前方からはそれを圧倒的に上回る戦場音楽が響き続けている。
実際にミシェル達の放った2回の警告の銃声は今よりも『魅惑の妖精』亭に近い場所にいた筈の才人達に届くことなくトリスタニア中を包み込みつつある戦いの騒音に飲み込まれていた。

「うちの店の方向ね」

同じく、その銃声が聞こえたらしいスカロンが答えた。

「おそらく、ミシェル派の襲撃」

そうぽつりと予測を洩らしたのは才人の隣にいたシャルロットだった。

「……」

予想された中でも最悪の状況にその場にいる誰もが足を止めて沈黙する。
今、この場で引き返すというのは簡単なことでもあるが、しかしそれは逆に言えば、残っているシエスタ達を救うために今貴族側と闘っている人達を見捨てる、ということでもある。
かと言って戦力を分散することも出来ない――貴族側に押されている人達を救うためには一人でも多くの戦力が必要となるし、襲撃してきたであろうミシェル達の戦力は全く不明で中途半端な戦力を送り込めば各個撃破される危険も高まる。
誰もが決断しかねる状況の中で口を開いたのは、やはり先程最悪の予想を口にしたシャルロットだった。
彼女は才人の方に向き直ると、ぽつりと彼女の決意を伝えた。

「ここは私たちがなんとかする」

彼女はそう才人に告げた。
身内であるが故に冷酷な判断を迫られていたスカロンもまたその言葉に同意する。

「――行って」

シャルロットはそう告げて再び貴族街の方向に向かって走り出した。
同じくスカロンは太い腕で才人の両肩を掴むと「シエシエを助けてあげて」と言葉をかけた。

「わかった」

そう頷くと才人は一人来た道を駆け戻り始める。
スカロンはそんな才人の背中を一瞬眺め、次の瞬間にはくるりと背を向けると、持ち前の野太い女言葉で共に進む仲間達に向かって叫んだ。

「さぁ、行くわよ! マドモアゼル達!」







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


>麦のんが誰だかわからなかったのは俺だけではないはず

(マクロスF風に)ご存知、ないのですか!?彼女こそ、秘密組織アイテムのリーダーにして学園都市第四位に君臨する、原子崩しメルトダウナー、麦野沈利さんです!

詳しくは鎌池和馬氏著【とある魔術の禁書目録】シリーズをお読み下さい。
特に、麦のんの大活躍の読める15巻・19巻は絶賛発売中(たぶん)です!

……でも前回ご報告したようにしばらく封印予定(涙)
代わりに気が向けば(出来が人目に晒せるレベルなら)佐天さんの話をひっそりとチラ裏にでも投下するかも知れません。


10/08/07
二回目の改定を実施




[3967] 第36話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:6b76b6f1
Date: 2010/08/09 21:44

――――――――――――トリスタニア平民街、魅惑の妖精亭前。


周囲を圧する無数の銃声、そして直後の静寂を経て砕け散った『魅惑の妖精亭』の外壁の一部や穴だらけになった看板が地面に落下する音が響く。
まるで『反貴族』を象徴する、ミシェル達の示した暴力の圧倒的な本質を前にして誰もが沈黙を余儀なくされているかのようだった。
しかし、そんな“力”を前にして決して臆することなく立ちはだかる少女――シエスタははっきりとミシェルに告げた。

「私たちがしたいことは貴族の殲滅なんかじゃありません!」

はっきりと告げられたその言葉にミシェル――そして彼女に続く急進的過激派達の顔色が赤く染まる。
しかし、次にそんな彼らの顔に浮かんだのは困惑とも言える表情だった。

「私が――私たちが目指しているのは」

シエスタという少女の放ったその一言はそれほどまでに彼らにとって理解不能なものだった。

「私たちが憎むのは貴族じゃありません!貴族というものを認めて平民と貴族という階級を生み出してるこのトリステインの社会制度こそが私たちの敵なんです!」

そう言い切った彼女は「貴族だから」と言って、ミシェル達がまるで貴族がこれまで平民にしてきたように扱うということが許せなかった。
無論、彼女が先程言った「貴族なんてどうでもいい」ということも彼女の本音でもある。
革命によって貴族が死ぬことも彼女にとっては「どうでもいい」ことだった。
しかし、ここで彼女が「守りたい」ことは革命の理想――シエスタを初めとして『魅惑の妖精』亭派の仲間達が求めている、平民だの貴族だのと言った階級によって権利の左右されない社会制度の実現にあった。
コミン・テルンは決して自分達が――彼女達平民が現在の貴族の地位に成り代わることを求めているのでは無い。
そうであるが故に、まるで“貴族”という階級に属する人間全てを存在する価値の無いモノとして認識し、“平民”である自分たちが断罪する、というミシェル達の行動そのものが彼女にとって最大の忌むべき考え方なのだ。

「貴族さえ居なくなればその理想も実現出来るさ!」

そんなシエスタの考えを半ば理解出来ないままミシェルは反射的に答えた。
彼女にとって――いや彼女の同調者達にとって見れば貴族とは支配者そのものの存在であった。
逆説的に言えば貴族さえ居なくなればシエスタの言った「階級」というものは消え去るとも言える。
あまりに単純ではあるが、ある意味で彼女達にとっての階級社会の消失とは復讐の結果として副次的にもたらされるものだった。

「そうやって貴族を殺すのを正当化して何になるんです?」

そんな言葉にシエスタは反論する。

「私にだって貴族に対する恨みならいくらでもあります!……だけど私達がしたいのは復讐なんかじゃありません! 復讐という名目の下で“自由”に人を殺すことに何の意味があるんですか!?」

シエスタの最後の言葉には諭すような色があった。
しかし、その言葉はミシェルの琴線に触れた。

「奴らが人間なものか!」

そうミシェルは怒声を上げた。
怒りで握り締められた拳が震えている。

「奴らは我々のことを単なる駒としか見ていない――アルビオンでの戦争を見ろ! 平民は命令一つで駒として借り出され、死んでいく! 貴族同士なら決闘であっても身代金次第で命まで買えるが我々平民に与えられるのは僅か数エキューの弔慰金でしかないのだ!」

彼女はその震える拳を振り上げて続けた。

「だから殺してやる! たとえ100万エキューを積まれようとも己の命が金で買えるようなものではないことを思い知らせてやる! もし奴らが人間だったとしたら、今まで奴らが同じ人間に何をしてきたのか――そしてそれがどんなものだったか身をもって味あわせてやる!」

そんな彼女に反論しようとしたシエスタだったが――

「うるさい、黙れ!」

そう叫んでミシェルはシエスタの頬を張った。
シエスタは思わず倒れ込む。
そのままミシェルは手にした鋭剣をシエスタに突きつけようとする。

その時、声が響き渡った――

「シエスタから離れろ!」



「うおぉぉぉぉおッ!」

心の震えがもたらす雄叫びと共に才人は駆けた。
手には彼の相棒である片刃のインテリジェンス・ソードが握られ、そのデリフリンガーを掴んだ左手にはガンダールヴのルーンが輝きを放っている。
常人なら対応できない速さ。
しかし、並みの人間なら受け止めることすら出来ない才人の一撃をミシェルは数歩たたらを踏んだものの受け止めて見せた――彼女もまた元銃士隊副隊長を務めるほどの人材であったというその証拠の一端を示したのだ。

「貴様もかッ!」

才人の一撃を自らの鋭剣で受け止めたミシェルが叫んだ。
彼女とシエスタの間に割り込むようにして突っ込んできた才人はその言葉に答えるでもなく、周囲の状況を見つめてただ一言だけ尋ねた。

「なんでだよ!」

貴族の支配を拒むという点でかつて同じ組織に所属していたミシェル達がどうして同じ平民に剣を突きつけているのか――その一言にはその問いが込められていた。
そんな才人の問いに対してミシェルもまた内心に潜む激情をあえて端的に表現した。

「正義だ! それ以外に何がある!」


――正義。

その言葉は誰にとっても心地よく、そして誰もが夢見る理想。
同時にそんな“正義”という言葉は全ての人に共通でも、そこに思い描かれる世界は共通のものではない。

例えば、この「世界」の理不尽を受け入れられなかった才人とその仲間達はその原因である貴族制度の無い世界を希求し、貴族によって受けた恨みを果たすことを目指したミシェルは貴族階級に属する人間そのものが居ない世界を渇望した。
マザリーニは革命の過程における混乱と騒乱によって発生する貴族・平民双方の犠牲に対する憂慮から貴族と平民の対立を防ぐという正義を持っていたし、その彼を亡き者にしたヴィリエ・ド・ロレーヌですら貴族支配体制の維持という自分自身にとっての“正義”を信じていた。

そして、そうである以上、誰にとっても受け入れられるとは限らないものでもあった。

トリステイン――いやハルケギニアに住まう平民の多くが持つ貴族への憎悪や復讐心。
そんな思いを持つ平民達にとって、『魔法』という“力”で彼らを支配する貴族達への復讐という正義は確かに惹きつけられる考えだろう。

しかし、才人達の側にはそんな復讐だけに囚われた正義とはまた違った正義があった。
それは“希望”という旗印。

『何人にも奪えない自由な権利の回復』
『誰もが等しく扱われる真の平等の実現』
『人民の人民による人民の為の国家の樹立』

スカロンがかつて『魅惑の妖精』亭で語ったそんな虐げられている側の誰にとっても実現して欲しいという理想を才人達は掲げていた。
そして才人は“希望”という旗印を守る為には最低限必要とされるもの――それはトリステインの平民達の間でぼんやりと醸成・共有されていた「信頼感」というものを守る為に闘っている。
この戦争以来――いや、ごく小規模なものならそれ以前から――食べるものもない状況のおかれていた人々に対して行なわれた炊き出しや保護活動を通じて、才人達を「信じられる」という認識が出来上ってきた。
だからこそ彼らはチェルノボークの“解放”や軍需物資の横流しに協力したのだ。
才人達に対してトリステインの平民達が抱いている「信頼感」を失わないためにも、コミン・テルンは誰も見捨てない――シエスタ達を助けることは勿論、平民街に侵攻してきた貴族達を食い止めるためにコミン・テルンが闘うのもその契約を示すためのものでもある。
それは当然ミシェル達にも存在する。
彼女もまた自らに協力する人々へ自身の計画が貴族への復讐を満たすに足るものであると証明せねばならない。
だからこそ彼女は次の闘争に備えた物資を手に入れることを目指さなければならなかったのだ。

そして、今この場所ではその“正義”と“正義”が衝突していた。

才人達の目指す自由という理想と“正義”。
あるいはミシェル達が求める復讐という理想と“正義”。

人が自分自身の中で“あるべき”であるという理想と正義は、常にお互いを補い高めあう相関関係にある。
だとするならば、どちらかを譲ることなどありえない。
どちらか一方が失われればそれは理想でも正義でもありえなくなるからだ。

力なき正義は無力。
正義無き力は暴力。

そんな言葉の含意を考えれば、“正義”と“正義”がぶつかった時にどちらがより正しいなどと言うことは出来ない。
“力”とは正義を実現する方法の中で発揮されるからだ。
あえて反語的に述べるならば、より大きな“力”を持った方こそがより“正義”に近いとでも言えるのだろうか。



「――うぉおおおおおお!」

その喊声と共にデルフリンガーが振りかぶられる。
再び金属同士が強くぶつかり合う音が響き、押し留められた。

「はぁあああッ!」

しかし今度はミシェルが気合とともにそんな才人を押し戻す。
もう何度目になるか分からない剣戟の中でミシェルが告げた。

あのような光景オラドゥールを許しておけるものか! 奴らにも同じ悲劇を見せてやる――奴らは震えながらでなく、藁の様に死なせてやる!」

皮肉というべきだろうか。
身近な人物や親族と言った血族関係だけでなく村や地域、そして国を越えて人々の連帯を謳ったコミン・テルンの『友愛』という思想。
その思想が今形を変えてミシェル達の行なった復讐の原動力となっている。
なぜなら、才人達の属しているコミン・テルンという組織こそが個人のレベルで留まっていた平民達の貴族への怨恨をトリステイン――ハルケギニア全体という地平へと押し広げ、結果として平民に反感を抱かれた貴族そのものを滅するというミシェル達の行動を誘発したとも言えるのだから。

幾多の剣戟を繰り返しながら、まるで悲鳴のようなミシェルの独白は続く。

「貴様たちはあいつらが……あの人の皮を被った悪魔連中が憎くは無いのか! 自分たちの権力の為なら平民から奪い、殺し、時に同じ貴族ですらも陥れる。そんなことが許されるとでも言うのか!?」

それは彼女が、いやハルケギニアに住まう全ての平民達にとっての共通の思いだったのかもしれない――彼女は一切の批判を受け入れないかのような口調で才人に問いかけた。

「わかんねぇよ!」

そんな問いかけに才人はそう答えるしかなかった。
無論、彼の心の中では様々な思いが入り混じっている。

ある日突然この『世界』に召喚され、奴隷同然の扱いをされた経験。
逃げ出した彼を助けてくれた『魅惑の妖精』亭の人達を守りたいという思い。
彼を初めとした“平民”を苦しめ、自らが特別な存在だと言って恥じない貴族に対する反感。

そんな思いを胸にした才人はこの世界に召喚されてから半年程だった頃、ふと考えたことがある。

“――俺がこの世界にいる意味って何だ?”

自分の存在する意味。
このハルケギニアに召喚されるまでは、そんな「意味」なんてものが存在することなど考えたことなど無かった。
おそらく、召喚される前の世界では才人はそんなことは考えもしない――いや、気付くきっかけに出会うことすら無かっただろう。
しかし、才人は“この”世界に召喚されて、いろんなものを見させられてしまった。
……おそらくそれは彼が以前暮らしていた世界では決して目にすることのなかったもの。

シエスタを――自分達よりも立場の弱い平民を自らの下卑た欲求の対象として恥ない貴族の姿。
平民を苦しめ、殺してもなんとも思わない貴族の姿。
自らの職権を利用して平民を虐げ、私服を肥やして恥じない貴族。
――まるで平民を動物としてしか見ていないかの様な『人間の人間に対する支配関係』を見せ付けられたのだ。

そんなことを受け入れて良い筈がない。
そんなことを認めて良い筈が無い。

そんな思いを抱く才人に向かってミシェルが問いかける。
怒りに燃える彼女と才人の視線の間には互いに小刻みに震えて鍔競り合いを繰り広げるデルフリンガーと鋭剣の刃が煌いていた。

「ならば何故、オマエは父を母をそして仲間たちを殺した貴族と握手を交わせというのだ!」

――答えろ、とミシェルは二振りの剣越しに叫ぶ。
それは彼女からすれば当然の疑問だった。

「わかんねぇよ!」

再び才人はそう答えた。
その声には先程よりも強いものが含まれている。

「だけど――」

それでも、貴族である人間の人間性――その生きる権利まで奪ってはならない。
そんなことをすれば、それは魔法に代わって団結という“力”を得た才人達平民がそれまでの貴族との地位を入れ替えるだけになってしまう。
それは多数者が少数者と変わっただけで、何の解決にもなっていないのだ。
彼が目指すものは『誰かが誰かを虐げることを当然とする社会』の構造そのものの破壊なのだから。

だから、才人は断言した。

「そうなったなら――やっていることは貴族達と同じだろ?」

ミシェル達に向かってそう言い放つ。
今のミシェル達が行なっている復讐は今まで貴族達が平民達に行なってきたことの裏返しに過ぎない、と。

才人のその答えにミシェルは沈黙した。
それまで貴族に復讐するということの正当性――貴族というだけでテロ行為の対象としてきたことの正しさを信じてきた彼女にとって、才人の指摘は衝撃以外の何者でもなかったのだ。


「もう止められない――」

しばらくの沈黙の後、依然として刃を重ね続ける二振りの剣を挟んでミシェルは搾り出すように冷酷に告げた。
それは彼女や彼女に同調した多くの人々の思い。
理想としてはわかっても、感情という言い知れぬものがその受け入れを拒む。

「我々は止まらない――誰にも止められない。奴らの穢れた血がこのトリステインの大地を血に満たすまで!」

彼女はそう言いきり、鍔競り合いの状態から才人を一挙に押し戻して距離を取った。
その目にはもはや引き返すことは出来ないのだ、という意志が込められている。

「そんなこと――」

させない、と才人がミシェルの言葉に反論しようとした直後、『魅惑の妖精』亭の周囲が一瞬薄暗くなった。
才人達の上空を一隻の中型船がゆっくりと通過していく。
誰もが上空を見上げる中、ただ一人才人を見据えていたミシェルは勝ち誇るように呟いた。

「もう遅い」





王都であるトリスタニアの上空は特別な許可を得た場合を除いてフネによる飛行は禁止されていた。
表向きのその理由は“王族の住まう王宮を上から見下ろすことが不敬に当たる”ということとされていたが、実際には短期間で大量の戦力を王宮に直接投入される――すなわちクーデターや敵国の奇襲攻撃――という事態を防ぐためであった。
しかし、今その禁令を破って一隻の中型船がトリスタニア上空に向かって突き進んでいた。
フネの名は『マリー・ガラント号』。
かつて才人達がアルビオンに渡り、そしてロサイス焼き討ち作戦の渦中でコミン・テルンが手に入れたフネだった。

その『マリー・ガラント号』が今、ごうごうという風斬り音と共に一直線に貴族街の北端にそびえる王城に向かって飛んでいく。
その異様な光景に気付いたらしい魔法衛士隊の一隊が王城内から飛び立ち、空中で一斉に『マリー・ガラント号』を取り囲み、フネの航行を阻害すべく、一斉に帆や索具に向かって魔法を放った。
平民達の襲撃を警戒していた彼らとしては王城を砲撃でもされればそれこそ魔法衛士隊の名折れである。
故にその行動は迅速だった。

守るものの無いフネの各所に次々と魔法が命中する。
ある風の魔法は檣柱と帆を繋ぐ索具を切り裂いて操艦を阻み、またある火の魔法はフネの原動力となる風を受ける帆を燃やし、フネの進む勢いを削ごうとした。

帆と索具の大半があっという間に襤褸切れへと変わる。
風を受ける、というその機能を果たせなくなった帆は単なるバタバタという大きな音を発するだけのオブジェと化し、新たに帆を張りなおそうという乗船している平民達の行動を阻害する。
それでもフネは残された最後の手段――風石によって生み出される高度という位置エネルギーを犠牲として王城へ向かって飛行しようと試みた。
しかし、フネを操る帆や索具を失ってはどんな手段を持ってしても王城へ向かうことは困難だった。
何しろ『マリー・ガラント号』の周囲にはグリフォンやマンティコアに跨った魔法衛士隊の面々が残った僅かな帆を風に立てようとする乗員を見つけ次第魔法を放ってくるのだから当然だ。

遮蔽物の陰に隠れながら、『マリー・ガラント号』を操る平民の指揮官は一人毒付いた。

「畜生め!」

彼の周囲には――いや、彼の視界の大半を占めるフネの甲板の上には無数の人間だったものの残骸が散らばっている。
千切れ飛び、あるいは黒焦げになった仲間達。
しかし、彼の視線の先にあったのはそんな“同志”達の末期ではなく、眼下に広がるトリスタニア貴族街の姿だった。
進路の左手には標的だった筈の王宮。
右手には王都の西の端に建てられた30階建てにもなる巨大な塔が見える。
その光景の意味するところは一つ――『マリー・ガラント号』は標的への進路を外れつつあるということだった。

しかし、進路を外れていることが判ったとしても彼らに打つ手は無い。
フネを操るための帆や索具は既に無く、コースを修正する方法もない。
彼らが打つ手もなく目の前の光景を眺めている間にも、フネはそれまでの勢いのままにゆっくりと風に流されながら前進を続けている。
このままでは王城の横を通り過ぎてしまう、という時――彼は一つの決断を下した。


「点火用意! 風石を切れ!」

本来なら標的を見定めて進路を固定すれば乗っているメイジの“浮遊レビテーション”によって脱出する予定だったが今ではそれも不可能だった――周囲には相変わらず魔法衛士隊が取り囲むように飛び回っていたし、そもそも“浮遊”をかける筈だったメイジは防戦に駆り出されてとっくに事切れていた。
このまま飛行を続けたならばいずれ必ず捕縛されるだろう。
その後の自分達に待っているのは拷問の末の明確な死――自分達が貴族に為そうとしていることが知られればそれは避け様のない運命だった。

(……どうせ死ぬなら)

――どうせ死ぬなら、目的を果たすべきだ。
貴族に対する憎しみとこれからの運命に対する決意と共に発せられた命令に従って『マリー・ガラント号』はフネに残された最後の動力――風石による浮力を絶った。
物理法則の命じるまま、吸い込まれる様にして『マリー・ガラント号』は貴族街の中ほどに向けて落下する。
地上の物体が急速に鮮明になっていく光景を目の当たりにしながら、衝突の直前に男は精一杯の力で叫んだ。

「地獄に落ちろ! クソ貴族どもォォォッ!」

『マリー・ガラント号』の船倉内に搭載されていたのは約2万3000リーブルの火薬――魔法学院で使用された2倍以上の量――と大量の照明用燃料油だった。





その日、彼女はここ数年の成果となるようやく出来上がった像の入った箱を抱えながら、王立魔法研究所アカデミー本庁舎に向かっていた。
長身に長く伸ばしたブロンドを靡かせ、親譲りの美しく整った顔には知的さを感じさせる細縁の眼鏡が光る。
きびきびした足取りで歩く彼女の足取りからは自信と尊厳に満ちた彼女の気性の一端がうかがい知れる。
そんな誰をも近づけさせない雰囲気を纏った彼女――エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール――は両手で抱え込むようにして一つのケースを大切そうに運んでいた。

若くしてアカデミー主任研究員という地位にある彼女の専門は魔法を使った始祖の像の造型である。
しかし、その専門分野は常人にとって見れば理解が難しい。
このハルケギニアにおける始祖の像の造型とは、如何にすればより美しい始祖の像が出来上がるか、ということを目指すものであった。

果たしてそれは坐像なのか、それとも立像なのか。
始祖の姿を鮮明に描くことは禁じられているが、その姿は始祖の偉大さを示すかのように背筋を伸ばした堂々とした姿なのか、それとも慈愛を示すように包み込むような柔らかさを持った姿なのか。
像自体の素材は大理石のような滑らかさを醸し出すものが良いのか、それとも輝くような黄金であるべきなのか。
果ては始祖の身にまとう服のデザインまでも検討し表現するのが彼女の取り組むテーマでもあった。

そして、今日発表を待つ彼女の始祖像には造形美は勿論、神学的解釈に基づいた情景演出や装飾が施されている。
それはハルケギニアの始祖像造型に関して数年来の新たな発展をもたらすものと彼女は信じていた。

貴族の館がひしめく王都の中でも広い敷地を誇るアカデミーの中央に佇む本庁舎では今頃彼女の上司にあたるゴンドラン評議会議長を初めとして各研究科の長が彼女の到着を待っているであろう。
彼女自身は土魔法研究科の長を兼ねるゴンドランの気弱で覇気のかけらも無い風貌を好んではいなかった――ゴンドラン自身は彼女の父であるヴァリエール公爵を失脚させたリッシュモンの派閥に属していたのだからなおさらでもあった――が、それでも今日という日はその顔を前にするのも我慢できる、そう内心で思ってもいた。
出来得るならば、彼女としては今日ここで発表される彼女の研究成果によって、失墜したヴァリエール公爵家の家名と名誉を小なりとも取り戻したいと思っていたのだから。

当然、彼女としてはその騒動を引き起こす原因となった一番下の妹の行動に対して疑問と怒りを抱いてもいる。
出来得る事ならば今すぐほっぺたを抓りあげて叱責してやりたいとすら思っている。
しかし、さすがにそれは適わない――父であるヴァリエール公爵が謹慎隠居している今、母は父の代わりに革命騒動で問題が噴出している所領の切り盛りに懸かりきりであり、王都にいる彼女もまた戦争中の敵国に行くことなど認められるはずも無い。
彼女の行動次第では「やはりヴァリエールは…」等と言いがかりを付けられて御家取り潰しということにもなりかねない――ヴァリエール公爵家が領地の大幅縮減という処分を受けた後も他の貴族達は政敵となりうるヴァリエール家の失点を虎視眈々と狙っているのだ。
だからこそ、彼女は今彼女自身が取り組むことの出来るこの始祖像の研究に昼夜問わずに取り組んできた。
そんな彼女の数年来の研究の結晶を収めたケースを胸に抱え込むようにした彼女はまるで睨みつけるかのようにただじっと前方を見つめて歩いていた。
周囲の喧騒もそんな決意を持った彼女の耳には入らない。
もし、その時の彼女が周囲のざわめきに耳を傾けていたならば、急速に高度を落とし始めた中型のフネとそれを取り囲むように魔法を放つ幻獣に跨った魔法衛士隊の姿が見えただろう。



突如、閃光が輝き人間の認識出来る音を超えた大気の鳴動と共にエレオノールの体をなぎ払った。
まるで見えない巨人の手につかまれたかのように彼女は宙を舞って壁に叩きつけられる。
全身を衝撃が襲い、額に生暖かいものが伝う感覚が感じられる。
辛うじて意識を失うことは無かったものの、朦朧とした彼女は自らが叩きつけられた壁にすがるようにして立ち上がり、何が起こったのか確認しようとした。
そんな彼女の目に映ったのは巨大な破壊の痕だった。
華麗さを誇った多くの貴族の邸宅が崩れ、松明の様に燃え上がっている。


「エレオノール! 大丈夫!?――いけない、怪我してるじゃない」

どれほどの時間が経ったのだろう、地獄のようなその光景をただ放心したように眺めていた彼女にそう声をかけたのは同僚のヴァレリーだった。
彼女と同世代であり、貴重な友人であるヴァレリーは塔内に設けられた研究室の中に居たために無事だったらしい。
水魔法の使い手である彼女は慌てた様子で『治癒』の魔法を唱え始める――と同時にそれまで感じることの無かった激痛がエレオノールの体を襲った。
傷ついた体が意図的に遮断した痛覚が怪我の治癒と共に機能を回復させられたのだ。

「―――くっ、ぁ!!!」

本能的に彼女の口から声にならない叫びが漏れた。

「大丈夫!? もう少し我慢してね……」

そんなヴァレリーの声を聞きながら、彼女は痛みが徐々に治まっていくのを感じていた。
と、同時に彼女の精神は普段の怜悧さを取り戻し始める。
彼女は苦痛から解放される事による、どこか醒めた感情の中でこのトリスタニアに何が起こったのか理解しようとした。
燃え上がり、崩れ落ちた貴族街。
その範囲はトリスタニアの西の端にあるこのアカデミーから王宮までの広い範囲に及んでいる。
飛び散った破片による破壊の爪痕は彼女のいたアカデミーの庭や壁にも無数に刻まれている――彼女を直撃しなかったのが奇跡だといえるかもしれない。

そんな中、彼女はあるものを見つけた。
彼女が先程まで抱え込むように大切に抱えていた始祖像だった――投げ出された拍子に箱が壊れ、中身が顕わになっている。
当然、中身である始祖像が無事で済む筈もなく、衝撃によって首の折れた像は魔法によって与えられていた意味と形を失い、材料であったただの土くれに戻ってしまっていた。
今やガラクタ同然となったその像をエレオノールは暫くの間見つめ、そして再び破壊された貴族街の方に振り返った。
彼女の背中に冷たいものが走り、全身がまるで極寒の中に居るかのように震えはじめる。

そんな様子に傍らのヴァレリーが心配そうに声をかけるが、今の彼女にはその声に答える余裕が無い。

エレオノールの心の中に満ちていたのは恐怖だった。
それも、この破壊を行なった者たちに対する恐怖でも被害の大きさに対する恐怖でもない。
彼女の心を支配していたものは、何の価値も無い土くれと化した始祖像と破壊された貴族街、その二つの先が暗示する未来に対する恐怖だった。
それはある意味で悪い予感と言っても良い。

――そう、この時彼女は初めて自分達の生きてきた世界が変わりつつあることを理解したのだ。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


というわけで今回(32~36話)のテーマは「正義」の話でした。
ま、人はそれぞれ自分だけの“正しさ”を持っているもので、それが他人と完全に一致するというのはなかなかありえないことでもあります(あくまでもここで言う“正しさ”とは自分にとっての“正しさ”であることは言うまでもありません)。大きくなった組織の内部で分裂や内部闘争(内ゲバ)が起こるのはこのようにそれぞれの「正義」が衝突することが理由の一つに挙げられるでしょう。


追記。
積載量が多いのではというご質問について回答させて頂きます。
本作では1リーブル=0.5kgという原作の単位基準に従って記述させて頂いております。ちなみに1万リーブル=5000kg=5tですので、2万3000リーブル=11.5tとなります。
作者としては原作(オストラント号参照)・中世の艦船における積載量を見ても過積載だとは全く言えないと考えております。
集められるか、という問いに対しては大規模に大砲の使用される(特に100門以上の大砲を備えた戦列艦が何隻も存在する世界で)状況を考えれば特に多い量だとは思えません……100門級の戦列艦の片舷斉射30~40回分の量でしかありませんので。調達方法に関しては過去に簡単に書いたと思いますのでそちらをご一読頂ければ幸いです。

10/08/07
二回目の改定を実施



[3967] 第37話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:0965d4b3
Date: 2010/08/09 21:53

――――――――――――コツ、コツ、コツという一人の男の足音が響く。


かつて王宮として用いられ、先日までアルビオン革命貴族達による評議会議事堂として使用されてきたロンディニウムの旧王城。
正式名称、ハヴィランド宮殿。
多くのものはその外見からホワイト・ホールと呼ぶその重層な石造りの建物。
今は再びその主を代え、事実上アルビオンを制したある少女のものとなったその内部は「権力」や「権威」といったものが示す怜悧さと重苦しさを醸し出していた。
その最深部、かつて謁見の間として使われていた場所へと繋がる、広く高い廊下をワルドは進んでいる。

腰には剣を模した軍杖。
頭には羽をあしらったつばの広い帽子をやや斜めに被り、周囲の者にその表情を伺わせ難くしている。
彼に続くものは居ない。
彼はあくまでこの建物に住まうある人物の“婚約者”という資格でこの場を歩いているのだから。
しかし、そんな彼の内心は自らの“婚約者”に対する憎悪と恐怖で埋め尽くされていた。


かつてトリステインで王室警備を担当する魔法衛士隊の隊長として、そしてレコン・キスタでクロムウェルの片腕として活躍した男は、今再びその「主」を変えようとしている。
いや、今彼が決意と共に討とうとしている存在は正確には「主」ですらない。
ただ一つ言えることは、彼は再び立ちはだかる『壁』を打ち破る――自らの目標を達成するために行動することを決意し、行動している。

彼が未だ少年と呼ばれるべきであった10年前に目指したものは自らが“正当に”認められることであった。
両親の死によって早くから「社会」に放り込まれた彼が有形無形の嫌がらせや妨害の中で決意した目標だった。
ある意味で幼い、と思われるかもしれない目標ではあったが、彼はその目標を追い求め、自らの魔法の力を頼りにただひたすら経験と実績を積むことによって、ついに実戦軍人としての頂点である魔法衛士隊の隊長職を手にするまでに至った。
しかし、彼がその地位に就いて暫く後、彼は自らに立ち塞がる壁の存在に気付いた。
貴族階級による壁。
それは伝統を重んずるトリステインでは決して乗り越えることの出来ない厚く高い壁だった。

そんな閉塞感を前にして彼はレコン・キスタという自らの壁を打ち砕いてくれると信じた組織に身を投じた。
旧来の王族という権威に代わる“虚無の担い手クロムウェル”という新たな権威はアルビオンをほぼその一手に収め、彼もまたこれまでには得られなかった地位を約束された。
それは彼の目指していた『ハルケギニアを動かすような貴族』への第一歩であった。
ようやく彼の手に届きつつあったその成果はクロムウェルの死後も失われることはなかった――そう、彼の婚約者の目指すものが明らかとなるまでは。


彼の婚約者としてこれまで彼の日陰に立つ筈だったその少女が目指すもの、それは彼の理想とは全く異質であり、それは彼の常識――すなわちハルケギニアの常識を超越したものであった。

彼女はハルケギニアにおいてその社会制度の根幹を成す貴族――そしてその権威を全て否定した。
否定されることにより区分を失った彼らは“ただ一つの階級”に(必然的に上位であった筈の貴族を下層に)集約される。
同時に“ただ一つの階級”に集約されるということは、今まで貴族に「与え」られたとされてきた所領、そして支配されていた領民という存在を消去すると言うことでもあった。
かつて国内に無数にあった貴族達の所領――例えて言うならば「分国」という制度は『アルビオン』という“ただ一つの国家”のものに帰属し、その存在を失う。

無論それらを実施するにはこれまでの既存利益を享受してきた貴族達の反発を覚悟しなければならない。
唯でさえアルビオンはハルケギニアの中でも王権に対して貴族の権限が強く、シティ・オブ・サウスゴーダに見られるような自治議会という半ば共和制に近い伝統を誇っていたのだからなおさらだった。

故に、彼の婚約者はその実施に際して絶対的な頂点を志向した。
超越的で絶対的な頂点でなければ決して自らの望む様に世界を変えることは出来ない――それを彼女は身をもって知っていたのだ。
かつて護国卿を名乗ったクロムウェル。
実際の「力」を持たず、既存権力の調整者として、あるいは傀儡として自らの地位を得たが故に彼は滅びた。
その轍を踏まず、自らの理想を実現する為に、彼の婚約者はこの『アルビオン』という国に存在するあらゆる人々を自らの理想へと導く存在となることを望んだのだ。
……拒絶する者に対しては彼女がその死すら与え得ることを示すことによって。

それはある意味で非常に原始的であるように見えるけれども、彼女のみがその「無制限な物理的暴力行使」を認められるという点でこれまで存在してきた貴族達による封建制とは全く異なった意味合いを持っている。
『アルビオン』という領域内での無制限な“力”の行使はアルビオンの絶対的な頂点である彼女自身に限られ、彼女以外の人物や団体は彼女の認める範囲内でしかその行使を認められない――封建制の下では自らの所有する所領の領民や資産に対する無制限な“力”の行使が認められていたのとは対照的でもある。
言い換えれば、それはこれまでの貴族連合の長ではなく、完全なアルビオン一国の支配者、いわば「独裁君主」とでも言うべきものであった。
つまり、完全なる中世的貴族制や共和制の否定――総てを統べる“ただ一人の指導者”によってハルケギニアの社会構造を自らの望むままに作り変えることをルイズは目指したのだ。

その理想が具体的に形を持ち始めた時に至って彼はようやく気付いた。
――彼と彼の婚約者の目指すものが根本から大きく違っていることに。



ワルドは広く、暗い廊下を進み続ける。
そんな彼は心の中で呟いた。

(――魔女め)

彼は自らの婚約者のことをそう内心で罵った。
共にハルケギニアの社会制度の中では満たされることの無かった二人。
そんな二人が奇しき縁から婚約者となった。

ある男はただひたすらに自らの望む地位を目指して空に向かって伸びる梯子を登り続けた。
周囲の連中が位階という羽を得て楽々と登り続ける中で彼はひたすらに自らの肉体に備わった能力だけを頼りにして黙々と努力をし続けたのだ。
そして、彼は自らの登る梯子が途絶えていたことを知った。

その事実を知った彼はいままでに登ってきた梯子を棄てた。
トリステインという梯子を棄て、『レコン・キスタ』という新たに伸びる梯子を掴んだのだ。
しかし、その『レコン・キスタ』は既に無い。
盟主であったクロムウェルの死、そしてガリア両用艦隊侵攻による瓦解を経て、いつのまにかこのアルビオンは事実上彼女の婚約者のものとなっていた。

――思えば最初から異常だった。

粘ついた、まるで女性的な感情の命ずるまま、彼はそう考えた。

自らレコン・キスタに接近するかのような行動。
ウェールズ暗殺の時に見せた突然の狂態。
初めてクロムウェルに謁見した時の異常な応対。
そしてなにより戦場での身勝手な、それでいて誰も並ぶ事の出来ないあの“力”。

その全てが彼にとって見れば常識外れの存在であり、まるで御伽噺に出て来る魔女の振る舞いそのものだった。
いや、何時の間にかアルビオンを手中に収めつつある現状を見れば、魔女というよりは吸血鬼に近いのかも知れないとさえ彼は思った。
ハルケギニアでエルフの次に恐れられる吸血鬼は、ある日突然ふらりとコミュニティに訪れ、自らの手下となる屍人鬼を駆使しつつ何時の間にかその共同体を自らのモノしょくじとしてしまう。
村人達は日に日に減っていく隣人の存在や吸血鬼を恐れるが、しかしついに吸血鬼を見つけ出すことは出来ない。
それは日中の吸血鬼は人間に偽装し、人間の生活じょうしきの中に紛れてしまっているからだった。
――そう、まるでかつてレコン・キスタに潜り込んだあのルイズの様に。

つまりのところ、レコン・キスタはその中心人物であったクロムウェル自らの命令によって滅ぼされたのだ。
クロムウェル自身が引き入れることを命じた彼の婚約者によって。


そんなワルドの下にはルイズを快く思わないものの、さりとて滅ぼされたくは無いという貴族が集っている。
ヨーク公やランカスター伯という本来集うべき有力諸侯が既にこの世に存在しなかった(ヨーク公を暗殺したのは他でもないワルド自身だったが)からこそ、という理由もあったものの、彼はそうして彼自身の派閥を作ることに成功してもいたのだ。
驚くべきことに今の彼が動かすことの出来る兵力は実に2万人を越えていた。
その大半が依然として対トリステイン戦争時から雇われ続けている傭兵や徴集された農民兵(故にその規模と各地に分屯していることから迅速な行動は不可能でもある)であったとしても、その軍勢を統括する彼の下に集ったアルビオン封建貴族の数が尋常ではないことが窺い知れた。

しかし、それほどの数であるにも関わらずワルドは安心しては居なかった。
ルイズが直接動かせるのはあのいけ好かない盲目のメイジ――白炎のメンヌヴィルを初めとしたせいぜい3000人程度でしかないが彼は決して油断などしていなかった。
出来よう筈もない。
彼は見ていた――今の彼が討ち果たそうとしている彼の婚約者がたった一人でハルケギニア最大を誇るガリア両用艦隊を壊滅させた瞬間を。
ならば、彼の下に集った兵力の数に何の意味があろうか。

だからこそ、彼は奇襲を選んだ。
あの少女――ルイズ・フランソワーズこそが現在の彼に立ちはだかる壁であるということを認識して以来、彼の行動はその一点に集約されていたのだ。
彼の婚約者の唯一の弱点、それを彼は知っていた。
いかな虚無の担い手と言えども数万の軍勢を吹き飛ばすには十分な詠唱時間が必要である。
でなければ巨大な精神力を注ぎ込めない。
あるいは対人戦闘において短小節の“爆発”を使う場合にもそれは作用する。
かつてウェストウッドの森で目撃したルイズの十分な精神力の注がれていない攻撃は『土くれ』――土のトライアングルの攻撃を辛うじて防ぐ程度でしかなかった。
ならば、メイジの力の源泉である杖を――彼女に杖を振る暇を与え無ければ良いのだ。

そのために彼は手駒を揃えた――ルイズが決定的な一撃を放つ暇を与えないために。
ワルドにとって彼らの存在は護衛を引き付けるための単なる捨て駒でしかない。
能力的にもかつて目撃した『土くれ』――怪盗フーケに及ばない彼らはルイズの相手はおろか、おそらくあの盲目の傭兵にも及ばないかもしれない。
しかし、それでもワルドにとっては何の問題も無い。
おそらく彼らが自らの命の代償に――彼はその実力差から一度戦闘に入ってしまえば彼らは逃亡することすら不可能だろうと判断していた――稼ぎ出した時間の間にその目的を達するのだ。
彼はその為だけに『遍在』すら可能にする使い手を惜しげもなくあの不遜な炎のトライアングルに当てることにした。
さらにロマリア宗教庁から派遣された聖堂騎士団の使い手も加わる予定であった。

それでも彼の不安材料は消えない。
その不安を打ち消すために遥かロマリアの協力までも得たにも関わらず、彼の婚約者――ルイズ・フランソワーズという少女の存在は彼の内心に重く圧し掛かる。

そう――彼にとって婚約者であるルイズの目指す理想は決して受け入れられないものなのだから。



暗く、長い廊下にようやく終端が訪れる。
そして巨大な扉を押し開いた彼は、そこに居るであろう自らに似て非なる存在である少女に声をかけた。

「やぁ、ルイズ」

ワルドはかつて玉座として使用されていた席でつまらなさそうに佇み続ける婚約者にそう挨拶を交わした。
そんな気楽な声色とは裏腹に、さすがのワルドも彼女を前にしてじっとりとした汗が手袋をした手のひらに浮かび上がってくるのを感じずにはいられない。
今まで数々の要人を暗殺し、また戦闘を経験してきた彼であったが、現在の事態を前に自分が初めて人を手にかけた時のように緊張していることに気付いた――とっくの昔に彼女を除くことを決意し、もはや彼一人では取り返すことの出来ない状況に身を置いたにも関わらず、だ。
あるいは無意識のうちに彼女がかつてガリア両用艦隊を一撃で吹き飛ばした光景を思い出し、その時抱いた感情をぬぐえないのかもしれない。

それでも、ここで彼女に違和感を覚えられては計画が失敗に終わる。
ワルドは彼の地位をここまで至らしめた驚くべき精神力を持って意識的に普段通りの彼を演じる。

――それに今の彼を見つめている筈なのは目の前の少女だけではない。

彼が抱いた「目標」。
ある意味で幼年期特有の幻想だったのかも知れない。
母を早くに失った彼が「他者に認められる」ことを目指したあがきだったのかもしれない。
それでも尚、彼は求めずには居られなかった。
それが彼にとっての全てであり、その目標を否定することは彼の半生を否定することだったのだから。

しかし、彼のそんな目標には大きな矛盾があった。
それはメイジの区分による“実力主義”というものと同時に“貴族”という階級に拘った彼の矛盾点でもある。
その矛盾点とは、『貴族という権威の格付けには外部にそれ以上の権威が必要とされる』という点である。
“貴族”という称号は誰もが勝手に名乗ることが出来ないが故にその価値を生む。
例えるならば、どこかの浮浪者が“公爵”を自称したところでだれもそんな人物に敬意を払うことがないのと同様に、名誉という価値のある称号を与えるためには誰もが認める公的な権威が無くてはならない。
かつて“子爵”を名乗った彼の名誉を保証していたのは彼自身が忌み嫌ったトリステインの固陋な伝統的権威であったし、あるいは“虚無の担い手”としてアルビオン貴族達が認めたクロムウェルの権威であった。

その権威そのものが失われた今、彼が新たな「権威」を求めたのは不思議ではない。
そんな彼の求めた新たな「権威」――それは彼に新たな未来を約束している。

おそらく、何処からか彼の求めた「新たな権威ロマリア」は彼の一挙手一投足に注目している筈なのだから。





(……そろそろ頃合だね)

ワルドがルイズに言葉を投げかけた事を確認した少年は身を預けていた石柱から背を離した。
自然な仕草で二人を見下ろすことの出来る中二階の窓際の回廊に立つ。
彼に自覚は無いが、傍目にはその動きは非常に洗練された動きに見える。
ガラス越しに背後から満月の月明かりを受けつつ、彼はこの場には場違いな挨拶をした。

「――こんばんは、いい月夜だね」

そう言ってベランダの外に場違いな微笑を浮かべて佇んでいたのは、金髪の少年だった。
絶世の美少年――そう評しても違いない少年の顔には特徴的な左右の色の異なる目が輝いている。
唐突に現れたそんな彼の声に素早く、しかし余裕を失わない仕草でルイズは振り向いた。

「誰?」

純粋で全くその目的を疑いようの無い質問が投げかけられる。
ルイズのその質問に答える気も無いまま、眼下の二人を見下ろし続ける。
そんな彼には、彼の視界の端に映るワルドが内心で舌打ちしたことが手にとるように分かった。
当初の予定通りならば、彼の登場は遥かに後――ワルドが自らの婚約者の警戒心を解かせた後に行なう筈だった。
なぜならば、彼らの目標である「虚無の担い手」に対抗するにはまずその刃が届く所まで自らを送り込まねばならないからだ。
彼女の戦闘能力で特筆すべきは二つ。

一つはあらゆる系統魔法の及ばない巨大な破壊力。
その一撃は所謂“失敗”魔法でさえ歩兵一個中隊を吹き飛ばすほどの威力を誇る――ガリア両用艦隊を一撃で殲滅した虚無魔法については言うまでもない。
もう一つは驚くべき短縮詠唱によるその即応性。
系統魔法ならば発動に失敗すれば何も起こらず、込められた精神力は霧消する。
しかし、(簡潔な共通魔法コモン・マジックを使用した“爆発”だけでなく)虚無魔法ならばその詠唱を途中で中断しても発動し得るのだ。

これらのことが意味することは――空間こそが彼女の防壁である、という点である。
彼女は戦闘で平民に対して高い火力と遠距離攻撃を可能にするメイジが常に優位に立つように、あらゆるメイジに対してその破壊力と即応性の優位を誇っているのだ。
すなわち、空間のもたらす時間的優位こそが彼女の強さの秘訣なのだ。

勿論、そんなことはジュリオにはとっくに判っている――彼はロマリアの「担い手」に召喚された「使い手」なのだから。
しかし、問題はその“空間”に誰を送り込むべきか、という点だった。
並のメイジでは近づくことすらままならない。
だからこそ彼女に憎しみを抱きつつ最も近づける人物であるワルドを使ったのだ。

しかし、今の彼が言い放った言葉はまるでわざわざルイズに警戒心を抱かせる様だった……実際にそれが目的なのだから当然だ。
おそらく今のワルドの内心は怒りと焦りで煮えくり返っていることだろう。

そんなワルドの様子を気にもかけない様子でジュリオはルイズを見下ろしながら、適当な社交辞令に等しい美辞麗句を並べ立てた言葉を紡いだ。

「こんな真夜中に、あなたのような高貴な女性の部屋を訪れるには少々無作法だったかな?」

そう言葉を紡ぎながら彼は自らの主人によって与えられた目的について頭の隅で思い浮かべた。

ロマリアに伝わる伝承によれば、“虚無の担い手”と“使い手”の四の四が揃った時、「聖地」への道が開くと云う。
ならば、すべからく虚無の担い手は「聖地」への道を開くために集わねばならない。
何故ならば、それこそが偉大なる“虚無”を始祖が“担い手”に与えた理由であり、担い手がこのハルケギニアに存在する唯一の意義でもあるからだ。
彼らが始祖の遺志によって力を得た以上、そこに彼ら個人の自由意志は介在し得ない。
彼らの存在は始祖が許した給うたが故であり、始祖の遺志の為だけに存在するツールでしかないのだ。

少なくともロマリア宗教庁教皇、聖エイジス32世――かつての名をヴィットーリオと言う男はそう考えていた。
“正しき”神の教えを捨て、トリステインで死んだ自らの母の死さえも「神の裁き」と言ってのけた男にとって“虚無の担い手”という存在はその程度の存在でしかない。
そう言った意味で彼に付けられた渾名“新教徒教皇”という名はその本質を見事に捕らえていたとも言える。
彼はこれまでロマリアを支配し、信徒達からその財を貪っていた歴代教皇やその取り巻き共とは決定的に違っていた。
教皇の権威を形骸化し、権益から上がる利権や利潤を貪っていた枢機卿達を引き摺り下ろし、自らはただ清貧に教皇としての勤めを全うする――そんな彼はある意味で旧教徒達と対立する新教徒達と同じ方向を見ていたように見える。

しかし、彼の目的は「始祖の遺志を全うする」事だった。。
6000年前に死んだブリミルという男の残した遺訓をただ純粋に、ただひたすらに追い求める彼は自らの地位に伴う春を謳歌することは無かった。
彼にとって見れば“教皇”という地位は「始祖の遺志を全うする」為の手段に過ぎなかった――単にその地位にあることが始祖の遺訓である『聖地』の奪回に役立つ、という為だけに彼はその座を手にしたのだ。

そんなヴィットーリオにとって見れば、始祖から“力”を与えられておきながら始祖の遺志を継ぐどころかあまつさえ始祖の残した遺法をも否定する存在となった“担い手”の存在など許容出来るはずも無い。
可能ならば担い手を彼の目指す「聖地」奪還へと協力させること。
無論、その為の手段は問われない――彼にとって見れば、“担い手”とは始祖の残したその目的の為だけ・・・・・・に存在するのだから。
そして、それすら不可能な場合は――

そこでジュリオは改めて眼下の少女を見つめる。

――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

気の強そうな整った顔。
流麗で見るものを惹き付けずには居られないストロベリー・ブロンドの長い髪。
あらゆる人物が一目置かずに入られない彼女は、まるで自分がそこに存在することが当然であるような雰囲気すら発している。
……それは彼がひっそりと思いを寄せる蒼髪の少女とは全く対照的な存在だった。

そんなルイズの存在にジュリオは内心にどこか表現しきれない不快感を抱く。
つつましくロマリアの果てにある牢獄のような修道院で世界から切り離されたまま暮し続けるあの少女。
そんな蒼髪の彼女と目の前の少女の落差を思わずには居られなかったのだろう。

そして、ふと彼の主人の言葉を思い出した。
それはヴィットーリオがロマリアに伝わる始祖の秘宝から示された言葉。

『……もし、四の担い手、四の使い魔、志半ばでそのいずれかが欠けても“虚無”を受け継ぐものは諦めるなかれ。“虚無”は血を継ぐ他者に目覚めん。虚無を担いし者は、その他者を見つけ出せ。そして異教より“聖地”を取り戻すべく努力せよ』

この言葉を彼の主人はこう解釈した。
「始祖の遺志」が聖地を目指す限り1人の“担い手”が消えたとしてもその代わりに“新たな担い手”が現れる。
故に、現在の“担い手”が始祖から与えられた存在意義しめいを放棄したならば、その担い手がこの世界で生きている必要が無い。
ならば、適切な行動の後、改めて彼らはその“新たな担い手”を見つけ出せば良い。

それがブリミル教最高指導者であり、彼の主人でもあるヴィットーリオの決定だった。
そしてそんな男の「使い魔ヴィンダールヴ」たる彼に与えられた任務はそれだった。
可能ならば“担い手”を始祖の遺志に適えさせること。
それが出来ないならば、行動せよ――異端の使い手を抹殺し、新たなる担い手を見い出すために。

「我らが親愛なる聖下はこのように仰られた――」

彼はそうハルケギニアで最も神聖であるとされた男のメッセージを伝えた。
その内容を彼の口調で要約するならば、以下のようになる。

『アルビオンを正しき者達に“返し”て、聖下と共に“聖地”へ向かうつもりは無いかな?』

勿論、ジュリオには彼女がその言葉に応じる気が無いのはわかっていた。
いや、まるで“上から”与えてやるというような言い草では目の前の少女に例え応じる気があったとしても受け入れることは無いだろう。
そして彼は止めとばかりに付け加えた。

「――今なら丁度、第九次空中機動聖地奪回軍が教皇陛下の祝福を終え、準備を整えていることでもあるし」

そうジュリオはにこやかな顔のまま冷酷な脅迫を行なった。
第九次空中機動聖地奪回軍。
名称こそまさに“聖地”を目指す聖戦の尖兵である。
しかし、同時に実際の運用面ではその高い戦略的機動力を生かしてハルケギニアの何処にでも展開出来る。
事実、彼の言った“第九次空中機動聖地奪回軍”は既にアルビオン沖に展開しつつあり、ヴィットーリオの命令――直接的にはその信任を得たジュリオの指示がひとたび下れば直ちにこのロンディニウムへとその進路を向けることが可能であった。
また、彼は口に出していないが、この聖地奪回軍は特に異端狩りを専門に編成された部隊――狂信的な信仰に支えられた対人戦闘のエキスパート達によって構成され、その戦闘力は額面よりも遥かに強力だった。
彼らの一部はジュリオ自身と共に既にアルビオンへ入り、ワルドの用意した手駒と共に発動の時を待っている。
そう、ロマリアの宗教庁にとって見れば、アルビオン進駐は聖戦完遂の為の前菜に過ぎないのだから。

「……いやよ!」

そんな脅迫に対してルイズははっきりと拒絶の意を示す。
きっぱりと口に出されたその言葉を前にジュリオもまた仕方ない、という風に首を竦めて言った。
その仕草はまるでそっけないものだったが、誰もが振り返らずに居られない美少年である彼が行なうとまるで芝居がかったような仕草に見える。

「そうか、残念だね」

しかし、その言葉とは裏腹に表情には全く残念そうな色は無い。
そして彼はもう一度だけ呟いた。

「――本当に残念だ」

その直後、旧評議会議事堂が無数の小振動に揺れ、同時にあちこちから何かが壊れる音が響き始める。
トライアングル級メイジの魔法によるものと思われる爆発音すら混じった轟音の中でまるで歌う様な魔法詠唱が聞こえ、風の具合によるものなのか、時折そこに破壊音以外の甲高い断末魔の声すら混じる。

それの意味する所は一つ。
ロマリアは彼女を実力でその地位から引き摺り下ろすつもりなのだ。
彼女がそう確信した時、そんな状況の中であるにも関わらず彼女の婚約者――ジャック・フランシス・ド・ワルドはまるで愛を囁くような場違いな声色で彼女に囁きかけた。

「ルイズ――ルイズ・フランソワーズ」


事を起こす前に自ら声をかける暗殺者、というものには明らかに違和感が存在する。
それは「暗殺」というものの持つ最大の利点――“最も無防備な相手に最も都合良く攻撃を仕掛ける”という点を自ら失うようなものだからだ。
声をかけられた相手は必ず声をかけた対象に意識を向ける。
だとするならば、その時点で本質的な意味で「奇襲」という意味は失われたことになる。

しかし、あえて彼はそうした。
ロマリアの助祭枢機卿の犯した“ミス”を補い、確実に目の前の少女を屠る為には仕方が無い。
彼は自らの身を予定よりも危険に晒すことによって目的を達成しようと瞬間的に判断し、行動した。

「――死んでもらおう」

そうワルドは優しげに宣告した。
彼の婚約者の注意はベランダの上から見下ろすようにして語りかけたジュリオだけでなく彼自身にも注がれる。
しかし、それは同時にジュリオとワルドという人物のみに彼女の注意が注がれていることも意味する。
それこそが彼の真の狙い。
――そう、襲撃者は彼自身・・・であると同時に、彼自身・・・ではないのだから。


ワルドがそう告げた次の瞬間、突如として彼女の背後から姿を現した4体の『遍在』が一斉にルイズに向かって襲い掛かった。
切磋に彼女も自らの杖を取り出し、応戦しようとする。
しかし、彼ら・・の方が早かった。
事前に魔法によって作り出された4体の『遍在』は彼の二つ名――“閃光”に恥じない速度で彼女に迫り、「ブレイド」の魔法を纏わりつかせた軍杖を少女の体に向かって突きたてる。

魔法を帯びた4本の杖がルイズの背中に突き刺さり、まるで彼女の扁平な胸から生えたかのように赤い鮮血と共に飛び出した。
彼女の体が一瞬、短く痙攣し、一拍を置いてボタボタと大量の血液が床の上に零れ落ちる。
そして、何が起きたのか分からない、と言った表情を浮かべた彼女の口からはゴボリ、と血の固まりが吐き出されると同時にその瞳からは光が失われ、右手からは咄嗟に取り出そうとしたワンドが握られることなく滑り落ちていく。
落ちた杖はカラン、という乾いた音を立てて大理石の床の上を数度撥ね、転がり、後から床の上を追いかけるように広がる赤い液体の中に沈んでいく。
同時に彼女の全身から急速に力が抜けていく姿が誰の目にも分かるほど明白に映り――そのまま彼女のか細い体は自らが床の上に撒き散らした赤い液体の上に力なく崩れ落ちた。

そんな彼女の姿を眺めながら、ワルドは自らの婚約者だった少女に別れの言葉をこう贈った。

「――さよならだ」







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


感想欄が荒れ始めてるみたいですね。
私は基本ノータッチなのですがあまり酷いと削除依頼するかもしれませんのでコメする方もそのつもりで宜しくお願いします。特に個人名で誹謗してる方とか自作の宣伝してる方とか。
もちろん、作品に対する批判・感想はどんなものでもお待ちしています。


10/08/07
二回目の改定を実施



[3967] 第38話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:0965d4b3
Date: 2010/08/20 22:13

――――――――――――ロンディニウム、デハヴィランド宮殿。


徐々に近づいてくる外部での戦闘音が響く。
その戦場音楽には爆発音や鉄同士が打ち合わされる音に加えて無数の人間の挙げる叫び声が含まれる。
それは自らの勇気を奮い立たせる鬨の声であり、また自らの最後を彩る末期の叫びでもあった。

しかし、その最深部にあるこの場所は打って変わって、そんな喧騒とは全く逆であった。
部屋の中には3人の人物が佇むのみ。
そして、その内の一人――傍目には最も非力に見える少女が、磨き上げられた大理石の床の上に広がった自らの血の海に倒れこんでいた。

「――さよならだ」

そうワルドは仰向けに倒れこんだ自らの婚約者に向かって淡々と告げた。

胸部に大穴を4つも開けられたにも関わらず、未だ絶命には至らないのか、ルイズは虚ろな表情を浮かべていた。その整った顔を自らの血で汚しつつも、焦点の合わない視線をワルドに向けているようにも見える。
彼女の顔は美しかった。
ワルドにとって決してその存在を認められないとは言え、それでもその表情は彼の心を惹きつける程可憐だった。
崩れ落ちた拍子に乱れた髪でさえ、まるで誰かを誘惑するかの様に無防備に寝台の上に横たわっているかのように見え、何処か精気の失われた表情はまるで達した後のようにすら思われた。

そんな少女の姿を前にしてもワルドはその冷静さを失っていないように見える。
しかし、内心は全く逆だった。
その証拠に先程まで目の前の少女を刺し貫いていた4体の『遍在』は溶ける様にして消えていた。
彼は余裕すら感じさせる心の底からの笑みを浮かべたまま、両手を何度も握っては開き、また再び握る。
その目にはまるでこれまで彼の上に重く圧し掛かっていた何かを除いたことに伴う愉悦の色があった。
そんな、ある意味で極限までの喚起と興奮の局地の中にいたワルドに声がかけられた。

「ご苦労だったね」

その声の主は先ほどからじっと静かに目の前で静かに興奮するワルドをただ見つめていた。
白い神官服に身を包んだジュリオは彼を称えようとするかのように、ゆっくりと歩き出す。
そんな彼の左右異なる目には喜びと同時に何処か冷酷な色が浮かんでいた。
しかし、その瞳の色はジュリオの長く垂れ下がった前髪に遮られてワルドの視界には入らない。

「約束どおり、教皇聖下は貴殿を下にも置かない扱いをされるとの仰せです――始祖の大御心に反したとは言え、伝説の“虚無の担い手”を手にかけた異端者・・・として、ね」

そう言った直後、ワルドの脇腹に焼けた鉄の棒を差し込むかのような痛みが走る。

「くぁ……貴様ッ! 何を――」

跳ねるようにして距離をとったワルドの脇腹から赤い鮮血が零れる。
同時にジュリオの右手に握られた血に染まった短剣の姿が顕わになる。


「貴方はアルビオンの始祖の系譜を手にかけ、あまつさえ伝説の“虚無の担い手”をも手にかけた。ならばその代償を支払うのは当然のことさ」

そう普段の口調に戻したジュリオは続ける。

「そんな異端者には死がふさわしい――それも名誉ある魔法による死ではなく剣と毒によって死ぬという貴族にとっては最低の・・・死に方が相応しい、そう聖下は仰ったのさ」

そこまで言うと、ジュリオは手にしていた血に濡れた短剣をまるで汚れたものを棄てるかのようにして床の上に放り棄てた。
大理石の床に刀身が触れる音が響き、同時に旧評議会議事堂――彼が今居る建物のあちこちから響き渡っていた喊声や爆音が徐々に弱まり始めていることが誰にも知れた。
一度その音が弱まり始めると急速に元の静けさを取り戻していく。
しかし、その音が途絶えると一拍を置いて再び短時間の悲鳴や叫びが響き、再び沈黙が訪れた。
それは彼の手勢として派遣されてきたロマリアの聖堂騎士団が本来の任務――始祖の意志に反してワルドに組した異端達への審問を完了したという証であった。

「ぐッ……貴様、最初から……」

――裏切るつもりだったのか、というワルドの言葉は声にすらならない。
全身に巡り始めた毒によって肌が蒼ざめているにも関わらず大量の脂汗を流しているワルドの顔を眺めながらジュリオは告げる。

「ああ、そういうことになるね」

そうジュリオは邪気の全く含まれて居ない笑顔で答える。
実際にこの行動は全て予定された行動だった。
彼がわざと当初の予定を変更して早めにルイズの注意を引き付けるように行動したのもワルドの隠し玉である『遍在』を引きずり出すため。
そして目的を達して周囲への警戒が一瞬解ける瞬間を狙ったのも全て初めから計画の内だったのだ。

「おのれぇぇぇぇッ!」

最後の力を振り絞ってワルドは腰に下げた杖をジュリオに向かって振り上げようとする。

しかし、次の瞬間には彼の体を数本の杖が貫いていた。
彼に杖を突きたてたのはジュリオと共に行動していたロマリア異端審問官達だった。

ガリア北花壇騎士団にも匹敵するロマリア宗教庁の秘密部隊。
表の顔である聖堂騎士団とは異なってただ始祖と教皇の為だけに尽くす狂信者集団。
そんな彼らはワルドが目的を達したのを見計らって密かにこの部屋の中に紛れ込んできたのだ。
何本もの杖で串刺しにされたワルドの姿はまるで先程、自らが手にかけた少女の姿と瓜二つのように見える。

「それに貴方には相応しいのじゃないのかな? あれだけ憎んでいた婚約者と共に死ねるのだから」

そんなワルドの姿を見てジュリオは傍らに倒れているワルドの婚約者に視線をやった。

相変わらず誰もが振り向かざるを得ない美貌を備えた目の前で死に掛けている男の婚約者――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
伝説の“四”にして虚無の担い手。
伝統あるトリステイン貴族の地位を投げ打ち、アルビオン一国をほぼ我が物とするまでになった少女。
そして――彼女は最後にこうして自らの血に沈んだ。

しかし次の瞬間、その美しい顔がうっすらと薄れ、消えていく。

「何ッ――!?」
「……なん…だと!?」

驚きの声は両者同時だった。
と同時にの先程ワルドにとどめを刺した異端審問官達のど真ん中で猛烈な「爆発」が起こった。

その爆発によって彼らは周囲に吹き飛ばされる。
たった一撃の攻撃で彼らのうち2名が致命傷を負った。
一人は爆風によってちぎれた胴体から赤黒い血液と内臓だったものを撒き散らし、最後の叫びを上げるでもなく瞬時に絶命し、もう一人は対象的に口から大量の血とあぶくを吐き出し断末魔の痙攣を起こしている。
なんとか致命傷を免れた数名も程度の差こそあれ、口や耳といった全身の穴という穴から血を流している――強力な爆圧に耐え切れずに内臓や鼓膜が潰されたのだ。


「あら、もう終わりなの?」

その言葉と共に物陰からゆっくりと少女が姿を現した。
柱の影から姿を現したのは確かに先程全身を貫かれて血の海に沈んだ筈の少女。

「どう?楽しんで貰えたかしら――私の『魔法・・』を」

そう少女は口にした。

彼女の使った『魔法』はイリュージョン。
ありもしない幻影を誰にも気付かせないほどに繊細に描き出して映し出す、『虚無』の初歩の初歩。

そしてルイズはとある古びた香炉を取り出して放り投げた。
石畳に金属の当たる鈍く、乾いた音が響く。
そこにあったのは紛れも無くハルケギニアの各王家に伝わる宝物の一つ――
それを見たジュリオ達の目が驚愕に歪む。
ガリア王家に代々伝わる始祖の秘宝の一つがどうしてこんな場所にあるのか。
それはまさか―――

「“始祖の香炉”よ」

その場に居る全員の目に浮かんだ驚愕を楽しむかのように、ルイズはそう答えを示す。
そしてそのまま足元に転がった秘宝をためらうことなく踏み砕いた――

「――■■■ッ■■ァ■■!!!!!」

そんな彼女にロマリアの異端審問官達が襲い掛かった。
その叫びは既に声になっていない。
先程の爆発で肺をやられていることに加え、熱狂的で純粋なブリミル教徒である彼らにとっての禁忌以上の行動を目の前で示されたことによる怒りと興奮によって叫びとも唸りとも取れない何かを発しつつ彼らは突き進む。

無数の爆発音。

その音に混じって響くのはロマリア聖堂騎士団特有の歌うような魔法詠唱ではなく、まるで地獄の亡者どもがあげる叫び声や唸り声の連鎖。
しかし、その地獄から響くような歌声は櫛の歯が欠けるように徐々に叫び声やうめき声に代わり、消えていく。

そして、ある時をもってその音はぱったりと途絶えた。
そこにあるのは血と肉片と破片と埃と煤によって彩られ、形作られた世界。
その中に一人無傷で佇むその世界を生み出した少女は周囲を見回した。
彼女に襲い掛かった異端審問官達が時間を稼ぐ間にジュリオは姿を晦ませてしまっていた。
残されたのはもはや原型を留めずに、何名いたのかすら判らない程無残になったロマリア異端審問官達の遺骸と――そして未だに死に至らない一人の男。

一人取り残されたそんな男に彼女は声をかけた。


「気付いていないとでも思っていたの?ワルドさま――」

彼女を「処理」しようとしたワルドに向かって言葉を発しているにも関わらず、彼女の声色は“婚約者”だった頃と変わらない。
それが尚、死にかけたワルドにとっては不気味さを増して感じられた。
そして発せられた彼女の言葉――それはワルドが彼女の命を狙っていたということを知っていたということを指摘している。

ワルドは答えない。
いや、既に答えるほどの体力も残っていないのかも知れない。
そんな彼にかつての婚約者は辛辣に続けた。

「私は知っているわ。アンタがあの欲に塗れた連中とこの国を支配しようと密談を重ねていたことも、あのとっくに死んだ人間を崇拝して止まない御目出度い連中と手を組んだことも。勿論、アンタが私を消そうとして手駒を集めていたこともね」

その事実を前にしてもワルドは声をあげることはない。
そんなワルドの反応を見つめながら少女は続ける。

「だから手を組んだのよ。まさかアンタは外部の連中と手を組むのが自分だけだっただなんて思っていたのかしら?」

そんな彼女の指摘にもワルドは答えない。
もはやこれ以上生を繋ぐ可能性が皆無に等しい彼にとって見れば、自らが手にかけたのが幻影であったことも、そして自らの裏切りが露見していたことすらどうでも良かったのかもしれない。
勿論、彼がロマリアと手を組んでいたことも、だ。

ストロベリー・ブロンドの髪を持つ目の前の少女はそんな彼の反応をつまらなさそうに眺めた。
いや、実際に内心では面白く無いのだろう。
一瞬の沈黙の後、彼女はまるで面白いことを考え付いたかのような表情を浮かべて新たな言葉を紡いだ。


「――ああ、そうね。これでアンタ達の“古い”世界は終わるわ。貴族なんてものは過去の記憶となり、始祖なんて唯の人間に成り下がる。そして……聖地はもはや誰にっても聖地では無くなる」


その言葉に彼の目が大きく見開かれた。
彼女が彼に語った言葉は既に自らの運命について諦観していた彼にとっても決して聞き入れられるものではなかったのだ。
自分自身について、如何に扱き下ろされようとも構わない――何故なら自分にはもはや生きる可能性のぞみが無いのだから。
しかし、目の前の“魔女”が口にしたのは彼が内心で最も大切にしていることを抉り出した。
――早くに死んだ彼の母が何故か執着していた“聖地”の存在を。
彼の母は死に際してその理由を彼に残すことも無かった……いや、残すことが出来なかったが、それ故に彼は“聖地”について常に心に留め続けていたのだから。

「貴様ッ、な……にを言って……い、る?」

もはや呼吸もままならないのか目を剥いて怒鳴るようにして吐き出しているにも関わらず、途切れ途切れに擦れたそんなワルドの質問を無視してルイズは続けた。

「アンタの頼った“ロマリア”は消えてなくなる。始祖も貴族も神官も全て過去のものとして葬り去られる。もはや誰もブリミルなんて6000年前に死んだ男のことを思い出したりもしないし、そんな男が生み出した権威なんてものも存在しなくなる――」

そう言って彼女はワルドと自らとの違いをはっきりと口にした。

「そうよ、自分自身の価値は自分で決めるわ。アンタみたいに誰かの威を借りて満足する俗物とは違うのよ!」

その言葉の意味するものは、彼のように他者の権威に依存することへの明確な拒絶でもあった。
事実、レコン・キスタ崩壊後の彼女の権威は誰からも与えられたものではない。
彼女は様々な勢力の入り乱れる中で自らの権威を築き上げたのだ――属した者に絶対的な信頼を要求することによって。
彼らは絶対的な信頼、すなわち忠誠と服従を目の前の少女に提供し、代わりに彼女は自らの理想とする世界――現在のハルケギニアの社会制度の下では決して報われることの無い、あるいはかつての地位を取り戻すことの出来ない者達にとって“希望”に満ちた世界像の実現を約束したのだ。

無論、その一種の契約関係は誰もが自動的に結ぶ、あるいは強制的に結ばされることの出来るものではない。
貴族だった者は勿論、果ては平民一人に至るまで、「自らの意志」で契約を結ぶことが出来る。
つまり彼女は自らの“理想”において平民にも契約を結ぶという「自由」と「責務」を認めた。
そして、それまで貴族にだけ認められてきた特権である「自由」を平民にも認めたということは、貴族階級という区別をのものが存在しないことを意味していた。
それが意味するものは、彼女の理想がこれまでのハルケギニアの社会制度とは全く異なる社会契約システムだったということである。

勿論、彼女の目指すものに貴族体制の維持というものが含まれていない以上、貴族がその契約に参加するには自らの地位の放棄が必要となる――これこそがワルドの側へ貴族勢力の大半が流れることになった理由だった。
だとするならば、彼女の支持階層はハルケギニアにおける被抑圧階級でしかありえない。
常に低い地位に置かれ続けた傭兵や平民メイジは勿論、既に数年に渡る内戦と戦争に疲れた平民達の多く(ただしその大半が自らの“力”を持ちながらも低い地位に甘んじていた者だった)も彼女の側へ流れ込んでいる。
つまり、隣国トリステインと同様、確かにアルビオンにも階級間対立が現出していたのだった。


そして、その勝敗は決しつつあった。
自らの権威を他者に頼ったワルドは地に伏し、自らに頼ったルイズは今もこうして床の上に立っている。
そして彼女は傍らで既に死相の現れているワルドへ向かって向き直る。
同時に彼女はその言葉使いをかつての“婚約者”だった頃のように戻して、彼に最後の別れの言葉を告げた。

「さよなら、ワルドさま――私、アンタのこと、ちっとも愛してなんか居なかったのよね」






――伝えなければならない。

無数の爆発音と歌のような唸り声、そして断末魔の叫びを聞きながらジュリオはそう確信していた。
彼が伝えなくてはならないこと、それは目の前で示された未知の“虚無”魔法ではない。
そもそもハルケギニアにおける諜報界――古い言い方で示すなら“長い法衣と杖”の担い手である彼は既にアルビオンにおける始祖の秘宝である『始祖のオルゴール』が失われたことを知っていた。
はっきり言ってそれは対して重要な問題ではない。
4人の担い手に対して秘宝は1組あれば十分――単にそれを回し読みしてしまえば必要は満たせるのだから。
先程狂ったようにルイズへと突撃した異端審問官達とは異なり、教皇の右腕としての彼はそのことを理解していた。
また、未知の魔法に関してならば――“虚無”の魔法はそれが必要とされる時になって初めて“担い手”の前に現れる。
故に彼の主人にしてハルケギニアで最も尊いとされた男が知らない“虚無”魔法があってもなんら問題はない。
それに彼の主人ならばその未知の“虚無”魔法すらも『始祖への信仰に対する試練』とでもしてしまうだろう。

彼が伝えなければならない、と確信したのはルイズが取り出した、始祖の秘宝の種類についてであった。

『始祖の香炉』。

それはこの浮遊大陸ではなく、大陸にある三つに分かれた始祖の家系であるガリア王家に伝わる秘宝であった。
その秘宝を彼女が手にしていた理由はいくつか考えられる。
その中でも最悪の可能性を脳裏に思い浮かべながら、彼は宮殿を逃げるようにして飛び出した。

「アズーロ!」

宮殿の外――王城を取り囲む様にして鬱蒼と茂る森へ辿り着いた彼はそう自らの相棒の名を呼ぶ。
しかし、いつもなら直に彼のもとに向かってくる筈の風竜の応答は無い。
そんな様子に彼はいぶかしげな調子で再び自らの相棒の名を呼んだ。

「……アズーロ?」

やはり答えが無い。
彼の相棒の身に何が起こったのかが気にかかった。
気になると言えば、彼の周囲の森もどこかおかしい。
相変わらず鬱蒼と茂った周囲の森は暗く、静かに佇んでいる。
一見した所、異常は無い様にも思えたが――
そこで彼は気付いた。

――静か過ぎる。

「……くっ!」

その事に気付いた直後、思わずジュリオが声を洩らした。
……おそらく囲まれている。

周囲に人間の気配は無い。
しかし、この無機質な殺意は何だ?

その答えはすぐに現れた。
現れたのは自律式の魔法人形ガーゴイル
それが彼を取り巻くように木々の影から現れる。
その光景を前に彼は予想した最悪のシナリオが現実のものとなっていたことを理解した。


「出て来い! ミョズニトニルン」

彼はそれまでの歩みを止め、まるで生き物の気配が感じられない暗闇に向かって叫んだ。

「――良くわかったわね、ヴィンタールヴ」

彼の後方から特徴的な高い女の声がまるで森全体に届くかのように響き渡った。
振り返ると、大きく張り出した巨木の枝の上にその女の影がある。

「貴様らは何をたくらんでいる?」

その影にジュリオは問いかけた。
彼の背中には氷のような汗が流れ続けていたが、それを感じさせないような声だった。

「さぁ?、結末は私にも判らないわ」

影に過ぎなかった女がその言葉と共に徐々に輪郭を持って現れる。
額には特徴的なルーン。
ハルケギニアでは珍しい、長く黒い髪を持つ女はその姿を完全に現すと言葉を続けた。

「私が知っているのは、“この世界をあるべき姿に戻す”ことかしら。貴方達の言い方で表現するならば、“始祖の御心に沿う”とでも言えるのかも知れないわね」

飄々とした答え。
見え透いた挑発のような、そんな意味のわからない答えにジュリオは思わず怒鳴り返した。

「ふざけるな! 貴様達の目的は何だ? このハルケギニアをどうするつもりなんだ!?」

そんな彼の問いには答えずに、ミョズニトニルン――シェフィールドはまるで独り言の様に語りかけた。

「貴方は知っているかしら? 虚無の担い手はその“力”が発現しない限り唯の魔法の使えない落ち零れ(ゼロ)に過ぎないのよ。まるでお笑い種よね――貴方達の求める担い手はその力が何なのかわからない限り、貴方達の守ろうとする世界では魔法の使えない無能な存在として扱われ続けるのだから」

その言葉が示しているのは貴族や神官達にとって最も尊ぶべき始祖以来の“虚無の担い手”は彼らの常識に従えば最も始祖の加護の遠い人間であるということでもあるということだった。

――“ゼロのルイズ”
――“ガリアの無能王”

そのどちらもが虚無の担い手でありながら周囲に認められなかった。
ただ系統魔法を使えなかったことだけを理由にして。

そんなことを思ったジュリオの思いを見透かすようにしてシェフィールドは究極的な問いを投げかけた。

「果たして本当に貴方達は虚無の担い手を求めていたのかしらね? もし本当に求めていたのならばそんな扱いを決してしなかったでしょう。あるいは――初めから求めてなど居なかった・・・・・・・・・・のじゃない?」

そう彼女は言ってのけた。
――この世界はどこかおかしい、と。
今の世界が始祖の望んだ世界を実現しているのだとしたら、彼の力を受け継ぐ者は何故迫害されねばならないのか。
そんなことを6000年前に死んだ男が望んでいたのか。
あるいは“魔法”の使えない人間を彼の“力”の後継者とすることによって魔法という力を持つ者とそうでない者との調和を図ったのではないか、とすら言える。

「だから、私達はこの世界をあるべき姿に戻したい。そう言ってるのよ」

――今ある全ての常識をゼロに戻すことによって。
そう彼女は語った。


「さて、おしゃべりはこのくらいにしておこうかしら。貴方自身はともかく貴方の主人はどうせその考えを棄てないでしょうし」

彼女、そして彼女の主人の目的はこの世界をあるべき姿に戻したいことではない。
あるべき姿に戻すことによってどんな世界が生まれるのかを知りたいのだ。
故に“この世界をあるべき姿に戻す”ことは「目的」ではなく「手段」となる。
――そして彼女はその「手段」を実現する為に邪魔者を排除することに躊躇は無い。

「悪いけど、死んでもらうわ」

その声と共に彼を包囲していた無数のガーゴイルが手にした武器を構える。
一瞬遅れて、シェフィールドは手を振り下ろした。

武器を構えたガーゴイル達が一斉に彼に向かって突進を開始する。
魔法の使えない――そして聖職者であるが故に杖しか持たない彼にとって不利は明らかだった。

正面からの刺突。

速い。
その一撃は常人にはさけることすら困難な速さで繰り出される。
辛うじてかわすことができたのは僥倖というべきなのか、それとも精一杯の生存本能が為した技だったのか。
あるいは速さはあるが、直線的な動きだったということが幸いしたのかもしれない。
その攻撃を体をひねることによって辛うじてかわしたジュリオに別のガーゴイルの繰り出した背後からの斬撃が迫る。

唐竹割りの要領で繰り出された攻撃を転がるようにして避けた。
空を切る形になったその一撃はそのままの勢いで大地を穿つ――人間では振り回すことが困難な重量武器であったとしてもガーゴイルならば長時間不自由を感じることなく使うことが出来る。
そしてそんな特性を持つ魔法人形を操るのは“あらゆるマジックアイテムを使いこなす”シェフィールドだった。

とめどない無数の攻撃を紙一重で避け続けてきたジュリオの体力は徐々に失われていく。
と同時に体力の低下は注意力の低下を呼び起こす。
ならば、何れその限界が来るのは明らかだった。

「くッ――!」

突き出された魔法人形の槍の穂先がかわし切れなかった彼の脇腹を掠める。
既にボロボロになりつつあった彼の纏う白を基調とした神官服にうっすらと血が滲み、そしてその範囲が徐々に広がっていく。
その間も全く手加減無しの刺突や斬撃が彼に向かって繰り出される。

「諦めなさい」

もう御仕舞いなのよ――そう言いたげな表情を浮かべて彼の姿を眺めているシェフィールドを前にジュリオは心の中で叫ぶ。

――死ねるものか!
任務を果たすまでは死ぬに死ねない。

それは孤児であった彼を拾い上げてくれた自らの主人に対する彼なりの恩義への報い方であると同時に彼の生きがいから生み出された情念でもあった。
彼の最悪の予想が正しければ、あの少女はガリアと手を組んでいる――それも事前にこちらの動きを掴んだ上で、だ。
ならばロマリア本国が手薄になっていることもあの狂王に伝わっているだろう。
であるならばガリアは確実にロマリアに侵攻する。

無論敗北するとは思っていない。
彼の主人の“長い法衣と杖”はガリア中枢部へも伸びている――いざとなれば信仰に訴えかけることによってガリア自体を二つに割ることが出来るのだから。
しかし、そうなってしまえばこれまでの計画は破綻する。
ハルケギニアの中央部に広がり、遥か聖地のあるサハラと接するガリアで巨大な戦乱が広がるということは聖地奪還の為の早期遠征を不可能としてしまう。
それに、ガリアが分裂するということはあの狂王を亡き者とした後に新たなる「王」としてあの不幸な少女を送り込むことすら不可能になってしまうのだ。

そう、こんなところで奴らの手にかかっては死んでも死に切れない……いや、何のために今まで働いてきたのかさえわからなくなってしまう――

そんな彼の脳裏に浮かぶのは狂王亡き後に「王」として送り込まれる筈だった一人の少女の姿。
魔法を使うことを禁じられ、大陸から数リーグも離れた孤島の修道院でじっとひそやかに暮している蒼髪の少女。
当初は彼女の血統を利用するためだけに接近した筈だったのに、いつのまにか愛するようになってしまった少女。
そのを再び日の光の当たるところに戻すために彼――ジュリオ・チェザーレという名を与えられた孤児はその内心の気持ちに気付いて以来闘い続けてきたのだ。
ハルケギニアに再び始祖の栄光が戻ったならば、彼女はガリア王家、そして始祖の直系として誰もに称えられる。
もう二度とあんな暗く希望のない世界には戻らなくて済む。

だから死ねない。
死んでなるものか!

そんな思いを胸に抱くジュリオに次々と武器を持った魔法人形達が襲い掛かる。
その動きは最初とは異なり、一撃が回避されてもその次の攻撃で確実に仕留められるように連携のとれたものへと変わって来ている。
付け入ることが出来るのはたった一回。
しくじれば確実に次は無い。
迫り来る明確な「死」。
違いは遅く確実に訪れるか、それとも一瞬で終わるかの違い。

だから、ジュリオは行動に出た――生き残るために。

「あぁぁぁぁぁあッ!」

その叫び声と共に彼は突進してくるガーゴイルの胴へ握り締めた拳を叩き付けた。
ぐぎっ、と骨の砕ける音が周囲の誰にも聞こえるように響き渡り、砕けた骨が肉を切り裂いて血飛沫が舞う。
飛び散った液体が魔法人形の胴を赤く彩った。

「何を!?――ッ!しまった!」

まるで自殺行為にしか見えない行動を取ったジュリオにシェフィールドが驚きの声を挙げる。
しかし、『神の頭脳』としてあらゆる魔法具を使いこなす彼女は一瞬後にジュリオの目的に気付いた。
突進してくる衝撃で魔法人形は前へと倒れこみ、内部に異常を来たしたのか立ち上がれないままバタバタと両手を振り乱し始め、同時に包囲網の一角が崩れたことが知れた。
回避した彼をしとめようと次の攻撃を準備していたガーゴイル達――そしてそれを操るシェフィールドの予想を超える動き。
まさか武器も持たないあの状況からどう見ても自殺行為にしか思えない反撃をするとは思っても見なかったのだ。

あわててシェフィールドは新たな命令をガーゴイルに伝達しようとする。
しかし、その一瞬の隙を突いてジュリオは深い森の中を目指して全力で駆け出した。
血にまみれ、激痛に苛まれる拳をもう一方の腕で庇い、少しでも遮蔽物の多い場所をめぐるようにして走り続ける彼の心の中に去来する無数の思い。

生きたい。
逢いたい。

―――帰るんだ。あの優しいジョゼットのところへ。

それこそが彼にとっての本当の目的だった。
彼はただその思いを胸に暗いアルビオンの森の中を駆ける。
ただひたすらに。
ただその目的を果たすために。





――長く広い廊下に今度は複数の人間が早足に進む足音が響く。
その足音が一度途絶えると共に閉ざされていた大きく重い扉が力任せに開かれた。

「ほう――随分派手にやったみたいだな」

謁見の間に姿を見せた彼女の“同志”達を代表して声を上げたのはやはりメンヌヴィルだった
光の失われた目では見えない筈なのに、彼は残された嗅覚と幾多の凄惨な戦場を作り上げてきた肌でその光景を感じ取っているらしい。
そんな元傭兵隊長の問いにルイズは少し謙遜気味に答えた。

「そうかしら? これでも少しは手加減したつもりよ」

嘘ではない。
実際に彼女が全力で戦ったとしたならば、少なくともこの広間は崩壊していた可能性が高い。
そんな事実を前に改めて敬服の念のようなものを示しながら彼は尋ねた。

「そうかい。それで大将。で、これからどうするつもりなんだ?」

「ええ――決まってるじゃない」

メンヌヴィルの問いに対してルイズは心底楽しそうに答える。
そこに迷いや躊躇は無い。
彼女は自らの目的を達するために。
そして彼女に付き従う人々との契約を果たすためにその答えを“指導者”として明確に示さなければならないのだ。
彼女の口から紡がれた言葉――それは、

「階級や血統、位階を盾に私達を忘却の彼方に追いやり、眠りこけている連中を叩き起こすの」

静まり返った謁見の間に複数の息を呑む音が聞こえた気がした。
まるでこの凄惨な場が神聖な場所であるかのように誰もの耳目が彼女一人に注がれる。

「そんな連中の髪の毛を掴んで引き摺り下ろし、眼を開けさせ思い起こさせる――」

彼女のその言葉にメンヌヴィルを初め、彼に――いや彼女に続いた者達の間から満足そうな呻きが漏れる。
それこそが彼らがこの少女に無制限の忠誠と服従を誓った理由だった。

彼女はかつての“婚約者”の様に自らがハルケギニアに君臨したい訳ではない。
このハルケギニアの社会制度を打ちこわし、彼女の存在を認めさせたいだけなのだ。
旧来の貴族支配との最大の違いは相手から敬意を受けるための見返りの存在――すなわち新たな「社会的契約」の提示だった。
彼女はこれまでの貴族たちによる一方的な敬意の強制を否定した。
何の見返りもなくただその地位を誇示し、奉仕を強いる存在こそが彼女が最も拒絶した存在だったからだ。
故に彼女はその「代償」を提示した――自らの求める世界像とそれを保障するに足る“力”を。

彼女の“力”によって彼女に付き従う者達にはこれまでの階級社会ではありえなかった“権利”が与えられる。
と同時に、その「契約」に応じた時点で彼らは彼女に付き従わなければならない――彼女こそが彼らの権利を保障する源泉であるからだ。
そして、目の前の少女の意志と発言のみが全てに優先するという指導者原理が完成した。
その過程では、これまで彼らに十分な「代償」なく服従を強いた者達は確実に排除される――そのための行動が今示されようとしているのだ。
そんな興奮の含まれた同意の呻きを聞きながら、彼女は続けた。

「無能なあの連中に恐怖の味を思い出させ――連中に私達の存在ちからを思い出させて、この地上には 奴らの常識では思いもよらない事があることを思い出させてやるのよ!」

そう言って彼女は周囲にいる“同志”達の顔を眺めた。
歓声に包まれた広い部屋の中で彼女は笑みを浮かべていた。
これまでのどこか貼り付けたような笑みとはまったく別の微笑み。

単に満足したという笑みではない。
目的を達することへの確信というべきなのかもしれない。

一言で言うならば喜びと決意、そして残酷さの共存した笑み。
そんな凄惨な笑みを浮かべて彼女は宣言した。


「始めるわ――私達の革命を」

その言葉が発せられた瞬間、貴族革命レコン・キスタに次ぐ第二革命が開始された。
長らく権力の不在だった『空白の国』、アルビオン。
その地において新たな「社会的契約」と絶対的な権力を持つ頂点の存在は数年に渡る内戦と戦争に疲れ果てた平民達にとってもそれまでの単なる支配階級の交替とは異なり、何らかの変化を及ぼすこととなるだろう。

後にこの夜の出来事は砕け散った無数の窓ガラスからある呼び名が付けられた。
そして当然のことながら、その名には杖やマントと並んで貴族の象徴であった宝石が砕け散ったという意味も込められている。
その凄惨な革命の始まりを告げる夜――その一夜について語る者はその惨劇をこう呼んだ“水晶の夜クリスタル・ナハト”と。








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


さて、ついに終盤です。
更新してたの?とか今年中に終わるのか?と聞かれたのでなんとか頑張ってみました。
過去最大の分量になって本当は分割しようかな?と思ったりもしたのですが、これ以上「終わる終わる詐欺」を続けるわけにも行かないので一話に纏めました……相変わらず遅筆ですけどorz

あと、これ書いてる時に怒涛の更新中のYY様の作品、『ヤンデルイズ』読んでたらネタが被ったので、二番煎じになってはと急遽話を書き換えたり、ついでに先読みされた展開を可能な限り変更したりして……。

YY様の『ヤンデルイズ』は個人的に大好きな作品なので未読の方は是非御一読を。


10/06/25追記。
他作者様のネタバレとのご指摘を受け、あとがきの部分を修正しました。
aanoi◆d840d17d様を初めとして皆様にご迷惑をおかけ致しましたことをお詫び申し上げ、以後このようなことが無いように精進させて頂きます。

10/08/09追記。
二回目の改定を実施。




[3967] 第39話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:0965d4b3
Date: 2010/08/20 22:20
 ――――――――――――見渡す限りの人、人、人。


あの悪夢のような平民街の戦闘から2週間。
彼女の眼下には、遥かトリスタニア平民街から半ば廃墟となった貴族街までまるで埋め尽くすかの様に人が溢れている。
いや、目の前のブルドンネ通りだけではない。
このトリステイン王宮を取り囲むようにして無数の人々がそこに居た。


その光景から目を逸らし、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランは王城前広場に整列した銃士隊員の数を目算した。
彼女の目の前に整列した隊員の数はざっと50名程――今も歩哨に当たっているものも含めるとおよそ70名程度だろう。
合計しても2個小隊とちょっとと言ったところが現在の彼女の手持ちの全戦力だった。
数ヶ月前、初めて銃士隊が編制されたときに編制簿に載せられた隊員の数は200名を越えていた。
そして目の前の現状は彼女の率いる銃士隊が先の平民街侵攻で受けた大損害を未だ回復できていないことに対する顕れだったのだ。

そんな現状を見つめつつ、アニエスは思った。
あの平民街侵攻さえなければ、今もこの倍の戦力は彼女の目の前にあった筈だった。

果たしてあの平民街侵攻になんの意味があったのか、と彼女は思わずには居られない。
いや、軍務卿の考えていたことは彼女にも大体想像は付く――彼らはこの平民達の『叛乱』に対してこれまでと同様の手法で対処しようとしただけなのだ。
彼らは平民達に対し、今まで通り“力”を以って自分達貴族に従わせようと考え、実行した。
武器を持って集まった平民達の前に何人をも打ち砕く“力”を示せばこれまでのように平民達は逃げ散り、バラバラとなった平民達をあとは個別に処罰してしまえばいい――一度平民達の結束を崩してしまえばあとは個別に対処することが可能だからだ。
事実、彼らはその「常識」に従ってあの計画を立てたのだ。

しかし現実はどうだ?
彼女はつい2週間前の出来事を思い出した。

貴族達が『懲罰』しようと送り込んだ“力”に対して平民達は逃げ散るどころかより一層団結して抗戦したのだ。
総計で2000名以上もの――王軍一個連隊を超える戦力に。

結果として、その戦闘で生じた被害はあまりにも大きなものとなっている。
当初貴族側の圧倒的な“力”を示せばたちどころに平民達は逃げ散ると思われていたが、実際にはその逆だった。
誰もが武器を持って立ち上がり、まるで蜂の巣をつついたように次々と彼女達の前に立ちはだかったのだ。

そしてその戦闘の中で彼女達銃士隊を含めた貴族側は大きな損害を受けた。
不期遭遇戦――互いに相手の状況を察知できないままぶつかり合う(すなわち出会い頭に出合った敵とひたすら殺しあうしかないという状況)――しかも市街戦闘に伴う近接戦によって貴族側はその目論見が外れたことの代償を支払わされた。
まず彼らの最大の利点であった魔法という(個人戦闘の分類の中では)遠距離大火力がその近接不期遭遇戦によって利点を失い、さらに平民達の心を打ち砕く為に平民街の奥地へ侵攻する、いう戦略が彼らに敵中での孤立を強要したのだ。

それでも彼らは闘い続けた。
周囲を取り囲むようにして向けられる無数の敵意の中で一つ一つバリケードを突破し、襲い来る銃弾や投石の雨に耐え、一歩一歩前に向かって前進し続ける。
前線指揮官たる下級貴族達は平民相手に退くことなど決してあってはならないと考えていたし、そうしたプライドが彼らに通常なら後退しても何ら批難を受けない状況にあってさえその場に踏みとどまり、そして前進することを選択させた。

侵攻開始から数時間後には当初2000名以上を数えた貴族側の戦力は4分の3程度にまで減少していた。
僅かそれだけの時間の間に500名近い兵士や士官達が斃れ、あるいは負傷によって後方へと搬送されていたのだ。
それでも彼らには成果があった――中央を突き進む先鋒集団のアニエス率いる銃士隊が目標とされた平民街中枢部にまであと少し、というところに到達していた(彼女達は近接防衛戦闘の経験が高く、その損害も最小限――それでも20名以上の損害を受けていた――で済んでいた)。



しかし、本当の悲劇はここから始まった。

彼らがまるで城砦のようなトリスタニア平民街で戦闘を繰り広げている中、突如として飛来した中型船が貴族街上空で大爆発を起こしたことをきっかけに作戦が中止を余儀なくされたのだ。
貴族街の西半分を吹き飛ばすような爆発によって崩壊した屋敷の中で死亡した軍務卿(この作戦の立案者でもある)――その彼の後を引き継いだ代理指揮官は作戦中止、撤退命令を下した。
おそらくそれは被災者の救護と言った差し迫った一般的な理由はもちろん、半ば政治的な安全策――貴族はなによりも王家を守らねばならないという自然的な発想――に基づく考えから発せられたのだが、その決断は平民街で戦う貴族将兵の置かれた状況というものを全く無視していた。

一般に攻勢作戦から撤退戦闘への切り替えは困難である。
地の利は敵の側にあり、かつ攻め込むためには敵の待ち構える中へ突っ込まねばならない。
逆に言えば突っ込むということは敵の懐奥深くに向かって進むということでもある。
敵の懐深くでは通常の戦闘が正面だけであるのに対して侵攻側は概ね三方から敵の“圧迫”を受ける。
逆に防御側は常に敵を正面に捕らえている為、損害が少ない。
そして、その効率は敵が後退を余儀なくされた時に最大化される。
敵の内懐から後退する中で部隊は単純に互いにぶつかり合うよりも多くの敵の“圧迫”を受け、その損害を大きくする。
と同時に何よりも古今東西の戦闘で最も重要であると言われてきたもの――士気が大きく損なわれる(それまで自らの血を流して得て来た地歩を失う上、“後退”という言葉は兵士達にとって事実上の敗北と捉えられ易い)。
結果として指揮統制の効率も下がり、部隊はさらに損害を受け、再び士気が低下するという悪循環に陥ってしまうのだ。

それでも彼らは命令に従わなければならない。

困難な撤退戦が開始され、部隊の損害は瞬く間にそれまでの数倍に膨れ上がった。
あちこちで本隊からはぐれ、孤立する部隊が生まれた。
それでも、彼らは多重包囲の中でもはや純粋に自らの生存の為のものとなった悲惨な戦闘を継続した。
貴族士官にとっては平民相手に「降伏」するなど断じてありえないことだったし、仮に降伏したとて生存できる確率は低いものに思われたのが理由だった。
そして彼らに付き従う平民の衛士達もまた同様の運命が待ち構えていると確信していたため、戦闘は凄惨なものとなった。
それはもはや相手の士気を打ち砕くといった従来型の戦闘ではなく、如何にして生き残るか――すなわち生き残るために如何にして相手に止めを刺すのか、といった戦闘が行なわれたことを意味する。
撤退戦に伴う混乱の中で無数の悲劇――精神力の尽きた貴族が平民達に嬲り殺され、あるいは自決を選ぶといったような事態――が発生し、降伏しようとした小部隊がそのまま虐殺される光景があちこちで繰り返された。

無論平民達の側にも損害が続出している。
侵攻当初の不期遭遇戦では火力と組織力に勝る貴族側戦力に各個撃破され無数の損害を出していた。
特に平民側の大半は胸当てや鎧といった防御手段を持たないが故にその損害を大きくしていた。

数時間にも及ぶ戦闘。
生み出された膨大な犠牲。

そうしたものの中で生み出された熱気と狂気が入り混じり、誰もが“敵”――貴族・平民側双方にとって最早相手はそうした分類となっていた――に対して情けを加える余裕が失われていた。
そこには容赦も慈悲もない。
彼らはたとえ相手がもはや戦うことすら出来ない状況であっても決してその手を緩めることは無かった。


貴族側の主要部隊の撤退が完了したのはその日が暮れた頃のことだった。
いや、実際には未だ多くの部隊が平民街に取り残されていたのだが、明かりのない暗闇に不気味に沈んだ平民街に立ち入ろうとする者は悲惨な戦闘を経験した貴族派達の中には誰も居なかったのだ。
日が暮れても平民街に取り残された部隊の多くは暗闇と迷路のような平民街の中で道に迷い、その多くが帰らなかった。
生き残り、貴族街に帰りついたのはわずか623名。
そのうち戦闘可能な者は400名に満たなかった。



そして今、アニエスと彼女の率いる銃士隊は王城前広場に集結していた。
ここを守るのは彼女の率いる銃士隊約70名と壊乱した王都警備隊に辛うじて残った(そして逃げ出す機会を逃した)残存戦力の約50名――計124名だった。
あの悲惨な撤退戦、その最先鋒として平民街に進んだ銃士隊はその隊員のおよそ半分を失うという大損害を受けたため、同じく幸運にも逃げ戻った衛士隊の残存戦力の一部が彼女の指揮下に組み込まれたのだ。
しかし、銃士隊の損害のみが一概に大きかった訳ではない。
彼女達の後方を同じく先鋒部隊として進んでいた部隊のいくつかは平均して損害率が8割以上に及び、中には文字通り全滅――誰一人として平民街から生きて帰ってこなかったという部隊すら存在していたのだから。
その点を考慮すれば銃士隊は彼女の的確な指揮によってその被害を最小限に抑えたとすら言えるだろう。

そんな彼女が率いる部隊と同じく同様に壊乱した部隊を集成した部隊がそれぞれ王城の3つの門を守っている。
正確には水堀に囲まれた城壁の門――その堀にかかる橋の先に広がる広場だ。
式典や儀礼用に広く平坦に作られた広場のあちこちを土メイジの魔法や人海戦術で掘り返し、即席の防御陣地と呼べる趣になっている。
一部には王城の城壁と同じ石材をレビテーションによって運び込んだ為に急造ながらも大砲の直撃でもない限り耐えられる程の防御設備が出来上がっていた。

しかし、今は果たしてそれだけで耐えられるかどうかすら不安だった。
王城を遠巻きに取り囲む様に展開した無数の平民達。
その眼前の光景はそれほどの衝撃を彼女達に与えていた。

そんな貴族側にとって残された最大の戦力はマンティコア隊を筆頭とした魔法衛士隊の存在である。
しかし、彼らもまた深刻な損害を受けていた。
先日のフネによる自爆攻撃――それに気付いたのは自爆後だったが――を阻止するために出撃した彼らはその爆発に至近距離で巻き込まれたことにより隊長であるド・ゼッサールを初めとして多くの人員・幻獣を失っている。
そして、単純に被害は数の問題に留まらない。
彼の後任として残存した魔法衛士隊を指揮する代理指揮官は経験の浅い人物だった。
それは先日の出撃に際して伝統あるトリステイン貴族の習いとして魔法衛士隊は指揮官先頭で出撃したことが原因となっている。
皮肉なことに「質」を一番の誇りとしていた魔法衛士隊は現在、結果として「数」だけでなくその「質」の低下にも直面しているのだ。


彼女は数日前に行なわれたそんな経験の浅い代理指揮官との事前調整会議の場の光景を思い出した。
いかにも若く、突然の栄達に(指揮官戦死に伴う臨時昇進だが)喜びを抑えきれない彼は自信に満ちた顔で防御戦闘方針について語ったのだ。

“フン、王女殿下の近衛だというのに結構な身だしなみだな……所詮は下賎な平民か。
お前たちは陣地に篭っていればよろしい、叛乱者共への攻撃は我々が担当する。
――攻撃方法? 上空からの降下襲撃だ。奴らには空を飛ぶ手段すらないのだからな”

そう答えると他に言うことは無いとばかりに颯爽とマントを翻して代理指揮官はその場を後にしたのだった。
かつての魔法衛士隊の隊長(ワルドの爵位剥奪後はグリフォン隊も彼の指揮下にあった)であったド・ゼッサールは生真面目すぎるが誰からの話も真摯に聞き届ける人格者として通っており、銃士隊-魔法衛士隊間の連携も比較的スムーズに動いていたが、その彼が居なくなるとこの有様だった。
そんな連携についての不安というものだけでなく、彼女はその代理指揮官が提示した“空からの攻撃によって平民達の出鼻を挫く”という防御方針にも疑問を持っていた。

確かに上空からの攻撃は有効だろう。
しかし、それは相手に損害を与える事によって一時的に混乱を生み出させる――すなわち時間を稼ぐだけで相手を制圧することは出来ない。
そんな手段では貴族に対して恨みの不足することはない数万人の平民達を前にして、その問題の根本的解決を図ることが出来ない――いや、それはたとえどんな人材だろうと不可能だろう。

数万人の人間は数万人の論理で動く。
目の前の光景はその数万人の目的が無数の要因によってただ一つの方向に収束したからこそ生み出されているのだ。

それでもアニエスは守らねばならなかった。
かつて自分自身の居場所を貴族の陰謀によって焼かれた少女は再び自分の居場所を失う訳にはいかなかった。
銃士隊の部下達――そしてそれを与えてくれた愚かしくも愛おしい王女アンリエッタ。
かつてチェルノボークで彼女の下から去っていったミシェル達という存在も居たが、それでも尚――いや、だからこそ彼女の下に残った銃士隊員達、そして自らの主人を彼女は守ろうと決意していたのだ。

そんな彼女の前方でとうとう平民達が動き出した。
そう、彼らは遂にその目的を決するために行動を開始したのだ。





王城を包囲している平民達の最前線に展開していたのは、本来ならば貴族達の指揮下――トリステイン海空軍に所属している筈の艦隊水兵達だった。
しかし、艦隊水兵とは名ばかりで彼らは自らが操るべきフネを持っては居ない。
そんな名ばかりの存在となった水兵達が何故王国に対して叛旗を翻すことになったのか?

かねてから貴族出身の艦長や高級士官を除いた平民出身の下級士官と水兵の間では戦争勃発以後、革命の機運に関係して貴族に対する消極的な反抗が起こっていた。
無論、その影に存在していたのはスカロンに率いられたコミン・テルン潜入工作員の暗躍があったのは言うまでもない。
しかし、それらの反抗は実際に武装した水兵達が立ち上がるというほどのものではなかった。
せいぜいが横柄な貴族に対する“ちょっとした”抵抗、と言うべきレベルのものでしかなかったのだ。

そんなサボタージュが叛乱蜂起という事態まで変化したきっかけはロサイス沖の空戦で撃墜された艦船乗り組みの平民兵に対する扱いが原因だった。
主力艦だけでも敵味方を合わせれば30隻以上が激突したロサイス沖海戦。
規模においてハルケギニア戦史でも有数のその大海戦の中でトリステイン王国は20隻近い大型戦列艦や輸送艦を失った。
そして、その戦闘の渦中、その事件は起こった。
戦闘でフネが損傷し艦が墜落し始めると、貴族士官のその大半が“飛行フライ”の魔法によって早々と友軍艦に逃げ延びたのだ。
無論、それ自体は批難されることは無い――むしろ当然の行動とさえ言える。
しかし、その場ではっきりと示されたのは貴族と平民との明らかな命の価値の違いだった。

トリステインでは貴族であることが任官条件とされる閉鎖的な陸軍とは異なり、艦を操るという高度で専門的な技能が必要とされる海空軍では狭き道とはいえ平民にも士官への道が開かれている。
しかし、士官と言えども平民出身である彼らには当然魔法が使えない。
故に乗艦が墜落すれば魔法の使えない彼らには逃げる方法すらなかったのだ――そして、その多くの平民士官が墜落し始めた艦を救うためにあらゆる努力を尽くしている最中に艦長を初めとする貴族士官が次々と艦に見切りをつけて“飛行フライ”の魔法で逃げ出したという光景が見られたのだ。
その明らかな対比が彼ら叛乱水兵達に大きな影響を与えた。


『……アルビオン沖での空戦で墜落した輸送船に乗っていた平民達は全て見殺しにされた。その一方で魔法を使える貴族は全員が無事友軍の艦に収容されたという。二度と帰ってこない数千人もの我ら平民の命とはなんだったのだろうか?私達は貴族の為の道具ではない、人間である筈なのに……』


かつてトリステイン中に配られたコミン・テルン機関紙――『真実プラウダ』に掲載されたその記事はある一面では真実を伝えていた。
その言葉――そしてその元となった光景は彼ら艦隊水兵や乗員たちの家族に自らの置かれた地位と立場について決して忘れることの出来ない何かを刻み付けたのだ。

そして、先日のミシェル達によるマリー・ガラント号を利用した襲撃計画が最終的に火をつけた。
フネによる重要拠点襲撃という戦術に怯えた貴族達は、彼らから見て政治的に「信用できない」平民達をフネから降ろすことを決定したのだ――軍艦には元々大量の火薬が備えられているため、そのまま今回と同様のテロ攻撃が実施可能であるという点も大きな要因になっていた。
無論、そうした短絡的とも思える行動に反対する貴族も居た――そしてその多くが実際にフネの運用に関わる下級貴族士官達だった――が、あるいはそれ故に彼らの意見は受け入れられなかった。
無理も無いことかもしれない。

トリスタニアを襲ったあの惨劇。
それを見た貴族達――無論、戦時中にも関わらず王都に留まっているのは専ら高位貴族である――の誰もが同じ惨劇が繰り返されることを心から恐れたのだ。
彼らの多くは平民達からの信頼よりも身近な精神的安定を望んだ。
そして、皮肉なことにそのことがより大きな崩壊をもたらすことになったのだ。


まず、この決定に対し艦隊水兵――そして平民出身士官達が猛烈な反発を起した。
彼らの大半は高度な技能を必要とする艦隊の為にその人生そのものを費やしてきたような人々であり、その忠誠心はある意味で並みの貴族士官よりも高かった(無論、その忠誠心は国家に対するものではなく、自らが寝起き、働くフネというものに対する愛着であったが)。
彼らはロサイス沖の空戦で示したように、最後まで乗艦を救おうと努力し続けることを心に刻まれたような存在であり、自らの乗るフネによる自爆攻撃という自宅に火をつけるような行為に使おうなどと思う輩は誰もいなかった。
しかし、現に彼らは空について何も知らない貴族達からそうした疑いの目を向けられ、実際に抗弁した一部の平民出身士官が拘禁されたことをきっかけに対立は頂点に達した。

そして、貴族達が強制しようとした平民士官等の強制退去に対して二等戦列艦『アウローラ』でついに平民士官と水兵による叛乱が発生したのだった。
同艦は退去を拒否した彼らによって事実上占拠され、それをきっかけにラ・ローシェルに停泊していた他のフネにも伝染病が広がるかのように同様の叛乱が次々と発生した。
その叛乱の嵐は艦隊だけには留まらず、連鎖反応でも引き起こしたかのように瞬く間にラ・ローシェル市内を覆いつくし、さらにラ・ローシェル市内から同様に不満の高まっていたタルブを初めとした周辺の農村地域や周辺都市へと急速に広まったのだ。



彼らの一部が今、アニエス達の目の前に居る。
当初ラ・ローシェルを出発したのは約3000人の水兵や住民の志願者達だったが、トリスタニアに到着するまでに周辺地域から合流した者達によってその数は10倍近くにまで増大していた。
乗艦は艦が叛乱兵たちの手に渡ることを嫌った貴族達によって破壊されてしまったが、高度な訓練を受け、集団行動に慣れた艦隊水兵達、それに指揮官としての心得のある平民士官達の存在は基本的に軍事に素人でしかない平民達――そしてコミン・テルンにとってはどんな宝石よりも貴重であり、故に計り知れない効果をもたらした。
彼ら艦隊水兵達の大半は接舷切り込みという古典的な戦闘に対する訓練を積んでいるために地上戦が全く不得手だというわけではないし、言うまでも無く彼らは水兵であるから、銃砲の扱いにも長けている。
数少ない平民士官達(彼らは全員が例外なく水兵からの叩き上げだった)に至ってはその統率力と判断力によって烏合の衆に近かった平民達にある程度の方向性と規律を与えてさえいる。


そんな彼らに指揮され、トリスタニア王宮を目指す平民達の最前線に立った水兵たちは一斉に歌を口ずさみ始めた。
誰もを奮い起こさずには居られないその曲の名は『ラ・ローシェルス』。
『ラ・ローシェルス』という名称は今も前進を続ける叛乱水兵達が最初に広めたために付けられた名称だった。
元々はアルビオン遠征軍の兵達を鼓舞するために作られた進軍歌であったらしいのだが、初めにその歌に付けられた名称は誰も知らない。
しかし、彼らのトリスタニア進軍と共にトリステイン全土に知られるようになったその曲は、今やトリステインの革命を目指す人々の間の共通歌として使われている。

彼らに並び――そして後に続くのは先のトリスタニア平民街の攻防戦に勝利した(と信じていた)数万人のトリスタニア市民達と周辺地域から集まってきた無数の人々。
最前線の艦隊水兵に続く人々もまたそんな経緯を持つ曲を歌いながら前進を開始する。

“震えるがよい! 汝らの暴虐は遂にその酬いを受けるだろう”

皮肉と言うべきだろうか。
かつてテューダー朝を滅ぼしたアルビオン貴族派に向けられる筈だったその台詞が今はトリステインの支配者達に向けられている。

“進もう! 進もう!”

数万人が一斉に唱和し、前進する。
マーチ風の曲調に合わせてまるで地鳴りのような足音が響き渡る。
同時にトリスタニアの全てを覆うその声は聞く者達の心を揺さぶり、励まし、そして打ち砕く。
数万人が一斉に合唱しながらまるで津波のように前進するその光景。
そんな異様で圧倒的な光景を前に踏みとどまることを決意出来る人間はごく少数だろう。
現に配置についたアニエスの指揮下にある王都警備隊の残存部隊の衛士達がその光景と歌声に怯えて隊列を乱す。

「隊列を崩すなッ!――逃げる者は……」

そこまで言いかけてアニエスは口を噤んだ。
たとえ逃げ出したとして何処へ行こうというのだ――既に王城のある貴族街は無数の平民達によって包囲されているのだから。
一見矛盾するようだが、この場で生き残りたければこれから襲い来るであろう攻撃を食い止めるしかない。
食い止め、“敵”を撃破するか突破するしか生き残る方法はない。
その為には隊列を維持し、少しでも集団の戦闘力を高めることこそが彼らの生存の可能性を高めるのだ。


“――進もう! 進もう! 進もう! 進もう!”


数万の群集の唱和が大きくなり、熱狂が頂点を迎える。
その大音声の中でアニエスは隊列を乱して逃げ出そうとする王都警備隊の衛士達に向かって叫んだ。

「死にたくなければその場に留まれ!」


直後、彼女達の上空を十数頭の幻獣が押し寄せる人間の津波に向かって飛んでいった。
王城内部に駐屯する魔法衛士隊の全力が一斉に幻獣に跨って押し寄せる平民達を制圧するためにその姿を現したのだ。
とは言っても先日の自爆攻撃によって大損害を蒙った為にその数は40騎にも満たない。
それでも厳しい訓練で知られた魔法衛士隊らしく、それぞれのマンティコア・ヒポグリフと言った彼らの跨る幻獣ごとにきっちりとした密集隊形を取って平民達の上空へ向かっていく。
無論、その先頭を飛ぶグリフォンに跨っていたのはあの横柄な魔法衛士隊の臨時指揮官だった。

最初の急降下の直後、平民達の最前列の中で無数の悲劇が誕生した――幻獣に跨った魔法衛士の放った魔法が密集して進んでくる人々をなぎ倒したのだ。
魔法の一撃で着弾地点に居た10数人の平民が血飛沫を撒き散らす肉塊へと変わり、あるいは黒焦げた人形へと変わった。
何とか反撃を試みようとでもした者が居たのだろう――地上から数発の銃声が響く中、一転して急上昇に転じる魔法衛士隊員の思いは様々だった。
あるものは自らの絶対優位にほくそ笑み、またあるものは自らの引き起こした破壊と被害に悔恨の念を抱いた。
しかし、そんな彼らもまた自らの所業の報いを受けることとなった。

シュポン、というワインボトルの栓を抜いたような音がこちらに向かってくる平民達のあちこちから響き渡る。
その音が発された場所からは幾本もの白い煙を曳きながら上昇する鉄の火矢のようなものが見えた。
発射された火矢はオレンジ色の炎と白い煙を尾部から吐き出しながら上空にたむろする魔法衛士に向かって突き進む。
当然、それに気付いた魔法衛士達も回避を開始した――空中をおそらく無誘導で飛行する物体など大した脅威ではないと思われていたが、それでも自分が狙われているというのは良い気分ではいられない。
彼らの一部は十分に離れたと確信したところでその鉄の火矢を放った連中に向かって再度の突撃を敢行しようと試みた。
しかし、そんな彼らの背後では先ほど回避したと確信した筈の鉄の火矢がまるで獲物を狙うヘビのような動きと共に彼らの動きに追随していたのだった。

――試作呼称“空飛ぶヘビくん”。

発明者によってそう名付けられたこの地対空兵器は頭部に収められた炸薬の危害半径に標的が入ったことを探索魔法ディティクト・マジックの込められた魔法装置によって確認すると次々と爆発し、大空を硝煙の白く――そして赤いものが入り混じった血煙で彩った。






上空で上昇に転じた魔法衛士隊の幻獣達が次々と打ち落とされていく光景が描き出される中、アニエスはじっと前方を見つめていた。
無数の爆発音が鳴り響く上空とは異なり、より切迫している筈の地上は逆に静謐を保っている。
無論、トリスタニアには数万人の歌声が満ちているが、両者は互いに武器を手にしているにも関わらず、誰も敵に向かって撃ち掛けない。
それは専ら手にした武器の射程が原因だったが、同時にそれは彼女にとって非常に不気味に思えた。
その事実は軍事的に素人である筈の平民達が自らの武器の射程を知っている――あるいは熟知した者達に率いられているという証拠だったからだ。

『ラ・ローシェルス』の歌声と共に進んでくる平民達までの距離はおよそ200メイル。
あと100メイルも進めば数度の準備射撃の上で彼らは犠牲を省みずに突っ込んでくるだろう――彼女はそう考えた。
ハルケギニアでの一般的な歩兵突撃の突撃開始線は50メイルとされている。
その数値は一般的に歩兵の戦場で最も高い火力を持つメイジの平均的な射程――精神力を比較的消費せず、メイジの大多数を占めるドットやラインの使用可能な魔法――を基にしたものだ。
そして、そのメイジの魔法を上回る“銃”の有効射程はおおむね100メイル。
故に彼女はその突撃開始線を約80メイル程度と見積もった。

平民達の進む速度が徐々に増し、それと反比例して距離がどんどん縮まる。
200メイル、150メイル、100メイル。
そして遂に距離が80メイルに達した。

向かってくる平民達の最前列が一斉に地面に膝を付け、発砲する。
雪崩の様な音が響き渡り、無数の銃弾が飛び過ぎる音や彼女達が遮蔽物にしている胸壁――胸の高さまで積み上げられた石や材木などの遮蔽物――の表面が砕かれ、抉られる音が聞こえる。
同時に、数人の人間の悲鳴やうなり声が上がった。
不運にも胸壁を貫通した銃弾によって傷ついたのだろう。

アニエスは自らもそんな悲劇の一部分となりつつ、その銃弾の嵐が過ぎ去るのを待った。
時間にしてたった10数秒に満たない筈なのにその時間がとても長く感じられる。
その永遠にも思える数秒が経過した後、彼女は身をかがめることで死の暴風を耐え忍んだ銃士隊員達に号令をかけた。

「構え――放てッ!」

その声と共に素早く胸壁の上に身を晒した銃士隊員達が一斉に引き金を引く。
打石機が火皿を叩く音が響き、ほぼ同時に先程彼女達に向かって発せられたのと同様の雪崩のような音が発生する。
しかし、その数は相手と比ぶべくもない。
それでも遮蔽物の無い広場入り口付近で射撃の隊列を組んでいた何名もの艦隊水兵や平民が赤黒いものを撒き散らしながら崩れ落ちる。

幾度かの銃弾のやりとり。
自らを狙って銃弾が打ち込まれる間、彼らは互いに次に放つための銃弾と火薬を込める作業を黙々と続ける。
勿論、繰り返される銃撃戦による損害はやはり遮蔽物の無い平民達の方が多い。
既に数十人の水兵や平民達が死亡・負傷を問わず仲間たちの手によって後方に引きずられていく。
そして、さらなる銃弾のやりとりが繰り返され続ける。

その光景を前にアニエスは確信するとともに覚悟した。
もうすぐ射撃戦の不利を知った平民達は突撃に移るであろうことを。
そして、数において圧倒的に劣る彼女達の苦難が始まるのだと。
突撃態勢を採りつつある平民達を前に、彼女はこの場の指揮官として彼女の指揮下にある全員に向かって叫ぶように命令を下した。

「来るぞ、白兵戦用意!」

彼女がそう叫んだ直後、損害に耐え切れなくなった平民達は剣や槍を手に自然発生的な突撃に移った。
銃士隊もまた手に鋭剣を手に近接戦闘の準備を整え、陣地に向かって平民達が押し寄せるのを待ち構える。

――そうして、トリステイン王国における革命の最後の幕が切って落とされた。









―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


SSの筈なのにセリフが殆ど無い……良いのかな?
一応手抜きじゃないです。手抜きだと思った方は罵倒して下さい。


10/07/10追記。
歌の名前についてなのですが、一応仏語っぽくすると『ラ・ローシェラリース』みたいになっちゃうので語呂が悪いかな?と思い『ラ・ローシェルス』にしてみました。特に深く考え訳ではないので笑って流して頂ければ有難いなと考えます。もちろんダメと言われれば直します。(独語なら『リート』なんだよなーということに気付いた今日この頃)


10/08/07追記。
二回目の改定を実施





[3967] 第40話
Name: さとー◆7ccb0eea ID:3e99c83b
Date: 2010/08/20 22:29

 ――――――――――――あらゆる音がトリスタニアを包んでいる。

無数の人々の生み出す喊声。
燃焼する黒色火薬が小さな鉛のかたまりを高速で押し出す音。
剣や槍の穂先といった金属同士が互いに叩きつけられる響き。
時折そこに色を付けるのは、しかし途絶えることなく続く人の人生が終わる時に発される声。

喩えるならば一つの舞台の様でもある。
無数の人々が主人公となり、そして彼らが手にした楽器によって奏でられる壮大な歌劇オペラ

その曲を演奏しているのは何も地上の人々だけではない。
頭上からは爆発音が響き、ナニカが大地に叩きつけられる音が劇中曲に華を添える。

演目の名前は“革命”。
そう、このトリスタニアで演じられているのはハルケギニア全て……いや、歴史というものを観衆とした一つの壮大な演目であった。
そしてこの場に居る無数の人々は彼ら一人ひとりが奏者であり演者であり――また同時に音を奏でる楽器でもあった。



「隊長! 敵が再編を完了した模様です!」

その演目の間奏とでも言うべき小康状態の中で発せられた部下の声にアニエスは視線を陣地前方に向け直した。
そこには負傷者を後方へ運び終わり、再度の突撃の準備を整えようとしている平民達の姿が見える。
彼女達は既に平民達の二度の突撃を受け、圧倒的な数を前に二度とも押し留めることに成功している――全ては念入りに築かれた防御陣地とアニエスの的確な指揮が彼女達銃士隊員に興奮と疲労を感じさせるという贅沢を味あわせていたのだ。

しかし、そんなアニエスも三度目になる突撃の準備をする平民達の姿を見て舌打ちを抑えられなかった。
厄介なことに士気がこれまでの連中よりもはるかに高い。
無論これまでの平民達も農村から集められた徴収兵達とは比べ物にならない程高い士気を誇っていたが、それにも増してその興奮と熱気は異常に感じられた。

その原因は一目で判った。
今まさに突撃を開始しようとしている平民達の先頭に大振りな片刃剣を手にした黒髪の少年の姿が見えたのだ。
彼女の予測の正しさを示すように平民達の間から一斉に驚きと興奮のもたらす唸り声が上がる。
あらゆる者の心を揺さぶるその暴力的な唸り声は否が応でも彼女達に向かってこようとしている平民達の闘志をさらに高めさせた。


「副官!」

その光景を前に彼女は反射的に傍らにいた副官を呼んだ。

「ハッ!」

「突撃が開始された瞬間に何人か率いて奴を狙撃しろ。奴が敵の士気の中核だ――それでいくらか時間が稼げる」

即座に応じた副官にそう彼女は命じた。
200メイル程先に見えるあの少年こそが王都の平民達の間で噂されていた“黒髪の剣士”だと確信したのだ。
かつてトリスタニアの酒場で彼女がその存在を疑問視した少年は確かに存在していた。
ならば突撃が始まった瞬間に奴を打ち倒すことが出来れば敵の士気は一時的にせよ確実に崩壊するだろう。

“諸君――不遜なる者達の杖を折れ”

彼女がそう判断する間にも決して途絶えることのない繰り返される歌声に押されるようにして平民達は再び前進を開始する。
前回と同じく80メイルに達した時点で突っ込んでくるつもりなのだろう。

“――進もう、進もう”

徐々に平民達の歩速が増す。
標的とされた少年もまた駆け出すために一歩を踏み込む。
そして、今まさに突撃が開始されようとする瞬間、側面に回りこんだ彼女の副官が率いる数人の銃士隊員達に号令をかける声が響いた。

「良く狙え……よーし、今だ撃てえッ!」

号令に一瞬遅れて数丁のマスケットがほぼ同時に火を噴く。
しかし、その銃弾はなんら被害を与えることなく少年の背後に飛び退った。

「速い!?」

副官が驚愕の声を上げる。
移動する目標を狙う場合には目標のやや前方を狙って撃つのがセオリーであり、銃を主兵装とする銃士隊員達もそのセオリーに従った訓練を受けている。
しかし、目前の“標的”の速さは彼女達の常識を超えていた。
いかな軽装――手にした剣以外には防具と呼べるものを全く着けていないとはいえ、左手のルーンを輝かせた少年の走る速度はとても人間とは思えない程速い。
常人離れしたその速さに次の射撃はおろか、次発装填すら追いつかない。
その勢いのまま少年剣士は防御陣地へ突き進んだ。

「でやぁぁぁぁあ!」

その喊声とともに黒髪の少年は僅か数秒で80メイルの距離を駆け抜けた。
常人離れした勢いのままいくつもの土嚢と廃材で作られた防御用の胸壁を飛び越える。
常識を超える速さに王都警備隊の残存兵は勿論、訓練度の高さで知られる銃士隊員ですら反応できない。
さらに悪いことに彼らの多くは未だ後方から迫り来る平民達を目標とした銃や弓といった遠戦武器を構えていた。
不運な彼らは一瞬で昏倒させられる。
その光景に防御陣地内の隊員達に動揺が走り――結果としてさらに重大な事態を引き起こした。
そう、彼らが少年に目を奪われている僅かな間に後続の平民達が陣内に乱入したのだ。


「陣地内に乱入されました!」

アニエスのもとに悲鳴のような報告が入る。
継いで寄せられた報告はさらに悪いものだった。

「駄目です! あの黒髪の剣士を止められません――」

それは誰もが目を疑う光景だった。
防衛線に次々と穴があけられている――それもたった一人の少年によって。
その少年は陣地に突入するとまるで暴風のように荒れ狂い、たちどころに陣地を無力化する。
大ぶりな片刃剣を構えた少年の周囲にはなぎ倒された部下の隊員達が倒れている。
例えるならば、まるでハルケギニアの夏に見られる巨大な嵐とそれに薙倒された麦の様だ。

そして、巨大な夏の嵐と同様に少年は止まらない。
何層にも渡って築かれた防衛線をまるで錐の様に突き破り、彼の作り出した防衛線の穴に無数の平民達が続くことによって防御陣地に出来た傷口がさらに大きく開いていく。
その事実が示すことはただ一つ――彼女達の防御陣地は突破されつつあるのだ。

そんな報告を受けている間にもその少年剣士はさらに次々と陣地を無力化して突っ込んでくる。

「うぉおおおおおおッ!」

少年剣士の吶喊の声が迫る。

何が何でもあの少年を止めなければならない。
そう瞬時に判断したアニエスもまた自らを守る胸壁の上に駆け上がるようにして迎え撃った――その常人離れした突撃衝力に対抗する為にこちらも弾き飛ばされない様に勢いを付けて。

二本の剣が激しく打ち合わされる音。
続いて人間の体同士が強く叩きつけられる音が響いた。

互いに体ごとぶつかり合って弾き飛ばされる両者。
そんな状況でも先手を取ったのは黒髪の少年剣士――才人だった。
一瞬転倒した彼は瞬時に起き上がり、再び陣地の内部に向けて急な角度を付けられている胸壁を駆け上がるようにして突っ込んでくる。
そんな彼に合わせるかのように、態勢を立て直したアニエスの剣が振るわれる。

再び剣の打ち合わされる音。

互いの力が剣を介してぶつかり合い、何度も鍔迫り合いが繰り返される。
傍らの銃士隊員が介入する隙間もなく、平民側からも味方撃ちを避けるためか銃撃も無い。
胸壁の上という誰しもの注目を集めずには居られない中で行なわれる死の舞踏――そんな状況の中でもアニエスは冷静だった。

勢いと速さは才人の方が上回っているが、彼女からしてみれば素人剣法に近い。
故に、玄人である彼女はその一瞬の隙を見逃さなかった。

「甘いッ!」

その声と共に繰り返される剣戟の中で目の前の剣だけに集中していた才人の腹を強烈な蹴りが襲う。

「ぐあっ――!」

そのまま才人は防御線の外――胸壁の下に蹴りだされた。
アニエスはそんな才人に腰に下げた短銃を向け、容赦なく引き金を引く。

銃声。

彼女にとっては決して外すことのない至近距離からの発砲。
確かにその弾丸は才人の胸めがけて突き進む。
しかし、その弾丸が才人の体を抉ることはなかった。

「くっ!」

思わずアニエスは罵りの声を漏らす。
意図的かどうかは判らない。
あるいは全くの偶然だったかも知れないが、彼女の放った必殺の銃弾はまるで楯のように構えられた片刃剣の峰に当たって防がれたのだ。
反射的に彼女は腰に吊るした他の短銃を掴む。
しかし、才人はその一瞬の間に常人では不可能な速度で体勢を立て直し、彼女が次弾を放つ頃には再びあの常人離れした速度で素早く最低限の距離を取っていた。
そんな才人目掛けてアニエスは流れるような動作で腰に下げた何丁もの短銃を次々と入れ替える様にして速射する。
胸壁の向こうに蹴り落とされた才人を胸壁の上に立った彼女が見下ろすように睥睨しながら次々と銃を撃ち掛ける姿が一度は下がった銃士隊の士気を否応が無く高めた。

何発もの銃弾が才人を襲い、その度に才人は背後へと跳躍することで辛うじて回避する。
その数、合計5度。
初弾を含めるならば都合6発もの速射を才人は凌ぎ切ったのだった。
しかし、その回避の為に距離が開いた――そして、それはそれまで味方撃ちを避けるために発砲を控えていた左右に展開する銃士隊員達の火線に身を晒すこととなる。

「隊長を援護しろ! ――制圧射撃! 撃てッ!」

アニエスの周囲に集まった銃士隊員達が一斉に引き金を引く。
10人近い銃士隊員による左右からの銃撃にさすがの才人もさらなる後退を余儀なくされた。
さらに悪いことに彼に続いて突入してきた平民達も押し返されつつあった。
そう、才人とアニエスの戦いの背後では彼女が才人を押し留めている間に投入された予備隊がなんとか防御線に開いた大穴を埋める――才人に続いていた平民達を食い止めることに成功しつつあったのだ。
こうなっては一度後退するしかない。
平民たちの間に一時退却を告げる声が響き渡り、そのまま平民側はさざ波が引くように負傷者をかついで再編のために下がっていく――無論、才人もまたその一部に含まれている。

その光景を彼女は眺めた。
さすがに彼女の息も上がっている。
彼女の腰に下げられた短銃は6丁。
その全てを使いきるまでに彼女もまた追い詰められていたのだ。

「隊長! 大丈夫ですか?」

そんな彼女に声がかけられる。

「ああ、平気だ――損害は?」

銃士隊・警備隊合わせて戦死が8名、重傷者は12名――戦闘可能なのは軽傷含め74名であります、とその隊員は答えた。
いけないな、と彼女は思った。
今の攻撃は辛うじて押し返したものの、それまでの攻撃の倍以上の損害を蒙った。
この調子だとこの拠点で持ちこたえられるのは同じ規模の攻撃が来たとしてせいぜい2回が限度だろう。
そしてもう暫くすれば平民達も再編を済ませて再度の突撃が始まる――彼らには圧倒的な数の優位があるのだ。
残された方法はこの貴族街最後の拠点を放棄して王城に立てこもるしかなくなるが、かといって勝手に撤退するわけにもいかない。

彼女の守る王城前広場のほかに貴族街に通じる橋や陸側でも王都警備隊の残存戦力とあの“空飛ぶ火矢”によって幻獣を失い、徒歩となった魔法衛士隊の一部、そして本来なら守られるべき貴族妻子の内で自ら志願した者達が防御線を張っている。
しかし、響きとは裏腹に貴族妻子の志願者達は思いの他戦力とはなっていない。
彼女達は実戦経験など無く、使用する魔法にしてもおよそ戦闘的なものは多いとは言えない。
無論、自らの魔法を振りまくことによって一時的な破壊を振りまくことは出来る――魔法による火力とはそれほどのものを持っている。
確かに彼女達の奮戦は押し寄せる平民達に数百もの悲劇を強要した。
それでも最終的に押し留めることが出来ないのならば何の意味も無い。

そもそも彼らは戦闘が始まってから急遽集められた存在だった――この戦闘で真っ先に戦死してしまった魔法衛士隊の代理指揮官が彼らの志願を認めなかったのだ。
戦闘員でない彼らが杖を手に闘うということは“軍人”である魔法衛士隊がその任務を果たせないと思われているということと同義であったのだから。
そして、そのことが当初想定されていなかった指揮統制上の問題までも生み出している。
場当たり式に彼らが送り込まれた戦場には士官たる“貴族”が絶対に居るとは限らないからだ。

平民が代理で指揮権を保持していた場合、それは非常に面倒な状況をもたらす。
少なくとも今まで闘い続けてきていた暫定指揮官が“平民”であることを理由に戦場経験どころか集団を指揮したことすらない“貴族”妻子の指揮を受けねば成らない状況を生み出したのだ――“身分の壁”その弊害がこんなところでも示されていた。

特にその弊害は防御戦闘によく現れる。
防御戦闘で最も重要視されるのは敵を殲滅することではない――敵に付け入れられる隙を生み出さないことなのだから。
そんな稚拙な“指揮”を受けた部隊では生まれた戦線の解れを埋めることが出来ず、あっという間に数に勝る叛乱平民達の濁流に飲み込まれる光景が幾度と無く見られた。
それでも彼らは闘い続けている――自らの身を鑢で削り取られるようにしながらも。

今、彼女達銃士隊が後退したならば、そんな彼らは完全に突出した形になってしまう。

そこから得られる結果は残される当人だけの不運では留まらない。
防御戦力の不足は全体の崩壊という誰にとっての悲劇にもなりうる危険な行為であったからだ。

それを避けうるためには唯一つ――計画的で統制の取れた迅速な後退の他に無い。
計画的でなければ新たな防御線を築くことが出来ないし、迅速に後退しなければ逆に被害を大きくするばかりか防衛線全体を崩壊させる危険すら伴うのだ。
また、物理的な問題も発生する。
この広場に築かれた防御陣地から後退して新たな防御線を構築するならば、最も適した最後の場所は王城を取り囲む城壁であるが、城壁に立てこもるということは逆にこちらから反撃に転ずるということを困難にする――その正面の敵の密度が高まるということでもあるのだ。
勿論、最後の防御線である城壁に立てこもれば確かにこれまでよりも長く持ちこたえることは出来るだろう。

しかし、最終的に持ちこたえられ続ける可能性は低い。
眼前で銃や剣を握っているのはトリステイン艦隊水兵。
彼らは遥かラ・ローシェルからこの王都トリスタニアまで徒歩で辿り着いたのだ。
すなわちラ・ローシェル-トリスタニア周辺地域において彼女達を救援可能な戦力は存在しないということでもある。
そして言うまでもなく、艦隊が叛旗を翻した(そして利用されることを避けるために自らの手で焼いた)今、アルビオンに展開する部隊を呼び戻すことも出来ない。
いや、たとえ部隊を呼び戻したところで現状では傭兵ならばともかく、数の上で大をなす諸侯軍の徴集された平民兵達が貴族達の味方になってくれる可能性は低い。
たとえ傭兵にしたところで機を見るに敏な彼らが果たして協力するだろうか――この戦いの前に半数以上が逃げ出した王都警備隊の状況を鑑みればそれも期待薄だろう。

外部から救援の全く存在しない状況での持久戦。
しごく控えめに言っても彼女の知る限り、それは決して明るい気分にさせてくれる状況ではなかった。



「隊長、危ない!」

その声と共にそんな現状を打開する思索に耽っていた彼女は背後から無理矢理に引き倒された。
その直後、彼女が直前に立っていた空間を数発の銃弾がひゅんひゅん、という風切り音を発しながら掠め飛んでいく。

「隊長、ご無事ですか!」

「ああ、大丈夫だ――」

引き倒されたアニエスの姿を見た銃士隊員が心配そうに声をかける。
そんな銃士隊員に感謝するように答えつつ、アニエスは思った。

――解囲を試みるしかない。

このまま防戦を続けても得られるのは僅かな時間でしかない。
今ならまだ王城の外に出撃の為の拠点を保持出来ている。
仮に城壁に後退して立てこもってしまえば今度は外に出ることすら出来なくなる。
無論、あの“鉄の火矢”がある以上、空からの脱出は不可能――悪くすればあっという間に壊滅的被害を受けた魔法衛士隊の二の舞だ(それ以前に脱出用の飛行可能な幻獣そのものが不足している)。
戦闘前には想定すらされていなかった(貴族にとって全く想定外だった――勿論、彼女にとっても)そんな武器のおかげで貴族側の優位点であった航空戦力の価値は完全に消滅してしまったのだ。
ならば、手持ちの部隊が磨り潰される前に全力を一点に集中して陸上での突破を試みることが現状に対する最大の打開策だと彼女は思った。

「セリア……だったな、礼を言おう」

アニエスは自らが健在であることを示すため、彼女を引き倒した若い銃士隊員に向かって言った。
そんな彼女の前にいる銃士隊員は未だ少女の面影を残したまま――18歳に満たない年齢なのだ。

「いえ、大したことじゃありませ――」

そう答えかけた直後、再び銃声が響き渡り、そんな彼女の言葉に笑顔で謙遜の意を返そうとしていた17歳の銃士隊員は頭部から赤黒いものを撒き散らしながら糸の切れたマリオネットの様にゆっくりと彼女に向かって斃れこんだ。

「衛生兵ッ!!」

崩れ落ちた少女を抱きかかえつつアニエスは周囲に向かって叫んだ。
直に衛生兵が銃弾を避ける為に身をかがめながら駆けつける。
しかし、その衛生兵は一目その銃士隊員を眺めると、仕方ないというように首を振った――誰がどう見ても即死だった。

「……ッ!」

彼女はそんな衛生兵に対する罵声を指揮官としての意思の力で強引に抑えつけた。
そのままゆっくりと彼女は銃士隊員の遺体をそっと横たえる。
彼女の両腕は先ほどまで笑顔で話していた隊員の血に染まっている。

目の前の少女は死んだ。
つい先程彼女の命を救った少女。
彼女の声に健気に答えようとした少女。
その未だ18歳にも成らない少女は死んだのだ。

誰の為に?
何の為に?

そんな自問の答えは判り切っていた。

――彼女の為に。
――彼女が守りたいと考えていたものの為に。

あの少女だけではない。
銃士隊に所属していた全ての隊員達は彼女が守りたいと考えたものの為に傷つき、死んでいった。
それは決して彼女が守りたいと考えたある一人の人物の為だけではない。
全ては銃士隊――彼女達をこの場に集わせた紐帯こそが彼女達を戦いへと誘った原動力だったのだ。


「隊長、指示を!」

そんな彼女に指揮下の隊員から救いを求めるような叫びが届く。
そう、今もまた彼女に付き従う隊員達は彼女のみを心の拠り所として圧倒的に不利な状況下で戦い続けているのだ。
その信頼を裏切ることは出来ない。
そして同時に、彼女もまたある人物からの信頼を裏切ることは出来ない。
それはその人物こそが幼くして故郷を失った彼女に新たな帰るべき場所を与えてくれたからだった。

彼女は心の奥底で決意した。

――決断を下さねばならない。

そして、彼女は確固たる意思の篭った口調で彼女の部下達に告げた。

「しばらくここを支えてくれ」





無数の銃声や爆発音、そして人間の発するあらゆる叫びに包まれた外界とは異なり、豪壮で堅牢な造りの王城内に一歩足を踏み入れればあらゆる外敵からこの城の主を守るように驚くほどの静謐さを保っていた。
そんな王城の中をアニエスは戦況を報告するために早足で彼女の主人の居場所に向かっていた。
既に魔法衛士隊は半壊のうえ疲労困憊し、衛士隊も脱走者などによって壊乱状態に陥っている。
城門付近では彼女の直卒部隊である銃士隊がかろうじて平民達の突入を阻んでいたが、それももうしばらくの間だけであろう。
今の王都に残っているのは元来非戦闘員である筈の貴族の妻子か、あるいは才能も無く外の騒乱に怯えて自己保身のことしか考えられない者が大半だった。
才能ある者は今も遠くアルビオンにあり、怯えていない者の多くは既にその命を落としていた。


階段を駆け上り、主人の居るであろう場所を目指す彼女の視界に城壁の向こうの光景が目に入った。
外部の騒乱と内部の平穏とを隔てるかのようにはめ込まれた窓の向こうには突撃してくる平民達の前に立ちふさがるかのように20メイル近い巨大な土ゴーレムが無残に掘り返された広場の地面からその姿を現している。
その大きさを示すように、申し訳のように残った石畳が立ち上がるゴーレムの背中からぽろぽろと零れ落ちる。
当然、その巨大な姿は誰の目をも集めずにはいられない。
彼女にはそのゴーレムが巨大な腕をゆっくりと振り上げるのが見えた。

巨大な手足の一撃で突撃してきた平民達の一団が文字通り蹴散らされる。
もちろん比喩ではなく、巨大な質量の一撃を直接的に浴びた者達は赤黒い何かひしゃげたモノと化している。
その圧倒的な力を前に一時的に戦意を失い、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う平民達を追ってゴーレムはずんずんとさらに路上に集まった平民達の方へ向かっていく。
そして巨大なゴーレムが平民達を蹂躙しようとしたその時、今まで隠されていた平民側の大砲が火を噴いた。
発射された砲弾はゴーレムの頭を半ば吹き飛ばし、巨大なゴーレムはゆっくりと後方に向けて倒れていく。
しかし、そこでゴーレムはたたらを踏んで堪えた。
海老反りの状態から徐々に体を起こしていき、損傷も瞬く間に修復されていく。

持ちこたえるか?と思われた直後、今度は続けて2発の砲弾がゴーレムの残った部位に叩き込まれる。
その衝撃に耐えられず、巨大なゴーレムだった物体は元の土くれへと還っていく。
あの様子では術者のほうも無事ではすまない――精神力を完全に使い果たして数日間は使い物にならないだろう。
そんなことを考えながら螺旋状になった階段を登る彼女の視界に今度は反対側の城門前の光景が移る。
彼女を挟んで反対側の城門前を守る部隊の前には同様に巨大なゴーレムが佇んでいたが、こちらはさらに不利だった。
彼女の眼には15メイルを越えるゴーレムが叛乱平民側の30メイル近い巨大なゴーレムに叩き潰される光景が見えたのだから。



その光景を眺めた彼女の足は自然とさらに速まった。
戦況は明らかに不利――しかも急速に悪化しつつある。
城門前広場を失い、城壁に押し込められたならば脱出することすら不可能になってしまう。
彼女としては、このまま押しつぶされるよりは現有戦力を一点に集中してどんな犠牲に変えても彼女の主人を脱出させたいと考えていた。

そもそも治安・防衛戦力が半壊した段階でこのトリスタニアを維持しようとすること自体が半ば無理難題であったのは確かである。
しかし、王都に残った貴族達は執拗に王城を防衛することに固執した。

一つは王都に残っている貴族達の大半――所領を持たない法衣貴族達には王都以外に行き場が無かったこと。
もう一つは仮に王都を捨て去るとしても家族を詰め込んだ馬車で叛乱地帯を突破することは半ば自殺行為に等しいと思われていた――つい先日のリッシュモン高等法院長襲撃の件がその思いを補強していた。

さらに他の理由としては政治的なものも挙げられる。
王族、そして彼らを守る貴族が平民達に追われる様にして王都を逃げ出すことは出来ない。
ハルケギニアの戦争で勝利を手にするということはまず第一に敵の首府を陥す、ということに集約される。
逆に言えば都さえ失わなければ未だ国家としての信頼性は損なわれないということでもある。
そして、ある意味でそれは正しい――平民達にとって貴族支配の象徴である神聖にしてこれまで決して触れることすら敵わなかった筈の王城から貴族や王族が着の身着のまま逃げ出すということは平民達のさらなる増長を招くのは確実だった。
そんなことになれば、今は辛うじて貴族達の支配に留まっているか様子見で過ごしている残りの平民達の多くも確実に行動を決意するだろう。
そして、その決断の方向性はほぼ確実に彼ら貴族の側に参集することではない。

しかし、王都防衛の最大の理由は王女たるアンリエッタの動座拒否だった。
彼女が決然と王都から一時的にせよ退避することを拒否したからこそ近衛であるアニエス率いる銃士隊や魔法衛士隊が今もこのトリスタニアで戦い続けていたのだ。
事実上の宰相であったマザリーニ枢機卿が居ればその意見を変える事が可能だったかもしれない。
――いや、彼が健在だったならばそもそもこのような事態にはならなかっただろう。
しかし、彼はもう居ない。
あの雪の日に何者かに襲撃された彼は既にこの世の者では無いのだ。

故にアニエスは自らの主人に決断を迫ろうとしている。
無論、彼女の評価は地に落ちるだろう。
自らがその使命を果たすことが出来ない無能者であるということを満天下に示すことになるのだから。

それでも彼女は自らの主人に生きて欲しかった。
たとえ王都を失うことがアンリエッタの半ば王族としての権威を損なうことになろうとも。

アンリエッタに生きて貰うことこそが彼女の出来る最大の恩返しだと信じて。
このハルケギニアで孤独に生きてきた彼女に“居場所じゅうしたい”を与えてくれた主人を守りたい、と。

そして、それをまさに進言するために激戦の中ではるばる主人の居るであろう場所に足を運んだのだ。


いくつもの大きな扉、何段もの階段、長い廊下を通り抜け、彼女はようやく自らの主人の居場所に辿り着いた。
彼女が最後の扉を開いたのは王城の中でもひときわ高い塔の上層にある広間だった。
そんなトリスタニアを一望できる見晴らしの良い場所で彼女の主人であるトリステイン王女アンリエッタはたった一人で眼下の光景を眺めていた。

しかし、その様子は少しおかしい。
いや、この状況なのだから正常でないことこそ当然なのだろうが目の前の少女の様子はそれとは違った意味で異常だった。
そわそわとして落ち着きが無いが怯えている様でもない。
何処か気もそぞろでこの無数の悪意に囲まれた王城の中にいるとはとても思えない。

アニエスは一目見て、それが恐怖や諦観、不安などによってもたらされた態度でないと判った。
喩えるならば降臨祭のご馳走を遠くから眺めている子供の様な光景とでも言えるだろうか。
目の前の少女はどこか憧れ、待ちきれないとでも言う様な雰囲気と共にそこにあった。

「――姫様」

その異様な雰囲気に面食らいながらもアニエスは自らの主君に対して呼びかけた。

「どうしたのですか、アニエス?」

アンリエッタの声が響く。
アニエスはその明るい声と顔色に驚きを隠せなかった。
彼女の主君は大包囲の下にある城の中で、一人見晴らしのいい場所からその包囲軍をただ愛おしそうに・・・・・・眺めていたのだ。

それでも彼女は自らの職責に忠実だった。
一瞬後にはその表情をいつものものに戻し、奇妙なほどに明るい主君に対して進言した。

「ハッ、誠に申し上げ難いのですが……この王宮はもう持ちこたえられません。この後に及んでは、我ら銃士隊が全力で解囲を試みますので、どうか姫様には脱出を図って頂きたく――」

しかし、そんな彼女の進言に返ってきたのは驚くべき返答だった。

「何故です? どうして逃げ出す必要などありましょう?」

その言葉を前に、しばしアニエスは声を失った。
改めて彼女は主君に尋ねる――非礼ではあるが、尋ねずには居られなかった。

「失礼ですが、姫様はあの群集が恐ろしくはないのですか?」

「アニエス、何を言うのです? 彼らは――平民たちはわたくしを王族という頚木から解き放つために戦っているのですよ?」

――何を恐れることがありましょうか?
そう彼女の主人は満面の笑みで語った。

そこには自分自身に酔った様な色さえある。
そんな主人の行動を理解出来ないと言った表情でぽかんと見つめるアニエスに目の前の少女は続けた。

「これでようやく、わたくしも解放されるのです。――これでわたくしも『自由』になれますわ、もうこんな城に閉じ込められることもないでしょうし、うんざりした政務からも解放されますわ。……ああ、アニエス、ご苦労でしたわね、もう疲れたでしょう。あなたも、あなたの銃士隊も」

アニエスには目の前の少女が言っていることの意味が理解できなかった。

――銃士隊は唯今をもって解散します。
そう告げた彼女は喜悦を隠しきれない声でそっと囁くように言った。

“――後はあなたたちの好きなようになさい。そう、あなたたちも『自由』になれるのですよ”

もはや隠すこともなく満面の笑みを浮かべた彼女は再び窓際に向かって歩みだし、眼下の情景を楽しげに眺めようとする。
目の前で窓の外の戦いをうっとりと眺め続ける彼女はまるで竜に囚われた少女の様だった。
だとするならば、今もこの王城へ押し寄せる無数の平民達はそんな彼女を救うために竜の住処である洞窟へ挑む勇者ということになるのだろうか――彼女の脳裏にはその先頭に立っているであろう伝説の勇者イーヴァルディにも似た黒髪の少年の姿が浮かんでいた。
そんな“勇者”の助けを待つ少女たるアンリエッタが浮かべている表情は待ち遠しい、と表現しても過言ではないかもしれない。

しかしその言葉を言われた瞬間、竜に囚われた少女の従者たるアニエスは唖然とした。

“――後はあなたたちの好きなようになさい。そう、あなたたちも『自由』になれるのですよ”

これまで平民達の最大の敵として戦ってきた銃士隊。
その隊員が『自由』になったとしても、革命政権が支配することとなるであろうこのトリステインでどのようにして生きろというのか。

かつて流浪の一傭兵に過ぎなかった彼女をシュヴァリエに引き上げ、姓まで与えてくれたアンリエッタ。
幾多の貴族達からの嫉妬や反感から彼女をそれとなく守ってきてくれたアンリエッタ。
故郷が焼かれて以来、一度も安息の地を得ることの無かった彼女に新しい家族たる銃士隊を与えてくれたのもアンリエッタだった。

これまでの人生で他人からの好意を与えられたことの無かった彼女にとってそれは初めての経験――「愛情」にも似たその恩恵がとても尊く感じられた。
だからこそアニエスは周囲の平民出身の銃士隊員達の心が徐々に王国から離れていく中、誰よりもアンリエッタに忠誠を誓い続けてきたのだ。
そのアンリエッタが今、アニエスとの紐帯を切り捨てたのだ――曰く、銃士隊は唯今をもって解散します、と。


全ては無駄だったのだ。
あらゆる犠牲もあらゆる労苦も無駄だった。

果てしなく続いた苦悩も戦いも無駄だった。
彼女達が無数の悪意と死の不安に襲われながらなお義務を果たしたトリスタニア平民街の巡回も無駄だった。
王女の勅命によって西の大洋とアルビオンの地で斃れた2万人の兵士達の死も無駄だった。
王女を信じてかつて出征していった幾万の人々。

こんなことの為に彼らは死んでいったのであろうか。
こんなことの為に17歳の銃士隊員はトリスタニアの地に斃れたのだろうか。


そんな情動に突き動かされた彼女は駆け寄りながら無意識のうちに腰に下げた鋭剣を抜く。
そのまま彼女は窓際で焦れるように眼下で繰り広げられる戦いを眺める少女の背中に向かって、低い唸り声とも高い叫び声ともつかない声を挙げながら突如として駆け出した。


その時の彼女には自身の感覚は無い。
無言だったのか、叫んでいたのかも記憶に無い。
ただ一つ確実に言える事は彼女が感じたことだけだ。

肉を切り、骨を断つ感触。
今まで何度となく経験したが、決して慣れることの無い“人を斬る”という感覚が鋭剣を握る彼女の腕に伝わる。


「あっ―――」

何が起こったのか、という顔をしたアンリエッタはそう呟くように声を洩らしながらゆっくりと倒れ込んだ。
彼女は倒れながらも信じられない、といった表情を浮かべる。
まるで、待ちに待ったプレゼントを目の前で取り上げられた子供のような。

「そ……な、…」

彼女は何かを求めるようにして手を空に伸ばす。
――まるで望んでも決して得られぬ『自由』を望んだかの様に。
腕を伸ばした先は出口たる扉でも自らを斬り付けたアニエスの方向でもない――彼女と『自由』を隔てるかのようにガラスの嵌め込まれた窓だった。
しかし、それでも彼女の腕が届くことは無い。
窓枠にしっかりと嵌め込まれたガラスはしっかりと最後まで彼女と外の世界を隔て続ける。
そのガラス越しの視線の遥か遠い先には彼女をこの退屈な“牢獄”から救い出してくれる『勇者』となる筈であった黒髪の少年の姿があった。


アニエスが平静を取り戻した時、目の前には彼女の主人だった人物の遺体があった。
嵌め殺しの窓に寄りかかるようにして最後まで外の世界を求め続け――そして最後まで手に入れる事の出来なかった一人の少女。

そんな窓のガラスに映った自らの姿にアニエスは気付いた。
だらん、と力なく下げられた腕に握られた血にまみれた鋭剣。
彼女が身に着けていた戦闘で薄汚れた防具はくすんだ土埃とは対照的な鮮やかな返り血によって染め上げられている。
そして、その時の彼女が浮かべていた表情はまるで親に見捨てられた子供のようだった。





王城の入り口付近では最後の足掻きともとれる絶望的な戦闘が繰り広げられていた。
圧倒的な数の暴力を前に押し寄せる平民達を前に指揮官であるアニエスにその守備を任された彼女達銃士隊は徐々に陣地と味方を失いながらも辛うじて王城前広場の一角を保持していた。

そんな戦場に帰り着いたアニエスの姿を見つけた代理指揮官の表情が明るくなる。
それはアニエスなら――彼女の信じる隊長ならこの苦しい状況を打開してくれるに違いないという信頼の表れだった。

「――隊長! もうここは持ちません。後退の許可を…?」

しかし、彼女の傍に駆け寄った代理指揮官は現状を報告しようとして、急に口ごもる。
それは彼女が目にしたアニエスの容姿があまりにも異様だったことが理由だった。
一瞬、アニエスが負傷しているのかと思ったが、戦場に慣れた彼女は直にその血が返り血であることを見て取った彼女は恐る恐る、と言った様子で自らの上官に声をかけた。
彼女の動揺を示すように軍隊では珍しい趣旨のハッキリしない問いかけだった。

「……隊長?」

「諸君、ご苦労だった――この国は……トリステインはもう終わりだ」

そんな部下の声には答えないまま、アニエスは周囲で戦い続ける銃士隊員全員に向かって告げた。
内心には数々の思いが去来する。
それは自らの“居場所”を何度も失ってきた――そして今もまた失いつつある彼女だからこそ思い至った考えなのかもしれない。

村を焼かれて一人ぼっちとなった少女。
その幼い少女は母が始祖の“正しき”教えを捨てていたことを理由に修道院を追い出され、幸運にも拾われた傭兵団は偶然“メイジ殺し”となってしまったその少女に対する貴族の報復の巻き添えを恐れ、彼女を見捨てた。
何度も何度も見捨てられ、切り捨てられてきた少女は流れ流れた果てにようやく見つけたと思えた銃士隊いばしょもまた失おうとしている。

もはや彼女にこのハルケギニアでの居場所はない。
いや、そもそも彼女に居場所なんてなかったのだ。

――どうして自分はあの虐殺から生き残ってしまったのだろう。
本当なら自分はあの場所で死んでいたはずなのに。
あの時死んでさえいればもはや何一つ失うことはなかったはずなのに。
あるいは彼女はダングルテールで死んだ家族からも切り捨てられたと言えるのかも知れない。

……だから、せめて彼女達には生き延びてほしかった。

かつて無数の人々に裏切られ、見捨てられてきた彼女。
しかし、今アニエスの前にいる隊員達はこの状況に至っても決して彼女を見捨てようとはしない――身を挺して彼女の命を救ったあの17歳の銃士隊員のように、自らの血を流しながらも彼女を信じ続けている。

――ならば、彼女達だけでも守りたい。
彼女達にはきっと自分には無い“未来”があるのだから、と。

それは今まで他人から「愛情」というものを与えられたことのない彼女に出来る唯一の「愛情」の示し方だったのだろうか。


「我らはこれより“敵”の包囲を突破する! 突破後は各自の判断で行動せよ――帰れる場所のあるものは帰れる場所へ、そうでないものは新しい居場所へ」

彼女がそう告げた直後、もう何度目になるか判らない平民達の突撃が開始される。
ここを落とせばそのままの勢いで王城内に突入するとばかりに手に手に武器を持った平民たちが地鳴りのような足音と共に彼らの正面に立ち塞がる銃士隊に向かって押し寄せてくる。

そんな光景を前に彼女は生き残った彼女の部下達に叫ぶように命令を下し、先頭に立って駆け出した。

「銃士隊、前へ! “未来”に向かって前進せよ!」








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。


感想であったご質問にお答えします。
O−ジンジ◆ef105253様、じょぶ◆e915b7b2様のご質問に就きましては一応今回の話の中で回答させて頂いたつもりです。あとがきで説明するよりも本編で答えたいな、と思ったもので(笑)
一応疑問点にお答え出来る様に本編の中に書いておいたつもりなのですが、もし不十分だと思われたらさらに補足させて頂きますのでお申し出下さい。

たねんばうむ◆a7993d12様の至極尤もなご指摘は39話のあとがきにて言い訳させて頂いております。
これもご意見がありましたら即時修正させて頂きます。


それから、また感想が荒れてますね。
煽り、または特定の人の発言に噛みつくのは慎んで頂くよう重ねてお願いします。
もちろん作品に対するご意見等はいつでもどんなものでもお待ちしていますので。


最後にもう終わっちゃうので過去分をまたあっちこっち加筆修正しました。気になった方は読んで頂けたら幸いです。
ちなみに話の軸は弄っていないので読まなくても全く大丈夫ですが……(汗)

ちなみに次が最後(予定)になります。
どうか最後まで宜しくお付き合い頂きますようお願い申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。


10/08/11
感想欄の荒れに関してお聞き頂けたようなので特定の方に対する警告部分を削除。
感想でのご意見を参照してちょっとだけ加筆訂正と誤字修正。(ご指摘頂きありがとうございました)



[3967] エピローグ
Name: さとー◆7ccb0eea ID:3e99c83b
Date: 2010/09/13 18:56

――――――――――――『……ハルケギニアに幽霊が出る、平民主義という幽霊が』


『ハルケギニアの全ての貴族達がこの幽霊を祓う為に神聖な同盟を結んできた――教皇と三王家、封建貴族と聖職者、アルビオン貴族派とトリステイン銃士隊……』

トリスタニアの王宮に血染めを思わせる旗が翻る中、何日も前に旧王城前広場で行われたコミン・テルン議長であるスカロンによって行われた演説。
数万人の平民達を熱狂の渦に包みこんだその演説の内容が記された粗末な新聞――当然その言葉は文語体に直されている――はトリスタニアだけでなくトリステイン全土に、そしてその一部は国境を越えてハルケギニアのあちこちにまで広がっていた。

キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは彼女の実家であるゲルマニアのツェルプストー伯爵領で手にしたそんな新聞に踊る文字をただ茫然と見つめていた。
日当たりの良いように南向きに作られた彼女の部屋から見えるのは暦の上で春を迎えつつあるにも関わらずどこまでも深い雪に覆われたゲルマニアの大地。
そんな凍りついた風景と手元の“真実プラウダ”と題された粗末な新聞を見比べながら彼女はどこか遠くを思い返すかのようにゆっくりと深く息を吐いた。

目立ちたがり屋でいつも気障な仕草で薔薇を模した杖を掲げていたギーシュ。
浮気性のあるそんな彼にいつも嫉妬の炎を燃やしていたモンモランシー。
彼女の誘いにいつも簡単に応じてきたギムリを初めとした恋人達。
いつも無口で暇さえあれば本ばかり読んでいた蒼髪の小さな親友、タバサ。
そして誇り高く、自分の考えを決して譲ることの無かった桃色がかったブロンドを持つ少女――ルイズ。

去年の今頃には極当たり前のように存在していたそんな日常がここまで崩れ去るなんて夢に思いもしなかった。
しかし、現にその日常は遠い過去のものとなっている。
そしてたった今思い返したその友人達の大半が既にこの世のものでないことも。

――あの召喚の儀から僅か一年も経たないうちにこれほど世界が変わってしまったなんて。

そんな思いを抱いた彼女の視線はもはや失われた過去を幻視するかのように遥か南に存在するはずのトリスタニアに向けられていた。





トリステインの王都トリスタニアで勃発した騒乱は王国全域へと騒乱を拡大させ、ついにはコミン・テルンを中心とした貴族制度を否定するハルケギニア初の平民主義革命としてその幕を閉じた。
しかし、革命に伴う混乱が完全に解決したわけではない。
いや、むしろその混乱はますます混迷の度を増していく一方だった。

陥落した旧王都トリスタニアの貴族達のおよそ半数が騒乱の過程で死亡し、残りの半数はゲルマニアを初めとしたハルケギニア各地や崩壊を免れたいくつかの諸侯領に脱出することとなったが、トリステイン各地に辛うじて残された貴族領もまた革命の波に飲み込まれつつある。
彼らの多くはアルビオンとの戦争で自領の防衛に使用すべき兵員の多くを西の空の彼方へと送ってしまっていた。
無論、ある程度の未招集兵員人口は存在しているがアルビオン継承戦争の為に既に大量の出費を強いられていた彼らは兵員に装備させるべき武器が――そしてその為に必要な金銭が不足していた。
そんな状況では数に圧倒的に勝る革命勢力に押し潰されざるを得ない。
中には押し寄せる革命勢力と戦うために領民達に武器を配布したが、革命の動きに伴う平民との対立から逆に領地を追われ、あるいは滅ぼされた貴族すらいる。

付け加えるならば、たとえ軍を編成出来たとしてもその部隊を指揮する中下級指揮官の不足が深刻な問題となった――戦場で兵を直に統率し叱咤する者がいなければいかに数が多かろうとも単なる烏合の勢でしかない(特にそれが戦意の低い徴収兵ならなおさらだった)。
そして貴族達にとって信用できる血縁の者達の多くは遥かアルビオンにいた。

今や単に革命勢力が未だ押し寄せていないだけ、というものを除けばトリステインでかつての封建貴族領を維持することが出来ているのはこの戦争で出兵を拒否した――結果的に戦争に伴う疲弊が最も軽い――ヴァリエール公爵領くらいのものであろう。
それもいつまで維持出来るかは誰にもわからない。
彼らもまた革命の騒乱に伴い小規模であるが頻発する平民達の対応に手一杯な状況で、津波の如く押し寄せる数万もの平民達を押し留められるかは全く未知数であるからだ。
言うまでもなく、そんな状況では軍を組織して王都トリスタニアに進軍することは全く不可能でもある。
十分な兵もない状況ではメイジの火力による突破は可能でも奪回――制圧と維持が不可能である事。
そして突破を行うには既に機を逸している――もはや王都には彼らが守るべき価値ある人がいないというのも理由の一つであった。


一方、アルビオンに侵攻していた派遣軍は本国での革命に伴って辛うじて行われていた補給が完全に途絶え、日を追うにつれて軍としての形を失いつつある。
食料の不足や給金の未払いに伴う士気の急速な低下。
そんな状況下でも何時もながらに高圧的な態度をとる貴族に対する反感。
そして騒乱の続く本国に残した家族に対する不安と冬季宿営に伴う厭戦感情の急速な増大によって宿営地からは毎日のように兵士達が次々と姿を消していた。
一部では食料の配給の少なさに怒った傭兵達が残り少ない食料を溜め込んだ貴族に叛旗を翻す光景すら見られる。

他方でそんなアルビオンに残された貴族達にも帰る手段が圧倒的に不足していた。
高給でかき集められた輸送船舶の大多数は本国で起こった革命によって賃料の支払いが途絶えると同時に接収を恐れ逃げ散っていたし、艦隊に至っては叛旗を翻したために彼ら自身が焼き払っていたのだから。
彼らに残されたのは逃げ遅れたものを半ば脅迫するように徴用した数隻の輸送船舶と、同じく焼かれなかった数隻の軍用艦だけ――それらを合計しても10隻に満たない――だった。
それらに加えてトリステインがアルビオンに派遣した竜騎兵の残存戦力――およそ100騎(竜騎兵一個連隊相当)と長距離飛行可能な使い魔を持つ極少数の貴族は辛うじて自力で大陸まで帰り着くことが出来たが、数の圧倒的に少ない彼らに出来ることはそこまで大きなものではないだろう。
軍事的な常識からすれば、確かに膨大な破壊を振り撒くことが可能だが兵站も支援も存在しない彼らは最終的にその大部分が押しつぶされるようにして圧殺され、生き残った貴族領に逃げ込むことがせいぜいでしかない。
ハルケギニアの戦争形態を見れば明らかなように、少数の貴族達の持つ武力は個人としては圧倒的なものがあるが、大勢のぶつかり合う“戦争”では擬似的な壁となる多数の平民達がいなければ結局は数に蹂躙されてしまうのだ。
――それはまるで伝説にある“虚無の担い手”が楯となるべきガンダールヴを失った様に。

そして、そんな彼らの“敵”となった平民達。
彼らはどこにでも――ハルケギニアのすべてに存在しているし、同時にどこにも存在していなかった。
普段は彼らが支配すべき平民達の中に溶け込み、そして時が来ればその姿を現す。
さながらその現象はスカロンが演説で表現したように、まさに“幽霊”という言葉が相応しい。


そんな“幽霊”達に支配されたトリスタニアではおおむね平和な日々が続いている。
トリステイン王政が倒れ、寒さが徐々に緩み始めたトリスタニアが平民達の手に収まってからひと月が経とうとしている中、この地では革命に伴う騒乱、その最終段階とでもいうべき戦い――自らの領地で生き残りを図った封建貴族達との戦いが本格的に始まろうとしている。

トリステインは半年以上に及ぶ国力を超えた戦争と今も続く革命の騒乱によって確かに疲弊していた。
かつて王都と呼ばれていたこのトリスタニアでも戦争、そして革命の騒乱で多くの親を失った多くの子供たちが残され、そんな彼らの多くは未だ日々の十分な食事すら手に入らない。
昼時にもなれば革命前と同様にコミン・テルンの手によって街のあちこちで行われる炊き出しに長い列ができる。
騒乱によって日々暮らす家すら失った彼らは廃材を寄せ集めて作られたバラックの下で未だ厳しい日々の寒さと降りそそぐ雨露をしのいでいることを見るだけでもその事実は明らかだった。

しかし、そんな状況にありながらも人々の顔はどこか明るい。
平民主義革命に伴う旧身分秩序の崩壊。
今まで彼らの上に常に重く圧し掛かってきたそんな身分制度という枷が取り払われた結果、生み出された物質的・精神的な解放感という明るい気分がトリステイン各地であらゆる活動を活発化させてもいたのだ。

その証拠として、春の訪れを感じさせる日々の変化に見合うように食料や物資の流れは徐々にその流量を増やし、トリステインのあちこちへと人や物資を行き交わせつつある。
その光景を例えるならば、まるで早春の雪解け水で増水した大きな川の様でもある。
そう、確かにその流れは戦争に伴う流通機能の低下によって乾ききったトリステインの国土をゆっくりと潤し始めていたのだ。
勿論、未だ供給される物資は十分とは言えない。
しかし、確かに今まで流通機能の低下により周辺地域に留めざるを得なくなっていた数々の物産が運び込まれ、まるで火の消えたようになっていたトリスタニアで日々消費されつつある。
さらにそれらの物資購入の原資としての都市の各種産業が原材料の搬入と共にその息を吹き返し、様々な製品が元々持っていた規模に相応しい勢いで生産が再開される。
誰もがこれまで課せられてきた枷に邪魔されず、自らの利益を求めるために動き始め、解放された農村でもこれまでの封建貴族による支配を脱した平民達が自らの生活を向上させるために増産に努力を傾注し始めていた。
そんな彼らは自らが得た“権利”――そして彼らの将来的な利益――を守るために、その権利を保障したコミン・テルンへとより強く傾倒していくと共にコミン・テルンの持つ地区細胞ネットワークの一部として組織化され、新たな統治機構に急速に組み込まれていく。
同時に王国各地を無数に分割していた分国とも言うべき各地の封建貴族領の崩壊や“解放”はそれまで半ば独立した経済を営んできた地域をトリステインという一つの巨大な市場に統合させる効果をもたらし、王・諸侯軍への兵站の停止に伴う流通機能の回復と各地の貴族の館に死蔵されていた貨幣や食料などの市場へ放出が再びゆっくりと回転を始めたトリステイン経済を徐々に、しかし力強く動かし始めていた。


そんな活気を取り戻し始めたトリスタニアではこれまでのハルケギニアでは決して見られなかった光景が現出していた。
日々、無数の志願者たちが旧王城前広場に終結し、革命軍へと志願しているのだ。
彼らは傭兵のように金を目当てとしたものでもなく、農村出身の徴収兵のように半ば強制的に集められたわけでもない。
槌の音の途絶えることの無い街中があるにも関わらず彼らが志願した理由は単純だ。
なぜならば、この“革命政府”は彼らが初めて手に入れた自分達の政府ネイション・ステイトであるから。

トリスタニアの平民達は自分達の「権利」――それを保障する彼らの打ち立てた新たな政府を守ろうとしている。
無論、彼らの中にはこれまで虐げられた貴族に復讐したいという気持ちも少なからずある。
自分達が打ち立てたという自負のある革命政府に対する愛着や日々の炊き出しなどに対する恩情もある。
――しかし、その中でも彼らを動かす最大の動機は恐怖だった。
王国に叛旗を翻し、王都を奪取した彼らへの貴族たちの報復という恐怖。
ようやく手に入れた「権利」を失うことに対する恐怖。
そうした恐怖から逃れるために、そして自分達の獲得した権利を守るために彼らは徒党を組み、自らの意思で・・・・・・戦地へ向かおうとしていた。

そんな彼らを率いるのは平民達にとっての英雄。
とある御伽話の“勇者”を思わせる黒髪の少年剣士――平賀才人がそこにいた。

誰もの為に自らの危険を顧みない、そんな英雄に続けとばかりに彼らは“勇者”の如き決意と共に自らを戦地へ向かって突き進める。
革命の熱狂に絆されつつ、英雄に憧れた彼らは長きに渡る戦争と騒乱に疲弊しながらもさらなる戦い――革命内戦に続々と赴こうとしている。
――そう、彼らは“戦いを終わらせる為の戦い”に臨もうとしていた。





暖炉から燃える薪がはぜる音が響いた。
その音をきっかけにキュルケは遠くトリスタニアでの思い出に身を寄せていた自らの心を取り戻した。
しかし、相変わらずその視線は窓の外の凍りついた世界に注がれている。
動くものもなく、まるで時の止まったかのような世界。
そんな世界をただ眺めながら、彼女はふと時が巻戻ってくれれば良いのに、と今度は僅か数か月の間に自らを含めたハルケギニアの各地で起こったこの巨大な変化に思いを馳せた。


トリステインの革命と共にハルケギニアは大きく変わろうとしていた。
まるで崩壊の道を転げ落ち始めたかの様な、そんな世界の急激な変化に彼女は驚愕せざるを得なかった――たとえ彼女が一連の対貴族襲撃事件の中でも最悪なもののひとつ、あの『魔法学院爆破事件』の数少ない生き残りであったとしても、だ。
しかし、このハルケギニアの混乱の中で彼女が最も驚き、悲しんだことはそんなハルケギニアで起こり始めた巨大な騒乱ではなかった。

彼女が最も驚き、悲しんだこと。
それは崩壊した魔法学院という凄惨な現場から彼女を安全な場所にまで運び出してくれた親友が既にこの世のものでないと発表されたことだった。

ガリアによる正式なオルレアン家の断絶宣言。

アルビオンに続き、トリステインまでもが崩壊しつつある中、まるで時を計ったかのようにガリア王政府によって発表されたその報せは彼女を驚きと悲しみのどん底にまで追い込んだ。

嘘だろう――。

そう慌てて家人に情報の真偽を確かめさせた彼女には次々と新たな情報がもたらされたが、そのどれもすべてがガリア王家――ジョゼフ派によるオルレアン家断絶が事実であることを伝えるものだった。
公式発表の数日前、彼女の親友は既に何年も前から心を失っていた母と共にひっそりと処刑されたと言うのだ。
処刑の現場を見たものは誰もいないが、その発表以後誰もその母と子を見たものがいないという事実もそのガリア王政府発表の確度を高めていた。
そしてオルレアン家断絶の事実をはっきりと示す為か、公式発表の翌日には荒れ放題だった親友の実家もまるで必要なくなったと言わんばかりに王命によって焼き払われている。

彼女がその事実を知った数日後、ガリアでは報復するかの様に立ち上がったオルレアン公派貴族達の手によってクーデターが行なわれた。
オルレアン公派の筆頭貴族、バッソ・カステルモール東薔薇騎士団団長を中心として行われたらしいそのクーデターによって王の住まいであるグラン・トロワは全壊、オルレアン家の系譜に続いてガリア統合の象徴である王もまたその姿を歴史の舞台から消した。
王であるジョゼフの――そしてクーデター発生時にグラン・トロワを訪れていた筈の王女イザベラも――遺体は最後まで見つからなかったが、まるで巨大な爆発が起こったように完全に崩壊した王宮の瓦礫の下深くに埋もれたのだろうと誰もが推測した。
それを補完する様に、押し寄せた筈のオルレアン派貴族の遺体もまた原型をとどめないほどに無残な形で押し潰されていたのだから。
そして、クーデターによる王の暗殺という政治的衝撃に見舞われた貴族達は誰もが王を失ったこの国で必死に自分の生き残りを図り始めた――あえて書き加えるならば、そんな彼らの内に王の傍に侍らっていた黒髪の一女官の行く末を気にする者など誰もいない。

生み出された巨大な混乱の中で、結集する旗を失ったガリアは貴族同士が互いに争いあう内乱状態へと急速に陥り、かねてから播かれていた無数の騒乱の種――王家とオルレアン公派の対立や新旧貴族の対立――がまるで整えられていたかのように一斉に火を噴きだした。
さらに旧教と新教という宗教対立にトリステインで発生した革命に影響を受けた平民主義といういわば疑似宗教の対立までもが加わり、混迷に拍車をかける。
誰もが自らの生存と利益の為に争いあう中でガリアがこれまで長きに渡って築き上げてきた成果のほとんどが失われ、かつてのハルケギニア最強国はオルレアン家断絶の発表からひと月も経たないうちに完全に崩壊し――かつて始祖ブリミルが歴史にその姿を現す以前の世界の様な原初の混沌とでも呼ぶしかない状況の中に転げ落ちた。


そして遥か西の大洋の空に浮かぶ浮遊大陸アルビオン。
かつて隣室の住人だったあの少女が支配するアルビオン新政権は急速にアルビオンの全土を併呑しつつあった。
トリステインのものとはまた違った考えを持つ反貴族主義政権。
トリステインよりも遥かに長く内戦を続けてきたアルビオンでは内戦に伴う騒乱で国内の流通は壊滅状態にあり、トリステインとの戦争やレコン・キスタ崩壊後の貴族達の戦いに伴う無計画で手あたりしだいの収奪と兵員の招集により国内経済は壊滅状態に置かれている。
そんなアルビオンは完全に疲弊しきっていたこともあってしばらくは動きが取れないであろうが、彼らもまたトリステインに成立した革命政権と同様にハルケギニアに対して何等かの影響を及ぼさずにはいられないだろう――彼女個人としてはそんなアルビオンを制することになった一人の少女の運命を気にせずにはいられなかったけれども。


そこまで考えた時、彼女はふとトリステインを去る時に出会った金髪のトリステイン貴族との会話を思い出した。
そんな貴族のことを思い出したのはその女性がその少女に良く似ていたからだろう。

路肩に脱輪し、車軸の折れた馬車の傍らに一人佇んでいた貴族の女性。
御者にも見捨てられたらしく、その顔にはどこかあきらめの様なものを浮かべていたその女性を彼女は所領――偶然にもその女性の所領は彼女の実家の隣にあった――まで送り届けていた。
そして、別れに際して彼女が混乱の度を極めるトリステインの貴族であるその女性に慰めの言葉を投げかけた時、トリステインのアカデミーで土魔法の研究をしていたという女性貴族は気の強そうな整った顔に心底不思議そうな表情を浮かべ、次いで真理を語るかの様な真剣な表情で別れの際にこう言葉を残していた。

『――お気遣いはありがたく頂くけれど、この問題は私たちトリステインだけの問題じゃないわ。いずれ……いいえ、きっとすぐにあなたたちも当事者にならざるを得なくなるのよ』

その時、彼女はその女性の言葉に含まれていた真意を理解することが出来なかった。
しかし、今になってみればその真意が判る――そう、トリステインで起こったこの問題は単なる平民達による騒乱や蜂起という枠に収まるものではなかったのだ。

彼女の祖国であるこのゲルマニアはハルケギニアの他の諸国と大きく異なる特徴を数多く持っている。
その代表例としてまず挙げられるのが“平民が領地を買い取って貴族になることが出来る”という制度だった。
トリステインを初めとして伝統を重視するハルケギニアの各国から「野蛮」との顰蹙を買うこの制度は当初雪に包まれた未開の地でしかなかったゲルマニア全体の活力を増進させ、北方開拓と国家の発展に大きく寄与した。
しかし、同時に彼女はこのゲルマニアの身分制度とトリステインでの革命がもたらす影響の問題点に気付いた――いや、ハルケギニアの情勢がここまで急速に変化した状況では確かにその影響は彼女の住まうこの帝政ゲルマニアにも深刻な影響を及ぼすことにようやく気付かされたのだ。

“平民が領地を買い取って貴族になることが出来る”

一見進歩的に見えるこの制度であるが、別段ハルケギニアの“常識”から離れたところで生まれたものではない。
それは統治体制の基本に彼女の実家であるツェルプストー家の様な封建貴族を配しているという点でもわかる。
しかし、彼女の気付いた最大の問題はその基本たる「領地」を買い取ることが出来る、という点であった。

貴族とは単なる大規模土地所有者ではない。
彼らはその所領から利益を得なければ生活が成り立たないし、封建貴族としての義務である軍役を果たせない。
土地を耕し、単なる土地から日々“生産物”という利益を生み出す者。
領民として有事には徴収されて兵となり貴族の責務である軍役に動員される者。
そんな平民達がいなければ彼らは「貴族」足り得ることが出来ない。
つまり、これの意味するところ――彼らは貴族となるために土地と共にそこに住まう平民を売買・・・・・するのだ。

当然、購入された彼ら平民には移動の自由はない――彼らは土地と共に購入されたいわば「資産」なのだ(トリステインを初めとした他国がゲルマニアを「野蛮」と呼ぶ理由の一つに平民に落ちぶれたとは言え始祖の血を引いた“メイジ”を貴族候補の非メイジが売買出来るという点が挙げられる)。
彼らの多くはその土地で生まれ、外の世界を見ることもなくそこで一生を終える。
いわば“農奴”とでも呼ぶべき彼らに隣国であるトリステインで起こった平民達による“革命”がどのような影響を及ぼすのか――言うまでもなく、無関係でなどいられる筈もない。
ある意味でトリステインよりも開放的であると同時に峻厳な身分制度を持つゲルマニア。
今まで彼女の“常識”として一顧だにされなかったその事実を認識したとき、彼女は祖国の持つ構造的な問題点に気付かざるを得なかった。
そして――その問題点が顕在化するのを防ぐために皇帝アルプレヒト三世が何か新たな行動に出るという予測と共に。

彼女の予測は当たっていた。
彼女がそう考えた翌月、遥か北のヴィンドボナでは皇帝が南方への出師準備――動員準備令――を下令した。
もちろん、彼女も全く無関係ではいられない。
皇帝アルプレヒトの下すことになる動員準備令――そこにはゲルマニア諸侯の一員たるツェルプストー家の名も含まれていたのだから。





杖は既に振り下ろされ、撃鉄は火皿に打ち付けられた。
これまでの“常識”とされてきた既存秩序の下での“平和”はその形を失い、新たにハルケギニアに広まった“平和”とは必要あらば自らの血を流すことで維持されるものへと変容した。
平民達は武器を取って立ち上がり、貴族達はこれまで脅しとして空に向けて使っていた杖の先を平民達へと向けた。
『赤い虚無の日』『オラドゥール虐殺』を初めとする幾多の惨劇。
その中で生み出された数えきれない程の犠牲。
そんな無数の流血の中で、多くの平民達の胸にはハルケギニアで最も知られた物語が再び思い起こされつつある。

『イーヴァルディの勇者』

剣と槍を持って悪に立ち向かった勇者の物語。
その物語に記された“勇者”という衝動。

『わからない。なぜなのか、ぼくにもわからない。でも怖さに負けたら、ぼくはぼくじゃなくなる。そのほうが何倍も怖いのさ』
『なんの関係もない。ただ立ち寄った村でパンを食べさせてくれただけだ』
『いいかイーヴァルディ――力があるのに、逃げ出すのは卑怯なことなんだ』

自分自身の在り方――自由を守れ。
誰かの為に自分の持てる“力”を出し惜しむな――誰にも自分の出来る“力”を貸し与えよ。
そして、“敵”には互いが持てる力全てを持って立ち向かえ――誰かの為に、そして自分自身の為に。

いまや平民達は『自由』と『平等』、そして『友愛』に突き動かされ、それぞれの“正義”の戦いへと驀進しつつある。
そんな彼らの“敵”となった貴族達もまた伝統主義という自分達の“正義”を守る為に杖を取ろうとしている。

誰もその戦いを止めることは出来ない。
たとえこのハルケギニアの大地が崩壊しようともその戦いは決して終わることはないだろう。
彼らの胸に自らの信じる“正義”がある限り。
そして互いの信じる“正義”に優劣や正誤をつける術を誰も知らないが故に。

今やハルケギニアでは誰もが遥かな昔にこれまでの秩序を作り上げたブリミル始祖の存在を忘れ去ろうとし、誰もが新たな秩序を打ち立てる始祖ブリミルたろうとしている。
そう、彼らはかつてハルケギニアに秩序を築き上げた男の様に――ついに自らの手で未来を切り開こうとしている。

もはや誰にも止めることの出来ない巨大な歴史の流れ。
――そのきっかけを生み出したのはとある運命に翻弄された一組の少年と少女だった。


ひとりの少年によって全てを失った少女ゼロと、ひとりの少女によって全てを奪われた少年ゼロ

何も持たなくなったゼロとなった彼らはそれ故に自らの“力”で己が未来を切り開く必要に迫られた。
異世界の価値観じょうしきを受け入れることの出来なかった少年サイトは自らの“常識コモン・センス”に従って立ち上がり、同じく追い詰められた少女ルイズは新たな“常識せかい”を作り出した。
彼らは世界が与えようとした地位を拒み、自分自身であることを守ろうと決意し行動した。
そんな彼らの存在がハルケギニアに存在した何も持たない無数の人々へいみんを突き動かし、ついには世界そのものの構造を変革するに至ったのだ。

何も持たない者達の何も持たない者達による何も持たない者達の革命Revolution of the zero

地位も名誉も血縁も蓄財も持たない彼らの決意と行動――それこそが“ゼロ”からの革命を生み出したのだ。


ここでひとまずひとりの少年と少女の話は終わる。
しかし、そんな二人――そして彼らと共に立ち上がった人々にはハルケギニア史上空前の同族間戦争が待ち受けている。
それまでのエルフ達に対する聖地奪回の戦いとはその規模においてもその悲惨さにおいても比べものにならない程の巨大な戦争が。





暖炉にくべた薪がパチパチと音をたてる部屋の中で一人、そんな来たるべき巨大な悲劇と恐怖を予感したキュルケは言葉に出来ない恐怖を感じた。
無意識のうちに背筋が震えるのが判る。

そして彼女は再び手元の粗悪な紙切れを覗き込んだ。
彼女の手の中にある一枚の紙切れの最後はこう結ばれていた。


『――トリステイン平民はこれまでの一切の社会秩序を転覆し、自己の目的を達成したことを公然と宣言する。
支配階級よ、平民主義革命の前におののくがいい。
虐げられた平民達は革命において軛の他に失うものを持たない。
我らが獲得するものは自由である。

全ハルケギニアの平民達よ、団結せよ!』










Revolution of the zero ~トリステイン革命記~             了








10/09/13追記。
感想等でご指摘のあった部分を一部修正。
ご指摘ありがとうございました。




[3967] あとがきのようなもの
Name: さとー◆7ccb0eea ID:3e99c83b
Date: 2010/08/20 23:37

はい、皆様長らくお付き合い頂きましてありがとうございました。

貴族制度を作品の重要な背景とするゼロの使い魔の二次創作にも関わらず、『政治革命』という取っ付き難いテーマでお送りした本作品でしたが如何だったでしょうか?
ここで本作品を書こうと思いついた動機を告白させて頂ければ、きっかけは何と言っても『運命の使い魔と大人達』という名作との出会いでした。ここで得た感動と共にゼロの使い魔のSSを書き始めたわけですが、当時流行していた産業革命モノの二番……どころか数十番煎じを書いても仕方ないと思い、あえて当時存在していなかった筈の政治革命モノを書いてみようと思いました。……本作冒頭の才人が受験用装備を持って召喚される、という設定は未だ産業革命モノを諦めきれなかった頃の設定の名残です(笑)
思い返せば連載中は盗作騒動があったり改訂に伴う混乱を招いたりして皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
おまけに乱筆乱文の上、気が向いた時にしか書かないので遅筆だったりで……
それでも延べ2年にも渡る長期連載で完結させることが出来ましたのも、偏に皆様のご支援の賜物であります。
この場を借りて読んで下さった方々、感想で応援して下さった皆様、そしてこのArcadiaという場を提供して下さった管理人の舞様に感謝の言葉を述べさせて頂きたいと考えます。


さて、感想欄で予想しておられた方もいらっしゃいましたが「俺たちの革命はこれからだ!」End(笑)と言った感じなのかもしれません。
本当はもう少し後まで展開を考えていたのですが、膨らんでいく一方で終わらせどころが全く見えないのでタイトル通りにキリ良く終わらせました(それにしたところで切りどころを決めてからたどり着くまで半年以上かかっている訳ですが……)。
とりあえず、構想したときに書きたいと思っていたところはほぼ全部かけたので作者的には満足です(汗)
既にちょっぴり書いてしまった部分は気が向けば外伝として投稿するかもしれませんのでその時は生暖かく見守って頂けると幸いです。

あ、誤解の無いように一応書いておくと別に作者はアカでもクロでも茶色でもありません。
当然この作品自体にもそんな“正しい”思想を押し付けるつもりは全くありませんのでご了承下さい。

それから作品を終わらせるにあたってまた一部改訂とかをしてるので気になった方はご一読頂けたら幸いです。
勿論、読まなくても全く展開に問題はありません。
もしかしたら後日各話の言い訳(あと一部修正)をさせて頂くかもしれませんがその時は生暖かく見守って頂けたらと考えます。

本作品を書くにあたって一番苦労したのは、いかにすれば読者の方に作品内の世界について共通の認識を持ってもらいつつ、読むのに邪魔にならない程度に説明を抑えられるのか、ということでした。
それが完全に達成出来たとは思いませんが、少しでも実現出来ていたならば私にとってこれ以上の喜びとするところはありません。


最後に一応、次回作の予定としては以前に少しお知らせしたとは思いますが、禁書目録/超電磁砲モノで、

(仮題)とある四位の原子崩し     上条×麦野さんモノの再構成
(仮題)とある少女たちの死       黒子メインの絶対能力シフト計画の裏話

 のどちらかをやっていきたいなぁ、という所です。まぁ遅筆なので気が向いたら書く、という感じですが……ああ、超電磁砲の5巻読んだら麦のんが愛おし過ぎて生きてるのが辛い(笑)


それではまたいつかどこかのSSサイトでお会い出来たら幸いです。
改めて2年間もの長きに渡って当作品にお付き合い頂きまして有難うございました!


平成22年8月20日 さとー










[3967] 外伝っぽい何か 要塞都市【前編】
Name: さとー◆7ccb0eea ID:38cbc71a
Date: 2010/12/07 20:26

「なんだあれは……」

誰とも知らず、そう呟かざるを得ないほどに、かつてトリステイン王国の王都として、その風光明媚さをハルケギニア全土に知らしめていたかつての都市は大きく変貌を遂げていた。
まず目に付くのはトリスタニアを取り巻くようにして平原に突き出した巨大な棘にも見える、巨大な防御陣地群だろう。
トリスタニア中央部を隔てるように流れる川の西部に5つ。
そして、彼らの正面である東岸部に7つ構築されたその巨大な人工構造物の内部には無数の堀や壕が掘られ、その残土を利用してそれほど高さはないが分厚い防壁のようなものが構築されている。
しかし、素人目には急角度で穿たれた堀と土盛りの集合体にしか見えない。
だがよく見れば、その堀と土盛りによって構成される防御陣地は、それぞれの区間を保ちながら相互支援が可能な間隔で構築され、同時に後方の予備陣地(前方の陣地が陥落した場合は次の防御陣地となる)から迅速に兵と物資が運び込むことが可能な造りになっている。
各防御陣地にはまるで蟻の巣の様に繋がった、大砲や強力な魔法攻撃に耐えるための無数の退避壕やジグザグに掘られた連絡壕が作られている。
もちろん、そうした構造物はやはりそれぞれの守備範囲に相互に向かい合うように構築されていた。

魔法という圧倒的な力に身を晒さない為に作られた構造物の集合体で構成される防御陣地。
その陣地の前方に目をやれば、当然ながら堀の底部や土盛りの斜面には無数の逆茂木、それに乱杭が設けられ、工事の間に合った堀の一部にはトリスタニア中央部を南から北へ貫流する河川から水が引かれている。
そんな外部に向かって突き出した無数の大小の棘の集合体は、守るべきトリスタニア内部への直撃を確実に阻む為に構築されていた。
例えるならば、まるで強大な敵からなんとかして身を守ろうとしたハリネズミのようでもある。
6万ものゲルマニア軍が迫る今のトリスタニアはそんな場所だった。



「ハルデンベルグ君! ありゃなんだね?」

そんな光景に衝撃を受けるのはゲルマニア軍トリステイン侵攻部隊総司令官、エステルハージ公爵も例外ではなかった。
思わずエステルハージはそう傍らにいた参謀長には呟くようにして声をかけた。

「防御陣地……だと思われますが。いやしかし、これほどの規模のものは見たことがありませんが」

参謀長を務めるハルデンベルグ侯爵はそう率直に答えた。
彼らの前方にはハルケギニアでも有数の規模を誇る都市であるトリスタニアが広がっている。
しかし、彼らの視線を惹きつけていたのは歴史あるトリスタニアの姿ではなく、巨大な都市を取り巻くように造られた――いや、都市そのものが巨大な要塞であるかのような光景だった。

「ここから見えるだけでも外周には念入りに構成された二重、あるいは三重の防御陣地。……密集した建造物のせいでここからでは確認できませんが、おそらく王都の内部にはかなりの兵と糧食の備蓄があると見て良いでしょう」

ハルデンベルグの声には戸惑いが含まれていた。
一般的にこれまでのハルケギニアの城塞は、垂直に高く積み上げられた巨大な一枚壁で構成された城壁によって守られている。
防御線を一本に集中させることによって、最大の戦力を迫りくる敵に対して発揮させようとする発想がその根底にはある。
しかし、目の前の都市は建造に手間と高度な技術を必要とするそうした石積みの城壁ではなく、急造されたと思しき低く厚い何層もの土の壁によって構成されていた。

「――先行した部隊の見積もりでは王都に篭もった兵の数は少なくとも8万、その他に6万を超える平民どもが存在していると見られております」

「8万! 8万だと!?」

そうエステルハージ公爵は呆れたように声を挙げた。
8万もの兵の籠った城塞。
そんなものは今まで見たことも聞いたこともない――無論、考えたことすらない。
まともな教育を受けたことのある軍人ならそれだけの戦力をただ漫然と持ちながら立て篭もるなど考えもしない。
籠城とは本来、圧倒的劣勢の情勢下で他にどうしようもない時に行うべきものなのだ。
正常な軍人であれば敵よりも多い戦力を保有していながら籠城する筈もない。
それだけの戦力を有効に活用して野戦を挑むだろう……あくまでまともな軍人であれば。
――しかし事実、相手はまともな軍事教育を受けたことすらない平民だった。

この戦争が始まって以来遭遇し続けている不可思議な軍事上の出来事に彼は何度目か判らない困惑を抱かざるを得なかった。
まず、先の会戦であれほどの打撃を受けて敗北したにも関わらず、今またそれに倍する程の戦力をかき集められたのか。
そして、あれほどの戦力を持ちながら奴らはどうして積極的に戦おうとしないのか。

参謀長の報告を聞きながら彼はそう考えた。
あるいは革命に参加した平民どもは先の大敗北を受けて徹底的に防御に回ることにでもしたのだろうか。
平民ども一人ひとりがあの黒髪の少年――あの敗北の後にたった一人でゲルマニア軍先鋒集団に夜襲をかけ、結果的に7万の軍勢の行動を延べ一週間も遅延させる影響をもたらした――に匹敵するわけではないだろうが、それでもそれだけの数が集まればそれは強大な力を発揮するだろうに。

その間も軍参謀長たるハルデンベルグの報告は続く。

「それから内部の備えを調べるために竜騎兵による偵察を行いましたが……」

そこまで言ってハルデンベルグは急に口ごもった。

「どうした? 早く言いたまえ。別に君がその責を負うわけではあるまい」

エステルハージの小さな叱責が飛ぶ。
その声にはこれ以上の面倒は御免だとでも言いたげな響きがたっぷりと含まれていた。

「竜騎兵は任務完遂前に全騎撃墜されました。竜騎兵連隊では通常の偵察方法以外に限界高度まで上昇した高高度偵察や超低空飛行まで実施しましたが……以後、竜騎兵連隊は通常の伝令及び空中哨戒と野戦索敵以外に竜を出せないと言っております」

そう、しぶしぶと口を開いたハルデンベルグの報告にエステルハージはもはや驚くことすら諦めたとばかりに呆れた様な声で尋ね返す。

「竜騎兵の限界高度と言えば4000メイルはあるだろうに、敵の“空飛ぶ火矢”はそんなところまで届くのか?」

「はい、閣下。敵の“鉄の火矢”はそれ以上の到達高度を持つものと推測されております。それに高速を発揮できる数少ない風竜までもが離脱に失敗しているところを見ると、その速度も時速450リーグを超えるものかと……」

その返答を聞いてエステルハージは呆れを通り越し、呟くようにして思わず言い放った。

「全くトリステインの平民どもはとんでもない兵器を考えたものだ! かつてハルケギニア最強兵科を謳われた竜騎兵が単なる偵察手段にしかならんとは! おまけにその“空飛ぶ火矢”は竜騎兵に飽き足らず軍艦まで打ち落としているだと!? 信じられるかハルデンベルグ君?」

「全く驚くほかありませんが――そもそも平民が自分達で国を動かそうとすること自体が我々の想像の埒外でありますからな」

どこか他人事のような答え。
ハルデンベルグの責任を負う必要のない参謀スタッフとしてのそんな答えにエステルハージは初めて怒りを顕にした。

「何を呑気なことを言っている! 我々はあの夜の襲撃で思い知ったのではなかったのかね? ――覚えているだろう、たった一人の平民兵によって我々は3日も足止めを余儀なくされたのだ」

そう言われてはハルデンベルグにも声が出ない。
大混乱に陥った先鋒集団の兵をかき集め、補強し、再編成するまでに2日。
再編成に通常よりも時間がかかったのは兵達を取りまとめる貴族――ゲルマニアでもかつてのトリステインと同様に将校は貴族に限られていた――の損耗が極めて深刻だった為だ。
特に、未だ中世的指揮統制システムをで運用されているゲルマニア軍では(と言うかハルケギニアの標準的な軍制では)中隊・小隊の士官定数はたった一人でしかないのだから、その補充は数十倍の兵をかき集めるよりも困難だ(その中隊長すら魔法学院から動員した学生士官を充てなければならなかった、かつてのトリステインのアルビオン侵攻軍よりは遥かにマシであったが)。
そして補充の難しい士官がいなければ逃げ散った兵を取りまとめることが出来ない。
ようやく再編なった先鋒集団が前進を再開したのが3日目のことだったが、その間に同様の襲撃に怯えて士気の低下した兵達の行軍速度は非常に低調なものとなっていた。
結果として、当初の行軍予定より1週間近く彼らの行動は遅れていた。

「内部の偵察が出来ぬのなら致し方無い。あまり気は進まぬが探索攻撃を実施するしかあるまい」

沈黙したハルデンベルグを傍目にエステルハージ公爵はそう言って決断した。
目の前の防御陣地がどれほどのものかはわからないが、ともかく一当てして敵の戦術と弱点を探さねばならない。
――彼らには時間がないのだ。

ゲルマニア軍の補給の状況が悪化していたのがその原因だった。
本来、輸送にあたる筈だった艦隊と輸送船舶が巨大な“鉄の火矢”によって次々と損害を被った為、補給は急遽陸上輸送に切り替えられることとなったが、当然陸上輸送ではその輸送速度は比較にならないほど遅く、かつ運搬出来る量も限られている。
おまけに艦隊や輸送船舶と同様に――いや、同じ地上を進むが故に、空を行くそれらよりも頻繁に平民達の襲撃をうけることとなったのだ(一度炎上や墜落すればほとんど全ての物資が失われる空中輸送よりも損害合計自体は少なくなったが)。
それがただでさえ遅い輜重段列の行動をさらに遅延させていた。
結果として、当然ゲルマニア軍主力の保有する糧秣は急速に減少し、兵達が最低限持っている食料と細々と届く補給を勘案してもその総量は現在の消費量で約2週間分を満たすかどうか、というものでしかない。
補給品そのものは後方――進軍発起地となった首都ヴィンドボナや後方策源地となったツェルプストー領――に大量に存在していたが、現状ではその補給量が消費量に満たないのだ。
それ以上の時間がかかった場合、もはや敵と対峙することすら不可能となり一旦後方――十分な糧食と兵を休息させる事の出来る場所に転進させる必要がある。
そうしなければ、彼らの率いてきた軍は敵と戦うことなく霧散してしまうだろうからだ。

たった一人の少年が成した夜襲の影響はゲルマニア軍の戦略にそこまで巨大な影響を及ぼしていた。
そんな事情を瞬時に考慮した彼は、傍らのハルデンベルグが何か口を開く前に命令を下した。

「探索正面をトリスタニア北東部とする。すぐに準備にかかれ」






翌日、トリスタニア北辺の草原に数千人の兵士が集結を完了した。
彼らの前方には主攻方面とされた防御陣地群と旧平民街の東端部が見える。
通常の攻城戦であれば彼らの出番はもっと後になる。
城を取り囲む巨大な石の壁を大砲と魔法によって破壊し、突破口を開く。
彼らは単にその突破口めがけて隊列を組んで一斉に城内に乗り込めば事足りたのだ――少なくとも、これまでは。

しかし、彼らの前に広がる“壁”は別物だった。
這い上がることが不可能なほど急峻ではなく、その高さも低い。
陣地正面には空堀が掘られているが、水掘と垂直にそそり立つ城壁を組み合わせた防御設備ほど強固なものとは思われなかった。
そんな“弱体な”防御陣地を自らの体を持って撃砕する任務を与えられた彼らの背後には、何門もの大砲が並べられた砲列が敷かれ、これから行われる探索攻撃を支援すべくトリスタニア前面の防御陣地に向かって轟音と共に砲弾を放ち続ける。
しかし、その数は思いのほか少なく、10門程度でしかない。

その原因はゲルマニア軍の戦術思想に現れる“機動重視”という軍事ドクトリンの影響だった。
トリステインの数倍の人口を誇るとはいえそれ以上に広大な領土を持つゲルマニア。
そんな国に住まう彼らは広大な(それ故にトリステインよりも人口密度の薄い)ゲルマニアでは限られた戦力を有効利用するために兵を軽装で動かし、運動戦――野戦に持ち込もうとする傾向があった。
彼らは寒さの厳しい北に領土を持つために、兵個人の防寒装具も他国に比べ兵の負担を増やしていたし、広大な領土内部で軍隊を効率的に動かすためには、まず第一に移動の邪魔になる牽引式の火砲を極力減らすことを主眼としていた。

これが南方のロマリアやガリアであれば、自走可能な砲亀兵を導入することによって解決することが可能であっただろう。
が、気温に生存条件が大きく左右される砲亀兵の導入は、ハルケギニア北部にその国土を構えるゲルマニアでは事実上不可能なことであった。
その為、ゲルマニアではより人力牽引に適した軽量な砲が好まれることとなった。
ゲルマニアで他国に比して高度な冶金技術が発展することになったのは、そうした軍事上の要求に基づくものでもあったのだ。

糧秣の補給に関しても、ゲルマニアでは兵には常に最低限のものしか持たせず――これは広大な戦場での逃亡防止の意味もあった――フネによる大量輸送を活用するなど、その姿勢は国土事情のもたらしたもの故に徹底していた。
そうした選択を行うに当たっての問題点の一つは、「城塞攻略の際に必要となる大口径火砲を持たない」という点だったが、戦場での火力支援に関しては風石によって空を自由に機動する戦列艦の大砲が当てに出来たため、あまり問題にされてこなかった。
少なくともゲルマニア国内というこれまでの戦場では。

しかし、今はそれが全く裏目に出ていた。
彼らの火力を保障する空中移動砲台にして輜重段列であった艦隊が自由に使用できない中、彼らは半ばその身一つで前方に築かれた防御陣地に挑まねばならなくなったのだ。
彼らにとって救いだと思われていたのは、目の前の陣地が“弱体”なことだけ。
であるからこそ、彼らは僅かな砲撃の支援だけで敵の陣地に乗り込もうとしていた。



断続的に次々と放たれる砲弾は敵の陣地付近に集中する。
敵陣に弾着を示す土埃が舞い、目標を外れた砲弾が陣地背後の平民街外周部に存在した民家を叩き潰すかのように一撃で倒壊させる。
敵陣に降り注ぐ砲弾が土埃を舞い上げる度に、攻撃部隊に所属する兵士達の士気が高まっていく。

ハルデンベルグが探索攻撃の実施を命令したのはゾンダーブルグ連隊、ルードヴィング連隊、リッペ連隊の計3個連隊もの兵力だった。
その部隊に所属する6000名近い兵士達が、探索攻撃部隊指揮官に任じられたゲアハルト・ハーロルト・ゾンダーブルグ侯爵以下の貴族士官の指示の下、それぞれの連隊ごとに4列の横隊を構成する。
連隊と呼ばれる部隊の規模は平均して2000名程度(編成した貴族の所領の規模や財政状況によって多少の差が存在する――無論、損害によるものもある)であるから彼らはおおむね500名ごと――大隊単位で横隊隊列を作り上げたことになる。
6万を超えるゲルマニア侵攻軍からすると一見少ない様に見えるが、横隊の幅はそれでも500メイル以上に及ぶ。
これがゲルマニア軍全てとなると、その横列陣形はさらに巨大化し、6万もの軍勢が仮に全隊で横隊陣形を形成すると、最低でも5~6リーグ近い横幅が必要とされるのだ。
さらに、進行方向に向かって徐々に狭まるように作られた稜堡によって、その戦闘可能面積が極めて限定されていたため、単一の戦闘正面に配置するのはこの3個連隊が限界に近かった。

探索攻撃に参加しない、残りの大部分の戦力はトリスタニアを囲う様に展開している。
勿論、敵の射程外でだ。
エステルハージが主攻方面に設定したトリスタニア北東正面陣地はその防御力を高める為、軍事的に極めて狭い範囲を作り出すように構築されている。
戦闘正面が取れないがゆえに待機を強いられている彼らの任務は、可能な限り敵の戦力を引き付け、分散させること。
それでも周囲15リーグを超えるトリスタニアをわずか6万の軍勢で完全に包囲するとまではいかない。

「攻撃前進を開始する! 全隊突撃開始線まで横陣隊形のまま前進!」

肥えた馬躰を持つ白馬に跨ったゾンダーブルグ侯爵。
彼が発したその言葉を受けて、3個連隊の兵達が一斉に前進を開始する。
響き渡る太鼓の奏でる軍音に合わせて、手に剣や槍を携えたゲルマニア兵達は一歩一歩を踏みしめるように進む。
その隊列の周囲には騎乗した将校が、自らの指揮する部隊をまるで羊の群れを誘導する牧羊犬の様に周回していた。

先程の攻撃前の支援砲撃によって高揚した気分のまま進む彼らは知らない。
彼らが放った支援砲撃――その多くは厚さ5メイル程もある防御用の土堤に激突して、ほとんど効果を及ぼさなかったことを。
命中率の低いこの時代の大砲は有効弾を得るまでに幾度もの砲撃を要求する――例外は超至近距離か、どこに打っても命中する様な幅広く展開して前進してくる歩兵横列、あるいは城壁の様なものだけ。
そして、彼らが目標としたのは確かに巨大で不動な構造物だったが、土砂の堤に囲まれるように低く厚く作られた稜堡の土をむなしく巻き上げるだけで終わった(効果が低かったのは遠距離砲撃の為に射程の長い鉄球弾しか使用出来なかったこともある)。
そして、そうした鉄球弾は直撃でもしなければ被害を与えることはできないが、トリスタニアの防御陣地にはそうした損害を避けるべく、簡素ではあるが十分な防御力を発揮する無数の壕が掘られていた。



攻撃開始線から500メイル程前進した彼らはトリステイン側の標定射撃痕のある場所に到達する。
同時に後方からの支援砲撃が味方撃ちを避ける為に中断された。
ここまではゲルマニア軍側にとって予定の行動だった。
しかし、それをトリスタニアに立て篭もる平民軍側が確認した時、今度はこれまで敵の砲撃にずっと耐え続けてきたトリスタニアの防御陣地に据えられた無数の砲が一斉に火を噴いた。

地鳴りの様な砲声。
まるで火山の噴火を思わせるような轟音と閃光が響き渡るとともに、大気を切り裂いて何発もの砲弾が飛来する。

彼らに向けられた砲の数はゲルマニア側の3倍――少なくとも30門近い。
当然、効果を発揮することもなくむなしく大地に食い込んで周囲に土砂を撒き散らす砲弾もある。
しかし、その砲弾が効果を発揮すれば、たった一発の鉄の塊が地面を転がるようにバウンドしながら隊列を形成していたゲルマニア兵十数人の戦列を切り裂くように一撃で押し潰し、刈り払う。
そんな人間の想像を超える力と死の恐怖を前に戦列が乱れそうになるが、隊列の周囲を周回するように進む指揮官の叱咤の下にゲルマニア軍兵士達は進み続ける。
この間、彼らに出来ることは砲弾が自らの近くに落ちないように祈ることだけ。
隊列を崩せない――砲火や魔法の射程内で隊列を乱してしまえば再編する方法が無い彼らは(敵の隊列を乱すことこそが砲撃の目的なのだ)隣の戦友が吹き飛ばされ、無残な肉塊に代わる中、ただひたすらに耐え、あるいは自らの命を犠牲にしつつ隊列を保ったまま前進を続けた。

距離が近づくにつれ、砲撃による被害が拡大していく。
接近しているために命中率が向上したこともあるが、最大の原因は通常の鉄球弾に比べて射程の短い榴弾が使用され始めたことだった。
榴弾は射程が短いが、その破片・爆風効果によって横隊陣形を(通常弾の)線ではなく面で被害を与える。
効果を増すように、短めに導火線を切られた榴弾が空中で爆発する。
中には砲撃時に点火がうまくいかなかったのか、むなしく大地にめり込む砲弾もあるが、大多数は空中、あるいは導火線の長さが適当でなかったが故に地上に転がって爆発する。
そんな空中、あるいは地上で爆発した弾体の破片と爆風、そして高熱が戦列をこれまでよりも広い範囲で薙ぎ払う。
弾体の破片が兵士達の体を切り刻み、爆風が兵士達を吹き飛ばす。
黒色火薬を詰めただけの原始的なたった一発の榴弾の爆発が数十人もの兵士達の所属する一個小隊を壊滅に追い込む光景さえ見られ、ゲルマニア軍横列の被害が急速に拡大する。
さらに攻撃正面とされた二つの稜堡以外からの援護射撃も加わる。
おそらく合計すれば100門以上にもなろうかと思われるその砲撃の前に、ゲルマニア軍はますます損害の度を高めていく。

「立て! 立て! 戦列を崩すな!」

それでもゲルマニア軍は前進をやめない。
横列が乱れ、一部の兵がその歩みを止めてもすぐに指揮官である貴族の声に追われるように前進を再開する。
傍らでは隊列を組んでいた戦友が砲弾という圧倒的な暴力によって、目に見えない程の速さで原型を残さない肉塊と成り果てる中、彼らはその歩みをやめない。
爆風に打倒され、四肢のいくつかを失った戦友たちの残骸の上を乗り越えるようにして彼らは進み続ける。
その軍事的には奇跡に等しい光景――兵達のほどんどが農村から掻き集められた徴集兵であり、そんな彼らを精神に直撃する光景の中で統率するのみならず、敵に向かって前進させ続けている――を現出させたのはまさにハルケギニアに誇るゲルマニア軍の面目躍如と言っても過言ではない。

彼らが突撃開始線に到達するまでに浴びた砲撃は一門あたりおよそ四度。
わずか1リーグ程の距離を前進する間に失われた兵力はおよそ400名だった。


「全隊停止! 横隊突撃隊形を作れ!」

攻撃隊指揮官のその号令とともに、ようやく突撃開始線に達したゲルマニア軍3個連隊は一斉に停止する。
ハルケギニアでは今まで誰も見たこともないほどの砲火を浴び、5500名程にまで減少した彼らの位置は敵陣地前方200メイル。
もちろん熾烈な砲火に攻撃を停止した訳ではない――常人には信じ難い事に、未だ何発もの砲弾が降り注ぐ中、彼らはそこで隊列の再編成を行ったのだ。
城塞攻略において最も重視されることは一点に可能な限り多数の兵員を同時に侵入させること。
そのためには熾烈な防御砲火を受ける中でも歯の欠けた櫛のようになった隊列を補うことによって一度に敵陣地に取りつくことの出来る人間を増やすことが肝要となる。
無論、指揮官の叱咤号令しか兵達を統率する方法の無いこの時代、兵達を指揮官の命令に服させるためにも隊列の再編は必要不可欠でもあった。

隊列の欠けた穴を埋める為に後方の隊列から兵が進み、最前列に生じていた間隙を補う。
しかし、その間にも飽きることなく砲弾が降り注ぎ、新たな損害と隊列の穴を生み出し続けている。
間断なく砲弾が降り注ぎ続ける状況の下で隊列が再編される間、手の空いたメイジは彼らと陣地の間に構築された柵などの障害物を魔法で破壊する――言うまでもなく陣地に取りつくまでの数分の間に受ける損害を可能な限り減らす為だ。
風、火、水等の魔法が飛び交い、彼らの前方を阻むように作られた防御柵などの人工物を燃やし、あるいは吹き飛ばす。
実際そうした防御柵は一秒でも長く敵を防御砲火の中に足止めすることが目的で作られている。

そうした設備を排除するために魔法を繰り出す貴族の中には、ゴーレムを使って一斉に施設を排除するとともに、あわよくば陣地に乱入させようとする者もいるが、さすがにそこまで上手くいくはず筈もない。
巨大な目標となる彼らのゴーレムは、即座に鉄球弾を装填して待機していた何門かの大砲の直撃弾を見舞われ、沈黙を余儀なくされる――陣前200メイルという大砲にとっては超至近距離にいるのだから当然だ。
当然、先走ってゴーレムを作り出したメイジは精神力を無駄に消費したことになる。

そんな彼らメイジが前方の障害物を排除している間にゲルマニア軍は隊列の再編成を完了した。

「目標、前方の敵防御陣地群! 躍進距離200メイル!」

攻撃部隊指揮官が前方で火力を吐き出し続ける防御陣地に向かって鋭剣を模した長い軍杖を突きだして叫ぶ。
続いて彼は周囲の爆発音に打ち消されないよう、渾身の力を振り絞って号令を発した。

「全隊突撃ィ――、前へ!」

その命令一下、砲弾の嵐の中で永遠にも思える時を耐えた兵達が駆けるようにして突撃を開始する。
誰もが本能的に恐怖を紛らわせ、同時に意気を昂らせる為に野獣の吠える様な叫び声をあげる。
横隊陣列の再編を完了したゲルマニア軍は生物学的、あるいは人為的に作られた狂気と興奮に包まれながら、そんな野獣の群れの咆哮にも似た吶喊の声とともに、ついに突撃を開始した。



「全員の配置は終わったかい?」

そうマチルダ・オブ・サウスゴーダは尋ねた。
かつて怪盗フーケとしてトリステイン全土に名を馳せた彼女は、今やこのトリスタニアの直接防衛責任者として目の前に広がるゲルマニア軍と対峙していた。
傍らの副官格の男が「終わった様です」と答える間も彼女の視線は迫りくるゲルマニア軍に注がれている。
彼女とゲルマニア軍との直接の距離はおよそ500メイル。
防御砲火を浴びながら横隊を再編しつつあるゲルマニア軍と防御陣地外周との距離はおよそ200メイルであり、横隊が再編され次第、突撃を開始してくることは明らかだった。
その彼女の予測を裏付ける様に、隊列の再編が完了したゲルマニア軍が突撃に移る。
180メイル、150メイル、120メイル。
ぐんぐんと距離が近づく。
そんな光景を眺めながら、陣地までの距離がおよそ100メイルに達そうかという時、彼女は大きな声で射撃命令を発した。

「打ち方用意! ――放てぇッ!」

途絶えることの無い砲撃に続いて、今度は手に銃を構えた平民兵が一斉に引き金を引く。
点火薬を満たした火皿に打石機に取り付けられた火打石が叩き付けられ、銃口から一斉に炎と硝煙、そして人間の体をいとも簡単に打ち抜くことが出来るほどのエネルギーを受け取った銃弾が飛び出す。
その事実を示すように響くのは無数の銃の発砲が生み出す雪崩の様な轟音。

防御陣地群に突進を開始したゲルマニア兵達もその光景を目撃した。
次の瞬間、遮蔽物の無い中を身一つで駆ける最前列のゲルマニア兵達の背中に大穴が開き、血と肉、そして砕かれた骨が銃弾と共に周囲に飛び散った。
ハルケギニアで使用されている銃は打石式・前装銃フリントロック・ガンであるがその威力はかなり大きい。
弾丸こそ射程と命中率に問題を抱える球形弾にすぎないが、そうであるが故に銃の口径は大きい。
最もありふれた弾重量1/30リーブル弾を使用する銃の口径は約1.3サント。
威力を重視した軍用の1/15リーブル銃ならばその口径(≒弾丸直径)は約1.8サントに達する。
おまけに命中した鉛製の球形弾は体内で容易に変形し、周辺の人体組織を巻き込みながら数倍の射出口を作り出して反対側から飛び出すのだ。
そんな銃撃を受けて、最前列付近のゲルマニア兵達がが赤黒いものを撒き散らしながらバタバタと倒れる。

しかしそれでも彼らは前進をやめない――ここまでくればあと少しで敵陣に突入することが出来るのだ。
敵防御施設に取りつくまでおそらく敵はもう二、三度の斉射を行うだろう。
トリステインの平民達がたとえ彼らの前方に1000名の銃兵を配備していても大した脅威ではない。
平均命中率が10%程度でしかないマスケット銃では100メイル程度の間に与えられる打撃は三斉射でせいぜい500名に満たないのだ。

これまでの砲撃と合わせても1000名に満たない犠牲。
敵の平民メイジの攻撃によって損害はそれよりもやや増えるかもしれないが、それでも残りの5000名近い兵士は敵陣に突入することが出来る。
彼らは陣地に突入した後、乱杭や逆茂木の植えられた堀や土壁を遮二無二突破して敵陣を制圧する予定だった。

無数の銃弾が投げつけられ、ついに敵の陣地内から射程の短い魔法すら飛び交い始めた戦場。
距離が狭まった為に、それらに加えてこれまでハルケギニアで広く使われてきた遠戦兵器である矢が降り注ぐ。

そんな中でもゲルマニア兵達の突撃は止まらない。
最前列を駆ける兵士達の多くが銃弾を浴びる中で、幸運にもその咢を逃れた兵士達が陣地前方に掘られた堀に飛び込んだ。

彼らが堀に飛び込むと同時に、無数の悲鳴が上がる――外からでは内部を覗き込むことが出来ないほど急角度で掘られた空堀の底にはまるで待ち受けていたかのように先を尖らせた無数の杭――乱杭が打たれていたのだ。
勇敢な先陣の兵士達が堀の底に設けられた乱杭に傷つき斃れる中、彼らにやや遅れて到達した兵士達は斃れ、あるいは苦しむ彼らの体を埋め草にさらに突進を続ける。
逆茂木――その名の通りまるで根が突き出したように見える木製の障害物に傷つきながらも、彼らはようやく防御陣地の外周に取りついた。
しかし、同時に彼らの真上の敵陣からは石や熱湯といった悪意が一斉に降り注ぎ、ようやく土壁を登りかけた彼らを堀の底へ押し戻す。

運の良いものは先に死んだ味方の体の上に。
運の悪いものは先を尖らせた太い杭の上に。

必然的に先鋒部隊はそれまでの勢いを失い、後続の部隊は彼らの後方――防御陣地の前面で停滞することになる。そして、それは遮蔽物のない至近距離で敵に身をさらすことと同義であった。
当然、進むことが出来ない上に何の遮蔽物も持たない兵士たちが銃砲弾の雨を受けてバタバタと倒れていく。
そして、前進もままならなくなるほど密集した彼らに平民達の“とっておき”が降り注いだ。



「なんだと……」

エステルハージはその光景に思わずそう呟いた。
信じられない。
一瞬のうちに、それまで人為的な鉄の嵐に耐え続けてきたゲルマニア軍が崩壊したのだ。

渋滞して密集したゲルマニア軍に対して、トリステインの平民どもは大砲に対空用の葡萄弾を詰めて叩き込んだ。
その名の通り、葡萄の粒の様な無数の小さな弾を詰めた袋を装填して発射する葡萄弾は、砲口から円錐状の射程内にいる敵に対して極めて大きな効果を発揮する――確率論上、その射程内にいる人間大の物体は決して無傷ではいられないし、元来銃弾すら弾きかねない硬さを誇る飛龍の鱗を貫くことを目的にしたその威力は、人間が身に着けられる程度の防具を難なく貫通する。
欠点としては無数の小弾をばら撒くために、その射程が極めて短いという点であったが、防御陣前100メイル以下という距離は大砲にとってまともな照準すら不要な超至近距離に等しい。

“敵のいる方向に向ければいい”と言うような超至近距離で30門近い砲から一斉に放たれたその一撃は、ろくに身動きもとれないほどに密集していた500名近い兵士達が圧倒的な暴力による変容を強制した。
同時に、その倍の者達が何等かの傷を負う。

不運にも直接の目標とされた者達の遺体は原型を留めてすらいない。
いや、痛みを感じることなく絶命出来た彼らは未だ幸運だったのかも知れない。
彼らの傍にいた者たちはもっと悲惨だった。

腕や足と言った体の一部を喪った者。
無残に千切れ飛んだ胴から内臓が零れ落ちている者。
不運にもその一撃から生き残ったより多くの者は、自らの体が死を迎えるまでの間、悲鳴と助けを求める声を挙げながら苦痛と戦い続けねばならなかった。

さながらそれは地獄の様な光景だった。
そして、同時にその一撃は続く兵士たちの精神に一生忘れがたい何かを抉りこむように刻み込んだ。
これまで激しい鉄の嵐に耐えてきた大多数の兵士達は、肉と鉛、そして掘り起こされた土が混じりあった混成物と成り果てた戦友達の姿を目撃した。
そして、瞬時に刻まれたその凄惨な光景の前では、如何に士官たる貴族達が統制の声を挙げようとも意味を成さなかった――それ以前に誰もがその一撃で一時的にほとんど聴力を失っていたが。

まるで何かの糸が切れたかのように、一瞬のうちに兵士達の統制が失われ、動揺が水面に走る波紋のように広がる。
恐怖と衝撃のあまり使命感の失われた彼らの多くは、安全な場所を求めて一斉に後方に駆けるようにして逃げ出そうとするか、その場でうずくまってただひたすらに死の運命が自らを襲わないことをひたすらに祈る。
中には錯乱のあまり武器を捨て、ふらふらと無防備なまま戦場を一人で歩き出す者もいた。
そんな彼らに追い打ちをかけるように、防御陣地からは尚も容赦なく銃弾や砲弾の嵐が降り注ぐ。
激しい銃砲撃を受け続ける中では、その衝撃からいち早く立ち直った士官の叱咤号令の声すら全体には行き届かない。
おまけに崩壊した戦列を立て直そうとした、指揮官に特有の特徴ある動きを示した貴族には優先的に銃撃や砲火が見舞われる。
その結果、一時的な士気の崩壊は指揮統制の消滅――そして部隊そのものの完全な壊乱へと発展した。



「閣下、攻撃中止を! 閣下!」

ハルデンベルグの悲鳴のような声が聞こえる。
その声にエステルハージは半ば茫然としていた意識を自らのもとに取り戻し、大声で怒鳴るように命令を発した。

「攻撃中止! 攻撃中止だ!」

即座にその命令をハルデンベルグが具体的な形に翻訳した。

「攻撃中止! 攻撃中の部隊は直ちに攻撃開始線まで後退! 付近の部隊に彼らの収容を支援させろ、発射可能な砲兵は支援射撃を再開!」

その命令はすぐに騎乗した将校伝令によって侵攻した部隊に伝えられようとする。
しかし、彼らが火薬と鉛の楽園の中に駆けていく間にも次々と兵士達が斃れていく。
無論、彼らを死の運命から救うべく駆ける将校伝令でさえ、その確率論の例外ではない。
そんな同僚たちよりも幸運だった伝令将校が伝えた命令により、いち早く砲兵の攻撃が再開された。
僅か10門程度ではあるが、一斉に火を噴き味方の撤退を援護する。

砲兵の支援攻撃が再開されたことを確認した後、エステルハージは再び壊乱した部隊に視線を向けた。
主力が半ば壊乱した中、敵の陣地付近には今も多くの兵達が伏せるようにして銃弾の嵐に耐え続けている。

「あいつらは何をしておる! あんなところでは敵の良い的だ!」

その光景を目にしてエステルハージは叫んだ。
あんなところで粘っていても敵の的になるだけで、軍事的には何の意味もない。
あるいは後退するにせよ、そんなところで伏せているだけでは再開された味方の支援砲撃にも巻き込まれかねない。
そんなエステルハージの声に傍らから望遠鏡で様子をうかがっていたハルデンベルグの声が響いた。

「か、閣下! 違います、あの兵達は、あの兵達は……」

ハルデンベルグの声は震えていた。
その言葉から参謀長が言葉に出来なかった真意を汲み取ったエステルハージもまた呆然とした様子で呟いた。

「……死んでいるというのか、全員」





地獄の様な戦場からようやく撤退した兵士達の収容が終わった頃、それまで無言だったエステルハージはおもむろに口を開いた。
兵を人として考えてはならないとされる司令官である彼であっても、あの光景は衝撃以上の何かを彼の精神に与えていた。
未だ収まりきれないそんな動揺を隠すかのようにエステルハージの言葉は必要以上に軽く、明るい。

「手酷くやられたな。ハルデンベルグ君、損害は?」

ハルデンベルグは概算ですが、と前置きしたうえで続けた。

「戦死が約1200、負傷者は約2700と言ったところでしょう。損害の合計は約4000名――事実上2個連隊が消滅し、残りは寄せ集めても2個大隊に成るか成らないかだと思われます。……ああ、一部の指揮官からはすでに士気崩壊の危険性について上申がありました」

その答えにエステルハージは思わず唸り声を漏らした。
3個連隊、6000名近い部隊がわずか一時間にも満たない戦闘で壊滅したのだ。

そんな損害率などこれまでのハルケギニアでの戦いでは聞いたこともない。
むしろ互いに大兵力を投入した戦いでは逆に戦死者は減少するものなのだ。

故にエステルハージはまさか平民どもがあれほどの火力を持っているとは思いませんでした、と報告の最後に付け加えて締めくくったハルデンベルグに噛みつくように口を開いた。

「そうだな。竜騎兵を無力化し、フネまでも打ち落とす“空飛ぶ火矢”といい、あの火力集中といい我々の常識などなにも役に立たん! そもそも我々は平民どもがトリステイン王政を打倒するなど考えたことすらなかったのだからな」

そう自嘲気味な言葉を放った後、エステルハージはだからと言ってただあの竜の巣の中に兵達を突っ込ませる訳にもいかん、と彼は幸運にも生還した彼らを後方に配置転換するように指示を下しながら続けた。

「策を考えてくれたまえ、あの“要塞”を短期間で落とす策を。それが君の職務だ――敵のおおよその火力配置は見当がついたのだろう?」

「はい閣下。しかし、短期間となりますと我が軍のメイジを総動員しても坑道戦術は使えませんな。あれだけの数の敵に耐えられる数の兵を送り込むことの困難さに加え、先程の敵の反撃を見れば平民どもの中にはメイジも含まれているようですのでなおさらです。部隊の負担も考えるなら夜間の内に可能な限り接近して塹壕を掘り、突撃陣地を構築するほかありますまい。それに砲兵の増強と集中使用、不足している火薬に砲弾の補給も必要です」

彼の問いに優秀な参謀将校らしくハルデンベルグはすらすらと攻城戦に必要なものを挙げていく。
その答えに「手配しろ」と即座に同意を示した後、エステルハージは呟く様に小さな声で言った。

「2週間だ」

その言葉に傍らのハルデンベルグもまた頷く。
そしてエステルハージは自らの天幕に向かう為にトリスタニアに背を向けながら、自らに言い聞かせる様に改めて同じ言葉を口にした。

「――なんとしてもこの要塞を2週間で落とすのだ」









―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
トリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。

前に言ってた「とある~」の筆が進まないので気晴らしに書いてみました。
あとがきでもお伝えした以前書いて使わなかった部分を再利用した外伝です。


追記。
10/12/07加筆修正。







[3967] 外伝っぽい何か 要塞都市【中編(上)】
Name: さとー◆7ccb0eea ID:22c2d3ec
Date: 2010/12/07 20:30


無数の兵士達が土を掘り、突き固めている。
先日の探索攻撃を経て、攻撃方針を決定したゲルマニア軍は獲物を前にした肉食獣の如く、今まさにひっそりと一歩一歩着実に“要塞”と化したトリスタニアに向かって迫りつつあった。

兵士達は黙々と鍬を振るってハルケギニアの大地を削り、塹壕を掘る。
余った土で土嚢を作り、積み上げ、突き固める。
巨大な大地に比べれば表面を引っ掻いた様なものだが、たったそれだけのことで自らの命――あるいは一生の大怪我を防ぐことが出来るとなれば、誰にも否応はない。
むしろ徴集されて集められた農民出身の兵達にとっては、持ちなれない剣や槍を振るうよりも心休まる時間だったかもしれない。

彼らはまず初めに先日の攻撃準備線付近に敵陣地に対して平行な最初の拠点壕を掘り、ついでジグザグに折れ曲がりながら敵陣へ向かって続く連絡壕の構築を開始する。
連絡壕がある程度掘削されると再び先程と同様に敵陣地に対して平行に走る突撃壕が構築される。
そんな作業を繰り返すことで塹壕は前方に向かって伸び続ける。
その終着点は敵陣地前方200メイル程度の地点になる筈だった。
しかし、本来そうした作業に最適の筈の土メイジの姿はない――たとえ居たとしても、万を超える数の兵士達の必要量を満たすほどの壕はいかな魔法でも作り出すことはできないであろうが。
そんな情景の中で兵達は文句も言わず、黙々と作業に努めている。
そう、たとえ土メイジが協力してくれるとは言え――あんな場所・・・・・で作業に当たるのは誰しもが願い下げだった。



無心に壕を掘り続ける兵達のさらに前方、敵陣地前縁までおよそ700メイルの距離。
後方で黙々と壕を掘り続ける兵達から“はずれを引いた”と呼ばれていた不運にも選ばれた兵達は、トリスタニアに立て篭もる平民達の散発的な阻止砲撃を受けながら、集められた何十人もの土メイジ達と共に砲陣地の構築を進めていた。
敵の榴弾の射程内にも関わらず、土メイジは自らの命を守る為ではなく、これから運び込まれる巨大な鉄の筒の為に大地を掘り上げ、平坦な地形を構築することに杖を振るう。
彼らに付き従う兵たちも、破片や爆風に打ち倒されながら剣や槍ではなく槌や鍬を振ってメイジ達が大まかに仕上げた砲陣地の土台をさらに整地し、突き固めていた。

「曳け、曳けえッ!」

その後方では、外れた砲弾が周囲の土砂を巻き上げる中で、絶叫にも近い号令と共に百人を超える兵が何門もの砲に取りついて力の限り迅速に運搬を試みている。
それでも巨大な砲の運搬にはかなりの時間がかかる。
運び込まれる砲の中には一門あたり4000リーブル以上もの重さを持つものも少なくないのだからなおさらだった。
その為、ハルケギニアでは珍しいことに、(メイジが精神力を急速に消耗してしまう為)通常決して行われないメイジによるレビテーションを利用した運搬方法すら使用されている。
損害を減らすために彼らの前方にはトライアングル級の使い手が何名も立ち並び、擾乱攻撃として敵陣地から打ち出される砲弾の防御に当たっていた。
しかし、巨大なエネルギーと共に高速で飛来する砲弾を完全に防御することは出来ない。
銃弾ならばともかく、たとえトライアングル級の風の使い手であっても、高速で向かってくる砲弾が相手では僅かに逸らす程度のことしか出来ないのだ。
今もまたそんな防御をすり抜けた鉄球弾が砲を牽引する隊列に飛び込んで兵員に損害を与える。
続いて飛び込んだもう一発の砲弾は、砲車を直撃して巨大な砲を数人の兵士を巻き添えにして横転させ、作業のさらなる遅延――そして損害のさらなる拡大を招いた。

そんな彼らの遥か前方には、いくつもの稜堡によって“要塞”と化したトリスタニアの遠景が見えた。



「閣下、砲陣地の構築がほぼ完了致しました。これからは砲の搬入と砲弾の集積に全力を振り向けます」

あの探索攻撃から4日。
ゲルマニア軍総参謀長たるハルデンベルグは軍司令部として使われている巨大な天幕の中で、自らの上官であるゲルマニア軍総司令官エステルハージ公爵に半ば要塞と化したトリスタニアへの総攻撃の準備が完了しつつあることを報告した。
そのハルデンベルグの答えにエステルハージは同意の頷きを示す。
しかし、エステルハージは未だ満足しないかのように続けてハルデンベルグに尋ね返した。

「突撃壕の構築はどこまで進んだ?」

「現在敵陣手前600メイル前後まで構築が完了しているとの報告が各部隊から寄せられています――もう数日あればあと200メイルは伸びるでしょう」

陣前400メイル。
理想論を言えば敵銃兵の射程圏内ぎりぎりまで近寄りたいところだが、現状でも2万を超える兵員が突撃するには至近距離に等しい。
そして陣地構築を含め、既にこのトリスタニアに着陣してから5日も経過していることもあり、これ以上日数を費やすわけにもいかない。
報告の内容をそう素早く斟酌したエステルハージはさすがに今度こそ満足したように大きく頷いた。
そのままエステルハージはすっくと立ち上がり、天幕を出て彼が陥とすべき“要塞”の姿を見つめる。
「砲の配置と砲弾の集積が完了するのにどれほどかかるのだ?」

エステルハージの質問に傍らのハルデンベルグが即座に答える。

「そうですな、3日……いや、2日もあれば、かなりの量の弾薬が集積出来ると思われます。少なくとも事前砲撃に必要な分は揃います」

その答えを聞いてもエステルハージは相変わらずトリスタニアの遠景を眺め続けている。
しかし、その瞳には強い意志が込められていた。

「――では?」

彼に続いた傍らのハルデンベルグが司令官の意思を確認するように問いかける。
そんなハルデンベルグにエステルハージは頷き返し、力強い声で命令を発した。

「トリスタニアへの総攻撃開始は今日から3日後だ!」






昇ったばかりの赤い陽光に照らされて何十本もの炊煙の上るゲルマニア軍陣地が暗闇から浮き上がる。
陣地内には無数の男達が総攻撃前のこの時間を思い思いに過ごしていた。
周囲の仲間達と他愛もない談笑に耽る者。
じっと地面や赤く照らされた空を眺め、遥か故郷や恋人に思いを馳せる者。
あるいはただひたすらに惰眠を貪る者もいる。
果たしてこの中の何名が生きて帰れるのか――それは誰にも判らない。
そんな彼らの後方では朝も早くから巨大な砲に取りついた兵たちが忙しなく動き回っている。

「第8砲兵中隊、装填よし、射角よし。――全砲兵射撃準備完了しました!」

その部下の報告を聞いたゲルマニア軍特設砲兵連隊指揮官、オーフェルヴェーク子爵はうん、と頷きを返した。
砲兵が射撃をするにあたって必要な標定は、既に前日までの試射で整えられている。
そして、エステルハージから総攻撃の最初の一撃を始めることを一任されている彼は、さわやかさすら感じさせる声で命令を発した。

「宜しい、諸君! では始めよう。目標、敵防御陣地群――特設砲兵、撃ち方始めェ!」

その声と共に最も近くにいた砲が火を噴き、その射撃を確認した周囲の砲が続々と後に続いた。
これまで味方の突撃壕構築の支援として、細々とした擾乱攻撃をかけてきただけだった砲兵陣地が一斉に祭りの太鼓のような賑やかさで無数の砲弾を“要塞”陣地に向かって送り込む。

未だ眠りと生を謳歌する突撃壕の兵士達の上空を突如として一斉に砲弾が飛び交う音が響き、ついでほぼ同時に後方から大砲の発射音が乱打される太鼓のように鳴り響いた。
先の探索攻撃での砲兵の効果の低さに懲りたハルデンベルグとその参謀団達がこの攻勢のためにかき集めた砲は侵攻軍全体のおよそ半数――約50門。
その数の砲がこれからおよそ2時間かけて敵陣地に向かって砲弾を撃ち込むことになっている。
もちろん使用しているのは空中、あるいは地上で爆発するように作られた榴弾である――効果は高いが射程の短いその砲弾を使用する為に彼らは500名近い犠牲を払ってわざわざ敵の有効射程内に砲陣地を構築したのだ。

そして2時間後、砲撃が中止されるとともに――ゲルマニア軍2万7000を動員した第一次総攻撃が開始された。





その急造さを示すかのように粗雑に作られた兵舎がゲルマニア軍の砲撃に崩れ落ち、榴弾の生み出した爆発の高熱によって数軒の民家が燃え上がる。
目標を外れた砲弾によってトリスタニア市街がそうした打撃を受けつつある中、その外周に存在する防御陣地はそれ以上に激しい砲撃にさらされていた。

現在のトリスタニアには全周を囲う棘の様に先端の突き出した稜堡がいくつも並んでいる。
外周部に直接接するのは末広がりの三角形をした12個の第1陣地線の稜堡群。
その第1陣地線の稜堡同士が接した谷間に突き出すようにして同様な稜堡群で形成された第2陣地線、さらにその後ろに第3陣地線が作り上げられていた。
各陣地線の中核となる稜堡はいくつもの堡塁によって構成され、相互支援が可能なように連結されている。
その背後には同様に多重化された予備陣地兼用の堡塁が重ねられ、その内部には大砲や銃兵が収められていた。
無数の堡塁によって構成される7つの稜堡の外周には堀が穿たれ、その堀に連続する様に稜堡の外形を形作る分厚い土塁が残土を利用して築かれていた。
稜堡の壁部の上面から下面にかけては先端をとがらせた枝を突き刺した逆茂木が植えられ、堀の底部にも先端を鋭利に削った乱杭が打たれている。
このような防御陣地は今までハルケギニアに存在しなかった形態であった。

ハルケギニアでの一般的な防御施設の形態としては、これまで主に高さ10メイルを超える垂直にそそり立つ石の防壁が使われてきた。
最も一般的に思い浮かべられるのは今もトリスタニアに残る旧王城の城壁だろう。
こうした防御設備は一般に何の能力も持たない平民相手には絶大な防御力を発揮してきた――何の攻城設備もなく10メイルを超える垂直の石造りの壁をよじ登れるものなど滅多にいないのだから当然だ。
しかし相手にメイジがいた場合、その利点は少ないものとなる。
巨大な土ゴーレムや錬金で防壁を無力化することが可能な土メイジや、“飛行フライ”の魔法によって空中を自在に機動出来る他のメイジ相手には防壁はその阻止効果を十分に発揮することが出来ない。
――そして一枚壁の防壁はそうした少数のメイジの一撃によってその能力を失うのだ。

実際にアルビオン継承戦争でのシティ・オブ・サウスゴーダの戦例を見れば明らかなように巨大な防壁はその建造にかかる巨大なコストに対し防御効果の極めて少ないものとなっていた。
しかし、従来まではそれも問題にされてこなかった――貴族間戦争の場合、メイジにはメイジで対抗することが可能であり、防壁は平時有事を問わず超えられない壁として亜人や平民出身の兵相手には十分な阻止効果を発揮したからだ。
しかし、革命によって貴族に叛旗を翻した平民達にはそれこそが最大の不安だった――彼らには十分な数のメイジがいるとは決して言えないからだ。
特に高度な教育を受けたメイジを多数擁する貴族側に対し、平民出身メイジには基礎的な魔法しか使えないものも多かった為、その不安は一層深刻だった。

そうした問題の解決策として生み出されたのがこのトリスタニアを囲う様に作られた防御稜堡群だった。
その原型は皮肉なことに彼ら平民達の仇敵でもあった銃士隊が用いた王城前の防御陣地群であった。
銃兵を主力とした彼らは人間を擬似的な壁とする戦列ではなく、各防御陣地をいくつも並べた防御陣地線に籠ることによって圧倒的な数の優位を誇る平民達の攻撃を幾度となく食い止めることに成功したのだ。
工夫された陣地の配置は一度に突入出来る敵の数を局限し、念入りに構築された防御施設群は飛来する銃砲弾や魔法から味方を守る。
そんな防御施設に立て篭もった銃士隊は、逆に遮蔽物なく身を晒した平民達に次々と損害を与えた。

そうした経験に加え、同時にこの防御稜堡群にはかつてのトリスタニア平民街攻防戦の経験も生かされている。
複数の兵器を用いた立体的で対処の困難な攻撃。
数十~百メイルごとに設けられた多層的な防御設備の有効性。
そして、敵に対する多方向からの同時攻撃と身動きの出来ない敵への大火力集中攻撃。
平民達が自らの身で味わった、そうした経験から導き出された戦訓によって生み出された防御陣地は今のところその効果を発揮していた。
堡塁の中に造られたいくつもの掩体は都市近郊から切り出した太い丸太と無数の土嚢によって組み上げられ、その掩体同士をつなぐように銃兵用の壕が設けられている。
急増ではあるが、しっかりとした屋根が設けられた掩体の内部にはそれぞれ砲が備えられ、雨天であっても射撃に支障が出ないように作られている――火力による遠距離攻撃力こそが魔法という恐るべき力を持つ貴族に対抗するもっとも有効な手段なのだから当然だった。


そんな念入りに作られた施設の集合体である稜堡に向かって、ゲルマニア軍第一陣、1万を超える兵士達はゆっくりと、しかし着実に押し寄せる波の様に前進する。
東岸部中央部稜堡群を主目標として展開した彼らの幅はおよそ3リーグにも達する。
彼らに対抗するのは、何者もの前進を拒むようにその威圧的な姿を示す3つの稜堡に配置された約1万7000名の平民兵と東岸部に配置された合計250門を超える火砲。

無数の火力がトリスタニア外周防衛陣地から、迫りくるゲルマニア軍に向かって叩き込まれる。
勿論、前回の探索攻撃と同様にその身一つで駆け進む彼らには対抗する術などない。
彼らの頭上に無数の銃砲弾が降り注ぎ、あっという間に犠牲者の数を積み上げる。

「突撃! 進め、進めぇ!」

それでも士官たるゲルマニア貴族の怒号の様な号令と共に彼らは駆けた。
堀の前に作られた柵を飛び越えるようにして乗り越え、前回と同じく吸血鬼の犬歯の様に尖った杭の打たれた堀に向かって飛び込んでいく。
本来の予定では堀の突破に際して板や藁束などの仕寄道具を投げ込み、その上を進む予定であったがそれをここまで運び込むべき兵達がついてこられていないのだ。
渡船板のような板を抱えた者は砲弾の破片を受けて砕かれた板の木片を全身に突き刺して悶え苦しみ、藁束を抱えた兵の中には砲弾の熱で炎が燃え移り、そのまま松明のように焼死する者さえいる。
それでもやや遅れてたどり着いた兵達は堀の底に次々とそうした仕寄道具を投げ込み、後続の味方の為の道を切り開く。
後続の兵達は逆茂木に傷つきながらも彼らの切り開いたそんな突撃路を一斉に駆け上っていく。

「突けぇ!」

トリスタニアに立て篭もる下級防御指揮官が発したその号令とともに斜面に植え込まれた無数の逆茂木に傷つきながらもたどり着いたゲルマニア軍先鋒に対し、一斉に槍の穂先が突き出された。
無数の悲鳴が響き渡り、真紅の液体が稜堡の最縁部をどす黒く染め上げる。
不幸な兵達の体はそのまま力なく陣地外周に向かって崩れ落ちて壁面に植えられた無数の逆茂木に串刺しになるか、彼らに続こうとする勇敢な兵達の上に次々と落下した。

「突けぇ!」

再び同じ号令が響き渡る。
号令の度に幾度となく繰り返されるそうした悲劇の連鎖。

そうした光景に我慢ならなくなったのか、一人の士官が指揮官という自らの職責を放り出して魔法を放った。
傍目にも目立つ魔法を繰り出したその士官は即座に敵の砲火の的になり、周囲の兵達とともに無残な肉塊と化したが、直後に彼の魔法が作り出した敵陣の穴に数人の兵が取りついた。
最初に敵陣に乗り込んだ彼らは数十秒後には先行した戦友達の後を追ったが、彼らの命が稼ぎ出したその数瞬の間にさらに倍する兵が防御陣地内に乗り込んだ。

「あそこだ! 全隊突撃、続けぇ!」

それに気付いた士官達が次々と兵力をそこに集中する。
優秀な指揮官の指示で数十人の兵達が斜面を駆け昇るように這い上がり、ついにゲルマニア軍はトリスタニア外周防御陣地内へ最初の一歩を刻む。
そう、彼らは防御陣地内への突入を成功させたのだ。



――最初の防御陣地に取り付かれた。
その報告を聞いてマチルダ・オブ・サウスゴーダは急いで駆け付けた。
彼女が最前線付近に到着した時、第1陣地線第3稜堡と名付けられた防御施設の上では激戦が繰り広げられていた。
稜堡の外縁に開いた穴から200名を超えるゲルマニア兵が内部に侵入し、塹壕の中で配置された平民兵との戦いが行われていた。
塹壕という狭い空間の中で行われる戦闘は一騎打ちというよりも命をかけた殴り合いと言った趣が強い。
互いに長い武器を使うことが出来ず、手にした剣や鍬などを使って相手が倒れるまで打ちのめしあう。
そして、その狭さ故に一人相手を倒せば即座に次の敵との戦いが控えている。
傍目にはその光景がまるで勝ち抜き試合の様にすら見えた。

「――いいかい? あたしがあの穴を塞ぐから、あんたたちは陣地に侵入した敵を殲滅する。いいね?」

そんな光景を眺めながらマチルダは彼女とともに駆け付けた兵のリーダーらしき男に指示を下す。
傭兵出身らしいその男は逞しい髭面で頷きを返して素早く部隊に駆け戻っていく。
そんな男の姿を確認して、彼女は素早く呪文を唱えると、手にした杖を振り下した。
直後、ゲルマニア兵が突入した穴に立ち塞がる様に30メイルもの巨大なゴーレムが地中から姿を現し、ゲルマニア軍を混乱に陥れる。

「行くぞ! 続けぇ!」

その叫びと共に突如として出現した巨大なゴーレムに混乱するゲルマニア兵達に向かい、先程の髭面の男に率いられた平民達の逆襲部隊が一斉に襲いかかる。
その効果は絶大だった――ゴーレムに気取られたところに横合いから一気に攻撃をかけたのだから当然だ。
指揮官もおらず(突撃の最中で有るため彼らの指揮官は未だ稜堡の外周部に居た)、逆襲部隊と巨大なゴーレムに挟まれる様になった彼らは短時間で鏖殺の憂き目に会い、戦場となった第3稜堡の内部には無数の敵味方の死体が積み上げられた。

それにも関わらずゲルマニア軍の攻撃は止まらない。
直に新手の部隊が稜堡の壁面を駆けあがり、再びトリステイン平民軍に襲い掛かる。
そこには平民も貴族の区別もない。
ただお互いがひたすらに殴り、刺し、殺し合う。
平民達は剣を手に、貴族達は杖を手に。

――そして戦いとは剣や杖のみを用いて行われるものではない。



ゲルマニア軍による第一次総攻撃が行われている最中。
何発もの砲弾が降り注ぎ、海岸に押し寄せる波にも似た突撃を受け続ける“要塞”の中央部、かつて王城と呼ばれた小高い建造物の一部屋に一人の少女がいた。
今やトリステイン革命政府内務人民委員、コミン・テルン書記局第一書記、トリスタニア防衛最高責任者と言った無数の肩書を持つ18歳のこの少女は、砲声や吶喊の声が響き渡る中、革命前は重要人物の執務室であったのだろうその部屋の中でただひたすらに自らの下に寄せられた書類を記憶し、決済している。

たとえば合計して16万を超える兵員やトリスタニア市民の食料の確保。
勿論、その中に含まれる10万近い兵達には戦う為の装備を必要とする。
それら一切をトリステイン――革命政府の支配する領域からかき集め、行き渡らす責任者として彼女はゲルマニア軍の侵攻が開始されて以来、ほとんど眠らずにその準備に当たってきた。

革命により貴族制度という旧来までの統治機構が完全に消滅したこのトリステインが最初に直面したのは、失われた統治機構をいかに再建するかであった。
自らを「政府」と名乗る以上、革命政府は王領を初めとした各地の“解放”した諸侯領を含むその広大な領地とそこに暮らす平民達を自らの国家権力の下に守り、治めなければならない。
シエスタの故郷であるタルブ地方の様にコミン・テルンが主体的に蜂起して貴族支配から“解放”した地域はまだ良い――しかし、旧トリステイン王国で発生した各地の蜂起では革命の機運と不満の発露からなる「予期しない」平民達の蹶起がむしろ多数派を占めたのだ(中には匪賊まがいの集団すらあった)。
当然、そうした諸勢力を統合、あるいは討伐して新たな革命政府の機構下に組み込むことが必要とされる。
しかし、統治機構を全くの無から構築するのは非常に時間がかかる――その為にトリスタニアを抑える革命政府はその主導的な勢力であったコミン・テルンの地下組織を流用したのだ。

各地で貴族に対して叛旗を翻した平民諸勢力は後付ながらコミン・テルンの組織機構に編入され、スカロンの主導する人民会議を頂点とする一党体制が構築された。
必然的にトリステイン革命政府は一平民組織であるコミン・テルンの機構と同体化し、革命政府の閣僚の多くが旧『魅惑の妖精』亭の参加者で占められることになった――無論、そうした行動に不安を覚える者もいたが、差し迫った貴族との戦いという状況がその批判を押し切った。
そして、トリスタニアがゲルマニア軍の猛攻を受けている状況の中でもただひたすらに無数の書類に向かう彼女はそんなコミン・テルンの事務方を事実上一人で取り仕切る第一書記として、この戦争以前から革命政府が必要とする様々な物資や人員の手配という重責を担っていたのだ。

にわか作りとは言え、今のトリスタニアがゲルマニア軍6万を前にして、曲りなりにも防衛体制を構築できているのもそのほぼ全てが彼女の功績と言っても過言ではない。
トリステイン王政崩壊後に独立領と化していた旧ヴァリエール公爵領。
8万ものゲルマニア軍がそのヴァリエール公爵領内に侵入して以来、彼女は昼夜兼行で10万を超えるトリスタニア市民や周辺住民を動員し、未だ土盛りに過ぎなかった防御陣地を実質的な“要塞”へと作り変えていった。

300個を超える掩体に蟻の巣のように繋がった塹壕。
トリスタニアを囲う様に作られた稜堡を囲む総延長20リーグを超える壕の底には無数の杭を打ち、稜堡の外形を形作る土を固めた壁面にはびっしりと逆茂木を植え込んだ。
先の探索攻撃で敵を粉砕した無数の大口径の火砲は、革命時の艦隊叛乱で焼かれ、野ざらしにされていた廃艦に備えられていたものを急遽ラ・ローシェルから運び込んだものだ。
その数はトリスタニア全体で400門を超える。
それらを手配したのもまた彼女だった。

そして今も彼女は戦い続けている。
彼女が手にしているのは各防御陣地から寄せられる弾薬消費量や兵員の損耗、それに夜間こっそりとゲルマニア軍の目を盗んで様々なルートで搬入される各種物資などの報告。
中にはゲルマニア軍の侵攻に際して地方での抵抗活動の指示を求めるものもある。
弾薬の多くや食料の一部は革命前のアルビオン継承戦争用に発注・集積されたものであり、食料の多くは各地の貴族館に現物納税として転売目的に溜め込まれていたものを押収して運び込まれたもの。
推定3万もの兵の攻撃を受けているトリスタニア北東正面の陣地に常にそれらの物資・弾薬や増援・補充人員を配分し送り込む――それこそが彼女が半ば孤独な中で挑む今の戦いだった。

今のトリスタニアではあらゆるものが不足していた。
食料はもとより武器・弾薬。
兵器の数も満足できる量ではない。
400門を超える大砲があると言ってもトリスタニア防衛最高責任者の彼女からすれば最低限の必要数を満たせたに過ぎないのだ。
武器に至ってはその量は決定的に不足している。
彼ら平民達が自らの主戦武器であるべきと考えた『銃』はこのトリスタニア全体を寄せ集めても約8000挺程度。
10万を超える兵が立て篭もるこのトリスタニアでは、2人に一挺どころか10人に一挺にも満たない。
その他の兵達には剣や槍、あるいは弓と言った古典的な武器が与えられているだけだ。
その剣にしたところで数量の不足が目立ち、トリスタニア住民出身の志願兵達に至っては、ただ木を削って先を尖らせた槍のようなものを無いよりはマシとばかりに担いでいる始末だった。


それでも彼女は一人、戦い続ける。
今のトリスタニアには“英雄”はいない。
かつて彼女を貴族の汚れた手から守り、竜騎兵の咢から庇い、そして同じ平民達によって突きつけられた銃口から救うために駆けつけた少年はここにはいない。
彼はこのトリスタニアを守るために――先の会戦で大敗した平民軍主力がトリスタニア逃げ込む時間を稼ぐために、たった一人で7万ものゲルマニア軍に立ちはだかったのだ。

彼の意思を無駄にしてはいけない。
彼の命を無駄にしてはいけない。

そんな思いだけが彼女を突き動かし、常人ならいつ倒れてもおかしくない程の激務をこなし続ける彼女を支えている。
それは密かに思いを寄せていた少年に対する彼女の貞節の表明なのかもしれない。
彼女の心の中にあるのはたった一つ。

“――彼が作り上げた革命を守ること”

それこそが今の彼女の目的だった。

そんな彼女に第1陣地線の稜堡の一つが奪われたとの知らせが届いた。
トリスタニアの防御陣地の最も外周に位置する第1陣地線、その第3稜堡が陥落し、次いでゲルマニア軍はその隣の第4稜堡の過半を制圧しつつある。
ゲルマニア軍の一部はそのまま後方に位置する第2陣地線の第2稜堡へ取りつき始めていると言う。
不利な戦況の報告を受けながらも彼女の脳裏にはその目的が消えることは無い。

このトリスタニアさえ維持されれば革命政府は守られる。
かつて共に駆けた平賀才人が彼女達と共に作り上げた革命、その象徴がこのトリスタニアなのだ。

このトリスタニアを守る為ならば、何だってしてみせる――そのためには何をしても許される。


かつて、このトリステインの支配者とされた少女が使っていた執務机に向かいながら、彼女は密かに、しかし固い決意と共に旧貴族街跡地に待機していた平民兵5000を第2陣地線に対して送り込む命令を下した。
彼らに与えられた任務は稜堡内部を埋め尽くすかのようにして敵の侵攻を抑えること――そのためには損害を顧みるべからず。
その命令を下しながら、同時に彼女は占拠された第1陣地線を回復する為にさらなる戦力を求めて机の上の書類をかき回した。
しかし、そこに記されていたのは不足する物資や武器の配給を要求するものばかり。
そんな状況下でふと彼女はあらゆるものが不足したこのトリスタニアで唯一不足しないものを見出した。
10万を超える兵員。
強大な敵に対して武装も兵の質も不足している中で、それだけが今のトリスタニアで決して不足しないものだった。

「――人命以外、何も失えない」

西日に照らされたその部屋の中で彼女はひっそりと呟いた。
戦いは既に半日を超え、太陽は徐々に西に向かって沈もうとしている。
夜になれば敵はその攻撃を停止せざるを得ない――暗闇の中では統制のとれた行動が不可能になるからだ。
そして、敵が攻撃を停止するということは戦闘に最も必要な勢いを喪うことでもある。
そうなれば平民軍側が第2陣地線を確保している限り、一旦奪われた第1陣地線を回復することは容易だ。
即ち、平民軍側は日が暮れるまで敵に防御陣地線を突破され、その背後にある平民街に侵入されなければトリスタニアを失ったことにはならない。
日が暮れるまで。
そう、夜の帳が全てを闇に包みこむまで時を稼げれば今日の防衛戦には勝利したことになるのだ。

そして彼女は日が暮れるまでの時間を何としても確保することを決意した――無数の死をその代償として。
抽象的な表現が許されるならば、それから起こった光景は水時計にも似ている。
今やトリスタニアに立て篭もる平民兵達は自らの血液を零れ落ちる水時計の水滴として、ただひたすらに日が暮れるまでの時間を待ち続けることになったのだ。






数えきれない程の犠牲を生み出した第一次総攻撃の後、各連隊長を集めた軍議が総司令部天幕で催された。
20人を超える連隊長と総司令官たるエステルハージの前で、ハルデンベルグ参謀長が集計された報告を淡々と読み上げる。

「兵員の損害は戦死約3800、負傷約8100の計12000名近くに達します。砲の損害は23門、そのほとんどが敵の対砲迫攻撃によって攻撃支援の為に前線近くの砲陣地に配置したものであります。この結果、我が軍は保有火力の約2割を喪失したことになりますが、幸いこの点に関しては3日後までに後方から増援として40門の砲が受け取れる為に重大な問題とはなっておりません。むしろこれから不安なのは砲弾の不足であります。昨日の総攻撃で砲兵は全保有弾薬の8割を消費しました。現状では再度の砲弾集積なくば攻撃を再開出来ません」

その事実に誰もが押し黙る。
予想はしていたが、改めてはっきりと集計されたその数字を聞けば、誰もが何等かの思いを抱かざるを得なかったのだ。
誰もが沈痛な表情を浮かべ、天幕の中にどんよりと重い空気が広がる。

「しかし、敵にもかなりの打撃を与えたことは確かです」

暗く沈みこんだ雰囲気を破ろうとハルデンベルグがあえて明るい声を発し、続けた。

「敵の損害見積もりは少なくとも死傷10000名と予想されております。敵第一陣地線で鹵獲した砲を見分したところ敵もこちらと同様、いやそれ以上に弾薬の消耗が激しい様ですので今回と同様の大規模波状攻撃を続ければ必ずや――」

「それまでに一体何名もの損害を必要とするのだ!」

ハルデンベルグのそうした物言いに出席していた一人の侯爵が噛みついた。
彼の指揮下にある2個連隊のうち、その一つは先の総攻撃で死傷1600名の損害を出し、事実上壊滅の憂き目を見たのだ。

「既に5000を超える兵たちを壕の埋め草にしておいて何が大規模波状攻撃だ! ならばハルデンベルグ、貴様が連隊を率いて最初に突撃をかけてみたらどうなのだ!」

暴言に近いその答えにハルデンベルグはその典雅な顔を真っ赤にして黙りこんだ。
周囲にいる伯爵や子爵といった連隊を率いる諸侯達の多くも直接に言うことは憚っていたが、誰もが無言のまま侯爵の意見と同様だと言わんばかりの態度を示している。

無理もない。
既に突撃を実施して甚大な損害を受けた部隊はもとより、次回の総攻撃に動員されることが明らかな予備の連隊長達も好き好んであの中に飛び込みたいと思う者は誰もいない――確実な勝利の為であればいかな犠牲も厭わないが、根拠のないそんな無謀な突撃で兵達を無駄死にさせることなど出来はしないのだ。

諸将の集合体に近い軍編成だからこそ、そうした物言いも許される。
そんな軍を率いる総司令官には諸将間のわだかまりを解き、バランスを取って運用する能力が求められる。
エステルハージ自身、彼の所領で編成された6000名もの兵を率いる身であるのだ。
そして、総司令官たる彼の直卒で有る為に全く手つかずで後置されているそれらの兵に対し、目の前で憤りを隠せない程に興奮した諸侯達の兵はその身一つであの“要塞”に生身で突撃し、大損害を出していた。
彼らから見れば、現状は総司令部が安穏としている中で、自らのみが一方的に傷つくだけの光景に見えても不思議はない。


「主攻撃方面の変更を進言いたします」

下手をすれば侵攻軍瓦解のきっかけにもなりかけない殺伐とした空気の支配する中、それまでじっと黙っていた一人の子爵が口を開いた。
その言葉に内心どこかほっとしながらエステルハージが応ずる。

「言ってみたまえ」

エステルハージとしては、この一触即発な空気を換えてくれるものであれば何でも良かったのかも知れない。
その言葉に声を発した子爵はゆっくりと立ち上がり、彼の提案について説明した。

「敵の防備の手薄な西岸部に攻撃を集中するべきであると小官は愚考致します。防御陣地が未完成で手薄な西岸部ならば、突破もより容易に可能であると自分は判断するものであります」

軍人らしく、極めて簡潔で胆摘な言葉。
その提案の内容にエステルハージは腕を組んで考え込んだ。

確かに以前から西岸部の防備が薄いのは判っていた。
防御陣地が薄ければ確かに突破はしやすい――失敗に終わったとは言え、先の総攻撃ではゲルマニア軍の一部は三重になった敵陣地群のうち一番外側の稜堡を落とし、一部は二番目の稜堡を陥落寸前までに押し込んだのだから、本来二重の防御陣地しかない西岸部であれば市街地に突入出来ていたかもしれない。
しかし、当然ながらその西岸部を主攻撃方面に選ばなかったことにも理由がある。

攻略目標であるトリスタニアは中央を流れる川に沿って東西に分断された街並みを持っている。
旧王城と今や廃墟と化している貴族街を要する東岸部。
そして主に平民街の広がる西岸部。
その街並みを分断するその川は都市を南東から北西に貫き、トリスタニアの北で西に折れ曲がるようにして流れ、遥か西の大洋に注ぐ。
その為、トリスタニア西岸部は北から侵攻した彼らゲルマニア軍からすれば川の対岸部に存在していることになり――その西岸部を攻撃する為には一度川を渡らねばならない。
当然、川を渡るには様々な障害が存在する。
人の隊列は橋の幅以上の広がりを持てなくなるし、現在よりもさらに南に展開する必要が生じる為、兵站の負担も増す。
おまけに都市が交通の結節点に発達することは当然であり、その東岸と西岸を結ぶ最も至近な橋は言うまでもなく、今や要塞と化したあのトリスタニアの内部に存在しているのだ。
仮にトリスタニア以外で最も至近な橋を使用した場合、その展開に必要な迂回経路の長さは最短8リーグ。
敵にゲルマニア軍の最前線物資集積所となっているチェルノボークとの連絡を絶たれることを避ける為にある程度の部隊を現在の位置に後置しておく必要を考慮すると、西岸部の攻撃に気が乗らなかったことは常識的作戦家であるエステルハージやハルデンベルグにとっては当然とも言えた。

しかし、今は違う。
東岸部に突き出した堡塁群への正面攻撃は失敗に終わり、その損害も甚大なものとなっている。
最終戦術目標である旧王城を落す為には東岸部の制圧が必須であるが、現状では戦死5000、戦傷12000もの損害を出しながらその外郭防衛陣地すら突破出来ていない――つまり、現状では旧王城奪取は絵に描いた餅に過ぎないのだ。
まずは防御陣地群を突破せねば話にもならない。
そして西岸部の手薄な堡塁群と平民街を制圧することが出来れば彼らは残る東岸部の柔らかい横腹を直撃することが可能になる。
あるいは平民達が最後の頼りとした防御陣地を喪えば、士気が低下して降伏開城、ということもあり得ない話ではない。

エステルハージは総司令官として重大な選択を迫られていた。
今一度東岸部の堡塁群に攻撃をかけ、正面からあの“要塞”に挑むべきか。
それとも子爵の提案したように西岸部からの迂回攻撃によって“要塞”の柔らかい下腹を突くべきなのか。

「――東岸部には騎兵を中心とした8個連隊を残し、他の部隊は数日中に到着する砲と共に西岸部に展開させろ」

数分間の沈黙の後、瞑目したままエステルハージはついに決断を下した。
その決断にハルデンベルグが慌てた様に口を挟む。

「しかし閣下、それではこれまでの損害は――」

「だからこそだ」

エステルハージは拒絶を許さないかの様な声で答えた。
その声には苦渋の色が多分に含まれている。
彼もまたこの方針転換が今までに死んだ兵達への裏切りに他ならないことを理解している。
しかし、このままトリスタニアを陥せないことは彼らの死を犬死とすることでもある。
そんなことはさせない。
そんなことは出来ない。
エステルハージは彼らの死を無駄にしない為にも、この方針転換は絶対に必要なのだと自らにひっそりと言い聞かせた。
そして、滅多に発しない何かを堪える様な強い口調で周囲の全員に向かって告げる。

「主攻方面をトリスタニア西岸部へと移す。今度こそあの“要塞”を落すのだ!」







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革の外伝をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。

文章から偏った匂いしかしないと言われたので、ついカッとなってやった。反省はしている(´・ω・`)
嘘です、ごめんなさい。
調子に乗ってあえて逆に真っ赤なテイストを強化してみました(笑)。
一部それっぽいところは半ばブラックなユーモアのつもりなのでネタをネタと(ry

では、もはやゼロ魔でもなんでもなく、ただ私の趣味の発露と化したこの外伝っぽい何かですが、次回も宜しくお付き合い頂きますようお願い申し上げます。



追記。
10/12/07加筆修正。



[3967] 外伝っぽい何か 要塞都市【中編(下)】
Name: さとー◆7ccb0eea ID:ba5b7ce0
Date: 2010/12/07 20:39


初夏を迎えたトリスタニアは巨大な嵐に見舞われていた。
黒々とした雲の中で無数の雷が鳴り響き、大粒の雨が叩き付けるように降り注ぐ。
大地にはとめどなく水が流れ、決して止まない風の音が叫ぶように響き渡る。

しかし、それはハルケギニアの自然が生み出したものではない。
それらは人為的に作り出された嵐であった。

無数に鳴り響くのは雷にも似た大砲の砲声。
その閃光が無数の硝煙によって形作られた黒雲の中に光る。
鉛で出来た雨粒は地面に垂直ではなく水平に降り注ぎ、トリスタニアの大地に流れる水の色はどす黒いほどに赤く、粘ついている。
そしてそれらを覆い尽く暴風のように吹き荒び続ける無数の興奮や恐怖、苦悶――そして断末魔の叫び声。


第二次総攻撃が行われているトリスタニア西岸は今まさに激戦地となっていた。
ゲルマニアに向かう様に優先的に工事の進められた東岸部とは異なり、脅威度の低いと目されていた西岸部の防備は薄い。
それは東岸部が全て三重の複郭式稜堡によって構築されているのに対して西岸部はせいぜい二重の稜堡が構築されているに過ぎないことを見ればわかる。
主攻正面とみられていた東岸部の陣地構築が優先された結果、堀は浅く、据えられた砲の数も少ない。
陣地前方に作られた障害物に至っては語るまでもない。
と言っても、トリスタニアに立て篭もる平民達もまたこの現状を甘んじてみているわけではなかった。
ゲルマニア軍主力の西岸部への転進を確認して以来、彼らは有り余る人的資源を動員して出来る限りの陣地の強化を行い、砲を運び込んでいる。
防御陣地自体の狭さという収容量の限界はあるものの、彼らは彼らなりの努力を積み重ねていたと言えるだろう。



「全体ィ――前へッ!」

その言葉を受けて、号令を示す喇叭が鳴り響く。
歩調を取るために一定のペースで太鼓が打ち鳴らされる中、そんな防御陣地へ向かってゲルマニア兵達はゆっくりと前進を続けている。。
その数は攻撃に参加している部隊合計で約3万2000。
先の東岸部での第一次総攻撃に投入された兵力が2万8000であるから、ゲルマニア軍にとって不退転の決意を示した事実上の全力投入に他ならない。
それは最高指揮官たるエステルハージ公爵の態度にも現れている――3万を超える戦力が展開すれば、その展開幅は5リーグにも達する。
事実、今回の総攻撃に際してはトリスタニア西岸部全域で攻撃をかけているのだ。
それだけの戦力を(陣地攻撃という)局所的な一度の戦闘に投入するということは、敵味方を見渡して指揮を執るというこの当時の軍事原則から言えば限界に近い。
そんな最高司令官の意気を知ってか知らずか、各級指揮官の命令に従って兵達は横隊前進を続ける。

たちどころにこれまでの総攻撃と同様に、無数の損害が積みあげられていく。
いや、敵陣地に対する突撃開始線まで行進する、というこの段階ではむしろ前回の総攻撃よりも損害が大きい。
ゲルマニア軍は主攻方面の変更といった利点を生かすために、突撃壕を掘ることなく攻撃に移ったのだ。

密集した隊列が降り注ぐ砲弾によって吹き飛ばされ、投げつけられる銃弾に薙ぎ倒される。
これまでのハルケギニアの常識とは異なって、各歩兵横列は可能な限りの早足で進んでいるが、銃砲弾の嵐に生身を曝していることには変わりがない。
飛来する銃弾や砲弾の破片は相手を区別することなどない。
士官である貴族だろうと兵である平民であろうと構わず襲い掛かり、メイジ・非メイジの区別なく、そして重装甲槍兵と軽歩兵すら認識することすら無いまま平等に砕き、貫き、打ち倒した。

しかし、敵稜堡の防御火力は先日、総攻撃をかけた東岸の7割程でしかない。
防御の為の稜堡の厚みが薄いということは、防御の為の砲火を放つ堡塁や銃兵用の壕の数が少ないということでもあるのだ。
おまけに前回の総攻撃にも劣らない規模で集中された事前砲撃によって、造りの甘かったいくつかの防御構造物が崩壊してもいた。
それでも、未だこれまでのハルケギニアでは考えられない程の防御効果を発揮していることは間違いない。
ゲルマニア兵達はそんな熾烈な砲火の中、数百名もの損害を出しながら駆け続ける。

その光景をゲルマニア軍トリステイン侵攻軍総司令官、エステルハージ公爵は4リーグ離れた総司令部天幕の傍で眺めていた。
エステルハージが手にした望遠鏡のレンズには今まさに死地に飛び込む兵達の姿――そして文字通り壕の埋め草となった無数の兵達の遺体が映っている。
それら生み出しているのはやはり途絶えることなく閃光を発し続ける敵防御陣地群からの防御砲火であり、彼らが落とすべき、“要塞”だった。



「やはり損害が多いな――」

エステルハージの言葉に傍らに立つ参謀長、ハルデンベルグ侯爵が答える。

「はい閣下。前回の総攻撃で突入した先鋒部隊からは、敵の防御陣地群はきわめて巧妙なものだとの報告も入っています。中央後方の敵防御陣地を突破するためには、その左右前方の防御陣地を無力化しなければなりません。そして、その間も敵の防御砲火が降り注ぎ続けるという訳です」

先端が尖ったように突き出された防御陣地は、必然的に突入する敵兵をその懐奥深くに誘うかのように構築されている。
さらにその防御陣地は稜堡の間に次の防衛線の稜堡が突き出す構造のため、第三防御線の稜堡を確実に奪取するためには第一防御線の3つの稜堡を占領なり、あるいは制圧なりしなければならない。
当然、その間も防御砲火は絶えることなく降り注ぎ続ける。
一方で、進めば進むほど左右から迫る稜堡の外郭によって戦闘可能面積は低くなり、敵の防御砲火の密度と命中率が増し、一度に大量の兵で押しかけた攻撃側は防御用の堀や逆茂木、そして土堤に阻まれて勢いを失う。
突撃の勢いのままに密集した彼らは左右、そして前方上部から撃ちかけられる十字砲火に身動きを封じられ、ただひたすらに損害を積み重ねるのだ。

「厄介だな」

エステルハージはぽつりと呟く様に感想を漏らした。
ハルデンベルグもまたそんな呟きに「はい、閣下」と応じた後で自信に満ちた明るい声で続けた。

「しかし、やれますな。敵の防御砲火は相変わらず熾烈なものの、東岸部程のものではありません。防御陣地そのものの狭さも相まって、敵がこの方面に投入できる火力と戦力は限定されたものと言えます」

その答えにエステルハージもまた頷いた。
確かに最初の損害は大きいものの、敵の火力は前回の総攻撃程ではない。
このまま行けば確実に防御陣地を突き破り、日が残るうちに後方の平民街に突入することが出来る。
――そんなエステルハージの予想を肯定するかのように伝令が駆け込み、報告した。

「報告します、モンベリアル伯爵旗下のルートヴィヒ連隊が外周部の敵防御陣地内への突入に成功しました。現在、部隊は防御陣地内の敵と交戦中であります」

その報告を受けてハルデンベルグが即座に進言する。

「突破口が開けましたな、ただちに増援を送りましょう!」

そうすれば現在戦闘中の部隊の一部が敵の後方防御陣地に取り付けます、と口にしようとした時、敵防御陣地内に30メイル近い巨大なゴーレムが現れ、ようやく出来かかった橋頭堡を文字通り踏みつぶした。

「ああっ……!」

そう悲痛な声を上げたのは将校伝令として駆け込んできた若い貴族だった。
攻略拠点となるべき橋頭堡を潰されてはどうしようもない。
後続の増援の無いルートヴィヒ連隊の兵達は、たちまち雲霞の如く湧き出る敵の兵に押されて殲滅されていく。
当然のことながら、トリスタニアに立て篭もる平民達がそう簡単に諦める筈もなかったのだ。
街中から防御陣地へとつながる道には粗末な武器しか手にしていないとは言え、無数の兵達が次々と吐き出され、続々と戦闘に投入されていく。
トリスタニア西岸部外郭防衛陣地で繰り広げられる戦いは、まさに力比べの様相を呈しはじめていた。
侵攻側のゲルマニア軍には貴族士官のもたらす高い指揮能力と武器の優位性があり、一方で防御側のトリステイン革命軍には郷土防衛戦に伴う高い士気と無尽蔵にも思える数の優位があった。


「敵の増援を防がねばならん」

その光景を眺めていたエステルハージは呟いた。
続けて彼は地上兵力以外に投入可能な戦力について口を開いた。

「オーフェルヴェーク(特設砲兵連隊指揮官)に敵第2防御陣地周辺への砲撃を再開するよう伝えてくれ」

「しかし、それでは味方を巻き込みかねません!」

ハルデンベルグの反論が響く。
砲身も短く、腔線も施されていないこの時代の砲では精密な砲撃は困難であった――よほど至近距離のものを直射弾道で狙うものでもない限り、まず直撃が期待できない。
それが曲射弾道であるものならば尚更、数を投入して公算射撃を行うしかないのだ。
無論、確率論に依存する公算射撃ではよほど敵味方の距離が開いていなければ敵陣だけでなく、味方に砲弾が降り注ぐことを覚悟せねばならない。

「多少の犠牲は覚悟の上だ。今敵の増援を防がねば戦っておる者達は全滅する――そうなっては何の犠牲か!」

エステルハージのその言葉にそれでもなおハルデンベルグは食い下がった。

「砲兵は既に弾薬をあらかた撃ち尽くしております。現在の砲弾は一門あたり10発に満たない状況です」

「ならば竜騎兵だ、砲兵には攻勢に参加していない部隊の砲弾をかき集めて回せ!」

エステルハージは簡潔に、そして言い訳の余地を全く与えない口調でそう答えた。
彼にはこの攻撃で竜騎兵部隊が大損害を負うことが判っていた。
しかし、竜騎兵をたとえ温存したところでこのトリスタニアを陥落させられなければ何の意味もない。

そう考えるエステルハージの目に自らの領地で編成した部隊の姿が映った。
自身の部隊温存との批判を受けない為に、彼の手持ちの連隊の一つは甥っ子の指揮を受けて、最も危険の高い戦場に投入されていた。
彼らは無数の砲弾や銃弾の嵐の中でその任務を達成していた――その引き換えとして連隊の兵の多くが命を差し出すことを必要としたが。
しかし、それだけの犠牲を出しながらも陣地突破の成算は未だ確実とは言い難い。
敵はまるで無尽蔵のようにあふれ出てくるのに対し、味方は敵の弾の嵐の中を抜けてゆかねばならないのだ。
ならば、こちらもまた敵に火力を叩き付けてその増援を防がねばならない。

「ヴァルデック侯爵の部隊再編は完了したのか?」

そう判断したエステルハージは敵防衛線に複数の突破口を開くべく、新たに投入可能な戦力について尋ねた。
ただちに参謀長たるハルデンベルグが再編中だった部隊についての詳細を述べ上げる。

「は、先程再編を完了したとの報告が入りました。二個連隊強――およそ4200名の投入が可能です」

「すぐに投入しろ、予備に指定したヴィッテンベルク、ブラウンシュヴァイクの両連隊も出す」

エステルハージはそう端的に、非情な色を込めて言った。
そんなエステルハージの言葉にハルデンベルグが気圧されたようにおずおずと口を挟んだ。

「しかし、そうしますと手持ちの予備兵力が不足することになりますが……」

ハルデンベルグのその答えにエステルハージはしばらく黙考した。
東岸部に展開した部隊は引き抜くことは出来ない。
彼が東岸部に残した兵の主力は要塞攻略に不向きな騎兵が主であったし、これ以上東岸部の兵を減らすことは兵力数で優位に立つ敵が万が一押し寄せた時に防ぎきれない可能性がある。
東岸部に置いた部隊が撃破されれば彼の率いるトリステイン侵攻軍主力は川を挟んで孤立することになるのだ。
そうなればもはやトリスタニア攻略どころではない。
このトリスタニア攻略戦が始まって以来、出戦する傾向を全く見せていない平民達だが戦意不足ということは決して無いはずだ。
それは目の前で怒涛の如く攻撃部隊に押し寄せる敵の姿を見れば明らかだった。

「……チェルノボーク守備部隊からどれほど引き抜ける?」

沈黙から一転してエステルハージが口にしたのはこのトリスタニア攻囲軍の最前線物資集積所となっていたチェルノボークの守備部隊のことだった。

「はっ、およそ3000名程度かと。迅速に行動すれば夜半までには到着するかと思われます」

その言葉にハルデンベルグはエステルハージの意思を確かめるように、本当に宜しいのですか?と付け加えて尋ねた。
そんな参謀長の言葉に司令官であるエステルハージは頷きを返す。
今日中に西岸部の主要稜堡を落とすために、手持ちの主力をすりつぶしても構わない――今や彼らにはその方法しか残されていないのだ。

とにかく手持ちの戦力を投入し続け、その勢いだけで敵の増援を戦闘正面の狭い平民街に押し込む。
敵を平民街に押し込んでさえしまえば、戦闘正面が限定されることにより敵の最大の利点である数の暴力が失われ、個々の戦闘能力に勝るゲルマニア軍が優位に立つことが出来る。
そして、明日以降にかき集めた予備部隊を使用して東岸部への突破を図る。
未だ戦闘に参加せずに体力を余している部隊ならば、迅速に行動が可能な筈だった。
尤も、これまでのハルケギニアの軍事常識から言えば、それ以前に敵が主防御線喪失と士気低下によって降伏することすら期待出来る筈である――が、それでも次の攻撃の準備は行っておかねばならない。

エステルハージ自身はチェルノボークから呼び寄せた無傷のその部隊を、明日以降に発生するかもしれない市街突破戦に投入するつもりだった。

「――命令、チェルノボーク守備部隊指揮官は最低限必要な守備戦力を残し、可及的速やかにトリスタニア西岸部へ展開せよ。展開完了後、同部隊は総司令部予備に指定する」

そうはっきりと命令を下したエステルハージは睨み付けるかのような形相で、激戦の繰り広げられるトリスタニアを見つめ直した――そんな彼の眼に映ったのは、無数の火薬の燃焼が生み出した黒煙に包まれた“要塞”の姿。
まるで悪魔の城のようにその“要塞”は敵味方を問わず、今もまた無数の人命を生贄に求め続けていた。





激戦の繰り広げられる戦場からやや離れたトリスタニア東岸部。
遠雷のように砲声が響き渡るその場所は、ある意味でハルケギニアの常識を超越した場所だった。

元装飾職人の男が炉を使って鉛を溶かす傍らで、10歳前後と思しき子供たちが粘土を捏ね上げて銃弾の型を作る。
子供たちが作り上げた型に溶けた鉛を注ぎ込んでいるのは20~40代の女性達。
街のあちこちに急増された小さな炉の燃料は、驚くべきことに砲撃で崩れ落ちた家の廃材だった。
もともと備蓄されていた木炭はそのほぼ全量が火薬の製造用に回された為、彼らは砲撃で崩れ落ちた廃材を使って無数の銃弾を製造していたのだ。
その奥では同じく急造の溶鉱炉で鉄の砲弾を製造すべく、原料となる鉄鉱石やコークスが次々と放り込まれていた。
こちらも同様に、多くの女性や子供達が職人達の指示を受けながら一斉に巨大なふいごを踏み、コークスや鉱石を運び込んでいる。

「コークスが足りねぇぞ! 鉱石もだ! 昼までにあと最低100発、いや150発は納入してみせてやらなにゃあ、戦っとる連中に申し訳がたたねぇぞ! じゃんじゃん持って来い!」

溶鉱炉を中心とした作業場を駆けまわるようして作業を見つめる親方が怒鳴る。
かつてのように自ら槌を振うのではなく、不慣れな作業を行う女子供に指示を下すのが親方の今の仕事だった。
出来上がるのは彼の目から見て納得などいく筈もない粗悪な急造品ばかり。
彼としては不本意なのだが、一発でも多くの砲弾を初めとした武器が必要な状況とあっては文句を言う余裕などない――いかに高品質な武器を作り出したとしても、このトリスタニアが陥落しては何の意味もないからだ。

一本の名剣よりも10本の粗悪な剣。
10本のトライデントよりも100本のパイクが求められるのだ。

それは材料にも当てはまり、包囲前に運び込まれていた各種原材料が後先なく、そして惜しげもないままに注ぎ込まれる。
そして、質はともかく作業に従事する人間の数が膨大なだけあって、昼夜兼行で行われるその生産量は通常の数倍に達し、それらの武器は次々と集まる平民軍の兵士達の手に渡っていく。

そこから少し離れた場所では“空飛ぶヘビくん”用に薄い板金で作った鉄の筒の中に、燃焼速度を遅めに調合した火薬を装填する作業が同じく若い女性達の手で行われていた。
これまではコルベールを初めとしたメイジや熟練した職人の手によって材料調達から発射機への装填まで細々と行われてきた作業だが、今や戦場と化し、一発でも多くの“空飛ぶヘビくん”が必要とされる状況ではそんな贅沢は言っていられない。
働ける非戦闘員の平民達が弾頭・推進剤の装填、部品の製造と組み立てに動員され、メイジ達は誘導装置である探索魔法ディティクト・マジック発信機の生産に専念することになったのだ。
結果として不発率が上昇することは避けられないが、その決断を下したトリスタニア防衛最高責任者であるシエスタはそれを上回る生産量を実現することによって補うつもりだった。

まるで巨大な露天兵器工場と化した旧貴族街跡地からは、続々と西岸部への増援部隊が送り出されていた。
革命の騒乱で焼け焦げ、崩れ落ちた旧貴族街はあちこちに屋敷の面影を残す廃墟と瓦礫の散乱した広々とした広場に代わっている。
そんな広場に無数の兵達が作り出す足音が響き渡り、砂塵が舞う。
肩に槍を抱え、腰に剣を差した彼らの姿は押し寄せるゲルマニア軍の攻撃を受け続けるトリスタニアの中では言葉で表現できない程の頼もしさを醸し出している。
予備兵力として後置されていた彼らは、今まさに激戦地となっているトリスタニア西岸部の防衛へ赴こうとしているのだ。

死地に向かう彼らを鼓舞するかのように吹き渡るのは既におなじみになった『ラ・ローシェルス』。

“我らに向かって暴君の血塗られし軍旗は掲げられたり”

“すべての者が汝らと戦う兵士――もし我らが倒れれば、再び土が生み出さん!”

誰もに現在が危機の最中であることを思い起こさせる旋律と歌詞が響き渡る。

それに続いて吹奏されるのは革命軍軍歌『我らが剣』。
『ラ・ローシェルス』の心に深く何かを刻み込む長調の響きとは異なり、誰もの心を高揚させる短調で勇壮な曲だった。

“戦乱の6242年、トリスタニアに現れ――あらゆる敵に常に勝利し、貴族の圧政者を打ち破った”

“決して屈さぬ伝説の我らの剣は――幾多の戦いで勝利の喜びを得た”

『我らが剣』――革命の最中の黒髪の少年剣士の姿を謳った歌詞と響きが士気を急速に高める。
革命の象徴となった少年、そんな英雄に続けとばかりに進む彼らに向かってトリスタニア住民達から大きな歓声が沸きあがる。
誰もが彼らこそが敵を押し留め、粉砕してくれることを願い、祈り、信じていた。



しかし、彼らが向かおうとしているトリスタニア西岸部は今まさに大混乱の極致にあった。
街路には防衛の為に東岸部から西岸部の前線へ赴こうとして先発した増援部隊と、西岸部から東岸部へと避難する人の群れが入り交じり、あちこちで大渋滞を招いている。
そもそも本来、こういった事は想定されていなかった――トリスタニアを取り囲む外郭防衛陣地こそが絶対防衛戦であり、彼らはそこで最後の一兵まで戦うつもりだったのだ。
その利点は前回の総攻撃時に遺憾なく発揮され、トリステイン平民軍は充分に(といっても陣地自体は未完成だったが)構築された縦深のある稜堡群によって、3万近いゲルマニア軍の突撃を防ぎ切った。

ところが今は当初想定されていなかった状況に陥っていた――彼らは最後まで戦うべきとされたその場所にたどり着くことが出来ないのだ。
文字通り空から降ってきた災厄のごとく、増援部隊阻止のための砲撃がトリスタニア平民街に降り注ぎ、竜騎兵が街中の動くもの全てに襲い掛かる。
あまりの数故に統一された軍装を持たない(そして防具の不足故に、着の身着のままに槍状の木の棒を担いだものさえいる)増援部隊に対して、ゲルマニア兵には戦闘員と非戦闘員を見分ける区別がつかない。
結果として非戦闘員たるトリスタニア住民を無数の悲劇が襲い――悲劇の連鎖が東岸部に向かって逃げ延びようとする平民達の巨大な流れを生み出し、さらに巨大な悲劇を生み出した。

本来ならばこうした混乱を事前に回避する為に事前の調整や避難を実施するべきであったのだろうが、誰もが目の前のことに追われる中でそうした必要性について誰も気づかなかった――いや、たとえ気付いていたとしても半ば包囲されたこの都市の中にそれだけの人間を安全に受け入れられる場所もない。

「竜騎兵だ! 逃げろぉ!」

誰かがそう大声で叫ぶ。
その声に誰もが上空を見上げる中、身動きの取れない平民達に急降下した竜騎兵が襲い掛かった。

無論、平民側もただ逃げ惑うだけではない。
即座に何発もの“空飛ぶヘビくん”が迫りくる竜騎兵に向けて撃ち出される。
同時発射された10発近い“空飛ぶヘビくん”の前に、7騎の竜騎兵が攻撃前に撃墜されるか回避機動を余儀なくされる。
しかし、残りの竜騎兵はそのまま平民街の上空に侵入して火炎ブレスや魔法攻撃を開始する。

降下時の独特の風切り音と共に吐き出された火竜の火炎ブレスがたった一撃で数十人の平民達を兵や住民の区別なく吹き飛ばし、燃やし尽くし――そして逃げ惑う平民達の間にその数倍の圧死者を生み出した。
言うまでもなくこれまで竜騎兵を阻み続けてきた“空飛ぶヘビくん”は効果を発揮しつつあるものの、偵察の様な単騎襲来ならばともかく、損害を顧みず一度に100騎近い大量の竜騎兵が投入された状況では、即座に制圧しきることは出来ない。

降下襲撃を終えた竜騎兵達は一斉に竜の頭を上空に向けて上昇・離脱していく。
そんな竜騎兵達を追う様に、再び何発もの“空飛ぶヘビくん”が発射される。
後にその攻撃対象とされた竜騎兵達から恐怖を込めて“ガラガラヘビ”と呼ばれた“空飛ぶヘビくん”はその名に相応しく、のた打ち回るような噴射煙を曳きながら中空に向かって昇って行く。

そんな“空飛ぶヘビくん”の一発が命中し、トリスタニア上空に轟音を響かせた。
爆発によって千切れ飛んだ火竜と人間との混成物が無数に平民街の屋根に降り注ぎ、地上からその光景を目にした平民達の歓声が響く……が落下物の真下にいる者達にとってはたまったものではない。
落下した巨大な竜の死体が粗末な民家を押しつぶし、高空から降り注ぐ大きな砕片は人一人を殺すのに十分な威力を持っている。

一つの混乱がさらなる大混乱を招き、そしてその混乱を解決する過程でさらに大きな混乱が発生する。
そして、一度発生した混乱はそう簡単に収まることはない――ましてや他の場所でも同様に上空からの襲撃が行われているのだ。
結果、西岸部の防御陣地に向かう増援部隊の行動は遅滞を余儀なくされていた。
まさにゲルマニア軍竜騎兵は自らの身を削ることによって、地上軍主力が外郭防御陣地線を突破するための時間を生み出しているのだ。
そして彼らの死がもたらす事実は――トリスタニアは今や身を覆う堅固な鎧を失いつつあるということだった。



「まったく、何度も何度もキリがないったらありゃしないよ!」

マチルダ・オブ・サウスゴーダは荒い息を吐きながらそう毒づいた。

ゲルマニア軍主力の西岸部転進を受けて、東岸部防備指揮官から西岸部防備指揮官に転じた彼女は、無数の兵士達が互いに死力を尽くしあう中、今や最終防衛線にして最前線となった第2防衛線のとある稜堡の一角で敵の突撃を阻止したばかりだった。
今の彼女が守る第2防衛線に対する敵の突撃は既に4度目を数え、それ以前の外周部、第1防衛線で放った大規模魔法の数は今日だけで10を超える。
おまけにその薄い防御線にゲルマニア軍は、前回の東岸部総攻撃を上回る戦力を絶え間なくぶつけてきているのだ。
さすがの彼女も戦闘指揮と何度もの大規模魔法の行使によって、肉体的・精神的に限界に近い。

「そうね、だけどアタシたちはこんなところで負けられないわ!」

そう、彼女の背後から声が聞こえた。
思わず振り向いた先に見えたのは、頑丈そうな長剣を抱えた逞しい男達の姿だった。
張りつめた筋肉を包むぴっちりとしたレザースーツ。
胸には、かなり重い筈の胸甲が素肌に張り付くように鈍く輝いている。
その奇妙でガチムチな姿をした男達の先頭に立っていたのは、名目上とは言え、今やこのトリステインの象徴であるコミン・テルン議長のスカロンだった。

「ミ・マドモアゼル!“魅惑の妖精”隊、全員そろいましたぁ。落伍者はありませんっ!」

スカロンと同じく、半ば素肌の上に胸甲を付けた髭面の逞しい男が甲高い裏返った声で報告する。
報告する内容とは異なって、口調はどこか女性っぽい。

マチルダにとって普段ならあまり直視したくない集団だが、戦力の補充がほとんど途絶えている現状ではこの300人程の部隊が何よりも頼もしく見える。
今や混乱の最中で、手に殆ど武器を持たない伝令でさえ到達することが困難な西岸部へ急遽移動してきたその部隊。
“魅せる”ために鍛え抜かれ、培われた彼らの筋肉は、日々体を鍛えている軍人でさえ5分と走り続けるのが困難な重量を持つ装備を抱えたまま混乱の極致に達した表通りを避け、裏道を幾度も迂回しながらここまで駆け付けてきたのだ。
その事実だけで今、彼女の目の前にいる部隊の精強さは明らかだ。
ましてや彼らは重く、動きの遅い胸甲を付けた重装歩兵に分類される部隊であるならばなおさらである。

「トレビアン」

そんなスカロン率いる部隊のやりとりに、マチルダはこれまで心に重く圧し掛かってきた現実からいったん引き離されていた。
しかし、同時に彼女はその一瞬のやりとりのうちに普段の冷静な心を取り戻してもいた。

……あるいはそれがスカロンの目論見だったのかもしれない。
今、素肌の上に密着する様なレザースーツを着込み、その上に胸甲を付けているという異様な恰好で傍らに佇む男は、人生の半ばを費やしてコミン・テルンという秘密革命組織を率いてきた男なのだから。

スカロンの意図に気付いたマチルダは、やられたね、と言わんばかりの笑みを浮かべざるを得ない。
そのまま一息に大きく息を吸い込むと、誰もに聞こえる様な大きな声で告げた。

「――行くよ!」

その言葉と同時に彼女はもう何度目になるか判らないほどになった杖を振るう。
この戦闘の間、彼女は指揮官と言うよりも専ら人間火力砲台として敵の橋頭堡を潰すことに専念していた。
無論、防衛戦闘だから出来ることで、通常の攻勢戦闘ならば指揮に忙殺されてそうはいかない。
彼女に付き従う兵達もまたその損害が酷く、彼女の周囲を警戒すべき人員すら陣地から敵を駆逐する部隊に引き抜かれているため、彼女の周囲には数えるほどの護衛しかいない。
その護衛すら半ば傷を負い、彼女の魔法攻撃と連動して行われる反攻に参加させられないと判断された者達がついている始末だった。
それは総兵力で勝るトリスタニア平民軍が一転して局所的な兵力不足に陥っている証拠に他ならない。

誰も想定したことの無かった避難民という存在。
その奔流に巻き込まれて身動きの出来ない増援部隊に、味方撃ちを恐れない敵の阻止砲撃と竜騎兵による阻止攻撃が襲いかかっている。
それらの結果として生まれた大混乱の中で局所的とは言え、ゲルマニア軍は一時的な戦力の優位を実現したのだ。
彼らゲルマニア軍とて増援を受け取るためには、今もなお降り注ぐ鉄の雨の中を掻い潜って進まねばならないが、勢いに勝る彼らの怒涛の様な攻撃を凌ぐことは決して易しい事ではない。

彼女の精神力によって防御陣地に空いた穴の付近に巨大なゴーレムが姿を現す。
攻防戦の続くトリスタニアでは既に見慣れた光景だが、間近で見るゲルマニア兵達にとっては恐怖以外の何物でもない。
常人では対抗する術の無い巨大なゴーレムが、ゲルマニア軍の確保していた防衛線の穴を踏みつぶすようにして塞ぐ。
その光景を確認したスカロンが振り上げた手を下し、甲高い裏声で叫ぶ。

「いくわよ、妖精さんたち!」

そして、その命令に従って、孤立した敵部隊に女装…もとい重装歩兵たちが高所から転がり落ちる岩のような勢いで突撃を開始した。

「おんどりゃぁあああああ!」

誰もが(生理的にも)身を竦めずにはいられないであろう、その吶喊の声がトリスタニア西岸部に響き渡った直後、隊列を組んで構えようとしたゲルマニア軍歩兵横列にスカロン率いる重装歩兵達が接触した。
衝突の瞬間、鈍く、重い金属の衝突音と何かがへし折れる音が響き、同時にゲルマニア軍最前列の兵が文字通り撥ね飛ばされて宙を舞う。
巨大な衝撃にゲルマニア軍の隊列が凹まされるように歪み、乱れる。
そして、生じた亀裂に後続の重装歩兵達が凄まじい勢いのまま、次々と突入していく。

一度穴をあけられた隊列は弱い。
隊列の乱れたゲルマニア軍に向かって、当初よりもだいぶ目減りした他の逆襲部隊が敵を稜堡の下へ押し戻そうと武器を抱えて突撃を開始する。
彼らは動揺する敵の中へと飛び込んだ。

乱戦。
しかし、敵は増援を受け取れないまま混乱しているのに対して、味方はその勢いに勝る。
このまま彼女が防衛線の穴を塞ぎ続けることが出来れば、確実に侵入した敵を駆逐できるだろう――そう思った瞬間、背後に敵砲兵の放った砲弾が落下した。
爆風が彼女を薙ぎ倒すと同時に脇腹に熱い鉄が差し込まれたような痛みを感じさせる。

「マチルダさん!」

悲痛な叫びが上がり、彼女の異変に気付いた周囲の味方が慌てて彼女の救援に駆けつける。
しかし彼女の口から洩れるのは苦痛の呻きだけ。
さらに悪いことに、防衛線の穴を塞いでいた彼女のゴーレムが崩れ、逆襲部隊を上回る数の敵兵が続々と押し寄せ始めた。
スカロンの率いる部隊の戦闘力はさすがに凄まじいが、倒す敵を上回るペースで増援を送られてはさすがにどうしようもない。
突撃の勢いが失われ、徐々に後方に押し返され始める。
こうなっては誰も敵を押し留めることは出来ない。

トリスタニア西岸部の最終防衛戦たる第2防御線の稜堡が蹂躙される。
彼らの前にはもはや剥き出しとなったトリスタニア西岸部の平民街が広がっていた。











―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革の外伝をお読み頂いてありがとうございます。
麦のんSSのために女性心理描写を学ぶべく『とらどら!』を読むことに日々を費やしている作者のさとーです。

この外伝は本来、本編の44話くらい~相当の部分だったものを編集した上で短編としたものです。後編は全く書いてなかったので遅くなりますが、ある意味革命後の第二部と言い換えてもいいかもしれません。
ちなみにこれはタバサと対比になる予定のシエスタ編と言った感じでした。(第一部の才人:ルイズという主人公格に対して第二部ではタバサ:シエスタがメインの予定でした)
でも、もうゼロ魔でも魔法でもないので却下したものです(笑)


追記。
10/12/07加筆修正。






[3967] 外伝っぽい何か 要塞都市【後編】
Name: さとー◆7ccb0eea ID:410163f5
Date: 2010/12/10 21:12
「目標、対岸敵砲陣地群! 躍進距離100メイル!――突撃! 前へーッ!」

指揮官の号令とともに、隊列を組んだ兵士達が橋の上を駆ける。
何の遮蔽物もない橋の上を、ただ対岸に向かって駆け抜ける彼らの眼前には無数の銃口に砲口。
そして、敵陣から響き渡る号令とともに、それらが一斉に火を噴いた。

大気を震えさせるような轟音。
同時に無数の銃弾と、かき集められた砲から放たれる鉄球弾、榴弾に葡萄弾といったありとあらゆるものが投げつけられ、もう何度目になるか判らない突撃が粉砕される。
銃弾や葡萄弾は兵士達の肉と骨を砕き、鉄球弾は文字通り人間を押し潰す。
外れた銃弾が石造りの橋面によって跳弾となり、思いもよらぬ方向から兵士達の体を食い破った。
榴弾の爆発によって突撃した兵士達が橋上から数メイル下の川面に吹き飛ばされ、中には火達磨となって自ら川に飛び込む者さえいる。
幸運にも生のあった者達は、制止する指揮官の叱咤号令にも関わらず、武器を捨てて後方へと雪崩を打つように駆け戻った。


「どうしてあの程度の攻撃で崩れるのだ!」

あまりにも早く失敗した突撃にゲルマニア軍総司令官、エステルハージ公爵は怒りを顕にした。
その割には損害が少ない。
飛び来る銃砲火を前にして、誰もが橋の中央程度の場所で立ち止まり、続いて崩れる様に後方に逃げ帰ってくる。

「士気の低さについて報告が寄せられていましたが、まさかこれほどとは……」

そう答えたのは傍らで同じ光景を眺めていたゲルマニア軍参謀長、ハルデンベルグ侯爵だった。

彼らの視線の先に広がるのは、トリスタニア中央を貫流し、市街を東西に隔てる川だった。
しかし、川と言ってもその幅はせいぜい100メイル程度、場所によっては70メイル程度のものでしかない。
そのたった70メイルの距離が突破出来ないのだ。

第二次総攻撃でゲルマニア軍はほぼ全力を投入し、比較的防備の薄い西岸部の防衛線を突破することに成功した。
東岸部に行った第一次総攻撃と同様、先日行われた第二次総攻撃もその損害は大きく、ゲルマニア軍の損害は戦死2800、戦傷7200に達する。
前回の総攻撃を超えた3万名を超える戦力を投入したにも関わらず、それだけの損害を出したのだ。

しかし、前回の総攻撃と異なる点は、その損害に見合う戦果を挙げた点だった。
ゲルマニア軍は第二次総攻撃によって、西岸部に5つ突き出した稜堡群のうち、北側寄りの3つの稜堡を陥落させていた。
その結果、トリステイン平民側は西岸部に広がる平民街を守るための手段を失い、ゲルマニア軍は剥き出しとなったトリスタニア平民街に侵攻することが可能になった。

その瞬間、誰もがこれで戦争が終わると思った。
トリスタニアで抵抗を続ける平民達が自らの住まいを失いたくなければ、残された手段は武器を置くことしかないのだから。
そして、同時に防御線という“戦う為の場所”を喪えば、いかに戦意に溢れた平民達だろうとも降伏の他無いだろうと思われていたのだ。

しかし、西岸部防衛線陥落後もトリスタニアの平民達は武器を捨てることを拒絶した。
東岸部に立て篭もった平民達はトリスタニア東岸部の川岸にありったけの火砲を掻き集め、据え付けていた。
西岸部の平民達は攻勢にこそでてこないものの、残った稜堡とその近辺に逃げ込み、今も立て篭もり続けている。

その東岸部には、まるで川岸に沿って砲列を敷くかのように無数の砲が備え付けられ、その数は戦闘が行われている今も続々とその数を増やしつつあった。
皮肉なことに、急造で有る筈のその防御陣地の直接的な侵入阻止力自体は、これまでの防御陣地群――稜堡よりも高い。
さすが旧王都と言うべきだろうか。
逆茂木や乱杭こそないものの、天然の堀である広い川と旧王国時代に構築された石造りの護岸は旧来の平均的な城塞都市に備えられていた防壁に比類する。
装備を抱えたまま、平均して高さ3~4メイル程にもなる垂直の石壁をよじ登り、敵陣に乗り込むということは徴集された農民兵には求めることも難しい。

本来、こうした任務には功名を求める傭兵の方が向いていると言えるが、ゲルマニア軍――いや、今のハルケギニアには傭兵というものが極端に不足していた。
3年も続いたアルビオン内戦にトリステインのアルビオン侵攻。
レコン・キスタ、王党派、トリステイン王軍のすべてを合わせると、延べ8万以上もの傭兵がハルケギニア全土からかき集められ、西の大洋を浮遊する島に投入されていたのだ。
そして、激戦に真っ先に投入されやすい傾向を持つ傭兵である彼らの多くは、既にアルビオンの荒野に骸を晒していた。


「進めぇ! 突撃! 突撃だッ!」

士気を失って後退した部隊に代わって、新たな部隊がトリスタニアを隔てる川にかけられた橋の上を駆ける。

前回の総攻撃でエステルハージは手持ちのほぼすべての部隊を投入していた。
西岸部防御陣地の突破後に行われた市街地突破の先鋒こそ、チェルノボークから急遽呼び寄せた部隊を投入することが出来たものの、残りの兵は既に一度、あの熾烈な砲火防御砲火を受けた部隊が投入されていた。

ゲルマニア軍の損害率は既に4割近くにも及び、各部隊の中には半壊した部隊を寄せ集めて臨時に編成された集成部隊も多い。
当然、あちこちの部隊を寄せ集めて作られた集成部隊では指揮統制にも大きな問題を抱えたままであった。
それはもともと別々の部隊に配備されていた部隊を寄せ集めてでっちあげた部隊を、どの指揮官の指揮下に置くべきか(他の貴族領出身の兵は真っ先に使い潰される可能性が高い)という軍制上の問題だけでなく、急遽編成された集成部隊のため、下級指揮官や下士官が極めて少ないと言った点や、各部隊ごとに配備された装備の違いから統一行動に不具合を生じるという点まで様々だった。
しかし、そんなゲルマニア兵達に一致している点は「誰もが命を惜しみ始めた」という点だった。

そもそも彼らは元来農村から掻き集められてきた徴集兵にすぎないのだ。
あの二度の総攻撃に参加し、幸運にも生き残った彼らは、もはや勝利が“決定づけられている”西岸部防御線突破後の制圧戦で命を失うことを極端に恐れるのも無理はない。
そして、眼前に広がる砲口が、相変わらず無数の火力を吐き出し続けている状況ならばなおさらでもある。

それでも彼らは同時に精強さには定評のあるゲルマニア軍である。
突撃をかけた中隊――橋の幅という制約があるため、一度の突撃に投入できる戦力単位はこれが限界だった――は無数の鉛玉に傷つきながらも対岸にたどり着こうとする。
そんな彼らの姿は、並みの軍ならば士気が低下しているとは思わないであろう。

突撃をかけた中隊の先鋒が対岸に達しようとした時――
次の瞬間、轟音と共に橋上を駆ける兵士もろとも石造りの橋が爆砕された。

「――敵が橋を爆破しました!」

「そんなことは見れば判る! ……ハルデンベルグ君、野戦架橋の準備は出来ておるかね?」

その報告を受けたエステルハージは傍らに侍らっていたハルデンベルグに尋ねる。

「はい、既に各部隊からライン以上の土メイジを引き抜き、集結させております。ご命令あり次第、随時投入が可能です」

そのハルデンベルグの答えにエステルハージは忌々しそうに爆破された橋の姿を眺めた後、ぶっきらぼうに命令を告げた。

「ただちに始めさせたまえ」






「走れ走れ走れ!」

トリスタニア中央部を隔てる川の上に、ゲルマニア軍の土メイジ達によって架けられた橋の上を兵士達が駆ける。
そんな橋の上でテオドール・デ・ラ・ポーアはゲルマニア軍の突撃渡河部隊として指定されたブラウナウ独立槍兵大隊旗下の集成第1中隊長として戦っていた。
年の頃は19歳、そばかすの浮いた顔をした彼はゲルマニア国境に近いトリステインのポーア男爵家の一人息子として育てられた、実直で意志の通った青年だった。

「とにかく対岸に向かって走るんだ! でないと――」

そうテオドールは自らも駆けながら、魔法で急造された橋の下を示した。
そこには、これまでの突撃で川に転落した友軍の残骸とも言える姿があった。

護岸工事がなされているだけあって、川の深さはかなりある。
少なくとも重い(兵向けであったとしてもそれなりの重量になる)鎧を身に着けた兵が浮いていられる状況ではなかった。
それが負傷しているのならなおさらでもある。

そして、何より彼が恐れているのは橋の崩落だった。
先程爆破された石造りの橋とは異なって、今彼が身を運命に託して駆けている橋はメイジが魔法によって架けたものである。
当然、その材料は周辺にあった礫の混じった川砂。
それをメイジの精神力のみによって加工し、固めているこの橋は数発の砲弾直撃であえなく崩壊しかねない。
元々魔法の射程としては限界に近い70メイル以上の距離に無理矢理橋を架けているのだ。

その恐怖を具現化するかのように、彼の視界の端に隣で同様の突撃を行っていた集成第2中隊の駆ける橋が直撃弾を受けて無残に崩れ落ちる光景が見えた。
言うまでもなく、橋の上を駆ける集成第2中隊を構成する兵士達は、突如として足元がただの砂に変わったことによって、橋の残骸とともに川面の中に消えていく。
あれでは鎧を外すどころか、一緒に崩落した土砂に飲み込まれて川底に一直線だろう。
そう思わざるを得ない光景を視界の隅に目撃した彼は、再び彼の指揮下の兵士達を叱咤しながら橋の上を駆けた。

(……ここで死んだら父上に申し訳が立たない!)

鎧を付けて重い体を、自らの体力の限界まで引き摺るようにして駆ける中、テオドールはそう心の隅でそう思った。

彼の父は、トリステイン中央での政争に敗れ、若くして半ば隠居のような状態に追いやられていた。
そんな父は、貧しい彼の領民達を豊かにすることだけに唯一の慰みを得ようとしていた。
莫大な金銭を必要とする貴族らしい対面を飾る季節ごとの贈答品を送るのを止め、自らの家産を剥ぐ様にして彼は自らの領地に住む平民達の生活に心を配り続け、自らもまた使用人と共に山に分け入り、田畑を耕すことで日々の糧や薪などを集めて日々を暮らしていた。
そうした爪に火を灯す生活を過ごす彼の父には、贈答品が送られてこないことを不満に思った上位貴族達からの有形無形の嫌がらせもあったが、彼ら家族はそんな小さな幸福に満足していた。

しかし、あのアルビオン侵攻が全てを変えた。
その貧しさ故に、諸侯軍を編成することの出来ないポーア男爵家には重い戦争税と軍役免除金が課せられ、それまで彼の父が長年かけて築いてきたものを無に帰させた。
そして、止めとばかりに発生したこの革命。
戦争による重税によって、領民との信頼関係が破綻していた彼の父に押し寄せる濁流の様な勢いで広がる平民思想を押し留めることは出来ず――領民の生活向上に心を砕き続けた彼の父は革命の騒乱によって、自らの命以外のそれまでに積み上げてきた全てを失ったのだ。

そんな彼の息子であるテオドールは、革命後に両親と共に遠い親族の伝手を頼りにゲルマニアへと逃げ出すことの出来た幸運な者達の一人だった――革命の混乱の最中で着の身着のまま逃げ出した貴族達の中には傭兵崩れの匪賊や反貴族主義に凝り固まった過激派平民達の手によって襲われ、その命を失った者も少なくはなかったのだから。
彼自身その逃避行の最中で幾度か匪賊や野獣の襲撃を受け、危険な目にも会っている。
しかし、幸運にも恵まれて彼は無事にそれらの苦難から逃れられたのだ――まるでこれまでの不幸を取り戻させるかのように。

その幸運は今も続いている。
ゲルマニアに亡命――と表現して良いのか判らないが――した彼は、遠縁の叔父であるゲルマニア貴族、フォン・ユンツト男爵率いるこのブラウナウ独立槍兵大隊旗下の小隊長となることが出来たのだった。

そして、あの失敗に終わった第一次トリスタニア総攻撃。
同輩貴族達が次々と熾烈な砲火の餌食となっていく中で、彼はかすり傷一つ負うことなく生き残った。
そんな彼は今や下級士官不足となったゲルマニア軍で臨時に編成された、ブラウナウ独立槍兵大隊集成第1中隊長となっている。
おまけにそれを命ずる命令書には軍参謀長であるハルデンベルグ侯爵の署名入りだ――これは彼が正式にゲルマニア軍人となったことを意味する。

実際には軍の再編に忙殺されるハルデンベルグが乱発した下級士官人事の一つなのだが、無謬であることが必要な上位貴族であるハルデンベルグは、今後彼をゲルマニア軍人とした事実を政治的に擁護しなければならない。
そして、その事実は未だ亡命者扱いを受けている他のトリステイン貴族達よりもゲルマニア内では公式序列として上に立つことを意味するのだ。
この戦争が勝利に終わった後、トリステインがゲルマニアの傀儡国家となることが明らかである以上、ゲルマニア軍人としてのキャリアは得になることはあっても、損になることはない。


そんなテオドールに率いられた集成中隊は、大きな損害を受けながらも対岸に辛うじてたどり着いた。
他の兵科からの支援は無い。
砲兵は弾着観測が不可能な為――同時に先日の第二次総攻撃で砲弾をほぼすべて射耗していた為――支援が不可能となっている。
同様に第二次総攻撃で阻止攻撃、あるいは突破口を開くために投入された竜騎兵もまたあの“空飛ぶ火矢”の餌食となり、太陽が中天に昇った今は全くその姿を見ない。
砲兵や竜騎兵の火力支援がないのならメイジの魔法による支援があってもよさそうなものだが、実際にはそうした支援は殆どなかった。

ゲルマニア軍もまたハルケギニアの軍の例に漏れず、メイジの殆どは貴族であり、指揮官である。
故に、魔法行使だけに集中するという贅沢は許されず、同時に指揮官で有るが故に部隊指揮に忙殺されるのだ(強襲渡河の為に引き抜かれた指揮官が土メイジだった部隊は半ば行動不能であり、集成部隊への戦力補充に使われていた)。
テオドール自身、120名を超える中隊――今は100名程に減ってしまったが――の指揮に振り回されている。
そもそも、この戦争が始まって以来魔法を使うことが出来たのは僅か数度でしかない。
下級指揮官である彼ですら、そんな状況に置かれているのだから、より上級の指揮官が魔法を敵に向かって放つという贅沢をしている暇などないというのが事実であった。

「兵を集めて隊列を組ませろ、横隊だ!」

自らも橋を渡りきったテオドールは、彼の傍らから決して離れることなくついてくる中隊先任下士官に指示を飛ばす。
中隊先任下士官と言っても、平時は叔父の屋敷の警備をしているだけの男である。
しかし、そんな男でも自分の身を張ることで飯を食うことの重要性は知っていた。

「総員集まれ! 横列隊形をとれ! 何しとる、急がんかぁ!」

割れ鐘の様な先任下士官の怒鳴り声が響き渡り、兵達が降り注ぐ砲火に身を屈めるようにしながら、彼の前方で横列隊形を形成し始める。
徐々に形を成していく歩兵横列。
しかし、テオドールがその横列の向こうにふと目をやった時、彼の背筋が凍るような冷たさに震えた。


「伏せろ!」

本能的に思わずテオドールは叫んだ。
しかし、彼自身は伏せようとはしない。
本来、貴族たるものは砲弾や魔法の降り注ぐ中でも直立不動たるべきと言われていたし、士官である彼にはそれなりの見栄もある。
そんな決意を胸に抱いた彼は、次の瞬間に両腕を掴まれるようにして地面に引き倒された。

「あぐっ!」

その鈍痛に思わずうめき声を漏らしたテオドールは思わず怒鳴った。

「何をす――」

――るんだ、と言い切られるまでに人間の知覚を超えた音が、彼と周囲のすべてのものを襲った。
こちらに向けられた大砲が火を噴いたのだ。
人間の骨の髄まで揺さぶるような衝撃が大気を伝って彼の体を襲い、高速で飛び出した無数の散弾が周囲の全てを抉り取る。
さらに、一瞬遅れて正体について考えたくもない生暖かい液体が降り注いだ。

しかし、本当に恐れていた身を抉るような激痛は無い。
彼の体に感じられるのは地面に引きずるように倒されたときに受けた鈍い痛みと轟音に痛む鼓膜、そして衣服や肌のあちこちに染みつき、汚している粘ついた液体の感覚だけだった。
何物をも揺さぶらざるを得ない程の衝撃に、テオドールの時間の感覚が薄れる。
実際には数秒、しかし内心ではどれだけたったのかわからないまま、テオドールはゆっくりと恐る恐る顔を上げた。

「指揮官殿を見殺しにしたとあっては、お屋敷に帰った後で女房子供に顔向けできませんからな! 貴族様も色々と事情があるんでしょうが、とりあえず見栄なんてものはさっさと捨てることです! でなきゃ――ああなります」

立ち上がろうとするテオドールの頭を無理やりに押さえつけていた先任下士官が、もう一週間近く風呂に入っていない汚れた顔にニヤリとした笑顔を浮かべて怒鳴り返しながら、前方を顎で示した。
怒鳴ると言っても怒りを顕にしている訳ではない――怒鳴らなければ衝撃で半ばマヒした鼓膜が声として認識してくれないのだ。
その言葉にテオドールはあわてて頷き返し、改めて大砲を放ってきた敵の状況を確認した。

彼の視界の先にあったのは周囲に飛び散った肉塊、そして今も体の一部を喪って転げまわる平民達の姿だった。
その中央にはぶすぶすと煙を噴きあげる土くれと化した残骸が転がっている。

ドットとは言え、土のメイジである彼には目の前の惨状の原因が一目でわかった。
前方で煙を噴き上げる土くれは“錬金”で生成された大砲だったのだ。

一見奇妙にに思われるかもしれないが、ハルケギニアの大砲の多くは魔法によって生産されたものではない。
高度な冶金技術を誇る彼らゲルマニア軍の大砲でさえ、平民の職人達の手によって一つ一つ丹念に手作りされたものがほとんどだ。
その原因は術者のイメージによって金属に転換する“魔法”では、高品質で均質な金属を作り出すことが困難であるということに起因している――すなわち、土メイジと言っても思い描く大砲の砲身の素材は同じ鉄と言っても様々なのだ。

例えば単に固く、頑丈な素材というイメージ。
あるいはずっしりと重く、黒光りした素材というイメージ。

術者の「鉄」に対するイメージ、それが“錬金”の魔法で形成される以上、全く同じ材質であることは有り得ず、同時にそんな「鉄」で作り上げられた砲身は、火薬の燃焼が生み出す人間の想像を超える高圧力に抗しきれない。
装填される火薬が比較的少量な銃ならばともかく、少なくともリーブル単位で火薬を装填する大砲では、砲身破裂の危険性は極めて高いものとなる。
結果として、魔法で巨大な鉄の筒を作り出すことは出来るが、その性能は術者ごとにバラバラであり、どれだけの圧力に耐えられるか(これは砲弾重量や射程、弾道特性など、大砲の基本性能に極めて重要な影響を及ぼす)も個々の術者や生産日の体調・気分といった精神力次第で千差万別なものとなってしまうのだ。
無論、“硬化”や“固定化”と言った魔法も併用されてはいるものの、鉄の焼き入れや鍛鉄と言った実際に「こうすればより高品質なものとなる」という職人にしかわからない(そして、どうしてそうなるかもわからない)経験の結果として生み出される強度は、たとえ便利な魔法の代名詞である“硬化”や“固定化”の魔法を併用しても再現することは難しい。
そうした点において、魔法というなまじ物理法則を超越した“術”はハルケギニアにおける冶金技術の進歩を妨げていたとすら言える。
そんな“魔法”で作られた大砲――ましてや不足した兵器を補うために急造されたのであろう――が火薬の圧力に耐え切れず暴発したのは当然とすら言える光景だった。


「新手の敵部隊! 前方から突っ込んできます!」

生き残っている兵の一人が声を挙げた。
そんなことを茫然と考えていたテオドールは、その声に自分自身を取り戻した。

「隊列を組みなおせ! 突撃防御! 槍衾を組むんだ!」

敵の増援が続々とやってくるが、味方であるゲルマニア軍もまたようやく確保されたこの橋頭堡に、次々と戦力を送り込みはじめていた。
このまましばらく持ちこたえることが出来れば、橋頭堡を確かなものとし、未だ川岸で味方に砲火を放っている敵砲陣地を制圧することも可能になる。
味方の渡河を邪魔するこれらの砲火が無ければ、味方は更に容易に後続の戦力を送り込める。

問題はぶつかるたびに兵達に溜まる疲労の問題だった。
敵は無尽蔵とも思える増援を繰り出してくる。
それにこちらの兵達が耐え切れなくなるまでに味方の増援があれば、この橋頭堡を守りきることが出来る。

「伝令! 叔父上に伝えてくれ――“大隊主力の増援あらば橋頭堡の維持は勿論、敵砲兵陣地の制圧も可能ならん”」

そう命令を下そうとしたテオドールの頭上から、多数の“空飛ぶヘビくん”の燃焼音が響いた。

「なんだ!?」

テオドールは思わず頭上を見上げ、首を回して周囲を見渡した。
一斉に発射された“鉄の火矢”の数は30発以上。
しかし、ゲルマニア軍の保有する竜騎兵の多くは先の第二次総攻撃で壊滅状態に追いやられている。
今更これほどの数の“鉄の火矢”が発射されるなんて――平民達の目的はなんだ?

しかし、彼はすぐにその“鉄の火矢”の異常に気付いた。
竜騎兵を追っているときは、まるで攻撃態勢に入った肉食の蛇の動きにも似た左右へのジグザグとした燃焼煙を曳いている筈の“鉄の火矢”は、まるで当てずっぽうに放たれたかのように真っ直ぐに飛んでいる。
そして直に燃料を燃やし尽くして、そのまま徐々に推力を失って落下を始める。

――これではまるで無駄に兵器を消費したようなものじゃないか。
ついにトリスタニアの平民達は自棄にでもなったのだろうか。
標的となる空に敵がいないのに、空に向かって武器を放っても仕方ない。
標的がいないのだから、放たれた“鉄の火矢”はそのまま燃料を燃やし尽くすまで飛行して、いつかは落下する。
それでお仕舞だ。

(……落下して?)

そう思った時、ずっとその“鉄の火矢”を眺めていたテオドールは、そのまま首を廻らせて落下先を見定めた。
彼の視線が行き着いた先はトリスタニア西岸部川岸。
そこには彼の集成中隊に続いて渡河準備を整えていた後続部隊の姿があった。


弾頭部に誘導装置を備えていない何発もの“空飛ぶヘビくん”は、トリスタニア西岸部に展開したゲルマニア軍隊列の頭上に次々と落下した。
導火線式の簡易な時限式点火装置によって、渡河準備を整えて密集していたゲルマニア軍1個大隊の頭上や隊列の中で次々と紅蓮の炎が煌めき、集結していた兵士達や河岸で魔法架橋作業を行っていた土メイジ達を吹き飛ばす。

後にトリステイン平民軍兵士達の間から“シエスタの髪飾り”と呼ばれた多連装無誘導ロケット弾の初の実戦使用はこうして行われた。
当初、メイジや熟練職人によって行われていた探索魔法ディティクト・マジック付きの誘導装置の生産に対して、平民達の手によって行われる“空飛ぶヘビくん”本体の生産が過剰であった為に、苦境に陥った平民達がせめて一矢報いんと誘導装置の代わりとして、より大量の炸薬と導火線式の簡易信管を取り付けただけの代物であった。
要するに、急遽でっち上げられた急造簡易兵器に過ぎないのだが、その簡易さに比べて発揮する威力は強大だった。
構造上、精密な誘導には向いていない――事実、初回のこの攻撃でも何発もの外れ弾がトリスタニア西岸部の既に無人となっていた民家に落着し、大きな破壊を引き起こしている――が、瞬間的な火力投射能力はスクウェア級の火メイジにも匹敵、もしくは勝る程だ。
“空飛ぶヘビくん”と同様の筒型発射機に収められた単装式のものは、後に歩兵部隊の火力支援兵器として最終的に分隊単位で配備されることになり、使い捨て方式とはいえ、平民だけで編成された歩兵分隊に火のドットメイジ以上の火力を持たせることとなる。


多数の“空飛ぶヘビくん”によるスクウェア級の火メイジにも匹敵する火力を浴びて、瞬く間に渡河部隊は巨大な混乱の中で壊乱状態に陥った。
直接の損害自体は部隊の2割程でしかないが、それだけの損害を瞬時に与えられては部隊の士気が持たない。
そして、東岸部に立て篭もる平民達にとっては混乱の結果、増援が迅速に送られてこないということだけでとりあえずは満足して然るべきことでもあった。

そんな光景を半ば茫然と眺めながら、テオドールは2つの事実に気付いた。
一つは彼の中隊が、トリスタニア東岸部で軍事的にぽつんと浮かんだ島のように孤立していること。
もう一つは彼の中隊には当分の間、増援が来ないこと。
それはゲルマニア軍が態勢を立て直し、後続の部隊を送ることができるようになるまで持久せねばならないということを意味していた。





ゲルマニア軍総司令部天幕の中はその慌ただしさのピークを過ぎ、小康状態にまで落ち着いている。
とはいっても、天幕の内部では未だ貴族参謀たちが損害の集計や各部隊からの報告を取りまとめている。
三度に渡った多数の“空飛ぶヘビくん”の爆撃を受けてからおよそ40分の時間を費やして、ゲルマニア軍は新たに突撃渡河を実施する部隊の手配を終えた。
実際には渡河する部隊の手配そのものは簡単であったが、狭い西岸部市街地周辺での混乱した部隊の撤退と新規部隊の配置と展開にそれだけの時間を要していたのだ。

「総司令官閣下、突撃渡河の準備が整いました」

ハルデンベルグが型通りに報告する。
既に渡河部隊は河岸で突撃陣形を整えて待機しているのだが、その部隊を動かすには総司令官であるエステルハージの裁可が必要となる。
そういった面では軍もやはり官僚機構の一部であった。

一方で、ハルデンベルグの報告を聞いたエステルハージはゆっくりと、しかし大きく頷きを返した。
エステルハージは皇帝アルプレヒトから直々に授けられた元帥杖をじっとり汗の浮いた手で握りしめながら、安堵の思いを抱いた。

――これで報われる。
二度に渡る総攻撃も、そこで傷つき、倒れた兵士達も無駄ではなかった。
大隊規模の増援が渡河に成功すれば、もはや平民どもに抵抗する術は無い。
同数の兵力がぶつかったならば練度や装備、そして指揮能力の面でもゲルマニア軍の方が強いのは明らかだからだ。
最後の地形障害である川岸を喪えば、もはや平民どもに取る術はない――東岸部には既に戦う術もない平民達がひしめいているのだから。

エステルハージはそう考えを廻らした。
恐ろしいのは先程に行われたような“鉄の火矢”の一斉発射であるが、最後の攻撃が行われてから既に20分以上が経過している。
常識的に考えるならば、敵は一斉発射可能なあの兵器を使い切ったとみるべきだった。

「宜しい! 渡河部隊をただちに――」

そう言いかけた時、エステルハージの司令部天幕に突如全身泥だらけになった兵が駆けこんだ。

「閣下!」

すぐさま傍らのハルデンベルグが、泥だらけの兵とエステルハージとの間に身を割り込ませる。
同時に周囲の参謀将校団が杖を突きつけ、男を取り押さえた。

「何者だ!」

それを確認したハルデンベルグが駆け込んだ兵――ではなく、よく見れば上等な服に身を包んだ士官だとわかった――を怒鳴りつけた。
その叱責に精神の状態をいささか取り戻したのか、その酷い身なりの士官は自らの所属を報告する。

「それで、何の用だ」

ハルデンベルグのその問いにその士官は思い出したように慌てた声で報告を行った。

「チェルノボークが……チェルノボークが敵の大規模な襲撃を受けて占拠されました」

「なん……だと?」

伝令士官の発したその言葉にハルデンベルグは腰を抜かし、エステルハージは思わず手にしていた元帥杖を取り落しそうになった。
トリステイン攻囲軍の最前線補給物資集積所となっていたチェルノボークには、今も戦いを続けているトリスタニア攻囲軍の糧秣が蓄えられている。
もしそれが失われたならば――

エステルハージは何か伝えようと思いつつも言葉が出ない。
そのままエステルハージはゆっくりと総司令部天幕を出ると、チェルノボークのある方角を眺めた。
まるで夢遊病者のようになったハルデンベルグ以下の参謀達も続く。

「あれは……」

誰かがそう呟いた。
彼らの視線の遥か先には、太い一条の黒煙が昇っている。
皇帝直々に“反逆者への懲罰ベラッテル・シュラック”と名付けられた、ゲルマニア軍夏季攻勢が完全に失敗に終わった瞬間だった。





「後方の橋が崩されました!」

兵から悲鳴の様な報告が届く。
トリスタニア東岸部の橋頭堡で頑張る彼らと友軍とをつなぐ唯一の道――幅70メイルの川にかけられた橋が何度目かの崩落を起こしたというのだ。
これまで何度かの中隊規模の増援が送り込まれ、途中で砲火を浴びて何度も倒壊の憂き目を見ている橋であるから仕方ない。
橋はその度に別の土メイジによって架けなおされ、橋を渡りきることが出来た――そして同時に所属部隊と切り離された――兵を加えることによって、テオドールが指揮権を握っている兵の数は200名を超えつつあった。

もちろん、味方が増えるのは(当人は別として)誰にとっても好ましいことではあるが、彼の中隊が敵の中で半ば孤立していることには変わらない。
運が悪ければ、その200名はほぼ確実に殲滅されてしまうのだから。

そんな、ともすれば弱気になりそうな兵をテオドールは叱咤する。

「落ち着け! 僕たちがここを確保していれば、すぐに新しい橋が架けられる! そうすれば、また直ぐに増援が……」

「将校殿! 伝令です!」

しかし、その声は別の兵の報告によって遮られる。
続いて崩落直前に橋を駆け抜けてきたらしい一人の将校伝令が周囲を見渡しながら大声を挙げた。

「指揮官はいずこか!?」

「ここです! ブラウナウ独立槍兵大隊集成第1中隊指揮官、デ・ラ・ポーア中尉です!」

将校伝令の声にそう応じながらテオドールは、なんとか間に合った、と思った。

彼の配下の兵達は、既に単独で1時間近くも敵と殴り合いを続けている。
さすがに無限とも思える増援を持つ、数倍もの相手を前には彼らの限界も近い。
それでも今から増援が来ると判れば持ちこたえられる――味方が駆け付けてくると判れば、誰もが士気を向上させてもうひと踏ん張り出来るからだ。

「よかった! 増援は、増援はいつ到着しますか?」

その事実が判っているテオドールの声もどこか明るい。
しかし、そんなテオドールの問いに対して駆け付けた将校伝令は無表情のまま、首を横に振った。

「増援は到着しない」

「なんですって? どうして? 今トリスタニアの東岸部にある橋頭堡はここだけです! 今ここに増援を送り込まずしてどうする気ですか!?」

伝令将校の発したその言葉にテオドールは疑問を顕にして詰め寄った。
切羽詰まっているだけに、彼は一息の内に自分の知りたいことを詰め込んでしまっている。
しかし、彼の言うことも事実ではある。
現在のトリスタニアでは何ヶ所かで魔法架橋による強襲渡河戦闘が行われていたものの、現在まで橋頭堡の形成・維持が出来ているのは彼の集成第1中隊が守備しているこの場所だけなのだ。

「増援は到着しないと言った」

しかし、そんなテオドールに対して伝令将校は冷たくその言葉を繰り返した。

「しかし、このままでは! 兵達も限界に近づいています。増援が無ければ、これ以上ここで持ちこたえられません! まさか一度下がれとでも?」

テオドールにはその態度から伝令将校が何を言いたいのか薄々判っていた。
だからこそ彼は食い下がっているのだ。

でなければ、この戦場で死んだ50名以上の兵士達は全くの無駄死にとなってしまう。
彼の傍らには、つい先程彼を庇うようにして斃れた先任下士官の遺骸があった。

家族を故郷に残して出陣してきた40過ぎの中年男。
今も戦い、傷つき、倒れている兵達もまた家族や思い人を故郷に残していることだろう。
そんな彼らは二度と故郷に戻ることは無い。
ならば、せめて彼らが成した成果だけは残してやりたい。

そんなことは認められない。
いや、そんなことがあってたまるものか!

しかし、そんなテオドールに対して伝令将校はしびれを切らしたらしい。
伝令将校はテオドールの顔を睨み付けると、現実を突きつける様に厳として言い放った。

「そう、撤退だ。司令部より命令! ――“全軍、ただちにトリスタニアより退却せよ”」





この日、後に『ド・ヴュールヌの罠』で知られるトリステイン平民軍の誇る最年少の出来星指揮官、レイナール・ド・ヴュールヌに率いられた決死部隊がチェルノボークを襲撃し、集積されていた攻囲軍の4日分に相当する72万リーブル以上の糧食と輜重段列を構成する400台以上の輸送用の馬車、1100頭以上の馬匹に損害を与えた。
その結果、ゲルマニア軍は補給線再建の為に半ば陥落にまで追い込んだトリスタニアより後退することを余儀なくされ、ここに数多の損害を出したトリスタニア攻防戦は終結を見た。

ガリア崩壊後、ハルケギニア最強との呼び声も高かったゲルマニア軍が、局地戦とは言っても正面切った戦いで平民の支配するトリステインに敗北したという事実は、衝撃と共にハルケギニア全土に広がった。
この知らせに貴族主義者は、名誉ある貴族が単なる寄せ集めに過ぎない平民に敗北したことに怒り、悲嘆した。
また、平民主義者はこれまで決して揺るがないと言われていた貴族という存在に平民が勝利したという事実に歓喜し、自らもまた闘争によって新たな何かを手に入れようとの決意を強めた。
ロマリアの神官達に導かれた旧教徒達は自らの信仰の危機であると感じていたし、新教徒達の一部は自らも立ち上がることによって信仰の自由を得るべきではないかと考える者もいた。

しかし、その衝撃の裏であまり着目されることはなかったものの、両軍の損害もまたこれまでの“常識”を超えていた。
攻囲側のゲルマニア軍の損害は合計で戦死約8700、戦傷23000以上の32000余名にも及び、一方で防御側のトリステイン平民軍の損害はこのトリスタニアだけでも戦死約6200名、戦傷19000名以上――トリスタニアに居住していた平民の損害も合わせるならば34000名を超えるものとなっていた。
これまでハルケギニアの戦争では考えられなかった程の膨大な犠牲。

しかし、これだけの損害もまたこれから流されるべき血のほんの一部分に過ぎない。
糧食を失ったゲルマニア軍の一部は自らの生存の為、撤退の過程でその進路上の村々から次々と食料を強制徴収せざるを得なかったし、それでも不足する食料と外地遠征という衛生環境の不備から多数の戦病者と戦病死者が続発した。
いかな水メイジを要してるとは言え、数万名もの兵員の手当を一時に行えるわけでも、瞬時に治療を行いきれるわけでもない――水の秘薬は貴重なものであるが故に、一般兵員の治療に気軽に充てられるほど安価なものではないし、いかな水魔法と言えども治せない傷や病気という限界も多数あったのだから。
むしろ、そうした点では防御側で有ったが故に戦地の気候に慣れ、通常戦場には存在しない女性メイジや近隣住民が稚拙ながらも救急治療の手助けを行えたトリステイン側の方が損害を抑えられたとも言える。

そして、そんな無数の戦傷者や戦病者を抱えて、一時的な撤退を開始したゲルマニア軍に執拗で断続的な襲撃がかけられ続けた。
何時、何処に出没するか判らない「敵」はこの戦争が始まったときから小規模にゲルマニア軍に攻撃を加えていたが、撤退する彼らを襲ったのは、トリスタニアでの“勝利”に沸いた、それまでとは比べものにならない程の規模の「敵」だった。
その冷徹さ故に、後にトリステイン・ゲルマニア両軍から“雪風”の名で知られることとなったトリステイン平民軍指揮官に率いられた「敵」は、“勝利”の勢いに乗ってゲルマニア軍に対し無数の襲撃を繰り返した。

彼らは行軍中の隊列を襲い、輸送中の武器を奪い、糧秣を焼いた。
こちらが闘おうにも彼らは直に森や山に隠れ、村の中に消えていく。
まさに神出鬼没――この土地は元々彼らの生活の場だったのだからなおさらだ。

そして、そんな彼らに悩まされたゲルマニア軍はついに村を焼いた。
「敵」と無害な平民の区別がつかないならば、村ごと焼いてしまえ――誰かがそう考えたのだ。

しかし、それでも「敵」の勢いが収まることは無い。
むしろその勢いはさらに増すばかりだった。

結果として、ゲルマニア軍は無数の戦傷兵を後退路に残したまま、撤退を続けざるを得なかった。

撤退する彼らのうち、まず最初に倒れたのは味方の兵に見捨てられた重傷兵だった。
撤退の最中で秩序を失いつつあった彼らは、食料不足と身の危険を感じた味方の兵に見捨てられたのだ。
次いで倒れたのは歩行可能な戦傷兵達。
食料不足と慣れない気候に体力を失った彼らは、一人、また一人と撤退する行軍から落伍し、路傍で命を失っていった。
主要侵攻路として使用された街道の傍らには、そうした撤退中に死亡した無数のゲルマニア戦傷兵達の死体が取り残され、埋葬されることなく朽ちていく。

僅か2か月前、輜重兵を含めれば約10万に達する兵を押し立ててトリステイン侵攻を開始したゲルマニア軍。
しかし現在、策源地であるツェルプストー伯爵領に無事に退却することの出来たゲルマニア軍の戦力は僅か3万6000ほどでしかなかった。



――ハルケギニアの流血は未だ止まることを知らない。
いや、衰える気配すら見えない。

無数の命が失われ、零れ落ちた真紅の液体がトリステインの大地に注がれる。
それはまるでハルケギニアの大地をトリスタニアの旧王城にはためく旗の様に染め上げるが如く。
そして真紅に彩られた闘争の炎はハルケギニア全土を覆い始めようとしていた。

混沌と流血の坩堝と化したガリア。
皇帝と貴族の誇りの為に戦い続けるゲルマニア。
無数の闘争とその勝利に酔って尚、餓えて乾くばかりのトリステイン。
そして、ハルケギニアの東西に残された最後の大国が動き出す。

ハルケギニアは今、無数の流血を代償に変革の時代を迎えようとしている――








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今回もトリ革の外伝をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。

さて、遅くなりましたが外伝としてお送りしたこの『要塞都市』、いかがだったでしょうか?
最後は作者としてはやや不完全燃焼気味でしたが、とりあえず纏めることが出来たので良しとします。
……本当は単に屍山血河なところを書きたかっただけなのですが(笑)

とりあえず「平民チートだろ!」とか確実に言われる前に一言。
原作で数か月の間にアクティブ対空誘導弾(原作読むに零戦の翼下に10発近い――おそらく20㎏以下?)を作るコッパゲが悪いのです。
あるいは逆に言えば、本気を出した魔法使い相手にはそのくらいの火力が対抗措置として必要だろう?ということでもあります……ネタを仕込みたいというのもあるのですが(汗)

それでも後装銃とか機関銃みたいな原作にないオーパーツ(“場違いな工芸品”は除く)は出したくなかったので、この辺でご勘弁下さい。

それと、外伝に関しては全編加筆訂正してますので、お暇な方は読んで頂けたら幸いです。


さて、これでもうゼロ魔SSは書きません。少なくとも当分は。
某漫画家の言葉をお借りすれば「人海戦術(笑)はヘドが出るほど書きすぎた」と言ったところでしょうか。
なので続きが気になる方はごめんなさい。
本作品は著作権フリーですので、特に自分展開を感想に書かれている方はご自分でお書きになって頂けたら幸いです。

前にお伝えした麦のんSSも某所でちょっとだけ書けたので、とりあえず自分的には満足。
それでは改めまして、読者の皆様には長らく私の妄想にお付き合い頂きましてありがとうございました!





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