<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[39681] 【短編連作】都市伝説・夕惑いリゾートバイト 
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:49249770
Date: 2016/07/30 03:00
 これは怖い話を怖くなくする短編集です。
 ネタ思い付いた時にだけ更新するので、時々よろしくおねがいします。

 チラ裏よりオリジナル版に移動させていただきました。
 相変わらず理論がめちゃくちゃなのでツッコミは控えていただけるとありがたいです。



[39681] 都市伝説・八尺様がついてくる
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:49249770
Date: 2015/10/08 16:57
 

 週末、藤堂夏樹(とうどう・なつき)は両親と共に親戚家へと遊びに行った。
 父は元々東京の出だが、父のお兄さんが田舎暮らしに憧れて、ちょっとした田舎へと移り住み今は農業を営んでいる。
 昔から兄弟仲はよく、偶にはこういうのもいいだろうとその田舎に連れてこられたのだ。
 叔父は夏樹に優しく、近所には従妹も住んでいるので夏樹自身も十分に楽しんだ。
 一日が終わり、早めの夕食をとってから夏樹達は家に帰ろうと車を出した。自宅までは車で二時間程度。人寝入りして起きた頃には付いているだろうと夏樹は目を瞑り、どこかから聞こえてくる奇妙な音に車の外を見た。
 
「ぽぽ、ぽぽっぽ、ぽ、ぽっ…」

 窓の向こうは夜の闇が広がるばかり。音を発するようなものは目に映らない。
しかし確かに聞こえる。無機質で、なのに音ではなく声だと理解する。スピーカ越しのようなぼやけた声がずっと耳にまとわりついている。

「父さん、なんか変な音聞こえない?」
「え?いや、特には別に」

 そっか、と夏樹は不思議に思いながらもそれ以上話は続けなかった。
 ただの気のせいだったのだろうと思い、もう一度眠りに就こうとする。
 最後に横目で窓の外を眺める。
 一瞬だけ映り、景色と共に消え去ったものが何故か脳裏に焼き付く。
 それは、壊された地蔵だった。




 ◆



「なっき、それやばいって……」

 休み明け。
 昨日眠る時になんとなく寒気を感じたくらいで特に異変はなかった為、夏樹はいつも通り幼馴染の根来音久美子(ねくね・くみこ)と共に登校した。
 久美子とは七歳の頃からの付き合いで、夏樹は「みこ」、彼女の方は「なっき」と愛称で呼び合うくらいには仲がいい。同じ高校に入学しで同じクラスになり、その上隣の席になるという快挙を為しとげたのだから、お互い縁があるのだろう。
 更に言うなら高校二年生に上がった現在も同じクラス、隣同士だった。ここまで来るとなんか神憑っている、いやいや悪魔に憑かれている、などと二人で笑ったのをよく覚えている。
 そういう経緯もあり、夏樹にとっては性別関係なく久美子が一番の親友で、一番頼りになる相手だ。だから何かあれば彼女に必ず話すようにしていた。
 そして昨日の夜のことを話した結果が最初の反応である。

「……え、冗談だよね?」
「いや、掛け値なしに本当」
「うわ、うわぁ……」

 二人はいつも一緒に昼食をとっている。今日も教室で周りの視線など気にせず、幼馴染特有の気安さを周囲に見せつけながら食事をしていたのだが、雑談をしている途中に久美子が真っ青になった。
 理由は勿論夏樹が話した「ぽぽぽ」という声である。
 大方の予測は付いていたが、彼女も心当たりがあるらしく、かたかたと小刻みに振るえながら、やばいやばいと繰り返していた。

「なあ、みこ。やっぱりさ、“八尺様”だよな?」
「だよ、ねぇ。なっきてば、相変わらずの都市伝説運だなぁもう」
「都市伝説運ってなんだ」

 八尺様とは、ネット上の某オカルト掲示板を賑わせた、非常に有名な都市伝説である。
“ぽぽぽ……”という無機質な音のような声を発しながら現れる女性の怪異。
 病的に肌は白く、目は血のように赤い。
 黒の帽子と黒の衣装、人並み外れた高い身長が特徴で、その容姿は美しいとされる場合も多い。
 元々は山にいる怪異らしく、地蔵に括られたとある土地に封印されていたらしい。
 しかし地蔵が壊されたことにより彼女は山から放たれ、全国に出没するようになった。そして数年から十数年に一度目を付けた子供を取り殺すという。

「……あー、俺さぁ、もしかして目ぇ付けられた?」
「まず、間違いなく」

 既にアウトである。
 どうすればいいのよそれ。

「取り敢えず今日は絶対、何があっても一緒に帰るからね、なっき」
「いやいや、何だよいきなり」
「お話では八尺様は気に入った“男の子”を攫うらしいし。私がいたら来ないかもしんないじゃん」

 怯えてるくせにさらっとそんなことを言ってしまう。
 だから夏樹は久美子のことが大好きで。
 だから、こう返した。

「いや、一人で帰るよ」

 もしも本当に、八尺様が自分に目を付けたと言うのなら、久美子を巻き込むことはできない。
 しばらくは一人でいた方がいいだろう。何も起こらなかったらそれでよし。起こったとしても一人でいれば久美子に被害は行かない。夏樹は彼女のことを大切な親友だと思っている。つまり、一人で解決する以外の選択肢など最初からなかった。

「なにいってんの? いい、私はね」
「はい、話はここで終わり! 俺ちょっと図書室行って来るから!」
「なっき!?」

 残った弁当を無理矢理口に詰め込み、片付けもそこそこに廊下へと飛び出す。
 後ろから叫び声が聞こえたような気はしたが、知らないふりをして一気に駈け出した。
 図書室に行く、というのは別に嘘ではなかった。八尺様についてもう少し詳しく調べておこう。何か、対抗策があるかもしれない。


 ◆


 そして放課後。
 またも夏樹は速攻で姿をくらませ、久美子とかち合わないように帰路へついた。
 昼休みと五限目の授業時間を使い、図書室でパソコンやら怖い話の本、果ては遠野物語なんてものまで読み耽り、八尺様についての情報はある程度得られた。
 しかし肝心の解決策はなく、陰鬱な心持での下校となってしまった。

「はぁ、なんかやな気分……」

 怖い話なんて大抵がフィクション。実際には何にも起こらない。
 そう言い聞かせても気持ちは晴れない。せめてさっさと帰ろうと夏樹の足取りは次第に速くなっていく。
 彼の通う戻川高校、校門前の銀杏並木を抜け、戻川を渡り、市街地へと入る。
 小さい頃久美子とよく遊んだ御崎公園を通り抜け、もうちょっとで家まで辿り着くと言う所で。





 ぽ、ぽぽ、ぽぽぽぽぽぽ……。






 残念ながら、あと一歩足らなかった。
 
「やべっ……!」

 咄嗟に帰路から外れ、声から遠ざかるように走り出す。
 走って、走って、走って。
 しかし意味はなかった。
 彼の向かう先、その塀の向こうには女性の姿がある。
 黒い帽子をかぶった、尋常ではない巨躯。黒のロングドレスも合わせて、まるで地面から影が生えているように見える。

「ぽっ、ぽぽ、ぽぽぽぽ」

 でも逃げる。
 夏樹は背を向け、
 ぽぽ。
 一歩を踏み出し、
 ぽぽぽ。
 かの怪異を置き去りに駆け───


 ぽぽぽぽぽぽぽぽぽ。


 ───抜けた筈なのに。
 
 耳元で聞こえる声。駄目だ。見てはいけない。分かっている、そっちを向くな。 
 頭ではそう考え、しかし夏樹は誘われるように横を向いてしまった。
 
「ぽぽ、ぽぽぽぽぽぽ」

 吐息のかかる距離に、怪異はある。
 八尺様は、既に夏樹の体を掴み、壊れた笑いを浮かべていた。

「あ────」

 叫び声を上げることも出来ず、夏樹は体勢を崩し路上にそのまま倒れ込んだ。
 仰向けになり、けれど空は見えず。見上げた先には、八尺様の顔だ。
 ああ、多分自分はここで死ぬんだろう。
 そう思うと途端恐怖は薄れていく。
 すると、ちゃんと目の前の彼女の顔が見えてきた。
 病的に白い肌、異形の証明たる赤の目。なのに、八尺様の顔は端正と言ってもいいくらい整っていて。
 それが歪むほどの壊れた笑みは。
 何故だろう、泣くのを堪えているように見えた。

「ああ、そっか……」

 違う、寂しそうなんだ。
 夏樹は八尺様の都市伝説を調べ、確かに怖いと思ったが、それ以上に寂しいと思った。
 八尺様が広く世に知られるようになったのは、言うまでもなくとある掲示板に投稿されたからである。
 その実在に関しては長らく議論されているが、八尺様を作り話とする者達は根拠の最たるものとして『遠野物語』をあげる。
 八尺様は遠野物語などに登場する山姫・山女をモチーフに作られた創作である、というのが主張である。
 

 其処に興味を持ち、山女についても夏樹は調べた。
 山に封ぜられた女性の怪異。八尺様が持つ特性から、そのルーツを山姫・山女に求めることは確かに多い。
 各伝承により性質に差異はあるものの、多くは長い髪を持つ色白の美女とされる
 そして一番気になったのは、『遠野物語』に登場する山女が、しばしば山男によってさらわれ元の場所に戻る事を許されない単なる村娘として描かれている点だ。
 山女というのはそもそも怪異ではなく、普通の人間。それが山男にさらわれ、山に囚われることによって山女という化生へと落ちてしまう。
 もはや故郷に戻ることは叶わない。既に彼女は人でなくなってしまっていたから。
 おそらく山女と八尺様の最大の共通点は此処だろう。
 地蔵によって山へ封ぜられた八尺様。
 山男によって山へ攫われた山女。
 彼女らは自らの意思を持って山から出る手段を持たない。
 即ち山女にしろ八尺様にしろ、帰る場所を持たぬ女なのだ。

 だから、もしも八尺様のルーツが山女ならば、それはとても寂しいことだ。
 もし八尺様=山女ならば、“彼女”は山に囚われ、帰ることも出来ず、化生となってからは人から山に封ぜられたということになる。
 その上で、単なる恐怖の対象と見られ、果てには単なる創作物でしかないと言われる。
 
 人として生まれ、怪異に攫われ、あやかしに身を落とし、都市伝説と為り、最後には架空の存在と見做された哀れな女。

 それが八尺様という怪異だ。
 
「……それじゃ、寂しくて当然だよな」

 死の前の感傷が自然に夏樹の体を動かした。
 すっと手を伸ばし、八尺様の頬を撫でる。彼女に反応はなく、けれど構わず夏樹は語り掛ける。

「あんたが若い男ばかり攫うのって、もしかして伴侶が欲しいからか?」

 長い長い歳月を一緒に越えてくれる、片時も離れぬ誰か。
 彼女が全国を流離うのは、或いは寂しさを埋めてくれる誰かを探していたからなのかもしれない。
 いや、それは発想が乙女すぎるだろうか。
 そんなことを思いながら、夏樹は目を閉じた。
 どうせ逃げられない。なら無様は晒したくない。男の子の意地を最大限に発揮して、だらんと両手を放り出す。 
 これで終わりだ。ああ、最後に、みこに会いたかったなぁ。
 そうして彼は自身の死を受け入れ。 






「……あれ?」

 死を覚悟してから実に一分。
 未だに夏樹は生きていた。何故だろうと薄ら目を開ける。
 其処に八尺様はもういなかった。



 ◆




「ほんとよかったぁ。あんま心配させないでよ」

 無事再び学校に来ることの出来た夏樹は、今日も今日とて久美子と一緒に下校している。
 結局八尺様に命を奪われることはなかった。だからと言って彼女が消えた訳ではない。相変わらずネット上では八尺に届く巨大な女の怪異譚は語られている。
 夏樹は自分が助かった理由を考える。 
 それはきっと、あの時彼女の頬を撫でたからなんだろう。
 そんな話を久美子にしてみれば、その程度のことで助かるなんて有り得ない、と言われてしまった。
 多分、多くの人も同じ意見だろう。
 けれど、本当は“逆”だったのだと思う。
『その程度で助かった』のではなくて、『その程度で救われてしまうほど、彼女は寂しかった』のだ。
 まあ、本当の所はよく分からないが、夏樹はそう思うことにした。
 だってその方が、救いがある。怪異へと落ちてしまった名もなき少女の心が、八尺様に残されているのだと信じていたかった。

「ところでさぁ、なっき」
「ん?」
「あれ、どうにかなんないの?」

 振り返ることなく久美子が後ろの方を指差す。
 そちらに視線を向ければ、

「ぽぽ、ぽぽぽぽ……」

 塀からひょっこりと顔を出す八尺様の姿があった。

「ああ……どうにもなんないなぁ」

 結局夏樹が八尺様に殺されることはなかった
 しかし全てが今迄通り、とはいかなかった。
 時折塀を超える背丈の女がこちらを見ていることがある。とは言え、本当に見ているだけ。攫う気もなく、迷惑をかけるような真似もしない。だから放っておくことにしたのである。

「おかしくない? 慌てようよ。私もなんか感覚麻痺してきたけどさ」
「いやでも、別に危害加えようって訳じゃないし」

 最初は夏樹も怯えていたが、転んだらそっと絆創膏を差し出してくれたり、雨の日は後ろで傘を差してくれたりと案外優しい所もあった。
 夏樹を付けては来ているが、ちょっと振り返ってみると、電柱に体を隠してやりすごそうとしていた。案外あほの子である。
 この前など、乱暴な運転をして夏樹にぶつかりそうになった車を「ぽぽぽぽぽぽぉぉぉぉぉぉぉお!」とか叫びながら短距離走者みたいな走り方で追っかけて行った。
 その姿を見た時に夏樹は怯えるのは止めた。ぶっちゃけ結構ファンキーだった。
 
「まあいいじゃん。特に問題ないしさ」
「あ、分かった。あんた狂ってるんだ」
「ひでーなおい」

 そんなやりとりをしながら、二人は家路を辿る。
 後ろからは八尺様がついてくる。まあ少しばかり奇妙ではあるが、これも平和の肖像というヤツだ、多分きっと。
 


 これで八尺様の話はおしまい。
 怪異は打ち倒された訳ではなく、紐解かれることもなく、黒衣の大女は相変わらず世間を騒がせている。
 彼女が恐怖の都市伝説の一角であることに変わりはない。
 まあ、ただ強いて変わった所を上げるのならば。







「なぁ、聞いてくれよ。みこのヤツが酷いんだ」

 夏樹は振り返って、八尺様に笑い掛ける。

 ぽっ

 そう、強いて変わった所を上げるのならば。
 口を開いていないのに「ぽっ」という音が聞こえるようになったくらい。
 

 彼女の顔が真っ赤に染まっているのは、言うまでもないことだろう。






[39681] 都市伝説・くねくねはいつも隣に
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:49249770
Date: 2015/06/17 02:28
 

 藤堂夏樹は幼い頃、くねくねに出会ったことがある。。
 だけど、これからもきっと、そのことは誰にも言わないだろう。


 ◆


 藤堂夏樹が現在住む兵庫県葛野市に引っ越してきた翌日、探検がてらに外で遊んでいる途中倒れてしまった。それを発見した家族は慌てて病院に駆け込むも異常はなし。原因不明、しかし意識の異常は確かに在る。

「なニガ変なもノを見だ」 

 倒れた夏樹はうわ言のようにそう呟いていたという。
 それから一週間の後、何の前触れもなく夏樹は元に戻った。
 両親は大層喜んだが、精神に異常をきたしていたと言われても覚えていないのだから彼自身には何の感慨もなかった。
 ただ夏樹は、この記憶にない異常に今でも感謝している。
 なニガ変なもノを見だ、そう呟き続ける夏樹の隣には引っ越したばかりで殆ど面識がなかったであろう女の子が付いていてくれたと聞いた。
 彼女こそが“根来音久美子”(ねくね・くみこ)。
 今も隣にいてくれる、大切な幼馴染にして親友だった。


 ◆

「塩サバってやばいよな」

 夏樹は家で朝食を食べながら、そんなことを呟いた。
 今日の朝のおかずは小さな塩サバの切り身。夏樹の大好物である。基本的に青魚は好きだが、その中でもサバは群を抜いている。塩サバなんていくらでもご飯が食べられてしまう危険な代物だった。

「朝から食べすぎたらダメだよー」
「おう、分かってる。というか妹よ。取り敢えず俺の背中から離れようか」
「えー、おにぃの後ろは私の居場所なのにー」

 後ろから抱き付いていた妹を無理矢理引き離し、朝食を続ける
 二つ下の妹の里香(りか)は生意気盛り(何故か兄には従順)の中学三年生。来年は夏樹の通う戻川高校を受験するらしい。理由は「おにぃの後ろにいたいから」。え、なにそのストーカー発言怖いんですけど、とは思っていても口にしないのが兄の優しさであった。

「まあ、懐いてくれるのは嬉しくない訳じゃないんだけどなぁ。あ、おかわりね」
「ぽぽぽぉ」

 夏樹が茶碗を差し出すと、黒いドレスを纏った長身の美女がそっと優しく受け取りご飯をよそう。
 今両親は旅行に行っていて、家には夏樹と里香しかいない。
 二人とも食事を作れない為しばらくはコンビニだなぁと話していた所、夏樹の友人の女の子が食事を作りに来てくれているのだ。
 朝食を食べ終え、お茶を啜っているとそろそろ投稿する時間になった。夏樹はもう一度背中に引っ付いていた妹を引き離し、玄関へ向かう。すると台所にいた女の子が小さな包みを渡してくれた。

「ぽぽ」
「あ、お弁当? さんきゅな」

 朝から来てくれるだけでなく、昼のお弁当まで作ってくれるのだから、足を向けて寝られないとはまさにこのことである。妹は最初、長身過ぎる彼女を怖がっていたが、今では胃袋をしっかりつかまれて結構仲良しだ。里香も弁当を受け取り、にっかりと笑顔で答える。

「はっちゃん、ありがとー」
「はっちゃん?」
「いつまでも様付けじゃ味気ないでしょ?」

 趣のある長身美女も、里香にかかれば「はっちゃん」である。
 こういうところ、純粋に凄いなぁと感心してしまう。人懐っこいというのは一つの才能だとしみじみ思う夏樹であった。









 里香の通う中学は戻川高校とは逆の為、登校はいつも通り久美子と二人になる。

「なっき、いこっか?」
「おーう」

 二人並んで歩く道は、何でもないのに楽しい。
 登下校はいつも一緒。学校について、教室に入っても隣同士で、休み時間も大抵馬鹿話をしている。

「なっきはどんなジョセフが好き?」

 授業合間の休み時間に、久美子がそんなことを言ってきた。

「なにその雑な話題の振り方」
「いやー今までずっとジョセフって言ったら老人でペテン師で茨だったけど、マッチョで一位で残念イケメンがここ最近ぐんぐん上位にきちゃってさ」

 下らない話だ。毎日一緒にいるから話題が尽きることもある。
 そんな時は二人とも喋らずだらっとして、時折視線が合うとくすりと笑う。何も言わなくても気まずくならない、そういう距離感が心地好かった。
 思えば七歳の時、葛野市に引っ越してきてから、ずっと久美子と一緒にいるような気がする。

「あー、確かに。早くバタフライエフェクト使ってほしいな。ちなみに俺はミリしらだ」
「ないわー」
「なんだとこんにゃろう。最高じゃねーかノリと勢いで全てをなしちゃう辺り」

 いや、“気がする”のではなく事実ずっと一緒にいた。
 夏樹にとって久美子は幼なじみで、一番の親友で、或いは自分の一部で在るかもしれないと思えるような相手で。

「なんか、不思議だよなーお前ら二人って」

 ───だから、それが不思議だなんて、友人から指摘されるまで考えたこともなかった。

 休み時間いつものようにくだらない話で盛り上がっていた二人に、クラスメイトの寺井明生(てらい・あきお)はそう言った。
 夏樹も久美子も、明生に「二人の関係は不思議だ」と指摘され、意味が分からずきょとんとしていた。

「なにが?」
「なにが?」

 思わず聞き返した。夏樹にとって、そしておそらく久美子にとっても、二人一緒にいることは当たり前だった。何が不思議なのか、本当に分からなかった。

「なにがって、根来音さん可愛いし人気あるからな。なんで夏樹がいつも一緒にいるんだって、多分うちの学校の男子はみんな思ってるぞ?」

 そう言われても、どんな返答をすればいいのか。
 久美子の方に目配せすると、彼女も困ったようにこちらを見ていて視線がかち合う。

「ううん、なっきの方が可愛いし」
「いやー照れるな」
「俺の前でいちゃつくんじゃねーよ畜生」

 ついでにちょっとふざけてみたら割合本気で怒られた。
 しかし不思議と言われても、うまい答えは出てこない。

「なんでって言われてもなぁ。みことは幼馴染だからとしか言いようがない」
「だよねぇ」

 うんうんと二人して頷くが、その動作も明生にとっては不思議らしく、更に言葉を続けてくる。

「というか高校生にもなって幼馴染だから一緒にいるってのが俺らには分からないんだって。だってさ、根来音さんは可愛いから寄ってくる男なんていくらでもいるだろうし、夏樹は夏樹でちゃんと他の交友関係はあるだろ? なのに、男女で付き合ってもないのにいつも一緒にいるってのは、周りから見れば不思議なんだよ」

 それは、と反論しようとして丁度チャイムが鳴り、明生は自分の席に帰っていった。
 残されたのは席が隣同士の夏樹と久美子だけ。
 なにか釈然としない心持で夏樹は改めて久美子の顔を見る。
 成程、可愛い。決して目立つ目鼻立ちではないが、色白で色素の薄い茶の髪を肩にかかるくらいで整えた彼女は、確かに可愛い。
 体を見れば、均整の取れたスタイル。クラスの男子から人気があると言うのも分かる。
 そう考えると確かに明生の言っていることは間違いじゃないと思う。
 久美子なら男が放っておかないだろうし、そいつが彼氏でないとしても夏樹よりレベルが高くて気の合う奴ならそっちを優先するのが当然だ。幼なじみだからといって、高校になってまで仲がいいというのは珍しいことなのかもしれない。
 夏樹よりも格好いい奴、頭がいい奴、運動が出来る奴はいくらでもいる。
 その中で、何故彼女はずっと一緒にいてくれたのだろう。

「なー、みこ」
「ん、なに?」
「みこはさ、なんで俺と一緒にいてくれるんだ?」

 湧き上がる純粋な疑問をすぐさまぶつける。
 すると、何故か久美子は笑った。

「あんたがそういうことを聞けちゃうような馬鹿だからじゃない?」

 いきなり馬鹿と言われて、思わず呆気にとられた。
 そんな彼がおかしかったのか、彼女は更に笑い、そして優しげな眼差しで夏樹を見た。

「私は多分、あんたが馬鹿だから、一緒にいたいって思ったの」

 その遣り取りに、遠い昔を思い出す。
 ああ、そうだ。
 昔、夏樹がよく分からない精神異常から立ち直った後、傍にいてくれた久美子に同じことを言った。
 そして返ってきた言葉も同じ。
 彼女は昔も、夏樹が馬鹿だから傍にいたのだと笑った。
 だから夏樹は馬鹿もそんなに悪くないかな、なんて思いながら眠ったのだ。

「もっと言うなら、どんなに格好良くても、頭が良くても、運動が出来てもそいつはなっきじゃないからね」
「そっか」
「うん、そうそう。気にしないの、私は幼馴染だから一緒にいたんじゃなくて、なっきだから一緒にいたの」

 その言葉が嬉しくて、へへっ、と二人して軽く笑い合う。
 それから授業が始まるまでの間、夏樹と久美子は何も言わず、ただ穏やかにお互いを眺めていた。



 ◆

 
 




 くねくねは2003年頃よりインターネット上で語られるようになった都市伝説である。
 絶対に会いたくない都市伝説四天王に数えられることも多いが、今尚くねくねの正体は分かっていない。
 案山子や蛇神といった農村部の土着信仰や古来伝わる妖怪と関連付ける説やドッペルゲンガーの一種とする説、幻覚説、自然現象の誤認説など、様々な説が挙げられている。
 またくねくねの正体は「自分」である、という説も存在する。
 とは言え、全て“そういう話もある”程度の仮説でしかなかった。
 
 ここまで流布され、恐怖を謳われる怪談ではあるが、くねくねという物語の構造自体は決して珍しいものではない。
 くねくねの怪奇譚の要点は以下である。

・白色(あるいは黒色)の何かが人間とはかけ離れた動きで体をくねらせる。
・くねくねを遠くから眺める程度では問題は無いが、詳細が判る程に見つめて、それが何であるかを理解すると精神に異常を来たす。

 見るだけで発狂する。
 対策を打つことの出来ない恐怖がこの物語の伝播を促進したのだろう。
 ただ、くねくねという存在は、それ以上でも以下でもない。
 あくまでも怪奇譚の中の、“人を壊す舞台装置”でしかないのだ。

 例えば、八尺様は「地蔵に封印されていたが、地蔵が壊された為」全国に出るようになった。
 例えばメリーさんの電話は「捨てられた人形」が持ち主の元に戻ってくる。
 例えば、怪人アンサーは「特定の儀式を用いることで」携帯電話で会話が可能になり、「元々は奇形児」だから体のパーツを求めている。

 しかしくねくねは違う。
 くねくねは急に現れ、人を発狂させて消えていく。
 其処には理由がない。泡のように浮かんで消えていくだけだ。
 意味もなく意義もなく経緯を辿らず原因を持たず、ただ不思議な存在が何らかの現象を引き起こす。
 それがくねくねという物語。
 即ちくねくねは、話の類型としては“エブリデイ・マジック”に近しいものと言える。

 エブリデイ・マジックは日常に不思議が混じる形態の話を指す。
 話の筋書きとしては、日常生活の中、ふとしたことで普通ではないものと遭遇し、なんらかの不思議な現象が起こするもの。
 或いは普通の人間と妖精・小人・魔女・宇宙人・動物などが共存する社会を描くものなどがある。
 前者は森の獣道の先は不思議な場所に繋がっている。鏡の中には別の世界がある。古い家にはまっくろくろすけが住んでいるなど。
 後者は普通の人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、わたし のところに来なさい。以上。である。

 特に理由はなくても、“そういうもの”として怪異の存在が話の中核となっているのがエブリデイマジックだ。
 この観点から見れば、原因を持たない怪奇と遭遇し、結果災厄に見舞われるくねくねという話は典型的な前者と言えるだろう。

 ところで、エブリデイマジックには、一つ重要な特徴がある。
 それは「不思議に近付きすぎたものは帰って来れなくなる」という点だ。
 古事記において、イザナミノミコトは黄泉の国の食べ物を食べることで黄泉の国の住人となった。
 異界の食べ物を口にすることは、その世界を深く知ること。
 異界の理を知ることは、同時に異界の住人に為ることでもある。
 不思議なことを理解できてしまった時点でその人は不思議の世界の側に立っていることになる。こうなると、もうその人は普通の世界に帰れない。ウェンディはピーターパンを知り過ぎたが為に、不思議の世界の住人に為ってしまうのだ(もっともこの場合は、ピーターパン自身が現実世界に帰れるよう手はずを整えてくれるが)。
 
 この点も、くねくねは踏襲している。
 くねくねの話に存在する、「くねくねを見て発狂したものはくねくねになる」とはそういう意味だ。
 “くねくねを見ると発狂する”というより、“くねくね側の存在になってしまった”と表現する方がより正確だと言えるだろう。
 
 つまり端的に言えば、くねくねとはエブリデイマジックにおける非日常の象徴、即ち“理外の存在”だ。
 異世界の理を持つが故に、誰にも見えない白の怪異。
 くねくねの姿がはっきりせず、「しろいなにかがくねくねしている」ように見えるのは、見る者がそれを理解出来ていないから。
 だから、くねくねが何であるかという議論は少しばかりずれている。
 くねくねの正体が何であれ然程問題はない。くねくねはそもそもこの世界に存在しないものであり、“だからこそ”それ=異界の理を理解した時、人は狂うのだから。


 さて、ここで疑問が一つ。
 もしもくねくねがこの世界に存在しないのだとすれば。
 人がそれを理解できないが故に、「白い何かがくねくねしている」ように見えるのならば。

 本当の“そいつ”は一体どんな姿をしているのだろう?


 ◆
 
 藤堂夏樹は幼い頃、くねくねに出会ったことがある。
 だけど、これからもきっと、そのことは誰にも言わないだろう。
 覚えていないなんて大嘘だ。
 誰にも言いたくないから、そう言っただけ。


 子供の頃、葛野市に引っ越してきた翌日、夏樹は日が暮れるまで遊んでいた。
 そろそろ帰らないと。急いで家路を辿り、曲がり角を曲がった時、彼は見た。

 人くらいの大きさの白い何かが、くねくねと動いている。
 ぼやけて、にじんで、くねくねくねくね。
 なにかは分からない。当然だ。当時の彼はくねくねなんて話を知らない。
 だからそれは不思議なものではあっても、怖いものではなかった。
 そして残念なことに、夏樹は基本的に好奇心が旺盛で、我慢を知らない馬鹿だった。
 不思議なそれを、きっと面白いものだと思い、走り寄って。

『なあなあ、あんたなに?』

 笑顔で、そんなことを言ってしまった。
 その距離まで近づいて無事で済む訳がない。彼はくねくねを見て、おぼろげにそれを理解し、そして誰かの姿になったと思った瞬間。脳が。破裂し。

 
 ───そこで意識は途絶える。




 再び目を覚ました時、夏樹は自室のベッドで寝ていた。
 一週間も寝たままだったため、体は上手く動かない。けれど手に暖かさを感じて、夏樹はそちらに目を向けた。

『起きた……?』

 知らない、女の子だった。
 柔らかく微笑む彼女は本当に可愛らしくて、触れた手が優しくて、どぎまぎしたことを覚えている。

『えっと、君、誰?』
『ねくね、くみこ。隣に住んでるの』

 嘘だとすぐに分かった。だって、昨日までそこは誰も住んでいなかったのだから。
 でもどうでもよかった。どうでもよくなるくらい、彼女の手は暖かかった。
 しばらくすると母が部屋にやってきて、泣いて夏樹の目覚めを喜んだ。その日はそれでお開きになり、翌日から夏樹と久美子の交友が始まった。
 後になって聞いた話だが、久美子は眠っていた間ずっとお見舞いに来ていてくれたらしい。面識のない彼女が何故そんなことをしてくれたのか、夏樹には分からなかった。

『なあ、みこ』

 ある日、夏樹は久美子に問うた。

『んー?』
『なんでさ、俺のお見舞いに来てくれてたの? あの時初対面だったよな?』
『ううん、一回だけ会ったよ』
「そっか。でも、一回だけ会った相手なのに、なんで? なんでみこは俺と一緒にいてくれるんだ?」

 久美子はその問いを咀嚼し飲み込んで、幼さに似合わぬ大人びた横顔で遠くを眺めていた。

『なっきが笑ってくれたから』
『へ?』
『だって初めてだったもん。私にそうやって笑いかけて、“あんたなに?”なんて聞いてくる馬鹿な奴』

 それも一瞬だけのこと、久美子は満面の笑みで言った。

『私は多分、あんたが馬鹿だから、一緒にいたいって思ったの』

 その想いがあったから、彼女は“根来音久美子”になったのだ。
 大きくなって、子供の頃のことを思い返して、彼女の正体がなんであるかは夏樹にも薄々見当がついていた。
 けれど、夏樹は今でもこう思っている。
 俺は昔、くねくねを見たことがある。
 だけど、これからもきっと、そのことは誰にも言わないだろう。
 鶴の恩返しと同じだ。彼女の正体が分かった時点で、彼女が居なくなってしまうような気がした。
 だから夏樹は何も語らないし、何も聞かない。
 くねくねは未だに、正体不明の怪談のままだ。

「なっき、帰ろー」
「おーう」

 そうして、そんなこんなで続けてきた二人の関係は、やっぱり今も続いている。
 今日も二人で一緒に下校。周りの視線も気にならない。それくらい、お互い一緒にいるのが当たり前だった、

「でさぁ、最近はあの娘が毎日飯を作りに来てくれるんだよ」
「仮にも一番親しい女の子に話す内容じゃないよねそれ。ぐぬぬ、ちょっと料理が上手いからって……!」

 エブリデイマジックとは日常の中でふとした瞬間に遭遇する不思議。そして、不思議に遭遇するのは子供である場合が殆どだ。
 座敷童が大人には見えないように。
 不思議の国に迷い込むのが少女であるように。
 ネバーランドに誘われるのが、子供だけであるように。
 幼いが故の純真さこそ、日常に紛れた不思議に気付く力だ。
 そして異世界に渡ってしまった者が無事でいる為に必要な要素も、エブリデイマジックは語っている。
 ファンタジーの世界に行ける子供は何時だって純真で、帰ってくる時は少しだけ大人になっている。

『邪心のない、無垢な心であること』
『帰りを待っていてくれる人がいること』
『そしていつか、過ぎ去った子供の頃を懐かしめる大人になること』

 大人になっていく自分を受け入れられる邪心のない人間は、エブリデイマジックに巻き込まれても自分の世界に戻ってくることが出来る。
 もしも貴方がくねくねに会って、発狂せずにいられたのなら、それは誇ってもいいことだ。
 それは貴方が純粋で、今までちゃんと地に足をつけて生きてこられた証拠だから。

「お前料理下手だもんなぁ。美少女は料理が殺人的に下手っていう都市伝説は真実だったか」
「なっき、わんもあぷりーず」
「え? お前料理下手だもんなぁ?」
「その後その後」
「美少女は料理が殺人的に下手っていう都市伝説?」
「最初のところをもう一回!」
「えーと、美少女」
「うんうん、よろしい」

 ちなみに、現代の若者にとって馴染みの深いエブリデイマジックをご存じだろうか?
 一つは、ふとした偶然で異世界に迷い込み冒険する物語、いわゆる“異世界召喚物”と呼ばれるストーリーだ。
 そしてもう一つは、ある日突然不思議な美少女が目の前に現れ、同居することになってえっちいハプニングが沢山起こっちゃう物語。
 空から女の子が振ってきた、というテンプレから一つのカテゴリーに変化した、“落ちもの”と呼ばれるラブコメである。
 だから、もしもくねくねを現代版のエブリデイマジックとするならば。
 その正体が美少女であることは、案外当然の成り行きなのかもしれない。

「何がしたいんだお前は」
「へへへ、なっきは分かんなくていいのー」

 補足すると、エブリデイマジックは、作品の主題によっては異類婚姻譚と一部共通する性質を持つこともある。
 そしてくねくねの正体の一つとして語られた蛇神は大抵女性で、説話によっては人間の男と結婚するものもある。
 それが何を意味するかは分からないし、彼等のこれからがどうなるかも誰も知らない。
 ただ一つだけ言えるのは、彼等はきっとこれからも一緒にいるだろう。

「今のなんか意味あるのか?」
「さあてね~」
「みこが美少女だなんて最初から分かってることだろ?」
「はい!?」

 久美子の白い肌が、照れて真っ赤になる。
 白と黒は知っているけど、赤いくねくねは珍しいなと夏樹は笑った。
 
「くぅ、私はからかうとは……!」
「いや、別にからかったつもりはないけどさ」

 






 これで、くねくねの話はおしまい。
 藤堂夏樹は幼い頃、くねくねに出会ったことがある。
 だけど、これからもきっと、そのことは誰にも言わないだろう。
 だってあの日出会ったくねくねは、

「うるさい、ばーか!!」

 今も、隣にいてくれるから。







[39681] 都市伝説・猿夢恋歌
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:49249770
Date: 2014/06/19 16:52
 藤堂夏樹は見知らぬ駅で一人電車を待っていた。
 妙な夢だと思った。
 明晰夢というやつだろう。これが夢なのだとはっきり分かる。
 だというのに感覚はやけにリアルだ。意識はあるのに体は動かない。ぬるりとした生暖かい風が吹いて、その温度に背筋が冷たくなった。

『まもなく…電車が来ます……。それに乗ると、とても怖い目に遭いますよ』

 アナウンスが流れる。涼やかな少女な声だった。
 静かな語り口は、声の主の性格を表している。きっと控えめな女の子なんだろうな、なんてくだらないことを夏樹は考えていた。
 しばらくすると駅に電車が入ってきた。
 電車と言ってもそれは動物園にあるような“おさるの電車”だ。
 怖い目に遭う、そう言われたが夏樹の足は勝手に動き出した。
 自分の意思ではなく、誘われるように、操られるように、夏樹は一番前に乗った。
 目の前には猿が、夏樹の後ろには数人の顔色の悪い男女が一列に座っている。

『次は活けづくり……活けづくり、です』

 走り出して間もなく、新たにアナウンスが流れる。
 活けづくり? それ、駅の名前か?
 疑問に思っていると、急に後ろからけたたましい悲鳴が聞こえくる。
 驚きに振り向けば、広がる赤。
 飛び散る臓器、艶かしいほどの肉の断面。
 漂う鉄臭い血の香りが、夢と現の境を曖昧にさせる。
 そうして悲鳴が消える頃、電車の一番後ろに座っていた男は刃物で体を切り裂かれ、それこそ魚の活けづくりの様になっていた。

『次はえぐり出し……えぐり出し、です』

 最後尾の男は死に絶え、次は二番目に座っていた女性。
 小人が現れ、彼女の眼球をスプーンで抉り出す。
 つんざく声、血。此処に来てようやく分かった。この電車に乗ったものは、後ろから順番に殺されていく。
 そして夏樹は乗ってしまった。
 いつか、自分にも順番は回ってくるのだ。

 やばい、近付いてきている。逃げなきゃ。逃げるって、何処に?
 焦りから脂汗を垂らし、けれど体は動かない。
 気分は絞首台へとのぼる囚人。避けられない師へと、一歩ずつ近付いている。
 ぶしゃあ、と嫌な音が響き、肉片が飛び散る。
 夢から覚めないと、大変なことになる。いったい何時に為ったら朝は訪れるのか。
 早く覚めろ、早く覚めろ。何度も心の中で、呪文のように唱える。

『次はひき肉、ひき肉。です』

 けれど、また新しいアナウンスは聞こえてきて。

『終点。朝、です。次は、あなたまで回るかもしれませんね』

 そこで、夢は終わりを告げた。





『……長き夜の 遠の睡りの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかな』 

 最後に、誰かがそんなことを言った気がした。






 ◆

「ああああああああああああああああ!?」

 あまりの恐怖に意識が覚醒する。
 勢いよく目を見開けば、天井は映らない。代わりに妹の里香がこちらを覗きこんでいた。

「わあぁ!?」

 突然の大声に驚いて、わたわたと距離を離す。
その動作が何だかとても可愛らしくて、先程の恐怖も和らぎほっと息を吐く。
よかった、夢から覚めたんだ。
 心配そうにおろおろとしている里香に夏樹は笑い掛けた。

「おお、おはよ」
「お、おはよ。おにぃどうしたの? なんかうなされてたけど」
「いや、ちょっと夢見が悪くて。つーかお前なんで俺の部屋に?」
「え? 朝一番のおにぃの背後を取ろうと思って」
「なにそれこわい」

 相変わらず里香はよく分からなかった。

「おはよ母さん」
「うん、おはよう夏樹。顔を洗ってきて、ご飯もうできてるから」
「はーい」

 リビングに入ると旅行から帰ってきた母親が朝食を準備してくれていた。
 正直「母親」と言っておかないと、下手すると姉弟と勘違いされてしまうくらいに夏樹の母親は若々しく可愛らしい。
 昔からそうだったらしく、夏樹の父親は「一目見た瞬間、リアルに恋したんだよ、俺は」と今でも言っている。
 そういう恋人夫婦だから、二人きりで旅行に出かけることも結構ある。子供としては、夫婦仲が良くていいと思う反面いい加減砂糖吐きそうになるイチャツキぶりを見せつけるな、という非常に複雑な心境だった。

「いただきまーす」

 言われた通り顔を洗ってきて、味噌汁、ごはん、鮭の鉄板な朝食を食べ始める。
 うむ、うまい。
 八尺様の作るごはんも美味しかったが、母親の料理というのは美味しい以上に何となくほっとする。こういうのをおふくろの味というのだろう。
 そんな食卓でキュウリ一本を丸かじりしている妹は、正直どっかで頭のねじを落してきたんだと思う。

「あ、おにぃ今私のこと馬鹿にしたでしょ? あのね、女の子は大変なんだよ?」

 詰まる所ダイエット中な訳だが、せめてサラダにしろよと思わなくもない。
 まあ里香の好物はキュウリなので、本人的にはあれで満足なのだろう。ちなみにもう引退しているが、妹は水泳部である。キュウリ好きで泳ぎが得意、何処のカッパだお前は。
 あと友人の寺井明生は里香の競泳水着写真(盗撮)を持っている。スレンダーかつ出るとこ出てる里香ちゃんは最高、らしい。勿論当然のごとく写真は破り捨てておいたが

「おはよ、なっき」
「おー、じゃ行くか」

 取り敢えず朝食を終え、背中に引っ付いてきた妹を引き離し、いつも通り久美子と学校に行く。
 変わらない一日の始まりだ。
 ただ、夏樹の胸の内には若干の不安があった。
 昨夜見た夢。
 人を殺す、猿の夢。
 その話を、夏樹は前日の夜にインターネットで見ていた。
『猿夢』
 物語を知ったもののみを死に至らしめる、夢の殺戮を現実へと変える都市伝説である。



 ◆



 猿は、古来『山神』とされた。
 人型でありながら人ではない異形で、山を縦横無尽に駆け回る。
 古い時代、山は神や怪異の住まう場所であり、そこを自由に動く猿は山神の使者、時には山神そのものと考えられた。
 時代が下れば神性は堕ち、神も妖怪に落とされる。いつしか山神であった猿は、“ヒヒ”、”サトリ“などの妖怪となった。
 故に猿が怪異を引き起こす、というのは決して荒唐無稽ではなく、寧ろ彼等は獣の中でも高純度の怪異を内包する存在だ。

 ただ猿の持つ性質は、本来夜や夢といったものとはかけ離れている。
 日の出になれば騒ぎ出す猿は太陽と深い関係を持つと考えられ、猿は山の使者である同時に日神(太陽神)の使者だった。
 そしてニホンザルの古い表記は“真猿”であり、“真猿”は“勝る”や“魔去る”に通ずることから、猿は退魔の象徴でもあった。
 更に言うならば、神という漢字は『申(さる)に示す』である。
 申は陰陽五行説において『金』に相当する干支であり、金は仏身を表す。
 このことから、神は人の前に姿を現す時、猿の姿を持って示現すると考えられた。釈迦が神──『山王権現』と呼ばれる存在だ。
 即ち古代日本において猿は魔を払い、夜の終わりを告げる太陽の神だったのだ。


 では、猿の怪異でありながら夜の象徴たる夢と結び付く猿夢は物語として間違っているのだろうか。
 実はそういう訳でもない。
 夜・夢といった要素と結び付く猿も日本には存在している。
 といってもその猿は日本特有のものではなく、ルーツを辿れば古代オリエントにまで遡ることが出来る。
 それは一般にも広く知れ渡っている猿。誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。

『見ざる・聞かざる・言わざる』

 いわゆる“三猿”である。
 三猿は先程挙げた『退魔の象徴』であり、同時に夢……というよりも夜と睡眠に関係の深い猿である。
 何故ならば、三猿は“庚申信仰”と強い結びつきを持つからだ。

 庚申信仰とは中国道教における“三尸説”を根幹に、多種多様な思想・民間信仰・習俗が合わさった複合信仰である。
 その中でも有名な考えが、“庚申待ち”であろう。
 道教では人間の体内には三尸と呼ばれる三匹の虫がいるという。
 そして六十日に一度の庚申の日に眠ると、三尸が体から抜け出し、天帝にその人間の罪悪を告げ、その人間の命を縮めるとされている。
 しかし宿主が起きていると三匹の虫は体の外に出ることが出来ない為、庚申の夜は眠らずにすごすようになった。
 これが庚申待ちである。

 三尸説は日本に入って来た時、先程も少し触れた山王権現と結び付いた。
 その結果、庚申信仰における主祭神は青面金剛となった。
 青面金剛は三尸を抑える神であり、彼が使役する猿こそが三猿。
 つまり三尸が天帝に人間の悪事を報告しようとすることを、「見ざる・聞かざる・言わざる」させるのがこの神の役割である。
 もう一つ重要な点は、この神はそもそも疫病を蔓延させる悪鬼だということだ。
 青面金剛は疫病神としての側面を持ち、そのことから三猿=三尸とする説もある。
 だから三尸は彼の神がいると、何も見えなくなり、何も聞こえなくなり、何も言えなくなり、天帝への報告も出来なくなるという。
(ちなみに神道に置いては庚申における主祭神は猿田彦、ここでも猿である)

 と、ここまで長々と語ったが、庚申信仰における重要な点を箇条書きにしていこう。

 一つ。『特定の日に眠ると寿命が縮まる』
 二つ。『六十日後、同じように眠ると寿命縮まる日が来る。(続きがある)』
 三つ。『庚申信仰における主祭神は青面金剛、或いは猿田彦。どちらにしても猿に深いかかわりを持つ神である』
 四つ。『庚申信仰における三尸は、日本に入ることで山王権現(猿神)と結び付き、三猿と近しい存在になった』

 即ち庚申信仰の根本は、『眠ると死に近づく虫と、それを防ぐ猿』の構図。
 そして一説によれば三尸と三猿は同一の存在。
 ここまで言えばもうお分かりだろう。
 庚申は『眠ると死に至る猿の夢』。
 即ち猿夢とは、守庚申の亜種だと言える。

 つまり物語が伝えるのは庚申信仰と同じく『因果応報』。
 悪いことをすれば悪いことが返ってくるということ。 
 例えば、見るな・聞くなのタブーを破るなど、してはいけないことをすると猿夢に殺される。
 事実、猿夢はそれを知るものの所にのみ訪れる。
「聞くなのタブー」を破った罰として、彼の夢は人を殺す。
 あらゆる怪異における共通のルール。
 結局は、清廉潔白な人間こそが最後には命を繋ぐのだ。



 ここでもう一つの疑問。
 猿夢の猿が庚申信仰における猿ならば、そいつは「喋ることが出来ない」ということになる。
 ならば、アナウンスを流しているのは一体誰だろうか?



 ◆



「うーん、分からん」

 夏樹は図書室で怖い話系の本を読んだりネットを調べて見たりと猿夢について調べてみた。
 なかなか興味深い考察は見つかったが、どうにも決め手にかける。思い悩んでいると、隣で図書室に置いてるマンガNo.1「はだしのゲン」を呼んでいた久美子が不思議そうに問うた。

「さっきからなにに調べてるの?」
「いやー、俺昨日、猿夢見ちゃってさ」
「……なっきってさ、絶対呪われてるよね。八尺様の時といい」

 それを言うならくねくねもだ、とは勿論言わない。くねくねは原因不明の怪談のままでいい。それくらい、久美子と過ごす毎日には楽しかった。

「そう言うなって。とにかく、分からないんだよ」

 紐解くには庚申信仰だけでは足らない。猿夢は庚申信仰における三猿と、あと一つ何かが複合して造られた怪奇譚なのだ。だがそのあと一つが分からない。

「やっぱりアナウンスが引っ掛かるんだよな。あと最後のやつ、なんだっけ」
「最後のやつ?」
「いや、夢の最後でさ。長き夜の、目が覚めるとか船がどうとか、そういう短歌っぽいのを言ってたんだよ」
「ああ、“長き夜の 遠の睡りの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかな”?」

 断片的な情報だけで久美子は見事に正解を言い当ててしまった。正直驚きである。

「みこ、凄いな! ていうかよく分かったな」
「なっき。これ、昨日の現国でやったよ? 回文になる短歌とか俳句。草の名は、知らず珍し花の咲く、とか。……もしかして、聞いてなかった?」

 爆睡していました、とは言えなかった。
 つつ、と目を逸らしながら完全な棒読みで夏樹は答える。

「……いやー、やっぱみこはすごいなー」
「目、逸らさない。今度私と一緒に勉強ね。というかなっきて頭いいくせに勉強下手だよね」
「そもそもあんま興味ないですし……あーあ、やぶ蛇だったか」
「猿の話じゃなかった?」

 まさか命の危険が差し迫っているというのに勉強まで伸し掛かってくるとは。
 変なところで打ちのめされた夏樹は、気を取り直して怪異の方に意識を向ける。

「で、それってどういう意味?」
「えーっと、待って。確かノートに……ああ、あった。進みゆく船は心地良く波音を立てるので、過ぎ去る刻の数えを忘れてしまい、ふっと“朝はいつ訪れるのだろう”と想うほど夜の長さを感じた……だって」

 久美子の解説に、夏樹は少しだけ戸惑う。
 確かに「朝はいつ訪れるのだろう」とは思ったが、心地好いとは欠片も思わなかった。なんというか、猿夢のアナウンスは非常に皮肉屋だった。

「あれ? でも猿夢の話に和歌なんて出て来たっけ?」
「ネットで調べたのではなかった筈なんだよな。うーん、何だったんだろうか」

 和歌と猿夢。思い悩んでも答えは出てこない。
 さて、どうするかと考えていると、図書室のカウンターにいる図書委員が、何冊かの本を片付けているのが見えた。

「ごめん、みこ。ちょっと離れる」
「ん?」

 久美子の返答を聞かず、一直線にカウンターへ。
 図書委員の女の子が片付けていた本に目を付けた夏樹は、同時に行動していた。
 断っておくが、夏樹は頭が悪い訳ではない。学校の勉強に興味が無い為授業はよく寝ていたりしているが成績は上の下くらいはある。本を読むのは好きだし、考察や推測など頭を使うこと自体を楽しめる人種だ。
 それはそれとして、三つ子の魂百までともいう。
 子供の頃の性質というのは成長しても然程変わらない。つまるところ藤堂夏樹は頭が悪い訳ではないが、今もって基本的に好奇心旺盛で、我慢の利かない馬鹿だった。

「なあなあ図書委員さん!」

 それ故に行動的で、判断が早いというのは彼の長所だろう。
 読書や考察などが嫌いでない割りに、思慮が足りないのは短所だが。

「ひっ」

 思わず大きな声で図書委員に話しかけると、怯えたように身を竦ませた。
 見た目も眼鏡が似合う文学少女、何処となく気弱な印象だ。いきなり見ず知らずの男に声を掛けられて、かなり戸惑い視線をあちらこちらに泳がせていた。
 しまった、興奮しすぎた。すぐさま謝ろうとして、しかしそれよりも早く後頭部が誰かに抑え付けられた。

「もう、ごめんなさいねー。うちの子が」

 いつの間にか隣にいた久美子が、無理矢理頭を下げさせていたのである。謝ろうとしていたのだから、無理矢理って程でもないが。

「なっき、女の子は繊細なんだから。そんな怖い顔で迫らない!」
「いや、迫ったっていうか。ちゃんと謝ろうと思ってたし」
「言い訳しない。本当にごめんね、うちの子が」
「うちの子連呼すんなちくしょー」

 夏樹と久美子のやり取りに怯えが少し取れたのか、カウンター越しに委員の女の子は少しだけ穏やかな顔を作った。
 その表情を見て安堵した夏樹は、ようやく目的のものに手を伸ばす。

「悪い、これ借りたいんだけど」

 それは図書委員が片付けようとしていた本の一冊だった。
 表紙には猿の絵、本の題名は「猿でも分かる短歌」。いや、短歌で猿とはなんともタイムリーなタイトルである。

「あ、はい……」
「おー、ありがとう」

 か細い声で、やはり気弱そうな女の子だったが、慣れているのか仕事はえらく早い。淀みなく手続きを終わらせ、直ぐに本を渡してくれた。
 それを笑顔で受け取り、ぱらぱらとページをめくりながら久美子と一緒に図書室を出る。

「で、それ何かの役に立ちそう?」
「わかんねー。だけど、和歌をかじれば猿夢とコミュニケーションとれるかもしんないだろ?」
「うわぁ、猿夢と会話しようとか……」

 何故かすごく呆れた顔をされてしまったが、夏樹はとても満足していた。
 別に何か解決策が浮かんだ訳ではないが、幾分心は軽くなっていた。



 ◆



「次はひき肉、ひき肉です」

 また夢の時間が来た。
 夢は昨日の続きから始まる。そしてつんざく悲鳴も昨日と同じように。
 この夢の中で殺されれば、そこで終わる。後ろにはあと三人、着実に順番は近付いてきている。
 何かアクションを起こさねば、確実に藤堂夏樹は死ぬ。

「なあ、あんた誰?」

 だから彼は動いた。
 選んだアクションは「会話」。夏樹が命を繋ぐための条件は、“自分の番”が回ってくるまでに猿夢を、正確に言えば死のトリガーとなるアナウンスを説き伏せることだ。

「俺、猿夢に付いて調べたんだけどさ。話の構成を見るに、猿とアナウンスは別の存在なんだよな。猿夢の猿は、喋れない筈なんだから。なあ、この夢ってなんなんだ? それであんたは?」

 アナウンスが止まった。最後尾は“ひき肉”にされたが、次の駅はまだ訪れない。まずは上々の滑り出しだろう。

「……寄りてこそ それかとも見め たそかれに  ほのぼの見つる 花の夕顔」
  
 返ってきたのは答えではなく和歌。昨日までなら疑問符を浮かべるだけで終わったが、今日は違った。さっそく寝る前に読んだ本が役に立つ。

「近寄って見れば誰だかわかるでしょう。夕暮れにぼんやりと見た夕顔の花じゃ誰だかわからないでしょうし……。源氏物語だな」
 
 何とも雅やかだ。
 猿夢はこう言っている。近くに寄って見なければ、誰かとはわかりませんよ。私の正体を知りたいなら、お会いしましょう。
 死に至る夢にいながら、夏樹はくすりと笑った。猿夢はまるで恋の駆け引きに誘っているようだ。

「じゃあ、会いたいって言ったら会ってくれるのか?」
「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそ惜しけれ」
「おい待てやこら」

 思わず言葉が荒くなる。
 これは百人一首にもある歌だ。内容は「でも友達に噂されたら恥ずかしいし……」というようなものである。誘っといてそれはあんまりだろう。

「次は、引き伸ばし。引き伸ばし、です」

 やっちまった。選択肢のミスで順番が進んでしまった。
 プレスのような機械に掛けられ、最後尾の男が血を撒き散らし“引き伸ばされた”。これであと二人。
 もっと慎重にすすめないといけない。性急に進められるのは好きじゃないようだ。
 和歌で返してくるということは名前を直接聞くといった方法も意味がない。なら、次の一手はこれだ。

「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今一度の 逢ふ事もがな、ってのはどうだ?」

 私は間もなく死んでしまうのですが、あの世に於ける思い出として、せめてもう一度逢ってほしいものです。
 今一度も何も、まだ一度も会っていない。しかし死に往く者が会いたいと願う短歌だ。今のシチュエーションにはぴったりだろう。

「のちにまたあひ見むことを思はなむ この世の夢に心まどはで」
「うおお、そう来るか」

 やばい返歌が来た。
 この世の夢には惑わされず、あの世でまた会うことを願っています。
 つまり死ねってか。一緒に死んだら会ってあげるってか。しかも猿夢にかけて夢の短歌で返してくる辺り、相手の方が一枚上手だ。
 夏樹は引き攣った表情になった。だが、相手の反応自体はいい。短歌で攻めるのは悪くないようだ。

「な、なら!  来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ!」

 私の身は姿を見せてくれないあなたに焦がれているのです、と夏樹が言う。

「うぅ……よ語りに人や伝へん たぐひなく憂き身を 醒めぬ夢になしても」

 またかよ畜生!?
 アナウンスは返す。夢に消え去るとしても、噂になったら恥ずかしい。
 どんだけシャイなんだよ怪異。夏樹は思わず突っ込んだ。いや、でも反応はある。このまま積極的に攻めれば、或いは。

「つ、次は……串刺し、串刺し、です!」

 そしてまたミスってしまった。最後尾の女性はその身を貫かれ死に絶える。ふわりと漂う血の香り。あと一人。次の次には夏樹の番だ。
 迫り来る死を前に鼓動が脈打つ。
 落ち着け。会話自体は好感触だ。後はがっつかずに自然な流れで相手の正体を知るか、この電車を止めさせるか。
「大丈夫だ」と夏樹は自分に言い聞かせ、思考を働かせる。
 まずこのアナウンスは、自分から恋の和歌を使って誘うような仕草を見せた。
 しかしこちらが攻めると躱すのではなく恥ずかしがる。おそらく相手は女性、恋愛経験はあまりない夢見がちな少女だ。いや、ネカマという可能性も否定はできないが。
 ともかく相手が少女と仮定して、夏樹は次の一手を打つ。

「まずは……風かよふ寝ざめの袖の花の香に かをるまくらの春の夜の夢」

 風が運んできたのは花の香なのか、それとも夢の中のあの人の香なのか、私はいったい目覚めているのか、夢の中にいるのか。
 漂う彼女の香りが血の匂いでは些か物騒ではあるが、と夏樹は微かに笑ってみせた。
 そして更に短歌を続けて見せる。

「そんで、寝られぬをしひて我が寝る春の夜の 夢をうつつになすよしもがな!」

 春の夜の夢を現実にする術はないものか。
 春の夜の夢で揃えてみた。直接会いたいと謳うのではなく、この夢の逢瀬が現実でも在ればいいと夏樹は言う。
 さて、どうでる? 待ち構えていると、数瞬の間を置いてから声が聞こえてきた。

「照りもせずくもりもはてぬ春の夜の おぼろ月夜にしくものぞなき」

 春の夜の、明々と照っているのでもなく、曇っているのでもなく、おぼろな月にまさるものはない。
 そしてアナウンスは何処か寂しげに告げた。

「……ながむれば山よりいでてゆく月も 世にすみわびて山にこそ入れ」

 山から出た月もこの世にすみ侘びて山に帰ってゆく 私もそうなるのでしょう。
 夏樹が「春の夜の夢を現実にする術はないものか」と詠んだのに対し、アナウンスは二つの短歌を合わせ「春の夜に映えた月は美しいが、世に住み詫びて月は山に帰る」と返した。
 つまり彼女は夢が現実に為ったら、あなたはがっかりすると言っているのだ。
 これで確信が持てた。この猿夢には庚申信仰における因果応報だけではなく、別のなにか、おそらくは現実に存在する意思が介在している。
 そしてそれは多分、どこか自分に自信を持てない、そういう女の人だ。

「次は吊し上げ、吊し上げ、です」

 真後ろの男が首をつって死に、これで次は夏樹の番。もうすぐ、自分は死ぬ。
 おそらく次の言葉が最後。此処で選択肢を間違えれば、そこでアウトだ。
 ならばどうするか。思い悩んでいると、アナウンスから再度声が聞こえてきた。

「活造り。串刺し、ひき肉。あなたの最後は、どうしますか?」

 短歌以外の問いかけ。
 遊びは終わりということか、それとも別の意図があるのか。
 どちらにせよ次で決まる。
 夏樹は少し俯き、しかしすぐさま顔を上げ、不敵に笑ってこう答えた。

「恋ひ死ねとするわざならし むばたまの夜はすがらに夢に見えつつ。……焦がれ死に、なんてどうだろう?」

 あなたが一晩中夢に出てくるのに会えないなんて、焦がれ死にしろというのか。
 呆気にとられたのか、二の句を告げられなくなるアナウンス。
 その隙に最後の歌を彼女へ贈る。

「あとは、そうだな。うつつには 逢ふよしもなし ぬばたまの 夜の夢にを 継ぎて見えこそ、ってとこか」

 さて、彼女はどう返してくれるだろうか。
 短歌で命のやり取りをするなんて初めての経験だった。中々楽しかったし、結果がどうなっても満足だ。
 だから夏樹は穏やかな気持ちで彼女の答えを待ち────













 ────そこで、目を覚ました。



 ◆



 それから、猿夢を見ることはなくなった。
 アナウンスの彼女が最後の歌に何を思ったのかは分からない。しかし何も起こらなかった、ということは結局彼女の興味は引けなかったのだろう。
 それが何となく残念だったが、とにかく命は助かった。結果だけ見れば喜ばしいことではあった。
 そうして数日経ち、必要のなくなった「猿でも分かる短歌」を返す為夏樹は図書館に訪れた。
 今は調べ物もない。一直線にカウンターへ向かい、図書委員に本を差し出す。見れば借りた時と同じ委員だった。

「……あの、間違ってます」

 か細い声で、少女は言った。

「え?」

 声を掛けられたことが意外で、夏樹は目を見開いた。
 改めて見ると、彼女の顔には覚えがある。というか同じクラスの女の子だと今更ながらに気付いた。
 確か名前は、金城奈緒(かねしろ・なお)、だったか。
 同じクラスといっても話したことは殆どない。教室でも一人で本ばかり読んでいる、眼鏡をかけた長い黒髪の、物静かな女の子だ。

「あれ、もしかして返却の仕方違った?」
「あ、いえ。あの…そうじゃなくて……」

 彼女はもじもじと躊躇いがちに、頬を染めながら、それでも言葉を絞り出す。

「恋ひ死ねとするわざならし むばたまの夜はすがらに夢に見えつつ……この歌は、現実ではほとんど会えないのに、夢で逢うから焦がれて死ぬんです。だから、間違ってます」

“あの時”はあなたとはまだ会っていないのだから、あのタイミングで“焦がれ死に”なんて使うのは間違っていると彼女は言う。
 つまり、そういうこと。
 彼女が、猿夢のアナウンスだ。

「……夢のこと、覚えてる?」
「はい、少しは。死んでいく人たちの死に方を伝える役目を夢で与えられて。抜け出せなくて、口だけが勝手に動いて。……でも、藤堂君が助けてくれました」

 彼女もまた猿夢に囚われていたのか。
 やはりアナウンスと猿夢は別の存在だった。

「何にもしてないと思うんだけどなぁ」
「そんなこと…ないです……。私に、気付いてくれました」

 たおやかに少女は笑う。
 その笑顔が本当に穏やかだったから、その分くらいは誇ってもいいような気がした。




 ところで、倩女離魂(せいじょりこん)という物語をご存じだろうか。
 
 倩女という娘には王宙という従妹がいた。
 二人はいつしか恋仲となり、しかし倩女の父親は資産家の青年に娘を嫁がせることにしたのである。

 倩女と王宙は結婚させてくださいと頼むが父親は取り合わない。結局倩女は資産家の青年と結婚することになった。

 彼女が他の男と結婚する様など見たくないと、王宙は住んでいた土地を去ることにした。
 誰にも告げずに家を出て、船に乗って故郷を離れた。
 しかし船に乗ろうとすると聞き慣れた声がした。振り返れば、そこには倩女がいた。 彼女は「わたしも一緒に連れて行って・・・・・・」と願う
それは王宙も望んでいたことだ。二人は自然と手を取り合い、駆け落ちを選んだ。

 五年の月日が流れた。
 幸せな日々を過ごす二人は、けれど何処か後ろめたさもあった。だから二人は話し合って、故郷に帰って両親に謝罪することにした。
 二人は子どもを連れて船に乗り、故郷に着いた。

 まず最初に、王宙だけが倩女の家に行き、両親に謝罪することにした。
 王宙が駆け落ちのことを謝ると倩女の両親は、「そんな馬鹿げたことがあるはずがない」と驚いた。
 意味が分からず聞き返せば、王宙が故郷を離れたあと、倩女はまるで魂が抜けたようになって、じっと家で寝ているのだという。

 そんな馬鹿な。王宙は倩女を迎えに行った。
 すると、それまでずっと家で寝ていた倩女が起き上がり、船から来た倩女をにっこりと笑って迎え、二人の倩女が合わさって合体して一人になったそうだ。
 

 これが倩女離魂。
 魂が体から離れ、愛しい人の元へと辿り着いた物語である。


 この話は中国のものだが、体から魂が抜けだす話は世界各国に多く残されている。
 日本においては生霊信仰がそれに相当する。江戸時代には体から生霊が抜け出し歩きまわることは病気の一種、いわゆる『離魂病』として認知されており、かつて夢とは生霊が遊び歩いている間に見ている光景と解釈されていた。
 そして生霊が歩き回ることを「あくがる」と言い、「憧れる」という言葉の由来とされている。
「憧れる」は、古くは「あくがらす」。あたかも体から霊だけが抜け出して意中の人のもとへ行ったかのように、想いを寄せるあまり心ここにあらずといった状態を「憧らす」と呼んだ。


 つまり想う心は体を抜け出し、心を注ぐ彼の人の元へと辿り着く。
 あなたが見ていた夢で逢った誰かは、いつか現実で出会う人だ。


 それが猿夢の最後のピース。
 庚申信仰と生霊信仰の複合系。
 因果応報によって死に至り、死の訪れを生霊が告げる怪異譚。
 誰かの想いをトリガーに引き起こされる、想う人・想われる人で共有する死の悪夢。
 だから猿夢を打破する方法は簡単だ。
 猿夢のアナウンスを”口説き落とす”。
 そうすれば、死は決して訪れない。

「成程、“夢の中夢もうつつも夢ならば、覚めなば夢もうつつとしれ”ってことか」

 夢の中では、夢を見ている人にとっては夢こそが現実。
 ならば夢から覚めても、見ていた夢は現実と変わらない。
『続後拾遺和歌集』にある覚鑁上人(かくばん しょうにん)の作だ。
 昔から論じられていることではあるが、夢と現実の境など曖昧なものだ。
 だから夢で出会った怪異と現実で再会するなんてこともあるだろう。
 夏樹にとって幸運だったのは、怪異の正体が淑やかな少女だったことだ。

「というか、金城さん。もしかして俺のこと」
「え、あの、そうじゃ…なくて……」

 生霊となった彼女が猿夢として夏樹の夢に現れたのはもしかして。
 そんな期待を持って彼女を見れば、何のことはない第一声で否定されてしまった。
 けれど金城奈緒はほっこりとした暖かい声で言葉を続ける。

「でも、藤堂君のことは…時々見てました……。私、図書室によくいますから。本を読んでるけど元気で、ちょっと変なとこもあるけど楽しくて。憧れ、てたのかもしれません」

“恋する相手”ではなく“こういう人”になりたいという意味で。
 引っ込み思案で一人で本ばかり読んでいた彼女にとっては、同じ本好きだけど友達と馬鹿をやれる夏樹は憧れだったのかもしれない。
 ……もっとも夏樹が図書室で本を読んでいた理由は、好き以上に八尺様とかくねくねとか割合のっぴきならない状況のせいだったりするのだが。

「なんか、照れるな。じゃあ……俺は、藤堂夏樹。よろしくな」

 いきなりの自己紹介に、奈緒は不思議そうに小首を傾げた。
 その仕種がやけに可愛らしくて。にやりと夏樹は笑った。

「名前教えてくれよ。今度夢で逢えたなら、しっかりと君の名前を呼びたいんだ」

 そう言って、赤く染まる顔こそが見物だった。



 これで猿夢の話はおしまい。
 猿夢の中で会った生霊は、少しばかり照れ屋な女の子だった。
 猿夢が消えた訳ではない。日々の悪行は変わらず彼の中に在る。それでも彼女が居たからこそ猿夢が引き起こされたならば、今後夏樹が猿夢を見ることはないだろう。
 血生臭い出会いではあったが、そんなに悪いものでもなかった。
 付け加えるのならば、夢における死という結果は悪いものとも限らない。
 夢は常に寓意を孕んでいる。
 そして夢における死は「願いの成就の象徴」である。だとすれば、猿夢で死んだ者達は、案外現実世界で誰かと結ばれているのかもしれない。
 そう思えば猿夢もそんなに怖いものではない。
 この二人がどうなるかは、誰にも分からないことだけど。




 ちなみに猿の異称を“ましら”と言い、これは獣の中でも和歌によく詠まれる言葉である。
 洋の東西を問わず山は神聖な場所であり、詩人にとっては詩的な霊感を与えてくれる場所だった。ならばこそ山神と同一視された“ましら”───猿は、和歌と切っても切れない関係にあった。

「でさ、まだ答え聞いてないんだけど」
「うぅ…えう?」

 顔を真っ赤にして照れ続ける少女。
 まだ混乱から立ち直れていない奈緒に夏樹は言った。

「だから、“うつつには 逢ふよしもなし ぬばたまの 夜の夢にを 継ぎて見えこそ”」

 夢の終わりに彼女へと送った短歌。
 現実には会うこともないだろう。ならばせめて、私の夢に毎夜出て来てはくれないか。
 猿夢の続きを望む無謀な言葉。彼女はこれにどう返してくれるのだろう。

「ゆ、“夢路には足もやすめず通へども うつつに一目見しごとはあらず”……です」

 なるほど、そうくるか。
 今度は夏樹が顔を真っ赤にする番だった。



















 おまけ 猿夢と仮面。

 今回は猿夢、三猿と悪夢の関連性、そしてその打破がのお話のキモですが、実はこの題材を十年以上前に取り扱ったものがあります。
 そう、「女神異聞録ペルソナ」です。
 初代ペルソナの主人公の初期専用ペルソナは『セイメンコンゴウ』。これは今回のお話でも触れた「青面金剛」のことです。
 そして初代のペルソナのセベク編は「少女の悪夢に取り込まれた主人公たちが、現実へと帰還する物語」です
 主題自体が悪夢の打破であり、その主人公がセイメンコンゴウなのは非常に面白い。
 青面金剛は死に至る夢を抑える神であり、悪夢を相手取るには相応しい存在と言えるでしょう。
 そして更に言えば主人公の後期ペルソナはヴィシュヌ。
 ヴィシュヌは青面金剛のルーツでもあり、同時に太陽神としての特性を持ちます。
ヒンドゥー教における釈迦はヴィシュヌのアヴァターラとする説があります。とくれば本編中でも軽く触れましたが、釈迦が神───山王権現、つまり猿神が関わってきます。まあヴィシュヌはいろんなものを取り込む神なのでそこまで言及していくと何でも言えてしまいますが。
 それはそれとしてヴィシュヌは太陽神であり、目覚めを意味する神です。
 死に至る夢を抑える神から最終的に目覚めを意味する神に変化することは寓意的で、流石アトラスと言わざるを得ません。
 アトラスは猿夢が流布される以前から、死に至る夢を打破していました。
 つまり猿夢に対抗するTは寺生まれのTさんより藤堂尚也ってことです。
 気になった方は中古でプレイしてみてはいかがでしょうか。
 ステマ終了。





[39681] 都市伝説・あなたの後ろのメリーさん
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:49249770
Date: 2014/06/19 21:09
 多分どこかで捨ててきたのだと思う。
 見つからないのならそういうことだろう。



 ◆


 とある日曜日の午後、藤堂夏樹は駅前の噴水広場できょろきょろと辺りを見回していた。
 今日は折角の休み、昼食がてら買い物でもと思い、待ち合わせの最中である。
 相手は女の子なのだが、そう色っぽい話ではない。
 なんせ一緒に出掛ける女の子は藤堂里香(とうどう・りか)、つまり二つ下の妹である。兄妹二人して恋人もおらず、休みの日はどうにも寂しくていけない。
 それに耐えかねたのか、

『おにぃ、今日は私とデートね!』

 里香はそう元気よく宣言した。
 普段なら幼馴染の久美子と遊びに出かけたり、八尺様と一緒に散歩したり、最近では同じクラスの金城奈緒という女の子と図書館に行くこともある。
 しかし今日に限ってはなんの予定もなく、ならば偶には妹の相手をするのもいいだろうと夏樹はデートとやらをすることになった。
 
 そして、同じ家だというのに里香の要望で待ち合わせなんぞをしているのだが、肝心の妹は未だ現れない。約束の時間からもう20分も待っている。あいつ、忘れてるんじゃなかろーかと思い始めた時、ちょうど携帯が鳴った。

「おーい、おせーよ」

 きっとあいつだろうと、何も考えず電話に出る。名前を確認もしなかった。
 そうしてスピーカ越しに聞こえてきたのは女の子の声だった。



『もしもし私メリーさん。今あなたの家の前にいるの』



 ……それはあまりにも有名な都市伝説。
 “メリーさんの電話”だった。
 物語は以下のように流れる。
 とある少女が引越しの際、「メリー」と名付けられた古い外国製の人形をやむを得ず捨ててしまった。
 その夜、少女のもとにいきなり電話がかかってくる。

『私、メリーさん。今、ゴミ捨て場にいるの』

 少女は気味悪く思い電話を切るが、すぐにまたまたかかって来て

『私、メリーさん。今、郵便局の近くにいるの』

 電話がかかってくるたびメリーさんの現在地はどんどん自分の家に近づいてくる。

『私、メリーさん。今、あなたの家の前にいるの』

 ついにすぐそこまで来てしまった。
 怯える少女。 思い切って玄関のドアを開けるが、そこには誰もいない。
 そして再び鳴る、最後の電話。





『私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの』





 その後少女がどうなったかを知る者は誰もいない。
 それがメリーさんの電話。
 けたたましく電話を鳴らし、そっと背後に忍び寄る都市伝説。
 話の筋書きは夏樹も知っている。
 だからふと思い出す。
 ああ、そういえば捨てたっけ。
 昔々、今の家に引っ越す前のこと。
 大切にしてきた筈のものを、夏樹は捨てたのだ。





 ◆
 




 多くの類型において“メリーさん”というのは少女が名づけた名前になっているが、おそらくこれは間違いだろう。
 祖母から贈られたという点、そして西洋人形という点を下敷きにすれば、贈られた西洋人形は“メリー人形”だったとした方が自然だ。

 メリー人形を説明するには、まず“青い目の人形”について語らねばならない。
 青い目の人形は、昭和の初めにアメリカから日米親善使節として日本各地の小学校に贈られた、数多くの人形をさす言葉である。
 当時日米関係は政治的緊張から悪化の一途をたどり、対立を懸念したアメリカ人宣教師のシドニー・ギューリックは、少しでも日米間の緊張を緩和しようと親善活動を行っていた。
 その一環として日本の小学校に贈られたのが青い目の人形だ。
 これらの人形はシドニー・ギューリックの「日本の雛祭りに人形を送ろう」との呼びかけによって全米から集められたもので、それぞれ名前を持っている。
 例えばナンシー。
 例えばパトリシア。
 例えばキャサリン。
 そして例えば、“メリー”。
 メリーと名付けられた人形は一体ではない。日本各地の小学校にメリーさんの人形は贈られることになる。
「メリーさんの電話」の舞台設定を現代の2000年代前後とするならば、少女の祖母にとってもっとも身近な西洋人形がこの“青い目の人形”。おそらくは若かりし頃通った小学校にはメリー人形があったのだろう。
 しかし不幸なことに、太平洋戦争に突入すると、メリー人形は敵性人形という理由でほとんどが廃棄された。
 中にはこっそりと保管されていたものもあるが、戦後に校舎改築を行った際行方不明になったものも多く、現存する数は非常に少ない。
 皮肉なことに、メリーさんの多くは都市伝説と同じようにゴミとして捨てられたのだ。
 


 さて、もう一つ注目したいのは、このメリー人形がそもそも雛祭りの人形として送られている点である。
 女の子の日として有名な三月三日。雛祭りと言えば雛人形。
 しかし雛祭りが元々呪術的儀式であったことは多くの有識者の知るところだ。
 雛祭りの歴史は室町時代にまで遡り、しかしその頃の雛祭りは今のように豪奢な人形ではなく紙製。
 そして扱いも現在とは大きく異なる。
 紙製の雛人形を自身こすり付け、穢を人形に背負わせ川に流す。
 この“雛流し”と呼ばれる風習こそが雛祭りの原型であり、雛人形は本来厄払いの儀式に使用される呪物だった。
 ところが次第に人形は精巧な造りとなり、値段も跳ね上がる。そうすると川に流すのは勿体無いと、こうした風習は廃れていった。
 そして、いつしか雛祭りの目的自体が変化し、「1年間子どもが無事だった事」を祝う、女の子の祭りとなった。

  

 メリーさんの電話に登場する人形は、メリー人形であり、メリー人形は西洋製でありながら雛人形としての特性を備えている。
 メリー人形は親善の証として贈られながら、戦争によって憎悪の対象となり捨てられる運命にあった。
 雛人形はそもそも穢や厄をその身に溜め込み、川に捨てられる人形だった。
 更に言えば、雛人形の「雛」とは、「雛形」を略したもので、雛人形とはもともと「人間を小さくした物」という意味を持っている。
 つまり、「自分の穢を、自分と同じ形をした別の物に移す」と言う考えが雛流しの原義である。

 此処から考えれば、メリーさんの電話という怪異を紐解く時に、“人形には魂が宿る”という定型句を用いるのは少しばかりずれている。
 雛人形として贈られたメリーさんは、初めから穢れを溜め込み捨てられる運命にあり、いつか自分と“同じもの”になることが決定されている。
 つまりメリーさんを動かしているのは魂ではなく、物語に登場する少女が捨てた穢れであると言えるだろう。


 だからこそ、メリーさんの電話は「私メリーさん、今あなたの後ろにいるの」と締め括られる。
 原典にて少女が殺される描写がないのは、結末が分からないから。
 メリーさんは少女自身。彼女が背負わせてき厄そのものである。
 ならば少女がどうなるかは、彼女がメリーさんに何を背負わせてきたかによって変化する。
 故に結末は語られない。
 メリーさんの電話は捨てられた人形の復讐譚ではなく、傘地蔵に代表される、因果応報を語る仏教説話に近い都市伝説なのだ。
 

 だからきっと、あなたの後ろにメリーさんが来た時どうなるかも、あなたしか知らない。









 多分どこかで捨ててきたのだと思う。
 見つからないのならそういうことだろう。

『これはね、メリー人形と言うのよ』

 藤堂夏樹は東京に住む曾祖母が大好きだった。
 明治三十九年に生まれた曾祖母は、元々は華族の令嬢様だったらしい。それだけに語る話も耳慣れないものばかり。昔あった話を面白おかしく話してくれる百歳近い曾祖母を、祖母よりも年上だから“おおきいおばあちゃん”と呼んで慕っていた。
 そんな曾祖母がくれた古い西洋人形が、メリー人形だった。

『メリー人形?』
『そう。もうすぐ、妹が生まれるのでしょう? お兄ちゃんから、プレゼントしてあげて』

 これは夏樹が六歳の頃の話である。
 妹が出来ると両親から聞かされて、それが嬉しくて“おおきいおばあちゃん”とそのことばかりを話していた。
 オレ、おにいちゃんになるんだ。どうしよう、うまくできるかな。女の子と遊んだことなんてないしさ。
 エコー検査で生まれてくるのが妹と決まって、喜びはしたけど、同じくらい不安だった。子供ながらに、妹と上手くやれるか悩んでいたのだ。

『それならこの人形を上げる』

 それを見かねた曾祖母はメリー人形をくれた。
 妹が大きくなった時、これをプレゼントして、一緒に遊べばいい。そうすればきっと仲良くなれるから。
 曾祖母はそう言って優しく微笑んでくれた。

『……なれるかな』
『勿論』
『……うん!』

 そうして受け取ったメリー人形は、夏樹の宝物になった。
 妹が生まれてきたら、このお人形で一緒に遊んで、仲のいい兄妹になるんだ。
 両親は子供の名前をもう決めていた。里香。それが新しい家族の、自分の妹の名前。
 いつかで会う日が楽しみで、夏樹は毎日毎日母親のいる病院へ通った。
 おかあさん、だいじょうぶ? りかちゃん、まってるからね。
 無邪気に語り掛ける小さな夏樹を、両親は微笑ましく眺めていた。

『……………え?』

 けれど、妹が生まれてくることはなかった。
“流産した”。
 父親がそう言った。言葉の意味は分からないけれど、俯く父親とすすり泣く母親の様子から、それがとても悲しいことだと知れた。

『ごめんね、夏樹。ごめんね……』
『どうしたのおかあさん』
『里香ちゃんね、来れなくなっちゃったの』

 涙を流してこそ謝る母親にこそ、夏樹は泣きたくなった。
 泣かなくていいのに。勝手に期待したのは自分で、そりゃあ妹が出来るのは楽しみだったけど、おかあさんを泣かせたかった訳じゃない。
 だから夏樹はこう答えた。

『おかあさん、俺、大丈夫だよ。だから泣かないで。平気だから、おかあさんが平気でいられるように頑張るから!』

 その翌日、夏樹はメリー人形を捨てた。
 大好きな曾祖母から貰った人形でも、これは妹の為のもの。きっとこれがあると母親は余計に悲しむと、子供ながらに理解できた。
 メリーさんを、燃えるごみの日に捨ててきた。
 一緒になって、いろいろなものを。
 妹が生まれてこなくて、一番悲しんでいるのはおかあさん。
 だから捨てた、メリー人形を、妹が生まれてくることが楽しみだと笑った日々を。
 泣いているおかあさんを慰めたいと思った。
 だから捨てた、おかあさんに甘える自分を、守られるだけだった子供な自分を。支えることは出来なくともせめてもう一度笑ってほしいから。
 いろんなものを捨ててきた。
 そうして子供を捨てた夏樹は殊更子供で在ろうとした。
 馬鹿をやって、町中を走り回って、元気で、手のかかる子供でいよう心に決めた。
 お母さんが「このバカ息子!」と怒って、自分の世話に大変な思いをして、忙しい毎日に急き立てられて……生まれてこなかった妹のことを、いつか忘れられるように。
 家族の中で夏樹が一番に、里香という妹のことを、ゴミ捨て場に捨ててきた。

 みんなみんな大切だった。
 妹を楽しみにしていたのは嘘じゃない。
 夏樹だって、里香のいる未来を想像していた。

『リカねぇ、おにいちゃんとけっこんするの!』

 マンガなんかでよくあるパターン。
 里香は昔からお兄ちゃん子で、いつも一緒にいて、“お兄ちゃんと結婚する”なんてことを言う可愛らしい娘だった。

『お前その人形好きだよなぁ』
『えへへ、メリーさん可愛いでしょ?』

 夏樹が贈った西洋人形は里香のお気に入り、で何処へ行くにも一緒だった。
 無理矢理お人形遊びに付き合わさることもあるのかもしれない。
 でも捨てた。
 そんな妄想はいらない。
 いらなくなったものはさっさと捨てて、今自分に出来ることをやろうと思う。
 だから夏樹はメリー人形を捨てて、ゴミ捨て場を背にして歩き始めた。
 歩きながら、零れる涙を止められなかったことを、夏樹は今でも後悔している。

 多分、どこかで捨ててきたんだろう。
 見つからないのならそういうことだ。

 幼い子供でいられた日々は、こうして何処かに行ってしまった。



 ◆



 そして、メリーさんは走る。

『今、公園を通り過ぎたの』

 走って走って、あの人の元へと向かう。
 捨てられた人形は、何度も電話をかけて、持ち主の元へ帰る。
 その結末は、誰も知らない。

『今、コンビニの前にいるの』

 メリーさんの電話を紐解く際、重要な二つの古い説話がある。
 それは“カッパ”と“傘地蔵”である。

 カッパの起源を語る際、もっとも有名なものは「堕ちた水神」説であるが、そもそもカッパの起源説話は地方によって多種多様で、一概にこれと決めることは出来ない。
 しかしここで“メドチ”や“ひょうすべ”と呼ばれる東北のカッパの起源説話に触れたいと思う。
 何故、カッパが川に棲むようになったか。
 この起源を、東北では“捨てられた人形”に求めている。
 ある有名な大工が宮殿を建てる時、人夫が不足して約束の期日に遅れそうになり、木を組み合わせてたくさんの人形を作り、魂を吹き込んで人足にして働かせた。
 しかし無事に建物は完成した後、必要のなくなった人形たちを川に棄てたという。
 
 この人形がカッパとなった。
 棄てられた人形は、人を恨んで子どもを川に引きずり込んで殺す。
 カッパが川に引きずり込んで人を殺すのは、そこが自分の領域だからではなく、かつて自分が人に同じことをされたからそれを返しているのに過ぎないのだ。

 傘地蔵に関しては今更説明するまでもないだろう。
 お爺さんから受けた恩を返す為に、地蔵は動きお爺さんの元へ辿り着く。
 古来より人形とは人の雛型であり、受けた恩を返すことも受けた怨みを返すことも、彼等にとっては当たり前のことだった。
 だからメリーさんの電話は、単体では怪談にはなり得ない。
 メリー人形はあくまで、されたことを返す存在。
 人形を捨てたことのない人の下に来るはずがないし、来たとして、あなたがその人形を大切にしていたなら何も起こらない。
 ただし、捨てたことに対する報復くらいはあるかもしれないが。

『今駅が見えてきたの』

 ともかく、メリーさんは走る。
 あなたの元へたどり着く為。
 いつか捨てられた想いを、あなたへ届ける為に。



 ◆



 何度でも言うが、妹の里香は生まれてくることが出来なかった。
 ならば、二歳年下の妹である里香は何者なのだろう。
 分からないままそれを受け入れた。両親も、夏樹も。歪なまま、家族を構築してしまった。両親が何故それを受け入れたか、どれだけ考えても、夏樹には分からない。
 分からないまま、悪戯に時が過ぎて。
 母親を慰めたくて子供は捨てたけれど、大人になれる訳でもなく。
 子供でも大人でもない自分は、こうして今も妹が来るのを待っている。

「しっかし遅いなぁ」

 あの頃より少しは大きくなって、でもやっぱり大人にはなり切れなくて。
 それでも背が高くなって声は低くなった。力も強くなって色々なものを持てるようになったのに、何故だか昔持っていた筈のものが重く感じられて、持ちきれないものが増えていった。
 そうして捨ててきた沢山のもの。
 幼い憧れだったりとか、純粋に笑える心だったり、あるいは何も知らずにいられた子供の自分。
 例えば、妹が欲しいと思っていたことも。
 みんなみんな、道行きの途中で捨ててきた。
 誰にだってあって、誰だって捨ててくる。
 自分はそれが分かり易かっただけ。
 みんな気付かないうちに、メリーさんを捨ててくる。

 
 電話がまた鳴った。
 夏樹はそれを取り、受話器の向こうから少女の声が聞こえてくる。

『今、駅前の広場にいるの』

 さて、彼女は一体誰なのだろうか。
 メリーさんの電話を素直に考えるのなら、捨てられた人形?
 メリー人形が雛人形なら、自分自身。
 それとももっと、得体の知れない何かなのか。
 けれど彼女はこう言ってくれる。

『おっきくなったら、おにぃと結婚するの!』

 それは確かに、昔夏樹が抱いた想像で。
 だから多分、彼女は帰って来ただけなのだ。
 いつか捨てた想いが、少しばかり形を変えて。



 ***



 私は走る。
 私を捨てたあなたの元へ。
 お母さんの為に、自分の心を捨てて笑った。
 泣かせたくないから振り返ることもしなかった。
 でも知っている、去り際に流した涙のことを。
 生まれることさえなかった私を愛してくれた。
 生まれることさえなかった私の為に、泣いてくれた。
 捨ててきたものはいくつもある。
 大切に抱えて、それでも零していったものは数え切れない。
 優しいあなたは、きっとそれを悲しむだろう。
 だから私はあなたの後ろに。
 あなたが取りこぼした想いを、残さず拾っていけるように。
 何度でも、何度でも、電話をかけて。
 何度でも、何度でも、あなたの後ろに。
 私は、その為に還ってきたのだから。



 ***


『今、駅前の広場にいるの』

 またも電話がかかってくる。
 彼女が何者かは分からないけれど、怖くはない。彼女の傍にいると、あの頃のように笑えるから。
 夏樹は困ったように、小さな笑みを浮かべる。

「まあ、それでいいんだろうな、きっと」

 長く生きていればそんなことだってあるだろう。
 その是非を問うことは出来ないけれど。
 いつか、失くした想いは巡り巡りのあなたの元へ。
 メリーさんの電話の語るストーリーは、つまりそういうことだ。



 これでメリーさんの電話のお話はおしまい。
 原典と何も変わらない。捨てた人形が巡り巡って帰ってきただけのこと。
 子供だった自分や、生まれてくることさえなかった妹への愛情とか、昔抱いた未来への想像なんかも。
 全部全部引き連れて、メリーさんは帰ってきた。




 そうして最後のコール。




 夏樹は電話に出ようとして、

「へっへー、おにぃ、お待たせ!」

 後ろから抱き付いてきた妹に、思わずたたらを踏む。
 降りる気は毛頭ないらしい。里香は後ろから覆いかぶさる形で夏樹の頬と自分の頬を擦り合わせてご満悦である。

「おい、離れろよ」
「だめー、おにぃの背後は私専用だもん」
「なにそれこわい」

 メリーさん専用の背後。ぞっとする表現ではある。
 ああいや、“さとるくん”や“リカちゃん”が来れなくなると考えれば、そう悪いことでもないか?
 そんなことを思いながら、夏樹は鳴り続ける携帯電話を取る。

「はい、もしもし」

 自分の声と、里香の持つ携帯から発される声が重なる。
 もう辿り着いたのだから、電話に出る必要は出ない。けれど夏樹は敢えて出た。
 お話の終わりには、ちゃんと“オチ”をつけないといけない。

「メリーさん、いまどこですか?」

 おどけたような夏樹の物言いに、メリーさんは背後から、そっと夏樹を抱きしめる。
 そうして静かな笑みで紡ぐ。
 生まれてくることが出来なかった女の子は、何かの間違いか、小さな奇跡か、彼の下に辿り着いた。 
 自分のせいで泣かせてしまった彼に、いつか言えなかった言葉、いつも言いたかった言葉がある。
 だから少女は耳元で囁くように言った。

「今、あなたの後ろにいるの」

 ちゃんと、あなたの後ろにいるよ
 今も、これからもずっと。

 










 ちなみに、メリーさんの解釈にカッパを用いたが、カッパには天敵がいる。
 カッパは人だけではなく、馬を川に引き摺りこむことが多い。その為、馬を守護する動物とはとかく相性が悪い。
 さて、では馬を守護する動物とはなんなのか。
 たとえば日光東照宮には紙厩舎と呼ばれる馬屋がある。ここは神の使う馬がおわす場所であるが、神馬を守る為にとある動物の彫刻がある。
 誰もが一度は聞いたことがあるだろう。

『見ざる・言わざる・聞かざる』

 所謂、三猿である。
 猿は元々が太陽神の使いである為、獣でありながら非常に強い退魔でもある。そして馬を守護するその特性から、カッパの天敵であると考えられた。
 カッパの起源を人形とするならば、猿は人形退治のエキスパートであるともいえる。
 だから以下の流れもまた、当然の帰結であろう。

「あの…もしもし……」
『はーい、久美子ちゃんでーす。珍しいね、金城さんから電話くれるなんて』
「今、駅前…にいるんですけど……。藤堂君が、その、女の子と抱き合ってて」
『分かった、今すぐ行く。ちょいと詳しく話をきかせて』

 その後どうなったかもまた、彼らしか知らないことである。






[39681] 都市伝説・口裂け女 Merry Me?
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:49249770
Date: 2015/01/08 19:12

 誰もが知っている都市伝説がある。
 曰く、“初恋は実らない”。
 初恋の人と結婚した、そんな実話もあるというのにこの都市伝説は今尚語り続けられている。
そして、知らぬ者がいないと言えるほどに有名な都市伝説の女がいる。
 彼女のことを、藤堂夏樹は今も時折思い出す。

「なっきてさ、案外モテるよねー」

 昼休みの教室。
 いつも通り久美子と一緒に昼食をとっていると、しみじみとそんなことを言ってくる。
 なんだそれ、と視線を送れば、彼女は至極真面目な顔だ。

「だって金城さんでしょ。それに里香ちゃんに八尺様。数えただけでなっきのこと好きな女の子三人もいるじゃん」
「待て、なぜ妹を数に入れる」

 実際妹はかなり夏樹に懐いているが、当たり前のように好いている女の子メンバーに入れられるのは少しばかり問題である。
 しかし猿夢、メリーさんに八尺様。
 そうそうたるメンバーだ。好かれて嬉しくない、という訳ではないが、なかなかに引っかかるところがある。
 まあ、そういう人達に縁があるということなのだろう。

「ちなみに、モテる秘訣は?」

 久美子がおどけた風に聞き、しかし夏樹の表情には一抹の寂しさがある。
 そもそも妹が都市伝説で、幼馴染が都市伝説。母親もそんな感じだし。
 秘訣、と言う訳ではないけれど。案外抵抗がない、と言うのが友好的になれる要素の一つなのかもしれない。
 ああ、でも。
 いろいろと理由を考えていた時、夏樹は懐かしい女性の横顔を思い出してしまった。

「……初恋の人が、そうだったからなぁ」

 だから自然と言葉が零れる。
 呟いたのは、答えになっていない答え。けれど夏樹にとっては繋がっていた。
 あの手の人達に好かれるのは、きっと初めがそうだったからだ。
“彼女”との出会いがあったからこそ、都市伝説を怖いと思っても、哀しい道のりを歩いてきた彼女達に優しくなれる。
 つまりは叶わなかった初恋ゆえの今だ。

「えーと、はい?」

“彼女”のことは、幼馴染の久美子も知らない、夏樹だけの思い出だ。
 だから久美子はこてんと小首を傾げ、不思議そうな顔をしている。
 詳しく話すのは躊躇われるけれど、いつだって傍にいてくれた久美子に隠し事をする気にもなれない。
 だから夏樹は静かに、何でもない事のように言った。

「初恋の人の影響だと思う。俺の初恋の相手、口裂け女だったからさ」

 口裂け女。
 1979年の春から夏にかけて日本で流布され、社会問題にまで発展した都市伝説である
「わたし、キレイ?」と問い、その答えによって鎌で斬り殺す女性の怪異。おそらくはもっとも有名な都市伝説の女だろう。

 ……昔語りなんぞするほどに歳を取ったつもりはないけれど。

 口裂け女の物語を聞く時、藤堂夏樹はどうしても感傷的になってしまう。
 赤いコート。長い黒髪。顔の半分を覆うマスク。手にした鎌。
 夕暮れに映し出されたシルエットは、しかし恐怖よりも哀切を誘う。
 なにせ中学生の頃、藤堂夏樹は二つの都市伝説を同時に経験した。
 初恋は実らない、口裂け女。
 この二つは、今も彼の胸に刻まれている。

「そういや俺、明日休むから」
「えぇ、どしたの?」

 その言葉を口にするのはちょっと胸が痛いけど。
 心配をかけないように夏樹は小さく笑った

「知り合いの結婚式に呼ばれちゃってさ」





 ここから先は、昔話。
 甘酸っぱくもなれなかった、中途半端な初恋の話。



 ◆



 夏樹がまだ中学二年生だった頃、近所のみさき公園に毎日通っていた。
 勿論、根来音久美子はそのことを知らない。流石に一番仲のいい女の子と一緒に行くのは躊躇われた。というか、恥ずかしかったのだ。
 今日も今日とてコンビニで菓子パンと飲み物、キャンディーなんかを買ってきた。公園に入れば、いつものようにベンチには“彼女”がいる

「おねーさん、これ。差し入れ」
「アリガ…トゥ……」

 殆ど喋れないから、返ってくるのは呻き声ばかり。それでも夏樹は何度も何度も声をかける。二人でベンチに並んで座る、いつの間にか時間は過ぎて。そんな夕暮れ時が、夏樹のお気に入りだった。

“彼女”と知り合ったのは、本当に偶然だ。
 お世辞にも真っ当とは言えない出会いだった。というか、そもそも“彼女”自身が世間一般の感性から言えばまともではなかった。

「やっぱり、飴好きなの?」
「……ゥ」

 こくんと頷き、飴をかみ砕いて呑み込む。
 口の中のものがなくなったのを見計らってペットボトルのヨーグルトドリンクを渡すと、彼女はマスクを取ってそれを乱雑に煽る。
 唇の横から垂れたのは、仕方のないことだろう。

「おいしい?」
「ウン……」

 笑顔と共に吊り上る、裂けた口角。
 有体に言えば、彼女は口裂け女だった。



 * * *



 彼女との出会いは、思い返すと恥ずかしい、ひどく情けないものだった。
 学校帰り、友達の家で遊び、その帰りのこと。空はもう夕暮れに染まり、誰そはか彼と問うような時間帯に差し掛かる。
 今日の晩御飯はなにかな、なんて考えながら小走りに家路を辿る。

『うわあああああああああああああああああああああああああああ!?』

 しかし突如聞こえた野太い悲鳴。
 はっとなって顔を上げれば、自分のすぐ横を猛烈な勢いで走り抜けていくサラリーマン。
 何事だ?
 夏樹の好奇心旺盛なところが幸いしたのか不幸だったのか、彼は何の気なしに先程のサラリーマンが出てきたT字路へと足を向けた。
 角を曲がり、そこにいた“彼女”を見て、びくりと肩を震わせる。
 真っ赤なベレー帽、真っ赤なロングコート、真っ赤なハイヒール。
 腰まで伸び打長い髪は手入れがされていないのか、水分がなくパサついている。
 他の特徴は、細身で長身くらいか。
 そこまでだったら、よかった。
 けれど、彼女の手には赤錆の付いた、刃物として使えるかも分からないような、くすんだ鎌があった。
 そして赤に統一された出で立ちだからか、唯一白い口元を覆うマスクがやけに目を引く。
 初めて見る彼女のことを、夏樹はよく知っている。
 寧ろ知らない人を探す方が難しいだろう。
 元祖ともいうべき、都市伝説の女。
 彼女は、口裂け女だった、



 1970年代、驚異的に流布された都市伝説。
 学校帰りの子供の前に一人の若い女性が現れる。
 マスクをしたその女は問う。

『ワタシ、キレイ?』

 きれいだ、と答える。
『そう、これでも……?』と言いながら、女はマスクを外す。
 するとその口は耳元まで大きく裂けていた。あまりの恐怖にその姿を見た者は死に至る。
 きれいじゃない、と答える。
 容姿をけなされた彼女は激昂し、答えた者は鎌や鋏で斬り殺される。
 どちらにしても死に至る。
 都市伝説の中でも圧倒的な知名度を誇る、かつて子どもたちを恐怖のどん底へ陥れた存在である。



 彼女との出会いは、全くの偶然で。
 逃げなかったのは、足が竦んでいたからで。
 情けなく体を震わせて、夏樹は立ち尽くしていた。
 口裂け女の物語を知らない訳がない。
 問われれば、殺される。
 走って逃げないと、ああでも、彼女は足も速い。
 逃げても、殺される。
 出会った時点で終わり。口裂け女はそういう怪異。
 だから────
 


 ぐぅぅぅぅ。



 ────いきなり鳴った彼女のお腹の音に、夏樹が目を点にしたのは仕方がないことだろう。




 怖くなかったと言えば嘘になる。
 逃げても追い掛けられて殺される。そういう逸話がある以上、逃げた所で意味はない。
 近くのコンビニですぐに食べ物を買ってきて、口裂け女へ差し出したのは、仲良くなるためではなく恐怖心から。媚を売れば助かるかもしれない、そういう打算があったからだ。
 発想としてはいじめっ子を前にした、パシリのヘタレと同じである。
 しかしその時は、それが最善のように思えたのだ。


 そうして夏樹は、口裂け女に食べ物を差し出す。
 すると彼女は拙いながらも『アリガ……トゥ……』とお礼の言葉を絞り出し、受け取ってみさき公園のベンチで食べ始めた。
 その隙に逃げてもよかった。なのに、逃げなかったのは何故だろう。
 ただ彼女は、『ワタシ、キレイ?』とは問わなかった。
 それに、あのサラリーマンが逃げたすぐに彼女と出会ったのに、マスクをしていた。
 つまりそれは、マスクを取る前にサラリーマンは逃げて、けれど口裂け女は追わなかった証拠で。そのせいか、恐怖心は幾分か薄れていた。

『コレ……』

 思い出の中の口裂け女は、離れた場所で覗き見ている夏樹に近付き、そう言いながらパンを渡す。
 渡すと言っても元々夏樹が買ってきたものなのだから、何かが致命的に間違っている。
 とはいえ、キミも食べない? と誘う彼女が優しいということだけは理解できた。

『あ、いただき、ます?』

 そう答えて、おっかなびっくり彼女の隣に座り一緒になって、パンを齧る。
 食べ終わったら彼女はもう一度お礼を言って、ふらふらと幽鬼のように公園を去っていく。
 夕暮に染まる彼女の後姿が、何故かひどく寂しげに見えて。
 もう怖くないのに、やっぱり夏樹は立ち尽くしたままで。
 そんな意味の分からないやりとりが、最初の出会いだった。



 * * *



「ウマ…ウマ……」
「おねーさん、それは口で言うことじゃない」

 それが、何故か今では公園で並んで座っているのだから、人生とは分からないものである。
 ころころと鼈甲飴を口の中で転がしてご満悦、そんな姿をかわいいと思ってしまう時
点で夏樹は結構ダメなところまで来ているのだろう。
 最初の出会いから一か月。
 学校帰り、夕暮れに染まる公園で口裂け女と一緒にもぐもぐコンビニのパンを食べたり飴を舐めたりするのが、最近の夏樹の日課になっていた。
 自分でも「なんだこれ?」と思わざるを得ない。
 幼馴染にくねくねがいて、メリーさんが妹である夏樹をしてそう思わせる珍妙な光景である。

 二度目の接触は、夏樹からだった。
 翌日、近くを探せばいるかな、くらいの気持ちで講演の周囲を探していると本当に口裂け女を見つけてしまった。
 手にはコンビニの袋、彼女への差し入れがいっぱいある。
 まだ少し恐怖はあるけれど、遠くから覗き見た彼女の目はやっぱりどこか寂しそうで。
 それが嫌で、夏樹は勇気を振り絞って声をかけた。

『おお、お、おねーさん! ままっままた会ったね』

 声が震えていたのは、愛嬌だと思っていただきたい。
 殺されるかもしれない。頭ではそう考えながらも声をかけたのは、心のどこかで殺されないと思っていたから。
 楽観ではない。夏樹や、逃げて言ったサラリーマンを見る目が寂しそうで。彼女が誰かを殺すなんて、どうしても思えなかった。

「でさ、みこのやつがさぁ」
「…ゥ……」

 思えば、子供だったのだろう。
 自分の判断が正しいのだと、意味もなく信じることが出来たのだから。殺されなかったのは結果論、同じくらいの確率で、無惨に死ぬ結末だってあった。
 それでも、夏樹は殺されることなく、口裂け女とこうやって談笑するに至った。
 彼女は殆ど喋らなくて、少しでも笑わせようと、必死になって話題を探して。
 偶に笑ってくれると、なんだかとてもうれしかった。
 彼女は、「ワタシ、キレイ?」と問わない。
 夏樹も、怯えず逃げもしない。
 当時は気付きもしなかったが。
 つまりは怪異としてではなくただの「おねーさん」として彼女は此処にいて。
 そんな「おねーさん」に会うために、夏樹は毎日公園へ訪れる。
 幼馴染の久美子にも内緒、二人きりの秘密の会話は、夏樹のお気に入りの時間になっていた。
 毎日が楽しいと、夏樹は素直に思っていた。
 きっと口裂け女も。
 こんな日々がずっと続いていくと、思っていた。





 ◆





 口裂け女の起源として語られる説は非常に多い。
 有名なところでは以下のものだろうか。

・江戸時代、農民一揆の後に処罰された多くの農民の怨念が、特に犠牲者の多かった白鳥村(現・郡上市)に今なお残っている。
 これがいつしか妖怪伝説となって近辺に伝播し、時を経て口裂け女に姿を変えた。

・明治時代中期、滋賀県信楽に実在した『おつや』という女性がいた。
 山を隔てた町にいる恋人へ会う際、山道で妙な男に襲われないよう、白装束に白粉を塗り、頭は髪を乱して蝋燭を立て、三日月型に切った人参を咥え、手に鎌を持って峠を越えたという。
 この姿が口裂け女を想起させ、噂として定着した。

・CIAが噂の拡散度合いと速度を調べる為に流したデマ。

・整形手術が失敗し、醜くなった容貌。その恨みから自身の容姿をけなす者を殺すようになった。



 比較的近代の怪人だからか医療ミスを起源とする説は多い。
 しかし本来口裂け女は非常に古い歴史を持つ怪異で、一説によれば1754年まで遡ると言われている。
 江戸時代の怪談集『怪談老の杖』には、江戸近郊に狐が化けた「口裂け女」が現れた話が記されている。
 雨の町を歩く青年は、道の途中でずぶ濡れの女を見つける。
 体を壊してはいけない。傘に入るよう誘うと、振り向いた女の顔は、口が耳まで裂けていた。
 青年はあまりの恐ろしさには腰を抜かし、気がつけば老人のように歯が抜けた呆けた顔になり、言葉も話せなくなった挙句、息を引き取ったそうだ。

 同じく江戸時代の話に、「吉原の怪女」と言うものがある。
 吉原の遊郭で、女郎たちの話し声を廊下で耳にしたとある客が、何を話しているのか聞こうと座敷へ近づいた時、同じ座敷へと歩く太夫の姿があった。
 客の男が戯れに裾を引っ張ると、太夫は振り返って顔を見せる。
 すると振り向いた女の顔は、日月のごとく輝く眼と耳まで裂けた口という恐ろしい容貌をしており、睨みつけられた男は気を失って倒れてしまったという。

 江戸時代における口裂け女は、能動的に人を殺す存在ではなく、百鬼夜行と同じく「出会ったら不幸になる」類の怪異である。
 都市伝説の口裂け女とは相違点も多く、現代の口裂け女と等号で結ぶのはおかしいと考える者も多い。
 口の裂けた女に対する恐怖というイメージの大本ではあるかもしれないが、現代の口裂け女そのものではない。
 これらは、口裂け女という“古典妖怪”と考えるべきだろう。

 現代の、“都市伝説として”の口裂け女との関係性を考えた時は、八尺様を引き合いに出すのが理解しやすい。
 山姫・山女といった古典妖怪は時代が下ると共に忘れ去られ、現代において追加要素付きでリメイクされ新しい怖い話「八尺様」となった。
 同じように一部の人間が知っていた「古典妖怪・口裂け女」に様々な追加要素を与えられ「都市伝説・口裂け女」は生まれたのである。



 妖怪としての口裂け女は、出会うと不幸が起こる怪異であり。
 都市伝説の口裂け女は、問いを投げかけ間違えたら殺す怪異である。
 一見すれば別物としか思えないが、現代の都市伝説・口裂け女を紐解く時、江戸時代の怪談は避けては通れない。
 そして、口裂け女を考察する上で、非常に重要な資料が存在する。
 一定の年齢の方ならば読んだこともあるのではないだろうか?
 その資料は、妖怪や都市伝説を取り扱った学校の怪談的ホラーアクション。
 かの有名なマンガ「地獄先生ぬーべー」である。
 作中、ぬーべーは口裂け女を犬神憑きであると語っている。これは数多い解釈の中でも、かなり真に迫った考察と言える。
 というのも、口裂け女は動物霊と非常に親和性の高い怪異だからだ。

 怪談老の杖では正体が狐。
 絵本小夜時雨に描かれる「吉原の怪女」では、顔に毛の生えた毛むくじゃらの容貌、つまり獣の怪異として描かれている。
 現代の都市伝説もまた同じ。 
 そもそも口が裂けた容貌自体イヌ科の動物の特徴であるし、現代の口裂け女には目が狐、声が猫というあからさまな動物としての特徴がある。  
 つまり古典妖怪としての口裂け女の正体は、動物。
 おそらくは狐。もっと言うのならば、“来つ寝”であった。
 

 
 来つ寝とは、狐の語源である。
 日本霊異記には、とある男が来つ寝を妻として子を孕ませるという話が記されている。 
 実はこれが日本最古の獣娘・キツネ娘が登場する話だったりするのだが、口裂け女とは然程の関連性がある訳ではないので割愛。
 重要なのは日本霊異記において、来つ寝が娼婦・遊女として扱われる点だ。
 怪談老の杖では直接的にキツネが正体とされている。
「吉原の怪女」は作品の中で狐とは語られないが、絵巻では遊女であり獣の怪異として描かれるところを見るに、その正体は来つ寝と考えられる。
 だから、江戸時代の口裂け女は能動的に人を殺さない。
 彼女の正体は狐。故に、人を化かして“びっくりさせる”のが本懐。
 本来、彼女自身の気質は決して危険なものではない。 
 そしてこれらの怪談が狐、来つ寝──遊女に端を発し、その上で不幸になるという点を加味すれば。
 口裂け女の原義とは。

「男が口裂け女(遊女)と出会い、不幸(散財? 性病?)になる」

 つまり女遊びの末に不幸になる、男の自業自得を描いた物語であると言える。
 更に付け加えれば、口裂け女と言えば鎌であるが、鎌にも隠された意味がある。
 実は、鎌というのは古い時代、“密告”の隠語であった。
 これを考えると「男が口裂け女(遊女)と出会い、最後には鎌(密告)で殺される」。
 完全に女遊びがばれて家庭を駄目にした男の末路である。
(おまけとして、西欧では赤はハンセン病患者・娼婦などを意味する色である。勿論、これが関係あるかどうかは分からないが)



 そして、こういった口裂け女=遊女を元に作られた都市伝説もまた、然程危険な存在ではなかった。
 実際、最初期の口裂け女は人を殺さない。
 1979年3月に発売された「週刊朝〇」において報道された口裂け女の行動はこうなっている。

『赤いコートの女が道端で問う。“綺麗だ”と答えると家までのこのこついてくる。“ブスだ”と答えるとマスクを外し、耳まで裂けた口を見せつけびっくりさせる』

 美人と答えるとマスクを外す、今に伝わる都市伝説とは逆。
 このように本来の口裂け女は、ブスだと答えても人を殺さない。
 そして綺麗と言われればほいほいついて行く。
 そもそも口裂け女という怪異は殆ど恐怖要素のない、それどころか褒められたらすぐについて行く元祖チョロインなのである。
 







 では何故、彼女は人を殺すようになったのか。
 なんで『ワタシ、キレイ?』と問うのだろう。





 ◆




「なっき、一緒に帰ろーよー」
「ごめん、みこ。ちょっと用があるからさ!」
「えっ、あっ……もう」

 毎日のように、公園へ行く。
 もう怖いなんて思う訳がない。気分は近所の年上のお姉さんとの語らい。放課後が楽しみで仕方がない。

「おねーさんって、そう言えばどこに住んでるの?」
「ジン……ジャ」
「じんじゃ、神社。ここの近くだと、ああ、あそこの小っちゃいとこ。なんだっけ、名前?」

 そう言えば、口裂け女の説話には神社や公園に住んでいるといったものがある。成程、事実だったかと一人頷いている。
 そんな子供っぽい仕種を眺める彼女の目は、いやに優しく見えて。
 はたと視線が合った夏樹は、思わず顔を赤くしてしまう。
 口が裂けていて、それを隠す大きなマスクをしているけれど。彼にとって彼女は、お話によく出てくる「きれいなおねえさん」なのだ。

「あ、はは。そ、そうだこれ! 差し入れの飴!」

 照れ隠しから差し出した飴を、口裂け女は嬉しそうに受け取る。
 ころころと口の中で転がす様は、外見以上に可愛らしい。邪気が無いとでもいうのか。数多を殺す都市伝説には相応しくないのだが、そうとしか思えなかった。
 しばらく話を続け、夕暮れはいつの間にか夜へ近付き、そうすればお別れの時間。
 いつも彼女の方から「夜道は危ないから早く帰れ」と促す。
 そういう時、口裂け女のおねーさんはいつだって優しげで、同時に何処か寂しそうな顔をしていた。
 幼い夏樹にも、それが如何な感情に起因するくらいかは分かる。
 夜道は危ないも何も、彼女自身が「夜道は危ない」と言われる要因の一つ、恐怖の代名詞だ。
 自分でもそれが分かっているからこそ、彼女は泣き笑うような表情で夏樹を見送る。
 それが悲しくて、夏樹は何も言えず俯いた。
 一か月以上彼女といるのだ。知っている、彼女が人を殺していないって。
 そもそも、口裂け女は人を殺さない。夜道で誰かをびっくりさせるだけの怪異。だというのに、「自分みたいなのがいると危ない」なんて言って夏樹の心配をしてくれる。
 そんな彼女が夏樹は、当時は気付かなかったけれど、きっと大好きで

「……うん、帰る。あ、でもさ。夜道は怖いから、途中まででいいから一緒に帰ってくれない?」

 だから、そう言った。
 俺は知ってるから。貴女が優しい人だって、俺はちゃんと知っていると伝えたかった。

「…ア…ゥ……」
「さ、行こうよ。遅くなったら母さんに怒られるし!」

 そう言って無理矢理彼女の手を引っ張って、暗い夜道も足取りは軽く。
 少しでも彼女が笑えればいいのになんて、そんなことを夏樹は考えた。



『口裂け女が男の子を攫うところを見た』



 そんな噂が流れ、かつてのように学校でも集団下校が義務付けられたのは、三日後のことだった。






 ホームルームで教師は言う。
 口裂け女が現れたという噂が流れている。
 本当かどうかは分からないが、刃物を持った危ない女性が町にいるのは事実。
 警察も監視を強めている。
 小学校では集団での登下校が決まった。
 中学校ではそんなことはないが、キミ達も放課後は寄り道をせずに帰りなさい。

「うわあ、口裂け女ってなんだか懐かしい響きだねー」

 話を聞いた久美子はそんな風に呑気な調子。
 けれど夏樹は混乱していて、いまにも泣きそうだった。
 頭の中がぐるぐる回っている。 

“俺のせいだ。俺が、あんなことしたから”

 二人一緒の帰り道、なんて喜んでいた自分を殴り飛ばしてやりたい。
 あんなことをしたから、おねーさんが大変なことになっている。
 放課後になり、夏樹は弾かれたように走り出し、一直線へ公園に向かった。差し入れなって買っている暇はない。
 はやく、はやくおねーさんのところに行かないと。
 走って、転んで、痛くて涙が滲んで。
 でも、早く。彼女に、会いに行かなくちゃ。
 そうして辿り着いた、夕暮れに染まるみさき公園。
 夕日に伸びた長い影。
 赤いコートの貴女は、いつものベンチの前でぼーっと空を眺めていた。

「お、おねーさん!」

 警察が巡回していると聞いたけど、この辺りにはまだ姿も見えない。
 よかった。最後の力を振り絞って、夏樹は口裂け女の傍まで駆け寄り、呼吸を整えるよりも早く口を開く。

「おね、おねーさん。俺、あの。警察が! 口裂け女の噂があって!」
 考えが纏まらない。気ばかりが急いて、出てくる言葉は支離滅裂で。
 夏樹はもう完全に泣いていた。迷惑をかけてしまった。俺が、あんなことをしたから。
 ごめんなさいと言いたくて。でも、うまく形になってくれなくて。
 なのに、彼女は。
 そっと優しく、頭を撫でてくれた。

「ゴメン…ネェ……」

 そうして目を細め、潤んだ瞳で彼女は言う。
 口裂け女は謝る。迷惑をかけてゴメン、私みたいなのが傍にいてゴメン。
 でも、

「でも、うれしかった……ありが、とう、ね」

 それでも、会えてよかったと。
 そう言ってくれた
 だから分かった。
 彼女は、ここでさよならをしようとしている。

「違うんだよぉ、俺。おれ……」

 本当は、もっと一緒にいたかった。
 並んで飴をなめて、いろいろ話して、貴女が笑ってくれる。そんな時間が大好きだった。
 嬉しかったって、ありがとうって。
 そう言いたかったのは、俺なんだよ。
 でも後から後から涙が溢れて。嗚咽に阻まれて、結局何も言えなくて。
 
「きゃあああああああああああああああああああああああああ!? 誰かぁ!?」

 公園を除いていたのは、一人の主婦。
“口裂け女泣かされている男の子”を見て、救いを求めて叫びを上げる。
 それで、お仕舞。
 口裂け女は男の子に手出しをせず、逃げ出す。
 手を伸ばそうとしても、彼女の足は速いから、するりとすり抜けて。
 公園の出口で彼女は振り返り、最後の未練を絞り出すように呟く。

『ワタシ……』

 キレイ? と、言葉が続くことはない。
 彼女は夏樹に背を向け、今度こそ振り返らずに去っていく。
 迷いのない歩みは、或いは颯爽と呼べるかも知れなくて。
 何も言えないまま、夏樹は彼女の背を見送った。

 あの時、なんといって返してあげればよかったのか。
 夏樹には分からなくて。
 中途半端なまま、恋にも為れなかった物語は、こうして終わりを告げた。



 ◆



 口裂け女は原義において狐=来つ寝でしかなった。
 しかし時代は下り、彼女の存在が流布されるに遵い、そのままではいられなくなった。
 ただ人を驚かせるだけだった彼女は、その歴史が古いために様々なものを背負わされる。

 誰かが語る。
「農民一揆で処刑された農民たちの呪いが、彼女を作ったのだ」
 その手には、鎌が持たされた。
 誰も殺すはずのなかった怪異は、殺す術を手に入れてしまった。

 誰かが語る。
「いやいや、そのモデルはおつやという女性だ」
 情念をもって動く女性。
 丑の刻参りを思わせる服装から、殺害を是とするキャラクターが付けられた。

「整形手術の失敗」から誰かを憎む心。
「精神病院からの脱走者」から異常な精神性を与えられた。
 口裂け女は都市伝説として成立する際、成立した後も。
 原義から離れ様々な要素を背負わされていく。
 もはや始まりを知るものは誰もいない。



 だから口裂け女は問う───『わたし、キレイ?』と。



 そうしなければ、口裂け女は自身を定義できない。
 彼女は都市伝説でありながら妖怪であり、同時に現実の犯罪者であり、整形手術の被害者であり、亡霊であり怨霊であり。
 もはや自分が何者かもわからなくなる程違うものに変わってしまった。だから彼女は問わなければならない。
『わたし、キレイ?』と。
 それは容姿の美醜を問うているのではなく、その問いを口にすることで、自分は口裂け女という怪異であると知らしめる。
 そうしなければ、彼女は自分を定義できない。
 歴史を長く持つが故に、幾つも派生は生まれた。
 長くを生きたが故に、はじまりを失くした。
 もはや自分が何者かも思い出せなくて、何者でもいられなくなった女。



 それが、口裂け女という怪異だ。



 都市伝説として誰かを殺して、町をさ迷い、帰る場所も分からない。
 それでも彼女は問う。
 綺麗と言ってくれる人でも、醜いと罵る人でも、まあまあなんて上から目線で語る人でもない。
 自分が何者であるかを教えてくれる誰かを探して、彼女は夕闇を歩く。

『ワタシ、キレイ?』

 おねがいだからおしえてください。
 わたしは、だれですか?

 口裂け女はいつだって、そう問うている。



 ◆



 そうして訪れた、「知り合いの結婚式」の当日。
 夏樹は郊外の古びた教会にいた。
 結婚式なんて言っても、客は誰もいない。新郎新婦二人だけ、見ているのは夏樹だけ。
 こんなので結婚式なんて呼べるのかは分からないけど。
 それでも新婦は嬉しそうだった。

「ヒサ…シブリ……」
「うん、久しぶり。おねーさん」

 大きなマスクを付けた若い女性。
 あの時出会った口裂け女は、再び夏樹の前に姿を現した。
 もう何年も経っているけど、あまり外見は変わっていない。
 強いて言えば赤いコートが白いウエディングドレスに変わったくらいだろうか。
 でも、全身白装束は赤と対を為す口裂け女の特徴。だから、別段不思議なことでもない。

「びっくりしたよ、いきなり手紙なんて来るからさ」
「ゴメン…ネェ……」

 でも、君には知っていてほしかったから。
 誰からの祝福もいらないけど、君にだけは一緒に喜んでほしかったから。
 彼女の目がそう言っている。
 二人だけの結婚式に、夏樹だけは呼びたかった。
 案外彼女は弟のように思っていてくれたのかもしれない。
 恋心は一方通行でも、ちゃんと彼女の方も思っていてくれたと知ることが出来たから。
 おねーさんのために、夏樹は弟として在ろうと決めた。

「おめでとう、おねーさん。俺、自分のことみたいにすっげぇ嬉しいよ」
「アリガ…トゥ……」

 今なら分かる。
 あの時、なんで彼女が『ワタシ、キレイ』と問わなかったのか。
 それは、口裂け女ではなく。何者でもない、ただの「おねーさん」として傍にいようとしていてくれたから。
 そんなことに、後になって気付くんだから、どうしようもないと夏樹は苦笑を零した。

 ちらりと、遠くで待っている新郎に目をやる。
 口裂け女と結婚する彼は、目が見えないらしい。
 目が見えないから、彼女を恐れない。だから結婚しようと思ったのか。
 或いは、他に理由があったのか。
 分からない。おそらくは、あの日去って行ってから彼女にもいろいろあったのだろう。 
 それは彼女と彼の物語。夏樹には立ち入れないストーリーだ。
 初恋にも為れなかった物語は終わった。今の夏樹の立ち位置は、彼等を祝福する脇役。
 人が知ることの出来る範囲には限りがある。
 どれだけ聡明な人間でも、どんなに努力しても、人は自分の見ているものしか見えていない。
 だから彼等の物語は、彼等しか知り得ない。
 頭では分かっている。けれどそう思うことが、少し切ない。

「な、そろそろ時間だろ? 新婦さんが新郎待たせちゃダメじゃん」
「…ウン……」

 そう言うと躊躇わらず、小さく手を振ってから、口裂け女は彼の下へ駆けていく。
 白い大きなマスクは相変わらず。
 あの頃の赤いシルエットではなく、純白のドレスを纏う彼女は。
 口元は見えないけれど、きっと心から笑っているんだろう。
 自分には出来なかったことだ。
 それを新郎の彼はやってのけた。この結末は当たり前だった。





 これで口裂け女のお話はおしまい。
 夕暮をさ迷い問いかける怪異は、道行きの果てに大切な人の下へ辿り着く。
 口裂け女が白い衣服を着るのは、返り血が目立つようにだと語られる。
 でも、きっとこれからの白は意味合いが違う。
 ……それが他の誰かの為だというのは、やっぱり切ないけれど。





「あーあ、ちくしょう。さえないなぁ俺」

 彼女には聞こえないよう、舌の上で言葉を転がす。
 多分、初恋だった。
 まだ子供だった頃、恋をして。
 哀しそうに笑うからを、心からの笑顔が見たくて。
 貴女には笑っていてほしくて。
 でも、今はもう貴女を受け入れてくれる人がいるんだね。
 それが嬉しいような、ちょっとだけ寂しいような。
 ああ、違う。きっと一番は、悔しいという感情だ。

「……やっぱり、初恋って実らないんだなぁ」

 ぼやくように言えば、何かを思い出したのか、軽やかに口裂け女は振り返る。
 そうしてマスクをしていても分かるくらいの笑顔を浮かべていた。
 どうしたの? なんて問わない。
 彼女の言葉を邪魔してはいけない。
 一度深呼吸をして、スカートの裾をつまみ。
 くるりと舞うようにドレスをたなびかせ、お決まりのセリフを彼女は言う。

「……ワタシ、キレイ?」
 
 口裂け女の問いは、もう都市伝説としてのものではない。
 けれど夏樹は悔しいから、素直に綺麗だなんて言えなくて。
 でもいつか恋した人を醜いなんて思えなくて。
 だから涙が零れないよう精一杯の笑顔で答える。

「それは旦那さんに聞いてくれよ、これからお嫁さんになるんだろ?」

 何者にも為れなかった口裂け女は、大切な人に出会って自分を定義する。
 狐ではなく、娼婦ではなく、人を殺す怪異ではなく。
“あなたのお嫁さん”
 そんなありふれた言葉が、今の彼女。
 その相手が自分じゃなくて悔しいなんて、幸せそうな彼女の前では口が裂けても言えそうにない。

「うれしかった、ありが、とう、ね」

 以前も聞いた言葉は、以前とは違う意味で。
 夏樹ははっきりと理解する。
 ああ、これで。俺の初恋は本当に終わったのだ。

「こちらこそ。俺、おねーさんに会えてよかった」

 強がりだったけど、掛け値のない本音。
 彼女が本当に綺麗だったから。
 隣にいるのが自分じゃなくてもいいかなんて思えた。そう思えたことが誇らしかった。
 並んで立つ、中の良さそうな新婚夫婦。
 眩しくて、視界が滲む。
 見上げれば青い空、彼女の門出に相応しい。
 夏樹は大きく口裂け女に手を振り。



 いつかの恋に、はっきりと別れを告げた。






[39681] 都市伝説・トンカラトン無頼伝
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:67861175
Date: 2016/02/09 21:14
「ねえ、あれ……」
「まあいやだ」

 道端で何やら奥様方は、怪訝そうに眉を顰め、倒れている男を指さしながらひそひそと話し込んでいる。
 人が倒れているのにあんまりな態度、しかしある意味納得できる光景だ。
 なにせ道の端で力なく四肢を放り出している件の人物は、全身包帯で包まれ、手には刀。
 およそ真っ当な相手とは思えない、ヤクザくずれか犯罪者にしか見えなかったからだ。
 変なことに巻き込まれたくないと思うのは当然のこと。遠巻きに嫌そうな顔をしている奥様方も、普通と言えば普通の対応である。
 とはいえ、普通とは若干ずれた感性をした人物も、中にはいる訳で。

「ん、あれって」

 藤堂夏樹は昔から都市伝説と縁がある。
 初恋の相手は口裂け女だったし、幼馴染はくねくね。
 妹はメリーさんの電話で、クラスメイトには猿夢やらひきこさんがいる。
 多少変なのと遭遇したところで、今更驚くことでもない。

「あー、またかぁ……」

 高校二年生の六月のこと。
 そろそろ夏の兆しが見え始めた日和。夏樹は下校の途中で道端に転がっている、というか行き倒れている男を見つけた。

「……はら、へった」

 ぐぅ、と大きな腹の音。
 体調を崩して倒れているのかと思えば、単にお腹を空かせているだけらしい。そこは安心だが、微妙な気分はどうにも晴れない。
 というのも、夏樹が見つけた男性は普通ではなかった。
 彼の風体は異様の一言である。
 直ぐ近くに倒れている自転車。体に巻き付けられた包帯。そして何より、手にした刀。
 周りの人たちは行き倒れた男をヤクザか犯罪者のように見ており、助け起こそうという者は一人もいない。皆、危険なことに巻き込まれたくはないのだ。 
 しかし夏樹は、苦笑しながら頬を掻いた。
 なんだかんだ経験を積んでしまったせいだろう。男の放つ気配からか、それとも直感か、彼が何者であるかを察してしまった。

「……やっぱりほっとくとまずいんだろうなぁ」

 自転車、包帯、刀。
 ここまで揃えばもはや言い訳は通用しない。
 なんというか。
 この日、藤堂夏樹は、トンカラトンを拾った。



 ◆



 トンカラトンとは、赤マントや口裂け女と同じく、刃物を以って人を殺す危険な怪人系都市伝説である。
 全身に包帯を巻き、日本刀を持った姿で、「トン、トン、トンカラ、トン♪」と歌いながら自転車に乗って現れる。
 人に出会うといきなり「トンカラトンと言え」と言い、そのとおりにすれば去っていくが、言わないと刀で斬り殺される。
 ただし普通の人間でもトンカラトンの包帯を左手に巻きつけておくと、仲間とみなされ斬られないそうだ。

 そして、トンカラトンは斬った者を自身の包帯で包んでしまう。
 こうすることで、斬り殺された人間は復活する。
 ただし、新しいトンカラトンとなって。


 ただ、この都市伝説に関しては、原典が非常に曖昧である。
 トンカラトンの名が広がったのは、某怪談アニメで取り扱われたのがきっかけだという。しかしそれ以前にトンカラトンを知っている者は殆どおらず、「あれはアニメオリジナルの都市伝説? それとも実際にあるの?」と長らく議論がなされてきた。
 一説には、スタッフの住む故郷で流れていた都市伝説とも言われているが真偽は不明。その正体はようとして知れない。

 ちなみに「トンカラトン」の名で一番有名なのは都市伝説ではなく、豚肉料理のお店だ。
 トンカラというのは、豚のから揚げを指す言葉だからだ。グッ○○三がその名もずばり「トンカラトン」という豚肉料理を作っていたりもする。レシピもネットで公開されているので興味がある方はどうぞ。
 また古い歴史を紐解けば、トンカラで出てくるのは「からくり」。トンカラトンカラというのは、機織りやからくり人形が動く時の擬音である。

 怪異と関連付けるとすれば、「トンカラリン」。
 熊本や広島にはトンカラリンと呼ばれる古代遺跡が存在している。
 この遺跡は用途不明。排水路や祭壇、地下ピラミッドなどいろいろな説はあるものの、詳しいことは分かっていない。
 ただ、幽霊の出る怪異スポットとしても有名な場所である。

 色々あげてみたが、ここで「トンカラトン」「歌いながらやってくる」「包帯」「刀」といったキーワードを踏まえ、一つの歌を紹介したい。
 ある年代の人ならば絶対に聞いたことがある。

『ド・ド・○リフの大○笑ー♪』

 某お笑い番組のオープニングテーマである。
 ちなみにこの歌、替え歌だということはご存じだろうか?
 実はちゃんと原曲があり、そのリズムに笑える歌詞を当てはめたものなのだ。
 そしてその原曲は『隣組』。
 戦時歌謡(国民の戦意高揚や、国の軍事政策を宣伝するために制作された楽曲)である隣組は、明るい曲調から戦後も歌い継がれた。
 ちなみにその歌詞とリズムは、

『トントン、トンカラリン♪ と隣組♪』 (著作権消滅の為そのまま記載)

 怪人トンカラトンが口遊むものと殆ど一緒である。
 戦中戦後に歌われた『隣組』。喧伝するのは当然ながら軍人だ。
 つまり「全身包帯に覆われた刀を持つ怪人」とは、「戦後生き残った傷痍軍人」の象徴であり、この都市伝説は戦後の素行の良くない日本軍人による暴虐がイメージとなっているのではないだろうか。

 とまあここまで語っておいてなんだが、殆ど根拠のない与太なのであまり気にしないでもいい話だ。
 大事なのは、トンカラトンは斬ったものをトンカラトンに変える。ただその一点である。



 ◆



「っかぁ、うまかったぁ!」

 何の因果か行き倒れていたトンカラトンを助け、夏樹は彼を近くの牛丼チェーン『吉田屋』へと連れていった。
 どうやら金がなくてしばらく飯を食べていなかったらしい。見捨てるのも寝覚めが悪いし牛丼を奢れば、トンカラトンは物凄い勢いで口の中へ詰め込んでいく。
 四杯目の牛丼を食べ終え、お茶を一気に呑み干し、ようやく一心地。
 トンカラトンは満足げな笑みを浮かべていた。

「ごっそうさん。わりいなぁ、ここ三日なんにも食ってなかったからよぉ」

 腹をさすりつつ礼を言うトンカラトン。
 そういえば口裂け女の時も初めは食べ物奢るところから入ったような。なんというか、自分はあんまり成長していないのかもしれないと、夏樹は微妙に傷ついていた。

「いや、まあほっとくわけにもいかないからいいんだけどさ。でもトンカラトンさんは」
「金剛寺嶽(こんごうじ・がく)だぁ」
「あ、名前ちゃんとあるんだ」

 このトンカラトンの名前は、金剛寺嶽というらしい。
 六月だと言うのに黒のロングコートを纏った彼は、左腕とコートの下に包帯を巻きつけており、ついでに顔も半分くらい包帯で隠している。厳めしい顔つきも相まって、ぱっと見かなり怖い。
 刀は出し入れが自由らしく、今は消してある。刀を自在に消したり出したりするところを見なければ、単なる厨二病患者と断じたことだろう。

「で、その金剛寺さんは、なんであんなところで行き倒れてたんだ?」
「ああいや、財布落としちまってなぁ。旅先なもんで金も下ろせねえし、一応目的在って来てるからすぐには帰れねえし。警察頼んのもあれだしよぉ。正直、お前のおかげで助かったぜぇ」
「意外と普通の理由だ……」

 しかも結構間抜けな理由である。
 まあでも勢いで助けてしまったが、変な人……変な都市伝説でなくてよかった。

「ていうか、旅行中?」
「ちげえよ。んな気楽なもんじゃねぇ。ちと探してる奴がいんだ」

 気楽な調子で語り続けていたトンカラトンだが、その問いに目をぎらつかせる。
 探している奴。そう言った彼は、獲物を狙う猛禽のような、宿敵か親の仇を見つけた武士のような、ひどく物騒な気配を醸し出している。

「この街に、トンカラトンが現れたと聞いたぁ。俺は、そいつを、追っている」

 つまり今回のお話は、藤堂夏樹ではなく、一匹のトンカラトンの物語である。



 ◆



 金剛寺嶽は、使い古された表現ではあるが、いわゆる「普通の高校生」というやつだった。
 成績は特によくはないし、女にモテたためしもない。剣道部だったため運動はそこそこだが、それだって何処かの大会で優勝できるほどではない。
 少々以上に負けん気の強いところはあるものの、嶽は本当に普通の高校生で。
 しかしある日、部活を終えて下校する途中、聞いてはいけない歌を聞いてしまった。

『トン、トン、トンカラ、トン♪』

 歌を歌いながら、自転車に乗って現れる、全身包帯の怪人。
 不気味なそいつの存在に嶽は足を止め、それがいけなかった。

『トンカラトンと言え』

 当時の嶽には都市伝説の知識などなく、だからその問いに何も答えを返せず。
 ざしゅう。
 袈裟懸けに斬り裂かれ、彼は地に伏した。



 トンカラトンに斬られた者は包帯に全身を巻かれ、トンカラトンにされてしまう。
 そんなことはもちろん知りようもなく、けれど伸びてくる包帯に嫌なものを感じた嶽は、朦朧とした意識の中で必死に抗う。
 包まれるたびに無理矢理剥がし、再び包まれ。
 それを何度か繰り返し、けれど無情にも彼は全身を包帯に包まれ。

 気付けば彼は、トンカラトンになっていた。

 ただ何かの偶然か、それとも必死の抵抗が功を奏したのか。
 嶽はトンカラトンになりながらも、ちゃんと自意識を保っていた。
 容姿も化け物になった訳ではなく、血も赤い。「トンカラトンの力を宿した人間」というのが一番適した表現だろう。
 それでも、人の枠から食み出た存在であることには変わりなく。
 金剛寺嶽は、家族や友人に何一つ告げることなく高校を中退、そして失踪。
 その後の彼の行方はようとして知れなかったという。



 ◆



「つまり、トンカラトンに斬られてトンカラトンになったと」
「まあな。人間の頃の意識は持ってるが、やっぱり俺はトンカラトンなんだろうなぁ」

 トンカラトン……金剛寺嶽はどこか寂しげに呟く。
 あやかしに遭遇し切り伏せられたことで都市伝説となってしまった男。
 人から怪異に変わってしまった者ならいくらか知っている。それでも、その胸中がいかなるものかは夏樹では想像もつかない。
 だから何も言わず、けれど同情の言葉を吐くのも違うと思って、夏樹はただまっすぐに嶽の目を見た。
 その対応で間違いではなかったようだ。彼は何処か愉しげに口の端を釣り上げていた。 

「と、話が逸れたな。その後は、来日してたアメリカのとある富豪の下で、用心棒の真似事やらをしてた。五、六年はいたか。ま、ちょっと前にデカいポカやらかしてクビになったがなぁ」

 高校を中退した後、彼はトンカラトンとしての異常な身体能力を生かし、とある富豪の下で合法非合法問わず仕事をしていたという。
 用心棒やら人攫いやら様々な命令をこなし、しかし以前、大きなミスをしてしまったせいでクビになった。正確に言えば、富豪を見限って出ていったらしい。
 嶽はそれからしばらく流浪の生活……と言えば聞こえはいいが、無職となった彼は就職活動もせず定職に就かず旅をしていた。
 幸い貯蓄もあり、気楽な生活を楽しんでいたのが、最近になって事情が変わる。
 金剛寺嶽は、とある都市伝説の怪人を、風の噂で耳にした。

 曰く、『この街にトンカラトンが現れた』。

 己を怪異へと変えた仇敵。
 彼はいてもたってもいられず葛野市へ訪れ……しかし財布を落として冒頭に至る。決死の覚悟を抱きながら、食うもの食えずに行き倒れとは中々あれなオチであった。

「ほんと助かったぜぇ、あー」
「夏樹。藤堂夏樹」
「おぅ、夏樹。わりいな奢ってもらって」
「いや。これ以上のことはしてやれなくて申し訳ないけど」
「はん、そっちは俺の事情だぁ。端から手出しさせるつもりなんざねぇ」

 軽く鼻で笑い、嶽は店を出ていく。
 おそらくは、いや、間違いなく。トンカラトンを倒す為に。
 その足取りはしっかりとしていて、揺らぎは全く見られない。
 なのに何故だろう。彼の背中は、やけに頼りなく見えた。



 ◆



 つまり金剛寺嶽はトンカラトンだった。
 トンカラトンに斬られ怪異となり、それから五年は経ったか。
 彼はとある富豪の下で、非合法な仕事に従事していた。
 雇い主はお世辞にも真っ当とは言い難い、犯罪めいたことでも平気にやる男だった。
 そういう男の子飼いならば、下される命令もそれに倣う。
 嶽の仕事は、男の邪魔になるものを斬り殺すこと。目標を探して適当にふらつき、出会ったならば斬り捨てる。たったそれだけ。
 結局は人ではない者になってしまったのだろう。人を殺すことに罪悪感はない。
斬って殺して、飯が食えて屋根の下で練れれば十分。
 つまりはトンカラトンと同じ。
 斬られて怪異に身を堕とした、それ以上に、彼は「遭遇した誰かを斬り殺す怪異」以外の何者でもなかった。
 けれど離れる気にはならなかった。自身が化け物だという自覚があったからだ。
 怪異となった彼は、自我こそ残ったが、何者でもなく。
 どこまでいっても、トンカラトンでしかなかった。

「おーい、お疲れさん。これ、差し入れな」

 金剛寺嶽は、夕暮れの公園で、どかりとベンチに腰を下ろしていた。
 トンカラトンが現れたという話は、この公園一帯で語られていた。だから待っていればいずれ姿を見せるだろうと考え陣取ってから丸一日。彼を訪ねたのは都市伝説の怪人ではなく、ハンバーガーの袋を大量に抱えた藤堂夏樹その人だった。

「お前は……夏樹、だったか」
「うん。いや、この公園に変な人がいるって聞いたから。多分金剛寺さんだろうなぁと」
「はん、変な人とはご挨拶じゃねえかぁ」

 夏樹の登場は嶽にとっては意外だったが、当の本人は大して気にした様子もなく隣へ座る。
 そしてバーがショップで買ってきたハンバーガーだのポテトだのナゲットだのドリンクだのを取り出して、ほとんど無理矢理渡してついでに自分もハンバーガーを喰い始めた。

「……お前よぉ、怖くねえのかぁ?」

 嶽の風体はどう見ても真面ではない。
 普通に考えてもヤクザ崩れか犯罪者。正体はトンカラトン。はっきり言って外見も中身もお近づきになりたいタイプではないだろう。
 そう自分でも思うからの問い。しかし夏樹は実にあっけらかんとした様子でハンバーガーをかじっている。

「うーん、あんまり。もっと怖いの知ってるし」
「もっと怖いの?」
「そう。世の中広いんだぞ?」
「そんなもんかぁ」
「そんなものです」
「変な奴だなぁオイ」
「いや、トンカラトンに言われても」
「ちげぇねえ」

 都市伝説とか、古くから生きる鬼とか、世を滅ぼす鬼神とか。藤堂の姓を関する身、今更一介の都市伝説に怯える筈もなし。
 それに、そもそも金剛寺嶽という男は怖いとは思えなかった。
 この風体で、体付きもがっしりしていて、顔も厳めしくて。
 なのに何故か、まるで道に迷った子供のような頼りなさがある。
 声をかけてしまったのは、多分そのせいだろう。

「なあ、金剛寺さん」
「嶽でいい」
「んじゃ嶽さん。なんで、トンカラトンを追ってるんだ?」
「あん?」
「なんていうか、気乗りしない? 違うな、えっと。……積極的に会おうとしてる訳じゃないというか。本当は、会いたくないように見えたから」
「……お前、よく見てるな」
「そうかな?」

 夏樹は自分でも何を聞きたいのか分からない、纏まらない問いを零した。
 ハンバーガーを乱雑に食べながら、嶽は考え込んでいる。別に答える必要はない。だからそのまま無視されても夏樹としてはよかった。

「……俺はよぉ、トンカラトンなんだぁ」

 けれど飯を奢ってもらった礼か、それとも何か思うところがあったのか。ポツリポツリと、嶽は話してくれた。

「斬られて、化け物になったってことじゃねぇ。雇い主の下で、命令されるままに斬って。自分でなんも考えてこなかった。だからよぉ、俺は“出会った誰かを殺す怪異”、それ以外の何者でもなかった」

 人でなくなったから、普通の生活はできないと思った。
 偶然ではあるが、ヤクザものに拾われ、人殺しを生業とした。
 そこに躊躇いはない。人でなくなった時点で、良識など残っていなかったのだろう。
 殺すことになんの感慨もなく、金の為生活の為、当たり前のように斬ってきた。
 つまりは、自我が残っていたとしても、彼はトンカラトンでしかない。
 流浪し、出会い、殺し。
 それだけが、金剛寺嶽を構成する要素だった。

「だが一年くらい前か。俺は殺そうと思った高校生に、返り討ちにあっちまったぁ。殺しを生業としてたくせに、笑えるだろぉよ」
「いや、そんなことは」
「気ぃ遣うな。んでよ、そいつに負けて、考えちまったんだ。俺は結局なんなのか、何者で在りたかったのか、ってなぁ」

 トンカラトンだった。
 けれど初めて怪異に斬られ、包帯に包まれ、眷属にされようとした時。
 金剛寺嶽は抵抗した。本当は、トンカラトンになりたくなかった筈なのだ。
 なにに人の中にはいられないといじけて、金だとか生活の為と嘯いて、トンカラトンと変わらぬ何かにまで身を落とした。
 そういう自分に、気付いてしまった。

「……じゃあ、嶽さんは、どう在りたかったんだ?」
「分かんねぇ。でもよ、多分。トンカラトンであることに問題はない。ただ俺は、俺で在りたかったじゃねえか。そうは、思う」

 もはや化け物であると知っている。だから、トンカラトンであることを否定しようとは思わない。
 けれど、俺は俺でありたい。
 遭遇した者を斬るだけの怪異ではなく。自分の意思で何を斬るか選べる、そういう男で在りたかった。
 だから金剛寺嶽は、トンカラトンを追う。

「だからよぉ、俺はトンカラトンを追ってんだ。追って、俺を化け物に変えたやつを斬って捨てる。そうして初めて、俺は俺に為れる。俺としての一歩を踏み出せる……まず最初に、そうしなきゃいけなかったって、気付いたんだぁ」

 嶽は口いっぱいに頬張ったハンバーガーをドリンクで胃に流し込み、おしぼりで手を拭いて、ゆっくりとベンチから腰を上げた。
 ちょうど話し終えたタイミングで、歌が聞こえてきた。それを聞いた彼は、獰猛な、獣の笑みを浮かべている。


『トン、トン、トンカラ、トン♪』


 噂通り、夕暮れの公園に現れる奇妙な影。
 自転車に乗って、刀を携えた、全身包帯に包まれた巨躯の怪人。
 陽気に物悲しい歌を口ずさみながら、トンカラトンは、今再び金剛寺嶽の前に姿を現した。
 眼前の怪異は、確かにトンカラトン。かつて嶽を怪異へと変えた仇敵に他ならぬと、あやかしと為ったこの身が叫んでいる。 
 全身をこわばらせる彼を尻目に、自転車から降りた怪人は、お決まりのセリフを口にする。


『トンカラトンと言え』


 あの時は、どう返せばいいのか分からなかった。
 今は対処法を知っている。「トンカラトン」と答えれば、都市伝説の怪人は去っていく。それだけで命は助かる。トンカラトンは、危険ではあるが対処自体は容易だ。
 けれど、考える。
 金剛寺嶽は、かつてトンカラトンに斬られ怪異となった。
 思えば、この怪人こそが、嶽の在り方を捻じ曲げたのだ。
 ならば返す言葉など、正しい答えなど初めから決まっている。

「そっちこそ、トンカラトンと言え……ま、言ったところで斬るがなぁ」

 嶽は抜刀し、切っ先を突き付け、不敵に高らかに宣言する。
 逃げもしないし、逃がしもしない。
 此処で、歪んだ己と決着をつける。
 その為に、来たのだ。

『……お前は、余計なことを言ったぁ』

 正答を得られなかったトンカラトンの気配が目に見えて変わる。
 同時に、嶽の気配もまた。
 張りつめる空気。互いの手には刀。現代にあって、両者はまるで時代劇の1シーンのように睨み合う。
 時代遅れの決闘。何故が不思議と、笑みが漏れた。


 トンカラトンは八相に構える。殆ど自意識のない怪異だと言うのに、その構えは堂に入ったものだ。
 対して嶽は正眼。普段なら刀をだらりと放り出した無形をとる。だというのに正眼の構えを取ったのは、多分、相手がトンカラトンだったからだろう。
 かつて高校生の頃、剣道部員だった彼は、抵抗さえできず斬り伏せられた。
 あの時の借りを返そうと、嶽は敢えて剣道でも一般的な正眼を選んだ。

 互いの意識は研ぎ澄まされ、長く短い対峙。
 ひゅるりと風は吹いて。
 それが合図、両者は同時に動き出した。

『オォォォォォォォォォ!』

 裂帛の気合と共にトンカラトンは斬りかかる。
 巨躯でありながらその進撃は驚くほどに速い。身が竦みそうになるほどの一太刀を前に、しかし嶽は冷静であった。



 トン────振りかぶる。



 嶽は自身の動きを確かめるような丁寧さで刀を振りかぶる。
 仇敵と対峙しながら、驚くくらい落ち着いている。相手の動きがよく見える、負ける気はしなかった。



 カラ────左足で地を蹴り、一気に踏み込む。



 表情は変わらない。だが、トンカラトンは驚愕したように見えた。
 それも遅い。既にこちらの間合い。嶽はただ静かに、透き通るような心のままに刀を振り下ろし。



 トン────斬り伏せる。



 三拍子。
 お手本のような美しい挙動で、嶽はトンカラトンを斬って伏せた。
 トンカラトンの原典は曖昧だが、この手の「自分が殺した相手を眷属に変える」タイプの怪異には、定番ともいえる対処策がある。
 吸血鬼に血を吸われ眷属となったものが、その支配を打ち破る方法はご存じだろうか?
 実に単純、「自分を吸血鬼に変えた者の血を逆に吸い返す」。支配する者を打ち倒すことこそが、普遍的な解決法なのである。
 金剛寺嶽は今ここにそれを為した。
 かつて己を怪異へと変えた仇敵。過去を乗り越えた彼は、転がる死骸を眺める。
 曰く、トンカラトンは斬ったものを眷属に変える。
 だが、と鼻で嗤い、彼は背を向ける。

「てめえなんぞ、仲間にゃほしくねぇ。此処で朽ち果てていきなぁ」

 トンカラトン以外の何者でもなかった。
 しかし彼は、ようやく此処に長く続く悪夢と決着をつけたのだった。



 ◆



 あれから三か月。
 自身の仇敵を倒した金剛寺嶽は、満足そうに葛野市を去っていた。
 今回に関しては夏樹が何かをしたという訳でもない。ただ嶽が己の意地を見せつけたというだけである。
 ただ、敢えて変わったことを上げるのであれば、一月に一通手紙が届くようになったくらいか。

「なっき、それなに?」

 戻川高校。
 休み時間に教室で手紙を読んでいると、幼馴染の根来音久美子が興味深げに聞いてきた。
 夏樹は視線を文面に向けたまま、なんとも曖昧な笑みで答える。

「友達からの手紙。時々、送ってくれるんだ」
「ふーん。あ、もしかして女の子!? ひどいなっき、浮気なんて。おじいちゃんに言いつけてやる!」
「お前は一体何を言っているのか。あと、それほんとにやめてください」

 勿論冗談だ。お互い笑顔、険悪なところなど欠片もない。
 こういう気の抜けたことが出来るのはやっぱり久美子だけなので、有難いなぁと思う。言うのは恥ずかしいから言わないけれど。
 一頻り燥いだ後、再び夏樹は手紙を読む。決して上手いとは言えない字だが、自然と笑みが零れた。


『よう、夏樹。元気してるか。
 俺は相変わらずいろんなところを旅している。
 昔とは違って、都市伝説の怪人やらよく分からん化け物に襲われている奴らを助けながらな。
 あれだ、感謝されるってのは中々悪くない。
 なんかいつの間にか有名になってて、“バイシクル・サムライマスター”とか呼ばれたのはビビったが。
 しばらくは人助けしながらこういう生活を続けようと思っている。幸い金は前の仕事のおかげでたんまりあるし、日銭を稼ぐのには困らないしな。
 また葛野に寄ることがあったら飯でも食いに行こう。今度は俺が奢ってやるよ』


 どうやら、元気でやっているようでなにより。
 縛る鎖を……いや、トンカラトンなら包帯か。
 縛る包帯を自ら断ち切り、自由になったトンカラトンは、今日も今日とてふらふらと。
 相変わらず流浪の日々は続いているようだ。
 まあ、友達が元気ならこっちも嬉しい。久美子が変な目で見ているけれど、夏樹はくすくすと笑い続けた。





 これで、トンカラトンのお話はおしまい。
 刀と意地と、あとなにか。
 振り上げ、踏み込み、斬り伏せる。
 つまりは三拍子、トン・カラ・トンで幕が下りる。
 包帯は断ち切って自由になって。 
 どうやら今は気ままに流離っているご様子だ。





 封筒の中には、写真も同封されていた。
 手紙を読み終えた夏樹はそれを取り出し、映った男の笑顔を見た瞬間、思わず噴き出した。
 写真には自転車に乗って、全身に包帯を巻きつけた、刀を手にした奇怪な人物。
 顔の半分は隠れているが結構楽しそう。その上、周りにはたぶん大学生くらいの男女が嶽を取り囲み、やはりみんな笑顔だ。
 旅をしているとは聞いていたが、そんなところまで行ってるのかよ。
 思わず夏樹はツッコんでしまう。

「おいおい、ニューヨーク図書館前で記念撮影とか、ワールドワイド過ぎるだろトンカラトン」

 ニューヨーク市に所在する、世界屈指の規模を有する私立の図書館。
 その正面玄関で、現地の大学生たちと仲良さげに写真を撮るトンカラトン。
 シュール過ぎて笑えてくる。 
 どうやらトンカラトンは今、アメリカにいるようです。


 



[39681] 都市伝説・夕惑いリゾートバイト 前編
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:67861175
Date: 2016/07/30 02:55


 ざ、ざざ。
 波の音が聞こえる。
 夕暮れの潮騒は近く遠く、海は橙色に染まる。

『アタシはさ、これでいいって思ってる』

 ひと夏の恋なんて、綾のあるものじゃないけれど。
 少年は訪れた海で少女に出会い、僅かながらに交流を持ち、その心を垣間見る。

『だってあの人の娘なんだし。親コーコーくらいはしてやんなきゃ。あんまりに母さんが可哀相じゃん』

 小麦色の肌の、活発そうな彼女。
 なのに母親のためと語る姿は、どうしようもないくらい儚げで。
 少し目を離したら潮騒に攫われて消えてしまうんじゃないかって思うくらい。

『だから間違ってても、このまんま。ひと夏の恋をして、体を開いて。多分来年もそうしてる。できれば相手がイケメンだったら嬉しいかなぁ』
『……そっか。ごめん、嫌なこと聞いた』
『ううん、こっちこそごめん。あと、あんがとね』

 そうして少年は言葉を失くし寂しそうに俯いた。
 だから少女は悪戯っぽく微笑む。

『だからさ。多分アタシは、アンタだけは好きにならないよ』

 そう勝ち誇るように彼女は言って。
 ざ、ざざ。
 耳を擽る波音だけが、二人の間には流れていた。



 ◆



 
 その少女と出会ったのは、高校二年の夏休みのことだった。 

 八月の前半、藤堂夏樹はクラスの友人たちと海へ訪れた。
 去年も同じメンバーで来たのだが、今回は近場に宿を取り一泊二日遊び倒そうという計画だ。
 立案者は同じクラスの女子で、長い髪が綺麗なクールな女の子。
 本人は好んで目立とうとするタイプではないものの、基本的にしっかり者でこういう時にはリーダー役を務めることが多い。

「やっと着いたー!」

 元気よくはしゃぐのは幼馴染の根来音久美子。当然ながら彼女も今回の旅行に参加している。
 旅館を選ぶのはリーダーに任せきりだったので夏樹らも見るのは初めて。十室あるかないかの小さな旅館だが、趣のある佇まいをしている。高校生の旅行だ、もう少しぼろいところかと思ったが中々どうして値段の割に綺麗だった。

「結構綺麗な旅館だねー」
「おー、ほんとだ。なんか露天風呂もあるってさ」
「ほんと? 楽しみー。なっき、覗きに来たら駄目だかんね?」
「分かってるっつーの」

 いや、興味がないとは言わないけども。
 なにせ根来音久美子は可愛らしい容姿で、しかしてお胸の方も結構なものをおもちだ。
 一緒に来たほかの女子メンバーも、ギャルっぽいが抜群のスタイルの女子がいたり、今回の旅行計画を立てたリーダーも胸の大きさでは負けるがスレンダーでいい感じ。思春期の男の子としては心惹かれてもしかたないところだろう。
 ただし覗きは絶対しない、というできない。
 そんなことをしたらメンバーがメンバーだけに色んな意味で命の保証がないのである。

「ようこそおいでくださいました」

 玄関で夏樹らを迎え入れてくれたのは旅館の女将さんだった
 なんというか、年齢はそこそこいってるみたいだけど分かり易い美人女将。高校生相手にも丁寧な接し方をしてくれる、優しそうな人だった。

「お待ちしおりました」
「よろしくお願いします」

 リーダーと軽く会話を交わし、女将さんが教えてくれた部屋へ皆で移動する。
 話では古い旅館と聞いていたけれど館内は全然綺麗でほっとした。これなら部屋や夕飯も期待できるというもの。
 皆も同じ気持ちのようで、廊下を歩きながらも話は盛り上がる。久美子もうきうきと実に楽しそうだ。

「なっき、なっき」
「どした?」
「卓球台とかあるかな? やっぱり旅館に温泉といったら卓球でしょ」
「どうだろうな。個人的にはいつの時代のヤツだよ、っていうレトロゲームの方が趣深いと思うんだけど。てーか、みこ。何気にテンション高くない?」
「そりゃそうだよ。私だって皆で楽しみにしてたもん。……なっきと古い旅館の組み合わせには多少の不安がなかった訳ではありませんが、はい」
「ちくしょう、否定できねぇ」

 失礼極まりないが久美子の言葉は間違ってもいない。
 藤堂夏樹は何の因果か都市伝説と非常に縁がある。今迄幾度もその手のオカルトに遭遇してきたのだ、古い旅館になんて泊まったら何が起こるか分かったもんじゃない。

「まあでも? 今迄だってなんとかなったし? それに泊まるのは一晩だけ、流石にピンポイントでオカルトに遭遇するなんてことないだろ」
「え、なに? 率先してフラグ立てていくスタイル?」
「違うから。単にそう思い込んで自分を慰めてるだけだから」
「それはそれで哀しいなぁ。よしよし、大丈夫だよー」

 微妙にへこんでいると久美子が優しく頭を撫でてくれた。
 ちょっと嬉しかったけど、よくよく考えてみると気落ちした理由はこの幼馴染の発言にあるわけで。あれ、これってただのマッチポンプ? と思わなくもない。
 まあでもいいか。気持ちよかったし。 

「ささ、いつまでも悩んでても仕方ないっ! 荷物置いて早速海に行こうよ。皆で新しい水着買ってきたんだ」
「お、おー」
「あ、今えっちい想像した。なっきも男の子だねぇ」
「して、してねーですよ?」

 本当はしたけど。
 そこら辺は男の子の意地として認めるわけにはいかない。
 とはいえ女の子にはそんなものお見通しなわけで、久美子はにまにまと面白そうに笑っていた。







 そんな彼等を見る瞳。
 旅館の女将さんは、騒がしい二人を遠くから、ただ眺めていた。



 ◆



 青く重い空に照り付ける太陽。
 熱せられた砂を踏みしめる感覚が夏を強く意識させる。
 気の置けない友人達と野泊の旅行だ、楽しくならない筈がない。
 夏樹や久美子は、それはもう全力で海を満喫した。
 泳いだりビーチバレー、海の家で食べる微妙な料理だって海の醍醐味だろう。

「あー、流石に泳ぎ疲れた」
「なっき、体力ないなぁ。ほら、他の二人はまだまだ元気だよ?」
「いやね、奴らと同レベルで考えられたら困るんですけど」

 海に来たメンバーの中には当然男子もいる。
 夏樹以外の男子二人は運動部だったり武術をやっていたりと肉体派で、彼らと同等の体力は残念なことに持ち合わせていない。
 という訳で、散々遊んで泳いで疲れたことだし久美子と一時休憩。レジャーシートとパラソルで作った休憩場所で、クーラーボックスに冷やしておいたドリンクでも飲みながら一息つこう。

「みこ、何飲む?」
「もちろんコーラ」
「相変わらずだなぁ」
「コーラは偉大だよ? 飲んで美味しく振って武器になる!」
「お前ジョセフ好き過ぎるだろ」

 言いながら夏樹が選んだのもコーラ。そこまで押されるとなんだか物凄くおいしいような気がしてきた。
 実際暑い夏には喉を通る炭酸が心地よい。冷たさが体に染み渡って、体も少しだけ楽になった。

「おいしー。なっき、この後どーする?」
「そだなぁ……」

 結構泳いだし先に旅館へ帰ってもいいし、波打ち際で軽く遊ぶ程度でもいい。
 さて、どうするかな。
 なんて考えていると、ちょっとばかり不穏当な光景が目に入ってしまう。

「なぁ、いいだろ?」
「あっちの岩場でさぁ、イイコトしようぜ」

 水着姿の女の子に二人の男が絡んでいる。
 よく日に焼けた褐色の肌の、活発そうな少女。年の頃は夏樹らと同じくらいだろうか。くっきりとした目鼻立ちに健康的な肢体。夏の良く似合う美人さんである。
 だからよからぬ輩も寄ってくる。
 少女の左腕を掴んでいるのは、いかにも遊んでいるといった風情の若者だ。耳にはごつい三連のピアスをつけていて、外見はかなりいかつい、というか怖い。そういう男が二人で若い娘を取り囲み、下心を隠そうともせずにやついている。

「どうでもいいから離してくんない?」
「つれないなぁ、ちょっとぐらい付き合えよ」

 少女の方は乗り気ではなく、強引なナンパに辟易としている。
 そんなこと男たちも分かっているだろうに、逃がす気はないらしい。しっかりと左腕を固定し、逃げ道を塞ぎ、後は岩場にでも連れ込もうというところか。
 ああいうのは、少し気分が悪い。

「ごめん、ちょっと行ってくる」
「なっき?」

 ナンパをするなとは言わないが、女の子を無理矢理というのはいただけない。
 しかたない、邪魔してこよう。
 夏樹は立ち上がり、男たちを止めようと一歩踏み出して。
 一瞬、少女と目が合い。

「じゃ、いいよ。ちょっとだけ遊んであげる」

 しかしそれ以上進めなくなる。
 乗り気でなかった筈の女の子は一転にっこり笑顔、男達に応え岩場の方へ行ってしまった。
 さっきまであんなにも鬱陶しそうな顔をしていたのに。
 助けようとしたはいいが、別に助けなんていらなかったというオチである。

「……ええー」
「なっき、大丈夫? 悪い男に絡まれてる女の子を助けようとしたけど空回りしちゃったみたいな顔してるよ?」
「……状況説明ありがとう。俺、もう旅館帰るわ」

 意気揚々と一歩を踏み出しただけにすげー恥ずかしいんですけど。
 まあ久美子が慰めるように頭を撫でてくれたから、ちょっとだけ救われた気持ちにはなる。

「よしよし、なっきが間違ってないのは私がちゃんと知ってるからね」
「……うん」

 結局夏樹は居た堪れなくなり、そのまま久美子と一緒に旅館へ戻った。
 けれど何故だろう、やはり先程の女の子が気になる。
 笑顔で男達についていったけど。
 一瞬目が合った時、彼女はひどく昏い目をしていた。



 ◆



 他のメンバーに一声かけて旅館へ戻ってくると、玄関では女将さんが出迎えてくれた。
 小さめの旅館だけに従業員は少ないのか、仲居がやるような仕事も彼女が受け持っているらしい。

「おかえりなさい。楽しんでこられましたか?」

 妙齢の女性は嫋やかに微笑む。和服だからだろうか、いかにもおしとやかといった印象だ。
 その頃には夏樹の気分も随分回復しており、「はい、すっかり楽しみました」と返事はちゃんと元気よく。女将さんもそれはよかったと優しく頷きで応えてくれた。

「ちょっと疲れたんで俺らだけ先に帰ってきちゃいました」
「あらあら。露連風呂の方はいつでも入れますので、もしよろしければどうぞ」
「あ、いーなーそれ。皆には悪いけど先に入っちゃう? なんならなっきも一緒に」
「ごめんなさい、うちには混浴はありませんよ?」
「いや、こいつの冗談なんで。俺はそんな気全くないので」

 女将さんは振る舞いがおおらかでとても話しやすい。高校生相手でもしっかりとお喋りをしてくれる。
 旅先での触れ合いという程ではないが、普段とはかけ離れた状況での雑談に夏樹も興が乗り、彼女の方は仕事中だというのに結構話し込んでしまった。

「たっだいまー!」

 そうやって玄関に長いこと居たせいだろう。
 背後から元気な声が聞こえてきた。

「ああ、七海(ななみ)ちゃん。お帰りなさい」
「うん、母さんただいま。お腹が減ったー」

 女将さんの娘、らしい。
 夏樹は振り返り少女の顔を見て、あんぐりと大口を開けた。
 よく日に焼けた褐色の肌、くっきりとした目鼻立ちに健康そうな肢体。
 娘は綺麗だったが、彼を驚かせたのはそこではない。

「……さっきの」
「ん、キミ、どうしたのかなー? っと、その前に“初めまして”って言わなきゃダメか」

 七海、といったか。少女は夏樹の視線に気づき、張り付けたような笑顔を作ってみせる。
 間違いない。
 彼女は先程ナンパについていった女の子だ。それに今の態度を考えれば、一瞬だけ目が合ったのも覚えているらしい。

「アタシは七海、見ての通り母さんの娘ね。この度はウチの旅館に泊まっていただきアリガトーゴザイマスー」
「ふふ、七海ちゃん。ちゃんとお客様にご挨拶できましたねぇ」
「あはは、もう母さん、子供じゃないんだからそれくらいできるって」

 母娘は笑い合い、七海は挨拶だけして「じゃあねっ!」とすぐさま旅館に入っていった。
 いきなりすぎて上手く反応できない。母親とは違い、なんというかテンションの高い、まさしくイマドキって感じの女の子である。正味ギャルっぽかった。

「ごめんなさいね、うちの娘が」
「いえ、そんな」
「親の贔屓目はあると思いますが、可愛いでしょう?」

 何とも答えにくい質問である。
 確かに可愛いがそう返せば下心ありと思われそうだし、それでなくとも隣に久美子がいる状況で他の女性を褒めるのはあまりに失礼ではなかろうか。
 なんといえばいいのか悩んでいると、女将さんはそもそも返答には期待していなかったようで、にこにこと喜色満面といった笑みでどんどん話を進めていく。

「少々お転婆のきらいがある娘ですが、母想いで言うことをよく聞く、本当にいい子なんですよ。だから余計に甘くなってしまうのは私の悪いところですね
「へぇ。まぁ女将さん、見るからに娘さんのことが大切って感じだもんなぁ」
「ええ、勿論。あの子が元気でいてくれるだけで、私は幸せ……」

 それはきっと親ならば当然の感情だ。
 夏樹の両親やじいちゃんも、みんな大切な子供達には甘かった。
 だから女将さんの言葉は別に気にするようものではなくて。
 なのに、ぞくりと背筋が冷える。
 幸せを語る彼女のぎらついた瞳が、夏樹には奇妙に思えてならなかった。



 ◆



 つまり気になっていたのだと思う。
 女将さんの奇妙な態度に、七海という少女の振る舞い。
 どちらも不思議で、どこかズレているような感覚で、夏樹はあの母娘が気になっていた。

「わー、すっごい海の幸! 豪華だねー」
「こうも良い肴が揃っていると、酒の一つも欲しくなるな」
「……ごめん、流石にそれは無理かな。高校生で予約組んで学割もして貰ってるから」

 散々海で遊んで夜は旅館の夕食。
 この辺りは元々漁が盛んな土地で、刺身やらサザエのつぼ焼きやら夕食には様々な海の幸が並んでいる。
 一緒に来た友人たちは予想外の豪華さに燥ぎ、勿論夏樹も豪勢な食事に舌鼓を打った。

「あー、食ったぁ」
「あれ、なっきどこいくの?」
「腹ごなしにちょっと散歩ー」

 流石に地元の魚、新鮮で非常においしく、そのせいで食べ過ぎてしまった。
 膨らんだ腹をさすりつつ夏樹は旅館の外へ出る。既に日は落ち、海風のおかげで涼しく過ごしやすい。しばらく夜の海を眺めつつ腹ごなしに散歩して、帰って露天風呂で汗を流してから寝るとしよう。

「はー、夜の海ってのもあれだな。趣深いっていうか」

 一人で来た理由は特になく、なんとなくそんな気分だったとしか言いようがない。
 ともかく散歩はそれなりにいいものだった。
 ざ、ざざ。
 夜風に揺れる海、耳を擽る潮騒も心地よい。そっと流れる海からの風が頬を撫でれば、自然と寛いだ気分になれた。
 そうやってあてどなく歩いていると、旅館からほど遠くない距離にある岩場へ辿り着く。
 そういえば昼間旅館の人が言っていたが、もう少し離れたところによく魚が釣れる場所があるらしく、釣り人達の絶好のスポットになっているという話だ。

「明日は早起きして、旅館の人に道具借りて釣りっていうのも……」

 帰るのは明日の夕方だし、うん、それも悪くないかもしれない。
 そう思いながら岩場へ視線を送れば、夜の暗がり、潮騒の中、人影を見つける。

「あれは……」

 縁があるのか、それとも気にしているから目で追ってしまうのか。
 人影は今日幾度か見かけた相手だ。
 女将さんの娘で、確か名前は七海。彼女だけじゃない、岩場には男性の姿もある。
 昼にナンパしてきた相手とはまた別人だ。垢ぬけた雰囲気で女性にも慣れた印象を受ける。

「…こんな田舎に君みたいな……」
「……えぇ、そう?」
「ああ……いつもこんな風に?」

 潮騒混じりに少しだけ会話が聞こえてしまった。
 二人は別段親しい訳ではなく、どうやら男の方は観光客らしい。
 ただ空気には相応の甘やかさがある。ひと夏の恋、というやつか。七海の無防備な振る舞いもわざと、なんならそういう仲になってもいいくらいの気持ちなんだろう。

「しっかし、まあ。すごいな、素直に……」

 昼は二人組の男、夜はまた別の相手と。自然なボディタッチといい、ギャルっぽい外見に違わずお盛んなことである。
 彼女いない歴=年齢の夏樹としては羨ましいやら寂しいやらである。
 なんて考えていると七海だけ残して男の方が去っていく。なんならこの場でそういうことをいたすのではと思っていたので正直助かった。彼女は女将さんの娘。一応見知っている人の家族のそーゆーシーンは流石に居た堪れなくなってしまう。

 夏樹はほっと一息、改めて七海を見る。
 一人になった活発そうな印象の少女は、昼間の元気さが嘘のような静かさで海を眺めていた。
 星の天幕の下、放っておけば波にさらわれて消えてしまいそうなくらい儚げで。
 多分夏樹は、その切ないほど優美な情景に、少しの間見惚れていた。

「……ん? アンタ」

 けれどそれは唐突に崩れる。
 随分長い間目を奪われていたらしい。夏樹の視線に気づいた少女は、彼の姿を見つけて手を振り振り。こっちにおいでと手招きしている。
 やっちまった。
 夜に女の子を凝視している男、外聞悪いにもほどがある。
 しかし流石に気付かれたなら無視はできないと、夏樹は素直に応じる。

「あー、どうも。こんばんは?」
「こんばんわー、お客さん。どしたのさこんな夜中に」
「腹ごなしの散歩に。えーと七海さん?」
「タメ口でいいよ、さんもいらない。ただの七海で。見た目は同い年みたいだし」

 改めて接してみると七海は明るくさっぱりとした物言いで、思いの外喋りやすい。
 ただその分男遊びをするような女の子には見えなくて、何か不思議でもあった。

「じゃあ、七海はこんな夜中にどうしたんだ?」
「夕涼み……なぁんて、見てたんでしょ?」

 そう言って彼女が悪戯っぽく口の端を釣り上げるものだから、と夏樹は言葉に詰まった。
 男女のあれこれを覗き見していたのもしっかりばれていやがった。
 けたけたと七海は笑っているが、こちらとしてはなんともバツが悪い。

「ま、見られながら趣味じゃないからお帰りいただいたけど。アンタは覗き見が趣味ー?」
「あ、いや。そういうつもりじゃなかったんだけどさ」
「べっつに、気にしてないよ。昼の時も知られてるし。大体そんな初心でもないんだから、そのくらいでガタガタ言わないって」

 まあ確かに、初心とは程遠い少女だ。
 首元にある小さな赤みがそれを肯定している。夏樹がどこを見ているか分かっているだろうに、七海は隠そうともしない。

「ま、恋多きオンナってヤツ? 観光客は後腐れないから、この時期になると結構ね」

 それどころか見せつけるようにほんの少し服の首元をずらした。
 そうするとよく日に焼けた肌と真っ白な水着跡がちらりと見えて、恥ずかしさに夏樹は慌てて視線を下に逸らした。
 いかにも思春期の男子らしい反応が面白くて、少女は悪びれずに笑う。
 夏樹はむぅ、と小さく唸った。しかし文句はあれど顔は上げられず、悔しそうに足元を見つめるのみ。
 するとなんだろう、夏の月の光を受けて、キラリとなにかが瞬いた。

「……え?」

 不思議に思い目を凝らしてみる。
 岩場には、ごつい三連のピアスが落ちていた。
 何処かで見たデザイン。あれは、そうだ。昼間に彼女をナンパして輩が付けていたものと同じ。なんでこんなところに。拾おうと手を伸ばしかけて、しかし夏樹の手は途中でぴたりと止まる。

「どしたの?」

 七海に声をかけられたからではない。
 気付いたからだ。
 ピアスは汚れている。べっとりと赤く、それに何かが付着している。
 夏樹にはその正体がすぐに分かった。
 くっついているのは肉のかけらだ。
 つまり、あれは耳の────

「なぁ、君さ……」

 ゆっくりと顔を上げ、まっすぐに七海を見つめる。
 逃げることはしなかった。
 身構えも、怯えも、僅かな動揺さえみせない。
 慣れていたからか、麻痺していたのかもしれない。
 まさかこの少女が、と想像を信じきれていなかったというのもある。
 理由はどうあれ最悪を思い浮かべながらも、夏樹は先程までと変わらない調子で接する。

「ほら、アタシってばさ、エロい体してるじゃん? オトコの中には“無理矢理に”ってヤツらもいてさぁ。そういうヤツらなら、別にいいと思わない?」

 それが功を奏したのだろうか
 少女の態度もまた大した変化はない。

「あ、言い忘れてたけどさ」

 だけど今迄の経験が雄弁に告げている。

「実はアタシ、もう死んでるんだよね」

 けたけたと、明るく笑う七海。
 その無邪気さに、夏樹は静かに理解した。
 七海は、他者の肉を喰らい、己が命を繋ぐ理外のあやかし。



 ───つまり、彼女は、人食いだった。



 ◆



 リゾートバイトは某掲示板に投稿された都市伝説である。

 夏休み、とある海辺の旅館へ三人の少年がバイトをしに行った。
 女将さんはとっても優しい。いいところだなぁと少年たちは喜んだが、一つだけ不思議な点がある。
 一般開放されていない旅館の二階へ、女将さんは毎日食事を以って上がっていくのだ。

『女将さんさ、二階にいっつも飯持ってくけど、あそこ誰かいんの?』
『病人?』
『ちょっと探検してみようぜ!』

 優しい女将さんの奇妙な行動。
 夏のテンションもあったのだろう。好奇心を掻き立てられ、少年らは二階へと昇っていく。

 けれどそれは、探検というほど楽しいものにはならなかった。
 電灯のない、人一人通れるかという狭い階段。
 漂う何かが腐ったような臭いに吐き気を催す。
 なんだろう。パキッ、パキッと奇妙な音が聞こえてきた。
 違う。鳴っているのは足元。何かを踏み潰している、その音だ。
 
 彼らは誘われるように進み、突き当り、踊り場へと辿り着く。
 一際強くなった腐臭と、眼前の光景に言葉を失くした。
 
 踊り場の角には、大量に積み重ねられた残飯。
 それが腐り、ハエが集っている。
 奥の部屋の扉は、大きな板を釘で打ち付け、開かないようにしてあった。
 板にはおびただしい数のお札。
 まるで、なにかオゾマシイものを封じ込めるかのように。

 ガリガリガリガリガリガリ……

 その想像は多分間違っていなかった。
 扉の向こうには何かがいる。
 爪で壁をひっかいているのか、ガリガリと嫌な音が鳴り続けている。

『ひゅー…ひゅっ、ひゅー……』

 更に不規則な呼吸音が聞こえてき、そこで限界だった。
 あの扉の奥には、得体のしれない何かがいる。
 女将さんは、ソイツに飯を持ってきていたんだ。
 そうと気付いた少年たちは一目散に逃げ出す。
 
 一階へ戻ってきた彼らは、自身の体についている奇妙な欠片を見て絶句した。
 それは爪だった。
 パキッ、パキッ、という気色の悪い音は、大量の爪を踏み潰していた音だったのだ。



 もうこんなところでバイトはしていられない。すぐさま女将さんにバイトを辞めたいと伝えれば、意外なことに彼女は「しかたないねぇ」と笑顔でそれを認めた。
 その上、いきなり辞めると言い出したのに、これまでのバイト代を封筒に入れて渡してくれた。
 帰りのお弁当としておにぎりを、お土産代わりにと巾着袋も持たせられた。
 そこに不可解なものを感じつつも、助かったとばかりに彼らは旅館を離れる。

 ただし助かってはいなかった。
 少年らは狭い廊下で確かに視た。
 暗闇に蠢く四つの影を。
 見てはいけないものを見てしまった時点で、彼らはあやかしに取り込まれている。
 呪いは既に成就してしまっているのだ。




 ……少年たちの遭遇した怪異は、のちに一人の僧侶によって紐解かれる。
 この地方に伝わる一つの伝承。
 おぞましくも哀しい、母の愛の物語である。



 彼らがバイトをしに来た海辺周辺は土地柄漁師が多く、そのため一つの古い民間信仰があった。
 漁師の家に子が生まれると、その子は物心がつく頃から親と共に海に出るようになる。この土地ではそれがごく普通のしきたりだった。
 ただ漁は危険との隣り合わせ。子を案じる母は、我が子に御守りとして臍の緒を持たせる。

 臍の緒は母子を繋いでいたもの。
 だから例え波にさらわれ行方不明となっても、臍の緒を手繰り子は母のもとに還ってくる。
 この地域では古くからそう信じられてきた。

『ああ、愛しいわが子よ。どうか、どうか無事でいて』

『生まれる前、私と繋がっていたように』

『どこにいようとも私の元へ帰ってこれるように』

『この臍の緒を離さずに持っていて』

 しかしその願いが叶えられることはなく。
 漁で行方不明になった子供たちは溺れ死に、二度と帰ってこなかった。



 その筈だった。
 にも拘わらず、一人の女が喜色満面で語る。

『子供が、子供が帰ってきた!』

 彼女もまた漁で子供を失い、哀しみから長らく臥せっていた母親だった。
 周囲の者は当然信用しない。波にさらわれて生きているとは思えないし、そもそも母親が海で子を失ったのは三年も前のことだった。
 また子供を見せてくれと言っても、彼女は“もう少ししたら見せられるから待っていてくれ”とはぐらかすばかり。
 だから皆は思った。

『ついに気が狂ったのか。きっと彼女は哀しみのあまり、在りもしない幻を見ているのだろう』

 しかしとある夜、近所の人間がその母親が散歩しているところを目撃する。
 しかも楽しそうに。暗がりでよく見えないが、どうやら子供と手を繋いでお喋りでもしている様子だ。
 ということは、子供が帰ってきたというのは本当だったのか!
 なのに気が狂ったなどと、こいつは悪いことをしてしまった。
 反省した人々は母親の家を訪ね謝罪した。

『何も気にしていません。この子が戻って来た、それだけで幸せです』

 そう言った彼女は心からの笑みで、帰ってきた子供を見せてくれた。

 青紫色の肌。
 膨張した体躯。
 髪の抜け落ちた頭。
 腫れ上がった瞼に、どこも見ていない互い違いの瞳。
 口から何か泡のようなものを吹きながら、“子供”は母親の呼びかけに反応し奇声を発する。

 そこには彼女の子供がいた。
 古い信仰は確かに真実だった。
 子供は臍の緒を手繰り母のもとへ帰ってきたのだ。
 命を落とし、化け物になっても。




 女将さんは、伝承に登場する母親と同じだった。
 同じく漁で息子を失くし、同じく悲しみに伏せり。
 だから同じく帰ってきてほしいと願い、彼女と同じことをした。
 分かたれた子供は臍の緒を手繰り母のもとへ帰ってくる。

 つまり、臍の緒を媒介とした死者蘇生の儀式である。

 愛しい子供を失った母は、外法に手を染めても、親子で仲良く暮らした幸福の日々を取り戻したかった。
 ただし伝承にある死者蘇生は失敗で終わる。戻ってきた子供が化け物になってしまうのだ。
 それではいけないと、女将さんは子供の魂が帰ってきた時、使える容器を欲した。
 やはり器は息子と同じ年頃がいい。
 そうして彼女はバイトという名目で、“器になりそうな年齢の少年”を三人ほど集めた。

『ああ、我が子よ。もう一度一緒に暮らしましょう。その為になら、お母さんは何でもします』

『外法の儀式も苦ではない。どれだけ爛れた容貌でも愛おしい』

『でも一緒に暮らすのなら、ちゃんとした姿であるに越したことはありません』

『だから、彼等を……』

 バイトの少年たちは最初から、生贄として集められた。
 彼らに降りかかった呪いとは即ち、儀式によって憑りついた魂。
 女将さんの子供の、ではない。母の強すぎる情愛は、自身の息子ではなく、得体のしれない何かを呼び寄せてしまった。




 これがリゾートバイトの都市伝説。
 夏休み、少年たちが遭遇した母の愛と妄執のお話。
 幸いなことに呪いは解かれ彼らは助かったが、二度とその旅館に近づくことはなかったという。 






[39681] 都市伝説・夕惑いリゾートバイト 後編
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:67861175
Date: 2016/07/30 02:54



 うちの地元には、昔から古い言い伝えがある。
 海に出る時臍の緒を持っていると、波にさらわれても母親のもとへ戻って来れる。
 土地柄漁で生計を立てる人が多かったから、そういうオマジナイが定着したんだろう。
 でも、まあ、オマジナイはオマジナイで。

『いやぁあああああああああああ!? 七海、ななみぃぃぃ!?』

 アタシは臍の緒のお守りを持っていたけど。
 フツーに海で溺れて、フツーに死んじゃった。

『大丈夫、だいじょうぶよ、もどって、もどってこれるから……』

 自分で言うのもなんだけど、母さんはあたしのことをすっごく可愛がってくれてたから、その分すっごい哀しかったんだろう。 
 きっと毎日泣いてすごしていた。
 だから母さんは、嘘みたいなオマジナイを本気で信じた。
 それで昔話に出てくる儀式なんて大真面目にやっちゃって。
 周りの人から見たら気が狂ったようなものだろうけど、水のなんちゃらが岩を通す? とかそんな感じで。 
 信じられないことに、アタシは本当に生き返ったのだ。

 でもやっぱりそういうのはどっか歪んでたんだと思う。
 生き返ったアタシは、前までのアタシとは違って。
 気を抜いたらすぐに死体に戻っちゃう。
 どうすればいいのかは、なんでか知らないけど分かった。

“腐っていく肉は肉でしか埋められない。命を繋ぐものは命しかありえない”

 アタシは他人の肉で壊れていく肉を代用することしかできない、正真正銘の化け物になっていた。
 
 それが、辛くて。
 こんなことしてまで生きていたくなくて。

『私はね、七海ちゃんが元気でいてくれればそれだけで幸せなの』

 でも死ぬこともできなくて。
 だからアタシは───





 * * *





「よっす、七海ちゃんおはよー」

 七海はなにかあると、いつもの岩場を訪れる。
 溺れ死んだというのに、寧ろだからこそなのか、海を眺めていると何故だか心が安らいだ。
 今朝も早くから岩場に足を運び、しかし今日は先客がいた。
 昨日の少年。
 勿論、藤堂夏樹である。

「アンタ、なにやってんの?」
「魚釣り。旅館で竿貸してもらったんだ」

 言葉の通り、手にはリール式の竿がある。
 もともとこの土地は釣り人にはいいスポットなのだが、流れの強い岩場の辺りはそこまで魚が釣れるわけではない。
 実際足元のバケツには一匹も魚が入っておらず、それでも夏樹は釣り糸を垂らしたまま、寄せて返す荒々しい波をぼーっと見詰めていた。

「釣れないっしょ?」
「うん、全然」

 夏樹は、やはり逃げない。
 それが七海には奇妙に感じられる。この名も知らない少年は、彼女が人食いだと気付いた筈なのだ。
 なのに怯えもせず、今もこうやって釣りをしたまま、あまつさえ欠伸までしている。
 なんなんだろう彼は。男性経験豊富な少女をして理解しがたい少年だった。

「釣りならいいスポット教えたげよか? もう入れ食い状態の」
「いいよ、別に。考え事してるだけだし」

 釣れれば楽しいだろうがそれ自体は本題ではない。
 ああ、いや。寧ろもう釣れたと言うべきか。
 夏樹が本当に待っていたのは魚ではなく彼女なのだ。

「かんがえごと?」
「そ、どうすればいいのかなって」
「なにがよ?」
「だから、君のこと」

 彼はずっと考えていた。
 七海をこのままにしておいていいのか。
 人を食う化け物。普通に考えたら放っておいてはいけない類の存在だ。
 幸い夏樹の近くには、その手の類をどうにかしてくれる“専門家”が存在する。その人を頼れば、一にも二にもなく助けてくれるだろう。
 だからこそ彼は一人でここに来た。
 少しだけ、彼女と話してみたかった。

「え、ナンパ? いやー、困るなぁ可愛いって罪だね」
「まあ可愛いとは思うけどさ。ちなみに本当に誘ったら付き合ってくれる?」
「あっ、ごめんねー? ないわー、いやマジで。アタシ細マッチョが好みなのー」
「さらっと人のコンプレックス打ち抜いてくんなチクショウ」

 七海は胸を隠しながら一歩二歩退いた。
 わざとらしく肩を震わせている辺り芸が細かい。ただ口元はにまにまと、完全に悪戯っ子の表情だった。

「なになに、アタシに興味津々?」
「否定はしない。ナンパするのもいいかな、とは考えた」
「おー、男気あるね」

 少しだけ、目が鋭さを増した。
 その物言いが意味するところくらい夏樹にも分かった。

「じゃあ、やっぱりさ。昨日のナンパ男達ってさ」
「食べちゃったよ、二つの意味で」
「そっか」

 竿がしなり、ちょっと期待して引き上げる。
 釣れたのは空き缶、ベタ過ぎて泣けてきた。くすり、七海の口元に笑みが零れる。夏樹の情けない釣果にちょっとだけ肩の力を抜いてくれたようだ。

「やっぱ観光客狙い?」
「まーね、後腐れないし。なんてーの、ひと夏の恋ってやつ?」
「いいな、その響き。男子高校生としては憧れる」
「男って皆そんなんだねー。責任取りたくないってのがアリアリ。あ、私は相手しないからそういうのは他の女の子探すよーに」
「あれ、俺って狙われたりしてないの?」
「だからないって言ってんじゃん。アタシにだって選ぶ権利くらいあるの」

 会話は和やかに進む。
 七海は人食いだが恐ろしくはない。
 だってちらりと盗み見た横顔は、痛ましく、寂しげで。
 多分彼女こそが誰よりも“このままにしておいていいのか”と迷い続けてきたのだ。

「……最初は、さ」

 絞り出す声は苦悩に満ちている。
 どれだけ彼女は苦しんできたのだろう。
 人を食うこと、そうまでして生きること。どちらも忌まわしいと自分を責めて。その心を想像するなんて、ただそれだけでも烏滸がましい。
 夏樹に出来るのは、何も知らない行きずりの少年として、耳を傾けるくらいだ。

「うん」
「生き返ったのが嬉しくて。ほら、一応オトメですし? 好きな人もいたんだ。でもまぁ、えっちぃことするとね。ホントに食べちゃうんだ、アタシ」

 リゾートバイトの都市伝説において、復活した子供は単なる化け物となってしまった。
 きっと彼女も、紫色の肌の、そういう存在だ。
 でも人を喰らい、人の姿を保っている。いや、保ってしまったというべきか。
 都市伝説では失敗した儀式の足りない部分を、彼女は意図せずに埋めた。
 多分その要素は“好きな人”。彼女が初めに食べた誰かが、七海という少女を成り立たせた。

「だから、女の子を食い物にするようなヤツだけ選ぶようにね。それからは気が楽になったかなー。だって無理矢理食われるんだもん、こっちが食い返しても問題ないっしょ?」

 それを責めることは夏樹にはできなかった。
 彼女は足りないものを他から持ってくることで“七海”足りえる。
 人食いを止めれば、おそらく今の姿を維持できない。
 その時にこそ少女は真実リゾートバイトの都市伝説に、紫の肌の化け物になってしまう。

『七海は、本当にいい子で』
『いつまでもあの子と一緒に居れたら私はそれだけで幸せなんです』
『お嫁には行ってほしくありませんねぇ』
『婿ならいつでも大歓迎ですよ』

 釣竿を借りる際の、あまりにも楽しそうな女将さんを思い出す。
 きっと彼女が間違った儀式をして、七海を蘇らせた。
 母は、そうまでして娘と離れたくなかった。
 その愛情を、どうして何も知らないガキが否定できるのか。
 結局夏樹には、人を食う娘も、死者を蘇らせた母も責められない。
 ただこうやって釣りをしながら、少し話すのが彼に出来る精一杯だった。

「童貞にそんな話しないでくださいお願いします」
「ありゃ、そいつはごめん。相手は……してあげらんないかな」
「いいですよー、だ。俺の初めては海の見えるホテルで恋人とって決めてるんだから」
「あはは、いいねーそれ。憧れだわ」

 彼女にはもうできない。
 躰で肉を食う化け物でありながら、ついぞ人の心を捨て切れなかった。
 でも分かる。
 そうまでして生きるのは、死ぬのが怖いからではなく母のため。
 もう泣かせたくないから、歪な生に少女はしがみ付く。

「さってと、邪魔したね。んじゃ引き続き空き缶釣りを楽しんでください」
「おー」

 適当なところで話を切り上げ、七海は踵を返した。
 夏樹も呼び止めない。
 所詮はただの行きずり。彼女の苦悩を知らぬ男に言えることなど何もないのだ。

「おっ」

 くい、と竿がしなる。
 今度こそはと引き上げれば、やっぱりそれは空き缶だった。



 ◆



 リゾートバイトは「母が死んだ息子を蘇らせる」話である。
 死者の復活というモチーフ自体は、説話において然して珍しいものではない。
 例えばグリム童話の『杜松の木』では、殺された子供が拾い集められた骨から復活する。
 ばらばらになった死骸を集め、何らかの手段を講じることで、死んだ者は肉をつけ魂を戻す。
 所謂反魂の儀式というのはしばしば民話の中に現れ、しかも成功例は少なくない。

 逆に失敗例も同じように存在する。
『撰集抄』では、僧侶の西行が反魂の術で死者を甦らせている。
 心を共有できる友人が欲しいと思った西行は、骨を拾い集めて藤の糸で結び、その骨に薬を塗り、いちごやはこべなど様々な植物の葉をもんだり灰にしたりして骨につけ、水で洗い、安置した。
 しかる後に香を焚いて反魂の術を行った。ところが、そうして甦った人間には心がなかったという。

 ここで重要なのは復活の儀式においては、“足りないものを他から持ってくる”必要があるという点だ。
 そして基本的に、儀式を成功させれば死者の復活は有り得る。
 その意味でリゾートバイトの女将さんは、儀式を明確に失敗しているといえるだろう(その点は原典でも言及されている)。


 さて、死者蘇生の説話においてよく見られるキーワードに『鳥』と『植物』がある。
 グリム童話の杜松の木では鳥が歌を歌い、西行の反魂の術では植物を使って死者を蘇らせる。
 植物は冬に枯れ春に芽吹く。そこに人々は永遠性、不死を見出し、洋の東西を問わず植物には転生や再生を成す力があると信じられた。再生信仰と呼ばれるもので、神話で豊穣伸が復活するエピソードが多い理由の一つである。
 鳥はそもそも多くの説話で魂の象徴として扱われる。
 どちらにしても決して邪悪なイメージはなく、寧ろ復活後は鳥のように自由に振る舞え、花が咲くように美しさを得られる。
 実は死んだ後、死ぬ前よりも美しい容姿や優れた能力を得て復活するというテンプレは、古い説話には多く見られる。
 つまり復活の儀式自体は外法というほどのものではないのだ。



 しかしながらリゾートバイトは怖い話として成立する。
 それを成立させるのは、化け物よりもむしろ女将さんの存在だ。
 母の愛と妄執を主題とするストーリーは都市伝説や説話、伝承において比較的ポピュラーな部類である。
 有名どころを上げるのならば、やはり飴屋の幽霊などに代表される『赤子民話』だろうか。
 飴屋の幽霊は、死んだ後三途の川を渡る為の六文銭で子供に飴を買い育てる母親の霊の話。 
 このような死んだ母親が子供を育てる母の愛と妄執の物語、その類型を総称して赤子民話と呼ぶ。

 ただリゾートバイトの都市伝説と赤子民話では、同じく『母の愛』、『死を乗り越える』、『死後も共に在ろうとする』などのキーワードを有しながらその趣は大きく異なる。

 赤子民話において母親は、『子供の為に成仏の機会を捨て』、『子の未来の為に怪異へと為る』。
 しかしリゾートバイトは逆。
 これは哀しい母の愛だと体験者は語るが、その実母親は『哀しみから子供の成仏の機会を奪い』、『自身の幸福の為に子を怪異へと変える』のである。
 つまり一般的な赤子民話では子供が主体であり、リゾートバイトでは母が主体。
 そもそもこの都市伝説は、『母の愛』ではなく『母のエゴ』を語る。
 故にリゾートバイトは怖い話だ。
 ただしそれはホラーとしてではない。
 この都市伝説における恐怖の根本とは、子を自身の延長と考え、過干渉や過保護で子供の将来を駄目にする母親そのもの。
 リゾートバイトの化け物とは、青紫の肌の子供ではなく女将さんのこと。

 本当は、リゾートバイトの都市伝説は、怪談ではないのである。



 ◆ 



「お世話になりましたー!」

 空はもう夕暮れに染まっている。
 一泊二日の旅行もお終い、皆で集まって元気に挨拶。
 女将さんは旅館の玄関では見送りに来てくれた。
 楽しかった、また来たいといつものメンバーは口々に言う。
 その中で夏樹だけはどこか浮かない顔で、少しの逡巡の後女将さんに声をかけた。

「あの」
「はい、どうかしましたか?」

 返ってきたのは、あまりにも穏やかな微笑み。
 女将さんには一切の憂いもなく、ただ嫋やかに、曇りのない心で笑っている。

「……いえ、七海さん。カワイイ、ですよね? ちょっと話したんですけど。すごい、いい子で」
「ええ本当に。母想いの、優しい子なんです」

 ああ、知っている。
 七海は人でいる為に、母を悲しませない為に、男を喰らう。
 間違いだと理解しながら、苦悩に苛まれながら。
 それでも死んで楽になるなんて選べなかった。

「私は、本当に幸せ……こうやって、七海ちゃんと一緒に暮らせる。それだけでもう何もいらない。あの子がいてくれるなら、それでいいんです」
「大切に、してるんですね」
「ええ。だって、愛しい娘なんですもの」

 だから七海は娘で在り続ける。
 腐っていく肉は肉でしか埋められない。命を繋ぐものは命しかありえない。
 ならきっと、歪な愛情に応えられるのもまた、歪な愛情以外存在しない。

「そう、ですか。……女将さん、お世話になりました。どうかお元気で」
「はい。もしよかったらまたお越しください」

 これ以上何も言えなくなって、夏樹は丁寧に頭を下げた。
 後は、最後にもう一度だけ彼女に会っておきたい。

「みこ、ごめん」
「んー? どしたの、なっき」
「ちょっとさ、離れるから。すぐ戻るな」
「おけー」
「……簡単に認めるなぁ」
「なっきのことだから、また馬鹿やってるんでしょ? 早く行ってきなって、皆には説明し解いてあげるから」

 嬉しくなることを言ってくれる。
 にししと笑う幼馴染に感謝して夏樹は駆け出す。
 行先は当然あの岩場。別に約束したわけではないけど、そこで彼女は待ってくれているような気がした。 







 幾度となくひと夏の恋に身を委ねた
 そうやって何人もの人を食べてきた。
 つまりは怖い話だ。
 この海では毎年観光客が姿を消す。
 そういう、都市伝説が流れている。




 ざ、ざざ。
 橙色に染まる波が泣いている。
 訪れた岩場、西日が眩しくて目を細める。
 手で光を遮りつつ、ゆっくりと歩く。

「お、どしたのー、お客さん?」

 辿り着いた先、朗らかに笑う少女。
 やっぱり、彼女はそこで待ってくれていた。

「いや、もう帰るから一応挨拶をと思って」
「あ、そうなの? じゃねー、お元気でー」
「軽いなぁ」
「重くされても困るでしょーが」
「そりゃそうだけど」

 テンポのいい会話は小気味がいい。
 恐怖はない。それがおかしいとは分かっているのに、どうしても彼女を恐ろしいとは思えなかった。

「他の人にはアタシのこと話したの?」
「いいや。信じてはもらえるだろうけど、別に騒ぐようなことじゃないし」
「ふーん、変なヤツー」

 七海には、夏樹が奇妙に感じられていることだろう。
 人食いの化け物を前にして、人を殺したと知りながら、恐怖も嫌悪もせずに平然と振る舞う。
 普通に考えれば、こんな奴気持ち悪くて近寄りたくもない筈。なのに最後の挨拶にまで来て、本当に変なヤツだ。 

「なんかないの?」
「え?」
「だから、化け物ーとか。人を食うなとか、そういうの。そもそもさ、フツーはもっと怖がるでしょ」
「言うことはないし、怖くもない。ただ、少し悲しい」
「アタシが?」
「何にもできない自分が」

 リゾートバイトの都市伝説は、偶然訪れた僧侶に呪いが解かれ、最後に女将さんがよみがえらせた息子に食われることで幕を下ろす。
 しかし七海の物語は終わらない。
 母はただ娘を愛し、娘は母の為に人を喰らい。
 この先も、海辺の怖い話は続いていく。
 それをどうにもできないことが悔しくて、少し悲しい。
 そしてどうにもできない夏樹に何かを言う資格なんぞ、初めからないのだ。

「でもさ、聞きたいことは一つだけあるんだ」
「んー、なに?」
「いいのか?」

 いいのか、問いはただそれだけ。
 でも彼女には十分に伝わった。
 一度死んでいるのだ、死ぬのなんて怖くない。
 人を喰らって生きるなんて嫌だ。
 七海は心底そう思っていて。
 でも母さんが泣くから。
 自分が死ぬことで泣いて、苦しんでしまうと知っているから、七海は人食いに身を落とした。

 それでいいのかと夏樹は言う。
 己が意志ではなく、他人の為に化け物として生きる。
 そうやってこれからも生きていくのかと。
 そんなに苦しまなくてもいいじゃないかと、彼は縋るような真摯さで問い掛ける。

「アタシはさ、これでいいって思ってる」

 だから七海は素直に心の内を明かした。
 ひと夏の恋なんて、綾のあるものじゃないけれど。
 少年は訪れた海で少女に出会い、僅かながらに交流を持った。
 ならこれくらいは、夏の思い出で済む話だろう。

「だってあの人の娘なんだし。親コーコーくらいはしてやんなきゃ。あんまりに母さんが可哀相じゃん」

 小麦色の肌の、活発そうな彼女。
 なのに母親のためと語る姿は、どうしようもないくらい儚げで。
 少し目を離したら潮騒に攫われて消えてしまうんじゃないかって思うくらい。

「だから間違ってても、このまんま。ひと夏の恋をして、体を開いて。多分来年もそうしてる。できれば相手がイケメンだったら嬉しいかなぁ」
「……そっか。ごめん、嫌なこと聞いた」
「ううん、こっちこそごめん。あと、あんがとね」

 初めから意味のない問いだった。
 多分何を言ったって彼女には届かない。
 もうとっくの昔に心は決めている。
 既に死んだ身ならば、母の為に化け物として生きよう。
 七海は、そういう道を選んでしまった。

「だからさ。多分アタシは、アンタだけは好きにならないよ」

 でも、勝ち誇るように言ったその言葉は、きっと彼女の本音だ。
 ひと夏の恋の果てに人を喰らうあやかしは、夏樹には恋をしないと。
 その意味を。そこに込められた好意を間違えるほど彼は鈍くなかった。

「……ちぇー、俺モテないなぁ」
「あはは、そう言いなさんな。アンタならすぐに似合いのカノジョができるって」

 けれど気付かないふりで口にはしない。
 聞き返したら彼女の優しさを無駄にしてしまう。精一杯の強がりで、夏樹は目を逸らす。
 ざ、ざざ。
 視線の先には橙色の海が広がり、空との境界さえ朧げで。
 耳を擽る波音だけが、二人の間には流れていた。



 ◆



 こうして一泊二日の旅行は終わり、夏樹は帰りの電車の中でぼんやりと流れる景色を見詰めていた。
 久美子やリーダー、他のメンバーは遊び疲れて眠りこけている。
 夏樹も正直疲れていたが、なぜか眠くはならなかった。

「浮かない顔だな」
「……じいちゃん」

 まだ起きていたメンバーの一人が声をかけてきた。
 同じクラスの男子で、“じいちゃん”というのはあだ名みたいなものだ。
 高校に入る前からの付き合いで仲もいい。だから気を抜いて、夏樹はふと呟く。

「なあ、じいちゃん。ひと夏の恋って寂しいな」
「どうした、急に」
「いや、ちょっとさ。……なんにも言えなくて、お互い誤魔化して。肝心なことには見ないふりをして。なんだったんだろうなーって思っちゃってさ」

 ただの雑談だ。それで何かを得られるなんて思っていない。
 だけどじいちゃんは小さく笑みを落とし、諭すような穏やかさで応えてくれた。

「それでいいんじゃないか」
「え?」
「形に残るものなどないかもしれない。けれど、夢のままに終わるからこそ美しいものもあるだろう」
「そう、かな」
「報われるばかりが想いじゃないさ。例えひと夏の、瞬きに消える触れ合いだったとしても。確かにお前は少女の心を救ったんだ」

 まるで見てきたように言うものだから、思わずぎょっとしてしまう。
 けれどじいちゃんは相変わらず無表情で「少し寝ておけ」と言うだけ。夏樹には彼の胸中は測れず、言われるままに取り敢えず目を瞑る。
 やっぱり、眠れない。
 余計なものばかり瞼の裏に映るせいだ。

 思い浮かぶのは母の為に人を捨てた少女のこと。
 儚いまでに美しい、海辺に潜む愛情のこと。





 これでリゾートバイトのお話はおしまい。

 きっと彼女は来年もまた恋をするだろう。
 ひと夏の恋に身を委ねて、その度に誰かを喰らい。
 母の安寧の為に、どこにも行けず苦悩する。

 毎年あの海辺では観光客が一人二人姿を消すだろう。
 哀しい都市伝説はこれからも続いていく。

 その中で。
 僅かに触れ合っただけの少年のことを、彼女は時折にでも思い返してくれるだろうか。






 結局夏樹は眠れず、うっすらと目を開ける。
 電車は走り、景色は押し流されていく。
 あの海は既に遠くなり、多分もう行くことはないのだろうなと思う。
 けれど広がる夕暮れの空は、橙色の海を思わせて。
 幻視した少女の微笑は、潮騒の向こうに消えていった。
 



感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.07829213142395